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[22387] 永宮未完 下級探索者編
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2019/07/15 00:14
 以前投稿していた物の書き直し……というか主要キャラの掘り下げで過去から始めたためにほぼ新規となります。
 序をとっとと終わらせたら、迷宮やら冒険物にする予定となっています。 
一応迷宮物でありますが、地下やら古城は勿論の事として、やたらと広い砂漠やら湖等も少し設定を加えて迷宮化させた物とする予定です。
 
 稚拙かつ遅筆な物語ですが僅かでもお楽しみ頂き、お付き合いいただけましたら幸いです。

 2014/10/26 序より推敲を開始。小説家になろう様にも投稿をいたしました。


 ある程度進んだので、第二部下級探索者編こちらでも再始動いたします。



[22387] 序 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2017/08/21 00:19
 轟々と鳴り響く風の音。

 夜空をぶ厚く覆う黒雲からはまるで礫のように大粒の雨粒が降り注ぎ地上を激しく叩く。

 天を切り裂く幾筋もの雷光と鳴り止まぬ雷鳴は、まるでこの世の終焉がすぐ其処まで迫っているかのようだ。

 冬の終わり。

 春の到来を告げる春嵐は、毎年同じ日に大陸の南方海で発生し、大陸各地に大雨と洪水をもたらしながら、3週間かけて徐々に北上していく。

 小国なら丸々一つを覆ってしまうほどの大嵐は、やがて海から遠く離れた大陸中央部の険しい山岳地帯へと至り忽然と消滅する。

 通常の嵐では有り得ない動きと規模。

 これは嵐が消滅する山岳地帯に原因があると、歴史学者達の間ではまことしやかに囁かれる。

 その地には遙か過去に大陸に君臨した龍王が居を構えていた迷宮があり、主が滅んだ今も生き続けている魔法陣によって大嵐が発生し引き寄せられているからだと。

 二千年以上も定期的に続く大嵐の真相を究明しようと現地調査の申請をする者の後は断たない。

 だが極一部の例外を除き山岳地域への立ち入りが許可されたことはない。

 龍の秘術が解析され拡散する可能性や、調査によって予期せぬ事態が起きる懸念がされた事情もあるが、一番の理由は別にある。

 それは彼の地が聖地であるからだ。

 聖地と定めしは、迷宮を征し龍王を討ち滅ぼし勇者によって建国されし王国。

 後に王国は南方大陸統一を成し遂げ統一帝国としてさらに勇名を馳せることになる。

 討ち滅ぼし龍王の名を受け継ぎ『ルクセライゼン帝国』の聖地である古代迷宮は『龍冠』と呼ばれ、国母たる代々の皇太后が守として余生を過ごす離宮が迷宮への入り口を塞ぐように建てられていた。










 








 
 春嵐がもたらす激しい雷雨はただでさえ見通しの悪い夜の森をさらに暗く彩る。

 降りそそぐ雨が視界を塞ぎ、針葉樹林で構成された森を縦横に走る遊歩道は、長雨の影響で所々が冠水して、まるで川のように水が流れている。

 嵐に晒される森。

 その森に張り巡らされた遊歩道を、水に沈んだ根や段差をカンテラや魔術の灯りに照らし出し、何とか避けながら懸命に走る幾人もの騎士達がいる。

 騎士達がいるこの森の中心部にルクセライゼンの聖地である古代迷宮『龍冠』が存在する。

 龍達の長。龍王がかつて居を構えていたという伝説が残る【龍冠】は、人里から遠く離れた山岳地帯にある。

 夏でも山頂付近に真白い雪が残る高い山脈に周囲を取り囲まれ、その姿がまるで王冠のように見えることから、龍王の王冠『龍冠』と古来より謳われていた。

 山裾の隙間を縫うように流れる谷沿いに狭い道が一本あり、そこを通り山脈を抜けると巨大な盆地へ出る。

 盆地の南側には古代樹が群生する森林、北半分には周囲の山々からの雪解け水で作られる冷たく透き通った湖。

 湖の中央には湖水から垂直に伸びる断崖絶壁の高い崖で周囲から孤立した島が一つ。

 島の天頂には針葉樹林の森が広がり、中央部には古めかしく荘厳な空気を醸し出す石造りの宮殿と広大な温室庭園が存在する。

 この宮殿の直下に、龍冠の本体ともいうべき迷宮への入り口があった。

 生物の侵入を拒む高い山脈と湖中央の切り立った断崖絶壁の島に存在する『龍冠』。

 険しい山々を越えるのは夏期でも非常に困難であり、雪が根深く残る春を迎えたばかりのこの時期には不可能といっても過言ではない。

 地上からの唯一安全なルートは、湖から海へと続く谷川沿いの狭い道しかない。

 だが谷沿いには厳重な警戒網を誇る砦が幾つも設置され、人と物の出入りは厳しく検査されている。

 もう一つルートもある事はあるが、それは飛竜などの騎乗生物を使う空からの山脈越えとなる。

 だがこちらも常に監視がされており、しかも今は威力が強く巨大な春嵐の発生期。空路の山脈超えなど無謀の極み。

 外部からの進入は事実上は不可能であるはずだ。

 しかし今宵は違った。

 地下倉庫に設置された探知結界が警報を奏でたのは、今より一時間ほど前。

 警報直後に倉庫から走り去った茶色い外套の不審人物を追いかけ、騎士達は嵐の森の中へと踏みいる羽目になっていた。








『反応を拾った! また森の中を移動してやがる!』


『無茶苦茶だ! なんて野郎だ!』


『場所は!』


 騎士達の襟元につけた魔術具より侵入者発見を伝える声が響く。

 次いで舌打ちと苛立ちを抑えきれない忌々しげな声や、苦しげな呻き声がいくつも聞こえてくる。

 遊歩道を走るのがやっとな騎士達を、まるであざ笑うかのように森の中を軽々と移動する侵入者に何度も囲みを突破され騎士達の苛立ちは募っていた。


『25番を南方向に抜けていった! 回り込める奴は回り込め! 何とか足を止めろ!』


 指示の声に森に散らばっていた騎士達が一斉に動き出す。

 近くの者は侵入者の進行方向を先んじて抑える為に直接的に回り込み、離れた場所にいた者は囲みを突破された場合に備え外側に回り込んでいく。

 しかし騎士達の数は二十人にも満たず、いくら相手が一人といえど移動速度が段違いでは捕らえるのは至難であった。

 現状は南側にある下の湖に通じる唯一の階段回廊は別働隊が封鎖し、残りの者達が北側にある離宮へと再度近づけぬように囲みを徐々に狭めながら退路を塞いでいくのがやっとだった。


『23分岐! 姿は見えない!』


『こちらは27分岐! 同じく確認できない! 22分岐の方か?! 気をつけろ! 相当速いぞ!』


 近くを通ると予測される分かれ道に着いた騎士が次々に発見できずと報告をあげていく。

 直線的に森を抜けてくる侵入者に対して遊歩道沿いの回り道しかできない騎士達では、一度侵入者を見失うと再発見は容易なことではなかった。


「22分岐についた。了解」


 22番分岐路へと走り込んだ騎士は同僚の忠告に小声で答えながら、敵からの目印となるカンテラの火を消して近くの木の陰に身を隠して周囲を探る。

 走り通しで荒れる息を整えつつ細身の長剣を引き抜く。


「ちっ……やりづらい」


 雨で滑らぬように柄に巻いた荒縄の感触に違和感を覚えた騎士は舌を打つ。

 強い風と雨を伴う嵐に森の樹が盛んにざわめき、音がかき消され気配が探りにくい事も苛立ちの要因だろう


「太后様がお留守のこの時期にか……」


 この時期に現れた侵入者の狙いを推測し、それを口に出すことさえ躊躇した騎士は、緊張を押し殺そうとゴクリと息をのむ。

 離宮の主である皇太后がここより遙か南方にある帝都にて執り行われる春迎の祭典に出席する為に、例年この時期は離宮から離れていることは周知の事実。

 龍冠が存在する山脈への無断侵入は未遂であっても大罪。

 ましてや離宮にまで辿り着いたのであれば、背後関係を徹底的に調べるために拷問。その上での死罪は確実。場合によっては反逆罪で一族郎党にまでその責は及ぶ。

 其処までの危険を冒して主不在の離宮へと侵入する理由として、予想できる物はいくつか騎士にも思いあたる。

 龍冠はその成り立ちから曰くのある場所で、帝国が抱える幾つもの機密情報が眠っていると民の間でも噂され、実際にそれは真実である。

 騎士の心に浮かんだのは、その中でも、もっとも隠し通すべき秘匿存在であった。

 下手にその存在が明るみに出れば、帝国の崩壊と終わりの見えない戦乱を招きかねないほどの危険を含むモノ。

 四年も侍女として潜伏していた間者によって、その秘密が暴かれかけたのは僅か半年前。

 その時は一人の犠牲と情報操作により秘密は辛うじて守る事ができたが、身辺調査と選別が厳重に行われていた離宮の侍女に間者が潜伏していた事実は、現皇帝とその側近達に衝撃を与えることになる。

 皇太后を狙った暗殺未遂事件として処理しつつ、情報拡散を防ぐ為に元々少なかった離宮詰めの騎士と従者にさらに徹底した身上調査と思考調査が行われた。

 これによって騎士と従者はより厳選された極少数となり、調査によって僅かでも不安要素がある者は任を外され、秘匿存在に関する記憶封印がされ別地へと異動させられた。

 結果離宮の守りは薄くなったが、代わりに山脈外周部及び回廊である谷には兵力が倍増され、さらに新たな砦が幾つも設けられて守りをより強固な物へと変貌させている。

 ネズミの一匹たりとも見過ごさないと言っても大袈裟ではない警戒網。それをすり抜けてきたとは考えにくい。ならば……


「まさか他にも内通者が?」


 一瞬浮かんだ猜疑の念を即座に首を振って否定する。

 今の同僚や従者達は数こそは少ないが、誰もが信頼できる家族のような者達ばかり。

 裏切り者など居るはずが無い。

 騎士は剣をしっかりと握り直して周囲の気配を探り続ける。

 だが風雨の影響もあって侵入者の姿は見えず気配も感じ取ることは出来ない。

 この嵐は侵入者にとっては心強い味方。騎士にとっては最悪の障害となっていた。


「……」


 このままでみすみす見逃すと判断した騎士は、口笛のような音を一つ鳴らして高圧縮した詠唱を唱える。

 詠唱によって発動した術は生体感知。

 有効範囲はさほど広くはないが、魔術師が偵察用使い魔として使う小鳥程度の大きさの生命体も感知できる術になる。

 騎士の視界で周囲の木々がうっすらと光って輪郭を描き出し、幾つもの光点があちらこちらに浮かんでくる。

 木の洞や太い枝の根元辺りに浮かぶ光点。それらには動く様子も見えない。おそらく森に住み着いている小動物が嵐が去るのを耐え忍んでいるのだろうだろう。

 しかし暗闇の森の中に一つだけ別の動きをする反応があった。

 騎士が思わず驚くほどの速さで森の中を動く生命反応。

 その主はでこぼこした地面を避けて、木の枝や幹を次々に蹴りつけながら宙を跳び、騎士の隠れる方向へと段々と近付いてきていた。

 距離はそれほど遠くはない。このまま真っ直ぐ進めば数十秒後には騎士が隠れている樹の近くを通り抜けていく。おそらくこれが侵入者であろう。

 迷い無く真っ直ぐ進む侵入者の足取りに、隠れているこちらの存在には気づいていないと騎士は判断する。

 
「発見した。仕掛ける」


 即断した騎士は小さな声で味方に伝えると、周囲を探る魔力の流れから存在気取られぬようにと探知術を切ると、浅く深く息を吸ってピタと止めて、左足を半歩前に踏み出し半身体勢となる。

 天を駆ける稲光に刀身が反射しないように侵入者が来る方向に対して己の身体に巻きつけるような右下段の腰構えで剣を隠し、左手は柄頭の近くを順手に握り、開いた右掌を鍔近くに押し当てる。 

 踏み込みと共に身体全体のひねりを解放し同時に右手を突き出す事で電光石火の一撃となす、初手を重視した独特の構え。

 多数の追っ手に対して逃亡を図る侵入者が足を止めて戦闘をするとは考えにくい。

 こちらに気づけばすぐに侵入者は逃亡を再開するだろう。

 当たろうとも外そうとも次手を繰り出す余裕はない。

 情報を引き出すためにも生きたまま捕らえ無ければいけない。

 木を跳ぶ相手との位置関係と逃亡を防ぐためにも狙うべきは足。

 足を殺して機動力を削ぐ。

 情報と状況を整理し予測から目標を定めた騎士は息を押し殺し、最適のタイミングを伺う。

 天を引き裂く雷光と雷鳴。

 轟々と唸る風。

 枝葉をかき鳴らしざわめく木々。

 気を抜けば足を掬う勢いで流れていく水。


 ザッ! ザッ! ザッ! 


 自然の猛威が不規則な音を奏でる中に微かな足音を騎士の耳が捕らえる。

 計ったかのように一定のタイミングで鳴る足音。

 隠れていた木の陰から騎士はそっと顔を出し侵入者を目視しようとした丁度その時、雷光が煌めき、黒い影だった侵入者の姿が一瞬だけ明々と照らし出される。

 姿があらわとなったのは僅かな瞬間だが、広い国中から選抜された高い実力を持つ騎士にとってそれだけあれば十分だ。

 侵入者の体格、武装、身のこなしを確かめた騎士は内心で僅かに驚く。

 樹を次々に飛び移るという情報から身のこなしが軽いとは思っていたが、侵入者は騎士が想像していた以上に小柄だ。人間種の子供ほどの大きさしかなかい。

 赤茶色の外套を纏い、フードを目深に被ったその顔を窺い知ることは出来ない。

 騎士から見て反対側の右肩には、布でくるまれた持ち主の倍ほどの長さの棒のような物を担いでいる。

 長柄の先は大きく膨らんでいる。槍の類だろうか。

 小柄で森の中を自由自在に動き回れる長柄使い。

 人の子ほどの背丈と聞いてまず思いつくのは精霊種の一部だが、代表的な者に限ってもハーフリングやハイゴブリン等が幾つもあげられる。 

 これに魔族や獣人など他系種の者達も含めればその候補は数百にも及ぶだろう。

 見た目だけで相手の正体を絞り込むことなど出来ない。

 背後関係を探るためにも是が非にでも捕らえなければならないが、侵入者の動きを実際に目の当たりにして、相手が高い技量を持つことを確信した騎士の鼓動は緊張で僅かに速くなる。

 この森は全ての木を一定間隔に植え整備して作った森ではなく、元々あった森に少しばかり手を加えたに過ぎない。

 法則性もなく乱雑に生える木々を速度を落とさずに、次々に一定のリズムで跳び移るには、先の足場を見極め続ける事が出来る頭脳と、思い描いたとおりに瞬時に身体を動かす高い身体能力が必要となる。

 侵入者の技量はおそらくは自らよりも上。

 そんな相手が逃亡中だというのに隠れている追っ手の騎士を見落とすだろうか?

 ひょっとしたこちらの存在に気づいていないと、思わせているだけではないのか。

 不意に弱気な考えが騎士の心に浮かび上がる。

 しかし迷いは剣を鈍らせる。

 騎士は不安を無視してぐっと足に力を込める。

 騎士の間合いまで敵は後二歩まで迫っていた。


 ザッ! 


 柄の握りを強め身体を僅かに前方へと倒す。後一歩。


 ザッ!


 枝を蹴りつける足音を意識が認識する前に、騎士は左足を滑るように水を切りながら踏みだし隠れていた木陰から飛び出す。

 空中を跳ぶ黒い影が視界の真正面に一つ。

 騎士に対して左側面を晒す侵入者が其処にいた。

 宙を跳ぶ侵入者の体勢が僅かに乱れた。水を蹴った踏み込みの音でようやく隠れていた騎士の存在に気づいたようだ。

 慌てて音が聞こえる方向に顔を向けながら、右肩に担いでいた長柄を僅かに持ち上げ迎撃の構えを取ろうしている。

 察知能力と判断能力は騎士の予想以上に速い。

 だが足場のない空中でもたついて、意識に身体がついていかないようだ。

 大きな隙が出来た侵入者。手練の騎士がその隙を見逃すはずもない。

 騎士は腰構えにしていた長剣を握る左手を一気に振り上げ、柄に当てた右手に捻りを加えながら強く打ち込む。

 剣は一拍の間も置かずに最高速に達し、侵入者の左足首に食らいつこうと襲いかかった。

 その時、騎士の背後の僅かに姿を見せた空でまたも天を切り裂き雷が一つ奔り、森の中を明々と染める。

 刀身が雷光を受けて光輝いた。

 文字通りの閃光の一撃となったその一振りは、騎士の非凡な才能と何千何万と振った型の上に身についた必殺の一撃。

 だが刀身を輝かせた雷光は同時に、フードを被った侵入者の顔をも照らし出していた。

 雷光を受けて形を現したのは、黒髪と黒目のまだ幼い少女の顔。

 それは騎士のよく見知る者……この瞬間に絶対にこの場にいてはいけない者の顔だった。

 自分が剣を振るったのが誰なのか瞬時に気づいた騎士は、とっさに狙いを逸らそうとする。しかし最速で振り出した剣は騎士の思うとおりにはならない。

 非凡な才能を持つ騎士の腕を持ってしても、その速さを僅かに弛める程度のことしかできない。

 騎士のとっさの動きも無駄となり少女の足首はばっさりと斬り飛ばされている…………はずである。

 だがこの少女には騎士が作り出したその刹那の遅れで十分だった。

 少女が長柄を持つ右手を下に振りながら掌の中で滑らして足下へと柄を伸ばす。

 同時に伸びた柄を左足で絡め取って足首の後ろ側へと回した。

 次の瞬間、金属同士がぶつかり合う高音が嵐の森に高らかに鳴り響く。

 少女の足首を切断するはずだった刃を、長柄の柄がガッチリと受け止めていた。

 布にくるまれていてその材質までは判らないが、少女は僅かに長柄を動かし力を分散させることで、必殺の一撃である騎士の剣を容易く受け止め、そして跳ね返してみせた。

 しかし剣に乗っていた力まで相殺されるわけではない。

 宙に浮かんだ状態で足下に強い一撃を受ければ、小柄な少女の身体では衝撃で弾き飛ばされるだろう。

 しかしそうはならない。

 剣と長柄がぶつかり合う衝突音が鳴るとほぼ同時に少女が足を上げ下半身を丸めながら、左手を後ろに振り上半身を反らして横向きの衝撃の力をその体捌きのみで円の力へと変えるという離れ業をやってのけていたからだ。

 腕の立つ騎士の全速攻撃を受けたというのに、軽々と凌いで見せた少女は、まるで猫のように空中で一回転してスタッと地面に降り立った。

 剣を放った体勢のまま凍りついていた騎士だったが、少女に怪我が無かったことにほっと胸をなで下ろしかけて、


「なんで貴女がここに!?」


 すぐに今もっとも問題にするべき事があると気づく。

 なぜここにこの少女がいるのか。しかもなぜ侵入者として追われていたのか?


「驚かすなっ!!!」   


「おぶっ!」 


 問いただそうとした騎士に対して、少女がもたらしたのは不機嫌な怒鳴り声……そして先ほど剣を防いだ長柄であった。

 溜めや構えを悟らせることなく不意に繰り出した少女の一撃。

 油断していたために攻撃をまともに頭部に受けることになった騎士が見たのは布がほどけて顔を覗かした三つ叉にわかれる長柄の先端と、周囲に飛び散る妙に白い破片だった。


「し、燭台!?」


 少女がもつのは武器ですら無く離宮ではありふれた燭台だった。

 まさかそんな物で自分の一撃が防がれたとは。

 驚愕する騎士の意識は急速に遠のいていた。



[22387] 序 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2017/08/21 00:19
「デュラン! デュラン! …………駄目だ。反応がない。まさかこの短時間でやられたというのか?」


 何度呼びかけても通信魔具から返答の声が聞こえてくることはない。

 部下の一人が侵入者と接触すると連絡を入れてきたのはつい先ほど。

 その直後に連絡は途絶した。

 離宮守備隊に選抜される騎士は優秀な人材で固められている。

 特に半年前の事件の後も残った者達は少数ではあるが、国内最精鋭といっても過言ではない。

 それがたった一人の侵入者に手玉に取られ、その中でも実力者のデュランが連絡を絶つ異常事態。


「22分岐付近の者は引き続き侵入者の現在位置確認! 発見してもうかつに仕掛けるな! 他は近くの者と二人パーティ形成。再度包囲準備! 足止めし連携戦に持ち込む! 相手は上位の探索者かも知れん! 包囲完了しても油断するな!」


 離宮直衛守備隊の長を務める中年騎士は、侵入者が驚異的な実力を持っていると判断し緊迫した声で指示を下す。

 守備隊に属する騎士達は特別顧問の師事の元、迷宮で誕生した剣術を身につけている。

 生物として上位存在である迷宮の怪物達を相手取るために生み出された実戦的な迷宮剣術は単独戦闘を基本とするが、パーティによる連携戦も派生技法として重要視され一対多であるこの状況には適しているといえるだろう。

 ただでさえ広い網の目をさらに広げる事にはなるが、各個撃破され食い破られるよりはマシだという決断であった。

 しかし守備隊長には一つ懸念がある。

 侵入者の正体が北大陸に存在する迷宮。

 世界で唯一の生きる迷宮群である【永宮未完】を踏破し神の恩恵である身体能力強化【天恵】を得た者……それも最高峰の上級探索者だったらという恐れだ。

 天恵強化は迷宮外では著しく制限されるが、それでもある程度の効力を発揮する。

 そして時間制限はあるが迷宮内部と同等の超越した力を解放する切り札【神印開放】が探索者には存在する。

 能力開放状態の探索者に対抗する術は一つだけ。同様に能力解放した探索者を当てるしかない。

 だがそれについては問題はない。

 ここルクセライゼンにおいて正騎士へと任命されるには、準騎士としての経験とは別に中級以上の探索者である事が必須条件となっている。

 守備隊に籍を置く者は全てが正騎士にして中級探索者。

 まして離宮詰めの騎士達には、非常時用に自ら得た神印宝物や国より下賜された物を常時その身に帯びていた。 

 
「侵入者が神印開放を行った場合は私が対処する! お前達は即時待避し離宮に残る者達と防衛に専念」


 守備隊長も若かりし頃は一人の探索者として鍛錬を積み重ねてきた。その証ともいうべき物が右腕で燦然と輝く銀製の精巧な飾りの施された腕輪だ。

 蔦薔薇をモチーフとした腕輪に咲くのは赤い宝石によって再現された一輪の花。石の中央には森を司る中級神の印が刻み込まれている。


「侵入者が陽動であり伏兵の恐れも考えられる! 伏兵が存在した時は合わせて順次解放! 帝都に連絡! 下の砦に救援要請も出せ! 私が許可する!」 


 切り札である腕輪に無意識に触れながら、侵入者警戒時よりもさらに引き上げた準戦時対応へと移行する指示を守備隊長は下す。


 ルクセライゼンは大陸を丸々一つ支配下に置く大帝国である。

 だがその実態は一枚岩ではなく、むしろ無数の国が集まって出来上がった寄り合い所帯ともいえる。

 これは南方大陸統一の理由が、当時北方大陸で起きた世界的異変に対抗するための緊急的な意味合いが強かった所為だろう。

 その脅威も既に過去の物となり200年以上。平穏な時代での商業的な発展が行き詰まりつつある中で、最近では広大な帝国のあちらこちらで争いの火種が燻り始めている。

 その中でもっとも大きな火種となり、そして現皇帝にとって最大の弱点である者が龍冠には存在する。

 警戒厳重な龍冠。その最深部まで潜入を果たした侵入者に対して守備隊長が過剰ともいえる反応を示したのは、いつ内乱が始まってもおかしくない空気を常日頃より感じ取っていたからであった。

 この判断は全くの見当違いであり、むしろ押さえつけられていた火種自らが燃え広がる切っ掛けとなる、ただの家出だったと知るのはもうしばらく後であった。
















「むぅ……変わった」


 雨の森の中、次々と木や枝を飛び移りながら目的の場所を目指していた少女は周囲の気配から騎士達の配置が変わった事を敏感に察知し、太い枝の上に着地して一端立ち止まりさすがに荒れた息を整える。

 いくら枝その物は太くても、風は強く吹きあれ、雨に濡れており滑りやすく、ましてや右腕には先ほど騎士を殴り倒した自分の身長の倍もある燭台を担ぎ、左てだけで幹を掴んだだけの不安定な体勢。

 だというのに困った顔を浮かべる少女の姿から、木から落ちるというイメージがわいてこない。

 不安定な足場でも微動だにしないバランス感覚の良さもあるのだろうが、どうにも野性動物的な雰囲気が少女からにじみ出ている所為だろうか。


「これでは半年がかりの私の綿密な計画が台無しだ……お腹すいた」



 待ち望みようやく訪れた春嵐。だが逃亡計画がのっけから躓いたことに少女は不機嫌そうにつりめ気味の目をさらに尖らせて眉を顰めたが、胃がキューと小さく鳴って自己主張したことに気づき息を吐いて少しだけ気を抜く。

 現在位置周辺には遊歩道からは少し離れていて木も生い茂っているので、姿を見られることも無く、生体探知されても気配を押し殺して動いていなければ、小動物と思うはずだ。。

 周囲を見渡して状況を考えた少女は、逃亡の最中だというのに大胆にも小休止と決めて立っていた枝に腰を下ろした。

 頭と右肩で燭台を押さえつけると、外套の中に左手を突っ込みごそごそと漁る。

 懐から取り出した少女の手には大きな林檎が一つ握られていた。


「むぅ。失敗だったか。もう2,3個持ってくれば良かった。まさか森を出る前に食べることになるとは思わなかったな」


 幼い外見には似合わない尊大な口調の少女は、真っ赤な林檎を残念そうに見てから、雨に濡れる事も気にせず林檎にシャリッとかぶりついた。


「ん。やはり美味しい……探知結界に察知されたのは誤算だったが忍び込んで正解だったな」


 その甘さに今度は年相応の無邪気な笑顔を浮かべる。

 わざわざ地下倉庫に林檎を取りに行かなければ察知される事もなく、もっと楽に逃げ出すことが出来ただろう。だが少女にはそんな考えは毛頭ない。

 旅立つ前に一番の好物である中庭の庭園で採れた林檎を持っていきたかった。これが全てである。

 現にこうやって林檎は手元にあるのだから、その数と早々と食べてしまう事に対する不満はあるが、それ以外は特に気にしていない。

 良く言えば大らか、悪く言うなら大雑把。あまり細かい事にこだわらない所がこの少女にはあった。


「それにしてもどうするか……さすがにさっきみたいな不意打ちは、二人相手では無理だな……捕まればミュゼに叱られるし、お祖母様が戻られたらお仕置きされてしまう……大願成就のためにも戻るという選択はありえない……かといって階段回廊の方から人が廻ってくる気配もないか」


 林檎をしゃりしゃりと食べながら、少女は捕まった時の未来を考えた。

 従者にして従兄弟の姉に怒られるのもさることながら、普段が優しい祖母が怒るともう一人いる厳しい祖母以上に恐ろしい。

 その事をよく知る少女は怒りの様を想像しびくっと背筋を振るわす。

 ましてや守備隊の一人を思いっきり殴り倒した事が知られれば、過去最大の怒りとお仕置きを貰う事は必須。 

 先の事を考えるなら、今回は諦めて次の機会を伺うという選択肢もあるのだろうが、叱られたくはないという子供らしい思いが少女にもう後には引けないと決意させていた。

 だがそう易々と思うようにいかない事も少女は重々承知している。

 不意をつけたのはあくまでも先ほどの騎士が少女の存在に驚き油断していたからにすぎない。

 逃げるだけなら後れを取る事はそうそうないが、直接的な戦闘では守備隊騎士達には到底及ばない。

 逃げ続けて引っかき回していればそのうちに業を煮やし、下の湖へと続く唯一の道である階段回廊を封鎖している騎士達の一部も追跡に来るだろう。

 後は手薄になったその隙に突破すれば良いという予測も外れてしまった。

 唯一少女にとって有利なのはまだ自分の正体がばれていない事くらいだろうか。

 しかし先ほど倒した騎士は通信魔具は壊して縛り付けて森に放置したが、いつ目覚めるか判らない。

 騎士の口から正体がばれたら追っ手の騎士達も、相手が少女なら多少のことなら大丈夫だろうとある意味遠慮が無くなってくる。

 もっと早く階段回廊に近づけていれば、他の手もあったかも知れないが、まだここは離宮と回廊の中間点ほど。

 突破しても突破しても回り込んでくる巧みな騎士達の配置で思った以上に、南に下れなかったのが痛かった。


「バレイドめ。頭は硬いがやはりお祖母様が選んだだけあって優秀だ。しかも勝負に出たな」


 騎士達の配置が換わったのは、必要以上にこちらを警戒し森に騎士を分散させるのを止めてパ-ティによる連携戦を仕掛けてくる兆候だろうと、守備隊長の慎重でありながら必要とあれば大胆な手も打つ性格から少女は予測する。

 一対多の状況になれば不意を突くのは難しく、早々に捕まるのは必至。

 だが網の目が広がり立て直しが出来ていない今この瞬間が最後の好機である事も事実。


「ん……仕方ない。抜け道と潜伏でいくか……登ったことはあっても降りたことはないが、まぁ私なら何とかなるだろう。ちょっとお腹もふくれたし全力だな」


 まだ幼くあるが明晰で回転の速い頭脳を持つ少女は活路をすぐに見いだし、芯だけになった林檎を名残惜しそうに見てから口に放り込むと立ち上がる。

 目指していた階段回廊へのルートをあっさりと見限り、林檎の芯をポリポリと囓りゴクリと飲み干す。

 先ほどまで引っかき回す為にわざと抑えていた移動速度を全力にし、包囲網が再度配置される前に抜けようと、強い風が吹き荒れる中を西へと向けて突き進み始めた。



















『再発見! っ! さっきよりも速いぞ!? 猿か!?』


『西に向かってる! あっちは崖だぞ!?』


 通信魔具から次々と上がる部下達の驚愕の声に守備隊長であるバレイドは忌々しげに眉を顰めながら水をかき分ける足を速める。

 風雨はますます強くなっている。

 春嵐本体がもうすぐ其処まで迫っているのだろう。

 先ほどまでは何とか南に抜けようとする様子が見られた侵入者の動きは急に変わった。

 こちらが再包囲を完了する直前に姿を現し動き始めたかと思うと、まったく別の方向へさっきほどよりも速い速度で動いている。

 南側へ抜けるルートへと重点的に配置していた事も裏目に出て網を完全にすり抜けられ追いかける状態。

 だが侵入者が一直線に向かっているのは西側……そちらは断崖絶壁の崖しかない袋小路だった。


『ひょっとして何も知らないで、浮遊か飛翔で崖を降りる気なのか?!』


『馬鹿野郎! 魔力吸収域のことなら俺んとこの三歳のガキでも知ってる! そんな訳あるか!』


 龍冠に立ち入る事ができる者は極限られている。

 しかしその大まかな風景や特徴等は始祖の英雄譚や過去の皇族が描いた風景画等である程度は知られている。

 特に島を取り囲む湖を魔物を迎え撃ちながら越えていく始祖達の苦難は、吟遊詩人達によく謳われる場面である。

 湖の湖底から上空は雲まで届くほどの高さで広がる特殊な領域【魔力吸収域】が広がり、生命体から魔力を吸収し、発動した魔術さえもを打ち消してしまう。

 ここではよほど膨大な魔力量を持つ存在が、吸収されるよりもさらに膨大な魔力を込めない限りは魔術を行使することなど出来無い。

 それこそ龍でもなければ魔術行使は不可能。

 そんな事は子供でも知っている。

 浮遊も飛翔も使えず高い崖から身を躍らせるなど無謀の極み。

 もし無事に降りれたとしても、水深が深い為に凍る事はないが雪解け水で出来た湖水は容易く人命を奪うほどに冷たい。


「落ち着け! 逃げられないと悟りを背後関係を探られないために自ら命を絶つつもりやもしれん! それに上級探索者であればこの程度は何とかなる! むしろ森を抜ければこちらの物だ! 油断せずに追い詰める事に専念しろ!」


 慌てふためく部下達に、バレイドは叱咤の声を叩きつける。

 森から崖の間には僅かだが開けた平地があり、其処ならば数の有利が最大限の力を発揮する。

 侵入者の思惑は予想通りなのか、それともまったく違うことか。

 だがどちらにしてもやる事は変わらないとバレイドは左腰の鞘を抑えながら森の出口へと続く遊歩道をひた走る。


「……っ! 危ね! 根が張り出してる! 後ろ! 気をつけろよ!」


「……っちだ! 違う! 左前方! そっちの裏側に抜けた!」



 徐々に森の木々の向こう側に幾つもの灯りが浮かび、通信魔具越しではない怒声や罵倒が聞こえてきた。

 森の出口へと近付く事に徐々に騎士達が集結している。

 それは侵入者が徐々に近付いているということでもある。

 走りながらも息を整え、いつでも抜刀できる体勢を作ったバレイドは森を抜ける。 

 防風林である森を抜けると、風はより強く吹き荒れており、木々に遮られていた大きな雨粒が音を立てながらバレイドの軽鎧にぶつかっていく。

 途切れなく落ち始めた雷光が、周囲を真昼のように明るく染めている。

 止むこと無き雷光と轟音は、大陸中を蹂躙した春嵐がついに龍冠直上に到達した証だ。

 照らし出された崖の先端に探していた侵入者の姿があった。 


「其処までだ! 動くな!」

 
 崖の直前で足を止めて立ち止まる侵入者の背中に向けて、バレイドは抜刀して警告の声を発する。

 だが侵入者はバレイドの警告には何の反応もせず湖を見ている。

 諦めたのか、それとも何か企てているのか。

 その背中からは窺い知ることは出来ない。


「半包囲陣! 距離はこのまま!」


 彼我の距離は20歩ほど。距離を保ちながらバレイドは侵入者の出方を見る。

 次々と森を抜けてくる騎士達は、バレイドの指示に従い同等距離の半円形の配置についていく。

 多方向からの同時攻撃を捌ける者などそう多くはいない。

 最後の騎士が森を抜けて配置につき包囲網が完成すると同時に、侵入者が突如振り向いた。

 騎士達が一斉に身構える中、侵入者の声が響き渡る。


「ん。揃ったか。やはりお前達は優秀だな。ここまで追い詰められるとは思わなかった」


 雷鳴轟く中にも朗々と響く幼くも通る声と、それには不釣り合いな傲岸不遜な物言いが響き渡った。

 どうやら侵入者は諦めたのでも、何かを企てていたのでも無く、ただ全員が揃うのを待っていただけだと、その正体と共に騎士達全員が一瞬で気づき呆気にとられ声を失い狼狽する。


「これなら安心して去ることが出来る。だから褒美だ。ミュゼに手紙を残した以外は誰にも何も言わないつもりだったが別れの挨拶をする事にした。感謝しろ」



 それは騎士達にはあまりにも聞き覚えのある者の声と話し方だった。 

 彼等が必死で隠し通してきた秘匿存在。

 帝国の命運を握るといっても間違いではない少女。

 予想外の事態にバレイドも動けずにいる所で、少女は顔を隠していたフードを脱ぎ捨てる。

 黒檀色の艶のある黒髪と少し吊り気味の勝ち気な目に浮かぶ同系色の瞳で騎士達をぐるりと見回すその顔には、楽しげな笑顔が浮かんでいた。


「私の事情は皆知ることだな。だからあえて何も言わん。とにかく私は生まれ変わることにした。だからこの姿で会うのはこれで最後だ。バレイド。お祖母様達のことは任せたぞ。お前なら信頼できる。あぁ、それとデュランは森に転がしてあるから拾ってやれ。武器代わりに持ち出した燭台で思いっきり殴り倒したが、蝋がクッションになったから死んではいないだろう」


 妙にサバサバしているが遺言めいた物を一方的に言い切った少女はくるりと騎士達に背中を向けると遙か眼下の湖へと目をやり、そしてあっさりと崖に向かってその身を投げ出した。


「「「「「「「っ!」」」」」」」


 予想外の事態に固まっていた騎士達が思わず息をのみ、幾人かはとっさに少女が身を投げた崖に駆け寄ろうとする。その先頭は守備隊長であるバレイドだ。

 何としても助けようと自然と身体が動いていたのだろう。


「くっ!」


 しかし突如目の前が明るく染まったかと思うと、間髪入れずに衝撃を伴う轟音が響き渡り、バレイドの身体は吹き飛ばされていた。


「っ! なんだ今のは!?」


「ら、落雷です! けが人いるか!?」


 被害を免れた騎士の一人が答え、同僚の無事を慌てて確かめる。

 少女が身を投げ出した崖。まさにその位置に巨大な落雷が降り、騎士達の接近を阻んでしまったのだ。


「雷だと。なぜよりにもよってこの瞬間に」


 衝撃で痺れる身体を無理矢理に力を入れて立ち上がったバレイドは、崖に駆け寄り遙か下方の湖面を見つめる。

 今飛び降りたはずの少女の姿は確認出来ない。

 いつの間にやら雨は止んでいた。

 天を覆い尽くしていたはずの黒雲は忽然と姿を消し、雲一つ無い満天の星空と白く染まる月に照らし出される夜空が姿を現していた。

 嵐の残滓は周囲に残る水と未だ強く吹き荒れる風だけ。

 今年の春嵐も龍冠直上で忽然と姿を消してしまった。

 それと同じように少女もまた、彼らの目の前から姿を消していた。


「なぁ……夢じゃねぇよな。あれって。まさか絶望して命を断たれたってことなのか」


 異常事態に誰もが呆然とする中、腰が抜けたのか座り込んでいた一人の騎士が声をあげる。

 少女の最後の物言いと状況は自殺したと思わせる。

 だが言葉を発した騎士本人も信じられないといった表情を浮かべていた。


「んなわけあるか! 自分から命断つような性格か!?」


 同じように倒れていた隣の騎士が立ち上がりながら怒声をあげる。

 理不尽すぎる状況に抑えきれない怒りがわいているのだろう。


「だがよ。ここ一年間の間に起きたこと考えてみろよ。お母上を亡くした上に出生の事まで知ったんだぞ。その上魔力も瞳の色も無くして、かなり落ち込んでただろ……万が一って事も……悪い。やっぱ無いわ。そうなると何時ものアレか」


 倒れ込んだ拍子に泥だけになった軽鎧を手で拭う騎士が溜息混じりの声で呟くが、少女の性格を思いだしたのか、途中で意見をひるがえした。

 一応は不敬罪に当たるので言葉を濁しているが、それは少女の代名詞ともいえる特徴だった。


「アレだろ」


「アレだな」


「どうにかならんのか突き抜けたアレっぷりは。つーか助かる目算あったのか。ここから飛び降りて」


 ここにいる者達は皆、幸か不幸か少女の能力と性格をよく知っている。

 傍若無人で傲岸不遜。

 常に強気一辺倒で引くことを知らない猪突猛進ぶり。

 そして年齢離れした異常なまでの戦闘能力と、それすら霞むほどの異常思考。

 世界に絶望して死ぬくらいならば、世界中の自分が気にくわない者を全て斬ればいいと真顔で宣う少女ならば、どのような状況であっても自ら命を絶つという事は有り得ない。

 崖から飛び降りても助かる確信か方法があったのだろう。

 少女だけに通用する思考の中では。

 ここにいたり少女が何時もの特徴的な行動に出たのだろうと、全員が一斉に考えどうにも抑えきれない溜息を一斉に吐き出すとどうしますかとバレイドに目をむけた。


「すぐに湖面及び周辺部の捜索。それと帝都の陛下……はまずいな。カヨウ様に連絡。ケイネリアスノー様が過去最大の”アレ”な事をしでかしたと。それで伝わる」       


 少女の特徴。

 それは常人離れした肉体能力と卓越した頭脳を持ちながら、ある事情からあまりにも一般離れしてしまった思考に基づき、他者には理解できない独特的すぎる行動を起こす事にあった。

 端的に言えば少女は”バカ”であった。



[22387] 剣士と薬師 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2017/08/21 22:44
 神の一柱にミノトスという神がいる

 生命に試練と褒賞を与える迷宮を司るミノトスは常に悩みを抱えていた。

 いかに趣向を凝らした悪辣な罠を仕掛けようとも凶悪なモンスターを徘徊させようとも一度踏破されたダンジョンはその意義を失う。

 難敵を攻略する為の情報が飛び交い、迷宮の秘密は暴露され、略奪された宝物が戻る事はない。     

 何千、何万の迷宮を製作し、やがて彼は一つの答えに到達する。

 そしてその答えを、長い年月をかけ、形として作り上げた。

 それこそが『生きる迷宮』 

 街を飲み込むほど巨大な蚯蚓が、複雑に入り組んだ主道を作る。

 地下を住処とする種族が、その穴を通路へと変え、末端を広げていく。 

 迷宮から持ち出された宝物は、所有者の死亡や物理的な消失に伴い、神力、魔力の粒となり大気へと消えやがて、風や水に運ばれて迷宮に再び舞い戻り宝物として再生する。

 神域へと近づいた職人や理を知る魔術師。

 異なる世界を観る芸術家。

 彼らによって生み出された新たなる宝物には、神印と呼ばれる記章が浮かび上がり、やがて運命に導かれるように迷宮へとたどり着く。

 数多く存在する宝物が放つ神力、魔力に魅了されたモンスターが自然に集まり、大規模な群れを形成し異種交配を重ねて新たな種族が生まれていく。

 その存在が世に知れ渡って既に幾年月。 

 いまだ拡張を続け、古き宝物が戻り、新しい宝物が発生し、太古より生き続ける伝説のモンスターが徘徊し、日々図鑑にも載っていない未知の種族が生まれる。

 世界で唯一の生きたダンジョン。

 そこは【永宮未完】と呼ばれていた


















 トランド大陸は世界でもっとも大きな大陸である。

 北は年中凍りつく極寒の海に接し、南は赤道を少し超えて、南方ルクセライゼン大陸との間に狭い海峡を作る。

 南北よりもさらに横は長い。

 大陸の東の端から西の端まで歩けば、それだけで世界を半周した事になるほど長大だ。

 広大と呼ぶのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、ひたすらに広い広いトランド大陸。

 ここは別名【大陸迷宮】とも呼ばれている。

 その理由は数多くの迷宮があるから…………ではない。

 厳密に言えばトランド大陸に現存する迷宮は一つしかない。

 その迷宮こそが【永宮未完】と呼ばれし、迷宮神ミノトスの手による迷宮である。

 大陸の隅から隅まで根を広げる永宮未完は、地上、地下だけでは飽きたらず果ては天空までも迷宮化させ、日々拡張し形を変え続けている。

 その規模は大陸その物が迷宮と言っても、あながち大袈裟な表現では無い。

 大陸のあちらこちらに特徴が大きく異なる迷宮が群をなし、到る所に迷宮への入り口が口を開いている。

 迷宮への入り口近くには迷宮探索によって富や名声を得ようとする者達、所謂探索者達が集まり、彼等に物資を売る商人や武具を整備する職人達が商店や工房を開き、彼等が持ち帰る迷宮資源による利益によって其処に街が出来て、やがては国へと発展していく。

 迷宮に隣接し発展していった拠点都市は大陸中に数え切れないほどある。

 トランド大陸内陸部。

 世界地図では下手な島より大きく描かれるほどの砂の大海【リトラセ砂漠】と、其処に存在する砂漠迷宮群に隣接したオアシス都市ラズファンもそんな拠点都市の一つである。

 南方の山岳地帯で降った雨が地下に染み込み、長い年月をかけて砂漠の一角に湧き出る。

 湧き出るその水量は年に雨の降る日が一,二回という極乾燥地帯にあるラズファンに【水都】と異名を与えるほどに膨大であり、過去にはこの都市の所有権を巡り幾たびも戦争が起きている。

 だがそれも昔の話。

 今はラズファンとその周辺地域は、戦争という一点のみで考えれば平和その物といっていい。

 その理由は全世界の国家に対して大きな影響を持ちつつも、国の大小に関係なく中立的立場をとるある組織がこのオアシス都市を運営管理しているからに他ならない。

 組織の名はミノトス管理協会。

 迷宮へ潜る探索者達の支援及び迷宮資源を管理する巨大組織である。

 迷宮資源の転売や高い加工技術による商品製造などで潤沢な資金を誇る管理協会直下のラズファンでは、交易の活発化を促すため税率が極端に下げられている。

 各種娯楽施設も豊富な事もあって、探索者のみならず個人旅行者や団体観光客、大陸中を行き来する交易商人や大キャラバン隊が日々訪れる活気ある都市として、ますます発展していた。

 そんなラズファンの南噴水広場は、夕食一回分ほどの手数料を払えば、誰でも三日間の間、店が開ける自由市が常設されていた。

 自由市といっても馬鹿には出来ない。

 日中は外を出歩くのも嫌になるほど熱くなる砂漠の都市にとって、露店商のチャンスは朝と夕方の涼しい時間帯に限られる。

 短いピークタイムに少しでも多くの売り上げを出そうと、どの露天もあれやこれやと知恵を絞っている。

 この自由市には日用品から食料品、そして砂漠越えのための道具や武器防具などまで多種多様の商品が並ぶ。

 店を開く資金は持たないが目利きの若手商人が仕入れてきた値段が安い割りには優良な品や、新進気鋭の職人が作り出した新規技術を用いた試作品等、所謂掘り出し物が時折出てきたりもする。

 その反対に、低品質な品や形だけ似せた模造品がゴロゴロしているといった一面もあるが、だからこそ白熱した値段交渉や、喧嘩腰の真贋論争が市場のあちこちでやり取りされ、ラズファンの中でも、もっとも活気に溢れている地域の一つといって良いだろう。

 そんな市の北の角。

 武具を売る者達が自然と多く集まって、まるで世界中の武器を集めた展示会の様相を呈している見た目から、通称【武器庫通り】と呼ばれる場所に、店を開いた一軒の露店の前では、朝も早くから店主と客が激しいやり取りを繰り広げ衆目を集めていた。





「てめぇには無理だ! こいつは売る気は無いって言ってるだろうが!」


 周囲一帯に強い怒鳴り声が響く。

 その怒鳴り声に露店を息子に任せて、奥の方で折りたたみの椅子に腰掛け新聞を手にうつらうつらと船をこいでいた老人は目を覚ます。

 眠りを妨げられた老人は、凝り固まった肩をごきごきとならしてからタバコを取り出し火をつけると、聞こえてくる怒声を肴に煙を上手そうに吸い始める。


「またクマの所か。あいつ客の選り好みが激しいからな。商売気あるのかね。ふぁぁぁ……あいつの顔で怒鳴られたら客が逃げるじゃねぇか」


 聞こえてくるのはクマという通称にあった外見を持つ交易商人仲間の声だけだ。

 相手の客の声が聞こえてこないのは、怖がって声も出ないのだろうと老人は欠伸混じりに煙を吐き出しながら考える。


「商売気って……人の事は言えんだろ親父。居眠りしてる暇があるならクマさん所にいって仲裁してきてくれ。騒ぎを起こしてると、うちの商隊そのうち出入り禁止になるぞ。店は俺が引き継いだけど商隊長は親父だろ」


 メモを手に客の応対をしていた二代目である老人の息子が持っていた鉛筆を振って、暇しているならとっとと仲裁に行ってくれと催促する。 

 店主と客の喧嘩一歩手前の交渉は市の名物だが、あまり度が過ぎると警備兵に目をつけられる。

 人脈を財産とする交易商としては大店との取引だけでなく、こういった市での個人客との関係も大事だと息子達に教えたのは老人自身であった。

 その手前、市の出入り禁止も困るし自分の客をほっぽり出して、仲裁にいけとは息子や近くで店を構える仲間にも言えない。


「やれやれしゃあねぇな。いってくらぁ」


 結局半隠居状態の老人本人しか適任がいない。

 タバコの煙と溜息を吐き出すと老人は面倒そうに立ち上がった。












「おう兄ちゃんごめんよ。関係者だ。通してもらうよ……っておいおい。なんだよクマの奴は。あんなおちびさん相手に大人気ねぇな」


 騒ぎが起きている露店の前にできた見物人をかき分けて、飄々とした態度で一番前に出た老人は、その喧嘩を見て咥えタバコで呆れ顔を浮かべる。

 投擲用、狩猟用と用途別になった各種ナイフや革製の小手が移動式のケースに並び、その横の簡易台には長さと太さが微妙に違う一般的なロングソードや、小さめのスモールシールドの類。

 後ろの方にある頑丈な作りの組み立て台には、長槍やぶ厚い両手剣が立てかけられている。

 露店の一番手前には簡易机とその上には商隊が共同で借り受けた短期倉庫に預けてあるかさばる防具や武具の記載されたカタログが置かれたオーソドックスな構成。

 そんな武器露店の真ん前で、四十ほどの日に焼けた浅黒い肌の店主が額に青筋を立てて怒鳴っていた。

 筋肉質の大男で獣の爪痕の二筋の傷が頬に平行にはしり、その体格と爪痕から仲間内ではクマと呼ばれており、体格に似合った大きすぎる声はよく響き騒々しい武器庫通りでの客寄せには良いが、喧嘩となると途端に悪目立ちしていた。

 一方その相手はというと、砂漠越えの旅人によく使われる日避けの厚い外套に全身を覆い隠している。

 全身が隠れているために種族は判らないが、身長は怒鳴っている店主の半分ほどしかない。

 それほど小さい。いくら店主が大柄と言ってもあまりに差がありすぎる。

 成人しても人の子と同じ大きさにしかならない種族は数多くいるが、長年交易商人として数多くの種族と関わってきた老人の勘が、その立ち姿から想像できる骨格や見せる仕草で中身は人間だと見抜く。

 人間であの大きさでは、さすがに小さすぎる。まだ年幼い子供だろうか。

 己の技量を考えずに高い武器をほしがる子供を、武具一筋の店主が一番嫌うと知っている老人だったが、子供相手ならもう少し穏便に諭せないのかと呆れていた。


「あーそうでもねぇぞ爺さん。あれが相手じゃ怒るの無理ねぇわ。むしろ殴らねぇから人間種は我慢強いって感心してた。俺等の種族ならとっくに殴り合いだ」


 老人の隣に立つ獣人の若者が話しかけてくる。

 どうやら若者は最初の方から見ていたらしいが、客よりも店主の方に同情しているようだ。


「どういう事だい。獣人の兄ちゃん?」


「見てりゃわかるよ」


 尖った爪先で獣人が指し示した小さな客は、店主が浮かべる剣呑な色を含んだ鋭い視線に臆する様子も見せず真正面から向き合っていた。









「とっと失せろ!」


「お前が売ったらすぐに去るぞ。急いでいるからな。それとさっきから気になっていたんだがあまり大声を出すな。周りに迷惑だぞ」


 大の男でも震え上がりそうな店主の怒声に対して、小さな客はまったく動じる様子もなく、むしろ煽るような内容を口にする。

 客の声は口元に巻いた砂避けのスカーフでくぐもって濁り男女の区別がつかない。

 だが煽るというよりも本人的には本気で忠告しているような雰囲気が声の何処かにあった。

 それがさらに店主の怒りを刺激する。


「ぐっ……迷惑なのはてめぇだ! あぁ! どう考えてもでかすぎるだろうが! 無理に決まってる! さっきから延々言ってるだろうが! 商売の邪魔しやがって!」


「邪魔ではない。お前の店で買ってやろうというのだぞ。感謝してとっとと私に売れ」


「く、口の減らないガキが!」


 何を言っても、すぐに傲岸不遜に言い返してくる相手に店主は苦々しげに歯ぎしりする。

 恐ろしいのはその物言いに人を小馬鹿にしていたり、無理して使っている感じがない事だ。

 あくまでも素でこの口調だと感じさせる。

 普段からこのような傲慢な口調を使っている子供など大貴族の子弟でもそうはいない。

 よほど甘い親に我が儘放題に育てられたのだろう。

 しかし貴族の子弟と考えるには妙な事もある。

 その服装はいつ洗濯したのかも判らないほどの汚れた外套。

 とても金を持っているようには見えず、これだけの騒ぎになっているのにお付きの従者の姿も見えない。

 その事から目の前にいるのは没落した貴族の子弟ではないかと、怒り心頭ながらも商人として、何とか残していた冷静な一面で店主は勘ぐる。

 迷宮で一旗揚げて没落したお家再興でもしようとしている世間知らずの元貴族子弟だろうか?。

 ここで一つ言っておこう。この店主は別に貴族が嫌いで武器を売らない訳ではない。

 武具を扱う交易商人として各国を回る店主は、お得意様としての貴族も僅かながら抱えている。

 そして潰れた家の復興を、他人に頼ったり神に祈るのではなく、自ら頑張ろうとする者がいれば、貴族だろうが庶民だろうが関係なく応援しようと思う熱苦しい昔気質な所がある男である。

 では、なぜ売らないのか?

 それはこの男が武具商人として、一端の矜持を持っているからに他ならなかった。


「おうクマ。あんまり騒ぎなさんな。良い気持ちで寝てたのが叩き起こされたじゃねぇか」


 どうすればこの生意気な客をやり込めるかと、沸騰していた頭で考える店主に対して、落ち着けと言わんばかりのゆったりとした声がかけられる。

 それは店主が所属する商隊の長であり、商売の師匠でもある老人の声だった。











「親方か! あんたからも言ってくれ! この糞ガキにてめぇじゃ扱えないって!」


「む……おい。お前はこの男の知り合いか。私は忙しいんだ。早く剣を売るように言ってくれ」


 相手の怒りを意にもしない客に良いように振り回されている店主を見かねて声をかけた老人ではあったが、老人の顔を見るなり懇願してきた店主と、店主の糞ガキ呼ばわりに多少気を悪くしたようだが、あくまでも剣を買う事にこだわる客が同時に詰め寄ってきて、二人の圧力を持った真剣さに老人は思わず後ずさる。


「まてまて。クマもお客さんも。俺は今来たばかりでさっぱり見当がつかないんだがどれを売る売らないで揉めてるんだい? 店頭のかい。それともカタログかね」


 まずは何で揉めているのかしっかり聞き取らないと仲裁のしようもない。

 店主は弟子であり商隊仲間でもあるが、なるべく中立な仲裁役に徹しようと二人を落ち着かせるために、老人はわざとのんびりとした声で尋ねる。


「「あれだ!」」


 老人の問いかけに二人が異口同音で答えて店の奥を指さす。

 二人の指さす先には組み立て式の頑丈な台に立てかけられた剣が一振り。

 片手持ち、両手持ち両用剣バスタードソードであった。

 鋼で出来た鈍く輝く長い刀身は斬り突きの両様に適した形状となっており、持ち手に合わせて柄も長くなっている。


「…………あれか」


 剣をまじまじと見た老人は客を見て、もう一度剣を見る。

 生粋の両手剣であるクレイモアーやトゥハンドソードに比べれば、バスタードソードは多少は短いが、柄から切っ先までの長さを合わせれば、目の前の客とほぼ同等の長さはあるうえに、刃も分厚く重さもそれなりにある。

 ただ持ち上げるだけとかならばともかくとして、それで戦闘をやるとなればかなりの筋力を必要とする。

 客の素肌は外套に隠れて見えないとはいえ、どう見てもほっそりとした……幼児体型といっても差し支えないその身体に、この剣を振る為に必要な筋力があるとは思えない。

 探索者であれば闘気による身体能力強化で、自らの体格とは不釣り合いな超重武器も振り回すことは出来るのだろう。

 しかし使えるのと使いやすいのはまた別問題。

 身長と同等の長さの剣は扱いやすいのかと聞かれれば、商人としての絶対の自信を持って否定できるほどに無謀だ。

 この小さな客には両手剣の類は、もっとも不釣り合いな選択肢といっていい。

 そしてここの店主は客に会う武具を売る事を信条としている。

 どう言っても売らないだろうし、老人が同じ立場であれば、もう少し言い方を変えて別の剣、体格に合った小振りなナイフやショートソードを勧めている。

 周りで見ていた見物人が店主に同情的なのも、どう考えてもこの客の方が無理難題を言っていると判るからだろう。


「あれはそこそこにいい品だ。この店の質も他に比べて良い。だからここならと思い剣を買おうとしたのに店主が売ってくれなくて困ってるんだ。説得してくれ。あの剣がほしいんだ」


 しかしこの場にいる者の中で唯一この客だけはそうは考えていないようだ。

 その言葉だけでも本気でバスタードソードを欲しがっているのが老人には判る。

 店主もそれが判っているのか、どうにかしてくれと目で老人に訴えかけている。

 本人が欲しがっているなら何でも売ってしまえばいい。

 それは利益だけを求める二流の商人がやること。

 これが老人の商売学であり彼等の商隊での教えである。

 あくまでも顧客に適した物を。

 ましてやそれが武器防具と直接命に関わる物ならなおのことだ。

 それで売った客が死んだとあれば、商人としての名折れであり信頼にも関わってくる。

 あの商人は欠陥と判っていて客に売ると悪評でも立てられれば、失った信頼を取り戻すのには膨大な時間と手間が掛かる。

 売らないという店主の選択は老人的にも正解なのだが、この客はそれでは納得できず、店主と揉める事態になったようだ。


「お客さん、一応尋ねるんだが誰かに頼まれたのではなくて、ご自分でお使いになるおつもりかい」


「当然だ。自分の命を預ける剣を自分で選ばない剣士がどこにいる? 私が使うに決まっているだろ。細い剣だと私はすぐに叩き折ってしまうから頑丈そうなあの剣がほしい。ん……そうだ。出来れば二本くれ。予備だ」


 至極当たり前とばかりに小さな客が胸を張って答える。

 長年客商売をやっている老人は、相手の話し方だけでその真意や嘘をある程度なら見分けることが出来た。   

 この小さな客はほぼ本心で喋っている。

 身の丈ほどもある剣をちゃんと使う事ができて、しかも頑丈でぶ厚い剣でないとすぐに叩き折ってしまうと困っている。

 本人が妄想の中だけで信じ切っているだけなのかも知れないが。


「あー…………長くて重すぎないかね。あれは」


「む。お前も同じ事を聞くのだな。だからこそ良いのではないか。私は背が低くて手足もまだ短い。長さの分だけリーチが伸びるし、重さがあれば斬る時に力を込めやすくなるからな。丁度良いあの剣がほしい」


 老人の問いかけに対して客からは先ほどからほしいの連発の即答が続く。

 ここまで来ると嫌がらせや冗談の類では無くて、この客は本気で欲しがっており、無理だから諦めろと説得するのは難しいと認めるしかなさそうだ。


「判った。少し待ってもらえるかいお客さん。売ってくれるようにクマを説得するんで」


「いいのか。助かる。礼を言うぞ。ありがとう」


 愛想笑いを浮かべる老人が快諾したと思ったのか小さな客は深々と頭を下げて礼を述べる。

 口調は傲岸不遜だがその謝辞の礼儀は何処か堂々としていてかつ上品であった。 

 だがそれでは納得がいかないのは店主の方であった。

 味方になってくれると思った老人が、まさか売れと言ってくるとは思わなかったのか慌てて詰め寄ってくる。


「親方! 説得ってどういう事だ! いくらあんたの仲裁でも今回ばかりは」


「判ってるよ。耳貸せ…………この客の説得は無理だ。搦め手でいけ」


 咥えタバコの老人は慌てるでもなく店主の首を掴むと耳打ちする。


「クマ。お前さんは値札を出してなかったよな。ちゃんと武器の価値を見られる客に売りたいなんて青臭いこと言ってよ、交渉ん時の初値を客に決めさせてたな」


「あぁ、そうだけど勿論赤を喰うような商売はしてねぇからな。才能ある若いのにはちょっとばかし安く売ってやるだけだぞ」


 客自身にまずは値段を決めさせて、その提示した値段から客の武器を見る目やどのくらい欲しがっているのかを判断して、それから値段交渉に臨むというのがこの店主のやり方。

 だから店に並ぶ商品もカタログにも値段の類は一切提示されていない。

 これでは客が寄りつきにくいとは思うのだが、店先に並ぶのは店主が選んだ良品ばかり。自然と目の肥えた価値の判る客が集まり、半年に一回で廻ってくるこの自由市でもそれなりの常連を掴んでいた。


「あんまり客を選り好みしない方がいいんだけどよ。それはともかくだ。俺の見たところあの剣の仕入れは金貨で四枚って所か? それで何時ものお前さんなら、交渉で十枚前後辺りの売値にするだろ。だが今回はお前が値段を決めろ。買う気が起きなくなる程度の高値でな。買う気だけはあるお客を、商売を妨害されたって警備兵に突き出すわけにもいかんだろ。自分からご退散願うのさ」

 
「なるほど……さすがは親方。面倒な客の扱いは慣れたもんだな」


「てめぇが下手なだけだ。この程度そこらの若造でもすぐ思いつくんだよ。とっとと騒ぎ納めろ。それとあとで周りに詫び入れとけよ。同業に恨まれると商売がやりづらいからな」


「任せろ親方」


 吹っ掛けて追い払っちまえと囁く老人の言葉に合点がいったのか、店主は小さく頷くと内緒話を切り上げて客の方へ向き直る。


「ガキ。売ってやる……ただし共通金貨で百枚だ。一枚たりともまけねぇからな」


「おいおい。いくら何でもそいつは」


「共通金貨が百もあったら一年は遊んで暮らせるぞ」


「……吹っ掛けすぎだ。相手が買うのを諦める程度に抑えろってんだ馬鹿野郎が。それじゃさっきまでと同じだ」


 買える物なら買ってみろと言わんばかりの獰猛な顔で睨みつける店主の口からでた値段に周囲がざわつき、背後の老人がこりゃぁ長引くなと煙と共に溜息を吐き出す。

 どうやら店主はよほど腹にすえかねているのか、あまりにも大きな金額を呈示していた。

 トランド大陸のほぼ全域で使われる共通金貨だが、それが百枚などよほどの高額取引でも無ければ出てくる金額ではないし、人混みに溢れたこの自由市でそんな大金を持ち歩いている不用心な者がいるはずもない。

 店主の発言は売る気はないと言ってると同じような物である。

 一方肝心の客の反応と言えば、提示された値段に腕を組んで何も答えようとはしない。

 異常すぎる高値に呆気にとられているのか、馬鹿にされたと怒りのあまり声も出ないのだろうかと反応を見守っていた誰もが思った。

 だが違った……


「ん、百か…………二本は無理か…………それに足が無くなるが、何とかなるか。よし買った。丁度百枚入っているから受け取れ」


 少しだけ悩んだ素振りを見せていた客はあっさり頷くと、外套の中に手を突っ込み腰に下げていた革袋を二つ取り外して机の上にどかっと乗せる。

 二つの革袋には、大陸全土で信頼のある銀行の屋号印が刻印され、共通金貨五十枚と書かれた保証書付きの封印が厳重にされていた。


「一つ開けるから中身を確かめろ」


 客は躊躇う様子もなく革袋の一つに手をかけると、びりびりと封を破って口を開く。

 ずっしりとした重そうな革袋の中に満帆に詰まっていたキラキラと光る金貨が机の上に音を立ててこぼれ落ちていく。

 無造作に置かれた大金に店主は声もなく固まり、周りの見物人も静まりかえる。

 飄々としていた老人も口に咥えていたタバコが地に落ちたのに気づかず唖然としていた。

 老人もやり手の交易商人として長年商売をやっているが、いくら良品とはいえ魔術付与もされていない、ただの新造剣に金貨百枚を出すような者は見たこともなかった。 

 みすぼらしい外套を纏った客が惜しげもなく大金を支払う。

 誰もが白昼夢を見ているかのような現実感の無い光景に言葉を無くす。


「もらっていくぞ」


 しかし当の客本人は平然とした涼しい声で言い切ると、固まっている店主達を尻目に勝手に露店の奥へと進む。

 背伸びして手を伸ばし棚のバスタードソードを外すと、横に合った付属の鞘にボタン式のベルトで固定する。


「まったく余計な時間を食った。剣を一振り買うだけで何でこんなに苦労しなくてはならないのだ」


 身長ほどある剣を背負うのは無理だと判断したのか、柄を右手に持ち刀身を肩に担ぎあげると、ようやく用事が終わったと文句をぶつぶつと言いながら早々に去ろうとする。

 その背は何処か急いでいた。


「ま、まて! おい! 勝手に! 持ってくな! 偽金かどうか確かめてもねぇぞ」


「クマ……こりゃ本物だわ。革袋も中身も。あの銀行は協会関連で管理がしっかりしているから偽が混じることもない。共通金貨で一袋五十。2つで百。きっちりあるぞ」


 慌てて呼び止めようとした店主の横で、未開封の革袋とこぼれ落ちた金貨の一枚を手にとってしげしげと見ていた老人が驚きの声を上げる。

 身につけている外套は薄汚れているが、どうやらこの客は相当な金持ち……それもバカな金の使い方をする放蕩家なのかもしれない。


「本物なのは当たり前だ。その銀行は信頼があると聞いている。それに先ほど開店と同時に受け取ったばかりだからな。一枚たりとも使っていないぞ」


 呼び止められた客は振り返る。

 疑われるのが心外だと言わんばかりに答える胸を張ったその様子は、小さな体格に似合わず何処か偉ぶっているようにも見える。


「くっ! 自分の姿を見てみろ! あんたはそいつを肩に担ぐのがやっとじゃないのか?! 使えない武器を持ってて死なれたとあっちゃ売った側の俺が商人として納得いかないんだよ! だから頼む! その剣はやめてくれ! 他のあんたの体格に適してる剣ならいくらでも安く売るからよ!」


 使いこなせるはずもない長大な剣を売るなど出来ないという商人としての矜持が頑固な店主に頭を下げ、先ほどまで怒鳴っていた客に対して頭を下げ懇願するという最後の手段を使わせる。

 しかしそんな店主の言葉に顧客は少し不機嫌そうなうなり声を上げた。


「む……しつこいぞ。私の技量を疑っているのか。なら良い。見せてやる」


 客は左手を外套に突っ込んだかと思うとごそごそと漁って何かを取り出し、店主に向かってその手を突きつける。

 その手の中には硬い殻に包まれた小さなクルミが一つ握られていた。

 このクルミで何をしようというのか? 

 店主や老人。そして周囲の見物人の疑問の視線がそのクルミに集まるなか、客は手首のスナップで小さなクルミを高々と真上に放り投げる。

 周囲の者達の目が思わずそのクルミの動きに合わせて上空を見上げた瞬間、バチバチと何かが弾け飛んだ音が聞こえる。

 それは剣を固定していた鞘のベルトを留めるボタンが弾ける音。

 店主や老人達が音の正体に気づくのよりも早く、彼等の視界の中を黒い影が走り抜け、微かな風斬り音が響く。

 圧倒的な速度で通り過ぎる影が空中に浮かんでいたクルミを真っ二つに断ち切った事に気づいたの者は、数多くの見物人のなかでも動体視力のよい獣人や現役の探索者達などごく僅か者達だけだ。

 大半の者は次に響いた声で何が起きたのかを知る事になる。

 
「まったく……私の腕を疑うとは失礼な奴だな」


 幼くもよく響く声が響く。

 その声の主はいつの間にやら抜き身となったバスタードソードを右手一本で軽々と構えた小さな客。

 左手には一切の乱れなく綺麗に真っ二つになったクルミが握られていた。


「……お、女?」

 
 剣を振るった勢いで外套のフードが外れたのだろうか、露わとなった客の素顔をみて見物人の一人が唖然と呟く。

 少し吊り気味の勝ち気な黒眼と、あまり手入れをしていないのかぱさぱさした質感の長そうな黒髪を首の襟口から無理矢理外套の中に突っ込んでいる。

 口元に巻かれた砂避けのスカーフの所為で下半分は隠れているが、十代前半の少女……それも整った造型の見目麗しいというべき顔が姿を覗かせていた。


「これで今度こそ文句はないな。私は忙しいんだ。余計な手間を取らせるな」


 左手で掴んでいた真っ二つに割れたクルミを机の上に放り投げた少女は地面に落ちていた鞘を拾い剣を鞘に仕舞っていく。

 机の上に置かれたクルミの殻はヒビ一つ無く、真っ二つに断ち切られている。

 小さく硬い殻に包まれたクルミを叩き割るのではなく綺麗に両断し、しかも弾き飛ばさず真っ直ぐに手元に落として見せた。

 それも自分と同じ長さの剣を用いて。

 その卓越した腕と人混みで混雑した通りのど真ん中でいきなり剣を振るう非常識さ。

 それはどちらも信じがたい物であり、誰もが凍りついて何の反応も示すことが出来ずにいる。


「だがやはりそこそこに良い剣だったから特別に許してやる……ん。そうだ店主。ついでに一つ忠告をしてやろう。心して聞け」


 右肩に剣を担ぎ直した少女は凍りついた周囲の様子を気にも止めず去ろうとしたが、一端立ち止まって呆然としている店主の顔をまじまじと見つめた。



[22387] 剣士と薬師 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 04:16
「赤毛の姉ちゃんよぉ。俺はよまだ街で店を構えてないが、交易商人として真面目に真剣に商売してたんだよ……それがよぉ、あんな小娘に虚仮にされたんだぞ。判るか俺の無念さ…………クソ。全然酔えねぇ……マスター! もう一杯!」


 酒場奥のカウンター席に腰掛けて泥酔した赤ら顔で男泣きしながら愚痴をこぼしていた酒臭い大男は、大ジョッキをの麦酒を一気に煽り飲み干して、空になったジョッキを叩きつけるように置いて次の酒を注文した。 


「しかもよぉ。最後の最後に吐きやがった捨て台詞! 何つったか判るか姉ちゃん?」


「あぁー…………はいはい。なんて言ったのかお教え願えますか?」


 泣く子と酔っぱらいには逆らうな。
 理屈が通じない相手に対してはともかく合わせてしまえと、右隣に座る赤毛で長身痩躯の女性がうんざりした顔でおざなりながらも大男に続きを促す。


「『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』だ! 俺の半分も生きてなさそうな小娘だぞ! 俺は十六の時から三十年、三十年だ! 武器屋として客に関わってきたんだぞ! 少しでもそいつに適した武器をって何時も考えてるんだよ! それがそれが…………くぅぅぅっ! 畜生が……あんな小娘に……」


 憤懣を抑えきれない男は店員が持ってきたジョッキを引ったくるように掴みアルコールの強い蒸留麦酒をまたも一気に煽り飲み干したかと思うとカウンターに突っ伏して呪詛やら怨念めいた言葉を吐き出し始める。
 大人。しかも筋肉質で人相も凶悪な大男が人目もはばからず酒場のカウンターで泣きながら荒れ狂う。
 人の注目を集めそうな光景だったが、酒場にいる客や店員達は気にした様子もない。
 たまに新しく店に入ってきた新規客が酒場中に響く大声にぎょっとした顔を浮かべるが、入り口近くに陣取っている常連らしき客から簡単な事情説明をされて同情的な視線を女性に僅かに送るくらいで後は極力無視している。
 男の大きな声の所為で店内にいれば男の身に起きたのか嫌でも聞こえてくるのだから、下世話な好奇心は満たされるし、何より下手に関わってあの延々と続く愚痴に直接巻き込まれてはかなわない……あの赤毛の女性のように。
 それが店内にいる全員の共通認識となっていた。 


「なぁ赤毛の姉ちゃん聞いてくれ! 俺ぁよ武具を扱う交易商人なんだがよ…………」


 カウンターに突っ伏して昼間のことを思いだしている内に男はまたも怒りが貯まってきたようで、先ほど話したことも忘れて、一番最初から一音一句同じ愚痴というには大きすぎる声で捲し立て始めた。


「……いつまで続くのよこの無限ループ。もう六回目」


 燃えるような赤毛と女性としては長身の痩躯が特徴的な女性は溜息を吐き出した。
 女性の腰ベルトには薬らしき錠剤と液体が入った小さな薬瓶がいくつかと大型ナイフを納めた鞘が一つぶら下がっている。
 ナイフの柄頭には小振りの小さな宝石が填められ、柄にも幾つもの印や魔術文字が刻み込んであり、魔術杖としての機能ももつ儀式短剣だと見て取れる。
 典型的な魔術師スタイルをしたこの女性は、大男の偶然横に居合わせただけでまったく面識はなかった。
 だが隣でがばがばと酒をあおっていた男がいきなり泣き出したのを見て、つい話しかけたのが運の尽き。
 後は延々と愚痴を聞かされるはめになっていた。
 相手にしないか店を変えればいいのだが、基本的に面倒見がいいのと、ちょっとした頼み事をこの店の店員に依頼していた為に女性としてもここを離れるわけにはいかず、早く頼み事が終わることを祈りつつ、仕方なく大男の相手をしていたというわけだ。
 




 



 男泣きして愚痴をこぼす男を見て、泣き出したいのはこっちの方だと心中で女性が思っていると、男の向こう側からワインの瓶が一本差し出される。


「いや七回目だ。お嬢さんも人が良いねぇ。まぁ感謝の気持ちだ。もう一本開けたから飲んでくれ。ここのオアシス湖のほとりで出来た葡萄だがなかなかいけるだろ」 


 男を挟んで反対側にいる白髪で初老の男が話が巻き戻った回数を訂正しつつ、空になっていた女性のグラスに大男の背中越しに、新しく封を切ったスパークリングワインを注いでくる。
 濁りのない透き通った透明さはまるで水のように清らか。
 グラスの底から微かに沸き立つ小さな泡が弾くその香りは芳醇で、口に含めば微かな甘みと心地よい酩酊を覚えるほどに強い。
 その価値が一口で判るほどに相当な上物のようだが、すでに一本を開けてさすがに飽きてきたのと、愚痴を延々と聞かされる今の状況と釣り合うのかと聞かれると首を横に振るしかなかった。


「お爺ちゃん。この人そろそろ止めたら? 飲み過ぎに見えるんだけど……後あたしばかりに聞き役やらせないで貴方も聞いてくれませんか。そちらの連れでしょ」


 もう相手が聞いているのかどうかすらも判らないほどに酔っぱらっている男が、先ほどと同じ話をしているのをちらりと横目で見た女性は老人へと忠告する。


「問題無い問題無い。酒にはドワーフ並みに強いが鳴き上戸なんだよクマは。それに俺なんぞ、ここの前の店で何度も聞いて、そらで言えるくらいで飽き飽きしてるんだわ。悪いがもう少し付き合ってくれ。ここの代金は持つから。何なら土産もつける。ここの砂トカゲ照り焼き串の持ち帰り専用タレはピリ辛で絶品だ。ほれこれもくってみな。ここのオアシス湖でだけ捕れるラズ蟹を使った蒸し焼き。高級珍味ってやつだ」


 女性の言葉を軽く流すと老人は蟹の載った皿を差し出す。
 男の相手は面倒だから女性に押しつけてしまえ。
 判りやすいほどに判るわざとらしい態度の老人は酒のつまみのような感覚で今の状況を楽しんでいるようだ。
 女性が老人を睨みつけるが、まったく意味をなしておらず、むしろその視線が心地良いかのように口元に人の悪い笑みを浮かべている。


「……このクソジジィ、見ず知らずの他人に身内の愚痴をおしつけるんじゃないわよ。ったく。こうなりゃあたしのやり方でやらせてもらうわよ」


 飄々とした老人に腹立たしさを感じた女性が舌を打つ。
 腰ベルトに下がった薬瓶へと右腕を伸ばした女性は、中から小さな赤い丸薬を一つ摘み取り出すと、自分のグラスの中へとポチャンと落とす。
 底から浮き上がってくる泡を受けてゆらゆらと揺れる丸薬は、女性がパチンと小さく指を鳴らすとあっという間にグラスの中のワインに溶け込んで跡形もなく消えてしまう。
 グラスを見てにやりとほくそ笑んだ女性は、左横で延々と大声で愚痴を続けている男の肩を叩く。


「だからよ!あの小娘の体格じゃ、ショートソードかナイフが精々なんだよ! 普通はそうなんだ……なんだ赤毛の姉ちゃん?」


「あーはいはいおじさん。麦酒だけじゃ飽きるでしょ。こっちも飲んだ飲んだ。嫌なことは飲んで忘れるのが一番だって」


 話を途中で遮られた男が不機嫌そうな声をあげるが、女性は愛想笑いを浮かべてグラスをその手に押しつける。


「おいおい。お嬢さん。今何を入れたんだい……って飲むなよクマ」

 
 怪しげな薬入りの酒を見て老人が慌てて止めようとするが、その前に男は女性から受け取ったグラスを一気に開けてしまう。
 すぐ横で行われていた行為にも気づけないほどに泥酔していたようだ。


「忘れようとしても忘れられる訳がねぇんだよ! だから俺は……ぁ……の小娘……探しだ……ほんと……………」 


 忘れるという言葉に反応した男が立ち上がって今までとは違う行動を取り始める。
 だがすぐに呂律が回らなくなり力なく椅子に倒れ込むと、そのままがくんとカウンターに突っ伏し高いびきをかき始める。


「おいクマ? ……だめだなこりゃ。姉さん何を入れた?」


 どうやら一気に深い眠りに落ちたのか、老人が男の肩を揺すってみるが目を覚ます様子はない。


「酔っぱらいを強制的に眠らせるのと二日酔いの症状を抑える効果をもつ魔術薬よ。ちょっと調整したから明日の朝にはすっきりした目覚めを保証するわ……すみません新しいグラス一つ。後、頼んでた旅客便の空きってどうなってます? 特にこれって目的地はないからどこ行きでも良いんで」


 警戒心のなさ過ぎる男に呆れ顔を浮かべていた老人に対し、薬を盛った女性は悪びれる様子もなくその正体を明かすと、カウンターの向こう側にいた店員にグラスと本命の用事はまだかと催促の言葉を投げかける。
 ここは酒場でもあるが、ラズファンを囲むリトラセ砂漠を通行し他の土地へと人や貨物を運ぶ旅客貨物の砂船や、大陸中央部へと抜ける近道である砂漠迷宮ルート越えのために護衛の探索者を募集をする代理申込所としても機能している。
 旅人である女性もラズファンから他へ向かうために、旅客便の空きを探しにこの店へと訪れていた。


「しゃあねぇな。後で若い衆に運ばせるか。ご主人。お嬢さんの勝利祝いだ。レイトラン王室農園の赤を開けてくれ……それにしてもお嬢さん魔術師じゃなくて薬師かい。しかし薬師が当てもなく放浪旅とはまた珍しい」


 男を起こすのを早々と諦めた老人は肩をすくめると、有名酒造が集まる西方のレイトラン国の中でも最高級品の一つである王室謹製ワインをマスターに注文する。
 連れの愚痴に付き合わせた迷惑料としての意味合いもあるが、男を一気に眠らせた薬を作った制作者の腕に対する商人としての興味と老人個人としての賛辞の意味合いもあった。


「別大陸の出身なんでコネがなくて。適当な所で拠点作って工房を開いても良いんですけど。どうにもしっくり来なくて、材料見聞がてら大陸中をフラフラと廻ってるんです。ここにも水を見に来たんですけど何か違うなって」


 基本的に薬師は拠点とする街を決めてしまうと、そこから動くことはあまりない。
 これは彼等が使う器具が大がかりな物になりやすい事と、材料が同じ種でもその土地土地によって特性が変わる事に大きく影響している。
 特性が変われば微妙な調合分量や場合によっては調合方法まで変化する為だ。
 なるべく同じ土地。同じ水を使い同じ空気の元。同じ材料で調合を行う事が均一の効果を持つ薬を作る基本とされている。
 だから基本薬師は師事を受けた者の工房を受け継ぐが、近隣に新しく工房を立てるのが通例。
 たまに請われて遠く離れた土地へと赴く事もあるが、その場合は特性の違いを見極め調整するための慣れが必要となってくる。
 その為に薬師があてもなくフラフラとしているのはそれなりに珍しい事であった。


「お待たせ。レイトラン宮廷酒造の三十年物の赤。にしてもいいのかい先代。若いお嬢さん相手にこんな高い酒を奢って。二代目にまた愛人を作る気かって疑われんぞ」


 金糸で細かな装飾が施されたラベルのついたワインとグラスを二つを持ってきたマスターが倒れ込んだ大男を挟んで座る孫と祖父ほど離れた二人を見て、本当に狙ってるんじゃないかと顔なじみの老人に疑惑の眼差しを向ける。


「そらいい。お嬢さん。どうだい?」


 楽しげ笑った老人はマスターからグラスを二つ受け取ると、女性に手渡しながら尋ねる。
 その顔から本気ではなくて、女性がどんな反応を返すのかを楽しんでいるのがいわずとも判ってしまう。


「冗談。性悪爺の話相手は師で懲りてるんで勘弁願います。それよりマスター。旅客船の空きの方ってどうなんですか?」


 これ以上下世話な冗談に付き合ってられるかと憮然とした顔を浮かべた女性は、精神衛生上この見るからに高そうなワインの値段は気にしない方が良いと思いながら、グラスに茶色味の強い赤い液体を丁寧な手つきで注ぐマスターへと尋ねた。
  

「悪いなお嬢さん。探してるんだが予約で一杯でなかなかな。一週間前に『始まりの宮』が終わって止まっていた流通も動き出して丁度混雑している時期なんだよ。それでも何時もならここまで混むことはないんだが、今年はリトラセ砂漠迷宮群に『拡張』が確認されてな、大陸中の有名探索者パーティやら中堅所も続々集結中で大手の運送業者だけでなく個人所有の砂船まで貸し切られてるのが多いんだよ。一月もすれば多少は落ち着くはずだが、一応キャンセル待ちに登録しておくかい?」


「ミスった。ケチらず往復で買うんだった……じゃあそれでお願いします。後仕事の紹介ってありませんか? 出来れば短期。接客とかの経験もあるんで何でもやりますから」


 ここに来る時に片道で砂船の乗船券を買うのではなくて元の街に戻る事になっても往復にするべきだったと後悔しながら、手持ち金の残りを簡単に計算した女性は多少の心元の無さを覚えて仕事の紹介を頼んでみる。
 ここが森林地帯や草原地帯ならば薬師として材料採取のための野営経験があるので狩りをしていれば何とかなるのだが、岩砂漠地帯ではそれも難しい。
 何かと金が掛かる街で一月も足どめになると出来たら住み込みがあればと考えていた。


「そうだな……先代。薬師関連で当てがあるかい」


 商売柄マスターも顔は広いが、それ以上に長年の交易商人としての人脈で遙かに多くの人と繋がっている老人に尋ねてみる。


「そりゃ幾人か心当たりはあるが……そうだ」


 蟹を摘みながら高級赤ワインを楽しんでいた老人はしばらく考えるてポンと手をうつ。
 なにやら思いついたようだ。だがどうにも人の悪い笑みが唇の端に浮かんでいる


「お嬢さん。いっそのことうちのキャラバンに同行するかね? 三日後に北の迷宮特別区を抜けて中央部へと戻る予定だ。料金は迷宮越えルートの公共乗り合い砂船の半分。格安にしておくよ」


「……ご迷惑では?」


 老人の突然の申し出に女性は疑いの眼差しを浮かべる。
 酒場で偶然隣り合っただけで少しばかり関わりが出来たが、知り合ったばかりの相手に何でそんな申し出をするのか。
 しかも相場の半分という安さが余計に怪しい。


「お嬢さん。この先代は性格的には食えない性悪ジーサンだが、商人としては真っ当で信頼は出来るよ。金を取る以上絶対安全だ。まけた以上、裏はあるだろうがな。先代真意は?」


 訝しむ女性の反応を楽しんでいる老人に、マスターがいい加減にしてやんなと視線で注意しながらも料金をまけた理由を尋ねる。


「人を金の亡者みたいにいわんでほしいな。キャラバンには小さな子供もいるから、きつい砂漠越えにただで使える薬師がいりゃ便利だと考えてるくらいだ。後、新進気鋭の薬師と人脈が作れりゃ後々おつりがくらぁ」


 タバコを取り出した老人が上手そうに煙を吸いながら喉の奥でわらう。
 これが本心なのか他に何か考えがあるのか女性には見分けることができない。
 ただ渡りに船の美味しい話である事は間違いない。


「師なみに性格悪……確かにこっちとしては大助かりだし、調子の悪い人の面倒くらいはみるわよ。まったく。それじゃお願いします……って」


 海千山千の交易商人の腹を探るなんて出来るはずもないかと女性は諦めると、同行させてもらおうとしてはたと気づく。
 相手の名前も知らず、自分から名前を名乗った記憶もないことに。
 大男の愚痴を散々聞かされていたので相手の職業やどこの街を拠点としているとかなどは判っていたので、そう言った基礎的な情報が抜け落ちていることに女性は気づいていなかった。


「グラサ共和国の『ファンリア商隊』の商隊長ギソラ・ファンリアだ」


 人の悪い笑みを浮かべる老人の方は、互いに名乗りがまだである事をどうやら忘れてはいなかったようだ。
 女性が名乗るよりも先に自分の名と商隊名を告げるとカウンターで寝込む男の頭越しに右手を差しだした。 
 

「ルディア。北大陸ベルグランドのルディア・タートキャス。ご承知の通り薬師よ」


 名を名乗った女性……ルディアは相手のペースに巻き込まれすぎて自分のペースが崩れていると反省しながら、老人の手を握り替えした



[22387] 弱肉強食①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 04:36
 大まかな形でいえば逆台形となるリトラセ砂漠は、北部と南部でその性質が大きく異なる。
 南部は巨大な岩山が幾つもあり大小様々な岩と礫と砂の混在した大地となった岩石砂漠。
 しかし逆台形の中心点となるオアシス都市ラズファンから北にかけては、さらさらとした砂で大半が構成された砂砂漠となっている。
 この性質の違いは気候風土など自然環境の違いによる物ではない。
 一面の砂の海である北側を作り出したのは、大陸全土の地下を今も掘り進め埋め立て続けている巨大サンドワーム類。
 彼等の繁殖地、そして幼生体の育成地としての一面が北リトラセ砂漠にはある。
 サンドワーム達が幼生体の生活環境に適した土地へと変化させる為に大半の岩を砕いてしまい、北リトラセ砂漠は非常に細かな砂で形成された砂漠となっている。
 そして北リトラセ砂漠とは地上部だけを差す名称ではなく、その地下に十数層に形成される世界でも珍しい階層型砂漠全体を差す名称であり、常に変化を続ける世界で唯一の生きた迷宮永宮未完に属する『砂漠迷宮群』を指す名称でもあった。
 また北リトラセ砂漠には昼夜の区別が無いことも大きな特徴の一つとしてあげられる。
 燦々と輝く灼熱の太陽の光も熱も、白く淡く光る月や星の柔らかい灯りも、この砂の海に降りそそぐ事は無い。
 その空にはぶ厚い砂の層。
 通称『砂幕』が広がり、まるでカーテンのように天を覆い隠している。
 今から300年近く前に起こった世界的異変。
 迷宮異常拡大期とそれに伴う迷宮怪物増大期。
 所謂『暗黒時代』に発生し、砂漠中心部で今も猛威を振るう砂嵐によって作られた砂幕が、北リトラセ砂漠を熱を失った恒常寒冷砂漠地帯へと変化させていた。









 
 吐き出す息が一瞬で凍りつくほどの寒さと暗闇の中、右肩に身の丈ほどの両手剣を担いだ少女は、暗い遠くの空に浮かぶ点滅する灯りを目印にひたすらに砂の海を真っ直ぐに進む。
 肩に担いだバスタードソードを握る右手には革紐が括り付けられその先にはカンテラが吊されている。
 漆黒の闇の中ではカンテラの灯りはか細く弱々しく僅か先を照らし出すのが精々。
 だが少女にとってはこのカンテラが命綱であった。
 砂の海といってもここは平坦な場所ではない。
 砂で出来た山があり、その周囲には急な坂や谷があり、蟻地獄のように底なしかと思わせる流砂の沼もある。
 常人では命の危機がある場所も、僅かでも先が見えれば獣じみた反射神経を持つ少女であれば対応に苦労はなかった。
 むしろ今の少女にとってこの砂漠での一番の難敵は、砂漠の砂そのものである。
 サンドワームによって細かく砕かれてさらさらとしている砂は、ちょっと立ち止まっただけで容易く膝近くまで飲み込んでしまう。
 悠長に歩いていれば、あっという間に砂の中に身体を引きずり込まれ、藻掻けば藻掻くほど脱出に苦労する事になる。
 その事は身を持って体感済みだった少女が選択したのは、著しい生命力消費と引き替えに砂に足を取られずにすむ特殊な歩法であった。
 少女の右足が地に触れた瞬間、手を打ち鳴らしたような小さな炸裂音が静寂に包まれた砂漠に響く。
 その音と同時に足元で砂が弾け飛び、その衝撃に撃ち出された少女の身体が前に跳ぶ。
 左足。
 右足。
 左足。
 少女が一歩踏み出す度に音が立て続けに鳴り響き、小さな少女はまるで水切りの小石のように砂の上を次々に跳ねて驚異的な距離を一歩で稼ぎ出していた。


「次の岩場まであと少しか……お腹も空いてきたな」


 小高い砂丘となっていた斜面を登り切った所で、少女の腹が小さくなって空腹を訴える。
 生命力とは生命を動かす力。
 世界を変える力その物。
 生命力を肉体能力強化に特化した力『闘気』へと変換し少女は特殊歩法を行っている。
 その恩恵で砂に足を取られることはないのだが、その反面すぐに疲労はたまり生命力も低下してくる。
 長距離となる砂漠越えに対して少女は、少し疲れてきたら短時間の休憩と水分補給の小休憩を取り、小休憩を四回行ったら、その次は食事と仮眠を取る大休憩というローテションを決めていた。
 北リトラセ砂漠の迷宮特別区に入ってから既に一日ほど。
 取った休憩は小休憩を四回。次は大休憩を取る番だ。
 だが、ただ立っているだけでも引きずり込まれそうになる、こんな砂漠のど真ん中で睡眠を含んだ休憩など取れるはずもない。
 少女が目指しているのは、サンドワーム達に砕かれないように魔物避けの魔術印を施した人工の岩場。
 ミノトス管理協会が過去に砂漠越えをする探索者や商人の為に用意した休憩所である。
 近年は比較的安価な大型砂船の登場もあり、徒歩での砂漠越えをする者はほぼ皆無となり、休憩所を利用する者などもほとんどいないというのが現状である。
 だが休憩所の目印としてその直上に輝く光球は、この昼夜を問わず暗闇に覆われる砂漠において灯台としての役割を持つために、今も灯台兼緊急避難所として維持され続けている。
 北リトラセ砂漠全体でその数は数千にも及び、個別認識するためにそれぞれの光球が別の色やリズムで点滅しており、すぐに地形が変わってしまう砂漠において絶対的な目印として重要な役割を持っていた。 
 

「あそこが南の323番だろ…………ん。まだ一月半はかかるか。水は手持ちの水飴で足りるな。問題は……」


 山の頂点を超えて今度は下りとなった急斜面を周りの砂と滑るように駆け下りていく少女は、ラズファンの街を出る前に覚えてきた北リトラセ砂漠地図と休憩所の発光パターンを頭の中に思いだす。
 千を超える岩場の位置と目印であるそれぞれの光球の発光パターン。その全てが少女の頭の中には叩きこんである。
 この岩場を伝うもっとも効率的な進行ルートを既に決めてあった。
 現在目指している休憩所の位置から一日で進むことが出来た距離を計算して、残りの行程にかかる日数を大まかに考えた少女は、フードの奥で眉を微かに顰める。
 その進行速度は少女が思った以上に芳しくなかった。
 原因は足を取られやすい砂と起伏に富んだ地形のせいで、走る速度が思ったより上がらず、さらには上り下りばかりで平面の地図で見た距離の数倍を走る羽目になっていった。
 当初は三週間ほどで砂漠を突破出来ればと考えていた予定を、少女は倍の日数へと修正せざる得なかった。
 砂漠では水分が一番重要と考えて、水を固定凝縮した魔法薬『水飴』を60粒ほど購入してあったのは幸いだと少女は考える。
 ”飴”と名付けられてはいるが無味無臭のこの薬は口の中で転がしているだけで元の水に少しずつ戻っていき、その水量は一粒で人間種成人男子が一日で必要な水分量とほぼ同量という非常に携行性に優れた魔法薬である。
 その分些か高価である事が唯一の難点だが、これで水についての問題はない。
 もっとも飴なのに甘くないと店員と一悶着を起こした極甘党の少女的には、無味無臭である事が一番の問題点なのかもしれないが。
  

「っ!?」


 斜面を下りきった少女は周りより一団低くなった盆地に足を踏み入れて悪寒を覚えた。
 周囲は静寂に包まれ静かな暗闇があるだけ。だが少女の勘が殺気を感じ取っていた。
 日程や食糧事情を考えていた通常思考から、より高速に物事を考える戦闘思考へと即時に切り替える。
 少女が思考を切り替えるや刹那、目の前の地面の砂が不自然に盛り上がり、次いで少女の腕ほどの太さで鋭い先端を持つ何かが飛び出してくる。
 それが何かを意識が認識する前に少女の身体は動く。
 カンテラの紐を左手に掴み上空へと放り投げながら、バスタードソードの柄を握る右腕を、僅かに角度をつけて左下方向へ一気に降りさげる。
 鞘に入ったままの剣の腹に刺突攻撃が打ち込まれ、ついで剣を納める革製の鞘が焼け付くような音を立て、鼻を突く刺激臭が漂う。
 クルクルと回りながら地上を照らし出す微かなカンテラの明かりの元で、砂の中から飛び出してきた物の正体を少女は見る。
 少女を襲ったのは擬態色となった砂色の甲羅に覆われた幾つもの節に覆われた長い尾だ。
 尾の末端は少し膨らんでおりその先端は赤黒い毒針となっていた。針の先は鞘を焼いた毒液で怪しく濡れている。
 受け流した尾が再度振るわれる前に少女は後方に飛び下がりながら、左手で鞘から垂れ下がる紐を掴む。。
 跳び下がった少女が地に足をつけた瞬間、先ほどまで少女が立っていた場所の砂が大きく盛り上がり倒木ほどの大きさがある巨大なサソリが砂の中から姿を現す。地上を駆ける足音に引かれ、餌を求め攻撃を仕掛けてきたのだろう。
 サソリが少女の頭を目がけて尾と同色の右蝕肢の先についた巨大な鋏を突き出した。だがその攻撃は少女の予想範囲内である。
 少女は即座に左横に跳び鋏を躱す。
 避けるのが一瞬でも遅れていれば、鋭いその切っ先が少女の顔面を抉っていたのは間違いない。 
 間一髪致命的な攻撃を避けた少女は、左手に握った紐を引っ張る。
 すると剣を固定していた鞘のボタンが弾け飛び、観音開きのような形状の鞘から鈍く光るバスタードソードの刀身が姿を現した


「はぁっ!」


 標的を失い空を彷徨う蝕肢に向かって、少女は裂帛の気合いと共に右腕を振るいバスタードソードの刃を叩きつける。
 刃と蝕肢を覆う頑丈な殻がぶつかり合い重く鈍い音を発し、鋼鉄の板を叩いたような痺れを伴う衝撃が少女の右腕を駆ける。


「む…………反動が返ってくるか。私もまだまだ鍛錬が必要だな。投擲は少し技量が上がったかな」


 剣を振り切った体勢のまま後方に下がった少女は不満げに呟き左手を上へと伸ばす。
 その手の中に先ほど宙へと投げ飛ばしていたカンテラの紐が丁度落ちてきた。
 とっさに投げたが大体思った通りの位置に落ちてきたことにフードの中で満足げな笑みを浮かべながらカンテラの灯りで前を照らし出す。
 灯りの中に右の蝕肢が千切れかかったサソリの姿が浮かび上がった。
 傷ついたサソリは威嚇するかのように残った左手の鋏をカチカチと打ち鳴らし、毒針のついた尾を逆立てて怒りを露わにしている。
 しかし怒れるモンスターを前にしても少女は動じる様子もなくサソリを見つめ、僅かの間を置いて合点がいったのか小さく頷く。


「ん……蟹か海老みたいだな。よし今日のご飯はお前に決めた……待てよ。その前に足にしてやろう」


 カンテラを再度宙へと放り投げた少女はどんな味がするのだろうと楽しみに思いつつ、サソリへと斬りかかっていった。






















 




『ん~……今ひとつだな。しかも硬すぎるぞおまえの殻は。苦労して割ったのだから、もう少し中身があっても良いだろ。これは毒腺か? ん。さすがに食べられないかこれは?』


 背中に乗る化け物が不満げなうなり声をあげたことに恐怖を感じながら、彼は必至に足を動かし前に進む。
 先ほどから背中では化け物が食事をしながらぶつぶつと呟き、時折唸っている。
 彼とこの化け物では、種がまったく異なるために意思の疎通ができるはずがなかった。 だがそれでも、この化け物が何を考えているのか簡易ではあるが彼には伝わってくる。
 理外の存在である化け物に、彼は徹底的に打ちのめされていた。
 同族の中でも鋭く硬い鋏は獲物を容易く切り裂き、長く鋭い針のついた尾は強力な毒をもっていった。
 だが両腕の鋏も尾の毒針も今の彼には無い。
 背中の化け物に全てを叩き斬られてしまったのだ。
 武器を無くし半死半生となった彼に対し化け物は、鈍く光る銀色の一本爪で空に浮かぶ光の方向を指さしてから彼の背中に乗ってきた。


 あそこに迎え。さもなくば殺す。

 
 彼の背中をコツコツとその爪で叩いた化け物はそう命令を下した。
 声に出したわけではない。
 意思疎通が出来たわけでもない。
 だがその存在が、気配が、何を彼に望んでいるのかを雄弁に物語っていた。
 死にたくないという生物としての本能的な欲求から、傷ついた身体で必至に光の方向へ向けて走り始めると、この化け物はすぐに食事をはじめた。
 化け物が食しているのは彼の自慢だった鋏や尾だ。
 硬い殻を爪で叩き切り、殻を無理矢理こじ開けてその中身をむさぼり食っていた。
 自分の背中に自分を食する化け物が乗っている。もし彼に高度な知性があればこの状況に恐怖のあまり狂っていただろう。
 だが幸か不幸か、彼が感じているのは本能的な恐怖だけだった。
 その本能に動かされるままにただひたすらに足を動かし前に進む。
 化け物が望む場所へと連れて行かなければ殺されるという恐怖が彼を縛り付けていた。
 そしてその恐怖心から急ぐ足が、彼の警戒を甘くし、彼の命運を断つ事になる。
 いきなり彼の足下の砂が柔らかくなり彼の身体が沈み込みはじめる。
 突如直下に穴が開き周囲の砂ごと彼を飲み込みはじめたのだ。
 穴を作り出したのはこの砂漠の地上に君臨するサンドワームの幼生体が開いた口蓋。
 周囲の砂事、獲物を取り込む豪快な食事法である。そして幼生体といえどその大きさは彼の数倍はある。
 地下には彼等を遙かに凌駕する化け物達が腐るほどいるが、地上部分においてはサンドワームの幼生体は絶対の捕食者であった。
 以前に何度も襲われ死の恐怖を感じながらもその度になんとか逃げ切った彼だったが、今回は注意が散漫となっていた為にその口の中にまともに飛びこむ事になってしまった。
 しかも傷ついた身体では逃げる事など出来そうもない。
 だが実際に死を前にしても、彼の中にサンドワームへの恐怖がわき上がってくる事は無かった。


『む……サンドワームか。休憩所に着いたら身体の方を食べるのを楽しみにしていたのに横取りしおって…………まぁいい。あまり期待できなかったからな。お前の方はどうだ?』


 彼がサンドワームの口蓋に飲み込まれた瞬間、その背を蹴り上げて脱出した化け物の声が明朗と響き渡る。
 お前も食べてやろう。
 そう宣言する化け物に比べればサンドワームから感じる恐怖など無いに等しかった。



[22387] 剣士と薬師 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 04:55
「北停泊地の47番は、と…………あっちか。それにしても、やっぱり朝方っていっても内門を出ると熱いわね」


 道路の端に立てられた標識を見上げたルディア・タートキャスは自分の目的地を探し当て、左肩の荷物を担ぎ直すと熱さに辟易しながら歩き出す。
 二日前にひょんなことで知り合った交易商隊のファンリアという老人から渡されたメモがその右手には握られていた。
 メモに書かれているのは停泊場所と船名や出航時間だけでなく、極寒の砂漠越えに必要になるであろう雑貨品や薬師であるルディアにとって必要な材料を扱っている店までが記載されていた。
 実際に入り用な物も会ったのでメモに書かれていた店をいくつか周り、其処の店主などから得た情報で老人の人柄や率いる商隊の評価を知る事はできた。
 ファンリアという老人は結構な食わせ物であるが、商売相手としては信頼は出来る。要するにイイ性格をしていると。


「知り合いって事で多少はおまけしてもらった上にファンリア商隊についても聞けた。これは名刺代わりで不信感を払拭させるには十分……何であの手の抜かりない年寄りばかりに縁があるんだろう。あたし」


 抜け目の無い知恵者でどうにも勝てないタイプは、故郷の師と同様であり、少しばかり苦手だ。
 だが他にこの街から早めに出る手段が無い以上は、好意に甘えるのが無難。
 軽い溜息をついてメモをポケットに仕舞うと、ルディアは騒がしくなり始めてきた周囲へと目をやる。
 砂を高圧縮して作ったブロック状の人工石で作られた高い外壁が街への砂の流入を防ぎ、同じ人工石を使っているが鮮やかな染色と細かな装飾が施された内壁が殺風景な砂漠を超えて飽き飽きしていた旅人達の目を楽しませ、同時に高い技術力と資金力を示している。
 ルディアの歩く道からは、本来の地面より高くなった脇道が桟橋状となり何十本も伸びており、桟橋には砂漠を行き来する大小様々な砂船が停泊していた。
 物資を満載した木箱の積み卸しや乗客達の誘導をする船員や作業員達の声がひっきりなしに響き渡る。
 ここには水で出来た海はなく、一面の砂地が広がるがその雑多な雰囲気は貿易港その物。
 その光景にルディアは故郷の港町を思いだしていた。


「ん!? おぉ! 赤毛の姉ちゃんじゃないか。道に迷ったのか」


 微かな感傷に浸りかけた矢先に、ルディアの背後から大声が響き渡る。
 聞き覚えのありすぎるその声だけでその主が誰かは判っていたが、ルディアは無視するわけにもいかず渋々ながら振りかえる。
 ルディアの後ろには、二日前に散々愚痴をこぼしてきた日焼けした浅黒い肌の巨漢武器商人が立っており、その横では荷運び用に時間貸しされている貸しラクダが中型の荷車を引いていた。


「……どうも」


「今日は素面だから警戒すんなって。どうにも酒癖が悪くてな。絡んじまった詫びと姉ちゃんの薬のおかげで二日酔いにならなかった礼を言わなきゃならねぇと思ってた所に丁度見かけたって訳だ。すまねぇな姉ちゃん。んであんがとよ」


