<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

オリジナルSS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[22387] 永宮未完 下級探索者編
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2019/07/15 00:14
 以前投稿していた物の書き直し……というか主要キャラの掘り下げで過去から始めたためにほぼ新規となります。
 序をとっとと終わらせたら、迷宮やら冒険物にする予定となっています。 
一応迷宮物でありますが、地下やら古城は勿論の事として、やたらと広い砂漠やら湖等も少し設定を加えて迷宮化させた物とする予定です。
 
 稚拙かつ遅筆な物語ですが僅かでもお楽しみ頂き、お付き合いいただけましたら幸いです。

 2014/10/26 序より推敲を開始。小説家になろう様にも投稿をいたしました。


 ある程度進んだので、第二部下級探索者編こちらでも再始動いたします。



[22387] 序 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2017/08/21 00:19
 轟々と鳴り響く風の音。

 夜空をぶ厚く覆う黒雲からはまるで礫のように大粒の雨粒が降り注ぎ地上を激しく叩く。

 天を切り裂く幾筋もの雷光と鳴り止まぬ雷鳴は、まるでこの世の終焉がすぐ其処まで迫っているかのようだ。

 冬の終わり。

 春の到来を告げる春嵐は、毎年同じ日に大陸の南方海で発生し、大陸各地に大雨と洪水をもたらしながら、3週間かけて徐々に北上していく。

 小国なら丸々一つを覆ってしまうほどの大嵐は、やがて海から遠く離れた大陸中央部の険しい山岳地帯へと至り忽然と消滅する。

 通常の嵐では有り得ない動きと規模。

 これは嵐が消滅する山岳地帯に原因があると、歴史学者達の間ではまことしやかに囁かれる。

 その地には遙か過去に大陸に君臨した龍王が居を構えていた迷宮があり、主が滅んだ今も生き続けている魔法陣によって大嵐が発生し引き寄せられているからだと。

 二千年以上も定期的に続く大嵐の真相を究明しようと現地調査の申請をする者の後は断たない。

 だが極一部の例外を除き山岳地域への立ち入りが許可されたことはない。

 龍の秘術が解析され拡散する可能性や、調査によって予期せぬ事態が起きる懸念がされた事情もあるが、一番の理由は別にある。

 それは彼の地が聖地であるからだ。

 聖地と定めしは、迷宮を征し龍王を討ち滅ぼし勇者によって建国されし王国。

 後に王国は南方大陸統一を成し遂げ統一帝国としてさらに勇名を馳せることになる。

 討ち滅ぼし龍王の名を受け継ぎ『ルクセライゼン帝国』の聖地である古代迷宮は『龍冠』と呼ばれ、国母たる代々の皇太后が守として余生を過ごす離宮が迷宮への入り口を塞ぐように建てられていた。










 








 
 春嵐がもたらす激しい雷雨はただでさえ見通しの悪い夜の森をさらに暗く彩る。

 降りそそぐ雨が視界を塞ぎ、針葉樹林で構成された森を縦横に走る遊歩道は、長雨の影響で所々が冠水して、まるで川のように水が流れている。

 嵐に晒される森。

 その森に張り巡らされた遊歩道を、水に沈んだ根や段差をカンテラや魔術の灯りに照らし出し、何とか避けながら懸命に走る幾人もの騎士達がいる。

 騎士達がいるこの森の中心部にルクセライゼンの聖地である古代迷宮『龍冠』が存在する。

 龍達の長。龍王がかつて居を構えていたという伝説が残る【龍冠】は、人里から遠く離れた山岳地帯にある。

 夏でも山頂付近に真白い雪が残る高い山脈に周囲を取り囲まれ、その姿がまるで王冠のように見えることから、龍王の王冠『龍冠』と古来より謳われていた。

 山裾の隙間を縫うように流れる谷沿いに狭い道が一本あり、そこを通り山脈を抜けると巨大な盆地へ出る。

 盆地の南側には古代樹が群生する森林、北半分には周囲の山々からの雪解け水で作られる冷たく透き通った湖。

 湖の中央には湖水から垂直に伸びる断崖絶壁の高い崖で周囲から孤立した島が一つ。

 島の天頂には針葉樹林の森が広がり、中央部には古めかしく荘厳な空気を醸し出す石造りの宮殿と広大な温室庭園が存在する。

 この宮殿の直下に、龍冠の本体ともいうべき迷宮への入り口があった。

 生物の侵入を拒む高い山脈と湖中央の切り立った断崖絶壁の島に存在する『龍冠』。

 険しい山々を越えるのは夏期でも非常に困難であり、雪が根深く残る春を迎えたばかりのこの時期には不可能といっても過言ではない。

 地上からの唯一安全なルートは、湖から海へと続く谷川沿いの狭い道しかない。

 だが谷沿いには厳重な警戒網を誇る砦が幾つも設置され、人と物の出入りは厳しく検査されている。

 もう一つルートもある事はあるが、それは飛竜などの騎乗生物を使う空からの山脈越えとなる。

 だがこちらも常に監視がされており、しかも今は威力が強く巨大な春嵐の発生期。空路の山脈超えなど無謀の極み。

 外部からの進入は事実上は不可能であるはずだ。

 しかし今宵は違った。

 地下倉庫に設置された探知結界が警報を奏でたのは、今より一時間ほど前。

 警報直後に倉庫から走り去った茶色い外套の不審人物を追いかけ、騎士達は嵐の森の中へと踏みいる羽目になっていた。








『反応を拾った! また森の中を移動してやがる!』


『無茶苦茶だ! なんて野郎だ!』


『場所は!』


 騎士達の襟元につけた魔術具より侵入者発見を伝える声が響く。

 次いで舌打ちと苛立ちを抑えきれない忌々しげな声や、苦しげな呻き声がいくつも聞こえてくる。

 遊歩道を走るのがやっとな騎士達を、まるであざ笑うかのように森の中を軽々と移動する侵入者に何度も囲みを突破され騎士達の苛立ちは募っていた。


『25番を南方向に抜けていった! 回り込める奴は回り込め! 何とか足を止めろ!』


 指示の声に森に散らばっていた騎士達が一斉に動き出す。

 近くの者は侵入者の進行方向を先んじて抑える為に直接的に回り込み、離れた場所にいた者は囲みを突破された場合に備え外側に回り込んでいく。

 しかし騎士達の数は二十人にも満たず、いくら相手が一人といえど移動速度が段違いでは捕らえるのは至難であった。

 現状は南側にある下の湖に通じる唯一の階段回廊は別働隊が封鎖し、残りの者達が北側にある離宮へと再度近づけぬように囲みを徐々に狭めながら退路を塞いでいくのがやっとだった。


『23分岐! 姿は見えない!』


『こちらは27分岐! 同じく確認できない! 22分岐の方か?! 気をつけろ! 相当速いぞ!』


 近くを通ると予測される分かれ道に着いた騎士が次々に発見できずと報告をあげていく。

 直線的に森を抜けてくる侵入者に対して遊歩道沿いの回り道しかできない騎士達では、一度侵入者を見失うと再発見は容易なことではなかった。


「22分岐についた。了解」


 22番分岐路へと走り込んだ騎士は同僚の忠告に小声で答えながら、敵からの目印となるカンテラの火を消して近くの木の陰に身を隠して周囲を探る。

 走り通しで荒れる息を整えつつ細身の長剣を引き抜く。


「ちっ……やりづらい」


 雨で滑らぬように柄に巻いた荒縄の感触に違和感を覚えた騎士は舌を打つ。

 強い風と雨を伴う嵐に森の樹が盛んにざわめき、音がかき消され気配が探りにくい事も苛立ちの要因だろう


「太后様がお留守のこの時期にか……」


 この時期に現れた侵入者の狙いを推測し、それを口に出すことさえ躊躇した騎士は、緊張を押し殺そうとゴクリと息をのむ。

 離宮の主である皇太后がここより遙か南方にある帝都にて執り行われる春迎の祭典に出席する為に、例年この時期は離宮から離れていることは周知の事実。

 龍冠が存在する山脈への無断侵入は未遂であっても大罪。

 ましてや離宮にまで辿り着いたのであれば、背後関係を徹底的に調べるために拷問。その上での死罪は確実。場合によっては反逆罪で一族郎党にまでその責は及ぶ。

 其処までの危険を冒して主不在の離宮へと侵入する理由として、予想できる物はいくつか騎士にも思いあたる。

 龍冠はその成り立ちから曰くのある場所で、帝国が抱える幾つもの機密情報が眠っていると民の間でも噂され、実際にそれは真実である。

 騎士の心に浮かんだのは、その中でも、もっとも隠し通すべき秘匿存在であった。

 下手にその存在が明るみに出れば、帝国の崩壊と終わりの見えない戦乱を招きかねないほどの危険を含むモノ。

 四年も侍女として潜伏していた間者によって、その秘密が暴かれかけたのは僅か半年前。

 その時は一人の犠牲と情報操作により秘密は辛うじて守る事ができたが、身辺調査と選別が厳重に行われていた離宮の侍女に間者が潜伏していた事実は、現皇帝とその側近達に衝撃を与えることになる。

 皇太后を狙った暗殺未遂事件として処理しつつ、情報拡散を防ぐ為に元々少なかった離宮詰めの騎士と従者にさらに徹底した身上調査と思考調査が行われた。

 これによって騎士と従者はより厳選された極少数となり、調査によって僅かでも不安要素がある者は任を外され、秘匿存在に関する記憶封印がされ別地へと異動させられた。

 結果離宮の守りは薄くなったが、代わりに山脈外周部及び回廊である谷には兵力が倍増され、さらに新たな砦が幾つも設けられて守りをより強固な物へと変貌させている。

 ネズミの一匹たりとも見過ごさないと言っても大袈裟ではない警戒網。それをすり抜けてきたとは考えにくい。ならば……


「まさか他にも内通者が?」


 一瞬浮かんだ猜疑の念を即座に首を振って否定する。

 今の同僚や従者達は数こそは少ないが、誰もが信頼できる家族のような者達ばかり。

 裏切り者など居るはずが無い。

 騎士は剣をしっかりと握り直して周囲の気配を探り続ける。

 だが風雨の影響もあって侵入者の姿は見えず気配も感じ取ることは出来ない。

 この嵐は侵入者にとっては心強い味方。騎士にとっては最悪の障害となっていた。


「……」


 このままでみすみす見逃すと判断した騎士は、口笛のような音を一つ鳴らして高圧縮した詠唱を唱える。

 詠唱によって発動した術は生体感知。

 有効範囲はさほど広くはないが、魔術師が偵察用使い魔として使う小鳥程度の大きさの生命体も感知できる術になる。

 騎士の視界で周囲の木々がうっすらと光って輪郭を描き出し、幾つもの光点があちらこちらに浮かんでくる。

 木の洞や太い枝の根元辺りに浮かぶ光点。それらには動く様子も見えない。おそらく森に住み着いている小動物が嵐が去るのを耐え忍んでいるのだろうだろう。

 しかし暗闇の森の中に一つだけ別の動きをする反応があった。

 騎士が思わず驚くほどの速さで森の中を動く生命反応。

 その主はでこぼこした地面を避けて、木の枝や幹を次々に蹴りつけながら宙を跳び、騎士の隠れる方向へと段々と近付いてきていた。

 距離はそれほど遠くはない。このまま真っ直ぐ進めば数十秒後には騎士が隠れている樹の近くを通り抜けていく。おそらくこれが侵入者であろう。

 迷い無く真っ直ぐ進む侵入者の足取りに、隠れているこちらの存在には気づいていないと騎士は判断する。

 
「発見した。仕掛ける」


 即断した騎士は小さな声で味方に伝えると、周囲を探る魔力の流れから存在気取られぬようにと探知術を切ると、浅く深く息を吸ってピタと止めて、左足を半歩前に踏み出し半身体勢となる。

 天を駆ける稲光に刀身が反射しないように侵入者が来る方向に対して己の身体に巻きつけるような右下段の腰構えで剣を隠し、左手は柄頭の近くを順手に握り、開いた右掌を鍔近くに押し当てる。 

 踏み込みと共に身体全体のひねりを解放し同時に右手を突き出す事で電光石火の一撃となす、初手を重視した独特の構え。

 多数の追っ手に対して逃亡を図る侵入者が足を止めて戦闘をするとは考えにくい。

 こちらに気づけばすぐに侵入者は逃亡を再開するだろう。

 当たろうとも外そうとも次手を繰り出す余裕はない。

 情報を引き出すためにも生きたまま捕らえ無ければいけない。

 木を跳ぶ相手との位置関係と逃亡を防ぐためにも狙うべきは足。

 足を殺して機動力を削ぐ。

 情報と状況を整理し予測から目標を定めた騎士は息を押し殺し、最適のタイミングを伺う。

 天を引き裂く雷光と雷鳴。

 轟々と唸る風。

 枝葉をかき鳴らしざわめく木々。

 気を抜けば足を掬う勢いで流れていく水。


 ザッ! ザッ! ザッ! 


 自然の猛威が不規則な音を奏でる中に微かな足音を騎士の耳が捕らえる。

 計ったかのように一定のタイミングで鳴る足音。

 隠れていた木の陰から騎士はそっと顔を出し侵入者を目視しようとした丁度その時、雷光が煌めき、黒い影だった侵入者の姿が一瞬だけ明々と照らし出される。

 姿があらわとなったのは僅かな瞬間だが、広い国中から選抜された高い実力を持つ騎士にとってそれだけあれば十分だ。

 侵入者の体格、武装、身のこなしを確かめた騎士は内心で僅かに驚く。

 樹を次々に飛び移るという情報から身のこなしが軽いとは思っていたが、侵入者は騎士が想像していた以上に小柄だ。人間種の子供ほどの大きさしかなかい。

 赤茶色の外套を纏い、フードを目深に被ったその顔を窺い知ることは出来ない。

 騎士から見て反対側の右肩には、布でくるまれた持ち主の倍ほどの長さの棒のような物を担いでいる。

 長柄の先は大きく膨らんでいる。槍の類だろうか。

 小柄で森の中を自由自在に動き回れる長柄使い。

 人の子ほどの背丈と聞いてまず思いつくのは精霊種の一部だが、代表的な者に限ってもハーフリングやハイゴブリン等が幾つもあげられる。 

 これに魔族や獣人など他系種の者達も含めればその候補は数百にも及ぶだろう。

 見た目だけで相手の正体を絞り込むことなど出来ない。

 背後関係を探るためにも是が非にでも捕らえなければならないが、侵入者の動きを実際に目の当たりにして、相手が高い技量を持つことを確信した騎士の鼓動は緊張で僅かに速くなる。

 この森は全ての木を一定間隔に植え整備して作った森ではなく、元々あった森に少しばかり手を加えたに過ぎない。

 法則性もなく乱雑に生える木々を速度を落とさずに、次々に一定のリズムで跳び移るには、先の足場を見極め続ける事が出来る頭脳と、思い描いたとおりに瞬時に身体を動かす高い身体能力が必要となる。

 侵入者の技量はおそらくは自らよりも上。

 そんな相手が逃亡中だというのに隠れている追っ手の騎士を見落とすだろうか?

 ひょっとしたこちらの存在に気づいていないと、思わせているだけではないのか。

 不意に弱気な考えが騎士の心に浮かび上がる。

 しかし迷いは剣を鈍らせる。

 騎士は不安を無視してぐっと足に力を込める。

 騎士の間合いまで敵は後二歩まで迫っていた。


 ザッ! 


 柄の握りを強め身体を僅かに前方へと倒す。後一歩。


 ザッ!


 枝を蹴りつける足音を意識が認識する前に、騎士は左足を滑るように水を切りながら踏みだし隠れていた木陰から飛び出す。

 空中を跳ぶ黒い影が視界の真正面に一つ。

 騎士に対して左側面を晒す侵入者が其処にいた。

 宙を跳ぶ侵入者の体勢が僅かに乱れた。水を蹴った踏み込みの音でようやく隠れていた騎士の存在に気づいたようだ。

 慌てて音が聞こえる方向に顔を向けながら、右肩に担いでいた長柄を僅かに持ち上げ迎撃の構えを取ろうしている。

 察知能力と判断能力は騎士の予想以上に速い。

 だが足場のない空中でもたついて、意識に身体がついていかないようだ。

 大きな隙が出来た侵入者。手練の騎士がその隙を見逃すはずもない。

 騎士は腰構えにしていた長剣を握る左手を一気に振り上げ、柄に当てた右手に捻りを加えながら強く打ち込む。

 剣は一拍の間も置かずに最高速に達し、侵入者の左足首に食らいつこうと襲いかかった。

 その時、騎士の背後の僅かに姿を見せた空でまたも天を切り裂き雷が一つ奔り、森の中を明々と染める。

 刀身が雷光を受けて光輝いた。

 文字通りの閃光の一撃となったその一振りは、騎士の非凡な才能と何千何万と振った型の上に身についた必殺の一撃。

 だが刀身を輝かせた雷光は同時に、フードを被った侵入者の顔をも照らし出していた。

 雷光を受けて形を現したのは、黒髪と黒目のまだ幼い少女の顔。

 それは騎士のよく見知る者……この瞬間に絶対にこの場にいてはいけない者の顔だった。

 自分が剣を振るったのが誰なのか瞬時に気づいた騎士は、とっさに狙いを逸らそうとする。しかし最速で振り出した剣は騎士の思うとおりにはならない。

 非凡な才能を持つ騎士の腕を持ってしても、その速さを僅かに弛める程度のことしかできない。

 騎士のとっさの動きも無駄となり少女の足首はばっさりと斬り飛ばされている…………はずである。

 だがこの少女には騎士が作り出したその刹那の遅れで十分だった。

 少女が長柄を持つ右手を下に振りながら掌の中で滑らして足下へと柄を伸ばす。

 同時に伸びた柄を左足で絡め取って足首の後ろ側へと回した。

 次の瞬間、金属同士がぶつかり合う高音が嵐の森に高らかに鳴り響く。

 少女の足首を切断するはずだった刃を、長柄の柄がガッチリと受け止めていた。

 布にくるまれていてその材質までは判らないが、少女は僅かに長柄を動かし力を分散させることで、必殺の一撃である騎士の剣を容易く受け止め、そして跳ね返してみせた。

 しかし剣に乗っていた力まで相殺されるわけではない。

 宙に浮かんだ状態で足下に強い一撃を受ければ、小柄な少女の身体では衝撃で弾き飛ばされるだろう。

 しかしそうはならない。

 剣と長柄がぶつかり合う衝突音が鳴るとほぼ同時に少女が足を上げ下半身を丸めながら、左手を後ろに振り上半身を反らして横向きの衝撃の力をその体捌きのみで円の力へと変えるという離れ業をやってのけていたからだ。

 腕の立つ騎士の全速攻撃を受けたというのに、軽々と凌いで見せた少女は、まるで猫のように空中で一回転してスタッと地面に降り立った。

 剣を放った体勢のまま凍りついていた騎士だったが、少女に怪我が無かったことにほっと胸をなで下ろしかけて、


「なんで貴女がここに!?」


 すぐに今もっとも問題にするべき事があると気づく。

 なぜここにこの少女がいるのか。しかもなぜ侵入者として追われていたのか?


「驚かすなっ!!!」   


「おぶっ!」 


 問いただそうとした騎士に対して、少女がもたらしたのは不機嫌な怒鳴り声……そして先ほど剣を防いだ長柄であった。

 溜めや構えを悟らせることなく不意に繰り出した少女の一撃。

 油断していたために攻撃をまともに頭部に受けることになった騎士が見たのは布がほどけて顔を覗かした三つ叉にわかれる長柄の先端と、周囲に飛び散る妙に白い破片だった。


「し、燭台!?」


 少女がもつのは武器ですら無く離宮ではありふれた燭台だった。

 まさかそんな物で自分の一撃が防がれたとは。

 驚愕する騎士の意識は急速に遠のいていた。



[22387] 序 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2017/08/21 00:19
「デュラン! デュラン! …………駄目だ。反応がない。まさかこの短時間でやられたというのか?」


 何度呼びかけても通信魔具から返答の声が聞こえてくることはない。

 部下の一人が侵入者と接触すると連絡を入れてきたのはつい先ほど。

 その直後に連絡は途絶した。

 離宮守備隊に選抜される騎士は優秀な人材で固められている。

 特に半年前の事件の後も残った者達は少数ではあるが、国内最精鋭といっても過言ではない。

 それがたった一人の侵入者に手玉に取られ、その中でも実力者のデュランが連絡を絶つ異常事態。


「22分岐付近の者は引き続き侵入者の現在位置確認! 発見してもうかつに仕掛けるな! 他は近くの者と二人パーティ形成。再度包囲準備! 足止めし連携戦に持ち込む! 相手は上位の探索者かも知れん! 包囲完了しても油断するな!」


 離宮直衛守備隊の長を務める中年騎士は、侵入者が驚異的な実力を持っていると判断し緊迫した声で指示を下す。

 守備隊に属する騎士達は特別顧問の師事の元、迷宮で誕生した剣術を身につけている。

 生物として上位存在である迷宮の怪物達を相手取るために生み出された実戦的な迷宮剣術は単独戦闘を基本とするが、パーティによる連携戦も派生技法として重要視され一対多であるこの状況には適しているといえるだろう。

 ただでさえ広い網の目をさらに広げる事にはなるが、各個撃破され食い破られるよりはマシだという決断であった。

 しかし守備隊長には一つ懸念がある。

 侵入者の正体が北大陸に存在する迷宮。

 世界で唯一の生きる迷宮群である【永宮未完】を踏破し神の恩恵である身体能力強化【天恵】を得た者……それも最高峰の上級探索者だったらという恐れだ。

 天恵強化は迷宮外では著しく制限されるが、それでもある程度の効力を発揮する。

 そして時間制限はあるが迷宮内部と同等の超越した力を解放する切り札【神印開放】が探索者には存在する。

 能力開放状態の探索者に対抗する術は一つだけ。同様に能力解放した探索者を当てるしかない。

 だがそれについては問題はない。

 ここルクセライゼンにおいて正騎士へと任命されるには、準騎士としての経験とは別に中級以上の探索者である事が必須条件となっている。

 守備隊に籍を置く者は全てが正騎士にして中級探索者。

 まして離宮詰めの騎士達には、非常時用に自ら得た神印宝物や国より下賜された物を常時その身に帯びていた。 

 
「侵入者が神印開放を行った場合は私が対処する! お前達は即時待避し離宮に残る者達と防衛に専念」


 守備隊長も若かりし頃は一人の探索者として鍛錬を積み重ねてきた。その証ともいうべき物が右腕で燦然と輝く銀製の精巧な飾りの施された腕輪だ。

 蔦薔薇をモチーフとした腕輪に咲くのは赤い宝石によって再現された一輪の花。石の中央には森を司る中級神の印が刻み込まれている。


「侵入者が陽動であり伏兵の恐れも考えられる! 伏兵が存在した時は合わせて順次解放! 帝都に連絡! 下の砦に救援要請も出せ! 私が許可する!」 


 切り札である腕輪に無意識に触れながら、侵入者警戒時よりもさらに引き上げた準戦時対応へと移行する指示を守備隊長は下す。


 ルクセライゼンは大陸を丸々一つ支配下に置く大帝国である。

 だがその実態は一枚岩ではなく、むしろ無数の国が集まって出来上がった寄り合い所帯ともいえる。

 これは南方大陸統一の理由が、当時北方大陸で起きた世界的異変に対抗するための緊急的な意味合いが強かった所為だろう。

 その脅威も既に過去の物となり200年以上。平穏な時代での商業的な発展が行き詰まりつつある中で、最近では広大な帝国のあちらこちらで争いの火種が燻り始めている。

 その中でもっとも大きな火種となり、そして現皇帝にとって最大の弱点である者が龍冠には存在する。

 警戒厳重な龍冠。その最深部まで潜入を果たした侵入者に対して守備隊長が過剰ともいえる反応を示したのは、いつ内乱が始まってもおかしくない空気を常日頃より感じ取っていたからであった。

 この判断は全くの見当違いであり、むしろ押さえつけられていた火種自らが燃え広がる切っ掛けとなる、ただの家出だったと知るのはもうしばらく後であった。
















「むぅ……変わった」


 雨の森の中、次々と木や枝を飛び移りながら目的の場所を目指していた少女は周囲の気配から騎士達の配置が変わった事を敏感に察知し、太い枝の上に着地して一端立ち止まりさすがに荒れた息を整える。

 いくら枝その物は太くても、風は強く吹きあれ、雨に濡れており滑りやすく、ましてや右腕には先ほど騎士を殴り倒した自分の身長の倍もある燭台を担ぎ、左てだけで幹を掴んだだけの不安定な体勢。

 だというのに困った顔を浮かべる少女の姿から、木から落ちるというイメージがわいてこない。

 不安定な足場でも微動だにしないバランス感覚の良さもあるのだろうが、どうにも野性動物的な雰囲気が少女からにじみ出ている所為だろうか。


「これでは半年がかりの私の綿密な計画が台無しだ……お腹すいた」



 待ち望みようやく訪れた春嵐。だが逃亡計画がのっけから躓いたことに少女は不機嫌そうにつりめ気味の目をさらに尖らせて眉を顰めたが、胃がキューと小さく鳴って自己主張したことに気づき息を吐いて少しだけ気を抜く。

 現在位置周辺には遊歩道からは少し離れていて木も生い茂っているので、姿を見られることも無く、生体探知されても気配を押し殺して動いていなければ、小動物と思うはずだ。。

 周囲を見渡して状況を考えた少女は、逃亡の最中だというのに大胆にも小休止と決めて立っていた枝に腰を下ろした。

 頭と右肩で燭台を押さえつけると、外套の中に左手を突っ込みごそごそと漁る。

 懐から取り出した少女の手には大きな林檎が一つ握られていた。


「むぅ。失敗だったか。もう2,3個持ってくれば良かった。まさか森を出る前に食べることになるとは思わなかったな」


 幼い外見には似合わない尊大な口調の少女は、真っ赤な林檎を残念そうに見てから、雨に濡れる事も気にせず林檎にシャリッとかぶりついた。


「ん。やはり美味しい……探知結界に察知されたのは誤算だったが忍び込んで正解だったな」


 その甘さに今度は年相応の無邪気な笑顔を浮かべる。

 わざわざ地下倉庫に林檎を取りに行かなければ察知される事もなく、もっと楽に逃げ出すことが出来ただろう。だが少女にはそんな考えは毛頭ない。

 旅立つ前に一番の好物である中庭の庭園で採れた林檎を持っていきたかった。これが全てである。

 現にこうやって林檎は手元にあるのだから、その数と早々と食べてしまう事に対する不満はあるが、それ以外は特に気にしていない。

 良く言えば大らか、悪く言うなら大雑把。あまり細かい事にこだわらない所がこの少女にはあった。


「それにしてもどうするか……さすがにさっきみたいな不意打ちは、二人相手では無理だな……捕まればミュゼに叱られるし、お祖母様が戻られたらお仕置きされてしまう……大願成就のためにも戻るという選択はありえない……かといって階段回廊の方から人が廻ってくる気配もないか」


 林檎をしゃりしゃりと食べながら、少女は捕まった時の未来を考えた。

 従者にして従兄弟の姉に怒られるのもさることながら、普段が優しい祖母が怒るともう一人いる厳しい祖母以上に恐ろしい。

 その事をよく知る少女は怒りの様を想像しびくっと背筋を振るわす。

 ましてや守備隊の一人を思いっきり殴り倒した事が知られれば、過去最大の怒りとお仕置きを貰う事は必須。 

 先の事を考えるなら、今回は諦めて次の機会を伺うという選択肢もあるのだろうが、叱られたくはないという子供らしい思いが少女にもう後には引けないと決意させていた。

 だがそう易々と思うようにいかない事も少女は重々承知している。

 不意をつけたのはあくまでも先ほどの騎士が少女の存在に驚き油断していたからにすぎない。

 逃げるだけなら後れを取る事はそうそうないが、直接的な戦闘では守備隊騎士達には到底及ばない。

 逃げ続けて引っかき回していればそのうちに業を煮やし、下の湖へと続く唯一の道である階段回廊を封鎖している騎士達の一部も追跡に来るだろう。

 後は手薄になったその隙に突破すれば良いという予測も外れてしまった。

 唯一少女にとって有利なのはまだ自分の正体がばれていない事くらいだろうか。

 しかし先ほど倒した騎士は通信魔具は壊して縛り付けて森に放置したが、いつ目覚めるか判らない。

 騎士の口から正体がばれたら追っ手の騎士達も、相手が少女なら多少のことなら大丈夫だろうとある意味遠慮が無くなってくる。

 もっと早く階段回廊に近づけていれば、他の手もあったかも知れないが、まだここは離宮と回廊の中間点ほど。

 突破しても突破しても回り込んでくる巧みな騎士達の配置で思った以上に、南に下れなかったのが痛かった。


「バレイドめ。頭は硬いがやはりお祖母様が選んだだけあって優秀だ。しかも勝負に出たな」


 騎士達の配置が換わったのは、必要以上にこちらを警戒し森に騎士を分散させるのを止めてパ-ティによる連携戦を仕掛けてくる兆候だろうと、守備隊長の慎重でありながら必要とあれば大胆な手も打つ性格から少女は予測する。

 一対多の状況になれば不意を突くのは難しく、早々に捕まるのは必至。

 だが網の目が広がり立て直しが出来ていない今この瞬間が最後の好機である事も事実。


「ん……仕方ない。抜け道と潜伏でいくか……登ったことはあっても降りたことはないが、まぁ私なら何とかなるだろう。ちょっとお腹もふくれたし全力だな」


 まだ幼くあるが明晰で回転の速い頭脳を持つ少女は活路をすぐに見いだし、芯だけになった林檎を名残惜しそうに見てから口に放り込むと立ち上がる。

 目指していた階段回廊へのルートをあっさりと見限り、林檎の芯をポリポリと囓りゴクリと飲み干す。

 先ほどまで引っかき回す為にわざと抑えていた移動速度を全力にし、包囲網が再度配置される前に抜けようと、強い風が吹き荒れる中を西へと向けて突き進み始めた。



















『再発見! っ! さっきよりも速いぞ!? 猿か!?』


『西に向かってる! あっちは崖だぞ!?』


 通信魔具から次々と上がる部下達の驚愕の声に守備隊長であるバレイドは忌々しげに眉を顰めながら水をかき分ける足を速める。

 風雨はますます強くなっている。

 春嵐本体がもうすぐ其処まで迫っているのだろう。

 先ほどまでは何とか南に抜けようとする様子が見られた侵入者の動きは急に変わった。

 こちらが再包囲を完了する直前に姿を現し動き始めたかと思うと、まったく別の方向へさっきほどよりも速い速度で動いている。

 南側へ抜けるルートへと重点的に配置していた事も裏目に出て網を完全にすり抜けられ追いかける状態。

 だが侵入者が一直線に向かっているのは西側……そちらは断崖絶壁の崖しかない袋小路だった。


『ひょっとして何も知らないで、浮遊か飛翔で崖を降りる気なのか?!』


『馬鹿野郎! 魔力吸収域のことなら俺んとこの三歳のガキでも知ってる! そんな訳あるか!』


 龍冠に立ち入る事ができる者は極限られている。

 しかしその大まかな風景や特徴等は始祖の英雄譚や過去の皇族が描いた風景画等である程度は知られている。

 特に島を取り囲む湖を魔物を迎え撃ちながら越えていく始祖達の苦難は、吟遊詩人達によく謳われる場面である。

 湖の湖底から上空は雲まで届くほどの高さで広がる特殊な領域【魔力吸収域】が広がり、生命体から魔力を吸収し、発動した魔術さえもを打ち消してしまう。

 ここではよほど膨大な魔力量を持つ存在が、吸収されるよりもさらに膨大な魔力を込めない限りは魔術を行使することなど出来無い。

 それこそ龍でもなければ魔術行使は不可能。

 そんな事は子供でも知っている。

 浮遊も飛翔も使えず高い崖から身を躍らせるなど無謀の極み。

 もし無事に降りれたとしても、水深が深い為に凍る事はないが雪解け水で出来た湖水は容易く人命を奪うほどに冷たい。


「落ち着け! 逃げられないと悟りを背後関係を探られないために自ら命を絶つつもりやもしれん! それに上級探索者であればこの程度は何とかなる! むしろ森を抜ければこちらの物だ! 油断せずに追い詰める事に専念しろ!」


 慌てふためく部下達に、バレイドは叱咤の声を叩きつける。

 森から崖の間には僅かだが開けた平地があり、其処ならば数の有利が最大限の力を発揮する。

 侵入者の思惑は予想通りなのか、それともまったく違うことか。

 だがどちらにしてもやる事は変わらないとバレイドは左腰の鞘を抑えながら森の出口へと続く遊歩道をひた走る。


「……っ! 危ね! 根が張り出してる! 後ろ! 気をつけろよ!」


「……っちだ! 違う! 左前方! そっちの裏側に抜けた!」



 徐々に森の木々の向こう側に幾つもの灯りが浮かび、通信魔具越しではない怒声や罵倒が聞こえてきた。

 森の出口へと近付く事に徐々に騎士達が集結している。

 それは侵入者が徐々に近付いているということでもある。

 走りながらも息を整え、いつでも抜刀できる体勢を作ったバレイドは森を抜ける。 

 防風林である森を抜けると、風はより強く吹き荒れており、木々に遮られていた大きな雨粒が音を立てながらバレイドの軽鎧にぶつかっていく。

 途切れなく落ち始めた雷光が、周囲を真昼のように明るく染めている。

 止むこと無き雷光と轟音は、大陸中を蹂躙した春嵐がついに龍冠直上に到達した証だ。

 照らし出された崖の先端に探していた侵入者の姿があった。 


「其処までだ! 動くな!」

 
 崖の直前で足を止めて立ち止まる侵入者の背中に向けて、バレイドは抜刀して警告の声を発する。

 だが侵入者はバレイドの警告には何の反応もせず湖を見ている。

 諦めたのか、それとも何か企てているのか。

 その背中からは窺い知ることは出来ない。


「半包囲陣! 距離はこのまま!」


 彼我の距離は20歩ほど。距離を保ちながらバレイドは侵入者の出方を見る。

 次々と森を抜けてくる騎士達は、バレイドの指示に従い同等距離の半円形の配置についていく。

 多方向からの同時攻撃を捌ける者などそう多くはいない。

 最後の騎士が森を抜けて配置につき包囲網が完成すると同時に、侵入者が突如振り向いた。

 騎士達が一斉に身構える中、侵入者の声が響き渡る。


「ん。揃ったか。やはりお前達は優秀だな。ここまで追い詰められるとは思わなかった」


 雷鳴轟く中にも朗々と響く幼くも通る声と、それには不釣り合いな傲岸不遜な物言いが響き渡った。

 どうやら侵入者は諦めたのでも、何かを企てていたのでも無く、ただ全員が揃うのを待っていただけだと、その正体と共に騎士達全員が一瞬で気づき呆気にとられ声を失い狼狽する。


「これなら安心して去ることが出来る。だから褒美だ。ミュゼに手紙を残した以外は誰にも何も言わないつもりだったが別れの挨拶をする事にした。感謝しろ」



 それは騎士達にはあまりにも聞き覚えのある者の声と話し方だった。 

 彼等が必死で隠し通してきた秘匿存在。

 帝国の命運を握るといっても間違いではない少女。

 予想外の事態にバレイドも動けずにいる所で、少女は顔を隠していたフードを脱ぎ捨てる。

 黒檀色の艶のある黒髪と少し吊り気味の勝ち気な目に浮かぶ同系色の瞳で騎士達をぐるりと見回すその顔には、楽しげな笑顔が浮かんでいた。


「私の事情は皆知ることだな。だからあえて何も言わん。とにかく私は生まれ変わることにした。だからこの姿で会うのはこれで最後だ。バレイド。お祖母様達のことは任せたぞ。お前なら信頼できる。あぁ、それとデュランは森に転がしてあるから拾ってやれ。武器代わりに持ち出した燭台で思いっきり殴り倒したが、蝋がクッションになったから死んではいないだろう」


 妙にサバサバしているが遺言めいた物を一方的に言い切った少女はくるりと騎士達に背中を向けると遙か眼下の湖へと目をやり、そしてあっさりと崖に向かってその身を投げ出した。


「「「「「「「っ!」」」」」」」


 予想外の事態に固まっていた騎士達が思わず息をのみ、幾人かはとっさに少女が身を投げた崖に駆け寄ろうとする。その先頭は守備隊長であるバレイドだ。

 何としても助けようと自然と身体が動いていたのだろう。


「くっ!」


 しかし突如目の前が明るく染まったかと思うと、間髪入れずに衝撃を伴う轟音が響き渡り、バレイドの身体は吹き飛ばされていた。


「っ! なんだ今のは!?」


「ら、落雷です! けが人いるか!?」


 被害を免れた騎士の一人が答え、同僚の無事を慌てて確かめる。

 少女が身を投げ出した崖。まさにその位置に巨大な落雷が降り、騎士達の接近を阻んでしまったのだ。


「雷だと。なぜよりにもよってこの瞬間に」


 衝撃で痺れる身体を無理矢理に力を入れて立ち上がったバレイドは、崖に駆け寄り遙か下方の湖面を見つめる。

 今飛び降りたはずの少女の姿は確認出来ない。

 いつの間にやら雨は止んでいた。

 天を覆い尽くしていたはずの黒雲は忽然と姿を消し、雲一つ無い満天の星空と白く染まる月に照らし出される夜空が姿を現していた。

 嵐の残滓は周囲に残る水と未だ強く吹き荒れる風だけ。

 今年の春嵐も龍冠直上で忽然と姿を消してしまった。

 それと同じように少女もまた、彼らの目の前から姿を消していた。


「なぁ……夢じゃねぇよな。あれって。まさか絶望して命を断たれたってことなのか」


 異常事態に誰もが呆然とする中、腰が抜けたのか座り込んでいた一人の騎士が声をあげる。

 少女の最後の物言いと状況は自殺したと思わせる。

 だが言葉を発した騎士本人も信じられないといった表情を浮かべていた。


「んなわけあるか! 自分から命断つような性格か!?」


 同じように倒れていた隣の騎士が立ち上がりながら怒声をあげる。

 理不尽すぎる状況に抑えきれない怒りがわいているのだろう。


「だがよ。ここ一年間の間に起きたこと考えてみろよ。お母上を亡くした上に出生の事まで知ったんだぞ。その上魔力も瞳の色も無くして、かなり落ち込んでただろ……万が一って事も……悪い。やっぱ無いわ。そうなると何時ものアレか」


 倒れ込んだ拍子に泥だけになった軽鎧を手で拭う騎士が溜息混じりの声で呟くが、少女の性格を思いだしたのか、途中で意見をひるがえした。

 一応は不敬罪に当たるので言葉を濁しているが、それは少女の代名詞ともいえる特徴だった。


「アレだろ」


「アレだな」


「どうにかならんのか突き抜けたアレっぷりは。つーか助かる目算あったのか。ここから飛び降りて」


 ここにいる者達は皆、幸か不幸か少女の能力と性格をよく知っている。

 傍若無人で傲岸不遜。

 常に強気一辺倒で引くことを知らない猪突猛進ぶり。

 そして年齢離れした異常なまでの戦闘能力と、それすら霞むほどの異常思考。

 世界に絶望して死ぬくらいならば、世界中の自分が気にくわない者を全て斬ればいいと真顔で宣う少女ならば、どのような状況であっても自ら命を絶つという事は有り得ない。

 崖から飛び降りても助かる確信か方法があったのだろう。

 少女だけに通用する思考の中では。

 ここにいたり少女が何時もの特徴的な行動に出たのだろうと、全員が一斉に考えどうにも抑えきれない溜息を一斉に吐き出すとどうしますかとバレイドに目をむけた。


「すぐに湖面及び周辺部の捜索。それと帝都の陛下……はまずいな。カヨウ様に連絡。ケイネリアスノー様が過去最大の”アレ”な事をしでかしたと。それで伝わる」       


 少女の特徴。

 それは常人離れした肉体能力と卓越した頭脳を持ちながら、ある事情からあまりにも一般離れしてしまった思考に基づき、他者には理解できない独特的すぎる行動を起こす事にあった。

 端的に言えば少女は”バカ”であった。



[22387] 剣士と薬師 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2017/08/21 22:44
 神の一柱にミノトスという神がいる

 生命に試練と褒賞を与える迷宮を司るミノトスは常に悩みを抱えていた。

 いかに趣向を凝らした悪辣な罠を仕掛けようとも凶悪なモンスターを徘徊させようとも一度踏破されたダンジョンはその意義を失う。

 難敵を攻略する為の情報が飛び交い、迷宮の秘密は暴露され、略奪された宝物が戻る事はない。     

 何千、何万の迷宮を製作し、やがて彼は一つの答えに到達する。

 そしてその答えを、長い年月をかけ、形として作り上げた。

 それこそが『生きる迷宮』 

 街を飲み込むほど巨大な蚯蚓が、複雑に入り組んだ主道を作る。

 地下を住処とする種族が、その穴を通路へと変え、末端を広げていく。 

 迷宮から持ち出された宝物は、所有者の死亡や物理的な消失に伴い、神力、魔力の粒となり大気へと消えやがて、風や水に運ばれて迷宮に再び舞い戻り宝物として再生する。

 神域へと近づいた職人や理を知る魔術師。

 異なる世界を観る芸術家。

 彼らによって生み出された新たなる宝物には、神印と呼ばれる記章が浮かび上がり、やがて運命に導かれるように迷宮へとたどり着く。

 数多く存在する宝物が放つ神力、魔力に魅了されたモンスターが自然に集まり、大規模な群れを形成し異種交配を重ねて新たな種族が生まれていく。

 その存在が世に知れ渡って既に幾年月。 

 いまだ拡張を続け、古き宝物が戻り、新しい宝物が発生し、太古より生き続ける伝説のモンスターが徘徊し、日々図鑑にも載っていない未知の種族が生まれる。

 世界で唯一の生きたダンジョン。

 そこは【永宮未完】と呼ばれていた


















 トランド大陸は世界でもっとも大きな大陸である。

 北は年中凍りつく極寒の海に接し、南は赤道を少し超えて、南方ルクセライゼン大陸との間に狭い海峡を作る。

 南北よりもさらに横は長い。

 大陸の東の端から西の端まで歩けば、それだけで世界を半周した事になるほど長大だ。

 広大と呼ぶのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、ひたすらに広い広いトランド大陸。

 ここは別名【大陸迷宮】とも呼ばれている。

 その理由は数多くの迷宮があるから…………ではない。

 厳密に言えばトランド大陸に現存する迷宮は一つしかない。

 その迷宮こそが【永宮未完】と呼ばれし、迷宮神ミノトスの手による迷宮である。

 大陸の隅から隅まで根を広げる永宮未完は、地上、地下だけでは飽きたらず果ては天空までも迷宮化させ、日々拡張し形を変え続けている。

 その規模は大陸その物が迷宮と言っても、あながち大袈裟な表現では無い。

 大陸のあちらこちらに特徴が大きく異なる迷宮が群をなし、到る所に迷宮への入り口が口を開いている。

 迷宮への入り口近くには迷宮探索によって富や名声を得ようとする者達、所謂探索者達が集まり、彼等に物資を売る商人や武具を整備する職人達が商店や工房を開き、彼等が持ち帰る迷宮資源による利益によって其処に街が出来て、やがては国へと発展していく。

 迷宮に隣接し発展していった拠点都市は大陸中に数え切れないほどある。

 トランド大陸内陸部。

 世界地図では下手な島より大きく描かれるほどの砂の大海【リトラセ砂漠】と、其処に存在する砂漠迷宮群に隣接したオアシス都市ラズファンもそんな拠点都市の一つである。

 南方の山岳地帯で降った雨が地下に染み込み、長い年月をかけて砂漠の一角に湧き出る。

 湧き出るその水量は年に雨の降る日が一,二回という極乾燥地帯にあるラズファンに【水都】と異名を与えるほどに膨大であり、過去にはこの都市の所有権を巡り幾たびも戦争が起きている。

 だがそれも昔の話。

 今はラズファンとその周辺地域は、戦争という一点のみで考えれば平和その物といっていい。

 その理由は全世界の国家に対して大きな影響を持ちつつも、国の大小に関係なく中立的立場をとるある組織がこのオアシス都市を運営管理しているからに他ならない。

 組織の名はミノトス管理協会。

 迷宮へ潜る探索者達の支援及び迷宮資源を管理する巨大組織である。

 迷宮資源の転売や高い加工技術による商品製造などで潤沢な資金を誇る管理協会直下のラズファンでは、交易の活発化を促すため税率が極端に下げられている。

 各種娯楽施設も豊富な事もあって、探索者のみならず個人旅行者や団体観光客、大陸中を行き来する交易商人や大キャラバン隊が日々訪れる活気ある都市として、ますます発展していた。

 そんなラズファンの南噴水広場は、夕食一回分ほどの手数料を払えば、誰でも三日間の間、店が開ける自由市が常設されていた。

 自由市といっても馬鹿には出来ない。

 日中は外を出歩くのも嫌になるほど熱くなる砂漠の都市にとって、露店商のチャンスは朝と夕方の涼しい時間帯に限られる。

 短いピークタイムに少しでも多くの売り上げを出そうと、どの露天もあれやこれやと知恵を絞っている。

 この自由市には日用品から食料品、そして砂漠越えのための道具や武器防具などまで多種多様の商品が並ぶ。

 店を開く資金は持たないが目利きの若手商人が仕入れてきた値段が安い割りには優良な品や、新進気鋭の職人が作り出した新規技術を用いた試作品等、所謂掘り出し物が時折出てきたりもする。

 その反対に、低品質な品や形だけ似せた模造品がゴロゴロしているといった一面もあるが、だからこそ白熱した値段交渉や、喧嘩腰の真贋論争が市場のあちこちでやり取りされ、ラズファンの中でも、もっとも活気に溢れている地域の一つといって良いだろう。

 そんな市の北の角。

 武具を売る者達が自然と多く集まって、まるで世界中の武器を集めた展示会の様相を呈している見た目から、通称【武器庫通り】と呼ばれる場所に、店を開いた一軒の露店の前では、朝も早くから店主と客が激しいやり取りを繰り広げ衆目を集めていた。





「てめぇには無理だ! こいつは売る気は無いって言ってるだろうが!」


 周囲一帯に強い怒鳴り声が響く。

 その怒鳴り声に露店を息子に任せて、奥の方で折りたたみの椅子に腰掛け新聞を手にうつらうつらと船をこいでいた老人は目を覚ます。

 眠りを妨げられた老人は、凝り固まった肩をごきごきとならしてからタバコを取り出し火をつけると、聞こえてくる怒声を肴に煙を上手そうに吸い始める。


「またクマの所か。あいつ客の選り好みが激しいからな。商売気あるのかね。ふぁぁぁ……あいつの顔で怒鳴られたら客が逃げるじゃねぇか」


 聞こえてくるのはクマという通称にあった外見を持つ交易商人仲間の声だけだ。

 相手の客の声が聞こえてこないのは、怖がって声も出ないのだろうと老人は欠伸混じりに煙を吐き出しながら考える。


「商売気って……人の事は言えんだろ親父。居眠りしてる暇があるならクマさん所にいって仲裁してきてくれ。騒ぎを起こしてると、うちの商隊そのうち出入り禁止になるぞ。店は俺が引き継いだけど商隊長は親父だろ」


 メモを手に客の応対をしていた二代目である老人の息子が持っていた鉛筆を振って、暇しているならとっとと仲裁に行ってくれと催促する。 

 店主と客の喧嘩一歩手前の交渉は市の名物だが、あまり度が過ぎると警備兵に目をつけられる。

 人脈を財産とする交易商としては大店との取引だけでなく、こういった市での個人客との関係も大事だと息子達に教えたのは老人自身であった。

 その手前、市の出入り禁止も困るし自分の客をほっぽり出して、仲裁にいけとは息子や近くで店を構える仲間にも言えない。


「やれやれしゃあねぇな。いってくらぁ」


 結局半隠居状態の老人本人しか適任がいない。

 タバコの煙と溜息を吐き出すと老人は面倒そうに立ち上がった。












「おう兄ちゃんごめんよ。関係者だ。通してもらうよ……っておいおい。なんだよクマの奴は。あんなおちびさん相手に大人気ねぇな」


 騒ぎが起きている露店の前にできた見物人をかき分けて、飄々とした態度で一番前に出た老人は、その喧嘩を見て咥えタバコで呆れ顔を浮かべる。

 投擲用、狩猟用と用途別になった各種ナイフや革製の小手が移動式のケースに並び、その横の簡易台には長さと太さが微妙に違う一般的なロングソードや、小さめのスモールシールドの類。

 後ろの方にある頑丈な作りの組み立て台には、長槍やぶ厚い両手剣が立てかけられている。

 露店の一番手前には簡易机とその上には商隊が共同で借り受けた短期倉庫に預けてあるかさばる防具や武具の記載されたカタログが置かれたオーソドックスな構成。

 そんな武器露店の真ん前で、四十ほどの日に焼けた浅黒い肌の店主が額に青筋を立てて怒鳴っていた。

 筋肉質の大男で獣の爪痕の二筋の傷が頬に平行にはしり、その体格と爪痕から仲間内ではクマと呼ばれており、体格に似合った大きすぎる声はよく響き騒々しい武器庫通りでの客寄せには良いが、喧嘩となると途端に悪目立ちしていた。

 一方その相手はというと、砂漠越えの旅人によく使われる日避けの厚い外套に全身を覆い隠している。

 全身が隠れているために種族は判らないが、身長は怒鳴っている店主の半分ほどしかない。

 それほど小さい。いくら店主が大柄と言ってもあまりに差がありすぎる。

 成人しても人の子と同じ大きさにしかならない種族は数多くいるが、長年交易商人として数多くの種族と関わってきた老人の勘が、その立ち姿から想像できる骨格や見せる仕草で中身は人間だと見抜く。

 人間であの大きさでは、さすがに小さすぎる。まだ年幼い子供だろうか。

 己の技量を考えずに高い武器をほしがる子供を、武具一筋の店主が一番嫌うと知っている老人だったが、子供相手ならもう少し穏便に諭せないのかと呆れていた。


「あーそうでもねぇぞ爺さん。あれが相手じゃ怒るの無理ねぇわ。むしろ殴らねぇから人間種は我慢強いって感心してた。俺等の種族ならとっくに殴り合いだ」


 老人の隣に立つ獣人の若者が話しかけてくる。

 どうやら若者は最初の方から見ていたらしいが、客よりも店主の方に同情しているようだ。


「どういう事だい。獣人の兄ちゃん?」


「見てりゃわかるよ」


 尖った爪先で獣人が指し示した小さな客は、店主が浮かべる剣呑な色を含んだ鋭い視線に臆する様子も見せず真正面から向き合っていた。









「とっと失せろ!」


「お前が売ったらすぐに去るぞ。急いでいるからな。それとさっきから気になっていたんだがあまり大声を出すな。周りに迷惑だぞ」


 大の男でも震え上がりそうな店主の怒声に対して、小さな客はまったく動じる様子もなく、むしろ煽るような内容を口にする。

 客の声は口元に巻いた砂避けのスカーフでくぐもって濁り男女の区別がつかない。

 だが煽るというよりも本人的には本気で忠告しているような雰囲気が声の何処かにあった。

 それがさらに店主の怒りを刺激する。


「ぐっ……迷惑なのはてめぇだ! あぁ! どう考えてもでかすぎるだろうが! 無理に決まってる! さっきから延々言ってるだろうが! 商売の邪魔しやがって!」


「邪魔ではない。お前の店で買ってやろうというのだぞ。感謝してとっとと私に売れ」


「く、口の減らないガキが!」


 何を言っても、すぐに傲岸不遜に言い返してくる相手に店主は苦々しげに歯ぎしりする。

 恐ろしいのはその物言いに人を小馬鹿にしていたり、無理して使っている感じがない事だ。

 あくまでも素でこの口調だと感じさせる。

 普段からこのような傲慢な口調を使っている子供など大貴族の子弟でもそうはいない。

 よほど甘い親に我が儘放題に育てられたのだろう。

 しかし貴族の子弟と考えるには妙な事もある。

 その服装はいつ洗濯したのかも判らないほどの汚れた外套。

 とても金を持っているようには見えず、これだけの騒ぎになっているのにお付きの従者の姿も見えない。

 その事から目の前にいるのは没落した貴族の子弟ではないかと、怒り心頭ながらも商人として、何とか残していた冷静な一面で店主は勘ぐる。

 迷宮で一旗揚げて没落したお家再興でもしようとしている世間知らずの元貴族子弟だろうか?。

 ここで一つ言っておこう。この店主は別に貴族が嫌いで武器を売らない訳ではない。

 武具を扱う交易商人として各国を回る店主は、お得意様としての貴族も僅かながら抱えている。

 そして潰れた家の復興を、他人に頼ったり神に祈るのではなく、自ら頑張ろうとする者がいれば、貴族だろうが庶民だろうが関係なく応援しようと思う熱苦しい昔気質な所がある男である。

 では、なぜ売らないのか?

 それはこの男が武具商人として、一端の矜持を持っているからに他ならなかった。


「おうクマ。あんまり騒ぎなさんな。良い気持ちで寝てたのが叩き起こされたじゃねぇか」


 どうすればこの生意気な客をやり込めるかと、沸騰していた頭で考える店主に対して、落ち着けと言わんばかりのゆったりとした声がかけられる。

 それは店主が所属する商隊の長であり、商売の師匠でもある老人の声だった。











「親方か! あんたからも言ってくれ! この糞ガキにてめぇじゃ扱えないって!」


「む……おい。お前はこの男の知り合いか。私は忙しいんだ。早く剣を売るように言ってくれ」


 相手の怒りを意にもしない客に良いように振り回されている店主を見かねて声をかけた老人ではあったが、老人の顔を見るなり懇願してきた店主と、店主の糞ガキ呼ばわりに多少気を悪くしたようだが、あくまでも剣を買う事にこだわる客が同時に詰め寄ってきて、二人の圧力を持った真剣さに老人は思わず後ずさる。


「まてまて。クマもお客さんも。俺は今来たばかりでさっぱり見当がつかないんだがどれを売る売らないで揉めてるんだい? 店頭のかい。それともカタログかね」


 まずは何で揉めているのかしっかり聞き取らないと仲裁のしようもない。

 店主は弟子であり商隊仲間でもあるが、なるべく中立な仲裁役に徹しようと二人を落ち着かせるために、老人はわざとのんびりとした声で尋ねる。


「「あれだ!」」


 老人の問いかけに二人が異口同音で答えて店の奥を指さす。

 二人の指さす先には組み立て式の頑丈な台に立てかけられた剣が一振り。

 片手持ち、両手持ち両用剣バスタードソードであった。

 鋼で出来た鈍く輝く長い刀身は斬り突きの両様に適した形状となっており、持ち手に合わせて柄も長くなっている。


「…………あれか」


 剣をまじまじと見た老人は客を見て、もう一度剣を見る。

 生粋の両手剣であるクレイモアーやトゥハンドソードに比べれば、バスタードソードは多少は短いが、柄から切っ先までの長さを合わせれば、目の前の客とほぼ同等の長さはあるうえに、刃も分厚く重さもそれなりにある。

 ただ持ち上げるだけとかならばともかくとして、それで戦闘をやるとなればかなりの筋力を必要とする。

 客の素肌は外套に隠れて見えないとはいえ、どう見てもほっそりとした……幼児体型といっても差し支えないその身体に、この剣を振る為に必要な筋力があるとは思えない。

 探索者であれば闘気による身体能力強化で、自らの体格とは不釣り合いな超重武器も振り回すことは出来るのだろう。

 しかし使えるのと使いやすいのはまた別問題。

 身長と同等の長さの剣は扱いやすいのかと聞かれれば、商人としての絶対の自信を持って否定できるほどに無謀だ。

 この小さな客には両手剣の類は、もっとも不釣り合いな選択肢といっていい。

 そしてここの店主は客に会う武具を売る事を信条としている。

 どう言っても売らないだろうし、老人が同じ立場であれば、もう少し言い方を変えて別の剣、体格に合った小振りなナイフやショートソードを勧めている。

 周りで見ていた見物人が店主に同情的なのも、どう考えてもこの客の方が無理難題を言っていると判るからだろう。


「あれはそこそこにいい品だ。この店の質も他に比べて良い。だからここならと思い剣を買おうとしたのに店主が売ってくれなくて困ってるんだ。説得してくれ。あの剣がほしいんだ」


 しかしこの場にいる者の中で唯一この客だけはそうは考えていないようだ。

 その言葉だけでも本気でバスタードソードを欲しがっているのが老人には判る。

 店主もそれが判っているのか、どうにかしてくれと目で老人に訴えかけている。

 本人が欲しがっているなら何でも売ってしまえばいい。

 それは利益だけを求める二流の商人がやること。

 これが老人の商売学であり彼等の商隊での教えである。

 あくまでも顧客に適した物を。

 ましてやそれが武器防具と直接命に関わる物ならなおのことだ。

 それで売った客が死んだとあれば、商人としての名折れであり信頼にも関わってくる。

 あの商人は欠陥と判っていて客に売ると悪評でも立てられれば、失った信頼を取り戻すのには膨大な時間と手間が掛かる。

 売らないという店主の選択は老人的にも正解なのだが、この客はそれでは納得できず、店主と揉める事態になったようだ。


「お客さん、一応尋ねるんだが誰かに頼まれたのではなくて、ご自分でお使いになるおつもりかい」


「当然だ。自分の命を預ける剣を自分で選ばない剣士がどこにいる? 私が使うに決まっているだろ。細い剣だと私はすぐに叩き折ってしまうから頑丈そうなあの剣がほしい。ん……そうだ。出来れば二本くれ。予備だ」


 至極当たり前とばかりに小さな客が胸を張って答える。

 長年客商売をやっている老人は、相手の話し方だけでその真意や嘘をある程度なら見分けることが出来た。   

 この小さな客はほぼ本心で喋っている。

 身の丈ほどもある剣をちゃんと使う事ができて、しかも頑丈でぶ厚い剣でないとすぐに叩き折ってしまうと困っている。

 本人が妄想の中だけで信じ切っているだけなのかも知れないが。


「あー…………長くて重すぎないかね。あれは」


「む。お前も同じ事を聞くのだな。だからこそ良いのではないか。私は背が低くて手足もまだ短い。長さの分だけリーチが伸びるし、重さがあれば斬る時に力を込めやすくなるからな。丁度良いあの剣がほしい」


 老人の問いかけに対して客からは先ほどからほしいの連発の即答が続く。

 ここまで来ると嫌がらせや冗談の類では無くて、この客は本気で欲しがっており、無理だから諦めろと説得するのは難しいと認めるしかなさそうだ。


「判った。少し待ってもらえるかいお客さん。売ってくれるようにクマを説得するんで」


「いいのか。助かる。礼を言うぞ。ありがとう」


 愛想笑いを浮かべる老人が快諾したと思ったのか小さな客は深々と頭を下げて礼を述べる。

 口調は傲岸不遜だがその謝辞の礼儀は何処か堂々としていてかつ上品であった。 

 だがそれでは納得がいかないのは店主の方であった。

 味方になってくれると思った老人が、まさか売れと言ってくるとは思わなかったのか慌てて詰め寄ってくる。


「親方! 説得ってどういう事だ! いくらあんたの仲裁でも今回ばかりは」


「判ってるよ。耳貸せ…………この客の説得は無理だ。搦め手でいけ」


 咥えタバコの老人は慌てるでもなく店主の首を掴むと耳打ちする。


「クマ。お前さんは値札を出してなかったよな。ちゃんと武器の価値を見られる客に売りたいなんて青臭いこと言ってよ、交渉ん時の初値を客に決めさせてたな」


「あぁ、そうだけど勿論赤を喰うような商売はしてねぇからな。才能ある若いのにはちょっとばかし安く売ってやるだけだぞ」


 客自身にまずは値段を決めさせて、その提示した値段から客の武器を見る目やどのくらい欲しがっているのかを判断して、それから値段交渉に臨むというのがこの店主のやり方。

 だから店に並ぶ商品もカタログにも値段の類は一切提示されていない。

 これでは客が寄りつきにくいとは思うのだが、店先に並ぶのは店主が選んだ良品ばかり。自然と目の肥えた価値の判る客が集まり、半年に一回で廻ってくるこの自由市でもそれなりの常連を掴んでいた。


「あんまり客を選り好みしない方がいいんだけどよ。それはともかくだ。俺の見たところあの剣の仕入れは金貨で四枚って所か? それで何時ものお前さんなら、交渉で十枚前後辺りの売値にするだろ。だが今回はお前が値段を決めろ。買う気が起きなくなる程度の高値でな。買う気だけはあるお客を、商売を妨害されたって警備兵に突き出すわけにもいかんだろ。自分からご退散願うのさ」

 
「なるほど……さすがは親方。面倒な客の扱いは慣れたもんだな」


「てめぇが下手なだけだ。この程度そこらの若造でもすぐ思いつくんだよ。とっとと騒ぎ納めろ。それとあとで周りに詫び入れとけよ。同業に恨まれると商売がやりづらいからな」


「任せろ親方」


 吹っ掛けて追い払っちまえと囁く老人の言葉に合点がいったのか、店主は小さく頷くと内緒話を切り上げて客の方へ向き直る。


「ガキ。売ってやる……ただし共通金貨で百枚だ。一枚たりともまけねぇからな」


「おいおい。いくら何でもそいつは」


「共通金貨が百もあったら一年は遊んで暮らせるぞ」


「……吹っ掛けすぎだ。相手が買うのを諦める程度に抑えろってんだ馬鹿野郎が。それじゃさっきまでと同じだ」


 買える物なら買ってみろと言わんばかりの獰猛な顔で睨みつける店主の口からでた値段に周囲がざわつき、背後の老人がこりゃぁ長引くなと煙と共に溜息を吐き出す。

 どうやら店主はよほど腹にすえかねているのか、あまりにも大きな金額を呈示していた。

 トランド大陸のほぼ全域で使われる共通金貨だが、それが百枚などよほどの高額取引でも無ければ出てくる金額ではないし、人混みに溢れたこの自由市でそんな大金を持ち歩いている不用心な者がいるはずもない。

 店主の発言は売る気はないと言ってると同じような物である。

 一方肝心の客の反応と言えば、提示された値段に腕を組んで何も答えようとはしない。

 異常すぎる高値に呆気にとられているのか、馬鹿にされたと怒りのあまり声も出ないのだろうかと反応を見守っていた誰もが思った。

 だが違った……


「ん、百か…………二本は無理か…………それに足が無くなるが、何とかなるか。よし買った。丁度百枚入っているから受け取れ」


 少しだけ悩んだ素振りを見せていた客はあっさり頷くと、外套の中に手を突っ込み腰に下げていた革袋を二つ取り外して机の上にどかっと乗せる。

 二つの革袋には、大陸全土で信頼のある銀行の屋号印が刻印され、共通金貨五十枚と書かれた保証書付きの封印が厳重にされていた。


「一つ開けるから中身を確かめろ」


 客は躊躇う様子もなく革袋の一つに手をかけると、びりびりと封を破って口を開く。

 ずっしりとした重そうな革袋の中に満帆に詰まっていたキラキラと光る金貨が机の上に音を立ててこぼれ落ちていく。

 無造作に置かれた大金に店主は声もなく固まり、周りの見物人も静まりかえる。

 飄々としていた老人も口に咥えていたタバコが地に落ちたのに気づかず唖然としていた。

 老人もやり手の交易商人として長年商売をやっているが、いくら良品とはいえ魔術付与もされていない、ただの新造剣に金貨百枚を出すような者は見たこともなかった。 

 みすぼらしい外套を纏った客が惜しげもなく大金を支払う。

 誰もが白昼夢を見ているかのような現実感の無い光景に言葉を無くす。


「もらっていくぞ」


 しかし当の客本人は平然とした涼しい声で言い切ると、固まっている店主達を尻目に勝手に露店の奥へと進む。

 背伸びして手を伸ばし棚のバスタードソードを外すと、横に合った付属の鞘にボタン式のベルトで固定する。


「まったく余計な時間を食った。剣を一振り買うだけで何でこんなに苦労しなくてはならないのだ」


 身長ほどある剣を背負うのは無理だと判断したのか、柄を右手に持ち刀身を肩に担ぎあげると、ようやく用事が終わったと文句をぶつぶつと言いながら早々に去ろうとする。

 その背は何処か急いでいた。


「ま、まて! おい! 勝手に! 持ってくな! 偽金かどうか確かめてもねぇぞ」


「クマ……こりゃ本物だわ。革袋も中身も。あの銀行は協会関連で管理がしっかりしているから偽が混じることもない。共通金貨で一袋五十。2つで百。きっちりあるぞ」


 慌てて呼び止めようとした店主の横で、未開封の革袋とこぼれ落ちた金貨の一枚を手にとってしげしげと見ていた老人が驚きの声を上げる。

 身につけている外套は薄汚れているが、どうやらこの客は相当な金持ち……それもバカな金の使い方をする放蕩家なのかもしれない。


「本物なのは当たり前だ。その銀行は信頼があると聞いている。それに先ほど開店と同時に受け取ったばかりだからな。一枚たりとも使っていないぞ」


 呼び止められた客は振り返る。

 疑われるのが心外だと言わんばかりに答える胸を張ったその様子は、小さな体格に似合わず何処か偉ぶっているようにも見える。


「くっ! 自分の姿を見てみろ! あんたはそいつを肩に担ぐのがやっとじゃないのか?! 使えない武器を持ってて死なれたとあっちゃ売った側の俺が商人として納得いかないんだよ! だから頼む! その剣はやめてくれ! 他のあんたの体格に適してる剣ならいくらでも安く売るからよ!」


 使いこなせるはずもない長大な剣を売るなど出来ないという商人としての矜持が頑固な店主に頭を下げ、先ほどまで怒鳴っていた客に対して頭を下げ懇願するという最後の手段を使わせる。

 しかしそんな店主の言葉に顧客は少し不機嫌そうなうなり声を上げた。


「む……しつこいぞ。私の技量を疑っているのか。なら良い。見せてやる」


 客は左手を外套に突っ込んだかと思うとごそごそと漁って何かを取り出し、店主に向かってその手を突きつける。

 その手の中には硬い殻に包まれた小さなクルミが一つ握られていた。

 このクルミで何をしようというのか? 

 店主や老人。そして周囲の見物人の疑問の視線がそのクルミに集まるなか、客は手首のスナップで小さなクルミを高々と真上に放り投げる。

 周囲の者達の目が思わずそのクルミの動きに合わせて上空を見上げた瞬間、バチバチと何かが弾け飛んだ音が聞こえる。

 それは剣を固定していた鞘のベルトを留めるボタンが弾ける音。

 店主や老人達が音の正体に気づくのよりも早く、彼等の視界の中を黒い影が走り抜け、微かな風斬り音が響く。

 圧倒的な速度で通り過ぎる影が空中に浮かんでいたクルミを真っ二つに断ち切った事に気づいたの者は、数多くの見物人のなかでも動体視力のよい獣人や現役の探索者達などごく僅か者達だけだ。

 大半の者は次に響いた声で何が起きたのかを知る事になる。

 
「まったく……私の腕を疑うとは失礼な奴だな」


 幼くもよく響く声が響く。

 その声の主はいつの間にやら抜き身となったバスタードソードを右手一本で軽々と構えた小さな客。

 左手には一切の乱れなく綺麗に真っ二つになったクルミが握られていた。


「……お、女?」

 
 剣を振るった勢いで外套のフードが外れたのだろうか、露わとなった客の素顔をみて見物人の一人が唖然と呟く。

 少し吊り気味の勝ち気な黒眼と、あまり手入れをしていないのかぱさぱさした質感の長そうな黒髪を首の襟口から無理矢理外套の中に突っ込んでいる。

 口元に巻かれた砂避けのスカーフの所為で下半分は隠れているが、十代前半の少女……それも整った造型の見目麗しいというべき顔が姿を覗かせていた。


「これで今度こそ文句はないな。私は忙しいんだ。余計な手間を取らせるな」


 左手で掴んでいた真っ二つに割れたクルミを机の上に放り投げた少女は地面に落ちていた鞘を拾い剣を鞘に仕舞っていく。

 机の上に置かれたクルミの殻はヒビ一つ無く、真っ二つに断ち切られている。

 小さく硬い殻に包まれたクルミを叩き割るのではなく綺麗に両断し、しかも弾き飛ばさず真っ直ぐに手元に落として見せた。

 それも自分と同じ長さの剣を用いて。

 その卓越した腕と人混みで混雑した通りのど真ん中でいきなり剣を振るう非常識さ。

 それはどちらも信じがたい物であり、誰もが凍りついて何の反応も示すことが出来ずにいる。


「だがやはりそこそこに良い剣だったから特別に許してやる……ん。そうだ店主。ついでに一つ忠告をしてやろう。心して聞け」


 右肩に剣を担ぎ直した少女は凍りついた周囲の様子を気にも止めず去ろうとしたが、一端立ち止まって呆然としている店主の顔をまじまじと見つめた。



[22387] 剣士と薬師 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 04:16
「赤毛の姉ちゃんよぉ。俺はよまだ街で店を構えてないが、交易商人として真面目に真剣に商売してたんだよ……それがよぉ、あんな小娘に虚仮にされたんだぞ。判るか俺の無念さ…………クソ。全然酔えねぇ……マスター! もう一杯!」


 酒場奥のカウンター席に腰掛けて泥酔した赤ら顔で男泣きしながら愚痴をこぼしていた酒臭い大男は、大ジョッキをの麦酒を一気に煽り飲み干して、空になったジョッキを叩きつけるように置いて次の酒を注文した。 


「しかもよぉ。最後の最後に吐きやがった捨て台詞! 何つったか判るか姉ちゃん?」


「あぁー…………はいはい。なんて言ったのかお教え願えますか?」


 泣く子と酔っぱらいには逆らうな。
 理屈が通じない相手に対してはともかく合わせてしまえと、右隣に座る赤毛で長身痩躯の女性がうんざりした顔でおざなりながらも大男に続きを促す。


「『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』だ! 俺の半分も生きてなさそうな小娘だぞ! 俺は十六の時から三十年、三十年だ! 武器屋として客に関わってきたんだぞ! 少しでもそいつに適した武器をって何時も考えてるんだよ! それがそれが…………くぅぅぅっ! 畜生が……あんな小娘に……」


 憤懣を抑えきれない男は店員が持ってきたジョッキを引ったくるように掴みアルコールの強い蒸留麦酒をまたも一気に煽り飲み干したかと思うとカウンターに突っ伏して呪詛やら怨念めいた言葉を吐き出し始める。
 大人。しかも筋肉質で人相も凶悪な大男が人目もはばからず酒場のカウンターで泣きながら荒れ狂う。
 人の注目を集めそうな光景だったが、酒場にいる客や店員達は気にした様子もない。
 たまに新しく店に入ってきた新規客が酒場中に響く大声にぎょっとした顔を浮かべるが、入り口近くに陣取っている常連らしき客から簡単な事情説明をされて同情的な視線を女性に僅かに送るくらいで後は極力無視している。
 男の大きな声の所為で店内にいれば男の身に起きたのか嫌でも聞こえてくるのだから、下世話な好奇心は満たされるし、何より下手に関わってあの延々と続く愚痴に直接巻き込まれてはかなわない……あの赤毛の女性のように。
 それが店内にいる全員の共通認識となっていた。 


「なぁ赤毛の姉ちゃん聞いてくれ! 俺ぁよ武具を扱う交易商人なんだがよ…………」


 カウンターに突っ伏して昼間のことを思いだしている内に男はまたも怒りが貯まってきたようで、先ほど話したことも忘れて、一番最初から一音一句同じ愚痴というには大きすぎる声で捲し立て始めた。


「……いつまで続くのよこの無限ループ。もう六回目」


 燃えるような赤毛と女性としては長身の痩躯が特徴的な女性は溜息を吐き出した。
 女性の腰ベルトには薬らしき錠剤と液体が入った小さな薬瓶がいくつかと大型ナイフを納めた鞘が一つぶら下がっている。
 ナイフの柄頭には小振りの小さな宝石が填められ、柄にも幾つもの印や魔術文字が刻み込んであり、魔術杖としての機能ももつ儀式短剣だと見て取れる。
 典型的な魔術師スタイルをしたこの女性は、大男の偶然横に居合わせただけでまったく面識はなかった。
 だが隣でがばがばと酒をあおっていた男がいきなり泣き出したのを見て、つい話しかけたのが運の尽き。
 後は延々と愚痴を聞かされるはめになっていた。
 相手にしないか店を変えればいいのだが、基本的に面倒見がいいのと、ちょっとした頼み事をこの店の店員に依頼していた為に女性としてもここを離れるわけにはいかず、早く頼み事が終わることを祈りつつ、仕方なく大男の相手をしていたというわけだ。
 




 



 男泣きして愚痴をこぼす男を見て、泣き出したいのはこっちの方だと心中で女性が思っていると、男の向こう側からワインの瓶が一本差し出される。


「いや七回目だ。お嬢さんも人が良いねぇ。まぁ感謝の気持ちだ。もう一本開けたから飲んでくれ。ここのオアシス湖のほとりで出来た葡萄だがなかなかいけるだろ」 


 男を挟んで反対側にいる白髪で初老の男が話が巻き戻った回数を訂正しつつ、空になっていた女性のグラスに大男の背中越しに、新しく封を切ったスパークリングワインを注いでくる。
 濁りのない透き通った透明さはまるで水のように清らか。
 グラスの底から微かに沸き立つ小さな泡が弾くその香りは芳醇で、口に含めば微かな甘みと心地よい酩酊を覚えるほどに強い。
 その価値が一口で判るほどに相当な上物のようだが、すでに一本を開けてさすがに飽きてきたのと、愚痴を延々と聞かされる今の状況と釣り合うのかと聞かれると首を横に振るしかなかった。


「お爺ちゃん。この人そろそろ止めたら? 飲み過ぎに見えるんだけど……後あたしばかりに聞き役やらせないで貴方も聞いてくれませんか。そちらの連れでしょ」


 もう相手が聞いているのかどうかすらも判らないほどに酔っぱらっている男が、先ほどと同じ話をしているのをちらりと横目で見た女性は老人へと忠告する。


「問題無い問題無い。酒にはドワーフ並みに強いが鳴き上戸なんだよクマは。それに俺なんぞ、ここの前の店で何度も聞いて、そらで言えるくらいで飽き飽きしてるんだわ。悪いがもう少し付き合ってくれ。ここの代金は持つから。何なら土産もつける。ここの砂トカゲ照り焼き串の持ち帰り専用タレはピリ辛で絶品だ。ほれこれもくってみな。ここのオアシス湖でだけ捕れるラズ蟹を使った蒸し焼き。高級珍味ってやつだ」


 女性の言葉を軽く流すと老人は蟹の載った皿を差し出す。
 男の相手は面倒だから女性に押しつけてしまえ。
 判りやすいほどに判るわざとらしい態度の老人は酒のつまみのような感覚で今の状況を楽しんでいるようだ。
 女性が老人を睨みつけるが、まったく意味をなしておらず、むしろその視線が心地良いかのように口元に人の悪い笑みを浮かべている。


「……このクソジジィ、見ず知らずの他人に身内の愚痴をおしつけるんじゃないわよ。ったく。こうなりゃあたしのやり方でやらせてもらうわよ」


 飄々とした老人に腹立たしさを感じた女性が舌を打つ。
 腰ベルトに下がった薬瓶へと右腕を伸ばした女性は、中から小さな赤い丸薬を一つ摘み取り出すと、自分のグラスの中へとポチャンと落とす。
 底から浮き上がってくる泡を受けてゆらゆらと揺れる丸薬は、女性がパチンと小さく指を鳴らすとあっという間にグラスの中のワインに溶け込んで跡形もなく消えてしまう。
 グラスを見てにやりとほくそ笑んだ女性は、左横で延々と大声で愚痴を続けている男の肩を叩く。


「だからよ!あの小娘の体格じゃ、ショートソードかナイフが精々なんだよ! 普通はそうなんだ……なんだ赤毛の姉ちゃん?」


「あーはいはいおじさん。麦酒だけじゃ飽きるでしょ。こっちも飲んだ飲んだ。嫌なことは飲んで忘れるのが一番だって」


 話を途中で遮られた男が不機嫌そうな声をあげるが、女性は愛想笑いを浮かべてグラスをその手に押しつける。


「おいおい。お嬢さん。今何を入れたんだい……って飲むなよクマ」

 
 怪しげな薬入りの酒を見て老人が慌てて止めようとするが、その前に男は女性から受け取ったグラスを一気に開けてしまう。
 すぐ横で行われていた行為にも気づけないほどに泥酔していたようだ。


「忘れようとしても忘れられる訳がねぇんだよ! だから俺は……ぁ……の小娘……探しだ……ほんと……………」 


 忘れるという言葉に反応した男が立ち上がって今までとは違う行動を取り始める。
 だがすぐに呂律が回らなくなり力なく椅子に倒れ込むと、そのままがくんとカウンターに突っ伏し高いびきをかき始める。


「おいクマ? ……だめだなこりゃ。姉さん何を入れた?」


 どうやら一気に深い眠りに落ちたのか、老人が男の肩を揺すってみるが目を覚ます様子はない。


「酔っぱらいを強制的に眠らせるのと二日酔いの症状を抑える効果をもつ魔術薬よ。ちょっと調整したから明日の朝にはすっきりした目覚めを保証するわ……すみません新しいグラス一つ。後、頼んでた旅客便の空きってどうなってます? 特にこれって目的地はないからどこ行きでも良いんで」


 警戒心のなさ過ぎる男に呆れ顔を浮かべていた老人に対し、薬を盛った女性は悪びれる様子もなくその正体を明かすと、カウンターの向こう側にいた店員にグラスと本命の用事はまだかと催促の言葉を投げかける。
 ここは酒場でもあるが、ラズファンを囲むリトラセ砂漠を通行し他の土地へと人や貨物を運ぶ旅客貨物の砂船や、大陸中央部へと抜ける近道である砂漠迷宮ルート越えのために護衛の探索者を募集をする代理申込所としても機能している。
 旅人である女性もラズファンから他へ向かうために、旅客便の空きを探しにこの店へと訪れていた。


「しゃあねぇな。後で若い衆に運ばせるか。ご主人。お嬢さんの勝利祝いだ。レイトラン王室農園の赤を開けてくれ……それにしてもお嬢さん魔術師じゃなくて薬師かい。しかし薬師が当てもなく放浪旅とはまた珍しい」


 男を起こすのを早々と諦めた老人は肩をすくめると、有名酒造が集まる西方のレイトラン国の中でも最高級品の一つである王室謹製ワインをマスターに注文する。
 連れの愚痴に付き合わせた迷惑料としての意味合いもあるが、男を一気に眠らせた薬を作った制作者の腕に対する商人としての興味と老人個人としての賛辞の意味合いもあった。


「別大陸の出身なんでコネがなくて。適当な所で拠点作って工房を開いても良いんですけど。どうにもしっくり来なくて、材料見聞がてら大陸中をフラフラと廻ってるんです。ここにも水を見に来たんですけど何か違うなって」


 基本的に薬師は拠点とする街を決めてしまうと、そこから動くことはあまりない。
 これは彼等が使う器具が大がかりな物になりやすい事と、材料が同じ種でもその土地土地によって特性が変わる事に大きく影響している。
 特性が変われば微妙な調合分量や場合によっては調合方法まで変化する為だ。
 なるべく同じ土地。同じ水を使い同じ空気の元。同じ材料で調合を行う事が均一の効果を持つ薬を作る基本とされている。
 だから基本薬師は師事を受けた者の工房を受け継ぐが、近隣に新しく工房を立てるのが通例。
 たまに請われて遠く離れた土地へと赴く事もあるが、その場合は特性の違いを見極め調整するための慣れが必要となってくる。
 その為に薬師があてもなくフラフラとしているのはそれなりに珍しい事であった。


「お待たせ。レイトラン宮廷酒造の三十年物の赤。にしてもいいのかい先代。若いお嬢さん相手にこんな高い酒を奢って。二代目にまた愛人を作る気かって疑われんぞ」


 金糸で細かな装飾が施されたラベルのついたワインとグラスを二つを持ってきたマスターが倒れ込んだ大男を挟んで座る孫と祖父ほど離れた二人を見て、本当に狙ってるんじゃないかと顔なじみの老人に疑惑の眼差しを向ける。


「そらいい。お嬢さん。どうだい?」


 楽しげ笑った老人はマスターからグラスを二つ受け取ると、女性に手渡しながら尋ねる。
 その顔から本気ではなくて、女性がどんな反応を返すのかを楽しんでいるのがいわずとも判ってしまう。


「冗談。性悪爺の話相手は師で懲りてるんで勘弁願います。それよりマスター。旅客船の空きの方ってどうなんですか?」


 これ以上下世話な冗談に付き合ってられるかと憮然とした顔を浮かべた女性は、精神衛生上この見るからに高そうなワインの値段は気にしない方が良いと思いながら、グラスに茶色味の強い赤い液体を丁寧な手つきで注ぐマスターへと尋ねた。
  

「悪いなお嬢さん。探してるんだが予約で一杯でなかなかな。一週間前に『始まりの宮』が終わって止まっていた流通も動き出して丁度混雑している時期なんだよ。それでも何時もならここまで混むことはないんだが、今年はリトラセ砂漠迷宮群に『拡張』が確認されてな、大陸中の有名探索者パーティやら中堅所も続々集結中で大手の運送業者だけでなく個人所有の砂船まで貸し切られてるのが多いんだよ。一月もすれば多少は落ち着くはずだが、一応キャンセル待ちに登録しておくかい?」


「ミスった。ケチらず往復で買うんだった……じゃあそれでお願いします。後仕事の紹介ってありませんか? 出来れば短期。接客とかの経験もあるんで何でもやりますから」


 ここに来る時に片道で砂船の乗船券を買うのではなくて元の街に戻る事になっても往復にするべきだったと後悔しながら、手持ち金の残りを簡単に計算した女性は多少の心元の無さを覚えて仕事の紹介を頼んでみる。
 ここが森林地帯や草原地帯ならば薬師として材料採取のための野営経験があるので狩りをしていれば何とかなるのだが、岩砂漠地帯ではそれも難しい。
 何かと金が掛かる街で一月も足どめになると出来たら住み込みがあればと考えていた。


「そうだな……先代。薬師関連で当てがあるかい」


 商売柄マスターも顔は広いが、それ以上に長年の交易商人としての人脈で遙かに多くの人と繋がっている老人に尋ねてみる。


「そりゃ幾人か心当たりはあるが……そうだ」


 蟹を摘みながら高級赤ワインを楽しんでいた老人はしばらく考えるてポンと手をうつ。
 なにやら思いついたようだ。だがどうにも人の悪い笑みが唇の端に浮かんでいる


「お嬢さん。いっそのことうちのキャラバンに同行するかね? 三日後に北の迷宮特別区を抜けて中央部へと戻る予定だ。料金は迷宮越えルートの公共乗り合い砂船の半分。格安にしておくよ」


「……ご迷惑では?」


 老人の突然の申し出に女性は疑いの眼差しを浮かべる。
 酒場で偶然隣り合っただけで少しばかり関わりが出来たが、知り合ったばかりの相手に何でそんな申し出をするのか。
 しかも相場の半分という安さが余計に怪しい。


「お嬢さん。この先代は性格的には食えない性悪ジーサンだが、商人としては真っ当で信頼は出来るよ。金を取る以上絶対安全だ。まけた以上、裏はあるだろうがな。先代真意は?」


 訝しむ女性の反応を楽しんでいる老人に、マスターがいい加減にしてやんなと視線で注意しながらも料金をまけた理由を尋ねる。


「人を金の亡者みたいにいわんでほしいな。キャラバンには小さな子供もいるから、きつい砂漠越えにただで使える薬師がいりゃ便利だと考えてるくらいだ。後、新進気鋭の薬師と人脈が作れりゃ後々おつりがくらぁ」


 タバコを取り出した老人が上手そうに煙を吸いながら喉の奥でわらう。
 これが本心なのか他に何か考えがあるのか女性には見分けることができない。
 ただ渡りに船の美味しい話である事は間違いない。


「師なみに性格悪……確かにこっちとしては大助かりだし、調子の悪い人の面倒くらいはみるわよ。まったく。それじゃお願いします……って」


 海千山千の交易商人の腹を探るなんて出来るはずもないかと女性は諦めると、同行させてもらおうとしてはたと気づく。
 相手の名前も知らず、自分から名前を名乗った記憶もないことに。
 大男の愚痴を散々聞かされていたので相手の職業やどこの街を拠点としているとかなどは判っていたので、そう言った基礎的な情報が抜け落ちていることに女性は気づいていなかった。


「グラサ共和国の『ファンリア商隊』の商隊長ギソラ・ファンリアだ」


 人の悪い笑みを浮かべる老人の方は、互いに名乗りがまだである事をどうやら忘れてはいなかったようだ。
 女性が名乗るよりも先に自分の名と商隊名を告げるとカウンターで寝込む男の頭越しに右手を差しだした。 
 

「ルディア。北大陸ベルグランドのルディア・タートキャス。ご承知の通り薬師よ」


 名を名乗った女性……ルディアは相手のペースに巻き込まれすぎて自分のペースが崩れていると反省しながら、老人の手を握り替えした



[22387] 弱肉強食①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 04:36
 大まかな形でいえば逆台形となるリトラセ砂漠は、北部と南部でその性質が大きく異なる。
 南部は巨大な岩山が幾つもあり大小様々な岩と礫と砂の混在した大地となった岩石砂漠。
 しかし逆台形の中心点となるオアシス都市ラズファンから北にかけては、さらさらとした砂で大半が構成された砂砂漠となっている。
 この性質の違いは気候風土など自然環境の違いによる物ではない。
 一面の砂の海である北側を作り出したのは、大陸全土の地下を今も掘り進め埋め立て続けている巨大サンドワーム類。
 彼等の繁殖地、そして幼生体の育成地としての一面が北リトラセ砂漠にはある。
 サンドワーム達が幼生体の生活環境に適した土地へと変化させる為に大半の岩を砕いてしまい、北リトラセ砂漠は非常に細かな砂で形成された砂漠となっている。
 そして北リトラセ砂漠とは地上部だけを差す名称ではなく、その地下に十数層に形成される世界でも珍しい階層型砂漠全体を差す名称であり、常に変化を続ける世界で唯一の生きた迷宮永宮未完に属する『砂漠迷宮群』を指す名称でもあった。
 また北リトラセ砂漠には昼夜の区別が無いことも大きな特徴の一つとしてあげられる。
 燦々と輝く灼熱の太陽の光も熱も、白く淡く光る月や星の柔らかい灯りも、この砂の海に降りそそぐ事は無い。
 その空にはぶ厚い砂の層。
 通称『砂幕』が広がり、まるでカーテンのように天を覆い隠している。
 今から300年近く前に起こった世界的異変。
 迷宮異常拡大期とそれに伴う迷宮怪物増大期。
 所謂『暗黒時代』に発生し、砂漠中心部で今も猛威を振るう砂嵐によって作られた砂幕が、北リトラセ砂漠を熱を失った恒常寒冷砂漠地帯へと変化させていた。









 
 吐き出す息が一瞬で凍りつくほどの寒さと暗闇の中、右肩に身の丈ほどの両手剣を担いだ少女は、暗い遠くの空に浮かぶ点滅する灯りを目印にひたすらに砂の海を真っ直ぐに進む。
 肩に担いだバスタードソードを握る右手には革紐が括り付けられその先にはカンテラが吊されている。
 漆黒の闇の中ではカンテラの灯りはか細く弱々しく僅か先を照らし出すのが精々。
 だが少女にとってはこのカンテラが命綱であった。
 砂の海といってもここは平坦な場所ではない。
 砂で出来た山があり、その周囲には急な坂や谷があり、蟻地獄のように底なしかと思わせる流砂の沼もある。
 常人では命の危機がある場所も、僅かでも先が見えれば獣じみた反射神経を持つ少女であれば対応に苦労はなかった。
 むしろ今の少女にとってこの砂漠での一番の難敵は、砂漠の砂そのものである。
 サンドワームによって細かく砕かれてさらさらとしている砂は、ちょっと立ち止まっただけで容易く膝近くまで飲み込んでしまう。
 悠長に歩いていれば、あっという間に砂の中に身体を引きずり込まれ、藻掻けば藻掻くほど脱出に苦労する事になる。
 その事は身を持って体感済みだった少女が選択したのは、著しい生命力消費と引き替えに砂に足を取られずにすむ特殊な歩法であった。
 少女の右足が地に触れた瞬間、手を打ち鳴らしたような小さな炸裂音が静寂に包まれた砂漠に響く。
 その音と同時に足元で砂が弾け飛び、その衝撃に撃ち出された少女の身体が前に跳ぶ。
 左足。
 右足。
 左足。
 少女が一歩踏み出す度に音が立て続けに鳴り響き、小さな少女はまるで水切りの小石のように砂の上を次々に跳ねて驚異的な距離を一歩で稼ぎ出していた。


「次の岩場まであと少しか……お腹も空いてきたな」


 小高い砂丘となっていた斜面を登り切った所で、少女の腹が小さくなって空腹を訴える。
 生命力とは生命を動かす力。
 世界を変える力その物。
 生命力を肉体能力強化に特化した力『闘気』へと変換し少女は特殊歩法を行っている。
 その恩恵で砂に足を取られることはないのだが、その反面すぐに疲労はたまり生命力も低下してくる。
 長距離となる砂漠越えに対して少女は、少し疲れてきたら短時間の休憩と水分補給の小休憩を取り、小休憩を四回行ったら、その次は食事と仮眠を取る大休憩というローテションを決めていた。
 北リトラセ砂漠の迷宮特別区に入ってから既に一日ほど。
 取った休憩は小休憩を四回。次は大休憩を取る番だ。
 だが、ただ立っているだけでも引きずり込まれそうになる、こんな砂漠のど真ん中で睡眠を含んだ休憩など取れるはずもない。
 少女が目指しているのは、サンドワーム達に砕かれないように魔物避けの魔術印を施した人工の岩場。
 ミノトス管理協会が過去に砂漠越えをする探索者や商人の為に用意した休憩所である。
 近年は比較的安価な大型砂船の登場もあり、徒歩での砂漠越えをする者はほぼ皆無となり、休憩所を利用する者などもほとんどいないというのが現状である。
 だが休憩所の目印としてその直上に輝く光球は、この昼夜を問わず暗闇に覆われる砂漠において灯台としての役割を持つために、今も灯台兼緊急避難所として維持され続けている。
 北リトラセ砂漠全体でその数は数千にも及び、個別認識するためにそれぞれの光球が別の色やリズムで点滅しており、すぐに地形が変わってしまう砂漠において絶対的な目印として重要な役割を持っていた。 
 

「あそこが南の323番だろ…………ん。まだ一月半はかかるか。水は手持ちの水飴で足りるな。問題は……」


 山の頂点を超えて今度は下りとなった急斜面を周りの砂と滑るように駆け下りていく少女は、ラズファンの街を出る前に覚えてきた北リトラセ砂漠地図と休憩所の発光パターンを頭の中に思いだす。
 千を超える岩場の位置と目印であるそれぞれの光球の発光パターン。その全てが少女の頭の中には叩きこんである。
 この岩場を伝うもっとも効率的な進行ルートを既に決めてあった。
 現在目指している休憩所の位置から一日で進むことが出来た距離を計算して、残りの行程にかかる日数を大まかに考えた少女は、フードの奥で眉を微かに顰める。
 その進行速度は少女が思った以上に芳しくなかった。
 原因は足を取られやすい砂と起伏に富んだ地形のせいで、走る速度が思ったより上がらず、さらには上り下りばかりで平面の地図で見た距離の数倍を走る羽目になっていった。
 当初は三週間ほどで砂漠を突破出来ればと考えていた予定を、少女は倍の日数へと修正せざる得なかった。
 砂漠では水分が一番重要と考えて、水を固定凝縮した魔法薬『水飴』を60粒ほど購入してあったのは幸いだと少女は考える。
 ”飴”と名付けられてはいるが無味無臭のこの薬は口の中で転がしているだけで元の水に少しずつ戻っていき、その水量は一粒で人間種成人男子が一日で必要な水分量とほぼ同量という非常に携行性に優れた魔法薬である。
 その分些か高価である事が唯一の難点だが、これで水についての問題はない。
 もっとも飴なのに甘くないと店員と一悶着を起こした極甘党の少女的には、無味無臭である事が一番の問題点なのかもしれないが。
  

「っ!?」


 斜面を下りきった少女は周りより一団低くなった盆地に足を踏み入れて悪寒を覚えた。
 周囲は静寂に包まれ静かな暗闇があるだけ。だが少女の勘が殺気を感じ取っていた。
 日程や食糧事情を考えていた通常思考から、より高速に物事を考える戦闘思考へと即時に切り替える。
 少女が思考を切り替えるや刹那、目の前の地面の砂が不自然に盛り上がり、次いで少女の腕ほどの太さで鋭い先端を持つ何かが飛び出してくる。
 それが何かを意識が認識する前に少女の身体は動く。
 カンテラの紐を左手に掴み上空へと放り投げながら、バスタードソードの柄を握る右腕を、僅かに角度をつけて左下方向へ一気に降りさげる。
 鞘に入ったままの剣の腹に刺突攻撃が打ち込まれ、ついで剣を納める革製の鞘が焼け付くような音を立て、鼻を突く刺激臭が漂う。
 クルクルと回りながら地上を照らし出す微かなカンテラの明かりの元で、砂の中から飛び出してきた物の正体を少女は見る。
 少女を襲ったのは擬態色となった砂色の甲羅に覆われた幾つもの節に覆われた長い尾だ。
 尾の末端は少し膨らんでおりその先端は赤黒い毒針となっていた。針の先は鞘を焼いた毒液で怪しく濡れている。
 受け流した尾が再度振るわれる前に少女は後方に飛び下がりながら、左手で鞘から垂れ下がる紐を掴む。。
 跳び下がった少女が地に足をつけた瞬間、先ほどまで少女が立っていた場所の砂が大きく盛り上がり倒木ほどの大きさがある巨大なサソリが砂の中から姿を現す。地上を駆ける足音に引かれ、餌を求め攻撃を仕掛けてきたのだろう。
 サソリが少女の頭を目がけて尾と同色の右蝕肢の先についた巨大な鋏を突き出した。だがその攻撃は少女の予想範囲内である。
 少女は即座に左横に跳び鋏を躱す。
 避けるのが一瞬でも遅れていれば、鋭いその切っ先が少女の顔面を抉っていたのは間違いない。 
 間一髪致命的な攻撃を避けた少女は、左手に握った紐を引っ張る。
 すると剣を固定していた鞘のボタンが弾け飛び、観音開きのような形状の鞘から鈍く光るバスタードソードの刀身が姿を現した


「はぁっ!」


 標的を失い空を彷徨う蝕肢に向かって、少女は裂帛の気合いと共に右腕を振るいバスタードソードの刃を叩きつける。
 刃と蝕肢を覆う頑丈な殻がぶつかり合い重く鈍い音を発し、鋼鉄の板を叩いたような痺れを伴う衝撃が少女の右腕を駆ける。


「む…………反動が返ってくるか。私もまだまだ鍛錬が必要だな。投擲は少し技量が上がったかな」


 剣を振り切った体勢のまま後方に下がった少女は不満げに呟き左手を上へと伸ばす。
 その手の中に先ほど宙へと投げ飛ばしていたカンテラの紐が丁度落ちてきた。
 とっさに投げたが大体思った通りの位置に落ちてきたことにフードの中で満足げな笑みを浮かべながらカンテラの灯りで前を照らし出す。
 灯りの中に右の蝕肢が千切れかかったサソリの姿が浮かび上がった。
 傷ついたサソリは威嚇するかのように残った左手の鋏をカチカチと打ち鳴らし、毒針のついた尾を逆立てて怒りを露わにしている。
 しかし怒れるモンスターを前にしても少女は動じる様子もなくサソリを見つめ、僅かの間を置いて合点がいったのか小さく頷く。


「ん……蟹か海老みたいだな。よし今日のご飯はお前に決めた……待てよ。その前に足にしてやろう」


 カンテラを再度宙へと放り投げた少女はどんな味がするのだろうと楽しみに思いつつ、サソリへと斬りかかっていった。






















 




『ん~……今ひとつだな。しかも硬すぎるぞおまえの殻は。苦労して割ったのだから、もう少し中身があっても良いだろ。これは毒腺か? ん。さすがに食べられないかこれは?』


 背中に乗る化け物が不満げなうなり声をあげたことに恐怖を感じながら、彼は必至に足を動かし前に進む。
 先ほどから背中では化け物が食事をしながらぶつぶつと呟き、時折唸っている。
 彼とこの化け物では、種がまったく異なるために意思の疎通ができるはずがなかった。 だがそれでも、この化け物が何を考えているのか簡易ではあるが彼には伝わってくる。
 理外の存在である化け物に、彼は徹底的に打ちのめされていた。
 同族の中でも鋭く硬い鋏は獲物を容易く切り裂き、長く鋭い針のついた尾は強力な毒をもっていった。
 だが両腕の鋏も尾の毒針も今の彼には無い。
 背中の化け物に全てを叩き斬られてしまったのだ。
 武器を無くし半死半生となった彼に対し化け物は、鈍く光る銀色の一本爪で空に浮かぶ光の方向を指さしてから彼の背中に乗ってきた。


 あそこに迎え。さもなくば殺す。

 
 彼の背中をコツコツとその爪で叩いた化け物はそう命令を下した。
 声に出したわけではない。
 意思疎通が出来たわけでもない。
 だがその存在が、気配が、何を彼に望んでいるのかを雄弁に物語っていた。
 死にたくないという生物としての本能的な欲求から、傷ついた身体で必至に光の方向へ向けて走り始めると、この化け物はすぐに食事をはじめた。
 化け物が食しているのは彼の自慢だった鋏や尾だ。
 硬い殻を爪で叩き切り、殻を無理矢理こじ開けてその中身をむさぼり食っていた。
 自分の背中に自分を食する化け物が乗っている。もし彼に高度な知性があればこの状況に恐怖のあまり狂っていただろう。
 だが幸か不幸か、彼が感じているのは本能的な恐怖だけだった。
 その本能に動かされるままにただひたすらに足を動かし前に進む。
 化け物が望む場所へと連れて行かなければ殺されるという恐怖が彼を縛り付けていた。
 そしてその恐怖心から急ぐ足が、彼の警戒を甘くし、彼の命運を断つ事になる。
 いきなり彼の足下の砂が柔らかくなり彼の身体が沈み込みはじめる。
 突如直下に穴が開き周囲の砂ごと彼を飲み込みはじめたのだ。
 穴を作り出したのはこの砂漠の地上に君臨するサンドワームの幼生体が開いた口蓋。
 周囲の砂事、獲物を取り込む豪快な食事法である。そして幼生体といえどその大きさは彼の数倍はある。
 地下には彼等を遙かに凌駕する化け物達が腐るほどいるが、地上部分においてはサンドワームの幼生体は絶対の捕食者であった。
 以前に何度も襲われ死の恐怖を感じながらもその度になんとか逃げ切った彼だったが、今回は注意が散漫となっていた為にその口の中にまともに飛びこむ事になってしまった。
 しかも傷ついた身体では逃げる事など出来そうもない。
 だが実際に死を前にしても、彼の中にサンドワームへの恐怖がわき上がってくる事は無かった。


『む……サンドワームか。休憩所に着いたら身体の方を食べるのを楽しみにしていたのに横取りしおって…………まぁいい。あまり期待できなかったからな。お前の方はどうだ?』


 彼がサンドワームの口蓋に飲み込まれた瞬間、その背を蹴り上げて脱出した化け物の声が明朗と響き渡る。
 お前も食べてやろう。
 そう宣言する化け物に比べればサンドワームから感じる恐怖など無いに等しかった。



[22387] 剣士と薬師 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 04:55
「北停泊地の47番は、と…………あっちか。それにしても、やっぱり朝方っていっても内門を出ると熱いわね」


 道路の端に立てられた標識を見上げたルディア・タートキャスは自分の目的地を探し当て、左肩の荷物を担ぎ直すと熱さに辟易しながら歩き出す。
 二日前にひょんなことで知り合った交易商隊のファンリアという老人から渡されたメモがその右手には握られていた。
 メモに書かれているのは停泊場所と船名や出航時間だけでなく、極寒の砂漠越えに必要になるであろう雑貨品や薬師であるルディアにとって必要な材料を扱っている店までが記載されていた。
 実際に入り用な物も会ったのでメモに書かれていた店をいくつか周り、其処の店主などから得た情報で老人の人柄や率いる商隊の評価を知る事はできた。
 ファンリアという老人は結構な食わせ物であるが、商売相手としては信頼は出来る。要するにイイ性格をしていると。


「知り合いって事で多少はおまけしてもらった上にファンリア商隊についても聞けた。これは名刺代わりで不信感を払拭させるには十分……何であの手の抜かりない年寄りばかりに縁があるんだろう。あたし」


 抜け目の無い知恵者でどうにも勝てないタイプは、故郷の師と同様であり、少しばかり苦手だ。
 だが他にこの街から早めに出る手段が無い以上は、好意に甘えるのが無難。
 軽い溜息をついてメモをポケットに仕舞うと、ルディアは騒がしくなり始めてきた周囲へと目をやる。
 砂を高圧縮して作ったブロック状の人工石で作られた高い外壁が街への砂の流入を防ぎ、同じ人工石を使っているが鮮やかな染色と細かな装飾が施された内壁が殺風景な砂漠を超えて飽き飽きしていた旅人達の目を楽しませ、同時に高い技術力と資金力を示している。
 ルディアの歩く道からは、本来の地面より高くなった脇道が桟橋状となり何十本も伸びており、桟橋には砂漠を行き来する大小様々な砂船が停泊していた。
 物資を満載した木箱の積み卸しや乗客達の誘導をする船員や作業員達の声がひっきりなしに響き渡る。
 ここには水で出来た海はなく、一面の砂地が広がるがその雑多な雰囲気は貿易港その物。
 その光景にルディアは故郷の港町を思いだしていた。


「ん!? おぉ! 赤毛の姉ちゃんじゃないか。道に迷ったのか」


 微かな感傷に浸りかけた矢先に、ルディアの背後から大声が響き渡る。
 聞き覚えのありすぎるその声だけでその主が誰かは判っていたが、ルディアは無視するわけにもいかず渋々ながら振りかえる。
 ルディアの後ろには、二日前に散々愚痴をこぼしてきた日焼けした浅黒い肌の巨漢武器商人が立っており、その横では荷運び用に時間貸しされている貸しラクダが中型の荷車を引いていた。


「……どうも」


「今日は素面だから警戒すんなって。どうにも酒癖が悪くてな。絡んじまった詫びと姉ちゃんの薬のおかげで二日酔いにならなかった礼を言わなきゃならねぇと思ってた所に丁度見かけたって訳だ。すまねぇな姉ちゃん。んであんがとよ」


 勝手に薬を飲まされて眠らされたことは微塵も気にしていない様子の男は、多少引き気味のルディアの態度に対して申し訳なさそうに頭を下げる。


「と、そうだ……こいつは感謝の気持ちだ。冷えてて旨いぜ。ガキ共に頼まれた物だが大目に買ってあるから気にせず飲んでくれ」

 
 荷馬車に手を伸ばした男は一番上に積まれた袋の中から掌大の物を一つ掴むとルディアに向かってふんわりと放り渡してくる。
 それはラズファンの広場などでよく売られている水と果実の絞り汁を混ぜ合わせ甘味付けして凍らせたジュースの入った革袋であった。
 買ってきたばかりなのか受け取ったルディアの手に、心地良い冷たい感触が伝わってくる。


「ご馳走になります……薬師のルディア・タートキャスです。貴方のおかげで砂漠を越える足が出来たから、あたしからもお礼を言うべきでしょうか?」


 甘い物はそんなに好きではないが、熱さに辟易していた所に冷たい飲み物は正直いえばありがたい。
 封を切って一口飲んで冷たいジュースで喉を潤してからルディアは名乗る。
 ファンリア老人には名乗ってはいたが、その時は男は横で高いびきをかいていたので改めて自己紹介をすると共に、長時間絡まれたことに対する軽い意趣返しも籠めた意地の悪い言葉をつづける。


「勘弁してくれ。礼はいらねぇっての。クレン・マークス。通称クマ武器商人だ。親方から聞いてる。後ろに荷物をのせな。砂船の所まで距離が結構あるから運ぶぜ」


 冗談半分なルディアの問いかけに対し、獰猛な笑顔で答えたマークスは荷車の後ろを指さした。 
 
 


 





「へぇ。姉ちゃんは冬大陸の出で工房を開く場所を探してるのかい。そんじゃあここらの熱さは堪えるだろ。慣れてる俺等でも真っ昼間はきついほどだからよ」


 彼等が借り受けた砂船へと向かう道すがらラクダの手綱を引くマークスは厳つい外見に反して話し好きなのかいろいろと尋ねてきて、その横を歩きながらルディアは質問に答える形で雑談に興じていた。
 ルディアの出身地はトランドよりもさらに北の一年中雪が降る極寒の大陸。別名冬大陸と呼ばれる地だ。 
 

「そうですね。この熱さの中で仕事なんてあたしには無理だって判りました。水が合わないってのもありますけど、住むのはちょっと遠慮したいです」


 オアシスからの豊富な水があり、一年中ほぼ変わらない気候で安定していて薬が作りやすい。
 迷宮に隣接した都市であり、協会直下であるために税金の類が安く迷宮素材がそれなりに手に入る。
 事前に聞いてた情報からラズファンを訪れたルディアだったが、砂漠の乾燥高温気候は冬大陸生まれにはきつすぎると、見切りをつけるには一日あれば十分であった。
 もっとも工房を開く条件が何かと聞かれてもこれという答えがなく、何となく理由をつけて先延ばしして気儘な旅を楽しんでいるだけだと言われれば否定はできないが。
 

「ここらの連中も日が一番高い時は、昼寝やら酒盛りする習慣があって仕事は休むくらいだからな。まぁ、そうなると姉ちゃん的にはこれから入る北リトラセ砂漠の方がまだ過ごしやすい気候なのかもしれねぇな、あそこは骨まで凍えるほど寒いぜ。寒冷地用の衣服がここらでもよく売れる理由だな」


「……別名『常夜の砂漠』でしたっけ。子供のころから迷宮にまつわる御伽噺はいくつも聞いていたんですけど、旅をしているとトランド大陸は無茶苦茶だって改めて思います。普通じゃ有り得ない地形や気候が多すぎて」


 先ほどもらった革袋のジュースで喉を潤しながら、ルディアはここまで旅してきた地方を思いだしつつ呆れ顔を浮かべる。
 巨大な岩山のど真ん中を反対側まである探索者が剣の一突きで掘り抜いたというドラゴンも通り抜けれそうな巨大で真っ直ぐなトンネル。
 凍りついた湖の湖底に存在する水棲種族の幻想的な都市。
 まるで雨のように四六時中落雷が降り注ぐ山岳地帯や、一日ごとに場所を変えていく森。
 勿論普通の地方もあるのだが、変わった場所の印象が強すぎてそればかりのような錯覚を抱かせるには十分であった。


「迷宮大陸トランドだからな。摩訶不思議な光景ってのは珍しくないさ。それでも俺ら一般庶民が見れるのはその極一部。特別区って表層的な部分でその奥に広がる迷宮本体はもっと無茶苦茶らしい。武器商人って商売柄探索者の知り合いも多いが、話半分で聞いても法螺話としか思えないのが多いからな」


「そうらしいですね。上級探索者の英雄譚に出てくる溶岩内での戦闘やら、巨大船も引き裂かれる大渦の探索とかまで来ると想像がつかないんですけど」


 初級、下級、中級探索者辺りならばルディアも幾人かは話した事もあるが、最上位の上級探索者ともなるとそのほとんどは伝説やら御伽噺の登場人物と変わらない。
 現役であれば大陸中心部の上級迷宮が近隣に数多くある迷宮内部地下都市に大半が常駐し、引退した者や休止中の者はトランド大陸に限らず世界中の王宮や貴族、大商人等に仕え文字通り住む世界が違う。
 派手に脚色された英雄譚や数多くの眉唾な噂は世間によく広まっているが、その計り知れない実力や実態等を実際に知る者は一般人には少ない。
 それが世界中に数十万人いるとも言われる探索者の中でも、4桁にも満たない上級探索者達である。


「俺もさすがに上級の知り合いはいないから、ミノトスの神官らの叙事詩で聞いたくらいだな。本物を遠目に見たことくらいならあるけどよ。有名ところじゃ管理協会現理事長の『樹王』ミウロ・イアラス、ロウガの『双剣』フォールセン・シュバイツアーやら『鬼翼』ソウセツ・オウゲン、あとは芸術家としても有名な『黒彫』レコール・イノバンとかだな」


 指折りながら数えるマークスがあげた名は、別大陸出身者であるルディアでもその功績をよく知るほどの名を馳せた上級探索者達であり、同時に比較的世間一般にその姿を知られている者達であった。 


「イノバンって300年近く一人で山奥で岩山を削って石像を掘ってる人ですよね。本来の寿命だと満足な作品が作れないから不老長寿の上級探索者になった変わり者って」


「おうそれだ。400年以上は生きてる変人で暗黒時代も我は関せずってばかりに岩山を掘ってたらしい。管理協会本部に顔を出したのも数回だけらしいんだが、たまたまその時に見たんだよ。ぱっと見は20中盤の優男なんだが、遠目でも何つーか雰囲気はあったな。嘘みたい話だがありえるんじゃないかって思わされた」

  
「……何かますます現実感が薄くなってきました。もっとも工房も持ってないしがない薬師のあたしには、上級探索者なんて一生縁はないでしょうけど」


「いやいやわからねぇぞ姉ちゃん。世の中ってのは何があるか判らないからな。ひょんな事から知り合ったり、ひょっとしたら姉ちゃん自身が上級探索者になったりするかもしれんぞ」


「そりゃどうも。でもあいにくなことに上級どころか、今のところは探索者になろうって気は皆目ありませんよ。工房を開く開店資金が不足なら考えなくもないですけど、そこら辺は薬師ギルドの低金利で借りた方が安全でしょ。探索者みたいにハイリスク、ハイリターンなのはちょっと」


 笑うマークスに対して、ルディアは興味がないと肩を竦めて答える。
 自身の本分は薬師であり、魔術はあくまでも薬剤調合補助と精々材料採取時や旅の途中で身を守る為の護身技能程度。
 魔術師としては平凡な才能しかない。要領だけはそこそこ良いのである程度まではいけるだろうが、壁にぶつかればそこで止まってしまう。それがルディアの自身に対する分析であった。
 

「堅実だな姉ちゃん……俺の所のバカ息子も見習ってほしいくらいだ」


 ルディアの回答を聞いたマークスが微かに眉をしかめて羨ましげな目を浮かべて、悩みを聞いてほしいそうな表情を浮かべる。
 その様子からまたも愚痴が始まりそうなことをルディアは敏感に察していた。


「息子さん……ですか?」


 だが話の発端を開くよりも聞き役に回り情報を集める癖や、基本的に面倒見のよい性格が災いし、その話題に触れないようにしようとする理性よりも先に口が開き続きを促していた。


「おうよ。今年でもう13になるんでそろそろ商売について覚えさせようって今回の商隊に見習いとして参加させたんだが、武器商人をやるよりも武器を振ってる方、探索者になりたいとかぬかしやがってんだよ。だから剣術道場に通わせろって最近五月蠅くてな」


 マークスが溜息と共に吐き出したのは世によくある親の嘆きだ。
 若年。特に男子となると華々しい探索者の英雄譚に心を引かれ憧れから探索者となる者は数多い。
 だがその大半は早々と諦めるか、運が悪ければ心なし半ばで命を断たれる事になるだろう。
 類い希なる才能と時流に乗る強運。
 探索者に限らず世に名を馳せる者達とはこの二つを持ち合わせている。
 どちらか片方を持つだけでもまれなのに、その両者を持ち合わせる者など本当に一握りの特別な者。
 しかし自分がそんな特別な者だと思う若者は数多い。
 こればかりは親や周りが口で言っても、挫折するまでは自らは認めようとはしないだろう。


「よくある話っていえばそれまでだけどよ。男親としちゃ、てめぇの商売を継いでほしいってのもあるんだが女房が心配性でな。俺が砂漠越えの商隊に参加してるだけでも結構気苦労をかけてる所に、これでバカ息子が探索者になったら心労で倒れちまうんじゃないかってな」


「ホントよくある話ですね。でも13なんですよね。そのくらいの年齢の男の子じゃ麻疹みたいな物だと思えば。もうちょっと大きくなれば現実が見えるんじゃないですか。それに不謹慎な話かも知れませんけど『始まりの宮』が終わったばかりで、これから怪我人や死亡者も増え照るみたいですし、目の当たりにすれば気持ちが変わるかも知れませんよ」


 探索者となるには半年に1回大陸中に出現する特別な迷宮。別名『始まりの宮』と呼ばれる迷宮を踏破しなければならない。
 そして今期の始まりの宮が終わってまだ十日ほどしか経っていない。
 だが既に誰それが大怪我しただの、どこぞの新米パーティが壊滅しただの噂話をルディアは耳にしていた。
 迷宮群に隣接し始まりの宮が近隣に出現する為新人探索者が多くいるラズファンにとって、新人探索者の怪我人や死亡者の増加は半年ごとに起きる性質の悪い風物詩といえるのかもしれない。


「そうだといいけどな。失敗した奴等の話よりも、成功した奴らの話に食いつきそうなガキだから。んなもん少数の稀有な例だってのに」


 赤の他人であるルディアに話した所で、悩みが解決するわけではない。
 だが愚痴とは基本的に誰かに吐き出して気分を紛らわせる物。
 その事を判っている両者はあまり突っ込んだ話をせずに、ありきたりな話にありきたりな言葉を交わす。


「商売の楽しさってのを理解するにはまだガキでな。今日も俺が貸倉庫から運んでる間、商品積み込みの確認をやらせてるんだが真面目にやってると…………すまねぇ姉ちゃん。ちょっとこいつの手綱を頼めるか」


 愚痴をこぼしていたマークスが急に黙り込んだかと思うと、いきなりルディアにラクダの手綱を押しつけてきた。
 突然の事にルディアは声をかける間もなく、だだっと走っていたマークスを目で追いかけると、彼は少し先の桟橋へと飛びこんでいく。
 その桟橋には些か古い様式だが、頑丈な砂船が停泊しており、他と同様に木箱や荷車を使って荷物の積み卸しをしている。
 その隅っこの方で剣を振り回していた少年へと駆け寄ったマークスがいきなりその頭に拳骨を落とした。
 


「てめぇ! 商売物を勝手に振り回すんじゃねぇって何時もいってんだろうが!」


 ルディアの所にまで聞こえるほどの大きなマークスの怒声が辺りに響き渡る。殴られた少年の方はよほど痛かったのか頭を抑えてしゃがみ込んでいたが、すぐに立ち上がり何か反論をし始めていた。
 

「あれが件の息子さんであっちがこれから乗る船って訳ね。賑やかな船旅になりそうね……ところでさぁ、あんたから動いてくれない。馬ならともかくラクダの手綱なんて引いたことないっての」


 マークスの怒声で驚いたのかピタと動きを止めたラクダに対して、ルディアは声をかけるがラクダは歩き出す様子はない。下手に手綱を引いて暴走されても事だ。
 結局マークスが息子との親子喧嘩を終えるまでの10分間、ルディアはそこで待ちぼうけを食らわされる羽目となった。



[22387] 剣士と薬師 ④
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 05:11
 砂漠を行き交う砂船。
 水上で用いられる船と構造が似ているために同様の名で呼ばれているが、その下部構造や稼働原理は水上に浮かぶ船舶とは些か異なる。
 どちらかと言えば雪山などで使われるソリを想像した方が判りやすいだろう。
 平坦な船底には魔力伝達のために生体素材が使われ、魔法陣が刻まれた石版が幾つもはめ込まれている。
 石版に刻まれた浮遊陣が船を僅かながらも浮かし、同時に出力比や角度を変える事により前後左右への移動を可能とし、舳先を覆うスカートと呼ばれる金属版で障害物を排除しながら砂の上を滑るように船は進んでいく。
 浮遊陣で船全体を高く持ち上げるには魔力消費が激しく、巡航速度時では浮くといっても人の拳一つ分ほどの隙間を作るのが精々だ。
 その為、起伏の激しい地形や固い岩盤の土地では船底が傷つきやすく、すぐに使用不可能になってしまう事もあり、広大な砂漠を持つ一部の地方のみで用いられる特殊交通手段になっている。 
 多数の魔法陣を稼働させるのは、船中央に積まれた転血炉。
 迷宮モンスターから採取した良質の魔力を含む血や樹液を加工処理し固形化した【転血石】を動力源とする転血炉は、暗黒時代前は協会と少数の大国だけが持つ極秘技術とされていた。
 しかし暗黒時代を迎えた事で事情は変わる。
 迷宮モンスター群に劣勢を強いられていた各国に対して、滅ぼされた大国の術者や家臣達が次々に技術解放を行っていたからだ。
 技術解放と同時に各地で研究改良が行われ、より小型高性能の転血炉が次々に試作、実用化され発展していったのは歴史の皮肉といえるだろう。
 暗黒時代が終焉を迎えた時代も少し昔となった今では、軍事用だけではなく民生品としても取引が行われている商品の1つだった。



 
 
 永宮未完特別区北リトラセ砂漠迷宮群。
 通称『常夜の砂漠』に四時間ほど前に進入した船の周囲は、まだ昼過ぎだというのにすっかりと闇に覆われている。
 遠くの空には灯台としての役割を持つ灯りがいくつか浮かび、それぞれに違う色とタイミングで点滅を繰り返す。
 船の周囲にはまるで蛍火のように浮かぶ光球が、先を照らすと共に、己の場所を他船に知らせて衝突防止に一役を買っていた。


「こいつの船体と炉は20年前の型だが、元々は中級迷宮での拠点用に建造された船だからともかく頑丈だ。重い武装を外したからそこそこ速度も出るんで輸送用にはもってこいって訳だ。ちょっと取り回しやら調整が難しいがその辺はご愛嬌だな」


「それにしたって余剰魔力が随分あるんですね。各部屋個別の室温調整機能とか、よっぽどの高級船にしかないって聞いたんですけど」


 元探索者だったという中年船員の説明に耳を傾けながらルディアは肌を切るような寒さに身をさらしていた。
 先ほどまでは与えられた船室で、暇を持てあまし魔術に用いる触媒の下処理をしていたのだが、材料を入れたフラスコを火に掛けてあとは放置となった所で、突然船長と商隊長であるファンリアから呼び出されていた。
 安全上の措置としてか客室と船の運航を司る区画は直結されていない為、一度船尾の階段から甲板に出て、それから再度船内に入らなければならず、せっかく暖まっていた身体を寒風にさらす羽目になったが、急病人でも出たかと仕方なく思っていた。。


「あれな。実は出力調整用なんだわ。ほれさっき武装を外したって言っただろう。元々ついてたのが常時低稼働待機型の砲台でぶっ放さなくても魔力を結構食う。輸送客船には無駄だし重いから取っ払ったはいいが、今度は魔力消費が下がりすぎて普通に船を動かすだけだと炉が安定しなくなった。仕方ないから馬鹿食いする室温調整をつけたって訳だ。そんなわけでお客さんも気にせずどんどん使ってくれ。それで停泊状態でもようやく炉の最低出力に達して安定状態になるんでな」


「贅沢なんだか無駄なんだか。光球を発生させている魔法陣が防御結界と兼用になってましたけど、あっちも稼働可能って事ですか……結界が必要な怪物でも?」


 船壁に刻み込まれた魔法陣は構成自体は基礎的な物で読み取る事は容易い。
 一部分が輝き光球を発生させているが、大部分は光がない非稼働状態でその部分は対大型種用の防御結界の記述となっている。
 特別区と呼ばれる表層部分は迷宮外とさほど変わらない低危険度の地区であると知ってはいるが、些か大袈裟にも思える装備に、光球の光が届かない闇の中に未知の怪物が潜んでいるような錯覚をルディアは覚えた。


「陣の消去と再設置には触媒やらで費用も時間もかかる。だから探索船だった時の陣をそのまま使ってるだけ。心配しなくても特別区じゃその結界が必要になる奴や、まして旧式とはいえ中級迷宮探索船の結界を破る奴なんぞ出てこないよ。たまに獲物と間違えた馬鹿なサンドワームが砂を飛ばしてた時に使うが、それもあとの掃除が大変だからってくらいか……って言いたい所なんだけどな」


 ルディアが僅かに不安を除かせていた事に気づいた船員が心配ないと笑ってみせたが、急に表情を改めると声を潜めた。


「この間の始まりの宮が始まる直前くらいからだな。砂漠入り口のここらで小型船が何隻も行方不明になってるんだよ。運悪く谷に落ちたのかモンスターにでもやられたか判らないが破片の一つも見つかってない。でだ、薬師のお客さんを呼んで来いってのもこいつがらみっぽい」


「随分物騒な事で……でも単なる薬師のあたしに何しろと?」 


 なにやら不穏なことが起きているのは判ったが、なぜ呼ばれたのか判らないルディアが問いかけた所で、前をいく船員の足が扉の前で止まった。


「そこらはファンリアさんか船長から詳しく聞いてくれ。中でお待ちだ。俺はこれから上で見張り再開。案内はここまでなんで」


 扉の横にはハシゴがかかりその上には見張り台らしき櫓が組まれている。
 どうやらここが目的地のようだ。
 船員が扉を開けると中から暖かい空気が流れ出してきた。ここも温められているらしい。


「案内ありがとうございました。見張り頑張って下さい」


 仕事がある人間をいつまでも拘束しておくのも悪い。
 ファンリア達に聞いた方が早いだろうとルディアは案内してくれた船員に軽く会釈をしてから扉を潜った。
 室内は小さめの小屋ほどの広さだ。
 魔法陣の出力調整をするための水晶球がいくつか並び、壁にはリトラセ砂漠全体を描いた大きな地図がかかっている。
 部屋の中央には卓が置かれ、その上には魔術道具である立体地図が広げられ、船が進むのに合わせて地図が描き出す起伏が変化していた。


「寒い中わざわざ悪いねお嬢さん。どうだい駆けつけ一杯。温まるよ」


 地図を見ていたファンリアが入ってきたルディアに気づいて、右手に持っていたワインの瓶を掲げる。
 ファンリアが掲げる瓶にはつい先日、酒場でルディアが奢ってもらった王家の紋章が入っている。
 どうやらこの間と同じレイトラン宮廷酒造製の品のようだ。
 卓の横には船に乗ってすぐに紹介された口ひげを生やした船長の姿もある。
 船長は眉を顰め難しい顔を浮かべていた。
 室内には他にも三人の船員がおりそれぞれ作業をしているが、何処か落ち着きがないように見える。 


「真っ昼間から飲む趣味はないんで。それよりどうかしたんですか。何か問題でも?」


 怪我人や病人が出たので薬師として呼ばれたにしては操舵室と言うのも妙な話。
 自分がなぜ呼び出されたのか判らないルディアは酒の誘いを軽く断ると単刀直入に尋ねてみる。
  

「船長。お嬢さんに説明をたのまぁ」


 素気なく断られたファンリアはあまり気にした様子もなく、後は船長に任せるとグラスを煽った。


「判りました。申し訳ありません。わざわざご足労を。先ほど先行している先守船の護衛探索者から連絡があったのですが……」


 ファンリアから丸投げされた船長だが嫌な顔一つ浮かべずルディアに一礼してから説明をはじめる。
 ルディアよりも船長の方が倍以上年上のはずだが、乗客相手だからだろうかその言葉遣いは極めて丁寧だった。
 先守船は本船より先行して進む事で、谷や山など地形の確認を行い本船へと情報を送り、時には障害となるモンスターを他所へ誘導したり排除したり、他船が出した先守船や小型砂船と接触し情報交換を行う役割を持つ。
 昨日どころか、つい一時間前まで無かったはずの砂山が突如隆起していたり、通行可能だったはずの場所が巨大な谷に変化しているなど北リトラセ砂漠においては日常茶飯事。
 刻々と地形が変化するリトラセ砂漠迷宮群において、小回りも制動も容易い小型船ならともかく、中型以上の砂船が遭難も事故も起こさずに安全に進む為には先守船の存在は必要不可欠と言えた。
 その先守船が通常の点滅の合間に異なる点滅を挟んでいる灯台の存在に気づいたのは、つい30分ほど前。
 元々は砂漠を進む者のための休憩所として作られていた灯台だが、乗り合いの大型砂船が定期的に就航する今は徒歩や騎乗生物を使って砂漠越えをするような者はおらず、緊急時の避難所として使われている。
 そして灯台の設置された岩場に半日以上連続して生体反応を感知した場合にのみ、非常を知らせる点滅が自動点灯、救助要請の点滅が発せられる。
 救助要請を確認した先守船は本船に連絡後、すぐにその灯台へと向かい意識を無くして倒れ込んでいた人物を発見。
 凍りついたぶ厚い外套に身を包んでおり脱がせることが出来無くて種族や性別は判らないが、小柄でひょっとしたら子供かも知れない。
 とりあえずは極寒の岩場よりはマシだと船内に運んだ所で異変が起きたと……


「背負っていた探索者が船に辿り着くなり急に倒れました。幸い意識ははっきりしていますが、手足の末端に麻痺を感じて動かなくなったそうです。症状的にはこの辺りの砂漠に生息する大サソリに刺されたのとほぼ同じようなのですが」


 困惑した顔を浮かべている船長の事情説明が終わると、酒をちびちび飲んでいたファンリアが卓の上にグラスを置いてルディアへと向き直る。


「サソリつってもここは一応は迷宮内。人よりもでかい奴でな。さすがにそんなのに刺されたんじゃすぐ気づく。本人も痛みもなかったそうだ。一緒にいた他の奴等は無事。原因がよくわからねぇから薬師であるお嬢さんの意見を聞こうって訳だ」


「意見って言われましても……状況的に考えるならその救助者ってのが怪しい事この上ないみたいですけど。救助者に接触したのは倒れた方だけなんですよね」


 実際に見てみない事には詳しい事は判らないが、倒れた本人に刺された自覚もないというのならば、原因は助けられたその人物にあるように思える。
 救助者が何かしようとしたのか、それとも救助者の衣服についていた毒物が皮膚から浸透したのか。
 通常の薬物、毒物ではそう易々と皮膚から体内に浸透する事はないが、浸透しやすい即効性の薬品を作る事はそう難しくなく、ルディアもいくつかは製法を知り所持もしていた。


「探索者が倒れたあとは、誰も救助者には直接接触しないようにしています。大サソリの毒であるなら解毒薬は常備してあるのですが、判別が出来ない現状では投与はさせていません」


 船長の判断は妥当だろう。
 自身も同じ立場なら同様の判断をしているだろうとルディアは思う。
 薬と毒薬は紙一重。
 症状が似ているとはいえ、もし違った場合は解毒薬を与えた影響でより深刻な事態を招きかねない。
 

「調べてみないとあたしからも何とも言えません。すぐに戻って来るんですか?」  


「いえ、倒れた者がマッパーだった事もあり安全のために先守船は灯台に停泊させ、本船が合流のために南323灯台へと向かっています。あと30分ほどで合流予定です」
 

「設置には十分か……船長さん。解析用の陣を設置したいので何処か開いている部屋はありませんか。できたら平面でそこそこ広さがあると助かるんですけど」


 ファンリアからは薬師として船に乗る事を条件に乗船賃をまけてもらっている。
 これも仕事の一つだとルディアは考えながら、解析用魔法陣制作に必要な図形と触媒を頭の中に思い浮かべる。


「それならここはどうでしょうか。今はただの船倉ですが元は簡易工房です。魔法陣設置設備もあったはずなので使用可能です。炉からも魔力を引く事が出来るはずです」

  
 卓の引き出しから船の見取り図を取りだした船長が最下層の一室を指さした。
 作成した陣への魔力供給が可能ならば、作成維持のために使う触媒の量はかなり減らす事ができる。
 勿論頼まれ事なので、使用した触媒代をファンリアか船長に請求可能だが使わないですむならそれに超した事はない。
 ルディアとしても異論はなく船長へ了承の返事を返しながら先ほどの会話を思いだす。
 操舵室へと来る途中に聞いた小型船が連続で姿を消したという話。
 それが件の遭難者と関係あるかは判らないが、どうにも厄介な事になりそうだと予感を覚えていた。



[22387] 剣士と薬師 ⑤
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 23:24
 ルディアの乗る中型砂船は大まかに前後と上下5層に分けられた構造の貨客船として使われている。
 最上層に操舵室及び見張り台等航行関連設備や、光球や防御結界などを発生させる魔法陣が刻まれた装甲に覆われた甲板。
 船首側前半分の最下層と下層には、砂船を浮かせるための転血炉等の動力機関が設置されている。
 中層と上層には砲台設置区画を改装した大型船倉。
 船尾側は上層、中層が客室や食堂等の客船区画となり、下層が船員室や食料庫。
 最下層は積み荷に合わせて室内調整が可能な中型、小型の船倉が連なる。
 乗員人数は交代要員と護衛である探索者を含め20人。乗客は最大で80人前後。
 設計が旧式といえる少し古い方の船なので、最新型と比べると性能は多少見劣りするが、元々は中級迷宮用の船であるので、比較的安全な特別区では十分な性能を持っていた。
 船長の言っていた旧簡易魔術工房は、現在は最下層にある中型倉庫の一つとして使われていた。

 
 
「積み荷の運び先は間違えるなよ! そっちは右隣の中倉庫へ! 大型は冷気対策した後は運び出さずにずらして中央を空けろ! 外扉から直接ここに運び入れるんだから、通路も忘れんようにな!」


「第4小倉庫に少し空きが出ました。中型木箱6はいけます」


「裏側もっと力入れろ!」


「この酔いどれ共! ちんたらしてると邪魔だよ!」


 積み荷の札を確認して、帳面に移動先や元位置を記載しながら指示を出すファンリアに、各倉庫の空き状況や積み荷の配置を変えて、何とか空きを作ろうとしていた若者が状況を伝える
 大木箱を何とか持ち上げて部屋の隅にずらそうとする男達の大半は赤ら顔だ。
 出航早々にやる事もないからと酒盛りでもはじめていたのだろうか。
 その横で大きな布袋を次々に手渡して運び出す女性陣が、情けない連れ合いに発破をかける。
 自室に魔法陣形成に必要な道具を取りに戻ったルディアが倉庫のある最下層へと降りてくると、低く重く響く転血炉の稼働音に混じって、ファンリア商隊の者達が騒がしいながらも、実にてきぱきとした動きで積み荷の運び出しをおこなっている所だった。


「すぐ場所を空けるから、すまないけどもう少し待ってもらえるかい」


 鞄を持ったルディアに気づいたファンリアが帳面から顔をあげて呼び止める。


「すみません助かります。でもそんなに場所は取りませんから、少し空けていただければ十分ですよ」


「あーそれがそうも行かなくてね。冷気に弱い商品があって外気が入ってくることも問題なんだが、それ以外にもちょっと厄介な物があるんでね」


 頭を下げ礼を述べたルディアは大事になっているように見えたので申し出てみたが、ファンリアはやんわりと断る。
 

「ここは簡易とはいえ元魔術工房だろ。魔力の漏洩対応処理が完璧なんで仕入れた魔力吸収特性を持った原料類を置いてあってね。お嬢さんの方もせっかく作った魔法陣がすぐに消失したら困るだろ。箱の方にも処理はしてあるが念には念をってことだよ」


 ルディアの表情に浮かんだ疑問に気づいたファンリアが荷札のチェックをしながらその理由を伝えてくる。 
 

「魔力吸収特性……カイナスの実とか、リドの粉末とかですか?リドの葉の香りがしますけど」


「お嬢さん良い鼻してるな。うちの女衆が運び出している大袋に乾燥リドが詰まってる」


 苦みが混じったような香りに覚えがあったルディアが問いかけると、ファンリアが軽く頷いて答える。
 ルディアがあげた二つは大陸南部の特定地域で採取される物で、砂漠の中継都市であるラズファンを経由して大陸中央の工房で精錬、そこから遠方へと運ばれていく輸出品の類だ。
 これらを特殊な方法で精製し純度を高める事で、より多くの魔力を吸収させ、魔力剣や魔具などに用いる素材へと加工する事になる。


「未精製なんで魔力吸収の力は弱いが量が量。しかもうちが直接取引する訳じゃないが、最終納品先がドワーフ王国エーグフォラン。職人気質のドワーフ相手に混じりの生半可な物を仕入れる訳にもいかなくてね」


「ご商売の邪魔するわけにもいきませんから大人しく待ってます」


 魔力吸収特性を持った物質は、一度魔力を吸収してしまうと再吸収は不可能な代物が多い。
 精錬し高純度魔力を吸収させれば高額で取引が出来るが、未精錬で弱い魔力しか含有していなければ途端に安値となる。
 だからこそ運搬には外部からの魔力を遮断する専用の箱や袋を用いるのが、最低限の備えとなっている。
 少量とはいえ船の炉から魔力を引いて解析魔法陣を展開しようというのだから、ファンリアの用心は当然の物だろう。
 説明に納得したルディアは、ずぶの素人が手を出しても荷運びの邪魔になるだろうと、数歩下がりその長身痩躯を壁に預け、運び出しが終わるのを待つことにした。
       





 倉庫の中心部分に立ったルディアは、鞄を置いて片膝を付くと床板を右手で撫でる。
 すぐに指先が僅かな取っ掛かりを探り当てた。
 指先に僅かな魔力を込めながら、船長から聞いていたリズムで軽く床板を4回叩くと、その部分の床板が僅かに沈み込んで横にずれる。
 掌ほどの大きさで開いた床の中には鈍く光る銀板が姿をみせた。
 模様にも見える彫り込みは魔力供給を司る術式を現している。
 これが船長の言っていた魔法陣設置用の設備だろう。 
 
 
「これがこうだから…………」


 彫り込みを指でなぞりながらそこに刻み込まれた術式を読み取り、自分が展開する魔法陣への魔力供給の手順をルディアは確認する。
 幾つもの国が滅び、多数の種族が壊滅に近い状態まで追い詰められた暗黒時代は膨大な負の遺産を今も残しているが、同時に幾つもの発展をもたらしていた。
 主立った物では異なる種族、異なる国の者達が共同戦線を張る為に新設された共通言語、物資のやり取りを迅速に行う為の共通貨幣。
 そして魔具分野の急速な進歩である。
 各系統の著名な魔術師達が幾人も集まった共同研究により、低位魔術や魔具の規格統一が行われており、船の炉から魔力を引くこの術式も共通術式として普及している物の一種だ。


「ちょっと薄めるか」


 思った通り使用に問題はないが、供給される魔力の量は思っていたよりも多い。
 これなら触媒を少し減らしたほうが、上手く作ることが出来るだろう。
 小さく呟いたルディアは鞄の中から、鮮やかな赤色の液体が少量と水が入った薬瓶を床に置く。
 次いで手提げの木箱を取り出して留め具を外して蓋を開く。
 木箱の中は三段に分かれ一段目と二段目はそれぞれが小さな枠で区切られている。
 枠には小袋に入れられた粉や小瓶の練り薬、丸薬が種類別に整頓され、制作日や購入日の印したメモが貼り付けてある。
 一番下の三段目には、計量用の器具がまるで新品のように磨かれて納められている。
 燃えるような赤毛で女性にしては長身の派手と目立つ外見ながらも、その中身は生真面目で几帳面なルディアの性格が判るような中身だ。
 まずは水が入った瓶の蓋を外すと水を計量瓶で計ってから細長い瓶へと移し、そこへ同じように計った赤い液体を少量足し入れる。
 木箱から丸薬を二種類取り出して瓶の中に入れ、煎った種子を磨り潰した黒い粉を指先の感覚で計り一つまみ。
 指で蓋をして瓶を軽く振って中身を混ぜると、丸薬と粉が液体の中に溶け込んでいき、赤から灰色へと色彩を変化させて、さらさらした中身が、どろっとした粘りのある物へとと変わった。。
 ルディアが作り出したのは術構成を手助けする触媒液だ。
 触媒を単体で使うよりも効率よく短時間で術を形成する事ができるが、その反面術に合わせた適正な触媒液を作るにはある程度の専門知識を求められる。
 もっとも薬師が本分であるルディアには、この程度はお手の物だ。
 右手の人差し指と中指を伸ばし指先で触媒液をすくい取ると、先ほど開いた穴を中心にして、指を筆代わりにルディアは大人の両手を広げたほどの大きさで円形の陣を描きはじめる。   


「手慣れたもんだなお嬢さん。絡み酒のクマを潰した手腕も見事だったがたいしたもんだ」


「親方勘弁してくれ。あん時は鬱憤が貯まってたんだよ。確かに一瞬で潰れたがよ」


 澱みのないルディアの手際を見たファンリアがタバコを吹かしながら褒める横で、醜態を思いだしたマークスが溜息を吐く。
 荷運びを終えたファンリア商会達の者は休憩をかねてか、倉庫の隅に集まってルディアの作業を見物している。
 見られているルディアとしては少しやりづらいのだが、娯楽の少ない航海中という事や同乗させてもらった恩義もあり仕方ないと諦めていた。


「そりゃ良い。うちの軟弱亭主が酒盛りをはじめたらお嬢さんに頼んでクマさんみたいに潰してもらおうかね。酒代が半分以下で済みそうだよ」


「ちょ! 母ちゃん。そいつは勘弁してくれ」


 マークスの言葉に恰幅の良い中年女性がしみじみと呟くと、大荷物を運んで疲れたのか横でへたれ込んでいた夫とおぼしき男性が情けない声をあげ、他の者達から笑い声が上がる。
 さっきの荷運びの時もそうだが、このファンリア商隊はそれぞれの仲がよく結束力も強く一種の家族のような関係を作っているようだ。
 気ままではあるが孤独な一人旅を続けるルディアはそれが多少羨ましく、故郷の家族や師の事が一瞬脳裏を掠める。
 早く工房を開く場所を決めて自分も腰を落ち着けるべきか。
 柄にもない事を考えながらもルディアの指は迷い無く陣を描いていき、一分ほどで陣を完成させる。
 立ち上がったルディアは触媒液の付いた指先をハンカチで拭い、広げていた道具類を片付けてからファンリア達の方へ振り向く。  
 

「完成したので試します。一瞬強く光りますから、直視しないように気をつけて下さい」


「はいよ。ほれお前ら目をそらしときな」 


 ファンリアが周りに注意を促して自らも吸いかけのタバコを携帯灰皿に仕舞ってから眼を細める。
 周囲の大半は顔を逸らしたが、ルディアの手腕に興味深げな幾人かは顔の前に手を掲げたり、ファンリアのように眼を細めている。
 術の続きを見物する気のようだ。


「お嬢さん。準備良しだ。ぱーっとやってくれ。かかった触媒や薬の代金はこっちに請求してくれていいからよ」


「助かります。実費にしておきますから」


 費用的にはたいした額ではないが持ってもらえるに超したことはない。
 ファンリアに軽く謝辞を述べてから、ルディアは陣に向き直ると一歩下がり左腰に下げた鞘から直両刃の短剣マンゴーシュを左手で引き抜く。
 籠状になったナックルガードには銀で作られた魔術文字の飾りが施され、柄頭には小振りの緑色の宝石が一つ。
 どちらも魔術補助の役割を持っており、防御短剣であり魔術師の杖でもある短剣は、旅に出る時にルディアが師から譲り受けた物だ。
 高名な刀匠の作ではないが良品でルディア自身との相性も良く、術の構成や維持をする際には心強い相棒といえるだろう。
 ルディアはゆっくり深く息を吸ってから左手の逆手で短剣を引き抜いて胸の前で構え、右手に印を作って柄頭の宝石へと指先で軽く触れ、いつも変わらない冷たく硬い石の感触を感じ取る。
 吸った息を今度はゆっくり長く吐き出しながら、緩やかに脈打つ己の心音へ意識を集中する。
 己の持つ生きる力【生命力】を魔術使用に適した形に変換する事で生まれる力こそが魔力である。
 魔力は心臓より生まれる。
 最初にルディアが師より授かった魔術師としての基礎。
 心臓で発生した魔力が血の流れに沿って全身に拡散し蓄積されていくイメージを描き出すと共に、ルディアの体内で魔力が急激に発生し高まっていく。
 高めた魔力を右手の指先へ。
 指先から柄の宝石に。
 宝石で属性変換された魔力が、ナックルガードに刻み込まれた魔術文字へと伝達され、術式を構成した文字が微かに光り出す。
 陣の起動に十分な魔力が貯まったことを経験で悟ったルディアは、短剣の切っ先を先ほど描いた陣の中央へと向ける。
 図形は正確に描き、十分かつ制御しやすい形で魔力は蓄積されている。
 この上で補助としての正式詠唱を行う必要はないだろう。
 強い光で目が眩まないように、軽く瞼を閉じてからルディアは簡易な命令を放つ。
 

「……起動」


 閉じた瞼の上からでも判る強い閃光が一瞬輝き、次いで薬品が焼ける微かな刺激臭が漂う。
 ルディアがゆっくりと瞼を開くと床へと目をやると、先ほどまではくすんだ灰色で描かれていた魔法陣が、深い緑色光を放っている。
 描いた図形や放つ光に異常は見られず、中心にある銀板からの魔力供給も問題無く追加の魔力を供給しなくても大丈夫なようだ。


「問題はなさそうかねお嬢さん?」


 ルディアがほっと一息を吐いた所で、その様子を見ていたファンリアが声をかけてくる。


「えぇ。無事完成です……といってもここまでは教えられた通りにやるだけですから。こっからです。解析して毒の判別。場合によっては解毒用に薬を作らないといけませんから」


 ここからが本番だとルディアは握ったままのマンゴーシュを鞘へと戻して意識を切り替える。
 この魔法陣で出来るのはあくまでも毒の解析だけ。
 解毒ができるわけではない。
 船長達の言っていた通りに大サソリの毒であるならば、解毒剤もあるとのことなので問題はないのだろうが違った場合はまた厄介な事になる。
 手足が麻痺したという船員。
 倒れていたという謎の人物。
 故郷を出てからいろいろな地方を周りつつ、時には薬師として旅費を稼いだりもしてきたが、こういった非常事態に遭遇するのは初のことだ。
 自分が柄にもなく緊張している。
 その事に気づいたルディアが小さく息を吐きだしながら呼吸を整えようとした所で、船倉全体が微かに揺れはじめた。
 
   
『先代。すぐに南323灯台に到着します。整備された港と違うので停船時に大きく揺れます。そちらの倉庫の扉は操舵室側で開けますので付近から離れていて下さい』


 船内側の扉付近に取り付けられた伝声管から船長の声が聞こえ、砂船が急速に速度を落としていく。
 それに平行して徐々に揺れが強くなっていき、ルディアは僅かに歩幅を広げて衝撃にそなえた。
 ファンリア達も床に直接座ったり、近くの壁に手をかけてバランスをとった体勢となっている。
 しばらくして船全体が一度大きく揺れてからようやく震動は収まる。
 倉庫に響いていた高稼働状態の転血炉の重低音も小さくなっていた。
 どうやら目的地である灯台近辺へと到着して完全に停船したようだ。


『扉を開けます。外気が入ってきますので防寒着を着用して下さい。先守船は扉直下にいますのですみませんが引き上げをお願いします』


 船長の指示にルディアは赤髪を纏めて羽織っていたマントの中にしまい込み、ボタンを留めて頭をすっぽりとフードで覆う。
 荷物の運び出しで薄着となっていたファンリア商隊の者たちも手近に置いていた防寒着を各々身につけると、引き上げロープや釣り下げ板の準備をしはじめる。
 完全停止状態から再始動する場合は、中型船ではどれだけ急いでも10分ほど必要になる。
 魔物避けの術が施された灯台近辺で、低危険度の特別区といえども、すぐに動け無い以上襲撃警戒を厳重にするに越したことはない。
 ただそちらの警戒にほぼ全ての船員や探索者を廻した為に、先守船から本船側へと倒れた探索者や意識を失っている救助者を引き上げる為の人手が足りなくなり、暇をしていたファンリア商隊の者達がその役目を引き受けていた。
  
       
「船長。準備ができたぜ」  
 
 
 老体ながらも自ら引き上げに加わるつもりなのか、作業用の手袋を身に着けたファンリアが伝声管越しに船長へ合図を送る。


『了解しました。開けます』


 搬入口の横に取り付けられた大きなベルが大きな音をたててがなり立てると共に、外気を隔てる為に二重となった厚い扉が左右に開き始めた。
 開いた隙間からは肌を切り裂くような冷気と共に、微かな明かりにキラキラと照らし出され細かな砂粒が倉庫の中へと吹き込んでくる。
 光を放つ灯台が近くにある為か、常世の砂漠においても満月の夜と同じくらいには明るい。
 

「一応カンテラを先端につけて降ろせ。負傷者かも知れないから高価な荷物を扱うつもりくらいに丁寧な作業でな」


「あいよ親方」


 ファンリアの指示に商隊の者達は各々答えると、慣れた手つきで扉近くの床や壁に埋め込まれていた滑車の着いたクレーンや留め具を引き出して、直下に止まっているであろう先守船へとロープで結んだ板を降ろしはじめる。
 てきぱきとした手際と連携の良さにルディアは手伝える事もなくただ見ているだけだ。


「……判ったまずは倒れていた奴からだな!…………右手が固まって柄から離れない? 判った気をつける! よし引き上げるぞ!」

 
 扉から外に顔を出して下の探索者と大声で手順を確認していたファンリアの息子だという中年男性が後ろの仲間に指示を出す。
 ガラガラと滑車が鳴り、釣り上げ用と予備兼姿勢補助用の2本のロープがゆっくりと引かれて救助者が乗せられた板が上がってくる。
 作業の邪魔にならないように気をつけながら、ルディアは扉に近寄ると僅かに顔を出して下へと目をやる。 
 板の上に仰向けに寝かされた人物は薄汚れた外套に身を包み意識がないのかぴくりとも動かない。
 その身体はまだ子供かも知れないと思うほどに小柄だ。
 右手には小さな体格にやけに不釣り合いな大きな柄が握られている。
 根元から折れているが、その柄の大きさや切断面からみても随分大きな刀身が付いていたようだ。
 先ほど確認していた右手に気をつけろとはこのことだろう。
 寒さで指が硬直して離れなかったのだろうか?
 完全に釣り上がった所で、鈎付き棒を持っていた商人が、器用に引っかけて船内へと板を引き入れる。
 近くで見ればやはり小柄なことがよく判る。
 ルディアが長身な事もあるがその背丈は半分ほどしか無いだろうが。
 外套から出ている砂にまみれたその手はほっそりとしていて女性的だ。
 接触した船員が倒れたと聞いているので、不用意に触れる事はできないが、フードに隠れた顔だけでも見ようかと、ルディアが近付いた所で大声が上がる。


「こ、の柄!? まさかあん時のガキか!?」


 声をあげたのはこの船にルディアが乗り込む事になった原因のマークスだ。
 救助者が握っていた剣の柄を見てかなり驚いているようで、唖然とした顔を浮かべている。
 後ろの方でロープを引いていたマークスからは、完全に引き上がるまで姿が見えなかったのだろう。


「マークスさん知り合いですか?」


 ルディアはマークスに問いかけて見たが驚愕しているのか反応はない。
 

「ほれ、お嬢さんがクマに散々聞かされた件の娘さんだよ……顔も間違いないな。まいったね。こりゃ」  


 固まっているマークスの代わりにファンリアが問いに答えると、素手で触れない為か、鈎棒を器用に使って倒れていた人物のフードを取り去り、素顔を確かめて小さく頷く。
 その顔はまだ幼さを色濃く残した10代前半の少女。
 青白い顔で少し吊り気味の目もとを、苦しそうに歪めていた。
 極寒の中に晒されて血の気が失せた唇の端は、僅かに切れて血が凍りついている。
 あまり手入れがされていないのか硬そうな長い黒髪は砂まみれだ。
 だがそんな状態でありながらもこの少女の素顔は人の目を引く所がある。
 

「この娘ですか…………大剣を軽々と扱ったっていう」


 散々聞かされた愚痴からルディアが想像していた姿は、子供と言っても、もっと荒んだ者であった。
 だが目の前に倒れているのは、同性であるルディアの目から見ても、紛れもなく美少女だと断言できる。
 そんな少女に対するルディアの第一印象は予想外。
 その一言に尽きる。
 その風貌もさることながら、まさかこんな状況で散々愚痴で聞かされた少女に会うことになるなどルディアは微塵も考えてはいなかった。



[22387] 剣士と薬師 ⑥
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/28 23:57
 凍てつくような寒さを運ぶ風にはリトラセ砂漠北部特有の細かな砂の粒子が混じる。
 そんなリトラセ砂漠を旅する者は防寒と砂よけをかねて、肌の露出を減らした厚着の上に全身を分厚い外套で覆うのが昔からの習わしだ。
 それは旅人達の移動手段が徒歩や騎乗生物から、防砂防寒対策の施された砂船となった今でも変わらない。
 特に先行偵察を行う先守船に乗り込む者には、未だに必須といえるだろう。
 先守船は役目の性質上、索敵地形確認を行いやすくする視界の確保と迅速な戦闘移行のために、小型水上船と同様のサイズで、屋根のないむき出しの構造となっている。
 そんな典型的な先守船の舳先に立ち、これまた典型的な分厚い外套に身をくるむ二十をすぎたばかりの若い男性探索者は、頭上で行われる母船への収容作業を見守りながら周辺警戒を行っていた。 
 僅かに青白い肌の右手には鋭い穂先を持つ長槍。
 背中からはコウモリのような形の翼が突き出ていた。
 高魔力地帯に適応進化した人種の出身。俗に魔族と呼ばれる種族の青年だ。


「いつもなら母船が見えると安心できるけど今日は不安しかねぇな。手早く頼むぜ」


 寒さが堪えるのか身体を小刻みに揺らしながら、若者が祈るような言葉を発する。
 小さな先守船を木の葉一枚だと例えれば、母船である貨客砂船は中型と言ってもそれこそ巨木だ。
 船体の中ほどに開かれた下部倉庫への搬入口からは滑車が姿を見せ、遭難者を乗せた吊り板がゆっくりと持ち上げられている。
 分厚い砂の幕に閉ざされ暗闇と極寒が支配する木田リトラセ砂漠迷宮群においては、その城塞のような巨体は頼もしい限りだ……普段ならば。
 異常を知らせる灯台で発見した遭難者。
 遭難者をかつきあげて船まで運んだ後に倒れてしまった幼馴染みのパーティーメンバー。
 砂漠内では襲撃を避けるために、本来は昼夜を問わず走り続ける母船の完全停泊。
 こうも立て続けに想定外の事態が起きたとなると、この先もまだ何かあるかもしれないと警戒して彼が不安を覚えるのも止む得ないだろう。


「あの子は特に問題無く収容完了」

 
 搬入口の前に吊り板が届いた所で、中から鈎棒が出てきて吊り板を手早く収納され始めると、船体中央で下から指示を出していた女性が安堵の息を漏らす。
 先端に女性的なデザインの施された飾りを持つ身の丈ほどの長い魔術杖を背負った典型的な魔導師スタイル。
 こちらも防寒用のぶ厚い外套を纏っているが、声の感じからまだ年若い事が判る。
 おそらく青年と同年代。もしくは少し下だろうか。


「ご苦労さん。お嬢。ボイドの固定は大丈夫か? 手足が麻痺してるからちゃんと固定してあるよな」 

 
 青年は問いかけながら女性の方を見る。
 視線の先には先ほど遭難者をつり上げたのと同じ吊り板がもう一枚あり、その上には重鎧の上に、同じく外套を纏った大柄の男性探索者が寝かされロープで固定されている。
 彼が前衛を務めるパーティリーダー兼マッパーのボイド。
 魔族出身の魔術戦士で哨戒役のヴィオン。
 そしてボイドの妹である魔術師兼先守船の操舵士であるセラ。
 この3人の下級探索者達が貨客砂船護衛探索者Bチームとなる。
 彼等は護衛ギルドに所属し、同じく前衛後衛三人で構成された同ギルド所属のA、Cの三チームでの八時間交替での護衛任務へとついていた。
  

「問題ないない。大丈夫ちゃんと縛ってあるから。まぁったく探索者なら用心深く慎重に行動しろっていつも口うるさい癖に、遭難者に迂闊に触れて倒れましたって笑えないっての馬鹿兄貴」


 痺れて動けないボイドの身体を、杖で突きながらセラはわざとらしく溜息を吐いた。
 

「うっせぇ愚妹。目の前で女子供が倒れてたら無条件で助けるってのが人情って奴だろうが」

 
 ボイドはフードの奥から妹をぎらりと睨む。
 言葉の呂律ははっきりとしており、痺れているのは末端の手足だけで済んだのは不幸中の幸いだ


「はいはい。そう言う台詞は妹の手を煩わせて無いときに言ってよね」


 前衛専門であるボイドがまともに動けない状況で、さらに意識のない遭難者を抱えて特別区とはいえ迷宮内で立ち往生。
 船を寄せていた灯台に魔物避けの簡易結界が施してあると言っても、その周辺に砂漠の魔物が絶対に出ないというわけでもない。
 張り詰めていた気をようやく弛めることが出来たセラの声には多少の疲れが混じっていた。


「そこまで二人とも兄妹喧嘩は後にしとけ。今は仕事なんだからよ……よしAとCの連中も配置完了したみたいだな」


 いつものじゃれ合いに近い口げんかを始めた兄妹に呆れ顔を浮かべていたヴィオンは、他の護衛チームが船体周囲に展開を終えたとの通信を聞いて、長槍を肩に担ぎ直した。


「お嬢ここは任せる。本船の結界もあるしミッド達もいるから大丈夫だろ。俺は灯台岩の周辺をざっと見てくる。他の遭難者が近くにいるかも知れないからな」


 いつまでも危険な迷宮内で本船を停泊させているわけにはいかない。
 周囲を探索し他の遭難者を捜す事ができる時間は、ボイドの収容が終わり本船が動き出すまでのごく僅かしかない。


「ヴィオン。わりぃ。あの子の握っていた剣の本来の持ち主を見つけてやってくれ」


「気をつけて。難破した砂船が近くに有るかもしれないから、砂山の影とかも確認してみて。それと探しすぎ注意よ。ここから離れる前に光球を上空に上げて知らせるからすぐに戻ってきなさいよ」


 助けた少女がきつく握りしめていた柄は大剣の物だ。
 折れた刀身がどのくらいの大きさだったかも想像するのは容易い。
 常識で考えればそんな大剣をあんな小さな少女が使うわけもない。
 だとすれば本来の持ち主がいるはずだ。
 気を失っていても手放さないほどに強く握り締めているのだから、よほどの思い入れがあるのだろう。
 ひょっとしたら少女の肉親なのかも知れない。
 この常夜の砂漠を移動するなら、探索者ならともかく旅人が砂船を使うのが昨今の常識。
 おそらく事故か襲撃で砂船を放棄せざるえなかったのだろう。
 そして外見から見てもまだ10代前半。下手すれば一桁台の少女が歩ける距離などたかが知れている。
 セラの言うとおり、動けなくなった船が近くに有る可能性は高い。
 なぜ少女がたった一人で灯台に倒れていたのか疑問も残るが、探してみることは無駄ではないはずだ。


「おう。ざっと見てくる」


 左手をあげて二人達に答えると、凍てつく冷気で固まっていた背中の翼を一度動かし積もっていた砂を振り落とす。
 背中の翼へ魔力を込めてから軽く船体を蹴ると、翼の持つ魔術特性『浮遊』が発動し、ヴィオンの身体は音もなく宙に浮かんでいく。
 途中で先ほど回収されたばかりの少女を中心に人だかりができ、ざわめきが起きている搬入口の横を通り過ぎる。
 一瞬で通り過ぎた為に何を騒いでいたのかはよくは判らなかったが、あのざわめきはまさかあそこまで幼い子供だと思っていなかった事で起きたのだろうか。 

 
「驚いてるな。まだ小さな子だもんな……まずは、灯台岩の周りをぐるりと飛んでみるか」


 あっという間に本船の見張り台よりもさらに高い位置へと浮かび上がったヴィオンは、上空からざっと周囲を見回して探索範囲の見当をつける。
 ついで左手で魔術触媒である黒い小石を懐から取り出し、鋭く細い口笛のような短縮詠唱を鳴らす。
 左手の小石が砕け散って砂へと変わると同時に、ヴィオンの周囲で強い風が巻き起こりその背中を押し始めた。
 空中高速移動を可能とする高位魔術と違い、浮遊はただその場でぷかぷかと浮かび上がる事しかできない。
 だがこれに風系の魔術を組み合わせることで、自由自在にとまでは行かなくとも、帆に風を受けて奔る帆船のように動ける。
 魔術の組み合わせとしてはオーソドックスな合わせ技だ。
 もっとも異なる系統の魔術を同時に操るには、それなりの修練が必要となるので、そこそこに難度は高い。
 だがヴィオン達のような稀少特性、翼のある魔族や翼人達。翼その物が魔具のような種族は別だ。
 僅かな魔力を翼に通すだけで浮遊が発動させることが出来るので、比較的楽に空中移動を可能としていた。







 

「ちっ……砂に足を取られないのは良いがやっぱ見えづらいな。だからって光球をばらまくと余分な物も呼び寄せるかも知れねぇしな。灯台の灯りがあるのが唯一の救いか」


 空を飛びながらヴィオンは小さく舌を打つ。
 短時間で少しでも探せる範囲を広くする為には、なるべく高い位置を飛ぶしかないが、この暗がりの中で地上の痕跡を発見するのは容易ではない。
 それに北リトラセ砂漠のモンスターはその大半が地上や地下を住処とするが、空を活動の場とする物も僅かにいる。
 そして砂漠特有の起伏に富んだ地形は、幾つも大きな影を作り出し見通しを悪くしている。
 大型の砂船であれば発見も用意ではあるが、あの少女の乗っていた船が、小型であれば見落とす可能性は高い。
 灯台の設置された岩場を中心にしてゆっくりと飛び、上空からの襲撃を警戒しながら、灯台からの僅かな灯りを頼りにヴィオンは真っ暗な地上へと目をこらしていく。
 だが見通せる範囲内に動く人影や砂船らしき形を発見することが出来ない。
 なにも発見出来ないままヴィオンは灯台岩を半周して、本船が停泊している反対側へと出てしまう。
 残り半周でもなにも発見が出来なければもう少し範囲を広げてみるべきか?
 まだ本船が動き出すまでは時間はあるはずだ。
 
 
「まだ動き出してないよな…………ん。あれは?」

 
 セラからの合図が無いことを確認する為に振り返ろうとしたヴィオンは、違和感を覚えてその場で止まる。
 暗がりとなっていた為に判りづらいが、灯台岩から少し離れた結界を構成する為の子岩で何かが光っていた。
 何らかの手がかりになるかと、先ほどとは違う触媒を一つ取り出して、再度口笛のような短縮詠唱を唱える。
 ヴィオンが術で呼び出したのは小さな光球だ。
 それを何かが光った位置へと放り投げる。
 淡い光に浮かびあがったのは、白くぶよぶよしたミミズのような形の長い身体を持つモンスターだ。
 しかしその大きさはミミズなどとは比較にならない。


「ありゃサンドワームか?」


 ヴィオン達の乗る先守船すらも一飲みにする事が出来そうな巨大な口蓋に、巨木のような太い胴体。
 ここ北リトラセ砂漠特別区に君臨するサンドワームだ。
 だがこの大きさでも、これは幼生体に過ぎない。
 老体まで成長すれば街一つを飲み込んでしまうほどまでに巨大化し、大陸の地下に広がる迷宮を拡張、再建、改造していく代表的な迷宮モンスターになる。
 そんな巨大なサンドワームが、まるで昆虫採集された虫のように岩壁に縫い止められて息絶えていた。
 ヴィオンは下降して岩へと近付いてみる。
 サンドワームが縫い付けられた岩はよほど強い衝撃が加わったのか、全体に細かいヒビが入っている。
 ぐちゃぐちゃに砕けたサンドワームの頭部には折れた大剣が一本突き刺さったままで、さらには腹が切り開かれていた。
 刀身だけが残り、周囲には柄は姿形もない。
 その折れ口は先ほど助けた少女が強く握っていた柄の折れ口とそっくりだ。
 おそらく両者はピタリと合わさるだろう。
 そしてサンドワームの下には巨大な何かを引き摺ったような線が色濃く残っていた。
 その線を目で追ってみると、途中で途切れておりそこには何かを引き抜いたようなくぼみが出来ていた。
 状況から素直に予測すれば、強烈無比な突きでサンドワームの頭部を貫き、勢いそのままに砂地から引き抜いただけでは飽きたらず、そのままの勢いで壁に打ち付けた。
 

「……おいおい。どれだけ力任せだよ」


 思わず湧いた自らの想像に、呆れが混じった感想がヴィオンの口から思わず漏れる。
 さすがにそれは無茶すぎる。
 どれだけの力があれば、こんな芸当を可能とするのだろうか。 
 力業が得意なボイドでもこの足場が悪い砂漠において、能力開放状態は別としてもこれほどの膂力を発揮できるかは微妙だ。
 それ以前にこのサンドワーム相手に、近接戦で挑もうと思う事自体が間違いといって良いだろう。
 弾力性の高い肉体は生半可な斬撃を軽く受け止める。
 巨体にもかかわらず高い敏捷性と砂の下を自由に動ける特性。
 自然とこちらの攻撃機会は少なくなるサンドワーム相手の戦闘は距離をとりつつ、顔を出した所で遠距離攻撃がセオリー。
 そうでなければ逃げの一手がもっとも無難な選択肢になる。
 周囲には矢等の飛び道具や、魔術が使われた跡を見る事はできない。
 この剣士は近接戦闘で倒しきるのは難しいサンドワームを剣一本で倒しきったというのだろうか?
 
 
「と、感心してる場合じゃないな。まだ砂に跡が残ってるって事はこれやった奴が近くにいるか」


 どんな人物だろうかと想像を始めようとしていたヴィオンだったが、探索が先だと思考を打ち切る。
 リトラセ砂漠の砂は細かい。
 僅かな風でその形をすぐに変えてしまう砂漠に、ここまでくっきりと虫を引き抜いた跡が残っているということは、まだ戦闘が行われてからそう時間は経っていないはずだ。
 この周囲を地上から探した方が見つけやすいかも知れない。
 翼に込める魔力を減少させてヴィオンは一気に下降する。


 ――シャリ


 砂漠に降り立ったヴィオンの足下で軽い抵抗と共に、まるで冬場に霜を踏んだかのような音が一瞬だけ鳴り響く。
 違和感に膝を着いて足下の砂を掬ったヴィオンは、フードの奥で眉を顰める。
 本来はさらさらと手からこぼれ落ちるはずの砂が掴めてしまう。
 表面の僅か下。極浅い部分だけが、どうやら水分を含み凍りついているようだ。
 その上下は本来のさらさらとした砂地のままだ。
 二、三歩歩いてみると同じように軽い抵抗と共に氷を踏み抜く音が響く。


「なんでこんな所で……この辺り一面そうなのか」


 表面を普通の砂が覆っているので気づかなかったが、凍りついているのはヴィオンがたまたま降り立ったここだけではなさそうだ。
 新たに砂が覆っているということは戦闘が行われてからはそれなりに時間が経っているはずだ。


「跡が残っているのは時間が経ってないからじゃなくて、凍って形が崩れなかっただけ……っ!?」

 
 どうするべきかと考えていたヴィオンは氷が割れる僅かな音に気づく。
 本能がならす警鐘に従いヴィオンは、翼に魔力を込めて一気に空中に飛び上がる。
 ヴィオンの身体が地から離れたその刹那、先ほど立っていた場所が盛り上がり巨大な何かが姿を現した。
 光球の灯りにうっすらと浮かび上がったのは、白い頭部と固い岩盤を容易く砕くぶ厚く頑丈な放射状の歯。
 

「別口のサンドワームか!」


 崩れてた体勢を空中で直しながら、ヴィオンは右手で槍を握り左手を外套の中に突っ込む。
 砂漠を行き交う商船護衛で幾度も戦闘経験のあるサンドワームだ。
 次に何を繰り出してくるかなど予想するのは容易い。
 ヴィオンが取り出したのは鉄のような硬い鱗をもつ剣魚の牙。


「ファルンの牙よ! 壁となれ!」


 魔術触媒を左手に構えたヴィオンの口から簡易詠唱が放たれると同時に、サンドワームの口蓋から空中を飛ぶヴィオンに向かって圧縮された砂の固まりが撃ち出された。
 元が砂といえど硬く固められた硬度と勢いは、鉄の砲弾が飛んでくるのとさほど変わらない。
 まともに当たれば骨は砕け肉は引きちぎれる。
 しかしヴィオンの術発動が、ほんの一瞬勝る。
 間一髪ヴィオンの目の前に薄い白銀色の六角状の幕が広がって、寒気を覚える勢いで迫っていた砂弾を受け止めた。
 幕にぶち当たった砂弾は弾け飛びヴィオンの周囲に渦巻く風に乗って漂いはじめる
 。漂う砂は、外套から飛び出てむき出しになったヴィオンの翼にも纏わり付いてくる。
 砂弾を受け止めてみせたのは、ヴィオンが唱えた剣魚の牙を触媒として発動した魔術盾だ。
 魔力で作られた盾は打ち消し合う為に魔力攻撃には弱いが、物理攻撃に対しては極めて有効的な術。
 そしてサンドワームの砂弾は硬さと勢いは砂船の装甲版を貫くほど強力だが、魔力を持たない。
 サンドワームからの攻撃を受け止めつつ、長槍に風を纏わせた遠距離攻撃で仕留めるのがヴィオンのいつものやり方だ。


「なっ!?」


 だが今回は勝手が違った。
 砂弾を受け止めた魔術盾が魔力攻撃を受けかき消された時のように、音も無く消失していく。
 ヴィオンの顔と驚愕の色が浮かぶ。
 砂弾の一撃で魔術盾が消失したことなどこれまではなかった。
 狼狽しながらも、ヴィオンは状況を手早く判断する。
 術の詠唱に間違いはない。
 触媒も管理協会公認の工房で作られた高信頼度の物。
 術は完全に発動していた。
 そうなればサンドワームの吐き出した砂弾を疑うしかない。
 迷宮モンスターは常に同じ能力を持っているわけではない。
 個体が突然変異で特異能力を持つこともあれば、種族その物が進化しまったく違う特性を持つ事もざらにある。
 サンドワームが魔力を持つ攻撃を繰り出したとしてもおかしくない。
 明確な確信は持てないが、いつもとは違う相手の攻撃に策もなく挑もうと思うほど、ヴィオンは無謀ではない。
 だが逃げるわけにも行かない。
 攻撃の質も見極めないまま、このまま本船に戻る選択は有り得ないからだ。
 ヴィオンの作りだした魔術盾とは規模も出力も違うが、本船の防御結界も同様に魔力を用いた術。
 万が一だがかき消されないとも限らない。
 幸いサンドワームの敏捷性は、砂から飛び出てから砂弾を吐き出すまでの時間から見て、いつもとさほど変わらない。 
 ここは距離をとりながら砂弾を回避。
 サンドワームが何をしたのか見極めるべきだ。


「嫌な予感が当たりやがったか! っっておい!」


 背中の翼にさらに魔力を込めて高く飛び上がり距離をとろうとし、またも驚きの声をあげる事になった。
 翼に思うように魔力が込められない。
 ヴィオンにとって翼は生まれたときからある物。手足を動かすのと同じくらいの気安い感覚で魔力を通すなど造作もないはずだ。
 だが今は違う。魔力を送りこんでも翼に貯まっていかない。魔力が送れていないのではない。
 まるで穴の空いた桶に水を汲んでいるかのように、翼に留まるはずの魔力が外に抜けていく。
 
 
「ちっ! マジか!?」


 立て続けに想定外の事態が続きヴィオンは悪態を吐く。
 このままではすぐに魔力は尽き浮遊の効果は切れてしまう。力を失えばあとは地上に叩きつけられるだけ。
 いくら下が柔らかい砂地とはいえ、この高さから落ちたのではダメージは免れない。
 絶対的な有利である空中を即座に捨てる決断をしたヴィオンは地上にむけて一気に降下した。   



[22387] 剣士と薬師 ⑦
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/29 00:46
 二人目がつり上げられてすぐに搬入口の扉が閉められ凍てつく外気が遮断される。
 同時に操舵室に収容完了の連絡が伝わり、待機状態だった転血炉が出力を上げ始めて、再出航の準備が始められていく。
 このまま何事もなく無事に動き出せば良いのだがと皆が思う中、備え付けられた温度調整装置が冷え切った船倉に温かい風を送り始める。


「始めます」


 ぼんやりと光る解析用の魔法陣の上に、外套を身につけた少女が横たわったままの吊り上げ板が静かに置かれていた。
 薄汚れた外套を着込んだその身体は、まだ小さく幼い子供にしか見えない。
 その右手には不釣り合いな大きな折れた剣の柄。
 少女の意識はほとんど無いというのに、その手は柄をきつく握り大人の力でも引きはがすことができない。
 見た目からは想像できないほどの膂力を有しているのだろうか?
 剣を握ったままなので外套を脱がすことが出来ず、その上に毒を帯びているかも知れない少女の身体に迂闊に触れる事もできず、傷があるか確認する事も出来ず、とりあえずはこのまま診断するしかなかった。
 解析陣の前に立つルディアは指を一つ打ち鳴らす。
 大抵の魔術師は、魔術を操る際のキーワードとなる特定の簡易動作を持つ。
 ルディアのそれは、指を打ち鳴らす動作だ。
 魔法陣が淡く放つ光が一瞬だけ強まり、横たわっていた少女の身体が光に包まれた。
 解析の魔法陣は毒の有無や種別判断に用いられる低位の術。
 毒の反応があれば目に見える形として煙となり結果を示す。
 毒の強さは色と濃さで表される。弱ければ緑色。対象者に含まれる毒素が強まるほどに徐々に煙は色と濃度を増しつつ黄、赤へと変化し、致死量になれば黒へと変わる。
 解析陣が放つ光が収まると、少女の身体から、すぐに煙が浮かび上がってきた。
 煙は赤と黄の二種。ほぼ全身を覆っていた。
 赤くなっている部分は二カ所。一つは胸の上。胃の辺りだろうか。もう一カ所は左手。
 あとは煙が全く発生しない右腕を除いて、全身を同じ濃さの黄色の煙が覆っている


「…………」


 解析結果を見たルディアは無言のまま口元に手を当てて、僅かに眉を顰め困惑の色を浮かべる。
 このような不可思議な結果が出たのはこれが初めてだ。


「姉ちゃん。クソガキの状態はどうなんだ? そんなにまずいのか」


 黙り込んでしまったルディアの様子に、背後に立っていたマークスが不安を覚えたのか少女の安否を尋ねてくる。
 厳つい外見のわりにはマークスは人が良い部分があるのか、散々やり込められたクソガキと呼びながらも、その表情は少女の安否を心配しているのがよく判る。
 

「たぶん大丈夫……だと思います。毒が全身に廻ってはいますけど命に別状はないかと。ただ変なんです」


「変ってのは?」


「赤くなっている部分が毒の濃い場所。これが2カ所です。左手と胸の部分。ここから体内に毒が回ったっていうなら濃いのも判るんですけど、他の部分が均一すぎるんです。通常なら血液の流れに沿って広がっていくから、接触部分から離れれば徐々に薄くなっていくはずです……それに右腕だけまったく毒に犯されてないってのが」


 どうにも不気味な予感をルディアは感じ取る。
 ほぼ全身に毒が広がっているが、その所為で毒素は各臓器に致命的な症状を与える致死量には到らない程度に薄まっている。
 そして右腕だけは麻痺性の毒の影響を一切受けず、剣を強く握れる状態を辛うじて維持している。
 ルディアの知る毒物知識の常識では考えられない少女の状態。
 未知の毒物とは思いにくい。
 誰かが人為的にこの状態を作り出したと判断するのが妥当だろうか。
 誰かがこの少女に治癒を施したのか……それとも。
 しかしいくら思考しても、ルディアにとって未知の答えが得られるわけではない。
 仮説を立てるのが精々だ。
 それよりも今は優先すべき事がある。


「とにかく治癒を先に行います。毒の特定をします」


 口元に当てていた手を離してルディアが再度指を打ち鳴らすと、今度は魔法陣が激しい勢いで点滅を繰り返していく。
 既存の毒物であればさほど時間もおかず魔法陣が特定し、未知の毒物であっても類似した物を提示してくる。
 後は解析結果に合わせて解毒薬を製作すればいい。
 ルディアの師であれば、一瞬で特定し治癒も同時に行う高位解毒魔法陣を製作できるのだが、独り立ちしたとはいえルディアもまだ新米薬師でしかなかった。


「毒が大サソリの物ならすぐに血清を打ちます。他でも低度な毒物なら薬は調合できます。私の手に余る物でなければ良いんですけど……クライシスさんでしたっけ? この子の身体のどこに触れたか覚えていますか。触れた部分が強く痺れるとかあれば」


 特定が出来るまでは僅かだが時間は空く。
 今のうちにもう一人の患者の状態も把握しておくべきだろうと、少女の後に引き上げられた護衛の探索者へとルディアは目をむける。


「触った場所か……呼吸を確かめる為に触った顔だな。剣をはがそうとした右手と、脈を診た左手は素手で触ったな。後は肩に担ぎ上げた時の腹の部分やらいろいろだ。正直どこって聞かれても答えようがねぇ。俺の痺れの方は末端の四肢だ。無理すりゃ動けるけど力が入らない感じだ」


 自分は症状は軽いから後で良いと断っていたボイド・クライシスは横になったまますぐに答える。
 こちらは少女とは違い意識もはっきりしており受け答えも普通にできる。
 

「何か変な所とかありました?」


「変といってもな……そういや顔なんかは氷みたいに冷たくなっていたのに、脈を確かめた左手だけは妙に温かったか。汗ばんでいるみたいに少しだけ濡れていた」

   
 反応が濃くなっている部分である左手がおかしかったと聞き、何気なく少女の左手に目をむけたルディアはすぐに違和感に気づく。
 先ほどよりも左手の煙の色が赤黒くなっている気がしたのだ。
 少女の左手へ目をこらししばらく観察した結果、それは気のせいではないとルディアはすぐに結論づける。
 ルディアが観察している間も、その左手から浮き上がる煙はけばけばしい赤から黒みをました不気味な色へと目に見えて変化していく。


「毒が強まっている……わけじゃなさそうね」


 船倉内が暖まってきたことで毒が活性化したかと一瞬疑ったルディアだったが、すぐにそれを否定する。
 左手の煙が色を増すに従い、全身を覆う黄色い煙が僅かずつだが薄くなり始めている。
 それだけではない薄目の防寒用手袋で覆われた左手が水に濡れたかのようにうっすらと滲み、青白かった顔には血色が戻り始め、苦しげだった呼吸も安定していく。
 少女の変化にルディアの周囲で経過を見守っていたファンリア商隊の者達も気づきざわつき始める。
 何が起きているのかは判らずとも、ルディアの表情や雰囲気から通常では有り得ないことが起きている事に気づいたのだろう。


「お嬢さん……こいつは?」


 ファンリアの声にも不審げな成分が強く混ざる。
 ルディアはまだ治癒を施していないというのに、少女の顔色や呼吸から見ても、どう見ても急速に回復し始めているようにしか見えない。
 

「仮定なんですけど……この子自身が毒を左手から無理矢理体外に排出しているとしか」


 ルディアは少女の左手を指さす。
 左手を覆う手袋は表面から水滴が滴り落ちるほどに濡れ始めていた。
 全身に回っていた毒を左手へと集中させ、一気に排出し始めているとしか見えないのだ。
 

「はぁっ!? そんな事出来るのか?」


「おいおい。ってことは左手のそれは毒かい?」


 自信なさげにルディアが答えると、ファンリアやマークス達が唖然とした表情を浮かべる。
 身体を活性化させて毒を体外に排出する。それ自体は不可能ではない。ルディアも知識として知っている。
 だがそれほどの高度な肉体操作を行える者は極限られている。
 竜種などの上位怪物種。
 もしくは肉体操作に特化した力である所謂闘気を操れる者。
 それもよほどの熟練者が使う高位技法しか思いつかない。
 そんな事を人間種にしか見えず、まだ幼いといえる少女が行えるのだろうか。
 しかも意識がほぼ無い状態でだ。
 ルディアの理性はそれに否と即答で返してくる。
 それがルディアの知る常識。薬師としての当たり前の世界というものだ。
 だがそのような当たり前の常識をあざ笑うかのように、少女の身体からは現実に急速に毒が抜けていた。


「……結果が出ました。やはり大サソリの毒みたいです」


 驚愕を覚えている間も解析を続けていた魔法陣が、結果を知らせる浮かびあがらせた。
 その結果は予想通り砂漠に生息する大サソリの毒もしくは類似した毒素。
 これならば砂船に備え付けの血清で十分事足りるだろう。


「強制毒排出か。何者だこのお嬢ちゃん。まさか上級探索者か?」


 探索者であるボイドは技のことを知っているのか、他に比べて多少驚きの色は少ない。
 最高位の探索者。上級探索者。
 数多の迷宮を踏破し、神の恩恵『天恵』を幾つも得た彼等は超常の力を有すると同時に、不老長寿の存在となる。
 中には見た目が20代でありながらも、既に数百年近く生きている人間種も存在するという。
 見た目が幼く見えるだけで、この少女もその一人なのだろうかとボイドは疑問を口にする。


「否それはないだろうよ。こんだけ見た目の若い上級探索者がいれば存在が広まってるはずだ。だが眉唾な与太話以外じゃ俺も聞いたことがねぇな……少なくとも普通じゃないのは間違いないがね」


 だがファンリアがすぐに否定する。
 見た目が子供の上級探索者。
 これほど特異な探索者がいれば、交易商人として大陸中の情報を集めているファンリアの耳に入ってこないはずがない。


「私もファンリアさんと同意見です。私は上級探索者を直接は知りませんが、師から大サソリ程度の毒ならば、上級探索者と呼ばれる者達は無効化、吸収するのが当たり前と聞いています。この子の場合一応は影響を受けているようですから……正直黙って見ていた方が良いのか、血清を打った方が良いのかも判りません」


 普通の者であれば大サソリの毒は命に関わるほどだろうが、探索者達は違う。
 その身に宿した天恵が、彼等の基礎能力を底上げし通常では有り得ないほど強靱な肉体を作り上げる。
 現にボイドが良い例だろう。
 おそらく彼も少女を通して大サソリの毒に蝕まれているはずだが、受け答えが出来る程度の影響しか受けていない。
 一方で少女は意識をほぼ失っている。
 毒の量が多いのかも知れないが、それでもただの大サソリの毒だ。
 噂に聞く上級探索者と考えるのは難しい。
 しかし少女が一体何者かと問われたとしても、答えは浮かんでこない。
 ルディアにとって未知の存在としか言うしかなかった。
 判断が付かずルディアは口元に手を当て思わず爪を噛む。
 悪癖だとは判っているが、どうにも行き詰まった時に出るルディアの癖だった。 

 
「何者かは後で確認するとしてだお嬢さん。こちらのお嬢ちゃんの意識はすぐに戻りそうなのかい?」


 考えあぐねているルディアの様子を見かねたのか、ファンリアが助け船を出してくる。


「確約は出来ませんけどたぶんす……」


 ――バンッ! 


 ファンリアの問いかけに答えようとしたルディアの言葉は、突如響いた破砕音、次いで起きた砂船全体を揺らす震動で遮られる。
 急な震動にバランスを崩したルディアはたたらを踏み、長身痩躯が祟りそのまま強く尻餅を打つことになる。
 

「っぅ……今度は何?! くっ!?」


 痛む尾てい骨を擦りながらルディアは身を起こそうとしてまたも響く振動に転びそうになり慌てて膝をつく。
 破砕音は連続して鳴り響き船全体を揺らしつづけ、立ち上がることもままならない。
  
 
「船長! 何があった!?」


 続く震動の中を踏ん張って堪えていたファンリアが、震動が一瞬だけでも収まったとみるや老体とは思えない機敏な動きで伝声管へと飛びつく。


『サンドワームの砂弾です! 防御結界で防いでいますが、着弾箇所から出力が急激に低下して結界が相次いで消失! 直撃を受けています! 護衛探索者にガードさせていますが砂弾の数が多く手一杯です!』


『……転血炉……最大まで……結界維持を最優先! ……』


 早口で答える船長の声に混じり、機関士とおぼしき船員の怒鳴り声が聞こえてくる。
 切羽詰まった声が事態の緊急性を嫌が上でも認識させる。


「結界消失っておい! 大丈夫なのか?」


「親父! ここもやばいんじゃないか! 搬入口だから装甲が薄いぞ!」


 元中級迷宮用拠点船である砂船の防御結界は、特別区においては破格とも言える防御力を有している。
 その事はこの貨客船を馴染みの船としてよく利用するファンリア商隊の者達もよく知ることだ。
 現に今までは襲撃があったとしても船体が直接被害を受けたことは皆無だ。
 だがそれは防御結界があってのこと。素の装甲は最新型に比べて弱く、さらに搬入口がある分防御能力が弱い。
 不測の事態に動揺が広まりかけた中、鋭い声が響く。
  
 
「落ち着け!」


 声の主はファンリアだ。
 普段の飄々とした老商人としての表情は消え失せて、幾多の修羅場を抜けてきた交易商人としての一面が顔を覗かせる。


「船長! 俺等が直衛に出るから、護衛の探索者達は迎撃に出してくれ! 若い連中は女子供を船体中央に避難させろ! クマ! 目眩ましでも威嚇武器でもいいから在庫から引っ張り出してこい! サンドワームを追い払うぞ!」


 矢継ぎ早にファンリアが指示を下すと、浮き足立っていた者達の動揺が一気に収まった。
 ファンリアが商隊長としてどれほど信頼されているのかよく判る光景だ。
 次いでファンリアは未だ座り込んだままのルディアへと目をむける。


「お嬢さんはボイドの兄さんの毒を抜いてくれ! その兄さんは強いんでな! 出てくれればなんとでもなる! ……それとも腰が抜けてるなら手を貸すがね」


 にやりと笑う顔には動揺の色は微塵の欠片もなく、絶対に何とかなると雄弁に物語っている。
 ならばルディアとていつまでも動揺して倒れ込んでいるわけにもいかない。
 戦闘は向いていないが自分にやれることをやるだけだ。
 ルディアは倒れ込んだときについた埃を払いながら立ち上がると鞄を手に取り、
 
 
「大丈夫です。怪我人が出たらあたしの所に。医者のまねごとくらいなら……」


 ――ヴォゴッ! 


 薬師として簡易治療ぐらいは出来るとルディアが答えようとした瞬間、それまでで最大の破壊音が響き渡る。
 一瞬遅れて強烈な衝撃と震動が船倉を襲いルディアは再び床に打ち付けられていた。











 気がつくとルディアの目の前には真っ暗になった船倉の床があった。

 
「……っ……っぅ……」


 倒れ込んだとき打った側頭部がズキズキと痛むが、身体の方は軽い痛みがあるだけで折れたような感じは無い。。
 痛む側頭部を抑えながらルディアは身を起こし周囲を見渡してみる。
搬入口には大穴が空き、冷たい外気が吹き込んでいた。どうやら運悪く搬入口に直撃を受けて装甲が抜けたようだ。
 先ほどまで船倉を煌々と照らしていた光球が消滅していたため、光源は破壊された搬入口から差し込む灯台からの微かな淡い明かりのみで視界は酷く悪くなっていた。
 ひっきりなしに続く破砕音は未だに鳴り響き、止むこと無き振動が船体を揺すっている。


「……っ……」


 さほど離れていない位置から人の呻き声が聞こえてきた。
 

「だ、大丈夫ですか!?」
  

「……な、なんとかな……姉ちゃんの方は大丈夫か? 


 ルディアの問いかけに答えたのはマークスだ。
 暗くて姿はよく見えないが彼も倒れ込んでいるようだ。


「口を開くと砂が入って来やがるな……ち、直撃……でもうふぇふぁのふぁ」
 
 
 ルディアの問いかけに最初は普通に答えていた、マークスだが急に呂律が回らなくなってしまった。


「ちょ、ちょっとマークスさんどうしたんですか? 大丈夫なんですか?!」


「…………」


 ルディアは再度声をかけてみるがマークスからは明朗な返事が返ってこない。
 ただ言葉にもならない呻き声が返ってくるだけだ。
 致命傷でも負っていたのか?
 不安を覚えたルディアがそちらに何とか這いずり寄ろうとした所で、


「ん。心配いらないだろう。サンドワームの砂弾だ。奴等の砂弾にはサソリの毒が混じってるみたいで触れてるだけで毒が回ってくる。周囲に飛散しているから吸い混んだのだろうな。私は慣れたからこれくらいなら大丈夫だが」


 暗闇の中で傲岸不遜な幼い声が明朗に響き渡った。


「サンドワームめ。せっかく温まってきたというのに穴を開けて冷気が入り込んで来るじゃないか。まったく迷惑な奴等だ」

 
 不機嫌そうなその声は、この異常事態に対してもまるで近所の野良犬が五月蠅いという世間話をしているかのように軽い。
 急な声に驚き振り返ったルディアの目の前で、誰かが立ち上がる。
 船体の穴から入り込む僅かな光に浮かび上がるその影は随分小柄だ。


「他に倒れているのは……14人か結構いるな。ん……そう言えばお前は大丈夫そうだな。お前も私と同じで毒物に耐性があるのか?」


 声の主は夜目が利くのか、この暗闇の中でも倉庫の中が見えているようだ。
 倒れている人数を確認してから、ルディアへと振り返り無邪気な声で不思議そうに尋ねてくる。
 

「わ、私は薬師だから。多少は毒物耐性があるのよ」


 相次ぐ非常事態に神経が麻痺していたのか、それとも何処か人を従わせるような響きを持った声に牽かれたのか、ルディアは我知らず自然と答えていた。


「おぉ! そうなのか。うん、やはり私は運が良い。ならここは任せるぞ。サソリ由来の麻痺性の毒だから抜いてやってくれ。状況はよく判らないが、どうやら私を助けてくれたようだしな。お礼だ。この迷惑な虫の相手は私がしてやろう」


 何処か嬉しそうで勝ち気な声が返ってくる。
 今の答えに何を喜び運が良かったと言える要素があったのか、答えたルディアにすらよくわからない。
 どうにもマイペースな相手にルディアは言葉を無くす。
 現実感がないと言えば良いのだろうか。
 声の主が誰であるのか?
 ルディアも理解はしている。
 だがそれを認めるのは、今までの常識を全て覆す事に他ならず、理性が拒否していた。
 なぜならその相手は、つい先ほどまで毒物に侵されて、意識を失っていたはずなのだから。


「と、次が来るな。おい。頭を下げていろ。天井方向に流すが剣が短くなっているので、方向が逸れるかも知れん」


 だがそんなルディアの常識を無視した影は手早く告げ、小さな音を立てながら床を鋭く蹴った。
 ルディアの目では残像を追うのがやっとの高速の踏み込み。
 一気に最高速へと躍り出た影がさっと右手を振るう。
 まるで吸い込まれるかのように、その右手に向かい船体の穴から何かが飛びこんでくる。
 
  
――シャァツ! ダン!


 金属をすりあわせたかのような音が響き、穴から飛びこんできた物体が逸らされて天井にぶち当たり衝撃音が響いたか。
 次いでルディアの頭上からバラバラと砂の固まりが降り注いでくる。 
 一体今何が起きたのかルディアには理解できない。
 その右手に握られていたのは到底剣と呼ぶことも出来ない柄だけの代物のはずだ。
 どうやってそんなガラクタで高速で飛んできた砂弾を先読みして防げるというのだ?


「あぅ……すまん。人のいない方にやるつもりだったんだが狙いが逸れた。刀身がもう少し残っていれば上手く流せたんだがな。む。仕方ない。後でちゃんと謝るから許せ」


 だが影にとっては、それは当然のことなのだろうか。
 むしろもっと上手くできるはずだと、むぅと不機嫌なうなり声をあげてからルディアに軽く頭を下げる。
 
 
「あぁそれと後1つ。こいつ等はサンドワームの変種のようで少し違う。私が知っている特性を他の者にも伝えておきたいのだが、指揮所は上で良いのか?」


「……え、えぇ」


 頭を上げた影はあくまでもマイペースを貫き、おそらく操舵室のことを尋ねてきた。
 茫然自失となっていたルディアは言葉なく頷くのが精一杯だ。


「判った。じゃあここは任せたぞ。ふむ。助けられた礼での戦闘か。良いな。私好みだ!」


 だがそんなルディアの様子を気にも止めていないのか、影は何処か楽しげに答えると、大きく破砕した穴から外へと飛び出ていった。



[22387] 剣士と薬師 ⑧
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/29 01:23
「左舷上甲板光球2,7、10消失! 船尾防御結界六番耐久値急速低下! 駄目ですこのままでは結界の維持ができません! 再展開を準備しますか!?」


 船体各部の結界展開状態を表示する水晶球には、次々と消失や耐久値の低下を知らせる文字が浮かんでいく。
 魔力発生機関『転血炉』の出力調整と、炉から船体各部に設置された魔法陣への魔力供給分配を担当する若い船員は青ざめた顔を浮かべていた。
 この船の防御結界は蓄積型防御結界。
 常時炉から魔力を供給し続け展開させる直結型防御結界と比べ、即時展開が可能な上、大型で強固な結界を形成するメリットがある。
 しかしその反面、直結型と違い減少した耐久値を回復することは出来ず、消失後に再展開する必要があった。
 通常戦闘であれば先に展開した防御結界が消失する前に、次の結界用魔力充填が終わっているが今回は異常な勢いで耐久値が削られていくために充填が追いついていなかった。
   

「再展開はせずギリギリまで持たせて下さい」


 慌てふためく部下を前に、船長は内心の焦りを押し殺す。
 とにかく今は消失した光球や結界を再展開する魔力さえもおしい。 
 サンドワームが打ち込んでくる砂弾の数が増す事に、船体各部の防御結界の出力が低下し、光球が消え失せていく。
 こんな事は船長の経験の中でも初めてのことだ。
 サンドワームの砂弾はあくまでも砂を高圧縮しただけの物理的な攻撃。
 防御結界に著しくダメージを与えたり、発動している魔術を打ち消す力など無いはずだ。
 だが今現実にそれが起きている。
 あり得ないことであろうとも起きているのなら、それは現実のこと。
 それに見合った対応をしなければ死ぬだけだ。


「機関部、客室周辺の結界維持を最優先。残りは浮上推進用魔力蓄積に」


 元々余剰出力が有るこの船だからこそ耐え切れているが、並の砂船であったらとっくに魔力を消費し尽くして結界を失っている所だ。
 しかし、余裕があるわけではない。 
 不規則に現れて砂弾を打ち出し再度潜行し、離れた場所で浮上しては、また砂弾を撃ってくるサンドワーム達に護衛の探索者達も苦戦している。
 この状況下で最も有効な手はこの場の離脱だろう。
 砂船の最大速度であればサンドワームを引きはがすことは不可能ではない。
 それは船長もよく判ってはいる。
 だがそうしようにも結界維持に魔力を持っていかれすぎて、結界を展開しながらサンドワームを引きはがす距離分だけの船を動かす推進用魔力蓄積もままならない。
 船体の直衛についている護衛探索者2パーティとセラが結界の穴を埋め、辛うじて致命的な一撃は防いでいるが、それもいつまで持つか。
 攻撃に転じるにはせめてもう一人。
 倒れたボイドか周辺探索に出たヴィオンが戻ってくれば……


「ボイド君と先代達に連絡はまだ付かないでしょうか? 再度呼びかけて下さい」


 特にボイドは探索者にとって最大の切り札『神印宝物』を所持している。
 採算が合わなくなるが逆転は容易い。
 そしてボイドがまだ回復していなくとも、修羅場になれたファンリアが率いる商隊の者達が直衛に出てくれれば、今は砂船を守っている探索者達もある程度は動けるようになる。
 しかしつい先ほど下部倉庫がある辺りに直撃弾が被弾してから、彼等との連絡が途絶えたまま 何度呼びかけても返答は返ってこない。
 今の状況では安否を確認しに、人を出している余裕さえ無い。

 

「駄目です! 返答がありません!」 


「ヴィオン君との連絡は?」

  
「通信魔具はまだ使用不能です!」


 砂弾の影響を受けているのは、結界や光球だけではない。
 護衛の探索者達からも魔術が上手く発動しない。
 効果がすぐに切れるなどの異常報告があがり、それどころか船内にある魔具すらも軒並み使用不能や不調になっている。
 もしこの影響が、高度な魔導工学の産物であり船の命綱である転血炉にまで及んだら……   


『船長やばい! 船尾に出たサンドワームの動きが変わった。腹が膨らんでやがる! でかいの撃ってくる気だぞ! くそっ! 右舷前方、左舷側面それぞれにも同時出現!』


 激しい攻撃の中で果敢にも見張り台の上で報告を続ける船員が、悲鳴混じりの声をあげる。
 サンドワームの主な攻撃は二種類。
 人の頭大の物を1回に複数飛ばしてくる散弾状の砂弾。
 もう一つは体内にはち切れんばかりの砂を溜め込んでから行う『砂獄』と呼ばれる範囲攻撃だ。
 大量の砂を広範囲に高速で吹きつける砂獄は、鋼鉄の装甲板すらも一瞬で削りきるほどの威力を持つが、普段ならそれほど恐ろしい物ではない。
 準備動作から攻撃してくるまでに若干の時間がある事と、魔術防御結界さえ万全であれば防ぐのは容易いからだ。
 だが船尾側の防御結界が消失した今の状態で直撃を受ければ、致命的な攻撃になりかねない。
 ましてやこれにも魔術に対する影響効果が伴っていれば……

 ――しかし同時にこれは好機でもある。

 サンドワームは巨体に合わないその素早さで、こちらの反撃が始まる前にぶ厚い砂の下に潜り込むヒットアンドアウェイを繰り返していた。
 だが大技を繰り出そうとするサンドワームは今地表にその姿を現し留まっている。
 おそらく同時に現れた二匹は牽制役なのだろう。
 だが虫たちの思惑に乗るつもりは船長にはない。
 前方には転血炉があるが、防御結界もまだ健在なうえ、そちらの防御は他よりも優先しているために再展開用の魔力も貯まっている。 


「左舷砂弾をセラ嬢防御! A、Cパーティ!後方のサンドワームに集中攻撃! 砂獄を撃つ前に落とせ!」


 ここが勝負所。あえて重要な前方を捨て死中に活を求める。
 決断した船長は鼓舞の意味も含めた鋭い指示の声をあげた。











 普段は相手が部下だろうが子供だろうが馬鹿丁寧が特徴の船長が珍しく強めた声が、伝声管越しに上甲板に響き渡る。
 不規則に打ち込まれる砂弾を金属盾や魔術盾で防ぎながら奮戦していた探索者達は、その指示に一斉に動き出す。
 

「あぁ! もう! なんであたしばかり貧乏くじ?!」


 仲間が一斉に船尾側へ向かって砂船を飛び出ていくのとは逆に、セラは泣き言を漏らしつつも左舷側面へと走る。
 探索者の本領は集団戦。人の力を大きく超えた迷宮の怪物種に対するにはチームワークだ。
 その点から考えればメンバーが揃った他の二パーティと違い、セラの所属パーティは一人は倒れ、もう一人は捜索から未だ戻らずで万全とは言い難い状態。
 居残りで防御は仕方ないかも知れないが、ただ一人で責任重大な役割を任されたのでは思わず愚痴がこぼれるのは仕方ないだろう。 
 船体周囲を照らし出す光球は所々消滅しているが、まだ辛うじて左舷側は見通しがきく。
 身体半分を砂漠から覗かせていたサンドワームが己の身体を振り回しつつ、砂弾を口蓋よりばらまきながら撃ち出す。 
 暗闇の中、高速で飛来する砂弾は十以上。
 セラは外套を跳ね上げて、内側にある隠しポケットに右手を突っ込み、触媒処理を施された剣魚ファルンの牙をがばっと掴む。
 大盤振る舞いは非常に胃が痛む思いだがあの数だ仕方ないと、豆を巻くように放り投げて左の杖を構える。


「ファルンの牙達よ! 我が身に降りかかる災厄を防ぐ壁と成れ!」


 セラの詠唱に答えて六角状の白銀色の幕『ファルンの盾』が船体側面に幾つも展開される。
 パーティメンバーのヴィオンならば飛んでくる砂弾の弾道予測をして最低限の数で防御を張る事もできるが、セラにはそんな器用な真似は出来ない。
 攻撃方向に向けてそちらを広く防ぐように張るしかない。
 幸いファルンの牙は魔術触媒としてはそう高い物ではないが、どうにも貧乏性のあるセラは臍を噛むような顔を浮かべた。 
 

――ゴッ! ガゴッ! 


 次々飛来する砂弾を魔術盾が受け止め船体への被害を防ぐ。
 だがその代償と言うべきなのだろうか、展開した魔術盾は砂弾が命中した所だけでなくその周辺までが一気に消滅していく。
 本来ならサンドワームの砂弾攻撃であれば『ファルンの盾』は一枚で十発程度は受け止める事ができる。しかし今は一発防ぐのが精々だ。


「うぅぅ……もったいない……もったいない」


 炸裂した砂弾から飛散した砂埃が舞う中、セラは破れかけた防御帯の内側にさらにもう一度牙をばらまき防御帯を手早く作成して右舷船首側を振りかえる。
 サンドワームの攻撃は両面と後方から。後方は仲間達に任せれば大丈夫だとしても、右舷には誰もいない。
 右舷前方はまだ船の防御結界があるが、破られればその分だけ再展開するために魔力を使い離脱が遅れる。
 金銭的余裕はともかく、時間ならばまだ余裕はある。
 最初の数発は無理だとしても、いくらかは防げるはずだ。
 セラが右舷側に向かって走ろうとしたその時、何者かが船外から跳び上がってきた。
 
 

 



 
 
  






 垂直に近い船壁を少女は僅かな凹凸を足がかりに一気に高く跳び、甲板を超えた高さまで到達すると周囲をぐるりと見渡す。
 自分が居たのはどうやら砂船。
 それも中型と呼ばれるそこそこ大きな物のようだ。
 出現しているサンドワームは3匹。
 船尾側に大技を放とうとする1匹。
 少女が跳び上がってきた右舷の前方と左舷側面に各一匹ずつ。
 左舷は防御帯が出来ている。甲板にいる魔術師が作成した物だろうか?
 後方の砂漠には大技の発動体勢を取るサンドワームへと駆ける複数の人影が見える。
 装備やその機敏な動きから見るに探索者達で間違いない。
 左舷、後方共に自分がやれることはない。
 なら自分の役割は右舷の攻撃を防ぐこと。
 周囲の状況を確認した少女は音もなく甲板に着地し、迫る砂弾に目をむける。
 前方から迫る砂弾は14発。
 防御結界が展開されているが、耐久値が減少しているのか破られてはいないが、所どころ薄くなっている。
 飛来する砂弾の方向と速度から弾道を予測する。
 目測と経験から各防御結界の予想耐久値を割り出す。
 両者の位置関係から着弾予測地点を算出し、戦闘経験からしる通常とは違う砂弾の『特性』を考慮し危険度を設定。
 戦いの気配に体内を駆け巡る血は熱く鼓動し、目覚めたばかりの少女の思考を加速させていく。
 砂時計の粒が一粒落ちるまでにも満たない僅かな時間で瞬く間に、戦闘状況の把握と予測を終わらせ最善の行動を決定させる。


「はっ!」


 甲板を蹴り轟音を奏でながら迫り来る砂弾へと向かって、少女は自ら防御結界の外へと飛び出す。
 身体を左に捻り右腕を巻きつけるようにして左腰脇に構える。
 狙うべきは結界の薄い箇所へと飛びこんでくる砂弾が二つ。
 右腕に力を込め狙いを定め呼気を鎮め期を計る。


「せぃ!」


 剣線上に二つの砂弾が到達した刹那、少女は裂帛の気合いとともに右手に闘気を込め剣を振る。
 少女の武器である折れたバスタードソードに残る刃は拳一つ分ほど。
 大半の者がほぼ根元しかない剣をみれば、それはもはやただの鉄屑だと思うだろう。
 だが少女には違う。
 少女にとって柄があり、刃が僅かでも残っているのであればそれは紛れもなく剣である。
 そして少女は己を剣士だと自負し、己の剣技に誇りを持ち旅をしていた。
 剣を握っているのなら、剣士である自分は戦える。
 そして必ず勝つという確固たる信念と共に。


――シャァァッ!


 高圧縮され激しく回転しながら飛ぶ砂弾を受け止めた幅広となった剣の腹と、砂弾が擦れ合い火花が飛び散る。
 良品の素材から作られて頑丈ではあるが、ただの鋼鉄の刀身は粗い砥石のようにざらつく砂弾によって削られていく。
 だがこれこそが少女の狙い。
 刃が削られていく際の僅かな抵抗で砂弾を刃で『掴んだ』少女は手首を微かに返す。
 少女の動きに合わせて砂弾の進行方向がずれた。
 剣から通して伝わる感触で砂弾の軌道がずれたことを悟った少女は、刃から『放し』、剣をさらに振り上げた。
 延長線にあるもう一つの砂弾を同じ要領でまたも『掴み』、その方向をずらす。


――シャリン!


 鈴の音のような高い金属音が鳴り響き、結界を消失させるはずであった二つの砂弾は少女の剣に流され上向きに軌道がずれた。
 少女の思わく通り、弱体化した結界へと直撃するはずだった砂弾は、船体を掠めつつも甲板の上を飛び越えていった。。
 一方少女は剣を振るった際の反動と流した砂弾の勢いに合わせて、胸につくほどに膝を抱え丸くなると、そのまま後方に一回転し、音もなく先ほど飛び上がった甲板に着地をして見せた。 
 

――ゴッ! ガゴッ! バンっ!


 残った砂弾が少女の眼前で次々に防御結界へと着弾していく。
 砂弾が砕け散る事に目に見えて薄くなっていく防御結界。
 いつ破れるか判らないと恐怖を覚えそうな物だが、絶対に大丈夫だという確信を持つ少女は微動だにせずその光景を見つめながら、柄を握る右手にぎゅっと力を込める。  


「むぅ。まだまだだな……精進しないと」


 少女の心には怒りが浮かんでいた。
 一振りで直接防げる砂弾はどう足掻いても今の二つが限度。
 右手に構える剣が本来の長さであっても三つ。
 自ら封じている本来の剣術技を持ってしても五は超えない。
 己の未熟に少女は自分自身への怒りを覚える。
 少女の頭脳では、今飛んできた14の攻撃を全て凌ぐ術は思いついてはいた。
 だが思いついてもそれを可能とするだけの肉体能力を未だ得ていない。
 どれだけ早く状況を判断し取るべき行動を模索することが出来る頭脳があっても、肉体が追いつかなくては意味が無い。
 この程度の攻撃を処理できないのは恥だ。
 自分に剣を教えてくれた人ならばその一振りで全てをたたき落とすことも、打ち手にそのままはじき返すことも自由自在に行える。
 少女が知り、目指し、そして超えようという高みは果てしなく遠く困難な道。
 だが己なら駆け抜けることが出来ると少女は自信を持っている。
 そして、その目標すらも今は少女にとって手段でしかない。
 少女の心にあるのは大願。
 迷宮に挑む探索者となり、上級迷宮に眠る宝物を手に入れ、今の自分を消す。
 それも数年のうちにだ。
 その為には常に自分を戦場に置き成長を続けていくしかない。
 だからこそ闘いは少女にとって望むべき物だ。


「……ん?」


 ほんの一瞬だけ自らの思考に埋まりかけた少女だったが、弾け飛んだ砂弾から散った砂に混じる苦みの混じった香りに気づき空中に左手を伸ばす。  
 飛散していた砂をつかみ取った少女は、砂の中にサソリの毒が混じっている可能性がありながらも、躊躇うこともなく舌を伸ばしてぺろと舐める。
 ざらざらとした砂には微かに甘酸っぱい酸味と先ほど嗅いだ苦みが入り交じっていた。
 先ほどの下の倉庫らしき場所で嗅いだ匂いや味と少し違う物だ。


「ふむ……この匂いと味は間違いないな。やはり変種という奴だな」


 自分の予想通りだったことに満足げに頷いた少女はくるりと後ろを振り返る。
 そこには杖を構え右手を振り上げたまま呆然と固まっているセラがいた。












「ふむ。指揮所に向かって伝えるつもりだったのだが、お前で良いだろう。指揮官に伝えてくれ」


 いきなり甲板上へと現れた少女は何とも傲慢な口調でセラに話しかけてくる。
 まだ子供としか思えない小さな身体とやけに薄汚れた外套。
 そして右手には刃元から折れた大剣をしっかりと握っている。
 それはセラ達が灯台で倒れていた所を助け出した少女の姿その物だ。
 しかし意識がないときは、多少生意気そうではあったが外見相応に幼く何処か弱々しく感じたのだが、起きている今はまるで違う。
 別人といってもいいほどに、生命力に満ちあふれ何とも力強く、そして得体の知れない化け物じみた雰囲気を醸し出していた。
 今の砂弾を弾き飛ばした動きなどセラから見ても、兄であり優秀な探索者だと心の底では慕っているボイドと同等か、それ以上の動きだ。


「あっ……っぇ? ……はぃ?!」


 予想外すぎる人物の登場とその力にセラは口をぱくぱくとさせて唖然とする。
 さっきまで半死半生だったんじゃ?
 どうやってここまで上がってきた?
 それよりも今何をした?
 聞きたいことや確認したいことが多すぎて、何を尋ねればいいのか判らず思考が停止していた。


「今襲ってきているサンドワームの砂弾なんだが、匂いや味を見れば判るがリドの葉やカイラスの実が混じっている。この二つの植物には魔力吸収特性があるのは知っているな。その所為で魔力が吸収されて魔術が発動しなかったり、すぐに消えるようだ。防御結界や魔具も不調になっているはずだ」


 だがそんなセラの状態に気づいていないのか、それともまったく気にしていないのか。
 少女はいきなりそんな事を言い出すと一つ頷き、次いで防御結界を指さす。


「だから至近で防いでいても炸裂した砂弾から、魔力吸収特性のある砂がまき散らされて防御陣をやられている。砂弾を撃たせないように攻勢を強めた上で、風系で舞い積もってきた砂を吹き飛ばすか、もしくは水系の術で砂を洗い流させろ。もちろんそちらの術も影響を受けるが幸い精錬前のリドやカイラスの魔力吸収性は低い。すぐに飽和状態になるから問題なしだ。ただ砂弾が追加されると意味がない。から早急にサンドワームを倒す必要性がある」


 管理協会が開く初心者探索者向けの戦闘教練所の教官のようなやけに偉そうな口調で、少女は現状を一気にまくし立て始める。


「しかしこの所為で魔力の低い即効魔術は打ち消される。どうやら前衛がいないようだし魔術師のお前ではきついだろうから、私があそこの一匹は相手をしてやる。後ろの奴はあちらにいる探索者達で十分だろう。残った一匹は早い者勝ちだ。では、以上のことを指揮官に伝えろ……ふむ。立て直すつもりか。そうはさせるか」


 一方的に告げた少女は潜行を始めたサンドワームをみると、そのままそこから飛び降りようとしていた。
 しかし一方的に捲し立てられたセラとしてはたまった物ではない。
 少女の話は魔術系の不調となっているこの状況に合点がいく物であるが、それでも訳の分からない事が多すぎる。
 なんでこの少女がそんな事を知っているのか?
 相手するとはまさか本当に一人で闘うつもりなのか?
 少女が口を開く事にセラの困惑は強まるばかりだ。
  

「ち、ちょっと、まった! まった! へっ?! 何!? どういう事!?」
 

「む。なんだ。今は機敏に動くときだぞ。話があるなら後で聞いてやる」


 セラが慌てて少女を呼び止めると、少女が不機嫌そうに頬を膨らませながら振り返り、少し吊り気味の勝ち気そうな目でセラをみる。
 その姿はとっとと行かせろと雄弁に語っている

 
「あーもう! なんて言ったらいいのか! とりあえず危ないから止めなさい! 魔術が効きにくい相手だからって言っても何とか闘えるから!」


「そうは言うがこの状況なら、おそらくお前より私の方が上手く戦えるぞ」


 なんとか引き留めようとするセラだが少女の方は聞く耳を持たない。
 しかもセラをかなり見くびっている発言を吐き出す。
 自分の方が強いとでも言いたげなわけが判らない少女に対し、セラはつい声を荒げ、


「はぁ!? どういう意味よ!?」


「ん。私は魔力変換障害者……つまり生命力を魔力に変換できないから魔術の類を一切仕えない体質だ。だから魔力吸収してくる相手だろうが普段と変わらない実力を出せるぞ。それにだ……」


 セラの怒鳴り声に対して少女は涼しい顔で答えると右手を突き出す。
 その手に握られるのはほぼ柄のみが残った折れた大剣。
 とても武器とは呼べないはずだ。
 だが剣を握る少女が醸し出す力強さに、セラは我知らず畏怖し一歩後ずさってしまう。
 
 
「私は剣士だ。剣をこの手に握る以上私は戦えるし戦う。そして勝つ。ふむ納得したな。では私はいくぞ」


 絶対的な自信を秘めた獰猛な笑みを浮かべながら少女は宣言すると、一人で満足したように頷き小さな足音だけを残して甲板から飛び降りた。 
 会話にならない会話を一方的に打ち切られた形のセラが、しばし唖然としてしまったのは致し方ないだろう。


「い、意味がわから……ってあぁぁ! 早! もうなんなのよあの子! リドの葉云々は嘘じゃないだろうけどなんなの!?」

 
 はっと我を取り戻したときにはもう後の祭り。
 慌てて下を覗いてみると暗闇の砂漠の中を、足を取られる砂の上だというの獣じみた速度で一直線に突き進む少女の姿が見えた。
 今から追いかけてもセラの足では到底追いつかない。
 とにかく今はまず少女のもたらした情報だけでも操舵室へ伝えようと、セラは慌てて近くの伝声管に飛びつく。


「船長! 船長! 聞こえる!? なんか訳けが判らないのが出てきたんだけど!」


 だが少女の言動に困惑されていたセラは、何から説明すればいいのかよく判っていなかった。



[22387] 剣士と薬師 ⑨
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/01/26 19:31
 賽子が転がる。
 賽子の内側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。






 レイドラ山脈緑迷宮『氷結牢』サブクエスト『聖剣ラフォスの使い手』
 次期メイン討伐クエスト『赤龍』
 両クエスト最重要因子遭遇戦開始。
 戦闘能力差許容範囲内。
 両因子特異生存保護指定解除。
 システム『蠱毒』発動。



 

 
 










 少女と砂虫の戦いの場は砂船が停泊する位置から、灯台を廻るように北東へと移動しながら激しさを増していた。
 砂船の方へ行かせず、自らが灯台を背にせずに。
 常に位置関係に気をつけながら、砂漠を潜行するサンドワームが地上へと発する僅かな気配を辿り追いかける。
 移動、浮上、攻撃、潜行しまた移動をする。一定の距離を保ち続けようとするサンドワームとの戦いで、元々ボロボロだった少女の外套はさらに破損している。
 着弾と共に爆発した砂弾の爆風で弾け飛んだ刃物のような砂の粒によって、その右袖は千切れ、フードは切り裂かれその幼い顔が露わとなっている。
 だが間一髪爆風を躱した少女本人が負った傷らしい傷は頬に鋭く走った切り傷程度。未だ戦闘に支障が出るほどのダメージを負ってはいない。

 
「!」


 少女の前方70ケーラ(メートル)ほどの所で砂漠が盛り上がり、砂の海を割ってサンドワームが浮上してくる。
 仄かな灯台の灯りの元、太く長いミミズのような姿を露わとしたサンドワームは地面すれすれで大きく頭を振り勢いをつけると、その口から大量の砂弾を発射した。
 鋭い音を奏でながら高速で撃ち出された砂弾は幅30ケーラほどの範囲に濃密な弾幕を形成し少女に迫る。
 今から横に移動して回避しようとしてもその範囲から逃げることは難しい……なら受け流すのみ。
 直撃するであろう砂弾の弾道を少女は瞬く間に予測すると一瞬で立ち止まり右半身に構える。

  
――ジャ! ジャャ! ジャッ!


 少女が逆袈裟に跳ね上げたナイフよりもさらに短くなったバスタードソードの刀身が、火花を散らしながらも見事に砂弾を逸らす。
 だがこの攻撃を少女が躱すことをサンドワームは予測していたのか既に次の攻撃動作に移っている。
 少女を足止めする事が目的だったのだろう。
 胴体をしならせてその頭部を天へと向かって高々と振り上げたサンドワームの口から今度は赤色で染まった砂弾が六つ撃ち出される。 
異なる二つの動作から発射された砂弾は、地面に対して平行に飛んできた高速弾とちがい緩やかな山なりの弾道を描く。


「ふん。それは既に見たぞ」 


 先ほど手傷を負わされた攻撃に対し、少女の理性は全力で後ろに下がれと警告する。
 だが敵との距離が離れているというのに、後方へ退き逃げるのは少女の流儀ではない。あくまでも前に進み己が間合いに入れと本能が訴える。
 少し吊り気味な勝ち気な目を輝かせた少女は足下の砂を蹴って前方に二歩、三歩と駆け出す。
 頭上から落ちてくる前に駆け抜けようというのだろうか…………だが砂漠の上でも俊足を誇る少女の足でも数歩届かない。
 暗闇の中を山なりの放物線描いた赤色の砂弾が少女の行き先を防ぐ形で幾つも降り注ぐ。
 赤い砂弾は火龍薬と呼ばれる強い衝撃を加えると爆発する魔法薬が混じっており、炸裂音と共に特徴的な刺激臭を放ちながら弾け飛び、巨大な砂煙を巻き起こしつつ無数の砂の粒を高速で弾き飛ばす。
 ただの砂一粒と侮ることは出来ない。
 細かな粒子の砂は爆発の威力も相まって鋭利な刃と変わらない凶器へと変貌している。
 先ほどは通常の砂弾に混じっていた一発で少女が僅かながらも手傷を負わされていた。
 それが今度は六つだ。単純に計算は出来ないが辛うじて躱せた先ほどよりも威力は桁違いに跳ね上がっているだろう。
 
 だが……それがどうした。
 一度見た攻撃が私が躱せないと思うか。

 口元に自負から生まれる笑みを浮かべる少女は、膝を鎮め体勢を低くしながら足下めがけて右腕を一閃させる。
 鋭く力強い剣の一振りは砂の大地を細く深く切り裂く。
 剣を振った勢いのまま少女が転がるように自ら切り開いた穴へと飛びこむと同時に、刃混じりの砂煙がその上を通過していった。
 砂煙が頭上を通り過ぎるやいなや少女は埋まった穴の中から力ずくで這い出し、そのまま右前方へと転がる。
 次の瞬間、少女が這い出した穴に三角錐状に鋭く尖った虹色に淡く輝く小さな砂弾が高速で次々に撃ち込まれ、砂漠に小さな穴を穿った。
 間一髪で攻撃を躱した少女は安堵の息を漏らす暇もなく即座に跳ね起きると身を震わせ纏わり付いた砂を振り払って再度前に向かって突き進む。
 火龍薬を含んだ炸裂弾。
 高速で飛び砂を穿った小さな砂弾は軽量硬質で知られるインディア砂鉄独特の輝く虹色をしていた。
 これに通常の砂弾攻撃に加えてサソリの毒を持つ毒弾。そしてリドの葉やカイラスの実の特性が混じる魔力吸収弾。
 砂漠越えの前に事前に仕入れた知識にはないサンドワームの攻撃能力。
 しかし予想外の攻撃にも少女は動じることなく、何とか防御したり回避しながら、その能力を推測し続けていた。
 サソリの毒は別として、前者二つは自然には存在せず人の手によって調合される物質だ。
 リドやカイラスの魔力吸収植物はこの砂漠には自生していない。
 ここまでヒントが出そろえば結論は自ずと出てくる。。
 サンドワームは食べた物を砂弾として撃ち出している。しかも特性を残したままで。 
 おそらく砂漠を行き交う交易船を襲って積み荷を喰らいその身に取り込みでもしたのだろう。
 サンドワームが放つ種類豊富な遠距離攻撃は、未だ未熟な少女には確かに脅威だ。
 それでも前に進む。
 なぜならば少女の行動は、常に決まっているからだ。
 相手が誰であろうが、どのような攻撃をしてこようが、いつも変わらない。
 遠方から放たれる攻撃を躱し防ぎ相手の懐へと飛びこみ斬る。それだけだ。
 今まで歩んできた道も、これから歩む道も何も変わらない。
 何も悩む必要もない。
 悩めるほどの手も昔ならいざ知らず今の少女にはない。
 少女が唯一無二とする戦闘距離は、息づかいが混じり肌が触れ合うほどの近距離。
 己の間合いへと、極近接戦闘圏へと接近するために、少女は前へ前へと突き進む。
    

――ザザザッ!


 ひたすらに猛進してくる少女に対し、サンドワームですら恐怖を感じたのだろうか? 
 それともこのままでは埒があかないと覚悟を決めたのだろうか。
 先ほどまでなら一連の攻撃を防がれると仕切り直しとばかりに砂の中へと潜行して距離を取っていたサンドワームの動きがここに来て変わる。
 その太く長い胴体を砂の上に完全に出現させると、蛇のようにくねりながら逆に少女に向かって突進を開始した。
 大サソリすらも軽く一飲みに出来るサンドワームの巨大な口蓋の中では放射状に連なる牙がガツガツと音を立てて蠢く。 
 あの歯にかかれば少女の小さな肉体など、あっという間にかみ砕かれ細切れのミンチにされてしまうだろう。
 しかし少女はサンドワームの突進を前にして口元に不敵な笑みを浮かべ息を小さく吸い、望む所と、と言わんばかりに体を前に倒し極端な前傾姿勢となる。


 丹田に意識を集中。
 生命力を闘気へと変換。
 渦を巻く闘気を足へと流し、一部を膝に留め、残りを足裏へ。


「勝負!」


 滾る声と共に溜め込んだ闘気を砂地へと打ち込み加速の力へと少女は変える。
 響く足音。一瞬遅れて踏み台とされた砂が後方へと吹き飛んでいく。
 たった数歩で最高速へと加速した少女と、その巨体に似合わぬ速さで迫る巨大なサンドワーム。
 40ケーラほどだった両者の距離は瞬く間に縮まっていく。
 サンドワームの口蓋がさらに大きく開き勢いのままに少女を丸呑みにしようし……空を切った。
 小さな影がサンドワームの頭上を越えていく。
 突進の勢いのまま空中へと跳び上がった少女は空中で身体を捻り横倒しになった体勢へとなる。
 日に当たらないために不気味な白さを持つサンドワームの無防備な胴体が眼前を駆け抜けていく。
 少女は右腕を鋭く振った。
 だがまるでぶ厚いハムの固まりに指を押し当てたような感触に、少女の刃はあっけなくはじき返される。
 肉を切り裂くどころか、皮一枚を削ぐことすらも出来ない。


「ちっ! ダメか!」


 攻撃を弾かれたことで乱れた体勢を四肢を使って立て直した少女は、砂漠へと長い足跡を残しながらも何とか着地し、


「っ!」


 悪寒を感じとっさに左横へと倒れるような角度で跳ぶ。


――ブンッ!


 サンドワームの尾が巨人族の振るう棍棒の一撃のような恐ろしい勢いで少女の体を掠めて通り過ぎる。


「やるな!」


 まともに受けていれば吹き飛ばされた上に全身の骨が砕かれていただろう攻撃に対しても、少女は楽しげに嗤う。
 それは子供が遊びを楽しむようなあどけない笑いではない。
 致命的な一撃を避けたことを喜ぶ安堵の顔でもない。
 身を守る鎧はなく、不十分な体勢からでは折れた剣では僅かなダメージを与える事もできない。
 だがそれでも少女は嗤う。
 少女の本能は気づいている。
 そして……おそらくサンドワームも。
 自分達の間には食うか食われるかの決着しかないということを。
 少女が浮かべる笑みは己が存在理由を賭けた全身全霊の戦いに、心からの愉悦を覚える戦闘狂が浮かべる狂った笑みだった。
 

 
 


 
  







  





 ちょっと短いですがキリがいいのでこれで。
 最初に意味不明な中二成分たっぷりな文章が出ていますが、それは後々。
 とりあえず今回の戦闘は退却不可能なボス戦だと思っていただければ……両者ともに。
 あと世界観の風味付け程度の単位換算表を乗せておきます。

稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。



単位換算表

 単位(単位上がり    現実換算) 


 尺貫法 現実と変わらず。

 1寸 (1/10尺)
 1尺 (基本単位       0,303m)
 1丈 (10尺         3,03m)
 1間 ( 6尺        1,818m)
 1町 (60間=360尺  109,09m)
 1里 (36町        3,927㎞)



 神木法 国際単位

 1ケール     (基本単位     10㎝)
 1ケーラ     (10ケール     1m)
 1ケールネアス  (1000ケーラ 1㎞)

 工房単位

 1レド    (基本単位     0,08㎝)
 1レラ    (1000レド   83.3㎝)



重さ


 神木法 国際単位

 1レィト    (基本単位       100g)
 1レィラ    (10レィト      1kg)
 1レィトネアス (1000レィラ  1メガグラム)

 工房単位

 1ラグ    (基本単位        0.08g)
 1ラグラ   (1000ラグ      83.8g)
 1ラズ    (1000ラグラ     83.8㎏)



 オリジナル世界における単位の使用設定

尺貫法 
 
 暗黒時代の最初期に滅びた東方王国で用いられた独自の度量衡。
 東方王国崩壊後。神の怒りに触れた国としてその文化、風習が悪徳とされ、忌み嫌われた時期があり廃れている。
 今現在は東方王国時代の宝物、特に刀剣の長さや重さを表す程度にしか使用されていない。
 東方文化の復権や見直しをする動きがあり多少は復活しているが、僅かな痕跡だけを残し壊滅したので正確な情報や資料はあまり残っていない。
 上級探索者には東方王国出身者もいるが、彼らのほとんどはその時代のことには口を噤んでいる。
 

 神木法

 神木法における単位の設定
   
 神木法の元となったのは神卸しの木『ケレイネアス』と呼ばれる林檎の木。
 神が降臨した時のみを花を咲かし実をつける林檎の木は、一年中雪で閉ざされた極寒の地であろうが、年間で片手の指で数えられるほどしか雨が降らない砂漠であろうが、根を生やし成長する。  
 普段この樹木の花弁は固く閉じられている。
 だが依り代たるこの木に神が降臨すると石のような蕾が開き、宝石のように光り輝く10色の花びらで構成された花が一斉に咲き乱れる。
 神が去ると花は散り黄金色の林檎が実る。
 林檎は全て同一の形状と質量を持ちこの法則は木が異なっても変わらない。
 その特性が利用されて基準単位として用いられるようになり、今では各国で共通単位として用いられている。
 一般的に用いられ日常生活に深く根付いている。
 ただし海上において用いられるのは別の単位となる。


 工房単位
 
 細かな尺度を持つ単位系であり、その元は太古のドワーフ職人達が制定したとされる。
 その由来もあり緻密かつ精密な作業を必要とする彫金や鍛冶、また薬剤調合を行う工房で用いられている。



[22387] 剣士と薬師 ⑩
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/02/04 12:00
 先ほどまで散発的に聞こえていた船の防御結界が砂弾を受け止めた衝突音は形を潜め、変わって渦を巻く風の音が響く。
 風を起こしているのは船の直衛に残っていた魔術師のセラだ。
 彼女が魔術で周囲の大気を操り空気中に漂ったままだったり、船体各部に積もっていた砂を、セラがつむじ風で集めては次々に遠くへと吹き飛ばしていた。
 だがセラの使うのもまた魔術。
 砂を集めている最中も砂に含まれるリドやカイラスなど魔力吸収性植物の影響でつむじ風はどんどん弱くなっていきすぐ消え失せてしまい、何度も術をやり直す羽目になっている。
 もっとも友人、知人。はては家族にすら貧乏性と断言されるセラにとっては、次々と消費する魔術触媒を失う方が痛手のようだ。
 うかない顔で『もったいない。もったいない……』と、まるで呪詛のような呟きを繰り返している。
 

「……ちっ。早いな。気配がどんどん離れていきやがる」


 砂漠の闇を見据え遠方から響く音で気配を感じ取っていたボイドは、愚痴をこぼす妹を横目でちらりと睨みつけてから舌を打つ。
 襲撃をかけてきたサンドワームは全部で三体。
 大技を繰り出そうとしていたサンドワームの一匹は既に同ギルドの別探索者パーティが仕留め、二匹目への攻撃を始めている。
 そちらは順調その物だが、問題は三匹目。そしてボイド達が助けた少女だ。
 セラの話では本船から少女が飛び出して両者が戦闘状態に入った直後からどんどん船から遠ざかっていったそうだ。
 ボイドが甲板に上がって来たときにはその姿は視認が出来る範囲に既に無く、辛うじて気配を感じ取れるくらいに離れ、こうしている今もどんどん遠ざかっている。
 血清の効果で動けるほどには回復してきたが、麻痺の影響で四肢に上手く闘気を伝達できない今のボイドではこの距離を移動するには時間がかかりすぎる。
 切り札である『神印開放』を使い、”本来”の下級探索者としての力を使えば、この程度の麻痺は即時無効化できるが、ボイドの所有する『宝物』で神印開放を出来る時間は精々三〇秒足らず。
 サンドワームとの戦闘を考えればぎりぎりまで近付いてからでないと使えない。
 だがそんな事はボイドも判っており対策済みだ。
 砂漠を移動するための足は元々ある。
 後の問題は乗り手だけだったがそれも何とかなった。
 今は乗り手と少女へ届ける”物”が来るのを待ちながら、戦闘地点の予測をしていたのだが、どうにも妹の様子が気になっていた。
 

「さっきからうるせぇな。少しは黙って仕事しろ」


「うぅ。兄貴にはわかんないの。今日消費した分の触媒を買い直したら杖が新調できる位の出費なんだから……
想像したら気持ち悪くなってきた」


「あのなぁ、触媒代はどうせ必要経費で落とすんだから気にせずばっと使え」

 
 改めて消費量を金銭換算したのか、ますます青ざめた顔を浮かべる妹の様子にボイドは溜息を吐く。
 魔術師の場合はとにかく金がかかる。
 術を使う際に速効性と正確性を考えるなら触媒を使うのが一番だが、ほとんどの触媒は使い捨ての品。
 種類によって値段はピンキリではあるが、それでも安いという物ではない。
 杖にしても探索者に成り立ての初心者が使う物でも、護符宝石やら魔術刻印を刻んだり等で手間がかりそれなりに値が張る。
 だから魔術師が金に五月蠅くなるのも判らなくはない。
 そしてセラの場合は日常生活はケチだと断言できるほどの貧乏性ではあるが、自分や仲間の命がかかっている武器防具や触媒に関しては逆に値が張る良品にこだわる所がある。
 そのセラが杖相当というのなら結構な金額の触媒を使ったことは間違いないのだろう。
 だがボイド達は所属する護衛ギルドからの依頼でこの貨客船に乗っている。
 当然この触媒も必要経費として計上できるはずだ。ならそこまで気にしなくても良いとボイドは思うのだが、


「………………」


 ボイドの苦言にセラは黙りこくっていた。しかもこの寒さの中でもなぜかだらだらと冷や汗めいた物をかいている。
 あまりにも分かり易すぎる不審な態度にボイドは非常に嫌な予感を覚える。


「おい…………愚妹。お前まさかと思うが、取り分を増やすために経費保証契約を外したとか言わないだろうな」


 ギルドからの紹介仕事には幾つか条件やオプションがあり、仕事の難易度や自分達の懐事情によって探索者側で指定することが出来る。
 探索者側の取り分は一割と少ないが、損害補償、経費保証、必要装備支給及び私有装備整備保証。怪我死亡時の見舞金付与といった全ての責任をギルド側が負うローリスクローリターンな契約。
 紹介料だけ抜き、残り依頼料は全部探索者側に。ただし何らかの人的、物的損害が出た場合は探索者側が賠償。
 しかも被害の度合いによっては、ギルドの信頼を損なった懲罰としての多額の罰金や資格停止、剥奪なども有りうるハイリスクハイリターンな契約といった具合だ。
 ボイド達の今回の契約はパーティ単位ではなく個人契約にし、依頼料から紹介料と損害補償、経費保証を引き、オプションで迷宮内での戦闘回数による報酬アップを選択している。
 これは平均的な契約で、取り分は探索者に四割、ギルド側に六割。
 戦闘が多ければ取り分は最大で六:四へと変化する……ボイドが三人分をまとめて契約した初期状態のままならばだが。


「あはははっ……うん。止めたら七割もらえるからこの前外しちゃった。ほら特別区で出てくるモンスターは普通なら弱いし、兄貴もヴィオンもいるから出番が無かったし」


 口調は軽いがどうしようとセラは半泣き顔を浮かべている。
 小型船の行方不明は増加していたが、中型以上の砂船は特に問題は起きていなかった。
 特にこの船の場合は防御がしっかりしていたので、襲撃されても速度を上げて振り切ってお終い。
 先守船で先行探索しているときも操舵士のセラは船を操るのに専念している。
 もっぱら戦闘は主にボイドでヴィオンがフォローという構成で、あまりセラが戦闘に出張ることはない。
 たまにちょっとした術を使うが、それでも使う触媒は微々たる物。
 契約変更した方が断然お得と兄に黙ってセラが変えたのは、今回の護衛依頼を受ける直前。
 それが変種のサンドワームが出てきたことで今までの状況が一変し、契約変更がいきなり裏目に出るなどとはセラも予想していなかったのだろう。
 
  
「一応交渉はしてやるが期待するな……男だったらぶん殴ってる所だ。おかしいぞおまえ。いつもならもうちっと緊張感あるだろ」


 頭痛がしてきたこめかみをボイドは押さえるが、先ほどからの妹の態度にどうにも違和感を感じる。
 セラは確かに貧乏性ではあるが、今のような切迫した状況下であればもう少し抑えているはずだ。
 所が今はどうにも緊張感が欠けているというか、少し様子が変だ。少女のことを心配する様子もあまり見られない。


「あのさぁ。兄貴……あの子を助けに行くの止めたら? たぶん大丈夫だと思う……それになんか変だよあの子。あんまり関わり合いにならないほうが良い気がするんだけど」

 
 疑問を浮かべるボイドの視線に気づいたのか、セラが僅かに不安げな様子を浮かべながら告げた。
 








 
 
 


「なんでこんな多いのよ……しかも一般仕様じゃなくて改変型」


 ぶつぶつと口中で文句を漏らしながらも、狭い通路の壁に背を預けたルディアは左手に持つ先守船のマニュアルに目を通して頬を引きつらせる。
 魔法陣の記述式自体はオーソドックスな浮遊術式を改変した物だ。それが四つ船底に設置されている。
 改変魔法陣の操作自体は問題無いが、難問は魔法陣四つそれぞれの出力や角度を変更して行う船の操舵だ。
 改変型術式はルディアが読み取った通りならば、高出力状態では爆発的な加速を得ることができるが、低出力になると途端に浮遊の力が不安定になり挙動が怪しくなる。
 ピーキー仕様に正直言って真っ直ぐ走らせる事ができるかどうかも、ルディア本人としても疑わしい。


「絶対まずいってのになんで引き受けたんだろ。あたし」


 本来の操舵士であるはずの魔術師達は、それぞれがサンドワームとの戦闘やら船に積もった砂の除去で手は空かず、一人で闘っているであろう少女の元まで今は行くことが出来ない。
 麻痺で倒れていたファンリア商隊の者達も常備している血清を打ってある。ほとんどの者はさすがにまだ動けないが大事はない。
 この状況でルディアにやれるのは、かすり傷を負った者の治療くらいだが。それならいくらでも変わりはいる。
 手の空いている魔術師はルディア一人。
 少女へと渡す荷物と護衛の探索者を一人乗せて戦闘地点まで送り届けるだけで戦闘に加わるわけではない。
 操縦は厄介ではあるが他に代わりがいないのでは仕方ないと、いつものルディアなら二つ返事で引き受けていただろう。
 だが今回はルディアの本能は関わるな。関わり合いにならない方が良いと、引き受けた今になっても訴えている。
 魔術師、魔力を多く持つ者の勘とは時に予知に似た精度を持つ。
 これは魔力が己の外側。他者や世界を知り働きかける力だからとも言われているが、未だ明確な答えはない。
 ただ魔術師が嫌な勘を覚えるときは、碌な事がないというのは確かな話だ。
 
  
「ったく……」


 右親指の爪を苛立ち混じりに噛む。
 結局の所、ルディアが嫌な予感を覚えるのも、その勘を押し殺して操舵を引き受けたのもあの少女が原因だ。
 魔術師としての勘が少女は異常だ並の者ではないと訴える。
 だがあの少女が目を覚ましたときに最初にみせた剣技……あれはルディアを助ける為の物だった。
 あの時飛び込んできた砂弾の先にはルディアがいた。
 茫然自失として腰を落としていたルディアは避けることが出来ずに直撃を受けて、簡単に命を落としていた。
 思いだすと背筋がぞくっと震えルディアは背を竦める。
  
 
「無事なんでしょうね」


 助けられた恩は返す。
 嫌な勘を覚えながらもそれでも引き受けたのはそんな簡単な理由だった。
 一通り目を通したルディアが再度見直そうとした時に、正面の小型船倉の扉が開かれた。


「わりぃ。姉ちゃん待たせたな」


 中から出てきたのは武器商人のマークスだ。
 麻痺の影響が残り若干ふらつき気味な大男は長く幅広い品物を抱えている。丈夫そうな布で幾重にも包まれたその形状は大剣の形をしていた。
 元から狭い小型船倉に荷物が詰め込まれていた所に、先ほど解析魔法陣を作るために荷物をこちらにも移していたために倉庫の中はギュウギュウ詰めとなっていた。
 そんな所に大柄なマークスと痩せ形ではあるが長身なルディアの二人が入って品探しをするのは難しい。
 結局麻痺の影響はあるが取ってくる品が判るマークスだけが船倉へと入り、その間にルディアは先守船の操縦を極々簡易にではあるが覚えていた。
 

「悪いがこいつをあのクソガキに届けてやってくれ。散々虚仮にしてくれたあのガキに対する俺の意趣返しだ。使えるもんなら使ってみろってな」


 頬に残る獣爪の傷跡を歪ませながらにやりと笑うとマークスは扉へと身体を預けて座り込んでしまう。
 まだ麻痺が完全に抜けていないのに気力だけで立っていたのだろう。 


「大丈夫ですか?」


 ルディアは助け起こそうと手を伸ばすが、その手を拒むようにマークスは剣をルディアに差し出す。
 こっちは気にせず早く届けてやってくれとその目は訴えている。
 目に宿る力は強い。
 これなら大丈夫だろうとルディアは無言で頷き、剣に手を伸ばしてそして目を驚きで見開く。


「……何これ」


 目算でも長さはルディアの半分ちょっと1ケーラはあるだろう。横幅も握り拳二つ分ほど厚さもそれなりにある。
 剣と言うからには金属、もしくはそれに準じる硬度と質量を併せ持つ存在のはずだ。この大きさならルディアが持ち上げるのも一苦労するほどの質量を持つはずだ。
 だが渡された剣は軽い。軽すぎる。中身は空ではないのかと思えるほどだ
 ルディアは包み布に指を触れてみる。
 力など込めていないのにたったそれだけで包み布の中身は柳の枝のようにしなった。
驚き顔のまま包み布をずらすと鈍く光る金属が顔を覗かせる。
 確かに刀身は実在しているようだがどうにも現実味が薄い品だ。


「驚いただろ。そいつは通称『羽根の剣』。見た目は金属剣だって言うのに、通常状態だと鳥の羽一枚分の重さ。折れはしないが簡単に曲がる上に柔らかな弾力があって切ろうとしても相手に当たった刀が跳ね返ってくるって巫山戯た奇剣だ」

 
 とても剣を説明しているとは思えない言葉が並ぶがマークスの顔は真剣だ。
 冗談でも巫山戯ているわけでもない。大事な説明だと肌で感じたルディアは驚きを覚えながら黙って続きを聞く。 


「いろいろと転々としてきたみたいで出所も不明なんだが、俺の勘じゃドワーフたちの総本山エーグフォランで作られた試作品じゃないかと思う。下手すりゃ七工房のどれかが関わっているかも知れねぇな」


 金属合成、加工においてドワーフたちに並ぶ者はこの世界にいない。
 出所不明、製作法不明な金属製品が出てきたのならば、ドワーフたちの手による物と考えてまず間違いはない。
 そしてそのドワーフたちの地底王国エーグフォランと王国直下の七つの工房は、その中でも群を抜いた知名度と常軌を逸した技術力で知られている。
 中には戦闘中のモンスター相手に金属片を打ち込みハンマーで形成して、特性を残したまま生体金属の剣や鎧に変えてしまうと伝説が残るほどの名工達すらも存在する。
 

「ただこいつは失敗品だ。これを作った奴、もしくは考えた奴はまったく使い手の事なんて考えちゃいねぇ。ただ作りたいから作ったのが伝わってくる使い物にならない剣だ。だがあのクソガキならこいつを使えるはずだ。小生意気って言葉も裸足で逃げ出すほど傲岸不遜な奴だが……」
 
 
『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』

 最後に少女が残した言葉をマークスは思いだしていた。
 高速で迫る砂弾に一瞬の判断で剣を合わせ弾くなど、平凡な才しか持たない剣士や、ましてや年端もいかぬ子供に出来る技ではない。
 肉体を操る能力『闘気』に長けてこそあの神業は成立する。
 
 
「ありゃ天才だ。なら闘気剣であるこのじゃじゃ馬を、あのクソガキなら上手く操ってみせるだろうさ」


 天才に合わせた剣を武器屋として見繕ってやる。
 少女を捜し出して武器屋としての誇りと矜持を賭けた一品を突きつけてやろうと決めていたマークスは忌々しげな表情ながらも口元にはにやりとした笑みを覗かせていた。


















 次のタイトルは弱肉強食②で行く予定です。 
 剣の性能やらは次話で軽く書けたらと。
 後2話くらいで砂漠を抜けて次の短編的な地方都市話の予定です。
 そこで探索者についての基本設定をやれたらと思っております
 まぁその前に今回の剣の考案者側サイドでも入れようかとも考えておりますが。

 稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。



[22387] 弱肉強食②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/30 00:15
 じっと一カ所に留まっていると砂に沈み込む。
 少女は深い砂に足を取られないように、サンドワームを見据えながらじりじりと円を描くように動く。
 一方でサンドワームは蛇のように鎌首を持ち上げて、口内に広がる放射状に生えた牙を蠢かせ威嚇しながら少女を追う。
 地中を住処とするサンドワームには目はない。
 その代わりに嗅覚に優れ、また獲物の熱を感知する能力を持つ。
 この極寒かつ暗黒に染まる常夜の砂漠において、サンドワームの有する索敵能力は優れた物だ。
 少女が隙を狙おうとしても、易々と不意をつける物ではない。
 動かない両者の間に一瞬の静寂が訪れ……


――キュウ……


 不意になった小さな異音で破られる。
 異音を合図にサンドワームが持ち上げていた首を一気に振り下ろすが、そんな大振りな攻撃を少女が見逃すわけもない。
 横に跳びながら牙を交し、ついでとばかりに剣をサンドワームの頭部へと叩きつけた。
 だがあっさりと剣は弾き返される。
 しかしそれは予想の範囲内。
 少女は一足飛びの距離を取り、どうすれば致命的攻撃を加えることが出来るだろうと模索する。
 首を戻したサンドワームもまた威嚇しながら少女の出方をうかがう。


――キュゥゥ……


 またも異音が響いた。
 音は少女にとっての隙ではないと学習したのか、サンドワームは今度は仕掛けては来なかった。。


「…………むぅ。お腹すいた」


 小さく鳴るのは少女の胃だ。
 先ほどまではまだ余裕があったが、いまは空腹を訴えはじめていた。
 年端もいかない少女の化け物じみた戦闘能力を支えるのは、肉体強化の力『闘気』。
 そして闘気とは全ての生き物が持つ力『生命力』を変換して作り出す。
 少女にとって空腹は即ち生命力の低下と同義である。
 戦闘力を維持できるのもあと少しだ。
 休憩場所としていた灯台からも大分離れてしまい、月の無い夜空と変わらない程度の微かな灯りの中では、何とかサンドワームの影から一挙手一投足を見いだすのも、きつくなってきた。
 これ以上の長期戦は不利になるばかり。
 状況判断から、自らが動くべきだと判断した少女はにらみ合いを止めると、砂を蹴って一気にサンドワームへと肉薄する。
 少女の突撃に対しサンドワームが頭を振り下ろす。
 鼻先を轟音を纏ったサンドワームの頭部が掠め、硬い岩盤を砕く牙が外套の裾を切り裂く。
 サンドワームの攻撃は、どれ一つとってもまともに食らえば全てが致命傷となる一撃となる。
 だが少女はあえて真正面から踏み込んでいく。


――躱す。躱す。躱す。斬る。


 左に、右に、身を屈め、跳び上がり、持てうる限りの体術を駆使し無理矢理に死線をくぐり抜ける事で、僅かな猶予を作りすかさず斬撃を叩きこむ。
 剣が届く己が両腕の間合いこそが、絶対唯一の戦闘圏と信じるからこそ、死地に身を委ねる事ができる。 
 しかし少女の剣は硬い外皮と弾力を持ち伸縮自在な筋肉によって簡単に弾き返される。
 折れた剣には切れ味など無いに等しい刃元しか残っていない。
 足下の柔らかい砂地は踏み込む力を拡散させ、剣へと乗せる力が激減する。
 回避しながら繰り出す斬撃は体勢が不十分な上、サンドワームの動きもあって刃筋が立たない。
 生半可な斬撃ではサンドワームを斬るのは難しい。
 それでも少女の心に諦めという概念はない。 
 握り拳一つに満たない長さでも刃は残っている。
 砂を蹴るタイミングをもっと繊細に一瞬に力を集中しろ。
 次を。
 次の次を。
 そのまた次を。
 常に次を意識し動き体勢を作れ。
 自分が望めば何でも出来ると信じている。
 だからこそ成長を続ける事ができる。
 今この瞬間に強くなればいい。
 斬れないモノを斬れるようになればいい。


――躱す。躱す。斬る。躱す。躱す。斬る。躱す。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。斬る。躱す。躱し斬る。斬る斬る。躱し斬る斬る斬る。


 一手。
 また一手。
 激しく巡る血でたぎる身体の熱に任せて、斬撃を繰り出す事に少女の攻撃は鋭く強くなっていく。
 それでも頑丈すぎるサンドワームに傷一つさえつけることができない。
 まだ足りない。
 もっと踏み込めるか?
 己に対し問いかけて、身体の状態を確認。
 無理な動作に体中が新鮮な空気を求め喘ぎ、限界が近い事を訴える。
 本能に従い攻めるべきか。
 それとも理性の判断通りに一端距離を取るべきか。
 一瞬の逡巡が少女の攻め気を鈍らせ、流れるような連続行動に刹那の間隙が発生する。
 少女の隙に対しサンドワームがすかさず動いた。
 喉元を微かに膨らませ口を開く。
 漂う微かな刺激臭。
 自らのダメージ覚悟の近距離での炸裂弾。
 しかし少女とサンドワームの身体構造では、受けるダメージの差は大きい。
 この近距離では地面に潜って回避する手も使えない。
 とっさに判断を下した少女は、両腕を顔の前に回して、後ろに跳び下がり早急に距離を取る。
 サンドワームは咽喉に赤色の砂弾を覗かせ、発射……しない。
 冷たい外気を吸い込み砂弾を飲み込んだ。


――フェイント!