 勝手に薬を飲まされて眠らされたことは微塵も気にしていない様子の男は、多少引き気味のルディアの態度に対して申し訳なさそうに頭を下げる。


「と、そうだ……こいつは感謝の気持ちだ。冷えてて旨いぜ。ガキ共に頼まれた物だが大目に買ってあるから気にせず飲んでくれ」

 
 荷馬車に手を伸ばした男は一番上に積まれた袋の中から掌大の物を一つ掴むとルディアに向かってふんわりと放り渡してくる。
 それはラズファンの広場などでよく売られている水と果実の絞り汁を混ぜ合わせ甘味付けして凍らせたジュースの入った革袋であった。
 買ってきたばかりなのか受け取ったルディアの手に、心地良い冷たい感触が伝わってくる。


「ご馳走になります……薬師のルディア・タートキャスです。貴方のおかげで砂漠を越える足が出来たから、あたしからもお礼を言うべきでしょうか?」


 甘い物はそんなに好きではないが、熱さに辟易していた所に冷たい飲み物は正直いえばありがたい。
 封を切って一口飲んで冷たいジュースで喉を潤してからルディアは名乗る。
 ファンリア老人には名乗ってはいたが、その時は男は横で高いびきをかいていたので改めて自己紹介をすると共に、長時間絡まれたことに対する軽い意趣返しも籠めた意地の悪い言葉をつづける。


「勘弁してくれ。礼はいらねぇっての。クレン・マークス。通称クマ武器商人だ。親方から聞いてる。後ろに荷物をのせな。砂船の所まで距離が結構あるから運ぶぜ」


 冗談半分なルディアの問いかけに対し、獰猛な笑顔で答えたマークスは荷車の後ろを指さした。 
 
 


 





「へぇ。姉ちゃんは冬大陸の出で工房を開く場所を探してるのかい。そんじゃあここらの熱さは堪えるだろ。慣れてる俺等でも真っ昼間はきついほどだからよ」


 彼等が借り受けた砂船へと向かう道すがらラクダの手綱を引くマークスは厳つい外見に反して話し好きなのかいろいろと尋ねてきて、その横を歩きながらルディアは質問に答える形で雑談に興じていた。
 ルディアの出身地はトランドよりもさらに北の一年中雪が降る極寒の大陸。別名冬大陸と呼ばれる地だ。 
 

「そうですね。この熱さの中で仕事なんてあたしには無理だって判りました。水が合わないってのもありますけど、住むのはちょっと遠慮したいです」


 オアシスからの豊富な水があり、一年中ほぼ変わらない気候で安定していて薬が作りやすい。
 迷宮に隣接した都市であり、協会直下であるために税金の類が安く迷宮素材がそれなりに手に入る。
 事前に聞いてた情報からラズファンを訪れたルディアだったが、砂漠の乾燥高温気候は冬大陸生まれにはきつすぎると、見切りをつけるには一日あれば十分であった。
 もっとも工房を開く条件が何かと聞かれてもこれという答えがなく、何となく理由をつけて先延ばしして気儘な旅を楽しんでいるだけだと言われれば否定はできないが。
 

「ここらの連中も日が一番高い時は、昼寝やら酒盛りする習慣があって仕事は休むくらいだからな。まぁ、そうなると姉ちゃん的にはこれから入る北リトラセ砂漠の方がまだ過ごしやすい気候なのかもしれねぇな、あそこは骨まで凍えるほど寒いぜ。寒冷地用の衣服がここらでもよく売れる理由だな」


「……別名『常夜の砂漠』でしたっけ。子供のころから迷宮にまつわる御伽噺はいくつも聞いていたんですけど、旅をしているとトランド大陸は無茶苦茶だって改めて思います。普通じゃ有り得ない地形や気候が多すぎて」


 先ほどもらった革袋のジュースで喉を潤しながら、ルディアはここまで旅してきた地方を思いだしつつ呆れ顔を浮かべる。
 巨大な岩山のど真ん中を反対側まである探索者が剣の一突きで掘り抜いたというドラゴンも通り抜けれそうな巨大で真っ直ぐなトンネル。
 凍りついた湖の湖底に存在する水棲種族の幻想的な都市。
 まるで雨のように四六時中落雷が降り注ぐ山岳地帯や、一日ごとに場所を変えていく森。
 勿論普通の地方もあるのだが、変わった場所の印象が強すぎてそればかりのような錯覚を抱かせるには十分であった。


「迷宮大陸トランドだからな。摩訶不思議な光景ってのは珍しくないさ。それでも俺ら一般庶民が見れるのはその極一部。特別区って表層的な部分でその奥に広がる迷宮本体はもっと無茶苦茶らしい。武器商人って商売柄探索者の知り合いも多いが、話半分で聞いても法螺話としか思えないのが多いからな」


「そうらしいですね。上級探索者の英雄譚に出てくる溶岩内での戦闘やら、巨大船も引き裂かれる大渦の探索とかまで来ると想像がつかないんですけど」


 初級、下級、中級探索者辺りならばルディアも幾人かは話した事もあるが、最上位の上級探索者ともなるとそのほとんどは伝説やら御伽噺の登場人物と変わらない。
 現役であれば大陸中心部の上級迷宮が近隣に数多くある迷宮内部地下都市に大半が常駐し、引退した者や休止中の者はトランド大陸に限らず世界中の王宮や貴族、大商人等に仕え文字通り住む世界が違う。
 派手に脚色された英雄譚や数多くの眉唾な噂は世間によく広まっているが、その計り知れない実力や実態等を実際に知る者は一般人には少ない。
 それが世界中に数十万人いるとも言われる探索者の中でも、4桁にも満たない上級探索者達である。


「俺もさすがに上級の知り合いはいないから、ミノトスの神官らの叙事詩で聞いたくらいだな。本物を遠目に見たことくらいならあるけどよ。有名ところじゃ管理協会現理事長の『樹王』ミウロ・イアラス、ロウガの『双剣』フォールセン・シュバイツアーやら『鬼翼』ソウセツ・オウゲン、あとは芸術家としても有名な『黒彫』レコール・イノバンとかだな」


 指折りながら数えるマークスがあげた名は、別大陸出身者であるルディアでもその功績をよく知るほどの名を馳せた上級探索者達であり、同時に比較的世間一般にその姿を知られている者達であった。 


「イノバンって300年近く一人で山奥で岩山を削って石像を掘ってる人ですよね。本来の寿命だと満足な作品が作れないから不老長寿の上級探索者になった変わり者って」


「おうそれだ。400年以上は生きてる変人で暗黒時代も我は関せずってばかりに岩山を掘ってたらしい。管理協会本部に顔を出したのも数回だけらしいんだが、たまたまその時に見たんだよ。ぱっと見は20中盤の優男なんだが、遠目でも何つーか雰囲気はあったな。嘘みたい話だがありえるんじゃないかって思わされた」

  
「……何かますます現実感が薄くなってきました。もっとも工房も持ってないしがない薬師のあたしには、上級探索者なんて一生縁はないでしょうけど」


「いやいやわからねぇぞ姉ちゃん。世の中ってのは何があるか判らないからな。ひょんな事から知り合ったり、ひょっとしたら姉ちゃん自身が上級探索者になったりするかもしれんぞ」


「そりゃどうも。でもあいにくなことに上級どころか、今のところは探索者になろうって気は皆目ありませんよ。工房を開く開店資金が不足なら考えなくもないですけど、そこら辺は薬師ギルドの低金利で借りた方が安全でしょ。探索者みたいにハイリスク、ハイリターンなのはちょっと」


 笑うマークスに対して、ルディアは興味がないと肩を竦めて答える。
 自身の本分は薬師であり、魔術はあくまでも薬剤調合補助と精々材料採取時や旅の途中で身を守る為の護身技能程度。
 魔術師としては平凡な才能しかない。要領だけはそこそこ良いのである程度まではいけるだろうが、壁にぶつかればそこで止まってしまう。それがルディアの自身に対する分析であった。
 

「堅実だな姉ちゃん……俺の所のバカ息子も見習ってほしいくらいだ」


 ルディアの回答を聞いたマークスが微かに眉をしかめて羨ましげな目を浮かべて、悩みを聞いてほしいそうな表情を浮かべる。
 その様子からまたも愚痴が始まりそうなことをルディアは敏感に察していた。


「息子さん……ですか?」


 だが話の発端を開くよりも聞き役に回り情報を集める癖や、基本的に面倒見のよい性格が災いし、その話題に触れないようにしようとする理性よりも先に口が開き続きを促していた。


「おうよ。今年でもう13になるんでそろそろ商売について覚えさせようって今回の商隊に見習いとして参加させたんだが、武器商人をやるよりも武器を振ってる方、探索者になりたいとかぬかしやがってんだよ。だから剣術道場に通わせろって最近五月蠅くてな」


 マークスが溜息と共に吐き出したのは世によくある親の嘆きだ。
 若年。特に男子となると華々しい探索者の英雄譚に心を引かれ憧れから探索者となる者は数多い。
 だがその大半は早々と諦めるか、運が悪ければ心なし半ばで命を断たれる事になるだろう。
 類い希なる才能と時流に乗る強運。
 探索者に限らず世に名を馳せる者達とはこの二つを持ち合わせている。
 どちらか片方を持つだけでもまれなのに、その両者を持ち合わせる者など本当に一握りの特別な者。
 しかし自分がそんな特別な者だと思う若者は数多い。
 こればかりは親や周りが口で言っても、挫折するまでは自らは認めようとはしないだろう。


「よくある話っていえばそれまでだけどよ。男親としちゃ、てめぇの商売を継いでほしいってのもあるんだが女房が心配性でな。俺が砂漠越えの商隊に参加してるだけでも結構気苦労をかけてる所に、これでバカ息子が探索者になったら心労で倒れちまうんじゃないかってな」


「ホントよくある話ですね。でも13なんですよね。そのくらいの年齢の男の子じゃ麻疹みたいな物だと思えば。もうちょっと大きくなれば現実が見えるんじゃないですか。それに不謹慎な話かも知れませんけど『始まりの宮』が終わったばかりで、これから怪我人や死亡者も増え照るみたいですし、目の当たりにすれば気持ちが変わるかも知れませんよ」


 探索者となるには半年に1回大陸中に出現する特別な迷宮。別名『始まりの宮』と呼ばれる迷宮を踏破しなければならない。
 そして今期の始まりの宮が終わってまだ十日ほどしか経っていない。
 だが既に誰それが大怪我しただの、どこぞの新米パーティが壊滅しただの噂話をルディアは耳にしていた。
 迷宮群に隣接し始まりの宮が近隣に出現する為新人探索者が多くいるラズファンにとって、新人探索者の怪我人や死亡者の増加は半年ごとに起きる性質の悪い風物詩といえるのかもしれない。


「そうだといいけどな。失敗した奴等の話よりも、成功した奴らの話に食いつきそうなガキだから。んなもん少数の稀有な例だってのに」


 赤の他人であるルディアに話した所で、悩みが解決するわけではない。
 だが愚痴とは基本的に誰かに吐き出して気分を紛らわせる物。
 その事を判っている両者はあまり突っ込んだ話をせずに、ありきたりな話にありきたりな言葉を交わす。


「商売の楽しさってのを理解するにはまだガキでな。今日も俺が貸倉庫から運んでる間、商品積み込みの確認をやらせてるんだが真面目にやってると…………すまねぇ姉ちゃん。ちょっとこいつの手綱を頼めるか」


 愚痴をこぼしていたマークスが急に黙り込んだかと思うと、いきなりルディアにラクダの手綱を押しつけてきた。
 突然の事にルディアは声をかける間もなく、だだっと走っていたマークスを目で追いかけると、彼は少し先の桟橋へと飛びこんでいく。
 その桟橋には些か古い様式だが、頑丈な砂船が停泊しており、他と同様に木箱や荷車を使って荷物の積み卸しをしている。
 その隅っこの方で剣を振り回していた少年へと駆け寄ったマークスがいきなりその頭に拳骨を落とした。
 


「てめぇ! 商売物を勝手に振り回すんじゃねぇって何時もいってんだろうが!」


 ルディアの所にまで聞こえるほどの大きなマークスの怒声が辺りに響き渡る。殴られた少年の方はよほど痛かったのか頭を抑えてしゃがみ込んでいたが、すぐに立ち上がり何か反論をし始めていた。
 

「あれが件の息子さんであっちがこれから乗る船って訳ね。賑やかな船旅になりそうね……ところでさぁ、あんたから動いてくれない。馬ならともかくラクダの手綱なんて引いたことないっての」


 マークスの怒声で驚いたのかピタと動きを止めたラクダに対して、ルディアは声をかけるがラクダは歩き出す様子はない。下手に手綱を引いて暴走されても事だ。
 結局マークスが息子との親子喧嘩を終えるまでの10分間、ルディアはそこで待ちぼうけを食らわされる羽目となった。



[22387] 剣士と薬師 ④
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 05:11
 砂漠を行き交う砂船。
 水上で用いられる船と構造が似ているために同様の名で呼ばれているが、その下部構造や稼働原理は水上に浮かぶ船舶とは些か異なる。
 どちらかと言えば雪山などで使われるソリを想像した方が判りやすいだろう。
 平坦な船底には魔力伝達のために生体素材が使われ、魔法陣が刻まれた石版が幾つもはめ込まれている。
 石版に刻まれた浮遊陣が船を僅かながらも浮かし、同時に出力比や角度を変える事により前後左右への移動を可能とし、舳先を覆うスカートと呼ばれる金属版で障害物を排除しながら砂の上を滑るように船は進んでいく。
 浮遊陣で船全体を高く持ち上げるには魔力消費が激しく、巡航速度時では浮くといっても人の拳一つ分ほどの隙間を作るのが精々だ。
 その為、起伏の激しい地形や固い岩盤の土地では船底が傷つきやすく、すぐに使用不可能になってしまう事もあり、広大な砂漠を持つ一部の地方のみで用いられる特殊交通手段になっている。 
 多数の魔法陣を稼働させるのは、船中央に積まれた転血炉。
 迷宮モンスターから採取した良質の魔力を含む血や樹液を加工処理し固形化した【転血石】を動力源とする転血炉は、暗黒時代前は協会と少数の大国だけが持つ極秘技術とされていた。
 しかし暗黒時代を迎えた事で事情は変わる。
 迷宮モンスター群に劣勢を強いられていた各国に対して、滅ぼされた大国の術者や家臣達が次々に技術解放を行っていたからだ。
 技術解放と同時に各地で研究改良が行われ、より小型高性能の転血炉が次々に試作、実用化され発展していったのは歴史の皮肉といえるだろう。
 暗黒時代が終焉を迎えた時代も少し昔となった今では、軍事用だけではなく民生品としても取引が行われている商品の1つだった。



 
 
 永宮未完特別区北リトラセ砂漠迷宮群。
 通称『常夜の砂漠』に四時間ほど前に進入した船の周囲は、まだ昼過ぎだというのにすっかりと闇に覆われている。
 遠くの空には灯台としての役割を持つ灯りがいくつか浮かび、それぞれに違う色とタイミングで点滅を繰り返す。
 船の周囲にはまるで蛍火のように浮かぶ光球が、先を照らすと共に、己の場所を他船に知らせて衝突防止に一役を買っていた。


「こいつの船体と炉は20年前の型だが、元々は中級迷宮での拠点用に建造された船だからともかく頑丈だ。重い武装を外したからそこそこ速度も出るんで輸送用にはもってこいって訳だ。ちょっと取り回しやら調整が難しいがその辺はご愛嬌だな」


「それにしたって余剰魔力が随分あるんですね。各部屋個別の室温調整機能とか、よっぽどの高級船にしかないって聞いたんですけど」


 元探索者だったという中年船員の説明に耳を傾けながらルディアは肌を切るような寒さに身をさらしていた。
 先ほどまでは与えられた船室で、暇を持てあまし魔術に用いる触媒の下処理をしていたのだが、材料を入れたフラスコを火に掛けてあとは放置となった所で、突然船長と商隊長であるファンリアから呼び出されていた。
 安全上の措置としてか客室と船の運航を司る区画は直結されていない為、一度船尾の階段から甲板に出て、それから再度船内に入らなければならず、せっかく暖まっていた身体を寒風にさらす羽目になったが、急病人でも出たかと仕方なく思っていた。。


「あれな。実は出力調整用なんだわ。ほれさっき武装を外したって言っただろう。元々ついてたのが常時低稼働待機型の砲台でぶっ放さなくても魔力を結構食う。輸送客船には無駄だし重いから取っ払ったはいいが、今度は魔力消費が下がりすぎて普通に船を動かすだけだと炉が安定しなくなった。仕方ないから馬鹿食いする室温調整をつけたって訳だ。そんなわけでお客さんも気にせずどんどん使ってくれ。それで停泊状態でもようやく炉の最低出力に達して安定状態になるんでな」


「贅沢なんだか無駄なんだか。光球を発生させている魔法陣が防御結界と兼用になってましたけど、あっちも稼働可能って事ですか……結界が必要な怪物でも?」


 船壁に刻み込まれた魔法陣は構成自体は基礎的な物で読み取る事は容易い。
 一部分が輝き光球を発生させているが、大部分は光がない非稼働状態でその部分は対大型種用の防御結界の記述となっている。
 特別区と呼ばれる表層部分は迷宮外とさほど変わらない低危険度の地区であると知ってはいるが、些か大袈裟にも思える装備に、光球の光が届かない闇の中に未知の怪物が潜んでいるような錯覚をルディアは覚えた。


「陣の消去と再設置には触媒やらで費用も時間もかかる。だから探索船だった時の陣をそのまま使ってるだけ。心配しなくても特別区じゃその結界が必要になる奴や、まして旧式とはいえ中級迷宮探索船の結界を破る奴なんぞ出てこないよ。たまに獲物と間違えた馬鹿なサンドワームが砂を飛ばしてた時に使うが、それもあとの掃除が大変だからってくらいか……って言いたい所なんだけどな」


 ルディアが僅かに不安を除かせていた事に気づいた船員が心配ないと笑ってみせたが、急に表情を改めると声を潜めた。


「この間の始まりの宮が始まる直前くらいからだな。砂漠入り口のここらで小型船が何隻も行方不明になってるんだよ。運悪く谷に落ちたのかモンスターにでもやられたか判らないが破片の一つも見つかってない。でだ、薬師のお客さんを呼んで来いってのもこいつがらみっぽい」


「随分物騒な事で……でも単なる薬師のあたしに何しろと?」 


 なにやら不穏なことが起きているのは判ったが、なぜ呼ばれたのか判らないルディアが問いかけた所で、前をいく船員の足が扉の前で止まった。


「そこらはファンリアさんか船長から詳しく聞いてくれ。中でお待ちだ。俺はこれから上で見張り再開。案内はここまでなんで」


 扉の横にはハシゴがかかりその上には見張り台らしき櫓が組まれている。
 どうやらここが目的地のようだ。
 船員が扉を開けると中から暖かい空気が流れ出してきた。ここも温められているらしい。


「案内ありがとうございました。見張り頑張って下さい」


 仕事がある人間をいつまでも拘束しておくのも悪い。
 ファンリア達に聞いた方が早いだろうとルディアは案内してくれた船員に軽く会釈をしてから扉を潜った。
 室内は小さめの小屋ほどの広さだ。
 魔法陣の出力調整をするための水晶球がいくつか並び、壁にはリトラセ砂漠全体を描いた大きな地図がかかっている。
 部屋の中央には卓が置かれ、その上には魔術道具である立体地図が広げられ、船が進むのに合わせて地図が描き出す起伏が変化していた。


「寒い中わざわざ悪いねお嬢さん。どうだい駆けつけ一杯。温まるよ」


 地図を見ていたファンリアが入ってきたルディアに気づいて、右手に持っていたワインの瓶を掲げる。
 ファンリアが掲げる瓶にはつい先日、酒場でルディアが奢ってもらった王家の紋章が入っている。
 どうやらこの間と同じレイトラン宮廷酒造製の品のようだ。
 卓の横には船に乗ってすぐに紹介された口ひげを生やした船長の姿もある。
 船長は眉を顰め難しい顔を浮かべていた。
 室内には他にも三人の船員がおりそれぞれ作業をしているが、何処か落ち着きがないように見える。 


「真っ昼間から飲む趣味はないんで。それよりどうかしたんですか。何か問題でも?」


 怪我人や病人が出たので薬師として呼ばれたにしては操舵室と言うのも妙な話。
 自分がなぜ呼び出されたのか判らないルディアは酒の誘いを軽く断ると単刀直入に尋ねてみる。
  

「船長。お嬢さんに説明をたのまぁ」


 素気なく断られたファンリアはあまり気にした様子もなく、後は船長に任せるとグラスを煽った。


「判りました。申し訳ありません。わざわざご足労を。先ほど先行している先守船の護衛探索者から連絡があったのですが……」


 ファンリアから丸投げされた船長だが嫌な顔一つ浮かべずルディアに一礼してから説明をはじめる。
 ルディアよりも船長の方が倍以上年上のはずだが、乗客相手だからだろうかその言葉遣いは極めて丁寧だった。
 先守船は本船より先行して進む事で、谷や山など地形の確認を行い本船へと情報を送り、時には障害となるモンスターを他所へ誘導したり排除したり、他船が出した先守船や小型砂船と接触し情報交換を行う役割を持つ。
 昨日どころか、つい一時間前まで無かったはずの砂山が突如隆起していたり、通行可能だったはずの場所が巨大な谷に変化しているなど北リトラセ砂漠においては日常茶飯事。
 刻々と地形が変化するリトラセ砂漠迷宮群において、小回りも制動も容易い小型船ならともかく、中型以上の砂船が遭難も事故も起こさずに安全に進む為には先守船の存在は必要不可欠と言えた。
 その先守船が通常の点滅の合間に異なる点滅を挟んでいる灯台の存在に気づいたのは、つい30分ほど前。
 元々は砂漠を進む者のための休憩所として作られていた灯台だが、乗り合いの大型砂船が定期的に就航する今は徒歩や騎乗生物を使って砂漠越えをするような者はおらず、緊急時の避難所として使われている。
 そして灯台の設置された岩場に半日以上連続して生体反応を感知した場合にのみ、非常を知らせる点滅が自動点灯、救助要請の点滅が発せられる。
 救助要請を確認した先守船は本船に連絡後、すぐにその灯台へと向かい意識を無くして倒れ込んでいた人物を発見。
 凍りついたぶ厚い外套に身を包んでおり脱がせることが出来無くて種族や性別は判らないが、小柄でひょっとしたら子供かも知れない。
 とりあえずは極寒の岩場よりはマシだと船内に運んだ所で異変が起きたと……


「背負っていた探索者が船に辿り着くなり急に倒れました。幸い意識ははっきりしていますが、手足の末端に麻痺を感じて動かなくなったそうです。症状的にはこの辺りの砂漠に生息する大サソリに刺されたのとほぼ同じようなのですが」


 困惑した顔を浮かべている船長の事情説明が終わると、酒をちびちび飲んでいたファンリアが卓の上にグラスを置いてルディアへと向き直る。


「サソリつってもここは一応は迷宮内。人よりもでかい奴でな。さすがにそんなのに刺されたんじゃすぐ気づく。本人も痛みもなかったそうだ。一緒にいた他の奴等は無事。原因がよくわからねぇから薬師であるお嬢さんの意見を聞こうって訳だ」


「意見って言われましても……状況的に考えるならその救助者ってのが怪しい事この上ないみたいですけど。救助者に接触したのは倒れた方だけなんですよね」


 実際に見てみない事には詳しい事は判らないが、倒れた本人に刺された自覚もないというのならば、原因は助けられたその人物にあるように思える。
 救助者が何かしようとしたのか、それとも救助者の衣服についていた毒物が皮膚から浸透したのか。
 通常の薬物、毒物ではそう易々と皮膚から体内に浸透する事はないが、浸透しやすい即効性の薬品を作る事はそう難しくなく、ルディアもいくつかは製法を知り所持もしていた。


「探索者が倒れたあとは、誰も救助者には直接接触しないようにしています。大サソリの毒であるなら解毒薬は常備してあるのですが、判別が出来ない現状では投与はさせていません」


 船長の判断は妥当だろう。
 自身も同じ立場なら同様の判断をしているだろうとルディアは思う。
 薬と毒薬は紙一重。
 症状が似ているとはいえ、もし違った場合は解毒薬を与えた影響でより深刻な事態を招きかねない。
 

「調べてみないとあたしからも何とも言えません。すぐに戻って来るんですか?」  


「いえ、倒れた者がマッパーだった事もあり安全のために先守船は灯台に停泊させ、本船が合流のために南323灯台へと向かっています。あと30分ほどで合流予定です」
 

「設置には十分か……船長さん。解析用の陣を設置したいので何処か開いている部屋はありませんか。できたら平面でそこそこ広さがあると助かるんですけど」


 ファンリアからは薬師として船に乗る事を条件に乗船賃をまけてもらっている。
 これも仕事の一つだとルディアは考えながら、解析用魔法陣制作に必要な図形と触媒を頭の中に思い浮かべる。


「それならここはどうでしょうか。今はただの船倉ですが元は簡易工房です。魔法陣設置設備もあったはずなので使用可能です。炉からも魔力を引く事が出来るはずです」

  
 卓の引き出しから船の見取り図を取りだした船長が最下層の一室を指さした。
 作成した陣への魔力供給が可能ならば、作成維持のために使う触媒の量はかなり減らす事ができる。
 勿論頼まれ事なので、使用した触媒代をファンリアか船長に請求可能だが使わないですむならそれに超した事はない。
 ルディアとしても異論はなく船長へ了承の返事を返しながら先ほどの会話を思いだす。
 操舵室へと来る途中に聞いた小型船が連続で姿を消したという話。
 それが件の遭難者と関係あるかは判らないが、どうにも厄介な事になりそうだと予感を覚えていた。



[22387] 剣士と薬師 ⑤
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 23:24
 ルディアの乗る中型砂船は大まかに前後と上下5層に分けられた構造の貨客船として使われている。
 最上層に操舵室及び見張り台等航行関連設備や、光球や防御結界などを発生させる魔法陣が刻まれた装甲に覆われた甲板。
 船首側前半分の最下層と下層には、砂船を浮かせるための転血炉等の動力機関が設置されている。
 中層と上層には砲台設置区画を改装した大型船倉。
 船尾側は上層、中層が客室や食堂等の客船区画となり、下層が船員室や食料庫。
 最下層は積み荷に合わせて室内調整が可能な中型、小型の船倉が連なる。
 乗員人数は交代要員と護衛である探索者を含め20人。乗客は最大で80人前後。
 設計が旧式といえる少し古い方の船なので、最新型と比べると性能は多少見劣りするが、元々は中級迷宮用の船であるので、比較的安全な特別区では十分な性能を持っていた。
 船長の言っていた旧簡易魔術工房は、現在は最下層にある中型倉庫の一つとして使われていた。

 
 
「積み荷の運び先は間違えるなよ! そっちは右隣の中倉庫へ! 大型は冷気対策した後は運び出さずにずらして中央を空けろ! 外扉から直接ここに運び入れるんだから、通路も忘れんようにな!」


「第4小倉庫に少し空きが出ました。中型木箱6はいけます」


「裏側もっと力入れろ!」


「この酔いどれ共! ちんたらしてると邪魔だよ!」


 積み荷の札を確認して、帳面に移動先や元位置を記載しながら指示を出すファンリアに、各倉庫の空き状況や積み荷の配置を変えて、何とか空きを作ろうとしていた若者が状況を伝える
 大木箱を何とか持ち上げて部屋の隅にずらそうとする男達の大半は赤ら顔だ。
 出航早々にやる事もないからと酒盛りでもはじめていたのだろうか。
 その横で大きな布袋を次々に手渡して運び出す女性陣が、情けない連れ合いに発破をかける。
 自室に魔法陣形成に必要な道具を取りに戻ったルディアが倉庫のある最下層へと降りてくると、低く重く響く転血炉の稼働音に混じって、ファンリア商隊の者達が騒がしいながらも、実にてきぱきとした動きで積み荷の運び出しをおこなっている所だった。


「すぐ場所を空けるから、すまないけどもう少し待ってもらえるかい」


 鞄を持ったルディアに気づいたファンリアが帳面から顔をあげて呼び止める。


「すみません助かります。でもそんなに場所は取りませんから、少し空けていただければ十分ですよ」


「あーそれがそうも行かなくてね。冷気に弱い商品があって外気が入ってくることも問題なんだが、それ以外にもちょっと厄介な物があるんでね」


 頭を下げ礼を述べたルディアは大事になっているように見えたので申し出てみたが、ファンリアはやんわりと断る。
 

「ここは簡易とはいえ元魔術工房だろ。魔力の漏洩対応処理が完璧なんで仕入れた魔力吸収特性を持った原料類を置いてあってね。お嬢さんの方もせっかく作った魔法陣がすぐに消失したら困るだろ。箱の方にも処理はしてあるが念には念をってことだよ」


 ルディアの表情に浮かんだ疑問に気づいたファンリアが荷札のチェックをしながらその理由を伝えてくる。 
 

「魔力吸収特性……カイナスの実とか、リドの粉末とかですか?リドの葉の香りがしますけど」


「お嬢さん良い鼻してるな。うちの女衆が運び出している大袋に乾燥リドが詰まってる」


 苦みが混じったような香りに覚えがあったルディアが問いかけると、ファンリアが軽く頷いて答える。
 ルディアがあげた二つは大陸南部の特定地域で採取される物で、砂漠の中継都市であるラズファンを経由して大陸中央の工房で精錬、そこから遠方へと運ばれていく輸出品の類だ。
 これらを特殊な方法で精製し純度を高める事で、より多くの魔力を吸収させ、魔力剣や魔具などに用いる素材へと加工する事になる。


「未精製なんで魔力吸収の力は弱いが量が量。しかもうちが直接取引する訳じゃないが、最終納品先がドワーフ王国エーグフォラン。職人気質のドワーフ相手に混じりの生半可な物を仕入れる訳にもいかなくてね」


「ご商売の邪魔するわけにもいきませんから大人しく待ってます」


 魔力吸収特性を持った物質は、一度魔力を吸収してしまうと再吸収は不可能な代物が多い。
 精錬し高純度魔力を吸収させれば高額で取引が出来るが、未精錬で弱い魔力しか含有していなければ途端に安値となる。
 だからこそ運搬には外部からの魔力を遮断する専用の箱や袋を用いるのが、最低限の備えとなっている。
 少量とはいえ船の炉から魔力を引いて解析魔法陣を展開しようというのだから、ファンリアの用心は当然の物だろう。
 説明に納得したルディアは、ずぶの素人が手を出しても荷運びの邪魔になるだろうと、数歩下がりその長身痩躯を壁に預け、運び出しが終わるのを待つことにした。
       





 倉庫の中心部分に立ったルディアは、鞄を置いて片膝を付くと床板を右手で撫でる。
 すぐに指先が僅かな取っ掛かりを探り当てた。
 指先に僅かな魔力を込めながら、船長から聞いていたリズムで軽く床板を4回叩くと、その部分の床板が僅かに沈み込んで横にずれる。
 掌ほどの大きさで開いた床の中には鈍く光る銀板が姿をみせた。
 模様にも見える彫り込みは魔力供給を司る術式を現している。
 これが船長の言っていた魔法陣設置用の設備だろう。 
 
 
「これがこうだから…………」


 彫り込みを指でなぞりながらそこに刻み込まれた術式を読み取り、自分が展開する魔法陣への魔力供給の手順をルディアは確認する。
 幾つもの国が滅び、多数の種族が壊滅に近い状態まで追い詰められた暗黒時代は膨大な負の遺産を今も残しているが、同時に幾つもの発展をもたらしていた。
 主立った物では異なる種族、異なる国の者達が共同戦線を張る為に新設された共通言語、物資のやり取りを迅速に行う為の共通貨幣。
 そして魔具分野の急速な進歩である。
 各系統の著名な魔術師達が幾人も集まった共同研究により、低位魔術や魔具の規格統一が行われており、船の炉から魔力を引くこの術式も共通術式として普及している物の一種だ。


「ちょっと薄めるか」


 思った通り使用に問題はないが、供給される魔力の量は思っていたよりも多い。
 これなら触媒を少し減らしたほうが、上手く作ることが出来るだろう。
 小さく呟いたルディアは鞄の中から、鮮やかな赤色の液体が少量と水が入った薬瓶を床に置く。
 次いで手提げの木箱を取り出して留め具を外して蓋を開く。
 木箱の中は三段に分かれ一段目と二段目はそれぞれが小さな枠で区切られている。
 枠には小袋に入れられた粉や小瓶の練り薬、丸薬が種類別に整頓され、制作日や購入日の印したメモが貼り付けてある。
 一番下の三段目には、計量用の器具がまるで新品のように磨かれて納められている。
 燃えるような赤毛で女性にしては長身の派手と目立つ外見ながらも、その中身は生真面目で几帳面なルディアの性格が判るような中身だ。
 まずは水が入った瓶の蓋を外すと水を計量瓶で計ってから細長い瓶へと移し、そこへ同じように計った赤い液体を少量足し入れる。
 木箱から丸薬を二種類取り出して瓶の中に入れ、煎った種子を磨り潰した黒い粉を指先の感覚で計り一つまみ。
 指で蓋をして瓶を軽く振って中身を混ぜると、丸薬と粉が液体の中に溶け込んでいき、赤から灰色へと色彩を変化させて、さらさらした中身が、どろっとした粘りのある物へとと変わった。。
 ルディアが作り出したのは術構成を手助けする触媒液だ。
 触媒を単体で使うよりも効率よく短時間で術を形成する事ができるが、その反面術に合わせた適正な触媒液を作るにはある程度の専門知識を求められる。
 もっとも薬師が本分であるルディアには、この程度はお手の物だ。
 右手の人差し指と中指を伸ばし指先で触媒液をすくい取ると、先ほど開いた穴を中心にして、指を筆代わりにルディアは大人の両手を広げたほどの大きさで円形の陣を描きはじめる。   


「手慣れたもんだなお嬢さん。絡み酒のクマを潰した手腕も見事だったがたいしたもんだ」


「親方勘弁してくれ。あん時は鬱憤が貯まってたんだよ。確かに一瞬で潰れたがよ」


 澱みのないルディアの手際を見たファンリアがタバコを吹かしながら褒める横で、醜態を思いだしたマークスが溜息を吐く。
 荷運びを終えたファンリア商会達の者は休憩をかねてか、倉庫の隅に集まってルディアの作業を見物している。
 見られているルディアとしては少しやりづらいのだが、娯楽の少ない航海中という事や同乗させてもらった恩義もあり仕方ないと諦めていた。


「そりゃ良い。うちの軟弱亭主が酒盛りをはじめたらお嬢さんに頼んでクマさんみたいに潰してもらおうかね。酒代が半分以下で済みそうだよ」


「ちょ! 母ちゃん。そいつは勘弁してくれ」


 マークスの言葉に恰幅の良い中年女性がしみじみと呟くと、大荷物を運んで疲れたのか横でへたれ込んでいた夫とおぼしき男性が情けない声をあげ、他の者達から笑い声が上がる。
 さっきの荷運びの時もそうだが、このファンリア商隊はそれぞれの仲がよく結束力も強く一種の家族のような関係を作っているようだ。
 気ままではあるが孤独な一人旅を続けるルディアはそれが多少羨ましく、故郷の家族や師の事が一瞬脳裏を掠める。
 早く工房を開く場所を決めて自分も腰を落ち着けるべきか。
 柄にもない事を考えながらもルディアの指は迷い無く陣を描いていき、一分ほどで陣を完成させる。
 立ち上がったルディアは触媒液の付いた指先をハンカチで拭い、広げていた道具類を片付けてからファンリア達の方へ振り向く。  
 

「完成したので試します。一瞬強く光りますから、直視しないように気をつけて下さい」


「はいよ。ほれお前ら目をそらしときな」 


 ファンリアが周りに注意を促して自らも吸いかけのタバコを携帯灰皿に仕舞ってから眼を細める。
 周囲の大半は顔を逸らしたが、ルディアの手腕に興味深げな幾人かは顔の前に手を掲げたり、ファンリアのように眼を細めている。
 術の続きを見物する気のようだ。


「お嬢さん。準備良しだ。ぱーっとやってくれ。かかった触媒や薬の代金はこっちに請求してくれていいからよ」


「助かります。実費にしておきますから」


 費用的にはたいした額ではないが持ってもらえるに超したことはない。
 ファンリアに軽く謝辞を述べてから、ルディアは陣に向き直ると一歩下がり左腰に下げた鞘から直両刃の短剣マンゴーシュを左手で引き抜く。
 籠状になったナックルガードには銀で作られた魔術文字の飾りが施され、柄頭には小振りの緑色の宝石が一つ。
 どちらも魔術補助の役割を持っており、防御短剣であり魔術師の杖でもある短剣は、旅に出る時にルディアが師から譲り受けた物だ。
 高名な刀匠の作ではないが良品でルディア自身との相性も良く、術の構成や維持をする際には心強い相棒といえるだろう。
 ルディアはゆっくり深く息を吸ってから左手の逆手で短剣を引き抜いて胸の前で構え、右手に印を作って柄頭の宝石へと指先で軽く触れ、いつも変わらない冷たく硬い石の感触を感じ取る。
 吸った息を今度はゆっくり長く吐き出しながら、緩やかに脈打つ己の心音へ意識を集中する。
 己の持つ生きる力【生命力】を魔術使用に適した形に変換する事で生まれる力こそが魔力である。
 魔力は心臓より生まれる。
 最初にルディアが師より授かった魔術師としての基礎。
 心臓で発生した魔力が血の流れに沿って全身に拡散し蓄積されていくイメージを描き出すと共に、ルディアの体内で魔力が急激に発生し高まっていく。
 高めた魔力を右手の指先へ。
 指先から柄の宝石に。
 宝石で属性変換された魔力が、ナックルガードに刻み込まれた魔術文字へと伝達され、術式を構成した文字が微かに光り出す。
 陣の起動に十分な魔力が貯まったことを経験で悟ったルディアは、短剣の切っ先を先ほど描いた陣の中央へと向ける。
 図形は正確に描き、十分かつ制御しやすい形で魔力は蓄積されている。
 この上で補助としての正式詠唱を行う必要はないだろう。
 強い光で目が眩まないように、軽く瞼を閉じてからルディアは簡易な命令を放つ。
 

「……起動」


 閉じた瞼の上からでも判る強い閃光が一瞬輝き、次いで薬品が焼ける微かな刺激臭が漂う。
 ルディアがゆっくりと瞼を開くと床へと目をやると、先ほどまではくすんだ灰色で描かれていた魔法陣が、深い緑色光を放っている。
 描いた図形や放つ光に異常は見られず、中心にある銀板からの魔力供給も問題無く追加の魔力を供給しなくても大丈夫なようだ。


「問題はなさそうかねお嬢さん?」


 ルディアがほっと一息を吐いた所で、その様子を見ていたファンリアが声をかけてくる。


「えぇ。無事完成です……といってもここまでは教えられた通りにやるだけですから。こっからです。解析して毒の判別。場合によっては解毒用に薬を作らないといけませんから」


 ここからが本番だとルディアは握ったままのマンゴーシュを鞘へと戻して意識を切り替える。
 この魔法陣で出来るのはあくまでも毒の解析だけ。
 解毒ができるわけではない。
 船長達の言っていた通りに大サソリの毒であるならば、解毒剤もあるとのことなので問題はないのだろうが違った場合はまた厄介な事になる。
 手足が麻痺したという船員。
 倒れていたという謎の人物。
 故郷を出てからいろいろな地方を周りつつ、時には薬師として旅費を稼いだりもしてきたが、こういった非常事態に遭遇するのは初のことだ。
 自分が柄にもなく緊張している。
 その事に気づいたルディアが小さく息を吐きだしながら呼吸を整えようとした所で、船倉全体が微かに揺れはじめた。
 
   
『先代。すぐに南323灯台に到着します。整備された港と違うので停船時に大きく揺れます。そちらの倉庫の扉は操舵室側で開けますので付近から離れていて下さい』


 船内側の扉付近に取り付けられた伝声管から船長の声が聞こえ、砂船が急速に速度を落としていく。
 それに平行して徐々に揺れが強くなっていき、ルディアは僅かに歩幅を広げて衝撃にそなえた。
 ファンリア達も床に直接座ったり、近くの壁に手をかけてバランスをとった体勢となっている。
 しばらくして船全体が一度大きく揺れてからようやく震動は収まる。
 倉庫に響いていた高稼働状態の転血炉の重低音も小さくなっていた。
 どうやら目的地である灯台近辺へと到着して完全に停船したようだ。


『扉を開けます。外気が入ってきますので防寒着を着用して下さい。先守船は扉直下にいますのですみませんが引き上げをお願いします』


 船長の指示にルディアは赤髪を纏めて羽織っていたマントの中にしまい込み、ボタンを留めて頭をすっぽりとフードで覆う。
 荷物の運び出しで薄着となっていたファンリア商隊の者たちも手近に置いていた防寒着を各々身につけると、引き上げロープや釣り下げ板の準備をしはじめる。
 完全停止状態から再始動する場合は、中型船ではどれだけ急いでも10分ほど必要になる。
 魔物避けの術が施された灯台近辺で、低危険度の特別区といえども、すぐに動け無い以上襲撃警戒を厳重にするに越したことはない。
 ただそちらの警戒にほぼ全ての船員や探索者を廻した為に、先守船から本船側へと倒れた探索者や意識を失っている救助者を引き上げる為の人手が足りなくなり、暇をしていたファンリア商隊の者達がその役目を引き受けていた。
  
       
「船長。準備ができたぜ」  
 
 
 老体ながらも自ら引き上げに加わるつもりなのか、作業用の手袋を身に着けたファンリアが伝声管越しに船長へ合図を送る。


『了解しました。開けます』


 搬入口の横に取り付けられた大きなベルが大きな音をたててがなり立てると共に、外気を隔てる為に二重となった厚い扉が左右に開き始めた。
 開いた隙間からは肌を切り裂くような冷気と共に、微かな明かりにキラキラと照らし出され細かな砂粒が倉庫の中へと吹き込んでくる。
 光を放つ灯台が近くにある為か、常世の砂漠においても満月の夜と同じくらいには明るい。
 

「一応カンテラを先端につけて降ろせ。負傷者かも知れないから高価な荷物を扱うつもりくらいに丁寧な作業でな」


「あいよ親方」


 ファンリアの指示に商隊の者達は各々答えると、慣れた手つきで扉近くの床や壁に埋め込まれていた滑車の着いたクレーンや留め具を引き出して、直下に止まっているであろう先守船へとロープで結んだ板を降ろしはじめる。
 てきぱきとした手際と連携の良さにルディアは手伝える事もなくただ見ているだけだ。


「……判ったまずは倒れていた奴からだな!…………右手が固まって柄から離れない? 判った気をつける! よし引き上げるぞ!」

 
 扉から外に顔を出して下の探索者と大声で手順を確認していたファンリアの息子だという中年男性が後ろの仲間に指示を出す。
 ガラガラと滑車が鳴り、釣り上げ用と予備兼姿勢補助用の2本のロープがゆっくりと引かれて救助者が乗せられた板が上がってくる。
 作業の邪魔にならないように気をつけながら、ルディアは扉に近寄ると僅かに顔を出して下へと目をやる。 
 板の上に仰向けに寝かされた人物は薄汚れた外套に身を包み意識がないのかぴくりとも動かない。
 その身体はまだ子供かも知れないと思うほどに小柄だ。
 右手には小さな体格にやけに不釣り合いな大きな柄が握られている。
 根元から折れているが、その柄の大きさや切断面からみても随分大きな刀身が付いていたようだ。
 先ほど確認していた右手に気をつけろとはこのことだろう。
 寒さで指が硬直して離れなかったのだろうか?
 完全に釣り上がった所で、鈎付き棒を持っていた商人が、器用に引っかけて船内へと板を引き入れる。
 近くで見ればやはり小柄なことがよく判る。
 ルディアが長身な事もあるがその背丈は半分ほどしか無いだろうが。
 外套から出ている砂にまみれたその手はほっそりとしていて女性的だ。
 接触した船員が倒れたと聞いているので、不用意に触れる事はできないが、フードに隠れた顔だけでも見ようかと、ルディアが近付いた所で大声が上がる。


「こ、の柄!? まさかあん時のガキか!?」


 声をあげたのはこの船にルディアが乗り込む事になった原因のマークスだ。
 救助者が握っていた剣の柄を見てかなり驚いているようで、唖然とした顔を浮かべている。
 後ろの方でロープを引いていたマークスからは、完全に引き上がるまで姿が見えなかったのだろう。


「マークスさん知り合いですか?」


 ルディアはマークスに問いかけて見たが驚愕しているのか反応はない。
 

「ほれ、お嬢さんがクマに散々聞かされた件の娘さんだよ……顔も間違いないな。まいったね。こりゃ」  


 固まっているマークスの代わりにファンリアが問いに答えると、素手で触れない為か、鈎棒を器用に使って倒れていた人物のフードを取り去り、素顔を確かめて小さく頷く。
 その顔はまだ幼さを色濃く残した10代前半の少女。
 青白い顔で少し吊り気味の目もとを、苦しそうに歪めていた。
 極寒の中に晒されて血の気が失せた唇の端は、僅かに切れて血が凍りついている。
 あまり手入れがされていないのか硬そうな長い黒髪は砂まみれだ。
 だがそんな状態でありながらもこの少女の素顔は人の目を引く所がある。
 

「この娘ですか…………大剣を軽々と扱ったっていう」


 散々聞かされた愚痴からルディアが想像していた姿は、子供と言っても、もっと荒んだ者であった。
 だが目の前に倒れているのは、同性であるルディアの目から見ても、紛れもなく美少女だと断言できる。
 そんな少女に対するルディアの第一印象は予想外。
 その一言に尽きる。
 その風貌もさることながら、まさかこんな状況で散々愚痴で聞かされた少女に会うことになるなどルディアは微塵も考えてはいなかった。



[22387] 剣士と薬師 ⑥
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 23:57
 凍てつくような寒さを運ぶ風にはリトラセ砂漠北部特有の細かな砂の粒子が混じる。
 そんなリトラセ砂漠を旅する者は防寒と砂よけをかねて、肌の露出を減らした厚着の上に全身を分厚い外套で覆うのが昔からの習わしだ。
 それは旅人達の移動手段が徒歩や騎乗生物から、防砂防寒対策の施された砂船となった今でも変わらない。
 特に先行偵察を行う先守船に乗り込む者には、未だに必須といえるだろう。
 先守船は役目の性質上、索敵地形確認を行いやすくする視界の確保と迅速な戦闘移行のために、小型水上船と同様のサイズで、屋根のないむき出しの構造となっている。
 そんな典型的な先守船の舳先に立ち、これまた典型的な分厚い外套に身をくるむ二十をすぎたばかりの若い男性探索者は、頭上で行われる母船への収容作業を見守りながら周辺警戒を行っていた。 
 僅かに青白い肌の右手には鋭い穂先を持つ長槍。
 背中からはコウモリのような形の翼が突き出ていた。
 高魔力地帯に適応進化した人種の出身。俗に魔族と呼ばれる種族の青年だ。


「いつもなら母船が見えると安心できるけど今日は不安しかねぇな。手早く頼むぜ」


 寒さが堪えるのか身体を小刻みに揺らしながら、若者が祈るような言葉を発する。
 小さな先守船を木の葉一枚だと例えれば、母船である貨客砂船は中型と言ってもそれこそ巨木だ。
 船体の中ほどに開かれた下部倉庫への搬入口からは滑車が姿を見せ、遭難者を乗せた吊り板がゆっくりと持ち上げられている。
 分厚い砂の幕に閉ざされ暗闇と極寒が支配する木田リトラセ砂漠迷宮群においては、その城塞のような巨体は頼もしい限りだ……普段ならば。
 異常を知らせる灯台で発見した遭難者。
 遭難者をかつきあげて船まで運んだ後に倒れてしまった幼馴染みのパーティーメンバー。
 砂漠内では襲撃を避けるために、本来は昼夜を問わず走り続ける母船の完全停泊。
 こうも立て続けに想定外の事態が起きたとなると、この先もまだ何かあるかもしれないと警戒して彼が不安を覚えるのも止む得ないだろう。


「あの子は特に問題無く収容完了」

 
 搬入口の前に吊り板が届いた所で、中から鈎棒が出てきて吊り板を手早く収納され始めると、船体中央で下から指示を出していた女性が安堵の息を漏らす。
 先端に女性的なデザインの施された飾りを持つ身の丈ほどの長い魔術杖を背負った典型的な魔導師スタイル。
 こちらも防寒用のぶ厚い外套を纏っているが、声の感じからまだ年若い事が判る。
 おそらく青年と同年代。もしくは少し下だろうか。


「ご苦労さん。お嬢。ボイドの固定は大丈夫か? 手足が麻痺してるからちゃんと固定してあるよな」 

 
 青年は問いかけながら女性の方を見る。
 視線の先には先ほど遭難者をつり上げたのと同じ吊り板がもう一枚あり、その上には重鎧の上に、同じく外套を纏った大柄の男性探索者が寝かされロープで固定されている。
 彼が前衛を務めるパーティリーダー兼マッパーのボイド。
 魔族出身の魔術戦士で哨戒役のヴィオン。
 そしてボイドの妹である魔術師兼先守船の操舵士であるセラ。
 この3人の下級探索者達が貨客砂船護衛探索者Bチームとなる。
 彼等は護衛ギルドに所属し、同じく前衛後衛三人で構成された同ギルド所属のA、Cの三チームでの八時間交替での護衛任務へとついていた。
  

「問題ないない。大丈夫ちゃんと縛ってあるから。まぁったく探索者なら用心深く慎重に行動しろっていつも口うるさい癖に、遭難者に迂闊に触れて倒れましたって笑えないっての馬鹿兄貴」


 痺れて動けないボイドの身体を、杖で突きながらセラはわざとらしく溜息を吐いた。
 

「うっせぇ愚妹。目の前で女子供が倒れてたら無条件で助けるってのが人情って奴だろうが」

 
 ボイドはフードの奥から妹をぎらりと睨む。
 言葉の呂律ははっきりとしており、痺れているのは末端の手足だけで済んだのは不幸中の幸いだ


「はいはい。そう言う台詞は妹の手を煩わせて無いときに言ってよね」


 前衛専門であるボイドがまともに動けない状況で、さらに意識のない遭難者を抱えて特別区とはいえ迷宮内で立ち往生。
 船を寄せていた灯台に魔物避けの簡易結界が施してあると言っても、その周辺に砂漠の魔物が絶対に出ないというわけでもない。
 張り詰めていた気をようやく弛めることが出来たセラの声には多少の疲れが混じっていた。


「そこまで二人とも兄妹喧嘩は後にしとけ。今は仕事なんだからよ……よしAとCの連中も配置完了したみたいだな」


 いつものじゃれ合いに近い口げんかを始めた兄妹に呆れ顔を浮かべていたヴィオンは、他の護衛チームが船体周囲に展開を終えたとの通信を聞いて、長槍を肩に担ぎ直した。


「お嬢ここは任せる。本船の結界もあるしミッド達もいるから大丈夫だろ。俺は灯台岩の周辺をざっと見てくる。他の遭難者が近くにいるかも知れないからな」


 いつまでも危険な迷宮内で本船を停泊させているわけにはいかない。
 周囲を探索し他の遭難者を捜す事ができる時間は、ボイドの収容が終わり本船が動き出すまでのごく僅かしかない。


「ヴィオン。わりぃ。あの子の握っていた剣の本来の持ち主を見つけてやってくれ」


「気をつけて。難破した砂船が近くに有るかもしれないから、砂山の影とかも確認してみて。それと探しすぎ注意よ。ここから離れる前に光球を上空に上げて知らせるからすぐに戻ってきなさいよ」


 助けた少女がきつく握りしめていた柄は大剣の物だ。
 折れた刀身がどのくらいの大きさだったかも想像するのは容易い。
 常識で考えればそんな大剣をあんな小さな少女が使うわけもない。
 だとすれば本来の持ち主がいるはずだ。
 気を失っていても手放さないほどに強く握り締めているのだから、よほどの思い入れがあるのだろう。
 ひょっとしたら少女の肉親なのかも知れない。
 この常夜の砂漠を移動するなら、探索者ならともかく旅人が砂船を使うのが昨今の常識。
 おそらく事故か襲撃で砂船を放棄せざるえなかったのだろう。
 そして外見から見てもまだ10代前半。下手すれば一桁台の少女が歩ける距離などたかが知れている。
 セラの言うとおり、動けなくなった船が近くに有る可能性は高い。
 なぜ少女がたった一人で灯台に倒れていたのか疑問も残るが、探してみることは無駄ではないはずだ。


「おう。ざっと見てくる」


 左手をあげて二人達に答えると、凍てつく冷気で固まっていた背中の翼を一度動かし積もっていた砂を振り落とす。
 背中の翼へ魔力を込めてから軽く船体を蹴ると、翼の持つ魔術特性『浮遊』が発動し、ヴィオンの身体は音もなく宙に浮かんでいく。
 途中で先ほど回収されたばかりの少女を中心に人だかりができ、ざわめきが起きている搬入口の横を通り過ぎる。
 一瞬で通り過ぎた為に何を騒いでいたのかはよくは判らなかったが、あのざわめきはまさかあそこまで幼い子供だと思っていなかった事で起きたのだろうか。 

 
「驚いてるな。まだ小さな子だもんな……まずは、灯台岩の周りをぐるりと飛んでみるか」


 あっという間に本船の見張り台よりもさらに高い位置へと浮かび上がったヴィオンは、上空からざっと周囲を見回して探索範囲の見当をつける。
 ついで左手で魔術触媒である黒い小石を懐から取り出し、鋭く細い口笛のような短縮詠唱を鳴らす。
 左手の小石が砕け散って砂へと変わると同時に、ヴィオンの周囲で強い風が巻き起こりその背中を押し始めた。
 空中高速移動を可能とする高位魔術と違い、浮遊はただその場でぷかぷかと浮かび上がる事しかできない。
 だがこれに風系の魔術を組み合わせることで、自由自在にとまでは行かなくとも、帆に風を受けて奔る帆船のように動ける。
 魔術の組み合わせとしてはオーソドックスな合わせ技だ。
 もっとも異なる系統の魔術を同時に操るには、それなりの修練が必要となるので、そこそこに難度は高い。
 だがヴィオン達のような稀少特性、翼のある魔族や翼人達。翼その物が魔具のような種族は別だ。
 僅かな魔力を翼に通すだけで浮遊が発動させることが出来るので、比較的楽に空中移動を可能としていた。







 

「ちっ……砂に足を取られないのは良いがやっぱ見えづらいな。だからって光球をばらまくと余分な物も呼び寄せるかも知れねぇしな。灯台の灯りがあるのが唯一の救いか」


 空を飛びながらヴィオンは小さく舌を打つ。
 短時間で少しでも探せる範囲を広くする為には、なるべく高い位置を飛ぶしかないが、この暗がりの中で地上の痕跡を発見するのは容易ではない。
 それに北リトラセ砂漠のモンスターはその大半が地上や地下を住処とするが、空を活動の場とする物も僅かにいる。
 そして砂漠特有の起伏に富んだ地形は、幾つも大きな影を作り出し見通しを悪くしている。
 大型の砂船であれば発見も用意ではあるが、あの少女の乗っていた船が、小型であれば見落とす可能性は高い。
 灯台の設置された岩場を中心にしてゆっくりと飛び、上空からの襲撃を警戒しながら、灯台からの僅かな灯りを頼りにヴィオンは真っ暗な地上へと目をこらしていく。
 だが見通せる範囲内に動く人影や砂船らしき形を発見することが出来ない。
 なにも発見出来ないままヴィオンは灯台岩を半周して、本船が停泊している反対側へと出てしまう。
 残り半周でもなにも発見が出来なければもう少し範囲を広げてみるべきか?
 まだ本船が動き出すまでは時間はあるはずだ。
 
 
「まだ動き出してないよな…………ん。あれは?」

 
 セラからの合図が無いことを確認する為に振り返ろうとしたヴィオンは、違和感を覚えてその場で止まる。
 暗がりとなっていた為に判りづらいが、灯台岩から少し離れた結界を構成する為の子岩で何かが光っていた。
 何らかの手がかりになるかと、先ほどとは違う触媒を一つ取り出して、再度口笛のような短縮詠唱を唱える。
 ヴィオンが術で呼び出したのは小さな光球だ。
 それを何かが光った位置へと放り投げる。
 淡い光に浮かびあがったのは、白くぶよぶよしたミミズのような形の長い身体を持つモンスターだ。
 しかしその大きさはミミズなどとは比較にならない。


「ありゃサンドワームか?」


 ヴィオン達の乗る先守船すらも一飲みにする事が出来そうな巨大な口蓋に、巨木のような太い胴体。
 ここ北リトラセ砂漠特別区に君臨するサンドワームだ。
 だがこの大きさでも、これは幼生体に過ぎない。
 老体まで成長すれば街一つを飲み込んでしまうほどまでに巨大化し、大陸の地下に広がる迷宮を拡張、再建、改造していく代表的な迷宮モンスターになる。
 そんな巨大なサンドワームが、まるで昆虫採集された虫のように岩壁に縫い止められて息絶えていた。
 ヴィオンは下降して岩へと近付いてみる。
 サンドワームが縫い付けられた岩はよほど強い衝撃が加わったのか、全体に細かいヒビが入っている。
 ぐちゃぐちゃに砕けたサンドワームの頭部には折れた大剣が一本突き刺さったままで、さらには腹が切り開かれていた。
 刀身だけが残り、周囲には柄は姿形もない。
 その折れ口は先ほど助けた少女が強く握っていた柄の折れ口とそっくりだ。
 おそらく両者はピタリと合わさるだろう。
 そしてサンドワームの下には巨大な何かを引き摺ったような線が色濃く残っていた。
 その線を目で追ってみると、途中で途切れておりそこには何かを引き抜いたようなくぼみが出来ていた。
 状況から素直に予測すれば、強烈無比な突きでサンドワームの頭部を貫き、勢いそのままに砂地から引き抜いただけでは飽きたらず、そのままの勢いで壁に打ち付けた。
 

「……おいおい。どれだけ力任せだよ」


 思わず湧いた自らの想像に、呆れが混じった感想がヴィオンの口から思わず漏れる。
 さすがにそれは無茶すぎる。
 どれだけの力があれば、こんな芸当を可能とするのだろうか。 
 力業が得意なボイドでもこの足場が悪い砂漠において、能力開放状態は別としてもこれほどの膂力を発揮できるかは微妙だ。
 それ以前にこのサンドワーム相手に、近接戦で挑もうと思う事自体が間違いといって良いだろう。
 弾力性の高い肉体は生半可な斬撃を軽く受け止める。
 巨体にもかかわらず高い敏捷性と砂の下を自由に動ける特性。
 自然とこちらの攻撃機会は少なくなるサンドワーム相手の戦闘は距離をとりつつ、顔を出した所で遠距離攻撃がセオリー。
 そうでなければ逃げの一手がもっとも無難な選択肢になる。
 周囲には矢等の飛び道具や、魔術が使われた跡を見る事はできない。
 この剣士は近接戦闘で倒しきるのは難しいサンドワームを剣一本で倒しきったというのだろうか?
 
 
「と、感心してる場合じゃないな。まだ砂に跡が残ってるって事はこれやった奴が近くにいるか」


 どんな人物だろうかと想像を始めようとしていたヴィオンだったが、探索が先だと思考を打ち切る。
 リトラセ砂漠の砂は細かい。
 僅かな風でその形をすぐに変えてしまう砂漠に、ここまでくっきりと虫を引き抜いた跡が残っているということは、まだ戦闘が行われてからそう時間は経っていないはずだ。
 この周囲を地上から探した方が見つけやすいかも知れない。
 翼に込める魔力を減少させてヴィオンは一気に下降する。


 ――シャリ


 砂漠に降り立ったヴィオンの足下で軽い抵抗と共に、まるで冬場に霜を踏んだかのような音が一瞬だけ鳴り響く。
 違和感に膝を着いて足下の砂を掬ったヴィオンは、フードの奥で眉を顰める。
 本来はさらさらと手からこぼれ落ちるはずの砂が掴めてしまう。
 表面の僅か下。極浅い部分だけが、どうやら水分を含み凍りついているようだ。
 その上下は本来のさらさらとした砂地のままだ。
 二、三歩歩いてみると同じように軽い抵抗と共に氷を踏み抜く音が響く。


「なんでこんな所で……この辺り一面そうなのか」


 表面を普通の砂が覆っているので気づかなかったが、凍りついているのはヴィオンがたまたま降り立ったここだけではなさそうだ。
 新たに砂が覆っているということは戦闘が行われてからはそれなりに時間が経っているはずだ。


「跡が残っているのは時間が経ってないからじゃなくて、凍って形が崩れなかっただけ……っ!?」

 
 どうするべきかと考えていたヴィオンは氷が割れる僅かな音に気づく。
 本能がならす警鐘に従いヴィオンは、翼に魔力を込めて一気に空中に飛び上がる。
 ヴィオンの身体が地から離れたその刹那、先ほど立っていた場所が盛り上がり巨大な何かが姿を現した。
 光球の灯りにうっすらと浮かび上がったのは、白い頭部と固い岩盤を容易く砕くぶ厚く頑丈な放射状の歯。
 

「別口のサンドワームか!」


 崩れてた体勢を空中で直しながら、ヴィオンは右手で槍を握り左手を外套の中に突っ込む。
 砂漠を行き交う商船護衛で幾度も戦闘経験のあるサンドワームだ。
 次に何を繰り出してくるかなど予想するのは容易い。
 ヴィオンが取り出したのは鉄のような硬い鱗をもつ剣魚の牙。


「ファルンの牙よ! 壁となれ!」


 魔術触媒を左手に構えたヴィオンの口から簡易詠唱が放たれると同時に、サンドワームの口蓋から空中を飛ぶヴィオンに向かって圧縮された砂の固まりが撃ち出された。
 元が砂といえど硬く固められた硬度と勢いは、鉄の砲弾が飛んでくるのとさほど変わらない。
 まともに当たれば骨は砕け肉は引きちぎれる。
 しかしヴィオンの術発動が、ほんの一瞬勝る。
 間一髪ヴィオンの目の前に薄い白銀色の六角状の幕が広がって、寒気を覚える勢いで迫っていた砂弾を受け止めた。
 幕にぶち当たった砂弾は弾け飛びヴィオンの周囲に渦巻く風に乗って漂いはじめる
 。漂う砂は、外套から飛び出てむき出しになったヴィオンの翼にも纏わり付いてくる。
 砂弾を受け止めてみせたのは、ヴィオンが唱えた剣魚の牙を触媒として発動した魔術盾だ。
 魔力で作られた盾は打ち消し合う為に魔力攻撃には弱いが、物理攻撃に対しては極めて有効的な術。
 そしてサンドワームの砂弾は硬さと勢いは砂船の装甲版を貫くほど強力だが、魔力を持たない。
 サンドワームからの攻撃を受け止めつつ、長槍に風を纏わせた遠距離攻撃で仕留めるのがヴィオンのいつものやり方だ。


「なっ!?」


 だが今回は勝手が違った。
 砂弾を受け止めた魔術盾が魔力攻撃を受けかき消された時のように、音も無く消失していく。
 ヴィオンの顔と驚愕の色が浮かぶ。
 砂弾の一撃で魔術盾が消失したことなどこれまではなかった。
 狼狽しながらも、ヴィオンは状況を手早く判断する。
 術の詠唱に間違いはない。
 触媒も管理協会公認の工房で作られた高信頼度の物。
 術は完全に発動していた。
 そうなればサンドワームの吐き出した砂弾を疑うしかない。
 迷宮モンスターは常に同じ能力を持っているわけではない。
 個体が突然変異で特異能力を持つこともあれば、種族その物が進化しまったく違う特性を持つ事もざらにある。
 サンドワームが魔力を持つ攻撃を繰り出したとしてもおかしくない。
 明確な確信は持てないが、いつもとは違う相手の攻撃に策もなく挑もうと思うほど、ヴィオンは無謀ではない。
 だが逃げるわけにも行かない。
 攻撃の質も見極めないまま、このまま本船に戻る選択は有り得ないからだ。
 ヴィオンの作りだした魔術盾とは規模も出力も違うが、本船の防御結界も同様に魔力を用いた術。
 万が一だがかき消されないとも限らない。
 幸いサンドワームの敏捷性は、砂から飛び出てから砂弾を吐き出すまでの時間から見て、いつもとさほど変わらない。 
 ここは距離をとりながら砂弾を回避。
 サンドワームが何をしたのか見極めるべきだ。


「嫌な予感が当たりやがったか! っっておい!」


 背中の翼にさらに魔力を込めて高く飛び上がり距離をとろうとし、またも驚きの声をあげる事になった。
 翼に思うように魔力が込められない。
 ヴィオンにとって翼は生まれたときからある物。手足を動かすのと同じくらいの気安い感覚で魔力を通すなど造作もないはずだ。
 だが今は違う。魔力を送りこんでも翼に貯まっていかない。魔力が送れていないのではない。
 まるで穴の空いた桶に水を汲んでいるかのように、翼に留まるはずの魔力が外に抜けていく。
 
 
「ちっ! マジか!?」


 立て続けに想定外の事態が続きヴィオンは悪態を吐く。
 このままではすぐに魔力は尽き浮遊の効果は切れてしまう。力を失えばあとは地上に叩きつけられるだけ。
 いくら下が柔らかい砂地とはいえ、この高さから落ちたのではダメージは免れない。
 絶対的な有利である空中を即座に捨てる決断をしたヴィオンは地上にむけて一気に降下した。   



[22387] 剣士と薬師 ⑦
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/29 00:46
 二人目がつり上げられてすぐに搬入口の扉が閉められ凍てつく外気が遮断される。
 同時に操舵室に収容完了の連絡が伝わり、待機状態だった転血炉が出力を上げ始めて、再出航の準備が始められていく。
 このまま何事もなく無事に動き出せば良いのだがと皆が思う中、備え付けられた温度調整装置が冷え切った船倉に温かい風を送り始める。


「始めます」


 ぼんやりと光る解析用の魔法陣の上に、外套を身につけた少女が横たわったままの吊り上げ板が静かに置かれていた。
 薄汚れた外套を着込んだその身体は、まだ小さく幼い子供にしか見えない。
 その右手には不釣り合いな大きな折れた剣の柄。
 少女の意識はほとんど無いというのに、その手は柄をきつく握り大人の力でも引きはがすことができない。
 見た目からは想像できないほどの膂力を有しているのだろうか?
 剣を握ったままなので外套を脱がすことが出来ず、その上に毒を帯びているかも知れない少女の身体に迂闊に触れる事もできず、傷があるか確認する事も出来ず、とりあえずはこのまま診断するしかなかった。
 解析陣の前に立つルディアは指を一つ打ち鳴らす。
 大抵の魔術師は、魔術を操る際のキーワードとなる特定の簡易動作を持つ。
 ルディアのそれは、指を打ち鳴らす動作だ。
 魔法陣が淡く放つ光が一瞬だけ強まり、横たわっていた少女の身体が光に包まれた。
 解析の魔法陣は毒の有無や種別判断に用いられる低位の術。
 毒の反応があれば目に見える形として煙となり結果を示す。
 毒の強さは色と濃さで表される。弱ければ緑色。対象者に含まれる毒素が強まるほどに徐々に煙は色と濃度を増しつつ黄、赤へと変化し、致死量になれば黒へと変わる。
 解析陣が放つ光が収まると、少女の身体から、すぐに煙が浮かび上がってきた。
 煙は赤と黄の二種。ほぼ全身を覆っていた。
 赤くなっている部分は二カ所。一つは胸の上。胃の辺りだろうか。もう一カ所は左手。
 あとは煙が全く発生しない右腕を除いて、全身を同じ濃さの黄色の煙が覆っている


「…………」


 解析結果を見たルディアは無言のまま口元に手を当てて、僅かに眉を顰め困惑の色を浮かべる。
 このような不可思議な結果が出たのはこれが初めてだ。


「姉ちゃん。クソガキの状態はどうなんだ? そんなにまずいのか」


 黙り込んでしまったルディアの様子に、背後に立っていたマークスが不安を覚えたのか少女の安否を尋ねてくる。
 厳つい外見のわりにはマークスは人が良い部分があるのか、散々やり込められたクソガキと呼びながらも、その表情は少女の安否を心配しているのがよく判る。
 

「たぶん大丈夫……だと思います。毒が全身に廻ってはいますけど命に別状はないかと。ただ変なんです」


「変ってのは?」


「赤くなっている部分が毒の濃い場所。これが2カ所です。左手と胸の部分。ここから体内に毒が回ったっていうなら濃いのも判るんですけど、他の部分が均一すぎるんです。通常なら血液の流れに沿って広がっていくから、接触部分から離れれば徐々に薄くなっていくはずです……それに右腕だけまったく毒に犯されてないってのが」


 どうにも不気味な予感をルディアは感じ取る。
 ほぼ全身に毒が広がっているが、その所為で毒素は各臓器に致命的な症状を与える致死量には到らない程度に薄まっている。
 そして右腕だけは麻痺性の毒の影響を一切受けず、剣を強く握れる状態を辛うじて維持している。
 ルディアの知る毒物知識の常識では考えられない少女の状態。
 未知の毒物とは思いにくい。
 誰かが人為的にこの状態を作り出したと判断するのが妥当だろうか。
 誰かがこの少女に治癒を施したのか……それとも。
 しかしいくら思考しても、ルディアにとって未知の答えが得られるわけではない。
 仮説を立てるのが精々だ。
 それよりも今は優先すべき事がある。


「とにかく治癒を先に行います。毒の特定をします」


 口元に当てていた手を離してルディアが再度指を打ち鳴らすと、今度は魔法陣が激しい勢いで点滅を繰り返していく。
 既存の毒物であればさほど時間もおかず魔法陣が特定し、未知の毒物であっても類似した物を提示してくる。
 後は解析結果に合わせて解毒薬を製作すればいい。
 ルディアの師であれば、一瞬で特定し治癒も同時に行う高位解毒魔法陣を製作できるのだが、独り立ちしたとはいえルディアもまだ新米薬師でしかなかった。


「毒が大サソリの物ならすぐに血清を打ちます。他でも低度な毒物なら薬は調合できます。私の手に余る物でなければ良いんですけど……クライシスさんでしたっけ? この子の身体のどこに触れたか覚えていますか。触れた部分が強く痺れるとかあれば」


 特定が出来るまでは僅かだが時間は空く。
 今のうちにもう一人の患者の状態も把握しておくべきだろうと、少女の後に引き上げられた護衛の探索者へとルディアは目をむける。


「触った場所か……呼吸を確かめる為に触った顔だな。剣をはがそうとした右手と、脈を診た左手は素手で触ったな。後は肩に担ぎ上げた時の腹の部分やらいろいろだ。正直どこって聞かれても答えようがねぇ。俺の痺れの方は末端の四肢だ。無理すりゃ動けるけど力が入らない感じだ」


 自分は症状は軽いから後で良いと断っていたボイド・クライシスは横になったまますぐに答える。
 こちらは少女とは違い意識もはっきりしており受け答えも普通にできる。
 

「何か変な所とかありました?」


「変といってもな……そういや顔なんかは氷みたいに冷たくなっていたのに、脈を確かめた左手だけは妙に温かったか。汗ばんでいるみたいに少しだけ濡れていた」

   
 反応が濃くなっている部分である左手がおかしかったと聞き、何気なく少女の左手に目をむけたルディアはすぐに違和感に気づく。
 先ほどよりも左手の煙の色が赤黒くなっている気がしたのだ。
 少女の左手へ目をこらししばらく観察した結果、それは気のせいではないとルディアはすぐに結論づける。
 ルディアが観察している間も、その左手から浮き上がる煙はけばけばしい赤から黒みをました不気味な色へと目に見えて変化していく。


「毒が強まっている……わけじゃなさそうね」


 船倉内が暖まってきたことで毒が活性化したかと一瞬疑ったルディアだったが、すぐにそれを否定する。
 左手の煙が色を増すに従い、全身を覆う黄色い煙が僅かずつだが薄くなり始めている。
 それだけではない薄目の防寒用手袋で覆われた左手が水に濡れたかのようにうっすらと滲み、青白かった顔には血色が戻り始め、苦しげだった呼吸も安定していく。
 少女の変化にルディアの周囲で経過を見守っていたファンリア商隊の者達も気づきざわつき始める。
 何が起きているのかは判らずとも、ルディアの表情や雰囲気から通常では有り得ないことが起きている事に気づいたのだろう。


「お嬢さん……こいつは?」


 ファンリアの声にも不審げな成分が強く混ざる。
 ルディアはまだ治癒を施していないというのに、少女の顔色や呼吸から見ても、どう見ても急速に回復し始めているようにしか見えない。
 

「仮定なんですけど……この子自身が毒を左手から無理矢理体外に排出しているとしか」


 ルディアは少女の左手を指さす。
 左手を覆う手袋は表面から水滴が滴り落ちるほどに濡れ始めていた。
 全身に回っていた毒を左手へと集中させ、一気に排出し始めているとしか見えないのだ。
 

「はぁっ!? そんな事出来るのか?」


「おいおい。ってことは左手のそれは毒かい?」


 自信なさげにルディアが答えると、ファンリアやマークス達が唖然とした表情を浮かべる。
 身体を活性化させて毒を体外に排出する。それ自体は不可能ではない。ルディアも知識として知っている。
 だがそれほどの高度な肉体操作を行える者は極限られている。
 竜種などの上位怪物種。
 もしくは肉体操作に特化した力である所謂闘気を操れる者。
 それもよほどの熟練者が使う高位技法しか思いつかない。
 そんな事を人間種にしか見えず、まだ幼いといえる少女が行えるのだろうか。
 しかも意識がほぼ無い状態でだ。
 ルディアの理性はそれに否と即答で返してくる。
 それがルディアの知る常識。薬師としての当たり前の世界というものだ。
 だがそのような当たり前の常識をあざ笑うかのように、少女の身体からは現実に急速に毒が抜けていた。


「……結果が出ました。やはり大サソリの毒みたいです」


 驚愕を覚えている間も解析を続けていた魔法陣が、結果を知らせる浮かびあがらせた。
 その結果は予想通り砂漠に生息する大サソリの毒もしくは類似した毒素。
 これならば砂船に備え付けの血清で十分事足りるだろう。


「強制毒排出か。何者だこのお嬢ちゃん。まさか上級探索者か?」


 探索者であるボイドは技のことを知っているのか、他に比べて多少驚きの色は少ない。
 最高位の探索者。上級探索者。
 数多の迷宮を踏破し、神の恩恵『天恵』を幾つも得た彼等は超常の力を有すると同時に、不老長寿の存在となる。
 中には見た目が20代でありながらも、既に数百年近く生きている人間種も存在するという。
 見た目が幼く見えるだけで、この少女もその一人なのだろうかとボイドは疑問を口にする。


「否それはないだろうよ。こんだけ見た目の若い上級探索者がいれば存在が広まってるはずだ。だが眉唾な与太話以外じゃ俺も聞いたことがねぇな……少なくとも普通じゃないのは間違いないがね」


 だがファンリアがすぐに否定する。
 見た目が子供の上級探索者。
 これほど特異な探索者がいれば、交易商人として大陸中の情報を集めているファンリアの耳に入ってこないはずがない。


「私もファンリアさんと同意見です。私は上級探索者を直接は知りませんが、師から大サソリ程度の毒ならば、上級探索者と呼ばれる者達は無効化、吸収するのが当たり前と聞いています。この子の場合一応は影響を受けているようですから……正直黙って見ていた方が良いのか、血清を打った方が良いのかも判りません」


 普通の者であれば大サソリの毒は命に関わるほどだろうが、探索者達は違う。
 その身に宿した天恵が、彼等の基礎能力を底上げし通常では有り得ないほど強靱な肉体を作り上げる。
 現にボイドが良い例だろう。
 おそらく彼も少女を通して大サソリの毒に蝕まれているはずだが、受け答えが出来る程度の影響しか受けていない。
 一方で少女は意識をほぼ失っている。
 毒の量が多いのかも知れないが、それでもただの大サソリの毒だ。
 噂に聞く上級探索者と考えるのは難しい。
 しかし少女が一体何者かと問われたとしても、答えは浮かんでこない。
 ルディアにとって未知の存在としか言うしかなかった。
 判断が付かずルディアは口元に手を当て思わず爪を噛む。
 悪癖だとは判っているが、どうにも行き詰まった時に出るルディアの癖だった。 

 
「何者かは後で確認するとしてだお嬢さん。こちらのお嬢ちゃんの意識はすぐに戻りそうなのかい?」


 考えあぐねているルディアの様子を見かねたのか、ファンリアが助け船を出してくる。


「確約は出来ませんけどたぶんす……」


 ――バンッ! 


 ファンリアの問いかけに答えようとしたルディアの言葉は、突如響いた破砕音、次いで起きた砂船全体を揺らす震動で遮られる。
 急な震動にバランスを崩したルディアはたたらを踏み、長身痩躯が祟りそのまま強く尻餅を打つことになる。
 

「っぅ……今度は何?! くっ!?」


 痛む尾てい骨を擦りながらルディアは身を起こそうとしてまたも響く振動に転びそうになり慌てて膝をつく。
 破砕音は連続して鳴り響き船全体を揺らしつづけ、立ち上がることもままならない。
  
 
「船長! 何があった!?」


 続く震動の中を踏ん張って堪えていたファンリアが、震動が一瞬だけでも収まったとみるや老体とは思えない機敏な動きで伝声管へと飛びつく。


『サンドワームの砂弾です! 防御結界で防いでいますが、着弾箇所から出力が急激に低下して結界が相次いで消失! 直撃を受けています! 護衛探索者にガードさせていますが砂弾の数が多く手一杯です!』


『……転血炉……最大まで……結界維持を最優先! ……』


 早口で答える船長の声に混じり、機関士とおぼしき船員の怒鳴り声が聞こえてくる。
 切羽詰まった声が事態の緊急性を嫌が上でも認識させる。


「結界消失っておい! 大丈夫なのか?」


「親父! ここもやばいんじゃないか! 搬入口だから装甲が薄いぞ!」


 元中級迷宮用拠点船である砂船の防御結界は、特別区においては破格とも言える防御力を有している。
 その事はこの貨客船を馴染みの船としてよく利用するファンリア商隊の者達もよく知ることだ。
 現に今までは襲撃があったとしても船体が直接被害を受けたことは皆無だ。
 だがそれは防御結界があってのこと。素の装甲は最新型に比べて弱く、さらに搬入口がある分防御能力が弱い。
 不測の事態に動揺が広まりかけた中、鋭い声が響く。
  
 
「落ち着け!」


 声の主はファンリアだ。
 普段の飄々とした老商人としての表情は消え失せて、幾多の修羅場を抜けてきた交易商人としての一面が顔を覗かせる。


「船長! 俺等が直衛に出るから、護衛の探索者達は迎撃に出してくれ! 若い連中は女子供を船体中央に避難させろ! クマ! 目眩ましでも威嚇武器でもいいから在庫から引っ張り出してこい! サンドワームを追い払うぞ!」


 矢継ぎ早にファンリアが指示を下すと、浮き足立っていた者達の動揺が一気に収まった。
 ファンリアが商隊長としてどれほど信頼されているのかよく判る光景だ。
 次いでファンリアは未だ座り込んだままのルディアへと目をむける。


「お嬢さんはボイドの兄さんの毒を抜いてくれ! その兄さんは強いんでな! 出てくれればなんとでもなる! ……それとも腰が抜けてるなら手を貸すがね」


 にやりと笑う顔には動揺の色は微塵の欠片もなく、絶対に何とかなると雄弁に物語っている。
 ならばルディアとていつまでも動揺して倒れ込んでいるわけにもいかない。
 戦闘は向いていないが自分にやれることをやるだけだ。
 ルディアは倒れ込んだときについた埃を払いながら立ち上がると鞄を手に取り、
 
 
「大丈夫です。怪我人が出たらあたしの所に。医者のまねごとくらいなら……」


 ――ヴォゴッ! 


 薬師として簡易治療ぐらいは出来るとルディアが答えようとした瞬間、それまでで最大の破壊音が響き渡る。
 一瞬遅れて強烈な衝撃と震動が船倉を襲いルディアは再び床に打ち付けられていた。











 気がつくとルディアの目の前には真っ暗になった船倉の床があった。

 
「……っ……っぅ……」


 倒れ込んだとき打った側頭部がズキズキと痛むが、身体の方は軽い痛みがあるだけで折れたような感じは無い。。
 痛む側頭部を抑えながらルディアは身を起こし周囲を見渡してみる。
搬入口には大穴が空き、冷たい外気が吹き込んでいた。どうやら運悪く搬入口に直撃を受けて装甲が抜けたようだ。
 先ほどまで船倉を煌々と照らしていた光球が消滅していたため、光源は破壊された搬入口から差し込む灯台からの微かな淡い明かりのみで視界は酷く悪くなっていた。
 ひっきりなしに続く破砕音は未だに鳴り響き、止むこと無き振動が船体を揺すっている。


「……っ……」


 さほど離れていない位置から人の呻き声が聞こえてきた。
 

「だ、大丈夫ですか!?」
  

「……な、なんとかな……姉ちゃんの方は大丈夫か? 


 ルディアの問いかけに答えたのはマークスだ。
 暗くて姿はよく見えないが彼も倒れ込んでいるようだ。


「口を開くと砂が入って来やがるな……ち、直撃……でもうふぇふぁのふぁ」
 
 
 ルディアの問いかけに最初は普通に答えていた、マークスだが急に呂律が回らなくなってしまった。


「ちょ、ちょっとマークスさんどうしたんですか? 大丈夫なんですか?!」


「…………」


 ルディアは再度声をかけてみるがマークスからは明朗な返事が返ってこない。
 ただ言葉にもならない呻き声が返ってくるだけだ。
 致命傷でも負っていたのか?
 不安を覚えたルディアがそちらに何とか這いずり寄ろうとした所で、


「ん。心配いらないだろう。サンドワームの砂弾だ。奴等の砂弾にはサソリの毒が混じってるみたいで触れてるだけで毒が回ってくる。周囲に飛散しているから吸い混んだのだろうな。私は慣れたからこれくらいなら大丈夫だが」


 暗闇の中で傲岸不遜な幼い声が明朗に響き渡った。


「サンドワームめ。せっかく温まってきたというのに穴を開けて冷気が入り込んで来るじゃないか。まったく迷惑な奴等だ」

 
 不機嫌そうなその声は、この異常事態に対してもまるで近所の野良犬が五月蠅いという世間話をしているかのように軽い。
 急な声に驚き振り返ったルディアの目の前で、誰かが立ち上がる。
 船体の穴から入り込む僅かな光に浮かび上がるその影は随分小柄だ。


「他に倒れているのは……14人か結構いるな。ん……そう言えばお前は大丈夫そうだな。お前も私と同じで毒物に耐性があるのか?」


 声の主は夜目が利くのか、この暗闇の中でも倉庫の中が見えているようだ。
 倒れている人数を確認してから、ルディアへと振り返り無邪気な声で不思議そうに尋ねてくる。
 

「わ、私は薬師だから。多少は毒物耐性があるのよ」


 相次ぐ非常事態に神経が麻痺していたのか、それとも何処か人を従わせるような響きを持った声に牽かれたのか、ルディアは我知らず自然と答えていた。


「おぉ! そうなのか。うん、やはり私は運が良い。ならここは任せるぞ。サソリ由来の麻痺性の毒だから抜いてやってくれ。状況はよく判らないが、どうやら私を助けてくれたようだしな。お礼だ。この迷惑な虫の相手は私がしてやろう」


 何処か嬉しそうで勝ち気な声が返ってくる。
 今の答えに何を喜び運が良かったと言える要素があったのか、答えたルディアにすらよくわからない。
 どうにもマイペースな相手にルディアは言葉を無くす。
 現実感がないと言えば良いのだろうか。
 声の主が誰であるのか?
 ルディアも理解はしている。
 だがそれを認めるのは、今までの常識を全て覆す事に他ならず、理性が拒否していた。
 なぜならその相手は、つい先ほどまで毒物に侵されて、意識を失っていたはずなのだから。


「と、次が来るな。おい。頭を下げていろ。天井方向に流すが剣が短くなっているので、方向が逸れるかも知れん」


 だがそんなルディアの常識を無視した影は手早く告げ、小さな音を立てながら床を鋭く蹴った。
 ルディアの目では残像を追うのがやっとの高速の踏み込み。
 一気に最高速へと躍り出た影がさっと右手を振るう。
 まるで吸い込まれるかのように、その右手に向かい船体の穴から何かが飛びこんでくる。
 
  
――シャァツ! ダン!


 金属をすりあわせたかのような音が響き、穴から飛びこんできた物体が逸らされて天井にぶち当たり衝撃音が響いたか。
 次いでルディアの頭上からバラバラと砂の固まりが降り注いでくる。 
 一体今何が起きたのかルディアには理解できない。
 その右手に握られていたのは到底剣と呼ぶことも出来ない柄だけの代物のはずだ。
 どうやってそんなガラクタで高速で飛んできた砂弾を先読みして防げるというのだ?


「あぅ……すまん。人のいない方にやるつもりだったんだが狙いが逸れた。刀身がもう少し残っていれば上手く流せたんだがな。む。仕方ない。後でちゃんと謝るから許せ」


 だが影にとっては、それは当然のことなのだろうか。
 むしろもっと上手くできるはずだと、むぅと不機嫌なうなり声をあげてからルディアに軽く頭を下げる。
 
 
「あぁそれと後1つ。こいつ等はサンドワームの変種のようで少し違う。私が知っている特性を他の者にも伝えておきたいのだが、指揮所は上で良いのか?」


「……え、えぇ」


 頭を上げた影はあくまでもマイペースを貫き、おそらく操舵室のことを尋ねてきた。
 茫然自失となっていたルディアは言葉なく頷くのが精一杯だ。


「判った。じゃあここは任せたぞ。ふむ。助けられた礼での戦闘か。良いな。私好みだ!」


 だがそんなルディアの様子を気にも止めていないのか、影は何処か楽しげに答えると、大きく破砕した穴から外へと飛び出ていった。



[22387] 剣士と薬師 ⑧
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/29 01:23
「左舷上甲板光球2,7、10消失! 船尾防御結界六番耐久値急速低下! 駄目ですこのままでは結界の維持ができません! 再展開を準備しますか!?」


 船体各部の結界展開状態を表示する水晶球には、次々と消失や耐久値の低下を知らせる文字が浮かんでいく。
 魔力発生機関『転血炉』の出力調整と、炉から船体各部に設置された魔法陣への魔力供給分配を担当する若い船員は青ざめた顔を浮かべていた。
 この船の防御結界は蓄積型防御結界。
 常時炉から魔力を供給し続け展開させる直結型防御結界と比べ、即時展開が可能な上、大型で強固な結界を形成するメリットがある。
 しかしその反面、直結型と違い減少した耐久値を回復することは出来ず、消失後に再展開する必要があった。
 通常戦闘であれば先に展開した防御結界が消失する前に、次の結界用魔力充填が終わっているが今回は異常な勢いで耐久値が削られていくために充填が追いついていなかった。
   

「再展開はせずギリギリまで持たせて下さい」


 慌てふためく部下を前に、船長は内心の焦りを押し殺す。
 とにかく今は消失した光球や結界を再展開する魔力さえもおしい。 
 サンドワームが打ち込んでくる砂弾の数が増す事に、船体各部の防御結界の出力が低下し、光球が消え失せていく。
 こんな事は船長の経験の中でも初めてのことだ。
 サンドワームの砂弾はあくまでも砂を高圧縮しただけの物理的な攻撃。
 防御結界に著しくダメージを与えたり、発動している魔術を打ち消す力など無いはずだ。
 だが今現実にそれが起きている。
 あり得ないことであろうとも起きているのなら、それは現実のこと。
 それに見合った対応をしなければ死ぬだけだ。


「機関部、客室周辺の結界維持を最優先。残りは浮上推進用魔力蓄積に」


 元々余剰出力が有るこの船だからこそ耐え切れているが、並の砂船であったらとっくに魔力を消費し尽くして結界を失っている所だ。
 しかし、余裕があるわけではない。 
 不規則に現れて砂弾を打ち出し再度潜行し、離れた場所で浮上しては、また砂弾を撃ってくるサンドワーム達に護衛の探索者達も苦戦している。
 この状況下で最も有効な手はこの場の離脱だろう。
 砂船の最大速度であればサンドワームを引きはがすことは不可能ではない。
 それは船長もよく判ってはいる。
 だがそうしようにも結界維持に魔力を持っていかれすぎて、結界を展開しながらサンドワームを引きはがす距離分だけの船を動かす推進用魔力蓄積もままならない。
 船体の直衛についている護衛探索者2パーティとセラが結界の穴を埋め、辛うじて致命的な一撃は防いでいるが、それもいつまで持つか。
 攻撃に転じるにはせめてもう一人。
 倒れたボイドか周辺探索に出たヴィオンが戻ってくれば……


「ボイド君と先代達に連絡はまだ付かないでしょうか? 再度呼びかけて下さい」


 特にボイドは探索者にとって最大の切り札『神印宝物』を所持している。
 採算が合わなくなるが逆転は容易い。
 そしてボイドがまだ回復していなくとも、修羅場になれたファンリアが率いる商隊の者達が直衛に出てくれれば、今は砂船を守っている探索者達もある程度は動けるようになる。
 しかしつい先ほど下部倉庫がある辺りに直撃弾が被弾してから、彼等との連絡が途絶えたまま 何度呼びかけても返答は返ってこない。
 今の状況では安否を確認しに、人を出している余裕さえ無い。

 

「駄目です! 返答がありません!」 


「ヴィオン君との連絡は?」

  
「通信魔具はまだ使用不能です!」


 砂弾の影響を受けているのは、結界や光球だけではない。
 護衛の探索者達からも魔術が上手く発動しない。
 効果がすぐに切れるなどの異常報告があがり、それどころか船内にある魔具すらも軒並み使用不能や不調になっている。
 もしこの影響が、高度な魔導工学の産物であり船の命綱である転血炉にまで及んだら……   


『船長やばい! 船尾に出たサンドワームの動きが変わった。腹が膨らんでやがる! でかいの撃ってくる気だぞ! くそっ! 右舷前方、左舷側面それぞれにも同時出現!』


 激しい攻撃の中で果敢にも見張り台の上で報告を続ける船員が、悲鳴混じりの声をあげる。
 サンドワームの主な攻撃は二種類。
 人の頭大の物を1回に複数飛ばしてくる散弾状の砂弾。
 もう一つは体内にはち切れんばかりの砂を溜め込んでから行う『砂獄』と呼ばれる範囲攻撃だ。
 大量の砂を広範囲に高速で吹きつける砂獄は、鋼鉄の装甲板すらも一瞬で削りきるほどの威力を持つが、普段ならそれほど恐ろしい物ではない。
 準備動作から攻撃してくるまでに若干の時間がある事と、魔術防御結界さえ万全であれば防ぐのは容易いからだ。
 だが船尾側の防御結界が消失した今の状態で直撃を受ければ、致命的な攻撃になりかねない。
 ましてやこれにも魔術に対する影響効果が伴っていれば……

 ――しかし同時にこれは好機でもある。

 サンドワームは巨体に合わないその素早さで、こちらの反撃が始まる前にぶ厚い砂の下に潜り込むヒットアンドアウェイを繰り返していた。
 だが大技を繰り出そうとするサンドワームは今地表にその姿を現し留まっている。
 おそらく同時に現れた二匹は牽制役なのだろう。
 だが虫たちの思惑に乗るつもりは船長にはない。
 前方には転血炉があるが、防御結界もまだ健在なうえ、そちらの防御は他よりも優先しているために再展開用の魔力も貯まっている。 


「左舷砂弾をセラ嬢防御! A、Cパーティ!後方のサンドワームに集中攻撃! 砂獄を撃つ前に落とせ!」


 ここが勝負所。あえて重要な前方を捨て死中に活を求める。
 決断した船長は鼓舞の意味も含めた鋭い指示の声をあげた。











 普段は相手が部下だろうが子供だろうが馬鹿丁寧が特徴の船長が珍しく強めた声が、伝声管越しに上甲板に響き渡る。
 不規則に打ち込まれる砂弾を金属盾や魔術盾で防ぎながら奮戦していた探索者達は、その指示に一斉に動き出す。
 

「あぁ! もう! なんであたしばかり貧乏くじ?!」


 仲間が一斉に船尾側へ向かって砂船を飛び出ていくのとは逆に、セラは泣き言を漏らしつつも左舷側面へと走る。
 探索者の本領は集団戦。人の力を大きく超えた迷宮の怪物種に対するにはチームワークだ。
 その点から考えればメンバーが揃った他の二パーティと違い、セラの所属パーティは一人は倒れ、もう一人は捜索から未だ戻らずで万全とは言い難い状態。
 居残りで防御は仕方ないかも知れないが、ただ一人で責任重大な役割を任されたのでは思わず愚痴がこぼれるのは仕方ないだろう。 
 船体周囲を照らし出す光球は所々消滅しているが、まだ辛うじて左舷側は見通しがきく。
 身体半分を砂漠から覗かせていたサンドワームが己の身体を振り回しつつ、砂弾を口蓋よりばらまきながら撃ち出す。 
 暗闇の中、高速で飛来する砂弾は十以上。
 セラは外套を跳ね上げて、内側にある隠しポケットに右手を突っ込み、触媒処理を施された剣魚ファルンの牙をがばっと掴む。
 大盤振る舞いは非常に胃が痛む思いだがあの数だ仕方ないと、豆を巻くように放り投げて左の杖を構える。


「ファルンの牙達よ! 我が身に降りかかる災厄を防ぐ壁と成れ!」


 セラの詠唱に答えて六角状の白銀色の幕『ファルンの盾』が船体側面に幾つも展開される。
 パーティメンバーのヴィオンならば飛んでくる砂弾の弾道予測をして最低限の数で防御を張る事もできるが、セラにはそんな器用な真似は出来ない。
 攻撃方向に向けてそちらを広く防ぐように張るしかない。
 幸いファルンの牙は魔術触媒としてはそう高い物ではないが、どうにも貧乏性のあるセラは臍を噛むような顔を浮かべた。 
 

――ゴッ! ガゴッ! 


 次々飛来する砂弾を魔術盾が受け止め船体への被害を防ぐ。
 だがその代償と言うべきなのだろうか、展開した魔術盾は砂弾が命中した所だけでなくその周辺までが一気に消滅していく。
 本来ならサンドワームの砂弾攻撃であれば『ファルンの盾』は一枚で十発程度は受け止める事ができる。しかし今は一発防ぐのが精々だ。


「うぅぅ……もったいない……もったいない」


 炸裂した砂弾から飛散した砂埃が舞う中、セラは破れかけた防御帯の内側にさらにもう一度牙をばらまき防御帯を手早く作成して右舷船首側を振りかえる。
 サンドワームの攻撃は両面と後方から。後方は仲間達に任せれば大丈夫だとしても、右舷には誰もいない。
 右舷前方はまだ船の防御結界があるが、破られればその分だけ再展開するために魔力を使い離脱が遅れる。
 金銭的余裕はともかく、時間ならばまだ余裕はある。
 最初の数発は無理だとしても、いくらかは防げるはずだ。
 セラが右舷側に向かって走ろうとしたその時、何者かが船外から跳び上がってきた。
 
 

 



 
 
  






 垂直に近い船壁を少女は僅かな凹凸を足がかりに一気に高く跳び、甲板を超えた高さまで到達すると周囲をぐるりと見渡す。
 自分が居たのはどうやら砂船。
 それも中型と呼ばれるそこそこ大きな物のようだ。
 出現しているサンドワームは3匹。
 船尾側に大技を放とうとする1匹。
 少女が跳び上がってきた右舷の前方と左舷側面に各一匹ずつ。
 左舷は防御帯が出来ている。甲板にいる魔術師が作成した物だろうか?
 後方の砂漠には大技の発動体勢を取るサンドワームへと駆ける複数の人影が見える。
 装備やその機敏な動きから見るに探索者達で間違いない。
 左舷、後方共に自分がやれることはない。
 なら自分の役割は右舷の攻撃を防ぐこと。
 周囲の状況を確認した少女は音もなく甲板に着地し、迫る砂弾に目をむける。
 前方から迫る砂弾は14発。
 防御結界が展開されているが、耐久値が減少しているのか破られてはいないが、所どころ薄くなっている。
 飛来する砂弾の方向と速度から弾道を予測する。
 目測と経験から各防御結界の予想耐久値を割り出す。
 両者の位置関係から着弾予測地点を算出し、戦闘経験からしる通常とは違う砂弾の『特性』を考慮し危険度を設定。
 戦いの気配に体内を駆け巡る血は熱く鼓動し、目覚めたばかりの少女の思考を加速させていく。
 砂時計の粒が一粒落ちるまでにも満たない僅かな時間で瞬く間に、戦闘状況の把握と予測を終わらせ最善の行動を決定させる。


「はっ!」


 甲板を蹴り轟音を奏でながら迫り来る砂弾へと向かって、少女は自ら防御結界の外へと飛び出す。
 身体を左に捻り右腕を巻きつけるようにして左腰脇に構える。
 狙うべきは結界の薄い箇所へと飛びこんでくる砂弾が二つ。
 右腕に力を込め狙いを定め呼気を鎮め期を計る。


「せぃ!」


 剣線上に二つの砂弾が到達した刹那、少女は裂帛の気合いとともに右手に闘気を込め剣を振る。
 少女の武器である折れたバスタードソードに残る刃は拳一つ分ほど。
 大半の者がほぼ根元しかない剣をみれば、それはもはやただの鉄屑だと思うだろう。
 だが少女には違う。
 少女にとって柄があり、刃が僅かでも残っているのであればそれは紛れもなく剣である。
 そして少女は己を剣士だと自負し、己の剣技に誇りを持ち旅をしていた。
 剣を握っているのなら、剣士である自分は戦える。
 そして必ず勝つという確固たる信念と共に。


――シャァァッ!


 高圧縮され激しく回転しながら飛ぶ砂弾を受け止めた幅広となった剣の腹と、砂弾が擦れ合い火花が飛び散る。
 良品の素材から作られて頑丈ではあるが、ただの鋼鉄の刀身は粗い砥石のようにざらつく砂弾によって削られていく。
 だがこれこそが少女の狙い。
 刃が削られていく際の僅かな抵抗で砂弾を刃で『掴んだ』少女は手首を微かに返す。
 少女の動きに合わせて砂弾の進行方向がずれた。
 剣から通して伝わる感触で砂弾の軌道がずれたことを悟った少女は、刃から『放し』、剣をさらに振り上げた。
 延長線にあるもう一つの砂弾を同じ要領でまたも『掴み』、その方向をずらす。


――シャリン!


 鈴の音のような高い金属音が鳴り響き、結界を消失させるはずであった二つの砂弾は少女の剣に流され上向きに軌道がずれた。
 少女の思わく通り、弱体化した結界へと直撃するはずだった砂弾は、船体を掠めつつも甲板の上を飛び越えていった。。
 一方少女は剣を振るった際の反動と流した砂弾の勢いに合わせて、胸につくほどに膝を抱え丸くなると、そのまま後方に一回転し、音もなく先ほど飛び上がった甲板に着地をして見せた。 
 

――ゴッ! ガゴッ! バンっ!


 残った砂弾が少女の眼前で次々に防御結界へと着弾していく。
 砂弾が砕け散る事に目に見えて薄くなっていく防御結界。
 いつ破れるか判らないと恐怖を覚えそうな物だが、絶対に大丈夫だという確信を持つ少女は微動だにせずその光景を見つめながら、柄を握る右手にぎゅっと力を込める。  


「むぅ。まだまだだな……精進しないと」


 少女の心には怒りが浮かんでいた。
 一振りで直接防げる砂弾はどう足掻いても今の二つが限度。
 右手に構える剣が本来の長さであっても三つ。
 自ら封じている本来の剣術技を持ってしても五は超えない。
 己の未熟に少女は自分自身への怒りを覚える。
 少女の頭脳では、今飛んできた14の攻撃を全て凌ぐ術は思いついてはいた。
 だが思いついてもそれを可能とするだけの肉体能力を未だ得ていない。
 どれだけ早く状況を判断し取るべき行動を模索することが出来る頭脳があっても、肉体が追いつかなくては意味が無い。
 この程度の攻撃を処理できないのは恥だ。
 自分に剣を教えてくれた人ならばその一振りで全てをたたき落とすことも、打ち手にそのままはじき返すことも自由自在に行える。
 少女が知り、目指し、そして超えようという高みは果てしなく遠く困難な道。
 だが己なら駆け抜けることが出来ると少女は自信を持っている。
 そして、その目標すらも今は少女にとって手段でしかない。
 少女の心にあるのは大願。
 迷宮に挑む探索者となり、上級迷宮に眠る宝物を手に入れ、今の自分を消す。
 それも数年のうちにだ。
 その為には常に自分を戦場に置き成長を続けていくしかない。
 だからこそ闘いは少女にとって望むべき物だ。


「……ん?」


 ほんの一瞬だけ自らの思考に埋まりかけた少女だったが、弾け飛んだ砂弾から散った砂に混じる苦みの混じった香りに気づき空中に左手を伸ばす。  
 飛散していた砂をつかみ取った少女は、砂の中にサソリの毒が混じっている可能性がありながらも、躊躇うこともなく舌を伸ばしてぺろと舐める。
 ざらざらとした砂には微かに甘酸っぱい酸味と先ほど嗅いだ苦みが入り交じっていた。
 先ほどの下の倉庫らしき場所で嗅いだ匂いや味と少し違う物だ。


「ふむ……この匂いと味は間違いないな。やはり変種という奴だな」


 自分の予想通りだったことに満足げに頷いた少女はくるりと後ろを振り返る。
 そこには杖を構え右手を振り上げたまま呆然と固まっているセラがいた。












「ふむ。指揮所に向かって伝えるつもりだったのだが、お前で良いだろう。指揮官に伝えてくれ」


 いきなり甲板上へと現れた少女は何とも傲慢な口調でセラに話しかけてくる。
 まだ子供としか思えない小さな身体とやけに薄汚れた外套。
 そして右手には刃元から折れた大剣をしっかりと握っている。
 それはセラ達が灯台で倒れていた所を助け出した少女の姿その物だ。
 しかし意識がないときは、多少生意気そうではあったが外見相応に幼く何処か弱々しく感じたのだが、起きている今はまるで違う。
 別人といってもいいほどに、生命力に満ちあふれ何とも力強く、そして得体の知れない化け物じみた雰囲気を醸し出していた。
 今の砂弾を弾き飛ばした動きなどセラから見ても、兄であり優秀な探索者だと心の底では慕っているボイドと同等か、それ以上の動きだ。


「あっ……っぇ? ……はぃ?!」


 予想外すぎる人物の登場とその力にセラは口をぱくぱくとさせて唖然とする。
 さっきまで半死半生だったんじゃ?
 どうやってここまで上がってきた?
 それよりも今何をした?
 聞きたいことや確認したいことが多すぎて、何を尋ねればいいのか判らず思考が停止していた。


「今襲ってきているサンドワームの砂弾なんだが、匂いや味を見れば判るがリドの葉やカイラスの実が混じっている。この二つの植物には魔力吸収特性があるのは知っているな。その所為で魔力が吸収されて魔術が発動しなかったり、すぐに消えるようだ。防御結界や魔具も不調になっているはずだ」


 だがそんなセラの状態に気づいていないのか、それともまったく気にしていないのか。
 少女はいきなりそんな事を言い出すと一つ頷き、次いで防御結界を指さす。


「だから至近で防いでいても炸裂した砂弾から、魔力吸収特性のある砂がまき散らされて防御陣をやられている。砂弾を撃たせないように攻勢を強めた上で、風系で舞い積もってきた砂を吹き飛ばすか、もしくは水系の術で砂を洗い流させろ。もちろんそちらの術も影響を受けるが幸い精錬前のリドやカイラスの魔力吸収性は低い。すぐに飽和状態になるから問題なしだ。ただ砂弾が追加されると意味がない。から早急にサンドワームを倒す必要性がある」


 管理協会が開く初心者探索者向けの戦闘教練所の教官のようなやけに偉そうな口調で、少女は現状を一気にまくし立て始める。


「しかしこの所為で魔力の低い即効魔術は打ち消される。どうやら前衛がいないようだし魔術師のお前ではきついだろうから、私があそこの一匹は相手をしてやる。後ろの奴はあちらにいる探索者達で十分だろう。残った一匹は早い者勝ちだ。では、以上のことを指揮官に伝えろ……ふむ。立て直すつもりか。そうはさせるか」


 一方的に告げた少女は潜行を始めたサンドワームをみると、そのままそこから飛び降りようとしていた。
 しかし一方的に捲し立てられたセラとしてはたまった物ではない。
 少女の話は魔術系の不調となっているこの状況に合点がいく物であるが、それでも訳の分からない事が多すぎる。
 なんでこの少女がそんな事を知っているのか?
 相手するとはまさか本当に一人で闘うつもりなのか?
 少女が口を開く事にセラの困惑は強まるばかりだ。
  

「ち、ちょっと、まった! まった! へっ?! 何!? どういう事!?」
 

「む。なんだ。今は機敏に動くときだぞ。話があるなら後で聞いてやる」


 セラが慌てて少女を呼び止めると、少女が不機嫌そうに頬を膨らませながら振り返り、少し吊り気味の勝ち気そうな目でセラをみる。
 その姿はとっとと行かせろと雄弁に語っている

 
「あーもう! なんて言ったらいいのか! とりあえず危ないから止めなさい! 魔術が効きにくい相手だからって言っても何とか闘えるから!」


「そうは言うがこの状況なら、おそらくお前より私の方が上手く戦えるぞ」


 なんとか引き留めようとするセラだが少女の方は聞く耳を持たない。
 しかもセラをかなり見くびっている発言を吐き出す。
 自分の方が強いとでも言いたげなわけが判らない少女に対し、セラはつい声を荒げ、


「はぁ!? どういう意味よ!?」


「ん。私は魔力変換障害者……つまり生命力を魔力に変換できないから魔術の類を一切仕えない体質だ。だから魔力吸収してくる相手だろうが普段と変わらない実力を出せるぞ。それにだ……」


 セラの怒鳴り声に対して少女は涼しい顔で答えると右手を突き出す。
 その手に握られるのはほぼ柄のみが残った折れた大剣。
 とても武器とは呼べないはずだ。
 だが剣を握る少女が醸し出す力強さに、セラは我知らず畏怖し一歩後ずさってしまう。
 
 
「私は剣士だ。剣をこの手に握る以上私は戦えるし戦う。そして勝つ。ふむ納得したな。では私はいくぞ」


 絶対的な自信を秘めた獰猛な笑みを浮かべながら少女は宣言すると、一人で満足したように頷き小さな足音だけを残して甲板から飛び降りた。 
 会話にならない会話を一方的に打ち切られた形のセラが、しばし唖然としてしまったのは致し方ないだろう。


「い、意味がわから……ってあぁぁ! 早! もうなんなのよあの子! リドの葉云々は嘘じゃないだろうけどなんなの!?」

 
 はっと我を取り戻したときにはもう後の祭り。
 慌てて下を覗いてみると暗闇の砂漠の中を、足を取られる砂の上だというの獣じみた速度で一直線に突き進む少女の姿が見えた。
 今から追いかけてもセラの足では到底追いつかない。
 とにかく今はまず少女のもたらした情報だけでも操舵室へ伝えようと、セラは慌てて近くの伝声管に飛びつく。


「船長! 船長! 聞こえる!? なんか訳けが判らないのが出てきたんだけど!」


 だが少女の言動に困惑されていたセラは、何から説明すればいいのかよく判っていなかった。



[22387] 剣士と薬師 ⑨
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 19:31
 賽子が転がる。
 賽子の内側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。






 レイドラ山脈緑迷宮『氷結牢』サブクエスト『聖剣ラフォスの使い手』
 次期メイン討伐クエスト『赤龍』
 両クエスト最重要因子遭遇戦開始。
 戦闘能力差許容範囲内。
 両因子特異生存保護指定解除。
 システム『蠱毒』発動。



 

 
 










 少女と砂虫の戦いの場は砂船が停泊する位置から、灯台を廻るように北東へと移動しながら激しさを増していた。
 砂船の方へ行かせず、自らが灯台を背にせずに。
 常に位置関係に気をつけながら、砂漠を潜行するサンドワームが地上へと発する僅かな気配を辿り追いかける。
 移動、浮上、攻撃、潜行しまた移動をする。一定の距離を保ち続けようとするサンドワームとの戦いで、元々ボロボロだった少女の外套はさらに破損している。
 着弾と共に爆発した砂弾の爆風で弾け飛んだ刃物のような砂の粒によって、その右袖は千切れ、フードは切り裂かれその幼い顔が露わとなっている。
 だが間一髪爆風を躱した少女本人が負った傷らしい傷は頬に鋭く走った切り傷程度。未だ戦闘に支障が出るほどのダメージを負ってはいない。

 
「!」


 少女の前方70ケーラ(メートル)ほどの所で砂漠が盛り上がり、砂の海を割ってサンドワームが浮上してくる。
 仄かな灯台の灯りの元、太く長いミミズのような姿を露わとしたサンドワームは地面すれすれで大きく頭を振り勢いをつけると、その口から大量の砂弾を発射した。
 鋭い音を奏でながら高速で撃ち出された砂弾は幅30ケーラほどの範囲に濃密な弾幕を形成し少女に迫る。
 今から横に移動して回避しようとしてもその範囲から逃げることは難しい……なら受け流すのみ。
 直撃するであろう砂弾の弾道を少女は瞬く間に予測すると一瞬で立ち止まり右半身に構える。

  
――ジャ! ジャャ! ジャッ!


 少女が逆袈裟に跳ね上げたナイフよりもさらに短くなったバスタードソードの刀身が、火花を散らしながらも見事に砂弾を逸らす。
 だがこの攻撃を少女が躱すことをサンドワームは予測していたのか既に次の攻撃動作に移っている。
 少女を足止めする事が目的だったのだろう。
 胴体をしならせてその頭部を天へと向かって高々と振り上げたサンドワームの口から今度は赤色で染まった砂弾が六つ撃ち出される。 
異なる二つの動作から発射された砂弾は、地面に対して平行に飛んできた高速弾とちがい緩やかな山なりの弾道を描く。


「ふん。それは既に見たぞ」 


 先ほど手傷を負わされた攻撃に対し、少女の理性は全力で後ろに下がれと警告する。
 だが敵との距離が離れているというのに、後方へ退き逃げるのは少女の流儀ではない。あくまでも前に進み己が間合いに入れと本能が訴える。
 少し吊り気味な勝ち気な目を輝かせた少女は足下の砂を蹴って前方に二歩、三歩と駆け出す。
 頭上から落ちてくる前に駆け抜けようというのだろうか…………だが砂漠の上でも俊足を誇る少女の足でも数歩届かない。
 暗闇の中を山なりの放物線描いた赤色の砂弾が少女の行き先を防ぐ形で幾つも降り注ぐ。
 赤い砂弾は火龍薬と呼ばれる強い衝撃を加えると爆発する魔法薬が混じっており、炸裂音と共に特徴的な刺激臭を放ちながら弾け飛び、巨大な砂煙を巻き起こしつつ無数の砂の粒を高速で弾き飛ばす。
 ただの砂一粒と侮ることは出来ない。
 細かな粒子の砂は爆発の威力も相まって鋭利な刃と変わらない凶器へと変貌している。
 先ほどは通常の砂弾に混じっていた一発で少女が僅かながらも手傷を負わされていた。
 それが今度は六つだ。単純に計算は出来ないが辛うじて躱せた先ほどよりも威力は桁違いに跳ね上がっているだろう。
 
 だが……それがどうした。
 一度見た攻撃が私が躱せないと思うか。

 口元に自負から生まれる笑みを浮かべる少女は、膝を鎮め体勢を低くしながら足下めがけて右腕を一閃させる。
 鋭く力強い剣の一振りは砂の大地を細く深く切り裂く。
 剣を振った勢いのまま少女が転がるように自ら切り開いた穴へと飛びこむと同時に、刃混じりの砂煙がその上を通過していった。
 砂煙が頭上を通り過ぎるやいなや少女は埋まった穴の中から力ずくで這い出し、そのまま右前方へと転がる。
 次の瞬間、少女が這い出した穴に三角錐状に鋭く尖った虹色に淡く輝く小さな砂弾が高速で次々に撃ち込まれ、砂漠に小さな穴を穿った。
 間一髪で攻撃を躱した少女は安堵の息を漏らす暇もなく即座に跳ね起きると身を震わせ纏わり付いた砂を振り払って再度前に向かって突き進む。
 火龍薬を含んだ炸裂弾。
 高速で飛び砂を穿った小さな砂弾は軽量硬質で知られるインディア砂鉄独特の輝く虹色をしていた。
 これに通常の砂弾攻撃に加えてサソリの毒を持つ毒弾。そしてリドの葉やカイラスの実の特性が混じる魔力吸収弾。
 砂漠越えの前に事前に仕入れた知識にはないサンドワームの攻撃能力。
 しかし予想外の攻撃にも少女は動じることなく、何とか防御したり回避しながら、その能力を推測し続けていた。
 サソリの毒は別として、前者二つは自然には存在せず人の手によって調合される物質だ。
 リドやカイラスの魔力吸収植物はこの砂漠には自生していない。
 ここまでヒントが出そろえば結論は自ずと出てくる。。
 サンドワームは食べた物を砂弾として撃ち出している。しかも特性を残したままで。 
 おそらく砂漠を行き交う交易船を襲って積み荷を喰らいその身に取り込みでもしたのだろう。
 サンドワームが放つ種類豊富な遠距離攻撃は、未だ未熟な少女には確かに脅威だ。
 それでも前に進む。
 なぜならば少女の行動は、常に決まっているからだ。
 相手が誰であろうが、どのような攻撃をしてこようが、いつも変わらない。
 遠方から放たれる攻撃を躱し防ぎ相手の懐へと飛びこみ斬る。それだけだ。
 今まで歩んできた道も、これから歩む道も何も変わらない。
 何も悩む必要もない。
 悩めるほどの手も昔ならいざ知らず今の少女にはない。
 少女が唯一無二とする戦闘距離は、息づかいが混じり肌が触れ合うほどの近距離。
 己の間合いへと、極近接戦闘圏へと接近するために、少女は前へ前へと突き進む。
    

――ザザザッ!


 ひたすらに猛進してくる少女に対し、サンドワームですら恐怖を感じたのだろうか? 
 それともこのままでは埒があかないと覚悟を決めたのだろうか。
 先ほどまでなら一連の攻撃を防がれると仕切り直しとばかりに砂の中へと潜行して距離を取っていたサンドワームの動きがここに来て変わる。
 その太く長い胴体を砂の上に完全に出現させると、蛇のようにくねりながら逆に少女に向かって突進を開始した。
 大サソリすらも軽く一飲みに出来るサンドワームの巨大な口蓋の中では放射状に連なる牙がガツガツと音を立てて蠢く。 
 あの歯にかかれば少女の小さな肉体など、あっという間にかみ砕かれ細切れのミンチにされてしまうだろう。
 しかし少女はサンドワームの突進を前にして口元に不敵な笑みを浮かべ息を小さく吸い、望む所と、と言わんばかりに体を前に倒し極端な前傾姿勢となる。


 丹田に意識を集中。
 生命力を闘気へと変換。
 渦を巻く闘気を足へと流し、一部を膝に留め、残りを足裏へ。


「勝負!」


 滾る声と共に溜め込んだ闘気を砂地へと打ち込み加速の力へと少女は変える。
 響く足音。一瞬遅れて踏み台とされた砂が後方へと吹き飛んでいく。
 たった数歩で最高速へと加速した少女と、その巨体に似合わぬ速さで迫る巨大なサンドワーム。
 40ケーラほどだった両者の距離は瞬く間に縮まっていく。
 サンドワームの口蓋がさらに大きく開き勢いのままに少女を丸呑みにしようし……空を切った。
 小さな影がサンドワームの頭上を越えていく。
 突進の勢いのまま空中へと跳び上がった少女は空中で身体を捻り横倒しになった体勢へとなる。
 日に当たらないために不気味な白さを持つサンドワームの無防備な胴体が眼前を駆け抜けていく。
 少女は右腕を鋭く振った。
 だがまるでぶ厚いハムの固まりに指を押し当てたような感触に、少女の刃はあっけなくはじき返される。
 肉を切り裂くどころか、皮一枚を削ぐことすらも出来ない。


「ちっ! ダメか!」


 攻撃を弾かれたことで乱れた体勢を四肢を使って立て直した少女は、砂漠へと長い足跡を残しながらも何とか着地し、


「っ!」


 悪寒を感じとっさに左横へと倒れるような角度で跳ぶ。


――ブンッ!


 サンドワームの尾が巨人族の振るう棍棒の一撃のような恐ろしい勢いで少女の体を掠めて通り過ぎる。


「やるな!」


 まともに受けていれば吹き飛ばされた上に全身の骨が砕かれていただろう攻撃に対しても、少女は楽しげに嗤う。
 それは子供が遊びを楽しむようなあどけない笑いではない。
 致命的な一撃を避けたことを喜ぶ安堵の顔でもない。
 身を守る鎧はなく、不十分な体勢からでは折れた剣では僅かなダメージを与える事もできない。
 だがそれでも少女は嗤う。
 少女の本能は気づいている。
 そして……おそらくサンドワームも。
 自分達の間には食うか食われるかの決着しかないということを。
 少女が浮かべる笑みは己が存在理由を賭けた全身全霊の戦いに、心からの愉悦を覚える戦闘狂が浮かべる狂った笑みだった。
 

 
 


 
  







  





 ちょっと短いですがキリがいいのでこれで。
 最初に意味不明な中二成分たっぷりな文章が出ていますが、それは後々。
 とりあえず今回の戦闘は退却不可能なボス戦だと思っていただければ……両者ともに。
 あと世界観の風味付け程度の単位換算表を乗せておきます。

稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。



単位換算表

 単位(単位上がり    現実換算) 


 尺貫法 現実と変わらず。

 1寸 (1/10尺)
 1尺 (基本単位       0,303m)
 1丈 (10尺         3,03m)
 1間 ( 6尺        1,818m)
 1町 (60間=360尺  109,09m)
 1里 (36町        3,927㎞)



 神木法 国際単位

 1ケール     (基本単位     10㎝)
 1ケーラ     (10ケール     1m)
 1ケールネアス  (1000ケーラ 1㎞)

 工房単位

 1レド    (基本単位     0,08㎝)
 1レラ    (1000レド   83.3㎝)



重さ


 神木法 国際単位

 1レィト    (基本単位       100g)
 1レィラ    (10レィト      1kg)
 1レィトネアス (1000レィラ  1メガグラム)

 工房単位

 1ラグ    (基本単位        0.08g)
 1ラグラ   (1000ラグ      83.8g)
 1ラズ    (1000ラグラ     83.8㎏)



 オリジナル世界における単位の使用設定

尺貫法 
 
 暗黒時代の最初期に滅びた東方王国で用いられた独自の度量衡。
 東方王国崩壊後。神の怒りに触れた国としてその文化、風習が悪徳とされ、忌み嫌われた時期があり廃れている。
 今現在は東方王国時代の宝物、特に刀剣の長さや重さを表す程度にしか使用されていない。
 東方文化の復権や見直しをする動きがあり多少は復活しているが、僅かな痕跡だけを残し壊滅したので正確な情報や資料はあまり残っていない。
 上級探索者には東方王国出身者もいるが、彼らのほとんどはその時代のことには口を噤んでいる。
 

 神木法

 神木法における単位の設定
   
 神木法の元となったのは神卸しの木『ケレイネアス』と呼ばれる林檎の木。
 神が降臨した時のみを花を咲かし実をつける林檎の木は、一年中雪で閉ざされた極寒の地であろうが、年間で片手の指で数えられるほどしか雨が降らない砂漠であろうが、根を生やし成長する。  
 普段この樹木の花弁は固く閉じられている。
 だが依り代たるこの木に神が降臨すると石のような蕾が開き、宝石のように光り輝く10色の花びらで構成された花が一斉に咲き乱れる。
 神が去ると花は散り黄金色の林檎が実る。
 林檎は全て同一の形状と質量を持ちこの法則は木が異なっても変わらない。
 その特性が利用されて基準単位として用いられるようになり、今では各国で共通単位として用いられている。
 一般的に用いられ日常生活に深く根付いている。
 ただし海上において用いられるのは別の単位となる。


 工房単位
 
 細かな尺度を持つ単位系であり、その元は太古のドワーフ職人達が制定したとされる。
 その由来もあり緻密かつ精密な作業を必要とする彫金や鍛冶、また薬剤調合を行う工房で用いられている。



[22387] 剣士と薬師 ⑩
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/02/04 12:00
 先ほどまで散発的に聞こえていた船の防御結界が砂弾を受け止めた衝突音は形を潜め、変わって渦を巻く風の音が響く。
 風を起こしているのは船の直衛に残っていた魔術師のセラだ。
 彼女が魔術で周囲の大気を操り空気中に漂ったままだったり、船体各部に積もっていた砂を、セラがつむじ風で集めては次々に遠くへと吹き飛ばしていた。
 だがセラの使うのもまた魔術。
 砂を集めている最中も砂に含まれるリドやカイラスなど魔力吸収性植物の影響でつむじ風はどんどん弱くなっていきすぐ消え失せてしまい、何度も術をやり直す羽目になっている。
 もっとも友人、知人。はては家族にすら貧乏性と断言されるセラにとっては、次々と消費する魔術触媒を失う方が痛手のようだ。
 うかない顔で『もったいない。もったいない……』と、まるで呪詛のような呟きを繰り返している。
 

「……ちっ。早いな。気配がどんどん離れていきやがる」


 砂漠の闇を見据え遠方から響く音で気配を感じ取っていたボイドは、愚痴をこぼす妹を横目でちらりと睨みつけてから舌を打つ。
 襲撃をかけてきたサンドワームは全部で三体。
 大技を繰り出そうとしていたサンドワームの一匹は既に同ギルドの別探索者パーティが仕留め、二匹目への攻撃を始めている。
 そちらは順調その物だが、問題は三匹目。そしてボイド達が助けた少女だ。
 セラの話では本船から少女が飛び出して両者が戦闘状態に入った直後からどんどん船から遠ざかっていったそうだ。
 ボイドが甲板に上がって来たときにはその姿は視認が出来る範囲に既に無く、辛うじて気配を感じ取れるくらいに離れ、こうしている今もどんどん遠ざかっている。
 血清の効果で動けるほどには回復してきたが、麻痺の影響で四肢に上手く闘気を伝達できない今のボイドではこの距離を移動するには時間がかかりすぎる。
 切り札である『神印開放』を使い、”本来”の下級探索者としての力を使えば、この程度の麻痺は即時無効化できるが、ボイドの所有する『宝物』で神印開放を出来る時間は精々三〇秒足らず。
 サンドワームとの戦闘を考えればぎりぎりまで近付いてからでないと使えない。
 だがそんな事はボイドも判っており対策済みだ。
 砂漠を移動するための足は元々ある。
 後の問題は乗り手だけだったがそれも何とかなった。
 今は乗り手と少女へ届ける”物”が来るのを待ちながら、戦闘地点の予測をしていたのだが、どうにも妹の様子が気になっていた。
 

「さっきからうるせぇな。少しは黙って仕事しろ」


「うぅ。兄貴にはわかんないの。今日消費した分の触媒を買い直したら杖が新調できる位の出費なんだから……
想像したら気持ち悪くなってきた」


「あのなぁ、触媒代はどうせ必要経費で落とすんだから気にせずばっと使え」

 
 改めて消費量を金銭換算したのか、ますます青ざめた顔を浮かべる妹の様子にボイドは溜息を吐く。
 魔術師の場合はとにかく金がかかる。
 術を使う際に速効性と正確性を考えるなら触媒を使うのが一番だが、ほとんどの触媒は使い捨ての品。
 種類によって値段はピンキリではあるが、それでも安いという物ではない。
 杖にしても探索者に成り立ての初心者が使う物でも、護符宝石やら魔術刻印を刻んだり等で手間がかりそれなりに値が張る。
 だから魔術師が金に五月蠅くなるのも判らなくはない。
 そしてセラの場合は日常生活はケチだと断言できるほどの貧乏性ではあるが、自分や仲間の命がかかっている武器防具や触媒に関しては逆に値が張る良品にこだわる所がある。
 そのセラが杖相当というのなら結構な金額の触媒を使ったことは間違いないのだろう。
 だがボイド達は所属する護衛ギルドからの依頼でこの貨客船に乗っている。
 当然この触媒も必要経費として計上できるはずだ。ならそこまで気にしなくても良いとボイドは思うのだが、


「………………」


 ボイドの苦言にセラは黙りこくっていた。しかもこの寒さの中でもなぜかだらだらと冷や汗めいた物をかいている。
 あまりにも分かり易すぎる不審な態度にボイドは非常に嫌な予感を覚える。


「おい…………愚妹。お前まさかと思うが、取り分を増やすために経費保証契約を外したとか言わないだろうな」


 ギルドからの紹介仕事には幾つか条件やオプションがあり、仕事の難易度や自分達の懐事情によって探索者側で指定することが出来る。
 探索者側の取り分は一割と少ないが、損害補償、経費保証、必要装備支給及び私有装備整備保証。怪我死亡時の見舞金付与といった全ての責任をギルド側が負うローリスクローリターンな契約。
 紹介料だけ抜き、残り依頼料は全部探索者側に。ただし何らかの人的、物的損害が出た場合は探索者側が賠償。
 しかも被害の度合いによっては、ギルドの信頼を損なった懲罰としての多額の罰金や資格停止、剥奪なども有りうるハイリスクハイリターンな契約といった具合だ。
 ボイド達の今回の契約はパーティ単位ではなく個人契約にし、依頼料から紹介料と損害補償、経費保証を引き、オプションで迷宮内での戦闘回数による報酬アップを選択している。
 これは平均的な契約で、取り分は探索者に四割、ギルド側に六割。
 戦闘が多ければ取り分は最大で六:四へと変化する……ボイドが三人分をまとめて契約した初期状態のままならばだが。


「あはははっ……うん。止めたら七割もらえるからこの前外しちゃった。ほら特別区で出てくるモンスターは普通なら弱いし、兄貴もヴィオンもいるから出番が無かったし」


 口調は軽いがどうしようとセラは半泣き顔を浮かべている。
 小型船の行方不明は増加していたが、中型以上の砂船は特に問題は起きていなかった。
 特にこの船の場合は防御がしっかりしていたので、襲撃されても速度を上げて振り切ってお終い。
 先守船で先行探索しているときも操舵士のセラは船を操るのに専念している。
 もっぱら戦闘は主にボイドでヴィオンがフォローという構成で、あまりセラが戦闘に出張ることはない。
 たまにちょっとした術を使うが、それでも使う触媒は微々たる物。
 契約変更した方が断然お得と兄に黙ってセラが変えたのは、今回の護衛依頼を受ける直前。
 それが変種のサンドワームが出てきたことで今までの状況が一変し、契約変更がいきなり裏目に出るなどとはセラも予想していなかったのだろう。
 
  
「一応交渉はしてやるが期待するな……男だったらぶん殴ってる所だ。おかしいぞおまえ。いつもならもうちっと緊張感あるだろ」


 頭痛がしてきたこめかみをボイドは押さえるが、先ほどからの妹の態度にどうにも違和感を感じる。
 セラは確かに貧乏性ではあるが、今のような切迫した状況下であればもう少し抑えているはずだ。
 所が今はどうにも緊張感が欠けているというか、少し様子が変だ。少女のことを心配する様子もあまり見られない。


「あのさぁ。兄貴……あの子を助けに行くの止めたら? たぶん大丈夫だと思う……それになんか変だよあの子。あんまり関わり合いにならないほうが良い気がするんだけど」

 
 疑問を浮かべるボイドの視線に気づいたのか、セラが僅かに不安げな様子を浮かべながら告げた。
 








 
 
 


「なんでこんな多いのよ……しかも一般仕様じゃなくて改変型」


 ぶつぶつと口中で文句を漏らしながらも、狭い通路の壁に背を預けたルディアは左手に持つ先守船のマニュアルに目を通して頬を引きつらせる。
 魔法陣の記述式自体はオーソドックスな浮遊術式を改変した物だ。それが四つ船底に設置されている。
 改変魔法陣の操作自体は問題無いが、難問は魔法陣四つそれぞれの出力や角度を変更して行う船の操舵だ。
 改変型術式はルディアが読み取った通りならば、高出力状態では爆発的な加速を得ることができるが、低出力になると途端に浮遊の力が不安定になり挙動が怪しくなる。
 ピーキー仕様に正直言って真っ直ぐ走らせる事ができるかどうかも、ルディア本人としても疑わしい。


「絶対まずいってのになんで引き受けたんだろ。あたし」


 本来の操舵士であるはずの魔術師達は、それぞれがサンドワームとの戦闘やら船に積もった砂の除去で手は空かず、一人で闘っているであろう少女の元まで今は行くことが出来ない。
 麻痺で倒れていたファンリア商隊の者達も常備している血清を打ってある。ほとんどの者はさすがにまだ動けないが大事はない。
 この状況でルディアにやれるのは、かすり傷を負った者の治療くらいだが。それならいくらでも変わりはいる。
 手の空いている魔術師はルディア一人。
 少女へと渡す荷物と護衛の探索者を一人乗せて戦闘地点まで送り届けるだけで戦闘に加わるわけではない。
 操縦は厄介ではあるが他に代わりがいないのでは仕方ないと、いつものルディアなら二つ返事で引き受けていただろう。
 だが今回はルディアの本能は関わるな。関わり合いにならない方が良いと、引き受けた今になっても訴えている。
 魔術師、魔力を多く持つ者の勘とは時に予知に似た精度を持つ。
 これは魔力が己の外側。他者や世界を知り働きかける力だからとも言われているが、未だ明確な答えはない。
 ただ魔術師が嫌な勘を覚えるときは、碌な事がないというのは確かな話だ。
 
  
「ったく……」


 右親指の爪を苛立ち混じりに噛む。
 結局の所、ルディアが嫌な予感を覚えるのも、その勘を押し殺して操舵を引き受けたのもあの少女が原因だ。
 魔術師としての勘が少女は異常だ並の者ではないと訴える。
 だがあの少女が目を覚ましたときに最初にみせた剣技……あれはルディアを助ける為の物だった。
 あの時飛び込んできた砂弾の先にはルディアがいた。
 茫然自失として腰を落としていたルディアは避けることが出来ずに直撃を受けて、簡単に命を落としていた。
 思いだすと背筋がぞくっと震えルディアは背を竦める。
  
 
「無事なんでしょうね」


 助けられた恩は返す。
 嫌な勘を覚えながらもそれでも引き受けたのはそんな簡単な理由だった。
 一通り目を通したルディアが再度見直そうとした時に、正面の小型船倉の扉が開かれた。


「わりぃ。姉ちゃん待たせたな」


 中から出てきたのは武器商人のマークスだ。
 麻痺の影響が残り若干ふらつき気味な大男は長く幅広い品物を抱えている。丈夫そうな布で幾重にも包まれたその形状は大剣の形をしていた。
 元から狭い小型船倉に荷物が詰め込まれていた所に、先ほど解析魔法陣を作るために荷物をこちらにも移していたために倉庫の中はギュウギュウ詰めとなっていた。
 そんな所に大柄なマークスと痩せ形ではあるが長身なルディアの二人が入って品探しをするのは難しい。
 結局麻痺の影響はあるが取ってくる品が判るマークスだけが船倉へと入り、その間にルディアは先守船の操縦を極々簡易にではあるが覚えていた。
 

「悪いがこいつをあのクソガキに届けてやってくれ。散々虚仮にしてくれたあのガキに対する俺の意趣返しだ。使えるもんなら使ってみろってな」


 頬に残る獣爪の傷跡を歪ませながらにやりと笑うとマークスは扉へと身体を預けて座り込んでしまう。
 まだ麻痺が完全に抜けていないのに気力だけで立っていたのだろう。 


「大丈夫ですか?」


 ルディアは助け起こそうと手を伸ばすが、その手を拒むようにマークスは剣をルディアに差し出す。
 こっちは気にせず早く届けてやってくれとその目は訴えている。
 目に宿る力は強い。
 これなら大丈夫だろうとルディアは無言で頷き、剣に手を伸ばしてそして目を驚きで見開く。


「……何これ」


 目算でも長さはルディアの半分ちょっと1ケーラはあるだろう。横幅も握り拳二つ分ほど厚さもそれなりにある。
 剣と言うからには金属、もしくはそれに準じる硬度と質量を併せ持つ存在のはずだ。この大きさならルディアが持ち上げるのも一苦労するほどの質量を持つはずだ。
 だが渡された剣は軽い。軽すぎる。中身は空ではないのかと思えるほどだ
 ルディアは包み布に指を触れてみる。
 力など込めていないのにたったそれだけで包み布の中身は柳の枝のようにしなった。
驚き顔のまま包み布をずらすと鈍く光る金属が顔を覗かせる。
 確かに刀身は実在しているようだがどうにも現実味が薄い品だ。


「驚いただろ。そいつは通称『羽根の剣』。見た目は金属剣だって言うのに、通常状態だと鳥の羽一枚分の重さ。折れはしないが簡単に曲がる上に柔らかな弾力があって切ろうとしても相手に当たった刀が跳ね返ってくるって巫山戯た奇剣だ」

 
 とても剣を説明しているとは思えない言葉が並ぶがマークスの顔は真剣だ。
 冗談でも巫山戯ているわけでもない。大事な説明だと肌で感じたルディアは驚きを覚えながら黙って続きを聞く。 


「いろいろと転々としてきたみたいで出所も不明なんだが、俺の勘じゃドワーフたちの総本山エーグフォランで作られた試作品じゃないかと思う。下手すりゃ七工房のどれかが関わっているかも知れねぇな」


 金属合成、加工においてドワーフたちに並ぶ者はこの世界にいない。
 出所不明、製作法不明な金属製品が出てきたのならば、ドワーフたちの手による物と考えてまず間違いはない。
 そしてそのドワーフたちの地底王国エーグフォランと王国直下の七つの工房は、その中でも群を抜いた知名度と常軌を逸した技術力で知られている。
 中には戦闘中のモンスター相手に金属片を打ち込みハンマーで形成して、特性を残したまま生体金属の剣や鎧に変えてしまうと伝説が残るほどの名工達すらも存在する。
 

「ただこいつは失敗品だ。これを作った奴、もしくは考えた奴はまったく使い手の事なんて考えちゃいねぇ。ただ作りたいから作ったのが伝わってくる使い物にならない剣だ。だがあのクソガキならこいつを使えるはずだ。小生意気って言葉も裸足で逃げ出すほど傲岸不遜な奴だが……」
 
 
『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』

 最後に少女が残した言葉をマークスは思いだしていた。
 高速で迫る砂弾に一瞬の判断で剣を合わせ弾くなど、平凡な才しか持たない剣士や、ましてや年端もいかぬ子供に出来る技ではない。
 肉体を操る能力『闘気』に長けてこそあの神業は成立する。
 
 
「ありゃ天才だ。なら闘気剣であるこのじゃじゃ馬を、あのクソガキなら上手く操ってみせるだろうさ」


 天才に合わせた剣を武器屋として見繕ってやる。
 少女を捜し出して武器屋としての誇りと矜持を賭けた一品を突きつけてやろうと決めていたマークスは忌々しげな表情ながらも口元にはにやりとした笑みを覗かせていた。


















 次のタイトルは弱肉強食②で行く予定です。 
 剣の性能やらは次話で軽く書けたらと。
 後2話くらいで砂漠を抜けて次の短編的な地方都市話の予定です。
 そこで探索者についての基本設定をやれたらと思っております
 まぁその前に今回の剣の考案者側サイドでも入れようかとも考えておりますが。

 稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。



[22387] 弱肉強食②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/30 00:15
 じっと一カ所に留まっていると砂に沈み込む。
 少女は深い砂に足を取られないように、サンドワームを見据えながらじりじりと円を描くように動く。
 一方でサンドワームは蛇のように鎌首を持ち上げて、口内に広がる放射状に生えた牙を蠢かせ威嚇しながら少女を追う。
 地中を住処とするサンドワームには目はない。
 その代わりに嗅覚に優れ、また獲物の熱を感知する能力を持つ。
 この極寒かつ暗黒に染まる常夜の砂漠において、サンドワームの有する索敵能力は優れた物だ。
 少女が隙を狙おうとしても、易々と不意をつける物ではない。
 動かない両者の間に一瞬の静寂が訪れ……


――キュウ……


 不意になった小さな異音で破られる。
 異音を合図にサンドワームが持ち上げていた首を一気に振り下ろすが、そんな大振りな攻撃を少女が見逃すわけもない。
 横に跳びながら牙を交し、ついでとばかりに剣をサンドワームの頭部へと叩きつけた。
 だがあっさりと剣は弾き返される。
 しかしそれは予想の範囲内。
 少女は一足飛びの距離を取り、どうすれば致命的攻撃を加えることが出来るだろうと模索する。
 首を戻したサンドワームもまた威嚇しながら少女の出方をうかがう。


――キュゥゥ……


 またも異音が響いた。
 音は少女にとっての隙ではないと学習したのか、サンドワームは今度は仕掛けては来なかった。。


「…………むぅ。お腹すいた」


 小さく鳴るのは少女の胃だ。
 先ほどまではまだ余裕があったが、いまは空腹を訴えはじめていた。
 年端もいかない少女の化け物じみた戦闘能力を支えるのは、肉体強化の力『闘気』。
 そして闘気とは全ての生き物が持つ力『生命力』を変換して作り出す。
 少女にとって空腹は即ち生命力の低下と同義である。
 戦闘力を維持できるのもあと少しだ。
 休憩場所としていた灯台からも大分離れてしまい、月の無い夜空と変わらない程度の微かな灯りの中では、何とかサンドワームの影から一挙手一投足を見いだすのも、きつくなってきた。
 これ以上の長期戦は不利になるばかり。
 状況判断から、自らが動くべきだと判断した少女はにらみ合いを止めると、砂を蹴って一気にサンドワームへと肉薄する。
 少女の突撃に対しサンドワームが頭を振り下ろす。
 鼻先を轟音を纏ったサンドワームの頭部が掠め、硬い岩盤を砕く牙が外套の裾を切り裂く。
 サンドワームの攻撃は、どれ一つとってもまともに食らえば全てが致命傷となる一撃となる。
 だが少女はあえて真正面から踏み込んでいく。


――躱す。躱す。躱す。斬る。


 左に、右に、身を屈め、跳び上がり、持てうる限りの体術を駆使し無理矢理に死線をくぐり抜ける事で、僅かな猶予を作りすかさず斬撃を叩きこむ。
 剣が届く己が両腕の間合いこそが、絶対唯一の戦闘圏と信じるからこそ、死地に身を委ねる事ができる。 
 しかし少女の剣は硬い外皮と弾力を持ち伸縮自在な筋肉によって簡単に弾き返される。
 折れた剣には切れ味など無いに等しい刃元しか残っていない。
 足下の柔らかい砂地は踏み込む力を拡散させ、剣へと乗せる力が激減する。
 回避しながら繰り出す斬撃は体勢が不十分な上、サンドワームの動きもあって刃筋が立たない。
 生半可な斬撃ではサンドワームを斬るのは難しい。
 それでも少女の心に諦めという概念はない。 
 握り拳一つに満たない長さでも刃は残っている。
 砂を蹴るタイミングをもっと繊細に一瞬に力を集中しろ。
 次を。
 次の次を。
 そのまた次を。
 常に次を意識し動き体勢を作れ。
 自分が望めば何でも出来ると信じている。
 だからこそ成長を続ける事ができる。
 今この瞬間に強くなればいい。
 斬れないモノを斬れるようになればいい。


――躱す。躱す。斬る。躱す。躱す。斬る。躱す。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。斬る。躱す。躱し斬る。斬る斬る。躱し斬る斬る斬る。


 一手。
 また一手。
 激しく巡る血でたぎる身体の熱に任せて、斬撃を繰り出す事に少女の攻撃は鋭く強くなっていく。
 それでも頑丈すぎるサンドワームに傷一つさえつけることができない。
 まだ足りない。
 もっと踏み込めるか?
 己に対し問いかけて、身体の状態を確認。
 無理な動作に体中が新鮮な空気を求め喘ぎ、限界が近い事を訴える。
 本能に従い攻めるべきか。
 それとも理性の判断通りに一端距離を取るべきか。
 一瞬の逡巡が少女の攻め気を鈍らせ、流れるような連続行動に刹那の間隙が発生する。
 少女の隙に対しサンドワームがすかさず動いた。
 喉元を微かに膨らませ口を開く。
 漂う微かな刺激臭。
 自らのダメージ覚悟の近距離での炸裂弾。
 しかし少女とサンドワームの身体構造では、受けるダメージの差は大きい。
 この近距離では地面に潜って回避する手も使えない。
 とっさに判断を下した少女は、両腕を顔の前に回して、後ろに跳び下がり早急に距離を取る。
 サンドワームは咽喉に赤色の砂弾を覗かせ、発射……しない。
 冷たい外気を吸い込み砂弾を飲み込んだ。


――フェイント!


 サンドワームの狙いは距離を取らせる事だ。
 少女が気づいたときには、サンドワームは既に次の動きへと移行していた。
 身体を反らせて頭を持ち上げ、後ろ部分だけで巨体を支えながら天を仰ぎ、自ら身体をバネのように収縮させていく。
 20ケーラはあった体長が瞬く間に13ケーラほどにまで圧縮される。
 サンドワームの不可思議な動作に少女の背中が総毛立つ。
 この攻撃はまずいと理性と本能が同時に訴え、生命の危機を感じた少女の思考が最大加速し始めた。
 天を向いていたサンドワームが、口蓋を大きく開きながら砂煙を巻き上げ地面へと倒れる。
 激しく砂をまき散らしながら、サンドワームが溜め込んでいた力のくびきが解き放たれた。
 全身をバネとしたサンドワームの巨体が水平に跳ねた。
 その突進は先ほど地面を這ってきた攻撃よりも段違いに速く直線的だ。。
 大きく開いた口蓋の中に見えるはこの暗闇の中でも姿が判るほどに巨大な牙が蠢く。
 これはサンドワームにとっても奥の手。
 無理矢理な圧縮と急激な跳躍の反動で頑丈なはずのサンドワームの皮膚が到る所で裂けているほどだ。
 内部にも少なくないダメージがあるだろう。
 己の負傷と引き替えにサンドワームは、砂船の装甲すら容易く食いちぎるであろう高威力と、身軽な少女ですらも攻撃範囲外に避ける暇を見いだせないほどの速さを得た。
 まさに全身全霊を込めた必殺の一撃。
 勝敗は常に背中合わせ。
 拮抗している者同士であればそれはなおさら。
 勝者とは決断した者。
 敗者とは躊躇した者。 
 数限りない戦闘経験から、サンドワームの覚悟を悟った少女は自らも覚悟を決めた。
 自ら封じていた剣技二流派のうち一つを解放する。
 一つは己の素性を隠すために。
 もう一つは身体負担と武具損傷が激しすぎるが故に。


「帝御前我剣也」

 
 細く息を吐きながら柄へと左手を伸ばし、両手持ちにして右肩の前に持ち上げる。
 両足を左前右後へと開き、前に三分。後へと七分の力を。
 折れた刀身は右肩に担ぐように這わせる。
 丹田より生まれる闘気を全身に張り巡らせる。
 膝を軽く曲げて前傾姿勢に。
 今まで剣の型などあって無きものだった自由無頼な剣を振るった少女が、ここに来て始めて見せる堂に入った構え。
 一瞬で剣を構えて見せた少女は、目の前に迫る大木のようなサンドワームの巨体に対しても臆する様子は微塵も感じさせず、じっと前方を睨む。
 少し吊り気味の気の強さを現す瞳が盛んに動く。
 驚異的な思考速度は、今も昔も少女にとって最大武器。
 狙いは一点。
 ただ一瞬。
 刹那にも満たない時間で少女は情報を集め、思考を張り巡らせていく。

 
 ……………見えた。

 
 大地を抉る勢いで右足を踏み込みながら身体全体を使って剣を振り力を切っ先へと。
 握り拳一つ分しか残らない刀身にうねりを起こしながら大気を切り裂き、サンドワームを遙かに凌駕する速度で剣を振り下ろす。

    
「御前平伏!」
   

――グザッッ!!!!!


 剛の一撃に対し、柔にして剛なる剣を。
 轟音と共にサンドワームの頭蓋に打ち込まれた剛剣は分厚い皮膚をついに打ち破り、それだけでは飽き足らず、横に向かって跳んでいたはずの超重量の進行方向を垂直へと一気に変化させる。
 巨大なサンドワームを雷のごとき速度で砂漠へと叩きつけた一撃は、全方位に広がる砂津波を引き起こし、大量の砂塵を空中へと巻き上げながらも少女とサンドワームの姿を瞬く間に覆い隠していった。
 



 









「っ!?」


 身を震わすような轟音に操舵に向けていた意識が一瞬おろそかになった。
 たったそれだけの気のゆるみで挙動が怪しくなった先守船が大きく揺れる。
 船尾下部に備え付けられている小型転血炉を制御する陣に手をかざすルディアは、船底の四つの浮遊陣へ送る魔力量を調整して、なんとか船体を立て直す。
 柔らかい砂地に沈み込むために車輪が使えず、過酷すぎる気象状態故に通常騎乗生物も適さないリトラセ砂漠。この地において大型貨物運搬や高速性を求め金貨とさほど変わらない価値がある高価な転血石を大量消費するデメリットを抱えながらも、砂船は日々進化を続けている。
 そして高速性を追い求めた進化の最先端をひた走るのが先守船だ。操舵は難しいどころの騒ぎではない。
 ひたすらに高速性と旋回能力を高めたために、僅かな地形の変化でバランスが崩れるほどに操作性は最悪の一言。
 素人であればまともに走らせることさえ難しい。だがぎりぎりではあるがルディアは何とか操っていた。
 
 
「クライシスさん今のは?」 


「判らん。あの嬢ちゃんが向かった方向だ。段差連続! 速度上げろ! 一気に乗り越えろ!」


 舳先で片膝をつき光球で前方を照らしながら監視を行うボイドが注意を促す。
 前方の砂面が細波のように波立っている様子が進行方向の地面を映し出す水晶球にも映し出される。
 先ほどの轟音はなんだったのか? 
 一体何が起きているのか? 
 ルディアには想像もつかない。
 だが今は分からない事を悩んでいる暇も余裕もない。
 集中して船を操るだけだ。
 

「了解! 速度を上げます。気をつけて下さい!」


 臆して速度を下げれば中途半端な速度で段差に乗り上げもろに影響を受ける事になり、操舵が怪しくなることは既に大剣済みだ。
 意識を集中させ炉を操る。四つの魔法陣へ送る魔力を増大させつつ、地面に対し角度を浅く。
 ルディアのイメージしたとおりに、先守船が速度を増し耳元で風が渦巻き風除けのゴーグルに宙を舞う砂粒が音を立てて当たってくる。
 この速度で横転すれば、一帯が柔らかい砂地としても大怪我は免れない。
 最悪、死んでしまうことすらも十分に考えられる。
 ルディアはわき上がる恐怖感を息と共に飲み込み、船を砂の波へと真っ直ぐに突っ込ませた。
 微かな震動はあったが一秒にも満たない僅かな時間で、気負っていたルディアが拍子抜けするほどあっさりと砂船は段差を乗り越える。
 

「しゃ! 上手いぞ薬師の姉ちゃん。こっち向いてるんじゃないか! ちょっと慣れれば戦闘走行もいけそうだな!」


「勘弁して下さい。こっちは冷や汗ものなんですから」


 指を鳴らして振り返ったボイドに、ルディアは安堵の息を吐き出しながらあげていた速度を元に戻す。 
 ルディアの操っているのはあくまでも通常走行用設定。
 これが戦闘や緊急時用の出力限界設定ともなれば手が出ないし、出したくない。


「それより前は? 気配は感じるんですか」


 ルディアにはまったく判らないが、闘気系に長けた戦士であるボイドは生命体であればある程度離れていても感じる事はできるらしい。
 魔術にも索敵系の術は数限りなくある。
 むしろ索敵捜索は魔術が主な役割を担うのだが、一般生活に必ずしとも必要な技術ではない。
 その所為で薬師としての生活に重点を置いているルディアが使えるのは、野宿用の近距離接近探知くらいだ。
 再び前を向いたボイドがじっと暗闇を見据える。
 先ほどの轟音が再度響いてくる様子はない。
 不気味なほどの静けさを取り戻した砂漠には、風を切る音だけが響く。 
  

「さっきまでは強いのが二つあったんだが……一つに減っているか。終わったみたい……まだか!?」

  
 ボイドが叫んだ次の瞬間、遠方で閃光が幾つも煌めき、ついで立て続けに爆発音が響いてくる。
 断続的に続く閃光や爆音には規則性など無く、手当たり次第無差別に攻撃しているようだ。

 
「ちっ!? なんだありゃ!? まさかサンドワームか!?」


 少女は魔力を持っていないと言ったと聞いている。
 あれほどの爆発を何度も起こせるほどの魔具を所持していた様子もない。
 そうなれば考えられるのはサンドワーム。もしくは新手。
 通りすがりの他船や探索者が救援に入ったという可能性もあるが、都合の良い期待をしない方が良いだろう。
 

「姉ちゃん。冗談抜きで速度をあげられるか。とっとと行かないと不味いな」


「……正直いえばこれ以上は無理です」


 切羽詰まった状況であるのは判るが、一瞬ならともかく今の速度を維持するが限界だ。
 この先には先守船では超えられない急角度の砂山が幾つも見えている。
 合間を縫うように避けて進まなければならないので、さらに時間はかかるだろう。
 どこを進めば一番早く進めるだろうと考えていたルディアの頭上でバサッと羽音が響いた。
 この極寒の砂漠に普通の鳥などいるはずもない。
 新たなるモンスターかと操舵に気をつけながらルディアは頭上を仰ぐ。
 ボイドも気づいたのか上を見上げるが、すぐに口元に微かな笑みを浮かべた。
 鳥にしては大きな影は高速移動中の先守船へと速度を合わせながら下降してくる。


「はぁ……ふぅ……ボ、ボイド! 麻痺だろ。どうしたんだ。それにお嬢は!?」


 影の主はコウモリのような羽根を生やした魔族の青年だ。彼は甲板に降りるなり力尽きたようにその場に座り込んでしまう。
 息は切れ切れの見知らぬ人物に一瞬警戒を見せたルディアだが、どうやらボイドの知り合いのようだと気づき、すぐに警戒を弛める。


「無事だったか丁度良い所に来やがったな! ヴィオン。薬師のルディア嬢。セラが直衛に回ってるから代わりに操舵を頼んだとこだ……」

 
 一方のボイドは降りてくる前に正体に気づいていたのか特に驚いた様子も見せず、ルディアとヴィオンの両者へと互いの紹介を手短に終わらせると、時間がもったいないとばかりにすぐに状況説明を始める。
 ボイドの真剣な表情から状況を察したのか、ヴィオンは黙って聞いていたのだが、段々と困惑気味の顔になる。
 助けた少女がサンドワームのうち一匹を引き受けたと船を飛び出したと聞いた所でたまらず口を挟む。


「おいおい冗談だろ? あのガキンチョ死にかけだったじゃねぇか。それにサンドワーム相手に単独だ。解放してないにしても現役探索者の俺ですら苦労してようやく片付けてきたんだぞ?」


「冗談じゃねぇんだよ。お前まだ飛べるか? 俺の神印開放じゃ時間的に辿り着くのがやっとだ。俺を連れてってくれると助かるんだが」


 未だ閃光と爆音を響かせる戦場をボイドが指し示す。
 ヴィオンは少し考えてから首を横に振る。
 

「わりぃ。こっちも生命力限界で魔力をひねり出すのが難しい。俺一人ならともかくお前を抱えては無理だし、ちょっと休まないと戦闘もきつい」


 ヴィオンは随分と疲労しているようだ。
 本人が言う通り十分な魔力変換を行うのは難しいだろう。


「無理か……他に何か」


 ボイドが左手で鎧をこつこつと叩きぶつぶつと呟き出す。何か手がないかと考えているようだ
 ルディアも早くあの場所へと向かう方法はないかと考えてみるが、良いアイデアは思い浮かばない。
 考えあぐねている間に最初の砂山が近付き風が強くなってきた。
 風の影響で地形も単純な平坦ではないのか船が小刻みに揺れ、何度か跳ね上がる。
 目の前の砂山を直接越えれば大きくショートカットできるだろうが、マニュアルを読んだ限りでは先守船の性能を大きく超えていた。


(この跳ね上がりを使って一気に出力を上げれば……って無理に決まってるでしょ)


 一瞬博打的に挑んでみようかという誘惑に駆られそうになったルディアだったが、足下に何かがこつんと当たり我を取り戻す。
 不可能を可能とする。
 御伽噺の英雄や勇者のような都合の良い存在など自分の柄じゃない。
 人を遙かに凌駕する天才的な才能など自分にはないと思い直す。
 今はともかく出来うる限りの速さで船を進めるだけだ。
 例え遠回りでも辿り着けば、現役探索者が二人もいるのだ何とかなるはずだ。
 炉の制御へと意識を集中させ船を麓沿いに進ませながら、ふとルディアは先ほど足に当たった物はなんだろうとちらりと下を見る。
 足下にあったのは布に包まれた長く幅広な形の品。
 少女へと届けてほしいと頼まれた大剣だ。
 どうやら鳥の羽一枚の重さしかないという軽すぎるこの剣が、さっきの跳ね上がった衝撃で滑って当たったようだ。
 現役探索者が向かうのだから、頼りない重さの剣を一本。しかも届け先はあんな小さな少女。
 普段のルディアなら当然思っただろうが、どうにも今は違う。
 なんというか厄介事ではあるが、ここが分岐点だという予感がひしひしとする。

 
『ありゃ天才だ』


 剣を託した武器商人マークスの言葉が脳裏に響く。
 少女の剣戟をルディアが視たのは倉庫での一振りだけだ。
 だが一度だけでルディアも全面同意するしかない心情になっている。
 剣さえまともならば、もっと凄いことをしてのけるだろうと思わせる物があった。
 せめて剣だけでも先に届ける事はできないだろうかとルディアがふと思ったとき、鎧をこつこつと叩いていたボイドの指が止まった。
 どうやら何か考えついたようだ。
   

「……ヴィオン! 風を操るくらいならいけるか長距離投擲魔術だ」

 
「ん。あぁ。それくらいならできる。でも重いのは無理だし、一直線に飛ばすだけだぞ」
 

 ボイドが右手に握る長柄斧を見たヴィオンがそいつを飛ばす気かと目で問いかける。
 だがボイドはにやりと笑って暗に否定し、ルディアの足下を指さす。
 指さす先には転がってきた剣がある。


「心配すんな。羽根のように軽いって売りの剣に、ちょっと通信用魔具を付けるだけだ。後は……」
 

 ボイドの作戦は単純だ。
 剣と一緒に通信用魔具を付けて投擲魔術によって交戦地点へと一足先に送り届けようという事だ。
 少女本人の弁を話半分でも信じるなら剣さえあれば少しくらいは時間が稼げるだろう。
 それに通信魔具を送ることで先守船が向かっている方角へ逃げてくるように言えば合流も早くなる。
 不安要素は本船でも起きていた魔力吸収物質の混じった砂弾の影響による魔力障害だが、砂が留まる船内よりも分布濃度は格段に下がっているはずだ。
 短時間なら問題はないだろう。
 他に良い手も思いつかないので、ヴィオンが休憩もそこそこにすぐに準備を始めることになった……のだが、
 

「マジでこれ剣なのか。軽すぎんだけど。それにあのガキンチョもホントに強いのか?」


 ヴィオンは不審げに眉を顰めながらも、左手で柄を掴み右手に魔術触媒の混じった白墨を持って、剣を包む布へと投擲魔術の印を描いていく。
 投擲魔術とは文字通り物を投げることに特化した魔術だ。魔術による風を纏わせる事で、投擲距離を飛躍的に高める事ができる。
 高位の術ともなれば、空中で方向や速度を自由に変えて操ることも可能になる使い勝手の良い術だ。


「大丈夫だろ。クマさんの選んだ武器だ。闘気剣だとよ。嬢ちゃんの方も相当やるみたいだ。セラが妙に意識してた。あの嬢ちゃんは普通じゃないってな。あと助けに行かなくても大丈夫じゃないかって巫山戯たことぬかしてたから一発殴っといた」


「おまえなぁ……後で兄貴に殴られたって愚痴をこぼされるの俺なんだぞ。兄妹間のもめ事は当人同士で解決しろよ」


「わりぃ。まかせるわ」

 
 二人とも一見のんびりと話しているようにも見えるが目に浮かぶ色は真剣その物で、ボイドは前方監視に余念はなく、ヴィオンの手も休むことはない。
 おそらくは適度に緊張感をほぐす為の雑談なのだろう。


「そういや薬師の姉さん、柄を持って闘気を込めれば発動するのかこいつは?」


 印を描きながらヴィオンが尋ねてくる。
 時間がなかったためにマークスから剣の効果を直接聞いたのはルディアのみだ。
 

「えぇ。柄から闘気を送ると刀身の硬度と質量を増すって……あぁダメです! 込めようとしないで下さい。抜けるまで時間が掛かるのと、あと欠点があるんで!」


 説明の途中でどれと小さく頷いたヴィオンが試しに柄から闘気を込めようとしているのを見てルディアは慌てて引き留める。
 軽量性が無くなるのも問題だがそれよりも剣が持つ欠点の方が重要だ。
 下手すれば先守船が沈む。
 慌てるルディアの様子をみたヴィオンは少し残念そうな顔を浮べた。


「あいよ。どうなるか見たかったんだが。後にしとくか……おし。準備完了だボイド。目印用に先端に光球も付けとくぞ」


 ヴィオンが指で二、三度叩くと布に描かれた印が淡い光を放ち、大剣を覆うようにつむじ風が渦を巻き始める。
 術に問題がないか確認したヴィオンは舳先に膝立ちするボイドへと手渡す。


「姉ちゃん。しばらく真っ直ぐ。少し速度を落としていいから揺れも抑えてくれ」

 
 剣を受け取ったボイドは首飾り型の通信魔具を布の端へと縛り付けながらルディアに短い指示を出す。
 距離が離れているのでちょっとのズレが大きな誤差となる。極力揺れを抑える方が良いのだろう。


「はい。速度、弛めます」


 ルディアは進路を維持したまま、少しでも揺れを抑えようと出力を調整していく。
 僅かに速度が落ちて船の揺れもガタガタとした震動からカタカタとなる程度に収まっていく。


「嬢ちゃんが剣を受け取ったらすぐに説明を頼むぞ。あんたしか嬢ちゃんと直接話してないからな。俺等じゃ不審がられるかも知れねぇ……デタラメに動いてやがる。逃げ回ってるのか? どこに落とすか難しいな」 

 
 右手で柄を持ち左手で大剣の中程を支えて切っ先を斜め上へと向けながら小刻みに方向や角度を変え調整しつつボイドがぼやく。
 砂山に隠れてこの位置からではまだ戦闘地点を視認することが出来ない。
 魔力の切れた魔術師と未熟な薬師兼魔術師では広域探知術も使えず、少女の位置予測はボイドの生体感知に掛かっている。 
 一〇秒ほどでゆらゆらと動いていた切っ先がピタリと止まる。方向が決まったようだ。 

「ヴィオン。距離二四〇〇から二五〇〇ケーラ……3で離す」


「了解。いいぞ」


 手慣れたやり取りをボイドと交わしたヴィオンが、魔術文字が刻まれ幾つか宝石が埋め込まれた槍を石突きを下にして甲板の上に垂直に立てる。
 どうやらルディアのマインゴーシュと同じく、この槍も魔術杖と兼用になっているようだ。


「いくぞ1……2……3っ!」


 ボイドがカウントダウン終了と同時に剣を離し、ヴィオンが即座に槍の石突きで甲板を軽く叩いた。
 ガラスが割れるような高音が響き投擲術が発動する。
 剣の周りを覆っていたつむじ風が回転の勢いを強めて剣を巻き込みながら、一気に闇の空へと駆け上がっていった。
 

「おし! 方向はばっちりだ!」


 狙い通りの方角に飛んでいったのかボイドが会心の笑いを浮かべて手を叩く。
 ヴィオンは槍を甲板に置いて一息吐いてから船尾の操作魔法陣に陣取るルディアの側へと歩み寄った。
 
 
「操舵を替わる。ガキンチョへの説明しながらじゃ集中しにくいだろ」


「助かりますけど、大丈夫ですか? 魔力があんまり無いんじゃ」
 

「あー問題無い。こいつ操るくらいの余裕はさすがに残してあるからよ。普段が操舵をお嬢に任せっぱなしだからたまにやらないと忘れそうなんでな」


 ルディアの心配に対してヴィオンは船体をぽんぽんと軽く叩きながら軽口を叩く。


「すみません。じゃあお願いします」


 この様子なら大丈夫だろうと頭を下げてルディアが場所を譲ると、ヴィオンがすぐに入れ替わりに操舵を始める。
 替わった直後に転血炉の音が少し甲高くなり速度が上がっていく。
 今の速度がルディアの限界だったが、ヴィオンにはまだまだ余裕の範囲内だったようだ。


「姉ちゃんそろそろ嬢ちゃんがいる辺りに飛び込むはずだ。上手く拾ってくれれば良いんだけどよ」


 無用の心配だったかとルディアが思っていると、ボイドが通信魔具である首飾りを投げて寄越してきた。
 探索者用なのかルディアが知っている物よりも随分頑丈そうな作りとなっている。
 首飾りの輪の真ん中には小振りの宝石が幾つかぶら下がっている。
 通信魔具は魔術処理を施した宝石を複数に割り、石の欠片を共振させることで遠距離での会話を可能とする魔具だ。
 
 
「右から四つめの緑の石が今飛ばした奴に繋がってる。こいつは魔力蓄積型の魔具だから魔力がない嬢ちゃんでも使える品だ。軽く石を叩けば繋がる。とりあえず呼びかけてみてくれ」


「判りました……ちびっ子剣士近くにいる!?」


 石を指で弾いたルディアはありったけの大声を張り上げて魔具に呼びかけを始める。
 目立つように光球が付けてあるのだから飛び込んできた存在には気づいているかも知れないが、少女の近くに届いたのか、近くに落ちていても上手く拾っているかは賭だ。


「聞こえてたらこれ拾って! 石を指で……」


 まずは使用方法を伝えようとしたときに、少女の所に送った魔具と繋がっている緑色の石が淡く光り微かに揺れだした。


『……き……いる! ちょっと声を下げろ! うるさい! それにちびっ子とは失礼だぞ!』


 爆発音に混じりながら幼い少女の声が石越しに響いてきた。
 走り回っているのか多少息は切れているが元気その物だ。
 しかし安堵の息を吐いている暇はない。
 ルディアには伝えなければいけないことが幾つもある。


「あたしはさっきの砂船に乗ってい」


『その声さっきの船にいた薬師だな』


 ルディアがまずは自分が先ほどあった薬師である事を伝えようとしたのだが、少女はルディアの声で判ったのか一方的に話し始める。


『”これ”はお前のものか? 済まないが借りるぞ! ちょっと苦戦してたんだが、これなら何とかなりそうだ! 今は忙しいから後で改めてちゃんと礼を言うけど、とりあえずありがとだ! むぅ! 貴様! 人が礼を述べているときぐらいは少しは遠慮しろ! のびている間にちょっと囓ったくらいでそこまで怒るなんて心が狭すぎるぞ! お腹が空いていたんだし、どうせ今から貴様は私のご飯になるんだから大人しくしてろ!」
 
   
 少女の怒鳴り声に混じって爆発音や重い風切り音が響く。
 音の感じから至近距離だと思われるのだが、少女の声に怯えている感じはまるでない。
 強く砂を蹴る音も聞こえる。
 上手く回避しているようだが、それよりも少女の言う『囓った』だの『ご飯』だのがどうにも違和感がありすぎる。
 
 
「ち、ちょっと! あんた一体なにをやってんの!?」


『甲板にいた魔術師から聞いていないのか? サンドワームの変種と戦闘中だ! こいつの頑丈な皮膚に苦労してたのだがお前の送ってくれた”これ”で勝機が見えてきた所だ!』


 ルディアの聞きたいことはそういうことではない。
 だがどう聞いていいのかも判らない。
 ボイドとヴィオンに目をやってみると、二人も予想外の通話内容に目を丸くしている。
 遠目からも判る激しい戦闘の真っ最中にいるはずの少女との会話とは到底思えない空気だからだろうか。
 だがいつまでも固まっているわけにはいかない。


「あーもう! いろいろ聞きたいことあるけど全部後回し! 用件だけ言うから!」


 ともかく少女が剣を受け取った事は間違いない。
 気を取り直したルディアは剣の説明とすぐにそちらに着く事だけを伝えようと決め、


「聞いて! 送ったのは闘気剣だから! 剣に闘気を込める量で質量と硬度をある程度自由に換えられるんだけど欠点があっ!」


「剣?! あぁ! さっきの軽くて変なのか! あれなら邪魔だから後方に投げておいた! 目印に私の外套を巻きつけてある。後でちゃんと回収して返すから安心しろ!」


 しかしまたも説明途中で少女に遮られる。
 しかもその内容はルディアをますます混乱させる。
 せっかく送った剣を投げ捨てた?
 ルディアは自分の聞き間違いかと思い、ヴィオンとボイドに目で尋ねる。
 だが二人は沈痛な面持ちを浮かべて首を横に振った。
 どうやら聞き間違いではないようだ…………


「あ、あんた!? な、なに!? さっき借りるって!? 何!? 何を借りるって!?」


『だから”これ”だ。通信魔具に決まってるだろ! 足場に苦労していたんだがこれで『凍らせる』ことが出来る! 任せろ。一手で決めてやる!』 


 ルディアの問いかけに対して、まったく意味不明な返答を返した少女は、自信に満ちあふれた勝利宣言を謳った。



[22387] 弱肉強食③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/30 00:42
「これはお前のものか? 済まないが借りるぞ! ちょっと苦戦してたんだが、これなら何とかなりそうだ! 今は忙しいから後で改めてちゃんと礼を言うけど、とりあえずありがとだ!」


 鼻につく刺激臭。
 風を鋭く切る複数の飛来音。
 二種類の砂弾が迫ることを察知した少女は、通信魔具に向かい怒鳴るように礼を述べながら地を強く蹴り、宙へと跳び上がった。
 直後刺激臭を放つ砂弾が少女の右側に着弾し、大きな炸裂音を立てながら周囲の砂を吹き飛ばし砂漠に大穴を開けていた。
 もし今の攻撃が直撃していたら少女の身ではひとたまりもなかっただろう。
 襲いかかる熱混じりの横殴りの爆風を少女は身体を捻って受け流す。
 さらに爆風の勢いをも利用し空中で軌道を僅かに変化させることで、まるで猫のような身のこなしで後発の高速砂弾を回避する。
 だがさすがに無理があったのか体勢を崩して極端な前傾姿勢となってしまった。
 下が柔らかな砂地とはいえ、この勢いで頭から突っ込めばただでは済まない。
 砂に埋まり気管をふさがれる恐れもあり、何より首への負荷が大きい。
 とっさの判断で少女は頭を前に振り足を折りたたみ回転力を上げ、無理矢理に捻り気味の前方宙返りへと移行して足から着地しようとする。
 だが少女が思ったよりも高さと回転が足りない。
 このままでは回りきる前に背中から着地することになり、確実に次の行動に遅れが生じる。

 地面を指で弾くことで高さと回転を補えるか?
 
 可能……正し右腕の怪我を考慮する必要有り。

 駆け巡る思考が解決策と懸念を即座に浮かび上がらせる。
 少女の右手の親指と人差し指は根元が青黒く腫れ上がり、芯に響くズキズキとした痛みと焼けるような熱さを放っている。
 どれだけ楽観的に見積もっても折れているだろう。
 骨折の原因は先ほどサンドワームをたたき落とした対大型モンスター用剣技『御前平伏』
 突進してきたモンスターの重心を崩して地面へと叩きつける技は、重心を崩せる一瞬、一点を見極める眼力と、見極めた箇所、時に正確に打ち込むことの出来る技。
 そして打ち込みの瞬間に生じる膨大な負荷を受け止めてみせる強靱な肉体の三者が揃って初めて完成を見る。
 前者二つは少女は己の持つ力量と鍛錬により必要最低限とはいえ得ている。
 だが後者は未だ到らず。
 闘気を用いることで少女は人並み外れた力を発揮することができるが、それもまだ圧倒的に足りない。
 理由は至極単純。
 少女が扱う剣技は、暗黒時代に滅びたトランド大陸最大の大国であった東方王国の古流闘法が一派『邑源流』の流れを組む。
 本来は幾多の迷宮を踏破し、神より授かりし肉体強化『天恵』を得た探索者達の武技だからだ。
 技体系の全てとはいかずともこの歳で幾つも修得するほどのずば抜けた……それこそ化け物じみた才覚を少女は持つ。
 だが天恵による強化を持たずまだ幼いといっていい肉体は、その才覚に釣り合うほどではなかった。
 


「むぅ」


 右腕の怪我を考えれば無傷の左腕を使うしかないが少女は躊躇する。
 左腕には先ほど拾った通信魔具の紐を手首に巻きつけてぶら下げてあり、それ以外にもサンドワームがのびている間に切り取った肉片を拳の中に握り締めていたからだ。


(借り物を傷つけるわけにもいかないか。それにちょっとならともかく砂まみれは美味しくない)


 奇妙な部分で律儀かつ、どのような状況下でも己の嗜好を最優先する思考が左腕を使うという選択肢を外す。
 時間にしてみればほんの一瞬。
 少女自身からすれば長考を終える。
 砂漠へと落ちるすんでの所で、己の鍛錬を信じ右手を鋭く振る。
 さらっとした柔らかい砂の感触を指先に感じた瞬間、砂を強く掻き弾いた少女は無理矢理に回転の勢いを増す。
 釘を刺したようなずきりとした痛みに顔をしかめながらも、少女は回転を終え足から着地してみせた。
同時にサンドワームにたいして少女は不機嫌を隠そうとしない怒声をあげる。


「貴様! 人が礼を述べているときぐらいは少しは遠慮しろ! のびている間にちょっと囓ったくらいでそこまで怒るなんて心が狭すぎるぞ! お腹が空いていたんだし、どうせ今から貴様は私のご飯になるんだから大人しくしてろ!」


『ち、ちょっと! あんた一体なにをやってんの!?』


 驚き声をあげる薬師の声が響くなか、次なる飛来音を既に幾つも捉えていた少女は次の一歩を踏み出す。


「甲板にいた魔術師から聞いていないのか? サンドワームの変種と戦闘中だ! こいつの頑丈な皮膚に苦労してたのだがお前の送ってくれた”これ”で勝機が見えてきた所だ!」


 再び走り出した少女を追いかけ、幾つも砂弾が降り注いでくる。
 雨あられのように降り注ぐ弾幕から身を守る鎧も防御魔術を使う魔力も少女は持たない。 
 あるのは異常なまでな才覚と共に鍛え上げた肉体と培った体術のみ。
 直撃を喰らえば一瞬で絶命する。
 窮地というべき状況でも、少女の顔に恐怖はない。
 吊り気味で勝ち気な目にただ光を強め、自身の勝利を疑っていない。


『あーもう! いろいろ聞きたいことあるけど全部後回し! 用件だけ言うから! 聞いて! 送ったのは闘気剣だから! 剣に闘気を…………』


 軽い身のこなしで回避を続けながら薬師の言葉に少女は耳を傾けていたが、至近で起きた爆発で言葉がかき消された。


「剣?! あぁ! さっきの軽くて変なのか! あれなら邪魔だから後方に投げておいた! 目印に私の外套を巻きつけてある。後でちゃんと回収して返すから安心しろ!」


 話の途中までしか聞こえなかったが、薬師がいっているのは通信魔具を括り付けてあった布に包まれた剣らしき物だろうと少女は当たりを付け、こちらの声が届くかどうかわからないが、無事だと伝えてやろうと声をあげる。
  

『あ、あん…… な……!? さっき借り…… 何!? 何を借りるって!?』


「だからこれだ。通信魔具に決まってるだろ! 足場に苦労していたんだがこれで凍らせることが出来る! 任せろ。一手で決めてやる!」
   

『通信魔具っ?! 凍らすって!? 言……る……だけど!? ちょ……あんた何……』


 左腕に巻きつけた通信魔具からクリアに響いていた薬師の声に徐々に雑音が混じり小さくなってきた。
 だが少女は慌てない。
 軽度の魔力障害で通信魔術に不具合が生じてきただけの事。
 こちらの声もあちら側にそろそろ届かなくなってきたはずだと当たりを付ける。
 軽度魔力障害の原因。それはサンドワームが撃ち出す魔力吸収弾だ。
 着弾の衝撃で砕け散り空中に飛び散った砂塵に含まれるリドの粉末によって周囲の魔力が吸収されている。
 攻撃、防御、回復、索敵、通信。
 戦闘に関する魔術だけでも多岐にわたる。
 だがどれだけ高度な術であろうと大元の魔力を吸収されれば、効力は著しく落ちるか最悪発動すらしない。
 それは魔具も例外ではない。
 魔力障害環境下での戦闘行為は魔術師職のみならず、自己強化術や付与、もしくは魔力剣装備を用いる戦士職も苦戦するだろう。
 だが魔力を持たず自己強化を仕えず、仲間もなく、ただの剣を一振り携え単独で戦い続ける少女からすれば、どれだけ魔力吸収物質が周辺に散布され濃度が増そうが支障はない。
 むしろこの魔力吸収弾による、濃度上昇こそ少女は待ち望んでいた。
 特に左手に持っている通信魔具が届いてからは、サンドワームの撃ち出す魔力吸収弾の割合が大幅に増え一気に濃度が上がってきている。
 他者との連絡手段の途絶する程度の知能をサンドワームが持ち合わせていた幸運を嬉しく思い、また送ってくれた薬師に対し少女は感謝していた。



 一方で攻撃を続けているサンドワームも無傷ではない。
 少女の強烈な一撃によって頭部に深い裂傷を負っていた。
 切り潰された醜い傷口からは、砂弾を発射する度に体液がびちゃびちゃと噴き出す。
 巨大なサンドワームから見ても軽い怪我ではないはずだ。
 だというのにサンドワームが放つ砂弾の数は減るどころかより増し、躍起になって少女を追いかけ回す。
 しかし弾数が増えたのに比例して狙いは粗くなっている。
 サンドワームの狙いがずれているのも、少女が何とか回避し続ける事ができる一因となっている。
 攻撃が荒くなった理由は少女にも判らない。
 感覚器官が損壊でもしてまともに狙いがつけられないから、数で補おうとしているのだろうか。
 それとも単に傷つけられて頭に血が上ってむきになっているだけか。
 あるいは……己が食されたことに恐怖を感じたのか。
 だが何にしても、今の状況が好都合なことには変わりない。
 満足げに小さく頷いた少女は、左手に握っていたサンドワームの肉塊に食らいつき噛み千切る。
 極寒の大気によって半分凍りついていた肉を、口の中で解かしながら咀嚼する。
 空中に舞っている砂塵が付着しているので砂のジャリジャリとした感触もするが気にせずかみ砕き嚥下する。
 砂に混じる甘酸っぱいリドの実や大サソリの毒のビリッとした味に、火龍薬の香ばしい匂いが混じって、味にアクセントがあるのはいいが硬く筋張っていてとても美味しいとは思えない歯ごたえが特徴的だった。


(内臓の方がコリコリしていて美味しかったな。ん。でもこっちは毒素が少ないから今はいいな)


 半日ほど前に食べた食感を思いだしながら、内臓より味は大分落ちると思いつつも少女はもう一口囓り咀嚼する。
 少女は手も足も出ずにただ逃げているのではない。
 文字通りの敵の血肉を喰らい力を蓄えながら反撃の機会を伺っていた。
不味かろうが上手かろうが、今の少女にとっては貴重な栄養源。
 内臓器官を闘気により強化し、食べた食物を一気に消化吸収していく。


(ここも撒いておくか)


 肉塊を口にくわえた少女は左手を空にすると、懐に突っ込み内ポケットをまさぐる。
 引き抜かれた左手には小指の先ほどの大きさの飴玉が握られていた。
 飴玉を掌で握り砕いて粉状にすると砂漠へと撒いていく。
 少女が砕いた飴玉は水を圧縮固形化したうえで軽量魔術を施した魔法薬『水飴』
 口に含むなり火に掛けた鍋に入れるなど熱を与えることで、熱量に合わせて徐々に元の液体状態へと戻る性質を持つ物だ。
 携行性能に優れた水飴は、本来砕いたくらいでは元の液体状に戻ることはない。
 だが今は違う。
 少女の周辺の砂には大量の魔力吸収物質が混じっている。
 撒かれた水飴の欠片は圧縮固形の魔術が解除されて次々に液体状態へと戻り、さらに極寒の大気にさらされ一瞬で凍りつき地表に薄い氷の膜を作っていく。
 少女はひたすらに回避を続けながら、この地味な作業をただ繰り返す。
 残り少なくなった生命力を補うために肉を食らい、隙を見てはサンドワームの直近まで間を詰めて至近の砂地にも水飴を撒き凍りつかせていく。
 己の得意とする剣技。
 止めの一撃を放つための場を少しずつ整えていた。
 再度懐に入れた手を引き抜いた少女は微かに唸る。


「むぅ……残り一つずつか」

  
 いつの間にやら懐にしまっていた水飴は残り一つになり、拳の倍ほどあった肉塊も囓っているうちに一口ほどになっていた。
 凍らせた箇所はまばらだが、一応問題はないはず。
 そろそろけりを付けるか。
 名残惜しげに最後の肉片を少女が口の中に放り込んで攻勢に転じようとすると同時に、ひっきりなしに響いていた砂弾の発射音、飛来音が途絶えた。
 急な変化を訝しげに思った少女がサンドワームのいる方角へ目を凝らすと、暗闇の中で頭部を下ろすサンドワームの影が微かに浮かび上がった。
 どうやら砂に頭をつけているようだ。


(砂を補給か? それともこの期に及んで撤退か……違う)


 暗闇の中でも判るほどにサンドワームの胴体が瞬く間に膨らんでいく。
 サンドワームは口蓋を蠢かせながら、音を立てて飲み込んで大量の砂を体内へと取り込み始めていた。
 心許なくなった砂を回復するにしては、取り込む量が多すぎる。


(砂獄だな)


 事前に仕入れていたサンドワームの知識から、少女はすぐに一つの推論へと到る。
 高速で撃ち出される広範囲砂礫攻撃。通称『砂獄』
 ひらひらと攻撃を回避し続ける少女に対してサンドワームは業を煮やし、一時的に隙を見せる事になっても一気に広範囲をなぎ払おうとしているのだろう。
 砂船の鋼鉄装甲版すらも削ってしまうほどの威力を持つ砂の刃を生身で受ければ、少女の身体など一瞬でバラバラに引きちぎられる。
 しかしサンドワームの意図を悟っても少女の顔に恐れはない。


「ん。むしろありがたい!」


 少女は喜色を含んだ獰猛な笑みを浮かべ口中の肉片を飲み込み、サンドワームを真正面に見据える事ができる位置まで一気に駆けさがる。
 サンドワームから50ケーラほどしか離れていない砂獄の影響範囲内で立ち止まった少女は、走り続けで乱れた息を軽く整えると息吹を始める。
 冷たい外気を一気に取り込まない様に少しずつ息を吸いゆっくりと吐く。
 足が砂に沈み込んでいくが今は無視し、丹田に意識を集中。
 ゆっくりだった少女の息づかいが徐々に獣じみた速い呼吸へと変化する。
 闘気操作に長けた獣人の技である獣身変化と似た粗い呼吸音。
 だが少女の外見に変化はない。
 少女が働きかけるのは己の血統。
 微かに受け継ぐ異種なる旧き力。
 休眠していた力が少女の闘気を受け活性化し始める。
 旧き力とは、少女の心臓に備わる”本来”は少量の生命力から膨大な魔力を生む、この世の生物種において最高峰ともいえる高効率魔力変換能力。
 しかし少女は頑なまでの意志によってその魔力変換能力を拒否してみせ、心臓に送られた生命力から膨大な闘気を生み出す闘気変換能力へと切り替えていた。
 丹田と心臓。
 普通ならあり得ない闘気生成の二重化という離れ業を感覚的にこなす少女の全身を、高純度の闘気が血流に乗って激しく駆け回る。
 少女が力を蓄える間も砂を取り込み続けるサンドワームの身体は膨らみつづけ、周囲の砂も徐々に引き寄せられていく……少女が凍らせた砂と共に。  
 十分な闘気を身体に行き渡らせた少女は、砂から両足を引き抜き、左足を前にした前傾体勢となり右腕は脇に引いた。  
 時を同じくして砂を飲み込む吸引音が鳴り止み、サンドワームも頭を砂から引き抜いた。
 元々巨大だったサンドワームの身体は、大量の砂を取り込み倍ほどに膨らんでいる。
 許容量限界ぎりぎりまで砂を溜め込んだのだろう。
 先ほどの跳躍と少女の剣戟によって出来た傷がさらに肥大化しサンドワームの身体に大きな亀裂を生んでいた。 
 準備を終えた両者が対峙し一瞬の静寂が訪れる。
 暗闇の砂漠
 突如風切り音が響く。
 どこからともなく打ち込まれた矢が飛来し、少女達の遙か頭上で音を立てて弾けた。
 矢の正体は初歩魔術を封じ込めた簡易な使い捨て魔具で、常闇の砂漠では信号弾として使われている物だ。
 魔具の中に封じ込められていた光球の灯りが、少女とサンドワームの影を砂漠に生み出す。
 灯りに照らし出された瞬間、少女は足下の砂を蹴り飛び出した。
 踏み出した右足が砂漠に仕込んでいた無数の氷片の一つを捉える。
 砂よりも僅かに抵抗を見せる氷の感触を感じ取り、即座に足元で闘気を爆発させた。
 氷を軽い炸裂音と共に砕き、砂諸共後方へと吹き飛ばし、少女はさらに前へと出る。
 背後に吹き飛ばされた氷混じりの砂が頭上の光球の灯りに照らし出され、ダイアモンドダストのように煌めいた。
 キラキラと輝く流星のような光跡を残しながら、少女は次々に氷を踏み渡り一直線に加速していく。
 それは先ほどとは比べるまでもなく速く鋭い。
 少女が行うのは、闘気を爆発させ加速を得る近接戦闘を行う者にとっては基礎的な加速技法。
 だが、本来は踏みしめるべき硬い大地があってこそ、この技は最大威力を発揮する。
 砂漠のような柔らかく崩れやすい地盤では闘気が分散し、十分な加速を得るのは難しいはずだ。
 しかしその困難を少女は成し遂げてみせる。
 足元が砂で沈み込み力を入れにくいなら、表面だけでも凍らせて、一瞬だけの足場とすればいいというシンプルな発想をもって。
 少女が見せる驚異的な加速はサンドワームにとっても予想外だったのだろう。
 慌てて口蓋を開き身体に力を込め、ため込んだ砂による範囲攻撃を繰り出そうとした時には遅い。
 既に少女はサンドワームの懐へと少女が飛び込んでいた。
 加速した勢いのまま少女は右腕を突き出し、
 
  
「闘気浸透!」


 少女が肉と骨が軋む音を立てるほどの力を込めた掌底を、サンドワームへと打ち込んだ。
 石壁を殴りつけたような硬い感触。
 骨が軋み、太い枝を折った時のような音を奏で、激痛が右手に走るが、少女が歯を食いしばり堪える。
 その目の前で、今にも攻撃を繰りだそうとしていたはずのサンドワームがその巨体をピタリと止め硬直する。
 硬直したその様はそれはまるで天敵である蛇に遭遇した蛙のようだった。











 彼女は恐怖する。
 極上の餌としての匂いを醸し出す”それ”は、彼女の長大な肉体に比べれば矮小で芥子粒のような存在。
 小さな物は弱い。
 それが彼女の常識であり、この砂漠地上部では彼女達の種族より大きな生き物は存在しなかった。
 だから小さいながらも最高の餌の匂い醸し出す極上の餌だと食らいついた。
 大きな餌場を襲い食らうよりも、”それ”を食えば簡単にさらに力を強める事ができるはずだった。
 だが”それ”は抗い、拮抗した。
 彼女はそこで間違いに気づく。
 ”それ”は餌ではない。
 生死をかけた戦いが必要な敵対種だと。
 しかし…………これすらも間違いだった。
 ”それ”は戦闘中も成長を続け彼女を凌駕してみせただけでは飽きたらず、あろう事か逆に彼女の肉体を喰らい始めた。
 ようやく……彼女はようやく敵の正体に気づく。
 殴られた場所から彼女の全身に行き渡った”それ”の気配が何であるかを物語る。
 ”それ”は絶対的な強者の気配。
 火の山の奥深くで蠢くはずの。
 天に近い山の頂よりもさらに高い空に君臨するはずの。
 地の底のさらに底。暗く冷たい水面の底に眠るはずの。
 迷宮に君臨する捕食者達の気配を”それ”は打ち放っていた。
 彼女は恐怖する。
 ただただこの場から離れたい。
 この恐ろしい物から遠ざかりたい。
 本能は盛んにわめき立てるが恐怖に竦んだ身体は動かない。
 ただ”それ”が直下にいることは判る。
  

『下がれ!』 


 ”それは”が鋭い咆吼をあげた。
 彼女の身体が緊縛が解かれる。
 恐怖から少しでも遠ざかるために、早くでも遠ざかるために。
 彼女は重い身体を必死に使って後方へと跳躍する。
”龍”から逃げ出すために。










「っつ! うー」


 痛む右手の甲を少女は舌でペロと舐める。
 気休めでしかないが何もしないよりマシだ。
 砂を詰め込み膨張して極限まで硬化し固い岩盤のようなサンドワームの皮膚に掌底など打ち込んでもダメージなど皆無。
 むしろ打ち込んだ少女の手の方がダメージを負っている。
 痺れが酷いのでいまいち判らないが甲の方までも折れたかもしれない。
 だが怪我を負った分の価値はある。
 痛みに眉をしかめながらも勝ち気な瞳で少女は前方の空中を見上げる。 
 無理矢理に跳ね上がって逃げるサンドワームの姿がそこにあった。
 同じように闘気を打ち込んだ一匹目は、尾が地面に跡を残すほどの高さしか跳べなかったが、今敵対しているサンドワームはもっと高く跳んでいる。
 どうやらこちらの方が肉体的にも能力的にも格上のようだ。
 しかしその高さこそが命取りだ。
 一匹目の時は高さがなかったため、もっとも硬い頭部へと突き込むしかできなかったが、眼前のサンドワームは砂でぱんぱんと膨らんだ腹部を晒している。
 今こそが千載一遇の好機。
 

(出番だ。耐えろよ) 


 心の中で語りかけながら腰のベルトへと少女は左手を伸ばし、抜き身のまま挟み込んでいた剣を引き抜く。
 元々少女の背丈と同じほど合ったバスタードソードの長大な刀身は、今はほとんど残っていない。
 しかもさきほどサンドワームを打ち落とした一撃で、新たに細かなヒビが刀身や柄にまで入ってしまっている。
 他者から見ればもはやこれは剣などでない。
 ただの鉄屑だろう。
 だがそれでも……少女にとっては違う。
 自らが膨大な店の中から選び極めて短い付き合いながらも命を預けた剣。
 あと一撃なら耐えてみせるはずと信頼する。 
 右側に大きく身体を捻りながら、左手に剣を逆手に握り肩口の高さまで上げ、痛む右手を剣の柄頭にそっと触れさせる。
 独特の構えは、少女なりの剣に対する礼。
 己がもっとも好み、そして最大の技をもって、愛刀と共に強敵を屠るという意志の現れ。
 極めようと何百、何千と培ってきた修練が、一瞬で構えを作り出し、少女は前へと跳びだした。
 砂漠に残っていた氷片を正確無比に捉えながら、またも驚異的な加速を発揮し少女は矢のような速度で突き進む。
 狙いは一点。
 ただ一瞬。
 サンドワームの高さと速度、落下予測位置、砂漠に撒いた氷位置、己の技の始動時間等々。
 あらゆる条件を記憶し、考慮し、導き出す。
 魔力を持たない……魔力を捨てた後に残った両手の間合いこそが今の己の世界。
 ならばその世界において誰にも負けない存在になろうと心に決めている。
 自分が世界において最強となる一瞬を作り出せる剣士になると。
 轟々と音を立てながら落ちてくるサンドワームの巨体を睨みながら、少女は氷片を強く蹴り宙へと跳ぶ。
 打ち出された矢のような勢いでサンドワームへと迫った少女は捻っていた身体に溜めていた力を左手に乗せながら振り、
 
 
「逆手双刺突!」


 切っ先がサンドワームへと触れると同時に折れているであろう右掌を、柄頭へとたたき込み剣を強く突き込んだ。
 折れている手で柄頭を打つなど正気の沙汰ではない。
 しかし、この狂気的な思考こそが少女を支える強さの一つ。
 肉も骨すら切らせてでも命を絶つ。
 どれだけ傷つこうが生きていれば勝者。
 そして死ねばすべからく敗者。
 生と死の関係性は勝者と敗者と同義。

 つまりは”弱肉強食”

 もっとも原始的な規則が少女の根幹にはある。
 人としては狂気。
 生命としては当然の本質を持って、少女は切っ先もない剣で、硬いサンドワームの表皮を突き破ってのける。
 だが突き破ったその内側にはぶ厚い筋肉の塊が待ち受けている。
 これ以上はいくら何でも突き込むことは出来ない。
 いくら他に比べて柔らかい腹部といっても、サンドワームの表皮は岩のように硬い。
 ならば…………そこに大地があるのと変わらない。
 高速思考の中、突き込む限界を悟った少女はサンドワームの身体へと横向きに”着地”した。
 残った生命力を一気に闘気へと変換。
 心臓が激しく躍動し丹田が燃えているかのように熱くなる。
 両足の筋肉が音を立てるほどに力と闘気を込め、金属製の柄が変形するほどに剣を握り、力を込めて引き動かす。
 サンドワームの肉を僅かずつだが切り潰していく剣は、ぎじぎしと異音を奏で今にも折れそうなほどに歪むが、まだ耐えられると信頼しきり、少女はさらに力を込め無理矢理に剣へと力を込め斬っていく。
 折れた剣に残る刀身は短い。サンドワームにとっては僅かに肉を切られただけのこと。支障はないはずだ……通常ならば。
 しかし今のサンドワームは限界近くまで砂を溜め込み、身体がはち切れんばかりに膨張している。
 剣が筋繊維を一本断裂させる毎に綻びが生まれ、さらに負荷を掛ける。
 
 
「邑弦一刀流! 逆鱗縦断!」


 少女が強く呼気を吐きながら剣を一気に振り切ると、ついに限界を超えサンドワームの皮膚が大きく裂けた。
 髪の毛ほどの長さの傷は横へと広がり、さらにその下の肉が圧力に耐えかね深く裂けていく。
 体内に溜め込まれていた砂が傷口から、ちょろちょろとあふれ出したかと思うと、瞬く間に噴き出す量と勢いが増していった。
 まるで決壊した堤防から漏れ出す水のように、自分の中から猛烈な勢いで噴き出す砂によって引き裂かれながら、サンドワームが地上へと落下していく。
  
 
「わぷ……むぅ! しまった!」


 思わく通り斬ったはいいが、その後のことを考えおらず、噴き出した砂の勢いに負けて一緒に押し流され落下する少女と共に。



[22387] 剣士と薬師⑪ 〆
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/30 00:59
「こりゃ。すげえ……嬢ちゃんの仕業か?」


 腹を割かれ内側からめくれ上がったサンドワームの死骸が、うずたかく積もった砂山にもたれかかるように横たわって居る様に、先頭を歩いていたボイドが感嘆の声をあげる。
 周囲に漂う異臭は、つい先ほどまでここで激戦が行われていたことを色濃く物語っていた。


「ちっ。だめか」


 ボイドの舌打ちと共に、不意にカンテラの明かりが点滅を繰り返したかと思うとすぐに消えてしまい、辺りが暗闇に包まれる。


「魔力型はやっぱ無理っぽいな。さっき打ち上げた信号矢ももう消えてやがる。待ってろオイル型があったはずだ」


 殿を務めていたヴィオンが腰に下げていた『天恵アイテム』であるポーチをまさぐる。
 天恵アイテムとは迷宮を踏破した探索者達に与えられる神々の力を宿したアイテムである。
 ヴィオンの持つポーチは内部圧縮と軽量の奇跡が施されており、掌大の大きさのポーチは倉庫一つ分の内部容量を持つ。
 長期間迷宮に潜り大量の収穫物を持ち帰る事ができるため探索者達の必需品の一つとなっている。
 ポーチよりも二回りほど大きいカンテラを取り出したヴィオンは、はめ込まれた火打ち式の着火装置を弄り明かりを灯してからボイドへと手渡した。
 油の焼ける匂いと暖かな熱を放ちながら、ゆらゆらと揺らめく火が周囲を照らし始めた。
 オイル型の灯りは魔力型に比べて若干薄暗いが、消える兆候は今のところ見られない


「やっぱり、これもあの子が言っていたリドの葉を含んだ砂の魔力吸収の影響でしょうか?」


「だろうな。歩きで接近して正解だこりゃ」


 隊列の中央で護衛されるルディアの問いかけに答えながら、ボイドはほっと安堵の息を吐く。
 カンテラに使われる魔力とは桁が違うが、先守船の転血炉もやはり魔力を用いることに変わりはない。
 転血炉が停止してしまえば、先守船などただの重たい置物。
 浮遊魔術が消失してすぐに砂に沈んでしまうだろう。
 現役の探索者であるボイド達といえど、こんな砂漠のど真ん中で立ち往生は勘弁してほしく、先守船を少し離れた位置で停船させ、砂に沈まない用に底が広くなった靴を履き歩きで戦闘現場へと接近していた。


「さてと問題は嬢ちゃんの居場所だが……砂山に埋もれちまったか、それともサンドワームの下敷きになってんじゃないだろうな。気配が感じ取れねぇ」


 耳を澄まし意識を集中させてボイドは周囲を軽く探ってみるが、三人以外の気配を感じない。 
 こういった時は生体探知の魔術を使うのが手っ取り早くセオリーだが、魔力が影響を受ける今の状況下ではまともに発動するかも疑わしい。
 地道に探ってみるしかないだろう。


「ヴィオン。ポーチの空きあるよな? 死骸を回収してから下の方を見てくれ。俺は砂山の方を探ってみる。薬師の姉ちゃんはそこらから動かないでくれ。砂漠の地下は何がいるか判らない。すぐ助けにいける場所にいてくれ」
 

「あいよ。とっととしまっちまうか」


「はい。じゃあ、あの辺りにいます」


 ヴィオンは気楽に答えるとサンドワームに近付き、ルディアがきょろきょろと見回してから死角になりづらい平坦な位置を指さして頷く。
 ルディアを先守船に待機させておくことも考えたが、さすがに一人で残しておくのは不安があり、かといってボイド達のどちらかが残って一人で探しても埒があかない。
 まだまだ年若い女性とはいえルディアはそれなりに肝も座っているようなので、手の届く範囲にいてもらうのが一番という判断であった。 
 腰のポーチを取り外したヴィオンが、サンドワームの死骸へと押し当てる。
 すると小さなポーチの口よりも遙かに大きいはずのサンドワームの死骸が、ポーチの中にゆっくりと飲まれはじめた。
 容量的には余裕があるが、巨大なサンドワームの死骸を全て飲み込むには、5分ほどはかかるだろうか。
 しかし所詮は特別区のモンスター。
 皮や肉を売り払っても二束三文の売値にしかならず、血にしても転血するほどの魔力を持たない。
 回収する目的は少女を探しやすくするためと、新種もしくは変種の疑いが濃厚なモンスターは、出来れば捕獲もしくは死骸を回収し、管理協会へと報告する義務が探索者達に課せられているからだ。
 

「にしても小さな女の子が砂漠でサンドワームに襲われたって普通なら絶望する状況なんだが、此奴を見ちまった後だとしぶとく生き残ってる気がするわ……ボイド。こりゃお嬢の勘が当たってる。あのガキンチョまともじゃないぞ」
 

「みたいだな。しかしどうやったらこんな状況になるんだかいまいち判らん」


 砂山に直接手を当てて中の気配を感じ取っていたボイドが周囲を一瞥して、訝しげな声で答える。
 状況から見てこの不自然な砂山は、腹を割かれめくれ上がったサンドワームから噴き出した堆積物だろうとは推測できる。
 しかし、どうやったらサンドワームの腹を割くことが出来るのか?
 と、問われれば答えに窮す。
 無論切れ味の良い頑丈な武器と適切な技量があればやれるだろう。
 もしくは魔術を用いれば幼生体であるサンドワームの皮膚を切り裂く事はさほど難しくない。
 だがあの少女が有していたのは折れた剣一つで、自ら魔力を持ち合わせていないと言っていたという。


「考えてもわからねぇな……直接聞いてみるか」


 女子供は無条件で助ける者。
 それが信条のボイドだが、今回ばかりは好奇心が勝っていた。









「寒…………」


 ボイド達から少し離れた場所で待機していたルディアは小さく呟き身体を軽く揺する。
 トランド大陸よりも北にあり年中雪が降る冬大陸出身のルディアでも、この砂漠の冷気は耐え難い物があった。
 空を覆うぶ厚い砂の幕が太陽や月の明かりを遮っているからだろうか。どうにも重苦しく、気温以上に寒さを感じてしまう。
 少しでも寒さを紛らわそうとルディアは、身体を揺すりながら足踏みするように少しだけ移動する。。
 といってもあまり動かないでくれと注意されているので、精々10歩ほどの範囲内をグルグルと回るだけのつもりだ。


「?」


 だが歩き始めてすぐにルディアは、小枝を踏んだような音と感触が足元からして立ち止まった。
 しゃがみ込んだルディアは手袋を外して今踏んだ足元を調べてみる。
 砂をまさぐった指がすぐに硬くひんやりとした物体を見つけ当てる。


「…………氷?」     


 つまみ上げたそれは砂を含んだ氷の破片だった。
 なんでこんな所に氷が?
 疑問を感じたルディアだが、ヴィオンが灯台岩の方でもサンドワームの死骸を見つけ辺りが氷に覆われていたと話していたことをすぐに思い出す。
 これも何か関係あるのか。


「すみません! ここにも氷…………っえ?!」


 ボイド達に発見したことを伝えようとしたルディアの目の前の地面から、木の枝のような太さの何かが砂をかき分けズボッと飛び出してきた。
 驚きの声をあげるルディアがそれが何か認識する前に、それが氷の破片を掴んでいたルディアの腕に食らいついて引っ張ってきた。


「ちょ!? な、なに!? って! わっ!!!」


 恐ろしいほどの力でぐいぐいと引っ張られたルディアは、あっと言う間にバランスを崩し砂漠へと倒れ込んでしまう。
 しかも砂の中から這い出してきた何かは、ルディアの上に覆い被さるように乗りかかってきた。
 このままルディアを砂の中に引きずり込もうとしているのだろうか。
 何か唸り声のような物が背中から聞こえてくるが、慌てふためく今のルディアでは聞き取れるわけもない。
 

「おい! 姉ちゃん!? 大丈夫………………」


 ルディアの悲鳴にボイド達が慌てて駆け寄り、カンテラの光で照らし出して状況を確かめて声を呑む。


「あー……姉ちゃん落ち着け。嬢ちゃんだ」


 カンテラの明かりに照らし出されたルディア達の姿を見てボイドが呆気にとられた声を出す。


「ご飯……私のご飯……お腹すいた」


 ルディアの腕を掴んで自らの身体を引っ張り上げてのし掛かっていた者。
 それは空腹で意識が朦朧としているのか、ルディアの服の裾をハムハムと噛む砂まみれの少女だった。














「はっ!?? さ、砂漠を単独で越えようとしていた!? しかも歩きでだ!?」


 砂船の大きな食堂にボイドの驚きの成分を多量に含んだ声が響く。
 食堂の大きなテーブルには少女その右隣にルディア。
 対面にはボイドとヴィオン。
 それに修復と周辺警戒の指示で忙しい船長の代理として頼まれた老商人のファンリアが腰掛けていた。
 離れた席では商隊の者達が件の少女を一目見ようと遠巻きに陣取っていた。
 発見……というか遭遇した少女を連れて本船に戻ったボイド達は、ジュース一杯で意識がはっきりとした非常識な少女に尋問を開始したのだが、その口から出てきた答えはボイド達を混乱させるものであった。
 他の遭難者がいるかと連れは何人かと尋ねてみれば一人だと答える。
 ファンリア達の話から大金を持っていた事は判っていたので、じゃあ砂船をチャーターしたのかと思い改めて雇いの船員がいるのかと尋ね返してみれば、歩きで砂漠を超えようとしたから一人だと平然と返してきた。
 

「ん。何を驚くんだ? 昔は歩いて踏破していたのだろう。しかも暗黒時代はもっと強い魔獣が跋扈していたのだから、それから考えれば楽になっただろう……ん~蜂蜜のおかわりもらってもいいか? 次のパンに塗る分が足りない」


 ボイドに驚きの声をあげさせた少女は、ボイドの大声に驚いたのか目を二、三度ぱちくりとさせて平然と答えてから、蜂蜜の入っていた小瓶を逆さにして振って中身がでてこないのを見るとむぅと唸る。
 唖然として言葉に詰まっているボイドの様子に気づいていない、それとも気にしていないのだろう。


「お嬢さん。塗るじゃなくてそれは漬けるって言うと思うんだがね……誰かひとっ走りして倉庫から蜂蜜持ってこい。ミレニア産のがあっただろ」


 小皿の蜂蜜の海に沈むパンを見て、ファンリアが面白げに口元に微かな笑みを作ると、遠巻きに見ている配下の商人へと指示を出す。
 食えない老商人は、他の者達が唖然とするこの少女の言動を面白い見せ物程度に楽しんでいるようだ。 


「感謝するぞ。ありがとうだ……ん~でもお腹が空いているし待つのも……ん」

 
 嬉しげな笑顔を見せた少女はファンリアに軽く頭を下げ礼を述べていたが、小さくお腹が鳴り眉を顰め辺りを見渡し一点で目を止める。
 その目は横に座って少女の右手を治療しているルディアが広げた薬箱の中の瓶を見つめていた。 
 

「なぁ薬師」


「何? 痛い? 本職じゃないから上手くできないわよ」


 折れている少女の右手を洗浄し痛み止めを塗ってから当て木をして固定していたルディアが疲れた声で答える。
 大怪我をしている右手の治療よりも空腹だからと食事を優先しようとする少女に、食事と同時に治療を受けさせることを納得させるまでが一仕事だった。
 少女本人曰く『食事中に他の事をするのはマナー違反だろ?』との事。
 なら治療を先にさせろと言っても、お腹が空いているから食事が先の一点張り。
 しかも食べるのは先ほど少女が倒したサンドワームの死骸だという。
 ルディアから見て巨大なミミズにしか見えないサンドワームは、大金を積まれたとしても食べようという気になる類のものではなかった。  


「ん~痛いけど我慢できるくらいだ。それに痛み止めが効いているから少し楽になった。うん。良い薬師のお前に出会えた私は運が良いな。それよりその薬をもらっていいか?」


 にぱと陽性の笑みを浮かべた少女は、傲岸不遜な口調でルディアを褒めてから、薬箱に収まった瓶を指さす。
 それは先ほど少女に塗った痛み止めの練り薬が入った瓶だ。


「これ以上薬の量を増やしても痛みは引かないわよ。むしろ多めに塗ると肌荒れしたり悪影響出るから」


「いや痛み止めじゃない次のパンに塗る」


「…………は?」


 何を言っているんだこいつは?
 それがルディアの正直な感想だ。
 刺激が強いから適量で止めておけと伝えたはずなのに、何を思っているのかパンに塗ると答えた少女の思考はルディアの理外の外をひた走っている。


「ん。だってそれミノアベリーの実と種が主成分だろ。匂いで気づいた。ミノアベリーのジャムは好きなんだ」


 唖然としているルディアに対して少女は答えると左手を伸ばして勝手に薬瓶を掴もうとする。
 言葉通りパンに塗るつもりのようだ。


「こ、この馬鹿! た、食べようとするな! 劇物まじってんのよ!?」


 我に返ったルディアは急いで薬箱を閉じて少女から離す。
 薬と毒物は紙一重。そのままでは毒があるものでも薄めるなり、他の毒物と混ぜれば薬効成分となりうる。
 薬師にとっての基本だが、塗り薬を食するとなれば話は違う。
 この痛み止めにしても少女の言った通り、食用に使われるベリーを主に使っているが他にもいろいろ混じっている。
 皮膚よりも吸収されやすい体内に入れたら、身体に悪影響が出るのが必至な劇物も混じっている。


「むぅ。心配するな。最初に会った時に言っただろ。私は毒物に耐性がある。問題なしだ。だから食べさせてくれ。お腹が空いているんだ」


 馬鹿と言われて気に障ったのか少女は不満げに唸りすぐに拗ねた顔を浮かべる。
 人を引きつける強い光を持つ目と、幼いながらも気品を臭わせる整った顔立ちに拗ねた表情を浮かべる少女は、同性であるルディアにも思わず保護欲を覚えさせるほどに可愛らしい。