 サンドワームの狙いは距離を取らせる事だ。
 少女が気づいたときには、サンドワームは既に次の動きへと移行していた。
 身体を反らせて頭を持ち上げ、後ろ部分だけで巨体を支えながら天を仰ぎ、自ら身体をバネのように収縮させていく。
 20ケーラはあった体長が瞬く間に13ケーラほどにまで圧縮される。
 サンドワームの不可思議な動作に少女の背中が総毛立つ。
 この攻撃はまずいと理性と本能が同時に訴え、生命の危機を感じた少女の思考が最大加速し始めた。
 天を向いていたサンドワームが、口蓋を大きく開きながら砂煙を巻き上げ地面へと倒れる。
 激しく砂をまき散らしながら、サンドワームが溜め込んでいた力のくびきが解き放たれた。
 全身をバネとしたサンドワームの巨体が水平に跳ねた。
 その突進は先ほど地面を這ってきた攻撃よりも段違いに速く直線的だ。。
 大きく開いた口蓋の中に見えるはこの暗闇の中でも姿が判るほどに巨大な牙が蠢く。
 これはサンドワームにとっても奥の手。
 無理矢理な圧縮と急激な跳躍の反動で頑丈なはずのサンドワームの皮膚が到る所で裂けているほどだ。
 内部にも少なくないダメージがあるだろう。
 己の負傷と引き替えにサンドワームは、砂船の装甲すら容易く食いちぎるであろう高威力と、身軽な少女ですらも攻撃範囲外に避ける暇を見いだせないほどの速さを得た。
 まさに全身全霊を込めた必殺の一撃。
 勝敗は常に背中合わせ。
 拮抗している者同士であればそれはなおさら。
 勝者とは決断した者。
 敗者とは躊躇した者。 
 数限りない戦闘経験から、サンドワームの覚悟を悟った少女は自らも覚悟を決めた。
 自ら封じていた剣技二流派のうち一つを解放する。
 一つは己の素性を隠すために。
 もう一つは身体負担と武具損傷が激しすぎるが故に。


「帝御前我剣也」

 
 細く息を吐きながら柄へと左手を伸ばし、両手持ちにして右肩の前に持ち上げる。
 両足を左前右後へと開き、前に三分。後へと七分の力を。
 折れた刀身は右肩に担ぐように這わせる。
 丹田より生まれる闘気を全身に張り巡らせる。
 膝を軽く曲げて前傾姿勢に。
 今まで剣の型などあって無きものだった自由無頼な剣を振るった少女が、ここに来て始めて見せる堂に入った構え。
 一瞬で剣を構えて見せた少女は、目の前に迫る大木のようなサンドワームの巨体に対しても臆する様子は微塵も感じさせず、じっと前方を睨む。
 少し吊り気味の気の強さを現す瞳が盛んに動く。
 驚異的な思考速度は、今も昔も少女にとって最大武器。
 狙いは一点。
 ただ一瞬。
 刹那にも満たない時間で少女は情報を集め、思考を張り巡らせていく。

 
 ……………見えた。

 
 大地を抉る勢いで右足を踏み込みながら身体全体を使って剣を振り力を切っ先へと。
 握り拳一つ分しか残らない刀身にうねりを起こしながら大気を切り裂き、サンドワームを遙かに凌駕する速度で剣を振り下ろす。

    
「御前平伏!」
   

――グザッッ!!!!!


 剛の一撃に対し、柔にして剛なる剣を。
 轟音と共にサンドワームの頭蓋に打ち込まれた剛剣は分厚い皮膚をついに打ち破り、それだけでは飽き足らず、横に向かって跳んでいたはずの超重量の進行方向を垂直へと一気に変化させる。
 巨大なサンドワームを雷のごとき速度で砂漠へと叩きつけた一撃は、全方位に広がる砂津波を引き起こし、大量の砂塵を空中へと巻き上げながらも少女とサンドワームの姿を瞬く間に覆い隠していった。
 



 









「っ!?」


 身を震わすような轟音に操舵に向けていた意識が一瞬おろそかになった。
 たったそれだけの気のゆるみで挙動が怪しくなった先守船が大きく揺れる。
 船尾下部に備え付けられている小型転血炉を制御する陣に手をかざすルディアは、船底の四つの浮遊陣へ送る魔力量を調整して、なんとか船体を立て直す。
 柔らかい砂地に沈み込むために車輪が使えず、過酷すぎる気象状態故に通常騎乗生物も適さないリトラセ砂漠。この地において大型貨物運搬や高速性を求め金貨とさほど変わらない価値がある高価な転血石を大量消費するデメリットを抱えながらも、砂船は日々進化を続けている。
 そして高速性を追い求めた進化の最先端をひた走るのが先守船だ。操舵は難しいどころの騒ぎではない。
 ひたすらに高速性と旋回能力を高めたために、僅かな地形の変化でバランスが崩れるほどに操作性は最悪の一言。
 素人であればまともに走らせることさえ難しい。だがぎりぎりではあるがルディアは何とか操っていた。
 
 
「クライシスさん今のは?」 


「判らん。あの嬢ちゃんが向かった方向だ。段差連続! 速度上げろ! 一気に乗り越えろ!」


 舳先で片膝をつき光球で前方を照らしながら監視を行うボイドが注意を促す。
 前方の砂面が細波のように波立っている様子が進行方向の地面を映し出す水晶球にも映し出される。
 先ほどの轟音はなんだったのか? 
 一体何が起きているのか? 
 ルディアには想像もつかない。
 だが今は分からない事を悩んでいる暇も余裕もない。
 集中して船を操るだけだ。
 

「了解! 速度を上げます。気をつけて下さい!」


 臆して速度を下げれば中途半端な速度で段差に乗り上げもろに影響を受ける事になり、操舵が怪しくなることは既に大剣済みだ。
 意識を集中させ炉を操る。四つの魔法陣へ送る魔力を増大させつつ、地面に対し角度を浅く。
 ルディアのイメージしたとおりに、先守船が速度を増し耳元で風が渦巻き風除けのゴーグルに宙を舞う砂粒が音を立てて当たってくる。
 この速度で横転すれば、一帯が柔らかい砂地としても大怪我は免れない。
 最悪、死んでしまうことすらも十分に考えられる。
 ルディアはわき上がる恐怖感を息と共に飲み込み、船を砂の波へと真っ直ぐに突っ込ませた。
 微かな震動はあったが一秒にも満たない僅かな時間で、気負っていたルディアが拍子抜けするほどあっさりと砂船は段差を乗り越える。
 

「しゃ! 上手いぞ薬師の姉ちゃん。こっち向いてるんじゃないか! ちょっと慣れれば戦闘走行もいけそうだな!」


「勘弁して下さい。こっちは冷や汗ものなんですから」


 指を鳴らして振り返ったボイドに、ルディアは安堵の息を吐き出しながらあげていた速度を元に戻す。 
 ルディアの操っているのはあくまでも通常走行用設定。
 これが戦闘や緊急時用の出力限界設定ともなれば手が出ないし、出したくない。


「それより前は? 気配は感じるんですか」


 ルディアにはまったく判らないが、闘気系に長けた戦士であるボイドは生命体であればある程度離れていても感じる事はできるらしい。
 魔術にも索敵系の術は数限りなくある。
 むしろ索敵捜索は魔術が主な役割を担うのだが、一般生活に必ずしとも必要な技術ではない。
 その所為で薬師としての生活に重点を置いているルディアが使えるのは、野宿用の近距離接近探知くらいだ。
 再び前を向いたボイドがじっと暗闇を見据える。
 先ほどの轟音が再度響いてくる様子はない。
 不気味なほどの静けさを取り戻した砂漠には、風を切る音だけが響く。 
  

「さっきまでは強いのが二つあったんだが……一つに減っているか。終わったみたい……まだか!?」

  
 ボイドが叫んだ次の瞬間、遠方で閃光が幾つも煌めき、ついで立て続けに爆発音が響いてくる。
 断続的に続く閃光や爆音には規則性など無く、手当たり次第無差別に攻撃しているようだ。

 
「ちっ!? なんだありゃ!? まさかサンドワームか!?」


 少女は魔力を持っていないと言ったと聞いている。
 あれほどの爆発を何度も起こせるほどの魔具を所持していた様子もない。
 そうなれば考えられるのはサンドワーム。もしくは新手。
 通りすがりの他船や探索者が救援に入ったという可能性もあるが、都合の良い期待をしない方が良いだろう。
 

「姉ちゃん。冗談抜きで速度をあげられるか。とっとと行かないと不味いな」


「……正直いえばこれ以上は無理です」


 切羽詰まった状況であるのは判るが、一瞬ならともかく今の速度を維持するが限界だ。
 この先には先守船では超えられない急角度の砂山が幾つも見えている。
 合間を縫うように避けて進まなければならないので、さらに時間はかかるだろう。
 どこを進めば一番早く進めるだろうと考えていたルディアの頭上でバサッと羽音が響いた。
 この極寒の砂漠に普通の鳥などいるはずもない。
 新たなるモンスターかと操舵に気をつけながらルディアは頭上を仰ぐ。
 ボイドも気づいたのか上を見上げるが、すぐに口元に微かな笑みを浮かべた。
 鳥にしては大きな影は高速移動中の先守船へと速度を合わせながら下降してくる。


「はぁ……ふぅ……ボ、ボイド! 麻痺だろ。どうしたんだ。それにお嬢は!?」


 影の主はコウモリのような羽根を生やした魔族の青年だ。彼は甲板に降りるなり力尽きたようにその場に座り込んでしまう。
 息は切れ切れの見知らぬ人物に一瞬警戒を見せたルディアだが、どうやらボイドの知り合いのようだと気づき、すぐに警戒を弛める。


「無事だったか丁度良い所に来やがったな! ヴィオン。薬師のルディア嬢。セラが直衛に回ってるから代わりに操舵を頼んだとこだ……」

 
 一方のボイドは降りてくる前に正体に気づいていたのか特に驚いた様子も見せず、ルディアとヴィオンの両者へと互いの紹介を手短に終わらせると、時間がもったいないとばかりにすぐに状況説明を始める。
 ボイドの真剣な表情から状況を察したのか、ヴィオンは黙って聞いていたのだが、段々と困惑気味の顔になる。
 助けた少女がサンドワームのうち一匹を引き受けたと船を飛び出したと聞いた所でたまらず口を挟む。


「おいおい冗談だろ? あのガキンチョ死にかけだったじゃねぇか。それにサンドワーム相手に単独だ。解放してないにしても現役探索者の俺ですら苦労してようやく片付けてきたんだぞ?」


「冗談じゃねぇんだよ。お前まだ飛べるか? 俺の神印開放じゃ時間的に辿り着くのがやっとだ。俺を連れてってくれると助かるんだが」


 未だ閃光と爆音を響かせる戦場をボイドが指し示す。
 ヴィオンは少し考えてから首を横に振る。
 

「わりぃ。こっちも生命力限界で魔力をひねり出すのが難しい。俺一人ならともかくお前を抱えては無理だし、ちょっと休まないと戦闘もきつい」


 ヴィオンは随分と疲労しているようだ。
 本人が言う通り十分な魔力変換を行うのは難しいだろう。


「無理か……他に何か」


 ボイドが左手で鎧をこつこつと叩きぶつぶつと呟き出す。何か手がないかと考えているようだ
 ルディアも早くあの場所へと向かう方法はないかと考えてみるが、良いアイデアは思い浮かばない。
 考えあぐねている間に最初の砂山が近付き風が強くなってきた。
 風の影響で地形も単純な平坦ではないのか船が小刻みに揺れ、何度か跳ね上がる。
 目の前の砂山を直接越えれば大きくショートカットできるだろうが、マニュアルを読んだ限りでは先守船の性能を大きく超えていた。


(この跳ね上がりを使って一気に出力を上げれば……って無理に決まってるでしょ)


 一瞬博打的に挑んでみようかという誘惑に駆られそうになったルディアだったが、足下に何かがこつんと当たり我を取り戻す。
 不可能を可能とする。
 御伽噺の英雄や勇者のような都合の良い存在など自分の柄じゃない。
 人を遙かに凌駕する天才的な才能など自分にはないと思い直す。
 今はともかく出来うる限りの速さで船を進めるだけだ。
 例え遠回りでも辿り着けば、現役探索者が二人もいるのだ何とかなるはずだ。
 炉の制御へと意識を集中させ船を麓沿いに進ませながら、ふとルディアは先ほど足に当たった物はなんだろうとちらりと下を見る。
 足下にあったのは布に包まれた長く幅広な形の品。
 少女へと届けてほしいと頼まれた大剣だ。
 どうやら鳥の羽一枚の重さしかないという軽すぎるこの剣が、さっきの跳ね上がった衝撃で滑って当たったようだ。
 現役探索者が向かうのだから、頼りない重さの剣を一本。しかも届け先はあんな小さな少女。
 普段のルディアなら当然思っただろうが、どうにも今は違う。
 なんというか厄介事ではあるが、ここが分岐点だという予感がひしひしとする。

 
『ありゃ天才だ』


 剣を託した武器商人マークスの言葉が脳裏に響く。
 少女の剣戟をルディアが視たのは倉庫での一振りだけだ。
 だが一度だけでルディアも全面同意するしかない心情になっている。
 剣さえまともならば、もっと凄いことをしてのけるだろうと思わせる物があった。
 せめて剣だけでも先に届ける事はできないだろうかとルディアがふと思ったとき、鎧をこつこつと叩いていたボイドの指が止まった。
 どうやら何か考えついたようだ。
   

「……ヴィオン! 風を操るくらいならいけるか長距離投擲魔術だ」

 
「ん。あぁ。それくらいならできる。でも重いのは無理だし、一直線に飛ばすだけだぞ」
 

 ボイドが右手に握る長柄斧を見たヴィオンがそいつを飛ばす気かと目で問いかける。
 だがボイドはにやりと笑って暗に否定し、ルディアの足下を指さす。
 指さす先には転がってきた剣がある。


「心配すんな。羽根のように軽いって売りの剣に、ちょっと通信用魔具を付けるだけだ。後は……」
 

 ボイドの作戦は単純だ。
 剣と一緒に通信用魔具を付けて投擲魔術によって交戦地点へと一足先に送り届けようという事だ。
 少女本人の弁を話半分でも信じるなら剣さえあれば少しくらいは時間が稼げるだろう。
 それに通信魔具を送ることで先守船が向かっている方角へ逃げてくるように言えば合流も早くなる。
 不安要素は本船でも起きていた魔力吸収物質の混じった砂弾の影響による魔力障害だが、砂が留まる船内よりも分布濃度は格段に下がっているはずだ。
 短時間なら問題はないだろう。
 他に良い手も思いつかないので、ヴィオンが休憩もそこそこにすぐに準備を始めることになった……のだが、
 

「マジでこれ剣なのか。軽すぎんだけど。それにあのガキンチョもホントに強いのか?」


 ヴィオンは不審げに眉を顰めながらも、左手で柄を掴み右手に魔術触媒の混じった白墨を持って、剣を包む布へと投擲魔術の印を描いていく。
 投擲魔術とは文字通り物を投げることに特化した魔術だ。魔術による風を纏わせる事で、投擲距離を飛躍的に高める事ができる。
 高位の術ともなれば、空中で方向や速度を自由に変えて操ることも可能になる使い勝手の良い術だ。


「大丈夫だろ。クマさんの選んだ武器だ。闘気剣だとよ。嬢ちゃんの方も相当やるみたいだ。セラが妙に意識してた。あの嬢ちゃんは普通じゃないってな。あと助けに行かなくても大丈夫じゃないかって巫山戯たことぬかしてたから一発殴っといた」


「おまえなぁ……後で兄貴に殴られたって愚痴をこぼされるの俺なんだぞ。兄妹間のもめ事は当人同士で解決しろよ」


「わりぃ。まかせるわ」

 
 二人とも一見のんびりと話しているようにも見えるが目に浮かぶ色は真剣その物で、ボイドは前方監視に余念はなく、ヴィオンの手も休むことはない。
 おそらくは適度に緊張感をほぐす為の雑談なのだろう。


「そういや薬師の姉さん、柄を持って闘気を込めれば発動するのかこいつは?」


 印を描きながらヴィオンが尋ねてくる。
 時間がなかったためにマークスから剣の効果を直接聞いたのはルディアのみだ。
 

「えぇ。柄から闘気を送ると刀身の硬度と質量を増すって……あぁダメです! 込めようとしないで下さい。抜けるまで時間が掛かるのと、あと欠点があるんで!」


 説明の途中でどれと小さく頷いたヴィオンが試しに柄から闘気を込めようとしているのを見てルディアは慌てて引き留める。
 軽量性が無くなるのも問題だがそれよりも剣が持つ欠点の方が重要だ。
 下手すれば先守船が沈む。
 慌てるルディアの様子をみたヴィオンは少し残念そうな顔を浮べた。


「あいよ。どうなるか見たかったんだが。後にしとくか……おし。準備完了だボイド。目印用に先端に光球も付けとくぞ」


 ヴィオンが指で二、三度叩くと布に描かれた印が淡い光を放ち、大剣を覆うようにつむじ風が渦を巻き始める。
 術に問題がないか確認したヴィオンは舳先に膝立ちするボイドへと手渡す。


「姉ちゃん。しばらく真っ直ぐ。少し速度を落としていいから揺れも抑えてくれ」

 
 剣を受け取ったボイドは首飾り型の通信魔具を布の端へと縛り付けながらルディアに短い指示を出す。
 距離が離れているのでちょっとのズレが大きな誤差となる。極力揺れを抑える方が良いのだろう。


「はい。速度、弛めます」


 ルディアは進路を維持したまま、少しでも揺れを抑えようと出力を調整していく。
 僅かに速度が落ちて船の揺れもガタガタとした震動からカタカタとなる程度に収まっていく。


「嬢ちゃんが剣を受け取ったらすぐに説明を頼むぞ。あんたしか嬢ちゃんと直接話してないからな。俺等じゃ不審がられるかも知れねぇ……デタラメに動いてやがる。逃げ回ってるのか? どこに落とすか難しいな」 

 
 右手で柄を持ち左手で大剣の中程を支えて切っ先を斜め上へと向けながら小刻みに方向や角度を変え調整しつつボイドがぼやく。
 砂山に隠れてこの位置からではまだ戦闘地点を視認することが出来ない。
 魔力の切れた魔術師と未熟な薬師兼魔術師では広域探知術も使えず、少女の位置予測はボイドの生体感知に掛かっている。 
 一〇秒ほどでゆらゆらと動いていた切っ先がピタリと止まる。方向が決まったようだ。 

「ヴィオン。距離二四〇〇から二五〇〇ケーラ……3で離す」


「了解。いいぞ」


 手慣れたやり取りをボイドと交わしたヴィオンが、魔術文字が刻まれ幾つか宝石が埋め込まれた槍を石突きを下にして甲板の上に垂直に立てる。
 どうやらルディアのマインゴーシュと同じく、この槍も魔術杖と兼用になっているようだ。


「いくぞ1……2……3っ!」


 ボイドがカウントダウン終了と同時に剣を離し、ヴィオンが即座に槍の石突きで甲板を軽く叩いた。
 ガラスが割れるような高音が響き投擲術が発動する。
 剣の周りを覆っていたつむじ風が回転の勢いを強めて剣を巻き込みながら、一気に闇の空へと駆け上がっていった。
 

「おし! 方向はばっちりだ!」


 狙い通りの方角に飛んでいったのかボイドが会心の笑いを浮かべて手を叩く。
 ヴィオンは槍を甲板に置いて一息吐いてから船尾の操作魔法陣に陣取るルディアの側へと歩み寄った。
 
 
「操舵を替わる。ガキンチョへの説明しながらじゃ集中しにくいだろ」


「助かりますけど、大丈夫ですか? 魔力があんまり無いんじゃ」
 

「あー問題無い。こいつ操るくらいの余裕はさすがに残してあるからよ。普段が操舵をお嬢に任せっぱなしだからたまにやらないと忘れそうなんでな」


 ルディアの心配に対してヴィオンは船体をぽんぽんと軽く叩きながら軽口を叩く。


「すみません。じゃあお願いします」


 この様子なら大丈夫だろうと頭を下げてルディアが場所を譲ると、ヴィオンがすぐに入れ替わりに操舵を始める。
 替わった直後に転血炉の音が少し甲高くなり速度が上がっていく。
 今の速度がルディアの限界だったが、ヴィオンにはまだまだ余裕の範囲内だったようだ。


「姉ちゃんそろそろ嬢ちゃんがいる辺りに飛び込むはずだ。上手く拾ってくれれば良いんだけどよ」


 無用の心配だったかとルディアが思っていると、ボイドが通信魔具である首飾りを投げて寄越してきた。
 探索者用なのかルディアが知っている物よりも随分頑丈そうな作りとなっている。
 首飾りの輪の真ん中には小振りの宝石が幾つかぶら下がっている。
 通信魔具は魔術処理を施した宝石を複数に割り、石の欠片を共振させることで遠距離での会話を可能とする魔具だ。
 
 
「右から四つめの緑の石が今飛ばした奴に繋がってる。こいつは魔力蓄積型の魔具だから魔力がない嬢ちゃんでも使える品だ。軽く石を叩けば繋がる。とりあえず呼びかけてみてくれ」


「判りました……ちびっ子剣士近くにいる!?」


 石を指で弾いたルディアはありったけの大声を張り上げて魔具に呼びかけを始める。
 目立つように光球が付けてあるのだから飛び込んできた存在には気づいているかも知れないが、少女の近くに届いたのか、近くに落ちていても上手く拾っているかは賭だ。


「聞こえてたらこれ拾って! 石を指で……」


 まずは使用方法を伝えようとしたときに、少女の所に送った魔具と繋がっている緑色の石が淡く光り微かに揺れだした。


『……き……いる! ちょっと声を下げろ! うるさい! それにちびっ子とは失礼だぞ!』


 爆発音に混じりながら幼い少女の声が石越しに響いてきた。
 走り回っているのか多少息は切れているが元気その物だ。
 しかし安堵の息を吐いている暇はない。
 ルディアには伝えなければいけないことが幾つもある。


「あたしはさっきの砂船に乗ってい」


『その声さっきの船にいた薬師だな』


 ルディアがまずは自分が先ほどあった薬師である事を伝えようとしたのだが、少女はルディアの声で判ったのか一方的に話し始める。


『”これ”はお前のものか? 済まないが借りるぞ! ちょっと苦戦してたんだが、これなら何とかなりそうだ! 今は忙しいから後で改めてちゃんと礼を言うけど、とりあえずありがとだ! むぅ! 貴様! 人が礼を述べているときぐらいは少しは遠慮しろ! のびている間にちょっと囓ったくらいでそこまで怒るなんて心が狭すぎるぞ! お腹が空いていたんだし、どうせ今から貴様は私のご飯になるんだから大人しくしてろ!」
 
   
 少女の怒鳴り声に混じって爆発音や重い風切り音が響く。
 音の感じから至近距離だと思われるのだが、少女の声に怯えている感じはまるでない。
 強く砂を蹴る音も聞こえる。
 上手く回避しているようだが、それよりも少女の言う『囓った』だの『ご飯』だのがどうにも違和感がありすぎる。
 
 
「ち、ちょっと! あんた一体なにをやってんの!?」


『甲板にいた魔術師から聞いていないのか? サンドワームの変種と戦闘中だ! こいつの頑丈な皮膚に苦労してたのだがお前の送ってくれた”これ”で勝機が見えてきた所だ!』


 ルディアの聞きたいことはそういうことではない。
 だがどう聞いていいのかも判らない。
 ボイドとヴィオンに目をやってみると、二人も予想外の通話内容に目を丸くしている。
 遠目からも判る激しい戦闘の真っ最中にいるはずの少女との会話とは到底思えない空気だからだろうか。
 だがいつまでも固まっているわけにはいかない。


「あーもう! いろいろ聞きたいことあるけど全部後回し! 用件だけ言うから!」


 ともかく少女が剣を受け取った事は間違いない。
 気を取り直したルディアは剣の説明とすぐにそちらに着く事だけを伝えようと決め、


「聞いて! 送ったのは闘気剣だから! 剣に闘気を込める量で質量と硬度をある程度自由に換えられるんだけど欠点があっ!」


「剣?! あぁ! さっきの軽くて変なのか! あれなら邪魔だから後方に投げておいた! 目印に私の外套を巻きつけてある。後でちゃんと回収して返すから安心しろ!」


 しかしまたも説明途中で少女に遮られる。
 しかもその内容はルディアをますます混乱させる。
 せっかく送った剣を投げ捨てた?
 ルディアは自分の聞き間違いかと思い、ヴィオンとボイドに目で尋ねる。
 だが二人は沈痛な面持ちを浮かべて首を横に振った。
 どうやら聞き間違いではないようだ…………


「あ、あんた!? な、なに!? さっき借りるって!? 何!? 何を借りるって!?」


『だから”これ”だ。通信魔具に決まってるだろ! 足場に苦労していたんだがこれで『凍らせる』ことが出来る! 任せろ。一手で決めてやる!』 


 ルディアの問いかけに対して、まったく意味不明な返答を返した少女は、自信に満ちあふれた勝利宣言を謳った。



[22387] 弱肉強食③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/30 00:42
「これはお前のものか? 済まないが借りるぞ! ちょっと苦戦してたんだが、これなら何とかなりそうだ! 今は忙しいから後で改めてちゃんと礼を言うけど、とりあえずありがとだ!」


 鼻につく刺激臭。
 風を鋭く切る複数の飛来音。
 二種類の砂弾が迫ることを察知した少女は、通信魔具に向かい怒鳴るように礼を述べながら地を強く蹴り、宙へと跳び上がった。
 直後刺激臭を放つ砂弾が少女の右側に着弾し、大きな炸裂音を立てながら周囲の砂を吹き飛ばし砂漠に大穴を開けていた。
 もし今の攻撃が直撃していたら少女の身ではひとたまりもなかっただろう。
 襲いかかる熱混じりの横殴りの爆風を少女は身体を捻って受け流す。
 さらに爆風の勢いをも利用し空中で軌道を僅かに変化させることで、まるで猫のような身のこなしで後発の高速砂弾を回避する。
 だがさすがに無理があったのか体勢を崩して極端な前傾姿勢となってしまった。
 下が柔らかな砂地とはいえ、この勢いで頭から突っ込めばただでは済まない。
 砂に埋まり気管をふさがれる恐れもあり、何より首への負荷が大きい。
 とっさの判断で少女は頭を前に振り足を折りたたみ回転力を上げ、無理矢理に捻り気味の前方宙返りへと移行して足から着地しようとする。
 だが少女が思ったよりも高さと回転が足りない。
 このままでは回りきる前に背中から着地することになり、確実に次の行動に遅れが生じる。

 地面を指で弾くことで高さと回転を補えるか?
 
 可能……正し右腕の怪我を考慮する必要有り。

 駆け巡る思考が解決策と懸念を即座に浮かび上がらせる。
 少女の右手の親指と人差し指は根元が青黒く腫れ上がり、芯に響くズキズキとした痛みと焼けるような熱さを放っている。
 どれだけ楽観的に見積もっても折れているだろう。
 骨折の原因は先ほどサンドワームをたたき落とした対大型モンスター用剣技『御前平伏』
 突進してきたモンスターの重心を崩して地面へと叩きつける技は、重心を崩せる一瞬、一点を見極める眼力と、見極めた箇所、時に正確に打ち込むことの出来る技。
 そして打ち込みの瞬間に生じる膨大な負荷を受け止めてみせる強靱な肉体の三者が揃って初めて完成を見る。
 前者二つは少女は己の持つ力量と鍛錬により必要最低限とはいえ得ている。
 だが後者は未だ到らず。
 闘気を用いることで少女は人並み外れた力を発揮することができるが、それもまだ圧倒的に足りない。
 理由は至極単純。
 少女が扱う剣技は、暗黒時代に滅びたトランド大陸最大の大国であった東方王国の古流闘法が一派『邑源流』の流れを組む。
 本来は幾多の迷宮を踏破し、神より授かりし肉体強化『天恵』を得た探索者達の武技だからだ。
 技体系の全てとはいかずともこの歳で幾つも修得するほどのずば抜けた……それこそ化け物じみた才覚を少女は持つ。
 だが天恵による強化を持たずまだ幼いといっていい肉体は、その才覚に釣り合うほどではなかった。
 


「むぅ」


 右腕の怪我を考えれば無傷の左腕を使うしかないが少女は躊躇する。
 左腕には先ほど拾った通信魔具の紐を手首に巻きつけてぶら下げてあり、それ以外にもサンドワームがのびている間に切り取った肉片を拳の中に握り締めていたからだ。


(借り物を傷つけるわけにもいかないか。それにちょっとならともかく砂まみれは美味しくない)


 奇妙な部分で律儀かつ、どのような状況下でも己の嗜好を最優先する思考が左腕を使うという選択肢を外す。
 時間にしてみればほんの一瞬。
 少女自身からすれば長考を終える。
 砂漠へと落ちるすんでの所で、己の鍛錬を信じ右手を鋭く振る。
 さらっとした柔らかい砂の感触を指先に感じた瞬間、砂を強く掻き弾いた少女は無理矢理に回転の勢いを増す。
 釘を刺したようなずきりとした痛みに顔をしかめながらも、少女は回転を終え足から着地してみせた。
同時にサンドワームにたいして少女は不機嫌を隠そうとしない怒声をあげる。


「貴様! 人が礼を述べているときぐらいは少しは遠慮しろ! のびている間にちょっと囓ったくらいでそこまで怒るなんて心が狭すぎるぞ! お腹が空いていたんだし、どうせ今から貴様は私のご飯になるんだから大人しくしてろ!」


『ち、ちょっと! あんた一体なにをやってんの!?』


 驚き声をあげる薬師の声が響くなか、次なる飛来音を既に幾つも捉えていた少女は次の一歩を踏み出す。


「甲板にいた魔術師から聞いていないのか? サンドワームの変種と戦闘中だ! こいつの頑丈な皮膚に苦労してたのだがお前の送ってくれた”これ”で勝機が見えてきた所だ!」


 再び走り出した少女を追いかけ、幾つも砂弾が降り注いでくる。
 雨あられのように降り注ぐ弾幕から身を守る鎧も防御魔術を使う魔力も少女は持たない。 
 あるのは異常なまでな才覚と共に鍛え上げた肉体と培った体術のみ。
 直撃を喰らえば一瞬で絶命する。
 窮地というべき状況でも、少女の顔に恐怖はない。
 吊り気味で勝ち気な目にただ光を強め、自身の勝利を疑っていない。


『あーもう! いろいろ聞きたいことあるけど全部後回し! 用件だけ言うから! 聞いて! 送ったのは闘気剣だから! 剣に闘気を…………』


 軽い身のこなしで回避を続けながら薬師の言葉に少女は耳を傾けていたが、至近で起きた爆発で言葉がかき消された。


「剣?! あぁ! さっきの軽くて変なのか! あれなら邪魔だから後方に投げておいた! 目印に私の外套を巻きつけてある。後でちゃんと回収して返すから安心しろ!」


 話の途中までしか聞こえなかったが、薬師がいっているのは通信魔具を括り付けてあった布に包まれた剣らしき物だろうと少女は当たりを付け、こちらの声が届くかどうかわからないが、無事だと伝えてやろうと声をあげる。
  

『あ、あん…… な……!? さっき借り…… 何!? 何を借りるって!?』


「だからこれだ。通信魔具に決まってるだろ! 足場に苦労していたんだがこれで凍らせることが出来る! 任せろ。一手で決めてやる!」
   

『通信魔具っ?! 凍らすって!? 言……る……だけど!? ちょ……あんた何……』


 左腕に巻きつけた通信魔具からクリアに響いていた薬師の声に徐々に雑音が混じり小さくなってきた。
 だが少女は慌てない。
 軽度の魔力障害で通信魔術に不具合が生じてきただけの事。
 こちらの声もあちら側にそろそろ届かなくなってきたはずだと当たりを付ける。
 軽度魔力障害の原因。それはサンドワームが撃ち出す魔力吸収弾だ。
 着弾の衝撃で砕け散り空中に飛び散った砂塵に含まれるリドの粉末によって周囲の魔力が吸収されている。
 攻撃、防御、回復、索敵、通信。
 戦闘に関する魔術だけでも多岐にわたる。
 だがどれだけ高度な術であろうと大元の魔力を吸収されれば、効力は著しく落ちるか最悪発動すらしない。
 それは魔具も例外ではない。
 魔力障害環境下での戦闘行為は魔術師職のみならず、自己強化術や付与、もしくは魔力剣装備を用いる戦士職も苦戦するだろう。
 だが魔力を持たず自己強化を仕えず、仲間もなく、ただの剣を一振り携え単独で戦い続ける少女からすれば、どれだけ魔力吸収物質が周辺に散布され濃度が増そうが支障はない。
 むしろこの魔力吸収弾による、濃度上昇こそ少女は待ち望んでいた。
 特に左手に持っている通信魔具が届いてからは、サンドワームの撃ち出す魔力吸収弾の割合が大幅に増え一気に濃度が上がってきている。
 他者との連絡手段の途絶する程度の知能をサンドワームが持ち合わせていた幸運を嬉しく思い、また送ってくれた薬師に対し少女は感謝していた。



 一方で攻撃を続けているサンドワームも無傷ではない。
 少女の強烈な一撃によって頭部に深い裂傷を負っていた。
 切り潰された醜い傷口からは、砂弾を発射する度に体液がびちゃびちゃと噴き出す。
 巨大なサンドワームから見ても軽い怪我ではないはずだ。
 だというのにサンドワームが放つ砂弾の数は減るどころかより増し、躍起になって少女を追いかけ回す。
 しかし弾数が増えたのに比例して狙いは粗くなっている。
 サンドワームの狙いがずれているのも、少女が何とか回避し続ける事ができる一因となっている。
 攻撃が荒くなった理由は少女にも判らない。
 感覚器官が損壊でもしてまともに狙いがつけられないから、数で補おうとしているのだろうか。
 それとも単に傷つけられて頭に血が上ってむきになっているだけか。
 あるいは……己が食されたことに恐怖を感じたのか。
 だが何にしても、今の状況が好都合なことには変わりない。
 満足げに小さく頷いた少女は、左手に握っていたサンドワームの肉塊に食らいつき噛み千切る。
 極寒の大気によって半分凍りついていた肉を、口の中で解かしながら咀嚼する。
 空中に舞っている砂塵が付着しているので砂のジャリジャリとした感触もするが気にせずかみ砕き嚥下する。
 砂に混じる甘酸っぱいリドの実や大サソリの毒のビリッとした味に、火龍薬の香ばしい匂いが混じって、味にアクセントがあるのはいいが硬く筋張っていてとても美味しいとは思えない歯ごたえが特徴的だった。


(内臓の方がコリコリしていて美味しかったな。ん。でもこっちは毒素が少ないから今はいいな)


 半日ほど前に食べた食感を思いだしながら、内臓より味は大分落ちると思いつつも少女はもう一口囓り咀嚼する。
 少女は手も足も出ずにただ逃げているのではない。
 文字通りの敵の血肉を喰らい力を蓄えながら反撃の機会を伺っていた。
不味かろうが上手かろうが、今の少女にとっては貴重な栄養源。
 内臓器官を闘気により強化し、食べた食物を一気に消化吸収していく。


(ここも撒いておくか)


 肉塊を口にくわえた少女は左手を空にすると、懐に突っ込み内ポケットをまさぐる。
 引き抜かれた左手には小指の先ほどの大きさの飴玉が握られていた。
 飴玉を掌で握り砕いて粉状にすると砂漠へと撒いていく。
 少女が砕いた飴玉は水を圧縮固形化したうえで軽量魔術を施した魔法薬『水飴』
 口に含むなり火に掛けた鍋に入れるなど熱を与えることで、熱量に合わせて徐々に元の液体状態へと戻る性質を持つ物だ。
 携行性能に優れた水飴は、本来砕いたくらいでは元の液体状に戻ることはない。
 だが今は違う。
 少女の周辺の砂には大量の魔力吸収物質が混じっている。
 撒かれた水飴の欠片は圧縮固形の魔術が解除されて次々に液体状態へと戻り、さらに極寒の大気にさらされ一瞬で凍りつき地表に薄い氷の膜を作っていく。
 少女はひたすらに回避を続けながら、この地味な作業をただ繰り返す。
 残り少なくなった生命力を補うために肉を食らい、隙を見てはサンドワームの直近まで間を詰めて至近の砂地にも水飴を撒き凍りつかせていく。
 己の得意とする剣技。
 止めの一撃を放つための場を少しずつ整えていた。
 再度懐に入れた手を引き抜いた少女は微かに唸る。


「むぅ……残り一つずつか」

  
 いつの間にやら懐にしまっていた水飴は残り一つになり、拳の倍ほどあった肉塊も囓っているうちに一口ほどになっていた。
 凍らせた箇所はまばらだが、一応問題はないはず。
 そろそろけりを付けるか。
 名残惜しげに最後の肉片を少女が口の中に放り込んで攻勢に転じようとすると同時に、ひっきりなしに響いていた砂弾の発射音、飛来音が途絶えた。
 急な変化を訝しげに思った少女がサンドワームのいる方角へ目を凝らすと、暗闇の中で頭部を下ろすサンドワームの影が微かに浮かび上がった。
 どうやら砂に頭をつけているようだ。


(砂を補給か? それともこの期に及んで撤退か……違う)


 暗闇の中でも判るほどにサンドワームの胴体が瞬く間に膨らんでいく。
 サンドワームは口蓋を蠢かせながら、音を立てて飲み込んで大量の砂を体内へと取り込み始めていた。
 心許なくなった砂を回復するにしては、取り込む量が多すぎる。


(砂獄だな)


 事前に仕入れていたサンドワームの知識から、少女はすぐに一つの推論へと到る。
 高速で撃ち出される広範囲砂礫攻撃。通称『砂獄』
 ひらひらと攻撃を回避し続ける少女に対してサンドワームは業を煮やし、一時的に隙を見せる事になっても一気に広範囲をなぎ払おうとしているのだろう。
 砂船の鋼鉄装甲版すらも削ってしまうほどの威力を持つ砂の刃を生身で受ければ、少女の身体など一瞬でバラバラに引きちぎられる。
 しかしサンドワームの意図を悟っても少女の顔に恐れはない。


「ん。むしろありがたい!」


 少女は喜色を含んだ獰猛な笑みを浮かべ口中の肉片を飲み込み、サンドワームを真正面に見据える事ができる位置まで一気に駆けさがる。
 サンドワームから50ケーラほどしか離れていない砂獄の影響範囲内で立ち止まった少女は、走り続けで乱れた息を軽く整えると息吹を始める。
 冷たい外気を一気に取り込まない様に少しずつ息を吸いゆっくりと吐く。
 足が砂に沈み込んでいくが今は無視し、丹田に意識を集中。
 ゆっくりだった少女の息づかいが徐々に獣じみた速い呼吸へと変化する。
 闘気操作に長けた獣人の技である獣身変化と似た粗い呼吸音。
 だが少女の外見に変化はない。
 少女が働きかけるのは己の血統。
 微かに受け継ぐ異種なる旧き力。
 休眠していた力が少女の闘気を受け活性化し始める。
 旧き力とは、少女の心臓に備わる”本来”は少量の生命力から膨大な魔力を生む、この世の生物種において最高峰ともいえる高効率魔力変換能力。
 しかし少女は頑なまでの意志によってその魔力変換能力を拒否してみせ、心臓に送られた生命力から膨大な闘気を生み出す闘気変換能力へと切り替えていた。
 丹田と心臓。
 普通ならあり得ない闘気生成の二重化という離れ業を感覚的にこなす少女の全身を、高純度の闘気が血流に乗って激しく駆け回る。
 少女が力を蓄える間も砂を取り込み続けるサンドワームの身体は膨らみつづけ、周囲の砂も徐々に引き寄せられていく……少女が凍らせた砂と共に。  
 十分な闘気を身体に行き渡らせた少女は、砂から両足を引き抜き、左足を前にした前傾体勢となり右腕は脇に引いた。  
 時を同じくして砂を飲み込む吸引音が鳴り止み、サンドワームも頭を砂から引き抜いた。
 元々巨大だったサンドワームの身体は、大量の砂を取り込み倍ほどに膨らんでいる。
 許容量限界ぎりぎりまで砂を溜め込んだのだろう。
 先ほどの跳躍と少女の剣戟によって出来た傷がさらに肥大化しサンドワームの身体に大きな亀裂を生んでいた。 
 準備を終えた両者が対峙し一瞬の静寂が訪れる。
 暗闇の砂漠
 突如風切り音が響く。
 どこからともなく打ち込まれた矢が飛来し、少女達の遙か頭上で音を立てて弾けた。
 矢の正体は初歩魔術を封じ込めた簡易な使い捨て魔具で、常闇の砂漠では信号弾として使われている物だ。
 魔具の中に封じ込められていた光球の灯りが、少女とサンドワームの影を砂漠に生み出す。
 灯りに照らし出された瞬間、少女は足下の砂を蹴り飛び出した。
 踏み出した右足が砂漠に仕込んでいた無数の氷片の一つを捉える。
 砂よりも僅かに抵抗を見せる氷の感触を感じ取り、即座に足元で闘気を爆発させた。
 氷を軽い炸裂音と共に砕き、砂諸共後方へと吹き飛ばし、少女はさらに前へと出る。
 背後に吹き飛ばされた氷混じりの砂が頭上の光球の灯りに照らし出され、ダイアモンドダストのように煌めいた。
 キラキラと輝く流星のような光跡を残しながら、少女は次々に氷を踏み渡り一直線に加速していく。
 それは先ほどとは比べるまでもなく速く鋭い。
 少女が行うのは、闘気を爆発させ加速を得る近接戦闘を行う者にとっては基礎的な加速技法。
 だが、本来は踏みしめるべき硬い大地があってこそ、この技は最大威力を発揮する。
 砂漠のような柔らかく崩れやすい地盤では闘気が分散し、十分な加速を得るのは難しいはずだ。
 しかしその困難を少女は成し遂げてみせる。
 足元が砂で沈み込み力を入れにくいなら、表面だけでも凍らせて、一瞬だけの足場とすればいいというシンプルな発想をもって。
 少女が見せる驚異的な加速はサンドワームにとっても予想外だったのだろう。
 慌てて口蓋を開き身体に力を込め、ため込んだ砂による範囲攻撃を繰り出そうとした時には遅い。
 既に少女はサンドワームの懐へと少女が飛び込んでいた。
 加速した勢いのまま少女は右腕を突き出し、
 
  
「闘気浸透!」


 少女が肉と骨が軋む音を立てるほどの力を込めた掌底を、サンドワームへと打ち込んだ。
 石壁を殴りつけたような硬い感触。
 骨が軋み、太い枝を折った時のような音を奏で、激痛が右手に走るが、少女が歯を食いしばり堪える。
 その目の前で、今にも攻撃を繰りだそうとしていたはずのサンドワームがその巨体をピタリと止め硬直する。
 硬直したその様はそれはまるで天敵である蛇に遭遇した蛙のようだった。











 彼女は恐怖する。
 極上の餌としての匂いを醸し出す”それ”は、彼女の長大な肉体に比べれば矮小で芥子粒のような存在。
 小さな物は弱い。
 それが彼女の常識であり、この砂漠地上部では彼女達の種族より大きな生き物は存在しなかった。
 だから小さいながらも最高の餌の匂い醸し出す極上の餌だと食らいついた。
 大きな餌場を襲い食らうよりも、”それ”を食えば簡単にさらに力を強める事ができるはずだった。
 だが”それ”は抗い、拮抗した。
 彼女はそこで間違いに気づく。
 ”それ”は餌ではない。
 生死をかけた戦いが必要な敵対種だと。
 しかし…………これすらも間違いだった。
 ”それ”は戦闘中も成長を続け彼女を凌駕してみせただけでは飽きたらず、あろう事か逆に彼女の肉体を喰らい始めた。
 ようやく……彼女はようやく敵の正体に気づく。
 殴られた場所から彼女の全身に行き渡った”それ”の気配が何であるかを物語る。
 ”それ”は絶対的な強者の気配。
 火の山の奥深くで蠢くはずの。
 天に近い山の頂よりもさらに高い空に君臨するはずの。
 地の底のさらに底。暗く冷たい水面の底に眠るはずの。
 迷宮に君臨する捕食者達の気配を”それ”は打ち放っていた。
 彼女は恐怖する。
 ただただこの場から離れたい。
 この恐ろしい物から遠ざかりたい。
 本能は盛んにわめき立てるが恐怖に竦んだ身体は動かない。
 ただ”それ”が直下にいることは判る。
  

『下がれ!』 


 ”それは”が鋭い咆吼をあげた。
 彼女の身体が緊縛が解かれる。
 恐怖から少しでも遠ざかるために、早くでも遠ざかるために。
 彼女は重い身体を必死に使って後方へと跳躍する。
”龍”から逃げ出すために。










「っつ! うー」


 痛む右手の甲を少女は舌でペロと舐める。
 気休めでしかないが何もしないよりマシだ。
 砂を詰め込み膨張して極限まで硬化し固い岩盤のようなサンドワームの皮膚に掌底など打ち込んでもダメージなど皆無。
 むしろ打ち込んだ少女の手の方がダメージを負っている。
 痺れが酷いのでいまいち判らないが甲の方までも折れたかもしれない。
 だが怪我を負った分の価値はある。
 痛みに眉をしかめながらも勝ち気な瞳で少女は前方の空中を見上げる。 
 無理矢理に跳ね上がって逃げるサンドワームの姿がそこにあった。
 同じように闘気を打ち込んだ一匹目は、尾が地面に跡を残すほどの高さしか跳べなかったが、今敵対しているサンドワームはもっと高く跳んでいる。
 どうやらこちらの方が肉体的にも能力的にも格上のようだ。
 しかしその高さこそが命取りだ。
 一匹目の時は高さがなかったため、もっとも硬い頭部へと突き込むしかできなかったが、眼前のサンドワームは砂でぱんぱんと膨らんだ腹部を晒している。
 今こそが千載一遇の好機。
 

(出番だ。耐えろよ) 


 心の中で語りかけながら腰のベルトへと少女は左手を伸ばし、抜き身のまま挟み込んでいた剣を引き抜く。
 元々少女の背丈と同じほど合ったバスタードソードの長大な刀身は、今はほとんど残っていない。
 しかもさきほどサンドワームを打ち落とした一撃で、新たに細かなヒビが刀身や柄にまで入ってしまっている。
 他者から見ればもはやこれは剣などでない。
 ただの鉄屑だろう。
 だがそれでも……少女にとっては違う。
 自らが膨大な店の中から選び極めて短い付き合いながらも命を預けた剣。
 あと一撃なら耐えてみせるはずと信頼する。 
 右側に大きく身体を捻りながら、左手に剣を逆手に握り肩口の高さまで上げ、痛む右手を剣の柄頭にそっと触れさせる。
 独特の構えは、少女なりの剣に対する礼。
 己がもっとも好み、そして最大の技をもって、愛刀と共に強敵を屠るという意志の現れ。
 極めようと何百、何千と培ってきた修練が、一瞬で構えを作り出し、少女は前へと跳びだした。
 砂漠に残っていた氷片を正確無比に捉えながら、またも驚異的な加速を発揮し少女は矢のような速度で突き進む。
 狙いは一点。
 ただ一瞬。
 サンドワームの高さと速度、落下予測位置、砂漠に撒いた氷位置、己の技の始動時間等々。
 あらゆる条件を記憶し、考慮し、導き出す。
 魔力を持たない……魔力を捨てた後に残った両手の間合いこそが今の己の世界。
 ならばその世界において誰にも負けない存在になろうと心に決めている。
 自分が世界において最強となる一瞬を作り出せる剣士になると。
 轟々と音を立てながら落ちてくるサンドワームの巨体を睨みながら、少女は氷片を強く蹴り宙へと跳ぶ。
 打ち出された矢のような勢いでサンドワームへと迫った少女は捻っていた身体に溜めていた力を左手に乗せながら振り、
 
 
「逆手双刺突!」


 切っ先がサンドワームへと触れると同時に折れているであろう右掌を、柄頭へとたたき込み剣を強く突き込んだ。
 折れている手で柄頭を打つなど正気の沙汰ではない。
 しかし、この狂気的な思考こそが少女を支える強さの一つ。
 肉も骨すら切らせてでも命を絶つ。
 どれだけ傷つこうが生きていれば勝者。
 そして死ねばすべからく敗者。
 生と死の関係性は勝者と敗者と同義。

 つまりは”弱肉強食”

 もっとも原始的な規則が少女の根幹にはある。
 人としては狂気。
 生命としては当然の本質を持って、少女は切っ先もない剣で、硬いサンドワームの表皮を突き破ってのける。
 だが突き破ったその内側にはぶ厚い筋肉の塊が待ち受けている。
 これ以上はいくら何でも突き込むことは出来ない。
 いくら他に比べて柔らかい腹部といっても、サンドワームの表皮は岩のように硬い。
 ならば…………そこに大地があるのと変わらない。
 高速思考の中、突き込む限界を悟った少女はサンドワームの身体へと横向きに”着地”した。
 残った生命力を一気に闘気へと変換。
 心臓が激しく躍動し丹田が燃えているかのように熱くなる。
 両足の筋肉が音を立てるほどに力と闘気を込め、金属製の柄が変形するほどに剣を握り、力を込めて引き動かす。
 サンドワームの肉を僅かずつだが切り潰していく剣は、ぎじぎしと異音を奏で今にも折れそうなほどに歪むが、まだ耐えられると信頼しきり、少女はさらに力を込め無理矢理に剣へと力を込め斬っていく。
 折れた剣に残る刀身は短い。サンドワームにとっては僅かに肉を切られただけのこと。支障はないはずだ……通常ならば。
 しかし今のサンドワームは限界近くまで砂を溜め込み、身体がはち切れんばかりに膨張している。
 剣が筋繊維を一本断裂させる毎に綻びが生まれ、さらに負荷を掛ける。
 
 
「邑弦一刀流! 逆鱗縦断!」


 少女が強く呼気を吐きながら剣を一気に振り切ると、ついに限界を超えサンドワームの皮膚が大きく裂けた。
 髪の毛ほどの長さの傷は横へと広がり、さらにその下の肉が圧力に耐えかね深く裂けていく。
 体内に溜め込まれていた砂が傷口から、ちょろちょろとあふれ出したかと思うと、瞬く間に噴き出す量と勢いが増していった。
 まるで決壊した堤防から漏れ出す水のように、自分の中から猛烈な勢いで噴き出す砂によって引き裂かれながら、サンドワームが地上へと落下していく。
  
 
「わぷ……むぅ! しまった!」


 思わく通り斬ったはいいが、その後のことを考えおらず、噴き出した砂の勢いに負けて一緒に押し流され落下する少女と共に。



[22387] 剣士と薬師⑪ 〆
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/10/30 00:59
「こりゃ。すげえ……嬢ちゃんの仕業か?」


 腹を割かれ内側からめくれ上がったサンドワームの死骸が、うずたかく積もった砂山にもたれかかるように横たわって居る様に、先頭を歩いていたボイドが感嘆の声をあげる。
 周囲に漂う異臭は、つい先ほどまでここで激戦が行われていたことを色濃く物語っていた。


「ちっ。だめか」


 ボイドの舌打ちと共に、不意にカンテラの明かりが点滅を繰り返したかと思うとすぐに消えてしまい、辺りが暗闇に包まれる。


「魔力型はやっぱ無理っぽいな。さっき打ち上げた信号矢ももう消えてやがる。待ってろオイル型があったはずだ」


 殿を務めていたヴィオンが腰に下げていた『天恵アイテム』であるポーチをまさぐる。
 天恵アイテムとは迷宮を踏破した探索者達に与えられる神々の力を宿したアイテムである。
 ヴィオンの持つポーチは内部圧縮と軽量の奇跡が施されており、掌大の大きさのポーチは倉庫一つ分の内部容量を持つ。
 長期間迷宮に潜り大量の収穫物を持ち帰る事ができるため探索者達の必需品の一つとなっている。
 ポーチよりも二回りほど大きいカンテラを取り出したヴィオンは、はめ込まれた火打ち式の着火装置を弄り明かりを灯してからボイドへと手渡した。
 油の焼ける匂いと暖かな熱を放ちながら、ゆらゆらと揺らめく火が周囲を照らし始めた。
 オイル型の灯りは魔力型に比べて若干薄暗いが、消える兆候は今のところ見られない


「やっぱり、これもあの子が言っていたリドの葉を含んだ砂の魔力吸収の影響でしょうか?」


「だろうな。歩きで接近して正解だこりゃ」


 隊列の中央で護衛されるルディアの問いかけに答えながら、ボイドはほっと安堵の息を吐く。
 カンテラに使われる魔力とは桁が違うが、先守船の転血炉もやはり魔力を用いることに変わりはない。
 転血炉が停止してしまえば、先守船などただの重たい置物。
 浮遊魔術が消失してすぐに砂に沈んでしまうだろう。
 現役の探索者であるボイド達といえど、こんな砂漠のど真ん中で立ち往生は勘弁してほしく、先守船を少し離れた位置で停船させ、砂に沈まない用に底が広くなった靴を履き歩きで戦闘現場へと接近していた。


「さてと問題は嬢ちゃんの居場所だが……砂山に埋もれちまったか、それともサンドワームの下敷きになってんじゃないだろうな。気配が感じ取れねぇ」


 耳を澄まし意識を集中させてボイドは周囲を軽く探ってみるが、三人以外の気配を感じない。 
 こういった時は生体探知の魔術を使うのが手っ取り早くセオリーだが、魔力が影響を受ける今の状況下ではまともに発動するかも疑わしい。
 地道に探ってみるしかないだろう。


「ヴィオン。ポーチの空きあるよな? 死骸を回収してから下の方を見てくれ。俺は砂山の方を探ってみる。薬師の姉ちゃんはそこらから動かないでくれ。砂漠の地下は何がいるか判らない。すぐ助けにいける場所にいてくれ」
 

「あいよ。とっととしまっちまうか」


「はい。じゃあ、あの辺りにいます」


 ヴィオンは気楽に答えるとサンドワームに近付き、ルディアがきょろきょろと見回してから死角になりづらい平坦な位置を指さして頷く。
 ルディアを先守船に待機させておくことも考えたが、さすがに一人で残しておくのは不安があり、かといってボイド達のどちらかが残って一人で探しても埒があかない。
 まだまだ年若い女性とはいえルディアはそれなりに肝も座っているようなので、手の届く範囲にいてもらうのが一番という判断であった。 
 腰のポーチを取り外したヴィオンが、サンドワームの死骸へと押し当てる。
 すると小さなポーチの口よりも遙かに大きいはずのサンドワームの死骸が、ポーチの中にゆっくりと飲まれはじめた。
 容量的には余裕があるが、巨大なサンドワームの死骸を全て飲み込むには、5分ほどはかかるだろうか。
 しかし所詮は特別区のモンスター。
 皮や肉を売り払っても二束三文の売値にしかならず、血にしても転血するほどの魔力を持たない。
 回収する目的は少女を探しやすくするためと、新種もしくは変種の疑いが濃厚なモンスターは、出来れば捕獲もしくは死骸を回収し、管理協会へと報告する義務が探索者達に課せられているからだ。
 

「にしても小さな女の子が砂漠でサンドワームに襲われたって普通なら絶望する状況なんだが、此奴を見ちまった後だとしぶとく生き残ってる気がするわ……ボイド。こりゃお嬢の勘が当たってる。あのガキンチョまともじゃないぞ」
 

「みたいだな。しかしどうやったらこんな状況になるんだかいまいち判らん」


 砂山に直接手を当てて中の気配を感じ取っていたボイドが周囲を一瞥して、訝しげな声で答える。
 状況から見てこの不自然な砂山は、腹を割かれめくれ上がったサンドワームから噴き出した堆積物だろうとは推測できる。
 しかし、どうやったらサンドワームの腹を割くことが出来るのか?
 と、問われれば答えに窮す。
 無論切れ味の良い頑丈な武器と適切な技量があればやれるだろう。
 もしくは魔術を用いれば幼生体であるサンドワームの皮膚を切り裂く事はさほど難しくない。
 だがあの少女が有していたのは折れた剣一つで、自ら魔力を持ち合わせていないと言っていたという。


「考えてもわからねぇな……直接聞いてみるか」


 女子供は無条件で助ける者。
 それが信条のボイドだが、今回ばかりは好奇心が勝っていた。









「寒…………」


 ボイド達から少し離れた場所で待機していたルディアは小さく呟き身体を軽く揺する。
 トランド大陸よりも北にあり年中雪が降る冬大陸出身のルディアでも、この砂漠の冷気は耐え難い物があった。
 空を覆うぶ厚い砂の幕が太陽や月の明かりを遮っているからだろうか。どうにも重苦しく、気温以上に寒さを感じてしまう。
 少しでも寒さを紛らわそうとルディアは、身体を揺すりながら足踏みするように少しだけ移動する。。
 といってもあまり動かないでくれと注意されているので、精々10歩ほどの範囲内をグルグルと回るだけのつもりだ。


「?」


 だが歩き始めてすぐにルディアは、小枝を踏んだような音と感触が足元からして立ち止まった。
 しゃがみ込んだルディアは手袋を外して今踏んだ足元を調べてみる。
 砂をまさぐった指がすぐに硬くひんやりとした物体を見つけ当てる。


「…………氷?」     


 つまみ上げたそれは砂を含んだ氷の破片だった。
 なんでこんな所に氷が?
 疑問を感じたルディアだが、ヴィオンが灯台岩の方でもサンドワームの死骸を見つけ辺りが氷に覆われていたと話していたことをすぐに思い出す。
 これも何か関係あるのか。


「すみません! ここにも氷…………っえ?!」


 ボイド達に発見したことを伝えようとしたルディアの目の前の地面から、木の枝のような太さの何かが砂をかき分けズボッと飛び出してきた。
 驚きの声をあげるルディアがそれが何か認識する前に、それが氷の破片を掴んでいたルディアの腕に食らいついて引っ張ってきた。


「ちょ!? な、なに!? って! わっ!!!」


 恐ろしいほどの力でぐいぐいと引っ張られたルディアは、あっと言う間にバランスを崩し砂漠へと倒れ込んでしまう。
 しかも砂の中から這い出してきた何かは、ルディアの上に覆い被さるように乗りかかってきた。
 このままルディアを砂の中に引きずり込もうとしているのだろうか。
 何か唸り声のような物が背中から聞こえてくるが、慌てふためく今のルディアでは聞き取れるわけもない。
 

「おい! 姉ちゃん!? 大丈夫………………」


 ルディアの悲鳴にボイド達が慌てて駆け寄り、カンテラの光で照らし出して状況を確かめて声を呑む。


「あー……姉ちゃん落ち着け。嬢ちゃんだ」


 カンテラの明かりに照らし出されたルディア達の姿を見てボイドが呆気にとられた声を出す。


「ご飯……私のご飯……お腹すいた」


 ルディアの腕を掴んで自らの身体を引っ張り上げてのし掛かっていた者。
 それは空腹で意識が朦朧としているのか、ルディアの服の裾をハムハムと噛む砂まみれの少女だった。














「はっ!?? さ、砂漠を単独で越えようとしていた!? しかも歩きでだ!?」


 砂船の大きな食堂にボイドの驚きの成分を多量に含んだ声が響く。
 食堂の大きなテーブルには少女その右隣にルディア。
 対面にはボイドとヴィオン。
 それに修復と周辺警戒の指示で忙しい船長の代理として頼まれた老商人のファンリアが腰掛けていた。
 離れた席では商隊の者達が件の少女を一目見ようと遠巻きに陣取っていた。
 発見……というか遭遇した少女を連れて本船に戻ったボイド達は、ジュース一杯で意識がはっきりとした非常識な少女に尋問を開始したのだが、その口から出てきた答えはボイド達を混乱させるものであった。
 他の遭難者がいるかと連れは何人かと尋ねてみれば一人だと答える。
 ファンリア達の話から大金を持っていた事は判っていたので、じゃあ砂船をチャーターしたのかと思い改めて雇いの船員がいるのかと尋ね返してみれば、歩きで砂漠を超えようとしたから一人だと平然と返してきた。
 

「ん。何を驚くんだ? 昔は歩いて踏破していたのだろう。しかも暗黒時代はもっと強い魔獣が跋扈していたのだから、それから考えれば楽になっただろう……ん~蜂蜜のおかわりもらってもいいか? 次のパンに塗る分が足りない」


 ボイドに驚きの声をあげさせた少女は、ボイドの大声に驚いたのか目を二、三度ぱちくりとさせて平然と答えてから、蜂蜜の入っていた小瓶を逆さにして振って中身がでてこないのを見るとむぅと唸る。
 唖然として言葉に詰まっているボイドの様子に気づいていない、それとも気にしていないのだろう。


「お嬢さん。塗るじゃなくてそれは漬けるって言うと思うんだがね……誰かひとっ走りして倉庫から蜂蜜持ってこい。ミレニア産のがあっただろ」


 小皿の蜂蜜の海に沈むパンを見て、ファンリアが面白げに口元に微かな笑みを作ると、遠巻きに見ている配下の商人へと指示を出す。
 食えない老商人は、他の者達が唖然とするこの少女の言動を面白い見せ物程度に楽しんでいるようだ。 


「感謝するぞ。ありがとうだ……ん~でもお腹が空いているし待つのも……ん」

 
 嬉しげな笑顔を見せた少女はファンリアに軽く頭を下げ礼を述べていたが、小さくお腹が鳴り眉を顰め辺りを見渡し一点で目を止める。
 その目は横に座って少女の右手を治療しているルディアが広げた薬箱の中の瓶を見つめていた。 
 

「なぁ薬師」


「何? 痛い? 本職じゃないから上手くできないわよ」


 折れている少女の右手を洗浄し痛み止めを塗ってから当て木をして固定していたルディアが疲れた声で答える。
 大怪我をしている右手の治療よりも空腹だからと食事を優先しようとする少女に、食事と同時に治療を受けさせることを納得させるまでが一仕事だった。
 少女本人曰く『食事中に他の事をするのはマナー違反だろ?』との事。
 なら治療を先にさせろと言っても、お腹が空いているから食事が先の一点張り。
 しかも食べるのは先ほど少女が倒したサンドワームの死骸だという。
 ルディアから見て巨大なミミズにしか見えないサンドワームは、大金を積まれたとしても食べようという気になる類のものではなかった。  


「ん~痛いけど我慢できるくらいだ。それに痛み止めが効いているから少し楽になった。うん。良い薬師のお前に出会えた私は運が良いな。それよりその薬をもらっていいか?」


 にぱと陽性の笑みを浮かべた少女は、傲岸不遜な口調でルディアを褒めてから、薬箱に収まった瓶を指さす。
 それは先ほど少女に塗った痛み止めの練り薬が入った瓶だ。


「これ以上薬の量を増やしても痛みは引かないわよ。むしろ多めに塗ると肌荒れしたり悪影響出るから」


「いや痛み止めじゃない次のパンに塗る」


「…………は?」


 何を言っているんだこいつは?
 それがルディアの正直な感想だ。
 刺激が強いから適量で止めておけと伝えたはずなのに、何を思っているのかパンに塗ると答えた少女の思考はルディアの理外の外をひた走っている。


「ん。だってそれミノアベリーの実と種が主成分だろ。匂いで気づいた。ミノアベリーのジャムは好きなんだ」


 唖然としているルディアに対して少女は答えると左手を伸ばして勝手に薬瓶を掴もうとする。
 言葉通りパンに塗るつもりのようだ。


「こ、この馬鹿! た、食べようとするな! 劇物まじってんのよ!?」


 我に返ったルディアは急いで薬箱を閉じて少女から離す。
 薬と毒物は紙一重。そのままでは毒があるものでも薄めるなり、他の毒物と混ぜれば薬効成分となりうる。
 薬師にとっての基本だが、塗り薬を食するとなれば話は違う。
 この痛み止めにしても少女の言った通り、食用に使われるベリーを主に使っているが他にもいろいろ混じっている。
 皮膚よりも吸収されやすい体内に入れたら、身体に悪影響が出るのが必至な劇物も混じっている。


「むぅ。心配するな。最初に会った時に言っただろ。私は毒物に耐性がある。問題なしだ。だから食べさせてくれ。お腹が空いているんだ」


 馬鹿と言われて気に障ったのか少女は不満げに唸りすぐに拗ねた顔を浮かべる。
 人を引きつける強い光を持つ目と、幼いながらも気品を臭わせる整った顔立ちに拗ねた表情を浮かべる少女は、同性であるルディアにも思わず保護欲を覚えさせるほどに可愛らしい。


「あ、あんたね。そういう顔を浮かべるような頼み事じゃないでしょ。すぐに来るんだから我慢しなさい」


 これで言っている事が無茶苦茶で無ければ、思わず頷いてしまったかも知れないと思いつつルディアは首を横に振った。
 荒れて無造作に縛った髪に油を塗り髪型をを整えて、綺麗な服を着せれば化粧無しでも貴族の令嬢として通用しそうな美少女と言った外見の癖に一事が万事この調子だ。
 少女の言動は明らかに異常な類なのだが、少女自身はそれを一切異常だと思っていない節が随所に見受けられる。
 しかも極端なほどにマイペースだ。
 骨が折れていれば大の大人でも叫ぶほどの激痛があるだろうに、少女はたまに顔をしかめるくらいでぱくぱくと食事を楽しんでいた。
 だがその食事も変の一言。
 極端な甘党なのか横で見ているルディアの方が胸焼けしそうなくらいに蜂蜜やら砂糖、ジャムをどばどばと塗りたくっていた。
 ベーコンエッグに蜂蜜を掛けているのを見た時は正気を疑ったほどだが、当の少女は実に美味しそうに食べていた。


「ったく話進まねぇな。ガキンチョ。一つ尋ねるんだが最初に見つけた時、お前さんは倒れていたよな。そっちの姉ちゃんの話じゃサソリの毒で死にかけてたみたいだしな。それに嬢ちゃんが倒れていた灯台岩にもサンドワームの死骸があって、お前さんの持っていた折れた剣ぽいのが刺さってたが何があったんだ?」 


 困惑しているルディアを見かねたのか、蜂蜜入りワインの湯わりで冷え切った身体を温めていたヴィオンがカップをテーブル上に置いて話に割り込む。
 一々驚いていては話が進まないと、とりあえず気になることをどんどん尋ねるつもりのようだ。

     
「うぅ……アレを見られたのか。アレは私の未熟さ故だ。本当は逆手蹂躙で心臓を抉り貫くつもりだったんだが、狙いが逸れて頭に当たってしまった。奴の頭骨が思ったより硬かったので完全には貫けなくて岩に叩きつけて潰したんだ」


 剣を折ったことを恥じているのか少女は悔しそうな顔を浮かべている。
 だが言っている事は相も変わらず無茶苦茶だ。
 極端ではあるが甘い物好きという年相応の嗜好をみせる少女が語る行動とは思えない。 実際に岩に縫い付けられたり、腹を割かれたサンドワームを見たヴィオンでなければ、できの悪い法螺話と思うような内容だ。
   

「あぁあっと…………逆手蹂躙ってのは?」


「私の使う流派の剣技の一つで加速力を全て突きへと変換する対軍の陣形貫通を意図した大技だ」 


「いや剣技で対軍とか陣形貫通っておい。ボイド聞いたことあるか?」


 何とか驚かず進めようとしていたヴィオンだが、対軍を想定した剣技があるという荒唐無稽さぶりに思わず横のボイドに尋ねる。


「ねぇよ。ファンリア爺さんあんたの方は」


「剣で山を貫いたって話ならあるが、流派の剣技としては聞いたことがねぇな」


 交易商人として見聞が広いファンリアをボイドが見るが、老商人はタバコを吹かせながら首を横に振る。
 剣で山を貫き道を造ったというのは有名な伝説でボイドも知っているが、それは大昔の上級探索者しかも能力開放状態での事だ。
 呆気にとられているボイド達を見た少女が申し訳なさそうな表情をしたかと思うと深々と頭を下げた。
  

「むぅ。すまん。どうやら誤解があるようだ。本来ならと言うことだ。今の私の力量ではそのレベルまではいかんぞ。精々対大型モンスター程度の威力しか出せん。しかも1回放つ事に生命力をほとんど使い果たす。おかげであの程度の毒物の存在にも気づかずたべる事になったし、身体から抜くにも時間が掛かったんだ。だからお前達に助けてもらって助かったぞ。改めて礼を言わせてもらう。ありがとうだ」


「謝るのとか礼はいいが、問題はそういう事じゃないんだけどよ……つーか食ったって何を?」


 どうにも見当外れの謝罪をしてきた少女の言葉に気になる部分があったボイドは頭痛を覚えたのか額を抑えながら少女に問いかける。
   

「サンドワームだ。ただサソリの毒を体内に蓄積していたようで毒があった。食べている最中に気づいたんだが、お腹が空いていたし今更だったからな致死量ギリギリまで食べて後から抜こうと思っていたんだ」


「………………実際に食べたのアレを? しかも毒があるって判ったのに」


 腹が空いているからサンドワームを食べると言っていたが、既に食べた後だと思っていなかったルディアの手から包帯がぽとりと落ちる。
 ボイド達も予想外の答えに今度こそ言葉を失い、さすがのファンリアも唖然としていた。


「ん。火を通せばもう少し美味しかったのだろうが、あいにく砂漠では薪は拾えないからな生で食べてみた。肉は硬くて不味いが内蔵は貝類みたいでコリコリして美味しかったぞ」 

 少女は味を思いだしたのか嬉しそうな笑顔を浮かべている。本当に美味しいと思ったようだ。
  

「よ、よりにもよって生って……あ、あんた一体何なのよ?」


 ミミズの化け物を倒してのけて、その内蔵を生で食すという暴挙をおこなう幼さの残る美少女。
 相反するという言葉も生ぬるい意味不明さ。


「うん? そう言えばまだ名乗っていなかったな。むぅ助けられたというのに礼儀がなっていなかったな。済まない」


 奇妙すぎる少女が一体何なのかという疑問が思わず口に出ただけだったのだが、当の本人は名前を尋ねられたと誤解したようで、まだ名乗っていなかったことを謝罪してから胸を張る。


「私の名はケイス。探索者を志す旅の剣士ケイスだ」


 威風堂々と少女は、『ケイス』は強い言葉で名乗りあげた。
 






















 
 戦闘完全終了。
 サブクエスト『聖剣ラフォスの使い手』シナリオ消失。
 メインクエスト最重要因子『赤龍』に吸収。
 シナリオ改変準備。
 



 賽子が転がる。
 賽子の外側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の外側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 世界を丸々ひとつ埋め尽くす膨大な数の賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。
 賽子の名前はミノトス。
 人々に対しては迷宮を司る神。
 神々に対しては物語を司る神。
 迷宮神ミノトスは休むことなく迷宮にまつわる物語を紡ぎ続けていく。



[22387] 剣士と刃物
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/11/06 04:03
 身体に染みついた習慣か、それともその獣じみた本能か。
 日の光が届かない常闇の砂漠においても、日の出の気配を身体が自然と感じ取り、ケイスは深い眠りから覚醒する。
 目を開くと同時に半身を起こしたケイスは、寝起きとは思えない機敏な動作でさっと周囲を確認する。
 部屋に一つだけある二重窓の外は相変わらず真っ暗なまま。
 常夜灯のランプの微かな明かりが室内にうっすらと影を作る。
 室内にはケイスが寝ていた物もあわせてベットが二つと机に鏡台が一つずつ。
 壁の一部は埋め込み式のクローゼットになっている。
 あまり生活感が感じられないここは、砂船の客室の一つだ。
 ケイスのすぐ隣にあるもう一つのベットからは、静かな寝息が聞こえてくる。
 寝息のリズムはここ数日で聞いていたのと変わらず。
 狸寝入りをしている気配もない。
 一時的な同居人であるルディアが、別の者にすり替わっていたということもなさそうだ。
 寝ている間とはいえ室内に敵意を持つ誰かが忍び込んでくれば、自分が気づかないはずだとは思うが、それでも万が一ということもある。
 クローゼットからは気配無し、部屋の死角に誰かが息を潜めている様子もない。
 室内の各所に注意をむけていたケイスだったが、通路側の壁に作り付けられた机を見て目を止めた。
 机の上では砂時計のような形の型枠でガラス器具が固定されており、ガラスの中では緑色の液体がコポコポと小さな音をたてながら加熱されていた。
 型枠の天板と底板は金属製の文字盤となり、それぞれが冷却と加熱の効果を持つ小型の記入式魔法陣となっている。
 記入式魔陣とは加熱、冷却等それぞれの基本術式があらかじめ文字盤に刻み込まれており、後から空白となっている外周部分に魔術文字を書き込み効果や発動時間を調整する物で、一から魔法陣を書かなくても良いので職人達に好まれ工房などで使われる魔法陣の一種だ。
 だがケイスの知る記述式魔法陣は祖母の持つ巨大な温室を温める為の大型魔法陣だけだったので、二重化されたこのような小さい物もあるのかと物珍しさから興味が引かれていた。
 昨夜寝る前に書かれた記述を軽く読んでみたのだが、随分細かな時間、温度指定をしてあり、何度も加熱と冷却を繰り返す事になっていた。
 おそらく薬効成分を最大まで高める処置なのだろうが、薬師の知識を持ち合わせないケイスにはそれがどういう意味があるのかは理解できない。
 一晩経ったというのに外周部の記述は三分の一も減っていないので、まだまだ完成までは時間が掛かるという事が判るくらいだ。


「薬の製作とは手間が掛かっているのだな……むぅパンに塗ろうとしたのは失礼だったか」


 手間暇の掛かった物を本来の用途以外で使おうとすれば怒られて当然。
 ルディアがなぜ怒鳴ったのか、かなりはき違えた答えを出しながらもケイスは数日前の自分の行動を思い返し反省する。 



 ケイスにとって世界は常に新鮮で目新しい。
 一年前までのケイスは極めて偏った知識と経験しか持ち合わせていなかったからだ。
 剣術と魔術に生存術の3つとケイスの為だけに復活した古代迷宮『龍冠』。そして迷宮龍冠直上のルクセライゼン帝国離宮『龍冠』だけがケイスの知る全てだった。
 剣術を鍛え上げ、魔術を磨き、生存術を駆使して、迷宮龍冠を脱出し離宮龍冠へと帰る。
 しかし脱出しても怪我が癒えればまた迷宮のどこかに転送され、無傷だったとしても一週間も経つと気づけば迷宮の最奥にいた。
 この状況は祖母から聞いた話ではケイスの2才の誕生会から始まったそうだが、ケイスはその瞬間のことは良く覚えていない。
 はっきりと覚えているのは、暗くじめじめした場所に独りぼっちでいた自らと、泣いても喚いてもいつまで経っても誰も来てくれなかった事。
 そして迷宮から脱出する為に自分の足で一歩を踏み出したその時からだ。
 最初は、小動物が地上までの道案内をしてくれて、寒さと不安で眠れない身体を温めてくれた。
 無尽蔵に生えていた甘い果物が空腹を満たし、よく冷えたわき水が喉の渇きを救ってくれた。
 扉を開ける為のパズルや、綺麗な花で出来た迷路は楽しかった。
 長い迷宮だったが、ケイスが遊び場と認識するまでさほど時間は掛からなかった。
 だが、ケイスが成長するのに合わせるかのように迷宮も変化する。
 小動物は成長しケイスを襲う獣と化し、食べられた果物は徐々に数が減り、わき水には毒が少しずつ混じり、鋼鉄の巨大な扉に行く手を塞がれ、致死トラップに巻き込まれた事も一度や二度でない。
 だがケイスはそれでも止まらなかった。
 友達を殺し血肉を喰らい、毒であろうが負けない身体をつくり、扉を打ち砕き、トラップを排除して、意地でも這い上がりつづけた。
 ただ、ただ一つの目的だけを抱き。
 離宮龍冠へ。
 大好きな家族の元へと戻る為に。
 幼少時から続いた摩訶不思議な体験が、ケイスのずば抜けた戦闘能力を生みだし同時に異常な思考を作り上げていた。
 ルクセライゼン帝国最秘匿存在であるケイスを知るものは彼の帝国に極々少数。
 だがケイスを知る者は誰もが口を揃える。
 あの姫は神に選ばれた存在なのだと。
 しかし当の本人は、自分の生まれや意味などそんな物を一切気にしていない。
 どこまでも自由気儘にして傲慢、傲岸不遜なケイスにとって、自らの存在意義やその宿命など意に止めるものでは無い。
 好きなことをやる。
 それがケイスの絶対無二にして唯一の行動方針。
 外の世界。
 知らなかった本当の広い広い世界に出たことで、自分がどれだけ無知だったのか毎日思い知らされているが、同時に新しいことを知るのが楽しくてたまらない。
 大望を抱きこのトランド大陸に渡り探索者を目指している以上、それが絶対優先目標であるのは変わらないが、それとは別にケイスは今の旅を心の底から楽しんでいた。 


「……ん。起きるか」


 室内の安全を確認したケイスは警戒態勢を解くと、寝ているのがもったいないとベットの中に入れたままの左手をそそくさと引き抜く。
 その手には抜き身の小刀が握られていた。
 握り拳ほどの短い刃が、ランプの明かりを受けてぎらりと輝く。
 銀を用いたほっそりとした刀身と丸みを帯びた柄はどこか女性的で、万人が認める美少女でありながらも、普段の言動からはどうにも獰猛さが滲むケイスには少し不釣り合いだ。
 見る者が見ればこの短剣が戦闘用では無く、お守り的な意味での護身懐剣として拵えられたものと気づくだろう。
 その証拠にケイスが持つ短剣は柄からからからと乾いた音が微かに鳴っており、中身が中空となっている事を気づかせる。
 華麗な銀細工で全体を彩られた懐剣は、持ち主を守護し邪気を払う神聖品を中空となった柄に納め生まれた女子に贈るという、今は無き古い国の慣習に基づいて作られた品だ。
 オークションにでも出せば、収集家の目を引き相当な高値を付ける一流の芸術品といって良い出来映え。
 しかしケイスの本音を言えば、いくらお気に入りの剣の1つで有り、大切な人から送られた護身刀とはいえ、このような小さな刃物では無防備な就寝中には心許ないというのが正直な所。
 最低でも長剣。できたらこの間の戦闘で壊してしまったバスタードソードクラスをベットに持ち込みたい。
 あのサイズならとっさの時の盾にも出来るし、場合によってはベッドごと襲撃者を切り裂く事も出来るのにと、昔から不満を持っていた。 
 しかしどうにも昔から剣を寝台に持ち込む癖は、周囲からは評判が悪かった。
 寝ている間に怪我をしたらどうするとか、シーツや毛布がダメになると散々言われてきたが、ケイスからすればそれが判らない。
 刀剣を常に身近においておかず不安にはならないのだろうか?
 自分ならそんな大胆なことは出来ない。
 第一だ。
 自分で握っている刃物なら、例え寝ている間であろうとも望まない物を切るはずがない。
 そんな簡単な事が、なぜ他人には判らないのかケイスは理解できない。
 ただ誰も彼も反対する上に、一番信頼していた従者でもあった従姉妹にさえも理解して貰えなかったので、目に見える大きな剣を持ち込むのは渋々止めて、常に身につけているこの護身刀だけで我慢していた。


「ふむ。問題無いな」


 ベット脇のチェストの上に置いてあったチェーンのついた鞘を掴んで懐剣を納めて、鎖を首元に掛けて懐剣を懐にしまい込んだケイスはベットから抜け出す。
 素足に触れる冷たい床の感触が、眠っていた間に火照っていた身体に気持ちいい。
 足裏には最下層の転血炉が稼働する微かな振動が伝わってくる。
 規則的な微動は転血炉が問題無く稼働している証拠だ。
 サンドワームの襲撃で船体各部にそれなりのダメージを負ったはずだが、動力推進機関に問題はなさそうだ。
 

「ん」


 旅が順調なことに満足気に頷いてから、大きく伸びをして体調を確認。  
 治療中の右腕は手首から先が包帯と当て木でぐるぐると巻かれ固定され不便なことこの上ないが、ルディアの痛み止めのおかげで引きつるような感触があるだけだ。
 身体を捻りながら筋肉をほぐし、ついで左手の指を開いたり閉じたりして、反応速度も確認。
 ここ数日ちゃんとした食事にありつけたおかげか、サンドワームとの戦闘で無茶をした影響で残っていた、身体のだるさや熱も完全に抜け、思った通りの動きができる。
 そろそろ本格的な鍛錬を再開をしても問題無いだろう。
 だがその前にやることをやってからだ。
 今は好意で砂船にただ乗りさせてもらっている。
 ならば手伝えることがあるなら極力手伝うべき。
 基本的には常識外れなくせに、妙に義理堅いというか根っこの部分では真面目なケイスは一つ頷いてから、隣のベットで毛布にくるまっているルディアの身体を軽く揺する。


「ルディ。ルディ。良い朝だぞ。厨房の手伝いに行くから着替えの手伝いを頼む」


「…………ぁ……あぁ朝ね……ったく。朝から元気ね。あと何度も言うけどルディア。一文字だけ削った中途半端な略し方するなって言ってるでしょ」


 眠りを妨げられたルディアが寝起きの不機嫌そうな表情を浮かべ文句を言いつつも、もぞもぞと動きベットから這い出てきた。
 癖が強いのか派手な赤毛がぴょんぴょんとあちらこちらに飛び跳ねているが、あいては同性。しかも年下のケイスの前だからか特に気にしている様子はない。


「ふぁぁ……ほら。そっちいって。背中むけて。」


 まだ寝足りないのか欠伸混じりのルディアは、ケイスの肩を掴んで背中を向けさせてから鏡台前の椅子に座らせる。
 ケイスが着る寝間着は背中だけでなく右肩の後ろ側にもボタンが付いており、右側だけ半袖となっている。
 ケイスが元々着ていた旅装束一式はボロボロとなった上に、右腕が包帯と当て木でふくれ上がり普通の服が着られなかった事もあったので、ファンリアの商隊で衣服商をやっている針子の女性が古着を縫い直して譲ってくれた特別品だ。
 他にも幾つか袖を通さなくても、良い服をもらい受けている。
 とりあえず頑丈で動きやすければあまり気にしないケイスとしては、そこまで着る物に拘りは無いのだが、
 彼女曰く、
 『女の子が見た目に気を使わなくてどうする。しかもあんたみたいなのが適当ってのは服飾神様に対する冒涜よ』
 とのことで、どうやら”見た目だけ”で判断するならば、美少女であるケイスに自分が手直した服を着せる事を楽しんでいるようだ。


「にしてもあんたさ…………どんな身体してんの? 二、三日前まで髪はごわごわで肌もかさかさ傷だらけだったのが、何でこんなに良くなってるのよ」 


 しっとりと濡れるような艶のある黒髪と肩口から覗くすべすべとした卵のようなケイスの素肌を見たルディアが、この数日で別人のように変化したその肌や髪質に呆れ混じりの声をあげながら、背中まである黒髪を櫛で梳いていく。

「ん~ゆっくり寝たし、ご飯が美味しかったからな。生命力が十分戻ったから闘気で回復力だけを高めている所為だろ。それにルディの薬がいいのもあるな」


 髪を梳かれる心地良い感触を楽しみながら、ケイスは弾んだ声で答える。
 血の滴る生肉も悪くはないが、温かいご飯も美味しいし、固い地面よりベットの方が気持ちが良いのは言うまでも無い。
 よく寝てよく食べるから自然と生命力も戻り、闘気を身体に張り巡らせて回復を早めることが出来る
 それに腕の立つ薬師の薬もあるのだから、これくらいはケイスにとって当たり前。
 むしろたかだか骨折程度で骨がまだくっつかないのは遅すぎるくらいだ。
 

「身体能力全般を高めるならともかく、回復だけって……あんた探索者でもない癖によくそんな器用に使えるわね。それにあたしの薬はただの化膿止めと痛み止め。美容効果はないっての」


 闘気を使って身体能力をあげるのはさほど難しい事ではない。
 それこそ子供でもそこそこの生命力があり生命力を闘気変換するコツさえ知っていれば出来る。
 しかし生み出した闘気で全身の身体能力強化を行うならともかく、一部だけに限定して強化するとなると途端に技術的には難しくなる。 
 だがこの闘気操作をいとも簡単にこなす者達がいる。
 それが神の恩恵である天恵を得た者達。所謂探索者だ。
 天恵は探索者に強い生命力を与えると同時に、変換能力の増大と細分能力をもたらす。
 探索者ではないルディアには魔力の違いなど判別できないのだが、最高位の上級探索者ともなると、魔術に使う魔力一つとっても術にもっとも適した波形の魔力を生み出す事ができるという。
 勿論探索者と比べればケイスの闘気の細分化は拙いの物だが、年齢を考えれば十分驚異的なものだ。
 しかしここ数日でケイスの無茶苦茶な言動と能力を目の当たりにした所為か、常識という感覚が麻痺し掛かっているルディアはただ呆れ顔を浮かべるだけだった。
  

「はい縛るわよ……そうだ。食事で思いだしたけどあんた食べ過ぎじゃない? 並の大人の二、三人前はぱくぱく食べてるけどよく入るわね」
 

 髪を梳き終わったルディアは、今度は髪を大きくまとめて紐で結い上げポニーテールへと仕上げていく。
 この髪型は動きやすいからケイスは気に入っているが、自分でやるとどうしても納得がいかずいろいろ弄っているうち変になってしまう事が多かった。
 結局紐で適当に縛る事が多いのだが、ルディアの髪結いはケイス的には十分及第点だ。


「私は動いているからな。ルディも一緒に鍛錬するか? 身体を動かすとご飯が美味しいぞ」   
 

「冗談。あんたの鍛錬なんて付き合ってたら2、3日は筋肉痛が確定でしょうが。それ以前に怪我人が無茶するなっての。昨日もいったでしょ。治る物も治らないわよ。ほら馬鹿言ってないで右手出して。包帯をまき直すから」


 素気なく断られたケイスは不満顔を浮かべるが、ルディアはケイスの頭を軽く叩いて注意すると、寝ている間に緩んでいた右手の包帯を強めにまき直しはじめる。
 ケイスからすれば昨日はまだだるさもあって軽く身体を動かした程度なのだが、ルディアから見ると十分すぎるほどのオーバーワークだったようだ。
 

「そういえばあんた昨日マークスさんとこの息子さんに喧嘩を吹っ掛けたって? マークスさんが何かやたら上機嫌で、調子に乗ってた息子が叩きのめされたとか言ってたんだけど」
 

「ん?……あぁ子グマのことか。失礼なことを言うな。私がクマから剣を借りて素振りしていたのだがあいつの方から絡んできたんだぞ。失礼な奴だ」


 しばらく考えてからケイスは昨日あったことを思いだして不愉快に眉を顰める。
 ちょっとした”認識”の違いから誤解が生じていた武器商人のクレン・マークス通称クマだったが、無事に誤解が解けたこともあって良好な仲を築きかけている。
 昨日などはクマからケイスは鍛錬用に武器を貸してもらったほどだ。
 それ故に昨日は途中までケイスはすこぶる上機嫌だったのだがクマの息子。
 ケイスが子グマと呼ぶ13才の少年ラクト・マークスに出会った事で気分は最悪になった。


「それに叩きのめしたのではない。あいつが剣を取り上げようとずかずかと私の間合いに入ってきたので危ないから投げ飛ばしただけだぞ……子グマが気絶がしたが受け身を取らなかったあいつが悪い」


 気絶させたのはやりすぎたかと思いつつも、ケイスは頬を膨らませる。
 どうやら自分が剣を持ち出すと怒る父親が、ケイスには喜んで貸し出していたのが気に食わなかったらしいが、ケイスからすればいい迷惑だ。
 

「やり過ぎだっての。あたしもそうだけどあんたも居候みたいなもんだから大人しくしてなさいよほんと」


「ん。判っている。だから早起きして厨房の仕事を手伝っているだろ。それにあっちが絡んでこない限り私から力を振るう事は無いぞ。私は心が広いから、昨日のことは水に流してやるし、意味なく力を振るう乱暴者ではないからな」


 ケイスは強く頷き胸を張って答えたが、ルディアが向ける視線は非常に疑わしいと雄弁に物語っていた。

















「テーブルと床の掃除は終わったぞ。次は何をすればいい?」


 使い終わったモップを左手で持ちながらケイスは食堂のカウンターから、厨房の中へと声をかける。
 砂船『トライセル』は乗員乗客合わせて八十人以上が乗り合わせる中型船だが、その食堂は人数に対して大分手狭で最大に詰めても三十人分ほどの席しかない。
 これは元々トライセルが探索者向けの船として設計されていた事が原因だ。
 探索者は大抵4~7人で1パーティを組む。
 基本的にはそのパーティ単位で探索者達は、迷宮を探索したり、様々な依頼をこなしていく。
 また大規模な討伐や長期に及ぶ依頼。危険度が高い迷宮に潜る場合は、数パーティが集まり、チームを形成するのが昨今の主流だ。
 迷宮内に船を持ち込んだり、建築魔術スキルをもつ術者が簡易砦を築城して拠点を作り長期探索や採取をおこなう場合は、中級探索者クラスの場合は安全性と収益分配や採算の関係から、最大で4パーティほどが合同チームを結成している。
 中級迷宮探索船であったトライセルも、定員四十人を見越して建造、運用されていた。
 だが老朽化に伴う払い下げの際に、過剰武装と不要設備の撤去をして旅客貨物船への改装をおこない客室と倉庫の容量を増やしている。
 だが厨房等水回りが関係する部分は大規模な改装をするのが難しく、元のままとなっている。
 結果厨房の拡張が出来ない為、食堂も元の広さのまま据え置かれていた。


「おう…………おし。ちゃんと出来てるようだな」


 白髪交じりの料理長セラギ・イチノは仕込みの手を休めて食堂へ出てくると、掃除箇所を一通り確認してからケイスの頭を撫でて褒める。
 固太りで厳つい顔の為か肉を捌く姿は、料理人よりもオーガだと言われるセラギだが、その厳つい外見に反して繊細な味の料理を得意とし、貨客砂船程度の料理長をしているのが不思議な腕をしていた。


「うむ。当然だ。食事を取る場所は綺麗にしなければいけないのだろ。セラギの教えてくれた通りにぴかぴかにしたぞ」


 セラギに褒められたことに、素直な笑みを浮かべて喜びながらケイスは胸を張る。
 親子以上に離れた年長者に対する言葉遣いではなく傲岸不遜その物だが、テーブルの上は綺麗に磨かれ、床にはゴミ一つ無く、額にはうっすらと汗を掻いたケイスが一生懸命に掃除をしていたことは一目瞭然だ。
 

「初日から比べて随分進歩したな。まさか床用のモップでテーブルを拭く奴がいるとは俺も思わなかったからな」


 初日にとりあえず掃除をさせてみたケイスがモップでテーブルを拭き始めたのを見た時には巫山戯ているのかと思い怒鳴りつけたのだが、セラギの怒気にも恐れた様子も見せずなぜ怒られたのか判らずケイスはきょとんと首をかしげるだけだった。
 本当に知らないようだったので仕方なくセラギ自ら見本を見せたのだが、すぐに気をつける場所や効率的なやり方を覚え、言葉使いのわりには妙に素直な所があるケイスをセラギは気に入っていた。
 

「むぅ。しょうがないだろ知らなかったんだから。ちゃんと見て覚えたからいいだろ。それより次の仕事を寄越せ。鍛錬までまだ時間はある。私に出来ることなら何でもやるぞ」

 
 セラギのからかい混じりの目線に頬を膨らませるケイスだったが、すぐに気を取り直して次の仕事を催促する。 
 掃除は適度に身体を動かす事ができるので準備運動代わりにはもってこいだが、手伝いをする時間は朝と夕方それぞれ一時間の約束としていた。
 今日は掃除になれてきたのと身体が自由に動くので所為で思ったより早く終わり、約束の1時間までは30分以上残していた。
 

「次の手伝いか・そうはいってもな。お前さんの右手がそれじゃなあ」


 包帯と当て木で固定されたケイスの右手を見てセラギはどうしたもんかと腕を組む。
 左手一本で出来ることなどさほどない。
 それが料理人……いや一般人であるセラギの常識だ。
 

「ねぇ親父。それならケイスに皮むきやって貰おうよ。今日の夕食のポテトサラダ用」 


 二人の会話を厨房内で聞いていたのか焦げ茶色の髪の若い女性がカウンターに身を乗り出し、手に持っていたジャガイモとペティナイフを掲げてみせる。  
 女性はミズハ・イチノ。名前の通りセラギの一人娘でこの厨房のもう一人の料理人だ。 ミズハは父親の元で修行中とのことだが、イチノ親子たった二人で八十人分を毎日三食作っているのだから、もう一人前と言っても過言ではない。
 特に前菜とデザートに関しては女性としての感性が勝るのか、ミズハの料理の方がセラギよりも評判がよい。


「馬鹿かミズハ。ケイスの右手は塞がってんだぞ。自分が楽したいからって無茶を言うな。サラダ用のジャガイモはヘント種だから小さくてただでさえ剥きづらいってのに」


 ミズハの持つジャガイモはヘント種と呼ばれる鶏の卵より一回りほど小さい大きさと形をした品種だ。
 冷やしてもホクホクとした食感が変わらないのでサラダ用には適しているが、粒が小さいので皮が剥きにくく、仕込みをする下っ端料理人泣かせのジャガイモだ。
 トライセルの料理人は二人しかいない為にどちらが大変な作業をやるとかではないが、肉、魚関連はセラギ、野菜の仕込みはミズハと分担が出来ている。
 夕食のサラダに使うヘントジャガイモも無論ミズハの担当で、朝のうちに木箱一杯分の皮を剥き水にさらし茹でておかなければならない。
 手間を考えるとかなりの一苦労なのだが、


「違う違う。親父はケイスを甘く見てるんだって。ほらケイス昨日の林檎みたいにやって。ほいパ~ス」 


「おわっ! ミズハ刃物を投げるな!」


 ちっちと小さなジャガイモを振ってみせたミズハは、ケイスに向かってペティナイフと小さなジャガイモをポンと投げ渡す。
 いきなり刃物を投げたミズハの行動にセラギが驚きの声をあげるが、当のケイスは落ち着いた物だ。
 飛んでくる矢に比べれば、クルクルと回るナイフ程度など、ふわりと落ちてくる綿毛と危険度は変わらない。


「ふむ。よかろう」


 無造作に左手を付きだしたケイスは人差し指と中指でナイフの刃を挟みとり、そのついでに宙を舞っていたジャガイモにも手を伸ばすと親指と小指でつかみ取る。
 ナイフとジャガイモをキャッチしたケイスは指を軽く動かして、手の中でジャガイモを回転させながらナイフの刃を当てて皮を剥いていく。
 物の一瞬でケイスの手から一本に繋がった薄い皮がカウンターの上にぽとりと落ちた。


「これくらいの厚さで良いかミズハ?」


 見事に裸になったジャガイモをケイスは二人へとみせる。
 大きさは皮を剥く前とさほど変わらず表面はなめらか。身を削らないように薄皮一枚で剥いてあり、とても左手一本でやった物とは思えないほどだ。


「なっ?!」


「おぉさすが! やるケイス! ご褒美に後で新作デザートの試食させてやんね。昨日の表情みた限り林檎は好きでしょ?」


 驚きの声をあげる父親とは違い、昨日既にこのケイスの曲芸じみた皮むきを見ていた娘はぱちぱちと拍手を送りながらウインクしてみせる。


「ん。良いのか? でも楽しみにしておく。リンゴもミズハのデザートも好きだ」


 手の中にある動かない物を斬るなどケイスからすれば朝飯前。
 この程度でご褒美を貰ってもいいのかと思いながらも、一番の好物であるリンゴのデザートと聞いて是非もなく笑顔を浮かべる。


「ってなわけで親父。ケイスに手伝わせるのに文句はないでしょ。この子、刃物扱わせたらたぶん親父より上なんだから」
  

「判った判った。確かに俺には出来ない芸当だ。でもそれとは別にだ。ナイフを投げるな驚くから」


 勝ち誇った顔を浮かべるミズハに、苦々しい顔で睨みつけながら苦言を呈すセラギの横でケイスが胸を張る。
 

「当然だ。私は剣士だからな。他にも斬る物があれば任せておけ。斬るのは大好きだ」


 この後数日間、十分に物を斬っておらず欲求不満気味だったケイスは、言葉通り嬉々として刃物を振るい、ジャガイモ1箱とニンジン30本ついでに骨付きの牛半身を捌き満足な斬りごたえを感じてから朝の手伝いを終えた。



[22387] 剣士と少年 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2014/11/08 03:01
 砂船トライセルは全長約150ケーラ。
 その最下層は隔壁で隔てられ船首側は機関部、船尾側は倉庫となっている。
 厨房の仕込みを手伝い終えたケイスは、人気のない船尾側最下層まで降りていた。
 倉庫のスペースを少しでもとるために通路の横幅は両手を伸ばしたくらいと狭いが、長さは約60ケーラほどもあり、闘気の底上げ無しでのケイスの全力疾走では7秒ほどかかる。
 早朝の人気のない時間を使い、ケイスはこの通路での走り込みを行っていた。
 ケイスの目的はスタミナ増強の為の走り込みではない。歩法の鍛錬がその主な目的となっていた。 

「はっ!」


 息を軽く吐き出しケイスは跳び出す。
 柔らかな砂漠と違い、木製の硬い床は、1歩目からトップスピードに乗せる事を可能とする。
 広い歩幅でしかも常に一定になるように気をつけ、すり足気味に床を蹴りながら、通路の端を目指してケイスは疾走する。
 最初に歩数を決めてから、歩数に合わせて通路を平均分割して頭の中で線を引く。
 線を捉えて良いのはつま先のみ。
 最初は20歩から初め、成功したら1歩歩数を増やしていく。
 線を踏み外したのなら失敗。全力疾走時のタイム+1秒を超えても失敗。
 もう一度20歩からやり直す。
 それがケイスが行う歩法鍛錬の基本ルールだ。
 朝食の時間までの一時間を目処に今日の目標は40歩とケイスは決めて、ここまで5回目のやり直しでようやく30歩目まで進んだ。
 闘気を使い身体能力強化をすれば、目標の数倍までも無理なくこなせるが、それでは意味がない。
 闘気を用いれば身体能力を数倍、熟練者であれば数十倍にあげることが出来るが、元となる基礎能力自体が鍛えられるわけではない。
 ケイスが今求めているのは高い基礎能力。
 正確無比な距離感。
 精密な身体操作。
 どちらも敵と触れ合うほどの近距離での近接戦闘を唯一の戦闘手段とするケイスにとって必要な能力だ。
 

「はっ……はぁ……むぅ」


 31歩目を踏んで壁際に到着。
 本来ならこのままターンして次の歩数へと入るのだが、ケイスは肩で息をしながら不機嫌に眉を顰めた。
 立ち止まったのは息が切れたからではない。
 予定より壁が近い気がしたからだ。


「むぅ。だめか」


 足元を見下ろして壁との距離を測ってみると、やはり指一本分ほどだが近すぎた。
 1歩前までは満足のいく出来だったが、どうやら最後だけ止まろうとした分の動きが遅れ超過してしまったようだ。
 指一本分の僅かな誤差。
 これを許容範囲とみるか失敗ととるか。
 
  
「ふぅ……むぅ。もう一度最初からだな」


 ケイスは後者である。
 軽く息を整えて、唸ってからケイスは反対側へと振り返る。
 踏むべき場所は壁の汚れや床の木目を目印にして頭の中でイメージとして作り上げてある。
 後は自分がその思った位置を正確に踏み切れるかが問題なだけの単純だが難しい作業だけだ。


「はぁっ!」


 大きく息を吸い混んでからケイスは反対の壁に向かって飛び出す。
 指一本分だけといえ、ケイスからすれば誤差は大きい。
 その僅かな誤差でも間合いを読み間違えれば、重要な腱や血管を切り裂かれてしまうかもしれない。
 余分に踏み込んでしまえば、振るった剣の狙いがそれてしまうかもしれない。
 紙一重の近距離戦闘を生きるケイスにとって、指一本部の誤差は十二分に生死を分ける。
 これくらいは良いかと自分を誤魔化してしまえば、後で泣く羽目になる。
 変な部分で生真面目なケイスは、鍛錬には一切の妥協をせずただ黙々と繰り返す。
 

「ふ……ふっ……次!」


 20歩は問題無し。
 壁にタッチしたケイスは振り返ると共に即座にスタートを切り、21歩であっという間に通路を走破し反対の行き止まりに辿り着き、次の22歩目の為に折り返す。
 息を整える暇もない短距離走の連発。
 1歩ごとに歩数を増やしていく分、スライドが小さくなり遅くなるタイムは足の回転をあげる事で維持する。
 躍動する心臓と駆け巡る血で熱くなる身体の熱さがケイスの心をより滾らせ、鍛錬へと意識が集中していく。 
 ケイスの行う鍛錬には休憩などという概念は存在しない。
 ただひたすらに、身体を限界以上に酷使し続けるという馬鹿げた物だ。
 こんな事を毎日繰り返していれば、常人であればすぐに身体が壊れる。
 しかし御殿医から先祖返りと診断されたケイスの肉体がその無茶を可能とする。
 鍛えれば鍛えた分だけ強くなり、怪我を克服すればするほどより肉体は強靱となっていく。
 無限とも思える潜在能力の底はケイス自身にも見えない。
 だが今のケイスには己の稀有な体質は好都合以外のなんでもない。
 ケイスは強くならなければならない。
 胸に抱く大願を叶える為に。
 願いを人に聞かせれば馬鹿げていると笑われるか、幼すぎる外見故に現実を知らない子供らしい夢とほほえましく見られるだろう。
 しかしケイス本人は心底本気であり、自分が出来ないわけがないと微塵も疑っていない。
 自信過剰とも言うべきケイスの生まれ持った心根が、無理な鍛錬にも心を折らせず続けさせる原動力となっていた。
  
 
「っぁ……26っ!」


 26歩までは順調に数を積み重ねてきたが、きついのはここから先。
 歩数を増やしながら速度を維持するのは骨が折れる。
 だが同距離同速度で歩数を増やせるということは選択肢を増やす事に他ならない。
 荒れる息もそのままにケイスは折り返す。

 1歩目。床木目細めの渦……成功。

 2歩目。右側壁のへこみ……成功。

 3歩目。左壁の倉庫扉蝶番……成功

 4歩目。天井ひっかき傷先端……成功。


 目標を一つ一つ確かめながら、狭い通路をケイスは全力で走る。
 わざわざ上下左右に目標を分けたのは、動体視力の強化と広い視野の確保も鍛錬目的の一つだ。
 深い森に姿を顰める射手の僅かな動作がうむ違和感を見つけ出す為に。
 乱戦の中で敵魔術師が唱える詠唱や組んだ印を読み取り展開した魔法陣から魔術の種類を一瞬で判別する為に。
 飛翔魔獣が雲の隙間から放つ広範囲ブレス攻撃を避ける為に。
 地中から突如襲いかかってくる地生魔獣が地下を移動する時の微かな地表の異変を感じ取る為に。
 攻撃の兆候を少しでも早く正確に認識し対処する事が出来るようにと鍛えるその知覚能力は、身体強化と違いすぐに必要となる力ではない。
 ケイスの反応速度を持ってすれば、先日のサンドワームとの戦闘のように大抵の攻撃を躱し弾くことができるからだ。
 高い知覚能力が必要となるのは今より数年後。
 中級探索者となる頃に必要となる力と定めケイスは鍛錬を続ける。
 そしてその先も勿論視野に入っている。
 上級探索者となり生き残る為に必要な高度な身体力、強靱な精神力は現状より遙か高みにある。
 さらにその先。
 自らの生まれがもたらすであろう戦乱を勝ち抜き、家族を守る為の圧倒的な対人、対軍戦闘能力。
 これから先の人生。
 自分の生涯全てが戦いの中にあるという確かな予感を抱くケイスの鍛錬は20年30年先を見据えている。


  
 8歩目。上階へと通じる階段扉の一つ前の壁掛光球ランプ……成功

 ここまでの目標を正確に捉えた事に心中で満足を覚えながら8歩目を踏みきろうとしたケイスだったが、その目の前でいきなり階段へと続く扉が通路側へと開きはじめた。
 どうやら上から誰かが降りてきたようだ。
 鍛錬に集中しすぎて周辺警戒がおろそかになっていたと反省する間も無く不意の来訪者が姿を現す。
 しかし、スピードに乗っているこの状況下では、さすがのケイスでも立ち止まるには距離が足らない。
 このままでは降りてきた人物へと体当たりをする羽目になる。
 かといってこの狭い通路では扉を避けることも出来ない。
 むやみやたらと人に怪我をさせるのは好きでないが、自分が怪我するのも嫌だ。
 なら残った選択肢は一つ。


「っの!」


 ケイスはとっさに8歩目を強く蹴り跳躍する。
 扉までの僅かな距離で空中へと身を躍らせたケイスは、不意の侵入者の顔を掠めるように飛び越えながら、そのままくるりと回転し扉の上部に浴びせ蹴りを打ち放つ。
 扉を破壊して進路を確保するついでに勢いをかき消せばいいと単純明快な答えをケイスの思考ははじき出していた。
 
 
 











「ここかっ!? どぁ!?」 
 
 
 怒り心頭で最下層通路へと続くドアを開けた瞬間、目の前をいきなり小柄な身体が横切り、ついで派手な衝撃音と共にラクト・マークスは強い衝撃を受けて握っていたドアノブから思わず手を離す。
 ベキと音を立てて木枠が砕けて蝶番が外れた重く頑丈な木の扉が、バタンバタンと音を立てながら風に流されるゴミくずのように通路を転がっていく。
 ドアノブを掴んだままだったら、ラクトも扉と一緒に転がっていくことになっただろう。


「はぁはぁ……なんだ……子グマか……ふぅ……すまん。避ける暇が無かった」


 恐ろしいまでの勢いと衝撃をドアに叩きこんだのはケイスと名乗る黒髪の少女。
 ケイスはスタっと床に降り立ち振りかえってラクトの顔を見て頬を膨らませる。


「しかしお前も気をつけろ。『訓練中立ち入り注意』と張り紙を貼ってあっただろ。いきなり扉を開けるからびっくりしたじゃないか」

 
 すぐに息を整えたケイスは謝る気があるのかと、疑いたくなる傲岸不遜な言葉を打ち放つ。
 長い黒檀色の髪と多少吊り気味だが意志の強そうな目と整った顔立ちは、ラクトの幼学校時代の同級の少女達とは比べものにならないほど際だっている。
 都会の着飾った見目麗しい少女達の誰よりもさらに強い存在感を放ち、外見だけで見るならば、まだ幼い雰囲気を色濃く残しながらもながらも、ケイスは最上級の美少女といって過言ではない。
 だがそれは見た目だけだ。 


「て、てめぇケイス! いきなり人のこと蹴り飛ばそうとして偉そうだなおい!? それに俺は子グマじゃねぇ!」


 ラクトの当然すぎる抗議に対してケイスがなぜか不機嫌に眉を顰めてから、転がった扉を指さして胸を張る。


「失礼なことを言うな。私がこの程度の速度と距離で目標を外すわけがないだろ。狙い通り扉だけ蹴ったんだ。見れば判るだろ。それにクマの子供だから子グマだ。二つとも問題無しだ」     


 ケイスが指さした扉上部にはくっきりと足跡が残っており、どうやらここを狙って蹴ったと言いたいようだが、そう言う問題ではない。
 失礼なのはお前の方だと言い返したくなる言いぐさにラクトは苛立ちをより強める。


「問題しかねぇよ! それに親父のクマは渾名で俺には関係ない……ってまて! 逃げるな! 俺の話を聞け!」


 ラクトの言葉を最後まで聞かずケイスは転がっていった扉を壁に立てかけると、すたすたと歩き出した。
 まるで話は終わったと言わんばかりのケイスをラクトは追いかける。
  

「むぅ心底失礼な奴だな。別に逃げたわけではない。後で扉を壊してしまったことはちゃんと船員に伝えるがまだ時間が早い。朝食時にでも伝え謝るつもりだ。無論修理も手伝う。そして私は走法鍛錬の途中だ。時間が惜しい。他に何か言いたい事があるなら走りながら聞いてやるから、階段側の所で言え。邪魔だから通路には出るなよ」


振り返ったケイスは不満げに唸ってからおざなりに今ラクトがおいてきた階段を指さし、通路から引っ込んでいろと上から目線で言う。
 しかし階段の位置は長い通路のほぼ中間地点だ。


「それと大声は出すな。たぶん大丈夫だと思うが、上の客室まで響いたら早朝でまだ寝ている者もいるから迷惑だぞ。小声で話せ。お前には常識が無いのか?」


 通路には船首側の転血炉が稼働する重低音が響いていて、近い位置ならともかく離れていれば音は聞き取りづらい。
 ましてや小声で話したら、ますます聞こえなくなる。
 ケイスの言いぐさは、お前の話なんて聞いていられないと遠回しに言っているような物だ。  
 

「んな所から声届くか! しかも大声出すなって! お前絶対聞く気ないだろ!」


「一々しつこい奴だな。聞いてやると言っているだろう。心配するな私は耳が良い。だから大声を上げるな。さっきも言っただろ。貴様こそ人の話を聞かないのは駄目なんだぞ」


 お前が言うなと返したくなる内容をほざいてから、ケイスは踵を返し早足で通路を歩き出した。
 自己中心的で身勝手な上に自信過剰で鼻持ちならない。
 誰と比べても群を抜いて断トツで生意気で憎たらしい年下ガキ女だと、ケイスと知り合って数日でラクトは嫌になるほど思い知らされていた。


「こ、このっ!!………っくぅっく!」


 ラクトはその無防備な背中につい掴み掛かろうとしたが、年下女しかも怪我人である事を思いだして歯ぎしりをしながらも何とか踏みとどまる。
 それに昨日のこともある。
 剣を取り上げようとケイスに近付いた所、ケイスに思い切り投げ飛ばされ気を失う羽目になった。
 一晩経ってようやく強く打った身体の痛みも引いて動けるようになったので、昨日の喧嘩の続きとケイスの所へ出向いたのだが、その初っ端からケイスの傲岸不遜で自分勝手なペースに巻き込まれていた。


「いいか! このちび女! 俺が昨日投げられたのは油断してたからだからな! あれで勝ったと思うなよな!」


 ケイスに追いついたラクトは、前に回り込むとその行く手に立ちふさがり睨みつける。
 年下。しかもこんな小さく細い少女に負けたとあってはラクトとしては立つ瀬がない。
 ラクト自身も負け惜しみだとは判っている文句だったのだが、ケイスはきょとんとした顔を浮かべた。


「ん? 別にお前と勝負した訳じゃないから勝ったなんて思ってないぞ。それよりあの程度の投げならちゃんと受け身をとれ。お前が気絶なんかしたからルディから叱られたんだぞ……よし話は終わったな。鍛錬時間がおしいから邪魔をするな」


 ラクトなぞ喧嘩相手にならず、元々眼中にないとケイスの言葉と態度は雄弁に物語っている。
 他人事であれば、どうやったらここまで人を怒らせる事ができるのかむしろ感心しそうになる。
 だが当事者であるラクトとしてはたまった物ではない。


「っく!……それと! お前今日は絶対親父の店の剣を使うっ!?」


 言葉の途中でケイスが動いた。
 立ちふさがっているラクトの足の間へと右足をすっと滑り込ませ右足を払いながら、左手でラクトの右腕を掴んで軽く引っ張る。 
 たったそれだけのケイスの動作でラクトの視界が反転して、気がついた時には床に投げられていた。
 昨日と違うのは床に落ちる直前で勢いが弱まってふわりと浮き、ケイスが差しだした右足の上に身体が着地したことだろうか。


「温厚な私でもいい加減に怒るぞ。剣はクマの好意に甘えさせてもらっているが貴様に口出しされる謂われはない。まともに受け身も取れない未熟者が私の鍛錬の邪魔をするな」


 眉根を顰め実に不機嫌そうな顔を浮かべているケイスは右足をずらして、ラクトを通路の端にポイと置いた。
 あまりに簡単に投げられたことにしばし呆気にとられていたラクトだったが、我に返りワナワナと肩を震わせながら跳ね起き、ケイスへと指を突きつける。


「っ…………くくくくくっ……このガキ上等だ! てめぇ決闘だ!」


 ここまで虚仮にされたのはもうじき14になるラクトの人生の中でも初の経験だ。
 怒りを通り越して笑うしかない。
 こうなれば相手が女であろうが年下だろうが怪我人だろうが関係ない。
 絶対に泣かしてやるラクトが意気込むが、怒声にケイスはきょとんとした顔を浮かべている。
 頭二つ分ほど大きいラクトの剣幕にひるんだ様子も無かったケイスはしばらくしてから溜息を一つはいた。


「はぁ……器量が狭い。もう少し心を広く持った方が良いぞ。私は貴様は気に食わないが殺したくはならないぞ。この程度で殺し合いなんて貴様おかしくないか?」


 訳の分からない事を言い出したケイスが同情的な目を浮かべた。
 だが返されたラクトは唖然として言葉を失っていた。
 決闘しろとは言ったが殺し合おうなんて一言も言っていない。
  

「しかし貴様がどうしてもと望むなら致し方ない。ルディに立会人をやって貰うがいいか? それとも他に希望する者がいるか? 出来たらクマは止めてくれ。いくら私でも父親の前で息子を殺すのは忍びない」


 あまり気乗りしないと言いたげな顔を浮かべながらも、ケイスは一人で納得して話を進めているのを見てラクトは慌てて止めに入る。


「……い、いや!? ま、待てって!? お、お前何言ってんの!?」


「何って決闘だろ? どちらかが死ぬまでの。ふむ。しかしそうなると場所をどこに…………」


 何でそんな常識を確認するんだと言いたげな顔を浮かべたケイスは、場所はどこが良いかや、長剣でいいかとやたらと具体的な内容をあげ始める。
 ケイスが冗談や脅しで言っているのならまだいい。
 しかし極めて不本意だと感じさせる困り顔を浮かべながらも、その表情や口調が至極真面目なのが怖い。
 どうやら本気のようだと嫌でも伝わってくる。
 子供同士の間で決闘と言えば、それはあくまでも喧嘩の延長線上でしかない。
 ラクトはケイスを同じ子供としてみている。
 しかしケイスは違う。


「…………お、お前馬鹿だろ!? 何で殺し合い!? っていうか何でそうなるんだよ?!」


「誰が馬鹿だ本当に失礼な奴だな。決闘に殺し合い以外の何がある?」


 ラクトが言っている意味が本当に分からないのかケイスがちょこんと首をかしげる。
 仕草だけ見れば可愛らしいのだが、言っている事はとてもまともじゃない。


「あ、あるにきまってんだろうが……」  


 怒りが通り越して笑いへと変化していたラクトだったが、おかしすぎるケイスの言動に段々疲れすらも覚え始めていた。



[22387] 薬師と探索者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:ad056b20
Date: 2015/04/07 21:17
 食堂へと手伝いに向かったケイスを送り出した後、ルディアは自分の身だしなみを整えてから、朝食までの時間を制作中の新触媒液のレシピと調整をノートへと記載をしながら、ゆったりと過ごしていた。
 乗員乗客数に対しトライセルの食堂は手狭な為に、食事は部屋事で三回戦に分けられ一食ごとに順番がずれていく。
 朝が一巡目なら昼は二巡目。夕食は三巡目といった具合だ。 
 ちなみにルディアは朝が一巡目のグループで船内時間での午前7時から。
 普段の習慣からすれば朝食時間は一時間ほど早いが、相乗りさせて貰っているので我が儘は言えない。
 それに夕食は最後の回なのでゆったりと食事が出来て、その後も居座って船内バーへと変わった食堂で、ちびちびと飲むのにも都合が良い。
 夕食の三巡目のメンバーはルディアも含め、毎日晩酌を楽しむ酒飲み連中で占められ、逆に一巡目と二巡目には、女子供や祝い事の時だけしか飲まないタイプや下戸だという男性商人達が固まっている。
 食事順はある程度意図的なのに決められているようだ。
 年の半分近くが極寒期である冬大陸の生まれであるルディアにとって、身体を温めてくれる酒は身近な存在。
 真っ昼間から飲んだくれるような事はないが、幼い時に寝る前に飲んでいたホットワインのミルク割りや蜂蜜入りから始まり、雪国では滅多にお目にかかれない芳醇な南国果実の香り漂うリキュール系のカクテルに嵌ってみたり、薬師見習い修行中には覚醒効果を施したオリジナルの薬草酒傍らに徹夜で調合といった風に、夜の共として常に傍らにあった。
 おかげでアルコールにたいしては大分強くなり、さすがに『底の抜けたビア樽』とまで言われるドワーフ族とまではいかないが、どれだけの飲もうが滅多に悪酔いする事もなく、むしろ晩酌を欠いた時の方が寝付きが悪い程度には嗜んでいる。
 そんなルディアが、夕食三巡目に回ったのはおそらく偶然ではない。
 最初に会ったラズファンの酒場で交わした世間話を覚えていたファンリア辺りの気遣いだろうとルディアは予想していた。
 飄々としているようで、些細な会話を覚えておき細かい気遣いが出来る辺りが、やり手の老商人といった所だろうか。
 しかしそんな老獪なファンリアを持ってしても全くの計算不能な存在が一人。
 それが、ひょんな縁からルディアが同室となったケイスと自称する謎の少女だ。
 
 
「……何か問題を起こしてないと良いんだけど」 


 整理の手を止めたルディアは軽く息を吐き額を抑える。
 知り合ってまだ数日しか経たないのだが、なぜか懐かれたルディアが主にケイスの面倒を見る事になっていた。
 元々面倒見が良いというか人が良いというか、世話焼きな性分。
 飛び入り乗船だった為、空いていた二人部屋を一人で使っていた事もある。
 元気すぎてそうは見えないが、一応相手は怪我人であり、医者ほどとはいかずとも薬師としてある程度の医療知識があるので適任といえば適任。
 そして何よりケイス本人は気にもしていないようだが、ルディアにとっては命の恩人だ。
 倉庫でサンドワームの攻撃からケイスが守ってくれなかったら、ルディアは命を落としていただろう。
 その他諸々を加味してみて、ルディア本人としてケイスの面倒を見る事に異論はない。
 だが正直、もう少し自重して行動をしてほしいと思う面が多々ある。
 幾つか例を挙げてみれば、
 大怪我を負っているというのに、多少痛いが動けるから問題なしだと狭い廊下で真剣で素振りをし始める。
 危ないから止めろと注意すれば、私が斬る気もないのに他人に剣を当てるわけがないと胸を張る。
 そう言う問題じゃないと再度注意すれば不承不承とはいえ承知はするが、今度は人の少ない所でやるなら問題無いなと言って、極寒の甲板へと出て行き数時間は帰ってこない。
 昨日にいたっては喧嘩騒ぎというべきなのかどうか今ひとつ経緯が不明だが、人を床にたたきつけて気絶までさせている。
 ケイス本人曰く危険だったかららしいが、その場にいなかったルディアからすればケイスの行動の方がよほど物騒だ。
 とにかく一事が万事この調子で本人には大怪我をしている自覚が一切無い。
 端的に言えば常識が無い。それに尽きる。
 
   
「とりあえず祈るのみね……」


 いつの間にやら筆が止まり、奇妙すぎる同部屋人のことばかりを考えていたルディアは集中が途切れた事を自覚してパタとノートを閉じた。
 薬師のレシピにはケール・レィトで現す一般的な国産単位法である神木法ではなく、より尺度が細分化された工房単位レド・ラグが使われている。
 ノートに書き写している数値のなかに一つでも違いがあれば、魔術薬の効果は制作者の意図とはまったく別の物へと変わってしまう。
 気もそぞろでやるべき仕事ではないし、現物はもう製作に入っているのだから慌ててまとめる必要もない。
 椅子から立ち上がったルディアは軽く伸びをして凝り固まった身体をほぐしてから、机の上でぽこぽこと小さな泡を立て沸騰するフラスコへと目を向ける。
 机の上で調合中の薬品が今記していたレシピの触媒液だ。
 比較的に入手が容易で安価な20種類の魔術触媒を調合する事で、同価格帯で取引される触媒28種分と同様の効果を発揮する触媒液とする。
 8種類分お得となるこのレシピ。
 金銭効率は良いのだが、その反面繊細な分量配分と外環境に合わせた細かな調整。そして長時間の加熱冷却を必須とする。
 魔法薬の製作販売で生計を立てる店持ち薬師からは、手間と器具の占有時間を含めて考えると儲けが合わないと敬遠される類の物だ。
 今現在砂船の乗客で暇をもてあますルディアは、もう少し簡易化出来ないかと研究改良していたところだった。
 とある人物がそれを聞きつけ、いくらかの手間賃と材料と同程度の触媒を融通するので代わりに試作中の触媒液を譲ってほしいと頼まれていた。
 交換する触媒の現物はルディアの手持ちにはない物が多めにあり、おまけに手間賃まで出るのなら文句はない。
 小遣い稼ぎの仕事みたいな物だと請け負っていた。
 フラスコを固定する枠に刻んだ記入式魔法陣の記述は三分の一ほど消費。
 順調にいってあと2日ほどで完成。
 このまま放置で問題無しと確認を終えたルディアは室内に掛かる時計へと目をやる。
 時刻は早朝6時35分を指していた。
 砂幕により空が閉じたこの常夜の砂漠で時計は唯一時間を感じ取れる存在だ。
 

「ちょっと早いけど食堂いこ……アレの席も確保しとくか」


 基本的に傍若無人で無軌道なケイスだが、変な部分で真面目なのか食事に限らず時間には正確で食事時間や手伝いの時間に遅れた事はない。
 この時間は今日も最下層で走り込みをしていると思うが、食事時間までには上に上がってくるだろう。
 ケイスの為にお代わりがしやすいカウンター近くを陣取って置くかとルディアは部屋を後にした。












「…………もう……駄目……眠いし……疲れすぎて……今日の明け方サンドワーム……私も美味しそうに見えてきた……」


 食堂の椅子にもたれ掛かるように座って、天を見つめながら女性探索者セラが虚ろな声をあげる。
 妹の憔悴しきった姿に、ボイドはどうしたもんかと、朝食までの繋ぎに出して貰った昨晩のつまみの残りの炒り豆をボリボリとかみ砕きながら考える。
 先守船での先行偵察を他の探索者と交代して本船トライセルに戻ってきたボイドとヴィオンが寝る前に食事をと思って来た時には、既にセラはこの状態でダウンしていた。
 脳味噌がイイ感じに茹だっているセラの疲労の原因は、先日襲撃してきたサンドワームの死骸を倉庫の一つを借りてここ数日不眠不休で解剖調査をしていた事が主な原因だ。
 護衛ギルドより派遣された砂船トライセルの探索者は当然セラ以外にもボイドやヴィオンを含め何人もいるのだが、セラが一人護衛から離れて報告書を作っているのには訳があった。


「生物知識を司る『黄の迷宮』の下級資格持っている探索者はこの船の中じゃお前だけなんだからしょうがねぇ。あと少しで終わるんだろ。それに親父もちゃんと報酬は出すって言ってるんだから、守銭奴なんだしそれで気力保て」
 
 
「うっさい……誰が守銭奴よ……馬鹿兄貴……この間の触媒の補填考えたらすぐに尽きるっての……それに今回のサンドワームはやばいから出来るだけ早く報告を遅れって父さんが五月蠅かったんだから……ラズファンでも調べてるんだからイイじゃない……ヴィオンも黙ってないでこの薄情者に何か言ってよ」


 ギロリとボイドを睨みつけるセラの目元にはクマが浮かび、頬はこけて血色も悪く青白い顔になっている。
 不眠不休の解剖調査とサンドワームの醜悪な見た目と死骸が放つ悪臭がその疲れを倍増させていた。
 今朝に到っては一周回ってサンドワームの死骸がご馳走に見えるほどに精神状態が悪化し、さすがにこのままでは不味いと食堂へと一時避難してきたようだ。

  
「俺もそっち方面の技能はまだは取ってないから、出来る事はとりあえず頑張れって声援を送るだけかね。それに見落としがないように複数で調べるのは基本だろ。お嬢の所の親父さんが身内をこき使うタイプなのは今更だから諦めろって」

 
 黄金色の液体が注がれたグラスの底からわき上がる細かな気泡が弾けて広がる芳醇な香りを楽しんでいたヴィオンは、恨めしげなセラの視線に軽く肩を竦め答える。


「うぅ……父さんの馬鹿ぁ……」


 ヴィオンの言葉に力尽きたのかセラがパタンとテーブルの上に身を倒して愚痴をこぼし始めた。


 大陸一つ分の空、大地、地底にまで広がる、広大かつ複雑な永宮未完内では、多種多様のモンスターが日々進化、発生を続けている。
 驚異的な速度で変化を続けるモンスター達に対抗する為に、迷宮モンスターに関する情報や検体の収集が管理協会から探索者達へ奨励され。重要情報であれば高額な報奨金も出る。
 その観点から見れば今回のサンドワームは管理協会からの注目度は高い。
 ここ数ヶ月ほど連続発生していた小型砂船消失事件の犯人かも知れないモンスターの発見となれば、管理協会が色めき立つのは致し方ない。
 出現地帯が一般人も進入可能な特別区であるのに、魔力無効化能力等、複数の効果を持つ砂弾を打ち出す変種で、危険度は特別区として考えた場合トップクラス。
 その上に襲撃してきたサンドワームは複数。
 セラ達の船を襲った群れ以外の個体が生息する可能性も十分に考えられる。
 トライセルの緊急連絡を受け管理協会ラズファン支部からは、ラズファンへと向かう他船と接触して、調査用にサンドワームの死骸を至急送るようにと指示が下された。
 そして砂船トライセルの目的地でありトランド大陸中央部への玄関口。
 セラ達が所属する山岳都市カンナビスの協会支部からは、トライセルが到着するまでの時間が惜しい。
 セラに調べさせておけと名指しで指名され、おまけにこれ以上の被害を押さえる目にもなるべく早く報告がほしい。寝る間もおしめという厳命つきでだ。
 これは管理協会カンナビス支部長であり、クライシス兄妹の実父でもあるキンライズ・クライシスの依頼という名の命令だ。
 実娘だから無茶な期限設定を出来たという事もあるのだろうが、セラ一人に任せざる得なかったのにも理由はある。
   
 世界で唯一の生きた迷宮『永宮未完』は踏破する為に求められる技能によって『赤・青・黒・白・緑・黄・紫』そして全ての技能が求められる特別な『金』の八迷宮に大まかに分類され、攻略難度によってそれぞれ上級、中級、下級、初級の四段階に分けられる。
 この中で黄の迷宮を試練を超え踏破し天恵を得る為には、モンスター類を含む動植物に対する高い観察力と造詣を必要とした。

 世界中のありとあらゆる花が咲き乱れる花畑迷宮の中より、新種を探し出して祭壇へと捧げよ。

 弱点以外を攻撃すれば全身が爆ぜるモンスター(しかも個体事に弱点が異なる)を、原形を残したまま百匹討伐せよ。

 黄の迷宮では試練としてはこのような課題が与えられ、見事試練を突破した者達に天恵が授けられる。
 探索者となった者はまず初級踏破から始まり、天恵を積み重ねていくうちにより上位の迷宮へと踏みいる資格を得る。
 そして一種でも下級迷宮への侵入が可能になれば下級探索者と呼ばれる。
 この黄の下級探索者クラスからが、協会に正式なモンスター報告書として受理され報酬が出る最低限度の資格となっており、資格外の掛けだし探索者達からの場合は協力費と言う名目での雀の涙ほどの報酬しか出ない規則となっている。
 これにはちゃんとした理由がある。
 黄の下級探索者クラスになれば、迷宮踏破のために必要な知識技術をちゃんと身につけているため、報告書もただどこそこに現れたという簡易な物でなく、どの種族のどの分類に属し所持する能力やその身体能力などの精度の高い情報で報告が上がってくる。
 万年人手不足な協会側としては、そのまま本部や他の支部にも回せる情報はありがたいというわけだ。
 資格外の掛けだし探索者や、手間の掛かる解剖調査の時間を惜しむ探索者等は、調査と協会への報告を肩代わりして報酬を得るモンスター鑑定屋(現役を引退した探索者達が主)に依頼するのが主となっている。
 今食堂にいる三人は全員が下級探索者だ。
 ボイドの場合は近接の赤と、地形と建築の白。
 ヴィオンは遠距離の青と魔術の黒。
 セラは魔術の黒と生体知識の黄が、それぞれ初級を突破して下級資格へと到達している。
 そしてセラだけがトライセルにいる探索者のうちで唯一黄の下級資格へと到達しており、調査に十分な知識と技術を身につけていた。
 もっとも黄の迷宮は、セラが自ら望んで率先して踏破してきたわけではない。
 

「だから嫌だったのよ。黄の迷宮をあたしが先行して取るのは……覚える事たくさんだし、血なまぐさい解体なんかもあたしがやる羽目になるし……とっとと踏破して兄貴かヴィオンがやりなさいよ」


 ジャンケンで負けて先行して取る事になったとは言え、もうこれ以上のトラウマはたくさんだとセラが涙混じりのジト目を浮かべて二人を睨むが、疲れ切っているのかその目尻に力はない。


「しょうがねぇな。判った判った。次辺りからの攻略シフトを変更してやるよ。ヴィオン。悪いが次のお前のメイン攻略の時は黄で頼めるか? 俺の方はまだ1回しか黄の初級迷宮踏破してないから時間かかりそうなんだわ」


 疲れ切ったセラの姿にさすがにボイドも同情を覚えたのか、横で弱い発泡酒を煽っているヴィオンへと視線を送ると、ヴィオンは空になったグラスを軽く上げる。


「おうよ。お嬢のためだしょうがねぇ。次辺りで下級に上がりそうな緑にするつもりだったけど、黄の方も後二、三回、メインで攻略すればたぶん下級資格に入るだろから良いぜ」


「悪いな。街に戻ったら奢るから今日は此奴で我慢してくれ……ん? ほれもう誰か来たみたいだ。しゃっきとしろセラ。護衛がそんな醜態さらしてちゃ面目がたたねぇぞ」


 テーブルの上のボトルを手に取ったボイドは快諾を返したヴィオンのグラスへと新しい酒を注ぎながら礼を述べた時、その背後で食堂の扉が開く軋む音が響いた。
 兄の注意にのろのろと身を起こしたセラが入り口の方へ視線をやると、女性としては並外れた長身で燃えるように赤い髪が目立つ女性薬師。ルディアが丁度扉をくぐってきた所だった。











 自分が一番乗りかと思っていたルディアだったが、カウンター近く奥の席に陣取り背中を見せる男二人に気づく。
 背中から生える特徴的なコウモリのような翼でうち一人がヴィオンだと判る、となるともう一人はボイドだろう。
  

「おはようございます。お二人とも戻られたんですね。お疲れ様でした」


 ボイドとヴィオンの二人が昨夜は夜番で先行偵察に出ていると、昨夜の酒を飲み交わしながら他の護衛探索者達から聞いていたが、どうやら戻ってきたばかりのようで二人とも武器は持っていないが鎧姿のままだ。


「おはようさん」


「おう。ついさっきな。ルディアらは一陣だったな。どうだ空いているが相席。ケイスもすぐ来るんだろ? ここならすぐに代わり取りに行けるぜ」


 振りかえたヴィオンがグラスを上げて挨拶を返しボイドが手招きをする。
 ここ数日で船の乗員乗客が余すことなく知るほどにケイスの大食いは知れ渡っている。
 もっとも行動が突飛、異常、そして怪我人の癖に常にそこらをちょろちょろ動き回っているのでケイス自体が目立つといった方が正しいのかも知れないが。


「ありがとうございます。あの子はまだですけど。っとセラさんもお早うご……なんか窶れてません?」 
 

 軽く会釈をしてにこやかに挨拶をして彼等に近付いたルディアは、ボイドの影に隠れて見えていなかったセラの姿に気づき挨拶をしようとして、その疲れた顔を見て目を丸くする。


「おはよ~……大丈夫大丈夫。ここの所、サンドワームの解剖調査が忙しくてあんまり寝て無いだけだから」


 右手をひらひらと左右に振りながらセラが答えてみせるが、その身体は今にもぱたりと倒れそうにフラフラしており、どう見ても大丈夫そうには見えない。
 目の下の濃いクマや血色の悪い青白い顔が合わさってまるで病人のようだ。
 セラがここの所サンドワームの解剖調査とやらに掛かりきりと聞いてはいたが、ここまで憔悴しているとはルディアは思っていなかった。
 ぼろぼろなセラの姿にどうにも世話焼きなルディアの性分がざわめく。
 
 
「あんまりって……速効性の栄養剤かなんか作りましょうか? ちょっと味の保証が出来なくて刺激が強いですけど」


 味は二の次、三の次なのでしばらく口の中に苦みと辛みが残るが、効果”だけ”は抜群な栄養剤を進めてみるが、セラは意識が朦朧としていて考えが纏まらないのかしばらく虚空を見つめてから、力なく首を横に振る。 


「あ~……今日はいいや。あとちょっとで終わるからその後頂戴。強い薬って使うとあたし魔術の制御が甘くなるんだよね。協会に報告する資料だからミスできなくて。ともかくありがと。どこぞの兄と幼なじみより、やっぱり同性の年下女の子の方が優しいわ……街に戻ったらそっち方面で新パーティでも探すかな」


 ぼそっと愚痴と溜息をはき出したセラが生あくびをしながらボイド達を剣呑な目で睨んでいる。
 確かにセラよりルディアのほうが二つほど年下だが、今更女の子って年でもないし、この背の高さでは柄でもないと自覚するルディアはどうにも返答に困り愛想笑いを浮かべるしかない。 
 

「黄の迷宮優先するって言っただろ。お嬢のためお嬢のため」


「わーったわーった。ったくしょうがねぇな。ちゃんと完成してから言うつもりだったんだけどな。ルディア例のアレあとどのくらい掛かる?」


 そして睨まれている二人といえば、別段慌てるでもなくヴィオンは肩を竦め、ボイドは手の中で弄んでいた豆を一粒ひょいと投げて口の中に放り込んでからルディアへと目くばせする。
 ルディアはすぐに何の事か判ったのだが、まったくの初耳だったのかセラが不審げな顔を浮かべる。


「なによ兄貴あれって?」 


「まぁアレだ。愚かながら可愛い妹への兄なりの気遣いってやつだ」


「だれが愚かよこの脳筋! って……ぁぅ……フラフラする」


 妹をからかうのを楽しんでいるのかまともに答える気のないボイドの態度に、セラが一瞬激高して立ち上がったが、体力がない所で大声を上げたのが堪え貧血でも起こしたのかか、そのままドッスと椅子に逆戻りした。
 テーブルにべったと力なくもたれ掛かるセラだが悔しそうにボイドを睨みつけ、体力さえあれば絶対ただじゃ置かないと呪詛の言葉を漏らしている。


「ボイドさんからセラさん用に魔術触媒液を依頼されてます。依頼と言ってもじつはこちら試作品みたいな物で、無料で」


「タダ!?」


 このまま兄妹喧嘩でもされたらかなわないとルディアは事情説明を始めたのだが、無料と聞いた瞬間、どこに力が残っていたのかセラが椅子から跳びはねルディアの手を強く掴んだ。
 セラは魔術師だがそれでも探索者。
 同年代の一般人女性よりも遙かに強い力がありルディアの手がミシミシと嫌な音を立てて、あまりの痛みに思わず上がりそうになる悲鳴を堪える羽目になった。


「まぁタダつっても実費の原料とルディアに払う手間賃は掛かるんだが、俺とボイドで折半してるんで、お嬢の負担は無しって事だ」


「感謝しろよ守銭奴妹。しかも二十八種分の触媒と同効果だと。これでこの間の戦闘で使った分の補填になるだろ」


 握りつぶされるかと思うほどの力で手を握られ説明の途中で止まってしまったルディアに代わりヴィオンが続きを伝え、ボイドが現金な妹を見て呆れ顔を浮かべている。


「ほんと兄貴とヴィオン感謝! これで解剖調査のやる気がわいてきたぁ! ルディアもありがとう! 杖とかと違って触媒液って高いのに消耗品だからかうの躊躇してたから嬉しい!」


 一気にテンションが跳ね上がったセラが喜びの声をあげながらボイド達に礼を述べつつさらに力を強めルディアの手を握ったまま上下に振る。
 ひょっとしたら本人的にはお礼の意味を込めた握手のつもりかも知れないが、ただでさえ痛いルディアにはたまったものではない。


「あ、あのセラさん……手……手が痛いんで離してもらえると嬉しいんですけど」


 冷や汗を浮かべ僅かに苦悶の表情を浮かべ痛みを堪えて震える声をあげるルディアの様子にようやく気づいたセラが慌てて力を緩める。


「わぁっ! ごめん! ちょっと興奮しすぎた…………って……あぅ……駄目だ気力戻ったけど……やっぱ力入らない」


 しかし我に返った事で肉体疲労も限界に近かった事を再自覚したのか、ルディアの腕を掴んだままルディアの方へと倒れ込んできた。
 ルディアは何とかセラを支えようとしたが、いくら男と比べて軽いと言っても大人の女性一人分はそれなりの重さがある。
 しかも今はセラは目を回したうえに身体に力がほとんど入っていない状態。
 一抱えもある石が腕の中に出現したのとそうは変わらない。
 倒れかかってきたセラの勢いを受け止めきれずに、ルディアもバランスを崩すことになる。


「だぁあっ! この愚妹はなにやってんだ?!」


 もつれて倒れそうになる二人を見てボイドが慌てて手を伸ばしてセラのローブの端を掴もうとしたが一瞬遅く、その手は空を切る。


「ち、ちょっと!? 無理ですって!?」


 ルディアはなんとか立て直そうとするが堪えきれずセラ諸共後ろへと倒れそうになった。
 しかしバランスを崩したルディアの背に何かが触れたかと思うと、ルディアとセラの二人分の重さをがっしりと受け止め、それどころかそのまま押し戻してしまった。
 態勢を整えたルディアが、目を回しているセラの身体を倒れないように腕を差し入れて支え直していると、


「ふぅ? ふぁいりょうぶかふでぃ?」


 押し戻した人物の声が背後から響いてくる。
 まだ幼さを残す声の感じからケイスと見て間違いないだろうが、なぜかその声はくぐもって聞こえてきた。
 そのケイスの姿が見えるはずのボイドとヴィオンは、なぜかあっけにとられた顔を浮かべて呆然と固まっている。
 その表情を一言で言い表すなら『理解不能なモノ』を見た時に浮かべる顔だろうか。
 非常に嫌な予感を覚えつつも、またもケイスに助けて貰った礼を言うべきだろうとルディアは振り返り、ケイスの姿を見て…………もっと正確に言えば、ケイスが口にくわえるモノを見てしばし言葉を無くす。
 ケイスが口にくわえるモノ。
 それはどう見ても、武器商人マークスの息子であるラクトだった。
 ラクトは意識を失っているのか四肢がだらんと垂れており、ケイスはそのラクトが腰にまく皮ベルトの背中側の方をガッチリと口にくわえてぶら下げていた。
 少年一人分を口にくわえても微動だにしないケイスのその姿は、狩りから帰ってきた肉食獣のようにも見えた。
 

「…………あんた一体何があったの?」 


 礼を言うべきかという先ほどまでの思いは頭の中からすっかりと消え去ったルディアは頭痛を覚えながらもケイスに問いかける。
 ケイスは左手でラクトのベルトを掴みなおして口を開いてベルトから歯を外し、


「ん。ちゃんと説明すると長いから端的に言うと、決闘を仕掛けられたのだが遊びなので拒否した。だがそれでも突っかかってきて、私の行く手を塞ぎ鍛錬の邪魔をしてきた」


「決闘ってそんな時代錯誤な状況にどうやったらなるのよ。それでやっちゃったの?」


「子グマ程度相手に決闘なぞしていないぞ。口論する時間も惜しいので仕方なく予定を変更して子グマを障害だと見立てて回避練習をしていたのだが、回避する私に業を煮やしたのか闘気を使い出した。ただ使い方が拙く危なかったので、此奴の心臓を一時的に止めて運んできた所だ。ルディすまないが見てやってくれ」


「……心臓を止めたってあんた……殺したって事?」


 聞くのが恐ろしいと思いつつルディアが確認するとケイスは心外と言わんばかりに眉を顰め不機嫌を露わにする。
 
 
「むぅ。失礼な事を言うな。一時的だと言っただろ。子グマの闘気の使い方が拙く暴走気味で基礎生命力すらも削りだしていたので、一度解除するために心打ちで一時的に仮死状態に持っていっただけだ。ただ生命力が落ちているから速効性のある回復薬を投与してやってくれ」 


 事情はなんとなく分かったが、そこでなぜ心臓を止めるという選択肢にいたり、実際に実行可能なのかがよくわからない。
 ケイスの説明を僅かに吟味してからルディアはすぐに一つの結論へと辿り着く。
 ケイスが何を思ってこうなったのかとか、何でできるのかはもう理解しようとするのは止めよう。とりあえず判る事からやっていこう。


「あぁ。うん…………とりあえずそこの椅子座らせてあげて。ボイドさん。すみませんけど厨房から飲み水を貰ってきてください。ヴィオンさんはセラさんの方をお願いします」


 人間理解の範疇を超えた事態に遭遇するとパニックになるものだが、ある程度慣れてくると逆に冷静になるものなんだと思いつつ、ルディアは溜息混じりに指示を出していた。



[22387] 剣士と少年 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:249be467
Date: 2014/11/08 03:01
 肌身離さず常に持ち歩いている薬入れであるポーチから、豆粒ほどの赤い丸薬をルディアは一粒とりだす。
 厨房から貰ってきてもらった飲料水の入った木のカップに丸薬を落としいれる。
 テーブルにあったスプーンを一本拝借。
 カチャカチャとかき混ぜると、すぐに薬は溶け無色透明だった水が紅茶のような色へと変化した。
 この魔術薬はいわゆる万能薬といわれる類の薬だ。
 無論万能といっても無論全ての病気に効くような物ではないが、生命力回復の他に痛み止めや化膿止め、数種類の解毒効果と麻痺解除等を複数の効果を持ち合わせた品だ。
 無人の野山を駆け巡る狩人や戦場に赴く兵士達のような職種の者達には、携行性と利便性から好まれている。
 しかしその反面、強い薬効に伴い、血圧上昇、心拍の乱れ、嘔吐感などの強い副作用を身体に与え、まさに毒をもって毒を制すという類の薬で、まだ成長期の子供に投与するには危険な物。
 無論薬師であるルディアはそんな事は百も承知。
 今手持ちである薬の中で、もっとも生命力を回復する薬で有るから選んだに過ぎない。
 しかし今必要なのはその生命力回復のため薬効のみ、だから今はその名の由来である万能が邪魔にしかならなかった。


「形は成り」


 紡ぐ短詠唱に合わせてカップの縁を指で二度、三度と弾く。
 カップの中の小さな水面に細波が立ちあがり、ルディアがさらにカップを二度弾くと、波が図形を形作っていく。
 ルディアが描くのは三重簡易魔法陣。
 変化を現す印を中央に組み、中間に判別を散らし、周囲を安定の印で包む。
 他の薬効成分を変化させて単一特化した薬へと変える薬師独特の薬効変化の魔術だ。
 陣はそこまで複雑でもなく印の配置も少ないが、この程度の術式ならば十分。


「隠れし力より一つ。基(き)にして生(き)たる力。数多の効を昇華し汝を高めよ」


 水面に出現した陣が淡い光を放ちながら消失した。
 
 生命力回復特化薬へと変質させてから背にもたれ掛からせて椅子に座らせたラクトの顎を掴んで口を開かせたルディアは、口にカップをあてがって溶いた水薬を少しずつ流し込む。
 効能が高められた薬は、舌の上に乗った瞬間、乾いた砂に吸われる水のように体内へと吸収されて消える。
 それにともない青白くなっていたラクトの顔が、薬によって徐々に血色を帯びていく。


「……生命力はこれで戻るはずです。脈はまだ弱いですけど、強心の効能も少しは残してあるので徐々に強くなっていくので大丈夫だと思います。あとはこの娘が心臓を止めた後遺症が無ければ良いんですけど」


 ラクトの右手首を軽く掴み脈をとっていたルディアが告げると、見守っていたボイド達三人の探索者と厨房からカウンター越しに身を乗り出して様子を伺っていたミズハ。
 そして急遽呼ばれてきた父親のマークスと商隊長であるファンリアが深々と安堵の溜息をはき出した。
 特に疲れた身体で固唾を呑んで見守っていたセラなどは、緊張の糸が切れたのかテーブルの上にバタンと倒れた。
 洒落にならない事態になるのではと、食堂に集まっていた者は強い不安を覚えていたのだが、
 

「ん。だから心配ない。心打ちというちゃんとした技法だ。相手の心臓を闘気をもって打ち抜く事で生体活動全般を一時的に止め、強化系魔術や闘気強化の効果を無効化する古技制圧術だ。強者なら数秒、一般人でも2,3分で脈が戻るし、打ち込んだ闘気によって肉体保護もするので後遺症はない……ボイド。闘気を使ってお腹がすいたから炒り豆を貰うぞ」


 そんな大人達の心労を他所に、張本人であるケイスは悪びれた様子も見せず平然としたまま、とことんまでのマイペースを保っている。
 それどころかテーブルの皿にあった炒り豆を見つけ、ボイドの答えも待たずに皿を掴んで引き寄せると、包帯が巻かれて指が使えないので右腕の肘を折り曲げて、そこに皿を置いて食べ始めるほどの余裕がある始末だ。


「ケイス。簡単な説明を聞いただけじゃうちの息子が暴走し掛かってたみたいだが、さすがにやり過ぎだろ。心臓を止めたって簡単に言うが下手すりゃラクト死んでたんじゃねぇだろうな。詳しく話せ」


 息子を殺されかけた父親のマークスの声にはドスがきいている。
 その体格と顔の古傷がより凄味を増す。
 しかしケイスはその怒気を前にしても、まったく動じた様子はない。
 お腹が空いているのか豆をまた一掴み口の中に放り込んでがりがりと食べたまま一つ頷く。


「ん……ガリ……さっきも言ったが……パク……子グマの奴、必要な基礎生命力まで削るような真似を……ふむ……あっちの方が危ない。塩ッ気薄い。ルディ。塩は無いか?」


 説明の途中で豆の薄味に気をとられ塩を探し始めたケイスを見て。さすがに腹にすえかねる物があったルディアはその頭を目がけて手を振り落とす。


「っと!?」


 手首のスナップがきいた素早い一撃がケイスの頭頂を見事に捉えたと思った瞬間、ケイスは紙一重の見切りで膝を曲げてすっとすり抜けた。
 死角からの不意打ちだというのに軽々と避けるあたりが腹立たしい。
 

「むぅ。いきなり何をするんだ。危ないじゃないか」


「説明優先しろこのバカ。終わるまで食べるな」


 文句の声をあげるケイスを眼光を鋭くしたルディアが睨みつけて、ケイスの腕から皿を取り上げてテーブルの上に戻す。
 燃えるような赤い髪とずば抜けた長身がその目の強さと合わさり、まるでその様は昔話に出てくる地獄の悪魔のようだ。


「むぅ判った……説明するから怒るな」


 ルディアの剣幕にさすがのケイスも多少ひるんだのか、不満そうではあったが頷いていた。
 

「クマ。こりゃお嬢さんに任せた方が早そうだ。ミズハちゃん。灰皿を貰えるかい」


 ケイスの事情聴取はルディアに任せればいいとファンリアが懐からタバコ入れを取り出し灰皿を求めるがミズハは壁の一角をさす。
 

「今の時間はうちは食堂。あしからず」


「……禁煙かい。愛煙家に世の中が厳しくなってきたねぇ」


 ミズハが指を指した『食堂時間一切禁煙。喫煙は夜間バーのみ』と書かれた張り紙をみてつまらなそうにぼやいてファンリアは懐へとタバコ入れを戻した。


「おいミズハ。油売ってないで戻れ! パンがそろそろ焼き上がりだ! あと10分で第一陣くるぞ!」


 スープの入った大鍋に塩をつまみいれながら味を調整するミズハの父セラギの声が響く。
 パンが焼き上がる香ばしい香りが食堂にも漂ってきた。
  

「あいよ! しゃーない。セラ。親父が怒鳴るからあたしは仕事に戻るんで後で顛末を教えて」


「りょーかい。でも細かく話すと頭痛くなりそうだからはしょるよ」


 事の成り行きはミズハも気になっているようだが、テーブルに倒れ込んでいるセラに一声掛けてから乗り出していたカウンターから引っ込んだ。
 セラは倒れ込んだまま力の無い声で返事を返す。
 ケイスの話す内容はどうせ無茶苦茶で理解しがたい物だろうと、セラはこの時点で嫌な確信を抱いていた。
 ラクトの無事が確認できた事で食堂に集まっていた者達はある程度緊張が抜けた。
 今だ張り詰めた雰囲気を残しているのは怒っているルディアとマークスだけだ。


「俺じゃ、あん時みたいに冷静に話がすすまねぇな。ルディア頼む」


 しかしそのマークスも、ルディアに任せろというファンリアの提案に素直に従う。
 商売の師であるファンリアの判断を信用しているのもあるが、初対面時のケイスとのやり取りを思い出していたからだろう。 


「はい引き受けました……さてと”最初”から”順序”よく、私達にも”判る”用に説明しなさい」


 何をどのように聞きたいのかを強調したルディアが腰に手を当ててケイスを見据えた。
 ルディアがここ数日一緒に過ごして気づいたケイスの明確な欠点がある。
 ケイスは他人とのコミュニケーション能力が著しいほど幼稚なのだ。
 とにかく自分の目線で全部を語ろうとする。
 客観的な視線で物事を語ることができず、まるで幼児に事情を聞いているような物とでも言えば判りやすいだろうか。
 そして明らかに一般とはかけ離れた異常思考がさらに輪を掛ける。
   

「最初からだな…………倉庫前の通路で朝の鍛錬をしていた私に子グマが決闘を吹っ掛けてきたのが始まりだ。決闘と言うから殺し合いかと思ったら違ったんだ。単に何らかの勝負で参ったと言った方が負けというルールの遊びだ」
 

 ケイスがラクトを倒した状況を詳しく話し始めるが、その説明は最初から案の定どうにも要領を経ない。
 ルディアを始め周囲の者は、決闘と聞いて殺し合いを浮かべるなんてお前は何時の時代の人間だという目でケイスを見ている。
 大陸中が荒れた暗黒時代やその後に続いた動乱期ならともかく、今時本当の命をやり取りする決闘なんて、血気盛んな若手探索者達の間ですらもほぼ皆無。
 あっても決闘という名の模擬試合や酒の飲み比べくらいで、掛けているのは少量の金銭やら安っぽいプライドくらい。
 命をかけるなんて馬鹿馬鹿しい真似をするはずもない。
 これが今の常識。しかしその常識がケイスにはない。
 決闘といえば命をかける物と頭から決めつけているようだ。 


「だから私は子供の遊びに付き合うほど暇ではないし、子グマを障害物に見立てて回避訓練をしながら一応話を聞いてやったうえに、無理だから止めておけと忠告もしていたのだぞ。天才である私が相手では、実力に差がありすぎて、試合ではなく虐めになってしまうと言ったのだが、そうしたらなぜか怒って殴ろうとしてきたんだぞ」


「それ挑発してるから。あんたね普通は自分の事を自分を天才なんていわないわよ。しかも見下した言い方して。わざと怒らせようとしてない」


 殴りかかったのはどうかとは思うが、あれくらいの年の男の子だったら、年下しかも少女にそんな言われ方をされたなら腹が立って当然だ。
 だがケイスはその当たり前の事柄を理解できない。


「しかしルディはそうは言うが、もし私の才を持ってしても天才でないのなら、この世に天才と呼べる者はいなくなってしまうぞ。私は世の中に天才と呼べる者は私以外いないと思うほど傲慢ではない。それに人を見下すようなことしたことなど、生まれてから一度もないぞ。それは悪いことなのだろ」

 
 その口がもたらすのが傲慢その物。
 自分が天才と信じて疑わず、そして自分が天才でなければ世の中に天才と呼べる者が一人もいなくなると、徹頭徹尾、心底本気でケイスは言っている。
 納得がいかないと訴える目でケイスがルディアを見上げた。
 自分は事実しか言っていないと。
 ケイスのその表情は、巫山戯ているのでも開き直っているのでもなく、ラクトが怒った理由をケイスが本気で理解できていないと、この場にいる誰もが気づかせた。


「……心臓を止めた理由は?」

 
 ケイスの説明は非常に理解しがたい物が多い。
 だがそれにいちいち食いついていては話が進まない。
 ルディアはとりあえず後でまとめて考えようと、ともかく続きを促す。


「だから言っているだろ。子グマのやつは生命力を闘気に回しすぎていた。高揚感で理性のリミットが外れた獣人族の狂化みたいな状態だ。あのままでは生命力を使い果たす危険もあった。だから心打ちで心臓を止めて無理矢理解除したんだ」
   

「……じゃあラクト君を口にくわえてきたのは? 他に運びようなんてあったでしょ。それか誰かを呼んできて連れてきてもらうとか。何でよりにもよってあんな運び方をしたの。あれで心証が悪くなってるからねあたし」
 

「食堂に入るところでルディが倒れそうになっていたのが見えたから助けに入ろうとしたが、今私の右手は怪我で使えなかったから口にくわえた」


「…………ラクト君を扉の所に置いてくればいいでしょ」


「ちゃんと掃除してあるとはいえ、土足で歩く床に人を置くのは失礼だ」


「いやあんた……口にくわえる方が失礼だっての」
 

 堂々と胸を張るケイスの返答を聞くたびにルディアはだんだんと疲れを覚える。
 まさかここまでいろいろな意味で話が通じない相手だとは思っていなかった。
 ケイスの思考は意味不明な部分が多すぎる。
 自分が天才だと言い切り、それを他人も理解して当然だと考えて、自分を傲慢だとはかけらも思っていない。
 闘気を遣いすぎてラクトが危険だからと、ミスしていたら殺しかねない技で心臓を止める。
 他人を床に置くのは失礼だが口にくわえるのは問題ないと考えるずれまくった常識感。
 だがおかしいのは思考だけではない。
 十代前半年と見える年のわりに高すぎる戦闘能力も異常すぎるが、問題はその過去だ。
 大願を叶えるまでの願掛けに封じていると言って、『ケイス』という偽名くさい名以外は家名も出身地も一切喋ろうとせず、素性不詳と怪しいことこの上ない。
 しかも思考は異常者そのものであるくせに、性格的には基本馬鹿正直で人をだませないタイプだとルディアは見ている。


「………………どうします? たぶん全部本当みたいですけど」


 幼い子供と変わらず感情がすぐに表情に出るので、ケイスの目と顔を見ていれば嘘をついているかどうかなんてすぐに判る。
 それらから判断するにケイスは今のところ嘘はいっていない。
 頭の中で状況整理したルディアは、あんたどこまで無茶苦茶だという突っ込みを心の中に押し殺し、二人のやりとりの聞き役に回っていた周囲に尋ねる。
 ラクトを助けたといえば助けたのだが、その原因は主にケイスの無自覚な見下した言動な訳で判断に困る。
  

「むぅ、多分とは失礼だぞ。私は事実しか言ってない」


「あんたはややこしくなるからしばらく黙ってなさい…………これ食べてていいから」


 ルディアにため息混じりの一言に不機嫌そうに眉をひそめたケイスへと、ルディアは先ほど取り上げた皿の豆に塩を振って押しつける。
 ケイスは不承不承といった表情を浮かべながら、それでも空腹が勝っていたのかポリポリと炒り豆を食べ始めたが、すぐに嬉しそうなあどけない満面の笑みをうかべた。
 どうやら塩加減が丁度よかったようだ。
 食べ物を食べているときや寝ているときは年相応……というか可愛らしさの溢れる美少女と言ってもいい風貌なのに、会話時とのこの差はいったいなんだろうと釈然としない気持ちからルディアはもう一度ため息を吐いた。










「で、どうするクマよ? いろいろ問題はあるが基本お嬢ちゃんの方に悪意はない。むしろおまえさんの所の坊主のほうに気をつけた方がいいかもな。闘気まで使いだしたんじゃ子供の喧嘩っていう範疇を超えてるだろ。相手がお嬢ちゃんだから手玉にとられたようだが」


 タバコが吸えず手持ちぶさたなのかファンリアがテーブルの上にあったスプーンを弄びながら、複雑な表情を浮かべているラクトの父であるマークスに尋ねた。
 しかし尋ねられてもマークスも即答はできない。
 非常に乱暴かつ非常識な手であるが、ケイスがやったことはあくまでラクトを助けるための非常手段という意味合いが強い。
 そしてラクトが怒る原因となったケイスの言動にも、この場の中で唯一マークスだけがある確信を抱いていた。


「ケイス。一つ尋ねるがおまえ本当にラクトを馬鹿にしたり怒らせようとはしてないんだよな、っていうか俺の時と同じで”親切心”からの忠告か?」
 

 十人中十人が全員挑発ととるだろうケイスの言動は恐ろしいことに、本人からするとすべて善意から成り立っている。
 それはつい先日ケイスによって激怒させられたマークスだけが知りうる情報。
 師匠筋であるファンリアにも話していないケイスとの会話から行き着いた結論だった。


「「「「………し、親切心?」」」」」


 マークスの問いかけに周囲のルディアやファンリア達が訝しげな顔で疑問符付きの声をあげた。
 ケイスの行動から親切心という存在の欠片でいいから拾えというのがまず無茶なのだが、
 

「ん? うむ。子グマは私に意地悪するから嫌いだが、クマは武器を貸してくれるから好きだぞ。だからおまえの息子ということで特別に忠告したまでだ。他の者ならあまり邪魔をするなら叩きのめして排除するぞ。それがどうかしたか? ……ぅ。ルディ今のは聞かれたから答えたまでだからな。無視するのは失礼だからな」 


 当の本人はマークスに平然と頷いて答えてから、ルディアに黙っていろと言われたのを思い出したのか弁明じみた物を述べている。


「お、おまえって奴は。なんでそこまで判りにくいんだよ。完全にラクトの空回りじゃねぇか……しょうがねぇ。後で俺から説明しておく」


 ケイスの回答にマークスは頭痛を覚え額を押さえ、周囲は会話の意味が判らず困惑してしまう。
 唯一ファンリアだけが、マークスへとどういう意味かと視線で問いかけようとしたが、


「っく…………く、くそ……俺、俺だっておまえなんて嫌いだ……え、偉そうに、畜生」


 苦しげなか細い声がその視線が打ち消した。
 周囲が異常なケイスの言動に気をとられているうちに、いつの間にやらラクトが意識を取り戻していた。
 ケイスにいいようにやられた事を覚えているのか、血の気の引いた青ざめた顔で悔し涙を浮かべている。


「ラクト! 無事か!? よ、良かった。あんまり心配かけさせんな」
 

 息子が無事に意識を取り戻した事にマークスが安堵の息を吐き出したが、なぜかそのマークスをラクトは睨む。


「う、うるせ! な! なにが心配かけさせん……だ……バカ親父! ごほっ! ぉっ!」


 悔し泣きをしたまま怒鳴ったラクトだが、急に大声を上げた反動か激しく咳き込む。
 ルディアの薬で生命力を回復させたといってもまだまだ本調子でないのはその顔色を見れば明らかだ。
 

「てっ!? てめぇっラクト! 心配している親に向かってその言いぐさはなんだ!」


 先ほどまで瀕死状態だった息子にいきなり怒鳴られて一瞬面食らっていたマークスだったが、その言いぐさに腹が立ったのか負けじと怒鳴り返した。


「バカ親父だから……バカ親父だっつってんだよ! 自分を馬鹿にしたガキ相手にへらへらしやがってバカ親父!」


「こ、この!」


 ラクトの返し言葉に激高したマークスは、つい拳を握りしめ思わず振り上げていた。









「ま、待てクマ!」「ち、ちょっと待ってください!」「やっべっ!」


 いくらこの親子の間で喧嘩は日常茶飯事といえどラクトはついさっきまで心臓が止まっていた状態。
 ファンリア達が慌てて止めに入ろうとするが、それよりも早く小さな影が動いた。
 つい今まで豆を食べたながら親子のやりとりを見ていたケイスだ。 


「とっ」


 ラクトとマークスの間にさっと飛び込んだケイスはマークスの手首へと己の左手を伸ばす。
 マークスとの身長差は倍近く、体重差ではそれ以上あるのに、ケイスはマークスの左手首を握っただけで軽々と拳を止めてみせる。
 端からはケイスはただマークスの手首を押さえているだけにしか見えないが、それだけでマークスは身動き一つとることが出来ない。
 ケイスが行っているのは先ほどラクトに行った心打ちと同原理の闘気を用いた制圧術。
 本調子であれば本物の”熊”すらも押しとどめられる術を持って親子喧嘩を止めたケイスは不満そうに眉をひそめる。
 

「クマ。心臓が止まっていた相手を殴るのはやめておけ。あと子グマ。父親に向かってその口の効き方は失礼だぞ。クマが怒っても当然だ。こういう時は『心配してくれてありがとうございます』だ」


 二人の間に割って入ったケイスは説教じみた苦言を二人へと呈して、それが常識だと言わんばかりにうなずく。
 確かに言っていることは至極まともなのだが、それを言っている人物が問題だ。
 

「げ、元凶はあんたでしょうが」


 この場にいる誰もが思っているであろう一言をルディアが突っ込むがケイスは首をかしげた。


「ん。そうか? まぁいい。子グマの話でだいたい理由も事情もわかった。そういうことか。よし決めた」


 いったい今の短い親子喧嘩の中で何を知ったのか?
 ルディア達にはもちろん当事者であるマークス親子にも理解できない中、ケイスはしたり顔で頷いてから不満顔から一転、今度は満面の笑顔を浮かべる。
 その笑顔はケイスが本来持つであろう美少女としての魅力を十分に発揮する人の目を引きつける実に嬉しそうで楽しげなあどけない少女の笑み。
 ルディア達はもちろん激高していたマークスやラクトも、思わず見惚れそうになる天然の笑顔だった。
 突然の雰囲気の変化に誰もが困惑する中、ケイスはそのマイペースぶりを遺憾なく発揮する。


「おい。子グマ」


 ケイスはラクトへと振り返り、おもしろいことを思いついたとばかりの弾ませた声で話しかけた。
 だが先ほど結果的に助けられたとはいえ、殴り倒されていたラクトは我に返り警戒の表情を浮かべる。


「な、なんだよ」


 不審げなラクトの態度をケイスは気にする様子もなく胸を張ると力強く宣言する。


「私はおまえが好きになった。だからおまえの決闘を受けてやろう。それどころか私に勝てるように私が訓練をつけてやろう。うん。だから感謝しろ」


 極めて理解不能な思考の為に非常に他人には判りにくいが、ケイスは基本的に他者に”親切”であり”寛大”である。
 ただしその寛容と親切が世間一般の基準から大きく外れたケイス基準とも言うべき、ケイスの中での尺度であるが。
 その行動原理自体は至極単純。
 好きな者は助ける。
 自分は嫌いだが好きな者が好きな者だったら、嫌いな者でも極力我慢するし助ける。
 命の危機であれば”敵”でなければ、嫌いな者でも極力助ける。
 この基準に当てはめると、ラクトは嫌いだがマークスは好きだから”親切心”から危ないと助言はし、ラクトの攻撃くらいでは命の危機でもないので”寛大心”から攻撃を回避しただけで済ます。
 命の危機であったので、ラクトは嫌いでも”敵”ではないので助けた。
 ケイスにとっては至極単純明快な理屈理論から行動した結果だったのだが、それらが年不相応な尊大な物言いと相まって外からは全く判らないことが問題だった。
 そしてケイスは好きになるのも嫌いになるのも一瞬。
 一瞬一瞬を生きる。
 それがケイスという少女である。 



[22387] 剣士の価値観
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/06 16:40
 食堂の時が止まった。
 ケイスが一体何を言っているのか理解できない。
 それがこの場にいる者皆の総意だ。
 ラクトが好きになったから決闘を受けて、なおかつ勝てるための手助けをしてやる。
 端的にまとめても、ケイスがいっている意味が判らず、それ以前にどうしてこの結論に至ったのか理解不能だ。
 嫌いだと評した同じ口から、すぐさま正反対の好意が飛び出してくる心理変化の意味がわからない。
 ケイスが心変わりするような何かがあったのかもしれないが、それが判るのは本人だけだろう。
 
 
「…………っざけんな! こっ! な、なんで俺がお前に教わらなきゃならねぇんだよ!? しかもお前との決闘に勝つためにお前に教えて貰うっておかしいだろ!?」


 茫然自失としていた中真っ先に我に返ったのはラクトが声を荒げる。
 決闘を申し込んだ相手であるケイス本人が、ラクトを勝たせるために訓練をつけると宣言するなど、馬鹿にしているのだろうか、もし本気だとしても正気を疑いたくなる提案だ。
 しかしラクトの怒声に当の本人は満開のひまわりのような笑顔で答える。


「何がおかしいところがある。実に理にかなった提案だろ。子グマと決闘を行うのは私だ。古来より敵を知る事は戦の基本中の基本。そして私のことをこの世で誰よりも知っているのは私自身だ。だからことこの件に関して私が教えるのが一番の適任ではないか。それにお前は闘気の制御が甘い。今のような使い方では、今回のような危険はまた起こるぞ。だからちゃんと使い方を覚えた方がいい。その上で私に勝てるようにしてやろうと言っているのだ」


 さも当然だと言わんばかりに胸を張って答えたその言葉がラクトを困惑させる。
 ケイスが小馬鹿にしたような表情でも浮かべているなら、嫌味な性格のクソガキだと思えるのだが、笑顔の奥の目は巫山戯ているのでも馬鹿にしているのでもない真剣な色を帯びている。
 その真剣さを感じさせる目の強さと、一点の嘘偽りもないと言わんばかりに堂々と宣う所為で、激高しているラクトすら一瞬頷き肯定しそうになってしまうあたりなおさら性質が悪い。


「あぁ……お、俺はお前に決闘申し込んだんだよ! 戦い方教えてくれとかわざと負けてくれなんて一切口にしてねぇだろうが!」


「ん。確かに言われてはいないな。でも私はお前を手助けしたい。つまり私の意思だ。お前の意思など知らん。時間が惜しいから朝食後すぐに始めるぞ。それにわざと負ける気などないぞ。そんな物は決闘ではない。私は正々堂々全力で勝利を得るつもりでやるぞ」


「だぁぁぁっ! い、意味判らねぇ!?」


 ラクトの心情や拒否の意思などは一切考慮せず決定事項だと言い切り、さらには勝てるようにしてやると言いながら負けるつもりはないと矛盾した発言を平気で宣う相手にラクトは頭を抱える羽目になる。
 

「お嬢さん。俺はこの通り年寄りで最近の若い娘さんの考えている事が理解できないんで教えてもらっていいか。ラクトの何が好きになったんだね?」


 このまま狂乱しかねないラクトをさすがに見かねたのか、この場で一番の年長者ファンリアが助け船を出す。
 ともかく一度にあれこれ聞き出そうとしても意味不明なケイスの返答に混乱させられるのは必至。
 交易商人として価値観の違う人種や偏屈な難物と関わってきた経験をいかして、ケイスの真意を一つ一つ確かめていこうとする。


「うむ。好きになった理由か。いくつかあるが子グマが私と同じで、そして敬意に値する奴だからだ」


 ファンリアの問いかけに快く応じたケイスは、軽く頷きながら笑顔で答える。
 共感や敬意は確かに人が好意を覚える感情の主たる物だが、ケイスの説明はあまりに舌足らずで真意までは読めない。 
 

「クマ良かったな。お前は良い息子を持ったぞ。きっかけは勘違いとはいえ、お前の名誉を守るために、遙かに実力のかけ離れた私に決闘を申し込むほどの気概気骨を子グマは持ちあわせているぞ。そういった相手に決闘を申し込まれたら受けて立つのが剣士として当然の礼儀だ。それに私も父様が大好きで父様の名誉を守るためにこの地へと来たのだからな。いわば同士だ。子グマお前は好意に値するぞ」


 それはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべて頷いたケイスは、腕を取って拘束したままのマークスへと笑いかける。
 その楽しげな表情に嘘偽りの成分は一切含まれていない。
 どこまでも上から目線で脈絡の無い発言を連発しているが、この顔を見るとラクトに好意と敬意を持ったのは間違いないと納得せざるえない。
 ただそれでも唯一納得できない人物がこの場にいる。
 ほかならぬラクトだ。
 

「だっ! 誰が親父が好きだ!? 武器屋の誇りだなんだいつもは偉そうに講釈たれてるくせに、散々にこけにされたお前には、ホイホイしっぽ振って武器渡すようなふぬけ親父なんか嫌いに決まってんだろうが!」


 ラクトくらいの年頃の子供からすれば親。
 特に同性である父親はただでさえ反発の対象となりやすい。
 自分が勝手に武器を拝借しているとすぐに怒声と鉄拳が降ってくる。
 それなのに公衆の面前でケイスにいいようにやり込められ、武器屋としての矜持をぼろぼろにされ自棄酒まであおっていた父親が、ここ数日は手のひらを返したようにケイスへと次々に武器を貸し与えている姿は許容できる物ではなかった。


「お前は誤解しているぞ。私はクマを愚弄したことなどない。クマはむしろ私が知る中ではそこそこによい商人だ。というよりも私は生まれてから一度たりとも根拠無く人を愚弄したことなど無い」


 自信満々の表情で清廉潔白だといわんばかりのケイスの態度がラクトの神経をさらに逆なでする。 
  

「なっ! わ、忘れたなんて言わせねぇぞ! ラズファンの市場で親父のこと散々馬鹿にしたんだろ! そ、その場で見てたファンリア爺ちゃんから聞いてんだよ俺は! だぁつ! はぁはぁっ!」 


 ルディアの薬で多少は調子が戻ったと言えラクトの体調は最悪に近い。
 怒鳴り続けて最後の方は息切れし、ゼエゼエと苦しそうに肩で息をしながらも、強い敵意の籠もった目でケイスをにらみつける。
 ラクトがまだ少年といえどその怒りは本物。
 それなりの威圧感があるのだが、ケイスには全く通用しない。
 

「クマお前に口止めされていたが、些細な行き違いだとやはりちゃんと話した方がいいぞ。おかげで私が無駄に嫌われたでは無いか。離してやるからちゃんと説明しろ」


 むぅと不機嫌そうに眉をひそめ頬を膨らませたケイスは、拘束していたマークスへと拗ねたような声で文句を言ってから、手首を押さえていた左手を離した。


「……だっ!?」


 いきなり拘束を外されたマークスは不自然な体勢であったために蹈鞴を踏むはめになった。
 自分の体が全く思い通りにならないというのがここまで気持ちの悪い感覚だと思わなかった。
 右手を開いたり閉じたりしてちゃんと思い通りに動くことを確かめてほっと息を吐く。
 体が動くなんて当たり前のことなのに感謝したくなるほどだ。
 ついいつもの親子喧嘩の感覚で先ほどまで死にかけていた息子を殴りそうになったのを止めてくれた事は感謝するが、もう少し穏便な手段は無いものだったのかとも思う。
 しかし未知の感覚で肝を冷やしたおかげか、頭に上っていた血はそれなりに下がり冷静な判断も出来るようになっていた。 
 

「クマ。どういうことだ。俺も聞いてねぇぞ」


 ケイスとマークスとの間に二人しか知らないやりとりがあった事を察したのか、ファンリアのこれ以上ややこしいことになる前に話せと促す視線に、頬を掻きながらマークスは口を開く。
 

「わりぃ親方。そのなんつーかあんまりに嘘くさい上に、自慢話になりそうなんで吹聴する類いじゃ無かったんだよ…………あのなラクト。信じられないかもしれないけどな、ケイスは今言ったとおり俺のことを馬鹿にしてるつもり一切無いんだよ。それどころか真逆なんだよ」



「…………親父。意味わかんねぇんだけど」


 ラクトはあまりに予想外の話に父親がどうかしてしまったのかと疑うような目を浮かべている。
 ケイスにその真意を聞かされたときの自分も、目の前のこいつは何を言っているんだろうと同じような表情を浮かべていたんだろうと思いながら、マークスはため息をはき出す。
 年若いという言葉も生ぬるいほどに幼いが、ケイスほどの技量を持つ剣士に認めてもらえるのは、武器商人として正直嬉しいとは思う。
 だが高評価なら高評価でもう少しわかりやすくてもいいんじゃなかったのかと、どうしても思ってしまう。


「ケイスが言うには、ラズファンの自由市で武器を扱ってた商店の中じゃ俺の店が最高評価だったんだとよ」


 むろんマークスも手に入る限りの質のいい商品を取りそろえていると自負はある。
 しかし数多くの露店が集まっていたラズファン自由市で自分の店が一番だなんて、商売文句は別にして名乗る度胸はなく、さらにケイスがそう評価したからと言って同じキャラバン内にも武器を扱っている商人は幾人かいるのに、それをことさら自慢げに話す気もない。
 だからケイスに真意を聞かされても、口止めしていたのだがそれが仇になった形だ。


「簡単に言っちまうとな、ケイスは武器商人としての俺を高く買ってくれてるんだよ」


「……………………………はぁっ?!」


 しばらく考え込んでいたラクトは声を上げたかと思うと、唖然となり口をぽかんと開けている。
 ルディアやボイド達も顔にいくつも疑問符を浮かべて、理解できないという目線をケイスへと飛ばしていた。
 

「あーお嬢さん申し訳ないが、これもあんたの口から説明してくれるかね」


 どうにも信じがたいのか半信半疑の表情を浮かべているファンリアが、ルディア達の探るような視線にぶすっとした顔を浮かべるケイスへと尋ねる。
 どうやら自分の本意が誰にもわかってもらえてないのが不満のようだが、それは無茶な話だろ。
 ケイスが見せた言動からマークスを高評価していると察しろというのは酷だ。


「私は剣士だ。剣士にとって大切なものは日々の鍛錬。そして信頼できる武器だと私は思っているしそう教わっている。その私が自らが認めていない商人から自分の命を託す武器を買うわけがないだろ。当然の事だ。何故それが理解できない」


 なんでそんな単純な事が判らないんだと、頬を膨らませてケイスは拗ねる。
 その理屈自体は確かに当然と言えば当然だが、規格外の化け物が常識を口にするのは何とも理不尽なものがある。
 傲岸不遜な普段の態度からすれば、自分の技量ならどんななまくら刀でも名剣に勝るとでも言っている方が合ってそうだが……


「ち、ちょっと待ちなさいあんた。マークスさんの所の商品をそこそことか、人を見る目が無いとか罵倒したって話よね」 


 泥酔していたマークスに絡まれその時のことを散々愚痴られたルディアが、ケイスの説明に納得できずに突っ込んでみるが、


「罵倒した気はないぞ。むしろ私が剣を買ったという事実。これこそが最高の賛辞じゃないか。私ほどの才の持ち主が自分が振る剣として選んでいるんだぞ……でも確かにルディが言うとおりに言ったのは事実だ。だがそこそこなのは本当だし、子グマが言った暴言とは助言だ」


「いやあんた。助言ってどこをどう取れば」


「ふむ。クマが私に武器を売ることを拒んだ理由である、私くらいの体格では、あの長さ重さのバスタードソードは不向きだというのは確かに一理ある。しかしそれは常人の話だ。先ほども言ったが私は天才だ。私のような規格外も世には多い。これらを一目で見分ける目を持つのは、一流の武器屋として大成するのには必須だろ。私はクマにはそれだけの商人になる可能性があると思っている。だから良い剣だったことに感謝して助言を与えたまでだ」
  

「臆面も無くそんな堂々と天才連発すんな………っていうかさっき一番って言った舌の根も乾かないうちに、そこそこって評価どうなのよ」


 どういう育ち方をしたら、ここまで自信過剰という言葉も裸足で逃げ出すほどの傲岸不遜で唯我独尊的な思考になるのか。
 後で胃薬と精神安定剤をいくつ用意する必要があるかとルディアは真剣に考え始めていた。


「それなケイスの判断基準の平均値が異常なんだよ。ケイスお前が良いって思った剣もう一度あげてくれるか。手短にな」


「ん。良いぞ。最高の物はちょっと訳あって言えないが、とりあえずはレイジング工房の刺突剣か。あそこの独自の製錬技術で出来た剣は、丈夫な割りによくしなるから軌道を読ませにくくていいぞ。それに岩石竜の大剣シリーズ。特にランドグリア国産の背骨から取った物だな。大きさの割りには扱いやすいぞ。ここら辺が良い刀剣だと思うあたりの最低基準だ。ドワーフのエーグフォラン国七工房は第一と第七工房製の品なら、大抵は好きだが、主鍛冶師によって出来のムラが激しいからあまり一概には言えん。素材だけで言えばミドライト鉱石の武器も好きだぞ。ともかく頑丈だからな。あぁそうだ。あとな…………」


 ため息混じりのマークスの頼みにケイスは不機嫌から一点嬉しそうな笑顔で頷くと、いくつも剣の種類をあげ嬉々として語り出した。
 その様は幼い子供が好きな人形やお菓子を聞かれてニコニコと列挙するときの笑顔のようだ。
 最も語っている物はその美少女然とした風貌とは全く不釣り合いな剣なので、そんなほのぼのした物では無い。
 しかも良い刀剣としてあげている理由が、肉を抉ったときの感じが良いだの、骨ごとたたき切れるほどの重さが良いだの、脳天から唐竹割が出来るほどの切れ味だの、何百切っても刃こぼれし無いだのだんだんと物騒な理由になっていく。


「判った。判った。もうそれくらいで良いから」


 嬉々として語るケイスの様子にこのままでは延々と話し続けかねないと思ったマークスはもう十分だと遮る。
 

「むぅ。そうか。好きな剣はまだまだあるんだが」


 重度の武器マニア気質というか刃物キチガイな一面は、周囲が引きそうになるほど濃く重い内容だったのだが、ケイス自身はまだ語り足りないようだ。


「稀少品も多いから薬師のルディアじゃエーグフォラン以外の名はぴんとこないかもしれねぇが、ケイスの挙げた刀剣類ってのは、どいつも共通金貨で数百枚単位で取引される高品質高級品だ。そこら辺と比べて俺の店の品揃えをそこそこってのは、かなり……破格の高評価だな」


 ケイスの上げた刀剣類はどれも名のある騎士団に採用されていたり、領主の証として王から下賜されるような高級品や、上級探索者達が迷宮外で帯刀する類いの高品質品。
 高価すぎてあまり一般に出回っていないが、武器屋としてマークスもいつかはそれらも扱えるような大店の店主になりたいと憧れる品ばかりだった。
 現役探索者達であるボイド達や長い商売歴を持つファンリア。
 そして父親であるマークスから武器知識をいろいろ仕込まれているラクトの驚きは言うまでも無い。 


「うん。本音を言えばもっともっと良い刀剣もほしいが、あの時は手持ちがあれだけだったからな。その中で最も良い剣を買おうと思って、安くて良いものが入る所をラズファンの警備兵に尋ねたらあの市場を薦められたんだ。それで下見に一日おいて武器を扱っている全ての店を吟味した。その中から5店くらい選んで、次の日にもう一度見て最も良いと思ったクマの店を選んだ。だから誇れクマ。お前の店があの時市場で一番だった。私がそう認めたのだから間違いない」


 己の目利きに間違いは無いと、マークスが一番だったとケイスは笑顔で断言する。
 どうやら好きな刀剣の話をしているうちに、先ほどまでの不機嫌はすっかり吹き飛んだようだ。
 しかしケイスの言葉に誰もが口をつぐんでしまう。
 ケイスの指し示す全ての店とは、まさか文字通り”全て”なのか。
 使用料さえ払って許可証をかねた看板を掲げれば誰でも好きに商売が出来るラズファン自由市に建ち並ぶ店は、最盛期では五桁にも達するという。
 その数から武器屋だけとはいえ、一日で下見を終えるなど到底無理な話だ。
 

「全部の店ってのは、あー……その比喩表現かい」


 主立った店だけ見たとかそういう類の意味であってほしい。
 だがそんなファンリアの願いをケイスはあっさり食い破る。


「違うぞ。下見した日に武器を扱っていた店2328軒は全て見たからな。クマの店があった武器屋通りはもちろん市場全体を見たぞ。良いのがほしかったからな。それで店頭に置かれた武器の質や手入れから、大まかに篩をかけて気になった店を選別した。ほかにもいくつか気になる店はあったが、クマの店は値段が判らなかったのが気になったが、それ以外は質や手入れで勝っていたから選んだ」 


「………嘘くさい話だけど確認してみたら、下見した日に開いてた店と並んでた商品。店主の特徴まで全部覚えてんだよ。ほれ親方も知ってるだろギゼットとバッド。あいつらの店の場所は知ってたから、ケイスに確認したら、あいつらの顔の特徴から、扱ってる商品のラインナップまで正確に答えやがった。ケイスを拾ったのは偶然だからウチの情報を下調べしてたってのは無いだろ……信じがたいけどマジなんだよ」


 どういう記憶力してるんだかと、マークスはぼやきながら頭を掻く。
 最初聞いたときは、さすがに疑わしいのでマークスも他キャラバンの知り合いの店などをいくつか挙げて確認してみたのだが、ケイスはすぐにその店の店主の特徴や並んでいた商品をずらりと列挙して見せた。
 マークスが覚えている限りの店を次々にあげてみても、どれも正確に軽々と答えてしまうので、ケイスの言う全ての店を見て覚えているという荒唐無稽な話も信じざる得なかった。
 それは同時にそれだけの数があった店から ケイスがマークスの店を選んだということの証明でもあった。


「ふむ。当然だ。私は見聞きしたことは基本的には忘れないからな。ファンリア。お前の事もちゃんと覚えているぞ。お前の店の前を偶然だが通ったからな。クマの店の近くの西地区44番路のd区画3番、香辛料がメインの店だ。私が前を通ったときは、お前は客の応対は息子に任せて、奥の座椅子で煙草を吹かしながら新聞を読んでいた。たしか一面の見出しは、カンナビスゴーレムの解析技術を用いた新作ゴーレムの性能展覧会がこの船の目的地であるカンナビスの街で行われるという内容だったな」


 詰まる様子も見せず目撃したファンリアの様子をケイスはすらすらと話して見せた。
 ファンリアの手からぽとりと落ちたスプーンが、ケイスが言っていることが事実だと告げる鐘のように響く。


「「「「「………………」」」」」


 床を転がったスプーンの音が鳴り止むと、食堂を不気味な沈黙が覆った。
 目の前の理解不能な存在に尋ねたい事、気になる事はいくらでもあるのだが、これ以上常識という概念が崩壊するのを防ごうという自己防衛本能か誰も口を開こうとしない。
 

「先代。それにあんたらもそろそろ開店なんだけどな。まだ掛かりそうか? 飯が冷める……入り口の連中も入りにくそうにしてんだがよ」


 沈黙を破ったのは料理長であるセラギの声だった。
 カウンターに立つセラギが手に持ったお玉で指し示した入り口には、朝食の第一陣であるキャラバンの者や船員達が集まっている。
 どうやら食堂の雰囲気に近寄りがたい物を感じていたのか、空きっ腹を抱えて入り口で待っていたようだ。


「ん。ご飯か。今日は子グマにいろいろ教えなければならないからおなかが空きそうだ。たくさん食べるぞセラギ。大盛りにしてくれ」


「お前はいつもだろ。ほれよこせ。大盛りだな」


 食事と聞いたケイスが嬉しそうな声を上げると、呆気にとられ固まっていたルディア達を気にもせず、左手でトレーを掴んでカウンターに駆け寄うとセラギに催促する。
 どこまでも自由奔放と言うべきなのか、自己中心的と思うべきなのか。


「ー…………おれらも飯にするか。これ以上は無理だろ」


 ファンリアが言うのは、すでに食事へと興味が移ったケイスからは話を聞き出すことが無理と判断したのか、それとも聞き手側の精神が無理だという一同の代弁なのか…………あるいはその両方か。
 どちらにしても誰からも異論はでない。
 特にラクトなどケイスに売った喧嘩の発端となった父親に対する暴言が、ケイス曰く”行き違い”であった事に、力が抜け魂が半分抜けかかったような脱力状態になっているが、それも仕方ないだろう。
 あの暴言とも思える言葉の真意が、賛辞から生まれた物など誰が想像できるだろう。


「あぁそうだルディアお嬢さん。ラクトの坊主は飯を食べても大丈夫なのか? ケイス嬢ちゃんの稽古に付き合わされるんじゃ、ちゃんと食ってた方が良さそうなんだが」


 手からこぼれ落ちたスプーンを拾ったファンリアが、何気ない顔でとんでもないことを言いだし、ラクトが我に返る。


「ち、ちょっとファンリア爺ちゃん!? お、俺、嫌だぞ!」


 いつの間にやらケイスのペースに乗せられ話が横道にそれまくっていたが、ラクト自身はケイスの師事を受けるなんて一度も了承していない。
 それなのにケイスどころか、ファンリアまですでに決定事項のように話し出すとは思っていなかったようだ。


「ほれさっきお嬢ちゃんも言ってたが、お前さん闘気の使い方覚えたのは良いがちゃんと使えてないから危ないっての確かさ。決闘云々はともかくとして、闘気の制御をその道の天才が無料で教えてくれるってんだ受けとけ。それにあの様子じゃ覆りそうもないわな。下手に断って暴れ出しても面倒だ。まぁ取って食われはしないだろ。いいなクマ?」


 制御が出来ずまた同じようなことが起きては危険だともっともらしい理由をファンリアは上げはしたが、その本音は隠しきれず下手に断るとケイスが何をしでかすか判らないからだと白状していた。
 

「諦めろラクト……ケイスに絡んだ段階でお前の負けだ」 


 どれだけ信じられない話でもラクトだけには話しておくべきだったか。
 マークスは深い同情と死ぬなよという激励を込めて、これからしばらく振り回されるであろう息子の肩を叩いた。



[22387] 剣士の弱点
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 00:30
「お前の所属するファンリアキャラバンはカンナビスから西に向かうのだろう」


 永宮未完特別区である北リトラセ砂漠を抜け、目的地であるトランド大陸中央部へと至る山岳都市カンナビスへは、順調に進めばあと二週間弱で砂船トライセルは到着する。
 ファンリア達のキャラバン達はカンナビスから本拠地であるグラサ共和国のある西方向へと向かう。


「この………てめぇ……」


「だから私の目的地とは真逆だ。砂船では狭いからカンナビスで決闘を行うとして、そこまで訓練期間に当てても二週間足らずしか無い。だから時間を有効に使うぞ」


 一方でケイスの最終目的地は、トランド大陸の東の果てにある。
 一秒でも時間が惜しいと朝食をほとんど噛まずに飲み込むように手早く終えたケイスは、左手でラクトを”持って”、食堂と同じ階層にある図書室とプレートか掲げられた部屋へと場所を移した。
 図書室と言っても町中にあるような、本棚で埋め尽くされた部屋ではない。
 本棚は壁の一面に埋め込まれた小規模な物で、その棚に並んでいるのも周辺の地図と近似情報冊子や、乗客が寄贈していった娯楽小説の類いなどがばらばらに並ぶ。
 ほかには4人掛けの丸テーブルが3脚置かれており、小遣い程度の小金を賭けてゲームを行う娯楽室や雑談室を兼用した多目的室といった方が本質だろう。
 ラクトと怪我の所為で両腕がふさがっているケイスが右足を蹴り上げて扉の取っ手につま先を引っかけて引き戸を開けると、室内からは昨夜の煙草の臭いが漂ってきた。
 不快な臭いにケイスは眉を微かにひそめる。
 愛煙家なら気にもならず、禁煙家でもあまり五月蠅く言わないレベルの香りだが、ケイスの過敏なほどの嗅覚は、その微かな残り香を敏感に感じ取っていた。
 普段なら気分を害して場所を変えるのだが、今はここ以外に適した場所はないので我慢してケイスは部屋に入り一番手近なテーブルへと近づく。
 扉を開けたときと同じ要領で、右足を椅子の足に引っかけて引き出してラクトを置いてから、右の椅子も引き出して自分も腰掛ける。
 とりあえず説明から始めようかと思った所で、ケイスは先ほどから気になっている事を尋ねるためテーブルの対面へと目を向け、
 
 
「そういえばなんでルディもついてきたんだ?」


「ぐぅっ……だっ……いい加減はな……」


 同じテーブルへとついたルディアへとケイスは尋ねた。
 ラクトの父親であるマークスとなにやら話していた所為でルディアはまだほとんど朝食に手をつけていなかったはずだ。
 そんなに小食だったろうかと、首をかしげるケイスをルディアはじろりと睨む。


「あんたに遠回しの言い方をしても通用しないから、はっきり言うけど見張り頼まれたの。何をしでかすか分かんないから……もうやらかしてる気もするけど」


 ケイスの疑問に答えながらルディアはケイスの横の座席に置かれたラクトへと同情の視線を浮かべる。
 止められないであろうケイスの暴走を見越していたマークスから、ルディアはフォローを頼まれていた。
 本来なら父親であるマークスがケイスの暴走の被害者となった息子の身を按じるべきなのだろうが、マークスがこの場にこれないのはちゃんとした理由がある。
 それはここ数日ファンリア商隊の者達は総出で倉庫の積み荷を確認しており忙しいからだ。
 原因はこれまたつい先日のサンドワームの襲撃。
 サンドワームの砂弾によって大穴が開いた倉庫に搬入されていた商品の被害状況や、船中に巻き散らかされた魔力吸収物質による魔具の不調が無いかを調べるため動き回っており、ケイス達に付き合う暇はなかった。
 顧客に不良品を掴ませたとあっては商人としての信頼にも関わる重要な問題。
 しかしケイスに巻き込まれた息子も心配。
 その板挟みに遭ったマークスの代わりにケイスを監視する役目になったのが、ルディアであった。
 確かに初日の襲撃以来は薬師としての仕事はセラへ渡す触媒制作以外は、特に病人や怪我人もおらず、確かに暇と言えば暇なのだが、なんであたしがとルディアはつい思ってしまう。
 しかもいつもだったら割り当て時間ぎりぎりまで食事をたっぷりと取るケイスが、今日に限っては席に着いたかと思えば、流し込むように食べてすぐに席を立った所為で、ルディアはほとんど朝食をとれていない。
 中途半端な食事に胃が余計刺激されて文句を申し立ててくるが、ケイスを放っておくのはもっと胃に悪い。 
 何せ訓練という名目で何をやらかすか判らない異常者だからだ。 


「がっ……こ、この……くそ……」


「心配性だなルディは。生命力を消費した子グマ相手にいきなり実技稽古をつけようなどと思わないから安心しろ」 


「あんたの行動見て安心しろって相当無茶だから……ともかくまずラクト君を離しなさい。ったく首筋に触れただけで麻痺させるなんてあんた本当になんなのよ」


「くっ……いいかげんに……」


「ん~そう難しくないぞ。闘気を遣った束縛術だからな。さっきのクマにも使ったやつだ」


 ラクトがあげていた拘束に対する抗議の声を、他意も悪意ないが自然と無視していたケイスは、無造作に答えてからラクトの首筋へと触れさせていた左手を離した。


「っが!?」


 ケイスの左手が離れた瞬間、ケイスの手から逃れようと力を入れていたラクトは楔が外れた振り子のように頭を前に勢いよく振ることになり、堅い木のテーブルへとしたたかに額を打つ羽目になった。
 砂船中に響いたかのような大きな音にルディアは哀れすぎたのか言葉をなくすが、ケイスだけは気にもしていない。
 痛みで悶絶するラクトの襟首を掴んで無理矢理引っ張り上げて起こした。 


「……あっ痛ぁっぁ…………」


「ん。大丈夫か? まぁ、いい時間がないから起きろ。おまえが私に決闘で勝利を得るために教えてやるんだからちゃんと聞け」  


 ケイスは実に傲岸不遜な言葉使いとは裏腹にやたらと嬉しそうな笑顔で額を押さえるラクトの顔をのぞき込んでくる。


「ふ、ふざけんな! これ以上付き合ってられるか!」


「お前を拘束して無理矢理に聞かせることも出来るのだぞ。だから無駄な抵抗はあきらめて私に教わり決闘をすると言え。言わないなら本意では無いが私を殺したくなるほどに恨むほどの事をするしかなくなるぞ。そうすれば決闘せざる得ないだろ」 


「おまっ!?」


 ケイスの顔は冗談を言っている表情では無い。
 気乗りはしないが仕方ないとため息をつきながら、そのつり気味な目でラクトを見据える。
 獲物を前にする肉食獣のような心胆寒からしめる目は、黒さと深さを増して、まるで闇のようだ。


「あ、あんた……ほんとバカよね」


 ケイスの脅迫に呆れて絶句したルディアが思わず漏らした言葉にケイスの目が色を取り戻す。
 

「むぅ。ひどいぞルディ。私が子グマに力を貸してやろうと言っているのに嫌がるんだぞ。失礼じゃないか。人の厚意を無にするのはだめなんだぞ」


「失礼とか厚意って言葉の意味を調べてこいこのバカ。あんたラクト君が好きになったとか言ってるけど、言ってることとやってる事が真逆でしょ」


「どれがだ?」


 ケイスには言動やその存在も含めて一般的な常識が通用しないのはここ数日で嫌というほどルディアも判ってはいるが、それでも早々と慣れる物では無い。


「不思議そうな顔すんな。あんたのやることなすこと全部だっての。普通は好きな相手を脅迫なんてしないの。ともかく無理矢理は駄目。ちゃんラクト君に同意を求めなさい」


「……ルディがそう言うなら判った」


 疲れ切った表情を浮かべながら言い聞かせるルディアに、不満げながらもケイスは頷き返す。
 ルディアはついでラクトへと目を向けた。


「ラクト君も嫌だろうけど話だけでも聞いてみて。無茶だったら止める。この子、動物と同じで大抵ご飯で言うこと聞かせられるから何とかなると思う。そういうわけだから……あんたこれ以上無理矢理なんかしたらセラギさんに言ってご飯抜きにするから」

 
 傲岸不遜であるが変な所で素直なケイスの相手は同じ人間相手ではなく、犬の躾けと同じような物だと思った方が早い。
 理解するまで根気よく付き合い、叩いて躾けるか、餌付けで言うことを聞かせる。
 空腹であればサンドワームでも食べるその食性と、料理長であるセラギやその娘であるミズナへの懐き具合から、ケイスが食事に重点を置いていることに気づいたルディアが見いだしたケイスへの対処法の一つだ。
  

「うー。御婆様と似たようなこと言うな……ご飯をちゃんと食べないと力が出ないんだぞ」


 ケイスは不満げにうなりながら小声でつぶやいているがその声は小さすぎてほかの二人には聞こえない。
 だが意気消沈したような様子から、ルディアの対処法が効果があることは一目瞭然だった。
 

「子グマ。決闘を受けろ。お前に勝たせてやりたい。もし嫌なら諦めるがそれでも闘気の使い方だけでもしっかり学べ。そうでないと後から矯正するのに手こずるぞ。だから私に教えさせろ。頼む」


 拗ねたように頬を膨らませていたケイスはラクトに向き直ると、先ほどまでと同じような真剣な表情を浮かべながら、内容は一転した懇願を述べながらテーブルの上に頭を下げた。
 生意気で鼻につく言動ばかりで他人に対して感謝するとか謝るとかの言葉とは無縁だと思っていたケイスが、頭を下げた事にラクトは驚く。
 ケイスを嫌っているラクトすらもこの態度には認めざる得ない。
 本気で自分自身に勝てる戦い方を教える気なのだと。


「ちっ!…………わかった。聞いてやる」


 ケイスが父親であるマークスを認めていたと言われても信じる事が出来ない。
 罵倒にしか聞こえない暴言がほめ言葉だったなんて思うことが出来ない。
 年下の少女であるケイスに喧嘩を売っていいようにあしらわれて、その原因が思い違いだったとは認めることが出来ない。
 ケイスに対して覚える強い反感と敵意は一切和らいではいないが、ラクトは不承不承ながらも頷く。


「うん! そうか。ありがとう」


 顔を上げたケイスは睨まれていることは一切気にせず、見惚れるような満開の笑みを浮かべ嬉しそうに礼を述べた。
 ラクトが受けてくれた事が心底嬉しいようだ。


「でも聞くだけだからな! 俺は許してないし、お前の言ったことなんて端から信じてな」
  

「よし時間が無い。今日はお前の調子が悪いから実戦訓練は無理だから、私に勝つための基本方針から早速決めるぞ。書く物を借りてくるからちょっと待ってろ」


 その後に続くラクトの言葉など一切聞かず、自分の言いたいことを一方的に言い終えて筆記用具を取りにいくと図書室の外へとケイスは飛び出していった


「いんだ…………ぜ、絶対殴る! あいつ絶対泣かす!」


「なんであんたはそこまでマイペースなのよ」


 突きつけた指と改めてあげようとした敵対宣言を無視されたラクトは、行き場の無い怒りに指をぷるぷると震わせ、ルディアは一体何を教えるつもりなのかと強い不安を覚えながらも止まらないだろうとあきらめの息を吐き出した。
















「うむ。それでは子グマ。なんか不機嫌だなどうした? ……まぁいい。まずはお前と私の違いからはっきりさせよう」


 ぶっすとむくれているラクトを不思議そうに一瞥してから、ケイスはテーブルの上に置いた紙二枚に左手で握った鉛筆を走らせ、共通文字で自分たちの名前を書き出す。
 共通文字は暗黒時代と呼ばれた時代に言葉も文字も異なる全世界の知的種族が滞りなく共同戦線を張るために、規格統一され広まった文字だ。
 商売における利便性や情報伝達の面から全世界で通用する言語の利点は高く、今では公用語は共通言語とし、元から使っていた言語を第二言語とする国がほとんどとなっている。


「お前の場合は、闘気を意図的に増加させて身体強化を使えるのは良いが配分が下手だ。そして体捌きに無駄が多く力を無駄にしている。動作も荒く読みやすく単調だ。おそらく闘法や剣技もちゃんと習ったことは無く、見よう見まねの我流だな。はっきり言ってこの程度の実力で、私に喧嘩を売ってくるとは死にたいのか、この愚者はと最初は驚いた」


 ラクトの名を書いた紙に続いて上げた欠点を箇条書きでどんどん書いていく。
 その評価は辛辣そのもので、ケイスの主観もバカ正直というべきか口さがない。
 

「……おい。馬鹿にしてるだろ。お前」


「一方で私の方は今は療養に力を入れているので身体強化は最低限だったが、お前の攻撃行動程度なら、先読みし最小動作で躱すだけの俊敏性と、意図を読ませない予備動作を可能とし、剣戟限定でも組み立て方次第で無限の攻めが出来る。そして拳技と剣技もちゃんと流派を習得して、実戦経験にしても十年ほどある。私自身はまだ納得できるレベルで到底無いがそれでも子グマ程度なら簡単にあしらえる」


「だから! ちょっとまてこら」


「……もっと歯に衣を着せなさいよ。ていうか、あんた今13才とか言ってたでしょ」


「うむ。2才の誕生日から戦ってきたからな。だから十年近くで問題ない」

 
 明らかに異常な話だが、ケイス自身は異常だと思っていないのか平然としている。
 怒気が思わず抜けたラクトは横のルディアに慌てて耳打ちする。


「ルディア姉ちゃん何!? こいつは何を言ってんだよ?!」


「あたしに聞かないでよ。この子の記憶違いって思っときなさい。真面目に考えると頭が痛くなるから」


 2才の頃をちゃんと覚えている者などほとんどいないだろう。
 ケイスの記憶違い、もしくは覚えていても戦いという名目の遊びの記憶だとルディアも思いたい。
 だが食堂で見せたケイスの化け物じみた記憶力と有する戦闘能力から真実ではないかという思いも抱きながらも、己の精神安定のためにルディアは口だけでも否定する。
 

「どうした二人とも? ともかくだ現状で子グマと私との力の差は経験も含めて歴然。正直言ってたった二週間で剣で私に勝つのは無理だ。諦めろ」


「…………か、勝たせてやるだの散々偉そうに言っておいてそれか。結論」


 真面目に聞こうと思ったのがやはり失敗だったか。
 本人の意図はともかくとして、わざと人を怒らせようとしているかのようなケイスの言動に対して、いい加減むかっ腹が限界に来ていたラクトが拳をぷるぷると握りしめる。
 こうなったら死んでもいいから絶対殴り飛ばしてやるラクトが椅子を蹴倒して席を立つとケイスが呆れ顔を浮かべた。


「最後まで人の話を聞け。せっかちな奴だな。剣ではと言っただろ。確かに私とお前では覆せない実力差はある。しかし私には明確な弱点が一つある。それを突かれれば、誰が相手でも絶対に敗北するほどの弱点だ。だからお前は私の弱点を攻める戦い方をすればいい。そうすればお前は私に勝てる。本当なら弱点は吹聴する物では無いが特別に教えてやるんだ。だから座って聞け」 


「ちっ! んだよその弱点ってのは」  


 父親のことを抜きにしても、ここまで言われたらケイスに一矢を報わなければ腹の虫が治まらない。
 ケイスを殴り飛ばすためにケイスの言うことを聞くのは、この上なくしゃくだが胸のむかつきを我慢して舌打ちをしてラクトは椅子を引き上げて座り直す。  


「お前がせっかちだから端的に言おう。私の弱点は魔力変換障害者であること。つまり魔力が無いことだ。ここを突けば戦い方次第で誰でも私に勝てる」


「はあっ? 魔力無いのが弱点って。俺だって魔術なんて使え…………ってルディア姉ちゃんどうしたんだよ?」


 だがラクトからすればそれがどうしたという話だ。
 ケイスが言うのは魔力が無いから魔術を使えない程度の認識だったが、左隣のルディアがぽかんと口を開けていることに気づく。
 

「あぁ……そっか。あんたそうだったわね。言われるまできにしてなか……った……って!? あんたそんなんで探索者になるつもりなの!? 死ぬつもり!? 止めなさいって!」


 呆然としていたルディアだったが徐々にケイスの言う弱点が本当に致命的な欠点であることに気づき驚愕する。
 ケイスは探索者になるためにトランドへ来たと言っていたが、冷静に考えてみれば魔力変換障害なんていう致命的欠点を持つ者が探索者になろうなんて自殺行為もいい所だ。
 いくらケイスが驚異的な力を持っているとしても覆しようが無いと考えるルディアに対し、


「心配するな。私とてこの弱点をいつまでも放っておく気はなかったからな。だからラクトとの決闘はある意味では私にとっても僥倖だ。弱点を突く相手に対してどう対処すべきかを考えるいい機会だ。でも心配してくれてありがとうだ。ルディはやはりいい奴だ。うんだから好きだぞ」 


 ケイスはそれがどうしたとばかりに笑って答える。


「そんな簡単にすむ問題じゃ無いでしょ!?」


「意味がわかんねぇんだけど……魔術が使えない探索者って下の方には多いだろ。初級探索者なんて魔術師以外ほとんど使えないっていうし」


 ラクトからすれば何がそこまで問題なのか全く理解できないのだが、ルディアの驚きようからよほどの大問題であることだけは判ったようだ。


「あ! あ、あ……えとごめん。意味が判らないよね。なんて言ったらいいかっていうか」


「ルディ。実際に見せた方が早い。ロープ系の術は使えるか。無触媒、陣無しの簡易詠唱……そうだな。出来たら単唱で頼む。その方が判りやすい。出来るか?」


「出来るけど。でもあんたそれ……あーもういい。荷縛り用のマジックロープでいいわね」


 ケイスの意図を察したルディアだったか微かに不審げ目を浮かべたが、すぐに頭を振って浮かんだ疑念を追い払う。
 マジックロープの術は読んで字のごとく魔力を紡いでロープ代わりとする初歩術。
 それこそ薪拾いやらゴミ捨てなどの時の一時的運搬に使うのに適した術だ。


「うん。それでいい。子グマ。人差し指と中指をぴったりとくっつけて立ててルディの前に差し出せ。こんな感じだ」


「いちいち偉そうだな……こうか」


 ケイスの命令口調にいらつきながらもラクトはケイスの作った剣指をまねて右手の指を立ててテーブルの上に差し出す。


「…………いいわよ」


 しばし意識を集中させてからルディアがラクトの伸ばした指の第二関節の上に己の人差し指を当てる。
 

「結束」


 簡易詠唱の中でも最も短い、一つ単語のみで形作られる単唱をルディアは唱えながら人差し指で線を描くように関節の部分で指を一周する円を描く。
 ルディアの人差し指が通った後には、光で出来た細い線が一瞬だけ生み出される。
 ロープと呼べるほどの太さは無く精々細糸。
 しかもすぐに霧散していき形をなすことは無い。


「それでは次は私だ。ルディ頼む」


「はいはい。あんたほんとに人あごで使うわね……結束」 
 

 次いでルディアは同じようにケイスの左手の指に輪を描く。
 すると先ほどラクトにやって見せた時とは違い、ケイスの指の上には一つ繋がりとなった先ほどよりも太い光の輪が生まれその細い指を縛り上げた。
 

「さて子グマ。この違いの意味は判るか?」


 結束された指をあげてラクトに見せながらケイスが問う。
 魔術に対して疎いラクトでもさすがにこの明らかな違いは判る。


「俺の時は失敗して、お前の時は成功したって事か?」


「うん。そうだ。生命という存在は基本的に大小の差はあれど魔力を有する存在だ。魔術が使えないから魔力が無いといういうわけでは無い。微量だが普通なら自然と魔力を生み出しているんだ。そしてお前の持つ魔力がルディの魔術に干渉し術を無効化した。最も無効化できる程度に術の精度をルディに下げてもらっていたからだがな」


「私の今の実力じゃマジックロープ程度の初歩術でも無触媒、無陣、単詠唱じゃ失敗して当たり前だってのに。あんたほんとに魔力無いのね……ラクト君にも判るように今やったのを簡単に例えると、釘も道具も使わないで設計図も無しに椅子を組み立てるような物って感じよ」


 ルディアの挙げた例は要は材料である木材(魔力)を何の加工もせず釘なども用いず(触媒)設計図(陣)も無しで作りあげるような物。
 組み上げる形だけは言っているが(詠唱)、それも大きいとか小さいとかどんな形ではなくただ漠然とした椅子(拘束)と指示しただけの物だ。
 この上さらにラクトの持つ木材(魔力)が加われば、ルディアの意図した物を作り上げるのがいかに作るのが難しいか判るだろう。
 

「そうか? ルディは実力あると思うんだが。私が魔力が無い事を考慮しても上出来だ。まだ消えてないし、ちゃんと発動してる。ほら動かせないぞ」


「そりゃどうも」


 ケイスは結束された二本の左指を力任せに開こうと腕に力を入れてみせるがびくともしない。
 淡い光の輪がまるで鋼鉄のリングのように縛り上げていた。


「じゃあお前……魔術の影響を受けやすいって事なのか」


「うむ。私には魔力が無いので魔力攻撃に対抗する所謂、抗魔力が皆無だ。本来なら発動しない精度でも発動するし、無論ちゃんとした術なら影響も甚大。その上に影響時間も長い。もし先ほどルディが子グマにやった術が発動していたとしても、あの精度ならせいぜい5秒も持てばいい方だが、っと消えたか。丁度いい。だいたい2分といった所だ。このように効果も長く続く」


 音も無く光の輪がケイスの指からすっと消えた。
 縛られていた指を軽く振って開放感を感じてからケイスは改めて鉛筆を取り、自分の名前を書いた紙の後に弱点をすらすらと書き連ねていく。


「現状私が魔術攻撃を主とする相手に対抗する手段としては、使われる前に術者をつぶすか、術の種別。発動タイミングや効果範囲を読み切り、事前の回避行動を取るかの二つのみだ。しかも私は魔力を持たないために、剣を投げるや礫を飛ばすなどの対物理簡易結界で簡単に防げる遠距離攻撃以外は不可能だ。このためにどうしても術者に接近戦を挑まなければならない。術者が自分を中心とした範囲に妨害魔術を繰り出した場合は効果が切れるか、何とか接近する手を見いだすまで打つ手無しとなる……どうだ明確な弱点だろ」


 書き綴ったケイスがなぜか自慢げに胸を張る。
 自分の弱みをそこまで力強く語るその態度はどこか間違っていると思いラクトは呆れそうになる。
 その一方でルディアの表情が少しこわばっている事に、会話に意識を取られていたケイス達二人は気づかない。
 黙り込んだルディアのケイスを見る目には強い疑念が浮かんでいた。


「魔術を覚えろってことか? んなもの簡単に身につくわけ無いだろ。バカだろお前」


 弱点を聞かされても魔術の一つも知らないのに意味は無い。
 勝つために今から身につけろとでもいうのか。どこまで常識が無いんだこいつは。
 未だありありとあるケイスへの反抗心からラクトがけんか腰に返すと、ケイスは眉をつり上げ頬を膨らませた。


「むぅ。馬鹿にするような目で見るな。失礼だぞ。そんな時間が無いのはわかっている。だから今回は戦闘用魔具を使え。転血石内蔵型の中位魔術系を十種類も使えば十二分に私と渡り合えるはずだ。それがお前の闘気制御にもつながる最善の手だ」


 陣形、触媒、詠唱は魔術を構成する三主要素と俗に言われる。
 魔具はその形状を持って陣形を形作り、素材に触媒となる物質を用い、刻み込んだ文字によって詠唱の代わりとして、持ち主が魔力を供給するだけで、魔術発動を可能とする簡易魔術道具だ。
 だが一口に魔具と言っても、用途別にいくつもの種別に分けられる。
 遠距離通信用魔具、点火魔具、灯火魔具などといった非戦闘用の生活魔具。
 火、水、地、風などの各属性に分かれる攻撃魔術魔具。
 幻覚や麻痺などの効果を持つ影響魔術に特化した戦闘補助魔具。
 また動力である魔力供給手法によっても大きく3つに分かれる。
 一つ目は使用者の有する魔力を使用する自己供給型。
 自己供給型は発動が早く用いた素材の触媒としての効果が切れない限りは、本人の魔力が尽きるまで繰り返し使用可能。
 また単一魔術使用に特化させれば構造自体が単純になるため、指輪や耳飾りなどの小物サイズでの制作が可能となり、コストパフォーマンスに優れたな品が多い。
 欠点らしい欠点と言えば発動する術に見合っただけの魔力が術者に求められる事くらいだろうか。
 二つ目は魔力を吸収する素材を用いて制作された蓄積型。
 蓄積型はカイナスの実やリドの葉など魔力吸収特性を持つ素材を元に作られる魔具だ。
 貯められていた魔力が終われば、使用不可能な使い捨てとなるが、比較的安価に作ることが出来るので、点火用魔具や灯火用魔具など生活魔具に多く用いられており、一般市民が魔具と言えばこれらを指すことが多い。
 最後の三つ目が、迷宮永宮未完に生息するモンスターだけがもつ特徴である、魔力を含有した血を硬化処理して出来る転血石を内蔵した型だ。
 これの利点は、内部にセットされた転血石内の魔力を再変換して用いるので、再変換機能を動かすための自力の魔力をわずかに必要とするが、使用者の実力以上の魔力を使用することが出来る事。
 そして蓄積型と違い転血石さえ交換すれば繰り返し使用可能なことだ。
 だが転血石を魔力変換するためのタイムラグが必要となり、それ以外にも自己供給型や蓄積型と比べて劣る点がいくつもある。
 術の規模、難度によっては高純度転血石を必要とし、場合によっては転血石を一度で使い切ってしまうコストパフォーマンスの悪さ。
 使用目的魔術以外にも転血炉の原型となった変換魔具としての機能を組み込む必要があり、それによる魔術同士の干渉を避けるために単一機能の魔具でも首飾り程度の大きさになり、術によっては杖や剣サイズといった大型化することになる。
 結果、高純度転血石+大型化した事により重む材料費にともない、蓄積型や自己供給型の数倍から数十倍以上の高価な品となる事も多い。


「戦闘用内蔵型って……バカ高いじゃねぇのか。しかも最低十本ってそんなもんどうやって用意すんだよ」


 父親のマークスは普通の武器商人であるため魔具を取り扱っていないが、商人見習いとして仕込まれているので内蔵型戦闘用魔具の市場価格くらい判る。
 ケイスは簡単に言っているが最低でも一つ共通金貨で20枚くらいはする品だ。
 やっぱりこいつは無理難題を言って馬鹿にしているだけじゃ無いかラクトが向ける疑惑の視線に対しケイスは笑顔で頷く。
 

「ふむ。そこはクマに用意してもらえばいいだろ。息子が父の名誉のために決闘をするのだぞ。喜んで用意してくれるだろ」


「ねーえよ。っていうかお前。やっぱりからかって遊んでるだけだろっ! どこの世界にガキにそんだけクソ高い物の買ってくれる親がいんだよ!」 


「むぅ……そ、そうなのか? むぅ。ちょっと待て考える」


 ラクトの指摘にケイスがすぐに眉根を曇らせてなにやら考え始めた。
 どうやらラクトの指摘が本気で予想外のようで、いつもあまり細かいことは気にしない大らかというかおおざっぱなその顔にわずかながら困惑を浮かべていた。
 予想外のケイスの反応にラクトも追求の言葉に詰まってしまう。


「……ふむ。魔具を使うのがお前が私に勝つための最低条件だから、そこは何とか私がする」
 

 ほんの数秒だけ悩んだそぶりを見せたケイスだったがすぐに決断したのか力強く頷いてみせる。
 しかし端から見ているラクトからすればケイスの自信ありげな態度の根拠は何もみいだせない。
 こと金銭が絡んでいる問題をちょっと悩んだくらいで解決するなら苦労は無いのだが、ケイスの意識はこの問題は解決したとばかりにすでに次に移っていた。
 

「内蔵型魔具を使用するためには、起動用に少量だが魔力が必要なのは判るか」


「ほんとになんなんだよお前……それくらいは知ってる」


 どうにも考え方や反応がラクトの知っている同年代の少年少女と違いすぎるケイスに対する不信感をぼやきながらラクトは頷く。
 

「ふむ。そのために意図的に魔力を生み出す感覚をお前には覚えてもらう。そうすることで結果的に闘気の制御にも繋がるからな」


 ケイスはそう言うと新しい紙に今度はなにやら絵や文字を描いていく。
 

「子グマ。お前に闘気を高めるコツを教えたのは獣人か? それもおそらくハーフかクォーターだな」


「なんで判るんだよ……そうだよ」


 実家の近くにある斡旋所に出入りしている顔見知りの若い探索者に、ラクトは無理を言って闘気の変換方法や使い方を教えてもらったのだが、その人物は確かに獣人のハーフだった。
 ケイスにそんな話をした記憶は無い。
 それどころか教えてくれた探索者に迷惑をかけると悪いので当人達以外誰も知らないはずの秘密だ。


「ん。呼吸法だ。闘気を高める際の獣人族特有の息づかいの亜種で判りやすい。ただそれはお前にはあまり向いていないから乱用は控えろ。そのやり方は短時間で一気に生命力を闘気へと変換することが出来るからとっさの時にはいいが、お前の生命力では少し長くやると生命力が簡単に尽きるぞ。つまりは死ぬ。それは人間と比べて強い生命力を持つ獣人やその血を引く者達だからこそ常時発動可能となるやり方だな。よし書けた。これを見ろ」


 ラクトの疑問にすらすらと答える間も鉛筆を走らせていたケイスが書き上げた紙をラクトの目の前に置く。
 紙には天秤の絵が描いてあり、それぞれの秤に闘気と魔力と書いてある。


「闘気と魔力。そして神術に用いる神力とは同じ生命力から変換して生み出す物だ。このうち闘気と魔力は生命体であるならば自然と生み出す。神力のみは信奉する神との契約である洗礼によって生み出すことが出来るようになる。そして闘気と魔力の変換のしやすさはこの図のように天秤の関係にある。闘気変換になれていれば魔力変換が難しくなり、逆もまたしかりだ。今のお前の状態はこのように闘気に傾いている」


 ケイスは左手に持った鉛筆で天秤の針を指し示す。
 天秤の針は闘気側に大きく傾いておりアンバランスとなっていた。


「そこに獣人式の闘気変換も加わり必要以上の生命力を一気に変換している。さらに変換した闘気に振り回されて、攻撃速度だけは早いだけでその大半が無駄になっている。私の見立てではお前の今の技量では半分も闘気があれば十分だ。というよりそれ以上はうまく使えない」


 ケイスは自分が描いた天秤の絵に大きく×印をつけてその下に、今度は僅かに闘気側に傾いた天秤の新たな絵を描く。
 さきほどまでのが9:1とするなら今度の絵は6:4位の割合となっている。
  

「そしてこれがお前の目指すべきバランスだ。この修正をするのに一番手っ取り早いのは、闘気変換に慣れた体へと魔力変換を覚えさせる事だ。そうすることで相対的に闘気変換能力を鈍らせて、魔具を使用する為の魔力を生み出すコツを覚えさせるというわけだ。さらに私の行うやり方での闘気変換のコツも教えるので今朝のような生命力急速消費状態になりにくい状態とする。ここまでが最低限の下準備だ。これくらいが出来なければ、子グマが天才たる私に勝とうなど到底無理だ」


「……い、いちいちむかつく奴だな」


 どうにも癪に障るケイスの言動に一瞬むかつきを覚えたラクトだったが悪態をつくだけで席を立とうとしない。
 ケイスはどうにも気にくわないがその説明はそれなりに判りやすい。
 興味を引かれているといえばいいのだろうか。ケイスの説明へラクトは知らず知らずに引き込まれていた。


「今のところ変なことは言ってないわね。なんでそんな魔術知識に詳しいのか疑問だけど……でもあんた理屈は判ったけど、結局魔具をどうするのよ。あんた一文無しでしょうが」


 ケイスが話す魔術知識は基本的な物でさほど難しくない。
 だがそれは、魔術師として体系的にまとめられた学習をしたことを臭わせる理路整然とした物だ。
 魔力変換障害者を自称するケイスがどこでこの魔術知識を身につけたのかルディアは疑問を覚えつつも、あえて深入りせず、別のことを尋ねる。
 結局勝つ手段があってもその手段を用意出来なければ意味は無い。


「ふむ。そこは簡単だ。私が狩りをするに決まっているだろ。狩りで集めた獲物を次の街で売って資金とする。幸いにもここは特別区とはいえ迷宮内、そこらにいくらでも相手がいるからな。子グマの練習相手にも事欠かないですむし一石二鳥という奴だな」


 自分の案が名案だと言いたげな勝ち誇った表情を浮かべるケイスの目は、狩りという自らの言葉に嬉しさを覚えキラキラと輝いていた。



[22387] 剣士の狩りと薬師の愚痴
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 00:58
 獲物だ。極上の獲物だ。
 太陽の光が差さぬ永久の闇の砂漠を、彼らは狂ったように一心不乱に獲物を追う。
 天上を塞ぐ砂幕よりこぼれ落ちた砂が雨粒のように振りそそぎ、礫のように身を打つ中で短い四肢を動かし、翼で空を切り裂き、長細い胴体で砂をかき分け、彼らはそれぞれの方法で獲物を追う。
 異種の彼らが団結し獲物を追う姿は、知識ある者から見れば異常な光景に映るだろう。
 彼らは本来ならば互いが捕食関係にあるからだ。
 この異質な共闘を行わせるのは、迷宮に住まう彼らだけが持つ外の同種と異なる思考だ。
 強さへの飽くなき渇望。
 これが彼らの本能さえも凌駕し、突き動かす。
 より強く、より早く、より上位の能力を得るために。
 あの獲物は逃がしてはならない。
 巣穴に必死に逃げ帰ろうとしているあれは、この世界において最上級の獲物だ。
 本来ならば、彼らでは足下にも及ばないほどの力を持つはずの最上位種族。
 だがこの個体は弱い上に、さらに傷ついている。
 これは千載一遇の機会。
 しかし弱く傷ついていても、単独ではかなわない。
 足の速い者が抜け駆けし襲いかかったとしても、隙を突かれて逃げられる。
 異種の彼らが協力しあって、ようやくご馳走にありつける。
 その本能が割り出す計算が、彼らに協力して獲物を追う選択をさせる。
 軟らかい肉の一塊。
 熱き血の一滴。
 歯ごたえのある骨の一欠片。
 僅かであっても彼らをより生命として高めるための餌。
 特別な肉体を持つ獲物からこぼれ落ちていた血の臭いは、果樹からこぼれ落ちる寸前まで熟成した実のような甘い芳香。
 迷宮モンスターの全てを恐怖させ畏怖させながら、同時に獲物として魅了し狂わせる最上位生物の香り。
 その龍がなぜ最も弱き地にいるのか?
 何故龍の血が転々と砂漠に落ちていたのか?
 撒き餌としてばらまかれた獲物の血を僅かに摂取しただけで、その旨みにおぼれた彼らは、最低限度の疑問を抱く理性も、危険を感知する野生の勘すらも失っていた
 







 左手に大きな砂丘を見あげながらケイスは砂を蹴る。
 初日は柔らかい砂に苦戦してスピードを上げることが難しかったが、だいたいコツがつかめてきた。
 固い大地を蹴る時のように一点に闘気を集中させるのではなく、足の裏全体と周囲にも広がるイメージで闘気を込めて砂を蹴る。
 トップスピードといかなくても、このやり方なら十分な加速を得て、後はこれを繰り返すだけで戦闘速度としては及第点の身のこなしができる。  


「ふむ。もう少し早くコツに気づけば無駄にせずにすんだな……むぅ。でももっと早く身につけていたなら、そもそもあんなに買わなくてもすんだか」


 暗闇の砂漠を疾走しながらケイスは、足場を作るために水飴を無駄に消費した自らの未熟さを不満げにうなり、さらに大量に買ったことも自らの不甲斐なさ故だと眉をひそめる。
 砂走りのコツを身につけていれば砂漠の横断にかかる日数は激減し、水飴を大量に買わずに他にいろいろ買えたかもしれない。
 特にラズファンの市場で気になった色取り取りの菓子類を思い出して甘い物が食べてくなってきたケイスが少し不機嫌にうなっていると、首から提げていた通信魔具の宝石が小さく振動を始めた。
 
 
『ケイス。今どこら辺だ?』


 宝石からボイドの声が響いた。
 ケイスの左前方の空には砂漠を行く船であるトライセルが他船へと存在を知らせるために上げている光球がぽっかりと浮いてみえる。
 声の主であるボイドはその光球真下の見張り台で警戒待機中だ。


「ん。トライセルの右後方200ケーラほど。隔てている砂丘の反対側。3匹を引き連れている。蜥蜴と有翼狼。あと猿蛇だ」


 今トライセルが進んでいる場所よりも高くなって広がるいくつもの砂丘群の中をケイスは走っていた。
 ちらりと後ろを振りむけば正気を失い目を血走らせ、ケイスを必死に追いかけてくるモンスターの群れが見える。
 茶褐色の鱗と鶏冠を持ち、鋭い爪と牙を光らせながら走るバジリスク。
 狼の体躯の背に猛禽類のような大きな翼を生やして空を滑空するホークウルフ。
 上半身の猿の腕をケイスを掴もうと伸ばし、下半身の蛇の体で砂の上を這うエイプキメラ。
 どれもこのリトラセ砂漠迷宮群に生息するモンスターだ。
 防寒用のフード付きのローブの下に普段着を身にまとい、その身に帯びるのは、常に身に帯びているお守り代わりの懐剣一本。
 しかも右手はまだ怪我を負ったままで包帯に巻かれた拳は握ることすらできない。
 傍目から見れば誰が判断しても危機的状況。
 だがケイスは余裕綽々といった表情を浮かべる。
 鍛え上げた技と受け継いだ体。そして大望を抱く心。
 心技体そろった自分ならば、いかなる状況にあってもこの程度の相手に負けるわけがないという傲岸不遜なまでの自信をもってケイスは砂を蹴り、モンスター達を引き連れ駈けていた。


『ケイス。あと少し先で大きく右に曲がるからそこで乗り込んでこい。結界を解除して甲板は開けとく』


「うむ。子グマ。聞いているな。すぐに戻るがどれがいい? 私が選ぶとお前には荷が重いかもしれんからお前が選べ」


『好きにしやがれ! 相手が、な、なんだってやってやらぁ! 一番強そうなのよこせ!』


 ボイドの指示が聞こえてきた宝石からは、やけくそ気味なラクトの返信が聞こえる。 
 その美少女然とした顔には似合わない獰猛な笑顔を浮かべケイスは笑う。 


「良いぞ。その心意気。それでこそ私の決闘相手にふさわしい」 


『お前ほんとに無自覚に煽るよな。ラクト気張れよ。マジで一番厄介なのくるぞ。ヴィオン。そろそろ明かり頼む』


『おう準備は完了。いつでもいい。ケイス。合流位置にあげるから遅れんなよ』


 別の宝石が振動して、自前の翼でトライセルの前方警戒に出ているヴィオンの声が聞こえる。
 次いでケイスの前方の暗闇の空に赤色に発光する光球が発生し、明かりの中にコウモリような翼を広げるヴィオンの影が小さく浮かび上がった。
    

「ん。位置を確認した。私が飛んだらすぐに投げ落とせ。狼と猿は空中で仕留める。蜥蜴は説得するから残すぞ」


『あいよ。ちゃんと受け取れよ…………しかしなんだ。無茶苦茶なのに慣れるもんだな。普通に対応してるぞ俺』


『そりゃ。こんだけやればな。他の連中ももう慣れたってよ』


 ボイド達の呆れ混じりの会話を聞きながらケイスはスピードを僅かにあげる。
 それとほぼ同時に谷が大きく湾曲している部分に差し掛かったトライセルが、曲がるためにスピードを落とし始める。
 トライセルの上空に浮かんでいる光球が、ケイスから見て左手側から徐々に近づいてくる。 
 自らの速度とトライセルの進行速度差。
 ヴィオンが上げた目印までの距離。
 後ろから追ってくるバシリスク達との位置関係。
 必要な要素を頭の中にたたき込んで、最もトライセルに乗り込むに最適であろう位置と瞬間を脳裏で一瞬に弾き出す。
 

『ケイス。高さが結構あるけど空中でキャッチした方が良いか?』


「ん。この程度なら無理なく着地できるからいい」


 短く答えたケイスは最適のポイントへと最適なタイミングで進入できるように速度と進行方向を僅かずつ変化させ調整し、背後のモンスター達との距離を近づけていく。
 右側へと大きく曲がってきた砂丘をケイスが上り始めると同時に、左前方に浮かんでいたトライセル上空の光球も大きく右に曲がり始めた。

 あと5歩。

 砂丘を登る事に足場の質が脆く変化していく。
 脆い砂でできた斜面はケイスの踏み出した足によって崩れて、周囲の砂もろとも落ちていく。
 下手をすればバランスを失い砂に足を取られて滑落しそうな状況でもケイスは速度を緩めず、砂丘の頂上を目指す。

 あと4歩。

 ケイスを追うモンスター達にケイスが蹴落とした砂の塊が降り注ぐが、彼らは砂をかき分け飛び越えケイスを追う。
 背にモンスター達の腕や牙や息づかいを感じるほどに近づき、一見追い詰められた状況でもケイスは楽しげに笑う。
 もう少し。もう少しだ。 

 あと3歩。

 目印である赤い光球のそばに分厚く長い抜き身の大剣を持ち待機するヴィオンの姿を確認して、ケイスは左手を挙げる。
 さて待望の時間だ。
 やはり大きな剣で無いとどうにも落ち着かない。
 剣があってケイスは初めて自分自身が完成すると自負する。
 自分は剣士であると。
 
 あと2歩。

 ケイスのあげた左手に気づいたヴィオンが、その手から大剣を真下に向かって投げ落とす。
 落ちてくる剣の速度を見極めて、最適な位置で受け取る為に必要な高さを割り出してケイスは呼吸を変える。
 モンスター達を引きつけるために押さえ込んでいた闘気変換能力を急速に活性化させて、本来の実力を発揮するための闘気を丹田より生み出し体に充填させていく。
 変換した闘気を足下に集中。
 砂丘の頂上へと最後の1歩を踏み出すと同時に、足裏で闘気を爆発。
 頂上部の砂の大半がはじけ飛ぶほどの勢いを持って、ケイスは空中へと身を躍らせた。
 ケイスを追っていたモンスター達もその勢いのままに続いて宙へと飛び上がり、ケイスを捕らえようとその腕を伸ばす。
 だがモンスター達がケイスを捕らえるそれよりも早く、ケイスの左手が落ちてきた大剣の柄を空中でつかみ取った。
 大剣は大きさの割りに異常に軽い。
 軽すぎる。
 宙に飛び上がったケイスの速度を緩めることなく、重心を変化させることもないほどに軽い。
 さらには金属製のはずの剣の分厚く長い刀身が、ケイスが柄を掴んだ衝撃でまるで柳の枝のようにたわみ揺れる。
 ケイスが掴んだのは武器屋であるマークスより借り受けた通称『羽の剣』
 得体の知れない金属と高度な技術で生成された出自不明の闘気剣。
 このままでは軽く柔らかく剣としての最低限の能力も果たさない欠陥品。
 だがその能力をケイスはここ数日で把握している。
  
 
「従えよ今日こそは」


 掴んだ大剣に威嚇するように語りかけながら、ケイスは左腕に闘気を送り込む。
 左腕から剣の柄に装飾のように埋め込まれた生物の骨へとさらに闘気を伝播させ、剣の能力を解放。
 たわんでいた刀身がケイスの闘気を受け硬化し、さらに剣全体の重量が飛躍的に増していき、一瞬でケイスの体重を超えた重さに変化する。
 左腕に握る剣へと中心を変化した重心に合わせてケイスは跳躍の軌道を無理矢理に変えて、風車のように体をぐるりと回しながら大剣を後ろへと勢いを叩きつけるように振る。
 重量と硬度を増した大剣の刀身が、ケイスを掴もうと伸ばしていたエイプキメラをとらえる。
 硬化した刀身はエイプキメラの鋭く固い爪を打ち砕き、それだけでは飽き足らずその体すらも逆袈裟気味に一刀両断してのけるほどの切れ味を発揮する。


『ギャガァァァッ!?』


 断末魔を上げるエイプキメラの両断された体の向こう側には、ケイスの本来の力に気づき、体を硬直させたホークウルフとバジリスクの姿が見えた。
 剣に送った闘気をケイスは遮断する。
 急速に軽さを取り戻した剣によって、重心は再度ケイスよりに変化する。
 切り落とされながらも腕を伸ばし末期の足掻きをするキメラエイプの体に、ケイスは左足を伸ばして絡めるとそのまま蹴り上げた。
 エイプキメラを空中での踏み台として用いて飛び上がったケイスは、間髪入れず次の獲物であるホークウルフへと襲いかかる。


「ふむ。良いな」


 厨房の手伝いで斬る肉もそれなりに欲求を満たしてくれるが、やはり生きた生物を斬るさいの斬りごたえが最高だ。
 物騒で凶暴で満足げな満面の笑みを浮かべながら、ケイスは空中殺戮を開始した。




 








 テーブル席に腰掛けたルディアは皿に盛られた魚のフライにフォークを刺すと、添えつけられた赤いソースをたっぷりとつけて口に運ぶ。
 分厚い切り身を二枚に切り分け間にチーズを挟んで衣を付けた後、ハーブで香り付けした油で軽く揚げた魚は、パリッとした歯触りの良い感触を返す。
 舌を刺激するピリッとした甘辛いソースに、ついで切り身の間に閉じ込められていた濃厚なチーズの味と淡泊な魚の味と合わさり口の中に広がり、ハーブの香りがさらに引き立てる。
 口の中に広がる濃厚な味を楽しみながら、次いでルディアは度数の高いカクテルが注がれていたジョッキを傾ける。
 軽く温められた酒からは、すり下ろされた生姜の香りが立ち上る。
 温かな酒は度数の割りには甘く、舌の上に残っていた余分な油もすっきりとした生姜の味が洗い流してくれる。
 ほどよい甘さと刺激的な辛みの両方が目立つ濃い味付けの料理と、それと対照的にさっぱりとした香りの温かい酒はルディアの故郷である冬大陸で好まれる組み合わせの一つだ。


「どう? 添えたソースなんかはここらで入る材料で組み合わせた自作なんだけど冬大陸の味に近いでしょ」


 満足げな吐息を漏らすルディアの反応を興味津々といった顔で見ていたミズハが笑う。
 貨客船であるトライセルは、三週間近くもの長い航海でリトラセ砂漠を横断する。
 そんな長期間を安全性が高い特別区とはいえ、モンスターも出没する迷宮永宮未完内を旅することによる乗客の精神的負担は大きい。
 そんな乗客に少しでもリラックスしてもらおうと、限られた材料と調味料から世界中の味を再現して見せようというのがミズハの実益を兼ねた趣味だった。
 父親であり調理長でもあるセラギも仕事をちゃんとやっている分には、試作しても特に不問としているので、今回は冬大陸の出身者であるルディアと、出身地不明であるが甘ければ何でも好むくせに、所々で妙に味にうるさいケイスがその主な実験台とされていた。


「はい。驚きました。まさかトランドでこの味を食べられるとは思っていませんでしたから。本物じゃないんですよね」


「苦労したんだよ再現するの。前に乗ったお客さんでルディアと同じ冬大陸の人がいてそん時ちょこっとだけ持ってたソースを味見させてもらってたから、味そのものは判ってはいたんだけどね。材料ないでしょ。だから近づけるの難しかったのよ」


「甘さと辛さの加減とかほとんど同じで、しかもおいしいですよ」


 心の底からの素直な賞賛をルディアはミズハへと送る。
 ソースに使われている辛みは本来は冬大陸の固有種である巨木の実を発酵させて作り出すだが、このミズハの作ったソースはよく似ていて、別の材料を使っていると言われなければルディアも気づかないほどだ。
 ルディアは次のフライへとフォークを伸ばして一口食べて、次いでグイグイとジョッキを傾け始める。
 
 
「配分具合なんか試行錯誤の連続だったんだけど、ここまで喜んでもらえるなら苦労した甲斐があったってもんよ」


 料理人として最上の喜びは難しい料理を成功させることではない。
 作った料理で食べる人に喜んでもらうこと。
 ルディアの反応は上々。これなら金を取って乗客に出せるレベルには到達しただろう。

 
「親父。ルディアの反応いいからm¥、今度からこのソースも使っても良いよね!?」


 カウンターに座るファンリア相手に酒を飲み交わしていたセラギへとミズハは確認する。
 試作を味見してもらう分にはミズハの自由だが、メニューに乗せて正式に出すならば料理長であるセラギの許可を取るのは親子といえど料理人同士として最低限のケジメだ。


「メインに使っても良いな。ただソースの量を押さえろよ。先代みたいな年寄りには強いそうだ」 


 ミズハの作ったソースでトカゲのステーキを試食していたセラギも及第点だったのか二つ返事で許可を出す。


「年寄りってセラギお前さんなぁ。ちっと濃いだけだっての……若い連中向きだが、こういうのもたまには良いさ」


 ファンリアも文句を言いつつも、一口大に切ったトカゲ肉をフォークに刺してソースを少量付けて口に運んでは異国の味を楽しんでいるようだ。


「ミズハちゃん。俺はもうちょっと辛くても良いぜ」


「お前バカ舌だろ。このくらいで丁度良い」


「いいねこの辛さ。酒が進む。ミズハちゃんとケイスに感謝だな」


他のテーブル席に思い思い座って杯を傾けていたファンリア商会の者達や休憩に入っている護衛探索者も好評価の声を上げ、ソースを作ったミズハと今も甲板で食材集めにいそしんでいるであろうケイスに向かってグラスを掲げる。


「とりあえず明日の夕飯にトカゲのステーキでもしますか。ソースはともかく肉を大量に食べてもらわないと、溜まる一方なんで」


 まだまだあるトカゲ肉の塊を見ながら、どうしたもんかとセラギは頭を掻く。
 多少固いが油ものっているトカゲの肉は焼いても煮ても旨い。
 しかし飽きを考えれば、さすがに毎食出すわけにもいかない。


「そんなに増えたのか? しかし材料がありすぎて困るなんて贅沢な悩みだな」


 ちびちびと赤ワインをかたむけながら野性味あふれる肉を楽しむファンリアはおもしろうそうに笑う。


「笑い事じゃないですよ先代。後5匹分くらいはありますよ。ケイスの奴は加減をしらないみたいなんで」


 下手にこった料理を作っても、肉自体の消費が鈍い。
 肉を多く使いつつ、飽きさせない料理はないかとセラギは頭の中でレシピをめくっていた。 






 


 夕食の最後の回を終えた後、トライセルの食堂は船内時間で午後8時頃から船内バーと化す。
 バーと言っても町中にあるような物で無く、その日分の割り当ての食材で野菜や肉などの半端なあまり物を処理をするため適当につまみにして大皿に盛りつけて、後は飲みたい連中が自前の酒を持ち寄り適当に飲み交わしたのが閉店後の酒盛りの始まりだった。
 どちらかといえば家庭的な飲み会のような物。
 翌朝が早いセラギやミズハ等は10時頃には退散し、食堂の簡単な片付けや洗い物は参加者で合同におこない、日付が変わる前には自然解散というのがいつもの流れだ。
 
 
「それにしてもルディア。昨日もそうだったけど今日もやけにハイペースよね。やっぱストレス?」 
 

 端で見ているミズハが小気味ぐらいグイグイとジョッキを傾けていくルディアだが、そのペースは、酒飲みを見慣れたミズハの目から見てもいささか速い。
 二、三日前まではもっとゆったりと飲みながら酒を楽しんでいる感じだったが、どうも昨日くらいから自棄酒の風体が見え隠れした。


「あはははは。そんな訳……ありますよ。はぁぁっぁぁぁ…………聞かないでください」

 
 後先考えないペースで飲み始めて早々と酔いが回ったのか一瞬楽しげに笑ったルディアだったが、その笑い後はあっという間に力をなくし重いため息へと変わる。
 しかも本人は聞かないでくれといっているが、浮かぶ表情は真逆。
 愚痴を聞いてほしいとはっきりと書いてあった


「ほらほら遠慮せず。お姉さんに話してみなっての。どうせケイスの所為でしょ」


 空になったルディアのジョッキに温まったジンジャー酒を注ぎながら、ミズハは愚痴に付き合うからとルディアを促す。
 冬大陸の人種の特徴ともいえるずば抜けた身長と燃えるような赤毛のルディアと比べ、ミズハの方は小柄で童顔の所為もあっても傍目にはルディアの方が年上にみえるだろうが、これでもミズハの方が5つほど年上だ。
 
 
「あの子……常識が通用しなさすぎなんです。考え方も肉体能力も異常で滅茶苦茶で、魔力が無いのが自分の弱点だからって決闘では魔具を使えって言いだすし、もう意味が判らないんですけど」


「いや、それを言ったら子供同士だから決闘なんて名ばかりの喧嘩になるはずなのに、なんでそんな本格的な事になってるって話だと思うけど」
 

「だからあの子が本気なんです。本気で決闘して、しかもラクト君を本気で勝たせるつもりだから、互いの実力差を考えて魔具が必須って本気で言ってるんですよ。その本気に釣られてラクト君も意地になってます」


 巫山戯ていたりラクトを馬鹿にしているならまだ落としどころがあるのかもしれないが、ケイスは徹頭徹尾全部を真剣に言っているから質が悪い。


「そりゃ最初魔具を使うってあの子が話した時、ちょっとほかのこと考えていて聞き流した私もあれですし、ラクト君もそんな高価な物が簡単に用意できるわけ無いって高くくってましたけど…………まさか購入資金稼ぐためにこんな無茶し始めるなんて思いもしませんでした」 


 くだを巻くルディアは魚フライを恨めしげに見ながらフォークでつつく。
 このフライに使われた魚は水棲の魚ではない。
 リトラセ砂漠に生息し砂の中を泳ぐ獰猛な肉食魚だ。
 そしてこの魚を捕ってきたのは他ならぬケイスだ。
 魚だけでない。
 他にもリトラセ砂漠に生息するトカゲやら、モグラやら食獣植物やら所謂迷宮モンスターがケイスに狩られて、その肉が乗員乗客の胃に収められている。
 その皮や爪、牙、骨は、最下級の特別区のモンスター故に低価格ではあるがそれでも僅かでも魔力を帯びているので商品価値はあり、ケイスはその稼ぎを魔具の購入資金へと当てるつもりのようだ。


「あーそれはあたしも悪いかも。ケイスがよく食べるから食材が足りなくなるかもって冗談で言ったら本気にしてたから」


 変な部分で生真面目すぎるケイスの前では下手な冗談も言えないとミズハも乾いた笑いを上げる。
 ケイスがよく食べるといってもせいぜい大人4,5人分。
 予備食材も十分あるので無くなることはないのだが、ケイスはその冗談を本気にしていたようだ。


「……まさか逆に冷蔵倉庫が一杯になるとは思わなかったけど。勿体なくて捨てられ無いけど。かといって食べきれないしどうしようか」


 ケイスの狩りが始まって3日。
 すでに乗員乗客全員が一月は余裕で食いつなげる食料が確保され、冷蔵倉庫にあふれんばかりとなっている。
 ミズハは試作し放題だと軽く考えているが、厨房の管理責任者であるセラギはこの先さらに増えるであろう食料をどう調理しようか、どこに置こうかと頭を悩ませている。


「あのバカはほんとに…………走行中の砂船から飛び降りて狩りにいって平然と戻ってくるって何の冗談ですか。蛇行して進んでいる所なら、直線で進めば追いつけるってどんな理屈ですか……もうなんか心配したり、怪我を気遣うのも馬鹿らしくなってきたんですけど、見た目は普通に年下の女の子だからどうしても心配になるんです」


「まぁ。ケイスだからね。諦めなって……っとご帰還かな」


 ルディアの愚痴を聞こうとは思ってみた物の、ここ数日で全員の共通認識になった言葉以外はかける言葉が見つからなかったミズハは、頭上から聞こえてきた物音と微かな振動に気づき天井を仰ぐ。
 おそらく甲板に斬り殺した獲物と捕獲したモンスターと一緒にケイスが降りてきたのだろう。
 この数日で日常の一コマとも化した音と振動。


「ちょっと行ってきます。これいくつかもらっていきますね。ほっとくと、また生肉を食べ始めそうなんで」


  狩ったばかりの獲物から切り取った肉どころか、場合によっては内臓までも部位によっては生で食べてもそれなりに旨いとまで宣う野性的というか悪食。
 寄生虫や変な病気に掛かりはしないかと心配する周囲をよそに、自分ならば虫くらい消化できるし病気に掛かっても闘気による身体能力強化で打ち消せるから問題無いとケイス本人は気にもしない。
 ケイスの気を変えようと思うならば、味で上回る料理を持ってくるしかない。 
 テーブルの上にあった料理を適当に皿にのせてルディアは席を立つ。
 ケイスが狩りに出ている間だけの短い小休憩はもう終わりだ。 


「ラクトも大変だけどあんたも大変だねぇ」


 人が良すぎるために余計な心労をしているルディアと、ケイスに絡んだが為に無茶苦茶な特訓を課せられているラクトを思いながら、ミズハは杯を傾けた。



[22387] 剣士と剣 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 01:22
 踏み台としたエイプキメラの最後の足掻きに不意を突かれぬよう、残心を残しつつもケイスは、次の狙いであるホークウルフへと意識を向ける。
 鷲の上半身と獅子の下半身を持つ魔獣グリフォンの亜種であるホークウルフは、リトラセ砂漠の近辺ではポピュラーなモンスターだ。
 大型犬ほどの体躯の背には大きな鷲の翼が生え、三対六肢のうち前足の先端は分厚い反しを生やす鷲のかぎ爪。
 中足と後ろ足は太い肉食獣の腿に砂上に合わせ進化した長い毛に覆われた幅広い足裏を持つ。
 この足を生かしてホークウルフは柔らかい砂の上を高速に駈る。
 さらにこの勢いのまま高く跳ぶことで、リトラセ砂漠に吹く強風を捕らえて彼らは宙に舞い上がる。
 もっとも特別区に出現する低位のホークウルフの飛翔能力は低く、自由自在に空を飛べる訳ではなく、長距離滑空がやっとといった所。
 だがそれでも地上を這うしかない獲物からすれば脅威。
 そんな彼らの武器は強靱な顎と口蓋にびっしりと生えた鋭い牙と、前足に生えた鷹の爪。
 この武器を持って獲物の頭上から襲いかかるのが彼らの狩りだ。
 だから地上にいる獲物相手はめっぽう強いが、逆に頭上と背後にはその狼の体と、巨大な翼が災いし死角が生じやすく、彼らより自由に空を飛べる鳥型モンスター相手には多少分が悪い。
 エイプキメラを踏み台にして空中でさらに跳び上がったケイスは、その死角であるホークウルフの頭上を取っていた。
 逃げていたはずのケイスが突如本性を現し牙を剥いた事にホークウルフは驚き戸惑っている。
 それ故にケイスが見せた予想外の縦の動きに反応できず、ほんの一瞬だがケイスの姿を視界から見失っていた。それこそがホークウルフの敗因。
 ここはすでにケイスの間合いだ。
 手を伸ばせば届くほどの距離。
 獲物であるホークウルフの頭部を逆さに見下ろしながら、拳骨がきしむ音をたてるほどに剣の柄を強く握りしめて剣へと闘気を注入。
 瞬く間に剣は重量を増しつつ硬化していく。
 新たに変化していく重心を捉えつつ、全身の細やかな動きを駆使して、ケイスはホークウルフを飛び越すはずだった空中軌道を無理矢理に弧を描くようにねじ曲げ落下体勢へと移行する。
 その狙いはホークウルフの背中。空をかけるための翼。
 視界に捉えた背の付け根めがけてケイスは渾身の力で刀身をたたき込む。


「ギャーオンッ!?」


 ホークウルフの苦悶の叫びが砂漠の空に響く。
 肉を押しつぶし、背骨を砕く感触を伝えてくる剣を携えてケイスはホークウルフの背中へと降り立った。
 翼を叩きつぶされた上、さらに小柄で軽いとはいえケイスの体重+重量を増す羽の剣の重さが加わりホークウルフは大きくバランスを崩して、眼下を走る砂船トラクの甲板へと向かって墜落していく。
 しかしまだホークウルフは絶命していない。
 野生の獣よりもさらに獰猛な笑みを浮かべながら追撃を開始する。
 剣に送る闘気を一時遮断。瞬時に軽くなった剣を素早く持ち上げ振りかぶってから、もう一度闘気を注入し重量化。
 狙いを定める。
 落下する生物の背の上など不安定な事この上ない。
 だが剣を握る以上自分は剣士だ。
 ならどこでも剣は振れる。
 振れなくてはならない。
 当然だ。
 ケイスはその暴虐的なまでに頑なにして強固な意思の元に、理屈や常識を超えて剣を繰り出す。
 狙い通りの軌道を描いた剣がホークウルフの首筋。その下に隠れた大きな動脈に牙を突き立てようとしたその直前、ケイスは左手に違和感を感じて舌打ちを漏らす。


「ちっ!」


 左手に握っていた剣がケイスの制御を離れ、急激に重量を増大させはじめていた。その増加量は先ほどまでの比では無い。
 闘気により身体能力強化を行っていても持ちきれない重さへと変化する前に、ケイスは剣速を無理矢理に上げる。
 限界を超えた過負荷に左腕の筋肉と骨がきしむ感覚を感じながらもケイスは剣を振り切った。
 硬度と切れ味を増した剣は、動脈を浅く凪斬るはずだったケイスの思惑を外れ、わらで出来た案山子の首のように、あっさりとホークウルフの首を切り飛ばしていた。
 

「むぅ!」


 傷口より噴き出した血流が顔を直撃し目に痛みが走る。
 嗅覚が生臭い血の臭いに染まる。
 ケイスは顔をしかめうめきを漏らし、反射的に瞼を閉じそうになりながらも何とか、意思で押さえる。
 目論見は違ったがホークウルフは殺した。
 しかし敵はもう一匹いる。
 敵の眼前で目をつむるような真似など出来るか。
 背中越しに伝わってくる獰猛な殺気を感じながら、握り占めていた柄からケイスはあっさりと手を離して無手となり、背後へと振り向く。
 振り返ったその視界は、臭気を伴う唾液を垂らすバジリスクの口蓋に埋め尽くされていた。
 口蓋にびっしりと並んだナイフのような歯はケイスの肉体へと容易く突き刺さり肉をかみ切る凶器。


 回避可能?