「あ、あんたね。そういう顔を浮かべるような頼み事じゃないでしょ。すぐに来るんだから我慢しなさい」


 これで言っている事が無茶苦茶で無ければ、思わず頷いてしまったかも知れないと思いつつルディアは首を横に振った。
 荒れて無造作に縛った髪に油を塗り髪型をを整えて、綺麗な服を着せれば化粧無しでも貴族の令嬢として通用しそうな美少女と言った外見の癖に一事が万事この調子だ。
 少女の言動は明らかに異常な類なのだが、少女自身はそれを一切異常だと思っていない節が随所に見受けられる。
 しかも極端なほどにマイペースだ。
 骨が折れていれば大の大人でも叫ぶほどの激痛があるだろうに、少女はたまに顔をしかめるくらいでぱくぱくと食事を楽しんでいた。
 だがその食事も変の一言。
 極端な甘党なのか横で見ているルディアの方が胸焼けしそうなくらいに蜂蜜やら砂糖、ジャムをどばどばと塗りたくっていた。
 ベーコンエッグに蜂蜜を掛けているのを見た時は正気を疑ったほどだが、当の少女は実に美味しそうに食べていた。


「ったく話進まねぇな。ガキンチョ。一つ尋ねるんだが最初に見つけた時、お前さんは倒れていたよな。そっちの姉ちゃんの話じゃサソリの毒で死にかけてたみたいだしな。それに嬢ちゃんが倒れていた灯台岩にもサンドワームの死骸があって、お前さんの持っていた折れた剣ぽいのが刺さってたが何があったんだ?」 


 困惑しているルディアを見かねたのか、蜂蜜入りワインの湯わりで冷え切った身体を温めていたヴィオンがカップをテーブル上に置いて話に割り込む。
 一々驚いていては話が進まないと、とりあえず気になることをどんどん尋ねるつもりのようだ。

     
「うぅ……アレを見られたのか。アレは私の未熟さ故だ。本当は逆手蹂躙で心臓を抉り貫くつもりだったんだが、狙いが逸れて頭に当たってしまった。奴の頭骨が思ったより硬かったので完全には貫けなくて岩に叩きつけて潰したんだ」


 剣を折ったことを恥じているのか少女は悔しそうな顔を浮かべている。
 だが言っている事は相も変わらず無茶苦茶だ。
 極端ではあるが甘い物好きという年相応の嗜好をみせる少女が語る行動とは思えない。 実際に岩に縫い付けられたり、腹を割かれたサンドワームを見たヴィオンでなければ、できの悪い法螺話と思うような内容だ。
   

「あぁあっと…………逆手蹂躙ってのは?」


「私の使う流派の剣技の一つで加速力を全て突きへと変換する対軍の陣形貫通を意図した大技だ」 


「いや剣技で対軍とか陣形貫通っておい。ボイド聞いたことあるか?」


 何とか驚かず進めようとしていたヴィオンだが、対軍を想定した剣技があるという荒唐無稽さぶりに思わず横のボイドに尋ねる。


「ねぇよ。ファンリア爺さんあんたの方は」


「剣で山を貫いたって話ならあるが、流派の剣技としては聞いたことがねぇな」


 交易商人として見聞が広いファンリアをボイドが見るが、老商人はタバコを吹かせながら首を横に振る。
 剣で山を貫き道を造ったというのは有名な伝説でボイドも知っているが、それは大昔の上級探索者しかも能力開放状態での事だ。
 呆気にとられているボイド達を見た少女が申し訳なさそうな表情をしたかと思うと深々と頭を下げた。
  

「むぅ。すまん。どうやら誤解があるようだ。本来ならと言うことだ。今の私の力量ではそのレベルまではいかんぞ。精々対大型モンスター程度の威力しか出せん。しかも1回放つ事に生命力をほとんど使い果たす。おかげであの程度の毒物の存在にも気づかずたべる事になったし、身体から抜くにも時間が掛かったんだ。だからお前達に助けてもらって助かったぞ。改めて礼を言わせてもらう。ありがとうだ」


「謝るのとか礼はいいが、問題はそういう事じゃないんだけどよ……つーか食ったって何を?」


 どうにも見当外れの謝罪をしてきた少女の言葉に気になる部分があったボイドは頭痛を覚えたのか額を抑えながら少女に問いかける。
   

「サンドワームだ。ただサソリの毒を体内に蓄積していたようで毒があった。食べている最中に気づいたんだが、お腹が空いていたし今更だったからな致死量ギリギリまで食べて後から抜こうと思っていたんだ」


「………………実際に食べたのアレを? しかも毒があるって判ったのに」


 腹が空いているからサンドワームを食べると言っていたが、既に食べた後だと思っていなかったルディアの手から包帯がぽとりと落ちる。
 ボイド達も予想外の答えに今度こそ言葉を失い、さすがのファンリアも唖然としていた。


「ん。火を通せばもう少し美味しかったのだろうが、あいにく砂漠では薪は拾えないからな生で食べてみた。肉は硬くて不味いが内蔵は貝類みたいでコリコリして美味しかったぞ」 

 少女は味を思いだしたのか嬉しそうな笑顔を浮かべている。本当に美味しいと思ったようだ。
  

「よ、よりにもよって生って……あ、あんた一体何なのよ?」


 ミミズの化け物を倒してのけて、その内蔵を生で食すという暴挙をおこなう幼さの残る美少女。
 相反するという言葉も生ぬるい意味不明さ。


「うん? そう言えばまだ名乗っていなかったな。むぅ助けられたというのに礼儀がなっていなかったな。済まない」


 奇妙すぎる少女が一体何なのかという疑問が思わず口に出ただけだったのだが、当の本人は名前を尋ねられたと誤解したようで、まだ名乗っていなかったことを謝罪してから胸を張る。


「私の名はケイス。探索者を志す旅の剣士ケイスだ」


 威風堂々と少女は、『ケイス』は強い言葉で名乗りあげた。
 






















 
 戦闘完全終了。
 サブクエスト『聖剣ラフォスの使い手』シナリオ消失。
 メインクエスト最重要因子『赤龍』に吸収。
 シナリオ改変準備。
 



 賽子が転がる。
 賽子の外側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の外側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 世界を丸々ひとつ埋め尽くす膨大な数の賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。
 賽子の名前はミノトス。
 人々に対しては迷宮を司る神。
 神々に対しては物語を司る神。
 迷宮神ミノトスは休むことなく迷宮にまつわる物語を紡ぎ続けていく。



[22387] 剣士と刃物
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/11/06 04:03
 身体に染みついた習慣か、それともその獣じみた本能か。
 日の光が届かない常闇の砂漠においても、日の出の気配を身体が自然と感じ取り、ケイスは深い眠りから覚醒する。
 目を開くと同時に半身を起こしたケイスは、寝起きとは思えない機敏な動作でさっと周囲を確認する。
 部屋に一つだけある二重窓の外は相変わらず真っ暗なまま。
 常夜灯のランプの微かな明かりが室内にうっすらと影を作る。
 室内にはケイスが寝ていた物もあわせてベットが二つと机に鏡台が一つずつ。
 壁の一部は埋め込み式のクローゼットになっている。
 あまり生活感が感じられないここは、砂船の客室の一つだ。
 ケイスのすぐ隣にあるもう一つのベットからは、静かな寝息が聞こえてくる。
 寝息のリズムはここ数日で聞いていたのと変わらず。
 狸寝入りをしている気配もない。
 一時的な同居人であるルディアが、別の者にすり替わっていたということもなさそうだ。
 寝ている間とはいえ室内に敵意を持つ誰かが忍び込んでくれば、自分が気づかないはずだとは思うが、それでも万が一ということもある。
 クローゼットからは気配無し、部屋の死角に誰かが息を潜めている様子もない。
 室内の各所に注意をむけていたケイスだったが、通路側の壁に作り付けられた机を見て目を止めた。
 机の上では砂時計のような形の型枠でガラス器具が固定されており、ガラスの中では緑色の液体がコポコポと小さな音をたてながら加熱されていた。
 型枠の天板と底板は金属製の文字盤となり、それぞれが冷却と加熱の効果を持つ小型の記入式魔法陣となっている。
 記入式魔陣とは加熱、冷却等それぞれの基本術式があらかじめ文字盤に刻み込まれており、後から空白となっている外周部分に魔術文字を書き込み効果や発動時間を調整する物で、一から魔法陣を書かなくても良いので職人達に好まれ工房などで使われる魔法陣の一種だ。
 だがケイスの知る記述式魔法陣は祖母の持つ巨大な温室を温める為の大型魔法陣だけだったので、二重化されたこのような小さい物もあるのかと物珍しさから興味が引かれていた。
 昨夜寝る前に書かれた記述を軽く読んでみたのだが、随分細かな時間、温度指定をしてあり、何度も加熱と冷却を繰り返す事になっていた。
 おそらく薬効成分を最大まで高める処置なのだろうが、薬師の知識を持ち合わせないケイスにはそれがどういう意味があるのかは理解できない。
 一晩経ったというのに外周部の記述は三分の一も減っていないので、まだまだ完成までは時間が掛かるという事が判るくらいだ。


「薬の製作とは手間が掛かっているのだな……むぅパンに塗ろうとしたのは失礼だったか」


 手間暇の掛かった物を本来の用途以外で使おうとすれば怒られて当然。
 ルディアがなぜ怒鳴ったのか、かなりはき違えた答えを出しながらもケイスは数日前の自分の行動を思い返し反省する。 



 ケイスにとって世界は常に新鮮で目新しい。
 一年前までのケイスは極めて偏った知識と経験しか持ち合わせていなかったからだ。
 剣術と魔術に生存術の3つとケイスの為だけに復活した古代迷宮『龍冠』。そして迷宮龍冠直上のルクセライゼン帝国離宮『龍冠』だけがケイスの知る全てだった。
 剣術を鍛え上げ、魔術を磨き、生存術を駆使して、迷宮龍冠を脱出し離宮龍冠へと帰る。
 しかし脱出しても怪我が癒えればまた迷宮のどこかに転送され、無傷だったとしても一週間も経つと気づけば迷宮の最奥にいた。
 この状況は祖母から聞いた話ではケイスの2才の誕生会から始まったそうだが、ケイスはその瞬間のことは良く覚えていない。
 はっきりと覚えているのは、暗くじめじめした場所に独りぼっちでいた自らと、泣いても喚いてもいつまで経っても誰も来てくれなかった事。
 そして迷宮から脱出する為に自分の足で一歩を踏み出したその時からだ。
 最初は、小動物が地上までの道案内をしてくれて、寒さと不安で眠れない身体を温めてくれた。
 無尽蔵に生えていた甘い果物が空腹を満たし、よく冷えたわき水が喉の渇きを救ってくれた。
 扉を開ける為のパズルや、綺麗な花で出来た迷路は楽しかった。
 長い迷宮だったが、ケイスが遊び場と認識するまでさほど時間は掛からなかった。
 だが、ケイスが成長するのに合わせるかのように迷宮も変化する。
 小動物は成長しケイスを襲う獣と化し、食べられた果物は徐々に数が減り、わき水には毒が少しずつ混じり、鋼鉄の巨大な扉に行く手を塞がれ、致死トラップに巻き込まれた事も一度や二度でない。
 だがケイスはそれでも止まらなかった。
 友達を殺し血肉を喰らい、毒であろうが負けない身体をつくり、扉を打ち砕き、トラップを排除して、意地でも這い上がりつづけた。
 ただ、ただ一つの目的だけを抱き。
 離宮龍冠へ。
 大好きな家族の元へと戻る為に。
 幼少時から続いた摩訶不思議な体験が、ケイスのずば抜けた戦闘能力を生みだし同時に異常な思考を作り上げていた。
 ルクセライゼン帝国最秘匿存在であるケイスを知るものは彼の帝国に極々少数。
 だがケイスを知る者は誰もが口を揃える。
 あの姫は神に選ばれた存在なのだと。
 しかし当の本人は、自分の生まれや意味などそんな物を一切気にしていない。
 どこまでも自由気儘にして傲慢、傲岸不遜なケイスにとって、自らの存在意義やその宿命など意に止めるものでは無い。
 好きなことをやる。
 それがケイスの絶対無二にして唯一の行動方針。
 外の世界。
 知らなかった本当の広い広い世界に出たことで、自分がどれだけ無知だったのか毎日思い知らされているが、同時に新しいことを知るのが楽しくてたまらない。
 大望を抱きこのトランド大陸に渡り探索者を目指している以上、それが絶対優先目標であるのは変わらないが、それとは別にケイスは今の旅を心の底から楽しんでいた。 


「……ん。起きるか」


 室内の安全を確認したケイスは警戒態勢を解くと、寝ているのがもったいないとベットの中に入れたままの左手をそそくさと引き抜く。
 その手には抜き身の小刀が握られていた。
 握り拳ほどの短い刃が、ランプの明かりを受けてぎらりと輝く。
 銀を用いたほっそりとした刀身と丸みを帯びた柄はどこか女性的で、万人が認める美少女でありながらも、普段の言動からはどうにも獰猛さが滲むケイスには少し不釣り合いだ。
 見る者が見ればこの短剣が戦闘用では無く、お守り的な意味での護身懐剣として拵えられたものと気づくだろう。
 その証拠にケイスが持つ短剣は柄からからからと乾いた音が微かに鳴っており、中身が中空となっている事を気づかせる。
 華麗な銀細工で全体を彩られた懐剣は、持ち主を守護し邪気を払う神聖品を中空となった柄に納め生まれた女子に贈るという、今は無き古い国の慣習に基づいて作られた品だ。
 オークションにでも出せば、収集家の目を引き相当な高値を付ける一流の芸術品といって良い出来映え。
 しかしケイスの本音を言えば、いくらお気に入りの剣の1つで有り、大切な人から送られた護身刀とはいえ、このような小さな刃物では無防備な就寝中には心許ないというのが正直な所。
 最低でも長剣。できたらこの間の戦闘で壊してしまったバスタードソードクラスをベットに持ち込みたい。
 あのサイズならとっさの時の盾にも出来るし、場合によってはベッドごと襲撃者を切り裂く事も出来るのにと、昔から不満を持っていた。 
 しかしどうにも昔から剣を寝台に持ち込む癖は、周囲からは評判が悪かった。
 寝ている間に怪我をしたらどうするとか、シーツや毛布がダメになると散々言われてきたが、ケイスからすればそれが判らない。
 刀剣を常に身近においておかず不安にはならないのだろうか?
 自分ならそんな大胆なことは出来ない。
 第一だ。
 自分で握っている刃物なら、例え寝ている間であろうとも望まない物を切るはずがない。
 そんな簡単な事が、なぜ他人には判らないのかケイスは理解できない。
 ただ誰も彼も反対する上に、一番信頼していた従者でもあった従姉妹にさえも理解して貰えなかったので、目に見える大きな剣を持ち込むのは渋々止めて、常に身につけているこの護身刀だけで我慢していた。


「ふむ。問題無いな」


 ベット脇のチェストの上に置いてあったチェーンのついた鞘を掴んで懐剣を納めて、鎖を首元に掛けて懐剣を懐にしまい込んだケイスはベットから抜け出す。
 素足に触れる冷たい床の感触が、眠っていた間に火照っていた身体に気持ちいい。
 足裏には最下層の転血炉が稼働する微かな振動が伝わってくる。
 規則的な微動は転血炉が問題無く稼働している証拠だ。
 サンドワームの襲撃で船体各部にそれなりのダメージを負ったはずだが、動力推進機関に問題はなさそうだ。
 

「ん」


 旅が順調なことに満足気に頷いてから、大きく伸びをして体調を確認。  
 治療中の右腕は手首から先が包帯と当て木でぐるぐると巻かれ固定され不便なことこの上ないが、ルディアの痛み止めのおかげで引きつるような感触があるだけだ。
 身体を捻りながら筋肉をほぐし、ついで左手の指を開いたり閉じたりして、反応速度も確認。
 ここ数日ちゃんとした食事にありつけたおかげか、サンドワームとの戦闘で無茶をした影響で残っていた、身体のだるさや熱も完全に抜け、思った通りの動きができる。
 そろそろ本格的な鍛錬を再開をしても問題無いだろう。
 だがその前にやることをやってからだ。
 今は好意で砂船にただ乗りさせてもらっている。
 ならば手伝えることがあるなら極力手伝うべき。
 基本的には常識外れなくせに、妙に義理堅いというか根っこの部分では真面目なケイスは一つ頷いてから、隣のベットで毛布にくるまっているルディアの身体を軽く揺する。


「ルディ。ルディ。良い朝だぞ。厨房の手伝いに行くから着替えの手伝いを頼む」


「…………ぁ……あぁ朝ね……ったく。朝から元気ね。あと何度も言うけどルディア。一文字だけ削った中途半端な略し方するなって言ってるでしょ」


 眠りを妨げられたルディアが寝起きの不機嫌そうな表情を浮かべ文句を言いつつも、もぞもぞと動きベットから這い出てきた。
 癖が強いのか派手な赤毛がぴょんぴょんとあちらこちらに飛び跳ねているが、あいては同性。しかも年下のケイスの前だからか特に気にしている様子はない。


「ふぁぁ……ほら。そっちいって。背中むけて。」


 まだ寝足りないのか欠伸混じりのルディアは、ケイスの肩を掴んで背中を向けさせてから鏡台前の椅子に座らせる。
 ケイスが着る寝間着は背中だけでなく右肩の後ろ側にもボタンが付いており、右側だけ半袖となっている。
 ケイスが元々着ていた旅装束一式はボロボロとなった上に、右腕が包帯と当て木でふくれ上がり普通の服が着られなかった事もあったので、ファンリアの商隊で衣服商をやっている針子の女性が古着を縫い直して譲ってくれた特別品だ。
 他にも幾つか袖を通さなくても、良い服をもらい受けている。
 とりあえず頑丈で動きやすければあまり気にしないケイスとしては、そこまで着る物に拘りは無いのだが、
 彼女曰く、
 『女の子が見た目に気を使わなくてどうする。しかもあんたみたいなのが適当ってのは服飾神様に対する冒涜よ』
 とのことで、どうやら”見た目だけ”で判断するならば、美少女であるケイスに自分が手直した服を着せる事を楽しんでいるようだ。


「にしてもあんたさ…………どんな身体してんの? 二、三日前まで髪はごわごわで肌もかさかさ傷だらけだったのが、何でこんなに良くなってるのよ」 


 しっとりと濡れるような艶のある黒髪と肩口から覗くすべすべとした卵のようなケイスの素肌を見たルディアが、この数日で別人のように変化したその肌や髪質に呆れ混じりの声をあげながら、背中まである黒髪を櫛で梳いていく。

「ん~ゆっくり寝たし、ご飯が美味しかったからな。生命力が十分戻ったから闘気で回復力だけを高めている所為だろ。それにルディの薬がいいのもあるな」


 髪を梳かれる心地良い感触を楽しみながら、ケイスは弾んだ声で答える。
 血の滴る生肉も悪くはないが、温かいご飯も美味しいし、固い地面よりベットの方が気持ちが良いのは言うまでも無い。
 よく寝てよく食べるから自然と生命力も戻り、闘気を身体に張り巡らせて回復を早めることが出来る
 それに腕の立つ薬師の薬もあるのだから、これくらいはケイスにとって当たり前。
 むしろたかだか骨折程度で骨がまだくっつかないのは遅すぎるくらいだ。
 

「身体能力全般を高めるならともかく、回復だけって……あんた探索者でもない癖によくそんな器用に使えるわね。それにあたしの薬はただの化膿止めと痛み止め。美容効果はないっての」


 闘気を使って身体能力をあげるのはさほど難しい事ではない。
 それこそ子供でもそこそこの生命力があり生命力を闘気変換するコツさえ知っていれば出来る。
 しかし生み出した闘気で全身の身体能力強化を行うならともかく、一部だけに限定して強化するとなると途端に技術的には難しくなる。 
 だがこの闘気操作をいとも簡単にこなす者達がいる。
 それが神の恩恵である天恵を得た者達。所謂探索者だ。
 天恵は探索者に強い生命力を与えると同時に、変換能力の増大と細分能力をもたらす。
 探索者ではないルディアには魔力の違いなど判別できないのだが、最高位の上級探索者ともなると、魔術に使う魔力一つとっても術にもっとも適した波形の魔力を生み出す事ができるという。
 勿論探索者と比べればケイスの闘気の細分化は拙いの物だが、年齢を考えれば十分驚異的なものだ。
 しかしここ数日でケイスの無茶苦茶な言動と能力を目の当たりにした所為か、常識という感覚が麻痺し掛かっているルディアはただ呆れ顔を浮かべるだけだった。
  

「はい縛るわよ……そうだ。食事で思いだしたけどあんた食べ過ぎじゃない? 並の大人の二、三人前はぱくぱく食べてるけどよく入るわね」
 

 髪を梳き終わったルディアは、今度は髪を大きくまとめて紐で結い上げポニーテールへと仕上げていく。
 この髪型は動きやすいからケイスは気に入っているが、自分でやるとどうしても納得がいかずいろいろ弄っているうち変になってしまう事が多かった。
 結局紐で適当に縛る事が多いのだが、ルディアの髪結いはケイス的には十分及第点だ。


「私は動いているからな。ルディも一緒に鍛錬するか? 身体を動かすとご飯が美味しいぞ」   
 

「冗談。あんたの鍛錬なんて付き合ってたら2、3日は筋肉痛が確定でしょうが。それ以前に怪我人が無茶するなっての。昨日もいったでしょ。治る物も治らないわよ。ほら馬鹿言ってないで右手出して。包帯をまき直すから」


 素気なく断られたケイスは不満顔を浮かべるが、ルディアはケイスの頭を軽く叩いて注意すると、寝ている間に緩んでいた右手の包帯を強めにまき直しはじめる。
 ケイスからすれば昨日はまだだるさもあって軽く身体を動かした程度なのだが、ルディアから見ると十分すぎるほどのオーバーワークだったようだ。
 

「そういえばあんた昨日マークスさんとこの息子さんに喧嘩を吹っ掛けたって? マークスさんが何かやたら上機嫌で、調子に乗ってた息子が叩きのめされたとか言ってたんだけど」
 

「ん?……あぁ子グマのことか。失礼なことを言うな。私がクマから剣を借りて素振りしていたのだがあいつの方から絡んできたんだぞ。失礼な奴だ」


 しばらく考えてからケイスは昨日あったことを思いだして不愉快に眉を顰める。
 ちょっとした”認識”の違いから誤解が生じていた武器商人のクレン・マークス通称クマだったが、無事に誤解が解けたこともあって良好な仲を築きかけている。
 昨日などはクマからケイスは鍛錬用に武器を貸してもらったほどだ。
 それ故に昨日は途中までケイスはすこぶる上機嫌だったのだがクマの息子。
 ケイスが子グマと呼ぶ13才の少年ラクト・マークスに出会った事で気分は最悪になった。


「それに叩きのめしたのではない。あいつが剣を取り上げようとずかずかと私の間合いに入ってきたので危ないから投げ飛ばしただけだぞ……子グマが気絶がしたが受け身を取らなかったあいつが悪い」


 気絶させたのはやりすぎたかと思いつつも、ケイスは頬を膨らませる。
 どうやら自分が剣を持ち出すと怒る父親が、ケイスには喜んで貸し出していたのが気に食わなかったらしいが、ケイスからすればいい迷惑だ。
 

「やり過ぎだっての。あたしもそうだけどあんたも居候みたいなもんだから大人しくしてなさいよほんと」


「ん。判っている。だから早起きして厨房の仕事を手伝っているだろ。それにあっちが絡んでこない限り私から力を振るう事は無いぞ。私は心が広いから、昨日のことは水に流してやるし、意味なく力を振るう乱暴者ではないからな」


 ケイスは強く頷き胸を張って答えたが、ルディアが向ける視線は非常に疑わしいと雄弁に物語っていた。

















「テーブルと床の掃除は終わったぞ。次は何をすればいい?」


 使い終わったモップを左手で持ちながらケイスは食堂のカウンターから、厨房の中へと声をかける。
 砂船『トライセル』は乗員乗客合わせて八十人以上が乗り合わせる中型船だが、その食堂は人数に対して大分手狭で最大に詰めても三十人分ほどの席しかない。
 これは元々トライセルが探索者向けの船として設計されていた事が原因だ。
 探索者は大抵4~7人で1パーティを組む。
 基本的にはそのパーティ単位で探索者達は、迷宮を探索したり、様々な依頼をこなしていく。
 また大規模な討伐や長期に及ぶ依頼。危険度が高い迷宮に潜る場合は、数パーティが集まり、チームを形成するのが昨今の主流だ。
 迷宮内に船を持ち込んだり、建築魔術スキルをもつ術者が簡易砦を築城して拠点を作り長期探索や採取をおこなう場合は、中級探索者クラスの場合は安全性と収益分配や採算の関係から、最大で4パーティほどが合同チームを結成している。
 中級迷宮探索船であったトライセルも、定員四十人を見越して建造、運用されていた。
 だが老朽化に伴う払い下げの際に、過剰武装と不要設備の撤去をして旅客貨物船への改装をおこない客室と倉庫の容量を増やしている。
 だが厨房等水回りが関係する部分は大規模な改装をするのが難しく、元のままとなっている。
 結果厨房の拡張が出来ない為、食堂も元の広さのまま据え置かれていた。


「おう…………おし。ちゃんと出来てるようだな」


 白髪交じりの料理長セラギ・イチノは仕込みの手を休めて食堂へ出てくると、掃除箇所を一通り確認してからケイスの頭を撫でて褒める。
 固太りで厳つい顔の為か肉を捌く姿は、料理人よりもオーガだと言われるセラギだが、その厳つい外見に反して繊細な味の料理を得意とし、貨客砂船程度の料理長をしているのが不思議な腕をしていた。


「うむ。当然だ。食事を取る場所は綺麗にしなければいけないのだろ。セラギの教えてくれた通りにぴかぴかにしたぞ」


 セラギに褒められたことに、素直な笑みを浮かべて喜びながらケイスは胸を張る。
 親子以上に離れた年長者に対する言葉遣いではなく傲岸不遜その物だが、テーブルの上は綺麗に磨かれ、床にはゴミ一つ無く、額にはうっすらと汗を掻いたケイスが一生懸命に掃除をしていたことは一目瞭然だ。
 

「初日から比べて随分進歩したな。まさか床用のモップでテーブルを拭く奴がいるとは俺も思わなかったからな」


 初日にとりあえず掃除をさせてみたケイスがモップでテーブルを拭き始めたのを見た時には巫山戯ているのかと思い怒鳴りつけたのだが、セラギの怒気にも恐れた様子も見せずなぜ怒られたのか判らずケイスはきょとんと首をかしげるだけだった。
 本当に知らないようだったので仕方なくセラギ自ら見本を見せたのだが、すぐに気をつける場所や効率的なやり方を覚え、言葉使いのわりには妙に素直な所があるケイスをセラギは気に入っていた。
 

「むぅ。しょうがないだろ知らなかったんだから。ちゃんと見て覚えたからいいだろ。それより次の仕事を寄越せ。鍛錬までまだ時間はある。私に出来ることなら何でもやるぞ」

 
 セラギのからかい混じりの目線に頬を膨らませるケイスだったが、すぐに気を取り直して次の仕事を催促する。 
 掃除は適度に身体を動かす事ができるので準備運動代わりにはもってこいだが、手伝いをする時間は朝と夕方それぞれ一時間の約束としていた。
 今日は掃除になれてきたのと身体が自由に動くので所為で思ったより早く終わり、約束の1時間までは30分以上残していた。
 

「次の手伝いか・そうはいってもな。お前さんの右手がそれじゃなあ」


 包帯と当て木で固定されたケイスの右手を見てセラギはどうしたもんかと腕を組む。
 左手一本で出来ることなどさほどない。
 それが料理人……いや一般人であるセラギの常識だ。
 

「ねぇ親父。それならケイスに皮むきやって貰おうよ。今日の夕食のポテトサラダ用」 


 二人の会話を厨房内で聞いていたのか焦げ茶色の髪の若い女性がカウンターに身を乗り出し、手に持っていたジャガイモとペティナイフを掲げてみせる。  
 女性はミズハ・イチノ。名前の通りセラギの一人娘でこの厨房のもう一人の料理人だ。 ミズハは父親の元で修行中とのことだが、イチノ親子たった二人で八十人分を毎日三食作っているのだから、もう一人前と言っても過言ではない。
 特に前菜とデザートに関しては女性としての感性が勝るのか、ミズハの料理の方がセラギよりも評判がよい。


「馬鹿かミズハ。ケイスの右手は塞がってんだぞ。自分が楽したいからって無茶を言うな。サラダ用のジャガイモはヘント種だから小さくてただでさえ剥きづらいってのに」


 ミズハの持つジャガイモはヘント種と呼ばれる鶏の卵より一回りほど小さい大きさと形をした品種だ。
 冷やしてもホクホクとした食感が変わらないのでサラダ用には適しているが、粒が小さいので皮が剥きにくく、仕込みをする下っ端料理人泣かせのジャガイモだ。
 トライセルの料理人は二人しかいない為にどちらが大変な作業をやるとかではないが、肉、魚関連はセラギ、野菜の仕込みはミズハと分担が出来ている。
 夕食のサラダに使うヘントジャガイモも無論ミズハの担当で、朝のうちに木箱一杯分の皮を剥き水にさらし茹でておかなければならない。
 手間を考えるとかなりの一苦労なのだが、


「違う違う。親父はケイスを甘く見てるんだって。ほらケイス昨日の林檎みたいにやって。ほいパ~ス」 


「おわっ! ミズハ刃物を投げるな!」


 ちっちと小さなジャガイモを振ってみせたミズハは、ケイスに向かってペティナイフと小さなジャガイモをポンと投げ渡す。
 いきなり刃物を投げたミズハの行動にセラギが驚きの声をあげるが、当のケイスは落ち着いた物だ。
 飛んでくる矢に比べれば、クルクルと回るナイフ程度など、ふわりと落ちてくる綿毛と危険度は変わらない。


「ふむ。よかろう」


 無造作に左手を付きだしたケイスは人差し指と中指でナイフの刃を挟みとり、そのついでに宙を舞っていたジャガイモにも手を伸ばすと親指と小指でつかみ取る。
 ナイフとジャガイモをキャッチしたケイスは指を軽く動かして、手の中でジャガイモを回転させながらナイフの刃を当てて皮を剥いていく。
 物の一瞬でケイスの手から一本に繋がった薄い皮がカウンターの上にぽとりと落ちた。


「これくらいの厚さで良いかミズハ?」


 見事に裸になったジャガイモをケイスは二人へとみせる。
 大きさは皮を剥く前とさほど変わらず表面はなめらか。身を削らないように薄皮一枚で剥いてあり、とても左手一本でやった物とは思えないほどだ。


「なっ?!」


「おぉさすが! やるケイス! ご褒美に後で新作デザートの試食させてやんね。昨日の表情みた限り林檎は好きでしょ?」


 驚きの声をあげる父親とは違い、昨日既にこのケイスの曲芸じみた皮むきを見ていた娘はぱちぱちと拍手を送りながらウインクしてみせる。


「ん。良いのか? でも楽しみにしておく。リンゴもミズハのデザートも好きだ」


 手の中にある動かない物を斬るなどケイスからすれば朝飯前。
 この程度でご褒美を貰ってもいいのかと思いながらも、一番の好物であるリンゴのデザートと聞いて是非もなく笑顔を浮かべる。


「ってなわけで親父。ケイスに手伝わせるのに文句はないでしょ。この子、刃物扱わせたらたぶん親父より上なんだから」
  

「判った判った。確かに俺には出来ない芸当だ。でもそれとは別にだ。ナイフを投げるな驚くから」


 勝ち誇った顔を浮かべるミズハに、苦々しい顔で睨みつけながら苦言を呈すセラギの横でケイスが胸を張る。
 

「当然だ。私は剣士だからな。他にも斬る物があれば任せておけ。斬るのは大好きだ」


 この後数日間、十分に物を斬っておらず欲求不満気味だったケイスは、言葉通り嬉々として刃物を振るい、ジャガイモ1箱とニンジン30本ついでに骨付きの牛半身を捌き満足な斬りごたえを感じてから朝の手伝いを終えた。



[22387] 剣士と少年 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/11/08 03:01
 砂船トライセルは全長約150ケーラ。
 その最下層は隔壁で隔てられ船首側は機関部、船尾側は倉庫となっている。
 厨房の仕込みを手伝い終えたケイスは、人気のない船尾側最下層まで降りていた。
 倉庫のスペースを少しでもとるために通路の横幅は両手を伸ばしたくらいと狭いが、長さは約60ケーラほどもあり、闘気の底上げ無しでのケイスの全力疾走では7秒ほどかかる。
 早朝の人気のない時間を使い、ケイスはこの通路での走り込みを行っていた。
 ケイスの目的はスタミナ増強の為の走り込みではない。歩法の鍛錬がその主な目的となっていた。 

「はっ!」


 息を軽く吐き出しケイスは跳び出す。
 柔らかな砂漠と違い、木製の硬い床は、1歩目からトップスピードに乗せる事を可能とする。
 広い歩幅でしかも常に一定になるように気をつけ、すり足気味に床を蹴りながら、通路の端を目指してケイスは疾走する。
 最初に歩数を決めてから、歩数に合わせて通路を平均分割して頭の中で線を引く。
 線を捉えて良いのはつま先のみ。
 最初は20歩から初め、成功したら1歩歩数を増やしていく。
 線を踏み外したのなら失敗。全力疾走時のタイム+1秒を超えても失敗。
 もう一度20歩からやり直す。
 それがケイスが行う歩法鍛錬の基本ルールだ。
 朝食の時間までの一時間を目処に今日の目標は40歩とケイスは決めて、ここまで5回目のやり直しでようやく30歩目まで進んだ。
 闘気を使い身体能力強化をすれば、目標の数倍までも無理なくこなせるが、それでは意味がない。
 闘気を用いれば身体能力を数倍、熟練者であれば数十倍にあげることが出来るが、元となる基礎能力自体が鍛えられるわけではない。
 ケイスが今求めているのは高い基礎能力。
 正確無比な距離感。
 精密な身体操作。
 どちらも敵と触れ合うほどの近距離での近接戦闘を唯一の戦闘手段とするケイスにとって必要な能力だ。
 

「はっ……はぁ……むぅ」


 31歩目を踏んで壁際に到着。
 本来ならこのままターンして次の歩数へと入るのだが、ケイスは肩で息をしながら不機嫌に眉を顰めた。
 立ち止まったのは息が切れたからではない。
 予定より壁が近い気がしたからだ。


「むぅ。だめか」


 足元を見下ろして壁との距離を測ってみると、やはり指一本分ほどだが近すぎた。
 1歩前までは満足のいく出来だったが、どうやら最後だけ止まろうとした分の動きが遅れ超過してしまったようだ。
 指一本分の僅かな誤差。
 これを許容範囲とみるか失敗ととるか。
 
  
「ふぅ……むぅ。もう一度最初からだな」


 ケイスは後者である。
 軽く息を整えて、唸ってからケイスは反対側へと振り返る。
 踏むべき場所は壁の汚れや床の木目を目印にして頭の中でイメージとして作り上げてある。
 後は自分がその思った位置を正確に踏み切れるかが問題なだけの単純だが難しい作業だけだ。


「はぁっ!」


 大きく息を吸い混んでからケイスは反対の壁に向かって飛び出す。
 指一本分だけといえ、ケイスからすれば誤差は大きい。
 その僅かな誤差でも間合いを読み間違えれば、重要な腱や血管を切り裂かれてしまうかもしれない。
 余分に踏み込んでしまえば、振るった剣の狙いがそれてしまうかもしれない。
 紙一重の近距離戦闘を生きるケイスにとって、指一本部の誤差は十二分に生死を分ける。
 これくらいは良いかと自分を誤魔化してしまえば、後で泣く羽目になる。
 変な部分で生真面目なケイスは、鍛錬には一切の妥協をせずただ黙々と繰り返す。
 

「ふ……ふっ……次!」


 20歩は問題無し。
 壁にタッチしたケイスは振り返ると共に即座にスタートを切り、21歩であっという間に通路を走破し反対の行き止まりに辿り着き、次の22歩目の為に折り返す。
 息を整える暇もない短距離走の連発。
 1歩ごとに歩数を増やしていく分、スライドが小さくなり遅くなるタイムは足の回転をあげる事で維持する。
 躍動する心臓と駆け巡る血で熱くなる身体の熱さがケイスの心をより滾らせ、鍛錬へと意識が集中していく。 
 ケイスの行う鍛錬には休憩などという概念は存在しない。
 ただひたすらに、身体を限界以上に酷使し続けるという馬鹿げた物だ。
 こんな事を毎日繰り返していれば、常人であればすぐに身体が壊れる。
 しかし御殿医から先祖返りと診断されたケイスの肉体がその無茶を可能とする。
 鍛えれば鍛えた分だけ強くなり、怪我を克服すればするほどより肉体は強靱となっていく。
 無限とも思える潜在能力の底はケイス自身にも見えない。
 だが今のケイスには己の稀有な体質は好都合以外のなんでもない。
 ケイスは強くならなければならない。
 胸に抱く大願を叶える為に。
 願いを人に聞かせれば馬鹿げていると笑われるか、幼すぎる外見故に現実を知らない子供らしい夢とほほえましく見られるだろう。
 しかしケイス本人は心底本気であり、自分が出来ないわけがないと微塵も疑っていない。
 自信過剰とも言うべきケイスの生まれ持った心根が、無理な鍛錬にも心を折らせず続けさせる原動力となっていた。
  
 
「っぁ……26っ!」


 26歩までは順調に数を積み重ねてきたが、きついのはここから先。
 歩数を増やしながら速度を維持するのは骨が折れる。
 だが同距離同速度で歩数を増やせるということは選択肢を増やす事に他ならない。
 荒れる息もそのままにケイスは折り返す。

 1歩目。床木目細めの渦……成功。

 2歩目。右側壁のへこみ……成功。

 3歩目。左壁の倉庫扉蝶番……成功

 4歩目。天井ひっかき傷先端……成功。


 目標を一つ一つ確かめながら、狭い通路をケイスは全力で走る。
 わざわざ上下左右に目標を分けたのは、動体視力の強化と広い視野の確保も鍛錬目的の一つだ。
 深い森に姿を顰める射手の僅かな動作がうむ違和感を見つけ出す為に。
 乱戦の中で敵魔術師が唱える詠唱や組んだ印を読み取り展開した魔法陣から魔術の種類を一瞬で判別する為に。
 飛翔魔獣が雲の隙間から放つ広範囲ブレス攻撃を避ける為に。
 地中から突如襲いかかってくる地生魔獣が地下を移動する時の微かな地表の異変を感じ取る為に。
 攻撃の兆候を少しでも早く正確に認識し対処する事が出来るようにと鍛えるその知覚能力は、身体強化と違いすぐに必要となる力ではない。
 ケイスの反応速度を持ってすれば、先日のサンドワームとの戦闘のように大抵の攻撃を躱し弾くことができるからだ。
 高い知覚能力が必要となるのは今より数年後。
 中級探索者となる頃に必要となる力と定めケイスは鍛錬を続ける。
 そしてその先も勿論視野に入っている。
 上級探索者となり生き残る為に必要な高度な身体力、強靱な精神力は現状より遙か高みにある。
 さらにその先。
 自らの生まれがもたらすであろう戦乱を勝ち抜き、家族を守る為の圧倒的な対人、対軍戦闘能力。
 これから先の人生。
 自分の生涯全てが戦いの中にあるという確かな予感を抱くケイスの鍛錬は20年30年先を見据えている。


  
 8歩目。上階へと通じる階段扉の一つ前の壁掛光球ランプ……成功

 ここまでの目標を正確に捉えた事に心中で満足を覚えながら8歩目を踏みきろうとしたケイスだったが、その目の前でいきなり階段へと続く扉が通路側へと開きはじめた。
 どうやら上から誰かが降りてきたようだ。
 鍛錬に集中しすぎて周辺警戒がおろそかになっていたと反省する間も無く不意の来訪者が姿を現す。
 しかし、スピードに乗っているこの状況下では、さすがのケイスでも立ち止まるには距離が足らない。
 このままでは降りてきた人物へと体当たりをする羽目になる。
 かといってこの狭い通路では扉を避けることも出来ない。
 むやみやたらと人に怪我をさせるのは好きでないが、自分が怪我するのも嫌だ。
 なら残った選択肢は一つ。


「っの!」


 ケイスはとっさに8歩目を強く蹴り跳躍する。
 扉までの僅かな距離で空中へと身を躍らせたケイスは、不意の侵入者の顔を掠めるように飛び越えながら、そのままくるりと回転し扉の上部に浴びせ蹴りを打ち放つ。
 扉を破壊して進路を確保するついでに勢いをかき消せばいいと単純明快な答えをケイスの思考ははじき出していた。
 
 
 











「ここかっ!? どぁ!?」 
 
 
 怒り心頭で最下層通路へと続くドアを開けた瞬間、目の前をいきなり小柄な身体が横切り、ついで派手な衝撃音と共にラクト・マークスは強い衝撃を受けて握っていたドアノブから思わず手を離す。
 ベキと音を立てて木枠が砕けて蝶番が外れた重く頑丈な木の扉が、バタンバタンと音を立てながら風に流されるゴミくずのように通路を転がっていく。
 ドアノブを掴んだままだったら、ラクトも扉と一緒に転がっていくことになっただろう。


「はぁはぁ……なんだ……子グマか……ふぅ……すまん。避ける暇が無かった」


 恐ろしいまでの勢いと衝撃をドアに叩きこんだのはケイスと名乗る黒髪の少女。
 ケイスはスタっと床に降り立ち振りかえってラクトの顔を見て頬を膨らませる。


「しかしお前も気をつけろ。『訓練中立ち入り注意』と張り紙を貼ってあっただろ。いきなり扉を開けるからびっくりしたじゃないか」

 
 すぐに息を整えたケイスは謝る気があるのかと、疑いたくなる傲岸不遜な言葉を打ち放つ。
 長い黒檀色の髪と多少吊り気味だが意志の強そうな目と整った顔立ちは、ラクトの幼学校時代の同級の少女達とは比べものにならないほど際だっている。
 都会の着飾った見目麗しい少女達の誰よりもさらに強い存在感を放ち、外見だけで見るならば、まだ幼い雰囲気を色濃く残しながらもながらも、ケイスは最上級の美少女といって過言ではない。
 だがそれは見た目だけだ。 


「て、てめぇケイス! いきなり人のこと蹴り飛ばそうとして偉そうだなおい!? それに俺は子グマじゃねぇ!」


 ラクトの当然すぎる抗議に対してケイスがなぜか不機嫌に眉を顰めてから、転がった扉を指さして胸を張る。


「失礼なことを言うな。私がこの程度の速度と距離で目標を外すわけがないだろ。狙い通り扉だけ蹴ったんだ。見れば判るだろ。それにクマの子供だから子グマだ。二つとも問題無しだ」     


 ケイスが指さした扉上部にはくっきりと足跡が残っており、どうやらここを狙って蹴ったと言いたいようだが、そう言う問題ではない。
 失礼なのはお前の方だと言い返したくなる言いぐさにラクトは苛立ちをより強める。


「問題しかねぇよ! それに親父のクマは渾名で俺には関係ない……ってまて! 逃げるな! 俺の話を聞け!」


 ラクトの言葉を最後まで聞かずケイスは転がっていった扉を壁に立てかけると、すたすたと歩き出した。
 まるで話は終わったと言わんばかりのケイスをラクトは追いかける。
  

「むぅ心底失礼な奴だな。別に逃げたわけではない。後で扉を壊してしまったことはちゃんと船員に伝えるがまだ時間が早い。朝食時にでも伝え謝るつもりだ。無論修理も手伝う。そして私は走法鍛錬の途中だ。時間が惜しい。他に何か言いたい事があるなら走りながら聞いてやるから、階段側の所で言え。邪魔だから通路には出るなよ」


振り返ったケイスは不満げに唸ってからおざなりに今ラクトがおいてきた階段を指さし、通路から引っ込んでいろと上から目線で言う。
 しかし階段の位置は長い通路のほぼ中間地点だ。


「それと大声は出すな。たぶん大丈夫だと思うが、上の客室まで響いたら早朝でまだ寝ている者もいるから迷惑だぞ。小声で話せ。お前には常識が無いのか?」


 通路には船首側の転血炉が稼働する重低音が響いていて、近い位置ならともかく離れていれば音は聞き取りづらい。
 ましてや小声で話したら、ますます聞こえなくなる。
 ケイスの言いぐさは、お前の話なんて聞いていられないと遠回しに言っているような物だ。  
 

「んな所から声届くか! しかも大声出すなって! お前絶対聞く気ないだろ!」


「一々しつこい奴だな。聞いてやると言っているだろう。心配するな私は耳が良い。だから大声を上げるな。さっきも言っただろ。貴様こそ人の話を聞かないのは駄目なんだぞ」


 お前が言うなと返したくなる内容をほざいてから、ケイスは踵を返し早足で通路を歩き出した。
 自己中心的で身勝手な上に自信過剰で鼻持ちならない。
 誰と比べても群を抜いて断トツで生意気で憎たらしい年下ガキ女だと、ケイスと知り合って数日でラクトは嫌になるほど思い知らされていた。


「こ、このっ!!………っくぅっく!」


 ラクトはその無防備な背中につい掴み掛かろうとしたが、年下女しかも怪我人である事を思いだして歯ぎしりをしながらも何とか踏みとどまる。
 それに昨日のこともある。
 剣を取り上げようとケイスに近付いた所、ケイスに思い切り投げ飛ばされ気を失う羽目になった。
 一晩経ってようやく強く打った身体の痛みも引いて動けるようになったので、昨日の喧嘩の続きとケイスの所へ出向いたのだが、その初っ端からケイスの傲岸不遜で自分勝手なペースに巻き込まれていた。


「いいか! このちび女! 俺が昨日投げられたのは油断してたからだからな! あれで勝ったと思うなよな!」


 ケイスに追いついたラクトは、前に回り込むとその行く手に立ちふさがり睨みつける。
 年下。しかもこんな小さく細い少女に負けたとあってはラクトとしては立つ瀬がない。
 ラクト自身も負け惜しみだとは判っている文句だったのだが、ケイスはきょとんとした顔を浮かべた。


「ん? 別にお前と勝負した訳じゃないから勝ったなんて思ってないぞ。それよりあの程度の投げならちゃんと受け身をとれ。お前が気絶なんかしたからルディから叱られたんだぞ……よし話は終わったな。鍛錬時間がおしいから邪魔をするな」


 ラクトなぞ喧嘩相手にならず、元々眼中にないとケイスの言葉と態度は雄弁に物語っている。
 他人事であれば、どうやったらここまで人を怒らせる事ができるのかむしろ感心しそうになる。
 だが当事者であるラクトとしてはたまった物ではない。


「っく!……それと! お前今日は絶対親父の店の剣を使うっ!?」


 言葉の途中でケイスが動いた。
 立ちふさがっているラクトの足の間へと右足をすっと滑り込ませ右足を払いながら、左手でラクトの右腕を掴んで軽く引っ張る。 
 たったそれだけのケイスの動作でラクトの視界が反転して、気がついた時には床に投げられていた。
 昨日と違うのは床に落ちる直前で勢いが弱まってふわりと浮き、ケイスが差しだした右足の上に身体が着地したことだろうか。


「温厚な私でもいい加減に怒るぞ。剣はクマの好意に甘えさせてもらっているが貴様に口出しされる謂われはない。まともに受け身も取れない未熟者が私の鍛錬の邪魔をするな」


 眉根を顰め実に不機嫌そうな顔を浮かべているケイスは右足をずらして、ラクトを通路の端にポイと置いた。
 あまりに簡単に投げられたことにしばし呆気にとられていたラクトだったが、我に返りワナワナと肩を震わせながら跳ね起き、ケイスへと指を突きつける。


「っ…………くくくくくっ……このガキ上等だ! てめぇ決闘だ!」


 ここまで虚仮にされたのはもうじき14になるラクトの人生の中でも初の経験だ。
 怒りを通り越して笑うしかない。
 こうなれば相手が女であろうが年下だろうが怪我人だろうが関係ない。
 絶対に泣かしてやるラクトが意気込むが、怒声にケイスはきょとんとした顔を浮かべている。
 頭二つ分ほど大きいラクトの剣幕にひるんだ様子も無かったケイスはしばらくしてから溜息を一つはいた。


「はぁ……器量が狭い。もう少し心を広く持った方が良いぞ。私は貴様は気に食わないが殺したくはならないぞ。この程度で殺し合いなんて貴様おかしくないか?」


 訳の分からない事を言い出したケイスが同情的な目を浮かべた。
 だが返されたラクトは唖然として言葉を失っていた。
 決闘しろとは言ったが殺し合おうなんて一言も言っていない。
  

「しかし貴様がどうしてもと望むなら致し方ない。ルディに立会人をやって貰うがいいか? それとも他に希望する者がいるか? 出来たらクマは止めてくれ。いくら私でも父親の前で息子を殺すのは忍びない」


 あまり気乗りしないと言いたげな顔を浮かべながらも、ケイスは一人で納得して話を進めているのを見てラクトは慌てて止めに入る。


「……い、いや!? ま、待てって!? お、お前何言ってんの!?」


「何って決闘だろ? どちらかが死ぬまでの。ふむ。しかしそうなると場所をどこに…………」


 何でそんな常識を確認するんだと言いたげな顔を浮かべたケイスは、場所はどこが良いかや、長剣でいいかとやたらと具体的な内容をあげ始める。
 ケイスが冗談や脅しで言っているのならまだいい。
 しかし極めて不本意だと感じさせる困り顔を浮かべながらも、その表情や口調が至極真面目なのが怖い。
 どうやら本気のようだと嫌でも伝わってくる。
 子供同士の間で決闘と言えば、それはあくまでも喧嘩の延長線上でしかない。
 ラクトはケイスを同じ子供としてみている。
 しかしケイスは違う。


「…………お、お前馬鹿だろ!? 何で殺し合い!? っていうか何でそうなるんだよ?!」


「誰が馬鹿だ本当に失礼な奴だな。決闘に殺し合い以外の何がある?」


 ラクトが言っている意味が本当に分からないのかケイスがちょこんと首をかしげる。
 仕草だけ見れば可愛らしいのだが、言っている事はとてもまともじゃない。


「あ、あるにきまってんだろうが……」  


 怒りが通り越して笑いへと変化していたラクトだったが、おかしすぎるケイスの言動に段々疲れすらも覚え始めていた。



[22387] 薬師と探索者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:ad056b20
Date: 2015/04/07 21:17
 食堂へと手伝いに向かったケイスを送り出した後、ルディアは自分の身だしなみを整えてから、朝食までの時間を制作中の新触媒液のレシピと調整をノートへと記載をしながら、ゆったりと過ごしていた。
 乗員乗客数に対しトライセルの食堂は手狭な為に、食事は部屋事で三回戦に分けられ一食ごとに順番がずれていく。
 朝が一巡目なら昼は二巡目。夕食は三巡目といった具合だ。 
 ちなみにルディアは朝が一巡目のグループで船内時間での午前7時から。
 普段の習慣からすれば朝食時間は一時間ほど早いが、相乗りさせて貰っているので我が儘は言えない。
 それに夕食は最後の回なのでゆったりと食事が出来て、その後も居座って船内バーへと変わった食堂で、ちびちびと飲むのにも都合が良い。
 夕食の三巡目のメンバーはルディアも含め、毎日晩酌を楽しむ酒飲み連中で占められ、逆に一巡目と二巡目には、女子供や祝い事の時だけしか飲まないタイプや下戸だという男性商人達が固まっている。
 食事順はある程度意図的なのに決められているようだ。
 年の半分近くが極寒期である冬大陸の生まれであるルディアにとって、身体を温めてくれる酒は身近な存在。
 真っ昼間から飲んだくれるような事はないが、幼い時に寝る前に飲んでいたホットワインのミルク割りや蜂蜜入りから始まり、雪国では滅多にお目にかかれない芳醇な南国果実の香り漂うリキュール系のカクテルに嵌ってみたり、薬師見習い修行中には覚醒効果を施したオリジナルの薬草酒傍らに徹夜で調合といった風に、夜の共として常に傍らにあった。
 おかげでアルコールにたいしては大分強くなり、さすがに『底の抜けたビア樽』とまで言われるドワーフ族とまではいかないが、どれだけの飲もうが滅多に悪酔いする事もなく、むしろ晩酌を欠いた時の方が寝付きが悪い程度には嗜んでいる。
 そんなルディアが、夕食三巡目に回ったのはおそらく偶然ではない。
 最初に会ったラズファンの酒場で交わした世間話を覚えていたファンリア辺りの気遣いだろうとルディアは予想していた。
 飄々としているようで、些細な会話を覚えておき細かい気遣いが出来る辺りが、やり手の老商人といった所だろうか。
 しかしそんな老獪なファンリアを持ってしても全くの計算不能な存在が一人。
 それが、ひょんな縁からルディアが同室となったケイスと自称する謎の少女だ。
 
 
「……何か問題を起こしてないと良いんだけど」 


 整理の手を止めたルディアは軽く息を吐き額を抑える。
 知り合ってまだ数日しか経たないのだが、なぜか懐かれたルディアが主にケイスの面倒を見る事になっていた。
 元々面倒見が良いというか人が良いというか、世話焼きな性分。
 飛び入り乗船だった為、空いていた二人部屋を一人で使っていた事もある。
 元気すぎてそうは見えないが、一応相手は怪我人であり、医者ほどとはいかずとも薬師としてある程度の医療知識があるので適任といえば適任。
 そして何よりケイス本人は気にもしていないようだが、ルディアにとっては命の恩人だ。
 倉庫でサンドワームの攻撃からケイスが守ってくれなかったら、ルディアは命を落としていただろう。
 その他諸々を加味してみて、ルディア本人としてケイスの面倒を見る事に異論はない。
 だが正直、もう少し自重して行動をしてほしいと思う面が多々ある。
 幾つか例を挙げてみれば、
 大怪我を負っているというのに、多少痛いが動けるから問題なしだと狭い廊下で真剣で素振りをし始める。
 危ないから止めろと注意すれば、私が斬る気もないのに他人に剣を当てるわけがないと胸を張る。
 そう言う問題じゃないと再度注意すれば不承不承とはいえ承知はするが、今度は人の少ない所でやるなら問題無いなと言って、極寒の甲板へと出て行き数時間は帰ってこない。
 昨日にいたっては喧嘩騒ぎというべきなのかどうか今ひとつ経緯が不明だが、人を床にたたきつけて気絶までさせている。
 ケイス本人曰く危険だったかららしいが、その場にいなかったルディアからすればケイスの行動の方がよほど物騒だ。
 とにかく一事が万事この調子で本人には大怪我をしている自覚が一切無い。
 端的に言えば常識が無い。それに尽きる。
 
   
「とりあえず祈るのみね……」


 いつの間にやら筆が止まり、奇妙すぎる同部屋人のことばかりを考えていたルディアは集中が途切れた事を自覚してパタとノートを閉じた。
 薬師のレシピにはケール・レィトで現す一般的な国産単位法である神木法ではなく、より尺度が細分化された工房単位レド・ラグが使われている。
 ノートに書き写している数値のなかに一つでも違いがあれば、魔術薬の効果は制作者の意図とはまったく別の物へと変わってしまう。
 気もそぞろでやるべき仕事ではないし、現物はもう製作に入っているのだから慌ててまとめる必要もない。
 椅子から立ち上がったルディアは軽く伸びをして凝り固まった身体をほぐしてから、机の上でぽこぽこと小さな泡を立て沸騰するフラスコへと目を向ける。
 机の上で調合中の薬品が今記していたレシピの触媒液だ。
 比較的に入手が容易で安価な20種類の魔術触媒を調合する事で、同価格帯で取引される触媒28種分と同様の効果を発揮する触媒液とする。
 8種類分お得となるこのレシピ。
 金銭効率は良いのだが、その反面繊細な分量配分と外環境に合わせた細かな調整。そして長時間の加熱冷却を必須とする。
 魔法薬の製作販売で生計を立てる店持ち薬師からは、手間と器具の占有時間を含めて考えると儲けが合わないと敬遠される類の物だ。
 今現在砂船の乗客で暇をもてあますルディアは、もう少し簡易化出来ないかと研究改良していたところだった。
 とある人物がそれを聞きつけ、いくらかの手間賃と材料と同程度の触媒を融通するので代わりに試作中の触媒液を譲ってほしいと頼まれていた。
 交換する触媒の現物はルディアの手持ちにはない物が多めにあり、おまけに手間賃まで出るのなら文句はない。
 小遣い稼ぎの仕事みたいな物だと請け負っていた。
 フラスコを固定する枠に刻んだ記入式魔法陣の記述は三分の一ほど消費。
 順調にいってあと2日ほどで完成。
 このまま放置で問題無しと確認を終えたルディアは室内に掛かる時計へと目をやる。
 時刻は早朝6時35分を指していた。
 砂幕により空が閉じたこの常夜の砂漠で時計は唯一時間を感じ取れる存在だ。
 

「ちょっと早いけど食堂いこ……アレの席も確保しとくか」


 基本的に傍若無人で無軌道なケイスだが、変な部分で真面目なのか食事に限らず時間には正確で食事時間や手伝いの時間に遅れた事はない。
 この時間は今日も最下層で走り込みをしていると思うが、食事時間までには上に上がってくるだろう。
 ケイスの為にお代わりがしやすいカウンター近くを陣取って置くかとルディアは部屋を後にした。












「…………もう……駄目……眠いし……疲れすぎて……今日の明け方サンドワーム……私も美味しそうに見えてきた……」


 食堂の椅子にもたれ掛かるように座って、天を見つめながら女性探索者セラが虚ろな声をあげる。
 妹の憔悴しきった姿に、ボイドはどうしたもんかと、朝食までの繋ぎに出して貰った昨晩のつまみの残りの炒り豆をボリボリとかみ砕きながら考える。
 先守船での先行偵察を他の探索者と交代して本船トライセルに戻ってきたボイドとヴィオンが寝る前に食事をと思って来た時には、既にセラはこの状態でダウンしていた。
 脳味噌がイイ感じに茹だっているセラの疲労の原因は、先日襲撃してきたサンドワームの死骸を倉庫の一つを借りてここ数日不眠不休で解剖調査をしていた事が主な原因だ。
 護衛ギルドより派遣された砂船トライセルの探索者は当然セラ以外にもボイドやヴィオンを含め何人もいるのだが、セラが一人護衛から離れて報告書を作っているのには訳があった。


「生物知識を司る『黄の迷宮』の下級資格持っている探索者はこの船の中じゃお前だけなんだからしょうがねぇ。あと少しで終わるんだろ。それに親父もちゃんと報酬は出すって言ってるんだから、守銭奴なんだしそれで気力保て」
 
 
「うっさい……誰が守銭奴よ……馬鹿兄貴……この間の触媒の補填考えたらすぐに尽きるっての……それに今回のサンドワームはやばいから出来るだけ早く報告を遅れって父さんが五月蠅かったんだから……ラズファンでも調べてるんだからイイじゃない……ヴィオンも黙ってないでこの薄情者に何か言ってよ」


 ギロリとボイドを睨みつけるセラの目元にはクマが浮かび、頬はこけて血色も悪く青白い顔になっている。
 不眠不休の解剖調査とサンドワームの醜悪な見た目と死骸が放つ悪臭がその疲れを倍増させていた。
 今朝に到っては一周回ってサンドワームの死骸がご馳走に見えるほどに精神状態が悪化し、さすがにこのままでは不味いと食堂へと一時避難してきたようだ。

  
「俺もそっち方面の技能はまだは取ってないから、出来る事はとりあえず頑張れって声援を送るだけかね。それに見落としがないように複数で調べるのは基本だろ。お嬢の所の親父さんが身内をこき使うタイプなのは今更だから諦めろって」

 
 黄金色の液体が注がれたグラスの底からわき上がる細かな気泡が弾けて広がる芳醇な香りを楽しんでいたヴィオンは、恨めしげなセラの視線に軽く肩を竦め答える。


「うぅ……父さんの馬鹿ぁ……」


 ヴィオンの言葉に力尽きたのかセラがパタンとテーブルの上に身を倒して愚痴をこぼし始めた。


 大陸一つ分の空、大地、地底にまで広がる、広大かつ複雑な永宮未完内では、多種多様のモンスターが日々進化、発生を続けている。
 驚異的な速度で変化を続けるモンスター達に対抗する為に、迷宮モンスターに関する情報や検体の収集が管理協会から探索者達へ奨励され。重要情報であれば高額な報奨金も出る。
 その観点から見れば今回のサンドワームは管理協会からの注目度は高い。
 ここ数ヶ月ほど連続発生していた小型砂船消失事件の犯人かも知れないモンスターの発見となれば、管理協会が色めき立つのは致し方ない。
 出現地帯が一般人も進入可能な特別区であるのに、魔力無効化能力等、複数の効果を持つ砂弾を打ち出す変種で、危険度は特別区として考えた場合トップクラス。
 その上に襲撃してきたサンドワームは複数。
 セラ達の船を襲った群れ以外の個体が生息する可能性も十分に考えられる。
 トライセルの緊急連絡を受け管理協会ラズファン支部からは、ラズファンへと向かう他船と接触して、調査用にサンドワームの死骸を至急送るようにと指示が下された。
 そして砂船トライセルの目的地でありトランド大陸中央部への玄関口。
 セラ達が所属する山岳都市カンナビスの協会支部からは、トライセルが到着するまでの時間が惜しい。
 セラに調べさせておけと名指しで指名され、おまけにこれ以上の被害を押さえる目にもなるべく早く報告がほしい。寝る間もおしめという厳命つきでだ。
 これは管理協会カンナビス支部長であり、クライシス兄妹の実父でもあるキンライズ・クライシスの依頼という名の命令だ。
 実娘だから無茶な期限設定を出来たという事もあるのだろうが、セラ一人に任せざる得なかったのにも理由はある。
   
 世界で唯一の生きた迷宮『永宮未完』は踏破する為に求められる技能によって『赤・青・黒・白・緑・黄・紫』そして全ての技能が求められる特別な『金』の八迷宮に大まかに分類され、攻略難度によってそれぞれ上級、中級、下級、初級の四段階に分けられる。
 この中で黄の迷宮を試練を超え踏破し天恵を得る為には、モンスター類を含む動植物に対する高い観察力と造詣を必要とした。

 世界中のありとあらゆる花が咲き乱れる花畑迷宮の中より、新種を探し出して祭壇へと捧げよ。

 弱点以外を攻撃すれば全身が爆ぜるモンスター(しかも個体事に弱点が異なる)を、原形を残したまま百匹討伐せよ。

 黄の迷宮では試練としてはこのような課題が与えられ、見事試練を突破した者達に天恵が授けられる。
 探索者となった者はまず初級踏破から始まり、天恵を積み重ねていくうちにより上位の迷宮へと踏みいる資格を得る。
 そして一種でも下級迷宮への侵入が可能になれば下級探索者と呼ばれる。
 この黄の下級探索者クラスからが、協会に正式なモンスター報告書として受理され報酬が出る最低限度の資格となっており、資格外の掛けだし探索者達からの場合は協力費と言う名目での雀の涙ほどの報酬しか出ない規則となっている。
 これにはちゃんとした理由がある。
 黄の下級探索者クラスになれば、迷宮踏破のために必要な知識技術をちゃんと身につけているため、報告書もただどこそこに現れたという簡易な物でなく、どの種族のどの分類に属し所持する能力やその身体能力などの精度の高い情報で報告が上がってくる。
 万年人手不足な協会側としては、そのまま本部や他の支部にも回せる情報はありがたいというわけだ。
 資格外の掛けだし探索者や、手間の掛かる解剖調査の時間を惜しむ探索者等は、調査と協会への報告を肩代わりして報酬を得るモンスター鑑定屋(現役を引退した探索者達が主)に依頼するのが主となっている。
 今食堂にいる三人は全員が下級探索者だ。
 ボイドの場合は近接の赤と、地形と建築の白。
 ヴィオンは遠距離の青と魔術の黒。
 セラは魔術の黒と生体知識の黄が、それぞれ初級を突破して下級資格へと到達している。
 そしてセラだけがトライセルにいる探索者のうちで唯一黄の下級資格へと到達しており、調査に十分な知識と技術を身につけていた。
 もっとも黄の迷宮は、セラが自ら望んで率先して踏破してきたわけではない。
 

「だから嫌だったのよ。黄の迷宮をあたしが先行して取るのは……覚える事たくさんだし、血なまぐさい解体なんかもあたしがやる羽目になるし……とっとと踏破して兄貴かヴィオンがやりなさいよ」


 ジャンケンで負けて先行して取る事になったとは言え、もうこれ以上のトラウマはたくさんだとセラが涙混じりのジト目を浮かべて二人を睨むが、疲れ切っているのかその目尻に力はない。


「しょうがねぇな。判った判った。次辺りからの攻略シフトを変更してやるよ。ヴィオン。悪いが次のお前のメイン攻略の時は黄で頼めるか? 俺の方はまだ1回しか黄の初級迷宮踏破してないから時間かかりそうなんだわ」


 疲れ切ったセラの姿にさすがにボイドも同情を覚えたのか、横で弱い発泡酒を煽っているヴィオンへと視線を送ると、ヴィオンは空になったグラスを軽く上げる。


「おうよ。お嬢のためだしょうがねぇ。次辺りで下級に上がりそうな緑にするつもりだったけど、黄の方も後二、三回、メインで攻略すればたぶん下級資格に入るだろから良いぜ」


「悪いな。街に戻ったら奢るから今日は此奴で我慢してくれ……ん? ほれもう誰か来たみたいだ。しゃっきとしろセラ。護衛がそんな醜態さらしてちゃ面目がたたねぇぞ」


 テーブルの上のボトルを手に取ったボイドは快諾を返したヴィオンのグラスへと新しい酒を注ぎながら礼を述べた時、その背後で食堂の扉が開く軋む音が響いた。
 兄の注意にのろのろと身を起こしたセラが入り口の方へ視線をやると、女性としては並外れた長身で燃えるように赤い髪が目立つ女性薬師。ルディアが丁度扉をくぐってきた所だった。











 自分が一番乗りかと思っていたルディアだったが、カウンター近く奥の席に陣取り背中を見せる男二人に気づく。
 背中から生える特徴的なコウモリのような翼でうち一人がヴィオンだと判る、となるともう一人はボイドだろう。
  

「おはようございます。お二人とも戻られたんですね。お疲れ様でした」


 ボイドとヴィオンの二人が昨夜は夜番で先行偵察に出ていると、昨夜の酒を飲み交わしながら他の護衛探索者達から聞いていたが、どうやら戻ってきたばかりのようで二人とも武器は持っていないが鎧姿のままだ。


「おはようさん」


「おう。ついさっきな。ルディアらは一陣だったな。どうだ空いているが相席。ケイスもすぐ来るんだろ? ここならすぐに代わり取りに行けるぜ」


 振りかえたヴィオンがグラスを上げて挨拶を返しボイドが手招きをする。
 ここ数日で船の乗員乗客が余すことなく知るほどにケイスの大食いは知れ渡っている。
 もっとも行動が突飛、異常、そして怪我人の癖に常にそこらをちょろちょろ動き回っているのでケイス自体が目立つといった方が正しいのかも知れないが。


「ありがとうございます。あの子はまだですけど。っとセラさんもお早うご……なんか窶れてません?」 
 

 軽く会釈をしてにこやかに挨拶をして彼等に近付いたルディアは、ボイドの影に隠れて見えていなかったセラの姿に気づき挨拶をしようとして、その疲れた顔を見て目を丸くする。


「おはよ~……大丈夫大丈夫。ここの所、サンドワームの解剖調査が忙しくてあんまり寝て無いだけだから」


 右手をひらひらと左右に振りながらセラが答えてみせるが、その身体は今にもぱたりと倒れそうにフラフラしており、どう見ても大丈夫そうには見えない。
 目の下の濃いクマや血色の悪い青白い顔が合わさってまるで病人のようだ。
 セラがここの所サンドワームの解剖調査とやらに掛かりきりと聞いてはいたが、ここまで憔悴しているとはルディアは思っていなかった。
 ぼろぼろなセラの姿にどうにも世話焼きなルディアの性分がざわめく。
 
 
「あんまりって……速効性の栄養剤かなんか作りましょうか? ちょっと味の保証が出来なくて刺激が強いですけど」


 味は二の次、三の次なのでしばらく口の中に苦みと辛みが残るが、効果”だけ”は抜群な栄養剤を進めてみるが、セラは意識が朦朧としていて考えが纏まらないのかしばらく虚空を見つめてから、力なく首を横に振る。 


「あ~……今日はいいや。あとちょっとで終わるからその後頂戴。強い薬って使うとあたし魔術の制御が甘くなるんだよね。協会に報告する資料だからミスできなくて。ともかくありがと。どこぞの兄と幼なじみより、やっぱり同性の年下女の子の方が優しいわ……街に戻ったらそっち方面で新パーティでも探すかな」


 ぼそっと愚痴と溜息をはき出したセラが生あくびをしながらボイド達を剣呑な目で睨んでいる。
 確かにセラよりルディアのほうが二つほど年下だが、今更女の子って年でもないし、この背の高さでは柄でもないと自覚するルディアはどうにも返答に困り愛想笑いを浮かべるしかない。 
 

「黄の迷宮優先するって言っただろ。お嬢のためお嬢のため」


「わーったわーった。ったくしょうがねぇな。ちゃんと完成してから言うつもりだったんだけどな。ルディア例のアレあとどのくらい掛かる?」


 そして睨まれている二人といえば、別段慌てるでもなくヴィオンは肩を竦め、ボイドは手の中で弄んでいた豆を一粒ひょいと投げて口の中に放り込んでからルディアへと目くばせする。
 ルディアはすぐに何の事か判ったのだが、まったくの初耳だったのかセラが不審げな顔を浮かべる。


「なによ兄貴あれって?」 


「まぁアレだ。愚かながら可愛い妹への兄なりの気遣いってやつだ」


「だれが愚かよこの脳筋! って……ぁぅ……フラフラする」


 妹をからかうのを楽しんでいるのかまともに答える気のないボイドの態度に、セラが一瞬激高して立ち上がったが、体力がない所で大声を上げたのが堪え貧血でも起こしたのかか、そのままドッスと椅子に逆戻りした。
 テーブルにべったと力なくもたれ掛かるセラだが悔しそうにボイドを睨みつけ、体力さえあれば絶対ただじゃ置かないと呪詛の言葉を漏らしている。


「ボイドさんからセラさん用に魔術触媒液を依頼されてます。依頼と言ってもじつはこちら試作品みたいな物で、無料で」


「タダ!?」


 このまま兄妹喧嘩でもされたらかなわないとルディアは事情説明を始めたのだが、無料と聞いた瞬間、どこに力が残っていたのかセラが椅子から跳びはねルディアの手を強く掴んだ。
 セラは魔術師だがそれでも探索者。
 同年代の一般人女性よりも遙かに強い力がありルディアの手がミシミシと嫌な音を立てて、あまりの痛みに思わず上がりそうになる悲鳴を堪える羽目になった。


「まぁタダつっても実費の原料とルディアに払う手間賃は掛かるんだが、俺とボイドで折半してるんで、お嬢の負担は無しって事だ」


「感謝しろよ守銭奴妹。しかも二十八種分の触媒と同効果だと。これでこの間の戦闘で使った分の補填になるだろ」


 握りつぶされるかと思うほどの力で手を握られ説明の途中で止まってしまったルディアに代わりヴィオンが続きを伝え、ボイドが現金な妹を見て呆れ顔を浮かべている。


「ほんと兄貴とヴィオン感謝! これで解剖調査のやる気がわいてきたぁ! ルディアもありがとう! 杖とかと違って触媒液って高いのに消耗品だからかうの躊躇してたから嬉しい!」


 一気にテンションが跳ね上がったセラが喜びの声をあげながらボイド達に礼を述べつつさらに力を強めルディアの手を握ったまま上下に振る。
 ひょっとしたら本人的にはお礼の意味を込めた握手のつもりかも知れないが、ただでさえ痛いルディアにはたまったものではない。


「あ、あのセラさん……手……手が痛いんで離してもらえると嬉しいんですけど」


 冷や汗を浮かべ僅かに苦悶の表情を浮かべ痛みを堪えて震える声をあげるルディアの様子にようやく気づいたセラが慌てて力を緩める。


「わぁっ! ごめん! ちょっと興奮しすぎた…………って……あぅ……駄目だ気力戻ったけど……やっぱ力入らない」


 しかし我に返った事で肉体疲労も限界に近かった事を再自覚したのか、ルディアの腕を掴んだままルディアの方へと倒れ込んできた。
 ルディアは何とかセラを支えようとしたが、いくら男と比べて軽いと言っても大人の女性一人分はそれなりの重さがある。
 しかも今はセラは目を回したうえに身体に力がほとんど入っていない状態。
 一抱えもある石が腕の中に出現したのとそうは変わらない。
 倒れかかってきたセラの勢いを受け止めきれずに、ルディアもバランスを崩すことになる。


「だぁあっ! この愚妹はなにやってんだ?!」


 もつれて倒れそうになる二人を見てボイドが慌てて手を伸ばしてセラのローブの端を掴もうとしたが一瞬遅く、その手は空を切る。


「ち、ちょっと!? 無理ですって!?」


 ルディアはなんとか立て直そうとするが堪えきれずセラ諸共後ろへと倒れそうになった。
 しかしバランスを崩したルディアの背に何かが触れたかと思うと、ルディアとセラの二人分の重さをがっしりと受け止め、それどころかそのまま押し戻してしまった。
 態勢を整えたルディアが、目を回しているセラの身体を倒れないように腕を差し入れて支え直していると、


「ふぅ? ふぁいりょうぶかふでぃ?」


 押し戻した人物の声が背後から響いてくる。
 まだ幼さを残す声の感じからケイスと見て間違いないだろうが、なぜかその声はくぐもって聞こえてきた。
 そのケイスの姿が見えるはずのボイドとヴィオンは、なぜかあっけにとられた顔を浮かべて呆然と固まっている。
 その表情を一言で言い表すなら『理解不能なモノ』を見た時に浮かべる顔だろうか。
 非常に嫌な予感を覚えつつも、またもケイスに助けて貰った礼を言うべきだろうとルディアは振り返り、ケイスの姿を見て…………もっと正確に言えば、ケイスが口にくわえるモノを見てしばし言葉を無くす。
 ケイスが口にくわえるモノ。
 それはどう見ても、武器商人マークスの息子であるラクトだった。
 ラクトは意識を失っているのか四肢がだらんと垂れており、ケイスはそのラクトが腰にまく皮ベルトの背中側の方をガッチリと口にくわえてぶら下げていた。
 少年一人分を口にくわえても微動だにしないケイスのその姿は、狩りから帰ってきた肉食獣のようにも見えた。
 

「…………あんた一体何があったの?」 


 礼を言うべきかという先ほどまでの思いは頭の中からすっかりと消え去ったルディアは頭痛を覚えながらもケイスに問いかける。
 ケイスは左手でラクトのベルトを掴みなおして口を開いてベルトから歯を外し、


「ん。ちゃんと説明すると長いから端的に言うと、決闘を仕掛けられたのだが遊びなので拒否した。だがそれでも突っかかってきて、私の行く手を塞ぎ鍛錬の邪魔をしてきた」


「決闘ってそんな時代錯誤な状況にどうやったらなるのよ。それでやっちゃったの?」


「子グマ程度相手に決闘なぞしていないぞ。口論する時間も惜しいので仕方なく予定を変更して子グマを障害だと見立てて回避練習をしていたのだが、回避する私に業を煮やしたのか闘気を使い出した。ただ使い方が拙く危なかったので、此奴の心臓を一時的に止めて運んできた所だ。ルディすまないが見てやってくれ」


「……心臓を止めたってあんた……殺したって事?」


 聞くのが恐ろしいと思いつつルディアが確認するとケイスは心外と言わんばかりに眉を顰め不機嫌を露わにする。
 
 
「むぅ。失礼な事を言うな。一時的だと言っただろ。子グマの闘気の使い方が拙く暴走気味で基礎生命力すらも削りだしていたので、一度解除するために心打ちで一時的に仮死状態に持っていっただけだ。ただ生命力が落ちているから速効性のある回復薬を投与してやってくれ」 


 事情はなんとなく分かったが、そこでなぜ心臓を止めるという選択肢にいたり、実際に実行可能なのかがよくわからない。
 ケイスの説明を僅かに吟味してからルディアはすぐに一つの結論へと辿り着く。
 ケイスが何を思ってこうなったのかとか、何でできるのかはもう理解しようとするのは止めよう。とりあえず判る事からやっていこう。


「あぁ。うん…………とりあえずそこの椅子座らせてあげて。ボイドさん。すみませんけど厨房から飲み水を貰ってきてください。ヴィオンさんはセラさんの方をお願いします」


 人間理解の範疇を超えた事態に遭遇するとパニックになるものだが、ある程度慣れてくると逆に冷静になるものなんだと思いつつ、ルディアは溜息混じりに指示を出していた。



[22387] 剣士と少年 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:249be467
Date: 2014/11/08 03:01
 肌身離さず常に持ち歩いている薬入れであるポーチから、豆粒ほどの赤い丸薬をルディアは一粒とりだす。
 厨房から貰ってきてもらった飲料水の入った木のカップに丸薬を落としいれる。
 テーブルにあったスプーンを一本拝借。
 カチャカチャとかき混ぜると、すぐに薬は溶け無色透明だった水が紅茶のような色へと変化した。
 この魔術薬はいわゆる万能薬といわれる類の薬だ。
 無論万能といっても無論全ての病気に効くような物ではないが、生命力回復の他に痛み止めや化膿止め、数種類の解毒効果と麻痺解除等を複数の効果を持ち合わせた品だ。
 無人の野山を駆け巡る狩人や戦場に赴く兵士達のような職種の者達には、携行性と利便性から好まれている。
 しかしその反面、強い薬効に伴い、血圧上昇、心拍の乱れ、嘔吐感などの強い副作用を身体に与え、まさに毒をもって毒を制すという類の薬で、まだ成長期の子供に投与するには危険な物。
 無論薬師であるルディアはそんな事は百も承知。
 今手持ちである薬の中で、もっとも生命力を回復する薬で有るから選んだに過ぎない。
 しかし今必要なのはその生命力回復のため薬効のみ、だから今はその名の由来である万能が邪魔にしかならなかった。


「形は成り」


 紡ぐ短詠唱に合わせてカップの縁を指で二度、三度と弾く。
 カップの中の小さな水面に細波が立ちあがり、ルディアがさらにカップを二度弾くと、波が図形を形作っていく。
 ルディアが描くのは三重簡易魔法陣。
 変化を現す印を中央に組み、中間に判別を散らし、周囲を安定の印で包む。
 他の薬効成分を変化させて単一特化した薬へと変える薬師独特の薬効変化の魔術だ。
 陣はそこまで複雑でもなく印の配置も少ないが、この程度の術式ならば十分。


「隠れし力より一つ。基(き)にして生(き)たる力。数多の効を昇華し汝を高めよ」


 水面に出現した陣が淡い光を放ちながら消失した。
 
 生命力回復特化薬へと変質させてから背にもたれ掛からせて椅子に座らせたラクトの顎を掴んで口を開かせたルディアは、口にカップをあてがって溶いた水薬を少しずつ流し込む。
 効能が高められた薬は、舌の上に乗った瞬間、乾いた砂に吸われる水のように体内へと吸収されて消える。
 それにともない青白くなっていたラクトの顔が、薬によって徐々に血色を帯びていく。


「……生命力はこれで戻るはずです。脈はまだ弱いですけど、強心の効能も少しは残してあるので徐々に強くなっていくので大丈夫だと思います。あとはこの娘が心臓を止めた後遺症が無ければ良いんですけど」


 ラクトの右手首を軽く掴み脈をとっていたルディアが告げると、見守っていたボイド達三人の探索者と厨房からカウンター越しに身を乗り出して様子を伺っていたミズハ。
 そして急遽呼ばれてきた父親のマークスと商隊長であるファンリアが深々と安堵の溜息をはき出した。
 特に疲れた身体で固唾を呑んで見守っていたセラなどは、緊張の糸が切れたのかテーブルの上にバタンと倒れた。
 洒落にならない事態になるのではと、食堂に集まっていた者は強い不安を覚えていたのだが、
 

「ん。だから心配ない。心打ちというちゃんとした技法だ。相手の心臓を闘気をもって打ち抜く事で生体活動全般を一時的に止め、強化系魔術や闘気強化の効果を無効化する古技制圧術だ。強者なら数秒、一般人でも2,3分で脈が戻るし、打ち込んだ闘気によって肉体保護もするので後遺症はない……ボイド。闘気を使ってお腹がすいたから炒り豆を貰うぞ」


 そんな大人達の心労を他所に、張本人であるケイスは悪びれた様子も見せず平然としたまま、とことんまでのマイペースを保っている。
 それどころかテーブルの皿にあった炒り豆を見つけ、ボイドの答えも待たずに皿を掴んで引き寄せると、包帯が巻かれて指が使えないので右腕の肘を折り曲げて、そこに皿を置いて食べ始めるほどの余裕がある始末だ。


「ケイス。簡単な説明を聞いただけじゃうちの息子が暴走し掛かってたみたいだが、さすがにやり過ぎだろ。心臓を止めたって簡単に言うが下手すりゃラクト死んでたんじゃねぇだろうな。詳しく話せ」


 息子を殺されかけた父親のマークスの声にはドスがきいている。
 その体格と顔の古傷がより凄味を増す。
 しかしケイスはその怒気を前にしても、まったく動じた様子はない。
 お腹が空いているのか豆をまた一掴み口の中に放り込んでがりがりと食べたまま一つ頷く。


「ん……ガリ……さっきも言ったが……パク……子グマの奴、必要な基礎生命力まで削るような真似を……ふむ……あっちの方が危ない。塩ッ気薄い。ルディ。塩は無いか?」


 説明の途中で豆の薄味に気をとられ塩を探し始めたケイスを見て。さすがに腹にすえかねる物があったルディアはその頭を目がけて手を振り落とす。


「っと!?」


 手首のスナップがきいた素早い一撃がケイスの頭頂を見事に捉えたと思った瞬間、ケイスは紙一重の見切りで膝を曲げてすっとすり抜けた。
 死角からの不意打ちだというのに軽々と避けるあたりが腹立たしい。
 

「むぅ。いきなり何をするんだ。危ないじゃないか」


「説明優先しろこのバカ。終わるまで食べるな」


 文句の声をあげるケイスを眼光を鋭くしたルディアが睨みつけて、ケイスの腕から皿を取り上げてテーブルの上に戻す。
 燃えるような赤い髪とずば抜けた長身がその目の強さと合わさり、まるでその様は昔話に出てくる地獄の悪魔のようだ。


「むぅ判った……説明するから怒るな」


 ルディアの剣幕にさすがのケイスも多少ひるんだのか、不満そうではあったが頷いていた。
 

「クマ。こりゃお嬢さんに任せた方が早そうだ。ミズハちゃん。灰皿を貰えるかい」


 ケイスの事情聴取はルディアに任せればいいとファンリアが懐からタバコ入れを取り出し灰皿を求めるがミズハは壁の一角をさす。
 

「今の時間はうちは食堂。あしからず」


「……禁煙かい。愛煙家に世の中が厳しくなってきたねぇ」


 ミズハが指を指した『食堂時間一切禁煙。喫煙は夜間バーのみ』と書かれた張り紙をみてつまらなそうにぼやいてファンリアは懐へとタバコ入れを戻した。


「おいミズハ。油売ってないで戻れ! パンがそろそろ焼き上がりだ! あと10分で第一陣くるぞ!」


 スープの入った大鍋に塩をつまみいれながら味を調整するミズハの父セラギの声が響く。
 パンが焼き上がる香ばしい香りが食堂にも漂ってきた。
  

「あいよ! しゃーない。セラ。親父が怒鳴るからあたしは仕事に戻るんで後で顛末を教えて」


「りょーかい。でも細かく話すと頭痛くなりそうだからはしょるよ」


 事の成り行きはミズハも気になっているようだが、テーブルに倒れ込んでいるセラに一声掛けてから乗り出していたカウンターから引っ込んだ。
 セラは倒れ込んだまま力の無い声で返事を返す。
 ケイスの話す内容はどうせ無茶苦茶で理解しがたい物だろうと、セラはこの時点で嫌な確信を抱いていた。
 ラクトの無事が確認できた事で食堂に集まっていた者達はある程度緊張が抜けた。
 今だ張り詰めた雰囲気を残しているのは怒っているルディアとマークスだけだ。


「俺じゃ、あん時みたいに冷静に話がすすまねぇな。ルディア頼む」


 しかしそのマークスも、ルディアに任せろというファンリアの提案に素直に従う。
 商売の師であるファンリアの判断を信用しているのもあるが、初対面時のケイスとのやり取りを思い出していたからだろう。 


「はい引き受けました……さてと”最初”から”順序”よく、私達にも”判る”用に説明しなさい」


 何をどのように聞きたいのかを強調したルディアが腰に手を当ててケイスを見据えた。
 ルディアがここ数日一緒に過ごして気づいたケイスの明確な欠点がある。
 ケイスは他人とのコミュニケーション能力が著しいほど幼稚なのだ。
 とにかく自分の目線で全部を語ろうとする。
 客観的な視線で物事を語ることができず、まるで幼児に事情を聞いているような物とでも言えば判りやすいだろうか。
 そして明らかに一般とはかけ離れた異常思考がさらに輪を掛ける。
   

「最初からだな…………倉庫前の通路で朝の鍛錬をしていた私に子グマが決闘を吹っ掛けてきたのが始まりだ。決闘と言うから殺し合いかと思ったら違ったんだ。単に何らかの勝負で参ったと言った方が負けというルールの遊びだ」
 

 ケイスがラクトを倒した状況を詳しく話し始めるが、その説明は最初から案の定どうにも要領を経ない。
 ルディアを始め周囲の者は、決闘と聞いて殺し合いを浮かべるなんてお前は何時の時代の人間だという目でケイスを見ている。
 大陸中が荒れた暗黒時代やその後に続いた動乱期ならともかく、今時本当の命をやり取りする決闘なんて、血気盛んな若手探索者達の間ですらもほぼ皆無。
 あっても決闘という名の模擬試合や酒の飲み比べくらいで、掛けているのは少量の金銭やら安っぽいプライドくらい。
 命をかけるなんて馬鹿馬鹿しい真似をするはずもない。
 これが今の常識。しかしその常識がケイスにはない。
 決闘といえば命をかける物と頭から決めつけているようだ。 


「だから私は子供の遊びに付き合うほど暇ではないし、子グマを障害物に見立てて回避訓練をしながら一応話を聞いてやったうえに、無理だから止めておけと忠告もしていたのだぞ。天才である私が相手では、実力に差がありすぎて、試合ではなく虐めになってしまうと言ったのだが、そうしたらなぜか怒って殴ろうとしてきたんだぞ」


「それ挑発してるから。あんたね普通は自分の事を自分を天才なんていわないわよ。しかも見下した言い方して。わざと怒らせようとしてない」


 殴りかかったのはどうかとは思うが、あれくらいの年の男の子だったら、年下しかも少女にそんな言われ方をされたなら腹が立って当然だ。
 だがケイスはその当たり前の事柄を理解できない。


「しかしルディはそうは言うが、もし私の才を持ってしても天才でないのなら、この世に天才と呼べる者はいなくなってしまうぞ。私は世の中に天才と呼べる者は私以外いないと思うほど傲慢ではない。それに人を見下すようなことしたことなど、生まれてから一度もないぞ。それは悪いことなのだろ」

 
 その口がもたらすのが傲慢その物。
 自分が天才と信じて疑わず、そして自分が天才でなければ世の中に天才と呼べる者が一人もいなくなると、徹頭徹尾、心底本気でケイスは言っている。
 納得がいかないと訴える目でケイスがルディアを見上げた。
 自分は事実しか言っていないと。
 ケイスのその表情は、巫山戯ているのでも開き直っているのでもなく、ラクトが怒った理由をケイスが本気で理解できていないと、この場にいる誰もが気づかせた。


「……心臓を止めた理由は?」

 
 ケイスの説明は非常に理解しがたい物が多い。
 だがそれにいちいち食いついていては話が進まない。
 ルディアはとりあえず後でまとめて考えようと、ともかく続きを促す。


「だから言っているだろ。子グマのやつは生命力を闘気に回しすぎていた。高揚感で理性のリミットが外れた獣人族の狂化みたいな状態だ。あのままでは生命力を使い果たす危険もあった。だから心打ちで心臓を止めて無理矢理解除したんだ」
   

「……じゃあラクト君を口にくわえてきたのは? 他に運びようなんてあったでしょ。それか誰かを呼んできて連れてきてもらうとか。何でよりにもよってあんな運び方をしたの。あれで心証が悪くなってるからねあたし」
 

「食堂に入るところでルディが倒れそうになっていたのが見えたから助けに入ろうとしたが、今私の右手は怪我で使えなかったから口にくわえた」


「…………ラクト君を扉の所に置いてくればいいでしょ」


「ちゃんと掃除してあるとはいえ、土足で歩く床に人を置くのは失礼だ」


「いやあんた……口にくわえる方が失礼だっての」
 

 堂々と胸を張るケイスの返答を聞くたびにルディアはだんだんと疲れを覚える。
 まさかここまでいろいろな意味で話が通じない相手だとは思っていなかった。
 ケイスの思考は意味不明な部分が多すぎる。
 自分が天才だと言い切り、それを他人も理解して当然だと考えて、自分を傲慢だとはかけらも思っていない。
 闘気を遣いすぎてラクトが危険だからと、ミスしていたら殺しかねない技で心臓を止める。
 他人を床に置くのは失礼だが口にくわえるのは問題ないと考えるずれまくった常識感。
 だがおかしいのは思考だけではない。
 十代前半年と見える年のわりに高すぎる戦闘能力も異常すぎるが、問題はその過去だ。
 大願を叶えるまでの願掛けに封じていると言って、『ケイス』という偽名くさい名以外は家名も出身地も一切喋ろうとせず、素性不詳と怪しいことこの上ない。
 しかも思考は異常者そのものであるくせに、性格的には基本馬鹿正直で人をだませないタイプだとルディアは見ている。


「………………どうします? たぶん全部本当みたいですけど」


 幼い子供と変わらず感情がすぐに表情に出るので、ケイスの目と顔を見ていれば嘘をついているかどうかなんてすぐに判る。
 それらから判断するにケイスは今のところ嘘はいっていない。
 頭の中で状況整理したルディアは、あんたどこまで無茶苦茶だという突っ込みを心の中に押し殺し、二人のやりとりの聞き役に回っていた周囲に尋ねる。
 ラクトを助けたといえば助けたのだが、その原因は主にケイスの無自覚な見下した言動な訳で判断に困る。
  

「むぅ、多分とは失礼だぞ。私は事実しか言ってない」


「あんたはややこしくなるからしばらく黙ってなさい…………これ食べてていいから」


 ルディアにため息混じりの一言に不機嫌そうに眉をひそめたケイスへと、ルディアは先ほど取り上げた皿の豆に塩を振って押しつける。
 ケイスは不承不承といった表情を浮かべながら、それでも空腹が勝っていたのかポリポリと炒り豆を食べ始めたが、すぐに嬉しそうなあどけない満面の笑みをうかべた。
 どうやら塩加減が丁度よかったようだ。
 食べ物を食べているときや寝ているときは年相応……というか可愛らしさの溢れる美少女と言ってもいい風貌なのに、会話時とのこの差はいったいなんだろうと釈然としない気持ちからルディアはもう一度ため息を吐いた。










「で、どうするクマよ? いろいろ問題はあるが基本お嬢ちゃんの方に悪意はない。むしろおまえさんの所の坊主のほうに気をつけた方がいいかもな。闘気まで使いだしたんじゃ子供の喧嘩っていう範疇を超えてるだろ。相手がお嬢ちゃんだから手玉にとられたようだが」


 タバコが吸えず手持ちぶさたなのかファンリアがテーブルの上にあったスプーンを弄びながら、複雑な表情を浮かべているラクトの父であるマークスに尋ねた。
 しかし尋ねられてもマークスも即答はできない。
 非常に乱暴かつ非常識な手であるが、ケイスがやったことはあくまでラクトを助けるための非常手段という意味合いが強い。
 そしてラクトが怒る原因となったケイスの言動にも、この場の中で唯一マークスだけがある確信を抱いていた。


「ケイス。一つ尋ねるがおまえ本当にラクトを馬鹿にしたり怒らせようとはしてないんだよな、っていうか俺の時と同じで”親切心”からの忠告か?」
 

 十人中十人が全員挑発ととるだろうケイスの言動は恐ろしいことに、本人からするとすべて善意から成り立っている。
 それはつい先日ケイスによって激怒させられたマークスだけが知りうる情報。
 師匠筋であるファンリアにも話していないケイスとの会話から行き着いた結論だった。


「「「「………し、親切心?」」」」」


 マークスの問いかけに周囲のルディアやファンリア達が訝しげな顔で疑問符付きの声をあげた。
 ケイスの行動から親切心という存在の欠片でいいから拾えというのがまず無茶なのだが、
 

「ん? うむ。子グマは私に意地悪するから嫌いだが、クマは武器を貸してくれるから好きだぞ。だからおまえの息子ということで特別に忠告したまでだ。他の者ならあまり邪魔をするなら叩きのめして排除するぞ。それがどうかしたか? ……ぅ。ルディ今のは聞かれたから答えたまでだからな。無視するのは失礼だからな」 


 当の本人はマークスに平然と頷いて答えてから、ルディアに黙っていろと言われたのを思い出したのか弁明じみた物を述べている。


「お、おまえって奴は。なんでそこまで判りにくいんだよ。完全にラクトの空回りじゃねぇか……しょうがねぇ。後で俺から説明しておく」


 ケイスの回答にマークスは頭痛を覚え額を押さえ、周囲は会話の意味が判らず困惑してしまう。
 唯一ファンリアだけが、マークスへとどういう意味かと視線で問いかけようとしたが、


「っく…………く、くそ……俺、俺だっておまえなんて嫌いだ……え、偉そうに、畜生」


 苦しげなか細い声がその視線が打ち消した。
 周囲が異常なケイスの言動に気をとられているうちに、いつの間にやらラクトが意識を取り戻していた。
 ケイスにいいようにやられた事を覚えているのか、血の気の引いた青ざめた顔で悔し涙を浮かべている。


「ラクト! 無事か!? よ、良かった。あんまり心配かけさせんな」
 

 息子が無事に意識を取り戻した事にマークスが安堵の息を吐き出したが、なぜかそのマークスをラクトは睨む。


「う、うるせ! な! なにが心配かけさせん……だ……バカ親父! ごほっ! ぉっ!」


 悔し泣きをしたまま怒鳴ったラクトだが、急に大声を上げた反動か激しく咳き込む。
 ルディアの薬で生命力を回復させたといってもまだまだ本調子でないのはその顔色を見れば明らかだ。
 

「てっ!? てめぇっラクト! 心配している親に向かってその言いぐさはなんだ!」


 先ほどまで瀕死状態だった息子にいきなり怒鳴られて一瞬面食らっていたマークスだったが、その言いぐさに腹が立ったのか負けじと怒鳴り返した。


「バカ親父だから……バカ親父だっつってんだよ! 自分を馬鹿にしたガキ相手にへらへらしやがってバカ親父!」


「こ、この!」


 ラクトの返し言葉に激高したマークスは、つい拳を握りしめ思わず振り上げていた。









「ま、待てクマ!」「ち、ちょっと待ってください!」「やっべっ!」


 いくらこの親子の間で喧嘩は日常茶飯事といえどラクトはついさっきまで心臓が止まっていた状態。
 ファンリア達が慌てて止めに入ろうとするが、それよりも早く小さな影が動いた。
 つい今まで豆を食べたながら親子のやりとりを見ていたケイスだ。 


「とっ」


 ラクトとマークスの間にさっと飛び込んだケイスはマークスの手首へと己の左手を伸ばす。
 マークスとの身長差は倍近く、体重差ではそれ以上あるのに、ケイスはマークスの左手首を握っただけで軽々と拳を止めてみせる。
 端からはケイスはただマークスの手首を押さえているだけにしか見えないが、それだけでマークスは身動き一つとることが出来ない。
 ケイスが行っているのは先ほどラクトに行った心打ちと同原理の闘気を用いた制圧術。
 本調子であれば本物の”熊”すらも押しとどめられる術を持って親子喧嘩を止めたケイスは不満そうに眉をひそめる。
 

「クマ。心臓が止まっていた相手を殴るのはやめておけ。あと子グマ。父親に向かってその口の効き方は失礼だぞ。クマが怒っても当然だ。こういう時は『心配してくれてありがとうございます』だ」


 二人の間に割って入ったケイスは説教じみた苦言を二人へと呈して、それが常識だと言わんばかりにうなずく。
 確かに言っていることは至極まともなのだが、それを言っている人物が問題だ。
 

「げ、元凶はあんたでしょうが」


 この場にいる誰もが思っているであろう一言をルディアが突っ込むがケイスは首をかしげた。


「ん。そうか? まぁいい。子グマの話でだいたい理由も事情もわかった。そういうことか。よし決めた」


 いったい今の短い親子喧嘩の中で何を知ったのか?
 ルディア達にはもちろん当事者であるマークス親子にも理解できない中、ケイスはしたり顔で頷いてから不満顔から一転、今度は満面の笑顔を浮かべる。
 その笑顔はケイスが本来持つであろう美少女としての魅力を十分に発揮する人の目を引きつける実に嬉しそうで楽しげなあどけない少女の笑み。
 ルディア達はもちろん激高していたマークスやラクトも、思わず見惚れそうになる天然の笑顔だった。
 突然の雰囲気の変化に誰もが困惑する中、ケイスはそのマイペースぶりを遺憾なく発揮する。


「おい。子グマ」


 ケイスはラクトへと振り返り、おもしろいことを思いついたとばかりの弾ませた声で話しかけた。
 だが先ほど結果的に助けられたとはいえ、殴り倒されていたラクトは我に返り警戒の表情を浮かべる。


「な、なんだよ」


 不審げなラクトの態度をケイスは気にする様子もなく胸を張ると力強く宣言する。


「私はおまえが好きになった。だからおまえの決闘を受けてやろう。それどころか私に勝てるように私が訓練をつけてやろう。うん。だから感謝しろ」


 極めて理解不能な思考の為に非常に他人には判りにくいが、ケイスは基本的に他者に”親切”であり”寛大”である。
 ただしその寛容と親切が世間一般の基準から大きく外れたケイス基準とも言うべき、ケイスの中での尺度であるが。
 その行動原理自体は至極単純。
 好きな者は助ける。
 自分は嫌いだが好きな者が好きな者だったら、嫌いな者でも極力我慢するし助ける。
 命の危機であれば”敵”でなければ、嫌いな者でも極力助ける。
 この基準に当てはめると、ラクトは嫌いだがマークスは好きだから”親切心”から危ないと助言はし、ラクトの攻撃くらいでは命の危機でもないので”寛大心”から攻撃を回避しただけで済ます。
 命の危機であったので、ラクトは嫌いでも”敵”ではないので助けた。
 ケイスにとっては至極単純明快な理屈理論から行動した結果だったのだが、それらが年不相応な尊大な物言いと相まって外からは全く判らないことが問題だった。
 そしてケイスは好きになるのも嫌いになるのも一瞬。
 一瞬一瞬を生きる。
 それがケイスという少女である。 



[22387] 剣士の価値観
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/06 16:40
 食堂の時が止まった。
 ケイスが一体何を言っているのか理解できない。
 それがこの場にいる者皆の総意だ。
 ラクトが好きになったから決闘を受けて、なおかつ勝てるための手助けをしてやる。
 端的にまとめても、ケイスがいっている意味が判らず、それ以前にどうしてこの結論に至ったのか理解不能だ。
 嫌いだと評した同じ口から、すぐさま正反対の好意が飛び出してくる心理変化の意味がわからない。
 ケイスが心変わりするような何かがあったのかもしれないが、それが判るのは本人だけだろう。
 
 
「…………っざけんな! こっ! な、なんで俺がお前に教わらなきゃならねぇんだよ!? しかもお前との決闘に勝つためにお前に教えて貰うっておかしいだろ!?」


 茫然自失としていた中真っ先に我に返ったのはラクトが声を荒げる。
 決闘を申し込んだ相手であるケイス本人が、ラクトを勝たせるために訓練をつけると宣言するなど、馬鹿にしているのだろうか、もし本気だとしても正気を疑いたくなる提案だ。
 しかしラクトの怒声に当の本人は満開のひまわりのような笑顔で答える。


「何がおかしいところがある。実に理にかなった提案だろ。子グマと決闘を行うのは私だ。古来より敵を知る事は戦の基本中の基本。そして私のことをこの世で誰よりも知っているのは私自身だ。だからことこの件に関して私が教えるのが一番の適任ではないか。それにお前は闘気の制御が甘い。今のような使い方では、今回のような危険はまた起こるぞ。だからちゃんと使い方を覚えた方がいい。その上で私に勝てるようにしてやろうと言っているのだ」


 さも当然だと言わんばかりに胸を張って答えたその言葉がラクトを困惑させる。
 ケイスが小馬鹿にしたような表情でも浮かべているなら、嫌味な性格のクソガキだと思えるのだが、笑顔の奥の目は巫山戯ているのでも馬鹿にしているのでもない真剣な色を帯びている。
 その真剣さを感じさせる目の強さと、一点の嘘偽りもないと言わんばかりに堂々と宣う所為で、激高しているラクトすら一瞬頷き肯定しそうになってしまうあたりなおさら性質が悪い。


「あぁ……お、俺はお前に決闘申し込んだんだよ! 戦い方教えてくれとかわざと負けてくれなんて一切口にしてねぇだろうが!」


「ん。確かに言われてはいないな。でも私はお前を手助けしたい。つまり私の意思だ。お前の意思など知らん。時間が惜しいから朝食後すぐに始めるぞ。それにわざと負ける気などないぞ。そんな物は決闘ではない。私は正々堂々全力で勝利を得るつもりでやるぞ」


「だぁぁぁっ! い、意味判らねぇ!?」


 ラクトの心情や拒否の意思などは一切考慮せず決定事項だと言い切り、さらには勝てるようにしてやると言いながら負けるつもりはないと矛盾した発言を平気で宣う相手にラクトは頭を抱える羽目になる。
 