 不可。
 

 迎撃可能?


 可。

 
 生命危機に加速化した思考の中でケイスは最良の手を模索し、即座に決断し動く。 
 無手となった左手へと全身の闘気を注ぎ、その柔軟にして強靱な肉体を最大稼働させて無理矢理な体勢でホークウルフの背を蹴り、自らバジリスクの口蓋へと上半身を飛び込ませることで僅かな間を作り出す。
 バジリスクがその口を閉じる前に頭蓋に収まる脳へと向けてケイスは闘気を込めた抜き手の一撃で撃ちはなった。
 
 
 











 斜めに一刀両断されて上半身の猿と下半身の蛇に分かれたエイプキメラが臭気を伴う内蔵をまき散らしながら落ちる。
 羽を根元から切り潰された上に切断された首から鮮血をまき散らしながらホークウルフが落ちる。
 バジリスクと、その口から下半身だけを覗かせた少女が鋼鉄製の甲板に重い衝撃音を伴いながら落ちる。
 すぐ目の前を三者三様の有様でモンスターが落ちていった有様に、見張り台に立って動きを追っていたボイドはただ呆れかえり、何が起きていたのかすらも判断が付かないラクトは呆然と甲板に広がる地獄絵図を見ていた。
 斬り潰された獣の死体が散乱しているのもあれだが、一番正気を疑いたくなるのはやはりバジリスクだ。
 端から見ればケイスが、バジリスクに食われているようにしか見えない光景。
 だがどうにも早く助け出さなければと焦る気持ちになれない。
 ケイスがどのような状態でも戻ってきても、焦りも驚きも覚えないほどに、ここ数日の狩りで感覚が麻痺していたからだ。
 現にケイスはもぞもぞと動くと、痙攣するバジリスクの口蓋からその体を引き抜いて、平然と立ち上がった。


「むぅ。べたべたする」


 ホークウルフの返り血とバジリスクのべとついた唾液まみれになったケイスは、不機嫌そうに袖で顔をぬぐって落ちないことにさらに顔をしかめている。
 命が助かった事に安堵の息をはくでも、敵を倒した事に高揚を見せるでも無く、それが当たり前だという態度だ。


「子グマ。体を動かしておけよ。こいつの目が覚めたら私が説得するからそれから鍛錬開始だ。気を抜いた顔をしているな。怪我をするぞ」


いくらぬぐっても落ちないので諦めたのかケイスは血まみれのままで見張り台を見上げると、その先天的に偉そうな傲慢な口調で早く降りてこいとラクトを促した。


「あ……お、おう! お前に言われなくても判ってら!」


 ケイスの常識外の行動と戦闘力に呆気にとられていたラクトだったが、その人の神経を逆なでする物言いに正気を取り戻して、怒鳴るように返事を返して見張り台から降り始める。


「ラクト。頑張れよ」


 化け物じみた……というか正真正銘の化け物であるケイスの戦闘を間近に見ても、いまだ敵愾心を持つのだから、ラクトも気が座っているといえば座っているとボイドは感心気味に激励の声を送った。


「ボイド。剣はどこだ?」


 ケイスがホークウルフと共に落ちてきたはずの剣の所在を尋ねる。
 しかしその声はなぜか険しい。
 まるで親の敵の所在を尋ねるように怒りが込められていた。
一体ケイスが何に腹を立てているのか判らない、というよりも、ケイスの心情を完全に理解するのは無理だとボイドは諦めている。
 見た目は可憐な少女そのものだが、その中身は全くの別種。
 所謂化け物の類いだとボイドはここ数日で理解したからだ。
 妹のセラがケイスを普通じゃないと苦手とし、嫌がる理由も今なら理解できる。
 もっともケイス本人に悪意や害意があるかといわれると、それもまた微妙。
 なんというか基本的にこの化け物は傲岸不遜で傍若無人でありながら、無邪気でお人好しなのだ。
  

「そこだ。にしてもすげーなケイス。よくあれだけ動けるな」


 ボイドは少し離れた甲板に落ちていた剣を指さしつつ、呆れ交じりに賞賛を送る。
 ヴィオンのように自前の翼があるわけでないのに、ケイスは空中戦を一瞬とはいえ演じて見せるのだからこの感嘆も当然だろう。
 相手を踏み台とし高さを維持し、手足の振りと闘気剣による重心変化をもって軌道を無理矢理にねじ曲げる。
 非常識でかつ高難度の身体操作能力を持って行う空中近接戦闘は、天才故の技量を持ってして初めて成し遂げられる。
 近接戦闘を司る赤の迷宮を重点的に踏破しているボイドであったが、そのセンスは真似できそうにないと素直に脱帽するしかなかった。













「むぅ失敗を褒められても嬉しくない……………」 


 ケイスはボイドの言葉に眉をしかめ答えて、甲板の隅に落ちていた剣の元へと歩み寄る。
 その心は不満の極致で、ひたすらに不機嫌だった。
 相手の動きを全て自分の予想範囲内に止めて、状況を支配する。
 その速く異常な思考の所為で、他者からは本能任せの行き当たりばったりに剣を振っているように見えるかもしれないが、己を知り敵を知り、効率的な剣捌きによって勝ちをもぎ取る。それがケイスの基礎である。
 自己採点するならば今日の戦闘は、途中までは思惑通り進んでいた完璧な出来だったが、最後の最後で意図を外れ低評価となってしまった。
 血に汚れる事も、不快なバジリスクの唾液まみれになる事もケイスの計算の中にはない。
 このような無様をさらしてしまった原因はただ一つ。
 ボイドが指し示した場所に落ちていた羽の剣を拾い上げたケイスは、その釣り気味な目で、剣を強く睨み付ける。
 つい先ほどまでの鋼鉄の硬度と大岩のような重量感は消失して、また鳥の羽のような重さと柳の枝のようにしなる不思議な状態へと剣は戻っていた。
 剣のこの姿が余計に腹を立たせる。
 お前には自分を使える技量が無いと剣から馬鹿にされているように、ケイスは感じ取っていた。

 
 ケイスが借り受けている闘気剣。
 通称『羽の剣』には性質変化と重量加減という二つの能力が存在する。
 見た目だけならば長さもその厚さも通常のグレートソードクラスで、ケイスの身長とほぼ同じくらいだ。
 しかし明らかに金属の光沢と艶がある刀身なのに、使用者による闘気の注入が無い状態では、剣全体で計っても鳥の羽一枚分ほどの軽さしかない。
 刀身もまるで飴細工のようにグニャグニャと曲がり使い物にならず切れ味など皆無。
 まさに奇っ怪な品。
 だが一度闘気を送り込めば、刀身は硬質化し剣全体が重量を増し、重く固い大剣としての鈍器の強さと、剃刀のように鋭い刃が姿を現す。
 逆に闘気を遮断すれば剣は瞬く間に重さを無くし、ゴム板のようなグニャグニャと曲がる基本状態を取り戻す。
 闘気による硬度・重量変化。
 これが羽の剣の持つ最大の特徴であるが、同時に致命的な欠点でもあった。 
 送り込んだ闘気が一定の量もしくは時間を超えると、剣の質量加減と硬質化の変化量が不規則に変化するのだ。
 突如使用者が持ちきれないほどに重量を増したかと思えば、次の瞬間には霞を掴むような軽量へと変化する。
 打ち込んだ刃が途中で軟化しぐにゃりと曲がり跳ね返されたかと思えば、そこから再度硬化して使用者に跳ね返ってくる。
 己を剣士と定めるケイスすらもその不規則変化の法則を未だ把握できておらず、扱いに苦労していた。
 もっとも欠点の原因そのものについては、ケイスはその野性的な勘と、偏りながらも持ちうる武具知識で大まかな見当を付けている。
 闘気剣とは生体素材を用いて特殊能力を付与した剣だ。つまり迷宮モンスターの肉体が使われている。しかもこの剣を仕立てた鍛冶師は、名工揃いのドワーフたちの王国『エーグフォラン』の枝もしかすれば本筋かもしれない。
 エーグフォランの鍛冶師達は、生み出す武具に己が魂と素材となる者の魂を込める秘技を持ってして、世界に名をとどろかせる名剣、魔剣を無数に生み出してきた。その工法で作られたであろう、この『羽の剣』は魂を持ち生きている。
 この剣に宿る魂が、ケイスを使用者として認めていない。それどころか隙あらばケイスを葬り去ろうとしてくる。
 有り体に言えば、この『羽の剣』は呪いの剣だ。
 しかし呪われた剣であろうとも、剣士たる自分に使いこなせない剣があるなど許せない。
 それがケイスの怒りの原因だった。



「私の言うことを聞けといっただろ。私は類い希なる才をもつ剣士だ。その私が使ってやるのだ感謝して言う事を聞け。貴様が元はなんだったかなど私の知るところでは無い。だがお前がそういう態度ならこっちにだって考えはあるぞ」


 剣へと語りかけ始めたケイスは傲岸不遜な恨み言をこぼしていたが、言っているだけでは我慢できなくなり、そのまま刀身へ噛みつきがじがじと歯を立てる。
 まるで犬が上下関係を決めるかのようなその姿は野生の獣。
 黙っていれば花も恥じらう美少女といえるケイスなのだからギャップが激しすぎる。
巫山戯ているとか八つ当たりならまだ良いのだが、ケイスは真剣そのものだ。
 剣にすら自分の我を通せると信じてやまない。 


「いいふぁ。わたふぃをふぇったいみとめふぁふぇてふぁるふぁらな」


 凍えていた体を動かす準備体操を始めていたラクトや、倒れ込んで気絶したままのバジリスクを監視していたボイドも、剣相手に喧嘩を始めだしたケイスにさすがにかける言葉が思いつかないのかあきれ顔を浮かべている。
 しばらく剣を噛んでいたケイスだったが、その腹がきゅーっと鳴って空腹を訴えた。
 どうやら剣に噛みついて咀嚼行為をしているうちに刺激を受けた体が、空腹を訴えだしたようだ。
 一度空腹に気づくと、どうにも我慢が出来ない。
 ましてや戦闘を終えたばかりな所に、全身に付着したホークウルフの血がケイスの肉食獣的本能を刺激して肉を求める。
 剣から口を離したケイスは立ち上がると、甲板に散らばったままのエイプキメラとホークウルフを一瞥する。
 先ほどまで温かい血煙の蒸気を立てていた二匹の死体は、極寒の砂漠に急速に熱を奪われて冷えて固まりだしている。


「ふむ……猿と狼。どっちが美味しいんだろう……なぁボイド! 狼と猿どちらの心臓が生で食べるなら美味いんだ?!」


「いや、食った事ねぇし。っていうか食うなよ、不味いだろ」


「そうか? 私は好きなんだがな」


 自分の志向が異常だとは微塵も思っていないケイスは完全に冷え固まる前に切り出して食べ比べして見ようかと考えていたが、新たな気配を感じて背後を振り返る。
  

「…………あんたねぇ。お腹がすいてるからって、いくら何でもその選択肢はないでしょ」


 いつの間にやら甲板へと出てきていたルディアが、ボイドに問いかけた声を聞いて頭痛を覚えたのかこめかみを押さえながら注意する。


「ルディか。しょうが無いだろ。ラクトの鍛錬を見なければならないから甲板から離れるわけには行かないんだ」
 

「……はいこれ。顔と手ぐらい拭きなさい。あとミズハさんから料理をもらってきたから、食べるならこっち食べなさい」


 ルディアはタオルをケイスへと投げ渡すと、料理が盛られたプレートを掲げて見せた。
 皿に盛られた肉料理のほどよい香辛料の香りがケイスの鼻腔をくすぐる。
 

「ん……ん。そっちにする。やっぱりルディは良い奴だ。ありがと。だから好きだぞ」


 少し考えてからケイスは料理を持ってきてくれたルディアに対して、好意だけをこめた無邪気な笑顔を浮かべて礼をいう。


「血まみれな顔で好きだって言われると、なんかあたしが好物みたいだから嫌なんだけど」


 ケイスが浮かべるあけすけな笑顔に対して、ルディアはここ数日で何百回目になるか判らないため息で答えた。



























 ちょっと他を書いていたら遅れましたが、こちらもぼちぼちと参ります



[22387] 剣士と少年 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2014/11/08 03:01
 自分はどうしたのだろう?
 朦朧とした意識の中で覚醒した彼は漠然と考える。
 頭の先から尾っぽの先まで体全体が痛い。
 なぜだ……何をしていた? 
 どうしても思い出せない。
 意識を失う前の記憶を思いだすためにも、周囲を確認しようと石のように重い瞼を開こうとし、


『ん。目を覚ましたか。もう少し早く目を覚ませ。ずいぶん待たされたではないか。あと暴れるなよ。暴れたらそのまま脳味噌を引きずり出すぞ』


 全身を切り裂くような強烈な殺気が彼の全身を捉える。
 思い出す。一瞬で思い出す。
 この狂気に満ちた殺気を放つ存在を。
 圧倒的な存在を。
 世に君臨する暴虐者。
 全ての生物の天敵。
 龍だ!
 龍がいる!
 殺される! 
 自分は食われる!
 残虐なこの龍に!
 恐怖で硬直した身体は小刻みに痙攣するばかりで逃げ出すことも出来ず、恐ろしさ故に閉じた瞼を開くことすら出来ない。 
 

『怯えなくても良い。幸いなことに今の私はさほど空腹ではない。むしろお腹が一杯で機嫌が良い。だから貴様が私に襲いかかった事は許してやろう』


 龍が放つ殺気が若干和らぎうなり声もゆったりとした物へと変わる。
 種族的には下等魔獸に属する彼には龍の言葉は判らない。
 だが彼の種族が持つ傲慢さは、言葉を理解できない生物にすらも己の意思を通達する。
 生まれついての暴虐なる王。
 それが龍だ。


『だから貴様は私に感謝して協力する義務がある。何そう難しくない。私が指定した者の実戦稽古の相手を務めて貰うだけだ。ただし殺すな。大きな怪我をさせるな。しかし本気で襲え。良いな。約束だぞ。破ったらお前も私のご飯にするから死ぬ気でやれ……理解したか? 了承したのなら尾を振れ』


 それは提案でも取引でもない。
 すでに決定事項だと告げる。
 その傲慢で無理難題をいう暴君に対して、屈服した彼は弱々しく尻尾を振るしかなかった




 

  


「迷宮モンスターに同情するようになる日が来るなんて思わなかったわ……」


 雨に濡れた子犬のようにプルプルと震えながら尻尾を振るバジリスクを見て、ルディアは何ともやるせない気分になる。 
 巨大な蜥蜴の化け物であるバジリスク相手に、脅迫で無理難題を突きつける。
 突っ込み所が多すぎて何から言えば良いのやら判らず、ルディアは頭痛を覚えるしかない。


「肉体言語で恫喝を成立させてんなケイス」


 ルディアが持ってきた当直者用の保温ボトルに入ったホットワインをちびちびと飲むボイドも、あり得ないケイスの行動にあきれ顔だ。
 どうやったら、そういう常識外れの巫山戯た真似が出来るのか理解できずにいる周囲に対して、当の本人はバジリスクの額に当てていた手を離して振り返るとしれっとした顔を浮かべる。


「そう難しいことではないぞ。言葉の通じぬ動物が相手でも心を込めればわかり合えるものだと私の従姉妹もよく言っていたからな。昔から噛み癖のある飛り……犬を殴り倒して躾けたりもしたからな。慣れている。問題無い」 


 出来て当然。
 何を当たり前のことをとでも言いたげにケイスは返す。
 しかしその従姉妹は愛情を込めろという世間一般的な常識を言ったのだが、この化け物の場合はそれが殺気になっている辺りがらしいといえばらしい。


「ちょっと待ちなさいあんた。今飛竜って…………いい何でも無い。いくら何でもそれは無いからいい。犬ね。犬」


 ケイスがなにやら口を滑らせかけて慌てて言い直したかのように見えたのは、おそらく自分の幻覚幻聴の類いだろうとルディアは自らを無理矢理納得させる。
 ただでさえ頭がくらくらしているところに、これ以上詰め込まれたら発狂しかねない。 見なかったことにする。
 気にしない。
 そして忘れる。
 これがルディアが見いだしたケイスとの基本的な接し方だ。


「うむ。犬だ……さて時間が惜しい。こいつも承諾したことだし早速稽古を始めるぞ。子グマ準備は良いな。ヴィオン。付与は強めで頼むぞ。この蜥蜴はなかなか力が強い。弱い付与では子グマの華奢な体格では吹き飛ばされる」


 頭を抱えているルディアに犬を強調して返したケイスは、準備運動を終えて身の丈の倍ほどある棍を手に待機していたラクトと、その棍の先端へと魔術触媒あぶって作った炭を付けた指先で文字を描いて衝撃吸収型の防御魔術効果を付与させているヴィオンへと視線を移す。


「ぐっ。俺よりちびのお前に華奢って言われたくねぇよ、とことんむかつく奴だな」


 同年代の友人の中では大柄で、家業の手伝いで重い武器も運んだりするので体格が良いラクトが華奢だと言われたのは初めての事だ。
 そんな評価を下したのが、ラクトと比べて頭2つ分は背が低く、腕の太さでも半分くらいの年下の少女なのだから腹が立つ。
 しかしモンスターを一刀両断してのける馬鹿げた膂力を持つケイスからすれば、華奢だと言われても仕方ないのかもしれないと心の片隅で冷静に思う部分もあり、どうにもやり場の無い怒りをラクトが抱くのは無理も無いだろう。


「ラクトあんまり苛立つなって。ありゃ素で言ってるだけで悪意無しだからよ。っとこんなもんだな。いいぞ。棍に吸収。あと全身にシールドの付与防御もかけた。これなら怪我する心配も無いから見切りに集中できるだろ。んじゃボイドお仕事再開といこうぜ」
   

 手を軽くはたいて指先の触媒を払い落としてラクトにかけた付与魔術の出来を確認していたヴィオンが問題なしだと太鼓判を押した。


「おう。俺達は見張りに戻るがあんまり無茶させるなよケイス。ルディア。悪いが手綱を頼むぞ」
 

「簡単に言われても困るんですけど」


 軽い口調でホットワインのボトルと共に難題を押しつけてきたボイドに対して、ルディアはどうしろとため息混じりで疲れた表情を浮かべる。


「ん。二人とも心配するな。決闘前に怪我をさせるわけがないだろ」


「お前の場合は無茶の基準が違いすぎるからじゃねぇの。まぁ俺の防御魔術もあるから大丈夫だろ」


 防寒手袋をはめ直したヴィオンがケイスに軽く突っ込んでから、背の翼を一度揺すって大きく羽ばたかせて宙へと浮かび上がる。
 この時間のヴィオンの役割はその機動力を生かした空中からの周辺警戒。
 今は一時的な休憩という名目で戻ってきただけなので、あまり油を売っている暇もない。


「手間をかけたな。礼を言うぞヴィオン。ありがとうだ。それとこいつを頼む。もう少し稼いでおきたいから、稽古が済んで蜥蜴を放したらついでにもう一度狩りにいってくる」


 快活な笑みを浮かべたケイスはちょこんと頭を下げて礼を言ったあと、足下に置いていた剣を左手で掴むと空中のヴィオンに向かって放って投げ渡した。


「っと。オッケ。空中で待機しとく。投げ落とすのはさっきくらいのタイミングで良いな?」


「うむ。最良とまでは言わないが十分合格点のタイミングだ。お前は腕の良い探索者だな」


「そりゃどうも。ラクト頑張れよ」


 どこまでも上から目線だが、本人的には最上級だろう褒め言葉にヴィオンは肩をすくめると、ラクトへと一声かけてから渡された剣を手に漆黒の空へとその翼を羽ばたかせて上がっていった。













 息を整える。
 体の芯まで凍えそうになる極寒の大気は、砂よけと防寒をかねた口元を追い隠す覆面越しでもなお冷たい。
 冷えた空気は動きを鈍くする。
 だから浅く少なく。
 最小限の呼吸で荒れた息を整える。
 稽古が始まってどのくらいが経っただろう。
 気の抜けない緊張感は時間を飴のように引き延ばして、時間感覚を曖昧にする。
 野生の獣を前にする緊張感からか、この極低温状態でも外套の下の身体はうっすらと汗をかき、心臓は早鐘のように音をたて相対するだけで疲労が加速度的に増していく。


『獲物からは目をそらすな。ただし一点を見て視野を狭くしないで、全体を見るようにしとけ』


 己の背丈を大きく上回るバジリスクを真正面に見据えるラクトは、ボイドから教わった大型の生物と戦うときのアドバイスを心の中で思いだしながら意識を集中させ続ける。
 ケイスが課した稽古は、攻撃してくるバジリスクにたいして、ラクトは攻撃をせず受けに専念して、バジリスクからの攻撃を防御するか避け続けろというものだ。
 単純な稽古だが、相手は最下級に分類されるとはいえ迷宮モンスター。
 そのプレッシャーがラクトの精神力をじわじわと削っていく。
 ラクトが5度目の息を吸った瞬間、バジリスクの左前足がぴくりと動き、同時に鋭い風切り音が響いた。
 動きと音を認識した瞬間、ラクトは後ろに下がりながら視界を確保し、左前足を支点に身体をひねったバジリスクが大きく振りかぶった尾をその目に捉える。
 人の骨など一瞬で砕き絶命させるほどの威力があるその攻撃に、身が竦みそうになるが、まだ防御は間に合う。
 呼吸を一瞬早くしたラクトは、ケイスからここに力を込めろと殴られ未だにひりひりと痛む丹田へと力を込め、肉体強化の力をもつ闘気を生みだし、身体機能を一時的に上げて、予測線上へと棍の先端を合わせた。
 圧倒的な質量を持っているはずのバジリスクの太い尾が、ラクトが差し出した棍の先端で音もたてずにピタリと止まった。
 ヴィオンによって付与された衝撃吸収の陣が、風切り音を立てて迫っていた尾の勢いを完全に吸収しており、棍を握るラクトには一切の圧力は伝わってこない。
 しかし棍棒のような重い一撃を止めても息を抜く暇は無い。
 尾を止められたと気づいたバジリスクは即座に次の行動に移る。
 先ほど軸足に使った左前足を今度は尾を振った反動を使いラクトの右側から地を這うように繰り出していた。
 ラクトはまたも一歩下がりつつ間合いを開けつつ、棍を今度は左足の前へと動かしその攻撃がトップスピードに乗る前に出鼻を抑える事で防ぐ。
 だがバジリスクも負けてはいない。攻撃を止めるために足が止まったラクトに向け、今度はその鋭い牙で直接攻撃を加えようと頭を大きく振ると、口を大きく開き噛みつこうと牙を光らせた。


「ふっ!」


 ラクトは息を吐きつつその顎下に向け棍を蹴り上げてまたも動きを止め、バジリスクが蹈鞴を踏んだ隙に仕切り直しとばかりに後ろに下がって距離を取った。






「へぇ……ラクト君。それなりに防いでるわね。さっきはまともにやられた三連撃を今度は防いだし」


 後方に下がりながらバジリスクの攻撃を防いでいるラクトを見て、ルディアは感嘆の声をあげる。
 多少危なっかしい所はあるが、それでもバジリスクの攻撃パターンを自分なりに覚え回避や防御を創意工夫しており、一撃一撃がちゃんと見えていると感じさせる動きだ。


「当然だ。私が教えているのだからな」


 なにやらやたらと嬉しそう笑顔を浮かべてケイスが頷く。
 これでラクトが善戦しているのを喜んでいるなら可愛げの一つもあるのだろうが、ケイスの場合は違うとルディアは断言できる。
 怪我をしないかと多少心配を覚えつつ監視しているルディアに比べて、そのラクトを指導しているはずのケイスは実に物騒かつ暢気な笑顔で先ほど自分が狩ってきた他の二匹のモンスターを捌く方にその意識の大半を向けていた。
 自分で取ってきた獲物を解体するのが楽しくして仕方ないらしく、血抜きを行い腹を割いて内蔵を抜きおわったモンスターを、ケイスは左手に握った小型ナイフ一本で解体している。
 包帯でぐるぐる巻きになり右手が使えない状態にありながら、どこに刃を当てれば関節を外しやすく、肉と骨が切り分けられると判っているのか、その捌く速度は圧巻の一言だ。
 あっという間にエイプキメラを捌き終わると、次は成牛ほどもあるホークウルフに取りかかり、毛皮を綺麗に剥がし無数の肉塊と骨へと解体して、木の桶へと無造作に放り込んでいく。
 吐く息も凍るほどの低気温の所為で放り込んだ先から肉が凍っていくので、あまり臭みや血の臭いがしないのがありがたい。
 

「はいはい。ところでさ、聞きたいんだけど。アレでホントにラクト君あんたに勝てるの? 闘気の制御法教えたあとは防御練習ばかりじゃ無い。避けきったら勝ちとかじゃないんでしょ」


 いつも通りと言えばいつも通りな自信過剰なケイスの言葉は適当に流しつつ、ルディアはここ数日気になっていたことを尋ねる。
 ケイスがラクトに教えたのは、ケイスが使うという丹田を意識した基本的な闘気生成とその基本的な使い方。
 あとはひたすらモンスターを狩ってきたついでに行う”説得”したモンスターからの攻撃を防ぐ実戦防御訓練ばかりだ。
 どう動けとか、こうきたらこうしろ等の型や理屈などない。
 ただひたすらに実戦でやり合って戦い方は自分で判断しろという、放置主義的な教え方だ。
 確かにここ数日だけでもラクトの動きは良くなっているし、ヴィオンによる付与魔術で大きな怪我も無く、さらに間接的にではあるが付与魔術の掛かった武器を使うことで魔具の扱い方の練習ともなっている。
 だがケイスとラクトが行うのは決闘。
 なのに攻撃手段を教えようとする素振りは、ケイスからは一切見られなかった。

 
「ふむ。ルディの疑問はもっともだ。だが私が思いつく限りで、子グマが私から一番の勝率を得るための戦い方を教えているのは間違いないぞ」


「勝率ね。どーすんのよ。実際の所は」


 あまりに自信満々にいうが、どうにもケイスの場合常識外れな計算がその根本にありそうで、ルディアの目は不審げだ。


「うむ。子グマは認めたがらないが、現状の私と子グマの間の戦闘能力の差は天と地ほどの開きもある。だから正攻法。つまり真正面からの剣の打ち合いではまず勝負にならん。そこで子グマが私に勝る部分で勝負をかける。ここまでは良いか?」


「まぁ……そりゃね。確かにあんたとラクト君の差はそれくらいあるだろうし、言ってることには一理あるわよ。でもあんたにラクト君が勝ってる部分ってなによ。前に言ってた魔力生成能力が皆無ってのは確かに弱点だけど、遠距離から攻撃魔術付与の杖やらスクロール連発って言わないでしょうね」


「それは実戦ならば一番有効な手段だが、あくまでも剣による効果的な一撃を先に叩き込んだ方の勝ちというルールでやるつもりだ。子グマもそれを望んでいるだろう。しかし先ほども言ったとおり、私と子グマの差を鑑みて魔具は必須だろう。子グマが卑怯者の誹りを受けないように攻撃系の類いは一切禁止とし、補助および妨害系の魔具のみ使用可とルールをしっかり明文化するつもりだ……っと。むぅはねた」


「防御系魔術を使った特訓は、魔術効果にならす為ってのは判るけど、付け焼き刃でどうこうなるとは思えないんだけど。あーもうこら。袖でぬぐうな。元から汚れてるから広がるだけでしょ。ほらこっち向く」


 頬についた汚れた袖口でぬぐおうとしたケイスを止めて、懐からハンカチを取り出しながら続きを促す。


「ん。頼む……確かに魔具だけでは勝ち目は薄い。だが私よりもあいつの方が体力があるからな。魔具を使い持久戦に持ち込めば奴の勝ち目が跳ね上がるぞ」


「…………………一つ聞きたいんだけど。誰が誰より体力があるってのよ」


 頬を拭くハンカチにくすぐったそうな顔を浮かべていたケイスが、力強く断言した言葉にルディアは何かの聞き間違いではないだろうかと思わず自分の耳を疑う。
 ラクトがあのバジリスクとの戦闘訓練を開始して、すでに20分くらいは経つだろうか。その間は常に動き続け、何とか攻撃を防ぎ躱していた。
 最初に同じような訓練をした数日前は、バジリスクよりも、もっと小さな一角サンドシープ相手に5分くらいでバテていたのだから、効率的に身体を動かすコツなどを会得しつつあるのだろう。
 ルディアから見てもラクトは、まだ子供と言って良い年齢にしては身体を動かせているし、体力もあるとは思う。
 だが比べる相手がケイスとなれば話は別だ。
 極寒の砂漠を誘い出したモンスター達を引き連れ走り回って、馬よりも早く砂漠を駈ける砂船に追いつき、さらにはモンスター達を鎧袖一触空中で斬り殺す。
 無茶苦茶を通り越して異常な化け物を相手に、誰がラクトの方が体力があると自信満々に言い切れるだろうか。


「子グマが私よりだ。当然だろう。あいつは男でしかも私より年上だ。闘気にしろ魔力にしろ大本は生命力。簡単に言えば体力だ。か細い私と子グマを見比べてみればその差は一目瞭然だろ」


 だがケイスは違った。
 自分の身体を見てさらに袖を捲って年相応とも言えるその細い腕を見せた。
 ほっそりとしたきめ細かいつるっとした肌は苦労を知らない貴族のように白いが、その手に解体したばかりのホークウルフの後ろ足を軽々と持っているのだから説得力という言葉は皆無だ。
  

「あんた見てると底なしの体力って言葉しか出てこないんだけど」


「そうか? 私は体力そのものは少ないぞ。だからすぐにお腹が空くんだ。ただ回復力や消化吸収を闘気による身体強化で上げているから、食べるものさえあれば少しはマシだがな。先ほどルディが持ってきた料理の量なら10分あれば消化吸収して体力回復ができるぞ」


「……どんだけ無茶苦茶よあんたの体」


「闘気で内臓強化をするコツが掴めればすぐに出来るぞ」


 これが冗談で言っているなら軽く流すところだが、ルディアの言葉にケイスがきょとんとして真顔を浮かべている所を見ると徹頭徹尾本気の発言のようだ。


「ともかくラクト君があんたに勝つには、魔具を駆使して攻撃を回避して防御した末の体力切れを待てって事?」


「そうだ。今の子グマの力量で私から勝ちを得るには、それが一番勝率が高い。だから闘気変換の細かな操作と、長時間戦うための力配分を覚えるため。そして勝負度胸を付けさせるためにモンスターとやらせている……よしこちらも終わったぞ。また石を見つけたぞ」


 話している間にホークウルフも解体し終えていたケイスは左手のナイフについた血と油を外套の端でぬぐって落としてから、その手に握っていた小指の爪先半分ほどの小さな赤い石をルディアに見せた。


「天然物の転血石って、あんまり取れないって話なんだけど、どうしてそんな毎回毎回出てくるのよ」


 血肉に魔力を宿す迷宮モンスター。
 モンスターの中には魔力が凝縮、物質化したものをその心臓や血管に宿す者がおりそれが転血石と呼ばれる。
 その転血石は魔具等の動力源として太古の昔より重宝されており、一昔前までは1000匹狩って一つ取れれば上出来といったところで、下級モンスターの物でも高額で取引されていた。
 現在は魔導技術研究の発展により、大量に集めた迷宮モンスターの血肉から凝縮して製造する人造転血石技術が確立されており、低精錬の物ならばかなりの格安となっている。
 ケイスの手にある石も特別区のモンスターから取り出されたものなので内蔵魔力は低く、取引値段も安い方だが、それでも天然物と言うこともあり混ざりっ気のない純度が高い天然転血石は加工がしやすいので、共通金貨で2枚くらいにはなるだろう。
 ケイスがしゃかりきになってモンスターを狩っているのは、自分の食い扶持は自分で稼ぐというのもあるのだろうが、この転血石を目当ての一つとしているからだ。
 この転血石の売却費で、決闘用の魔具を揃えるというのがケイスの基本方針とのことだ。


「ん~……すまん。ちょっとしたコツがあるんだが教えられない許してくれ」

 
 最初はいくらモンスターを狩ろうとも天然物の転血石など早々取れる物では無いと、ルディアを含め誰もがケイスの楽観的な考えを疑問視していたのだが、ケイスは狩ってきたモンスターの8割強くらいから転血石を見つけ出している。
 ここまで来ると運が良いとかの類いではなく、なんらかの手段や転血石を宿すモンスターの見分け方があるのかもしれないが、ケイスはこれについては黙っている。
 やたらと人懐っこい部分があるかと思えば、実に謎めいている部分の方が数多い。
 それがケイスという少女だ。 


「まぁ良いけど。それよりラクト君の方そろそろいいんじゃない。倒れる前に止めさせて限界をおしえるんでしょ」

 
 自分の氏素性など肝心なことになると口が堅いケイスに、これ以上は尋ねても無駄だと割り切っているルディアは追求はせず本来の目的であるラクトの方を指さす。
 少し疲れてきたのか、最初の方よりも若干だがラクトの動きが鈍くなってきた。
 防御魔術が施されているので大けがの心配はないだろうが、それよりも体力を使い果たしたラクトがまた倒れる可能性の方が心配だ。
 

「ふむ……そうだな。じゃあそろそろ止めてくる。ルディは子グマの疲労回復やストレッチをやりつつ、そろそろ基本的な魔具の使い方や残量魔力の見方について教えてやってくれ」


「あんたナチュラルに人使い荒いわね。あたしも魔具はあんまり詳しくないから基本的な護身用みたいな物しか判らないわよ」

 
 医師のまねごと以外にもいろいろ仕事は増えている気もするが、基本手が空いているのと、どうにも世話焼き名部分があるルディアは嫌々ながらも承諾の返事を返した。


「ん。助かる。あとついでにこれをセラギ達を呼んで運んで貰ってくれ。石の方はいつも通りファンリアに渡して洗浄を頼んでくれ。私は蜥蜴を解放したらもう少し狩りにいってくる」


 捌いた肉や皮の入った桶を指さして次いで転血石をルディアに投げ渡したケイスは、無造作にとことこと歩むと鍛錬をする一人と一匹の間に入り込んでいく。 
 ラクトの方はともかく、バジリスクの鋭い爪や牙は簡単にケイスを切り裂きそうな物で危ないことこの上ないのだが、


「よし! そこまで。今日はここまでだ」


 左手でラクトの棍を抑えて動きを止め、バジリスクの方はその少し釣り気味の目でギロリと睨んで一瞬で硬直させた。


「はぁ……はぁ。邪魔すんな。まだ俺はやれるっ!?」


 まだ大丈夫だと言いかけていたラクトの懐に飛び込んだケイスが、その左手を無造作に叩き込んだ。
 あまり力が入っていないようにも見えたケイスの一撃は、防御魔術を易々と素通りしてラクトの鳩尾へと衝撃を与える。
 一瞬で呼吸困難になったラクトの膝からは力が抜けて甲板にへたり込む。 


「お、おま……い、いきなり……なにしやがる……んだよ」


「私が終わりといえば終わりだ。それについてはお前と議論する気はないぞ。ではルディ。子グマを頼むぞ」


 咳き込むラクトを不機嫌そうに睨み付けたケイスは、その襟首をがっちりと掴んでから左手一本でルディアの方へと投げ渡すと、顔を上に上げ甲板の上の見張り台へと目を向ける。
 そこでは眼下のやり取りをおもしろそうな顔で見物していたボイドがいた。
  

「ボイド! また狩りに出かけるから頼むぞ!」


「おう! ケイスも気をつけろよ! あと通信魔具忘れるなよ。連絡がとれなくなったら置いてくからな」 


「安心しろ! 私なら無手でも何とかこの砂漠を越えられるからあ、とで合流する! よし。そこのお前ついてこい!」


 ボイドの冗談にまじめくさった顔で答えたケイスは、首元の通信魔具を確認してからバジリスクに手招きするように合図を送ると左甲板へと立ち、巡航速力で砂漠を駈けている砂船の甲板からなんの躊躇もなく飛び降りていった。
 地面までは物見塔5階分以上の高さがあるだろうが、なんのお構いも無しだ。
 ケイスの行動にモンスターであるバジリスクですら一瞬呆気にとられたのか呆然と見送っていたが、すぐにその身体をどたどたと動かして、ケイスの後を追って甲板から飛び出した。  
 なにやら必死さを感じるのは遅れたら殺されるとでも思ったからだろうか。


「あ、あんにゃろ……絶対……勝ってやる」


 ケイスの一方的なペースに翻弄されているラクトが強かに打たれた鳩尾を押さえながら息も絶え絶えという様子で、ケイスの姿が消えた甲板を睨み付ける。
 その様子にルディアはあと1週間ほどしかないのに本当にラクトがケイスに勝てるのだろかと大いに疑問を抱く。
 確かにラクトはその鍛錬をみていると、飲み込みも早く体力も同年代の少年に比べてあるだろう。
 だがいかんせん相手が悪すぎる。
 どうにもラクトが勝つイメージが起きないのだが、こればかりはしょうが無いだろう。


「大丈夫ラクト君。ちょっと休憩してからにする? 基本的な魔具の使い方から教えろってあの子は言ってたけど」


「わりぃ……ルディア姉ちゃん。それで頼む……でも魔具の使い方ついでに一つ教えて欲しい技術がある。ケイスの鼻を明かすような事したいんだ」


 ルディアの問いかけに甲板に座り込むラクトは顔を上げて答える。
 

「あの子の鼻を明かす。何する気?」


「このままケイスの言いなりでやって勝ってもちっとも嬉しくねぇ。せめて一つだけでもあいつが予想してない事したい。だから………………」


 おそらくケイスに一矢でも報いられる手をずっと考えていたのだろう。
 ラクトの案はケイスの案と同じくこの短期間で覚えるのはかなり無茶の物だったが、それが故に、さすがのケイスも予想外だろうとルディアにも勝算があると感じられる物だった。



[22387] 剣士と探索者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2015/03/06 02:08
 砂船の狭い甲板上。
 装甲として張られた鉄板が、休む事無く甲高い音をたてて鳴り響く。
 タップを踏むかのように、小刻みに音を奏でるのは一つの影。
 コインほどの大きさで術式を含み立て続けに飛来する光弾を避けながら、影は縦横無尽に動く。
 行く手を遮る光弾を避けるために右に跳ねたかと思えば、即座に左に切り返し追撃のタイミングをずらす。
 広角にばらまかれた光弾の網を、身をかがめ甲板すれすれを滑ってくぐり抜け、さらには甲板に出来た僅かな凹凸に引っかけた左手の小指だけでピタと停まる。
 影の動きが止まった瞬間に、仕留めようと四方八方から一気呵成に光弾が迫るが、


「とっ! ふむ。なかなか良いな。冷やっとしたぞ!」


 激しい攻撃に対してなぜか嬉しそうに頷きながら、その影は引っかけた一本の指の力だけで空中に高く跳び上がって回避して見せた。
 いくら小柄で軽いといえど、その小枝のように細い小指だけで全体重を支え、さらには身長の数倍まで高さに跳び上がる様は、肉体強化の力である『闘気』による身体能力強化だと判っていても、質の悪い冗談のような光景だ。
 見た目は幼い美少女でありながら、心身ともに規格外の化け物と表現するのが一番しっくりくるケイスに、砂船トライセルの護衛であり下級探索者でもある魔術師セラ・クライシスは大苦戦を強いられていた。
『拘束』『鈍化』などの足止め目的の妨害魔術を含めた光弾を連射しているのだが、勘が驚異的に良いのか、それとも動体視力が異常なのか、あるいは両方ずば抜けているのだろうか。
 紙一重で交わすくらいならまだかわいい物。
 飛来する弾幕のそれぞれの僅かな速度差や角度を読み切って、隙間をすり抜けるという化け物じみた回避には、薄ら寒さを覚えるほどだ。


「っこの! 射! 射! 射!」


 セラの簡易詠唱と共に構えた魔術杖の先端に埋め込まれた結晶体から、空中のケイスに向かって光弾が飛ぶ。
 簡易詠唱のため操作性は皆無でただまっすぐ進むだけだが、その分消費する魔力と触媒は少なく連射も可能と、小型で素早い生物相手のオーソドックスな術式とやり方だ。
 だがケイスにはそのセオリーが全く通用しない。
 セラが動いて囲むように術を撃ち放ってもヒラヒラと躱し続け、何とか追い込んで逃げ場の無い空中に跳ばせても、軟体生物かと見間違えるほどの柔軟性で空中でその軌道すら変えて、光弾を躱して甲板へと着地してみせるのだ。
 指一本、髪の毛一本にでも光弾が掠りさえすれば、中に含んだ拘束魔術の効果で、魔力生成障害体質故に魔力を持たないケイスを容易く魔術の網に捉える事が出来る。
 直撃などいらない。掠めるだけ。
 だがその安易な条件でも、今のケイスに攻撃を当てれるビジョンがセラには浮かばない
 いくら少ないとはいえ掠りもしない攻撃に用いる触媒に守銭奴なセラは胃の痛さを覚えるが、その手を休める事はできない。
 攻撃を緩めた瞬間、ケイスはこちらの首を一瞬で取りに来る。
 連発する魔術がかろうじて、この常識外の化け物の接近を拒み、距離を保っているとセラの探索者としての勘が警鐘を鳴らし続けていた。
 傍目にはケイスは逃げ回るのが精一杯で一定距離以上セラに近づけていないのだから、普通に考えればセラの方が優勢だと思えるのだが、状況はまるで逆。
 逃げ回るだけのケイスが、一方的に攻撃を続けるセラを追い詰めているようにしかみえないという奇妙な状況になっている。


「こりゃ素じゃ当たらないだろ」


「かもな。でもなかなか良い感じになってるじゃねぇ? ほれ。お嬢の場合、訓練の時は無駄弾を打たないように最低限以上はケチるだろ。今回は牽制もちゃんと使って遠ざけてるし」

 
 当たらず勝ち目がまだ見えてこない焦燥感に煽られるセラとは対照的に、パーティメンバーである兄とその幼なじみは暢気な物で、厨房から持ってきた火酒の丁度良いつまみになる余興程度にしか思っていないのか、野次馬じみた発言をしていた。
 
 
「うっさい! 兄貴とヴィオン!」


 一瞬でも油断すれば負けかねないケイスから目を離さずセラは怒鳴りつつ、その怒りの声すらも詠唱とする。
 魔術とは型があってないような物。
 魔力を己が望む形に形成し、世界を変える理とする。それが魔術の基本にして究極の姿だ。
 怒りの声をトリガーとして紡がれた詠唱が、コインほどの大きさで撃ち放たれる光弾が無数に飛び、最後の一発だけが拳ほどに膨れあがり一直線にケイスに向かって飛ぶ。
 紙一重で避けられ掠らないならば、周囲を覆うようにしたうえに本命の一撃で決める腹づもりだろうか。
 逃げ場所を奪おうと迫る光弾の雨を前にケイスは一瞬足を止める。
 それは時間にすれば刹那の瞬間。
 だがその一瞬で戦闘に特化した頭脳は反応し、光弾に纏わり付く魔術文字と、セラの魔術杖の結晶体に浮かぶ魔法陣を見据え、持ち合わせる魔術知識と過去の経験を照らし合わせ、その真意を見抜く。
 見て、考えて、動く。
 言葉にすれば単純な三つの行動をほぼ同時に超高速で繰り返す事でケイスは、その回避能力を得ている。
 ケイスが即時に選んだのは、その猪突猛進な性格そのままの前に進むというシンプルな物だ。
 倒れ込むような前傾姿勢で高らかに甲板を打ち鳴らしてケイスが光弾の雨に自ら突っ込んだ瞬間、本命と思われていた拳大の光弾がはじけ飛び、無数の光弾に分散する。
 セラの狙い。
 それはおとりの散弾をまき散らした上に、さらにケイスの目前で時間差で拡散した光弾をばらまく事で捉えるという物だった。
 しかしセラの狙いを看破していたケイスは自ら前に突っ込む事で、本命の光弾が拡散する直前におとりであった光弾を蛇のように身をくねらせてすり抜けて包囲網を突破した。


「ちょっ?」


 今のをケイスが回避してくると思わなかったのか、セラが思わず驚愕の声をあげ判断に迷い動きを止めてしまう。
 光弾をすり抜けたケイスとセラの間に障害物は無く距離も僅か15ケーラほど。
 ケイスならば2歩で届く間合い。
 罠や反撃を警戒したのか一直線に進むような真似はせず、不規則に方向を変えながらケイスはセラへと迫る。
 魔術師であるセラも近接防御戦闘スキルを多少は囓っているが、こと近接戦闘においては天才という言葉すらも霞むほどの才覚を持ち合わせるケイスの敵では無い。
 稽古の成り行きを見守っていた誰もがケイスの勝利を確信した瞬間、場違いな気の抜けた高音が響く。
 それはケイスの胃がなった音。
 同時にケイスの動きが極端に遅くなり、床を蹴っていたその足も弱々しくなった。


「このっ!」


 ケイスの動きが鈍くなったのを千載一遇のチャンスと捉えたセラが光弾を撃ち放つ。
 その光弾は陸に上がった魚を捕まえるようにあっさりとケイスに命中し、身体に触れた瞬間、魔力の網となりケイスを捕縛していた。 











「ケイス。お前よく食えるな。それ何食目だ」


 周囲に砂混じりの風を防ぐ結界を張った上に、明かり兼暖房の火球の周りで暖を取りながらパクパクとパンに浸したチーズスープを食べ続けるケイスを見てボイドは呆れ声を上げる。
 あれだけ動いた直後に胃が受け付けるのも変だが、それ以上におかしいのはケイスの食事回数だ。
 ケイスは先ほどから稽古が一本終わるたびに食事休憩を取っているのだが、この3時間だけで両手の指を超える回数を、しかも一回で並の成人男性一食分を平らげている。


「うむ。12食目だ。ミズハの料理は美味いぞ。味がいろいろ変化あるから飽きないな」


 量を指摘した言葉の意味から見当外れな答えを返し、ケイスは嬉しそうに頷く。
 この小さな身体のどこに入るか不思議なのだが、ケイス曰く、食べた分は動いて即座に消化しているとの事。
 闘気による体内活性で消化吸収能力を上げているから、この程度の量ならば食べて5分で一切の無駄なく完全吸収が出来ると言っていたのは、何かの冗談か大げさな表現だろう。
 迷宮には龍を筆頭として常識外の魔獸も無数に存在するが、さすがに喰らった物を短時間で完全消化する無茶苦茶な生物は存在しない。
 するはずが無い。
 常識を破壊されるのを拒む精神衛生上の理由から誰もがそう思っていた。
 特にルディアなどはケイスが乗り込んでから同室で暮らしているが、手洗いに行った形跡が無かった事を思い出していたが、単にトイレが遠いだけだろうと無理矢理納得させていた。


「それよりだ。子グマ。今のセラの戦い方を見たな。弾幕で距離を取らせながら休ませず、私の接近を拒む。実によい戦い方だ。私の体力切れを狙うには最適だ。おかげで思っていたよりも早く体力を消費して勝てなかった。一度くらいは勝てると思ったが私もまだまだだな」


 スープの残りを一気に飲み干したケイスは手についたチーズをもったいなさそうになめながらラクトの方を向き直り、言葉だけを聞くなら素直に負けを認めて謙虚だが、なぜか勝ち誇ったような表情で告げる。
 今日はボイドやヴィオン。
 そしてセラの三人を相手にケイスは模擬戦闘を繰り返して、数日後には決闘を行うラクトの参考になるように自分の戦い方と、その勝ち方を見せていた。
 その結果はケイスの12連敗という一方的な物だ。
 ボイド相手には近接戦闘でのつばぜり合いの果てに、有効打をいれられず体力切れで敗退。
 ヴィオン相手には槍と魔術。近接と遠距離。空中と地上を上手く組合わせる変幻自在な回避をされ体力を消耗し敗退。
 セラに至っては一度も剣戟の距離に近づけず、回避し続けた末の体力切れという散々たる有様。
 どれも途中までは互角以上に進めながらも体力切れで負けるという、そんな負け方をしているのにケイスは何時もの通り傲岸不遜で傍若無人な雰囲気を損なわない。


「お前なんであんだけ負けてて嬉しそうなんだよ」


 勝ち気な目やその言動から負けず嫌いという印象を受けるケイスには似つかわしくない受け答えに、ラクトは油断させるための罠かと疑いたくなりつい尋ねる。
 ここで実力を隠して負けを見せておいて、決闘の際は本気を出すつもりだろうかと。
 

「うむ。ボイド達は下級とは言えど現役探索者だからな。私が策もなしに真正面からぶつかれば、先に体力切れになるのは目に見えているから敗退は当然の予測だ。そして鍛錬とは勝利よりも敗北から多く学ぶ物だと私は教わっている。今の身体状態と全力で動いた際の体力消費を再確認できた上によい勝負が出来て予想通りに負けた。満足して当然だぞ」 


 ケイスは何を当然の事を聞くんだときょとんとした表情を浮かべる。
 その邪気の無い表情を見ればケイスが嘘を言っていないのは一目瞭然。
 全力で戦い、自分の予想通りに負けたのだから、勝敗云々は気にしないという事らしい。


「一つ惜しむなら、ここがもう少し広ければ一対三のより実践的な稽古もできたのだが、さすがに甲板上は狭いし、船を壊しかねないからな。あとは治癒系の神術使いもいればこのような木剣やら妨害魔術だけじゃ無く、剣や攻撃魔術を用いた戦闘訓練が出来て良いのだがな。やはり切り傷ややけどの一つも無いと緊張感が足りんし、死ぬ気で動けない」

 
「それ稽古じゃ無くて実戦だろ」


 一対一でも勝てなかった相手に、逆に一対三での戦いを望む。
 しかもその内容も、稽古とは名ばかりの本物の剣と攻撃魔術を使ったもの。
 外見そのままの無邪気な子供のように食事を楽しんでいた先ほどまでの表情のまま、やたらと物騒な事を言い放つケイスにラクトも引き気味だ。


「謙虚なんだか傲慢なんだかはっきりしなさいよ。あんたはほんとに……あのセラさん。この子おかしいんで。そういうことですからあまり落ち込まずに。その勝ったんですし」


「そうそう。お嬢だけだろ。ケイスの攻撃一度も喰らって無いのは」


 隣に座るうちひしがれ肩をがっくと落として沈黙していたセラの様子にさすがに見かねたルディアが気落ちしないでくれと慰め、その反対隣のヴィオンも軽いながらフォローをいれた。


「簡単に言わないでよ。奥の手まで回避されて最終的には相手のお腹すいたんで勝ちましたって……その上に消費した触媒が塵積で馬鹿にならないし」


「魔術師が触媒を惜しんでどうする。値段の相場は知らんがそう高い物ではあるまい。金銭を気にするよりも私に勝てた名誉を誇れ。それに稽古に付き合ってくれた礼だ。必要ならばここの所、集めていた転血石を分けてやるぞ。子グマの使う魔具を買えば火急の予定も無いしな」


 魔術師として自信喪失しかけているのか、それとも出費にうちひしがれているのか判らないセラの発言にケイスが空気を読まない返答を返す。  
 ラクトに魔具を買い与えるためにここの所、狩りをしていたケイスだが、その目標金額を余裕で上回るほどの成果をすでに二日前に到達している。
 普通ならば特別区に出現するモンスターは最低位で、その肉体や血は金銭的にも物質的にも魔術触媒としても価値は低く、売ってもそれほどの儲けにはならない。
 だがケイスの場合は、極稀に取得できる迷宮モンスターの血に宿る魔力が物質化してできた天然の転血石を大量に集めるという、反則的な結果をたたき出している。
 ケイスがここ数週間で集めた天然転血石は、近年人工転血石の大量加工技術が確立された事で価値は激減しているが、それでも一年は遊んで暮らせるほどの金銭価値はあるだろう。


「ルディアお願いだから。この子にお金の大切さを言い聞かせてよ」
 

 気前が良いを通り越して無頓着な癖に異常な金運を持つケイスが、ここの所の出費で胃が痛いセラには不倶戴天の敵にみえたのか、血涙でもこぼしそうな形相でルディアに迫る。


「一応言ってみますけど…………あんた。もう少しお金は大切にしなさいよ。そのうち苦労するわよ。無いと困るでしょ」
 

 ケイスには常識は通じないのは判っているが、ここまですがりつくように頼まれると元来の世話好きというか人の良さが出るルディアは、ため息をつきつつ一般常識を説く。


「ん。そうか? お金があれば美味しい物が食べられるから好きだ。だが無いなら自分でご飯を狩れば良いから困らんぞ。剣などは困るが狩りのついでに稼げるから特に困った事なんてないな」


 予想通りというかなんと評すべきか、動物的な食欲と戦闘欲しかない発言をケイスは返す。 
 腰まで伸びた黒髪と幼いながらも整った顔立ちも相まって、深窓の令嬢然とした見た目で、中身は野生生物なのだから質が悪い。
 この金銭感覚の無さは、王侯貴族の無頓着さなのか、それとも野生生物の価値観の違いなのか。
 未だ氏素性不明で不審すぎるケイスの過去は多少気になるが、砂船が次の街につくまでの付き合いだと割り切り、肩をすくめたルディアは処置無しと首を横に振り諦めた。
 ここ数週間の付き合いだけで精神的な疲労が膨大なのだから、これ以上は胃と精神が持たないというのがルディアの正直な感想だ。


「なんだ。言いたい事があるなら……ん?」


 何ともらしい発言に呆れたり苦笑を浮かべていた周囲の視線にケイスは不機嫌そうにむっと眉をしかめていたが、不意に何かに気づいたのか立ち上がって、舞い上がった砂に分厚く覆われる漆黒の空を見据えた。


「空気が変わったな。外気の気配だ。出口が近いのか? だが目的地であるカンナビスまであと3日ほど有るんだろ」

 
 スンスンと鼻孔を動かし舳先を見つめたケイスが尋ねる。
 トライセルが進む現在位置は周囲を緩やかな砂山に囲まれ峡谷となった底の部分。
 位置を把握するための灯台の輝きも直接は見えないのに、ケイスは何らかの変化を感じ取ったのだろう。


「それは一昨日の情報だな。ほれ一昨日の夜は風が強かっただろ。あれで山脈級の砂山が一つ消えてな進行予定ルートが大幅に変わっていて、今日の夜には外部に出る予定に繰り上げになってる。今はここら辺だな」


 懐から地図を取り出したヴィオンが甲板の上に広げて、現在位置を指し示す。
 手書きの地図は一晩で地形ががらっと変わるのもザラの砂漠に合わせてか何度も書き直した手書きの修正が加えられていた。
 この航路を見ると大きく迂回していく予定だった部分をほぼ一直線に突き抜けるルートが出来たらしく、かなりの距離と時間を短縮できたようだ。


「うげ。そんな早くなってんの? まじい。ルディア姉ちゃんまだ……」


 地図を見たラクトがなぜか声を上げルディアの方を見たが、振り返った不審げなケイスの視線に気づいて慌てて口を閉じた。
 明らかに怪しげなラクトの言動にその顔とルディアを交互に見てから、しばし考え込んだケイスが嬉しそうに頷く。


「うむ。ルディの協力ならば薬か? ふむいい手だな。剣先に麻痺薬でも良いし、食事に毒を混ぜても良いな。ルディの薬ならば私にもそこそこ効くかもしれないな。格上の者から勝利を得るためにはあらゆる努力を惜しまない。それでこそ私の決闘相手だな」


 普通ならば卑怯だなんだと指摘されそうな手も、ケイスには許容できるらしい。
 むしろ自分の実力を正当に評価してくれているとうれしがっている素振りすらも見える。
 懐が広いと言うべきか、単なる馬鹿なのか。
 どうにも予想外の反応を返し続ける美少女風怪物への返答を思いつく者はこの集団の中には存在しなかった。


















「本当にカンナビスで網を張ってて良いのですか? 見失ったのラズファンと伺っています。常識で考えるなら北リトラセ砂漠を迂回するルートを探した方が良いと思いますいが」


 ほっそりとした弓のような印象を受ける女性は、フードに隠れた相貌で眼下に広がる切り立った崖下に作られたカンナビスの巨大な陸上港を見据える。
 山岳都市カンナビスは迷宮未完『北リトラセ砂漠』迷宮群に隣接する拠点都市の一つだ。 大陸中央部への玄関口でもあるカンナビスは物流と情報の拠点でもあり、砂漠に接して出入りする砂船を迎える港湾部と、吹き込む砂と砂漠から迷い込むモンスターを避ける為に山の中腹部に作られた都市部の上下二層に別れている。 
 その山間の空中でたたずむ女性の背中には巨大なコウモリのような翼が一対姿を見せている。
 魔力を受け僅かに輝く翼が彼女の身体を支え、足元に広がる魔法陣に込められた術式が他者からの認識を阻害し地上からはその姿を隠す。
 彼女は『草』と呼ばれる集団の一人。
 かつてあった暗黒時代にトランド大陸全土に広がった戦線を支えるために情報収集と伝達を行っていた者達の末裔の一人だ。
 先祖達からの使命を受け継ぐ彼女は、カンナビス周辺を根拠地として中級迷宮に挑む中級探索者でありながら、正式には探索者管理協会に属さない隠れ探索者の一人。
 定時通信を行うために人の目など存在しない空へと駆け上がるのは彼女の日課だった。
 普段なら他愛も無い報告と世間話で済ませられる通信も、ここ数ヶ月はある事情から情報量のやり取りが増え、長時間に及んでいる。


『お袋の予想だ。あの馬鹿の事だから基本は自分が決めたルートをいくはずだ。なんか気に食わない事やら巻き込まれたら大きく道を逸れやがるが、ここ数週間じゃあいつが関わったらしき事件は報告に上がってない……外界じゃな。そうなると徒歩でリトラセに突っ込みやがった可能性が強い』 


 上役である男性の声が魔法陣から響く。
 ここ数週間ほど不眠不休で動き回って疲れ切っているのか声には力が無い。
 何せ目下の所、『草』が総力を挙げてその動向を監視している最重要ターゲットが彼らが想定していたルートから姿を消してすでに数週間が経っている。
 敵対勢力にターゲットの存在そのものを気づかれないように極秘裏に捜索中だが、世間的にはまだ幼い年齢や人目を引く外見に合わせて、異常な言動が多い故に悪目立ちしそうなその人物はラズファンの市場を最後に目撃は報告されていなかった。


「他の草からの報告書で知っていましたが、そうまで思い通りにならない御仁のようですね」


『ったく毎回毎回あの馬鹿娘はどうしてこっちの予想をことごとく外しやがるんだ。こっちの動き気づいてるとかならまだいいが、完全無意識だからな。フラフラあちらこちら放浪しやがって。予定上じゃ高速船の一等船室で大人しくしているはずが、持ち金はたいて剣を買ったんで金が無くなったからなんて理由でキャンセルするなんて予想できるか』


 ストレスが溜まっているのか漏れ出した愚痴は実に恨めしい雰囲気を纏う。
 情報収集に特化している彼らの捜索網からさえも、予想外の行動でターゲットが姿を消した回数はすでに両手の指でも余るほどだ。
 どういう経緯かは不明だが、元貴族の仇討ちに付き合って姿をくらましたかと思えば、いつの間にやら国中を巻き込んだ革命騒ぎのど真ん中にいた。
 途中で立ち寄った貧しい山村で家畜を奪う山賊の噂を聞き、一人残らず駆逐するまで一月以上も雪が積もる冬山に潜んでいた。
 報告書には目を疑いたくなる事情や理由が多かったが、この程度なら義侠心に駆られたとまだ理解できなくもないからまだ良い。
 山間で休憩中に釣りをしていたはずのターゲットがなぜか急に激流に飛び込んで姿を消した時の理由が、川魚に飽きて海魚を食べたくなり海まで泳いでいたと書かれた報告書を読んだときは、自分の正気を疑いたくなった。
 一事が万事この調子である。
 気まぐれかつ思うままに動いているその化け物に、心身ともに強靱な者が選ばれる草の幾人もが、精神的に潰されたという噂も、あながち嘘ではあるまい。
 彼女はまだ担当地区が違ったので人ごとだったからよかったが、最初期からその動向を追いかけていて、ターゲットを幼少の頃から知るはずの上司も、精神的には限界に来ているのかもしれない。
 今回も彼らの息が掛かった砂船にターゲットを上手く誘導して、ほぼ成功とまでいっていたはずが、運賃が足り無くなったとキャンセルしたうえにラズファンからも姿を消していたらしい。


『ガキの頃からアレだったが、トランドに渡ってからはさらに輪をかけて突き抜けやがって。個人的には、ほっといても死ぬような玉じゃ無いから、時折確認するだけ良いと思うんだが、あいつの詳しい動向が不明じゃオジキが黙ってないからな。下手すりゃ後先考えず近衛騎士団を動かしかねない。正当な理由も無しで騎士団を動かしたらルクセだけじゃ無くて、世界規模で戦乱を招きかねないってのにあの親ばかは……』


「大陸規模の異常事態。暗黒時代の再来を防ぐのが我らの使命です。そしてあの方はその鍵を握るかも知れない。だからこそ早急にあの方を探す必要があるのでは」


 鬱屈している物が溜まり込んでいたのかしばらく愚痴を続けていた上司だったが、女性の指摘に我に返り、わざとらしい咳払いを一つして話を元に戻す。


『……とにかくだ。あいつは基本的に騒動の中心にいるか、騒動があいつの方によってくる特異体質だ。将来的に英雄になるか魔王になるのか判らないが神に選ばれた者っていうのは伊達じゃ無い。しばらくは出入りする砂船の監視と騒ぎが起きたら最優先で報告を頼む』


「了解しました。情報を集めるようにしておきます。弟たちが数日後には帰ってくる予定ですが、新種のサンドワームと遭遇したようなので、それらしい話も見聞きしたかもしれません。それとなく探っておきます。ではお昼休みがそろそろ終わりますので戻らせていただきます」


 通信を打ち切って足元の魔法陣を纏ったまま彼女は背中の翼を振るわせ一気に降下を始める。
 定時通信を終えれば、また草の名にふさわしく市井へと紛れ込む事になる。
 知人や友人はもちろん、家族にすらもその存在を隠し、ただ今ある大陸の平和を維持するために。
 厳しめだった表情を、柔和な表情に変え意識を切り替える。
 無名の草から柔和な笑顔で老若男女に御好評なミノトス管理協会カンナビス支部受付嬢へと。
 普段の顔に戻ったスオリー・セントスは、今日もお昼ご飯を食べ損ねた事を残念に思いながら、近日中に街に帰ってくる弟と幼なじみ兄妹でも誘って何か食べに行こうかとこの時までは暢気に考えていた。
 迫り来る化け物が纏う嵐にその三人がすでに巻き込まれている事も知らずに。 



[22387] 剣士と受付嬢
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:702835aa
Date: 2015/03/06 02:07
「ふむ……すごいな。大陸中央と南部を分ける巨大山脈か。まるで岩の壁だな。辺りに散らばっているのが、かつての大戦時のゴーレムのなれの果てか」


 数週間ぶりの太陽の下、目的地であるカンナビス陸上港を目指して、船体の数倍はある周囲の大岩を避けながら砂船トライセルは進む。 
 大小様々な砂船が集まる賑やかな港の喧噪はすでに聞こえてきているが、乱立する岩を避けて通る低速進行なので、もうしばらく接岸までは時間はかかるだろうか。
 船倉ではファンリア商隊の者達が荷下ろしの準備で大わらわだが、好奇心旺盛なケイスがいると作業の邪魔になりそうなので外に追い出された形だ。
 一応のお目付役としてルディアもついているが、当の本人は目をきらきらと輝かせながら周囲を見て楽しげな表情を覗かせていた。
 ケイスの目に映るのは、雲海まで届きそうなほどに遙か高みまでのびた断崖絶壁と、その前方に広がる砂地に転がる無数の岩だ。
 この地はその昔龍種によって仮初めの命を与えられ絶対防衛兵器として君臨していた山脈ゴーレム群を操っていた魔法陣『カンナビス』の中枢地点である。
 かつて存在した積層型魔法陣が山脈に命を与え、大陸中央部への人種連合軍の進行を阻止し、攻めいった無数の戦士達を駆逐していたと伝えられる。
 攻略手段として中枢である魔法陣の破壊は優先事項とされていたが、その前方に広がる砂幕に覆われ上級モンスターが跋扈するリトラセ砂漠によって大軍を動員する事が出来ず、少数精鋭の特攻隊も、手ぐすね引いて待ち受けていた強力な自己修復能力を持つゴーレムによって幾たびも敗退を余儀なくされ、大陸奪還を目指す戦いは山脈を境として十年近くの停滞したという。


「巨大ゴーレムの残骸がそこらにごろごろって。どんだけ化け物よ。上級探索者ってのは」


 ケイスの横に立って同じように周囲を見渡したルディアはほとほとあきれ顔を見せる。

 よく見れば岩山一つ一つが、腕だったり顔の一部だったりと何かしらのパーツ形状をしている。
 その無数に散らばる形状から推測できる元の大きさは想像するのも馬鹿らしくなるほどだ。
 しかも、それが林のように乱立する所から見て、数十体分、あるいはもっと多くのゴーレム達が闊歩していたのかもしれない。


「ここらのは上級探索者でも別格だ。何せ勇者フォールセンとその御一行が激戦を繰り広げたらしいからな。ほれアレなんぞ。剣の一撃で脳天から真っ二つだとよ」


 その後ろに立っていたボイドが、見張りで凝り固まっていた首をならしながら、真っ二つに別れた顔面岩を指し示す。
 その岩は鏡面のようになめらかなを断面を覗かせている。 
 リトラセ砂漠を強行突破し、数多のゴーレムを葬り、ついにこの地にたどり着き魔法陣を破壊したのは『英雄』と呼ばれたパーティだ。
 そのパーティを率いたリーダは、解放戦線の前線を駆け抜けた勇者と呼ばれし『双剣』フォールセン・シュバイツアー。
 元ルクセライゼン皇位継承者候補であったフォールセンは、その生まれ故に持つ類い希なる膨大な魔力と共に、世界最強とも謳われた剣の使い手としても知られた探索者であった。


「うむ。すごいな。頑張ればあのくらいならいけるがあの大きさはまだ無理だ。もっと精進せねばならないな」


 フォールセンの逸話になぜか我が事のように嬉しそうに頷いたケイスは、その顔面岩から飛び散った小振りの岩を見て、うずうずとしている。
 今すぐにでも腕試し代わりに斬りにいきたくて仕方が無いという所だろうか。
 しかしケイスが見つめている岩も隣の大岩と比べれば遙かに小さいと言っても、小屋ほどの大きさはある。
 努力すればあんな大岩が斬れるのかやら、現状であっちの岩を斬れるのかと様々な突っ込み所がルディアの心に浮かぶが、


「で、もうじき到着するけど。どうするのよあんた」


 ここ数週間で覚えたスルーするという、ケイスへの基本対処方法を選択する。
 大陸を斬るやら、天に瞬く星を斬るとかならともかく、今更この化け物娘の”この”程度の発言に驚いていては精神的に持たない。
 おそらく出来るのだろうし、そのうちやるのだろう。
 実態を知っているので今の発言に納得もしている。
 だがどうしても拭いきれない違和感を覚えてしまうのは、中身とはかけ離れた目の前の深窓の美少女然とした少女の発言というあたりだろうか。


「とりあえずお医者さんにいってちゃんと手を見て貰わないといけないでしょ……治れば良いんだけど」


 ケイスの右手をちゃんとした医者に見せる必要があるとルディアは考えていた。
 本人の証言によればヒビが入っていたところに、何を考えているのか剣頭を思いっきり叩き込んで自ら砕いたとの事。
 ルディアが触診してみたところでも、その見立ては変わらず、中指の一部に至っては原型が止めないほどに粉砕しているようだった。
 はっきり言ってここまでの怪我となると自然治癒力を高める魔力系の施術ではなく、それこそ肉体を元の状態に復活させる神術の領域。
 しかし、肉体再生となると高度の術者と触媒として『一角獣の粉』等、高額な触媒が必要となる。
 ケイスがここしばらく集めていた魔具購入代もそこそこの金額がするが、再生施術費用として考えたのならば桁が後4つは足りないだろう。


「ん。問題無いだろう。魔具の購入やら決闘場所の手配など他にやる事が多いからな。時間があったら怪我を治しに行ってくる。でも放っておいてもルディの薬が良いからそのうち治るぞ」


 下手すれば一生治す事も出来ない怪我を心配するルディアに対して、当の本人であるケイスは軽く答える。
 自分の怪我の状態を把握していないのか、軽く見ているのか。
 それとも何とも謎の多いケイスの事。何とかなる方法でも持っているのでは無いだろうか。 
 自分が心配することも無いのかもしれないと思いつつも、生まれついての面倒見の良さから、ルディアは忠告を続ける。


「だからあたしの薬は痛み止めと化膿止め程度。まずちゃんとお医者さんに見せなさいよ。それにあんたが不調だと、ラクト君に失礼でしょ。あんたが調子が悪いから勝てたって事になるわよ」

 
 恐ろしく頑固というか、自己中心的というか、我が道を行くというべきか。
 兎にも角にも自分の感覚に沿った言葉でなければ、ケイスは自分の意思をそう易々と曲げはしない。
 だからルディアはケイスが好みそうな言い回しで、再度促してみる。 


「ふむ…………ルディの言う事も一理あるな。子グマの準備を優先しようと思っていたが、決闘であるなら私の方もそれ相応の準備をするのが礼儀か。うん。ルディありがとうだ。礼を失するところだった」


 ルディアの言葉にしばし眉を寄せて考えてからケイスは嬉しそうに笑いながらルディアに礼を述べ頭を下げた。
 内容は一切無視するならば、その純粋無垢な笑顔は同性であり年上であるルディアすらも、つい見惚れそうになるほど可愛らしい表情だ。 
 

「あんたは本当に……傍若無人なのか礼儀正しいのかはっきりしなさいよ」

 
 あっさりと承諾したケイスについつい拍子抜けしつつルディアはため息を吐く。
 判りにくい複雑怪奇な思考を持つケイスに対して、ある程度慣れてきたのが、良い事なのか悪い事なのか何とも判断しづらい。 


「むぅ。失礼だな。私は常に礼儀正しく振る舞うように心がけているぞ……私は怪我を治してくる。ではルディ街に着いたら、換金や魔具購入は頼んだぞ」


 眉を顰めたケイスだったがすぐに気を取り直したのか一つ頷いてから、腰に下げていた転血石が入った袋をルディアに投げ渡す。


「あんたそんな大金を他人に気軽にあずけ…………判ったわよやっとく」


 無造作というか無頓着というか、それとも信頼の証なのだろうか。
 一財産になる物を軽く預け渡してくるケイスに、ルディアは苦言を訂そうとするが、言っても無駄と思い諦め頷く。


「あとボイド。ヴィオンの姉が管理協会で働いているそうだな。管理協会が管理する鍛錬場を決闘場として借りられるように頼んでおいてくれ。魔具を使った戦闘となると、周囲に迷惑を及ぼさないちゃんとした場所の方がいいからな」


「あぁそりゃかまわねぇぜ。どうせすぐ後で会うはずだから頼んどいてやるよ」


「うん。ありがとだ……よし二人とも後は任せた。ではいってくる」


 ケイスはボイドに対して頭を下げた後、何故かマントのフードを被り口元の砂よけをあげると、その次の瞬間にはなんの躊躇も無く舳先から外に向かっていきなり飛び降りていた。


「「えっ!?」」


 いきなりの予想外の行動は何時ものこととはいえ毎回驚かされる。
 ルディア達は止める間もなく唖然としていると、大きく迂回しているトライセルを尻目に、圧倒的な速度で直線的に港へと向かっていくケイスの姿がすぐにその眼下に映った。
 走った先からまるで爆発するように砂が派手に吹き飛んでいるのは、闘気を用いた歩法による物だが、目立つことこの上ない。
 船から飛び降りてすさまじい砂煙を上げながら獣のような速度で駈けるケイスの姿を見たのか、周囲にいた小型砂船の船員らが指さしあげるざわめきが聞こえてくる。


「あいつますます早くなったな……それにしても病院の場所とか判ってるのか? っていうか金を持ってるのか」


「…………………はぁ」


 思いたったら即行動。
 多少はケイスの行動に慣れて来たと自分で思っていたが、それが大いなる幻想だと思い知らされたルディアは、ほほを掻いているボイドの問いかけに返事を返さずまた一つ大きなため息をはき出した。 









 カンナビスはその構造上、上層の街区と下層にある港湾区に分けられる。
 その間を行き来するには、大昔に掘られた長い石階段をジグザグと登っていくのが長年の常だったが、昨今の転血炉の普及に伴い、壁沿いに馬車毎乗り込める魔力式大型ゴンドラが複数設置され、利便性が格段によくなっている。
 眼下に広がる巨石の林と大規模な港湾部を見下ろすゴンドラからの光景は圧巻の一言で、最近では観光用として価値も見いだされていた。
 そんな上層から降りてきたゴンドラの一つに、乗客に混じりスオリー・セントスの姿があった。
 魔力生成に長けた魔族であり飛行能力を持つ彼女の場合、自前の翼を使った飛行魔術で上り下りも出来るのだが、ゆったりと降っていくこのノンビリとした感じが好きだったので、下に行くときはもっぱらゴンドラを利用していた。
 下に着いたゴンドラから下りて待合広場へと出たスオリーは、そろそろトライセルが到着するであろう港に足早に向かおうとしたが、


「おう。スオリーちゃんか。どうした下まで来るなんて珍しいな。協会の仕事かい?」


「トーファさん達でしたか。こんにちは」


 声の主はスオリーにはなじみの探索者の一団だ。
 足を止めるとぺこりと頭を下げる。
 表の職業として探索者協会の受付嬢を勤めているスオリーは、その丁寧で迅速な応対から探索者達から好評価を受けている。
 裏の仕事での情報収集にも役立つ事は多いので、現役探索者と顔を広く繋いでおける受付嬢はスオリーにとって重要な仕事だ。


「今日は私事で弟たちの出迎えに。そちらは今お戻りですか」


 砂に汚れたその装備品から見るに、つい今し方、砂漠から戻ってきたばかりという所だろうか。


「始まりの宮後の初潜りだ。リトラセは広範囲でかなり内部が変動していたから、地図屋の俺らはしばらくは忙しくなりそうだ。砂幕内部に新規出現した地区も調べなきゃならんし人手が足りねぇよ」


 生きている迷宮とも呼ばれる永宮未完は、年に二回。始まりの宮と呼ばれる新人探索者達が生まれる時期前後に、迷宮内部で大量発生する迷宮モンスターによって構造を大きく変化させる特性を持つ。
 がらりと姿形を変え新構造となったこの時期は、新しい宝物が発生し、希少種や新種のモンスターも存在し、探索者にとっては稼ぎ時であるが、同時に危険も伴う時期である。
 そんな時期に果敢に内部奥地へと進入してルートやモンスター分布を調べ、その情報を協会や他の探索者へと高値で売りさばく探索者達がいる。
 通称『地図屋』と呼ばれる彼らである。


「ミノトス管理協会カンナビス支部は年中無休24時間いつでも対応していますので、情報は新鮮なうちにいつでもどうぞ」
 

 大きく変動したことで情報価値は高いが、リトラセ砂漠迷宮群のその広さに愚痴をこぼす初老の探索者に、スオリーは営業スマイルを浮かべつつ決まり文句で返す。
 地図屋は彼ら一団だけでは無い。
 他にも複数のパーティが潜っている。
 だから探索を何時終了させ、情報をどの時期で売るかの判断が重要となってくる。
 危険度の低い低位迷宮で小まめに稼ぐか、危険度は跳ね上がるが一気に上位迷宮最深部まで突入して、未踏地域の高値で売れる情報を収集してくるか。
 これら地図屋同士の駆け引きが始まりの宮後に繰り広げられるのは、カンナビスのみならず大陸全土でこの時期毎度の風物詩だ。


「おうよ。夕刻には下級の概略マップを纏めて持っていくから良い値段で頼むよ……っとそうだ。話は変わるが特別区にサンドワームの新種が出たんだってな。そいつの情報ってもうでてるかい?」


「その件ですがうちの弟とボイド君達が乗る船が遭遇したそうです。セラちゃんが報告書を作ってあるそうなので、今夕には一次情報を公開する予定になっています。特別区で一般人への危険度も高いそうなので無償公開となります」


「あぁ、支部長のところのお嬢ちゃんか。あの世代がもういっぱしの探索者か。俺も年を……なんだ? やけに騒がしいな」


 自分の子供よりもさらに若い世代の探索者達が活躍し始めていることに、苦笑を浮かべかけたトーファーは、ざわついた喧噪に気づき音が聞こえてきた港方面に目を向ける。


「…………なさい! 待てといっているだろ! クソ。なんだあいつは! すまん。どいてくれ!」


 行き交う人々のがやがやとざわめく声と、雑踏が割れて大通りをこちらに向かって走りながら何者かを制止する声を上げる警備兵の姿が見えてきた。
 雑多な港湾部ではスリやかっぱらいがたまにあるので、また不審者でも出たのかと思ったのだが、通りにはその警備兵が追いかける人物の姿は見えない。


「……なんでしょう?」


 よく見てみると警備兵や群衆の視線は路上では無く、少し斜め上を見ている事にスオリー達は気づく。 
 その視線の先へと目をやったスオリーは警備兵達が追いかけていた人物に気づき目を丸くする。
 大通りに並ぶ商店の屋根を次々に跳び移って待合広場に向かっている小さな人影があった。
 何とも軽快な動きをするその人物はスオリー達の位置からは逆光でその姿はよく見られなかった。
 一体何が起きたのかよく判らないが、どうやら警備兵達が追いかけているのはこの人物のようだ。
 待合広場に面した商店の屋根まで跳んできたその人物は、最後に大きく跳躍するとひらりと身体をひねって自分を追いかけてきた警備兵達に向き合うように着地した。


「なんだ。さっきから。私は急いでいるんだ。どうかしたのか?」


 降り立った不審人物がフードを脱ぎ砂よけのガードを下げる。
 そこから出て来たのは長い黒髪を無造作に縛った一人の幼さの残る少女だった。
 人目を引く端整な顔立ちと透き通るような白い肌は、深窓の令嬢を思わせる幼いながらも気品と生まれの良さを醸し出す。
 その容姿と息切れ一つしていない様もあって、この少女が先ほどまで屋根を跳び移っていた人物とは信じがたいほどだ。


「……屋根伝いに跳んでたの君か?」


 追いついてきた警備兵達もあまりの違和感に、つい今し方まで追いかけていた少女に疑問系で問いただしていた。
 それはそうだろう。
 少し釣り気味な目や溌剌とした表情から強気で活発な印象を受けるが少女はそれほどに幼く見えるからだ。
 屋根を跳んでいく不審人物がいるからと通報を受けてきてみたのだが、まさか相手がこんな少女だとは夢にもおもわなかったのだろう。


「なにをいっているのだ? 私に決まってるだろ」


 周囲から向けられる奇異の視線を気にもしない少女は問いかけの意味が判らないと首をひねっていた。
 傲岸不遜な物言いには悪びれた様子は一切無い。
 

「あ…………まず一つ尋ねたいんだがお嬢さん。なんで屋根を跳んでいたんだ」


 どうにも調子の狂う相手にペースが乱されるのか、半ば呆然としたまま警備隊長らしき男が一番の疑問を尋ねると、


「ん。私は急用があって急いでいる。しかし通りは人が多いから走りにくいだろ。だから屋根を跳んだ」


「………………」


 さもそれが当然とばかりに胸を張って答える少女に二の句が継げぬ警備兵も絶句する。
 やり取りを見ていた周囲も少女が何を言っているのか判らず、考えあぐねているのか静まりかえる。
 道が混んでいるから屋根をいく。
 常識が有る無いとか以前にまず選択肢に上がってくるのが可笑しい回答だ。
  
 
「それだけか? では私はいく……そこ! 止まれ!」


 話は終わったとばかりにクルリと身を翻そうとした少女がなぜか不意に目つきを鋭くすると、鋭い声を上げながら腰に下げていた短剣を二本左手で抜き取る。


「つっ!? いきなりなにを!」


 つい先ほどまでの惚けた態度は演技だったのか。
街中でいきなり刃物をぬき放った少女に警戒心を思い出し我に返った警備兵達が慌てて剣を引き抜こうとするが、それよりも遙かに早く少女の左手からはナイフが群衆の一角に向かって放たれた。


「ぐっあ!?」


 少女の投げ放ったナイフは群衆をすり抜けると走り去ろうとしていた中年の男の両足に深々と突き刺さった。
 くぐもった悲鳴を上げる男の手からは不釣り合いな女性用の財布がぽとりと落ちる。
 どうやら周囲が少女に気を取られている間に、スリを働こうとしていたようだ。
その動きに気づいた少女が男に向かってナイフを投げたようだが、ナイフの軌道が少しでも逸れていれば別の人物に刺さっていただろう。
 だというのに大勢の群衆に向かって無造作に放ち平然としている少女の得体の知れなさに、先ほどとは違う不気味な静寂が訪れる。


「あぁつ! お、俺の足! 足が!」


 唯一響いているのが深く刺さったナイフにのたうち回る男の呻き声という辺りが、さらに不気味さを演出する。


「そこのご老体。その男が貴方の鞄から財布を抜き取っていたぞ。もう少し気をつけた方が良いな。では私は忙しいからいくぞ。貴様らは警備兵だろ。その不届き者を捉えておけ」

 
 男を一瞥してからやけに偉そうな口調で宣った少女は今度こそクルリと身を翻すと、壁に設置されたゴンドラに向かって駈けだしていく。
 しかしゴンドラは停止したままで、運転員も一連の流れに唖然とし固まっているので動くはずもない。しかし少女の速度は緩まない。
 ゴンドラの前で大きく跳躍したかと思うと、そのまま屋根へと飛び移り、さらには僅かな凹凸を足場にカモシカのような動きでほぼ垂直の壁を蹴り登っていく。
 あっという間に小さくなっていくその姿は確かに見えるのだが、白昼夢か集団幻覚でも見ていたのだろうかと思うほどに現実感が湧かない。


「隊長………今のはいったい?」


「……知るか」


 不審人物という言葉では語り尽くせないほどに奇っ怪な少女を広場にいた全員が見上げる中、大きな羽ばたき音が一つなった。














「ふむ。なかなかに登りやすいな。家に比べてずいぶんと高いがこれなら楽だ」


 岩肌の僅かなくぼみを次々に蹴りつけながらケイスは満足げに頷きながら、絶壁を駆け上がっていく。
 目線は常に上に。次の次の次の次。
 視覚にとらえられる範囲で最短にして最小の力で登れるルートを即断していく。
 日常の些細な行動でも常に考えて動き続けることで、着実に己が力を増していく鍛錬とする。   
 遙か高みを目指すケイスにとって、実家である龍冠の冬場の崖のように凍りついているわけでも無ければ、彷徨った迷宮龍冠のように踏んだ箇所から毒針が飛び出してくるでも無い。
 ただ高いだけならば恰好の練習場所以外の何物でもない。
 ここ数週間のリトラセ砂漠で身につけた、砂の上を疾走する為の闘気の微細な操り方もあって、目が眩むほどの落ちればひとたまりも無い高さでも安定した動きを見せている。
 萎縮する様子は無いケイスは、むしろこのロッククライミングを楽しんでいるようにすら見えるほどだ。
 

「むぅ。しかし今ひとつ物足りん。落石でも起こすか……いや。ダメか。下の人に迷惑だな」


 堅そうな岩肌だが闘気を込めてナイフを投げつければ軽い崩落位は起こせるだろう。
 落石を避けながらの方が鍛錬になるとは思うが、崖下にはゴンドラ施設やら商店が出来ていたはず。
 他人に迷惑をかけてはいけない教え込まれていたケイスは、残念に思いつつも断念する。
 他者から見れば傍若無人で無軌道なケイスだが、あまりの常識外思考と化け物である身体能力を危惧した保護者達に植え付けられたかなり幼稚ながらも良識と呼べる物も存在する。
 ただ問題は、判断基準が一般とかけ離れたうえに、その化け物じみた身体能力も相まって、結果行動は異物とも呼べる化け物となっていることだろう。
 石を落とせないなら、いっその事、足も使わないで上までいこうかと、さらなる鍛錬方法を考えていたケイスだったが、自らを追いかけてくる気配を感じる。
 警備兵に飛行魔術を使える者でもいたのかと思ったケイスは、前方の岩肌を一瞥して頭に叩き込んでから大きく跳び上がると、空中でクルリと身体を回し逆さまになった。
 遙か眼下に広がる港湾区を見下ろし頭から真っ逆さまに落ちていくような体勢だが、ケイスは左手を使って壁に掌打を打ち込み、逆さまのままでさらに壁を登っていく。
 逆さになった視界に大きな黒い翼を背中に羽ばたかせ飛んでくる魔族の女性の姿を捉える。
 空中で目が合った女性は凍りついたような驚愕の表情を浮かべていた。










 壁を駆け上がっていた少女が何者か察した瞬間、スオリーは背の翼へと魔力を通し空へと羽ばたいていた。
 一見は貴族の令嬢然とした美少女。
 しかしその中身は怪物。
 傲岸不遜で傲慢な物言い。
 常識離れした言動。
 人込みで無造作に剣を抜き、易々と操る才。
 間違いない。アレが彼女たちが探していた最重要ターゲット『ケイス』だ。
 崖を蹴り上がって登っていく常識外の行動をする人物が二人といるわけも無い。
 報告書では半信半疑だった情報そのままの少女に内心の驚愕を隠しつつ、スオリーはケイスを追いかけ翼を羽ばたかせる。
 実力を隠すために押さえ込んでいるとはいえ、それでも相当の早さで飛ぶスオリーだが、壁を蹴り上がっていくケイスとの距離は徐々にしか縮まらない。
 足を踏み外して落ちでもしたら、いくら少女といえど命などない。
 あの少女が死亡するような事態になればそれこそ一大事だ。
 最悪の事態を考えいつでも救い出せるように真下から追いかけていたスオリーだったが、その最悪の予想をケイスは軽々と超えた行動へと出る。
 クルリと身体を回したかと思うと、頭を下にした体勢でスオリーの方を見つめてきたのだ。
 逆さまになったケイスは両足を使わず、左手の力のみで先ほどまでと変わらない上昇速度を維持するという離れ業をやってのけていた。
 それどころか……
 

「ん。警備兵ではなさそうだな……ふむ。お前ヴィオンの家族か? 姉がいると聞いていたのだが。お前がスオリー・セントスか?」 
  

 平然と話しかけてきたケイスは、スオリーの全身をまじまじと見て目をぱちぱちと瞬かせてから、スオリーには予想外の問いかけをしてきた。


「はっ!? ……え、えとそうだけど、あのお嬢ちゃん。そんな事より危ないからこっちに来てもらえるかな」


 弟の名前が出てくるのは予想外だったスオリーは一瞬素の表情を浮かべ、ついケイスを名前で呼びそうになって何とか抑える。
 調査対象であるケイスに自分たちの存在を知られてはいけない。
 束縛や拘束を嫌う少女のこと。
 自分達の介入や監視を知れば気分を害して本気で姿を消す恐れもあるからと上司からは厳命されているからだ。
 そうなれば再発見、補足はさらに難しくなる。
 言葉と常識の通じない野生生物を相手にするくらいの距離感と寛容精神でいけというのが上司からのアドバイスだが、仮にも主家にして姪に対する言葉だろうかと思わなくも無い。


「おぉ。やはりそうか。ふむ。ヴィオンやボイドとセラとは一緒の船に乗り合わせていたので話を聞いていたんだ。世話になったぞ。こんな所で会うとは奇妙な縁があるな。私の名はケイスだ。こんな体勢で失礼だが以後よろしく頼む」


 スオリーの心配を全く気にもとめていないのかケイスは華のような笑顔で楽しげに笑い、ちょこんと首を動かした。
 頭を下げたつもりなのだろう。 
 しかし断崖絶壁を逆さまの体勢で登っていく少女に自己紹介をされてまともに返せる人間がいるわけもない。
 まるで街中で会ったかのように平然と挨拶してくるケイスに、返す言葉に詰まり唖然としているスオリーに対して、あくまでケイスはマイペースを貫く。


「お前は管理協会で受付をやっているのだったな。出会ったばかりで悪いが少々頼みがある。知り合いと決闘をすることになったので、魔具を派手に使っても問題無いように管理協会が管理する鍛錬施設を貸してもらいたいんだ。ボイドに頼んで貰うつもりだったが、こうして直接に顔を合わせたのだから、私から頼むのが筋という物だからな」


(無、無理。これを監視して報告しろっての!?)


 出会って数分。
 立て続けの常識外の言動と意味の判らない状況に、大陸規模の諜報組織の一人である草として鍛え上げられたはずのスオリーも、自らの精神がごりごりと削れていく幻聴をその耳に捉えていた。



[22387] 剣士と引き寄せられる因子達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:607064d3
Date: 2015/03/07 00:43
 カンナビス上部市街展望地区。
 山脈中腹に点在する僅かな平地に棚田のように小規模な街区がいくつも作られカンナビス上部市街が形成されている。
 街区同士を結ぶのは、大昔に斜面に掘られた階段や、山をくりぬいて作られた洞窟通路だったり、飛翔騎乗生物であったが、昨今の主流は街区間を結ぶ小型ゴンドラとなっていた。
 上部市街では一番下層に位置し、下部港湾部との貨客運搬を行う大型ゴンドラ乗り場がある展望地区は港湾部にも負けない人込みと熱気で溢れていた。


「カンナビス名物ゴーレム焼き! 焼きたてあつあつだよ!」


「ほい! ゴーレム四肢揚げ糖まぶし揚がったよ! 揚げたていかがっすかっ!」


 斜面に張り出して作られた展望台が名物のゴンドラ広場には、同業者に負けないようにと大声を張り上げる売り子達の声が響き渡る。
 展望台から下方の砂漠を覗いてみれば、遙か上空であるここからもその巨大な骸が転々としている様が見えて、その絶景は今では大陸でも有数の観光スポットとなっている。
 かつて幾千もの探索者達の血肉を貪ったゴーレムといえど、壊れてしまえばただの巨大な岩。
 広がるゴーレムの残骸の顔や腕に見立てた菓子や、壊れる前の姿を模った人形など、恰好の観光資源として再利用している辺りは人の持つたくましさの表れだろうか。
 その露天の中の1つにゴーレム焼きの店がある。
 かつて英雄双剣により真っ二つに割られたゴーレムの顔面を模った型枠で焼いた巨大焼き菓子がこの店の売りだ。
 顔面の右側にはあんこ。左側にはクリーム。
 かつての英雄気分で顔面を2つに割ってお召しあがれというコンセプトの、作るのにちょっとした技術がいる割に、名称に関してはひねりも無いゴーレム焼きを売っていた屋台に野太い声が響く。


「店主。ゴーレム焼きを4つほど包んでもらえるか」

 
 全身鎧を着込んだかのような巨大でゴツゴツとした岩のような肌を持つ老人が、その分厚い手でカウンターに、焼き菓子4個分の料金を差し出した。
 爬虫類のような縦に開いた瞳孔と、イノシシのような巨大な牙。
 外見から見るにこの老人はおそらくは竜人と獣人のハーフだろう。
 大の大人でも思わず後ずさりしそうな厳つい外見だが、カンナビスは観光都市であると同時に迷宮隣接都市。
 探索者たる竜人や獣人、さらには魔族も集まるこの街では、このような風貌や巨大な体躯の主はさほど珍しい物では無い。


「おう先生か! 今日もありがとうよ!」


 汗をかきながら鉄板の前に立つ若い店主も、ここ数日ですっかり常連になった老人に慣れた様子で気軽に挨拶を返し、焼きたての菓子を大人の顔面ほどもある大きな紙袋に詰めて差し出す。
 1つが大の大人の握り拳ほどある大きな焼き菓子が4つも詰まった紙袋はぱんぱんに膨らんでいる。
 だがこの老人が受け取ると紙袋が楽々と掌の中に収まってしまうのだから、その巨体がよく判るだろう。

 
「ふむ。では失礼してまた横で食べさせて貰おう。持って帰ると弟子達が五月蠅いのでな」


 店主に一言断った老人は屋台の横にドカッと腰を下ろすと、早速袋から焼きたての菓子を取り出してモシャモシャと食べ始める。 
 外見に似合わないといえば失礼かもしれないが、この老人は大の甘い物好きらしく、散歩がてら屋台によっては、毎回巨大な焼き菓子を数個は平らげていく最近出来たお得意様だ。


「いいのかい。お偉い先生が毎度毎度道ばたで立ち食いなんぞして」


「構わん。肩書きなんぞいらん物ばかり増えおって、人前でおちおち菓子も食べられん」


 厳つい外見から判りにくいが嘆息をついたのか軽く肩をすくめた老人は、瞬く間に一つ目を平らげると、そそくさと二個目に取りかかる。


「全く……人の格なんぞ美味い食い物の前では意味など無くすというに」


 愚痴をこぼしつつも、満足そうにはき出す呼気は菓子を楽しんでいる証だろう。


「そりゃどうも。いつでも来てくれよ。先生のために焼きたて出してやるさ」


 目立つ外見やら、初来店時にいきなり横で食べ始めた老人の行動がに気になって、屋台を回す傍ら店主の方から、それとなく世間話を振っていた。
 空を見て午後から風が強くなることを予想したり、数口食べただけで店主が仕入れている小麦の種類を当てて見せたりと、豊富な話題と会話の端々にも覗かせる知性が、この老人がただ者では無い事をすぐに店主に悟らせた。 
 さらに話を聞く限りではどこぞのお偉い魔導師らしく、幾人かのお付き兼弟子達もいるそうで、せめてここでは気軽に楽しめるようにとその氏素所を詳しくは聞こうとはしていないが、店主は先生と呼んいた。


「ふむ。ありがたい……ありがたいのだが、実に名残惜しいがそろそろ中央に帰らねばならん」


 何時もならすぐに菓子を食べきる老人が最後の一つを手に取ると、珍しくしげしげと見つめて残念そうな声色で唸った。   
 ゴーレム焼きを見つめる目は、どこか遙か昔を懐かしんでいるかのような色合いを帯びている。


「っと? そうなのかい。そりゃ残念だ」


 良いお得意さんを失う事もだが、それ以上に話し相手として飽きない老人がいなくなることに店主は落胆を覚える。


「しかし先生。そろそろ帰るって事は、やっぱ先生の目当ても最近噂のあれかい? カンナビスゴーレム術式の解析発表とかいうやつ」


「あぁ。心配性な古い知り合いに頼まれてな。何せ物が物だ。下手すればこの地方が滅びるかもしれんと、危険性が無いか調べてこいといわれた」


店主は老人の話と職種から、カンナビスに訪れた目的をある程度推測していたが、どうやら大当たりのようだった。
 ここの所カンナビスで話題になっていたある魔導機具工房の研究がある。
 それは嘘か本当かは判らないが、かつて猛威を振るったカンナビスゴーレム群を人の手で操作可能にするという不可能といわれていた研究で、その術式の極々一部が成功したという話だ。


「……それ大丈夫なのか先生? 下の奴らが動き出したなんて勘弁だわ」


 
 店主は焼いたばかりのゴーレム焼きを見て、わざとらしく大げさに身を震わせる。 
 カンナビスゴーレムのもっとも恐れられた特徴はその巨体では無く、悪夢じみた再生能力増殖能力にあると言われる。
 数十名の上級探索者が総出でようやく一体のゴーレムを打ち倒したが、その砕いた僅かな破片から同レベルのゴーレムが瞬時再生し探索者達が壊滅したというのは、伝説でも無ければお伽噺でも無く、事実としてしっかり記録に残されている。
 しかもそれは一件や二件では無い。
 その巫山戯た再生能力を可能とする術式を開発したのはこの世で最強種族と呼ばれた龍種。しかもその龍達の長だったという。
 龍王の手による物といわれる魔術術式はいくつか伝承として伝えられているが、複雑怪奇で人の手には余るというのが世界の常識だ。
 並大抵の魔力では稼働すらせず、最先端魔導技術論を用いてすら解析の取っ掛かりを掴むのがやっとというほどだ。


「確かに一部を解析したようだが幸いにも解析した技術の一端も一端。よほどのことが無い限り、それこそ龍王の血でも無い限り、あの巫山戯た戦闘力、回復力は発動せんよ」


 在りし日のゴーレムを見たことがあるかのように語る老人に、店主はつい笑いそうになる。

 本当に動き出せば、老人の話も大げさなことでは無く、場合によっては大陸規模の大惨事になりかねないが、ゴーレム達が猛威を振るったのはすでに数百年前。
 今更という話だ。


「先生なら倒せそうだな。いざというときは任せていいかい」


「その場合は致し方ないだろうな。最近は実戦から遠ざかっておるので、あのしつこい奴らをあまり相手にしたくは無いのだがな」


 店主の冗談に対して老人はまたも軽く答える。
 店主本人もそんな事故が起きるわけが無いと思いつつ振ったネタなのだが、思ったよりノリが良いのか老人はしかめっ面で真面目ぶって返した。   
 当時の関係者。中央の探索者協会上層部やら、一部の上級探索者達。
 戦って戦い続けて不老長寿を得た者の中にはその時代の生き残り達も存在する。
 だがさすがにそれほどのお偉いさんが、道ばたで菓子を食いつつ雑談に興じるような事はあり得ないだろうと店主は考えていた。


「そりゃ心強い。安心させて貰った礼だ。先生一つサービスするから、もう一個、食ってくかい?」


 断りがたい店主の誘いにどうした物かと考えあぐねた老人はしばし悩んでから、


「ふむ。ではありがたくいただ……なにか起きたか?」


 最後の一つを平らげようとして大口を開けた老人だったが、広場の違和感に気づき立ち上がる。


「……い! 誰……飛び降りたのか!?」



先ほどまでの雑踏に響いていた楽しげなざわめきとは別の緊迫した声を、獣の血を引く老人の耳は捕らえていた。
 声が響いてきたのは展望台の方で下を見ていた観光客達のようだ。
 彼らはなにやら下の方を指さしざわめきや悲鳴めいた声をあげている。


「待って!? なんか昇って来てない!?」


 その声に気づいた周囲の人々が次々に展望台へと掛けより始めた。
 さらにはゴンドラ乗り場から係員が飛び出てきたかと思うと、のんびりと群衆整理をしていた警備兵達のもとに何かを伝え、散らばっていた警備兵達も急に慌ただしく動きはじめ、展望台へと集まりだす。


「下がってください! 危ないですから下がってください!」


警備兵達は展望台から下を覗こうとしている群衆を離れさせようとしているようだが、野次馬めいた人々が次々に押しかけ四苦八苦している。
 このままでは将棋倒しになって惨事になるかも知れない。


「おいおいまさか事故か!? それともまた飛び降りしようとする奴でも出たか?」


 老人から少し遅れて騒ぎに気づいた店主が、先ほどまでの冗談めいた事故よりも、身近な事故に血相を変える。
 警備兵が事故が無いようにと24時間体制で巡回をし、さらに返しの付いた柵を設け外に出られないようにしてあっても、そこから飛び降り命を絶とうとする馬鹿は年に数人は出現する。
 港と市街地を結ぶゴンドラも常にメンテと検査を行っていても、事故が絶対に起きないとは言い切れない。
 ましてや膨大な荷を積み卸しする大型ゴンドラの老朽化による修繕が近々あるというのがもっぱらの噂だ。
 詳しい事情がわからないまま、不安と混乱だけが周囲で徐々に強まるなか老人は最後の一つを紙袋に押し戻すと、


「あのままでは危ないな。少しいってくる。風よ」


 石畳を蹴った老人は単一詠唱のみで風を纏うと、その超重量級の体を軽々と舞い上がらせた。
 翼無き身による触媒無し、単詠唱による飛翔術。
 魔術を囓ったことが有る者なら、驚愕するだろう超高等技術を軽々と行った老人は、混雑した人込みの上をすり抜けて、群衆を遠ざけようとした警備兵たちの前へと降り立つ。


「皆さん下がってください! 一度に人が集中すると危ないです! ご老体! あなたも下がって」

 
 いきなり降りてきた巨体の老人に警備隊長らしき男性が後ろへと押し返そうとするが、老人はその声を無視して周囲を一瞥する。
 老人の視線が通ったその瞬間、展望台へと駆け寄ろうとしていた群衆達が石化したかのようにピタリと固まった。


「パラライズ!? これだけの数を一瞬で!?」


 視線に魔術を込める桁外れの実力に驚きの声を上げる警備隊長へと、老人はその眼前に右手の人差し指に嵌めたリングを突きつける。
 老人の指に嵌まるリングには、赤、白、緑、青、黄、黒、そして紫の7色の線が走り、さらに同系色の貴石が嵌まっていた。
 そのリングをつぶさに見た警備隊長の顔は驚愕に染まり、麻痺したかのように固まる。
 リングこそ探索者の証し。
 そして七色の線が走り貴石を備えるまで成長したリングを持つ者こそ最高峰の探索者、上級探索者に他ならない。


「上級探索者コオウゼルグだ。何が起きた」


「り、竜獣翁!? ……し、失礼いたしました!」 


 最上位敬礼する隊長の叫びに周りの警備兵達も老人の正体に気づき、慌てて隊長に倣い、一斉に敬礼を捧げる。
 竜獣翁コオウゼルグ。
 探索者管理協会魔導技術部門の最高顧問であり、その功績と実績において世界でも最高位に属する探索者を前にして、緊張した面持ちの警備兵達を前に、
 

「敬礼はいらん。何が起きた」


 こういう反応が煩わしいから、この街の探索者協会の者ですら一部しか来訪を知らさせずにいたというのに。
 気儘なお忍び旅もこれで終了かと諦め半分の苛立ちを込めながら、この騒ぎの元凶をコオウゼルグは問う。
   

「は、はい! 下の警備兵から緊急連絡で少女が一人跳び上がってくると連絡がありました! 展望台の観光客がその少女を発見しこの騒ぎが!」


 苛立ちが篭もっているせいか唸るような声を上げたコオウゼルグを前に、緊張感か恐怖か判らないが身震いしながら警備隊長は返答を返す。
 だがコオウゼルグには警備隊長のいっている意味が理解できない。


「……跳び上がってくる? 飛び降りたの間違いでは」


 緊張から言い間違えたのでは無いだろうかと、再度確認しようとしたコオウゼルグだったが、その獣の嗅覚が、どこか懐かしくありながら未知の臭いを捉える。
 次の瞬間。コオウゼルグ達が立つ展望台へと崖の下から何かがひらりと舞い上がってきた。










「おぉ! 昇ってくるとき見ていたときも絶景だと思ったが上から見るとまた違うな!」


 展望台にいた者達から見て謎物体ことケイスは喜色に満ちた声で感嘆の声を上げると、クルリと一回転して細い柵の上にひらりと降り立ち、遥か彼方までを見渡す。


「ふむ。やはり世界は広いな! ここは気に入ったぞ! スオリー。早くこい! すごいぞ!」


 昇って来たときは真下ばかりを見ていたが、こうやって広い所から見渡すとさらにまた格別。
 いきなりの登場に唖然とする広場の警備兵や群衆。いぶかしげに眉を顰めるコオウゼルグの視線を気にとめることも無く、周囲の絶景を見渡したケイスはうんうんと偉そうに頷いている。
 周りから向けられる視線には、景色に気をとられて気づいていないのか、それとも気づいているが気にしていないのか、微妙な興奮具合だ。


「わ、私はみ、見なれてま…………うっ!」


 ケイスに僅かに遅れて上がってきたスオリーは、気疲れから来る疲労に荒い息を吐いていたが、広場の異常な状況に気づき固まる。
 この場にいる数千の視線がケイスへと集中している。
 どう考えてもケイスが原因で起きたと一目で判るような状況だが、当の本人は気にもしていないのだから恐ろしい。


「ふむ。こんなに景色が良いのなら、ルディも一緒に連れてくればよかったな。喜んでもらえたのに失敗だったな………………むぅ。少しお腹すいた」


 崖を蹴りあがって登るのに付き合え。
 ルディアが聞いたら全力で拒否しそうなことを、心底残念がってみせたケイスだったが、ここまでの垂直移動で小腹が空いたことを訴える腹の音に気づき、広場の方へと振り返る。
 何千もの視線がケイスに向けられているが、ケイスは物怖じした様子も無く広場の人々を観察する。


「ん。美味しそうな香りだな」


 最後に近くにいたコオウゼルグへと視線を移して、その前にすたっと降り立つ。


「……ご老体。少しお腹が空いた。荷物持ちでも手伝うから、その御菓子を分けてくれないか」
 

 コオウゼルグの持つ紙袋の文字を見たケイスは思わず目を奪われそうになるほど天真爛漫な笑顔で、非情に厚かましい頼み事を臆面も無く宣っていた。
 その一方でコオウゼルグの顔を知っていたスオリーは顔面を蒼白に染める。
 不味い。非常に不味い。
 この二人の顔合わせは実に不味い。
 ケイスの方はともかくとして、コオウゼルグはケイスの正体に気づく恐れが極めて強い。
 その正体を確かめようと下手に動かれれば、事が露見しかねない。


「あぁぁっっ! ケ、ケイスさ、さん! ダメ! その方ダメ! お腹が空いたなら私が出しますから!」


「いいのか? うん。ありがとうだ」 


「み、皆さん! 失礼しました!」


 スオリーは脱力し掛かった身体に力を入れて、もう一度羽に魔力を通すとケイスを抱きしめそのままより上の街区へと一目散に退散を開始した。
 あっという間の出来事に誰もが反応できず、


「……今の白昼夢か? さすがにこの崖をあんな小さな子が上がってくるわけ無いよな」


「アレ協会のスオリーちゃんだろ? 担いできたとかか?」


 現実感が無い登場と言動、さらに夢幻のように消え去ったケイスとスオリーに誰もが呆然とする中、


「…………あの娘。まさか龍か」


 『竜獣翁』の二つ名をもつコオウゼルグは、その名が表す通り竜人の魔力と獣人の体躯を持つ希代賢者として知られる伝説の探索者の一人。
このカンナビスにおいて数多のゴーレムを打ち砕いたフォールセンパーティーの一人にしてかつての暗黒時代を終わらせた英雄コオウゼルグの重い響きを持った呟きが小さく響いた。











 迷宮より帰還した探索者達は、その成果に大小はあれど迷宮からのアイテムを持ち帰ってくる。
 それは迷宮『永宮未完』内でにしか生育しない植物、組成されない化合鉱物物であったり、迷宮モンスターの魔力を含んだ血肉。
 物によっては小国を買えるほどの価値を神々の刻印を持つ名品『宝物』等々。
 稀少、高額、極めて危険な物質などは、探索者達からミノトス管理協会支部が主導して、競売や、武器防具への加工などの各種管理、記録を行うが、大抵の迷宮産アイテムは管理協会から認可を受けた個人商や大店が取り扱っている。
 モンスターがその血に宿す魔力が結晶化した転血石なども、下級モンスタークラスの物は粉砕処理された粉末が、一魔力動力のランプやオーブンなど家庭用マジックアイテムの燃料としても、一般的に流通している。
 だからケイスが集めた転血石も、稀少な天然物とはいえ所詮は下級モンスターの転血石。
 港湾近くに店を開くボイド達が行きつけの、物から情報まで手広く扱う探索者ご用達の買い取り屋なら、短時間で鑑定して簡単に換金が……出来るはずだった。
 40代ほどの店主は、ルディアから受け取った転血石の袋から一つを取り出して鑑定し始めたかと思うと、すぐに顔色を変えて店の奥に引っ込んで、検査用魔具を片手に詳細な鑑定を始めていた。 
 店主が何を調べているのかは専門外のルディアや、探索者であるが魔具には疎い戦士系であるボイドには判らないが、やたらと熱心だ。
 普通ならば、店主の行動に何事かと興味や好奇心を惹かれるだろう。
 しかし存在自体が非常識なケイス絡みの事案に、ここ数週間で幸か不幸かある程度は適応してしまっていた二人は、特に慌てるでも興味を引かれるでも無く、店主の鑑定が終わるのを、ただ待っていた。
 どうせ後で驚かされるなら、一度で十分だという、ある意味で諦めの境地と言えば良いのだろうか。 


「なんか広場の方がやたらと騒がしいんですけど、ここって、いつもこんな感じですか?」


 店前に申し訳程度に設けられた日よけパラソル下のベンチに腰掛けたルディアは、通りを行き交う人々のざわめき声やら、ばたばたと駆け回る警備兵を眺めながら、ある程度予測はついていながらも一応確認で尋ねる。


「いつも活気はあるが、そういう雰囲気じゃないな。なんか騒動を起こしたんだろ。ケイスの奴が」


 黒髪娘。

 スリが刺された。

 ゴンドラの運航が停止。

 崖を蹴り上がっていった。

 集団麻痺。

 行き交う噂の断片を聞き流しつつ、通りを行き交う人込みの中で誰かを探しているボイドがルディアがあえて除外していた答えを断言する。
 遠慮や周囲の空気を読むやら、常識という概念を全く持たない美少女風怪奇生物なケイスが、ルディア達から先行してカンナビスに上陸してからすでに小一時間以上。
 大小様々な騒動をダース単位で起こしていても不思議ではないだろう。


「…………良い天気ですね」


 ボイドの断言に無言の同意を返しつつ、ルディアは現実逃避気味に空を見上げる。 
 天空高くで燦々と輝く太陽の強烈な日差しが、切り立った岩肌の照り返しでさらに増幅され、ただでさえ暑い砂漠の気温をさらに上げている。
 雪国育ちのルディアには正直堪える暑さだが、実に一月振り近くの太陽の日差しともなるとそこまで不快では無かった。
 しかし何時終わるともしれない鑑定待ちのこの時間を日光浴に当てるには、さすがに砂漠にほとりにあるこの街の日差しは強すぎる。


「そういえばボイドさんは良いんですか? 協会支部に行かなくて」


 ボイドは店への案内と紹介のためにルディアに同行してくれていたが、ボイドの妹であるセラやヴィオンといった他の護衛探索者達はカンナビス支部へと新型サンドワームの詳細報告書や証言をするために提出に一足先に上部の街区へと上がっていた。
 パーティリーダーであるボイドもすぐにその後を追うかと思っていたのだが、店の壁により掛かって鑑定が終わるのを待っていた。


「俺は動いている所はほとんど見てないから、特に報告することもねぇからな。ゴンドラも停止してるみたいで、一々階段を登るのも面倒だからかまわねぇよ」


 サンドワーム戦の際、ケイスのとばっちりで麻痺状態になっていたボイドは、刃を交えるどころか動いている姿もほとんど見ていない。
 証言できることなんぞほとんど無いのに一々時間をとられるのも面倒だと肩をすくめて、またも通りへと目をやり行き交う人々を視線で追う。


「まぁ、それに下で待ち合わせしてたヴィオンの姉貴と行き違いになりそうだしな……なにやってんだスオリーの奴は。ケイスからの頼まれ事をとっとと終わらせたいってのによ」
 

 何時もは頼んでもいないのに出迎えに来る幼なじみが、待ち合わせをしていた今日に限って姿を見せなかった事に、ボイドはどうにも嫌な予感を覚える。
 何せ今カンナビスには特大級の嵐が絶賛来襲中。
 面倒なことに巻き込まれていなければ良いんだがと、ボイドが気をもんでいると、


「終わったぞ……姉ちゃん。あんた冗談抜きでこれをリトラセ砂漠の特別区で手に入れたのか?」


 妙に疲れた顔でのっそと出てきた店主が転血石の入った小袋を片手に下げながら、やけに血走った目でルディアに尋ねる。


「あたしが手に入れたんじゃ無くて、知り合いがリトラセ砂漠を越える間に狩ったモンスターから回収した品ですよ。ボイドさんやらセラさんも証言可能です」 


半信半疑を通り越して、明らかに疑いの目線を向ける店主に、ルディアは落ち着いて事実のみを淡々と告げる。
 元々無茶な話なのだ。
 天然物の転血石なぞモンスターを100匹以上も狩って、一つ出てくれば運が良いといえる代物。
 ケイスがやって見せたように、狩ったモンスターのほとんどから出てくるなんてのは、質の悪い冗談でしかない。
 未だ疑いの目を向けていた店主だったが、次に視線を向けたボイドが無言で頷きルディアの弁を肯定すると大きく息を吐くと、懐からくしゃくしゃになった煙草を取り出すと火をつけた。


「マジか……ボイド。お前らが乗った船がリトラセで停泊して狩りした場所を教えろ。高値で売れるぞ。っていうか俺にその情報を売れ」


 一息吸って精神的に落ち着いたのか店主が煙を噴かせながら、至極真面目な顔で取引を持ちかける。

 
「あぁ? どういうことだ」


「どでかいお宝が眠ってるかもしれねえって事だ。お前ら天然物の転血石がどうして出来るは判るか?」 


 他の奴に聞かれると困るとばかりに店主は周囲をきょろきょろと見て、聞き耳を立てている者がいないかを確認してから、少し声を潜めて尋ねる。


「モンスターの血液中の魔力濃度が高くなって徐々に凝縮結晶化していく……でしたっけ」


 別に後ろめたいことは無いが店主に釣られルディアもつい小声で返す。
 迷宮モンスターは大小の差はあれどどれもがその血液、体液に魔力を宿す。普段は血液中に溶け込んでいる魔力だが、魔力濃度が高くなると砂粒のように固体化する性質を持つ。
 それら血液中の粒子は通常なら、濃度が低下すればまた血に溶けるのだが、中には結晶化して安定する粒子もある。
 その結晶化した粒子が徐々に集まり目に見える大きさになった物が転血石と呼ばれている。
 昨今の主流である人工転血石もこの性質を利用し、大量の単一種迷宮モンスターの血を集め濃縮することで、人工的に高濃度状態へと変化させ、さらに術を用いて強制的に結晶化させることで大量に作り出している。


「正解だ。体内魔力濃度ってのはいろいろな要因で変わる。周囲の環境や状況、そして餌だ。一番手っ取り早いのは食いもんだ。高魔力を持つ肉やら植物を喰らえば、モンスター共の魔力濃度が急激に上がる。限界点を超えた魔力が飽和状態になると結晶化して転血石になる……でだ、この転血石の含有魔力を鑑定してみた結果だが、こいつら龍を食ってやがる」 


 龍。
 それは迷宮に住まう生命体、もっといってしまえばこの世の生物の頂点で君臨する種族。
 小島ほどの巨体に、街を消し飛ばすほどの獄炎を吐き、天候すら変える強大な魔力を有し、巨人の攻撃すらもその鱗で易々とはじき返す。
 数少ない上級探索者でもさらに一握りの者しか抗えない暴君。それが龍だ。


「この数の転血石が一斉に発生するなんぞまずあり得ない。しかも龍由来だ。普通に考えればお前らが狩りした近くに龍の死骸があるって事だろ。血、肉が残ってれば最高だが、骨だけでも一財産に……どうしたお前ら妙な顔して」


 龍の血や肉は薬や魔術触媒の材料として最高級品になり、骨も武具や魔具としてどれだけ高値でも引き取り手が数多な素材。
龍を倒してその血肉を手に入れるのは無理難題だが、その死骸が手に入るかもしれない美味しい儲け話だというのに、ルディア達二人の反応が妙に薄いというか微妙な表情をしている事に店主は気づく。


「あー。おっちゃん興奮してる所悪い。言ってなかったが、その転血石、リトラセを移動中に砂漠で適当に引き連れてきた獲物から出てきた。場所も日時も出てきた生物もばらばらだ。どこかなんて特定なんて無理だぞ。なぁルディア」


「え、えぇ。なんかその子は特別な方法があるとか言ってて、実際に適当に狩った獲物の大半からぽろぽろ出てました……嘘みたいですけど本当です」


「ぼろぼろっておい。いくらなんでもそんなこ…………」


 二人が儲け話を隠そうとごまかしているかと疑いかけた店主だが、答えたルディアの乾いた笑いに嘘はついていないと感じ、一度落ち着く為に煙草を一吸いして煙を吐く。
 この転血石が龍由来である事は間違いない。しかし狩った日時も場所もばらばら。
 龍という災厄そのものに関した奇妙な品。
 何となく掌の石に不気味な物を感じた店主は、


「しかしそうするとこりゃどういう事だ。特別な方法って龍の血でも撒き餌に使いましたとかか? 龍の生血なんぞ使ったら、そっちの方がこの石より高く……なっち……まう……」


「あの子なら」

「ケイスなら」


「「やりかねない」」

 
 店主の下手な冗談に対して二人が呆れと諦め混じりの表情で同じ言葉を発し、うっすらと寒い悪寒を余計に感じる羽目になった。















 砂船トラクの船倉から続々と降ろされる荷箱。
 ファンリアキャラバンの商人達はカンナビスで納品する品と、この先の道すがらで売りさばいていく商品と箱書きを確認し仕分けながら、借り受けた馬車に積み替えていく。
 当初の予定ではカンナビスで五日ほど宿泊し、その間にカンナビスでの商取引やこの先の水、食料の仕入れに当てる事になっていたが、いろいろとトラブルは会った物の結果的に旅程が二日ほど縮まっていたのは幸運だったといえるだろうか。。
 割高になる街での宿泊代を考えるならば、予定が早まった分、出立も繰り上げれば良いのだろうが、そうもいかない事情がある。
 現在の護衛役であるボイド達は、リトラセ砂漠周辺を拠点とする護衛ギルド所属でカンナビスまでの契約。
 ここから先は大陸中央山脈地帯を専門とする別の護衛ギルドの探索者達と交代する手はずになっているが、その彼らは別キャラバンの護衛として大陸中央からカンナビスへと向かっている途中。
 結局当初の予定通りの日付でカンナビスを出立する計画となっていた。

 
「ラクト! そっちの荷物、次に降ろすぞ。隣の小さいのが邪魔かもしれねぇが、皮防具用の補助プレート類が入っていて見た目より重いから二人がかりで」


 積み下ろしをする商人達の中には無論マークス親子の姿もある。
 武器屋である彼らが扱う商品はこの炎天下でも劣化や腐る心配などは無いが、長柄武具などのかさばったり、金属鎧のような重量がある物も多く一苦労だ。


「問題ねぇよ親父。このくらいなら一人で持てるから。先に降ろすぞ」


 父親からの忠告に対して、ラクトは補強用金属プレートがぎっしりと詰まった小箱を軽々と持ち上げて答えてみせる。
 大人二人がかりでも相当苦労する重さがあるはずなのに、ラクトは涼しげな顔だ。


「それ中身が違ったか? 何が入ってるんだ」


「補助プレートであってる……闘気使った身体強化っての使ってるから持ち上げられてるだけだっての」


 疑問符を浮かべる父親に対して、ラクトは何故か渋面を浮かべ不機嫌そうに答える。


「あぁ、それか。気持ちは判らなくもないが……まぁ役に立ってるんだから少しはケイスに感謝しろよ」


「わーってるよ! それよか親父くっちゃべってないでとっとと降ろすぞ。この後ルディア姉ちゃんらと合流しなきゃならねぇんだからよ」


 より不機嫌になって荒々しく会話を打ち切って荷物を移し始めた息子に対して、マークスは額の汗を拭いながらどうしたものかと頬をかく。
 今現在遣っている闘気変換法はケイス直伝。
 極々少量の生命力を必要最小限で闘気変換し、長時間の肉体強化を行うコツと一緒に教わった物だ。
 普通なら便利な技術をこんな短期間で教わったのだから感謝するような事だろうが、何せその相手はケイス。
 しかもその教え方は、ラクトが躱せるくらいのスピードで剣で切りつけるから、躱し続けろ。
 死ぬ気で避けてればそのうち嫌でも覚えると。
 文字通り身体に叩き込む、実に物騒なことこの上ない練習方法だった。
 ケイス曰く『実戦形式が一番身につく』との事だが、そこらのモンスターすらも震え上がらせる事が出来る美少女風化け物に抜き身の刃で追いかけ回された恐怖は、ラクトが連日悪夢としてうなされるほどのトラウマとなっていた。 
 そこまで苦手意識を持ってしまったのだから、決闘なんぞしなければ良いんじゃないかというのがマークスの正直な気持ちだ。
 元々は極めて判りづらいケイスの物言いが原因の誤解なのだから、その誤解が解けた以上、無理してやる必要はないんじゃないかというのが、マークスも含めた周囲の考えだが、しかし当の両人は違う。
 何を考えているのか常人には理解不能なケイスは仕方ないにしても、ラクトが意地になっているのが少し気に掛かる。
 小生意気という言葉が裸足で逃げ出すほど、傲慢かつ傲岸不遜を地でいく年下の少女に、あの世代の男子が反感を覚えるのは仕方ないのかもしれないが、それにしても少しばかり度が過ぎているような気もしないでもない。
 まるでアレはケイスの存在そのものが許せな……

 
「だからサボるなよ親父! 年で動けないなら横に行ってろよ邪魔だから!」


「んだとこのガキ! 誰が年だ! 誰が!」


 ケイスに対する息子の態度に少しばかり違和感を感じていたマークスだが、その考えが正解にたどり着く遙か前に、思考の中断を余儀なくされていた。













秘匿されるべきケイスの存在が竜獣翁コオウゼルグに露呈する前に、ケイスを抱え脱兎のごとく逃げ出したスオリーは、カンナビス最上部の市政庁施設が立ち並びもっとも治安の良いベント街区へと退避していた。
 空腹を訴えるケイスを連れて行くならば、ここまで上がらずとも飲食店が建ち並ぶ地区や通りがいくらでもあるのだが、そういった人通りの多い所は、下の港ほどではないがスリやかっぱらいなども時折出没する。
 先ほどスオリーも実際に目の当たりにしたが、ケイスはその様な輩を見かけた場合、なんの躊躇もためらいもなく実力行使に出る。
 その過激な思考と戦闘能力から考えれば、その程度の軽犯罪ですら、自分が気に食わなければ人死を出しかねない。
 これ以上の騒ぎを避けたいスオリーとしては、治安の良いベント街区を選ぶのは必然といえた。
 ただそれでもスオリーの不安は消えない。
 ありとあらゆるトラブルを引きつけ、引き起こし、その全てを力ずくで叩き切り、ねじ伏せる。
 

「ケイスさん。お願いだからここ動かないで。ちょろちょろすると”危ないから”……・そこのお店ですぐお菓子でも買ってくるから。絶対に動かないでね」


 ケイスの旅路を報告書で知るからこそ、ケイスに関しては何が起きても不思議ではないので、そこから動かないでくれと何度も念を押す。 


「ん。心配するな。お腹が空いているから、あまり動く気は無いぞ」


 だが当の本人はそんなスオリーの心配など気づく様子もなく、鷹揚に頷くと建物の壁に背を預け、通りを行き交う人々を眺め始めた。
 きょろきょろと周りを見るこの姿だけを見ればどこかの田舎から出てきた純朴な少女といった感じだが、その中身を知るスオリーは気が気ではない。
何せ相手は、己のルールで生きる野生の猛獣のような存在だ。


「ふむ。心配してくれるのはありがたいが大丈夫だぞ。私に危害を加えようとする輩がいれば、ちゃんと斬るから心配するな」


「す、すぐ買ってきますから大人しくしててください」


 冗談なのか、それとも本気なのか。
 どちらともいえない真面目な顔つきで頷くケイスの物騒な言動に、スオリーは満腹時なら少しは大らかで大人しくなるという情報を思い出し、慌て気味に贈答用の菓子を売っている店内へと走っていった。









「良い人だな。しかし心配性が過ぎるな。私をどうこうできる者などそうはいな……くもないな。うー」


 お腹を空かせている自分の為に急いで買いに行ってくれたのだろう。
 ずいぶんと身勝手な想像をしながらケイスは頷きかけた所で、カンナビスについてから目に止めた人々を思い出して、少しだけ不機嫌な表情になる。
 その幼少時から大半を迷宮龍冠で過ごしたケイスにとって、周囲がいきなり敵地に変わるなど日常茶飯事。
 常に周囲の生物を見定め、どうすれば勝てるかという警戒が意識の片隅に常駐している。
 その勘に従えば、カンナビスにはケイスよりも純粋な実力で上回る探索者は、ここまでの道すがら見ただけでもごろごろといた。
 安全な街中で警戒が薄れているのか、不意を突けば勝てるか、五分と五分の勝負に持ち込める者も多いが、逆立ちしても勝てそうにない実力者もすでに数十人はいただろうか。
 特に展望台で出会った竜人らしき老人は別格。
 何者かは知らないが、よほど名のある探索者だろう…… 


「ふむ。菓子をねだるより、手合わせを求めて斬りかかるべきだったか? ……そういえば今日はまだ何も斬っていないな」


 他人が聞いたら正気を疑いたくなる独り言をつぶやいたケイスは、お腹が空いていると鍛錬より食欲を優先してしまう自分の行動を反省しつつも、今朝起きてからは到着直前だった為に食堂の仕込み手伝いもなく、モンスター狩りもしていない事を思い出す。
 急に物足りなさを感じたケイスは、眉間に皺を寄せる。
 

「むぅ……・先ほどは急いでいたから投げたが、斬った方が良かったか?」


 先ほどのスリに対して横着してナイフを投げないで、斬っておけば良かったかと悩む。投擲術は嫌いではないが、やはり手応えというか斬りごたえという点では物足らない。
 しかし例え犯罪者でも、街中で人を斬ると、警備兵やらがいろいろ五月蠅いという事は最近は学習したし、あの程度の相手ならば無力化するだけならあれで十分なのも確か。
 面白い物が多くて美味しいご飯が多い街中は好きだが、街事に微妙に違ういろいろな規則が少し煩わしい。
 モンスターのように戦闘欲と食欲を両方を満たせる存在が跳梁跋扈している外は気楽で良いが、甘い物がなく、気軽に温かい風呂にも入れない。


「……くんな! あーいい加減しつこい!」


「だ…阿呆! お前が……逃げてかっらだ! 体力ねぇ時に走らせんな!」

 
 一長一短な状況に何か良い手は無い物かと考えていたケイスだが、その鋭すぎる聴覚がなにやら言い合う声を捉え、そちらへと目を向けた。
 ケイスがそちらへと目をやるとなにやらすごい勢いで駈けてくる一組の男女の姿が見えた。
 前を走るのは栗色のショートカットでぱりっとした作業衣を纏いモノクルを付けたどこかの技術者風の二十代前半くらいの若い女性だ。
 その女性を追いかけているのは、何時洗ったのか判らない薄汚れた白衣を着込んだやけに痩せこけた頬と、ぎらぎらとした目つきが特徴なぼさぼさ髪の男だ。
 男は女性に何とか追いつこうとしているようだが、ふだんから運動不足なのか息は絶え絶えで足元もふらついていた。


「助けて変質者に追われてます!!!」


「人聞きわるいこというな! 良いからこれ見ろ! 絶対無理だっつってんだろ!」


「あー! あー! きこえないっ! きこえないっ!!!!」


 男は右手に鷲づかみにした紙束を女性に読ませようとしているようだが、女性の方は心底嫌がっているのか、両耳を押さえながら大声を出して男性の呼びかけを拒否していた。
 なにやら訳ありの二人に関わり合いになりたくないのか、通りを行き交う人々は迷惑顔を浮かべながら避けている。

 
「ストーカーという輩か。どこの大陸でも変わらんな」


 女性を追いかける男の姿に、お気に入りの小間使いに強引に言い寄っていた騎士を思い出しケイスは気分を悪くする。 
  嫌な記憶を思い出させた男が気に食わないし、斬ってしまおうかと考えたケイスは懐に左手を入れたが、


『世の中には女性にしつこく言い寄る殿方も多いですが、恋心が拗れただけで悪気はないんです。だから今度からは”斬ったり”、”ばらばらにしたり”、”踏み砕いたり”……とにかく殺そうとしないでください。もし同じ場面に出会ったらすぐに私か、他の誰でも良いから呼んでください』


 涙目で説教をしてきた従姉妹でもある侍女の顔を思い出し、左手を無手のまま引き抜く。
 何故怒られたのか今でも理解できない。
 しかも助けてやったはずの小間使いがケイスを見るとがたがたと震え錯乱するようになり、いつの間にかいなくなってしまっていたのは、ケイスにとっては嫌な記憶だ。
 しかし嫌な記憶を思いだしたからといっても、自分が気に食わないことを見過ごすのはケイスの流儀でない。 
 ケイスの目の前をバタバタと女性が大声で叫きながら通り過ぎる。
 続いてその後を追いかけていた男が目の前に来た瞬間、ケイスはゆらりと左手を突き出した。















「ん……ふむ。美味しいなメープル味か……ん。これ好きだぞ。スオリー礼を言うぞ。ありがとうだ」


 怪我をした右手で胸に抱えるようにした袋から、左手で取り出した熱々の焼き菓子に満面の笑顔でかぶりついたケイスは一口ほおばって嚥下すると、目をキラキラと輝かせ、焼き菓子を奢ってくれたスオリーに深々と頭を下げる。
 幼いながらに人目を引く美貌に無邪気な笑顔。
 今のケイスの姿はまるで絵画の中から抜け出してきた無垢な天使のように見えるだろう。


「おいこらガキ…………人を踏んどいて食事とは良い身分だな」


 ……その足元に腹を踏まれ身動き一つ出来ない男がどこか達観した表情で転がっていなければだが。


「え、えぇそれは良いんだけど……ケイスさん……その足元の人って」


 引き気味の表情でスオリーは尋ねる。
 腹を空かせたケイスに与える為に、焼き菓子を買う為に目を離したのはほんの1分ほど。
 たったそれだけの時間なのに店から出て戻ってくると、すでにトラブルを引き起こした後だった。
 何が起きて、何故こうなったのか理解不能な状況にスオリーは頭がくらくらしてくる。
 遠巻きで見ている見物人達がなにやらひそひそ言い合い、矢鱈と注目を集めてしまっているが、ケイスは平然としている。


「嫌がる女性に付きまとっていたから留めただけだ……ん。こっちはハニークリーム味か。ん。美味しいなこっちも」


 虫が邪魔だから追い払ったというような軽い感じで答えたケイスは、じと目を浮かべる男や周囲の視線を全く気にもせず二つ目に取りかかる。
 その様にスオリーは報告書に書かれていた、この”特異存在”の特徴をまじまじと思い出させられる。

 ”見た目は人だが、その中身は龍である” 

 この少女にあるのは己のルールのみ。自分が気に入れば護り、気に食わなければ殺す。世界の頂点に君臨する傲慢にして暴虐な龍そのもの気質を持つ人間だと。

 
「付きまとってなんぞねぇよ。あいつはただの元同僚だ……くそ。腹が減ってなければこんなガキに。おいガキ。俺を踏んだのは許してやるから、それ一つよこせ」


 闘気を使った捕縛術でケイスは押さえ込んでいるのだが、男の方は空腹で力が入らなくて幼い少女に押さえ込まれたと思い込んでいるようだ。 


「ん。腹を空かしているのか……菓子はやっても良いぞ。ただし先ほどの女を追いかけるのを止めると約束すればだ。元同僚だか知らんがお前に追いかけ回されて嫌がっていたぞ。右手の紙束は恋文か?」


「付きまといじゃねぇよ。人が親切心で忠告してやろうとしてるのに逃げるあいつが悪いんだよ。しかも俺の研究レポートをラブレターなんぞ低能な物を呼ばわりすんなや」


 10代前半の令嬢然とした美少女が30代くらいの怪しげな研究者ぽい男を真っ昼間の路上で踏みつけている。
 これ以上は滅多に無いというほどに意味不明な状況だというのに、当の両人は何故かその体勢のまま平然と会話を交わし始めていた。


「レポートだと? 見せてみろ。嘘だったら殺す……のは駄目だったな……ん。肋を一本ずつ追って内蔵に刺していくからな。温厚な私に感謝しろよ」


「そっちの方が怖ぇじゃねぇか……はぁっ。ったく! 別に読んでも良いが、先に行っておくが素人にゃ理解不能な内容だからな。魔術式の解析レポートだ。意味が判らないからって暴れるなよ。それよりか、読ませる代わりにその菓子一つよこせ。こっちは腹が減って死にそうなんだよ」


 脅しでも冗談でもなく本気で言っているケイスに対して、男の方は好きにしろとばかりに右手に持っていた紙束をほれと投げ渡し、代わりに焼き菓子を要求する。

 
「スオリー、残りをこの男にくれてやれ」


 少し名残惜しそうに右腕で抱え込んでいた紙袋を見ていたケイスだったが、左手で紙束を受け取ってしまった以上は仕方ないと頷くと、呆然としていたスオリーに紙袋を口でくわえ投げ渡すと、ぱらぱらと紙束を捲りながら流し読みを始めていた。
 この菓子を買い与えたのはスオリーなのだが、どうやらケイスの中ではすでに全て自分の物で、どうしようとも自分の自由という意識のようだ。
 それどころか、先ほど出会ったばかりだというのに、なんの迷いも無くスオリーを下僕のように扱い始める。
 血筋故かそれとも気質故か。
 傍若無人に振る舞い続けるケイスの様に、その出自を知るスオリーそう思わずにはいられないでいた。


「……あ、あのすみません。私の連れがとんだご無礼を」


 とりあえずしゃがみ込んで男を見たスオリーは自分が謝るべきなのかどうか今ひとつ不明だが、とりあえず謝ってみようとするが、


「挨拶なんぞいらねぇから、早くくれ」 
   

 しかし男の方もケイスに負けず劣らず変わっているのか、どうでも良さそうに言い切ると、目の間に差し出された紙袋に手を突っ込んで焼き菓子を取り出して、むしゃむしゃと食べ始めた。


「貴様もう少し味わって食え。もったい無いだろ」


 レポートを捲りながらケイスは不満げに、未だ踏み続けている男に注意をする。
 どうやら相当菓子に未練があるようで、その目は恨みがましい。 


「あぁ腹に入りゃ一緒だ一緒。おいガキあと飲むもんもよこせ。甘ったるくてかなわねぇ。砂糖ミルク無しの濃縮コーヒーだ」


「我が儘な奴だな。飲み物は待っていろ。もうすぐ読み終わる」


「眺めてるだけで意味なんぞわからねぇだろ」


「馬鹿にするな。多少理解できない部分もあるがこれは仮想生命体の術式だな。ゴーレムの起動式などに使う物だな……ん。しかしこれの基盤はどれも見た事がないな」


 ガキになんぞ判って溜まるかと言わんばかりの男に、ケイスはむっと眉を顰めると僅かに足に込めた力を強める。


「ぐぇっ! ガキ!! 腹を踏む力を強めるな。せっかくの食料吐き戻すだろうが」


「ふん。私は馬鹿にされるのが嫌いなんだ……しかしこの基盤の複雑さ……ひょっとしてカンナビスゴーレムの起動制御式か?」


 ケイスの足元でつまらなそうにしていた男の表情が一変し真剣味を帯びた。
 変貌した表情はケイスの予想が正解だと告げている。 


「……なんでそう思った」


  二人の会話を頭痛を覚えつつも横で聞いていたスオリーは、ケイスの口から出た言葉に驚きが表情に出そうになりつつも何とか押さえ込む。
 かつて龍により生み出され猛威を振るったカンナビスゴーレムの操作術式が一部とはいえ解析された。
 この界隈を最近湧かせていた話題であり、ケイスの事がなければスオリーが最優先事項として調べ無ければならない情報だった。 


「勘だ…………それよりも、どうやらこれは本当に研究レポートだな。私の勘違いのようだ。すまんな。謝罪する。許せ」


 だがケイスは男の問いに対して珍しく言葉を濁して答え、話は終わりだとばかりに男の身体から足をどけ、左手で男の身体を無理矢理引き上げた。


「せっかくあいつを説得する良い機会だったってのに邪魔しやがって。あやまりゃすむ問題じゃねぇぞ………・…って言いたい所だが、飯を奢れ。それでチャラにしてやる。これっぽっちじゃ足りねぇよ」


 服についた汚れを手で無造作に払った男は、中途半端に食べた所為で余計に腹が減ったのか、ケイスに対して謝罪を受け入れる条件を提示する。
 大の大人が少女に飯をたかるという、どう考えても体面の悪い事柄だというのに男の方には恥じ入る様子はまるでない


「ん………………………すまん。スオリー。持ち合わせがない。あとで返すからこの男にも食事を奢ってやってくれ」 


 渋面を浮かべてしばし考えたケイスは自分の不利を悟ったのか、スオリーに頭を下げて頼み込んできた。


「え、えと構いませんけど。とりあえず場所を変えませんか? さすがに恥ずかしくなってきたので」


 周囲の奇異の視線はますます増えるばかり。このままでは表の職業にすら影響が出かねない。
 場所替えを提案したスオリーに対してケイスは鷹揚に頷き、


「おし。ただ飯ゲット。ここ4,5日は水と塩しか食ってなかったから助かった」 


「それは食事ではないだろう……そういえばまだ名乗ってもいなかったな。私は旅の剣士のケイスだ。家名は故あって名乗れん。許せ。こっちはスオリーだ。この街の管理協会の職員だ」


 男の貧相な食事にさすがのケイスも若干あきれ顔を浮かべていたが、気を取り直すとピンと背を伸ばして男に対して堂々と自らの名を名乗り、何故かスオリーの分まで紹介を済ませた。


「家名ってお前……どっかの貴族の子弟か? 面倒なのに関わっちまったか……しかし今食わないと来週まで生きてられるか……わからねぇしな……ウォーギン・ザナドール。現在絶賛無職な天才魔導技師だ」


 ケイスの名乗りに面倒そうな顔を浮かべた男は無精髭の生えた顎をしばしさすりながら考え込み、それでもただ飯の誘惑が勝ったのか、皮肉気な表情で自らの名と職業を告げた。 



[22387] 剣士と運命
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/07 22:46
「5番テーブル! エール追加8つ! よろしく!」


「あいよ! 12番さん! 串盛り出るよ!」


 まだ夕方になったばかりだというのに8割方は埋まった居酒屋では、雑談を楽しむ客の声にかき消されないようにと従業員達が威勢の良い声を上げて注文を通していた。
 隣接するリトラセ砂漠迷宮区の拡張が確認され、新たなる区画へと挑む大陸中から押し寄せる探索者や、そんな彼らを相手に一儲けしてやろうという商売人や、武具や道具の補修作成に忙しい流しの職人達が仮の宿とした宿場街に存在するこの店は、味はそこそこだが、安く、とにかく量を売りとする大衆的な店だ。
 店内を埋め尽くすのは、砂漠から帰ったばかりなのか砂埃で汚れた探索者や、熱い日差しの元で商売していたのか真っ黒に日焼けした行商人。
 手や爪に汚れを残した職人らしき者など、職種の違いはあれど店内には男臭さが溢れている。
 その証拠と言うべきか、店内の中央は舞台となり一段高くなっており、周囲のテーブルは中央が見やすいように配置されている。
 常時は吟遊詩人や曲芸師が余興を行う舞台となるのだろうが、一度喧嘩が起きればそれを酒のつまみとして賭けが始まる類いの、そんな荒々しい店の奥にある8名掛けの大きな角テーブルを、傍若無人にも男女と少女各1人の計3名で占拠する一団が居た。


「ん。しかし。ここは解決可能では無いのか? 雷獣系の肝から作った触媒の魔術文字を刻めば過剰属性魔力を防げるだろ。この魔術文字で出力制御しておけば暴走しないだろ」


 串焼きの肉を頬張ったケイスは空になった串の先端で、テーブルの上の絵図面の一部を指し示す。


「あーそりゃ無理だ。んな所に抑制文字なんて使ったら、隣側の導線に影響が出やがる。ほれここだここ。こいつは基幹部のメインラインだからここで押さえると、こうきてこっちのラインが増幅不足で動かなくなる」


 対面に腰掛けた無精髭のウォーギン・ザナドールはケイスが指し示した点を指し示すと、迷うことも無く別の絵図面を取り出して、そこから至る魔力の流れを説明していく。
テーブルのど真ん中に資料を広げ、その左右に空となった皿やらコップを積み重ねて魔法陣構築議論を交わし続けすでに2時間以上。
 夕方ピークが始まり空きの少なくなってきた店内で、8名分の座席を3名で埋めるという暴挙に周囲の空気は徐々に厳しくなってきており スオリー・セントスは周囲から聞こえてくる舌打ちやら、無遠慮な視線で寄せられる非難の目に、徐々に強まるプレッシャーを感じていた。
管理協会支部の受付として地元の探索者達には顔がしれているスオリーが同席しているので、店の者から大目に見て貰っている上、客の方も直接に絡んでくる者が無いのは不幸中の幸いだが、それがいつまで持つかは判らない

「あの……二人とも、そろそろお店の迷惑になるから出ま」


 スオリーは一度河岸を変えるべきかと思い何度も提案しかけているのだが、


「ん。そうだな。店員! 先ほどと同じ物を3つ追加だ」


「こっちも酒1つ! 冷たいやつ」



 だというのにあとの二人はそんな周囲の空気を一切気にせず、スオリーの提案にも、手つかずの料理が無いまま席を占拠しているがまずいと考えたのか、さらに食べ物と飲み物を追加する始末で、まだまだ居座る気のようだ。
 もっとも店的には長時間占拠はさほど気にはならないかもしれない。
 3人のうちスオリーと、ウォーギン・ザナドールと名乗る自称天才魔導技師が食べて飲んだ量は、常識的な量だがあと1人が化け物だった。
  何せスオリーの隣に座るケイスが食べた量は、すでに成人男性で20人分以上にはなるだろう。
 この小さな身体のどこにそれだけの量が入るのかと、普通の人間ならば驚愕するだろうが、幸か不幸かスオリーは美少女型怪物の正体を知っている。
 食べた食料を即座に消化して生命力へと変換し、骨が砕け折れて怪我をしたという右腕の自己治癒能力を最大活性化させているようだ。   
 人型の龍ともいうべき少女には造作も無い事なのだろうが、世間の常識を知らず、そもそも気にもしないその行動は、悪目立ちしすぎていた。 


「ふむ……基礎を囓っただけの私ではすぐに理解できないな。ウォーギン。お前はすごいな。こんな物をよく解析できたな」


 難しげな顔でテーブルに広げられたいくつもの図面と睨めっこしていたケイスは何度か見直してウォーギンの説明に合点がいったのか、惜しみない賞賛の声を送る。
 ウォーギンの広げたお手製の図面に書かれているのは、幾重にも魔法陣を重ねた積層球型複合魔法陣の図面。
 かつて猛威を振るったカンナビスゴーレムの起動魔法陣の解析図だというそれは、魔術師として初歩的ではあるが、魔法陣作成知識を持つスオリーですら難解しすぎて、話しについていけないほど複雑怪奇な代物だ。
 しかしケイスはほんの少しの説明だけで、自分の中でかみ砕いているのか、理解を示していた。
 かつてケイスが魔術師としての才もずば抜けた、それこそ化け物であったと資料で知っていたからこそ、難解な魔導技術にすら一定の理解を示す少女の正体へと疑惑を持たずにすむが、普通なら訝しげに思うだろう。


「解析つっても全解析にはほど遠いんだよ。消失してる部分を推測して埋めたりしてっから、間違ってる可能性もある。試作品のゴーレムも伝承のカンナビスゴーレムにゃほど遠い性能だったからな。しかも解析出来たのは出力系の一部のみ。外殻構成系やら情報伝達系なんぞまだ手つかずだぞ」


 その一方でウォーギンの方は、ケイスの知識と理解力を気にするでも無く、まだ解析できていない部分があると不満げな事以外は、降って湧いた技術談義を楽しんでいる節すら見え隠れする。
 スオリーは理解する。
 ケイスも常識外の天才であるが、この冴えない30男も自称していたとおり天才だということに。
 年や性別も違うのに出会ったばかりで、ある意味で意気投合して盛り上がっているのは、互いが天才だから故か、それとも変人故だろうか。
 

「お待たせしました~。串盛りと冷酒です」


「おう悪いな姉ちゃん。中途半端でも拾えた部分だけでも、技術還元しようと言い出しやがって……技術屋としてんな半端もん出して恥はねぇのかあいつらは」


 店員が持ってきたグラスを受け取ったウォーギンはちびちびと飲みながら、あきれ果てたと表情を浮かべて愚痴を吐き捨てる。
 

「こいつは暗黒時代。しかも龍の代物だぞ。解析できたつもりの部分にも何が隠れてるかわからねぇのは言うまでもねぇだろ。つーか完全に怪しい。ここらの無駄に凝った機構とか普通ならもっとすっきり出来るはずなんだが、わざわざ複雑にしてやがる。これが何なのかまだ不明だ。あと一月あれば一応の取っ掛かりぐらいは判るんだろうが、もう発表会間近でタイムオーバーだ」


 かつてトランド大陸から人間族、獣人族、魔人族、竜人族等、全ての文明人種を駆逐しかけた迷宮モンスターの大増殖と、それと連動した火龍による大陸殲滅を纏めて、暗黒時代と呼ぶ。
 迷宮に巣くうモンスターが他の生命体を捕食するのは自然の摂理であり常識だ。
 生態系の頂点に君臨しながらも一部の固体を除き、他種族との不干渉を貫いてきた火龍種が人種殲滅に出た理由は今でも謎とされている。
 しかし火龍種が文明種族に対する明確な敵対意思を持っていたことは明確で有り、その時代に彼らが作り上げた機構はどれも人種に危害を及ぼす目的を持っている。
 興味半分にそれらの機構をいじって、大事件に発展した事もそれほど珍しい事ではない。
 ウォーギンの心配は些かも大げさではないだろう。 
 

「ん……言われてみればあまり意味は無いな。だったら今指摘した周辺を置き換えて商品化すれば問題無いのではないか」


「あーそら試したが、そうしたら何故か出力低下しやがって、既存の技術でも代用可能で没になった。んでいろいろやってみたが芳しくなくて、この機構自体も害はなさそうだからって、現状で使える部分はそのまま再現構築して商品化するって愚策が大勢を占めてな。で、俺は強硬に反対してたらついに首になってこの様だ。貯金も尽きたから、あんたらと知り合ってなきゃそろそろ死んでたな」


 自虐的な笑みを浮かべながらウォーギンはテーブルの上の皿に手を伸ばし、噛みしめるように肉にかぶりつく。
 やつれ具合や出会った時の腹の音からして、それが大げさでも冗談でもなさそうなのが少し怖い。 


「ふむ。私が思いつく程度のことなど当然やっているか……ん。確かに怪しげな構築をそのまま使うのは危険だな。しかし何故そこまでお前の職場は強行するんだ? 何かあれば名声に傷がつくのは判っているだろ」


「元だ。俺が居た工房は中央に総工房があって大陸中に似たような事をやってる支部工房がいくつもある。んでその総元締めである当代の総工房主がご高齢でそろそろ引退するから、次代の後継者選抜が始まっててな。各地の工房が成果をだそうとかなり無茶してるんだよ」


 大陸でも名の知れた大手魔具工房の元開発研究技師だったというウォーギンは、本人の話を信じるなら、解析途中で判明したカンナビスゴーレム魔導技術の危険性に気づきを商品開発に反対して上役と揉めた末に解雇されたという。
 だが解雇された後も、技術者としての勘がざわつき、貯金を切り崩しながら研究に没頭し独自に解析を進めて、まだ秘匿された機能があるという確信したそうだ。


「……俺が所属していた工房もご多分に漏れずな。まぁ揉めて辞めたつっても、散々世話になったのは間違いねぇから、調べて忠告をと思ったんだがな。あの阿保工主は」


 そのレポートを旧知の同僚に渡して、せめて新作ゴーレムのお披露目を延期させようとしたが聞く耳持たれず逃げられたのが、昼間の真相とのことだ。


「ん~ではお前が昼間に追いかけていたご令嬢がお前の所の工主か?」


「ぶっ! げほごほっ! ご、ご令嬢ってんなたまじゃねえぞアレは」


 ケイスの発言がよほど面妖な物だったのか、口に含んだばかりの冷酒をウォーギンがむせて噴き出す。   
 しかしその時丁度顔を向けていた位置が悪かった。
 ウォーギンが噴き出した酒は、隣のテーブルに居た探索者らしき軽鎧姿の若い男へと思い切り飛び散っていた。


「……おうこらおっさん! さっきからずいぶん調子くれやがってるな! あぁ!?」


 額に青筋を立てた男は椅子を蹴倒して立ち上がると、謝るウォーギンの胸ぐらを片腕で掴み上げて持ち上げる。
 探索者の浅黒い腕は、中背でやせ形のウォーギンの足より太いくらいだ。


「わ、わりぃ! 勘弁してくれ」


 ウォーギンが慌てて詫びを入れるが、かなり酔っているように見える探索者の目は物騒な色を帯びている。


「憂さばらしなら手加減してやれ。死なれたら面倒だ」


「つまんねぇな。ひょろい兄ちゃんと探索者じゃ賭けにもならねぇな」


 ケイス達にいらついていたのか、それとも元々不機嫌だったのか今にも殴りかかりそうな喧嘩腰の態度で威嚇する男と、その仲間とおぼしき男達や、周囲の客はなだめるどころか、むしろ余興が始まったと煽っている。


「すみません。連れが失礼なことを」


 一気に荒れ始めた雰囲気にスオリーは慌てて仲裁に入ろうとするが、その前にケイスの様子をちらりと確認する。
 報告書通りの性格だと出会ってから数時間で嫌と言うほどに思い知らされたが、ケイスには躊躇や、ためらうという言葉が皆無に近く、その思考には常識や予測が当てはまらない。
今この瞬間だって相手にいきなり殴りかかっても不思議ではないほどに、その本質は暴力的で凶暴な野生生物だ。


「ん。今のはウォーギンが悪いな。すまん。私からも詫びを入れよう。許してくれ」


 だがそのスオリーの心配を余所に、ケイスは1つ頷いてから、堂々としたといえば聞こえは良いが、どこか偉そうな態度ながらも、かろうじて申し訳なさそうに見える表情を浮かべて頭を下げる。
 それどころか、


「詫びとして、汚れた衣服とそちらの食事代を私”達”に持たせてもらえないだろうか。それで許していただけるか?」


 極めて下手に出た弁償を自ら相手に申し入れていた。
 達といっても、ウォーギンは現在無職で日頃の食事にすら事欠く有様。
 ケイスに至っては一切持ち合わせが無いのであとから払うからとスオリーが立て替えることになっている。
 どうやらこれも立て替えさせられることになりそうだが、ケイスがこれ以上もめ事を起こすよりは数百倍マシだ。
 なんとか穏便に済ませられそうだと、スオリーはほっと一息つく。


「へぇ、その鼻につく物言いあんたどこかのお嬢様か? そっちはおつきの侍女ってか。下町をお忍び見学ってか」


 だが相手方はこちらの懐事情など知らず、しかも地元の探索者達で無いのか、協会支部の受付嬢であるスオリーを知らないようで、”見た目”だけならば深窓の令嬢然としたケイスを一瞥してから、酒が入って理性が低下したなめ回すような好色な目でスオリーの体つきをじろじろと見る。
 どうやらケイスの態度やその容姿から、興味本位で庶民生活を体験に来たお嬢様とそのお付きだと壮大な勘違いをしているようだ。
 あまりに下手に出るケイスの態度に、これは良い鴨が来たと男は卑しい笑みを浮かべながら、掴んでいたウォーギンの胸ぐらから手を離し、


「金はいらねぇな。それよりかこっちの姉ちゃんを一晩貸して、ぶべらっ!」


 スオリーの肩へと手を伸ばそうとした瞬間、スオリー自身が避けようとするよりも、遙かに早くケイスの左手が男の顎を捕らえる。
 その一撃はまさに電光石火。
 小さな体躯でバネ仕掛けのような勢いで打ち込んだ一撃は、自分の倍近くある背丈の探索者を高々と天へと飛ばす。


「うぉ!?」


「こっち落ちてくんな!?」


「ガブス大丈夫か!?」


 ケイスによって打ち上げられた男は、店の天井に激しく当たりさらに跳ね返って、全く別の客が座ったテーブルをなぎ倒し、皿の上の料理やカップを盛大にばらまきながら床へと落ちてきた。
 一瞬の出来事に呆気にとられた店内が静まりかえる中、


「ん。すまん。それが突っ込んだテーブルの者達も弁償しよう。それで許してくれ」

  
 静寂を作り出した元凶であるケイスは、人1人を殴り倒したのに全く悪びれる様子が無い。
 赤ワインなのか煮込み料理に使われていたトマトなのかそれとも血なのか。
 非常に微妙な色の液体で頭部を染めた生きているのか定かでも無い男を指さしてから、今度はテーブルをなぎ倒された一行に向かって頭を下げた。
 

「あ、あのケイスさん……なんでいきなり殴ってるんですか?」


 ほんの一瞬前まで謝る素振りを見せていたのに、いきなりの凶行に及んだケイスにスオリーが呆然としながら尋ねる。
 ひょっとして、あの殊勝な態度は相手を油断させる為の演技だったのだろうか。


「服を汚したのはこちらが悪いからな。それは謝った。しかしその代償にスオリーを差し出せ等と、巫山戯たことを言いだしそうなので成敗した。ヴィオンには世話になっている。その姉君を、汚すような真似や侮辱する発言を私が許すわけ無いだろ」

 
 何を当たり前の事を尋ねているんだと、きょとんとした顔でケイスは答える。
 どうやらケイスの中では、被害者に謝る事と、狼藉者を成敗することは、”相手が同一人物”でも、”同時”に成り立つようだ。

 
「申し訳ないがそっちとあちらのテーブルの二組分で頼む。心配顔をするな。借りた金はあとでちゃんと返すぞ。借りた物はちゃんと返すようにと教えられている」


 スオリーの引きつった顔をみて、見当違いの勘違いしたのケイスは鷹揚に頷き、無邪気な笑みを浮かべている。


「……そ、そういう事で無く」 


 事を穏便に済ませようとしたはずが、さらにややこしいことになりつつ有るのは、気を一瞬でも抜いた自分の所為なだろうか。
 事の収拾をどう付けようか。
 幸いというかなんというか、揉めた一行や周囲の客は小さな少女が大人を天井に叩きつけるほどの勢いで殴り飛ばすという現実感の薄い光景に呆然としている。
 この隙を突いてウォーギンを連れてとりあえず逃げ出すべきか。
 

「こ、この餓鬼が! よくもやってくれやがったな!」


 だがそれは一瞬遅かった。
 ケイスに派手に吹き飛ばされた男は案外に頑丈だったのか、それともとっさに受け身でも取ったのか。
 ばっと跳ね起きると、先ほどまでの巫山戯半分ではない、本気の怒りを隠そうともしない目線でケイスへと殴りかかっていった。


「むぅ。やはり浅かったか。っと。あまり怒るな。こちらに非があるとはいえ、その詫びに女性を手込めにしようなど失礼だぞ」


 男の拳を顔を反らして交わし、次いで繰り出した足元を狙った蹴りに対しては、逆に接近して、男の太ももを左手で押さえ勢いを殺したケイスは、不機嫌そうな顔を浮かべて注意をする。
 ケイスの窘めるその態度が男をより逆上させる。
 まだ10代前半の少女に殴り飛ばされた上、説教顔で言われる、大の男として恥でしか無い。
 接近してきたケイスの右手に包帯が巻かれ怪我をしている事に気づき、右腕を左手で掴んだ。
 そのままねじり上げて悲鳴を上げさせようとでもしたのだろう。
 無論そんな幼い少女相手に大の大人、しかも探索者ともあろう者が暴力を振るう方が世間一般では眉を顰める。

 ……だがこの化け物を少し知れば、そんな世間一般の常識や良識など、霞のごとく消え失せる。

 怪我をしているのは掌のみで捕まれたのは右手首。
 なら問題無い。
 一瞬で思考を終えたケイスは、身体をクルリと反転させ右手首を掴んだままの男の重心を崩して引き寄せながら、無事な左手で男の服に手をかけ、さらに左足で臑の部分を蹴り上げる。
 
 

「がふっ!?」


 一瞬の出来事だった。
 ケイスに掴みかかったはずの男は、次の瞬間には宙を飛び重い音をたて埃を巻き上げながら床に叩きつけられていた。
 今度こそ目を回しているのか、男は微動だもしない。
 

「ん。私の右手の怪我に気づいて、そこを即座に攻めてくるのは実に良いぞ。だが不用意につかみかかったのは失敗だな。身長差があるから投げやすかった」

 ケイスは何故か先ほどまでの不機嫌顔一転うって変わって嬉しそうに男の行動の批評を始める。
 どうやら自分の弱点を男が躊躇無く攻めてきた事が嬉しかったようだ。


「おいそこのお前。こいつが目を覚ましたら、組み打ちを研鑽させてやれ。バランスのよい身体能力をしているのにもったい無い」


 さらにはやたらと上から目線でのアドバイスめいた物を、男の仲間達に投げかける。


「……」


 呆然としていた仲間達はケイスのその言葉を挑発と受け止めたのか、無言のまま、だが先ほどまでの侮った態度を潜めて、殺気ばしった顔でそれぞれ体勢を整えた。
 その顔つきは子供を相手にしている物では無く、ケイスを明確な敵と捉えている証拠だろうか。
 殺気だった男達を前にして、ケイスは臆すどころかさらに嬉しそうな笑みを浮かべると、その視線を真っ正面から受け止めながら1つ大きく頷く。
   

「ふむ……1対5か。良いぞ。私は、私を侮らない者は大好きだぞ」


 相手が強ければ強いほど。多ければ多いほど心弾む。
 生粋の戦闘狂であるケイスにとって、この状況は非常に好ましい。
 好戦的で獰猛な笑みを浮かべたケイスは、先手必勝とばかりに先んじて男達に殴りかかっていった。













「躊躇したな! 本気で殴らないからこうなるのだ!」


 ケイスが火をつけた喧嘩は、すぐに周囲のテーブルにも被害を及ぼし、参加者を加速度的に膨らませ、店内中央ですでに敵味方の関係ない乱戦状態へと突入していた。
 その中心で大の男達を相手に一際目立っているのが、黒髪をなびかせる幼い美少女なのだから質が悪い。
 さすがに四方八方から物が飛んできたり、背後からも拳が振り下ろされるこの状況ではケイスといえど無傷ではない。
 右頬にはグラスの破片で出来た切り傷から血が流れ、左手の拳は皮がむけて痛々しい傷口を見せているが、当の本人は嬉々とした笑顔で死角から殴ってきた男を即座に蹴り飛ばし、そのついでとばかりに、横にいた男の服の裾を掴むと左手一本で重心を崩して投げ捨てている。


「すげぇなあいつ。殴られた瞬間に蹴りぶち込んでやがる」


 心底から楽しんでいるその暴れっぷりに、カウンターの裏側に退避して様子を見ていたウォーギンは呆れ混じりの感嘆の声を上げる。
   

「落ち着いて観戦している場合じゃ無いんですけど!? あなたが原因じゃないですか!?」


 誰かが投げた酒瓶を頭を下げて回避したスオリーは、事の発端のはずなのにギャラリーに徹しているウォーギンにくってかかる。
 

「技術者に腕っ節を期待すんなよ姉ちゃん。あんな所に割り込んだら俺は2秒でやられんぞ。っと。もったいねぇ。高いんだよなこの酒」


 すぐ近くで割れた瓶を拾い上げたウォーギンは、ラベルを見て眉をしかめている。
 稀少な薬草を数種つけ込んだ薬酒独特の臭いが周囲に立ちこめる。


「だ、ダメだこの人」


 手についた酒をもったいなさそうに嘗めているウォーギンは役に立たないと、見切りを付ける。
スオリーの本来の実力なら、拘束系魔術を用いて喧嘩をしている者を纏めて鎮めるのはさほど難しくない。
 だがそれは隠し続けていた、自らの裏の顔をさらすことになり、草としての今後の活動が不可能になる。
 スオリーの役割は平時は情報収集と操作の隠密行為の黒子役。
 カンナビスにおいては、あくまで管理協会支部の受付嬢としての顔を保ち続けなければならない。
 実力行使を伴う任務は、協会にも登録している現役の中級探索者であるルクセライゼン出身の女性が担当するのだが、運の悪いことにその力技担当の同僚は、拡張した迷宮内の情報収集であと数週間は帰ってこない予定だ。
 無手での捕獲を専門とする彼女が居れば、いくら相手がケイスといえど無傷で捕らえられるだろうが、無い物ねだりをしてもどうしようも無い。


「こんな事ならボイド君との合流先にすればよかったかも……」


 思いがけずケイスと知り合ってしまったことで、迎えに行くはずだった幼なじみ達との合流予定をすっぽかしたことを今更ながらに後悔する。
 ボイドや弟のヴィオン達なら、頼み込めば力ずくでも何とか納めてくれると信頼している。
 

「スオリーちゃん! スオリーちゃん! あの子あんたの知り合いだろ!? 何とかしてくれ! うちの店の売りが喧嘩とはいえこれはやり過ぎだ!」


 同じようにカウンターの裏側に避難していた店主が頭を抱えている。
 あくまでも客寄せの一環として対決形式の一対一の喧嘩が売りになっているのであって、店の改装が必要になるくらいの大喧嘩となると話は別だ。


「聞いて止まるような性格だったら苦労しませんよ!」


 思わず泣きが入った言葉でスオリーは断言する。
 何せ相手は常識外の化け物で、相手が侮らず攻撃してくる事すら喜ぶほどの生粋の戦闘狂だ。
 下手に止めればスオリーすらも、鍛錬相手と認定して襲いかかってくる可能性も否定できない。


『あいつは基本的に騒動の中心にいるか、騒動があいつの方によってくる特異体質だ』


ことここに至れば、スオリーはケイスに関して書かれた報告書と上司がぼやいた愚痴を全面的に認めざる得ない。
 あの少女はどんな平和的な状況であろうとも、一瞬で大事に発展しかねない運命の元に生まれてきたのだと。


「言葉で止らないなら、無理矢理に止める方が早いな。いくら何でも無意識でも暴れ続けるほど凶暴じゃないだろ」


顔も名前も知らないが、ケイスに関わったために精神的に潰された同僚の草達へと、同類相哀れむ感情を抱いていたスオリーの横で、もう1人の天才が動き始める。 


「もうちょっとマシな材料があれば、ちゃっちゃと出来るんだけどな。マスター。塩と果実酒を貰うな。あと黒エールと強めの蒸留酒」


 無傷の酒瓶を拾い上げたウォーギンは、僅かに残っていた酒をラッパ飲みで飲み開けると、先ほどの薬酒の瓶についていた雫や、そこらに落ちていた瓶やら調味料をかき集め、空いた瓶へと少しずつ入れていく。
 中身が三分の一くらいになった所で落ちていたコルク栓で蓋をして、瓶の首を持つと適当に混ぜ合わせ始めた。 


「……え、なにを?」


 一見カクテルでも作っているように見えるが、いくら何でもそこまで非常識では無いだろう。


「技術者に腕っ節は期待するなつったろ。あんな荒くれ連中を殴り倒すのは無理だから、即興の昏睡型魔具制作中。薬酒を触媒にして強化した酒気を皮膚吸収させて酔い潰させる。範囲設定は店中央20ケーラって所か。子供相手にゃ強力すぎるが、あのお嬢ちゃんなら余裕だろ。あと3分位でできるからもうちょっと待ってろ」


 面倒そうな顔を浮かべながら何気なく答えたウォーギンは、ナイフを手に取ると瓶へと魔法陣を書き込み魔術文字を刻み込んでいく。
 一文字刻むごとに瓶の中の混合された液体が怪しげな煙を纏って気化し始めていた。











「おう! ヴィオンにセラ。2人ともようやく終わったか」


 魔具専門店の前に立っていたボイドは、妙に疲れてとぼとぼ歩く妹と、その横で平常運転の親友を夕方の大通りの雑踏で見つけて声をかける。
リトラセ砂漠で発生した新種のサンドワームの報告とそのサンプル死骸を管理協会カンナビス支部へと納めにいった2人が、帰り道としてこの辺りを通ると店外で網を張っていたのは正解だったようだ。
 

「兄貴か……もう大変だったんだから。ケイスの存在を隠して説明するの。正直に書けば途端に嘘くさくなるから余計に長引くとか考えないで、本人を連れてけばよかったわよ。あとで口裏合わせするからね」


 よほど疲れたのか会った途端に、ぎろっと睨んで愚痴をこぼしはじめた妹に肩をすくめて、ヴィオンへ大丈夫かこれと目で尋ねる。


「お嬢。今回消費した魔術触媒の完全補填つっても、元の数が証明できないからダメ元だったろ。しかもケイスとの分がほとんどだろ」


 どうやらセラが疲れ果てて不機嫌な原因は、そちらがメインのようだ。
 サンドワームとの戦闘で使った分は、ボイドとヴィオンから奢ってもらったルディア特製の触媒液で補填は出来た。
 しかしそのあとでケイスとの鍛錬で浪費した分の魔術触媒は別だ。
 そちらも経費として請求してはみたが、物の見事に却下されたらしい。


「……それで時間を食ったのかよ。親父が約束してた報奨金が出たから良いだろ」    


 守銭奴という言葉を地でいく妹の更正は今更もう諦めているが、思わず言わずにはいれない。


「出ても赤字よ赤字! それどころか父さんが、他の人達はともかく、家の息子共と娘に関しちゃ家の手伝いみたいなもんだからって、やっぱり小遣い無しだろって、巫山戯たこと言ってくれるから徹底抗戦してきたのよ! だぁぅ! あの髭親父! いい加減にしなさいよ! あたしらを良いようにこき使って!」


 ボイドとセラの父親はカンナビス支部の支部長を務めている。
 しかし支部長の子息だからといっていい思いをした記憶はとんと無く、むしろ人手不足の時にこき使われたり、見返りが少なくかつ面倒なだけの依頼を強制的に回されたりと碌な思い出がない。
 今回の件だって、モンスター知識と解剖技術を持つ護衛の探索者がセラ以外いなかったから百歩譲ってそれは仕方ないと諦めるが、約束していた報酬まで反故にされるとなると話は別だ。
 地団駄を踏んで親の敵のように地面を何度も踏みつけるセラを見つつ、ボイドはヴィオンにそっと耳打ちする。

 
「おいヴィオン。親父の奴がさりげなくお前まで息子扱いしてるけど、セラと付き合いだしたの言ったのか?」


「あーまだ言ってねぇ。ただ勘が良いからばれてんじゃねぇの。姉貴に話が流れると面倒だから黙ってくれてんだろ」


「他はともかく女関係じゃお前の信用ゼロだからな。ある程度既成事実を積み重ねる前にスオリーに流れたら強制的に別れさせかねないしな」


「そっち方面で信用が無いのはお前もだろうが」


「……言うな」


 下手に思い出したくない記憶に触れた所為で、墓穴を掘ることになったボイドは珍しく重い息を吐く。
 過去の所行が今になって返ってくるのが判っていれば、旅先で羽目を外すにしてももう少し大人しくするべきだったと思うが、後悔先に立たずという奴だろう。


「そこ! あたしの話聞いてる!? 兄貴もヴィオンも感謝しなさいよね! 約束通りの報奨金はもぎ取ってきたんだから!」  


 男二人がひそひそと話している間も、テンションの高い愚痴をこぼしていたセラが共通金貨の詰まった袋をボイドの目の前に突きつけた。
 小袋のサイズとその音からして数十枚程度の報酬は出たのだろう。
 世間一般では十分な大金だろうが、トラクに乗り込んでいた探索者一人頭で割ればその分け前は精々4、5枚といった所でたいした金額では無いが、通常の護衛報酬もあるのだから降って湧いた臨時収入といった所か。


「聞いてる聞いてる。それよりかお前らスオリーは支部にいたか? あいつ待ち合わせ場所に顔を出さなかったんだが」


 守銭奴の妹の金に関する話に付き合っていたら、日が暮れかねない事を過去の体験から知っているボイドは、強制的に打ち切って話題を無理矢理に変える。 
 結局換金が終わったあともスオリーは姿を見せず、未だ合流できずじまいだ。
 それに今日に限っては、金貨数枚で一喜一憂する気分になれない事情がある。



「へ? ルディアやラクト君と一緒にお姉ちゃんお店の中じゃ無いの?」


 ボイドの発言が意外だったのか素に戻ったセラは魔具を扱う店内へと目を向けるが、曇りガラスに遮られて店内の様子を伺うことは出来なかった。
 ボイドだけが店頭に立っていたので、セラ達はすっかり他の三人は店内の中にいると思い込んでいたようだ。


「姉貴なら俺らが戻ってくるからって、今日は1日休みを取ってるって話だぞ。今日はカンナビスのあちこちで騒ぎが起きて忙しいのに、上手い所で休んだなって姉貴の同僚が笑ってたな」


「……騒ぎねぇ。なんか嫌な予感してきた。あいつもルディアに負けず劣らずのお人好しだからな。ケイスに巻き込まれてないといいんだが」


 ボイドのぼやきに三人の頭に同時に、心底楽しそうな無邪気な笑みを浮かべながら、人を手当たり次第に切りまくるケイスの姿が浮かび上がる。
 あのトラブルメーカーを地でいく台風娘のことだ。
 いろいろな面倒事を引き寄せながら傍若無人に暴走している姿が目に浮かぶ。


「さ、さすがに無いでしょ。カンナビスって広いんだし。お姉ちゃん急用でも出来たんじゃ無いの」


「それか、顔の広い姉貴のことだから、そこらで知り合いに捕まって話が長引いてるとかじゃねぇか」


 普段から時間や待ち合わせに五月蠅いスオリーが、連絡も無く待ち合わせをすっぽかすなどあり得ないが、一応考えられる予測をヴィオンとセラはあげる。
 しかしその顔を見れば予想を言った本人自身が、予想を信じていないのは一目瞭然だ。


「そうだな。無事を祈っとくか……あいつ真面目すぎるからケイスに巻き込まれたら、すぐに胃がやられそうだしな」


 ボイドの下手な冗談から、些か嫌な想像が浮かんだ三人が乾いた笑みを交わしていると、魔具店の扉が開いた。


「お買い上げありがとうございます。またのお越しを是非、是非お待ちしております!」


 やたらと気合いと感情のこもった店員の言葉に押されるように、店の中から出てきたのはルディアとラクトの二人だ。
 

「お待たせしました。魔具一式揃いました……お二人も終わったんですね。お疲れ様です」
 

 どこか遠くを見つめながら感情が麻痺したかのような顔を浮かべるルディアは、セラ達を見て頭を下げる。


「どうかしたのルディア? なんか顔が引きつってるけど。お金足りなくて買えなかったとか?」


「……か、買う物はこの通り全部買えたんですけど。その金額が、ちょっと高過ぎて……たぶん、いえ私の人生で一番お金使った日です……今日が」


 セラの問いかけに、ルディアは乾いた笑みをこぼしながら持っていた革袋から、指輪型や腕輪型、短杖型など複数の魔具が固定されたベルトタイプのホルダーを取り出して見せた。
 

「高けぇ……高すぎるだろ。俺の小遣いで50年分以上かよ……」


 一方ラクトの方は渡された領収書を見ながらプルプルと震えている。
 ホルダーも含めた魔具10本分の値段は共通金貨ならば550枚を少し超えている。
 父親の店の手伝いを最大にやっても月に金貨1枚分になれば上出来。
 父親からケイスが買った剣だって、相場の10倍を吹っ掛けたといえど金貨100枚だ。
 それを遥かに超える金額に二人とも萎縮してしまったようだ。 

 
「うぁ……500枚以上って! ちょ、ちょっとルディア! これ中位クラスの高品質品ばかりだけどほんとお金足りたの!?」


 様子のおかしいルディアとラクトに敏感に反応したセラが、横から目録と領収書を見比べ、顔を青ざめさせる。
 ルディアが選んだ品は、どれも魔力内蔵型中位クラスの魔具の中では一級品と呼べる性能の品ばかりで、値段も同クラスの大衆品と比べれば、倍近くする物ばかりだ。
 いくら相手がケイスと言えど、言い切ってしまえば子供通しの喧嘩の延長線上の決闘の真似事に使って良い金額ではないだろう。


「あの子の指定なんです。天才の私に対抗するんだからお金が許す限り一番良い物を買えって……思いのほか換金が上手くいって、実はこれで半分も使ってません。これ以上、上のクラスになると中央にでも行かないと無いそうです。換金用宝石を見せたら店員の態度が怖いくらい丁寧になっりました」


 諦めというか達観の域に入ったのかルディアは空を仰いでから、鑑定書付きの換金用宝石である粒の大きいサファイヤやダイヤを懐から取り出す。
 宝石を覆う保護ガラスには魔術による証明書が刻まれている。
 国家間や大手商会などが絡む大きな取引や、高額商取引など、取扱金額が増えた時に、量が多く重くかさばる金貨代わりに換金用宝石が重宝されるが、一般庶民は普通なら一生縁が無い代物だ。


「あぁっ……あ、兄貴!? これって!?」


 宝石を指さし驚愕の表情を浮かべる妹が何を聞きたいのか察したボイドは、どう伝えれば良いかと頬を掻く。
 出来たらセラには伝えたくないが、ボイドが言わなければルディアから無理矢理でも聞き出すだろうとすぐに諦める。


「ケイスが取ってきた転血石が龍の血肉を核にしていたそうでな、上手く加工すれば低級モンスターの転血石でも、中級クラスの出力をひねり出せるからって事で総額で金貨1600枚で売れた。で高額すぎるからって支払いが宝石になった」


 淡々と事実だけを伝えると、セラは力尽きたようにその場でがっくと膝をついた。
 ただの低級モンスター由来の転血石なら、含有魔力は低くて1つで金貨2枚が関の山だ。
 しかしケイスが集めた転血石は124個その全てが龍由来の核を持つ為、高い魔力増幅効果を持つ為、通常ならば金貨で250枚程度のはずが、1600枚まで跳ね上がり、急遽その支払いは金貨枚数分の宝石が数個に変わっていた。


「…………天敵。あの子やっぱり天敵。なんでお金に無頓着なケイスにここまで金運がついて回るのよ。あたしなんか今回赤字になってるのに」


 衝撃に放心状態となったセラは端で見ていて気の毒になるくらいに落ち込んでいる。


「あのセラさん。ほらあの子、お金が余ったら鍛錬で使った触媒代なら払うっていってたじゃ無いですか。だから赤字解消できませんか?」


 数日前のケイスとの会話を思い出したルディアが、セラに救いの言葉を投げ掛けるが、


「…………それ無理……さすがに現役探索者として……・無理…………兄貴とかヴィオンからならパーティでの貢献で返すけど……恵んでもらうのはプライドが無理」


 自他共に認めるほどの守銭奴のセラといえど、探索者である以上は譲れない一線があるのだろう。
 セラは悪魔の誘惑を堪えるように、歯を噛みしめながら力なく首を横に振った。


「あー止めとけルディア。お嬢も普段アレでも、一端の探索者だからよ……しばらく飯は奢ってやるから機嫌直せってお嬢」 


 かなりギリギリの縁で葛藤しているセラの肩をヴィオンが慰めるように軽く叩きつつ、気づかれないようにボイドへ目線を送り、次いでその目をルディアへと向けた。 
 親友の仕草で指示を察したのか、ボイドがルディアへと耳打ちする。


「悪い。この間の触媒液ってまた作れるか? 代金は俺とヴィオン持ちだ」


「……多めに作ったんで原液が残ってますから1日もあれば用意出来ます。あとで仕上げておきます」


 空気を読んだルディアもセラには聞こえないように、小さな声で返事を返す。
 普段はなんだかんだ言いつつもボイドなりに妹を可愛がっているのだろうと、ルディアは微かに笑みを浮かべる。
   

「…………」


 やり取りの最中、黙ってセラの様子を見ていたラクトは、彼からすれば途方も無い金額が書かれた領収書をもう一度見直す。

 今回購入した魔具は、ケイスが己と決闘を行うラクトに互角以上に戦えるようにと資金を出したものだ。
 無論ラクトとしてはそんな施しなど受けたくは無いのが正直な本音だ。
 しかしケイスの場合、受け取らないなら力ずくでも受け取らせると殺気混じりの脅しをかけてくるのだから質が悪い。
 何故自分の決闘相手に、わざわざ手を貸すのか?
 自分よりも幼いが遙かに強い力を持つ化け物が何を考えているのか、ラクトには理解できていない。
 もっと厳密に言えば、狂人であるケイスの思考を完全に理解できる者などこの世には存在しないのかもしれない。
 だが1つだけラクトに理解できて確かな事は、ケイスが全てに対して本気だということだ。 
ラクトが喧嘩の延長線上の勢いで言った決闘に対して、本気で受けていた。
 自分が絶対勝つと言いながらも、ラクトが己に勝てるようにとサポートしている。
 相反する真逆の行動。
 しかしケイス自身はその2つどちらにも一切手を抜く気が無く、この上なく真剣なのだと。 
 正直あの少女は気に食わない。
 生意気だとか、やたらと偉そうだからとか、出会ってから良いようにやられてばかりだからとか、いろいろ理由はあるが、そのどれも本当の理由としてしっくりこない。
 あえて言うなら、ケイスという”存在自体”に反感を覚える。
 負けたくないと心が訴える。
 だからケイスが本気な以上、自分だって本気でやらなければならない。
 あの化け物を相手に、たった”金貨500枚”程度で臆している段階ですでに負けだ。 ケイスとの決闘の切っ掛けは、あの少女独特の思考から生じた誤解だった。
 自分が勝ったならば、父親に対する侮辱を撤回させるつもりだったが、それが消え失せた為、今ひとつ宙ぶらりんだった目標がラクトの中に生まれる。

 ケイスに勝った場合に自分が要求すること。

 ケイスが勝った場合に自分が払う代償。 


「……よし決めた」  


  ラクトが決心を決め小さく頷いた瞬間、全てが動きはじめた。














 賽子が転がる。
 賽子の内側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。






 次期メインクエスト英雄因子が1つ 『百武器の龍殺し』

 次期メインクエスト龍王因子 『赤龍』

 両因子含有者遭遇戦勃発。

 戦闘能力差、著しいも特例により許諾。

 両因子特異生存保護指定解除。

 システム『蠱毒』発動。

 サブクエスト『カンナビスの落日』発動条件達成。

 特例条件クエスト『龍王の目覚め』 発動確立70%

 龍王覚醒時は現行クエストを全停止。

 南方大陸崩落後に深海青龍王『ルクセライゼン』王体解放後、メイン討伐クエスト『赤龍』を開始。



[22387] 剣士と龍王達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/07/19 00:11
「このガキが!」


 右に男1人。最初に殴り飛ばした探索者の仲間。
 その手には、武器代わりに木製椅子を掴み、振り上げている。
 前方には、先ほど蹴り飛ばした職人が1人。
 そちらが繰り出すのは、尖った切っ先を見せる割れた酒瓶。
 外見だけならばまだ幼いケイスの顔を見て、一瞬躊躇した先ほどの気づかいは腹をしたたかに蹴り込まれたことで消え失せたようだ。
 二人の間で事前のやり取りは無かったので、連携を狙うつもりはなく、頭に血が上っているのか、ケイスの事しか見えていない。
 一瞬で状況判断したケイスは、周囲の状況を脳裏に描く。
 背後、殴り合っている男が二人。
 左、倒れたテーブル。
 上、光球を灯す大きな燭台が天上から下がっている。
 身を引いて時間差で捌くには位置取りが悪い。
 抜くか? 
ケイスが無手と思っている男達は、不用意に間合いを詰めて、ケイスにとって必殺の間合いへと既に入っている。
 折りたたんで懐にしまい込めた非常識な大剣『羽根の剣』を取り出して振り抜けば、片手が使えない状態でも、この位置関係ならば後方の二人も纏めて胴切りで真っ二つに出来る。
 しかし、この場で剣を抜いた者はおらず、落ちている物を武器にしている者ばかりだ。
 そのような状況で自分だけ剣を抜くのは礼儀に反する。
 ならば…………
 思考を終えたケイスは尖った割れ瓶を構える男へ向かって、自ら身体を沈めるように接近ながら、掌を返した左手を前に伸ばす。
  

「ふっ!」


 割れ口の縁をギリギリを掠めながら手を伸ばしたケイスは、職人の右手首を左手で掴みそのまま自らの方へと力任せに引き寄せながら、右側へと身体を回す。
 酒瓶を突き出そうとしていた職人は、ケイスの馬鹿力で体勢を崩され、くの字に倒れそうになりながら、椅子を振りかぶった探索者とケイスの間へと引き込まれた。
 職人の影に入ってケイスの姿を見失った探索者は、ケイスの姿を見失ったことでとっさに振り下ろそうとした椅子を止めてしまう。
 その一瞬の停止をケイスが見逃すはずが無い。
 引き込んだ職人の身体を、さらに強く引いて倒れ込ませながら、その首筋に闘気を込めつつ右肘を強かに叩き込む。


「がばっ!?」


 嫌な音をたててめり込んだ肘から打ち込まれた強打が職人の意識を一撃で刈り取る。
 さらに間髪いれず身体を回し、意識を失い倒れる職人の背中へと自らの背を乗せ踏み台にしたケイスは、椅子を振り上げていた探索者へと向かって襲いかかる。


「なっ!?」


 見失ったケイスが死角から勢いよく飛び出て来たためか、探索者の反応が一瞬遅れる。
 無防備になった探索者の顎先へと向かって、ケイスは精一杯に足を伸ばし蹴りを繰り出し、


「ごふっ!」


 ミシリと顎骨がきしむ音をたてながらケイスの左足が男の顔面に鞭のように叩き込む。
 全身を使った体重が乗った蹴りに勢いよく吹き飛ばされた探索者が、脇のテーブルに突っ込み、そこらに落ちていた皿と共に派手な音をたてて床に倒れ込む。
 だが2人を倒した所で、ケイスは止まらない。
 店内に一瞬視線を飛ばし次の獲物へと目を付け、踏み台にしていた職人の背中に左手を当て逆さまのまま高々と飛び上がり、天井で揺れていた燭台の鎖に右足を絡める。
  

「せいっ!」 


 次いで燭台をつなぎ止めていた細い金具を左足で蹴り壊し、力任せに燭台をもぎ取りながら、猫のような絶妙な体捌き体捌きをもって、数人が小競り合いを続けていた店内中央に向かって器用にも蹴りいれた。
   

「でぇ!?」

「冗談じゃねえぞ!」


 燭台がじゃらじゃらと派手な音をたてながら落ちてくるのを見て、殴り合っていた男達が慌てて避け、一瞬遅れて中心地点に燭台が破砕音共に降り注いだ。
 もし回避が遅れていれば、二、三人は下敷きになっていただろう。
 床板の一部を破壊するほどの勢いで落ちたきた燭台を見て、他の場所で喧嘩を繰り広げていた者達も、店の隅に避難して成り行きを見守っていた客達も思わず静まりかえる中、
  

「ふむ……そちらははずしたか」


 中央に蹴り入れた燭台では誰も巻き込めなかったことを無念そうにいうケイスの不機嫌声が静まりかえった店内にやけに大きく響いた。
 ケイスの足元には先ほど背後で殴り合っていた2人が泡を吹いて倒れていた。
 どうやら今の一瞬の騒ぎで男達が油断した隙を突いて、殴り倒したようだ。


「お、おまえ! 殺す気か!?」


 明らかな殺意を持った攻撃に危うく燭台の下敷きになりそうだった探索者の1人が、このガキは正気かと困惑した目でケイスを見る。
 たかだか酒場の喧嘩でここまで洒落にならない攻撃を躊躇無く出来る者など、そうはいないだろう。
 

「何を言っている。あの程度で死ぬか。それに打ち所が悪くて死んだとしても、文句を言われる筋合いは無いぞ。先ほどお前もそちらの男に殺すと発言していたではないか。椅子や割れ瓶でも十分に人を殺せるぞ。これらを持ち出しておいて、自分達を殺すなは不公平では無いか」


 だがケイスはその稀な存在。
 相手に合わせて剣を抜いていないだけで、当たり所が悪ければ死ぬような攻撃だろうが躊躇など一切無い。
 本人はいたって公平公正にやっているつもりだが、元から持つその肉体能力が反則的であり、さらに言えばその精神は肉体よりも遙かに異常だ。


「……おい。あんたら。こいつやばいぞ」


「あぁ。さっきからのされてる奴の半分くらいはこのガキの仕業だ」


 つい今まで殴り合っていた連中だったが、物騒なケイスの発言にひそひそと言葉を交わしあう。
 囁き合う中には、最初にケイスと揉めた探索者もいれば、子供相手に大人げないとケイスの加勢に入ったはずの職人達。酒の邪魔をされ腹を立てた酔っ払ったごろつきや、騒ぎが好きなけんかっ早い学生もいる。
 参戦理由も立場も違う20人ほどの男達の中で、酒場の中で誰が一番危険な生物なのか、共通認識が急速に出来上がっていく。
 誰が合図したわけでもない。
 だがあまりに異質な存在に、集団心理が働いたのか、今まで四方八方に向けられていた敵意や害意が一瞬でケイスに集中し始め、周りを囲むようにじりじりと包囲が自然と出来ていく。
 一斉に袋だたきにしてしまおうと囲んでくる大人達を相手に、純粋戦闘狂は周囲を見渡して1つ頷く。
   

「ふむ。良い選択だ。私を潰すつもりなら、力を合わせろ」

 
 純粋無垢な笑顔でケイスは左手の拳を構える。
 敵に囲まれれば囲まれるほど心が弾む。
 数が多ければ多いほど、強ければ強いほど、自分はその逆境を撥ねのけるために強くなる。強くなれる。
 自分が負けるなど一切考え無いその狂った思考は、心躍る状況にさらに回転を速めていく。
 囲まれた状況下では自分が動いて状況を動かすべし。
 過去に龍冠を彷徨った際に培った戦闘経験に従い、ケイスは息を浅く吸い全身へと肉体強化の闘気をさらに張り巡らせぐっと身を沈める。
 つい先ほどまで食事をしていたから、体力は十二分。
 まだまだ全力で動けるし、そこらを見れば料理はいくらでも転がっているから、補給しながらでも戦える。
 

「うん。お前達は私を侮らないから好ましいぞ。だから全力で相手してやる」


 幼いながらも美少女然とした美貌には、不釣り合いにもほどがある獰猛な瞳が浮かぶ。
 その瞳の強さにケイスが本気で全員を倒す気だと、この場にいる誰もが思い知らされ、対峙する者全ての警戒が最大限まで高められる。
 自分を取り囲む敵意に押さえきれない高揚感を覚えつつ、ケイスは最初にぶちのめすべき獲物を見定める。
 一番技量および戦闘力が高いと判断したのは真正面に経つ屈強な獣人の探索者。
 ケイスの倍はある背丈に、胴体と同じくらいの二の腕。牙を見せる獰猛な顔つき。
 この乱戦の中でも未だかすり傷1つおっていない。
 ちらちら確認していた感じでは、獣人の方が直接的な力、速度ではケイスより上をいく。
 純粋な力では到底及ばないが、そんなのは何時ものことだ。
 己の才と技量でいくらでも覆すだけのこと。
 それすら上回られたなら、なおさら喜ばしい。
 なら自分が戦いながら成長すれば良い。
 相手が強ければ強いほど、ケイスの心は闘志でたぎる。
 相手にとって不足無し。
 ケイスは獣人へと狙いを定め、


「!」


 視界の隅をカウンターの裏から投げ込まれた、何かが掠める。
 周囲を囲んでいる者達は、ケイスにのみ集中して気づかない。
 だがケイスは違う。
 一対多が何時もの事な化け物は、獣じみた動体視力と戦闘特化した知識を持って物体の姿形を捉え解析しはじめる。
 空き瓶に刻まれた魔術式と文字、宙を漂う臭い。その発光色。
 刻まれた使用式から簡易魔具と判断。
 瓶の中身は不明ながら、中の薬剤を一瞬で気化させ、対象範囲内の生物に吸収させる即効性タイプの時限型炸裂気体拡散式魔具。
 炸裂時間、範囲指定は判別可能。 
 一秒後に炸裂。
 着弾予測位置はケイスが立つ付近の天井。
 効果範囲は着弾点を中心とした半径10ケーラ。 
 店中央部は軒並み効果範囲に入っている。
 自分一人なら回避可能。
 しかし周囲を囲んでいる者達は、逃げ遅れる。
 解析は一瞬。行動選択は即決。決めたときには即時行動。


「ふっ!」


 両足に闘気を集中。爆発。
 ここ数週間でリトラセ砂漠で身につけていた、砂に足を取られないための爆発的な加速力に物をいわせて、床板をぶち壊すほどの踏み込みで一気に最大加速で瓶に向かって跳び上がる。
 ケイスは酒瓶に向かって跳びつつ、右の袖口からナイフを引き抜き、左手に構えた。
 クルクルと回る酒瓶の魔術式に切りつけられる機会は、今の腕、反応速度では一度のみ。
 そんな短時間では、とても術式の無効化が出来るほどに削りきるなど出来無い。
 店の外に投げようにも、外には騒ぎを聞きつけ集まった野次馬達が大勢いる。 
 ならば。
 電光石火の一撃を繰り出したのと、ほぼ同時に瓶が割れる破砕音が響き、瓶の中から濃い魔術薬が気体としてあふれ出す。
 だが拡散するはずだった気体は、ケイスの切りつけた一撃により術式を無効化されその場に留まっていた。
 己の解毒能力に全てを賭けてケイスは漂っている気体を、圧倒的な肺活量に物をいわせて全てを一瞬で吸い尽くした。















 大勢の男達に囲まれていた少女が挑発的な言葉を発し、いきなり飛び上がったと思ったら、偶然なのかそれとも狙ったのか、どこからか投げ込まれた酒瓶が、運悪くその少女にぶち当たった。
 ケイスが何をしようとしたのかわからない者にとっては、それが目の前で起きた事実だ。
 しかしその行動の真意が見えていようが、見えていないかは今は大きな問題ではない。
 問題はだ………そのまま空中から落ちてきたケイスが何とか着地はしたが、そのまますぐに気を失い熟睡してしまった事だろう。


「くぅ…………すぅ……っふぁ……」


 すやすやと寝息を立てながら丸まるケイスは、先ほどまでの暴れぷりが嘘のようにあどけない寝顔で眠っている。
囲み生意気な得体の知れないガキをぶちのめそうとしていた大勢の男達は、どうした物かとケイスを遠巻きに囲んだまま途方に暮れていた。


「…………おい。これどうする」


「どうするったって……さすがにこれを殴るのは」


 困惑した職人の問いかけに、ケイスに激怒していたはずの探索者達も答えあぐねる。
 そこにいるのは、無防備に眠り何とも保護欲をかき立てる幼い美少女だ。
 周囲をピリピリさせた威圧感など皆無。
 苛立たせ人を怒らせる発言も無く、平和な寝息がその口からは漏れる。
 敵愾心を煽るその生意気な目付きは今は見えず、あどけない天使の寝顔を惜しむことも無く披露している。
 無論男達はこの眠れる美少女の正体が、先ほどまで敵対していた美少女風怪物だと骨身にしみて判っている。
 だがその正体を知りながらも、敵意が霧散し躊躇してしまうほどに、その可愛らしさは際立っている。
 これに暴力を振るうのはどうしても躊躇せざる得ないと全員が思わされてしまうほどだ。


「全員眠らせるつもりだったが、ありゃあの嬢ちゃんなんかやりやがったな。あんた見えたか?」


 隠れていたカウンターから顔を出し、強制的に喧嘩が収まり静まりかえった店の中央を覗いていたウォーギンが、その横で同じように様子をうかがっていたスオリーに尋ねる。
 瓶を投げ入れたのはウォーギンだが、その効果範囲がケイスにのみ効いた極々限定された範囲で有ったことをいぶかしげに思っていた。
 あの術式なら周りにいる男達も一緒に眠り込んでいるはずだった。
 
  
「一瞬だけ先に魔術式にナイフを当てて削り取って、無理矢理改竄した……ようです。しかも自分だけがその効果を受けるように範囲を縮小させて。おそらく周囲に被害が及ばないようにと、気体化した睡眠薬も自分から吸い込んでいます」


 ケイスの信じられない行動、技量に呆然としていたスオリーは、裏の正体を隠すことも忘れ、つい見たままのことを素直に答えてしまっていた。
 ケイスは速いといっても所詮は常識レベルの速度。
 常識外に立つ中級探索者であるスオリーには十分目で追える体捌きだ。
 だがそのスオリーからしても、ケイスの行動は十分以上に驚愕できる物だった。
 ケイスが投げ入れられた酒瓶を目で見たのは一瞬。
 気づいただけでもたいした物なのに、その次の瞬間には迎撃のために行動を開始していた。
 あの一瞬で魔術式を確認し、範囲改竄するためにどうすればいいのかを見極めたのだろう。
 ケイスの真の恐ろしさ、能力は、龍由来の肉体能力でも、祖母譲りの卓越した剣技でも、常識外の育ちによりはぐくまれた異常思考でも無い。
 それらの技能を最大効率で使うことが可能な戦闘極化した高回転する頭脳。
 ケイスに関する報告書にはそう書かれていて、スオリーも知識として知っていたつもりだったが、改めてその意味を体感する。
 戦闘中でも投げ入れられた酒瓶に気づく索敵能力。
 一瞬で魔術式を見極める豊富な魔術知識。
 回転する酒瓶の軌道を計算する空間把握能力。
 一瞬で跳び上がり切りつける事が可能な肉体と闘気生成能力。
 式を改竄させる箇所を正確無比に狙える剣技。
 正体が不明な気体化した魔術薬を、つい今の今まで争っている周囲に被害が及ばないようにと、自ら全て吸い尽くす異常思考。
 一秒足らずの間に行われた行動は、数十にも及ぶプロセスを経た上で行われた確信的行動。
 だがその思考速度と行動が速すぎ、事情を知らない人間からすれば、偶然にケイスが頭をぶつけ気を失ったようにしか見えていないのだろう。


「そらまずいな。あれ一人で吸い込んだのかよ。濃すぎて下手すりゃ死ぬぞ」


 技術者故か、それとも天才故か。
 スオリーの説明に、今ひとつケイスのすごさがピンと来ていないのか、ウォーギンはその行動には驚きを見せず、結果に眉を顰める。
範囲内の生物を一瞬で昏睡させる事が出来る強化魔術睡眠薬を高濃縮状態で摂取するなんて、生体活動の著しい低下を招く自殺行為そのものだろう。 

   
「あーでもそれなら身じろぎも出来無いか……強化術式も削ったかありゃ。しかし削るとなるとどこを……」


 だがケイスは意識を失っているが寝息を立て身体も動かしている。
 技術屋としての知識欲が騒いだのか、ウォーギンは懐から紙を取りだすと術式を書き殴りながら分析をし始めた。
 

「今やらなくても……」


 ウォーギンはすぐに極度の集中状態に入ったのか、スオリーの言葉はもう届いていないようで、ぶつぶつと書き殴って解析をしている。
 これは放っておくしか無さそうだと、スオリーはケイスへと視線を戻す。
 ケイスを取り囲んでいた者達は、予想外の展開に戸惑って、ケイスが無防備に見えるためか敵意の向けどころを見失っている。
 今はまだ良い。
 しかし、誰かがそれでも敵意を向ければあの化け物のことだ。
 たかが寝ているくらいで無防備になるわけも無い。
 向けられた敵意に対して自動的に剣を振る防衛本能持ちだということなので、下手に害意を向ければさらなる騒ぎを引き起こしかねない。
 今のうちにケイスを回収して逃げ出したいところだが、迂闊な行動はあの均衡状態を崩しかねない。
 どうやって穏便に済まそうかとスオリーが手をこまねいていると、騒動を聞きつけ店外に群がっていた群衆がざわざわとなりながらも入り口前から退き始めた。
 どうやら街の警備兵達が派手な騒ぎを聞きつけ、ようやく到着したらしい。


「全員その場を動くな……それにしても今日は一段と派手だな」


 群衆を掻き分け店内に入ってきた警備兵長は、倒れ伏した酔客やら、散乱した酒瓶に蹴倒された椅子、破砕したテーブル、そして止めとばかりに床に開いた大穴と燭台を見て呆れている。 
 客寄せ目的の客同士の殴り合いの喧嘩は、鬱屈した感情の良い発散の場ともなっているので犯罪抑制にもなるからと、荒くれ者が集うこの店の売りとして黙認されている。
 しかしそれが売りの店とはいえ、ここまで暴れられると警備兵側としてもさすがに何時ものように、見て見ぬふりをするわけにもいかない。


「それで今回の騒ぎの中心はどいつだ? 騒ぎの責任はきっかり払ってもらおう」


 酔っ払い同士の喧嘩とはいえ見過ごすレベルを逸脱している。
 それなりの刑罰があると言外に込められた言葉に当事者達は声を揃え、

  
「「「「「「「そのガキだ!」」」」」」」


 と、床ですやすやと眠り込んでいたケイスを一斉に指さした。
 彼らの言うことは、欠片1つの間違いも無い真実。
 しかし真実が、何時も無条件で信じられるとは限られないのも世の常。
 真実があまりに荒唐無稽であれば、その可能性は跳ね上がる。
 店を半壊させるほどの大喧嘩の中心が、幸せそうなあどけない寝顔を浮かべ眠っている幼い少女。
 ケイスを見てから、兵長は疲れたように息を吐いて、


「…………全員酔ってるな。とりあえず拘束しろ。怪我をして気絶している連中は治療院に運べ」


 何を馬鹿なことを言ってるんだと一刀で切り捨て、部下達に指示を出す。
 隊長の指示に店内に入ってきた警備兵達は対魔術強化されたロープを使い慣れた手つきで次々に手首を縛り上げていく。
 カンナビスは人の出入りが激しい分、治安もそれなりに悪いので、集団での喧嘩程度の騒ぎなど日常茶飯事。
 何時ものことといえば何時ものことなのだろう。
 だが拘束される男達からすればたまったものでは無い。
 被害の半分以上をたたき出したのは、そこで眠り込んでいる深窓の令嬢風化け物なのは紛れもない事実だからだ。
  

「ち、ちょっとまて! そいつだ。そいつ! 倒れてる奴の大半をぶっ飛ばして、テーブルたたき割って、燭台を蹴り落としたのもそいつ…………だよな」


 しかも口に出せば口に出すほど、その証言は胡散臭さを増していく辺り実に質が悪い。
 反抗すればより罪が重くなるので素直に縛られながらも反論していた探索者ですら、今のケイスの愛らしい寝姿から、先ほどまでの悪夢のような光景が幻覚だったのでは思ってしまい、徐々に言葉に力がなくなるほどだ。
 

「経緯は後で詳しく聞いてやる。他にそんな戯れ言を言う奴は? いたら一緒に一晩ぶち込むぞ」


 酔っ払いの戯れ言に付き合いきれないとばかりに兵長が首を横に振り、入り口の野次馬へと目線を向けると、面倒事に巻き込まれては叶わないと、群がっていた群衆が蜘蛛の子を散らすように慌てて顔を引っ込めた。
    

「まったく。店主。損害をまとめてあとで詰め所に持ってきてくれ。相当金が掛かるだろうが、探索者達もいることだしあの人数がいれば問題無く払えるだろう」


 当事者達にとっては罰金+損害賠償で相当な出費となるだろうが、探索者なら管理協会に借金という形で支払いも出来る。
 店の修理費くらいは出せるだろうと、店主を安心させる意味で兵長は声をかけたのだが、


「はぁ。そっちはいいんですけど……そ、それであれはどうしましょうか」  


 その店主はそんな事よりもと、おそるおそるとケイスを指さす。
 今は眠っているが、あれの中身は化け物。
 起きてまた暴れ始められたら手に負えない。一緒に連れて行ってくれとその顔は物語っていた。
 だが兵長側から見れば、この店には著しく場違いながらも、あれはただ眠り込んだ美少女にしか見えない。
 まさか一緒に連行するわけにも行かない。


「連れ合いがいるだろ。それとも何か。あんたの店はあんな子供でも一人で入店させるとでもいうのか。見たところ酔いつぶれて眠っているようだが、どれだけ飲ませた。場合によっては手入れをいれるぞ」


 この辺りの都市なら中央ほど五月蠅くも無いので、未成年だろうが酒を提供しても法律上の問題は無いが、この騒ぎでも起きないほどに泥酔するほどはどうだと、兵長は眉をしかめる。
 

「と、とんでもない。い、一杯舐めただけで潰れただけですよあちらのお嬢さんは。なぁそうだろスオリーちゃん!」


 下手すれば営業許可の取り消しや停止なんて事にもなりかねないと、店主は慌てて首を横に振ってカウンターの向こう側から様子をうかがっていたスオリーを呼び出す。 


「ど、どうも~ラルグさんお仕事ご苦労様です。すみませんジュースと間違え飲んで潰れちゃって、水を持ってこようとしたらこんな騒ぎが起きて、助けにいけなくて困ってたんですよ」


 事実とは全く異なるが、この流れに乗ってしまおうとやけくそ気味にスオリーは顔を出し、顔なじみの警備兵長へと挨拶し、店主の作り話へと全面にあわせていく。


「ん。なんだ協会のスオリーさんか。あんたの連れならちゃんと面倒を見てやれ」


 受付嬢としての表の顔でそれなりに顔をしられているスオリーの登場に、警備兵長ラルグも気を抜いたのか説教じみた言葉を口にしながらも、近所の気の良いおじさんといった顔を見せていた。


「あんたがいるなら丁度良い。あとで今回拘束した探索者の身元保証や資料を送るように手配しておいてくれないか。今日は何か知らないが騒ぎが多くて、正直いえば手が足りていなくてな。そうしてもらえると助かる。スリが刺されたやら、集団幻覚か知らんが崖を登ってきた子供がいるやら、竜獣翁が来られていたとか上も下も大騒ぎになっていてな」


「えぇ。はいすぐにご用意いたします! だから早くお仕事にどうぞ!」


 なんで今日に限って騒ぎが多いのか。
 その答えの中心点近くにいるスオリーは、その騒ぎの大元であるケイスの存在を隠すためにラルグに対し限りなく迅速な返事を返すしか、術は無かった。


























「疲れた……疲れたよ。姉ちゃん……もう限界だよ」


 テーブルにがっくと倒れ伏したスオリーは、心身ともに削りきられた己の状態を嘆きながら、ジョッキの酒をちびちびと飲んでいた。
 だがそのペースは止まることが無く、かなりの量を飲んでいて顔も紅く、背中の羽根は力なくだれている。
 あの後騒ぎを聞きつけたボイド達が訪れ無事?に合流できたスオリーは、眠り込んだケイスをルディアに預けることで面倒を見るという役割からようやく解放されていた。
 ラルグから頼まれた仕事を片付けたあとは、ファンリア商会主催の者達が泊まる宿の酒場を借り切って行われた慰労会へと特別ゲストとして同席し、無事に帰ってきた幼馴染み達へと今日の愚痴をこぼしていた。
 

「姉貴ほれ飲め飲め。ケイス相手じゃ仕方ねぇっての。あいつ無茶苦茶だからな。飲んで忘れろ」


「まぁせっかくの休みなんだからぱーっと飲んで忘れろって。ただ酒なんだしよ」 


 心身ともにやられて泥酔している姉の姿を物珍しく見ているヴィオンと、年上の幼馴染みの空になったジョッキにボイドはとぽとぽと酒をつぎ足す。
 それぞれ同情がたっぷりと乗った慰めの言葉をかけているが、二人の顔は笑っているのだから面白がっているようだ。
幼馴染み4人組のなかで一番の年長者であるスオリーは、気丈というか常に姉ぶり説教じみた台詞も多いので、良い弱みを握れるという期待と、普段のちょっとした意趣返しもあるのだろう。


「二人とも面白がってるでしょ。大変だったんだよ! セラちゃん。この薄情者達に何とか言ってやって」


 男共は当てにならない。
 ここは妹として可愛がっているセラを味方を付けようとしたスオリーだったが、その肝心のセラは


「ウォーギンさん。これの改良ってどうすれば良い? もうちょっと速射性と安定性を上げたいんだけど」


「待ったセラ姉ちゃん。さっきからずっと聞いてばかりじゃねぇか。俺もこっちを見て貰いたいんだっての」


「あーそれなら杖内部の回路を……」  


 何故かそのまま流れで同席し、ただ飯にありついていたウォーギンを取り合ってラクトと共に魔具談義で花を咲かせていた。
 セラが扱う魔術杖や、ケイスとの決闘用に昼間に仕入れてきた魔具のほとんどをメインデザインをしたのがウォーギンだったそうで、制作者目線からの改良策や使い方のコツなどで、この上なく盛り上がっているようで、スオリーの言葉など耳に入っていないようだ。


「み、味方がいない。ね、姉ちゃんこんなにお仕事頑張ってるのに、誰も分かち合ってくれない」


 涙目になったスオリーはどんよりとした表情で、呻きながらもカップを一気に飲み干す。
 ケイスに削られた疲労はその心身に深々と刻み込まれていた。


「いや仕事って、ケイスに関わったのは完全プライベートだろうが。待ち合わせに来ないから嫌な予感したら案の定だしよ」


「そうそう。それにどうせ俺らが関わってたから、姉貴がケイスに巻き込まれるのも時間の問題だっての」


 ボイドはもちろん、弟のヴィオンですら、管理協会の受付嬢とは別にスオリーが裏の仕事をしていることは知らない。
 カンナビスで知っているのはカンナビス支部長であるボイドの父親を含め僅か数人しかいない
 裏方にいるからこそ力を発揮できる仕事なので、例え親しい人間でも伝えないのは重々承知している。


「人の気も知らないで…………」


 酔っていても自制して肝心なと事には触れていないが、それでも言わずにはいられなかった。
 がっくと力なく倒れ込んだスオリーは恨めしげな目でボイド達を睨んだ。
 愚痴をこぼしても面白がられるのでは、話す気は減退。気も晴れやしない。
 どうやって気を晴らそうかと悩んでいると、スオリーの横に長身の影が立った。


「お待たせし……どうしましたスオリーさん?」


 燃えるような赤髪と女性としては珍しいほど長身の薬師ルディアがいつの間にやら戻ってきていて、テーブルに倒れ込んで酔っ払っているスオリーを心配げに見ていた。
 高濃度魔術睡眠薬を摂取したというケイスを上の部屋で寝かせて、診察をしていたのだがどうやら終わったようだ。


「姉貴、ケイスのせいで精神的にやられて、酒で現実逃避中。関わったのが運の尽きだな」
  


「医者に診せに行くとか言って飛び出したのに喧嘩して店半壊とかするあの子相手じゃ誰でもそうなりますよ。二日酔い防止とか精神が落ち着く薬なら調合できますからいつでも言ってくださいね」


 ケイスの突拍子も無い行動に多少は耐性がついていたルディアは、打ちひしがれたスオリーに心底から同情的な視線を投げ掛けた。
 同じようにケイスに振り回されているので、おそらく同類相哀れむという類いの感情だろう。


「……この子。良い子だよ。姉ちゃんこんな子が妹に欲しいよ……ねぇルディアちゃん。ウチの弟を貰ってくれない」


 しかし掛け値無しのルディアの言葉が今の荒んだスオリーには何よりの癒やしなのか、それとも酔っているのか、かなり力強い手でルディアを捕まえるととんでもない事を言い出した。


「ぶっ! あ、姉貴。弟を売るな!」


「えぇ。だって良い子だよこの子。あんた女癖が悪いんだから、こういうちゃんとした子に姉ちゃんは管理して貰いたいの」


「あ、あのその手の冗談は、出来たらご遠慮願いたいんですけど。後ちゃん付けもキャラでは無いので止めて欲しいです」 


 二人のやり取りからヴィオンとセラが付き合っていることを察していたルディアがちらりとセラへと視線をやるが、首を横に振って適当に流しておいてと視線でサインを送っている。  


「冗談じゃ無いのよ。ヴィオンはねぇ魔術も使えるし、戦闘技能もちゃんとしてるし、色々器用だし、探索者としては才能あって自慢の弟だけど、女性関係だけは別なの。過去に何人を弄んだか。ちゃんと躾けて首輪を付けられる人が良いと思うの。だから本当なら可愛い妹のセラちゃんと一緒のパーティにもしたくないんだけど、戦闘での相性が良いから仕方なく組ませてるのよ」


「昔の話だ昔の。今は真面目にやってんだから吹聴すんな姉貴」


 好評価なのか低評価なのかいまいち判らない姉の評価に、ヴィオンが始まったと不満顔だ。


「疑わしい…………ヴィオン。あんたセラちゃんに手を出してないでしょうね。もし出してたらもぎ取るわよ」


 弟殺しも辞さないと感じさせる目付きは冗談でもなく本気だと感じさせる。
 実の弟よりも妹分への愛情度が著しく高いようで、下手に答えたらこの場で血の雨が降りそうな雰囲気にテーブルについた者達に緊張感が奔る。


「だ、大丈夫だ。俺の”ほう”からは手を出してないから。約束してただろ……なぁボイド!」


 姉の殺気に気圧されうっかり口を滑らせかけたヴィオンが、立て直そうと慌ててボイドへと話を振る。


「おま! 俺に振るなよ!」


 巻き込まれないようにと黙っていたボイドは、スオリーの視線が自分に向いて血相を変える。


「ボイド君の証言は当てにならない……娼館の支払いで揉めて騒ぎを起こして身元保証が廻ってきた事は忘れてないわよ。姉ちゃん恥ずかしかったんだから。ヴィオンと一緒に遊んでたなんて……ヴィオンを止めてくれるって信頼してたのに裏切られた気分だったんだから」


 酔っているはずのスオリーが不意に素の真顔で説教じみた顔を浮かべる。
 どうやら信頼していた幼馴染みが弟と一緒に出入りしていたと知った時のことを思い出して一瞬で酔いが覚めたようだ。
 ヴィオンの女絡みの話から、毎回の展開にボイドは頭を抱える。


「……頼む。スオリーその話はいい加減に忘れてくれ」   


 過去につい酔った弾みで羽目を外した際の過ちの所為で、未だにこうやって責められる所為で、未だにもう一歩踏み込めないのだから、昔の自分が目の前にいたらとりあえず殴り飛ばしたいと鬱屈した気持ちで、ボイドは呻くように伝えた。


「え、えと。それよりあの子の容態ですけど、予想通りというか大丈夫です」


 なにやら複雑な幼馴染み達の関係に踏み込まない方が吉だと判断したルディアは、わざとらしくも無理矢理に話題を変える。
 

「お、おう。そうか。やっぱり無事か。さすがケイス。ラクト喜べ。決闘に支障は無いぞ」


「あぁあ! ケイスの舐め腐った態度が出来無いようにしてやるよ」


 ルディアの助け船に全力で乗っかることにしたヴィオンに振られたラクトも空気を読んで、半分本気ながらも勢いよく頷く。
 あの化け物に勝つ。
 実力差がかけ離れているのは判っているが、何故かラクトにはそれが至上命題のように感じていた。 


「眠っているだけで他は問題無しでした。前みたいに無意識でしょうけど左手に薬剤を集中して汗と一緒に排出もしてましたから、早めに目を覚ますと思います」


「やっぱり無事って、あれ相当強化されてたんだがよ。しかも自己排出ってあいつ何者だよ」 


 一方でケイスの決闘騒ぎは部外者のウォーギンは、高濃度濃縮睡眠薬を摂取しても無事で済むケイスの常識外の肉体に懐疑的な顔を浮かべる。
 何度調べてもあの一瞬で範囲はともかくとして、他の効能を消すことは出来無いと、ウォーギンの技術屋としての知識と勘は告げている。
 あの知識と肉体能力はただ者では無いと誰もが思うことだろう。


「あー……正体不明です」


 ウォーギンの問いかけに対して、ルディアは一言で答える。
 それがその過去を知るスオリーを除いて、この場にいる誰もが思っていたケイスへの印象なのは間違っていなかった。

























「……ふむ?」


 目を覚ますと周囲が濃い霧に覆われている。
 周りは見えないが水の臭いがして空気がひんやりと冷たい。
 出した声の反響する音が響く。
 どこかの洞窟のようだが、そんな所に入った覚えが無い。
 自分のいる位置が判らずケイスは首をひねるが、すぐに違和感に気づき気を抜いた。
 怪我をしているはずの右手の包帯が無く、服さえも無い全裸で自分は立っているからだ。
 さらに言えば、このふわふわとしたどうにも気合いの入らない精神状態は、どうやら現実では無く、精神世界のようだと判断する。
 このような体験は別に初めてでは無い。
 呪術にはまり夢を見させられたこともあるし、高位種である知り合いに見させられた幻も経験している。
 だから慌てるでも無く、ケイスはイメージを固める。
 ここが精神世界ならば思い通りになら無いはずが無い。
 その強固な自我がイメージを形作り、ケイスは動きやすい軽装にマントを纏った今の旅装束へと一瞬で変わる。
 

「ん。次は剣か。ふむ何にしようか」


 どうせイメージできるなら、好きな剣にしたい。
 しかし好きな剣は無数にある。
 一番良い物をイメージしたいが、未だに最上という形はケイスの中には出来上がっていない。
 何せケイスは天才。
 どのような剣であろうとも一定以上の力を引き出し、良ければ良いほどケイスはその剣に合わせ力を引き出す。
 その底なしの才は未だ限界を知らず、完全に満足する剣となるとこの世に存在しないのでは無いかというほどに際立っていた。


「ふん。混じり者とはいえ我が血を引くだけはあるか。慌ててはいないようだな」


 ケイスがイメージする剣についてあれこれ考えていると、急に重々しく強くそして不遜で不愉快そうな声が響いた。
 どうやら声の主がこの空間にケイスを引きずり込んだ相手のようだ。
 

「ん。少し黙っていろ。今剣を考えている。後で相手をしてやるから」


 だが今のケイスは相手に興味が無い。
 せっかく好きな剣をイメージできるというのに邪魔をするなと、コバエを払うかのように素っ気なく答えた。
 

「我の言葉を無視するとは、躾がなっていないようだな!」


 傍若無人なケイスの態度に怒りを抱いたのか周囲に雷鳴のような怒声が響き、前方から吹き荒れた強烈な風が周囲の霧を吹き飛ばした。
 せっかくの楽しい思考を邪魔されたケイスは、その釣り目を不機嫌そうな色に染めると、顔を上げ真正面を向く。
 そこには巨大な龍の顔があった。
 牙1つをとってもケイスと同等の大きさ。
 その口蓋は大きく開けば城門にも匹敵するだろうほどに巨大。
 青く透き通った瞳は、深水の色をたゆたわせた池のようで、ケイスを睨んでいる。
 並の人間なら腰が砕けまともに立っていることも出来無い圧力を前に、


「…………なんだ龍か。ん。しかしその顔は始母様にそっくりだな。始母様の血縁か?」


 ケイスはその顔をまじまじと見つめてから、平然と話しかける。
 龍の顔にケイスはその身に流れる血の大元である龍王ルクセライゼンの面影を見いだした。


「ふっ。我の正体も知らんのかこの愚者は。それともあやつが臆して伝えておらなんだか。我こそはっ!」


 ケイスを見下した目で睨みその名を名乗ろうとした龍だが、その言葉を最後まで言う前にケイスが動いた。
 一瞬で剣をイメージしその右手に構え、その両足に闘気を込め一筋の矢となり龍の右目へと向かって飛びかかっていた。
 いきなりの不意打ちに完全に虚を突かれた龍が対応する前に、ケイスは戦術を組み立てる。
 龍相手にまともにやっても、今の力では逆立ちしたって勝てはしない。
 だがそれがどうした。
 気に入らない者はぶった切る。それがケイスだ。
 

「やはりあやつの娘か! 我に牙を剥くとはな!」


 龍が吠え、その目に魔法陣が浮かぶ。
 同時にケイスの周囲にその魔法陣が幾重にも転写されその進路を覆っていく。
 一瞬の光を放ち魔法陣が一斉起動を始めた。
 無数の水流が魔法陣から立ち上がり、蔦のようにケイスに絡みつこうと襲いかかる。
 その早さ、密度はケイスの今の速度では躱しきれない。
 真っ正面から迫る水の茨に飲み込まれたケイスの体に、容赦なく襲いかかる。
 強烈な痛みを持って貫いた水茨によって、ケイスの右腕が吹き飛び、身体を貫き内臓を抉り、目を押しつぶす。
 全身から血が噴き出し、気が狂うような痛みがケイスの中を駆け巡る。
 圧倒的な実力差。
 相手にもならない。
 それが龍を相手にした者の末路。
 現実なら終わった勝負。
 だが……気にしない。
 ここは夢の中。精神世界。
 ケイスは認めない。
 その龍の攻撃も、その龍によって失った身体も。
 自分は剣を握っている。
 相手に勝とうと剣を持って前に進んでいる。
 なら自分が勝つ。
 それが自然の理であり、自分の絶対。
 だから自分は負けない。
 だから自分が勝つ。
 圧倒的な龍を前に、ケイスはその圧倒的な精神力を持って拮抗し、さらには覆す。
 世界すらも喰らい尽くすほどの傍若無人さを持って、その身を推し進める。
 吹き飛んだはずの右腕に力がこもり、貫かれたはずの心臓が激しく脈打ち、潰れたその黒い双眸が目標を捉え、粉みじんとなったその口が、


「邑源一刀流! 逆手双刺突巻絡み!」
 

 口上と共に龍の右目に剣を深々と刺し込む。
 さらにその剣へと体重をかけ身体を回転させるように力を込めて目の一部を捻りきってから、龍の顔を蹴りつけてケイスは大きく飛び退く。
 そのままクルクルと回り地面へとすたっと降りたケイスは、剣を構えたまま再度龍を見上げる。


「なんだ無傷か。少しは痛がれ。今の私の全力だぞ」


 強かに打ち込んだ剣戟で目の一部を抉ったはずだが、その透き通った水面のような眼は無傷のままケイスを見ていた。
 自分の最大攻撃を無効化されケイスは不機嫌そうに頬を膨らませる。
 何のことは無い。
 自分と同じように龍が攻撃を無視したのだろうと判断する。
 自分の全力など、この龍にとっては蚊に刺されたような物なのだろう。
 だから回避もせず、なすがままにしていた。
 改めてこの龍との間に埋め尽くしがたいほどの差があるのだと感じ取る。


「だがお前気に入ったぞ。良し。今のように本気でこい。私が殺すまで付き合ってやろう」


 それが嬉しい。
 気を取り直したケイスは笑顔を浮かべ、新たなる剣を呼び出す。
 いろいろ試したい剣もある。
 それにここでならもう一つの流派を解放しても良いかもしれない。
 強い相手がいて好きな剣がいくらでも呼び出せる。
 事情は判らないがケイスにとってここは天国だった。


「貴様……何を考えている。何故あの攻撃で死なぬ。痛みを感じなかったとでも言うのか」


 しかしその相手である龍は、平然と剣を構えるケイスに対して困惑していた。
 ここは龍が作り出した精神世界であっても、その痛みや怪我は現実とさほど変わらないほど高度な術による物。
 確かにケイスは全身をばらばらに切り刻まれ激痛と共に一瞬息絶えていたはずなのに、怯えもひるみも無く平然と剣を構えている。


「うむ。痛かったぞ。しかし避けられなかったのだから痛いのは当然だ。何を言っている」


 龍が聞きたいのはそんな事では無い。
 何故あの痛みを受け入れ正気でいられると問いただしているのに、ケイスの答えは龍ですらも凌ぐ意味不明な答えだった。


『無駄ですよ父上。その者に常世の常識を説いても。我が末にして、我ら龍すらも凌ぐ怪物ですがゆえに』 


 呆気にとられている龍を慰めるように、何者かが龍に話しかけてきた。
 いつの間にやら龍とケイスの間に一人の女性が立っていた。
 年の頃は30過ぎの涼やかな美女は龍と同じく透き通った青色の双眸と同系色でゆらゆらとたゆたう衣を纏い、人外の雰囲気を醸し出している。


「ふむ。どうした来ないのか? つまらんぞ」


 しかしケイスには姿が見えていないのか、女性に反応しておらず、反応しない龍に対して頬を膨らませていた。


『貴様か。よくも我の前に顔を出せたな。親不孝な娘が。しかも人の身で現れるとはどういう了見だ』

 龍はばつが悪そうに顔をしかめると、ケイスを無視してその美女へと呼びかけた。
 だが突き放すように言ったその言葉とは裏腹に、その中には確かな愛情が含まれていた。


『父上の愛情を汚した我をまだ娘と呼んでいただけるとは、ありがとうございます。しかし父上。私は今はルクセライゼン帝国始母にして守り神ウェルカ・ルクセライゼン。この姿でいることをお許しくださいませ』


 美女の名は龍王ルクセライゼン。
 龍種が一種深海青竜の長にして、かつてルクセライゼン帝国始皇帝と共に、先代ルクセライゼンを討ち果たした帝国始母と呼ばれる存在。
 彼の地であれば伝説と共に畏敬を込めて語られ、その存在が未だ存命であると知る僅かな者達からは生き神と崇められる超常存在。


「それにこちらの姿でないと…………久しぶりですね、ケイネリアスノー」


 ウェルカがケイスにも認識できるように姿を現すと、ケイスは心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「おぉやはり始母様か。なんだ龍の姿では無いのか? あっちの龍も始母様の仕業なのだろ。早く始母様も龍の姿になれ。龍二体を相手に戦えるなんて楽しみだ」

 
 しかしケイスにとっては祖母の祖母のそのまた祖母のさらに先のご先祖様であろうとも、国で神としてたたえられるような存在でも、所詮は身内の一人で、龍冠内で出会って以来、戦闘訓練という名で遊んで貰った強い龍というぞんざいな扱い。
 さらに自分の今の状況を考えれば、例え始母といえど敵以外の何物でも無い。
 なら戦うのみ。
 龍一体にすら勝ち目が無いというのに、二体を相手に戦おうという、その精神は正直言って正気の者ではない。
 しかしウェルカにとって、ケイスの言動は予想できたことだ。
 この戦闘狂にとって絶対種龍は最高の好物なのだから。


「あの娘の戦闘意欲を刺激して話になりませんので。貴方に仕掛けたのも私の身内だと判断しての条件反射ですよ。この娘は、私が龍の姿で現れれば自分を連れ戻しに来たと思い挨拶代わりに斬りかかってまいりますので」


 相手が龍だろうが、遠い先祖の始母だろうが関係ない。
 自分の行く道を遮るなら打ち砕くという、シンプルかつ直線的な脳筋思考な末娘の前に、本来の姿で来ていれば、このような挨拶をする間もなく斬りかかってきたであろう。


「さぁ早くやろう!」


 お気に入りのオモチャを見つけた子供のようにワクワクと目を輝かせたケイスが待ちきれないというように剣を振り回していた。 


「……お前どういう教育を施した」


「龍にすら臆すこと無く挑む胆力を育てるなぞ不可能ですよ。彼の迷宮神以外には」


 ウェルカは極めて不本意だと、父であり、かつて打ち倒した先代龍王ルクセライゼンへと一応の弁明を申し立てると、改めてケイスへと向きなおり


「ケイネリアスノー。まず紹介したい方がいます。貴女が先ほど斬りかかったのは、我が父であり先代の深海青龍王ラフォス・ルクセライゼンです。自らの祖には少しは敬意を持って接しなさい。私は貴女と戦うために来たのでは無……」


 父である龍王をウェルカは紹介しつつ、ケイスの前に現れた理由を説明しようとするが、
  


「ふむ。理解した」


 ウェルカの話の途中だというのにケイスはぽんと1つ手を打ち、深く頷いた。
 頷いたケイスはそのまま顔をうつむけると、何故か小刻みに全身をぞくぞくと震わせている。


「ふん。ようやく我の偉大さに」


「龍王が2匹か!」


 伝説の龍王と聞いて今更臆したかと嘲ろうとしたルクセライゼンにたいして、ケイスが突如顔を上げキラキラとした目でルクセライゼンを見上げて再度剣を構えると、


「うん! 名誉だ! よしやろう! 今やろう! すぐやろう! 構えろ。お爺さま! 始母様! もう理由などどうでもいい! 戦うぞ!」 


 目の前の龍が自分の遙か遠い祖先だとはっきりと自覚した上で、改めて決闘を申し込むという龍王達にも予想外の行動に出た。
 興奮ぷりは先ほどの比では無く、歓喜を謳うように華やかな闘気を全身から放つ。
 その様は尻尾が切れるほどに振り回しながら雪の庭を駆け回ってはしゃぐ子犬のような嬉しさと楽しさで溢れている。
 ケイスのテンションが跳ね上がるのは、今までに無い強敵+それが身内だという嬉しさだ。
 相手が身内ならばその出自を隠すために伏せていた自らの名を名乗り、決闘を挑むことに何らの支障は無い。
 敬愛する父、母から受け継ぎし名を堂々と名乗れ、しかも相手は龍王が2体。
 戦いこそが生き様。人生の糧なケイスにとって、これ以上のシチュエーションは存在しない。
 あまりの嬉しさに全ての意識が戦闘へと極限集中していくのをケイスは感じ取る。


「フィリオネス・メギウス・ルクセライゼンが娘たるケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンの力を、お爺さま達の末の娘の力を見せてやろう!」


 溌剌として凛々しい覇気と共にケイスは純粋で獰猛な満開の笑みを浮かべていた。
 しかし決闘を申し込まれた龍王達は思わず顔を見合わせる。
 

「ウェルカよ…………この娘ひょっとしてアレなのか」


「えぇ……なんといいますか。アレです」


 人の話を聞いていないや、通じていないとかという生やさしいレベルでは無い。
 ウェルカ達が現れた理由などとりあえずどうでも良いから、強い存在がいるからまずは戦おうという結論に達するその思考回路が、常識外をひた走るにもほどがある。

 一言で言えば『戦闘馬鹿』だ。それも度しがたいレベルの。 

「…………我も長い年月を生きたが、我らより傲岸不遜で他者の言葉を聞かず、非常識な思考をする生物など初めて見たな」 


 娘のため息にいろいろな物を察したラフォス・ルクセライゼンは、改めて自らの血脈の末に生まれた者が、正真正銘の化け物であり、龍さえ超える者であるという娘の言葉に納得していた。 



[22387] 剣士と剣 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/17 03:14
 南方大陸の雄。
 南方大陸統一帝国ルクセライゼン。
 北方大陸トランド全域に広がる迷宮永宮未完のモンスター異常増大と轟炎赤龍王率いる赤龍種による侵攻で北方大陸からあらゆる国家が壊滅し、人種が滅亡の縁まで追い込まれた、いわゆる暗黒時代に、暴虐の限りを尽くす迷宮モンスター達へと対抗する為に、誕生した帝国になる。
 南方大陸で群雄割拠していた24の国家をまとめ上げて大陸を制したのは、建国より千年以上の歴史を持つ古い国ルクセライゼン王国。
 彼の国の始祖は、遥か昔に南方大陸に十数年以上も続く大干魃をもたらし、草木を枯らし、穀倉地帯に壊滅的な被害を与え、いくつもの国に戦乱と飢餓をばらまく原因となった悪龍深海青龍王ルクセライゼンを打ち倒した探索者であった。
 武人であり魔術師としても名高かった建国王が用いた武具は多岐にわたるが、その中でも四宝と呼ばれる剣、杖、鎧、盾は、神々よりの祝福である超常の力と天印を持つ天印宝物として、伝説の武具として語り継がれている。
 天印宝物とは、取得者の死亡やその超常の力を発現させれば、塵となり消え去り、やがて長い年月を経て、また迷宮内に出現する神秘の品。
 ルクセライゼンにおいて帝位を得るには、帝位継承権を持つ皇族男子が、建国王と同じく自らの身で迷宮へと挑み、不老長寿の力を得た上級探索者となり、神々に認められ伝説に残る建国王の四宝を1つでも得て持ち帰ることが、唯一にして絶対条件となっている。
 幾度となく行われた帝位継承の儀において、多くの皇族がその途上で倒れ臥しても、この慣習だけは、改められることは無く、神々の祝福を得た英雄が帝位に着き、衰えない思考と肉体により広大な帝国を治めていた。
 現皇帝であるフィリオネス・メギウス・ルクセライゼンもまた、実年齢は70を超えながらも、上級探索者となった全盛時代の肉体と知謀を持つ英雄皇帝の一人。
 彼が若き頃に永宮未完で繰り広げた冒険譚は、今でも帝都の酒場において定番人気の英雄叙事詩の1つである。
 その半世紀近く続く治世は、大きな混乱も無く安定した統治と、民草を思う政策によりさらなる発展をもたらした名君として民衆からは評価されている。
 だが現皇帝に対する皇族と貴族達の評判は決して良い物では無い。
 皇帝フィリオネスの名の下に発せられた職種開放令、税法改正等の数々の改革は大衆主義的と批判されていた。
 また歴代皇帝と比べて長きに渡る統治はメギウス家による独占だと非難され、その後継者問題もやり玉に挙げられる。
 血筋を残すことも重大な役割である皇帝には、現皇帝生母の出身家以外の、併合した旧王家である各地の23氏皇族より血族の娘が一人ずつ輿入れし、後宮を作ることが慣例となっている。
 1人の父と23人の母の元で生まれ育った数多くの皇子達が、次代皇帝となるため皇太子を目指し、新たなる英雄叙事詩がいくつも生み出されていく。   
 現皇帝であるフィリオネスの元にも、帝位を継承したその時から美姫が集い後宮が形成されていた。
 しかし輿入れが過ぎ、数年が経っても皇妃で懐妊したものは誰一人居らず、それどころか数年すれば暇を出され実家へと戻らされる者が続出していた。
 戻された家からは、また新たに若い娘が輿入れされたが、その娘がまた数年して送り返されるのが幾度も繰り返された。
 家の名誉に傷がつくからと秘匿されているが、后によっては一度も閨を共にする事も無く返された者すらいると噂されるほどだ。
 子種を持っていない。
 同性愛者である。
 性的不能である。
 数多くの悪意ある噂が流される中で、いつしか1つの噂が真実味を持って語られる。
 フィリオネスには探索者時代に恋人がいたが、冒険の途中で死に別れ、今でもその女性のことが忘れられずにいるという噂だ。
 ありがちな話ではあるが民衆には受けがよい。
 しかし国を統べる統治者としての自覚が欠ける話だと皇族には、その噂はすこぶる評判が悪かった。
 さらには、昨今ではその噂に新たな派生が生まれている。
 フィリオネスは死んだ恋人を天印宝物により生き返らせ、その女性が子を産んだと。
 しかし死者との間に生まれた子は、はかなく病弱であり、世に出せ無いほど醜く腐り崩れた容姿をしていたと。
 その隠された皇女はかつての龍王ルクセライゼンが倒れた地。
 帝国聖域たる龍冠において密かに育てられていると。
 この新たなる疑惑が生まれると共に、順調に発展を続けていた帝国内で、徐々にではあるが、不穏な事件や些細な争いが生じる。
 まるでその呪われた皇女がもたらしたかのような、戦乱の火種が帝国のあちらこちらでくすぶっていた。
 











「むぅ! なかなか! やるなっ! さすが始母様!」


 押さえきれない高揚を感じさせる弾ませた声で笑いながら、ケイスは無数に続く高圧縮された水弾をかいくぐり、弾き、そして切り落とす。
 その洗練された剣技と、幼いながらも目を引く無邪気な笑みを浮かべる美貌は、戦乙女と評してもあながち間違いでは無いだろう。
 躱しきれない水弾によって傷つき血まみれの姿でさえ無ければ……
 血塗れでありながら天真爛漫な笑顔で剣を振り回し続けるその様は恐怖を通り越して、もはや喜劇だ。
   

「……”あれ”を昨今の人間共は病弱と呼ぶのか?」


 かれこれ数十分以上続いている豪雨のような弾丸に切り裂かれ抉られ、体中を気が狂うような無数の痛みが走っているはずなのに、まるで気にもとめず、龍王達へと攻撃を加えようと一進一退を続けるケイスを見て、先代深海青龍王ラフォス・ルクセライゼンは懐疑的な声を上げた。
 ラフォスの意識が途絶えてから千年以上もの時代が流れていたが、いくら人が強くなろうとも、あの姿を病弱とは呼ばないだろう。
 ここはラフォスの魔力で作られ、ケイスを取り込んだ夢、幻の世界。
 この世界において起きる、全ての痛みや傷は確かに幻覚ではあるが、当事者にとっては真実と変わらない高度な物。
 だというのに、死ぬことはおろか、気絶さえせず、気が狂うような痛みを感じているはずなのに、むしろ嬉しそうに笑っているあたり、正気を疑いたくなる光景だ。
 しかも、それが認めがたいが、紛れもなく自らの血脈に連なる末だと思うと、ラフォスは現実においては既に無いはずの頭部に痛さを覚えるほどだ。


「噂とはいつの世も偽りが混ざる物ですよ父上。父上の悪行とてそうでしょ。かつて南方大陸に大干魃をもたらした悪龍ルクセライゼン。しかしその干魃の真実とは、嵐を呼ぶ父上の寿命が尽きかけ魔力が枯渇し初めたゆえの結果。娘としては、真実を語り継ぎたいのですが今世を乱すことになるので口を閉じております。申し訳ありません」


 一方でルクセライゼンの娘であり、現深海青龍王でありケイスを生まれた頃より知る帝国始母ウェルカ・ルクセライゼンにとっては、今更な末の娘の戦闘狂な姿にはなんの驚きもない。 
 父の足元で茶器を広げ優雅にお茶会を楽しみながら、時折水弾の雨を突破しそうなケイスへと追加水球を呼び出して攻撃をしていた。
 何せ千年ぶりに会った親子の会話だ。
 要点だけを摘んで話してもいくらでも積もる話はある。
 だというのに、人間体で来ても久しぶりの所為か戦いたがる、あの戦闘馬鹿な末娘がいては落ち着いて話も出来ない。
 とりあえず満足するまで戦わせておけば良いと、ウェルカが適当に相手をしていたが、暴走娘はなかなかに止まりそうに無かった。


「ふん。地の底に縛り付けられ、このような水たまりに押し込められる。我が子にまでその様な苦行を負わせようとしなかった、我の親心を踏みにじった貴様が言えた義理か。まんまとあの迷宮神の思わくに嵌まりおって」 


 南方大陸全土に大雨をもたらす春嵐。
 ”本来”であれば不毛の地が広がる南方大陸を、水源豊かな大森林や河川沿いを肥沃地帯として変貌させ恵みをもたらす物だ。
 その巨大な嵐を呼びよこすのは絶大なる龍王の魔力。
 しかし大陸全域に天の恵みをもたらす代償は、名の通り広大な海を住処とするはずの深海青龍を、大陸中央部山岳地帯地下深くに作られた巨大魔法陣の中に押し込め、寿命と引き替えに無理矢理に魔力を絞り出して蓄積させるものだ。
 かつてルクセライゼンは、一族に蔓延した流行病の治癒と引き替えに、迷宮神ミノトスと契約を交わし、小さな泉に閉じ込められ、下等種族達が住まうための大陸作りという恥辱と苦痛に苛まれる役へとついていた。
 大雨により不毛の地には草木が生え、餌を求めて動物が移り住み、肥沃な土地へと変貌した大陸に、北大陸から知恵を持つ種族が進出して、文明国家が築かれる。
 しかし数千年にも渡る大陸の繁栄が、一頭の龍の恩恵であると知る者は誰も居なかった。
 だがその栄華の時代も、ルクセライゼンの衰えと共に終わるはずであった。
 魔力がつきて春嵐が起きなくなると、大陸は本来の姿を思い出し、大干魃が大陸中を覆い尽くした。
 ただ一カ所。ラフォスが縛り付けられた大陸中央部の険しい人跡未踏の山岳地帯を除いて。
 生存本能から僅かな魔力でもラフォスが雨雲を召喚していた為に、未だ肥沃な地と豊富な水量を保つ地には、その謎を解明する為に大陸中の国家から合同調査団が派遣され、ほどなく2つの報告があがる。
 凶悪で凶暴な無数のモンスターに護られた巨大な迷宮が発見された。
 そしてそれだけのモンスターを従えるだけの、山脈入り口からも探知できるほどの強大な気配を感じさせる主が迷宮深くに存在すると。
 人々が迷宮の存在を知ると時を同じくして、人に困難を与え成長を促す迷宮を司る神ミノトスより神託が下る。
 曰く、”大干魃を解決する鍵は迷宮の奥底に眠ると” 
 その神託を受けた神官は宣言をする。
 迷宮の主こそが大干魃の原因。
 彼の主を討伐すれば、大陸は救われると。
 これが後に龍冠と呼ばれる巨大迷宮へ人々が挑む切っ掛けであった。


「おや、父上ご存じありませんでしたか。私は迷宮神の企みでは無く、あくまでも自分の意思に従ったまでです。それに娘とは常に父より自分の男を選ぶものです。我が夫が望むなら、この地も天の獄たり得ます」


 真実とは真逆の話に憤り、恩知らずな大陸の者達が滅びようと、恥辱に塗れた父を今際の際だけでも解放しようとしたのがその娘であるウェルカだ。
 しかし迷宮神との盟約により、龍種はラフォスの戒めを解き放つことは出来無い。
 故にウェルカは迷宮神ミノトスと新たなる契約を交わし、龍の力と姿を捨て去り、脆弱な一人の人間として、人のパーティに潜り込み、技術を磨き、力を蓄え、名うての魔術師となった。
 もっとも、その過程で一人の探索者に惚れ込んでしまったのは、ウェルカにも計算外だったが。
 最初は父を解放する為の戦いであったはずだが、結局はウェルカはその男や仲間達の為に自らの身を再度捨てて龍へと戻り、名誉ある戦いの末に打ち倒した父の後を継いで、地の底に縛り付けられ嵐を呼ぶ者へと。
 すなわち深海青龍王ルクセライゼンの名と役目を受け継いでいた。
 端から見れば親子で迷宮神に良いように振り回されているように見えるが、ウェルカとしては結果的には満足している。
 ただ死にゆくはずだった父には戦いの末の名誉ある死を迎えさせることができ、愛おしい夫との子孫達が繁栄し、多くの民に慕われる皇帝や英雄となって歴史に名を残すような傑物も幾人も生まれているのだ。
 娘として妻としてそして母として、これほど満足する事は無いとウェルカはしたり顔で頷く。


「あの小僧め……もう少し囓りきってやるべきであったな。何が絶対寂しい思いはさせないだ」


 もっとも父親としては、娘の幸せそうな顔を見ても不満しか生まれないのはしょうが無いだろう。
 本人達が納得し満足そうであっても、娘であるウェルカが今も迷宮奥底に封じ込められているのは変わりない。
 身じろぎも出来ず微睡む事さえ許されず、ただ虚無の時を地底の牢獄で過ごす苦痛と屈辱は誰よりもラフォスは知っている。


「その言は守られておりますよ。私の余興にと、彼はその領土中に水路を張り巡らせよと遺言を残しております。おかげでこの地においても私の目に入らぬ物はありませぬ。子達の争いや、帝位を求めて起きる諍いなど、人の世もまた賑やかしく飽きることはありませぬ故」


 深海青龍は水を通じて世界を知る。
 初代が残した遺言により、ルクセライゼン帝国はその領土に緻密に張り巡らされた大小様々な運河を築いている。
 表向きには春嵐で発生する大洪水に備えた治水事業とされているが、その裏側の意図を知る者は歴代の皇帝とその側近達だけだ。
 龍冠の湖から続く源流は、大陸全土を巡り、大海へと至り世界を見渡すための通路となっていた。
   

「……一族同士での争いと諍いか。いいのか?」  


「我ら龍の性とは獰猛なまでの支配欲と独占欲。氏族同士の争いが我らの生き様。戦いこそが我らの望み。帝位を求め争うのは、龍としては誠に正しき生き様かと」


 今見せているすまし顔ですっかり忘れていたが、この娘は同族においても名高いほどに、一度戦いとなれば苛烈にして猛り狂う武闘派であったとラフォスは思い出す。 
 

「……なるほど”あれ”は確かにそう考えれば、貴様の幼い頃にうり二つであるな」


 人と交じり幾重にも重ねた混血の末に生まれた、末の娘へとラフォスは目を向ける。
 先ほどまで水弾の勢いに負けて一歩進んでも体勢を崩してすぐに一歩下がる一進一退をしていたはずのケイスは、今では一歩下がっては三歩進むまでに、この短時間で無尽に続く雨だれへと適応して見せていた。
 龍王達を屠ろうとするその目には敵意、悪意の欠片は皆無。
 驚くほどに澄み切っていながらも、狩るべき獲物と目を付けた龍王達への純粋なる殺意で彩られている。
 相手が自分より遙かに強かろうが構わず食らいついていく凶暴性。 
 底なしの戦闘意欲。
 戦いを重ねれば重ねるほどに、成長を続けていくその無限の伸びしろ。
 確かにあれは龍だ。
 人の姿をした龍だ。


「お言葉ですが父上。さすがにあの子と一緒にされるのは私としましても不本意です。あの子の異常性を前にしては、我ら龍とて裸足で逃げ出し降参せざる得ませんので」 


 だが父親の言葉を娘は否定する。
 むすっとし、どこかケイスと似たその勝ち気な目をつり上げた。


「何せあの子の場合は……ケイネリアスノー! もしこの攻撃で打ち倒されるようでしたら私は現実で貴方を連れ戻します! 抗ってみなさい!」


 ウェルカは手に持っていたカップをテーブルの上に置くと、じりじりと近づいてくるケイスの方へと顔を向け宣言をして、軽く息を吸い込む。
 ウェルカの喉から雷鳴のような低く不気味な音が鳴り響き始める。
 それは龍の咆哮前兆現象。
 探索者達の間では、死神の足音とも忌み嫌われる最悪の攻撃の調べ。
 この音が鳴り止むと共に放たれる、極々圧縮されたブレス攻撃は、城塞を一撃で砕き、万の大軍を灰燼へと化す。
 ましてや龍王たるウェルカのブレス攻撃は、島を両断し山脈すらも突き崩す天変地異の大破壊をもたらす。
 今のケイスに襲いかかる水弾など、児戯以下の戯れにもならない桁違いの攻撃だ。







「!」


 全身をびりびりと打つ重低音。
 全身が悲鳴を上げる恐怖。
 脳が勝手に生み出す明確な死の映像。
 全ての生物を萎縮させ恐怖させひれ伏させる魔術効果が付随する音に、ケイスの体が自然と反応してしまう。
 龍の力に抗える者など、同等の力を持つ龍か、極々一部の最高峰の上級探索者のみだろう。
 ケイスは魔力を持たない身。
 抗うことすらも出来ず、その肉体は萎縮し膝をつき、握っていた剣がカランと音をたてて地に落ちる。
 倒れ臥した身体に無数の水弾が次々と命中し、まるでボロ切れのように身体が千切れていく。  
 だがその精神は決して屈しない。
 ウェルカは言った。
 自分を連れ戻すと。
 現実においてウェルカは地の底に縛り付けられていようとも、紛れもない龍王。
 使い魔や水を使役してケイスを捕獲し、遠く離れた龍冠まで転送する事も、容易く行える。
 今の実力ではケイスでは、その攻撃を防ぐことなど出来無い。
 だが今は家に帰る気など毛頭無い。
 自らが望み目指す大願を果たす日まで、帰らぬと誓ったのだ。だから今はまだ帰らない。帰れない。
 なら打ち勝つのみ! 
 倒れ臥したケイスの肉体とは別に、その不撓不屈を貫く精神だけは、決して怯まず、屈しない。
 その強すぎる激情は精神体となり肉体より浮かび上がり、その認められない未来を屠ろうと剣を振りはじめる。
 肉体を捨て去り得た力、速さは先ほどまでの比では無い。
 それはケイスが思い描く理想の自分。
 自らが望み、自らが到達すべき姿。
 あるのは剣士としての本能において、ただ斬るということのみ。
 水弾を打ち落とす切っ先は音を突き破り、それでは飽き足らず光さえも超え無尽に早くなる。 
 前に進もうと縦横無尽に飛び交っていた身体は、残像さえも消え去り、その気配さえも消える。
 壁のように分厚く隙間無く敷き詰められ高密度で放たれていた水弾が、なんの痕跡すら残さず瞬く間に消滅していく。
 ウェルカの咆哮が鳴り止むと同時にケイスの姿が再度現れる。
 それはウェルカの目の前。
 ほんの一瞬で絶望的な距離を詰めたケイスの精神体は、いつの間にやら、その両手に長剣を握っている。
 はさみのように刃元で交差させたその二振りの剣が、ウェルカの細く白い首筋へと寸分違わず添えられて、

  
『レディアス二刀流 ガザミ落とし』


 軽くステップを踏んだケイスがクルリとその場で回転すると同時に、咆哮を放とうとしたウェルカの首は高々と空へと舞っていた。












「と、このように精神戦でならば、既に私ですら打ち負けるほどのイメージを固めておりますゆえ……まったく我が末娘ながら恐ろしい。そして嘆かわしい」


 クルクルと頭上を跳んでいく自らの頭部を見上げながら、ウェルカはポットを手に取り自らのカップに茶をつぎ足すと、やりきれないため息をこぼしてから飲み干す。
 ここは夢幻の世界。現実では出来無いことも思えば出来る。
 身を2つに分け、その片方が死んでいく様さえ見る事も可能。
 ただしその想像が無茶であれば無茶であるほど、それには強固なイメージが必要となる。
 決して破綻しない自らが描く最強の姿を純粋無垢に信じ込み、さらには他人すらも信じ込ませるほど強固なイメージを持ち合わせる者など、ほんの一握りだろう。 
 だがケイスはこの歳でその意思の力で、龍王であるウェルカが自らの死を受け入れるしかないほどの、強さを発揮できる。


「せっかく我らの血を色濃く発現させ、透き通るような青き瞳と高い魔力変換力を持ち合わせて生まれたというのに、この娘はその力を自ら捨てております。はぁ……なんでこんな剣戟一直線に……」


 自らのイメージを外側に向けて広げ、固定化させる。
 それは魔術の初歩にして奥義。
 ケイスの持つ本来の肉体能力である心臓より生み出す膨大な魔力と、その精神力を持ってすれば、現時点でもこの世界で生きる生物の中でも有数の魔術の使い手となるだろう。
 人の超常である探索者にもならない幼い少女であるが、この娘の心根は、不変であるはずの世界の理を浸食し侵しさらには己の色に染め上げるほどに強固で暴虐で傍若無人。
 龍冠で出会った頃の青目のまま成長を続けていれば、やがては世界を全て敵に回しても勝つほどの存在。
 それこそ人の身でありながら龍王と名乗るほどになりかねない……はずだった。
 だがその極めて異質にして化け物じみた魔術の才を、ケイスは己の意思で綺麗さっぱり捨て去り、剣一本で生きている。
 せめてウェルカのブレスを防ぐために一時的にでも魔力を戻すなら可愛げがあるが、それですら力任せの剣戟で乗り切る。
 せっかく教え込んだ魔術知識や龍魔術が全く無意味な状態にウェルカは不満げに言葉をもらした。
 

「さて……ケイネリアスノー。何時まで倒れたふりをしているのですか? 約定は守ります。私は貴方を連れ戻す気はありません。それといくつか話したいこともあります。こちらに来なさい」


 ウェルカは、どこからともなく新しいカップを取り出すと、ゆっくりと茶を入れてテーブルの向かいに置くと、倒れ臥したままのケイスの肉体へと声をかけた。


「……ん。ふりでは無い。少し身体が痺れていただけだ」


 ウェルカの問いかけに偉そうに答えながら、プルプルと震える膝でよろめきながら立ち上がる。


「……んっっ……むぅ、さすがに魔術効果込みのブレスは防ぐだけの方法が思いつかん」


 剣を杖代わりに何とかテーブルまでたどり着くと、極めて不機嫌そうに顔をしかめながらドカッと椅子に座り込んだ。
 手を開いたり握ったりと繰り返して身体のチェックをしてみるが、水弾で負った外傷は消し去ることは容易いが、身体の真まで染みこんだ痺れをイメージで打ち消すことがなかなか出来ず苦労していた。


「むぅそろそろ剣だけで無く防具も考えるべきか……ふむ、子グマとの決闘にあわせて魔術対策も本格的に考えるべきか?



 ここは幻だから精神力だけで押し切れたが、これが現実であれば自分は戦闘不能になっていただろう。
 それがケイスを不機嫌にさせる。
 現実では今の実力ではとても太刀打ちできないウェルカ相手に、精神戦で勝ったと言ってもケイス的にはそんな物は意味が無い。
 やはり勝利とは自らの心身全てを持ってもぎ取る物。
 第一なんだかんだ言っても、子孫に甘いこの始母に、精神的に勝つなどそう難しいことでは無い。
 何時か現実で斬り倒すまで、自分は勝ったことになら無いと物騒なことを考えながら、今の戦いでわかった改めて浮き出た弱点を解消する手を考える。


「始母様とお爺さま。しばらく黙っていろ。これからの戦術方針を考える」

 
 今の相手の魔術攻撃を判断し、それに合わせて回避や迎撃をする方法では先の行き詰まりが見えている。
 昼間の酒場での不覚も魔術式の判別は出来たが、その対応策はその時は他に思いつかなかったとはいえ自らの意識を失う下策。
 これが戦場であれば、既に自分の命は無いだろう。
 やはりここは防御を固めるべきか?
 魔力を持たないと言っても、護符や魔力付与された防備で固めれば、能動的に使用できる自己付与とは違い、防御できる術や使用方法限定されてしまうが、ある程度は対応できる。
 しかし魔力付随した防具はそれなりに値が張るらしい。
 金銭的なことには壊滅的に無頓着なケイスではあるが、それでもある程度の優先順位の嗜好はある。
 もっともその嗜好とは、防具を買うお金があるなら、まずは剣を買うという剣優先な剣術馬鹿嗜好だ。
 ましてやケイスの場合、その剣術や馬鹿げだ力故に、生半可な剣ではポキポキと軽く折って壊す上に、あれやこれやと細部にまで拘る偏屈なまでのマニア。
 気に入る剣が見つかるまで防具などに割く金は無い。
 しかしそれでは不意の魔術攻撃には対応できない。
 そうなるとだ……


「ふむ。やはり見知らぬ者や、敵対する魔術師が近づいてきたら、とりあえず斬るという方針がベストか。妙案だな……むぅ……しかし子グマと次に会ったらその場で斬れば良いのか? それでは決闘の礼儀に反するぞ」


 何をどう考えたのかは判らないが、ウェルカ達のことは無視していきなり頭を悩ませ始め、辻斬りめいたことをぶつぶつと呟き手を打ってなぞなぞの答えがわかった無邪気な幼児のような笑顔を見せたかと思えば、すぐにまたも頭を悩ませ始める末の娘の嗜好は、長い年月を生きるウェルカにも理解できる物では無かった。
   

「これを我ら龍と比べられましても。私としてはこうお答えします。我ら龍はそこまで非常識ではありませんと」


「……限度がある。少しは躾けろ」


 ケイスの自己中心的過ぎる思考は、無論ラフォスにも理解できる物では無い。
 個々の我が強いのは龍の種族的特徴ではあるが、さすがにここまで自分勝手な者は一族でも見たことは無い。


「……むぅ、そうなるとやはりあの剣を使えれば……しかしあれは頑固だ……どうすれば私の力を……」


 思考の袋小路に彷徨い込んだのか、ケイスはぶつぶつと呟きながら、椅子から立ち上がるとその場で剣を振るいだした。
 剣を振っていると思考がクリアになって考えがまとまるとは本人の弁だが、端から見れば危ない危険人物以外の何物でも無い。


「……ケイネリアスノー。そろそろ良いですか? あの剣についてもうしたいことがあるならご本人と話しなさい」


 いらいらが募ってきたのか乱暴に剣を振り回し始めたケイスをさすがに見かね、ウェルカは再度声をかけた。


「ん……むぅ。始母様。どういう意味だ?」


「貴女が扱いに苦慮している剣『羽の剣』と呼ばれるあの剣に宿る精神は我が父の物、もっと正確に言えば、あの剣を構成する素材には龍王ルクセライゼンの骨の一部が用いられています。父上が貴女をここに連れ込んだのも、剣について直接に話そうとしてのことです……そうですよね父上?」  


「この馬鹿娘には一言言わなくては気が済まないからな……まさかお前までが来るとは思わなかったがな。ウェルカお前は少し黙っていろ。この娘に話がある」  


 ウェルカの問いかけにラフォスは忌々しそうに頷きながらも肯定し、ケイスへと目を向けた。
 

「娘。聞いたとおりだ。お前が今所有する剣はドワーフ共によって打ち鍛えられ姿形は変わろうとも我だ。我を手放せ。お前になど使われる気は無い」


 深海青龍は全身の骨格を硬軟軽重変化させ、日の下の海原から、静寂な大海の奥底まで自在に行き来する。
 闘気剣『羽の剣』は龍骨を芯素材と持ちいて、その変質特性を強化し他の鋼材にまで影響を及ぼすドワーフによる特殊工法により作られていた。
 死したラフォスの肉体を用いたとはいえ、その意思の一部を活性化させるほどの神業的技術は、ラフォスですら驚嘆せざる得なかった。


「むぅ。私を認めていないのはお爺さまだったのか……ならば立ち会え。私の力を認めさせてやる」


 ケイスが実に不機嫌そうに頬を膨らませ、懲りずに再度戦いを申し込む。
 剣に認められないのは剣士として沽券に関わる問題。
 しかも認めないのが身内となれば、何が何でも認めさせてやる。
 その為なら殺し合いも辞さないとその瞳ははっきりと語っていた。
 

「ふん。お前の才は認めてやろう。その身が人の身であろうとも我が龍の末だとな……だがそれとこれは別だ。再度言わせて貰うが、お前のような者に私を使わせる気は毛頭無い」


 力任せにもほどがある脳筋思考をする末娘に問題は才能では無いとラフォスは断言する。
 どうやらケイスが心底気に食わないらしく、その拒否感は極めて強いようだ。
 しかし使えない理由が才では無く、ケイス自身が気に食わないといわれても、ケイスにはここまで嫌われる要因に思い当たる節が無い。
 ケイスが生まれる遥か前にラフォスは死んでいるのだから、生前に面識があるわけが無い。
 ラフォスを討ち滅ぼした血脈の末が理由というなら、逆に言えば自分はラフォスの末でもある。
 そこまで拒絶される要因は無いはずだ。


「うぅぅぅっ! はっきり理由を言え! お爺様に嫌われるような事をした覚えは無いぞ!」


 考えても判らず、ケイスは癇癪を起こしラフォスに食ってかかるが、


「……最初に我と出会ったとき、即座に投げ捨ておったな」


「えっ!?」


 冷たい目で見るラフォスのあまりに予想外の返しに、さすがのケイスですら思わず絶句する。
 思い当たる節がある所では無い。紛れもない事実だ。 


「しかも我と比べ選んだのは別の剣であったな……それも魔力も有さず、意思もなく、ただの鉄の塊を」  


 屈辱に身を震わすラフォスを見てケイスは慌てる。
 まさかあの時のことを引き合いに出されるとはさすがに思ってもみなかった。


「ま、まてお爺様!? あのバスタードソードはいい剣だったぞ!?」 


「元が良剣であろうともあの時点では折れて半壊したただの鉄くずであろうが……この我をそんな物と比べる事さえ屈辱というのに、迷いもせず即断して我を投げ捨ておったな」


「た、確かに折れていたが、実際にサンドワームにも勝って見せたでは無いか!?」


「あれは貴様の剣術があってのことであろう。我を用いていれば利き手にさらなる重傷を負う事も無かったのではないか」  


 あの時は切っ先が無いので貫通力を増すために、骨にヒビが入った右手で柄頭を打ち付ける逆手双刺突を使ったが、羽の剣を使っていれば右腕を庇って使える技がいくつかあったのは確かな事実だ。
 それでもケイスにはケイスの言い分がある。


「あ、あの時はあいつが私の選んだ剣だったし、あれで最後だと思うとしっかり使ってやろうと。そ、それにお爺様だってあの状態ではふにゃふにゃしてたし軽いから……」


 しかしその言葉には何時もの勝ち気で傲岸不遜な勢いは無く、年相応の子供、それも悪戯を親に見つかって必死に言い訳するような弱々しさしか無かった。


「あの薬師の娘が、我の特性を説明している途中で会話を打ち切りおったが闘気剣ということまでは聞いておったそうだな。なのに試そうともせず戦闘終了まで放置していたのはお前であろう。その上つい先日は暴言を吐いて我に噛みついてきおったな……その様な礼儀知らずに、今更我を使う資格があると思うな」 


「…………うぅっ! し、始母様!」


 ラフォスの指摘に返す言葉が無く、ついに言葉に詰まったケイスは、成り行きをあきれ顔で見守っていたウェルカに半べそで泣き付く。
 涙目でウェルカを見上げるケイスは何とかしてくれと全身で訴えている。
 先ほどまで剣を振るっていた姿と同一人物とは思えないほどの豹変だ。
 

「どう聞いても悪いのは貴女でしょう…………まったく相変わらず身内に嫌われるのは弱いのですね」


 敵やら知らない者にどう思われようとも気にしないが、家族や親しい者からの正統な理由がある怒りや叱責には滅法弱い末娘に、ウェルカはどうした物かと頭を悩ませる。
 これで少しは反省して日頃の言動を正せば良いが、ケイスにそれを期待するのはとうの昔に諦めている。


「父上。そこまで意固地になられずとも使わせてやってくれませんか……父上も気づいておられるのでしょう」


 ただ馬鹿な子ほど可愛いというか、時には妙に素直な時もある末娘は嫌いでは無いウェルカは仲裁を試みる。
 元よりウェルカがここに訪れたのは、末娘の力となるように父に頼むため。
 ケイスはその生まれより、彼の迷宮神ミノトスの意図が組み込まれている。
 迷宮神が何を考えているのかは、ウェルカにも見通せない。
 ただ碌でもないことであり、ケイスの身に降り注ぐのは、ウェルカ自身や父であるラフォスが巻き込まれた事よりさらに大きな事象であろうという予感のみだ。


「……だからなおさら気に食わん」


 ラフォスもケイスの異常性には当然気づいている。
 そうでも無ければケイスが持つ馬鹿げた能力や常識外の思考。
 なによりいくら血を引くとはいえ、ケイスがウェルカやラフォスと出会えた事の説明が付かない。
 地底奥底の封印されし迷宮に住まうウェルカや、千年以上前に滅んだラフォスの意思とケイスが出会えたことを単なる偶然というのには無理があった。
 死してもなおこうして意識を取り戻したのは、迷宮神の企みであろう。
 その策略に素直に乗る気はラフォスには無い。
    

「とにかく我の用件はもう済んだ。娘覚えておけ。我を使おうとしても、最初は普通に使えようが、お前の闘気がある程度たまれば、我はすぐに現世でも覚醒する。即座にお前の制御より離れ、隙あらばお前を屠ろうとするだろう」


 これ以上話し合う余地は無いと最後通告を突きつけたラフォスの声に、ケイスは泣き付いていたウェルカの体から慌てて泣き顔を上げ、 


「ま、まてお爺様! 私の態度について、あ、謝るから私に……」


 その言葉が最後まで続く前に、ケイスの肉体はこの空間から綺麗さっぱりに消え失せた。
 羽の剣に宿るラフォスが生み出した世界なのだかから、ケイスの意思を追い出すのはラフォスには造作も無い事だ。


「煩わしい娘だ。終わったことをぐじぐじと」


 現実で目を覚ましたケイスは、早速取りだした剣に必死に呼びかけているようだが、現実のラフォスの今の肉体である剣には声を発する器官もないし、精神に呼びかけ会話をする事も出来るが、もう話しはすんだのだからと、相手にする気は皆無だった。
 
 
「それだけ気に入ったのでしょう剣としての父上を……しかし少し大人げないのでは。あれでもまだ子供ですよ」


 気に入った剣はテコでも諦めないケイスと、一度機嫌を悪くすればなかなか戻らない父。あの末娘にして、この父ありというか。
 自分の意志を易々と曲げない頑固さは大分離れた血縁でも、似たもの同士だと思いつつも、ケイスのように放り出されず残っていたウェルカは再度ラフォスに掛け合う。
  

「子であろうが血脈であろうが、我の誇りを汚した者に使われる気は無い」


「……父上。あの子はその時は意思を持つ剣だとは知らなかったのでしょ。些か拘りすぎでは?」


 父の言動に少しばかりの違和感を先ほどからウェルカは抱いていた。
 己の尊厳や誇りに拘るのは父の特徴でもあったが、ラフォスが気分を害している根本理由は、先ほど本人が言ったとおりであれば、闘気剣である己より、ただのしかも半壊した剣を選んだことにある。
 まるで自分の本分が龍では無く、剣にあるとでも言いたげな様子だ。


「確かに我は深海青龍ラフォス・ルクセライゼンではある。だが同時に闘気剣ラフォスであるという意思が奥底まで根付いている」


「……父上?」


 龍とは傲岸不遜にして絶対者。ましてやラフォスはその龍達の長である龍王。
 その意思や生き様はそう易々と変わる物では無い。
 しかし自分は剣であると認めるラフォスに、ウェルカは驚きを覚える。


「あの娘……ケイネリアスノーと言ったな。あの頑強な意思は確かに我ら龍からみても化け物であろう……だがこの時代には更なる化け物がおるぞ。我を持ってしても自分が剣であると認めざる得ないほどの鍛冶師がな」


 死してなお蘇り、剣と成り果てた自分の運命に、忌ま忌ましさを覚えつつも受け入れてしまう。


「……あの小僧に打ち込まれた剣の我としての誇りが娘を認めておらん。諦めろ」


 自らの死を認めず打ち砕いてみせるケイスよりも、頑強強固にして、ただただ剣を求め続けるその意思は遥か上の狂気をいく。
 あの男の世界には剣しか無く。剣しか見えていない。
 剣のためならばためらいも躊躇も無い。
 ありとあらゆる者と物が剣を作るために存在していた。
 龍であったラフォスを剣であるラフォスへと変質させたのは、ドワーフたちの技を受け継ぐとはいえ、まだ見習いでしかない鍛冶師。
 しかもケイスよりも幼い年端のいかないその子供は、ただ手伝いとして相槌を打っただけであった。



[22387] 剣士の心意気
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/17 02:05
「ずいぶん盛り上がってるよね。なんの話?」


砂船トライセル専属料理人ミズハ・イチノは自ら拵えたばかりの、癖の強い獣肉を押さえるためにふんだんに使われた香草の匂いが食欲を刺激する深皿を片手に、やけに盛り上がっていた会話の内容を手近に座っていたルディアに尋ねる。


「あーと……あの子がどれだけとんでもないかという話で大いに盛り上がってます。このお皿かたしますよ」


 ケイスが寝ている二階を指さしたルディアは、ミズハの持ってきた料理を見てテーブルの中央の空き皿を重ね横によけつつ答える。
 ケイスが何者かというウォーギンの質問から始まった話題は、盛り上がりには事欠かなかった。


「ミズハちゃんごめん。私はもう胃が痛くなってきたからあまり食べられそうに無いかも」


 濃すぎるケイス話の連続で気疲れでもしたのか、ルディアは疲れたような顔を浮かべ、今日一日振り回されていたスオリーに至っては、気苦労を思い出したのかテーブルに突っ伏していた。


「姉貴のは単なる飲み過ぎだろうが。ぱかぱか強い酒ばかり開けてりゃそうなるっての」


「なるほどね。はいはい、んじゃそのケイスが取ってきた獲物で作った料理で話題転換ね。次の皿は砂漠狼の肩ロース東方風香草煮もみじおろし掛けとござーい。評判よければこのお店の定番メニューになるから批評よろしく」


 ごろごろとした塊肉は圧力鍋で調理されているので、この短時間でも突いただけで崩れるほどに柔らかく煮込まれている。
 とろりとした甘じょっぱい煮汁としゃきしゃきとした根菜の食感が食欲をそそり、上からたっぷり掛けたピリ辛でさっぱりとしたモミジおろしが全体の味を引き締め、こってりとしていながらも飽きさせないミズハ渾身の作だ。


「悪いなミズハ。さっきから作らせてばかりで」


 ボイドが申し訳なさそうにミズハから料理を受け取り、ルディアの開けたテーブルの中央へと置く。
 ミズハはルディアやボイド達と同席ではあるが、同じ卓を囲んでいたのは正味十分もないだろう。
 父親であるセラギとこの酒場兼宿屋の店主リクライン・イドは同じ店で修行をした旧知の仲。
 本来であれば今日はミズハも打ち上げ参加者の立場なのだが、セラギが持ち込んだ北リトラセ砂漠産の豊富な食材(主に魚、肉類、時折自走植物類)に2人の料理人が創作意欲を刺激されたのか、いきなり始まった大試作大会にミズハは巻き込まれ、日頃頭の中で構築していた新作をご披露という事になっていた。


「あー気にしない気にしない。リックおじさんに副菜、調味料の類を存分に使わせて貰ったから大満足。それにこれで終わりだから。あとでまとめて感想聞かせて貰うわよ。特にウォーギンさんとルディアあんた達ね」

 
 前掛けを外して自分の席に戻りカップを手にしたミズハは生き生きとした顔でウォーギンとルディアを指名した。
 セラギ達に劣らず生粋の料理人であるミズハは、普段は砂船の厨房で限られた食材で料理しなければいけない制約から解放され、むしろ楽しんでいたようだ。  


「私ですか?」


 ミズハの差し出したカップに瓶を傾け赤ワインを次ぎながらルディアは意外そうな顔を浮かべている。
 評論家でもあるまいし、細かい感想といわれてもミズハの料理は基本的には美味しいという表現でしか答えようが無いからだ。


「ただ飯を喰わせて貰ってるから、感想くらいは喜んで答えるけどよ、あれがどうとかこれがこうとか、細かいの期待すんなよ料理人の姉ちゃん。今ん所全部美味いしかねぇぞ」


 同じく指名を受けたウォーギンもルディアと同様の感想のようで、食通めいた台詞は無理だと予防線を張っていた。
 

「そんな難しく考えないでよ。ルディアは冬大陸出身で、ウォーギンさんは東部のロウガでしょ。ここら辺じゃそっち出身者って少ないからね。どれがより好みだったかだけでオッケーだから」


 ロウガはトランド大陸最東端に位置する巨大な港町であり、暗黒時代の発端であり最終決戦地となった土地としても有名な都市だ。
 暗黒時代に滅亡した東方帝国を源流に持つロウガの料理には、独特の調理法や調味料が数多く、 別地方の料理人にはなかなか敷居が高い物だが、


「あーなるほど。それでモミジおろしがけってことか……確かにこりゃ地元の味だ。ロウガで出しても遜色ないな」


 ミズハの言葉に合点がいったのか、来たばかりの煮込み料理を皿に取って、肉を一口囓ったウォーギンは懐かしげな顔を浮かべながら太鼓判を押す。
 

「ふふん。たいしたもんでしょ。まだまだたっぷりとあるからガンガンいっちゃて……具体的には砂漠狼だけで後10頭分お肉がいるから」


 胸を張って自慢げに笑ったミズハだが、この程度の消費では焼け石に水でまだまだ使い切れない量がある事を思いだし、それを忘れようとしたのか笑いながらグラスを一気に傾けた。
 使い切れない食材というのは、料理人にとって嬉しくもあり迷惑でもあり。
 食べ頃のうちに使い切りたいのが心情だが、その相手は未だ山のようにそびえ立っていた。
 

「ケイスって変な所で真面目だから、軽い冗談でも気をつけた方が良いよ」


 飲み干したグラスをルディアに突き出して、ミズハはおかわりを催促しつつ、自らの言葉を思い出す
 ケイスがよく食べるから食材が足りないかも。
 ミズハが大食漢のケイスに対して言った冗談1つがこの結果だ。
 素直というか馬鹿正直というかその性格に、あの化け物じみた能力が組み合わさった結果がこれだ。
 なんせケイスの狩りで得た獲物は、最終的にはトライセルの厨房保存庫では収まりきらず小型とはいえ倉庫1つを丸まる埋め尽くすもの。
 出航前より食材が増えるという怪奇現象は、ミズハどころか、長年料理人をやっているセラギでさえ初体験だったくらいだ。
 

「俺らとしちゃ護衛中の飯がレパートリー広がったうえ、食い放題でありがたかったけど、狩られた方は災難だな。リトラセに放置してたら一年くらいでモンスター共を刈り尽くしかねないからな」


「狩って喰って狩って喰ってってか。半年あれば十分だろあいつなら。酒場での喧嘩騒ぎも、戦って飯さえあれば十分なバーサーカー振り発揮してたみたいだしな」


 ケイスに限れば、人を襲うモンスターの方が可哀想になってくるのも仕方ないとボイドの台詞に、悪のりしたヴィオンが笑いながら答える。
 大の大人達しかも探索者相手に喧嘩沙汰を起こしても、何時もと変わらず暴れ回れる幼い少女の話など眉唾も良い所だが、それがケイスだと知ればさもありなんと、昼の顛末を聞いた誰もが思っていた。
  

「ボイド君、ヴィオン……結局また元の話に戻ってるじゃ無い」


ケイスの化け物振りを肴にした話題は、ミズハが料理を持ってくるまで散々したのだからもう良いだろうと、恨みがましい目をしたスオリーが、幼馴染みと弟を睨み付けた。
 それが嘘八百なら酒の上の笑い話だと済ませられるが、ケイスに限ってはそれがほぼ真実。
 過去の所行を知るスオリーからすれば、むしろ今日はまだ人死にが出ていないので、大人しい方というのが心底恐ろしい。


「でもさぁケイスってボイド達から見てもそんなに強いの? そりゃ刃物を扱わせたらたいしたもんだし、狩りも上手いけど、普段のイメージだとそこまでって感じ無いんだけど」


 確かに年齢離れして強いけど、些か大げさ過ぎないかと、グラスを傾け、料理に手を付けつつ、ミズハが平然と言い放つ。
 ケイスの力が一般人からは逸脱していても、人を超えた力を持つ探索者から見ればそこまではいかないだろと言いたげだ。
 

「ミズハおまえあれ見てよく…………そういやお前実際にケイスの戦ってる所やら戦闘痕跡は見てなかったな」 


 仕込みやら営業中でミズハが直接ケイスの狩りやら自分達との模擬戦闘を見ていなかったことをボイドは思い出し、どう説明したら分かり易いかと考える。
 ケイスの凄みは、人づてに聞いても、あまりに現実離れしているので実感が湧かない。
 実際にケイスの戦闘後を目撃し、その本人と何度も手合わせしたボイドですら、質の悪い冗談としか思えない実力だからだ。


「自分は天才だっつってるけど、ありゃそのレベルですら無いからな。ガチの化け物だろ。ラクトとの決闘を見た方が分かり易いから楽しみにしてろって。百聞は一見にしかずってな……ラクトがどこまでケイスの本気を引き出せるかわからねぇけど、どこで見ても化けもんだからな。気張れよラクト」

 
 姉と違い物見遊山というか怖い物見たさというかほろ酔いのヴィオンが笑いながら、右隣のラクトの背中を激励の意味を込めたのか何度もバンバンと叩く。
 天才ならまだ人のカテゴリー。
 しかしラクトが喧嘩を売った相手のカテゴリーは化け物だ。


「痛っ! ヴィオン兄ちゃん力強ぇっての! ったくこれだから酔っ払いは……それにどういう意味だよ。あいつ本気だろ?」   


 酔って加減が効かないのかヴィオンに叩かれてヒリヒリする背中をさすりながら、不満顔のラクトが問いただした。
 ケイスが色々な意味で本気なのは決闘相手であるラクトが一番感じているからだ。


「あー……んー……なんつーかな本気なんだが、種類が違う本気なんだろ。ありゃ。ほれミズハがさっき言っただろ。普段のケイスを見てりゃ、確かに強いけどそこまでか? って奴。具体的に例えるとな」


 テーブルの皿から串盛りを引っ掴んだヴィオンは皿に移して、次いで来たばかりの煮込み肉を同じ皿の上に並べて、なぜか見比べさせる。
 肉の大きさも調理法も違う2つを指さして、


「ミズハ。お前この手間暇掛けた煮込み肉に対して、串に刺して焼いただけの肉って手抜き料理か?」


「ん? どっちも本気に決まってしょ。手を抜いた料理なんて出したら親父にどやされるって……あーなるほど料理に例えられると分かり易い」


「そういうこった。ケイスと俺らは何度も手合わせしてるし、狩りも見てるけど、サンドワームをぶっ殺した戦闘痕跡と比べると段違いだ。俺らとやり合った戦闘訓練やら、ラクトとの決闘は勝負事の本気。狩りなんかも狩りの本気であって、殺す気の本気はまだまだ底があるんだろ」

 
 ケイスがリトラセでサンドワームと繰り広げた戦場跡を二回見ているのはヴィオンだけだ。
 だからこそ判る。 
 ケイスの本気はまだまだあんな物では無いとヴィオンは断言する。


「……」


 ヴィオンの説明に合点はいったのだろうが、ラクトはすこし不満顔だ。
 ただでさえ魔具を買い与えられた上に、ケイスは実力全部を見せていないと指摘され、手を抜かれていると感じたのだろう。  


「まぁ、そう言っても侮ってるわけじゃ無いから気にすんな。ケイスの奴巫山戯た言動はしてるけど、根がくそ真面目だから、本気でお前と決闘する気なのは間違いねぇわ」


「なぁ、じゃあケイスに本気の本気を出させる方法ってなんかねぇの?」


「本気の本気ね……お嬢なんか良い方法ってあるか?」


 少しだけ考えた素振りを見せたが思いつかなかったのかすぐに諦めたヴィオンが、ケイス絡みは避けたいので黙っていたセラへとわざと尋ねる。
 

「あたしに振らないでよ……ったくヴィオン。あんた煽ってるでしょ」    


 ケイスとの相性が一番悪いのが、この席ではセラで間違いないだろう。
 接近戦を得意とする剣士と、遠距離専門魔術師。
 浪費家というか金銭に無頓着なケイスと、節約家という名のどけちのセラ。
気が合う合わないではなく、考え方が根っこの端から違うので致し方ない。
 もっともケイスの方は傲岸不遜の極みで一切気にしないような性格なので、セラが一方的にケイスを苦手としているというだけでもあるのだが。


「ラクト。乗せられないようにしときなさいよ。変なこと考えないで魔具を使って遠距離で封殺。お腹すくまで待ってりゃあんたの勝ちなんだから」


 ケイスが本気を出さない、出せないならそれで良し。
 とりあえず勝ちに行くだけなら、簡単では無いが、絶対無理なわけでは無い。
 昼間に買った魔具の種類を見て、ラクトの戦術は遠距離からの足止め、接近戦の妨害だと察していたセラは、無難なアドバイスを送る。


「なんだお嬢、一度くらいはケイスは痛い目をみた方が良いとか、昼間に吠えてたじゃねぇか。本気の本気で負けたらケイスに取っちゃ痛恨の負けだろ」


「うっさいわねぇ。もしケイスが負けたとしてもすぐにリベンジに走るでしょが。そりゃあたしだって、もしあの子の泣き顔が見られたら少しは溜飲下が、あいたっ!? なにすんのよ兄貴!」 


 話の途中でいきなり拳骨を落とされたセラは、頭を押さえながら叩いてきた兄に文句をつけるが、そのボイドはあきれ顔だ。


「年下の泣き顔が見たいって性悪すぎんだろうが。それこそお前の方が先にケイスに敵認定されんぞ」


「例えよ例え! 第一ケイスが泣くわけ無いでしょうが! あの性格で……」


 いきなり勃発した兄弟喧嘩に周りが慌てて止めに入ろうとする前に、やたらと大きな音が二階から響いてきた。
 まるでドアを勢いよく蹴破ったような破砕音。
 そして今二階の客室で寝ているのはケイスのみ。
 さらには二階からは殺気のような怒気が背筋を寒くさせるようなレベルでだだ漏れてくる。
 店内の者は何事かと誰もが二階を見上げ、通りからあちらこちらで犬の遠吠えやら、猫の鳴き声、夜だというのに一斉に羽ばたく鳥の羽音、馬のいななきが響いた。


「ほれ見ろ! お前が変なこと言うからケイスの奴、怒って起きたじゃねぇか!」


「お酒のつまみに散々変なこと言ってたの兄貴とヴィオンがメインでしょ!」 


 ケイスなら例え睡眠状態でも自分の悪口には反応し怒りて起きかねない。
 いきなりのご立腹状態に慌てる兄妹が言い争いをしている間にも、バタバタと大きな足音を立てながら、階段を下る足音が響き、件の主が姿を現した。
 その寝乱れた長い黒髪でうつむけた顔は隠れているが、なぜか左手にふにゃりと垂れ下がった大剣をしっかりと握っており、肩を小刻みに揺らしながら大人も後ずさりするほどの怒気を発している。
 きょろきょろと店内を髪の隙間から見渡したらしきケイスの視線が一カ所で止まる。
 その狙いは紛れもなくボイド達の卓だ。
 ケイスの全身に力がみなぎるのが遠目にも判る。
 次の瞬間にはケイスは獣じみた速度で床を蹴って、ホールの天井ギリギリまで跳び居並ぶテーブルを一直線に飛び越える。
剣を持ったケイスに対して、ボイド達は丸腰。
 いくら何でもテーブルの上のナイフでは心許ないにもほどがある。


「だっ!? ちょっと待てケイス! 冗談だ冗……」


「っ! ミズハァ! 料理だ! ぅぅっ!  ぐずっ! 美味い物を出してくれ!」


 しかし着地したケイスは、落ち着かせようと慌てるボイドを無視して横を通り抜けると、すぐ側で固まっていたミズハに泣き付いていた。
 近くに来て判ったがケイスは怒っているのではなく、何故か泣いていた。
 黒檀色の目からは流れた大粒の涙が紅色した頬を伝わり床に落ち、嗚咽で身体を震わせるその様は怒り心頭というよりも、どうして良いか判らず、ぐずって癇癪を起こしている子供のようだ。


「え………………え、えっと、ケイスお腹がすいたとか?」


 いきなりの頼み事とマジ泣きをしているケイスに、ミズハは驚くのを一回りして素に戻って問いかける。
 まさか空腹のあまり泣き出したのでは無かろうかというミズハに対して、ケイスは何故理解してくれないと絶望した表情を浮かべ、


「ちがう! お爺様にだ! うぅぅ! 怒って! 話を聞いてくれないんだ! うぅぅ、わ、私にだってり、理由が、っえくっ! うぅぅっわーん!」


 何故か剣をミズハの目の前に突き出し、さらには説明している間に感極まったのか、声を上げて号泣しだした。
 しかも普段は無駄にもほどがあるほど無駄にしている幼い美貌を、余すこと泣く使って泣きじゃくっているのだから質が悪い。
 何とも保護欲をそそるその声と姿は、子供がいないミズハでさえもつい母性に覚醒しそうになるほどだ。


「おい愚妹……溜飲は下がったか?」


「聞かないでよ! 罪悪感ばりばりよ! あたしが直接何かしたわけじゃ無さそうだけど胸が痛んでるわよ!」 


 予想外のケイスの号泣で喧嘩を止めていたボイドの問いかけに、自他共に認める貧乏性ではあるが、無抵抗な子供を虐めて愉悦に入るような腐った性格ではないセラは青ざめた顔で怒鳴り返す。
 ケイスが何故泣いているのか、何を言っているのか誰にも判らない。
 だがそれを本人に問いかけるのには誰もが二の足をふんでしまっている。
 下手な問いかけをしてさらに泣かせてしまうのではないかと、手をこまねくなか、


「……ごめん意味が判らない。あんたどうしたいの?」


 ケイスの泣き声だけが響いていた酒場にため息混じりの声が響いた。
 声の主はルディアだ。
 この中では一番ケイスと付き合いがあるので多少なりとも耐性があったのだろう。


「お、美味しいものを食べれば! ぐす! き、機嫌が良くなるだろ! ミ、ミズハ達の料理は美味しいから! うぅぅ! わ、私じゃなにしても聞いてくれないんだ!」


 だが返ってきた答えは、質問したルディアのさらに頭を悩ませる物だ。
 一体誰を怒らせたというのか。
 誰に食べさせようとしているのか。
 何を聞いてもらえないのか。 
 

「えーと誰に?」


 頭痛を覚えつつもルディアは忍耐強く再度問いかける。
 ケイスの意味の判らない言動に対してはともかく辛抱強く、一歩一歩歩み寄るしか無い。
 野生動物に相対する寛容さと慎重さ、忍耐が必要だというのが、対ケイス対策にルディアが見いだした物だ。


「だからお爺様だ! お、怒ってるんだ! 私の、い、言うことを聞いてくれないんだ!」


 ぐずり泣きながら答えるケイスが鼻を啜りながら長身のルディアを見上げる。
 先ほどのセラではないが、どうにもこの泣き顔と声を真正面から相対すると、自分が泣かせているような気になってくるので、あまり心情的には良くないなとルディアは思う。
 しかし今この場でケイスに対応できるのは自分だけ。
 周りは全員固まって……スオリーだけが何か違うような目でケイスを見ているような。
 一瞬、何かの違和感がルディアの思考をよぎるが、


「怒っているのは判ったが、私にだってぐすっ、り、理由が、だってあいつが可哀想では無いか! わ、私の未熟さで傷つけてしまったのに、それでも頑張ってくれたのだぞ! だったら剣士である私が、ううっ、こ、答えてやるのは当然の義務であり心意気ではないか! ルディもそう思うだろ!」


 しかしケイスの声がその思考をあっさりと乗っ取りルディアの思考を支配する。
 さて困った。
 それが紛れもないルディアの意見だ。
 さらにここで第二の謎の人物の登場。
 お爺様とあいつ。 
 これは別人のことを指しているのだろうが、ますます訳が判らない。


「でお爺様って誰。あいつってのは誰?」


 考えても判らない。なら聞くしか無い。
 そう結論付けてほかに問いかけようも無いくらいドスレートに問いかけたルディアだったが、


「お爺様はこの羽の剣だ! あいつはこの間私が駄目にしてしまったバスタードソードに決まっているだろ! ちゃんと私の話を聞いているのか!?」


 怒鳴るように返したケイスは左手の剣。通称『羽の剣』という奇剣をぶんぶんと振り回しながら、さらに声を立てて大泣きを始める。
 その泣き顔、声、態度は、辛くて悲しくてどうして良いのか判らなくて、何よりも寂しいと全身と声で訴えかける物。
 どうして理解してくれない。
 どうして自分のいうことが伝わらない。
 ケイスは全身でそれを表現している。
 この大泣きは紛れもなく自分が原因だろうと頭痛をさらに増す頭で更なる問いを考えようとしたルディアだったが、


「…………………」


 なにも思いつかない。
 聞いてはいた。
 ケイスが何を差していたのかも判った。
 しかしだ。理解は出来無い。
  

「……剣だと食べ物を食べる口は無いわよ」


 とりあえず理解は止めて、ケイスの望むことは無理だと現実的な答えで返すのが精一杯であった。 



[22387] 剣士と決闘宣言
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/03/22 01:01
「ご自分が天才だということをご自覚ください。貴女に出来る事でも他人には難しかったり、出来無かったりするのです。なんでそんな簡単なことも出来無いのかと、誰彼構わず聞くのもおやめください」


 離宮で一番高い物見塔外壁の僅かな凹凸で鍛錬と称して昇り降りする。
 強そうだからという理由で、騎乗用飛竜ととっくみあいの喧嘩をする。
 一度見ただけで、騎士の扱う高等魔術を再現してみせる。
 ケイスの非常識な行動を目の当たりにして、気絶した従者や、自信を喪失した騎士が出るたびに、姉のような従姉妹であり、面倒を見てくれていた少女からお説教を貰う時は何時もこれが常套句だった。
 その真意は、他人との違いを自覚して、少しは無茶な行動を控えて欲しいという意味だったが、ケイスにはよく判らなかった。
 自分には出来て当たり前だし、出来るのだからそれが当然であり、なんで駄目だなのか判らない。
 ならば自分が天才であると周りに言えば、自分の行動に誰も驚かないだろうし、比べて落ち込まないだろうと考えた。
だからケイスは自分が天才であると名乗ることにした。





「貴女はすごい力を神様から頂いています。だからその力を困っている人がいたら使ってあげなさい」


 暴虐無人で傲岸不遜で制御不能。
 物心ついた頃には迷宮に捕らわれた所為なのか、それとも生まれついた性なのか。
 気に入らないことがあると、力尽きるまで暴れ回る野生児へと変貌しかけていた孫娘に祖母が仕込んだのは、幼い子に聞かせる英雄譚だった。
 それは至極単純で幼い正義の話。
 子供だましの都合の良い正義の話。
 だが大好き祖母からの教えなのだから、ケイスにはそれが絶対だ。
 自分の状況や後の事など考えず助ける。
 誰かが襲われていれば、その力で敵を切り倒す。
 怪我をしようが、傷つこうが、力があるのだから、自分が戦おうとする。
 例え相手が王であろうが、聖獸であろうが、神であろうが、自分は戦うことにした。
 その猪突猛進振りが戦闘狂の血と噛み合わさり、相手がどれだけ強大で強かろうとも敵を選ばない性格へと変わったのは至極当然の事だったのだろう。
だからケイスは、困っている人がいれば助けることにした。





「まだ貴女の身体では負荷に耐えきれません。でも、どうしても追い込まれ必要な時は誓いの言葉と共に使いなさい」


 剣技を教えてくれたもう1人の祖母が見せた技の数々は、ケイスにとってのあこがれであり目標だった。
 見せて貰った技を見よう見まねでも扱えたから、生き残れた事は一度や二度ではない。
 だがその技は超常者である探索者の剣技。
 いくら魔術で強化しようともその幼い肉体は技の強力な負荷に耐えきれなかった。
 だが勝つためならば、自らの負傷も厭わず見よう見まねで未成熟な技を使い、迷宮から脱出するたびに大怪我を繰り返すケイスを見かねた祖母は正統な技を仕込んだ上に、技術体系に関する記憶封印と、その封印を解く誓いの言葉を授けた。
 それは祖母方の先祖達が絶対に負けられない状況において、不退転の戦いに挑む際に高らかに謳った戦いの誓い。
 よほどのことが無い限り、それこそ死を覚悟しなければならない時にしか解けないはずの封印。
 だがケイスの歩む道は常に死地。
 だからケイスは勝つために、その言葉を唱える。




「これが最近帝都で流行の焼き菓子。ケイネリアが好きな林檎がたくさん使ってあるよ」 

 4つ年上の兄とは滅多に会えなかったが、龍冠を訪れた際にはケイスが喜びそうなお土産を何時も持ってきてくれた。
 兄の来訪時が運良く迷宮を脱出していた時ならば、外の世界の話をねだるケイスに、兄は何時までも付き合ってくれた。
 たくさんの水で出来た湖よりも、もっともっと大きな海の話。
 離宮の数倍の規模を持つという帝国首都宮殿や、巨大な水路が網の目のように走る帝都の話。
 その帝都で流行っている剣劇や菓子の話。
 お芝居の脚本を書いたり演出をするのが趣味だという兄の話は、今思えば些か誇張が入っていたのだろうが、何時もケイスをワクワクさせてくれて楽しませてくれた。
 中でも一番好きなのは、全土に数え切れない無数の迷宮があるという北の大陸とそこで繰り広げられる探索者達と凶悪で凶暴なモンスターと不可思議な力を持つという宝物の話。
 だからケイスは探索者に憧れ、そしてその宝物に自分の希望を託した。 





「理解して貰いたいって言うだけじゃ無くて、ケイネリアも理解してあげる努力もすること。もし理解してくれなくても理解しようとする努力をする人は大切にしてあげて。そうすれば何時か本当にケイネリアのことを判ってくれる人がきっと見つかるから」


 なんで自分が怒られるのか、心配されるのか、判っていない、判らない娘に対して、母は何度も優しく諭してくれた。
 ケイスの異常性を知りながら、それでも一番理解しようとしてくれたのは、間違いなく母だった。
 常人が聞けば、気が遠くなるような別路線を歩むケイスの思考を、僅かずつでも諭し、軌道を変え、少しでも人と同じ方向へと向かうようにと。
 だからケイスは、人の世にかろうじて指を引っかけて生きていくことが出来る。





「すまない…………私の娘として生まれたばかりに……」     


 最後に会った時の父の言葉は、苦渋と後悔に苛まれ、今にも押しつぶされそうなほどに弱かった。
 何故自分が龍冠から、表に出られないのか。
 父と母とそして兄とケイスの本当の関係。
 ケイスが知らない所で、誰もが苦悩し苦労している事を、父は包み隠さず教えてくれた。
 自分の存在が表に出れば、父と母の名誉が汚される。
 兄が疑惑を持たれたまま、生きていかなければならない。
 何より父が笑っていてくれない。
 そんなのは嫌だった。
 なら自分を捨てよう。
 だがそれでは大好きな人達を助けられない。
 近くにいられない。
 なら新しい自分を手に入れようと思った。
 だからケイスは今の自分を捨てようと決意した。





 常人とは明らかに違う思考を持つケイスを、曲がりなりも人の理の中に留めているのは、家族達が施した教え、戒めのおかげだろう。
 しかしそれはボタンを掛け違えるごとく、僅かずつだが教えた者達との意図とはズレを生じさせて、ケイスの中に根付いてしまっていた。
 中途半端に、世界を他人を理解し共感できるのは、ケイスには苦痛だった。
 自分の伝えたいことを完全に伝えきれないもどかしさが、他人の言うことを完全に理解できない悩みが常にあった。
 何故、自分以外の誰かが、自分の言いたい事を、感じたことを、思ったことを、全て理解してくれない。
 何故、相手は自分には理解できない理論理屈で怒るのか、悲しむのか、笑うのか。
 好きな人を傷つけた相手だから守るために、その相手を殺したのに、守りたかったはずの人から悲しまれ、恐怖された。
 確かに子供なら危険だが、自分は天才だから大丈夫だ。なのに無茶だと、心配され、怒られる。
 外に出てみれば自分が天才であると紛れもない事実を名乗っても、自分を知らない人達は信じてくれず、笑うか、馬鹿にされる。
 ケイスが、何時しか抱えていたのは、消え去ることの無い少しばかりの孤独と寂しさだった。
 だがそのケイスでも、唯一自分の意思を完璧に伝え、相手の意思を完璧に察しれる状況がある。
 それは戦いだ。
 相手の敵意、殺意が、自分を排除しようと、傷つけようと、殺そうと、その身に降り注ぐ。
 戦っている間だけは、完全に繋がる事が出来る。
 故にケイスは強い敵を好む。
 強ければ強いほど、相手が向けてくる感情か強ければ強いほど。
 自分が世界と繋がっている時間が長く濃厚になる。
 だからケイスは戦いを好む。





だからケイスに取って剣は特別だ。
 良い剣であれば自分の思い通りに振れて、切れて、そして殺せる。
 ケイスにとって世間とのズレを全く感じ無いで済むのが戦いならば、この世で一番理解してくれるのは剣だ。
 槍や斧、弓、相手を殺せる物なら他の武器も嫌いではないが、それでも剣が一番好きだ。
 剣ならば、自分が思い描いた物を感じた感情を、もっとも表現し発せられる。
 ケイスの寂しさを埋めてくれる唯一の物が戦いならば、ケイスに取って剣は無くてはならない必要不可欠な、身体の一部と変わらないモノ。
 だからケイスは剣が好きだ。




















「で、ではどうすればいい? ルディ教えてくれ!」


 だからケイスは困惑し、混乱していた。
 生粋の刀剣依存症とも言うべきケイスにとって、扱う刀剣が多少大きかろうが、長かろうが、重かろうが、その化け物じみた肉体能力と才能を持ってして、扱ってみせるし、してきた。
 だから剣は何時も自分を裏切らないと過信していた。
 その肌身離せない存在の剣であり、身内である先祖でもあった『羽の剣』に宿るラフォスに拒絶されたことは、ケイスには衝撃的であり、前後を失うくらいに狼狽する出来事だった。    
 剣には口など無いから、食べ物を食べられない。
 ルディアに指摘されるまで、そんな常識すら思いつかないほどに。 


「どうって……」

 
 一方でケイスに問いかけられるルディアも困惑していた。
 まだ数週間程度の短い付き合いだが、ケイスが狼狽する姿を見たのは初めてであり、さらに言えば、ここまで大泣きして錯乱するケイスの姿を想像していなかった。
 サンドワームに襲われようが、ラクトの心臓を止めようが、己を囮にモンスター達を釣ろうが、周囲から見れば呆れかえるしか無い異常行動を起こしても、その当の本人がいつでも泰然自若でいたからだろう。
 先ほどのセラの発言では無いが、ケイスが大泣きする状況など想像さえしていなかった。
 だが今ルディアの目の前には、そのあり得ないはずの物が存在している。
 はっきり言えばケイスの得体のしれなさや、正体不明な部分をルディアは警戒している。
 してはいる。してはいるのだが…… 


「……あんたなんか変な夢でも見たとかじゃないのね? 本当にその剣が怒っているっていうのね」


 まずはケイスの言うことを仮ではあるが肯定し、理解は無理だとしても事情をはっきりさせようと、息を1つはいて心を落ち着かせ、ケイスの左手の羽の剣を指さして再度問いかける。
ケイス自身は気にもしていないようだが、初めて会った時にケイスには命の危機を救われたと感謝しているルディアは、その世話焼きな気質もあり、ケイスの異常性には気づいているが放っておくことも出来ない。
 自らの性分とはいえ、率先して墓穴を掘っているなと心の中で諦める。

 
「ぐす……あぁ、そうだ。こうやって闘気を送れば最初は反応するんだが、すぐに無視されてふにゃふにゃになってしまうんだ」


 ケイスが左手に力を込めると、空気の入った風船のように剣が一瞬だけ刀身をぴしりと張ってみせるが、5秒くらいで元のように力なく垂れ下がってしまった。
 そう言われてみれば無視されていると思えなくも無いような気がしないでも無いような。
 剣に意識などあるはずが無いだろうと、微妙に否定したい感情を胸に抱きつつも、ケイスがそう感じているのだからそうだろうかと、ルディアは自身を無理矢理に納得させる。


「で…………原因はなんなの? バスタードソードがどうとか言ってたけど」


「わ、私がサンドワームを倒した時にお爺様で無くて、折れていたバスタードソードを選んだことにご立腹なんだ。自分を投げ捨てて放置してたとも。だけどあの時はあいつが私の剣なんだから仕方ないだろ」


 ルディアが話を聞く素振りを見せたので、ケイスは少しだけ落ち着いたのか目をごしごしとこすり鼻をすすりながら、先ほどよりは少しだけ分かり易く事情を明かした。
 しかしやはり意味不明だった。


「………………ちょっと待ってて、今変換するから」


 なんで剣をお爺様なんて呼んでいるんだとか、どうやって意思疎通をしたとか色々疑問点は山盛りであるが、それらを全てうっちゃってルディアは頭の中で状況を整理する。
 複雑に考えると頭が痛くなるのだから、シンプルに考えてみるしか無い。
 ケイスが言うように羽の剣に人格があると仮定し、人に置き換えて考えてみる。


 助けに来ました>いらないからそこらにいろ>そのまま忘れて放置されました


「あぁ。うん……そりゃ、怒るわ……まさか剣の気持ちに共感する日が来るなんて」


 常人には全容の理解出来無いが、ケイスの言うことの一片くらいなら無理矢理理解した、ルディアは乾いた笑いを浮かべる。
シンプルに考えると、同じ人間であるはずのケイスより、無機物の剣の気持ちの方がよく判る。
 なにせルディアも慣れない船を操舵し、苦労してケイスに剣を届けに行ったはずなのに実際に使われ感謝されたのは、剣の説明のために付けていたはずの連絡用通信魔具のみ。
 折れた剣で倒すなやら、羽の剣がいろいろ言いたくなるのは仕方ないと思わざる得ない。
 2人を遠巻きに見守るギャラリーの中にも、ケイスに剣を提供しようとしたラクトの父親である武器屋のクマや、ルディアと同じように剣を運んでいたボイドも、ルディアと同様の表情を浮かべている者がちらほらといる。


「わ、わかるのか!? な、ならどうすれば許してもらえると思う!?」


 藁にもすがる勢いでケイスが食いついて詰め寄り左手でルディアの服の裾を掴むと、駄々をこねてねだる子供のように揺する。
 その必死の形相はケイスがどれだけ真剣に悩んでいるか分かり易いほどに判る。
 だが真剣すぎて無意識に力が入ったのか、左手の羽の剣も反応をし、またジャキリと伸びていた。
通常状態はともかくとして、闘気注入状態ならここ数週間だけでも数多の迷宮モンスターを叩き切ってきた切れ味はルディアもよく知る所。
 軽く触れただけで、分厚い皮を深く切り裂き、骨を真っ二つにする、その切れ味と、それだけ切っても刃こぼれしない頑丈さは正に魔剣といって良い業物だ。


「わっ!? ば、馬鹿! 剣! 危ないでしょ!?」


ぎらりと鋭い刀身を覗かせる大剣が顔のすぐ横を勢いよく往復する様に、ルディアは悲鳴を上げる。
 その叫びに、思わずケイスさえ慌てたのがまずかった。


「っ! す、すまないルディ! すぐにどか、あっ!?」


 ケイスに未だ動揺が残っていたのか、慌ててルディアの裾から左手を離し引き戻した際に、その手から勢いよく羽の剣がすっぽ抜けて、ケイスの後方へとクルクルと廻りながら飛んでいった。


「ふぇっ!?」


 ケイスは思わず情けない声を上げ呆け、自分の手から逃げた剣を追いかけることも出来ず、ただ目で見送ってしまう。
 しっかりと握っていたはずの柄が、いきなり柔らかく変化しウナギが手から逃げるようにすっぽ抜けていった感触は、ケイスに深い喪失感を与える。
 従来の利き手では無い左手とはいえ、闘気による肉体能力向上をすれば、竹を握りつぶせるほどの化け物じみた握力を持つケイスには、剣が手から抜けるなど人生で初めてのこと。
 呆然としたのは仕方ないのかも知れない。
 ここまで明確な拒絶をされては、さすがのケイスも反応が出来ずにいた。
 空中を勢いよく飛んだ剣は空中で不自然に軌道を変えると、ケイス錯乱振りに唖然として事態を見守っていたギャラリーの1人の手の中に、計ったようにすっぽりと収まってしまう。
 すっぽ抜けた羽の剣を掴んだというよりも、剣の方がその手の中に自ら飛び込んで来たと表現したほうが自然だ。


「はっ? え!?」


 ケイスの手から抜けた剣を手にしたのはラクトだった。
 ラクト本人も何が起きたのか判らないのか、いつの間にやらしっかりと柄を掴んでいた剣を片手に声をあげ、周囲を見渡し、どういう事だと目で問いかけていた。
 ラクトが立っていたのはケイスの真後ろでは無い。
 だというのにケイスの手から離れた剣が空中で形状を変化させ軌道を変えて、横の方にいたラクトの手に飛び込んで来た。
 その様は、剣がラクトを選んだ。
 そう例えるしか表現できない不可思議な光景で、いきなり舞台の中央に引きずり出されたラクトは元より、ルディアを初め周囲の人間達も誰も答えられず、突然の成り行きに唖然としている。
 
 
「わ、私より………………そ、そっちを選ぶのか」


 ただ1人、悲痛で表情を歪め、声を震わすケイスを除いて。
 ケイスには今の一瞬で、何が起きたのか判った。
 羽の剣は、遠き先祖は、自分よりラクトを使い手として選んだ。  
 剣士であるはずの自分が、剣士で無いラクトに負けた。
 限界を超えた悲しみ、屈辱が、ケイスの心に急速に影を生み出していく。


 …………敵だ。
 敵がいる。
 自分の行く手を塞ぐ敵がいる。
 自分を打ち負かす敵がいる。
 敵を倒せと。
 自らの誇りを取り戻せ。
 自らが望む物を手に入れろ。
  

 心の中で叫ぶ何かがケイスを支配しようと、ささやきかける。
 それは何かケイスには判らない。
 ただそれが怒りだというのは判る。
 それは無差別な怒りだ。
 理解してくれない周囲、見捨てた血筋、剣を手に取ったラクト。
 ありとあらゆる存在に対する敵愾心が、心を塗りつぶし、増殖していく。
 ケイスの中にある感情の1つ怒りが暴走を始めている。
 全力を使え、自ら封じた魔力を使ってでも、自らの意思を貫き通せと叫び暴れ回っていた。

 狼狽していたケイスの心なら容易く染まるとでも思ったのだろうか?

 だがそれは大いなる間違い。
 ケイスがどうしていいのか判らなかったのは、敵が判らなかったからだ。
 だが敵が判ればケイスに迷いは無い。
 今語りかける自分の内なる声は、自分の敵だ。


「っ! くっ! う、五月蠅い! 黙れ!」 


 急速にわき上がるラクトに対する殺意を、ケイスはさらに激しい怒りで無理矢理に押さえつけ、裂帛の気合いと共に吠えつつ、怪我している右手を脇のテーブルに勢い任せに叩きつけた。


 …………巫山戯るな! 私の気持ちを勝手に決めるな!


「っがぁ!? くっぐ!」


 治りかけた手に奔る激痛が更なる怒りを呼び起こし、心の中に生まれたあずかり知らぬ怒りを食い散らかし蹂躙する。
 何が殺せだ!
 剣士である自分が負けたからといって、相手を殺して満足すると思うな!
 剣士として勝たなければ、自分の誇りは満足しない!
 何が理解しようとしない周囲に殺意を向けろだ!
 ルディアは理解できずとも理解しようとしてくれていた!
 母様が教えてくれた。理解しようとしてくれた者を大切にしろと!
 だからルディアを殺そうとする、自分の感情は自分で殺す!
 何が見捨てた血筋だ!
 自分の行いが祖先の誇りを傷つけたのだ!
 自分の行いを理解して貰う努力もせず、筋違いの怨みごと抱くな!
 さらにはよりにもよって魔力を取り戻せだと!
 そんな事を、この私が許すはずが無い!
 例えそれが私であろうとも、私は許さない!


「ぐっ…………っう……うぐっ……」


 暗い怒りを、更なる怒りの激情を持って、心の中から完膚無きまでに駆逐したケイスは、激痛が奔る右手に闘気を通して無理矢理に力を入れ、指を一本一本曲げて拳を握ろうと未だ完治していない手を動かす。
 先ほどまで幼子のように泣き喚いていたケイスの雰囲気は霧散し、別の物が、本来の化け物が姿を現す。
 発した殺気の強さといきなりの狂乱に気圧され静まりかえった店内に、右手を固定している当て木がパキパキと折れていく音が響く。
 
 
「ち、っちょっと………あ、あんたいきなり何を!? ば、馬鹿!握りしめるな! 血が出てるじゃ無い!」


 叩きつけた時に切ったのか、それとも当て木の破片が刺さったのか。
 右手に巻いた包帯に血が滲んでいくのを見つけて、我に返ったルディアの制止の声が響くが、ケイスは今は無視する。
 なぜなら必要だからだ。
 戦いの意思をみせる拳を作るならば、利き手で無ければならない。
 先ほど姿を覗かせた暗い怒りはケイスには到底許容できない物だが、それでも1つだけ認めても良い事はある。
 それは戦えといったことだ。
 ならばやることは1つのみ。
 失った剣と誇りを取り戻すべきにすべきこと。
 ケイスが望むほどの剣が、ラクトを選んだのは偶然では無い。
 何かが、ケイスが気づいていない何かが、ラクトにはあるのだろう。
 なら戦ってはっきりさせるしか無い。


「子グマ………………いやラクト・マークス!」


 剣を持つラクトへと、ケイスはぽたぽたと血がしたたり落ちていく右手をまっすぐに突き出し、初めてその真名を呼ぶ。
 名で呼ぶのは本気になった証。
 自らの全身全霊を掛けて倒すべき敵に対する最低限の礼儀。
 

「改めて私の方から宣告しよう! 羽の剣を賭けて私は貴殿に決闘を申し込む!」


 自分は剣士だ。
 ならば自分の思いは剣を伝えてしか伝わらない。
 自らの思いを剣に宿らせてラフォスに届けよう。
 ケイスが選んだ答え。
 それはやはり戦いだった。



[22387] 剣士の価値観 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/04/04 03:47
 錯乱状態から、いきなり怒りの形相をみせ、自傷行為を行ったかと思うと、挙げ句の果てには、毅然とした表情で改めてラクトへと決闘を申し込む。
 万華鏡のように唐突な変貌をみせるケイスの心中で何が起きたのか、誰にも判らない。
 支離滅裂で前後の脈絡が判らない行動は、端から見ていれば正気を失ったと表現するしかない。
 しかしケイスの双眸に宿るのは、怪我した右手の激しい苦痛を強い意思の力で押さえる者の力強さだ。
    

「……ち、ちょっと待て。この剣が欲しいなんて俺は一言も言ってねぇぞ!」


 敵を見据えるケイスの目力の強さに僅かに気圧されながらも、ラクトが抗おうと声をあげるが、そんなラクトを無視してラクトの父親であり羽の剣の正当な持ち主である武器屋のマークスへと目線を移した。


「クマ! 値はいくらだ?」


「いくらって……わざわざ決闘しなくても、俺としちゃお前にやったつもりなんだがな」


 予測不能な成り行きに唖然としていたマークスは、ケイスの突然の問いかけに戸惑う。
 羽の剣は通常の売り物にならない。それがマークスの見立てだ。
 重量、硬度を自由自在に変化させるその特殊能力は、戦闘に大きな幅をもたらせる反面で、十全に引き出すにはずば抜けた技量が要求される。
 半端な才覚の持ち主では剣を持てあまし、自滅するのが関の山だろう。
 非常識な剣を扱える剣士など、それ以上に非常識な才覚の持ち主だけだ。
 長年の商売の間で現役探索者の顧客をマークスは幾人も抱えているが、剣の才能に関してのみに限れば、ケイスが断トツだと断言できる。
 重量変化を用い、重心移動と四肢を合わせて軌道を変える空中戦。
 硬度変化によって刃をしならせた縦横無尽な斬撃。
 どちらもケイスだから出来る特殊過ぎる戦い方だろう。  
 

「つっても聞く性格じゃねぇな。お前は……」


 倉庫の肥やしにするよりも、使い手がいるなら。
 そんな気持ちでケイスに譲ったので、マークスからすれば代金の話など今更なのだが、ケイスが一度言った以上は、そう易々と己の意志を曲げないであろう頑固な性格を思い出す。


「魔力剣、闘気剣10本まとめて金貨500枚で仕入れたうちの一本。だけどそいつはある程度の予想は付いても、正式な出所は不明瞭。使われた技術は独創的で主素材も不明。実戦用に使うにしても扱いが極めて困難。研究用として解析しようにも、刀身から欠片1つ採取できないほどに頑強な作りで使い物にならないと、流れに流れて俺の所に行き着いた品だ……だから売るなら金貨15枚だ」


 既存文明圏ならほぼ全域で仕様可能な共通金貨で、通常の数打ち剣ならば5~10枚という所だ。
 それらと比べればマークスの提示した金額は多少割高だが、製法、素材が特殊な闘気剣、魔力剣はどれだけ低廉度品でも少なく通常剣の5、6倍はするのだから、破格の値段といえる。
 もっとも低評価となるのも致し方ないだろう。
 振り幅の広い重量、硬度変化能力を持つ剣は、構成素材や使われた技術の解析すら出来ない。
 形状は無骨で典型的な大剣。シンプルな作りに遊びはなく、美術品としての価値はほぼ無い。
 報奨品としようにも、その由来が不明で、今の時点では、背景や培った歴史が無く、ほぼ無価値といえる。
 そして何より使い続けるうちに使い手の意思から離れ、制御不能となる致命的な弱点を持つ。
数々の理由が羽の剣の価値を大幅に下げており、マークスは羽の剣の価値を金貨15枚と値付けした。
 その値付けは同席するファンリアキャラバンの他の店主達にも十二分に納得出来る金額だ。
 

「うむ。ならば私がラクトに負けたなら、金貨15枚で私から羽の剣をラクトに贈ろう!」


 マークスの提示した金額に、ケイスは偉そうに頷き、ラクトへと向き直ると代金を肩代わりする事を宣言した。
 代金を自分が払うのは、負けた時のペナルティのつもりなのだろうか。
 マークスの理路整然とした説明に妥当な金額だとさしものケイスも納得したのかと誰もが思ったが、


「だが私が勝った場合は剣をもらい、私が金貨178万と1枚を払おう!」


 ケイスの馬鹿さ加減と常識の無さは、慣れてきたと思い油断した者をあざ笑うかのように余裕で上回る。


「ぶっ!?」


「1、178万!?」


 勝った場合の方が遥かに大きな金額を支払うと宣言するケイスが提示した金額に、一般人と比べて、大金を扱い慣れているはずのキャラバンの商人達も思わず、噴き出しざわめき声をあげる。
 共通金貨で178万ともなれば、街1つを作り上げたり、大国の爵位すら得られるほどのとてつもない金額。
 永宮未完で獲得できる神具神印宝物の中で最上級の神々が認めた宝物ですら、その莫大な金額は些か過剰で、いくら特殊能力があるとしても剣一本に払う金額では無い。


「ケイス嬢ちゃん。そいつは些か大仰すぎないかねぇ。ラクトに負けない自信があるからって言ったわけじゃないだろ……178万はともかく、そこにさらに1枚って金額は故事に習う気だな」


 驚きをみせる商人達の中でキャラバンを率いる長であるファンリアだけは、泰然とした様子でケイスの宣言に面白そうに顔をにやつかせた。
 どうやらケイスがあげた中途半端な金額に思い当たる節があるようだ。


「うむ。知っているかファンリア。ならば私がどれだけ評価しているか、そして欲しいか判るだろう」


 金額の意味を察してもらえたケイスは破顔して嬉しそうに頷く。
  

「ケイス。その金額でどれだけ買っているか判ったが、実際にはその金額で取引はされていないはずだ。一生掛かっても払いきれる金額じゃ無いが、でもお前の事だから本気だな?」


 マークスも意味が判ったようで、その真意を確かめようと確認する。
 とても個人で用意が出来る金額では無いが、しかしケイスなら、話は別だ。



「無論本気だ。ただクマが言う通り今は持ち合わせが無いから、少し待って欲しいが必ず払う。剣に誓っても良い」


 言ったことはきっかりとやる。
 例えそれがどれだけ無茶苦茶で荒唐無稽な事であろうとも。 
 何故そうなったのか、その思考は理解は出来た者は少数であるが、ケイスが冗談では無く、言葉通りに勝った時は178万枚を払うつもりなのは、今の宣言を聞いていた者の大半が理解した。


「私はその位の価値を羽の剣に見いだしている。負けた場合にも払っても良い。だがここは武器屋であるクマの見立てを尊重する。常人では使えないが、私ならば羽の剣を扱えると言ってくれたからな。だから私は剣士として負けた時は、武器屋のお前と私に勝ったラクトに最上の敬意を示して、自らの意志を曲げ言い値で剣を譲るつもりだ」


「確かに言い値だけどな……普通は逆だろうが」


 マークスの武器屋としての矜持をすくい取ったつもりのようだが、周囲には判りづらい言動のケイスらしい、回りくどい気の使い方にマークスもつい呆れるしか無い。 
 普通こういうときは勝ったら安く、負けたら高く払う物だろう。
 だがそれが真逆になるのが、ケイスらしいと言えばケイスらしい。


「そうか? それに私が勝った場合の価値は、金貨178万程度では無いぞ。私はやがてあまねくこの世界に名を響き渡る、剣においては比類する者は無き、上級探索者となる。そうなれば払うのは無理では無い。それに剣の天才たる私が望み、決闘をしてまで勝ち取った剣を託した武器屋という至上の称号がお前には与えられる。それこそ至上最高の名誉であろう。この世に流通する全ての金貨であろうが、その名誉に比べれば塵芥だ」


 ケイスは傲慢で不遜な宣言を堂々と宣う。
 自分は何時かこの世で最強の剣士になる。 
 自分が扱う剣を託した武器屋という金看板には、金銭とは比べものにならないこの世で最上の価値があると、臆面も無く言い切った。
 あまりに単純で明快なその理屈理論は、子供の戯れ言のように、真実味に乏しいはずの言葉。
 しかしケイスは誰よりも確信する。
 自分が望む。
 だから叶う。
 叶えるでも、叶えば良いでも無い。
 叶う。
 叶わないはずが無い。
 絶対的な自信と自負が込められた意思は、荒唐無稽な宣言に強固な真実味をもたらす。


「お前らしいな…………良し判った! 勝ったら178万枚と1枚で負けたら15枚。いいぜその条件で。俺は文句は無い。ラクトお前も良いな」


 腕を組んだマークスは1つ頷きケイスの提示した条件を了承すると、剣を持ったまま唖然とする息子へと向き直った。


「ち、ちょっと待て親父。ケイスが勝ったら金貨178万枚で売るとかってなんでそうなるんだよ!?」

 
 一方で今の今まで、ケイスの変貌振りといきなり飛び込んで来た剣やら再決闘宣言に唖然として固まっていたラクトが、我に返り慌てて父親に抗議する。
 途方も無い金額で話がどんどん進んでいく事に驚き戸惑っている。
 

「お前仮にも武器屋の跡取りなら、今の金額の意味くらい知っとけ。178万ってのは至上最高金額の剣の制作費で、さらにその1枚ってのは売値だ。ケイスの奴は羽の剣にその剣と同等の価値を付けたって言ってんだよ。そうだなケイス」


 勉強不足の息子に情けないと呆れ混じりの表情を浮かべながら、聞かせてやれとケイスに話を振った。

 
「うむ。クマの言う通りだ。かつて暗黒時代に祖国を滅ぼした一匹の赤龍に、生き延びた国民達がなけなしの金を出し合って掛けた懸賞金が178万。莫大な金額に引かれ数多の勇者達が挑むが、龍王ならずとも強大な力を持ち破れ続けた。だがある日1人のドワーフ鍛冶師が、最高の武器材料を求めてその龍に挑んだ。幾度も昼と夜を跨いで続いた戦いの末に、ついに龍を打ち負かし、生きたまま剣に仕立て上げるという神業をみせたという」


 モンスターを生かしたまま武具へと変える。
 それは伝説でも架空の話でも無く実際に存在する。
 世界最高峰の生産国の1つとして知られるドワーフ王国エーグフォランドワーフ鍛冶師達に伝わる秘奥中の秘奥『生体変位武具鍛錬技』
 

「最高の剣を打てたことに満足した鍛冶師は名を残すことも、懸賞金を受け取ることも無く、僅か金貨1枚分のお酒と引き替えに、自分が見いだした若き勇者に剣を譲り暗黒時代の終焉を願ったという……剣を受け取った勇者は、その後もう一つの剣を得て双剣の英雄となり、暗黒時代を終わらせた。私が好きな英雄叙事詩の一幕だ。至上最高の剣という誉れである178万という価値。そして金貨1枚で世界を救った最高の剣士としての誉れ。私が提示した金額178万と1枚にはそれだけの価値がある。つまりは羽の剣にも私はそれだけの価値を見いだしている」

  
 暗黒時代を終わらせた英雄にまつわる話の中でも、その剣を得た話は特にケイスの琴線に触れるのか、嬉々とした表情で語る年相応の笑顔で、輝く目にあこがれの色を強く滲ませる。
 ケイスがどれだけ真剣に傍目には巫山戯た金額を提示したのか、ケイスに反発するラクトにすら理解させる。


「お前が出した条件の意味は判った……受けてやる。ただし条件がこっちも1つある」


 だが意味が判ってもそれでもケイスに対するラクトの反発心は収まらない。
 むしろ勝ってやろうという気が強くなる。


「ん。よかろう。言ってみろ」


「俺が勝ったら剣を15枚で俺に贈るつってたなあれは無しだ。親父が言ったとおりただでくれてやる。それに足してお前から貰った魔具分の金額も俺が払う。自信家のお前にはそっちの方が嫌だろ。負けた上に剣を譲って貰うなんて。しかも使えるかどうか判らないんだろ、この剣に認めてもらえないつってたんだからよ」


「む……うっ。ふむ! 良かろう! 私の誇りに掛けてラクト。お前に勝ってやる!」


 ケイスの眉がぴくりと動き、不快そうにうなり声をあげた。
 確かにラクトの提案はケイスにしてみれば屈辱でしか無い。
 金銭など比べものにならないほどに、己の才に力に自信と自負を持つケイスにとって絶対に譲れない勝負だ。 


「勝つのは俺だ。お前が悔しがるくらいに剣を使ってみせてやる!」


 ケイスの宣言に対して、ラクトは挑発するように言葉を返す。
 羽の剣は不自然に軌道を変えて、ラクトの手の中に飛び込んで来た。
 ケイスが言う通り、羽の剣がラクトを選んだかのように見えるかもしれない。
 しかしどうしても剣に意思があるようにはラクトには思えない。
 握っている柄の感触が、あくまでもこれは武具だと勘が訴えている。
 だからケイスの言うように、とても擬人化して感じ取れない。
 だが同時にラクトは、例え変わっていようが、武具であるなら使えるはずだとも、感じていた。
 何故この武器が扱いづらいと父親が見立て、素直に認めるのは癪ではあるが、途方も無い実力を持つはずのケイスがあれほど制御に苦労していたのか、判らないほどだ。
 実際剣が手の中に飛び込んで来て初めて触れたが、驚くほどに馴染んでいて、闘気を送る量さえ気をつければ何とか扱えると確信めいた予感がしていた。
 









「あんたほんと馬鹿でしょ。なんで折れた右手で、当て木が粉々になるまで握れるのよ。変に力入れて折れてる骨が突き出たらどうすんのよ。ほんと馬鹿じゃ無いの」


 丁寧に包帯をまき直しながら、ルディアはクドクドとケイスを叱る。
 無理矢理に指を曲げた所為で折れた骨が突き出ているのではとも疑っていたが、幸いにもというか、原形を留めないほどに割れた当て木が無数に掌に刺さった刺し傷以外は見当たらず、大きな木片を抜いて洗い流して消毒をするだけの応急処置で済んでいた。
 

「仕方ないではないか。戦いに関する私の覚悟を示すのに丁度よかったのだ。うん。ミズハこれも美味しいぞ」


 ケイスは自分にだけ通じる言い訳を返しつつ、寝て起きたらお腹が空いていたのでとい動物的な理屈で、ルディアに治療を任せつつ左手でつまめる物をパクパクと食べていた。
 特にここ数週間。イチノ親子の料理はお気に入りになっていたのでご満悦といった表情だ。


「ケイス次はこれ食べる? こっちも自信作だよ」


 世辞では無く、心の底から美味しそうに、しかも大量に食べてくれるので作る方として気持ちが良いのか、ミズハも試作品を次から次にケイスの前へと差し出していた。


「少しは怪我人って自覚しなさいよこの馬鹿はほんとに。ハイこれで終わり。まったくさっきのことだけじゃ無くて、なんで医者に診せに行くって喧嘩沙汰になってるのよ」


「ン……それは成り行きだ」


 治療を終えたルディアの追求に、ケイスはつい目をそらす。
 無理矢理に拳を作ったことは自分なりに譲れぬ矜持があるが、医者に行かなかったのは、カンナビスの町に興奮していたからや、他に興味がひかれたやらと、色々理由はあるが、はっきり言えば忘れていたというのが主要因だ。
 元々怪我をした状態でも戦えるし、戦うしか無いのが常だったケイスにとって、利き手が使えないくらいの状況は日常茶飯事、自然治癒できる程度の怪我なら、医者に行く程度では無いという認識のズレがあるからだ。  
 だがそれを言えば、理解してもらえずにルディアはさらに怒るだろう。
 敵には滅法強いが、味方には基本的に弱いケイスは、これ以上叱られるのも嫌なので、無理矢理に誤魔化した。


「これはあくまでも応急処置だから……あたしは薬師ギルドに顔を出し行くから、そのついでに明日にでも医者に行くわよ」


 薬師の扱う製品は薬にもなれば毒にもなる。
 旅先での無用なトラブルを避けたいのならば、大きな街に着いたらとりあえず薬師ギルドに顔を出し滞在を告げろというのが、ルディアが師から教わった忠告だ。  
 大抵の街では、利便関係から医療院と薬師ギルドは併設しているか、同一区画に近接している。
 自分の怪我なのに無頓着なケイスに言っても無駄だと悟ったのか、ルディアは強制的に連れて行く決心を固めたようだ。


「ん。了解した。ルディ、それよりも私が昼間に渡した転血石を売ったお金はまだ余っているとさっき言ったな。どのくらいあるんだ? みせてくれ」


「医者代のつもりなら十分よ。金貨換算で600枚分くらいあるから……まぁ170万枚払うなんて言ってるあんたからすれば端金でしょ」


 ルディアからすれば大金過ぎて目の付かない所に置いておくのも怖いので、幾重にも結んで腰に下げて持ち歩いていた宝石袋を取り外して机の上に置く。


「医者代の前に色々準備がある。私には負けられない理由が出来たからな」


 器用にも左手一本で袋を縛っていたヒモを外したケイスは、袋を逆さにしてテーブルの上に宝石を広げた。 
 ごろっとした大粒の宝石が放つ華やかな色に、普通の女性なら目を輝かすことだろう
 しかしケイスからすればただの綺麗な石。
 あまり興味がないので、特に感想を漏らすことも無く次々手に取り、表面を保護するガラスに刻まれた額面に目を通していく。


「スオリー。昼間にも頼んだが協会傘下の練習用鍛錬場で魔具の使用にも耐えられる対魔術障壁が張れる所を借り受けたい。貸し切りだとしていくらで最短何時までに手配できる?」


「え……えぇ。早朝でしたらこの時期はさほど混み合っていないので、明日は無理でも、明後日には借りられると思いますけど、料金は金貨10枚もあれば十分です」


 始まりの宮が終わり。迷宮への侵入が再開したばかりのこの時期は、再構築された内部構造解析や、新種モンスター情報など、金になる要素が多いので、数日から数週間に渡って篭もる探索者の方が圧倒的に多い。
 だから鍛錬所は比較的空いており、それも早朝ならばほぼ確実に開いているはずだ。


「ふむ。ならこれで明後日と明明後日の二日分の手配を頼む。あと昼間の店の修繕費をそこから出してくれ。足りるか?」


 疲れ切った表情でのろのろと顔を上げ答えたスオリーに、ケイスは換算250枚となった黄金トパーズをとってスオリーに向かって放り投げた。
 無造作すぎる扱いと、他人に大金を躊躇無く預ける無頓着は、ケイスの金銭に対する拘りの無さ故だろう。


「弁償するって概念あったんですね……判りました。支部を通して決闘場所とお店の修繕を手配しておきます。ですが二日分ですか?」


 壊した物は弁償するという基本概念がケイスに有ったことに驚きつつも、スオリーは渋々承諾する。
 スオリーからすれば、ケイスに無駄な騒ぎなど起こして欲しくないのが本音だが、関わりを避けて下手に騒ぎが大きくなるよりも、自分が知っている部分で起きた方が幾分かマシだという判断していた。


「ん。調整と鍛錬用に使う。ボイドお前達はしばらく暇か? 他の連中でも良いんだが」


「あーとりあえず俺らは全チーム、ニ、三日は休養と武具修繕の予定だ。そのあとは次の仕事まで潜る予定だ。なんだ練習相手に付き合えか?」 


 ボイド達護衛ギルド所属探索者で構成されたチームは基本的に一回ごとのローテションで活動をしている。
 依頼状況にもよるが、基本的には一月で二、三回の依頼をこなし装備や情報を揃え、迷宮探索を一、二回の割合でスケジュールを組んでいた。
 

「うむ。だが私ではないラクトの相手だ。魔具の扱い方を覚えなければならないからな。使い方のレクチャーを頼めるか? 扱いに不慣れでラクトが自滅したのでは意味が無いし、私が面白くない。ラクトを完膚無きまでに叩きのめしてこそ、私の才能をみせられるのだからな」


「お前本当にいちいち言い方が不穏だななおい」


 ケイスの物言いに不快そうに顔をラクトがしかめる。
 挑発するつもりで言っているならまだ良い。これがケイスの通常仕様なのだからより腹立たしい。


「五月蠅い。扱いに慣れる必要が無いと思うわけではないだろ」


「……ちっ。判ってる。ボイド兄ちゃん達頼めるか? ケイスお前余分なことすんなよ! 鍛錬にかかる経費は俺が貯金から出すからな! 初日分の鍛錬所の料金もだ!」


 ケイスに同意するのはむかつくが言っている事はもっとも。
 不承不承ながらもケイスに賛同の意思をみせたラクトは、手伝いでため込んでいた貯金を使い切ることになるが、これ以上の手助けはいらないと伝えた。
 放っておけばケイスのことだ、鍛錬費用にと大金を渡しかねない。
 ただでさえ魔具代をケイスが出しているのに、それはあまりに癪だ。


「俺は構わないが、魔具は専門外だな。ヴィオンとセラが良いだろ」


「しゃあねぇな。お嬢。手伝ってやるぞ」


「あーはいはい。もう好きにしてよ……なんかもう何でもどうでもよくなってきたから」


 ケイスの目の前の宝石類をジト目でみるセラはやさぐれた声で、酒をあおる。
 守銭奴なセラには、ケイスの無頓着すぎる金の扱い方はストレス以外の何物でも無いようだ。


「ん。任せるぞ。そっちはそれで良いな。あとは私の準備だ」


 ラクトの方は手はずを終えたと満足そうに頷いたケイスは椅子から立ち上がると、別のテーブルへと身体を向ける。


「クマ。この間のバスタードソードが欲しい。まだあったな? それとドルザ。お前の所でリクゼン王国製のワイヤーナイフを取り扱っていたな。30本ほど用意してくれ」


 武器屋のマークスと、冒険用補助アイテムを専門に扱う商人であるドルザへと、ケイスは声をかけた。
 ワイヤーナイフは柄の部分に、丈夫な巨大蜘蛛由来の極細糸補助装備として組み込んであり、戦闘のみならず罠に用いたり降下用など何かと便利使いできるアイテムで、リクゼン王国の糸は特に頑丈で軽いと評判が良い代物だ。


「うちの商品も目を付けてたのかお前。ワンセット5本で計金貨6枚だな。クマさんはまた100枚か?」


「ドルザうるせぇ! 10枚だ。ケイスそれ以上は受け取らないからな」


 最初に吹っ掛け過ぎたのを仲間内でネタにされるのに飽き飽きしているのか、からかい口調のドルザに、マークスが少し赤面しながら怒鳴り返し、金銭感覚の崩壊しているケイスを牽制した。


「合わせて16枚か……うむ。細かいのが無いな。いや武器以外も必要か」


 テーブルの上の宝石を見比べたケイスは最小の額面でも金貨50枚分しかなく、どうするべきかと少し悩んでいたが、合点がいったのか大きく頷いた。


「ファンリア! 私用に防具一式が欲しい。ハーフリング用軽装備はキャラバン内での扱いは無かったはずだな。仕入れを頼めるか? マッドナー工房製でホルダーが多いタイプがいい」


 次いでファンリアの名を呼んだケイスは、大陸ではマイナーな小型種族防具専門工房の製品を指定し手に入るかを尋ねる。
 ハーフリングはトランド西部に定住する少数種族で成人でも、人の子供と変わらない背丈くらいにしかならない種族。
 ケイスと同等のサイズの彼らは身体は小さくとも、手先が器用で俊敏なため、斥候役の探索者を生業としている者も少なからずいる。
 絶対数が少なく需要が低いので、彼ら用の武具はあまり出回っていないが、何かと顔の広いファンリアのこと。
 迷宮隣接都市として大きなカンナビスなら、扱い業者を知っているだろうとケイスは踏んでいた。
 

「ハーフリング用か……知り合いに当たればフィッティングも含めて明日には用意出来るが些か値が張るな。150枚って所かね」


「よし。ではこれで頼んだ。つりを2人に渡してくれ。残りは世話になった謝礼としてキャラバンに寄付する」


 額面200と刻まれた大粒のサファイアを手に取ったケイスは僅か一日で準備できると明言したファンリアのいるテーブルへと、不作法にも投げ渡す。


「ふむ。あと必要な物は……」


 ケイスは腕を組み、ラクトとの決戦に備え何をすべきか自問する。
 武具、防具は揃った。
 しかし問題は対魔具……いや魔術戦闘だ。
 セラ相手の模擬戦では、魔術を避けようとして近づけず体力切れ。
 始母であるウェルカの咆哮には、手も足も出ず倒れた。
 今のままでは、いくらケイスでも限界はすぐに来る。 
 何らかの手段を考えなければならない。
 ラクトのようにこちらも魔具で対応するか?
 威力持続性に劣る魔力充填式の魔具でも、使い方、使い所を熟知していれば、低級魔術でも高位魔術の使い手を葬る自信はある。
 しかしそれは今のように街中ですぐに魔具を仕入れることが可能な状況下でのこと。
 将来的に探索者になった時には、頻繁な補給を前提とする戦い方は通用しない。
 第一ラフォスに自分の才を見せつけるためには、剣で勝たなければならない。
 必要なことは、魔術を突破して、相手に近づくこと。
 自分の絶対戦闘圏。極々近接領域まで踏み込むこと…………
 その為には……
 過去の戦い方を、戦った相手を脳内に思い出し、シミュレーションを重ねる。
 かつて龍冠で出会った生物。
 トランドに渡り戦った人やモンスター。
 自分が魔術を使えた頃の戦い方。
 魔術を封じて得た戦い方。
 この歳にして膨大な戦闘経験とケイスの戦闘センスが求めていた答えをはじき出す。
 それがどれだけ荒唐無稽で無茶な戦い方であろうと。

 
「よし決めた。ルディ! ウォーギン! 時間が惜しいから今から医者に行くぞ! 色々買いたい物が出来た付き合え!」


 思いついたら即断即実行。
 今から医者に行くという宣言をしたケイスは、何故かルディアだけで無く、ウォーギンさえもその標的の中に納めていた。



[22387] 魔導工房主と魔具
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/04/15 02:10
 迷宮隣接都市であるカンナビスには、探索活動支援を行うミノトス管理協会により、探索者の戦闘能力向上や連携戦闘技術獲得を目的として、いくつかの戦闘鍛錬所が設置されている。
 探索者同士やテイミングしたモンスター相手の基本戦闘訓練。
 それ以外にも、新開発された魔術、魔具の性能実地試験。
 迷宮の一部を模し、罠も設置された大規模な探索訓練カリキュラム。
 はたまた協会主催の各種大会会場として。
 さらには英雄達の大叙情詩を演じる剣劇舞台にと、多目的な用途に用いられている。
 カンナビスに数ある鍛錬所の中でも、支部に隣接するベント街区鍛錬所の規模や設備は大陸でトップクラスの立派な物となっている。
 カンナビスゴーレムを生み出す構成素材となったことで、カンナビス周辺の山肌には無数の洞穴が開いている。
 その広大な洞穴内部を再利用する形で作られたベント街区鍛錬所内には、複数の闘技場が存在する
 もっとも巨大な中央円形闘技場は、半径百ケーラの闘技舞台と、その周囲を囲む形で設置された観客席は数万人を収容可能な広さを誇り、数多くのイベントが行われてきた古い歴史を持つ由緒正しい施設だ。
 観客席と闘技舞台の間には、城壁並みの高さの防壁が設置され、さらには防壁表面に対物、対魔術障壁が常時展開可能な術式が彫り込まれており、安全に迫力ある戦闘を間近で見られると市民には好評を得ていた。










 そろそろ日付も変わろうかという夜深くになっても、ベント街区鍛錬所中央円形闘技場には、まばゆい光を放つ光球が煌々と灯され、広い舞台をまばゆく浮かび上がらせていた。
 闘技場のほぼ中央付近に集まる10人ほどの集団がいた。
 大半が同じ作業衣を身につけており、その格好や装備から魔導技師であるのが見受けられる。
 残り二人は、鍛錬所を管理するミノトス管理協会の制服を身に纏っている。
 魔導技師達は、大陸中央に拠点を置くルゼン魔導工房所属の1つであるルゼンカンナビス支部工房を率いる工主とその工房員達だ。
 魔導工房としては、トランド大陸でも最大規模の勢力を誇るルゼン工房ではあるが、その内部は一枚岩では無く、絶大なる権威と利益を求めて大陸各地の支部工房間での主導権を争う激しい派閥抗争が常時起きていた。
 特に現総工房主の高齢による引退が取りざたされ、後継者争いが激化している昨今は、功績を求めた一部の工房により、同門でありながら、技師引き抜きや技術窃盗が頻発している始末だ。
 ルゼンカンナビス支部工房が、ほんの一部とはいえ伝説のカンナビスゴーレムの術式を解析したという情報は、そんな輩からすれば垂涎物。
 情報漏洩、技術盗用を恐れた工主により、全幅に信頼できる支部工房初期メンバーのみにプロジェクトメンバーを絞り、管理協会カンナビス支部長全面協力の下、外部からの観測、解析を遮断できる高位結界が張れる中央闘技場を、実地試験場として解析技術を流用した魔具開発が進められていた。 
    

「いいわ。構築開始して」


 工房を率いる若き女工主リオラ・シュトレの緊張を多分に含んだ堅い声が闘技舞台に響く。
 リオラは気を落ち着けるためか、その短い栗毛を一度触ってから、魔力流解析機能を付けた魔具であるモノクルへと指を触れ、魔力を通し稼働させる。


「……作成陣構築詠唱開始」


 長杖タイプの魔具を構える赤毛の若手魔導技師も緊張感を滲ませながら、闘技場の地面へと杖の先端を突き立て起動呪文を唱え始める。
 金属杖には、全体に数十種類の宝石が埋め込まれており、豪華絢爛な輝きを放っているが、それらは宝飾が目的ではない。
 宝石は、どれも内部結晶構造に精密な魔法陣が刻み込まれている。
 朗々と響き渡る詠唱に合わせ、杖の下部に埋め込まれた宝石の1つであるブッラクオパールが紫色の淡い光を放ちつつ、ゆっくりと縦を軸にして回転を始めた。
 宝石から溢れた光が技師前方の地面へと、その内部に納めた魔法陣を複写し組み立てていく。 
 次々に杖に埋め込まれた宝石が発光して、まるでパイ生地のように魔法陣が幾重にも重ねられて、色鮮やかな色彩を持つ積層型魔法陣が構築されていく。
 描き出されたのはゴーレム作成のメイン基板となる作成陣だ。


「転写魔力流異常無し…………次の工程にすすんで」


 何度も試作と実地試験を重ねた末に生まれた最終調整バージョンである魔具の動きには問題は無い。
 しかしどうしてもリオラが緊張をするのは致し方ないだろう。
 何かが起きれば、もしくは判明すれば、数日後に大々的に行われる予定の発表会が延期、最悪は中止ということになりかねないからだ。
 最終テストは既に数週間前に終わり、あとは発表を待つだけだったが、リオラの鶴の一声で初期行程から一通り稼働チェックを急遽行うことになっていた。


「制御陣転写開始します」 


 次いで中段の宝石群へと切り変わり、青色のカイヤナインが稼働を開始し光を放ち、ゴーレムを操るための制御陣を作成陣の上に重ねていく。
 魔術師ならば、描かれる魔法陣が既存のゴーレム作成陣とは一線を化す複雑で難解な物であることに驚きを覚えるだろう。
 積層型魔法陣は層が一段増えるごとに飛躍的に構築が難しくなっていく。
 層と層の僅かなズレや流れる魔力量の誤差で魔法陣は機能を破綻させ、構築途中での消失や誤作動、暴発などを引き起こしかねない。
 実用品でありながらその繊細な作りから魔術工芸品とも呼ばれる積層型魔法陣を、数十段も重ねることで、ようやくカンナビスゴーレム解析で得た技術が利用可能となる。
 量産性を度外視し技巧の極致を重ね作成されたワンオフ魔具には仮称として『カンナビスリライト』の名が与えられていた。


「魔力伝達異常無し。仕上げて」


 積み重ねた魔法陣が放つ艶やかな輝きは、人工とはいえ生命が生み出される力強さをひしひしと感じさせる物だ。
 魔法陣同士の接続は設計通りで問題無し。
 完全解析不能な部分をそのまま採用している不安はあるが、術式欠損が見受けられた稼働不可能状態。
 何度も確かめ大丈夫だという確信を得て、リオラは最終行程を指示する。


「構築完了。実体化開始します」


 杖最上部頂点に埋め込まれた一際大きなスフェーンが黄金色の輝きを放ち、光は積層魔法陣全体を包み込み、球状階層型魔法陣を完成させる。
 通常のゴーレムならば作られた魔法陣が核となり一体のゴーレムが作成される。
 だがカンナビスゴーレム解析により生み出された魔法陣は違う。
 球状階層型魔法陣が宙へと浮かび上がり回転を初め光り輝き、周囲の地表へと己の移し身を転写し始める。
 光が当たった地面を核として、大人の膝ほどの高さの円柱がせり上がり、粘土をこねくり合わせるように、円柱から頭部や翼が生えて猛禽類をもした鳥型ゴーレムが次々に生み出され始める。
 ただの土塊を素材とした簡素な作りの鳥ゴーレム群は、既存の技術でも制作可能で主に偵察用や牽制に使われる下位小型ゴーレムでしかないが、その総数は三十体にも及ぶ。
 カンナビスゴーレムの解析によって獲得した魔法陣構築技術とは、1つの魔法陣で同時生産を可能とする機能と、通常ゴーレムなら1体分の消費魔力で、5体のゴーレム作成を可能とする大きな魔力増幅効果だ。 

   
「実体化完了。全ゴーレム指揮下にあります」


 赤毛の技師が杖を一降りすると、鳥ゴーレムたちは一斉に羽ばたき飛び立って、上空を旋回する警戒モードへと移行する。
 作成、制御、実体化どの行程も問題無く、稼働試験には一切の問題は見受けられない。


「問題ないっすよね……リオラ工主。主任が言っていた不安点って無いですよね」


 しかし鳥を見上げる技術者達の一人が疑いの声が滲ませてリオラに問いかけた。
 自分達の解析と作成技術的には問題は無い。無いはずだ。
 積み重ねた実績から技術者の自負として確信していても、それでも拭いきれない不安感がどうしても付きまとう。
 一人の天才が残した懸念を彼らは未だ解消が出来ずにいた。 


「当たり前でしょ! ウォーギンが心配症なだけよ! 第一あいつは元主任! 首にしてやったんだから主任って呼ぶな!」


 ただ一人リオラだけが不安を吹き飛ばすように声を張る。
 しかしその姿は虚勢だと、支部工房を設立時から支えてきたメンバーだからこそだと誰もが判っていた。
 設立メンバーの中でただ一人欠けた魔導技師。ウォーギン・ザナドール。
 リオラの腹心であり、ルゼン工房所属全技師の中でもトップクラスの知識、技術を持ちながら、空気を読まない良くも悪くも現場主義の技術屋な性格のせいで、上層部に不評を買い一介の魔導技師として過ごしていた不遇の天才。
 未だ発表段階には至っていないと強く主張し工主であるリオラの方針に反対したウォーギンが、ついにはリオラと大喧嘩の上に工房から出て行ったのは数ヶ月前になる。


「売り言葉に買い言葉で首にしたこと、事ある毎に管まいて後悔してるだろうが。言われたこと気にして再試験するくらいなら、ウォーギンに頭下げて戻ってきて貰えっての」


 もっともウォーギンが首だと主張しているのは、工主であるリオラのみで、他の工房メンバーとしては未だ身内。
 ウォーギンが出ていったあとも、その開発状況や改良点のデータ等は一応密かに流されており、当のリオラも黙認している。


「っていうか、なんで今日主任に会ったのにすぐに戻ってくるのよこのへたれ。主任のレポートさえ有れば問題点なんて丸わかりでしょうが。せっかくあたいらが色々データ回して作って貰ったのに無駄にすんな」


 支部工房最年長の初老魔導技師は散々愚痴をこぼされるのには、もう飽き飽きしているのかウンザリした顔を浮かべており、工房の情報を一元的に管理するリオラの秘書役でもある技師育成校時代の同窓女性技士に至っては、近しい関係故の辛辣さを持って罵倒してくるほどだ。


「うっぐっ! ぐ、ぐっ! うっさい! 問題無しなんだからオールオッケでしょうが! あのへたれ恩知らずの生活破綻者が何言ってこようが、ともかくこのままやるつってんの!」


 リオラを知る一同が口を揃えてあげる欠点である下町育ち故の喧嘩っぱやさと、口の悪さは本人も自覚はしている。
 だが齢二十五を超えた今となっては、今更その口調や性格を治せるはずも無く、むしろおしとやかにしてみせたら爆笑してきた連中が何を言っていると、余計にリオラは苛々を募らせていた。


「大体あいつが悪いのよ! 久しぶりに会ったっていうのに開口一番に仕事の話をしてくるし、何時もみたいに研究に入れこんで禄に食べてないんでしょ! あんだけやつれてたら心配の1つもするのが人情ってもんでしょうが! それなのに、んなこと、どうでもいいだぁ!? 巫山戯んなぁっ! 食べ物買うお金が無いなら家にきなさいつってんのに!」


「いやさすがに……今の状況でご飯だけたかるのは気まずいでしょうが」


「あたしは気にしないわよ! 爺ちゃんが生きてた頃から夕食は家だったんだし!」
 

 パトロン体質というか貢ぎ体質というかリオラの発言に、お前はどうしたいんだと誰もがあきれ顔で息を吐いた。
 元々ルゼンカンナビス支部工房は、リオラの祖父である技師が死去後に、後見人を失い工房間の政治的な力関係に無頓着で窮状に陥ったウォーギンを助ける為に、リオラが立ち上がり祖父の工房開設権利を継承し設立した新規工房。
 ウォーギンの最大の信奉者であり、その技術に一番惚れ込んでいるのは誰かなど言わずとも判る所だろう。 
 こんな風に事ある毎に気にしているのだから、意地を張るのはいい加減にしてくれというのが皆の正直な感想だ。
  

「あんたら何時もにぎやかだな。協会としては竜獣翁まで担ぎ出した研究成果の発表なんだから、すんなり済ませたいのが正直な所。だが事故も怖い。どうするんだね?」


 言い争いになりかねないのを見かねたのか、管理協会カンナビス支部支部長キンライズ・クライシスが頬を覆う髭をさすりながら、間に割ってはいた。
 新規技術が出来れば、それに伴い多方面の分野が活性化し、管理協会としても、素材集めや実戦機会を求めて探索者への依頼が増えれば、仲介手数料や物資販売等で財源を潤すことが出来る。
 だから新規技術開発は協会としても推奨し支援しており、ましてやそれがカンナビス名物ともいえるゴーレムの解析技術となれば、管理協会カンナビス支部としても見過ごす手は無い。
 もっとも相手は暗黒時代の遺物で、彼の火龍王の手による物。
 実験は慎重に慎重を重ね、管理協会の魔導技術部門最高顧問である上級探索者の来訪要請までして、そのお墨付きを得た代物。
 魔導工房最大手のルゼン工房傘下といえど、管理協会との力関係を考えれば、キンライズが強権を発すれば、強制的に接収することも出来るが、やり手として近隣では有名だが、あまり強引な手は好まないキンライズは、あくまでも主導権をリオラ達にゆだねていた。
 開発自体は終わっており、今のところ問題点も見つかっていないのだから、なるべくならそのまま発表へと持っていってほしいという所だろう。


「問題ありません! 予定通りでお願いします!」


 さすがに大人げない所をみせたと反省したのか、耳まで真っ赤に染めながらもリオラが変更無しと力強く断言した。
 あくまでも意地を張ろうと強硬姿勢をみせる工主に、工房員達は些か戸惑い気味だ。


「待てって。やっぱりウォーギンともう一度話し合ってからの方がよくないか。リオラお前さん今回はどうしたんだ」


 いくら今回の技術の大元が伝説のカンナビスゴーレムで、今までに無い大功だとしても、あまりに入れこみすぎだ。
 確かにルゼン工房は派閥争いが活発化しており、どこも功績を求めて激しい競争を繰り広げているが、その観点で見れば、ルゼンカンナビス工房は弱小勢力派閥の末席。
 次期総工主に自らの派閥の長である工主がなる目など皆無。
 大きい成果目当てに下手に博打を打つよりも、小さくとも確実性のある収益を取る堅実的なリオラにしては、あまりに異常すぎる。
 

「リオラ……ひょっとして他からなんか取引を持ちかけられたとか? 主任絡みで」


 ただリオラが無茶をするのならば1つ考えられることがある。
 それはウォーギンに関することだ。
 最近売れ筋の魔具はメイン設計をリオラの名前にしているが、そのほとんどはウォーギンのデザイン。
 ウォーギンの名で出そうとしても、敵対する他工房から妨害を受けるための、苦肉の策だが、世に自分達の工房そして自分の名が知られれば知られるほど、功績をかすめ取っているとリオラが気に病んでいるのは工房員なら誰もが知る所だ。
 作れば満足であまり気にしないウォーギンを除いて。
 
  
「な、なんの事だか! あたしは良い物を世に出したいだけよ!」


「いや、あんた……バレバレだって」


 秘書の指摘に思い切り動揺をみせるリオラの言動で全員が納得する。
 解析研究成果と応用技術を全て提供する代わりに、功績を求める大手派閥との裏取引でもしたのだろう。
 おそらくウォーギンにその実力にあった環境を用意するために。  
 

「しゃーない。パルさん。一応ギリギリまで動作解析しましょう。明日にでもあたいが主任の所に行って詳細聞いてきます」


「判った。だが朝まで待っている時間が惜しい。杖の方は使用後の劣化を調べて今夜中にフルメンテしておくか。撤収準備」


「了解。魔法陣解除始めます」


「んじゃ俺はならし道具を取ってくるわ」


 工主の思わくを察し、腹をくくったのか工房員達が長年のチームワークを発揮して、テキパキと動き始めた。
 宙を舞っていた鳥ゴーレムも次々に降りて元の土塊に返って、削り取られていた地面を埋めていく。
 ゴーレムを模った部分の土は、こんもりと山形を作っていて柔らかく足を取られかねなく危ないので、叩いて整地し直す必要があるが、何度もここで試験を重ねているのでそれも慣れた物だ。


「支部長。そんなわけで最終判断をギリギリまで待って貰って良いでしょうか?」


「あぁ、用心してしすぎるという事も無いだろう。もしあれなら竜獣公には再度私の方からお伺いを立てて確認のための滞在を延長して貰うよ。どうも昼間に騒ぎがあってご滞在もばれたようなので、いっその事色々と協力して頂くのもありだな」


 秘書の提案にキンライズも賛同の意思をみせ、何かあれば全面協力も惜しまないという趣旨の答えを気軽に返していた。


「ちょっと! まちなさいよ! あんたら工主である私を差し置いて!」


「だからあんたの希望通り発表はする。そのつもりで動くけど最後まで用心するつってんでしょ。なんか文句有る工主様?」 


「ぐっ…………ざ、残業代と特別手当はきっかり払うから、ちゃんと仕事しなさいよ! 中和剤準備! 残留魔力除去作業始めるわよ!」


 確かに自分が望むとおりではあるし、今更ウォーギンに自分から頭を下げるのは癪。
 いらつきながらリオラは撤収作業の指示を出すが、それはもはや負け惜しみにしか聞こえなかった。


「ほんとあんたらは賑や…………すまん。ちょっと待ってくれ。通話が入った」


 誰が最高責任者か判らなくなりそうな学生のようなノリで会話しつつも、キビキビとしたプロの動きを見せるルゼンカンナビス支部工房の面々をほほえましい目で見ていたキンライズの顔に緊張が奔った。


「…………はい…………すべてですか? …………お言葉を返すようですが毎回残存魔力の除去作業は……いえ……理由をお教え願えますか? ……判りました………………」


 どこからか魔術による遠距離連絡が入ったようだが、先ほどからキンライズは頷きや相槌を返すのがほとんどで、時折言葉を返しているが、すぐに相手に遮られているようだ。
 その話し方や態度から相手はよほど目上の者なのだろうとうかがい知れる。
 時折漏れ聞こえる言葉やちらちらとリオラ達へと目線を飛ばすのが、どうにも嫌な予感を覚えさせ、いつの間にやらリオラ達の撤収作業の手は止まっていた。
 5分ほど経っただろうか、会話を終えたキンライズは襟元を正しリオラ達を見据えると、いきなり頭を深々と下げた。
 

「諸君すまん。単刀直入に言う。竜獣翁コオウゼルグ様より魔具『カンナビスリライト』の稼働実験及び発表は中止せよとの指示が出た」


「えっ!? ちょっと待ってください! なんでいきなり!? 延期じゃ無くて中止なんですか!?」


 よぎっていた最悪の予感が的中したことに魔導技師達は動揺をみせ、リオラは青ざめてキンライズを問い詰める。
 つい数日前に問題は無いだろうと判断したのは竜獣翁自身のはずだ。


「理由は機密区分に当たるとのことで私も聞かせてもらえなかった……すぐに鍛錬所管理局に連絡。ベント街区鍛錬所は当面全封鎖。闘技舞台場の土を魔力除去の上で全て廃棄処分しろとのことだ」


 キンライズも詳細は聞かされていないようだが、ゴーレムの素材となった闘技舞台の地面を全て入れ替えろという、その徹底した指示から竜獣翁が下した判断が重いと考えたようで、堅い表情で側に控えていた部下に命じた。


「カンナビスリライトも回収廃棄ってことになるのか支部長殿?」 


「一時預かりで再度調査とのことだ。そのあとの指示はまだ出ていない」


 いきなりの展開に茫然自失としているリオラを見かね、自分が一番の年長者だからと動いた技師の問いかけに返ってきたのは非常に曖昧な答えだ。
 返すとも返さないともいっていない。
 ただ待てと。
 これでは再度研究許可が降りるのか、それとも禁術扱いされ研究禁止されるのかすら判らない。


「私は各方面と急いで調整をしなければならないから失礼する。何かわかり次第すぐに連絡をする。魔具は協会の魔具部門で預かるのですぐに仕様書と一緒に提出してくれ」


 一番大きなベント街区鍛錬所が使用不能。その上で巨大な闘技場の土を前面入れ替えした上で魔力除去廃棄処分。
 キンライズもやることが多すぎて焦っているのだろう。
 挨拶もそこそこにすぐに走り去ってしまった。
 いきなりの急転直下に、ルゼンカンナビス支部工房の魔導技師達は皆呆けてしまっている。
 あまりにも急な展開に現実味が湧かず、ついさっきまでのやる気がどこかに抜けてしまったのだろう。


「……リオラ……ちょっとリオラ」


 ぶるぶると全身を震わせるリオラの様子に気づいた秘書が声をかけた瞬間、堰が切れたのかリオラは切れた。 
  

「ふ、ふざけんなぁっ! ぶっ殺す! あの呆け竜人が! 今更全面中止しろだぁ!? 何様のつもりよ! 通信で済ませるなんぞ人情の欠片も無いじゃ無い! ここに来て土下座して自分の判断ミスを謝れ! 貸せ! 杖! 何が再調査だっ! うちのウォーギンの足元にも及ばないクソ技術者野郎共がなにを解析できんだっって!」


 普段はそれでも押さえている柄の悪さを発揮したリオラは杖を引ったくると、地面に叩きつけ理不尽に対する憎しみを込めるように、何度も踏みつけはじめる。

 

「そのクソ足りない! クソ頭かち割って! てめぇみたいなクソ野郎を生み出した腐れ婆の腐れま×こにぶち込んで! クソオーク共の! 玉から絞り出したザーメン井戸にぶち込んで! ちったぁマシな腐れ野郎に生まれ変わらせてあげようか!」


 その行動もそうだが、遠慮という物を綺麗さっぱり取っ払い己の怒りを全部乗せた罵倒と、鬼気迫る表情はとても嫁入り前の娘がして良い物では無い。


「うぁ…………ひくわ。相変わらず酷いわこの子。つーか未だに主任のこと、うちのって呼ぶなら素直に謝りゃいいのに」

 
「爺さんも嫁の貰い手がないって死ぬ寸前まで気にしてたからな。研究馬鹿のウォーギンが最後の砦だって切実に思うほどに」 


 長年の付き合いがある者達でも毎回どん引きしてしまう、女性が発するには下劣すぎて赤面したくなる豊富な語集は、歓楽街にある下町育ち故というにしても少々……いや大分酷い物だ。
 黙っていればそこそこ見られる見た目なのに、未だに男っ気の1つも無いのはこの本性と、端から見れば甲斐甲斐しく世話を焼いていた天才の所為だろう。
 

「はぁはぁはぁはぁぁっぁ!」


 罵倒し続けてようやく息が切れたのか肩で大きく息をすうリオラの足元では、その怒りの様を証明するように鉄製の杖が物の見事にひん曲がっていた。
 これではまともに魔法陣を構築できるはずも無く、術式の解析所では無いだろう。


「どうすんのよ。これじゃ提出できないってば」


「今からクソ爺見つけてこの杖を目の前に突き出し行くよ。ウォーギンだったらこの程度の損傷は気にせず鼻歌交じりで解析するわ。それくらい出来ないで天才の品にケチ付けてんなって話よ」


「いやあんた相手竜獣翁コオウゼルグ様だっての。いくら主任でも負ける、ひっ!?」  

「あ”ぁ!? 良いから行くわよ! 痛っ!?」


 親の敵でも見るような形相で秘書を睨んだリオラはしゃがみ込んで杖を拾おうとしたがバランスを崩してその場で倒れ込んでしまう。
 よく見れば杖を踏みつけていたリオラの右足首が不自然な方向に曲がり、しかも目の前でみるみるうちに腫れてきていた。
 どうやら杖を踏みつけた力が強すぎたのか、それとも微妙にひねったのか、杖を折り曲げた代償にリオラの右足も折れてしまっていたようだ。


「あーこりゃ……折れてるな。支部の治療院なら深夜でもやってたな。連れてくぞ」


 普通なら折れた段階で気づきそうな物だが、怒髪天状態で痛覚が麻痺していたのだろう。
 自分の足を見たリオラはようやく痛みに気がついたのか、瞬く間に顔色が悪くなり脂汗をかき始めた。


「ま、待ちなさいってばこの程度」


「これでも痛くないってか?」 


「みぎゃぁぁっぁぁぁっ!?」


 議論する余地などないとばかりに初老技師がその右足首を軽く突くと、リオラは絞め殺される猫のような悲鳴と共に泡を吹いて倒れる。


「やれやれようやく静かになったか。そっちもて。気絶してる間に運ぶぞ」


「足側持ちますね。腫れて脱がせそうも無いからブーツは履かせたままにしますよ」


 ぱんぱんに腫れ上がったリオラの右足のブーツの底には、踏みにじっていた時の怒りの力の強さを証明するかのように闘技場の土がほんの僅かだが付着していた。



[22387] 剣士と魔導工房主
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/04/15 02:21
 探索者達に昼夜はない。
 永宮未完において、常時出入りが可能な可能な常設宮は全体の三割程度だといわれている。
 朝や夜。僅かな時間しか侵入可能にならない迷宮。
 春限定や夏限定の特定時期しか入り口が出現しない迷宮。
 自然の摂理に合わせ顎を開く迷宮もあれば、もっと細かい条件。探索者各々の様々な要因が重なり、迷宮への侵入を可能とする。
 ソロであるか、パーティであるか?
 特定の武器や信仰を有しているか?
 変わった所では、身体の一部に欠損を生じているか?
 目指すべき迷宮。
 目指すべきモンスター。
 目指すべき天恵アイテムにあわせて、探索者達は活動時間を日々変えて迷宮へと潜る。
 そんな探索者達をサポートする管理協会が直営する各種施設は、基本的に24時間常に営業を行っていた。
 カンナビス支部医療院も何時運び込まれるか判らない患者に備え、日付が変わる深夜にも構わず、忙しそうにバタバタと職員達が通路を行き来している。
 もっとも今夜が格別に忙しいのは、夕方にとある酒場で起きた喧嘩沙汰で運ばれてきた患者達が、先ほど治療に訪れた幼い少女の姿をみて、何故か恐慌状態に陥ったり、両足が折れているのに今すぐ退院するとわめき出す者など、一騒ぎを起こしているからだった。















「こういう感じだできるか? 柄の部分に納められたワイヤーは50ケーラ分に減らして構わん。投擲可能距離以上あっても戦闘用には使いづらいからな」


 待合室のベンチに座るケイスは医療院内の騒ぎは気にもとめず、白く塗られた壁に背を預けながら、自分の要望を伝え終えると、ベルトのホルダーに止めていた細身のナイフを一本引き抜く。
 左手でナイフの柄に埋め込まれた目釘を外すと、柄頭に設置されたいくつものかぎ爪がついたハーケンリングに指を引っかける。
 リクゼン王国の蜘蛛糸を加工したワイヤーユニットを丸ごと引っ張り出してから、隣に座るウォーギンへと手渡す
 髪よりも細く透き通った透明な蜘蛛糸は、生体由来のため可燃性である事は難点ではあるが、頑強な作りと視認性の低さから、戦闘用のみならず、罠作りにと幅広く用いられている迷宮産アイテムの1つだ。
 ナイフの柄に収納されたワイヤーは200ケーラもあり、ユニットに埋め込まれた小型魔具により自動収納を可能とする機構をもたらされており、非常時の垂直上昇、懸垂降下にも使用可能とするマルチツールとして作成されている。
 

「まぁこれならちょっと記述を変えてすぐに出来るな。ただユニットを外付けにして回収速度上昇は良いが、ユニットぶっこ抜くとナイフの方がだいぶ軽くなるが、投擲で上手く使えるのか?」


 ワイヤーを回収する魔具ユニットを手に取ったウォーギンは作業の段取りを脳裏に描いたのか、ケイスが提示した改良案が可能と判断するが、使い方には疑問を浮かべた。
 ケイスの提示した改良案は、ワイヤーユニットをナイフの柄に収納するのではなく、固定用ハーケン側に持ってきた上で、魔法陣改造による回収速度の大幅上昇。
 狩猟時に獲物に投げつけ、追跡を容易にしたり、障害物にワイヤーを絡ませ逃走を妨害する目的で、投擲用にナイフの形状や重量バランスの調整がされているが、ケイスの案はバランスを大幅に崩す事になる。
 下手すればナイフがまっすぐに飛ばず、回転することになりワイヤーと絡むことになりかねない。
 風系の魔術でも扱えるなら、刀身に風を絡ませ、速度や軌道を自由自在に扱えるが、あいにくケイスは風系どころか、魔術を一切使えない魔力変換障害体質者。


「うむ。投げられなくはないが、どうしてもバランスを気にして限定的な速度と角度になるな。だから第二の改良案だ。空になった柄の中に…………………………」


 空洞になった柄をみせながら、ケイスは第二の、対魔術戦闘として考えた本命といえる案を披露しウォーギンに要望を伝える。


「……お前また技師泣かせの無茶苦茶な案をだしやがったな」


 詳細を聞いたウォーギンはその要求スペックの高さにあきれ顔を浮かべる。
 ケイスの求む機能は複合的で複雑な仕様な上に、狭い柄に嵌まるように組み上げろ。
 しかも明日の朝に行う決闘に間に合うようにと、無理難題も良い所だ。


「ワイヤーユニットの外付け改良はそこらの見習いでも出来るが、私が望む改良案をウォーギンなら一日で出来るだろう。私は出来無い者に頼んだりはせんぞ。酒場で私を昏睡させた即興魔具はお前の作だろ。そこらにあった物であんな非常識な物を作る奴が何を言う?」


 だがケイスは不思議そうに小首をかしげる。
 お前なら出来るはずだ。出来無いわけが無い。
 ウォーギンをみるケイスの目は、ウォーギンの技術力を信じ切った純粋無垢な子供の目だ。 


「技師泣かせだが技師冥利に尽きるなその信頼は…………似たような魔具を小型化して機構自体は出来るが内容量が少ない、補充無しだと精々1、2回使える程度だがいいか?」


「うむ。構わん。これが資金だ。残ったのは報酬としてお前にくれてやる。ウォーギンなら報酬を多くしようと手を抜くようなことはないから安心して渡せるな」


 ウォーギンの回答にケイスは満面の笑みで答え、懐の宝石袋を取りだし、惜しげもなく残っていた宝石を袋ごと渡す。
 残っているのは額面で金貨150枚分といえど、ケイスの手持ち全財産なのだから大盤振る舞いも良い所だが、技術者としての矜持を持つウォーギンをケイスが心底信頼している証拠だろう。
 

「上手く仕上げてやるよ……といいたい所なんだが、さすがに機具と資材が家のじゃ足りねぇな。資材はこれで買いにいくとして問題は機材か。リオラがいない時に潜り込んでちゃっちゃと使わせて貰うか」


 改良用資材購入には資金は十分だが、魔具作成に必要な機具となるとさすがに購入する金額には桁が2つ3つ足りない。
 元の職場なら揉めた工主がいない時間なら少しは融通が利く。
 設計を家で済ませて、作成時だけ元職場の機材を使わせて貰おうかとウォーギンが算段を付けていると、医療院の入り口のほうから声が響いてくる。


「すみません。急患なんですけどおねがいできますか?」


 聞き慣れた声にウォーギンが聞こえてきた方に目を向けると、元同僚達の姿が見えた。
 受付にいるのは工房のスケジュールをまとめている秘書役の同僚だったアリシア。
 まとめ役である最年長技師パーライトの側には、受付前の長いすに寝かされ微動だもせずにぐったりとした工主リオラの姿があった。


「ありゃパルさんとアリシアか……寝かされているのリオラだな。なんかあったか?」
 

「ん。昼間のご令嬢か? 安心しろ。気を失ってるだけで息はあるようだぞ」


「令嬢って性格じゃねぇよ。あれは。悪いちょっと聞いてくる。リオラが気絶してるなら丁度良い。ついでに工房を借りる算段も済ませてくらぁ」


 心配しているのか心配していないのかよく判らない言葉を残しながら、ウォーギンはケイスに断りゆっくりと席を立つと知人達の元へと少しだけ足早に歩いていった。













「薬はこれだけ。食事も量は多いですけど内容は普通です。だからあの子が言う通り闘気による肉体修復能力を上げていたそうです」


「それでも信じられんな。周囲の筋肉を動かして砕けた骨を元の場所に固定して再生を速めたといっていたが……この回復力は常識外だぞ。獣人すらも上待っているな」


 机の上に置かれた丸薬や塗り薬をみながら医療院所属の白髪の老医師がケイスの非常識な肉体能力に頭を悩ませる様にルディアは同情を覚える。
 つい先日折れ砕けたはずのケイスの右掌。
 しかしその診察結果は、多少のヒビはみられるがほぼ治りかけているという、数多くの種族の患者を診てきた、医者ですらその脅威の快復力に頭をひねる結果であった。
 折れた骨を元の場所に戻し動かないようにギプスや副え木で固定し、肉体が持つ治癒力にゆだねるのは、基本的な治療法だが、ケイスのそれは粉みじんに砕けた骨の欠片まで、細分狂わず筋肉制御で己の意思で元の場所に戻すという、常識の範囲外のものだ。
 普通なら子供の戯言と笑い飛ばすのだろうが、実際に筋肉を使って体中の関節を自在に外したり入れたりする様をみせられたのでは、ケイスのいうことも信じるしかないだろう。
 本人曰く、どのような状態でも敵の攻撃を避け、剣を振るう為に身につけた肉体操作技能だというが、さすがに筋肉繊維一本一本単位で自在で動かせるのは変態的過ぎるだろう。
 

「ですから私の薬は一般的な物とあまり変わりません。すみません。ご期待にそえず」 


 当のケイスの診察が終わったというのに、ルディアが一人診察室に残ったのは、あまりにアレなケイスに今までの常識を壊されそうな医師が、まだ信じられる答え。ケイスがしきりと褒めていたルディアの薬が特別だという可能性にかけた所為だ。
 しかしその儚い望みは、完膚無きまでに打ち砕かれていた。


「……気にせんでくれ。極々稀にだが、探索者にもあのような非常識な肉体を持つ者もいるからな。さすが探索者でもあらず、あのように幼い少女がというのに驚かされたが」


 頭を下げたルディアをみて、我に返り気を取り直したのか医師が背もたれに背を預けて、息を大きく吸った。
 無くした腕を自力で生やしたとか、切断した腕をくっつけて繋げなおしたという事例よりはまだマシだ。
 例外中の例外を思い出して医師は何とか、精神の均衡を保ったようだ。
 

「それにあんたのオリジナル薬も丁寧な作りで、保存性や品質も良いもんだ。あれならギルドには私の方から口利きをするから、少し卸していってくれないかね。ギルドも色々世話になっているスオリーさんの知り合いだとなれば、連中も縄張り云々の五月蠅いことは言わんはずだ」


「こちらとしてもそれは助かります。ちょっと路銀が心許なかったので」


 地元医師の口添えがあれば、いくら薬師ギルドに所属するとはいえ、カンナビスギルドからみれば所詮はよそ者であるルディアが作ったレシピの特製オリジナル薬でも、買いたたかれる恐れは少なく、多少割も良くなる。
 隣の探索者管理協会カンナビス支部に行って鍛錬所を借りる手続きをしているスオリーは、協会の受付嬢としてここらではちょっとした顔だそうなので、より安心出来るだろう。
 願っても無い話にルディアは快諾する。


「それではすぐに紹介状を書いて……はいりたまえ。どうかしたかね?」


 引き出しから便箋を取りだした医師が早速薬師ギルド宛ての書状を作ろうとすると、診察室のドアが強くノックされる。
 

「ん、失礼する。先生すまん。知り合いの知り合いが骨折したらしい、みてやってくれ」


 医師からの返答を待ってからドアを開けたケイスの背後には、いきなり現れ場を仕切り率先して動き出した子供の行動力に目を丸くする技師達と、気を失い冷や汗混じりで唸っているリオラを背負っているウォーギンの姿があった。














「ふむ。目を覚ましたか。気分はどうだ?」


 頭に霞が掛かるような曖昧な意識のまま瞼をゆっくりと開いたリオラ・シュトレが最初に見たのは、柔らかい魔法の光の元で濡れたような艶やか黒髪に、まだ幼い雰囲気を残しながら美貌の片鱗を鮮やかに開花させている美しい少女の顔だった。


「右足首が折れているから変に動こうとするなよ……ん。反応がないな」


 髪と同系色の双眸に意思の強さを感じさせる少女の凛とした声はリオラの耳に届いてはいた。
 だが、この世の物とは思えないほどに愛らしくも幻想的な少女に、リオラは思わず見とれてしまい、夢でも見ているのかと呆けてしまっていた。


「まだ麻酔が抜けていないのか? 時間が惜しい。少し痛いが目を覚まさせてやろう。自然治癒力も上がるから大サービスだ」


……それが失敗だった。


「……エッ……」


 妖精のような愛くるしい美貌を持つ怪物こと、ケイスははあどけない笑顔のまま、折れたばかりのリオラの右足首に向かって左手で掌底を打って、その暴虐的で威圧的な闘気を患部へ叩き込むという暴挙を一切の躊躇など無く敢行していた。
 本人的には、闘気浸透による肉体活性化で治癒能力を上げるという親切心だが、ありがた迷惑この上ない行為だ。


「っあ”!? い、痛い!? っていうか熱っ!? いぁぁぁっぁぁぁ!?」


 赤々と熱せられた釘を力任せに打ち込まれた激しい痛みの後に、間髪入れずぐつぐつと煮えたぎるような油を傷口から注ぎ込まれるような灼熱の拷問に、リオラは目覚めたばかりだというのに、何が何だか判らないままに絶叫をあげる羽目になっていた。
 患部である足首が腫れ上がってズボンを脱がせないので、治療のためはさみで切り裂いたので仕方なかったとはいえ、下半身下着1枚のあられも無い姿で悶え苦しむリオラの様には、常人ならば哀れみを覚えるだろう。
 世の常識を外れ己の道を行く者達。
 いわゆる天才達を例外として。


「ウォーギン。目を覚ましたぞ」


 悶絶し足を抱えて掛けられていた毛布を弾き飛ばし、ベット上で転げ回るリオラの様子にも、驚きもみせず平然としているケイスは背後を振り返る。


「リオラもかなり荒っぽいっていうか、がさつなんだが、ケイス……お前が相手だと霞むな」


 先ほどリオラが己の右足首と引き替えに踏み折り曲げたゴーレム作成魔具『カンナビスリライト』を病室の簡易ベッドの脇に置かれたサイドテーブルに乗せて観察していたウォーギンが、両者を見比べて、リオラ以上に女らしさという言葉からかけ離れた存在にあきれ顔を浮かべていた。


「むぅ。失礼なことを言うな。私はお前が確認したいことがあると言うから、目を覚ますのを手伝ってやったのだぞ」


「へいへいあいがとよ。リオラ、下半身パンツ一丁で悶えてるところ悪いが、ここの石が欠けてたんだが、お前なにを入れたんだ? お前が曲げちまったんで協会の方から直してから持って来いってなったそうだ」


 他人に拷問のような痛みを与えて平然としているケイスもケイスだが、十年来の知人であり恩人の孫娘のパンツ姿に対して、目をそらすでも無く、気まずさを感じるでもなく、平然と話を始めるウォーギンもウォーギンだろう。
 折れ曲がったために使用不可能ではあるが、その作りや埋め込まれた宝石の位置関係、宝石に刻みこまれた陣をみれば、頭の中で稼働状態をシミュレーションするくらいならば造作はないと言いきる辺り、この男も紛れない天才なのだろう。


「…………スオリーさん。頭痛薬っていりますか? 手持ちにありますけど」


「瓶でお願いします。あと胃薬も」


 一方早速薬を使う機会が訪れたルディアと、支部から戻ってきたスオリーの常識人組は、他者を顧みない天才共の狂演に、それぞれ額と胃を押さえている。
 2人の心に浮かぶのは、自分ではなくて良かったという安堵感と、同じ女性としてのリオラへの同情だけだ。


「なに考えてんのよこの唐変木は!? 上司虐め!? 首にされた憂さ晴らし!? っていうかなんでいる!?」


 唐辛子を塗りたくられたかのように熱くヒリヒリする痛みに涙目となりながら胸ぐらを掴み、ウォーギンを詰問する。
 あまりの痛みに大喧嘩の影響で離れていた気まずさからの距離感なんて霧のごとく消え去っていた。


「あー、たまたま医療院にいたらお前がきたんだっての。パルさんらは後片付けやら手続きがあるって話で、忙しいからって頼まれ俺が付き添った。ケイスの方は止めたんだが、こいつ止まるような性格じゃ無いからな、一応治療行為だそうだ」


「巫山戯んなっ! どこの世界に怪我した所ぶん殴る治療法があるつーのよ!? ゾンビだってもっとまともな治療するわよ!?」


「安心しろ。治癒力を活性化させたから痛いだけだ。痛いが治りはよくなるぞ。子供じゃ無いんのだからそれくらい我慢しろ。あまり暴れるなら怪我が悪化しないように気絶させるぞ」


 二人のやり取りを横で眺めるケイスは、自分が元凶である事に気づいていないのか、それとも気にしていないのか説教じみた台詞を吐き出していた。
 ゾンビに治療行為という概念があるのか大いに疑問だが、左拳を突き出すケイスのその表情は大真面目で、リオラの意識を断とうと今にもぶん殴りそうだ。


「だぁっ!? なんなのよこのクソガキは!? ウォーギン!あんた! ××××の×××に×××した××の××とかじゃ無いでしょうね!」


 人の神経を逆なでさせたら右に出る者はいないケイスの傲岸不遜で物騒な台詞に刺激されたのか、リオラが素を開放しその柄の悪い言葉を全開にする。
 その言葉をかなりマイルドに表現すれば、その辺の野良犬と野良オークのハーフをウォーギンが手込めにした上に生まれた娘じゃないのかという趣旨の言葉だ。


「おまえなぁ。んな猟奇的な趣味なんてないつーの。後ケイスは今日知り合ったばかりの奴だ」


 リオラの言葉の悪さに呆気にとられている他の者とは違い、慣れたウォーギンは平然と返す。
 一方でその横のケイスはリオラの言葉の意味が判らず、その狂人性格とは裏腹な無邪気で幼い天使のような顔で小首をかしげると、


「ルディ。すまん。意味が判らないから解説してくれ。所々判る単語はあるんだが犬っころの××の××とか意味はなんなんだ?」


「……知らなくて良いわよ。下手するとあんたが彼女を殺しそうだし。後、今の言葉金輪際口にしないように。こっちにダメージが来るから」


 自分がかなり口汚く侮辱されたと思えばリオラの首を撥ねかねない暴虐本質はともかくとして、外見のみなら汚れを知らない純真無垢なケイスの口から洩れたスラングに、意味が判る自分が薄汚れたような恥ずかしさを覚えたルディアは顔を赤らめつつ注意を促した。


「ん。意味は判らんが、ルディがそう言うならそうしよう」


「この子に任せると荒っぽいことになりかねないから鎮静剤を使いますね」


 納得はしていないようだが頷いたケイスが向ける無条件の信頼に、気分的に多少重い後ろめたさを覚えつつも、未だウォーギンに食ってかかり会話の9割がスラングになったリオラの口元にかますための鎮静剤をルディアは手早く用意していた。



[22387] 剣士の本質
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/04/23 10:10
「ここらの繋ぎはオプシディアンか。加工も確実性と耐久性のバランスで考えると良い塩梅だな」


 杖型魔具に使われた数々の宝石と内部に刻まれた魔法陣を、ウォーギンは次々に解析しながら、右手に握った筆で修理行程に必要なメモを記していく。
 魔具鑑定をしながら生き生きした表情を浮かべるウォーギンとは正反対に、怠そうに治療室の片隅に置かれた簡易ベットに身を横たえるリオラは、極めて機嫌の悪いのが判る仏頂面を浮かべている。
 ルディア特製の鎮静剤で、リオラは興奮状態が収まり倦怠感や眠気を覚えているのだが、化け物娘の所為で未だヒリヒリ痛み熱い右足首の感覚で意識を手放すことも出来ず、時折細かな部分を口答確認してくるウォーギンの作業に付き合っていた。
 管理協会からは、効果再調査のために早急に杖を直して提出しろとお達しがきているが、メインデザイナー兼制作者であるリオラはただいま右足首を骨折中。
 日常生活はともかくとしても、長時間の達作業が必要となる工房での作業など論外。
 魔具には、制作者それぞれの作業での癖や残留魔力が色濃く出るので、凝った作りであればあるほど改造や修理には時間が掛かる。
 『カンナビスリライト』は一点物の特注品。
 試作段階から手伝いをしていたリオラ麾下の工房職員達ですら、その修復には一月以上要するだろう。
 常識外れの技術力を持った極々一部の変態技術者共でもなければ……   


「しかしこいつは安定性に奔りすぎた感じがあるな、もうちっと簡素にいけるか」


 ウォーギン・ザナドールは紛れもなくその極々一部である。
 いくらカンナビスゴーレムの魔法陣解析知識があるとは言え、技術応用した魔具であるカンナビスリライトの実物を初めて見るはずなのに、あっさりとリオラの加工法や癖から判断して、その技術を丸裸にしていく。
 様々な色彩が混じり合った黒曜石を加工したオプシディアンには、多様な不純物が混ざったことで僅かずつでも異なる属性を含む。
 単一属性の宝石と比べて、出力や効果にムラが生じやすいのは欠点だが、相性が悪い純属性の石と石の間に用いるには適しているので、複雑な積層型魔法陣に用いるには模範的な回答といえる。
 丁寧で基本に忠実な宝石カットによる内部魔法陣加工は、簡易で手軽ではあるが歪みが生じやすい魔力転写式ではなく、手間が掛かるが石内部に直接刻む直写方式を選択している点も好印象だ。
 僅か誤差で狂いが生じる積層魔法陣において、確実性を優先した作りを目指している。
 ただ安定性を意識しすぎて、行程が複雑になり全体のバランスに歪みが生じ、それを補正するのに一手間二手間が掛かっているのは余分だとウォーギンは切り捨てる。


「ダメ出しはいらないから、とっとと書けば。研究禁止令がでてんのよ。余計なことすんな」


 修理どころか、ついでに改良案まで思い浮かべているのは、ウォーギンの単なる趣味だ。
 他工房の魔具が新発売されるたびに、自分ならどうするどう作ると、作る時間も費用も無いというのに、この天才魔導技師は常に頭の中で思い描いて、暇つぶしや気晴らしに書面にしたためている。。
 リオラが片付けに行かなくなって数ヶ月が経っているのだから、書き上げられた中途半端な設計図が、私室には乱雑に山積みになっていることだろう。 
 

「癖だから仕方ねぇだろ……良い魔具を見るとなおさら気になるしな。良い出来だと思うぞ」


 魔具に関してはウォーギンは世辞など言わない技術屋タイプなので、良い魔具というのは本気の言葉だろうがリオラには嬉しくも無い。 


「コーティングにはと……レグミラスの角膜かこりゃ。指向制御は師匠の得意技だったが、さすがにまだ甘いか。使いすぎだ。石のカット次第じゃ指向方向以外完全封印しなくても一部だけでいけるか……全体的に盛りすぎて分厚すぎだな。お前私生活はおおざっぱなくせに、魔具作成になると安定志向だよな」


 大抵の魔眼の影響を撥ねのける強力な魔力遮断能力を持つ巨大な一つ目を持つ羊型モンスターレグミラスの角膜を用いて、宝石からほとばしる魔力の出力先を固定する指向制御術は、リオラの祖父でありウォーギンの師匠でもあった老技師が得意とした技術だ。
 祖父が存命中に叩き込まれ、リオラも得意技と自負する……しかしだ。
並の技師からみれば一級品の仕事をリオラがしても、気づかいという物に無縁な天才に掛かればぼろくそだ。
 指向制御技術でのセオリーである方向外全封鎖が必要ないと断言し、薄紙1枚にも充たないのに分厚いと言われる。
怪我人を気遣うなんて、ウォーギンに期待するだけ無駄だ。


「っく……」


 良い魔具といったその舌の根も乾かないうちに、ウォーギンからは手厳しい批評が出てくる。
 文句の1つでも返したい所だが、杖を蹴り曲げさらに怪我までしたのはリオラの自業自得。
 だから自分が気絶している間に、工房員達が修復の手伝いをウォーギンに依頼していた事に対して強く出られない。
 管理協会に期日までに提出できなければ、まずいことは確かだ。
 引き渡しを伸ばして偽造したり、技術を隠そうとしていたりなど疑いでもかけられて、痛くもない腹を探られるのは勘弁だ。
 それにウォーギンは口だけの評論家ではない。
 実際にセオリーを無視して、反対側が透けるほどの厚さでコーティングをやってのけるなんて朝飯前だというのは、元雇い主であり不肖の妹弟子でもあるリオラが誰よりも知っている。
 頭を悩ませ、試行錯誤を重ねた末のリオラ渾身のカンナビスリライトの改良点を、ウォーギンは次々にあぶり出していく様に、段違いの技術力を何時ものごとく思い知らされリオラは悔しげな顔で臍をかむしかない。
  

「……私は作成は素人ですが、作業で魔具をよく使います。使う側としては安定性があるのはありがたいですよ」


 あまりのずたぼろさに哀れみを覚えたのか、ウォーギンの横に座るルディアが、ついフォローしてくるくらいだ。
 ルディアの膝の上には治療の際に脱がしたリオラの右足のブーツが乗っている。
 腫れ上がっていてそのままでは脱がせなかったのか、ケイスによって見事に斬られたブーツを、残っていた靴ヒモなどを上手くつかい、足首を固めるギプスの上からでも履ける即席のサンダルへと加工していた。


「な、慣れてるから気にしないで……とっと」


ウォーギンの無自覚な辛辣さや空気を読まない発言には、とうの昔に諦めている。
 半身を起こしたリオラは、魔具制作以外では生活破綻者で役に立たないウォーギンの代わりに、わざわざ付き添ってくれているルディアに向き合う。


「医療院の人でも無いのに、付き添って気を使わせた上に、ブーツまで加工して貰ってすみません。ルディアさんありがとうございます」


 地の口調は厚紙を何枚も重ね合わせたように厳重封印し、リオラは外向けの丁寧な口調で頭を下げる。
 やれば出来るのだから普段からすれば良いのにというのが周囲の意見だが、何せリオラはこらえ性がない。
 すぐに地が出るのはもはや呪いめいた性分といえるだろう。


「気にしないでください。今夜の人手不足もブーツの破損もあの子の所為ですから。しかも鎮静剤で無理矢理に落ち着かせたのは私ですし」


 頭を下げられたルディアは、むしろこっちが謝りたいくらいなので申し訳なく顔の前で手を振った。
 昼間の喧嘩で病院送りにされた患者たちが、元凶の怪物を目撃してパニックに陥った所為で看護師達が忙しく人手不足。
 上手く靴ヒモを外せば何とか脱がせたはずなのに、せっかちというか万事全てが剣に直結している剣馬鹿は、止める間もなくナイフでブーツを切り裂くは、治療と称して患部を殴りつけるはやりたい放題だ。
 よくよく考えればルディアには直接的には関係あるのは鎮静剤の一件だけで、他はケイスが原因。
 だがケイスに病院行きを度々進めたのは自分なのだから、それも含めて責任の一端は自分にもあるだろうと、自ら貧乏くじを鷲づかみしている自覚はありつつもルディアは疲れた顔で答えた。
 

「………なんかあんたも苦労してるみたいね」


 天才に苦労をかけられる者同士でシンパシーでもあったのか、リオラは肩肘はるような口調はとことん性に合わず、あまり得意ではない他人向けの表情と口調をあっさりと緩めた。
 

「この骨折ってどんな具合なの? さっきのガキのせいで折れて痛いのか、殴られて痛いのか判らないんだけど」


 足の甲から臑までがっちりと固められた右足をリオラは指さす。
 指先が少し動かせるだけで、折れた足首はがっちりと固まっている。
 

「亀裂骨折だから一月もあれば治るそうです。診療費はシュトレさんの工房の方が、既に支払いを済ませてますからギプスが完全に固まったら帰っても大丈夫といってました」


 一時的に不可能になっていた迷宮への侵入が自由になった始まりの宮後で、探索者達の活動が活発化しているこの時期に、骨折程度の患者を入院させるベットの余裕は診療院には無い。
 耳を澄ませば、明け方近いというのに入り口の方から看護師を呼ぶ声が時折聞こえてくる。
 迷宮に潜っていた探索者達や、他の医院が開いていないので急患たちが駆け込んできているようだ。 


「一応これで完成です。急ごしらえのサンダルですけど、ちょっと合わせて貰っていいですか。シュトレさんのギプスに合わせて調整します」


 側面を完全に切り開き、空けた穴に革紐を通してつま先だけを突っかけヒモで固定するように改造した元ブーツをルディアはみせる。
 素人細工なので多少不格好だが、それでも簡易な履き物としては十分使えるレベルだ 
 作業前に付いていた土や埃を一応外で払ったが、少しだけ残っていたのか膝に乗せていた外套の上に僅かだが落ちている。
 さすがに治療室で落とすわけにも行かないので、外套を丸めて脇に置いたルディアはリオラに足を出してくれと頼む。


「へぇ思ったよりちゃんとした形してるね。ありがと。あとリオラで良いわよ。ほらさっき地みせちゃったから、判ると思うけどあたしって堅苦しいの駄目だから」


 雑多な下町育ち故に、口は悪くがさつだが、他人に対する心の垣根が低いリオラは人なつっこい笑みを浮かべながら、ルディアの言う通り素直にベットから右足を降ろした。
 その裏表の無い表情は、ルディアの警戒心を緩めるには十分な物だ。
 ルディアの故郷であるほぼ一年を通して雪に閉ざされる北方の冬大陸の住人は、信頼できると感じた者しか名で呼ばないという習慣を持つ。
 深い雪に閉じ込められ家の中に篭もることが多く、他者との接触が少ないので警戒心が強いからだとか、古い地方宗教の影響だとかいろいろ説はあるが、はっきりしたことは判っていない。
 ルディアもあまり意識しているわけではないが、身についた習慣なので、名を呼ぶのが失礼に当たる目上を除いて、自然と呼び分けていた。
 もっとも、その基準は非常に緩い物なので、一度会ったくらいの人間を呼ばないだけで、敵意がなくある程度に信頼できれば名で呼んでいる。
 リオラの口の悪さには驚いたが、その人柄は信頼できそうだ。
 

「判りましたリオラさん。簡単には解けないようにきつめに合わせるので、痛かったら言ってください」  


 リオラの方が少し年上なので敬語は使いつつも、すこし打ち砕けた態度でルディアは快諾し、怪我している足首を動かさないように丁寧な手つきでサンダルを合わせ、ヒモの長さや縛り方を確認していく。
 
  
「……この気づかい。そうこれよこれ。これが怪我人に対する接し方よ」


 ルディアの細やかな手つきや、少しでも歩きやすいように考えている気づかいに、リオラが感動の息を漏らす。
 怪我したばかりなのに、見ず知らずの化け物に力一杯に闘気を流し込まれるは、兄弟子兼元従業員は怪我の心配もせず、魔具の観察に夢中でダメ出しまでしてくる始末だ。


「怪我つっても自業自得だろうが……悪いな。ルディアの姉ちゃん。妹弟子が迷惑かけて」


 リオラが感慨に浸かっていると、いつの間にやら観察を終えたのか、通常モードに入ったウォーギンがあきれ顔を浮かべていた。
 どうやら原因が原因で、これだけ喚けるならたいした怪我でも無いと判断し、心配する気は皆無になったようだ。 
 

「うるさい。判ってるわよ。だからウォーギンなんかに借りを作るの許したんでしょうが。ちゃんと依頼料は払うからしっかり仕上げてよね」


「師匠の分とリオラの分とこっちには返さなきゃならねぇい借りが多すぎんだから、お前絡みの仕事じゃ金なんていらねぇよ」


「あーもう。その無頓着さをやめろっつってんのよ。しっかり仕事をしたらその分は貰えって言ってんでしょうが。久しぶりに会ったらやつれてたし、あんたの事だからどうせお金もなくてろくに食べてないでしょ」


 金銭に関しては相変わらずのウォーギンの適当さ加減にリオラは頭を抱える。
 魔具制作に関しては天才ではあるが、他にはとことん面倒がり、塩と水にパンさえあれば食事だと言ってのける生活破綻者には何度言っても無駄かも知れないが、言わずにはいれなかった。
 

「うるせーな。わーったよ。なら報酬代わりに材料と機具を貸せ。ちゃんと前金を貰った先約の急ぎ仕事あるからよ。その後杖の方を修理するから」 


 自分の私生活の問題点に関してはリオラに分があるのは、さすがに判っているのでウォーギンは両手を挙げて降参し、ケイスから請け負った仕事を行うためにリオラに条件を切り出した。
 

「仕事? あんたが? またころっとだまくらかされてるとかじゃないでしょうね」


 リオラは猜疑心が篭もった疑わしい目をみせる。
 ウォーギンが自分から仕事を請け負ってきた場合は、赤字覚悟だったり、技術的に困難すぎたり、挙げ句の果てには盗品魔具の制限解除だったり、犯罪目的に使う戦闘魔具制作依頼だったりと、碌な物では無い場合がほとんどだ。
 魔導技師としてはずば抜けた能力があるが、魔導工房主としての適正で見ればリオラの足元にも及ばず、経営者向きではないそれがウォーギンだ。


「その辺は安心しろ。技術的には少し難しいが無理じゃない。報酬も金貨換算150枚分の大盤振る舞いだ。依頼主は…………あいつどこいった? スオリーの姉ちゃんもいないな」


 ケイスを引っ張り出そうとして、室内を見回したウォーギンは、ケイスとスオリーの姿がないことにようやく気づいた。


「あの子ならずいぶん前に出て来ましたよ。戦闘練習をするから街の外に行ってくるそうです。スオリーさんは保……見張りです」


 1人にしておくと無軌道で何をしでかすか判らないケイスを心配して、スオリーが保護者役として付き添っていったが、ケイス相手は見張りといった方がしっくり来るのでルディアはわざわざ言い直した。


「ウォーギンさんへの依頼主はあの子ですよ。ともかく馬鹿ですから即金で払ってますし、利用目的も明後日にやる決闘のためです」


 考え方は常に脳筋暴力的でおかしいが、その根は素直というか馬鹿正直なケイスに人を騙そうという悪巧みなど出来そうも無いとルディアは断言しつつ、説明していて自分でも頭の痛くなるこれまでの成り行きをリオラへと話し始めた。


















 足元の柔らかい砂を次々に蹴り、左手に長いバスタードソードを持ったケイスは乱立する石林の中を縦横無尽に走り抜ける。
 ケイスの周囲にそびえ立つ岩は、それぞれくちばしや指の形をしていたり、かなり荒い作りだが瞳や瞼があったりと、生物の一部を模している。
 これらは全て城ほどに巨大だっというカンナビスゴーレムの残骸だ。
 昨日展望台から見下ろしたように小山ほどの大きさの固まりなら、はっきりと顔であったり胴体の一部だと判るが、周囲の破片というには些か大きすぎる岩からは、元がどのような形であったのか推測するのは難しいだろう。
 カンナビス陸上港から歩いて30分とほど近く、それでいて航路から少し離れた崖下のわき水がこぼれ落ちて出来た小さな水場近辺を、ケイスは鍛錬所として選んでいた。
 貴重な水場には周囲から水を求める野生生物や、それらを餌にする小型魔獣が集まっている。
 港からほど近く、迷い込んだ魔物で港湾労働者に被害が出ないように、支部や領主から探索者達に時折討伐依頼が出され、協会傘下の鍛錬所を借りる金すら惜しむ駆け出しの探索者達が、小遣い稼ぎがてらに稽古がによく訪れている場所だそうだ。
    

「あまい!」


「ぎゃいんん!?」


 岩陰からケイスを狙い跳びだしたは良いが、気配を読まれて鼻先を蹴り上げられた小型魔獣のデリアンフォックスが悲鳴を上げながら、岩肌に強かに叩きつけられた。
 首でも折れたのかピクピクと痙攣する狐を一瞥したケイスは足を止め、日が昇り初め白みかけた上空へと目を向ける。  
 動きの止まったケイスに向かって、上空を旋回していた猛禽類の群れが急降下を開始した。
 鋭い爪と嘴で断崖絶壁に穴を空けコロニーを作り、集団で狩りをするラプライトイーグルの群れだ。
 左手のバスタードソードをケイスは力一杯に空に向かって放り投げるが、さすがに遠すぎる。とても届きそうにない。
 ケイスは腰のホルダーから開いた左手でワイヤーナイフを一本引き抜き、手元のダイヤルでワイヤーの長さを調整しつつ、柄頭のハーケンリングを口で噛み引っ張り出すと足元に転がっていた岩にハーケンを蹴り込む。
 ついで身体を大きくひねり、電光石火の勢いで今度はナイフを上空に向かって投げつける。
 全身のバネを使い勢いを込めたナイフは風切り音と共にワイヤーを伸ばしながら、あっという間に先行するバスタードソードを追い抜き、先頭をかけるラプライトイーグルに迫る。
 しかし直線的な軌道な上にいくら速くとも所詮はナイフの速度。
 矢の速度には遠く及ばず、僅かに身体をずらし軌道を変えたイーグルがギリギリの所で躱した。
 だが躱されたケイスの顔に焦りの色など皆無。
 この程度の速度では躱されるのは織り込み済みだ。
 ケイスの狙いはイーグルの後ろ。
 ゴツゴツとした持つ指の形をした大岩だ
 岩壁面の凹凸にナイフが引っかかりぐるりとワイヤーが絡みついた。
 ぴんと張られたワイヤーは鳥たちの群れの中心を貫いている。
 それはケイスにとって道だ。
 自分の手には届かない空を飛ぶ鳥たちを、自分のフィールドへと引きずり下ろすための道。
 
 
「うむ。今行くぞ2代目!」


 視線の先の投げたバスタードソードに呼びかけ、細すぎる蜘蛛の糸を足場にケイスは一気に空へと蹴り上がる。
 それは計算されつくされてはいるが、あまりにも馬鹿馬鹿しい戦闘法。
 髪よりも細い糸を駆け上がり、先ほど投げた新しき愛剣に追いついて左手にしっかりと握ったケイスは自ら突っ込んだ鳥の群れに対して、その暴虐で絶対的な狩りを開始した。






「うん。こいつらは美味しいな。卵も大きくて満足だ」


 頭と羽と内臓を抜いて、火に直接放り込んだ直火で焼いただけの一応料理ともいえなくもない原始的な焼き肉にかぶりついたケイスは、次いで崖に素手で登って取ってきた卵をたき火に直置きして熱した平たい石の上で焼いた目玉焼きにもかぶりつき、満足げで極上の笑みを浮かべる。


「どうしたスオリー。食べないのか? 遠慮などいらんぞ。薪代の代わりと鍛錬に付き合ってくれる礼だ。好きに食べてくれ」


 たき火の反対側に置いた手頃な石に腰掛けて、微妙な表情を浮かべ止まっているスオリーの様子にケイスは気づき寛容な笑顔で勧めるが、スオリーはどこか引きつった笑顔のままでぎこちない様子だ。
 先ほどからちらちらと空を見上げているので、ケイスも視線をそちらに向けてみるが、特になにも見えないし、何かが隠れているような気配も感じなかった。
 日が大分高くなっているので、時刻は昼すこし前になっただろうか。
 スオリーも朝から食べてないのだから、お腹が空いているはずだろうと、勝手に判断する。


「安心しろ。あの鳥に限らずこの辺の私を襲うような動物は狩り尽くしたからな。襲ってくる事は無いぞ」


 モンスターを警戒して落ち着いて食事が出来無いのだろうか。
 ケイスは力強く断言してみせるが、スオリーの表情はさえないままだ。

 
「むぅ、ひょっとしてスオリーも羽があるから、羽のあるのは駄目か? 鳥が駄目なら、今焼いている狐以外にも、猪とか変わったのなら芋虫やらいろいろあるからな。どれがいい? どれも美味しそうだぞ。余ったら持って帰ってルディ達にも食べさせてやろう」


 ケイス背後に山積みにした稽古相手兼食材を指さし、ケーキを前にした子供のような無邪気で蕩けるような笑顔を浮かべる。
 どの獲物もこの水場近くで、ケイスに襲いかかってきて返り討ちになった動物やモンスター達だ。
 その数は動物が大小合わせて33頭と鳥が24匹。
 これだけの獲物を斬れたのだから、この二日間碌に剣も抜けず少しばかり欲求不満だったが、その気分が解消されケイスは大満足していた。
 





 幼くとも十人中十人が紛れもなく美少女だと評価するであろう、人を魅了するとろけるような甘い笑顔は、純白の磁器を片手にモーニングティを楽しむ優雅な食事であれば、違和感など無いだろう。
 しかしその背後に積み上げられたのは、先ほど息絶えたばかりの獲物の山。
 目の前のたき火の脇にはどこか恨めしそうな顔を浮かべた狐の頭部が、火の上で焼かれる自らの身体を見つめていた。
 精霊のごとき可憐さと戦乙女のような凛々しさを持つ極上の美少女にして、世界中の王侯貴族と比べてもトップクラスにやんごとなき血を引くはずの大帝国の唯一の隠し姫は、この近辺で獰猛さで知られる大ワシのもも肉にかぶりついて、骨ごとかみ砕いて飲み込んでいる。
 ケイスの戦闘力やその食事は、同僚達の報告資料から知識として知っている。
 昨日も一緒に食事をしたのだから大食漢なのも判っている。
 知っている。判ったつもりだったが……ケイス本来の食事を現実で目の当たりにした時の衝撃度は、一味も二味も違った。

 この世の生物は、すべからく自らの餌である。

 生き様。
 行動。
 その全てが龍その物な美少女風化け物が主張している幻聴がスオリーには、はっきりと聞こえていた。
 ただでさえ上空でケイスの行動を窺っている存在に気づいてしまったプレッシャーで胃が痛いところに、溜まった物では無い。


「いえ、大丈夫です……薬を飲んでから頂きますね」


 その生まれと容姿に反するにもほどがある、あまりに野性的すぎるその食事風景にスオリーは、ギャップの激しさから頭痛を覚え、ルディアから譲って貰った薬を懐から取りだしボリボリと囓って飲み込んだ。
 無論スオリーとて兄妹知人にも隠し協会には正式に属さないとはいえ、立派な中級探索者。
 野営でモンスターを狩り食事にするなんてのも昔は良くやっていたので、ケイスの行動に異議を唱えるつもりも、モンスターを食べることに対する嫌悪感はないが、それでもやはりやり過ぎだと思うしかない。
 脂身が少ない肉は多少堅くて臭みや野性味があるが、塩を振っただけでも十分に食べられる代物で、野生動物を売りにするマニアックな飲食店に売れる品物だ。
 羽は矢羽根にも使えるのでそれなりに引き取り手がある。
 だからここの水場の討伐依頼は、駆け出しの探索者達には難度や収益的にほどよく、それなりに需要もあったのだが、ここまで徹底的にケイスに壊滅させられたのでは、しばらくこの水場に近寄る動物やモンスターは皆無となるだろう。


「……いただきます」


 ナイフで切り分けた手羽肉にスオリーはかぶりつく。
 この場所をケイスに紹介したスオリーは、顔も知らない駆け出し探索者達に申し訳なさを覚えていた。  
  

「ん。好きに食え。どんどん焼くからな」


 スオリーに借りた金でケイスが街で買って担いできた薪はまだまだある。
 何日も泊まりがけでするわけでもないのに、やたら大量に買っていたのはどうやら最初からそのつもりだったのだろう。  
 借りた薪代を肉で返すのは、野生児という言葉も生やさしいと思うのは気のせいではないだろう。


「それとスオリー。食べながらで良いので私の投擲戦闘はどうだったか評価をもらえるか?」


「どうと聞かれても……糸をよく足場に出来ますね」 


 あのセオリー無視にもほどがある、戦闘を評価しろは一種の拷問だろう。
 張り巡らせたワイヤーを足場に使う技術は存在するが、あれはあくまで入念に準備を行い使う奇策だからだ。


「蜘蛛糸の生体素材だから闘気の反発で高く跳べるからな。上手くコツさえ掴めば思っているより楽だぞ」


 簡単、難しいの基準が世間とは隔絶するケイスは無邪気な笑みで軽く言う。
 だが投げナイフで張ったワイヤーを即興で足場にするなんて際物は、ケイス以外にスオリーは一人しか知らない。
 それは求め夜な夜な大陸各地の街に不規則に出没し、投げナイフとワイヤーを用いて美少女の心臓狩りをしていた『笑狂曲芸師』という通り名で知られた変質的な猟奇趣向を持つ中級探索者でもある連続殺人者だけだ。


「ご自分で考えたんですか……アレは?」


 聞けば後悔する予感を抱きつつも、スオリーはあえて踏み込む。
 スオリーは全てを知っているが、上空で窺っている存在は知らないだろう。
 だからケイスを知って貰う為に。


「ちょっと前にやり合ったものすごく強い奴が使ってた技だ。無表情なくせに口元だけ笑う嫌な奴で、殺されかけたが当然私が勝ったぞ。まだ修練が足りないからあのピエロみたいには出来無いのが悔しいがな」


 あっさりと答えるケイスに対して、話を振ったスオリーは早くも後悔していた。
 近隣を長年に渡り恐怖のどん底に落としいれた殺人者は、数ヶ月前に狂気という分野では遥かに上回る化け物と偶然の末にかち合い、圧倒的な戦闘力の差にもかかわらず一瞬の油断から殺されている。
 真正面から心臓を刺されたはずの化け物が、その直後に平然と動き出し、何故か硬直した曲芸師の首を切り落としたというレポートは、つい先ほどまでのスオリーならば何かの間違いだろうと思っただろう。
 しかし今は否定が出来無い。
 端的にもほどがあるがケイスの説明は、レポートに書かれていた内容と符合する。
 何より先ほどみせた糸を足場とする曲芸じみた闘法や正確無比なナイフ投げの技術は、及ばずとも噂に聞いた件の殺人狂の技術その物。
 対峙した相手の技や技術を無限に吸収する。
 例えそれが悪名高き殺人者の技であろうとも。
 己の為ならば、ケイスには禁忌も躊躇もなく、貪欲に取り込んでいく。
 何時か世界ですら飲み込みそうなその貪欲さにスオリーは背筋に薄ら寒さを覚える。 


「……なんでそんな強い人と戦ったんですか」


 上空にいる人物に聞かせたい言葉のためにスオリーは踏みとどまり、一歩踏み出す。
 大分離れているが、あの御仁なら聞こえないはずがない。
 スオリーにわざと見つかる程度の陰行を使い、ケイスを窺っているのはその本質を見極める為だろう。
 

「ん。昔、世話になった人の娘を殺した相手だったそうだ。私はその子は知らんが、その人はいい人だった。父親なのに敵さえとってやれないというので代わりに力がある私が敵討ちをしたまでのことだ。恩には恩で返す当然であろう」


 誇るでも無く、怒りを覚えるでも無く、ケイスは平然と語る。
 腹を空かせたケイスに差し出されたのは、具材もほとんど入って無い塩味の一杯のスープだったという。
 傍目には幼く見えるケイスに、ただ娘を重ね哀れみを抱いてスープを差し出しただけであろう父親は、それが1年以上も経ってから長年の怨みを晴らすことになる決め手であった事を今も知らないそうだ。
 全てはケイスが自分勝手に判断し、自分勝手に動いた末に起きた結果。
 ケイスにあるのは、正義感などという物ではないのだろう。
 自分が思うまま、自分がやりたいことをやって生きている。
 気に入れば護り、気に食わなければ殺す。
 相手がどれだけ強かろうが関係ない。
 暴虐にして傍若無人な龍の気質を持つ人間。
 しかしこの龍は決して邪悪な存在ではない。
 天高くからケイスの動向を窺う者へと。
 赤龍王を倒し暗黒時代を終わらした英雄の一人。
 龍殺し『竜獣翁コオウゼルグ』にケイスへの理解を求めるために、スオリーは何とか会話を続けていた。 



[22387] 決闘者と父親
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/07/16 01:35
 ミノトス管理協会カンナビス支部所属ルーフェン商業街区鍛錬所内闘技場において、今日も恒例の朝礼が行われている。
 部署ごとに別れずらりと並ぶ職員は40人ほど。
 ミノトス管理協会が探索者達に提供する鍛錬所とは、ただ場所を貸し出すだけではなく、その用途用途に合わせ、細やかな設定や調整を施している。
 大陸各地に広がる迷宮環境を再現したり、戦闘訓練用に低級モンスターを調達したり、新規開発魔術の詳細記録用解析陣の準備等々。
 無論凝れば凝るほど金は掛かるが、最大級の鍛錬所に至っては模擬空戦、海戦を提供できるほどの高い機能を備えている。
 それら高い品質の設備を提供する下支えの者達は、結界技術士や魔物調教師など職種も多岐に渡る。


「ベント街区鍛錬所の再開には、少なく見積もっても一月は掛かる予定です。新規予約には時刻日時に制限が入るので予約担当の方は注意してください」


 何時もなら時事の事柄を少しと、事故や怪我などが無いように気をつけましょうという定型文が常だったのだが、今日は少しばかり事情が異なる。
 一昨昨日深夜にカンナビスにおいて最大の鍛錬所であるベント街区鍛錬所が、突如改装工事という名目で全面閉鎖となり、予定されていた催しが中止となったり、利用予約が他の訓練所へと振り分けられる緊急事態となっていた。
 閉鎖してまで予定になかった改装工事に至った経緯の詳細は、管理協会に所属する一般職員達にも機密情報として公開されていない。
 しかし閉鎖通達と同時に、最近話題となっていたカンナビスゴーレム解析結果発表会の中止も公示されたので、何らかの事故や発見があったのでは無いかという噂が囁かれている。
 もっとも現場で働く者としては、閉鎖となった理由よりも、受ける影響の方が重要なので、四方山話の1つ程度といった所だ。


「既に請け負った予約は振り替えや返金処理で対応を行っています。私たちの所にも既に数件分の振り替え予約が入っていますので、昨日配布した新しい管理行程表を、各担当職員の方は再度確認をお願いします」

 
 ルフェーン鍛錬所は、その歴史をひもとけば街が開発された頃までさかのぼれるほどの伝統を持つ由緒正しい鍛錬所だが、昨今では施設の老朽化や手狭さから、利用者からの評判は今ひとつとなっている。
 だが利用料金が他に比べ低く抑えられており、その為に利用者は思ったより多く、その層は全般的に若い探索者や、技師、魔術師達になる。
 配属される職員達も、管理職以外は新入り~三年程度の若手職員が多く、利用者のみならず職員達にとっても修練の場となっていた。


「…………」 


 急な事態に硬い表情を浮かべる若手職員達の中でも、特に一人緊張した面持ちを浮かべ、食い入るように予定表を見る男性職員がいた。
 彼の名はライ・ロイシュタル
 戦いや決闘を司る神々の一柱上級神『フロクラム』を筆頭とする火神派に属する低位眷属神の意匠が、彼の羽織るマントや、ベルトなど小物等あちらこちらに施されている。
 火神派を信奉する神官の一人だ。
 決闘者達の戦いに対し中立を貫き、いかなる不正も許さず、明確な勝敗を下す事を司る火神派眷属となり、鍛錬所で時折行われる決闘の立ち会い及び審判がライの担当になる。
 2年前までは現役の探索者として、自らの足で迷宮を駆け巡り謎を解き踏破し、踏破者に神々から与えられる特別な力、天恵を積んできた。
 迷宮に喰われることもなく、何とか力を蓄え下級探索者となったことで、眷属候補としての資格を得たライは、その後火神派神殿で3年間の修行を行っていた。
 そ無事に修行を終え、少人数採用の難関採用試験を突破し、管理協会公認鍛錬所での決闘担当者としての職を得たのはたった2週間前の事だ。
 そんなライにとって今日が初の公式立会人となる日であった。 
 だがライの顔に浮かぶのは、誇りある決闘を尊ぶ火神派では花形である立会人となれた誇らしさや自負よりも、緊張が色濃かった。
 後に禍根を残さず勝敗をしっかりと裁く事が、立会人には求められる。
 不正はなかったか。
 止めるべき時に戦いを止めたか。
 止めてはいけない戦いを止めてしまわなかったか。 
 今日が初の立会人となるライはプレッシャーで心の中でぐるぐると不安が渦巻き、表情はこわばるばかりだ。
 朝礼が終わり、他の同僚達が次々と引き上げていく事も気づかず、予定表を何度も読み返していた。
 もっともそこに書かれているのは、決闘が行われるという伝達と開始時間のみで詳細は記されていないので、何度読もうと変わりはしないのだが。
  

「朝礼はもう終わりましたよ。表情が堅いですねライさん。立会人には心の余裕が常に必要だと教えたはずですよ」


 先ほどまで前に立って伝達事項を伝えていたルーファン鍛錬所のロイター所長が、緊張した面持ちを見せ周囲の様子にすら気づけないライを見かねたのか声をかけてきた。
 好々爺然とした風貌のロイター所長の服にも、あちらこちらに火神派の意匠が施されている。 
 しかもそれはライの服に施された意匠よりもさらに多くの火神派に属する神々の意匠がほどこされ、火神派の頂点に君臨するフロクラムの印章すらその背には誇らしげに刻まれている。
 

「っ……し、失礼しましたロイター大神官! いえ所長!」


 数年前までは大陸中央管理協会本部直属であったロイターが今まで裁いた決闘は、能力開放状態の上級探索者同士の決闘すらあるほどで、ライにとっても目標とすべき偉大なる先達。
 高齢を理由に一線を退きはしたが、後進育成の為に特別迷宮である『始まりの宮』の1つがあるカンナビスへと志願赴任し、今はカンナビス支部特別顧問を務める傍ら、ルーファン鍛錬所所長として活動を続けていた。
 同じ宗派に属する新米神官であるライから見れば、上位神フロクラムの眷属をも勤める資格を持つロイターは本来なら言葉を交わすことも恐れ多い雲の上の存在だ。
 いつの間にやら朝礼が終わったことにすら気づかなかった自分自身が恥ずかしくライは直立不動のまま、羞恥で顔を赤く染めていた。
 

「いえいえ。初のお勤めだというのに決闘者の情報が入っていないのでは緊張するなというのが無茶ですから。ですが全ては神の思し召し。これも試練と思い励んでください」


 本来であれば、公正な戦いと不正防止の為にも、事前に決闘者達の詳細なプロフィールや使用武器などが、立ち会い人に伝えられてしかるべきだ。
 しかし今回は何らかの事情があったのか急遽ねじ込まれた決闘予定な上に、その直後にベント街区鍛錬所閉鎖が決定して、カンナビス支部各所が下に上にと大騒ぎとなっているため、決闘当日だというのにまだ詳細情報すらきていない有様だ。


「決闘者と見届け人を勤める方々は既にそれぞれの控え室に入っているそうなので、申し訳ありませんが、武器などの直接確認をお願いします。東側からお願いします……良い決闘になることを期待していますよ」


「は、はい! ご期待に応えられるのように精一杯勤めさせて頂きます! で、ではすぐに向かいます!」


 直立不動のままうわずった声で答えたライは大きく頭を下げ一礼してから、慌てぎみに控え室がある闘技場の裏手側に走っていた。
 後に残されたロイターはライの後ろ姿を見送り完全に見えなくなるってから、周囲の気配を探り無人である事を確認すると、その笑顔を消し目付きを鋭く変貌させた。 


「……前途ある若者に苦労を押しつける趣味が貴方にあるとは存じ上げませんでしたな。コオウ殿」

 
 優しげな声自体は変わらないが、ありありとした非難の色を色濃く込めてロイターが声を発すると、ロイターのすぐ横の空間が揺らぎ、岩のようにゴツゴツとした肌を持つ巨体の老人が姿を現す。
 竜人と獣人。双方の特徴を持つ竜獣翁コウゼルグだ。
 朝礼中にコオウゼルグがが無言で入ってきたのに。気づいたのはロイターただ一人だけだ。
 他の者は、その姿どころかコオウゼルグが使う陰行魔術の気配の欠片にさえ気づいていなかった。
 もっともコオウゼルグの事だ自分だけが気づくように術を調整したのだろうと、ロイターは判っていた。
 この老人が隠れようと思えば、誰にもその気配を感じさせる事なく、それこそ王宮最深部だろうが、秘匿領域だろうが潜り込めるのは、確実なのだから。
 

「決闘者情報は全て改竄せよ。関係者以外の目撃者は極力出すな。無名の新人を貴方が絡む決闘の立会人にせよ……挙げ句の果てには何も聞くなですか」


 ロイターの懐には、昨日のうちに送られてきた決闘者たるケイスとラクトの詳細情報を記した連絡書の写しが納められている。
 だがこれは既に無意味な物と化している。
 数年は支部に残されるはずの利用者情報原本すらも、後日差し替えられる予定だという。
 本来ならば公式書類偽造など担当者どころか支部上層部の首飛ぶほどの大問題。
 通常であればロイターも断固拒否する。
 だが協会の重鎮であり旧知の竜獣翁からの頼みとあっては、何らかの事情があるのだろうと、渋々ながら引き受けていた。   


「苦労を掛ける」


「そう思われるなら目的くらいはお聞かせ願えますか?」


 コオウゼルグからの要請は協力を求めその指示を出すだけで、その背景には一切触れていない。
 せめて何が目的なのかだけは聞きたいと所だと、当然の権利を主張するロイターに対して、 


「……すまん」


 堅い表情でコオウゼルグが謝罪の弁をのべるのみだ。
 詳細については口を閉ざしたまま答える様子はない。
 語らないのはコオウゼルグが、ロイターを信用していないわけではない。
 もし信頼されていないのならば、こうやって本人が姿を見せることもなく、ロイターの記憶を改竄して、気がつかないうちに全ての事柄を塗り替えてしまう。
 上級探索者の中でも紛れもないトップクラスの魔術師であるコオウゼルグには、そんな行為も容易い事。
 だが強硬手段を行わないのは、語れないなりの誠意なのだろう。
 決闘者の詳細にロイターが目を通した事かどうかも言及しないのも、その一環だろうか。
 決闘者達はまだ10代前半の子供達。
 そんな若者、いや子供達が本格的な決闘を行うという。
 決闘者の一人である少年は、昨日にここルーフェン鍛錬所で現役探索者相手に鍛錬を行っていた。
 将来的には期待出来るかも知れないが、その実力はまだまだ未熟。
 その身には不釣り合いなほどに実戦的な複数の高級魔具と、出所不明な闘気剣で武装を固めていた事は、不可思議に思うが、それも金さえあればどうにかなることだ。
 一方でもう一人の決闘者である少女は、ケイスという名前と、魔力変換障害者というその特異体質以外は記載されていない。
 魔術を使うどころか最低限の抵抗すら不可能な魔力を一切持たない少女と、各種属性遠近補助と一通り取りそろえた魔具を保有する少年。
 この両者が争えば、勝敗は自ずと見えてくるだろう
 どう考えてもまともな勝負になるとは思えない。


「隠されるおつもりなら私が立ち会った方がよろしいと思いますが」


 だというのにロイターは、胸の中にざわついた予感を覚える。
 安易に予測できるはずの勝敗予想に反してこの戦いは激戦となる。 
 長年数多の決闘で立ち会ってきた火神神官としての勘がはっきりとそう告げる。
 それどころか魔具を持った少年よりも、名しか知らない少女の方に強い違和感を覚える。
 ケイスと書かれた名前を見た瞬間から、ロイターは自らが信奉する神々ガザわめき始めた気配を感じていた。
 神々の興味すら引く何かが、この少女にはあるのか?
 ならば新米であるライでは荷が重いと考え、ロイターはコオウゼルグに問いかける。


「お前が立てば上位神が降りてくるかもしれん。上位神が降臨すればその気配を周囲への誤魔化しようがない」


 コウゼルグの言葉に心の中では驚愕しつつも、ロイターはその動揺を眉がぴくりと動く程度に納めた。
 本来であれば上位神が降りてくる決闘など、歴史書に載るような誉れある戦い。
 間違っても子供同士の決闘という名の喧嘩に起きていい事態ではない。
 他の者からの言葉であれば、火神派の神官であるロイターの立場としては失笑し否定するような話であるが、相手は英雄竜獣翁。
 つまらない冗談や、根拠も無い話をするはずがない。
 コオウゼルグが警戒する少女は何者だろうか?
 コオウゼルグの権力を持ってすれば、全鍛錬所を封鎖して決闘その物を止めさせる事も容易いはずなのに、それをしようとはしないのはなぜか?
 一体何が起きるというのか?


「……あくまでも騒ぎは最小にということですか。承知しました。決闘中は闘技場内の立入は最低人数の職員以外は禁止し人払いの結界を施しておきます。防御結界は最大稼働でよろしいでしょうか? 他にご指示がありましたら即時動けるようにしておきます」


 幾多の疑問を飲み込み、何が起きるのか予測は出来無いが、対策が必要だと納得をしたロイターは、支部から回されてきた書類を差し出し、自分がバックアップで待機する事を伝えた。


「この街にお前がいてくれて助かった」


 詳しくは聞かずとも協力を約束してくれたロイターの気づかいに感謝し頭を下げる。


「あの娘は火種。もしくは既に燃えさかり始めている火元なのかもしれん」


 多くを語れば、それがさらに新たなる火種となりかねない。
 抽象的な事しか言えないことをもどかしく思いつつ、詳細書を受け取ったコオウゼルグが、その巨大な掌で握りつぶすと、紙束は一瞬で炎上し塵1つ残さず消え去っていた。


















 闘技場と隣接した控え室は、東西南北4つの闘技舞台への出入り口側にそれぞれ設けられている。
 控え室と言っても、片隅に申し訳程度にソファーや大きな姿見はあるが、部屋の大半はがらんどうとしており倉庫を思わせるような作りだ。
 通常用出入り口とは別に、外部側と舞台側それぞれに、鉄製の巨大な開き戸が取りつけられている所為もあってか、ますます倉庫のような内観に拍車を掛けている。
これは魔術実験機材の搬入や、訓練や見世物で迷宮モンスターを運び入れたりと、多目的に使われている所為で、倉庫兼控え室といった方が正解だろう。
 頑丈な作りになっているのは、物騒な物が持ち込まれた際の対策として当然の配慮からだ。




「こいつで最後だがラクトどうだ? もう少し締めるか」


 手甲と上腕部を繋ぐ金属糸をより合わせたヒモの長さを工具片手に調整しながら、クマことクレン・マークスは、息子であるラクトへと尋ねる。 


「あぁ……これくらいでいいよ親父」


 少し腕を動かして確認して問題無いと答える、ラクトは戸惑いの顔を覗かせていた。
ラクトが身につけるのは、些か古い様式の金属板をつなぎ合わせたラメラアーマーだ。
 装甲板はそれぞれ金属製のリベットで止められており、少し動くたびにじゃらじゃらと音が鳴るので静音性は皆無だが、全身を覆うフルプレートに比べて関節部の自由なので動きやすさでは勝り、より簡易な鎖帷子よりは防御力に秀でた代物となる。
 

「なんだ。不具合があるなら言え。相手はケイスだぞ。ちょっとした動きのミスで大負けするぞ」


 息子の戸惑った様子に気づいたクレンは作業の手を止めた。
 

「あー、そうじゃなくてこれ良いのか本当に使って?」


 ラクトは己が身につけた鎧を見下ろして、疑わしげな目を向ける。
 何時もならラクトが店の売り物を使って剣の練習をすれば、拳骨の1つ、2つを軽く振ってくる。
 そんな父がラクトの決闘用に用意してくれたのは、些か古いがしっかりとした作りの立派なラメラアーマーだ。
 これでも武器屋の息子。製作した工房名までは判らずとも、これが安い代物で無いのは一目で気づいていた。


「……売りもんじゃねょ。俺の私物だ。気にするな。それよか具合のほうだどうだってんだよ?」


 息子の戸惑い顔の意味に気づいたクレンが、なぜかばつが悪そうに頬の傷跡を掻きながら、露骨に話をそらした。
 父の私物?
 父親が武器商人として、性能が良い武器を多く集めているのは知っているが、あくまでもそれらは売り物。
 武具を集めるようなコレクター癖はなかったはずだ。


「なんだクマ。ちゃんと言ってなかったのかよ。そいつはクマが探索者を志してた頃の代物だぞ」


 疑問が顔に浮き出ていたラクトに向かって答えを返してきたのはクレンではなく、ソファーに座ってボイド達と一緒に面白げにラクトの様子を見ていた、キャラバン長のファンリアだ。
 

「はぁっ!? 親父が探索者志望!?」


「言うなよ親方」


 始めて聞いた話にラクトは目を丸くする一方で、商売の師匠であるファンリアにクレンは苦笑混じりの顔を浮かべる。
  

「どういうことだよ親父。俺が探索者になりたいっていったらやたら反対してるくせに自分は目指してたって?」


「情けない話だから隠してたんだよ。始まりの宮で断念した口なんだよ俺は。俺はこいつですんだが、そん時の仲間がな……」
 

 不審げな声を上げる息子に対して、頬に走る二筋の獣傷を掻いてクレンは言葉を濁す。
 父親のその様子に何が起きたのか、ラクトは察する。
 探索者となる為の最初の試練『始まりの宮』。
 年に二回決められた時期だけに現れる特別迷宮へと挑み、探索者たる資格を得る為の儀式。
 迷宮自体は簡易で、挑んだ者達の平均7割は試練を突破し、初めて探索者を名乗る資格を得ることができる。
 残り3割はといえば……
 不合格者に含まれる者達の中で時間切れで諦めたなら運が良い方だろう。
 試練の途中で運悪く迷宮に喰われた者や、帰還できず行方知らずになった者も少なからずいる。
 ラクトもそれは知識として知っていた。
 だがラクトは知っていただけで判っていない。
 しかしそれもしょうが無いのかもしれない。

 今年は8割も突破したらしい……そいつは期待出来そうなのが多いな。

 二人に一人だけだってよ……不作だな今年の新人共は。
  
 少年達の目に映る吟遊詩人達が爪弾く探索者の物語とは、華々しい活躍をし、劇的な冒険譚を繰り広げる極々少数の一握りの物語。
 その影で泥臭く足掻く多数の探索者達のことなど添え物程度、ましてや探索者ともなれず亡くなった者など、直接の知り合いでもなければ話の端にも昇らないだろう。


「危険だってのは身をもって知ってたから反対なんだが……言って止まるもんじゃねぇってのも判ってるっちゃ、判ってるからな」


 息子の鎧姿に若かった自分を思い出したのか、様々な感情が入り交じった複雑な表情を浮かべている。


「親父……」

 
 何か言いたそうなラクトの呼びかけにに我に返ったのか、クレンは気恥ずかしそうに咳払いをするとその視線をソファーの方のボイド達に移した。 


「それより、どうなんだボイド。相手はケイスだが、うちの倅にも少しは目があるのか?」


 昨日ラクトはここルーファン鍛錬所でボイド達を相手に、魔具の扱いに慣れる為に実戦形式の訓練を行っている。
 現役の探索者の目から見てどうなのかと問いかける。


「勝負は蓋を開けてみなきゃ判らないってクマさんには言いたい所なんだが、相手はケイスだからな……才能は言わずもがなだが、経験って面でもあいつは相当修羅場くぐってやがるぞ」 


 ラクトの決闘相手であるケイスは、戦闘。特に近接戦闘においては天才という言葉でも表現しきれないほどの才を持つ化け物だとボイドは断言できる。
 しかもその天才児は、戦闘マニアというか鍛錬マニアというか、才におぼれるどころか自己鍛錬に余念がない上に、何度か剣を交えたから判るが、あの判断力の速さと機転は積み上げた実戦があってのことだろう。
 
  
「ただラクトも筋が悪くはない。戦闘センスもそうだけど、魔具の扱いやタイミングは初めて使ったにしちゃ上出来だ。ケイスには魔力変換障害って明確な弱点があるから、上手く弱点を付ければ、”決闘”ってことなら主導権を握るのは可能だと思う」
 
 
「ボイドの言う通りだわ。心配すんなクマさん。殺し合いだったら到底かなわないだろうが、限られた条件、場所だったら、ケイス相手でも、そこそこやれる程度にはなってんぞ」    

 ボイドが保証し、その友人で有り同じく現役の探索者であるヴィオンが軽い口調で冗談めかしながら同意してみせる。 
  

「殺し合いって。笑えないぞおい」


 しかしヴィオンの言葉は、鍛錬兼狩りと称して、嬉々としてモンスターをばっさばっさと斬りまくっていたケイスの姿を見ているクレンとしては、不穏すぎるにもほどがある笑えない冗談だ。


「ヴィオン変なこと言うの止めなさいよ。縁起でも無い。ただでさえ、今日はなんか碌な予感してないんだから」


 ヴィオンの横に座っていたセラが血色の悪い顔で、笑っているヴィオンを窘める。
 どうにも今日は夢見が悪く、体調も優れない。
 せっかくカンナビスに戻ったのだから、セラとしてはこんな絶不調な日は家で大人しくしていたい。
 それがどうにも苦手としているケイス絡みとなればなおさらだ。
 だがラクトに稽古を付けた一人として気分的に放っておく訳にもいかず、兄たちにも半ば連れ出される形で、ラクトとケイスの決闘を観戦する羽目にあっていた。


「お嬢の言葉の方が縁起でも無ぇよ。姉貴が気を利かせて火神派神官を手配して、決闘方式は結界破壊にしたんだから大丈夫だろ」


 決闘において決着法式はいくつか存在する。
 それこそ殺し合いから、戦闘不能になるまでやら、武器を落とした方が負けといったもの等々。
 今回ケイスとラクトの決闘において採用されたのは、その中でももっとも危険度が少ないといわれる結界破壊決着方式。
 決闘者両者に、神官が身体を保護する特殊保護結界を施すという物だ。
 結界は一定のダメージの蓄積で解除され、先に解除に至った方が負けとなる。
 鎧などの装甲で攻撃を防げば蓄積ダメージは少なく、非装甲部分に直撃を喰らえば一気にダメージが蓄積するので、不慮の事故の確率は少なくとも、手に汗握る実戦が気楽に楽しめると腕自慢同士の腕試しや、実際の剣と魔術を用いた戦闘を観客に見せる剣譜興業などでも使われている昨今では主流となっている方式だ。
 

「そりゃ判ってるけどさぁ、なんか不安なんだからしょうが無いんだから。立ち会いを頼むのだって無料じゃないのに、下手なハズレ神官に当たったらとかあるでしょ」


「無料とかハズレっておまえな。ちょっとは神職に対して敬意とかもてよ」


 守銭奴というか拝金主義なところがある妹の発言に、ボイドはあきれ顔を浮かべている。


「そうは言ってもあたしらのよく知ってる火神派の神職つったら、博打馬鹿くらいでしょうが。あの馬鹿を見てて、どうやったら敬意を持てっていうのよ」


 賭博闘技場通いが趣味で大穴に掛けてばかりいて大損をこいていた、年上の幼馴染みの一人を思い出してセラはより不機嫌そうに眉を顰める。
 セラから見てお金の無駄遣いをしていたその男が、火神派神官を目指した理由も、とても褒められたものじゃない。
 戦いや決闘を司る神々に仕える火神派神官には、相手の力量を見抜く特殊な能力が授けられるから、これで勝者を見抜けるようになれるという実に巫山戯た理由だ。


「噂じゃ結構真面目にやってるそうだけどな……あくまでも噂なんだが」
  

「まぁ絶対に不良神官街道だからなあの人の場合。と、噂をすれば何とやらだな。来たみたいだぜ」


 どこか納得していないセラの背中を叩いていたヴィオンが、控え室の方へと歩いてくる廊下の足音に気づき、扉の方へと視線を向けると、すぐにどこか堅い調子でノックの音が響いた。


「どうぞ」


「失礼します。本日の立会人を任されました火神派神官のライ…………」


 ノックに答えたクレンの声に次いで、扉を開けて緊張を含んだ神妙な顔で挨拶をしながら入ってきたライだったが室内を見回してボイド達の姿に気づいて固まった。
 それは昔はやんちゃしていた不良が、世間に出てすっかり丸くなってしまった姿をみられた気恥ずかしさにも似た気持ちといえば良いだろうか。
  

「「「ハズレだ」」」 
 

 幼馴染み達の心は申し合わせたかのように一斉に染まり、重い重いため息をはき出す。
 ライ・ロイシュタル。
 セラから見て4つ上に当たる件の元博打馬鹿の登場に、嫌な予感はこれだったかとセラは額を押さえていた。


「おまえら久しぶりに会って、最初の台詞がそれかよ」


 過去の所行や、神官を目指した最初の動機を考えれば、後輩共の評価は致し方ないと我ながら思いつつも、いきなりのハズレ認定にライはこめかみをひくつかせていた。



[22387] 剣士と薬師
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/07/18 23:49
 ルールや武具の確認、決闘を止める事が出来る見届け人の認定。
 決闘における事前説明や、規定のチェックを一通り終えたライは、同じ作業を行う為に次は西側の控え室に向かっていた。
 しかし床を蹴る足音は苛立つ心を表すかのように甲高く、その顔は先ほどまでの緊張から一変、この上なく憮然としたものになっている。
 不機嫌の原因は、できるならば屑籠に放り込んで焼却処分したい、自らの過去の行いやら発言を事細かに知っている幼馴染み兼幼年学校時代の探検部後輩に当たるボイド達だ。


「現役連中が揃って何やってんだ。始まりの宮が終わったばかりなら迷宮に潜れよ」 


 探索者となる為の迷宮が出現する年二回の『始まりの宮』は、同時に大陸全土の迷宮内にモンスター達が異常増殖し、彼らの活動により内部構造が著しく変化する改変期にもなる。
 この時期は安易な初級迷宮以外は、原則立入不能となるので探索者達にとってはオフシーズンとなり、装備一新、武具整備、新技術習得など、迷宮が開放される来期に向けて、準備を勧めるのが常だ。
 始まりの宮が終わって、迷宮開放期となれば、新規迷宮発生や新種モンスター、新たな天恵アイテムの出現など、内部構造が変わった為に情報不足で危険度は高いが、探索者達にとっては一攫千金の大きなチャンスが巡ってくる。
 積極的に迷宮に挑めと、私怨混じりではあるがライは苦言めいた言葉を口にする。
  

「情報がある程度揃ってからって方針なんだよ俺らは。それに三日前までラズファンからカンナビスまでの護衛仕事してたっての。それよりライさんも戻ってきてるなら、一言あっても良いだろうが水くせぇな」


 だがパーティリーダーとして責任を持つボイドとしては、開放されたばかりの迷宮に挑む典型的なハイリスク、ハイリターンよりは、内部情報を手に入れ対策をして挑む安定性を求める方が性に合う。
 ライの台詞をやんわりと受け流して、薄情な兄貴分へ逆に切り込んでいった。


「そうそう。姉貴にでも言ってくれれば、俺らが街にいなくても連絡がつくんだからよ。昔みたいに、すったから貸してくれって気軽によ」


「うっせぇヴィオン。賭博はもうやってねぇよ。慣れるまで仕事っぷりを見せたくねぇから、スオリーも上手く避けてたのになんでお前らがいるんだよ」 


「どうせろくでなし神官なんだから、今更取り繕ったって変わらない癖に。それにあたし達はこれも仕事よ。ラクトの稽古相手」


「ぐっ! てめぇセラ! 今は真面目にやってんだよ! 仕事って言うならあっちの控え室で大人しく待ってろ。付いてくんな」


 似合わないすまし顔で仕事をする様みてあとで笑い話にでもする気かと、これ以上弱みを握られたくないライは手で追い払う仕草を見せるが、


「へー良いんだ。一応これでも最低限の幼馴染みの情けでライに気を使ってやってるつもりなんだけど。初仕事が大変でなんて不憫なんだろうって」


セラご愁傷様とからかいの成分を有り有りと含んだ目を向けた。


「あ? あの年ぐらいの決闘者なら火神派が立ち会ったのじゃ数は少なくても珍しいってほどじゃないぞ」


 先ほどまで面談していたラクトという少年の武装には確かに驚かされた。
 カンナビスで手に入る吊し売りのなかでは最高クラスの魔具を多数抱え、サブウェポンとして所持するのは出所不明だが高度な技術が使われている闘気剣。


「情報が入ってきてないから対戦相手の方もまだ判らんが、アレじゃ相手側が結構苦戦するだろうよ」


 かといってライの見立てでは、武器の性能に頼っただけの金持ちの道楽息子というわけでは無さそうだ。
 まだ慣れていないような雰囲気は感じるが、それなりには”使える”事が出来そうだという予感を抱いていた。


「苦戦……ね。初めて私、あの子に期待してきたわ。ライが苦労するする姿が浮かんで見えてきた。いやぁ不純な動機で神官を志した因果応報って奴ね」 


「おい、なんだその嫌な笑いは。ボイドどういう事だ?」


「どうつってもな。質問はまずは実物を見てからにしてくれ。あいつに関しちゃ話して聞かせても嘘くさいし」


 意地の悪い笑顔でにんやりと笑うセラと、肩をすくめるボイド。
 幼馴染み兄妹が見せる別々の反応にライは激烈に嫌な予感を覚えていた。
 






  





「ケイスだ。今日はよろしく頼むぞ神官殿。髪をまとめて貰っている最中だったので不作法は許して頂きたい」


 西側の控え室に入ったライは本日の決闘者の片割れである化け物の洗礼を、早速頭から浴びせかけられ、激しいギャップに戸惑っていた。
 見た目だけなら10代前半。
 姿見の前に置かれた椅子の上に腰掛けたその姿は、未だ幼いながらも、近い将来の類い希なる美貌を感じさせた。
 普段ならつり目と言われる目付きは凛々しく、その愛らしく整った顔立ちは、雑踏の中にあっても人目を引く事だろう。
 濡れたような艶を持つ長い黒髪を、ルディアの手によって丁寧に結い上げて貰っている所為か、その幼い美貌はますます磨かれ、最高級人形めいた輝きすら放っていた。
 首から上を見るなら、今から舞踏会に出る王侯貴族のご令嬢といったところか……だが首から下はケイス本来の姿だ。
 傷1つ無い真新しいハーフリング用の小型軽鎧は、金属パーツが極力使われておらず、強度的には少しばかり劣るが頑丈な皮が主素材となっている。
 斥候が使うタイプで、防御力よりも敏捷性、静音性を意図した作り。見た目に華美という文字の欠片もない無骨な実戦的な鎧だ。
 胸や腰部分には投擲用ナイフホルダーがいくつも設置されており、改造型投擲ナイフがぶら下がっていた。
 止めとばかりに、椅子の脇にはケイスの背と同じくらいのバスタードソードが鎮座する。
 こちらもあまりすり減っていない柄を見ればまだ下ろしたてのようだが、刀身からは濃厚な血や獣の匂いを漂わせおり、かなりの獲物を斬った事を感じさせる。
 顔の見た目だけなら幼き貴族令嬢で、血なまぐさい剣や、無骨な鎧姿とは対極にあるはずの存在。
 それなのに。
 そのはずなのに。
 無邪気な笑顔で威圧感を覚えるほどの闘志をちょろちょろ覗かせているケイスは、その物騒な装備と血なまぐさい香りがしっくりと似合っているようにライには感じられた。
 

「…………」


 ケイスを一目見た瞬間からライは言葉が出てこなかった。
 部屋中に散漫した死臭、獣臭に息苦しさを覚えるような威圧感。
 まるで戦場のような気配に圧倒されていたといって良いだろう。
  

「ふむ。神官殿は初めての立ち会いとのことだな。緊張なさるな」


 言葉を無くしている様子に、初仕事だというライが緊張していると思ったのだろう。
 あまり他者を気にしないケイスにしては極々珍しい事にライに対する気づかいらしき物をみせる。
 

「初めて立ち会うのが私の決闘とは実に貴方は運が良いぞ。神官殿が存分に誇り語れる戦いとなるだろう」


 もっともその言葉は、自分の決闘は素晴らしい物になるから立ち会えたことを誇りに思えという、自信家という言葉が生ぬるく感じるケイスらしいと言えば、この上ないほどにらしい言葉だ。
 相手が年上だろうが、神職だろうがいつも通りというか、平常運転というか、やたらと偉そうにケイスは頷いていた。


「せ、精一杯勤めさせて頂きます……ちょっと失礼します。確認をする事がありますので」


あまりに傲岸不遜な言葉と、その外見のギャップの激しさが新しい衝撃となったのか。
 ライは何とか気を取り直して言葉を紡いだが、すぐに顔を青ざめさせケイスに一言断ってから、隠そうともしない同情の瞳を浮かべている幼馴染み一団へと足早で近づいた。


「ボイド!? なんだこの怪物は!?」
   

 ライは声を潜めながら、怒鳴るという器用な真似をしながら説明しろと問い詰める。
火神派神官は決闘者の力量を感覚で感じる事が出来る。
 上級神官であれば事細かに強さを見抜く事が出来るが、新米神官であるライには、それがどれだけ強く危険かを漠然と感じる程度の感覚しか無い。
 だがその拙い感覚でも、目の前にいる純情無垢で可憐な顔を見せる幼い少女が、牙を研ぎ澄まし臨戦態勢に入っている獰猛な化け物だと声高に伝える。
 下手をすれば、ちょっとした弾みでその刃をこちらに向け、命すら取りに来る危険生物だと、激しく警鐘を鳴らしてくるくらいだ。


「やっぱ火神派神官から見るとそう見えるのか。感じたままの奴だって。実力も相当アレだが、危険度はたぶん今カンナビスで一番厄介な奴だ」


 ここ数週間でケイスに慣れていた一行にはケイスの危険度など今更な話だが、初見でも外見に惑わされず判る人間には判るんだなとボイドは暢気に答える。


「さっきのガキ止めてこい。こんなの相手にしてたら命いくつあっても足りないぞ!?」


「言わんとする所も判らなくはないけど敵認定されなきゃ一応大丈夫だ。しかも懐が深いっていうか結構大らかだぞ。自分を食おうって襲ってきたモンスターも、ラクトの稽古の相手を勤めたら無事に解放してやってたからな」


「んだそりゃ!?」


 意味が判らず説明を求めたはずなのに、ボイドから返ってきたのは、さらにライが意味不明になる答えともいえない答えだった。








「ふむ。火神派神官殿に立ち会ってもらえるとは私も運が良いな。なぁルディ」


 頭を掻きむしるライを尻目に、その化け物ケイスは後ろを振り返り、髪を結ってくれているルディアに上機嫌でニコニコした笑顔を見せる。
 ケイスのお気に入りのお伽噺や英雄譚には、火神派神官が立ち会った決闘の話も豊富にある。
 自分達の決闘に立ち会ってもらえるのはこの上ない名誉であり、しかもライが立会人を初めて勤めるというのならば、自らの責任も重大だと、その気迫は輪を掛けて増大していた。 


「後ろ向かない。乱れるでしょ。あんたの注文は細かいんだから大人しくしてなさいよ」


 ケイスたっての希望で髪を結っているルディアは、その頭をむんずりと掴んで、前に向けさせた。
 普段なら無造作に縛って顔に掛からなければ良いと言うくらい無頓着な癖に、決闘だからとちゃんとしたいと指定された、やたらと細かい編み込みに悪戦苦闘させられていた。
 細かな絹糸のような黒檀色の髪を一筋とって絡めまとめ、それを数束作って、さらにまとめて編み込みながら縛って飾りを付けて形作ってと。


「あぁ、ずれた。このまま行くわよ。本職じゃないんだから我慢しなさいよ。これで精一杯なんだから。それにあんたお金あるんだったらプロに頼みなさいよ」


 ケイスが指定した髪型は、10年ほど前に流行った今では些か古くなった舞台様式舞台で栄えるように考えられた髪型。
 縛り方ひとつとっても手順が複雑で、本来はプロの理容師が数人掛かりでやるような面倒な物だ。
 時間もあまりない上に、本職ではないルディアの腕もあって、かなり簡素になって当初の要望からは相当に外れている。


「そうか? 私は十分満足だ。ルディに髪を結ってもらうのは気持ちいいから好きだぞ。それに信用できない奴に髪を触らせるのは嫌だからな。今は気持ちも高ぶっているから、変なことをされたら斬り殺すぞ」


 だがケイス的には十分に合格点なのだろう。
 髪を見ながらケイスは、殺すという単語に目をつむれば思わず見惚れるような笑顔を全力剛速球でルディアに無造作に投げつける。
同性であり年上、その上にケイスの化け物本性を知っているルディアですらも、少しばかりくらっと来る笑顔は凶器その物。
 気を持って行かれそうになって、ルディアは頭を振って気を取り直す。


「あんたね……結局は隠れるんだからいつも通りで良いでしょうが」


 ケイスが身につける鎧とセットとなった兜はフルフェイスタイプ。
 髪どころか、その顔すら覆い隠すのに、そこまで気合いを入れなくても良いだろう思いつつも、付き合ってしまうのがルディアの生来の人の良さと面倒見の良さといえるだろう。


「無駄ではないぞ。勝ち名乗りを上げるときは兜は取るからな。ならば絶対必要ではないか。ルディに結ってもらった髪型は勝ちどきを上げるときにもっとも栄えるからな。楽しみにしていろ」


 ルディアのため息に、将来には直接的にも間接的にも傾国しかねない美少女風化け物は、肌がびりびりするような押さえきれない闘志を漏らしながら、早々と勝利宣言とも取れる答えを返す。
 

「それにしてもケイスやたら気合い入ってるな。調子も良さそうだな」


 普段の妖精や人形めいた愛らしさは3割増しで、猛獣めいた物騒な気配は倍プッシュで天井知らずに高まっている様に、ヴィオンが感心気に声をかける。


「当然だ。私のもてる限りの力を尽くさなければラクトもそうだが、せっかく立ち会っていただく神官殿にも失礼にあたるからな。今朝も少しだけど鍛錬で街の外で狩ってきたから絶好調だ」  


「また狩りにいってたのあんた? 決闘当日だってのに」 


 まだ早朝と言っても間違っていない時間だというのに、既に狩りをしてきたという発言にセラは完全にあきれ顔だ。
 食べる物さえあれば無尽蔵な体力を持っているといっても過言ではないケイスとはいえ、さすがに元気が良すぎる。
 
 
「うむ。私は剣士だからな。斬れば斬るほど調子が上向くからな。昨日、今朝とずいぶん斬ったから祝勝会用の肉も確保したぞ。今スオリーに倉庫に運んでもらっているからあとで存分に食べてくれ」


「あー……どこ行ったかと思えば、お姉ちゃんそれでいないのね」


 この怪物の監視役を引き受けていたはずのスオリーの姿が見えなかった事に、ケイスの発言を半ばスルーしながらセラは得心する。 


「姉貴お人好しだからな。ルディア。悪いあとで胃薬、売ってくれ」


「もう多めに渡してますから大丈夫です。胃荒れを防ぐ薬と一緒に」


 口を開けば物騒な事しか言わず、しかも実際に実行するケイスを間近で見続ける羽目になったスオリーの胃は限界に近いだろうと、誰もが予期し同情を覚えるが、同時に自分がその役目にならなくて良かったと思うのは致し方ないだろう。


「おい。さっきからおかしな発言しか出てないぞ!?」


 一方今からその化け物が主役を張る決闘を取り仕切るライからすれば、聞き洩れてくるケイスの発する発言や気迫は、安心出来るような要素は皆無。
 初仕事への不安が募るだけだ。


「平常運転。むしろ今は喋ってるだけだから大人しい方だな。それよりライさん。とっとと仕事を進めた方が良いだろ。武装の確認とか決闘者側の見届け人認定とかいろいろあるだろ」 


 どうせケイスの所為で、まともに仕事にならないだろうという予測は大当たり。
 こうなるだろうと思って、付いてきて良かったと思いつつも、ボイドはライの意識を無理矢理仕事へと向けさせた。


















「決闘におけるルールは以上です。わ、私が今確認した以外の武器は持ち込み禁止となります。よろしいですね……・な、何か確認なさいたい事はございますか?」


 一通りの確認と使用武具の確認を終え、ケイスに聞いたライだったが、その本心を正直に言えば、『こっちが聞きたい事だらけだ!』といった所だ。

 メイン武器は自分の背丈ほどもある長大なバスタードソード。

 身体のあちこちに付けられたホルダーに掛かるのは、原型からかけ離れた改造を施しているワイヤー内蔵型投擲ナイフ。

 本来の利き手である右手は今現在は折れていて、”もう少し”で治るがまだ拳を握ることも出来ず包帯塗れ。
   
 極めつけは、生まれつきの魔力変換障害で魔術を使えない所か、魔術に対する耐性が皆無という申告。

 背丈には不釣り合いなメインウェポンである大剣は言うまでも無く接近戦用。
 魔術を使えず、防御も出来無いのに、決闘相手は遠距離用の魔具も揃えている。
 一応対魔術戦も考えているようだが、その対応策は話を聞いただけでも、扱いが困難すぎる投擲ナイフときていた。    
 そんな状況の決闘となれば、常識で考えれば剣が振るえる距離に近づく前に、魔術の網に捉えられてお終いだ。
 だが目の前の常識外で既知外な化け物が負ける姿の想像もライにはつかない。
 昔なら大穴と面白がって賭けたかも知れないが、決闘に立ち会う当事者としては、諸手を挙げて勘弁してくれと降参したいほどに訳の判らない状況だ。


「うむ。決闘作法や決まりは理解した。問題無い何時でも戦えるぞ。早く剣を振りたくてウズウズしているくらいだ」


 困惑し引きつった顔のライに、ケイスは無邪気で獰猛な笑顔で返す。
 幼いながらも誰もが魅了されるその美貌だが、同時に待ちきれないからお前を試しに斬って良いかという、人斬りめいた発言が出て来てもおかしくない。


「で、ではこれが最後となります。今回の決闘においては勝敗の采配基準となる結界破壊を見て私が下しますが、両者が納得なされない場合は延長戦が行われます。その場合は決闘者は結界無しでの戦いとなります」


「うむ。本来の決闘方式だな。殺すか殺されるかの。私はその方がシンプルで好きだが、ラクトを殺すのはクマに悪いし忍びないからな。長引かせる気は無いぞ」


「シンプル……殺してしまうことで禍根を残すような結果をなるべく防ぐ為にも、決闘を止める事が出来る権利を持つ見届け人を一人選んでいただきます」


 知らない人間なら決闘で殺す事に対して罪悪感など無いと言いたげなその目に心臓が早鐘のように高鳴り、緊張感よりも緊迫感に近くなってきた事を感じつつ、ライは早く終わらせようと最後の取り決めを問いかける。


「無論止めた方の負けとなります。ですから、この人物が止めたなら仕方ないと、貴方が納得の出来る方、信頼感で結ばれた方を選んでください。火神派神官である私が神に問うて、神が資格ありと見なした場合は、その方の右手に認定印が浮かびます。もし見届け人を任せられるかたが居られない場合は、私が勤めさせていただきます」


 下手に止めようとしたら殺されるのでは無いかという予感をひしひしと感じつつも、ライは説明を終える。


「見届け人か……ラクトは誰にしたのだ?」


「対戦相手であるラクトさんは父親であるクレンさんを選ばれ、神にも資格ありと認められました」


「うむ。そうか。ラクトの奴やはりなんだかんだ言いつつも、クマを信用しているのだな」


 ライの答えにケイスは我が事のように喜色満面の笑みを浮かべる。
 それでこそ自分の対戦相手としてふさわしいと、至極ご満悦だ。


「では私は見届け人はルディに頼む」


 ひとしきり頷いたあとにケイスは悩む素振りを見せずあっさりとルディアを指さして選択する。
 自信満々のその顔は、ルディアなら断るはずがないと確信したものだ。
 今部屋にいる面子はライを除けば、ボイド、セラ、ヴィオンとそしてルディア。
 ケイスと出会ったのは同じ日でそう長い付き合いでもないが、同室で過ごし色々と面倒を見ていたルディアが、ケイスに一番近いといえば近い。
 だからケイスの選択にボイド達は納得し、自分で無くて良かったと胸をなで下ろしていた。
   

「……あんたね。もう少しよく考えなさいよ」


 だが指名されたルディアは戸惑いの色を強く込め否定的な言葉を返していた。








 


「ん? 考えたぞ。ルディが止めたなら私は負けを認めよう。しかし私が負けるはずがないからな。だからルディは安心して見ていれば良い」


 再考を促してもケイスが返すのは満面の笑みだ。


「そういう意味じゃなくて……」   


 どこまでも勝ち気なケイスに対してルディアは僅かに顔を背ける。
 その無条件ともいえるケイスの信頼しきった眼差しに、ルディアは感じ無くても良い罪悪勘を感じてしまう。 
 確かにケイスは自分を信頼してくれている。
 それはここ数週間の短い付き合いでもよく判る。
 サンドワームの攻撃から命を救ってくれた感謝もあり、利き腕を怪我をして不自由そうなので、ケイスの面倒を見ていたが、ここまでの信頼を寄せてもらう心当たりはルディアには無い。
 元々良くも悪くも大胆すぎる性格で人見知りなどしない所為だろうか?
だが、自分がケイスを心から信頼しているかと問われたら、ルディアには即答できない。
 ケイスの常人離れした能力や、常識外の思考をどうしても警戒してしまう事もあるが、何よりもその過去が見えないのが、ケイスに対する拭いきれない不信感を抱かせていた。

 誓いを立てているから家名を名乗れないと、明らかに偽名もしくは愛称であろう名『ケイス』を名乗る。 

 常識外の剣技と人間離れした肉体能力。

 子供でも知っている一般常識を知らないのに、なにげに高度な魔術知識や、先ほど編んだ髪型のような限定的な知識を持ち合わせる。

 こうまで来ればケイスが抱える生い立ちが普通ではないのなんて、馬鹿でも判る。
 自分を一介の薬師と見なすルディアは、ケイスにこれ以上深入りするのは、止めておくべきだ。
 カンナビスまでの付き合いだと割り切っている。
 もし、このままケイスに関われれば、自分の人生は全く別の物にねじ曲げられる。
 そんな確信さえも抱いていた。
 無論ケイスには感謝しているし、生来の性格とはいえつい見かねて面倒を見てきた。
 だからこのまま距離感を保ちつつ、別れられればベストだと思っていた。
 

「あんた口で言っても納得しないでしょ。すみません。判定してもらえますか……あたしに資格があるか」


 この強情で単純な少女に、自分の複雑な心境を説明しても納得しないだろうか?
 それともかなり変わっているくせに、妙な所で純粋というか子供らしい部分もあるから、自分が信頼されていないと聞けば泣いてしまうだろうか?
 ケイスの反応がどちらに転ぶか判らない自分は、ケイスの信頼に応えられるほどの、信頼を寄せていない。
 この剣に命を賭けているといっても間違いではない少女の決闘を止める権利など自分にあるはずが無いと、ため息混じりにルディアは、ライに向けて手を差し出す。 


「か、彼女でよろしいですか?」


「うむ。構わん。私はルディが良いからな」


 気怠そうでどこか重いルディアの雰囲気にボイド達はつい口をつぐみ、ライも躊躇した表情で確認をするが、究極的に空気を読む気のないケイスは笑顔で頷く。
 

「で、では失礼します………………」


ルディアの右手を取ると、その手の甲に人差し指と中指をたて剣指をあてる。
 神への祈りを唱え神術を発動させたライが、手の甲をなぞっていくと剣指が通ったあとに、火神派低級眷属神の印が淡い光を放ち浮かび上がっていく。
 10秒ほどかけてゆっくりと印を描ききったライが、ルディアの手から剣指を離した。
 このまま印の光が定着すれば、ルディアにはケイスの決闘を見届ける資格ありと判定されるが…………光はすぐに霧散して消え去ってしまった。
 やっぱりか。
 この答えを確信していたルディアは、意味が判っていないのか何故か笑顔のままのケイスに顔を向ける。
 ケイスにとっては残酷な一言を告げる為に。 


「見ての通りよ。信頼してくれるあんたには悪いけど……私はあんたの大切な物を決定できるほど信頼してないのよ」


 怒るだろうか?
 泣くだろうか?
 不安を抱きながら告げたルディアの言葉を、


「むぅ。ルディは私を馬鹿にする気か? ルディが私を信頼してくれていないことは、知っているぞ。だがそれがどうしたというのだ?」


 常識外の化け物は不機嫌そうに唸ると、あっさりと知っていたと肯定し、何か問題があるのかと首をかしげていた。












「「「「「…………」」」」」


 予想外の本当に予想外の答えに誰もが声を無くす。
 お前を信頼していないとはっきり告げられたのに、神すら相互信頼が無いと認めたのに、理解していないのだろうかこの馬鹿は?
 ケイスを除いた全員の心情は一致するが、当の本人はルディアにやって貰う、いや、やらせる気満々だ。


「印は無くとも私が勝つのだから問題は無かろう。ルディ。見届け人を頼むぞ」


 どうするんだよこれ?
 全員の目がライに向かうが、ライだって予想外過ぎてどうしようも無い。
 しかしこの場合ケイスを説得するのは、自分の役目だと、何とか神官としての矜持で折れそうな心をつなぎ止める。
 
 
「ケ、ケイスさん。こちらの方には見届け人としての資格はないのですが」


「決闘者は私だぞ。私が良いといっているのだ。問題は無い」


「いえ、そ、そういう事では無く火神派の神が認めない以上は資格がありませんので」


「神がどうしたというのだ? 私が決めたのだぞ。それが絶対だ」


 これが意地を張っているならまだ救いはある。
 だがケイスの放つ言葉は威風堂々とした物で、一切の躊躇も迷いも無い。
 神の意志なぞ知るかと、ケイスは平然と言い放つ。


「だ、だから認められない以上、決闘は出来無いっていってんだろうが!」


 もはや取り繕う仮面を使い果たしたライは思わず声を荒げるが、


「なら神官殿。その神を呼び出してくれ。私の決闘を邪魔するというなら斬ってやろう。うむ。よい準備運動だ」

  
「ちょっ!? ボイド!? 交代してくれ!?」


「仕方ねぇな……ケイス。お前、ルディアに信頼されてないからって、やけになったってわけじゃ無いんだろ?」


 もう白旗を揚げるしか無いライの救援要請は、己の精神衛生上、無視したかったがそうもいかずボイドは何とか後を引き継ぐ。
    

「当然だ。ルディが私を信頼してくれないのは残念だが、知っていたからな。やけになる必要があるか」


 ケイスは堂々と胸を反らしやたら偉そうに頷き次いで剣を天に向かって構える。


「そして私は邪魔する者は全て斬ると決めているからな。特に神々は私の邪魔ばかりしてくれるからな。今は忙しいから見逃しているが、出会ったら斬ってやろうと思っていたのだ。良い機会だ。重ねて頼むが神官殿。申し訳ないが私の決闘を邪魔してくれる神を呼んでくれるか」


 底抜けの馬鹿は、神官相手に真正面から喧嘩を叩きつける傲岸不遜な台詞を宣った後に、自分の考えが名案だとばかりに笑ってみせる。
 本気だ。この馬鹿は本気だと、誰もが納得できる獰猛で猛々しい戦闘狂な笑顔だ。
 

「……悪いルディア。パス1だ」


 自分の手には余ると、ボイドも早々と無条件敗北を決め込み、この混乱した状況の間違っても原因では無いが、切っ掛けではあるルディアに丸投げした。


「この状況で投げられましても…………あんた。私が信頼していないの気づいていたって、いつからよ?」 


「最初からだ。ルディは北方出身であろう。あちらの出身者は信頼していない者の名を呼ばない習慣があるそうだな。ルディは何時も私を呼ぶときはあんたとかあの子とかで、一度もケイスと名を呼んでくれたことは無いではないか。今もそうだろ。気づくなと言う方が無理があるぞ」


 ルディアの疑問に、ケイスは常識であろうと当然のように答える。


「えっ…………あ、あれ!? 言われてみれば呼んでるとこ見たこと無かった……よ……うな!? 兄貴やヴィオンは!?」


 記憶を探ってみたセラが何度思い返しても、ルディアがケイスを名前で呼んだ記憶に無い事に気づき驚きの声を上げ、同じくらいにルディアと付き合いのある二人に確認する。
 自分が居ない時には呼んでいたのでは無いかと思ったセラの問いかけに、


「そういや……何時も上手いこと言い回してたな。何かにつけてケイスのインパクトが強すぎて気づかなかったのかもな」


「あー……俺も聞いた覚えないわ。今の話マジか。ルディア?」 


 二人もしばし考えてから、確かにケイスの言う通りだと気づき驚いている。


「え、えぇ、確かにそうなんですけど……」


 確かにケイスが言う通り、ルディアの出身地ではそんな古い習慣があり、ルディアも普段はあまり意識していないが、かなり低いハードルではあるが、ある程度までは名で呼ばないという
無意識で使い分けていた。
 しかし地元の人間くらいしか知らないマイナーな習慣をなんで知っているんだと、ルディアは思わず唖然とする。


「うむ。全員納得したな。だがルディが信用してくれていないからといって、見届け人の資格がいないという事は無い。私がルディが良いんだ。だからルディが見届け人だ」


 どこまでも自分勝手な台詞を貫くケイスは、改めてルディアが見届け人だと宣言をした。
 その力強さはもはや決定事項だと言わんばかりだ。


「あ、あんたねぇ。信頼してないってはっきり言ってるあたしに、なんでそこまで見届け人をやらせたがるのよ。そもそもそこまで信頼される記憶が無いわよ。あんたの面倒を見てたのだって、怪我してたから見過ごせないからなんだし」


 もはや理解できないという段階を、とうの昔に通り過ぎて。同じ言語を話しているはずなのに別世界の人間と話しているようだ。


「ん? ルディを好きなのも、信頼する理由も同じだ。私が剣士だからだ」


 困惑と戸惑いと諦めの境地に達しかけていたルディアに、ケイスは笑ってみせる。


「いや、だから……それがなんなのよ」


 しかし返ってきた答えは、あいも変わらず意味不明だ。
 なんで剣士ならルディアを信頼する?
 自分が同じ剣士や剣を打つ鍛冶なら理解もできようが、薬師である自分に剣士であるケイスが何を信頼し、好きになるというのだ。
 そんなルディアに対してケイスは満面の笑みを向けた。








「なんだ。忘れたのか? サンドワームと戦っている私に、ルディは己の危険も顧みず羽の剣を届けようとしてくれたではないか。剣士である私が戦えるように、勝てるようにと」


 何故自分の思いが、常識が、誰にも理解してもらえないか、ケイスには判らない。
 だが同意されなくても、理解してもらえずとも、寂しくは感じてもケイスには関係ない。
 何時だって一番大切なのは自分の思い。
 自分がそう思うからそうなる。
 自分が好きだから、相手に嫌われていようとも、その人を好きでいる。
 自分が信頼しているから、信頼されていなくても、その人の決定を信頼する。


「あの時はこいつの先代が私の剣だったから使わなかったが、ルディのみならず他の者達も私に剣を届けようとしてくれた事実は変わらないではないか」


 自分は剣士である。
 ならば剣を届けようとしてくれたルディアの思いは、何よりも自分には尊く心地よい行い。
 だから何があろうとも。
 名前を呼んでくれなくとも。
 信頼していないと告げられようとも。
 剣を運んでくれたルディアを信頼する気持ちに些かの曇りも無い。


「だから私はルディを好きだし、信頼するんだ」


 自分にとっては単純明快、この上も無いシンプルな理由を、ケイスは高らかに謳ってみせた。



[22387] 剣士と決闘
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/07/25 02:18
『大事になるのは、何時ものことと言えば何時ものことだが……あのバカだけは』


 ぼやきのあとに聞こえてきたのは重く長いため息。
 足元に展開させた魔法陣越しの通信で相手の顔などスオリーには見えないが、頭痛を堪え疲れ切った表情を浮かべている様が鮮やかに浮かんで見える。
 おそらく今の自分も他人から見れば同じような表情だろうと、スオリー・セントスは心労できりきり痛む胃痛を我慢しながら思う。
 狩った獲物をファンリア商隊の借り受けている倉庫に置いて来るという名目で最重要監視対象であるケイスから、一度離れたスオリーは、報告の為に自らの翼に魔力を通して空に上がっていた。


『しかし定時報告が無いから、何があったかと思えば……よりにもよってコオウの爺さまか。直接接触は無かったんだな?』


「はい。姿を隠してこちらを観察していただけです。ですが私に気づかせたという事は、こちらの正体に気づいている可能性は高いと思われます」


 管理協会受付嬢以外にも諜報員としての顔を持つスオリーの正体に、コオウゼルグは気づいたのかも知れない。
 ケイスだけでも精神的に超えていけないラインを易々限界突破してくるのに、上級探索者であるコオウゼルグの監視は、常時首元に刃を突きつけられているようなプレッシャーにはたまりかねるものがあった。


『コオウの爺さまはお袋の元仲間。ケイネリアの正体は半分ばれたな……最悪の一歩手前か』


 上司の声には苦々しい響きが混じる。 
 隠し通そうとしている秘密が、薄紙のようにあっさりと破られていく状況は、気が気ではないのだろう。


「こちらから接触して確認と、口止めをお願いしますか?」


 母方の血はまだ言い訳はつくが、ケイスの父方の血縁だけは絶対に表沙汰にできない。
 南方の大帝国ルクセライゼン現皇帝フィリオネス唯一の庶子という事実は、扱いを1つ間違えればルクセライゼン全土を戦乱の渦に叩き込む爆弾となろう。
 

『……デリケートな問題だってのは気づいてるだろ。軽々しく他人に話すような御仁じゃねぇ。必要があれば向こうから接触してくるはずだ。そのまま監視と報告だけ頼む』


 触らぬ神にたたり無し。
 下手に動けばそれが新たなリスクとなりかねない現状で、唯一の救いはコオウゼルグが信頼できる人物ということだけだ。


「あの方への対応は?」


『そっちも現状維持だ……子供相手だから大丈夫だと思いたいが、万が一だ。もしあいつが心臓を使うような状況になったら、それからの行動はお前の判断に任せる。何が何でも秘匿しろ』


 従来の闘気変換に用いる丹田以外に、心臓を用いた闘気二重変換はケイスの化け物じみた力を支える切り札。
 しかし心臓を使えば、その漏れ出る気配から判るものには判ってしまう。
 ケイスが何者かと。


「……探索者としての力も使えと?」


 言外の答えを明確に自覚しながらも、あえてスオリーも確認する。
 探索者としてのスオリーの得意分野は、長距離秘匿通信や姿を隠す隠形術、記憶操作魔術など、どちらかといえば非合法分野で活躍できる魔術が中心。
 これはスオリーの才能がそちら方面にあったという事もあるが、それ以上にスオリーが幼少時から草として見いだされ選抜されたからに他ならない。
 カンナビスを中心とした諜報網の要はスオリーであり、他の草とはその重要度が一段上となる。
 スオリーが抜ければ、後継者の育っていない現状からでは少なくとも10年は情報収集に不備が生じるだろう。
 それは上役もよく承知している。
 それでも選択するだけの必要性がある。
 

『最悪はな。あいつが龍だって事がばれるよりも遥かにマシだ』


 大国ルクセライゼンにおいて、もっとも秘匿されるべき秘密。 
 その正体が露見すれば、ケイスの身を狙い世界的な争いが起こるであろう秘密。
 それが彼ら草がケイスを密かに監視し、ケイスに関する情報操作を行う理由。  
 遥か太古の祖の血を色濃く蘇らせたケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンは、姿形は人であり、本質は龍である。


「承知致しました」


 迷いも困惑も無くスオリーは覚悟を決め返事を返す。
 腹が決まった所為か、いつの間にやら胃の痛みは消えていた。
 
 



















 報告を終えたスオリーがその自前の翼を使い、ケイスとラクトの決闘が行われるルーファン商業街区鍛錬所前の噴水広場に降り立った。
 報告することが多く思ったより時間は掛かってしまったが、もう始まっていないだろうかと噴水に設置された大時計を見ると、決闘開始予定時刻の8時まではあと5分ほど残されていた。
 破天荒にもほどがある癖に、妙なところで真面目というか堅いところがあるケイスのことだ。
 決闘時間はきっかり守っているはずだ。
 一安心して息を吐いたスオリーは顔見知りが、鍛錬所入り口に座り込んでいることに気づく。
 その人物はスオリーも見たことが無い魔具をいくつも懐から出して、鍛錬所の入り口やその奥に見える闘技場の屋根を観測していた。


「ウォーギンさん?」


 早朝で人通りがほとんど無いのであまり注目はされていないが、奇行以外の何物でも無い行動をしているのはケイスが縁で数日前に知り合ったばかりの魔導技師のウォーギン・ザナドールだ。


「よう。スオリーの姉ちゃんか。あんたも遅いな」


 ウォーギンはスオリーの声に気づき振り返ると、あくび混じりで挨拶をする。
 ここ数日は禄に寝ていないのか目の下にはクマが色濃く出ており、無精髭が顎を濃く覆っていた。
 ケイスに依頼された改良やら古巣の工房からの依頼と忙しかったのだろう。
 両方とも相当困難なはずの仕事だが、既に昨夜のうちには両方とも終わらせて納品しているというのだから、やはりこの技師も天才というカテゴリーに属している人物。
 

「どうしたんですか。中に入らないんですか?」


 しかしここ数日でスオリーが出会った2人の天才は、どちらも奇行が多いとなると、アレと天才は紙一重という言葉を思い出さずにはいられない。


「いやなんかな。入ろうと思ったら、どうも中に結界が張ってあるみたいなんで、気になって、ちょっと調べてみたら火神派人払い結界だ。あの神派の人払い結界が稼働しているのは珍しいんで記録観察していた」


「……よく気づきましたね」


 目をこらして気配を探ったスオリーは、ようやく気づけるほどに薄い結界にめざとく気づいたウォーギンに呆れ半分で感心する。 
 戦いや決闘を尊ぶ火神派において、決闘は衆目の前で行うことを推奨している。
 衆人環視の元で正々堂々行われてこそ、名誉ある戦いという教義の一環らしい。
 人払いの結界となれば、その教義に真っ向から反する物だが、見世物を嫌う決闘者や、衆目にさらせない凄惨な戦いが予測されるときに用いられる極々珍しい術だ。
 
 
「職業柄、結界は見なれてるからな。この結界は相当上級者が張ってるぞ。関係者ならちょっと気にはなるが問題無く闘技場にたどり着ける。だけどふらっと立ち寄ったとか、他の用事がある連中なら、本人の自覚無く追い払えるだろうよ。術式を再現が出来るか判らんが面白そうだ」


 知識欲が満たされた代わりに、技術者魂が刺激されたのか、ふらつく足で何とか立ち上がりながらもウォーギンは目をぎらぎらと輝かせる。
 スオリーの見立てでは、おそらくこの結界は、火神派最高神フロクラムの上級眷属神官でもあり、ルーファン鍛錬所を取り仕切るロイターの手による物。
 ロイターはコオウゼルグと親交があったはず。
 ならこの結界はコオウゼルグの指示だろうか?
   