「お嬢さん。俺はこの通り年寄りで最近の若い娘さんの考えている事が理解できないんで教えてもらっていいか。ラクトの何が好きになったんだね?」


 このまま狂乱しかねないラクトをさすがに見かねたのか、この場で一番の年長者ファンリアが助け船を出す。
 ともかく一度にあれこれ聞き出そうとしても意味不明なケイスの返答に混乱させられるのは必至。
 交易商人として価値観の違う人種や偏屈な難物と関わってきた経験をいかして、ケイスの真意を一つ一つ確かめていこうとする。


「うむ。好きになった理由か。いくつかあるが子グマが私と同じで、そして敬意に値する奴だからだ」


 ファンリアの問いかけに快く応じたケイスは、軽く頷きながら笑顔で答える。
 共感や敬意は確かに人が好意を覚える感情の主たる物だが、ケイスの説明はあまりに舌足らずで真意までは読めない。 
 

「クマ良かったな。お前は良い息子を持ったぞ。きっかけは勘違いとはいえ、お前の名誉を守るために、遙かに実力のかけ離れた私に決闘を申し込むほどの気概気骨を子グマは持ちあわせているぞ。そういった相手に決闘を申し込まれたら受けて立つのが剣士として当然の礼儀だ。それに私も父様が大好きで父様の名誉を守るためにこの地へと来たのだからな。いわば同士だ。子グマお前は好意に値するぞ」


 それはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべて頷いたケイスは、腕を取って拘束したままのマークスへと笑いかける。
 その楽しげな表情に嘘偽りの成分は一切含まれていない。
 どこまでも上から目線で脈絡の無い発言を連発しているが、この顔を見るとラクトに好意と敬意を持ったのは間違いないと納得せざるえない。
 ただそれでも唯一納得できない人物がこの場にいる。
 ほかならぬラクトだ。
 

「だっ! 誰が親父が好きだ!? 武器屋の誇りだなんだいつもは偉そうに講釈たれてるくせに、散々にこけにされたお前には、ホイホイしっぽ振って武器渡すようなふぬけ親父なんか嫌いに決まってんだろうが!」


 ラクトくらいの年頃の子供からすれば親。
 特に同性である父親はただでさえ反発の対象となりやすい。
 自分が勝手に武器を拝借しているとすぐに怒声と鉄拳が降ってくる。
 それなのに公衆の面前でケイスにいいようにやり込められ、武器屋としての矜持をぼろぼろにされ自棄酒まであおっていた父親が、ここ数日は手のひらを返したようにケイスへと次々に武器を貸し与えている姿は許容できる物ではなかった。


「お前は誤解しているぞ。私はクマを愚弄したことなどない。クマはむしろ私が知る中ではそこそこによい商人だ。というよりも私は生まれてから一度たりとも根拠無く人を愚弄したことなど無い」


 自信満々の表情で清廉潔白だといわんばかりのケイスの態度がラクトの神経をさらに逆なでする。 
  

「なっ! わ、忘れたなんて言わせねぇぞ! ラズファンの市場で親父のこと散々馬鹿にしたんだろ! そ、その場で見てたファンリア爺ちゃんから聞いてんだよ俺は! だぁつ! はぁはぁっ!」 


 ルディアの薬で多少は調子が戻ったと言えラクトの体調は最悪に近い。
 怒鳴り続けて最後の方は息切れし、ゼエゼエと苦しそうに肩で息をしながらも、強い敵意の籠もった目でケイスをにらみつける。
 ラクトがまだ少年といえどその怒りは本物。
 それなりの威圧感があるのだが、ケイスには全く通用しない。
 

「クマお前に口止めされていたが、些細な行き違いだとやはりちゃんと話した方がいいぞ。おかげで私が無駄に嫌われたでは無いか。離してやるからちゃんと説明しろ」


 むぅと不機嫌そうに眉をひそめ頬を膨らませたケイスは、拘束していたマークスへと拗ねたような声で文句を言ってから、手首を押さえていた左手を離した。


「……だっ!?」


 いきなり拘束を外されたマークスは不自然な体勢であったために蹈鞴を踏むはめになった。
 自分の体が全く思い通りにならないというのがここまで気持ちの悪い感覚だと思わなかった。
 右手を開いたり閉じたりしてちゃんと思い通りに動くことを確かめてほっと息を吐く。
 体が動くなんて当たり前のことなのに感謝したくなるほどだ。
 ついいつもの親子喧嘩の感覚で先ほどまで死にかけていた息子を殴りそうになったのを止めてくれた事は感謝するが、もう少し穏便な手段は無いものだったのかとも思う。
 しかし未知の感覚で肝を冷やしたおかげか、頭に上っていた血はそれなりに下がり冷静な判断も出来るようになっていた。 
 

「クマ。どういうことだ。俺も聞いてねぇぞ」


 ケイスとマークスとの間に二人しか知らないやりとりがあった事を察したのか、ファンリアのこれ以上ややこしいことになる前に話せと促す視線に、頬を掻きながらマークスは口を開く。
 

「わりぃ親方。そのなんつーかあんまりに嘘くさい上に、自慢話になりそうなんで吹聴する類いじゃ無かったんだよ…………あのなラクト。信じられないかもしれないけどな、ケイスは今言ったとおり俺のことを馬鹿にしてるつもり一切無いんだよ。それどころか真逆なんだよ」



「…………親父。意味わかんねぇんだけど」


 ラクトはあまりに予想外の話に父親がどうかしてしまったのかと疑うような目を浮かべている。
 ケイスにその真意を聞かされたときの自分も、目の前のこいつは何を言っているんだろうと同じような表情を浮かべていたんだろうと思いながら、マークスはため息をはき出す。
 年若いという言葉も生ぬるいほどに幼いが、ケイスほどの技量を持つ剣士に認めてもらえるのは、武器商人として正直嬉しいとは思う。
 だが高評価なら高評価でもう少しわかりやすくてもいいんじゃなかったのかと、どうしても思ってしまう。


「ケイスが言うには、ラズファンの自由市で武器を扱ってた商店の中じゃ俺の店が最高評価だったんだとよ」


 むろんマークスも手に入る限りの質のいい商品を取りそろえていると自負はある。
 しかし数多くの露店が集まっていたラズファン自由市で自分の店が一番だなんて、商売文句は別にして名乗る度胸はなく、さらにケイスがそう評価したからと言って同じキャラバン内にも武器を扱っている商人は幾人かいるのに、それをことさら自慢げに話す気もない。
 だからケイスに真意を聞かされても、口止めしていたのだがそれが仇になった形だ。


「簡単に言っちまうとな、ケイスは武器商人としての俺を高く買ってくれてるんだよ」


「……………………………はぁっ?!」


 しばらく考え込んでいたラクトは声を上げたかと思うと、唖然となり口をぽかんと開けている。
 ルディアやボイド達も顔にいくつも疑問符を浮かべて、理解できないという目線をケイスへと飛ばしていた。
 

「あーお嬢さん申し訳ないが、これもあんたの口から説明してくれるかね」


 どうにも信じがたいのか半信半疑の表情を浮かべているファンリアが、ルディア達の探るような視線にぶすっとした顔を浮かべるケイスへと尋ねる。
 どうやら自分の本意が誰にもわかってもらえてないのが不満のようだが、それは無茶な話だろ。
 ケイスが見せた言動からマークスを高評価していると察しろというのは酷だ。


「私は剣士だ。剣士にとって大切なものは日々の鍛錬。そして信頼できる武器だと私は思っているしそう教わっている。その私が自らが認めていない商人から自分の命を託す武器を買うわけがないだろ。当然の事だ。何故それが理解できない」


 なんでそんな単純な事が判らないんだと、頬を膨らませてケイスは拗ねる。
 その理屈自体は確かに当然と言えば当然だが、規格外の化け物が常識を口にするのは何とも理不尽なものがある。
 傲岸不遜な普段の態度からすれば、自分の技量ならどんななまくら刀でも名剣に勝るとでも言っている方が合ってそうだが……


「ち、ちょっと待ちなさいあんた。マークスさんの所の商品をそこそことか、人を見る目が無いとか罵倒したって話よね」 


 泥酔していたマークスに絡まれその時のことを散々愚痴られたルディアが、ケイスの説明に納得できずに突っ込んでみるが、


「罵倒した気はないぞ。むしろ私が剣を買ったという事実。これこそが最高の賛辞じゃないか。私ほどの才の持ち主が自分が振る剣として選んでいるんだぞ……でも確かにルディが言うとおりに言ったのは事実だ。だがそこそこなのは本当だし、子グマが言った暴言とは助言だ」


「いやあんた。助言ってどこをどう取れば」


「ふむ。クマが私に武器を売ることを拒んだ理由である、私くらいの体格では、あの長さ重さのバスタードソードは不向きだというのは確かに一理ある。しかしそれは常人の話だ。先ほども言ったが私は天才だ。私のような規格外も世には多い。これらを一目で見分ける目を持つのは、一流の武器屋として大成するのには必須だろ。私はクマにはそれだけの商人になる可能性があると思っている。だから良い剣だったことに感謝して助言を与えたまでだ」
  

「臆面も無くそんな堂々と天才連発すんな………っていうかさっき一番って言った舌の根も乾かないうちに、そこそこって評価どうなのよ」


 どういう育ち方をしたら、ここまで自信過剰という言葉も裸足で逃げ出すほどの傲岸不遜で唯我独尊的な思考になるのか。
 後で胃薬と精神安定剤をいくつ用意する必要があるかとルディアは真剣に考え始めていた。


「それなケイスの判断基準の平均値が異常なんだよ。ケイスお前が良いって思った剣もう一度あげてくれるか。手短にな」


「ん。良いぞ。最高の物はちょっと訳あって言えないが、とりあえずはレイジング工房の刺突剣か。あそこの独自の製錬技術で出来た剣は、丈夫な割りによくしなるから軌道を読ませにくくていいぞ。それに岩石竜の大剣シリーズ。特にランドグリア国産の背骨から取った物だな。大きさの割りには扱いやすいぞ。ここら辺が良い刀剣だと思うあたりの最低基準だ。ドワーフのエーグフォラン国七工房は第一と第七工房製の品なら、大抵は好きだが、主鍛冶師によって出来のムラが激しいからあまり一概には言えん。素材だけで言えばミドライト鉱石の武器も好きだぞ。ともかく頑丈だからな。あぁそうだ。あとな…………」


 ため息混じりのマークスの頼みにケイスは不機嫌から一点嬉しそうな笑顔で頷くと、いくつも剣の種類をあげ嬉々として語り出した。
 その様は幼い子供が好きな人形やお菓子を聞かれてニコニコと列挙するときの笑顔のようだ。
 最も語っている物はその美少女然とした風貌とは全く不釣り合いな剣なので、そんなほのぼのした物では無い。
 しかも良い刀剣としてあげている理由が、肉を抉ったときの感じが良いだの、骨ごとたたき切れるほどの重さが良いだの、脳天から唐竹割が出来るほどの切れ味だの、何百切っても刃こぼれし無いだのだんだんと物騒な理由になっていく。


「判った。判った。もうそれくらいで良いから」


 嬉々として語るケイスの様子にこのままでは延々と話し続けかねないと思ったマークスはもう十分だと遮る。
 

「むぅ。そうか。好きな剣はまだまだあるんだが」


 重度の武器マニア気質というか刃物キチガイな一面は、周囲が引きそうになるほど濃く重い内容だったのだが、ケイス自身はまだ語り足りないようだ。


「稀少品も多いから薬師のルディアじゃエーグフォラン以外の名はぴんとこないかもしれねぇが、ケイスの挙げた刀剣類ってのは、どいつも共通金貨で数百枚単位で取引される高品質高級品だ。そこら辺と比べて俺の店の品揃えをそこそこってのは、かなり……破格の高評価だな」


 ケイスの上げた刀剣類はどれも名のある騎士団に採用されていたり、領主の証として王から下賜されるような高級品や、上級探索者達が迷宮外で帯刀する類いの高品質品。
 高価すぎてあまり一般に出回っていないが、武器屋としてマークスもいつかはそれらも扱えるような大店の店主になりたいと憧れる品ばかりだった。
 現役探索者達であるボイド達や長い商売歴を持つファンリア。
 そして父親であるマークスから武器知識をいろいろ仕込まれているラクトの驚きは言うまでも無い。 


「うん。本音を言えばもっともっと良い刀剣もほしいが、あの時は手持ちがあれだけだったからな。その中で最も良い剣を買おうと思って、安くて良いものが入る所をラズファンの警備兵に尋ねたらあの市場を薦められたんだ。それで下見に一日おいて武器を扱っている全ての店を吟味した。その中から5店くらい選んで、次の日にもう一度見て最も良いと思ったクマの店を選んだ。だから誇れクマ。お前の店があの時市場で一番だった。私がそう認めたのだから間違いない」


 己の目利きに間違いは無いと、マークスが一番だったとケイスは笑顔で断言する。
 どうやら好きな刀剣の話をしているうちに、先ほどまでの不機嫌はすっかり吹き飛んだようだ。
 しかしケイスの言葉に誰もが口をつぐんでしまう。
 ケイスの指し示す全ての店とは、まさか文字通り”全て”なのか。
 使用料さえ払って許可証をかねた看板を掲げれば誰でも好きに商売が出来るラズファン自由市に建ち並ぶ店は、最盛期では五桁にも達するという。
 その数から武器屋だけとはいえ、一日で下見を終えるなど到底無理な話だ。
 

「全部の店ってのは、あー……その比喩表現かい」


 主立った店だけ見たとかそういう類の意味であってほしい。
 だがそんなファンリアの願いをケイスはあっさり食い破る。


「違うぞ。下見した日に武器を扱っていた店2328軒は全て見たからな。クマの店があった武器屋通りはもちろん市場全体を見たぞ。良いのがほしかったからな。それで店頭に置かれた武器の質や手入れから、大まかに篩をかけて気になった店を選別した。ほかにもいくつか気になる店はあったが、クマの店は値段が判らなかったのが気になったが、それ以外は質や手入れで勝っていたから選んだ」 


「………嘘くさい話だけど確認してみたら、下見した日に開いてた店と並んでた商品。店主の特徴まで全部覚えてんだよ。ほれ親方も知ってるだろギゼットとバッド。あいつらの店の場所は知ってたから、ケイスに確認したら、あいつらの顔の特徴から、扱ってる商品のラインナップまで正確に答えやがった。ケイスを拾ったのは偶然だからウチの情報を下調べしてたってのは無いだろ……信じがたいけどマジなんだよ」


 どういう記憶力してるんだかと、マークスはぼやきながら頭を掻く。
 最初聞いたときは、さすがに疑わしいのでマークスも他キャラバンの知り合いの店などをいくつか挙げて確認してみたのだが、ケイスはすぐにその店の店主の特徴や並んでいた商品をずらりと列挙して見せた。
 マークスが覚えている限りの店を次々にあげてみても、どれも正確に軽々と答えてしまうので、ケイスの言う全ての店を見て覚えているという荒唐無稽な話も信じざる得なかった。
 それは同時にそれだけの数があった店から ケイスがマークスの店を選んだということの証明でもあった。


「ふむ。当然だ。私は見聞きしたことは基本的には忘れないからな。ファンリア。お前の事もちゃんと覚えているぞ。お前の店の前を偶然だが通ったからな。クマの店の近くの西地区44番路のd区画3番、香辛料がメインの店だ。私が前を通ったときは、お前は客の応対は息子に任せて、奥の座椅子で煙草を吹かしながら新聞を読んでいた。たしか一面の見出しは、カンナビスゴーレムの解析技術を用いた新作ゴーレムの性能展覧会がこの船の目的地であるカンナビスの街で行われるという内容だったな」


 詰まる様子も見せず目撃したファンリアの様子をケイスはすらすらと話して見せた。
 ファンリアの手からぽとりと落ちたスプーンが、ケイスが言っていることが事実だと告げる鐘のように響く。


「「「「「………………」」」」」


 床を転がったスプーンの音が鳴り止むと、食堂を不気味な沈黙が覆った。
 目の前の理解不能な存在に尋ねたい事、気になる事はいくらでもあるのだが、これ以上常識という概念が崩壊するのを防ごうという自己防衛本能か誰も口を開こうとしない。
 

「先代。それにあんたらもそろそろ開店なんだけどな。まだ掛かりそうか? 飯が冷める……入り口の連中も入りにくそうにしてんだがよ」


 沈黙を破ったのは料理長であるセラギの声だった。
 カウンターに立つセラギが手に持ったお玉で指し示した入り口には、朝食の第一陣であるキャラバンの者や船員達が集まっている。
 どうやら食堂の雰囲気に近寄りがたい物を感じていたのか、空きっ腹を抱えて入り口で待っていたようだ。


「ん。ご飯か。今日は子グマにいろいろ教えなければならないからおなかが空きそうだ。たくさん食べるぞセラギ。大盛りにしてくれ」


「お前はいつもだろ。ほれよこせ。大盛りだな」


 食事と聞いたケイスが嬉しそうな声を上げると、呆気にとられ固まっていたルディア達を気にもせず、左手でトレーを掴んでカウンターに駆け寄うとセラギに催促する。
 どこまでも自由奔放と言うべきなのか、自己中心的と思うべきなのか。


「ー…………おれらも飯にするか。これ以上は無理だろ」


 ファンリアが言うのは、すでに食事へと興味が移ったケイスからは話を聞き出すことが無理と判断したのか、それとも聞き手側の精神が無理だという一同の代弁なのか…………あるいはその両方か。
 どちらにしても誰からも異論はでない。
 特にラクトなどケイスに売った喧嘩の発端となった父親に対する暴言が、ケイス曰く”行き違い”であった事に、力が抜け魂が半分抜けかかったような脱力状態になっているが、それも仕方ないだろう。
 あの暴言とも思える言葉の真意が、賛辞から生まれた物など誰が想像できるだろう。


「あぁそうだルディアお嬢さん。ラクトの坊主は飯を食べても大丈夫なのか? ケイス嬢ちゃんの稽古に付き合わされるんじゃ、ちゃんと食ってた方が良さそうなんだが」


 手からこぼれ落ちたスプーンを拾ったファンリアが、何気ない顔でとんでもないことを言いだし、ラクトが我に返る。


「ち、ちょっとファンリア爺ちゃん!? お、俺、嫌だぞ!」


 いつの間にやらケイスのペースに乗せられ話が横道にそれまくっていたが、ラクト自身はケイスの師事を受けるなんて一度も了承していない。
 それなのにケイスどころか、ファンリアまですでに決定事項のように話し出すとは思っていなかったようだ。


「ほれさっきお嬢ちゃんも言ってたが、お前さん闘気の使い方覚えたのは良いがちゃんと使えてないから危ないっての確かさ。決闘云々はともかくとして、闘気の制御をその道の天才が無料で教えてくれるってんだ受けとけ。それにあの様子じゃ覆りそうもないわな。下手に断って暴れ出しても面倒だ。まぁ取って食われはしないだろ。いいなクマ?」


 制御が出来ずまた同じようなことが起きては危険だともっともらしい理由をファンリアは上げはしたが、その本音は隠しきれず下手に断るとケイスが何をしでかすか判らないからだと白状していた。
 

「諦めろラクト……ケイスに絡んだ段階でお前の負けだ」 


 どれだけ信じられない話でもラクトだけには話しておくべきだったか。
 マークスは深い同情と死ぬなよという激励を込めて、これからしばらく振り回されるであろう息子の肩を叩いた。



[22387] 剣士の弱点
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 00:30
「お前の所属するファンリアキャラバンはカンナビスから西に向かうのだろう」


 永宮未完特別区である北リトラセ砂漠を抜け、目的地であるトランド大陸中央部へと至る山岳都市カンナビスへは、順調に進めばあと二週間弱で砂船トライセルは到着する。
 ファンリア達のキャラバン達はカンナビスから本拠地であるグラサ共和国のある西方向へと向かう。


「この………てめぇ……」


「だから私の目的地とは真逆だ。砂船では狭いからカンナビスで決闘を行うとして、そこまで訓練期間に当てても二週間足らずしか無い。だから時間を有効に使うぞ」


 一方でケイスの最終目的地は、トランド大陸の東の果てにある。
 一秒でも時間が惜しいと朝食をほとんど噛まずに飲み込むように手早く終えたケイスは、左手でラクトを”持って”、食堂と同じ階層にある図書室とプレートか掲げられた部屋へと場所を移した。
 図書室と言っても町中にあるような、本棚で埋め尽くされた部屋ではない。
 本棚は壁の一面に埋め込まれた小規模な物で、その棚に並んでいるのも周辺の地図と近似情報冊子や、乗客が寄贈していった娯楽小説の類いなどがばらばらに並ぶ。
 ほかには4人掛けの丸テーブルが3脚置かれており、小遣い程度の小金を賭けてゲームを行う娯楽室や雑談室を兼用した多目的室といった方が本質だろう。
 ラクトと怪我の所為で両腕がふさがっているケイスが右足を蹴り上げて扉の取っ手につま先を引っかけて引き戸を開けると、室内からは昨夜の煙草の臭いが漂ってきた。
 不快な臭いにケイスは眉を微かにひそめる。
 愛煙家なら気にもならず、禁煙家でもあまり五月蠅く言わないレベルの香りだが、ケイスの過敏なほどの嗅覚は、その微かな残り香を敏感に感じ取っていた。
 普段なら気分を害して場所を変えるのだが、今はここ以外に適した場所はないので我慢してケイスは部屋に入り一番手近なテーブルへと近づく。
 扉を開けたときと同じ要領で、右足を椅子の足に引っかけて引き出してラクトを置いてから、右の椅子も引き出して自分も腰掛ける。
 とりあえず説明から始めようかと思った所で、ケイスは先ほどから気になっている事を尋ねるためテーブルの対面へと目を向け、
 
 
「そういえばなんでルディもついてきたんだ?」


「ぐぅっ……だっ……いい加減はな……」


 同じテーブルへとついたルディアへとケイスは尋ねた。
 ラクトの父親であるマークスとなにやら話していた所為でルディアはまだほとんど朝食に手をつけていなかったはずだ。
 そんなに小食だったろうかと、首をかしげるケイスをルディアはじろりと睨む。


「あんたに遠回しの言い方をしても通用しないから、はっきり言うけど見張り頼まれたの。何をしでかすか分かんないから……もうやらかしてる気もするけど」


 ケイスの疑問に答えながらルディアはケイスの横の座席に置かれたラクトへと同情の視線を浮かべる。
 止められないであろうケイスの暴走を見越していたマークスから、ルディアはフォローを頼まれていた。
 本来なら父親であるマークスがケイスの暴走の被害者となった息子の身を按じるべきなのだろうが、マークスがこの場にこれないのはちゃんとした理由がある。
 それはここ数日ファンリア商隊の者達は総出で倉庫の積み荷を確認しており忙しいからだ。
 原因はこれまたつい先日のサンドワームの襲撃。
 サンドワームの砂弾によって大穴が開いた倉庫に搬入されていた商品の被害状況や、船中に巻き散らかされた魔力吸収物質による魔具の不調が無いかを調べるため動き回っており、ケイス達に付き合う暇はなかった。
 顧客に不良品を掴ませたとあっては商人としての信頼にも関わる重要な問題。
 しかしケイスに巻き込まれた息子も心配。
 その板挟みに遭ったマークスの代わりにケイスを監視する役目になったのが、ルディアであった。
 確かに初日の襲撃以来は薬師としての仕事はセラへ渡す触媒制作以外は、特に病人や怪我人もおらず、確かに暇と言えば暇なのだが、なんであたしがとルディアはつい思ってしまう。
 しかもいつもだったら割り当て時間ぎりぎりまで食事をたっぷりと取るケイスが、今日に限っては席に着いたかと思えば、流し込むように食べてすぐに席を立った所為で、ルディアはほとんど朝食をとれていない。
 中途半端な食事に胃が余計刺激されて文句を申し立ててくるが、ケイスを放っておくのはもっと胃に悪い。 
 何せ訓練という名目で何をやらかすか判らない異常者だからだ。 


「がっ……こ、この……くそ……」


「心配性だなルディは。生命力を消費した子グマ相手にいきなり実技稽古をつけようなどと思わないから安心しろ」 


「あんたの行動見て安心しろって相当無茶だから……ともかくまずラクト君を離しなさい。ったく首筋に触れただけで麻痺させるなんてあんた本当になんなのよ」


「くっ……いいかげんに……」


「ん~そう難しくないぞ。闘気を遣った束縛術だからな。さっきのクマにも使ったやつだ」


 ラクトがあげていた拘束に対する抗議の声を、他意も悪意ないが自然と無視していたケイスは、無造作に答えてからラクトの首筋へと触れさせていた左手を離した。


「っが!?」


 ケイスの左手が離れた瞬間、ケイスの手から逃れようと力を入れていたラクトは楔が外れた振り子のように頭を前に勢いよく振ることになり、堅い木のテーブルへとしたたかに額を打つ羽目になった。
 砂船中に響いたかのような大きな音にルディアは哀れすぎたのか言葉をなくすが、ケイスだけは気にもしていない。
 痛みで悶絶するラクトの襟首を掴んで無理矢理引っ張り上げて起こした。 


「……あっ痛ぁっぁ…………」


「ん。大丈夫か? まぁ、いい時間がないから起きろ。おまえが私に決闘で勝利を得るために教えてやるんだからちゃんと聞け」  


 ケイスは実に傲岸不遜な言葉使いとは裏腹にやたらと嬉しそうな笑顔で額を押さえるラクトの顔をのぞき込んでくる。


「ふ、ふざけんな! これ以上付き合ってられるか!」


「お前を拘束して無理矢理に聞かせることも出来るのだぞ。だから無駄な抵抗はあきらめて私に教わり決闘をすると言え。言わないなら本意では無いが私を殺したくなるほどに恨むほどの事をするしかなくなるぞ。そうすれば決闘せざる得ないだろ」 


「おまっ!?」


 ケイスの顔は冗談を言っている表情では無い。
 気乗りはしないが仕方ないとため息をつきながら、そのつり気味な目でラクトを見据える。
 獲物を前にする肉食獣のような心胆寒からしめる目は、黒さと深さを増して、まるで闇のようだ。


「あ、あんた……ほんとバカよね」


 ケイスの脅迫に呆れて絶句したルディアが思わず漏らした言葉にケイスの目が色を取り戻す。
 

「むぅ。ひどいぞルディ。私が子グマに力を貸してやろうと言っているのに嫌がるんだぞ。失礼じゃないか。人の厚意を無にするのはだめなんだぞ」


「失礼とか厚意って言葉の意味を調べてこいこのバカ。あんたラクト君が好きになったとか言ってるけど、言ってることとやってる事が真逆でしょ」


「どれがだ?」


 ケイスには言動やその存在も含めて一般的な常識が通用しないのはここ数日で嫌というほどルディアも判ってはいるが、それでも早々と慣れる物では無い。


「不思議そうな顔すんな。あんたのやることなすこと全部だっての。普通は好きな相手を脅迫なんてしないの。ともかく無理矢理は駄目。ちゃんラクト君に同意を求めなさい」


「……ルディがそう言うなら判った」


 疲れ切った表情を浮かべながら言い聞かせるルディアに、不満げながらもケイスは頷き返す。
 ルディアはついでラクトへと目を向けた。


「ラクト君も嫌だろうけど話だけでも聞いてみて。無茶だったら止める。この子、動物と同じで大抵ご飯で言うこと聞かせられるから何とかなると思う。そういうわけだから……あんたこれ以上無理矢理なんかしたらセラギさんに言ってご飯抜きにするから」

 
 傲岸不遜であるが変な所で素直なケイスの相手は同じ人間相手ではなく、犬の躾けと同じような物だと思った方が早い。
 理解するまで根気よく付き合い、叩いて躾けるか、餌付けで言うことを聞かせる。
 空腹であればサンドワームでも食べるその食性と、料理長であるセラギやその娘であるミズナへの懐き具合から、ケイスが食事に重点を置いていることに気づいたルディアが見いだしたケイスへの対処法の一つだ。
  

「うー。御婆様と似たようなこと言うな……ご飯をちゃんと食べないと力が出ないんだぞ」


 ケイスは不満げにうなりながら小声でつぶやいているがその声は小さすぎてほかの二人には聞こえない。
 だが意気消沈したような様子から、ルディアの対処法が効果があることは一目瞭然だった。
 

「子グマ。決闘を受けろ。お前に勝たせてやりたい。もし嫌なら諦めるがそれでも闘気の使い方だけでもしっかり学べ。そうでないと後から矯正するのに手こずるぞ。だから私に教えさせろ。頼む」


 拗ねたように頬を膨らませていたケイスはラクトに向き直ると、先ほどまでと同じような真剣な表情を浮かべながら、内容は一転した懇願を述べながらテーブルの上に頭を下げた。
 生意気で鼻につく言動ばかりで他人に対して感謝するとか謝るとかの言葉とは無縁だと思っていたケイスが、頭を下げた事にラクトは驚く。
 ケイスを嫌っているラクトすらもこの態度には認めざる得ない。
 本気で自分自身に勝てる戦い方を教える気なのだと。


「ちっ!…………わかった。聞いてやる」


 ケイスが父親であるマークスを認めていたと言われても信じる事が出来ない。
 罵倒にしか聞こえない暴言がほめ言葉だったなんて思うことが出来ない。
 年下の少女であるケイスに喧嘩を売っていいようにあしらわれて、その原因が思い違いだったとは認めることが出来ない。
 ケイスに対して覚える強い反感と敵意は一切和らいではいないが、ラクトは不承不承ながらも頷く。


「うん! そうか。ありがとう」


 顔を上げたケイスは睨まれていることは一切気にせず、見惚れるような満開の笑みを浮かべ嬉しそうに礼を述べた。
 ラクトが受けてくれた事が心底嬉しいようだ。


「でも聞くだけだからな! 俺は許してないし、お前の言ったことなんて端から信じてな」
  

「よし時間が無い。今日はお前の調子が悪いから実戦訓練は無理だから、私に勝つための基本方針から早速決めるぞ。書く物を借りてくるからちょっと待ってろ」


 その後に続くラクトの言葉など一切聞かず、自分の言いたいことを一方的に言い終えて筆記用具を取りにいくと図書室の外へとケイスは飛び出していった


「いんだ…………ぜ、絶対殴る! あいつ絶対泣かす!」


「なんであんたはそこまでマイペースなのよ」


 突きつけた指と改めてあげようとした敵対宣言を無視されたラクトは、行き場の無い怒りに指をぷるぷると震わせ、ルディアは一体何を教えるつもりなのかと強い不安を覚えながらも止まらないだろうとあきらめの息を吐き出した。
















「うむ。それでは子グマ。なんか不機嫌だなどうした? ……まぁいい。まずはお前と私の違いからはっきりさせよう」


 ぶっすとむくれているラクトを不思議そうに一瞥してから、ケイスはテーブルの上に置いた紙二枚に左手で握った鉛筆を走らせ、共通文字で自分たちの名前を書き出す。
 共通文字は暗黒時代と呼ばれた時代に言葉も文字も異なる全世界の知的種族が滞りなく共同戦線を張るために、規格統一され広まった文字だ。
 商売における利便性や情報伝達の面から全世界で通用する言語の利点は高く、今では公用語は共通言語とし、元から使っていた言語を第二言語とする国がほとんどとなっている。


「お前の場合は、闘気を意図的に増加させて身体強化を使えるのは良いが配分が下手だ。そして体捌きに無駄が多く力を無駄にしている。動作も荒く読みやすく単調だ。おそらく闘法や剣技もちゃんと習ったことは無く、見よう見まねの我流だな。はっきり言ってこの程度の実力で、私に喧嘩を売ってくるとは死にたいのか、この愚者はと最初は驚いた」


 ラクトの名を書いた紙に続いて上げた欠点を箇条書きでどんどん書いていく。
 その評価は辛辣そのもので、ケイスの主観もバカ正直というべきか口さがない。
 

「……おい。馬鹿にしてるだろ。お前」


「一方で私の方は今は療養に力を入れているので身体強化は最低限だったが、お前の攻撃行動程度なら、先読みし最小動作で躱すだけの俊敏性と、意図を読ませない予備動作を可能とし、剣戟限定でも組み立て方次第で無限の攻めが出来る。そして拳技と剣技もちゃんと流派を習得して、実戦経験にしても十年ほどある。私自身はまだ納得できるレベルで到底無いがそれでも子グマ程度なら簡単にあしらえる」


「だから! ちょっとまてこら」


「……もっと歯に衣を着せなさいよ。ていうか、あんた今13才とか言ってたでしょ」


「うむ。2才の誕生日から戦ってきたからな。だから十年近くで問題ない」

 
 明らかに異常な話だが、ケイス自身は異常だと思っていないのか平然としている。
 怒気が思わず抜けたラクトは横のルディアに慌てて耳打ちする。


「ルディア姉ちゃん何!? こいつは何を言ってんだよ?!」


「あたしに聞かないでよ。この子の記憶違いって思っときなさい。真面目に考えると頭が痛くなるから」


 2才の頃をちゃんと覚えている者などほとんどいないだろう。
 ケイスの記憶違い、もしくは覚えていても戦いという名目の遊びの記憶だとルディアも思いたい。
 だが食堂で見せたケイスの化け物じみた記憶力と有する戦闘能力から真実ではないかという思いも抱きながらも、己の精神安定のためにルディアは口だけでも否定する。
 

「どうした二人とも? ともかくだ現状で子グマと私との力の差は経験も含めて歴然。正直言ってたった二週間で剣で私に勝つのは無理だ。諦めろ」


「…………か、勝たせてやるだの散々偉そうに言っておいてそれか。結論」


 真面目に聞こうと思ったのがやはり失敗だったか。
 本人の意図はともかくとして、わざと人を怒らせようとしているかのようなケイスの言動に対して、いい加減むかっ腹が限界に来ていたラクトが拳をぷるぷると握りしめる。
 こうなったら死んでもいいから絶対殴り飛ばしてやるラクトが椅子を蹴倒して席を立つとケイスが呆れ顔を浮かべた。


「最後まで人の話を聞け。せっかちな奴だな。剣ではと言っただろ。確かに私とお前では覆せない実力差はある。しかし私には明確な弱点が一つある。それを突かれれば、誰が相手でも絶対に敗北するほどの弱点だ。だからお前は私の弱点を攻める戦い方をすればいい。そうすればお前は私に勝てる。本当なら弱点は吹聴する物では無いが特別に教えてやるんだ。だから座って聞け」 


「ちっ! んだよその弱点ってのは」  


 父親のことを抜きにしても、ここまで言われたらケイスに一矢を報わなければ腹の虫が治まらない。
 ケイスを殴り飛ばすためにケイスの言うことを聞くのは、この上なくしゃくだが胸のむかつきを我慢して舌打ちをしてラクトは椅子を引き上げて座り直す。  


「お前がせっかちだから端的に言おう。私の弱点は魔力変換障害者であること。つまり魔力が無いことだ。ここを突けば戦い方次第で誰でも私に勝てる」


「はあっ? 魔力無いのが弱点って。俺だって魔術なんて使え…………ってルディア姉ちゃんどうしたんだよ?」


 だがラクトからすればそれがどうしたという話だ。
 ケイスが言うのは魔力が無いから魔術を使えない程度の認識だったが、左隣のルディアがぽかんと口を開けていることに気づく。
 

「あぁ……そっか。あんたそうだったわね。言われるまできにしてなか……った……って!? あんたそんなんで探索者になるつもりなの!? 死ぬつもり!? 止めなさいって!」


 呆然としていたルディアだったが徐々にケイスの言う弱点が本当に致命的な欠点であることに気づき驚愕する。
 ケイスは探索者になるためにトランドへ来たと言っていたが、冷静に考えてみれば魔力変換障害なんていう致命的欠点を持つ者が探索者になろうなんて自殺行為もいい所だ。
 いくらケイスが驚異的な力を持っているとしても覆しようが無いと考えるルディアに対し、


「心配するな。私とてこの弱点をいつまでも放っておく気はなかったからな。だからラクトとの決闘はある意味では私にとっても僥倖だ。弱点を突く相手に対してどう対処すべきかを考えるいい機会だ。でも心配してくれてありがとうだ。ルディはやはりいい奴だ。うんだから好きだぞ」 


 ケイスはそれがどうしたとばかりに笑って答える。


「そんな簡単にすむ問題じゃ無いでしょ!?」


「意味がわかんねぇんだけど……魔術が使えない探索者って下の方には多いだろ。初級探索者なんて魔術師以外ほとんど使えないっていうし」


 ラクトからすれば何がそこまで問題なのか全く理解できないのだが、ルディアの驚きようからよほどの大問題であることだけは判ったようだ。


「あ! あ、あ……えとごめん。意味が判らないよね。なんて言ったらいいかっていうか」


「ルディ。実際に見せた方が早い。ロープ系の術は使えるか。無触媒、陣無しの簡易詠唱……そうだな。出来たら単唱で頼む。その方が判りやすい。出来るか?」


「出来るけど。でもあんたそれ……あーもういい。荷縛り用のマジックロープでいいわね」


 ケイスの意図を察したルディアだったか微かに不審げ目を浮かべたが、すぐに頭を振って浮かんだ疑念を追い払う。
 マジックロープの術は読んで字のごとく魔力を紡いでロープ代わりとする初歩術。
 それこそ薪拾いやらゴミ捨てなどの時の一時的運搬に使うのに適した術だ。


「うん。それでいい。子グマ。人差し指と中指をぴったりとくっつけて立ててルディの前に差し出せ。こんな感じだ」


「いちいち偉そうだな……こうか」


 ケイスの命令口調にいらつきながらもラクトはケイスの作った剣指をまねて右手の指を立ててテーブルの上に差し出す。


「…………いいわよ」


 しばし意識を集中させてからルディアがラクトの伸ばした指の第二関節の上に己の人差し指を当てる。
 

「結束」


 簡易詠唱の中でも最も短い、一つ単語のみで形作られる単唱をルディアは唱えながら人差し指で線を描くように関節の部分で指を一周する円を描く。
 ルディアの人差し指が通った後には、光で出来た細い線が一瞬だけ生み出される。
 ロープと呼べるほどの太さは無く精々細糸。
 しかもすぐに霧散していき形をなすことは無い。


「それでは次は私だ。ルディ頼む」


「はいはい。あんたほんとに人あごで使うわね……結束」 
 

 次いでルディアは同じようにケイスの左手の指に輪を描く。
 すると先ほどラクトにやって見せた時とは違い、ケイスの指の上には一つ繋がりとなった先ほどよりも太い光の輪が生まれその細い指を縛り上げた。
 

「さて子グマ。この違いの意味は判るか?」


 結束された指をあげてラクトに見せながらケイスが問う。
 魔術に対して疎いラクトでもさすがにこの明らかな違いは判る。


「俺の時は失敗して、お前の時は成功したって事か?」


「うん。そうだ。生命という存在は基本的に大小の差はあれど魔力を有する存在だ。魔術が使えないから魔力が無いといういうわけでは無い。微量だが普通なら自然と魔力を生み出しているんだ。そしてお前の持つ魔力がルディの魔術に干渉し術を無効化した。最も無効化できる程度に術の精度をルディに下げてもらっていたからだがな」


「私の今の実力じゃマジックロープ程度の初歩術でも無触媒、無陣、単詠唱じゃ失敗して当たり前だってのに。あんたほんとに魔力無いのね……ラクト君にも判るように今やったのを簡単に例えると、釘も道具も使わないで設計図も無しに椅子を組み立てるような物って感じよ」


 ルディアの挙げた例は要は材料である木材(魔力)を何の加工もせず釘なども用いず(触媒)設計図(陣)も無しで作りあげるような物。
 組み上げる形だけは言っているが(詠唱)、それも大きいとか小さいとかどんな形ではなくただ漠然とした椅子(拘束)と指示しただけの物だ。
 この上さらにラクトの持つ木材(魔力)が加われば、ルディアの意図した物を作り上げるのがいかに作るのが難しいか判るだろう。
 

「そうか? ルディは実力あると思うんだが。私が魔力が無い事を考慮しても上出来だ。まだ消えてないし、ちゃんと発動してる。ほら動かせないぞ」


「そりゃどうも」


 ケイスは結束された二本の左指を力任せに開こうと腕に力を入れてみせるがびくともしない。
 淡い光の輪がまるで鋼鉄のリングのように縛り上げていた。


「じゃあお前……魔術の影響を受けやすいって事なのか」


「うむ。私には魔力が無いので魔力攻撃に対抗する所謂、抗魔力が皆無だ。本来なら発動しない精度でも発動するし、無論ちゃんとした術なら影響も甚大。その上に影響時間も長い。もし先ほどルディが子グマにやった術が発動していたとしても、あの精度ならせいぜい5秒も持てばいい方だが、っと消えたか。丁度いい。だいたい2分といった所だ。このように効果も長く続く」


 音も無く光の輪がケイスの指からすっと消えた。
 縛られていた指を軽く振って開放感を感じてからケイスは改めて鉛筆を取り、自分の名前を書いた紙の後に弱点をすらすらと書き連ねていく。


「現状私が魔術攻撃を主とする相手に対抗する手段としては、使われる前に術者をつぶすか、術の種別。発動タイミングや効果範囲を読み切り、事前の回避行動を取るかの二つのみだ。しかも私は魔力を持たないために、剣を投げるや礫を飛ばすなどの対物理簡易結界で簡単に防げる遠距離攻撃以外は不可能だ。このためにどうしても術者に接近戦を挑まなければならない。術者が自分を中心とした範囲に妨害魔術を繰り出した場合は効果が切れるか、何とか接近する手を見いだすまで打つ手無しとなる……どうだ明確な弱点だろ」


 書き綴ったケイスがなぜか自慢げに胸を張る。
 自分の弱みをそこまで力強く語るその態度はどこか間違っていると思いラクトは呆れそうになる。
 その一方でルディアの表情が少しこわばっている事に、会話に意識を取られていたケイス達二人は気づかない。
 黙り込んだルディアのケイスを見る目には強い疑念が浮かんでいた。


「魔術を覚えろってことか? んなもの簡単に身につくわけ無いだろ。バカだろお前」


 弱点を聞かされても魔術の一つも知らないのに意味は無い。
 勝つために今から身につけろとでもいうのか。どこまで常識が無いんだこいつは。
 未だありありとあるケイスへの反抗心からラクトがけんか腰に返すと、ケイスは眉をつり上げ頬を膨らませた。


「むぅ。馬鹿にするような目で見るな。失礼だぞ。そんな時間が無いのはわかっている。だから今回は戦闘用魔具を使え。転血石内蔵型の中位魔術系を十種類も使えば十二分に私と渡り合えるはずだ。それがお前の闘気制御にもつながる最善の手だ」


 陣形、触媒、詠唱は魔術を構成する三主要素と俗に言われる。
 魔具はその形状を持って陣形を形作り、素材に触媒となる物質を用い、刻み込んだ文字によって詠唱の代わりとして、持ち主が魔力を供給するだけで、魔術発動を可能とする簡易魔術道具だ。
 だが一口に魔具と言っても、用途別にいくつもの種別に分けられる。
 遠距離通信用魔具、点火魔具、灯火魔具などといった非戦闘用の生活魔具。
 火、水、地、風などの各属性に分かれる攻撃魔術魔具。
 幻覚や麻痺などの効果を持つ影響魔術に特化した戦闘補助魔具。
 また動力である魔力供給手法によっても大きく3つに分かれる。
 一つ目は使用者の有する魔力を使用する自己供給型。
 自己供給型は発動が早く用いた素材の触媒としての効果が切れない限りは、本人の魔力が尽きるまで繰り返し使用可能。
 また単一魔術使用に特化させれば構造自体が単純になるため、指輪や耳飾りなどの小物サイズでの制作が可能となり、コストパフォーマンスに優れたな品が多い。
 欠点らしい欠点と言えば発動する術に見合っただけの魔力が術者に求められる事くらいだろうか。
 二つ目は魔力を吸収する素材を用いて制作された蓄積型。
 蓄積型はカイナスの実やリドの葉など魔力吸収特性を持つ素材を元に作られる魔具だ。
 貯められていた魔力が終われば、使用不可能な使い捨てとなるが、比較的安価に作ることが出来るので、点火用魔具や灯火用魔具など生活魔具に多く用いられており、一般市民が魔具と言えばこれらを指すことが多い。
 最後の三つ目が、迷宮永宮未完に生息するモンスターだけがもつ特徴である、魔力を含有した血を硬化処理して出来る転血石を内蔵した型だ。
 これの利点は、内部にセットされた転血石内の魔力を再変換して用いるので、再変換機能を動かすための自力の魔力をわずかに必要とするが、使用者の実力以上の魔力を使用することが出来る事。
 そして蓄積型と違い転血石さえ交換すれば繰り返し使用可能なことだ。
 だが転血石を魔力変換するためのタイムラグが必要となり、それ以外にも自己供給型や蓄積型と比べて劣る点がいくつもある。
 術の規模、難度によっては高純度転血石を必要とし、場合によっては転血石を一度で使い切ってしまうコストパフォーマンスの悪さ。
 使用目的魔術以外にも転血炉の原型となった変換魔具としての機能を組み込む必要があり、それによる魔術同士の干渉を避けるために単一機能の魔具でも首飾り程度の大きさになり、術によっては杖や剣サイズといった大型化することになる。
 結果、高純度転血石+大型化した事により重む材料費にともない、蓄積型や自己供給型の数倍から数十倍以上の高価な品となる事も多い。


「戦闘用内蔵型って……バカ高いじゃねぇのか。しかも最低十本ってそんなもんどうやって用意すんだよ」


 父親のマークスは普通の武器商人であるため魔具を取り扱っていないが、商人見習いとして仕込まれているので内蔵型戦闘用魔具の市場価格くらい判る。
 ケイスは簡単に言っているが最低でも一つ共通金貨で20枚くらいはする品だ。
 やっぱりこいつは無理難題を言って馬鹿にしているだけじゃ無いかラクトが向ける疑惑の視線に対しケイスは笑顔で頷く。
 

「ふむ。そこはクマに用意してもらえばいいだろ。息子が父の名誉のために決闘をするのだぞ。喜んで用意してくれるだろ」


「ねーえよ。っていうかお前。やっぱりからかって遊んでるだけだろっ! どこの世界にガキにそんだけクソ高い物の買ってくれる親がいんだよ!」 


「むぅ……そ、そうなのか? むぅ。ちょっと待て考える」


 ラクトの指摘にケイスがすぐに眉根を曇らせてなにやら考え始めた。
 どうやらラクトの指摘が本気で予想外のようで、いつもあまり細かいことは気にしない大らかというかおおざっぱなその顔にわずかながら困惑を浮かべていた。
 予想外のケイスの反応にラクトも追求の言葉に詰まってしまう。


「……ふむ。魔具を使うのがお前が私に勝つための最低条件だから、そこは何とか私がする」
 

 ほんの数秒だけ悩んだそぶりを見せたケイスだったがすぐに決断したのか力強く頷いてみせる。
 しかし端から見ているラクトからすればケイスの自信ありげな態度の根拠は何もみいだせない。
 こと金銭が絡んでいる問題をちょっと悩んだくらいで解決するなら苦労は無いのだが、ケイスの意識はこの問題は解決したとばかりにすでに次に移っていた。
 

「内蔵型魔具を使用するためには、起動用に少量だが魔力が必要なのは判るか」


「ほんとになんなんだよお前……それくらいは知ってる」


 どうにも考え方や反応がラクトの知っている同年代の少年少女と違いすぎるケイスに対する不信感をぼやきながらラクトは頷く。
 

「ふむ。そのために意図的に魔力を生み出す感覚をお前には覚えてもらう。そうすることで結果的に闘気の制御にも繋がるからな」


 ケイスはそう言うと新しい紙に今度はなにやら絵や文字を描いていく。
 

「子グマ。お前に闘気を高めるコツを教えたのは獣人か? それもおそらくハーフかクォーターだな」


「なんで判るんだよ……そうだよ」


 実家の近くにある斡旋所に出入りしている顔見知りの若い探索者に、ラクトは無理を言って闘気の変換方法や使い方を教えてもらったのだが、その人物は確かに獣人のハーフだった。
 ケイスにそんな話をした記憶は無い。
 それどころか教えてくれた探索者に迷惑をかけると悪いので当人達以外誰も知らないはずの秘密だ。


「ん。呼吸法だ。闘気を高める際の獣人族特有の息づかいの亜種で判りやすい。ただそれはお前にはあまり向いていないから乱用は控えろ。そのやり方は短時間で一気に生命力を闘気へと変換することが出来るからとっさの時にはいいが、お前の生命力では少し長くやると生命力が簡単に尽きるぞ。つまりは死ぬ。それは人間と比べて強い生命力を持つ獣人やその血を引く者達だからこそ常時発動可能となるやり方だな。よし書けた。これを見ろ」


 ラクトの疑問にすらすらと答える間も鉛筆を走らせていたケイスが書き上げた紙をラクトの目の前に置く。
 紙には天秤の絵が描いてあり、それぞれの秤に闘気と魔力と書いてある。


「闘気と魔力。そして神術に用いる神力とは同じ生命力から変換して生み出す物だ。このうち闘気と魔力は生命体であるならば自然と生み出す。神力のみは信奉する神との契約である洗礼によって生み出すことが出来るようになる。そして闘気と魔力の変換のしやすさはこの図のように天秤の関係にある。闘気変換になれていれば魔力変換が難しくなり、逆もまたしかりだ。今のお前の状態はこのように闘気に傾いている」


 ケイスは左手に持った鉛筆で天秤の針を指し示す。
 天秤の針は闘気側に大きく傾いておりアンバランスとなっていた。


「そこに獣人式の闘気変換も加わり必要以上の生命力を一気に変換している。さらに変換した闘気に振り回されて、攻撃速度だけは早いだけでその大半が無駄になっている。私の見立てではお前の今の技量では半分も闘気があれば十分だ。というよりそれ以上はうまく使えない」


 ケイスは自分が描いた天秤の絵に大きく×印をつけてその下に、今度は僅かに闘気側に傾いた天秤の新たな絵を描く。
 さきほどまでのが9:1とするなら今度の絵は6:4位の割合となっている。
  

「そしてこれがお前の目指すべきバランスだ。この修正をするのに一番手っ取り早いのは、闘気変換に慣れた体へと魔力変換を覚えさせる事だ。そうすることで相対的に闘気変換能力を鈍らせて、魔具を使用する為の魔力を生み出すコツを覚えさせるというわけだ。さらに私の行うやり方での闘気変換のコツも教えるので今朝のような生命力急速消費状態になりにくい状態とする。ここまでが最低限の下準備だ。これくらいが出来なければ、子グマが天才たる私に勝とうなど到底無理だ」


「……い、いちいちむかつく奴だな」


 どうにも癪に障るケイスの言動に一瞬むかつきを覚えたラクトだったが悪態をつくだけで席を立とうとしない。
 ケイスはどうにも気にくわないがその説明はそれなりに判りやすい。
 興味を引かれているといえばいいのだろうか。ケイスの説明へラクトは知らず知らずに引き込まれていた。


「今のところ変なことは言ってないわね。なんでそんな魔術知識に詳しいのか疑問だけど……でもあんた理屈は判ったけど、結局魔具をどうするのよ。あんた一文無しでしょうが」


 ケイスが話す魔術知識は基本的な物でさほど難しくない。
 だがそれは、魔術師として体系的にまとめられた学習をしたことを臭わせる理路整然とした物だ。
 魔力変換障害者を自称するケイスがどこでこの魔術知識を身につけたのかルディアは疑問を覚えつつも、あえて深入りせず、別のことを尋ねる。
 結局勝つ手段があってもその手段を用意出来なければ意味は無い。


「ふむ。そこは簡単だ。私が狩りをするに決まっているだろ。狩りで集めた獲物を次の街で売って資金とする。幸いにもここは特別区とはいえ迷宮内、そこらにいくらでも相手がいるからな。子グマの練習相手にも事欠かないですむし一石二鳥という奴だな」


 自分の案が名案だと言いたげな勝ち誇った表情を浮かべるケイスの目は、狩りという自らの言葉に嬉しさを覚えキラキラと輝いていた。



[22387] 剣士の狩りと薬師の愚痴
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 00:58
 獲物だ。極上の獲物だ。
 太陽の光が差さぬ永久の闇の砂漠を、彼らは狂ったように一心不乱に獲物を追う。
 天上を塞ぐ砂幕よりこぼれ落ちた砂が雨粒のように振りそそぎ、礫のように身を打つ中で短い四肢を動かし、翼で空を切り裂き、長細い胴体で砂をかき分け、彼らはそれぞれの方法で獲物を追う。
 異種の彼らが団結し獲物を追う姿は、知識ある者から見れば異常な光景に映るだろう。
 彼らは本来ならば互いが捕食関係にあるからだ。
 この異質な共闘を行わせるのは、迷宮に住まう彼らだけが持つ外の同種と異なる思考だ。
 強さへの飽くなき渇望。
 これが彼らの本能さえも凌駕し、突き動かす。
 より強く、より早く、より上位の能力を得るために。
 あの獲物は逃がしてはならない。
 巣穴に必死に逃げ帰ろうとしているあれは、この世界において最上級の獲物だ。
 本来ならば、彼らでは足下にも及ばないほどの力を持つはずの最上位種族。
 だがこの個体は弱い上に、さらに傷ついている。
 これは千載一遇の機会。
 しかし弱く傷ついていても、単独ではかなわない。
 足の速い者が抜け駆けし襲いかかったとしても、隙を突かれて逃げられる。
 異種の彼らが協力しあって、ようやくご馳走にありつける。
 その本能が割り出す計算が、彼らに協力して獲物を追う選択をさせる。
 軟らかい肉の一塊。
 熱き血の一滴。
 歯ごたえのある骨の一欠片。
 僅かであっても彼らをより生命として高めるための餌。
 特別な肉体を持つ獲物からこぼれ落ちていた血の臭いは、果樹からこぼれ落ちる寸前まで熟成した実のような甘い芳香。
 迷宮モンスターの全てを恐怖させ畏怖させながら、同時に獲物として魅了し狂わせる最上位生物の香り。
 その龍がなぜ最も弱き地にいるのか?
 何故龍の血が転々と砂漠に落ちていたのか?
 撒き餌としてばらまかれた獲物の血を僅かに摂取しただけで、その旨みにおぼれた彼らは、最低限度の疑問を抱く理性も、危険を感知する野生の勘すらも失っていた
 







 左手に大きな砂丘を見あげながらケイスは砂を蹴る。
 初日は柔らかい砂に苦戦してスピードを上げることが難しかったが、だいたいコツがつかめてきた。
 固い大地を蹴る時のように一点に闘気を集中させるのではなく、足の裏全体と周囲にも広がるイメージで闘気を込めて砂を蹴る。
 トップスピードといかなくても、このやり方なら十分な加速を得て、後はこれを繰り返すだけで戦闘速度としては及第点の身のこなしができる。  


「ふむ。もう少し早くコツに気づけば無駄にせずにすんだな……むぅ。でももっと早く身につけていたなら、そもそもあんなに買わなくてもすんだか」


 暗闇の砂漠を疾走しながらケイスは、足場を作るために水飴を無駄に消費した自らの未熟さを不満げにうなり、さらに大量に買ったことも自らの不甲斐なさ故だと眉をひそめる。
 砂走りのコツを身につけていれば砂漠の横断にかかる日数は激減し、水飴を大量に買わずに他にいろいろ買えたかもしれない。
 特にラズファンの市場で気になった色取り取りの菓子類を思い出して甘い物が食べてくなってきたケイスが少し不機嫌にうなっていると、首から提げていた通信魔具の宝石が小さく振動を始めた。
 
 
『ケイス。今どこら辺だ?』


 宝石からボイドの声が響いた。
 ケイスの左前方の空には砂漠を行く船であるトライセルが他船へと存在を知らせるために上げている光球がぽっかりと浮いてみえる。
 声の主であるボイドはその光球真下の見張り台で警戒待機中だ。


「ん。トライセルの右後方200ケーラほど。隔てている砂丘の反対側。3匹を引き連れている。蜥蜴と有翼狼。あと猿蛇だ」


 今トライセルが進んでいる場所よりも高くなって広がるいくつもの砂丘群の中をケイスは走っていた。
 ちらりと後ろを振りむけば正気を失い目を血走らせ、ケイスを必死に追いかけてくるモンスターの群れが見える。
 茶褐色の鱗と鶏冠を持ち、鋭い爪と牙を光らせながら走るバジリスク。
 狼の体躯の背に猛禽類のような大きな翼を生やして空を滑空するホークウルフ。
 上半身の猿の腕をケイスを掴もうと伸ばし、下半身の蛇の体で砂の上を這うエイプキメラ。
 どれもこのリトラセ砂漠迷宮群に生息するモンスターだ。
 防寒用のフード付きのローブの下に普段着を身にまとい、その身に帯びるのは、常に身に帯びているお守り代わりの懐剣一本。
 しかも右手はまだ怪我を負ったままで包帯に巻かれた拳は握ることすらできない。
 傍目から見れば誰が判断しても危機的状況。
 だがケイスは余裕綽々といった表情を浮かべる。
 鍛え上げた技と受け継いだ体。そして大望を抱く心。
 心技体そろった自分ならば、いかなる状況にあってもこの程度の相手に負けるわけがないという傲岸不遜なまでの自信をもってケイスは砂を蹴り、モンスター達を引き連れ駈けていた。


『ケイス。あと少し先で大きく右に曲がるからそこで乗り込んでこい。結界を解除して甲板は開けとく』


「うむ。子グマ。聞いているな。すぐに戻るがどれがいい? 私が選ぶとお前には荷が重いかもしれんからお前が選べ」


『好きにしやがれ! 相手が、な、なんだってやってやらぁ! 一番強そうなのよこせ!』


 ボイドの指示が聞こえてきた宝石からは、やけくそ気味なラクトの返信が聞こえる。 
 その美少女然とした顔には似合わない獰猛な笑顔を浮かべケイスは笑う。 


「良いぞ。その心意気。それでこそ私の決闘相手にふさわしい」 


『お前ほんとに無自覚に煽るよな。ラクト気張れよ。マジで一番厄介なのくるぞ。ヴィオン。そろそろ明かり頼む』


『おう準備は完了。いつでもいい。ケイス。合流位置にあげるから遅れんなよ』


 別の宝石が振動して、自前の翼でトライセルの前方警戒に出ているヴィオンの声が聞こえる。
 次いでケイスの前方の暗闇の空に赤色に発光する光球が発生し、明かりの中にコウモリような翼を広げるヴィオンの影が小さく浮かび上がった。
    

「ん。位置を確認した。私が飛んだらすぐに投げ落とせ。狼と猿は空中で仕留める。蜥蜴は説得するから残すぞ」


『あいよ。ちゃんと受け取れよ…………しかしなんだ。無茶苦茶なのに慣れるもんだな。普通に対応してるぞ俺』


『そりゃ。こんだけやればな。他の連中ももう慣れたってよ』


 ボイド達の呆れ混じりの会話を聞きながらケイスはスピードを僅かにあげる。
 それとほぼ同時に谷が大きく湾曲している部分に差し掛かったトライセルが、曲がるためにスピードを落とし始める。
 トライセルの上空に浮かんでいる光球が、ケイスから見て左手側から徐々に近づいてくる。 
 自らの速度とトライセルの進行速度差。
 ヴィオンが上げた目印までの距離。
 後ろから追ってくるバシリスク達との位置関係。
 必要な要素を頭の中にたたき込んで、最もトライセルに乗り込むに最適であろう位置と瞬間を脳裏で一瞬に弾き出す。
 

『ケイス。高さが結構あるけど空中でキャッチした方が良いか?』


「ん。この程度なら無理なく着地できるからいい」


 短く答えたケイスは最適のポイントへと最適なタイミングで進入できるように速度と進行方向を僅かずつ変化させ調整し、背後のモンスター達との距離を近づけていく。
 右側へと大きく曲がってきた砂丘をケイスが上り始めると同時に、左前方に浮かんでいたトライセル上空の光球も大きく右に曲がり始めた。

 あと5歩。

 砂丘を登る事に足場の質が脆く変化していく。
 脆い砂でできた斜面はケイスの踏み出した足によって崩れて、周囲の砂もろとも落ちていく。
 下手をすればバランスを失い砂に足を取られて滑落しそうな状況でもケイスは速度を緩めず、砂丘の頂上を目指す。

 あと4歩。

 ケイスを追うモンスター達にケイスが蹴落とした砂の塊が降り注ぐが、彼らは砂をかき分け飛び越えケイスを追う。
 背にモンスター達の腕や牙や息づかいを感じるほどに近づき、一見追い詰められた状況でもケイスは楽しげに笑う。
 もう少し。もう少しだ。 

 あと3歩。

 目印である赤い光球のそばに分厚く長い抜き身の大剣を持ち待機するヴィオンの姿を確認して、ケイスは左手を挙げる。
 さて待望の時間だ。
 やはり大きな剣で無いとどうにも落ち着かない。
 剣があってケイスは初めて自分自身が完成すると自負する。
 自分は剣士であると。
 
 あと2歩。

 ケイスのあげた左手に気づいたヴィオンが、その手から大剣を真下に向かって投げ落とす。
 落ちてくる剣の速度を見極めて、最適な位置で受け取る為に必要な高さを割り出してケイスは呼吸を変える。
 モンスター達を引きつけるために押さえ込んでいた闘気変換能力を急速に活性化させて、本来の実力を発揮するための闘気を丹田より生み出し体に充填させていく。
 変換した闘気を足下に集中。
 砂丘の頂上へと最後の1歩を踏み出すと同時に、足裏で闘気を爆発。
 頂上部の砂の大半がはじけ飛ぶほどの勢いを持って、ケイスは空中へと身を躍らせた。
 ケイスを追っていたモンスター達もその勢いのままに続いて宙へと飛び上がり、ケイスを捕らえようとその腕を伸ばす。
 だがモンスター達がケイスを捕らえるそれよりも早く、ケイスの左手が落ちてきた大剣の柄を空中でつかみ取った。
 大剣は大きさの割りに異常に軽い。
 軽すぎる。
 宙に飛び上がったケイスの速度を緩めることなく、重心を変化させることもないほどに軽い。
 さらには金属製のはずの剣の分厚く長い刀身が、ケイスが柄を掴んだ衝撃でまるで柳の枝のようにたわみ揺れる。
 ケイスが掴んだのは武器屋であるマークスより借り受けた通称『羽の剣』
 得体の知れない金属と高度な技術で生成された出自不明の闘気剣。
 このままでは軽く柔らかく剣としての最低限の能力も果たさない欠陥品。
 だがその能力をケイスはここ数日で把握している。
  
 
「従えよ今日こそは」


 掴んだ大剣に威嚇するように語りかけながら、ケイスは左腕に闘気を送り込む。
 左腕から剣の柄に装飾のように埋め込まれた生物の骨へとさらに闘気を伝播させ、剣の能力を解放。
 たわんでいた刀身がケイスの闘気を受け硬化し、さらに剣全体の重量が飛躍的に増していき、一瞬でケイスの体重を超えた重さに変化する。
 左腕に握る剣へと中心を変化した重心に合わせてケイスは跳躍の軌道を無理矢理に変えて、風車のように体をぐるりと回しながら大剣を後ろへと勢いを叩きつけるように振る。
 重量と硬度を増した大剣の刀身が、ケイスを掴もうと伸ばしていたエイプキメラをとらえる。
 硬化した刀身はエイプキメラの鋭く固い爪を打ち砕き、それだけでは飽き足らずその体すらも逆袈裟気味に一刀両断してのけるほどの切れ味を発揮する。


『ギャガァァァッ!?』


 断末魔を上げるエイプキメラの両断された体の向こう側には、ケイスの本来の力に気づき、体を硬直させたホークウルフとバジリスクの姿が見えた。
 剣に送った闘気をケイスは遮断する。
 急速に軽さを取り戻した剣によって、重心は再度ケイスよりに変化する。
 切り落とされながらも腕を伸ばし末期の足掻きをするキメラエイプの体に、ケイスは左足を伸ばして絡めるとそのまま蹴り上げた。
 エイプキメラを空中での踏み台として用いて飛び上がったケイスは、間髪入れず次の獲物であるホークウルフへと襲いかかる。


「ふむ。良いな」


 厨房の手伝いで斬る肉もそれなりに欲求を満たしてくれるが、やはり生きた生物を斬るさいの斬りごたえが最高だ。
 物騒で凶暴で満足げな満面の笑みを浮かべながら、ケイスは空中殺戮を開始した。




 








 テーブル席に腰掛けたルディアは皿に盛られた魚のフライにフォークを刺すと、添えつけられた赤いソースをたっぷりとつけて口に運ぶ。
 分厚い切り身を二枚に切り分け間にチーズを挟んで衣を付けた後、ハーブで香り付けした油で軽く揚げた魚は、パリッとした歯触りの良い感触を返す。
 舌を刺激するピリッとした甘辛いソースに、ついで切り身の間に閉じ込められていた濃厚なチーズの味と淡泊な魚の味と合わさり口の中に広がり、ハーブの香りがさらに引き立てる。
 口の中に広がる濃厚な味を楽しみながら、次いでルディアは度数の高いカクテルが注がれていたジョッキを傾ける。
 軽く温められた酒からは、すり下ろされた生姜の香りが立ち上る。
 温かな酒は度数の割りには甘く、舌の上に残っていた余分な油もすっきりとした生姜の味が洗い流してくれる。
 ほどよい甘さと刺激的な辛みの両方が目立つ濃い味付けの料理と、それと対照的にさっぱりとした香りの温かい酒はルディアの故郷である冬大陸で好まれる組み合わせの一つだ。


「どう? 添えたソースなんかはここらで入る材料で組み合わせた自作なんだけど冬大陸の味に近いでしょ」


 満足げな吐息を漏らすルディアの反応を興味津々といった顔で見ていたミズハが笑う。
 貨客船であるトライセルは、三週間近くもの長い航海でリトラセ砂漠を横断する。
 そんな長期間を安全性が高い特別区とはいえ、モンスターも出没する迷宮永宮未完内を旅することによる乗客の精神的負担は大きい。
 そんな乗客に少しでもリラックスしてもらおうと、限られた材料と調味料から世界中の味を再現して見せようというのがミズハの実益を兼ねた趣味だった。
 父親であり調理長でもあるセラギも仕事をちゃんとやっている分には、試作しても特に不問としているので、今回は冬大陸の出身者であるルディアと、出身地不明であるが甘ければ何でも好むくせに、所々で妙に味にうるさいケイスがその主な実験台とされていた。


「はい。驚きました。まさかトランドでこの味を食べられるとは思っていませんでしたから。本物じゃないんですよね」


「苦労したんだよ再現するの。前に乗ったお客さんでルディアと同じ冬大陸の人がいてそん時ちょこっとだけ持ってたソースを味見させてもらってたから、味そのものは判ってはいたんだけどね。材料ないでしょ。だから近づけるの難しかったのよ」


「甘さと辛さの加減とかほとんど同じで、しかもおいしいですよ」


 心の底からの素直な賞賛をルディアはミズハへと送る。
 ソースに使われている辛みは本来は冬大陸の固有種である巨木の実を発酵させて作り出すだが、このミズハの作ったソースはよく似ていて、別の材料を使っていると言われなければルディアも気づかないほどだ。
 ルディアは次のフライへとフォークを伸ばして一口食べて、次いでグイグイとジョッキを傾け始める。
 
 
「配分具合なんか試行錯誤の連続だったんだけど、ここまで喜んでもらえるなら苦労した甲斐があったってもんよ」


 料理人として最上の喜びは難しい料理を成功させることではない。
 作った料理で食べる人に喜んでもらうこと。
 ルディアの反応は上々。これなら金を取って乗客に出せるレベルには到達しただろう。

 
「親父。ルディアの反応いいからm¥、今度からこのソースも使っても良いよね!?」


 カウンターに座るファンリア相手に酒を飲み交わしていたセラギへとミズハは確認する。
 試作を味見してもらう分にはミズハの自由だが、メニューに乗せて正式に出すならば料理長であるセラギの許可を取るのは親子といえど料理人同士として最低限のケジメだ。


「メインに使っても良いな。ただソースの量を押さえろよ。先代みたいな年寄りには強いそうだ」 


 ミズハの作ったソースでトカゲのステーキを試食していたセラギも及第点だったのか二つ返事で許可を出す。


「年寄りってセラギお前さんなぁ。ちっと濃いだけだっての……若い連中向きだが、こういうのもたまには良いさ」


 ファンリアも文句を言いつつも、一口大に切ったトカゲ肉をフォークに刺してソースを少量付けて口に運んでは異国の味を楽しんでいるようだ。


「ミズハちゃん。俺はもうちょっと辛くても良いぜ」


「お前バカ舌だろ。このくらいで丁度良い」


「いいねこの辛さ。酒が進む。ミズハちゃんとケイスに感謝だな」


他のテーブル席に思い思い座って杯を傾けていたファンリア商会の者達や休憩に入っている護衛探索者も好評価の声を上げ、ソースを作ったミズハと今も甲板で食材集めにいそしんでいるであろうケイスに向かってグラスを掲げる。


「とりあえず明日の夕飯にトカゲのステーキでもしますか。ソースはともかく肉を大量に食べてもらわないと、溜まる一方なんで」


 まだまだあるトカゲ肉の塊を見ながら、どうしたもんかとセラギは頭を掻く。
 多少固いが油ものっているトカゲの肉は焼いても煮ても旨い。
 しかし飽きを考えれば、さすがに毎食出すわけにもいかない。


「そんなに増えたのか? しかし材料がありすぎて困るなんて贅沢な悩みだな」


 ちびちびと赤ワインをかたむけながら野性味あふれる肉を楽しむファンリアはおもしろうそうに笑う。


「笑い事じゃないですよ先代。後5匹分くらいはありますよ。ケイスの奴は加減をしらないみたいなんで」


 下手にこった料理を作っても、肉自体の消費が鈍い。
 肉を多く使いつつ、飽きさせない料理はないかとセラギは頭の中でレシピをめくっていた。 






 


 夕食の最後の回を終えた後、トライセルの食堂は船内時間で午後8時頃から船内バーと化す。
 バーと言っても町中にあるような物で無く、その日分の割り当ての食材で野菜や肉などの半端なあまり物を処理をするため適当につまみにして大皿に盛りつけて、後は飲みたい連中が自前の酒を持ち寄り適当に飲み交わしたのが閉店後の酒盛りの始まりだった。
 どちらかといえば家庭的な飲み会のような物。
 翌朝が早いセラギやミズハ等は10時頃には退散し、食堂の簡単な片付けや洗い物は参加者で合同におこない、日付が変わる前には自然解散というのがいつもの流れだ。
 
 
「それにしてもルディア。昨日もそうだったけど今日もやけにハイペースよね。やっぱストレス?」 
 

 端で見ているミズハが小気味ぐらいグイグイとジョッキを傾けていくルディアだが、そのペースは、酒飲みを見慣れたミズハの目から見てもいささか速い。
 二、三日前まではもっとゆったりと飲みながら酒を楽しんでいる感じだったが、どうも昨日くらいから自棄酒の風体が見え隠れした。


「あはははは。そんな訳……ありますよ。はぁぁっぁぁぁ…………聞かないでください」

 
 後先考えないペースで飲み始めて早々と酔いが回ったのか一瞬楽しげに笑ったルディアだったが、その笑い後はあっという間に力をなくし重いため息へと変わる。
 しかも本人は聞かないでくれといっているが、浮かぶ表情は真逆。
 愚痴を聞いてほしいとはっきりと書いてあった


「ほらほら遠慮せず。お姉さんに話してみなっての。どうせケイスの所為でしょ」


 空になったルディアのジョッキに温まったジンジャー酒を注ぎながら、ミズハは愚痴に付き合うからとルディアを促す。
 冬大陸の人種の特徴ともいえるずば抜けた身長と燃えるような赤毛のルディアと比べ、ミズハの方は小柄で童顔の所為もあっても傍目にはルディアの方が年上にみえるだろうが、これでもミズハの方が5つほど年上だ。
 
 
「あの子……常識が通用しなさすぎなんです。考え方も肉体能力も異常で滅茶苦茶で、魔力が無いのが自分の弱点だからって決闘では魔具を使えって言いだすし、もう意味が判らないんですけど」


「いや、それを言ったら子供同士だから決闘なんて名ばかりの喧嘩になるはずなのに、なんでそんな本格的な事になってるって話だと思うけど」
 

「だからあの子が本気なんです。本気で決闘して、しかもラクト君を本気で勝たせるつもりだから、互いの実力差を考えて魔具が必須って本気で言ってるんですよ。その本気に釣られてラクト君も意地になってます」


 巫山戯ていたりラクトを馬鹿にしているならまだ落としどころがあるのかもしれないが、ケイスは徹頭徹尾全部を真剣に言っているから質が悪い。


「そりゃ最初魔具を使うってあの子が話した時、ちょっとほかのこと考えていて聞き流した私もあれですし、ラクト君もそんな高価な物が簡単に用意できるわけ無いって高くくってましたけど…………まさか購入資金稼ぐためにこんな無茶し始めるなんて思いもしませんでした」 


 くだを巻くルディアは魚フライを恨めしげに見ながらフォークでつつく。
 このフライに使われた魚は水棲の魚ではない。
 リトラセ砂漠に生息し砂の中を泳ぐ獰猛な肉食魚だ。
 そしてこの魚を捕ってきたのは他ならぬケイスだ。
 魚だけでない。
 他にもリトラセ砂漠に生息するトカゲやら、モグラやら食獣植物やら所謂迷宮モンスターがケイスに狩られて、その肉が乗員乗客の胃に収められている。
 その皮や爪、牙、骨は、最下級の特別区のモンスター故に低価格ではあるがそれでも僅かでも魔力を帯びているので商品価値はあり、ケイスはその稼ぎを魔具の購入資金へと当てるつもりのようだ。


「あーそれはあたしも悪いかも。ケイスがよく食べるから食材が足りなくなるかもって冗談で言ったら本気にしてたから」


 変な部分で生真面目すぎるケイスの前では下手な冗談も言えないとミズハも乾いた笑いを上げる。
 ケイスがよく食べるといってもせいぜい大人4,5人分。
 予備食材も十分あるので無くなることはないのだが、ケイスはその冗談を本気にしていたようだ。


「……まさか逆に冷蔵倉庫が一杯になるとは思わなかったけど。勿体なくて捨てられ無いけど。かといって食べきれないしどうしようか」


 ケイスの狩りが始まって3日。
 すでに乗員乗客全員が一月は余裕で食いつなげる食料が確保され、冷蔵倉庫にあふれんばかりとなっている。
 ミズハは試作し放題だと軽く考えているが、厨房の管理責任者であるセラギはこの先さらに増えるであろう食料をどう調理しようか、どこに置こうかと頭を悩ませている。


「あのバカはほんとに…………走行中の砂船から飛び降りて狩りにいって平然と戻ってくるって何の冗談ですか。蛇行して進んでいる所なら、直線で進めば追いつけるってどんな理屈ですか……もうなんか心配したり、怪我を気遣うのも馬鹿らしくなってきたんですけど、見た目は普通に年下の女の子だからどうしても心配になるんです」


「まぁ。ケイスだからね。諦めなって……っとご帰還かな」


 ルディアの愚痴を聞こうとは思ってみた物の、ここ数日で全員の共通認識になった言葉以外はかける言葉が見つからなかったミズハは、頭上から聞こえてきた物音と微かな振動に気づき天井を仰ぐ。
 おそらく甲板に斬り殺した獲物と捕獲したモンスターと一緒にケイスが降りてきたのだろう。
 この数日で日常の一コマとも化した音と振動。


「ちょっと行ってきます。これいくつかもらっていきますね。ほっとくと、また生肉を食べ始めそうなんで」


  狩ったばかりの獲物から切り取った肉どころか、場合によっては内臓までも部位によっては生で食べてもそれなりに旨いとまで宣う野性的というか悪食。
 寄生虫や変な病気に掛かりはしないかと心配する周囲をよそに、自分ならば虫くらい消化できるし病気に掛かっても闘気による身体能力強化で打ち消せるから問題無いとケイス本人は気にもしない。
 ケイスの気を変えようと思うならば、味で上回る料理を持ってくるしかない。 
 テーブルの上にあった料理を適当に皿にのせてルディアは席を立つ。
 ケイスが狩りに出ている間だけの短い小休憩はもう終わりだ。 


「ラクトも大変だけどあんたも大変だねぇ」


 人が良すぎるために余計な心労をしているルディアと、ケイスに絡んだが為に無茶苦茶な特訓を課せられているラクトを思いながら、ミズハは杯を傾けた。



[22387] 剣士と剣 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 01:22
 踏み台としたエイプキメラの最後の足掻きに不意を突かれぬよう、残心を残しつつもケイスは、次の狙いであるホークウルフへと意識を向ける。
 鷲の上半身と獅子の下半身を持つ魔獣グリフォンの亜種であるホークウルフは、リトラセ砂漠の近辺ではポピュラーなモンスターだ。
 大型犬ほどの体躯の背には大きな鷲の翼が生え、三対六肢のうち前足の先端は分厚い反しを生やす鷲のかぎ爪。
 中足と後ろ足は太い肉食獣の腿に砂上に合わせ進化した長い毛に覆われた幅広い足裏を持つ。
 この足を生かしてホークウルフは柔らかい砂の上を高速に駈る。
 さらにこの勢いのまま高く跳ぶことで、リトラセ砂漠に吹く強風を捕らえて彼らは宙に舞い上がる。
 もっとも特別区に出現する低位のホークウルフの飛翔能力は低く、自由自在に空を飛べる訳ではなく、長距離滑空がやっとといった所。
 だがそれでも地上を這うしかない獲物からすれば脅威。
 そんな彼らの武器は強靱な顎と口蓋にびっしりと生えた鋭い牙と、前足に生えた鷹の爪。
 この武器を持って獲物の頭上から襲いかかるのが彼らの狩りだ。
 だから地上にいる獲物相手はめっぽう強いが、逆に頭上と背後にはその狼の体と、巨大な翼が災いし死角が生じやすく、彼らより自由に空を飛べる鳥型モンスター相手には多少分が悪い。
 エイプキメラを踏み台にして空中でさらに跳び上がったケイスは、その死角であるホークウルフの頭上を取っていた。
 逃げていたはずのケイスが突如本性を現し牙を剥いた事にホークウルフは驚き戸惑っている。
 それ故にケイスが見せた予想外の縦の動きに反応できず、ほんの一瞬だがケイスの姿を視界から見失っていた。それこそがホークウルフの敗因。
 ここはすでにケイスの間合いだ。
 手を伸ばせば届くほどの距離。
 獲物であるホークウルフの頭部を逆さに見下ろしながら、拳骨がきしむ音をたてるほどに剣の柄を強く握りしめて剣へと闘気を注入。
 瞬く間に剣は重量を増しつつ硬化していく。
 新たに変化していく重心を捉えつつ、全身の細やかな動きを駆使して、ケイスはホークウルフを飛び越すはずだった空中軌道を無理矢理に弧を描くようにねじ曲げ落下体勢へと移行する。
 その狙いはホークウルフの背中。空をかけるための翼。
 視界に捉えた背の付け根めがけてケイスは渾身の力で刀身をたたき込む。


「ギャーオンッ!?」


 ホークウルフの苦悶の叫びが砂漠の空に響く。
 肉を押しつぶし、背骨を砕く感触を伝えてくる剣を携えてケイスはホークウルフの背中へと降り立った。
 翼を叩きつぶされた上、さらに小柄で軽いとはいえケイスの体重+重量を増す羽の剣の重さが加わりホークウルフは大きくバランスを崩して、眼下を走る砂船トラクの甲板へと向かって墜落していく。
 しかしまだホークウルフは絶命していない。
 野生の獣よりもさらに獰猛な笑みを浮かべながら追撃を開始する。
 剣に送る闘気を一時遮断。瞬時に軽くなった剣を素早く持ち上げ振りかぶってから、もう一度闘気を注入し重量化。
 狙いを定める。
 落下する生物の背の上など不安定な事この上ない。
 だが剣を握る以上自分は剣士だ。
 ならどこでも剣は振れる。
 振れなくてはならない。
 当然だ。
 ケイスはその暴虐的なまでに頑なにして強固な意思の元に、理屈や常識を超えて剣を繰り出す。
 狙い通りの軌道を描いた剣がホークウルフの首筋。その下に隠れた大きな動脈に牙を突き立てようとしたその直前、ケイスは左手に違和感を感じて舌打ちを漏らす。


「ちっ!」


 左手に握っていた剣がケイスの制御を離れ、急激に重量を増大させはじめていた。その増加量は先ほどまでの比では無い。
 闘気により身体能力強化を行っていても持ちきれない重さへと変化する前に、ケイスは剣速を無理矢理に上げる。
 限界を超えた過負荷に左腕の筋肉と骨がきしむ感覚を感じながらもケイスは剣を振り切った。
 硬度と切れ味を増した剣は、動脈を浅く凪斬るはずだったケイスの思惑を外れ、わらで出来た案山子の首のように、あっさりとホークウルフの首を切り飛ばしていた。
 

「むぅ!」


 傷口より噴き出した血流が顔を直撃し目に痛みが走る。
 嗅覚が生臭い血の臭いに染まる。
 ケイスは顔をしかめうめきを漏らし、反射的に瞼を閉じそうになりながらも何とか、意思で押さえる。
 目論見は違ったがホークウルフは殺した。
 しかし敵はもう一匹いる。
 敵の眼前で目をつむるような真似など出来るか。
 背中越しに伝わってくる獰猛な殺気を感じながら、握り占めていた柄からケイスはあっさりと手を離して無手となり、背後へと振り向く。
 振り返ったその視界は、臭気を伴う唾液を垂らすバジリスクの口蓋に埋め尽くされていた。
 口蓋にびっしりと並んだナイフのような歯はケイスの肉体へと容易く突き刺さり肉をかみ切る凶器。


 回避可能?

 不可。
 

 迎撃可能?


 可。

 
 生命危機に加速化した思考の中でケイスは最良の手を模索し、即座に決断し動く。 
 無手となった左手へと全身の闘気を注ぎ、その柔軟にして強靱な肉体を最大稼働させて無理矢理な体勢でホークウルフの背を蹴り、自らバジリスクの口蓋へと上半身を飛び込ませることで僅かな間を作り出す。
 バジリスクがその口を閉じる前に頭蓋に収まる脳へと向けてケイスは闘気を込めた抜き手の一撃で撃ちはなった。
 
 
 











 斜めに一刀両断されて上半身の猿と下半身の蛇に分かれたエイプキメラが臭気を伴う内蔵をまき散らしながら落ちる。
 羽を根元から切り潰された上に切断された首から鮮血をまき散らしながらホークウルフが落ちる。
 バジリスクと、その口から下半身だけを覗かせた少女が鋼鉄製の甲板に重い衝撃音を伴いながら落ちる。
 すぐ目の前を三者三様の有様でモンスターが落ちていった有様に、見張り台に立って動きを追っていたボイドはただ呆れかえり、何が起きていたのかすらも判断が付かないラクトは呆然と甲板に広がる地獄絵図を見ていた。
 斬り潰された獣の死体が散乱しているのもあれだが、一番正気を疑いたくなるのはやはりバジリスクだ。
 端から見ればケイスが、バジリスクに食われているようにしか見えない光景。
 だがどうにも早く助け出さなければと焦る気持ちになれない。
 ケイスがどのような状態でも戻ってきても、焦りも驚きも覚えないほどに、ここ数日の狩りで感覚が麻痺していたからだ。
 現にケイスはもぞもぞと動くと、痙攣するバジリスクの口蓋からその体を引き抜いて、平然と立ち上がった。


「むぅ。べたべたする」


 ホークウルフの返り血とバジリスクのべとついた唾液まみれになったケイスは、不機嫌そうに袖で顔をぬぐって落ちないことにさらに顔をしかめている。
 命が助かった事に安堵の息をはくでも、敵を倒した事に高揚を見せるでも無く、それが当たり前だという態度だ。


「子グマ。体を動かしておけよ。こいつの目が覚めたら私が説得するからそれから鍛錬開始だ。気を抜いた顔をしているな。怪我をするぞ」


いくらぬぐっても落ちないので諦めたのかケイスは血まみれのままで見張り台を見上げると、その先天的に偉そうな傲慢な口調で早く降りてこいとラクトを促した。


「あ……お、おう! お前に言われなくても判ってら!」


 ケイスの常識外の行動と戦闘力に呆気にとられていたラクトだったが、その人の神経を逆なでする物言いに正気を取り戻して、怒鳴るように返事を返して見張り台から降り始める。


「ラクト。頑張れよ」


 化け物じみた……というか正真正銘の化け物であるケイスの戦闘を間近に見ても、いまだ敵愾心を持つのだから、ラクトも気が座っているといえば座っているとボイドは感心気味に激励の声を送った。


「ボイド。剣はどこだ?」


 ケイスがホークウルフと共に落ちてきたはずの剣の所在を尋ねる。
 しかしその声はなぜか険しい。
 まるで親の敵の所在を尋ねるように怒りが込められていた。
一体ケイスが何に腹を立てているのか判らない、というよりも、ケイスの心情を完全に理解するのは無理だとボイドは諦めている。
 見た目は可憐な少女そのものだが、その中身は全くの別種。
 所謂化け物の類いだとボイドはここ数日で理解したからだ。
 妹のセラがケイスを普通じゃないと苦手とし、嫌がる理由も今なら理解できる。
 もっともケイス本人に悪意や害意があるかといわれると、それもまた微妙。
 なんというか基本的にこの化け物は傲岸不遜で傍若無人でありながら、無邪気でお人好しなのだ。
  

「そこだ。にしてもすげーなケイス。よくあれだけ動けるな」


 ボイドは少し離れた甲板に落ちていた剣を指さしつつ、呆れ交じりに賞賛を送る。
 ヴィオンのように自前の翼があるわけでないのに、ケイスは空中戦を一瞬とはいえ演じて見せるのだからこの感嘆も当然だろう。
 相手を踏み台とし高さを維持し、手足の振りと闘気剣による重心変化をもって軌道を無理矢理にねじ曲げる。
 非常識でかつ高難度の身体操作能力を持って行う空中近接戦闘は、天才故の技量を持ってして初めて成し遂げられる。
 近接戦闘を司る赤の迷宮を重点的に踏破しているボイドであったが、そのセンスは真似できそうにないと素直に脱帽するしかなかった。













「むぅ失敗を褒められても嬉しくない……………」 


 ケイスはボイドの言葉に眉をしかめ答えて、甲板の隅に落ちていた剣の元へと歩み寄る。
 その心は不満の極致で、ひたすらに不機嫌だった。
 相手の動きを全て自分の予想範囲内に止めて、状況を支配する。
 その速く異常な思考の所為で、他者からは本能任せの行き当たりばったりに剣を振っているように見えるかもしれないが、己を知り敵を知り、効率的な剣捌きによって勝ちをもぎ取る。それがケイスの基礎である。
 自己採点するならば今日の戦闘は、途中までは思惑通り進んでいた完璧な出来だったが、最後の最後で意図を外れ低評価となってしまった。
 血に汚れる事も、不快なバジリスクの唾液まみれになる事もケイスの計算の中にはない。
 このような無様をさらしてしまった原因はただ一つ。
 ボイドが指し示した場所に落ちていた羽の剣を拾い上げたケイスは、その釣り気味な目で、剣を強く睨み付ける。
 つい先ほどまでの鋼鉄の硬度と大岩のような重量感は消失して、また鳥の羽のような重さと柳の枝のようにしなる不思議な状態へと剣は戻っていた。
 剣のこの姿が余計に腹を立たせる。
 お前には自分を使える技量が無いと剣から馬鹿にされているように、ケイスは感じ取っていた。

 
 ケイスが借り受けている闘気剣。
 通称『羽の剣』には性質変化と重量加減という二つの能力が存在する。
 見た目だけならば長さもその厚さも通常のグレートソードクラスで、ケイスの身長とほぼ同じくらいだ。
 しかし明らかに金属の光沢と艶がある刀身なのに、使用者による闘気の注入が無い状態では、剣全体で計っても鳥の羽一枚分ほどの軽さしかない。
 刀身もまるで飴細工のようにグニャグニャと曲がり使い物にならず切れ味など皆無。
 まさに奇っ怪な品。
 だが一度闘気を送り込めば、刀身は硬質化し剣全体が重量を増し、重く固い大剣としての鈍器の強さと、剃刀のように鋭い刃が姿を現す。
 逆に闘気を遮断すれば剣は瞬く間に重さを無くし、ゴム板のようなグニャグニャと曲がる基本状態を取り戻す。
 闘気による硬度・重量変化。
 これが羽の剣の持つ最大の特徴であるが、同時に致命的な欠点でもあった。 
 送り込んだ闘気が一定の量もしくは時間を超えると、剣の質量加減と硬質化の変化量が不規則に変化するのだ。
 突如使用者が持ちきれないほどに重量を増したかと思えば、次の瞬間には霞を掴むような軽量へと変化する。
 打ち込んだ刃が途中で軟化しぐにゃりと曲がり跳ね返されたかと思えば、そこから再度硬化して使用者に跳ね返ってくる。
 己を剣士と定めるケイスすらもその不規則変化の法則を未だ把握できておらず、扱いに苦労していた。
 もっとも欠点の原因そのものについては、ケイスはその野性的な勘と、偏りながらも持ちうる武具知識で大まかな見当を付けている。
 闘気剣とは生体素材を用いて特殊能力を付与した剣だ。つまり迷宮モンスターの肉体が使われている。しかもこの剣を仕立てた鍛冶師は、名工揃いのドワーフたちの王国『エーグフォラン』の枝もしかすれば本筋かもしれない。
 エーグフォランの鍛冶師達は、生み出す武具に己が魂と素材となる者の魂を込める秘技を持ってして、世界に名をとどろかせる名剣、魔剣を無数に生み出してきた。その工法で作られたであろう、この『羽の剣』は魂を持ち生きている。
 この剣に宿る魂が、ケイスを使用者として認めていない。それどころか隙あらばケイスを葬り去ろうとしてくる。
 有り体に言えば、この『羽の剣』は呪いの剣だ。
 しかし呪われた剣であろうとも、剣士たる自分に使いこなせない剣があるなど許せない。
 それがケイスの怒りの原因だった。



「私の言うことを聞けといっただろ。私は類い希なる才をもつ剣士だ。その私が使ってやるのだ感謝して言う事を聞け。貴様が元はなんだったかなど私の知るところでは無い。だがお前がそういう態度ならこっちにだって考えはあるぞ」


 剣へと語りかけ始めたケイスは傲岸不遜な恨み言をこぼしていたが、言っているだけでは我慢できなくなり、そのまま刀身へ噛みつきがじがじと歯を立てる。
 まるで犬が上下関係を決めるかのようなその姿は野生の獣。
 黙っていれば花も恥じらう美少女といえるケイスなのだからギャップが激しすぎる。
巫山戯ているとか八つ当たりならまだ良いのだが、ケイスは真剣そのものだ。
 剣にすら自分の我を通せると信じてやまない。 


「いいふぁ。わたふぃをふぇったいみとめふぁふぇてふぁるふぁらな」


 凍えていた体を動かす準備体操を始めていたラクトや、倒れ込んで気絶したままのバジリスクを監視していたボイドも、剣相手に喧嘩を始めだしたケイスにさすがにかける言葉が思いつかないのかあきれ顔を浮かべている。
 しばらく剣を噛んでいたケイスだったが、その腹がきゅーっと鳴って空腹を訴えた。
 どうやら剣に噛みついて咀嚼行為をしているうちに刺激を受けた体が、空腹を訴えだしたようだ。
 一度空腹に気づくと、どうにも我慢が出来ない。
 ましてや戦闘を終えたばかりな所に、全身に付着したホークウルフの血がケイスの肉食獣的本能を刺激して肉を求める。
 剣から口を離したケイスは立ち上がると、甲板に散らばったままのエイプキメラとホークウルフを一瞥する。
 先ほどまで温かい血煙の蒸気を立てていた二匹の死体は、極寒の砂漠に急速に熱を奪われて冷えて固まりだしている。


「ふむ……猿と狼。どっちが美味しいんだろう……なぁボイド! 狼と猿どちらの心臓が生で食べるなら美味いんだ?!」


「いや、食った事ねぇし。っていうか食うなよ、不味いだろ」


「そうか? 私は好きなんだがな」


 自分の志向が異常だとは微塵も思っていないケイスは完全に冷え固まる前に切り出して食べ比べして見ようかと考えていたが、新たな気配を感じて背後を振り返る。
  

「…………あんたねぇ。お腹がすいてるからって、いくら何でもその選択肢はないでしょ」


 いつの間にやら甲板へと出てきていたルディアが、ボイドに問いかけた声を聞いて頭痛を覚えたのかこめかみを押さえながら注意する。


「ルディか。しょうが無いだろ。ラクトの鍛錬を見なければならないから甲板から離れるわけには行かないんだ」
 

「……はいこれ。顔と手ぐらい拭きなさい。あとミズハさんから料理をもらってきたから、食べるならこっち食べなさい」


 ルディアはタオルをケイスへと投げ渡すと、料理が盛られたプレートを掲げて見せた。
 皿に盛られた肉料理のほどよい香辛料の香りがケイスの鼻腔をくすぐる。
 

「ん……ん。そっちにする。やっぱりルディは良い奴だ。ありがと。だから好きだぞ」


 少し考えてからケイスは料理を持ってきてくれたルディアに対して、好意だけをこめた無邪気な笑顔を浮かべて礼をいう。


「血まみれな顔で好きだって言われると、なんかあたしが好物みたいだから嫌なんだけど」


 ケイスが浮かべるあけすけな笑顔に対して、ルディアはここ数日で何百回目になるか判らないため息で答えた。



























 ちょっと他を書いていたら遅れましたが、こちらもぼちぼちと参ります



[22387] 剣士と少年 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 03:01
 自分はどうしたのだろう?
 朦朧とした意識の中で覚醒した彼は漠然と考える。
 頭の先から尾っぽの先まで体全体が痛い。
 なぜだ……何をしていた? 
 どうしても思い出せない。
 意識を失う前の記憶を思いだすためにも、周囲を確認しようと石のように重い瞼を開こうとし、


『ん。目を覚ましたか。もう少し早く目を覚ませ。ずいぶん待たされたではないか。あと暴れるなよ。暴れたらそのまま脳味噌を引きずり出すぞ』


 全身を切り裂くような強烈な殺気が彼の全身を捉える。
 思い出す。一瞬で思い出す。
 この狂気に満ちた殺気を放つ存在を。
 圧倒的な存在を。
 世に君臨する暴虐者。
 全ての生物の天敵。
 龍だ!
 龍がいる!
 殺される! 
 自分は食われる!
 残虐なこの龍に!
 恐怖で硬直した身体は小刻みに痙攣するばかりで逃げ出すことも出来ず、恐ろしさ故に閉じた瞼を開くことすら出来ない。 
 

『怯えなくても良い。幸いなことに今の私はさほど空腹ではない。むしろお腹が一杯で機嫌が良い。だから貴様が私に襲いかかった事は許してやろう』


 龍が放つ殺気が若干和らぎうなり声もゆったりとした物へと変わる。
 種族的には下等魔獸に属する彼には龍の言葉は判らない。
 だが彼の種族が持つ傲慢さは、言葉を理解できない生物にすらも己の意思を通達する。
 生まれついての暴虐なる王。
 それが龍だ。


『だから貴様は私に感謝して協力する義務がある。何そう難しくない。私が指定した者の実戦稽古の相手を務めて貰うだけだ。ただし殺すな。大きな怪我をさせるな。しかし本気で襲え。良いな。約束だぞ。破ったらお前も私のご飯にするから死ぬ気でやれ……理解したか? 了承したのなら尾を振れ』


 それは提案でも取引でもない。
 すでに決定事項だと告げる。
 その傲慢で無理難題をいう暴君に対して、屈服した彼は弱々しく尻尾を振るしかなかった




 

  


「迷宮モンスターに同情するようになる日が来るなんて思わなかったわ……」


 雨に濡れた子犬のようにプルプルと震えながら尻尾を振るバジリスクを見て、ルディアは何ともやるせない気分になる。 
 巨大な蜥蜴の化け物であるバジリスク相手に、脅迫で無理難題を突きつける。
 突っ込み所が多すぎて何から言えば良いのやら判らず、ルディアは頭痛を覚えるしかない。


「肉体言語で恫喝を成立させてんなケイス」


 ルディアが持ってきた当直者用の保温ボトルに入ったホットワインをちびちびと飲むボイドも、あり得ないケイスの行動にあきれ顔だ。
 どうやったら、そういう常識外れの巫山戯た真似が出来るのか理解できずにいる周囲に対して、当の本人はバジリスクの額に当てていた手を離して振り返るとしれっとした顔を浮かべる。


「そう難しいことではないぞ。言葉の通じぬ動物が相手でも心を込めればわかり合えるものだと私の従姉妹もよく言っていたからな。昔から噛み癖のある飛り……犬を殴り倒して躾けたりもしたからな。慣れている。問題無い」 


 出来て当然。
 何を当たり前のことをとでも言いたげにケイスは返す。
 しかしその従姉妹は愛情を込めろという世間一般的な常識を言ったのだが、この化け物の場合はそれが殺気になっている辺りがらしいといえばらしい。


「ちょっと待ちなさいあんた。今飛竜って…………いい何でも無い。いくら何でもそれは無いからいい。犬ね。犬」


 ケイスがなにやら口を滑らせかけて慌てて言い直したかのように見えたのは、おそらく自分の幻覚幻聴の類いだろうとルディアは自らを無理矢理納得させる。
 ただでさえ頭がくらくらしているところに、これ以上詰め込まれたら発狂しかねない。 見なかったことにする。
 気にしない。
 そして忘れる。
 これがルディアが見いだしたケイスとの基本的な接し方だ。


「うむ。犬だ……さて時間が惜しい。こいつも承諾したことだし早速稽古を始めるぞ。子グマ準備は良いな。ヴィオン。付与は強めで頼むぞ。この蜥蜴はなかなか力が強い。弱い付与では子グマの華奢な体格では吹き飛ばされる」


 頭を抱えているルディアに犬を強調して返したケイスは、準備運動を終えて身の丈の倍ほどある棍を手に待機していたラクトと、その棍の先端へと魔術触媒あぶって作った炭を付けた指先で文字を描いて衝撃吸収型の防御魔術効果を付与させているヴィオンへと視線を移す。


「ぐっ。俺よりちびのお前に華奢って言われたくねぇよ、とことんむかつく奴だな」


 同年代の友人の中では大柄で、家業の手伝いで重い武器も運んだりするので体格が良いラクトが華奢だと言われたのは初めての事だ。
 そんな評価を下したのが、ラクトと比べて頭2つ分は背が低く、腕の太さでも半分くらいの年下の少女なのだから腹が立つ。
 しかしモンスターを一刀両断してのける馬鹿げた膂力を持つケイスからすれば、華奢だと言われても仕方ないのかもしれないと心の片隅で冷静に思う部分もあり、どうにもやり場の無い怒りをラクトが抱くのは無理も無いだろう。


「ラクトあんまり苛立つなって。ありゃ素で言ってるだけで悪意無しだからよ。っとこんなもんだな。いいぞ。棍に吸収。あと全身にシールドの付与防御もかけた。これなら怪我する心配も無いから見切りに集中できるだろ。んじゃボイドお仕事再開といこうぜ」
   

 手を軽くはたいて指先の触媒を払い落としてラクトにかけた付与魔術の出来を確認していたヴィオンが問題なしだと太鼓判を押した。


「おう。俺達は見張りに戻るがあんまり無茶させるなよケイス。ルディア。悪いが手綱を頼むぞ」
 

「簡単に言われても困るんですけど」


 軽い口調でホットワインのボトルと共に難題を押しつけてきたボイドに対して、ルディアはどうしろとため息混じりで疲れた表情を浮かべる。


「ん。二人とも心配するな。決闘前に怪我をさせるわけがないだろ」


「お前の場合は無茶の基準が違いすぎるからじゃねぇの。まぁ俺の防御魔術もあるから大丈夫だろ」


 防寒手袋をはめ直したヴィオンがケイスに軽く突っ込んでから、背の翼を一度揺すって大きく羽ばたかせて宙へと浮かび上がる。
 この時間のヴィオンの役割はその機動力を生かした空中からの周辺警戒。
 今は一時的な休憩という名目で戻ってきただけなので、あまり油を売っている暇もない。


「手間をかけたな。礼を言うぞヴィオン。ありがとうだ。それとこいつを頼む。もう少し稼いでおきたいから、稽古が済んで蜥蜴を放したらついでにもう一度狩りにいってくる」


 快活な笑みを浮かべたケイスはちょこんと頭を下げて礼を言ったあと、足下に置いていた剣を左手で掴むと空中のヴィオンに向かって放って投げ渡した。


「っと。オッケ。空中で待機しとく。投げ落とすのはさっきくらいのタイミングで良いな?」


「うむ。最良とまでは言わないが十分合格点のタイミングだ。お前は腕の良い探索者だな」


「そりゃどうも。ラクト頑張れよ」


 どこまでも上から目線だが、本人的には最上級だろう褒め言葉にヴィオンは肩をすくめると、ラクトへと一声かけてから渡された剣を手に漆黒の空へとその翼を羽ばたかせて上がっていった。













 息を整える。
 体の芯まで凍えそうになる極寒の大気は、砂よけと防寒をかねた口元を追い隠す覆面越しでもなお冷たい。
 冷えた空気は動きを鈍くする。
 だから浅く少なく。
 最小限の呼吸で荒れた息を整える。
 稽古が始まってどのくらいが経っただろう。
 気の抜けない緊張感は時間を飴のように引き延ばして、時間感覚を曖昧にする。
 野生の獣を前にする緊張感からか、この極低温状態でも外套の下の身体はうっすらと汗をかき、心臓は早鐘のように音をたて相対するだけで疲労が加速度的に増していく。


『獲物からは目をそらすな。ただし一点を見て視野を狭くしないで、全体を見るようにしとけ』


 己の背丈を大きく上回るバジリスクを真正面に見据えるラクトは、ボイドから教わった大型の生物と戦うときのアドバイスを心の中で思いだしながら意識を集中させ続ける。
 ケイスが課した稽古は、攻撃してくるバジリスクにたいして、ラクトは攻撃をせず受けに専念して、バジリスクからの攻撃を防御するか避け続けろというものだ。
 単純な稽古だが、相手は最下級に分類されるとはいえ迷宮モンスター。
 そのプレッシャーがラクトの精神力をじわじわと削っていく。
 ラクトが5度目の息を吸った瞬間、バジリスクの左前足がぴくりと動き、同時に鋭い風切り音が響いた。
 動きと音を認識した瞬間、ラクトは後ろに下がりながら視界を確保し、左前足を支点に身体をひねったバジリスクが大きく振りかぶった尾をその目に捉える。
 人の骨など一瞬で砕き絶命させるほどの威力があるその攻撃に、身が竦みそうになるが、まだ防御は間に合う。
 呼吸を一瞬早くしたラクトは、ケイスからここに力を込めろと殴られ未だにひりひりと痛む丹田へと力を込め、肉体強化の力をもつ闘気を生みだし、身体機能を一時的に上げて、予測線上へと棍の先端を合わせた。
 圧倒的な質量を持っているはずのバジリスクの太い尾が、ラクトが差し出した棍の先端で音もたてずにピタリと止まった。
 ヴィオンによって付与された衝撃吸収の陣が、風切り音を立てて迫っていた尾の勢いを完全に吸収しており、棍を握るラクトには一切の圧力は伝わってこない。
 しかし棍棒のような重い一撃を止めても息を抜く暇は無い。
 尾を止められたと気づいたバジリスクは即座に次の行動に移る。
 先ほど軸足に使った左前足を今度は尾を振った反動を使いラクトの右側から地を這うように繰り出していた。
 ラクトはまたも一歩下がりつつ間合いを開けつつ、棍を今度は左足の前へと動かしその攻撃がトップスピードに乗る前に出鼻を抑える事で防ぐ。
 だがバジリスクも負けてはいない。攻撃を止めるために足が止まったラクトに向け、今度はその鋭い牙で直接攻撃を加えようと頭を大きく振ると、口を大きく開き噛みつこうと牙を光らせた。