「決闘は見ずに図面を引きに戻りますか?」


 指摘されなければスオリーも気づかないほどに薄く高度な結界を見破る天才魔導技師は悪い人物では無いだろうが、ケイスの正体に気づきそうな要注意人物。
 ウォーギンが決闘を見ないですめば自分の苦労は1つ減る。
 あまり期待はせずにスオリーは提案してみるが、


「図面は帰ってからでも引ける。それよかケイスの奴が俺の改良したあの投擲ナイフをどう扱うかの方が気になる。ラクトの使う方の魔具も実戦で使うところを見る機会なんて魔導技師じゃ早々は無いから、更なる改良への良いデータ取りになるから、優先順位は断然こっちだろ」


「そうなりますよね……では早く行きましょう。始まってしまいますよ」   


 魔具への飽くなき執着を持つ玄人を心変わりさせる言葉を持たないスオリーはあっさりと諦め、いよいよ余裕の無くなった時計の針を一度見てからウォーギンを急かした。 





















「ふむ。いよいよか。滾ってきたぞ」


 決闘を目前にし闘技舞台へと続く大扉の前に立つケイスは、勇むその言葉とは裏腹にリラックスした表情だ。
 それどころか、トライセル専属料理人であるミズハが先ほど差し入れてくれたトカゲ肉串に噛みついているほどだ。
 がぶりと噛みついたケイスは、時間が無いので数度咀嚼しただけでゴクンと飲み込む。
 己の弱点は、すぐに底を突く持久力。
 高い身体能力を維持する為の闘気に用いる生命力が、未だ幼い肉体の為に不足する事には、我が事ながら不満を覚えるが、無い物は致し方ない。
 これが戦場やモンスターとの戦いなら、戦いながら食料を貪ったり、相手の血肉を喰らって戦闘能力を維持するから問題は無いが、さすがに決闘となると食事をしたり、相手を喰らうのは、決闘相手に対する礼儀に欠ける。
 ともかく直前まで喰らえるだけ喰らって腹を満たして、可能な限り長時間の戦闘力を維持するだけだ。
 右腕で抱え込んだ紙袋から、左手を使って新たな肉串を取りだしたケイスはかぶりつく。
 ミズハ特製のタレを使ったトカゲ串はケイスの最近のお気に入りだ。
 初めに甘目のソースの味が口全体に広がって、そのあとに舌と喉に来るピリッとした辛さが飽きさせず新たな食欲を刺激する。
 甘い物好きではあるが、辛い味も嫌いでは無い。
 ミズハの料理は好きだし、自分が取った獲物とあれば遠慮もいらない。
 何よりこの味が、自分が好きなルディアの故郷の味となれば、ケイスにとっては最良だ。
 

「ルディも食べるか? 美味しいぞ。ルディの故郷の味を再現したそうだ」


 ここで渡した串一本分の生命力不足で負けてしまうことになろうとも、それは己の選択故。
 なんだかんだいいつつも決闘の立会人を引き受けてくれたルディアに、最大限の感謝を表す為に、ケイスは己の懐に抱え込んだ紙袋から、特に大きな肉の刺さった串を一本引き抜き横に立つルディアへと差し出す。
 戦闘に関する事に対しては、あまり妥協や譲歩をしないケイスが、自らの勝ち目を減らすことになりかねない行いをするのは、極めて珍しい。
 それだけルディアに心を許し、信頼している証といえる。


「もう食べた事あるから良いわよ。あんたが食べなさい。ほらタレが垂れてきてるから」
 

 だがケイスの行動が極めて珍しいとは知らないルディアは、ドッロとしたタレが肉から垂れてきているのを指摘するだけで受け取ろうとはしない。 
 名前で呼ばない理由をケイスが知っていたと聞いたあとでも……いや、後だからこそ、あえて名前で呼ぶことはしなかった。
 ルディアの右手には、火神派の印章は浮かんでいない。
 あの後一度だけ試してみたが結果は変わらず。
 結局ケイスを信頼できないという、自分の深層心理は変わらないという事なのだろう。
 それでもケイスは、ルディアが立会人だと強硬に主張し、ついには決闘を取り仕切る神官の心を折り曲げて受け入れさせてしまった。
 自分は相手を信頼できないというのに、その相手が無条件な信頼を寄せられるのは、実に居心地が悪い。
 無論一方的な好意を寄せてくるのはケイスの勝手だと判っているし、自分が答える義理だってない。
 だが居心地が悪い。
 だから普段は大して気にもしておらず、商売上の都合によっては主旨を変えておこなえるはずの名前で呼ぶことも出来無い。
 だから立会人は仕方なく引き受けはしたが、これ以上のなれ合いは避けようとあまり構わずにいようとしている。
 それなのに。それなのにだ。
 この神をも恐れぬ、バカは何も気にはしていない。
 ルディアは自分がどうしたいのか判らず悶々としているのに、それなのに当事者であるケイスは一切気にしていない。
 決闘前だというのに、普段と変わらずパクパクと旺盛な食欲をみせていた。
   

「ん。そうか。っとタレも美味しいから勿体ないな」


 つっけんどんに断ってもケイスの方は気にもせず、指の方まで落ちてきたタレに顔を近づけて舌を出すとぺろぺろと舐め出し始めた。
 べったりとした赤いタレが唇や頬についてしまい、品がある端正な美少女然とした美貌が台無しにもほどがある。 
 挙げ句の果てには、頬についたタレを右手を覆う包帯で拭おうとするケイスの様に、世話焼きの血がうずいたルディアは諦める。


「ッ……あーもう手を舐めない。顔が汚れるでしょ。それに包帯で拭おうとしない」


 その顔に似合わないにもほどがあるあまりにアレすぎるケイスを見かねた、ルディアは外套のポケットからハンカチを取りだす。
 砂漠に隣接している所為で砂埃が多いのか、ポケットにしまってあったというのに少しばかり砂や土がついてしまっている。
 ハンカチをパッと手で払ってからルディアは、ケイスの指やその頬についたタレをぬぐい取った。
 

「ん。すまん。気をつける」


 拭われるケイスは大人しくされるがままで、ルディアに任せる。
 全身凶器で狂気なケイスとしては、自分の素肌、しかも重要器官が揃った顔を他人に触れさせるのは最大警戒するべき事態。
 だがルディアなら大丈夫だろうと警戒をとく。
 もしこれが別の人物だったならば、とっくにその人物の肉体と頭は別離していただろう。
 

「ほんと、あんたは……見てくれくらい気にしなさいよ」


 外見が極上でも、中身がこれでは無駄という言葉すらも追いつかない。
 同性としてどうしても押さえきれない妬み混じりの言葉をはき出すルディアに、ケイスは首をひねり、鎧姿の自分を見下ろす。
 戦いに赴く姿としてこれ以上の物は無いだろうと、ケイスは己の常識で考える。
 どこまでも噛み合わず、一方に至っては噛み合わせる気すら無い2人だが、端から見れば実に仲が良さ気に見えることだろ。
  

「そうか? 気にしたからこの格好なのだが」


 ケイスが反論をしようと口を開くと同時に、開門の合図となるドラが1つ大きく鳴り、重い鋼鉄製の扉が徐々に開き始めた。
 ケイスは持っていた紙袋をルディアに渡すと、すぐ横の壁に立てかけてあったバスタードソードを手に取り、その長大な刀身を肩に担ぐ。
 傍目には背丈と同じくらいの身の丈に合わぬ剣を持つ滑稽な道化。
 だがその力量を見抜ける者ならば、誰もが思うだろう。
 この長大な剣こそが、獰猛で凶暴な獣を完成させる牙であり爪なのだと。


「まぁ、見ておけ。私の姿を。そうすればルディも納得するだろう」  


 やはり自分の考えや思いは語るだけでは伝わらない。
 ならみせるしか無い。
 戦いを。
 自分がより所とし、己の全身全霊を賭ける戦いを。
 戦いならば口で語るより簡単だ。
 何時もの通り、何時もの戦いを見せるだけのこと。
 高ぶる心を納めながら、対面で開いた扉の向こうに姿を現した対戦相手の姿に焦点を合わしつつ兜の面当てを降ろす。
 

「では……参るか」


 鎧の隙間から僅かに除いた口元に獰猛な笑みを浮かべながら、ケイスは石畳に覆われた闘技舞台へとその一歩を力強く踏み出した。



[22387] 剣士と百武器の龍殺し(仮)
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/08/10 01:28
 闘技舞台は正方形状でおおよそ半径30ケーラ。
 四方は階段状の観客席となっており、闘技舞台が最も低い。
 舞台上を覆う石畳は、元は平坦で滑らかだったようだが、至る所で修復された跡が残り、傷や凹みが覆い。
 舞台上に柱などの視線を遮る建造物の類いは無し。
 客席を隔てる外壁の高さは3ケーラ。
 煉瓦積みの壁に樹系モンスター由来の生体素材を表面に張り形成した木板に描かれた対物、対術防御陣がぐるっと一周している。
 東西南の3方向が木造ベンチが並んだ一区画100名ほどの一般観客席となっている。
 南側の席の一区画に今回の決闘を見物する者達がいるが、その数は少ない。
 ファンリア商隊の者達は、そのほとんどが仕入れや商談など仕事が有るので顔を出しているのは、半隠居状態のファンリアや物好きなのみ。
 あとは探索者であるボイド達や、この街で出会ったスオリーとウォーギンが、一カ所に固まっているだけで、後は空席となっている。
 東西の席と、仕切りで区切られた北側は革張りのシートの上席となっているが、そちらはどこも無人。
 北側の中心には、戦いと決闘を象徴する上級神フロクラムのシンボルである剣と天秤を由来とする印を描いた石碑が鎮座し、石碑の後ろには青々とした葉を繁らせた樹木が一本。
 枝振りや葉の形から林檎の木だと推測。
 木を取り囲む神殿風の印象建築を施した構造物から、神降ろしの儀で依り代となる聖木『ケイアネリス』と断定。




 ぐるりと見渡して、闘技場内の各種配置、状態を確認し、頭の中に叩き込んだケイスは、最後に面当てに隠れた、その視線を前に向ける。
 決闘の立会人である火神派神官ライを挟み、反対側の壁際に立つ対戦相手であるラクトがケイスを気合いの入った目で睨む。
 その背後。壁の一角に設けられた見届け人席に腰掛けるラクトの父親であるクレンは、鎧姿の息子に気遣わしげな目を向けていた。
 緊張した面持ちでラクトが構えるメイン武器は、魔具と兼用になった長さ2ケーラほどの長棍。
 魔具ではあるがどちらかといえば武器としての使用がメインなのか、棍には魔術用の装飾や文様は少ない。
 その代わりというわけではないが、指輪、腕輪等の装飾品やベルトにさした短杖は全部で14種類。
 そのどれもが魔具だろうと、警戒をしながら当たりを付ける。
 昔の魔力を有していた頃のケイスならば、この近距離ならば相手が身につけた魔具を解析し、あらかじめ対策や対抗結界を纏うことも出来たが、魔力を捨て去った今は到底無理な話。
 発動の瞬間に浮かび上がる魔法陣から読み取るしか無いが、それはここ最近ではいつものこと。
 慣れて来たから見てからでもすぐに対応できるだろうと気軽に考える。
 次いでケイスは僅かに不機嫌そうに鼻を鳴らして、その視線をラクトの右腰に向けた。
 賞品である羽の剣がラクトの腰にぶら下がっていた。
 金属である癖に、柔らかく折りたためるという奇想天外で巫山戯た羽の剣は、まるで巻物のように丸めて折りたたまれた状態。
 砂船に乗っている間は、ずっと杖術の練習をしていたラクトは、使う気が無いように見える。
 だがあの剣が闘気を込めれば一瞬で牙を剥くのは、ケイスも体験済み。
 油断をする気など毛頭無い。
 むしろ、あの剣に宿る意思、己の粗たる龍王ラフォス・ルクセライゼンに自分を見せつけ、認めさせなければならないのだから、最大警戒すべき存在だ。
 次いでラクトの防御へと、ケイスは目を向ける。
 ラクトが身につけているのは金属板をいくつも繋げたラメラーアーマー。
 フルプレートまではいかないが、金属を多く用いているので、それなりの重量がある。
 軽量な自分相手に、ラクトがスピード勝負を挑むなど無謀も良い所。
 足を止めての魔具使用による遠距離防御戦を基本戦闘距離に選択したとケイスは仮定する。
 色々と観察し、考察する。
 これから戦いを行う者にとって、周囲の状況を把握し相手を読むのは当たり前の事だろう。
 だがこの化け物にとって、それらは余興にすぎない。
 戦闘開始の合図が掛かるまでの、ただの暇つぶしであり、高揚する気分を彩る為の付け合わせ。
 なぜならどれだけ考えたところでケイスの結論は何時も変わらないからだ。
 やれること。
 やれないこと。
 やらないことは変わらない。
 魔力を捨て数多くの手札を放棄した代わりに、手札に残った、たった1枚の切り札に一点全賭け。
 如何に相手の攻撃をかいくぐり、懐に踏み込み、自分の距離たる絶対間合いに持ち込むか。
 肌と肌が触れあい、互いの息づかいが感じ取れるほどの超接近戦闘。
 己の刃が届く距離、近接戦闘距離へ。
 たった1つの戦闘方針をいつも通り胸にいだきケイスは、左肩にバスタードソードを乗せている以外は、リラックスした自然体で合図が下されるのを待っていた。





 その一方で常日頃から修羅場に身を置く化け物とは違い、これが初の決闘なるラクトはただただ緊張していた。
 早鐘のように打つ心臓。立ち止まっているのに額から滑り落ちる汗。
 落ち着かせようとしても息づかいは僅かに乱れ、両腕で構えた棍が棍術戦闘の練習をし始めたばかりの頃のように、やたらと重く感じる。
 昨日ボイド達に相手してもらった実戦戦闘訓練や、砂船で戦ったモンスター相手の戦闘訓練でもやはり気を張り詰め緊張はしていたが、それらとはレベルが違う。
 ケイスが何かをしたわけでは無い。
 むしろきょろきょろと辺りを見渡したかと思えば、こちらをじっと見つめ、頷いたり、首をかしげたりと、その鎧姿は別としても、行動だけ見ればそこらにいる落ち着きの無い子供と変わらない。
 ライが宣言をすればすぐにも決闘開始だというのに、無造作に剣を肩に乗せ構えを見せようともせず、自然体でただ棒立ちをしているように見える。
 だがラクトにはその自然体が恐ろしい。
 緊張する原因は何か?
 ラクトは今ならはっきりと判る。
 こうして初めて武器を手に構え対戦相手として対峙して心底理解した。
 目の前にいるのは見た目だけなら年下美少女であるが、その本質が紛れもない化け物なのだと。

 
「ちっ!」

  
 自分がケイスに気圧されていると自覚し、ラクトは軽く舌打ちをして、何とか心を奮い立たせる。
 出会いや誤解などケイスに苛立つ理由はいろいろありすぎて、ラクトにも、もはや何がケイスが気に食わない主要因なのか判らない。  
 だが心に浮かぶ色々な感情に共通する物が1つある。
 ケイスに負けるのだけは認められないという強い思いが、何故かラクトの中にはあった。








「剣と天秤の定めに従い勝敗を下すべく………………」


 神に祈る気持ちで左手を見れば、同情したくなるほどに緊張した面持ちの少年。
 目をそらしたい右手をおそるおそる見れば、見た目は可憐な美少女だが化け物以外の何物でも無い気配を放つ怪物。
 その両者に挟まれ立会人たるライは、本当に決闘を開始して良いのかと未だ迷いの中にありながらも、杖を片手に火神派の神々捧ぐ祝詞を唱えていた。
 ライが唱えるのは決闘を行う両者への祝福と加護の祈りであると同時に、背後の聖木『ケイアネリス』に火神派に属する眷属神を降ろす儀式。
 降りた神の力を借り、外部からの介入を防ぎ、決闘者の身を守る戦闘結界神術の発動が、決闘開始の合図となる。
 人の身には余るほどの強大な力を神々から借り受けて行う神術は、人の身で行う魔術よりも効果、威力、効果範囲等、全ての面において強大。
 上級探索者が放った全力攻撃魔術が、探索者になったばかりの新米神官が唱えた防御神術によって防がれた例なども、歴史を紐解けばいくらでもあるほどだ。
 だが初歩であれば慣れと僅かな才があれば子供でも短期間で使える魔術と違い、神術の習得には、どの神派においても一番簡単な術でも数年の修行が必要とされている。


「いかなる介入も許さず、戦いが終演するその刻まで見届けたまえ我が…………」


 ライは修行を終え見習いという文字が取れたばかりの、最下級であるが正式な神官。
 決闘の為に展開する戦闘結界は、火神派においては、その初歩の初歩。
 ライとて容易く行えるはずだが、今回は失敗するかも知れないと感じていた。
 ライの心には決闘に対する不安がある上に、ケイスが自分の我を貫いてルディアを選んだため、神々が認めた見届け人がいないからだ。  
 ライが仕える眷属神が果たして、この決闘に力を、その加護を与えるだろうか?
 神に降臨してもらえなければ神術は発動しない。
 初仕事でいきなり失敗など、幸先が悪すぎる。
 だがそれでも良いかもしれないと、不埒にも考えてしまう。
 それほどにこの戦いの行く末に悪寒を感じていた。
 

「此度の戦いを捧げる。降臨されたし審判を下すべき神々よ」


 祝詞が終わると共に、北の観客席に鎮座していたケイアネリスの木が目映く発光を始めた。
 それは神が降りてきた証。
 その周囲だけ時間が早く流れすぎたかのように、常葉に覆われた枝の先端につぼみが芽吹き、瞬く間に花弁が純白な花弁を咲かしていく。
 ………………神が降りてくるかと心配するライの杞憂はある意味で当たり、そしてある意味で外れる。
 咲いた林檎花の数は降りた神の柱数と同等。
 下級神一柱が降臨すれば、1つのつぼみが芽吹く。
 中級神一柱が降臨すれば、一花が咲く。
 降臨したのが最上級神であれば、一口食べれば10年は寿命を延ばす至宝とも呼ばれる果実が実を成す。
 その法則はどの神派であっても不変であり、世界の常識。
 ライが唱えたのは初歩の神術であり、本来降りるべき神は下級神一柱のみ。
 それなのに、それなのにだ。
 まるで席を争うかのように、あらゆる枝の先々に花が咲き乱れていく。
 その勢いは留まることを知らず、緑に覆われていたケイアネリスの木が真っ白に染まる。
 上級神クラスはいないようだが、それでも降りてきた中級神の数は100ではきかないだろう。
 神々が放つ神々しい気配は、闘技場全体を清めるかのように強く強く響き広がっていき、観客席と闘技舞台を遮るように半透明の結界となっていく。
 濃密な神気で象られた結界は、物理的な感触をもたらすほど堅牢で、他者の介入を阻んでいた。


「「「「「「っ!!!!!!!?」」」」」」


 観客席に座っていたボイド達も、見届け人席に座るルディ達も、神を下ろした神官であるライも、そして決闘を行うラクトですらも思わず聖木に目を奪われ、言葉を無くすほどの異常事態。
 

「いざ参る!」


 だがその神々しい気配をまるっきり無視して、元凶たる怪物は強く鋭い気合いを発して跳びだしていた。 



 出し惜しみ無し。最初から最大加速。
 丹田に力を入れ変換した闘気を全身に3分、足元に7分集中。
 石畳を削るような電光石火の足裁きで、ケイスはただ一直線にラクトに向かって駈ける。
 ラクトまでの距離は60ケーラ。
ケイスにとってその距離は5秒有れば十分。
 何が起きようが、戦いの前ではケイスの知ったことでは無い。
 戦いが始まれば全てを利用し勝つのみ。
 見物の神が降りてきた程度のこと珍しくも無く驚くほどのことでは無い。
 邪魔さえしなければ好きにしろと、物好きで暇つぶしな連中など目に入れない。
 ケイスの目に映るのは倒すべき敵たるラクトのみ。
 前傾姿勢で駈けながら、肩に担いだ大剣に意識を向ける。
 ケイスの理想は一刀一殺。
 絶対たる一降りを持って確実に敵を屠る。
 未だその領域は遥か彼方なれど、常に目標はそこに。   
四歩目でライの前を通り過ぎて、ようやくラクトがケイスに反応を示す。
 油断をしていたのか、それともケイスの速度に驚いたのか、その顔に浮かぶ焦りの色と、距離を取ろうと、ケイスが怪我をしている右手側に動いたのをケイスは見逃さない。
 ケイスはスピードを僅かに落として、一足跳びで右に跳んで想定したラクトの視界の左端まで移動する。
 次いで着いた右足で即座に、今度は左前方に大きく切り返し、その視線を切る。
 素人に毛が生えた程度のラクトの目では即座に追い切れない横の動き。
 ケイスの想定通り姿を見失ったのか、ケイスの姿を探そうとラクトが大きく顔を左右に振る。
 その動作は時間にすれば半秒も無いだろう。
 だがケイスの生きる世界では、近接戦闘においては、見失った相手の姿を視認しようなど大きすぎる隙でしか無い。
 見えないならば気配で探す。
 見失ったならば勘で合わせる。
 例え明かり1つ無い暗闇であろうとも、激しい剣戟を打ち合わせられる化け物は、ようやくケイスを再発見したラクトに向け顎を大きく開き、その牙を見せつけた。
 ここは既にケイスの距離。
 後一足で決まる。
 左腕を高く上げ大上段に構え、包帯塗れで握ることの出来無い右腕を、左腕の二の腕に重ね合わせる。
 踏み込みと同時に、両腕の力を用いた素早く力強い一撃をラクトの脳天めがけて力任せに振り下ろす。
 轟々と音を巻き起こす大剣に対して、ラクトが棍を横殴りに合わせる。
 速度はケイスの方が遥かに上だが、ラクトもケイス直伝の闘気転換法を用いて両腕に精一杯の力を加えていたのか、強い衝撃にケイスの剣先が横にぶれる。 
 逸れて地面に落ちた大剣が石畳に激しくぶつかり火花をまき散らし、次いで跳ね返る。
 剣が跳ね上がった瞬間に、ケイスは即座に二撃目を撃ち放つ為に動く。
 跳ね上がった剣の刃筋を手首を返し垂直から平行に。
 左臑に巻いた足甲を刃筋にピタリと合わせると、そのまま蹴り上げた。
 両刃の剣に防具を巻いているとはいえ己の身を合わせ、さらには力一杯に蹴り上げようなど正気の沙汰では無い。
 だがケイスは、端から正気など持ち合わせていない生粋の戦闘狂。
 自らが持つ剣が、自らが望まない物を斬るはずが無いと知っている。
 だから他人が見ればどんな無茶でも、ケイスには出来て当たり前だ。
 背筋に寒気が走る鋭い音と靴底の皮が摩擦熱で焦げる臭いが立ち上るほどの勢いで、ラクトの胴めがけて中段回し斬りを蹴り放つ。
 予想外の連撃にラクトは防御態勢がとれていない所か、意識すら出来ていないだろう。
 しかしケイスの剣がラクトの胴に喰らいつこうとした瞬間、バスタードソードの刀身に魔術文字が浮かび上がり、切っ先から激しい突風が巻き起こった。
 突然の強風に煽られ、まるで糸の切れた凧のようにラクトの身体が激しく吹き飛ばされる。
 風に巻き込まれたラクトは勢いよく吹き飛び、反対側の壁にぶち当たってようやく止まった。
 だがぶつかった音は軽く、ラクトはすぐに立ち上がってきたのでダメージは皆無のようだ。
 無理矢理に蹴りを放ち体勢を崩していた上に距離が離れすぎた為、さすがのケイスでも即座の追撃は出来ず、仕切り直しと剣を改めて構え直す。 
 

「矢避けの付与術と重量軽減の指輪か……ふむ。やるな!」


 刀身に浮かび上がった魔術文字と、ラクトの右手に光っていた指輪が浮かべる魔法陣から即座に事態を見抜いたケイスは、必殺の一撃を防がれたというのに実に楽しそうに猛々しい笑顔を浮かべる。
 武器に突風を纏わせ投擲武器から身を守る付与魔術の一種を魔具でもある棍を噛み合わせた際に、ケイスの剣に施し、さらに即座に己自身に軽量化の指輪を発動。
 巻き起こった風にのって距離を取るという計算だったのだろう。
 ケイスがどうやって二撃目を繰り出すかは判らずとも、すぐに二撃目が来ると見越した行動。
 完璧では無くとも、ケイスの意図を読んだ対策。
 

「うん。良いぞラクト! いい防ぎ方だ! お前はやはり好ましい!」


 通常では自分の常識や考えは人には伝わらない。
 理解してもらえない。
 それがケイスは寂しい。
 しかし戦いの中でなら、自分の考えを僅かでも感じ取れる者がいる。
 命を賭けたやり取りになればその傾向はさらに強くなる。
 決闘を超えて、殺し合いをしたくなる衝動を抑えながら、ケイスは戦いの場にはふさわしくない言葉を、戦いに狂った修羅の笑顔で笑って見せる。
 もっとだ。もっと。
 だから戦いが好きだ。大好きだ。
 戦闘狂の血に火がついたケイスは、先ほどよりも速く、鋭くラクトに向かって駈けだし始める。
 一瞬でも早くラクトの元に。
 少しでも近くラクトの元に。
 恋愛にも似た強い衝動。
 しかしその大元は斬り倒す為にという、血なまぐさい一念。
 誰にも理解してもらえない化け物の本性が徐々に顔を覗かせ始めていた。 



[22387] 剣士と百武器の龍殺し(開眼途中)
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/08/10 01:26
 ケイスは奔る。
 矢継ぎ早に次々と飛来する魔術攻撃をナイフでたたき落とし、足元に広がる即席トラップを回避して、距離を詰めていく
 魔術攻撃は下級魔術であっても魔力を持たぬ故に、耐魔力において致命的な欠点を抱えるケイスにとってどれも脅威。
 一撃でももらえば即敗北に繋がる。
 だがそれがどうしたと、ケイスは意にも止めず、臆するという感情を一欠片さえも己の中に存在させない。
 当たれば負けるなら避ければいい。
 当たる前に斬れば良い。
 自らの攻撃を一撃必殺の高みへと導けば、勝つのは自分だ。
 開き直りを通り越して傲慢な心構えこそ、ケイスの真骨頂。
 だからケイスは速い。
 己の選択に一切の躊躇が無く、迷いも無い。
 踏み込んだ瞬間には次の行動に即座に移り、ラクトの攻撃を見て瞬時に判断し即応する。
 戦闘距離において不利を抱えるケイスは、その高回転する頭脳と強靱すぎる精神を持って、己の距離へと引きずり込まんと、肉薄せんとひた走る。 

 





兎にも角にもケイスに近づかれては今の時点では手も足も出ない。
 ラクトが選んだ手は逃げの一手だ。
 逃げといってもただ闇雲に逃げる訳では無い。
 足を止めず常に移動してケイスを引き離そうとしながら、接近してくるケイスへと牽制と足止めの魔具攻撃を打ち込み、ケイスを疲れさせるか、もしくは魔術によって捕縛する。
 それがラクトの作戦の第1段階であり当面の目標。
 薄氷の上で踊るかのように危うい瞬間の連続を繰り替えしながら、ラクトは何とかここまで凌いでいる。


(ケイスの奴。ここまで速いのかよ!? 近づけるとやばいってのはわかってんだけどよ!)

  
 素早く切り返しを続け視界から消え失せようとするケイスの縦横無尽な動きに驚愕しながらも、ラクトは後ろに跳び下がる。
 距離を詰められて、視界が狭くなればケイスを見失う可能性が高くなる。
 それは判っている。判っているが、ラクトが一歩下がる前にケイスは三歩は詰めてくる。
 圧倒的な速さの差は、可能攻撃距離の差を補ってあまりあるほどのアドバンテージをケイスに与えていた。
 戦いの主導権を握っているのは、ここまではケイスだ。
 自分は何とか逃げているだけと、ラクトは素直に認める。
 今はとにかく如何に距離を稼ぐか、ケイスを近づけないかに頭を回し、手持ちの魔具で出来る手を選択していくしか無い。
 壁際に追い詰められないように円を描きながら逃げつつ、ベルトから引き抜いた短杖の先端を石畳に向けたラクトは、柄元に埋め込まれた宝石へと指先を合わせる。
 魔力とは心臓から生まれる力。
 動き続けて荒い息を吐きながらも、脈打つ鼓動にあわせて意識を集中。
 魔具を起動させるのに必要な魔力は、認証を通す為の極々僅かな量。
 化け物たるケイス相手に、ほんの僅かであろうと無駄な消費は命取りになりかねない。


『動悸に合わせる感じで魔力を送り込む。それが魔力を多めに注がないコツよ』


 セラから受けたアドバイスの一音一句を忠実に思い出しながら、鼓動に合わせ1拍子で少量の魔力を魔具に注ぐ。
 登録された魔力を確認し内蔵された魔法陣に掛かっていたロックが外れ、魔具が蓄積した魔力が先端から淡い光となって波紋のように広がっていく 
 ラクトが選択した魔具は、粘着性のある蜘蛛糸を綿花のように地上に咲かせ、足止めを目的とした範囲魔具『雲絡み』
 高さを調整して行く手を遮る壁のように出現させる事も出来るが、動きが素早く行動が読めないケイス相手に、その姿を覆い隠し、視線を切るなど自殺行為。
 最初の接触でケイスの素早さを改めて実感し、姿を見失い冷や汗をかいた経験を生かし、高さを低く調整しながら、術発動の機を窺う。
 ケイスの早さでは足を踏み入れた瞬間では遅い。
 発動を感じた瞬間に一気に跳んで脱出してしまう。
 狙いは……一歩手前。
 機を窺いながら、右手の指に嵌めた指輪型魔具に意識を向ける。

 
「発動!」


 ケイスが境界線ギリギリに踏み込んだ瞬間、発動キーワードを唱える。
 狙い通り走り込んでくるケイスの目前で術が発動。膝くらいまでの高さの蜘蛛糸で出来た白い綿雲が瞬く間に広がっていく。
 普通なら回避は出来無い距離とタイミング。
 しかし相手は化け物だ。
 目の前、それどころか足元直下に罠を出現させようともケイスは、その馬鹿げた反射速度で反応をしてくる。
 現に全力疾走で迫っていたケイスは、ラクトがクモ絡みの魔具を発動させた瞬間に、前に進んでいた足を無理矢理に交差させて倒れ込むように右に跳ね、罠を回避する行動に入っている。
 だがラクトとて回避されるのが判っているのに、罠を展開したのでは無い。
 ただの設置型トラップでは、ケイスを引っかけるのは難しく、精々侵攻方向をずらして僅かな時間を稼ぐ効果しかないのは既に体験済みで、今の回避も織り込み済みだ。
 

「爆ぜろ!」


 起動させていた指輪型の魔具に魔力を通し発動。
 指輪に込められた魔術は、防御用に用いられる『盾』の一種。
 指定位置周囲の大気を一瞬で圧搾収縮して、次いで弾かせる空気弾を作り出す効果を持つ。
 投擲武器をはじき返したり、襲いかかってきた敵を弾く為に用いられるのが本来の使い方。
 しかしラクトが指定したのはケイスやその進行方向では無い。
 ラクトの狙いは先ほど自分が展開した雲絡みのケイスとは真反対の地点。
 指定地点に向かって空気が圧縮され白い雲が一瞬引き込まれるように揺らいで、次いで発生した巨大な炸裂音と共に周囲の大気がはじけ飛ぶ。
地面からわき上がった突風は、蜘蛛糸の固まりをケイスに向かって吹き飛ばしていた。








 四散した蜘蛛糸の固まりが左手から迫る。
 粘着性のある糸が身体に絡みつけば、服に絡まり動きを阻害し、今の速度を維持する所か戦闘行動すらままならなくなる。
 蜘蛛糸といっても自然の物では無く、魔力によって作られた仮想物質。
 自らの魔力を持って抵抗すればすぐに蜘蛛糸を消滅させることも出来る。
 しかし魔力を持たないケイスには抵抗する手段が無い。
 自然と消え去るのを待つしか無いが、そんな悠長な時間をラクトが与えてくれるわけが無い。
 だがケイスの動きに焦りは無い。
 魔力を捨て去った日から、魔術が自分にとって致命的な攻撃となると、既に覚悟は決まっている。
 魔力を失っても、貫き通すべき自らの意思がある。
 ならば自分の剣技で乗り越えるのみ。 
 左手の剣を手首のスナップで頭上へと投げ捨てる
 開いた左手での三本の指を使って、胸のホルダーから投擲ナイフを二本引き抜きつつ、ダイアルを調整してワイヤーの長さを2ケーラに調整。
 身体を捻りながらから、今にも絡め取ろうと迫ってきた雲に向かって投げつける。
 ケイスが投げたナイフが雲に真正面から突っ込むが、即座に粘着性の強い糸に絡め取られ、勢いを無くす。
 二本のナイフという点で防ぐには、雲の面は大きすぎる。
 だがケイスが投げたナイフの柄頭からは、同じく蜘蛛を由来とするが粘着性は皆無だが頑丈なワイヤーが繋がっていた。
 ナイフが絡め取られた瞬間に、ケイスは左手の指を動かしてワイヤーに絡める。
 指先の僅かな動作を持って、二対のナイフを二重の円を描くように大きく回転させる。
 ナイフに付着していた粘着質の糸が、周囲の糸を絡め取る。
 さらにケイスが回転させると次々に糸が絡み合っていく。
 蜘蛛糸をたっぷりと付けてまるで綿菓子のようになった所で、ワイヤーからを手を離す。
 次いでケイスは、ホルダーからワイヤーを格納する機構部分を、手早く2つとも取り外し自動巻き取りのボタンを押して頭上へと投げる。
 猛烈な勢いでナイフの柄から伸びたワイヤーが収納されていく。
 絡め取られた糸と共に。
 まるでカーテンの幕が開くようにケイスを絡め取ろうと広がっていた雲の壁に穴が開いた。
 穴の先にはラクトの姿が見える。
 敵の姿が見えたならば、次の行動に迷いは無い。
 右足で着地と同時に真逆へと切り返し。
 捕縛網に開いた子供一人が何とか通り抜けられるような狭い穴へと飛び込み前転で身を躍らせる。
 小柄なケイスだから何とかくぐれる大きさ。
 しかし余裕は拳1つ分ほどの隙間しか無い。
 一瞬でも触れれば全身に纏わり付いてくる罠の中心を、火の輪くぐりをする猛獣のように見事に通り抜けた。
 左手で地面を叩いてクルリと回転したケイスは、そのまま頭上へと左手を伸ばす。  
 先ほど投げ捨てたバスタードソードが、計算通りに罠の上を無事に通り過ぎてケイスの手に収まった。
 大剣を抱えたままでは、今から作る穴を通り抜けられない。
 だから剣を高く投げ、小柄な自分だけは穴を抜け、その向こうで投げた剣を受け取る。
 言葉にすれば簡単な理屈で曲芸じみた動きで罠を回避したケイスは、剣を受け止めた上段の構えのまま再度一歩踏み込み、ラクトへと袈裟斬りを決めようと剣を振り下ろした。 
 
「爆ぜろ!」


 しかしラクトもケイスの行動を読んでいた。
 立て続けに指輪の力を発動させて、今度は自分の目の前の空気を爆ぜさせつつ、最初と同じように軽量化の指輪の力を使用。
 爆風にのってラクトが回避行動を行った一拍後に、ケイスが振り下ろしたバスタードソードが石畳を砕きながら床にめり込んだ。
 ラクトが指輪を使うのが僅かに遅れていれば。
 ケイスの両手が使えれば出せたであろう剣速があれば。
 今の一撃で勝負が決まっていた。
 しかし勝負はまだつかない。
 再度距離を取ったラクトと、逃げられたケイスは、言葉も目線も交わすこと無く、すぐに次の一手の為の準備へと移っていた。












「あ、兄貴!? まずいって!? あいつラクト殺す気よ!」


 石畳を砕くほどの剛剣。
 ケイスが振るう一撃、一撃には溢れんばかりの殺意が込められているのを悟り、セラが悲鳴を上げ、横に座っていた兄であるボイドの袖を引っ張る。 
 今のケイスの圧力は、セラが鍛錬で戦ったときの比では無い。
 足運びの一つ一つにすら威圧感と意味が込められ、立て続けに繰り出される選択は圧迫感さえ伴う。
 対峙するだけで精神力がごりごりと削られるケイス相手に、ラクトは魔具を駆使して今は何とか奇跡的にも猛攻を凌いでいるが、それもいつまで持つか判らないとセラは青い顔を浮かべる。
    

「落ち着け! 結界がある! しかも中級神クラスだ! 死ぬことはねえよ!」

 
 狼狽する妹を一喝しつつ、ボイドは自らにもその言葉を言い聞かせながら、決闘の成り行きをじっと見守る。
 決闘者を守る為の火神派による防御結界は今も発動中。
 それも下級神クラスでは無く、中級神クラスが降りてきている。
 その結界の強さは、ボイド達現役探索者ですらも闘技舞台上に入ることが出来無いほどに強力で、介入不可能となっている。
 それにケイスの一撃を食らっても、結界がある限りラクトの命が絶たれるわけではない。


「そ、そうだけどさぁ……」


「落ち着けってお嬢。結界稼働中じゃどっちにしろ今は俺らには何もできねぇよ」


 ヴィオンが宥める声を耳に捕らえながらも、ボイドは顔をそちらには向けず、二人の決闘者を見続ける。
 次の瞬間には決着が着いてしまいそうなほどに、ケイスの攻撃は激しく、ラクトは危うく、目を離すことが出来ずにいた。
 だからセラが叫びたくなる気持ちは、ボイドも判らないわけでは無い。
 ケイスの攻撃は、一撃一撃が凶暴で、見ているこちらの不安を駆り立てる物だからだ。
 セラが最初にケイスを見たときに不気味だやら、関わらない方が良いと言っていた事を思いだし、そしてようやくボイドも妹がそう言った理由にたどり着く。
 ケイスがあまりに異質だからだ。
 ボイドはケイスを天才だと思っている。
 特に近接戦闘においては、現役の探索者であり近接戦闘をメインにする自分よりも遥かに上の才能を持っていると認めている。
 だが今見せるケイスの戦い方は、天才などというレベルでは収まらない。
 一言で言うならば、ボイドには理解が出来無い。
 何故あのタイミングでよけられる?
 何故あの攻撃を読めた?
 どういう思考を持ってすれば、二本のナイフで罠を無効化する方法を一瞬で思いつく?
 しかもあんな無茶苦茶な方法を思いつき、しかも完璧に実行してみせることが出来る?
 ケイスが今見せるのは、狩りや立ち会い稽古で見せた超人的な動きでは無い。
 全く別物。
 人の姿をしているだけの、人と同じ道具を使っているだけの、別生物の戦い方。
 近接戦闘距離に最大適応し極化した生物の戦闘法。
 ケイスの戦闘はそう表現するしか無い。
 常人に理解出来る物では無く、真似できる物では無い。
 あんな戦いを行えるのは、ひょっとしたらこの世でケイスただ一人だけかも知れない。
 誰にも理解出来ない。
 理解しようが無い。
 異質すぎる理論、理屈でケイスは動いている。
 戦っている。
 そこにセオリーなど無い。
 人の姿をした新種モンスターを相手にしているような物だ。
 ケイスの本気を前にしては、ボイド自身も苦戦を強いられるのは間違いないと、断言できる。
 しかし、しかしだ。

 ならば……ラクトはなぜここまで持つ?

 心の片隅で疑問が生まれ、ボイドはラクトへと目を向ける。
 その動きは遠目でも判るほどに余裕が無く、焦っているのが手に取るように判る。
 しかしそれでもラクトはここまで生き残っている。
 激しい連続攻撃を繰り出すケイスを相手に、ラクトは紙一重ながら何とかギリギリで凌いでいる。
 善戦しているといって良い。
 あの年で考えれば十分すぎるほどでも、ケイス相手には体の使い方や動きはぎこちなく、ヒヤヒヤ物だ。
 しかし、その戦い方、特に魔具の選択や組み合わせ等に限ってみれば、昨日魔具を用いた戦闘の基本を覚えた少年が見せる物とは思えないほどに見事な物だ。
 従来の使い方とは違った虚を突く使用法。
 発動の遅い魔具と、即効性魔具によるコンビネーション戦術。
 魔具が再使用可能になるまでの時間稼ぎと、充填時間の把握。
 魔具を上手に使いこなしているからこそ、ケイスを相手にここまで決定的な攻撃を食らわずにすんでいるのだと、ボイドは気づく。
 
 
「ケイスがアレすぎて判りづらかったが……ひょっとしたらラクトも天才って奴か?」


 あまりにも突出しすぎた才能を持っているケイスが近くにいた所為で気づけなかったが、冷静に考えてみれば戦闘に関するラクトの覚えや、コツを掴む速さは十分に天才的と言える物。
 そうでも無ければ僅か数週間でケイスを相手にここまでやれるわけが無い。
 現に今も魔具を使うタイミングや組み合わせは、僅かずつだが着実にレベルを上げている。
 これはひょっとしたら、ひょっとするかも知れない……
 大番狂わせの予感をボイドは抱く。
 しかしそれと同時に何とも言えない胸騒ぎがよぎる。
 どちらかが勝ってすんなりと全てが丸く収まるか?
 そう聞かれたらボイドは首を縦に振ることが出来無い。
 どうにも消せない悪寒がボイドの背筋を漂っていた。



[22387] 剣士と百武器の龍殺し(早期完全覚醒)
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/08/19 03:02
 正面。氷で出来た礫十五。
 直撃コースは6つ。
 足を止めれば全て弾ける。
 速度を落とさずに剣で弾ける数は4つ。
 飛来する礫の軌道を見切り、ケイスはあえて足を止めず全力疾走のまま剣を合わせる。
 左からの切り下ろし。
 間髪入れず、振り上げた右腕を左腕に合わせ打ち上げ、切り返しへ。
 最短距離を進む直線剣戟で4つの礫を弾く。
 残りは右上半身に直撃コースを取る2つ。
 振り上げた右腕を振って、手甲を礫に合わせる。
 腕に重い衝撃と共に、痺れるような冷気が伝わってくる。
 闘気を右腕に回し、筋力を強化。
 鞣した皮を幾重にも重ねた装甲の表面を削らせながら無理矢理に弾き飛ばす。
 
 
「発動!」


 ラクトの声が響く。
 足元の石畳が波打ち、一瞬で踝まで沈み泥に変化する。
 水気をたっぷり含む粘着質の泥が足に絡まってくる中、ケイスは力任せに無理矢理前に向かって跳ぶ。
 体勢を崩し倒れそうになりながらも、前宙気味に無理矢理身体を前に倒した勢いで足を引きぬき脱出。   
 ケイスが抜け出した直後に弾かなかった氷礫が着弾。
 泥沼を一瞬で凍りつかせていく。
 魔術効果強化型地形変化魔術。
 氷弾に合わせて凍りついたが、これが炎なら燃え上がる沼と成り、雷撃ならば全身を撃つ痺れ罠へと変化する。
 一瞬でも足を止めていれば、汎用性が高く足止め効果も強い魔具の餌食となっていた。
 身体が回転しきる前にケイスはバスタードソードから手を離し、左手を開けナイフをワイヤー機構事引き抜いて、回転の勢いのままラクトへと投げつけ、再度、空手となった左手で剣の柄を掴む。
 回転の勢いを乗せたナイフは高速で飛翔する。
 しかしラクトが構えた杖を横に一降りなぎ払うだけで疾風が生じ、ナイフはあっさりと弾かれた。
 だがそれは計算のうち。
 ラクトの手の1つに、投擲・射撃武器対策の矢よけの付与魔具があるのは先刻承知。
 ナイフを防御させラクトの追撃を防いだケイスはその一瞬で体勢を立て直し、左に跳ぶ。
 直線的な動きから左右のフットワークへ。
 思考を読まれ、先読みされたら一瞬で終わる。
 回避した連続攻撃を見て、ケイスはランダムに撥ねて狙いを絞らせないようにしつつ気を引き締める。
 ラクトの強み。
 魔術と比べて詠唱や魔力を練る時間が無く、発動までのタイムラグが少ない魔具の特性。
 しかも発動の遅い魔具と速い魔具を組合わせ、少ないタイムラグをさらに極力減らしている。
 もう一つは魔具同士の効果を組合わせた手数の豊富さ。
 複数の魔具を同時に使用する事で効果を重ね合わせ変化させることで、1つの魔具に複数の戦い方を持たせている。    
 途切れず多彩な魔術攻撃。
 魔力を持たないケイス相手に、それはもっとも効果的な戦い方だ。
 しかもラクトは徐々に魔具の使い方が上手くなっている。 
 もしナイフを投げていなければ、既に発動していた矢よけの疾風は、泥沼を抜けたばかりで空中にあったケイスの体を弾き飛ばしていただろう。
 自分と戦うには魔具を上手く使えとアドバイスしたのはケイス自身だ。
 だがここまでやるとは、いや、上手くやるようになるとは思っていなかった。  
 戦い始めたばかりは2つの魔具効果を重ねるのが精々だったが、ラクトは今3つの魔具効果を重ね合わせようとしている。
 2つ重ねるよりも、3つ重ねる方が戦術の幅が一気に広がるのは自明の理。
 ラクトが急激に成長を始めている理由には、ケイスも思い当たる物がある。
 ケイスとて何度も重ねてきた道だ。
 強敵と、ケイスと戦うことで、ラクトは戦いの中で急成長を始めている。
 だがそれがどうした。
 戦いこそが自分の全て。
 ラクトが喰らうというならば、自分もラクトを喰らう。
 豊富で途切れの無い魔術攻撃。
 正に自分の弱点。
 紛れもない天敵
 ならば天敵を喰らう。
 今の自分がより強くなる為に。
 なんの為に強くなるか?
 決まっている。
 世界を全て相手取ることになろうとも、己の思いを貫き通す為だ。
 自分の想いこそが、自分にとって世界でもっとも尊い。もっとも大切だ。
 だからもっと、もっとだ。
 重ねろ。
 魔術攻撃を。
 自分が回避も出来ずになるほどに。
 四肢が千切れ、倒れ込むほどに激しい攻撃を。
 命を奪うほどの致命的な一撃を。
 もう立てぬと心が折れるほどに無慈悲な一撃を。
 その全てを喰らい、自分の糧とする。
 相手が強ければ強いほどケイスの心は弾む。
 数が多ければ多いほどケイスの心は、闘争心に猛る。
 ラクトが見せる急成長に刺激された獰猛な闘争心に、ケイスの箍が外れ始める。
 ケイスは勝てない相手とだって、事情があれば戦う。戦ってきた。
 義理や人情やしがらみなど、その都度都度で決死の戦いに挑んできた理由は諸々があるが、大元は変わらない。
 物心を着いたときには既に迷宮に捕らわれた化け物の根源はただ1つ。
 相手の血肉を技を貪り喰らい、自らの糧とする為だ。
 この世の全ては自分の餌である。
 自らが強くなる為の餌だ。
 だから強い者はこれ以上無いほどに愛しい、極上な餌だ。
 ラクトを明確な敵と認識したケイスは、さらに上の段階へと無自覚に戦闘意識を切り変える。
      
 ……鼓動を意識。心臓に闘気を集中。
  
 ……息吹変更。

 走り続け乱れる呼吸をさらに激しくさせたケイスは、ついに最後の箍を外す。
 ケイスの心臓は、本来であれば僅かな生命力で膨大な魔力を生み出す変換機能を持つ。
 しかしそれを無理矢理に意思の力で、闘気変換能力へと切り変えていた。
 あり得ない心臓による闘気変換は、元来の魔力変換と比べて効率を著しく落としている。
 しかしケイスは身は人間なれど、その本質は違う。
 暴虐にして、強大な、理不尽な存在。
 絶対なる頂点捕食者。
 龍を持ってしても化け物と呼ばれる龍。
 
 ……闘気変換。二重起動。

 僅かにしか血を引かずとも、先祖返りしたと呼ばれた異種の力を開放。
 先ほどまでとは比べものにならない闘気がケイスの全身にみなぎり出す。
 剛剣に勝る剛剣へ。
 速さに勝る速さへ。
 自分に勝る自分へ。
 別領域へとケイスは移項する。
 ラクトをより引き上げる為に。
 自らの餌をさらに育てる為に。
 
【弱肉強食】

 その理の元、いつかこの世の全てを敵に回す化け物は、その力を余すこと無く発揮し始めた。






 ケイスの動きが変わる。
 等距離間での歩数が急激に増える。
 歩数の増加は、手数の増加。
 縦横無尽な動きはさらに段階をあげ、まるで消え去るようにラクトの視界からいなくなる。
 ケイスを見失ったラクトは視野を広く取りケイスを再発見しようと後ろに下がった。
 先ほどまではそれが有効だった。
 しかしその常識は今は通用しない。  


「ぐっ!?」
 
 
 後ろに下がろうとしたラクトだったが、右手から強烈な蹴りを食らい、軽々と吹き飛ばされる。
 驚異的に速度をあげたケイスは、一瞬でラクトの死角を駆け抜けていた。
 腰のベルトの挟んだ魔具がバキバキと折れる音が響き、決闘者の身体を守る結界が発動し激しく発光し点滅を繰り返す。
 結界のおかげで痛みは無いが、何が起きたのか判らない。
 しかしこのままではまずいという意識だけが警鐘を鳴らす。
 だが身体が動かない。
 痛みは皆無だというのに、麻痺したかのように意識に肉体が追いつかない。
 この感覚には覚えがある。
 ケイスが用いる闘気捕縛術。
 相手の身体に自分の闘気を流し込み萎縮させるという技に、首根っこをつかまれ動けなくなったのはつい先日のことだ。
 破る方法は1つ。
 自らの闘気で打ち消せ。
 心臓に向けていた意識を丹田に集中。
  

「がぁぁっっ!」


 声をあげ無理矢理に捕縛を解除。
 しかし一瞬遅い。
 態勢の立て直しが間に合わず着地が出来ずにラクトは無様に転げる。
 だがそれでもとっさに魔術杖を身体の前面に出せたのは奇跡だった。
 構えた一瞬の間もなく、風音を纏う剛剣が横たわるラクトの身体を両断しようと振り下ろされる。
 蹴りをぶち込み吹き飛んだラクトと併走していたケイスが剣を振り下ろしてきた。
 そう意識する前にラクトは無意識に全身に力を入れて、その剛剣を何とか受け止める。
 だがケイスが何枚も上手だ。
 杖で受け止められた瞬間、持ち手を返しラクトの杖に剣を引っかけ、横払い気味に剣を振り回す。
 闘気を用いたケイスは獣人ですらも容易く殴り飛ばすことが可能なほどの強力を誇る。
 ラクトが鎧を身につけていようと、意にも止めない。
 鋼鉄製の魔術杖を折り曲げながら、ラクトの身体を再度弾き投げ飛ばす。
 ラメラアーマーの装甲がぶつかり合い激しく音をたてるなか、ラクトは何とか空中で態勢を立て直そうとするが、激しく振り回され上下の感覚さえおぼつかない。
 回転する視界の中で、杖を握ったまま何とか右手を伸ばし、杖の切っ先で地面を掴み身体を止める。  
 だがケイスの追撃は止まない。
 杖を抱えた右手に向かって、追走してきたケイスの剣が振り下ろされる。  
 大剣を寝かせ鉄槌のようにしたケイスの一撃でガラスが砕けるような音と共に、ラクトが指に嵌めていた指輪型の魔具が全て砕け散った。
 結界が有るから良いが、まともに受けていれば今の一撃でラクトの指は全て潰されていただろう。
 己の四肢を奪われる幻覚にゾッとするような感覚がとっさにラクトの意識を立て直し、左手に嵌めた指輪に意識を向けさせた。
 ケイスの剣は目の前にある。
 自分ならどうする? 
 その答えが出る前にケイスの剣が返る。
 刃先がぎらりと鈍く光って見える。
 このまま打ち上げの一撃で決めるつもりか?
 左手の軽量化の指輪と共に硬化の付与魔術を発動。一時的に鎧の防御力を大幅に上げる。
 同時に、着いていた四肢で僅かでも威力を殺そうと地面を叩いて、ラクトが跳ね上がった瞬間、ケイスが左足で刀身を蹴りあげた。
 使えぬ右手の代わりに足を使い力と速度を出す。
 一歩間違えれば自分の足を切断しかねない危険すぎる行為。
 だが狂人であり剣士であるケイスは、平気でそれを行う。
 左の剛腕に、剛脚が合わさり、その小柄で少女らしい身体から出されたとは思えない爆発したような一撃が、ラクトの身体を捕らえる。
 身が竦む恐ろしい勢いを纏う刃を視界に捕らえながらラクトは覚悟を決める。
 父が譲ってくれたラメラアーマーと硬化の付与を信じる。
 ラクトが今出来るのはそれだけしかないからだ。
 結界を振るわせる激しい衝撃と衝突音が闘技場に響く。
 真下からの一撃に加え、軽量化の指輪の効力が合わさり、ラクトの身体が高く高く打ち上げられ、砕けたラメラアーマーの一部が破片となってバラまき散らされる。
 だがそれでも全身を覆う結界の光は切れていない。
 ケイスの一撃はラクトの命を奪うレベルまで達していなかった。
 ラメラアーマーの防御力を上げていなければ今の一撃で決着はついていたかもしれないが、それでもまだ保っている。
 しかし今の一撃で鎧は一部とはいえど破壊された。
 後そう何発も受け止められないだろう。
 だが軽量化の指輪が間に合い距離は稼げた。
 空中にいるうちに何とかケイスを引き離さなければ。
 そうラクトが思った瞬間、ラクトの左足に何かが絡みつく。
 それは地上にいるケイスが投擲したナイフ。
 ラクトが軽量化の指輪を使うのを、ケイスは読んで、剣を蹴り上げたその直後に、電光石火でナイフを引き抜き投げていた。
 空中にいるラクトを引きずり下ろす為に。
 自らの間合いに戻す為に。
 ワイヤー機構に付属したハーケンを地面に打ち下ろしたケイスが巻き取りボタンを足で蹴り、ラクトの身体諸共一気にワイヤーが引き戻され始める。
 一方でケイスは一瞬身を沈め、次いで力強く石畳を蹴って飛翔する。
 ラクトに時間を与え悠長に待っている気はケイスにはサラサラないようだ。
 空中戦で仕留める気だ。
 砂漠で見せたケイスの空中体術が、ラクトの脳裏をよぎる。
 空中だというのにモンスターを歯牙にも掛けず3匹も仕留めてみせる化け物相手に、地上戦ですら手も足も出なかったラクトでは刃が立たない。
 どうする? 
 どうすべきだ!? 
 こんな状態を予測はしていない。
 考えてもいない。
 まさか空中戦を挑むことになるなどラクトは考えてもいなかった。
 だから何も思いつかない。
 先ほどまでは何とか思いついていた手が思いつかない。
 これで負けが決まってしまう。
 自分は負ける。
 ケイスに打ち込むはずの切り札を使うことも無く負ける。
 あの少女ですら予想していなかったであろう切り札を。


「!?」


 切り札を思い出した瞬間、ラクトの中で全てが繋がる。
 それは自分では意識していない。
 本能とも言える物。
 ばらばらの物が一気に繋がる感覚。
 跳び上がったケイスの動きは一直線だ。
 さしものケイスといえど、そうまで軌道を大幅に変えることは出来無い。
 あの戦いの時に、あり得ない動きが出来たのはケイスの手に特別な武器があったからだ。 だがそれは今はケイスの手には無い。
 だがラクトの手にはある。
 なら出来るはず。
 この世の武器は全てラクトの意のままに操れる。
 今この瞬間この時だけは。
 今はまだ両者が至らぬ共、天敵であるのだから成り立つ。
 やがて生まれる世界の敵である龍王を前にしたときだけは扱える。


【百武器の龍殺し。技能覚醒】

 武器屋の息子として生を受け、武器を知り、武器を扱う者として、武器を司る神に授けられた技能が開花する。

 本来ならば遥か先に目覚めるはずの才能が。

この世の全てを敵に回し荒れ狂う幼い龍王に見いだされ餌として選ばれた為に、運命の輪が早回しで繰り出され解放される。

 龍王を倒せるだけの可能性の1つを持った勇者の技能が天敵を前に覚醒する。



 ラクトは腰の大剣へと手を伸ばす。
 見た目は立派な金属剣だというのに、羽1枚ほどの重さしか無く、簡単に折れ曲がり、たためてしまう奇剣【羽の剣】へと。
 右手を柄に合わせて、ケイスをギリギリまで引きつける。
 早々と使えばあの少女には読まれてしまう。
 それでは駄目だ。
 ラクトの用意した切り札は、ケイスが得意とする距離にこそある。
 接近した状態でこそ扱える切り札。
 練習をして、何とか出来るようになった最後の手。
 それこそがケイスに勝つ為に、ラクトが自身で用意した、本当の意味での自分の力。
 ラクトはただただ必死にタイミングを見計らう。
 ケイスの構えた剣の切っ先がラクトののど元に狙いを定めた瞬間に、剣に闘気を注入。
 加速度的に重量を増した剣によって重心が変化。
 空中でラクトの身体が沈み込む。
 身体の沈み込みに合わせ首を傾け、ケイスの剣先をギリギリでラクトは躱す。
 面当てに隠れたケイスの顔。
 しかし僅かに覗く唇の端が驚愕に一瞬歪むのが見える。
 避けられると思っていなかったのだろうか。
 それとも自分が使った手を、ラクトに使われて歯ぎしりをしたのだろうか。
 だがそれはどちらでも良い。
 今こそ最大にして最後のチャンス。
 怪我をしたケイスにとって左腕こそが、唯一にして最大の武器。
 もっとも警戒するその武器が今ラクトの目の前にある。
 闘気を切って軽くした羽の剣を持った右手をラクトは振り上げる。ケイスの左手に向かって。
 狙いは一瞬。チャンスは一回。
 薬指と小指で剣の柄を支えたまま、中指と人差し指を伸ばして剣指を作る。
 伸ばした剣指でケイスの左手をなぞる。
 初級魔術の中の初歩の初歩を敢行する為に。
 ケイスが最初に示して見せた己の弱点。
 抗魔力が持たぬ故に、攻撃魔術ですら無い、家庭用のヒモ代わりに使える魔術ですら禄に抗えないと、笑って見せたその弱点を突く為に。
 ケイスがもっとも予想していないだろう手を打つ為に。
 だからルディアに師事を受け練習を重ねた。
 魔術触媒薬も呪文も陣も用いず、己の精神力と魔力だけで紡ぐ法を。
 無詠唱、無触媒による魔術行使。
 それこそがラクトが用意した切り札。
 ケイスが教えた闘気変換法や剣や、ケイスが買い与えた魔具に頼らない、ラクト自身が選んだ武器。
 ラクトの剣指から魔力を帯びた光の発光が始まる。
 初級魔術とはいえ、無詠唱、無触媒による術行使は、魔術師ではないラクトには難関。
 しかしラクトが選んだ武器。
 今のラクトの状態なら、百武器の龍殺しの技能が開放された状態であれば、武器であるなら発動しないわけが無い。
 神の与えたもう力とは運命さえねじ曲げる。
 ラクトの剣指から伸びた光が、ケイスの左手に幾重にも巻き付き捕縛し、さらには右手に握った羽の剣の刀身にも巻き付く。
 羽の剣とケイスが繋がった瞬間に魔力を遮断。
 魔術を切ったラクトは、即座に左手に羽の剣へと再度闘気を注入。
 先ほど込めた小量では無い、ありったけの闘気を注ぎ込んだ。








 予想外の。
 本当の予想外のラクトの手に意識を奪われたのはほんの一瞬。
 一瞬が命取りなどケイスはよく知っている。
 知っているはずだった。
 しかしそれでも奪われた。
 加速度的に増加した重量が跳び上がった勢いを急速に止め、さらには地上へと引きずり落とそうと牙を剥く。


「ぐっ!?」


 抗えないほどの超重量を発揮した羽の剣は、魔力のヒモでがっちりと結ばれ引きはがすことが出来無い。
 それでもケイスは抵抗をして見せようと、自らの闘気を剣に伝えようとしたが、剣に弾かれるかのように浸透しない。
 ラクトの闘気が込められているからか?
 それとも羽の剣に宿る粗たるラフォスの意識が拒むのか?
 どちらか判らない。


「っが!?」


 体勢を崩したままケイスは落下を続け、左半身を下にして石畳に全身を強く打ち付ける。
 結界が有るから痛みはほとんど無い。
 しかし衝撃だけは伝わってきて身体全身が痺れる。
 だがそれよりも何よりまずいのは左手が地面に固定され、動けないこと。
 羽の剣はまだ重さを保ったまま。
 剣と左手を繋ぐ魔力の光は薄れてきているが後数秒は掛かる。
 虎ばさみに掛かった獲物と変わらない。
 ラクトの気配を闘気を、背後に、直上に感じる。
 自分なら背を向け地面に横たわる相手になら、振り下ろしの一撃を打ち込む。
 おそらくラクトはそうする。
 どうする?
 両手が使えず、地に捕らわれたままで。
   

「舐めるな!!!!」


 自らを叱咤する為にケイスは吠える。

 両手が使えない?

 それがどうした!

 地面を這うことしか出来無い?

 それがどうした!

 幼い頃から戦いの渦中にいるケイスにとって、四肢を失ったことなど数え切れない。

 首しか動かずとも、口と歯を使って地面を噛み喰いながらそれでも這い進んできた。

 なぜそこまでするか?
 
 負けない為だ!

 自分の運命を縛り付ける理不尽なこの世の全てに抗う為だ!
 
 この世の全てを敵に回そうとも、自らの意志を貫き通す為だ!
 
 無数に積んだ戦闘経験と、無限の闘志が負けを拒否し、ケイスの体を動かす。
 ラクトの位置は読めない。見えない。
 ならば直感に従うのみ。
 首を曲げ胸元のナイフを口で引き抜き、足元に向かって投げる。
 滑るナイフの柄を両つま先で捕らえ切っ先を構える。
 自分は剣士だ。
 ならば両腕を使えずとも、剣さえあれば戦う。戦える。
 膝を曲げ太ももの力と全身のバネを使い、ケイスは己の体を跳ね上げる。
 本来であれば剣を構える両手で大地を踏みしめ、大地を駈ける為の両足で握ったナイフを天から襲来する天敵に向かって繰り出した。
 



[22387] 剣士と魔法陣
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/08/23 00:23
 勝負は一瞬。
 それはほんの一瞬。
 一瞬の攻防で膠着していた勝負が大きく動く。
 呼吸を変えたケイスが一気に攻撃速度を跳ね上げる。
 舞台上の大半を見渡せる観客席からさえも、油断すれば見失いそうになる速度と、視線を眩ます急角度を刻みケイスは怒濤の連続攻撃へ。
 息つく暇も無い一方的な攻撃に、ラクトはゴム鞠のように舞台上を撥ね跳ばされ、打ち上げられた。
 かろうじて体勢を立て直し、魔具をいくつか起動させ、致命的な一撃だけは避けたラクトに対して、ケイスは再度ワイヤーナイフを投擲。
 宙にあるラクトの右足にナイフを絡め捕らえ、ワイヤーを巻き取り引きずり下ろすことで、軽量化の指輪がもたらす回避能力を封殺。
 止めの一撃を放とうとケイスが地を強く蹴り宙へと飛翔。
 誰もがケイスの勝利を確信しかける中、ラクトが反撃を開始。
 羽の剣が持つ重量変化を用い自分の身体を僅かに沈め、ケイスが放った飛び突きを皮一枚で回避。
 ケイスの虚を突いたラクトは、無詠唱、無触媒、陣を用いず魔術を使用する奥の手を用い、発動させた初級魔術のマジックロープでケイスの左手と羽の剣を縛り付ける。
 さらに即座に羽の剣へ闘気を注ぎ、生み出た超重量を持ってケイスを地上へと落とし束縛してみせた。
 ケイスの最大の武器は、ラクトの視認可能範囲内から軽々と抜け出すその速度。
 自慢の足を奪われうつぶせの態勢で地上に落ちたケイスはもがき、拘束から逃れようとしたが、いくらケイスといえど、大岩よりも重くなった羽の剣と繋がったままでは、その場を動くことが出来ずにいた。
 だがラクトも右足をワイヤーで拘束され、もう片方の端はケイスが先ほど地を蹴った位置にハーケンで固定されている。
 ケイスが落ちた場所からは若干離れていて着地することになるが、ここが千載一遇の機会と判断したのか、ラクトは立て続けに魔具を起動させた。
 左手の指輪型魔具から炎を呼び出し、折れ曲がった杖に付与し振るって反転しながら可燃性のワイヤーを叩き切り束縛から抜け出す。
 反転することでケイスの姿を捕らえたラクトが、軽量化の効果を解除と同時に自分の背中側で空気弾を炸裂。
 無理矢理に軌道を変化させたラクトが、ケイスの直上から炎を纏った杖を振り下ろし、猛禽のように襲いかかっていた。
 しかしラクトの攻撃が当たる直前に、ケイスも動いていた。
 いつの間にやら両足で抱えていたナイフをラクトに向かって突き出すという奇策を持って迎撃態勢に移項していた。
 それはわずか10秒ほどの攻防。
 ケイスが目にもとまらぬ速さで動き出して僅かの間に、クルクルと回る走馬燈のように展開が目まぐるしく変わる戦いは、決着を迎えていた。









 
 
「……く、くそ。化け物かよお前。絶対勝ったと思ったのに、あそこから攻撃してくるか普通?」


 身を守っていた結界が光の粒子となって消失していく様を見ながら、ラクトは片膝をつき乱れた息と共に悪態を吐く。
 ラクトの身につけたラメラアーマーには、ケイスが起死回生の一撃として繰り出したナイフが装甲を突き抜け突き刺さっていた。
 結界によって阻まれ鎧の下に着込んだ肌着の上で留まっているが、ナイフの刺さった位置は爆発するように早く打ちならされる心臓の直上。
 実戦であれば今の一撃で自分は死んでいた。
 心臓を鷲づかみにされた感触に、熱い身体が急速に冷えていく悪寒をラクトは覚える。
 背中からの攻撃で見えていないというのに、見事に勘で合わせてきたケイスの実力にラクトは改めて驚嘆していた。     


「むぅ。失礼なことを言うな。私が化け物というならお前はどうなる。見事に私の首を叩きつぶしてくれたでは無いか」


 満身創痍なラクトに対して、逆立ちをした体勢のままでケイスは僅かに息を乱していながらも涼しげな声で答える。 
 ケイスのナイフがラクトの心臓を穿つとほぼ同時に、ラクトの振り下ろした杖もケイスの背中から首に掛けて致命的な一撃を加えていた。
 結界が無ければ自分は首を叩き折られていたと、さしものケイスも認めるしか無い。
 ケイスwp拘束していたマジックロープが、その身に纏っていた結界と共に光の粒となって消えていく。
 それと共に、頭部を覆っていたフルフェイスタイプの兜が、ラクトの振り下ろした杖によって鎧と繋がっていた留め具を破砕されていたのか、カランと音をたてて落ちた。
 兜と共に落ちた留め具の破片がケイスの首筋に突き刺さり僅かに皮膚をなぎ血が一、二滴、付着する。
 僅かながらも先ほどまで無かった肉体の損傷は、結界が完全に消えきった確かな証拠だ。
   

「っと。ようやく消えたか。むう少し首元を切られたな」

 
 腕の力だけで跳んだケイスがクルリと回って、ラクトから距離を取ると、今できた切り傷をごしごしと袖口でこすってから笑顔を見せた。
 先ほどまでの戦闘に狂った笑顔では無く、憑き物が落ちたように晴れ晴れとした顔だ。


「ひとまずは賞賛させてもらうぞ。ラクト・マークス。あそこでまさか無詠唱で術を繰り出してくるとは思っていなかった。見事だ」


「へっ。ざ、ざまあみろ。予想していなかっただろうが」


「ふむ。右手の魔具を壊しておけば十分だと判断した私の計算を超えてきたからな。完全に不意を突かれた。羽の剣を使ったのも計算か?」


「そこまでやれるか。アドリブだっての。本当は地上に縛って拘束魔具をぶち当てる予定だったっての」


 首を左右に振ってならし肩を回しながら身体を確認するケイスの質問に対し答えながら息を整えたラクトが立ち上がる。
 

「ん。そうなのか。お爺様の入れ知恵かと思ったが違ったか」


「聞きたかったんだけど、どういう意味だよ。その剣のことをまるで人扱いしてるのはよ」


 ケイスによって破壊された魔具はベルトに付けていた物が四本と右手の指輪類。
 他は魔力消費は激しいがまだ使える。
 残った物を確認しつつ、ラクトは今度は質問を投げ掛ける。
  
  
「……? お前。声が聞こえてないのか。それなのにああも見事に扱ったのか?」


 だがケイスはラクトの質問に首をかしげ、質問に対して質問を返す。


「声? んだよそれ。聞いたこと無いぞ」


 不思議そうに言われても、ラクトはただ説明通りに道具を扱っただけ。
 別段特別な事はしていない。
 胸に刺さったナイフを引き抜き、横に投げ捨てたラクトは先ほどケイスが倒れ込んだ位置に臥したままの羽の剣へと目を向ける。
 込められた闘気が完全に抜けたのか、剣はぐにゃりと曲がっていた。


「むぅ。どういう事だ。お爺様が自ら選んだのでは無いのか?」 

 
 一方でケイスは再度首を捻って腕組みをして考え込み始めていた。










 終わったのか……?
 中級神クラスが多数降りてくる異常事態から始まり、子供同士とは思えないハイレベルな応酬。
 異例ずくめの決闘の立会人を務める火神派神官ライ・ロイシュタルは、疑問を覚えながらも疲労する身体を何とか奮い立たせ雑談を躱す決闘者達へと近づいていった。
 依り代として代行して神術を用いる神官にとって、神の位が高ければ高いほど、数が多ければ多いほど、術行使の時間に伴い生命力を消費していく。
 下級神しか降ろしたことが無いライにとって、中級神降臨は初めてのことな上に、その数が多すぎる。
 その酔いそうなほどに強い神々の気配はまだこの闘技場には降りたままで、闘技舞台と観客席を隔てる遮断結界は健在だ。。   


「神官殿。一応確認しておくがどちらの攻撃が先に決まったのだ?」


 腕組みをして考えごとをしていたケイスがライの姿に気づくと、再度無邪気な笑顔をうかべ尋ねた。
 花のような笑顔を浮かべる令嬢然としたケイスが、先ほどまで子供離れ、いや人間離れした戦いをしていた。
 一番近くで見ていたライでさえ、つい白昼夢のような現実感の無さを覚えてしまうほどだ。


「同時です。勝者が決まった段階でその先からの攻撃は全て無効化されます。今回はお二人とも結界が破壊されましたので攻撃は同時に着弾。結果は引き分けとなります」


 その笑顔にどうしても嫌な予感しか覚えないままにもライは答える。
 まさか……まさかとは思うが。


「ふむ。やはりそうか…………ここから先は結界無しの殺し合いになるが続けるぞ。ラクト構えろ。私たちの間に引き分けは存在しない。どちらかが倒れるまでが勝負だと。お前も判っただろう」
 

 ライの予測を真正面からぶち抜き、ケイスはあっけなく続行を宣言し、左手に握っていた剣をラクトに向けて突きつけた。
 ケイスの目が、顔が語る。
 冗談の欠片は1つも無い。
 殺し合いとなることを百も承知で、まだ決闘を続けると。
 狂ったケイスの思考に対してラクトに驚きは無い。
 そうなるだろうと思っていた。
 引き分け等存在しない。
 何故かケイスの言葉が、今のラクトにはしっくりと理解が出来た。

 
「やっぱ。そうなるか……良いぜ化け物。掛かってこいよ」


 息を整え、魔具、身体状況のチェックを終えたラクトはケイスに向かって、折れ曲がった杖を構える。
 刃を交えて判った。
 いや、さらに強く自覚した。
 理由はわからない。どうしてか判らない。
 だが自分はケイスだけには負けられないと。
 心の奥底が、魂がそう激しく訴えている。


「良い言葉だ! 神官殿、続けるぞ! 合図を出せ!」


 兜がとれ素顔を見せたケイスは野生の狼のように獰猛な笑顔で吠える。
 ケイスが浮かべた笑顔。
 その意味は、自分を理解してくれる敵が存在する喜びに他ならない。
 倒したい。喰らいたい。
 獰猛な龍としての本質がケイスを振るわせ、狂わせていく。
 

「ち、ちょっと待てお前ら!? 判ってるのか!? 結界が消えてるんだぞ! 怪我じゃすまねぇぞ!?」   


 だが再宣言を促されたライはたまった物では無い。
 体面をかなぐり捨て、素の声をあげる。
 先ほどまでは結界があっても身を竦むような戦いを見せていた二人。特にケイスだ。
 ケイスが最後の最後に見せた動きは、本気になった探索者を思わせるほどに、獰猛で凶暴な物。
 身を守る結界も無く、あんな攻撃を受けたらラクトの命などひとたまりも無い。
 しかも両者の状態は違いがありすぎる。
 兜を破壊された程度のケイスに対して、魔具をいくつも破壊され満身創痍なラクトとでは、この先の結果など火を見るよりも明らか。
 まともな勝負になるとは思えない。


「見届け人! この馬鹿共を説得しろ! 結界無しで続ける気だぞこいつら!」 


 新米といえどライとて決闘を司る火神派神官。
 ヒートアップした決闘者達が度を超した無謀な殺し合いを選択する場合の対応策も、叩き込まれている。
 壁際の見届け人席に設置していた結界を解除し、見届け人となっているルディアとクレンを呼び寄せる。
 見届け人が決闘を止める権利が生じるのは、延長戦が始まってから。
 しかしケイスの速度では見届け人が止める為の声を発する前に、殺してしまいかねない。


「てめぇラクト! なに考えてんだ!? むざむざ殺される気か!? 十分やっただろうが!」


 結界解除と共に席を飛びだしてきたクレンが、怒鳴り声を上げる。
 確かにラクトはここまでケイス相手によくやった。
 だがそれもここまでだ。
 これ以上は勝負にならないと説得しようとする。 


「途中で止めんなよ親父! こいつだけには負けるわけにはいかねぇんだよ! どっちかが倒れるまでやり合うからな!」 


 しかしラクトはケイスから目を離さず、背中越しに聞こえてくる怒声に対して怒鳴り返す。
 その声の強さにクレンは戸惑う。
 自分の息子だから判る。
 狂ったのでも、ケイスに引きずられたのでも無い。
 ラクトが本心からケイスとの戦いを、決着を求めているのだと。


「ま、待て! ケイス! 今のお前なら一撃でラクトを倒しちまうだろ!? 止めろ! 頼む! 止めてくれ!」 


「すまんクマ。ラクトが望んでいるし、何より私も望んでいる。喜べ。お前の息子は私も認めるほどの才能を持っているぞ……ルディ。それ以上は近づくなよ。お前でも斬るぞ」


 藁にもすがるつもりでケイスに声をかけるが、ケイスはやる気に満ちた声で返し、ちらりと後ろを振り返り、無言で近づいていたルディアを牽制する。
 ルディアの右手には数粒の魔術薬が握られ、左手には風を呼び起こす印が象られていた。   

「あんた。なんでそこまでやり合う気なのよ……ほんとに殺しちゃうわよ」


 目に込められた狂気的な力に気圧されながらも、ルディアは普段通りに落ち着いた声でケイスに語りかける。
 少しでも正気に戻ってくれればと思ってだが、 


「今のラクトと戦いたいのが、私の願いだからだ」


 ケイスはいつも通りの強気な答えを平然と返す。
 ルディアの手に握られた丸薬の正体はわからずとも意識を奪う類いの魔術薬であろう。
 魔術抵抗力が皆無のケイスでは発動してからでは抗う術が無い。
 だからその前にルディアを斬る。
 本心から望んでいなくとも、後で後悔しようとも、今の自分の願いを優先する為に斬る。 戦いに狂うケイスの精神は、人としての論理を大きく踏み外す。
 己の願いの為に、邪魔する物を全てを敵に回す存在へと。
 








(近づきすぎたかな……しまったわね)


 ケイスを確実に魔術薬の効果範囲に捕らえようと、なるべく接近した事をルディアは後悔していた。
 まさかケイス相手に自分が駆け引きすることになるとは。
 己で引いた貧乏くじを恨みつつもルディアは考える。
 この少女は魔術薬を使おうとした瞬間、自分の両腕を切り落とすつもりだ。
 ケイスの目を見れば判る。
 旅の途中で出くわした野生動物と同じ。
 冗談の通じない本気の目だ。
 何とか気をそらしてその瞬間に魔術薬を使い眠らせられるか。
 ケイス相手に我ながら無謀な事をしていると思いつつ、周囲を探ってケイスの気を引く何かが無いかと探し、ラクトの足元に目を飛ばし、


(あれって……魔法陣?)


 ルディアは、ふと違和感に気づく。
 それはラクトの足元。
 ケイスの兜が転がった辺りに、蛍のようなほんの小さな赤い光が発生して、クルクルと高速で回りながら地面の上に図面を描き出していた。
 その動きは複雑で読み切れないが、魔法陣をいくつも重ねた積層球型複合魔法陣を描いているように見えた。
    

「ねぇ……あんた。兜にもなんか仕掛けしてたの」


 ケイスがウォーギンに頼んでナイフに仕掛けを施しているのは知っていたが、あちらにも何かしていたのか。
 思わず口から出た問いかけにケイスは、


「どういうっ!? ラクト足元だ! そこを離れろ!」


 ルディアの声に己の落ちた兜に目をやったケイスがその顔に驚愕の色を浮かべ、初めて聞いた悲鳴めいた焦り声で警告を発した。


「あぁ?」


 ラクトがケイスの声に足元を見下ろしたときその魔法陣は完成を迎える。


「な、なんだこ!? うがぁぁぁぁぁぎゃぁぁっ”!?」


 ラクトがあげた驚きの声が即座に悲鳴に変わる。
 完成した魔法陣がラクトの足元に広がり、地面の石畳が水のように液体化しその両足を瞬く間に這い上がっていく。


「鼃っ!? ぎゅぁつ?」


 激痛を伴うのかラクトの悲鳴は締め殺される動物のように意味を成さず、その足元で怪しく輝く魔法陣は全てを恐怖で硬直させるほどに恐ろしく禍々しい気配を纏っていた。
 魔法陣から漂うのは龍の気配。
 この世の頂点に君臨する絶対捕食者。
 足元から喰われていくラクトを見ても誰も動けない。
 目もそらせない。
 父親であるクレンも、修羅場をかいくぐった探索者であるライも、ただの薬師であるルディアも。
 ただ見るしか出来無い。
 全ての生物を竦ませ、跪かせる強者の気配に抗えずにいた。
 何が起きたのか理解し、どうするべきかを決断し、戦うと決めた、ただ一人の存在を除いて。


『帝御前我剣也』


 ケイスの声が響く。
 それはルディアには聞き覚えのない言葉。
 意味を理解出来ない言葉。
 それは遥か昔に滅びた国の言葉。
 王を守る一族に伝えられた戦いの言葉であり、誓いの言葉。
 絶対に負けられない戦いに挑む、不退転の決意を示す言葉。  
 自らの好きな人達を、好きな者を守る為に全力を出す言葉。
 剣を授けてくれた祖母に教えられ、亡き母と交わした約束の言葉。
 それはケイスを人に戻す言葉だった。






 倒れ込むように跳びだしたケイスは意識を最大に加速させる。
 有する知識、記憶を総動員し対処方を考える。
 呑まれた部分はどうにもならない。
 全身を呑まれたら、いや胴まで達したらアウトだ。
 石化した部分は戻らない。
 祖母に聞いた昔話ならそのはずだ。
 ならば、狙いはラクトの全身を覆うラメラアーマーの膝関節部。


「邑源一刀流。虎脚一閃!」  


 返した右手手甲を剣の刃元に押し当てケイスは低い体勢で跳ぶ。
 素早い魔獣相手に機動力を奪いつつ懐に飛び込む突撃技。 
 ラクトの足元に広がる魔法陣をスレスレに飛び越えながら、膝を覆う頑丈な膝当てを目がけ、自らの力と勢いのままに突っ込む。
 押し負ければ自分が魔法陣に捕らわれる。
 しかしケイスに恐怖は無い。
 ラクトを助ける。
 自らの剣についてきた者を、天敵を助ける。
 その一心しか無い。
 だから足を竦ませることも無く、速度を落とすことも無い。


「!!!!!!!!!!!!!!!!」


 鋭く重いかまいたちと化したケイスの剣がラクトの膝当てを砕き、次いでその両足を砕き肉と関節諸共に切断し、ラクトが声にならない悲鳴を上げ泡を吹き気を失う。
 飛び込んだ勢いのままケイスは、ラクトに体当たりをしてその身体を抱きかかえ、魔法陣から大きく離れ脱出する。
 ラクトを抱えたままケイスがごろごろと転がる間も、足の大動脈を断たれたラクトの両足から噴水のように血が噴き出し、ケイスの身体を赤黒く染める。
 脱出は出来たがこのままではラクトは失血死する。


「心打ち!」


 自らの闘気を込めた掌底をラクトの身体に打ち込みその心臓を一時的に停止させた。
 一時しのぎにしかならないが、それでもラクトの切断された足から流れ出る血の量はみるみる勢いを無くす。
 強引な手で出血量を抑えたケイスは立ち上がり、ラクトの両足が残された場所を睨み付ける。
 全身を呑まれるのは防いだが、これでどうなるかケイスにも判らない。
 だが心がざわめく。
 怒りが渦巻く。
 殺意が吹き荒れる。
 これは敵では無い。
 自らの心を弾ませる者では無い。
 楽しくない。
 憎悪しか浮かばない。 


「クマ! ラクトを連れて端に避難しろ! ルディは今すぐラクトの止血を! 神官殿は結界をなんとしても維持してくれ! 起動魔法陣の魔力波動が外に伝われば、古い連中も動き出すやもしれん!」


 剣を構えケイスは吠える。
 魔法陣から漂う龍の気配に負けじと、声を張り上げる。
 ケイスの叫びが束縛されていた三者の呪縛を解き放つ。


「な、あん、あんた一体今何!? なに起きたの!?」


 ラクトの両足を切断したケイスがの凶行が、ラクトを助ける為の物だとルディアは本能で理解するが、それでも状況に意識が追いつかず悲鳴じみた声で説明を求める。


「これはウォーギンから見せてもらった魔法陣の完成形だ! 離れていろ! こいつは生物を喰らうぞ!」


「喰らうって!?」


「生物を喰らって核を形作り完成するというカンナビスゴーレムという奴だ!」


 遥か昔。暗黒時代に猛威を振るい、何万者の戦士達の血、肉を喰らい続けた悪名高き魔法陣。
 その名はカンナビスゴーレム起動魔法陣。
 当時の龍王。赤龍王の血を元に作られた魔法陣。
 次代の龍王。ケイスの血を得て完成した魔法陣。


「いいから早く下がれ!」


 完成する前に核を粉砕するしか無いが、中心となる核がどこにあるか判らない。
 ならば……目につく範囲内を全て斬り尽くす。
 斬りかかっていたケイスが、その一撃目を叩き込もうと剣を振り降ろし、


「っ!」


 地面が沸き立ち一瞬で完成した石像がその右腕に持っていた巨大な石斧を振るって、ケイスの渾身の一撃を軽々と受け止める。


「ぐっ!?」


 剣を受け止めた斧の柄から発生した無数の棘が勢いよく打ち出され、ケイスを串刺しにしようと襲いかかった。
   


 


 













 サブクエスト『カンナビスの落日』第1段階発動。

 結界解除時旧ゴーレム群再稼働。

 結界解除条件。

 赤龍敗北。

 もしくは百武器の龍殺し死亡。



[22387] 剣士と剣 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/08/26 00:00
 時はまだ明け空は遠き暗黒時代。
 所は砂の海に浮かぶ破壊されたオアシス都市『ラズファン』
 暗き湖面に映る水月を見ながら、誰かが言った。
 カンナビスゴーレムは、まるで水面に映るこの月のようだと。
 本来ゴーレムとは、一体一体ごとに独立した1つの核をもつ仮想生命体。
 だがカンナビスゴーレムは核となる魔法陣を持つ本体以外は、全てが写し身。
 一つの魔法陣が国一つにも匹敵する範囲内に影響を及ぼし、自然現象的にわき出す数多の石人形。
 水面に映る月を幾度崩しても、水面が静まれば元のように映るのと同じように、幾度破壊しようとも、時間経過と共に何度もゴーレムは蘇る。
 無限にわき出すゴーレムにより幾人もの勇者、戦士が命を落とし喰われ、そのたびにカンナビスゴーレムは強化されていく。
 剣技に優れた剣士が喰われれば、剣を持つゴーレムが。
 強大な広範囲魔術を駆使する魔術師が喰われれば、一撃で城塞を破壊する魔術を放つゴーレムが。
 翼を持つ翼人が喰われれば、空を駆け巡るゴーレムが。
 一人喰われるたびに、新たな一体が出現する。
 朽ちず、砕けず、増殖を繰り返す。
 勇者達がその事実に気がついた頃には、既に一万を超える者達が倒れ臥した後だった。
 誰かが言った。
 水面に映る月は壊せない。
 静まりかえるオアシスに絶望の影が差し始めたとき、深紅の鬼面で顔を隠した一人の若武者が立ち上がり、静かに告げた。
 ならば月を壊そう。
 無謀な言葉を聞いて、また別の誰かが自虐気味に笑った。
 どうやって?
 月は……本体のゴーレムは、常夜の砂漠を抜けたその先。
 再生し続ける無限のゴーレムと、凶暴な魔獸が跳梁跋扈する地獄をどうやって抜けて月に至る。
 深紅の面を被る武者はその問いかけに答えず立ち上がり、傍らの愛刀長大な長巻を手に取る。
 剣こそが若武者の言葉。
 数千の勇猛果敢な言霊よりも、一降りを持って己を語る。
 言葉少ない赤鬼に代わりに、隣に腰を下ろしていた漆黒の鬼面を被る若武者が声を発する。
 ならば我らが月へと至る道を開く。
 我らが目指すはここより遥か先の地。
 大陸の東の果てに鎮座する赤龍王の茵。
 龍王を討つ道はまだ半ば。
 月ごときにたどり着けぬ位では、龍王の首など夢のまた夢。 
 漆黒鬼面の若武者は、奢るでも滾るでも無く、ただただ淡々と言葉を紡ぎ、自らの言葉を真にする為に、また立ち上がる。
 彼の者達が身に纏う揃いの古風な武者鎧に家名を示す紋は無い。
 その素顔さえも色違いの鬼面で隠す若武者達に、名乗るべき名は無い。 
 己が宿願を叶えるその日まで、己が氏素性を全てを封じた名も無き若武者達。
 忠誠を誓う主たる勇者フォールセン・シュバイツァーの先駆けとなり魔物へと切り込む二振りの剣鬼達。
 やがて彼の者達は主と同じ二つ名で呼ばれることになる。
 『双剣』フォールセンが有するもう一つの『双剣』と。


















「ラクト!? おい! しっかりしろ!? ラクト!?」


 ぐったりとし微動だもしないラクトを抱え、クレンの悲痛な叫びが響く。
 叩き斬られた膝から下は。赤黒い肉と不気味なほどの真っ白な骨の色が入り交じった無残な傷口が顔を覗かせていた。
 

「マークスさん落ち着いて! 危ないですよここ!」  


 半狂乱状態のクレンには声が耳に届いているのかさえも疑わしいが、ルディアが必死に呼びかける間もその周囲には小枝ほどもある石棘が突き刺さっていく。
 ゴーレムが振るう石斧を受け止めるたびに、その柄からわき出す石棘に対して、ケイスは不動の構えで斧を受け止め、発生した石棘を弾き続ける。
 ケイスの持ち味は俊足を生かした機動力。
 そこに常識離れした高回転する頭脳と、異常なまでに速い決断力を合わせ、敵の攻撃を華麗に避けて見せる。
 だがケイスは今は足を止め、己の数倍はあるゴーレムの前に仁王立ちし果敢に立ちふさがる。
 何故避けないのか。
 何故その持ち合わせた早さで翻弄しないのか。
 小さなその背を見ればその答えは自明だ。
 背後のルディア達を気遣い逃げるまでの時間稼ぎとして、己の身を防壁としていた。
 その背が雄弁に語る。
 自分の後ろにいる者達には傷一つもつけさせない。
しかし身に合わぬ戦いをする代償として、自分の防御が疎かになっているのだろう。
 致命傷は避けているが、それでも一撃、一撃事に軽いとはいえ手傷が増えていく。
 こめかみ辺りを掠めた石棘によって、まとめ上げていた黒髪の一部が千切れ、髪の下からにじみ出した一筋の血が怒りの形相を彩る。


「っぐ! やってくれたな!」


 痛みを怒りに変えたケイスの怒声が響く。
 逃げた方が楽だろう。
 回避すれば全て避けられるだろう。
 それでもケイスは譲らない。
 自らが守ると決めた。
 ならば自分の戦いの場は、剣を振るう場所はここだ。ここしか無い。


「この程度で私を抜けると思うな!」


 自らの長所を殺し、絶対不利な防戦を続けながらもケイスは気を吐く。
 ケイスの声が、その発する溢れんばかりの闘気が、ゴーレムがその石で出来た身体の中に覆い隠してもなお伝わってくる不気味な気配を打ち消し遮断する。
 

「薬師の嬢さん! 親父さん寝かせろ! 俺が二人とも担ぐ!」


 闘技舞台を覆う遮断結界を維持する為に右手に印を組んだままゴーレムを警戒していたライがルディア達へと駆け寄ってくる。
 結界の維持で疲労の色が見え始めており、今はケイスに加勢するよりも避難を手伝った方が良いと判断したようだ。


「わ、判りました!」


 ルディアは指を弾き、先ほどケイスに使おうとしていた即効性の睡眠魔術薬を気体化させてクレンの顔に飛ばす。
 我が子を心配するあまり周囲を見る余裕も無いクレンは、気体化した魔術薬をあっさりと吸い込みすぐに気を失ってしまう。


「上出来だ! 逃げるぞ!」


 ラクトを抱えたまま倒れ込んだクレンの身体を受け止めたライは、印を組んだ右手は使わず、左腕のみですくい上げるように無理矢理に二人を持ち上げた。
 現役を引退した後衛職と言えど、ライもまた探索者の端くれ。
 そこらの下手な力自慢よりは力は強く大人と子供を一人ずつ抱えているとは思えない軽々とした動きで、ボイド達が詰め寄っている南側の観客席に向かって走り出した。


「良いわ! 退避するからあんた自由に動いて!」


 ルディアはライの後を追って走りはじめながら、後ろを振り返って今も壁を続けているケイスに合図を送る。
 逃げろと言わない。
 周囲は結界で閉じられ外に逃げることは出来ず、ゴーレムが止まる気配も無い以上、生き残る為に誰かが戦うしか無い。
 結界内の人間で、モンスター相手に戦う事が出来る実力を持つのは神官であり探索者でもあるライと、化け物じみた戦闘力を持つケイスの二人だけだろう。
 しかしライは今は結界の維持だけで精一杯。
 実質戦えるのはケイスしかいない。
 第一ケイスに戦うなと言っても無駄だ。
 逃げろと言っても、自分が倒すと挑んでいくだろう。
 そのくらいは判る。  
だからルディアは、戦うケイスの背を押すことしか出来無かった。













 観客席にいた者達には一体何が起きているのか、ほとんど判っていなかった。
 闘技舞台を覆う結界は、内部を見ることも出来るし音も聞き取ることが出来る。
 だが結果外に危害を及ぼす可能性の有る物は全て遮断する、中位神の力によって張られた高度な結界。
 結界内に溢れる心身を威圧する龍の気配は一筋さえも外に漏れず、外の者達にはラクトの持つ魔具から発生したゴーレムが暴走していると受け止められていた。


「あれがカンナビスゴーレム!? ちょっとライ! この非常時につまらない冗談言ってないで早く結界を解きなさいよ!」


 逃げ出してきたライ達の説明を聞いたセラが、信じられないと猜疑心が溢れた顔を浮かべながら、怒りの声をあげる。
 ルディアの治療でラクトの両足の止血は出来たが、所詮は応急処置。
 早くちゃんとした医者に診せたほうが良いのは言うまでも無い。
 既にキャラバンの長であるファンリアや同隊の商人達が、医者の手配や切断した両足を再生できる高位な治癒神術師と連絡を取る為に動き出している。
 それにケイスの方とて、足を使えるようになったからと言っても、圧倒的に不利な状態から抜け出しただけ。
 ゴーレムに向かって何度も切り込み、攻撃を繰り替えしているが、その刃は全て斧によって防がれ、打ち込むごとに斧から生み出される石棘によって追撃を阻まれている。
 ラクトを助けようにも、ケイスに助太刀しようにも、ライを通して張られた結界が邪魔して、誰も中に侵入することが出来ず、誰もが歯がゆい思いをしていた。


「解けるか! あのガキの判断が本当か嘘かは別としてもやばいんだよマジで! 外には伝わってないから、分からねぇだろうがあのゴーレムは洒落にならねぇぞ! マジで外のゴーレム共が蘇ったらどうすんだよ!」  

 
 離れているというのにゴーレムからわき出る気配は、心臓を鷲づかみにされるような圧迫感を伴う。
 ケイスが言う通り、あのゴーレムがカンナビスゴーレムだという確信はライには無い。
 ただの子供の発言なら、戯れ言と聞き流せる。
 だがケイスの結界を解くなという言葉を無視が出来るほどに、誤りだと判断する材料も少なすぎる。
 見た目は可憐な美少女だが、化け物じみた力を持つケイスの判断であり、本人が必死に戦う様を見ても、あの言葉を本気で言っているのは間違いない。
 カンナビス前の砂漠に広がる、巨大な石人形達が伝説通りに動き出せば、街どころか国の一つも容易く葬ってしまうだろう。


「冗談でしょ! 一体どうなってるのよ!?」


 ライの剣幕にその真剣さを感じ取り、このまま手をこまねいているしか無いのかと、セラは頭を抱える。
  
 
「だけどいくらケイスでもこのままじゃやばそうだぜ! 体力が切れたら一気に持ってかれる。その前にライさんだけでも加勢できねぇのか!?」


 攻めあぐねるケイスの様をみた、ヴィオンが体力切れを心配する。
 ケイスを支えるのは闘気変換がもたらす肉体強化。
 そんなケイスの弱点は、自他共に認める持久力の無さ。
 全力を出せば出すほど、多くの生命力を使いその戦闘時間は短くなる。
 既にラクトと一戦を交えた後に、ゴーレムとの戦闘という連戦。
 鍛錬の時に動きが悪くなった時間を考えれば、もう何時足が止まってもおかしくないほどの戦闘をしているはずだ。


「悪い! 情けない話だが結界を張ったままじゃ、まともな神術は使えそうもねぇ。それ以上に情けないのが、俺の腕じゃ接近戦闘で逆にあのガキの邪魔になる!」


 ライは神官。後衛として神術による味方の能力補助や、雑魚敵の引きつけなどをメインの役割とする。
 ケイスの加勢に加わっても足を引っ張るだけだ。
 中位神の力による結界を張っている今はまともな戦力になれないと臍をかむ。
 

「ともかくロイター所長に来て貰え!」 


 ルーフェン鍛錬所の最高責任者であり、火神派大神官でもあるロイターの名をライはあげた。


「そっちは大丈夫だ! 今姉貴が呼びに行ってる!」


 異変が起きてすぐにロイターに救援依頼を頼んで来るとスオリーは席を立っていた。
 後、数分もかからず戻ってこれるだろう。
 神術の真髄を知るロイターならば、結界を維持したままで人を結界内に送り込む方法を知っているかも知れない。
 だが問題はそれでも時間だ。
 何かを行うにしても準備に時間を掛けている暇があるだろうか。
 ラクトはかろうじて安静を保っていられたとしても、ケイスのほうはいつまで持つか判らない。
 ケイスが倒されれば、結界内でまともに戦える人物はいなくなる。


「打つ手無しかよ! ボイドなんか考え有るか!?」  


「ライさんの話がマジで、ケイスの判断が当たってるとなると、今の段階じゃどうしようもない」


 言葉だけを聞けば諦めたようにも聞こえる発言をしながら、ボイドは鋭い目付きでケイスとゴーレムの戦いを凝視している。
 自分が加勢できれば。
 拳に力を込めボイドは切に思う。
 ケイス一人では本体まで切り込めていないが、もう一人攻撃役がいればゴーレムの注意を引きつければあの程度ならケイスならどうにでもなるというのに。
 ……どうにでもなる?
自分の心に浮かんだ判断にボイドは疑問を抱く。
 いくらケイスが強いといえど、探索者の本気には遠く及ばない。
 ましてや上級探索者とは雲泥の差等という尺度でも甘いほどの開きがある。
 カンナビスゴーレムは伝説の化け物。
 数多の上級探索者達が命を絶たれ倒れ臥したという。
 そんな伝説の化け物を、ケイスは手をこまねいているとはいえ戦ってみせている。
 本当にそんな事が出来るのか。
 街の下に広がるカンナビスゴーレムの残骸はその砕けた指の一本を取っても、城の塔ほどもあるほどの巨体。
 だが今ケイスが相手取るのは精々全高5ケーラほど。
 いくら何でも伝説とは違いすぎる。


「ウォーギンさん。あんた魔具のプロだろ。あれ本当にカンナビスゴーレムなのか? 伝説と違いすぎるだろ」 


 餅は餅屋に任せるに限る。
 ゴーレムが出現した瞬間から声を無くし、穴が開くほどに凝視しながら懐から出した紙束にペンを走らせ書き殴っていたウォーギンにその真贋をボイドは確認する。


「表の連中と違いすぎるってんだろ。あぁ違いすぎる!」 


 顔を上げず手も休めず複雑な魔法陣をいくつも描きながら、ウォーギンが苛立ちを込め声を荒げる。
 ボイドの声は聞こえているようで、答える意思もあるようだが自分の計算の方に夢中になっているようだ。 


「薬師の姉ちゃん! ケイスの奴はこう言ったんだな! あいつは生物を喰らうって! 喰らって完成するって! 確かに言ったんだな!」


「え……えぇ確かに言ってましたけど」


「姉ちゃんラクトの足に魔具は着いてるか!? 攻性防御魔具だ! 見てくれ!」


「ありませんよ! さっきのあの子の攻撃で、膝から下を切断されてるからあるわけ無いでしょ!」


 見るまでも無いのに、何故そんな事を聞いてくるのか判らず、ルディアもついつい苛立ち声で返すと、ウォーギンは頭を掻きむしる。


「待て待て冗談だろ! いやだがそういう事か! ケイスの奴そこまで読んだのか一瞬で!?」
 

 己の中で合点がいったのか、ペンを投げ捨て手を止めたウォーギンが頭を掻きむしる。
 だが周りの者には何が何だか理解出来ない。


「ちょっとウォーギンさん! 自分ばかり納得してないで説明してよどういう事よ!?」


「落ち着けセラ! ウォーギンさん頼む。俺らにも判るようにかみ砕いて説明してくれ」


 今にもウォーギンに掴み掛かりそうに焦っている妹を引き寄せて口を塞いだボイドは、焦る自分の心を押しとどめ意識的に冷静な声で再度問いかける。
 混乱した状態で情報共有に不備があって、取り返しのつかない状況になることなどよくある話。
 一度冷静になろうと目で訴えるボイドの視線に、ウォーギンも息を吐いた。
 

「あ、あぁ悪い……結論から言うぞ。アレが本当にカンナビスゴーレムかどうかなんて俺にも判らん。稼働した完全体を見たことも無いのに断定できるわけがねぇだろ。だが厄介なことには変わらん。ケイスが言ったなら結界は解くな。絶対にだ」


 ウォーギンがゴーレムを睨み付け、周囲の者もその視線につられゴーレムの方へ目を向けた。
 状況は変わらず、切り込んだケイスが攻撃を防がれ、発生した石棘に阻まれ後退を余儀なくされる膠着状態だ。


「あのゴーレムは生物だけじゃねぇぞ。たぶん物も喰らう。要は自分の力に変えちまう。さっきからケイスが剣を打ち込んだり斧を防ぐたびに、柄から生み出されている石棘が証拠だ。ラクトの足首に付けていた攻性防御魔具『石矢の盾』と同じ効果を持ってやがる」


 足輪型の魔具『石矢の盾』は地面を踏みならす事で目の前に使用者を守る石壁を生み出す盾であり、同時に受けた物理攻撃の衝撃を、正反対の方向に石矢として打ち返す性質も持った攻防一体の魔具。
 形は違うが先ほどからゴーレムが振るう石斧が衝撃を受けるたびに、石棘は発生している。
 剣と石斧がぶつかる勢いが強ければ強いほど、発生する矢の数と勢いを加速度的に増して。   


「ケイスの発言からして、あのゴーレムは魔具を取り込みやがったって事かも知れない。だから他の魔具も取り込まれ無いようにぶった切ったんだろうよ。要は喰えば食うほど強くなるって事だな……伝説のカンナビスゴーレムって奴はその進化形。巨人族やら鳥人やら、伝説の武具や魔術をありったけ喰らった存在だったんじゃ無いか」


 情報が少なく、憶測でしか語れないのが技師として悔しくウォーギンは爪を噛んだ。
 稼働した魔法陣を近くで見れれば、もっと判るというのに、いくら目をこらしたところで既に体内に隠された魔法陣を見ることなど出来無い。
 実際に魔法陣を間際で見て、理解したのはおそらくケイスだけだ。
 ケイスが何を見て、どう判断したのかは本人しか判らない。
 だがしかしラクトの足を膝から叩き斬るという凶行に出なければ、厄介な事になると即断したのは間違いないだろう。
 ウォーギンの説明を聞き終えた一同は、声も無く静まりかえる。
 話が急転回すぎて頭が追いついていない。 
 それぞれがウォーギンの説明を理解し、改めて今の状況を把握するまでは数秒を要した。
 現状を理解すると同時に、一気に蜂の巣を突いたように騒がしくなるが、そこは気心の知れた幼馴染みであり、ある程度の修羅場をふんでいる探索者達。
 それぞれが自分の役割を判断し、動き始める。


「ライさん結界はまだ絶対に解くな! 洒落にならねぇぞ。そんなのが街中に出たらどれだけ被害が出るか! 万が一にも逃がさないように、外側でも迎え撃つ準備が出来るように頼んでくる!」


ボイドは今わかった情報をこちらに向かっているであろう鍛錬所関係者にいち早く伝える為に、つい先ほどスオリーが出て行ったばかりの正面口へと向かう。


「古ゴーレムが動くってケイスの予測が当たってたら、上の方はともかく下の港はすぐに壊滅するぞ! ボイド! お前んちの親父さんに信じてもらえるかわからんが伝えてくらぁ!」


自前の翼で空を駆けられるヴィオンは、探索者協会カンナビス支部長であるキンライズへの伝令役を買って出て足早に一番近い出口へと向かった。


「石矢の盾って耐物理攻撃専用魔術じゃないっけ!? ケイスの奴って物理攻撃一本でしょ!? しかもラクトが使ってないから気づいてないかも!? やばいって! 伝えないと!」


 セラは触媒液を指につけ詠唱を初めた。
 結界内に魔術は届かないが、外側の景色は見える。
 石矢の盾は物理攻撃では破壊できず、魔術攻撃による攻撃しか効き目が無い。
 いくらケイスが打ち込もうとあの斧を避けない限り、意味は無くむしろ危機に陥るだけだ。
 瞬く間にいくつもの光球を呼び出したセラが、ケイスの目に入るように光球を動かして情報を伝える為に光文字を描き出す。 


「魔具を取り込んで強化されたら手が付けられなくなる! 他に喰われた魔具があるか確認するから、技師のあんたは無い物があったら効果を教えてくれ!」 


 ライは右手で印を構え結界を維持したまま、ラクトの身体を探り、魔具が揃っているか確かめ始めた。


「判った。それと神官の兄ちゃん探りながらで良いから、あのゴーレムについて何でもいい思い出したことがあったら教えてくれ。あんたも間近で見たんだろ。何か判るかもしれん」


 ウォーギンも魔導技師としての知識を最大動員してゴーレムを解析してやろうと目を光らせる。
 各々がその能力、技術を用いてゴーレムに対処する為に動き始める。
 だがそれはどれも間接的な物であり、ゴーレムを倒せる直接的な物では無い。
 ケイスは未だ一人で苦戦を強いられている。
 何時力尽きるかも知れない等、自分が一番よく判っているのだろう。
 だがその顔には恐怖や後悔の色は微塵も無い。
 


「なんで戦えるのよあの子は……」


 一人孤独に戦う少女を見て、ルディアは思わず口にする。
 ラクトの治癒を終え容態が急変しないようにルディアは傍観するしか出来無い。
 年下の少女が抱く思いは、語らずともその剣戟を見れば伝わってくる。
 剣の一降り一降りがルディア達にいる方に被害が及ばないようにと考え尽くされ、一降り一降りが護ってみせると高らかに宣言している。
 自分はケイスを心底信用できないと伝えたばかりなのに。
 それなのにケイスは必死で守ろうとする。
 得体が知れないから。
 何者か判らないから。
 信頼できる人間関係を作るのに重要なはずの要素。
 だがそれに拘る自分が小さく思えてきてしまう。
 一度命を救ってもらった。
 だから面倒を見てきた。
 それでも心底信用してやることが出来無かった。
 何を考えているか判らなかったからだ。
 だが、今は、初めてケイスの本気の戦闘を見て、ルディアの中で何かが変わり始めていく。
 見る者を引きつけ、目をそらさせなくする。
 ケイスの剣とは、何よりもその心を表し語る物だからだ。
 剣が生み出す音に姿に引きつけられるのは何もルディアだけではない。
 神の力により意識を奪われ道具として沈んでいた魂さえも、ケイスの剣が奏でる響きは奮わせ呼び覚まして始めていた。
 

『……不甲斐ない。あの程度の石木偶に苦戦しよるとは』

 
 周囲を見たその存在は、ケイスの苦戦する様を見て不機嫌を隠そうともしない声をあげていた。









 22度目の打ち込み。
 しかしそれもまだゴーレム本体には届かず、人間ではあり得ない角度で変化した関節が繰り出す石斧に防がれる。
 己の剣が届かない悔しさを歯ぎしりする暇も無く、ケイスは右に跳ね、一瞬前まで己がいた場所を抉った石棘を回避する。


「くっ!」


 無理な体勢で回避したケイスに向かって、ゴーレムがまたも異常な角度で関節をねじ曲げ石斧を振り下ろす。
 速攻の反撃に体捌きだけの回避では無理だと判断し、剣を立て滑らせるように構え、最小限の衝撃で石斧を受け流す。
 受け流した衝撃が、石棘となって跳ね返ってくるが、それは打ち込み時の1/10にも満たない数と勢いだけだ。
 軽々と回避したケイスは地を蹴って再度距離を取る。
 光文字でセラが教えてくれた情報は心底ありがたかった。
 ゴーレムの体勢を崩そうと躍起になって打ち返していた先ほどまでなら、今のタイミングでは手傷を避けられないダメージを負っていただろう。
 だが些か遅すぎた。
 堅く重い石斧に何度も打ち込み、受け止めた剣は刃こぼれが酷くなり、根元から歪み始めている。
 空腹を覚えた胃が主張を初めた。
 剣の状態、残りの生命力を考えれば、全力で打ち込めるのはあとせいぜい数発。
 技を用いれば一撃がやっとだろう。剣も折れ、生命力も尽きる。
 認めたくない。
 認めたくは無いが、このゴーレムは今の自分より強い。
 その重厚な体躯が生み出す力はもちろん、疲れを知らぬ魔法生物ゆえに持久力では比べものにもならない。
 速さだけならば自分が圧倒的に上回っているが、下手に人間の形をしている為に、反射的に人の可動範囲で考えて動いてしまい、手ひどい目に遭っている。
どうする?
 どうするべきか?
 決まっている。
 斬るだけだ。
 それしか無い。
 それしか出来無い。
 なら悩むことは無い。
 ケイスは臆さず23度目の攻撃を敢行する。
 顔があり目がついているといっても、ゴーレムが視覚でケイスを捉えているわけでは無い。
 周囲に常設している探知術によって獲物を探しているはずだ。
 一度だけ見ただけだが、核となる魔法陣をその目で目撃しケイスは全てを記憶していた。
 複雑怪奇すぎて判る部分は少なかったが、それでも一部の構造は見えた。
 死角も取れず、フェイントも効かない相手。
 知らなければ無駄に動いて、体力を消費しただろう。
 だが知っているならなんとでもする。
 唯一勝る速度で真正面から剣を届かせる。
 その身体を抉り砕き、露出させた魔法陣を切り裂き破壊する。
 踏み出したケイスが一直線にゴーレムへと向かい、剣戟の間合いに入ったその瞬間、視界の隅でセラが撒いた光球が動き新たな文字を生み出していた。


『杖無い糸危険』


 最小限の文字数で伝える警告文章。
 その意味を理解するにはケイスの速度は早すぎた。
 既にケイスは罠の真っ直中に足を踏み入れてしまっていた。
 ゴーレムに知性と呼べる物があるのか、どうかはケイスにも判らない
 だが石矢の盾ではケイスに致命傷を与えられないと判断する程度は出来るのだろう。
 戦闘方を変更させ、いつの間にやら取り込んでいたラクトの杖に宿る魔術を発動させた。
 ゴーレムの足元に新たな魔法陣が展開され瞬く間に足元を覆い尽くす、蜘蛛糸の雲海が出来上がる。


「しまっ!?」


 ゴーレムが繰り出した自身諸共ケイスを捉えるという奇策が見事にはまる。
 剣の天才であるケイス相手に接近戦を挑むなど無謀の極み。
 だが力と頑強さで遥かに上回り、自由に動けない状態であれば、その絶対の優性は軽々と覆される。
 ケイスの目前でゴーレムが高々と石斧を振り上げる。
 このまま両断するつもりか。
 それに防いだとしても……
 1秒後に襲い来る痛みにケイスは覚悟を決め、固定された両足に力を入れ、左手で柄を強く握り、右腕で寝かせた剣の腹を支え頭上へと突き出す。
 ゴーレムが振り下ろした石斧とケイスが構えた剣が激しくぶつかり火花と轟音を奏でた。
 まともに石斧を受け止めた大剣は刀身のあちらこちらにヒビが入り一瞥で判るほどにねじ曲がる。
 だが受け止めて見せた。
 しかしその直後に石斧の柄から発生した棘が至近距離からケイスに向かって打ち出される。
 足を絡め取られ避けることは出来無い。
 剣を防御に回せば今もギリギリと押し込まれる石斧に身体をたたき割られる。


「ぐっ!!!!! がっ!」   


 ケイスの全身にささくれた石の棘が刺さる。
 石斧とうち合わさる瞬間、僅かに剣を引き衝撃を殺したといえど、焼け石に水だ。
 頑丈な皮鎧のおかげで身体を貫通するような傷は無く、致命傷も負ってはいないが、一撃で鎧がぼろぼろになり、四肢は素肌が露出する。
 もう一度同じ攻撃を食らえば、いくらケイスでもただではすまない。
 剣だって今の一撃でがたが来ている。
 次は受け止められず折れるかもしれない。
 ケイスを絡め取る足元の蜘蛛糸はまだ消え去る気配が無い。
 魔力が無ければこの蜘蛛糸は消すことは出来無い。
 魔力が有れば逃げ出せる。
 魔力さえ取り戻せば、この程度のゴーレムに負けるはずも無い。
 心臓に宿る本来の能力さえ開放すれば、城塞都市すらも一撃で破壊してみせるというのに。
 全身を奔る痛みが生存本能を刺激し、ケイスが決めた禁忌の扉を開けろと騒ぎ始める。
 魔術を取り戻せ。
 本来の力を。
 龍の魔術を持って全てを討ち滅ぼせと。


「黙れ!」


 しかしケイスは柄を握る左手に力を込め、一喝の元に己の生存本能を斬り殺す。
 まだ自分の手には剣が残っている。
 剣を握っている。
 ならば自分は剣士だ。
 剣士が負けてはいけない。
 剣士は負けられない。
 好きな人達を守る為に。
 大願を叶える為に。
 負けるわけが無い。
 自らの構える剣のように折れそうな心を叱咤し、自らを奮い立たせる。
 しかしそのケイスの怒声にもなんの反応もみせず、ゴーレムがまたも高く高く石斧を振り上げた。
 今度こそケイスを虫のように叩きつぶすつもりか。
 それとも標本のように串刺しにする気だろうか。
 明確な死の幻想を前にケイスの本能が騒ぎ始める。
 だがケイスは己の意思でそれを塗りつぶし変えていく。
 自分は剣士だ。
 なら求めるのは魔力では無い。
 捨てた魔術では無い。
 求めるのは剣。
 決して折れず、曲がらない、剣。
 全ての敵をたたき伏せ、切り裂き、突き進む為の剣。
 剣だ。
 剣が欲しい。
 左手には剣がある。
 だが右手には剣は無い。
 自分の両手は印を組む為にあるのでは無い。
 何かを生み出す為にあるのでは無い。
 自分の手は剣を握る為にある。
 ならば右手にも剣が欲しい。
 この両腕に剣さえあれば全てを切り裂き、突き進むというのに。

 困難を打ち砕く剣が欲しい。

 難敵を斬り倒す剣が欲しい。

 守る為の剣が欲しい。

 殺す為の剣が欲しい。

 突き進む為の剣が欲しい。

 譲らぬ為の剣が欲しい。 

 己を全て捧げられる剣が欲しい。

 己に全てを捧げてくれる剣が欲しい。

 獣を切り裂く剣が欲しい。

 人を貫く剣が欲しい。

 魔獣を抉る剣が欲しい。

 龍さえ刻む剣が欲しい。

 自らの技に答える剣が欲しい。

 自らを証明する為の剣が欲しい。

 世界でもっとも切れる剣が欲しい。

 世界でもっとも鋭い剣が欲しい。

 世界でもっとも頑丈な剣が欲しい。

 運命を切り開く剣が欲しい。 

 運命を正す剣が欲しい。

 神さえも斬り殺す剣が欲しい。

 剣さえあれば自分は負けない。
 
 だから剣が欲しい。

 ケイスの心を埋め尽くすのは渇望。
 剣士としての本能が剣を求める。
 死地を撥ねのけ、敵を斬る為の剣を。
 未だ治らない右手が自然と剣を求め蠢く。
 だが運命は変わらない。
 ケイスの手元には左手の剣しか存在しない。
 今この瞬間までは。
 闘技舞台に疾風が吹く。
 千切れ垂れ下がったケイスの黒髪が風に揺れ、あらわになったその耳に声が飛び込んでくる。


「今度こそ受け取りなさいよ! この馬鹿”ケイス”!」


 闘技舞台に力強い声が響く。
 それと同時にケイスの右腕に何かが絡みついた。
 布のように巻き付き、大きいのに羽一枚ほどの重さしか無い。
 クルリとケイスの腕に巻き付いたそれの柄は、包帯塗れのケイスの右手の平にピタと張り付く。


『握れ』


 剣が、羽の剣が一言だけを告げる。
 余分な言葉などない。
 いらない。
 ケイスは剣を求めた。
 剣士だからだ。
 そして剣は今ここにある。
 ケイスの右手の中にある。
 ならば答える言葉はいらない。
 骨が折れ、未だ完治していない右手。
 だが剣がある
 ならば剣士である自分が握れないはずが無い。
 剣があって負けるはずが無い。
 剣を握る以上、自分の右手は治っている。
 今治らなければいけない。
 治らないというならば、そんな世界は間違っている。
 傲慢さを持ってケイスは断定し、世界を変えるだけの理屈を己の体の中に生み出す。
 血流を操作。
 折れた右手の平へとここ数日で喰らい、血に蓄えた骨子を集中。
 あと数日は完治にかかるであろう怪我を、この一瞬で直す。
 右腕に力が戻る。
 折れ砕けた骨が再生する。
 なぜならばケイスは剣士だからだ。
 剣士であるケイスが剣を求め、剣である羽の剣が剣士に答えた。
 ならば骨が治るのは当然。
 剣士は剣を握ってこそ完成するからだ。
 剣士に握られてこそ、剣だからだ。
 剣と剣士がここに揃う。


「ふん! 緩い!」


 頭上に迫った石斧に対してケイスは左手に握った大剣で受け流す。
 左手の剣とてまだ折れていない。
 受け止められなくとも、流すくらいは出来ると信頼しきる。
 石斧を反らしがら空きになったゴーレムの胸部に向け、本来の利き手である右腕に極限の力を込め、当たる瞬間に最大まで重量を高めた重い突きをケイスは撃ち放った。



[22387] 弱肉強食 ④
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/09/04 23:04
 狙いを維持できる最大限まで加重。
 羽の剣がケイスの闘気を貪り喰らい、牙を剥き出す。
 硬質化し超重量を纏った刃が空気を切り裂き、風切り音を奏でる。
 肉体が破綻する紙一重ギリギリまで酷使した突きが、ゴーレムの胸部へと突き刺さる。


「がぁぁっ!」


 確かな手応えを感じたケイスはさらに闘気を送り込む。
 限界を超越した超重量に肘関節がきしみ、膝が崩れそうになるが、それは敵も同じ。
 刀身が生み出す加重が、石で出来たゴーレムの表面を力任せに押し切る。
 しかし低身長のケイスから巨大なゴーレムへと繰り出した突きは、絶対的な長さが足りない。
 表面装甲に食い込んだ部分は爪ほどの短さであり、押し切れたのは拳一本分の長さで、止まってしまう。
 ゴーレムからすればひっかき傷ほどの僅かな損傷。
 現にゴーレムは反撃してきたケイスを意にも止めず、足元の蜘蛛糸に絡め取れた石斧を捨て、己の腕より新しい石斧を分離させると、再度振り上げて、追撃の態勢をとろうとしている。  
 さらに重さを増すことも出来るが、これ以上の加重にはケイスの身が耐えられない。
 しかしそれだけの長さと深さがあれば、この剣士と剣には十分だ。
 

「重量解除!」


 右腕から送り込んでいた闘気へケイスは意思を込める。
 ケイスの意思に合わせ刹那の間もなく、羽の剣に込められた超重量が消失し、元通りの羽一枚の重さへと変化した。
 だが刀身は金剛石の堅さを保ちすらっと伸びたまま。
 ケイスの意思である斬り殺すという人刃一体の意思をその形で示す。
 剣士が望み、剣が答えた今、羽の剣が宿す能力を少しずつ掌握し始める。
 剣先をゴーレムの体内に残したまま、右手首の返しで柄を打ち上げる。
 突き上げていた刀身の向きが切っ先を支点とし、突き降ろす形へと、その重量変化を最大限に発揮する真逆の形へと変化する。
 だが短身のケイスから羽の剣の柄は頭上遥か高く、再加重をするには手が届かない。
 しかしケイスの左手には剣がある。剣士にとって己の肉体と変わらない剣がある。
 ゴーレムの攻撃によって四肢を掠め抉った無数の傷から流れ出る血が、左手に握った剣を赤黒く染めあげる。
 肉体である刀身があり、熱く滾る血が通うならば、それは既にケイスの腕その物。
 左手の剣をケイスは頭上高くへと突き上げる。
 突き上げた左手の剣の切っ先と羽の剣が柄が合わさり繋がった瞬間に、己の全てを喰らえとばかりに、熱く燃える丹田と心臓を無限に躍動させ全身全霊の力を絞り出し、闘気を最大まで高め剣達へと、己の腕へ送り込む。


『跪け! 石ころが!』


 ケイスの濃厚な闘気を受け、再度加重を始めた羽の剣が吠える。
 声なき剣のままに吠える。
 食らいついたゴーレムの身体を、その超重量で押し潰さんとばかりに吠える。
 力任せに石をたたき斬る破砕音という名の咆哮が轟く。
 ゴーレムの巨体を支える太い柱のような左脚部にヒビが入り膝から砕け折れ、ケイスの脳天を狙って振り下ろされた石斧は大きく狙いをそれ、ケイスの右手側に落ちて、石畳に突き刺さった。
 大岩と変わらない分厚く堅い胸部を、まるで泥沼のようにずぶりと突き刺さった羽の剣は柄元まで沈み込むだけでは飽き足らず、胸部から脇腹へと一気に突き抜ける。
 左足を砕かれたゴーレムが傾き負った深い傷がケイスの眼前へとさらけ出す。
 割り斬られた胸部の奥底に隠された空洞。そこには光を放ち躍動する心臓が、ゴーレムを動かす起動魔法陣が鎮座する。
 ゴーレムを動かす魔法陣は、物質に刻み込まれた実体型魔法陣では無く、魔力により生み出された仮想型魔法陣。
 実体型ならば器である物質を破壊すれば事足りるが、仮想型は魔力の固まり。
 実体を持たない魔力へと、魔力を纏わぬ剣で切り込んでも、素通りするだけでダメージを与えることは出来無い。
 魔力を持たず、捨てたケイスにとっては、破壊はかなわぬ敵。
 だがそれは数日前までの話。
 ケイスの手には切り札が、対魔術戦を考え、新たに手に入れた剣がある。
 剣こそ剣士にとっての力。
 ケイスは無手となった右腕で その新たな力を、剣を胸元から引き抜く。
 指間にそれぞれ一本ずつ短剣を携えつつ、柄元の留め金を指の筋肉だけでずらす。
 狙いはゴーレムの胴体に切り開いた大穴。
 右腕の一降りの勢いと、五指それぞれを精密に動かすことで、四本のナイフを寸分違わず、ゴーレムの胴体に開いた穴へと間髪入れず滑り込ませる。
 再度無手となった右手はそのまま振り降ろし、先ほど離した羽の剣へと。
 ゴーレムを斬り抜け込められた闘気を使い果たし初期重量に戻った羽の剣を中空で掴み、僅かな闘気を注いで適度な重さと硬質化させる。
 左右両腕に揃った両剣をケイスは己の眼前に並べ、いまだ全てを絡め取る蜘蛛糸の海が広がる足元へと剣を突き立てた。
 流れるような動作で反撃から防御へとケイスが移行した直後、天を割く様な轟音と共に爆発が起こり、ゴーレムの胴体に深々と開いた傷から石つぶてを伴う爆風が吹き荒れた。
















「何!? 今のなに!?」


 観客席で光球の群れを操りケイスに情報を送っていたセラは慌てふためき、突如爆音と共に濛々と舞い上がった爆風に包まれた闘技舞台中央を指さす。
 ルディアの手助けによって剣を受け取ったケイスが、二度目の石斧を流し反撃に出たところまでは見えていたが、その僅か1,2秒後には、ケイスとゴーレムの姿は舞い上がった分厚い噴煙の中に姿を消していた。


「俺が作った改良型ナイフか? あの馬鹿至近距離で使ったのか?」


 セラの横で戦いを見守っていたウォーギンも立ち上がり、驚愕の色で顔を染める。


「ウォーギンさん! ナイフって対魔術士専用とかっていってた奴のこと!?」


「あぁそうだ。あいつにはインディア砂鉄製の核に包んだ魔力吸収物質やら爆発性のある火龍薬なんかを詰め込んで、柄を吹き飛ばすと同時に周囲に撒き散らかして、魔術攻撃や結界の類いを無効化する仕掛けを施してあるんだが、ケイスの奴、自分も巻き込まれる至近距離で使いやがった」


 魔力を持たず魔術を使えないケイスの手持ち武装であれほどの爆発を引き起こせるとなれば、思い当たる物はケイスに頼まれ制作した対魔術戦用投擲ナイフしか無い。
 大量のリドの葉やカイラスの実を精錬し制作した、高純度魔力蓄積触媒を柄元に納めて、通常時に魔力を吸収しない様に軽量で頑丈なインディア砂鉄で作った核に包み密閉保管。
 核を破る為には、刀身を固定していた留め金を外して、ナイフが当たった瞬間の勢いを撃鉄に用いて、強い爆発力を持つ火龍薬を衝撃で暴発した様に仕込んだ特別製。
 周囲に拡散された高純度魔力蓄積触媒が、周囲の魔術や結界を象る魔力を無差別に吸収し無効化すると同時に、爆発の威力をもって器であるナイフやインディア砂鉄核を無数の刃へと換え、周囲に飛ばす攻防一体化した特殊兵装となっていた。


「た、対魔術戦ってそういう意味!? でもあの爆発の威力って!?」    


 ウォーギンがあげた構成物質の名にはセラは覚えがある。ありすぎる。
 つい先日に戦い大損を喰らったサンドワームが用いていた複数の砂弾に他ならない。
 ケイスは別々だったそれらを全てまとめ上げ、一つの剣としてのアイデアを作り上げた様だが、いくら何でもあの威力は強すぎる。
 元々は対ラクト用に考えていた武器だろうが、あの爆発力は対人戦で用いる程度を越えていた。


「あそこまで強くなったのはこっちも想定外だ。複数使った上に、ゴーレムの表面じゃ無くて中で同時に爆発させやがったな」


 今の爆発の勢いは制作者であるウォーギンの想定を遥かに上回る。
 半密閉空間かつ複数同時使用したことで、威力が飛躍的に跳ね上がっていた様だ。
 ケイスの狙いはおそらくゴーレムの体内中枢に隠された魔法陣。
 高純度魔力吸収触媒を持って魔法陣その物をかき消す狙いだった様だが、その代償は大きすぎる。
 体内で爆発した爆風は唯一の出口である割れ目に殺到していた事は、今も濛々と立ちこめる爆風によって巻き上げられた砂埃が、前面方向に深く伸びている形を見れば判る。
 割れ目はナイフを投げ込んだケイスの眼前。
 闘技場を揺るがすほどの爆発の威力を、ケイスは真正面から受け止めたことになる。
 いくらケイスといえど無傷ではすまな……
 噴煙を突き破り小柄な影が勢いよく飛び出てくる。
 その影はクルクルと空中で回り、二人と同じように呆然と噴煙を見つめていたルディアの側へと着地した。
 それは全身を己の体から流れ出る血と砂埃で汚しながらも、ぎらぎらと目を輝かせた一匹の化け物だった。
 足を捉えていた蜘蛛糸は、拡散された魔力吸収触媒によって消失していたのだろう。
 

「……化け物だったな、そういえば」


「……そうでしたね」


 心配した矢先に飛びだしてきた小さな怪物の姿に、アレには心配や杞憂など無駄骨である事を今更ながらに悟った二人は唖然と声を交わすしか無かった。













「むぅ。思ったより強かったな。口の中まで入り込んできた」


 ルディアの横に飛び下がったケイスだが、脱出で力尽きたのか着地と同時に膝をつき顔をしかめると、血と砂が入り交じった唾を吐き捨てた。
 全身に数えるのもバカらしいほどの無数の傷を負い血と砂埃で薄汚れ、むき出しの四肢は爆風の熱に焼かれた火傷で赤く腫れ上がり、肩で息をする満身創痍状態だ。


「あ、あんた! 大丈夫なの!? この馬鹿! 無理して立とうとするの止めなさいよ!」


 それでも両手の剣を支えにして立ち上がろうとするケイスを見て、ルディアは慌てて横に膝をついてその小さな身体を支える。
 しかし己の体を支えてくれたルディアに対して、ケイスは眉を顰める。
 だがそれは不機嫌そうというよりも、拗ねた子供らしい表情だ。


「ケイスだ。なんでさっきは呼んでくれたのに元に戻るんだ。あと馬鹿はいらないぞ。私は馬鹿では無いからな」


 ようやく名前で呼んでくれたのになんで戻るんだと、ケイスは甘えの混じった我が儘を告げる。
 その目を見ればもう一度名前を呼んでくれと如実に語っていた。


「そんな文句をいっている状態じゃないでしょうが!? 馬鹿なこといってないで大人しくしなさいケイス!」 


 深手を負っているのに何を言ってるんだこの馬鹿は。
 頭痛と同時に怒りを覚えつつも、名前で呼んでやらなければいつまで文句を言い続けてきそうなケイスの様子に、諦めたルディアは名前で怒鳴りつける。
 こんなある意味で単純な馬鹿相手に、いくら過去が不明で怪しいからといって必要以上に警戒していた自分自身が馬鹿馬鹿しくなってくる位の単純馬鹿だ。


「ん。それで良い」


 名前を再び呼んでくれたことが心底嬉しいのか、極上の笑みを浮かべたケイスが満足そうに頷き、全身の力を抜いて支えているルディアの腕へとその身を預けた。
 ルディアの忠告に一応耳を傾ける気はある様だ。


「ルディ助かったぞ。剣を届けてくれたおかげだ」


 ルディアの腕に身を預けながらもケイスは未だ収まらない爆風の中心へと目を向け、睨み付ける。
 腕に掛かる重さは軽い。それこそ子供の重さだが、その目に宿る強さは子供のそれでは無い。
 ケイスの目線の強さに惹かれ、ルディアもその視線の先を追い、砂煙の向こうへと目を向ける。
 濛々と立ちこめる砂煙が徐々に薄れ、巨大な影がうっすらと姿を見せ始める。
 その姿はすでに人型はしていない様に、ルディアには見える。
 見ればその足元にはゴーレムから砕け落ちたらしき巨大な石塊がごろごろと転がっている。


「……勝ったの?」


「まだ判らん。ルディ。私が預けたミズハのお土産があったな。出してくれ。場合によってまだ戦わなければならん」 


 ルディアの問いかけにケイスは即答し、失った生命力を補う為の食料を求める。
 警戒心を緩めず、油断せず、戦いが続く場合に備え既にケイスは次を見据えている。
 譲らない、譲れないラインは一歩たりとも譲歩しないケイスに戦うなと言っても無駄。
 理解と諦めの境地に達したルディアはバックの中に手を突っ込み、
 

「ほら」


 腰のバックにいれていた紙袋を取りだしたルディアは、肉串を一本取り出してケイスの口元に突き出す。 
 行儀もへったくれも無いケイスは目の前に突き出された肉串に大口を開けてかぶりつき、むしゃむしゃと食べ始めたかと思うと、すぐに飲み込んでしまう。
 傷つき薄汚れていてもそれでも意志の強さと整った顔立ちは、光差す様な美少女然としているが、その行動が全てを台無しにする。
  

「うぅ……口の中がヒリヒリしてしっかりと噛んでいられない」

 
 どうやら口の中も切っている様でピリ辛のタレが傷口にしみていたかったのか少し涙目になりながらもケイスは再度口を開く。
 次の串を寄越せという意思表示のようだ。
 大食漢のひな鳥に餌をやっている様な気分になりながらルディアが串を出すとケイスはすぐにかぶりつき、ちょっと咀嚼して飲み込む。
 これを数回繰り返している間に、ゴーレムを覆っていた砂煙がようやく薄まり、その姿を表す。
 両膝をついて膝立ちになったゴーレムの上半身は半分ほどが吹き飛んで、右側は原形を留めているが、左半身には大穴が開いていた。
 爆発の勢いに負けてもぎ取られた左腕と、握っていた石斧がその足元に一つの石塊として転がっていた。
 半壊したゴーレムの胸部には、所々が消失し薄れ掛けた積層型仮想魔法陣。 
 ゴーレムはもう動けそうも無く、心臓部である魔法陣があの状態ではすぐに構成が崩れ消失するだろう。
 ようやく気を抜けそうだと息を吐こうとしたルディアの腕の中でケイスが再稼働を始める。
 ルディアは気づかない。
 だがケイスは気づいた。
 壊れかけた魔法陣は外装部のみ。
 その内部。核となる部分は未だ健在だと。







 

「ちっ! しつこい!」


 ケイスは舌打ちをし、身を預けていたルディアの腕の中から跳ね起き、胸元に残っていた投擲ナイフ二本のうち一本を引き抜き、留め金を解除する。
 あれだけの高濃度魔力吸収触媒でもゴーレムを象る魔法陣を全て消失できなかった段階で、少なからず予想はしていたが、それでも中心核にはダメージも無しとは。
 後付けの外装部に廻っていた魔力を吸収しただけで飽和状態になり、それ以上の魔力吸収ができなかったのか?
 それならまだいい……もし中まで届いていても、全部吸収できなかったのだとしたら。
 脳裏によぎる予感を留めつつも、迷うこと無くケイスは腕を振るう。
 風切り音を奏でナイフが飛翔する。
 ゴーレム胸部の内装部に当て再び爆発を巻き起こし、魔力吸収物質を飛散させ今度こそ消失させる。
 ケイスの殺意を纏ったナイフがゴーレムを喰らい尽くそうと牙をむき出し威嚇する。
 その殺意に反応したのか、それとも改良が終わったのか?
 薄れていた魔法陣が激しく光を放ちながら形を変え、周囲のがれきや石塊が飛来するナイフよりも遥かに早く動き初め、瞬く間にその姿を戻し再生を初めていく。


「ルディ!私の後ろに下がれ!」


 ルディアの腕を抜けたケイスは、復活したゴーレムに唖然としているルディアを庇う様にその前に飛びだした
 ケイスは見ていた。
 再び隠れた魔法陣の姿を。
 変更された術式を読み取っていた。
 それは先ほどまでケイスが苦戦した術式。
 だがそれが今姿を変えた。
 より最悪の形に。
 ナイフが届くその前にゴーレムが再び元の姿を取り戻し、立ち上がろうと膝を立てる。
 その全身は先ほどまで違い、僅かに発光しうっすらと光る線が何かを形作っていた。
 時間にすれば僅か。
 だが決定的に絶望的に後れたナイフが再生したゴーレムの石造りの表面装甲に当たり、先ほどよりも遥かに小さい規模ながら、爆発と爆風を撒き散らかす。
 立ち上った砂煙を切り裂き二つの影が飛ぶ。
 それはケイスの身を何度も抉った石で出来た棘だ。
 
 
「やらすか!」


 ケイスは二対の剣を振り、己に向かっていた石棘を二つたたき落とす。
 数も少なく、距離があったからまだ良いが、これがもっと近く、数も多ければ、二対の剣があろうとも全てを防ぐのは到底無理だったろう。


「今のって!?」


「石矢の盾だな。先ほどまでは石斧にだけ付与していたが、ゴーレムの奴め。己の全身を魔術装甲で覆った様だ」


 今の攻撃の意味を悟ったらしきルディアの問いかけに、ケイスは隠すこと無く真実を伝える。
 再生したゴーレムの表面を覆うのは魔法陣。その術式は『石矢の盾』
 物理攻撃を完全無効化し、受けた衝撃を、石矢としてはじき返す防御術式であり、魔力を持ってしか破壊できない耐物理攻撃用防御魔術。
 投擲ナイフの中に収まっていた魔力吸収触媒のおかげで、その効果を少しは無効化できたのか、爆発の勢いの割に反射された石棘の数は少なかったが、それでも破壊するまでには至らない。


「お爺様。いけるな」



 己の剣に語りかけ、意思を確認する。


『無論だ。しかしどうする気だ? 我は剣となりはてた身。魔力はお前が作らなければ抵抗する手段は産まれんぞ。そこの娘の魔力を使おうとしても無駄だな。第一切り裂けたとしても、あれの核はお前の血を触媒としておる。龍の血をな。そのナイフ一本で喰らい尽くせるわけは無かろう』


 魔力を剣に通して魔術結界を無効化して切断する技など、ちょっと名の知れたそこらの流派にならいくらでも転がっている。
 だから表面を切り裂く手、倒す手などいくらでもある。普通ならば。
 しかしあのゴーレムを形成する心臓部に宿るのはケイスからこぼれ落ちた血だとラフォスは指摘する。
 世界最高の魔術触媒にして、膨大な増幅効果を持つ龍の生き血。
 その血が生み出す魔力、魔術は、半壊したゴーレムを一瞬で修復し、無限に近い時間を稼働する力を与えていた。
 相手は物理無効装甲を張った巨大ゴーレム。
 ケイスの攻撃は全て弾かれ、返される。
 例え羽の剣を持ってしても、その超重量が物理攻撃である以上は届かず、はじき返される。
 しかもその核はゴーレムの体内奥深くであり、膨大な魔力によって切り札すらも無効化された状況。
 ケイスの刃が届かず、通用しない。
 絶望的状況が姿を現す。
 だがそれがどうした。
 ケイスには諦めるという言葉はない。  
 ケイスは会場全体をざっと見渡し、己が使える物を、勝つ為に必要な物を見いだす。
 ラクトが使用していた魔具。
 観客席で立ち上がり興奮した様子を見せるウォーギン。
 大声で叫き逃げろと手を振るセラ。
 闘技舞台の端で何とか結界を維持しながら、マークス親子を守っているライ。
 そして自分の背後で息を呑んでいるルディア。
 自分の手に握られた剣へと姿を変えた前深海青龍王ラフォス・ルクセライゼン。


「ふん。その程度で私に勝てると思うな石塊が」


 今の自分は一人では無い。
 今の自分は一人孤独に迷宮を彷徨っていた龍ではない。
 全ての知識を動員し、ケイスは一瞬で勝ち筋を見つけ出す。


「ルディ! 私に手を貸せ! 勝つぞ!」

  
 無い物は補う。
 自らが憧れ、目指す人達はそうしてきた。
 探索者を志し、剣を振るう剣士であるが自分が負けるはずが無い。
 傲慢かつ傍若無人な強き意思を持ってケイスは勝利を予告した。



[22387] 弱肉強食 ⑤
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/09/10 01:14
『背中正中線に牙を穿て!』


 ラフォスの指示に、柄を握る力を強めることで無言で答えながら、弓を引き絞るイメージで力を一点に集中。
 切り返しのたびに軋む身体の痛みを無視し奔る。
 頭上を覆う影に気づいたケイスは咄嗟に横に撥ねた。
 ケイスの体と変わらない大きさの石腕が、轟音を纏って振り下ろされる。
 羽の剣への闘気量を調整し、重量を変化させ重心変化。
 身体を捻り倒れ込む様にしながら細やかなステップを刻み、石腕の下をかいくぐる。
 地面に突き降ろされた拳を覆う魔法陣が発光し沸き立ち、その腕から周囲に向かって無数の石矢がばらまかれた。
 一足遅ければ足の一本も持って行かれただろうが、ケイスはゴーレムの背後へと回り込み、ゴーレム自身を盾とし難を逃れる。
 無防備なその背中に向けて、右腕を引き絞りひねりを加えた突きを一閃。
 巨石を穿つ澄み切った一音が甲高く響く。
 破壊力を一点集中した突き技は、鉄の盾さえも貫く鋭き牙。
 しかしゴーレムの表面を覆う魔法陣がまたも薄く点滅し、攻撃は表面で押しとどめられる。
 一点集中攻撃に対して繰り出された反撃は、先ほどまでの石棘では無い。
 ゴーレムの背中から突き出たのは、ケイスの腕ほどの長さ、太さの石槍。
 ケイスが打ち込んだ突きと同速度の閃光となり一条が飛ぶ。


「ぐっ!」

  
 羽の剣を軽量硬質化させ最大速度で剣を振り、槍の穂先へと打ち合わせた。
 重い。
 刃を交えた瞬間に伝わってくるのは、このまま押し潰されかねない重圧。
 重量、性質部分変化。
 瞬時の判断で羽の剣の性質と重量を変化させ、刀身の一部を軟質化させ、たゆませて槍を受け止めるのでは無く、受け流す。
 進行方向を歪められた槍が、勢いのまま石畳に突き刺さり、その半分以上まで身を沈める。  
 何とか防いだケイスだが、槍の勢いを完全に押し殺せたわけでは無い。
 打ち負けたケイスは、二歩、三歩と下がることになり蹈鞴を踏む羽目になった。
 動き続けているからこそ、ゴーレムに対して軽量で非力なケイスは対抗できる。
 だが足を止めてしまえば、力ではかなわない獲物でしか無い。
 足を止めたケイスに向かって、ゴーレムがその左腕を地を這う低さの旋回式バックブローで撃ち放つ。
 長大なリーチと生物であればあり得ない関節の可動域による攻撃は、壁が迫ってくる様な錯覚を覚える。
 跳び上がるだけでも、下がっただけでも躱しきれない。
 かといって防御すれば、針の餌食になるだけ。


「お爺様!」


『任された!』


 羽の剣の腹を拳側に合わせ地面に突き立て、即時に硬化、高重量化させたケイスは、ラフォスを残し右後方へと飛び下がる。
 ゴーレムの左腕と床に突き立てられた羽の剣がぶつかり合う。
 石像の馬ほどの大きさを誇る腕から見れば、羽の剣は大きさだけ見れば小枝のような物。
 しかしラフォスがケイスの闘気を受けて生み出したのは、石碗を遥かに凌ぐ質量。
 羽の剣が天地を貫く柱となりて、振るわれし石碗を易々と防ぎ受け止めて見せる。
 轟音が響き渡った次の瞬間には、衝撃の激しさを如実に語る隙間も無いほどに高密な弾幕が、接触面側へと扇状に拡散して発射された。
 高密高速な針に触れれば、生物など一瞬で原形を留めないほどに破壊される威力を持つ。
 だが硬質、高重量化した羽の剣は、石嵐の中にあっても不動にして不滅。
 石巨人の豪腕に微動だにもせず、礫の嵐のただ中においても爪先ほどの欠片をこぼすことも無い。
 一足早く回避行動に動いていたケイスは、扇の縁を掠めるように移動し攻撃を躱す。
 攻撃が止むと同時に、右手でナイフを引き抜き投擲。
 残したままの羽の剣の柄へと剣を絡め、巻き取りボタンを押してワイヤーを引き戻しつつ自らも駈けより近づき、ラフォスを受け止める。
 

『左肩! 爪だ!』   
 
 
 ラフォスを掴み即時に地を蹴り跳び上がったケイスは、真正面に見えるゴーレムの肩当てを見据え狙いをつけ今度は左腕を下方から振り上げる。
 筋肉が皮を引っ張り、四肢に受けた傷口が開き、新たな鮮血が刀身にしたたる。
 切っ先まで達した血をそのままに、ケイスは鋭い斬撃を放つ。
 折れ曲がったバスタードソードの刃がゴーレムの肩当てに赤黒い血化粧を描くが、結果は先ほど打ち込んだ羽の剣と変わらない。
 表面までは達するがそこから先は刃を止められてしまう。
 打ち込んだ斬撃の衝撃に対し、装甲表面が沸き立つ。   


「早いな! だが遅い!」


 瞬時に打ち返された無数の針を、右手に持つラフォスの能力を持ってして身体を無理矢理に後方へと押し下げながら回転する。
 打ち込んだ攻撃をはじき返してくるならば、タイミングは読める。
 読めるならば自分に、自分達に躱せないわけが無い。
 重い地響きと共にケイスは獣のごとき体勢で四肢をつけて地面に降り立つ。
 

「っぐ!」


 一瞬とはいえ体重の数倍以上に増した質量を乗せた勢いを、両手両足で何とか受け止めるが、全身に奔る衝撃にケイスは苦悶の息を漏らす。
 全身の傷口から血がこぼれ落ち、四肢の素肌に負った火傷によって皮膚が割け、生々しい肉を晒す。
 この痛み、この怪我こそ、自らの弱さの証。
 傷が軋むごとに、相対するゴーレムが今の自分より強いと声高に伝える。
 屈辱を感じ、己の弱さに対し怒りを覚える。
 自らの誇りを掛けた決闘を汚し、ラクトを傷つけたゴーレムを未だ屠れない不甲斐なさの証。
 心身共に受ける痛みが、傷が、ケイスを猛らせる。
 いくら傷つき消耗しようとも消え褪せることの無い闘争心を燃えたぎらせる。

 
「次!」


『右腕に爪だ!』

 
 ラフォスの指示にケイスは四肢を使い右に跳ね体勢を立て直しつつ、ゴーレムの右側に廻ろうと行動を開始する。
 ケイスが打ち込んだ突き、斬撃は既に二十を超えていた。
 だがここまで有効打は1つも無し。
 打ち込んだ剣戟が残した血痕だけが、攻撃の激しさ、そして無意味さを語る。
 ゴーレムは髪の毛一本分の傷も負っていない。
 しかしケイスは攻撃の手を休めること無く、剣を振るい続けていた。
 勝利をもぎ取る為に。













 紙一重の接近戦を続けるケイスの戦い方は、当たれば死ぬから、当たらなければ良いという物。
 これが単なる演劇であれば楽しんで見ることも出来ようが、今ケイスが行っているのは紛れもない実戦。
 生粋の化け物であるケイスを心配するのは無駄だと思いつつも、相手もまた紛れもない化け物カンナビスゴーレム。
 しかも見た目だけなら深窓の令嬢然としたケイスと相対するのが、厳つく巨大なゴーレムなのだから心配するなというのが無茶な話だ。
 その戦闘の余波は、結界外のセラ達には影響は無いが、結界内に残るルディア達には、流れ弾という形で何度も飛んできている。
 幸いと言うべきか直撃コースを取る流れ弾の数は少ないのもあって、ウォーギンの指示で使用者制限解除をした魔具『矢除けの疾風』を使ってライが何とか防いでいるが、魔具に残る魔力がいつまで持つか時間の問題だ。


「あぁぁもう! 心臓に悪い! 兄貴とお姉ちゃんもなにやってんのよ!」


 緊張感を通り越して吐き気さえ覚えてきたセラは苛立ちを声に出して、何とか最低限の冷静さを保とうとする。
 救援を呼びに行ったはずの兄たちは未だに戻ってこない。
 支部に向かったヴィオンはともかくとして、ボイド達は同じ鍛錬所内なのだから、5分と掛からず戻って来られるはずなのに、既に10分は過ぎている。
 あまりに遅すぎた。
 どうにも嫌な予感がする。
 第一いちいち呼びに行かなくても、先ほどのケイスの攻撃で闘技場を揺るがす様な爆発が起きている。
 何事かと確かめに来てもいいはずだ。
 それなのに誰も来る様子は無い。
 救援が来られない状況。
 ひょっとした外では既に復活したゴーレムが荒れ狂っているのではないかと、最悪の予想が胸をよぎる。 


「ウォーギンさんまだ!? ケイスの奴、動き鈍くなってきてる!」


 セラの背後には自身が呼び出した無数の光球が集まり、馬車ほどもある球型状の固まりが浮かぶ。
 光球が象るのは積層型魔法陣の形だけを表したモックアップ。
 ウォーギンの指示に従い、ケイスが相対するカンナビスゴーレムの起動魔法陣をセラが模した物だ。
 こちらの準備が終わるまでゴーレムの注意を引きつける気なのか、それとも別の考えがあるのかセラには判らないが、ケイスは無駄な攻撃を続けている。
 だがその動きは徐々に遅く、鈍くなって、回避に余裕が無くなってきているのが、観客席からでもあからさまに判る。
 大食らいで効率の悪いケイスのことだ。
 先ほどルディアから食べさせてもらった肉串で回復した分の体力も底をつきかけてしまったのだろうか。


「もうちょっとだ。もう少し待て。第二十三層からの導線がきて、十一層に来るだろ」 

 
 急かされるウォーギンは手書きの資料を自分の周囲に投げ散らかす様に広げながら、思考を駆け巡らせる。
 先ほどケイスが投擲ナイフの爆発を持ってゴーレムを破壊したときに、露出した魔法陣をウォーギンも目撃し記憶していた。
 無論見ただけなので、研究もせず全ての解析が出来る訳では無いが、それでも予測混じりで未完成だった欠損状態の起動魔法陣を補うには十分な情報量。
 平面魔法陣を幾重にも組合わせて生み出される積層型魔法陣は、上下それぞれ複雑に絡み合った文様が干渉し合い効果を生み出す。
 逆に言えば、構成が少しでも乱れればその効果は全く別物へと変化する。


「無茶なんだよ元々。あの馬鹿の案は。投擲ナイフの中の触媒核を取りだして使うっていっても入ってるのは3つだぞ。3つ」


 ケイスの手持ちの魔力吸収触媒入りの投擲ナイフは残り一本。
 先ほど複数のナイフを用いても消しきれなかった魔法陣を、残りのナイフが内蔵する触媒量では全てをかき消すことは出来無い可能性が高い。
 そこでナイフの中に仕込まれた触媒の入った核を取りだし、ピンポイント使用して術式を削る事で、魔法陣が持つ魔力を暴走させ自己崩壊させるというのがケイスの案だ。
 実際暴走や予定外の事態が起きた際の安全装置として、術者が命令を下すまでは不稼働状態の自己破壊式を組み込む魔法陣も珍しくは無い。 
 理屈の上では、ケイスの策が有効である事はウォーギンも認める事は認める。
 だが言うは易く行うは難しにもほどがある。


「ったく、自己再生、自己改変型魔法陣に対してこっちの消しゴムは3つだけか。ナイフの時もそうだが簡単に言ってくれる……こっちのライン経由じゃ遅い。だめか」


 今思いついた案では、ケイスの要求を満たすのは無理だと判断し、ウォーギンは捨て去り、再度思考をまわす。 
 ナイフ内の触媒を納めたインディア砂鉄製の核は3つ。
 対してゴーレムの起動魔法陣は先ほどの再生機能や、新たに体中に石矢の盾を張り巡らせた事から、自己再生、自己改変が可能な事は確実。
 せっかく術式を消しても、すぐに再生されたり、改変されて無効化されたのでは意味が無い。
 だから勝負は一瞬。精々一秒程度が最低ラインとウォーギンは見繕う。
 3カ所のみ消しただけで、即座に暴走、消滅まで持っていく必要がある。
 時間も設備も無く試行は出来ず、頭の中で考えるだけの思考錯誤を繰り替えして答えを見つけ出すのは、高難度パズルの山積みになったピースの中から、あるかどうかも判らない正解を探す様な行為。
 しかし……だからこそ面白い。
 無理を言われれば、出来無いと拒絶するのでは無く、諦めるのでは無くどうにかしてやろうと思ってこそ生粋の技術者。
 口では文句をこぼしつつも、その口元には笑みが浮かんでいた。
 それに中枢部を壊す手が出来たとしても、ゴーレムの全身は物理無効外装が覆う。
 ルディアにも色々と指示を出していたようだが、ケイスがどうやって外装を取り払うつもりなのか、魔導技術の天才だと認められるウォーギンにすら判らない。
 しかし面白そうな物が見られるだろうという予感だけは確実。
 ウォーギンはケイスが何をやらかすのかと不謹慎にも待ち望んでいた。













 一方でルディアもまた忙しく手を動かしていた。
 触媒液に浸した剣指を伸ばし自分の周囲に魔法陣を描いていく。
 ルディアが描く魔法陣は複雑な物だが、その中枢は周りに比べて簡素な物。
 描く魔法陣は水を召喚するだけの簡易初歩魔術『コーリングウォーター』の術式だ。
 昨日、今日魔術を使い始めた素人ならともかく、薬師が本業とはいえ魔術師でもあるルディアにとっては、陣を描かずとも詠唱と、触媒だけあれば十分に発動可能だが、陣を描くルディアの顔は真剣その物だ。
 基本術式の外側には、ラクトが使用していた魔具を解体して取りだした魔法陣が刻み込まれた宝石や、固定化された触媒類を用いた、補強魔法陣が幾重にも取り囲む。
 補強魔法陣に込められたのは、魔力増幅を行う記述式のみで、ただひたすらに限界まで高められた魔力を含んだ水を召喚するだけしかできない、手間の割に意味があるとは思えない術式。
 しかしそれがケイスの頼み。
 ウォーギン達に伝えろというの伝言と共に、ルディアが頼まれたのは二つだけだ。
 ラクトの魔具を使い増幅させた高魔力を含んだ水を大量に用意してくれ。
 そして何が起きようとも、自分の合図に合わせ術を使ってくれ。
 その二つ。たった二つだけだ。
 それで自分は、自分達は勝てると。
 ケイスが水を何に用いる気なのか、ルディアには判らない。
 重要な事を聞き出す時間さえ無く、再稼働を始めたゴーレムを見て、ケイスは戦いの舞台へと舞い戻っていた
 信頼する事にはしたが、それでケイスの考え全てが理解ができる訳ではない。
 しかしだからこそケイスを信じる。
 ルディアから見ればもはや打つ手も無く負けが確定したような状況。
 だが何をしでかすか判らないケイスなら、常識の通用しないケイスなら何とかしてみせるはずだと、信じている。

 
「っ! ライ! 正面当たるわよ!」


 闘技場内の戦いを見守っているセラの鋭い警戒の声が上がる。
 ケイスが回避した流れ弾の一部が床にしゃがみ込んだルディアに向かう。
 しかしルディアは逃げようとはしない。
 自分の瞬発力では今更逃げようとしても時間の無駄だ。
 それに時間がもったい無い。
 ウォーギンが即興で書いて観客席に貼り付けている魔具を用いた魔法陣図形は、まだ外周部の補強陣がまだ少し残っている。
 少しでも早く完成させれて、ケイスを楽にさせようと、ルディアもまた覚悟を決めていた。  
  

「またか! いい加減きついぞ!」


 右手で結界を司る印を維持したまま、ルディアの横に立っていたライがセラの声に応えた。
 ラクトの指から抜いた指輪型魔具を使って風を巻き起こし、迫っていた棘状の石つぶてを左手を振るいその軌道をねじ曲げる。
 轟々と音をたてて渦巻く風が礫を防いではいるが、酷使を続ける指輪に嵌められた宝石に宿る魔力光が光を弱め、蓄積された魔力の残りが少ない事を示す。
 先ほどまでならこちらに攻撃が来ないようにと動いていたケイスの足が鈍ってきているのか、流れ弾が飛んでくる頻度は多くなっていた。
 身の丈に合わない高度な結界を維持するだけでも集中力が必要なのに、何時飛んでくるか判らない流れ弾に気を張り神経が削られる。
 魔具の魔力が無くなれば、後は手持ちの杖で打ち落とすしか無いが、高速で飛来する礫を自分の腕で全て防ぎきれる自身はライには無い。
 じりじりと追い込まれ破綻が見え始めている。
 ルディアやウォーギン達の作業が終わるまで持つかどうか……


「……こ、攻撃を防げば良いのか? 俺に任せろ。身体の頑丈さなら少しは自信があるからよ」  
       

 焦りが顔に出始めていたライの背後で声が響き影が掛かる。
 声の主は、息子が負った重傷で我を忘れ取り乱していたクレンだ。
 ルディアが施した眠りの魔術の効果が切れたのか、いつの間にか意識を取り戻していた様だ。
 

「助かる! だけど大丈夫なのか親父さん?」


 護り手が増えるのはありがたいが、先ほどまでのクレンの状態を見れば、攻撃を防ぐだけとはいえ戦いに参加させるには不安がよぎる。


「あぁ。悪いな。兄ちゃんにルディアも醜態をみせて。ルディアを守れば良いんだな」
 

 一度意識が途切れたことで落ち着きを取り戻したのか、クレンの声は冷静で、周囲を見渡して、ルディアとライの立ち位置から最低限とはいえ状況を確認した様だ。


「いえ、こちらこそすみません! いきなり眠らせてしまって! 状況は」


「詳しい話は後で聞く。ケイスの奴が何とかしようとしてんだろ……」  

 
 状況を説明しようとするルディアの声を手で遮って、クレンは気を失い呻き声を上げ苦しむ様子を見せるラクトを気遣わしげに見た後に、闘技場の中央で戦いを繰り広げるケイスへと目を向けた。
 クレンが気を失う前は無傷だったはずのケイスが、今は全身に傷は負い傷ついている。
 それでも戦い続けている。
 我を忘れ眠らされていた間も、ケイスが死闘を続けていた証。
 ケイスがラクトの足を斬った理由は今のクレンには理解出来ず、正直に言えば怒りも覚える。
 だがそれでも、ケイスが今なんの為に戦っているか判る。
 判ってしまう。
 だから心のそこからは怒ることが出来無い。
 ケイスが今浮かべる怒りの形相は、武器屋である自分が何度も見てきた顔。
 そんな表情を浮かべる者達に武器を提供してきた。
 何かを守ろうと戦いを決意した剣士の顔だと判ってしまった。


「ケイス! こっちは心配するな! うちの息子の足をぶった切った文句は後でたっぷりさせてもらうぞ!」


 クレンの激励に対して、ケイスが一瞬だけ剣を振って答える。 
 命のやり取りを繰り返すの状況下でも、周囲をしっかりと見ているようだあの化け物は。
 ケイスの返答を受け取ったクレンは、ラクトが身につけていたラメラアーマーの小手部分を手に取り両拳にまき付ける。
 手持ちの防具は即興のナックルガードだが、無いよりはマシだ。


「兄ちゃん! 単発なら俺が打ち落とす! 数が多かったら頼むぞ!」


 いざとなればその身を盾にしようと決意したクレンはライの横に立ちルディアの前に立つ壁となった。  
























 求める。
 それは求める。
 血を求める。
 目の前を飛び交う龍にながれる血を求める。
 それの芯に宿るのは、単純な命令。
 強力な生命体を喰らい、己を増殖させろと言う単純かつ簡素な命令。
 ゴーレムに心など無い。
 ただ、ただ、与えられた命令をこなすのみ。
 だから何も考えず、状況に合わせ反応し動く。 
 脅威があれば対処し、己を改変し、ただ喰らうのみ。
 だからゴーレムは気づかない。
 龍が何をしようとしているのかを。
 龍が何故一見無駄とも思える牙を振るい、爪を突き立てているのかを。
 その真意を知ろうともせず、ダメージは皆無と無視し、捉え喰らおうとする龍に対して手を伸ばし続けていた。













「来たか!」


 ゴーレムの攻撃を除け再度突撃を駈けるケイスの背後で、闘技場を染め上げる光の発光と点滅が始まった事に気づきケイスは喜色の声をあげる。
 それはセラが用意した光球の群れ。
 ケイスが喰らうべき相手の心臓を表す、攻撃すべき順序を示す導きの光。
 全ての準備が終わったと知らせる
 急遽コースを変え左に撥ねたケイスは、ゴーレムを回り込む様に見据えながら、光球を確認する。
 数百以上の光球をもって作られた群れが光の増減で点滅を繰り返す中で、変わらず輝き続ける光球は三つ。
 ケイスが捉え切り殺すべき点が示されている。


『あちらも終わった様だな。だがどうする娘よ? いくら増幅をしたところで人の魔力では術の発動までは些か時間を取るぞ。あの術は固定式。狙いをどうする気だ。』   


 ケイスの心に、疑問の色を残したラフォスの声が響く。
 既にラフォスがすべき準備を終えている。
 後は罠を発動させるだけだが、ゴーレムは鈍重とはいえ動き続けている。
 反撃の起点となるルディアの術が発動するまで、1カ所に足止めをしなければ術が逸れてしまう。


「それは私の役目だ。皆が、クマまで何とかしてくれたのだ。ゴーレムくらい足止めをしてみせる……ちょっと痛いし、危ないからあまり好まないが奥の手を使う」


『娘。お前の口から痛いやら危ないだとは普通の言葉が出ると、不安しか生まないのだが』


 龍王たるラフォスを持ってしても、狂っているという言葉でしか表現できない末娘から出た真っ当な発言。
 常識外れな事をしでかしそうだという確かな予感、未来予知をラフォスは抱いていた。


「むぅ、失礼だぞ。お爺様」 


 不機嫌に唸って返したケイスは、大きく数歩下がり、ゴーレムと正面に相対する位置まで移動する。 
 息吹を深く深く。
 肺の奥まで満たし、呼気を全身に送りながら丹田と心臓へと意識を集中。
 身体強化に使っていたのは丹田から発生した闘気のみだったので、余裕は無かったがそれでも何とか回避は出来た。
 機動性を犠牲に心臓へとため込んだ闘気は十分満ちている。
 自らが強いと認めた相手のみに使う、ケイスの奥の手を発動させる準備は整う。
   

「いくぞ!」


 裂帛の気合いと共にケイスは真正面から突き進む。
 裂くも無く真正面から飛び込んで来たケイスに対しゴーレムが、両腕を突き出し二つの拳を繰り出す。
 最低限の軌道変更で左右同時に飛んでき石の拳で頬を掠めて新たな傷を作りながらも躱しきった、ケイスはその腕の中へと飛び込んでみせた。
 そこは既にケイスの剣の領域。
 ケイスの世界。
 ならば自分が負けるはずは無いと、ケイスは確信する。


「はぁぁっ!」


 右腕を引き絞り最大限まで威力を高め収束した突きが、電光石火の速さで撃ち放たれる。
 ケイスの意思を受け羽の剣が硬質化し重量を増した一撃が、見事にゴーレムの腹部に突き当たる。
 しかし刺さらない。
 そこから先へと一歩も進まない。
 ケイスの攻撃を無効化し、打ち返そうと魔法陣が発光をし、ゴーレムの表面が沸き立つ。
 生み出されたのは一本の槍。
 さらには先ほど躱した両拳が広がり、ケイスの退路を断とうと立ちふさがる。
 前後左右全てを石に囲まれたケイスに向かい、先ほどの一撃を再現したかの様な鋭く細い電光石火の石槍が伸びる。
 打ち込んだケイスの刺突の強さと、研ぎ澄まされた収束を物語るようにい石槍は細くそして長い。
 未だその端をみせずゴーレムから伸びたまま突き進む石槍が目指すのはケイスの胸元、激しく躍動を続ける心臓。 


「っぁぁぁぁっぁぁぁ!」


 ケイスの胸元を覆う革の鎧を石槍の先端が易々と突き破り、次いで肉を抉り、血管を噛みちぎる。
 強く噛みしめたケイスの口から痛みと苦悶と恐怖の混じる声が上がる。
 自分の命を刈り取る一撃に総毛立つ。
 負の感情を全てケイスは受け止め、喰らい尽くす。
 全てを力に、全てを怒りに。
 龍の怒りを解き放つ為に。
 肉を抉り切った石槍の先端がついに心臓へと到達した。
 ほんの一刺し、一進みで心臓は貫かれ、流れる血潮がケイスに致命的な一撃を与えるはず……だった。
 あとほんの少し、僅かな差。
 だが石槍は進まない。ケイスの命に届かない。
 ケイスの心臓は魔力では無く、闘気を生み出す。
 心臓から生まれ留めた闘気は激しく、力強い。
 闘気による肉体強化の力をもって、ケイスは最小まで収縮させた心臓を強化、鋼へと換え、死をもたらすはずの死神を受け止める。
 この世で唯一、心臓から魔力では無く闘気を生み出せるケイスだからこそ行える絶対無二の奥の手。
 だがそれでは終わらない。
 ただ受け止め、防ぐのはケイスの流儀ではない。
 刃を受け止めたからには、反撃へと出なくてはケイスではない。
 心臓へ、逆鱗へと触れた者を許す龍など存在しない。
 心臓が膨れあがる。
 全身に血流を、滾らせた闘気を送ろうと躍動する。
 その心音こそが龍の息吹。
 この世の絶対捕食者にして最強たる龍の遠吠え。

 
「ぁぁっぁっ! 鼓動返し!!!」


 小さなケイスのさらに小さな心臓の僅か1鼓動が、万物を萎縮し留める咆哮を上げて吠え立てる。
 心臓が生み出す無限の怒りをもって石で組み上げられたゴーレムの巨体を心臓に打ち込まれた槍諸共にはじき返し、数歩下がらせる。
 咆哮に乗せられたのは、心臓から生み出された闘気の渦。
 全てを飲み込み尽くす闘気は心臓を刺し穿とうとした槍を伝い、ゴーレムの動きを止める。
 例え心なくとも、命無くとも、この世に存在する限り全ては自分の餌、獲物だと言わんばかりにケイスの闘気が怒りに、心を持たないゴーレムさえも恐怖を覚えその動きを止めた。


「ルディ! 術を!」


 ぼたぼたと胸元から流血をこぼしながらも、動かなくなったゴーレムの腕の下をかいくぐって抜け出し後方へと下がりながらケイスは後方を振り返えり合図を送る。  
 ケイスが何をやったのかは遠目では正確に見えていないだろうが、それでも無茶すぎる行動をしたのだけは判ったのだろう。
 驚愕の色に顔を染めていたルディアだったが、ケイスの声に我を取り戻す。


「り、了解! 地に眠りし水よ。我が元へ!」

 
 ルディアが詠唱を唱え指を打ち鳴らすと共に、その足元に描かれた魔法陣が光り輝き、噴水の様に大量の水が勢いよくあふれ吹き上がり始める。
 あふれ出した水は天井に当たり跳ね返ると豪雨となって瞬く間に闘技場の床を覆い尽くしていく。


「いくぞお爺様!」


 ケイスは羽の剣を返し、その切っ先を水面へと、深海青龍が本来住まう世界へと突き入れる。


『無茶をしおってこの馬鹿娘が……よかろう!』  

 
 まさか心臓を使って咆哮をやってみせるとは。
 末娘の恐ろしさというか、常識を無視した馬鹿さ加減に呆れて良いのやら感心して良いのやら判らずラフォスは答えつつも、魔力で満たされた水に心地よさを感じているかのように、刀身を揺らせて波紋をうみだした。
 深海青龍とは水を司る絶対種にして王。
 水を自在に操り、己の牙にも、鱗にも化す。
 僅かなりとも血を引くケイスが自分の身体を流れる血流をある程度は操れる様に、剣へと身を変えようとも龍の長たる龍王であるラフォスもまた水を操れる。
 ラフォスの意思を受け、生み出された波紋が動かなくなったゴーレムの足元へと集まり、大波となってその身体を何度も覆いながら魔法陣を描き出し始める。
 魔法陣の起点となるのはケイスが散々に打ち込み、ゴーレムに施した己の血を使った血化粧。
 龍はその牙と爪を持って、戦いの中で敵に己の証を刻むという。
 始母たるウェルカより受け継ぎし龍魔術の技法と、ラフォスの指示の元で行ったケイスの攻撃は無駄などでは無い。
 この世において最高の魔術触媒にして膨大な増幅効果を持つケイスの血を持って、ルディアが高め与えてくれた魔力をさらに増幅し、属性を変化させるという物。
 人の魔力では発動しない魔術を、龍の魔術を発動させる為に。
 ラフォスが描く魔法陣はケイスにも見覚えがある物。
 それはケイスがラフォスと初めての体面を果たした夢現の世界で見て、その身に受けた攻撃魔術を行う陣だった。


『龍魔術! 水檄龍額!』


 ゴーレムの表面を覆い尽くした水の魔法陣がラフォスの咆哮を受け大きく揺らめき、次いでその周囲の空間に自身を転写し始める。
 ゴーレムを囲む魔法陣はあの世界で見たよりも格段に少ない。
 いくら増幅しようとも、さすがに完全再現には至らない様だ。
 だがそれでも龍の中の龍。龍王の術。
 周囲の魔法陣から生み出された水の茨がゴーレムへと絡みつき、その頑強な石で出来た外装を飴細工でも砕くかの様に、削り、抉り、たたき割っていく。
 ラフォスが使う魔法陣を残し、その巨体が削られ、ついに内部に隠されたもう一つの魔法陣が姿を現し始めた。
 敵は見えた。
 ならば後は自分の出番。 
 左手に握っていたバスタードソードを降ろすと、代わりに投擲ナイフの目釘を外して中から虹色に輝く小さな玉を取りだして握る。
 あと少し。もう少し露出すれば切る。切り込むそれだけだ。
 胸から流れ出す血流に力を奪われ、息を荒げながらも、ケイスは最後の力を振り絞る。
 これが最後の行動。もう後など無い。
 だからこそ心を滾らせる。
 己の全霊を持って、一降りを決めると決意する。 


『よいのか? 狙いは三つ。諸手の剣を用いずとも届くのか』


 ケイスの行動にラフォスは疑問を訂す。
 ケイスの本来の剣技は、一刀を用いる邑源流とは別に、二刀を用いたレディアス二刀流もある。
 点滅した光球の位置から見て、一降りで狙えるのは一度に2カ所のみ。
 どうしても残り一つは、剣を返さなければならないが、二刀ならばまだ容易いはず。
 なのにわざわざ一刀に拘る意味を尋ねた。


「さすがに技は使え無い。それに切れぬ物を切ってこそ剣士だ……水に浮かぶ月だろうがなんであろうともな」 


 血を流しすぎたせいか朦朧としかけたケイスの目には、ゴーレムの中心で輝く魔法陣が月に見えた。
 その光景に何時か祖母に聞いた昔話をケイスは思い出す。
 水に浮かぶ幻の月が切れないのなら、本当の月を壊そうという勇者達の話。
 ケイスはその英雄譚は好きではあるが、自分ならば違う道を行くと祖母に返していたことを思い出す。
 自分ならば…………
 

『よかろう。ならばみせてみろ……我が剣士よ!』
   
 
 ゴーレムを象った石は一欠片も残さず、全てが破壊し尽くされ光り輝く魔法陣だけが露出したのを見て、ラフォスが声をあげる。
 これが最後の機会。絶対無二の剣戟をみせる場。
 剣士にとって生きる世界。
 ラフォスの檄を受けケイスは左手を鋭く振る。
 その手から虹色に輝く玉が三つ飛び、激しい水しぶきを立てながらケイスもその後を追う。
 鍛え上げている途中とはいえ高い精度を誇る投擲術によって、三つの玉が一直線に己が目指すべき位置へ向かって飛翔する中、ケイスは両腕を持ってラフォスを握り肩に担ぐ様に構える。
 ラフォスに強気で答えはしたが、ケイスは自分の剣だけでは届かない事は気づいていた。
 今の技量では、振り下ろしの一撃で堅いインディア砂鉄製の核を斬る事は出来ても、威力に劣る返しでは切るには至らず弾いてしまう。
 切れない物を切る。
 無理難題。
 だがケイスは剣士。
 無理であろうとも切るだけの事。
 水柱をあげて突き進むケイスが呼気を発し、その技を、自らを証明する為の新たなる名を唱える。
 

「参る! 邑源一刀流新技! 水面刃月!」


 己の最大技量を発揮する最適の硬度、重量へと調整した一撃は、神速の一降り。
 水面に浮かぶ月すらも、波紋一つ残さず両断してのけるだろう澄み切った一撃はケイスが持つ剣技において最速かつ、最大の切れ味を発揮してみせる。
 宙を飛ぶ虹色の玉をその切っ先が捉え、音も無く両断し、さらにその直下に存在したもう一つも霞を切り分ける様にあっさりと両断してみせた。
 しかしあと1つは振り下ろした剣の右上。
 手を伸ばせば届く近さでありながら、幻である様に遠い。
 やはり返しても切れない。切るだけの威力を出せない。
 なら刃を生み出すのみ。
 両手に持つラフォスへと最後の闘気を注ぎ込み持ちきれないほどの重さへと一気に重量化。
 剣の重さに負けたケイスは前のめりに倒れながら、その眼で最後の核を捉え、その口蓋を大きく開く。
 核と交差した瞬間に歯を打ち鳴らしながら、犬歯に捉えた。
 歯は刃。
 生物が持つ原初の刃にして、最後の剣。
 骨すらかみ砕いて獲物を飲み下す己の”刃”が金属ごときに屈するはずは無い。
 ケイスが渾身の力を込めてかみ切った瞬間、核の中に内包されていた魔力吸収触媒が拡散。 
 周囲の魔力をたちまちに飲み尽くし、術式の一部を消し去る。
 消されたのはたった3カ所。
 だが魔導技術の天才により計算され尽くしたその位置は魔法陣最大の弱点を間違いなく指摘し、剣の天才によって寸分の狂いもなく敢行されたのだから十分だ。
 内蔵した魔力が膨大であったはずの起動魔法陣が、ケイスがアギトを閉じた瞬間に、一欠片の痕跡も残さず霧散、幻の様にこの世から消失した。


「むぅ、まずいな」


 ケイスは呻き声を上げ前のめりに倒れ込みながら、息を漏らす。
 肉体の限界に達した故か、それとも生命力を限界まで使い切って薄れゆく意識のことか、はたまた口の中に残る金属の味か。
 自分自身でも判らない台詞と共に、ケイスの意識はそのまま深い闇の中に沈んでいった。
 その様は端から見れば、光り輝く月が一匹の獣に喰われ、消え去ったかのようだ。



[22387] 剣士と家庭の問題 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/09/23 21:38
 夢現、あやふやな世界に、剣戟の音が響き渡る。
 空気を切り裂く鋭い切っ先が放つ音は途切れず、一綴りの音となって水気を含んだ空気をゆらし、洞窟をうっすらと漂う霧をゆっくりとかき混ぜていく。
 響き渡り続ける音は一秒も途切れること無い。
 振り下ろし、刃を返し、切り上げる。
 寝食も惜しんで、ただひたすらに愚直にケイスは剣を振り続ける。
 首をもたげ、その様を見下ろしていたラフォスは、この世界へと入ってくる新たな気配を感じ視線をそちらへと向ける。


「失礼いたします父上」


 うっすらと漂う霧の中、浮かび上がる様に出現したウェルカが、透き通る水色の長髪をたゆたわせながら、父であるラフォスに向かい頭を垂れた。
 

「ウェルカか。何用だ」


「末娘の様子を見に。父上が手を焼き持てあましているので無いかと心配いたしまして」


「そう思うならもっと早くこい……こやつはいつまで剣を振る気だ?」


 飽きるという言葉を知らぬ末娘を見ながら、前深海青龍王ラフォスは娘であり現在の龍王であるウェルカに尋ねる。
 人と龍。
 二種族の血を引きながらも、その両者とも違う精神、思考を持つ、不可思議生物なケイスの行動は、ラフォスには理解しがたい物だ。 


「現実ならば、とうに限界を迎え倒れていますでしょうが、ここは父上の作り出した幻の世界。肉体の限界など無いのですから、満足するまでは振り続けるでしょう」 


 ケイスが、みせるのは先日の対ゴーレム戦において、編み出した新技の型稽古。
 実戦においては出来無かった切り上げまでを含めた、二連撃の完成形をケイスは振り続ける。
 不眠不休で行われる打ち込みは既に万を超えるが、手を止めようとする様子は皆無だ。
  

「我の問いを後回しにして、先に剣を振らせろといって既に1週間は過ぎたぞ。何時満足するというのだ」
   

 現実においては力を使い果たし寝込んだままだが、既に意識のみを覚醒させたケイスをラフォスが呼び出したのは数日前の事。
 いくつか聞きたい事があるからと呼び出したはずなのに、ケイスは先にやることがあると言って、稽古を初めてしまった。
 すぐに終わるかと思えば数時間が過ぎ、一日が過ぎと、なんとなく声をかける機を逃して、そのままここまで日が経っていた。
 長大な時を過ごす龍だからこそ、この程度の時間経過はラフォスには待たされたというほどでも無いが、それでも何時終わるのか位は、はっきりとさせたかった。


「さて……あと一週間か、一月か、一年か……ケイネリアスノーの負けず嫌いは筋金入りですので。実戦で使えなかったのが悔しくてしょうが無いのでしょうから」


 しかしウェルカから返って来た答えは、曖昧で答えとはいえない答えだった。


「負けず嫌いですませるな。どうすれば止まるこの剣術馬鹿娘は」


「父上からお声を掛ければいかがですか? 呼ばれたときは返事をするくらいの常識はありますので。ほとんどの場合は邪魔をするなと斬りかかってきますので、私は遠慮させていただきますが」


 剣を振っている間は放っておくのが利口とばかりに諦めきったウェルカは、どこからともなくテーブルやティーセットを取り出す。
 面倒事はごめんとばかりに傍観を決め込むつもりの様だ。


「常識があるとは言わん。前も言ったが少しは躾けろ」


「それはケイネリアスノーの父である我が末の一人の役目かと。あの子よりこれ以上、親としての役目を取るのは些か忍びないので」


「本当に見に来ただけか……娘! いい加減にせんか! お前の稽古を見学する為に呼び出したのでは無いぞ!」 


 この件に関してはウェルカは役に立たないと見限ると、ラフォスは雷鳴の様な怒号を浴びせる。


「ん? ……なんだ誰かと思えばお爺様か」


 声に気づいたケイスがようやく手を止める。
 全ての生物を萎縮させる龍の眼を持って見下ろしてくるラフォスの視線を真正面から受け止めて、怯えた様子も見せずケイスはきょとんと見上げた。
 

「暇か? 付き合ってくれ。お爺様は良い剣だから好きだぞ。通常剣での水面刃月は出来る様になったから、最加重状態からの切り上げの練習をしたいんだ」


 満面の笑みでケイスは腕を広げて、ラフォスを求める。
 ケイスが先ほどまで振っていたのは、ラフォスの宿る羽の剣ではなく、ケイスが想像し作り上げたバスタードソード。
 現状の最速で最大の切れ味を出す技『水面刃月』
 羽の剣の特殊能力重量変化を用いずとも、再現してみせたが、最大加重状態からの切り上げも出来る様になれば、より威力を高めることが出来る。
 己の技量上達においては妥協も満足もしない天才は、さらに先を目指していた。


「そういえばなんで私の夢の中にお爺様達がいるのだ? 私に何か用事か?」


 寝ても覚めてもケイスの頭にあるのは常に剣のことばかり。
 夢を見るときも、戦いしか無い。
 剣を振ることに集中するあまり、ここが自分の夢の中だと思っていた様だ。
 ここがラフォスの世界である事も、自分が呼び出されたことも、ケイスの頭の中からはすっぽりと抜けていた。 
  

「よかったですね父上。今回は当たりのようです。剣を振っているうちに楽しくて上機嫌になったようです」


「……納得がいかん」


 まさか呼び出したこと所か、側にいた事すら綺麗さっぱり忘れられていたとは。
 持ち手として選んだはいいが、ここまで剣術馬鹿では……
 意思疎通だけで一苦労するケイスを選んだのは失敗だったかと、少しばかり後悔し始めていた。
  


 

















 南方大陸統一帝国ルクセライゼン。
 春嵐がもたらす豊富な雨量によって、彼の国は大陸各地に点在する都市間を、大小様々な無数の運河で結んでいる。
 中でも大陸南部に位置する帝都コルトバーナは、大陸を貫く三つの大河川とその支流となった運河が集う集結点として、溢れんばかりの水を蓄える巨大な水上都市として繁栄を極めていた。
 帝都から一望できる深く広いバーナ湾には、大陸各地から来る小型船のみならず、多種多様な船が集まる。
 大陸各地の街と航路を結ぶ小型船。
 外部大陸からの定期外洋帆船。
 転血炉を用いた動力外輪船。
 ハリネズミの様に砲を取りつけた軍艦。
 この世に存在するありとあらゆる水上船が見られるだろう。
 そんなバーナ湾の中央に遠目には島と見間違えるほどの、周りの船とは文字通り桁が違う超巨大船が停泊していた。
 非常識なほど巨大なその船と比べると、荒々しい外海を航海する外洋船が非常用ボートに見えてしまうほどだ。
 その船の名は帝都海上剣戟劇場艦『リオラ』
 数年前に死去した元人気女性剣戟師の役者名から取られている。
 帝国剣劇界では、斬新かつ派手な魔術演出を好む演出家であり、有数のパトロンとして知られる女性侯爵メルアーネ・メギウスが私有する世界最大の船であり、同時に世界最大の劇場として、つい先日就航したばかりの新造艦だ。
 幻影、構造変化、召喚、各種魔術を用いる大がかりな舞台で行われる最高峰の公演を、帝都、帝国領域のみならず、世界各地で行うというメルアーネの夢を実現させる為の舞台。
 現在はこけら落とし公演として、一月にわたる無料記念公演が催されている。
 リオラの喫水線近くに設けられた他船との連結口には、多数の船が鈴なりに接続されていた。
 剣戟好きの帝都庶民や、土産話を求める外国からの観光客といった一般市民を乗せる乗合船。
 公演予定地となった商工ギルド関係者や、帝国と親交のある国や地域の大使を乗せた帝国所属艦船。
 帝国を支える大貴族達の私有船群は、それぞれの家紋を高々と掲げ、繊細な装飾が施された優美な船体で衆目を集めていた。
 その貴族船の中でも一際目を引く、白銀に輝く装甲を持つ船が一隻。
 艦名は帝国海軍総旗艦『フィリオネス』
 現皇帝の名を持つ軍艦は帝国の魔導技術の粋を集めた最新鋭艦の一番艦であり、同時に皇帝が鎮座する御召艦としての役目を持っていた。
 マスト最上部には、剣と水龍を模したデザインの帝国国旗が高々と掲げられ、皇帝が座乗していることを示す。
 大貴族のみならず、多忙な皇帝までもが連日観劇に訪れているという評判が評判を呼び、連日大きな賑わいを見せていた。















「昨日と公演内容は変わりませんので、こう毎日、毎日来られますと警護の問題や、出演者達の精神状態にも影響して参りますので……というわけでお帰りください陛下。お出口はあちらです」


 皇帝乗船用に特別にあつらえた特別乗船口に立ちふさがりメルアーネは、皇帝を追い返そうとしていた。
 自分の演出や、出演者達の演技力で人を呼ぶなら文句は無い。
 だが外部要因、皇帝が連日訪れるという評判で人が増えるのは気にくわない。
 ましてや皇帝の目的が、観劇では無く、ある人物に関する情報をいの一番に手に入れたいからだという理由では、刺々しくなるのも仕方無し。
 メルアーネは刺々しい言葉をぶつけながら、口元を隠していた扇を畳み出口を指し示す。
 周囲に並ぶ警護兵や従者達はあまりに不遜な言葉に、顔を青ざめさせているのだが、当のメルアーネは最低限の礼儀として微笑を保ちながらも、その目線は鋭く、拒絶の色を有り有りと示していた。
 不老長寿の上級探索者であり。30代の若々しい外見のフィリオネスと、40を僅かに超えたばかりのメルアーネは、まるで姉弟のようにも見える。
 その両者が持つ薄茶色の髪色や透き通る青目、すっきりとした鼻筋の顔立ちがにかよるのも当然と言えば当然。
 姓が示すとおり、メギウス家は現皇帝フィリオネスの生母である皇后の出身家の一族であり、メルアーネにとっては現皇帝は母方の叔父に当たる人物だからだ。
 無論公の場であれば皇帝の臣下の一人として、メルアーネもここまでの態度に出ることは無いが、現在は皇帝の私事であり、メルアーネの牙城である劇場。
 叔父と姪という身近な関係ゆえの遠慮の無さで、メルアーネは断固拒否の体勢をみせていた。


「メル。素晴らしい剣戟とはやはり何度見ても素晴らしい物だ。今回の公演は私が見た中でも最高の……」


 何とかメルアーネを懐柔しようとするフィリオネスが、子供の頃の愛称でメルアーネを呼び、半分本音ではあるが今回の公演をたたえるおべっか混じりの言葉を口にする。
 しかしその瞬間メルアーネの笑みが薄ら寒い物と変わる。
 上級探索者としていくたびの死線をくぐり抜けてきたフィリオネスも思わず及び腰になるほどの鬼女の笑みだ。  
 にこりと微笑むメルアーネの周囲で、その澄んだ青目が示す高い魔力が渦巻き始める。
 ルクセライゼンの皇族、準皇族である青目の一族は、世界でも有数の高魔力を有する存在。
 生まれながらの魔術師であり、その力は上位の探索者に勝るとも劣らない。
 ましてや皇位継承権を持つ準皇族の家門長においては、一人が一軍にも匹敵すると言われるほど。
 そしてメルアーネもまたメギウス一門の長。


「最高という慣用詞にふさわしいのはリオ義姉様の公演以外あり得ません……陛下までが違うとおっしゃるなら、私は一人でも帝国に反旗を翻す所存です」 

 
 船に名をつけたことからも判る様にメルアーネにとって、数多いる剣戟師の中でも、今は亡きリオラは別格。
 最高という名を許すのは剣戟演舞はリオラの舞台だけ。
 リオラに対する行き過ぎた崇拝と愛情は、妙齢をすぎてもメルアーネが持ち込まれる縁談を全て断り、配偶者を見つけようとする気配さえ無く、演劇舞台にのめり込んでいる事からも有名な話。
 メルアーネの亡弟であり本来のメギウス家門の長とリオラが結婚したのも、リオラと本当の意味で家族になろうとしたメルアーネの画策という噂があるほどだ。
 弟夫妻が二人とも亡くなった今でもメルアーネの思いは変わらず、リオラの名と、残した剣戟の台本、剣譜を世界中に広めるため、この馬鹿げた大きさを持つ巨大劇場船『リオラ』を作ったほどだ。


「いや、待ちなさいメル。今のは言葉の綾であって」


「なら撤回いただけますか叔父上」


 慌てて弁明を始めるフィリオネスに近づくと、その耳元にメルアーネは口を寄せて、
 

「他の者はともかく叔父上だけはリオ姉様を差し置いて、他の演者を最高だと褒め称える資格はございません。ご自分が一番ご承知でしょ。甥の未亡人を寝取るくらいですもの」


 致命的な一撃を容赦なく撃ち放った。
 色々とあった末の結果であろうとも、純然たる事実を口に出されてはフィリオネスには返す言葉はない。


「っぐ…………撤回する。だがメルそれならば乗艦を許してくれぬか。私の気持ちも判るだろう」
 

 別に叔父であるフィリオネスを嫌っているわけではない。
 メルアーネにとってリオラが別格なだけだ。
 しかも叔父と義姉が関係を持ったのは、むしろ義姉が望んだ事と本人から生前聞いている。
 懇願する様な表情に、メルアーネは剣を納める。  


「さて……どう致しましょうか。一度や二度ならともかく、こう連日となりますと公演に支障が生じますので。最上の貴賓席を独り占めはいかがな物かと」


 メルアーネは再度広げた扇で口元を隠しつつ、難色を示す。
 客観的に見ても公演自体の出来は上出来だが、皇帝が連日訪れるほどではない。
 過剰評価は、興行主としてはともかく、一人の剣戟愛好家としては好ましくない。
 それにフィリオネスがここを訪れている真の理由を、政敵に知られれば、それは帝国が崩れ落ちる引き金になりかねない。
 個人としても公人としても、これ以上の来場は好ましくない。
 しかしフィリオネスの気持ちも判らないでも無い。
 人に心配を掛ける事にかけては、世界一の娘を持ってしまった親の心労は、メルアーネも同情するだけだ。
 せめて理由があれば。
 皇帝が訪れるだけの理由があれば、大目に見ても良いのだが。
 メルアーネが思案に暮れていると、フィリオネスの背後から一人の女性が姿を現す。
 細身のすらりとした体系にこの辺りでは珍しい濡れる様な黒髪と、凛とした気品をみせる顔立ちの年齢不詳な女性。
 その女性が姿を現した瞬間、メルアーネの背後に控えていた警備兵や侍従達が一斉に背を正し、直立不動の体勢となった。
 国の長である皇帝フィリオネスを前にしたときよりも、ある意味でさらに緊張した面持ちをみせる。
 だがそれも当然といえば当然。
 フィリオネスは英雄として知られ、酒場で謳われる叙事詩にもよく登場する。
 だが女性はさらにその上をいく。
 現代に生きる伝説。
 帝国最強の剣士として誰もが認める世界を救った英雄。
  

「レディメギウス。ここは私の顔に免じて乗艦を許していただけませんでしょうか。私が陛下にエスコートをお願いいたしました。娘が残した剣のさえずりを聞きたいと」


「そうでしたか……今宵の演目『カンナビスの戦い』は叔母様にも縁深き物。是非ともご観覧を。最上の席をご用意させていただきます」


 剣戟師リオラ・レディアスの生母であり、かつてトランド大陸において勇名を馳せた東方王国を支えた武家『邑源家』の唯一の生き残りにして、ルクセライゼン出身の英雄フォールセン・シュバイツァーを支えた『双剣』の一人。


「あら。それはそれは。また思いで深き名が。その名を聞くのは数十年ぶりなのに、つい先日に聞いた様な気もしますね。楽しませていただきます」


 かつて自らが打ち倒したカンナビスゴーレムが復活し、孫によって倒されたと報告があったのはつい数日前の事。
 そんな事をおくびにも出さず、大英雄と呼ばれる『カヨウ・レディアス』は優しげな笑みでメルアーネに深々と頭を下げた。 



[22387] 剣士と家庭の問題 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/11/01 22:22
 海上劇場艦『リオラ』
 日の下で見ればその奇妙な形がよく判るだろう。
 
 大きさの異なる八角柱を3つ縦に重ね合わせた階層構造の地上にあれば何かの祭壇かと思わせる海上艦としては異端な構造をしている。
 小島ほどもあるその馬鹿げた巨大船の原型は、暗黒時代に対龍王戦用として設計された幻の浮島艦。
 戦場の天を覆い尽くすほどの火矢を打ち下ろし、城塞都市をブレス1つで崩す火龍王への対抗策として考えられた物だ。
 当時最高出力の転血炉を十二機から放出される大出力魔力を用いて、不沈にして絶対なる火力を持つ戦船を建造し海上決戦を挑むという思想の下に設計されている。
 十五種の異なる属性の常時展開型防御魔術陣と、ドワーフの手による特殊鋼による堅固な船体を持って龍王の攻撃に耐え、一砲撃事に使い捨てとする代わりに極限まで威力を上昇させた砲撃魔法陣へ注いだ、島すらも粉砕する砲撃魔術をもって龍の群れを堕とす。 
 敵以上の防御力と火力を持って制すという単純明快な策。
 この案が幻に終わったのは、船体建造だけで、当時のルクセライゼン国家予算数年分に匹敵する膨大な資金が必要なこと。
 そして何よりも純粋にそれだけの超重量を乗せた船の浮力を保つ方法が無かったことに尽きる。
 浮力を補助する為に、砂船などに用いられている大型浮遊魔法陣に魔力を注ぎ込めば、肝心の攻撃と防御が疎かになる。
 かといってその重装甲を自然法則に任せてと維持する為に必要な船体の大きさは、当初案の十倍以上が必要。
 そんな試算された段階で、現実的では無いと却下された有象無象の案の1つ。
 馬鹿げた荒唐無稽な存在が今の世になって日の目を見たのは、陰口として囁かれる道楽貴族の名を、むしろ名誉として自称するメルアーネの意思に他ならない。
 自分がこの世でもっとも敬愛し信奉する義姉の名を持つ船が、世界一で無いのは納得がいかない。
 その比較対象が例え紙の上にしか存在しない幻の船であっても。
 幻と呼ばれた巨大船を実際に作り上げるだけの資産と人脈を持つ大貴族でありながら、本来なら弟嫁であり義妹と呼ぶべきリオラを、弟の嫁である前に自分の姉だと頑なに主張し、リオラの性別さえ異なれば自分がリオラに嫁いでいたのにと、公言してはばからない変人侯爵なら、さもありなんと帝国民の誰もが呆れつつ納得している。
 些か行き過ぎた偏愛の下にこの世に生み出された史上最大艦リオラは、同時に帝都中央劇場と同規模の舞台が五つも併設された世界最大の劇場でもあった。 
 伝説の女性剣戟師としていくつも逸話の残るリオラの残した剣譜。
 帝国において有数の剣戟演出家としても知られるメルアーネを筆頭に、様々な独自色を持つ高名な演出家達。
 そしてメルアーネが金に物をいわせてこのために呼び寄せた帝国中の人気剣戟師と、メルアーネ本人が手塩にかけ育てた若手剣戟師達の共演。
 同じ題目でありながら、脚本、演出、出演者の違いによって、大きく色合いの異なる剣戟を魅せ、初心者が好む派手な殺陣から、玄人好みの緊張感を持つ静かな物まで。
 剣戟劇の奥深さを骨の髄までずっぽりと楽しんでもらうというメルアーネの采配は、見事にはまった。
 無料公演であることも相まって内部に併設された五つの舞台、計5万を超える観客席が今宵も全て埋め尽くされ、立ち見まで出るほどの大盛況、満員御礼振りだ・。
 剣戟師達のみせる鋭い剣戟や、手に汗握る白熱した戦いに、どの舞台でも声援が飛び交い誰もが舞台に熱狂していた。  






 広い円形舞台全体を使った、躍動的な剣戟劇が繰り広げられる。
 通常の演劇とは違い、剣戟劇には演者達の発する台詞は一言も無い。
 場面場面に合わせた楽曲を奏でる楽団と、英雄達の活躍を謳う吟遊詩人の英雄譚に合わせ、演者達は剣を舞わせ、打ち合わせ、戦いを魅せる。 
 大胆な動きや冴え渡る剣技を魅せることで大勢の観客達を熱狂させる演者達の共演。
 剣戟劇の盛んなルクセライゼン帝国においても、間違いなく一級品の舞台と呼べる物。
 どこの末席からでも十分に満足して観劇を楽しめるほどだ。
 ましてや正面上部に設けられた最上級貴賓室は、その名に恥じず舞台を見るには最高の席だというのに、ルクセライゼン皇帝フィリオネスの心中は穏やかではなかった。


「…………・」


 素の感情を表に出さない様に微笑を浮かべて、舞台を楽しんでいる体を装ってはいるが、両手を落ち着きなく組み替える様は心ここにあらず。 


「叔父上。劇場に足を運んでおいて舞台以外に心を向けるのは、この上ない無粋な行為ですよ」


 フィリオネスが舞台に目を向けながら、その心は別の所にあると察し、メルアーネが不愉快そうに嫌味を口にしながら、その青目を鈍く光らせる。


「ましてや、声は外に漏れないとはいえ、姿を見られる恐れはあります。そう気もそぞろにされては、私が無理矢理お誘いしていると思う者も出かねません。それは極めて不本意です」


 ルクセライゼンは元を正せば、暗黒時代に迷宮から無限にあふれ出すモンスター群への対策と、最強種たる龍の群れに対抗する為に、人種の力を1つにまとめようと作り上げられた国家。
 統一から二百年以上が過ぎた今でも、旧国家間でのしこりや諍いなど、争いの種はあちらこちらに埋没している。
 旧国家王家の血筋であり、その領土を管理する準皇族たる大公がおり、その上に君臨する皇帝という形が今のルクセライゼン統治体制。
 フィリオネスの下まで上がってくる報告や確認事項は厳選しているとはいえ、極めて重要かつ多岐にわたり、日々多忙を極めている。
 だというのにこう毎夜、毎夜、来場した上に心あらずに観劇されたのでは、叔父と姪という立場を利用して、自らの興業の評判をあげる為にメルアーネが皇帝を振り回していると思われかねない。


「それに、他家の叔父様方からの同席の申し出を断るのも些か億劫になって参りました。ここ数日はご公務に力が入っていないと聞いて、直接会って一言、二言、言いたいというお申し出を、観劇に集中したいというお望みですと断っているのですよ。せめて表情だけは、もう少し楽しんでいただけますでしょうか」

  
 フィリオネスの生母の出身家であるメギウス家もまた旧国家の王家筋。
 現在はメルアーネの亡くなった弟の一人息子である甥がメギウス家を統べる大公の地位にあるが、まだ成人していないことや病弱なこともあり、メルアーネが後見人として代役を務める形を取っている。
 他家の大公には、先帝の血を引くフィリオネスの異母兄弟も多く、メルアーネよりも一世代、二世代前の格上準皇族も多い。 
 彼らからの頼みを断り続けて、無駄な敵意を買いたくは無いし、余計な詮索をされるのもなるべくなら避けたい所だ。
 だというのに当のフィリオネスがこれでは、礼儀に則った直筆の断り状を毎日したためなければならないメルアーネも愚痴の1つや2つこぼしたくなるという物だ。


「苦労を掛ける……ゴーレムをみているとな」


 メルアーネに謝辞と詫びを込めた言葉をこぼしたフィリオネスは舞台へと目を向ける。
 舞台上では歴戦の勇者達が次々に倒れ、その骸が岩に包まれあらたなゴーレムとして、つい先ほどまで肩を並べ戦っていた同士達へと襲いかかる。
 美麗な人気剣戟師達が次々に醜悪なゴーレムへと一瞬で早変わりする絶望的なシーンに、観劇している若い女性から悲鳴があがり、徐々に劣勢に追い込まれながらもかろうじて戦線を保つ主演パーティ達に声援が飛ぶ今宵の山場。
 劇とは判っているとはいえ、カンナビスゴーレムと名を持つ存在の脅威を目の当たりにしては、どうしても違う事を考えてしまう。
 
  
「カヨウ、アレと戦ってケイネリアは勝てたのか」


 対魔術対策済みの貴賓室で人払いを済ませてあるからこそ、ようやくフィリオネスは愛娘の名と話題に触れることが出来る。
 復活させてしまい、そして戦い、倒した。
 フィリオネスが現在受けている報告はそのおおざっぱな一文だけ。
 彼の地に根を張る諜報網をまとめ上げるカヨウの指示で、ただ気を揉むしかできない日々をここしばらく送っていた。
 もっともカヨウがそうやって生殺しめいた報告をあげてくるのには正当な理由がある。
 娘に関しては冷静な判断が出来ない。
 それは身近な者達の誰もが認める事であり、フィリオネス自身も認めざる得なかった。
 歴代最長の在位と未だ公式には御子を設けていないフィリオネスそしてメギウス家には帝位を独占しようとしていると、疑いの目を向ける他の準皇族も多い。
 数多の政敵により自分の足元が盤石ではないと知るからこそ、己の最大の弱点である娘のことを身内のみの場でも軽々しく口にする事が出来ずにいた。

    
「報告書はまとめている最中だそうですので、今は劇をお楽しみください」


 それらは後でと伝えながら、カヨウは過去を懐かしむ目で、また一人ゴーレムへと姿を変える演者を見つめた。
 フィリオネスやメルアーネから見れば舞台上で繰り広げられるのは、英雄達の苦難と勝利の伝説。
 しかし当事者であるカヨウから見れば、それは過去に起きたことに他ならない。
    

「レディメギウス。あの役者は気持ちのこもった良い剣を振りますね」


 カヨウが舞台の中央で剣を振る一人の演者を指さす。
 指さす先を見たフィリオネスの目は、その演者へと自然と釘付けになる。
 古式甲冑に身を包み、身の丈を遥かに超える長大な長巻を自由自在に振り回し、傷ついた味方を一人でも多く逃がそうと殿を勤め奮戦する。
 燃えるような緋色の柄が舞台上では色鮮やかに栄えていた。
 あの役者が演じる英雄に名はない。
 ただこう呼ばれる『双剣』その一人と。


「当然です。どちらの『双剣』もリオラ姉様の十八番。生半可の役者にはやらせるわけにはいきません。今演じているのも、名はまだあまり知られていませんが若手ではトップクラスの技量を持つ演者です」

 
 自らが見いだした演者がカヨウの目に適ったのが嬉しかったのか、メルアーネが我が事のように胸を張って答える。


「荒々しさは姉の特徴をよく捉えています。この時も私やご主人様を先に下がらせて、死地に飛び込んでしまいましたから」


 徐々に役者が舞台外にはけていくなか、単騎残った武者が身の丈を超えるゴーレムを引きずり倒し、打ち砕く獅子奮迅の戦いにカヨウが懐かしげに微笑んだ。
 双剣と呼ばれた英雄は全部で3人いる。
 カヨウが今も主人と仰ぐ双剣の使い手。フォールセン・シュバイツァー。
 そしてそのフォールセンに仕えた揃いの鎧と鬼面にその氏素性を隠した2人の剣鬼を指した名称『双剣』
深紅の長巻『紅十尺』を構え荒々しく敵陣を切り裂く双剣が隠した名は『邑源雪』 
 漆黒の直槍『黒金十尺』をもって縦横無尽に敵陣を突き抜けていくカヨウの当時の名は『邑源華陽』
 双剣と呼ばれた3人の探索者が、暗黒機の最初期から最後までを戦い抜いた英雄として知られてはいる。
 だが最初から名が知れていたフォールセンや、フィリオネスがまだ殿下と呼ばれていた皇子時代に帝位継承の冒険に同行したことで後に知られたカヨウと違い、邑源雪の名を知る者は少ない。
  
 
「叔母様のお姉様とおっしゃるともう1人の双剣でしたわね。叔母様よりも強かったと噂話程度には聞いているのですが」

 
「えぇ。私が知る限りでもっともお強い方でした。剣も心も……紅十尺がもう少し長ければ、舞台と正にうり二つの戦いを見せていました」


「はて。あの長さは東方王国の単位で忠実に再現させたはずですが違いましたか? 直さなくてはいけませんか」


「メル。本来の紅十尺の十尺とは刀身のみの長さを表す。あの巨大な長巻を縦横無尽に操れるのはユキくらいだった。止めておけ。演者が可哀想だ」


 いつの間にやらフィリオネスが舞台へと目を向け、荒れ狂う演者にその意識を奪われていた。
 先ほどまで落ち着きなく動かしていた腕を膝に置き、色々な感情を押し殺すように深いい気を吐きだした。


「カヨウ……すまんな。落ち着いた。急いて弱みにつけ込まれてしまえば後で後悔すると判っているのだがな」


「お気持ちは存じ上げております。お気になさらず」


「ユキが聞けば説教されそうな事ばかり繰り替えしているな私は」 


「姉さんのお説教好きは愛情の裏返しです。ご承知では」


「そう……だったな」


 フィリオネスとカヨウは舞台上の演者を見つめながら、今では知る者も少ない懐かしい思い出をゆったりと交わす。
 フィリオネスが皇帝を続ける理由は、邑源雪がいたからだ。
 復讐を遂げる為に選んだ道。
 最愛の女性を失い、本人が望まぬと知りながらも歩き続ける道。
 その人とうり二つで生まれた娘は、今やフィリオネスにとって最大の弱点となっていた。



[22387] 剣士と家庭の問題 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/11/02 02:39
「なんだその事か。赤龍王のゴーレムが復活した理由は簡単だ。私の身体にはお爺様達、青龍王の血以外にも、赤龍王の血が流れているからな。あの手の血印魔法陣は術者の血脈でなければ復活しないのだから当たり前では無いか」


 何故、ケイスの血でカンナビスゴーレムが復活した?
 ラフォスの問いに対してケイスは何事も無いように、それこそ朝になったから太陽が昇ると、世の常識を説くようにあっさりと答える。
 血を用いた魔法陣は、本来は術者本人かその血を引く者でしか反応しない。
 カンナビスゴーレムの制御魔法陣は、赤龍王の血によって描かれた魔法陣。
 同じ龍王であろうと、青龍王であるラフォスの末であるケイスに反応するはずがないもの。

 
「娘。我の血を引くお前が、異種たる龍王の血も引いていると……正気でいっているのか」


 しかしそれが反応し復活までしたのだから、ケイスの言うことは道理。
 確かに道理だ。
 道理だからこそラフォスには、にわかに信じがたかった。


「引いていると言っても直系ではないぞ。御婆様が赤龍王を討伐したときにその血肉を喰らったからだ。龍を倒した者はまた龍となる。だから私にはお爺様達の血脈と赤龍の血脈が流れているぞ」


 龍の血肉を喰らった者は、類い希なる力を手に入れる。
 それはこの世の道理。
 当然だこの世の最強主たる龍を倒す者。
 それはすなわちこの世の最強種。
 最強たるこそ龍と成り上がる。
 だからそれは道理。


「……娘。龍王は異なる龍種の王と交わらずという不文律を知っているか」


「ふむ。始母様にどの龍王がもっとも強いか聞いたときに教えられたな。属性が異なるが互いに最強種の中の最強。しかしどちらかが破れればこの世の理が崩れる。それを防ぐ為両者とも存在できず滅びてしまうのであろう」


 ラフォスの問いにケイスは詰まることも無くまたすらすらと答える。
 永遠に燃えさかる火と、永遠にわき出る水。
 この両者が交わればどちらが残るかと聞かれれば、万物を知る賢者であろうと答えられる者はいないだろう。
 どちらも永遠、不変の存在であるからだ。
 それなのにどちらかが滅びてしまえば、それは不変たりえない。
 この世の理が崩れないように、互いに拮抗し合う龍王達が争えば、果てには対消滅を起こしこの世から消え去る。
 それもまた道理。


「では改めて聞くぞ娘……ならばなぜお前の血で我らが青龍の、青龍王の血印魔法陣が起動する?」


「だからそれは私がお爺様の血を引くからであろう。さっきからくどいぞ。何を言いたいのだお爺様は。あまり小五月蠅いと斬るぞ」   


 答えのわかりきった質問ばかりにだんだん苛立ってきたのか、気の強さを表すつり気味のケイスの目がさらに剣呑になる。
 五月蠅いからとりあえず斬るという結論に至る狂人思考のケイスと会話を重ね尋ねる難しさを、ほとほと痛感しながらラフォスは、最後の質問を、本当に尋ねたかった質問を口にする。 


「……娘。お前は異なる龍王の血が、互いに喰らい合う力が、その身体に流れているのに何故生きている? 何故その力を維持できる」

 
 ケイスには龍種の、それも最強たる龍王の血が流れている。 
 カンナビスゴーレムの赤龍王の魔法陣が復活し、ラフォスの補助があったとはいえ青龍王の水の魔法陣が発動するほどに濃い龍王達の血が。
 2つの血を引いたとしても、どちらかが劣っているのならまだ判る。
 だがそれではケイスの化け物じみた力の説明が出来無い。
 血に優劣があれば、僅かに劣る血が完全に封殺され、勝る血は、負かした血を押さえ込む為に、その力の大半を使い果たしてしまう。
 しかも争う血は肉体を傷つけ、やがて命さえも奪ってしまうはずだ。
 なのにケイスは、全く、そうこれぽっちも影響を受けていない。
 というか元気だ。元気すぎる。
 異なる龍王の血を二乗させても、足りないほどの暴れっぷりだ。 


「押さえ込んでいるからに決まっているであろう。私の意思を無視して反発しあう血など、力尽くで押さえ込んで言うことを聞かせれば良いだけではないか。当然であろう」


 ケイスは実に簡単に答える。
 争うなら従わせれば良い。力尽くで。
 簡単だ。簡単すぎる。
 ラフォスの問いにあまりに乱暴すぎて、あり得ない答えを道理として答える。


「………………」 


常識を地平線の遥か向こうに投げ去って平然と言ってのけるケイスの答えに、ついにラフォスも撃沈される。
 二の句が継げなくなる。
 この世の生物からすれば理不尽で巫山戯ている力を持つ龍王たるラフォスでさえ、ケイスは存在も精神構造も理不尽で巫山戯ていると断言できるレベルだ。


「父上。だから言ったでありましょう。ケイネリアスノーは我ら龍から見ても化け物だと。この娘の行動やら、なすことに、いちいち驚いていては精神が壊れますよ。なにせその精神力だけで心臓の魔力変換機能を完全に消し去って、闘気変換に書き換える化け物ですよ。父上にも私にも無理な事でありましょう」


 父と末娘の問答を黙って見ていたウェルカは軍配が上がったと判断し、黙りこくってしまった父親の顔を見上げ、ケイスに関してはそういう物だと諦めろという究極のアドバイスを贈る。


「むぅ。失礼だぞ始母さま。私だって苦労したのだぞ。第一やろうと思えばなんとかなるぞ。結局は自分の肉体なのだからどうとでもなるだろう」 


「ケイネリアスノー。貴女は従姉妹の娘に何時も言われていたでしょう。自分が出来る事が他人に出来るも出来ると思わないようにと。今回のこともそういう事ですよ」


「うぅむ……た、確かに言われたが、出来るのだから仕方ないだろう。話は以上だな。私は稽古に戻る。そろそろ目が覚めて現実に戻ってしまう気がする。時間が惜しい」


 幼い頃から面倒を見てくれた従者であり従姉妹でもある姉の忠告を出されては、さすがのケイスも反論に困る。
 言いたい事はあるが、精神的に頭の上がらない姉の言葉では無下に否定することも出来無い。  
 結果、ケイスが選んだのは戦略的転進。
 体力も戻ってきて目が覚めるのも時間の問題。
 僅かな時間も惜しいから稽古に戻るという名目で、ラフォス達の元から走り去って剣を振り始めてしまった。
 空気を切り裂き剣を延々と振り続ける音のみがまたも響いていく。 


「都合が悪くなると好きな事に逃げて没頭する辺りまだまだ子供ですね」


 逃げ場所が剣だというのがケイスらしいとウェルカは評しながら、ポットから新たな茶を入れ直して口にする。
 現実に戻ってしまえば末娘と会話を交わすのはまたしばらくお預けになるだろうと、少しばかり惜しみつつ、1人で茶を飲むのも寂しいと、唖然としている龍体の父親を見上げる。


「それより父上。どうですかこの際、父上も人間体を作られては? お茶に付き合って頂けますと不肖の娘としては光栄の至りでございます」
 

「……ウェルカよ。娘には異父兄がいると言っておったな。父が異なるとはいえまた我らの末の。まさかその者もあのような存在なのか」


 ウェルカの誘いには答えず、何とか精神的衝撃から己を立て直したラフォスが、剣を振るケイスを見て脳裏に浮かんだ嫌な予感を口にする。
 あの唯我独尊な化け物が2人も存在すれば、対立すればそれこそ世界崩壊しかねないほどの争いとなることは目にみえている。 


「……あの子は違いますよ。ユーディアスは父上の常識の元に生まれました」


 僅かに居ずまいを正したウェルカはカップをテーブルに戻すと、ケイスに聞こえないように音声遮断結界を周囲に張ってから、憂慮の色を眉に浮かべその名を口にする。 
 ルクセライゼン皇帝を父にもつケイスには、父が異なる兄が一人いる。
 ルクセライゼン準皇族たるメギウス家直系として、彼もまたウェルカの血脈の末に位置する。
 メギウス家前当主が夭折した為に、生まれながらの当主となったケイスの兄の名はユーディアス・メギウス。


「ユーディアスは、ケイネリアスノーと違い、我らの血が濃いのか、赤龍の血が薄いのか定かではありませんが、父上のご推察通り生まれたときから病弱で10までは生きられないだろうと言われておりました」


「その物言い……今は違うのか?」


「えぇ。他ならぬケイネリアスノーが産まれた事で運命が変わりました。父上も先の戦いで見られたでしょ。享楽好きの神々共が降臨する様を。あの地には細い神木しかありませんでしたので中級神が精々ですが、私が微睡む地の外にはケイネリアスノーの木が生えております」


 地上に降臨した神々の依り代となる神木『ケイアネリス』
 ケイスの真名である『ケイネリアスノー』とはそこから取られた名。 
 神々の力をふんだんに含んだ実を生み出す林檎の木は、原種と亜種と呼ばれる2つに分類される。
 原種は極めて珍しく、大半が亜種と呼ばれる原種からの接ぎ木された増やされた物だ。
 それこそ亜種は大陸各地の神殿や王宮にも植えられ、儀式などに用いられているので、人の目に触れる事も多い。
 人によっては亜種は所詮偽物。原種のみが神木と呼ぶにふさわしいと唱える者もいるほどに、原種は稀少だ。
 なぜならば原種は、英雄の木。
 世に大きな影響を持つ存在。
 その善悪に限らず後の世に英雄や勇者、魔王、覇王として歴史に名を残すような者達。
 彼らが生誕したときに、その拳の中に握りしめた種から生えた神木こそが原種と呼ばれるからだ。
 神木と共に産まれた英雄が成長すると共に神木は巨大化し、英雄が死すとき、また神木も枯れる。
 今現在、歴史上に存在したとされる原種は42本。
 そして公式に現存するとされている原種は僅か2本しかない。
 だが少なくとも非公式な一本が存在する。
 それこそがケイスの生誕と共に生まれた神木。
 ルクセライゼンの聖地。龍冠で一際巨大な大木に成長した神木こそがケイスの木。
    

「上級神すらもか……」


 ウェルカの言葉に、ラフォスは悟る。
 龍王達は、神木を持って生まれた真の意味を知る。
 この世の秘密を知る。
 最強種たる龍を討ち滅ぼそうと、最強種たる龍になろうと争う世界を。
 数多の種族が生まれ争うこの世は所詮神々の遊技場なのだと。
 神木を持つ者とは、神々によって選ばれた存在。
 種族の英雄として、他種族を滅ぼす存在。
他種族によって倒されるべき定めを持って生まれた存在。
 ケイスもまた種を持って生まれた選ばれし者。
  

「ケイネリアスノーは人気者のようです。ケイネリアスノーが闘う度に、神木には山ほどの実が実ります。長寿の霊薬の元たる神々の林檎が。神木の実が無ければユーディアスはとうの昔に命が尽きておりましたでしょう」 


ケイスが闘うごとに、その戦いが激しければ激しいほどに、神木には多くの神々が降臨する。
 ケイスの行く末を見る為に。ケイスを倒す存在を見いだす為に。
 数多の神々がその戦いに注目し、降臨する。
 異なる龍王の血によって滅びるべき定めを持つ者すら生かすほどの、力を宿す林檎の実と共に。
   
 
「だからケイネリアスノーは戦いが好きなのですよ。自分が戦えば戦うほど大好きな兄が元気になると。もっとも今では戦いが多すぎて、倉庫の1つが林檎の実で埋まるほどになっておりますが」


「ウェルカよ……それほどの神々を引きつける娘の戦う相手とは、滅ぼすべき種族とはいかなる者だと考える」


 最強種たる龍の血を色濃く引き、さらには異なる龍王の血すらも取り込み統べる者。
 この世の常識を全て覆し、全て喰らうほどに成長しかねない化け物が戦うべき相手とは……


「さて? 神々の遊戯の末に捕らわれた駒である私では見当もつきかねますが。ケイネリアスノーには、この世の全てが敵に回りましても物足りないでしょう…………全てを統べる神々共でしょうか」


 父も含め自分達龍とはこの世においてどれほどの力を持とうと、所詮は世の理を外れた神々の遊戯を彩る為の駒。
 だが末の娘は違う。
 神々がその役目を望んだとしても、あの末娘が従うわけが無い。
 どれだけ格上、強者であろうと平気で噛みついていき、最終的には喰らい尽くす戦闘狂なのだから。
 この世の理よりも自分の理を優先する末娘に、神を神と思わぬ化け物に、神々如きが敵うのだろうか。
 ウェルカは意地の悪い笑みを浮かべつつ、ゆっくりとカップを傾けた。



[22387] 剣士と振り回される人々
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:812a97c2
Date: 2015/11/07 03:37
 この時期によく吹く南から流れる夜風には、リトラセ砂漠からの砂が含まれ、空を霞ませ星を隠してしまう。
 頂点近くに影の縁から僅かに顔を覗かせ、儚い明かりを放つ朧月のみが孤独にたたずむ夜空が広がる。
 そんな霞む夜空の中に背の翼に魔力を通し、空を駈け昇るスオリー・セントスの姿があった。
 地上からの目を欺く隠形魔法陣を展開させながら、スオリーは疲れ切った身体を気力で動かす。
 下手すればカンナビス周辺が壊滅しかねない事態。
 カンナビスゴーレム復活”未遂”事件からは、既に10日が過ぎている。
 現場検証は既に終わり、これから管理協会本部主導で数ヶ月にわたる再現実験で原因究明が行われる手はずとなっている。
 スオリーは数ヶ月後に出るはずの、結果を”決める”為に空に上がっていた。
 微かな月あかりの中、薄雲の中に佇む大きな影を見つけ、スオリーは翼を急かす。
 影の主は、管理協会本部の重鎮であり上級探索者でもある『竜獣翁』コオウゼルグだ。


「お待たせいたしました。コオウゼルグ様」


「私も今来たばかりだ。気にするな。堅苦しくてかなわん」


 先着していたコオウゼルグの側でスオリーが羽を止めて膝をつき頭を垂れて挨拶をすると、挨拶はいらんとばかりにコオウゼルグは煩わしそうに手を振って答えた。
 管理協会本部で発足する事件調査班の最高責任者であり、同時に結論ありきな今回の終着点を描き出したのもまたこの老賢者だ。


「時間が惜しい。初めてくれ」


「はい。少々お待ちください。すぐに展開します」


 スオリーは立ち上がると展開したままの隠行魔法陣の中心部に懐から取りだした杖の先端を向けて突き立てた。
 足場の無い空中だというのに、杖はまるで堅い大地に突き立てられたように直立不動となった。
 杖の先端部に埋まるのは、鋭利な刃物によって切断され平たい平面をみせる小振りの宝石がいくつも埋まっている。
 通信用魔具に使われる宝石よりも純度を高め、数も増やしたこの魔術杖は、同じ構造の分身となるもう一つの杖との間に、高い秘匿機能を持ち合わせた直接通話を可能とする。
 その通信可能距離も一般的な通信魔具など足元にも及ばず、海を超え別大陸との即時通話も可能とする特注品だ。
 詠唱を唱えたスオリーが陰行魔法陣の記述を一部変更して、長距離通信を可能とする兼用魔法陣へと切り変えると、すぐに足元の魔法陣から水晶で出来た鏡が浮かび上がる。
 浮かび上がった鏡には既に1人の人影が映っていた。
 だが鏡に映るのはスオリーが普段の定時通信で報告を入れていた上役の姿では無く、ずいぶんと若い青年だった。


『あの子は無事か? 意識は戻ったか?』


 鏡の向こうの青年は、表情は落ち着いている風を装ってはいたが、焦りが透けて見える早口で問いかける。
 それこそ国で一番のテイラーが仕立てた衣服に身を包んだ薄茶色の髪の青年の瞳は、高い魔力をその身に秘める証である青く透き通っている。
 この人物は誰か?
 答えは一瞬でわかったが、さすがに予想外な人物の登場にスオリーがつい言葉を失っていると、


『オジキ。邪魔するなっと伝えてあるな。隠匿してあるが長時間使用で魔力波長をかぎつけられたら面倒な事になるぞ』


 何時もの上役の苦り切った声を、次いで鏡の中に姿を現す。
 短髪の黒髪頭を掻きながら姿を現した痩身の中年男は、ここ数日ほとんど寝ていない所為で目の下に真っ黒なクマを作り疲れ切った表情で青年を邪険に追い出す。
 鋭い目付きと引き締まった肉体は戦士の物……それも立ち居振る舞いや、全身に無数に見える傷跡が正規軍では無く探索者や傭兵出身者だと窺わせる。


『今回は心臓を刺されたとは聞いていないぞ。どこが無事に倒したというのだ』


『攻撃を心臓で跳ね返すなんて、巫山戯た技をまたやらかした所為だ。あれが勝算も無くやるか。心配する必要は無いだろう』


 先ほどの青年の抗議の声が姿無く響くが、中年男はウンザリとした顔で答える。
 色々とぞんざいな扱いをしているが、上役がイドラス・レディアスがオジキと呼ぶ人物は、一人しかいない。
 物の見事に当たった回答にスオリーは、ルディアからもらった胃薬はあとどのくらい残っていただろうかと、現実逃避気味に考える。
 青年の風貌をした人物こそが、南方大陸統一帝国ルクセライゼン現皇帝であり、ケイスの実父であるフィリオネス・メギウス・ルクセライゼンその人だ。
 その治世は半世紀を超え実年齢は70に手が届くフィリオネスだが、彼もまた不老長寿の存在である上級探索者。
 龍殺しの英雄を祖に置く国の成り立ち故ともいうべきか、ルクセライゼンにおいて帝位に即位する条件の1つに、迷宮に挑み上級探索者となることがある。
 皇帝は不老を持って全盛期の知性と肉体を保持し、大陸1つに渡る広大な国を治める事を求められる。
 数多くの英雄譚に謳われ、民を思い、民と共に歩む事を、己の命題にあげ、民衆に支持される皇帝フィリオネス。
 今世を生きる英雄の一人であり、世界最大の国力を誇る大帝国の長。


『大怪我を負った娘の心配をして何が悪い』


 だがその英雄皇帝も一皮剥けば人の親。
 ましてや問題児という言葉の概念から覆しかねないほどの問題児であるケイスを娘に持ったその心労は察してあまりあるほどだ。
 

「……うちの姪っ子はどうだ?」


 フィリオネスの相手をするのが面倒になったのか、ウンザリと息を吐きながらイドラスはケイスの様子を確認してきた。  
   
 
「は、はい。全身に負っていた裂傷は軽度だった為ほぼ完治しております。胸に負った傷も順調に回復しておりますが、未だ意識は戻っておりません。頭部に損傷を負った形跡は見えず、水を口元に運べば摂取しますし、右手に堅く剣を握りしめたままで離そうともしませんので、医師どうしてこれで目覚めないのかと首を捻っています」
  
 
 口元に薬入りの水差しを運べば、無意識でもケイスは口にし嚥下している。
 これなら何時目覚めてもおかしくないはずだというのが医師の見立て。
 しかしこの診断が出てから既に3日。
 ケイスは未だに目を覚ましていなかった。


『ふぅ…あの馬鹿の事だからそれは自分で眠りについてるな』


 二歳の頃から迷宮に捕らわれたケイスの場合、裂傷程度なら怪我のうちに入らず、四肢の欠損や内臓器官の損傷もザラと、地上の離宮龍冠にいる最中は治療中で絶対安静状態がデフォルト。
 しかし戦闘狂のケイスが動けないからと大人しく寝込んでいるわけも無く、深手を負った自分を恥て、次の戦いに備えると、回復に専念しつつ、イメージトレーニングを行う為に、自らの意思で明晰夢を自在に見られるようになったのはいつからだったろうか。
 昔はケイスが寝込んでいる時間は一般教養を教え込む時間だったのが、それ以来寝ても覚めても戦闘しか頭に無くなり、ますます人間離れした思考になったのは致し方ないだろう。


『どうせ今回も怪我を負ったのか、思い通りに剣を振れなかったかが悔しくて、夢の中で剣でも振ってるんだろ……オジキ。心配するなとは言わんがあいつに限ては無駄骨だって判ってくれないか』


『イドまどろっこしいですわ。叔父上。あまり時間を長引かせては余計な疑いを招きます。これ以上お時間がいるようでしたらご報告は後日改めてという事になりますが、よろしいでしょうか?』


 苛立ちを隠そうともしない女性の声が急に割り込んでくると有無を言わせぬ響きを持っていた。
 一応確認を取る体を取っているが、実質的な宣告に他ならない。
 これ以上口を出すなら追い返すと。


『……判った邪魔はせん』


 フィリオネスの不承不承であるが承知する声が響くと、上司であるイドラスが無言で首を振りスオリーに報告を始めろと促す。


「今回の件は、表向きには偶然が重なった末に起きた事故として処理する手はずになっています。原因はあの方が使用された剣にあるという事に。未だ由来や詳細な解析は出ていませんが、あの剣が龍の骨を用いた物である可能性は極めて高いそうです。剣の欠片と破壊された魔具の魔力に反応して、衣服に付着していた土の中に残っていた魔法陣が復活したという形になります」


 今回発生したゴーレムは、事件二日前にゴーレム起動実験が行われたベント街区闘技場の土が、偶然ルディアの衣服に付着し、決闘が行われたルーファン商業街区鍛錬所へと持ち込まれた事が発端。
 ルディア達とカンナビスライトの制作者であるリオラが接触した事実は第三者の証言もあり、実際にルディアのコートのポケットからはリオラのブーツ底からこぼれ落ちたと思われる闘技場の土が微量ながら検出されている。
 そこまでは紛れもない真実。
 だがそれ以降は無理矢理に理屈をつけ、偽りの筋道を重ねる物へとなっている。


「幸いと言うべきか、事件前に街の買い取り屋に、あの方から委託された薬師が龍の力を含んだ転血石が大量に持ち込んでいます。俗称で羽の剣と呼ばれているあの剣には龍の力が色濃く残り、その欠片だけでも大きな力を持っている危険物であるという論法に一定の根拠を与えれます」


『羽の剣か……出所は不明なままなんだな』


「はい。カンナビスの協会直属鑑定士チームや、委託した武器商ギルドによる調査も行われましたが、現在も製法に関する手がかりすら未だ掴めていない状況です。ただ彼らに言わせれば、訳の判らない極めて高度な品なら、十中八九はエーグフォラン産。それも7工房のどれかかが関わっているだろうという話です」


『口伝がメインで資料を残さないドワーフ鍛冶には聞くだけ無駄だ。作りたいから作るで個人個人が自由気儘にやっているからまともな製造記録はあって無いがごとしだ。国直属の7工房ですらそれは変わらんな』


 見て覚えろを地でいくドワーフ鍛冶の技術は基本的には師から弟子への直接継承。
 教本なんぞ読む暇があれば自分の肌で感じろなドワーフ達には、誰が何時作ったかなんて詳細な資料は期待出来ない。
 もし問い合わせても、知るか。その武器よりもっと良い武器が作ってやるといわれるのが落ちだ。


「はい。ですが逆に由来を追えないからこそ、真相を霧の彼方に覆い隠せるかと。無論あの剣にその様な力はございませんので、コオウゼルグ様の引き続き御協力を要請いたしました。ただ承諾するかどうかは詳細を聞いてからとの事です。コオウゼルグ様と変わらせていただきます」 


 スオリーはいったん言葉を句切ると杖の前から退いて、コオウゼルグのために場所を空ける。
 コオウゼルグは今回の事件をうやむやに、ケイスの存在、正体を隠し、偶然が重なった魔力暴走による事件だったとする為の案を提案してくれたが、まだ協力の確約はしていない。
 あくまでもこうする事が出来ると提案してきただけだ。


「久しいなイドラス。お前が今の草の頭を務めているとはカヨウからは聞いていたが、あの荒くれ者が立派になったな」


 僅かに柔和に見えなくも無い程度に目を細めたコオウゼルグが、まずは無難な話題からはいる。
 イドラスの母はレディアスの性が表す通りカヨウ・レディアス。
 カヨウとコオウゼルグは共に暗黒時代を戦い抜いた勇者パーティの一員であり、カヨウの長男であるイドラス自身もこの老賢者とは何度も面識がある旧知の仲だ。
 今現在トランド大陸全土に細々とながらも根を張る諜報組織である『草』を現場で取り仕切っているのは、カヨウからその役目を引き継いだイドラス。
 だからコオウゼルグとの交渉の場に立つのが、イドラスの役目でもあるが、


『コオウ老。昔の話は止めてくれ、ありきたりな若気の至りというものだ』


 当の本人としては色々弱みを握られているので、遠慮したいと如実に顔に書いてあった。
 イドラスは歴史に名を残す英雄である母親をもち、皇帝フィリオネスの最側近である守護騎士として近衛騎士団を率いる父親をもって生まれた。
 ルクセライゼンでは英雄として知られる両親の下で生まれ育ったはいいが、過度の期待やプレッシャー等の重圧に負けたイドラスは、若かりし時代に一時国を捨て出奔した過去を持つ。
 トランド大陸に渡り探索者をやる傍ら傭兵や賞金稼ぎとして過ごしていたが、その間に母のパーティメンバーだった他の英雄達には、幾度か助けられたりしているので今も頭が上がらない状態になっていた。


『ふん。そう思うなら精進しろ。カヨウは息災か』
  
   
『元気もなにもお袋なら俺の横に来てる。コオウ老に直接に詫びを、あと報告を入れたいとな。変わる』 


 苦手な相手はとっとと逃げるが勝ちといわんばかりに、イドラスが鏡の中から消えると、すぐにイドラスと同系色の黒髪と黒い瞳を持つ女性。カヨウの姿が映し出される。


『お久しぶりですコオウ様。この度は我が孫がご迷惑をおかけ致しまして。あの娘の存在を黙っていた事も含めて、まことに申し訳ございませんでした』


 鏡の中に映ったカヨウは微笑を保ちながら、今回の謝辞と非礼をわびる為に深々と頭をさげた。


「構わん。お前の血筋であるなら私の身内だ……しかし姿形と剣技でお前の血筋である事は判ったがイドラスの娘ではなく、小僧の娘だったとはな。ならば隠すのも理解するが、娘をしかと明かすなら父親の役目ではないのか? 私はあの娘の真名をまだ知らされていないぞ」  


『だ、そうですが陛下いかがなさいますか』


『……そう責めてくれるなコオウ老よ。私とてあの子を隠したくて隠しているわけではない。出来る事ならば、我が子だと正々堂々と日の当たる場所に手を引いてやりたいのだ』


 フィリオネスが重いため息と共に再び姿を現しカヨウの横に並ぶ。
 ルクセライゼンの国内事情を考えれば、公式には子のない現皇帝の血を引く唯一の娘。
 詳しい説明を聞かずとも、その存在が如何に危険で、そして深い事情を持つか察せ無いコオウゼルグではない。
 だが知らぬ相手の為に動く気はないと、その瞳が如実に物語る。


『あの子は、ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンは紛れもなく私の子だ。リオラ・レディアス……いや我が甥の妻であったリオラ・メギウスと私の間に生まれたな……』


 ケイスの生まれ持った超常の力と数奇な運命。
 娘を他者に紹介する。
 父親としての役目を初めてこなすフィリオネスは、重い口を開きながら、徐々に語り出した。 


「……なるほど。深海青龍の先祖返り。しかも神木を持って生まれた者か」


 ケイスの生い立ちとその力を聞いたコオウゼルグは、数々の疑問が合点がいき一気に解消していく様に、知識欲が満たされ快感にも似た感情を覚える。
 あの見た目通りの幼い歳で、化け物じみた戦いを見せるのも納得がいる。
 龍の血を蘇らせた末子にして神木持ち。正真正銘の化け物などだと。
   

『下手にあの子の存在が明るみに出れば我が国は割れる。貴殿も承知であろうが我が国の始祖は悪龍ルクセライゼンを討伐した英雄であり、同じく木をもって生まれた特別な存在。不義の子と思うか、始祖の再来と思うか。己に都合の良い方に解釈するであろう……さらに言えばあの子は女子だ』


 ルクセライゼン帝位継承資格が与えられるのは、現皇帝の嫡子である男子のみ。
 それはルクセライゼンが国として成り立って以来の伝承。
 さらに帝国として統合された際に、旧国の王族である準皇族家を母にもつ事も条件に加えられ、以降は皇帝にすら覆せない不文律となっている。
 この不文律を破ろうとする者は全て、皇帝すらも粛正対象とする機関がルクセライゼンには存在する。
 それこそがフィリオネスにとって最大の政敵であり、怨敵と今も水面下で争いを繰り広げる内部の敵、


『国を割りかねない存在を、奴らが……紋章院があの子を見過ごすわけが無い。ユキを絶望の果てに自害させた者共に、我が子をまた奪われるわけにはいかないのだ』


 フィリオネスの思い人である邑源雪。
 英雄である彼女とその腹に宿っていた子は、国体への悪影響を嫌った紋章院の謀略によって闇に葬られた。
 腹に宿っていた子を古の呪いを用いて怪物へと変化させ、母親の腹を食い破らせるという外道な策を持って。
 瀕死となった邑源雪は、暴れ狂う我が子を最後の力を振り絞って屠り、さらには母殺しの罪を着せぬ為にと己の命すらも自ら絶ち、この世を去ってしまった。
 今から50年以上前の昔話。
 だがフィリオネスの心には今もその事が大きな心に傷となり残っている。
 だから子を成せない。拒否感と虚無感を覚え女性を抱けずにいた。
 皇帝としての役目と判っていても、血筋を残す事が出来無い。
 だからこそケイスが生まれたのが奇跡なのだ。
 例えそれが偶然と深酒による誤認だとしても。


「紋章院か……カヨウ。お前の力を持ってしても無理なのか?」


 帝国内の婚姻や家門継承を一手に管理するのが紋章院の役割。
 どんな大貴族であろうとも、家同士が決めた婚約を紋章院が承認し始めて正式に成立する。
 それは国を保つ為。
 国内を統べる貴族間の力関係を調整し内乱を起こすだけの力を紋章院は削ぎ続けている。  


『紋章院はルクセライゼン建国以来脈々と受け継がれた機関です。その目的は国体の維持。その一点のみ。実行機関としての紋章院が所有する武力は近衛騎士団と匹敵する力。すなわちルクセライゼン最強の戦力です。もちろんその程度であれば、潰すのは容易いとまでは言いませんが不可能ではありません。ですがそれは国を割る事。民を巻き込み、苦しめる事。姉さんの遺志に反します』


 武力だけで排除するならば、カヨウの思いつく手はいくらでもある。
 だがルクセライゼンの隅々まで根を張った紋章院を殲滅するとなれば、それ自体が国始まって以来の大内乱となる。
 それだけは出来無いとカヨウは断言する。


『ユキは私には遺言は残さなかったが、【良き王とは、民を思い国を富ます者】と生前に散々説教と共に説いていた……私は未だ及ばずとも、その遺志を受け継いでいるつもりだ』    

 ユキの敵を取る事はフィリオネスの宿願。
 だがその為に国を乱す事はできないのはフィリオネスも変わらない。
 ユキの願いは、国と民を思う王と共にある事。
 滅亡した祖国を、苦悶のうちに死んでいった民を、最後まで心の中に痼りとして留めていたユキが、フィリオネスに希望を懐き求めてくれた王の道とは真逆を行く事は出来無い。


「武力を持って無理だというならどうする。頭を潰すつもりか?」


『紋章院の意思決定機関は未だ全容が把握できません。さらに言えばあるのかさえも。誰が命令を下し、誰が伝えたのかさえ判りません。この国の根源に流れる何かがあるのではと疑っているほどです。だからまだ表立っては動けません。精々小競り合いと牽制だけです』


 実行機関はその主だった者は探れる。
 だが意思決定を下す者に関しては、謀略に長けたカヨウですら今も情報が一切掴めていない。
 対象が不明なのだから排除するどころか交渉さえも出来無い。
 だからこそフィリオネスは弱みを、最大弱点である娘を晒すわけにはいかなかった。
 もっともその娘自体が、自ら出て行ってしまったのは、フィリオネスには最大の誤算。
 無理連れ戻そうとすれば、必ず暴れて大騒ぎになると断言できる爆弾娘相手では、下手な手出しも出来ず、その道行きを見守るしかない状況が続いていた。
  

「全くこれだから歴史の長い大国は伏魔殿だと言われるのだ……良かろう。今回の件は多少無理矢理ではあるが隠蔽してしまおう。いくつか無茶はするが、機密として押し通すしかないだろうな」


 協会としても火中の栗をわざわざ拾う真似をするのは割に合わない。
 隠してしまった方が楽ならば、多少苦労してもその方がマシだとコオウゼルグは決断した。


『ありがとうございます。こちらでも身代わりを立てるなどいくつかの策を弄しておりますが、コオウ様にご協力をいただければ良い盤石となります』


「我らの中で礼などいらん……それよりもフォールの奴には娘の事は伝えたのか?」


 丁寧に頭を上げるカヨウに他人行儀な真似はいらんと手を振ったコオウゼルグが、僅かに目の色を変えて、そのトカゲじみた顔の口元を難しげに歪め、パーティリーダーであるフォールセン・シュバイツァーの名をあげる。 


『いえ……ご主人様にはなにも。故あって継承権は捨てたといえ、我が主もまたルクセライゼンの準皇族。紋章院の目があります。それにあの方の洞察力であれば、あの子を見れば全てを察してくれるでしょう』


「まて。あの娘が探索者希望だとは聞いていたがフォールの下へ向かっているのか?」


『はい。どうやら遠く離れた地であるロウガで始まりの宮を受け探索者となるつもりのようです』


「待て待て、それこそまずいのではないか? 何故ロウガを目指す。あの地は離れているとはいえルクセライゼンの力が強い土地。争乱の種が自ら向かうには不向きだろう」


 壊滅したロウガの復興にはフォールセンとその出身家であるルクセライゼン準皇族シュバイツァー家の尽力が大きく、今もルクセライゼンの息が掛かった者が数多い。
 色々な事情を考えてもケイスが向かうには最悪の地のはずだ。
 

『それはご主人様に剣を習う気だからかと。私の剣術レディアス二刀流も元を正せば、ご主人様と姉さんの編み出したフォールセン二刀流の亜種であり、その原点は共に邑源流。邑源とレディアスを身につけたあの子が、残りの流派を望むのは当然の成り行きです。あの子は基本自分の欲望に忠実なうえに、諸事情や自分の生まれなどを知りはしていますが一切気に掛けていません』


「自覚無しか……それであぁも簡単に龍の力を使うと。私たちが隠蔽したから良いがばれていたらどうする気だったのだあの娘」


 ケイスの決闘の際には内部の者に気づかれないように幾重にも遮断結界を張って、内部から洩れる闘気の気配や魔力をコオウゼルグは完全に防いでいた。
 あくまでもケイスという龍を隠し大事にならない為の処置だったのが、結果カンナビスゴーレムの復活に繋がり、大事になったのだから無駄骨も良い所だ。


『その時は逃げるだけでしょうね。世間知らずですので、とりあえず自分の知らないところにいくか、邪魔する者を全部斬ればいいと単純に考えていますので』


「…………イドラスの時よりも輪に掛けて質が悪いなお前の孫は。事が終わるまで大人しくしていてくれれば良いのだが」


 あの能力にその考え方ではいざこざを起こすなと言うのが無理な話。
 目覚めたケイスが逃げ出せないように、一応は閉じ込めてあるがこれはもっと厳重にさせた方が良いか。
 そうコオウゼルグは考えたが……一歩遅かった。


『お、お姉ちゃん!? スオリーお姉ちゃん聞こえる!?』


 黙って成り行きを見守っていたスオリーの胸元から、切羽詰まったセラの叫び声が聞こえる。
 声の出所はケイスの身に何かあった場合に備え一応持っていた通信魔具からだ。
  

「すみません。何かあったようです……ん、な、あにセラちゃん。なにかあったの?」


 今の時間は既に家に帰って眠りについているはずのスオリーは寝ぼけたふりでセラからの通信に答える。


『あったどころじゃないの! ケイスが起きたんらしいんだけど、私の剣を取る気かって怒って病室の壁をぶった切って逃げちゃったらしいの! 今兄貴と、ヴィオンが追いかけてるけど見失ったって!』


「「……………」」


『『…………』』


 セラの事情説明ににこの場にいる者全てが声を無くす。
 今回の事態を鎮める為に必要な物は、ケイスの持つ『羽の剣』
 あれがキーアイテムだというのに、それを持って逃げてしまったと。


『ともかく人手がほしいの! 私も追うからお姉ちゃんも協力して! しかもなんか知らないけどケイスの奴、ルディアを攫ってたぽいのよ! 気を失ったルディアを肩に担いでるから目立つって!』
 

 一方的に告げセラからの通信は切れる。
 逃亡そして知人とはいえ人さらい。
 怪我を負って数日眠りについていた少女が起こすには、あまりに力技すぎる逃亡劇だ。
 

『あの馬鹿……だから言っただろオジキ。心配するだけ無駄骨だと』


 練り上げた計画を一瞬で白紙に戻してしまう姪っ子相手に、何時もの事だと割り切ったイドラスの声が空しく夜空に響いた。



[22387] 剣士と竜獣翁
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2015/11/21 00:16
 宵闇に目立ちすぎる白い布を纏ったケイスは、人気の途絶えた裏路地を素足のまま音も無く駆け抜ける。
 気を失ったルディアを肩に担ぎ、簡易な検査用貫頭衣の上には病室にあったシーツを羽織っただけというあられもない恰好。
 足にシーツが絡んでくるうえに、長身のルディアを荷袋のように肩に担いでいるので、バランスはこの上なく悪いが、その強靱な足腰に物をいわせ、無理矢理に速度を維持してみせる。


「まだしばらくはいけるな」


 当て身を喰らわせて気絶させたルディアの息を探り、意識が戻るまでまだ少し掛かるとケイスは勘で判断。
 壁を蹴って横道へと飛び込んだケイスは、ざわめきが聞こえる大通りへと進路を変える。
  

『娘。あちらには追っ手が来ているはずだ。どうする?』


「もう少し続ける。ルディに迷惑を掛けるわけにはいかんからな」


 胸元に仕舞い込んだラフォスの問いかけにケイスは迷うこと無く即断し地を強く蹴ると、路地裏から大通りへと飛び出す。
 ケイスが飛び込んだ先は夜の帳が深くなっても、まだまだ人で溢れる花街の一角。
 歳を誤魔化す為なのか派手な化粧をした薄着の娼婦達が纏う鼻につく濃い香水の香りが鼻につく。


「なんだ足抜けか?」


「担いでいる方はガキだぞ!?」


「おう嬢ちゃん初物か! 2人揃って俺が買ってやろうか!?」


 薄着の上にシーツを外套のように纏ったケイスと、その肩に担がれ微動だもしないルディア。
 どこかの娼館から抜け出してきたように思われても仕方ないケイス達に興味深げな声が飛ぶ。
 突然の闖入者の姿に、商品の品定めをしていた客達は見た目だけなら極上のケイスに好色な目線を向けるが、客引きをする呼び込みや娼婦達は面倒に巻き込まれては敵わないと迷惑そうに顔をしかめる。
 それらの視線を一切無視して周囲を探ったケイスは、1件の娼館にめどをつける。
 厚めの屋根と頑丈そうな太い柱。そしてなにより衆目を集められる絶好の位置。
 膝を沈め、闘気を足に込め脚力をさらに強化。
 ルディアを担いだまま、ケイスは纏ったシーツを翻しながら高く高く跳躍する。  
 群衆の頭上に大きな影を映しながら空を舞ったケイスが、娼館の屋根へと音をたてて着地すると、ざわめきの質がわずかに変化する。


「な、なんだいまの!? 魔術か!?」


「の、飲み過ぎたか……」


 10代前半とおぼしき幼い少女が、人を担いだままだというのに娼館の屋根まで一足飛びで跳び上がるという、現実感の薄い光景に、誰もが目を疑う。
 戸惑いの色を多く含んだざわめきと共に、その声につられた新しい視線が娼館の屋根煮立つケイスへと向かうなか、甲高い呼び子の音色が響き渡る。
 
  

「いたぞ! あそこだ!」


「あまり近づくな! 囲んで捕らえろ!」


 ケイスを探索していた衛兵の声が響き、花街の喧騒をさらに荒々しい物へと塗り替える。
 ちらりと視界を周囲に飛ばし見れば、散開して探索に当たっていたのか、数人で固まった衛兵のグループが4つほど。
 それらが一斉にケイスのいる娼館へと走りよってくる。
 些か乱暴気味に人波を掻き分ける彼らの手には、魔力で出来た捕獲網を飛ばす事が出来る捕獲魔具。
 魔術攻撃に一切の抵抗が出来無いケイスの魔力変換障害者体質は、追っ手には既に連絡済みのようで、近接戦闘に極化した戦闘力も考慮し、遠距離から捕らえようということらしい。
 位置関係を確認したケイスは、全身を一瞬だけ沈めてから一気に伸び上がり、気を失ったままのルディアを天高く放り投げた。
 


「げっ! 投げ捨てやがった!?」


「う、受け止めろ! 急げ!」


 藁で出来た案山子のように軽々と放物線を描くルディアに、衛兵達は慌てふためく。
 あの高さから意識無く地面に叩きつけられたら、無事では済まない。
 ルディアを助けようとするその隙を突き、ケイスは行動を開始する。
 屋根を蹴ったケイスは、突然の捕り物騒ぎに混乱する大通りの雑踏の中に飛び込み、己の低身長を逆手に取り、人込みに紛れてルディアを受け止めようとする衛兵へと次々に襲いかかった。
 

「くっ。がぁっ!?」


「そこにがはっ!?」


 群衆を己の姿を隠す壁に変え、するすると駆け抜けたケイスは、衛兵と交差する一瞬で闘気を込めた拳を下腹部へと撃ち込み次々に気絶させていく。
 ケイスが通り過ぎた後には、股間を押さえ泡を吹く衛兵達の哀れな姿と、青ざめた顔を浮かべる男性客の群れが出来上がる。


『……慈悲という物は無いのかお前は』


「安心しろ。潰してはいない」


 悶絶し泡を吹く衛兵達の哀れな姿に種族は違うといえど、同じ雄としてラフォスが深い同情を覚えるが、末娘は涼しい顔で答え地を蹴る。
 包囲網の一角を崩したケイスは、落下してきたルディアを空中でふわりと受け止めつつも再度屋根に昇る。
 瞬く間に数人の衛兵を殴り倒し、派手な立ち回りをするケイスに、花街の視線は戸惑いの色で染まる。 
 右手を胸元に突っ込んでラフォスを抜き出すと、闘気を込めて硬質化させ大剣としての本来の姿へと変化させる。
 抜き出したラフォスを大きく一降りし群衆の目に焼き付けつつ、呼吸を戦闘状態へと変更。
 脈打つ心臓が激しく送り出す血流に闘気を乗せ、全身から抜き身の殺気を無差別に撃ち放つ。
 総毛立つほどに寒気を覚える殺気がケイスの全身から醸し出される。
 身構える衛兵。
 一歩退く客。
 腰を抜かしへたれ込む娼婦。
 人々が思わず様々な反応を見せる中、ケイスは追跡者の隊長クラスと思われる衛兵をじっと見つめ、


「…………」


 無言で左肩に担いでいたルディアの首筋へと刃筋を這わせる。
 近寄れば斬る。
 紛れもない殺気が、ケイスが本気だと、群衆を錯覚させる。
 衛兵相手に派手に立ち回りをする向こう見ずな行動が、さらに信憑性を増していく。


「っ!」


 衛兵長が一瞬見せた逡巡の色を確かめたケイスは、背後に飛んで集まる視線を断ち切ると、屋根伝いに逃走を開始する。


「い、一班は追跡を続行! 二班は救護に!」


 逃亡を始めたケイスに我を取り戻した衛兵長の声が飛び、

「なんだったんだ今の?」


「あ、あれ人間だったのか? 蛇みたいな化け物じみた動きしてたぞ」


「……昔から噂されてた少女娼婦の怨霊だったら笑えねぇぞ」


 背後から聞こえる衛兵の叫びや、無責任な噂が紛れこんだざわめきを耳に捕らえながら、ケイスは次々に屋根を跳び一直線に夜の街を駈ける。
 屋根を踏み抜かぬように、的確に頂点部の棟木を捕らえながら進むケイスが向かう先は山岳都市カンナビスの特徴ともいうべき街区の端である断崖絶壁。
 大陸を隔てる巨大山脈の山肌に存在する僅かな平地を最大限に利用して作られている街区と街区を結ぶのは山肌をくり抜いて作られた隧道か、街区と街区を結ぶ索道のゴンドラ。
 翼を持たない種族にはその二つのルートが、カンナビスで移動する際の足であり、常識。
 だがこの美少女風化け物にはそんな理屈は通用しない。
 靄が掛かった夜空から降り注ぐうっすらとした月あかりだけで足元さえもおぼつかないというのに、ケイスは一切の躊躇も無く断崖絶壁からその身を躍らせた。
 浮遊感と共に感じる吹きすさぶ風に身を任せると、バタバタと外套代わりのシーツがざわめきだす。


「お爺様。私に合わせろ」


『またか。承知した』


 僅かな角度がついてはいるが断崖絶壁といっても過言では無い堅い岩肌が視界を瞬く間に通り過ぎていく中、ケイスは身体を僅かに捻り右手の大剣を崖に打ち込む。
 闘気を送り込み硬度と重量を増したラフォスの刀身はあっさりと岩肌に突き刺さり、それでは飽き足らず、硬い岩石を薄紙のように切り裂いていく。
 

『いくぞ。しっかり掴まっていろ』


 ラフォスの返答にケイスが柄をぎゅっと握る、同時に刀身の性質が軟質に変化し岩盤を切り裂いていた剣が止まりった。
 柔らかくなった刀身がケイス達の体重を受けて柳の枝のようにしなる。
 岩肌に叩きつけられる寸前で剣を再度硬質化。
 勢いよく元に戻ろうとする剣の反動を利用したケイスは、跳躍の勢いでラフォスを引き抜きつつ、垂直に落ちていた方向を無理矢理に修正して前方へと飛ぶ。
 そのまま夜目を利かせ崖沿いの僅かな凹凸を足がかりにケイスは次々に横へと跳んでいく。
 もし追っ手が来ていたとしても崖の途中から横飛びをして、落下開始地点から大きく逸れているとは思うまい。
 追跡者達の目を眩ます為にしばらく横移動してから、大きなくぼみを見つけたケイスは一度そこで足を止める。
 ルディアをそっと降ろすと大きく息を吐き、呼吸を整える。


「今のでごまかせると思うか?」


『この娘を生かしておけば、どうであれお前との関係性を疑われるであろうな』


「むぅ……面倒だな」


『ゴーレムの復活と龍魔術の使用で、お前が疑われるのは当然。だがこの薬師は無関係。刻が経てば疑いも晴れるであろう。放っておくのがこの薬師にとって一番では無いか?』


「そうもいかん。ルディは私を親身に世話してくれた恩人だ。私が一人で逃げて、後の面倒を押しつけるわけにはいかん。大陸中央の協会本部に連れて行かれて事情聴取や検査を行うという事だが、事が事だ、下手すれば年単位で拘束されんか?」


『人に限らず生物は我ら龍の力を恐れる。さほどの時間でもあるまい、それくらいは致し方あるまい』


「お爺様達は長い時を過ごすから良いが、人はそこまで生きられんぞ。ルディもやるべき事があるのに、無駄な時間を背負わすのは嫌だ」


『ならば娘と共に我を差し出せば良かろう。我が全ての元凶とすれば一応の説明はつく。さすればこの薬師もすぐに開放されるだろう』   


「それも嫌だ。お爺様は私の剣だぞ。それに剣に宿る魂がお爺様だとばれたら、父様達に迷惑が掛かるかもしれん。何故お爺様が私に反応したのか。私の容姿で勘ぐる者が出るやもしれん」


『ならばどうする気だ? このまま薬師を攫って逃げる事は出来ぬぞ。お前と違ってこの娘の身元ははっきりしている。後々面倒なことになるぞ』
  

「うむ。薬師ギルドだな。いっその事あそこに乗り込んで、ルディが来たという記録を破棄してしまうか」


『……何故お前はいちいち行動方針がそうも直情的で荒々しいのだ。止めておけ』


 迷惑を掛けたくないと言いつつ、もっと面倒なことに巻き込んでいると思わざるえない。
 ラフォスは心の中で嘆息しつつも、ケイスの提案を却下する。


「ふむ。こうなれば……………」


 どうすべきかと思案していたケイスは急に口を紡ぐと、空の一角へと視線を移した。
 ケイスの瞳が警戒色を強める。
 一瞬、そうほんの一瞬だけだが、視線を感じた。
 強く鋭い気配。
 ケイスよりも遥か格上の存在がそこにいたはずだ。
 気取られているか判らないがケイスは息を静かに深く吸い、呼気を整える。


「はぁっ!」


 鋭い呼気と共に岩肌を蹴ってケイスは空中へと躍り出る。
 足場も何もない宙へ自ら飛び出すなど、自殺行為以外の何物でも無い。 
 気配を感じた位置は空中。
 今見てもそこには何もいない。
 だがそれが気のせいだったとはケイスは考えない。
 己の勘を絶対と信じる。
 ましてや自分より上の存在を感じた。
 自分より強い者には、本能的に斬りかかりたくなる戦闘狂な本質が、絶好の機会を見過ごすはずは無い。   
 空中で体を捻ったケイスは己が信じた位置へ向けて剣を振り下ろす。
 何もないはずの空中。
 だがそこに確かな手応えを感じる。
 堅い。
 石造りの城壁へと剣を打ち込んだ時のような重い感触。
 刃が見えない何かに受け止められ、ケイスは空中に留まる。
 受け止めたられた。ならば、
 

「せやっ!」


 不動となった柄を足がかりにしケイスは空中で再度跳躍。
 その小さな身体を精一杯使って、前方宙返りからの回転踵落としを、見えない何者かに向かって打ち放つ。
 しかしその奇襲攻撃さえも、姿を隠す存在には読まれていたのか、足首を強く握られる感と共に軽々と受け止められる。
 
 
「お爺様! 最大荷重!」


 左足をラフォスへと伸ばし、刀身に触れて闘気を最大注入。
 闘気を込めれば込めるほどラフォスの質量は加速度的に上昇する。
 如何に浮遊の術を使っていようとも、自重の数十倍、数百倍の重量に耐えきれるはずも無い。
 あまりの質量に相手が落下しはじめ慌てふためく隙に斬ってやろうという目論見……だがその目論見は外される。
 宙づりになったままのケイスの体は落ちていかない。
 ラフォスの質量はますます増していくというのに、それでも動かない。


「思い切りの良さとは裏腹の計算された三段構えの攻撃か。やりおる」


 唸るような低い声が響き岩のようにゴツゴツとした肌を持つ巨体の老人が陰行を解除し姿を現す。
 獣人と竜人のハーフらしき二つの種族の特徴を持つ老人の顔。
 ケイスには見覚えがある。
 カンナビスですれ違った人の中でも、もっとも腕が立つとふんでいた老人だ。
 この老人ならば自分の攻撃を防ぎ、さらにはラフォスの超重量に耐えても不思議ではない。


「その顔……展望台で会ったご老体だな。貴方も協会の追っ手か?」  


「そうだと言ったらどうする?」


「無論斬る。他の者なら手加減してやれるが、ご老体なら本気を出さなければ出し抜けそうも無いからな」


 剣も攻撃も受け止められ逆さづりにさせられているというのに、ケイスはどこまでも傲岸不遜に宣言する。
 自分の行く手を塞ぐ者がいるならば、例えどれだけ格上であろうとも斬る。
 それがケイスの絶対方針に他ならない。
 
 
「私は確かに協会の者ではあるが追っ手では無い。むしろ味方だ。悪いようにはせんから剣を置いて去れ。そうすれば見逃そう」


「ふん!」


 老人の提案に、握りしめた拳でケイスは返答を返す。
 岩のような見た目通りに堅い感触が返ってくるだけで、眉根一つ動かさない老人にダメージが入った様子は見て取れない。
 一発ではダメならばと老人の腹に目がけてケイスは乱打を立て続けに何度も打ち込む。
 頑丈な皮膚を通過し、内臓へと衝撃を与える為に闘気も込めているが、内部まで通せた手応えは無い。
 闘気コントロールに長けた獣人後がなせる技か。
 それとも純粋な技量の差か?
 どちらにしても自分の打突技は老人には通用しない。
 ならば剣技で押し進む。
 未だ絡めたままの左足でラフォスと繋がり、剣質を軟質へと変化させる。
 急激な変化に刃を掴んでいた老人も虚を突かれたのか、その太い手指からするりと刃が抜け落ちた。
 即座に足首を返し剣を蹴り下げ、目の前に。
 拳を引き戻すついでに剣を受け止め、腹に力を込め覚悟を固める。
 足首をつかまれたままでは、何時何もない虚空に投げつけられるか判らない。
 ここはまずは確実な脱出。

 …………勝つ為ならば片足を捨ててやろう。 
   
 左足を掴む老人の手首を狙ったとしても硬化した皮膚で防がれるやも知れない。
 ならばとケイスは躊躇無く自らの左足首へと握った刃をむけた。
 ラフォスの切れ味なら、切断の瞬間にさほどの痛み無くすぱりと切断できる。
 その後に続く痛みも、これだけ格上の者と挑める高揚感で打ち消せる。打ち消してみせる。
 戦いこそ喜び。
 相手が強ければ強いほど滾る血が魂が、ケイスを突き動かし始めていた。
 だがケイスが振るう剣よりも遥かに速く動いた老人の尾が、剣と足首の間に飛び込み、硬質化した鱗が一撃を易々と防ぐ。
 勝利の為に自らへと刃をむけるその狂人思考。
 常人には理解しがたく読みにくい物だが、幸い、それともあいにくと言うべきか、老人には懐かしくなじみ深い物だった。


「カヨウ。肉を斬らせて骨を断つ程度ならまだ判ろう。しかしお前達の血族は何故こうも簡単に四肢の一つを捨ててくる。理解しかねるぞ」 


『その子と私共では勝算の見積もりが遥かに違います。ケイネリア。剣を納めなさい。その方は私も大恩があるお方です』 


 極めて不本意だという感情を有り有りと含んだ声が老人の側で響き、次いで姿を隠していたスオリーが現れると共に、繋がったままの長距離通信魔法陣が生み出した鏡にケイスの祖母であるカヨウの姿が映し出される。


「…………ふん。御婆様か。承知した」


 不機嫌に答えたケイスは警戒の色を残しつつも力を抜く。
 闘気が遮断されその手に握られていた刀身がだらりと垂れ下がる。
 カヨウの登場に対してケイスに驚きはない。
 祖母の情報網がトランド大陸中に張り巡らされていると話には聞いていた。
 それに自分の行動が捉えられていない訳が無いということも。
 

「逆さづりではこちらが話しにくい。一度戻れ娘」


 コオウゼルグが軽く腕を振ると、ケイスの体はふわりと浮かび、ルディアが横たわる崖のくぼみへとゆっくりと戻る。
 崖に着地したケイスは剣を肩構えにしたまま、二人の亜人種へと目を向け、
 

「御婆様の知り合いで竜人と獣人のハーフとなると上級探索者のコオウゼルグ殿……それにその杖。スオリーは御婆様の間者だな」


 老人の顔を再度見つめ、さあにスオリーの手に持つ杖に目をやり、それがこの通信魔法陣を構成する物だと判断しケイスは彼らの正体を即断する。


「はい。ご無礼はお許しください。貴女様の監視を仰せつかっております」


 ケイスの言葉にスオリーは膝をつき頭を垂れた。


「やはりか。戦闘職ではないとはいえ技量を見抜けぬとは……うぅむ」

 
 これだけの陰行を行える魔術師が近くにながら、その正体に気づけなかった自分自身にケイスは怒りを覚える。
 スオリーが広義な意味では身内だからこそ良かったが、これが悪意持つ者であったなら。
 腕を組みケイスは不機嫌そうに唸る。
     

『ケイネリア。時間をあまり掛けられません。先ほどもコオウ様よりも申し出がありましたが』


「その事ならば断る。私の剣に宿っている魂は先代の深海青龍王ラフォス・ルクセライゼン。お爺様の事がばれると余計に不味いことになるぞ御婆様。私を大人しく逃亡させろ。御婆様や父様に迷惑をかけるのは私の本意では無い」


 祖母の言葉を途中で遮りケイスは事実を単刀直入に告げ、唯一の要求を突きつけた。


「「!?」」


『『なっ!?』』


『また馬鹿馬鹿しい戯れ言が真実になりましたか』


 ケイスの爆弾発言に、さすがに予想外だったのかコオウゼルグもスオリーも沈黙してしまった。
 鏡の向こうでも幾人かの呻き声や達観した感想が聞こえてくるが、カヨウだけはその真意を確かめ様と思ったのか、ケイスを見つめ、そしてすぐに嘆息する。
 基本的にバカ正直というか根が素直というか、直情的で嘘をつくのが苦手な孫は、その場から逃げる為に口から出任せを言うような性分では無いと知るからだろう。


『……なんでそう毎回、毎回、厄介事を引き寄せてくるんですか貴女は』


 赤龍王の作り出したゴーレムが復活するよりも、青龍王の魂が復活しているとなれば、それは何より争乱の火種となりかねない一大事。
 龍王の持つ知識、そして力は容易く国を討ち滅ぼすほどに強大だと誰もが知るからこそだ。


「私に言うな。恨むなら私を弄ぶ神を恨め御婆様。お爺様は私の剣だから連れていく。もし私の剣を封印するというなら御婆様といえど死を覚悟しろ。あとルディは私の命を救ってくれた恩人だ。今回の件で迷惑が掛からないように私は自己判断で動くぞ。他に用事が無ければ私はいくぞ」

 
 しかしケイスは気にしない。
 相手がなんであれ、世界がどうであれ、1年以上ぶりに会った祖母であれ、今の自分の目的には関係ない。
 最優先目標はラフォスを連れて行くことと、ルディアに迷惑を掛けないこと。
 この二つだけだ。
 自分の我を通す為ならば、誰が相手でも敵に回すし、戦う覚悟はとうの昔に出来ている。


『コオウ様。いかがなさいますか』


「嘘では無いのだな?」


『残念ながら。最悪という事象の方からこの子には尾を振って近寄って参ります故に』 


 カヨウの断言にコオウゼルグは朧月を仰ぎ重い重い息を吐きだしてから、ケイスへと目を向けると、


「仕方あるまい。娘。一度死ぬ覚悟はあるか?」


 ぎらりとその口元の牙を威嚇するように剥きだした。  



[22387] 剣士と大願
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/02/13 22:43
 朧月がもたらす微かな月あかりに照らし出されるカンナビスの町。
 既に日付も変わった深夜だというのに、あちらこちらから聞こえてくるざわめきと衛兵が鳴らす呼び子が鳴り止むことはなく、さらに騒ぎが大きく拡大していることを知らせる。
 しかしその規模が広すぎる。
 先ほどまでは、ルディアを連れ去って逃亡するケイスの行く先で騒ぎが連鎖的に起こっていた。
 だが今は違う。同時発生で騒ぎが起こり、山肌の僅かな平地に出来た街区階層に別れるカンナビスの町全体が大きな騒動の渦中にあった。
 逃亡したケイスの行方を追って路地裏を駆け抜けていたボイド・クライシスも、すばしっこい上に予測不能な経路を通るケイスを何度も見失っていたが、それでも先ほどまでは騒ぎを追えばケイスにはたどり着けていた。
 しかしこの騒ぎようでは、それも出来無く表情には戸惑いの色が強まっていた。


「セラ! どうなってる!? ケイスの行方はそっちで判るか!?」


 連絡役を引き受け協会支部に残る妹セラへと通信魔具を繋げ怒鳴り最新情報をもとめると、すぐに切羽詰まった声が返ってくる。


『こっちに聞かないでよ!? ケイスが同時にいくつもの場所で確認されたって衛兵からの通信でパンクしそうなの!』


「はぁ!? どういう事だ!」


『だから今言ったことそのまま! 下の港湾区から上の街区でも同時にケイスが複数確認されてるの! 今ヴィオンが確認してるけど、実際に街中を移動しているケイスの群れがいるって!』


「逃亡に幻影でも撒いたってのか!? 魔具でもどこかで調達したのか!?」


 自分自身でも言っている意味が判らないのか金切り声を上げるセラの調子からして嘘を言っているようには思えない。
 逃亡の際に己の姿を幻として走らせるのは、オーソドックスな手だが魔力を持たないケイスは魔術を使えない。
 だが常識をそこらに投げ捨て、心底から自分本位なケイスの事。逃亡ついでにどこぞの魔道具屋にでも押し入って幻影魔具を調達したのだろうか?
 