「ふっ!」


 ラクトは息を吐きつつその顎下に向け棍を蹴り上げてまたも動きを止め、バジリスクが蹈鞴を踏んだ隙に仕切り直しとばかりに後ろに下がって距離を取った。






「へぇ……ラクト君。それなりに防いでるわね。さっきはまともにやられた三連撃を今度は防いだし」


 後方に下がりながらバジリスクの攻撃を防いでいるラクトを見て、ルディアは感嘆の声をあげる。
 多少危なっかしい所はあるが、それでもバジリスクの攻撃パターンを自分なりに覚え回避や防御を創意工夫しており、一撃一撃がちゃんと見えていると感じさせる動きだ。


「当然だ。私が教えているのだからな」


 なにやらやたらと嬉しそう笑顔を浮かべてケイスが頷く。
 これでラクトが善戦しているのを喜んでいるなら可愛げの一つもあるのだろうが、ケイスの場合は違うとルディアは断言できる。
 怪我をしないかと多少心配を覚えつつ監視しているルディアに比べて、そのラクトを指導しているはずのケイスは実に物騒かつ暢気な笑顔で先ほど自分が狩ってきた他の二匹のモンスターを捌く方にその意識の大半を向けていた。
 自分で取ってきた獲物を解体するのが楽しくして仕方ないらしく、血抜きを行い腹を割いて内蔵を抜きおわったモンスターを、ケイスは左手に握った小型ナイフ一本で解体している。
 包帯でぐるぐる巻きになり右手が使えない状態にありながら、どこに刃を当てれば関節を外しやすく、肉と骨が切り分けられると判っているのか、その捌く速度は圧巻の一言だ。
 あっという間にエイプキメラを捌き終わると、次は成牛ほどもあるホークウルフに取りかかり、毛皮を綺麗に剥がし無数の肉塊と骨へと解体して、木の桶へと無造作に放り込んでいく。
 吐く息も凍るほどの低気温の所為で放り込んだ先から肉が凍っていくので、あまり臭みや血の臭いがしないのがありがたい。
 

「はいはい。ところでさ、聞きたいんだけど。アレでホントにラクト君あんたに勝てるの? 闘気の制御法教えたあとは防御練習ばかりじゃ無い。避けきったら勝ちとかじゃないんでしょ」


 いつも通りと言えばいつも通りな自信過剰なケイスの言葉は適当に流しつつ、ルディアはここ数日気になっていたことを尋ねる。
 ケイスがラクトに教えたのは、ケイスが使うという丹田を意識した基本的な闘気生成とその基本的な使い方。
 あとはひたすらモンスターを狩ってきたついでに行う”説得”したモンスターからの攻撃を防ぐ実戦防御訓練ばかりだ。
 どう動けとか、こうきたらこうしろ等の型や理屈などない。
 ただひたすらに実戦でやり合って戦い方は自分で判断しろという、放置主義的な教え方だ。
 確かにここ数日だけでもラクトの動きは良くなっているし、ヴィオンによる付与魔術で大きな怪我も無く、さらに間接的にではあるが付与魔術の掛かった武器を使うことで魔具の扱い方の練習ともなっている。
 だがケイスとラクトが行うのは決闘。
 なのに攻撃手段を教えようとする素振りは、ケイスからは一切見られなかった。

 
「ふむ。ルディの疑問はもっともだ。だが私が思いつく限りで、子グマが私から一番の勝率を得るための戦い方を教えているのは間違いないぞ」


「勝率ね。どーすんのよ。実際の所は」


 あまりに自信満々にいうが、どうにもケイスの場合常識外れな計算がその根本にありそうで、ルディアの目は不審げだ。


「うむ。子グマは認めたがらないが、現状の私と子グマの間の戦闘能力の差は天と地ほどの開きもある。だから正攻法。つまり真正面からの剣の打ち合いではまず勝負にならん。そこで子グマが私に勝る部分で勝負をかける。ここまでは良いか?」


「まぁ……そりゃね。確かにあんたとラクト君の差はそれくらいあるだろうし、言ってることには一理あるわよ。でもあんたにラクト君が勝ってる部分ってなによ。前に言ってた魔力生成能力が皆無ってのは確かに弱点だけど、遠距離から攻撃魔術付与の杖やらスクロール連発って言わないでしょうね」


「それは実戦ならば一番有効な手段だが、あくまでも剣による効果的な一撃を先に叩き込んだ方の勝ちというルールでやるつもりだ。子グマもそれを望んでいるだろう。しかし先ほども言ったとおり、私と子グマの差を鑑みて魔具は必須だろう。子グマが卑怯者の誹りを受けないように攻撃系の類いは一切禁止とし、補助および妨害系の魔具のみ使用可とルールをしっかり明文化するつもりだ……っと。むぅはねた」


「防御系魔術を使った特訓は、魔術効果にならす為ってのは判るけど、付け焼き刃でどうこうなるとは思えないんだけど。あーもうこら。袖でぬぐうな。元から汚れてるから広がるだけでしょ。ほらこっち向く」


 頬についた汚れた袖口でぬぐおうとしたケイスを止めて、懐からハンカチを取り出しながら続きを促す。


「ん。頼む……確かに魔具だけでは勝ち目は薄い。だが私よりもあいつの方が体力があるからな。魔具を使い持久戦に持ち込めば奴の勝ち目が跳ね上がるぞ」


「…………………一つ聞きたいんだけど。誰が誰より体力があるってのよ」


 頬を拭くハンカチにくすぐったそうな顔を浮かべていたケイスが、力強く断言した言葉にルディアは何かの聞き間違いではないだろうかと思わず自分の耳を疑う。
 ラクトがあのバジリスクとの戦闘訓練を開始して、すでに20分くらいは経つだろうか。その間は常に動き続け、何とか攻撃を防ぎ躱していた。
 最初に同じような訓練をした数日前は、バジリスクよりも、もっと小さな一角サンドシープ相手に5分くらいでバテていたのだから、効率的に身体を動かすコツなどを会得しつつあるのだろう。
 ルディアから見てもラクトは、まだ子供と言って良い年齢にしては身体を動かせているし、体力もあるとは思う。
 だが比べる相手がケイスとなれば話は別だ。
 極寒の砂漠を誘い出したモンスター達を引き連れ走り回って、馬よりも早く砂漠を駈ける砂船に追いつき、さらにはモンスター達を鎧袖一触空中で斬り殺す。
 無茶苦茶を通り越して異常な化け物を相手に、誰がラクトの方が体力があると自信満々に言い切れるだろうか。


「子グマが私よりだ。当然だろう。あいつは男でしかも私より年上だ。闘気にしろ魔力にしろ大本は生命力。簡単に言えば体力だ。か細い私と子グマを見比べてみればその差は一目瞭然だろ」


 だがケイスは違った。
 自分の身体を見てさらに袖を捲って年相応とも言えるその細い腕を見せた。
 ほっそりとしたきめ細かいつるっとした肌は苦労を知らない貴族のように白いが、その手に解体したばかりのホークウルフの後ろ足を軽々と持っているのだから説得力という言葉は皆無だ。
  

「あんた見てると底なしの体力って言葉しか出てこないんだけど」


「そうか? 私は体力そのものは少ないぞ。だからすぐにお腹が空くんだ。ただ回復力や消化吸収を闘気による身体強化で上げているから、食べるものさえあれば少しはマシだがな。先ほどルディが持ってきた料理の量なら10分あれば消化吸収して体力回復ができるぞ」


「……どんだけ無茶苦茶よあんたの体」


「闘気で内臓強化をするコツが掴めればすぐに出来るぞ」


 これが冗談で言っているなら軽く流すところだが、ルディアの言葉にケイスがきょとんとして真顔を浮かべている所を見ると徹頭徹尾本気の発言のようだ。


「ともかくラクト君があんたに勝つには、魔具を駆使して攻撃を回避して防御した末の体力切れを待てって事?」


「そうだ。今の子グマの力量で私から勝ちを得るには、それが一番勝率が高い。だから闘気変換の細かな操作と、長時間戦うための力配分を覚えるため。そして勝負度胸を付けさせるためにモンスターとやらせている……よしこちらも終わったぞ。また石を見つけたぞ」


 話している間にホークウルフも解体し終えていたケイスは左手のナイフについた血と油を外套の端でぬぐって落としてから、その手に握っていた小指の爪先半分ほどの小さな赤い石をルディアに見せた。


「天然物の転血石って、あんまり取れないって話なんだけど、どうしてそんな毎回毎回出てくるのよ」


 血肉に魔力を宿す迷宮モンスター。
 モンスターの中には魔力が凝縮、物質化したものをその心臓や血管に宿す者がおりそれが転血石と呼ばれる。
 その転血石は魔具等の動力源として太古の昔より重宝されており、一昔前までは1000匹狩って一つ取れれば上出来といったところで、下級モンスターの物でも高額で取引されていた。
 現在は魔導技術研究の発展により、大量に集めた迷宮モンスターの血肉から凝縮して製造する人造転血石技術が確立されており、低精錬の物ならばかなりの格安となっている。
 ケイスの手にある石も特別区のモンスターから取り出されたものなので内蔵魔力は低く、取引値段も安い方だが、それでも天然物と言うこともあり混ざりっ気のない純度が高い天然転血石は加工がしやすいので、共通金貨で2枚くらいにはなるだろう。
 ケイスがしゃかりきになってモンスターを狩っているのは、自分の食い扶持は自分で稼ぐというのもあるのだろうが、この転血石を目当ての一つとしているからだ。
 この転血石の売却費で、決闘用の魔具を揃えるというのがケイスの基本方針とのことだ。


「ん~……すまん。ちょっとしたコツがあるんだが教えられない許してくれ」

 
 最初はいくらモンスターを狩ろうとも天然物の転血石など早々取れる物では無いと、ルディアを含め誰もがケイスの楽観的な考えを疑問視していたのだが、ケイスは狩ってきたモンスターの8割強くらいから転血石を見つけ出している。
 ここまで来ると運が良いとかの類いではなく、なんらかの手段や転血石を宿すモンスターの見分け方があるのかもしれないが、ケイスはこれについては黙っている。
 やたらと人懐っこい部分があるかと思えば、実に謎めいている部分の方が数多い。
 それがケイスという少女だ。 


「まぁ良いけど。それよりラクト君の方そろそろいいんじゃない。倒れる前に止めさせて限界をおしえるんでしょ」

 
 自分の氏素性など肝心なことになると口が堅いケイスに、これ以上は尋ねても無駄だと割り切っているルディアは追求はせず本来の目的であるラクトの方を指さす。
 少し疲れてきたのか、最初の方よりも若干だがラクトの動きが鈍くなってきた。
 防御魔術が施されているので大けがの心配はないだろうが、それよりも体力を使い果たしたラクトがまた倒れる可能性の方が心配だ。
 

「ふむ……そうだな。じゃあそろそろ止めてくる。ルディは子グマの疲労回復やストレッチをやりつつ、そろそろ基本的な魔具の使い方や残量魔力の見方について教えてやってくれ」


「あんたナチュラルに人使い荒いわね。あたしも魔具はあんまり詳しくないから基本的な護身用みたいな物しか判らないわよ」

 
 医師のまねごと以外にもいろいろ仕事は増えている気もするが、基本手が空いているのと、どうにも世話焼き名部分があるルディアは嫌々ながらも承諾の返事を返した。


「ん。助かる。あとついでにこれをセラギ達を呼んで運んで貰ってくれ。石の方はいつも通りファンリアに渡して洗浄を頼んでくれ。私は蜥蜴を解放したらもう少し狩りにいってくる」


 捌いた肉や皮の入った桶を指さして次いで転血石をルディアに投げ渡したケイスは、無造作にとことこと歩むと鍛錬をする一人と一匹の間に入り込んでいく。 
 ラクトの方はともかく、バジリスクの鋭い爪や牙は簡単にケイスを切り裂きそうな物で危ないことこの上ないのだが、


「よし! そこまで。今日はここまでだ」


 左手でラクトの棍を抑えて動きを止め、バジリスクの方はその少し釣り気味の目でギロリと睨んで一瞬で硬直させた。


「はぁ……はぁ。邪魔すんな。まだ俺はやれるっ!?」


 まだ大丈夫だと言いかけていたラクトの懐に飛び込んだケイスが、その左手を無造作に叩き込んだ。
 あまり力が入っていないようにも見えたケイスの一撃は、防御魔術を易々と素通りしてラクトの鳩尾へと衝撃を与える。
 一瞬で呼吸困難になったラクトの膝からは力が抜けて甲板にへたり込む。 


「お、おま……い、いきなり……なにしやがる……んだよ」


「私が終わりといえば終わりだ。それについてはお前と議論する気はないぞ。ではルディ。子グマを頼むぞ」


 咳き込むラクトを不機嫌そうに睨み付けたケイスは、その襟首をがっちりと掴んでから左手一本でルディアの方へと投げ渡すと、顔を上に上げ甲板の上の見張り台へと目を向ける。
 そこでは眼下のやり取りをおもしろそうな顔で見物していたボイドがいた。
  

「ボイド! また狩りに出かけるから頼むぞ!」


「おう! ケイスも気をつけろよ! あと通信魔具忘れるなよ。連絡がとれなくなったら置いてくからな」 


「安心しろ! 私なら無手でも何とかこの砂漠を越えられるからあ、とで合流する! よし。そこのお前ついてこい!」


 ボイドの冗談にまじめくさった顔で答えたケイスは、首元の通信魔具を確認してからバジリスクに手招きするように合図を送ると左甲板へと立ち、巡航速力で砂漠を駈けている砂船の甲板からなんの躊躇もなく飛び降りていった。
 地面までは物見塔5階分以上の高さがあるだろうが、なんのお構いも無しだ。
 ケイスの行動にモンスターであるバジリスクですら一瞬呆気にとられたのか呆然と見送っていたが、すぐにその身体をどたどたと動かして、ケイスの後を追って甲板から飛び出した。  
 なにやら必死さを感じるのは遅れたら殺されるとでも思ったからだろうか。


「あ、あんにゃろ……絶対……勝ってやる」


 ケイスの一方的なペースに翻弄されているラクトが強かに打たれた鳩尾を押さえながら息も絶え絶えという様子で、ケイスの姿が消えた甲板を睨み付ける。
 その様子にルディアはあと1週間ほどしかないのに本当にラクトがケイスに勝てるのだろかと大いに疑問を抱く。
 確かにラクトはその鍛錬をみていると、飲み込みも早く体力も同年代の少年に比べてあるだろう。
 だがいかんせん相手が悪すぎる。
 どうにもラクトが勝つイメージが起きないのだが、こればかりはしょうが無いだろう。


「大丈夫ラクト君。ちょっと休憩してからにする? 基本的な魔具の使い方から教えろってあの子は言ってたけど」


「わりぃ……ルディア姉ちゃん。それで頼む……でも魔具の使い方ついでに一つ教えて欲しい技術がある。ケイスの鼻を明かすような事したいんだ」


 ルディアの問いかけに甲板に座り込むラクトは顔を上げて答える。
 

「あの子の鼻を明かす。何する気?」


「このままケイスの言いなりでやって勝ってもちっとも嬉しくねぇ。せめて一つだけでもあいつが予想してない事したい。だから………………」


 おそらくケイスに一矢でも報いられる手をずっと考えていたのだろう。
 ラクトの案はケイスの案と同じくこの短期間で覚えるのはかなり無茶の物だったが、それが故に、さすがのケイスも予想外だろうとルディアにも勝算があると感じられる物だった。



[22387] 剣士と探索者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2015/03/06 02:08
 砂船の狭い甲板上。
 装甲として張られた鉄板が、休む事無く甲高い音をたてて鳴り響く。
 タップを踏むかのように、小刻みに音を奏でるのは一つの影。
 コインほどの大きさで術式を含み立て続けに飛来する光弾を避けながら、影は縦横無尽に動く。
 行く手を遮る光弾を避けるために右に跳ねたかと思えば、即座に左に切り返し追撃のタイミングをずらす。
 広角にばらまかれた光弾の網を、身をかがめ甲板すれすれを滑ってくぐり抜け、さらには甲板に出来た僅かな凹凸に引っかけた左手の小指だけでピタと停まる。
 影の動きが止まった瞬間に、仕留めようと四方八方から一気呵成に光弾が迫るが、


「とっ! ふむ。なかなか良いな。冷やっとしたぞ!」


 激しい攻撃に対してなぜか嬉しそうに頷きながら、その影は引っかけた一本の指の力だけで空中に高く跳び上がって回避して見せた。
 いくら小柄で軽いといえど、その小枝のように細い小指だけで全体重を支え、さらには身長の数倍まで高さに跳び上がる様は、肉体強化の力である『闘気』による身体能力強化だと判っていても、質の悪い冗談のような光景だ。
 見た目は幼い美少女でありながら、心身ともに規格外の化け物と表現するのが一番しっくりくるケイスに、砂船トライセルの護衛であり下級探索者でもある魔術師セラ・クライシスは大苦戦を強いられていた。
『拘束』『鈍化』などの足止め目的の妨害魔術を含めた光弾を連射しているのだが、勘が驚異的に良いのか、それとも動体視力が異常なのか、あるいは両方ずば抜けているのだろうか。
 紙一重で交わすくらいならまだかわいい物。
 飛来する弾幕のそれぞれの僅かな速度差や角度を読み切って、隙間をすり抜けるという化け物じみた回避には、薄ら寒さを覚えるほどだ。


「っこの! 射! 射! 射!」


 セラの簡易詠唱と共に構えた魔術杖の先端に埋め込まれた結晶体から、空中のケイスに向かって光弾が飛ぶ。
 簡易詠唱のため操作性は皆無でただまっすぐ進むだけだが、その分消費する魔力と触媒は少なく連射も可能と、小型で素早い生物相手のオーソドックスな術式とやり方だ。
 だがケイスにはそのセオリーが全く通用しない。
 セラが動いて囲むように術を撃ち放ってもヒラヒラと躱し続け、何とか追い込んで逃げ場の無い空中に跳ばせても、軟体生物かと見間違えるほどの柔軟性で空中でその軌道すら変えて、光弾を躱して甲板へと着地してみせるのだ。
 指一本、髪の毛一本にでも光弾が掠りさえすれば、中に含んだ拘束魔術の効果で、魔力生成障害体質故に魔力を持たないケイスを容易く魔術の網に捉える事が出来る。
 直撃などいらない。掠めるだけ。
 だがその安易な条件でも、今のケイスに攻撃を当てれるビジョンがセラには浮かばない
 いくら少ないとはいえ掠りもしない攻撃に用いる触媒に守銭奴なセラは胃の痛さを覚えるが、その手を休める事はできない。
 攻撃を緩めた瞬間、ケイスはこちらの首を一瞬で取りに来る。
 連発する魔術がかろうじて、この常識外の化け物の接近を拒み、距離を保っているとセラの探索者としての勘が警鐘を鳴らし続けていた。
 傍目にはケイスは逃げ回るのが精一杯で一定距離以上セラに近づけていないのだから、普通に考えればセラの方が優勢だと思えるのだが、状況はまるで逆。
 逃げ回るだけのケイスが、一方的に攻撃を続けるセラを追い詰めているようにしかみえないという奇妙な状況になっている。


「こりゃ素じゃ当たらないだろ」


「かもな。でもなかなか良い感じになってるじゃねぇ? ほれ。お嬢の場合、訓練の時は無駄弾を打たないように最低限以上はケチるだろ。今回は牽制もちゃんと使って遠ざけてるし」

 
 当たらず勝ち目がまだ見えてこない焦燥感に煽られるセラとは対照的に、パーティメンバーである兄とその幼なじみは暢気な物で、厨房から持ってきた火酒の丁度良いつまみになる余興程度にしか思っていないのか、野次馬じみた発言をしていた。
 
 
「うっさい! 兄貴とヴィオン!」


 一瞬でも油断すれば負けかねないケイスから目を離さずセラは怒鳴りつつ、その怒りの声すらも詠唱とする。
 魔術とは型があってないような物。
 魔力を己が望む形に形成し、世界を変える理とする。それが魔術の基本にして究極の姿だ。
 怒りの声をトリガーとして紡がれた詠唱が、コインほどの大きさで撃ち放たれる光弾が無数に飛び、最後の一発だけが拳ほどに膨れあがり一直線にケイスに向かって飛ぶ。
 紙一重で避けられ掠らないならば、周囲を覆うようにしたうえに本命の一撃で決める腹づもりだろうか。
 逃げ場所を奪おうと迫る光弾の雨を前にケイスは一瞬足を止める。
 それは時間にすれば刹那の瞬間。
 だがその一瞬で戦闘に特化した頭脳は反応し、光弾に纏わり付く魔術文字と、セラの魔術杖の結晶体に浮かぶ魔法陣を見据え、持ち合わせる魔術知識と過去の経験を照らし合わせ、その真意を見抜く。
 見て、考えて、動く。
 言葉にすれば単純な三つの行動をほぼ同時に超高速で繰り返す事でケイスは、その回避能力を得ている。
 ケイスが即時に選んだのは、その猪突猛進な性格そのままの前に進むというシンプルな物だ。
 倒れ込むような前傾姿勢で高らかに甲板を打ち鳴らしてケイスが光弾の雨に自ら突っ込んだ瞬間、本命と思われていた拳大の光弾がはじけ飛び、無数の光弾に分散する。
 セラの狙い。
 それはおとりの散弾をまき散らした上に、さらにケイスの目前で時間差で拡散した光弾をばらまく事で捉えるという物だった。
 しかしセラの狙いを看破していたケイスは自ら前に突っ込む事で、本命の光弾が拡散する直前におとりであった光弾を蛇のように身をくねらせてすり抜けて包囲網を突破した。


「ちょっ?」


 今のをケイスが回避してくると思わなかったのか、セラが思わず驚愕の声をあげ判断に迷い動きを止めてしまう。
 光弾をすり抜けたケイスとセラの間に障害物は無く距離も僅か15ケーラほど。
 ケイスならば2歩で届く間合い。
 罠や反撃を警戒したのか一直線に進むような真似はせず、不規則に方向を変えながらケイスはセラへと迫る。
 魔術師であるセラも近接防御戦闘スキルを多少は囓っているが、こと近接戦闘においては天才という言葉すらも霞むほどの才覚を持ち合わせるケイスの敵では無い。
 稽古の成り行きを見守っていた誰もがケイスの勝利を確信した瞬間、場違いな気の抜けた高音が響く。
 それはケイスの胃がなった音。
 同時にケイスの動きが極端に遅くなり、床を蹴っていたその足も弱々しくなった。


「このっ!」


 ケイスの動きが鈍くなったのを千載一遇のチャンスと捉えたセラが光弾を撃ち放つ。
 その光弾は陸に上がった魚を捕まえるようにあっさりとケイスに命中し、身体に触れた瞬間、魔力の網となりケイスを捕縛していた。 











「ケイス。お前よく食えるな。それ何食目だ」


 周囲に砂混じりの風を防ぐ結界を張った上に、明かり兼暖房の火球の周りで暖を取りながらパクパクとパンに浸したチーズスープを食べ続けるケイスを見てボイドは呆れ声を上げる。
 あれだけ動いた直後に胃が受け付けるのも変だが、それ以上におかしいのはケイスの食事回数だ。
 ケイスは先ほどから稽古が一本終わるたびに食事休憩を取っているのだが、この3時間だけで両手の指を超える回数を、しかも一回で並の成人男性一食分を平らげている。


「うむ。12食目だ。ミズハの料理は美味いぞ。味がいろいろ変化あるから飽きないな」


 量を指摘した言葉の意味から見当外れな答えを返し、ケイスは嬉しそうに頷く。
 この小さな身体のどこに入るか不思議なのだが、ケイス曰く、食べた分は動いて即座に消化しているとの事。
 闘気による体内活性で消化吸収能力を上げているから、この程度の量ならば食べて5分で一切の無駄なく完全吸収が出来ると言っていたのは、何かの冗談か大げさな表現だろう。
 迷宮には龍を筆頭として常識外の魔獸も無数に存在するが、さすがに喰らった物を短時間で完全消化する無茶苦茶な生物は存在しない。
 するはずが無い。
 常識を破壊されるのを拒む精神衛生上の理由から誰もがそう思っていた。
 特にルディアなどはケイスが乗り込んでから同室で暮らしているが、手洗いに行った形跡が無かった事を思い出していたが、単にトイレが遠いだけだろうと無理矢理納得させていた。


「それよりだ。子グマ。今のセラの戦い方を見たな。弾幕で距離を取らせながら休ませず、私の接近を拒む。実によい戦い方だ。私の体力切れを狙うには最適だ。おかげで思っていたよりも早く体力を消費して勝てなかった。一度くらいは勝てると思ったが私もまだまだだな」


 スープの残りを一気に飲み干したケイスは手についたチーズをもったいなさそうになめながらラクトの方を向き直り、言葉だけを聞くなら素直に負けを認めて謙虚だが、なぜか勝ち誇ったような表情で告げる。
 今日はボイドやヴィオン。
 そしてセラの三人を相手にケイスは模擬戦闘を繰り返して、数日後には決闘を行うラクトの参考になるように自分の戦い方と、その勝ち方を見せていた。
 その結果はケイスの12連敗という一方的な物だ。
 ボイド相手には近接戦闘でのつばぜり合いの果てに、有効打をいれられず体力切れで敗退。
 ヴィオン相手には槍と魔術。近接と遠距離。空中と地上を上手く組合わせる変幻自在な回避をされ体力を消耗し敗退。
 セラに至っては一度も剣戟の距離に近づけず、回避し続けた末の体力切れという散々たる有様。
 どれも途中までは互角以上に進めながらも体力切れで負けるという、そんな負け方をしているのにケイスは何時もの通り傲岸不遜で傍若無人な雰囲気を損なわない。


「お前なんであんだけ負けてて嬉しそうなんだよ」


 勝ち気な目やその言動から負けず嫌いという印象を受けるケイスには似つかわしくない受け答えに、ラクトは油断させるための罠かと疑いたくなりつい尋ねる。
 ここで実力を隠して負けを見せておいて、決闘の際は本気を出すつもりだろうかと。
 

「うむ。ボイド達は下級とは言えど現役探索者だからな。私が策もなしに真正面からぶつかれば、先に体力切れになるのは目に見えているから敗退は当然の予測だ。そして鍛錬とは勝利よりも敗北から多く学ぶ物だと私は教わっている。今の身体状態と全力で動いた際の体力消費を再確認できた上によい勝負が出来て予想通りに負けた。満足して当然だぞ」 


 ケイスは何を当然の事を聞くんだときょとんとした表情を浮かべる。
 その邪気の無い表情を見ればケイスが嘘を言っていないのは一目瞭然。
 全力で戦い、自分の予想通りに負けたのだから、勝敗云々は気にしないという事らしい。


「一つ惜しむなら、ここがもう少し広ければ一対三のより実践的な稽古もできたのだが、さすがに甲板上は狭いし、船を壊しかねないからな。あとは治癒系の神術使いもいればこのような木剣やら妨害魔術だけじゃ無く、剣や攻撃魔術を用いた戦闘訓練が出来て良いのだがな。やはり切り傷ややけどの一つも無いと緊張感が足りんし、死ぬ気で動けない」

 
「それ稽古じゃ無くて実戦だろ」


 一対一でも勝てなかった相手に、逆に一対三での戦いを望む。
 しかもその内容も、稽古とは名ばかりの本物の剣と攻撃魔術を使ったもの。
 外見そのままの無邪気な子供のように食事を楽しんでいた先ほどまでの表情のまま、やたらと物騒な事を言い放つケイスにラクトも引き気味だ。


「謙虚なんだか傲慢なんだかはっきりしなさいよ。あんたはほんとに……あのセラさん。この子おかしいんで。そういうことですからあまり落ち込まずに。その勝ったんですし」


「そうそう。お嬢だけだろ。ケイスの攻撃一度も喰らって無いのは」


 隣に座るうちひしがれ肩をがっくと落として沈黙していたセラの様子にさすがに見かねたルディアが気落ちしないでくれと慰め、その反対隣のヴィオンも軽いながらフォローをいれた。


「簡単に言わないでよ。奥の手まで回避されて最終的には相手のお腹すいたんで勝ちましたって……その上に消費した触媒が塵積で馬鹿にならないし」


「魔術師が触媒を惜しんでどうする。値段の相場は知らんがそう高い物ではあるまい。金銭を気にするよりも私に勝てた名誉を誇れ。それに稽古に付き合ってくれた礼だ。必要ならばここの所、集めていた転血石を分けてやるぞ。子グマの使う魔具を買えば火急の予定も無いしな」


 魔術師として自信喪失しかけているのか、それとも出費にうちひしがれているのか判らないセラの発言にケイスが空気を読まない返答を返す。  
 ラクトに魔具を買い与えるためにここの所、狩りをしていたケイスだが、その目標金額を余裕で上回るほどの成果をすでに二日前に到達している。
 普通ならば特別区に出現するモンスターは最低位で、その肉体や血は金銭的にも物質的にも魔術触媒としても価値は低く、売ってもそれほどの儲けにはならない。
 だがケイスの場合は、極稀に取得できる迷宮モンスターの血に宿る魔力が物質化してできた天然の転血石を大量に集めるという、反則的な結果をたたき出している。
 ケイスがここ数週間で集めた天然転血石は、近年人工転血石の大量加工技術が確立された事で価値は激減しているが、それでも一年は遊んで暮らせるほどの金銭価値はあるだろう。


「ルディアお願いだから。この子にお金の大切さを言い聞かせてよ」
 

 気前が良いを通り越して無頓着な癖に異常な金運を持つケイスが、ここの所の出費で胃が痛いセラには不倶戴天の敵にみえたのか、血涙でもこぼしそうな形相でルディアに迫る。


「一応言ってみますけど…………あんた。もう少しお金は大切にしなさいよ。そのうち苦労するわよ。無いと困るでしょ」
 

 ケイスには常識は通じないのは判っているが、ここまですがりつくように頼まれると元来の世話好きというか人の良さが出るルディアは、ため息をつきつつ一般常識を説く。


「ん。そうか? お金があれば美味しい物が食べられるから好きだ。だが無いなら自分でご飯を狩れば良いから困らんぞ。剣などは困るが狩りのついでに稼げるから特に困った事なんてないな」


 予想通りというかなんと評すべきか、動物的な食欲と戦闘欲しかない発言をケイスは返す。 
 腰まで伸びた黒髪と幼いながらも整った顔立ちも相まって、深窓の令嬢然とした見た目で、中身は野生生物なのだから質が悪い。
 この金銭感覚の無さは、王侯貴族の無頓着さなのか、それとも野生生物の価値観の違いなのか。
 未だ氏素性不明で不審すぎるケイスの過去は多少気になるが、砂船が次の街につくまでの付き合いだと割り切り、肩をすくめたルディアは処置無しと首を横に振り諦めた。
 ここ数週間の付き合いだけで精神的な疲労が膨大なのだから、これ以上は胃と精神が持たないというのがルディアの正直な感想だ。


「なんだ。言いたい事があるなら……ん?」


 何ともらしい発言に呆れたり苦笑を浮かべていた周囲の視線にケイスは不機嫌そうにむっと眉をしかめていたが、不意に何かに気づいたのか立ち上がって、舞い上がった砂に分厚く覆われる漆黒の空を見据えた。


「空気が変わったな。外気の気配だ。出口が近いのか? だが目的地であるカンナビスまであと3日ほど有るんだろ」

 
 スンスンと鼻孔を動かし舳先を見つめたケイスが尋ねる。
 トライセルが進む現在位置は周囲を緩やかな砂山に囲まれ峡谷となった底の部分。
 位置を把握するための灯台の輝きも直接は見えないのに、ケイスは何らかの変化を感じ取ったのだろう。


「それは一昨日の情報だな。ほれ一昨日の夜は風が強かっただろ。あれで山脈級の砂山が一つ消えてな進行予定ルートが大幅に変わっていて、今日の夜には外部に出る予定に繰り上げになってる。今はここら辺だな」


 懐から地図を取り出したヴィオンが甲板の上に広げて、現在位置を指し示す。
 手書きの地図は一晩で地形ががらっと変わるのもザラの砂漠に合わせてか何度も書き直した手書きの修正が加えられていた。
 この航路を見ると大きく迂回していく予定だった部分をほぼ一直線に突き抜けるルートが出来たらしく、かなりの距離と時間を短縮できたようだ。


「うげ。そんな早くなってんの? まじい。ルディア姉ちゃんまだ……」


 地図を見たラクトがなぜか声を上げルディアの方を見たが、振り返った不審げなケイスの視線に気づいて慌てて口を閉じた。
 明らかに怪しげなラクトの言動にその顔とルディアを交互に見てから、しばし考え込んだケイスが嬉しそうに頷く。


「うむ。ルディの協力ならば薬か? ふむいい手だな。剣先に麻痺薬でも良いし、食事に毒を混ぜても良いな。ルディの薬ならば私にもそこそこ効くかもしれないな。格上の者から勝利を得るためにはあらゆる努力を惜しまない。それでこそ私の決闘相手だな」


 普通ならば卑怯だなんだと指摘されそうな手も、ケイスには許容できるらしい。
 むしろ自分の実力を正当に評価してくれているとうれしがっている素振りすらも見える。
 懐が広いと言うべきか、単なる馬鹿なのか。
 どうにも予想外の反応を返し続ける美少女風怪物への返答を思いつく者はこの集団の中には存在しなかった。


















「本当にカンナビスで網を張ってて良いのですか? 見失ったのラズファンと伺っています。常識で考えるなら北リトラセ砂漠を迂回するルートを探した方が良いと思いますいが」


 ほっそりとした弓のような印象を受ける女性は、フードに隠れた相貌で眼下に広がる切り立った崖下に作られたカンナビスの巨大な陸上港を見据える。
 山岳都市カンナビスは迷宮未完『北リトラセ砂漠』迷宮群に隣接する拠点都市の一つだ。 大陸中央部への玄関口でもあるカンナビスは物流と情報の拠点でもあり、砂漠に接して出入りする砂船を迎える港湾部と、吹き込む砂と砂漠から迷い込むモンスターを避ける為に山の中腹部に作られた都市部の上下二層に別れている。 
 その山間の空中でたたずむ女性の背中には巨大なコウモリのような翼が一対姿を見せている。
 魔力を受け僅かに輝く翼が彼女の身体を支え、足元に広がる魔法陣に込められた術式が他者からの認識を阻害し地上からはその姿を隠す。
 彼女は『草』と呼ばれる集団の一人。
 かつてあった暗黒時代にトランド大陸全土に広がった戦線を支えるために情報収集と伝達を行っていた者達の末裔の一人だ。
 先祖達からの使命を受け継ぐ彼女は、カンナビス周辺を根拠地として中級迷宮に挑む中級探索者でありながら、正式には探索者管理協会に属さない隠れ探索者の一人。
 定時通信を行うために人の目など存在しない空へと駆け上がるのは彼女の日課だった。
 普段なら他愛も無い報告と世間話で済ませられる通信も、ここ数ヶ月はある事情から情報量のやり取りが増え、長時間に及んでいる。


『お袋の予想だ。あの馬鹿の事だから基本は自分が決めたルートをいくはずだ。なんか気に食わない事やら巻き込まれたら大きく道を逸れやがるが、ここ数週間じゃあいつが関わったらしき事件は報告に上がってない……外界じゃな。そうなると徒歩でリトラセに突っ込みやがった可能性が強い』 


 上役である男性の声が魔法陣から響く。
 ここ数週間ほど不眠不休で動き回って疲れ切っているのか声には力が無い。
 何せ目下の所、『草』が総力を挙げてその動向を監視している最重要ターゲットが彼らが想定していたルートから姿を消してすでに数週間が経っている。
 敵対勢力にターゲットの存在そのものを気づかれないように極秘裏に捜索中だが、世間的にはまだ幼い年齢や人目を引く外見に合わせて、異常な言動が多い故に悪目立ちしそうなその人物はラズファンの市場を最後に目撃は報告されていなかった。


「他の草からの報告書で知っていましたが、そうまで思い通りにならない御仁のようですね」


『ったく毎回毎回あの馬鹿娘はどうしてこっちの予想をことごとく外しやがるんだ。こっちの動き気づいてるとかならまだいいが、完全無意識だからな。フラフラあちらこちら放浪しやがって。予定上じゃ高速船の一等船室で大人しくしているはずが、持ち金はたいて剣を買ったんで金が無くなったからなんて理由でキャンセルするなんて予想できるか』


 ストレスが溜まっているのか漏れ出した愚痴は実に恨めしい雰囲気を纏う。
 情報収集に特化している彼らの捜索網からさえも、予想外の行動でターゲットが姿を消した回数はすでに両手の指でも余るほどだ。
 どういう経緯かは不明だが、元貴族の仇討ちに付き合って姿をくらましたかと思えば、いつの間にやら国中を巻き込んだ革命騒ぎのど真ん中にいた。
 途中で立ち寄った貧しい山村で家畜を奪う山賊の噂を聞き、一人残らず駆逐するまで一月以上も雪が積もる冬山に潜んでいた。
 報告書には目を疑いたくなる事情や理由が多かったが、この程度なら義侠心に駆られたとまだ理解できなくもないからまだ良い。
 山間で休憩中に釣りをしていたはずのターゲットがなぜか急に激流に飛び込んで姿を消した時の理由が、川魚に飽きて海魚を食べたくなり海まで泳いでいたと書かれた報告書を読んだときは、自分の正気を疑いたくなった。
 一事が万事この調子である。
 気まぐれかつ思うままに動いているその化け物に、心身ともに強靱な者が選ばれる草の幾人もが、精神的に潰されたという噂も、あながち嘘ではあるまい。
 彼女はまだ担当地区が違ったので人ごとだったからよかったが、最初期からその動向を追いかけていて、ターゲットを幼少の頃から知るはずの上司も、精神的には限界に来ているのかもしれない。
 今回も彼らの息が掛かった砂船にターゲットを上手く誘導して、ほぼ成功とまでいっていたはずが、運賃が足り無くなったとキャンセルしたうえにラズファンからも姿を消していたらしい。


『ガキの頃からアレだったが、トランドに渡ってからはさらに輪をかけて突き抜けやがって。個人的には、ほっといても死ぬような玉じゃ無いから、時折確認するだけ良いと思うんだが、あいつの詳しい動向が不明じゃオジキが黙ってないからな。下手すりゃ後先考えず近衛騎士団を動かしかねない。正当な理由も無しで騎士団を動かしたらルクセだけじゃ無くて、世界規模で戦乱を招きかねないってのにあの親ばかは……』


「大陸規模の異常事態。暗黒時代の再来を防ぐのが我らの使命です。そしてあの方はその鍵を握るかも知れない。だからこそ早急にあの方を探す必要があるのでは」


 鬱屈している物が溜まり込んでいたのかしばらく愚痴を続けていた上司だったが、女性の指摘に我に返り、わざとらしい咳払いを一つして話を元に戻す。


『……とにかくだ。あいつは基本的に騒動の中心にいるか、騒動があいつの方によってくる特異体質だ。将来的に英雄になるか魔王になるのか判らないが神に選ばれた者っていうのは伊達じゃ無い。しばらくは出入りする砂船の監視と騒ぎが起きたら最優先で報告を頼む』


「了解しました。情報を集めるようにしておきます。弟たちが数日後には帰ってくる予定ですが、新種のサンドワームと遭遇したようなので、それらしい話も見聞きしたかもしれません。それとなく探っておきます。ではお昼休みがそろそろ終わりますので戻らせていただきます」


 通信を打ち切って足元の魔法陣を纏ったまま彼女は背中の翼を振るわせ一気に降下を始める。
 定時通信を終えれば、また草の名にふさわしく市井へと紛れ込む事になる。
 知人や友人はもちろん、家族にすらもその存在を隠し、ただ今ある大陸の平和を維持するために。
 厳しめだった表情を、柔和な表情に変え意識を切り替える。
 無名の草から柔和な笑顔で老若男女に御好評なミノトス管理協会カンナビス支部受付嬢へと。
 普段の顔に戻ったスオリー・セントスは、今日もお昼ご飯を食べ損ねた事を残念に思いながら、近日中に街に帰ってくる弟と幼なじみ兄妹でも誘って何か食べに行こうかとこの時までは暢気に考えていた。
 迫り来る化け物が纏う嵐にその三人がすでに巻き込まれている事も知らずに。 



[22387] 剣士と受付嬢
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2015/03/06 02:07
「ふむ……すごいな。大陸中央と南部を分ける巨大山脈か。まるで岩の壁だな。辺りに散らばっているのが、かつての大戦時のゴーレムのなれの果てか」


 数週間ぶりの太陽の下、目的地であるカンナビス陸上港を目指して、船体の数倍はある周囲の大岩を避けながら砂船トライセルは進む。 
 大小様々な砂船が集まる賑やかな港の喧噪はすでに聞こえてきているが、乱立する岩を避けて通る低速進行なので、もうしばらく接岸までは時間はかかるだろうか。
 船倉ではファンリア商隊の者達が荷下ろしの準備で大わらわだが、好奇心旺盛なケイスがいると作業の邪魔になりそうなので外に追い出された形だ。
 一応のお目付役としてルディアもついているが、当の本人は目をきらきらと輝かせながら周囲を見て楽しげな表情を覗かせていた。
 ケイスの目に映るのは、雲海まで届きそうなほどに遙か高みまでのびた断崖絶壁と、その前方に広がる砂地に転がる無数の岩だ。
 この地はその昔龍種によって仮初めの命を与えられ絶対防衛兵器として君臨していた山脈ゴーレム群を操っていた魔法陣『カンナビス』の中枢地点である。
 かつて存在した積層型魔法陣が山脈に命を与え、大陸中央部への人種連合軍の進行を阻止し、攻めいった無数の戦士達を駆逐していたと伝えられる。
 攻略手段として中枢である魔法陣の破壊は優先事項とされていたが、その前方に広がる砂幕に覆われ上級モンスターが跋扈するリトラセ砂漠によって大軍を動員する事が出来ず、少数精鋭の特攻隊も、手ぐすね引いて待ち受けていた強力な自己修復能力を持つゴーレムによって幾たびも敗退を余儀なくされ、大陸奪還を目指す戦いは山脈を境として十年近くの停滞したという。


「巨大ゴーレムの残骸がそこらにごろごろって。どんだけ化け物よ。上級探索者ってのは」


 ケイスの横に立って同じように周囲を見渡したルディアはほとほとあきれ顔を見せる。

 よく見れば岩山一つ一つが、腕だったり顔の一部だったりと何かしらのパーツ形状をしている。
 その無数に散らばる形状から推測できる元の大きさは想像するのも馬鹿らしくなるほどだ。
 しかも、それが林のように乱立する所から見て、数十体分、あるいはもっと多くのゴーレム達が闊歩していたのかもしれない。


「ここらのは上級探索者でも別格だ。何せ勇者フォールセンとその御一行が激戦を繰り広げたらしいからな。ほれアレなんぞ。剣の一撃で脳天から真っ二つだとよ」


 その後ろに立っていたボイドが、見張りで凝り固まっていた首をならしながら、真っ二つに別れた顔面岩を指し示す。
 その岩は鏡面のようになめらかなを断面を覗かせている。 
 リトラセ砂漠を強行突破し、数多のゴーレムを葬り、ついにこの地にたどり着き魔法陣を破壊したのは『英雄』と呼ばれたパーティだ。
 そのパーティを率いたリーダは、解放戦線の前線を駆け抜けた勇者と呼ばれし『双剣』フォールセン・シュバイツアー。
 元ルクセライゼン皇位継承者候補であったフォールセンは、その生まれ故に持つ類い希なる膨大な魔力と共に、世界最強とも謳われた剣の使い手としても知られた探索者であった。


「うむ。すごいな。頑張ればあのくらいならいけるがあの大きさはまだ無理だ。もっと精進せねばならないな」


 フォールセンの逸話になぜか我が事のように嬉しそうに頷いたケイスは、その顔面岩から飛び散った小振りの岩を見て、うずうずとしている。
 今すぐにでも腕試し代わりに斬りにいきたくて仕方が無いという所だろうか。
 しかしケイスが見つめている岩も隣の大岩と比べれば遙かに小さいと言っても、小屋ほどの大きさはある。
 努力すればあんな大岩が斬れるのかやら、現状であっちの岩を斬れるのかと様々な突っ込み所がルディアの心に浮かぶが、


「で、もうじき到着するけど。どうするのよあんた」


 ここ数週間で覚えたスルーするという、ケイスへの基本対処方法を選択する。
 大陸を斬るやら、天に瞬く星を斬るとかならともかく、今更この化け物娘の”この”程度の発言に驚いていては精神的に持たない。
 おそらく出来るのだろうし、そのうちやるのだろう。
 実態を知っているので今の発言に納得もしている。
 だがどうしても拭いきれない違和感を覚えてしまうのは、中身とはかけ離れた目の前の深窓の美少女然とした少女の発言というあたりだろうか。


「とりあえずお医者さんにいってちゃんと手を見て貰わないといけないでしょ……治れば良いんだけど」


 ケイスの右手をちゃんとした医者に見せる必要があるとルディアは考えていた。
 本人の証言によればヒビが入っていたところに、何を考えているのか剣頭を思いっきり叩き込んで自ら砕いたとの事。
 ルディアが触診してみたところでも、その見立ては変わらず、中指の一部に至っては原型が止めないほどに粉砕しているようだった。
 はっきり言ってここまでの怪我となると自然治癒力を高める魔力系の施術ではなく、それこそ肉体を元の状態に復活させる神術の領域。
 しかし、肉体再生となると高度の術者と触媒として『一角獣の粉』等、高額な触媒が必要となる。
 ケイスがここしばらく集めていた魔具購入代もそこそこの金額がするが、再生施術費用として考えたのならば桁が後4つは足りないだろう。


「ん。問題無いだろう。魔具の購入やら決闘場所の手配など他にやる事が多いからな。時間があったら怪我を治しに行ってくる。でも放っておいてもルディの薬が良いからそのうち治るぞ」


 下手すれば一生治す事も出来ない怪我を心配するルディアに対して、当の本人であるケイスは軽く答える。
 自分の怪我の状態を把握していないのか、軽く見ているのか。
 それとも何とも謎の多いケイスの事。何とかなる方法でも持っているのでは無いだろうか。 
 自分が心配することも無いのかもしれないと思いつつも、生まれついての面倒見の良さから、ルディアは忠告を続ける。


「だからあたしの薬は痛み止めと化膿止め程度。まずちゃんとお医者さんに見せなさいよ。それにあんたが不調だと、ラクト君に失礼でしょ。あんたが調子が悪いから勝てたって事になるわよ」

 
 恐ろしく頑固というか、自己中心的というか、我が道を行くというべきか。
 兎にも角にも自分の感覚に沿った言葉でなければ、ケイスは自分の意思をそう易々と曲げはしない。
 だからルディアはケイスが好みそうな言い回しで、再度促してみる。 


「ふむ…………ルディの言う事も一理あるな。子グマの準備を優先しようと思っていたが、決闘であるなら私の方もそれ相応の準備をするのが礼儀か。うん。ルディありがとうだ。礼を失するところだった」


 ルディアの言葉にしばし眉を寄せて考えてからケイスは嬉しそうに笑いながらルディアに礼を述べ頭を下げた。
 内容は一切無視するならば、その純粋無垢な笑顔は同性であり年上であるルディアすらも、つい見惚れそうになるほど可愛らしい表情だ。 
 

「あんたは本当に……傍若無人なのか礼儀正しいのかはっきりしなさいよ」

 
 あっさりと承諾したケイスについつい拍子抜けしつつルディアはため息を吐く。
 判りにくい複雑怪奇な思考を持つケイスに対して、ある程度慣れてきたのが、良い事なのか悪い事なのか何とも判断しづらい。 


「むぅ。失礼だな。私は常に礼儀正しく振る舞うように心がけているぞ……私は怪我を治してくる。ではルディ街に着いたら、換金や魔具購入は頼んだぞ」


 眉を顰めたケイスだったがすぐに気を取り直したのか一つ頷いてから、腰に下げていた転血石が入った袋をルディアに投げ渡す。


「あんたそんな大金を他人に気軽にあずけ…………判ったわよやっとく」


 無造作というか無頓着というか、それとも信頼の証なのだろうか。
 一財産になる物を軽く預け渡してくるケイスに、ルディアは苦言を訂そうとするが、言っても無駄と思い諦め頷く。


「あとボイド。ヴィオンの姉が管理協会で働いているそうだな。管理協会が管理する鍛錬場を決闘場として借りられるように頼んでおいてくれ。魔具を使った戦闘となると、周囲に迷惑を及ぼさないちゃんとした場所の方がいいからな」


「あぁそりゃかまわねぇぜ。どうせすぐ後で会うはずだから頼んどいてやるよ」


「うん。ありがとだ……よし二人とも後は任せた。ではいってくる」


 ケイスはボイドに対して頭を下げた後、何故かマントのフードを被り口元の砂よけをあげると、その次の瞬間にはなんの躊躇も無く舳先から外に向かっていきなり飛び降りていた。


「「えっ!?」」


 いきなりの予想外の行動は何時ものこととはいえ毎回驚かされる。
 ルディア達は止める間もなく唖然としていると、大きく迂回しているトライセルを尻目に、圧倒的な速度で直線的に港へと向かっていくケイスの姿がすぐにその眼下に映った。
 走った先からまるで爆発するように砂が派手に吹き飛んでいるのは、闘気を用いた歩法による物だが、目立つことこの上ない。
 船から飛び降りてすさまじい砂煙を上げながら獣のような速度で駈けるケイスの姿を見たのか、周囲にいた小型砂船の船員らが指さしあげるざわめきが聞こえてくる。


「あいつますます早くなったな……それにしても病院の場所とか判ってるのか? っていうか金を持ってるのか」


「…………………はぁ」


 思いたったら即行動。
 多少はケイスの行動に慣れて来たと自分で思っていたが、それが大いなる幻想だと思い知らされたルディアは、ほほを掻いているボイドの問いかけに返事を返さずまた一つ大きなため息をはき出した。 









 カンナビスはその構造上、上層の街区と下層にある港湾区に分けられる。
 その間を行き来するには、大昔に掘られた長い石階段をジグザグと登っていくのが長年の常だったが、昨今の転血炉の普及に伴い、壁沿いに馬車毎乗り込める魔力式大型ゴンドラが複数設置され、利便性が格段によくなっている。
 眼下に広がる巨石の林と大規模な港湾部を見下ろすゴンドラからの光景は圧巻の一言で、最近では観光用として価値も見いだされていた。
 そんな上層から降りてきたゴンドラの一つに、乗客に混じりスオリー・セントスの姿があった。
 魔力生成に長けた魔族であり飛行能力を持つ彼女の場合、自前の翼を使った飛行魔術で上り下りも出来るのだが、ゆったりと降っていくこのノンビリとした感じが好きだったので、下に行くときはもっぱらゴンドラを利用していた。
 下に着いたゴンドラから下りて待合広場へと出たスオリーは、そろそろトライセルが到着するであろう港に足早に向かおうとしたが、


「おう。スオリーちゃんか。どうした下まで来るなんて珍しいな。協会の仕事かい?」


「トーファさん達でしたか。こんにちは」


 声の主はスオリーにはなじみの探索者の一団だ。
 足を止めるとぺこりと頭を下げる。
 表の職業として探索者協会の受付嬢を勤めているスオリーは、その丁寧で迅速な応対から探索者達から好評価を受けている。
 裏の仕事での情報収集にも役立つ事は多いので、現役探索者と顔を広く繋いでおける受付嬢はスオリーにとって重要な仕事だ。


「今日は私事で弟たちの出迎えに。そちらは今お戻りですか」


 砂に汚れたその装備品から見るに、つい今し方、砂漠から戻ってきたばかりという所だろうか。


「始まりの宮後の初潜りだ。リトラセは広範囲でかなり内部が変動していたから、地図屋の俺らはしばらくは忙しくなりそうだ。砂幕内部に新規出現した地区も調べなきゃならんし人手が足りねぇよ」


 生きている迷宮とも呼ばれる永宮未完は、年に二回。始まりの宮と呼ばれる新人探索者達が生まれる時期前後に、迷宮内部で大量発生する迷宮モンスターによって構造を大きく変化させる特性を持つ。
 がらりと姿形を変え新構造となったこの時期は、新しい宝物が発生し、希少種や新種のモンスターも存在し、探索者にとっては稼ぎ時であるが、同時に危険も伴う時期である。
 そんな時期に果敢に内部奥地へと進入してルートやモンスター分布を調べ、その情報を協会や他の探索者へと高値で売りさばく探索者達がいる。
 通称『地図屋』と呼ばれる彼らである。


「ミノトス管理協会カンナビス支部は年中無休24時間いつでも対応していますので、情報は新鮮なうちにいつでもどうぞ」
 

 大きく変動したことで情報価値は高いが、リトラセ砂漠迷宮群のその広さに愚痴をこぼす初老の探索者に、スオリーは営業スマイルを浮かべつつ決まり文句で返す。
 地図屋は彼ら一団だけでは無い。
 他にも複数のパーティが潜っている。
 だから探索を何時終了させ、情報をどの時期で売るかの判断が重要となってくる。
 危険度の低い低位迷宮で小まめに稼ぐか、危険度は跳ね上がるが一気に上位迷宮最深部まで突入して、未踏地域の高値で売れる情報を収集してくるか。
 これら地図屋同士の駆け引きが始まりの宮後に繰り広げられるのは、カンナビスのみならず大陸全土でこの時期毎度の風物詩だ。


「おうよ。夕刻には下級の概略マップを纏めて持っていくから良い値段で頼むよ……っとそうだ。話は変わるが特別区にサンドワームの新種が出たんだってな。そいつの情報ってもうでてるかい?」


「その件ですがうちの弟とボイド君達が乗る船が遭遇したそうです。セラちゃんが報告書を作ってあるそうなので、今夕には一次情報を公開する予定になっています。特別区で一般人への危険度も高いそうなので無償公開となります」


「あぁ、支部長のところのお嬢ちゃんか。あの世代がもういっぱしの探索者か。俺も年を……なんだ? やけに騒がしいな」


 自分の子供よりもさらに若い世代の探索者達が活躍し始めていることに、苦笑を浮かべかけたトーファーは、ざわついた喧噪に気づき音が聞こえてきた港方面に目を向ける。


「…………なさい! 待てといっているだろ! クソ。なんだあいつは! すまん。どいてくれ!」


 行き交う人々のがやがやとざわめく声と、雑踏が割れて大通りをこちらに向かって走りながら何者かを制止する声を上げる警備兵の姿が見えてきた。
 雑多な港湾部ではスリやかっぱらいがたまにあるので、また不審者でも出たのかと思ったのだが、通りにはその警備兵が追いかける人物の姿は見えない。


「……なんでしょう?」


 よく見てみると警備兵や群衆の視線は路上では無く、少し斜め上を見ている事にスオリー達は気づく。 
 その視線の先へと目をやったスオリーは警備兵達が追いかけていた人物に気づき目を丸くする。
 大通りに並ぶ商店の屋根を次々に跳び移って待合広場に向かっている小さな人影があった。
 何とも軽快な動きをするその人物はスオリー達の位置からは逆光でその姿はよく見られなかった。
 一体何が起きたのかよく判らないが、どうやら警備兵達が追いかけているのはこの人物のようだ。
 待合広場に面した商店の屋根まで跳んできたその人物は、最後に大きく跳躍するとひらりと身体をひねって自分を追いかけてきた警備兵達に向き合うように着地した。


「なんだ。さっきから。私は急いでいるんだ。どうかしたのか?」


 降り立った不審人物がフードを脱ぎ砂よけのガードを下げる。
 そこから出て来たのは長い黒髪を無造作に縛った一人の幼さの残る少女だった。
 人目を引く端整な顔立ちと透き通るような白い肌は、深窓の令嬢を思わせる幼いながらも気品と生まれの良さを醸し出す。
 その容姿と息切れ一つしていない様もあって、この少女が先ほどまで屋根を跳び移っていた人物とは信じがたいほどだ。


「……屋根伝いに跳んでたの君か?」


 追いついてきた警備兵達もあまりの違和感に、つい今し方まで追いかけていた少女に疑問系で問いただしていた。
 それはそうだろう。
 少し釣り気味な目や溌剌とした表情から強気で活発な印象を受けるが少女はそれほどに幼く見えるからだ。
 屋根を跳んでいく不審人物がいるからと通報を受けてきてみたのだが、まさか相手がこんな少女だとは夢にもおもわなかったのだろう。


「なにをいっているのだ? 私に決まってるだろ」


 周囲から向けられる奇異の視線を気にもしない少女は問いかけの意味が判らないと首をひねっていた。
 傲岸不遜な物言いには悪びれた様子は一切無い。
 

「あ…………まず一つ尋ねたいんだがお嬢さん。なんで屋根を跳んでいたんだ」


 どうにも調子の狂う相手にペースが乱されるのか、半ば呆然としたまま警備隊長らしき男が一番の疑問を尋ねると、


「ん。私は急用があって急いでいる。しかし通りは人が多いから走りにくいだろ。だから屋根を跳んだ」


「………………」


 さもそれが当然とばかりに胸を張って答える少女に二の句が継げぬ警備兵も絶句する。
 やり取りを見ていた周囲も少女が何を言っているのか判らず、考えあぐねているのか静まりかえる。
 道が混んでいるから屋根をいく。
 常識が有る無いとか以前にまず選択肢に上がってくるのが可笑しい回答だ。
  
 
「それだけか? では私はいく……そこ! 止まれ!」


 話は終わったとばかりにクルリと身を翻そうとした少女がなぜか不意に目つきを鋭くすると、鋭い声を上げながら腰に下げていた短剣を二本左手で抜き取る。


「つっ!? いきなりなにを!」


 つい先ほどまでの惚けた態度は演技だったのか。
街中でいきなり刃物をぬき放った少女に警戒心を思い出し我に返った警備兵達が慌てて剣を引き抜こうとするが、それよりも遙かに早く少女の左手からはナイフが群衆の一角に向かって放たれた。


「ぐっあ!?」


 少女の投げ放ったナイフは群衆をすり抜けると走り去ろうとしていた中年の男の両足に深々と突き刺さった。
 くぐもった悲鳴を上げる男の手からは不釣り合いな女性用の財布がぽとりと落ちる。
 どうやら周囲が少女に気を取られている間に、スリを働こうとしていたようだ。
その動きに気づいた少女が男に向かってナイフを投げたようだが、ナイフの軌道が少しでも逸れていれば別の人物に刺さっていただろう。
 だというのに大勢の群衆に向かって無造作に放ち平然としている少女の得体の知れなさに、先ほどとは違う不気味な静寂が訪れる。


「あぁつ! お、俺の足! 足が!」


 唯一響いているのが深く刺さったナイフにのたうち回る男の呻き声という辺りが、さらに不気味さを演出する。


「そこのご老体。その男が貴方の鞄から財布を抜き取っていたぞ。もう少し気をつけた方が良いな。では私は忙しいからいくぞ。貴様らは警備兵だろ。その不届き者を捉えておけ」

 
 男を一瞥してからやけに偉そうな口調で宣った少女は今度こそクルリと身を翻すと、壁に設置されたゴンドラに向かって駈けだしていく。
 しかしゴンドラは停止したままで、運転員も一連の流れに唖然とし固まっているので動くはずもない。しかし少女の速度は緩まない。
 ゴンドラの前で大きく跳躍したかと思うと、そのまま屋根へと飛び移り、さらには僅かな凹凸を足場にカモシカのような動きでほぼ垂直の壁を蹴り登っていく。
 あっという間に小さくなっていくその姿は確かに見えるのだが、白昼夢か集団幻覚でも見ていたのだろうかと思うほどに現実感が湧かない。


「隊長………今のはいったい?」


「……知るか」


 不審人物という言葉では語り尽くせないほどに奇っ怪な少女を広場にいた全員が見上げる中、大きな羽ばたき音が一つなった。














「ふむ。なかなかに登りやすいな。家に比べてずいぶんと高いがこれなら楽だ」


 岩肌の僅かなくぼみを次々に蹴りつけながらケイスは満足げに頷きながら、絶壁を駆け上がっていく。
 目線は常に上に。次の次の次の次。
 視覚にとらえられる範囲で最短にして最小の力で登れるルートを即断していく。
 日常の些細な行動でも常に考えて動き続けることで、着実に己が力を増していく鍛錬とする。   
 遙か高みを目指すケイスにとって、実家である龍冠の冬場の崖のように凍りついているわけでも無ければ、彷徨った迷宮龍冠のように踏んだ箇所から毒針が飛び出してくるでも無い。
 ただ高いだけならば恰好の練習場所以外の何物でもない。
 ここ数週間のリトラセ砂漠で身につけた、砂の上を疾走する為の闘気の微細な操り方もあって、目が眩むほどの落ちればひとたまりも無い高さでも安定した動きを見せている。
 萎縮する様子は無いケイスは、むしろこのロッククライミングを楽しんでいるようにすら見えるほどだ。
 

「むぅ。しかし今ひとつ物足りん。落石でも起こすか……いや。ダメか。下の人に迷惑だな」


 堅そうな岩肌だが闘気を込めてナイフを投げつければ軽い崩落位は起こせるだろう。
 落石を避けながらの方が鍛錬になるとは思うが、崖下にはゴンドラ施設やら商店が出来ていたはず。
 他人に迷惑をかけてはいけない教え込まれていたケイスは、残念に思いつつも断念する。
 他者から見れば傍若無人で無軌道なケイスだが、あまりの常識外思考と化け物である身体能力を危惧した保護者達に植え付けられたかなり幼稚ながらも良識と呼べる物も存在する。
 ただ問題は、判断基準が一般とかけ離れたうえに、その化け物じみた身体能力も相まって、結果行動は異物とも呼べる化け物となっていることだろう。
 石を落とせないなら、いっその事、足も使わないで上までいこうかと、さらなる鍛錬方法を考えていたケイスだったが、自らを追いかけてくる気配を感じる。
 警備兵に飛行魔術を使える者でもいたのかと思ったケイスは、前方の岩肌を一瞥して頭に叩き込んでから大きく跳び上がると、空中でクルリと身体を回し逆さまになった。
 遙か眼下に広がる港湾区を見下ろし頭から真っ逆さまに落ちていくような体勢だが、ケイスは左手を使って壁に掌打を打ち込み、逆さまのままでさらに壁を登っていく。
 逆さになった視界に大きな黒い翼を背中に羽ばたかせ飛んでくる魔族の女性の姿を捉える。
 空中で目が合った女性は凍りついたような驚愕の表情を浮かべていた。










 壁を駆け上がっていた少女が何者か察した瞬間、スオリーは背の翼へと魔力を通し空へと羽ばたいていた。
 一見は貴族の令嬢然とした美少女。
 しかしその中身は怪物。
 傲岸不遜で傲慢な物言い。
 常識離れした言動。
 人込みで無造作に剣を抜き、易々と操る才。
 間違いない。アレが彼女たちが探していた最重要ターゲット『ケイス』だ。
 崖を蹴り上がって登っていく常識外の行動をする人物が二人といるわけも無い。
 報告書では半信半疑だった情報そのままの少女に内心の驚愕を隠しつつ、スオリーはケイスを追いかけ翼を羽ばたかせる。
 実力を隠すために押さえ込んでいるとはいえ、それでも相当の早さで飛ぶスオリーだが、壁を蹴り上がっていくケイスとの距離は徐々にしか縮まらない。
 足を踏み外して落ちでもしたら、いくら少女といえど命などない。
 あの少女が死亡するような事態になればそれこそ一大事だ。
 最悪の事態を考えいつでも救い出せるように真下から追いかけていたスオリーだったが、その最悪の予想をケイスは軽々と超えた行動へと出る。
 クルリと身体を回したかと思うと、頭を下にした体勢でスオリーの方を見つめてきたのだ。
 逆さまになったケイスは両足を使わず、左手の力のみで先ほどまでと変わらない上昇速度を維持するという離れ業をやってのけていた。
 それどころか……
 

「ん。警備兵ではなさそうだな……ふむ。お前ヴィオンの家族か? 姉がいると聞いていたのだが。お前がスオリー・セントスか?」 
  

 平然と話しかけてきたケイスは、スオリーの全身をまじまじと見て目をぱちぱちと瞬かせてから、スオリーには予想外の問いかけをしてきた。


「はっ!? ……え、えとそうだけど、あのお嬢ちゃん。そんな事より危ないからこっちに来てもらえるかな」


 弟の名前が出てくるのは予想外だったスオリーは一瞬素の表情を浮かべ、ついケイスを名前で呼びそうになって何とか抑える。
 調査対象であるケイスに自分たちの存在を知られてはいけない。
 束縛や拘束を嫌う少女のこと。
 自分達の介入や監視を知れば気分を害して本気で姿を消す恐れもあるからと上司からは厳命されているからだ。
 そうなれば再発見、補足はさらに難しくなる。
 言葉と常識の通じない野生生物を相手にするくらいの距離感と寛容精神でいけというのが上司からのアドバイスだが、仮にも主家にして姪に対する言葉だろうかと思わなくも無い。


「おぉ。やはりそうか。ふむ。ヴィオンやボイドとセラとは一緒の船に乗り合わせていたので話を聞いていたんだ。世話になったぞ。こんな所で会うとは奇妙な縁があるな。私の名はケイスだ。こんな体勢で失礼だが以後よろしく頼む」


 スオリーの心配を全く気にもとめていないのかケイスは華のような笑顔で楽しげに笑い、ちょこんと首を動かした。
 頭を下げたつもりなのだろう。 
 しかし断崖絶壁を逆さまの体勢で登っていく少女に自己紹介をされてまともに返せる人間がいるわけもない。
 まるで街中で会ったかのように平然と挨拶してくるケイスに、返す言葉に詰まり唖然としているスオリーに対して、あくまでケイスはマイペースを貫く。


「お前は管理協会で受付をやっているのだったな。出会ったばかりで悪いが少々頼みがある。知り合いと決闘をすることになったので、魔具を派手に使っても問題無いように管理協会が管理する鍛錬施設を貸してもらいたいんだ。ボイドに頼んで貰うつもりだったが、こうして直接に顔を合わせたのだから、私から頼むのが筋という物だからな」


(無、無理。これを監視して報告しろっての!?)


 出会って数分。
 立て続けの常識外の言動と意味の判らない状況に、大陸規模の諜報組織の一人である草として鍛え上げられたはずのスオリーも、自らの精神がごりごりと削れていく幻聴をその耳に捉えていた。



[22387] 剣士と引き寄せられる因子達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:607064d3
Date: 2015/03/07 00:43
 カンナビス上部市街展望地区。
 山脈中腹に点在する僅かな平地に棚田のように小規模な街区がいくつも作られカンナビス上部市街が形成されている。
 街区同士を結ぶのは、大昔に斜面に掘られた階段や、山をくりぬいて作られた洞窟通路だったり、飛翔騎乗生物であったが、昨今の主流は街区間を結ぶ小型ゴンドラとなっていた。
 上部市街では一番下層に位置し、下部港湾部との貨客運搬を行う大型ゴンドラ乗り場がある展望地区は港湾部にも負けない人込みと熱気で溢れていた。


「カンナビス名物ゴーレム焼き! 焼きたてあつあつだよ!」


「ほい! ゴーレム四肢揚げ糖まぶし揚がったよ! 揚げたていかがっすかっ!」


 斜面に張り出して作られた展望台が名物のゴンドラ広場には、同業者に負けないようにと大声を張り上げる売り子達の声が響き渡る。
 展望台から下方の砂漠を覗いてみれば、遙か上空であるここからもその巨大な骸が転々としている様が見えて、その絶景は今では大陸でも有数の観光スポットとなっている。
 かつて幾千もの探索者達の血肉を貪ったゴーレムといえど、壊れてしまえばただの巨大な岩。
 広がるゴーレムの残骸の顔や腕に見立てた菓子や、壊れる前の姿を模った人形など、恰好の観光資源として再利用している辺りは人の持つたくましさの表れだろうか。
 その露天の中の1つにゴーレム焼きの店がある。
 かつて英雄双剣により真っ二つに割られたゴーレムの顔面を模った型枠で焼いた巨大焼き菓子がこの店の売りだ。
 顔面の右側にはあんこ。左側にはクリーム。
 かつての英雄気分で顔面を2つに割ってお召しあがれというコンセプトの、作るのにちょっとした技術がいる割に、名称に関してはひねりも無いゴーレム焼きを売っていた屋台に野太い声が響く。


「店主。ゴーレム焼きを4つほど包んでもらえるか」

 
 全身鎧を着込んだかのような巨大でゴツゴツとした岩のような肌を持つ老人が、その分厚い手でカウンターに、焼き菓子4個分の料金を差し出した。
 爬虫類のような縦に開いた瞳孔と、イノシシのような巨大な牙。
 外見から見るにこの老人はおそらくは竜人と獣人のハーフだろう。
 大の大人でも思わず後ずさりしそうな厳つい外見だが、カンナビスは観光都市であると同時に迷宮隣接都市。
 探索者たる竜人や獣人、さらには魔族も集まるこの街では、このような風貌や巨大な体躯の主はさほど珍しい物では無い。


「おう先生か! 今日もありがとうよ!」


 汗をかきながら鉄板の前に立つ若い店主も、ここ数日ですっかり常連になった老人に慣れた様子で気軽に挨拶を返し、焼きたての菓子を大人の顔面ほどもある大きな紙袋に詰めて差し出す。
 1つが大の大人の握り拳ほどある大きな焼き菓子が4つも詰まった紙袋はぱんぱんに膨らんでいる。
 だがこの老人が受け取ると紙袋が楽々と掌の中に収まってしまうのだから、その巨体がよく判るだろう。

 
「ふむ。では失礼してまた横で食べさせて貰おう。持って帰ると弟子達が五月蠅いのでな」


 店主に一言断った老人は屋台の横にドカッと腰を下ろすと、早速袋から焼きたての菓子を取り出してモシャモシャと食べ始める。 
 外見に似合わないといえば失礼かもしれないが、この老人は大の甘い物好きらしく、散歩がてら屋台によっては、毎回巨大な焼き菓子を数個は平らげていく最近出来たお得意様だ。


「いいのかい。お偉い先生が毎度毎度道ばたで立ち食いなんぞして」


「構わん。肩書きなんぞいらん物ばかり増えおって、人前でおちおち菓子も食べられん」


 厳つい外見から判りにくいが嘆息をついたのか軽く肩をすくめた老人は、瞬く間に一つ目を平らげると、そそくさと二個目に取りかかる。


「全く……人の格なんぞ美味い食い物の前では意味など無くすというに」


 愚痴をこぼしつつも、満足そうにはき出す呼気は菓子を楽しんでいる証だろう。


「そりゃどうも。いつでも来てくれよ。先生のために焼きたて出してやるさ」


 目立つ外見やら、初来店時にいきなり横で食べ始めた老人の行動がに気になって、屋台を回す傍ら店主の方から、それとなく世間話を振っていた。
 空を見て午後から風が強くなることを予想したり、数口食べただけで店主が仕入れている小麦の種類を当てて見せたりと、豊富な話題と会話の端々にも覗かせる知性が、この老人がただ者では無い事をすぐに店主に悟らせた。 
 さらに話を聞く限りではどこぞのお偉い魔導師らしく、幾人かのお付き兼弟子達もいるそうで、せめてここでは気軽に楽しめるようにとその氏素所を詳しくは聞こうとはしていないが、店主は先生と呼んいた。


「ふむ。ありがたい……ありがたいのだが、実に名残惜しいがそろそろ中央に帰らねばならん」


 何時もならすぐに菓子を食べきる老人が最後の一つを手に取ると、珍しくしげしげと見つめて残念そうな声色で唸った。   
 ゴーレム焼きを見つめる目は、どこか遙か昔を懐かしんでいるかのような色合いを帯びている。


「っと? そうなのかい。そりゃ残念だ」


 良いお得意さんを失う事もだが、それ以上に話し相手として飽きない老人がいなくなることに店主は落胆を覚える。


「しかし先生。そろそろ帰るって事は、やっぱ先生の目当ても最近噂のあれかい? カンナビスゴーレム術式の解析発表とかいうやつ」


「あぁ。心配性な古い知り合いに頼まれてな。何せ物が物だ。下手すればこの地方が滅びるかもしれんと、危険性が無いか調べてこいといわれた」


店主は老人の話と職種から、カンナビスに訪れた目的をある程度推測していたが、どうやら大当たりのようだった。
 ここの所カンナビスで話題になっていたある魔導機具工房の研究がある。
 それは嘘か本当かは判らないが、かつて猛威を振るったカンナビスゴーレム群を人の手で操作可能にするという不可能といわれていた研究で、その術式の極々一部が成功したという話だ。


「……それ大丈夫なのか先生? 下の奴らが動き出したなんて勘弁だわ」


 
 店主は焼いたばかりのゴーレム焼きを見て、わざとらしく大げさに身を震わせる。 
 カンナビスゴーレムのもっとも恐れられた特徴はその巨体では無く、悪夢じみた再生能力増殖能力にあると言われる。
 数十名の上級探索者が総出でようやく一体のゴーレムを打ち倒したが、その砕いた僅かな破片から同レベルのゴーレムが瞬時再生し探索者達が壊滅したというのは、伝説でも無ければお伽噺でも無く、事実としてしっかり記録に残されている。
 しかもそれは一件や二件では無い。
 その巫山戯た再生能力を可能とする術式を開発したのはこの世で最強種族と呼ばれた龍種。しかもその龍達の長だったという。
 龍王の手による物といわれる魔術術式はいくつか伝承として伝えられているが、複雑怪奇で人の手には余るというのが世界の常識だ。
 並大抵の魔力では稼働すらせず、最先端魔導技術論を用いてすら解析の取っ掛かりを掴むのがやっとというほどだ。


「確かに一部を解析したようだが幸いにも解析した技術の一端も一端。よほどのことが無い限り、それこそ龍王の血でも無い限り、あの巫山戯た戦闘力、回復力は発動せんよ」


 在りし日のゴーレムを見たことがあるかのように語る老人に、店主はつい笑いそうになる。

 本当に動き出せば、老人の話も大げさなことでは無く、場合によっては大陸規模の大惨事になりかねないが、ゴーレム達が猛威を振るったのはすでに数百年前。
 今更という話だ。


「先生なら倒せそうだな。いざというときは任せていいかい」


「その場合は致し方ないだろうな。最近は実戦から遠ざかっておるので、あのしつこい奴らをあまり相手にしたくは無いのだがな」


 店主の冗談に対して老人はまたも軽く答える。
 店主本人もそんな事故が起きるわけが無いと思いつつ振ったネタなのだが、思ったよりノリが良いのか老人はしかめっ面で真面目ぶって返した。   
 当時の関係者。中央の探索者協会上層部やら、一部の上級探索者達。
 戦って戦い続けて不老長寿を得た者の中にはその時代の生き残り達も存在する。
 だがさすがにそれほどのお偉いさんが、道ばたで菓子を食いつつ雑談に興じるような事はあり得ないだろうと店主は考えていた。


「そりゃ心強い。安心させて貰った礼だ。先生一つサービスするから、もう一個、食ってくかい?」


 断りがたい店主の誘いにどうした物かと考えあぐねた老人はしばし悩んでから、


「ふむ。ではありがたくいただ……なにか起きたか?」


 最後の一つを平らげようとして大口を開けた老人だったが、広場の違和感に気づき立ち上がる。


「……い! 誰……飛び降りたのか!?」



先ほどまでの雑踏に響いていた楽しげなざわめきとは別の緊迫した声を、獣の血を引く老人の耳は捕らえていた。
 声が響いてきたのは展望台の方で下を見ていた観光客達のようだ。
 彼らはなにやら下の方を指さしざわめきや悲鳴めいた声をあげている。


「待って!? なんか昇って来てない!?」


 その声に気づいた周囲の人々が次々に展望台へと掛けより始めた。
 さらにはゴンドラ乗り場から係員が飛び出てきたかと思うと、のんびりと群衆整理をしていた警備兵達のもとに何かを伝え、散らばっていた警備兵達も急に慌ただしく動きはじめ、展望台へと集まりだす。


「下がってください! 危ないですから下がってください!」


警備兵達は展望台から下を覗こうとしている群衆を離れさせようとしているようだが、野次馬めいた人々が次々に押しかけ四苦八苦している。
 このままでは将棋倒しになって惨事になるかも知れない。


「おいおいまさか事故か!? それともまた飛び降りしようとする奴でも出たか?」


 老人から少し遅れて騒ぎに気づいた店主が、先ほどまでの冗談めいた事故よりも、身近な事故に血相を変える。
 警備兵が事故が無いようにと24時間体制で巡回をし、さらに返しの付いた柵を設け外に出られないようにしてあっても、そこから飛び降り命を絶とうとする馬鹿は年に数人は出現する。
 港と市街地を結ぶゴンドラも常にメンテと検査を行っていても、事故が絶対に起きないとは言い切れない。
 ましてや膨大な荷を積み卸しする大型ゴンドラの老朽化による修繕が近々あるというのがもっぱらの噂だ。
 詳しい事情がわからないまま、不安と混乱だけが周囲で徐々に強まるなか老人は最後の一つを紙袋に押し戻すと、


「あのままでは危ないな。少しいってくる。風よ」


 石畳を蹴った老人は単一詠唱のみで風を纏うと、その超重量級の体を軽々と舞い上がらせた。
 翼無き身による触媒無し、単詠唱による飛翔術。
 魔術を囓ったことが有る者なら、驚愕するだろう超高等技術を軽々と行った老人は、混雑した人込みの上をすり抜けて、群衆を遠ざけようとした警備兵たちの前へと降り立つ。


「皆さん下がってください! 一度に人が集中すると危ないです! ご老体! あなたも下がって」

 
 いきなり降りてきた巨体の老人に警備隊長らしき男性が後ろへと押し返そうとするが、老人はその声を無視して周囲を一瞥する。
 老人の視線が通ったその瞬間、展望台へと駆け寄ろうとしていた群衆達が石化したかのようにピタリと固まった。


「パラライズ!? これだけの数を一瞬で!?」


 視線に魔術を込める桁外れの実力に驚きの声を上げる警備隊長へと、老人はその眼前に右手の人差し指に嵌めたリングを突きつける。
 老人の指に嵌まるリングには、赤、白、緑、青、黄、黒、そして紫の7色の線が走り、さらに同系色の貴石が嵌まっていた。
 そのリングをつぶさに見た警備隊長の顔は驚愕に染まり、麻痺したかのように固まる。
 リングこそ探索者の証し。
 そして七色の線が走り貴石を備えるまで成長したリングを持つ者こそ最高峰の探索者、上級探索者に他ならない。


「上級探索者コオウゼルグだ。何が起きた」


「り、竜獣翁!? ……し、失礼いたしました!」 


 最上位敬礼する隊長の叫びに周りの警備兵達も老人の正体に気づき、慌てて隊長に倣い、一斉に敬礼を捧げる。
 竜獣翁コオウゼルグ。
 探索者管理協会魔導技術部門の最高顧問であり、その功績と実績において世界でも最高位に属する探索者を前にして、緊張した面持ちの警備兵達を前に、
 

「敬礼はいらん。何が起きた」


 こういう反応が煩わしいから、この街の探索者協会の者ですら一部しか来訪を知らさせずにいたというのに。
 気儘なお忍び旅もこれで終了かと諦め半分の苛立ちを込めながら、この騒ぎの元凶をコオウゼルグは問う。
   

「は、はい! 下の警備兵から緊急連絡で少女が一人跳び上がってくると連絡がありました! 展望台の観光客がその少女を発見しこの騒ぎが!」


 苛立ちが篭もっているせいか唸るような声を上げたコオウゼルグを前に、緊張感か恐怖か判らないが身震いしながら警備隊長は返答を返す。
 だがコオウゼルグには警備隊長のいっている意味が理解できない。


「……跳び上がってくる? 飛び降りたの間違いでは」


 緊張から言い間違えたのでは無いだろうかと、再度確認しようとしたコオウゼルグだったが、その獣の嗅覚が、どこか懐かしくありながら未知の臭いを捉える。
 次の瞬間。コオウゼルグ達が立つ展望台へと崖の下から何かがひらりと舞い上がってきた。










「おぉ! 昇ってくるとき見ていたときも絶景だと思ったが上から見るとまた違うな!」


 展望台にいた者達から見て謎物体ことケイスは喜色に満ちた声で感嘆の声を上げると、クルリと一回転して細い柵の上にひらりと降り立ち、遥か彼方までを見渡す。


「ふむ。やはり世界は広いな! ここは気に入ったぞ! スオリー。早くこい! すごいぞ!」


 昇って来たときは真下ばかりを見ていたが、こうやって広い所から見渡すとさらにまた格別。
 いきなりの登場に唖然とする広場の警備兵や群衆。いぶかしげに眉を顰めるコオウゼルグの視線を気にとめることも無く、周囲の絶景を見渡したケイスはうんうんと偉そうに頷いている。
 周りから向けられる視線には、景色に気をとられて気づいていないのか、それとも気づいているが気にしていないのか、微妙な興奮具合だ。


「わ、私はみ、見なれてま…………うっ!」


 ケイスに僅かに遅れて上がってきたスオリーは、気疲れから来る疲労に荒い息を吐いていたが、広場の異常な状況に気づき固まる。
 この場にいる数千の視線がケイスへと集中している。
 どう考えてもケイスが原因で起きたと一目で判るような状況だが、当の本人は気にもしていないのだから恐ろしい。


「ふむ。こんなに景色が良いのなら、ルディも一緒に連れてくればよかったな。喜んでもらえたのに失敗だったな………………むぅ。少しお腹すいた」


 崖を蹴りあがって登るのに付き合え。
 ルディアが聞いたら全力で拒否しそうなことを、心底残念がってみせたケイスだったが、ここまでの垂直移動で小腹が空いたことを訴える腹の音に気づき、広場の方へと振り返る。
 何千もの視線がケイスに向けられているが、ケイスは物怖じした様子も無く広場の人々を観察する。


「ん。美味しそうな香りだな」


 最後に近くにいたコオウゼルグへと視線を移して、その前にすたっと降り立つ。


「……ご老体。少しお腹が空いた。荷物持ちでも手伝うから、その御菓子を分けてくれないか」
 

 コオウゼルグの持つ紙袋の文字を見たケイスは思わず目を奪われそうになるほど天真爛漫な笑顔で、非情に厚かましい頼み事を臆面も無く宣っていた。
 その一方でコオウゼルグの顔を知っていたスオリーは顔面を蒼白に染める。
 不味い。非常に不味い。
 この二人の顔合わせは実に不味い。
 ケイスの方はともかくとして、コオウゼルグはケイスの正体に気づく恐れが極めて強い。
 その正体を確かめようと下手に動かれれば、事が露見しかねない。


「あぁぁっっ! ケ、ケイスさ、さん! ダメ! その方ダメ! お腹が空いたなら私が出しますから!」


「いいのか? うん。ありがとうだ」 


「み、皆さん! 失礼しました!」


 スオリーは脱力し掛かった身体に力を入れて、もう一度羽に魔力を通すとケイスを抱きしめそのままより上の街区へと一目散に退散を開始した。
 あっという間の出来事に誰もが反応できず、


「……今の白昼夢か? さすがにこの崖をあんな小さな子が上がってくるわけ無いよな」


「アレ協会のスオリーちゃんだろ? 担いできたとかか?」


 現実感が無い登場と言動、さらに夢幻のように消え去ったケイスとスオリーに誰もが呆然とする中、


「…………あの娘。まさか龍か」


 『竜獣翁』の二つ名をもつコオウゼルグは、その名が表す通り竜人の魔力と獣人の体躯を持つ希代賢者として知られる伝説の探索者の一人。
このカンナビスにおいて数多のゴーレムを打ち砕いたフォールセンパーティーの一人にしてかつての暗黒時代を終わらせた英雄コオウゼルグの重い響きを持った呟きが小さく響いた。











 迷宮より帰還した探索者達は、その成果に大小はあれど迷宮からのアイテムを持ち帰ってくる。
 それは迷宮『永宮未完』内でにしか生育しない植物、組成されない化合鉱物物であったり、迷宮モンスターの魔力を含んだ血肉。
 物によっては小国を買えるほどの価値を神々の刻印を持つ名品『宝物』等々。
 稀少、高額、極めて危険な物質などは、探索者達からミノトス管理協会支部が主導して、競売や、武器防具への加工などの各種管理、記録を行うが、大抵の迷宮産アイテムは管理協会から認可を受けた個人商や大店が取り扱っている。
 モンスターがその血に宿す魔力が結晶化した転血石なども、下級モンスタークラスの物は粉砕処理された粉末が、一魔力動力のランプやオーブンなど家庭用マジックアイテムの燃料としても、一般的に流通している。
 だからケイスが集めた転血石も、稀少な天然物とはいえ所詮は下級モンスターの転血石。
 港湾近くに店を開くボイド達が行きつけの、物から情報まで手広く扱う探索者ご用達の買い取り屋なら、短時間で鑑定して簡単に換金が……出来るはずだった。
 40代ほどの店主は、ルディアから受け取った転血石の袋から一つを取り出して鑑定し始めたかと思うと、すぐに顔色を変えて店の奥に引っ込んで、検査用魔具を片手に詳細な鑑定を始めていた。 
 店主が何を調べているのかは専門外のルディアや、探索者であるが魔具には疎い戦士系であるボイドには判らないが、やたらと熱心だ。
 普通ならば、店主の行動に何事かと興味や好奇心を惹かれるだろう。
 しかし存在自体が非常識なケイス絡みの事案に、ここ数週間で幸か不幸かある程度は適応してしまっていた二人は、特に慌てるでも興味を引かれるでも無く、店主の鑑定が終わるのを、ただ待っていた。
 どうせ後で驚かされるなら、一度で十分だという、ある意味で諦めの境地と言えば良いのだろうか。 


「なんか広場の方がやたらと騒がしいんですけど、ここって、いつもこんな感じですか?」


 店前に申し訳程度に設けられた日よけパラソル下のベンチに腰掛けたルディアは、通りを行き交う人々のざわめき声やら、ばたばたと駆け回る警備兵を眺めながら、ある程度予測はついていながらも一応確認で尋ねる。


「いつも活気はあるが、そういう雰囲気じゃないな。なんか騒動を起こしたんだろ。ケイスの奴が」


 黒髪娘。

 スリが刺された。

 ゴンドラの運航が停止。

 崖を蹴り上がっていった。

 集団麻痺。

 行き交う噂の断片を聞き流しつつ、通りを行き交う人込みの中で誰かを探しているボイドがルディアがあえて除外していた答えを断言する。
 遠慮や周囲の空気を読むやら、常識という概念を全く持たない美少女風怪奇生物なケイスが、ルディア達から先行してカンナビスに上陸してからすでに小一時間以上。
 大小様々な騒動をダース単位で起こしていても不思議ではないだろう。


「…………良い天気ですね」


 ボイドの断言に無言の同意を返しつつ、ルディアは現実逃避気味に空を見上げる。 
 天空高くで燦々と輝く太陽の強烈な日差しが、切り立った岩肌の照り返しでさらに増幅され、ただでさえ暑い砂漠の気温をさらに上げている。
 雪国育ちのルディアには正直堪える暑さだが、実に一月振り近くの太陽の日差しともなるとそこまで不快では無かった。
 しかし何時終わるともしれない鑑定待ちのこの時間を日光浴に当てるには、さすがに砂漠にほとりにあるこの街の日差しは強すぎる。


「そういえばボイドさんは良いんですか? 協会支部に行かなくて」


 ボイドは店への案内と紹介のためにルディアに同行してくれていたが、ボイドの妹であるセラやヴィオンといった他の護衛探索者達はカンナビス支部へと新型サンドワームの詳細報告書や証言をするために提出に一足先に上部の街区へと上がっていた。
 パーティリーダーであるボイドもすぐにその後を追うかと思っていたのだが、店の壁により掛かって鑑定が終わるのを待っていた。


「俺は動いている所はほとんど見てないから、特に報告することもねぇからな。ゴンドラも停止してるみたいで、一々階段を登るのも面倒だからかまわねぇよ」


 サンドワーム戦の際、ケイスのとばっちりで麻痺状態になっていたボイドは、刃を交えるどころか動いている姿もほとんど見ていない。
 証言できることなんぞほとんど無いのに一々時間をとられるのも面倒だと肩をすくめて、またも通りへと目をやり行き交う人々を視線で追う。


「まぁ、それに下で待ち合わせしてたヴィオンの姉貴と行き違いになりそうだしな……なにやってんだスオリーの奴は。ケイスからの頼まれ事をとっとと終わらせたいってのによ」
 

 何時もは頼んでもいないのに出迎えに来る幼なじみが、待ち合わせをしていた今日に限って姿を見せなかった事に、ボイドはどうにも嫌な予感を覚える。
 何せ今カンナビスには特大級の嵐が絶賛来襲中。
 面倒なことに巻き込まれていなければ良いんだがと、ボイドが気をもんでいると、


「終わったぞ……姉ちゃん。あんた冗談抜きでこれをリトラセ砂漠の特別区で手に入れたのか?」


 妙に疲れた顔でのっそと出てきた店主が転血石の入った小袋を片手に下げながら、やけに血走った目でルディアに尋ねる。


「あたしが手に入れたんじゃ無くて、知り合いがリトラセ砂漠を越える間に狩ったモンスターから回収した品ですよ。ボイドさんやらセラさんも証言可能です」 


半信半疑を通り越して、明らかに疑いの目線を向ける店主に、ルディアは落ち着いて事実のみを淡々と告げる。
 元々無茶な話なのだ。
 天然物の転血石なぞモンスターを100匹以上も狩って、一つ出てくれば運が良いといえる代物。
 ケイスがやって見せたように、狩ったモンスターのほとんどから出てくるなんてのは、質の悪い冗談でしかない。
 未だ疑いの目を向けていた店主だったが、次に視線を向けたボイドが無言で頷きルディアの弁を肯定すると大きく息を吐くと、懐からくしゃくしゃになった煙草を取り出すと火をつけた。


「マジか……ボイド。お前らが乗った船がリトラセで停泊して狩りした場所を教えろ。高値で売れるぞ。っていうか俺にその情報を売れ」


 一息吸って精神的に落ち着いたのか店主が煙を噴かせながら、至極真面目な顔で取引を持ちかける。

 
「あぁ? どういうことだ」


「どでかいお宝が眠ってるかもしれねえって事だ。お前ら天然物の転血石がどうして出来るは判るか?」 


 他の奴に聞かれると困るとばかりに店主は周囲をきょろきょろと見て、聞き耳を立てている者がいないかを確認してから、少し声を潜めて尋ねる。


「モンスターの血液中の魔力濃度が高くなって徐々に凝縮結晶化していく……でしたっけ」


 別に後ろめたいことは無いが店主に釣られルディアもつい小声で返す。
 迷宮モンスターは大小の差はあれどどれもがその血液、体液に魔力を宿す。普段は血液中に溶け込んでいる魔力だが、魔力濃度が高くなると砂粒のように固体化する性質を持つ。
 それら血液中の粒子は通常なら、濃度が低下すればまた血に溶けるのだが、中には結晶化して安定する粒子もある。
 その結晶化した粒子が徐々に集まり目に見える大きさになった物が転血石と呼ばれている。
 昨今の主流である人工転血石もこの性質を利用し、大量の単一種迷宮モンスターの血を集め濃縮することで、人工的に高濃度状態へと変化させ、さらに術を用いて強制的に結晶化させることで大量に作り出している。


「正解だ。体内魔力濃度ってのはいろいろな要因で変わる。周囲の環境や状況、そして餌だ。一番手っ取り早いのは食いもんだ。高魔力を持つ肉やら植物を喰らえば、モンスター共の魔力濃度が急激に上がる。限界点を超えた魔力が飽和状態になると結晶化して転血石になる……でだ、この転血石の含有魔力を鑑定してみた結果だが、こいつら龍を食ってやがる」 


 龍。
 それは迷宮に住まう生命体、もっといってしまえばこの世の生物の頂点で君臨する種族。
 小島ほどの巨体に、街を消し飛ばすほどの獄炎を吐き、天候すら変える強大な魔力を有し、巨人の攻撃すらもその鱗で易々とはじき返す。
 数少ない上級探索者でもさらに一握りの者しか抗えない暴君。それが龍だ。


「この数の転血石が一斉に発生するなんぞまずあり得ない。しかも龍由来だ。普通に考えればお前らが狩りした近くに龍の死骸があるって事だろ。血、肉が残ってれば最高だが、骨だけでも一財産に……どうしたお前ら妙な顔して」


 龍の血や肉は薬や魔術触媒の材料として最高級品になり、骨も武具や魔具としてどれだけ高値でも引き取り手が数多な素材。
龍を倒してその血肉を手に入れるのは無理難題だが、その死骸が手に入るかもしれない美味しい儲け話だというのに、ルディア達二人の反応が妙に薄いというか微妙な表情をしている事に店主は気づく。


「あー。おっちゃん興奮してる所悪い。言ってなかったが、その転血石、リトラセを移動中に砂漠で適当に引き連れてきた獲物から出てきた。場所も日時も出てきた生物もばらばらだ。どこかなんて特定なんて無理だぞ。なぁルディア」


「え、えぇ。なんかその子は特別な方法があるとか言ってて、実際に適当に狩った獲物の大半からぽろぽろ出てました……嘘みたいですけど本当です」


「ぼろぼろっておい。いくらなんでもそんなこ…………」


 二人が儲け話を隠そうとごまかしているかと疑いかけた店主だが、答えたルディアの乾いた笑いに嘘はついていないと感じ、一度落ち着く為に煙草を一吸いして煙を吐く。
 この転血石が龍由来である事は間違いない。しかし狩った日時も場所もばらばら。
 龍という災厄そのものに関した奇妙な品。
 何となく掌の石に不気味な物を感じた店主は、


「しかしそうするとこりゃどういう事だ。特別な方法って龍の血でも撒き餌に使いましたとかか? 龍の生血なんぞ使ったら、そっちの方がこの石より高く……なっち……まう……」


「あの子なら」

「ケイスなら」


「「やりかねない」」

 
 店主の下手な冗談に対して二人が呆れと諦め混じりの表情で同じ言葉を発し、うっすらと寒い悪寒を余計に感じる羽目になった。















 砂船トラクの船倉から続々と降ろされる荷箱。
 ファンリアキャラバンの商人達はカンナビスで納品する品と、この先の道すがらで売りさばいていく商品と箱書きを確認し仕分けながら、借り受けた馬車に積み替えていく。
 当初の予定ではカンナビスで五日ほど宿泊し、その間にカンナビスでの商取引やこの先の水、食料の仕入れに当てる事になっていたが、いろいろとトラブルは会った物の結果的に旅程が二日ほど縮まっていたのは幸運だったといえるだろうか。。
 割高になる街での宿泊代を考えるならば、予定が早まった分、出立も繰り上げれば良いのだろうが、そうもいかない事情がある。
 現在の護衛役であるボイド達は、リトラセ砂漠周辺を拠点とする護衛ギルド所属でカンナビスまでの契約。
 ここから先は大陸中央山脈地帯を専門とする別の護衛ギルドの探索者達と交代する手はずになっているが、その彼らは別キャラバンの護衛として大陸中央からカンナビスへと向かっている途中。
 結局当初の予定通りの日付でカンナビスを出立する計画となっていた。

 
「ラクト! そっちの荷物、次に降ろすぞ。隣の小さいのが邪魔かもしれねぇが、皮防具用の補助プレート類が入っていて見た目より重いから二人がかりで」


 積み下ろしをする商人達の中には無論マークス親子の姿もある。
 武器屋である彼らが扱う商品はこの炎天下でも劣化や腐る心配などは無いが、長柄武具などのかさばったり、金属鎧のような重量がある物も多く一苦労だ。


「問題ねぇよ親父。このくらいなら一人で持てるから。先に降ろすぞ」


 父親からの忠告に対して、ラクトは補強用金属プレートがぎっしりと詰まった小箱を軽々と持ち上げて答えてみせる。
 大人二人がかりでも相当苦労する重さがあるはずなのに、ラクトは涼しげな顔だ。


「それ中身が違ったか? 何が入ってるんだ」


「補助プレートであってる……闘気使った身体強化っての使ってるから持ち上げられてるだけだっての」


 疑問符を浮かべる父親に対して、ラクトは何故か渋面を浮かべ不機嫌そうに答える。


「あぁ、それか。気持ちは判らなくもないが……まぁ役に立ってるんだから少しはケイスに感謝しろよ」


「わーってるよ! それよか親父くっちゃべってないでとっとと降ろすぞ。この後ルディア姉ちゃんらと合流しなきゃならねぇんだからよ」


 より不機嫌になって荒々しく会話を打ち切って荷物を移し始めた息子に対して、マークスは額の汗を拭いながらどうしたものかと頬をかく。
 今現在遣っている闘気変換法はケイス直伝。
 極々少量の生命力を必要最小限で闘気変換し、長時間の肉体強化を行うコツと一緒に教わった物だ。
 普通なら便利な技術をこんな短期間で教わったのだから感謝するような事だろうが、何せその相手はケイス。
 しかもその教え方は、ラクトが躱せるくらいのスピードで剣で切りつけるから、躱し続けろ。
 死ぬ気で避けてればそのうち嫌でも覚えると。
 文字通り身体に叩き込む、実に物騒なことこの上ない練習方法だった。
 ケイス曰く『実戦形式が一番身につく』との事だが、そこらのモンスターすらも震え上がらせる事が出来る美少女風化け物に抜き身の刃で追いかけ回された恐怖は、ラクトが連日悪夢としてうなされるほどのトラウマとなっていた。 
 そこまで苦手意識を持ってしまったのだから、決闘なんぞしなければ良いんじゃないかというのがマークスの正直な気持ちだ。
 元々は極めて判りづらいケイスの物言いが原因の誤解なのだから、その誤解が解けた以上、無理してやる必要はないんじゃないかというのが、マークスも含めた周囲の考えだが、しかし当の両人は違う。
 何を考えているのか常人には理解不能なケイスは仕方ないにしても、ラクトが意地になっているのが少し気に掛かる。
 小生意気という言葉が裸足で逃げ出すほど、傲慢かつ傲岸不遜を地でいく年下の少女に、あの世代の男子が反感を覚えるのは仕方ないのかもしれないが、それにしても少しばかり度が過ぎているような気もしないでもない。
 まるでアレはケイスの存在そのものが許せな……

 
「だからサボるなよ親父! 年で動けないなら横に行ってろよ邪魔だから!」


「んだとこのガキ! 誰が年だ! 誰が!」


 ケイスに対する息子の態度に少しばかり違和感を感じていたマークスだが、その考えが正解にたどり着く遙か前に、思考の中断を余儀なくされていた。













秘匿されるべきケイスの存在が竜獣翁コオウゼルグに露呈する前に、ケイスを抱え脱兎のごとく逃げ出したスオリーは、カンナビス最上部の市政庁施設が立ち並びもっとも治安の良いベント街区へと退避していた。
 空腹を訴えるケイスを連れて行くならば、ここまで上がらずとも飲食店が建ち並ぶ地区や通りがいくらでもあるのだが、そういった人通りの多い所は、下の港ほどではないがスリやかっぱらいなども時折出没する。
 先ほどスオリーも実際に目の当たりにしたが、ケイスはその様な輩を見かけた場合、なんの躊躇もためらいもなく実力行使に出る。
 その過激な思考と戦闘能力から考えれば、その程度の軽犯罪ですら、自分が気に食わなければ人死を出しかねない。
 これ以上の騒ぎを避けたいスオリーとしては、治安の良いベント街区を選ぶのは必然といえた。
 ただそれでもスオリーの不安は消えない。
 ありとあらゆるトラブルを引きつけ、引き起こし、その全てを力ずくで叩き切り、ねじ伏せる。
 

「ケイスさん。お願いだからここ動かないで。ちょろちょろすると”危ないから”……・そこのお店ですぐお菓子でも買ってくるから。絶対に動かないでね」


 ケイスの旅路を報告書で知るからこそ、ケイスに関しては何が起きても不思議ではないので、そこから動かないでくれと何度も念を押す。 


「ん。心配するな。お腹が空いているから、あまり動く気は無いぞ」


 だが当の本人はそんなスオリーの心配など気づく様子もなく、鷹揚に頷くと建物の壁に背を預け、通りを行き交う人々を眺め始めた。
 きょろきょろと周りを見るこの姿だけを見ればどこかの田舎から出てきた純朴な少女といった感じだが、その中身を知るスオリーは気が気ではない。
何せ相手は、己のルールで生きる野生の猛獣のような存在だ。


「ふむ。心配してくれるのはありがたいが大丈夫だぞ。私に危害を加えようとする輩がいれば、ちゃんと斬るから心配するな」


「す、すぐ買ってきますから大人しくしててください」


 冗談なのか、それとも本気なのか。
 どちらともいえない真面目な顔つきで頷くケイスの物騒な言動に、スオリーは満腹時なら少しは大らかで大人しくなるという情報を思い出し、慌て気味に贈答用の菓子を売っている店内へと走っていった。









「良い人だな。しかし心配性が過ぎるな。私をどうこうできる者などそうはいな……くもないな。うー」


 お腹を空かせている自分の為に急いで買いに行ってくれたのだろう。
 ずいぶんと身勝手な想像をしながらケイスは頷きかけた所で、カンナビスについてから目に止めた人々を思い出して、少しだけ不機嫌な表情になる。
 その幼少時から大半を迷宮龍冠で過ごしたケイスにとって、周囲がいきなり敵地に変わるなど日常茶飯事。
 常に周囲の生物を見定め、どうすれば勝てるかという警戒が意識の片隅に常駐している。
 その勘に従えば、カンナビスにはケイスよりも純粋な実力で上回る探索者は、ここまでの道すがら見ただけでもごろごろといた。
 安全な街中で警戒が薄れているのか、不意を突けば勝てるか、五分と五分の勝負に持ち込める者も多いが、逆立ちしても勝てそうにない実力者もすでに数十人はいただろうか。
 特に展望台で出会った竜人らしき老人は別格。
 何者かは知らないが、よほど名のある探索者だろう…… 