『幻影とかじゃなくて全部実体! しかも武装状態で暴れ回りだしたって! 衛兵にも抜刀許可やら魔術使用許可が出るのも時間の問題!』


「だーっ! 一体何がどうなってんだ!」


 最悪をさらに上回る状態で状況悪化疾走状態と聞いて、ボイドは足を止めた。
 このまま当てもなく街中を走り回っていても、ケイスを捉える事はできそうもない。
 どうする?
 どうなっている?
 混乱状況下でパニックにならぬようにと、気を落ち着け状況を整理しようとボイドが息を吐き出そうとした瞬間、朧月のもたらすうっすらとした月あかりが、頭上から影をもたらしたことに気づき、なぜか背中が総毛立つ。


「くっ!」
 

 悪寒を避けるように咄嗟に横に転がってボイドが逃げると、直前まで立っていた石畳に巨大な剣が振り下ろされる。
 石を力任せにたたき割る激しい破壊音と飛び散る礫の中、ボイドは探し求めていた少女の姿を見る。
 宵闇よりも黒い濡れた長髪。
 気の強さを表すかのような少しつり気味の目。
 貴族令嬢のような美貌と、屈強な女戦士のような堂々とした剣裁き。
 相反した特徴を持つ美少女風化け物。
 それは紛れもないケイス。


「ヨケルカ……ツヨイノハ……スキダゾ」


 どこで調達したのか、石から切り出しただけの原始的な剣で武装した少女が殺気の篭もった目で逃げた獲物を、ボイドを見て、口元を歪ませてにたりと笑う。
 狂気に捕らわれた表情。
 殺意に彩られた目。
 正気を失っていると判るたどたどしい口調を漏らしたケイスが、咄嗟の回避行動で体勢が崩れているボイドに向かって、もう一度剣を振り上げた。
  

「ちっ!」

 
 この相手に余計な問答はしている余裕は無い。
 躊躇すれば殺されると、探索者としての勘が告げる。
 なんのつもりだ? 本当にケイスか?
 問いかけを飲み込んだボイドは代わりに手近にあった路上の石を掴むと、ケイスに向かって勢いよく投げつける。
 顔面に向かって飛んだ石をケイスは避けようともせず、強かな直撃を受ける。
 だがその振り下ろす剣の勢いはほとんど変わらない。
 しかし僅かに剣筋が乱れる。
 近接戦闘を司る赤の迷宮を得意とするボイドには、その乱れだけでも値千金の機会。
 石を投げつけた勢いのまま身体を捻って紙一重で振り下ろされた石剣を交わしつつ、左腕で身体を持ち上げた勢いを乗せケイスの胴体へと向かって重たい蹴りを打ち放つ。


「……」


 ボイドが繰り出した蹴りにまともな直撃を受けて、小柄なケイスは声も無く吹き飛び、煉瓦造りの民家の壁へと叩きつけられた。
 その隙にボイドは完全に立ち上がると、最初の回避で取り落とした愛用のポールアックスを拾い直して構える。
 この狭い路地裏で斧刃を自在に振るのは難しいが、縦の動き、槍としてならば十分。
 

『兄貴!? ちょっと何があったの!? すごい音がしたけど!?』


 セラの問いかけには答えず、警戒を強めたままボイドは呼吸を鎮めたままケイスを見据える。
 壁に蹴りつけられたくらいケイスならばダメージにも入らない。
 息を抜いた瞬間に、首を狩ってくるかもしれない。
 最大警戒を続けるボイド。しかしケイスはぴくりとも動かない。    
 今の一撃で気を失ったというのか、それとも……
 

「なっ!?」

 
 ケイスの肉体から、急速に生気が抜け土色になったかと思うとぼろぼろと崩れはじめた。
 ボイドが驚愕の声をあげてから数秒も経たず、瞬く間に同量の土塊と化したケイスだった物は、自重に負けたのか崩れ落ちてその形を無くした。 


『兄貴!? 兄貴ってば!? あーもう! ヴィオン! 兄貴の場所に行ける!? 連絡途絶したの!』


「心配するなセラ。俺は大丈夫だ。ケイス……らしい? のに襲われて撃退してた所だ」


『撃退したの!? でもらしいってどういう事!?』 


「わからん。あっけなく倒せたんだが土塊に変わりやがった」


『土塊!? じゃあ今街中で暴れ回ってるのはケイス本人じゃ無いって事!?』


 ケイスだった物を穂先で突いてみるが、何の反応も無く、ただの土そのものだ。
 これと同じ物が複数街中に出現したなら、先ほどから起きている複数のケイスの説明も付く。
 第1だ、見た目はケイスその物だったが、今の存在は剣技が荒すぎた。
 ケイスの剣技とは剛剣であり技剣。
 力を持って崩し、技を持って留まることの無い怒濤の剣戟を繰り広げる変幻自在の剣こそが剣士を自称し、誰もが認めるであろう天才の振るう剣。
 あのような力任せで叩きつけて終わるだけの蛮剣などケイスの流儀ではないと、何度も鍛錬で付き合わされたからこそボイドは知る。
 目の前にいたのはケイスの姿をした何か。別の者だった。じゃあ本物はどこに……そこまで考えボイドの脳裏に実に嫌な想像が浮かぶ。

    
「セラ! ウォーギンさんに連絡つくか! まさかとは思うがカンナビスゴーレムにケイスが取り込まれたとかじゃないだろうな!?」


 つい先日蘇ったカンナビスゴーレムと激戦を繰り広げたばかりのケイスの全身には、飛び散ったゴーレムの破片が無数に食い込んでいた。
 大きな破片は治療で取り除かれているが、微細な破片はその身体に残ったまま。
 まさかとは思うが、あの破片からケイスの肉体が乗っ取られた可能性も皆無ではない。
 相手は龍王が生み出した伝説のゴーレム。
 どのような機能が残されているか、潜んでいるか判らない。
 ケイスは言った。
 カンナビスゴーレムは生物を喰らい強化されると。
 喰らった生物が多ければ多いほど、強ければ強いほど、より強化される。
 もしあの化け物が、ケイスが、喰らわれたとすれば……


『うげっ!? じょ、冗談でしょ!? すぐにウォーギンさん達に確認する! 父さんにも詳細伝えるわよ! 兄貴はヴィオンと合流して! ケイスの群れと一人で戦闘なんて洒落になってないわよ!』


 一人だけでも手を焼くというのに、いくら本物よりはかなり落ちるとはいえケイスが群れをなして襲ってくるなんて、ボイドにとっても悪夢以外の何物でもない。
 
 
「判った! それとすぐに探索に出てたスオリーを戻らせろ。あいつになんかあったらヴィオンに会わす顔がねぇぞ!」


『り、了解! 兄貴も気をつけてよ!』

 
 兄妹は通信を終えるとそれぞれに動き出し始めた。
 それが脚色された筋書きに沿った行動とも知らずに。














 慌ただしさに揺れるカンナビスの遙か上空。
 スオリーの生み出す穏形陣で姿を隠したケイスたちがそこにはいた。
 逃亡中はシーツを纏っただけだったケイスだが、スオリーの用意した真新しい旅装束に身を包み、魔力で編まれた仮初めの床に堂々と立ち遥か眼下を見下ろす。
 ケイスの周囲にはいくつもの魔法陣が浮かび、街中で暴れ狂う己とうり二つの土塊ゴーレムがそこには映しされたり、混乱状態で激しいやり取りをする衛兵や探索者達の通信魔術を傍受していた。


「ふむ。さすがボイドは優秀だな。いい読みだ……しかし私はあそこまで弱くないぞ。コオウお爺様。もし私の実力を見誤っているなら、その誤りを正すために喜んで剣を合わせるぞ」

 
 騒動の張本人というか原因であるケイスは、ボイドの予測を聞いて偉そうに頷いたかと思えば、あっけなく敗れた自分と同じ姿をしたゴーレムを生み出したコオウゼルグに噛みつく。
  

「同じ強さにしてどうする。今の若い探索者ならばどうにか出来るかもしれんが、街の衛兵クラスでは手が出せなくなる。怪我程度ですますにはアレが限度だ」


 どうにも鍛錬と称した戦いをしたがる戦闘狂のケイスを軽くあしらいながら、コオウゼルグは街中に展開したケイスを模して急造したゴーレム数十体を造作も無く操り、騒動をカンナビス中へと拡散させていく。
 ケイスの正体。大帝国ルクセライゼンの隠された姫であり、龍の血を持つ化け物。
 そしてその剣。羽の剣と呼ばれる剣に宿るのは先代深海青龍王『ルクセライゼン』
 管理協会の重鎮として、世に出せぬ裏事情に精通しているコオウゼルグからしても、最大級な災厄の種と考えるしかない。
 その存在を隠すためならば、今宵のカンナビスの騒動など些細なことだ。


「カヨウ。致し方なかったとはいうが、この娘はもう少しどうにかならなかったのか……」


 下手に正体が露見すれば、世界を戦乱に巻き込みかねない危うい運命に生まれたというのに、ケイスはその運命を知りながらも緊張感や責任感らしき物は皆無。
 ただ己が思うままに生きている。
 底の抜けた馬鹿か、理の通じない狂人か。はたまたその両方か。
 
 
『お叱りのお言葉に反論は礼を失しますが、どうにか出来るようなら、私共も苦労しておりませぬ。ケイネリアを止めるならばそれこそ屠るしかありませんが、その時は陛下が、帝国が敵に回ります。如何に管理協会の力が国すらも凌ぐほどに強大といえど、大国ルクセライゼンとまともにぶつかってはただでは済みませぬ』


 長距離通信魔術が生み出した鏡に映るケイスの祖母であるカヨウもお手上げだと、全面降伏の体を見せるが、孫娘は馬耳東風だ。


「ふん。その時は私が直接手を下すから邪魔をするな。御婆様や父様の出る幕は無いぞ。むしろ私の敵を取るなら、先に御婆様達が相手だ。父様にもそうお伝えしてくれ」


 戦いこそ全てにして喜び。
 基本的に色々な意味で馬鹿な孫娘は、相手が強ければ強いほど喜ぶ生粋の戦闘狂だと知るからこそ、カヨウ達もその居所を追跡しながらも手を出していない。
 己の行く道を塞ぐ物は全て切り伏せる猪突猛進なケイスに関しては、下手に連れ戻そうとすればそれだけで大騒動になる。
 かといって確実に連れ戻せるであろう戦力を差し向ければ、その動きで国内の敵勢力にケイスの存在が露見する。
 今は見守るこそが最善の手と知るからこその放置だ。 


『貴女の相手は疲れるから私は遠慮します。ケイネリア。陛下に伝える事は他に無いのですか?』

 
「無い。父様と交わす言葉も伝えるべき想いも、私のことは心配するな以外に一切無い。目的を達するまでお目にかかる気は無いし、もし父様が動かれたら斬るぞ」 


 にべもなく即答する孫娘の頑なさに、鏡の向こうでカヨウは肩をすくめる。
 カヨウの側にはケイスの実父であるフィリオネスも待機はしているが、愛娘の前に姿を現そうとはしない。
 筋金入りの頑なさを見せるケイスの事だ。
 もし姿を見せてもフィリオネスをいない者として、ケイスは扱いかねない。
 英雄皇帝であろうと、娘の前では一人の父。
 ましてや生まれるはずも無かった、たった一人の愛娘とあっては多少過保護になるのも致し方ないかもしれない。
 だというのにその本人であるケイスに徹底的に無視されたとなれば、政務に滞りが出るほどの悪影響が出るのは、フィリオネス本人にも、その周囲にも容易に予想が付く。


「お前は小僧が、父が嫌いなのか?」


 どうにも物騒な言動をするケイスに、コオウゼルグは彼の大帝国の行く末に大きな不安を抱くが、ケイスはきょとんとした顔を浮かべる。 


「ん? 何故そう思うコオウお爺様。父様を世界で一番好きなのは私だと自負しているぞ。私の剣は父様を筆頭に私の好きな者達のため戦う為にある。そして剣とは私その物だ。つまり私の全ては父様達の物だ」


「何故それでそうなる…………本当にもう少しどうにかならなかったのかこの娘は」


『ケイネリアにはあまり深く問いたださないことが御身の為です。この子の言動は慣れている私でも疲れますので。成長するのは子の役割ですが、非常識も日ごとに飛躍的に成長しています』


 カヨウの言葉にコオウゼルグも諦め、ケイスとはこういう存在だと受け入れる。
 ケイスと対面する前に話した鏡の向こうの他の面々が直接には出てこないのも、まだ精神耐性のあるカヨウ一人に任せている所為なのだろうと推測し、コオウゼルグは旧知の者達へ向けて同情の息を吐く。
 こんな者を監視し続けなければならないとは、気苦労が絶えないだろうと。


「この後の手はずは判っているな」


「うむ。コオウお爺様が下に行っている隙に、私はカンナビスから離れればよいのだな」


「もし今回の騒動で知り合った既知の者と他の街で会っても、初対面だと知らぬと言い張れ。それが私が協力する条件だ」


「よかろう。最後にもう一度確認するが、私が姿を消せばルディやウォーギン達に責は無く、すぐに開放してもらえるのだな」


「約束しよう。ただし研究自体はこれ以上は禁止とさせる。龍王が外を出歩いていると知った以上、無駄な危険を起こす気は無い」


 ケイスの望みであるルディアやウォーギン達関係者への影響を最低限の事情聴取と研究禁止処分ですます。
 その代わりに、今回の一切を口外禁止と約束させ、調査自体も最重要機密情報として閲覧禁止とする。
 些か乱暴で無理矢理で力技はあるが、ケイスを納得させられる最低限度のラインに沿った提案。
 これがコオウゼルグの新たな手だ。
眼下の街で荒れ狂っているケイスもどきをコオウゼルグが一掃している間に、当のケイス本人はカンナビスを脱出。
 全てをカンナビスゴーレムに押しつけ、今回の事件に絡んだケイスの存在自体をうやむやのうちに闇に葬り去る。
 コオウゼルグの魔術なら骨の一欠片が残らなくても不可思議では無く、さらに言えばカンナビスゴーレムの影響下だと疑いがある存在は僅かでも残すわけにはいかなかったと、殲滅した訳にもある程度の説得力を与えられる。
 そしてこの作戦の肝はケイスが非常識すぎる存在であるからこそ実現可能といえる。
 僅か齢12の少女が迷宮モンスターを屠り、伝説のゴーレムすらも撃ち砕く。
 そんな与太話を誰が信じるというのか。
 どうせ信じられない話ならば、より荒唐無稽に、少女の形をした別物だったということにしてしまえばいい。


「ならば文句は無い。私の目的地は東の果て。ロウガにて探索者となる事だ。探索者となった後は宿願のために迷宮に潜り続ける。名残惜しくはあるがこの広大なトランド大陸で出会うことは早々あるまい」


「だが探索者となれば、お前の力ならば遠からざるうちに大陸に名を轟かせる。やがてはお前の正体も露見するかもしれんぞ」


「ふむ。その心配はもっともだが、そちらも問題は無い。私は上級探索者となり天印宝物を手に入れて男に生まれ変わる。近いうちに捨てる顔と名だ。ケイスという仮の名も、ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンもこの世から消える」


 今の自分を捨てるときっぱりと断言するケイスの表情には迷いもためらいも無い。


「性別を変える……帝位を継ぐ為か?」


 男子直系しか帝位を継げぬルクセライゼンに唯一生まれた皇帝の子。
 性を変えるというケイスが目指す道の先はそれかとコオウゼルグは尋ねるが、


「そんな不自由な物を目指すか。私は剣だ。ならば私のあるべき場所は皇帝の剣。私はお爺様と同じく守護騎士となる。そして帝位を継ぐのは兄様だ。兄様は私と父様は違うが準皇族の当主。父様に隠された私以外の子がいないからこそ、準皇族による皇位継承戦が起きることは十分に予想できる。御婆様達や、他家の準皇族達もその腹づもりで動いているはずだ……父様の治世は善政であろうと長くなりすぎた。だから火種を生む。私のようにな。国を荒らす事を父様達は望んでいないとしてもだ。だからこそ最大の火種である私が父様の代を終わらせ、兄様の代へと次がせる。それは父様の唯一の子である私の使命であり義務だ」


 ケイスは帝位に興味は無いとあっさりと否定し、先を見据え力強く断言する。
 それこそが確定された未来。
 それこそが我が望み。
 全ては家族の為。
 全ては好きな人達のため。
 自分の力は全てその為にあると。


「カヨウ。お前達がこの娘を力尽くで連れ戻さない理由の一端がこれか」


『はい。この子の願いは強く、そしてバカ正直に正道を行きます。故に連れ戻せたとしてもまたすぐに出て行くと判っております。リスクが高く実利は少ないという判断です。さらに申せば、運命を決められ迷宮『龍冠』に捕らわれていたケイネリアが初めて掴み取った自分の道ならば好きにさせてやれ……それが陛下のお言葉であり意思だからです』


「うむ。さすが父様。だから私は父様が好きなのだ」


 カヨウの言葉に、ケイスは可憐に咲いた花のような笑顔を見せ頷く。
 その笑顔を見れば、非常識な言動は多くとも、ケイスがどれだけ父を慕っているか、敬愛しているかよく判るだろう。


「上級探索者を目指す者は多くとも、大半はその途上で力尽き一握りの者しかたどり着けない。ましてや天印宝物は世の理すらも変える最上級の宝物。お前が行こうとする道は至難だぞ」


「知るか。私が決めたのだ。ならばそうなる。実現する。そうで無いというならば、神だろうと世の理であろうと切り伏せるのみだ。私は剣士。ならば目指すは最強。三千世界に切れぬ物が無くなるまで私は強くなる」


 コオウゼルグの忠告にケイスは笑って答える。
 今世だけでは飽き足らず、理の外側にある全ての世にまで己の剣を届かせてやろうと笑ってみせる。
 それは先ほどまでの花も恥じらうような笑みとは違い、どこまでも傲岸不遜で恐れを知らぬ不敵な笑み。
 齢十二を超えたばかりの小娘が口にするには普通なら大言壮語が過ぎるだろうが、ケイスの場合は本人がその行く道を微塵も疑わない所為だろうか、コオウゼルグですらも心のどこかで納得してしまう物があった。
 なるほど、これでは世間で十分に化け物に入る範疇の自分やカヨウを持ってしても、化け物だと表現するしかないと、コオウゼルグは内心で感心する。


「まったく。本当に化け物だなお前は……頃合いだな。私はそろそろいくぞ。これ以上の厄介事は面倒で敵わん。早く去れ」


 話している間に街中でいくつかのケイスもどきが打ち倒され土塊へと変わっている。
 倒した者をみれば衛兵のみならず、ケイスが殴り倒した探索者達の姿もちらほら。
 意趣返しのつもりだったのかも知れないが、殴り倒したケイスが土塊に変わってしまった彼らの表情にも戸惑いの色が強く見える。
 ゴーレムが暴れていたという話が十分に浸透したと判断した、コオウゼルグが仮初めの床を蹴ると音も無く宙に浮かび上がる。


「うむ。世話になったコオウお爺様。感謝するぞ。もしまた出会う機会があれば鍛錬を申し込む。だから私が切り伏せるまでは息災であれよ」


「まったく……無事を祈っているのか、脅しているのかよくわからんなお前は。間者よ。後は任せたぞ」


 ケイスらしいといえばらしい、この上なく物騒な別れの言葉にコオウゼルグは呆れかえりつつスオリーに後の事を託すと、これ以上は疲れて敵わんと逃げるように下へと降下していった。
 ケイスがそのまま下を観察していると、すぐに街中に巨大な火柱がいくつも立ち上がり、夜の街を赤々と照らし出し始める。
 あの炎の中でケイスもどきが塵1つ残さず焼き尽くされている。
 自分と同じ姿をした者が一方的に負けることに、我が身では無いとはいえ少しばかり忸怩たる思いがある。
 何より間違いない強者たるコオウゼルグが戦っている。
 今ならあそこに紛れ込めば、伝説の上級探索者コオウゼルグと戦えるという誘惑に心が強く引かれるが、ケイスはその誘惑を立ちきりスオリーへと目を向ける。


「スオリー私が手に入れた金貨がルディの手元に残っていたな。あれからお前に借りた分を引いたら、後は皆でわけてくれ。世話になった礼だ」


 ケイス達の会話の邪魔にならないようにと控えていたスオリーの横では、ルディアが今も意識を失ったまま保護されている。
 スオリーの役割はルディアの保護。
 狂ったケイス本人に襲いかかられたが、間一髪の所でコオウゼルグに助けられ、ルディアと共に何とか逃げ出したというのが筋書きだ。
 

「旅資金としてお持ちになってはいかがですか。ロウガはまだ遥か彼方です」


 魔具を購入した後も、数百枚単位で残っている大金の処分を依頼されるが、スオリーとしてはそんな大金をほいほいと気軽に受け取るわけにいかない。
 むしろ少しでもトラブルが減るようにケイスが持っていてくれるのが、スオリーとしては一番ありがたい。
 砂船代が不足したからと単独でリトラセ砂漠を走破しようとするケイスだ。
 これから先に苦労するであろう顔も知らぬが同情の念を抱くしか無い同僚達への僅かなりの気づかいだ。
 

「私は剣士だぞ。剣さえあればどうとでもなる。それに金銭では到底足りず一部しか表せんが、これは皆への私の感謝の気持ちだ。素直に受け取れ」


 しかしケイスは1度やると口にした以上は引く気は無い様子をみせる。
 生まれの所為か、それとも野生児の所為か。
 金銭に無頓着で執着の無い性格は周りを苦労させる。


『ケイネリア。もし感謝の気持ちだというのならば私の方で功労のあった彼女には特別報酬を用意します。持って行きなさい』


「断る。それは御婆様達の金であって私の物では無い。無論スオリーには世話になったから十分に恩賞を与えてやってくれと頼むが、それとこれは別だ」


 見かねたカヨウが仲裁に入るが、ケイスが聞くはずも無い。
  

「ですが分けろというご指示でも無理です。貴女様ご本人がそうおっしゃったとは説明出来ません」


 仕方なく変化球でスオリーは攻めてみる。
 本人が骨1つ見つからない生死不明状態になったからといって、遺品を勝手に分けるわけにはいかない。
 下手な嘘で偽りが露呈したら本末転倒も良い所だ。
 

「よしでは私の遺言だ。正気を一瞬だが取り戻したことにして、今のことを伝えてくれ。コオウお爺様なら上手く口裏を合わせてくれるだろう」


 スオリーの言葉にケイスは1つ頷くと名案だとばかりに笑顔で答えた。
 即答するケイスに頭が悪いわけでは無い。ただ考え方が常軌を逸しているだけだとスオリーは改めて思わされる。
 なんでそうまですると、表情に出てしまっていたのだろうか、ケイスは少し不機嫌そうに眉をしかめていた。


「私は世間をよく知らんが、金は持っていれば便利だとは理解しているぞ。だがお前やルディには世話になったという気持ちの方が強い。スオリー達だけでは無い。皆には世話になっているし、今もボイド達のように迷惑を掛けている。だから感謝と詫びの気持ちで私に出来る最大限の事をしているのだ」 


 気持ちは判らなくは無いが、だからといって全額渡さずとも少しは持っていけば良いのでは?
 そう思いながらも、スオリーはその言葉を飲み込む。
 どうやってもケイスの意思を変える事は出来無いと悟ったからだ。
 己の思うがままに生きるこの少女を変えるのは到底無理だと。


「承知致しました。ではすぐに出立をなさいますか。それとも他に何か気がかりなことはございますでしょうか?」


「ふむ。ラクトとの決闘が中途に終わったのが心残りではあるが、あの怪我では今から再戦というわけにもならんから致し方あるまい。私が斬った足は治るのだな?」


 スオリーの言葉にしばし考えてから、ケイスは1つの懸念を口にする。
 他でも無い決闘相手だったラクトの状態だ。
 他に手段がなかったとはいえ、ケイスによってその両足を膝から切り落とされたラクトは命に別状が無いとはいえ血を失いすぎたために今も意識が戻ってはいない重傷。
 目を覚ますには後数日はかかるだろうというのが医師の見立てだ。


「はい。コオウゼルグ様が再生治療の手はずを整えてくださっております。中央の高位神官による神術ですので後遺症も残らず、半年程度で元通りになるそうです」


「ん。ならばよい。この姿のまま再戦とはいかんが、生まれ変わったらそのうちに決着をつけるとしよう。あれは強くなるぞ、今から倒すのが楽しみだ」


 戦闘狂らしい思考で安堵の笑顔を見せたケイスは振り返る。
 その視線の先には遥か空の高みからも、見通しきれない巨大な大地が広がっていた。
 深く息を吸い、夜空の彼方を見据える。
 ケイスが目指す東の果て。
 暗黒時代が始まり、終わりを告げた街ロウガはまだ遥か先。
 だが目では見えない目標をケイスの感覚は確かに捉える。
 そこで自分はもう一つの剣の流派を手に入れ、上級探索者となる。
 だがそれですら手段でしか無い。
 全ては宿願、大願のため。
 ならば行く道に不安などなく、途上で倒れ臥すことも無し。
 全ては己の剣で切り開く。
 

「ではさらばだスオリー。世話になった」


 別離の言葉をスオリーにだけ残しケイスは力強く魔力出来た床を蹴り、夜空へと飛び出した。
 後を振り返る事は無い。
 家族に残す言葉はなく、友と呼んだルディアに告げる言葉もなくただ前だけをみてケイスは進む。
 翼も持たず、魔術による浮遊の加護も無くただひたすらに前だけを見て飛びだした……猪突猛進な馬鹿だからだ。


「……えっ!? ち、ちょっとまってください!? ここ上空ですよ!?」 


 自分がケイスとルディアの2人を抱えて地上まで降りるつもりだったスオリーは、まさかのケイスの行動に虚を突かれ慌てふためき端に駆け寄るが、すでに後の祭り。
 小さなケイスの姿は夜の闇の中にのまれ、眼下に広がる暗い山脈地帯が見えるだけだ。
 この高さから何の手段も無く飛び降りてどうするつもりなのか?
 今からでも追いかけるべきか?
 いやだがどうやって探す?
 

『……昔から馬鹿と煙は高いところが好きといいます。剣を持っているのだから心配するだけ無駄です』     

 混乱するスオリーを余所に、祖母であるカヨウは、あの常識知らずで化け物な孫娘のことだ何とかするのだろうと冷静に告げていた。






















 第一次遭遇戦終了

 『赤龍』『百武器の龍殺し』共に健在

 百武器一部因子『聖剣ラフォス』を赤龍が取得

 再戦に向けシナリオを再構築

 カンナビスの落日。龍王の目覚め共にシナリオ成立せず

 原因調査……判明。赤龍の激情値が規定値を超えず

 対策思案……赤龍の優先順位を変える者が必要

 検索……稼働シナリオ内に条件を満たす者無し

 終了シナリオ再検索……発見。旧シナリオ『狂綬を継ぐ鍛冶師』

 最重要因子現状確認……ドワーフ王国エーグフォラン第7工房所属見習い鍛冶師『ティレント・レグルス』転生済み 

 百武器因子により縁発生

 シナリオ改変可能

 懸念事項発生……赤龍遭遇時、現狂綬を超過した存在へと見習い鍛冶師が変貌する可能性大

 当該予測到達時全現行シナリオ影響必死

 赤龍摂理超過可能性極限増大……特例許可

 軌外シナリオ『神殺者』発生条件到達への最優先ルートとして重視

 
 賽子が転がる。
 賽子の外側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の外側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 世界を丸々ひとつ埋め尽くす膨大な数の賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。
 賽子の名前はミノトス。
 人々に対しては迷宮を司る神。
 神々に対しては物語を司る神。
 迷宮神ミノトスは休むことなく迷宮にまつわる物語を紡ぎ続けていく。
 全ては物語を紡ぐため。
 全ては正しき賽の目で現すため。
 この世界にいかさまを持って干渉する他神を討ち滅ぼすため。
 神を殺す者を生み出すため。
 賽の目を外れる因子が徐々に揃い始めたことに怒りと歓喜を覚えながら、ミノトスは猛るように賽子を転がし始める。





































 長くなりましたが砂漠編はこれで終了。
 これでも初期構想より結構はしょってますw
 次は一端ケイスを離れて、ケイス以上の狂人の話に。
 もう1人の主人公である鍛冶師にいきます。
 あっちのキャラを書くのは約5年ぶりですが、ケイス以上に一極集中なんである意味で書きやすいから楽かなと思ってます。
 たらたらと進む遅筆ですが、呆れずお付き合いいただけましたら幸いです。



[22387] 見習い鍛冶師と金獅子
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2019/07/16 01:16
 ドワーフ王国『エーグフォラン』

 商才に優れた交易種族であり、冶金を得意とする技術種族であり、勇猛果敢で知られる傭兵種族。
 数多の顔を持つ種族ドワーフにより統治運営される単一民族国家エーグフォランは、トランド大陸の東方に位置する火山大陸シャリアス中央の火山地帯に存在する。
 小国家が群雄割拠し日々激しい戦乱が繰り広げられるシャリアスにおいて、国の興亡はよくある話として、よほどの大国でも無い限り、酒場での噂話すらもあがらない日常の事。
 その様な戦乱の地においてエーグフォランは、暗黒時代以前より続く数少ない長寿国家の1つ。
 彼の国が永き時に渡り、権勢を保てるのにはいくつかの理由が挙げられる。
 険しい火山と毒の霧をはき出す谷に囲まれた地下大洞穴に存在するエーグフォランは、その領地から採れる豊富な鉱石は魅力なれど、攻めずらい天然地下要塞であること。
 数十人から数百人単位で世界中散らばる戦闘経験豊富なドワーフ千傭兵軍団は、故国の危機とあれば、例えつい昨日まで敵対陣営で戦っていた兵団同士であろうとも、一斉に駆け付け肩を並べ共に戦うといわれる、種としての繋がりの深さ。
 世界中の国家と取引することでため込まれている金銀財宝により、大国一つの全ての土地を即金で買い上げる事も可能だという資金力。
 だが何よりもエーグフォランを不滅たらしめるのは、国王麾下7工房を筆頭に、国内に無数に存在する工房。
 そこから生み出される生産能力と技術力は、エーグフォランの代名詞。
 戦乱においてエーグフォランが味方した陣営は必ず勝利するというのは、嘘でも誇張された伝説でも無く、建国以来の純然たる事実として世界中で知れ渡っている。
 敵に回すには恐ろしく、味方とすればこれ以上頼もしい存在は無い武闘派国というのが、周辺国家からみたエーグフォランだ。
 しかしこれはあくまでも国としてみた場合。しかも外側から見た場合だ。
 中に入ってみれば案外イメージと違うのは、世の常。
 ドワーフが数多くの職業に優れた特性を発揮するのは間違いないが、それは種族としてであって個人ではない。
 機知に富み交易が得意な者もいれば、優れた剣を生み出す頑固な鍛冶職人もいて、勇名を持つ無骨な武人もいる。
 各々職が違い立場が違えば、意見も異なるわけで、外が思っているほどには、普段は内側ではまとまっていないそれがエーグフォランの実状だ。













 古来より曰く、ドワーフが二人集るなら酒樽が空になる。
 格言なんだか単なる事実なんだかどちらでもいいが、ドワーフによって運営されるエーグフォランの場合、会議という物はどれだけ重要な物であろうとも、大麦エール酒を片手にグビグビと傾けながら、金串にささった肉汁たっぷりな肉をぐいっとやる宴会と相場が決まっている。
 そうなると自然と緊張感が皆無となるのはしかたないかもしれない。
 エーグフォラン王城『金鉱の間』
 国の重鎮が集まり、国の行方を左右する議題の時にだけ使われる幾重もの対魔術結界に覆われた金鉱の間で行われる会議においても、そのスタイルは変わらない。
 室内は机など家具は一切無いがらんどうになっており、円形になった部屋の中央に山岳山羊の毛で織られた毛の深い絨毯が敷かれている。
 その絨毯の上では8人のドワーフたちが、中央に盛られた大皿料理や無数の酒瓶を囲んで車座になって集まり、会議という名の宴会が繰り広げられていた。
 その面子は見る者が見れば、国の一大事かと疑いたくなるほどの重鎮揃い。
 エーグフォランの象徴ともいうべき7工房の工主が、激務の中を縫って一堂に会すという滅多に無い事が起きていた。
 

「まーまいったな。早くティルに来て貰わんと。とりあえずわっしゃの工房はしばらく止まんぞ。あいつの相槌で加工するつもりだった大物がおるんだわ。あればらして色々やる予定なんだわぁ」


 現に今発言した王国麾下第2工房工主『黒金のライバン』は、その二つ名にふさわしい顎に蓄えた立派な黒髭に泡をたっぷりとつけながらほどよく酔いの回ったトロンとした目付きで宣うと、他の連中に取られないようにと、意地汚くも酒瓶を確保しようと手を伸ばした。


「てめぇライバン飲みきる前に手を出すな。こいつは儂のだ。それにティルもだ。前回はてめぇん所で使いやがっただろうが。次回はうちに回せ。久方ぶりに大型騎乗竜用の衝角魔具の鋳造依頼が来てんだ。あいつにうちの真髄を勉強させてやるんだよ」 
 

 ライバンのジョッキの底はまだ僅かだ酒が残っているのを目ざとく見つけた第4工房工主『赤銅のサーザン』は、そうはさせないと引ったくるように酒瓶を奪い取ると、赤髭を掻き分けてそのまま豪快に大瓶ごと飲み始める。


「サーザンよぉ。瓶ごとってそおらないでしょ。わっしゃが目をつけとった瓶だでそら」


「はっ。お前がとろいからだ。酒なんぞすぐ無くなるのが世の常。早いもん勝ちだ」


 目の前で目当ての酒瓶をかっさらわれたライバンが恨めしげな声をあげるが、サーザンは見せつける様にグイグイとさらに瓶を傾けている。
 二人が取り合っているのは別に高級酒というわけでも無ければ、珍しい酒というわけでも無い。
 街の酒場に行けばありふれた大衆酒だ。
 ただ一瓶の量は他に比べて多い。
 とにかく飲めればよいという酒飲み思考で気の合う2人は、こういう場で目当ての酒がよく被る。


「そらそうだわな。ライバン。おまぁさんは仕事もゆったりだが、酒もおそいじゃあかんだろ。温くなる」


 第1工房工主『鋼玉のクモン』はサーザンの言葉を肯定すると、まるで流し込むように次々にジョッキを空けていく。
 ドワーフが酒に強い種族とはいえ、一切顔に出てもおらず、ちゃんと味わっているのかどうかも怪しい勢いだ。


「うむ。一理ある。しかしサーザンの瓶ごとというのも感心せんぞ。酒はジョッキに移して色合いを楽しむのも乙だろう」


 そんな台詞をいいつつ、安酒には目もくれず、一瓶の量は少なくとも高めの稀少酒を目ざとく自分の周りに集めていた第6工房工主『白鉛のオルザイン』が、杯に入れた蒸留酒の色合いの変化を楽しんでいると、  


「まった! そこは時間をおいて香りを楽しむのも付け加えましょう! ライバンさんのゆっくり飲むのもあちき的にはあり! というわけで味方をしたんだからティル君の次の優先権は是非あちきらに! 宝飾品の飾り技術も習いたいって本人いってますんで!」


 7工主最年少であり第3工房女性工主の『褐錫のキロム』が異議を唱える。
 ウワバミも裸足で逃げ出す年輩組みに比べるとさすがに量は飲めないが、それでもドワーフ。
 その周囲にはいくつも空き瓶が転がり既に出来上がっているようで、テンション高くライバンを擁護するが、その目的は味方というよりは、味方する代わりの人員確保の意味合いが強いようだ。
 

「あんたら男衆は飲めれば良いでしょうが。何を格好つけて飲み方談義だい。キロもどさくさ紛れにずるしなさんな。ドワーフといえどあたしら女人にして一流の職人ってのは、酒は静かに傾けるもんさね。だろうレグルス翁……火龍酒の一人占めは感心しないね」


 子供めいた争いをしている同僚達を見渡すと、女性ながらも長く綺麗に整えられた白髪交じりのあごひげを伸ばす第5工房当主『水銀のアマル』はゆったりと杯をあけ、隣へと空杯を差し出し、その酒を寄越せと催促する。


「これは儂の持ち込みだぞアマル……そのうち返せ。他の者も飲みたければ杯を出せ」


 アマルの差し出した杯に火龍の血から作られた幻の名酒『火龍酒』を注ぐ老人は、火龍酒と聞いて目の色を変えた他工主を見て諦めの息を吐く。
 身体の隅々まで焼けるように熱くなり、とろりと染みてい極上名酒と聞いては、ドワーフの血が騒ぐのだろう。
 誰も目線を合わせてもいないというのに、見事なまでに一斉に杯をぐいっと空けて、突き出した。
 それぞれの杯に酒を注ぐのは第7工房工主『白銀のレグルス』   


 難攻不落の砦を築く築城専門集団長『第1工房工主クモン』

 最先端の技巧を施した様々な鎧を作り出す名工『第2工房工主ライバン』
 
 可憐なる宝飾品にして優れた暗器を生み出す各国王家御用達彫金師『第3工房工主キロム』

 使役獣への特殊装備魔具開発の世界最高峰技師『第4工房工主サーザン』  

 大地母神神官にして回復神具開発の母と謳われる『第5工房工主アマル』

 大型兵器や防御兵器開発によってドワーフ傭兵団を支える『第6工房工主オルザイン』

 刀剣を専門としながらも、望まれればあらゆる物を作り出す天才にして異才『第7工房工主レグルス』  
 
 それぞれ専門とする分野は違えど物作りの最高峰を自負する彼らこそが、エーグフォランが誇る7つの工房を率いる工主にして、紛れもない国の重鎮……のはずだ。
 一人いればその国の行く末を変えるほどの技術を持つ名工達であり、名誉もあり金にも困らないはずなのに、意地汚い酒飲みそのままの安酒の取り合いをするわ、緊張感の欠片の無い会話をするわと、どうにも威厳に欠けるのは気のせいではないだろう。
 元々ドワーフ職人連中とは、負けず嫌いの上に、作りたい物を作るという自分勝手な者が多い。
 ましてや名工と呼ばれる者であればあるほど、その傾向は顕著。
 エーグフォラン最高の7工主とは同時に、最高の変わり者といってもいいのかも知れない。 
 そんな7人を前に、ただ一人黙っているドワーフが一人。
 最後の一人は雰囲気が違う。
 短身であるが鍛え抜かれた体躯を持つ女性だ。
 ドワーフとしてはまだ若い部類に入るのか髭は無く、身につけるのは見事な装飾が施された重厚な金色甲冑。
 一見儀礼用にも見える派手な金色の鎧だが、よく見れば無数の傷が刻まれ、激しい実戦をくぐり抜けて来た事を如実に物語る。
 その肩に刻まれた隊章は猛る一角獅子のレリーフ。
 ドワーフ傭兵千団の中でも最勇猛として知られる金獅子兵団の部隊章であり、そらにその上に施されたエーグフォランの国章『燃ゆる槌』がこの女性が、荒くれ者を率いる傭兵団長である事を示す。
 彼女の名はミム・エーグフォラン。
 その名が示すとおりこのエーグフォランを治める王家『黄金のエーグフォラン』の第1王女であると同時に、上級探索者として『金獅子』の二つ名を持つエーグフォラン最高戦力の一人。
 不老長寿の上級探索者となり成長が止まっているため若く見えるが、これでも40に手が届くベテラン戦士だ。 
 そのミムは憤懣やるかたない顔で、自分のジョッキを形ばかりとはいえ握っていた。
 よく見れば金属製のはずのジョッキが指の形で歪んでいる。
 その怒りの強さがよく判るという物だろう。
 鎧姿のなのは、つい数時間前にミムは派遣されていた戦地から帰還したばかりだからだ。
 そしてその僅か数時間後に、こうして緊急会議を招集することになっていた。
 

「…………爺、婆共。そろそろ本題に入って良いか」


 ドワーフ故に最初は宴会気分は仕方ない。
 どれだけ重要であろうとも酒が無ければ話にならないから仕方ない。
 しかも相手は、たかだか姫で傭兵団長にしかすぎない自分よりも、大切な国の重鎮達。
 胸の内を渦巻く怒りをそう思って何とか飲み込みながらも、その言葉の端端からは怨嗟の感情の欠片がちろちろと顔を覗かせていた。


「おー姫さん。どうした。飲んでねぇな。ほれ若いんだから飲め飲め」


 そんなミムの様子に酒が足らないとでも思ったのかサーザンが暢気なことをいった瞬間、ミムの寛容という感情の糸は切れた。
 それは物のみごとにブチッと切れた。 
 ミムは怒りのままに立ち上がると全員に指を突きつけ、


「今の気分で飲めるかっ!!! あんたら今日の緊急招集の議題がなにか覚えてんだろうな!?」


「オッケーオッケー忘れてない! つまりはティル君の利用順についてだぁ!」


 ほどよい感じに出来上がっていたキロムが、ミムに合わせ立ち上がるとケラケラと笑いながら言うと、


「おーそうだったそうだった。俺の所が最初だったな」


「てめぇオルザイン!どさくさ紛れに優先権取るな! うちだつってんだろうが!」


「おまえさんもだ。だからわしゃっの所がまずだってぇの」


「あーうるさいねぇ。丁度酒もあるしどうせなら早酒飲み対決で決めな。無論あたしも参戦するよ」


「いや待て待て。アマル婆。それじゃあんたの一人勝ちだ」


「ならくじ引き! あちきがつくるよ!」


「てめぇだけは却下だ! サマする気だろうが!」


 他の面々もそれぞれほどよい感じに酔っ払っていたのか、第1から第6工主達はあーだーこーだと自分勝手なことを話し始める。
 その様にミムの怒りは再度爆発した。


「誰が使うとかそれ以前の問題だ爺共! 使ったら帰せ! そこらの木箱で寝かせるな! 街中に出すな! 飯は食べさせろ! あたし遠征前に何度も何度も言ったよな!? あの馬鹿だけは絶対に放置するなって! 良い剣とか見たらフラフラ後に着いてく考え無しの糸無し凧だって! どーすんだよあの歩く機密情報が行方不明って大事だろうが!? つーかあたしの弟を帰せ! あんたらが連れてくと困るつーから、不安なのを我慢して置いていったのに! なんで物の見事に無くしてくれてんの!? レグルス爺ちゃん! 酒飲んでないで爺ちゃんからもなんか言えよ!?」


 正直言えばこのような事態は想像していた。
 ティルは、弟は、どうしようも無いほどに剣のことしか頭にない馬鹿だと知っているからだ。
 そこらの幼児の方がまだ一般生活が出来ると断言できるほどに、どうしょうもないと。
 ティルの祖父であり師匠でもある第7工主ゴルディアス・レグルスもそこら辺は判っているだろうと食ってかかるが、


「そう心配する必要な無かろう姫。うちの孫のことだ。そこらの工房で拾われてるだろうよ」


 ゴルディアスは暢気に返しつつ、分けて残り少なくなった酒を惜しむようにちびちびと舐めながら答えるのみだ。
 本日の緊急会議の議題。
 それは、ミムが弟のように可愛がっているというか、世話をしているというか、調教しているというか、とにかく何かと目に掛けている一人の見習い鍛冶師。
 『ティレント・レグルス』ことティルが”約半年前”から行方不明になっていたと、つい数時間前、ミムが帰還して初めて判明したことについてだった。



[22387] 見習い鍛冶師と金獅子兵団の人々
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/02/17 17:14
 エーグフォラン地底王都グラウンドレイズ。
 かつて地底黄龍王グラウンドレイズが住処にしていたという伝説が残る大洞穴こそが、ドワーフたちの国エーグフォランの王都になる。
 島ほどの大きさの岩山で出来た甲羅を持つ巨大な陸亀だったと伝えられるグラウンドレイズは、ある時、暇を持てあます一柱の神の『世界は巨大な亀の甲羅の上』という人々の想像を事実にしようとする暇つぶしによって、不死存在とされその甲羅だけが無限に大きくなる呪いを掛けられたという。
 ただでさえ巨大なグラウンドレイズだが、呪いによってみるみる甲羅が大きくなっていき、瞬く間にその大きさは巨大な山脈となり、自重によって押し潰され動けなくなってしまう。
 動けず、押し潰される苦しみで藻掻きながらも死ねなくなってしまったグラウンドレイズを助けようとしたのが、龍王の友人であったエーグフォランの開祖であるドワーフたちであったという。
 少しでもグラウンドレイズが楽になるようにと、その巨大な甲羅を掘り削り始めたのだ。
 神の気まぐれに対抗するという無謀な挑戦を行おうとする小さき友人達の友情に感謝した龍王は、自らの魔術を用いその甲羅の中に途切れることの無い各種鉱石の鉱脈を生みだし、彼らの友情に報いたという。  
 これは伝説として語り継がれているが、全てがお伽噺という訳では無い。
 掘っても掘ってもいつの間にやら古い坑道がふさがり、そこには新しい鉱脈が生まれる無限鉱脈が、実際にエーグフォランの周辺地下には広がっている。
 その無限鉱脈は近年広がりを見せており、今では国外の一部地域にも無限鉱脈が出現し始めたという報告もある。
 シャリアス大陸の中央山脈の大半はグラウンドレイズの甲羅になったという、まことしやかな噂もでており、将来の無限鉱脈化を見越し今までは不便すぎて見向きもされなかった僻地や、放棄された廃鉱地帯の領有権を主張しあう国々が増えていた。
 その様にシャリアス大陸では新たなる戦乱の火種に事欠く事は無く、エーグフォランが有する国営傭兵団も時勢に合わせ拡大を続けた結果その数は一千を数え、その大半は国外で活発的に活動をしている。
 戦乱参戦は無論のこと、開拓活動支援、僻地での築城任務等など、軍隊であり職人集団でもあるドワーフ傭兵団の活動は幅広い。
 傭兵と言えば、所詮はよそ者武装集団。
 正規兵になれない半端物、臑に傷を持つ者、食い詰めた素人の集まりや、金によって簡単に陣営を変えたり、略奪行為に出るという負のイメージがどうしても付きまとい、雇い主からも警戒される事も多々あるが、エーグフォラン本国から潤沢な活動資金を与えられる彼らはそれらイメージとは一線を画す。
 優れた武具や技術を生み出すドワーフ鍛冶と商工ギルドが、取り扱う武具の宣伝や新規開発技術実戦テストをするために、傭兵団を結成したのが始まりとされ、その伝統を受け継ぐエーグフォラン傭兵団とは、すなわち国の広告塔。
 高い練度と充実した装備。そして清廉な規律を兼ね備えたエーグフォラン傭兵団は世界各地でエーグフォランの武具や道具、技術を宣伝するため、日々活動を行っており、おおよそ半年から一年に一回程度の割合で本国に帰還して、人員の補充や装備の刷新、長期休暇を取る形になっている。
 ミムが率いる金獅子兵団は、団長であるミムを頭に副団長夫妻の上級探索者3人が首脳陣を固め、各分隊長に中級探索者が配置され、分隊長下の一般団員もミムの選抜した精鋭で固められ、他国であれば正規騎士団と呼ばれてもおかしくない陣容を誇る。
 本国に急変があった場合に備えて、数日から最長でも1週間以内に帰還が可能な近隣国、地域に主に派遣される事が多い為に、激戦地で戦う兵団と比べて目立った功績は少ないが、その実力はドワーフ傭兵団でも随一というのがもっぱらの評判だ。









 王都グラウンドレイズには帰還する傭兵団員が休暇中に寝泊まりするための無料宿舎がいくつも用意されている。
 今朝方に帰還した金獅子兵団も王宮近くの宿舎をあてがわれて、宿舎に入った時点で報告処理がある幹部を除いて一般団員は休暇となるのが慣例だったのだが、今回はまだ休暇とはならず団長命令で待機状態に据え置かれていた。
 その宿舎の1階。会議室としても使われる多目的ホールに兵団員達の姿がちらほらとみえる。
 待機中は外出禁止となっているため、部屋で眠っている者以外は、何となくホールに集まって少額の賭けカードをしたり、任務に支障が出ない程度に酒を飲み交わしたりと、思い思いに時間を潰している。
 そんなホールの中。テーブルの一つで駄々をこねる子鬼の姿があった。
 低身長ですらっとした体つきのおかっぱ頭の黒髪。
 童女と見間違えられそうな女性の額からは短剣ほどの真っ白な角が飛び出ている。


「ひまやー。ひまー」


 テーブルにだらっと身を預けながら、クレハ・出雲はたまっていた不満を吐きだす。
 外見の所為か、それともこの性格と口調の所為か?
 10代半ばの年若い少女に間違えられがちだが、魔族の一種族である長命種鬼人族と、短命種である人間族のハーフとして生まれた為、純粋な人間種とくらべ成長の緩やかなクレハは、これでも実年齢は25才になる立派な大人(本人談)だ。
昨年に中級探索者になったばかりの若手探索者であり、同時に金獅子兵団の新入り団員として初の任務を終えたばかりの新米傭兵である彼女は暇を持てあまし、その角を手持ち無沙汰に弄っていると、


「クレハ。待機中だ。我慢しろ」


 クレハの隣で、本を読んでいた女性神官騎士ノルン・ヒーズライトはぱらぱらと速読して板本から目を上げると、女性にしては低い声で冷静に諫める。
 声の所為や、その口調もあるかもしれないが、女性にしては高身長で肩幅が広く、その茶色の髪も短めにまとめているためか、男と間違えられる事が多く、クレハとは別の意味で、年相応の女性として見られないことも多い。
 ノルンはクレハが探索者となった始まりの宮からの付き合いで、二人ともほぼ同時期に中級探索者となった親友であり相棒関係だ。
 永宮未完に属する数多の迷宮は、多少の程度の差はあれ、下級から中級、中級から上級に上がる度に難度が激変し、今まで下級迷宮で使っていた装備のほとんどが、中級迷宮では全く役に立たない状態になってしまう。
 だから大抵の探索者は昇級と同時に、装備の一新を行い、さらに上の迷宮へと挑んでいく。
 クレハ達も、名目上は中級探索者ではあるが、まだ中級迷宮には潜ったことが無いなんちゃって中級探索者。
 二人して探索者としての活動を一時休業して傭兵となったのも、中級迷宮で通用する装備を一緒に揃えようとクレハがノルンを誘ったからだ。
 エーグフォラン傭兵となったのも、クレハの伝手がある事もあったが、なにより傭兵団員であればエーグフォラン産高性能武具が格安、もしくは功績があれば無料で譲渡してもらえる特典に引かれたからだ。
 クレハ達のように特典に引かれて、エーグフォラン傭兵に一時的になる探索者は思いのほか多く、装備一新する際によく知られている手の一つとなっている。
そんなエーグフォラン国営ドワーフ傭兵団は、部隊員の構成種族は名前の通り大半がドワーフではあるが、他種族も多く参加している。


「そうはゆうても暇やもん。おとーちゃん。なんでうち達は待機よ。待っとけゆうた団長さんは戻ってこんし」


 クレハはつれない親友から、テーブルの対面へと標的を移し、実の父であり金獅子兵団副長でもあるホウセンに目を向けた。
 様々な任務、状況に合わせ多様な適正を得るために、有力な部隊であればあるほど他種族の割合が増える傾向があり、最精鋭である金獅子兵団の場合は、半数がドワーフ、残り半分を人間、エルフ、魔族、竜人など多様な種族で構成した混成傭兵団になる。
 現に2人いる副長の1人であるクレハの父の上級探索者ホウセン・出雲は、ルクセライゼン大陸出身の人間族。
 もう一人の副長であり同じくクレハの母である上級探索者。煌・出雲は、お隣トランド大陸生まれの純血鬼人族だ。
 出雲夫妻は、団長であるミムが現役探索者時代に組んだ最終パーティメンバーであり、ミムが金獅子兵団を継ぐことが決まった時に、団員としてスカウトされ、その後金獅子兵団の一員として何度も激戦をくぐり抜けて、今では副長の地位に就き夫婦揃ってミムを支えていた。


「クレハ。待機といえど任務中であることに変わりないのだから、もう少しちゃんとしなさい」


 ホウセンが上級探索者となったのは50を超えてからだった為に、不老長寿の上級探索者といえど、見た目は白髪交じりの中年戦士だ。
 上級探索者となったのは遅咲きであるが、むしろ貫禄が出てきた歳になってから不老になってよかったが本人の弁。
 何せ部下の中には人間種であるホウセンよりも、遥かに長命な種族も数多く、下手すれば数倍以上年上という事もあるからだ。


「任務ゆうても、金獅子は精鋭で、しかもきな臭い国境地帯ゆうから張り切ってたのに、やったことは古くさい鉱山の設備修理や途中の街道整備なんて土木工事だけやし、戦いなんぞなーんもあらへん」


 しかし強面で知られる副長も、娘にかかっては所詮は父親でしかない。
 頬を膨らませたクレハはたらたらと文句をこぼす。
 今回の任務でやったことといえば、国境地帯にあたる人里離れた山奥の廃炭鉱までの古い街道を再整備するために、崩れていた岩をどけて、崖を魔術補強して、橋を架け直してと土木作業ばかり。
 鬼人族の血を引くクレハは見た目に反して馬鹿力の近接系パワーファイター。
 大型モンスターも殴り倒せる自慢の拳も、今回は行く手を塞ぐ倒木や岩を砕くハンマーとして以外の出番は無かった。
 

「ノルンのように兵法書や魔術書を読むなりと、時間を潰す方法はいくらでもあるのに、いい歳をした娘がダラダラと駄々をこねない。みっともない。せめて礼儀作法だけでも見習いなさい」


 恨めしげな目を向けてくる娘に、ホウセンは更なる説教で返す。
 ノルンが読んでいる本は、以前に宿舎に泊まっていた兵団の誰かが寄贈したり、忘れていった書物を引っ張り出してきた物で、古典的な軍学や兵法に関した物から、シャリアス各地の風土記、はたまた専門的な広域魔術研究書など、傭兵家業を続けるなら知っておいて損が無い物ばかりだ。


「子供の頃からの習慣なだけですから、褒められるほどの物ではありませんがありがとうございます。それに私なんかを見習わずとも、クレハもちゃんと努力しています。初級探索者の頃から、毎晩の実戦訓練は欠かしてませんし、なにより才能がありますから、ご心配なさらずとも大丈夫です」


 ホウセンの褒め言葉に、ノルンは目を落としていた本から顔を上げて、律儀に丁寧な礼を返してから、クレハのフォローをいれた。


「全く同い年だというのにどうしてこうも違うんだ……クレハはどうにも子供っぽいから心配だったんだが、君のような真面目な子が一緒のパーティで本当に安心できたよ」


「またノンちゃんばっか、えぇかっこする。ノンちゃんだって初任務なの拍子抜けやて思っとたやろ」


  厳格な修道院で育てられ幼い頃から厳しく礼法を仕込まれていたので当たり前の事だという顔をするノルンの横で、クレハは不満顔のままだ。


「今回の任務地は、無限鉱脈に変化した可能性が高いと狙っている国が多い。金獅子が重しになって、他国が動かなかっただけの事で、一歩間違えればあの周囲が最前線になる可能性も十分に考えられていた。今回は運が良かっただけだ。君も理解していただろ」


「そらぁわかっとるけど、一度もちょっかいが無かったんの、逆にけったくそ悪くていやや。うちらがいなくなるの待っとったとか。兵隊のおっちゃんら大丈夫かなって心配なるわ。こんなあ暇すんなら、もうちっとあそこおうても良かったやん」


 鉱山周辺の整備工事中も国境警備巡回を、依頼国の国境兵と合同で何度も行っていたが、隣国が越境どころか偵察隊を派遣してくる事すらも無く静かな物だった。それがクレハにはどうにも気がかりだった。
 依頼国の国境警備兵は大半が家族を残して赴任している者ばかり。
 外見が子供に見えるクレハに地元に残した子供の姿を重ねたのか、親しみを込めて何かとからかわれたり可愛がられて、すっかり仲が良くなっていた所為もあって、クレハは彼らの安否が気にかかっていた。 
 

「交代兵団ものうて、うちらが帰還してよかったん? 作業が終わって契約終了してもうたちゅうのはわかっとるけど、試掘された岩が王都地下鉱山と似とるって、十中八九無限鉱脈化しとるって隊のドワーフのおっちゃんら全員が口揃えてゆうとったで」


 ドワーフ達の石を見る目に間違いは無い。
 皆が口を揃えてそう判断するのだから、間違いなくあの廃鉱山には、無限に採れる鉱脈が出来ているはずだ。
 その戦略価値がどれほど高いかは、考えるまでも無く明らか。
 何時領地を奪い取ろうと隣国が攻め入ってくるか判らないというのに、金獅子が帰還する日まで国境警備が増強される様子は無かった。


「さいぜんさかい聞いとったら、ほんまにいちゃもんんおーい子ね。すんまへん。ちょい中断します。旦那さんと交代です」


「おういってきてくれ。こっちはホウセン副長の方がまだ勝ち目ができるからありがてぇ」


 クレハ達の近くのテーブルで盤を睨んで将棋をしていた煌・出雲は、娘の愚痴が気になったのか対戦相手の老ドワーフに一言断って煩わしそうに立ち上がった。
 老ドワーフの方は、懐まで攻め入れられていたので、逆に助かったという顔で快諾を返した。
 この辺りでは見ない真っ白な古式浄衣を身に纏い妖艶な色気を醸し出す煌は、母子だけあってクレハと顔立ちはよく似ているが、純血種の鬼人族のため額から伸びた角はクレハよりも大分大きい。
 さらに背や胸に至っては子供体型のクレハは比べてやるのが可哀想なくらいで、大人の色気に溢れていた。


「旦那さん後はたのんまっせ。勝ったら秘蔵んお神酒がもらえるさかい二人で今晩ゆっくり飲みまひょ」


 ホウセンの横に腰掛けた煌は肩を寄せて、その大きな胸を腕に絡めて甘えた声をあげる。
 結婚してすでに30年近くになるのに、未だに煌はホウセンにベタ惚れで、娘のクレハの前でも、クレハが恥ずかしくなるほどにあけすけなくべたべたとする。


「あまり期待しないでくれよ」


 腕を取られたホウセンの方は言っても無駄だと諦めているので、煌のなすがまま送り出された。


「さてあんさんみたいなまぬけが気づいてる事なんて、みんな織り込み済みどす。たいがいしなはれ。かあちゃんがちゃんと説明しはるさかい」


 クレハに目を向けた煌はそう告げると、次いで本を読んでいるノルンに軽く頭を下げて謝る。


「婿はん。五月蠅くなるやけどかんにんえ」


 勉強家で生真面目なノルンも煌のお気に入りで、女性でも良いからクレハの婿に来ないかとよく口説いていて、婿さん呼びが今では定着していた。


「いえ、煌副長の講義であれば本を読むよりも勉強になります。私も拝聴させていただいてよろしいでしょうか?」


「誰がすぼけよ。それに誰が誰の婿や。ノンちゃんも面倒でも毎回ちゃんと突っ込まな。おかーちゃん本気にするで」


「私達は同性なんだから冗談に決まっているじゃ無いか。男扱いには慣れているから気にはしないよ」

 
 ノルンは冗談とまともに受け止めていないが、クレハはどうにも母の目を見ると半分くらいは本気に思えてならない。
 真面目なノルンに変なことをしたりからかうなとクレハは警告の意味で睨み付けるが、 

「そないそない。てんごなんにかなんどすなぁ。ほな始めまっしゃろからちゃんと聞いておくれやす」 


 娘から発せられる抗議の視線は無視して、煌は胸元に手を突っ込み数枚の札を取りだし、テーブルの上に並べ始める。
 紙と墨で作られた手作りの護符には複雑な紋様がいくつも描かれておりその数は全部で5枚だ。
 

「おいでやす」


 煌が簡易詠唱を唱えると、札はたちまち手乗り人形サイズの小さな鬼達に変化する。
 それぞれが特徴的な物を手に持っているので見分けはつけやすい。
 軍師でもある煌はこのような式神を用いてよく戦術説明をするが、そのゆったりとした古風な口調の所為か、軍師というよりもどうにも子供に勉強を教えている教師のような感じとなる。
 落ち着きがなく座学が苦手なクレハは嫌そうな顔を浮かべ、一方でノルンは読みかけの本にしおりを挟んでテーブルに置いてから真剣な目を向けてと、真反対の反応を示した。
  

「こん子達がこん辺んそれぞれん主な国どす。まず鶴嘴を持ったこん子がエーグフォランどす。ほして金貨袋が依頼国。隣国が杖、水瓶、剣でそれぞれ、い・ろ・はとします。クレハ。それぞれんお国ん配置と事情くらいは知ってますね」


「それくらいはわかっとるわ。こうやろ」


 クレハは手乗り鬼を取るとエーグフォランが一番手前。
 その後ろに依頼国。
 そして依頼国を囲むようにいろはの順でそれぞれを置くと、次いで一つ一つの国の事情をあげていく。
 依頼国はエーグフォランとは今は友好的な関係を結んでいるが、元々は領土野心旺盛な侵略国家。
 今回問題となっている鉱山地域では魔力を含む良質な鉱石が多様に採れていたので、それを元手に得た資金で軍事力を高め周辺の小国家を武力併合。
 この地域の盟主の座を巡ってエーグフォランとも何度も小競り合いを起こしていたが、止まらない軍拡路線のつけと、鉱山が枯れ初めたことで、国民生活は徐々に困窮。
 それでもエーグフォランの無限鉱脈を狙い侵略戦争を主張する主戦派と、侵略地域の開放を含む周辺国家との和睦を計る穏健派にわかれて政争を繰り広げ、最終的に数代前の王の時代に、エーグフォランの援助を受けた穏健派の王弟が国王を含む主戦派を駆逐、僻地追放して今に至っている。  
 国土が激減した現在は、盛況を誇った歓楽街での質の高い接客スキルに目をつけたサービス業パッケージ化と人材育成。
 交易の盛んなエーグフォランの隣国である事を生かし、取引相手としては魅力的だが、地下生活な上に無骨で実利一辺倒なエーグフォラン文化になじめない他種族へ、高付加サービスを提供するリゾート国家として、何とか生き残っている。
 一方で、金銭的な問題と、過去の反省から軍備に関しては最低限程度となり、周辺国家の中では最弱となっている。
 杖を持った手乗り鬼が現す『い』は軍事宗教国家。
 武神を信奉する厳格な教義に縛られた神秘主義が幅を利かせており、主神への信仰を示すために正義の戦いで勝利を捧げるという国是を掲げているが、その実体は元々の依頼国と変わらない侵略国家。
 確実な勝利とそれに見合った利益が見込める場合は大義名分をこじつけ躊躇なく戦争を起こす、近隣では最武闘派の国家になる。
 水瓶を持った『ろ』は農業、林業国家。
 国境線を大森林地帯で囲まれた天然要塞国家は、少数の職業軍人がいるだけで平時の軍事力は低いが、戦争時は国民の大半が半農半兵の民兵と早変わりする。
 国民にはエルフや獣人が多く森林地帯でのゲリラ戦を仕掛け、地の利を生かした長期戦に持ち込み敵を疲弊撤退させる防衛線を主な戦略としている。
 国の基本である農業、林業に欠かせない中央を流れる大河の源流が、鉱山地帯にある為、過去にはその源流を人質に取られ、依頼国の軍旗の下に屈した事もある旧支配地域。
 作物の良顧客であるエーグフォランや、支配地域を開放した王弟派とは友好関係を持っているが、国家戦略上の拠点である鉱山地帯を常に注視している。
 最後に剣を持つ『は』は、依頼国の元主流派である主戦派の流れを引く新興国家。
 放逐された兄王の血脈を称する男が、僻地を開拓し、周辺部落を制した事で再興を果たしている。
 現在はまだまだ小規模な勢力といって良いが、依頼国を偽王一派と断じて領土返還を求めているので、逆襲の機会を虎視眈々と狙っているのは間違いない。
 これら主な三カ国に加え、国とはいえないまでも、それなりの力を持つ集落や城塞都市が入り乱れているのが今の周辺事情だ。


「あんの廃坑周辺は山道ばかりで大軍が動かしにくうて、守るんは容易いけど、攻め入るのは難儀や。依頼国に通じる道やけど、こっすい『い』が、戦して無理してまで落とす価値はあらへん。何せその後はエーグフォランや。勝てるわけ無い。だから今まで放置されとった。『ろ』やて、変なことされなんなら、慣れない攻め戦をせんと仲良おしといた方が安上がりや。だから攻めてくるのは、『は』の逆恨みしとるアホな連中ばっかやった」


 クレハの説明に合わせ手乗り鬼達が動きだす。
 依頼国に対して、『い』は明後日の方向を向き『ろ』はじっとみつめ、『は』がちょっかいをかけて依頼国とやりあっている。
 エーグフォランは待機の姿勢だ。


「でも今は事情が変わってもうた。無限鉱脈やってばれたらしまいや」

 
 廃坑が鉱石を採掘し続ける事が出来る無限鉱脈に変わった事で、あの土地の戦略的価値は格段に跳ね上がった。
 『い』が無理をしてでも攻め落とす価値が生まれ、さらに源流を押さえれば『は』への布石にもなる。
 『ろ』としても領土的野心の強い『い』や、旧支配者である『は』にあの土地を押さえられるのは非常に困る。
 そして『は』からすれば、往時の姿を取り戻す起爆剤として是非にも欲しい場所。
 

「『は』のあほだっけやったら依頼国だけでもなんとかなるけど、『い』が出てきたら最初の防衛は出来ても、兵隊さんがたらんから長続きはせえへん。たらへんなら、うち達みたいな傭兵部隊をやとうのも手やけど、あの国にはずっと雇ってられるお金があらへんからや。これであっとるやろ。おかーちゃん?」


「そうどす。基本は一応は判ってますね」


「あたりまえや。紙の資料だけやのうて、国境兵のおっちゃんからも、ちゃんと聞いとったいきとる情報や」


「さてなら問題や。すぼけなあんたやて、詰むとわかる状況や。なんに隠そへんともせいで、わてらに鉱山ん再開発を依頼どした理由はなんやと思う? あへんなに堂々とやればバカやて判るやろ無限鉱脈化したかて」
 

 そう問題はそこだ。
 無限鉱脈を一番知るのはドワーフ国家エーグフォラン。
 そこの傭兵部隊が鉱山の再開発をしたとなれば昨今拡大化している無限鉱脈にあの廃坑一帯が変化したとばれてしまう。
 クレハ達ずっと常駐しているならばいくらでも守ってみせるが、今あの地に残っているのは元からいた警備兵だけだ。
 守るには人が足りない。
 傭兵を雇うお金も無い。
 鉱山を再開発したからといってすぐに利益が出るわけでも無い。
 
 
「……おかーちゃんいけずや。それがわからんから悩んでるんに」 
   

 恨めしげな目で母親を睨むクレハの横で、机の上をじっと見ていたノルンが『ろ』の子鬼に手を伸ばす


「敵対可能性が低い『ろ』に援助を要請。同盟を組むとかはどうでしょうか? この地を取られたくないというのは一致します」


「それも有りせやかて今回はちゃうよ婿はん。そないやったらどないやってもあいや元を見られてしようし、『ろ』が常駐しはるお金を出さなければ筋が通らんね。依頼国は強かで損をなるべく少なくしいや実を取っとる」


「取ってる? 過去形ですか……もう手はすべて終わっているって事ですか」


 ノルンは違和感を覚える。
 その言い方ではこれから対策を施すのではなく、既に事が全て終わっている用に聞こえる。
  

「へー。なんもせな、ようちびっとは誤魔化せてもらいろうやけど。それも時間ん問題どす。それにせっかくん鉱山もつかえへんで塩漬けになるやけどす。鉱山を生かし、利益に繋げる方法とはなんでっしゃろ?」


「終わっとるってゆうても、防衛力たらへんやん。そないな。あげるだけちゃうの?」


 クレハはますます頭を悩ませてしまう。
 もう既に終わってるといわれても、自分達はいって直して、帰ってきただけだ。
 どう考えても防御は出来ず、近いうちにあの土地はどこかの国の物となってしまうだろう。
 

「あげる…………まさかこうですか?」


クレハが何気なくいった言葉にノルンが反応して、二つの手乗り鬼を掴み場所を入れ替えた。
 それは依頼国。そしてエーグフォランだ。


「ノンちゃん。それ無理ない? 余所の国に全部丸投げって」


 懐疑的な目を浮かべた娘とはちがい、煌は面白げに目を細めた。


「婿はん。そん心は?」
 

「周囲一帯を譲渡して鉱山採掘と国境線の防衛をすべてエーグフォランに任せてしまう。ただし無償譲渡では国民が納得しないので金銭か、もしくは土地の交換。今現在防衛線を通常兵のみにしているのは誘い。実際に攻められれば防衛が無理なのは明白。何も出来ずにただ敵国に奪われるよりは、確実な利益が出ると判れば、国内に反対派がいたとしても押し通すことが出来るはずです」


 静かに説明したノルンが煌の顔を覗くと、破顔した煌はぽんと手を一つ打ち合わせた。


「よお出来たんや。さすが婿はん。うちが惚れてしまいそうどす。ほぼ正解やね。結局石は掘ってもエーグフォランに売る事になる。ならおさきに鉱山ぐち売ってしまおうちゅう事どす」


 鉱山を再開発したら、他国から守れない。
 だが何もしなければ何の利益も生み出さない。
 死んでいる資産を動かすために選択したのは、土地を売りさらに生かすという発想の転換だ。
 エーグフォランに金銭と引き替えに領地を譲渡。
 しかもその目的はその一度だけ入る金では無い。
 周辺国に睨みを利かせてもらいつつ、熟練鉱山夫であるドワーフ達に鉱山を拡大してもらう。
 鉱山が発展すれば人が集まる。人が集まれば消費と流通が発生し、商売チャンスはいくらでも生まれる。
 土地を売った金で周辺のインフラや商業を整え、鉱山夫や取引商人達に、今の国が得意とする質の高いサービスや娯楽を提供し、金銭を落としていってもらう。
 エーグフォランとしても、質の高い魔力含みの鉱石が採れる鉱山はいくら有っても困らない。
 いくら無限鉱脈といっても、年々採掘できる量に限りがあるし質の問題もある。
 さらに言えば自分達には出来無い細やかなサービスを味わえる酒場が増えるのを、嫌がるドワーフは皆無だということもある。


「そない両国ん思惑が噛み合ったんが今回ん話どす。団長はんのミムはんはあれでこん国ん第1王女。領土交渉役としいや十分な資格を持っています。開発を隠れ蓑に条約ん調印済み。後は敵国が攻めてきたら、国内世論をまとめ発表しはるやけどす」
 
  
「……うちが暢気にしとった裏でそんな事なってんの」


「私も全然気づいていませんでした。勉強不足です」


 暇だ暇だと思っていた平凡な任務の裏で、そんな大きな謀があったとは夢にも考えていなかったクレハはあ然としていて、ノルンも正解を導き出しはしたが気づきもしなかったと反省の弁をのべる。
 

「ひょっとして団長はんが今どこかいっとるんも、なんか大きな事なん?」


「いかいって言うたらいかいし、ちっさいと言うたらちっさい事どす。国ん大事となるか、家族ん問題となるか。どっちゃやろうね。なんせ相手が相手やさかい。かなボンはよういわんさかいんに」 


 普通なら休暇に入るはずなのに異例の待機状態。
 気を引き締めた方が良いのかと聞くクレハに対し、何時も飄々としている煌にしては珍しく何とも曖昧な言葉で返していると、正面玄関が荒々しく開かれた音が響いた。


「どないやら戻ったようどす。聞おいやした方が早おす」


 クレハ達がその音に驚きながらもホールの出入り口へと目を向けると、怒りの形相を隠そうともせずたたき壊すような勢いで扉を開けて、団長のミムが入室してくる。
 その背中には大きな革袋が担がれていた。 


「金獅子! 全員ホール集結! 一分以内! 捜索隊準備。あの馬鹿の首根っこ捕まえて引き連れてこい! 見つけた奴には報酬として7工房の最新武具一式! これが代金!」


 全身の骨に響くほどの咆哮を上げたミムが床にたたきつけるように革袋を投げ落とす。
 叩きつけたの勢いで開いた口からは、じゃらじゃらと満杯に詰まった金貨があふれ出した。
 あの大袋は少なくとも一万以上の金貨が入るサイズのはずだ。
 これが金貨10枚、20枚という金額なら小躍りもできるが、さすがに高額すぎて事情が今ひとつ飲み込めないクレハやノルンは思わず引いてしまう。


「またか……今回何やったんだあいつ?」


「なんかやらかしたか。やるかどっちにしろ。あそこまで団長を怒らせてるのは久しぶりだな」


「とりあえず俺、廃倉庫を当たってくるわ」


「儂はそこらの工房巡りだな」


「前回はどこで見つかった?」


「あーたしか冷凍大倉庫。海竜の胃の中。表皮じゃなくて内臓の皮で防具ができるかとかうんぬん」


「それ前々回だろ。この間は非合法の地下剣闘場の武器庫で首狩り刀を研いでた。見つけたの俺だ。あの後しばらく肉が食えなくなった」


「……ティルの研いだ刀じゃすっぱり死ねるから楽そうだな」


「いや、やり過ぎて客も含めて壊滅してたぞ。俺らが行った時にばらばら死体の山だった。俺は今でも内臓系がダメになった」


 だが他の先輩団員は落ち着き払った物で、またかという顔を浮かべてなにやら不穏な台詞を交わしていた。


「……おかーちゃん。うちら何を狩らされるん?」


「化け物やね。かな子に飲み込まれへんように気をつけよし。下手すれば狂うさかい」


 青ざめた顔をのクレハに母から帰って来たのは余計不安を煽る言葉だった。



[22387] 見習い鍛冶師と二つ名
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/02/24 00:48
 地下大洞穴に築かれた街と聞くと、知らぬ者は、日の光が差さず暗く、空気がよどむ陰惨な場所と想像するかも知れない。
 だがドワーフ達の技術力は、そんなありがちな想像を簡単に凌駕する。
 紙一枚はいる隙間も無いほどに精密に組まれたアーチ型の石組みの通路が延々と続く隧道で繋がれた王都は、住居区や工房区、商業区などが、それぞれ小さな集まりとなり整然としたマス目型に仕切られ、非常時には大扉で各所が遮断できる独立ブロック構造となっている。
 大扉には街区を現す紋章がでかでかと刻み込まれているので、自分がどこの街区にいるのかすぐに分かり、王都は初のクレハ達でも迷いにくいのはありがたい。


「何者なん? うちのおかーちゃんが、真顔って注意してくるんなんて珍しいんよ」


 壁に張られた魔力導線から魔力を得た魔法陣の生み出す光球が、常に明るく照らし続け、トンテンカンとあちらこちらから金属を打つ音が聞こえてくる小さな工房街。
 雑踏の中を重い足取りで歩くクレハは、低身長の自分に合わせて小さな歩幅で歩いてくれている横のノルンに尋ねる。
 開炉以来一度も火を落とされたことの無い大溶鉱炉の蒸気を利用した風車が、有毒な空気を排出し、新鮮な空気を常に送り込んでおり、その風には心地よい草花の香りが乗る。
 地上の大気取り込み口周辺には、地熱を利用した香りの良い草花を集めた香草畑が作られており、その香りをふんだんに含んだ風車の風が、ドワーフの里特有の鉄の臭いを押さえ込むからだ。  


「ティレント・レグルス。ドワーフ鍛冶師の名家【白銀のレグルス氏族】の現族長で第7工房工主ゴルディアス・レグルスの孫。第7工房見習い鍛冶師。公式情報で判る個人情報はそれくらいだ」


「情報それだけって……身体的特徴とか似顔絵とかないん?」


 周囲を微かに流れる風に含まれるのは鎮静効果のあるセージの一種だろうか。
 何となく記憶にある香りを嗅ぎながら、クレハはセージの鎮静効果なんて気休めだと、陰鬱な気持ちで考える。
 クレハの気分が暗い理由は単純明快。
 この任務が気乗りしないからだ。
 休暇の予定が帳消しとなり、初めて訪れた地下大都市で人捜しというだけでも厄介なのに、どうにもその人物が怪しい。
 娘で遊ぶのが大好きな母親が、真顔で気をつけろなんていった時は大抵が碌でもないと経験で知っている。


「無いな。他の者は乗っているがこの男だけない。それ以外に書いてあるのはレグルス本家の場所やら工房区画が乗った地図。それと添付された一時立入許可書一式だな」


 見落としは無いかと何度もノルンは読み返しているが、本当にそれだけしか情報は記載されていない。
 捜索前に配られた7工房の所属鍛冶師記載リストは、本来は工房ブロックを警護する衛兵用。
 侵入者防止のためにか、他の人物は事細かい特徴や見た目などが記載されているのに件のティレント・レグルスだけは異常に少なく、年齢すらも書かれていない。 
  

「そん人だけ少ないって、わざとやろ」


「7工房はエーグフォランの技術開発の中心。門外不出の秘伝も多いと聞く。しかも見習いといえどレグルス本家の跡取り。下手に情報公開しない方が良いのだろうな」


「せやな。それに団長の知り合いちゅーけど、あの反応は普通じゃない。ひょっとして恋人とか、婚約者かなんかかなぁ」


 隠蔽されているというクレハの見立てにノルンも異論は無い。
 誘拐、暗殺、籠絡。他国が利を得るために打てる手はいくらでもある。
 しかも金獅子兵団団長で有り、この国の第1王女ミムとも親しい関係と見られるとなれば、その利用価値は上から数えた方が早いだろう。
 そんな重要人物が半年前から行方不明。
 しかも判明したのはミム達が帰還した今日になってから。
 作業や製品の細工や出来上がりには細かいくせに、それ以外には大らかというかおおざっぱなドワーフだとしても、異常な話だ。
 

「半年も行方知らずで気づかれないとは、隠蔽工作をして自分から姿を消した可能性もありえるな。先輩方の反応から見て色々と問題を起こしているようだ」
 

「自分から姿消してたら面倒やね。先輩らは会ったことあるけど、うちらは無いのに、それでどうやって探せちゅうんよ。無茶ぶりもええ加減にしてぇよ……なぁノンちゃん。ここは他の先輩らに任せてうちらはお茶でも」


 自分から姿を消した可能性が高い顔も判らない人物を探せなんて、無理難題を真面目にやってられるか。
 クレハが回れ右して逃亡をはかろうとするが、逃亡の気配を察したノルンに首根っこをつかまれてしまう。


「却下だ。この男の部屋をまずは捜索し手がかりを探す。屋敷の者に聞けば風貌も判るだろう。失踪した理由に一番近づけるかもしれない場所を私達に譲ってくれた先輩方の厚意を無駄にはできないだろ」


 クレハは乗り気がしないのに、何故か張り切っているノルンは、そのままクレハをずるずると引きずりながら街を進んでいく。
 他の団員達も、街に散らばって情報収集をしている。
 最大の報酬である武具一式は見つけた者の物だが、情報はそれぞれ持ち寄って打ち合わせることになっている。
 誰も出し抜こうとしていないのは、この広い地下王都で人一人を見つけるのが、どれだけ大変かという事を金獅子の先達達がよく判っているからだろう。


「ノンちゃん真面目すぎや……あん人らが、こうもあっさり譲ってくれたちゅーのがいややなんけど」 


 あれは厚意というよりも、一番厄介な所を押しつけてきただけだ。
 宿舎から出て来た時にやけに優しかった先輩達を恨めしく思いつつ、クレハはぼやきながらも、ノルンが乗り気なら仕方ないと諦めた。
 しばし歩いていると二人は一際大きな隧道に出る。
 王都と外を繋げる隧道はいくつか存在するがその中でも、一番大きな主道として使われているのが白銀隧道だ。
 大型馬車十台以上が横並びになれるほどに巨大な通路は、大軍が攻め入りやすい形状をしていて、一見無防備にも見える。
 だがその壁にはよく見れば、明かりを生み出す光球以外に、各種攻撃、防御の魔法陣がこれ見よがしにあちらこちらに刻まれていて、この区画より先には悪意ある者は何人たりとも通さないという強固な意志を感じさせていた。
 


「レグルス本家は白銀隧道区画の中心部か。あっちだな」


 地図と壁に嵌められた案内板を見比べたノルンはその主道から枝分かれした支道の一つへと足を進める。 
 未だ首を引っ張られているクレハも渋々後を付いていくしかない。
 ドワーフの名家というレグルス家。
 白銀はそのレグルス家を現す名であり、その名をつけられた最重要な外部隧道の管理を任されているのは、王家から重用されている何よりの証だろう。
 そこからしばらく歩いて巨大な鉄門で覆われた砦と見間違えるほどの建物が見えてきた。
 敵国襲撃の際に、臨時指揮所として使われるというレグルス本家の表門だ。
 華美さが一切無い機能性を重視した作りになっており、外部からの侵略者を拒む雰囲気を出すレグルス家の前には、門番が待機する詰め所があった。
 そこで暇そうにしていたドワーフ兵に来訪理由を告げ書類を見せると、すぐに内部へと連絡がされ、大門の横の通用門が開き迎えが姿を見せる。


「クレハ様とノルン様ですね。ようこそレグルス家へ。当家の家令を勤めさせていただいております。ラックレーと申します。ミム様よりお話は伺っております。当屋敷の者は全ての質問にお答えするようにというご命令ですので何でもおたずねください」

 
 門までクレハ達を出迎えにきてくれたのは一人の男性エルフで、家令のラックレーと名乗った。
 エルフ種族は成人すると成長がそこで止まり、死ぬまで一切老化をしないので見た目では歳が判りにくいが、その佇まいや雰囲気は長年この家に仕えていたと感じさせる貫禄がある。
 しかし陽光と緑に溢れた森林地帯を住居として好むエルフ族が、何故真反対の岩と鉄で彩られたこの地下王都。それもドワーフ名家で家令を?


「意外に思われましたか。家令が何故ドワーフでは無いと? しかもエルフ族とはと」


 そんな疑問が顔に浮かんでしまっていたのだろうか。
 ラックレーは感情の起伏があまり見られない鉄面皮でそう尋ねた。
 

「あ、ちゃ、ちゃうんです。もっとごっついドワーフのおっちゃんとか、おばちゃんみたいんの想像していたとかちゅーわけじゃ無くて」
 

「クレハ。語るに落ちてる……連れが失礼いたしました」


 クレハが慌てて手を振って答えるが、カードゲームなども腹芸が出来無いクレハはその本音はダダ漏れだ。
 いきなり機嫌を損ねてしまったのではと心配しつつノルンは頭を下げる。


「お気になさらず。疑問を抱かれるのは当然の事です。私が家令を勤めさせていただいているのは、当家の主であるゴルディアス様のご意向です。自分は同族の為だけに物を作っているわけでは無い。その種族のことを知らずに最高の物が作れるか。そうおっしゃって他種族の者も常に身近においておられます」


 本当に気にしていないのか、それとも内心では怒っているのか。
 どうにも判断しづらい顔のまま、ラックレーは愛想の欠片も無い顔で冷静に告げると、胸元から小箱を取りだして恭しく開いてみせた。
 箱の中には、二つの指輪が入っている。宝石の類いは付いていないが、本体には細かな装飾とも思える魔術文字が施されている。
 

「当屋敷は王都防衛の拠点としての役割も求められておりますゆえに、屋敷内にも平時より外部侵入者対策の罠が仕掛けられております。こちらのリングは、その罠を一時不能とする魔具となります。どうぞお無くしにならないようにお気を付けください」


「ち、ちなみにのうなったら、どうなるんか聞いてもいいですか」


「お命の保証は致しかねます」


 どうにも物々しくていやな予感がますます募ったクレハが尋ねると、淡々とラックレーは答える。
 急用を思い出したということにして、このまま帰りたいなと現実逃避気味に考えているクレハの横で、ノルンは粛々と指輪を二つ取って、自分の分を嵌めている。
 サイズ自動調整機能が付いているようで、少し大きめに見えたリングは締まってノルンの指にぴたりと嵌まった。
 

「これなら落とすことは無さそうですね。他に何か注意点はありますか?」


「そちらの指輪では立ち入れない区画もございますので、はぐれないようにお気を付けください。こちらで武器の類いはお預かり致します。内部拡張されたバック類に入っている物も全てお願い致します。私はあちらでお待ちしております。詰め所で確認なさる事がありましたら。私を気にせずにどうぞ」


 いくつか補足説明を終えたラックレーはそのままクルリと向きを変え、通用門をくぐって中へと向かってしまう。
 これ以上話すことは無いとでも言いたげだ。


「ほらクレハ。君の分の指輪だ」
   

「ごめんノンちゃん。うち怒らせてもうたかも」


 必要最低限な会話しかせずどうにも冷淡な雰囲気のあるラックレーの様子に、クレハは自分の初印象が悪い所為だと思い、ノルンに頭を下げながら、彼女から渡された指輪を受け取る。


「いや。私だって驚いていたんだから君だけのせいじゃない」


「お客人。差し出がましいかも知れないが、ラックレーのダンナは愛想はないけど、別に何時もあぁだから大丈夫だよ」


 気に病む二人の様子に同情したのか、門番のドワーフが告げる。
 ある程度の歳をいくと、男女問わず髭を生やし顔を覆うので、他種族から見ると今ひとつ歳の判りにくいドワーフ族なのだが、どうやらその口調からしてクレハ達とあまり大差の無い若者のようだ。


「そうなん? ならよかったわ」


「それよりもこっちの机の上に装備を頼む。面倒だろうがこれも仕事なんでね。拡張袋の方もこっちで預からせてもらうが了承してくれ。何せ屋敷内には稀少な武器や材料も多いんで」 


 机の中から書き込み用紙を取りだした門番はテーブルを指さす。


「並べていけばよろしいですか?」


「あぁ。リストに記載していくから最後に確認のサインを。帰りには返すさいも確認してもらうから見落としの無いようにたのむ」


 門番に促されて二人は探索者の必須アイテムである内部拡張された腰のポシェットから、装備を取りだしてテーブルの上に並べていく。
 基本的にその両手足で戦う近接戦闘型のクレハの方は、手甲とナイフ数本を取り出すだけですぐに済む。
 だがノルンは違う。
 愛用の長剣と、神官騎士用の戦闘錫杖のメイン武器は予備を含めて三本ずつ。
 サブ武器として護身用ナイフが10本に、距離ごとに用意した投げナイフ各種が5本ずつ。
 矢頭を変えたボルト類の束は100本単位で8種に、通常用クロスボウと手甲に組み込んだ短弓装置。
 各種属性魔具は単発使用の爆発、氷結系から、繰り返し仕様可能な幻影系の短杖や周辺一帯に音波攻撃を行う戦闘ベルなど一通り。 
 そのまま武器屋でも開けそうな豊富な装備類が、机の上にずらりと並んでいく。


「結構多いな。確認作業に時間がかかりそうだな」


 いくら探索者と言えどここまで過剰な装備をしている者は滅多におらず、普通なら呆れるか驚くのだが、一つ一つリストに記載しながら預け入れ箱に仕舞う門番は特に驚いた様子も見せずリストに記載しつづける。


「兄ちゃん。びっくりせえへんの。こんなぎょうさんあるって」


「あー……普通なら驚く量かも知れないがこの家に勤めてると慣れるからな。なにせ7工房のレグルスだ。それにあんたらが探してる坊ちゃんの部屋なんて、もっとすごいことになってる」


感覚が麻痺していると語る門番が、口にした名にノルンが反応する。
 ラックレーはこの屋敷のも全てが質問に答えるようにとミムが命令していたと言っていたし、自分達もそう聞いている。


「その人のことを少しお伺いしても良いですか。私達は会ったことは無いので。どういう方か知らなくて」


「なんかノンちゃん必死やね」


 荷物を預ける僅かな時間でも情報収集をしようとする辺りに、今回の件に賭けるノルンの意気込みが、クレハには判る。
 生真面目なノルンが仕事をさぼることは元々あり得ないのだが、どうにも熱の入れようが違うようにクレハには思えていた。


「坊ちゃんか。何とも説明しづらいんだが……鍛冶師だな」


 いきなりの質問にも嫌な顔もせず答えようとした門番が一瞬筆を止めて考えてから口にした答えは、期待はずれも良い所だ。
 そんな事は今更教えてもらわなくても判っている。
 

「それはしっとるって。顔とか声とかほかの特徴を教えてえな」


 事情は判らずとも友達のノルンが本気なのだからと、自分自身はあまり気乗りはせずともクレハはもっと他にあるだろうと、再度問いかける。


「他って言われてもなぁ……実は俺も声と顔を知らないんだよ。ここには坊ちゃんはよく見えられるんだが、声は聞いたこと無いし、顔も見たこと無い。何時も耐熱用鍛冶服で全身を覆ってるし、無口だからな。俺だけじゃなくて他の門番連中や、屋敷内の使用人も知らない。下手すると素顔を知ってるのはミム様と御当主様だけかもな」


 返ってきた答えは予想外にもほどがあるものだ。
 出入りを管理する門番が、顔を見たことも無ければ、声も知らないとは。
 二人が目を丸くすると、門番はあまり役に立てず申し訳ないとさらに頭を下げた。
 その表情から見るに嘘は無さそうだ。


「使用人とは話さないし、顔も見せる気が無い。そういう方ですか?」


「あーちがう。それはない。坊ちゃんはここにわざわざ夜食を届けてくれたり、忙しそうだったら武器預かりリストの書き込みとか手伝ったりと、俺が申し訳なく思うくらいに気遣ってくれるよ」
  

 傲慢な名家の跡取りを想像するノルンの問いを、門番は即答で否定し、変わり者だと強調する。
  

「さっきも言ったが、坊ちゃんを説明するには鍛冶師って言葉だけなお人だな。昔は武具以外には一切興味を示されないかったが、ミム様にぶん殴ら……躾けられてからは、少し普通になったんだが、それでも、とにかく変わってるんだよ。この詰め所によくお顔を出す理由も、ここで預けられた武器を見たり、持ち主に断りも無く整備する為だからな。ふらっと来て、一言も喋らずに研いだり調整して、満足なされるとそのまま帰られるようなお人だ」


「ちょいまち。預けられた武具を整備って勝手にやっていいんか? うちは絶対いやや」


 知らない者に勝手に自分の命を預ける武具を弄られるというのいい気がしない。
 戦士として当然の反応を見せたクレハに門番は真顔で頷く。


「あんたみたいな反応を見せる人は多いよ。普通そうだよな。だが坊ちゃんは普通じゃない。整備された武器を受け取ると誰もが黙り込んじまうんだよ。挙げ句の果てには金を払うって無理矢理に置いていく客人やら、坊ちゃんに会わせてくれってのはいくらでもいるが、武器を受け取った後も文句を続けた客人は今のところ一人もいないな。坊ちゃんが整備した武器ってのはそれくらい違う。武器の持つ力を完全に引き出し、大衆品だってのにそいつ用にカスタマイズされた一品に早変わりさせちまう」


「……見た目だけで判るっていうことです。この武器が変わったと。にわかには信じがたいんですが」


「見た目じゃないな。俺もたまに坊ちゃんに整備してもらうんだが、持った瞬間に判るんだよ。これはやばい。この武器は違うって。魂で感じるって奴だな。信じがたいかもしれんが」


「なんで、そんなすごい人が行方知れずになっとって騒がれておらんのよ」


 話半分だとしても、ティレント・レグルスがとてつもない技術を持ち合わせている事が門の浮かべる真顔からは伝わってくる。
 だからこそ逆におかしい。
 自分で姿を消したのではとここに来るまでに予想していたが、それにしては行方知れずと判明するのが遅すぎる。
 周りがもっと騒いでいてもおかしくないはずだ。


「それがこの半年間、坊ちゃん自体はよく姿を見かけられていたんだよ。どこぞの工房にいて道具を漁っていたとか、工房近くの食堂で包丁を研いだ駄賃で飯を食わせてもらっていたとかって感じで。ただ誰もが、自分達の工房以外のどこかの工房で手伝ってるんだろうって感じで、まぁ日常風景として受け入れてたんだよ。屋敷に戻ってくる時も、ちょっと帰って物を取ったらすぐに出かける感じで、だから俺らも行方不明だって気づいて無くてな。ミム様にすごいお叱り受けそうで気が重いんだよ」


「はぁ!? ち、ちょいまち!? なにゆーてんの!? 帰って来てたりしてたんか!? それ行方不明っていわんとちゃうん?」


「普通はな。ただ坊ちゃんの場合はさっきも言ったが普通じゃない。何時もフラフラと7工房のどこかに出入りして、屋敷かその工房の端っこで寝泊まりしてたが、今回はどこで寝泊まりしているのか、それどころか何の仕事をしているのか7工房の誰も知らなかったそうだ。十分に行方知れずだろ」


 慌てて問いただすクレハに、門番は遠い目で答える。
 常識なんぞ捨ててしまえと如実に語っている。


「今の話はおかしくありませんか。彼は7工房所属の見習い鍛冶師ですよね。何故他の工房にもそう易々と出入りが出来ているんですか?」


「それも坊ちゃんだからこそだ。特例で坊ちゃんだけは、7工房のどこでも自由な出入りと、請われた時は手伝い作業が許されている。坊ちゃんを知った他の工主達が、第7工房だけで独占するなって、御当主の所に直談判に来たくらいだからな」


「……」


 天才、名工達がひしめくドワーフが誇る7つの工房は、エーグフォランの心臓部。
 そのどこからも必要とされる見習い鍛冶師。
 彼の発見に高額の賞金がかけた意味を、個人情報が極端に少なかった理由をクレハ達は目の当たりにする。
  

「戦士なら誰でも剣を預けたくなり、鍛冶師なら誰でも技術を仕込みたくなる。顔も知らず、声も聞いた事が無いが、7工房の誰もが知っていて、7工房の工主全員から弟子扱いされる見習い鍛冶師。【レグルスの秘蔵っ子】そいつが坊ちゃんの通り名だよ」


 全てをリストに記載した門番は、ティレント・レグルスが天才だと、それが常識だと淡々とした口調で断言していた。 
  



[22387] 見習い鍛冶師と神官騎士
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/02/24 21:12
「これあかんやつや」


 砦の機能も併せ持つ広いレグルス本家の一角。
 ティレント・レグルスの私室という離れの扉をあけた瞬間、中から洩れだした気配にクレハは警戒色を強め、ノルンは息を呑む。


「……すごいな」

 
 視界を埋め尽くす勢いでずらりと並べられた棚。
 その中には古今東西の刀剣、槍、鎧、兜といった武具ががぎっしりと詰められている。
 私室ではなく、武器庫やコレクションルームと呼んだ方がしっくり来るだろう。
 

「新しいのから古いのまで色々やけど、あんまようない気配ばっかやね」


 棚をのぞき込んだクレハは眉を顰める。
 武具は古びた物や、所々欠けた部分を修復した物が見受けられる一方で、一度も使われていないであろう真新しい武具も納められている。
 新品と中古品。その相反する両者には一つ共通点がある。
 部屋の中を埋め尽くす物言わぬ武具が、まるで生きているかのように濃厚な気配を纏っている事だ。
 使用者、被害者、制作者の念が篭もった道具特有の気配は、重圧感を伴って部屋の中を漂っていた。
 クレハの母親である煌が、その気配を鬼気と呼び符術の核として使役するから、クレハにはある意味で慣れた空気だが、慣れているからと言って心地よい物ではない。


「この大量の武具は一体?」


「廃棄倉庫から若が集めてきて修繕した品になります。どうぞ中へ。若の作業部屋は隣室となります」


 ノルンの問いにエルフ家令のラックレーは、スタスタと棚の間を抜けながら起伏の少ない声で答えるだけだ。
  

「捨てるはずの品をひろうて来て修理したってゆうけど……なんでこんな濃いいのばかり」


 名家の跡取りで金に困っている様子は無く売る為でも無かろうし、かといって同じ武具がいくつもあるので、構造を勉強する為といった雰囲気でもない。
 ましてやこの気配の濃さは、意図的に曰く品を集めたとしか思えない。 
 

「若は武具を通してしか世界を見ておられません。どうして壊れたのか。どうやって斬ったのか。どうして使われなかったのか。全ての思考の発生源が武具です。より強く訴える物に本能が引かれたからだと思われます」


 何とも感覚的で返しにくいラックレーの回答に、クレハは黙るしかない。
 クレハ達が足を踏み入れただけで重苦しく感じる宿った念を、ティレント・レグルスはどう感じていたのか。
 この部屋に渦巻く強烈な残滓。
 それらをまともに触れ続けて正気でいられるとは思えない。いや、ラックレーの言葉から想像するに、最初から壊れている。
 だからこそ平気なのだろうか。
 薄ら寒い悪寒を背中に感じながら、整然と並ぶ数十はあるだろう棚の海を抜けて、入り口と反対側のドアにようやくたどり着く。


「こちらが若の作業部屋兼寝室となります」


 ラックレーが鍵を差し込み、扉を開けると今度は金属の臭いが微かに漂ってきた。
 武具置き場となっていた倉庫のようなだだっ広い部屋と違い、作業場兼寝室という石造りの部屋はこぢんまりとしている。
 分厚い木の天盤が張られた作業台が部屋の一角を占領し、分厚い数冊の本が積み重ねておいてある。
 作業台の横には足踏み式の砥石台が一台と重たそうな金床。
 壁には工具類が整然と架けられており、横の棚には色取り取りの粉が詰められたガラス瓶がずらりと並んでいる。
 部屋の片隅には細長い木箱がいくつも積み上げられており、その表書きを見るからに武具が詰められていたようだ。


「炉は無いようですが。別に作業場が?」


「いえこちらだけです。若はまだ見習いです。エーグフォランの鍛冶師は、師の許しを得て自分の炉を構えて初めて鍛冶師となります。若の師は御当主様ですが、まだ甘いと炉の開炉許可は与えておりません。こちらでは主に整備や改造など炉を用いない修行をやっておられます。炉を使った作業は各工房で修行を積まれておられます」


「ここで寝泊まりゆうてますけど、ベットがあらへんけど、どうしてるんですか?」


 床にはゴミ一つ落ちておらず綺麗に掃除がなされているが、生活感と呼べる物は皆無だ。
 寝床らしき物は見当たらず、それこそ作業部屋以外の何物でも無い。
 先ほど寝室と聞いたのは何かの聞き間違いではないかと思うほどだ。


「疲れてお休みになる際はこちらの木箱の一つに毛布を詰め入れてありますので、そこで就寝しておられます。本来の若のお部屋は本邸の方にございますが、元々は倉庫として使われていたこちら離れに篭もるようになられまして、改装しております。」


 問いかける二人の視線に気づいたラックレーが積み上げられていた木箱の一つを開けてみせる。
 中には綺麗な毛布が詰められていて寝心地は良さそうだが、猫の寝床と言われても違和感がないような代物だ。
 少なくとも名家の御曹司が休む場所ではない。
 門番も変わり者だとはいっていたがここまでとは。
 武具以外には一切興味を示さず話すらしないという証言が、純粋な事実だとこの部屋を見ていれば判る。判ってしまう。
 

「……ノンちゃんどうする? 部屋なか探すゆうても手がかりになりそうな物あるか」


 個人の顔が見えてこない部屋にクレハがお手上げという顔を浮かべるなか、ノルンは作業台の上に置かれていた本を注視する。
 作業部屋に本と来れば普通なら仕事関連の物だと相場が決まっているが、ドワーフ鍛冶師の場合は違う。
 彼らの技術伝承は口伝のみ。
 一切の書物に書き記さず、実際の作業を見て、作らせる。
 頭で覚えるより身体で覚えろを地でいくからだ。
 ならあの本は?


「ラックレーさん。あちらの本を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」 


「はい。どうぞご確認ください」


 許可を得たノルンはとりあえず一番上の茶色表紙の本を手に取りタイトルを確かめる。
 【リビングデット制御術式】というタイトルが書かれている魔術研究書だ。
 中身をぱらぱらと捲りながら要所要所を摘んで読んでみるが、タイトルと中身に差異はない。
 生物の死体を使役する為の、魔法陣製作技術やリビングデットとする死体をつけ込む準備や用いる触媒液等、一般人であればあまり好ましく思わないであろう内容が事細かに書き記してある。
 裏書きを確認すると3ヶ月ほど前に発売された死霊術士向けの最新研究情報書のようだ。
 その下の本を見れば今度は真逆のベクトルの、【旦那さんの手料理で奥さんとお腹の赤ちゃんを満足させよう エルフ式健康料理】という軽いタイトルの書籍。
 中身はタイトル通りにエルフが用いる薬草や森の食材を用いた健康料理の秘訣やら、妊娠初期は食事回数を増やして、量は少なめにすればつわりが少ないや、味付けは途中で変えられるようにすればなお+などと、ワンポイントアドバイスが記載されている。
 さらにその下は【人体解剖図鑑 完全版全種族網羅】という分厚い医学書。
 種族ごとの腑分け絵や、内臓、筋肉の付き方が精細に描かれた食欲を著しく減退させる絵柄が満載な濃い内容と、三者三様の本が積み上げられていた。
     

「別に暗号やら隠し魔術文字みたいなもんも無さそうやね。魔術研究書にレシピ本に医学書。ジャンルもばらばらや……どういう意味があるんやろ」


 装丁を確かめたり魔力反応を探ってみたクレハも、特段以上は無いと断言する。
 しかしこの部屋の主が、暇つぶしや興味本位で別ジャンルの本に手を出したとは思えない。
 全ては鍛冶師として必要で、手に入れた知識なのだろうと容易に想像は付く。


「それぞれにだけ限っても対リビングデット用剣、逆にリビングデットに装備させる剣の両方が考えられる。二冊目は料理だから包丁を想像できる。三冊目に至っては種族特化と考えればいくらでもできる。予測できる事が多すぎて何ともいえないな。これが一つのことに関してなのか、それともそれぞれ別件なのか。情報が少なすぎて判断が難しい」


 鍛冶を行う為だけに生きているティレント・レグルスの部屋に残された3冊の本。
 この本には何らかの意味はあるのだろうが、それが何を指し示すのか絞り込みをするには情報が足りない。


「他に何かないか探してみるしか無いな」


「あっちの部屋はどうすんの?」


 この部屋に来るまでに抜けてきた武具の山をクレハは指さす。
 あれだけ曰く品ばかりが集まっているのだ。
 何かの手がかりが眠っているかも知れないが、如何せん数が多すぎる。
 家人への聞き込みもやりたいし、2人で同じ場所を探すのは効率が落ちるだろう。


「この部屋の後で私が調べてみる。屋敷の使用人の方々への聞き込みも必要だから別行動としよう。クレハ。こっちは私が引き受けるから聞き込みの方は任せて良いか」


 ここまで来る間にすれ違った使用人の比率は女性が高い。
 どうにも初対面の女生徒と打ち解けるのを苦手としているノルンは聞き込みはクレハに丸投げする。


「うち飽きっぽいからそっちのほうがええわ。ノンちゃんごめんな何時も面倒な方ばかり」


「私に言わせれば女性への聞き込みの方が大変だ。同性なのに外見で警戒をされる私には不向きだ」


 愛想が良く本人に言えば怒るが、子供のような見た目からも警戒されにくいクレハの方が適していると、ノルンはやるせない息を吐く。
 上背がある所為か、それとも女らしさの無い鋭い目付きといわれる顔の所為か、堅い口調の所為か。


「あーノンちゃん男前やからしゃーないわ」


「それ褒め言葉では無いからな。一応これでも女性の端くれのつもりなのに」


 ノルン本人もよく判らないが、初対面の女性には、よく男性と間違えられたりと、どうにも第一印象で警戒感を抱かせるのは性分だと、クレハの下手な慰めに恨めし顔で答えるしか無かった。 
  

「それではクレハ様。使用人達に話を聞かれるという事でしたら、応接室へご案内いたします。1人ずつ呼び出してまいりましょう。ノルン様はどうぞお調べをお続けください。ご用がありましたら若のお部屋にあるベルをお鳴らしください。すぐにまいります」


 2人の話がまとまったのをみたラックレーは事情聴取の手はずを整える為にクレハを連れてすぐに部屋を後にする。
 あっさりと1人残されたノルンは、どうにも違和感を感じてしまう。
 いくらノルン達がミムの配下であり、紹介だからといって、あまりに無防備に自由にさせすぎだ。
 ティレントを見つけ出す為に全面協力をしようとする意思の表れなのかもしれないが、鉄面皮のラックレーを見ていると、どうにも疑ってしまう。 


「……まずは木箱から確かめていくか」


 屋敷の者に対する疑いの目を少しだけ心に留めたノルンは気を取り直して、寝具代わりに使っているという木箱以外の箱から一個一個あけて調べはじめる。
 木箱の中に並んでいたのは、包装された刀剣や鎧など武具に、金属、布や皮で出来た細々としたパーツ類だ。
 武具の方は壊れかけている物や、未完成品だと思われる中途半端な作りの物ばかりで、、パーツ類から見ても、これから修繕を行おうとしている様子が見て取れる。
 しかし中に入っているのはそれだけで、別段に怪しい部分は見受けられない。
 作業台の上にあった3冊の本に関係した物がないかと確認もしてみるが、それらしい物は無い。
 木箱を調べ終わったノルンは、次いで棚に収められた瓶を手に取りラベルに書かれた名を読み取っていく。
 小さな見た目のわりにずっしりと重い瓶の中身はどうやら金属や鉱石を削り粉末状にした物のようだ。
 何らかの作業に使うのだろうが、鍛冶師としての知識が無いノルンにはそれが普通の物なのか、珍しいものなのか区別はつけられない。


「蓋に埃……最近はあまり使っていないということか」


 瓶を触った時に僅かだが蓋に埃が付いている事に気づく。
 それぞれの量は違いがあるがどれも半分以下に減っている。
 次いで壁から吊された工具類を注視してみるが、こちらはぴかぴかに磨かれた物ばかりで汚れ1つ無い。
 だがよくよく見てみると、歯抜けになったかのように道具がつり下がっていない金具がいくつかある。
 部屋の中を探してみるが、この壁につるせそうな物は見当たらない。
 普通に考えれば、ティレントがどこかに持ち出したという事だろうか。
 道具を持ち出して、ここの材料類には手をつけていない。
 他の作業場で、何かをやっているとみるべきか。
 頭の中で判ったことや思ったことを整理しながら調べていくが、元々綺麗に整理されていた部屋なのですぐに調べ終わる。
 最近は使われていない。道具のいくつかが持ち出されている。
 僅かではあるが、手がかりめいた物を見いだしたノルンは、次いで隣の部屋へと移り、棚に収められた武具類を確認していく。
 ティレント・レグルスは、ゴミ一つ落ちていない作業部屋からも察するとおり、ドワーフにしては几帳面な性格なようだ。
 分類ごとに仕分けされた武具は、補修を終え棚に納めた順序で整頓されて仕舞われている。
 それだけでは無く、作業した日時や素材、来歴が逐一記載されたメモが添えつけてあるほどだ。
 数が多すぎるのが難点だが、それでも手がかりめいた物にすぐにノルンは気づく。
 一番最後に仕舞われた物に記載された日付が約7ヶ月前ということだ。
 それまでは週に2、3個、多ければ同日の日付の物すら有るという感じで、手当たり次第にやっていた作業が、そこでぷつりと途切れている。
 ティレント・レグルスが失踪する一月前。
 ここで何かがあったと考えるべきだろう。
 最後の品が納められた日付近辺に、何かしらの手がかりがあるはずだ。


「あからさますぎるが、裏を勘ぐる必要性も感じ無いな」


 あまりにも分かりやすぎるヒントに疑いの心が一瞬浮かぶが、ノルンは首を振る。
 この武具を修繕し揃えた男には裏など無い。
 本当に武具のことしか興味が無く、それ以外のことに思考をまわしていないと判る。判ってしまう。
 それほどまでに濃いのだこの部屋の気配は。
 しかしそうなると逆に判らなくなる。
 武具を己の最優先と考えていた男が、何故止めてしまったのか?
 直す物が無くなったわけではないのは、隣の部屋に残されていた木箱の中の武具を見れば明らか。
 他に何か心引かれる物でも出来たのか……
 思考を深めつつも調査を続けるノルンは、棚から新たな剣を取り出そうとして柄を持った瞬間に、違和感……いや手に馴染む感覚を感じ、その剣を引き寄せまじまじと見つめる。
 それは何の変哲も無い幅広いロングソード。
 むき出しとなった刀身は鋼鉄製。刀身にも柄にもなんの細工も無い実利一辺倒なよく見る品だ。
 しかし柄が妙だ。一見心許なさを覚えるほどに柔らかいのだ。
 強く握れば指が沈み込みそうになるほど柔らかいのに、ある一定までいくと一気に硬化してそれがノルンの手に馴染む。


「……この剣は?」


 ノルンは異常なほどに多くの武器を持ち歩いている。
 それは彼女があらゆる事態を想定し装備を固めていることもあるが、それ以上に切実な理由がある。
 武器が馴染まないのだ。
 吊し売りの大衆品だけで無く、自分の体型、筋力、技の型、それらに合わせてオーダーメイドしたはずの武具ですら、どうしても馴染めない。
 ついさっきまでは大丈夫だったはずの武具が、ほんの少し使っていただけで合わなくなってしまう。
 だから微妙に重心や、持ち手の形を変えた武具をいくつも持ち歩いて、その違和感を少しでも緩和しようとしている。
 それは、髪型がいつも通りにならないとか程度で、日常生活なら無視しても構わない程度の僅かな違和感かもしれない。
 だがその微かな違和感が、探索者として迷宮に挑んださいには、大きな弱点となり、最悪は致命傷になる事をノルンは知っている。
 ましてや下級迷宮をすぎ、次からは中級迷宮。
 ほんの一瞬の油断、対応の遅れが、自分だけで無く、パーティメンバーをも危機にさらす。
 だからこそ今回の捜索任務にかけるノルンの意気込みは強い。
 件のティレントを見つければ、名高い7工房製の武具が手に入る。
 どうしても払拭できない違和感を解消出来る武具が、手に入るかも知れないからだ。
 もし7工房製武具でも馴染まないなら、引退を考えようとまでの意気込みをもって。
 クレハに言えば反対されるか、クレハが無茶をしようとするのが判っているので、まだ話せていないが、ノルンはある意味で崖っぷちに自分が追い詰められていることを知っている。
 そんな中不意に現れた手に馴染む剣に、希望の一端を見たような気がし、調査とは関係なく、ついつい個人的な思惑からノルンがその仕様を確認する。
 そこには【幻影呪術影響下対応試剣4号】の名称。
 その物ずばりの名称なのだろうが、どうして対応出来るのかと技術的な事が一切書いていない。
 一見何の変哲も無い剣に見えようとドワーフ作。
 どんな仕掛けが施されているのか。持ち出すことは出来ずとも少しでもヒントは無いかと剣をさらにつぶさに見ようとしたところで、ノルンは微かな物音に気づく。
 ゆっくりと石がこすれる音。
 足元からは微かな振動。
  
 
「…………」


 剣を片手に持ったままノルンは、片膝をついて床に手を当てる。
 先ほど感じたものは気のせいでは無い。
 僅かだが床が振動している。
 火山地帯にあるグラウンドレイズにはありふれた微細な地震とはまた違う。
 振動には一定のリズムが感じられる。
 先ほどのこすれる音。何か重い物が移動している?
 耳を澄ませ音を聞いてみれば、その発生源は隣の部屋。
 ティレントが作業部屋として使っている小部屋の方からだ。
 すり足でゆっくりと移動を開始したノルンは、一歩一歩音をたてずに隣室への扉へと近づく。
 そっとドアノブに手を乗せてゆっくりと回すと、そろりそろりと扉を開けつつ中をのぞき込む。
 すると部屋の中央。先ほどまで何の変哲も無かった石床の一部が跳ね扉となって持ち上がり、ぽっかりと穴が開いていた。
 隠し扉?
 元々王都防衛の際は臨時指揮所ともなるというレグルス本邸。
 秘密の扉や隠し通路の1つや2つは当然のごとく設置されていたのだろう。
 

「…………」


 階段状になっていたのかその穴の中から1人の怪しい人影が姿を現す。
 所々焼け焦げた後の残る耐熱、耐衝撃服を頭からずっぽりと被っている。
 背はクレハよりもさらに低いが、横幅は細身の彼女の倍くらいあるだろうか。
 寸胴のたる体型はドワーフ達によく見られる体つき。
 顔まで耐熱服で隠して隠し扉から出て来たドワーフ……そこまで揃っているなら疑う方がおかしいだろう。
 あれがティレント・レグルスの可能性は極めて高い。
 行方知れずとなっていたいうが何のことは無い。
 自分の部屋にある隠し部屋に隠れていたという事だろうか。
 そうなると、屋敷の者はわざと黙って嘘をついていたのか?
 それとも屋敷の者すら気づかせずに隠れていたのか?
 今すぐ踏み込んで取り押さえるべきか……だが人違いだったら。
 ここで取り押さえたはいいが別人では意味が無い。
 それが原因で本人に警戒されて、逃げられたら、目も当てられない。
  幸い謎のドワーフは扉の方は向いていない。
 あれがティレント本人だという確証が無いから動けず、どうするべきかと葛藤するノルンは、仕方なくそのまま様子を窺う。
 ドワーフは作業机に近づくと、その一番下にあった本を手に取りタイトルを確かめてから、肩から下げていた薄汚れたバックに無造作に突っ込む。
 次いで壁に架けられていたハンマーややっとこをいくつか手にとってからまたバックに仕舞い込んだ。
 それで用事は終えたのか、ドアの方を見て警戒する様子も一切無く、ドワーフは隠し扉へと姿を消した。
 その姿が完全に消えたのを見てからノルンは慎重に扉を開けて滑り込むように部屋の中に入り込む。
 部屋の中央に出来た扉へと近づいてみると、冷たい風が上がってくる地下への階段が姿を現していた。
 そうとうに深い所まで続いているらしく、この先は見通せない。
 つい今さっき降りていったドワーフの後ろ姿も徐々に闇へと沈んでいく。
 追いかけるべきか。
 それともクレハと合流してからにするべきか。
 だがもし屋敷の者が意図的にティレントを隠していた場合それは裏目に出る。
 悩むノルンの目の前でまた石がこすれる音がして、石畳に偽造された隠し扉が下がり始めた。
 普段のノルンならば、その慎重な性格も合って、孤立無援となりかねない先も判らない場所へと誰かを後を追うような真似はしない。
 だが今は右手にある剣が、その慎重さを失わせる。
 ノルンが求めていた剣がここにある。
 あのドワーフが、このやけに手に馴染む剣の秘密を知っているかも知れない。
 その誘惑に抗えきれず、閉まりかけていた扉の中に、ノルンは飛び込むように足を踏み入れていた。
 そのまま数段くだると、背後で空気が漏れる音をたてて扉が完全に閉まってしまう。
 辺りが暗闇に閉ざされ、静寂が支配する。
 すぐに明かりを灯して先を行ったドワーフの後を追いかけたくなる衝動を我慢して、ノルンは暗闇の中、左手で印を作る。
 後を尾行するにしても明かりをつけたら気づかれるかも知れないし、この静けさの中では微かな足音も目立つ。
 暗視強化と消音の効果を持つ神術をノルンは小さく詠唱し始める。
 装備類一式と一緒に預けた拡張袋の中に神術用の触媒が預けてあり、陣を刻んだ錫杖も無いが、初級の神術ならば大分精度は落ちるとはいえ、印と祈りで何とか発動は出来る。
 詠唱を唱え終わり印を切るとすぐに暗闇だった周囲の空間が白々と明るくなっていく。
 昼間の屋外とまではいかないが、それでも足元を確認するには十分な明るさだ。
 周囲を覆うのは古い石積みの壁だ。
 上と同じく隙間1つ無い石組みで出来た下り階段の先を見てみるが、天井が狭く先が見通せない。
 ラックレーの話では屋敷内には侵入者撃退用の罠が張り巡らされているという話。
 渡された来客用の指輪がこの隠し通路でも通用するかと聞かれれば正直に言えば心許ないが、もう飛び込んでしまった。
 普段の自分ではやらない無謀な行動に、戸惑いながらもノルンは、どうしても先に進もうという誘惑に抗えない。
 扉を開ける方法を探して一度戻ろうという事も考えられず、罠に引っかからないように進むしか無いと考えてしまう。
 典型的な感圧板やワイヤートラップを避ける為にノルンは再度印を組み、今度は重量軽減の神術の詠唱を唱え始める。
 慎重さと手数こそがノルンの武器。
 だがその慎重さを、最初に捨ててしまったからだろう。
 だからノルンは罠にはまる。
 それは一定時間以上同じ場所に留まると発動するという遅延性トラップ。
 詠唱を唱えていたノルンの足元の石階段が突如沈み、滑り台上に変化する。
 足がかりを失ったノルンは強かに尻餅を打ち、その身体は先の見えない階段下へと滑りおちていく。
 古典的ではあるが絶妙に嫌なタイミングで発動した罠にノルンは一瞬焦りを見せるが、とっさに右手に握っていた剣を横の石壁に突き立てる。
 だが堅い石畳に剣はあっさりとはじき返され、さらにはその衝撃が原因だったのだろうか石壁に隠されていた魔法陣と付随した魔術文字が浮かび上がる。
 その文字が現すのは低威力の雷撃印。
 
 
「っ!? く、があ!?」


 紫電を纏う雷撃が滑り落ちていくノルンの身体に容赦なく降り注ぐ。
 もしここが迷宮永宮未完内であれば、その程度の雷撃など物の数では無い。
 しかしここは迷宮外。
 探索者の力は遥かに落ちる。
 雷撃に強かに打ち付けられたノルンは身体が麻痺し何の抵抗も出来ず、そのまま最下層まで一気に滑り落ちてしまう。
 ノルンが飛びだしたのは狭い地下通路だ。


「かはっ! っぁ……」


 そのまま受け身も取れず反対側の壁に身体を強かに打ち付けられたノルンの肺から呼気が洩れた。
 立て続けの衝撃に翻弄されたノルンは、急速に意識が遠のいていく脳裏で考える。
 おかしい。自分はおかしい。
 何故退路も確保しようとせず、無理をしてしまったのかと。
 迷宮に潜り始めたばかりの初心者がやるような軽率な行動の末の自業自得な結果だ。
 ちかちかと明かりが消えるように眩む視界と意識の中、なぜか右手だけははっきりとした感覚がある。
 右手にあるのは、先ほど上の部屋で手に取った剣。
 雷に打たれ、身体を壁に打ち付けたというのに、その剣だけは離すまいという強固な無意識の元、ノルンは我知らずに右手で強く握りしめていたようだ。
    

「こ、この……け、剣の……」


 自分の行動が狂い始めたのはこの剣のせいだと確信したときにはもう遅い。
 意識が完全に途切れる直前。
 ノルンが最後に見たのは、怪しく光る刀身と、その向こうの通路から近づいてくる小さな人影だった。



[22387] 見習い鍛冶師とその素顔
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/02/29 03:12
 背後で聞こえた物音に引き返してきたティレント・レグルスは、床に倒れ痙攣している人物を発見する。
 傭兵がよく身につける野営用の旅外套の下に、軽鎧を着けた大柄な女性を見て、ティルは首を捻る。

 はて誰だろう?

 複雑に入り組んでいる上に罠も稼働しているこの地下通路は、危険だからと普段は封鎖されており、使用人達も滅多なことでは立ち入らない。
 倒れていた位置や状況的に、先ほどティルが降りてきた私室の隠し扉から入ってきて、罠にかかってしまったようだ。  
 この人物がここに倒れて痙攣していた理由は推測は出来た。
 だが誰かは判らない。
 マントや鎧は初めて見る品だが、右手に握る剣はティルが前に拾ってきて修復した剣だ。
 自分でも無駄だと思いつつ、仰向けに倒れていた人物を横からのぞき込んで、一応は顔をみる。
 目が2つに鼻が1つ。それと口が1つ。
 普通の人間の顔なのは判るが、それがティルにとっては終着点。
 せめて毎日、いや二日くらいなら会っていなくても覚えてられるが、三日目ともなるとあやふや。
 1週間だったら完全に忘れている自信がある。
 地下に篭もって作業をやるようになってからは、忙しくてあまり他人に会ってない。
 だから倒れている人物の顔を見ても、これが使用人なのか、客人なのか、それとも侵入者なのか判らない。
 姉のような人からは、「なんで姉ちゃんの顔を忘れられる!?」と遠征から戻ってくる度に叱られるが、なんでといわれても、他に覚えることが一杯だからとしか言いようが無い。
 思い出せないからと言って放置して、使用人や客人だった場合は、後で姉に叱られる。
 叱られるのはともかく嫌だ。
 今だって姉に怒られるような作業をやっているから、隠れてこそこそとしている。
 姉は好きだが、怒るとすぐに拳骨が飛んでくるし痛いから嫌だなと、暢気に考えながら、どうにか判別するしかないなと重い息を吐く。
 身体に触れれば知っている人物かどうか一瞬で判るが、人の許しも無く触るなは姉の厳命。
 過去に何度も腕やら指をへし折られつつ仕込まれたので、脊髄反射的にその選択肢は無い。
 指を折られては鍛冶作業に支障が出る。
 せめて足の指ならまだマシだなと、思いつつ声をかけてみる。


「す……み……ません?」


 自分でも驚くくらい声が出ない。
 小さいし、喉の奥で篭もれ掠ったような声しか出てこない。
 そういえば喋るのは久しぶりだ。
 どうやら、声の出し方を忘れていたようだ。
 家の者や、工房の者達なら、ティルが黙っていてもその行動を察してくれるし、ティル本人としても、ご飯を食べられて鍛冶仕事さえあれば、他に特に希望はないので喋ることも無い。
 武具に関することなら数日だって喋り続けられるが、姉からは周りが引くから止めろと、これも注意されている。
 武具に関することを禁止されたら、ティルには他に喋ることは無い。
  
 
「え、と、すみま、せん。意識ありますか?」

  
 ゆっくりと喋っている内に、身体がしゃべり方を思い出したようだ。
 とちることも無く、先ほどよりは大きな声で聞くことが出来た。   
 ちょっと苦労して声を出したというのに、倒れていた人物は痙攣を続けるだけで反応が無い。
 本人に断りも無く触れてしまうと姉との約束を破る事になる。
 そうならないようにとティルは服の端っこを詰まんでなんとか裏返す。
 苦労して裏返してみたが、やはり顔を見ても判らない。
 だがそれ以上にティルには気になる事があった。
 

「…………」


 違和感。
 こうして全身を観察していると、違和感を感じる。
 その瞬間には人の断りも無く触れるなという姉の注意は、ティルの頭から消え失せる。
 ぺたぺたと身体をまさぐり、腕の感触や足の筋肉を調べ始める。
 ほどよく鍛えられているが、女性らしいしっとりとした肌。
 しかしおかしい。何かがおかしい。
 その違和感にもどかしさを感じ、ティルはさらに大胆に触っていく。 
 意識が無いのを幸いに、終いには服の裾から手を入れて、胸や脇腹、股間までも全身をくまなく触って、違和感の正体を掴む。
 触れた感触は、胸や性器も含めて女性の身体で間違いない。
 自分の感じた感触はそうだ。
 だが鍛冶師としての勘は答えが異なる。
 この人に合う剣は違うと。
 なら従うべきは鍛冶師としての勘。
 ティルは1つ頷く。
 …………そういうことか。
 意識を失った状態でも、右手にしっかりと握られた剣を見る。
 ティルが試作した剣を握りしめたこの人は剣を求めている。
 なら鍛冶師である自分の客人だ。
 そうなると助けなければならない。
 ただ武具の修理法は判っても、生物の治療は判らない。
 いっそ武器の材料にしてから直した方が楽だ。
 自分的にはそちらの方が楽だし、好きだ。
 しかし本人の同意を取らずにやると、すこし苦労をさせられるのは、この間の龍で理解した。
 だから自分の腕では、剣を望むが剣となる事を望まぬ者に、思う剣を渡すことが出来無い。
 本人を説得するか、自分がもっと上手く相槌を打てれば、あの剣も、もっと良くなったはずだ。
 もっと腕を上げなければならない。
 剣を求める人にふさわしい剣を打つ為に。
 その人物その物である剣を打つ為に。
 純粋故の歪な反省をしながら、ティルは倒れていた人物を肩に背負って担ぐ。
 身長差があるから、足を引きずる形になってしまうが仕方ない。
 まずは上に運んで、普通の治療をしてもらおう。
 そう考えたティルは、人を担いで昇るのは大変な自分の部屋へと続く階段を上がろうとして、ふとこの階段が狭いことを思い出し立ち止まる。
 担いだ人物の大きさと、通路の形状をしばらく頭の中で照らし合わせて考えてから、ティルは方向を変える。
 大階段のある方向に向かって、地下通路をゆっくりと歩きだす。
 隠れるように言われていたことなど、既に頭の中には無かった。
 全ては剣のため。
 剣のことしか考えていなかった。
 














「暇を見つけては食堂の銀食器を磨いてくれるね。いい子だけど、変わってるね坊ちゃんは。行方不明っていっても何時もの工房放浪癖じゃないかい」

 
 古株のドワーフメイド長が、行方知れずは、何時ものことだと語る。


「縫い方が武具作りの参考になるのか、よく見学に見えられては、縫製に使う針や、はさみをよくお手入れしてくださいます。素顔ですか? いえ拝見したことはありません」


 お針子の竜人は、ティレントが研いだはさみで生地を切ると、ほつれが無いと褒める。
 

「自分の使う包丁は自分で研ぐのが料理人には当たり前なんだが、若が研ぐと違うんだよな。切れ味が良すぎて、味も変わるくらいだ。たまに調子が良すぎてまな板ごと真っ二つに切れるのはご愛敬だがな」


 料理人の獣人が見せたのは滑らかな切断面を見せる石のまな板だった。
 


「すんません。ちょこっと休憩させてもろうてええです?」


 10人ほど連続で話を聞いたクレハは、細部は違えど大まかに変わらず、進展のない聞き込みに、精神的疲労を覚えて、次の使用人を呼び出そうとしたラックレーに断りを入れる。
   

「ではクレハ様。お茶はいかがですか。私の故郷の物となりますが疲労に良く効くハーブティーになります」


 クレハを気遣ったのか、ラックレーが準備していたポットからさわやかな香草の香りがする茶をカップへと注ぐ。


「ありがとうございます。喉からからやったから助かります」 


 お茶を受け取り、クレハは乾いていた喉の乾きを潤す。
 ほどよい温かさが、心中にたまった澱を溶かしてくれるようで心地よい。
 だがテーブルの上のメモ書きを目にした瞬間、その心地よさは瞬く間に塗りつぶされる。
 聞き込みで返ってきた使用人達の言葉は、基本的には同じ物。
 御曹司だというのにおごり高ぶったところは無く、使用人に混じって家の手伝いをよくやる真面目なお坊ちゃん。
 だが無口でほとんど喋らず、使用人達は誰も顔を見たことが無くて、気がつけばふらっといなくなりどこかの工房で作業をしている。
 真面目で善良だが、武具に限らず、刃物に見せる執着と技術が卓越しているという事。
 ちょっと変わっている。そう、ちょっと変わっているだけ。
 そういう印象しか受けないのだ。
 クレハが見たあの棚に並ぶ武具を揃えた人物とは、思えないほどにまともだ。
 あれは違う。
 あの部屋の空気は、もっと重く、深い、歪みの末に生まれた物だ。
 もっと狂っていてもおかしくない。いや狂っていなければおかしい。
 それなのに、ちょっと変わり者程度で済む印象しか、周囲には与えていない。
 それがクレハには恐ろしい。
 あの部屋を見ていなければ、自分だってちょっと変わり者の御曹司と思っていただろう。  

「……あんの正直に言わせてもらいますけど、この兄ちゃん。見た目より、中身は相当にやばぁないですか?」


 身近な者にすら素顔を隠しているのは、裏の顔を持つ所為ではないか。
 そう勘ぐりたくなるほどの歪みを持っていると直感で捉えていた。
 クレハはラックレーに探りを入れる意味で、正直な感想を口にする。


「表面上はボンボンやけど、根っこの部分はなんちゅうか全く話が通じない感じがどうもするんですけど」


 あくまでも表面だけ。ティレント・レグルスがかろうじて周囲に変わり者と思える程度に見えるのは表面だけ。
 その中身の歪みは常人では理解出来ない位置に存在している。
  

「はい。若は倫理観をミム様により仕込まれており普段はそれに従っておりますが、本能が勝るときは全てを凌駕します。さすがは煌様のお嬢様ですね。若の本質を伝聞のみで見抜いたのはクレハ様でお二人目です」


 クレハの問いをラックレーはあっさりと肯定し、ティレント・レグルスが狂人だと涼しい顔で断言する。
 怒られるかと思いやあっさりと肯定されたクレハが思わず唖然とするしか無い。


「あんま嬉しゅう無いんですけど……本能ちゅうのは鍛冶師ってことですか」


「若は求められれば全ての者に剣を提供します。鍛冶師としての本能に従う若には、善悪といった一般的な価値が入り込む余地などあられません。若の本能が開放されたときは、良い方向に転がれば名剣が、悪い方向に転がれば魔剣が生まれるというのが、御当主様の言葉です。しかもそれは若が相槌を打った場合です。もし若お一人で打てば、それは使い手すらも飲み込む剣となられます」 


 武具とはあくまでも道具。
 使用者の意思に従い、振るわれてこそ真価を発揮し、意味がある。
 それなのに武器が使用者を飲み込む。それは呪いをもつ剣でしかない。


「打ったらって、それひょっとして地下剣闘場が壊滅したっちゅう件のことですか?」


 兵団の先輩が浮かべた嫌そうな顔がクレハの脳裏をよぎる。
 非合法の剣闘場で、剣奴のみならず客も含め全てが凄惨な殺し合いの末に死んでいたと。
 ティレントの打った剣によって狂ったのだろうか。


「いえその程度でしたら若の研いだ剣によって酔っただけです。若がもし本気で剣を打てば国の一つや二つを滅びる凄惨な戦を生み出す事も出来るでしょう。御当主様が開炉許可をお与えにならないのも、ミム様がご心配なさっているのも、その本能が原因です」


 しかしクレハの想像を、ラックレーは軽々と凌駕した言葉で返す。
 そんな程度済むはずが無いと。
 これが酒場で酔っ払い相手なら、大げさな話で下手な冗談だと笑えるのだが、お茶を飲みながら真顔で告げられると薄ら寒い物しか感じ無い。


「傾国の美女やのうて鍛冶師って、笑い話にすらならないんやけど……そんなん放置したらいかんやん。姿を消して今この瞬間も剣を打ってるとかやないですか?」


「もし若が許しも無く剣を打てば、ミム様はご自分が責任を取って若と剣を処分すると明言しておられます。若もその事は重々承知しております。よほどのことが無い限り剣を打つことは無いと思われます」


「処分って殺すちゅうことですよね……団長は冗談とかゆう性格やないですからマジやん。勘弁してほしいんですけど」


 ミムの怒りの形相やらどうにも焦っている様子からただ事では無いとは思っていたが、ここまでとは。


「技術や家柄だけやのうて存在その物がまずいっちゅう事ですよね。この兄ちゃんのプロフィールが隠されてるのとかって。しゃべらへんちゅうのはともかくとしても、顔を隠してるのとかも、あんまり表に出すわけにいかないからですか?」


「顔をお隠しになっているのはミム様のご指示です。若の存在をあまり出すわけにはいかないというのはあってますが、おそらくご想像とは若干意味が異なります」 


「これ以上なにがあるちゅうんですか……すんません。先にもう一杯お茶をいただけます?」


 まだ隠されていることがあるのか。
 それを聞く前に気力を貯めようとカップにもう一度お茶を並々と注いで貰う。
 このカップに酒でも足して飲んだくれたい誘惑を我慢したクレハが、テーブルの上のカップに手を伸ばしたとき、茶の表面がゆっくりと波打ち始める。
 ついで足元から振動が響いてくることにクレハは気づく。
 規則的な振動が人工的な物が、トラップや隠し扉等の仕掛けが動いているときのような感覚。
 クレハは反射的に視線をあちらこちらに飛ばし気配を探る。
 そしてすぐにその発生源を発見する。
 振動の元は応接間の暖炉だ。
 クレハが鋭い視線を飛ばしていると、煤に塗れた暖炉奥の壁が微かな音と共にスライドしていく。
 すぐに音がとまり同時に、先ほどまで壁が合った場所にはぽっかりと穴があいていた。
 その穴から薄汚れた耐熱服で全身を包んだ背の低いたる体型の性別不肖、年齢不詳の怪しい人物が、肩に人を担いだまま上がってきた。
 耐熱服の人物に見覚えは無くとも、肩に担がれた人物をクレハが見間違えるはずも無い。
 離れにあるティレントの私室で手がかりを探していたはずのノルンだ。


「ノンちゃん!?」


 ぐったりとして気を失っているようにも見えるノルンを見て、クレハは慌てて立ち上がる。 
 いきなりの登場に唖然としているクレハを尻目に、耐熱服の人物は空いているソファーにノルンをゆっくりと降ろして寝かせる。
 その手つきは大事な荷物を扱うように丁寧で、クレハは害意や悪意を感じられなかった。
  一体ノルンの身に何が起きた?
 この怪しい風体の人物が……まさかティレントなのだろうか。
 どう言う反応を見せれば良いか、声をかければ良いかと、クレハが迷う間にその怪しげな人物はクレハ達の方へ近づいてくる。
 クレハとラックレーの顔を見比べて、よく見えなかったのかごしごしとフードのレンズをこする。
 だが袖が汚れているので、汚れが広がるだけだ。
 業を煮やしたの、一体型になった耐熱服のフードを取り去って顔を出した。
フードから出て来た顔にクレハは絶句する。
 予想外の、あまりの予想外だからだ。
 フードの下に隠されていたのはまだ子供の顔だった。
 そして何よりクレハを驚かせたのは、その少年がどう見ても人間族である事だ。
 黒髪で平凡な顔つきをした少年にはドワーフ族の面影が一切無かった。
 少年はクレハとラックレーを見比べてから、ラックレーに深々と頭を下げると、


「えと、すみません。その服で筋肉の付き方だとラックレーさんですよね? こちらの方がトラップにかかったみたいで怪我しているので治療をしてください」

 
「家令のラックレーであっていますが。服装や体つきでは無く顔でご判断ください。それと人前では顔をお出しにならないでください。ミム様からのご注意でしたがお忘れですか」


「…………今から隠しても良いですか?」


 すっかり忘れていたのか少年は、しばらく悩んでからラックレーに暢気に尋ねる。


「いえもう過ぎた事ですので、そのままで結構でございます。若」  


 ラックレーはその少年を若と呼んで珍しくため息を吐くと、クレハへと顔を向けた。


「クレハ様。これが若が顔をお隠しになっている理由です。ドワーフ鍛冶師の名家レグルス家の跡取りであり、7工房全てに出入りを許された見習い鍛冶師。それが人間族。しかも10才になられたばかりだと公表すれば、少々騒がしい事になりますので、各工房工主と極々一部のみの秘密となっておりますので、他言無用でお願い致します」


「そ、それ……し、少々ちゃいますって」


 いわゆる国家機密という奴では無いのか?
 あっさりと暴露された秘密と、他言無用というラックレーの鉄面皮が相まって身の危険を感じたクレハ、そう尋ねることが出来無かった。



[22387] 見習い鍛冶師と金獅子②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/03/07 02:33
 本国帰還と同時に、原則休暇となるのがエーグフォラン傭兵団の習いだが、それは一般傭兵の話。
 幹部クラスや兵站担当者にとっては、帰還と同時に書類仕事の山が待ち受けている。
 金獅子兵団団長であるミムや、その副団長である出雲夫妻もその例外に洩れず、提出書類の修正や詳細確認、次々に持ち込まれる決裁書への承認と、宵闇迫った夕方間近となってもまだまだ書類仕事に追われていた。
 特に今回は敵国の侵攻を誘ったうえで、領土売買を円滑に進め、その後の防衛戦まで想定した大計略の一環で、軍令部との綿密な作戦計画を詰める必要がある。
 現地で収集した最新の地域情報や敵国国境兵力情報等からの戦略判断、整備した街道の運搬能力などを元にした補給計画立案など、普段とは違い次の戦いに向けた準備もあるのだから致し方ない。
 敵国の侵攻後、依頼国からの再要請を受け、金獅子兵団が救援へ向かう事になっている。
 再出動は敵国の動き次第なので、どちらかと言えば待機状態に近く、あまり休暇らしい休暇とは言いがたいのが実状だ。


「防衛後に戦線安定を目的にした逆侵攻が可能かだそうだ。具体的には、もう一つか二つ前衛陣地を作れる位置まで侵攻して、国境線を前に押し上げる案だな。全く簡単に言ってくれる」


 鉱山間近の国境線を敵軍に抜かれた場合の、非戦闘員や鉱山施設への被害を抑えるために、作戦本部であげられた対策案の一つの有効性の有無を確認する提案書をホウセンが読みあげる。
 国境線が近いのが問題なら、その国境線自体を押し上げれば良いは確かに道理だが、それをやれと言われる方はたまったものではない。


「やめまひょ。前に押し出しいやも補給線が伸びるやけで、山道で襲われへん危険性を考えたら得はあらしまへん。地図上やと陣地が築けるように見えても、常駐しはるには手狭すぎる。逆侵攻しいやもぎょうさん奥深くまでいかいないと寡兵を強いられへんやけどす」


 現地で測量して新たに作った地図を広げていた煌が、扇で細い山道をなぞりすぐに首を振る。
 前衛陣地を作れるだけの広さとなると場所も限られてくる上に、補給の問題もある。
 碌な護衛もつけられない山道では、飛翔魔術を用いた少数ゲリラ戦で狙ってくださいと大声で宣伝しているようなものだ。


「じゃあ無し。今の国境線で防衛するのが一番安定だって答えて」


 決裁書にサインをしながらミムは顔もあげずに答える。
 参謀役である煌が反対ならミムに異論は無い。
 現役探索者時代から、煌の無理をしない手堅い状況判断力に何度も助けられた信頼感に揺らぎは無かった。
  

「それよりホウ。戻ってきたうちの連中からの報告は上がってきてる?」


 本来なら弟分であるティルの捜索は、私事であり、弟の特異性を考えれば自身が赴くべきだとは判っている。
 だが今のミムにはそこまでの自由度が無いのも事実。
 休暇を楽しみにしていた部下には大変申し訳ないので、情報の有無にかかわらず、今日の飲み代は全てミム持ちとしていた。


「いくつか上がってきている。私の方でまとめておいたが読みあげるか?」


 軍令部から送られていた書類とは別の山に集めていた手書きの報告書をホウセンが掲げてみせる。


「お願い。あたしが見るより早いし分かり易いからそっちのほうが助かる」


 副長として団をまとめるだけで無く、副官としての役割もこなすホウセンにミムは頭を下げるしか無い。
 ホウセンが書類を分別し、回す量を調整してくれているので、戦闘専門の自分がどうにか団を率いていられるというのがミムの自己分析で有り。おおよそ間違っていない。


「今のところ本人発見の報告は無い。ここ数ヶ月の行動で新たに判明したので特筆するなら、一人の女性鍛冶師の作ばかり調べていたというのがあるな。『珪石のミロイド』という名に聞き覚えはあるか?」


「珪石氏族のミロイド……知らないわ。7工房じゃないでしょ。どこの所属?」


 仕込んだので礼儀作法や言葉遣いは大分ましになったが、他人には基本的な部分では無関心の弟が興味を示すのは7工房の主立った鍛冶師ばかりだ。
 そこらの顔ぶれはミムも把握しているが、その女性鍛冶師の名に覚えは無かった。


「独立系鍛冶師で、7工房採用本試験常連組らしい」


 エーグフォランに生まれたドワーフ鍛冶師の大半にとって、7工房入りは悲願であり、最大の名誉であるといって良い。
 毎年募集が行われて、数百人の鍛冶師が本試験を受けるが、多い年でも採用されるのは2、3人。採用者0という年も珍しくない狭き門だ。


「大手工房所属じゃ無くて独立系か。独自技術はありそうだけど、本試験常連組なのにティルの奴が興味を持つ技術でも持ってたの?」


 本試験常連組とは、7工房採用本試験への参加条件である予選選抜を毎年くぐり抜ける高い技術を持つ一流の鍛冶師ながら、本試験を通過できない鍛冶師達を指す言葉だ。


「良くも悪くも一流の鍛冶師だな。基本に忠実であり信頼性の高い武具作成者という評判だったそうだ」


 7工房に属する鍛冶師とは、高い技術力は当然であるが、それ以上に重視される採用条件がある。
 それは突き抜けた1を。
 どれだけ独自の発想、技術を持つかということだ。
 他者には真似できない1つの世界を作り上げる者。
 それがエーグフォランが誇る7工房の鍛冶師達といえる。 
 裏を返せば、突き抜けた変人、変態技術集団といってもいい際物揃いというのがミムの正直な感想で有り、その中でも極めて一番の際物が弟だというのが頭痛の種だ。
 そんな弟が心を引かれるのも、工主連中を筆頭にした突き抜けた鍛冶師の作ばかりだ。


「普通ん一流にかな子が興味を示すなんてけったいな話どすなぁ。それと旦那さんやったっちゅう過去形ん理由はなんどすか?」 


 ティルの正体を、その危うさを知る煌も、ホウセンの話に違和感を覚えたのか、作業を続けながらも話に加わる。
   


「この鍛冶師も行方不明になっている。こちらはミムの弟と違い完全に失踪しているそうだ。失踪時期は約半年前で彼女が使っていた工房が不審火で焼失したが、本人と連絡が取れなくなったそうだ。現場から遺体は見つかっていない」


「……一気にきな臭くなったじゃねぇか。爺ども絶対に隠してやがったな。失踪理由は? なにか犯罪絡みとか」
 

 ミムは呪詛をこめた呻き声をあげる。
 半年前という被った失踪時期。そして弟が調べていたという武具。
 これで関連を疑うなというのが無理な話だ。
 そして半日ちょっと調べただけですぐにわかる事実を、工主達が知らないはずが無い。
 あの中の誰か。もしくは全員がティルの行動を把握して、黙認、もしくは支援していたと見た方が良い。


「男絡みの話やら、失踪直前の本試験で失格になった等、考えられる要因はいくつかあるが、本命は倉庫荒らしの噂だな」


「倉庫荒らしってまさか……廃棄倉庫?」


 廃棄倉庫といえば、よくそこに潜り込んで、失敗作やら未完成品を持ち出して、研究や改修をしている武具馬鹿もとい弟の存在。
 どうにも嫌な予感がしたミムは外れていて欲しいと思いつつも、半分諦めた気持ちで続きを促す。


「あぁ。後々の調査で判明したが、前回採用本試験前後に、7工房の廃棄品一時保管倉庫のいくつかが荒らされていたようだ。持ち出されたのは新規技術試作剣や、耐久特化鎧等各種諸々だが、正式採用に至らない失敗品ばかりで正式なリストが無くて、無くなったのも大体で大箱4,5箱くらいと正確な数が判らないそうだ」


 普通なら廃棄品といえどそんな大量に無くなれば大騒ぎとなりそうな物だが、管理が都雑な者が多い7工房の場合は、使えないと思った物や、意図と外れた品をまとめて捨てていく者が多すぎて目録管理などされていない。
 普段は関係者以外立入禁止区域だからという安心感もあるせいだろうか。
 だが本試験中は、試験関係で普段より出入りが増え、自由課題用に自前の大型道具を持ち込む受験者もいる。
 他の荷物に紛れ込ませて持ち出されても気づかない可能性は十分に考えられた。


「状況さかい見るとその女鍛冶師が倉庫荒らしん犯人か、協力者ちゅうことでっしゃろか?」 
 

「第一容疑者と怪しんでいるそうだが、本人が行方不明で手詰まりになっている。武具を売るためか、それとも来期試験に向けて研究用に持ち出したのか。考えられる事はいくつもあるな」


「あの馬鹿……まさかその鍛冶師に協力して新型武器でも作ってるんじゃ無いだろうな。あぁでもそれだとそいつの作を調べてた説明にならない……なんか胃が痛くなってきた」


 疲れたらそこらの空き木箱で眠る習性がある弟が、品あさりの途中で廃棄倉庫で眠りについたことが過去に何度かあったことを思いだし、ミムはどうにも嫌な予感が加速度的に高まっていき、机に突っ伏す。
 状況は良くない。
 どうにも嫌な予感がする。
 弟の本質は鍛冶師。
 武具を求める者がいれば、武具を与えようとする。
 そこに善悪など無い。
 平気で倫理をはみ出してしまう。
 今はかろうじて人の世を歩んでいるが、それだってミムが何とか躾けてきたからだ。
 だがそれだって薄皮のように頼りない物。
 武具が関わればあの弟は、あのまますぐに化け物に変わる。
 弟は化け物だとミムは知る。
 鍛冶師としてしか生きていない。
 人間の身でありながら、ドワーフを凌ぐ勘の良さを持って、ドワーフに遥かに劣る寿命を埋めるように、一心不乱に鍛冶師として生きている。
 その生き方が異常だ。
 あの探求心が化け物だ。
 あり得ない存在だ。
 だが……だがだ。
 だからこそだ……上手く育てば最高の鍛冶師になるという確信がある。
 ミムの本質は戦士。
 だからこそミムもまた武器を求める者。
 ティレント・レグルスという存在を初めて知った時から魅了されている。
 しかし鍛冶師ティレント・レグルスはミムを見ない。
 正確に言えば、自分はティルにとって姉代わりという特別な存在となっても、鍛冶師としてのティルの特別にはならない。なれないと判っている。
 鍛冶師としての本能に目覚めているときのティルには、全てが同一なのだと知っている。
 武具を求める者は全て同一。
 そこに特別な存在などいない。
 相手が身内であろうと、
 他人であろうと、
 聖人であろうと、
 殺人鬼であろうと、
 戦士であろうと、
 狂人であろうと、
 自らの仇であろうと、
 自らを仇と恨む者であろうと、
 武器を求める者にすべからく武器を与える。
 そこには一切の妥協も、躊躇も、迷いも無い。
 己の全身全霊、全てを賭けて、武具を生み出す。
 だからこそミムには怖い。
 ティルには武器を作るという一点でしか執着心が無いと知るからだ。
 先を見ない。見る必要が無い。
 今最高の武具が、剣が作れれば、それで満足してしまう。
 もしだ。もしもだ。ティル自身の心臓が最高の武器素材となるならば、弟は平気で心臓を抉り出すだろう。
 心臓が無くとも剣を打つためにその身体を無理矢理に動かし、そして打ち終えると共に死んだとして後悔など一切しない。
 鍛冶師としての本能の目覚めたティルにとっては、武具の、剣の前では、この世の全てが、他人も、己さえも無だ。
 剣しかない。
 剣だけだ。 

   
「とっとと見つけないと仕事にならない。ティルの奴……姉ちゃんに心配かけさせてただですむと思うなよ」
 

 悪い方向に進む焦燥感が募り机にパタンと倒れ込んだままミムは怨みごとをこぼす。
 考えれば考えるほどこのまま大人しく書類仕事をしている場合じゃ無いという予感がする。
 今この瞬間にも弟が何かやらかすのではないかと、上級探索者としての勘が警鐘を鳴らしていた。
 そしてその予感はあながち外れていなかった。
 ミムが呪詛の声をあげる横で煌の胸から下げていた通信魔具が、最優先連絡状態で稼働する。
 それはレグルス本家に向かっていた娘のクレハからの緊急通信だ。


「クレハ。緊急通信って何やおましたか?」


 すぐに魔具を起動させた煌が声をかけると、慌てふためくクレハの声が響いてくる。
 一方的に話すクレハの報告を聞き終えた煌は手に持っていた書類をパタンと閉じた。
 これは今日はもう仕事にならないだろうと諦める。 


「ミムはん。ええ知らせと悪い知らせどす。レグルス本家にむかっとった婿はんとクレハが弟はんを発見どしたそうどす。そんで……件ん鍛冶師ん死体も発見しもたそうどす」


 珍しく言いよどんだ煌の言葉に、ミムは少しだけ顔色を変える。
 ティレント・レグルスと死体。
 最悪の組み合わせだ。
 その意味を知る三人の空気が変わる。 


「煌……死体の状況は?」


「今しとつ要領は得まへんが、クレハん話ほなそん鍛冶師ん死体を剣にしよけとしたはるそうどす。しかもそん鍛冶師の相槌を打つそうどす」 


 動向不明だった弟が、行方不明となっていた女鍛冶師の死体を剣にしようとしている。
 そこまでは理解したくないが、理解は出来る。
 だがその死んだ女鍛冶師の相槌で、剣を打とうとしているとはどういう意味だ。
 クレハの報告では死んだはずの女鍛冶師が、自分の死体を、自分で剣にしようとしているという事になる。
 まるで意味が判らない。
 判らないがミムには考えるまでも無い。
 弟がまたやらかしやがった。
 それしか無い。


「ミム。どうする? 少しならこっちは俺が引き受けておくぞ」


 ここで作業を中断しては後々大変にはなるが、そちらを放置することも出来無いとホウセンが気を利かせて、ミムに促す。
ドワーフ鍛冶師にとって、鉱石に限らず、この世の万物が武具の材料になる。
 その事をミムはよく知っている。
 ミムだけでは無い。
 出雲夫妻もよく知っている。
 かつて人を持って最高の武器を作ろうした鍛冶師と対峙したことがあるからこそよく知っている。
 人すらも剣としようとするその業を。
 決して戻れない禁忌を。

 
「レグルス本家に殴り込みかけてくる。ホウあとは任せる。煌は付いてきて。場合によってはティルの奴を今度こそ殺すしか無いから。その魂魄まで……そういう約束だから」


 ゆらりと立ち上がったミムは、横に置いてあった愛用の大槌を掴むと一度軽く素振りをし、最悪の場合は弟殺しの覚悟を決める。
 もし弟が”また”同じ道を歩むなら、自分が責任を取る。
 かつて交わした約定をミムは思い出していた。



[22387] 見習い鍛冶師と女性鍛冶師
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/03/11 00:33
「…………すか!? ……罪行為ですよ!?」


 女性の怒鳴り声に眠りを妨げられ、すやすやと寝息を立てていたティレント・レグルスはゆっくりと目を開く。
 しかし周りは真っ暗でなにも見えない。
 さてここはどこだっただろう?
 寝起きの所為か、それとも眠りが足りないせいだろうか、眠りにつく前の記憶がいまいち不明瞭だ。
 基本的に疲れ果てて立ってられなくなったから眠るというのが、不健康きわまりないがティルの生活リズム。
 覚えることはたくさんあり、試したい技術、習得したい技はいくらでもある。
 睡眠時間が削れるようになればもっと時間を割けるのにと思いつつ、周りに手を伸ばしてみる。
 つなぎ目のある固い木の感触。
 大きさや作り、使われている釘の形状。
 廃棄倉庫で使われている、防火、耐衝撃処理のされた特殊木箱だとすぐに気づく。
 そういえば眠くなる前に廃棄倉庫に剣を探しに来たことを思い出し、次の回収日まではまだ1週間以上あると考え、ティルは安心してもう一度寝ることにする。
 前に寝ていたときに、処理日に気づかず他の廃棄処理箱と一緒に溶鉱炉に投げ落とされそうになったので、『危険な場所で寝るな』と姉から禁止されているが、少なくとも数日は安心だ。
 

「………………」


「っ!? お願いですから止めてください!」


 少し怒鳴り声が気になるが、もっと五月蠅い工房で寝慣れているティルにはさほど問題では無い。
 女性以外にもう一人いるようだが、相手の声は小さくて聞き取れず女性の声が聞こえてくるだけだ。
 激怒しているのは声だけでも判るが、その声には聞き覚えは無い。
 興味も持てない内容なので退屈なのか、すぐに眠気が首をもたげ出す。
 
  
「今ならまだ事故や手違いで誤魔化せるかもしれません。すぐ官吏に連絡してっがっあぁぁっ!?!?」   
 
 ティルの耳が言葉にならない苦悶の悲鳴に混じり聞こえてくる刃物の音を鋭敏に捉える。
 肉を突き刺し骨に当たる。
 さらには突き刺した傷口を力任せに抉っている。
 刺されたらしき女性が直前まで普通だった。
 それと最初の鋭い音から推測するに、形状は携行性に優れる細く尖ったスティレット系。
 護身用とはいえないので、最初から殺傷目的なのだろう。
 だが使用者の腕が悪い。骨に当てて先端がかけた可能性が高い。
 熟練者の使うスティレットなら骨を避け一撃で心臓を貫き、こうも無駄に悲鳴を上げさせることはない。
 それに傷口を抉る真似もティルには感心できない。
 スティレットは突き刺して使う物で、一度で殺せないなら、何度か突き直せば良いのに、そう抉ったら刀身が歪むし、下手すれば折れる。
 もし壊れたなら修理させてくれるだろうか?
 木の板一枚隔てたすぐ側で殺人行為が行われていても、ティルの頭を占めるのは武器だけだ。
 刺された人物も、自分の安全すらもティルの脳裏には無い。
 武器の状態が気になってしょうが無いティルはそっと蓋をずらして外を覗いてみる。
 そこはティルの知っている倉庫では無い。
 どこかの工房のようだ。
 炉と作業台、各種工具とありふれた基本的な作りで、どこかまではティルには判らない。


「ゲホッ!? な、なんで、わた、私は……あ、あなたと一緒に」
 

「毛の生えた樽が、ちょっと女扱いしてやっただけで勘違いしてもらっては不愉快だ」


 逆光でその姿は良く判らないが倒れたドワーフ女性の前に立つのは、高い背丈、何よりドワーフを侮蔑する樽呼びから別種族の男性のようだ。
 吐き捨てるように侮蔑を投げつけた男が手に持つスティレットは血にまみれ赤黒く濡れ、ランプの光で怪しげなきらめきをはなつ。


「大体だ。今時魔具としての機能を1つも持たず、殺しきれない剣しか打てない鍛冶師に、私が価値を見いだすと思われるのはこの上ない侮辱だな。君の剣など、手に入れた7工房の武具の前ではゴミくずだな」


 男がスティレットを投げ捨てる。
 先端に欠けは無し。刀身の歪みも見られない。
 単純な作り故に制作者の腕が素直に出る作品は、高い純度の正当技術で作られた品だ。
 昨今の流行は、突き刺した瞬間に確実に致命傷を与えるために、魔具としての側面を持たせた物が多い中で、あえて純粋な武器としている辺りティルは好感を覚える。
 しかし使い手はいただけない。
 せっかくの名剣なのに使い方が悪い。
 ドワーフは男女の違いなく岩のように固い皮膚と筋肉で守られている。
 素人が刺そうと思ってもそうそうと刺せるわけは無い。
 だがあの短剣はそれを成し遂げた。
 刺す箇所さえちゃんと判っていれば、一撃で仕留めていた。
 あの剣を捨てるなんて勿体ない。
 それにだ7工房の武具が素晴らしいという発言に異論は無いが、状況から見てティルと一緒に廃棄倉庫から持ち出した品のことを素晴らしいといっているならば、大間違いだ。
 あの倉庫に捨てられた品は未完成や失敗作ばかり。
 完成されたスティレットと比べるまでも無い。
 ちゃんと言ってあげるべきだろうか?
 そんないかれた事を考えていると、瀕死の女性が最後の力を振り絞ったのか懐から何かを取り出す。 
   

「や、やらせ……わた……鍛冶師の……ほ、誇りま」


 女性が血にまみれ穴の空いた小袋を取りだし床に投げつけると、小袋から銀色の粉が散乱した。
 粉の正体に気づいたティルはいそいそと耐熱服のフードを被り箱の中に戻る。
    

「何の真似……っ!? くそ! 火が!? ちっ!?」


 初めて男の焦る声が聞こえて、急いで逃げ出すドタバタとした足音が聞こえてくる。
 女性がばらまいたのは高温炉着火に使われるドワーフの秘薬。
 金属片を混ぜ合わせたそれは、僅かな熱ですら瞬く間に着火し、大量に用いればあらゆる物を焼き溶かす高温を生み出す。
 どうやら粉を撒き散らかしてランプの熱で着火させたようだ。
 しばらく待ってからティルは蓋を取り去り、箱から出てみると、既にそこら辺りが火の海になっていた。
 普通なら慌てるような状況だろうが、ティルが着込んでいる耐熱服はそこらの一般品と素材も作りも違う。
 火山の火口内を住処とする火龍の皮膚を用いたその完全機密服は一切の熱を通さず遮断し、さらにはティルの本当の体格を誤魔化すために四肢を太くし、その部分に生命維持機能をこれでもかと詰め込んだ姉からの贈り物。
 溶鉱炉に落ちても命には別状が無いようにと作られた耐熱服を用いて特殊素材加工でしょっちゅう高温炉の中に篭もっているティルは、落ち着いた様子で荒れ狂う炎の中を見渡す。
 すぐに目当ての物を発見する。
 床に倒れ込んだドワーフ女性。
 髪や髭は高温の火に焼かれ瞬く間に燃え尽きているようだが、体の方はティルと比べ格段に物は落ちるのだろうが、耐熱服に守られている。
 だが倒れ込んだ女性では無く、その側に落ちていたスティレットにティルの目は注がれる。
 熱で歪まないうちに保護しなければと、ティルは足早に掛けよりスティレットを手に取り、そのまま観察する。
 あぁ。うん。良い作りだ。丁寧で基本に忠実。
 ティルとしては学ぶべき目新しいところは無いが、それでもこの剣に感心する。
 燃え広がる炎の中だというのにティルは剣に見惚れる。
 なぜならティルは鍛冶師。
 剣がそこにあるのに他に何を見るというのか?
 他に何を考えろというのか?
 どこまで人として歪み狂い、どこまでも鍛冶師として純粋無垢。
 その狂った正しき鍛冶師であるが故に、鍛冶師はティルに惹かれる。
 己の全てを託せる存在として、己の超えられぬ道を行く者として。
 希代の名工達が、誇り高きドワーフ鍛冶師達が、認める、認めざる得ない。
 それは瀕死の、すぐにも事切れる鍛冶師だとしても変わらない。
 いや消え去るからこそ残したいと思う。
 己の力を、己の夢を、己の執念を。


「……っぁ……ぁ………」
    

 ぴくりとも動かなかった女性鍛冶師が、最後の、最後の力を振り絞る。
 己の残った全てを振り絞り剣を掴むティルの腕に手を伸ばし、刀身に触れた。
 喉さえも炎に焼かれたのか声になら無い声をあげ、瞼が焼け、醜く焼け焦がれた眼球から血涙を流しながら、無念を、己の執念を魂にのせ告げる。
 それは刃を通してティルの心に刺さる。
 だがティルの心に浮かぶのは同情でも、憐憫でも、恐怖でも無い。
 ティルが受け取るのはただ1つの思い。
 剣を求める心のみ。
 この世の全てよりも剣が勝るティルにとって、剣こそがこの世で表す唯一無二の感情にして声。
 剣を求める者がここにいる。
 ならティルが反応しないわけが無い。
 しなければならない。
 全てを一振りの剣に。
 ここで生まれ、終わった物。
 全てを剣に。
 

「剣がいりますか?」 


 スティレットから目を離したティルは、初めてその女性鍛冶師の目を見て、いつも通りののんびりとした声で問いかける。
 女性は答えない。答えられない。
 既に事切れていた。
 だがそれでも判る。
 最後に触れた刃からその人が望む物を。願う物を。
 ティルはスティレットを懐にしまうと、その名も知らぬ女性鍛冶師の遺体を担ぎ上げる。 鍛冶仕事で力作業に慣れているティルは、ふらつくことも無くそのまま炎の中から脱出するために出口へとむかって歩きだした。 
使い手が事切れてしまった。
 ならどうするか?
 考えるまでも無い。
 剣を用意するだけだ。
 それしか出来無いのだから。














 レグルス本家。地下通路の奥にある大規模工房。
 上層部が占拠されるなど非常時に用いる予備工房として建造されたが、幸いにも未だ一度も使われていない工房。
 その中央に置かれた作業台周辺に数人の人影があった。
 クレハ、ノルンのティル探索組と、発見と異常事態の一報を受けて急行したミムと煌。この騒ぎの元凶であるティル。
 そして中央の作業台に固定された女性ドワーフの遺体。
 遺体には無数の刻印が刻まれた金属片があちらこちらに埋め込まれている。
 さらには死んでから半年近く経つのに、まるでついさっき死んだかのように生々しい刺し傷と、顔の原形をかろうじて留めるくらいに焼けただれている。
 だが何より異形なのはそのむき出しになった腹だ。
 僅かに膨らんだ裸体の腹にはいくつものチューブが差し込まれ、そこだけはまるで生きているように胎動をしている。
 異形な死体を前にどうにも気味の悪い顔を浮かべる娘組とは違い、ミムは堅く、煌は困り顔を浮かべている。 
 

「なにがあっても僕は剣を用意します。それだけですよ姉様。いつものことじゃないですか」


 詳細事情説明を求めるミムの詰問にたいして、きょとんとした顔をして淡々と告げたティルがそう締めくくる。
 何故そんな基本を聞かれているんだろうと、首を捻っている。
 いつも通り。そういつも通りだ。
 弟は求める者がいれば、誰にでも武具を用意する。
 無論まだ見習いであるティル本人は打てない。ミムも打たせないが、ティルは手持ちにある手を全て用いて、武具を用意する。
 いつも通りだ。いつも通りすぎる。この異常な状況下でもだ。


「……それでこの女がその鍛冶師なのかティル」  


「はい。珪石氏族のミロイドさんというそうです。爺ちゃんが調べて教えてくれました。おかげで助かりました」

 
「あ、あの爺。孫になんて仕事やらせてるんだよ」 


 知らぬ存ぜぬという顔をしていたが、やはり関わっていたか。
 ミムは怒りで拳を握りしめる。
 当然だ。当たり前だ。レグルス本家の地下工房への鍵を持つのは当主であるゴルディアスだけだ。
ゴルディアスだけでは無い。
 ほかの7工房工主達が結託すればティルの行動を黙認、他の者に知らせない事なんて造作も無い。


「他の爺、婆どもはこれを知ってるのか?」


「はい。ご存じですよ。大作業になるだろうから、しばらくこちらに専念しろって。色々必要な道具とか技術を教えてもらいました」


 基本的にミムは自分には嘘をつかせないようにティルを躾けてきたから、ティルは素直に喋る。
 元々その狂いっぷりは別として、裏表が無い性格だから嘘をつくという考えがあるのか微妙なくらいだ。


「全員がグルどすなぁ。事情を考えればしゃあないかも知れまへんが。こんおなごはんん名誉を守るために秘密裏に処理しよけちゅうことでっしゃろね。むちゃ真面目にええ仕事をしいやおいやした鍛冶師はんのようどす」


 煌がため息とともにミロイドの遺体へと哀れみの目を向ける。
 ティルの証言が真実ならば、このミロイドという女性鍛冶師は騙され、利用され、無残に殺されたことになる。
 この女性が死の間際に抱いた、覚えた憎悪や無念が煌にはよく判る。
 それら怨念ともいうべき暗い情念を煌達鬼人種族は術の核として用いるからだ。
 煌の血を受け継ぐクレハもこの遺体が纏う暗く重い念を感じ取り、吐き気を堪えようと青ざめた顔で口元を手で覆っている。


「クレハ。気持ち悪いんなら外に出てもええよ」


 探索者家業で中級探索者ともなれば、遺体も見慣れているだろうが、それとは質の違うこの暗い念と、ティルの作業の禍々しさにやられてしまったようだ。
 

「へ、平気や。おかーちゃん」


「団長。弟さんの話では後は打つだけだったそうです。それで彼女は剣になると。その全てが剣として成り代わるそうです。具体的には……」


 全然平気に見え無いクレハの横で、その身体を支えているノルンは、先ほどかかったトラップのダメージからまだ完全回復はしていないが、それでも職務をこなそうとティルの説明を補足していく。
 ティルが用いるのは、己が魂と、素材の魂を熱として用いて、生体と金属を混合しこの世で唯一無二の武具となすドワーフ鍛冶師のエーグフォランの秘奥中の秘奥。  
 その為の下処理が全身に打ち込まれた金属片であり刻印だという。
 秘奥中の秘奥をそう簡単に披露して良いのかと思うが、ティルの祖父曰く、見ただけで真似できれば秘奥とはいわないとのこと。
 見て、学んで、実戦して、それでも俗人には出来無いからこそ秘奥。
 ティル自身も少し前に、龍の肉体とおぼしき一部を用いた大剣で相槌をうち、コツを掴んだばかりの技術となる。
 ティルの話。
 そしてノルンの補足説明を聞き終えて、ミムはしばし口を閉ざし、考え込む。
 人の死体を、その無念を用いて唯一無二の剣を打つ。
 かつていた鍛冶師が踏み込んだ禁忌と同じ行為。
 だが昔とは、ティルが知らない昔とは、事情が違う。違うはずだ。
 望まれずに打たれる剣では無く、望まれ打たれる剣。
 僅かだか違う。しかしその僅かが怖い。
 ほんの少し箍が外れるだけで、弟が弟で無くなるそんな恐怖がミムの中にはある。
 だが同時にティルの成長のために、この仕事が必要だというのも判る。
 判ってしまう。
 ティルを真っ当な鍛冶師として進ませるためには、例えどれだけ邪道であろうとも人に望まれ初めて剣を打つという、基本にして絶対的なルールを染みこませなければならない。
 ティルが己の望むままに剣を打たないように。打たせないようにする為には。
 

「……ティル。事情は判った。でも姉ちゃんあんたが剣を打つことはまだ認めないっていったよな。どうする気。この鍛冶師の相槌を打つっていったそうだけど」


 だからあえて問いかける。
 もしそれでも自分が打つというなら、殺すしか無いという覚悟をもって。
 そんなミムの心配も決意も、この狂った天才は軽く凌駕する。


「はい。姉様との約束ですし、僕も腕を折られたりしたくないからあくまでも相槌ですよ。その為にミロイドさんの作品をたくさん見てきました。ハンマーは僕が打ちますけど、それは僕だったら打つ場所では無く、ミロイドさんの打つ場所を予想して打ちます。普通ならそれじゃ出来ませんが使うのがミロイドさんの身体で、身体に残留した思念があるから何とか出来ます」


 ティルはあっさりと無茶苦茶な答えを口にだし笑ってみせる。
 邪気の無い純粋な、それだからこそこの場で異様に見える笑顔だ。


「ち、ちょいまち!? なんやのそれ!? あんた一人で死んだ人間の模倣もするっちゅうんの!? しかもあんたのよお知らん人やろ!?」


「はい。さすがに知らない人の作業を予測するのは、苦労しましたけど大丈夫です。僕が、僕達が今から仕上げるのは紛れもないミロイドさんの作です」


 クレハのあげた悲鳴めいた疑問の声にもティルは気負いの無い笑顔で応える。
 それは難しい宿題を解けた子供が見せる嬉しさの笑みだ。
 その笑顔でミムは悟る。
 弟を止める事は出来無い。もうやる気になっていると。
 

「……ティル。後で説教がたくさんあるから、とっとと仕事は終わらせろ。姉ちゃん忙しいから」


 止まらない天才をどうすることも出来無い無力さを感じながらミムは近くの椅子を引き寄せドカッと腰を下ろす。
 その一挙手一投足まで見逃さないようにと作業台へと目を向けた。


「怒られるのはちょっと嫌なんですけど」


「ミムはん。よろしいのどすか? ちびっとわやがすぎる気がしますやけど」


 姉の言葉に泣きそうな顔を浮かべるティルを見つつ、さすがに煌も無茶がすぎると思ったのかあきれ顔を浮かべながらミムの横に座る。


「ティルがやるつってんだから、あたしや煌でも見るだけしかできないでしょ。ティル。姉ちゃんとの約束。最高の遺作にしてやって。それなら説教は半分にしてあげるから」    
 
「それ僕にとって何も変わらないんですけど。何時も最高の物にするだけですから」


「グダグダ言うなら拳骨プラスするよ。それくらい怒ってんだよ姉ちゃんは」


 無くしてくれるならともかく半分じゃ意味が無いと嘆くティルにミムが拳を振り上げてみせると、ティルは渋々といった感じで頷いて、作業台の横へと戻った。


「お前らもこっち着て座ってろ。そこにいるとティルの邪魔になる。クレハは無理なら先に帰ってもいいけど、ノルンはどうする? その剣。ティルが手を入れた品だろ」


 その作業台の横で唖然としていたクレハ達をミムを手招くと横の椅子と出口を指さし、最後にノルンが抱えていた長剣に指を向ける。
 むき出しの刀剣をノルンがしっかりと抱えている様でミムは気づく。
 詳しい事情はともかく弟にやられたなと。
 ノルンが剣を求めているとそれだけで理解が出来た。


「……私は見せてもらいます」


 一見人の遺体を弄ぶような行為。 
 神官でもあるノルンは眉を顰めるべきなのだろうが、どうしてもそれが出来ずにいた。
 禍々しいまでに遺体を弄るティルの作業が、それなのにひたすらに丁寧で、ある意味で尊厳をもって行われている。一流の仕事だと感じてしまったからだ。 


「ノンちゃんが残るならうちも残るけど……団長もおかーちゃんもええの? えらいえぐい真似しとるけど。あのお腹ん中って……」


 不承不承だが残ると宣言したクレハは椅子に腰掛けながら、作業台の上に寝かされたミロイドの腹部を指さした。
 不自然というべきか。それともある意味で自然というべきか。
 その腹は胎児を抱える妊婦と同じような膨れ方をしている。
 無論他の誰もが気づいていた。だがあえて口に出していなかった。
 彼女は死んだ人間。その腹の中に何がいても、もう終わってしまったことなのだからと、


「あ、はい。正解です。ミロイドさんのお子さんがいますよ。他に付き合っていた方もいないそうなので、殺した男性とのお子さんのようです。おかげで標的を絞る機能をつけられるようになりました。殺した方に全ての想いだけをぶつけるだけの剣。それがミロイドさんの最後の剣となります。ただ材料にするには亡くなってましたし、まだ小さかったので、死霊術で少しだけミロイドさんの肉体を操って大きくしてます。おかげで数ヶ月も時間がかかりましたが良い材料が揃いました」


 だが狂人はあっさりとその禁忌を饒舌に口にする。
 生まれることが出来無かった遺児を、その父に報いを受けさせるための、剣の材料にすると。
 何のことは無いと、シロップを甘くするために砂糖を入れる。
 当然の事とばかりに。
 

「お……おかーちゃんがゆうてた理由これか?」


 ティル捜索に赴く前に言われた忠告を思いだし、どうにも渇く喉にクレハはゴクッと唾を飲み込む。
 この怪物に飲まれたら狂うという意味を、クレハは目の当たりにする。
 


「せや。こんでもまだ軽いんやけどな」


 生きている人間を、自分の妻子孫、仲間を使わないだけ、まだ昔よりマシだ。
 クレハからの問いにそう答えつつも、心の中で思った煌がミムを見る。
 そのミムは辛そうな耐える表情で弟の作業を見守っていた。



[22387] 見習い鍛冶師と情婦
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/03/13 03:02
 息をゆっくりと吸い、吸った時間の倍ほどかけてはき出す。

 目に映る素材を前にはやる心を落ち着かせ、打つべき15万2421の行程を頭の中に描き出す。

 ドワーフならば金属の声を聞き、流れに合わせ、止まること無く打ち上げる。

 ティルは違う。純粋な人間種であるティルには金属の声を聞くことは出来無い。

 だが打ち上げる。

 寝食以外の全ての時を鍛冶に掛け、膨大な経験と学習に基づく知識と勘を持って、ドワーフの特殊能力に並び、いや凌駕する。

 全ては胸の奥にある渇望ゆえ。

 武具を作りたい。剣が作りたい。ただひたすらにそれだけだ。

 それ以外いらず、それ以外に見る物は無い。

 だからこそ届く。

 だからこそ行き着く。

 もう一度息を吸いつつ、右手に持った愛用のハンマーを軽く握り直す。

 心身共に充実した状態。

 だがあえてそれらを一度捨てる。切り変える。

 今から主槌を打つのは自分ではない。

 白銀のレグルスではない。

 珪石のミロイドだ。

 ミロイドの作り上げた武具を見て、分解し、組み直してを、この半年間飽きること無く繰り返してきた。

 その技術。その理念。その思想。

 ミロイド個人は判らずとも、鍛冶師ミロイドは判る。

 見習い鍛冶師ティレント・レグルスには判る。

 死んだ鍛冶師の槌が打てる。

 振り上げた槌を、横たわったミロイドの遺体に、最後の剣となるべき素材の中心へとゆっくりと槌を打ち下ろす。

 中心に埋め込まれた金属片と、槌が噛み合った瞬間に澄んだ音が工房内を軽やかに奔る。

 まるで鈴の音のような心地よい音こそが、ミロイドの魂が奏でる音。

 身体に残る残留思念。

 そしてミロイドの意思が込められた武具を解体して作った刻印金属を反応させて、本人が打つ槌と変わらない意思を生み出す。

 そこにティルの魂は一切込めない。

 込めてはいけない。

 ほんの一欠片でも混ざれば違う物になってしまう。

 だから無心で槌をゆっくりと動かしながら、しかし止まること無く身体のあちらこちらに埋め込んだ刻印金属へと次々に打ち下ろしていく。 

 打楽器を演奏するかのように軽やかに槌が踊り、余韻を残しながら音が奏でられる。

 やがて長く響く余韻が一続きの音となるころに、ミロイドの遺体に異変が発生する。

 硬直し固まった遺体の皮膚に埋め込まれた金属片が、響く音に弾かれるかのように微細な振動を初め、その振動に合わせ、身体の表面が波立ち波紋が広がった。

 あちらこちらで発生した波紋が、ぶつかり、混ざり、絡み合い、徐々に光を放ち始める。

 遺体の全身が淡く発光し始めた瞬間にティルが動く。

 本来の技を思い出し、普段ののんびりしていた動きとは違う、直線的で電光石火の勢いで槌を振るい、複雑に絡み合う波紋に調整を施し、勢いを押しとどめる。

 その手は止まらない。

 あちらこちらに飛びながらも迷うこと無く、正確無比に振り下ろして、威圧的な甲高い音と共に、波紋を制御し最適解で抑える。

 ティルの相槌によって、金属片の振動が弱まり、波紋が生み出す光が収まっていく。
 するとまたティルの手は、動きを変え、ミロイドの槌へと戻る。

 弱まった振動や、光をもう一度取り戻そうと、また踊るように槌を振るい、全身を打っていく。

 先ほどよりさらに軽やかに、早く。

 光が輝きを増し、波紋が少し大きくなる。

 そしてまたティルが直線的に槌を振るい、威圧的な甲高い音と共に波紋を押さえ込む。

 踊る槌と、機械的な槌が交互に入れ替わる。

 まるで違う槌裁きと、奏でる音により波紋が生み出され、静められ、それを幾度も繰り替えしながら、徐々に徐々に槌は早くなり、音と波紋も大きくなっていく。

 波紋が流れる度に、遺体は少しずつ金属色を帯びていき、別の物へと、剣へと変わっていく。

 エーグフォランの、レグルスの秘奥とは、正確に言えば生物を武器素材とすることではない。

 生物という存在を、武器という存在へと変化させる。

 本質その物を変えてしまう。

 まだその道の入り口に到達したにすぎないティルには遠い領域だが、極めれば生物を生きたまま武具へと、その知性特殊能力を持つ生体武具として、生まれ変わらせる事すら出来る。

 だがその為には、超人的な技量と、何よりも強靱な意志が必要となる。

 それは生物が生物であることを否定し、生物が武具であるという偽りを真実だとするほどの意思。

 その物のみならず、世界にすら、誤った理を、真なる理と認めさせるほどに、突き抜けた意思の力。

 そこまでいけば生物としての道を半ば外れる。

 狂わなければ到達できない領域。

 だからこそ秘奥。ならばこそ秘奥。

 壊れた者しか行き着けない。

 己の世界を絶対とし、他者の世界を否定し塗りつぶせるまでの、破壊者となって初めてそこへとたどり着く。

 壊れなければ行けない世界。

 壊さなければ見られぬ世界。

 故に到達できる者は少なく、到達に至る道も誰も示さない。師事しない。

 誰が好きこのんでそんな修羅道へと落ちるというのか?

 しかしここに例外がいる。ただ1人の例外がいる。

 他ならぬティルだ。

 ティルは壊れている。

 最初から世界が武具でしか剣でしか無い。

 最初からその世界を見ている。

 最初からその世界で人に語りかける。

 圧倒的な、狂信的な、暴虐的な意思を持ってその狂った世界を持って、何の気負いも無く他者の世界を浸食し塗り替える。

 そこに意思はない。

 考えはない。

 私欲は無い。

 ただあるがまま、ティルがティルである為に、他者を踏みにじり、破壊し、変わらせる。
 だからこそティルが槌を打てば世界は変わる。

 エーグフォランが生み出した、最高にして最悪の鍛冶師『狂綬』から生み出され、『狂綬』へと至らぬかった故に自己に絶望し滅びた魂。

 その魂の抜け殻から生まれたティレント・レグルスとは、変える者で有り、中身を持たぬ者。

 故に他者の槌を振るえる。

 故に他者の相槌として、至らぬ者を、至る世界へと導ける。

 故に鍛冶師として、最高の資質をもちながら、未だ独り立ちできない。

 ティルにとっては鍛冶師という職業は、何かを成し遂げる手段では無い。

 生き様であり、本質。

 目指すべき道も、目標も無いまま、ティルは槌を振り続ける。

 ただ息をするように。

 ただ心臓を動かすかのように。

 それが存在意義であり、存在理由。

 己の存在である鍛冶師としてのみ、ティルは存在する。

 なにも顧みない。

 なにも止められない。

 激しく入れ替わる槌の動きで、腕が悲鳴を上げ、槌から伝わってくる衝撃で強く握りしめた指の皮膚が裂け、爪にヒビが入っていく。

 一降りごとにその顔色からは血の気が引いていき、青白く変わっていく。

 だがそれは当たり前だ。

 今ティルが打ち込んでいるのはただの槌ではない。

 己の存在。己の命その物。

 珪石のミロイドというドワーフを、自らの命を持って打ち負かし、珪石のミロイドという名の武具へと変化させる。

 1つの生命を変化させようとするのだ。ティル自身も命をかけなければ成し遂げられない。

 一歩間違えれば、精魂尽き果てればティルも、生きる力を失い死ぬ。

 それを知りながらもティルには恐怖は無い。

 剣を打つ。

 剣を打っているなら自分が死ぬわけ無いと知っている。

 打ち終わるまで死ぬはずが無い。

 死んではいけない。

 鍛冶師が武器を完成させず死ね無い。

 だから鍛冶師である自分が死ぬわけが無い。

 死ぬならばこの剣を打ち終わってからだ。

 あっさりと死線を越える覚悟を決めティルは槌を振るう。

 ただ1人で、二人分の槌を振るい、一打ちごとに死へと近づいていく。

 しかしティルが死へと近づくということは、それは剣が完成へと近づいていく証。

 ならば喜ばしい。この世で最高の祝事だ。

 だからティルの顔に笑顔が浮かぶ。

 一打ちごとにやつれ、生気を失っていき、土気色に変わろうとも、目が歓喜の色に染まり、凄みのある顔へと、10才の少年が浮かべる、浮かべられるはずも無い凄惨な笑顔に変わっていく。

 そこにいるのは、ただの狂った鍛冶師だ。

 誰かが息を呑み、苦しそうに唇をかむ。

 変わってしまう、戻って来られないのでは無いかと心を痛める。

 しかしティルには見えない。

 見ないのではない。見えない。

 事ここに至れば既にティルの意識は無い。

 なにも見えていない。なにも聞こえていない。

 唯々槌を振るう為に、他者の世界を己の世界で塗りつぶすために存在する。

 がむしゃらに、踊るように、一心不乱に槌を振るう。

 ミロイドの槌も、ティルの槌も意識はせずとも、自然と、高速で切り変わる。

 閃光のように煌めく槌が、振り下ろされる度に遺体が大きく波打ち、皮と肉が埋め込まれた金属と同化し、急激に形を変えていく。

 銀色に輝く刀身で出来た一本の剣へと。望まれる剣へ。

 珪石のミロイドの遺作にして、珪石のミロイドという名の剣へと。 
 
 いつの間にか波紋の中心にティルの意図には無い印が浮かび始めている。

 それは神印。

 神が認める力を持つ物へと与えられる印にして、この世で唯一の生きている迷宮『永宮未完』において宝物として存在する事を許された印。

 物を作り、生み出す者なら誰もが望み、渇望する最高の名誉。 

 しかしティルの目にはそれも映らない。

 そんな物は見る価値すら無い。見いだす価値も無い。

 唯々剣を打つ。打つ。打つ。

 自分とは何のゆかりも無い。ただ偶然最後に居合わせた存在を剣とするために、全身全霊を、命の全てを賭けて剣を打つ。

 ティルにとってそれが全て。

 武具を剣を打つことが全て。

 目の前にある一降りのために、全てを注ぐ。

 先のことなど見ない、考える事も無い。

 今一瞬。この剣のみに全てを注ぐ。

 ティレント・レグルスにとって、この世とは今この瞬間はこの剣だけをさす。

 剣しか見ない。

 剣しか考えない。

 剣に全てを捧げる。

 鍛冶師にとっての情婦である剣に己の全てを捧げる。

 だからこそティレント・レグルスは狂っている。

 だからこそティレント・レグルスは最高の鍛冶師となれる。

 だからこそティレント・レグルスは、一度終わった存在でありながら見いだされた。

 己を剣と呼び、剣を求める剣士と共鳴するために。

 もっとも狂った剣士と、共に歩み、高め合い、相対する存在に、もっとも狂った鍛冶師となるために。

















 新規サブクエスト発生

 サブクエスト名『ムゲンの剣』

 最重要因子 復讐ムゲン剣『ミロイド』と次期メインクエスト最重要因子赤龍との邂逅ルートを設定……設定完了。

 クエスト発生時期調整……調整完了
















 ちょっと短いですがティル編はこれで一端区切り。
 あえて会話を一切入れないエピソードで、周囲に一切興味の無いティルの異常性を強調した作りにしてみましたが、そうしたら文章が稼げなかったのが盲点でした……無駄な会話って重要なんだなと改めて認識しましたW
 剣の能力やら、復讐の顛末なんやらはケイス編でいきます。
 次はちょっと作中での時間を一年ほど飛ばして、『始まりの宮編』
 ケイスが探索者となる為に、旧作のメインタウンであるロウガに付いた辺りの予定です。
 その一年の間のエピも色々あるんですが、書いていると何時までも探索者にならないなってのと、基本的にケイスが独特な思考で暴れる、斬る、人助けをするな感じなんで、詳しく書かなくても作中で噂話として出せば想像できるかなと狡します。
 お読みくださりありがとうございます。
 遅筆ですがお付き合いいただけましたら幸いです。 



[22387] 剣士と初めての痛み
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/03/16 22:58
 港湾都市ロウガ。
 大陸中央部を源流とし、東部海へとトランド大陸を貫く大河コウリュウの河口と、緩い曲線を描く半三日月状の半島の根元に位置する、その大都市は、古来より国際貿易港として知られている。
 半島を狼の牙に見立て、コウリュウをその狼の口に例えたという逸話が残っている暗黒時代に滅亡した東方王国時代の名称『狼牙』を今に受け継ぐ。
 海洋貿易、河川貿易の拠点であるという事以外にも、ロウガを表す2つの特徴がある。
 1つはこの街が、近郊に『始まりの宮』と呼ばれる探索者になるための特別迷宮を持ち、数多くの若者が、この街で探索者となり、長く拠点都市として選ぶ探索者の街。
 もう一つは、かつての『狼牙』は暗黒時代の始まりを告げる火龍王が最初に襲来した都市であり、そして暗黒時代の終焉である火龍王が討伐された地でもあった事だ。
 ロウガ近郊の地底カルデラ湖。
 龍王湖の名称で知られる赤龍王が没した地こそが、大陸各地で半年に一度。僅か三日間だけ出現する探索者となる為の試練が与えられる、永宮未完特別区『始まりの宮』の発生地点の1つであった。
 










「ルディアちゃん。次の依頼書とレシピ。抽出をたのむよ」

 
 長い白髪をフードに押し込んだ老婆の皺だらけの手が、持ち込まれたばかりの依頼書と一緒にレシピを差し出す
 御年90過ぎ。お伽噺の老魔女といった雰囲気のある未だ現役薬師である老店長フォーリア・リズンの特製レシピを見て、バイト薬師ルディア・タートキャスは頭を悩ませる。


「このレシピだとさすがに火が足りなくて同時進行ができませんけど、どうしますか?」  


 簡易用調合ランプまで動員したテーブルの上の惨状を再確認し、これ以上は場所が取れないと途方に暮れる。
 薬剤で所々焼けたりシミが付いた年季の入ったテーブルの上には、これでもかとばかりに数十個以上のフラスコやら、ビーカーが並べられ、火に掛けられている。
 ふつふつと煮立つビーカーの中では様々な触媒が入れられて成分を抽出されていたり、また別の密閉されたフラスコ内では抽出した成分を混ぜ合わせたりと、せわしない事この上ない。
 普段ならば薬の誤調合や、取り違いが起きかねないこんな無茶はルディアはしないのだが、今ばかりは背に腹は代えられない。
 ロウガの街は迷宮『永宮未完』の下級迷宮と一部の特別区を除いて侵入が不可能となる自然閉鎖期と呼ばれるこの時期がかき入れ時となる
 始まりの宮前のこの時期は、迷宮へと潜れなくなった探索者達の大半が、街へと帰り、装備を揃え直したり、新たなパーティメンバーを募ったり、解散したりする改変期。
 普段はフォーリア1人でもぼちぼちと回せる下町の小さな魔術薬屋も、バイト助手が必要となるほどに注文が殺到し、てんてこ舞いといったところだ。


「あぁ。それじゃ4と14番。あと18から20番までの瓶を一度下ろして冷却処理に回そうかねぇ。もう一度抽出するのに一手間が必要になるけど、その辺りの薬は一度冷ましてからの方が不純物が沈殿しやすくなって薬効が良くなるんよぉ」


 分厚い眼鏡をクイッとあげてテーブルの上を見回したフォーリアが、それぞれのフラスコやビーカー内の状態を見て、火から下ろせる状態の物を素早く判断して指示する。
 

「はい。4,14、18から20ですね。冷却は東方式の水冷でいいでしょうか?」


 フォーリアの処方はロウガ伝来の東方式。
 一方でルディアの基礎は生まれ故郷の氷大陸式。
 年中雪に覆われたあの地では冷却といえば、火から外した後は逆に下がりすぎないように布などでくるんだりしてあら熱を徐々に下げていくが、温暖な気候で水量が豊富なロウガでは水冷式が主となりその温度管理もまた違ってくる。
 

「そうだねぇ。水冷で5分ごとに3℃下げていってもらえるかい。その後は4、18は35℃。それ以外は28℃で安定させておくれ」


 この辺りの判断や、温度帯の見極めはまだルディアには出来無い芸当。
 フォーリアの指示に従い、瓶を下ろして中身を冷却用容器に移してから、水槽を改良した魔具へと薬瓶を入れて、銅板に魔術文字を刻み込まれた札を入れて魔具に魔力を通す。
 火魔術と水魔術の混合魔法陣がうっすらと輝き稼働を始める。
古びて年季の入った水槽魔具はあり合わせの材料で作られているが、問題無く稼働しているさまに、ルディアは呆れ混じりに感心させられる。
 この魔具はルディアが、トランド大陸中央部カンナビスの街で一年ほど前に出会った魔導技師ウォーギン・ザナドールの作だ。


「しかしこの魔具はよく出来てますね。これで学生時代の試作品っていうんだから……要領よくやってれば今頃中央でバリバリに活躍してたでしょうに」


 ロウガで暮らしていた学生時代に作ったそうだが、作られて20年以上経っても現役な辺り、さすがは自他共に認める天才魔導技師といったところだが、現在その天才魔導技師は、カンナビス事件の余波で地元に戻った今も魔具業界から絶賛干され中。
 カンナビスで別れた後、とある目的が出来て大陸各地を旅をしてきたルディアと違い、ウォーギンは生まれ故郷であるロウガの街に戻っていた。
 ロウガは初めてのルディアは、色々と用事があったのでウォーギンに連絡を取ったのだが、再会して開口一番『飯奢れ。金が無い』だから目も当てられない。


「要領よくやれってのはギン坊は無理だろうね。昔気質の職人気質だから、足の引っ張り合いが日常茶飯事の中央じゃ、やってけないだろうってのは、知ってる連中はまぁ予想してたよ」


 ウォーギンを昔から知っているというフォーリアは笑ってそう断言し、ルディアも納得せざる得ない。
 良い物を作るが納得しなければ、どれだけ売れそうでも没にする。
 基本的に商売っ気が無い上に、致命的に世渡りベタなのだ。
 ウォーギンが干されている理由も、あの事件の後にカンナビスゴーレムに関する研究が、管理協会によって禁止されたことに由来する。
 禁止されたからといっても、物が物。
 伝説のゴーレム生成魔法陣から得られる成果を狙い、水面下で接触してくる魔導技師のお偉いさんもいたらしい。
 そんな不届き者に対してウォーギンはにべもなく断っていた。
 曰くあれは人の手に負えない。そんなもんよりもっとまともな物を研究したほうがよっぽど建設的だと。
 ウォーギンがいわんとするところは、実際にあのゴーレムに襲われたルディアにも理解出来るし、全面的に賛同する。
 だが実際にあれを目撃していないので納得しない連中も多く、しつこく勧誘をされたウォーギンはついに面倒になって、全面的に管理協会に投げてしまったのだ。
 山ほどの証拠と合わせた実名付きの告発という形で。
 協会から禁止された研究に手を出そうとしていたその魔導技師や所属する工房には、所属国や魔導技術士ギルドから厳重注意や莫大な罰則金を課せられたが、その怨みは告発者であるウォーギンへと返って来ていた。
 大抵の魔具は製作にしろ修理にしろ色々と特別な工具や材料もいる上に、魔具が持つ危険性故に流通にも制限がかかり、各国から委託された大陸全土にわたる魔導技術士ギルドが品質保持や安全管理を行っている。
 そんな強大なギルド内の一部とはいえ、有力者を敵に回したウォーギンには圧力が掛けられ、材料、機具が入手できず、ギルドを通した仕事も来ずという困窮状態。
 フォーリアの店のような昔からの知り合いの伝手で細々とした魔具の修理で食いつないでる現状だ。
 普通なら魔導技師としての将来が完全に閉ざされたと悲観しよう物だが、幸いというべきか本人が『なんとかなんだろと』あまり深刻で無いのが唯一の救いだろうか。
  
  
「今日仕事明けに会う予定なんで夕飯でも奢っておきます。ここバイトの紹介料と情報収集代代わりに」 


 死なれても困るので、週一か二回くらいでルディアは、ウォーギンに食事を奢っている。
 フォーリアの店を紹介してくれたのは、他ならぬウォーギンだ。
 現場で磨かれたフォーリアの対応力を間近で実地で学べる上に、賃金までもらえるんだから、ルディアは感謝の一言というのも大きいが、ある人物の情報を依頼している手間賃という一面もある。
 

「あぁ。ルディアちゃん待ち人さんいたんだったね。早く見つかると良いね」


「……待ち人っていうか、とりあえずぶん殴りたい娘です」


 どうにも誤解されているような気がするが、再会を望んでいるのは間違いない。
 ルディアがウォーギンに頼んだ情報収集。
 それは1年前に生死不明でルディアの前から姿を消した1人の化け物風美少女。
 ケイスに関する噂話だった。















「ロウガから一週間ほど歩いた所にあるカノッサ峡谷。ここであいつらしいのが目撃されている。グリフォンに襲われた商隊の前に忽然と現れた黒髪のガキがいて、そのまま剣をグリフォンにぶっさして谷底に一緒に落ちていったらしい」


 安くて量がある事が売りの大衆酒場。
 始まりの宮前で街に戻っている探索者や、仕事帰りの労働者たちで混雑した店の奥まった席で、テーブルの上に広げた地図の一点をウォーギンが指さす。
 カノッサ峡谷には大河コウリュウに繋がる支流の1つが流れ込んでいる川があり、山道沿いの古い街道が通っている。
 今は通り易い新道も出来ているが、山裾を大回りして遠回りになるために、山賊や魔獣等が出没して、多少危険だが、近道狙いや足の速い荷を運ぶ商人などがよく使っている道になる。
 

「ここ? あの馬鹿。なんで北の端から南に行ってるのよ」


 ロウガ近隣国地図に新しい目撃情報を書き込んだルディアは頭を抱える。
 行動が読めない。その一言に尽きる。
 カノッサ峡谷前に、ケイスらしき『傲岸不遜で大剣を振るう化け物じみた絶世の美少女』が目撃されたのは、この地図で北にあるヘイズライ湿原で10日ほど前。
 その湿原で真夜中に狩りをしていた猟師の一団が、のたうち苦しむ大蛇を発見しおそるおそる近づいてみると、その腹から剣が突き出され中から消化液と血に塗れた少女が出て来たという怪談じみた噂だ。
 呆気にとられている猟師一団にその化け物は『卵だけはいるからもらっていくが、後はくれてやる』とだけ言い残して走り去ってしまったとのこと
 ヘイズライ湿原から、ロウガまでなら早馬なら四日もかからない位置にある。
 とうの昔にロウガにたどり着き、あの傍若無人な性格から騒ぎの十や二十は起こしていてもおかしくないはずだが、今のところその気配は無く、距離的にはむしろ遠ざかっている有様だ。
 無論、ここ半年くらいで東部地域で目撃されたというか、眉唾な噂話にあがるようになった謎の少女。
 それがケイスだという前提の話ではあるが。
 
   
「さぁな。ただ距離を考えると迷走しているっていうより目的があって移動してる感じだけどな」


 頭を抱え込むルディアを尻目に、ウォーギンは稀少な栄養補給の機会だとばかりに、頼んだ料理をガツガツと食べている。
 ウォーギンの言う通り、目撃された日数の開きを考えれば、ヘイズライからカノッサまで最短距離でも通らないととてもたどり着けるものではない。


「でもその前の前が、ロウガまであと1日の中央旧街道の宿場町でしょうが。なにやってんのよ、ほんとにあの馬鹿だけは」
 

「しかしまぁルディア。お前さんも執念深いというか律儀だな。一応あいつは死んだって話なんだがな」


「あんたも信じてないでしょ。あの馬鹿がそう簡単に死ぬなんて……第一よ」


 皮肉げに笑うウォーギンの顔を指さし、ルディアはあり得ないと眉をしかめ、テーブルの上の蒸留酒のグラスを手に取ると、怒りと共に一気に流し飲んだ。
 傍若無人で、常識が無く、心身共に異常な化け物を、ケイスを、ルディアはこの一年追い続けていた。
 ゴーレムと死闘を繰り広げ、深手を負って意識を戻さず心配していたかと思えば、目を覚ますと同時に、揉め事を起こして、止めに入ろうとしたルディアは気絶させられ、気づいたときには、遺言として金貨を残して死亡しました。
 ゴーレムに乗っ取られていたらしく、街中で無差別に暴れたり、偽物が多数出現したり、さらには上級探索者竜獣翁が出張ってきました。
 その竜獣翁の炎に焼かれ骨すら残さず死んでしまったと……普通なら死んでいる。死を疑わないだろう。
 ルディアも最初は信じた。あれだけ人に借りを作らせておいて、勝手に死ぬなんてと柄にも無く落ち込みもした。
 しかし、しかしだ……それもカンナビスから離れて一週間の短い間の話。
 
 
「この目撃談の多さはなんなのよって話よ! あちらこちらで騒ぎ起こしてる黒髪の子供って明らかにあの子でしょうが!」 


 ボイド達やファンリアキャラバンの者達と別れ、カンナビスの街から旅立ったルディアが目指したのは東だった。
 工房に滴した水や土地を探すという漠然とした目的以外、特にこれといった目的地も無かったので、ケイスが生前に向かっていると聞かされたロウガを代わりに見てやろうかという程度の軽い感傷。
 しかしそれが失敗だった。大失敗だった。

 山の中で大熊を殴り倒している子供がいた。

 大木に道を塞がれて難儀していたら、黒髪の少女が偶然に通りかかり、大剣でばらばらに斬って道を空けた。

 旅人の少女に街道沿いに出現する山賊団に困っていると誰かがこぼしたら、2、3日後にその少女が戻ってきて、山賊頭の首を置いていった。

 出てくるわ出てくるわの眉唾な信じがたいエピソードの数々が、すれ違った旅人や、立ち寄る町村で噂として流れているのだ。
 酔っ払いの戯言か、大げさな与太話だと、普通は思うような荒唐無稽な話。
 だがケイス本人を知るルディアには笑えない。
 あれと同じ思考と戦闘能力を持った人間がこの世に2人もいてたまるか。
 とりあえずあれこれと募っている文句を言ってやろうと思い、その噂を追って追跡の旅をはじめたのだが、


「なんで私の方が先にロウガに着いてるのよ! どこで油を売ってるのよあの馬鹿!?」

 
地図に書き込んだ与太話めいた情報のどこまでが真実かは判らないが、噂話の発生場所と時期を結んだ線が描く、あまりに無軌道ぶりな一本線をルディアは忌々しそうに睨み付けた。
 まるで幼児が適当に描いたかのようなあちらにいったかと思えばこちらにと主体性が無く、何度か逆走している部分すらある。
 その所為で噂は多いがケイス本人をルディアは確認が出来たことは一度も無く、さらにはあちらこちらで出てくる噂を追うという非効率な追跡のせいで、禄に稼げもせず旅資金さえ怪しくなる始末だ。
 仕方なくケイスの目的地であるロウガに先回りしたはいいが、それもすでに三ヶ月前の話。
 通常ならカンナビスから、ロウガまでは長旅とはいえ、ゆったりしても4ヶ月もあれば着く。
 それなのに一年近くが経ってもまだケイスはロウガには姿を見せていなかった。

















「……くっ」


 宵闇に覆われた暗い森の中。
 街道を離れ木々の間を疾走するケイスの姿が有った。
 木々を跳び移る度に痛みに顔をしかめケイスが押さえる脇腹は、服が切り裂かれどす黒い血で染まっている。 
 肩に刺さるのは痺れ薬が塗られた毒矢。
 筋肉で傷口を締めているから出血も最小量で、毒も全身には回っていないが、それ以外にも無数の手傷を負った満身創痍の状態だ。
 木を蹴る力は弱く、フラフラと足元もおぼつかない。
 地上を走った方が楽だが、それでは血痕を発見されやすい。
 逃げるのは性に合わないが、そうも言っていられない。


『娘。どうする? 追っ手の気配は今のところは無いが、あやつらはお前が向かうロウガの街を拠点とする探索者だったな。このまま街に向かうのは危険では無いか?』


「あんなのを探索者と呼ぶな! ぐっ……っ今の状態じゃまともに戦えない……腹痛が酷くてまともに闘気が作れない……宿場町に戻れないならば、ロウガに行って医師か、薬を手に入れるしかあるまい」


 ケイスが肩に担ぐ羽の剣に宿る龍王ラフォスは、末娘を気遣ってその重量を最大まで軽くしているが、それでもきついのかケイスの息は荒れ気味だ。
 全身の傷は酷いがこの程度ならケイスにとってはよくある怪我。
 十分に栄養と休養を取れば2、3日で支障は無くなる。
 だが問題はその化け物じみた回復力を発揮する為に必要な、肉体強化の力である闘気だ。
 ケイスは丹田と心臓の二重変換を持って膨大な闘気を生みだし、その戦闘能力を振るっている。
 だが今のケイスは生まれて初めて味わう類の腹部の鈍痛に身体をむしばまれ、丹田でまともに闘気を発生させることが出来ずにいた。
 心臓の方は無事だが、あちらは本来は魔力変換機能を司る器官。
 それを丹田から生み出した闘気をもって、無理矢理に機能を変えている。
 痛みに耐え何とか生み出した僅かな闘気は、全身強化に回しているので、心臓から闘気を生み出す量には到底足りていない。
 

「お爺様……・頭痛がする……呪詛の類いでも夕刻の戦闘で仕掛けられたのか」

 
 腹部や頭部に棍棒を叩きつけられたような激しい痛みと、ずっと続く針で刺されるような痛みに集中が続かない。
 夕刻の戦闘で相手は現役探索者という輩4人。
 狭い室内で不意を打った攻撃だから普段のケイスならば、その一瞬で片が付いていたはずだ。
 だが今日は勝手が違った。
 一番の手練れと見積もった一人目の首を撥ねたまでは良いが、そこで刺すような腹痛が始まり、攻撃を続けられず窮地に陥り、危うく返り討ちに遭うところだったくらいだ。
 

『お前が斬り殺した者を含めて呪師の類いはいなかったな。純粋に毒か、日頃の不摂生がたったのではないか。せめて火は通せと何度も言ったであろう』


 血の気が多いせいか、獣じみているせいかどちらか判らないが、ケイスの普段の食生活が狩った獲物をその場で食べるという野性的な事が要因ではないかとラフォスは指摘する。
  

「今まで平気だっ……ぐっ一度降りる……お爺様。ロウガは……東はどちらだ」


 言葉を交わすのもきつくなってきたケイスは、樹上移動を止めて地上へと降り立つと片膝をついて息を整える。
 身体が重い。頭も痛い。間接が軋み、吐き気すら覚えてくる。
 全身から冷たい汗が噴き出すが、ケイスの目に闘志は消えていない。
 あのような巫山戯た輩に、自身が目指す道を汚すような輩共に、探索者を名乗らせていてたまるか。
まずは治療だ。その後に残った連中を全員始末してやる。


『そのまま真っ直ぐに進め。今のお前でも日が昇るまでにはたどり着けるであろう』


 ラフォスを杖代わりにして、ケイスはゆっくりと山道を進む。
 戦闘を行ったのが、あと1日でロウガにつける宿場町だったから、まだ良かった。
 自分の身体に起きた異常を、生まれて初めて体験する痛みに苛まれながらも、ケイスは自分は運が良いと無理矢理に思い込み、なんとか気力を振り絞っていた。



[22387] 剣士と女医
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/03/23 01:07
 龍とはこの世の全てを凌駕し君臨する。
 絶大な力は他種族だけで無く、自然ですらも強大な魔力によって変貌させ、ひれ伏させる。
 灼熱の溶岩があふれ出て地を覆う獄炎を住処とする火龍。
 その火龍達によって占拠された暗黒期。
 ロウガ一帯の地上は、草木の一本も生えない不毛の地に熱と毒を含む霧に覆われ、豊かな水量を誇ったコウリュウは枯れ上がり、乾いた大地が延々と続く地獄と化していた。
 しかしそれは昔の話。
 火龍と火龍達の長である赤龍王が倒され、暗黒期が終わると共にロウガの街は、龍殺しの英雄の元に少しずつだが復興していき、トランド大陸でも有数の国際貿易都市としての往年の姿を取り戻している。
 コウリュウを挟んだ東岸側は、火龍による地形変更の影響が少なかったため初期復興時期に作られた旧市街の建物が歴史ある佇まいを見せる観光地としての人気を博し、川岸から続くなだらかな丘陵地にはロウガ名産の茶畑がずらりと並ぶ緑豊かな耕作地としての顔も見せる。
 一方西岸側の平野部は、狼牙時代には街の中心地ではあったが、多くの探索者や火龍が倒れ臥した決戦地でもあった為、残留魔力除去や濃厚な魔力につられ迷宮から姿を現す魔物退治などで復興が遅れた事もあり、新市街として本格的に稼働を始めまだ半世紀ほどしか経っておらず、日々新しい建物が建ち、市街地が外に拡大していく拡張期をまだまだ迎えていた。
 落ち着いた情景の古き都市と、躍動する活力に溢れた新しき街。
 大河を挟んで全く違う顔を見せる。それが今のロウガである。









『どうする? このままいけば入り口で見咎められるやもしれんぞ』


 まだ夜も明けきらぬ暗闇の中、ロウガ新市街へと入場するための街道に面した大手門には煌々と辺りを照らす光球の元、完全武装した衛兵の一団の姿が見えた。
 新市街は市街地が手狭になるごとに、新たな外壁が旧外壁の外側に作られて、その間に新しく建物が建てられている。
 迷宮隣接都市である為に、外壁にはモンスター侵入対策で探知結界が張り巡らされ、正規の出入り以外はすぐに感知されてしまうだろう。 
 だがロウガほどの大都市となると、日々行き交う人の人数や荷物の量を考えれば、市街地への入場検問を一人一人にじっくりと行う事は時間も手間もかかりすぎて現実的では無い。
 市民登録した者であれば出入り記録のみ。
 他地域からの来訪者であっても、よほど怪しげだったり、大荷物を抱えてでもいない限り、名前や目的確認など簡単な質疑応答のみとなる。
 だが今のケイスの状態では呼び止められるのは確実だ。
 満身創痍で明らかな刀傷を負った子供。
 衛兵達に保護され治療を受けられる可能性も高いが、同時に不審に思われ色々と詮索される可能性も高い。
 追っ手があるかも知れない今は、少しでも目立つわけにはいかなかった。


「……あぁ……ぐっ……だがあの数は突破はできん……この傷では川を潜って侵入するのも……な、なんとか通るしかぐっ……っぁぁ」
  
     
 息も絶え絶えなケイスは街道沿いの大木に寄りかかりながら、震える手を背中側に伸ばし、固く歯を食いしばって右肩に刺さった矢を無理矢理に引き抜く。
 毒によって変色した肉片がこびりついた鏃を忌々しそうに睨んでから、藪の中に投げ捨てたケイスは、ついに力尽き膝をついて木に背を預けて座り込む。 
 羽の剣を硬化させるだけの僅かな闘気さえも、既にケイスには余裕が無く、しおれた布のようにだらんとなった剣は腰のベルトに引っかけてある状態だ。
 腹部の痛みや頭痛は、時間が経つごとに酷くなる一方で改善の兆しは無い。
 痛みに耐えながら下腹部に力を入れ丹田から生み出した極々僅かな闘気をもって、血流をコントロールし麻痺毒の含まれたどす黒い血を傷口から排出してから、手持ちの布で縛り上げ止血する。
 脇腹と肩の傷口からは、じんわりと血が滲みそこから熱が逃げていくのか、身体が冷えていく。 
 もっと早めに治療をしていればマシだったかも知れないが、夜の山道で血の臭いをさせていれば、その臭いをかぎつけた獣を呼び寄せる恐れが高い。
 何時もなら獣の襲撃は、ご飯タイムとして大歓迎だが、今の状態では逆に食われるだけ。
 街の側まで来れば獰猛な獣はほとんど出没しない。
 それが簡易治療さえもせず、傷を押して夜通し移動してきた理由の1つだ。
 もう1つの理由は、敵の探索網を完全に出し抜くため。
 これだけの深手を負ったケイスが、一夜のうちにロウガまで移動しているとはそうそう思わないだろう。
    
 
『夜明けまで待つか? 轍の跡から見るに通行量はかなり多い。人が多くなってくればすり抜けやすいかもしれんぞ』


「時間が過ぎればこちらに手を回される可能性が……先に……抜けてしまいた……中に入ればこれだけ……大きな街だ……傷が回復して……治療が終わるまで……」


 ラフォスの問いにケイスは何とか答えるが、痛みを感じながらもだんだんと意識が遠のいていく感覚を覚える。
 今の簡易治療で残っていた闘気を全部使い果たし、身体強化が切れ、その為にギリギリのラインで守っていた肉体がついに限界を超えてしまった。
 度重なる死地を乗り越えてきたその明晰な頭脳が、このような状況下でも正確な答えを即座にはじき出す。
 対策はただ1つ。
 今一度丹田に力を入れて、僅かでも良いから闘気を生み出して肉体強化をするしかない。
 今にも途切れそうな意識の元でケイスは下腹部に力を入れようと、


「ぁつあ! …………」


 動かそうとした丹田に奔る最大の激痛。
 小さな悲鳴を上げたケイスは、そのまま横倒しに倒れてしまう。
 体中から力が抜け筋肉が弛緩し、開いてしまった腹部と肩の傷口から血がとくとくと流れ、地面を染め始める。


『娘!? 馬鹿者が! しっかりせんか!』
 
  
「……っぁ……ッ……」


 大丈夫だ。そう強がろうとするが声にならない。
 痛みはますます酷くなるのに、力が抜けていく、気力が続かない。
 街道を進んできたがらがらと鳴る車輪の音が耳に届くが、今のケイスにはそれに反応するだけの力は無い。
 規則的に聞こえてくるその音に導かれるように、ゆっくりと意識を手放した。













 額に当たる冷たい感触。
 外部からの刺激に防衛本能が刺激されケイスは声にならない呻き声をあげながら瞼を開く。
 視界が霞み、全てがぼやけて見える。
 背中に伝わる柔らかな感触。どこかのベットに寝かされている。
 だがそこがどこか、そして今何故自分が寝ているのか、朦朧とするケイスは思い出すことが出来無いが、体調が最悪なのは判る。
 全身に楔が打ち込まれたかのように手足が重く、酷い頭痛と腹痛で周囲の気配を探る事すら出来無い。
 本質的には野生の獣であるケイスにとって、身動きがほとんど出来ず状況も判らないこの状態は受け入れることが出来無い。
 無理矢理に起き上がろうとすると、


「…………」


 誰かの声と共に手が伸ばされ起き上がろうとするケイスの体を制した。
 己の意思、行動こそがこの世において、自分がもっとも優先すべき至高の存在。
 傲岸不遜、唯我独尊なケイスにとって、他者の行動によって自分の行動を妨げられるのは、受け入れがたい物がある。
 ましてや今は弱り切った状態。だからなおのこと、押さえつけられればより強く抵抗する。
 しかし今はそういう気になれなかった。
 押さえてきた手に素直に従い、全身の力を抜き、ただ身を横たえていた。


「…………」


 頭が朦朧としていて音として聞き取れるが意味を理解が出来ない言葉。
 それがどこか懐かしくて、逆らいがたい物があったからだ。
 この声の感じ。手の優しさ……それはケイスには覚えがある物。
 かつて過ごした日々。
 ただ迷宮を脱出するために全てを費やした日常。
 ケイスの成長に合わせ、より凶悪に、より強大になっていく迷宮を、全身全霊をもって逆に食らいつくして、化け物じみた成長を遂げた過去の記憶。
 僅かにあった穏やかな日の記憶といえば、傷ついた身体を癒やす日がほとんど。
 その時の記憶が、ケイスから抗うという本能を忘れさせる。
 諸事情があって何時でも一緒にいることは出来無かったが、それでもその人は、ケイスにとって安らぎを覚えられる数少ない存在の一人だった。
 母を思い出させる。そんな声と手だった。


「か……母様か? ……心配……する……な……私は……大丈……夫だから……」 
  
 
 かすれた声でケイスは答える。
 母は既に亡くなっている。
 そんなことは今の虚ろな状態でも判っている。心の底にくっきりと刻み込まれている。
 だがケイスはその言葉を口にした。
 この手を持つ人に対して……自分を気遣ってくれる人に対して、ほかに伝えるべき言葉を思いつかないからだ。
 例えどれだけ傷つこうが、死の淵に立とうが、自分は絶対に死なない。負けない。弱音を吐かない。
 神に弄ばれる運命に捕らわれ傷つき、変貌していく娘を心配する母の心労を、少しでも和らげるために、ずっと続けてきた言葉。
 自分の好きな者を。自分が愛する家族や周りの者を、決して悲しませたくない。
 その想いこそがケイスの原点であり、力及ばずとも、決して折れず、挑みかかれる理由。
 この世界のみならず、あまねく全ての世。
 三千世界に住まういかなる者を敵に回そうとも、世界の全てが敵であろうとも、ケイスは絶対に屈することが無い。
 常に最強であろうとする為の芯たる心。
そんな明らかな強がりを言う娘に、少しだけ困った表情を母は何時も見せていた。


「…………」


 母と同じ手を持つ誰か知らぬ人は、そんな時に母がしてくれたように、汗で顔に張り付いた前髪を梳き取りながら言葉を紡いだ。
 『無理しないで』だろうか?
 『喋らないで寝てなさい』だろうか? 
 そんな言葉を口にした母と同じように少しだけ困った顔を浮かべているのだろうか?
 いかんともしがたい苦痛のなかでも、懐かしさとすこしだけ安らぎを覚えたケイスは、ゆっくりと夢さえ見ない深い眠りの中に意識を沈めていった。







「まだ熱は高いけど峠は越したから大丈夫そうね」


 額の上にのせていた濡れタオルを代えた一瞬だけ目を覚ました少女が発した言葉に、女医レイネ・レイソンは安堵の息を吐く。
 10代前半くらいの少女に母親と間違われるとはと思いつつも、考えてみれば自分もそろそろ三十路も近い。
 数年前に結婚した夫との夫婦仲は良好だが、共働きで互いに忙しいから、まだ子供はいない。
 だからこの年くらいの、しかも貴族の令嬢然とした美少女に母様と呼ばれるのは、悪い気はしないが、少し慣れないのでくすぐったい物がある。
 そんな可憐でか細く見える少女が、とても強い意思を持つことにレイネは、少しばかり驚いていた。
 一瞬目を覚ました少女の声は弱々しく、意識ももうろうとしていた。
 だが誰に傷つけられたかは判らないが、明らかに敵意を持った者につけられた刀傷や矢傷を負っているのに、少女の瞳にはおびえや恐怖の色が皆無で、黒檀色の目は生きる意思をはっきりと宿した力強いものだった。


「話は聞いてたけど……強い子みたいね」


 その瞳の強さでレイネは確信する。
 噂に聞いていた少女。
 この娘がケイスと名乗る少女だと。
 ゆっくりと髪をなでつけてやると、苦痛に蝕まれたケイスの表情が少しだけ和らいで見える。  
 管理協会ロウガ支部傘下のロウガ医療院に所属するレイネが、二日前に近くの村での出張診療の帰りに、外壁近くで倒れていたケイスを拾ったのは、まったくの偶然だった。
 木の陰に隠れるように倒れていたケイスの身体から流れ出て、辺りに漂う僅かな血の臭いに気づけなかったら見過ごしていたかもしれない。
 脇腹の大きな刀傷は内臓には達していないが相当な深手で、肩の矢傷も鏃を無理矢理に引き抜いたのか抉れていた。
 そして何より全身から流れ出る出血量が酷く、身体が冷たくなっていた。
 その場で急ぎ応急処置を施していなければ手遅れだった可能性が極めて高かったくらいだ。
 しかし所詮は応急処置。本格的な治療を施すには、機具も薬も足りない。
 ロウガへと連れて行くにしても、自分の職場でもある医療院が一番最適だったろうが、レイネはそれを避け、ケイスを自宅へと連れ帰って治療を施していた。  
 全身に負った傷から何らかの事情を抱えている事は明白だったのもあるが、同じ孤児院出身の幼馴染みから、頼まれていた言付けがあったからだ。 
 やたらと軽くてグニャグニャと曲がる大剣らしい物を持った、偉そうな口調でクソ小生意気な黒髪の美少女を見かけたら教えてくれという物だ。
 幼馴染み曰く、矢鱈滅法に強いが、トラブルメーカーで、何かの騒ぎを起こして医療院に搬送される怪我人の山を作るか、自らが担ぎ込まれてくるかも知れないからとの事。
 その何とも限定されそうな条件に、レイネの目の前で寝ている少女は、全て当てはまる。
 少女が倒れ込んだ横には、大剣の形をしているが剣とは思えない軽さと柔らかさの物体が落ちていた。
 苦痛に歪んでいてもそれでも愛らしいとよべる整った美貌とは裏腹に、激しい戦闘で付いた傷を全身に負っている。
 そしてその身につけていた外套のポケットには、少女の物ではない他種族の青い血でべったりと染まったロウガ支部発行の探索者向けの仕事仲介書が一枚と、怪しい事この上ない。
 普通なら衛兵に連絡をして対処してもらっているところだ。
  

「でも……ギン君が言ってたみたいに悪い子じゃ無さそうよね」        


 ケイスの状態から、明らかに何らかの犯罪絡みの臭いがする。
 しかし保護欲を刺激されると言うべきなのか、それとも先ほど一瞬見せた子供らしい強がりの表情にほだされたのか。
 幼馴染みのウォーギン・ザナドールから聞いた話はどうにも誇張混じりで信じがたいと思っているが、かなり変わっているが根は悪い奴ではないという人物評もある。


「とりあえずはギン君に本人確認してもらおうかしら」


 せめて意識が戻って、事情が聞けるまではこの少女を匿っていようという気にレイネはなっていた。



[22387] 剣士と罠
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/04/12 03:04
 それは些細な変化。
 微かな風音。
 空気に混ざる微量の臭い。
 そして息を潜める虫の音。
 それは一つ一つは極々僅かな変化。
 だがそれらが積み重なり、ケイスの獣じみた警戒本能を最大までに刺激する。
  

「……っぁ……ぅっく」


 起き上がろうとよじった身体が軋み、完全にはふさがっていない傷が酷く痛む。
 頭の中で虫が飛び回っているかのように耳鳴りがして視界が歪む。
 意識を失う前と変わらず、重く痛みが響く下腹部のせいで闘気が練れない。
 覚醒したケイスがまず感じたのは、己が絶不調であるという自覚だ。
 まともに戦えるような体調では無い。
 だがケイスの勘が、敵が近づいていることを知らせる。
 寝かされていたベットからずるりと抜け出したケイスは、全身の苦痛を必死に押さえ込み立ち上がる。
 身の危険を感じて感覚が鋭くなっているのか、素足に伝わる床が凍るように冷たく痛い。
 だがその冷たさと痛みが、今はありがたい。
 少なくとも地に足をつけている感覚だけは保てる。


「っ…………っ」


 室内を見渡す。
 最低限の家具はあるが、私物らしき物は見えず生活感が少ないどこかの民家もしくは宿の客室だろうか。
 自分が着ていたはずの旅装束も持ち歩いていた羽の剣を初めとする武具も見当たらない。
 詳しい状況は判らないが、知らない、だが懐かしくも感じた誰かに看病をしてもらったおぼろげな記憶がある。
 実際自分が着ている服は下ろしたての清潔な物で、傷も丁寧に治療されている。
 だがその治療をしてくれたであろう人物の姿は室内には見えない。
 部屋の外か? それとも屋外か?
 まともに働かない感覚の所為で、気配を感じ取れない。
 ただ敵意を、命の危機を感じる。
 勘に従い、武器となる物を探したケイスはベットにかかっていたシーツを引き抜いて、机の上にあった小さなペーパーウェイトを端に入れて縛り上げる。
 力も禄にはいらない状況でこんな布きれ一枚と、片手で持てるペーパーウェイトでは期待は出来ないが、視界を塞いだり、相手の四肢を絡めることくらいは出来るだろう。
 足音をたてぬようにそろりと忍び足で壁際によったケイスは、外から見られぬように身体を隠しながら、窓からそっと外を覗き見る。
 換気のためか少しだけ開いていた窓から見えたのは、宵闇に沈んだ町並みと、ケイスがいる建物に隣接した小さな家庭菜園兼前庭。
 月が雲で隠れているのか、非常に薄暗く、おぼろげな外観が判る程度だ。
 漂ってくる街の香りにまざり、少しばかり水と魚の匂いがする。
 微かに吹く風に揺れる木々のざわめき。しかし虫の音はしない。
 息を潜め、ケイスはただ眼下の前庭の暗闇を見据える。
 目が慣れてきたのか、それとも敵を感じ取って身体の不調を闘争本能が凌駕したのか、暗闇の中を動く人影をケイスの目は捉える。
 1つ……2つ……3つ……
 音を殺し、影に潜む者達は、路地へと続く門扉を音も無く飛び越えて、前庭へと侵入を果たす。
 闇を渡る動きから見るに素人では無いが、不調のケイスでも気づいたのだから暗殺者といった玄人でもない。
 物音を立てず、密やかに進む動きは探索者の物だろうか。
 侵入者の狙いは自分か、それとも別か?
 現時点ではケイスには判らない。
 だがその息を潜める行動に、明らかな悪意、敵意をケイスの勘は捉える。
 侵入者達の身のこなしを見るからに、少なくとも今の体調では、一人相手でも厳しい技量をもっているだろう。
 ケイスが気づいたことが発覚するまえに逃げるという選択肢もある。
 ……だが!
 