「ふむ。菓子をねだるより、手合わせを求めて斬りかかるべきだったか? ……そういえば今日はまだ何も斬っていないな」


 他人が聞いたら正気を疑いたくなる独り言をつぶやいたケイスは、お腹が空いていると鍛錬より食欲を優先してしまう自分の行動を反省しつつも、今朝起きてからは到着直前だった為に食堂の仕込み手伝いもなく、モンスター狩りもしていない事を思い出す。
 急に物足りなさを感じたケイスは、眉間に皺を寄せる。
 

「むぅ……・先ほどは急いでいたから投げたが、斬った方が良かったか?」


 先ほどのスリに対して横着してナイフを投げないで、斬っておけば良かったかと悩む。投擲術は嫌いではないが、やはり手応えというか斬りごたえという点では物足らない。
 しかし例え犯罪者でも、街中で人を斬ると、警備兵やらがいろいろ五月蠅いという事は最近は学習したし、あの程度の相手ならば無力化するだけならあれで十分なのも確か。
 面白い物が多くて美味しいご飯が多い街中は好きだが、街事に微妙に違ういろいろな規則が少し煩わしい。
 モンスターのように戦闘欲と食欲を両方を満たせる存在が跳梁跋扈している外は気楽で良いが、甘い物がなく、気軽に温かい風呂にも入れない。


「……くんな! あーいい加減しつこい!」


「だ…阿呆! お前が……逃げてかっらだ! 体力ねぇ時に走らせんな!」

 
 一長一短な状況に何か良い手は無い物かと考えていたケイスだが、その鋭すぎる聴覚がなにやら言い合う声を捉え、そちらへと目を向けた。
 ケイスがそちらへと目をやるとなにやらすごい勢いで駈けてくる一組の男女の姿が見えた。
 前を走るのは栗色のショートカットでぱりっとした作業衣を纏いモノクルを付けたどこかの技術者風の二十代前半くらいの若い女性だ。
 その女性を追いかけているのは、何時洗ったのか判らない薄汚れた白衣を着込んだやけに痩せこけた頬と、ぎらぎらとした目つきが特徴なぼさぼさ髪の男だ。
 男は女性に何とか追いつこうとしているようだが、ふだんから運動不足なのか息は絶え絶えで足元もふらついていた。


「助けて変質者に追われてます!!!」


「人聞きわるいこというな! 良いからこれ見ろ! 絶対無理だっつってんだろ!」


「あー! あー! きこえないっ! きこえないっ!!!!」


 男は右手に鷲づかみにした紙束を女性に読ませようとしているようだが、女性の方は心底嫌がっているのか、両耳を押さえながら大声を出して男性の呼びかけを拒否していた。
 なにやら訳ありの二人に関わり合いになりたくないのか、通りを行き交う人々は迷惑顔を浮かべながら避けている。

 
「ストーカーという輩か。どこの大陸でも変わらんな」


 女性を追いかける男の姿に、お気に入りの小間使いに強引に言い寄っていた騎士を思い出しケイスは気分を悪くする。 
  嫌な記憶を思い出させた男が気に食わないし、斬ってしまおうかと考えたケイスは懐に左手を入れたが、


『世の中には女性にしつこく言い寄る殿方も多いですが、恋心が拗れただけで悪気はないんです。だから今度からは”斬ったり”、”ばらばらにしたり”、”踏み砕いたり”……とにかく殺そうとしないでください。もし同じ場面に出会ったらすぐに私か、他の誰でも良いから呼んでください』


 涙目で説教をしてきた従姉妹でもある侍女の顔を思い出し、左手を無手のまま引き抜く。
 何故怒られたのか今でも理解できない。
 しかも助けてやったはずの小間使いがケイスを見るとがたがたと震え錯乱するようになり、いつの間にかいなくなってしまっていたのは、ケイスにとっては嫌な記憶だ。
 しかし嫌な記憶を思いだしたからといっても、自分が気に食わないことを見過ごすのはケイスの流儀でない。 
 ケイスの目の前をバタバタと女性が大声で叫きながら通り過ぎる。
 続いてその後を追いかけていた男が目の前に来た瞬間、ケイスはゆらりと左手を突き出した。















「ん……ふむ。美味しいなメープル味か……ん。これ好きだぞ。スオリー礼を言うぞ。ありがとうだ」


 怪我をした右手で胸に抱えるようにした袋から、左手で取り出した熱々の焼き菓子に満面の笑顔でかぶりついたケイスは一口ほおばって嚥下すると、目をキラキラと輝かせ、焼き菓子を奢ってくれたスオリーに深々と頭を下げる。
 幼いながらに人目を引く美貌に無邪気な笑顔。
 今のケイスの姿はまるで絵画の中から抜け出してきた無垢な天使のように見えるだろう。


「おいこらガキ…………人を踏んどいて食事とは良い身分だな」


 ……その足元に腹を踏まれ身動き一つ出来ない男がどこか達観した表情で転がっていなければだが。


「え、えぇそれは良いんだけど……ケイスさん……その足元の人って」


 引き気味の表情でスオリーは尋ねる。
 腹を空かせたケイスに与える為に、焼き菓子を買う為に目を離したのはほんの1分ほど。
 たったそれだけの時間なのに店から出て戻ってくると、すでにトラブルを引き起こした後だった。
 何が起きて、何故こうなったのか理解不能な状況にスオリーは頭がくらくらしてくる。
 遠巻きで見ている見物人達がなにやらひそひそ言い合い、矢鱈と注目を集めてしまっているが、ケイスは平然としている。


「嫌がる女性に付きまとっていたから留めただけだ……ん。こっちはハニークリーム味か。ん。美味しいなこっちも」


 虫が邪魔だから追い払ったというような軽い感じで答えたケイスは、じと目を浮かべる男や周囲の視線を全く気にもせず二つ目に取りかかる。
 その様にスオリーは報告書に書かれていた、この”特異存在”の特徴をまじまじと思い出させられる。

 ”見た目は人だが、その中身は龍である” 

 この少女にあるのは己のルールのみ。自分が気に入れば護り、気に食わなければ殺す。世界の頂点に君臨する傲慢にして暴虐な龍そのもの気質を持つ人間だと。

 
「付きまとってなんぞねぇよ。あいつはただの元同僚だ……くそ。腹が減ってなければこんなガキに。おいガキ。俺を踏んだのは許してやるから、それ一つよこせ」


 闘気を使った捕縛術でケイスは押さえ込んでいるのだが、男の方は空腹で力が入らなくて幼い少女に押さえ込まれたと思い込んでいるようだ。 


「ん。腹を空かしているのか……菓子はやっても良いぞ。ただし先ほどの女を追いかけるのを止めると約束すればだ。元同僚だか知らんがお前に追いかけ回されて嫌がっていたぞ。右手の紙束は恋文か?」


「付きまといじゃねぇよ。人が親切心で忠告してやろうとしてるのに逃げるあいつが悪いんだよ。しかも俺の研究レポートをラブレターなんぞ低能な物を呼ばわりすんなや」


 10代前半の令嬢然とした美少女が30代くらいの怪しげな研究者ぽい男を真っ昼間の路上で踏みつけている。
 これ以上は滅多に無いというほどに意味不明な状況だというのに、当の両人は何故かその体勢のまま平然と会話を交わし始めていた。


「レポートだと? 見せてみろ。嘘だったら殺す……のは駄目だったな……ん。肋を一本ずつ追って内蔵に刺していくからな。温厚な私に感謝しろよ」


「そっちの方が怖ぇじゃねぇか……はぁっ。ったく! 別に読んでも良いが、先に行っておくが素人にゃ理解不能な内容だからな。魔術式の解析レポートだ。意味が判らないからって暴れるなよ。それよりか、読ませる代わりにその菓子一つよこせ。こっちは腹が減って死にそうなんだよ」


 脅しでも冗談でもなく本気で言っているケイスに対して、男の方は好きにしろとばかりに右手に持っていた紙束をほれと投げ渡し、代わりに焼き菓子を要求する。

 
「スオリー、残りをこの男にくれてやれ」


 少し名残惜しそうに右腕で抱え込んでいた紙袋を見ていたケイスだったが、左手で紙束を受け取ってしまった以上は仕方ないと頷くと、呆然としていたスオリーに紙袋を口でくわえ投げ渡すと、ぱらぱらと紙束を捲りながら流し読みを始めていた。
 この菓子を買い与えたのはスオリーなのだが、どうやらケイスの中ではすでに全て自分の物で、どうしようとも自分の自由という意識のようだ。
 それどころか、先ほど出会ったばかりだというのに、なんの迷いも無くスオリーを下僕のように扱い始める。
 血筋故かそれとも気質故か。
 傍若無人に振る舞い続けるケイスの様に、その出自を知るスオリーそう思わずにはいられないでいた。


「……あ、あのすみません。私の連れがとんだご無礼を」


 とりあえずしゃがみ込んで男を見たスオリーは自分が謝るべきなのかどうか今ひとつ不明だが、とりあえず謝ってみようとするが、


「挨拶なんぞいらねぇから、早くくれ」 
   

 しかし男の方もケイスに負けず劣らず変わっているのか、どうでも良さそうに言い切ると、目の間に差し出された紙袋に手を突っ込んで焼き菓子を取り出して、むしゃむしゃと食べ始めた。


「貴様もう少し味わって食え。もったい無いだろ」


 レポートを捲りながらケイスは不満げに、未だ踏み続けている男に注意をする。
 どうやら相当菓子に未練があるようで、その目は恨みがましい。 


「あぁ腹に入りゃ一緒だ一緒。おいガキあと飲むもんもよこせ。甘ったるくてかなわねぇ。砂糖ミルク無しの濃縮コーヒーだ」


「我が儘な奴だな。飲み物は待っていろ。もうすぐ読み終わる」


「眺めてるだけで意味なんぞわからねぇだろ」


「馬鹿にするな。多少理解できない部分もあるがこれは仮想生命体の術式だな。ゴーレムの起動式などに使う物だな……ん。しかしこれの基盤はどれも見た事がないな」


 ガキになんぞ判って溜まるかと言わんばかりの男に、ケイスはむっと眉を顰めると僅かに足に込めた力を強める。


「ぐぇっ! ガキ!! 腹を踏む力を強めるな。せっかくの食料吐き戻すだろうが」


「ふん。私は馬鹿にされるのが嫌いなんだ……しかしこの基盤の複雑さ……ひょっとしてカンナビスゴーレムの起動制御式か?」


 ケイスの足元でつまらなそうにしていた男の表情が一変し真剣味を帯びた。
 変貌した表情はケイスの予想が正解だと告げている。 


「……なんでそう思った」


  二人の会話を頭痛を覚えつつも横で聞いていたスオリーは、ケイスの口から出た言葉に驚きが表情に出そうになりつつも何とか押さえ込む。
 かつて龍により生み出され猛威を振るったカンナビスゴーレムの操作術式が一部とはいえ解析された。
 この界隈を最近湧かせていた話題であり、ケイスの事がなければスオリーが最優先事項として調べ無ければならない情報だった。 


「勘だ…………それよりも、どうやらこれは本当に研究レポートだな。私の勘違いのようだ。すまんな。謝罪する。許せ」


 だがケイスは男の問いに対して珍しく言葉を濁して答え、話は終わりだとばかりに男の身体から足をどけ、左手で男の身体を無理矢理引き上げた。


「せっかくあいつを説得する良い機会だったってのに邪魔しやがって。あやまりゃすむ問題じゃねぇぞ………・…って言いたい所だが、飯を奢れ。それでチャラにしてやる。これっぽっちじゃ足りねぇよ」


 服についた汚れを手で無造作に払った男は、中途半端に食べた所為で余計に腹が減ったのか、ケイスに対して謝罪を受け入れる条件を提示する。
 大の大人が少女に飯をたかるという、どう考えても体面の悪い事柄だというのに男の方には恥じ入る様子はまるでない


「ん………………………すまん。スオリー。持ち合わせがない。あとで返すからこの男にも食事を奢ってやってくれ」 


 渋面を浮かべてしばし考えたケイスは自分の不利を悟ったのか、スオリーに頭を下げて頼み込んできた。


「え、えと構いませんけど。とりあえず場所を変えませんか? さすがに恥ずかしくなってきたので」


 周囲の奇異の視線はますます増えるばかり。このままでは表の職業にすら影響が出かねない。
 場所替えを提案したスオリーに対してケイスは鷹揚に頷き、


「おし。ただ飯ゲット。ここ4,5日は水と塩しか食ってなかったから助かった」 


「それは食事ではないだろう……そういえばまだ名乗ってもいなかったな。私は旅の剣士のケイスだ。家名は故あって名乗れん。許せ。こっちはスオリーだ。この街の管理協会の職員だ」


 男の貧相な食事にさすがのケイスも若干あきれ顔を浮かべていたが、気を取り直すとピンと背を伸ばして男に対して堂々と自らの名を名乗り、何故かスオリーの分まで紹介を済ませた。


「家名ってお前……どっかの貴族の子弟か? 面倒なのに関わっちまったか……しかし今食わないと来週まで生きてられるか……わからねぇしな……ウォーギン・ザナドール。現在絶賛無職な天才魔導技師だ」


 ケイスの名乗りに面倒そうな顔を浮かべた男は無精髭の生えた顎をしばしさすりながら考え込み、それでもただ飯の誘惑が勝ったのか、皮肉気な表情で自らの名と職業を告げた。 



[22387] 剣士と運命
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/07 22:46
「5番テーブル! エール追加8つ! よろしく!」


「あいよ! 12番さん! 串盛り出るよ!」


 まだ夕方になったばかりだというのに8割方は埋まった居酒屋では、雑談を楽しむ客の声にかき消されないようにと従業員達が威勢の良い声を上げて注文を通していた。
 隣接するリトラセ砂漠迷宮区の拡張が確認され、新たなる区画へと挑む大陸中から押し寄せる探索者や、そんな彼らを相手に一儲けしてやろうという商売人や、武具や道具の補修作成に忙しい流しの職人達が仮の宿とした宿場街に存在するこの店は、味はそこそこだが、安く、とにかく量を売りとする大衆的な店だ。
 店内を埋め尽くすのは、砂漠から帰ったばかりなのか砂埃で汚れた探索者や、熱い日差しの元で商売していたのか真っ黒に日焼けした行商人。
 手や爪に汚れを残した職人らしき者など、職種の違いはあれど店内には男臭さが溢れている。
 その証拠と言うべきか、店内の中央は舞台となり一段高くなっており、周囲のテーブルは中央が見やすいように配置されている。
 常時は吟遊詩人や曲芸師が余興を行う舞台となるのだろうが、一度喧嘩が起きればそれを酒のつまみとして賭けが始まる類いの、そんな荒々しい店の奥にある8名掛けの大きな角テーブルを、傍若無人にも男女と少女各1人の計3名で占拠する一団が居た。


「ん。しかし。ここは解決可能では無いのか? 雷獣系の肝から作った触媒の魔術文字を刻めば過剰属性魔力を防げるだろ。この魔術文字で出力制御しておけば暴走しないだろ」


 串焼きの肉を頬張ったケイスは空になった串の先端で、テーブルの上の絵図面の一部を指し示す。


「あーそりゃ無理だ。んな所に抑制文字なんて使ったら、隣側の導線に影響が出やがる。ほれここだここ。こいつは基幹部のメインラインだからここで押さえると、こうきてこっちのラインが増幅不足で動かなくなる」


 対面に腰掛けた無精髭のウォーギン・ザナドールはケイスが指し示した点を指し示すと、迷うことも無く別の絵図面を取り出して、そこから至る魔力の流れを説明していく。
テーブルのど真ん中に資料を広げ、その左右に空となった皿やらコップを積み重ねて魔法陣構築議論を交わし続けすでに2時間以上。
 夕方ピークが始まり空きの少なくなってきた店内で、8名分の座席を3名で埋めるという暴挙に周囲の空気は徐々に厳しくなってきており スオリー・セントスは周囲から聞こえてくる舌打ちやら、無遠慮な視線で寄せられる非難の目に、徐々に強まるプレッシャーを感じていた。
管理協会支部の受付として地元の探索者達には顔がしれているスオリーが同席しているので、店の者から大目に見て貰っている上、客の方も直接に絡んでくる者が無いのは不幸中の幸いだが、それがいつまで持つかは判らない

「あの……二人とも、そろそろお店の迷惑になるから出ま」


 スオリーは一度河岸を変えるべきかと思い何度も提案しかけているのだが、


「ん。そうだな。店員! 先ほどと同じ物を3つ追加だ」


「こっちも酒1つ! 冷たいやつ」



 だというのにあとの二人はそんな周囲の空気を一切気にせず、スオリーの提案にも、手つかずの料理が無いまま席を占拠しているがまずいと考えたのか、さらに食べ物と飲み物を追加する始末で、まだまだ居座る気のようだ。
 もっとも店的には長時間占拠はさほど気にはならないかもしれない。
 3人のうちスオリーと、ウォーギン・ザナドールと名乗る自称天才魔導技師が食べて飲んだ量は、常識的な量だがあと1人が化け物だった。
  何せスオリーの隣に座るケイスが食べた量は、すでに成人男性で20人分以上にはなるだろう。
 この小さな身体のどこにそれだけの量が入るのかと、普通の人間ならば驚愕するだろうが、幸か不幸かスオリーは美少女型怪物の正体を知っている。
 食べた食料を即座に消化して生命力へと変換し、骨が砕け折れて怪我をしたという右腕の自己治癒能力を最大活性化させているようだ。   
 人型の龍ともいうべき少女には造作も無い事なのだろうが、世間の常識を知らず、そもそも気にもしないその行動は、悪目立ちしすぎていた。 


「ふむ……基礎を囓っただけの私ではすぐに理解できないな。ウォーギン。お前はすごいな。こんな物をよく解析できたな」


 難しげな顔でテーブルに広げられたいくつもの図面と睨めっこしていたケイスは何度か見直してウォーギンの説明に合点がいったのか、惜しみない賞賛の声を送る。
 ウォーギンの広げたお手製の図面に書かれているのは、幾重にも魔法陣を重ねた積層球型複合魔法陣の図面。
 かつて猛威を振るったカンナビスゴーレムの起動魔法陣の解析図だというそれは、魔術師として初歩的ではあるが、魔法陣作成知識を持つスオリーですら難解しすぎて、話しについていけないほど複雑怪奇な代物だ。
 しかしケイスはほんの少しの説明だけで、自分の中でかみ砕いているのか、理解を示していた。
 かつてケイスが魔術師としての才もずば抜けた、それこそ化け物であったと資料で知っていたからこそ、難解な魔導技術にすら一定の理解を示す少女の正体へと疑惑を持たずにすむが、普通なら訝しげに思うだろう。


「解析つっても全解析にはほど遠いんだよ。消失してる部分を推測して埋めたりしてっから、間違ってる可能性もある。試作品のゴーレムも伝承のカンナビスゴーレムにゃほど遠い性能だったからな。しかも解析出来たのは出力系の一部のみ。外殻構成系やら情報伝達系なんぞまだ手つかずだぞ」


 その一方でウォーギンの方は、ケイスの知識と理解力を気にするでも無く、まだ解析できていない部分があると不満げな事以外は、降って湧いた技術談義を楽しんでいる節すら見え隠れする。
 スオリーは理解する。
 ケイスも常識外の天才であるが、この冴えない30男も自称していたとおり天才だということに。
 年や性別も違うのに出会ったばかりで、ある意味で意気投合して盛り上がっているのは、互いが天才だから故か、それとも変人故だろうか。
 

「お待たせしました~。串盛りと冷酒です」


「おう悪いな姉ちゃん。中途半端でも拾えた部分だけでも、技術還元しようと言い出しやがって……技術屋としてんな半端もん出して恥はねぇのかあいつらは」


 店員が持ってきたグラスを受け取ったウォーギンはちびちびと飲みながら、あきれ果てたと表情を浮かべて愚痴を吐き捨てる。
 

「こいつは暗黒時代。しかも龍の代物だぞ。解析できたつもりの部分にも何が隠れてるかわからねぇのは言うまでもねぇだろ。つーか完全に怪しい。ここらの無駄に凝った機構とか普通ならもっとすっきり出来るはずなんだが、わざわざ複雑にしてやがる。これが何なのかまだ不明だ。あと一月あれば一応の取っ掛かりぐらいは判るんだろうが、もう発表会間近でタイムオーバーだ」


 かつてトランド大陸から人間族、獣人族、魔人族、竜人族等、全ての文明人種を駆逐しかけた迷宮モンスターの大増殖と、それと連動した火龍による大陸殲滅を纏めて、暗黒時代と呼ぶ。
 迷宮に巣くうモンスターが他の生命体を捕食するのは自然の摂理であり常識だ。
 生態系の頂点に君臨しながらも一部の固体を除き、他種族との不干渉を貫いてきた火龍種が人種殲滅に出た理由は今でも謎とされている。
 しかし火龍種が文明種族に対する明確な敵対意思を持っていたことは明確で有り、その時代に彼らが作り上げた機構はどれも人種に危害を及ぼす目的を持っている。
 興味半分にそれらの機構をいじって、大事件に発展した事もそれほど珍しい事ではない。
 ウォーギンの心配は些かも大げさではないだろう。 
 

「ん……言われてみればあまり意味は無いな。だったら今指摘した周辺を置き換えて商品化すれば問題無いのではないか」


「あーそら試したが、そうしたら何故か出力低下しやがって、既存の技術でも代用可能で没になった。んでいろいろやってみたが芳しくなくて、この機構自体も害はなさそうだからって、現状で使える部分はそのまま再現構築して商品化するって愚策が大勢を占めてな。で、俺は強硬に反対してたらついに首になってこの様だ。貯金も尽きたから、あんたらと知り合ってなきゃそろそろ死んでたな」


 自虐的な笑みを浮かべながらウォーギンはテーブルの上の皿に手を伸ばし、噛みしめるように肉にかぶりつく。
 やつれ具合や出会った時の腹の音からして、それが大げさでも冗談でもなさそうなのが少し怖い。 


「ふむ。私が思いつく程度のことなど当然やっているか……ん。確かに怪しげな構築をそのまま使うのは危険だな。しかし何故そこまでお前の職場は強行するんだ? 何かあれば名声に傷がつくのは判っているだろ」


「元だ。俺が居た工房は中央に総工房があって大陸中に似たような事をやってる支部工房がいくつもある。んでその総元締めである当代の総工房主がご高齢でそろそろ引退するから、次代の後継者選抜が始まっててな。各地の工房が成果をだそうとかなり無茶してるんだよ」


 大陸でも名の知れた大手魔具工房の元開発研究技師だったというウォーギンは、本人の話を信じるなら、解析途中で判明したカンナビスゴーレム魔導技術の危険性に気づきを商品開発に反対して上役と揉めた末に解雇されたという。
 だが解雇された後も、技術者としての勘がざわつき、貯金を切り崩しながら研究に没頭し独自に解析を進めて、まだ秘匿された機能があるという確信したそうだ。


「……俺が所属していた工房もご多分に漏れずな。まぁ揉めて辞めたつっても、散々世話になったのは間違いねぇから、調べて忠告をと思ったんだがな。あの阿保工主は」


 そのレポートを旧知の同僚に渡して、せめて新作ゴーレムのお披露目を延期させようとしたが聞く耳持たれず逃げられたのが、昼間の真相とのことだ。


「ん~ではお前が昼間に追いかけていたご令嬢がお前の所の工主か?」


「ぶっ! げほごほっ! ご、ご令嬢ってんなたまじゃねえぞアレは」


 ケイスの発言がよほど面妖な物だったのか、口に含んだばかりの冷酒をウォーギンがむせて噴き出す。   
 しかしその時丁度顔を向けていた位置が悪かった。
 ウォーギンが噴き出した酒は、隣のテーブルに居た探索者らしき軽鎧姿の若い男へと思い切り飛び散っていた。


「……おうこらおっさん! さっきからずいぶん調子くれやがってるな! あぁ!?」


 額に青筋を立てた男は椅子を蹴倒して立ち上がると、謝るウォーギンの胸ぐらを片腕で掴み上げて持ち上げる。
 探索者の浅黒い腕は、中背でやせ形のウォーギンの足より太いくらいだ。


「わ、わりぃ! 勘弁してくれ」


 ウォーギンが慌てて詫びを入れるが、かなり酔っているように見える探索者の目は物騒な色を帯びている。


「憂さばらしなら手加減してやれ。死なれたら面倒だ」


「つまんねぇな。ひょろい兄ちゃんと探索者じゃ賭けにもならねぇな」


 ケイス達にいらついていたのか、それとも元々不機嫌だったのか今にも殴りかかりそうな喧嘩腰の態度で威嚇する男と、その仲間とおぼしき男達や、周囲の客はなだめるどころか、むしろ余興が始まったと煽っている。


「すみません。連れが失礼なことを」


 一気に荒れ始めた雰囲気にスオリーは慌てて仲裁に入ろうとするが、その前にケイスの様子をちらりと確認する。
 報告書通りの性格だと出会ってから数時間で嫌と言うほどに思い知らされたが、ケイスには躊躇や、ためらうという言葉が皆無に近く、その思考には常識や予測が当てはまらない。
今この瞬間だって相手にいきなり殴りかかっても不思議ではないほどに、その本質は暴力的で凶暴な野生生物だ。


「ん。今のはウォーギンが悪いな。すまん。私からも詫びを入れよう。許してくれ」


 だがそのスオリーの心配を余所に、ケイスは1つ頷いてから、堂々としたといえば聞こえは良いが、どこか偉そうな態度ながらも、かろうじて申し訳なさそうに見える表情を浮かべて頭を下げる。
 それどころか、


「詫びとして、汚れた衣服とそちらの食事代を私”達”に持たせてもらえないだろうか。それで許していただけるか?」


 極めて下手に出た弁償を自ら相手に申し入れていた。
 達といっても、ウォーギンは現在無職で日頃の食事にすら事欠く有様。
 ケイスに至っては一切持ち合わせが無いのであとから払うからとスオリーが立て替えることになっている。
 どうやらこれも立て替えさせられることになりそうだが、ケイスがこれ以上もめ事を起こすよりは数百倍マシだ。
 なんとか穏便に済ませられそうだと、スオリーはほっと一息つく。


「へぇ、その鼻につく物言いあんたどこかのお嬢様か? そっちはおつきの侍女ってか。下町をお忍び見学ってか」


 だが相手方はこちらの懐事情など知らず、しかも地元の探索者達で無いのか、協会支部の受付嬢であるスオリーを知らないようで、”見た目”だけならば深窓の令嬢然としたケイスを一瞥してから、酒が入って理性が低下したなめ回すような好色な目でスオリーの体つきをじろじろと見る。
 どうやらケイスの態度やその容姿から、興味本位で庶民生活を体験に来たお嬢様とそのお付きだと壮大な勘違いをしているようだ。
 あまりに下手に出るケイスの態度に、これは良い鴨が来たと男は卑しい笑みを浮かべながら、掴んでいたウォーギンの胸ぐらから手を離し、


「金はいらねぇな。それよりかこっちの姉ちゃんを一晩貸して、ぶべらっ!」


 スオリーの肩へと手を伸ばそうとした瞬間、スオリー自身が避けようとするよりも、遙かに早くケイスの左手が男の顎を捕らえる。
 その一撃はまさに電光石火。
 小さな体躯でバネ仕掛けのような勢いで打ち込んだ一撃は、自分の倍近くある背丈の探索者を高々と天へと飛ばす。


「うぉ!?」


「こっち落ちてくんな!?」


「ガブス大丈夫か!?」


 ケイスによって打ち上げられた男は、店の天井に激しく当たりさらに跳ね返って、全く別の客が座ったテーブルをなぎ倒し、皿の上の料理やカップを盛大にばらまきながら床へと落ちてきた。
 一瞬の出来事に呆気にとられた店内が静まりかえる中、


「ん。すまん。それが突っ込んだテーブルの者達も弁償しよう。それで許してくれ」

  
 静寂を作り出した元凶であるケイスは、人1人を殴り倒したのに全く悪びれる様子が無い。
 赤ワインなのか煮込み料理に使われていたトマトなのかそれとも血なのか。
 非常に微妙な色の液体で頭部を染めた生きているのか定かでも無い男を指さしてから、今度はテーブルをなぎ倒された一行に向かって頭を下げた。
 

「あ、あのケイスさん……なんでいきなり殴ってるんですか?」


 ほんの一瞬前まで謝る素振りを見せていたのに、いきなりの凶行に及んだケイスにスオリーが呆然としながら尋ねる。
 ひょっとして、あの殊勝な態度は相手を油断させる為の演技だったのだろうか。


「服を汚したのはこちらが悪いからな。それは謝った。しかしその代償にスオリーを差し出せ等と、巫山戯たことを言いだしそうなので成敗した。ヴィオンには世話になっている。その姉君を、汚すような真似や侮辱する発言を私が許すわけ無いだろ」

 
 何を当たり前の事を尋ねているんだと、きょとんとした顔でケイスは答える。
 どうやらケイスの中では、被害者に謝る事と、狼藉者を成敗することは、”相手が同一人物”でも、”同時”に成り立つようだ。

 
「申し訳ないがそっちとあちらのテーブルの二組分で頼む。心配顔をするな。借りた金はあとでちゃんと返すぞ。借りた物はちゃんと返すようにと教えられている」


 スオリーの引きつった顔をみて、見当違いの勘違いしたのケイスは鷹揚に頷き、無邪気な笑みを浮かべている。


「……そ、そういう事で無く」 


 事を穏便に済ませようとしたはずが、さらにややこしいことになりつつ有るのは、気を一瞬でも抜いた自分の所為なだろうか。
 事の収拾をどう付けようか。
 幸いというかなんというか、揉めた一行や周囲の客は小さな少女が大人を天井に叩きつけるほどの勢いで殴り飛ばすという現実感の薄い光景に呆然としている。
 この隙を突いてウォーギンを連れてとりあえず逃げ出すべきか。
 

「こ、この餓鬼が! よくもやってくれやがったな!」


 だがそれは一瞬遅かった。
 ケイスに派手に吹き飛ばされた男は案外に頑丈だったのか、それともとっさに受け身でも取ったのか。
 ばっと跳ね起きると、先ほどまでの巫山戯半分ではない、本気の怒りを隠そうともしない目線でケイスへと殴りかかっていった。


「むぅ。やはり浅かったか。っと。あまり怒るな。こちらに非があるとはいえ、その詫びに女性を手込めにしようなど失礼だぞ」


 男の拳を顔を反らして交わし、次いで繰り出した足元を狙った蹴りに対しては、逆に接近して、男の太ももを左手で押さえ勢いを殺したケイスは、不機嫌そうな顔を浮かべて注意をする。
 ケイスの窘めるその態度が男をより逆上させる。
 まだ10代前半の少女に殴り飛ばされた上、説教顔で言われる、大の男として恥でしか無い。
 接近してきたケイスの右手に包帯が巻かれ怪我をしている事に気づき、右腕を左手で掴んだ。
 そのままねじり上げて悲鳴を上げさせようとでもしたのだろう。
 無論そんな幼い少女相手に大の大人、しかも探索者ともあろう者が暴力を振るう方が世間一般では眉を顰める。

 ……だがこの化け物を少し知れば、そんな世間一般の常識や良識など、霞のごとく消え失せる。

 怪我をしているのは掌のみで捕まれたのは右手首。
 なら問題無い。
 一瞬で思考を終えたケイスは、身体をクルリと反転させ右手首を掴んだままの男の重心を崩して引き寄せながら、無事な左手で男の服に手をかけ、さらに左足で臑の部分を蹴り上げる。
 
 

「がふっ!?」


 一瞬の出来事だった。
 ケイスに掴みかかったはずの男は、次の瞬間には宙を飛び重い音をたて埃を巻き上げながら床に叩きつけられていた。
 今度こそ目を回しているのか、男は微動だもしない。
 

「ん。私の右手の怪我に気づいて、そこを即座に攻めてくるのは実に良いぞ。だが不用意につかみかかったのは失敗だな。身長差があるから投げやすかった」

 ケイスは何故か先ほどまでの不機嫌顔一転うって変わって嬉しそうに男の行動の批評を始める。
 どうやら自分の弱点を男が躊躇無く攻めてきた事が嬉しかったようだ。


「おいそこのお前。こいつが目を覚ましたら、組み打ちを研鑽させてやれ。バランスのよい身体能力をしているのにもったい無い」


 さらにはやたらと上から目線でのアドバイスめいた物を、男の仲間達に投げかける。


「……」


 呆然としていた仲間達はケイスのその言葉を挑発と受け止めたのか、無言のまま、だが先ほどまでの侮った態度を潜めて、殺気ばしった顔でそれぞれ体勢を整えた。
 その顔つきは子供を相手にしている物では無く、ケイスを明確な敵と捉えている証拠だろうか。
 殺気だった男達を前にして、ケイスは臆すどころかさらに嬉しそうな笑みを浮かべると、その視線を真っ正面から受け止めながら1つ大きく頷く。
   

「ふむ……1対5か。良いぞ。私は、私を侮らない者は大好きだぞ」


 相手が強ければ強いほど。多ければ多いほど心弾む。
 生粋の戦闘狂であるケイスにとって、この状況は非常に好ましい。
 好戦的で獰猛な笑みを浮かべたケイスは、先手必勝とばかりに先んじて男達に殴りかかっていった。













「躊躇したな! 本気で殴らないからこうなるのだ!」


 ケイスが火をつけた喧嘩は、すぐに周囲のテーブルにも被害を及ぼし、参加者を加速度的に膨らませ、店内中央ですでに敵味方の関係ない乱戦状態へと突入していた。
 その中心で大の男達を相手に一際目立っているのが、黒髪をなびかせる幼い美少女なのだから質が悪い。
 さすがに四方八方から物が飛んできたり、背後からも拳が振り下ろされるこの状況ではケイスといえど無傷ではない。
 右頬にはグラスの破片で出来た切り傷から血が流れ、左手の拳は皮がむけて痛々しい傷口を見せているが、当の本人は嬉々とした笑顔で死角から殴ってきた男を即座に蹴り飛ばし、そのついでとばかりに、横にいた男の服の裾を掴むと左手一本で重心を崩して投げ捨てている。


「すげぇなあいつ。殴られた瞬間に蹴りぶち込んでやがる」


 心底から楽しんでいるその暴れっぷりに、カウンターの裏側に退避して様子を見ていたウォーギンは呆れ混じりの感嘆の声を上げる。
   

「落ち着いて観戦している場合じゃ無いんですけど!? あなたが原因じゃないですか!?」


 誰かが投げた酒瓶を頭を下げて回避したスオリーは、事の発端のはずなのにギャラリーに徹しているウォーギンにくってかかる。
 

「技術者に腕っ節を期待すんなよ姉ちゃん。あんな所に割り込んだら俺は2秒でやられんぞ。っと。もったいねぇ。高いんだよなこの酒」


 すぐ近くで割れた瓶を拾い上げたウォーギンは、ラベルを見て眉をしかめている。
 稀少な薬草を数種つけ込んだ薬酒独特の臭いが周囲に立ちこめる。


「だ、ダメだこの人」


 手についた酒をもったいなさそうに嘗めているウォーギンは役に立たないと、見切りを付ける。
スオリーの本来の実力なら、拘束系魔術を用いて喧嘩をしている者を纏めて鎮めるのはさほど難しくない。
 だがそれは隠し続けていた、自らの裏の顔をさらすことになり、草としての今後の活動が不可能になる。
 スオリーの役割は平時は情報収集と操作の隠密行為の黒子役。
 カンナビスにおいては、あくまで管理協会支部の受付嬢としての顔を保ち続けなければならない。
 実力行使を伴う任務は、協会にも登録している現役の中級探索者であるルクセライゼン出身の女性が担当するのだが、運の悪いことにその力技担当の同僚は、拡張した迷宮内の情報収集であと数週間は帰ってこない予定だ。
 無手での捕獲を専門とする彼女が居れば、いくら相手がケイスといえど無傷で捕らえられるだろうが、無い物ねだりをしてもどうしようも無い。


「こんな事ならボイド君との合流先にすればよかったかも……」


 思いがけずケイスと知り合ってしまったことで、迎えに行くはずだった幼なじみ達との合流予定をすっぽかしたことを今更ながらに後悔する。
 ボイドや弟のヴィオン達なら、頼み込めば力ずくでも何とか納めてくれると信頼している。
 

「スオリーちゃん! スオリーちゃん! あの子あんたの知り合いだろ!? 何とかしてくれ! うちの店の売りが喧嘩とはいえこれはやり過ぎだ!」


 同じようにカウンターの裏側に避難していた店主が頭を抱えている。
 あくまでも客寄せの一環として対決形式の一対一の喧嘩が売りになっているのであって、店の改装が必要になるくらいの大喧嘩となると話は別だ。


「聞いて止まるような性格だったら苦労しませんよ!」


 思わず泣きが入った言葉でスオリーは断言する。
 何せ相手は常識外の化け物で、相手が侮らず攻撃してくる事すら喜ぶほどの生粋の戦闘狂だ。
 下手に止めればスオリーすらも、鍛錬相手と認定して襲いかかってくる可能性も否定できない。


『あいつは基本的に騒動の中心にいるか、騒動があいつの方によってくる特異体質だ』


ことここに至れば、スオリーはケイスに関して書かれた報告書と上司がぼやいた愚痴を全面的に認めざる得ない。
 あの少女はどんな平和的な状況であろうとも、一瞬で大事に発展しかねない運命の元に生まれてきたのだと。


「言葉で止らないなら、無理矢理に止める方が早いな。いくら何でも無意識でも暴れ続けるほど凶暴じゃないだろ」


顔も名前も知らないが、ケイスに関わったために精神的に潰された同僚の草達へと、同類相哀れむ感情を抱いていたスオリーの横で、もう1人の天才が動き始める。 


「もうちょっとマシな材料があれば、ちゃっちゃと出来るんだけどな。マスター。塩と果実酒を貰うな。あと黒エールと強めの蒸留酒」


 無傷の酒瓶を拾い上げたウォーギンは、僅かに残っていた酒をラッパ飲みで飲み開けると、先ほどの薬酒の瓶についていた雫や、そこらに落ちていた瓶やら調味料をかき集め、空いた瓶へと少しずつ入れていく。
 中身が三分の一くらいになった所で落ちていたコルク栓で蓋をして、瓶の首を持つと適当に混ぜ合わせ始めた。 


「……え、なにを?」


 一見カクテルでも作っているように見えるが、いくら何でもそこまで非常識では無いだろう。


「技術者に腕っ節は期待するなつったろ。あんな荒くれ連中を殴り倒すのは無理だから、即興の昏睡型魔具制作中。薬酒を触媒にして強化した酒気を皮膚吸収させて酔い潰させる。範囲設定は店中央20ケーラって所か。子供相手にゃ強力すぎるが、あのお嬢ちゃんなら余裕だろ。あと3分位でできるからもうちょっと待ってろ」


 面倒そうな顔を浮かべながら何気なく答えたウォーギンは、ナイフを手に取ると瓶へと魔法陣を書き込み魔術文字を刻み込んでいく。
 一文字刻むごとに瓶の中の混合された液体が怪しげな煙を纏って気化し始めていた。











「おう! ヴィオンにセラ。2人ともようやく終わったか」


 魔具専門店の前に立っていたボイドは、妙に疲れてとぼとぼ歩く妹と、その横で平常運転の親友を夕方の大通りの雑踏で見つけて声をかける。
リトラセ砂漠で発生した新種のサンドワームの報告とそのサンプル死骸を管理協会カンナビス支部へと納めにいった2人が、帰り道としてこの辺りを通ると店外で網を張っていたのは正解だったようだ。
 

「兄貴か……もう大変だったんだから。ケイスの存在を隠して説明するの。正直に書けば途端に嘘くさくなるから余計に長引くとか考えないで、本人を連れてけばよかったわよ。あとで口裏合わせするからね」


 よほど疲れたのか会った途端に、ぎろっと睨んで愚痴をこぼしはじめた妹に肩をすくめて、ヴィオンへ大丈夫かこれと目で尋ねる。


「お嬢。今回消費した魔術触媒の完全補填つっても、元の数が証明できないからダメ元だったろ。しかもケイスとの分がほとんどだろ」


 どうやらセラが疲れ果てて不機嫌な原因は、そちらがメインのようだ。
 サンドワームとの戦闘で使った分は、ボイドとヴィオンから奢ってもらったルディア特製の触媒液で補填は出来た。
 しかしそのあとでケイスとの鍛錬で浪費した分の魔術触媒は別だ。
 そちらも経費として請求してはみたが、物の見事に却下されたらしい。


「……それで時間を食ったのかよ。親父が約束してた報奨金が出たから良いだろ」    


 守銭奴という言葉を地でいく妹の更正は今更もう諦めているが、思わず言わずにはいれない。


「出ても赤字よ赤字! それどころか父さんが、他の人達はともかく、家の息子共と娘に関しちゃ家の手伝いみたいなもんだからって、やっぱり小遣い無しだろって、巫山戯たこと言ってくれるから徹底抗戦してきたのよ! だぁぅ! あの髭親父! いい加減にしなさいよ! あたしらを良いようにこき使って!」


 ボイドとセラの父親はカンナビス支部の支部長を務めている。
 しかし支部長の子息だからといっていい思いをした記憶はとんと無く、むしろ人手不足の時にこき使われたり、見返りが少なくかつ面倒なだけの依頼を強制的に回されたりと碌な思い出がない。
 今回の件だって、モンスター知識と解剖技術を持つ護衛の探索者がセラ以外いなかったから百歩譲ってそれは仕方ないと諦めるが、約束していた報酬まで反故にされるとなると話は別だ。
 地団駄を踏んで親の敵のように地面を何度も踏みつけるセラを見つつ、ボイドはヴィオンにそっと耳打ちする。

 
「おいヴィオン。親父の奴がさりげなくお前まで息子扱いしてるけど、セラと付き合いだしたの言ったのか?」


「あーまだ言ってねぇ。ただ勘が良いからばれてんじゃねぇの。姉貴に話が流れると面倒だから黙ってくれてんだろ」


「他はともかく女関係じゃお前の信用ゼロだからな。ある程度既成事実を積み重ねる前にスオリーに流れたら強制的に別れさせかねないしな」


「そっち方面で信用が無いのはお前もだろうが」


「……言うな」


 下手に思い出したくない記憶に触れた所為で、墓穴を掘ることになったボイドは珍しく重い息を吐く。
 過去の所行が今になって返ってくるのが判っていれば、旅先で羽目を外すにしてももう少し大人しくするべきだったと思うが、後悔先に立たずという奴だろう。


「そこ! あたしの話聞いてる!? 兄貴もヴィオンも感謝しなさいよね! 約束通りの報奨金はもぎ取ってきたんだから!」  


 男二人がひそひそと話している間も、テンションの高い愚痴をこぼしていたセラが共通金貨の詰まった袋をボイドの目の前に突きつけた。
 小袋のサイズとその音からして数十枚程度の報酬は出たのだろう。
 世間一般では十分な大金だろうが、トラクに乗り込んでいた探索者一人頭で割ればその分け前は精々4、5枚といった所でたいした金額では無いが、通常の護衛報酬もあるのだから降って湧いた臨時収入といった所か。


「聞いてる聞いてる。それよりかお前らスオリーは支部にいたか? あいつ待ち合わせ場所に顔を出さなかったんだが」


 守銭奴の妹の金に関する話に付き合っていたら、日が暮れかねない事を過去の体験から知っているボイドは、強制的に打ち切って話題を無理矢理に変える。 
 結局換金が終わったあともスオリーは姿を見せず、未だ合流できずじまいだ。
 それに今日に限っては、金貨数枚で一喜一憂する気分になれない事情がある。



「へ? ルディアやラクト君と一緒にお姉ちゃんお店の中じゃ無いの?」


 ボイドの発言が意外だったのか素に戻ったセラは魔具を扱う店内へと目を向けるが、曇りガラスに遮られて店内の様子を伺うことは出来なかった。
 ボイドだけが店頭に立っていたので、セラ達はすっかり他の三人は店内の中にいると思い込んでいたようだ。


「姉貴なら俺らが戻ってくるからって、今日は1日休みを取ってるって話だぞ。今日はカンナビスのあちこちで騒ぎが起きて忙しいのに、上手い所で休んだなって姉貴の同僚が笑ってたな」


「……騒ぎねぇ。なんか嫌な予感してきた。あいつもルディアに負けず劣らずのお人好しだからな。ケイスに巻き込まれてないといいんだが」


 ボイドのぼやきに三人の頭に同時に、心底楽しそうな無邪気な笑みを浮かべながら、人を手当たり次第に切りまくるケイスの姿が浮かび上がる。
 あのトラブルメーカーを地でいく台風娘のことだ。
 いろいろな面倒事を引き寄せながら傍若無人に暴走している姿が目に浮かぶ。


「さ、さすがに無いでしょ。カンナビスって広いんだし。お姉ちゃん急用でも出来たんじゃ無いの」


「それか、顔の広い姉貴のことだから、そこらで知り合いに捕まって話が長引いてるとかじゃねぇか」


 普段から時間や待ち合わせに五月蠅いスオリーが、連絡も無く待ち合わせをすっぽかすなどあり得ないが、一応考えられる予測をヴィオンとセラはあげる。
 しかしその顔を見れば予想を言った本人自身が、予想を信じていないのは一目瞭然だ。


「そうだな。無事を祈っとくか……あいつ真面目すぎるからケイスに巻き込まれたら、すぐに胃がやられそうだしな」


 ボイドの下手な冗談から、些か嫌な想像が浮かんだ三人が乾いた笑みを交わしていると、魔具店の扉が開いた。


「お買い上げありがとうございます。またのお越しを是非、是非お待ちしております!」


 やたらと気合いと感情のこもった店員の言葉に押されるように、店の中から出てきたのはルディアとラクトの二人だ。
 

「お待たせしました。魔具一式揃いました……お二人も終わったんですね。お疲れ様です」
 

 どこか遠くを見つめながら感情が麻痺したかのような顔を浮かべるルディアは、セラ達を見て頭を下げる。


「どうかしたのルディア? なんか顔が引きつってるけど。お金足りなくて買えなかったとか?」


「……か、買う物はこの通り全部買えたんですけど。その金額が、ちょっと高過ぎて……たぶん、いえ私の人生で一番お金使った日です……今日が」


 セラの問いかけに、ルディアは乾いた笑みをこぼしながら持っていた革袋から、指輪型や腕輪型、短杖型など複数の魔具が固定されたベルトタイプのホルダーを取り出して見せた。
 

「高けぇ……高すぎるだろ。俺の小遣いで50年分以上かよ……」


 一方ラクトの方は渡された領収書を見ながらプルプルと震えている。
 ホルダーも含めた魔具10本分の値段は共通金貨ならば550枚を少し超えている。
 父親の店の手伝いを最大にやっても月に金貨1枚分になれば上出来。
 父親からケイスが買った剣だって、相場の10倍を吹っ掛けたといえど金貨100枚だ。
 それを遥かに超える金額に二人とも萎縮してしまったようだ。 

 
「うぁ……500枚以上って! ちょ、ちょっとルディア! これ中位クラスの高品質品ばかりだけどほんとお金足りたの!?」


 様子のおかしいルディアとラクトに敏感に反応したセラが、横から目録と領収書を見比べ、顔を青ざめさせる。
 ルディアが選んだ品は、どれも魔力内蔵型中位クラスの魔具の中では一級品と呼べる性能の品ばかりで、値段も同クラスの大衆品と比べれば、倍近くする物ばかりだ。
 いくら相手がケイスと言えど、言い切ってしまえば子供通しの喧嘩の延長線上の決闘の真似事に使って良い金額ではないだろう。


「あの子の指定なんです。天才の私に対抗するんだからお金が許す限り一番良い物を買えって……思いのほか換金が上手くいって、実はこれで半分も使ってません。これ以上、上のクラスになると中央にでも行かないと無いそうです。換金用宝石を見せたら店員の態度が怖いくらい丁寧になっりました」


 諦めというか達観の域に入ったのかルディアは空を仰いでから、鑑定書付きの換金用宝石である粒の大きいサファイヤやダイヤを懐から取り出す。
 宝石を覆う保護ガラスには魔術による証明書が刻まれている。
 国家間や大手商会などが絡む大きな取引や、高額商取引など、取扱金額が増えた時に、量が多く重くかさばる金貨代わりに換金用宝石が重宝されるが、一般庶民は普通なら一生縁が無い代物だ。


「あぁっ……あ、兄貴!? これって!?」


 宝石を指さし驚愕の表情を浮かべる妹が何を聞きたいのか察したボイドは、どう伝えれば良いかと頬を掻く。
 出来たらセラには伝えたくないが、ボイドが言わなければルディアから無理矢理でも聞き出すだろうとすぐに諦める。


「ケイスが取ってきた転血石が龍の血肉を核にしていたそうでな、上手く加工すれば低級モンスターの転血石でも、中級クラスの出力をひねり出せるからって事で総額で金貨1600枚で売れた。で高額すぎるからって支払いが宝石になった」


 淡々と事実だけを伝えると、セラは力尽きたようにその場でがっくと膝をついた。
 ただの低級モンスター由来の転血石なら、含有魔力は低くて1つで金貨2枚が関の山だ。
 しかしケイスが集めた転血石は124個その全てが龍由来の核を持つ為、高い魔力増幅効果を持つ為、通常ならば金貨で250枚程度のはずが、1600枚まで跳ね上がり、急遽その支払いは金貨枚数分の宝石が数個に変わっていた。


「…………天敵。あの子やっぱり天敵。なんでお金に無頓着なケイスにここまで金運がついて回るのよ。あたしなんか今回赤字になってるのに」


 衝撃に放心状態となったセラは端で見ていて気の毒になるくらいに落ち込んでいる。


「あのセラさん。ほらあの子、お金が余ったら鍛錬で使った触媒代なら払うっていってたじゃ無いですか。だから赤字解消できませんか?」


 数日前のケイスとの会話を思い出したルディアが、セラに救いの言葉を投げ掛けるが、


「…………それ無理……さすがに現役探索者として……・無理…………兄貴とかヴィオンからならパーティでの貢献で返すけど……恵んでもらうのはプライドが無理」


 自他共に認めるほどの守銭奴のセラといえど、探索者である以上は譲れない一線があるのだろう。
 セラは悪魔の誘惑を堪えるように、歯を噛みしめながら力なく首を横に振った。


「あー止めとけルディア。お嬢も普段アレでも、一端の探索者だからよ……しばらく飯は奢ってやるから機嫌直せってお嬢」 


 かなりギリギリの縁で葛藤しているセラの肩をヴィオンが慰めるように軽く叩きつつ、気づかれないようにボイドへ目線を送り、次いでその目をルディアへと向けた。 
 親友の仕草で指示を察したのか、ボイドがルディアへと耳打ちする。


「悪い。この間の触媒液ってまた作れるか? 代金は俺とヴィオン持ちだ」


「……多めに作ったんで原液が残ってますから1日もあれば用意出来ます。あとで仕上げておきます」


 空気を読んだルディアもセラには聞こえないように、小さな声で返事を返す。
 普段はなんだかんだ言いつつもボイドなりに妹を可愛がっているのだろうと、ルディアは微かに笑みを浮かべる。
   

「…………」


 やり取りの最中、黙ってセラの様子を見ていたラクトは、彼からすれば途方も無い金額が書かれた領収書をもう一度見直す。

 今回購入した魔具は、ケイスが己と決闘を行うラクトに互角以上に戦えるようにと資金を出したものだ。
 無論ラクトとしてはそんな施しなど受けたくは無いのが正直な本音だ。
 しかしケイスの場合、受け取らないなら力ずくでも受け取らせると殺気混じりの脅しをかけてくるのだから質が悪い。
 何故自分の決闘相手に、わざわざ手を貸すのか?
 自分よりも幼いが遙かに強い力を持つ化け物が何を考えているのか、ラクトには理解できていない。
 もっと厳密に言えば、狂人であるケイスの思考を完全に理解できる者などこの世には存在しないのかもしれない。
 だが1つだけラクトに理解できて確かな事は、ケイスが全てに対して本気だということだ。 
ラクトが喧嘩の延長線上の勢いで言った決闘に対して、本気で受けていた。
 自分が絶対勝つと言いながらも、ラクトが己に勝てるようにとサポートしている。
 相反する真逆の行動。
 しかしケイス自身はその2つどちらにも一切手を抜く気が無く、この上なく真剣なのだと。 
 正直あの少女は気に食わない。
 生意気だとか、やたらと偉そうだからとか、出会ってから良いようにやられてばかりだからとか、いろいろ理由はあるが、そのどれも本当の理由としてしっくりこない。
 あえて言うなら、ケイスという”存在自体”に反感を覚える。
 負けたくないと心が訴える。
 だからケイスが本気な以上、自分だって本気でやらなければならない。
 あの化け物を相手に、たった”金貨500枚”程度で臆している段階ですでに負けだ。 ケイスとの決闘の切っ掛けは、あの少女独特の思考から生じた誤解だった。
 自分が勝ったならば、父親に対する侮辱を撤回させるつもりだったが、それが消え失せた為、今ひとつ宙ぶらりんだった目標がラクトの中に生まれる。

 ケイスに勝った場合に自分が要求すること。

 ケイスが勝った場合に自分が払う代償。 


「……よし決めた」  


  ラクトが決心を決め小さく頷いた瞬間、全てが動きはじめた。














 賽子が転がる。
 賽子の内側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。






 次期メインクエスト英雄因子が1つ 『百武器の龍殺し』

 次期メインクエスト龍王因子 『赤龍』

 両因子含有者遭遇戦勃発。

 戦闘能力差、著しいも特例により許諾。

 両因子特異生存保護指定解除。

 システム『蠱毒』発動。

 サブクエスト『カンナビスの落日』発動条件達成。

 特例条件クエスト『龍王の目覚め』 発動確立70%

 龍王覚醒時は現行クエストを全停止。

 南方大陸崩落後に深海青龍王『ルクセライゼン』王体解放後、メイン討伐クエスト『赤龍』を開始。



[22387] 剣士と龍王達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/07/19 00:11
「このガキが!」


 右に男1人。最初に殴り飛ばした探索者の仲間。
 その手には、武器代わりに木製椅子を掴み、振り上げている。
 前方には、先ほど蹴り飛ばした職人が1人。
 そちらが繰り出すのは、尖った切っ先を見せる割れた酒瓶。
 外見だけならばまだ幼いケイスの顔を見て、一瞬躊躇した先ほどの気づかいは腹をしたたかに蹴り込まれたことで消え失せたようだ。
 二人の間で事前のやり取りは無かったので、連携を狙うつもりはなく、頭に血が上っているのか、ケイスの事しか見えていない。
 一瞬で状況判断したケイスは、周囲の状況を脳裏に描く。
 背後、殴り合っている男が二人。
 左、倒れたテーブル。
 上、光球を灯す大きな燭台が天上から下がっている。
 身を引いて時間差で捌くには位置取りが悪い。
 抜くか? 
ケイスが無手と思っている男達は、不用意に間合いを詰めて、ケイスにとって必殺の間合いへと既に入っている。
 折りたたんで懐にしまい込めた非常識な大剣『羽根の剣』を取り出して振り抜けば、片手が使えない状態でも、この位置関係ならば後方の二人も纏めて胴切りで真っ二つに出来る。
 しかし、この場で剣を抜いた者はおらず、落ちている物を武器にしている者ばかりだ。
 そのような状況で自分だけ剣を抜くのは礼儀に反する。
 ならば…………
 思考を終えたケイスは尖った割れ瓶を構える男へ向かって、自ら身体を沈めるように接近ながら、掌を返した左手を前に伸ばす。
  

「ふっ!」


 割れ口の縁をギリギリを掠めながら手を伸ばしたケイスは、職人の右手首を左手で掴みそのまま自らの方へと力任せに引き寄せながら、右側へと身体を回す。
 酒瓶を突き出そうとしていた職人は、ケイスの馬鹿力で体勢を崩され、くの字に倒れそうになりながら、椅子を振りかぶった探索者とケイスの間へと引き込まれた。
 職人の影に入ってケイスの姿を見失った探索者は、ケイスの姿を見失ったことでとっさに振り下ろそうとした椅子を止めてしまう。
 その一瞬の停止をケイスが見逃すはずが無い。
 引き込んだ職人の身体を、さらに強く引いて倒れ込ませながら、その首筋に闘気を込めつつ右肘を強かに叩き込む。


「がばっ!?」


 嫌な音をたててめり込んだ肘から打ち込まれた強打が職人の意識を一撃で刈り取る。
 さらに間髪いれず身体を回し、意識を失い倒れる職人の背中へと自らの背を乗せ踏み台にしたケイスは、椅子を振り上げていた探索者へと向かって襲いかかる。


「なっ!?」


 見失ったケイスが死角から勢いよく飛び出て来たためか、探索者の反応が一瞬遅れる。
 無防備になった探索者の顎先へと向かって、ケイスは精一杯に足を伸ばし蹴りを繰り出し、


「ごふっ!」


 ミシリと顎骨がきしむ音をたてながらケイスの左足が男の顔面に鞭のように叩き込む。
 全身を使った体重が乗った蹴りに勢いよく吹き飛ばされた探索者が、脇のテーブルに突っ込み、そこらに落ちていた皿と共に派手な音をたてて床に倒れ込む。
 だが2人を倒した所で、ケイスは止まらない。
 店内に一瞬視線を飛ばし次の獲物へと目を付け、踏み台にしていた職人の背中に左手を当て逆さまのまま高々と飛び上がり、天井で揺れていた燭台の鎖に右足を絡める。
  

「せいっ!」 


 次いで燭台をつなぎ止めていた細い金具を左足で蹴り壊し、力任せに燭台をもぎ取りながら、猫のような絶妙な体捌き体捌きをもって、数人が小競り合いを続けていた店内中央に向かって器用にも蹴りいれた。
   

「でぇ!?」

「冗談じゃねえぞ!」


 燭台がじゃらじゃらと派手な音をたてながら落ちてくるのを見て、殴り合っていた男達が慌てて避け、一瞬遅れて中心地点に燭台が破砕音共に降り注いだ。
 もし回避が遅れていれば、二、三人は下敷きになっていただろう。
 床板の一部を破壊するほどの勢いで落ちたきた燭台を見て、他の場所で喧嘩を繰り広げていた者達も、店の隅に避難して成り行きを見守っていた客達も思わず静まりかえる中、
  

「ふむ……そちらははずしたか」


 中央に蹴り入れた燭台では誰も巻き込めなかったことを無念そうにいうケイスの不機嫌声が静まりかえった店内にやけに大きく響いた。
 ケイスの足元には先ほど背後で殴り合っていた2人が泡を吹いて倒れていた。
 どうやら今の一瞬の騒ぎで男達が油断した隙を突いて、殴り倒したようだ。


「お、おまえ! 殺す気か!?」


 明らかな殺意を持った攻撃に危うく燭台の下敷きになりそうだった探索者の1人が、このガキは正気かと困惑した目でケイスを見る。
 たかだか酒場の喧嘩でここまで洒落にならない攻撃を躊躇無く出来る者など、そうはいないだろう。
 

「何を言っている。あの程度で死ぬか。それに打ち所が悪くて死んだとしても、文句を言われる筋合いは無いぞ。先ほどお前もそちらの男に殺すと発言していたではないか。椅子や割れ瓶でも十分に人を殺せるぞ。これらを持ち出しておいて、自分達を殺すなは不公平では無いか」


 だがケイスはその稀な存在。
 相手に合わせて剣を抜いていないだけで、当たり所が悪ければ死ぬような攻撃だろうが躊躇など一切無い。
 本人はいたって公平公正にやっているつもりだが、元から持つその肉体能力が反則的であり、さらに言えばその精神は肉体よりも遙かに異常だ。


「……おい。あんたら。こいつやばいぞ」


「あぁ。さっきからのされてる奴の半分くらいはこのガキの仕業だ」


 つい今まで殴り合っていた連中だったが、物騒なケイスの発言にひそひそと言葉を交わしあう。
 囁き合う中には、最初にケイスと揉めた探索者もいれば、子供相手に大人げないとケイスの加勢に入ったはずの職人達。酒の邪魔をされ腹を立てた酔っ払ったごろつきや、騒ぎが好きなけんかっ早い学生もいる。
 参戦理由も立場も違う20人ほどの男達の中で、酒場の中で誰が一番危険な生物なのか、共通認識が急速に出来上がっていく。
 誰が合図したわけでもない。
 だがあまりに異質な存在に、集団心理が働いたのか、今まで四方八方に向けられていた敵意や害意が一瞬でケイスに集中し始め、周りを囲むようにじりじりと包囲が自然と出来ていく。
 一斉に袋だたきにしてしまおうと囲んでくる大人達を相手に、純粋戦闘狂は周囲を見渡して1つ頷く。
   

「ふむ。良い選択だ。私を潰すつもりなら、力を合わせろ」

 
 純粋無垢な笑顔でケイスは左手の拳を構える。
 敵に囲まれれば囲まれるほど心が弾む。
 数が多ければ多いほど、強ければ強いほど、自分はその逆境を撥ねのけるために強くなる。強くなれる。
 自分が負けるなど一切考え無いその狂った思考は、心躍る状況にさらに回転を速めていく。
 囲まれた状況下では自分が動いて状況を動かすべし。
 過去に龍冠を彷徨った際に培った戦闘経験に従い、ケイスは息を浅く吸い全身へと肉体強化の闘気をさらに張り巡らせぐっと身を沈める。
 つい先ほどまで食事をしていたから、体力は十二分。
 まだまだ全力で動けるし、そこらを見れば料理はいくらでも転がっているから、補給しながらでも戦える。
 

「うん。お前達は私を侮らないから好ましいぞ。だから全力で相手してやる」


 幼いながらも美少女然とした美貌には、不釣り合いにもほどがある獰猛な瞳が浮かぶ。
 その瞳の強さにケイスが本気で全員を倒す気だと、この場にいる誰もが思い知らされ、対峙する者全ての警戒が最大限まで高められる。
 自分を取り囲む敵意に押さえきれない高揚感を覚えつつ、ケイスは最初にぶちのめすべき獲物を見定める。
 一番技量および戦闘力が高いと判断したのは真正面に経つ屈強な獣人の探索者。
 ケイスの倍はある背丈に、胴体と同じくらいの二の腕。牙を見せる獰猛な顔つき。
 この乱戦の中でも未だかすり傷1つおっていない。
 ちらちら確認していた感じでは、獣人の方が直接的な力、速度ではケイスより上をいく。
 純粋な力では到底及ばないが、そんなのは何時ものことだ。
 己の才と技量でいくらでも覆すだけのこと。
 それすら上回られたなら、なおさら喜ばしい。
 なら自分が戦いながら成長すれば良い。
 相手が強ければ強いほど、ケイスの心は闘志でたぎる。
 相手にとって不足無し。
 ケイスは獣人へと狙いを定め、


「!」


 視界の隅をカウンターの裏から投げ込まれた、何かが掠める。
 周囲を囲んでいる者達は、ケイスにのみ集中して気づかない。
 だがケイスは違う。
 一対多が何時もの事な化け物は、獣じみた動体視力と戦闘特化した知識を持って物体の姿形を捉え解析しはじめる。
 空き瓶に刻まれた魔術式と文字、宙を漂う臭い。その発光色。
 刻まれた使用式から簡易魔具と判断。
 瓶の中身は不明ながら、中の薬剤を一瞬で気化させ、対象範囲内の生物に吸収させる即効性タイプの時限型炸裂気体拡散式魔具。
 炸裂時間、範囲指定は判別可能。 
 一秒後に炸裂。
 着弾予測位置はケイスが立つ付近の天井。
 効果範囲は着弾点を中心とした半径10ケーラ。 
 店中央部は軒並み効果範囲に入っている。
 自分一人なら回避可能。
 しかし周囲を囲んでいる者達は、逃げ遅れる。
 解析は一瞬。行動選択は即決。決めたときには即時行動。


「ふっ!」


 両足に闘気を集中。爆発。
 ここ数週間でリトラセ砂漠で身につけていた、砂に足を取られないための爆発的な加速力に物をいわせて、床板をぶち壊すほどの踏み込みで一気に最大加速で瓶に向かって跳び上がる。
 ケイスは酒瓶に向かって跳びつつ、右の袖口からナイフを引き抜き、左手に構えた。
 クルクルと回る酒瓶の魔術式に切りつけられる機会は、今の腕、反応速度では一度のみ。
 そんな短時間では、とても術式の無効化が出来るほどに削りきるなど出来無い。
 店の外に投げようにも、外には騒ぎを聞きつけ集まった野次馬達が大勢いる。 
 ならば。
 電光石火の一撃を繰り出したのと、ほぼ同時に瓶が割れる破砕音が響き、瓶の中から濃い魔術薬が気体としてあふれ出す。
 だが拡散するはずだった気体は、ケイスの切りつけた一撃により術式を無効化されその場に留まっていた。
 己の解毒能力に全てを賭けてケイスは漂っている気体を、圧倒的な肺活量に物をいわせて全てを一瞬で吸い尽くした。















 大勢の男達に囲まれていた少女が挑発的な言葉を発し、いきなり飛び上がったと思ったら、偶然なのかそれとも狙ったのか、どこからか投げ込まれた酒瓶が、運悪くその少女にぶち当たった。
 ケイスが何をしようとしたのかわからない者にとっては、それが目の前で起きた事実だ。
 しかしその行動の真意が見えていようが、見えていないかは今は大きな問題ではない。
 問題はだ………そのまま空中から落ちてきたケイスが何とか着地はしたが、そのまますぐに気を失い熟睡してしまった事だろう。


「くぅ…………すぅ……っふぁ……」


 すやすやと寝息を立てながら丸まるケイスは、先ほどまでの暴れぷりが嘘のようにあどけない寝顔で眠っている。
囲み生意気な得体の知れないガキをぶちのめそうとしていた大勢の男達は、どうした物かとケイスを遠巻きに囲んだまま途方に暮れていた。


「…………おい。これどうする」


「どうするったって……さすがにこれを殴るのは」


 困惑した職人の問いかけに、ケイスに激怒していたはずの探索者達も答えあぐねる。
 そこにいるのは、無防備に眠り何とも保護欲をかき立てる幼い美少女だ。
 周囲をピリピリさせた威圧感など皆無。
 苛立たせ人を怒らせる発言も無く、平和な寝息がその口からは漏れる。
 敵愾心を煽るその生意気な目付きは今は見えず、あどけない天使の寝顔を惜しむことも無く披露している。
 無論男達はこの眠れる美少女の正体が、先ほどまで敵対していた美少女風怪物だと骨身にしみて判っている。
 だがその正体を知りながらも、敵意が霧散し躊躇してしまうほどに、その可愛らしさは際立っている。
 これに暴力を振るうのはどうしても躊躇せざる得ないと全員が思わされてしまうほどだ。


「全員眠らせるつもりだったが、ありゃあの嬢ちゃんなんかやりやがったな。あんた見えたか?」


 隠れていたカウンターから顔を出し、強制的に喧嘩が収まり静まりかえった店の中央を覗いていたウォーギンが、その横で同じように様子をうかがっていたスオリーに尋ねる。
 瓶を投げ入れたのはウォーギンだが、その効果範囲がケイスにのみ効いた極々限定された範囲で有ったことをいぶかしげに思っていた。
 あの術式なら周りにいる男達も一緒に眠り込んでいるはずだった。
 
  
「一瞬だけ先に魔術式にナイフを当てて削り取って、無理矢理改竄した……ようです。しかも自分だけがその効果を受けるように範囲を縮小させて。おそらく周囲に被害が及ばないようにと、気体化した睡眠薬も自分から吸い込んでいます」


 ケイスの信じられない行動、技量に呆然としていたスオリーは、裏の正体を隠すことも忘れ、つい見たままのことを素直に答えてしまっていた。
 ケイスは速いといっても所詮は常識レベルの速度。
 常識外に立つ中級探索者であるスオリーには十分目で追える体捌きだ。
 だがそのスオリーからしても、ケイスの行動は十分以上に驚愕できる物だった。
 ケイスが投げ入れられた酒瓶を目で見たのは一瞬。
 気づいただけでもたいした物なのに、その次の瞬間には迎撃のために行動を開始していた。
 あの一瞬で魔術式を確認し、範囲改竄するためにどうすればいいのかを見極めたのだろう。
 ケイスの真の恐ろしさ、能力は、龍由来の肉体能力でも、祖母譲りの卓越した剣技でも、常識外の育ちによりはぐくまれた異常思考でも無い。
 それらの技能を最大効率で使うことが可能な戦闘極化した高回転する頭脳。
 ケイスに関する報告書にはそう書かれていて、スオリーも知識として知っていたつもりだったが、改めてその意味を体感する。
 戦闘中でも投げ入れられた酒瓶に気づく索敵能力。
 一瞬で魔術式を見極める豊富な魔術知識。
 回転する酒瓶の軌道を計算する空間把握能力。
 一瞬で跳び上がり切りつける事が可能な肉体と闘気生成能力。
 式を改竄させる箇所を正確無比に狙える剣技。
 正体が不明な気体化した魔術薬を、つい今の今まで争っている周囲に被害が及ばないようにと、自ら全て吸い尽くす異常思考。
 一秒足らずの間に行われた行動は、数十にも及ぶプロセスを経た上で行われた確信的行動。
 だがその思考速度と行動が速すぎ、事情を知らない人間からすれば、偶然にケイスが頭をぶつけ気を失ったようにしか見えていないのだろう。


「そらまずいな。あれ一人で吸い込んだのかよ。濃すぎて下手すりゃ死ぬぞ」


 技術者故か、それとも天才故か。
 スオリーの説明に、今ひとつケイスのすごさがピンと来ていないのか、ウォーギンはその行動には驚きを見せず、結果に眉を顰める。
範囲内の生物を一瞬で昏睡させる事が出来る強化魔術睡眠薬を高濃縮状態で摂取するなんて、生体活動の著しい低下を招く自殺行為そのものだろう。 

   
「あーでもそれなら身じろぎも出来無いか……強化術式も削ったかありゃ。しかし削るとなるとどこを……」


 だがケイスは意識を失っているが寝息を立て身体も動かしている。
 技術屋としての知識欲が騒いだのか、ウォーギンは懐から紙を取りだすと術式を書き殴りながら分析をし始めた。
 

「今やらなくても……」


 ウォーギンはすぐに極度の集中状態に入ったのか、スオリーの言葉はもう届いていないようで、ぶつぶつと書き殴って解析をしている。
 これは放っておくしか無さそうだと、スオリーはケイスへと視線を戻す。
 ケイスを取り囲んでいた者達は、予想外の展開に戸惑って、ケイスが無防備に見えるためか敵意の向けどころを見失っている。
 今はまだ良い。
 しかし、誰かがそれでも敵意を向ければあの化け物のことだ。
 たかが寝ているくらいで無防備になるわけも無い。
 向けられた敵意に対して自動的に剣を振る防衛本能持ちだということなので、下手に害意を向ければさらなる騒ぎを引き起こしかねない。
 今のうちにケイスを回収して逃げ出したいところだが、迂闊な行動はあの均衡状態を崩しかねない。
 どうやって穏便に済まそうかとスオリーが手をこまねいていると、騒動を聞きつけ店外に群がっていた群衆がざわざわとなりながらも入り口前から退き始めた。
 どうやら街の警備兵達が派手な騒ぎを聞きつけ、ようやく到着したらしい。


「全員その場を動くな……それにしても今日は一段と派手だな」


 群衆を掻き分け店内に入ってきた警備兵長は、倒れ伏した酔客やら、散乱した酒瓶に蹴倒された椅子、破砕したテーブル、そして止めとばかりに床に開いた大穴と燭台を見て呆れている。 
 客寄せ目的の客同士の殴り合いの喧嘩は、鬱屈した感情の良い発散の場ともなっているので犯罪抑制にもなるからと、荒くれ者が集うこの店の売りとして黙認されている。
 しかしそれが売りの店とはいえ、ここまで暴れられると警備兵側としてもさすがに何時ものように、見て見ぬふりをするわけにもいかない。


「それで今回の騒ぎの中心はどいつだ? 騒ぎの責任はきっかり払ってもらおう」


 酔っ払い同士の喧嘩とはいえ見過ごすレベルを逸脱している。
 それなりの刑罰があると言外に込められた言葉に当事者達は声を揃え、

  
「「「「「「「そのガキだ!」」」」」」」


 と、床ですやすやと眠り込んでいたケイスを一斉に指さした。
 彼らの言うことは、欠片1つの間違いも無い真実。
 しかし真実が、何時も無条件で信じられるとは限られないのも世の常。
 真実があまりに荒唐無稽であれば、その可能性は跳ね上がる。
 店を半壊させるほどの大喧嘩の中心が、幸せそうなあどけない寝顔を浮かべ眠っている幼い少女。
 ケイスを見てから、兵長は疲れたように息を吐いて、


「…………全員酔ってるな。とりあえず拘束しろ。怪我をして気絶している連中は治療院に運べ」


 何を馬鹿なことを言ってるんだと一刀で切り捨て、部下達に指示を出す。
 隊長の指示に店内に入ってきた警備兵達は対魔術強化されたロープを使い慣れた手つきで次々に手首を縛り上げていく。
 カンナビスは人の出入りが激しい分、治安もそれなりに悪いので、集団での喧嘩程度の騒ぎなど日常茶飯事。
 何時ものことといえば何時ものことなのだろう。
 だが拘束される男達からすればたまったものでは無い。
 被害の半分以上をたたき出したのは、そこで眠り込んでいる深窓の令嬢風化け物なのは紛れもない事実だからだ。
  

「ち、ちょっとまて! そいつだ。そいつ! 倒れてる奴の大半をぶっ飛ばして、テーブルたたき割って、燭台を蹴り落としたのもそいつ…………だよな」


 しかも口に出せば口に出すほど、その証言は胡散臭さを増していく辺り実に質が悪い。
 反抗すればより罪が重くなるので素直に縛られながらも反論していた探索者ですら、今のケイスの愛らしい寝姿から、先ほどまでの悪夢のような光景が幻覚だったのでは思ってしまい、徐々に言葉に力がなくなるほどだ。
 

「経緯は後で詳しく聞いてやる。他にそんな戯れ言を言う奴は? いたら一緒に一晩ぶち込むぞ」


 酔っ払いの戯れ言に付き合いきれないとばかりに兵長が首を横に振り、入り口の野次馬へと目線を向けると、面倒事に巻き込まれては叶わないと、群がっていた群衆が蜘蛛の子を散らすように慌てて顔を引っ込めた。
    

「まったく。店主。損害をまとめてあとで詰め所に持ってきてくれ。相当金が掛かるだろうが、探索者達もいることだしあの人数がいれば問題無く払えるだろう」


 当事者達にとっては罰金+損害賠償で相当な出費となるだろうが、探索者なら管理協会に借金という形で支払いも出来る。
 店の修理費くらいは出せるだろうと、店主を安心させる意味で兵長は声をかけたのだが、


「はぁ。そっちはいいんですけど……そ、それであれはどうしましょうか」  


 その店主はそんな事よりもと、おそるおそるとケイスを指さす。
 今は眠っているが、あれの中身は化け物。
 起きてまた暴れ始められたら手に負えない。一緒に連れて行ってくれとその顔は物語っていた。
 だが兵長側から見れば、この店には著しく場違いながらも、あれはただ眠り込んだ美少女にしか見えない。
 まさか一緒に連行するわけにも行かない。


「連れ合いがいるだろ。それとも何か。あんたの店はあんな子供でも一人で入店させるとでもいうのか。見たところ酔いつぶれて眠っているようだが、どれだけ飲ませた。場合によっては手入れをいれるぞ」


 この辺りの都市なら中央ほど五月蠅くも無いので、未成年だろうが酒を提供しても法律上の問題は無いが、この騒ぎでも起きないほどに泥酔するほどはどうだと、兵長は眉をしかめる。
 

「と、とんでもない。い、一杯舐めただけで潰れただけですよあちらのお嬢さんは。なぁそうだろスオリーちゃん!」


 下手すれば営業許可の取り消しや停止なんて事にもなりかねないと、店主は慌てて首を横に振ってカウンターの向こう側から様子をうかがっていたスオリーを呼び出す。 


「ど、どうも~ラルグさんお仕事ご苦労様です。すみませんジュースと間違え飲んで潰れちゃって、水を持ってこようとしたらこんな騒ぎが起きて、助けにいけなくて困ってたんですよ」


 事実とは全く異なるが、この流れに乗ってしまおうとやけくそ気味にスオリーは顔を出し、顔なじみの警備兵長へと挨拶し、店主の作り話へと全面にあわせていく。


「ん。なんだ協会のスオリーさんか。あんたの連れならちゃんと面倒を見てやれ」


 受付嬢としての表の顔でそれなりに顔をしられているスオリーの登場に、警備兵長ラルグも気を抜いたのか説教じみた言葉を口にしながらも、近所の気の良いおじさんといった顔を見せていた。


「あんたがいるなら丁度良い。あとで今回拘束した探索者の身元保証や資料を送るように手配しておいてくれないか。今日は何か知らないが騒ぎが多くて、正直いえば手が足りていなくてな。そうしてもらえると助かる。スリが刺されたやら、集団幻覚か知らんが崖を登ってきた子供がいるやら、竜獣翁が来られていたとか上も下も大騒ぎになっていてな」


「えぇ。はいすぐにご用意いたします! だから早くお仕事にどうぞ!」


 なんで今日に限って騒ぎが多いのか。
 その答えの中心点近くにいるスオリーは、その騒ぎの大元であるケイスの存在を隠すためにラルグに対し限りなく迅速な返事を返すしか、術は無かった。


























「疲れた……疲れたよ。姉ちゃん……もう限界だよ」


 テーブルにがっくと倒れ伏したスオリーは、心身ともに削りきられた己の状態を嘆きながら、ジョッキの酒をちびちびと飲んでいた。
 だがそのペースは止まることが無く、かなりの量を飲んでいて顔も紅く、背中の羽根は力なくだれている。
 あの後騒ぎを聞きつけたボイド達が訪れ無事?に合流できたスオリーは、眠り込んだケイスをルディアに預けることで面倒を見るという役割からようやく解放されていた。
 ラルグから頼まれた仕事を片付けたあとは、ファンリア商会主催の者達が泊まる宿の酒場を借り切って行われた慰労会へと特別ゲストとして同席し、無事に帰ってきた幼馴染み達へと今日の愚痴をこぼしていた。
 

「姉貴ほれ飲め飲め。ケイス相手じゃ仕方ねぇっての。あいつ無茶苦茶だからな。飲んで忘れろ」


「まぁせっかくの休みなんだからぱーっと飲んで忘れろって。ただ酒なんだしよ」 


 心身ともにやられて泥酔している姉の姿を物珍しく見ているヴィオンと、年上の幼馴染みの空になったジョッキにボイドはとぽとぽと酒をつぎ足す。
 それぞれ同情がたっぷりと乗った慰めの言葉をかけているが、二人の顔は笑っているのだから面白がっているようだ。
幼馴染み4人組のなかで一番の年長者であるスオリーは、気丈というか常に姉ぶり説教じみた台詞も多いので、良い弱みを握れるという期待と、普段のちょっとした意趣返しもあるのだろう。


「二人とも面白がってるでしょ。大変だったんだよ! セラちゃん。この薄情者達に何とか言ってやって」


 男共は当てにならない。
 ここは妹として可愛がっているセラを味方を付けようとしたスオリーだったが、その肝心のセラは


「ウォーギンさん。これの改良ってどうすれば良い? もうちょっと速射性と安定性を上げたいんだけど」


「待ったセラ姉ちゃん。さっきからずっと聞いてばかりじゃねぇか。俺もこっちを見て貰いたいんだっての」


「あーそれなら杖内部の回路を……」  


 何故かそのまま流れで同席し、ただ飯にありついていたウォーギンを取り合ってラクトと共に魔具談義で花を咲かせていた。
 セラが扱う魔術杖や、ケイスとの決闘用に昼間に仕入れてきた魔具のほとんどをメインデザインをしたのがウォーギンだったそうで、制作者目線からの改良策や使い方のコツなどで、この上なく盛り上がっているようで、スオリーの言葉など耳に入っていないようだ。


「み、味方がいない。ね、姉ちゃんこんなにお仕事頑張ってるのに、誰も分かち合ってくれない」


 涙目になったスオリーはどんよりとした表情で、呻きながらもカップを一気に飲み干す。
 ケイスに削られた疲労はその心身に深々と刻み込まれていた。


「いや仕事って、ケイスに関わったのは完全プライベートだろうが。待ち合わせに来ないから嫌な予感したら案の定だしよ」


「そうそう。それにどうせ俺らが関わってたから、姉貴がケイスに巻き込まれるのも時間の問題だっての」


 ボイドはもちろん、弟のヴィオンですら、管理協会の受付嬢とは別にスオリーが裏の仕事をしていることは知らない。
 カンナビスで知っているのはカンナビス支部長であるボイドの父親を含め僅か数人しかいない
 裏方にいるからこそ力を発揮できる仕事なので、例え親しい人間でも伝えないのは重々承知している。


「人の気も知らないで…………」


 酔っていても自制して肝心なと事には触れていないが、それでも言わずにはいられなかった。
 がっくと力なく倒れ込んだスオリーは恨めしげな目でボイド達を睨んだ。
 愚痴をこぼしても面白がられるのでは、話す気は減退。気も晴れやしない。
 どうやって気を晴らそうかと悩んでいると、スオリーの横に長身の影が立った。


「お待たせし……どうしましたスオリーさん?」


 燃えるような赤髪と女性としては珍しいほど長身の薬師ルディアがいつの間にやら戻ってきていて、テーブルに倒れ込んで酔っ払っているスオリーを心配げに見ていた。
 高濃度魔術睡眠薬を摂取したというケイスを上の部屋で寝かせて、診察をしていたのだがどうやら終わったようだ。


「姉貴、ケイスのせいで精神的にやられて、酒で現実逃避中。関わったのが運の尽きだな」
  


「医者に診せに行くとか言って飛び出したのに喧嘩して店半壊とかするあの子相手じゃ誰でもそうなりますよ。二日酔い防止とか精神が落ち着く薬なら調合できますからいつでも言ってくださいね」


 ケイスの突拍子も無い行動に多少は耐性がついていたルディアは、打ちひしがれたスオリーに心底から同情的な視線を投げ掛けた。
 同じようにケイスに振り回されているので、おそらく同類相哀れむという類いの感情だろう。


「……この子。良い子だよ。姉ちゃんこんな子が妹に欲しいよ……ねぇルディアちゃん。ウチの弟を貰ってくれない」


 しかし掛け値無しのルディアの言葉が今の荒んだスオリーには何よりの癒やしなのか、それとも酔っているのか、かなり力強い手でルディアを捕まえるととんでもない事を言い出した。


「ぶっ! あ、姉貴。弟を売るな!」


「えぇ。だって良い子だよこの子。あんた女癖が悪いんだから、こういうちゃんとした子に姉ちゃんは管理して貰いたいの」


「あ、あのその手の冗談は、出来たらご遠慮願いたいんですけど。後ちゃん付けもキャラでは無いので止めて欲しいです」 


 二人のやり取りからヴィオンとセラが付き合っていることを察していたルディアがちらりとセラへと視線をやるが、首を横に振って適当に流しておいてと視線でサインを送っている。  


「冗談じゃ無いのよ。ヴィオンはねぇ魔術も使えるし、戦闘技能もちゃんとしてるし、色々器用だし、探索者としては才能あって自慢の弟だけど、女性関係だけは別なの。過去に何人を弄んだか。ちゃんと躾けて首輪を付けられる人が良いと思うの。だから本当なら可愛い妹のセラちゃんと一緒のパーティにもしたくないんだけど、戦闘での相性が良いから仕方なく組ませてるのよ」


「昔の話だ昔の。今は真面目にやってんだから吹聴すんな姉貴」


 好評価なのか低評価なのかいまいち判らない姉の評価に、ヴィオンが始まったと不満顔だ。


「疑わしい…………ヴィオン。あんたセラちゃんに手を出してないでしょうね。もし出してたらもぎ取るわよ」


 弟殺しも辞さないと感じさせる目付きは冗談でもなく本気だと感じさせる。
 実の弟よりも妹分への愛情度が著しく高いようで、下手に答えたらこの場で血の雨が降りそうな雰囲気にテーブルについた者達に緊張感が奔る。


「だ、大丈夫だ。俺の”ほう”からは手を出してないから。約束してただろ……なぁボイド!」


 姉の殺気に気圧されうっかり口を滑らせかけたヴィオンが、立て直そうと慌ててボイドへと話を振る。


「おま! 俺に振るなよ!」


 巻き込まれないようにと黙っていたボイドは、スオリーの視線が自分に向いて血相を変える。


「ボイド君の証言は当てにならない……娼館の支払いで揉めて騒ぎを起こして身元保証が廻ってきた事は忘れてないわよ。姉ちゃん恥ずかしかったんだから。ヴィオンと一緒に遊んでたなんて……ヴィオンを止めてくれるって信頼してたのに裏切られた気分だったんだから」


 酔っているはずのスオリーが不意に素の真顔で説教じみた顔を浮かべる。
 どうやら信頼していた幼馴染みが弟と一緒に出入りしていたと知った時のことを思い出して一瞬で酔いが覚めたようだ。
 ヴィオンの女絡みの話から、毎回の展開にボイドは頭を抱える。


「……頼む。スオリーその話はいい加減に忘れてくれ」   


 過去につい酔った弾みで羽目を外した際の過ちの所為で、未だにこうやって責められる所為で、未だにもう一歩踏み込めないのだから、昔の自分が目の前にいたらとりあえず殴り飛ばしたいと鬱屈した気持ちで、ボイドは呻くように伝えた。


「え、えと。それよりあの子の容態ですけど、予想通りというか大丈夫です」


 なにやら複雑な幼馴染み達の関係に踏み込まない方が吉だと判断したルディアは、わざとらしくも無理矢理に話題を変える。
 

「お、おう。そうか。やっぱり無事か。さすがケイス。ラクト喜べ。決闘に支障は無いぞ」


「あぁあ! ケイスの舐め腐った態度が出来無いようにしてやるよ」


 ルディアの助け船に全力で乗っかることにしたヴィオンに振られたラクトも空気を読んで、半分本気ながらも勢いよく頷く。
 あの化け物に勝つ。
 実力差がかけ離れているのは判っているが、何故かラクトにはそれが至上命題のように感じていた。 


「眠っているだけで他は問題無しでした。前みたいに無意識でしょうけど左手に薬剤を集中して汗と一緒に排出もしてましたから、早めに目を覚ますと思います」


「やっぱり無事って、あれ相当強化されてたんだがよ。しかも自己排出ってあいつ何者だよ」 


 一方でケイスの決闘騒ぎは部外者のウォーギンは、高濃度濃縮睡眠薬を摂取しても無事で済むケイスの常識外の肉体に懐疑的な顔を浮かべる。
 何度調べてもあの一瞬で範囲はともかくとして、他の効能を消すことは出来無いと、ウォーギンの技術屋としての知識と勘は告げている。
 あの知識と肉体能力はただ者では無いと誰もが思うことだろう。


「あー……正体不明です」


 ウォーギンの問いかけに対して、ルディアは一言で答える。
 それがその過去を知るスオリーを除いて、この場にいる誰もが思っていたケイスへの印象なのは間違っていなかった。

























「……ふむ?」


 目を覚ますと周囲が濃い霧に覆われている。
 周りは見えないが水の臭いがして空気がひんやりと冷たい。
 出した声の反響する音が響く。
 どこかの洞窟のようだが、そんな所に入った覚えが無い。
 自分のいる位置が判らずケイスは首をひねるが、すぐに違和感に気づき気を抜いた。
 怪我をしているはずの右手の包帯が無く、服さえも無い全裸で自分は立っているからだ。
 さらに言えば、このふわふわとしたどうにも気合いの入らない精神状態は、どうやら現実では無く、精神世界のようだと判断する。
 このような体験は別に初めてでは無い。
 呪術にはまり夢を見させられたこともあるし、高位種である知り合いに見させられた幻も経験している。
 だから慌てるでも無く、ケイスはイメージを固める。
 ここが精神世界ならば思い通りになら無いはずが無い。
 その強固な自我がイメージを形作り、ケイスは動きやすい軽装にマントを纏った今の旅装束へと一瞬で変わる。
 

「ん。次は剣か。ふむ何にしようか」


 どうせイメージできるなら、好きな剣にしたい。
 しかし好きな剣は無数にある。
 一番良い物をイメージしたいが、未だに最上という形はケイスの中には出来上がっていない。
 何せケイスは天才。
 どのような剣であろうとも一定以上の力を引き出し、良ければ良いほどケイスはその剣に合わせ力を引き出す。
 その底なしの才は未だ限界を知らず、完全に満足する剣となるとこの世に存在しないのでは無いかというほどに際立っていた。


「ふん。混じり者とはいえ我が血を引くだけはあるか。慌ててはいないようだな」


 ケイスがイメージする剣についてあれこれ考えていると、急に重々しく強くそして不遜で不愉快そうな声が響いた。
 どうやら声の主がこの空間にケイスを引きずり込んだ相手のようだ。
 

「ん。少し黙っていろ。今剣を考えている。後で相手をしてやるから」


 だが今のケイスは相手に興味が無い。
 せっかく好きな剣をイメージできるというのに邪魔をするなと、コバエを払うかのように素っ気なく答えた。
 

「我の言葉を無視するとは、躾がなっていないようだな!」


 傍若無人なケイスの態度に怒りを抱いたのか周囲に雷鳴のような怒声が響き、前方から吹き荒れた強烈な風が周囲の霧を吹き飛ばした。
 せっかくの楽しい思考を邪魔されたケイスは、その釣り目を不機嫌そうな色に染めると、顔を上げ真正面を向く。
 そこには巨大な龍の顔があった。
 牙1つをとってもケイスと同等の大きさ。
 その口蓋は大きく開けば城門にも匹敵するだろうほどに巨大。
 青く透き通った瞳は、深水の色をたゆたわせた池のようで、ケイスを睨んでいる。
 並の人間なら腰が砕けまともに立っていることも出来無い圧力を前に、


「…………なんだ龍か。ん。しかしその顔は始母様にそっくりだな。始母様の血縁か?」


 ケイスはその顔をまじまじと見つめてから、平然と話しかける。
 龍の顔にケイスはその身に流れる血の大元である龍王ルクセライゼンの面影を見いだした。


「ふっ。我の正体も知らんのかこの愚者は。それともあやつが臆して伝えておらなんだか。我こそはっ!」


 ケイスを見下した目で睨みその名を名乗ろうとした龍だが、その言葉を最後まで言う前にケイスが動いた。
 一瞬で剣をイメージしその右手に構え、その両足に闘気を込め一筋の矢となり龍の右目へと向かって飛びかかっていた。
 いきなりの不意打ちに完全に虚を突かれた龍が対応する前に、ケイスは戦術を組み立てる。
 龍相手にまともにやっても、今の力では逆立ちしたって勝てはしない。
 だがそれがどうした。
 気に入らない者はぶった切る。それがケイスだ。
 

「やはりあやつの娘か! 我に牙を剥くとはな!」


 龍が吠え、その目に魔法陣が浮かぶ。
 同時にケイスの周囲にその魔法陣が幾重にも転写されその進路を覆っていく。
 一瞬の光を放ち魔法陣が一斉起動を始めた。
 無数の水流が魔法陣から立ち上がり、蔦のようにケイスに絡みつこうと襲いかかる。
 その早さ、密度はケイスの今の速度では躱しきれない。
 真っ正面から迫る水の茨に飲み込まれたケイスの体に、容赦なく襲いかかる。
 強烈な痛みを持って貫いた水茨によって、ケイスの右腕が吹き飛び、身体を貫き内臓を抉り、目を押しつぶす。
 全身から血が噴き出し、気が狂うような痛みがケイスの中を駆け巡る。
 圧倒的な実力差。
 相手にもならない。
 それが龍を相手にした者の末路。
 現実なら終わった勝負。
 だが……気にしない。
 ここは夢の中。精神世界。
 ケイスは認めない。
 その龍の攻撃も、その龍によって失った身体も。
 自分は剣を握っている。
 相手に勝とうと剣を持って前に進んでいる。
 なら自分が勝つ。
 それが自然の理であり、自分の絶対。
 だから自分は負けない。
 だから自分が勝つ。
 圧倒的な龍を前に、ケイスはその圧倒的な精神力を持って拮抗し、さらには覆す。
 世界すらも喰らい尽くすほどの傍若無人さを持って、その身を推し進める。
 吹き飛んだはずの右腕に力がこもり、貫かれたはずの心臓が激しく脈打ち、潰れたその黒い双眸が目標を捉え、粉みじんとなったその口が、


「邑源一刀流! 逆手双刺突巻絡み!」
 

 口上と共に龍の右目に剣を深々と刺し込む。
 さらにその剣へと体重をかけ身体を回転させるように力を込めて目の一部を捻りきってから、龍の顔を蹴りつけてケイスは大きく飛び退く。
 そのままクルクルと回り地面へとすたっと降りたケイスは、剣を構えたまま再度龍を見上げる。


「なんだ無傷か。少しは痛がれ。今の私の全力だぞ」


 強かに打ち込んだ剣戟で目の一部を抉ったはずだが、その透き通った水面のような眼は無傷のままケイスを見ていた。
 自分の最大攻撃を無効化されケイスは不機嫌そうに頬を膨らませる。
 何のことは無い。
 自分と同じように龍が攻撃を無視したのだろうと判断する。
 自分の全力など、この龍にとっては蚊に刺されたような物なのだろう。
 だから回避もせず、なすがままにしていた。
 改めてこの龍との間に埋め尽くしがたいほどの差があるのだと感じ取る。


「だがお前気に入ったぞ。良し。今のように本気でこい。私が殺すまで付き合ってやろう」


 それが嬉しい。
 気を取り直したケイスは笑顔を浮かべ、新たなる剣を呼び出す。
 いろいろ試したい剣もある。
 それにここでならもう一つの流派を解放しても良いかもしれない。
 強い相手がいて好きな剣がいくらでも呼び出せる。
 事情は判らないがケイスにとってここは天国だった。


「貴様……何を考えている。何故あの攻撃で死なぬ。痛みを感じなかったとでも言うのか」


 しかしその相手である龍は、平然と剣を構えるケイスに対して困惑していた。
 ここは龍が作り出した精神世界であっても、その痛みや怪我は現実とさほど変わらないほど高度な術による物。
 確かにケイスは全身をばらばらに切り刻まれ激痛と共に一瞬息絶えていたはずなのに、怯えもひるみも無く平然と剣を構えている。


「うむ。痛かったぞ。しかし避けられなかったのだから痛いのは当然だ。何を言っている」


 龍が聞きたいのはそんな事では無い。
 何故あの痛みを受け入れ正気でいられると問いただしているのに、ケイスの答えは龍ですらも凌ぐ意味不明な答えだった。


『無駄ですよ父上。その者に常世の常識を説いても。我が末にして、我ら龍すらも凌ぐ怪物ですがゆえに』 


 呆気にとられている龍を慰めるように、何者かが龍に話しかけてきた。
 いつの間にやら龍とケイスの間に一人の女性が立っていた。
 年の頃は30過ぎの涼やかな美女は龍と同じく透き通った青色の双眸と同系色でゆらゆらとたゆたう衣を纏い、人外の雰囲気を醸し出している。


「ふむ。どうした来ないのか? つまらんぞ」


 しかしケイスには姿が見えていないのか、女性に反応しておらず、反応しない龍に対して頬を膨らませていた。


『貴様か。よくも我の前に顔を出せたな。親不孝な娘が。しかも人の身で現れるとはどういう了見だ』

 龍はばつが悪そうに顔をしかめると、ケイスを無視してその美女へと呼びかけた。
 だが突き放すように言ったその言葉とは裏腹に、その中には確かな愛情が含まれていた。


『父上の愛情を汚した我をまだ娘と呼んでいただけるとは、ありがとうございます。しかし父上。私は今はルクセライゼン帝国始母にして守り神ウェルカ・ルクセライゼン。この姿でいることをお許しくださいませ』


 美女の名は龍王ルクセライゼン。
 龍種が一種深海青竜の長にして、かつてルクセライゼン帝国始皇帝と共に、先代ルクセライゼンを討ち果たした帝国始母と呼ばれる存在。
 彼の地であれば伝説と共に畏敬を込めて語られ、その存在が未だ存命であると知る僅かな者達からは生き神と崇められる超常存在。


「それにこちらの姿でないと…………久しぶりですね、ケイネリアスノー」


 ウェルカがケイスにも認識できるように姿を現すと、ケイスは心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「おぉやはり始母様か。なんだ龍の姿では無いのか? あっちの龍も始母様の仕業なのだろ。早く始母様も龍の姿になれ。龍二体を相手に戦えるなんて楽しみだ」

 
 しかしケイスにとっては祖母の祖母のそのまた祖母のさらに先のご先祖様であろうとも、国で神としてたたえられるような存在でも、所詮は身内の一人で、龍冠内で出会って以来、戦闘訓練という名で遊んで貰った強い龍というぞんざいな扱い。
 さらに自分の今の状況を考えれば、例え始母といえど敵以外の何物でも無い。
 なら戦うのみ。
 龍一体にすら勝ち目が無いというのに、二体を相手に戦おうという、その精神は正直言って正気の者ではない。
 しかしウェルカにとって、ケイスの言動は予想できたことだ。
 この戦闘狂にとって絶対種龍は最高の好物なのだから。


「あの娘の戦闘意欲を刺激して話になりませんので。貴方に仕掛けたのも私の身内だと判断しての条件反射ですよ。この娘は、私が龍の姿で現れれば自分を連れ戻しに来たと思い挨拶代わりに斬りかかってまいりますので」


 相手が龍だろうが、遠い先祖の始母だろうが関係ない。
 自分の行く道を遮るなら打ち砕くという、シンプルかつ直線的な脳筋思考な末娘の前に、本来の姿で来ていれば、このような挨拶をする間もなく斬りかかってきたであろう。


「さぁ早くやろう!」


 お気に入りのオモチャを見つけた子供のようにワクワクと目を輝かせたケイスが待ちきれないというように剣を振り回していた。 


「……お前どういう教育を施した」


「龍にすら臆すこと無く挑む胆力を育てるなぞ不可能ですよ。彼の迷宮神以外には」


 ウェルカは極めて不本意だと、父であり、かつて打ち倒した先代龍王ルクセライゼンへと一応の弁明を申し立てると、改めてケイスへと向きなおり


「ケイネリアスノー。まず紹介したい方がいます。貴女が先ほど斬りかかったのは、我が父であり先代の深海青龍王ラフォス・ルクセライゼンです。自らの祖には少しは敬意を持って接しなさい。私は貴女と戦うために来たのでは無……」


 父である龍王をウェルカは紹介しつつ、ケイスの前に現れた理由を説明しようとするが、
  


「ふむ。理解した」


 ウェルカの話の途中だというのにケイスはぽんと1つ手を打ち、深く頷いた。
 頷いたケイスはそのまま顔をうつむけると、何故か小刻みに全身をぞくぞくと震わせている。


「ふん。ようやく我の偉大さに」


「龍王が2匹か!」


 伝説の龍王と聞いて今更臆したかと嘲ろうとしたルクセライゼンにたいして、ケイスが突如顔を上げキラキラとした目でルクセライゼンを見上げて再度剣を構えると、


「うん! 名誉だ! よしやろう! 今やろう! すぐやろう! 構えろ。お爺さま! 始母様! もう理由などどうでもいい! 戦うぞ!」 


 目の前の龍が自分の遙か遠い祖先だとはっきりと自覚した上で、改めて決闘を申し込むという龍王達にも予想外の行動に出た。
 興奮ぷりは先ほどの比では無く、歓喜を謳うように華やかな闘気を全身から放つ。
 その様は尻尾が切れるほどに振り回しながら雪の庭を駆け回ってはしゃぐ子犬のような嬉しさと楽しさで溢れている。
 ケイスのテンションが跳ね上がるのは、今までに無い強敵+それが身内だという嬉しさだ。
 相手が身内ならばその出自を隠すために伏せていた自らの名を名乗り、決闘を挑むことに何らの支障は無い。
 敬愛する父、母から受け継ぎし名を堂々と名乗れ、しかも相手は龍王が2体。
 戦いこそが生き様。人生の糧なケイスにとって、これ以上のシチュエーションは存在しない。
 あまりの嬉しさに全ての意識が戦闘へと極限集中していくのをケイスは感じ取る。


「フィリオネス・メギウス・ルクセライゼンが娘たるケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンの力を、お爺さま達の末の娘の力を見せてやろう!」


 溌剌として凛々しい覇気と共にケイスは純粋で獰猛な満開の笑みを浮かべていた。
 しかし決闘を申し込まれた龍王達は思わず顔を見合わせる。
 

「ウェルカよ…………この娘ひょっとしてアレなのか」


「えぇ……なんといいますか。アレです」


 人の話を聞いていないや、通じていないとかという生やさしいレベルでは無い。
 ウェルカ達が現れた理由などとりあえずどうでも良いから、強い存在がいるからまずは戦おうという結論に達するその思考回路が、常識外をひた走るにもほどがある。

 一言で言えば『戦闘馬鹿』だ。それも度しがたいレベルの。 

「…………我も長い年月を生きたが、我らより傲岸不遜で他者の言葉を聞かず、非常識な思考をする生物など初めて見たな」 


 娘のため息にいろいろな物を察したラフォス・ルクセライゼンは、改めて自らの血脈の末に生まれた者が、正真正銘の化け物であり、龍さえ超える者であるという娘の言葉に納得していた。 