    
「……」


 タイミングを計ったケイスは窓枠を大きく開け、身体を傾け転がるように外に躍り出る。
 強く地を蹴って飛ぶことは出来ないが、落下するだけなら力はいらない。
 先頭を進んでいた不審人物の真上に落下したケイスは身体を丸め、首元へと全体重をかけた肘を打ち込む体勢を作りつつ、残り二人へとむかって、ペーパーウェイトを重りにしたシーツを投げつけ、視界を防ぎ絡みつかせる。

     
「がっ!?」


 ごきりと太い枝が折れたような音がなり首を叩き折られた不審人物と共に、ケイスは地面に落下した。
 全身を強かに打ち付け意識が飛びそうになる。


「っぐぅ!」


 激痛で思わず息を大きくはき出してしまう。
 痛みに耐えながら、倒した侵入者の身体に触れ、慣れしたんだ感触をすぐに探り当て、それをしっかりと掴む。
 奪い取ったのは使い込まれたショートソード。
 普段なら小枝のように軽い剣が今は石の塊のように重い。


「ク!? ワナカッ!?」


 いきなりの襲撃に思わず声をあげてしまったらしき侵入者の独特のイントネーション。
 それはケイスに聞き覚えがある口調。
 討伐しようとしたが、逆に返り討ちに遭い無様に逃げる羽目になった探索者の一人。水棲人種魚人の声だ。
 どうやったかまでは今は判らないが、ケイスを追跡し、奪い取られた依頼書を取り戻しにきたのだろう。 
   
 
「……ぁぁっ!!」


 何とか立ち上がったケイスは男達がシーツに絡まっている間に即座に追撃に移る。
 剣を持ち上げて振り回すだけの筋力を生み出せない。
 だが力が入らなくとも、己は剣士。
 剣士は剣を操ってこそ剣士。
 剣を振り始めたばかりの初心者がやってしまうように、わざと剣の重さに振り回される。
 中途半端に持ち上げた剣の重さに負けて体勢を崩し倒れ込みながらも、剣を敵に向かって突き出す。
 斬撃を使うだけの力は無くとも、突きならば己の体重と勢いを重ねればなんとか使える。
 シーツ越しに繰り出した切っ先が、その向こうにいる魚人の身体のどこかを抉った。
 だが浅い。
 刃が触れた感触は一瞬。
 外したのか、外されたのか、そのどちらかを判断する間もなく、


「ナメルナ!」


 殺意が篭もった声が響き、シーツを突き破り雨粒大の散弾が寒気の奔る音と共にケイスの頭上スレスレを通り過ぎる。
 水棲種族が得意とする水系初歩攻撃魔術だが、下手な刺突よりもその刃は鋭く、通り過ぎた水弾は、大きな音をたててて石壁に穿孔を穿った。
 まともに食らえば致命的な攻撃。
 それをケイスは回避したのではない。
 足の踏ん張りが利かず立っていることが出来無ず、前のめりに倒れ込んだだけだ。
 それが幸いした。
 しかし今の一撃で決められなかったことで、より窮地に追い込まれる。
 ずたずたに引き裂かれたシーツが、地面に倒れたケイスの上にまるで投網のように覆い被さってくる。
 とっさに地面を転がって避けようとしたが、


「ぐっ!?」


 体重のかかった右肩に激痛が奔り動きが止まった。
 無理矢理に引き抜いた矢傷が治りきっていない所で、剣を振った上に体重がかかった所為で、激痛と共に傷口が開いてしまったようだ。
 だらりと傷から血があふれ出て、肩口を生暖かく染め、柄を握っていた右手に力が入らなくなる。
 さらに動きの止まったケイスの肩口に魚人が体重を乗せ足を踏み下ろす。

 
「っぎゃ! ぐっ……っぁ……ぐぅ……」


 侵入者達は暗視魔術を使っていたのか宵闇の中でも、怪我を負っているケイスの肩を狙ってなんども足が踏み下ろされた。
 傷口を踏みにじられあまりの痛みに絶叫をあげかけるが、歯を食いしばりケイスは堪える。
 今息を全て吐きだしてしまえば、呼気が足りず、次の一撃が繰り出せないかもしれない。
 踏みつぶされた蛙のように地面に横たわっていようとも、ケイスの心はまだ折れていなかった。
 

「シネ! ガギガ! ヨクモナカマヲ!」

   
 だが心は折れずとも、身体はそうはいかない。
 仲間を殺された恨みを口にした魚人が執拗にケイスに蹴りを叩き込む。
 肺が潰れ息が抜ける。力を込めようにも激痛が邪魔をする。
 幼いながらも鍛えていた肉体の強度が蹴りに耐えて絶命を拒むが、逆に言えば耐えるだけしか出来無い。
 

「落ち着け。騒ぎになる前にそのガキ持ってずらかるぞ」


 ケイスが最初に倒した仲間を肩に担ぎ上げたもう一人の男が、激高している魚人を止めると撤退を指示する。
 さきほどの水弾や今の戦闘音で近所も異変に気づいたのか、盛んに吠えたてる犬の声や、窓に明かりが点る家がちらほらと見受けられる。


「ワカッテル! イライショハドウスル」


 魚人の蹴りが止まった。
 ケイスが虫の息でもう反撃できないと思ったのか、その憎悪に染まった視線が外れる。 その一瞬の勝機に、はんば気を失いそうになりながらも、闘争本能に身をゆだねるケイスは剣を握ったままの右手に何とか力を込めようと藻掻く。 


「探す暇はねえよ。反応のあるこの家ごと焼き払うしかねぇだろ。くそ。このガキの所為で、俺らの命もあぶねぇってのに」  


 忌々しげに舌打ちをした男は懐から魔術杖を取り出す。
 杖の先に埋まる燃えるように赤いルビーに刻み込まれた魔法陣は、精霊召喚の陣。
 火の精霊でも呼び出してこの家を一気に焼き払うつもりのようだ


「ふん。や、やら……」

 
 せめて杖だけでも破壊する。
 朦朧とした意識の中でも残り滓といえど全身全霊を振り絞った一撃を繰りだそうとし、
 

「お前は寝てろ」


 怒気を込めた低い声が響き、すぐ横の植え込みから大男が飛び出してきた。
 ケイスも、侵入者達も気づかなかったが、いつの間にやら、近づいていた禿頭で筋肉質の山賊と見間違えるかのよう大柄の男は、その巨体には似つかわしくない流れるような動きで侵入者へと襲いかかる。
 不意を突かれて動けなかった魚人と魔術師の顎先に、男は鋭い掌底を打ち放った。
 どさりと音をたてて侵入者達は、糸が切れた人形のように庭へと倒れこんだ。
 今の一撃できっかりと意識を断ち、昏睡させたようだ。
 強者を見慣れたケイスの目から見てもそれは鮮やかな手並み。
 侵入者達より遥かに格上の実力を感じさせるものだ。


「ったく。人んち壁に穴開けただけじゃなくて、燃やそうなんぞいい度胸だな。にしてもだ……」  

 男は光球を打ち上げると壁に空いた穴、魔術師の落とした杖。そして最後に反撃に出ようとした体勢のままで問い待っているケイスを見て大きく息を吐く。
何とも言いがたい頭痛を堪えるような表情を浮かべた男は、家の玄関口へと顔を向け、


「てめぇギン坊! どうなってんだよ! なんで餌が勝手に反撃にでてんだよ!」


 近所迷惑を考えないのか、それとも元々地声が大きいのか、はたまた怒鳴り慣れているのか、やたらと響く声で呼びかけると、


「んなもん俺に言うなって、さすがに目を覚まして仕掛けるなんて予想外過ぎてこっちもあせったんだからよ。それに言っただろ。ケイスは計算外な行動する奴だって」


 玄関扉が開いて、無精髭を生やした男が頭を掻きながら出てくるとばつの悪そうな顔を浮かべる。
 その顔はケイスの身知った人物。
 一年ほど前に知り合った魔導技師ウォーギン・ザナドールだ。
 そしてウォーギンの後ろから、さらに女性が2人姿を現す。


「あなたもギン君も今はそれどころじゃ無いでしょ! 私は治療の用意するからルディアちゃんお願いしますね!」


 1人は20代後半から30代前半の栗色髪の女性で、ウォーギン達に説教じみた言葉で指示を飛ばし、手ひどくやられたケイスに心配そうな目を一瞬だけ向けてから、家の中に駆け戻っていった。
 そしてもう1人。もう1人の女性は、実に不機嫌そうで、そして怒っている顔を浮かべていた。
 女性にしては長身で痩躯なその人物の燃えるような真っ赤な髪がその怒りの様を現しているかのようだ。
 つかつかと近づいてきたその女性は、同じく1年前に知り合ったルディア・タートキャスはケイスを睨み付けると、


「あんたね。本当に無茶もいい加減にしなさいよケイス! なんでその身体で戦い始めてるのよ!?」 


 憤懣やるせないといった感情が言葉の端々まで感じられる声でケイスを叱りつけつつも、丁寧に抱きかかえあげる。
 どうやらルディアは治療のためにケイスを家の中に連れて行こうとしているようだ。
 確かに早急な治療が必要。それに異論は無い。
 しかしケイスにはまず言うべき事があった。
 それはカンナビスで竜獣翁コオウゼルグと交わした協力してもらう為の条件。
 世話になったルディアやウォーギンに面倒を及ばさない代わりに、自分は死んだことにして、再会しても知らぬ存ぜぬで押し通すという約束。    
 約束は守る。
 妙なところで義理堅いケイスは朦朧とした意識の中でもその約定を果たそうとする。


「だ、誰……かは知らぬが……ひ、人違いだぞ……わ、私はルディ……なぞ……知らんぞ」


 しかし朦朧とする意識のせいでケイスは盛大に墓穴を掘る。


「いや、あんたね。あたしの名前を呼んでおいてそれは無理があるでしょ……それにどこの世界にこんな無茶してまで戦う馬鹿が二人もいるっての」  


「……っぅ……知らん……知らん……知らんと……言うて……」


 重い重いため息を盛大に吐き出したルディアの言葉に、今のケイスはまともに答えることも出来ずただ鸚鵡のように繰り返すしか無かった。



[22387] 剣士と初花
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/04/19 02:29
「あいつらの狙いは、私達の予想通りこの依頼書とあんたみたいね?」


 ルディアの指すテーブルの上には、青い血で染まった探索者向けの依頼書。
 居間の壁際には、昏睡魔術を仕掛けた上に厳重に縛り付けられた侵入者達とケイスが首を折って殺した死体がある。
 強力な力を持つ探索者絡みの事件は、ロウガでは管理協会に対処がゆだねられており、先ほどの侵入者達も探索者の証である指輪を持っていたため、ロウガ支部に連絡済みで、その到着をまっていた。


「助けてもらったこと、治療をしてもらった事に感謝している。だから迷惑を掛けたくないから話す気は無いぞ」 


 治療も終わり痛み止めが効いてきたのか、先ほどよりは意識がはっきりしてきたケイスがソファーに身を横たえたまま固い表情で答える。
 あれらは自分の敵だ。それを誰かに押しつける気は無く、ましてや命を助けてもらった恩人達を危険にさらすなどできないの一点張りだ。
 ベットに運ぼうとしても次の襲撃があるかも知れないからと嫌がる始末で、仕方なく妥協して居間のソファーで処置をしたくらいだ。


「こうやって襲撃を受けてる段階で、既に迷惑かかってるわね。身を守るにしても関わらないにして、何の情報もない方が危ないでしょ。どうせあんたの事だから、なんか事情があって無茶苦茶な事しても、人に誇れないようなことじゃないんでしょ」


 腕組みをしてケイスを睨み付けるルディアは、言葉の端々に苛立ちを覗かせているがそれでも勤めて冷静な声で説得をする。
 大きな被害が予想される市街地での放火は重罪、大半の国で死罪となる。
 そんな乱暴な手を使おうとした連中が、ただの物取りや強盗な訳も無い。
 色々と厄介な事情が透けて見えて、関わらない方が良いというのも理解は出来るが、現に襲撃を受けているのだから、せめて最低限の情報は寄越すのが筋という物だろうという理屈をルディアは繰り出す。


「むぅ……人違いだといっているだろうが。私はお前達とは初対面だ。私の行動を勝手に決めつけるな」


 常識知らずで、自己中心的で傲岸不遜。
 だが妙なところで義理堅く、幼稚ながら正義感も持つ異常者。
 ケイスの思考や好みをルディアは知っているから、容易いとまでもいかずとも、常人とは違うケイスをそれなりに説得しやすいのもあるのだろう。
 ケイスがばつが悪そうに顔を反らして、露骨に話題をそらした。


「じゃあこの剣はあんたの物じゃ無いっていうの?」

 
 頑なに初対面だと言い張るケイスに、ルディアが持ち上げて見せたのは、力なくだらりと折れ曲がるという大剣にあるまじき形状を晒す奇剣『羽の剣』
 こんな奇抜な剣と、常識外な少女の組み合わせがこの世に2例も存在してたまるか。


「返せ。私の剣だ」


 愛剣に手を伸ばそうとしたケイスだが、それよりも早くルディアの手がもちあがり、ケイスの手は空を切る。


「あんたね。あたしが知ってるケイスなら、あたし程度から剣を奪うなんて造作もないし、さっきの戦闘だって最初の一瞬で決めてたでしょ……怪我もそうだけど、あんた今やたらと弱体化してるでしょ。まぁそれがあんたの実力って言うなら、確かにあたしの知ってるのとは別人ね」


 ケイスが持つ剣への執着や、化け物である戦闘力を知るルディアは、ケイスの傷を指さし、絶不調である事を指摘する。
 多少の怪我、それどころか全身に傷を負っていようが、その強靱な精神力で肉体をねじ伏せ戦う。
 それがルディアの知るケイスだ。
 だが先ほどの戦闘ではそれが出来ていない。
 ケイスは返事に窮したのか、ルディアを睨むしかできない。
 不意を突いて先手を取ったのに一人しか仕留め切れずに、手も足も出なかった先ほどまでの醜態を実際に目撃しているのだ。
 ケイスは変なところで真面目で、傲慢なまでに自己に対する誇りをもつ。
 怪我や不調による戦闘力低下は否定はしないだろうし、もし否定したら自分の実力はあの程度だと認める事になるからそれも嫌がるだろう。
 ここまで指摘すれば認めるしか無いだろうと予想したルディアの読みは、完全に外れる。

 
「ふん。それだけ強い者がいるなら連れてこい。斬ってやる」


「まだ否定するか……」


 ダメだ埒があかない。
 こうまで頑なに初対面だと、あり得ない事を言い張るには何らかの理由があるのだろう。
 よくよく考えてみれば、伝説のゴーレムが復活したというあれだけの大事件が起きたのに、簡単な事情聴取だけですんだのがおかしい。
 たまたま巻き込まれた自分はおろか、直接の関係者だったウォーギン達、開発関係者さえも、純粋な事故だったとして、事実の厳重な口止めと研究停止だけで、無罪放免されている。
 普通ならあり得ない軽すぎる処分だろう。
 ケイスと名乗るこの少女が何者かは未だルディアには知る由もないが、その力のみならず生まれもただ者では無いのは、ケイス本人がいくら隠そうとしても、嘘が下手なバカ正直な性格の所為で何となく判ってしまう。
 何をしたかは判らないが、ケイスが何かをしたのだろう。
 自分を死んだことにして、なにか取引でもしたのだろうか?
 だから、こうまであり得ない否定の仕方をしているのでは。 

 
「判ったわよ。あんたとあたしは初対面。それで良いわよ」


 強情なケイス相手に意地の張り合いをしていても千日手になる。
 自分が折れ無ければ話が進まないと諦めたルディアは、仕方ないと話を進めることにする。
 ルディアの目的は、ケイスにカンナビスで出会った事を認めさせるのではない。
 第一優先すべきは貸し主本人は何とも思っていないだろうが、ケイスへの借りを返す事。
 まさか再会そうそう知らない振りをされるとは考えてもいなかったが。


「うむ。そうだ。私とルディは今日会ったばかりだ。だからよく知らないのに迷惑をかけるわけにはいかん」


 まだ名前を名乗っていないのに、自分の名前を、しかもケイスしか使わない愛称で呼んでくるあたり、隠す気があるのだろうかと疑問にも思うが、ケイス相手に真面目に考えるのは馬鹿らしくなるのであえて無視する。
 こうなれば本題にずっばっと切り込んだ方が早いだろう。


「あんたをさっき助けた男の人。今外で警戒しているあの人はガンズさんっていって、ウォーギンの知り合いなんだけど、管理協会ロウガ支部職員で現役の中級探索者でもあるんだけど、ガンズさんが言うにはこのロウガ支部発行の依頼書はよく出来た偽物って話だけど」


「だからなにも答えないと言っているだろう」


 手に取った依頼書をヒラヒラと掲げて見せると、ケイスは露骨に目をそらした。
 その態度はこの依頼書が偽物だと知っていると、口に出さずとも、雄弁に語っている。


「正確に言えば、本物の書類と本物の印を使い、本当の魔術偽造防止処理を施した、依頼内容だけが正式に協会には登録されていない偽物だって。ガンズさんが懇意にしている職員さんに、登録内容を裏取りしてもらったから間違いないわね」


 書かれた依頼内容は一見なんの変哲も無い物。
 旧街道から少し外れた牧場の水質調査。
 井戸の水量が激減した原因を調べて欲しいというものだ。
 依頼金額は対した物では無く、推奨される能力も、簡易な探知魔術を使えればいいという街のちょっとした困りごと。
 それこそありふれた依頼内容だ。
 だがどんな内容であろうと、ロウガ管理協会支部では全ての依頼を管理、終了後も一定期間保存する体制が出来ている。
 だからこの依頼書の内容が、全くの偽物だとすぐには判明した。
 だがガンズはこの件を固く口止めして、今のところ報告は入れていない。
 本物の用紙、印を使い、処理までした偽物の依頼書。
 どう考えても協会支部の一部が関与しているのは明白。
 下手に突いて藪から蛇を出すようなマネを避けたが、こんな内容を偽造した意味が何かは、現時点では判らない。


「しかもウォーギンが調べたら、この依頼書には追跡魔術の仕掛けが巧妙に施されていて、あんたがさっき戦闘した連中はその魔力波動を探知できる専用魔具を所持していたわよ」


「……そういうことか」


 ケイスが忌々しげにつぶやくと、小さく舌を打つ。
 この反応から見て、ケイスもそれに気づいておらず、不覚と恥じたようだ。
 自他共に認める天才魔導技師であるウォーギンだから気づけた追跡の仕掛けは、普通の魔術探知では見逃してしまうような物だ。
 ましてや魔力を持たないケイスでは致し方ないのだろう。
 そのウォーギンも今は屋外で何か変な仕掛けが施されていないかを調査中で、屋内にはいない。
 先ほどまでケイスを治療していたレイネは、医療道具を片付けに私室へと戻っていた。    


「さて、ここまであたし達には判ってるけど……あんたはどうしてこいつを手に入れて、あいつらに襲われたのよ?」


「答える気は無い。そこまで判っているなら関わるな。相手は殺すつもりできてるから危険だぞ」


「危険っていったらあんたはどうなるのよ? そんな大怪我して、しかも戦えないみたいじゃない」


「……私が負けるか」


「負けてたじゃ無い。ガンズさんが割り込まなかったらどうにもならない詰みの状況でしょ」


「私があんな非道な連中に負けっ! ぐっ………っぅ……く」


 ルディアの指摘に図星を付かれたケイスは、起き上がって反論しようしかけたが、腹部を押さえてソファーの上に倒れ込む。
 青ざめた顔でダラダラと冷や汗をかきだし、痛みを堪えようと身を丸めている。
 尋常ではなく痛がっているケイスの様子にルディアは慌てる。
 先ほどまで何度も足蹴にされていたのだ。
 折れた骨が内臓にでも刺さったのか?
 だがレイネは打撲程度という診断していたはずだ。
 血の気の引いたケイスの目尻には、激痛のせいか涙すら浮かんでいる。
 全身に大怪我と火傷を負っても、敵を前に不敵に笑うケイスがだ。  


「ち、ちょっとケイス!? 大丈夫!? レイネさん! すみません急に容態が変わって!」 


「はいはい。ちょっと待っててね。たぶん大丈夫だから」


 ルディアの声に小走りで戻ってきたレイネがケイスに近づくと右手で印を作り、ケイスが押さえている腹部に手を当てる。
 医療神術による鎮静効果かすぐに荒れていたケイスの息はゆっくりとなり、顔色もすこしだけマシになる。


「あんまり興奮しちゃダメよ。しばらくは大人しくね」


 ケイスの苦痛が和らいだのを確認したレイネが用意していた濡れタオルでケイスの顔を優しい手つきで拭う。


「なん……とか……ならんのか。この痛みは……腹痛が酷くて闘気が練れない……肉体強化さえ出来れば……あの程度の奴らに遅れは……」


 喋ると痛むのか途切れ途切れながらもケイスは何とかしてくれと懇願する。
 戦えない事がよほど嫌なのか、その言葉は必死だ。


「どうにかっていってもねぇ。しばらく安静にしてるしか無いわね。3、4日もすれば収まるでしょ」


「レイネさん。ケイスの症状って……ひょっとして生理痛ですか?」


 あまり焦っていない様子が見て取れるレイネの言葉。
 ケイスの不調の理由にルディアは何となく気が抜けながらも確認する。


「えぇ。まだ始まってないけど、ずいぶん重いみたい。女性探索者だとたまにいるのよね。ほら闘気変換をする人って丹田。女性だと子宮の位置なんだけど、そこを意識するから感覚が鋭くなりすぎて痛みが酷いのよ。ルディアちゃんの話じゃケイちゃんって闘気変換を普段から多用してたんでしょ。その所為ね」


「そ、そうですか……もっと重い病気か怪我かと思ってました」


 あのケイスが戦えない程に弱体化しているのだから、何があったかと思えば生理痛とは。
 ケイスの様子から見て相当酷い様子。
 自分はそんなにきつくないほうだがそれでも何となく怠くてやる気が無くなるというのに、そんな状況で良く戦おうと思う物だとルディアは呆れつつも安堵の息を吐いていた。
 だがその横でケイスは妙な反応を見せていた。  







 セイリツウ?
 大怪我を負ったことは数え切れないほどあるが、病弱な兄とは違い、今まで病気らしい病気など風邪すら引いたことないケイスが初めて耳にする病名。


「……その病気は……治るのか? 闘気変換を……使えなくなるのか?」


 レイネの言葉にショックを受けたケイスはおそるおそるその問いを口にする。


「え、えーとケイちゃん」


「たのむ教えてくれ。どうすれば治る? どうやれば闘気を生み出せる!?」  


 先ほど大人しくしていろといわれた言葉を忘れるほどに焦ったケイスは、身を何とか起こしてレイネにすがりつく。
 年齢離れした、人間離れしたケイスの戦闘力を支えるのは闘気を用いた肉体強化。
 闘気変換を奪われたらケイスの力は一気に激減する。
 そうすれば自分の大願に支障が生じるのは火を見るより明らかだ。
 自分が生きるのは家族の為。
 自分の力は家族の為。
 その為に心臓の魔力変換を捨て去り、闘気に特化したというのに。


「薬か!? ルディ!? セイリツウという病に効く薬はあるか!?」


「お、落ち着きなさいって。痛みを和らげる薬はあるけど、根本的な解決には……」


 先ほどまで他人の振りをする演技など頭の中からすっぽりと抜け落ちたケイスが狼狽して見せる鬼気迫る様子に、ルディアがたじろぎつつ答えるが、痛み止め程度しか無いという言葉だけでその後がケイスの耳には入ってこない。
 まともに闘気を生み出せなくなる。
 ……ならやることは1つだけだ。
 ケイスは覚悟を決めるとソファから立ち上がり、ルディアが持つ羽の剣へと手を伸ばそうとする。
 全身に痛みがはしるが、今はそんな物を気にしている暇など無い。


「ち、ちょっと馬鹿。まだ動くな」


「ぐっ! 大人しく寝ている暇などあるか! っぅ、闘気が使えなくなったなら! 頼らない戦い方を見つけるだけだ! その鍛錬をしなっぅ……ければ!」


 慌てて抑えてくるルディアに抗いながら、ケイスは痛みを堪えて吠える。
 しかしいかに威勢良く声を出そうとも、その身体には力が入っておらず、長身のルディアには簡単に押さえ込まれてしまう。
 押さえ込まれたケイスは、反射的に抗うために闘気を生みだそうと丹田へと力を入れてしまう。
 無理に無理を重ねてきたケイスの肉体には今その意思に答える力は無い。
 むしろその刺激が引き金となる。


「っが! っぅ…………っうぁ」


 最大級の痛みと共に腰が抜け、足腰に力が入らなくなったケイスはぺたんとへたれ込む。
 そしてその太ももにドロリとした生暖かい感触が伝っていく。
 自分の足元を見下ろしたケイスが目にしたのは、太ももをこぼれ落ちる固形物の混じった濁った血。
 明らかに怪我や切断などの通常とは違う出血。
 血に混じる肉の欠片は内臓をやられたのか?
 そういう病気なのか?









「ルディ。セ、セイリツウとは……内臓が腐り落ちる病気なのか? わ、私は死ぬのか?」


「…………どうしましょうかこれ。確実に初めてみたいですけど」


 この世の終わりが来たかのような絶望的な表情を浮かべるケイスの、何とも珍妙な問いかけにルディアが頭を抑えながらレイネへと尋ねる。
 ケイスは見た目通り子供とは思っていたが、まさか初潮すら迎えていないほどに幼かったとは。
 しかもケイスの反応から見るに、一切の知識を持っていない。
 世間知らずにもほどがあるとおもうが、相手がケイスでは仕方ないとはいえ、そんな子供がモンスターを蹂躙し、さらには現役探索者を不意を突いたとはいえあっさり殺害してみせる。
 何の冗談だ。 


「お風呂は……この怪我じゃまずいわね。汚れを拭くついでに、病気じゃ無いって簡単に説明してみるわね。小さい子の面倒は昔よく見てたから慣れてるからまかせて。ルディアちゃんは殿方にしばらく室内には入室禁止って伝えておいて」


 茫然自失なケイスの脇を抱えて立ち上がらせたレイネが困り顔ながらも微笑んで見せる。
 言葉通りにこういう状況になれているのか、手慣れた指示だ。


「判りました。後始末はしておきます」


 ケイスを連れて奥へと向かったレイネを見送ったルディアは、一度室内を見渡して大きく息を吐く。
 怪しげな偽の依頼書。
 襲撃してきた探索者。
 初潮を迎えたばかりの幼い少女が、その探索者の一人を殺害。
 良くも悪くも加速度的に状況は変化していく。
 トラブルメーカーなケイスと関わるとはこういうことだった。


「おい。あのガキの怒鳴り声が聞こえて来たが何かあったのか。警備隊の連中も到着したぞ」


「あーと。まぁいろいろと。ちょっと入るの待ってください。片付けますから……」


 1年前に抱いた感想を改めて思い起こしたルディアは、騒ぎを聞きつけたのか戻ってきたガンズに返事を返す。
 ケイスに人並みの羞恥心があるのか非常に微妙だが、自分の径血を他人、しかも男性に見られるのはさすがに嫌だろう。


「雑巾ってどこですか?」


 借りた借りを返そうとは思っていたが、まさかその最初がこういう形になろうとは。
 この先が厄介なこと目白押しだろうと思いつつ、ルディアは床に残った血の跡をかたづける準備を始めた。



[22387] 剣士と水狼
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/05/07 22:07
「っと。ここに…うぁ、こいつ水獸使いの一族だわ。この感じは裏仕事専門かな」


 拘束された水棲種族魚人の男の懐を漁っていた女性探索者のレンス・フロランスは、隠しポケットから見つけた小袋に詰まった砂ほどの黒い粒を取りだして、しばらく掌で転がしてからと断言する。
 水で構成された半透明の身体を持つレンも、男とは違う種族ではあるが水中を住居とする水棲種族である水妖族。
 探索者協会ロウガ支部治安警備部隊の一隊であり、水上、水中で起きた探索者絡みの事件、事故の捜査を主に管轄する『水狼』に所属している。
 本来は街中で起きた事件はレン達の管轄外で、別のパーティが担当するが捕縛された不審者に水棲種族がいるということで、水狼が派遣されていた。 

 
「へー。この種みたいのでわかるのかい?」


 掌の中で転がる粒を興味深げに見るのは、森を住処とするエルフ種族の出身で水狼の副隊長である女性探索者ナイカだ。
 虫使いである彼女は召喚虫を使い、周辺警戒を行っているが、今のところ拘束された者達以外の怪しげな行動をする輩は発見しておらず、少し手持ち無沙汰になっている。


「あ、触ったらダメ。これ本当に種だから。水辺なんかで動物の皮膚に付着してから、血管を通って脳に寄生するタイプの妖水獸。脳を麻痺させて操り人形にする。えげつないタイプの呪生物。あたしみたいな低温肌なら良いけど、普通の体温でふ化するよ」


「そらまたえぐい。御禁制品だろ」 


 レンの注意に出しかけた手を慌てて引っ込めたナイカは、少しだけ顔を険しくする。
 この手の危険生物は街中への持ち込みは原則禁止されており、研究用として許可が下りたとしても厳重な管理下に置かれるのが通例だ。


「御禁制品って……間違ってないけど副長、年寄り臭い。外見に合わせてよ」


 見た目だけなら20代前半で若々しいが、時折年寄りめいたことを口にするナイカの実年齢は300を越える。
 元々長寿種族な上に上級探索者であるナイカは外見上は老いることは無いが、中身のほうはそうも行かず、言動が時々年寄り臭くなるのは致し方ないのかもしれない。


「あたしの勝手さ。もう一人の方も他に持ってないかよく調べときな。ロッソ。そっちはどうだい?」


 レンの頭を軽く叩いて立ち上がったナイカは、死亡した男を調べていた新米隊長であるロッソ・ソールディアに手がかりを尋ねる。


「武器以外はそこらで見る品ばかりで、身元確認の出来るもんはねぇな。これやっぱりただの賊やら強盗とかじゃねぇぞ……あー……なんで一発目からこんなクソ厄介そうな事件の担当になってんだよ俺は」


 面倒気な口調ではあるが、念入りに死体を調べているロッソの表情は浮かない。
 元々ロッソはフリーの探索者として、あちらこちらのパーティを気儘に渡り歩いていたので、こういった地味で面倒な予感がする仕事はあまり性分に合わないせいか、気のりがしていなかった。
 師匠筋に当たるナイカからの推薦という名の強制命令で無ければ、協会仕えのお抱え探索者など絶対にならなかっただろう。


「ぐちぐち五月蠅い子だね! 報告は最初のだけで良いんだよ。あんたを隊長に推したのはあたしなんだから、恥かかすんじゃないよ。で死因はガン坊が言ったとおりなのかい?」


 ため息混じりの弟子を後ろから蹴飛ばしたナイカは、致命傷となったであろう折れ曲がった男の首を指さす。


「わーってますよ。マジで一発ですよ。しかも闇雲に狙ったんじゃ無くて、完全に骨と骨の関節部に一点集中で肘を叩き込んで粉砕してます。なぁガンズさんこれ本当にあんたじゃないのか?」 


 急所一点のみを狙い無駄が無い鋭い一撃が叩き込まれた戦闘痕跡。
 これをやったのは奥で治療を受けている少女という話だが、とてもそうは見えない。
 なんというか手慣れているのだ。
 少なくとも初めてやったという類いでは無い。
 同じように何度も首を叩き折った経験があるからこそ、ここまで的確に狙えたというのが伝わってくる。


「まぁ信じられないのは判るが、俺じゃねぇよ。それよかナイカさん。40越えたのに坊は止めてくれ」


「なに言ってんだい。それを言ったらあんただってウォーギン坊やのことをギン坊よびだろ」


「あー、俺も坊やはなるべく止めてくれるとありがたいんだがナイカさん」


 管理協会直下の技術指導教官として強面で知られるガンズも、探索者になり立ての頃からの顔見知りであり大先輩でもあるナイカに掛かっては小僧っ子扱いだ。
 ガンズの元パーティメンバーであり亡くなった父がナイカの世話になっていたウォーギンに至っては、生まれた頃から知っている所為で未だに幼児扱いだ。


「あたしからすりゃ100をすぎてもまだまだひよっこさ」


 抗議の声を無視したナイカは思案顔を浮かべる。


「しかしどうにも気にくわないね……偽造された偽の依頼書とそいつを取り戻そうと強引な手を使ってきた連中か。決めつけたくは無いけど主流派と革新派絡みだろうね」


 ロウガの街は、今大きく分けて2つの派閥がある。
 復興初期からの利権を守ろうとする主流派と、街の拡大にともない外部から新たに参入してきた革新派だ。
 主流派からすれば革新派は、自分達が苦労して金と人を注いで育ててきたロウガの街に新しく来て旨みだけを手に入れようとする寄生虫。
 革新派からすれば主流派は、極めて閉鎖的な自分達に有利なルールで、新しく開発された地区で生まれた利権さえも全て手に入れる強欲な連中。
 この両者の争いは年々激しくなり、権威としての象徴である王家から委任されたという形で、この探索者の街を実質的に牛耳る管理協会ロウガ支部内でも、激しい権力争いが繰り広げられている。
 ロウガの治安を守るべき治安警備隊にも、両派閥からの賄賂や脅迫等の介入工作が行われており、いくつもの事件が捜査されることも無く闇に葬られている始末。
 不正を取り締まるべき者達が、その不正の中にいる。
 この現状を憂いたある上級探索者が、大なたを振るい警備部隊の編成や人員が一新されたのはつい先日のこと。
 今までは食いっぱぐれた三流探索者に協会が仕事を与える形で編成されていた警備部門を人数的には縮小することになるが、中級以上の実力者であり信頼できる探索者達を集めて少数精鋭集団として再編成されている。
 実力的には遥かに格上の上級探索者であり師匠でもあるナイカが、中級探索者であるロッソの下に付いているのも、先を見据えての処置だ。
 もっともロッソからすれば、師であるナイカに四六時中試験を受けているような気分がして、実に居心地の悪いものだ。


「仕掛けてきたのはどっちですかね? エンジとギドには先に動いてもらってますけど、どっちか判ればまだ証拠確保も楽なんですけど」


 黒幕が誰かは判らないが、本物と同様の素材、処置で作られた精巧な偽の依頼書を見る限りロウガ支部内に力を持っているのは確実。
 騒ぎに感づいて出入り記録を抹消されるかもしれないと判断したロッソの指示で水狼に所属する残り二人の探索者である侍エンジュウロウ・カノウと戦神神官ギド・グラゼムは、町に出入りするためにいくつかある街門で記載された入街記録を確保するために、手分けして向かっていた。


「さてね。こいつらの身元が判明すれば少しは判るんだろうけど、そっちはあいつらに任せて、あたしらはそのお嬢ちゃんの聴取といこうかね。面白い話が聞けそうだね」


 ナイカが奥の扉へと目を向ける。
 敏感な聴覚を持つエルフであるナイカは家の奥からこちらに向かっている3つの足音を捉えていた。
 すぐにドアノブが回されて、ゆっくりと扉が開いて最初にレイネが姿を現し、次いでナイカをも凌ぐ長身のルディアが少し身をかがめながらドアをくぐって部屋の中に入ってきた。
 そして最後に一人の美少女が顔を青ざめさせながら居間へと入ってきた。
 全身のあちらこちらに包帯を巻かれ、打撲の跡や青あざ、擦り傷、切り傷など無数の怪我を負っている。
 だがそれでも、その幼くとも人目を引く美貌は一切色あせることも無く、元より持つ華やかさと怪我を負った儚げさという矛盾した2つの美を体現してみせる。
 100人中100人が文句なしで美少女だと評するだろう少女は、呆然としているのか目の焦点があまり合っていない。
 この深窓の令嬢めいた外見ならば、普通は、命を狙われたことに恐怖したとか、逆に人の命を奪ってしまったことに対しての後悔などを抱いて、茫然自失となるだろうか?
 しかしこれはケイスだ。
 美少女風化け物だ。


「……こんな痛みが毎月だと……これなら内臓を抉られた方がまだマシだぞ……いや、そうか……まてよ……いっその事、子宮をくり抜いてしまえば良いのか!? レイネ先生! 子宮摘出手術を出来るか!? 生理痛とやらを起こす元から立てば万事解決ではないか! 初潮などという巫山戯た物に勝てるだろ!」


 部屋に入ってくるなりぶつぶつつぶやいていたかと思えば、急に顔を輝かせ名案だとばかりにレイネに頼み始めた。
 周囲の状況や流れなど完全に無視している。  


「出来ません。あとケイちゃんはもう少し恥じらいを覚えましょう。女の子がそんな事を大声で言ったらダメよ」


 馬鹿な発言をするケイスの頭をぺっしと叩いたレイネが、にこやかな笑顔を浮かべながらも注意する。
 普段のケイスなら真正面からの素人攻撃など無意識でも簡単によけて反撃に移れるが、どうにもレイネに対しては自動防衛本能が働かない。
 苦手意識というよりも、親身に叱ってくれる人には逆らえないという深層心理が働いてしまうからだろう。
 好きな人物には警戒レベルが下がるというよりも無になるケイスらしい特徴といえる。


「あんたって子は……人が色々気を使ってやったのに、なんで自分から言うのよこの馬鹿」


 ケイスが恥ずかしがるかと思い、後処理やら掃除をして隠蔽工作をしたというのに、まさか自分から、しかも大声で言い出すとは。
 頭痛を覚えたルディアもレイネに習い、ケイスの頭を一発叩いておいた。


「うー。怪我をしているのだからポンポン叩くな。いくら私でも少しは痛いんだぞ」


 これはルディアも同様で、防御も出来ないケイスは怒りながら涙目で睨みつけるのが精一杯だ。
 つい先ほどまで寝込んでいた上に戦闘をやらかして返り討ちになりかけたのは間違いないが、それにしては元気すぎる。
 その理由はレイネによる痛み止めの術が効いている所為もあるが、不治の病かと思っていたのが、一応は数日で収まると聞いた所為だ。
 一月に一度なるというのはネックだが、それでも痛みさえ収まり、ご飯さえあればいくらでも闘気を生み出して、怪我を治せるし、戦闘力だって存分に発揮できる。
 戦う事さえ出来れば自分は何でも出来るし、何でもやる。
 戦闘狂のケイスにとっては、戦えなくなることが何よりの困り事で、それ以外は自分の力でどうとでもなるという非常におおざっぱな考えゆえだ。


「なぁ本当にこれか? いくら何でも無理があるだろ」


「発言無視したら、被害者にしか見えないんだけど」


 部屋に入ってくるなり頭のおかしな言動を全開にし始めたケイスに、ロッソやレンは困惑気味だ。
 一応鍛えられているようだがその手足はロッソから見れば枝みたいな物で、大の大人、しかも現役の探索者の首を一発で叩き折れるようにはとても見えないからだ。


「あー俺も他人が言ったら巫山戯んなって怒鳴るが……こいつが確かに叩き殺したぞ」


 すねているケイスを見ていると、直接その戦闘を目にしたガンズでさえ、先ほどのは幻か夢だと思いそうになってしまうほどだ。
 ロッソ達のの発言は仕方ないと思うガンズは、黙ったままのナイカへと視線を向ける。


「…………………ユ……さ…?」


 剛胆なナイカもさすがに驚いて言葉を無くしたのか、聞き取れないほどの小さな声で何かをつぶやいた驚愕の表情でケイスの顔をまじまじと見ていた。


「ふん。煩わしいな」


 驚愕する三人の視線と、その意味に気づいたケイスは不機嫌そうに眉を顰めると、拘束されて気絶さしている侵入者達の方へと無造作に近づく。
 そして腕を軽く動かして動作を確認してから、軽く跳び上がると気絶している魚人の首元に目がけて、


「ちょ! ストップストップ! なにやろうとしてんのあんた」


 側にいたレンが慌てて空中でケイスの体を抱き留める。
 弾力のある水で出来た肉体を持つレンだから何事も無く受け止められるが、もし受け止めていなかったらケイスの繰り出した肘は魚人の首元に突き刺さっていただろう。


「見たままだが? お前達が疑っているのだから実演して見せようとしただけだぞ。先ほどそれを倒したの間違いなく私だぞ」


 むっと眉をしかめた不機嫌顔でケイスは死体を指さして答える。
 外見から自分の実力を疑われたり、侮られるのを嫌うケイスらしいといえばらしい行動だが、さすがにいきなり殺しに行こうとするなぞ誰も考えていなかった。


「もっとも実演しようがしまいがこいつらは殺すがな。ルディ。私の剣を持ってこい。こいつらの首を撥ねる」


 しかしケイスの方はあっさりとしたもので、今から収穫でも行くというような気楽さで殺害を宣言する。
 実にまじめな表情で、冗談で言っているように見えず、周囲はさらに困惑する。 


「待て待て。そいつらからは色々聞きたいことがあるんだから殺すなよ」


「私の獲物を盗る気か? なら先にお前とやっても良いぞ。お前はなかなか強そうだ。強者とやるのは好きだぞ」


 割って入ったロッソにケイスは傲岸不遜な笑顔で答えて胸を張り、拳を構えた。
 今にも一戦やらかしそうな物騒な雰囲気をケイスが発し始める。 
 どうやら頭の中が戦闘意識のままで、さらにどうにもならなかった腹の痛みが今は収まっているので、交戦意欲が高いようだ。
 何故こんな流れになると皆が唖然としている中で無事なのは、ケイスをよく知るルディアとウォーギンだ。


「なぁ何とか出来るか」


「無理に決まってるでしょ。ケイスが戦うって決めたら、そう易々と引き下がらないのはあんたも知ってるでしょ」


 ウォーギンの耳打ちにルディアは憮然と答える。
 こと戦闘に限ってはケイスは何を言っても聞き入れる可能性が極めて低いと知るからだ。


「しゃーねえな。なら戦えなくするか。レイネ。鎮痛神術の解除って出来るか? どうせ掛けてるんだろ」


 ため息を吐いたウォーギンはレイネにそっと耳打ちをする。
 さっきまでこの世の終わりみたいな表情を浮かべていたくせに、戦いとなるとすぐに我を忘れる辺り、本当に単純だ。


「あ、はいはい。大人しくしないケイちゃんにはお仕置きが必要みたいだからなら逆にちょっと痛くしましょ」


 ウォーギンの提案にすぐに頷いたレイネが印を作り小声で祝詞を唱えだした。


「私はこいつらを全員殺して仇を討ってやると約束している。もし邪魔立てをしようとするなら全員倒してで!? っあ!? はっう!?」 


 物騒な台詞を宣い目を輝かせかけていたケイスだったが、急にぶり返してきた腹部の痛みで力が抜けたのか、膝をついて床にへたり込んでしまう。


「レ、レイネ先生、な、なにをするんだ……す、すごく……い、痛い。さっきよりも。うぐ。ひ、ひどいぞ……なんで邪魔を、するんだ」


 下腹部を押さえ身を丸めたケイスは、よほど耐えかねる痛みなのか既に涙声だ。
 ただその目の好戦的な色はまだ消えていない辺りが、戦闘狂のケイスらしいといえばらしかった。
 結局レイネ達の説得を受けてケイスが殺害を”一時的”に断念するまで、10分ほどの時間が必要となった。



[22387] 剣士の事情
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/05/14 20:26
「うぅ、酷い目に遭った……」


 テーブルに突っ伏したケイスは精根尽き果てた表情で、レイネに出してもらった蜂蜜入りのホットミルクをちびちびと舐める。
 ほどよい温かさと、ケイス好みのとろりとした濃い蜂蜜の強い甘みが今は嬉しい。
 少しでも体力を回復させたいから、肉などの固形物も取りたいところだが、数日も寝込んで消化機能が落ちているのだから、胃が慣れるまではという理由で、レイネによって禁止されてしまった。
 ケイス本人としては自分の胃腸がその程度のことで音を上げるわけは無いと判っているが、どうにもレイネには頭があがらないので、素直に指示に従っていた。


「自業自得でしょ。あんたね。ますます事態を複雑化させるの止めなさいよ。今から追いかけて殺すとかも無しだからね」


 大人しくミルクを舐めているケイスをみて、ルディアは不信感が溢れた表情を浮かべている。
 このまま一緒の家に置いていたらケイスが何をしでかすか判らないという、至極真っ当な理由でケイスが殺害しようとした侵入者二人と、遺体は既に治安警備隊の屯所に連行されている。
 執念深いうえに常識の無いケイスの事。
 屯所にまで襲撃を仕掛ける気じゃ無いかとルディアが疑っているのは明白だ。


「失礼なことを言うな。私は約定は守るぞ。だがこの者達に話すことは無いぞ」 


 むすっと不機嫌な声色で自分の様子を窺っていたロッソ達を見ると、ケイスはきっぱりと断言する。


「ケイスいい加減にしなさいよ。実際こうやって襲撃までされていて死人も出てるのに、話さないが通用するわけ無いでしょ」


「この者達を信用していない。正確に言えばロウガ支部をだ。ロウガ支部内に敵がいる可能性があるならば、その所属組織に私が気を許す理由は無い」


 ロウガ支部に不正の根がはびこっているという話は、ここまでの旅すがらケイスも幾度か耳にしており、今回の事件に関わったことで実感もしている。
 自分が目指した街で、自分の目標とする道が汚された事に対する怒りと嫌悪感は、ケイスの中では大きいが、それ以上に話すわけにはいかない理由がある。
 剣呑な目付きのケイスが睨み付けるのは、隊長だと名乗った中級探索者の男だ。
 言葉の端々に見えるほどにやる気がなさげで、ノラリクラリとした印象を与えるが、ケイスの勘は相当な実力者だと告げている。
 他にも壁際に立ってケイスまじまじと見る上級探索者だというエルフはさらにその上を行き、あきれ顔を浮かべている中級探索者の水妖族も油断できる存在では無い。
 自分を上回る強さの者達を前に、ケイスは必要以上に警戒心を強めていた。


「やる気が無く、日和見で、金や権力に弱い。それが今のロウガ警備隊の評判だってよくご存じだな」


 実に単純で明快なケイスの回答に、ロッソは仕方ないと半笑いで返す。


「ふん。それはお前達の前だろう。だがお前達とてまだ目に見える成果を上げていない。ならば信じるに値はしない」


「あーそこまで判っていて言われると、こっちは返す言葉が無しだな」


 すぐに上の意向とやらが働いて捜査中止や、賄賂でも、もらったのか、明らかなトカゲの尻尾切りで終わったりと、自分達の、正確に言えば、刷新される前の警備隊の評判は最悪だと知っているのだろう。 
 組織が刷新されたとはいえ、現在の所は目に見えた成果も出ていないと聞いている。 


「いやそこで納得しないでよ……ナイカ副長もさっきから黙ってないでなんか言ってくださいよ」


 どうにも頼りないというかやる気の少ないロッソの答えに、呆れ顔のレンは先ほどから一言も発しないまま、ただケイスの動向を観察していたナイカに泣き付く。


「嬢ちゃん。あたし達に話す気は無いっていうならどうする気だい?」


「ふん。決まっているであろう。まずは怪我を治す。それから全てを画策してくれた者を叩き斬る」


 眼光鋭いエルフの上級探索者であるナイカを前にしようとも、ケイスは臆すこと無く即答で返す。
 自分の道は自分で決め、そして自ら切り開く。
 行く手を遮る物がなんであろうと、斬れば良い。
 いつも通りの答えだ。


「さっき仇討ちがどうこう言っていたね。それにそこまで頑なに事情を明かさないって事は……嬢ちゃん。誰かを庇ってるか、匿っているだろ」


 ナイカの推測に、先ほど戦闘欲の高まりで思わずこぼしてしまった失言にケイスは気づく。


「……知らん。答える気は無い」


 図星を付かれそう切り返すだけで精一杯だが、元々感情豊かな上に、根は素直なケイスの表情をみれば、ナイカの指摘が事実だと誰でも分かり易い。


「あんたが誰を守ろうとしているかなんてあたしらには判らないけど、調べる事は出来るよ。まずはあんたが持っていて、あいつらが奪い返そうとした偽の依頼書に書かれていた案件の精査だね。そうなりゃ他の部署にも色々と聞き取りする事になるから、大勢の目に触れるだろうね」


「不特定多数に知られるくらいなら、お前達を信用して事情を話せ……そう言いたいのか」


「頭の良い子は話が早いね。どうするお嬢ちゃん」


 自分が後手に回っている事をケイスは強く自覚する。
 今の体調ではここから逃げることも出来無い。
 逃げた所で、調査が始められて事が明るみに出れば、自分が動いていることが無意味になる。
 自分にもっと力があれば。
 いかなる困難でも切り裂く力さえあれば。
 臍をかむケイスは、戦うべきかと苦悶する。
 逃げることも出来無いのに、戦いを選ぶなんて、しかも相手は遥かに格上ばかり。
 真っ当に考えればあり得ない選択肢。
 非常識なケイスとて、こと戦闘となれば、自分の考えが間違っている、選択してはいけない選択肢だという戦力比を考えた当然の常識がある。
 だがそれでも戦いを選択してしまう。
 引く場所があるならば引くが、崖に追い詰められ道が無いなら迷うこと無く前に進む。


「…………話は少し変わるけど嬢ちゃん。あたし達が組織を変えた、生まれ変わらせたって話は知ってるようだね」


 ケイスが最終手段に出ようとしていることを察したのか、それとも偶然か。ナイカが話の矛先を少し変更する。


「敵のことを知るのは当然だ」


「敵ね。ならあんたはあたしらのトップ。総隊長が誰になるかは知ってるかい?」


「各派閥の利害関係で揉めて、いまだ決まっていないと聞いている。取り締まる側に自分の影響力を施したいのだろう。だから私はお前達を信じない。例えお前達の心に軸たる想いがあろうとも、上に立つ者が歪んでいれば、その心根は歪む。私のことを狭量だと笑うなら笑え。私は自分が信じる者を心より信じるだけだ」


 とりつく島も無いケイスの頑なな答えに、席に着いた者は、顔を見合わせている。
 ルディアやレイネなども何かを言いたげ顔を浮かべているが、ケイスはいくら二人に仲裁されようとも譲る気は無かった。















 進展しない話し合いに、静寂が場を占め始めていた。
 ケイスを説得しようにも、口で何を言ってもダメだという雰囲気が漂う中、


「あたし達の総大将は、上級探索者のソウセツ・オウゲン…………それとも邑源宋雪っていった方が良いかね」


 一瞬生まれた沈黙。その静寂を破ったのはナイカだった。
 ナイカがあげた名。ソウセツ・オウゲンはロウガをホームとする上級探索者であり、さらにその中でも一握りの歴史に名を残す、いわゆる英雄と呼ばれる者だ。


「ナッ、ナイカさん! それまだ口外禁止! あっ!?」


「あー……言っちまったよ」


 ナイカが告げた名に慌てたレンは、自分の態度がそれを肯定する物だと気づき口を塞ぎ、ロッソは既にあきらめ顔だ。


「ソウセツさんが動いたのか? だがあの人の立場上、そいつはまずいんじゃ無いのか」


  ロウガ支部に勤めているガンズもその情報は初耳だったのか驚愕の顔を浮かべ、次いで懸念が浮かんだのか眉根を顰めた。


「そうも言ってられないって事だよ。あいつはロウガの現状を憂いていたし、なにも出来無い自分に歯がみしていたからね。2年前にあいつの息子が王位を継いで次世代に移ったのを機会に、ずっと考えて根回しをし続けてたんだよ。まだ渋っている奴らはいるが、それも近いうちに納得させる。だからあんたらも他言無用で頼むよ。人事案を先に流して既定事実にする気なんて思われたら、まとまる話もまとまらなくなるからね」


「……どういう事?」


 ロウガの人間にはナイカの説明だけで事情が判るようだが、ロウガに居着いたばかりのルディアがわからず横に座るウォーギンに小声で尋ねた。
 ソウセツ・オウゲンの名は、ルディアも何度も聞いたことがある有名な探索者の一人。
 『鬼翼』の2つ名を持つ翼人の上級探索者で、現ルクセライゼン皇帝と共に迷宮を駆け抜けた英雄譚で知られている。


「ソウセツって人の奥方は、ロウガの先代ユイナ女王陛下だ。婿入りって形でご結婚して以来、要職には付かず静観するという立場をとっていた。それというのもロウガの王家ってのはあくまでもお飾り、象徴ってのが地域安定のためにも必要って理由だ。東方王国時代の勢力を取り戻そうって、復興派や王族の一部が起こした事件が昔にあってから、なるべく力を持たないようにしているのさ」


 今はロウガと僅かな周辺地域をその領土とするが、ロウガの王家とは元々は東方王国時代の大領主の一族であり、ロウガの前身である狼牙の街を拠点に周辺の広大な領域を治めていた。
 元領地だった地域には暗黒時代が終わって以来、無数の国や自治都市が出来上がっており、それぞれが独自に治めている。
 その現状を無視して、往年の土地と勢力を取り戻そうとするのが復興派と呼ばれる一部の勢力だ。
 実際に復興が始まった頃の初期はともかくとして、今のロウガは周辺国家の中では領土は狭くとも、もっとも発展し、多くの人が集まる探索者の街として豊富な資金を持っている。
 管理協会が実権を握っているが、その気になれば周辺国家へ何かしらの策略を仕掛けるだけの、人材も資金も潤沢に持っている強国家ともいえる。


「そうさ。ウォーギン坊やの言ったとおりだよ。馬鹿なことをしでかしてくれたってのはユイナの実の兄貴でね、50年くらい前に東方王国復興を旗印に勢力をぶち上げて、最終的には周辺地域の武力併合もしでかそうとしてたんだよ。そいつを食い止めたのがソウセツの奴と、姫だったときのユイナや、当時皇子としてこの街にいた今のルクセの皇帝さ。まぁ、あたしもあいつらとは顔見知りだったから、ちょっとは力を貸してやったけどね」


 ひそひそと小声で交わしていたつもりのようだが、耳の良いエルフのナイカには丸聞こえだ。
 あまり良い思い出ではないが、今は必要だと思い顔をしかめたままナイカは、説明の補足を続ける。 


「ルクセの皇子も関わった所為で、争乱の中身は周辺にも知られている。周辺国家、地域との関係悪化を避けるためにも、それ以来王家とそれに連なる者は、組織としての力を持たず、いかなる勢力にも汲みせず中立に立って静観するってのが不文律になっているのさ。当然そいつはソウセツの奴にも適用される」


「でも、それならなんだってまたその人が自分で動いたんですか。誰か他の人に任せるとかでも良かったんじゃ」


 治安の悪化や不正の温床になっているのを憂いていたとしても、難しい立場にいるならば、直接では無く、誰か他に信頼できる者に任せるなど、いくらでも手はあるはずだ。
 ナイカも相談を受けたときはそう答えたが、ソウセツの意思は硬かった。


「騒ぎの時に、ソウセツの奴は育ての母親を殺されちまってる。まぁこの人がよく出来た人でね。死の間際でも自分のことは気にするな。あんたはこの街と自分の大切な連中を守れって、遺言を残してるのさ」


 ルディアの問いかけに答えてナイカは、その視線をケイスへと向ける。
 ケイスは一言も発せず、聞き入っているが。まだ警戒しているような目を浮かべている。
 話の真偽を確かめようとでもしているのだろうか。
 それともナイカの予想通りの出生なのだろうか……


「あの頃のソウタは、あぁソウセツの、その頃の名なんだけど、若手探索者じゃ有望株で腕は立つけど、女遊びは好きだわ、パーティを気分で色々と移り変わるほど適当、修練はサボるわで、あの人の手を散々焼かせていたんだけど、この街を託されて以来は、人が変わっちまってね。ガチガチの堅物になっているよ」


 二つ名に鬼という一文字が付くほどに苛烈な戦いぶりがソウセツの代名詞。
 その裏にある事情を知れば致し方ないとは思うが、それでもあそこまで変わるとは思わなかったのがナイカの率直な思いだ。



「母親が命がけで取り戻した街のロウガが、謀略で汚されるのを一番嫌っているのはあいつさ。我慢に我慢を重ねてきたが王位が次世代に移った事で、ようやく自分で動いた。立場が邪魔するなら離縁も覚悟の上だって、夫婦揃って言ってるくらいに本気だよ」


 王家に属する者の婚姻関係の解消が、様々な問題を孕んでいて極めて難しいのはどこの国でも変わらない。
 だがそれでもロウガの街のために改革を実行しようとするソウセツの意思は変わらない。 
 未だ総隊長が本決定とならず発表されないのも、大揉めに揉めているからだが、それでも押しきるだろう。
 オウゲンの一族とはそういう連中とナイカは知る。
 立ちはだかる壁は全てを力尽くで切り抜けるのだと。


「母親が取り戻したってどういう事ですか?」


 ルディアの質問を耳にしながら、ナイカはケイスの顔を注視する。
 未だ目に見えた反応を見せないが、その顔はナイカがよく知る人にそっくりだ。


「言葉通りだよ。ソウセツを育てた母親ってのはロウガ開放戦に参加してた上級探索者。それもあたしみたいにその他大勢じゃ無くて、赤龍王を討ち取ったフォールセンパーティの一人。双剣の片割れだよ。当時は顔も名も隠していたし、その後は表舞台にはほとんど出なかったから、もう一人の双剣と比べて名は知られてないけどあたしが知る限り最強の探索者の一人だよ」


 あえて名は出さない。ケイスが何かを口にするかと思ったがそれも無い。
 ケイスはただ聞き入っている。


「邑源の現当主としてソウセツは、あの人に後を託されている。お嬢ちゃんが何を守ろうとしているのかは判らないけど、少なくともあいつはロウガの街を守るために、全てを注ぐつもりだよ」


 ケイスは先ほど自分が信頼する者しか信頼しないと告げた。
 もしケイスの正体があの一族に連なる者ならば、わざわざ古い発音で言い直した邑源の名に反応するはずと、ナイカは算段する。
 ケイスと名乗る少女の見た目はそれほどまでに、かつて双剣と呼ばれた一人『邑源雪』に生き写しだった。











 ナイカの正体を探るような視線に晒されながらも、ケイスは平静を保とうとする。
 ロウガを訪れることを決めたときから覚悟はしていた。
 只でさえ祖母の面影を残しているのに、それ以上に自分が亡くなった大叔母。
 祖母である邑源華陽の姉であり、父の恋人でもあったという邑源雪の生き写しだという話は、それこそ小さい頃から聞いている。
 だから当の本人を知る者達と出会えば、血のつながりを察せられる可能性は十分に判っていた。
 名乗ることが出来れば良いが、自分の出生を語る事はケイスにとって最大のタブー。
 だから何を言われても否定し、知らぬ存ぜぬで押し通すだけだ。
 だがそれとは別に、自分が直接には知らずとも、祖母や父が世話になったという者達には、親愛の情をケイスは持っている。
 特に今ナイカが名をあげたソウセツは、祖母にとっては目を掛けていた甥であり、父にとっては親友。
 ソウセツには何度も命を救われたと語っていた父の英雄譚を聞かされたケイスにとっての、ロウガの街で是非会ってみたい、剣を交わしてみたいと思っていた憧れの探索者の一人。
 さらに言えば、亡き母からの思いを受け取り、その望みを叶えようとするソウセツの行動はケイスの琴線に触れる。
 実に好みだ。そういう事情ならば喜んで自分が抱えている事情を打ち明けてもいい。
 だがそうしたら自分が、ソウセツとは何らかの関係ありますと、声を大にして語るような物。
 それは出来無い。
 考えに考えた末に、ケイスが出した結論は、

 
「………………依頼書に書かれた依頼主はロウガの街からほど近い旧街道沿いにある牧場の主だ。その者が家畜用の飲み水に使っている井戸の水量が少なくなったのがそもそもの発端だ」


 何の感想も語らず、只淡々と事情を説明する事だ。
 自分が今回の件に関わり、そして敵対した理由をケイスはゆっくりと語り始める。
 水量が減って困っていた牧場主はすぐに探索者管理協会ロウガ支部を通じ、事態改善のための調査依頼を出したという。
 探索者とは別に迷宮を潜ることを専門としているだけで無い。
 複合的な技術を持つ高度な何でも屋というのがその実体。
 過去にも、地下水脈内の落盤や他の要因で何度か井戸が涸れたこともあり、その度に探索者に依頼をしてきたそうだから、当然の措置といえる。
 だが今回は探索者がすぐに来てくれて調査も始まったが、原因が不明だという回答だった。
 そのパーティは、困り果てている依頼主に同情したのか滞在の面倒を見てくれるならば、無償で調査を継続してくれるという申し出をしてくれたという。
 改めて調査依頼を出せばさらに金も時間も掛かる。
 最初に来てくれたパーティには、水棲種族である魚人もいるから長期調査でしっかりとやれば原因が判明するかもしれない。
 その申し出を、牧場主が喜んで受けたのは当然だったろう。


「その親切な探索者。それがあいつらだ。牧場主の依頼はどこかで遮られ抹消され、偽の依頼書をもったあいつらが牧場を訪れた。奴らには事件を解決する気など毛頭無かった。むしろ解決されたら困るからだ」


 人の弱みにつけ込み、親切心に見せかけた悪意で依頼主を欺く。
 ケイスにとってはそれだけでも許しがたい行為だが、あの探索者達の狙いはもっとあくどい。


「井戸の水量が激減した理由は、魚人が仕掛けた妖水獸の卵の所為だ。井戸水内に水を餌として増殖する魔物が仕掛けられていた。それが生物の体内に入れば、死ぬまでは行かないが激しい脱水症状を起こす、さらにそいつらは一度その水脈に居着いたら、完全に根絶やしにするには難しい種別だ」


「あいつらの狙いは? 牧場を潰すとかにしては些か大げさな仕掛けみたいだけど」


「牧場に使っている井戸と近くの旧街道の街で用いている水脈は一つに繋がっている。奴らの狙いは街の水脈を使えなくすること。実際に使えなくならなくても、悪評を撒くことが出来れば良い。旧街道の水脈が危険だと知らしめ、新街道に交易や人の流れを移す事を画策していたようだ」


 ロウガに通じる街道はいくつもあるが、それは必要だったからというよりも、主流派、革新派の各派閥が影響力を持つために設けられた部分も大きい。
 旧街道を牛耳る主流派への、新街道を新たに作った革新派による策謀の一つだが、質が悪いとケイスは憤る。
 街内の井戸では、定期的に水質調査も行われていて何かの仕掛けを施すのは難しい。
 だから街から少し離れた郊外の牧場が狙われたのだろうが、やり口が気にくわない。


「ちょっと待った! 旧街道街で使っている水脈で妖水獸が出たって、そんな報告は出てないわよ。まだ被害が出てないだけで今も増殖中なんじゃ!?」


 事の重大さを察したレンが立ち上がる。
 一度地下水脈に根付いてしまえば、どこの隙間に卵が残っているかも判らず、駆除が困難になると判っているからだろう。


「そちらは私が対処済みだ。たまたまではあるが、私が正体も対応も知っている奴だった。大蛇の卵にグリフォンの尾羽、それと薬草と毒草を混ぜ合わせた灰で練り込んだ浄化剤を、水脈に放り込んで駆除している。大繁殖に入る前だから一掃できたはずだ」


 ケイスは多少ぼかしてレンに答える。
 その妖水獸についてケイスは知らなかったし、判別はもちろん、対策なんて皆目見当もつかなかったが、今のケイスには水を統べる龍王であったラフォスが知恵袋としている。
 ラフォスがすぐに原因や対応法を教えてくれたので、大事になる前にケイスが動けたわけだ。


「大蛇にグリフォンって、あんたがロウガの前で迷走してた理由がそれか……お人好しのあんたらしいわね。関わった理由はなんなのよ」


「誰がお人好しだ。ルディ。出会ったばかりのお前が私の行動を決めつけるな、それに私は当然の事をしたまでだ。あの牧場で育てた牛の肉を試食させてもらったら美味かったからな。お腹いっぱい食べたいので牛を一頭わけてもらえないかと思って尋ねたら、困っていたので手助けしたまでだ」


「はいはい初対面ですよ。にしてもお肉が美味しかったからとか、牛一頭って、あんたの行動を先読みしようとしたあたしが馬鹿だったわ……」


「なんのことだ? まぁいい話を戻すぞ。妖水獸は自然発生する事もあるので、調べればすぐに判るはずなのに、原因不明だといってどうにも怪しげな言動をしていたあいつらを疑っていた私は証拠を見つけたが、同時に策謀に失敗したあいつらが、私や牧場主達を亡き者にして証拠を隠滅しようとしていることも知った。だが、その時には既に事故に見せかけて牧場主が殺されてしまっていた」


 もう少し早く自分があいつらの正体に気づいていれば、避けられたかもしれない人死に。
 全てが自分の弱さが招いた事態だ。
 全身に無数の怪我を負っている自分の身体を見て、ケイスは悔しさのあまり唇をかむ。


「残った家族に仇討ちを約束して、私の知り合いの場所を教えて先に逃がして、先んじて奇襲を掛けた。しかし体調不良で返り討ちに遭いかけて、何とか逃げた次第だ。その後はお前達も見ての通りだ」


「その残された一家はどこに逃がしたんだい?」


「私が山賊を壊滅させてやった村だ。何時か礼を返すといってくれたので、しばらく匿ってやってくれという手紙を渡してある。事が事だけに実働隊の奴らだけで無く、裏に潜んでいる連中も叩きつぶさなければならないと思ったからな。少し時間は掛かるかもしれないが自分を餌におびき寄せて壊滅させるつもりだった。私の話は以上だ。お前達がこれを聞いてどうする気は聞かぬ……だが気にくわなければ私は動くぞ。敵が誰かは知らぬが私は許す気などないからな」


 もし敵に回るならお前達も斬る。
 ケイスは言葉に出さずとも、強い殺気でその意思を知らしめる。
 実力差など一切気にしない。全ては思うがままに。


「さてロッソ。お嬢ちゃんはこう言ってるけど、どうする気だい?」


「ここで俺かよ……牧場主の一家を保護。牧場の調査。捉えた連中の安全確保。各隊に情報を回して連携して動きましょうか。上に噛みつこうってんだからスピード勝負で」


 話を振られたロッソは、あんたが隊長だろうと睨み付けるナイカに首をすくめると、迷い無くすらすらと方針を提示する。
 証拠隠滅や改竄される前に明確な証拠を掴んで突きつけるということだろう。


「あとガンズさんとレイネ婦人は自分の身は自分で守れるでしょうけど、一応警備隊で警護を回します。ウォーギンと薬師の姉さんは今夜ここにはいなかったって感じで、書類を偽造して安全を図る方向で。問題は最重要な証人であるこのお嬢ちゃんをどこかに匿うかって所ですけど。支部内じゃなに起きるか判りませんし」


 ケイスを狙って何か起きるか。それともケイスが過剰反応をして何かを起こすか。
 この短時間でロッソは、ケイスの本質を理解したようで、自分達の管理区域とはいえ、暗殺の危険があるかもしれない支部内で保護する事を諦めたようだ。


「ふん、私は誰かに守ってもらわなっ! …………レ、レイネ先生。いきなり鎮痛術を切るのは、ひ、卑怯だぞ……」


 強がろうとしたケイスだったが、現実を突きつけようとしたのかレイネがいきなり鎮痛術を切ってしまったので、またも腹痛に悩まされる事になり、悶絶する羽目になった。


「まともに動けないケイちゃんが無理を言わないの……ケイちゃんを預かってもらえる良い場所なら私に心当たりがあります。ロウガで一番安全で、同じ年くらいの子供も多いからケイちゃんの事もしばらくは誤魔化せると思います」


 ケイスを諫めるレイネは涼しい顔で抗議を受け流すと、ぽんと一つ手を打って提案した。


「……あぁ、あそこかい。そういやウォーギン坊やだけじゃなくて、レイネあんたもあそこの出身だったね。そりゃいい案だ」


「あーそりゃ安全だろうけど待てって。ケイスだぞ。絶対に揉めるだろ。しかもあそこの屋敷は礼儀作法とか五月蠅いの揃ってるから、こいつはまずこの無闇に偉そうな言葉使いからやり直させられるぞ」


 レイネの提案にすぐにどこか判ったのか、ナイカとウォーギンはそれぞれ正反対の顔を浮かべた。
 ナイカは賛成のようだが、ウォーギンはあまり乗り気に見えない。


「わ、私を、ど、どこに押し込める気だ……っぐ、レイネ先生」


 ウォーギンの反応からどうにも窮屈そうなイメージを感じ取ったケイスは苦しみながらも難色を示す。
 礼儀作法という堅苦しい決まりは、自由で自分勝手なケイスにとってはどうにも好きになれないからだ。


「私達がお世話になっていた孤児院よ。あそこはロウガで一番強固な結界ととってもお強い大先生がいるから、絶対安全だから大丈夫よ」 


「だ、だから私は、だ、れかに守ってもらうのでは無く、私が守るほうであるべ、っ」


「レイネの言う通りさね。大人しく行ってきな嬢ちゃん。ロウガの街が落ちる事になってもあそこだけは絶対安全だって評判だよ。なにせロウガ……いや、世界最強の英雄、元ロウガ支部長フォールセン・シュバイツァーの屋敷だからね」


 ナイカが告げた名。
 それはケイスがこの世でもっとも憧れ、剣を教授してもらいたかった大英雄の名だった。

























「まったく…………ありゃどこの種なんだか。とんでもないのが来たもんだね」


 屯所へと戻ったナイカは愛用のカップを傾けながら、顔に出さずとも大いに動揺していた心を落ち着けようと精神安定効果のあるハーブティを一気に飲み干した。
 怪我を負っていながらも尽きること無い闘争本能。
 かつて自分が憧れ、結局追いつけなかった英雄と被る少女の姿に、ナイカは何ともいえない感情を抱いていた。
 生まれ変わりだと言われれば、素直に信じてしまいそうなくらいだ。
 そうで無くとも何らかの血の繋がりはあるはず。
 あの見た目以上に苛烈な心根がその何よりの証左。
 自分ですらこれなのだから、もっと関連の深かった者達はどう思うのか……


「ソウタだけじゃ無くて、フォールセンの旦那にも良い影響があれば良いんだけどね」


「なんか言ったナイカ副長? 落ち着いてないで準備を手伝ってよ。下手に対応するとあの娘が切れて、何をしでかすか判らないんだから」


 夜明け前には事件の発端だとという牧場に向かって出立する予定のレンは、支度に大わらわで、一人のんびりとお茶を楽しんでいるように見えたのか、ナイカに抗議の声をあげている。  


「フォールセン元支部長の名前を聞いたら途端に大人しくなったし、ソウセツさんの名を聞いたときも途端に事情を話し出したから、あれで結構、見た目通りに根は素直で大丈夫だったりしねぇかな」


「ロッソ。あんた見た目に騙されてるから。可愛い顔してあっさり人を殺すわ、支部相手に喧嘩を売ろうって子よ。どうみても狂人じゃない」


 ケイスに関しては、ロッソの方は気軽に考えたいようだが、レンの方はどうにも警戒色を強めている。
 男女の差が出ているのだろうか。


「わかったわかった。そこらはあとでまとめて話な。まずは動くよ。あの嬢ちゃんが痺れを切らしたら厄介だからね。レンは牧場だろ。あとでエンジュウロウも行くけどいちゃついてないで調査しっかりやってきな」


「判ってますよ。第一いちゃつくなっていっても、仕事中にエンが甘えさせてくれないのナイカ副長も知ってるでしょ。堅物の修行馬鹿ですし……そこが良いんですけど」  


「ナイカさん振るなって惚気になるから。牧場主の遺族の方は俺とギドで迎えに行ってきますから、こっちは頼みます」


「ソウセツに話を通して他の隊との合同捜査にしておくよ。まずはこの仕事をしっかりと決めて、悪評を払拭しないと話にならないからね」


 支部内部の誰かが絡んだであろう不祥事。
 身内の恥ではあるがそれを解決することが出来れば、治安警備隊が生まれ変わったことを示す、良い機会でもあるとナイカは考えている。
 だが同時に、探索者としての勘が告げる。
 その切っ掛けをもたらしたのは、ケイスと名乗るあの少女だ。
 あの少女が現れたことで、かろうじて均衡を保っていたロウガの街は、騒ぎの真っ直中に飛び込んだのではないのだろうかと。



[22387] 剣士と決意
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/05/22 01:07
 左右、上下、前後。 
 軽やかにステップを踏みながらケイスは剣を縦横無尽に振るう。
 右手の剣で打ち合わせながら崩し、左手で突きを放つ。
 さらにそのまま膝を沈め、崩した体勢の勢いを乗せた右の凪払いを低く打ち込みつつ、左の刀身をその上に這わせ、跳躍と同時に剣を蹴り上げた威力重視の大技へと。
 己が思い描く理想を形とし、両手に握る二振りの剣を用いた本来の剣技を開放し、目の前に出現する水人形を次々に一刀両断していく。
 ここはラフォスが作り出した精神世界。
 現実のケイスの身体は、今はレイソン夫妻と共にコウリュウの河口を渡る渡し船の中。
 川と言っても、大陸を代表する大河であるコウリュウの河口ともなれば、知らぬ者が見れば湾と見間違えるほどの幅を持つ。
 対岸まで到着に20分ほどかかると聞いて、身体は休めるために睡眠を取りつつも、短時間と言えど、寝込んでいて数日間も出来無かった鍛練を積むためにケイスはラフォスの世界を訪れていた。 


「まったく。心配をかけおって。少しは自重せよ。このような時くらい身を休めぬか」


 現実では未だ肉体のダメージが酷くまともに剣を振れないケイスにせがまれて、己の世界に招いたラフォスは、一心不乱に剣を振るケイスを見下ろしながら苦言を呈す。
 末の娘の無理無謀は、愛剣として付き合わされているので、この一年あまりで骨身に染みるほどよく判っているが、それでも今回は無茶が過ぎる。
 危うく死にかけ、さらに襲撃を受けたとはいえ、ほとんど戦えないのを自覚しながらも自ら戦いを挑んでいたとは……


「だからこちらで剣を振っているのではないか。現実では鍛錬をせず身体を休めているぞ。船での短い移動時間だけだが、それでも眠れるからな。それに剣士である私が剣を振るなとは、生物に呼吸をするなと言うのと同義だぞお爺様」


 ラフォスの説教に対して悪びれる様子も無くケイスは剣を振りながら答える。
 戦いこそ己が生き様。
 剣こそが自らの言葉。
 自らを剣士であると称するケイスらしい答えと言えば答えだ。
 だがラフォスはどうにも違和感を感じていた。
 ケイスが剣を振るのを好むことは知っているが、何時もなら標的を求めることも無く、只黙々と剣を振っているはずだ。


「何があった。何時ものお前らしくなかろう」


「何のことだ?」


「標的を求めるなど珍しいではないか。なによりお前が我の問いかけにすぐに答えることが、集中が出来ていない何よりの証拠ではないか」


 一度剣を振り始めれば、数時間所か数日でも、己が納得するまで剣を振る剣術馬鹿なケイスが集中すれば、周りの声や状況など一切を気にしなくなる。
 無理矢理に遮れば、一気に不機嫌になって斬りかかってくるのが平常運転のはずなのに、今日はラフォスからの問いかけに即座に返事を返すなど、普段より集中が欠けているのは明白だ。


「むぅ……少し気になって集中が出来ていないのはあるな」


 ラフォスの指摘に思い当たるところがあるケイスは大きく息を吐くと、剣を止める。

  
「お爺様。私には知識が足りない。戦いならばどうにかなると思っていたが、人が絡むと純粋な戦い以外に外まで考えなければならないと思ってな」


 獣や魔獸。
 ケイスを喰らおうとする者が相手ならば、只喰らい返せば良い。
 純粋無垢な弱肉強食な世界こそが、ケイスがもっとも好み得意とする戦闘。
 しかし人が絡むようになれば、ただ相手に倒されず倒せば良い世界で割り切れなくなっている。
 その事は以前より気にはしていたが、特に今回は自らの無知故にその裏に潜む悪意に気づくのが遅くなり致命的な結果をもたらしている。
 死した者は決して生き返らない。
 それはこの世における絶対のルール。
 一度滅びたラフォスとて生き返ったと言うよりも、その骨の一部に残した魂があったからこそ活性化し、再び意識を取り戻したと言うのが正確。
 それも龍という圧倒的な自我を魂を持つ存在だからこそで、他の生命では到底は真似できない。


「しかたあるまい。煩わしいか?」


「敵を全て殺せば終わる方が判りやすくて好きだ。だがそうも言っておれまい」


 自分が気にくわない者はこの世に生きる資格など無い。
 あっさりと語るケイスの言葉の裏側に潜むその傲慢すぎる狂気に、ラフォスは気づきながらもあえて指摘はしない。
 他者の言葉では力では、己の意思を曲げない。
 龍とはそういう物だ。
 ケイスが他人の言うことを聞くのは、あくまでも自分が認めた者達の助言だからであり、それが自分へ向けた好意による言葉だからだ。
 それも自分の意思が勝れば、耳に入れず、ただ猛進する。


「これから向かう先で待つフォールセン殿は剣に優れた英雄であるが、それ以上にその深謀遠慮を謳われている。私が目指すべき道の先にいられる方だ」


「我が末の一人であったな。火龍王を倒した者か……我の知っている者とは違う若龍のようだがそれでも龍王を名乗るからには、人知を越えた力を有するであろうな。それを倒せる者はまた人知を越える者であろう」


 フォールセン・シュバイツアーは龍王を葬り、ロウガを開放したあとは迷宮に挑むことは無くなり、新たに立ち上げた管理協会ロウガ支部長として、ロウガの復興にその尽力を尽くしたのち、要職から身を引き、迷宮にも挑まなくなったことで天恵の力が薄れ徐々に老化しながら、今はただ静かに余生を過ごしている。
 それは世間で良く知られた事実であり、いつまでも地位にしがみつかないその生き様がより英雄視される事になる一因となっている。


「うむ。だが龍を倒した者はまた龍となる。しかしフォールセン殿は私と同じくお爺様の血を引く者で有り、赤龍王を倒した者としてその血を身に宿してしまっている。異種の龍の血をその身に宿したことで体調を崩されたが、それでもロウガ支部長となり、この街がここまで栄えることになる礎を築かれた後、引退していらっしゃる」
 
 
 だがケイスは直接会ったことは無くとも、フォールセンとは深い縁を持ち、その身に起きた真実を知っている。


「私はあの方に剣を知恵を学びたいと思っている……だがあの方が要職から身を引いた真の理由は、大伯母様の死が強く影響していると御婆様はおっしゃっていた。私のこの身があの方には痛みで無かろうか。そして私はその目で見られるのだろうか。実際にこうやって面会する機会を得て、改めて思ってしまってな」


 自分の髪を弄りながらケイスは、ラフォスが佇む水面に映る己の姿を見つめる。
 大伯母である邑源雪を知る者は皆が口を揃え、生き写しのようにそっくりだという。
 それは妹であった祖母や、恋人であった父でさえもそういうくらいだから、フォールセンも変わらないだろう。

 
「英雄と呼ばれる大伯母様に姿見が似ていると言われるのは、誇らしくもあるが、それは私自身をあまり見ていないという事であろう。父様など私を大伯母様様より一字頂いたスノーとしか昔は呼ばなかったからな。イラついて怒りのあまりに龍冠の崖から投げ捨てて、湖の底に叩きつけてしまったこともあるぞ」


「娘……やりすぎであろう。お主は昔からそうなのか」


「あの頃はまだ魔力が使えた上に、自制も出来なかったからな。だがやり過ぎかもしれないが、あれは父様が悪い。例えお大伯母様に似ていようとも私は私なのだぞ」


 自尊心の高いケイスにとって尊敬する人物であろうとも、誰かを通してしか自分が見られないのは、実に腹立たしい。
 龍の血を色濃く蘇らせたケイスにとって、己の心臓が生み出す龍の魔力とは己の心身を強く焼く劇薬のような物。
 心臓を用いて魔力を生成すれば、今現在持つ力よりも遥かに強い力を生み出せるが、同時に制御できない感情の高ぶりで暴走する危険性もある。
 あまりの怒りように、それ以来本来の名であるケイネリアスノーではなく、ケイネリアと呼ぶ者が大半になったほどだ。 
 ケイス本人としては、少しいらついた程度だが、それほどまでに龍の魔力は力のみならず、感情を増幅させてしまう。
 心臓の力を封じ、魔力を捨てた今でも、追い詰められたときに時折起きるその抑制できぬ衝動をケイスは嫌う。
 

「ロウガの街には大伯母様を知る者がまだ生きている。先ほどのエルフのもその一人であろう。これからもそういう目で見られると思うと、少し気になる」


「しかし悩んでどうにかなる物では無かろう。お主はその者に師事を受けたいと願っている。お主がその意思を代えるわけは無いであろう」


「うむ……お爺様の言う通りだ。判ってはいるのだがな。私が強くなるためには、そして今交わしている約定を叶えるためには、あの方の元に向かうのが一番近道であろうとはな……お爺様。ありがとうだ。少しすっきりした」


 悩みが解決したわけではないが悩んでも進むべき道は変わらない。
 自分がそれが良いと思っているのだから。
 ラフォスの後押しをする言葉にケイスは無邪気な笑みを浮かべて頭を下げた。


「私はお前の剣だ気にするな娘よ。それよりもやはりまだ仇討ちを諦めてはおらなかったか。どうするつもりだ?」


 相変わらず傲慢な癖に妙に素直なところも時折見せる末娘に呆れつつも、ラフォスは今後の方針を尋ねる。
 今の怪我を負った様態で、まともに戦えず、さらに言えば正体が判らぬ黒幕を探すには、ロウガの街に訪れたばかりのケイスには些か荷が重い。
 龍であるラフォスからしても、それならこの街を知る者に、警備隊に全てを任せれば良いと思うのだが、ケイスはそうは考え無いであろう事は判っているし、言うだけ無駄とも知っている。


「第一に怪我の療養。平行してこの企てを図った者に、当たりをつけて機会を窺う。ロウガ支部の上層部にいる者が関わっているであろう捕り物となれば大きな騒ぎとなるだろう。その時に斬りにいく」


「騒ぎの隙を見計らって斬るか。相も変わらず先を見ぬなお主は。管理協会とは大きな力なのであろう。よほど上手くやらねば、お主が罪に問われるぞ」


「うむ。私の行く道を汚してくれおった輩に掛ける慈悲など無い。何よりあの牧場主には世話になった。しっかりと仇を討ってやらねば、残された家族に会わせる顔が無い」


「まったく……そろそろ船が岸に着く。怪我の療養を優先し剣を振るな。必要とあればこちらでいつでも用意してやる」


「ん。さすが私の剣だな。だからお爺様は好きだぞ」


 咲き誇る花のように可憐な笑みを浮かべて頷いたケイスが目を閉じる。
 姿がぼやけていき現実世界へと戻る末娘を見ながら、ラフォスは嘆息する。
 掛け値無しの好意を見せて、それを口にするなら、こちらの心労も少しは考えて行動を自重する気は無いのだろうかと。












「レイネ。そろそろ着くぞ。ガキは?」


「まだ眠ってますね。元気そうに見えても、怪我で体力が落ちていますから」


 渡し船の座席に腰掛け、自分にもたれかかってすやすやと寝息を立てているケイスの顔をのぞき込んで、レイネは答える。
 白みかけたばかりの早朝の日に照らし出される、始発渡し船には人の姿はまばらだ。
  
    
「襲撃されたってのに剛胆な奴だな。話半分に聞いてはいたが、そのままか、これで結構の手練れだってんだからな。存在自体がでたらめな奴だな」


 幼いながらも目立ちすぎる美貌のためにフードを目深に被って顔を隠しているケイスは、その姿だけを見れば外見通りの子供にしか見えず、正体を知らなければガンズも気づきはしないだろう。


「起こすぞ。どこで見られるか判らないから早めに動いぅおっ!」


 しゃがみ込んでケイスの顔をのぞき込んだガンズがケイスの肩に手を伸ばそうとした瞬間、眠っていたはずのケイスの両目が見開き、怪我を負っていない左腕を抜き手で、顔面に向かって打ち放ってきた。
 予想外の不意打ちに対して、ガンズは少しだけ声をあげたが、素早く上げた右手でその手を押さえる。


「誰がでたらめだ。人が眠っていると思って失礼な事を言うな」


「起きてたのかよ。いきなり攻撃をしかけてくるな。危ないだろうが」


「今起きたところだ。それに完全に防いでおきながら何を言うか。あなたなら大丈夫だと思ってやったまでだぞ。当たらない攻撃など攻撃にもならん挨拶代わりだ」


 体術ならば自分はこの男の足元には及ばないとケイスは判断する。
 防がれるのが判っているから攻撃では無く挨拶という、些か乱暴な理屈を堂々と語る。
 

「本当にギン坊の言ってたとおり物騒な奴だな。俺は構わないが、横を見てからやれよ」


 ガンズの指摘でケイスが横を見ると、にこりと微笑みながらも、目が怒っているレイネがケイスを見つめる。
 

「ケイちゃん。当たる、当たらないじゃなくて、いきなり人に攻撃しちゃダメよ。判った? 怪我をしたらその人が困るし、偶然でも当たって怪我をさせたらケイちゃんも嫌でしょ」  

 ケイスの反論など端から聞く気が無いと伝える気だったのか、ケイスの唇をつねって口を塞いだレイネが説教を始める。
 小さな子供に対する躾のような説教だが、身体も幼いが、世間知らずで精神的にはさらに幼いケイスには丁度いいくらいだろう。 


「ぅぅぅぅぅん」

 
 声を出せないからケイスは何度も頷いて判ったと行動で返す。
 死にかけの所を助けてもらった上に、こうやって色々と面倒を見て貰っている恩人に対しては、さすがのケイスも力尽くでどうにかというわけにはいかないのか、されるがままだ。


「この調子で大丈夫なのかこいつ? あそこのガキ共所か、フォールセン元支部長に対しても攻撃しかねないぞ。相当の戦闘狂で稽古と称して現役探索者とやりあうのが好きなんだろ」


「ルディアちゃんの話じゃ、言葉使いなんかの礼儀作法は壊滅的だけど。一応最低限の敬意とか持ち合わせているから大丈夫ですよ。大先生の所ならこういうやんちゃな子も多かったですから」


 ケイスの唇から手を離したレイネは、にこりと笑って答えてみせる。
 今絡む交う屋敷内で併設されている孤児院育ちで家族が多かった所為か、包容力の大きいレイネらしい言葉だ。
 

「これをやんちゃっていうな……ケイスって言ったな。お前これから行く先で迷惑をかけるなよ。色々と多感な連中が揃ってるからな」 


 一方でガンズの方は、ルディアやウォーギンから聞いたケイスの言動に些か不安を覚えている。
 なにせ話半分で聞いても生粋のトラブルメーカーで、実際にロウガに訪れたばかりだというのに、既に大騒動に巻き込まれているというか、原因になっている位だ。
 孤児院にいる子供達と見た目は同じくらいでも、ケイスの中身は全く違う。
 子犬の群れの中に、小型ケルベロスをいれるような物だと心配していた。


「心配するな。助けて頂いたのにお二人の顔を潰すようなことをするわけが無かろう。それに怪我人だぞ私は。療養に専念するにきまっているであろう」


 ガンズの言葉にケイスはむくっと膨れて答える。
自分の過去の言動を知れば他人が心配に思うのは当然事だろうに、それらを全て棚に上げたケイスが胸を張って答えていると、接岸して船が微かに揺れていた。


 










 大河コウリュウの東岸に広がるロウガ旧市街地。
 街を囲む復興初期の重厚な石造り防壁には、いくつもの爪痕が刻み込まれている。
 ロウガ解放後も何度もモンスターの襲撃を受けて傷ついたという大門をくぐり、船着き場から繋がる主要通りの坂道をケイス達はゆっくりと上がっていく。
 まだ早朝だというのに、既に開いた店がいくつも見えるのは探索者達が多い迷宮隣接都市独特の光景だ。
 季節、時間によってその内部構造を変える特殊迷宮もある永宮未完に挑む探索者達は、昼夜の区別などあまりなく、挑む迷宮によってその活動時間を変化させる。
 そんな探索者達のニーズで合わせて、各種店舗や宿屋、酒場、神殿なども、どの時間帯でもどこかの店がやっているという形になっている。
 街のメインは広い土地を持つ西岸に移っているが、旧市街である東岸側は管理協会ロウガ支部の重鎮達も多く屋敷を構える高級住宅街がある。
これから向かうフォールセンの屋敷もその一角にあるという。


「ずいぶんと人が多いな。こちらは旧市街なのだろう」


 フードを被り顔を隠したケイスは歩道を行き交う人々の多さに警戒の声をあげる。
 街中で襲撃を仕掛けるというかなり乱暴な手を使ってきた連中が相手。
 警戒してしすぎという事は無い。


「これでも西に比べて少ない方だ。こっちには歴史もある高級な宿が多い。今は始まりの宮まで戻ってる奴らが多いから、騒がしいのを嫌ってこちらに来る連中も多い」


そう答えるガンズもさりげなく周囲へと視線と飛ばし、警戒をしている。
 今は迷宮が封鎖されて内部への侵入が不可能となる自然閉鎖期と呼ばれる『始まりの宮』前。
 普段ならば迷宮内で借り拠点を構えて、長期探索や狩りを行っている者や、遠方の迷宮へと遠征している探索者達が、拠点であるロウガに戻っている。
 そんな探索者達だけで無く、彼らの持ち帰ってきた迷宮資源を取引したり、武具、道具を販売する商人達も多数集まってきており、彼らに娯楽や食料を提供する者達も商機と考えてロウガに行商に来ているので、一時的に人口が倍近くなっている時期だ。

   
「人が増えて活気も出るんだけど、治安も悪化して喧嘩や強盗なんかも増える時期だから、子供は一人で外出禁止になるの。だからケイちゃんを匿ってもらうには良いかもしれないわね。東側はまだ治安が良い地区だからあまり五月蠅く言われないから出歩こうとする子もいるけど、誘われても断ってね」


 周囲の者に親子連れと思わせるためにケイスの手をとって引くレイネは、のんびりと散歩を楽しむ様な素振りで小声で語る。
 なるほど言われてみれば行き交う人々の服装がすこし高級だ。
 探索者らしき者達も武装は最低限で足取りにも警戒している様子が見受けられない。
 

「判った。心配するな。私はやることがあるから外を散策している暇など無い。地理を覚えるのは地図にしておく」 


 今ひとつ外れた答えを返しながらケイスは、頭の中に特徴的な建物を叩き込んでいく。
 あとで地図で覚えるにしても、実際の位置関係を目にしておけば、その理解度は違う。
 ここが戦場になったときに、どこに身を隠せば良いか、どこで斬り合えば有利になるか。
 既にケイスの意識は戦闘に向かっている。
 黙りこくって一見大人しくなったケイスをみて、レイソン夫妻は目配せをする。
 見た目で誤魔化されないでと、別れる前にルディアから散々忠告をされているからだ。
 気品ある儚げな顔立ちと、細めの幼い体で、言う事を聞いて殊勝なことを言っていても、その中身は化け物。
 全然別のことを考えている可能性が高いと。
 そこはかとも無い不安を抱く夫妻と、その不安が見事的中しているケイスは10分ほど歩いて、丘となった住宅街の中腹までたどり着く。
 このあたりには高い塀と、大仰な門と門番らしき者達が目立つ屋敷が建ち並んでいた。
 塀や門には侵入防止用の魔術でも施されているか、飾りでは無く実用的な魔術文字を刻み込まれた魔法陣がいくつも見える。
 この辺りに住む者が上流階級に属する者達である何よりの証拠だろう。 
 背後を振り返ってみれば、今登ってきた坂道と、その先のコウリュウが朝の日差しに照らし出され、キラキラと光っている。
 光に照らし出される街を見下ろしながら、大まかな路地とその位置関係を確認。
 あとで地図を調べて名称と照らし合わせればすむレベルで覚えておく。


「疲れちゃった? それとも傷でも痛むの?」


 足を止めたケイスに気づいたレイネが立ち止まると、ケイスの顔をのぞき込む。


「きついならおぶってやるぞ。それでも怪我人だろ。どうする?」


 先を進んでいたガンズも足を止めて、ケイスを気遣う。
 どうにもこういう風に、すぐに心配されるのはくすぐったい。
 だが悪い気はしない。
 むしろ自分を心配してくれる気持ちが正直心地よい。


「ん。大丈夫だ。少し街を見ていただけだ。私はロウガは初めてだからな」


 すぐに歩きだしたケイスはレイネの手を握ったまま、先に進んでいたガンズへと足早に追いつく。 
 生理からくる痛みはレイネの鎮痛神術で押さえ込まれているから、少しだけだが闘気を生み出せる。
 生成した闘気を全身の治癒力強化に向けているので、十分に動くことは難しいが、普通に歩いたりする分には問題は無い。


「そういやケイス。お前。探索者になるためにわざわざロウガを目指したんだってな。どこ出身なんだな? お前くらいの年の奴が一人旅ってのは無いわけじゃ無いが相当に珍しいからだろ」


 この辺りではそうでも無いが、他地方では戦乱が続いたり、野盗が跋扈し、著しく治安の乱れた地域もある。
 そういう地方出身の子供が、生きるために探索者になろうとするのはよくある話だ。


「ん。すまんがそれは答えられない。別に先生達を信頼していないとかでは無く、願を掛けているからだ。大願を果たすまで家名も、出生も全て封じるとな」


「家名って……お前どこかの名家出身か? 普通はそういう大仰な物言いはしないぞ」


「だから言わんと言っているだろう。今の私は剣士ケイスだ。それで十分だ」


 疑いの目を向けるガンズに、ケイスは胸を張って答える。
 そう今の自分はケイスだ。
 剣と共に生きる者。剣士だ。
 それで十分だ。
 自分の見た目や出生はこれから先には一切関係ない。持ち込まない。
 頼るのは己の剣技と体技のみ。
 自分が目指す探索者とは、その身で遥かに上の怪物や龍も神すらもねじ伏せる者。
 すなわち世界最強。
 決意を新たに顔を上げたケイスの目に、大きな門を持つ一際大きな屋敷が飛び込んでくる。
 己の身に流れるラフォスの血か。
 それとも高ぶる心の囁きか。
 自分と同じく龍の血を引き、そして剣の源流たる流派の創設者。
 祖母や母の話で何度も聞いてきた大英雄があの屋敷にいる。
 誰に言われるでも無く、ケイスは目指すべき者の影を感じ取っていた。



[22387] 剣士と大英雄
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/07/17 02:51
「ふむ……頑丈そうだな」


 見上げた門扉と石組みの塀を見つめながらケイスはつぶやく。
 門や堀は高く、ケイスの全高の4、5倍はあるだろうか。
 自然石をそのまま用いた塀には、足がかりとなる凹凸があるので昇るのは容易そうだが、逆にそれが怪しい。
 おそらく石組み内部には魔術による攻勢結界が仕掛けられている。
 どうすればここに侵入できる。ここから脱出が出来る。
 これから世話になる場所であり、尊敬するフォールセンの住居であっても、ケイスは万が一を考えて、侵入経路や退路を見いだそうと観察していた。
 越えるのが無理なら破壊できるか……


「この壁は元々は東方王国時代の砦跡のだって話だ。龍の攻撃にも耐えるほどに頑丈で、復興初期には管理協会ロウガ支部として使っていたから堅牢さは折り紙付きだな。そんな歴史遺物を切り崩そうとか思うなよ」


 無意識に剣の柄に手をかけていたケイスが物騒な事を考えているのを察したのか、隣に立っていたガンズが釘を刺す。   


「龍王でも壊せない壁か。ならば剣を叩き込む練習台に丁度いいな」


「お前な……レイネ。早く開けてやれ。これ以上、この馬鹿が不穏なこと考える前に」


「はいはい。練習はいいけど剣を振るのは怪我が治ってからね。ケイちゃんの事は伝えてあるからそのままお屋敷に連れてきてって事だからいきましょうか」


 ケイスらしい発言にガンズは頭痛を覚えたようだが、レイネは慣れて来たのか軽く流した。


「勝手に入っていいのか?」


「元々ここの出身だし、子供達の健康診断や急病人が出た時に往診する必要が時々あるから、鍵を渡してもらっているの」 


 レイネはそう答えるとポケットから取りだした鍵を、正門横の通用門の鍵穴へと差し込み、軽く回した。
 鍵を回しただけだというのに、金属が軋む重い音をたてて門扉が内側に自然と開きはじめる。
 その瞬間、ケイスは違和感を感じた。
 魔術を感知する術を持たないケイスには何が起きたかは判らないが、それでも空気が変わった事だけは、直感で判った。
 頭上を見上げれば門柱の上に飾られていたお伽噺の怪鳥を模したとおぼしき雨樋の石像と目が合う。
 じろりと見られている感じがしたのはその石像1つだけではない。
 壁のあちらこちらから、のぞき込まれているような感覚を肌で感じる。
 扉を開けたことで、侵入者を阻む防御結界から、侵入者を排除する攻性結界に切り替わり起動したのだろうか。
 今の自分に攻撃の意思がないせいか、それとも今の実力では脅威ではないと判断されたのか。
 どちらかは判らないが、攻性結界がそれ以上に活発化する様子は見て取れない。
    

「ふむ。ますますよい鍛錬相手になりそうだな」
   

 全力で斬っても壊れない壁も良いが、反撃してくるならばなおのこと良い。
 周囲に危険が埋まっていると感じ警戒感が増すが、基本的に戦闘狂なケイスにとってはそれが心地よく、ほどよい緊張感を感じながら通用門をくぐった。
 門を抜けるとそこは広い前庭になっていた。
 正門から続く舗装された道は正面にある屋敷へと真っ直ぐに伸びており、その左手に水量の多い池が広がっている。
 右手は芝生が覆う平坦な広場となっていて、奥には今は使われていないであろう飼料小屋に、塀沿いには異なる季節毎に果実を実らせる樹木がずらりと植わっていた。
ケイスは周囲を見渡し、確かにここは砦だと判断する。
 小規模だが、鍛錬所となる広場や水場や餌場など騎乗生物用の設備や、植えられた樹木も非常時に食料となる物が中心である事が何よりの証左だ。

  
「……あまり手入れが行き届いていないな。人手が足りないのか?」


 屋敷に向かって歩きながらケイスは眉を顰める。
 一見整った見た目をしているが手入れが甘い。
 池に浮かぶ藻の匂いを、軍馬や軍竜は嫌がる。
 樹木も葉が生い茂りすぎて重なり合った所為で、日光が遮られて生育に影響が出るだろう。
 砦としても、そしてただの前庭としても手入れが行き届いていない感がある。
 まだ早朝ということもあるだろうが、どうにも正面の屋敷からはあまり人気を感じ無い。


「私設孤児院じゃロウガでも一番大きいってのはあるが、維持管理費に結構掛かっているらしいが、ほとんどがフォールセン元支部長の私費だからな。屋敷の方にまで手が回ってないんだろうな」


「入居者はどのくらいいるんだ?」


「母屋の裏側に支部として使われていた頃の職員用宿舎があってそこが改装されているの。下は2才から、上は15才まで。私の時には200人くらいの子が住んでいたわね」


 レイネが指さした方向をみれば、裏側へと続く小路が見える。
 そちら側も鉄門で閉鎖されており出入りが管理されているようだ。


「ずいぶん多いな。それだけいればこの庭の手入れくらいは簡単ではないのか」


「大先生の方針よ。屋敷内のことをやらせる使用人として保護したわけではないのだから、自分達の生活空間を整える以外は勉学や鍛錬に集中させろって。それにこちらの母屋側には色々と仕掛けもあるから下手に弄ると危ないからって、出入りできる場所も決められているのよ」


「外に自由に出来ることも出来無いのか?」


「治安が悪化するこの時期だけはね。普段は日没まで自由に外出が可能で、年齢が上の子は街の工房とか商店にアルバイトに出ている子もいるわよ。一人で暮らせるだけの経済力や生活力を身につける為に、お屋敷伝手で紹介してもらったりもできるから」


「生活環境を提供するだけではなく、将来的なこともか……しかも私費で。国や管理協会からの補助は出ていないのか?」


「多少はあるんだが、あんまり金額がでかいと影響がな。昔もフォールセン・シュバイツアーの名を利用しようとする輩が出たりして、それ以来、少額の寄付だけに頼っているのが現状だ。俺やレイネなんかも細々と寄付してるんだが、所詮雇われだからな俺らも」


 大英雄フォールセン・シュバイツアー。
 その名が持つ意味が大きすぎるのはケイスにも理解出来る。
 だからこそ常に中立を保つために、特定人物や勢力からの多大な寄付を受け入れるわけにもいかず、あくまでも個人的なささやか寄付のみを受け入れている。


「それは判るのだが、ならば何故、国や管理協会が主で動かない」


 フォールセンが受け入れた孤児には、ウォーギンやレイネのように親である探索者を失った身寄りの無い者も多いと聞く。
 ならば管理協会が、彼らを受け入れるのは義務ではないのか?
 ケイスは憤りを覚えるが、


「ロウガじゃ国王ってのはあくまでも象徴で、権利も最低限しか持っていないから国庫に余裕がない。管理協会も元々は探索者の為の互助組織だ。だからって探索者の遺児だけを受け入れるってのは世間の目もある。際限なく保護してそっちに費用が掛かりすぎて、現役探索者へのサポートが疎かになるかもしれないって、色々な理由があるからな」


「出来無い理由などいくらでもひねり出せるということか……ロウガ支部職員の先生達には悪いが、私はますますロウガ支部の上層部が嫌いになってきたぞ」


 様々な理由やしがらみがあるからかも知れないが、純粋かつ単純な思考しか持たないケイスにはそれが怠慢にしか見えずにいた。
ましてやそれが権力闘争に明け暮れ、持つ者としての義務を放棄し、ただ平穏に生きていた者達を踏み台にするなどと。


「ふん……そういう輩に目に物を見せるためにも、フォールセン殿の師事を受けて早急に強くならねばならんな」


 屋敷の玄関前に立ったケイスは大きく息を吸う。
 まともに剣を振れない我が身を恥、その屈辱と怒りと共に、憧れの大英雄に面会できるという待ちきれない希望を現すかのように、ケイスの心臓が鼓動を1つ強く打っていた。













「…………」


 フォールセン・シュバイツアーは新たに開いた封書におざなりに目を通すと、ペンに手を伸ばし、返答を書き始める。
 執務机の上に広がる封書の束はどれも似たような内容ばかりだ。
 ギルドの名誉顧問に迎えたい。
 武具製造に知恵を貸してほしい。
 新設騎士団へ剣術を指導して欲しい
 半世紀近く前に一線を退いた年寄りを今さら担ぎ出さずとも良かろうと、同じような誘い文句ばかりで飽きを覚えていたが、フォールセンの元まで届いたという事は、その差出人や紹介者はそれなりの地位に就く者ばかり。
 それ故に無視するわけにもいかず、丁寧な断りをしたためるのが日々の日課となっている。
 少し変わったところでは自叙伝を出版しないかという提案もあるが、自分の物語を今更に聞いてどうすると、呆れるしか無い。
 広く知られるどころか、脚色され、自身すら身に覚えが無い物語が世にはあふれかえっているというのに。
 数百年を生きたフォールセンにとって、人生はもはや終末でしかない。
 目的という目的もなく、ただ残された日々を過ごすだけ。
 上級探索者として得た不老長寿の力も、迷宮に挑まなくなってすでに半世紀が過ぎ、ほぼその身からは失われ、他の一般人と変わらずに自然の摂理に任せて年老いていくだけだ。
 同じ時間に起き、手紙に目を通し、断りを入れ、過ぎ去った過去に思いを馳せ、まどろみ日々を終える。
 もし明日死ぬ運命だと知ったとしても、フォールセンの過ごし方は変わらない。
 ただ死を受け入れるだけだ。
 むしろそれを、自身が終わりを望んでいることに、フォールセンはとうの昔に気づいている。
 その二つ名の由来であった双剣の片方を失った時に、既に自分の役割は終わったのだと、悟ってしまっていたからだ。
 しかし世間はそれを許してくれない。  
 大英雄。
 双剣の勇者。
 老いた身に今も寄せられる賞賛と名声、期待が、呪いのように、今もフォールセンを生かしていた。
 

「……」

 
 返答を書き終え、次の封書に手を伸ばそうとしたフォールセンは、ふと感じた感覚に日が差し込み始めた窓へ目を向けた。
 皺が多くなった手で疲れていた目をゆっくりともみほぐし、最近ではめっきり衰えた感覚を研ぎ澄ませる。
 赤龍王を討伐して以降、力を使おうとする度に身体に奔る痛みに眉根を顰めながらも、最低限度の活性化をさせる。
 受け継いだ青龍王の血。
 討伐した赤龍王の血。
 異なる龍王の力は、大英雄と呼ばれるフォールセンを持ってしても完全に御しきれる物ではない。
 ロウガ復興に注力していた事もあるが、フォールセンが迷宮に挑まなくなった、挑めなくなった理由は龍血が深く関係していた。
 力の解放に制約を受ける下位の迷宮ならばともかく、最高峰の上位迷宮に挑めば、開放された力に引きずられ2つの血が暴走し、その身を焼き尽くしてしまう事は自明の理だ。
 逆に言えば、大英雄とまで呼ばれたフォールセンだからこそ、暴走させる事も無くその異なる龍血を宿しながらも日々を過ごせたといえる。
 その龍の血が、感覚がざわめく。
 この感覚には懐かしい覚えがある。
 かつてルクセライゼンの皇族であった頃にはなじみ深い物。
 同じ血を引く者が、同族が近くにいるのだと知らせている。
 しかしその感覚が、フォールセンの覚えている物とは微妙に異なる。
 青い龍の血を引く者が近くにいるのならば、涼やかな寒さを背中に感じる。
 赤い龍の血を持つ者が近くにいるのならば、温かな熱を心臓に感じる。
 2つの龍の血を宿すフォールセンだからこそ持つ超感覚が訴える。
 赤と青。2つの龍血を持つ者が近くにいる。
 人の理を外れ永い時を生きるフォールセンをして、初めて感じる感覚。
 自分の感覚が鈍ったとは疑わない。
 無言で立ち上がったフォールセンは、脇に立てかけてあった愛剣に手を伸ばす。
 それは剣士として最低限の、そして当然の警戒。
 龍が近くにいるというのに、呆けている探索者などいない。
 往年の目付きを、最強の探索者と呼ばれた鋭い眼を浮かべたフォールセンが小さく息を吐いた時、執務室に近づいてくる足音が響き、次いで扉がノックされた。
 その気配は長年フォールセンに仕えている老家令の物だ。
 しかし普段よりも歩幅とノックの音が、若干早い。
 少しだけ慌てている様子が感じられる、
  

「入れ」


「お仕事中に失礼いたします旦那様。レイソン夫妻がお見えになりました」  


 普段は落ち着いた表情を貼り付けている家令のメイソンは、僅かではあるが珍しく顔に驚愕の色を乗せたまま一礼して入室すると、若干うわずった声で報告を入れてくる。
 

「レイネ達が着いたか。事件に巻き込まれた子供を保護して欲しいとのことだったな。何かその子の体調に問題でも起きたのか?」


 昨夜遅くに連絡だけは受けていた内容をフォールセンは思い出す。
 ロウガ支部のいざこざに巻き込まれ大怪我をした少女を保護して欲しいと頼んで来たのは、フォールセンが経営する孤児院出身の女医レイネであり、夫のガンズもフォールセンが個人的に信頼している支部職員だ。 
 あの二人は昔から知っているのでよく判っている。
 なら先ほどから感じている違和感を持つ気配の主はその怪我を負った少女の方か?
 しかしフォールセンは気配で違和感に気づいたが、なぜメイソンまでがこうも狼狽しているのかは判らないでいた。


「いえ、確かに大怪我をなされておられますが、ケイスと名乗られるお嬢様はお元気その物です」


 メイソンの言葉使いにフォールセンは違和感を覚える。
 老家令の言葉は、まるでつかえる主の体調を気遣うかのように丁寧すぎるのだ。


「なんと申しますか……その単刀直入に申し上げますとケイスお嬢様のお顔が、カヨウさん……いえユキさんに瓜二つでございます。他人のそら似などではなく、まるで生き写しのようにです」


 困惑した声のままメイソンが告げた名前は、フォールセンがこの世でもっとも信頼する者の……そして信頼し、フォールセンが英雄で有り続けるための原点であった者の名であった。  


「…………メイソン。すぐにカヨウに連絡を……いや待て。あの子が連絡を寄越さないわけがない。出来無い。もしくはするわけにいかない理由があるのか」


 驚愕を押し殺しながらもその正体を知るであろうカヨウに連絡を取ろうとしたフォールセンはすぐに思いとどまる。
 カヨウの血を引く者であるならば、火龍の血を感じるのは判る。
 だがならば何故青龍の血も感じ取った。
 ルクセライゼン皇族に伝わるはずの血を。


「私が話を聞く。ユキやカヨウを知る古い使用人達には、事情が判明するまで余計な詮索をしないように伝えなさい」


 絞り出すように声を出しながらも、今も癒やされない傷がうずく感覚をフォールセンは明確に感じていた。
 



[22387] 剣士の挨拶
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/07/22 02:00
「ひ、ひさしぶりだからね。レイネさんがくるのは」


 屋敷に仕える料理長だという初老の男性は少し上擦った声で、来客用のカップにお茶を注ぐ。
 薄緑色の茶からはさわやかで清々しい香りがほのかに部屋の中に漂っていく。
 茶葉の産地であるロウガの地場品だろうか。


「そうでしたか? 先週も先生の定期検診でお邪魔したときにご挨拶しましたけど」


 わざわざ料理長がお茶を入れに来るなんて珍しいと思いつつ、廊下ですれ違った際に一言だけだが挨拶もしたはずなのにとレイネは小首をかしげる。
 この時間は別棟にある孤児院用の朝食作りで、厨房は大忙しのはずだ。
 だというのにわざわざ料理長自ら、茶と茶菓子を持って来た理由が、レイネ達の様子を見に来たというのだから違和感を感じるのもしかたないだろう。


「あ、あぁ、あぁ、そ、そうだったね。いや旦那さんも連れてくるのは珍しいから、勘違いしたようだ。支援者を招いた感謝パーティーにもガンズ君はなかなか来ないからね」


「俺の場合は元支部長の屋敷にあんまり出入りしていると、痛くもない腹を探られますから。レイネの土産で美味い物は頂いてますよ。ただ今回は……」   


 派閥争いの激しいロウガ支部では、下手な行動で足元をすくわれかねない。
 政治的な物に興味も野心も無いので、ガンズは中立を保っているが今回はそうも言っていられない。


「保護を頼もうってのに顔を出さないわけにもいかないですし、ましてやこのガキは何をやらかすか判らない奴ですから」


 顔をしかめたガンズは、自分達の間に座らせたケイスの頭に手をのばす。
 ケイスは今の所は大人しくしているが、いつ突拍子も無い事をしでかすか判らないのだから、ガンズの心配も当然の事といえるだろう。


「…………」


 そのケイスといえば、ガンズの言葉にも珍しく無言だ。
 出された茶を一口啜り少し渋かったのか顔をしかめると、茶菓子に手を伸ばして、パクパクと口にしている。
 普通の子供なら、知らない場所に来て緊張しているとか大人しくしているとかなるのだろうが、ケイスに限ってはその感じは少ない。
 むしろ行動事態は子供っぽいのに、その全身から醸し出す気配は、ほどよい緊張感を保つ心構えをしているように感じられた。
 料理長はその顔をまじまじと覗くが、ケイスはそれでも無反応だ。
 ただ目の前に積まれた茶菓子を掴んでは少しずつ口に放り込んでいた。 


「お、お嬢ちゃん。気に入ってくれたかい? 当家の特製一口アップルパイなんだが」


「…………うむ。美味いぞ」


 その声は料理長が見習いとしてこの屋敷に仕え初めたばかりの頃に、料理のイロハを教わった女性メイドとよく似ていた。
 姿だけで無く、声までそっくりなケイスに、料理長は少しだけ肩を振るわせていた  











 料理長は、ケイスをまじまじと見つめ感慨にも近い感情を覚えているようだが、当の本人は最低限の礼儀として味の感想は述べたが、他は無視していた。
 どうやら大叔母を知っているようで、料理長ともあろう人物がわざわざ茶菓子を運んできたのもケイスの顔を見て確かめに来たのが理由だろう。
 気配を探ってみれば部屋の外にも、幾人かの人物達が集まっている。
 気配や息づかい、足音から判断して、どれもが年配者のようだ。
 おそらく同じように大叔母や祖母がこの屋敷にいた頃に直接に出会っていた者達なのだろう。
 平時ならば、誰かと自分を同一視されるのは、それが尊敬する人物であろうと非常に腹立たしいのだが、今のケイスには些細なことだ。


(お爺様。判るか?)


 屋敷内に入ったときからケイスは感じていた。
 懐かしい感覚は、同じ血脈を紡ぐ者が近くにいる事を知らせる。
 不思議とそれだけで高揚感がわき上がる。


『まて娘。何を考えている』


 羽の剣の柄を左手で握り心の中で語りかけてきたケイスに、ラフォスは非常に嫌な感覚を覚える。
 ラフォスも懐かしい感覚を思い出していた。
 ただしそれは喜びにも似た高揚感を抱くケイスとは真逆の、非常に嫌な、面倒事が起きるという予感だ。
 龍とは個体差はあるが、基本的に好戦的で、そして何より優劣をつけたがる性質を持つ。
 年老いた古龍ともなれば多少は落ち着きを見せるが、若い龍。
 それこそまだ幼年体の子龍などは、相手の強さや状況、その後のことなど一切気にせず、目の前に強い者がいたら、喜び勇んで挑みかかる悪癖を持つ。
 まさにそんな若龍の悪癖を凝縮して煮詰めたような物がケイスの性格だ。
 だがどんな血の気の多い若龍でもまともに戦えない状態では、さすがに理性を働かし、無駄に戦いを挑んだりはしない。 


(うむ。一手だけなら今の体調でも行けるな。いや、むしろ一手でなければいかん)


 だがケイスは違った。血の気の多い龍よりもさらにいかれた戦闘狂であった。
 ケイスには既に周囲の状況も、後の事も頭の中には無い。
 ただ一手。己の全てを現す剣の一降りだけだ。
 少しでも力を回復させるために目の前の茶菓子をせっせと食べて、闘気を生みだし体力を回復させていく。 


『それは治りかけの傷口がまた開いて、なけなしの体力を全て使い果たした上に、隣の女医にこっぴどく叱られることと引き替えになるぞ』


(うむ。それは致し方ない。なにせ生涯一度きりの初対面なのだぞ。その時に剣を振るわず、いつ振るというのだ)


 フォールセンの噂は知っていても、その実際の体躯や剣を知るわけではない。
 あくまでも噂や伝聞で見聞きしただけの事。
 本人を知った後では、勝つためにあれこれ考えて剣を振ることになる。
 それはそれで心躍り楽しくもあるが、相手を知らずに剣を打ち合わせるのもまた一興。
 唯々純粋無垢な剣の一降りを持って相手を降す。
 しかも相手は世界最強との誉れ高き英雄フォールセン。
 剣士を名乗る自分が、最強の剣士に挨拶をする。
 ならば剣無しで何をするというのだ。
 剣のことしか頭にないケイスらしい剣術馬鹿理論。
 だか悲しいかな。今は剣であるラフォスにはケイスの言いたい事が、その理論が、共感は出来無いが、何故そう望んだか理解が出来てしまう。
 そしてそんな馬鹿剣士の剣である自分が、すべき事も自ずと悟る。


『速度優先で軽量でいけば打ち負ける可能性もある。今のお主の身体に耐えられるギリギリまで重さを乗せれば良いな』


 重い傷を負い、十全所か、一にも満たない体調だというのに平気で噛みついていく馬鹿につける薬はない。
 肉も骨も切らせてでも命を絶つ。
 最初に一撃を食らおうが、首を撥ねられようが、剣を振ると決めたら最後まで振り切る。
 ケイスを現す剣を例えるならばそれだ。


(うむ。さすがだなお爺様……我が剣を持って世界最強を制すぞ)     


  手に取った小さなアップルパイをパクリと食べたケイスは、ゆっくりと噛みしめながら最後にもう一度己の体の状態を自己分析する。
 傷だらけの身体はあちこち痛いが、気合いを入れれば我慢できる。
 体力が無いので踏ん張りは利かないが、それは歩幅と重心を上手く調整する。
 右肩の矢傷は深くまともに触れないが、左手ならば剣を繰り出せる。
 生理痛はまだ少し違和感があるが、レイネの神術で痛みだけは和らいでいる。
 剣を振れる状態に、フォールセンに挨拶が出来る状態に自分はあると確信を抱いたケイスは、ゆったりと立ち上がった。
 心臓が熱くなるほどに、背筋がゾクゾクとくるほどに感じていた気配がすぐ側まで来ている。


「おいケイス。いきなりどうした?」


「うむ。フォールセン殿に挨拶をする。部屋の直前まで来られたようだ」


 急に立ち上がったケイスにガンズが不審な顔を浮かべ、警戒色を見せるなか、ケイスは輝かしいばかりに喜びに溢れた極上の笑みで答える。
 灼熱をもたらす夏の太陽ですら負けそうな輝きを持った美少女の笑みに、ガンズ達がつい見惚れる中、ケイスは軽くジャンプをしてテーブルを飛び越えると一足飛びに扉の前に降り立つ。
 そしてスーッと大きく息を吸い、


「扉越しに失礼する! 私はケイス。剣士だ! まずは剣士らしく剣を持って、フォールセン殿への我が挨拶とさせていただく!」


 屋敷中に響く大声で、剣術馬鹿による剣術馬鹿のための剣術馬鹿な挨拶を、臆面も無く告げると、左手で羽の剣を抜き構えた。












 ドアノブに手をかけようとした瞬間に中から響いてきたまだ幼いと言っていい少女の声と、それには不釣り合いな内容に、歴戦の勇者であるフォールセンも思わず止まる。
 長い人生の中では、眼前に立った者から堂々とした宣言からの決闘を挑まれたことも幾度もある。
 忍んでいた暗殺者からの襲撃を受けたことも多々とある。
 だがドアの向こうから決闘を申し込まれた事など、フォールセンの長い人生でも初めての経験だ。 


「ケ、ケイス! 馬鹿か! いきなりなにやってんだ!?」


「誰が馬鹿だ。私は剣士としての礼儀に乗って挨拶をしようとしたまでだぞ」


 同じく室内にいるガンズの怒声が廊下の窓ガラスを揺らすほどに大きく響くが、怒られたケイスの方は実にあっけらかんとした声で返す。


「私は剣士だ。そしてフォールセン殿は世界最強の剣士だ。ならば初めて挨拶を交わすならば剣を交えなくてどうするというのだ? 私は千の言葉を語り合うよりも、一刀を持って交わした方がその者がよく判る。なぜならば私は剣の天才だからだ」


 そして実に真面目ぶった声で持論を唱え出し、そして自分が天才だと堂々と宣ってみせる。
  傲岸不遜な性格が手に取るように判る尊大な話し方は別としても、その声はフォールセンの琴線にも触れる響きがある。
 懐かしくもあり、真新しくもあるその声の主は、一切臆する事も無く続ける。


「そしてフォールセン殿も紛れもなく私と同等もしくはそれ以上の天才。ならば我らにはまずは言葉など不要。剣を持って私を示すのが道理ではないか」


 あまつさえ世界最強と謳われるフォールセンと自分の才覚は同等とまで、臆面もなく言いきり、ドア越しでもはっきりと判る輝かんばかりの闘気を滾らせてみせる。
 はち切れんばかりに洩れ出でる闘気は、逆に言えば未熟な証。
 闘気とは肉体強化の力。 
 己が内に留め、循環させてこそ最大限の力を発揮する。
 無駄に放出する事自体がまず無意味だ。
 声の主であるケイスのその技量は幼く拙いとフォールセンは粗に気づくが、同時にそれら欠点を補ってあまりあるほどの、無限の可能性を感じる。
 本来であれば、体外にはっきりとあふれ出すほどの闘気を生み出せるまでに至るには、並の者では十年以上の修練がいるだろう。
 己の闘気をもって武具を強化出来るようになるまではさらにその倍。
 そこまでいけば達人や武人として名をあげるだろう。
 才がなければ一生掛かっても到達は出来無い領域だ。
 だが今扉越しに向かい合う少女の気配は剣を構え、その剣の切っ先にまで闘気をみなぎらせている。
 これは龍の血が成す力なのか。
 それとも少女が語るように天才ゆえか。
 それともその両方が揃ったが故に、未熟で有りながらその領域にまで達したというのか。
 ただ声を聞いただけでは、
 闘気を感じただけでは、
 フォールセンには判らない。
 ならば…………

 
「ガンズ殿だけでなくレイネも中におるな」


 驚きのあまり思わず止めていた呼吸を再開したフォールセンは、室内にいるであろう元教え子であり、今の主治医でもあるレイネへと声を投げる。


「は、はい! すみませんすぐに止めます! ケ、ケイちゃん! 怪我もしてるんだから」


「よい。剣士殿以外は扉の前から離れて部屋の隅に固まっていなさい」


 終わったはずの何かが、フォールセンの中で僅かにくすぶる。
 少女の発する声に当てられたのか?
 それとも少女の醸し出す狂気に当てられたのか?
 何故自分は警戒し、剣を携えたのか?
 中にいる常識外の少女は、一体何者なのか?
 その答えはまだ見えない。
 だが少女は答えを得る方法を、明確に、これ以上ないほどにはっきり伝えている。
 少女の言うことをフォールセンは理解が出来る。
 剣を交えてこそわかり合える物があると。
 ケイスは本能で理解する。
 生まれながらに剣と共にあり、剣と共に歩み、剣と共に生きたからこそ。
 フォールセンは経験で理解する。
 幾千もの戦場を越え、幾万もの敵を屠り、幾億もの剣を交えたからこそ。
 本能と経験。
 生まれ持った物、積み上げた物と違いはあれど、天才故に通じ合う。


「剣士殿のおっしゃるとおりだ。我が剣を持って挨拶をいたそう」


 何時もは力を入れれば軋むはずの身体が、半世紀前に嵌められたはずの枷が、いつの間にやら和らいでいる。
 今なら自分の剣が、少女が言う、己の全てを語る剣が振れるだろうという確信を抱きつつ、フォールセンは片手にしかと握り締めていた愛剣を鞘から引き抜く。
 細く引き絞られたその長剣の刀身は、血よりも赤く染まっている。
 無駄な装飾など一切なく、さらに言えばその刀身には刃すら無く、すらりとしたスマートな姿をみせる。
 刃を持たない奇剣にして、この世のあまねく万物を切り裂く世界最強の剣。
 己の生まれ持った血肉での強さに拘るあまり、龍王となれなかった古龍。
 強者を求め己が一族さえも裏切った龍にして、戦を求め多くの都を火の海に沈めた災厄の龍。
 その身と魂を剣へと変えても、なお飽くなき世界最強への渇望を抱く魔剣。
 永劫の時を持っても宿るその情念たる赤龍の魂を持って、あらゆる物質を切り裂き、魔術を切り裂き、理さえも切り裂く。  
 ただ斬ることに、それだけに特化した、剣の中の剣。 
 英雄フォールセンの愛剣の一つであり、赤龍王さえ屠ったその剣の銘は『エンガルズ』


「他の者も下がっていなさい。それとメイソン。新しい扉の手配を頼む」 


「よろしいのですか? ケイスお嬢様は大怪我を負っておられます。下手をすればお命が……」


 フォールセンが静かに告げると、応接室の周りに集まっていた使用人達はその圧倒的な気配に飲まれ無言で後ずさる中、老家令だけは憂慮の顔を覗かせる。


「心配するな挨拶だ。我ら剣士流のな」


 メイソンの憂慮を、フォールセンは微かに笑って受け流す。
 はて、そういえばこうやって笑って剣を構えられたのは何時以来だろうか……
 立場も、状況も無く、ただ剣技を、己を見せ合うためだけに剣を交える。
 遥か昔に過ぎ去った、期待も希望も絶望も何も背負っていなかった若者だった頃を思い出しながら、フォールセンは右手に構えた剣肩口まで持ち上げ左足を前に出し、半身に身構える。
 皺の目立つ老体でありながらも、右手に構えた剣の切っ先は一切もぶれることなく、扉一点を、ケイスがいるであろう位置を捉える。
  この瞬間、この場に世界最強の剣士が降臨していた。



[22387] 剣士と扉
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/07/30 23:23
 扉の向こうで戦闘態勢に入る少女を、フォールセンは感じ取る。
 突き刺さるように荒々しい気配は警戒心を高めさせた。
 まるで強大な野生動物がいるかのような気配に、周囲の使用人達が思わず後ずさり壁際に背をつけるなか、フォールセンは扉を見据える。
 少女とフォールセンの間を仕切るのは、固い樫の一枚板で出来た扉。
 この屋敷が元々は管理協会支部だった事もあり、防火、防音も考えた作りになっているので扉は分厚くで頑丈になっている。
 並の剣士であれば、剣を打ち込んでも扉の途中で刃が止まってしまうだろう。
 だが少女が並みではないと、フォールセンはその気配で見抜く。
 少女の正体が、もし自分が予想する血筋の者であれば、その身には強大な魔力と何よりも剛剣無双な剣技、邑源流を持つはず。
 この両者があれば、どれだけ分厚い扉であろうと、薄紙よりもさらに脆い存在でしかない。


(剣士としてくると宣言した以上、魔術はないだろう…………扉を突き抜けるならば逆手双刺突系。こちらの攻撃を迎撃するならば御前平伏か) 
 

 少女がどこまで体得しているかは判らないが、考え得る最善にして最大の手をフォールセンは思考する。
 突撃技の逆手双刺突で扉を突き破るか?
 それとも対大型モンスター迎撃用の御前平伏で、剣ごとフォールセンを叩き伏せるか?
 前者は派生技をもつ基本技の一つ。
 後者は邑源流の奥義である極めの技。
 どちらの方が習得が容易いか、どちらの方が身体に負担が少ないか。
 それは比べるまでも無い。
 少女は怪我を負っている。
 身体の状態、そしてなによりも少女が発する今にも飛びかかってきそうな猛犬じみた気配。
 どちらが少女を選ぶかその当たりをつけたフォールセンは、全力を持って迎撃するためにゆっくりと息を沈めていった。   












 消しおったか……我が使い手よりやりおる。

 つい一瞬前まで感じていた扉の向こうのフォールセンの気配が完全に消えている。
 息づかい、心臓の鼓動、筋肉の収縮音。
 生命とは基本的に音を出す存在だが、微かに空気を揺らすその反応すらも消失している。
 剣へとその身を変えたラフォスは、刀身で受け止める空気の流れで周囲の状況を把握するが、感じ取る大気の中には音のみならずフォールセンの体臭すらも消失している。
 気配遮断の魔術を使えば同様のことも出来るが、その場合はいかに上級者でもコンマ数秒ではあるが不自然な魔力の乱れを発生させてしまう。
 ましてや剣に身を変えようとも、ラフォスの本質が龍である事に変わりはない。
 己の外側である外界への干渉を行う魔術にもっとも長けた生物の超感覚を、いくらその血を引いていると言えど誤魔化すことなど不可能。
 となればフォールセンは内界を、己の精神、肉体を操る闘気の力のみでこれを成し遂げた事になる。
 一方のケイスはといえば、既に意識は極限集中状態に入っているのか、扉を見つめて、どう斬りかかろうかと窺っている。
 だがその高鳴る心音や早い呼吸音、上気した頬や羽の剣を握る掌にはうっすらと汗が滲み日なたのような匂いをほのかに漂わせて己の存在を主張している。
 そして何よりケイスの心に合わせて激しくうごめきだした闘気が体中からあふれ出し、野生の獣じみた圧迫感をもって周囲の空間に放射されている。
 ドラをかき鳴らすように盛んに己の存在を知らしめているケイスの一挙手一投足をフォールセンは扉越しで見抜いているに違いない。
 こちらからはフォールセンの気配はたどれず、逆に向こう側からは透かすようにその位置を捕まれている。 
 剣を交える前から、すでにフォールセンとケイスの歴然とした力の差は明白となっていた。

 
(お爺様。合わせろ)  


 その実力の差を知っているのか、それとも知った上でさらに燃えたぎったのかは判らないが、ケイスは小さく心の中で囁き、左手で握った剣を逆手に持ち変えると、扉に向けて水平に持ち上げて構えた。


『逆手双刺突でいくのか? だがあれは直線的に打ち込んでこそ最大の威力を発揮するのであろう。どうやって捉える』


 逆手に構え切っ先を相手に向けて突進をかけ、突き込みと同時に開いた右手で柄頭に打ち込み威力を高める逆手刺突と呼ばれる一連の体系技は、ケイスが好む威力重視の大技にも繋がる。
 最大威力で打ち込めば鉄盾や石壁すら突き破り相手を貫き通すことが出来るので、色や木目からして樫の木で出来たとおぼしき分厚い部屋扉といえども、易々と打ち砕けるだろう。
 だがその反面大技であるため外した際の隙も大きく、フォールセンの姿を捉えきれないこの状況では躱される可能性は極めて高い。

  
(いや、違う技でいく)


 ケイスもそれは判っているのか否定すると右足を引き、グッと身体を沈め溜を作り、頭の中に己の剣戟を描きラフォスへと伝えてくる。


『……また曲芸じみた真似を……練習もなくやれるのか?』


 それを技と呼んで良いのかと思いつつ、ラフォスは呆れて尋ねる。
 一拍の後れも間違いも許されない綱渡りな剣技を、ぶっつけ本番でやろうというケイスの無謀さには一年近い付き合いではあるが慣れる物ではない。  


(何時ものことであろう。私の才でねじ伏せる)  


 気負うでも無く自信を持って答えるでも無くケイスはただ一言純然たる事実を持って断言する。
 己は剣の天才である。
 ならば出来無いわけがないと。


『……よかろう。いくぞ我が剣士』


「参るっ!」


 ラフォスに答えるために。
 フォールセンへと宣言するために。
 己の高まりを全身で表すために。
 裂帛の気合いと共にケイスは強く床を蹴る。
 扉に向かって真正面から一足跳びに向かいながら、空中で剣の柄を握り、形状を変化させる。
 たわんだ刀身がぐにゃりと折れ曲がり、真っ直ぐに扉を目指していた剣の切っ先が横にずれた。
 ずれ込んだ切っ先が目指すのは扉と壁の境界線。
 上下に設置された蝶番だ。
 ケイスは剣を高く上げ切っ先を隙間に滑り込ませる。
 同時に切っ先と柄が極限まで重量を増して、軽量なケイスの身体は剣に振り回されて空中で前に倒れ込み始める。
 重量と硬度を増した羽の剣は金属製の蝶番の上段をあっさりと破砕する。
 勢いに任せて下段の蝶番も切っ先に切り崩されたとき、ケイスは完全に上下逆さ状態になっている。
 荷重をカット。
 自由を取り戻した両腕を引きつけつつ背中を丸めて前宙を行いながら、両足を扉上段に向けて振り抜く。
 音をたてながら扉へと着地したケイスの勢いをうけて、ドア枠がミシリと音をたて壁材から剥がれて、廊下側に傾き始める。
 扉へとぶち当てる勢いで剣を振り下ろしつつ再度荷重。
 勢いと同時に重量を増していく剣の一降りは投石機で投擲された巨石のような物だ。
 頑丈な扉にヒビを入れるだけでは飽き足らず、完全にドア枠諸共に廊下側に勢いよく吹き飛ぶ。
 獲物を捉えようと目を見開くケイスを乗せたままに。
 たなびく黒髪が数本、ドア枠の上段に引っかかりぷつりと音をたてて抜けるが、身をかがめたケイスはギリギリでドア枠をくぐり抜ける。
 倒れ込む樫の木の扉は、今やケイスにとっては壁ではなく、盾であり大地。
 扉ごと廊下側に仕掛けることでフォールセンの迎撃を防ぎつつ、回転の勢いを持って先の一撃を打ち込む。
 それがラフォス曰く曲芸じみたケイスのはじき出した最適解。
 己の肉体のみならず、硬度変換と重量変化を行える羽の剣が持つ力を最大限に生かしたケイスが今行える最大の一撃だ。
 倒れ込む扉の上側に目をこらしていたケイスは、フォールセンの白い頭髪を視界に捉える。
 だが視認もした近距離だというのに、鋭すぎるはずのケイスの感覚を持ってしても、そこにフォールセンが存在するという確信を抱く事が出来ない。
 まるで夢幻かのようにただ見えるだけだ。
 
 かまうことか。

 ケイスは躊躇しない。
 見えた瞬間に、考えるまでも無く剣の切っ先をフォールセンに向かって合わせる。
 唯々剣を振る。
 生まれ持ったその本能のみで動くからケイスの剣は早く、そして本質を切り裂く。
 迷いも躊躇も無い。
 捉えたなら須く斬るべし。
 最大荷重。
 扉で切っ先を隠したままケイスは剣を突き込、











「扉だけで無くドア枠も修理が必要だったか。メイソン、手間をかけるが頼む」


 フォールセンの呆れ声が響き、ケイスは気づく。
 いつの間にか自分が床に倒れ伏していた事に。
 見れば盾として使っていたはずの扉はすでに廊下に倒れて、周囲には無理矢理ドア枠を引き剥がした所為で、木くずを含んだ埃が舞っていた。
 何が起きた?
 少なくとも2、3秒は意識を消失していたと思われる。
 状況を確認しようと身を起こそうとしたケイスだが、身体が動かない。
 力を使い果たしたか?
 いやそれは無い。最後の最後に叩き込むつもりで残していた力はまだ身体に残っている。
 だが身体が動かない。
 そこまで来て闘気の流れが不自然に断たれていることにケイスは気づく。
 闘気とは肉体操作の力。
 指を一本動かすのにも闘気は微量だが使われている。
 それらの無意識で行っているはずの行動さえも今は出来無い。
 倒れ込んだ視界の先を見れば先ほどまで一体化していた羽の剣も、ぐにゃりと折れ曲がった状態で最大まで注ぎ込んでいた闘気の欠片も感じ取れない。
   
  
「む……闘気の流れと意識を斬られたのか?」 


 声を出すことは出来る。
 四肢へと繋がる闘気の筋だけを断ち切られたようだが、フォールセンの剣筋やいつ動いたのかが全く判らなかった。


「我が剣は万物を斬る剣であるからな。まさか剣士殿がドア諸共くると思わなかったので、ドア越しで少し狙いが荒れおったが、その様子では上手くいったようだな」


「うむ。お見事だ。私は負けるのは大嫌いだが、これは負けなどではない。今の私では相手にすらならなかった。負けという言葉すらも当てはまらん」


 倒れたままケイスはこたえる。
 強い。強すぎる。
 この自分が何も出来ず、何も判らず、そして地に倒れ伏したというのに何も悔しくないとは。
 唯々気分がいい。


「私からも一つ聞きたいのだが、扉の蝶番を斬ってこちらに突き込もうとしたのは剣士殿の技か?」


「うむ。回転斬りで威力を高めるのはよくやるのだが、今回は扉が足場として使えるので速度重視で突き技として使うつもりであった。そこに行く前に落とされるとは思わなかったな。名をそうだな……剣を軸に回転するのだから『刃車』とでもするか」


「つまり状況に合わせて、私を相手に今思いつきで技を作って使ったと……剣技のみで無く、その思い切りの良さには驚かされるな」


「そうか? 私のほうが驚いたぞ…………うむ驚いた! 面白い! よいぞ! うん! いい! さすが私が憧れた剣士! フォールセン殿だ! こうでなくてはいかん! 私の才能を持ってしてもたどり着けるとも知れぬ道があってこそ私は突き進める! 絶対いつか我が剣を届かせて見せようと滾れる!」


 床に倒れ伏したままケイスはだんだんと可笑しくなり、そして心がわき上あがり上機嫌に笑い始めた。 
 自分の全力を持っても、絶対に届かない相手がここにいる。
 自分が全神経を集中していても、なにをされたかすらも認識が出来なかった剣がある。
 天才を自負し、天才たる自分でも、見えぬ領域がここにある。
 自分が目指す道は、世界最強は、この先にあると。
    

「このような状態で失礼だが改めて挨拶しよう! 私はケイス! いつか貴方を越える剣士を志す者だ!」


 完膚無きまでに敗北したというのに、ケイスはまるで自分が勝者のように堂々と名乗りをあげ、自らの挨拶とした。























「先生。いいお年なんですからあまり無茶はしないでくださいね。それにケイちゃんもあれでも大怪我してるんですよ」


「すまんなレイネ。ケイス殿につられて、ついつい年甲斐も無くはしゃいでしまったな」


 肩を揉むレイネがあげる非難混じりの声にフォールセンは頭を軽く下げて詫びを入れる。
 あの後しばらく高笑いを続けていたケイスだが、傷も禄にふさがっていない所に全身を無理矢理に使ったアクロバティックな剣を振るった所為で体中の傷が開いたのか、すぐに全身から血がにじみ出して、血の海を生み出す惨劇めいた光景を作り出していた。
 だというのに血塗れな本人は上機嫌でニコニコしているのだから軽い悪夢だ。
 今は再治療をした上で、別室のベットに比喩抜きで頑丈なローブで縛り付けたうえに、薬で深い眠りに強制的につかせていた。   


「あの馬鹿は……なんであの状態で今から稽古を始めようと思うんだよ。申し訳ありませんフォールセン様。あんな剣術馬鹿を匿ってくれなんて無茶を頼んで」


 いきなり全開で暴走しだしたケイスに関してはガンズは平身低頭しか無い。
 結果的にはフォールセンが勝ったが、あの瞬間ケイスが全力で殺しに掛かっていた。
 おそらくケイスの事だ。本気になって、状況や相手のことなど全てが吹き飛んだのだろうとガンズは息を吐く。 


「気にするなガンズ殿。あの鮮烈な闘気に当てられ、久しぶりに私も剣士としての心や技を思い出せたのだ。よい気分転換となったよ」


「……それなら良いんですが」


 本気で言っているのか、それとも社交辞令なのか、判断が着きかねるのかガンズが不安げな顔を浮かべるが、フォールセンは静かに微笑むだけだ。
 今の感覚を説明しようとしても、他者には判らないだろうとフォールセンは心に留める。
 フォールセンにとって、ケイスは新しい存在であった。
 今日会ったばかりだからの目新しさでは無い。
 もっと深い意味でのだ。
 その見た目は、メイソンが言う通りにフォールセンがよく知る姉妹に似通っていた。
 おそらくその血を色濃く引く存在であるのは間違いない。
 感じる青龍の血が、その生まれに何かしら深い事情を持つと気づかせる。
 だがケイスを見ていれば、剣を交えれば、それら全ては些細なことだと思い知らされた。 
 ケイスと名乗るあの少女は、剣士ケイスなのだと。
 百戦錬磨のフォールセンすらも予想しない無茶な攻撃を仕掛け、しかも今考えついたと平然と言ってのける。
 身のうちに巨大な魔力を抱えているはずなのに、レイネの話では、魔力を一切持たない、生み出せない変換障害者だという。
 全てがフォールセンの予想外。想定外。
 ケイスと出会う前。
 ケイスと剣を交える前。
 フォールセンが抱いていたはずの、過去の思いから来る暗く深い闇を思い出させる容姿だというのに、ケイスには一切纏わり付くことが無い。
 唯々純粋に前に進むがゆえか。
 それとも剣のことしか頭に無い剣術馬鹿ゆえか。
 扉を壊してフォールセンの前に降り立った剣士は、フォールセンの長い人生の中でも初めて遭遇する珍妙な剣士である事に変わりは無かった。  



[22387] 剣士と調べ物
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2016/08/20 23:06
「どうなっている!? あの件が調査される事はなかったはずだろ!」


「落ち着け! 既に事は起きている! 今更いっても始まらん!」


 重苦しい空気に包まれた船室に、苛立ちを隠そうともしない声が響く。
 ロウガ沖合に泊められた大型貿易船に、港湾部を取り仕切る一部ギルドの長達が集まり開催される合同会議も既に数十回を数える。
 今も急速に拡大を続けるロウガの街。
 陸上で拡大を続ける各種設備と違い、日に百隻以上もの大型船が出入港を繰り返す国際貿易港ではあっても、港湾設備拡張がその拡大速度に追いついているわけではない。
 入港までの時間が取られる上に高額な停泊料を請求されるよりも沖止めを選ぶ船も数多く、そしてそれらの貨客を小型船や、騎乗生物で運搬する業者も数多く存在する。
 港の拡張は誰もがそのうちに必要だとは、頭の片隅で考えてはいる。
  新たな大型港湾開発ともなれば国家的事業となるが、都市国家ロウガにおいては国とは王家とは、あくまでも象徴。お飾りであり、その国家運営は復興最初期よりから委託を受けて探索者管理協会ロウガ支部が取り仕切っている。 
 港湾開発に掛かる膨大な手間や資金、既存、新規の利権問題など諸々が絡み合い、他の優先すべき事案が優先され、港湾設備拡張は時折議論にあがるだけの状況が長年続いている。
 停滞している状況をどうにか改善する為に発起された合法的な会合が、いつの間にやら陰謀の色を帯びてきたのは、積もり積もった焦燥感の所為だろうか。

 
「管理協会への働きかけはどうする?」


「今は下手に動けん。『鬼翼』が監視の目を強めている。あくまでも正当な要請をしていくしかあるまい」


「老いぼれが。今更何をしゃしゃり出てきている」


 舌打ち共に吐き捨てた台詞に誰もが我知らず頷く。
 少し前までのロウガ支部ならば、多少の不祥事は金とコネによりいくらでも簡単に握りつぶすことが出来ていた。
 だが今は状況が変わり始めている。
 『鬼翼』の二つ名を持つ上級探索者ソウセツ・オウゲンが調査治安部隊の長へと就任し組織が一新されて以来、旧組織では漏洩させるのが容易かった詳細な捜査情報や活動内容が秘匿されてしまっている。
 ロウガ支部上層部への足がかりはまだ掴めていないようだが、すでに不正行為を行った一般職員クラスは幾人か拘束されており、ソウセツは己の立ち位置をはっきりさせている。
 法を、秩序を犯すものは誰でも罰せられると。
 本来あるべき姿に戻っただけだ。
 しかし勢力争いを繰り広げている彼らにとっては、正論は受け入れがたい物になっていた。
 自分達が引けば他の勢力の利となるかも知れないと、どの勢力も考えている以上、目立つ真似も出来無いが、傍観するだけもできない。
 それほどまでにロウガの権力争いの根は深く広がりきっている。


「代わりは用意してあります。あちらに食らいつけば問題はないでしょう。彼の立場上、中立で無ければならない。だから実行犯であるあちらを見過ごすことは出来ません。当初の計画通り粛々と進めましょう。ロウガの繁栄は私達に掛かっているのです」


 もっとも年かさの、この集まりの盟主ともいえる海運ギルド長が動揺を見せる仲間達にむけて、にこりと微笑みながら告げる。
 全てはロウガ繁栄のため。
 自分達の活動がこの街をより大きくし、いつかロウガはトランド大陸一の貿易港となる。
 それがこの街に住まう住人や、拠点とする探索者達に与える大きな恩恵は言うまでも無い。
 その為なら多少の不正や、犠牲は致し方ない。
 自分達の活動を正当化する為の論理の元、ロウガでは数多の策謀がうごめいていた。














「なぁ。俺本当に必要か? 不義理が多くてあんまり顔出せる立場じゃねえんだが」   

 足取り重いままフォールセン邸へと続く坂道をダラダラと台車を押しながら坂をあがっていくウォーギン・ザナドールは昨夜の酒が残って痛むこめかみを押さえる。
 時刻は日が半分以上昇った昼少し前。
 どうせ仕事も無し。もう少しダラダラとしていたいのだがそうもいかない理由がある。


「あたし一人じゃ適当な理由が無いんだから仕方ないでしょ。荷物持ち代の前払いで散々飲み食いしたんだからウダウダ文句を言わないでよ」


 ルディアは大きな背負い袋を担ぎながらスタスタと進んでいく。
 迷宮への侵入ができなくなる閉鎖期『始まりの宮』もあと数日で終わる。
 閉鎖期がすぎれば、トランド大陸全土に広がる大迷宮『永宮未完』はその姿を一新させる。
 内部構造があちらこちらで変化し、生息するモンスター達の分布や強さも変わり、新種や変種といった今まで見たことの無いモンスターや、新たな地域が迷宮化したりといった形だ。
 そして何よりも迷宮内の資源が再発生し、新たな宝物がいくつも出現していく。
 故郷に戻ったり、観光地で豪華な休暇を過ごしたり、ストイックに修行に励んだりと思い思いに過ごしていた探索者達も徐々に意識を切り変え迷宮探索の再開に備え準備に余念が無い。
 ルディア達が運搬しているのも、ロウガのあちらこちらにある探索者向けの宿屋や紹介所から、ルディアのアルバイト先の薬屋に注文された各種魔法薬の類いだ。
  普段なら店主の老婆一人だけなので専門業者に配達を頼むらしいが、干されて金欠状態のウォーギンに対する店主の気づかいであり、同時にフォールセン邸で保護されているケイスの様子を見にいく理由をつけてくれていた。


「配達ついでに里帰りで顔を出してこいってフォーリア婆さんも簡単にいってくれるよな……あいつが大人しくしてるとは思えんが、レイネの監視から外れて迷惑掛けまくってないだろうな」


 見た目だけなら極上の美少女だというのは、ウォーギンも諸手を挙げて認めるが、あの傍若無人で常識のない性格だ。
  これまでケイスの監視役をしてくれていたレイネも管理協会職員として始まりの宮期終了前とあって、本業の方が忙しくなっている。


「だからそれが心配だから様子を見に行くんでしょ。2、3日前からレイネさん達はお仕事が忙しくて顔も出せなくなったそうだし」


 ケイスとの関連を疑われないために、レイネ達とも極力連絡を取っていなかったので、ケイスがどう過ごしているかルディア達には知る術が無い。
 あれでも義理堅い性格ではあるので、命の恩人であるレイネに対しては信頼やらなんやらを向けているので、その手前、大人しくしているとは思いたいが、その監視が外れた今はどうなっているか……



「あそこも複雑で捻くれているのも多いからな。悪ガキ共全員をぶん殴り倒していても不思議じゃねぇな」  


「それなら斬ってないだけマシでしょ」


 手が出る前に刃を振り抜いているであろうケイスなら、そちらの方がまだマシだとルディアは乾いた笑いで答えるしか無かった。

















「ケイス様でしたら、本日も資料室にお籠もりになって調べ物をしていらっしゃいます。孤児院の子供達からは、『本邸の隠れ姫』などと呼ばれていますが、あの見目麗しさに気後れして近づきがたいみたいで遠巻きに見られていますよ」


「「…………はっ?」」


 全ての配達を終えてフォールセン邸に訪れたルディア達は、出迎えてくれた家令のメイソンの返事に思わず間の抜けた声をあげる。
 ケイスはどうしている?
 同敷地内に建つ孤児院の子供達と揉めていないか?
 そんな質問に対して廊下を進むメイソンから返ってきたのは、ケイスを形容するには実に不釣り合いな言葉だった。 


「あー……メイソンさん。ケイスですよ。ガンズの親父さんとレイネが連れてきたあの剣術馬鹿の。あれが大人しくしてるんですか?」


 この老家令が下手な冗談や嘘を言わないことを知っているウォーギンですら思わず再度聞き直す位の異常事態だ。


「えぇ。ウォーギン君と同様の心配をガンズさん達もされていましたが、初日に旦那様相手に剣を振るわれた後は怪我の療養に専念されておられます。ケイス様は孤児院ではなく本邸で寝起きをされておられますので、子供達との接触も極力少なくなっていますので、お二人がご心配なされるようなことは起きていませんよ」


「あー剣は振ったんですねあの馬鹿。しかも大英雄相手に」


 どういった経緯や理由で英雄フォールセン相手に剣を向けたのか知らないし、知りたくも無いが、その一言でようやくルディアはメイソンの語る人物とケイスと重なった。
 これから世話になる屋敷の主人で、しかも歴史に名を残す英雄相手だろうが、平気で剣を向けるのはルディアが知る限りあの剣術馬鹿しかいない。


「あいつ相手が何でも噛みついていく狂犬だからな……フォールセン先生が怒ってませんか?」


「旦那様も久しぶりに良い剣を振れたとお喜びでしたので気にすることはありませんよ。こちらです……お調べ物中に失礼いたします。メイソンです」


 微かな笑みを浮かべていたメイソンが扉の前で足を止めると軽くノックして中に声をかけた。


「ん。入れ」


 必要以上に丁寧なメイソンに対して、中から返ってきたケイスの返答は実におざなりなものだ。
 メイソンが扉を開けると、ファイルや本が山積みになったテーブル前の寝椅子にうつぶせでゆったりと身体を預ける気怠そうなケイスがいた。
 何時もは適当に後ろで縛っている髪は綺麗に結い上げられ、動きやすさ重視なケイスの嗜好真反対のレース付きのヒラヒラとした青いAラインドレスに身を包んでいる。
 生まれ持った美貌だけでもあれだがこうした恰好をしていれば、行儀が悪い寝そべった恰好だというのに、深窓の令嬢めいた雰囲気を出せるのだから反則級だ。


「丁度いい所にきたな。昼ご飯にはまだ早いが小腹が空いた。お茶と茶菓子を持ってきてくれ」


 ケイスは入り口に目を向けようともせず資料に目を落としたままだ。
 気配に敏感なケイスにしてはめずらしく、メイソンの後ろに立つルディア達のことには気づいていないようだ。


「かしこまりました。それとケイス様。お客様がお見えになりました」


「客? ……ルディとウォーギンか。むぅ。針の所為で探知能力がほとんど発揮できていないな。レイネ先生の治療は治りはいいが闘気使用が限定されるのが難点だな」


 ここで初めて顔を上げたケイスはごろりと横になってダラダラと身を起こすと、あくび混じりに眉根を顰めた。
 どうも本調子で無いのか動きに精彩さが無い。


「メイソン。茶と茶菓子は三人分だ……二人ともよくきたな。何か街の方で動きでもあったのか?」


「ケイス…………あんた本当に傍若無人よね」


「基本的に偉そうなのは元々だが、お前もう少し遠慮しろよ」


 保護されている居候だというのに、まるで自分が屋敷の主の様な横柄な態度を見せるケイスにルディア達は呆れるしか無かった。 













「むぅ。そうは言うがな。主と同様に振る舞えといったのはメイソン達使用人の方からだからな。私としてはもう少し放って置いてくれても良いのだが、色々と構ってこられて面倒で叶わんのだぞ」 


 いきなり向けられた非難めいた言葉にケイスは不満をあらわに反論する。
 秘匿されてはいるが皇帝唯一の諸子としての生まれ故に、使用人に傅かられるのはケイスにとってはある意味生まれたときからの当たり前の状況。
 無論それが実家においてのみで、外に出れば関係ないのは判っているし、必要以上に構われるのは面倒だという思いの方が強い。
 だが今回に関しては、この態度を望まれたからという方が強い。


「メイソンには何度も言ったが私を客人扱いせずともいいのに、フォールセン殿の名誉に関わると言われればそうもいかないだろう」


「ケイス様には金貨500枚もの過分な寄付金をご提供いただきましたので、当家の大切なお客様としてお泊まりいただくのは当然の事です。そうさせていただけなければ、当家の、そして旦那様の沽券に関わります」


「だからあれは私の気持ちだと言っただろう」


「ケイス。あんたね……相変わらず出入り激しいすぎでしょ。どういう金銭感覚なのよ」


 金貨500枚と聞けば普通なら目を剥くような大金で、それを寄付したという話を疑いそうな物だが、金銭に無頓着なケイスに関してはルディア達に驚きは無い。
 気に入れば平気で通常剣に金貨100枚を払い、決闘となれば相手の装備を揃えるために糸目もつけない。
 必要になったら剣で稼げばいいと考える、この馬鹿には常識は通用しない。  


「この家にまともに恩返しも出来てない俺が聞ける立場じゃ無いが、メイソンさん結構やばいのか?」


「ウォーギン君が住んでいた頃より子供の数が増えて困窮はしていませんが、あまり余裕は無い状況が続いていましたが、ケイス様のご寄付のおかげでしばらくは安泰ですよ」


「あれはフォールセン殿に敬意を表した私の気持ちだ。見返りなど求めていなかったのだぞ」


 世話になるのだし、感謝の気持ちもあって手持ち全額を寄付しただけの話だ、
 大叔母を知っているであろう年輩の使用人達のみならず、若い使用人達も突然の臨時給金の出資者であるケイスに感謝の意を込めて、最上級の客として世話を焼き始めてしまったのだからそれが失敗だったとケイスは唇をかむ。 


「この恰好だって私は動きにくいから嫌なのだぞ。これではすぐ破けそうで身体を動かす事さえ出来無い。だが私のために仕立てたと言われれば、着ないわけにはいかないであろうが」


 青いドレスの端をつまみ上げたケイスは憮然とした表情で反論する。
 このドレスを仕立て上げたのもデザイナー志望という若いメイドだ。
 黙っていれば令嬢なケイスに製作意欲を刺激されたとかで、着せ替え人形にされているが、善意からの行動ではケイスも無碍にはできない。


「うら若き女性が服に無頓着なのは美の神に対する冒涜だという声もありますのでご理解ください。それにまだレイネさんから激しい運動の許可は下りていませんのでご自愛ください」


「そうやってすぐレイネ先生の名を出す……マネキンになるのは怪我が治るまでだからな。それよりもメイソン、早く茶と茶菓子を持ってこい」


 レイネには無理したことを散々叱られて心配もかけたので、どうにも頭が上がらないので、これ以上は話しても不利は変わらないと諦める。


「はい。かしこまりましたすぐにご用意いたします」


「甘いので頼む。二人とも立ってないで座ればどうだ」


 手を振るってメイソンを追い出したケイスは寝椅子に座り直して、対面の椅子を指さしてルディア達に着席を勧める。


「それで二人とも今日はどうした? 街の方で何かあったか」


「今のところは何もないわよ。今日はあんたがなんか問題を起こしていないか気になってきたんだけど……なんであんたはこう毎回毎回、予想を外してくるのよ」


 ルディアが釈然としない顔を浮かべる。
 心配して損をしたとその顔にははっきりと書いてあった。
 















「しかしお前、詐欺みたいに化けるよな。ガキ共がちょっかいをかけてこないのも判るわ。からかいづらいって言うか、話しかけづらいだろ」


 ほどなくしてメイソンが持ってきた茶をカップに注ぎカップを傾けるケイスをみてウォーギンが感心したか感嘆の声をあげた。
 令嬢然としたのは見た目だけで無く、その仕草一つ一つが作法をきっかりと守っているからだ。
 遠くで見ている分には孤児院の子供達が誤解したのも判らなくはないと、合点がいって頷いている。


「考えてみれば、あんた量は異常だけど食事作法はきっかりしているのよね」


「……ルディ達とは食事を一緒にしたこと無いぞ」


「まだ言うかあんたは……それで何を柄にも無く引きこもって調べてたのよ」


 この期に及んでもカンナビスでは会ってないと言い張るケイスにルディアもあきらめ顔だ。
 この様子では一生認めようとはしないだろうと確信して、さっさと本題の話題に移る。
 ルディアが指さしたのはケイスの背後に山と積まれた本やファイルの山だ。


「色々だ。そっちの本は妖水獸の生態やその被害範囲と影響を記した記録本。こっちのファイルはあの街道の通行量記録や街道沿いの経済状況の推移を書いた分析書。それとロウガ近隣の資産家や権力者の来歴や資産、最近起きた事件などの情報なんかを中心に調べているところだ」


「管理協会発行の白書は別にしても、他は専門的な情報ばかりだけど意味は判るの?」


 試しに数冊を取ってみたルディアはぱらぱらと中を捲ってみるが、専門書の類いに書かれているのは専門用語と細かな数値の羅列やら、共通言語が出来る前の古語で書かれた紀行文など難解な物ばかりだ。


「意味や言葉は判らなかったからそこの一番下にまとめてあるの入門書やら、古語辞典で覚えた。治療中で時間だけはあったからな。とりあえず中身を適当にかみ砕いてみただけだから、細かい違いはあるかもしれないが大体あってるはずだ。久しぶりに本ばかり読んだ所為で眠くて叶わん」


 机の下に無造作に置かれた十数冊のそのまま枕に出来そうな分厚い本の山を指さしたケイスは、必要だから覚えたとあっさりと告げるとあくびを漏らす。


「それで怠そうなのね。ケイスにしては珍しく動きが緩慢だと思ったら」


 背後の机に山になった資料の類いも含めればまともに読めば数ヶ月は掛かるであろう量だが、いろんな意味で人外なケイスのやることなすことにいちいち驚いていては身が持たないと理解しているルディアは、疑いもせず納得する。 


「ん。動きはそうじゃないぞ。レイネ先生の治療で身体に針を打ち込まれたからだ。闘気を治癒に向けるのは私もよくやるが、それをさらに強化する治療術だ。ただおかげで身体強化があまり出来無くて難儀している」


「あーお前あれうけたのか。治りは良いがあれ、怠くなるんだよな。痛くないのはいいが違和感もあってあんまり気分がいい物じゃねえよな」  


 治療を受けたことがあるウォーギンもそれを思い出したのか同意するが、聞き捨てなら無い一言にケイスの顔色が変わる。


「……待て。私が受けたときは思わず泣くくらい痛かったぞ」


「それレイネをなんか怒らしただろ。効果は変わらず無痛も激痛も自由自在にやれるそうだ。あいつ顔に合わず体罰容認派で言っても判らないなら、痛い目を見せたほうがいいってタイプだ」


「う、うむ。気にとめておくことにする」


 痛みには耐性がある自分が思わず悲鳴をあげるほどの激痛だったのを思いだして、ケイスは身を震わす。
 今現在ケイスが稽古をせず大人しくしているのも、調べ物があると言うこともあるが、下手に動くと効果が切れて、またもう一度針を打たなければならないと脅されているからだ。
 無茶はしないと約束していて破ったのは自分だから、レイネを恨む気はサラサラないが、笑顔で怒ってくる辺り祖母や母を思いだし、またもレイネに対する親愛の情や苦手意識が募りケイスは複雑な顔を浮かべるしか無かった。


「どうせあんたの事だから怪我しているのに、剣の稽古でもしようとして見つかったんでしょ。話を戻すけどそれで犯人の目星は付いたの?」


「決めつけるな……目星というか怪しい奴らは見つけた」


 どうでも良さそうに正解を言い当てたルディアを軽く睨んだケイスは、手元にあった本をテーブルの上に投げ出す。
 ケイスが投げたのはロウガの街で活動するギルドや商家の最新所在地目録だ。


「採掘ギルドに、飛竜ギルド、魔術師ギルド、海運、薬師に料理と、大御所から流派違いのマイナー系と諸々。商人は大陸中だけじゃ無くて、別大陸からも結構な数が来てるわね。でどれよ怪しいのって」


 数百ページにも渡るリストには付箋も書き込みも一切無いこれではケイスが目星をつけたのがどれかは判らない。


「ほぼ全部だ。調べてみたのだが、ロウガの不正の根は深く広すぎる。今回の件にどのギルドや商家が関わっていたり仕掛けていてもおかしくない状況だ。裏金、不正行為。犯罪行為がはびこっているようだ」


 ケイスが調べて判ったのは、誰が起こしたか判断するのが極めて難しいと言うことだ。
 敵対するギルドや商家が右手で殴り合いつつも、左手では秘密裏に手を組んでいるとおぼしき状況も数多く見られる。
  あらゆる利益や損益が複雑に絡み合い、一概で判る利害関係を形成していない。


「相変わらずだな。ロウガの発展速度は大陸でも有数。その分色々と内部は複雑だからな」


 ロウガ出身のウォーギンはケイスの説明に思い当たる節が多すぎてウンザリとした声をあげる。


「また面倒な。どうしてそんな状況になってるのよ」


「フォールセン殿が支部長だった時代はまともだったが、引退した後の後継者争いで支部内部が揉めに揉めて今の禍根がばらまかれたそうだ。大まかに保守派と改革派と別れているがどちらも内部は固まっていないようだ」


 フォールセンが表舞台から引退した理由を知るケイスとしては、腹立たしい思いしかない。
 それが丁度ロウガの復興に向けた下地がほぼ出来上がった時期だったので、競い合う勢いのまま大きく発展をしたはいいが、この混沌とした状況が出来上がったというわけだ。

 
「で、どうする気よあんた?」


「全部を斬ってしまうか検討中だ。特に酷い組織でさえ2、300ほどあるので骨だがな」


「止めときなさいっての。本命じゃなかったらその隙に逃げられるわよ」


「うむ、それが懸念だ」


 これがやけっぱちになった返答や冗談なら笑えるのだろうか?
 実に生真面目に答えるケイスが、紛れもなく本気なのを感じて頭痛を覚えていた。 



[22387] 剣士の未来図 加筆修正版
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:5ef41db8
Date: 2017/03/25 22:50
「敵が判らないって、新街道を牛耳っている改革派の仕業とかいってなかったかお前?」


「実行犯の連中が言うことを信じるならばだ。正確に言えば、奴らがそう思って、思わされていただけかも知れないということだ。詳しく調べてみたらどうにも不可解な点が多かった。見ろこれだ」


 尋ねてきたウォーギンに対して、ケイスはテーブルの上に地図を広げてみせる。
ロウガを中心に周辺の街道や街、村などを記されている。


「書物によれば今回の妖水獣が巣を作って成体になるまでは数ヶ月が掛かるが、生物に寄生して発症、産卵するまでは最短で2日だ。過去に起きた発生状況と照らし合わせて、一次感染者によって広がる範囲内を想定するとこれくらいだ」


 テーブルの上に広げ、事件の発端となった牧場の大まかな位置に点を打ったケイスは、次いで赤いインクで大きな丸を描き出す。
 それは山間の街を中心にして隣のロウガの街の一部を掠めるほどに広大な円を描き出していた。


「私が戦った実行犯共は、新街道へ客足を移すことを画策していたはずだ。ここがその新街道だ……だがこれでは新街道の街も、一次感染だけで十分に感染拡大範囲になるであろう」


 資料室にあった旧版の地図には新街道は描かれていなかったので、今度は黒いインクで道を描き出していく。
 旧街道は谷川沿いの曲がりくねった山間を進む道だが、迷宮特別区の一部を利用した新街道は元迷宮区域だった洞穴を抜けて一部区間をショートカットしている。
 どちらもロウガからならば健常者の足で丸1日。
 だがロウガの隣国首都へは、旧街道ならば10日はかかるが、新街道経由ならば7日ほどですむ道のりだ。


「寄生から発症まで最短2日か……それなら絶対安全ってわけじゃないか。旧街道を通ってロウガによって一泊してそのまま新街道。街から街に渡る行商人ならそれくらいのスパンで移動するわね」
 

「それだけじゃ無い。この妖水獣は人間種だけで無く、水を飲む動物や渡り鳥なら全てに寄生主にして広がる。水場から水場に渡られたら拡大する一方だ。発生を起こせてもその後の感染範囲までは制御できると思えぬ」


「あー待て待て……もしかしてこいつ野生種じゃ無くて生物兵器か?」


 二次感染、三次感染を考えればその範囲はより広大になっていく。
 寄生先の多さと発症までの短さにウォーギンが浮かべた懸念に、ケイスはこくんと頷く。


「かもしれん。一番古い記述は、この妖水獣によって国民の大半が病に伏して、その間に隣国によって攻め落とされたという逸話が残っている。ただこの国もその後に起きた暗黒時代に滅んでいるので詳しくは判らん。これが野生化したのか、密かに飼育法が伝わったのか判らんが、その後も時折発生しているようだ」 


「そうなると逆にお前の知ってた駆逐方法以外に、感染予防薬か完全治療薬があるかもしれねぇぞ。魔具と同じだ。こっちの意図を外れる動きをする物なんか危なくて使えるか。隣国が占領して併合したって事はその後どうにかしてるんだろ。その記述は?」


「私が読んだ書物の中には少なくとも無い。失伝しているのか、それともあの半漁人が知っているのかは判らん……ふむ。吐かせておけばよかったな」


「あんた、あれにやられてたでしょうが。聞けば聞くほど闇が深いわね。街の勢力争いって言っても、いくら何でも大げさすぎる気がするんだけど。この新街道って方は私が通った道だからなんか判るかも。ちょっと見せて」


「ルディはあっちを通ったのか。どうだった?」


「どうって言っても、まぁ新しく出来ただけあって歩きやすかったわね。元迷宮区だからかモンスターの出現率が、他の街道に比べて少し高いって話だったけど、巡回の探索者達もいたし、途中に野営用のポイントも整備されていたから身の危険は感じなかったわよ」 

 上、中、下そして初級。
 さらにそれぞれの特性で赤、青、緑、紫、黒、黄、白、金。
 計4段階、8属性に分別される永宮未完は、極一部の特別区と呼ばれる物を除いて、それぞれの迷宮へと立ち入る資格を持つ探索者しか存在が認識できない結界が張られている。
 資格を持たぬ者には、その迷宮への入り口へと入ることはおろか、見ることも出来無い。
 一般人でも入れる区域は浅い表層部の特別区になるがその特別区とは別に、迷宮としての機能を無くす廃迷宮化する地域が時折発生することがある。
 廃迷宮化する原理は未だ解明されていないが、今までは探索者しか通れなかった近道が解放されることにより、物流状況が大きく変わることが判れば、利益に目ざとい商人達には十分だ。


「ただ通行料とか宿代は高かったわね。他の物資も完全に足元を見られてる感じ。あと行程の7割くらいが地下通路だから、景色は代わり映えしないし、薪や飲料水の準備されているポイント以外じゃ狭くて野営しづらいって所ね」


 山道を行く旧道では、薪に困ることも無くわき水自然の恩恵に預かる事も出来るが、固められた土で出来た地下通路がメインの新道ではそうはいかない。
 休憩ポイントなる場所も、一部通路が広くなっている部分に限られ、そこにはゴーレムなどを店番にした無人販売所となっている辺り、とことんまで稼ごうという意思が見えている。
 しかしこれは仕方ないだろう。巡回護衛探索者を雇ったり、廃迷宮化した事で自然劣化が始まった地下通路の修復、補強などで、街道として維持するには多額の運転資金が必要となる。
 だからこそあらゆる手を使って、利用者を増やそうとするのだが……  
 

「でもそんな事を言い出したら、街中の安全で無料な道だけ使いなさいって話でしょ。要はよくあるちょっとお高い近道よ。そこそこ通行量もあったし、生物兵器なんて使わなくてもいいでしょ」 

 
「大量感染が起こらずとも事が露見すれば、ロウガ支部がいかに不正塗れであろうとも摘発に動かざる得ない。これだけのリスクを冒さずとも他にいくらでも利用客を増やす手はある。そうなると考えられるのは、もっとより大きな策謀だ」


「それでこのリストに載った連中全部が怪しいってわけね」


「うむ……この方面の街道を全て潰すためか、大感染を引き起こしあるかも知れない感染予防薬、治療薬での荒稼ぎを画策しているか、もしくはロウガの街その物を標的とした隣国の策か。情報が少なすぎて正直いくらでも動機が予想できる」


 先ほど投げ捨てたリストをケイスは睨み付け舌打ちをする。
 目的が絞れなければ、怪しい動きを行っている者達の中から目星もつけられない。
 せめて襲撃してきた探索者の情報があればいいが、彼らは既に拘束されて、ケイスが手の出せない牢獄の中だ。  
 

「治安部隊に大きな動きはないか?」 


「これ関連かは判らないが、ツレの一人が支部の資料室に勤めてるんだが、そいつの話じゃ幾人か職員が拘束されたらしい程度だ。通常の治安維持任務に出ている連中以外の動向はわからねぇな」


「目に見える動きは無しか」


 期待はずれのウォーギンの答えに、ケイスは苛立ちの色を僅かに濃くする。
 秘密裏に動いているのか。それとも何も判らず動けていないのか。
 街に出ることが出来無いので、情報収集も出来無いから、こうして伝聞や資料を当たるしか手が無いのが、ケイスには不満だ。


「この資料に載っている者達を見る機会があれば、斬るべき者は判るであろうが、何か良い機会は無いか?」


 せめて怪しいと思った者達を直接に目にする機会があればだいぶ違うというのに。
 自分は剣士。
 その自分が斬りたいと強く思う存在であるならば、それが自分にとっての敵。
 その勘に任せて動けばどうとでもなるというのに。


「見れば判るっていって全員を斬りつけそうじゃない。あんたの場合は……」


 血なまぐさい場面を想像したのかルディアは顔をしかめている。


「機会つってもな。こんだけの面子が集まるなんぞそうは……あーあるっちゃあるか。明日の朝に出陣式があるから、ギルドの上の連中とか参加するだろ」


「出陣式? 戦争でもあるのか?」


 ウォーギンの言葉にケイスは首を捻る。
 ロウガ地方では小競り合いやにらみ合いなどはあるが、戦争と呼べるほどの大戦が起きそうだという話を聞いた覚えは無かった。


「ちげぇよ。始まりの宮に挑む探索者志望の連中を送り出す式典だっての。ロウガの恒例行事で祭りみたいなもんだよ」


「ロウガのみならず近隣の王族やら領主なんかお偉いさんも集まるって話だっけ。ケイス。行こうとか思うの止めときなさいよ」


 ケイスが一瞬目を輝かせたのを目ざとく見つけたルディアがすかさず止めに入る。


「どうしてだ?」


「物々しい警備があるに決まってるのに、標的がいたら後先考えずに突っ込みかねないでしょあんたの場合は」


「うっ……むぅ。そんな事は無いぞ……たぶん」


「どーだか。ともかく外には行けないんだから大人しくしてなさいよ。レイネさんに叱られるわよ」
 

 本や資料を当たっているだけでは埒が開かない。
 だからといって外に行くと怒られる。
 事態の進展の無さに対する苛立ちが、殺気となってケイスの身体から放出され始める。
 ここ数日剣を振るどころかまともに触れてもいないので、禁断症状が出ているのもあるのだろう。
 ケイスの苛立ちは獰猛な野生生物と同じ檻にいるような圧迫感をともなってはき出されていた。


「ケイス。物騒な気配が出てるから引っ込めときなさい。判っていてもこっちの心臓に悪いのよ」


「俺なんて変な汗が出て来た。お前。相当ストレス溜まってるだろ」


 ルディアがカタカタと触れる己の右手を目でさして抗議の声をあげ、ウォーギンも濡れた掌をみせる。
 ケイスの事を知る二人だからまだ良いが、見知らぬ他人の前でこれをやったら、血の気の多い相手なら一瞬即発の事態になり、気の弱い者なら卒倒しかねない空気の悪さだ。


「ん。すまん……むぅ。フォールセン殿のように己の内で留められればいいのだが、私はまだまだだな」


 息を大きく吸って怒りを抑え込んだケイスは、先日のフォールセンの剣戟を思い出して珍しく反省する。


「フォールセン先生で思い出したけど。お前やっぱり喧嘩を売ったんだってな」


「聞くの止めときなさいよ。どうせ頭が痛くなる理由で切りつけたんだろうし」


「喧嘩では無い。挨拶だ……私の剣が全く通用しなかった。正確に言えば剣を振ることさえ出来無かった。あの時の剣戟を真似してみたいのだが、私にはまず気配を抑える事が難しい。剣が振れないので、ここ数日は殺気や剣気を抑えて自分の気配を遮断する陰行の練習を平行して行ってはいるのだが、どうにも難しい」


 あの時のフォールセンが見せた感じ取れない剣戟。
 動きや音、気配さえ全て消し去りながらも、己の力を発揮して神速の域へと到達する。 外へ出す力を0とし、己の内で100と出す。
 理屈はその天才性を持ってケイスも理解するが、理解は出来ても、模倣が出来無い。
 目の前で見ながらも、自分で再現が出来ない事などケイスにとっては初めてのことだ。
 己の身体能力だけでケイスの感覚すらも欺くハイレベルの陰行術。
 魔力を持たない、捨てたケイスにとって、気配を掴ませず、欺瞞できれば、剣戟の距離へと踏み込むことが容易くなる、あの技は是が非でも習得したい技だ。
 だがその道のりはまだまだ遠い。
   

「あんたが屋敷内で大人しく見えた理由ってそれもか。陰行って要はあれでしょ。自分の存在を目立たなくさせるって感じの」


「うむ。細かくは違うが、大まかにはそういう事だ。接近するだけで無く、達人や上位モンスターになれば剣の出を見極めたり、剣線を読んでくる連中もいるからな。それらを読ませない、読めない事が出来るようになるからな。うむ。やはりフォールセン殿は素晴らしい剣士だ。天才である私が認める天才な事はあるぞ」


 らしすぎる傲慢な言葉に、ルディアとウォーギンは顔を見合わせ、


「目立たないの無理だろ」「……でしょ」


 同時に心に浮かんだ突っ込みを口にする。
 ただでさえ行動が突飛な上に、自分で自分を天才と呼ぶこの自己主張の激しい性格。
 そのケイスが身につけたいのが、自分を目立たせなくする気配を押し殺す陰行術。
 全く真逆の性質をもつ気がするのは気のせいでは無いだろう。
 

「……五月蠅い。抑えるのが苦手なのは判っているが身につけたいのだからいいだろう。私は剣の天才だ。ならば出来る。なぜなら私が決めたからだ」


 斬りたいから斬る。戦いたいから戦う。
 自分の性格はさすがのケイスとてよく判っているが、剣の技であれば自分が出来ぬわけが無いと開き直って見せた。


「……怪我が治っても、フォールセン様に無理に剣の稽古を頼んだり、夜討ち、朝駆けとか仕掛けんじゃないわよ。レイネさんに言いつけるから」


 同じ屋根の下に大英雄フォールセンがいるのだ、実戦稽古が大好きなケイスが大人しくしているとは思えず、ルディアが忠告というか警告をしておく。
 

「失礼な事を言うな。剣の稽古を頼むのだぞ。師に対しては礼節をつくすのは剣士として当然の責務だ」


「挨拶代わりで剣を向けた奴が言ってなければご立派な台詞だな……そういや今日は先生は? お部屋でご静養中か」


 呆れていたウォーギンだったが、少し表情を改め真顔になるとケイスにフォールセンが在宅中か尋ねる。
 支部長という役職を退いた後は、体調も優れない所為もあってフォールセンが私室に篭もっていることが多いのは、この屋敷で生活していた者なら誰でも知ることだ。 


「いや、今日は珍しくどちらかにお出かけだ。行き先もお帰りの時間も判らないが、メイソンなら知っているであろう。確認するか?」   


「あー……そこまではいいわ。中央への留学に色々援助してもらったのにこの様なの謝罪しなきゃならねぇんだが、さすがに明日食うのにも困る現状だと会わせる顔ってのがな。せめて最低限の食い扶持くらい確保してからにするわ」


 ケイスの回答に、ウォーギンは露骨にほっとした顔を浮かべる。
 故郷に錦を飾る事は出来無かったが、せめてまともな生活をしているようには見せたいようだ。


「なんだそんな事か。ならば心配するな。今回の始まりの宮は避けたが、半年後の始まりの宮で私は探索者となる。すぐに駆け上がるつもりだから、そうしたらルディとウォーギンは私専属の薬師と魔導技師として雇ってやる。いくらでも給金ははずんでやるから安心しろ」


 ウォーギンの懸念に対してケイスは自信に溢れた顔で答えてみせる。
 自分の描く未来図に一切の不安を抱いていないのは、子供ゆえか天才ゆえか。
 どちらかは判らないが、ケイスが本気なのだけは嫌でも伝わってくる。


「普通は探索者になったばかりの初級、下級探索者は自分の食い扶持を稼ぐので精一杯で、中級探索者でもお抱え技術者なんぞ夢のまた夢なんだがな。どう思うよ。未来のご同業よ」


 ケイスの事だ。
 本当にそれを成し遂げてみせるに決まっている。
 それがどれだけ荒唐無稽に聞こえ、無茶であろうともだ。
 空前絶後の勢いで、猛進していくと確信している。
 それが、それでこそルディアが、もう一度会いたいと願った世界一馬鹿な天才だ。


「勝手に人の未来まで決めないでよ……ケイス。やっぱあんたが目立たないって絶対無理ね」


 ケイスほどの才能に求められることに、薬師としてのプライドがくすぐられこそばゆくなるほどだが、それを表情に出すのは何か癪だ。
 仏頂面を浮かべたルディアの脳裏には、半年後に世間を騒がせるであろう快進撃を続けるケイスの姿が鮮やかに浮かんでいた。   



[22387] 剣士と古井戸 加筆修正版
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/03/26 01:06
 ミノトス管理協会ロウガ支部は、大河コウリュウの右岸側。ロウガ新市街の北東部の川岸に建てられている。
 探索者へのサポートを第一の業務とするが、特殊都市国家であるロウガの国家運営も王家からの委託という形で担っているロウガ支部は、近隣のみならず世界的に見ても広大な敷地を有していた。
 そんな協会支部は滅亡した東方王国狼牙城の城跡に建てられているが、龍王の炎によって焼け溶けた地上にはその痕跡は残っていない。
 地下には東方王国時代の遺構が今も残っており、今の魔導技術の真髄である転血炉を遙かにしのぐ魔力を生み出す東方魔導の最秘奥魔法陣が秘匿されており、これを狙い龍王がこの地に飛来し暗黒時代が始まったというお伽噺はよく知られた話だ。
 そんな曰くをもつ古代魔法陣を封印するために、この地に協会支部が建てられたと、嘘か真か囁かれているが、その真相を知るのは極々一部だけだ。


「ナイカ殿の草茶は久しいな。すまんな無理を言って……」


 全てを知るであろう大英雄フォールセンは、久しぶりに訪れたロウガ支部の片隅に立つ治安警備隊本部にある応接室のソファーに腰掛け、独特の草茶の香りと味に懐かしげに目を細めた。
 深い緑色の液体は青臭くて、とても客人に振る舞えるような上等な物では無いが、ナイカは苦笑しながら自分も口をつけ、今度は苦さに顔をしかめる。
 供もつけず一人秘密裏に訪れたとはいえ、フォールセンはロウガ奪還の立役者であり、世界的にも名を知られた英雄。
 そんな上客にいくら本人の希望とはいえ茶ともいうのもおこがましい、雑草を煎じた物を出すなぞできる剛胆な者は皆無だろう。 
 この茶とも呼べぬ代物を呑み分けた戦友達を除いて。


「若いのも含めて全部警護に出てるから、あたしがお茶汲みなのは仕方ないさ」


 普段ならば人が詰めている警備隊本部には、今日はその一人であるナイカしかいない。
 つい先日正式に就任が発表された総隊長であるソウセツを筆頭に、ほぼ全員が支部の別棟で行われている、始まりの宮前に行われる、恒例の式典警護に駆り出されている。
 会場警護に人員が割かれるのは例年のことだが、警備隊を刷新した際の大量解雇による人手不足を理由に、会場警備には精鋭である警備隊全員が担当し、空となる本部には別部署職員を臨時で配属させるという怪しさ満点な指示が上層部からは命じられていた。
 無論そんな話を受け入れられるわけもなく、ならばと上級探索者であるナイカが一人残り、広い本部全てに使い魔を張り巡らせる形を取っている。
 相手側も本気で、明け渡すなどとは思ってもおらず、ただの嫌がらせだろうというのがナイカの予想だ。

 
「しかし旦那も相変わらず物好きだね。あの人が取り戻した茶が、今じゃロウガの名産品に返り咲いたってのにわざわざこっちを頼むかい……だけど」


「「泥水をすするよりはマシだ」」


 今ではその決まり文句を知る者もすっかり少なくってしまった戦友達は、幾度も交わした草茶の感想を異口同音で口にし、そのまま微かな、遠くなった過去を懐かしみつつ、悲しみも乗せた複雑な笑みを互いに浮かべた。


「まったく。あたしらがこんなもんでもありがたがってたんだから、今の若い奴らは贅沢を言うなって話さ、探索者なら食えるだけマシだろってね。知ってるかい旦那。最近じゃ人気迷宮で出張料理店を営業するギルドもあるって話だよ」


 火龍王の魔力に影響された不毛な土地でも繁殖できた強い生命力をもつ数少ない草木は、碌な補給も望めない最前線を進む彼らにとっては、貴重な栄養源だった。
 その頃を思えば、緊急用の保存食に固いだの乾物臭いだの文句を言うなと愚痴りたいところだが、それを逆手にとって多くの探索者が挑む迷宮内で街の高級レストランにも負けない味を提供する店を営業するところまでいかれると逆に感心するしかない。
 

「隔世の感というものだろうな。私のように隠遁しているとそれをしみじみ感じるよ」


「戦役を偉そうに仕切っていたお堅い迷宮信仰主義派が今じゃ隅に追いやられて、下働きだった俗世派が牛耳ってるくらいだからね」


 迷宮とはもっと神聖な物であったと嘆く者達がいる。
 神の与えた試練に挑み、人を越えた力を得て、人知を越えた困難に打ち勝つ。
 暗黒時代を終わらせたそれこそが、迷宮永宮未完『ミノトスの宝物庫』のあるべき姿だと。
 だがその迷宮信仰を心の底から信じる者は、今では少数派だ。
 迷宮に住まうモンスターや、迷宮の奥底に眠る資源は金となると。
 運さえあれば剣一本、己の身1つで、立身出世を果たせると。
 人間らしいといえば人間らしい俗物めいた感情が、今の世の主流であり、国すらも凌ぐといわれる管理協会の力の源となっている。


「で、旦那。そんな昔話や今の世を嘆くためにきたのかい? それとも預かってもらったあの子の文句かい?」      


 ナイカは茶に顔をしかめつつ本題に入る。
 油断する気は無いが、特になにも起こること無く終わるだろうと思っていた留守居役は、フォールセンが訪れたことで、意味合いが大きく変わった。
 俗世に塗れた今の時代においても、大英雄の肩書きを持つフォールセンの価値は計り知れない。
 フォールセンが動けば、そのひと言だけで勢力図が大きく変わるほどに。
 だからこそフォールセンは表舞台からは引き、己の屋敷へと隠遁している。
 全ては過去のこと。
 自らの戦いは終わったという言葉と共に。
 そんなフォールセンがお忍びとはいえ、今の陰謀うごめくロウガ支部に訪れるなど異例中も異例の事態だ。
 だがナイカは何故それが起きたか、フォールセンが動いたか。
 おおよその理由に気づいている。
 あの顔と声を持つ少女が現れた。
 過去を知る者には、それだけで十分に納得出来る理由だ。
 あの少女は、ケイスと名乗る者は何者だと、ナイカは目で問いかけるが、


「少しばかり面白い話をミウロに聞いたので、茶飲み話に最適と思ってな」


 ナイカの問いには答えず、フォールセンは表情を変えず世間話を続ける。      
しかしミウロという名にナイカの細い眉がぴくりと動き、次いでその右手を少しだけ動かし、周囲に張り巡らした使い魔と防音結界を再確認する。
 治安警備隊の本部として使われている建物は旧来から使われていた建物。
 組織内部を一新したときに、仕掛けられていた盗聴や監視の魔術や魔具は極力排除したが、それでも念には念を入れるに越した事は無い。
 フォールセンが何気なく口にしたミウロとは、『緑帝』の二つ名を持つエルフの上級探索者にして、管理協会本部常任理事ミウロ・イアロスに他ならない。


「どうも最近は若手。それも始まりの宮を踏破し探索者となったばかりの、初級探索者に逸材が多いらしい」


「へぇ。それはそれは。管理協会としちゃ、有能な若手が増えるなら願ったり叶ったりだろうね」
 

「あぁ。何でもあと少し遅ければ、大災害となるような事例が、その若手探索者達によって未然に食い止めてられていたそうだ」


「……そりゃ前途有望だね」


 フォールセンの言外に秘められた言葉の意味に気づいたナイカは、暗澹たる気持ちを覚えながらも正反対の言葉を口にだす。
 ケイスが表舞台に引きずり出した妖水獣事件。
 実行犯の供述を元に関連したとおぼしき下っ端は幾人か捕らえたが、その背後関係は未だ調査中。
 この一帯が生物汚染されるような大事件を、誰が引き起こそうとしていたか。
 これらを暴き、計画者を捕縛すれば、腐敗と汚職に塗れていた治安警備隊が、新生したと示せる絶好の機会だと思っていた気持ちが一気に沈んでいく。


「子弟に名を馳せた探索者がいれば、益となる者もさぞかし多いのだろう。ミウロも解決されたとはいえ、急増した火種の多さに違和感を覚え、密かに調べていたそうだ」


「旦那……はっきり言ってくれるかい。今回の事件は、まかり間違えば取り返しが付かないほどの範囲で被害が出るってのに、お為ごかしだって事かい」
 

 腹芸をする気も失せたナイカは単刀直入に尋ねる。
 折りしも、今は探索者となるための始まりの宮が出現する閉鎖期。
 この事件は、探索者となったばかりのどこかの誰かが、華々しい初功績を得るために用意されていたのかと。
 だがいくらフォールセンの言葉とはいえ、この地域全域に影響を及ぼす事態も考えられる事件を引き起こした目的が、新人探索者に功績を稼がせる為とはにわかに信じがたい。
 

「さすがに今回の件は些か大きすぎるが、現場となった牧場がある地域に、影響力を持つ人物の名を聞けばナイカ殿も納得するだろう」


 フォールセンは苦い草茶を飲みながら、淡々と言葉を紡いでいく。
 ミウロへと連絡を取ったのは、類似した事件があるか尋ねるためだ。
フォールセンとしてはケイスへ僅かなりの助力をと思ってのことだったのだが、返ってきたのは投げ込んだ小石に対して、大きすぎる波紋だ。
 隠遁しているとはいえさすがにこのまま見逃すことも出来無い情報と思い、戦友として信頼できるナイカへと情報提供をする為に普段は避けている支部を訪れた目的となっていた。
 

「ミマサカ家だろ。あそこの当主は、色々と小細工をかます小悪党だが、それを言っちゃロウガじゃよくいる奴だ。そこまでの度胸は無いね」


 ナイカはしばし思案してから、中堅所の勢力を持つ商家の名をあげる。
 その名が示すとおり、ミマサカはトランド大陸東部領域に一大国家を築き上げた東方王国系の流れをくむ一族。
 元来は東方王国辺境部に領地を持っていた小貴族だったそうだが、暗黒時代最初期に、龍や迷宮モンスターの群れがまず徹底的に破壊して回ったのが東方王国の都や領域であり、その時に先祖伝来の土地、財産を全て失っている。
 ただこれは珍しい話ではない。
 トランド大陸全土で百年以上も続く暗黒期の嵐が大きく吹き荒れたのだ。
 血脈が残れば、むしろ運が良かったと断言できる。
 もっともその代々続くといわれる血脈の末を名乗る眉唾な者達が、大陸中に溢れているのが現状ではあるが。
 ミマサカ家もまたその多分に洩れず、文字通り一晩で灰燼とかした中心部に領地を持っていた一族の血脈が何故残ったのかと、その真偽が囁かれている。


「だが力を持つ者に逆らうほどの度胸も無い。ましてやそれがロウガ最大の力を持つ一族では」
 

「嫌な考えが頭を過ぎるんだけどね。ミマサカを含めて東方王国家系復興に助力したのはシドウの爺様だったね」


 ナイカはそれらのありふれているが故に見落としていた部分に気づき、そして疑いのあるミマサカがこのロウガにおいて勢力を得た切っ掛けを思い出す。         
 それは旧東方王国の重鎮である文武百家の1つ紫藤家。
 シドウは海運で名を馳せた一族で、他大陸にも勢力を持っていたため暗黒時代においても没落を免れた唯一の東方王国系貴族。
 暗黒時代においては、大陸解放を目指すパーティーを支援しつづけ、大陸解放後のロウガ復興初期にも苦難の道を歩む同胞を救うためにと私財を惜しみなく提供し、また世界中に散らばっていた東方王国貴族末裔を名乗る者達をロウガに呼び寄せている。
 シドウ家は名実共に今もロウガ主流派の中心勢であり、各ギルドや、管理協会ロウガ支部評議会にも強い力を持っている一族。

 
「代々のシドウ殿は、武は持たぬが、先を見通す先見の明を持っておられた文官であったからな。国を護り、そして発展させるための最上の選択を判っておられた」


 かつての友であった当主達を懐かしみながらフォールセンは、彼らに対する最上級の賛辞を口にする。
 資格も力も持ちながらシドウが、ロウガ王とならなかった理由はただ1つ。
 暗黒時代終焉の地であり、最後に残った天然の良港であるロウガを巡る周辺勢力の間で諍いを治めるために、ロウガを統べるのはかつての狼牙領主の血であるべきというフォールセンの助言を受け入れたからに他ならない。


「そりゃ違う。シドウの爺様は旦那が王になるのが最上だったってよく言ってたよ。ユキさんと一緒になってね」


「…………」


 ナイカの指摘にフォールセンは答えず、ただ茶を啜る。
 全ては過去のこと。
 今更言っても後悔しても現実は変わらず、そして何より、もしやり直すことが出来たとしても、自分達は同じ選択をしたと確信しているからに他ならない。


「悪い……ついね」


 シドウ当主の言っていた未来を描いていた者は当時の仲間達にも多かった。ナイカもその1人だ。
つい口を滑らしてしまったナイカがばつの悪そうな顔を浮かべる。


「気にせんでくれ。それこそ昔の話だ。今を語ろう」


「しかしシドウがこんな危ない件に手を出すかい。新興勢力に多少は押されて色々やっているが、それでも、もみ消せるラインは心得ている。しかし今回の件が露呈すりゃシドウでも無理だ。名声も勢力も地に落ちるよ」


「一族としては無理があるな……だが個人としては別だ。ソウセツ殿、いやソウタとユイナ殿……そしてユキ。何よりシドウ家に深い怨嗟を抱いているシドウが一人いる。セイカイ・シドウという者を知っているか?」


「セイカイ・シドウ……確か現当主の腹違いの弟だったね。うちの大将や、あの人らと何があったんだい」


 海運ギルドを仕切るシドウの現当主の弟ではあるが、多大な利益を生む交易部門では無く、下支えの港湾管理部門を数年前まで担当していたはずだ。
 出入港記録の改竄による密貿易や税逃れといった件で、時折関与が囁かれていたので、ナイカの記憶にも引っかかる存在。
 しかし、英雄フォールセンパーティの一人であり、双剣であった邑源雪。
 現ルクセライゼン皇帝であるフィリオネスパーティのメンバーとして、名を馳せたソウセツや、前ロウガ女王であるユイナといった、そうそうたる顔ぶれとの接点の想像がナイカにはつかない。
 ましてや深い怨嗟を抱くほどの因縁となるとなおさらだ。


「ユイナ殿の婚約者選びの際に、有力な候補の一人にセイカイ殿の名があった。しかし結局ユイナ殿が選んだのは、ナイカ殿も知るようにソウタだ。ユキもいろいろ思うところはあるにせよ、ユイナ殿を認め、邑源の当主が受け継いできた宋雪の名をその祝福としてソウタに継がせた。だが納得がいかないセイカイ殿がその場で異議申し立てをしたが、その言葉がユキの逆鱗に触れた」


「あの人の逆鱗ね……・あまり聞きたくないね」


「高貴なる東方王国帝の血も伝えるロウガ王家に、家臣の、それも養子である亜人の血を入れるつもりかと。この発言にユキがこのような浅はかな者を、文武百家である『紫藤』は重用するのかと激高しておったな」


 フォールセンの答えに、自分の言葉ではないというのにナイカは思わず背筋を振るわす。
 予想していた最悪な暴言を遥かに超す阿呆な発言。
 そんな発言をユキ・オウゲ……いや、邑源雪の前でして、命があっただけでもマシだ。


「それはまた。命知らずを通り越してそりゃただの馬鹿だ。邑源も知らず、ユキさんがどれだけ屈折した感情でロウガを見ていたかも知らずにね」


 東方王国の帝に仕える数多ある臣下の中でも、文武百家に名をつらねる家門は名門中の名門。
 だが武家として名を馳せながらも、邑源家の名はその中に無い。
 なぜなら彼らは臣下では無い。
 彼の一族は帝の剣。
 その存在は帝の力その物であり、有事あれば帝の名代として東方王国全軍の頂点に立つ事さえもある一族だからだ。
 彼らが狼牙領主の下に仕えていたのも、その当時の帝がもっとも寵愛していた姫が狼牙家へと降嫁した際に、花嫁道具として付き添ったからにすぎない。
 邑源の名の前では、百家に名を連ねる狼牙も、さらに家格が上の紫藤であっても、ひれ伏すしか無い東方王国最大の名家。
 その名家の誇りと武を誰よりも自覚しつつも、国が滅びた後も心に痼りとして残していたのは他ならぬユキだ。
 そのユキが、血は繋がっていなくとも大切に育てた愛息子に、命よりも大切な父の名を継がせようとしたところに水をさされた上に、家名を汚される暴言を吐かれたのだ。
 激怒しないわけが無い。
   

「その件でセイカイ殿は、当時の当主であった祖父殿に謹慎を申し渡され、それが解けた後も、シドウの主流から外れた傍流に据え置かれ続けた。既に半世紀も前の話ではあるが、事によってはロウガの王配だったかもしれぬはずがと、恨み骨髄まで達しているだろうな」


「そりゃ根が深そうだ……確かセイカイには孫がいたね」


「セイジ・シドウという青年だそうだ。武道大会の優勝者として何度も栄誉を得たと聞くが」


 ナイカの呟きにフォールセンは小さく頷く。


「あぁ。思い出した。結構な傑物で、今年の始まりの宮に挑む面子で最初に踏破するのが誰かって賭けの中じゃ本命視されていたはずだよ。確か年は18だったね」 


「今期の始まりの宮には、ソウタとユイナ殿の孫となるサナ王女も挑まれる。あの方も将来が有望と噂されているな」

 
 祖母であるユイナとよく似た容姿に、ソウセツと同じく背には大きな猛禽類の翼を持つロウガの若き王女サナは、フォールセンを大爺様と慕っており時折屋敷を訪れており、ソウセツの相談役でもあるナイカも知らぬ仲では無い。
 一方でセイカイの孫の方はフォールセン達は直接の面識は無いが、目端の利いた勝負師が本命視するのだからそれ相応の実力を備えているのであろう。
 長年蓄積された怨嗟と屈辱を、孫の世代で晴らそうと策略していたとすれば……


「ミマサカとセイカイの繋がりは?」


「密貿易の陸と海の中継点として繋がりがあったようだ。その詳細まではまだ不明だ」


「ほんと旦那の情報網は今でも優秀だね。羨ましい限りだよ」


 かつてロウガ支部長を務めたフォールセンが有した情報網は、それこそ表にも裏にも万全の網を張る物。
 本人の隠居で大半は途絶え、眠りについてしまっているが、それでもロウガ域内に限れば今もまだかろうじて生き残っているようだ。


「しかし、今になっていろいろ動き出したね。そうなるとだ……あの娘はなんだろうね?」


 古い因縁が動き出したのは一体何が切っ掛けだったのだろうか?
 そう考えたときにどうしても思い浮かぶのはケイスの存在だ。
 
 
 
「剣士殿は偶然だな。ただ、たまたま、その時その場に居合わせ、そして気がつけば中心にいるという類いの存在であろうな」


 フォールセンの言葉に含まれる意味と、ケイスの非常識な言動を思い出し、ナイカは得心し、そして深い息を吐き出す。
 世の中には極々稀に、その手の者が存在すると知るからだ。
 本人が望む望まずにかかわらず、その存在自体が、争いを呼び寄せ、揉め事を巻き起こし、加速度的に状況を変えていく。
 すなわち英雄や魔王と後の世で呼ばれるような存在が。 


「……本当に将来有望な若者がいるってのは、あたしら年寄りにはありがたいことだね」


 様々な火種がくすぶるロウガの街に現れた最大の大火に、ナイカはこれから忙しい日が始まるという確信めいた予感を抱いていた。


「その若者達に余計な荷物を背負わせるわけにはいかんだろうな」



 終わったはずの過去が、今も時折芽を吹かせる。
 無力感に捕らわれていた先日までのフォールセンなら、若い者達に任せようと理由をつけて見過ごしてきた案件。
 だがケイスが現れたことで、良くも悪くもいろいろな事象が活発に活動を始めだしていた。















「お爺様この辺りはどうだ?」


 遊歩道から外れた池の畔に立ち、苔むした高い石壁を見上げながら、ケイスは懐にしまい込んだ愛剣に魂を宿す遠き祖先のラフォスに尋ねる。
 魔力を捨て去ったケイスは結界の存在を感じ取ることは出来無いが、姿形が変わろうとも本質が龍であるラフォスには、厳重に隠匿されていようが人の手による結界を感じ取るのは造作も無い事だ。


『この辺りにも隙無く幾重にも結界が張り巡らされておる。敷地全域を覆う一体型のようだ。魔力形状から見ておそらく母屋地下に陣が敷かれておるな』


「一体型か。隙間を見つけるのは無理か」


 小結界を貼り合わせて広い敷地を覆う分散型なら結界間の干渉で出来たほころびの1つや2つはあるだろうが、1つの大結界で覆ってしまう一体型となると期待するだけ無駄だ。
見舞いと言うべきか監視に来たと言うべきか微妙なルディア達を見送った後、昼の散歩と称して一人屋敷外に出たケイスは、広いフォールセン邸の敷地を壁沿いにぐるりと回っていた。
 目的はもちろん、街に出るための抜け道を探すためだ。
 ロウガ支部で起きている犯罪行為の重要証人というか、渦中の真っ直中にいるケイスは現在保護されている身。
外出など絶対に認められるわけがないのは、さすがに判っているが、唯々資料を調べてもこれ以上は推測の域を出ない事も理解していた。
 ルディア達からは、事件に大きな進展があった様子が見られないとは聞いていたが、いつ動き出すのかはケイスには判らない。
 事が大きく動く前に、自分の敵を見極めるの必要がある。 
 それなら実際に自分が怪しいと思った者を、この目で見るのが一番手っ取り早い。
 なぜならば剣の天才たる自分が、敵を、切るべき者を見間違うはずが無いからだ。
 自信過剰を通り越した自分だけにしか判らない理屈を元に、結論づけたケイスは屋敷から出る手立てを探っていた。


「結界をお爺様で斬れるか?」


『結界の出力を越える魔力を込めれば撃ち斬れるであろうが、いくら込めようとも今の娘の闘気では無理であろうな』


 外界を変える力の魔力と内界を変える闘気は、元は同じ生命力を元にしても似て非なる物。
 魔力には魔力を。
 闘気には闘気を
 この絶対原則は、傲岸不遜なケイスを持っても覆せない純然たる法則。
 この世の理を己の理で覆せるとすれば、龍王か、もしくは超常の上級探索者達の中でも一握りの存在だけだ。
 今のケイスでは、どれだけ死力を尽くそうとも、理を覆すだけの力は無い。
 

「無理か。門を通過する方法を模索するか」


 半ば予想していたラフォスの答えにケイスは落胆の色も無く、次の手を考えながら身体をゆっくりと伸ばす。
 母屋の広い裏庭は木々が生い茂り、大きな池の畔にはひんやりとした澄み切った風が流れ実に気持ちいい。
 フォールセン邸は食事も美味しいし、落ち着けるのでのんびりと療養して過ごすには最高の環境だとケイスも認める。
 ただ少しだけ物足りない。 
 その足りない物とは……


「ん?」


 ふとケイスの耳が微かに聞こえる音と声を捉える。
 一瞬、物足りなさから求めていた物を幻聴したかと思ったが、気配を研ぎ澄ませてみればそれは確かに現実の物だとすぐに判った。
 レイネの施した強化治療の副作用で、身体能力が全体的に低下している所為でどうやら気づかなかったようだ。
 音の出所は池の対岸側。林を抜けた辺りだろうか。
 その音と気配に引かれケイスが少しだけ早くした足取りで大回りで池を回避して、遊歩道に戻りそのまま道なりに進んでいくと、不意に開けた場所に出た。
 ケイスの立つ林の縁より、一階分ほど掘り下げた広場では、数十人の年若い少年少女が、木製の模擬刀や槍を手に鍛錬を行っていた。
 屋敷の従者達の話では、裏手は今はフォールセンが経営する孤児院となっており、そこには協会支部時代の職員宿舎や、探索者向けの短期滞在施設や鍛錬所があるという話だった。
 どうやら探索をしている間に、いつの間にか母屋周辺を抜けて、裏側の今は孤児院となっている辺りまで来ていたらしい。
 見ればケイスと同年代か少し上の年かさの者を、大人と変わらない体格の年長者が指導するという形のようだ。
 気勢を上げる声や、打ち合わせた木製武器の音。
 物足りなさを感じていたケイスが求めていた、それがよく響いていた。


「ふむ……今の体調では5分か」


 打ち合わせている眼下の集団をざっと見渡したケイスは、少し不機嫌層に口に出した。


『娘。あまり聞きたくないがその心は?』


「無論この場を制圧するまでの時間だ。体調が優れないのもあるが、二、三人ほど数手かかりそうな者もいるし、十数人は取り逃がすな。全員を切り倒せないのが悔しいな」


『お前から見れば、あの若き者達は全て歯牙にもかからぬ者であろう。少しは相手を選ばぬか』


 とりあえず味方だろうが敵だろうか、強かろうが弱かろうが、まずは斬り倒すところから判断に入る剣術馬鹿思考に、ラフォスはやはり聞かなければ良かったと嘆息する。
 この壊れた思考のせいで、呼び込んだ事件や起こした事件は、この一年だけでも数知れず。
 幾度も怪我を負い、その歩みを止め、迷走してきたというのに、ケイスには己を省みる素振りは皆無だ。


「私は剣士だぞ。ならば剣で語るのが一番であるからだ……それに他人はよく判らん」


 ラフォスの苦言にケイスは少し頬を膨らませる。
 ケイスにとって他の者の発する言葉は、感情は、理解が出来ない事が多い。
 何故、美辞麗句を発しながら、その言葉に合わぬ行動を行う。
 何故、嘆き悲しむなら、その元を排除しようとしない。
 何故、自らの力が足りぬというなら、力を貸そうとする自分を頼らない。
 人の世は、精神的に幼く、そして歪むほどに単純なケイスにとって不合理極まりない。
 だからこそケイスは剣に全てを注ぐ。
 自らの剣を前にすれば、全ての存在が2つとなるまでの強さを得るために。
 自分の力を頼るか、拒み敵対するか二択へとなるまでになれば強くなればいいと。


『娘。気づかれたぞ。どうする』


 剣戟思考に耽りかけていたケイスがラフォスの言葉に見れば、鍛錬をしていたはずの一団の大半が稽古の手を止めて、こちらを見上げている。
 物珍しいそうな顔がほとんどだが、いくつかは好意的とはいえない顔を浮かべている。
 話したことも無いのに、なぜ自分に敵意を向けるのかケイスには判らない。
 事情があるとはいえ特別扱いをされている自分が、屋敷に住む孤児達にどう思われているかなど、ケイスには理解出来ない。


「本当に斬りたくなっても困るから場所を変える。続けるぞお爺様」


 あまり気持ちよい物ではない視線に煩わしさを感じたケイスは、広場にクルリと背を向け、庭の探索へと戻る。
 池まで戻りそのまま池沿いに道を進んでいく。
 池といってもたまり水で無く、常に循環しているのか澄み切って綺麗な物だ。
 片膝を付いて水に手を入れてみると、驚くほどに冷たい。
 そのまま掌に掬って口に含むと、湧かせば飲料水としても十分に使える物だとすぐに判る。
 懐から羽の剣を取りだしてケイスはその切っ先を水面につける。
  

「お爺様。水の流入出はどこか判るか?」
  

『どちらも地下だ。北東方角から水が湧き出し南西側に流れている。池石組みに浄化の魔法陣が刻みこまれた高度な上水道設備の1つのようだ。補修された後はいくつもあるが、魔法陣の基本術式は今の人間の物では無いな。おそらく娘の言っていた東方流だ』 


 水の流れや成分を読んだラフォスがすぐに答えを返す。
 浄化している術式すら一瞬では判別が出来るのだから、魔力を捨てたケイスにはこの上なくありがたい。
 今はフォールセン屋敷で、復興期は協会支部。
 ならさらにその前、暗黒時代前の東方王国時代は?
 祖母から聞いた話や、読んだ資料を総合的に考え、ケイスは1つの結論にいたる。
 今のロウガ支部が立つ場所にあった狼牙本城とは別に、狼牙の街にはいくつか出城があったと聞く。
 港にあった東方王国海軍の本拠地たる海城。
 そしてコウリュウ対岸の山側にあったのが、邑源宋雪率いる狼牙兵団の居城となる山城だと。


「やはりここは城跡でもあるか。籠城戦も十分に行えるように水を確保しているようだ。……そうなるとだ」


 三つの城には、非常時に備えそれぞれを結ぶ地下通路があったという伝説がある。
 フォールセンパーティは龍王にすらも破壊できなかった、その巨大地下通路を辿り、数多の探索者達が集い、龍種との決戦に挑んでいた地上を避け、若き龍王が君臨する地下居城までたどり着いたと。
 この水道システムの一部に使われているのは、その東方王国時代の遺構。
 屋敷の敷地の広さに、備えた設備から見て、ここがその山城跡だと考えるの自然だ。
 そして地下水道と地下大通路。どちらも大規模な工事が必要となる物を、全くの別物として作るだろうか。
 それが地下水路であれば水運を利用して、より大量の物資、人員を短時間で移動が可能になるはずだ。
 

「北東だったな。そちらに向かってみる」


 立ち上がり剣を一降りして水を振り落としたケイスは、しばらく遊歩道沿いに池の外れまで進み、そこから藪の中を掻き分けていく。
 着込んだドレスの長いスカートの端が木々に引っかかりぼろぼろになっていくが、意にもせず進む。
 自分が着ればどうせ服なんてすぐにダメになる。
 後で足にからまない用に裾を短く斬るか、対して寒くも無いので下着姿で十分だから脱ぎ捨てれば良いかと、作成者のメイドが聞けば泣き出しそうな事を、ケイスが考えながら藪を抜けきると、丈の高い雑草に囲まれた古い石組みの大きな井戸が姿を現す
 長いこと使われていないのか、石壁と同じく、表面はすっかり苔むしているが崩れ落ちている部分は皆無だ。
 石壁と同じく保護魔術の類いでも施してあるのだろう。
 古井戸の上部には重く頑丈な石蓋がされていて、さらにはその四隅は封印としてだろうが円形の穴が空けられ、ケイスの腕ほどの太さがある錆びついた鉄の輪で井戸本体の石に繋がれていた。


「ふむ。怪しいな……この太さで千切るのは無理か」

 
 試しに鎖に手をかけて引っ張ってみたが錆びついているのは表面だけのようで、鎖はびくともしない。
 千切るのが無理なら斬るだけだ。


「お爺様。少し振るから合わせろ」


 丸めていた羽の剣を懐から引き抜いた剣術馬鹿は躊躇無く切断することを選択する。


『……軽くだぞ』

 
 剣を振るといいだした自分の使い手が、言って止まる者ではないと諦めているので、軽い注意をするだけだ。 


「うむ」


 頷いてから羽の剣をケイスは軽く一降りし、腕を通して少量の闘気を込める。
 僅かに重量を増しながら硬化した大剣を、右手で握ったケイスはまるで水中で剣を振っているような緩慢な動きで動かしていく。
 右上段からの払い。
 身体に引きつけて突きへと変化。
 最上段へと構え両手握りの振り下ろし。
 右足を軸にした回転斬り。
 身体全体の動作を確かめながら状態を確認していく。
 ここ数日療養に専念していたので、全身に負っていた傷は大半がふさがった。
 深手を負った肩や脇腹の傷も少しだけ痛みはあるがちょっとした戦闘ならば問題が無い程度には動かせる。


「ふむ……力を出せばいけるな」


 数分かけて一通りの動作を確認したケイスは、僅かに上気した顔で満足げに頷く。
 身体を動かせないので精神世界で鍛練を積んでいたが、やはり実際の身体を動かすのは一味違う。
 それに今の感じで、怪我はともかく、動きは本調子に近い物が戻っているのが判った。
 これ以上身体に闘気を込めれば、レイネの針治療の効果を打ち払うことになる上に、まだ安静にしているようにきつく言われているが、さすがに身体強化をせずに、鉄鎖を切れるまでの技量は今のケイスとてない。
 どうせこれから、未知の地下水道に挑むことになるのに、闘気を抑え、身体強化を無くいけるなどと思っていない。
 

「お爺様。絡み斬り四つはねでいくぞ」
   

『承知』


 ラフォスの短くとも満点の返答に満足気な笑みを浮かべたケイスは深く息を吸い、丹田に力を込める。
 レイネの針治療によって身体のあちらこちらに堰が出来たように、経路が決まり留まっていた闘気の流れを一気に活性化。
 見えない拘束を軽々と弾き飛ばし、獰猛な闘気がケイスの全身を駆け巡り、枝よりも細い四肢に力が入る。
 しかしケイスが握る羽の剣は力がこもった身体と違い、羽の剣はだらりと刀身が下がったままだ。
 数度息をすったケイスは息を止めると、獲物に向かい剣を振る。
 鞭のようにしなった刀身が太い鎖に絡み巻き付く。
 特殊剣である羽の剣だからこそ出来る動きで、剣を巻きつかせたケイスはステップを踏むように軽やかにその場で一回転しながら、鎖に刃筋を立てながら剣を一気に引きぬく。
 微妙に刀身の各場所を硬質化、重量変化させた一撃は、火花をまき散らしながら太い金属鎖を一刀両断にしてのける。
 解放された剣を回転する勢いそのまま次の鎖へと。
 またそれに絡みつかせ、ステップを変えて剣を引き抜き切断。
 そして次へと。
 立て続けに剣を纏わせ振るい、そして分厚い鉄の固まりを次々に切り落としていく。
 これこそが、ケイスの羽の剣を用いたオリジナル技である対硬質鎧用剣戟『絡み斬り』
 剣を対象にまき付けて全周から同時に斬る事で、力を分散させずに中心点に向かわせる事で最小の力を持って切断する。
さらに剣を引き抜く勢いを次の対象に向ける剣線に乗せ、止まることの無い連続剣戟とする。
 単撃ならば対個人用剣技で有り、連撃ならば対集団用剣技と変貌する。
 ケイスが足を止めたと同時に、四隅を縛っていた鉄鎖がゴトリと重い音をたてて地に倒れた。
   

「ふむ。この感じが出来れば苦戦などしなかったものを」


 見事に鎖を切り落としたというのにケイスの顔に浮かぶのは、不満げな色だった。
 つい十数日前にも、今と同じように絡み斬り4つはねを用いて失敗していた。
 一人目の首を切り落とすだけで精一杯だったのは、いくら体調不良とはいえケイスにとっては恥でしか無い。
 あの雪辱を果たさず、探索者になれるか。
 己の個人的思惑も抱きながらケイスは、重い石蓋に手をかけて力を込め石蓋を横にずらす。
 蓋を外すと水の匂いを含んだ冷たい冷気があがってくる。
 覗き込んでみるが底は暗くて、ケイスの目を持っても見えない。
 手近にあった石を試しに投げ落としてみると、大分経ってから小さな水跳ねの音が聞こえて来た。
 底が見えず、果てしなく深い暗闇の井戸。
 人であるならば本能的な恐怖を覚えるであろうが、この馬鹿には関係ない。


「では潜るぞお爺様。剣を当てながら落ちるから違和感があった位置を覚えていてくれ」
 

『昔の人間達は、もう少し準備という物をしてから挑む者であったが、お主は本当に思いつきで動くな』


 ラフォスの呆れ声に今更何を言ってると言わんばかりに剣を一度強く振ってから、ケイスは躊躇もせず井戸に向かって飛び込んだ。



[22387] 剣士と地下水路迷宮
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2016/12/01 01:46
 左手と両足のつま先を使いゆっくりと滑り落ちるように、古井戸の壁を右手の剣でこすりながら降っていく。
 上を見上げれば入ってきた入り口は、既に握り拳大ほどの大きさになっていて、日の光も届かない漆黒の闇がケイスの周囲には広がっている。
 上部は荒い石積みで足場となる部分も多かったが、この辺りはなぜか表面が滑らかになっているので、油断するとすぐに足を踏み外しそうになる。


「お爺様。石が変わったか?」


 自分の手さえ見えない暗闇ではさすがに触っただけでは種類までは判別は出来無いが、剣を通して、石が硬くなった気配をケイスは感じる。


『石も変わったが表面が焼かれて溶けておる。これだけの高温の炎となれば火龍であろう』


「石も溶けるほどの火龍の炎にも耐えてみせるか。ドワーフ。それも名工の手によるものだな」 


 なるほどそれなら滑りやすいはずだ。
 ラフォスから得た情報がケイスの頭の中を駆け巡り、すぐに一つの結論へといたり、破顔一笑する。


『ドワーフか……築城に長ける氏族の作だとすれば、お前の予想通りやもしれんな」


 下からは、冷たい風も微かにだが、常にあがってきている。
 空気の流れがあるということは、どこかと通じている何よりの証拠だ。

「うむ。腕は立つが、金もかかるドワーフ工を、ただの井戸掘りに使うとは思えないからな」


『しかしこちらも、門と同じように魔術結界で蓋をされておったらどうする?』


 フォールセン邸の敷地全体を覆う一体型結界は極めて強固なもの。
 魔力が続く限り半永久的に展開が可能な結界をもちい、出入り口となる門にあたる部分は、元々穴を空けて別種の強力な魔術結界を施し、出入りの際も屋敷全体を覆う結界には何ら影響が無い仕様になっている。 


「抜け道であるならば、開閉時の魔力反応で探知されやすい魔力式の装置を用いていないはずだ。敵意を持つ者に気づかれたら抜け道の意味が無い」


 持って生まれた化け物じみた身体能力と記憶力にプラスして、あらゆる災厄を招き寄せる生まれ故に、踏み越えてきた修羅場は数知れず。
 それらによってケイスが培ったのは、極めて理論的で、そして早い状況判断能力だ。
 これがケイスが持つ大きな力の一つだと、ラフォスも認めている。
 しかし問題があるとすれば……


「考えられるのがドワーフ由来の物理的な絡繰り仕掛けだ。なれば容易いとは言わんが剣で切り崩せる」  


 本人が常識知らずな剣術馬鹿なため、最終的に出る答えが、概ね力任せという点だろう。


『止めておけ。追っ手を絶つために石を無理に砕き抜けば、井戸ごと崩れ落ちる仕掛けもありうるだろう』


「崩れ落ちる岩場を足場にして跳びつつ、剣でひたすら突き抜ければなんとかなったぞ」


 ラフォスの懸念を、剣術馬鹿はあっさりと一蹴する。
 どのような状況下でも剣一本で切り抜ける事が出来ると言えば聞こえは良いが、逆に言えばそれが出来てしまうので、危機的状況を基本的に危機と思わず、自分の行動を異常とは思わない。


『既に経験済みか。油断だけはするな』


「うむ。無論だ……ん?、少し音が変わったな」


 壁石の表面にこすり当てていた音が微かに変わり、軽く叩いてみると僅かに反響した音が聞こえてくる。


『崩すか?』


「ん。まだこの手応えでは遠そうだ。とりあえず風が吹き込む位置まで降ってみる。お爺様は石の配置から正確な場所を覚えていてくれ」


 ラフォスに位置の記憶を頼み、ケイスはさらにするすると降っていく。
 時折空洞音とおぼしきものが聞こえる箇所がいくつか出てくるが、音の反応が遠かったり、小さく、小柄なケイスでも潜り込めるだけの隙間がその向こう側に広がっている可能性は低い。
 上の出入口が点ほどの大きさとなり、湿気を感じるほどに水の匂いが強くなるかなり深い位置まで降りた所で、ケイスの左足のつま先が水面に触れると同時に、大きな凹凸を捉える。
 炎に焼かれ鏡面のように滑らかになっていた側壁が、急に上部の野積みされた石と同じように荒くなっていた。
 左足をその部分に乗せ、あちらこちらに動かしてみるとぐらぐらと動く部分もあるほど粗雑だ。
 左手も伸ばして触ってみると、漆喰らしきもので隙間をつなぎ合わせた石を積み重ねて、水面ギリギリのあたりで封鎖しているようだが、触っただけで素人仕事と判る作りで、水面との僅かな隙間から風が流れ込んできているようだ。
 右手の剣を伸ばして、水中の感触を確かめてみると、側壁の一部がこの荒い作りになっていて、他の部分は同じように滑らかになっていた。


『この様子では通路があっても大半は水没しておるな。どうする』


「ここを崩す。空気が抜けているのならば空洞が繋がっているのだろう。泳ぎ抜けるぞ」 

 そう宣言したケイスはラフォスの返答をまたずに、重硬化させた羽の剣を自らの足元へと突き込む。
 元々劣化していたであろう石垣は、ケイスの剛剣を受けて脆くも崩れ去り、剣を捻ったことで崩れ落ちた石が、暗闇の中でも判るほどに大きく水面を揺らしながら水中へと没していく。
 何度か剣を突き込み大きく穴を空けると、息を深く吸い水中へと潜りながら手探りで穴を抜ける。
 抜けた先もまた暗闇だ。
 上下左右も判らなくなりそうな闇の中、両手を伸ばし壁に手を触れながら左右を確かめつつケイスは先の見えない水を掻き分け進んでいく。
 しばらく進むと徐々に通路があがっていったのか水かさが減っていき、ほどなく足が付くようになる。
 さらにゆっくりと距離と方向を確かめながら進んでいくと、ほどなく水は途切れ乾いた石畳を足裏に捉えた。
 通路の幅は大人2人が窮屈に思いながら横並びに歩ける程度だが、高さは羽の剣を頭上に伸ばしても届かないほどに高い。


「少し冷えるな。お爺様。壁面に何か文字の類いはあるか?」


 濡れた身体に吹き当たる風が冷たく少し身を震わせながら、ぼろぼろになったドレスの裾を絞り水を抜きながら、自分では確かめられない周囲の詳細な様子を尋ねる。 


『それらしき物は無い。この辺りも炎に焼かれたのか表面が溶けておる』


 濡れて身体に纏わり付いてくる自分の髪の毛が気になったケイスは、ラフォスに周囲の状況を聞きながら、こちらも足に絡みついて邪魔だったドレスの裾を膝上辺りでバッサリと切って、一本の布状にすると無造作に髪を縛る。


「ここもか。とりあえず進んで敷地範囲外に……」


  身体を動かし状態を確認していたケイスは違和感に気づき言葉を止めた。
 感じ取ったのはこちらを狙う何かの気配。
 だがそれは不快な物では無い。
 むしろケイスにとって心落ち着く物だ。 


『どうした?』 


「ん。どうやらこの先は迷宮化しておるようだ。迷宮に住まう魔物の気配と匂いを感じた」


 ラフォスの問いに、ケイスはたいしたことでも無いように答えつつ、暗闇の中で牙を剥く。
 同じ種族であっても野生に住まう者と、迷宮に縛られる者は何もかもが違う。
 向けられる敵意や戦意がケイスの心を弾ませる。
 喰らい、喰らう。
 原初の本能のままに煽り立てられるこの感覚が実に心地よい。

 
『迷宮化しておるか。資格無きお前でも入れるということは人間のいう特別区という物であろうな。繁殖期でモンスター共が多い。どうする?』


 足元もおぼつかない暗闇な上に、今の装備はラフォスの宿る羽の剣のみ。
 迷宮としてはもっとも下層である特別区といえど、魔物が出る場所に踏み込むには準備不足も良いところだ。 


「無論決まっている。今から戻って屋敷の者に見咎められても厄介だ。なにより」


「ゲラァァゥ!?」


 ラフォスの問いに答えながら、ケイスは剣を頭上に振る。
 柔らかい何かを切り裂く感触と共に、通路に苦悶の声が響き渡った。


「私が気づいたということは、奴らも私に気づいたであろう。たかだか暗闇くらいで背を見せるのは性に合わん」


 生臭い匂いと何かがのたうち回る音を頼りに、無造作に踏み出した足でケイスは己が斬った何かを踏みつぶす。
 ぐにゃりとした感触とぬめっとした表面。
 襲いかかってきたのが何かは判らないが、それが何なのかという明確な答えはケイスの中に既にある。
 なぜならここが迷宮であるなら。ケイスにとって全ては餌だからだ。
 己をより強く、より高めるための。
 ならば答えは一つ。

 
「行くぞ! お爺様!」


 ひさしぶりの戦闘に滾る戦闘本能のままに、ケイスは暗闇の通路をその目で睨み付け、意気揚々と未知の地下通路へと駆け出し始める。
 出口へと通じる細い支道から、主道となる地下水路と並行する地下空間へと。
 軽やかに響く足音と共に、広々とした空間に躍り出たケイスは水路脇の石畳を蹴りながら、暗闇の中でも発揮できる方向感覚を用い、ロウガ新市街へと向かうであろう方向へと駆け出す。
 極上の餌であるケイスの気配を感じ取ったのか、静かだった地下水路のあちらこちらから、甲高い叫び声、何かが這いずる音。打ち鳴らされた牙の威嚇音が反響して響きはじめた。


「いいぞ! ははっ! いいぞおまえら! かかってこい! 私はここだ!」


 急激に膨らむ殺意、敵意に負けぬように、声を発しながらケイスは勘に任せて剣を振る。
 振るった剣が何かを捉え、踏み出した足が食らいつこうとしたモノを蹴り飛ばし、踏み砕く。
 今剣が捉えたのは羽音からして蝙蝠か。
 蹴り飛ばしたのは、分厚い毛皮を持つ小動物。
 踏み砕いたのは、蛇か蜥蜴か。
 先の見えぬ闇は人に恐怖をもたらす。
 だがケイスには通用しない。
 光届かぬ闇であろうが、化け物共に囲まれた地獄であろうが、剣を振るえるならそこはケイスにとって極々当たり前の慣れ親しんだ世界。
 圧倒的な暴虐の嵐と化したケイスは歩みを止める事無く、無尽蔵に剣を振るいながら、声を発しその反響音を手がかりに、出口の見えない大通路をひたすらに真っ直ぐ進んでいく。   


『背後! 大物が来るぞ!』 


「承知!」


 ラフォスの警告に答えながら倒れるように横に跳び、壁に張り付く。
 肌を焼く強烈な熱風と鼻につく腐臭とともに巨大な炎弾が、ケイスが駆け抜けていた位置を焼き払う。
 壁に着弾した炎弾の炎が跳びちり、壁面や天井に張り付いて火をくすぶらせる。    
急に明るく照らし出された明かりに眩まされないように目を細めながら、ケイスは後方を確認する。
 濁った不定形の身体を持つ巨大スライムが不気味に蠢きながら、身体の至る所を触手状にして周囲に伸ばしている。
 その触手の先には、今ケイスが斬り倒したり蹴り飛ばした小型モンスター達が半死半生のまま捕まっていた。
 身体の中をよくよく見れば、消化されて溶けかかった肉片や無数の骨が散乱している。


『粘着性の炎弾だ。獣脂を己の体液に練り込んで、頭骨で火をつけておるな』


 ラフォスが指摘する間も、白濁した触手の一部に埋め込まれていた頭蓋骨の歯を高速で打ち合わせたり、こすり合わせて、火花が生み出されている。
 どうやら獣脂を混ぜ合わせた身体の一部を触手の先端に集め、取り込んだ頭骨の牙を火種として着火。
 触手を振る勢いで、火の付いた部分を切り離して攻撃してきたようだ。


「キャンドルスライムか。明かり代わりに良いな! 狩るぞ!」  


 投擲された火を纏う頭骨入りの炎弾にケイスは目を輝かせながら、あえて足を止める。


『まったく……剣一本で不定形生物に挑むのは無謀というものだが、お主には今更だな』


 足を止めたケイスをみて、スライムは好機と思ったのか、一気に四つの炎弾を投げつけた。
 迫り来る炎を纏う頭蓋骨に狙いを定めケイスは、大剣の形状を波打つように変化させながら振るう。
 ケイスの意思を受けて変化した羽の剣は、僅かな衝撃で崩れる炎弾をふんわりと受け止めその形のまま掴み取る。


「返すぞ!」


 さらに体捌きと剣技を用い、投げつけられた炎弾を、そのままスライムに向かって立て続けに投げ返し、最後の一個だけを頭上に向かって放り投げた。
 まさか打ち返されると思っていなかったのか、それともそこまでの知能は無いのか、回避行動を取ることも出来無いスライムの身体に当たって炎弾が弾けた。
 獣脂を多分に含んでいたスライムの身体は、一気に燃えはじめ通路を塞ぐ炎が吹き上がる。

 
「うむ。お爺様は刀身が自在だから一刀でもやりやすいな」


 打ち返せた火炎弾の数とその位置に満足げに笑いながら、風上に立つケイスは羽の剣を頭上に伸ばして、最後に打ち上げた火炎弾を剣で掴みとると、そのまま脇の水路につけて表面の炎を一度消した。


『娘の腕があってこそだ。それよりその粘液をどうするつもりだ。我を明かりの棒代わりに使う気ならば断るぞ』


 火は消えたがどろっと滑り落ちる腐臭を放つ粘液に、ラフォスは嫌そうな声で牽制する。
 弾く、斬るならばまだ剣としての矜持として我慢も出来ようが、棒代わりとなればラフォスの誇りが許さない。 


「そんな勿体ないことをするか。これはこうする」


 頭骨を含んだ粘液を一度石畳の上に置いたケイスは、スライムに取り込まれていなかった小型犬ほどの大きさのガエルモンスターの死骸に近づき、水掻きの付いた後ろ足を掴んだかと思うと、身体を踏みつけて太ももの部分から力任せにもぎ取る。
 さらに剣を振って腹の皮の一部をはぎ取り、もぎ取った足のほうは足首から切り落として皮を剥いていく。


「ほら即席の油いれと手持ちの明かり棒だ。この手の水棲モンスターの皮は不燃性で液体を通さないから持ち運びに便利なんだ。あとは太ももの骨を抜いて先ほどの油をつけて火を灯せばよい。それにカエル肉の後ろ足の太ももは美味いから最高だ」



 モンスターの死骸から器用に即席道具を作るケイスの手際は見事な物だが、普通の人間がこの光景を見たらどう思うだろうか?
 ましてや生のカエル肉をみて、舌なめずりして喉を鳴らす様となれば、その持って生まれた美貌を持ってしても、地下水路に住まう怪奇生物以外の何物でも無いだろう。


『……今回は火があるのだから、せめて火を通せ』


 龍である自分が、人間世間の目を気にするようになるとは……
 はぎ取ったカエル肉を今にも生で食しそうになっている末娘に対して、ラフォスは既に何度目か数えるのも馬鹿らしい苦言を宣う。


「うむ。焼いたのも油がしたたって美味しいからな。じゃああとそこの蛇と鼠の肉も少し持っていくとするか……ん?」


 ばらばらになった周りのモンスターを見て舌なめずりしていたケイスは、半分に引き裂かれた鼠モンスターの近くで、炎に当てられ何かが光っていることに気づき、とことこと近づく。
 それは鼠に食われたのか消化されて半分くらい溶けかかっていたが、


「これは……人の指と指輪だな」


 なにかの印章を施した大ぶりの指輪をつけた人の指だった。












 緊急

 クエスト『鎮魂の指輪』因子欠乏状態発生確率増大

 原因……次期メインクエスト最重要因子『赤龍』迷宮内に侵入による事象歪曲

 対処……事象改変による因子補充

 突発補填クエスト『地下墓地の主』を緊急作成

 結果予測……両クエスト共に『赤龍』の歪みをさらに強固な物とする可能性大

 シナリオ改変……承諾  


 賽子が転がる。
 賽子の外側で無数の賽子が転がる。
 無数の賽子の外側でさらに無数の賽子が転がる。
 賽子が転がる。
 世界を丸々ひとつ埋め尽くす膨大な数の賽子が転がる。
 神々の退屈を紛らわすために。
 神々の熱狂を呼び起こすために。
 神々の嗜虐を満たすために。 
 賽子が転がる。
 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。
 賽子の名前はミノトス。
 人々に対しては迷宮を司る神。
 神々に対しては物語を司る神。
 迷宮神ミノトスは休むことなく迷宮にまつわる物語を紡ぎ続けていく。
 全ては物語を紡ぐため。
 全ては正しき賽の目で現すため。
 この世界にいかさまを持って干渉する他神を討ち滅ぼすため。
 神を殺す者を生み出すため。
 賽の目を覆す行動を討つために、あえて賽の目を乱すモノを生み出すため。
 運命を歪め、才をもって差異を生みだし賽を存在しない答えに導くため。
 神聖なる絶対を守る、神聖なる絶対を汚す行為に、己が手を染める事への、怒りと歓喜を覚えながら、ミノトスは猛るように賽子を転がし始める。



[22387] 剣士と死者の守人
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2016/12/24 23:54
 右手には自在に形を変化する羽の剣。左手に火をつけた燭台代わりの大カエルの大腿骨。
 薄暗い地下水路に異形の燭台が放つ炎に彩られる怪しげな影が揺らめくごとに、襲いかかろうとした迷宮の小モンスター達は、斬り裂かれ、蹴り飛ばされ、踏みつぶされていく。 
 ケイスの足跡は、積み上がった死骸と、不快な匂いを放つ臓物と、どす黒い赤色の血で積み重ねられた地獄絵図として点々と続いていた。


「ん。やふぁり。うぐふぉかしいな」 


 常人ならば圧倒的な死臭に正気を失いそうな光景を生み出しながら、元より壊れている狂人は、何時もと変わらぬペースで剣を振り続けつつ、ほどよく炙ったカエル肉を口にくわえ咀嚼しながら首をかしげていた。
 先ほどから現れるモンスター達は大きく分けて三種類。
 まず1つ目が動物たちが大型化凶暴化した鼠や蛇、蝙蝠など魔獣系。
 2つ目は、魔力の影響で生まれたり変貌した、スライムや複数の獣の特徴を持つキメラ等の魔法生物系。
 そして最後は、水路を住処とするカエルや魚類、甲殻類の水棲魔獣系。
 基本的にはどの系統も、もっとも下級な迷宮である特別区であるだけあって、ケイスから見れば油断さえしなければ、いくら数がいようとも、たいした事は無い強さの物ばかりだ。


『先ほどから腹を割いているが、何か気になる事でもあったか?』


 今現在一番おかしいのは末娘の行動であるという純然たる事実をあえて無視して、ラフォスはケイスの剣戟の偏りを示した。
 剣として付き合ってきたからラフォスにはよく判るが、ケイスの剣技の究極理想とは、基本的に一振一殺を理想としている。
 相手にただ先に剣を当て、その一振りを持って倒す。
 それを積み重ねれば、自分が負ける事は無いという、極めて単純かつ究極的な理論。
 だが今のケイスが行う剣戟はその理想をはずれ、ケイスの剣技、速度があれば、一撃で終わるという場面でも、わざわざ腹を切り裂く手間を入れていた。
 

「はむ。うんぐぅ……ふむ。あれだ先ほどの指。あれの持ち主が他にも食われているかと思って腹を裂いているのだが、人間らしい肉片が出てこない」


 口に中のカエル肉を一気に頬張って飲み込んだケイスが、足を一瞬止めた瞬間。
 周囲に群がっていたモンスター達が一斉に動き出す。
 上空を舞っていた蝙蝠が急降下する。
 鎌首を持ち上げていた蛇が飛びかかる。
 暗がりの背後に潜んでいた鼠が牙を剥く。
 壁に張り付いていたカエルがその長い舌を伸ばす。
 併走する水路の水面下から羽根を持つ肉食魚が躍り出る。
 種を違う者達が別に統一した指揮の元に動いたわけでは無いが、それはあまりに統制が取れた四方八方から向かう一斉攻撃。
 全てはケイスを、自分達の住処たる地下水路に現れた化け物を排除しようという無意識の共感故に起きた攻撃。
 迫る殺意と攻撃に対してケイスは火の付いた骨を頭上に投げ、羽の剣を両手で掴むと、角度をつけて一回転する。
 闘気により極限まで強化した剛力を用いて、一撃の流れに何重もの重量変化と硬軟変化を織り交ぜて、刀身が波打ち踊る。
 血しぶきと臓物をまき散らしながら全てのモンスターが切り裂かれ地に落ちた。
 血の臭いが付くことを嫌ったケイスはそのまま宙に跳び、投げていた骨燭台を掴んで空中で一回転してから汚れの無い場所に降り立つ。
  
 
「……やはりないな」


 ぶちまけられた臓物を観察してみても、先ほどのようにはっきりと人と判るモノは無い。
 ラフォスが嫌がるので、燭台に使っている骨の先端を使って胃の辺りを広げてみても、中身は水路に住まう小魚や、植物類が主だ。


『腐敗はし始めておったが、消化具合から見て先ほどの指は食われてせいぜい1、2時間といったところだな。何らかの事象で落ちた指が他から流れ着いた可能性もあるのでないか?』


「うむ。辺りの地下水路を回ってみたが人の血の臭いはしない。その可能性はあるだろうな……」


 口ではラフォスの言葉に同意を浮かべながら、ケイスは燭台を掲げて暗闇を照らして暗がりを見据える。
 今まとめて切り払ったというのに、その匂いに引かれたのか、暗闇の中で光るいくつもの目がケイスを遠巻きに見張っていた。


『何か気になる事でもあるのか?』


「ん。食われた指には鼠の歯の跡がいくつも付いていたのだが、切断面の骨が滑らかすぎる部分がある。まるで刃物で切った後のようにな。お爺様この部分だ」


 懐からドレスの端切れで包んだ指を取りだして、ケイスは炎で照らし出す。
 おそらくは成人男性の人差し指。
 水で軽く洗ってみたが、変色し痛みがひどく、すえた腐敗臭も漂っている。
 食われた時には既に腐り始めていたと見た方が良いだろう。
 

「骨に付いた刃物らしき切り口の角度が気になる。私もよくやるのだが、武器を握った相手にやる指落としの時に出来た切り口によく似ている気がする。指輪が酒商家証印である事も少しな」


 斜めに入った切り口は柄を持った手を狙った一撃で指が切り落とされた戦闘痕のように見えてほかならない。
 それに切断されていた指が嵌めていた指輪も気になる。  
 指輪に刻まれている印は上下左右の4つの図式に分かれていて、一番上に葡萄と麦穂、中段の右に倉、左に車輪を表す簡易な形と、そして最後に一番下に複雑な印が施されている。
 葡萄と麦穂は世界規模である大酒造ギルドの印。
 そして左右は酒造ギルドから運搬と卸売りを許可された証。
 最後に一番下が屋号。
 もし中段の絵柄が樽ならば酒造農家や醸造農家を現し、グラスや瓶ならば小売店である酒屋や酒場を現す。
 所属ギルドを現す証印としてはよく見る図式だ。

  
「酒類取引は、時には少量でも大量の金が動く事もある。狙っている野盗や強盗団も多いそうだ」
    

『その屋号に見覚えでもあるのか?』


「無い。ロウガの事を調べた時に、酒造ギルドとその下の大手商家の屋号もいくつか覚えたがこの印に見覚えが無い。だが少なくとも人気のない地下水路の鼠の腹の中にあって良いものでは無い。ここに持ち込んだ誰かがいるのであろう。どういう経緯か判らないが、私が拾ったのも何かの縁だ。もう少し落とし主を探すぞ」


 何故こうもただでさえ厄介ごとを背負っているのに、さらに火中の栗を拾うような真似をするのかと、変なところでお人好しな末裔にラフォスは呆れる。
 これは彼の迷宮神が与えた資質か。
 それともケイス自身の資質なのか。
 

『誰かか……小虫どもといえ、その巣の中で生き残れる者がいるとは思えんが、お前のことだ死体でもかまわんのだろうな……立体的な位置関係は私が把握する。娘はただ気にせず動け』


 悩もうが、何を言おうがケイスのやることは変わらないと判っているので、ケイスの愛剣であるラフォスはフォローに専念するだけだ。
 とりあえずまずは群がってくる小虫達を全て切り伏せなければ、探索もままならない。


「うむ。さすがはお爺様、私の剣だな。そうと決まればサクサクいくぞ」


 ラフォスの言葉に、薄暗い暗闇の中でも燦然と輝く笑顔でケイスは頷きながら、遠巻きで警戒していた怪物という名の被害者の群れへと斬り込んでいく。
 瞬く間に地下水路は再び地獄絵図へと変化していく。
 モンスター達の絶叫が響き渡る度に、四肢が斬り跳ばされ、骨を踏みつぶす音が響き、血しぶきと臓物が水路や通路を赤黒く染め上げた。
 哀れで絶望的な戦いを強いられるモンスター達だが、一匹たりとも逃げようとはしない。
 彼らは逃げ出せず、ただただ狂気に彩られながら牙を向き出しにケイスに襲いかかる。
 彼らの乏しい知能でも判っている。
 この地下水路に現れた化け物には、絶対たる捕食者たる『龍』には万に一つも勝てないと。
 だがそれでも挑みかからねばならない。
 ケイスが放つ気配が匂いが、迷宮の怪物達を狂わす。
 数多の獲物を喰らい、数多の運命を己の運命として取り込み、嵐の中心点として君臨するはずの『龍』の中の『龍』
 未来の『龍王』の血の一滴、肉の一欠片でもあれば、己が更なる高みに登れると、強く強く本能が語りかける。

 億が一。

 兆が一。

 僅かな可能性でも龍を食えるならばと。

 それが過剰に強化された本能とも知らず、唯々ケイスに襲いかかる。
 ケイスの餌として、ケイスを導く為の踏み台として与えられた役割とも知らず。
 そしてケイスはただ切り伏せた先に、その与えられた道を見つけ出す。 


 狭い水路を駆け抜け大水路に飛び出たケイスは、足元にいた大百足の胴体を切り跳ばす。
 だが身体を半分に切り裂かれながらも、大百足は何事も無かったかのように頭を持ち上げケイスに絡みつこうとする。
 身体を捻りながらその牙を躱したケイスは、燭台を頭上に投げ無手となった左手でムカデの頭部を掴み、


「ぅん?」


 力任せに壁に叩きつけて絶命させたが、その壁の違和感に気づく。
 投げた骨の燭台を掴み直して、壁を照らし出してみると、一本の大きな斬り跡が付いていた。
 それはケイス自身がつけた目印のためのマークだった。
   
     
「お爺様。ここは一時間ほど前に通ったか?」


 前後を照らしてみるが、ただでさえ暗く見通しが利かない上に、似たような作りが多いので、見た目だけでは判別が難しい。
 しかし迷宮に潜ってからの時間経過が判るように、少しずつ傷の長さを伸ばしているので、ここをどのくらいに前に通ったかは、大まかではあるが判る。


『あぁ。先ほどあがっていった副道は緩やかな湾曲をしておった。主道へと戻ってきたようだな。他にいくつか分岐路があるが次は下がるか?』


「ん。それより綺麗すぎる」


 この地下水路に降りてから既に数時間が過ぎている。外はそろそろ日が落ちるくらいだろうか。
 その間ひたすらモンスターが襲いかかってきたので、斬っては食べて、斬っては食べてと繰り返していたので、ケイスの飽くなき食欲と殺戮欲の両方がほどほどに満たせる程度には、ずっと戦い続けだった。
 地下水路にはあちらこちらにケイスの惨殺劇の残骸が残っているはずだ。
 しかしこの辺りにはその山ほどの死体がほとんど見受けられない。
 肉片の欠片や、炎に反射する鱗が数枚ほど、叩きつぶしたときに付着した血の痕跡が壁の上の方に僅かに残っている程度しかなかった。


『最初に遭遇したスライムの仕業にしては早すぎるな…………娘。我を水に浸してみろ。流れを探る』


「うむ。頼んだ」


 ラフォスが何かに気づいたと察したケイスは詳細は聞かずに、横を流れる水路に羽の剣の先端をつける。
 剣にべっとりと付いていたムカデの肉片や体液が、すぐに水で洗われ、暗闇の中にながされていった。


『判ったぞ。どうやら地下水路の浄化機能が稼働しているようだ。一定時間ごとに水路の水量が増えて、異物を洗い流しておるな。全域が一斉にでは無く、一部ごとに行っておるようだが、油断しておるとお前も流されるぞ』    


「探知術を使用した浄化術式か………お爺様。増水した水の行き着く先が判るか?」


『流水の流れはここから南方のほうに続いておる。途中で隔壁も下ろしておるようで、分岐に流れる水の流れを感知は出来んな』


「異物をまとめてそこに集めているようだな……よしお爺様そこに向かうぞ」


 自分が探している人物だったモノは、そこにあるのだろうか?
 このまま手がかりも無く闇雲に探し回るよりは、一度行ってみた方が早い。 
 即断したケイスはラフォスの返事も待たず、南方に下流側に向かって走り始める。


『承知した。時折隔壁が閉じておる場所を通るが、切り開こうとはするな。鉄砲水に飲み込まれるぞ』


「どうせ行き着く先は同じなのだからそちらの方が早いのではないか?」


『荒れ狂う激流の中で20分以上は息継ぎをしないでもよいというなら止めはせんぞ。いくら我の末といえど、一応は人の身であるお前には無理であろう』


「むぅ。20分か。その半分くらいならいけるが、さすがに倍となると無理だな。迂回路の指示も頼んだ」 

 
 やることなすことは他人から見れば無茶無理無謀と三拍子が揃っているが、ケイス本人としては出来るから出来るだけのことをやっているにすぎない。
 引ける状態で、無理だと思えば引くということも一応は判っている。


『出来る事と出来無いことを弁えているだけ、マシと思うしか無いなお前の場合は……』


 せめて基準値がもう少し常識的であれば、自分の心労も半分以下に軽減されるだろうに。
 まさか一度死して、剣となった後に、子育てで苦労することになろうとは。
 ラフォスはそんなぼやきを口にしつつ、水の流れへと意識を向け、順路を指示し始める。
 少なくとも数百年前に作られたであろう地下水路は、何度かの大きな改装を経ているのか、大規模で複雑に入り組んだ構造となっている。
 だがラフォスが住処としたのは、この広大な地下水路が児戯に見えてくるほどの巨大さを誇る迷宮『龍冠』であり、そしてケイスはその『龍冠』で幼き日々の大半を過ごしてきた生まれついての迷宮探索者。
 1人とその愛剣のコンビは、高い知識と技術を遺憾なく発揮し、水路を走り抜け、モンスターを駆逐し、隠し通路の扉を解除しながら、目的地へと迷うこと無く走り抜けていった。
 20分ほど上や下に上がったり下がったりを繰り返しながらも、徐々に地下深くへと続いていく。
 その頃になると、先ほどまで襲いかかってきたモンスターは数を大幅に減らし、その代わりにケイスの鋭敏な嗅覚が明確な死臭を捉え始める。
 腐りかけた肉の放つ独特の粘つくような甘みも含んだ不快な空気が、ケイスの向かう暗闇の先から漂っていた。
 横を見れば水路を流れる水は、汚れで黒々と染まりゴミや小動物の死骸が浮かんでいる。
  

『もう少しだ。その先で大きく下に放流されている分岐がある。迂闊に飛び込むな』


「ん。了解した……迷宮区も今抜けたな」


 流れ落ちた水の奏でる轟音が幾重にも聞こえて来たところで、軽い喪失感をケイスの心が感じる。
 空気が変わり、先ほどまでの尽きない高揚感が抜けて来たので、この辺りは迷宮外となっている事がすぐに判った。
 幾重にも聞こえる滝の音を頼りにさらに広くなり、水量を増した通路を駆け抜けていくと、不意に大きく開けた場所に出る。


「これは……広いな」


 暗くて大きさは見通せないが、その音の反響から相当に広い空間となっているのが判る。
 横を流れる水路はそのままその空間に飲み込まれていって、かなり下の方で水が跳ねる轟音が響いていた。


「地上の位置的には……ロウガの旧工房区の地下に当たる辺りか。河口にも近いな」


 ここまでの距離と方向から大体の当たりをつけてケイスは少しだけ落胆する。
 手がかりがあるかと来てみたが、この当たりは既に河口や海にも近い。
 集めたゴミや動物の死骸などがそのまま放流されているかもしれないからだ。
 だがラフォスが、すぐにケイスには気づけない異常を感知する。


『娘。この地下空間に魔力反応がある。ここから見て左側の角だ。落ちた水は一度そちらを通ってからさらに地下へと向かっている。不自然な水の流れをしておる』


「ん。あっちか……明かりがあるな。壁沿いの凹凸伝いに跳ぶぞ」


 壁に手を駈けながら身を乗り出したケイスが左下を覗き込んでみると、こんもりと島のようになった場所が出来ていて、そこには明らかに人工的な明かりがいくつか見えた。
 しかし、人がいるかどうかはここからではさすがに判らない。
 判らないなら行くだけだ。
 一つでも足を踏み外せば真っ逆さまに落ちるので、さすがのケイスといえども慎重な足取りで一つずつ次に跳ぶ場所を見つけながらゆっくりと降りていく。
 少しばかり苦労しながらも水面近くまで降りたケイスは、壁沿いに設置された扉とそこから伸びる通路を見つけそちらへと飛び降りる。
 焼き煉瓦で出来た通路は周りの石壁よりか幾ばくか新しいように見えた。
 扉の方に先に行ってドアノブを回してみると鍵はかかっておらず、何の抵抗もなく扉が開いて、その先に続く昇り階段が見えた。


『先にこちらに行って退路を確認するか?』


「ん。先がずいぶん長そうだ。あちらの明かりがあった方を先に調べる、誰かいるかもしれんからな」


 扉を閉め直したケイスは、壁沿いの通路を明かりを持ったまま堂々と進む。
 そして自分が向かっている先で、島のように溜まっている物の正体に気づき、ラフォスを掴む手の力を少しだけ強めた。


『姿を隠すとか考えないのかお前は』


「姿を隠したところで魔術で探知されたらすぐにばれるであろう。ならば無駄なことはしない方が戦いになったらやりやすい」

 
 ここまで来るとその島に見えた物の正体ははっきりと判った。
 それは島などでは無く、地下水路中から集まった骨や肉片で出来た死骸の山だった。
 一層強くなる悪臭は頭痛を覚えそうになるほどで、あまりにおぞましい光景は目を背けたくなるものだが、ケイスは意にもせずその死骸の山に近づき目を向けた。
 

「ふむ。ごちゃごちゃだな。これをばらすのが面倒だな……斬るか」   


 入り組んだ骨やら肉片が絡み合って固まりになっているので、ここにケイスの目当ての人物があるかは見た目では判らない。
 とりあえず中の方も見るために斬ろうかとケイスが剣を構えようとした瞬間、死骸の山の中からうっすらと蒸気のようなものが揺らめき湧き始め、その霧が集まり人の形を取っていく。
 

「サ、レ……サレ……コドモヨ……ココハ、シシャノバ……サレ」 


その白い影はゆらゆらと揺れながら、おどろおどろしいかすれ声で警告を発し始める。


「イマナラバ、ノロワレズニ、スムゾ、サレ、コドモヨ」


 徐々にはっきりした口調になりながら白い影が警告の声をあげる中、周囲からも無数の霧が立ち上り初め、いつの間にやらケイスの周囲を何十体ものその半透明の影が取り囲んでいた。
 いないのはケイスが今歩いてきた階段へと続く道の方向だけだ。


「ハヤクサレ、イマナラバ、ミノガシテヤロウ」


 リーダー格らしき最初に出現したそれがさらに声を紡ぐが、相次ぐ子供呼びにケイスの眉が少しつり上がった事には気づいていない。


「レイスか。五月蠅いから少し黙ってろ」


 周囲に現れたの影達の正体が死霊の類いだと判ったケイスはつまらなそうにつぶやき、気にせず死骸の山に羽の剣を叩きつけて、骨や肉を蹴散らし始める。


「マ、マテ、ノロワレルゾ、コドモ、ノロウゾ、アタシタチヲオコラセタラ、コワイゾ」


 ケイスの行動に慌てたのか、最初に話しかけてきたレイスが慌てた声をあげて、死骸を蹴散らすケイスの前に立ちはだかった。
 どうやらなんとしてでもこの傍若無人な侵入者であるケイスを追い返したい模様だ。 
 

「おい。お前。邪魔をするな。いい加減にしないと斬るぞ」


 だがその程度でケイスが止まるはずも無い。剣呑な目付きでレイスを睨み付け剣を構えてみせた。


「ハハ。ムチナコドモガ、アタシタチシビトニ、ケンナドツウジルカ、コノヨウナバショニクルヨリモ、シッカリベンガクニ」


 肉体を持たず霊体であるレイスに物理的な攻撃は意味が無い。
 その常識を知らない事を笑おうとするレイスに対して、ケイスは剣を構えると深く息を吸って睨み付け、剣を一閃させる。
 白い影の顔にかかっていた髪の一部がケイスの剣によって”斬られ”ていた。


「エッ!? ヘッ!? ……な、なんで!? 斬られてるのあたし!? え!?」


 髪とはいえ自分の一部が斬られたレイスが、先ほどまでと違ったやけに可愛らしい声をあげ混乱している。
 どうやら先ほどまでの声や姿は作っていたようで声が変わると同時に、薄ぼんやりとしていた姿形も、生前の姿なのだろう。半透明ではあるが、東方王国時代の古風な恰好をした10代半ばくらいの少女の姿に変わっていた。 


「おい。聞いているのか。今のは警告だ。私の邪魔をするなら次は首を切り落とすぞ」


「ま、まってあたし幽霊だよ!? 霊体だよ!? なんで斬られてるの!? その剣に魔力は感じ無いから安心して出て来たのに!?」


 首元に剣を当てられ、怯え引きつった表情を浮かべた少女霊があげる金切り声に、五月蠅げに顔をしかめたケイスは煩わしそうに答える。


「本当に五月蠅いなお前。お前達は精神体で物理的に切れない。ならばお前が斬られたと本能的に思ってしまう剣を振ればいい。そうすればお前自らが斬られたと思ってしまい切れる。それだけのことだぞ」


「ちょ、ちょっとまって! 何それ無茶苦茶でしょ!?」 


「何が無茶苦茶だ。私は剣の天才だ。ならば出来るに決まっているであろう。このようにな!」


 少女霊の首元に当てていた剣を少し返して今度は耳の辺りの髪の毛をケイスが少しだけ切り落としてみせると、


「ひぃぃぃっ! バ、バケモノ! 化け物が出たよ! ミ、ミナモさん助けてぇっ!」 


 ケイスの剣の鋭さに腰を抜かしたのか、へたり込んだ体勢のまま少女霊が悲鳴をあげながら逃げ出してしまった。
 少女霊が生み出していたのか周囲に浮かんでいた他のレイス達も同時に消え去った。


「失礼なレイスだ。お前達の方が化け物だろう……斬りにいくか」


 化け物呼びに不快感を覚えたケイスが、やはり斬ってしまえばよかったかと憤慨していると、


『あのレイスの発言は一文字一句も間違っておらんから許してやれ。我もそう言ったであろう』


 精神体やら幽霊に”斬られたと思わせる”剣戟の習得と称して、不眠不休の練習に数日も付き合わされた上に、最終的に本当にやってのけた末娘に対して同じような単語をこぼしていたラフォスは、深い同情と憐憫と共感を名も知らぬ少女霊に覚えていた。



[22387] 剣士と死霊術師
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/01/31 01:19
「ん。邪魔だな」


 死肉の山から飛びだした細長い小動物の霊らしき存在へと、揺らめく炎でぎらりと光りながらケイスは剣を一閃させ、鋭い突きを打ち放つ。
 ケイスに取り憑こうとしていたのか襲いかかってきた動物霊は、剣が通り過ぎた瞬間に苦悶しのたうち回りながら霧状となって霧散する。
 剣閃の光りとその奏でる風切り音をもって霊体に”斬られた”と思わせる。
 それがケイスが魔力の篭もらない剣で精神体を斬れる理屈らしいが、当の使われた剣であるラフォスは、どうにもやることなすこと理不尽すぎる末娘の行動に呆れ返っていた。


『手慣れすぎだ……習得したばかりの時は苦労していたであろう』


 これがまだ一振りに魂を込めた渾身の一撃というならば、百歩譲って納得しても良い。
 だが剣の天才を名乗るこの化け物は、先ほどから時折飛び出てくる死霊を、まるで小虫を払うかのように乱雑に斬り殺すばかりだ。  


「なんだお爺様。気づいていなかったのか。こやつらは先ほど私が倒したモンスターばかりだぞ。殺されたときの記憶が色濃く残っておるから斬りやすい。同じ剣を打ち込めばいいからな」


 理不尽すぎる剣技を放つ剣術馬鹿は、肉が腐り落ちて白い骨が顔を覗かせている大蛇の頭骨を指さす。
 力任せの剛剣を振るうにしては、か細く美しい白魚の指が指す先にあるのは、真円を描く穿孔。
 薄い蛇の頭骨に、穿孔以外に周囲にヒビ1つ入っていない高度な剣技による一撃だ。


『ずいぶんと腐るのが速い……何らかのトラップか?』


 剣技に関してはケイスは間違えない。ましてや自分の剣と他者の剣を間違えるはずがない。
 それを知るラフォスは、一見死後数日は経っているであろう死骸が、つい2時間ほど前にケイスが倒した大蛇だと認めて、すぐに原因を探る。
 トラップの中には、効果範囲内に入った生物を生きたまま腐らせる呪い以外にも、気体、液体の魔法薬もある。
 ただでさえ魔力を持たず魔力抵抗が出来無いところに、身を守るのは肌の露出が多いドレスで、手持ちの武器も剣一本。
 禄に装備も持たずに迷宮に突入した剣術馬鹿娘では、それらのトラップに対しての、抵抗手段や対抗手段は、即時逃げる以外ほとんど無いに等しい状況だ。


「いや、トラップにしては雑だ。もしトラップだとしたら、こんな骨で出来た小山を見て疑わない愚か者はおらんぞ……水流の流れで死骸を1カ所に集めて、何らかの手段でまとめて白骨化させているのだろ。効率重視のやり方は、どちらかというと工房職人や魔導技師の類いであろうな」


 死骸の山を改めて見上げたケイスは、この無造作に打ち寄せられるままに積み上げた感じからしても、これは作業場だという直感を抱く。
 モンスターの血肉や骨、筋は、古来より加工されて一般的な素材として用いられているから、場所や状況は別としても、初期加工場や資材置き場として1カ所にまとめられているのは特段珍しい話では無い。


『なるほど。確かこの直上は古い工房が集う区画であったな。これほど大量の死骸を用い、先ほどのレイスに見張り番をさせているとなれば……死霊術士関連の施設か?』


「うむ。おそらくな。地下とはいえ街中に工房を構えているのならば、正規許可を持った死霊術士であろうな」   


 ラフォスの推測にケイスはこくんと首を上下に振って同意する。
 死骸や、死霊術と聞くと、一般人はどうしても死骸を操ったり、死人の魂を縛り付けて使役するや、恨みを持った悪霊が悪さを働く等の、負の想像を抱き、偏見をもって嫌がる者も多い。 
 実際に、放置された戦場の死骸に悪霊が宿りゾンビ化して旅人を襲ったり、金に困った死霊術士が墓場荒らしをしたり、大金を積まれて他殺体の処理を請け負ったという事件や噂はよく聞く話で、枚挙に暇がない。
 だが死霊術の本質はそうではない。
 同様に霊に対応する聖職者は、一般的な霊に対する対処では、払ったり清めたりと負の効果を打ち消すことが出来る。
 しかし死霊術士は違う。
 死骸や魂がもつ負の感情を術によって偏向制御し、正の効果へと反転させる事が出来る。
 そこに宿る魂を操ったり、骨や肉体に細工を施すことで、より効果を強めたり、別の特殊な効果を生み出す事が出来る。
 極めて重要な技術でありながら、人が抱く想像によって、世間一般的には、好奇の目で晒されたり、冷遇されているのが実状だ。
 一昔前まではそんな偏見から街中には居住できず、町外れの墓地近くや、モンスターがはびこる山奥などに住まうことしか出来ず、常に不便と危険を強いられていた。
 次代のなり手に苦慮し、知識や技術の継承が危ぶまれ、それどころか庶民が抱く想像通りの裏家業へと、死霊術士全体が落ちる危険性まで現実視されかけていた。
 迷宮から生み出されるモンスター達の死骸がもたらす富の恩恵を受けていた探索者協会や国、そして偏見を受けていた死霊術士達が作った自己防衛のためのギルドは、そんな死霊術士達を守る為にも、厳しい制限はあるが街中での居住や店舗開設を許可認可する法を設け、保護する方針を近年は実施している。
 そしてロウガは近隣ではもっとも大きな探索者協会支部が存在する探索者の街。
 数多くの探索者が拠点とする街で、それだけの需要と供給が考えられるのだから、街の地下にこれほど大規模な工房があったとしても不思議な話では無い。


「正規の死霊術士ならば、助力を請うたり、話を聞けるやもしれんな……む。丁度いい。誰か来たな」


 背後から鳴った音に気づき、ケイスは剣を構えたまま様子を窺う。
 古い貯水池の中に作られた、比較的新しい通路の先にあった地上へと続くと思われる階段への扉が、蝶番が軋む音とともに開かれ、カンテラの明かりが見えた。
 目をこらしながら気配を窺ったケイスは、二人の人物を確認する。
 降りてきた二人の人物のうち先を行くのは小柄な老婆だ。
 暗褐色のローブに身を包み左手にカンテラを持ち、右手には一応の用心で杖をついているのか、石の通路を打つ木の杖が奏でる甲高い音が響いた。
 そのすぐ後ろには20代前半ほどのひょろりとした若い男。
 こちらは職人が身につけるタイプの厚手の前掛けをしており、顔にかからないように髪を縛って後ろで一本に縛っていた。
 よく見ればその男の背中には、先ほど逃げ出したレイス少女が隠れていて、ケイスの方をおそるおそる窺う半透明の顔が見えた。
 揺ったとした足取りで歩いてきた老婆のもつカンテラの明かりが、ケイスの全身を照らし出す。 
 右手には血やら体液で濡れた大剣。左手にはカエルの大腿骨を使った悪趣味極まりない粗雑な燭台もどき。
 つい数時間前までは立派な仕立てだったドレスは、地下水路の戦闘でぼろぼろになり幽鬼の纏う衣のようにぼろぼろとなっている。
 極めつけはその背後には死骸で出来た山。
 その丹精で整った顔だけ見れば花も恥じらう極上の美少女ながら、全身これ異常で身を包み、さらにその醸し出す気配は、背筋を寒気が走る物騒な化け物。


「おぉや、ホノカ殿が騒ぐから急いできてみればずいぶんと小さな侵入者だこって。どこから入りなさったお嬢さん。迷子としちゃずいぶん勇ましいから冒険かい」


 しかし老女は、状況によっては鬼女の類いと疑うであろうケイスを見てもさほど動揺せず、左目が白く濁った両目を見開き、皺だらけの顔をくしゃりと歪めおかしげに笑ってみせた。


「わー! ヨツヤお婆! 警戒無く話しかけちゃダメだって! だからそれ化けもひっ!?」


 その様子に後ろで隠れていたレイスが飛び出てくるが、化け物呼びに気分を害したケイスの一睨みで身を縮こませ、慌てて男の背に隠れた。


「五月蠅いと斬るとさっきも言ったぞ。何度も言わせるな。耳と脳が詰まっているならば私の剣で貫いて掃除してやるぞ」


「淡々と言ってるのが逆に出来そうで怖いって!? 逃げよ! 逃げようよミナモさん!?」


「いや、ホノカちゃん。あんた幽霊だろ。さっきもそう言っていたけどどうやって剣で切るって」


 ケイスの風体に驚いて唖然としていたミナモと呼ばれた男は、耳元で怒鳴られて我を取り戻したのか、魔力もない剣で霊体が切れるわけがないという常識を口にする。
 しかしその常識は、次の瞬間、非常識の既知外な美少女風化け物によって、薄紙のごとく破られる。
 ケイスの背後。騒ぎに刺激されたのか死骸の山から動物霊が数体飛びだした。
 その不意打ち攻撃に対してもケイスは慌てる事も無く、剣を振るい、動物霊達に生前と同じ剣戟を叩き込み、瞬く間に消滅させてみせた。


「ほら! これ! これだって! 見たでしょ!? ミナモさん! これだってば!」 


「…………ありえねぇ」


 つい今目の前で起きた事だが、あまりに非常識すぎる剣技にミナモはしばし唖然としてから呆然とつぶやく。 
 ミナモが呆気にとられている間も、ちょろちょろと飛びだしてくる動物霊をケイスは羽虫を叩きつぶすかのように、処分していく。


『どうやらあれはレイスロードのなり損ないであろうな。きりが無いぞ』


 慌てふためいた言動や、10代前半のその幼い見た目からは今ひとつ実感は湧かないが、これだけ意識がしっかりとしていてちゃんと話せるのだから、ホノカはレイスとして強い力を持つ上級存在であり、存在だけで周囲の霊を活性化させるレイスロードの類いだとラフォスが指摘する。


「おいそこのレイス。本当に少し黙れ。お前が騒ぐ声に引かれてこいつらが出てくる」


 動物霊達が活発に動き出した原因を特定したラフォスの助言に従い、剣を振りながらケイスは一瞬だけ切っ先をホノカへと向けた。
 せっかく手がかりが得られそうなのに、これ以上時間を無駄に浪費する気は無いケイスは、先ほどまでの警告から一段階あげた殺気を打ち放つ。
 既に斬るという言葉はいらない。
 斬ると決めた瞬間、次の瞬間には剣を振るだけだ。
 今までとは違うケイスの言動に、無いはずの心臓が鷲づかみされた錯覚に陥ったホノカが小さな悲鳴をあげて空中でへたり込む。
 ガクガクと全身を震わせながら、喋ったら殺されると思ったのか、自分の手で口を押さえ悲鳴を何とか押さえ込みながら、目に大粒の涙を浮かべていた。
 だがホノカが黙ると共に、際限無くわき出していた動物霊達の出現が止まる。
 残敵処理とばかりにケイスはその隙に剣を数度降って、周囲を漂っている動物霊をそのまま切り伏せた。   


「ひひぃ。うちの看板幽霊を斬られちゃたまらないから、剣を納めてもらえるかい剣士殿。霊体をただの剣で切るなんぞ珍しい物を見せて貰った礼に、お茶でもご馳走させてもらうよ」


 ケイスの剣技を見てもヨツヤという老婆は、驚かず、恐怖を覚えるでも無く、面白げに笑い、さらには茶に誘ってくる。
 笑ってはいるがケイスを侮っているようではない。現に先ほどまでのお嬢ちゃん呼びから、剣士殿と呼び方を変えている。
 どうやら心底、無茶苦茶なケイスの剣技を面白いと思っているようだ。


「お、おい婆ちゃん?」


 ケイスの得体の知れ無さに及び腰のミナモに対して、心配するなとばかりに手を振ったヨツヤは、ケイスの返事も待たず、無防備の背を向けて歩き出す。
 そういえばそろそろ喉も渇いてきた。
 狩った獲物の血で乾きを潤してもいたが、基本的に甘党のケイスとしてはそろそろ砂糖のたっぷり入った温かい茶が飲みたくなっていた。
 侮られたり、小馬鹿にされて笑われるなら、誰が相手でも斬りかかるつもりのケイスだが、自分を剣士として接してくれるならば礼儀くらいは守る程度の節度は、さすがに身につけている。


「ん。ご馳走になる。こちらこそ礼を言うぞ。ありがとうだご婦人」


 剣を納めたケイスはヨツヤの背中に向けて軽く頭を下げてから、呆然としているミナモや、びくびくと震えているミナモの横を通り抜け、その後についていった。

















 ヨツヤ骨肉堂。
 ロウガ旧市街区の古い工房街の片隅。倉庫などで入り組んだ路地のさらに奥。詳細な地図を持っていても、迷いそうになる自然の迷路の中にその店はあった。
 ロウガ復興初期に建造されたという古い石組みの住宅兼倉庫脇の階段を下りた、半地下がヨツヤ骨肉堂の店舗になる。
 扱う商品は店名が示すとおり、モンスターの肉や骨など、武器素材や魔法薬の一次加工品や、それらを使って作られた魔具や呪物が主な商品となっている。
 扱う物が扱う物だけに興味本位でくる冷やかしを避ける為に、看板すらなく、店の扉もただの分厚い木の一枚板と外見だけなら倉庫にしか見えない作りだ。
 しかし店の扉を開けて中に一歩足を踏み入れれば、実に風変わりで、そしてグロテスクな品物が並ぶ、死霊術師独特のセンス溢れた店作りとなっている。
 扉の上部にくくりつけられたのは、初代店主の物だという頭蓋骨を使ったドアベル。
 10畳ほどの店内には高い棚がいくつも並ぶ。
 その棚に目一杯に詰め込まれた得体の知れない骨やら、金属で出来た心臓が所狭しと乱雑につみあげられていた。


「ふむ。珍しい物が多いな。ほう……これは深海大ミズチの目だな。すごいな生きてるぞ」


 水棲モンスターを操る躁魔術に使われる、埋め込み型魔具でもあるガラス瓶に入った赤目の眼球がぎょろりと動いてケイスを見つめる。 
 生きている目ならばかなりの上位モンスターでも意のままに操る事が出来る一級高級品だが、無造作に置かれた上に少し埃を被っていた。
 よくよく見れば、そこらの草むらにすむ蜥蜴の尻尾の横に並ぶのは、寒冷地の温泉にしか生息しない希少種の温水リザードの尻尾だったり、吸血蝙蝠の牙とセットで入っているのは、竜牙兵作成触媒だったりと、玉石混合にもほどがあるラインナップだ。


「おいミナモとか言ったな。何故この店はもう少しちゃんと分けないのだ? せっかくのよい商品が目立たないぞ」


 店舗奥のカウンターに陣取り水晶で出来た爪を磨いているミナモに、ケイスは正直な疑問をぶつけた。


「剣士だってのに、種類や善し悪し判るのかよお前さん」


 湯が湧くまでのちょっとした待ち時間。ちょろちょろと店内を見ていたケイスが興味本位の物見遊山かと思えば、予想外に目利きだったことに少しばかり驚きの色を見せた。
 一体何者だという疑問が当然のごとく湧くが、横でぷかぷかと浮いている看板幽霊のホノカが「知りたくない知りたくない、聞かないで」と青ざめて震えながら小声で囁き、ケイスに対する完全拒絶反応を見せている。
 このホノカを無視して自分の疑問を解決するためにケイスに聞こう物ならば、夜中に枕元に立たれてしくしく泣かれるという、色々な意味で精神的にくる状況になるのは目に見えている。
 ミナモはしかたなく素直にケイスの質問に答えるだけに留める。


「商品に値札が無いだろ。うちの店は基本的に値段交渉のみ。いかにも高級品でございなんてしてたら、三流でも金のある術師に買われちまう。死者を扱っているんだから、その死を尊重しろってのが初代の理念。価値が判る奴、使える奴は、こちらが勧めなくても勝手に良い物を買ってくんだとよ」


 先祖の言い分は判らなくもないが、死霊術師としてはともかく、店主見習いとしては全く商才の無いミナモからすれば毎度毎度値段交渉で苦労させられるのでたまった物では無い話だ。


「ふむ。使う物は自分の目で選べと言うことだな。剣士であろうと魔術師であろうとそこは絶対に変わらない基本理念だ。ここの店の初代殿は使い手のことを信頼しているよき商人だな」 


 合点がいったのかケイスはパッと輝くような明るい笑顔を見せて力強く何度も頷き、ドアの上の頭蓋骨へと敬意の目線を一度向けた。 
 そこらの貴族令嬢では到底かなわない高貴さと愛らしさを兼ね備えた極上の笑みを浮かべる美少女が見つめる先には、からからと音をたてる頭蓋骨という、何とも表現しがたい状況に、何ともいえないケイスのズレをミナモは改めて感じる。
 普通ケイスくらいの幼い少女であれば、まず店内に並ぶこの異様なラインナップに怯えて、店に入ることを嫌がるものだ。
 これが好奇心旺盛なやんちゃなガキ大将であれば、その商品価値も知らず、べたべたと商品をいじくり回して、気味の悪い物を触った勇気を誇ってみせるだろう。
 実際に地下工房でもある貯水池で侵入者警報が鳴ってホノカが追い払いに向かうのも、どこからか噂を聞きつけた街の悪ガキ共が、肝試しと称して入り込んだりするのが年に1、2度あるからだ。
 しかしケイスはその両方と違う。
 怖がるでも無く、かといって不用意に触れる訳でも無い。
 ただ純粋に商品の品揃えに感心し、そして初代店主の理念に共感を覚えてみせる。
 ケイスの見た目と言動がちぐはぐすぎて、現実味が無いにもほどがある。
 目の前にいて疑いようもないほどに存在感がありながら、存在を疑いたくなるほどに、常識外を行く化け物娘。
 まるで自分がケイスという名のお伽噺に引きずり込まれたかのような、馬鹿げた錯覚を覚えるほどだ。  


「ひひひっ。どうだいお近づきの印になんか持っていくかい? お安くしとくよ」


 カウンター裏のちょっとした台所となった給湯室から、湯気の立つポットと年季の入った茶道具を持ってでてきたミナモの祖母でもある現店主のソノ・ヨツヤはこの風変わりな化け物が気に入ったのか、普段なら口うるさいほどに安易に安売りするなという口で、全く正反対の台詞を笑いともにこぼしていた。


「ん。そこの二股蛇を彫り込んだ再生不可の投げナイフが気になるが、今は持ち合わせが無いから、取っておいてくれ。お金が出来たら買いたい」


 ケイスが指さす棚の一番上には、柄に二股の蛇が絡む精巧な飾りが彫られ赤黒く塗られた禍々しい瘴気を放つ呪術ナイフが鎮座する。
 それは回復魔術どころか、神術による再生すらも阻害して、激しい痛みと一生癒えない傷を負わせる『生乾きの傷』と呼ばれる効果を持つ一級品呪術ナイフだ。  


「やはり剣士殿は判っている方だね。さてこの婆にそんなお客人が、何故うちの地下工房に現れたか茶飲み話がてら聞かせてもらえるかい」


 術のえぐさや値段もこの店の中で最高品を迷うこと無く選択したケイスに、この上ない上客になるとでも思ったのか、ヨツヤ婆は白濁した目を歪めて笑いながら、店の雰囲気にそぐわないさわやかな香りがする緑茶を注いだカップをケイスへと差し出した。










「ん。もう一個砂糖をもらうぞ。それでこれが件の指と指輪だ」


 おかわりでもらった緑茶をちょっと舐めてまだ苦かったので、8個目になる角砂糖を入れながら、フォールセンの屋敷で世話になっている辺りはぼかしつつも店の地下に到達した事情を話し終えたケイスは、懐からカエル革の即席袋を取りだし拾った指輪つきの指をカウンターの上に広げて見せた。 
 腐りかけた指と付着した血で薄汚れた指輪は、切断されたから既に数日が経過しているだろうか。
  手を伸ばしたヨツヤ婆はためらうこともなくその指に触り感触を確かめつつ、伸ばした剣指で印を施すと術を発動させる。


「ほぉ。こりゃ斬られてから3日と半日って所だね…………あぁ残念ながらこの指の持ち主ももう亡くなっておるよ。この残留思念の無念さや恨みは、殺されたと見て良いだろうね」


 術を使い霊的繋がりを調べたのか、ヨツヤ婆はすぐに首を横に振ってみせた。
 発見した状況や場所だけにある程度は予測していたが、致し方ないとケイスは小さく息を吐く。
 自分は力を持っている。
 だから困っている人を助ける。
 それは唯我独尊で傍若無人なケイスが抱く、唯一の他者から授けられた行動指針。
 日々化け物へと目覚めていく娘を思い、今は亡き母が施したケイスを人として縛り付ける、留めるための鎖。
 ケイスは家族が大好きだ。
 家族の為ならば何でもするし、自分の力をどこまでも高めようと思う。
 だから母が残してくれた、困っている者がいるならば助けるという、単純明快な行動にも、常に己の全力を持って動いている。
 しかしいくらケイスといえど、死者を助けることなどできない。
 本来の力を発揮していた龍魔術を使えた幼い頃であろうと、死者蘇生など出来無い。
 愛剣に宿る遠き祖先のラフォスにしても、ヨツヤ達の死霊術とて、ただ魂が残っているのであれば呼び寄せ、留めたり、宿らせるだけ。
 つまりは他者の力によって、この世に留まっているにすぎない。
 会話を交わせても、共に戦えても、それだけだ。
 ケイスの本質は奪う者。殺す者。君臨する者。
 すなわちこの世の最強種たる龍の中の龍。龍王。
 まだ幼く、力足らずとも、その本質を宿すケイスにとって、自らの餌とは、喰らうべき者とは、すなわち生者とは、己の力だけでこの世に存在する存在。
 他の力によって存在する死者をいくら喰ったところで、ケイスの心は満たされない。
 必要だったのと、斬る事が出来無い物が存在するのが気にくわないので、死霊を斬る剣技を手には入れたが、死霊を斬っても、生者と違い高揚感が起きず、あまり心が震わない。
 これが自分の命を脅かすほどの強敵だったりすれば、また違うのだろうが、あの程度の力量しかないのであれば、剣を振るうのが何よりも大好きなケイスが、地下の死骸の山を前にしても、湧いてきた死霊を邪魔だったりうっとうしく思ってしまうのもその所為。
 持って生まれた性故に、生者と死者を明確に区分が出来てしまうからだ。 


「仕方あるまい。ではヨツヤ殿。指の持ち主はどこで眠っているか判るか? 乗りかかった船だ。迎えに行って、家族の元に帰してやらねばならんな」


 気を取り直したケイスはすぐに次の行動へと移る。
 死者を助けることは出来無い。
 だがその思いを、残した無念をくみ取ることは出来る。
 残された者へと届けてやることは出来る。
 自分に出来る事をする。全力で。
 ケイスはいつだってそれだけだ。 
 単純明快。
 子供の理屈。
 だがそれ故に、他者にもケイスの本気は伝わりやすく、その持って生まれた強い影響力故に人を動かす。
 良くも悪くもだ。


「知り合いじゃないって話なのによくやるな……指輪の図柄を写させてもらっていいか。これがどこの誰か、知り合いの探索者に調べてもらう事が出来る。十中八九厄介ごとぽいから秘密裏だな。というわけでホノカちゃんたのめるか」


「うっ……姿を消して伝令役だよねミナモさん。あ、貴女、判明するのが遅いとかで斬らないよね」


 散々脅かされたケイスに対する警戒は未だ強いが、同じ死者として思うところがあるのか、ホノカも怯えつつも頷く。
 霊体であるホノカならば霊探知術などを使われないかぎり、姿を消してしまえば人目につかず誰かと連絡を取りやすい。
 指輪の主を調べることで、殺した誰か、もしくは誰か達に調べている探索者達がいると気づかれても、依頼主までは辿りにくいはすだ。


「ん。よいのか? 助かるぞ。二人ともありがとうだ」


 思ってもみなかったミナモ達の提案に、喜色を込めた返事を返したケイスは、その口調は何時ものごとく上から目線だが、感謝して嬉しく思っていると誰でも判る極上の笑みを浮かべるとぺこりと頭を下げた。


「ヨツヤの人間なら死者を敬えってのが家訓だからな。そうだろ婆ちゃん?」


「ひひ。そうじゃ。あたしらだっていつこうなるか判らんさぁ。そうしておやり」


「んじゃ早速写しを取ってくるか……写し用の薄紙ってどこだったか?」


「左の棚の4段目か、右奥だったかな。あぁ、もうミナモさんが探すとますますぐちゃぐちゃになるから。あたしも手伝うよ」


 どうやら信念以外にもこの店の乱雑さに一役買っているらしいミナモの雑さを見かねたのか、ホノカもすぐに後を追い店の奥へと消える。
 静かになった店内には、指を触り術を唱えるヨツヤ婆の声だけが微かに響く。
 数十秒ほどしてから顔を上げたヨツヤ婆が、ケイスを試すようにその顔を見つめた  


「……剣士殿は迎えに行くのはやめておいた方が良さそうだ。届けるのはこの指と指輪だけにしておくのはどうだい」  


 その口調からして、死骸のある場所が判らなかったというわけでは無さそうだ。   
 ならケイスが返すべき言葉は1つだけだ。   


「どこで眠っている?」


「あの工房よりさらに地下まで落ちているね。もっと正確にいえば引きずり込まれたってところかね。無念を抱く死者ってのは、同じように暗い情念や恨みを抱く死者を呼び寄せるからね」


 ヨツヤはカウンターの裏から古びた羊皮紙を取りだし広げる。
 それはここの地下の貯水池と、さらにその地下に広がる避難所らしき広い部屋が描かれた古地図だ。
 地図を見るからに貯水池の底には、もう一段深く広い空間が設けられており、先ほどの死骸の山から対岸側に、そこへと降りる階段が存在していた。


「かつての暗黒時代に龍に殺された連中の死骸がそこに最終的に集まったって曰くのある場所で、当時の死霊が今も彷徨う最深部の墓場。古い霊だから力も弱まっている上に、ずっとそこに留まっているんで出てくることもないが、火龍の魔力やら殺された連中の思念が混ざり合って、何度祓っても死霊が無限にわき出てくるんで、あの双剣様ですら死体の回収はしたが、弔うのを断念して封鎖して立入を禁じた領域だよ。力は弱いっても数が数だ。好奇心で入った探索者が何人も取り殺されたり、発狂したりしてるね。いひひ、どうするね剣士殿?」


「意地が悪いな。ヨツヤ殿。地図を見せておきながら聞くことではあるまい。無論行くに決まっているであろう……むぅ、やはりまだ苦いな。あと2つもらうぞ」


 ぺろりとなめた緑茶がまだ好みの甘さでなかったケイスは、瓶から各砂糖を2つ掴みスプーンでかき混ぜてから一気に飲み干す。
 行く道は判っている。
 なら行くだけだ。
 自分がそうすると決めたのだ。
 ならば迷うことも無いし、考えるまでも無い。


「ん……ご馳走になった。では少しいってくる。そうだ。お腹が空いた時用に砂糖をもらっていくぞ。瓶は後で返しに来る」


「中身は構わないが、少し値の張った瓶だから手荒に扱わないでおくれよ。ではお早いお帰りを待っているよ剣士殿」


 茶を飲み干し立ち上がったケイスはカエルや蛇の肉だけでは飽きていたので砂糖を瓶ごと掴んだ。
 度を超した常識知らずにも、その甘党にも驚きの様子も見せないヨツヤ婆の怪しげなそして楽しげな笑い声を聞きながら、ケイスは羽の剣を掴むと、店の片隅の地下へと続く階段へと足を進めた。 



[22387] 剣士と狼牙の死霊達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/02/10 09:49
 上流の山岳地帯に起きた気候変動の影響で建設当時よりコウリュウの水量が増えたせいか、地下貯水池の水かさも大幅に増して、羊皮紙に書いてあった最下層へと続く正規通路は、今はどす黒い水面下に水没していた。
 仕方なしに壁の凹凸を足場にして、対岸に向かって蹴り進むケイスに、ラフォスが戦闘方針を確認する。
 

『それでどうする娘? あの死霊術師の話では、死霊の群れの中に突入することになる。いくら斬れたとしても、攻撃はどうやって防ぐつもりだ』


 生前の意識を持つレイスはまだ危険度は低いが、記憶や自我を失い本能的に生者に襲いかかるヴィロウファントムや、精神へと取り憑き肉体を奪おうとするエビルスピリット等、質の悪い死霊はいくらでもいる。
 それら霊体が繰り出す攻撃に対抗するには、精神へと侵入されても抵抗しはじき出せるように体内に流れる魔力を強めるか、そもそも侵入されないように聖職者による護符や結界神術で弾く等が一般的だ。
 しかしその両者ともケイスは今は保有していない。
 

「討伐ではなく探索メインだから直接戦闘はなるべく避け回避重視で行くつもりだが、決定は数や配置を見てからだな」

 
 地図を信じるならば最下層は大きな柱がいくつかあるだけの広い空間となっている。
 潜入するならば物陰が多い方が有利なのがセオリーだが、生体感知のできる死霊相手では意味は無い。
 最高速度で突っ込んで死霊に囲まれる前に遺体を回収して即時離脱。
 単純明快な方針をケイスは攻略基本ラインとしていた。


『何時もの力任せはいいが、回避しきれず攻撃を受けた場合にどうするかと聞いているのだがな。もう少し防具にも気を使うべき時期が来ているのでないか?』
 

 当たらなければいいと返ってくると判っているが、ラフォスはケイスと出会った当初から何度も口にした苦言を再びする。
 ケイスの戦闘力が物理的攻撃に限定されるが極めて高い事実は、ラフォスにも異論は無い。
 だがその攻撃力に対して防御力は著しく低く、敵対者が同格や格上だった場合、攻撃を回避しきれず勝っても大怪我を負うことが多すぎる。
 闘気による身体強化で常軌を逸した回復力を持ち合わせているから、何とかなっているが、それも生き残れればこそ。死んでしまえば元も子もない。


「……仕方ないだろ。お爺様以外の武器はすぐに壊れてしまうのだから」


 自分の弱点や防御力を強化すべきだとはケイスも判っているが、どうしても剣が優先になる嗜好というか欲望に忠実なケイスは、すぐ壊れる武器が悪いと答える。
 頑丈な大剣はヒビが入り壊れ、投擲系武器は折れ曲がり使い捨て、短剣は小枝のようにポキポキと叩き折る。
 使い方が無茶なのか、剣技が苛烈すぎるのか、それとも戦闘頻度が多すぎるのか、あるいはその全部か。
なんやかんやで金が入ればそのほとんどを武具につぎ込む浪費癖と、買い集めた武具を躊躇無くたたき壊す破壊癖は度を超していた。


『欲しいと思ったからと反射的に買うのでは無く、金を貯めてもっと良い物を買うか、ひたすらに頑丈な物にしろと何時も言っているであろう』


 壊してしまうならばもっと良質で頑丈な武器を手に入れればいい。
 だが最上な物は、ケイスではまだ手がでないほどに高く、そしてただ頑丈なだけの武器はケイスの嗜好に合わない。
 買える金額で質を優先すると、どうしても頑丈さに劣る物になる。
 そしてそれらを差っ引いても、見れば買いたくなるのだから仕方ない。
 今日には飢え死にするかも知れないほど貧困していたとしても、手持ちに小銭があればそれでナイフを仕入れて、獲物を狩って目一杯に食べる。
 本能的狩猟生物であるケイスには、何をさておいても武器だ。


「……い、一期一会という言葉が人の世にはあるんだぞ。天才たる私が気に入る剣も稀少だし、そんな天才たる私に出会った幸運を、折れてしまったとはいえ武器達も感謝しているはずだ。それに私が買ってやらねば、ただ錆びついたり無駄に使われて、その力を出し切れ無かったかも知れないんだぞ。私は全ての武器を余すこと無く使ったと自負しているぞ」


 ラフォスの説教に分が悪いと感じて少し早口になったケイスは、自分を正当化する言い訳を並び立て始める。
 尊大な口調とは裏腹に見た目以上に精神的にはまだ幼い末の娘には、これ以上は苦言を呈しても拗ねるだけだ。   


『ついたぞ娘。この真下あたりに下層へと続く水路があるはずだ。水面下は暗闇。気を引き締めろ』


 丁度目的地の真上についたこともあって、ラフォスはこれ以上は堂々巡りになる会話を打ち切り警戒を促す。
 本来の通路は水没しているうえに、入り口は頑丈な鉄扉で封鎖されているとのこと。
 さすがに抵抗の強い水中ではケイスと言えど自在に剣は振るえず、水圧で重くなっている扉を開く剛力もあるはずが無い。 
 だがその代わりに、探している遺体が吸い込まれた旧い水路があるはずだ。
 迷宮外とはいえ、水面下には何が潜んでいるか判らず、暗い水の中では上下の感覚すらすぐに失ってしまうことをラフォスは懸念する。


「むぅ。心配するな。お爺様を手にしているのだ。私が気を抜くはずがないだろう」

 
 自分は剣士。剣を手にし戦場へと赴くのだ。油断などするわけがない。
 勝ち気な笑みを浮かべたケイスは、壁を蹴ると汚れた水の中に飛び込む。 
 水の表面は少しぬるっとした感触とべとべとした油分の層ができていた。
 薬師や錬金工房から出た廃水も混ざっているのだろうか、肌を焼くような痺れと目と鼻が麻痺しそうな刺激臭の膜を素早く通り抜けて、さらに下の水面へと潜る。
 壁に手を触れながら潜っていくと、すぐに感触が変わり、大きな横穴が開いている場所を見つける。
 元は鉄格子でふさがれていたのだろうが、錆びて腐り落ちたのか、枠の部分が僅かに残るばかりだ。
 横穴には水が流れ込んでいて、弱いが流れが出来ている。
 一度入れば、ここから戻るのは難しそうだが、古地図を見た限りいくつかの通路があったので、水没していない道もあるだろう。
 冥界へと続くかのように、暗く底が見えない横穴へとケイスは躊躇無く身体を入れると、そのまま先へと進んでいく。
 傾斜した横穴を流れの勢いも借りて、ケイスは手早く泳ぐ。
 元々は通気口だったという横穴の壁面には今も起動する浄化術式も刻み込まれていたのか、みるみるうちに水が綺麗になって、悪臭も消え失せていた。
 穴に入って5分ほど泳いで少し息が苦しくなってきた頃に、傾斜がなくなり、水流も穏やかになり並行へと変わる。
 そのまままたしばらく進むとだんだんと穴が広くなってきて、底には無数の瓦礫が転がる部分へとたどり着く。


「っぷはぁ……空気は問題無く吸えるな」


 上に向かって泳ぐと頭スレスレしかない水面へと顔を出し大きく息を吐き、吐いた分だけ吸う。
 今の倍の時間くらいまでは息を止める事も出来るが、禄に呼吸できなくては戦闘などまともに出来るはずも無い。
 体中に取り込んだ空気を送り息を整えたケイスは、真っ暗闇の先へと目を向ける。
 静まりかえった暗闇の中に反響して響くのは、ケイス自身が発する呼吸音と、その長い髪から水面へとしたたり落ちる水音だけだ。
 地図で覚えていた限りでは、この大きな通気口は、一度目的の大部屋の下まで沈み込んでその中央を抜ける形でなっていた。
 構造的には下の大部屋に水が溢れそうな物だが、浄化術式を刻んだ辺りを抜けたくらいから水流が目に見えて衰えていたので、水流調整機能も仕込んであったのだろうか。
 

『いざというときは、今のように上の貯水池を全面的に水没させて隔離する仕様だったかも知れんな』


 複雑に入り組んだ最上部の水路。
 巨大な容積を誇る中間の貯水池。
 そして魔術的措置が施された最下層の大部屋。
 この巨大な構造群が、籠城戦での連絡通路や、街が制圧された際の避難所としての役割も持っている防衛設備の1つとすれば、ラフォスの推測も合点がいく話だ。

 
「東方王国の最重要港でもある”狼牙”の地下には、避難所がいくつもあったと御婆様の昔語りに聞いたことがある。だが突然の火龍の襲撃で逃げ込めたのは少数。さらに無事に脱出来た者は3桁にも満たなかったそうだ」


 当時で世界最大級の規模を誇っていた狼牙の街は、今のロウガよりもさらに広い都市圏を持っていたと言われ、40万を越える人達が住んでいたという話もあるほど。
 だがその狼牙に住んでいた住民や、東方王国最精鋭と謳われ狼牙兵団も龍の前には脆かった。
 兵団長であるケイスの曾祖父。邑源宋雪を初めとした幹部クラスは上級探索者、それ以下の兵は全て中級探索者という屈強な狼牙兵団ですら、火龍の群れに挑み、全員が死亡している。
 祖母のカヨウが最後に覚えている旧狼牙の景色は、天を埋め尽くすほどに出現した火龍の群れ。
 そして次々に着弾する火球によって、紙くずのように吹き飛ばされる兵達と、炎に焼かれ狂ったように大河コウリュウへと飛び込んでいく住民達だったと、ケイスは聞いている。
 数百年前に起きた惨劇とその被害者達。
 ケイスが今から向かう先は、その時の思念が色濃く残っている場所だ。 


『人の心身は我ら龍から見れば矮小なれど、積もれば馬鹿にはできん。努々油断するな。娘は人なれど龍。しかも我ら水龍のみならず火龍の血すらも取り込んでおる。その者達を刺激するであろう』 


 年月を経た霊体、死霊たちには大抵個人の意思や意識という物が摩耗して残っていない。
 彼らは死ぬ直前に抱いた強い感情に支配されている。
 それは怒りだったり、悲しみであったり、または恨みであったりと、いわゆる負の感情と呼ばれる物だ。
 龍に殺された者達。その苛烈な魔力で焼かれた痛みや恐怖は、身体のみならず魂すら焼き、死んだくらいで消えるはずが無い。
 龍の魔力をその魂魄に刻み込まれたからこそ、彼らは未もこの世に残り続けている。
 そんな彷徨う魂が集う場所に、魔力を持たないとはいえ龍の血を宿すケイスが飛び込めば、死霊達が活性化するのは目に見えている。


「そうだな……少し良いことを思いついた。回避は止めだ。真正面から行くぞ」


 大人しくしていろというラフォスの警告に、ケイスは明るい声で返事を返して、水面から顔を出したまま、すいすいと前に進んでいく。
 一寸先も見えない暗闇の中でも、華やかな笑顔を浮かべていると判るくらいに場違いに弾んだ声だ。
 確信的に、ラフォスは厭な予感を覚える。
 ケイスが良いことと言う場合は、例外なく碌でもなく、そして非常識なことを思いつき、さらに助言など聞き入れずに邁進すると知るからだ。
 血脈の末端に位置した末の娘ながら、その身に色濃く龍王の血を蘇らせたケイスの思考は、人の物でも、龍の物でも無い。
 ケイスはケイスという概念の元に動く一個の生物とでも思った方が諦めもつくので、気分的にはまだ楽だ。


『まったく、孤独には慣れているつもりであったが、愚痴をこぼす相手がこうも欲しくなるときがくるとはな。ウェルカめ。娘の世話を押しつけおって』


 ケイスが始母と呼ぶ現深海青龍王でありラフォスの娘であるウェルカ・ルクセライゼンは、時折精神世界を通じて顔を出しには来るのみだ。
 封ぜられていたときと違い、ケイスといれば退屈だけはしないが、心労が日々募るラフォスは、次にウェルカが来たら来訪回数を是が非にでも増やしてやろうと心に決めた。


「広いところに出たな」

 
 水面から顔を出していたケイスは、空気に混じる匂いが変わった事を敏感に感じる。
 相変わらず先も見えないほどの暗闇だが、周囲が開けた部分に出たと、匂いや反響音が伝える。
 右手の羽の剣を振るって、周囲を探ってみるが手応えがないから間違いなさそうだ。
 壁面へと左手をかけ腕力のみで水面から身を引き上げたケイスは身体を震って、水を払い落とすと、もはや原型を止めていないドレスの懐に手を突っ込む。
 カエル皮の小袋を取り出し、その中に入っていたキャンドルスライムの体液を太ももに縛り付けていた大腿骨にこすりつけてから火を灯す。
 周囲は明るくなって見えたのは、どこまでも続く古い石組みの床と、どこまでも伸びた背後の壁。
 右手には泳いできた水路にゆったりと水が流れていて、その対岸にも闇が広がっている。
 前と左右、そして上に伸びた光りは、すぐに暗闇に飲み込まれて先を見通す事が出来ない。
 羽の剣を一振りして、床石を力強く叩く。
 反響音で空間の広さを測ろうとするが、音は広がっていくのみで返ってこない。
 とてつもなく広いか、それとも音吸収の仕掛けでもしてあるのか。
 広さも判らない暗闇の中から死骸を探すのは、難儀かも知れないが、死体が流れ込んだ水路という目印がある。
 動き出したら迷いなど無いケイスは意気揚々と一歩を踏み出そうとするが、


「ん……早速出たか」


 すぐに立ち止まり、空気が変わった周囲を警戒する。
 空間が軋む音が周囲に鳴り響き、うっすらとした靄が床や壁面、水路、至る所からわき出し始めた。
 重なり合っているのでただの霧状にも見えるが、僅かな濃淡を目安によく見れば、それぞれが人の形をしているようにも見えなくもない。
 これでは死霊を回避するという選択肢なんてとても取れた物ではない。
 視界の全てをその靄が覆っている。


『多いとは聞いていたが、この数は……娘。厭な予感が当たったぞ。少なくとも私が感じられる範囲の全てに死霊共がわき出てきておる』


 ゆらゆらとうごめく霧は周囲の熱を奪っていくのか、寒気を覚えるほどに急激に体感温度が下がり始める。
 周囲に鳴り響いていた軋む音は徐々に音程を変え、無数の怨嗟の声が篭もった物へと変わり、痛みや悲しみ、怒り、様々な感情が精神に直接響いていく。
 気の弱い者であれば発狂しかねないほどの暗く重い感情。
 その数は、千や二千という生ぬるい数ではない。
 ラフォスの懸念は当たる。
 ケイスの中に眠る赤龍の力を感じた死霊達は、その力を強め、こうして物理的な力として感じられるほど濃密な気配と音を生み出し始めていた。
 嘘偽りない大都市1つ分の魂達の怨嗟が、この地下の中にはあふれかえっている。


「ん。強く残っているな。よいな……ではお爺様行くぞ!」


 だがその数十万人が残した強い怨嗟を前に、たった一人の狂人は力強く笑ってみせる。
 炎に照らし出されたその顔に浮かぶのは、この状況に似つかわしくないにもほどがある大輪の笑顔。
 その感情が現す。
 嬉しくて嬉しくてたまらない驚喜であり狂喜にして狂気を。
 やはり自分の思いつきはよいことだ。
 こうして死してもなお残った者達がいるならば、その思いは継がねばならない。
 かつて存在した東方王国のことをケイスは詳しく知らない。
 それはケイスだけではない。
 今生の者の大半は数百年前に滅んだ国を知らず、知らぬとも困らない。
 ただそこにあったと知識として知るだけだ。
 祖母であるカヨウ・レディアス。
 いや邑源華陽は知っているが、滅多に口にはせず、時折昔話で少しだけ語ってくれるのも平和な時代、龍が襲来する前の話がほとんどだった。 
 だからケイスは知らない。
 死んでしまった人々の心を、残した無念を。
 残された、生き残った祖母達が強く願い、抱いた思いを。
 死者が残し、生者が積み上げてきた物の真髄を。
 ケイスがこの世でもっとも素直に、もっとも誠実であろうとする物は剣でありその剣技。
 自分は剣士であり、剣である。
 ならば知らねばならない。
 是が非でも知りたい。
 己の源流たる剣技の心を。
 剣技を生みだした死者達の心を、積み上げた祖母達の思いを。


「龍に破れ! 龍に屈し! だが死してもなお龍に対する抱くのは闘争心! さすが我が血と剣技の源流たる先達達だ!」


 死霊達に人の言葉を理解するだけの意識はないかもしれない。
 だがそれでもケイスは声を張り上げる。
 意識無くともその存在に、魂に刻むために。
 ラフォスの忠告の真逆をケイスは行く。
 心臓に意識を集中。
 丹田から生み出した闘気を注ぎ、心臓を熱く焼けるほどに活発化させ、膨大な龍の魔力を生み出すための器官を、龍の闘気を生み出すための器官へと変化してのける。
 龍殺しの血を引き、赤と青、異なる龍種の血を引き、通常であれば反発し合う異種の力を押さえつけ、取り込み、我が物とする。
 龍の中の龍たる龍王の精神を持って、この世の全てを喰らうために力を解放していく。
 ケイスの中の龍の力が、巨大に、獰猛になる度に、反応した死霊達も大きく揺れ、さらに数と濃さを増していく。
 それは霧というあやふやな物では無く、既に純白の壁と言って良いほどに集い濃くなっている。
 一人対数十万。
 それは常識であれば無謀の極みだ。
 どのような強者であろうと、それだけの数を跳ね返せるわけがない。
 だがケイスは違う。
 むしろケイスに”たった”数十万の心で挑むなど無謀の極みだ。
 未だ力は幼く弱くとも、その心は出来上がっている。
 己の意思を通すためならば、何者でも敵に回す馬鹿者は、やがては世界の全てを敵に回し、それでも己を貫く事が出来る化け物なのだから。
 

「ならば褒美にもう一度龍と相対する機会をくれてやろう! そして残していけ! その情念を! 何よりその武技を! 貴殿達の心を刻み! 剣を紡ぎ私はもっと強くなる! 私が強くなるために貴殿達はこの時代まで残ったのだ! 故に誇れ! 貴殿達が残し物を糧に私はいつか世界最強へとなるのだから!」
  
  
 全身が滾るほどに闘気が駆け巡り熱を帯びたケイスが吠えると同時に、白い壁は崩れ、大波となってケイスに一斉に群がる。
 

「ぐっ! がっ! っ!」


 数十万もの霊達がケイスに重なり、その心に身体に入り込んでいく。
 一柱が中に入る度にケイスが感じるのは、霊達が死ぬ直前に感じた痛みや絶望。
 気がつけばケイスは、火炎の渦がいくつも立ち上る古代の街である狼牙にいた。
 その街中でケイスは火龍の炎に直撃を受けて死亡した。
 別のケイスは、火龍の尾によって身体がばらばらに砕け散った。
 また別のケイスは幼い我が子を連れ逃げようとした最中に、龍にむさぼり食われた。
 それは幻。だがかつてあった過去。
 一柱一柱ごとに違う最後が残した、幻の痛みが、ケイスを殺そうと襲いかかる。
 消えない炎の中で、肺が空気を求めようとして大きくあえぐ。
 両足が砕かれ立ってられなくなり、身体が倒れ伏す。
 両目が焼かれ、視界が暗闇に染まる。
 全身を無数の裂傷が走り、血管の中にまで入り込んだ火龍の炎が全身を余すことなく焼き尽くす。
 心の中で、ケイスは無限の死を体験する。
 全てが同時に、そして何度も繰り返されていく。
 常人ならばとうに狂死するほどの痛みと絶望。
 だがケイスはそれらを全て喰らう。
 耐えるのでは無い。
 耐えて、すぎるのを待つのでは無い。
 全ての幻の死と、かつてあった無念をケイスは受け止め、さらに先へと進む。
 炎を吐こうとする火龍ののど仏を切り裂く。
 迫る尾に剣をぶつけ、はじき返す。
 自ら口蓋へと飛び込み、火龍の腹を食い破り飛び出る。
 無限の死の一つ一つへと己の剣技を、まだ至らずともいつかは到達するであろう己の剣技をぶつけていく。
 ケイスが示すのはただ剣を振ることだけ。
 死者が抱く無念に宿る死の形を、龍という暴虐の固まりを、それ以上の暴虐で塗り替え、喰らっていく。


「行く……ぞ……おじいさま! お、邑源一刀……流……さ、逆手……ぐっ……双刺……突!」 


 その戦いは心の中だけで無い。
 現実のケイスも戦いを始める。
 羽の剣を握り、その身に宿る剣技を振るい始める。
 それは力も入っておらず、型も崩れた剣技と呼ぶことも出来ない無様な物。
 だがそれでも剣を振るう。
 剣士である自分が出来る戦いは剣を振ることだけだからと知るからだ。
 

『しっかりしろ娘! 赤龍王ならともかく火龍の雑兵程度に負ければ、我が青龍の名が地に落ちるであろうが!』

   
 本当に碌でもない事しか考えない。
 剣しか頭になく、剣を通してでしか世界を見ない剣術馬鹿の思考に、ラフォスは呆れかえるしか無い。
 だが剣術馬鹿の思考であるが故に、今は剣であるラフォスには判る。
 ケイスが如何に本気か。
 そして単純かつ真剣かと。
 叱咤激励しながら、ケイスの望みに合わせ、形を変え、重さを変化させ、現実でも幾度も剣を振るっていく。
 無数の死を辿り、巡りながら、ケイスはその死を斬り殺していく。
 数十合、数百合、剣を打ち合わせ、己の死を、赤龍の死へ塗り替えていく。
 だが強固にして暴虐なる龍は強く、ケイスは幾度も負け続ける。
 何度も倒れ、喰らわれ、焼かれ、無限の死を迎える。
 それでもケイスは、もう一度最初から立ち上がり、現実と幻の中で剣を振るい続ける。
 勝てない、自分が死ぬ、殺されるという強固なイメージと、なにも出来無かった無念を抱く死霊達の前を行く為に剣を振る。
 ケイスが振るう剣は邑源一刀流。
 かつて東方最強と呼ばれた武家『邑源』に伝わる剣技にして、狼牙の守護者と呼ばれた邑源宋雪の振るった剣。
 その剣は、意識も記憶も失い、ただ存在するだけだった死霊達の心を強く揺さぶる。
 この剣を振るう者の元にかつて彼らは集った。
 戦い続けてきた。
 全ては国を、民を守るため。
 東方王国という自分達の祖国を守るために。
 命を失い、国が滅び、それら全てが遠い過去の物となっても、この剣を振るう者がそこにいるならば、彼らは再び立ち上がる。

 ケイスの死角から迫って来た火球が、魔術攻撃によって打ち落とされる。

 傷つき倒れ伏したケイスの身体に、即効回復神術が施される。

 剣を打ち合わせ龍を足止めするケイスにあわせて、巨大な鉄槌が振るわれる。

 ケイスを組伏していた龍が、長大な紅剣によって真っ二つに切り裂かれる。

 無数の死の中で敗北を続けるケイスの横に、次々に古風な鎧武者達が現れ加勢していく。 


「がっぁぁっぁぁっぁ!」 


 その加勢を受けケイスは吠える。
 全ては幻。通り過ぎた過去。
 だが剣を振るう以上、これはケイスの戦い。
 ならばいつも通り勝つだけだ。
 一気に世界が広がる。
 無数の死が統合され、1つの巨大な世界が作り上げられる。
 崩れ落ちた城塞。
 天を埋め尽くす火龍の群れ。
 渦巻く火災旋風が街を焼け野原へと変えていく。
 それはケイスが知らないが、かつて狼牙に起きた現実の出来事。
 ただそこには現実とは違う者達が存在した。
 不意打ちを受け、集合もままならず、各個撃破され、無残にも崩れ落ちた最強の兵達が。
 地上から天を見上げ吠えるケイスの横に、一人の壮年武者が歩み寄る。
 その手には剣と呼ぶには長大すぎる刀身を持つ赤い長巻と、穂先まで黒一色で塗られた異形の直槍。
 一剣一槍を携えた武者はケイスを一瞥もせず、ケイスの一歩前に出て、ただ同じように天を見上げる。
 その目に宿るのは無限の闘志であり、その背が無言でケイスに語る。
 自分達の最後をよく見ておけと。
 
    
『勇敢なる我が同胞よ! 唱えよ! 我らを奮い立たせ、戦場へと再び導いた剣士へと残すべき思いを! 見せよ! 我らが培ってきた技を!』


 爆音が響き、火龍の怒号で覆われる戦場、だがそれでも明朗に響き渡る声が轟く。
 その号令に合わせ背後の武者達が一斉に己の武具を構える。


『『『『『『『『応! 帝御前我等御剣也!!!』』』』』』』 
  
  
 武者達は異口同音で同じ言葉を唱える。
 戦場の喧噪を破るほどの声と天さえ割るような気迫に、ケイスの全身が歓喜で震える。
 それはケイスが宿す言葉。
 背に主を守るときの気持ちを持って、いかなる苦境であっても全力を出し不敗であろうとする武者達の誓い。
 ケイスが理想とし、目指すべき道を進んだ先達の思いは、この短い言葉の中に全てが集約されていた。


『一番槍参る! 狼牙兵団先駆け衆筆頭! 小佐井尚武! 邑源槍術小佐井流! 石垣崩し!』


 先陣を切って一騎駈けした巨体の武者が骨がミシリと軋むほどまでに腕に力を込めて、膨大な闘気を込めた槍を宙へと放つ。
 轟音を奏で天を駆け上がった槍が一体の龍をあっさりと貫く。
 それだけではなく槍に込められた闘気が龍の内部で膨れあがり、その身体を爆散させる。
 極めて固く頑丈な龍骨が飛び散り、無数の散弾となって周囲の龍達へと襲いかかり陣形を崩した。


『弓衆筆頭! 萩野宗森! 続かせてもらいます! 邑源双弓流! 黒鶫!』


 2つの弦を持つ特殊な形の弓を構えた長身の武者が飛び出て、黒く塗られた2つの矢を打ち放つ。
 高速で飛翔する二対の矢。しかし空気を切り裂くはずの飛来音は一切鳴り響いていない。
 魔術であれば消音方などいくらでも存在するが、術を使ったような形跡は見られなかった。


「ひいお爺様。あれは魔術か?」


 判らないならば聞けば良い。ケイスは矢を見つめながら前に立つ武者へと問いかける。 
 死霊達を己の体に迎え入れたことでケイスが彼らを知ったように、死霊であった彼らも理性を取り戻したことと、ケイスと重なった事で、その生い立ちやここまでの道のりを理解することが可能となっていた。
 だからケイスは名を聞かずとも目の前に立つのが誰か判っていた。
 ケイスにとって曾祖父に当たる当時の邑源宋雪だと。


『……二対の矢でそれぞれの音を相殺させ消す無音技だ。投擲術にも応用は利くが、コツが難しく出来る者は少ない。我が娘のどちらも出来ずにいたが、どうやら失伝しておるようだな』

  
 ひ孫の問いかけに宋雪は天を見上げたまま感慨深げに答える。
 自分が死して数百年もの年月が過ぎ、今生まで伝わらなかった技を、伝えられなかった思いを、今になって継ぐ者が現れようとは。
 しかもそれが自分の血を引く末裔。


「要は角度、速度、闘気量だな。御婆様やその師であった大伯母様は、時間も無く剣術と、槍術の一部、あと魔術しか身につけられなかったと聞いている。だが安心しろひいお爺様。私に見せておけば万事解決だ。私は魔術は使えぬが、技術体系は後世に伝えてやるぞ」


 自分の祖先であろうと何時もと変わらぬ傲岸不遜さを発揮したケイスは、息を整えると剣を納めて天を見上げる。
 その目は1つたりとも取りこぼしてなる物かと真剣だ。
 そんなケイスの目の前で次々に名乗りを上げながら飛び出る武者達は、ケイスの知らない技や、口伝で伝え聞くだけで詳細の知らなかった技を使い、龍達を打ち落としていく。
 彼らはただ見せ、そして技で語る。
 自分達が残せなかった、伝えられなかった思いを。
 全ての龍が狼牙の天から消えるまで、そのありえなかった宴は力強く行われていた。








「ん。よしひいお爺様にその部下である先達の方々よ。貴殿らの思いと武技は全て私が受け取った。狼牙の人々も全ての龍を殺してやったのだから落ち着けるはずだ。だから後は私に任せて安らかに眠れ」


 全てを見終え、食らいつくしたケイスは振り返ると極上の笑みを浮かべて居並ぶ武者達を見回し強く頷いた。
 数百年前に死亡した彼らをこの世に押しとどめていたのは、その深い怨嗟の感情と龍の魔力。
 だがその根の深い問題を、自らの力を強くし彼らを鼓舞し意識を取り戻させ、さらには残っていた魔力を龍という形にして潰すことで力尽くで解決するという力技だ。
 もはや彼らに残された時間は無く、ただ消え去るのみだ。
 しかしその技や思いは、目の前の小さな美少女風化け物が全て喰らいつくしている。


『華陽の孫か……あの小さかった娘が無事に生き残ってくれたばかりか、我等の敵もとり、孫まで生まれていようとはな』


 残した娘達が、あの状況下でも無事に生き残ってくれたことに喜びを覚える。
 しかし死後数百年以上経ってから、死霊としての楔を解き放たれ、その元凶であるひ孫と出会ったことはさすがに驚きだった。
 何ともいえない不可思議な現象に、宋雪は戸惑いを覚えながら、大輪の笑顔を浮かべるケイスをまじまじと見る。
 確かに容姿を見れば上の娘の小さな頃にそっくりだ。
 もしケイスと重なっていなくとも、血族だと名乗られれば信じるほどに似通っている。
 だがそれ故にケイスが何者であるかと知っていても、宋雪には信じがたい。


『龍殺したる我等一族の末に生まれた娘が、龍その物でありながら魔力を拒否する剣士とはな』


『しかも才覚は雪姫様や華陽姫様も越える逸材ですよ。もし同時代に生きていたならば女性初の総大将もあり得ましたね』


『そんなもんで収まる器か? あの頭のおかしい啖呵といい、我等の死を全て受け入れて覆そうとする胆力といい、どんだけ化け物ですか大将の末……』


『そこはさすが大将のひ孫様って所で……』 


 聞き慣れたはずの部下達の声が徐々にかすれて判らなくなっていく。
 見れば既に幾人かの者は、この幻の狼牙から消えてしまっていた。
 自分もすぐにいくであろうという間違いの無い予感を覚えながら、宋雪は最後にするべき問いかけを思い出し、ケイスを見る。


『最後に聞かせてもらいたい。何故あのような無茶を? 我等を救うためか』


 ケイスがしたのは下手をすれば、いや十中八九死ぬであろう無茶だ。
 たった一人で、数十万もの死を受け入れ、幻とはいえ覆そうというのだから。
 もし自分達の意識が戻らなければ、ケイスは今も勝ち目のない戦いを続けていたであろう。
 途中でケイスの心が折れたときは、死ぬという定めの下に。


「なんだひいお爺様は存外に鈍いな。最初にいったであろう。私が強くなるためだ。だから今回の経験は値千金といえる物だ。それに無茶なんてしていないぞ。私は天才だぞ。できるに決まっているであろう」


 そのケイスらしい発言に、宋雪は呆気にとられ、次いで笑うしかなかった。
 ケイスは失敗を恐れないのではない。
 誰もが無理だと思うような難事を失敗をするとさえ思っておらず、勝利が当然だと言いきるだけの、単純な馬鹿であり、同時にその戯れ言を実行するだけの強き心を兼ね備えた傑物なのだと。


「まったく祖父とは孫達には勝てない物とよく言っ…………」  
  

 邑源宋雪が幾度もくぐり抜けた戦いの果て。
 死してなおも降り立った最後の戦場で出会った、最強最後の敵に、消えゆく宋雪は諸手を挙げて降参するしかなかった。















「ん…………はぁっ……すこし、きつかったか」


 羽の剣を握る右手は、強く握り締めすぎて変色していた。
 全身からビッショリと汗が流れ出るなか、息を整えながらケイスはぺたんと尻餅をつき、さらには大の字に寝転がる。
 冷たい石の感触がとても心地よい。
 この心地よさは満足できる鍛錬を積んだ後と近い物がある。


『全く何時もながら、滅茶苦茶な事をするな娘よ。周りに死霊はいなくなったからよいが、敵がいれば今のお前では負けるぞ』


 まさかその気合いと精神力で、弱っているとはいえ数十万も積み重なった死霊を全て消し去るとは。
 常識外をいくケイスには何時も驚き、そしてそれ以上に呆れさせられるラフォスは、精根尽き果てているケイスに変わり周囲を警戒していた。


「そう言うな。存分な収穫もあったのだからな……これで私はさらに強くなるぞ」


 精神世界で振るった剣を、見た武技をケイスは刻み込んでいる。
 体力や技量の問題もあるので、その全てを今からやれるというわけではないが、それでも進むべき道は見えた。 
 懐のガラス瓶を取りだし密封されていた蓋を開けて、角砂糖口の中に放り込んだケイスはボリボリとかみ砕く。
 甘みが疲れた身体や脳に染み渡り心地よい。
 しばらくして息も整えたケイスは反動をつけて起き上がると、床に落ちていたカエル燭台を手に取り、静かになった暗闇を見据える。


「よしではいくぞお爺様。亡骸を早く見つけて帰してやらねばならんからな」


 ありとあらゆる事象を引き寄せ巻き込むケイスにとっては、数十万の死霊であろうと、亡き曾祖父であろうと、顔も知らぬ亡骸であろうとも等しく変わらない。
 自分の力は困っている人のためにある。
 だから何時ものことだ。
 お人好しで、幼い精神を持つ美少女風怪物は、最強へとむけ着実に進化を続けていた。



[22387] 剣士と運命②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/04/26 01:59
 頂点まで昇った月のほのかな明かりが、林の中にぽっかりと空いた野原を照らす。
 高い草に囲まれぽつんと存在する古井戸からズレ落ちた石蓋の横に膝をついて、フォールセン・シュバイツァーは錆びついた鉄鎖をその手に取る。
 鋭利な刃物で切断されたとおぼしき断面だけが、月の明かりを受け鈍く輝いていた。


「申し訳ございません旦那様。屋敷内や敷地内をくまなく探したのですが、ケイス様はおられません」


 カンテラを片手に井戸を照らす老家令のメイソンの顔には、焦りの色が浮かんでいた。
 ケイスの姿が、屋敷内で最後に確認されたのは昼を少し過ぎた辺り。
 庭の一区画にある修練場で稽古をしていた院生達が、遠目に稽古を見ていたその姿を発見したのを最後に行方が知れていなかった。
 屋敷に滞在中のケイスは基本的には日中は調べ物があるからと図書室に閉じこもっていることが多く、夕刻までは姿を見ないのがざらだった為に、その不在にメイソンが気づいたのは、何時もなら時刻きっかりに来る夕食の席にケイスが来なかったからだ。
ケイスはロウガに潜んでいる陰謀劇の証言者であり、実際にその身を狙われていたからフォールセンの邸宅でその身柄を預かり、安全を確保していた重要人物。
 その行方が知れないという事態に、メイソンはすぐに使用人達と共に敷地内の捜索をしたのだがケイスの姿は見つからないままだった。


「正門や裏門にも異常はなく、こちらの井戸の封印が破られていたのを院生達が見つけたそうです」


 大人達がなにやら右往左往してケイスを探している様子に、興味を引かれた一部の子供達も勝手に探索に出ていたようで、ケイスの代わりに固く封印されていたはずの井戸の蓋が開いていたのを発見したという経緯をメイソンは語る。
 井戸の位置はケイスが最後に目撃された小道から、少し林の中に入った場所にあり、他には何もないので普段は誰も近づかない奥まった位置だ。
 だが孤児達の中でも冒険好きな子供達にはその存在が知られていて、草木が絡み朽ち果てている外見や厳重に封をされている所為か、呪いの井戸だとなんだと言われている場所だ。
 しかしまだ少年と呼べた若い頃から屋敷に仕えているメイソンはこの古井戸が、かつては緊急時の抜け道として整備されていたという逸話を聞かされていた。
 

「この乱れの無い切り口はケイス殿だな。おそらく自身の意思で抜け出したのであろう」  

 四隅に施された鎖が見せる切断面は滑らかな鏡面のようで、これだけの剣の冴えを見せるのは屋敷内にいた人物ではケイスしかいない。
 ケイスの出自がフォールセンの想像する物であるならば、この古井戸がロウガの地下を縦横無尽に走る水路と繋がっているのも知っていてもおかしくは無い。
 だがケイスが抜け出した理由が判らない。
 犯人がわかったから斬りにいったと考えるのも無理がある。
 いろいろな伝手から情報を集めているフォールセンですら、ようやく事件の黒幕とおぼしき人物の目星をつけたばかりで、まだ確信や証拠を得ていないというのに。
 ただ資料室にある物を調べただけでは、自分と同じ推測までは至らないはずだとフォールセンは確信を持っている。


「ケイス殿は今日どのように過ごしていた?」


「はい。いつも通り朝食後は午前中から資料室に篭もっておられました。途中にウォーギン君とご友人のルディア嬢がお見えになってご歓談をなさった以外は、別段お変わりは無いご様子でした。会話を盗み聞きさせていただきましたが、ケイス様はロウガの権力争いの根の深さに憤りを覚えておられましたが、その複雑さ故に計画の主犯を絞り込めていないとおっしゃっておられました」


 ケイスの無軌道な性格、常識外れの行動力、人間離れした身体能力と精神力、そして端から見れば馬鹿ではあるが極めて高い知能を持つという、何とも難儀な性質はフォールセン邸の使用人達も重々承知している。
 何をしでかすか判らないと聞かされていたので、その言動を密かに見張るようにとフォールセンも指示を出していた。


「やれやれ……レイネにまた叱られることになりそうだな。この状況でケイス殿が屋敷から出て行った理由の推測は出来無いな」


 ケイスが取り返しのつかないことをしでかす前に、フォールセンは今回の件を終わらせようとしている。
 その為多少のリスクは覚悟の上で、わざわざロウガ支部まで今日は赴いたというのに、肝心のケイスの所在が不明では意味が無い。


「万が一を考えシドウ家周辺への監視の使い魔を増やしますか? ケイス様のあのご容姿では、ユキさんへの怨恨を持つセイカイ殿とトラブルの種となる可能性もあります」


 フォールセンが黒幕として目星をつけている名家シドウ家の一員であるセイカイにケイスが現状でたどり着けるはずが無いが、その可能性は0では無い。
 何よりの懸念はケイスの容姿だ。
 ケイスはあまりにユキ・オウゲンと似すぎている。
 シドウの本家筋でありながら、傍流として冷遇されることになった件には、ユキも深く関わっている。
 メイソンの懸念はフォールセンも同様に覚えていたが、


「いや止めておこう。下手に増やせばそれだけで私の動きを勘ぐって余計な者達が動き出すやもしれん。あくまでも平時と同様に街中の監視程度に留めるしかあるまい」


 フォールセンが現役管理協会支部長時代に街中に使い魔を使った監視網を創っていたことを知る者もまだ多く、今も細々ではあるが残っていると気づいている者達も存在する。
 強い影響力を持つフォールセンが疑惑を口にしたり、平時と違う行動すれば、それだけでその言葉や行動を自分の益のために使おうとする者も多くロウガは大きく荒れることになる。
 あくまでも平時と同様。もしくは疑われない程度に収める行動しかない。
 そしてその行動許容範囲内で、ケイスを探すしか無い。
 なるべく気取られないようにする為にも、あまり人手を割けない。
 一番確実にケイスを探すにはフォールセン自身が動く事だ。
 ケイスにはフォールセンと同じ龍の血脈が流れる。
 近くにいれば確実に気づくほどに濃い龍の血が。
 ケイスが現れそうで、そしてフォールセンが屋敷から出ていても疑われない状況。
 しばし考えてからフォールセンは、見事にその状況に当てはまる舞台を思いつき僅かに息を吐く。
 ロウガの有力者達が一斉に集まり、それだけでなく有望な探索者や探索者を目指す若者達が集まる式典が明日、ロウガの大広場で執り行われる。
 始まりの宮へと挑む探索者を目指す若者達を激励し、迷宮へと送り出す出陣式が。
 有力者達の顔を直接確かめられる機会。そしてなにより探索者を志すケイスが、その場に現れる可能性は極めて高いはずだ。


「あまり祭り上げられるのは引退した身としては好まないが仕方あるまい。メイソン。明日の出陣式に私も出席すると連絡を頼む」


 大英雄であり、元支部長でもあるフォールセンにも、毎期ごとに執り行われる出陣式への招待状が届けられているが、あくまでも主役は若者達であり自分では無いと、出席を固辞し、祝辞のみで済ませてきた。
 普段は出席しない自分が出れば、それだけで今期の探索者達に過剰な期待が寄せられるかも知れないが、背に腹は代えられない。
 

「かしこまりました。旦那様がご出席となればサナ王女殿下も大変お喜びになられます。是非とも自分の晴れ舞台を、師である旦那様にその目で見ていただきたいと何度もおっしゃっておられましたので」


 前ロウガ女王であり祖母でもあるユイナとよく似た容姿に、ソウセツと同じく背には大きな猛禽類の翼を持つロウガの若き王女サナ・ロウガは、フォールセンを大爺様と慕っており時折屋敷を訪れ、院生達に混じり剣技の手ほどきを受けていた。
    

「少しだけアドバイスをしただけで師と呼ばれるほどではないのだがな。それに今回はサナ殿を出汁に使うことにもなりかねん……セイカイ殿の孫。セイジ殿をこの目で見る良い機会ではあるな。ナイカ殿の話では傑物として知られる若手の有力候補とのことだ」


 そして今期の始まりの宮に挑む若者達の中には、セイカイの孫であり、ロウガで行われている武術大会で何度も優勝をし将来を期待されるセイジ・シドウという青年もいるという。
 もしフォールセンの推測が当たっているならば、今回の一連の企みはセイジ・シドウという青年を、今期でもっとも有能な新人探索者として仕立てるために、仕組まれた可能性が極めて高い。
 ナイカの評価では、そんな企みが無くとも今期の探索者志望の中では一、二を争う実力があるというのに。
 そんな無駄であり、無謀な陰謀を企てたのも、全てはセイカイ・シドウが深く持つ怨嗟ゆえ。
 半世紀も前に過ぎた過去が今に悪影響を及ぼす。


「祖父母時代の遺恨を、若き者達へと押しつけるわけにはいかん……な」


 深く息を吐いたフォールセンは天を見上げる。
 薄雲がかかり、月の明かりが僅かに遮られる様に、何ともいえない不安がその胸を過ぎっていた。
 普通に考えれば式典は何事も無く終わるはずだ。
 そこでケイスを発見できれば、それで凌げる。
 何も起きず、決められたとおりに式典は進み、始まりの宮に挑んだ若者は、探索者と至る者、力尽き至らぬ者と明暗が分かれる。
 それが何時ものこと。
 だが今期は違う。
 不可測的要素の固まりがこの地にはいた。




















 先も見通せない暗闇の中をケイスはただひたすら水路沿いに進む。
 部屋中を埋め尽くさんばかりにいた死霊の群れは既に影も形も無く、じつに静かな物でケイスの足音とちょろちょろと流れる水の音だけが響く。
 上の水路と違い生きものの姿は皆無。
 時折、足音と水音に混じる胃が訴えるか細い悲鳴に対し、ケイスは胸元から出した角砂糖を囓りながら何とか誤魔化す。
 空腹や精神的な疲れもあるので、周辺警戒はラフォスに任せきりで、今のケイスはただ歩くだけだ。


『娘。その非効率な身体はどうにかならんのか。全力で動けば動くほど、すぐに動けなくなるのでは先が思いやられるではないか』


「ん。私が美味しそうなのか獣やモンスターも襲いかかってくるからな。ご飯には困らないんだが、いないとなると問題だな。その辺に新しい死体でも転がっていないか?」


『……同族食いだけは止めておけ。碌な事にならん。人の世から排斥されるぞ』


 人の死体だろうと全く気にせず腕にかぶりつくケイスの姿が容易に想像できて、ラフォスはゲンナリとする。
 龍とも人とも違う常識を持つ頭のおかしいケイスが、人間を同族と見ているか微妙だが、世の常識をケイスに諭す。
 龍が、人間に、人の世の理を諭すという、当事者で無ければ実に滑稽な事態だと笑えるであろうに。


「むぅ。違うぞお爺様。何か食べ物を持っているかも知れないからだ。人だけは食べちゃダメだとミュゼにも散々に叱られたからな。それに歯しか使えず指を噛みちぎったことならあるが、人の血肉はたいして美味しくないぞ。たばこ臭かったからすぐに吐きだしたな」


『お前の発言では美味かったら食うというようにしか聞こえんな……娘。いたようだ。この先すぐだ』


 どうにも不穏なケイスの返しにぼやきながらも、力の落ちているケイスに変わり周囲を探っていたラフォスが先にその存在に気づく。
 足を速めたケイスが進むと、水路が軽く湾曲した部分に引っかかっている死体が1つ明かりの中に浮かび上がってきた。
 うす焦げ茶色の髪をした男性の遺体は旅人用の頑丈な外套を纏っている。
 その外套の背中側に大きな切り傷があり、途中で折れた矢が肩や脇腹辺りに刺さっている。
 執拗に追われていた姿が想像できる。
 燭台を横に置いてから、半分以上が水に浸かっていた死体を手足が千切れないように慎重に掴んで引き上げてから、ごろんと裏返す。
 青白くなり苦悶を浮かべる髭顔にも、いくつもの傷があり、特に頬の辺りはひどく裂けていて歯が見えていた。
 左目は腐り落ちたのか、それとも鼠辺りに食われたのか抜け落ちている。
 右手をとってよく見てみれば親指以外の指が欠損していた。
 切断面から見るに分厚い短刀辺りで叩き斬られていて、その人差し指がケイスが拾った指の切断面と同じ形をしていた。
 指と指輪は写しを取るために上の店に置いてきたので今は持っていないが、自分が剣の切り口を見間違うはずが無いので、この中年男性の死体が探していた人物で間違いと結論づける。


「思ったより原形を留めていて良かった。水が冷たい所為だろうな。これならそのまま肩で担いでも問題は無さそうだ」


 短身のケイスでは成人男性を背負うのは無理だが、腐敗が思ったより進んでいなかったので、連れて帰るにはそう苦労し無さそうだ。
 場合によっては手足を切断して背中で背負えるように一纏めにする事も考えていたが、これなら大丈夫だろう。
 死霊術師の店だけあって、薄いが頑丈な麻で出来た死体袋がいくつもあったので、大きめな物を一つ借り受けていてたケイスは、腰に吊していた死体袋を取り外して、小さく折りたたまれていた袋を早速広げていく。
 あとは上につれて帰り、身元を確かめ、家族の元に送ってやるだけだ。
 なにやら事件に巻き込まれて殺されたようだが、ケイスはそれについては特に何も思わない。
 もしこれが生前を知っている親しい者だったり、送り届けた家族から、敵をとって欲しいと懇願されれば、その敵をとるために動くであろうが、今の現段階ではケイスの琴線にはただの死体というだけで何も作用はしない。
 ケイスはただこうした方が良いという教えられた事にしたがっているからに過ぎないからだ。
 もし迷宮内で朽ち果てていくだけの探索者の死体を見たら、それが自分とは関係なくとも余裕があれば連れて帰り、弔ってやるという、探索者達が基本的に行っている流儀をただ守っているだけだ。
 ただ淡々と死体を詰めていくケイスの行いに、ラフォスはどうしても考える。
 ケイスの価値観は一年近く一緒に過ごしたラフォスでも、未だに理解しがたいときが多々とある。
 他の者であれば心に傷を負って気にするようなことを、一切気にもせず、ただ己の思うがままに振る舞ったかと思えば、他者ならば諦めたり、傍観するような難儀に、自分から飛び込んでいく。
 それらを決定する要素は全てただ自分が好きか嫌いかその一点だけ。
 あまりに無謀で後先を考えないケイスの行動は、万事その意思に従い動いている。
 結局の所だ。ケイスの行動を決定づけるのはその意思だけであり、それが己を窮地に追い込むやとしても、ただ飛び込むだけ。
 あまりに歪で純粋すぎる生き様は、神々が望む存在として、神々の享楽を、渇望を、そして閑暇を満たす為に、最適すぎる。
 ウェルカはそんな神々の思惑さえもケイスなら越えるはずだと楽観しているようだが、ラフォスにはそう思うことは出来無い。
 龍はその魔力を用い理を塗り替え改変する。
 しかし神は、その理さえも無から作り上げる。
 あり得ない事が起こり、起こるべきはずのことが起こらない。
 全てが神の思うままに動くこの世界において、全ての生物は自由に動いているように見えて、ただの遊戯版の駒。
 それが自分達なのだと、ラフォスは、古い龍王達は誰もが知っている。
 
 
「ん。お爺様どうかした? なにか不穏な気配でも感じ、っと」


 何時もなら小言をあれこれと五月蠅いラフォスが珍しく黙っていることに気づいたケイスが気を一瞬そらした瞬間、外套の一部が大きく裂ける。
 元々切れ目でも入っていたのか、びりびりと裂けた裾を上手く掴み直したケイスは、そこで気づく。
 気づかされる。
 表地と裏地の間に設けられた隠しポケットに挟まっていた羊皮紙の束が床に落ちた。
 しっかりとした防水処理がされていたのか、しばらく水に浸かっていた外套の中に隠されていたというのに、そこに描かれた図柄や、文字にはにじみ1つ無い。
 ゆらゆらと動く燭台の炎の中に映し出されたその図はケイスには見覚えがある物が描かれていた。


「これは……お爺様。この形はあの妖水獣の卵や成獣の写しだな」


『そのようだな』
    
  
 詰めかけの死体を床へと下ろしたケイスはその羊皮紙の束を取り一枚一枚確認していく。
 そこに書かれていたのは、酒の交易商人だった男の十数年にも及ぶ怨嗟と執念の記録だった。
 ロウガから遥か西国で起きた、名も知らぬ村と蔵元が使う水脈に、妖水獣が発生し、それが解決したあとも、風評によって滅びていく様を。
 そしてその裏側で起きていた一人の若手探索者が名声を得るために起こされた陰謀劇を克明に記録していた。
 羊皮紙にはケイスが戦った探索者達の似顔絵や、その手口、そして類似した件がいくつも記録されていた。
 もっとも新しい日付にはケイスが関わった牧場の件。
 そしてその依頼者とおぼしき名家の名と、名声を得るはずの探索者希望の男の名も記してあった。
 長年追い続けようやくその尻尾を掴んだ商人だったが、そこで気づかれ、こうして屍をさらすことになったようだ。
 商人の残した人生の記録を一枚読むごとにケイスの顔には険しい色が浮かんでいく。
 これはケイスには許せない。
 ケイスの心を苛烈に動かすには十分すぎる。
 全てを読み終えたケイスは姿勢を正すと、目の前の倒れ伏した商人へと向かって深々と一礼をする。
   
 
「生まれ故郷を汚され、全てをその汚名を晴らすために注がれた貴殿の思いはしかと読ませていただいた……その無念。私が受け止める。これは私の敵でもある。私がこの卑劣な企みを白日の下に晒して見せよう」


 敬意と哀悼の意を持って頭を下げたケイスは、顔を下に向けたまま誓いの言葉を口にする。


「お爺様。明日の朝にはロウガの大広場で始まりの宮に挑む者達の出陣式が執り行われる。その場でセイジ・シドウという輩を斬り、この企みを全て暴くぞ」


 この男を、探索者としてはならない。
 こんなやり方で自分の進むべき道を汚されて良いわけが無い。
 ケイスの心は既に決まっていた。


『あの薬師がいうには、出陣式とやらにはこの地域の王族や有力者も多数集まるという話だったな。警備は厳重となっているはずだ。碌な装備も無くどうする気だ?』


 そんなところに単独で斬り込むなど正気の沙汰では無い。
 斬り殺すべき相手までたどり着く前に拘束魔術の良い餌食となるだけだ。
 いくらケイスといえど、剣一本でどうこうなる状況でない。
  

「この上は旧工房区画だ。そしてウォーギンも今はこの区画に居を借り受けている。ウォーギンならば拘束魔術を一時的に遮断する魔具の1つや2つ持っている。昼間に住んでいる場所を聞いておいて良かった。私はやはり運が良いな」


 ケイスは迷い無くすぐに答えを返す。
 自分が斬るべき者を見つけられなかったケイスだったが、目標が明確になったことでその持てる限りの能力が全稼働を始めていた。
 

『……出来過ぎだな』


 己の懸念が見事に当たった事にラフォスは忌ま忌ましさを覚える。
 おそらく何かがねじ曲がった。
 本来あるべき道が歪み、運命がケイスの前に現れた。
 地下水路で拾った偶然拾った指から、元々ケイスが関わっていた案件まで繋がる。
 都合が良すぎる。
 あり得ない。
 だがケイス故にそれは起こりえる。
 ”本来”であれば、この死体と羊皮紙は数十年以上もこの薄暗い地下に眠るはずであった。
 深く暗く蓄積された怨嗟の感情はやがて死霊となり、周囲に溢れる自我を失った死霊の群れに感染し、祟りとなりロウガの街に壊滅的な破滅をもたらすはずだった。
 それを解決するのはロウガで生まれ育った一人の英雄。
 だが英雄はその最後に知る。
 自らの始まりの功績こそがこの悪夢の全ての元凶であったと。
 自責の念により英雄は自死をして果てる。
 それは数十年後に起こるはずの悲劇
 だがそれは起こらない。
 眠るべき思いを掘り起こし、祟りとなるべき死霊を全て取り込んだ者がいる。
 周到に仕込まれたいくつもの運命がねじ曲げていく。
 世界中に張り巡らされた運命という名の糸を全て自分の元へと引き寄せていく。
 この世に溢れる怨嗟や、災いを全て飲み込み、やがて世界の敵となるべき者がケイスがいる。
 全ての運命はケイスが存在する事でねじ曲げられる。
 なぜならばケイスは神によって選ばれた者。
 神木を持って生まれた生粋の特異存在だからだ。



[22387] 剣士を知る日
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/04/25 23:51
 射竦められる。
 初めてその言葉の意味を知る。
 真っ直ぐに向けられた黒目を細めた女は、絶対的強者だけが持つ威圧感を放っていた。
 全身がこわばり、のど笛を握りつぶされたかのように声も出せず、呼吸もできず、息苦しくなる。
 心臓が不規則に乱れ、全身から冷たい汗が噴き出す。


「思い上がるな。我が祖国を知らぬ若輩が、国を、帝を、何より一族を語るな。亜人と交じり帝から引き継いだ血が汚れた? 血を継がぬ者が邑源を名乗るな? 紫藤こそが王となるべきだと?」


 見た目は年若い少女だというのに、数百年を生きるその化け物が発する冷たい声音は、刃となり一音ごとに精神を切り裂いていく。
 殺される。
 自分は殺される。
 この化け物に殺される。


「一族の総領は帝とて選ばぬ。選ばせぬ。我等東方の民は血のみで紡ぐ一族では無い。その心を継ぐべき者が名を受け継ぐ。帝を、民を、国を、護り、思う者こそが名を継ぎ、一族を継ぐ。古来より紡いだ仕来りさえ知らぬ者が、我等を語るな」


 化け物が空中でゆっくりと右手を振るとその手首に巻かれた布が、微かな光を放った。
 神々の力を宿す神具。
 天恵アイテムと呼ばれる布の力によって、空気を切り裂きながら一本の巨大な長巻が現れる。
 刃だけで10尺という長大な長さ。
 血よりもさらに鮮烈な深紅に染まった柄。
 大英雄である主と同じ二つ名である『双剣』と呼ばれた名も無き武者と共に、暗黒時代を駆け抜け、数多の怪物を屠り、龍を叩き伏せ、龍王の首を切り落とした魔剣の名を知らぬ者はこの世にはいない。
 その名は『紅十尺』


「我が息子は今はまだ未熟なれど、この我が心血を注ぎ、育て、何より愛し、我の後を継ぐだけの心を持つと認めた者。故に贈った。我が敬愛する父様の名を。故に任せた。一族の長たる邑源宋雪を。故に祝福した。我が今も恨む狼牙領主の末裔であろうとも、素晴らしき姫をその伴侶に選んだ事を。二人が共に手を取り合い民を守ると信じて」


 ゆっくりと動く紅十尺の刃が、首元に押し当てられる。
 剣が宿す気が尋常では無いのか、触れてもいないのに、肉体が切られたと錯覚し、流血が流れ出す。


「お前如きが異論を唱え、さらには我が愛する息子、我が誇る娘を侮辱する。そしてなにより、己の野望のために、この新しき国に、我が祖国を持ち込むなど、許されると思うな」


 その化け物が放つ怒気は、へたり込むことも、目をつぶることも許さず、一音、一拍子を全て刻み込めと無情に告げる。


「選べ。我が盟友である紫藤を名乗る者共よ。この愚者の囀りを続けさせ我に根切りとされるか。栄誉ある一族の名を汚す者を己が手で処断するかを」 


 殺された。
 邑源雪と名乗る化け物によって、セイカイ・シドウはこの日をもって殺された。













 早鐘のように荒ぶる心臓と不規則に乱れる呼吸。
 全身を覆う悪寒と恐怖に震えながらセイカイは、倒れ伏していたテーブルから跳ね起き、刻み込まれた幻影を追い払おうと手を大きく振る。


「ち、近寄るな! ば、化け物が!」


 テーブルの上に乱雑に積み上げられていた、空になった酒瓶や飲みかけのジョッキが床に落ちて大きく音をたてた。
 砕け散った瓶の音がセイカイに、アレが何時もの悪夢だとようやく思い出させる。


「くっ……忌々しい」


 泥酔し深い眠りについてもあの恐怖を与え続ける化け物は時折姿を現し、セイカイを蝕む。
 半世紀だ。
 すでに半世紀以上がすぎた。
 だが今もその呪いは確実にそこに存在する。
 全てが上手くいかないのは、あの化け物が残した怨念のせいだ。
 一族の主家に生まれた自分が、傍流として軽んじられるのも。
 王配となるべきだった自分が、遥かに格下の武家の娘を娶らされたのも。
 全てが歯がゆい。
 全てが忌々しい。
 生まれた息子や娘達には、覇気が無く、あの汚れたロウガ王家にただ傅くだけ。
 他のシドウも安寧にあぐらをかき、異人の勢力がロウガに入るのを眺めるだけ。
 自分が一族の長であれば、自分達が、シドウが育てた街であるロウガを新参者達の好きになどさせていない。
 自分があの時に王配となっていればロウガは今よりもさらに巨大になり、かつて隆盛を誇った東方王国さえもが蘇っていたというのに。
 自分ならもっと上手くやれた。
 自分ならこの街は、一族はもっと大きな力を得ていた。
 シドウの主筋から外れ閑職へ追いやられ、表舞台から追放されたセイカイにとって、その妄想は、あり得たはずの事実となっている。
 だが無くした物を取り戻そうとあがこうとも、手に入れられたものは、本来手に入れられた物に比べれば微々たる物。
 密輸や脱税に便宜を図る事で利益や人脈を得ていたが、それは所詮は世にいう小悪党だと、誰よりもセイカイ自身が判っていた。
 セイカイ・シドウという存在は、泥の中に深く沈み、二度と這い上がれなくなっていった。
 本来ならば光り輝く栄光ある人生を進むはずがだ。
 賞賛もされず、誇ることもできない。
 かつて若い頃に侮蔑をもって、所詮は道具だと見下していた存在へと成り下がっていた。
 年を重ねるごとに、蓄積されていく鬱憤や憤りは、消えることは無く、今では強固な岩のように重く固くなっている。
 無くした物を取り戻さなければ、その固まりは決して取り除けない。
 セイカイが望む物。
 それは栄誉。
 渇望と絶望の果てに求める誇りは、ひどく歪み暗闇色に染まっている。


「若君の晴れの船出の朝だってのにえらく不機嫌じゃないか」


 いつの間にやら室内に侵入したのか、ローブで顔を隠した女が立っていた。
 ローブの端から出た赤銅色の髪を弄りながら意地悪く笑う女の、ローブの奥に潜む瞳は妖しく光りが浮かんでいる。
 不意に現れた女にセイカイは驚きはせず、唯々不愉快を覚える。


「きさまか。よくもおめおめと私の前に姿を現せたな! 一体どうなっている!」


 その顔に向かってテーブルの上に残っていた酒瓶を投げつけるが、女は避ける素振りも見せず、酒瓶に向かって一瞬だけ視線を向けた。
 女の赤目に複雑な魔法陣が浮かび、その魔法陣が瓶の表面に転写される。
 陣が刻まれたその瞬間、宙を飛んでいた瓶は、蝶へと姿を変えそのまま女の伸ばした指先にひらひらと飛んでいった。
 俗に魔眼と呼ばれる視界に入る物へと魔法陣を転写し直接に刻み込むことが可能になる高位術式を使った変換魔術の一種のようだ。


「そう思ったからこそ後始末を優先させてもらっていたんだけどね。へぇ良い酒だ。さすが名高きシドウの一員。趣味は良いご様子」


 蝶を一瞥し、元の酒瓶へと戻した女は、瓶を傾け中身をあおると、嫌味交じりの感嘆を漏らす。
 セイカイの向ける怒りなど、意にも介していないのが丸わかりだ。
 女の名も正体もセイカイは知らない。
 ただ仲介者だとだけ聞いている。
 策謀を練り、依頼者へと利をもたらす組織への。
 セイカイが知るのはその女へと連絡をつけるやり方だけ。
 接触を希望する日時を知らせれば、今のように忽然とその女は姿を現した。
 だが事が明るみに出てからは、いくら繋ぎをしても女が現れることは無かった。


「私に繋がる証拠は全て消しさったのだろうな!」 


「コソコソかぎ回っていた鼠の駆除や、失敗してくれた連中の処理は全て済ませたよ。あんたに繋がる直接の証拠は潰したり、改変してね。ただ乱入してきたって小娘ってのは、双剣に保護されてる様子で手が出せない。協会支部よりあの屋敷の方が堅牢ってのは、さすが大英雄殿。あれならロウガを落とした方がまだ楽だ」


 悪びれた様子もみせずにお手上げだとおどけて見せた女の態度にセイカイは苛立ちと共に焦りを覚える。
 秘密裏に行われるはずだった企ては、一人の乱入者によって明るみに、それも派手にばらまかれてしまっていた。
 セイカイの連日の深酒も、いつ自分との繋がりがばれるかという恐怖からだ。


「待て! あの娘が証人となる牧場の者を匿い、依頼書を握っているといっていっただろう! どうする気だ」

 
「どうするも何も鬼翼が出張ってきたうえに、双剣が絡んでいるんじゃさすがに手が余るよ。下手に動いてあたしらのことに気づかれる前に、上からは手を引けって話なんでね。悪いけど契約は破棄させてもらうよ。依頼料の返金には色をつけさせてもらったから勘弁だね」

 
 唇についた酒の雫を女はその赤い下で舐めとりながら悪びれもせず一方的な契約破棄を通告すると、換金用の宝石が詰まった小袋を投げ渡す。
 話が違う。
 セイカイが抗議の声をあげようとする前に、女の姿は霞となって消え失せた。
 女が持っていた酒瓶が、床に落ちて陶器の破片が床に散らばる。
 その音が引き金となったのか、それとも去り際の女が何かをしたのか?


「まて! 一方的に依頼を破棄などさせて、な、なんだと!?」


 抗議の声をあげようとしたセイカイだったが、次の瞬間には女へと連絡を取るための手順や、その窓口となる店の場所。
 さらにはその女の容姿すらも記憶から消え失せていることに気づかされる。
 自分が依頼した内容はしっかりと覚えている。
 それなのに、それ以外の記憶が丸まると消失していた。
 セイカイは我知らず身震いをする。
 今の女も探索者……だったはずだ。
 まただ。
 また自分の計画は探索者を名乗る化け物共に潰されるのか。
 自分が目指す栄光への道は全て潰されるのか。
 探索者などただの道具であるべき力しか持たぬ者達に。
 あの女はとうに死んだというのに、その残した呪いが自分の行く手を塞ぐのか。
 怒りと恐怖がセイカイの中で渦巻く。
 ワナワナと震えていると、不意に扉がノックされた。


「っ!? だ、だれだ!」


「セイジです。失礼致しますお爺様。物音が聞こえましたので」


 孫のセイジは何時もと変わらぬ落ち着いた声色で答えながら室内に入ってきた。
 凛とした空気を纏った若武者は酒瓶やその破片が散乱している様を一瞥はしたが、何も見なかったかのように平然とした顔を浮かべる。


「ただ瓶が落ちただけだ! お前はそんな些末な事を今日この日に気にしている場合か! 準備はできているのだろうな! シドウの名を持つ以上負けは許さぬ! 本家の者共にも後れをとるな!」


 その冷静沈着な態度に見下されていると錯覚し、セイカイは声を荒げる。 


「はい。名家シドウの末席に位置する者として恥じぬ探索者となってみせます」


 祖父と孫。
 家族だというのに、まるで家臣のようにセイカイの前で傅いたセイジは深く頭を垂れる。
 頭を垂れながらも、どこか堂々とした若武者ぶりを見せるセイジが、セイカイには気にくわない。
 自分のような小物がいくら暴れようとも気にしていないとでも言いたげな、涼やかな目がどうしても気に障る。


「ご託は入らぬから勝て! 我等シドウこそが、私の血脈こそ正当なる東方の後継者であると武でも示すのだ! お前が必ず同期の中でもっとも優れた探索者であると凡俗な輩に示すのだ!」


 歪んだ価値観のままセイカイは、仇のように孫を睨みながら、己の執念を吐きだしていた。
 シドウこそが至上。
 そのシドウの中でも、己の血脈こそが最も優れている。
 それを証明することこそ、お前の存在理由だと、酒で濁った目で孫を睨み付ける。


「はい。シドウの誇りを守るために命を賭す所存です……では何時もより少し時間は早いですが、朝の訓練へ出ます。出陣式へは直接に向かいます」 


 醜悪さを覚えるであろう執念を前にしても、セイジの顔色には変化は無く、ただ淡々と言葉を返す。
 これだ。
 これが気にくわない。
 あの化け物に到底及ばないが、妻となった女も同じような雰囲気を纏っていた。
 それは東方王国の戦士達。
 サムライと呼ばれる武家が持つ超然とした雰囲気を僅かだが纏っている。
 どうしても化け物を思い出してしまい、妻となった女も、その子達もセイカイは気にくわないでいた。
 だがセイジは使える。
 武に秀でている。
 権力者達の道具であるべき探索者としての才がある。
 気に食わない孫であろうとも、ならばセイカイの力、物だ。
 自分はそれを認め使えるだけの器を持っている。
 だから使う、己の執着を、怨嗟を晴らすために。

 















 目の前の光景が信じられなかった。
 あり得ないと思った。
 脇差しを杖代わりにしながら、何とか跪くその姿が。
 腹に大穴があき、血と臓物が零れおち、苦悶の声をあげる今際の際が。


「……ソウタ……かあさんの仇……とろうとか思わない……ようにしなさいよ」


 苦しげに表情を歪め、口から尋常で無い血を吐き出しながら、それでも自分の顔をしっかりと見ながら義母はその遺言を伝えた。
 今なら判る。
 どうして義母がそれを望んだのか。
 どうして他に伝える人や、思い、言葉があるのに、息子の事を、自分を優先したかを。
 だが若かった、浅はかだったから判らなかった。
 理解が出来なかった。
 あんたがその程度で死ぬわけ無いと、都合の良い妄想を吐きだしていた。
 死ぬわけが無いのに変なことをいうなと憤っていた。
 だから義母の最後の時間を奪ってしまった。

 
「ほんと、手がかか……るん、だから………ソ、ソウタがユイナさんと幸せになっ……れないと……死ん……きれないでしょ」


 義母がはっきりと口にした言葉に呆然とした。
 どうして仇を討つなというのか、いわれるまで判ろうとしなかった。
 母が最後まで自分を心配し、その残されていた時間を使い切った事を、その死相で悟った。
 悔やんでも悔やみきれない後悔は、今もソウセツの心に楔として残っている。
 言葉を失い、茫然自失としていたソウセツの目の前で、最後の力を振り絞り、義母が立ち上がる。
 内臓がずるりと抜け落ち、水音を立てながら鮮血が足元を染めるなか、義母は深く息を吸い、込められぬはずの身体に力を込め、人生最後の一振りを放つため構える。
 自分の横でその様を見ていた伯母は、狼狽し声も無くした自分とは違い、ただ深く頭を下げたあと姉である義母へと介錯が必要かと静かに問いかけていた。
 義母はその言葉にはっきりと首を横に振って、最後に力強く答えた。


「華陽。うちの子達……頼むわ」


 最後にみせた一刀は、弱々しく、そして、無情だった。
 だが最後の最後まで、義母は、義母であった。
 敬愛する主でも、共に駈けた妹でも、自分の思い人でも無く、残した言葉は不甲斐ない息子である自分の心配だった。
 その人が傷つく姿など、見たことも無かった。
 その人が血を流す姿すら、想像さえしていなかった。
 自分が知る限り、それはお伽噺の登場人物さえも含めて、その人が世界最強だった。
 上級探索者としての力を失おうとも、その位置が揺るぎない強者だった。
 けして負けず、傷つかず、永遠であるはずの存在だった。
 それがソウタ・オウゲンにとって、義母であるユキ・オウゲンだった。






「…………」


 いつの間にやら眠っていたようだ。
 ソウセツ・オウゲンは、資料を手に持ったままだった事に気づくと机の上に戻し、凝って固まっていた肩を揉みながら、背中の翼を大きく一度振るわせる。


「お目覚めかい大将。どうせ夜明けまでもう少しなんだから、もうちょっと仮眠をとったらどうだい? あんたもいい歳だろ」


「そうも言ってられん。できれば叩き起こしてくれナイカ殿」


 来客用のソファーに腰掛け資料を読みふけっていたエルフのナイカが、目を覚ましたソウセツにからかうような口調を飛ばすが、ソウセツは生真面目に返すだけだ。 
 からかいがいの無い反応にナイカは残念そうに肩をすくめる。
 ソウタと名乗っていた頃のソウセツならば、実年齢では遥かに上のナイカに年寄り扱いされたなら、『うるせえよ若作りエルフ婆』と憎まれ口の1つでも返した物だ。


「だいぶ鈍っている。状況が落ち着いたら鍛錬をかねて迷宮に挑むことにする」


 疲れを感じ目を閉じたのはほんの数秒だったが、その瞬間に眠りに落ちてしまっていたようだ。
 ここ数日は眠る暇も無く、調査や会議を繰り返し多忙を極めていると理由ははっきりしていても、己の不甲斐なさをソウセツは恥じる。
 探索者としての全盛期時代だったら、数日所か、数週間にもわたる不眠不休の戦闘でさえこなして見せたというのに。
 超常の力を有す探索者は迷宮に挑み続ける限り、超常の力を有した探索者でいられる。
 だが友人達や妻と迷宮に挑んだ日々は、今や昔のこと。
 迷宮に潜らなくなって久しい間に、探索者としての力は多少ではあろうが落ち、そして怪物達相手に鍛えた集中力も持続しなくなっている。
 己を再度鍛え上げなければと、ソウセツは心に強く誓う。
 もっともそれはソウセツ基準の話。
 並の探索者、いや上級探索者と呼ばれる一握りの者達のなかでも、ソウセツが優れた力を持っていることに変わりない。
 不断の努力と、鋼のような精神力、そして圧倒的な戦闘力を持つことから『鬼翼』という二つ名を持つ。それがソウセツという英雄だ。    


「落ち着くね。どう転んでもしばらくは荒れるだろうよ。出したはずの依頼が握りつぶされて、しかもその事件自体が仕組まれたものだなんて、協会その物の信頼問題に発展するだろうからね」


「だろうな。だからこそ我等が解決しなければならない。自浄能力を持つという事をせめて示さなければならない」


 再度資料に手を伸ばし、ソウセツは過去の記録と見比べながら今後の対応や、事態の推移を慎重に考えていく。
 下手に事が明るみに出れば、探索者、さらにいえば管理協会自体への信頼問題へと発展しかねない謀。
 一人の探索者としては、この企ては許せる物では無い。
 だが今の身は無頼の探索者として、己の思うままに振る舞えた若い頃とは違う。
 

「セイカイか……引退していた祖父殿からまさかその名を聞くとはな」


 フォールセンがもたらしてくれた情報に、因縁めいた過去を持つ相手の顔をソウセツは思い浮かべる。
 この名を再び目にしたことで、義母の夢を見たのだろうか?
 厄介な名が出て来たと、正直にいえば思う。
 ロウガの複雑な権力争いにより、賄賂や不正が横行し無力化されていた管理協会ロウガ支部所属の治安警備部隊を立て直すのは急務。
 その為ならば、知己の者達であろうとも、場合によっては捕縛する日も来るだろうとは覚悟は決めていた。
 だが最初に出て来た名は、ソウセツにとっては、別の意味で重かった。


「大将とユイナ様、それにユキさんとも因縁深い相手ね。まったく初の大仕事から厄介すぎるよ」


 ソウセツとセイカイの間にあった過去の経緯を知っている者達も、まだこの街に大勢いる。
 セイカイが、東方王国復興を旗印とする復興派の一人であったこと。
 そしてその復興派との諍いにより、英雄ユキ・オウゲンが謀殺されたという隠された真実を知る少数の者達もいる。
 過去の私怨からソウセツは、セイカイを捕縛した。
 そんな噂が囁かれたり、思い込む輩は必ず出るだろう。
 下手に扱えばこの国をより陰謀と混乱に巻き込むことになりかねない。


「だがそれでもやらねばならない。この街を正しい方向へと、義母が望んだ国を目指すのはあいつと私に託された命題だ」


 二度とロウガ王家が受け継ぐ東方帝家の血が、復興派に利用されない為に、次代を教え導いてきた。
 王家の力を削ぐことで、復興派の力を削ぐことで、他の勢力が入り込み、ロウガが大きく乱れていくと知り、見ながらも、耐えてきた。
 ようやく、ようやく、ここまで来たのだ。
 この国は滅びた東方王国の狼牙では無い。
 ロウガという新しい国であると示す。 
 それこそがソウセツの目指す道。
 それこそが義母が望んだロウガのあるべき姿であり、ソウセツが受け継いだ物。
 ただ見過ごすことしか許されなかった忸怩たる思いも今日までだ。
 我知らず、ソウセツの手に力が入り、鋭い気配を発し始める。
 その気配に気づいたのか、自室の扉が静かにノックされる。

 
「失礼いたします。ナイカ様。ソウタ殿。一息入れませんか?」


 ソウセツの妻であり、前ロウガ女王でもあるユイナ・ロウガは、盆の上にのせた茶と茶請けをみせながら部屋へと入ってくる。
 うっすらと湯気を立てる湯飲みからは、ロウガ名産である茶のさわやか香りがほのかに漂っていた。


「悪いねユイナ様。前女王陛下自らのお手前とは恐縮の限り」


 口調だけは恐れ多そうに言いながらも、知った仲であるナイカは礼を言いながら気負い無く湯飲みを受け取って美味そうに飲み出す。


「ユイナ。茶はありがたいが先に休んでいろといっただろう。今日の出陣式にはお前も主賓として出席する。いくら王位を譲ったとはいえど、注目されるのに眠たげな顔をしていては示しがつかんぞ」


「お仕事でお忙しい旦那様より先に床につくなどできませんよ。それにそうおっしゃるならソウタ殿もナイカ様も警備という名目でご出席ではありませんか」


 ソウセツと同じく不老長寿である上級探索者となったユイナは、実年齢は還暦を当に超えているが、まだ若々しく皺の無い顔でにこりと微笑んで拒否してみせた。
 人当たりのいい笑顔を浮かべているが、こう見えて一度言い出したら聞かない頑固な妻の性格を知っているソウセツは、諦めて湯飲みを手に取り茶をゆっくりと飲み干す。 
 ふと窓へと目を向ければ、夜の帳が開き徐々に白み始めていた。


「それに私達よりもより注目を集める方もご出席なさいますから、あまり見られませんよ」


 暗黒時代を生き残りロウガ開放戦にも参加したナイカや、現ルクセライゼン皇帝フィリオネスのパーティメンバーだったソウセツやユイナは皆が上級探索者であり、街の酒場で謳われる英雄譚にも名が出てくる紛れもない英雄達。
 しかしそんな彼らでも霞むほどの英雄がこの街にはいる。
 それこそが大英雄『双剣』フォールセン・シュバイツァー。
 暗黒時代が終わって既に相当の年月が流れたが、フォールセンの名は、今も色あせることは無い。
 むしろフォールセンが隠居し屋敷へと篭もってしまい、直接にその人と形を知らぬ者が増えたことでより神格化されたといってもいい。


「今期の出陣式は例年になく盛り上がるでしょうね。フォールセン様がご参加になるのはロウガ支部長だったとき……私の代以来の数十年ぶりとのことですから」


 自分の出陣式を思いだしたのかユイナは懐かしそうに目を細める。


「双剣殿がご出席なさるのはあたし達も予想外だったからね。式典を取り仕切る儀礼部は大慌てだよ」


「えぇ。サナも昨夜に知らせを聞いて跳び上がって喜んでいました。自分達の晴れの門出を祝ってもらえるのは最高の名誉だと」


 今日は若人達が探索者となるべく、初めて迷宮へと挑む輝かしい日。
 ソウセツ達の孫娘の一人でありロウガ王女であるサナが、今期の『始まりの宮』に挑むことになっている。
 だがソウセツ達の手元にある資料は、その門出を汚す黒い点となりかねない物だ。


「サナはどうしている? さすがにあの子も緊張しているのではないか」


 背中に生えた大きな翼もそうだが、勝ち気で自信家なあたりが、自分の若い頃に被る。
 翼人は、背中の翼に僅かな魔力を与える事で空を自在に飛翔できるという強いアドバンテージをもつ。
 空を飛べるという強みが、同時に傲りや油断に繋がると身をもって体験し、若い頃の自分の言動を恥じているソウセツとしてはどうしても不安を抱いてしまう。
 ましてや最近のサナは、王城付きの衛兵達を相手に行っていた戦闘訓練をなんやかんやと理由をつけてサボっているとソウセツは聞いていた。


「あの子はソウタ殿の若い頃によく似ていますから大丈夫ですよ。昨夜も前祝いと称して城に戻らず夜遊びに出ているようです。ソウタ殿もよくフィオ様たちと、御母様や私は抜きで飲み明かしていたのでしょ……何故かお酒の匂いはしない日が多いご様子でしたが」


 空いた湯飲みに新しい茶を注ぎながらユイナは、心配する必要はないとばかりにクスリと笑ってみせる。
 世界最大の帝国の皇子と、小国であるロウガの王女を同列に扱うには些か差がありすぎるかもしれないが、妻の言葉の意味にソウセツは気づく。


「国は違えど、皇子や姫たる者は訓練1つままならぬのは仕方ないだろうな……相手は誰だ?」


「さて、さすがにそこまでは。サナとて隠し事の1つや2つは持ちたい年でしょうから調べておりません。ですが人を見る目は十分にある子です。それに娘の心配は父母の役目でしょうからソウシュウ達に任せましょう。家長としての役目さえ果たせず、民を導く王などと名乗れませんよ」


 孫娘には甘いが、息子夫婦には些か厳しいユイナは涼しい顔で答える。


「あれも王位を継いだばかりでいろいろと大変だとは思うのだが……だがお前がそういうのであれば無粋な真似は避けておこう」


 妻の言葉に信頼を置くソウセツは、そのうちに息子の愚痴に突き合ってやろうと思いながら新たに注がれた茶と共に孫娘への心配をゆっくりと飲みこむ。


「しかし祖父殿はなぜ急に参加を表明されたのか……助言をくださったことも含めて今回の件を重く見ていられるのだろうか」


 亡くなったあとも、いや亡くなったからこそ誰よりもソウセツが敬愛する義母ユキ・オウゲン。
 ユキを喪ったことで、ソウセツ自身が大きく変わったように、フォールセンもまた大きく変わってしまった。
 隠棲したフォールセンは世事に関わらず、ただただ死人のように日々を過ごしていた。
 祖父と母や伯母達大英雄パーティの間にあった絆の形が、なんだったかはソウセツは知らない。
 暗黒時代を終わらせるために常人の人生の何倍もの永い時を戦場を駆け抜けて、数千、数万の仲間を喪いながらたどり着いた彼らの心情を察する事など、当人達以外には想像もできないだろう。


「ナイカ殿。祖父殿は何か言われていたか?」


 義母達と同じ時、同じ戦場を駈けたナイカへとソウセツは問いかける。
 何故祖父がいまになって、こうも積極的に世事に関わるのか、理解が出来ずにいた。


「…………落ち着いたら夫婦揃って旦那の屋敷に行ってみる事をお勧めするよ。こればかりは言うよりも見た方が早いからね」


 ソウセツの問いかけにナイカは何ともいえない顔を浮かべると、珍しくからかい成分の含まない優しげな声で助言を返した。









 朝靄のかかる大河コウリュウ。
 昇り始めた朝日の中、二人の戦士は新市街地と旧市街地を結ぶ為に建築中の大橋の袂に築かれた資材置き場で、その武を競い合わせていた。
 早朝で人気も無く周囲には、資材兼建機たる停止状態の巨大ゴーレム達が並んで外界から視界をふさいでいるので、衆目を集めることも無い。
 背中の翼に僅かに魔力を回して相手を中心に見据え低空を疾走しながら、サナ・ロウガは右手の槍にして魔術杖たる兵仗槍へと魔力を集中。
 祖父から受け継いだ大きな翼がはためき、祖母譲りの艶のある黒髪が風を受け揺れる。


「疾風よ!」


 収束精度は落ちるが早い単詠唱を唱えて、飛ぶことで身に纏った風を刃として集める。
 そして術を発動寸前で待機させ、相手の間合いへと飛び込むために、地面を蹴って無理矢理に軌道を変えて背後から突貫を敢行する。
 遠距離戦は空を飛べ、魔術師寄りの槍使いであるサナが手数で勝るが、防御に長けた相手に防がれるので、結局千日手になって決着はつかない。
 勝つには不利だと判っていても接近戦しか無い。
 背後からの攻撃に対して、相手はクルリと振り返りながら太刀を横一線へとなぎ払う。
 空気を切り裂く剣先が微かに発光して、魔力と闘気が混じった複合斬撃が打ち出される。


「また器用な真似を!」


 ただの魔力弾ならば結界術で弾けるが、闘気込みではそうもいかない。
 右手を一度絞り、捻りながら槍と共に突き出す。
 兵仗槍の穂先から発生した風の刃に、速度とひねりを加えて威力を高めた攻撃で、対戦相手が打ち出した斬撃に合わせる。


「くっ。この!」


 合わせた斬撃の重い感触に右腕が痺れる。
 重すぎる一撃を見事に受け止めてみせるが、その代償に飛翔の勢いが完全に止まってしまった。
 地面へと着地したサナは、瞬時に防御のために槍を構え直そうとする、
 だが着地する瞬間を狙っていたのか、振り返りの斬撃と共に突進をかけていた相手の剣が気づいたときにはサナの首元に静かに合わせられていた。 
 この状況からでは回避も反撃も出来無いと、いやでも悟らされる。

 
「……私の負けです」


「お相手いただきありがとうございました。王女殿下」


 兵仗槍を下ろしたサナが素直に負けを認めると、相手も剣を引き、静かに一礼をしてからサナの眼前で片膝をつく。
 今時珍しい臣下としての礼儀をみせた青年セイジ・シドウは膝をついたままでもう一度深く頭を下げる。
 角度、形、非の打ち所が無い儀礼をみせるセイジだが、逆にその完璧さに苛立ちを覚えたサナの眉が僅かにつり上がる。
 勝って当然とばかりの感情の少ない顔も気にくわないが、この他人行儀とした態度はもっと気にくわない。  


「だからそれをお止めなさいと何時もいってるでしょ! この鉄面皮は! 探索者を志す同士として扱えと何度いわせる気ですか!」


「我等シドウはロウガ王家に仕える身です。武を捧げるべき主家の姫君たる殿下の命とあろうとも礼を失する行いはできません」


「あーっ!もう! この時代錯誤の堅物は! そんな風に畏まられると手を抜かれているような気がするのです!」


「ご安心ください。稽古においては常に全力をもってお相手しております」


「えぇそうでしょうね! これで私の0勝85敗ですからね! これで手を抜かれていた日には私の誇りはぼろぼろですよ! というよりもここまで負け続けてて既にぼろぼろです!」


「お言葉ですが訂正させていただきます。83敗2引き分けです」


「なんでそう頑固なんですか貴方は! あれは完全に私の負けだといつもいっているでしょう!」


 破れかぶれでだした適当な攻撃が偶然に当たったからといって、あれを有効打にされても、サナとしては納得はできない。
 さらにきっかりと合わせられているのだから、完全に自分の負けだ。
 だというのにセイジは、あれは引き分けだったと決して譲ろうとしない。
 王族やその血を引く自分に対する敬意を払っているのは確かだが、自分の主張は曲げない。
 王城に仕える兵達とはちがい、王女相手であろうが全力での稽古を望まれれば手を抜くことは無いが、それ以外は城仕えの者達よりも堅物というか頑固すぎる古風な言動は、サムライと呼ばれる旧東方王国武家の血を引く者達の中でも一、二を争うだろう。
 このいろいろと難儀な格上のライバルにサナは朝から怒鳴らされる羽目になっていた。


「まったく。その頑固なところを少しはお直しなさい貴方は。ただでさえ面倒事の多い家柄ですのに……パーティを組む者達とは上手くいっておりますの? 同じシドウ系の者達という話でしたが」


 しばらく言い合ってみたが最後まで譲らないと判っているので、結局折れることになったサナは、出陣式当日の朝だというのに、セイジに会いに来た本命の用件を口にする。
 腕は立つ。誠実で真面目である。良識を持つ堅物。
 多少真面目すぎて融通がきかないきらいはあるがセイジ本人に関しては、サナは心配はしていない。
 だが問題はその家系だ。


「一族の諸兄の足手まといとならないように全力を尽くさせていただきます」


「どう考えても他の者達が貴方の足手まといでしょうに……本当に大丈夫ですの?」


 何時もと変わらぬ答えにサナは余計に心配が募る。
 末端とはいえ姓を名乗れるセイジは、このロウガで威を誇るシドウ家の一員。
 それだけで新興勢力の息がかかった者達からは疎まれるというのに、何故かそのシドウ本家筋からもセイジが冷遇されているのをサナは心配していた。
 ロウガ王家の姫であるサナならば、シドウの姓を持つ者ならば末端であろうとも、公式な場で出会う機会は幾度でもあったはずだ。
 しかしサナがセイジと出会ったのはつい半年前の事。
 これほど腕が立つのに、その存在や名すらも聞いた事は無かった。
 出会ったのも偶然で、探索者を目指す若手達が集まる闘技場で、頭角を現している強者がいると噂話を聞いて、あの頃は増長していたサナが勝負を仕掛けにいった時以来の付き合いだ。
 その際に完膚無きまでにセイジに負け、自分が今まで稽古相手としていた者達にいろいろと手を抜かれていたと嫌でも悟らされた。
 セイジがサナとも縁の深いシドウの家の者だと知ったのもずいぶん後の事だ。


「ご心配いただきありがとうございます。ですが始まりの宮はまもなく開きます。御身をまずは第一にお考えください」


「判っておりますわ。私が他者を心配するなどおこがましい事くらい。ですが貴方は私の唯一の対等な稽古相手。少しは気にかけることくらい許しなさい」


「ありがとうございます」


 膝をついたまま深く頭を下げるセイジに、礼をいいたいのはこちらの方だとサナは小さくこぼす。
 半年前の自分であれば、始まりの宮だろうが初めて挑む迷宮であろうが、何の気負いも無く、いや、舐めてかかっていただろう。
 自分は上級探索者を祖父母に持つ天才だと。
 そんな傲りや油断があればどうなっていたことやら……
 だがその過剰な思い上がりは、今のサナの中には皆無。
 お飾りとはいえ国を統べる王家の一員でしかも姫。
 冷静に考えれば、稽古とはいえどそんな相手に全力で相手しろといわれても、できる者などそうそういない。
 主命を重んじるよほどの堅物か、後先考えない剣術馬鹿だけだろう。
 そんな当たり前の事に気づけたのもこの堅物セイジのおかげだ。


「それと改めていわずとも判っていますでしょうが、始まりの宮を踏破すれば私たちは晴れて探索者。共に栄光を掴むために組みますよ」


「はい……その日を楽しみにしております。我等の武は主君に捧げる物という祖母の教えをかなえられる日を」


 少し自分の思っているニュアンスと違うが、セイジの答えにサナはとりあえず満足し頷く。  
 一般的な探索者希望の者達と違い、出会った頃には既にお互いにしがらみから始まりの宮へと挑むパーティメンバーが決まっていたが、そのあとはまだ白紙だ。
 ロウガ王家の王女サナではない。
 ロウガの探索者サナ。
 自らの手で掴む初めて立ち位置を想像するサナの横には、当然のようにこのライバルの姿もあった。








 野望。
 願望。
 希望。
 人が望み目指す物はいろいろな形をなし、それぞれの生い立ち、過ごしてきた日々によって変わる。
 千差万別。
 人の数だけこの世にはそのそれぞれの形がある。
 知ろうとも知らずとも、影響しようとも、せずとも、それぞれは複雑に絡み合う。
 もつれ合った糸のように。
 だがそれは所詮人の思い。人の意思。
 それを全て喰らい尽くす化け物には関係ない。
 彼らは、ロウガの街に住まう者達はその大半はまだ知らない。
 その化け物の存在を。
 だが今日その誰もが知る。
 名を知らずとも、誰と判らぬとも。
 一匹の化け物がこの街に降り立ったことを。




 数万の群衆が集まっているであろうロウガ中央広場。
 新市街地の中心にある探索者管理協会ロウガ支部前の大きな噴水広場で、間もなく行われる出陣式。
 ロウガ近隣の有力者達も集う会場は北側の協会支部側に来賓席が設けられ、残り三方は一般開放されて群衆の人だかりができている。
 かつての狼牙王城があった位置に築かれたこの噴水広場には、英雄達の像を象った巨大な噴水が中央に設置されていた。
 噴水から噴き出す水はその下にある大井戸からくみ上げられた水であり、ここは赤龍王の褥へとたどり着くために、英雄達が地下水路へと潜った由緒ある場所だ。
 その故事にあやかり、ロウガで探索者を目指す者達は、この広場で出陣式を執り行うのが慣例となっている。
 会場だけでも武装した警備兵の数は数えるのが馬鹿らしいほど。
 さらにいえば周囲の群衆には、暇を持てあましたり、将来の有望なパーティ候補を見いだそうとして、見物に来た現役探索者達もたくさん集っていることだろう。
 こんな所に一人を切る為に斬り込もうなど、無謀の極みだ。


「あーケイス一応いっとくぞ。止めとけ。いくらお前でも殺されるぞ」


 広場に面した商会の屋上に立つウォーギン・ザナドールは、自分自身でも無駄だと思う忠告を、友人として、そして大人として、化け物にして馬鹿者のケイスへとする。


「五月蠅い。私を止めるならウォーギンでも切るぞ」


 ケイスは煩わしそうに答えながら、足元の広場のただ一点を見つめていた。
 探索者を目指す若者達のほぼ中ほどに立つ若武者。
 己が切るべき者。
 セイジ・シドウへとケイスの意識は集中している。
 昨夜遅くにほぼ裸のような恰好で押しかけてきた年下の友人に何があったのかは知らぬが、いつの日か見たその強い決意の色にウォーギンは早々に説得を諦める。
 説得が無理なら技術者らしくいくだけだ。
 この化け物じみた天才が、絶対に無謀な無理な状況でどう戦うか?
 不謹慎ながら興味があるのは、ウォーギンもまた常識外の天才ゆえだろう。


「ったく。しゃあねぇな。貸しだした武装はほとんどが試作品以前の、方向性を試してる奴だから、耐久性や信頼性はほぼねぇぞ。場所を変えてみててやるが、後で感想は聞かせにこいよ」


 これ以上この場に留まってもケイスの邪魔になるだけだと、ウォーギンは頭を掻きながら立ち去っていった。


「ん。恩にきる。後でちゃんと返しに行くからそう心配するな」


 その背中に向かってケイスは軽く頭を下げて見送ってから、今一度広場へと目を向けた。
 ケイスが纏うフードつきローブにはタグのような紐が無数に飛び出ていて、その愛らしくも美しい美貌を誇る顔の下半分は、金属板に直接に刻み込まれた魔術文字のあとも新しい無骨な仮面が覆っていた。
 全身を怪しいと表現するしか無い武装で固めたケイスは深く息を吸う。
 四肢全てへと意識を向け、押さえ込んでいた殺意を、全身へと行き渡らせる。
 何時もなら難関や強敵を前に弾むはずの心が今日は躍らない。
 足元の広場には警備兵だけでは無く、少なくとも上級探索者が4人以上。
 中級や下級探索者は無数にいる。
 それでも踊らない。
 唯々悔しい。
 唯々腹立たしい。
 自分が目指すべき道を汚された怒りだけが、ケイスの中に渦巻く。
 探索者とは弱き者達を助ける為に力を持つ者。
 それこそが自分の知る、尊敬する探索者だ。
 それなのに、その力を使い、栄誉を欲し、罪なき者達を苦しめ、ましてや殺害するなど。
 認められない。
 認めてはいけない。
 この世にこれはあってはいけない。
 それを望んだ者を、この世に生かしてはいけない。
 自分が喰らうべき世界に存在させてはならない。
 それは龍の怒り。
 自己中心的にして、傲岸不遜にして、絶対捕食者の怒り。
 初めから出し惜しみなどする気のないケイスは、呼吸を変える。
 丹田と心臓が暗く激しく燃え出す。
 全身を焼きつくしても飽き足らぬほどの、血液全てが沸騰するほどの怒りが大気を歪め風を呼び起こし始める。
 急にわき上がった怒れる狂獣の気配。
 怒りをまき散らした闘気が拡散され、勘の良い探索者達の幾人が気づく。
 だがその発生源を特定できぬのか、探る目線があちらこちらに飛ばされるが、ケイスを捉える目はほぼ皆無だ。
 しかし唯一ケイスを見つける目線があった。


「ふん、やはり私にはまだフォールセン殿のようには無理だな」


 自分がその人に気づいたように、その人もケイスへと気づいている。
 憧れの英雄を前に、このような無様な怒りを晒す自分の未熟ささえも、今は怒りを継ぎ足す燃料へと変える。
 フォールセンのように全てを自分の中に押しとどめ、気配を消すなど今のケイスには出来無い。
 気配を消して隠れることが出来無いならば、全てを己の気配で喰らい尽くす。
 この広場全てを己の怒りで埋め尽くし、己の居場所を欺瞞させる。
 濃厚になる気配に一般大衆も気づいたのか、混乱じみたざわめきが起こり始める。


『娘。せいぜい20秒だこのような奇策が通じるのは。だがそれでは届かぬ』


 ラフォスの見積もりにケイスは同意せざる得ない。
 標的への距離。さらに未知数の相手の力量。
 せめてもう少し時間が欲しい。
 ならば……あえて死地へと向かう。


「まずは来賓席へと向けて突っ込むぞ。行くぞおじいさま!」


 標的を仕留めるための時間を稼ぐために、あえてより危険度の高い場所を目指す。
 狂った思考のままに大剣状態で構えた羽の剣へとありったけの殺意を込めて、硬化させつつ、軽量状態へと変化させたケイスは、屋根を強く蹴って死地へと斬り込んでいった。



[22387] 剣士と鬼翼
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/05/23 21:28
 ロウガ新市街地の中央広場は、常に大勢の人で賑わっている。
 暗黒時代を終わらせた英雄像を奉った噴水は、ロウガの観光名所の1つであるということもあるが、その広場に面して建てられたミノトス管理協会ロウガ支部があるのも大きな理由の1つだろう。
 良くいえば象徴。
 本質をいえばお飾りであるロウガ王家に委託されたという形で、ロウガを実質的に統治する機関であるロウガ支部には、探索者のみならず、大陸全土に影響力を持つ広域ギルド関係者や、大陸を回る交易商人、難題を抱えた依頼者など様々な人が日々訪れている。
 ロウガのみならず周辺国家から訪れる大勢の人々を余裕で受けいれるキャパシティを持つはずの中央広場だったが、今日は些か事情が異なる。
 出陣式に詰めかけたのは、広場を埋め尽くすほどの数万を越える群衆だ。
 式の主な進行が行われる噴水前に並ぶ、今期の始まりの宮に挑む若き挑戦者達の中には、あまりの人の多さにか緊張した面持ちしている者も多い。
 周囲には侵入防止用に遮断結界が描く魔術光を伴う半透明の壁が立ち上って、その外側には式の妨害を企てる不届き者や乱入者を見張るように警備兵達がずらりと並ぶ。
 噴水の上には水で出来た四面魔術境が形成され、広場のあちらこちらにも鏡が急遽設置され、儀礼部所属の魔術師達が放った使い魔達が捉えた噴水前の映像を、後方の観衆にも見えるように映しだしている念の入れようだ。
 この賑わいや、警備の規模は、同じくこの広場で数年前に行われたロウガ王家の王位継承戴冠式をも凌ぐ大盛況ぶりだ。


「さすがダンナの偉功……この人出じゃ、あの嬢ちゃんの容姿が目立つっても見つけ出すのは至難だし、騒ぎでも起こされた日には面倒なことになるよ」


 記憶にある限りで過去最大の人出だと即答できる人の群れを見下ろしながら、噴水を囲むように設置された来賓席の端へと座るフォールセンの背後に警護役として立つナイカは小さく息を吐く。
 ケイスが屋敷から抜け出したとフォールセンから聞いたのはつい先ほど。
 ロウガどころか、大陸中を見渡しても、堅牢さでいえば上位に名が上がるであろうフォールセン邸から抜け出せるだけの実力、その並外れた行動力、そして予想外の既知外思考。
 はっきりいえば野生の獣が街中を自由に闊歩しているような物だ。
 半年ごとに執り行われる出陣式は、多くの見物客や屋台が出て大いに盛り上がり、一種の祭となっている。
 特に今期は上級探索者として高名なソウセツとユイナの孫であり、大衆人気もあるロウガ王女サナが今期探索者を目指すことになっていたのでロウガ王族が勢揃いすることや、近隣諸国からの来賓も多くなり、盛況になると予測はされていたが、その予想を遥かに上回る混雑具合。
 この雑踏の中から小娘一人を探し出すのは至難の業だ。
 ここまでの人が集まったその要因はただ一人。
 大英雄フォールセンの存在だ。
 フォールセンが今期の式典に出席するという返事が来たのは昨夜遅く。
 一部の警備兵や関係者以外には箝口令がしかれていたはずのそれが、噂として流出したのも早朝の事。
 だというのに、たった数時間でこの有様だ。
 注視を集めすぎないようにと、中央の主賓席を勧める儀礼部の提案を断りあまり目立たない端の席を希望しているフォールセンの意思を尊重してはみたが、むしろ逆効果だったとナイカは思わざるえない。


「すまんなナイカ殿。苦労をかける」


 微笑を浮かべ会場を見渡すように見せかけてあちらこちらに視線を飛ばしてあの大馬鹿者の姿を探すフォールセンは、警護役として自分の背後に立つナイカに謝罪をする。
 暗黒時代を終わらせた大英雄。
 世界最強の剣士。
 大仰ながらもその呼び名に対するフォールセンの功績は一切の誇張などない。
 大帝国の皇位継承権を持つ皇族として生まれながら、その地位を捨て、一人の探索者として、数多の英雄達と戦場を駆け抜け世界を救ってみせた勇者。
 これから探索者を目指す者達、そして探索者として生きる者達にとっての、憧れであり、理想。
 そして一般大衆からは、数多くの英雄譚や叙事詩に謳われる伝説の人物として崇められる。


「このような年寄りでは無く、若人達が主役となる場であるべきとは判ってはいたのだがな」


 だが本来の主役であるはずの者達も含め、会場中から向けられる敬意や羨望の視線は、フォールセンには些かまぶしく、そして重たい物であった。
 自分は既に終わった過去の人間。
 それがフォールセンの正直な気持ちであるからだ。
 迷宮を踏破し上級探索者へと至り、迷宮へと挑み続ける者のみが得られる神の恩恵。
 『天恵』があるからこそ維持された不老長寿の奇跡。
 生まれ持った血と、討伐した際に喰らった血肉で得た血。
 二つの異なる龍王の血を宿したことで体調を崩し迷宮に挑まなく、挑めなくなった日からは既に幾星霜がすぎている。
 自分が戦い続けた意味や目的も既に喪っている。
 もはや望む物も無く、目指すべき地も無い終着の場所に立つフォールセンは、終わりを唯々待ち望んでいた。


「この機会にダンナと繋がりを持とうと虎視眈々と狙っている奴も多いだろうからね。いちいち遮断結界を張って置かないと、こんな世間話の一つも出来無いってのは他人事ながら難儀なことだと思うよ」


 フォールセン・シュバイツァーという名と存在の重みを誰よりも知っているのが当の本人だ。
 だからこそ、頑なまでに公の場には出てこなかったというのに。
 それほどに大英雄フォールセンという名は偉大すぎる。
 フォールセンの警護としてその後ろに立つ事は本来ならこの上ない名誉だが、あまりに恐れ多いと思うのか、それとも臆すのかは判らないが警護を辞退する者も続発していたくらいだ。
 辞退者が続発する中で、白羽の矢が立ったナイカが、こんな軽口を叩けるのは、ナイカにとってフォールセンは伝説などでは無く、共に戦場を駈けた戦友という意識が強いからだ。


「そうもいってられん。なにせ何をしでかすやら判らんからなケイス殿は」


「まぁ、しゃあないよ。あんな危険物が街中をうろついてるとなっちゃね。今回はサナお嬢ちゃんのおかげで、旦那が動いた理由に少しは説得力があるからよしとしようよ」

 
 長年隠棲していたフォールセンが、縁の深いロウガ王女のサナが出席するとはいえ、何故今回に限り出陣式に参加したのかといぶかしむ者も多い。
 真実を知りながらも、ナイカは茶化すように皮肉気な笑みを浮かべる。 


「出汁に使ってしまったサナ殿には申し訳ないな」

 
「お姫様的にはダンナが来てくれただけで十分だろ。問題はうちの大将の方だよ……あの子の事はまだ話せてないけど、どう切り出そうかって頭を悩ませてるよ」


 ソウセツの義母であったユキとケイスが瓜二つである事を、ナイカはまだソウセツには伝えていない……伝えられずにいる。
 来賓席中央。現ロウガ国王夫妻や前国王ユイナの背後に厳しい顔のまま立つソウセツへと目を向けた。
 今回の出陣式の最高警備責任者であり、ロウガにおける最大戦力の一人であるソウセツは不測の事態に備え自由に動ける裏方が最適だろう。
 しかし見栄えを気にした儀礼部からのたっての要望もあり、飾りとしての役割に甘んじていた。


「ケイス殿は似すぎている。あの容姿を持つケイス殿が命を狙われていたとなれば、ソウタを大きく動揺させることにもならん。ナイカ殿の判断は当然であろう……私が折を見て話そう」


 フォールセン自身も大きく揺さぶられたからこそ、このような公の場に出る事になったが、ある意味でそのフォールセン以上にケイスがソウセツへと与える影響は大きいと判断したナイカにフォールセンも同意する。


「助かるよ。しかし爺様と孫の会話だってのに、また邪推する輩が出るだろうね。それらしい理由はなるべく早く拵えとくよ」


「ナイカ殿にはつくづく苦労をかける。互いに立場があるとはい……また予想外なことを」


 不意に漂いだした気配にフォールセンは気づく。
 その身に流れる二つの異なる龍種の血がざわめき出す。
 短い付き合いながらフォールセンが知る天真爛漫なケイスらしくない、荒々しくあっても暗く怒り。
 不安感を抱かせる暗い怒りが、会場中を覆い尽くさんとばかりに急速に広がっていた。
 

「この気配……やばいね。これがお嬢ちゃんだとしたら少し舐めすぎたかね」   


 一瞬遅れてナイカもその物騒な気配に気づき、周囲へと警戒の視線を飛ばす。
 鋭い感覚を持つエルフ族であるナイカが感じるのは隠す気が無い殺意。
 だがその出所も、そして標的さえも悟らせない。
 まるで巨大な化け物の腹の中に捕らわれたかのような圧迫感が周囲を覆っていた。












『こちらソウセツ。全隊員周辺警戒。何者かがいる』


 不意にわき上がった人の物とは思えない凶暴な気配。
 背筋が毛羽立つ違和感に最大の警戒を抱いたソウセツは会場中に散らばっている治安警備隊員へと秘匿通信で指示を飛ばしながら、気配の出所を探すが今ひとつ判別が出来無い。
 自分よりも鋭い感覚を持つナイカへと確認の目線を飛ばすが、そのナイカにも探れないのか首を横に振るだけだ。
 狙いは誰だ。
 来賓席に座る私腹を肥やしてきた権力者達か。
 観客の中の高名な探索者の誰かか。
 それとも……予測できる選択肢が多すぎてしぼりきれず、相手の正体も位置も探れない今は下手に動けない。
 配下の者は別だが、主力となっている一般警備兵の中には有力者の子飼いとなっている者も多く絶対的には信頼できず、対応出来る人数の足り無さが歯がゆい。


「ソウタ殿。私も出ますか?」


 自身も上級探索者であり後衛職である高位の巫であるユイナは異変を感じながらも微笑を保ちつつ、袂から符を覗かせる。
 ユイナほどの実力があれば、能力開放していない素の状態でも来賓席を覆う強固な結界を一瞬で張ることも造作も無い。
 しかし本来であれば守られるはずの立場のユイナが出ることは、大幅に刷新した治安警備隊、そしてソウセツ自身の名に少なくない傷がつく。
 それはソウセツが望むロウガの治安改革に大きく影響を及ぼす。
 今後のことを考えれば、断るのが最良だろう。
 

「いざとなれば頼む。介入の判断は任せる。こちらは配下の物が動く。見物客を優先してくれ」


 だが自らの目的に固執し、被害や巻き添えを出す選択肢はソウセツ的にはあり得ない。
 例えこの不穏な気配を発する者の狙いが、ソウセツにとっての仇敵や政敵であろうとも、今の自分の役目はこの場を守る者。
 そこにある力で、何より信頼できるならば任せることが、ソウセツにとっての最上の選択肢に他ならない。


「畏まりました。ソウシュウ。いざ戦闘となったら退避の先導をお願いします。これほどの混雑で混乱状態となれば怪我人が続出しますでしょうから、王としての力量が問われると心しなさい」
 

「他国の王族や貴族の方々の退避を優先させていただきます。同時に医療局へと負傷者の受け入れ体勢を整えるよう要請。場合によっては市井の医師や周辺商家にも臨機応変で対応を願っておきます」


 下手したら自分の妹や娘とも思われかねない見た目だけは若い母親からの言葉に、王であるソウシュウは戸惑うこと無く自分の役目を口にする。


「ソウシュウこの場は任せる」


 両親や娘のように武に秀でた才は持たぬが、それを卑屈に思うことも無く聡明で清廉な人格者として育ってくれた息子に、僅かながらその鋭い視線を和らげるソウセツだったがそれは一瞬のこと。
 僅かな間に膨れあがり広がった剣呑な気配は、一般人ですらも感じ取れるほどに濃厚に強まり、悪寒を感じた民衆の間ではざわめきが起き始めていた。
 限界まで膨れあがった風船のような状況。ほんの少しの切っ掛けで、それは盛大に破裂する。
 しかしここまで濃厚な気配が広がりながらも、それを発する者の位置を特定できない。
 いるはずなのに、その位置を掴めない
 ソウセツはこの感覚に覚えがある。
 まだ若く、若輩だったと恥じるべき時代。
 一度だけだが見せてもらった技。
 目の前に立つはずなのに、一切の気配を押さえ霞のごとく佇む世界最強の剣士であった祖父の姿だ。
 今の状況とは真逆であるが、それを何故かふと思い出したソウセツは、祖父であるフォールセンへと我知らずに目を向けていた。 


「祖父殿?」


 そして気づく。ざわめき混乱が起きるなか何故か深い息を吐いたフォールセンが一点を見つめていることに。
 その目線を自然と追った先に”ソレ”はいた。
 広場に面した大手商会の建物屋上。
 ソウセツが視認すると同時に、外套を纏った小柄な影がその背丈とほぼ同じ大きさの大剣を手に屋上を蹴り空中へと飛びだした。


『5時モンドリオール商会。大剣、外套の不審者』


 最低限の情報を矢継ぎ早に伝えたソウセツからは、遠目すぎた為にその顔までは確認する事は出来無かった。
 だがほぼ無意識にその身体は動く。


「縛」


 一音に圧縮した高速詠唱と咄嗟に作った剣指が不審者を指し示す。
 次の瞬間に発動した不可視の風で織られた追跡型拘束魔術が疾風の速さで駆け抜けていった。










   
 飛びだした瞬間に射竦められるような鋭い視線を感じていたのが幸いだった。
 視線の主を、来賓席の中央に立つ大きな翼を背に持つ翼人の姿をケイスもまた視認していた。
 佇まい。強者の気配。一瞬で生み出された高位魔術。
 間違いないあれがソウセツ・オウゲン。
 父や祖母から何度も名を聞いたケイスが会いたい英雄の一人。
 その実力は伝聞だが知っている。
 だから回避では無く迎撃を選べた。



『早い! 気づかれたぞ娘!』


 ラフォスの警戒の声に答える暇も無く、ケイスは咄嗟に羽の剣へと闘気を込めて、急速重化させる。
 一気に荷重を増す羽の剣によって空中でその軌道を真下へとねじ曲げながら、左で懐からウォーギンから借り受けた大振りのナイフを引き抜く。
 軌道を変えて作った僅かな時間と微かな風音を頼りにケイスは、ナイフを頭上へと振る。
 泥の中に手を突っ込んだかのように重い感触を左腕が伝えた。
 感触や状況から、翼人種が得意とする風を用いた拘束魔術の一種だと、その持てる魔術知識で判断。
 この手の拘束術は着弾と同時に拡散し対象を縛り付ける。
 ならば拘束が終わる前に潰す。
 いきなり対抗手段の一つを使うことになったが、柄に仕込まれたスイッチを迷うこと無く押す。
 ナイフの刀身の一部がスライドして穿孔が顔を覗かせ、そこからにじみ出した黒い粘液が刀身を覆う。
 粘液の正体は高純度の魔力吸収液。
 瞬く間に魔力を吸収し尽くされた拘束魔術は消失。
 魔力飽和状態となって、真逆の真っ白な色に染まり塵となった魔力吸収液の残滓が、空中に拡散して撒き散らかされた。
 このナイフは以前ウォーギンに依頼した対魔術用兵装の改良型。
 以前のナイフは一晩で組み上げた突貫製作で、制作者的にまだ不満だった天才魔導技士の手による進化形は、その力を遺憾なく発揮してみせる。
 眼下を確かめながら、僅かに身体を捻り群衆の隙間をつく。
 咄嗟に自重の数倍に加重させた為に、石畳にヒビが入り飛び割れるほどの強い衝撃とともにケイスは地面へと降り立つ。
 いきなり天から降ってきた不審人物に周囲の者は驚きの声をあげるが、咄嗟には反応できていない。
 着地の衝撃で砕け散った石畳の破片が、自分に向かって飛んできているというのに。


『人込みを縫う。無関係な者を斬るなお爺様』


 だからケイスが動く。
 自分なら防げる。ましてや原因は自分だ。
 なら防ぐ以外の選択肢は無い。
 自分の周囲に飛び散った大きな破片を一瞬で捉え、着地の衝撃で痛む足を無視して、クルリと身体を一回転させながら、その暴虐な威力を込めた大剣を振る。
 ケイスの意思に従い刀身がたわみ重量を変化させ不規則に軌道を変えながら、両手を伸ばせば届くほどの近距離に立つ人物達を一切斬らずに剣で弾き飛ばしながら、飛び散る石畳の破片の中から大きな物をその一瞬で次々に打ち落としていく。
 一呼吸で行われた早業を認識できた者はこの場には、幸か不幸かいなかった。
 剣によって弾かれた者達はただ倒れただけだが、それは端から見れば斬られたとしか思えない動きと状況。


「いゃゃっ!? ニース!?」


「切られたぞ!?」


 一拍おいてから倒れた者達の外周。
 周囲の無事だった群衆から大きな悲鳴が巻き起こる。
 倒れた者達は血すらも出ていないのだが、知人が倒れた事に驚いたその叫びが大きなパニックを引き起こす。  
 蜘蛛の子を散らすように群衆が逃げ出そうとする前に、ケイスは動く。
 強く地を蹴り再度空中へと飛び出しながら、大きく心臓を打ち鳴らし怒声を発する。


「動くな!」


 雷鳴のごとく鋭く響く怒声とその声に含まれた怒気が、全ての生物を萎縮させる。
 動けば斬る。殺す。
 言外に込められた強い殺意が、一瞬だけ足を止めさせる。
 その隙を使いケイスはただひたすらに広場に点在する街灯や看板を足場に前へと進む。
 混乱した状況になればケイスにとって有利ではあるが、今のように無関係な者を巻き込むのは好みでは無い。
 倫理観や良心という類いでは無い。
 ただ嫌なのだ。
 自分は剣士。剣を振る者。
 だから自分が斬りたいと思う者しか斬らないし、傷つけたくない。
 あくまでも自分本位。
 己の意思こそが最上にして絶対。
 おごり高ぶった狂った思考故に、周囲には理解されず、理解出来ない。
 しかし、だからこそより混乱を引き起こす。
 あまりに無謀な単騎駆けは、己が斬るべき者をその両手の間合いに捉えるためという、ケイスにとっては当然の行為。
 しかし近接戦闘の申し子であるケイスを知らぬ者には、それが理解が出来無い。
 あまりに目立ち、そして考え無しに来賓席に向かって一直線に進む乱入者を陽動と考えてしまうのは仕方ないかもしれない。
 別働隊を考慮したのか、ケイスが警戒する強者達や会場中に散らばる一般兵達も持ち場から大きく動けず、遊軍となっていたとおぼしき10人ほどが対応のために動き出す。
 ケイスがこのまま真っ直ぐに進めば到達するであろう位置を見据えて、行動を開始していた、
 その中にはケイスも見知った顔が幾人かいる。
 棍使いや水妖種族はどちらも中級探索者だったはず。
 なら他の者も同クラスの者と見た方が良い。
 もっとも警戒している上級探索者である四人は、最初にソウセツが動いた以外では動きが無い。
 狙いを気づかせために拡散させた殺気によって、ケイスの狙う標的を未だ推測出来ていない事もあるのだろう。
 セイジ・シドウの居場所を確かめたい衝動を抑えながらケイスは、足元の群衆の中に時折紛れる強者達を窺いながらも、前に進む。
 いきなりの闖入者に驚き顔を浮かべる者。
 厄介ごとを嫌がるのか顔をしかめる者。
 興味深げに探る視線を飛ばす者。
 それらの注視を全て無視してケイスは駆け抜ける。
 最初にソウセツの放った魔術を無効化したのが功を奏したのか、それとも足元の群衆が盾に使われるのを嫌がったのか、最初に飛んできた拘束魔術以外には追撃の手は無い。 
 だがそれもここを抜けるまでだ。
  

「折れるぞよけろ!」


 最前列の群衆と魔術防壁を視界に捉えたケイスは、警戒の声を発しながら最後に大きく力を込めて街灯を蹴る。
 化け物じみた闘気によって極大強化された脚力によって鉄製の街灯が、その衝撃を支えきれず折れ曲がる。
背後でまたもあがる悲鳴を聞きながら、ケイスはついに群衆の頭を抜け噴水広場の中央へと到達する。
 ここまで到達するのにかかった時間は18秒。
 破滅的な混乱が引き起こる前に無理矢理に駆け抜けたからこそ稼げた時間。
 だがその時間は対応する者達にも十分な猶予を与えていた。
 着地と共にケイスは半包囲される。
 背後には魔術で編まれた壁。
 その前方左右には、自分より格上の探索者達で構成されたの警備隊。
 警備隊の背後には始まりの宮に挑む挑戦者達が、いきなりの騒ぎにざわめく声
 来賓席では招かれた他国の王族や貴族、ロウガの有力者達が退避を開始し始めている。
 周囲を囲まれた絶体絶命の状況。
 だがケイスは止まらない。止まる気など無い。
 斬る。
 斬り殺す。
 それだけだ。
 ケイスが望む。
 自分が望む。
 だから進む。
 狂気的な怒りをその胸に焼き尽くさんばかりに溢れさせながら己が培ってきた剣技と共に。
 左手に剣を持ちかえながら逆手に。
 跳ね上げた柄を肩口まで持ち上げ柄頭に右手を添え、切っ先は真っ直ぐ前に。
 右足を後ろに引き半身に構える。
 己が持つ最大威力の突撃技を持ってこの窮地を撃ち砕くと意思と共に、ケイスは呼気を発する。
 口にするはずの誓いの言葉さえも忘れて。
 

「邑源一刀流! 逆手蹂躙!」  
 
  
 対陣突破を主目的としたその剣技は、全ての闘気を加速力へと変換した高速高威力突撃技であり、ケイスがもっとも好み、愛する技。
 剣と一体となり、己こそが剣となる。
 剣を愛し、剣でしか、他者を理解出来ない狂人であるケイスにとって自分の殺意を思いを全ての乗せられる技。
 石畳を粉みじんに粉砕するほどの踏み込みをもってケイスは前へと飛び出す。 
 圧倒的な速度で突破を計ろうとするケイス。
 だが包囲していた探索者達にとってはそれは速くはあるが、対処可能な速度。
 ケイスが生まれながらに人外の超人的な身体能力を持つものであるならば、彼ら探索者は後天的とはい、数多の試練を越え、天恵を宿し、超人へと至った者。
 探索者の足元や背後に魔法陣が浮かび上がり、強化状態で組み上げられた多属性の拘束魔術や攻撃魔術の雨がケイスへと迫る。
 数をもって制圧する絶対の一撃。
 それは魔力を吸収できるとはいえナイフ一本で防げる数、量、質では無い圧倒的な魔術の嵐。 
 だがケイスは臆すること無く前に進みながらキーワードを口にする。


「喰らえ!」


 口元を覆っていた金属製の仮面が発光し、その発動に会わせ外套から伸びていたいくつもの紐がそれぞれ自動反応を開始した。
 弾けるように撃ち出された紐が触手のように長く伸びて、それぞれの魔術に向かって自ら飛んでいき付着する。
 その瞬間、取りついた紐や外套の表面を覆い尽くすほどの魔術文字が浮かび上がり、それぞれの魔術から魔力を直接吸引し始める。
 だがその魔術効果までを打ち消せるほどでは無い。
 僅かに、そうほんの僅かに魔力を吸引するだけだ。
 しかし天才と呼ばれるウォーギンの変態じみた加工技術の真骨頂はここからだ。
 その僅かに吸収した魔力を用い、外套に込められていた魔術を発揮させる。
 外套に込められた術式は超高等魔術の一種である『空間転移』
 本来であれば魔具で再現するならば大量の魔力と幾重にも重なる多重魔法陣を用いる魔術を、常識外の天才魔導技師は幾重にも折り合わせた布一枚一枚に、属性の異なる魔力を注ぐことで再現してみせる。
 一対多を想定しそれも破滅的な多種多様な魔術の雨の中に身をさらさなければならないという極めて限定された状況でしか発動しない際物魔具によりケイスの身体がぶれて霞む。
 だがあくまでも試作品とも呼べない方向性を確認する為に拵えられた転移魔具の効力は、僅か数ケーラの距離を移動させる程度。
 一度消えたケイスの身体が次に現界したのはまだ包囲網を抜けておらず、捕縛しようとした探索者の目の前だ。
 服に織り込まれていた魔法陣は焼け切れたのか、肌を焼くほどの熱を発し焦げた匂いを含む煙が立ちあがる。


「転移か!?」


 肌が密着するほどの近距離に不意に現れたケイスに、事前準備も予兆も無く発動した魔術に探索者の顔が驚きに染まる。
 その一瞬の油断を見逃さず、ケイスは疾風の速さで剣を構えたまま駆け抜ける。
 突破した先には挑戦者達の集団が見えた。
 そこまで来て初めてケイスは、狙うべき、斬るべき者へとようやく、ようやく意識を向ける。向けられる。
 視線を斬るべきセイジ・シドウへと向け、周囲に散開させていた殺気を収束。
 ただ一振りの剣と化し斬り殺そうと狂気を向け、疾風の如き速さで一気に、


『狙いはそこか』


 一瞬声が響いた気がする。音で聞こえたのでは無い。
 剣を通じてしか他者を真の意味では理解出来ない剣狂いであるケイスの意識が確かにその声を聞き取った。
 そう感じた瞬間には、ケイスの眼前には先ほどまでは姿形も無かった翼人が、長大な黒塗りの槍を構え立ちふさがっていた。
 その男はつい今の瞬間まで来賓席の中央にいたはずだった。
 だが今確実に目の前にいる。
 それは転移魔術では無い。
 ただこの男が、ソウセツ・オウゲンが速いだけだ。
 圧倒的に。
 絶望的に。
 そして強く羨望するほどに唯々速いのだ。
 ケイスが命がけで縮めた距離を、ほんの一瞬きの間に縮めるほどに。
 理解する。
 ケイスは一瞬で理解する。
 自分が負けると。
 槍の穂先が閃光の速さとなって繰り出される。
 目では追える。
 だが身体は追いつかない。
 ケイスの意識や、頭脳ほどには、まだ幼く未完成な身体は反応してくれない。
 絞り込まれた槍の一撃が下顎に向かって飛んでくる。
 そのまま首を貫かれるのか?
 それとも顎を砕かれ意識を失うのか。
 首を砕かれることも考えなければならない。
 自分はここで死ぬ。
 だが剣を振る以上、剣技を繰り出す以上は決して止まらない。
 死んでも死なない。
 この剣だけは振り切る。
 貫き通す。
 死ぬのは剣を振り切ってからだ。
 死を覚悟し、死を凌駕し、剣と化したケイスの意識は最大純化される。


【特異生存保護指定発動】


 しかしケイスは死ねない。
 このようなところでは死なない。
 ケイスが死ぬのは、もっとより大きな、もっと神々を喜ばせる状況で無ければならない。
 それこそがケイスの宿命。
 神に選ばれ、神に縛られた道化としての唯一無二の理由。
 だからあり得ない事を起こしてしまう。
 だからあり得ない事が起きてしまう。
 ケイスの口元を覆っていた仮面が発動の衝動による余波に耐えきれず砕け散る。
 周囲からはフードに隠れたままだが、ただ一人。真正面から迫っていたソウセツがその素顔を確認してしまう。
 気づいてしまう。
 今も敬愛し、心に深く残る義母と、その顔が瓜二つだという事に。
 それは刹那。ほんの一瞬。天を切り裂く雷光の瞬きのような瞬刻。
 ソウセツが常識外の力を持つ上級探索者であるからこそ、その刹那の間に思わず穂先が身体からぶれ、槍が止まる。止まってしまう。
 そして今のケイスは既に純化した状態。
 相手が止まったと意識せずとも、唯々前へと進む突撃技を発動しているその身体は自然と動く。
 目の前にあるのは己が斬る者の前に立つ壁。
 ならば撃ち砕くのみ。
 一瞬だけ呆けてしまった自分が見せた大きな隙に、ようやく気づいたソウセツが受け止めきれぬと判断したのか、身体を捻り迫る刃から身を躱す。


「ぐっ!?」


 回避しきれなかったソウセツの脇腹を薙ぎながらケイスは、翼を含めれば倍近い体躯のソウセツを弾き飛ばす。
 抜けた先にはあとはただ標的のみ。
 斬るだけ。
 斬り殺す。
 …………な。
 剣を振る。
 自分が殺すと決めた。だから殺す。
 ……けるな 
 紛れもない殺意の固まりとなるケイスは一直線に進む。
 全てをいつか訪れる破滅へと進めるために。
 ありとあらゆる災厄と恨みを貪り尽くした世界の敵。最悪の龍。龍王となるために。
 それがケイスの役目。
 ケイスの役割。
 神が定めたケイスの運命。

 だから神がきらいだ
 
 巫山戯るな! 
 純化した意識さえも凌駕する、殺意さえも凌駕する、神の思惑さえ凌駕する。
 その子供っぽい怒りがケイスの身体の中から急速にわき起こり始める。
 未だ身体の自由は戻らずとも、意識よりも肉体が勝ろうとも、誰よりも自由なケイスの意識は唯々怒りに我を忘れるが故に、我を取り戻す。
 あまりの怒りの様に殺意さえも凌駕する。
 巫山戯るな! 巫山戯るな!
 自分がソウセツ・オウゲンに勝っただと!?
 あり得ない!
 あってはいけない!
 むしろ負けるな! 叔父様! 私を見ないならば斬るぞ!
 何故あの瞬間、自分が死を覚悟した瞬間にソウセツの槍が鈍ったか!
 理解する。理解出来てしまう。
 さすがは敬愛する父の親友だ。
 その武は、強さは今のケイスでは到底かなわない領域にある。
 尊敬する。敬愛する。憧憬する。
 だが同時に自分が一番嫌いな時の父と同じあたりもさすが親友だ。
 自分を見て、瓜二つという顔を見て、何を思ったのか、何を考えたのか理解する。
 ケイスは我が儘で自分勝手だ。
 自分を見ながら見てくれないのが嫌だし大嫌いだ。
 だから己の道を貫き非業の死を迎えた大叔母個人には敬愛や尊敬を抱くが、しかし同一視されたりまして自分を見ずに大叔母だけを見られるのは気にくわない。
 ましてや今回の場合は、その隙で自分がソウセツに勝ってしまった。
 いや違う……自分如きにソウセツが負けたのだ。
 まだ若輩であり、未だ道半ばだというのに。
 これは楽しくない。自分の本意ではない!
 自分はいつか強くなって勝つ日を楽しみにしていたというのに、台無しだ!
 最悪だ!
 自ら鍛錬と才の上で上回る日を楽しみにしていたのに、これでは意味が無い!
 決めた!
 こうなれば決めた! 
 機会があればちゃんと挨拶するつもりだったが、こうなれば自分の実力で、敬愛するがたった今この瞬間から斬り倒す日まで大嫌いになった叔父と一切口など聞いてやる物か!
 徹底的に無視してやる!
 何とも子供らしい、そして我が儘な怒り。
 だがそれこそがケイス。
 剣に絶対の誇りを持つからこそ、ケイスはケイスたり得る。
 

『娘! 呆けてる場合では無いぞ!』


 ラフォスの声に気づけばいつの間にやら斬るべき者がセイジ・シドウがすぐ側にいた。
 正確にいえばそこまで接近していた。
 意識を捕らわれたのは、ほんの刹那の瞬間。
 脇腹を薙がれ弾き飛ばされたソウセツの身体はまだ空中。
 何とか体勢を立て直そうとしているが、もう少しだけ猶予はある。
 そしてソウセツが抜かれる事態を想定していなかったのか、他の隊員は対応が間に合わず、標的の周囲にいた挑戦者達の大半はケイスの殺気に恐れをなしたのか逃げようとしている。
 好機。
 しかし肝心のセイジ・シドウは何故か涼しい顔でケイスの動きを窺っていた。
 あまりの怒りように一周してある意味で冷静になっていたケイスはそこで初めて違和感に気づく。
 だがそれは何か?
 その結論へと至る前に、敵を剣の範囲内に捉えたケイスの身体は自然に動く。
 柄頭に押し当てた右手を押し出しながら身体のひねりを開放した最速最大威力の突きを繰り出していた。
 ケイスが剣を繰り出すと同時に、セイジが動く。
 腰に下げていた刀を鉄拵えの鞘に半分収めたままで抜き、刀をケイスへと向けた。
 そこではたと気づく。ケイスはようやく気づく。
 ケイスが繰り出した切っ先を、セイジは細身の刀で受け流そうとしている。
 柄を右手で握り左手で鞘を押さえ、破滅的な衝撃を全身で受け止めつつ、足裁きで受け流し躱そうとしているのだと。
 まずは初手を躱そうとする動き。
 しかし何故だ? 
 これほどの反応ができるならば何故、最初から逃げない?
 セイジの背後には一門とおぼしき同じ家紋が染まった軽鎧を身につけた若者が数人。
 彼らはセイジを壁にするように押しのけ、暴虐的な乱入者であるケイスから逃げようとしていた。
 彼らが逃げるだけの隙を作ろうとしているのだろう。
 己を見捨てている一門の者達が相手だというのに、その目には曇りは無くただ剣を信じ、剣に忠実であろうとする武人の、実にケイス好みの真っ直ぐな瞳があった。
 ……違う! 
 ようやくケイスは気づく。
 剣を交えようとしたから初めて理解出来る。
 やはり剣を通してしか、人を、他者を、世界をケイスは理解出来ない。
 この男はケイスが斬るべき者ではない。
 ようやく、ようやく気づくが遅い。
 ケイスは既に技を放っていた。
 そしてセイジが防ごうとする手段にも気づいていた。
 だからケイスは斬れる。
 その剣に対する才は紛れもない天才であり、剣と共に生きる剣士だからだ。
 穂先の重心を変化。
 僅かに羽の剣を歪ませその軌道を変え、セイジが立てて構える刀に対して切っ先を変化させ対応している。
 今から剣を引き戻そうとしても、間に合わない。
 先ほどのソウセツのようには、まだ繰り出した剣を抑える事が出来ない。


「っぁっ!」


 次の瞬間、苦悶の叫び声と共に斬り跳ばされた肉塊がぽとりと石畳に落ち、切り口から吹き出た鮮血がケイスとセイジの両者の身体を赤く染めていた。



[22387] 剣士と龍血
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/08/19 21:50
「王女殿下!」


 始まりの宮に共に挑む事になっていたパーティメンバーの制止を無視して、サナは駈けだしていた。

 襲撃者の殺気に当てられたのか、それとも事態の展開に戸惑っていたのか?

 人形のように立ちすくんでいた同期の挑戦者達を邪魔に思いながらも、何とかその間を抜ける。

 翼に魔力を通して飛翔し、頭上を飛べば苦も無く抜けられたのだが、今のサナにはそこまで考える余裕は無かった。

 襲撃者によって最高位の上級探索者である祖父のソウセツが弾き飛ばされ、さらにはここ数ヶ月共に鍛錬をし、志を同じくしていたセイジに向かって身の毛もよだつ殺気を込めた突きが放たれた瞬間、何もかも忘れ、ただ駆け寄ろうと飛び出ていた。


「っぁっ!?」


 だが間に合わない。

 襲撃者とセイジが交差し噛み殺した苦悶の叫びが上がった。

 何かが両者の間からはね飛び、どす黒い鮮血が飛び散る。

 身体ごと飛び込んで来た乱入者によって弾き飛ばされたセイジが、後ろに数歩分ほど弾かれ、着地と共にがくりと膝をついた。 

 一瞥で判るほどに、その右足の太ももが深く切り裂かれ、血が止めどなく流れ出している。

 ちらりと見えた白い物はまさか骨か?


「セイジ!? 大丈夫ですか!? 誰か彼の手当をしなさい!」


 サナはセイジを庇うように前に立つと、5歩ほど先で剣を取り落としてうずくまっていた襲撃者へ向けて兵仗槍を構えながら、未だ呆けていた同期の者達へと檄を飛ばす。

 襲撃者を見れば深手を負いながらもセイジも反撃に出ていたのか、鞘から半分ほど抜けていた刀に血が滴り、襲撃者が押さえる左腕は、その手首から先が切断されていた。

 サナと襲撃者の間には、切り落とされたやけに小さな、それこそ子供ほどの大きさしか無いほっそりした指が印象的な手が転がっている。

 しかし切り落とされた手の傷口からは血が流れ出しているのに、襲撃者が押さえる左腕の生々しい傷口からは、僅かな血しか滴っていない。

 闘気による肉体操作を用いて筋力を持って咄嗟に血管を塞ぎ、血の流出を最小限に抑えたのか?

 手首から先を切り落とされて激痛を感じているはずなのに、即座に血を止める細やかな肉体操作をしてのける。

 これだけでも目の前でひざまづいて、苦悶の声を漏らす小柄な襲撃者がかなりの手練れだと判った。

 この相手は自分の手には余る。

 そう判断し、本職の警備隊員達が駆け付けるまでの僅かな時間であろうとも、サナが最大限の警戒心を向ける中、うずくまっていた襲撃者が顔を上げてサナを見上げた。

 襲撃者の顔をみたサナはつい呆気にとられる。

 子供のような手と思ったのはある意味で間違いであった。

 ようなではない。子供だ。

 まだ幼い、それもフードに大半が隠れているのに、可憐な美少女だと断言できるほどに整った顔立ちをした少女が、サナの前にはいた。

 予想外の、予想外過ぎるその正体に、サナは幻覚にでも捕らわれたかと一瞬己の正気を疑いそうになるが、


「っ! その武人の味方か!?」


 少女の発した鋭い怒声に、一瞬で正気に返る。

 可憐な愛らしい少女が浮かべるすこしつりぎみの勝ち気にみえる眼には、紛れもない憤怒の怒りが渦巻いており、その声には応え次第では斬るといわんばかりの殺気が込められていた。

 嘘偽りは許さないとその怒りで燃える瞳が雄弁に物語る。

 太古の王族の血を受け僅かながらも受け継ぎ、生まれたときから王女として過ごしてきたサナですら圧倒されそうになるほどの強制力を持った言霊。

 怯みそうになる心を叱咤する為にサナも強く声を発する。


「そうです! 私の仲間にこれ以上の狼藉は許しません!」


 サナの答えに、何故か悔しげに、そして悲しげに顔をひどく歪ませた少女は、右手で懐から何かを取り出しサナに向かって投げつけた。

 見かけは少女とはいえ、乱入してきた不審人物。

 そんな人物が投げつけた物だというのに、何故か警戒心がわき起こらずサナは咄嗟に受け取ってしまっていた。

 それは羊皮紙の束だった。


「ならくれてやるから守、くっ!」


 少女は何かを言いかけようとしたが、先ほど交わした警備隊員達が迫っていることを察すると、目の前に落ちていた大剣を拾い、切り落とされた自らの左手首に切っ先を突き刺し回収し、一足跳びに飛び下がった。

 少女が飛び下がるとほぼ同時に少女がいたその場所に、複数の拘束魔術が着弾する。


「お下がりください王女! 逃がすな! 追え!」


 駆け付けた隊員達によってサナは些か乱暴に後ろに追いやられる。

 一瞬の邂逅で、サナが受け取ったのは謎の羊皮紙と伝わりきっていない言葉だけだった。

 拘束を嫌った少女が、追い詰められたウサギのように逃亡を開始するが、広場の中心であり袋小路である噴水のほうへと瞬く間に追い込まれる。

 少女は何を言おうと、伝えようとしたのか?

 それを考えていたサナは気づかなかったが、 羊皮紙についていた少女の血がこぼれ落ち、サナの手のひらに落ちていた。

 そして手に落ちた血は、次の瞬間には吸い込まれ、影も形も無く消失する。

 同様にセイジの刀に付着していた少女の血が一滴、同じようにセイジの傷口の上に落ち、その体内へと吸い込まれていた。

 誰もが気づかないほどに僅かな異変。

 この時、新たなる龍殺しとなるべき定めが二つ生まれていた事を、誰もが気づかずにいた。













 見誤った。

 判断をしくじった。

 己の不甲斐なさに怒りを覚える。

 そしてあの武人の、セイジ・シドウの武を認めぬ誰かに、さらにやり場の無い怒りを抱く。

 何故だ。何故判らない。

 自分の、この天才たる自分の攻撃を受け止めてみせようとしたほどの気概を持つ者の才を理解してやらぬ。

 才があると自分が認める。

 この天才たる自分が認める。

 セイジ・シドウには小細工など入らぬ。

 仕組まれた栄光など必要ない。

 あの武はいつか、それも遠くない未来に輝くというのに。

 ここで無くすのは惜しい。

 無くさせてはいけない。

 だから自らの手を犠牲にした。

 柄を打っていた右手で剣を掴み、左手を柄から放して前に滑らし、自ら羽根の剣を叩き下ろすという暴挙をしてまで、その命を奪うはずだった切っ先の向きを無理矢理に変えた。

 しかしそこでもまた誤算が生じた。

 自分の肉体ならば、刀身を打って怪我を負うとしても切断までいかないと判断していた。

 だが違った。

 セイジが構えた刀には、刀身強化のためにセイジの闘気が込められており切れ味が増していた。

 羽の剣を打ち下ろすと同時に、構えられていた刀へと接触した左手は、闘気による肉体強化の防御限界を超えて、あっさりと切断されてしまった。

 咄嗟に傷口を閉めたから血の流出は最低限に押さえたが、誤算も良いところだ。

 しかもそこまでしたというのに、それでも怪我をさせてしまった。

 左手一本を犠牲にしても、心臓を狙っていた切っ先をかろうじてずらすだけで、右足を深く抉ってしまった。

 斬るべきで無い者を斬ってしまった。

 ズキズキと痛む左手よりも、心が痛い。

 自ら汚してしまった剣士としての誇りが痛い。

 大声で泣きたいほどに、悔しくて、情けなくて、不甲斐ない。

 だが泣いて等いられない。

 自分を斬るほどの、武器へと闘気を込めれるほどの武芸者をこのまま醜悪な策謀の中心に、据え置けなかった。

 だからあの一瞬で、状況を判断し、どうするべきか考え、どうすることで最良へと至るかを決意した。

 故に託した。

 故に自分は逃げなければならない。

 故に自分の正体を知られてはいけない。

 自分が逃げなくては、最悪の中の最良へとは至らない。


『どうする気だ! こちらには逃げ場など無い! 昨夜の地下水路に繋がる大井戸跡があるようだが、今は幾重にも組上げられた石の下で、ここからは潜れぬぞ』


 ラフォスの言葉に判っていると怒鳴り返したくなる気持ちをケイスはグッと堪えながら、挑戦者達の間を瞬く間に駈け抜け、目の前の柵を跳び越え噴水池の中に踏み込む。

 逃げようとして池を目指したのでは無い。

 周囲を囲まれこちらしか逃げ道が無かっただけだ。

 考えなど無い逃亡。

 だからすぐに行き詰まる。

 膝ほどまでしか無い水を掻き分けて進んでも、すぐに壁に追い詰められてしまう。

 目の前に立つ壁の上には、英雄フォールセンが率いた英雄パーティの石像達が立ち並ぶ。

 石像の足元からは、地下から汲み上げられた冷たい水があふれ出して、蒼白になったケイスの顔を映しだしていた。

 この壁を飛び越えても、その先は、特設された来賓席の中央付近にでる。

 もっとも警備が厳重であるべき場所には、既に警備隊員達が展開していた。

 後方から迫る隊員達も含めれば、あと僅かな時間で逃げ場を完全に失う包囲網が完成する。

 思わず見上げた石像の冷たい石の目が、ケイスを見下ろす。

 浅はかで浅慮な自分が笑われているような錯覚をケイスは覚える。

 笑われて当然だ。

 自分はつい先ほどまでセイジ・シドウを斬る事しか考えていなかった。

 後の事など考えていなかった。

 ただ斬る。

 それだけだ。

 だから使ってしまった。

 自分がもっとも好み、だがそれ故に奥の手であり、生命力のほとんどをつぎ込む大技『逆手蹂躙』を。

 その所為で残った生命力はあと僅か。

 ただでさえこの広場にいるのはケイスよりも遥かに格上の手練ればかりだというのに、今の状態では、その包囲網を破れるほどの力などない。

 しかも不本意ながら、ソウセツまで一時的に退けてしまったことで、必要以上に警戒させてしまったのか、パッと見でも隙が見当たらない包囲網が瞬く間に作られている。

 術者たちの簡易詠唱を聞き分け、浮かぶ魔法陣から種別を判断。

 噴水周囲を幾重にも囲むのは逃亡を阻止するための遮断結界。

 待機状態で生み出されるのは多種属性の捕縛魔術。

 さらには既に魔具はその力を失っているというのに、それを知らぬ隊員達は対空間転移用の時空妨害魔術まで展開しようとしていた。

 絶体絶命の状況下にケイスの頭脳が最大効率で稼働を開始する。

 激しく動き出す脳を駆け巡る血によって顔が紅色し瞳孔が開く。

 血の躍動に合わせ、己が精神に剣を振り切り、思考を増やす。

 一を二に。

 二を四に。

 四を八に。

 幾重にも斬り重ね増殖していく並列思考を持って、刹那を秒に、数秒を数十秒に、その数十秒をさらに数百秒に引き延ばす。

 ケイスが持ついくつ物の特殊能力のうちでもっとも高度であり、そしてもっとも異常である思考能力が、砂時計の一粒の砂を、大砂漠へと変える。

 人の身でありながら、複雑怪奇な龍魔術を理解し用いることが可能になるほどの高速並列思考こそがケイスの最大の力であり、最後の武器。

 それは魔力を捨てた今でも変わらない。

 一瞬の攻防に数千もの思考を行い、天賦の才を重ねることで、ケイスは近接戦闘の天才として成り立つ。

 世の魔術師がケイスの力を知れば、嘆き、悲しみ、そして怨嗟の呪怨を発するだろう。

 なんという無駄を。

 なんという馬鹿なことを。

 この力があれば、魔力さえ持つならば数千、数万の魔術を同時に使用することもできるというのにと、嘆き悲しみ、これが我が力ならばと血涙を流すだろう。

 この力を手に入れられるならば、聖人や賢者であっても、己の魂を、それでも足らなければ己の血に連なるもの全ての魂を贄としても捧げてもいいと望むほどの異常なる能力。

 それほどまでの力を、ケイスは唯々思考する為に用いる。 

 その分裂した思考であっても全てがケイスであり、その思いは変わらない。

 自分は逃げなければならない。

 ここで捕まるわけにはいかない理由が生まれてしまった。

 自分は不本意ながらも、ソウセツの過失もあって一時的にとはいえ打ち負かしてしまった。

 これはダメだ。

 これだけはいけない。

 ソウセツの力、高名がなくしては、セイジ・シドウを守れない。

 自分が傷つけてしまったせめてもの詫びに、あの武人をこの謀略から救わなければならない。

 それしか今のケイスには出来無い。

 それ以前に許せない。

 許してはいけない。

 自分のようなまだまだ未熟な小娘が、敬愛し、そして今は大嫌いになっている叔父の名誉を汚すなど、絶対に許せない。

 これだけは譲ってはいけない。

 だから考える。必死に考える。

 何十、何百ものケイスが考えた逃亡案が脳裏をよぎる。

 何百、何千ものケイスが理由をあげその案を却下する。

 手が無い。

 これ以上は手が無い。

 今の力ではどうすることも出来無い。

 考えても考えても答えは出ない。

 当然だ。元々無い答えなど導き出せないのだから。

 だがそれでも考える。

 譲れない物があるからだ。

 その時、水鏡に映った己の黒檀色の瞳が光の反射か、一瞬透き通る水色に染まったようにみえた。

 それは魔力を生みだし、魔術を自在に扱えた幼き時のケイスの瞳の色だった。

 その幻想を見たせいだろうか?

 譲れないならば、開放するしか無い。

 何千何万何億にも分裂した思考の中の一人のケイスが不意に告げた。

 禁忌を。

 譲ってはいけない物を、譲れないものために譲ってしまえと。

 一人のケイスが発する。 

 自分の力ならば、本来の生まれ持った魔力ならば、この程度の事など造作も無い。

 一人のケイスが導き出す。

 魔術があれば低位の探索者が幾人集まろうとも物の数では無い。

 一人のケイスが判断する。

 龍の魔術であれば高位の探索者であろうとも互角以上に渡り合える。

 一人のケイスが断言する。

 残り僅かな生命力であろうとも、本来の魔力変換に用いれば、この街を一瞬で灰燼へと焼き払うほどの大魔術を行使が出来る。

 一人のケイスが思い出す。

 自分の頭脳は数千、数万、数億の魔術を同時行使出来るだけの思考を可能とする。

 一人のケイスが提案する。

 私の心臓は数千、数万、数億の魔術を放ち続ける無限の魔力を生み出せる。

 一人のケイスが確信する。

 それこそが私の本来の力だ。

 瞬く間に無限のケイスが魔力を取り戻せば、この窮地を凌げると答えを導き出す。

 世界の全ての存在を敵に回しても、それでも凌駕できる。

 それこそがあるべき姿だ。

 そうすればこの困難さえも乗り切れる。

 いや困難などでは無い。

 児戯だ。

 戯れだ。

 片手間で済むほどの小事だ。

 禁忌のはずの答えがケイスの中にあふれ出す。

 今までにはあり得ないほどの誘惑がケイスの心を占める。 

 ケイスは分かれたまま思考する。

 何故か? 

 何故だ?

 思考する。

 ここの所その兆候は増えていたと気づく。

 思い出す。

 愛剣である羽の剣を。

 過去のロウガの街を覆う赤龍の群れを。

 その記憶を元に試行する。

 そしてなるほどと納得する。

 ラフォスに触れてから、共に過ごすようになってから、龍の力への誘惑に捕らわれる傾向は増えていた。

 だがそれでも押さえられた。

 まだ禁忌が強かった。

 しかし今はさらに強く、抗い難くなってしまっている。

 そうなってしまった決め手は昨夜だ。

 自分は赤龍の残した力に触れた。

 魔力に触れた。

 己の中に眠る二つの異なる龍種の血が、ラフォスと赤龍の魔力に触れたことでそれぞれにより活性化しはじめている。

 異なる龍が共に喰らいたがっている。

 戦いを始めようとしている。

 今までその衝動を、類い希なる強靱な精神力で押さえてきたからこそ、自分は無事でいた。

 兄のように相反する龍の血に苦しむことも無く、フォールセンのように戦えなくなる事も無く、押さえて来られた。

 だがケイスの中に眠る龍の、龍王の血は、もはやそれでは押さえきれないほどに強まっている。

 自分が強くなることで、中に眠る血もまた強くなっていた。

 溢れんばかりに高まっているところに、二つの楔が打ち込まれたのだ。

 もはや押さえる限界が来ている。

 開放しろと盛んに騒ぎ立てている。

 取り戻せと血が叫んでいる。

 故に我を忘れ怒りに縛られた。

 龍の血は激情を呼び起こす。

 禁忌を開放すれば戦える。

 まだ戦える。

 龍の力を持つ自分であれば、敬愛し大嫌いなソウセツとてその名誉は汚れない。

 それほどまでに圧倒的な力だ。

 ならば開放すべきだ。

 青い目を、魔力を取り戻すべきだ。

 9割9分9厘9毛のケイスが開放を望む。

 しかし、しかしだ。

 ただ一人。最初のケイスだけはどうしても思う。

 だから最初のケイスは、無限に分かれた己に告げる。

 【だがそこに剣は無いぞ】

 その瞬間全ての分裂したケイスが一斉に謳い、心よりの叫びを求め始める。

 困難を打ち砕く剣が欲しい。

 難敵を斬り倒す剣が欲しい。

 守る為の剣が欲しい。

 殺す為の剣が欲しい。

 突き進む為の剣が欲しい。

 譲らぬ為の剣が欲しい。 

 己を全て捧げられる剣が欲しい。

 己に全てを捧げてくれる剣が欲しい。

 獣を切り裂く剣が欲しい。

 人を貫く剣が欲しい。

 魔獣を抉る剣が欲しい。

 龍さえ刻む剣が欲しい。

 自らの技に答える剣が欲しい。

 自らを証明する為の剣が欲しい。

 世界でもっとも切れる剣が欲しい。

 世界でもっとも鋭い剣が欲しい。

 世界でもっとも頑丈な剣が欲しい。

 運命を切り開く剣が欲しい。 

 運命を正す剣が欲しい。

 神さえも斬り殺す剣が欲しい。

 剣さえあれば自分は負けない。

 魔術師が己の全てを捧げ望むほどの能力。高速並列思考。

 だがその超常の力よりもケイスは、ただ剣を望む。

 何故か?

 答えは簡単だ。ケイスは剣士だ。

 それだけのこと。

 だが故に唯一無二。

 それ故に完全無欠。

 原初なる絶対法則。

 ならばどうする?

 決まっている。

 剣だ。剣を持って龍の血を制す。

 押さえてきた龍の血がもはや押さえきれないならば、開放すればいい。

 その上で剣に託す。

 託せば、昨夜受け取った技が使える。

 そうなればこの窮地を脱出できる。

 つまりはいつも通り。

 剣をもって全てを越えてみせるだけだ。

 無数に分裂したケイスの思考は、唯一無二にして完全無欠の絶対法則によって統合され、この窮地を脱するべきあり得ないはずの答えを導き出す。


「ふむ」


 我に返る。

 水が作り出す己の写し姿をみれば、その瞳は自慢の髪と同じく母譲りの黒檀色の瞳をしていた。

 それを確認したケイスは尊敬する英雄達の石像に背を向け振り返る。

 周囲の状況や展開した魔法陣をみるに、包囲完成まではあと3秒ほどしかない。

 すると今回は5秒以上も考えてしまっていたようだ。

 決まりきったはずの結論を出すまでの時間が情けない。

 自分はとうの昔に剣だけを選んで覚悟を決めていたはずだというのに。


『お爺様。かなりの無茶をするぞ。この下には井戸の跡があるのだろう』


 先ほど答えられなかったラフォスの問いに心で答えたケイスは、頭の中でその案を明かす。

 しかしそれは無茶という類いではない。

 無理というものだ。


『待て! 確かにこの直下には空洞があるとはいったが、いくら何でも無理がすぎる! 娘とて死ぬぞ!』


 ラフォスが慌てて制止する声が響くが、ケイスは無視して羽の剣を横構えに構え、その切っ先に刺さった己の左手を、左の二の腕で抱え込むように引き抜く。

 完成した包囲網を形成する遮断結界が発動すると同時に、ケイスは誓いを口にする。


『帝御前我御剣也』


 かつてこの地にあった古き国の言葉。

 守護の言葉。

 ケイスが人として歩むための言葉。

 そして昨夜この言葉には新たな意味が加わった。

 死してなおも蘇ってみせた先達達の思いと技を受け継ぐ意思を表す誓い言葉。

 彼らは龍を屠ってみせた。

 ならば自分も負けるわけが無い。

 負けるわけにはいかない。

 己の中に眠る龍王の血に負けてなるものか。

 丹田と心臓を意識し、普段は無意識に押さえ込んでいる枷を自ら破壊。

 生まれてからずっと抑え制御してきた龍王の血を初めて全開で呼び覚ます。

 その瞬間、全身が燃え盛るような熱さと、骨身が凍りつくような寒さという、相反する二つの激痛がケイスの全身を駆け巡り始めた。  


「!?」


 全身から無数の焼けた釘が飛び出し、駈け巡る血にざらついたみぞれが交じって身体を内側から削られるような激痛。 

 予想以上の激痛に意識が飛びかけるが、その直後に続いた激痛の第二波が無理矢理に意識を呼び覚ます。

 龍の力は現実をねじ曲げる。

 ケイスがそう感じたからなのか?

 実際に皮膚が内側から何かが飛びだしてきたかのように裂け、ブチブチと音をたてて血管が切れて、全身が青黒く染まりながらどくどくと血が流れ始める。

 瞬く間に足をつけていた池の水が瞬く間に赤く染まっていく。

 治りきっていない傷口や切り落としたばかりの左手首の傷が不自然に収縮し、さらにはとっくに完治したはずの古傷が浮かび上がり全身を引き裂こうと筋肉が暴走する。

 二つの龍種の血がケイスの中で激しい争いを始めていた。

 これは制御は出来無い。

 未来は判らないが少なくとも今は出来無い。

 この暴虐の力に抗うほどの力をケイスは持たない。

 常人ならば正気を失う絶望のような痛みの中、狂人たるケイスは唯一の喜びを見つけ何とか正気を保とうとする。 


 なるほどこれか。これが兄様の痛みか。


 ケイスは初めて兄の抱える痛みを体感しているのだと気づく。

 故にますます兄が好きになる。

 これほどの痛みをずっと我慢してきたのか。

 これほどの痛みを常に抱えながらも、自分に笑いかけてくれたのか。

 自分に構ってくれたのか。

 これほどの痛みに耐える強い精神をもち、それでも優しさを失わない兄をケイスは誇りに思う。

 だから兄を皇帝とする。

 痛みを知りながらも、優しさを持ち続ける兄こそが、民を統べる皇帝にふさわしい。


 自分が兄の剣となって、兄を守る。

 その為にはこんな所で、力尽きるわけにはいかない。

 制御が出来無いとしても、己は己のままで突き進むだけだ。

 燃えるような赤龍の灼熱の血を宿す闘気を、左の手へと。

 凍えるような青龍の極寒の血を宿す闘気を、羽の剣へと。

 暴走し駈け巡る闘気を必死で操り、二つの種類へと無理矢理により分ける。

 己の身一つで属性の異なる多重の闘気を生み出せるケイスだからこそ可能な神業をもって、この窮地を脱する剣技を放つための準備を命がけで敢行しはじめる。

 制御はできずとも、一瞬の波を見つけ、その瞬間に合わせる。

 天才たる己の才覚を持って、制御出来無い波の中で技を放つ機会を窺っていた。







「っ! ゅぁっ!!!!!」


 悲鳴とも雄叫びともつかない声と共に、追い込まれたはずの襲撃者が異様な気配を発する。

 全身を覆うローブの下の肉体が不規則に蠢き、さらに全身から血が吹き出し、池の水を赤黒く染めていた。  

 あまりにも異常な雰囲気。あまりにも異様な状態。

 迷宮に挑み数多の化け物を屠ってきたやり手の探索者達で構成されている隊員達ですらも、思わず詠唱を止め、包囲が崩れると知りながらも後ずさるほどの圧力をもった気配が生まれていた。

 歴戦の強者である探索者達ですらその有様だ。

 広場に詰めかけていた一般の群衆は、異様な気配を発する襲撃者とは大分離れているのに、腰が抜け倒れる者や、苦しげに心臓を押さえ嘔吐し出す者が続出している。

 しかしまるで地獄絵図のような状況なのに誰も逃げようとしない。

 いや違う。逃げられないのだ。

 その気配の名を、襲撃者が放つ気配の正体を知る者はこの広場にはごく少数しかいないが、知らずとも誰もが理解してしまう。

 萎縮し、恐怖し、拒絶するべき忌むべき気配だと。

 この気配の前に人は絶望し、逃げる力さえも無くすと。





「……龍王」


 負傷し治療のため一時的に後退しているソウセツに変わり陣頭指揮を執っていたナイカは、苦悶の声をあげるケイスを見て我知らず声を震わせ、小さくつぶやく。

 かつてロウガ開放戦の折に遠目に感じ取った赤龍王の気配とは比べものにならないほどに弱いが、それでも間違いない。

 この身の毛もよだつ悪寒と、拒否感を伴う気配を放つ存在はこの世に一つだけ。

 すなわち全生命の天敵。絶対たる暴虐なる龍の中の龍。龍王が放つ気配に他ならない。

 ケイスよりもさらに強い気配を放っていた龍王を知っていたからこそ、ナイカはまだとっさに動けた。

 だがそれでもこれは予想外だ。予想外にもほどがあり過ぎた。

 捕縛では無く、殲滅を考えるべきだったかと、その胸に後悔が過ぎり、気がつけば愛用の弓をその手に掴んでいた。

 何をしでかす気かは判らぬが……今ならばその心臓を射抜けるのではないか?

 ケイスを生きたまま捕縛するはずが、何故かそんな誘惑に駆られたナイカは、次の瞬間には無意識に矢をつがえていた。

 そのナイカの行動が運命を後押しする。

 ケイスを死なせない為に世界が動く。

 まだ目覚めきってない龍王を守るために、世界は回る。







 不意にわき起こった強烈な殺気をうけて、ケイスの感覚が最大まで研ぎ澄まされる。

 極限の感覚が荒れ狂う波の中で一瞬みせる凪を捉えた。


「邑源一刀流!」


 その瞬間、抱えていた己の左手を水面に落として、両足に力を込めてケイスは高く垂直に跳び上がる。

 跳躍の頂点でクルリと回りながら空中で体勢を作り、右手で持った羽の剣を投げ槍のように構え、赤く染まった池の中心部に浮かぶ己の左手へと狙いを定める。

 心の中で見た荒武者のその動き、闘気の操作を思い出し、模倣してのける。

 
「派生石垣崩し!」


 呼気と共に右手を力強くふって青龍の闘気を宿した羽の剣を最大加重状態で、切断された自分の左手へと、赤龍の闘気をたらふく含んだ標的に向かって投げつけた。

 雷光のような速さで飛翔した羽の剣が、ケイスの左手だった物を貫きさらにその破壊的な自重をもって池の底石をたたき割りその内部まで深く沈み込む。

 次の瞬間、底石に沈み込んだ剣の中の闘気と、手の中の闘気が反発しあい膨れあがり、大きく弾けた。

 頑強な龍の肉体さえも粉々に弾け砕く技の前では、底面にしかれた石はひとたまりも無い。

 一瞬で池の水が蒸発するほどの熱量によって巨大な蒸気の熱風がわき起こり、細かく砕けた石片を巻き上がった。

 火山で起きるような水蒸気爆発が、池の底を粉々に砕くが、ケイスを逃がさないために池の中心部周辺に展開していた遮断結界が、内部から全ての存在が外に出ることを防ぎ、かろうじて被害を最小限に留める。

 粉々に砕いた池の直下に現れた底の見えない大穴を、空中のケイスの目が捉えた。

 それはかつてこの場所にあった狼牙城の大井戸跡。

 新市街地が整備されたときにはあまりの深さと大きさによって埋め立てることができず、さらには英雄達が地下へと潜った由緒ある場所だったために、その上に英雄達の石像を置いた噴水広場として作られたのは有名な話だ。

 石の下に隠されていたその井戸が、ケイスの放った大技によって百年以上振りにその姿を現していた。

 その大穴の中へと吸い込まれるようにケイスは落ちていく。

 深い暗闇の壁が高速で目の前を通り過ぎていく。

 底まで墜ちる前に着地するために体勢を立て直さなければならないが、力を使い果たし激しく傷ついたケイスの身体はもはや指一本さえ動かず、意識さえ定かでは無くなる。

 あまりの無茶と無理の反動で、ケイスはほぼ死にかけていた。

 身体を動かすための闘気の流れは無茶苦茶に入り乱れ、いつ心臓が止まってもおかしくないほどだ。

 失いかける意識の中、底を流れる水音だけが聞こえてきた。


(これだけ…水の音が聞こえるならば、身体は自然と流さ……)


「まさかここにまた命がけで飛び込むことになるとはな」


 水音とは違う何かがすぐ側で聞こえ、身体を受け止められたような感覚を最後に、ケイスの意識は周囲の暗闇よりもさらに深い闇へと沈んでいった。



[22387] 剣士が失う物
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/08/19 21:37
 出陣式に起きた事件によって大波乱の幕開けとなった、今期のロウガにおける始まりの宮。

 だがあの程度は、大陸全土に広がる大迷宮【永宮未完】への入り口に隣接する迷宮都市においては、極々ありふれた日常の一コマにしかすぎない。

 迷宮閉鎖期が開けて二ヶ月。

 あの事件の騒ぎを忘れたかのように、今日もロウガ新市街地中央広場は、大勢の人で賑わっていた。

 閉鎖期の間に大きく変貌していた迷宮内のモンスター分布や内部解析も、地図師や、迷宮学者、モンスターテイマーなどのギルドに所属する探索者達によって大まかではあるが、完成している。

 ある程度のリスク管理が可能となり、目的とするモンスターの生息地が判明してきたこれからの時期が探索者家業の最盛期となる。

 情報鮮度はやや古いが、格安の支部公式攻略情報を買い求める為に訪れる若手。

 予想以上の難敵、高難度に複数パーティ攻略を行おうとするが、主導権を巡り腹の探り合いをする者達。

 新種モンスター討伐に成功、さらにその死体から新素材発見で、情報報酬による一攫千金を引き当て、満面の笑みで引退届を手に門をくぐる者。

 情報もろくに無い状況で無理をして挑んだためメンバーを迷宮に食われ、絶望の色に覆われた暗い目のまま壊滅届けを提出し、負傷した足を引きずりながら雑踏に消える者。 

 悲喜交々の探索者達の姿も、また迷宮隣接都市の日常の一コマ。

 それ以外にも、商機を求め出入りをするギルド関係者。

 迷宮外へと出て来たモンスター討伐依頼に青い顔をして駆け込んでくる村長。

 かと思えば、協会支部を見物に来た単なる観光客。

 大勢の人が行き交うのが、それがいつも通りの中央広場の光景。

 出陣式に起きた騒ぎの痕跡は、もうほとんど残ってはいない。

 唯一残った痕跡となれば、広場の真ん中にあった噴水池が修復のために完全撤去され、東方王国時代の巨大な古井戸跡が、ぽっかりと姿を見せている事だろうか。

 噴水池の直径とほぼ同じほど大きさの、巨大な井戸穴は地下世界へと続いているような不気味な姿をさらす。

 かつての東方王国時代には、この巨大井戸の上にはその大きさに見合う三連風車塔が立っていたそうで、そこから汲み上げられた水が狼牙城の掘や周辺水路へと供給され、往時には街の隅々まで
 網羅する一大水運路が網の目のように築かれていたという話だ。

 100年以上振りに姿を現したそんな古井戸は、東方王国時代の遺構としては、近年類を見ないほどに大規模かつ保存状態がよいもの。

 この機会に徹底的に調査しようと判断されたのか、井戸の周辺や内部を調査する魔導技師達の姿が目立ち、再建資材はその脇に積まれているが、工事自体はあまり進んでいるようには見えなかった。

 もっとも4ヶ月後に行われる次の出陣式までには、噴水池の再建は終わらせなければならないのだから、少し違った光景もあと少しだ。 

 見納めになる前にとばかりに立入禁止のロープと共に転落防止に張られた遮断結界の周りには物見遊山な観光客が群がり、そんな客目当ての屋台が広場にはいくつも立ち並んでいた。

 一番売れ筋の土産商品は、破壊される前にあった噴水の英雄像をもした紙箱の中に収まった、古井戸をイメージした黒糖ドーナッツの詰め合わせということだ。

 普通のドーナッツに比べて少し中心の穴が大きめで材料をケチっているように見えなくも無いが、穴の大きさが井戸の大きさを表しているという謳い文句を謳われてはご愛敬と受け入れるしか無いだろう。


「すみません。イドーナッツ6個入り一つお願いします」


 穴の大きさよりも、むしろそのネーミングセンスはどうなんだと何時ものように思いながらも、ルディア・タートキャスは炎天下の中10分も並ばされてようやく来た順番に辟易しながら一番小さな箱を指さす。


「はいよ! 赤毛の姉さんか。今日も来てくれたな……3日連続のお客さんにゃ少しおまけしとくよ」


 転血石を用いた簡易魔具コンロの上にかかった熱々の油が入った鍋から揚がったばかりの熱々のドーナッツを箱に詰めていた恰幅のいい店主が、ルディアに気づくと少しばかり小声で囁きながら小振りの売り物にならないドーナッツを1つおまけで入れてくれた。

 ルディアは元々女性にしては長身なうえに派手な赤毛で目立つのに、ここの所連日屋台を訪れている所為ですっかり顔を覚えられてしまったようだ。

 しかも大の甘い物好きという、酒飲みを自称するルディア的には少しばかり不本意な称号と共に。


「どうも。共通銀貨2枚ですよね」


 自分は見舞い品のお使いに来ているだけなのだが、一々それを口に出して否定するのも店主に悪い。

 ルディアは曖昧な笑顔で答えながら、財布から取り出した共通銀貨を屋台の上に置いて箱を受け取ってそそくさとそこを離れ、待ち合わせをしている知り合いの元へと向かう。

 その知り合い曰く、井戸穴を観察しているということ。

 何故そんな物を観察しているのかは甚だ疑問だ。

 大勢の観光客に紛れて探しにくいかとも思っていたが、そんな事は無くルディアはすぐに待ち合わせていたウォーギン・ザナドールを発見する。

 ウォーギンは普段は掛けていない分厚い眼鏡を身につけ、井戸跡を見ながら薄ら笑いを浮かべ、やたらと分厚いノートに何かを、速記でしかも大量に書き込んでいるので、周囲から浮きまくって悪目立ちすぎる事この上なかった。


「ウォーギン。何やってるのよ?」


「みりゃ判るだろ」


 声をかけたルディアの方を振り返りもせず、古井戸の壁面を見ながら右手をひたすら動かしてメモを取り続けながらウォーギンは簡潔に答える。

 これだから天才という人種は……

 やたらと偏った才能の持ち主に、ここの所はやけに縁があるので、この手の輩には慣れたものだ。


「判ったら聞いて無いっての」


「井戸の壁面の石壁が焼け焦げてるからぱっと見には判らんが、頑丈な古式エーグフォラン工法の壁のおかげで術式的にはまだ健在だ。ほとんど途絶えた東方術式の跡がたんまり残ってるんだよ。今時これほどの規模の古式術法のサンプルには早々お目にかかれねぇぞ」


 ルディアから見ればただの古い黒焦げた石壁にしか見えないが、どうやら根っからの技術者であるウォーギンには宝の山に見えているようだ。

 興奮しているのか少し早口のウォーギンの説明に、道理で井戸の中を調べている協会所属の魔導技師らしき職員が多いはずだとルディアも納得する。


「少し待ってろ。もうちょっとで書き写し終わる」


 どうせ何を言っても写し終わるまでテコでも動かない。

 諦めているルディアは手に提げた、ずっしり来る重さの箱に目を向ける。中からは黒糖の香ばしく甘い香りが漂ってくる。

 甘いものが格段に好きでは無いルディアでも、まぁ美味そうだとは思うが、これだけ重ければ1つ食べれば十分に満足。

 だが、これを毎日見舞い品として請求してくる極甘党のケイスは、6個だとものたりないからもっと買ってこいと五月蠅いくらいだ。


「それにしてもあのバカ。病み上がりなのにこんなに甘いのばかり食べて身体は大丈夫なんでしょうね」


 匂いだけでもお腹が一杯になってくるような甘さに、ルディアはそこはかとない不安を抱く。 

 別にルディアとて暇で、レイソン邸で療養するケイスを毎日、尋ねているわけでは無い。

 ケイスが今現在、服用している特別な薬が劣化が早く保存が利かない類いの物で、ルディアが世話になっている老薬師フォーリアに毎朝調合して貰い、それを届ける必要があるからだ。

 フォーリアの店からレイソン邸に向かう途中でたまたま見かけた新名物の揚げ菓子を見舞いとして持っていったら、それに味を占めたのか、苦い薬より菓子の方をせがんできたというわけだ。

 ルディアにとってそんなケイスの我が儘は、渡りに船と言えばいえた。

 今ルディアの手元には、カンナビスでの騒動の最後に、ケイスが残していった金貨がある。

 あの馬鹿は未だにカンナビスで、ルディア達にあった事が無いと言い張っているので、金貨を返せずにいたのだが、こうやって並ぶのが少し面倒ではあるが、僅かでも使う当てができたので良しとするべきだろう。  

  ……と思っていたのはこの時までだった。















 少しばかり緊張しているようだと、自分の状態をソウセツは判断する。

 フォールセン邸の来客室。

 翼人用の背もたれの部分が大きく開いたソファーに背を預けるソウセツは険しい表情を浮かべていた。

 二月前に起きた出陣式襲撃事件に関連し、大きく進展したロウガ支部内の不祥事の対応と後始末に奔走していたせいで、フォールセンと直接に顔を合わせるのはあの事件の日以来。

 一応の名目は最高警備責任者として、来賓として招かれていたフォールセンへ事件の調査報告という形だが、とりあえずもいいところ。

 公式には身元不明のまま行方不明として処理された襲撃者の少女の正体を含め、あの事件の本質にはフォールセンの方が真実に近いはずだとソウセツは確信していた。


「失礼しますソウタさん。旦那様はご用意にもう少しお時間がかかるそうですので、その間にお茶はいかがですか」


 ノックの後に部屋に入ってきたフォールセン邸の老家令メイソンは炉のついた茶器セットをみせる

 昔馴染みの誘いに、喉の渇きを覚えていたソウセツはありがたく思い頷く。


「あぁ、もらおう。メイソンの茶は久しぶりだな」


「最近は若い者の仕事と入れさせてもらえませんし、安い葉なので身内にしかお入れできませんから私も久しぶりですよ」


 メイソンは小振りの炉に炭火を起こすと焙烙に茎の部分が多い安めの茶葉を入れ、慣れた手つきで茶を焙じていく。

 室内に広がっていく香ばしい茶の香りは、ソウセツ・オウゲンの古い記憶を強烈に呼び覚ます物だった。

 若い頃はソウセツはフォールセン邸を実家と呼んでいたが、十数年ぶりに訪れた所為か、どうにも他家という印象を抱いてしまっていた。

 だが茶を焙じる香りは、実家と呼んでいた頃となんら変わらなかった。


「懐かしい香りだな」


「ユキさん直伝ですからね。私の技法は」


「義母……お袋の事だ。相当に厳しかっただろ。茶の入れ方1つとっても」


 不老長寿の上級探索者となったことで見かけの年齢は逆転してしまったが、年下の弟分だった老人の浮かべる誇らしげな顔に釣られたのか、ソウセツも少しだけ表情を和らげ、口調を緩める。

 義母のことを思い出すと、どうしても最初に浮かぶのは苦しげな死の間際の表情。

 しかし胸を貫く痛みを少しだけ我慢すれば、様々な表情と数多くの思い出へと行き着く。

 それはソウセツにとってどれもが大切であり、掛け替えのない物であった。


「はい。何度焦がしすぎと注意され、旦那様にお入れするにはまだまだと叱られましたか。あの頃から今もお屋敷にご奉公させていただいている者達も、たまに叱られた頃を思い出すそうですよ」


「説教好きがすぎたからな。一国の皇子のフィオ相手だろうが、とろとろしているなとケツを蹴り飛ばすなんて事もあったな」


 武人として尊敬し、家族として敬愛している。

 亡くなってしまっても、いや亡くなってしまったからこそ、その思いは強くなっている。

 だがどうしても昔馴染みの前では憎まれ口を叩いてしまうのは、その気持ちを最後まで素直に伝えてられなかった所為だろうか。


「面倒見がいいんですよ。正体を知らなかった院生の子供達にも好かれていましたからユキさんは」


 あまり焙じすぎると後味が苦くなるので、茶葉の芯がふっくらと丸くなってきたのを見計らい、メイソンは焙烙を火から離して、急須へと焙じたばかりの茶葉を移し入れ熱めの熱湯を注ぐ。


「……そうだったな」


 ロウガの街の現状について思うことは多々あれど、妻や子、孫達と過ごせる今が不幸だとはソウセツも思ってはいない。

 ただどうしてもたまに考えてしまう。

 もし今も義母が生きていたら、どうしていただろうと。

 子供好きだから、孫やひ孫に囲まれてゆったりとした老後を過ごしていたのだろうか。

 それとも根っからの武芸者でもあったので、今も迷宮に挑み、共に戦う自分の子孫達を叱咤激励して駆け抜けていたか。

 はたまたおっせかいが過ぎて一介の市民だと言い張りながら、頼れる街の顔役となっていたか。 

 少なくとも大勢の人間に囲まれ慕われていたはずだ。

 だがそれはあり得ない想像。

 外れてしまった未来。

 義母が愛したこの街を守る。

 それだけが、それだけしか、義母から受けた一生を掛けても返せない愛情や恩に報いる道となってしまった。

 だからこそソウタ・オウゲンは、ソウセツ・オウゲンとなった。

 義母から託された、東方王国時代の狼牙から続く、ロウガ守護者たる者が名乗る名という重い重責を背負うと決めていた。

  感慨に耽るソウセツの内心を察したのか、メイソンは無言で、ただ静かに茶を注ぎ湯飲みを差し出す。

 琥珀色の茶を受け取ったソウセツも無言で受け取ると、その香りを懐かしみながら熱い茶を少しずつ口に含み喉を潤していく。

 そのまま互いに無言の茶会を続け、2杯目を飲み干そうかというときになって、ようやく屋敷の主フォールセンが姿を見せる。


「すまんソウタ待たせたな。あの日以来この年寄りを担ぎ出そうとする輩が多くてな」


 ソウセツの対面に腰掛けたフォールセンは、メイソンが出した茶を飲んで一息をついてから、煩わしそうに苦笑を浮かべる。

 数十年ぶりに公の場に姿を現したフォールセンの元には、以前よりも遥かに多くの講演依頼や、有力者からの信書が届いており、その手の対応に慣れているはずのフォールセンもあまりの量の多さに辟易しているようだ。


「いえ、私の方こそお忙しい中でお時間を裂いていただき申し訳ありません。ご報告が遅れましたが今回の襲撃事件の調査報告をさせていただきます」


 立ち上がったソウセツは、かつて爺ちゃんと気軽に呼んでいたフォールセンへと深く頭を下げながら、まずは建前の報告から初めることにする。

 あの少女は何者なのか?

 何故あの場に現れたのか?

 生死不明となったが、今はどうしているのか?

 聞きたい事がありすぎて、何から聞くべきか。

 建前の時間が実に貴重な思案をする時間となっていた。











「ケイちゃんは自分が怪我人って自覚はあるのかな? 先生は治す気があるのか疑いたくなるなぁ」


「ゃぁ! あ、あるから! あぅ! ある! だ、だがら! もう叩くのひゃ!!」 


 ここの所毎日訪れていたレイソン邸に訪れたルディアが居間に入った途端に目に飛び込んできたのは、ここ二週間で何度も見た光景だった。 

 いつも通りの優しげな笑顔と少しのんびりした口調ながらよくよく見れば目が怒っているレイネ。

 そして椅子に座るレイネの膝の上に抱きかかえられ、寝間着を捲られたのみならず、下着を膝まで下ろされ、大きな音をたてる強い平手打ちで尻を叩かれる度に悲鳴をあげ泣くケイスの姿だった。

 その磁器のような白い肌の尻全体が既に真っ赤に染まっているので、相当な時間お仕置きされているようだが、レイネが振り下ろす手が止む様子は見えなかった。


「ルーちゃんにギン君いらっしゃい。ごめんなさいねバタバタしていて」


 フォールセンの孤児院にいたときは年少者の監督役も務めていたというレイネは叱り慣れているのか、訪れたルディア達をにこやかに迎えながらも、その右手はテンポ良くケイスの左右の尻へと振り下ろされている。


「やっ!? ま、待てレイネ先生! お、きゃく! はちゃんと迎えにゃあ! うぅぐ! っあ!? うぁ!?」


 あわよくば今の瞬間でも止まると思ったのかケイスが制止の声をあげるが、その必死の訴えは、より強くなった平手の音ですぐに意味のなさない悲鳴へと変わる。

 ケイスは逃げようと手足をじたばたさせるが、レイネにがっつりと抑えられているので無駄に終わる。


「逃げようとするんだ……まだケイちゃんは反省した方が良いかな。二人とも、もうちょっと待っててね」


「ケイス。余計なこといって誤魔化したり、逃げようとするなって。ちょっとが相当長くなるぞ。レイネ。先に上いって頼まれてた作業してるぞ」


 幼馴染みであり同じ院卒のウォーギンは、レイネが年下の連中に慕われつつも恐れられていたのをよく知っているので、大人しく怒られておけとあきれ顔で忠告をしてから、工具の入った鞄を持って、ケイスが病室として使っている部屋のある2階へと上がっていた。


 フォールセン邸の古井戸に落ちたとかで大怪我をしたケイスが、意識不明で何度も心臓が止まるほどの生死の境をさまよっていたのはもう二ヶ月前の事。

 全身の皮膚が深く裂けるほどに損傷し、左手に至っては手首から先を失うほどの大怪我。

 レイネによる高位神術による肉体再生まで用いた神術治療で傷口がふさがった後も、意識不明の状態が一月近く続いていた。

 何とか意識が戻った後も、2週間ほど寝たきりで時折高熱が出て意識を失う、紛れもない重症患者。

 だがようやく先々週くらいからその不安定期も過ぎて、ある程度はまともに動けるようになっていた。

 いた。いたのだが、なるべく安静にしていろという、レイネの医者としての指示を、この行動派のバカが大人しく守るはずも無い。

 すぐにケイスらしいバカなことをしだしたので、こうやって小さな子供のように、レイネに叱られるのがお約束となっていた。

 もっともルディアはその怪我の理由に関しては、大きく疑っている。

 この化け物が井戸に落ちたくらいで左手を失うほどの大怪我をするわけがない。

 その前に巻き込まれていた案件も含んで、どうせまたとんでもない事をしでかしたのだろう。

 そんなおそらく正解に限りなく近い推測は余裕でできるが、推測するだけで自分の精神安定上の理由で真相を聞くのは止めている。

 ケイスが怪我がしたという日の、ロウガ中央広場で行われていた出陣式での大騒ぎについては、むしろなるべくなら、見たくも、聞きたくないので、翌日に出た号外速報はそのまま暖炉の中に消えたほどだ。

 ただ怪我の原因はともかくとしても、その経過はさすがに気にしないわけにはいかない辺りが、この美少女風化け物に関わってしまった代償だった。


「……今度は何やったんですかそのバカ」  


 一昨日のお仕置き理由は、屋根にいた近所の猫を何故か捕まえようとして屋根に登っていて。

 その3日前は、真夜中に病室となった2階の部屋を抜け出して、鍛錬にいこうとしていたのを見つかったとのこと。

 最初は叩くにしても怪我人であるケイスに配慮した可愛い物であったが、あまりの反省の無さと、こりなさに、日ごとに叩く力が強くなっている。

 主治医であるレイネはさすがにケイスの体調も考慮して叱っている。

 だから普通に見ても相当厳しいお仕置きも、結果的にケイスが回復している証と考えても良いのだろうか?

 ちなみにウォーギンが今日ルディアと一緒に訪れた理由は、夜中にケイスが抜け出さないように、部屋の窓や扉に結界魔具を設置するためだったりする。

 放っておくと何をしでかすか判らない相変わらずの無茶と無理の固まりだが、今日は一体何をしでかしたのやら……


「ほらケイちゃんって怪我の前はよく食べたでしょ。だからルーちゃんがお見舞いに持ってきてくれたお菓子も、食欲があるなら良いかなと思ってたんだけどね」


 困り顔を浮かべているが、相当に怒っているのがよく判る強烈な平手打ちの音は容赦無く響く。


「でもやっぱり闘気による内臓強化が出来無くて前より食べられなくなってたみたい。だけどお菓子が食べたいからって、昨日から治療用の薬膳料理をこっそり窓から捨てて、ご近所の猫に食べさせてたのを見つけたの。だからそのお仕置き」


「だ、だって、に、にぎゃ! いから! お、美味しいほうが! 身体にぃぎゃ!」  


 苦くてまずい物より、美味しくて甘い物を食べていた方が身体にいいと言いたそうなケイスの妄言は、鋭さを増したレイネの平手で途中でかき消される。

 二日前に猫を捕まえようとしたのは菓子を自分が食べるために、生け贄を求めていたからのようだ。 


「ケイス。あんたって子は……内臓強化の闘気は最低限確保しているとか大嘘ついてんじゃないわよ。ほんとこのバカは」


 冷静に考えれば、つい数週間前まで寝たきりで胃腸の弱まっていた大怪我人が、大きなドーナッツ6個を食べた上に食事を食べれる食欲を発揮するわけがない。

 なんであんな嘘に簡単に騙されたんだと、ルディアは自分自身のバカさ加減を呪いたくなる。

 だがそれも仕方が無いだろう。

 ルディアの知るケイスとは、はっきり言って化け物。

 常人離れした肉体能力をもつ人外といっても、一切の誇張表現が無いほどの印象があまりにも強すぎたからだ。

 だから常人ではあり得ない事も、ケイスがあまりに言い張るのであるかも知れないと思ってしまったのが失敗だった。

 元々高い肉体能力は持ってはいるが、ケイスを真の意味で常識外の化け物としていたのは、闘気による肉体強化。

 少女らしいほっそりした体格で、大の大人さえ凌ぐ馬鹿げた膂力。

 軽い切り傷程度ならば、1時間もあれば完治する獣人並みの回復力。

 食べた物を10分でほぼ吸収できるから、トイレもあまり必要ないという巫山戯た消化能力。   

 それ以外にも攻撃に対して瞬時に皮膚を硬化させ防御力を上げたり、傷の痛みを意識的に麻痺させたり、疾風のごとく駈ける脚力。

 それらケイスをケイスたらしめる化け物じみた能力を支える物の原点こそが、丹田から生み出す闘気による肉体強化。

 だが大怪我を負ったケイスは、レイネの診断によれば、闘気の流れを司る気血榮衛の経絡が、大きく乱れた上に損傷しており、それこそ生きているのが信じられないぐらいにぼろぼろになっていたとのこと。

 フォールセンの好意によって治療費を工面してもらい、稀少な魔術薬や一角獣の角などの神術再生触媒を用いた、レイネの懸命な治療神術で、何とか基礎代謝が可能な状態にまで改善しているが、それ以外の人外的能力を全て失っていた。

 もっとも力を失ったことで、ショックを受けたり、人生を悲観したならまだ可愛げがあるのだろうが、当の本人が、多少マシになった途端に治療そっちのけで菓子優先と平常運転バカとなれば、レイネが激怒するのも当然といえるだろう。


「うぅっ。ルディ! た、助けてくぎゃう!?」


 耐久力や防御力が落ちて、さすがのケイスも耐えかねているのか大粒の涙をぼろぼろこぼしながらルディアに救援を求めてくる。

 完膚無きまでに自業自得だとルディアも思うが、ケイスの嘘に騙されたとはいえ菓子を買ってきた自分にも多少の責任はあるだろうか。


「レイネ先生。お怒りは判りますけどさすがに懲りて反省していると思いますよ」


「し、してる! してるぞ!」


 ルディアが仲裁に入ったおかげでようやくレイネの手が止まり、この気を逃してなる物かと、赤い目をこすりながらケイス何度もうなづいてみせる。


「このバカもこう言って反省してますから、今日の所はこのくらいで勘弁してあげてください。この子に薬も飲まさ…………」


 だがルディアは手に持っていた薬を掲げて、飲ませなきゃいけない時間だからと言いかけたところで、はたと気づく。

 レイネ特製の薬膳料理。

 そして老薬師フォーリア特製生薬。

 料理と薬という違いはあるが、その両者はどちらとも体内に流れる気血榮衛の経絡を整える目的にした古式療法の医食同源の考えを元にしている。

 それらは料理にしろ薬にしろ、治療目的が同じなのだから、素材は似通った物で、身体にはいいがお世辞にも美味しいと呼ぶのは難しい味が多い。

 そして今の療養食や薬は、大の甘党のケイスが好きではない苦みや渋みが主な物となっている。

 苦い物より甘い物の方が身体にいいと宣うこの馬鹿が、料理を残しただけで終わるだろうか?


「ケイス…………あんた三食後にちゃんと薬を飲んでる?」


「……ぅ」


 ルディアの疑いの眼差しに、引きつらせた表情のケイスは言葉に詰まってしまう。


「ケイちゃん」


「の、飲んでるぞ! ベットの下なんかに無いぞ!」 


 いぶかしんだレイネの追求に、ケイスは慌てて答えるがうっかり口を滑らせ物の見事に墓穴を掘る。

 隠し場所までしっかり告白するあたりは根が素直というか、バカ正直と言おうか。

 だがどちらにしろ、苦労して作ってる薬を無駄にされたのは間違いない。

 一切同情する気が失せたルディアはさわやかな笑顔で青筋を立てながら、ケイスへの死刑宣告を降すことにする。


「じゃあレイネ先生。この”バカ”がどれだけ飲んでいないか調べてきますので、私が戻ってくるまでの間はこの”バカ”をたっぷりと懲らしめてください。ベットの下以外を”重点的”に探してくるので時間がかかると思いますけど」


「そうね。1時間くらいは探さないと見つからないかな。それとも2時間かしら。ごめんなさいも出来無いで嘘もつく子は隠し場所も判りにくそうだしね」


 すでに腫れ上がった尻を、さらにしばらくの間は叩かれる事が確定され、ケイスの顔から血の気が一気に引いて青く染まる。

 まるでこの世の終わりのような絶望的な表情。

 何時もの強気一辺倒で傲岸不遜さが一切無い、ルディアが初めてみるケイスが心底恐怖を感じている極めて珍しい表情だった。

 巨大なサンドワームやら、伝説のゴーレム相手だろうが、一歩も引く様子を見せなかったあのケイスが本当に怖がっているようだ。

 しかしモンスターよりも、レイネに怒られる方が怖いとは……

 珍しい物が見られたのが唯一の報酬だったかと頭痛を覚える額を抑えながら、ルディアは2階へと向かう。


「ま、待てルディふぎゃ! べ、ベット! 下! 下からっ! ひぁっ!」 


 再開した平手打ちのまた鋭くなった音と共にルディアを呼び止めるケイスの声が響く。

 その内容から見てもあまり反省はしていない様子なので、この悲鳴をケイスはもう少しあげることになるだろう。

 膂力が落ちているので、レイネにしっかり抑えられていて逃げられず、痛覚遮断や皮膚の硬化ができず、生の痛みに悲鳴をあげる一人の子供。 

 今のケイスは見た目通りの、見目麗しい年相応のバカな美少女(多少傲岸不遜)となっていた。



[22387] 剣士と永宮未完 第1部完
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/08/19 22:01
 それはパズルの破片だった。

 一つ一つはたいしたことが無い集合体。

 少しばかりの罪悪感と引き替えに、手に入るのは十分な、それでいて多すぎない報酬。

 支部職員は、借金の立て替えの代わりに、正規依頼書に少しだけ細工して、その若者が探索者となる時期まで依頼が解決されないように引き延ばした。

 宿場町をしきっていた有力者は、普段から気にもとめていない郊外の牧場からあがる窮状の訴えを、少しだけ小さく受け止め重要事案として報告しない代わりに、禁制品の輸出入ルートにかかる経費の便宜を得ていた。

 牧場と取引をしていた精肉商人は、困窮した牧場主が衆目を集めるほどに騒ぎ出さないように牧場に無担保で資金援助をする代わりに、港湾人夫達が使う港湾食堂に肉を卸せる権利を得ていた。

 他にも、今回の件を隠蔽、引き延ばすために用いられた策は3桁近くに及ぶ。

 それは本当に小さな小さな悪事や違反の集合体。

 その程度の悪事は、今のロウガにはありふれていて誰も気にとめていない。

 誰かがやっている。自分がやらなくても誰かが引き受けている。    

 その程度の事。

 さらにそれを後押ししたのは、その中心にいながら、一切の事情を知らなかったセイジ・シドウの才能ゆえだ。

 ここ一年ほどの間に何度も若手が出場する闘技大会で優勝してみせて、将来を期待される若者の噂。

 それを知っていたからこそ、その事件自体が仕掛けられた物と知らず、牧場で使っている井戸の水が減少した程度の小さな騒ぎなど、すぐに解決するだろうと考え、気軽に引き受けていた。

 この若者が頭角を現せば、それが将来の利益に繋がるかも知れないという期待と共に。

 誰もが、繋がりを知らぬまでも、少しだけの罪悪感を持つ無意識の共犯者となる。

 あと少しだけ遅ければ、地域を揺るがす大惨事になっていたかも知れないと後から知ったとしても、それが仕組まれたことだと、真相に気づいたとしても、自覚無き共犯者ゆえの後ろめたさが沈黙を守る事となる。

 もし一人の少女が現れ、事態を大きく引っかき回していなければ。

 もしどこからともなく現れた襲撃者が、大陸各地で起きていた類似の事件に関する書類を衆目に晒していなければ。

 この事件は、未曾有の惨事を、始まりの宮を踏破したばかりの探索者になり立ての若者が直前に防いだ新たなる英雄譚として、新作を求める吟遊詩人達によって謳われていただろう……







「祖父殿にご指摘を頂きました通り、主犯はセイカイ・シドウで間違いありません。既に本人及び責の重い関係者の拘束と尋問を執り行い証言の裏付けや、証拠の押収を開始しています」


 今回の水妖獣発生未遂事件の裏側を含めた真相は、襲撃者がもたらした羊皮紙に書かれていた情報を手がかりにして、ソウセツを中心とした新生治安警備隊の徹底した調査もあってほぼ解明されている。

 管理協会に正規ルートで依頼された案件が途中で握りつぶされ、その元となった異変さえが策謀であった。

 今回の件は探索者管理協会その物の信頼を問われる不祥事。

 さすがにこれを表だって妨害しようとする者は、支部上層部にも居らず、むしろ蜥蜴の尻尾切りと言わんばかりに、匿名のたれ込みも少なくないほどだ。

 実際に関連して行われた大規模捜査で、馴染みの探索者に頼まれ一部の支部職員が、不正な斡旋が横行していた事実も数え切れないほどに出て来ている。

 ロウガ支部の綱紀粛正は急務だと不快そうに締めくくったソウセツの話を聞き終えフォールセンは、深く息を吐きソファーに腰掛け直す。

 ロウガ支部を起ち上げ初代支部長として長年率いてきたフォールセンは、あの頃に比べて規模が何倍にも大きくなったとはいえ、今の支部の体たらくに思うところはある。

 だが世事を離れ、見て見ぬ振りをして過ごしてきた自分が、どうこうといえる立場でも無いのもよく判っている。

 だから、ただ残念に思い息を吐いた後は、未来を見ることにする。 


「計画の中心に据え置かれていたセイジ殿に