[22387] 剣士と剣 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/17 03:14
 南方大陸の雄。
 南方大陸統一帝国ルクセライゼン。
 北方大陸トランド全域に広がる迷宮永宮未完のモンスター異常増大と轟炎赤龍王率いる赤龍種による侵攻で北方大陸からあらゆる国家が壊滅し、人種が滅亡の縁まで追い込まれた、いわゆる暗黒時代に、暴虐の限りを尽くす迷宮モンスター達へと対抗する為に、誕生した帝国になる。
 南方大陸で群雄割拠していた24の国家をまとめ上げて大陸を制したのは、建国より千年以上の歴史を持つ古い国ルクセライゼン王国。
 彼の国の始祖は、遥か昔に南方大陸に十数年以上も続く大干魃をもたらし、草木を枯らし、穀倉地帯に壊滅的な被害を与え、いくつもの国に戦乱と飢餓をばらまく原因となった悪龍深海青龍王ルクセライゼンを打ち倒した探索者であった。
 武人であり魔術師としても名高かった建国王が用いた武具は多岐にわたるが、その中でも四宝と呼ばれる剣、杖、鎧、盾は、神々よりの祝福である超常の力と天印を持つ天印宝物として、伝説の武具として語り継がれている。
 天印宝物とは、取得者の死亡やその超常の力を発現させれば、塵となり消え去り、やがて長い年月を経て、また迷宮内に出現する神秘の品。
 ルクセライゼンにおいて帝位を得るには、帝位継承権を持つ皇族男子が、建国王と同じく自らの身で迷宮へと挑み、不老長寿の力を得た上級探索者となり、神々に認められ伝説に残る建国王の四宝を1つでも得て持ち帰ることが、唯一にして絶対条件となっている。
 幾度となく行われた帝位継承の儀において、多くの皇族がその途上で倒れ臥しても、この慣習だけは、改められることは無く、神々の祝福を得た英雄が帝位に着き、衰えない思考と肉体により広大な帝国を治めていた。
 現皇帝であるフィリオネス・メギウス・ルクセライゼンもまた、実年齢は70を超えながらも、上級探索者となった全盛時代の肉体と知謀を持つ英雄皇帝の一人。
 彼が若き頃に永宮未完で繰り広げた冒険譚は、今でも帝都の酒場において定番人気の英雄叙事詩の1つである。
 その半世紀近く続く治世は、大きな混乱も無く安定した統治と、民草を思う政策によりさらなる発展をもたらした名君として民衆からは評価されている。
 だが現皇帝に対する皇族と貴族達の評判は決して良い物では無い。
 皇帝フィリオネスの名の下に発せられた職種開放令、税法改正等の数々の改革は大衆主義的と批判されていた。
 また歴代皇帝と比べて長きに渡る統治はメギウス家による独占だと非難され、その後継者問題もやり玉に挙げられる。
 血筋を残すことも重大な役割である皇帝には、現皇帝生母の出身家以外の、併合した旧王家である各地の23氏皇族より血族の娘が一人ずつ輿入れし、後宮を作ることが慣例となっている。
 1人の父と23人の母の元で生まれ育った数多くの皇子達が、次代皇帝となるため皇太子を目指し、新たなる英雄叙事詩がいくつも生み出されていく。   
 現皇帝であるフィリオネスの元にも、帝位を継承したその時から美姫が集い後宮が形成されていた。
 しかし輿入れが過ぎ、数年が経っても皇妃で懐妊したものは誰一人居らず、それどころか数年すれば暇を出され実家へと戻らされる者が続出していた。
 戻された家からは、また新たに若い娘が輿入れされたが、その娘がまた数年して送り返されるのが幾度も繰り返された。
 家の名誉に傷がつくからと秘匿されているが、后によっては一度も閨を共にする事も無く返された者すらいると噂されるほどだ。
 子種を持っていない。
 同性愛者である。
 性的不能である。
 数多くの悪意ある噂が流される中で、いつしか1つの噂が真実味を持って語られる。
 フィリオネスには探索者時代に恋人がいたが、冒険の途中で死に別れ、今でもその女性のことが忘れられずにいるという噂だ。
 ありがちな話ではあるが民衆には受けがよい。
 しかし国を統べる統治者としての自覚が欠ける話だと皇族には、その噂はすこぶる評判が悪かった。
 さらには、昨今ではその噂に新たな派生が生まれている。
 フィリオネスは死んだ恋人を天印宝物により生き返らせ、その女性が子を産んだと。
 しかし死者との間に生まれた子は、はかなく病弱であり、世に出せ無いほど醜く腐り崩れた容姿をしていたと。
 その隠された皇女はかつての龍王ルクセライゼンが倒れた地。
 帝国聖域たる龍冠において密かに育てられていると。
 この新たなる疑惑が生まれると共に、順調に発展を続けていた帝国内で、徐々にではあるが、不穏な事件や些細な争いが生じる。
 まるでその呪われた皇女がもたらしたかのような、戦乱の火種が帝国のあちらこちらでくすぶっていた。
 











「むぅ! なかなか! やるなっ! さすが始母様!」


 押さえきれない高揚を感じさせる弾ませた声で笑いながら、ケイスは無数に続く高圧縮された水弾をかいくぐり、弾き、そして切り落とす。
 その洗練された剣技と、幼いながらも目を引く無邪気な笑みを浮かべる美貌は、戦乙女と評してもあながち間違いでは無いだろう。
 躱しきれない水弾によって傷つき血まみれの姿でさえ無ければ……
 血塗れでありながら天真爛漫な笑顔で剣を振り回し続けるその様は恐怖を通り越して、もはや喜劇だ。
   

「……”あれ”を昨今の人間共は病弱と呼ぶのか?」


 かれこれ数十分以上続いている豪雨のような弾丸に切り裂かれ抉られ、体中を気が狂うような無数の痛みが走っているはずなのに、まるで気にもとめず、龍王達へと攻撃を加えようと一進一退を続けるケイスを見て、先代深海青龍王ラフォス・ルクセライゼンは懐疑的な声を上げた。
 ラフォスの意識が途絶えてから千年以上もの時代が流れていたが、いくら人が強くなろうとも、あの姿を病弱とは呼ばないだろう。
 ここはラフォスの魔力で作られ、ケイスを取り込んだ夢、幻の世界。
 この世界において起きる、全ての痛みや傷は確かに幻覚ではあるが、当事者にとっては真実と変わらない高度な物。
 だというのに、死ぬことはおろか、気絶さえせず、気が狂うような痛みを感じているはずなのに、むしろ嬉しそうに笑っているあたり、正気を疑いたくなる光景だ。
 しかも、それが認めがたいが、紛れもなく自らの血脈に連なる末だと思うと、ラフォスは現実においては既に無いはずの頭部に痛さを覚えるほどだ。


「噂とはいつの世も偽りが混ざる物ですよ父上。父上の悪行とてそうでしょ。かつて南方大陸に大干魃をもたらした悪龍ルクセライゼン。しかしその干魃の真実とは、嵐を呼ぶ父上の寿命が尽きかけ魔力が枯渇し初めたゆえの結果。娘としては、真実を語り継ぎたいのですが今世を乱すことになるので口を閉じております。申し訳ありません」


 一方でルクセライゼンの娘であり、現深海青龍王でありケイスを生まれた頃より知る帝国始母ウェルカ・ルクセライゼンにとっては、今更な末の娘の戦闘狂な姿にはなんの驚きもない。 
 父の足元で茶器を広げ優雅にお茶会を楽しみながら、時折水弾の雨を突破しそうなケイスへと追加水球を呼び出して攻撃をしていた。
 何せ千年ぶりに会った親子の会話だ。
 要点だけを摘んで話してもいくらでも積もる話はある。
 だというのに、人間体で来ても久しぶりの所為か戦いたがる、あの戦闘馬鹿な末娘がいては落ち着いて話も出来ない。
 とりあえず満足するまで戦わせておけば良いと、ウェルカが適当に相手をしていたが、暴走娘はなかなかに止まりそうに無かった。


「ふん。地の底に縛り付けられ、このような水たまりに押し込められる。我が子にまでその様な苦行を負わせようとしなかった、我の親心を踏みにじった貴様が言えた義理か。まんまとあの迷宮神の思わくに嵌まりおって」 


 南方大陸全土に大雨をもたらす春嵐。
 ”本来”であれば不毛の地が広がる南方大陸を、水源豊かな大森林や河川沿いを肥沃地帯として変貌させ恵みをもたらす物だ。
 その巨大な嵐を呼びよこすのは絶大なる龍王の魔力。
 しかし大陸全域に天の恵みをもたらす代償は、名の通り広大な海を住処とするはずの深海青龍を、大陸中央部山岳地帯地下深くに作られた巨大魔法陣の中に押し込め、寿命と引き替えに無理矢理に魔力を絞り出して蓄積させるものだ。
 かつてルクセライゼンは、一族に蔓延した流行病の治癒と引き替えに、迷宮神ミノトスと契約を交わし、小さな泉に閉じ込められ、下等種族達が住まうための大陸作りという恥辱と苦痛に苛まれる役へとついていた。
 大雨により不毛の地には草木が生え、餌を求めて動物が移り住み、肥沃な土地へと変貌した大陸に、北大陸から知恵を持つ種族が進出して、文明国家が築かれる。
 しかし数千年にも渡る大陸の繁栄が、一頭の龍の恩恵であると知る者は誰も居なかった。
 だがその栄華の時代も、ルクセライゼンの衰えと共に終わるはずであった。
 魔力がつきて春嵐が起きなくなると、大陸は本来の姿を思い出し、大干魃が大陸中を覆い尽くした。
 ただ一カ所。ラフォスが縛り付けられた大陸中央部の険しい人跡未踏の山岳地帯を除いて。
 生存本能から僅かな魔力でもラフォスが雨雲を召喚していた為に、未だ肥沃な地と豊富な水量を保つ地には、その謎を解明する為に大陸中の国家から合同調査団が派遣され、ほどなく2つの報告があがる。
 凶悪で凶暴な無数のモンスターに護られた巨大な迷宮が発見された。
 そしてそれだけのモンスターを従えるだけの、山脈入り口からも探知できるほどの強大な気配を感じさせる主が迷宮深くに存在すると。
 人々が迷宮の存在を知ると時を同じくして、人に困難を与え成長を促す迷宮を司る神ミノトスより神託が下る。
 曰く、”大干魃を解決する鍵は迷宮の奥底に眠ると” 
 その神託を受けた神官は宣言をする。
 迷宮の主こそが大干魃の原因。
 彼の主を討伐すれば、大陸は救われると。
 これが後に龍冠と呼ばれる巨大迷宮へ人々が挑む切っ掛けであった。


「おや、父上ご存じありませんでしたか。私は迷宮神の企みでは無く、あくまでも自分の意思に従ったまでです。それに娘とは常に父より自分の男を選ぶものです。我が夫が望むなら、この地も天の獄たり得ます」


 真実とは真逆の話に憤り、恩知らずな大陸の者達が滅びようと、恥辱に塗れた父を今際の際だけでも解放しようとしたのがその娘であるウェルカだ。
 しかし迷宮神との盟約により、龍種はラフォスの戒めを解き放つことは出来無い。
 故にウェルカは迷宮神ミノトスと新たなる契約を交わし、龍の力と姿を捨て去り、脆弱な一人の人間として、人のパーティに潜り込み、技術を磨き、力を蓄え、名うての魔術師となった。
 もっとも、その過程で一人の探索者に惚れ込んでしまったのは、ウェルカにも計算外だったが。
 最初は父を解放する為の戦いであったはずだが、結局はウェルカはその男や仲間達の為に自らの身を再度捨てて龍へと戻り、名誉ある戦いの末に打ち倒した父の後を継いで、地の底に縛り付けられ嵐を呼ぶ者へと。
 すなわち深海青龍王ルクセライゼンの名と役目を受け継いでいた。
 端から見れば親子で迷宮神に良いように振り回されているように見えるが、ウェルカとしては結果的には満足している。
 ただ死にゆくはずだった父には戦いの末の名誉ある死を迎えさせることができ、愛おしい夫との子孫達が繁栄し、多くの民に慕われる皇帝や英雄となって歴史に名を残すような傑物も幾人も生まれているのだ。
 娘として妻としてそして母として、これほど満足する事は無いとウェルカはしたり顔で頷く。


「あの小僧め……もう少し囓りきってやるべきであったな。何が絶対寂しい思いはさせないだ」


 もっとも父親としては、娘の幸せそうな顔を見ても不満しか生まれないのはしょうが無いだろう。
 本人達が納得し満足そうであっても、娘であるウェルカが今も迷宮奥底に封じ込められているのは変わりない。
 身じろぎも出来ず微睡む事さえ許されず、ただ虚無の時を地底の牢獄で過ごす苦痛と屈辱は誰よりもラフォスは知っている。


「その言は守られておりますよ。私の余興にと、彼はその領土中に水路を張り巡らせよと遺言を残しております。おかげでこの地においても私の目に入らぬ物はありませぬ。子達の争いや、帝位を求めて起きる諍いなど、人の世もまた賑やかしく飽きることはありませぬ故」


 深海青龍は水を通じて世界を知る。
 初代が残した遺言により、ルクセライゼン帝国はその領土に緻密に張り巡らされた大小様々な運河を築いている。
 表向きには春嵐で発生する大洪水に備えた治水事業とされているが、その裏側の意図を知る者は歴代の皇帝とその側近達だけだ。
 龍冠の湖から続く源流は、大陸全土を巡り、大海へと至り世界を見渡すための通路となっていた。
   

「……一族同士での争いと諍いか。いいのか?」  


「我ら龍の性とは獰猛なまでの支配欲と独占欲。氏族同士の争いが我らの生き様。戦いこそが我らの望み。帝位を求め争うのは、龍としては誠に正しき生き様かと」


 今見せているすまし顔ですっかり忘れていたが、この娘は同族においても名高いほどに、一度戦いとなれば苛烈にして猛り狂う武闘派であったとラフォスは思い出す。 
 

「……なるほど”あれ”は確かにそう考えれば、貴様の幼い頃にうり二つであるな」


 人と交じり幾重にも重ねた混血の末に生まれた、末の娘へとラフォスは目を向ける。
 先ほどまで水弾の勢いに負けて一歩進んでも体勢を崩してすぐに一歩下がる一進一退をしていたはずのケイスは、今では一歩下がっては三歩進むまでに、この短時間で無尽に続く雨だれへと適応して見せていた。
 龍王達を屠ろうとするその目には敵意、悪意の欠片は皆無。
 驚くほどに澄み切っていながらも、狩るべき獲物と目を付けた龍王達への純粋なる殺意で彩られている。
 相手が自分より遙かに強かろうが構わず食らいついていく凶暴性。 
 底なしの戦闘意欲。
 戦いを重ねれば重ねるほどに、成長を続けていくその無限の伸びしろ。
 確かにあれは龍だ。
 人の姿をした龍だ。


「お言葉ですが父上。さすがにあの子と一緒にされるのは私としましても不本意です。あの子の異常性を前にしては、我ら龍とて裸足で逃げ出し降参せざる得ませんので」 


 だが父親の言葉を娘は否定する。
 むすっとし、どこかケイスと似たその勝ち気な目をつり上げた。


「何せあの子の場合は……ケイネリアスノー! もしこの攻撃で打ち倒されるようでしたら私は現実で貴方を連れ戻します! 抗ってみなさい!」


 ウェルカは手に持っていたカップをテーブルの上に置くと、じりじりと近づいてくるケイスの方へと顔を向け宣言をして、軽く息を吸い込む。
 ウェルカの喉から雷鳴のような低く不気味な音が鳴り響き始める。
 それは龍の咆哮前兆現象。
 探索者達の間では、死神の足音とも忌み嫌われる最悪の攻撃の調べ。
 この音が鳴り止むと共に放たれる、極々圧縮されたブレス攻撃は、城塞を一撃で砕き、万の大軍を灰燼へと化す。
 ましてや龍王たるウェルカのブレス攻撃は、島を両断し山脈すらも突き崩す天変地異の大破壊をもたらす。
 今のケイスに襲いかかる水弾など、児戯以下の戯れにもならない桁違いの攻撃だ。







「!」


 全身をびりびりと打つ重低音。
 全身が悲鳴を上げる恐怖。
 脳が勝手に生み出す明確な死の映像。
 全ての生物を萎縮させ恐怖させひれ伏させる魔術効果が付随する音に、ケイスの体が自然と反応してしまう。
 龍の力に抗える者など、同等の力を持つ龍か、極々一部の最高峰の上級探索者のみだろう。
 ケイスは魔力を持たない身。
 抗うことすらも出来ず、その肉体は萎縮し膝をつき、握っていた剣がカランと音をたてて地に落ちる。
 倒れ臥した身体に無数の水弾が次々と命中し、まるでボロ切れのように身体が千切れていく。  
 だがその精神は決して屈しない。
 ウェルカは言った。
 自分を連れ戻すと。
 現実においてウェルカは地の底に縛り付けられていようとも、紛れもない龍王。
 使い魔や水を使役してケイスを捕獲し、遠く離れた龍冠まで転送する事も、容易く行える。
 今の実力ではケイスでは、その攻撃を防ぐことなど出来無い。
 だが今は家に帰る気など毛頭無い。
 自らが望み目指す大願を果たす日まで、帰らぬと誓ったのだ。だから今はまだ帰らない。帰れない。
 なら打ち勝つのみ! 
 倒れ臥したケイスの肉体とは別に、その不撓不屈を貫く精神だけは、決して怯まず、屈しない。
 その強すぎる激情は精神体となり肉体より浮かび上がり、その認められない未来を屠ろうと剣を振りはじめる。
 肉体を捨て去り得た力、速さは先ほどまでの比では無い。
 それはケイスが思い描く理想の自分。
 自らが望み、自らが到達すべき姿。
 あるのは剣士としての本能において、ただ斬るということのみ。
 水弾を打ち落とす切っ先は音を突き破り、それでは飽き足らず光さえも超え無尽に早くなる。 
 前に進もうと縦横無尽に飛び交っていた身体は、残像さえも消え去り、その気配さえも消える。
 壁のように分厚く隙間無く敷き詰められ高密度で放たれていた水弾が、なんの痕跡すら残さず瞬く間に消滅していく。
 ウェルカの咆哮が鳴り止むと同時にケイスの姿が再度現れる。
 それはウェルカの目の前。
 ほんの一瞬で絶望的な距離を詰めたケイスの精神体は、いつの間にやら、その両手に長剣を握っている。
 はさみのように刃元で交差させたその二振りの剣が、ウェルカの細く白い首筋へと寸分違わず添えられて、

  
『レディアス二刀流 ガザミ落とし』


 軽くステップを踏んだケイスがクルリとその場で回転すると同時に、咆哮を放とうとしたウェルカの首は高々と空へと舞っていた。












「と、このように精神戦でならば、既に私ですら打ち負けるほどのイメージを固めておりますゆえ……まったく我が末娘ながら恐ろしい。そして嘆かわしい」


 クルクルと頭上を跳んでいく自らの頭部を見上げながら、ウェルカはポットを手に取り自らのカップに茶をつぎ足すと、やりきれないため息をこぼしてから飲み干す。
 ここは夢幻の世界。現実では出来無いことも思えば出来る。
 身を2つに分け、その片方が死んでいく様さえ見る事も可能。
 ただしその想像が無茶であれば無茶であるほど、それには強固なイメージが必要となる。
 決して破綻しない自らが描く最強の姿を純粋無垢に信じ込み、さらには他人すらも信じ込ませるほど強固なイメージを持ち合わせる者など、ほんの一握りだろう。 
 だがケイスはこの歳でその意思の力で、龍王であるウェルカが自らの死を受け入れるしかないほどの、強さを発揮できる。


「せっかく我らの血を色濃く発現させ、透き通るような青き瞳と高い魔力変換力を持ち合わせて生まれたというのに、この娘はその力を自ら捨てております。はぁ……なんでこんな剣戟一直線に……」


 自らのイメージを外側に向けて広げ、固定化させる。
 それは魔術の初歩にして奥義。
 ケイスの持つ本来の肉体能力である心臓より生み出す膨大な魔力と、その精神力を持ってすれば、現時点でもこの世界で生きる生物の中でも有数の魔術の使い手となるだろう。
 人の超常である探索者にもならない幼い少女であるが、この娘の心根は、不変であるはずの世界の理を浸食し侵しさらには己の色に染め上げるほどに強固で暴虐で傍若無人。
 龍冠で出会った頃の青目のまま成長を続けていれば、やがては世界を全て敵に回しても勝つほどの存在。
 それこそ人の身でありながら龍王と名乗るほどになりかねない……はずだった。
 だがその極めて異質にして化け物じみた魔術の才を、ケイスは己の意思で綺麗さっぱり捨て去り、剣一本で生きている。
 せめてウェルカのブレスを防ぐために一時的にでも魔力を戻すなら可愛げがあるが、それですら力任せの剣戟で乗り切る。
 せっかく教え込んだ魔術知識や龍魔術が全く無意味な状態にウェルカは不満げに言葉をもらした。
 

「さて……ケイネリアスノー。何時まで倒れたふりをしているのですか? 約定は守ります。私は貴方を連れ戻す気はありません。それといくつか話したいこともあります。こちらに来なさい」


 ウェルカは、どこからともなく新しいカップを取り出すと、ゆっくりと茶を入れてテーブルの向かいに置くと、倒れ臥したままのケイスの肉体へと声をかけた。


「……ん。ふりでは無い。少し身体が痺れていただけだ」


 ウェルカの問いかけに偉そうに答えながら、プルプルと震える膝でよろめきながら立ち上がる。


「……んっっ……むぅ、さすがに魔術効果込みのブレスは防ぐだけの方法が思いつかん」


 剣を杖代わりに何とかテーブルまでたどり着くと、極めて不機嫌そうに顔をしかめながらドカッと椅子に座り込んだ。
 手を開いたり握ったりと繰り返して身体のチェックをしてみるが、水弾で負った外傷は消し去ることは容易いが、身体の真まで染みこんだ痺れをイメージで打ち消すことがなかなか出来ず苦労していた。


「むぅそろそろ剣だけで無く防具も考えるべきか……ふむ、子グマとの決闘にあわせて魔術対策も本格的に考えるべきか?



 ここは幻だから精神力だけで押し切れたが、これが現実であれば自分は戦闘不能になっていただろう。
 それがケイスを不機嫌にさせる。
 現実では今の実力ではとても太刀打ちできないウェルカ相手に、精神戦で勝ったと言ってもケイス的にはそんな物は意味が無い。
 やはり勝利とは自らの心身全てを持ってもぎ取る物。
 第一なんだかんだ言っても、子孫に甘いこの始母に、精神的に勝つなどそう難しいことでは無い。
 何時か現実で斬り倒すまで、自分は勝ったことになら無いと物騒なことを考えながら、今の戦いでわかった改めて浮き出た弱点を解消する手を考える。


「始母様とお爺さま。しばらく黙っていろ。これからの戦術方針を考える」

 
 今の相手の魔術攻撃を判断し、それに合わせて回避や迎撃をする方法では先の行き詰まりが見えている。
 昼間の酒場での不覚も魔術式の判別は出来たが、その対応策はその時は他に思いつかなかったとはいえ自らの意識を失う下策。
 これが戦場であれば、既に自分の命は無いだろう。
 やはりここは防御を固めるべきか?
 魔力を持たないと言っても、護符や魔力付与された防備で固めれば、能動的に使用できる自己付与とは違い、防御できる術や使用方法限定されてしまうが、ある程度は対応できる。
 しかし魔力付随した防具はそれなりに値が張るらしい。
 金銭的なことには壊滅的に無頓着なケイスではあるが、それでもある程度の優先順位の嗜好はある。
 もっともその嗜好とは、防具を買うお金があるなら、まずは剣を買うという剣優先な剣術馬鹿嗜好だ。
 ましてやケイスの場合、その剣術や馬鹿げだ力故に、生半可な剣ではポキポキと軽く折って壊す上に、あれやこれやと細部にまで拘る偏屈なまでのマニア。
 気に入る剣が見つかるまで防具などに割く金は無い。
 しかしそれでは不意の魔術攻撃には対応できない。
 そうなるとだ……


「ふむ。やはり見知らぬ者や、敵対する魔術師が近づいてきたら、とりあえず斬るという方針がベストか。妙案だな……むぅ……しかし子グマと次に会ったらその場で斬れば良いのか? それでは決闘の礼儀に反するぞ」


 何をどう考えたのかは判らないが、ウェルカ達のことは無視していきなり頭を悩ませ始め、辻斬りめいたことをぶつぶつと呟き手を打ってなぞなぞの答えがわかった無邪気な幼児のような笑顔を見せたかと思えば、すぐにまたも頭を悩ませ始める末の娘の嗜好は、長い年月を生きるウェルカにも理解できる物では無かった。
   

「これを我ら龍と比べられましても。私としてはこうお答えします。我ら龍はそこまで非常識ではありませんと」


「……限度がある。少しは躾けろ」


 ケイスの自己中心的過ぎる思考は、無論ラフォスにも理解できる物では無い。
 個々の我が強いのは龍の種族的特徴ではあるが、さすがにここまで自分勝手な者は一族でも見たことは無い。


「……むぅ、そうなるとやはりあの剣を使えれば……しかしあれは頑固だ……どうすれば私の力を……」


 思考の袋小路に彷徨い込んだのか、ケイスはぶつぶつと呟きながら、椅子から立ち上がるとその場で剣を振るいだした。
 剣を振っていると思考がクリアになって考えがまとまるとは本人の弁だが、端から見れば危ない危険人物以外の何物でも無い。


「……ケイネリアスノー。そろそろ良いですか? あの剣についてもうしたいことがあるならご本人と話しなさい」


 いらいらが募ってきたのか乱暴に剣を振り回し始めたケイスをさすがに見かね、ウェルカは再度声をかけた。


「ん……むぅ。始母様。どういう意味だ?」


「貴女が扱いに苦慮している剣『羽の剣』と呼ばれるあの剣に宿る精神は我が父の物、もっと正確に言えば、あの剣を構成する素材には龍王ルクセライゼンの骨の一部が用いられています。父上が貴女をここに連れ込んだのも、剣について直接に話そうとしてのことです……そうですよね父上?」  


「この馬鹿娘には一言言わなくては気が済まないからな……まさかお前までが来るとは思わなかったがな。ウェルカお前は少し黙っていろ。この娘に話がある」  


 ウェルカの問いかけにラフォスは忌々しそうに頷きながらも肯定し、ケイスへと目を向けた。
 

「娘。聞いたとおりだ。お前が今所有する剣はドワーフ共によって打ち鍛えられ姿形は変わろうとも我だ。我を手放せ。お前になど使われる気は無い」


 深海青龍は全身の骨格を硬軟軽重変化させ、日の下の海原から、静寂な大海の奥底まで自在に行き来する。
 闘気剣『羽の剣』は龍骨を芯素材と持ちいて、その変質特性を強化し他の鋼材にまで影響を及ぼすドワーフによる特殊工法により作られていた。
 死したラフォスの肉体を用いたとはいえ、その意思の一部を活性化させるほどの神業的技術は、ラフォスですら驚嘆せざる得なかった。


「むぅ。私を認めていないのはお爺さまだったのか……ならば立ち会え。私の力を認めさせてやる」


 ケイスが実に不機嫌そうに頬を膨らませ、懲りずに再度戦いを申し込む。
 剣に認められないのは剣士として沽券に関わる問題。
 しかも認めないのが身内となれば、何が何でも認めさせてやる。
 その為なら殺し合いも辞さないとその瞳ははっきりと語っていた。
 

「ふん。お前の才は認めてやろう。その身が人の身であろうとも我が龍の末だとな……だがそれとこれは別だ。再度言わせて貰うが、お前のような者に私を使わせる気は毛頭無い」


 力任せにもほどがある脳筋思考をする末娘に問題は才能では無いとラフォスは断言する。
 どうやらケイスが心底気に食わないらしく、その拒否感は極めて強いようだ。
 しかし使えない理由が才では無く、ケイス自身が気に食わないといわれても、ケイスにはここまで嫌われる要因に思い当たる節が無い。
 ケイスが生まれる遥か前にラフォスは死んでいるのだから、生前に面識があるわけが無い。
 ラフォスを討ち滅ぼした血脈の末が理由というなら、逆に言えば自分はラフォスの末でもある。
 そこまで拒絶される要因は無いはずだ。


「うぅぅぅっ! はっきり理由を言え! お爺様に嫌われるような事をした覚えは無いぞ!」


 考えても判らず、ケイスは癇癪を起こしラフォスに食ってかかるが、


「……最初に我と出会ったとき、即座に投げ捨ておったな」


「えっ!?」


 冷たい目で見るラフォスのあまりに予想外の返しに、さすがのケイスですら思わず絶句する。
 思い当たる節がある所では無い。紛れもない事実だ。 


「しかも我と比べ選んだのは別の剣であったな……それも魔力も有さず、意思もなく、ただの鉄の塊を」  


 屈辱に身を震わすラフォスを見てケイスは慌てる。
 まさかあの時のことを引き合いに出されるとはさすがに思ってもみなかった。


「ま、まてお爺様!? あのバスタードソードはいい剣だったぞ!?」 


「元が良剣であろうともあの時点では折れて半壊したただの鉄くずであろうが……この我をそんな物と比べる事さえ屈辱というのに、迷いもせず即断して我を投げ捨ておったな」


「た、確かに折れていたが、実際にサンドワームにも勝って見せたでは無いか!?」


「あれは貴様の剣術があってのことであろう。我を用いていれば利き手にさらなる重傷を負う事も無かったのではないか」  


 あの時は切っ先が無いので貫通力を増すために、骨にヒビが入った右手で柄頭を打ち付ける逆手双刺突を使ったが、羽の剣を使っていれば右腕を庇って使える技がいくつかあったのは確かな事実だ。
 それでもケイスにはケイスの言い分がある。


「あ、あの時はあいつが私の選んだ剣だったし、あれで最後だと思うとしっかり使ってやろうと。そ、それにお爺様だってあの状態ではふにゃふにゃしてたし軽いから……」


 しかしその言葉には何時もの勝ち気で傲岸不遜な勢いは無く、年相応の子供、それも悪戯を親に見つかって必死に言い訳するような弱々しさしか無かった。


「あの薬師の娘が、我の特性を説明している途中で会話を打ち切りおったが闘気剣ということまでは聞いておったそうだな。なのに試そうともせず戦闘終了まで放置していたのはお前であろう。その上つい先日は暴言を吐いて我に噛みついてきおったな……その様な礼儀知らずに、今更我を使う資格があると思うな」 


「…………うぅっ! し、始母様!」


 ラフォスの指摘に返す言葉が無く、ついに言葉に詰まったケイスは、成り行きをあきれ顔で見守っていたウェルカに半べそで泣き付く。
 涙目でウェルカを見上げるケイスは何とかしてくれと全身で訴えている。
 先ほどまで剣を振るっていた姿と同一人物とは思えないほどの豹変だ。
 

「どう聞いても悪いのは貴女でしょう…………まったく相変わらず身内に嫌われるのは弱いのですね」


 敵やら知らない者にどう思われようとも気にしないが、家族や親しい者からの正統な理由がある怒りや叱責には滅法弱い末娘に、ウェルカはどうした物かと頭を悩ませる。
 これで少しは反省して日頃の言動を正せば良いが、ケイスにそれを期待するのはとうの昔に諦めている。


「父上。そこまで意固地になられずとも使わせてやってくれませんか……父上も気づいておられるのでしょう」


 ただ馬鹿な子ほど可愛いというか、時には妙に素直な時もある末娘は嫌いでは無いウェルカは仲裁を試みる。
 元よりウェルカがここに訪れたのは、末娘の力となるように父に頼むため。
 ケイスはその生まれより、彼の迷宮神ミノトスの意図が組み込まれている。
 迷宮神が何を考えているのかは、ウェルカにも見通せない。
 ただ碌でもないことであり、ケイスの身に降り注ぐのは、ウェルカ自身や父であるラフォスが巻き込まれた事よりさらに大きな事象であろうという予感のみだ。


「……だからなおさら気に食わん」


 ラフォスもケイスの異常性には当然気づいている。
 そうでも無ければケイスが持つ馬鹿げた能力や常識外の思考。
 なによりいくら血を引くとはいえ、ケイスがウェルカやラフォスと出会えた事の説明が付かない。
 地底奥底の封印されし迷宮に住まうウェルカや、千年以上前に滅んだラフォスの意思とケイスが出会えたことを単なる偶然というのには無理があった。
 死してもなおこうして意識を取り戻したのは、迷宮神の企みであろう。
 その策略に素直に乗る気はラフォスには無い。
    

「とにかく我の用件はもう済んだ。娘覚えておけ。我を使おうとしても、最初は普通に使えようが、お前の闘気がある程度たまれば、我はすぐに現世でも覚醒する。即座にお前の制御より離れ、隙あらばお前を屠ろうとするだろう」


 これ以上話し合う余地は無いと最後通告を突きつけたラフォスの声に、ケイスは泣き付いていたウェルカの体から慌てて泣き顔を上げ、 


「ま、まてお爺様! 私の態度について、あ、謝るから私に……」


 その言葉が最後まで続く前に、ケイスの肉体はこの空間から綺麗さっぱりに消え失せた。
 羽の剣に宿るラフォスが生み出した世界なのだかから、ケイスの意思を追い出すのはラフォスには造作も無い事だ。


「煩わしい娘だ。終わったことをぐじぐじと」


 現実で目を覚ましたケイスは、早速取りだした剣に必死に呼びかけているようだが、現実のラフォスの今の肉体である剣には声を発する器官もないし、精神に呼びかけ会話をする事も出来るが、もう話しはすんだのだからと、相手にする気は皆無だった。
 
 
「それだけ気に入ったのでしょう剣としての父上を……しかし少し大人げないのでは。あれでもまだ子供ですよ」


 気に入った剣はテコでも諦めないケイスと、一度機嫌を悪くすればなかなか戻らない父。あの末娘にして、この父ありというか。
 自分の意志を易々と曲げない頑固さは大分離れた血縁でも、似たもの同士だと思いつつも、ケイスのように放り出されず残っていたウェルカは再度ラフォスに掛け合う。
  

「子であろうが血脈であろうが、我の誇りを汚した者に使われる気は無い」


「……父上。あの子はその時は意思を持つ剣だとは知らなかったのでしょ。些か拘りすぎでは?」


 父の言動に少しばかりの違和感を先ほどからウェルカは抱いていた。
 己の尊厳や誇りに拘るのは父の特徴でもあったが、ラフォスが気分を害している根本理由は、先ほど本人が言ったとおりであれば、闘気剣である己より、ただのしかも半壊した剣を選んだことにある。
 まるで自分の本分が龍では無く、剣にあるとでも言いたげな様子だ。


「確かに我は深海青龍ラフォス・ルクセライゼンではある。だが同時に闘気剣ラフォスであるという意思が奥底まで根付いている」


「……父上?」


 龍とは傲岸不遜にして絶対者。ましてやラフォスはその龍達の長である龍王。
 その意思や生き様はそう易々と変わる物では無い。
 しかし自分は剣であると認めるラフォスに、ウェルカは驚きを覚える。


「あの娘……ケイネリアスノーと言ったな。あの頑強な意思は確かに我ら龍からみても化け物であろう……だがこの時代には更なる化け物がおるぞ。我を持ってしても自分が剣であると認めざる得ないほどの鍛冶師がな」


 死してなお蘇り、剣と成り果てた自分の運命に、忌ま忌ましさを覚えつつも受け入れてしまう。


「……あの小僧に打ち込まれた剣の我としての誇りが娘を認めておらん。諦めろ」


 自らの死を認めず打ち砕いてみせるケイスよりも、頑強強固にして、ただただ剣を求め続けるその意思は遥か上の狂気をいく。
 あの男の世界には剣しか無く。剣しか見えていない。
 剣のためならばためらいも躊躇も無い。
 ありとあらゆる者と物が剣を作るために存在していた。
 龍であったラフォスを剣であるラフォスへと変質させたのは、ドワーフたちの技を受け継ぐとはいえ、まだ見習いでしかない鍛冶師。
 しかもケイスよりも幼い年端のいかないその子供は、ただ手伝いとして相槌を打っただけであった。



[22387] 剣士の心意気
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/17 02:05
「ずいぶん盛り上がってるよね。なんの話?」


砂船トライセル専属料理人ミズハ・イチノは自ら拵えたばかりの、癖の強い獣肉を押さえるためにふんだんに使われた香草の匂いが食欲を刺激する深皿を片手に、やけに盛り上がっていた会話の内容を手近に座っていたルディアに尋ねる。


「あーと……あの子がどれだけとんでもないかという話で大いに盛り上がってます。このお皿かたしますよ」


 ケイスが寝ている二階を指さしたルディアは、ミズハの持ってきた料理を見てテーブルの中央の空き皿を重ね横によけつつ答える。
 ケイスが何者かというウォーギンの質問から始まった話題は、盛り上がりには事欠かなかった。


「ミズハちゃんごめん。私はもう胃が痛くなってきたからあまり食べられそうに無いかも」


 濃すぎるケイス話の連続で気疲れでもしたのか、ルディアは疲れたような顔を浮かべ、今日一日振り回されていたスオリーに至っては、気苦労を思い出したのかテーブルに突っ伏していた。


「姉貴のは単なる飲み過ぎだろうが。ぱかぱか強い酒ばかり開けてりゃそうなるっての」


「なるほどね。はいはい、んじゃそのケイスが取ってきた獲物で作った料理で話題転換ね。次の皿は砂漠狼の肩ロース東方風香草煮もみじおろし掛けとござーい。評判よければこのお店の定番メニューになるから批評よろしく」


 ごろごろとした塊肉は圧力鍋で調理されているので、この短時間でも突いただけで崩れるほどに柔らかく煮込まれている。
 とろりとした甘じょっぱい煮汁としゃきしゃきとした根菜の食感が食欲をそそり、上からたっぷり掛けたピリ辛でさっぱりとしたモミジおろしが全体の味を引き締め、こってりとしていながらも飽きさせないミズハ渾身の作だ。


「悪いなミズハ。さっきから作らせてばかりで」


 ボイドが申し訳なさそうにミズハから料理を受け取り、ルディアの開けたテーブルの中央へと置く。
 ミズハはルディアやボイド達と同席ではあるが、同じ卓を囲んでいたのは正味十分もないだろう。
 父親であるセラギとこの酒場兼宿屋の店主リクライン・イドは同じ店で修行をした旧知の仲。
 本来であれば今日はミズハも打ち上げ参加者の立場なのだが、セラギが持ち込んだ北リトラセ砂漠産の豊富な食材(主に魚、肉類、時折自走植物類)に2人の料理人が創作意欲を刺激されたのか、いきなり始まった大試作大会にミズハは巻き込まれ、日頃頭の中で構築していた新作をご披露という事になっていた。


「あー気にしない気にしない。リックおじさんに副菜、調味料の類を存分に使わせて貰ったから大満足。それにこれで終わりだから。あとでまとめて感想聞かせて貰うわよ。特にウォーギンさんとルディアあんた達ね」

 
 前掛けを外して自分の席に戻りカップを手にしたミズハは生き生きとした顔でウォーギンとルディアを指名した。
 セラギ達に劣らず生粋の料理人であるミズハは、普段は砂船の厨房で限られた食材で料理しなければいけない制約から解放され、むしろ楽しんでいたようだ。  


「私ですか?」


 ミズハの差し出したカップに瓶を傾け赤ワインを次ぎながらルディアは意外そうな顔を浮かべている。
 評論家でもあるまいし、細かい感想といわれてもミズハの料理は基本的には美味しいという表現でしか答えようが無いからだ。


「ただ飯を喰わせて貰ってるから、感想くらいは喜んで答えるけどよ、あれがどうとかこれがこうとか、細かいの期待すんなよ料理人の姉ちゃん。今ん所全部美味いしかねぇぞ」


 同じく指名を受けたウォーギンもルディアと同様の感想のようで、食通めいた台詞は無理だと予防線を張っていた。
 

「そんな難しく考えないでよ。ルディアは冬大陸出身で、ウォーギンさんは東部のロウガでしょ。ここら辺じゃそっち出身者って少ないからね。どれがより好みだったかだけでオッケーだから」


 ロウガはトランド大陸最東端に位置する巨大な港町であり、暗黒時代の発端であり最終決戦地となった土地としても有名な都市だ。
 暗黒時代に滅亡した東方帝国を源流に持つロウガの料理には、独特の調理法や調味料が数多く、 別地方の料理人にはなかなか敷居が高い物だが、


「あーなるほど。それでモミジおろしがけってことか……確かにこりゃ地元の味だ。ロウガで出しても遜色ないな」


 ミズハの言葉に合点がいったのか、来たばかりの煮込み料理を皿に取って、肉を一口囓ったウォーギンは懐かしげな顔を浮かべながら太鼓判を押す。
 

「ふふん。たいしたもんでしょ。まだまだたっぷりとあるからガンガンいっちゃて……具体的には砂漠狼だけで後10頭分お肉がいるから」


 胸を張って自慢げに笑ったミズハだが、この程度の消費では焼け石に水でまだまだ使い切れない量がある事を思いだし、それを忘れようとしたのか笑いながらグラスを一気に傾けた。
 使い切れない食材というのは、料理人にとって嬉しくもあり迷惑でもあり。
 食べ頃のうちに使い切りたいのが心情だが、その相手は未だ山のようにそびえ立っていた。
 

「ケイスって変な所で真面目だから、軽い冗談でも気をつけた方が良いよ」


 飲み干したグラスをルディアに突き出して、ミズハはおかわりを催促しつつ、自らの言葉を思い出す
 ケイスがよく食べるから食材が足りないかも。
 ミズハが大食漢のケイスに対して言った冗談1つがこの結果だ。
 素直というか馬鹿正直というかその性格に、あの化け物じみた能力が組み合わさった結果がこれだ。
 なんせケイスの狩りで得た獲物は、最終的にはトライセルの厨房保存庫では収まりきらず小型とはいえ倉庫1つを丸まる埋め尽くすもの。
 出航前より食材が増えるという怪奇現象は、ミズハどころか、長年料理人をやっているセラギでさえ初体験だったくらいだ。
 

「俺らとしちゃ護衛中の飯がレパートリー広がったうえ、食い放題でありがたかったけど、狩られた方は災難だな。リトラセに放置してたら一年くらいでモンスター共を刈り尽くしかねないからな」


「狩って喰って狩って喰ってってか。半年あれば十分だろあいつなら。酒場での喧嘩騒ぎも、戦って飯さえあれば十分なバーサーカー振り発揮してたみたいだしな」


 ケイスに限れば、人を襲うモンスターの方が可哀想になってくるのも仕方ないとボイドの台詞に、悪のりしたヴィオンが笑いながら答える。
 大の大人達しかも探索者相手に喧嘩沙汰を起こしても、何時もと変わらず暴れ回れる幼い少女の話など眉唾も良い所だが、それがケイスだと知ればさもありなんと、昼の顛末を聞いた誰もが思っていた。
  

「ボイド君、ヴィオン……結局また元の話に戻ってるじゃ無い」


ケイスの化け物振りを肴にした話題は、ミズハが料理を持ってくるまで散々したのだからもう良いだろうと、恨みがましい目をしたスオリーが、幼馴染みと弟を睨み付けた。
 それが嘘八百なら酒の上の笑い話だと済ませられるが、ケイスに限ってはそれがほぼ真実。
 過去の所行を知るスオリーからすれば、むしろ今日はまだ人死にが出ていないので、大人しい方というのが心底恐ろしい。


「でもさぁケイスってボイド達から見てもそんなに強いの? そりゃ刃物を扱わせたらたいしたもんだし、狩りも上手いけど、普段のイメージだとそこまでって感じ無いんだけど」


 確かに年齢離れして強いけど、些か大げさ過ぎないかと、グラスを傾け、料理に手を付けつつ、ミズハが平然と言い放つ。
 ケイスの力が一般人からは逸脱していても、人を超えた力を持つ探索者から見ればそこまではいかないだろと言いたげだ。
 

「ミズハおまえあれ見てよく…………そういやお前実際にケイスの戦ってる所やら戦闘痕跡は見てなかったな」 


 仕込みやら営業中でミズハが直接ケイスの狩りやら自分達との模擬戦闘を見ていなかったことをボイドは思い出し、どう説明したら分かり易いかと考える。
 ケイスの凄みは、人づてに聞いても、あまりに現実離れしているので実感が湧かない。
 実際にケイスの戦闘後を目撃し、その本人と何度も手合わせしたボイドですら、質の悪い冗談としか思えない実力だからだ。


「自分は天才だっつってるけど、ありゃそのレベルですら無いからな。ガチの化け物だろ。ラクトとの決闘を見た方が分かり易いから楽しみにしてろって。百聞は一見にしかずってな……ラクトがどこまでケイスの本気を引き出せるかわからねぇけど、どこで見ても化けもんだからな。気張れよラクト」

 
 姉と違い物見遊山というか怖い物見たさというかほろ酔いのヴィオンが笑いながら、右隣のラクトの背中を激励の意味を込めたのか何度もバンバンと叩く。
 天才ならまだ人のカテゴリー。
 しかしラクトが喧嘩を売った相手のカテゴリーは化け物だ。


「痛っ! ヴィオン兄ちゃん力強ぇっての! ったくこれだから酔っ払いは……それにどういう意味だよ。あいつ本気だろ?」   


 酔って加減が効かないのかヴィオンに叩かれてヒリヒリする背中をさすりながら、不満顔のラクトが問いただした。
 ケイスが色々な意味で本気なのは決闘相手であるラクトが一番感じているからだ。


「あー……んー……なんつーかな本気なんだが、種類が違う本気なんだろ。ありゃ。ほれミズハがさっき言っただろ。普段のケイスを見てりゃ、確かに強いけどそこまでか? って奴。具体的に例えるとな」


 テーブルの皿から串盛りを引っ掴んだヴィオンは皿に移して、次いで来たばかりの煮込み肉を同じ皿の上に並べて、なぜか見比べさせる。
 肉の大きさも調理法も違う2つを指さして、


「ミズハ。お前この手間暇掛けた煮込み肉に対して、串に刺して焼いただけの肉って手抜き料理か?」


「ん? どっちも本気に決まってしょ。手を抜いた料理なんて出したら親父にどやされるって……あーなるほど料理に例えられると分かり易い」


「そういうこった。ケイスと俺らは何度も手合わせしてるし、狩りも見てるけど、サンドワームをぶっ殺した戦闘痕跡と比べると段違いだ。俺らとやり合った戦闘訓練やら、ラクトとの決闘は勝負事の本気。狩りなんかも狩りの本気であって、殺す気の本気はまだまだ底があるんだろ」

 
 ケイスがリトラセでサンドワームと繰り広げた戦場跡を二回見ているのはヴィオンだけだ。
 だからこそ判る。 
 ケイスの本気はまだまだあんな物では無いとヴィオンは断言する。


「……」


 ヴィオンの説明に合点はいったのだろうが、ラクトはすこし不満顔だ。
 ただでさえ魔具を買い与えられた上に、ケイスは実力全部を見せていないと指摘され、手を抜かれていると感じたのだろう。  


「まぁ、そう言っても侮ってるわけじゃ無いから気にすんな。ケイスの奴巫山戯た言動はしてるけど、根がくそ真面目だから、本気でお前と決闘する気なのは間違いねぇわ」


「なぁ、じゃあケイスに本気の本気を出させる方法ってなんかねぇの?」


「本気の本気ね……お嬢なんか良い方法ってあるか?」


 少しだけ考えた素振りを見せたが思いつかなかったのかすぐに諦めたヴィオンが、ケイス絡みは避けたいので黙っていたセラへとわざと尋ねる。
 

「あたしに振らないでよ……ったくヴィオン。あんた煽ってるでしょ」    


 ケイスとの相性が一番悪いのが、この席ではセラで間違いないだろう。
 接近戦を得意とする剣士と、遠距離専門魔術師。
 浪費家というか金銭に無頓着なケイスと、節約家という名のどけちのセラ。
気が合う合わないではなく、考え方が根っこの端から違うので致し方ない。
 もっともケイスの方は傲岸不遜の極みで一切気にしないような性格なので、セラが一方的にケイスを苦手としているというだけでもあるのだが。


「ラクト。乗せられないようにしときなさいよ。変なこと考えないで魔具を使って遠距離で封殺。お腹すくまで待ってりゃあんたの勝ちなんだから」


 ケイスが本気を出さない、出せないならそれで良し。
 とりあえず勝ちに行くだけなら、簡単では無いが、絶対無理なわけでは無い。
 昼間に買った魔具の種類を見て、ラクトの戦術は遠距離からの足止め、接近戦の妨害だと察していたセラは、無難なアドバイスを送る。


「なんだお嬢、一度くらいはケイスは痛い目をみた方が良いとか、昼間に吠えてたじゃねぇか。本気の本気で負けたらケイスに取っちゃ痛恨の負けだろ」


「うっさいわねぇ。もしケイスが負けたとしてもすぐにリベンジに走るでしょが。そりゃあたしだって、もしあの子の泣き顔が見られたら少しは溜飲下が、あいたっ!? なにすんのよ兄貴!」 


 話の途中でいきなり拳骨を落とされたセラは、頭を押さえながら叩いてきた兄に文句をつけるが、そのボイドはあきれ顔だ。


「年下の泣き顔が見たいって性悪すぎんだろうが。それこそお前の方が先にケイスに敵認定されんぞ」


「例えよ例え! 第一ケイスが泣くわけ無いでしょうが! あの性格で……」


 いきなり勃発した兄弟喧嘩に周りが慌てて止めに入ろうとする前に、やたらと大きな音が二階から響いてきた。
 まるでドアを勢いよく蹴破ったような破砕音。
 そして今二階の客室で寝ているのはケイスのみ。
 さらには二階からは殺気のような怒気が背筋を寒くさせるようなレベルでだだ漏れてくる。
 店内の者は何事かと誰もが二階を見上げ、通りからあちらこちらで犬の遠吠えやら、猫の鳴き声、夜だというのに一斉に羽ばたく鳥の羽音、馬のいななきが響いた。


「ほれ見ろ! お前が変なこと言うからケイスの奴、怒って起きたじゃねぇか!」


「お酒のつまみに散々変なこと言ってたの兄貴とヴィオンがメインでしょ!」 


 ケイスなら例え睡眠状態でも自分の悪口には反応し怒りて起きかねない。
 いきなりのご立腹状態に慌てる兄妹が言い争いをしている間にも、バタバタと大きな足音を立てながら、階段を下る足音が響き、件の主が姿を現した。
 その寝乱れた長い黒髪でうつむけた顔は隠れているが、なぜか左手にふにゃりと垂れ下がった大剣をしっかりと握っており、肩を小刻みに揺らしながら大人も後ずさりするほどの怒気を発している。
 きょろきょろと店内を髪の隙間から見渡したらしきケイスの視線が一カ所で止まる。
 その狙いは紛れもなくボイド達の卓だ。
 ケイスの全身に力がみなぎるのが遠目にも判る。
 次の瞬間にはケイスは獣じみた速度で床を蹴って、ホールの天井ギリギリまで跳び居並ぶテーブルを一直線に飛び越える。
剣を持ったケイスに対して、ボイド達は丸腰。
 いくら何でもテーブルの上のナイフでは心許ないにもほどがある。


「だっ!? ちょっと待てケイス! 冗談だ冗……」


「っ! ミズハァ! 料理だ! ぅぅっ!  ぐずっ! 美味い物を出してくれ!」


 しかし着地したケイスは、落ち着かせようと慌てるボイドを無視して横を通り抜けると、すぐ側で固まっていたミズハに泣き付いていた。
 近くに来て判ったがケイスは怒っているのではなく、何故か泣いていた。
 黒檀色の目からは流れた大粒の涙が紅色した頬を伝わり床に落ち、嗚咽で身体を震わせるその様は怒り心頭というよりも、どうして良いか判らず、ぐずって癇癪を起こしている子供のようだ。


「え………………え、えっと、ケイスお腹がすいたとか?」


 いきなりの頼み事とマジ泣きをしているケイスに、ミズハは驚くのを一回りして素に戻って問いかける。
 まさか空腹のあまり泣き出したのでは無かろうかというミズハに対して、ケイスは何故理解してくれないと絶望した表情を浮かべ、


「ちがう! お爺様にだ! うぅぅ! 怒って! 話を聞いてくれないんだ! うぅぅ、わ、私にだってり、理由が、っえくっ! うぅぅっわーん!」


 何故か剣をミズハの目の前に突き出し、さらには説明している間に感極まったのか、声を上げて号泣しだした。
 しかも普段は無駄にもほどがあるほど無駄にしている幼い美貌を、余すこと泣く使って泣きじゃくっているのだから質が悪い。
 何とも保護欲をそそるその声と姿は、子供がいないミズハでさえもつい母性に覚醒しそうになるほどだ。


「おい愚妹……溜飲は下がったか?」


「聞かないでよ! 罪悪感ばりばりよ! あたしが直接何かしたわけじゃ無さそうだけど胸が痛んでるわよ!」 


 予想外のケイスの号泣で喧嘩を止めていたボイドの問いかけに、自他共に認める貧乏性ではあるが、無抵抗な子供を虐めて愉悦に入るような腐った性格ではないセラは青ざめた顔で怒鳴り返す。
 ケイスが何故泣いているのか、何を言っているのか誰にも判らない。
 だがそれを本人に問いかけるのには誰もが二の足をふんでしまっている。
 下手な問いかけをしてさらに泣かせてしまうのではないかと、手をこまねくなか、


「……ごめん意味が判らない。あんたどうしたいの?」


 ケイスの泣き声だけが響いていた酒場にため息混じりの声が響いた。
 声の主はルディアだ。
 この中では一番ケイスと付き合いがあるので多少なりとも耐性があったのだろう。


「お、美味しいものを食べれば! ぐす! き、機嫌が良くなるだろ! ミ、ミズハ達の料理は美味しいから! うぅぅ! わ、私じゃなにしても聞いてくれないんだ!」


 だが返ってきた答えは、質問したルディアのさらに頭を悩ませる物だ。
 一体誰を怒らせたというのか。
 誰に食べさせようとしているのか。
 何を聞いてもらえないのか。 
 

「えーと誰に?」


 頭痛を覚えつつもルディアは忍耐強く再度問いかける。
 ケイスの意味の判らない言動に対してはともかく辛抱強く、一歩一歩歩み寄るしか無い。
 野生動物に相対する寛容さと慎重さ、忍耐が必要だというのが、対ケイス対策にルディアが見いだした物だ。


「だからお爺様だ! お、怒ってるんだ! 私の、い、言うことを聞いてくれないんだ!」


 ぐずり泣きながら答えるケイスが鼻を啜りながら長身のルディアを見上げる。
 先ほどのセラではないが、どうにもこの泣き顔と声を真正面から相対すると、自分が泣かせているような気になってくるので、あまり心情的には良くないなとルディアは思う。
 しかし今この場でケイスに対応できるのは自分だけ。
 周りは全員固まって……スオリーだけが何か違うような目でケイスを見ているような。
 一瞬、何かの違和感がルディアの思考をよぎるが、


「怒っているのは判ったが、私にだってぐすっ、り、理由が、だってあいつが可哀想では無いか! わ、私の未熟さで傷つけてしまったのに、それでも頑張ってくれたのだぞ! だったら剣士である私が、ううっ、こ、答えてやるのは当然の義務であり心意気ではないか! ルディもそう思うだろ!」


 しかしケイスの声がその思考をあっさりと乗っ取りルディアの思考を支配する。
 さて困った。
 それが紛れもないルディアの意見だ。
 さらにここで第二の謎の人物の登場。
 お爺様とあいつ。 
 これは別人のことを指しているのだろうが、ますます訳が判らない。


「でお爺様って誰。あいつってのは誰?」


 考えても判らない。なら聞くしか無い。
 そう結論付けてほかに問いかけようも無いくらいドスレートに問いかけたルディアだったが、


「お爺様はこの羽の剣だ! あいつはこの間私が駄目にしてしまったバスタードソードに決まっているだろ! ちゃんと私の話を聞いているのか!?」


 怒鳴るように返したケイスは左手の剣。通称『羽の剣』という奇剣をぶんぶんと振り回しながら、さらに声を立てて大泣きを始める。
 その泣き顔、声、態度は、辛くて悲しくてどうして良いのか判らなくて、何よりも寂しいと全身と声で訴えかける物。
 どうして理解してくれない。
 どうして自分のいうことが伝わらない。
 ケイスは全身でそれを表現している。
 この大泣きは紛れもなく自分が原因だろうと頭痛をさらに増す頭で更なる問いを考えようとしたルディアだったが、


「…………………」


 なにも思いつかない。
 聞いてはいた。
 ケイスが何を差していたのかも判った。
 しかしだ。理解は出来無い。
  

「……剣だと食べ物を食べる口は無いわよ」


 とりあえず理解は止めて、ケイスの望むことは無理だと現実的な答えで返すのが精一杯であった。 



[22387] 剣士と決闘宣言
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/22 01:01
「ご自分が天才だということをご自覚ください。貴女に出来る事でも他人には難しかったり、出来無かったりするのです。なんでそんな簡単なことも出来無いのかと、誰彼構わず聞くのもおやめください」


 離宮で一番高い物見塔外壁の僅かな凹凸で鍛錬と称して昇り降りする。
 強そうだからという理由で、騎乗用飛竜ととっくみあいの喧嘩をする。
 一度見ただけで、騎士の扱う高等魔術を再現してみせる。
 ケイスの非常識な行動を目の当たりにして、気絶した従者や、自信を喪失した騎士が出るたびに、姉のような従姉妹であり、面倒を見てくれていた少女からお説教を貰う時は何時もこれが常套句だった。
 その真意は、他人との違いを自覚して、少しは無茶な行動を控えて欲しいという意味だったが、ケイスにはよく判らなかった。
 自分には出来て当たり前だし、出来るのだからそれが当然であり、なんで駄目だなのか判らない。
 ならば自分が天才であると周りに言えば、自分の行動に誰も驚かないだろうし、比べて落ち込まないだろうと考えた。
だからケイスは自分が天才であると名乗ることにした。





「貴女はすごい力を神様から頂いています。だからその力を困っている人がいたら使ってあげなさい」


 暴虐無人で傲岸不遜で制御不能。
 物心ついた頃には迷宮に捕らわれた所為なのか、それとも生まれついた性なのか。
 気に入らないことがあると、力尽きるまで暴れ回る野生児へと変貌しかけていた孫娘に祖母が仕込んだのは、幼い子に聞かせる英雄譚だった。
 それは至極単純で幼い正義の話。
 子供だましの都合の良い正義の話。
 だが大好き祖母からの教えなのだから、ケイスにはそれが絶対だ。
 自分の状況や後の事など考えず助ける。
 誰かが襲われていれば、その力で敵を切り倒す。
 怪我をしようが、傷つこうが、力があるのだから、自分が戦おうとする。
 例え相手が王であろうが、聖獸であろうが、神であろうが、自分は戦うことにした。
 その猪突猛進振りが戦闘狂の血と噛み合わさり、相手がどれだけ強大で強かろうとも敵を選ばない性格へと変わったのは至極当然の事だったのだろう。
だからケイスは、困っている人がいれば助けることにした。





「まだ貴女の身体では負荷に耐えきれません。でも、どうしても追い込まれ必要な時は誓いの言葉と共に使いなさい」


 剣技を教えてくれたもう1人の祖母が見せた技の数々は、ケイスにとってのあこがれであり目標だった。
 見せて貰った技を見よう見まねでも扱えたから、生き残れた事は一度や二度ではない。
 だがその技は超常者である探索者の剣技。
 いくら魔術で強化しようともその幼い肉体は技の強力な負荷に耐えきれなかった。
 だが勝つためならば、自らの負傷も厭わず見よう見まねで未成熟な技を使い、迷宮から脱出するたびに大怪我を繰り返すケイスを見かねた祖母は正統な技を仕込んだ上に、技術体系に関する記憶封印と、その封印を解く誓いの言葉を授けた。
 それは祖母方の先祖達が絶対に負けられない状況において、不退転の戦いに挑む際に高らかに謳った戦いの誓い。
 よほどのことが無い限り、それこそ死を覚悟しなければならない時にしか解けないはずの封印。
 だがケイスの歩む道は常に死地。
 だからケイスは勝つために、その言葉を唱える。




「これが最近帝都で流行の焼き菓子。ケイネリアが好きな林檎がたくさん使ってあるよ」 

 4つ年上の兄とは滅多に会えなかったが、龍冠を訪れた際にはケイスが喜びそうなお土産を何時も持ってきてくれた。
 兄の来訪時が運良く迷宮を脱出していた時ならば、外の世界の話をねだるケイスに、兄は何時までも付き合ってくれた。
 たくさんの水で出来た湖よりも、もっともっと大きな海の話。
 離宮の数倍の規模を持つという帝国首都宮殿や、巨大な水路が網の目のように走る帝都の話。
 その帝都で流行っている剣劇や菓子の話。
 お芝居の脚本を書いたり演出をするのが趣味だという兄の話は、今思えば些か誇張が入っていたのだろうが、何時もケイスをワクワクさせてくれて楽しませてくれた。
 中でも一番好きなのは、全土に数え切れない無数の迷宮があるという北の大陸とそこで繰り広げられる探索者達と凶悪で凶暴なモンスターと不可思議な力を持つという宝物の話。
 だからケイスは探索者に憧れ、そしてその宝物に自分の希望を託した。 





「理解して貰いたいって言うだけじゃ無くて、ケイネリアも理解してあげる努力もすること。もし理解してくれなくても理解しようとする努力をする人は大切にしてあげて。そうすれば何時か本当にケイネリアのことを判ってくれる人がきっと見つかるから」


 なんで自分が怒られるのか、心配されるのか、判っていない、判らない娘に対して、母は何度も優しく諭してくれた。
 ケイスの異常性を知りながら、それでも一番理解しようとしてくれたのは、間違いなく母だった。
 常人が聞けば、気が遠くなるような別路線を歩むケイスの思考を、僅かずつでも諭し、軌道を変え、少しでも人と同じ方向へと向かうようにと。
 だからケイスは、人の世にかろうじて指を引っかけて生きていくことが出来る。





「すまない…………私の娘として生まれたばかりに……」     


 最後に会った時の父の言葉は、苦渋と後悔に苛まれ、今にも押しつぶされそうなほどに弱かった。
 何故自分が龍冠から、表に出られないのか。
 父と母とそして兄とケイスの本当の関係。
 ケイスが知らない所で、誰もが苦悩し苦労している事を、父は包み隠さず教えてくれた。
 自分の存在が表に出れば、父と母の名誉が汚される。
 兄が疑惑を持たれたまま、生きていかなければならない。
 何より父が笑っていてくれない。
 そんなのは嫌だった。
 なら自分を捨てよう。
 だがそれでは大好きな人達を助けられない。
 近くにいられない。
 なら新しい自分を手に入れようと思った。
 だからケイスは今の自分を捨てようと決意した。





 常人とは明らかに違う思考を持つケイスを、曲がりなりも人の理の中に留めているのは、家族達が施した教え、戒めのおかげだろう。
 しかしそれはボタンを掛け違えるごとく、僅かずつだが教えた者達との意図とはズレを生じさせて、ケイスの中に根付いてしまっていた。
 中途半端に、世界を他人を理解し共感できるのは、ケイスには苦痛だった。
 自分の伝えたいことを完全に伝えきれないもどかしさが、他人の言うことを完全に理解できない悩みが常にあった。
 何故、自分以外の誰かが、自分の言いたい事を、感じたことを、思ったことを、全て理解してくれない。
 何故、相手は自分には理解できない理論理屈で怒るのか、悲しむのか、笑うのか。
 好きな人を傷つけた相手だから守るために、その相手を殺したのに、守りたかったはずの人から悲しまれ、恐怖された。
 確かに子供なら危険だが、自分は天才だから大丈夫だ。なのに無茶だと、心配され、怒られる。
 外に出てみれば自分が天才であると紛れもない事実を名乗っても、自分を知らない人達は信じてくれず、笑うか、馬鹿にされる。
 ケイスが、何時しか抱えていたのは、消え去ることの無い少しばかりの孤独と寂しさだった。
 だがそのケイスでも、唯一自分の意思を完璧に伝え、相手の意思を完璧に察しれる状況がある。
 それは戦いだ。
 相手の敵意、殺意が、自分を排除しようと、傷つけようと、殺そうと、その身に降り注ぐ。
 戦っている間だけは、完全に繋がる事が出来る。
 故にケイスは強い敵を好む。
 強ければ強いほど、相手が向けてくる感情か強ければ強いほど。
 自分が世界と繋がっている時間が長く濃厚になる。
 だからケイスは戦いを好む。





だからケイスに取って剣は特別だ。
 良い剣であれば自分の思い通りに振れて、切れて、そして殺せる。
 ケイスにとって世間とのズレを全く感じ無いで済むのが戦いならば、この世で一番理解してくれるのは剣だ。
 槍や斧、弓、相手を殺せる物なら他の武器も嫌いではないが、それでも剣が一番好きだ。
 剣ならば、自分が思い描いた物を感じた感情を、もっとも表現し発せられる。
 ケイスの寂しさを埋めてくれる唯一の物が戦いならば、ケイスに取って剣は無くてはならない必要不可欠な、身体の一部と変わらないモノ。
 だからケイスは剣が好きだ。




















「で、ではどうすればいい? ルディ教えてくれ!」


 だからケイスは困惑し、混乱していた。
 生粋の刀剣依存症とも言うべきケイスにとって、扱う刀剣が多少大きかろうが、長かろうが、重かろうが、その化け物じみた肉体能力と才能を持ってして、扱ってみせるし、してきた。
 だから剣は何時も自分を裏切らないと過信していた。
 その肌身離せない存在の剣であり、身内である先祖でもあった『羽の剣』に宿るラフォスに拒絶されたことは、ケイスには衝撃的であり、前後を失うくらいに狼狽する出来事だった。    
 剣には口など無いから、食べ物を食べられない。
 ルディアに指摘されるまで、そんな常識すら思いつかないほどに。 


「どうって……」

 
 一方でケイスに問いかけられるルディアも困惑していた。
 まだ数週間程度の短い付き合いだが、ケイスが狼狽する姿を見たのは初めてであり、さらに言えば、ここまで大泣きして錯乱するケイスの姿を想像していなかった。
 サンドワームに襲われようが、ラクトの心臓を止めようが、己を囮にモンスター達を釣ろうが、周囲から見れば呆れかえるしか無い異常行動を起こしても、その当の本人がいつでも泰然自若でいたからだろう。
 先ほどのセラの発言では無いが、ケイスが大泣きする状況など想像さえしていなかった。
 だが今ルディアの目の前には、そのあり得ないはずの物が存在している。
 はっきり言えばケイスの得体のしれなさや、正体不明な部分をルディアは警戒している。
 してはいる。してはいるのだが…… 


「……あんたなんか変な夢でも見たとかじゃないのね? 本当にその剣が怒っているっていうのね」


 まずはケイスの言うことを仮ではあるが肯定し、理解は無理だとしても事情をはっきりさせようと、息を1つはいて心を落ち着かせ、ケイスの左手の羽の剣を指さして再度問いかける。
ケイス自身は気にもしていないようだが、初めて会った時にケイスには命の危機を救われたと感謝しているルディアは、その世話焼きな気質もあり、ケイスの異常性には気づいているが放っておくことも出来ない。
 自らの性分とはいえ、率先して墓穴を掘っているなと心の中で諦める。

 
「ぐす……あぁ、そうだ。こうやって闘気を送れば最初は反応するんだが、すぐに無視されてふにゃふにゃになってしまうんだ」


 ケイスが左手に力を込めると、空気の入った風船のように剣が一瞬だけ刀身をぴしりと張ってみせるが、5秒くらいで元のように力なく垂れ下がってしまった。
 そう言われてみれば無視されていると思えなくも無いような気がしないでも無いような。
 剣に意識などあるはずが無いだろうと、微妙に否定したい感情を胸に抱きつつも、ケイスがそう感じているのだからそうだろうかと、ルディアは自身を無理矢理に納得させる。


「で…………原因はなんなの? バスタードソードがどうとか言ってたけど」


「わ、私がサンドワームを倒した時にお爺様で無くて、折れていたバスタードソードを選んだことにご立腹なんだ。自分を投げ捨てて放置してたとも。だけどあの時はあいつが私の剣なんだから仕方ないだろ」


 ルディアが話を聞く素振りを見せたので、ケイスは少しだけ落ち着いたのか目をごしごしとこすり鼻をすすりながら、先ほどよりは少しだけ分かり易く事情を明かした。
 しかしやはり意味不明だった。


「………………ちょっと待ってて、今変換するから」


 なんで剣をお爺様なんて呼んでいるんだとか、どうやって意思疎通をしたとか色々疑問点は山盛りであるが、それらを全てうっちゃってルディアは頭の中で状況を整理する。
 複雑に考えると頭が痛くなるのだから、シンプルに考えてみるしか無い。
 ケイスが言うように羽の剣に人格があると仮定し、人に置き換えて考えてみる。


 助けに来ました>いらないからそこらにいろ>そのまま忘れて放置されました


「あぁ。うん……そりゃ、怒るわ……まさか剣の気持ちに共感する日が来るなんて」


 常人には全容の理解出来無いが、ケイスの言うことの一片くらいなら無理矢理理解した、ルディアは乾いた笑いを浮かべる。
シンプルに考えると、同じ人間であるはずのケイスより、無機物の剣の気持ちの方がよく判る。
 なにせルディアも慣れない船を操舵し、苦労してケイスに剣を届けに行ったはずなのに実際に使われ感謝されたのは、剣の説明のために付けていたはずの連絡用通信魔具のみ。
 折れた剣で倒すなやら、羽の剣がいろいろ言いたくなるのは仕方ないと思わざる得ない。
 2人を遠巻きに見守るギャラリーの中にも、ケイスに剣を提供しようとしたラクトの父親である武器屋のクマや、ルディアと同じように剣を運んでいたボイドも、ルディアと同様の表情を浮かべている者がちらほらといる。


「わ、わかるのか!? な、ならどうすれば許してもらえると思う!?」


 藁にもすがる勢いでケイスが食いついて詰め寄り左手でルディアの服の裾を掴むと、駄々をこねてねだる子供のように揺する。
 その必死の形相はケイスがどれだけ真剣に悩んでいるか分かり易いほどに判る。
 だが真剣すぎて無意識に力が入ったのか、左手の羽の剣も反応をし、またジャキリと伸びていた。
通常状態はともかくとして、闘気注入状態ならここ数週間だけでも数多の迷宮モンスターを叩き切ってきた切れ味はルディアもよく知る所。
 軽く触れただけで、分厚い皮を深く切り裂き、骨を真っ二つにする、その切れ味と、それだけ切っても刃こぼれしない頑丈さは正に魔剣といって良い業物だ。


「わっ!? ば、馬鹿! 剣! 危ないでしょ!?」


ぎらりと鋭い刀身を覗かせる大剣が顔のすぐ横を勢いよく往復する様に、ルディアは悲鳴を上げる。
 その叫びに、思わずケイスさえ慌てたのがまずかった。


「っ! す、すまないルディ! すぐにどか、あっ!?」


 ケイスに未だ動揺が残っていたのか、慌ててルディアの裾から左手を離し引き戻した際に、その手から勢いよく羽の剣がすっぽ抜けて、ケイスの後方へとクルクルと廻りながら飛んでいった。


「ふぇっ!?」


 ケイスは思わず情けない声を上げ呆け、自分の手から逃げた剣を追いかけることも出来ず、ただ目で見送ってしまう。
 しっかりと握っていたはずの柄が、いきなり柔らかく変化しウナギが手から逃げるようにすっぽ抜けていった感触は、ケイスに深い喪失感を与える。
 従来の利き手では無い左手とはいえ、闘気による肉体能力向上をすれば、竹を握りつぶせるほどの化け物じみた握力を持つケイスには、剣が手から抜けるなど人生で初めてのこと。
 呆然としたのは仕方ないのかも知れない。
 ここまで明確な拒絶をされては、さすがのケイスも反応が出来ずにいた。
 空中を勢いよく飛んだ剣は空中で不自然に軌道を変えると、ケイス錯乱振りに唖然として事態を見守っていたギャラリーの1人の手の中に、計ったようにすっぽりと収まってしまう。
 すっぽ抜けた羽の剣を掴んだというよりも、剣の方がその手の中に自ら飛び込んで来たと表現したほうが自然だ。


「はっ? え!?」


 ケイスの手から抜けた剣を手にしたのはラクトだった。
 ラクト本人も何が起きたのか判らないのか、いつの間にやらしっかりと柄を掴んでいた剣を片手に声をあげ、周囲を見渡し、どういう事だと目で問いかけていた。
 ラクトが立っていたのはケイスの真後ろでは無い。
 だというのにケイスの手から離れた剣が空中で形状を変化させ軌道を変えて、横の方にいたラクトの手に飛び込んで来た。
 その様は、剣がラクトを選んだ。
 そう例えるしか表現できない不可思議な光景で、いきなり舞台の中央に引きずり出されたラクトは元より、ルディアを初め周囲の人間達も誰も答えられず、突然の成り行きに唖然としている。
 
 
「わ、私より………………そ、そっちを選ぶのか」


 ただ1人、悲痛で表情を歪め、声を震わすケイスを除いて。
 ケイスには今の一瞬で、何が起きたのか判った。
 羽の剣は、遠き先祖は、自分よりラクトを使い手として選んだ。  
 剣士であるはずの自分が、剣士で無いラクトに負けた。
 限界を超えた悲しみ、屈辱が、ケイスの心に急速に影を生み出していく。


 …………敵だ。
 敵がいる。
 自分の行く手を塞ぐ敵がいる。
 自分を打ち負かす敵がいる。
 敵を倒せと。
 自らの誇りを取り戻せ。
 自らが望む物を手に入れろ。
  

 心の中で叫ぶ何かがケイスを支配しようと、ささやきかける。
 それは何かケイスには判らない。
 ただそれが怒りだというのは判る。
 それは無差別な怒りだ。
 理解してくれない周囲、見捨てた血筋、剣を手に取ったラクト。
 ありとあらゆる存在に対する敵愾心が、心を塗りつぶし、増殖していく。
 ケイスの中にある感情の1つ怒りが暴走を始めている。
 全力を使え、自ら封じた魔力を使ってでも、自らの意思を貫き通せと叫び暴れ回っていた。

 狼狽していたケイスの心なら容易く染まるとでも思ったのだろうか?

 だがそれは大いなる間違い。
 ケイスがどうしていいのか判らなかったのは、敵が判らなかったからだ。
 だが敵が判ればケイスに迷いは無い。
 今語りかける自分の内なる声は、自分の敵だ。


「っ! くっ! う、五月蠅い! 黙れ!」 


 急速にわき上がるラクトに対する殺意を、ケイスはさらに激しい怒りで無理矢理に押さえつけ、裂帛の気合いと共に吠えつつ、怪我している右手を脇のテーブルに勢い任せに叩きつけた。


 …………巫山戯るな! 私の気持ちを勝手に決めるな!


「っがぁ!? くっぐ!」


 治りかけた手に奔る激痛が更なる怒りを呼び起こし、心の中に生まれたあずかり知らぬ怒りを食い散らかし蹂躙する。
 何が殺せだ!
 剣士である自分が負けたからといって、相手を殺して満足すると思うな!
 剣士として勝たなければ、自分の誇りは満足しない!
 何が理解しようとしない周囲に殺意を向けろだ!
 ルディアは理解できずとも理解しようとしてくれていた!
 母様が教えてくれた。理解しようとしてくれた者を大切にしろと!
 だからルディアを殺そうとする、自分の感情は自分で殺す!
 何が見捨てた血筋だ!
 自分の行いが祖先の誇りを傷つけたのだ!
 自分の行いを理解して貰う努力もせず、筋違いの怨みごと抱くな!
 さらにはよりにもよって魔力を取り戻せだと!
 そんな事を、この私が許すはずが無い!
 例えそれが私であろうとも、私は許さない!


「ぐっ…………っう……うぐっ……」


 暗い怒りを、更なる怒りの激情を持って、心の中から完膚無きまでに駆逐したケイスは、激痛が奔る右手に闘気を通して無理矢理に力を入れ、指を一本一本曲げて拳を握ろうと未だ完治していない手を動かす。
 先ほどまで幼子のように泣き喚いていたケイスの雰囲気は霧散し、別の物が、本来の化け物が姿を現す。
 発した殺気の強さといきなりの狂乱に気圧され静まりかえった店内に、右手を固定している当て木がパキパキと折れていく音が響く。
 
 
「ち、っちょっと………あ、あんたいきなり何を!? ば、馬鹿!握りしめるな! 血が出てるじゃ無い!」


 叩きつけた時に切ったのか、それとも当て木の破片が刺さったのか。
 右手に巻いた包帯に血が滲んでいくのを見つけて、我に返ったルディアの制止の声が響くが、ケイスは今は無視する。
 なぜなら必要だからだ。
 戦いの意思をみせる拳を作るならば、利き手で無ければならない。
 先ほど姿を覗かせた暗い怒りはケイスには到底許容できない物だが、それでも1つだけ認めても良い事はある。
 それは戦えといったことだ。
 ならばやることは1つのみ。
 失った剣と誇りを取り戻すべきにすべきこと。
 ケイスが望むほどの剣が、ラクトを選んだのは偶然では無い。
 何かが、ケイスが気づいていない何かが、ラクトにはあるのだろう。
 なら戦ってはっきりさせるしか無い。


「子グマ………………いやラクト・マークス!」


 剣を持つラクトへと、ケイスはぽたぽたと血がしたたり落ちていく右手をまっすぐに突き出し、初めてその真名を呼ぶ。
 名で呼ぶのは本気になった証。
 自らの全身全霊を掛けて倒すべき敵に対する最低限の礼儀。
 

「改めて私の方から宣告しよう! 羽の剣を賭けて私は貴殿に決闘を申し込む!」


 自分は剣士だ。
 ならば自分の思いは剣を伝えてしか伝わらない。
 自らの思いを剣に宿らせてラフォスに届けよう。
 ケイスが選んだ答え。
 それはやはり戦いだった。



[22387] 剣士の価値観 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/04/04 03:47
 錯乱状態から、いきなり怒りの形相をみせ、自傷行為を行ったかと思うと、挙げ句の果てには、毅然とした表情で改めてラクトへと決闘を申し込む。
 万華鏡のように唐突な変貌をみせるケイスの心中で何が起きたのか、誰にも判らない。
 支離滅裂で前後の脈絡が判らない行動は、端から見ていれば正気を失ったと表現するしかない。
 しかしケイスの双眸に宿るのは、怪我した右手の激しい苦痛を強い意思の力で押さえる者の力強さだ。
    

「……ち、ちょっと待て。この剣が欲しいなんて俺は一言も言ってねぇぞ!」


 敵を見据えるケイスの目力の強さに僅かに気圧されながらも、ラクトが抗おうと声をあげるが、そんなラクトを無視してラクトの父親であり羽の剣の正当な持ち主である武器屋のマークスへと目線を移した。


「クマ! 値はいくらだ?」


「いくらって……わざわざ決闘しなくても、俺としちゃお前にやったつもりなんだがな」


 予測不能な成り行きに唖然としていたマークスは、ケイスの突然の問いかけに戸惑う。
 羽の剣は通常の売り物にならない。それがマークスの見立てだ。
 重量、硬度を自由自在に変化させるその特殊能力は、戦闘に大きな幅をもたらせる反面で、十全に引き出すにはずば抜けた技量が要求される。
 半端な才覚の持ち主では剣を持てあまし、自滅するのが関の山だろう。
 非常識な剣を扱える剣士など、それ以上に非常識な才覚の持ち主だけだ。
 長年の商売の間で現役探索者の顧客をマークスは幾人も抱えているが、剣の才能に関してのみに限れば、ケイスが断トツだと断言できる。
 重量変化を用い、重心移動と四肢を合わせて軌道を変える空中戦。
 硬度変化によって刃をしならせた縦横無尽な斬撃。
 どちらもケイスだから出来る特殊過ぎる戦い方だろう。  
 

「つっても聞く性格じゃねぇな。お前は……」


 倉庫の肥やしにするよりも、使い手がいるなら。
 そんな気持ちでケイスに譲ったので、マークスからすれば代金の話など今更なのだが、ケイスが一度言った以上は、そう易々と己の意志を曲げないであろう頑固な性格を思い出す。


「魔力剣、闘気剣10本まとめて金貨500枚で仕入れたうちの一本。だけどそいつはある程度の予想は付いても、正式な出所は不明瞭。使われた技術は独創的で主素材も不明。実戦用に使うにしても扱いが極めて困難。研究用として解析しようにも、刀身から欠片1つ採取できないほどに頑強な作りで使い物にならないと、流れに流れて俺の所に行き着いた品だ……だから売るなら金貨15枚だ」


 既存文明圏ならほぼ全域で仕様可能な共通金貨で、通常の数打ち剣ならば5~10枚という所だ。
 それらと比べればマークスの提示した金額は多少割高だが、製法、素材が特殊な闘気剣、魔力剣はどれだけ低廉度品でも少なく通常剣の5、6倍はするのだから、破格の値段といえる。
 もっとも低評価となるのも致し方ないだろう。
 振り幅の広い重量、硬度変化能力を持つ剣は、構成素材や使われた技術の解析すら出来ない。
 形状は無骨で典型的な大剣。シンプルな作りに遊びはなく、美術品としての価値はほぼ無い。
 報奨品としようにも、その由来が不明で、今の時点では、背景や培った歴史が無く、ほぼ無価値といえる。
 そして何より使い続けるうちに使い手の意思から離れ、制御不能となる致命的な弱点を持つ。
数々の理由が羽の剣の価値を大幅に下げており、マークスは羽の剣の価値を金貨15枚と値付けした。
 その値付けは同席するファンリアキャラバンの他の店主達にも十二分に納得出来る金額だ。
 

「うむ。ならば私がラクトに負けたなら、金貨15枚で私から羽の剣をラクトに贈ろう!」


 マークスの提示した金額に、ケイスは偉そうに頷き、ラクトへと向き直ると代金を肩代わりする事を宣言した。
 代金を自分が払うのは、負けた時のペナルティのつもりなのだろうか。
 マークスの理路整然とした説明に妥当な金額だとさしものケイスも納得したのかと誰もが思ったが、


「だが私が勝った場合は剣をもらい、私が金貨178万と1枚を払おう!」


 ケイスの馬鹿さ加減と常識の無さは、慣れてきたと思い油断した者をあざ笑うかのように余裕で上回る。


「ぶっ!?」


「1、178万!?」


 勝った場合の方が遥かに大きな金額を支払うと宣言するケイスが提示した金額に、一般人と比べて、大金を扱い慣れているはずのキャラバンの商人達も思わず、噴き出しざわめき声をあげる。
 共通金貨で178万ともなれば、街1つを作り上げたり、大国の爵位すら得られるほどのとてつもない金額。
 永宮未完で獲得できる神具神印宝物の中で最上級の神々が認めた宝物ですら、その莫大な金額は些か過剰で、いくら特殊能力があるとしても剣一本に払う金額では無い。


「ケイス嬢ちゃん。そいつは些か大仰すぎないかねぇ。ラクトに負けない自信があるからって言ったわけじゃないだろ……178万はともかく、そこにさらに1枚って金額は故事に習う気だな」


 驚きをみせる商人達の中でキャラバンを率いる長であるファンリアだけは、泰然とした様子でケイスの宣言に面白そうに顔をにやつかせた。
 どうやらケイスがあげた中途半端な金額に思い当たる節があるようだ。


「うむ。知っているかファンリア。ならば私がどれだけ評価しているか、そして欲しいか判るだろう」


 金額の意味を察してもらえたケイスは破顔して嬉しそうに頷く。
  

「ケイス。その金額でどれだけ買っているか判ったが、実際にはその金額で取引はされていないはずだ。一生掛かっても払いきれる金額じゃ無いが、でもお前の事だから本気だな?」


 マークスも意味が判ったようで、その真意を確かめようと確認する。
 とても個人で用意が出来る金額では無いが、しかしケイスなら、話は別だ。



「無論本気だ。ただクマが言う通り今は持ち合わせが無いから、少し待って欲しいが必ず払う。剣に誓っても良い」


 言ったことはきっかりとやる。
 例えそれがどれだけ無茶苦茶で荒唐無稽な事であろうとも。 
 何故そうなったのか、その思考は理解は出来た者は少数であるが、ケイスが冗談では無く、言葉通りに勝った時は178万枚を払うつもりなのは、今の宣言を聞いていた者の大半が理解した。


「私はその位の価値を羽の剣に見いだしている。負けた場合にも払っても良い。だがここは武器屋であるクマの見立てを尊重する。常人では使えないが、私ならば羽の剣を扱えると言ってくれたからな。だから私は剣士として負けた時は、武器屋のお前と私に勝ったラクトに最上の敬意を示して、自らの意志を曲げ言い値で剣を譲るつもりだ」


「確かに言い値だけどな……普通は逆だろうが」


 マークスの武器屋としての矜持をすくい取ったつもりのようだが、周囲には判りづらい言動のケイスらしい、回りくどい気の使い方にマークスもつい呆れるしか無い。 
 普通こういうときは勝ったら安く、負けたら高く払う物だろう。
 だがそれが真逆になるのが、ケイスらしいと言えばケイスらしい。


「そうか? それに私が勝った場合の価値は、金貨178万程度では無いぞ。私はやがてあまねくこの世界に名を響き渡る、剣においては比類する者は無き、上級探索者となる。そうなれば払うのは無理では無い。それに剣の天才たる私が望み、決闘をしてまで勝ち取った剣を託した武器屋という至上の称号がお前には与えられる。それこそ至上最高の名誉であろう。この世に流通する全ての金貨であろうが、その名誉に比べれば塵芥だ」


 ケイスは傲慢で不遜な宣言を堂々と宣う。
 自分は何時かこの世で最強の剣士になる。 
 自分が扱う剣を託した武器屋という金看板には、金銭とは比べものにならないこの世で最上の価値があると、臆面も無く言い切った。
 あまりに単純で明快なその理屈理論は、子供の戯れ言のように、真実味に乏しいはずの言葉。
 しかしケイスは誰よりも確信する。
 自分が望む。
 だから叶う。
 叶えるでも、叶えば良いでも無い。
 叶う。
 叶わないはずが無い。
 絶対的な自信と自負が込められた意思は、荒唐無稽な宣言に強固な真実味をもたらす。


「お前らしいな…………良し判った! 勝ったら178万枚と1枚で負けたら15枚。いいぜその条件で。俺は文句は無い。ラクトお前も良いな」


 腕を組んだマークスは1つ頷きケイスの提示した条件を了承すると、剣を持ったまま唖然とする息子へと向き直った。


「ち、ちょっと待て親父。ケイスが勝ったら金貨178万枚で売るとかってなんでそうなるんだよ!?」

 
 一方で今の今まで、ケイスの変貌振りといきなり飛び込んで来た剣やら再決闘宣言に唖然として固まっていたラクトが、我に返り慌てて父親に抗議する。
 途方も無い金額で話がどんどん進んでいく事に驚き戸惑っている。
 

「お前仮にも武器屋の跡取りなら、今の金額の意味くらい知っとけ。178万ってのは至上最高金額の剣の制作費で、さらにその1枚ってのは売値だ。ケイスの奴は羽の剣にその剣と同等の価値を付けたって言ってんだよ。そうだなケイス」


 勉強不足の息子に情けないと呆れ混じりの表情を浮かべながら、聞かせてやれとケイスに話を振った。

 
「うむ。クマの言う通りだ。かつて暗黒時代に祖国を滅ぼした一匹の赤龍に、生き延びた国民達がなけなしの金を出し合って掛けた懸賞金が178万。莫大な金額に引かれ数多の勇者達が挑むが、龍王ならずとも強大な力を持ち破れ続けた。だがある日1人のドワーフ鍛冶師が、最高の武器材料を求めてその龍に挑んだ。幾度も昼と夜を跨いで続いた戦いの末に、ついに龍を打ち負かし、生きたまま剣に仕立て上げるという神業をみせたという」


 モンスターを生かしたまま武具へと変える。
 それは伝説でも架空の話でも無く実際に存在する。
 世界最高峰の生産国の1つとして知られるドワーフ王国エーグフォランドワーフ鍛冶師達に伝わる秘奥中の秘奥『生体変位武具鍛錬技』
 

「最高の剣を打てたことに満足した鍛冶師は名を残すことも、懸賞金を受け取ることも無く、僅か金貨1枚分のお酒と引き替えに、自分が見いだした若き勇者に剣を譲り暗黒時代の終焉を願ったという……剣を受け取った勇者は、その後もう一つの剣を得て双剣の英雄となり、暗黒時代を終わらせた。私が好きな英雄叙事詩の一幕だ。至上最高の剣という誉れである178万という価値。そして金貨1枚で世界を救った最高の剣士としての誉れ。私が提示した金額178万と1枚にはそれだけの価値がある。つまりは羽の剣にも私はそれだけの価値を見いだしている」

  
 暗黒時代を終わらせた英雄にまつわる話の中でも、その剣を得た話は特にケイスの琴線に触れるのか、嬉々とした表情で語る年相応の笑顔で、輝く目にあこがれの色を強く滲ませる。
 ケイスがどれだけ真剣に傍目には巫山戯た金額を提示したのか、ケイスに反発するラクトにすら理解させる。


「お前が出した条件の意味は判った……受けてやる。ただし条件がこっちも1つある」


 だが意味が判ってもそれでもケイスに対するラクトの反発心は収まらない。
 むしろ勝ってやろうという気が強くなる。


「ん。よかろう。言ってみろ」


「俺が勝ったら剣を15枚で俺に贈るつってたなあれは無しだ。親父が言ったとおりただでくれてやる。それに足してお前から貰った魔具分の金額も俺が払う。自信家のお前にはそっちの方が嫌だろ。負けた上に剣を譲って貰うなんて。しかも使えるかどうか判らないんだろ、この剣に認めてもらえないつってたんだからよ」


「む……うっ。ふむ! 良かろう! 私の誇りに掛けてラクト。お前に勝ってやる!」


 ケイスの眉がぴくりと動き、不快そうにうなり声をあげた。
 確かにラクトの提案はケイスにしてみれば屈辱でしか無い。
 金銭など比べものにならないほどに、己の才に力に自信と自負を持つケイスにとって絶対に譲れない勝負だ。 


「勝つのは俺だ。お前が悔しがるくらいに剣を使ってみせてやる!」


 ケイスの宣言に対して、ラクトは挑発するように言葉を返す。
 羽の剣は不自然に軌道を変えて、ラクトの手の中に飛び込んで来た。
 ケイスが言う通り、羽の剣がラクトを選んだかのように見えるかもしれない。
 しかしどうしても剣に意思があるようにはラクトには思えない。
 握っている柄の感触が、あくまでもこれは武具だと勘が訴えている。
 だからケイスの言うように、とても擬人化して感じ取れない。
 だが同時にラクトは、例え変わっていようが、武具であるなら使えるはずだとも、感じていた。
 何故この武器が扱いづらいと父親が見立て、素直に認めるのは癪ではあるが、途方も無い実力を持つはずのケイスがあれほど制御に苦労していたのか、判らないほどだ。
 実際剣が手の中に飛び込んで来て初めて触れたが、驚くほどに馴染んでいて、闘気を送る量さえ気をつければ何とか扱えると確信めいた予感がしていた。
 









「あんたほんと馬鹿でしょ。なんで折れた右手で、当て木が粉々になるまで握れるのよ。変に力入れて折れてる骨が突き出たらどうすんのよ。ほんと馬鹿じゃ無いの」


 丁寧に包帯をまき直しながら、ルディアはクドクドとケイスを叱る。
 無理矢理に指を曲げた所為で折れた骨が突き出ているのではとも疑っていたが、幸いにもというか、原形を留めないほどに割れた当て木が無数に掌に刺さった刺し傷以外は見当たらず、大きな木片を抜いて洗い流して消毒をするだけの応急処置で済んでいた。
 

「仕方ないではないか。戦いに関する私の覚悟を示すのに丁度よかったのだ。うん。ミズハこれも美味しいぞ」


 ケイスは自分にだけ通じる言い訳を返しつつ、寝て起きたらお腹が空いていたのでとい動物的な理屈で、ルディアに治療を任せつつ左手でつまめる物をパクパクと食べていた。
 特にここ数週間。イチノ親子の料理はお気に入りになっていたのでご満悦といった表情だ。


「ケイス次はこれ食べる? こっちも自信作だよ」


 世辞では無く、心の底から美味しそうに、しかも大量に食べてくれるので作る方として気持ちが良いのか、ミズハも試作品を次から次にケイスの前へと差し出していた。


「少しは怪我人って自覚しなさいよこの馬鹿はほんとに。ハイこれで終わり。まったくさっきのことだけじゃ無くて、なんで医者に診せに行くって喧嘩沙汰になってるのよ」


「ン……それは成り行きだ」


 治療を終えたルディアの追求に、ケイスはつい目をそらす。
 無理矢理に拳を作ったことは自分なりに譲れぬ矜持があるが、医者に行かなかったのは、カンナビスの町に興奮していたからや、他に興味がひかれたやらと、色々理由はあるが、はっきり言えば忘れていたというのが主要因だ。
 元々怪我をした状態でも戦えるし、戦うしか無いのが常だったケイスにとって、利き手が使えないくらいの状況は日常茶飯事、自然治癒できる程度の怪我なら、医者に行く程度では無いという認識のズレがあるからだ。  
 だがそれを言えば、理解してもらえずにルディアはさらに怒るだろう。
 敵には滅法強いが、味方には基本的に弱いケイスは、これ以上叱られるのも嫌なので、無理矢理に誤魔化した。


「これはあくまでも応急処置だから……あたしは薬師ギルドに顔を出し行くから、そのついでに明日にでも医者に行くわよ」


 薬師の扱う製品は薬にもなれば毒にもなる。
 旅先での無用なトラブルを避けたいのならば、大きな街に着いたらとりあえず薬師ギルドに顔を出し滞在を告げろというのが、ルディアが師から教わった忠告だ。  
 大抵の街では、利便関係から医療院と薬師ギルドは併設しているか、同一区画に近接している。
 自分の怪我なのに無頓着なケイスに言っても無駄だと悟ったのか、ルディアは強制的に連れて行く決心を固めたようだ。


「ん。了解した。ルディ、それよりも私が昼間に渡した転血石を売ったお金はまだ余っているとさっき言ったな。どのくらいあるんだ? みせてくれ」


「医者代のつもりなら十分よ。金貨換算で600枚分くらいあるから……まぁ170万枚払うなんて言ってるあんたからすれば端金でしょ」


 ルディアからすれば大金過ぎて目の付かない所に置いておくのも怖いので、幾重にも結んで腰に下げて持ち歩いていた宝石袋を取り外して机の上に置く。


「医者代の前に色々準備がある。私には負けられない理由が出来たからな」


 器用にも左手一本で袋を縛っていたヒモを外したケイスは、袋を逆さにしてテーブルの上に宝石を広げた。 
 ごろっとした大粒の宝石が放つ華やかな色に、普通の女性なら目を輝かすことだろう
 しかしケイスからすればただの綺麗な石。
 あまり興味がないので、特に感想を漏らすことも無く次々手に取り、表面を保護するガラスに刻まれた額面に目を通していく。


「スオリー。昼間にも頼んだが協会傘下の練習用鍛錬場で魔具の使用にも耐えられる対魔術障壁が張れる所を借り受けたい。貸し切りだとしていくらで最短何時までに手配できる?」


「え……えぇ。早朝でしたらこの時期はさほど混み合っていないので、明日は無理でも、明後日には借りられると思いますけど、料金は金貨10枚もあれば十分です」


 始まりの宮が終わり。迷宮への侵入が再開したばかりのこの時期は、再構築された内部構造解析や、新種モンスター情報など、金になる要素が多いので、数日から数週間に渡って篭もる探索者の方が圧倒的に多い。
 だから鍛錬所は比較的空いており、それも早朝ならばほぼ確実に開いているはずだ。


「ふむ。ならこれで明後日と明明後日の二日分の手配を頼む。あと昼間の店の修繕費をそこから出してくれ。足りるか?」


 疲れ切った表情でのろのろと顔を上げ答えたスオリーに、ケイスは換算250枚となった黄金トパーズをとってスオリーに向かって放り投げた。
 無造作すぎる扱いと、他人に大金を躊躇無く預ける無頓着は、ケイスの金銭に対する拘りの無さ故だろう。


「弁償するって概念あったんですね……判りました。支部を通して決闘場所とお店の修繕を手配しておきます。ですが二日分ですか?」


 壊した物は弁償するという基本概念がケイスに有ったことに驚きつつも、スオリーは渋々承諾する。
 スオリーからすれば、ケイスに無駄な騒ぎなど起こして欲しくないのが本音だが、関わりを避けて下手に騒ぎが大きくなるよりも、自分が知っている部分で起きた方が幾分かマシだという判断していた。


「ん。調整と鍛錬用に使う。ボイドお前達はしばらく暇か? 他の連中でも良いんだが」


「あーとりあえず俺らは全チーム、ニ、三日は休養と武具修繕の予定だ。そのあとは次の仕事まで潜る予定だ。なんだ練習相手に付き合えか?」 


 ボイド達護衛ギルド所属探索者で構成されたチームは基本的に一回ごとのローテションで活動をしている。
 依頼状況にもよるが、基本的には一月で二、三回の依頼をこなし装備や情報を揃え、迷宮探索を一、二回の割合でスケジュールを組んでいた。
 

「うむ。だが私ではないラクトの相手だ。魔具の扱い方を覚えなければならないからな。使い方のレクチャーを頼めるか? 扱いに不慣れでラクトが自滅したのでは意味が無いし、私が面白くない。ラクトを完膚無きまでに叩きのめしてこそ、私の才能をみせられるのだからな」


「お前本当にいちいち言い方が不穏だななおい」


 ケイスの物言いに不快そうに顔をラクトがしかめる。
 挑発するつもりで言っているならまだ良い。これがケイスの通常仕様なのだからより腹立たしい。


「五月蠅い。扱いに慣れる必要が無いと思うわけではないだろ」


「……ちっ。判ってる。ボイド兄ちゃん達頼めるか? ケイスお前余分なことすんなよ! 鍛錬にかかる経費は俺が貯金から出すからな! 初日分の鍛錬所の料金もだ!」


 ケイスに同意するのはむかつくが言っている事はもっとも。
 不承不承ながらもケイスに賛同の意思をみせたラクトは、手伝いでため込んでいた貯金を使い切ることになるが、これ以上の手助けはいらないと伝えた。
 放っておけばケイスのことだ、鍛錬費用にと大金を渡しかねない。
 ただでさえ魔具代をケイスが出しているのに、それはあまりに癪だ。


「俺は構わないが、魔具は専門外だな。ヴィオンとセラが良いだろ」


「しゃあねぇな。お嬢。手伝ってやるぞ」


「あーはいはい。もう好きにしてよ……なんかもう何でもどうでもよくなってきたから」


 ケイスの目の前の宝石類をジト目でみるセラはやさぐれた声で、酒をあおる。
 守銭奴なセラには、ケイスの無頓着すぎる金の扱い方はストレス以外の何物でも無いようだ。


「ん。任せるぞ。そっちはそれで良いな。あとは私の準備だ」


 ラクトの方は手はずを終えたと満足そうに頷いたケイスは椅子から立ち上がると、別のテーブルへと身体を向ける。


「クマ。この間のバスタードソードが欲しい。まだあったな? それとドルザ。お前の所でリクゼン王国製のワイヤーナイフを取り扱っていたな。30本ほど用意してくれ」


 武器屋のマークスと、冒険用補助アイテムを専門に扱う商人であるドルザへと、ケイスは声をかけた。
 ワイヤーナイフは柄の部分に、丈夫な巨大蜘蛛由来の極細糸補助装備として組み込んであり、戦闘のみならず罠に用いたり降下用など何かと便利使いできるアイテムで、リクゼン王国の糸は特に頑丈で軽いと評判が良い代物だ。


「うちの商品も目を付けてたのかお前。ワンセット5本で計金貨6枚だな。クマさんはまた100枚か?」


「ドルザうるせぇ! 10枚だ。ケイスそれ以上は受け取らないからな」


 最初に吹っ掛け過ぎたのを仲間内でネタにされるのに飽き飽きしているのか、からかい口調のドルザに、マークスが少し赤面しながら怒鳴り返し、金銭感覚の崩壊しているケイスを牽制した。


「合わせて16枚か……うむ。細かいのが無いな。いや武器以外も必要か」


 テーブルの上の宝石を見比べたケイスは最小の額面でも金貨50枚分しかなく、どうするべきかと少し悩んでいたが、合点がいったのか大きく頷いた。


「ファンリア! 私用に防具一式が欲しい。ハーフリング用軽装備はキャラバン内での扱いは無かったはずだな。仕入れを頼めるか? マッドナー工房製でホルダーが多いタイプがいい」


 次いでファンリアの名を呼んだケイスは、大陸ではマイナーな小型種族防具専門工房の製品を指定し手に入るかを尋ねる。
 ハーフリングはトランド西部に定住する少数種族で成人でも、人の子供と変わらない背丈くらいにしかならない種族。
 ケイスと同等のサイズの彼らは身体は小さくとも、手先が器用で俊敏なため、斥候役の探索者を生業としている者も少なからずいる。
 絶対数が少なく需要が低いので、彼ら用の武具はあまり出回っていないが、何かと顔の広いファンリアのこと。
 迷宮隣接都市として大きなカンナビスなら、扱い業者を知っているだろうとケイスは踏んでいた。
 

「ハーフリング用か……知り合いに当たればフィッティングも含めて明日には用意出来るが些か値が張るな。150枚って所かね」


「よし。ではこれで頼んだ。つりを2人に渡してくれ。残りは世話になった謝礼としてキャラバンに寄付する」


 額面200と刻まれた大粒のサファイアを手に取ったケイスは僅か一日で準備できると明言したファンリアのいるテーブルへと、不作法にも投げ渡す。


「ふむ。あと必要な物は……」


 ケイスは腕を組み、ラクトとの決戦に備え何をすべきか自問する。
 武具、防具は揃った。
 しかし問題は対魔具……いや魔術戦闘だ。
 セラ相手の模擬戦では、魔術を避けようとして近づけず体力切れ。
 始母であるウェルカの咆哮には、手も足も出ず倒れた。
 今のままでは、いくらケイスでも限界はすぐに来る。 
 何らかの手段を考えなければならない。
 ラクトのようにこちらも魔具で対応するか?
 威力持続性に劣る魔力充填式の魔具でも、使い方、使い所を熟知していれば、低級魔術でも高位魔術の使い手を葬る自信はある。
 しかしそれは今のように街中ですぐに魔具を仕入れることが可能な状況下でのこと。
 将来的に探索者になった時には、頻繁な補給を前提とする戦い方は通用しない。
 第一ラフォスに自分の才を見せつけるためには、剣で勝たなければならない。
 必要なことは、魔術を突破して、相手に近づくこと。
 自分の絶対戦闘圏。極々近接領域まで踏み込むこと…………
 その為には……
 過去の戦い方を、戦った相手を脳内に思い出し、シミュレーションを重ねる。
 かつて龍冠で出会った生物。
 トランドに渡り戦った人やモンスター。
 自分が魔術を使えた頃の戦い方。
 魔術を封じて得た戦い方。
 この歳にして膨大な戦闘経験とケイスの戦闘センスが求めていた答えをはじき出す。
 それがどれだけ荒唐無稽で無茶な戦い方であろうと。

 
「よし決めた。ルディ! ウォーギン! 時間が惜しいから今から医者に行くぞ! 色々買いたい物が出来た付き合え!」


 思いついたら即断即実行。
 今から医者に行くという宣言をしたケイスは、何故かルディアだけで無く、ウォーギンさえもその標的の中に納めていた。



[22387] 魔導工房主と魔具
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID: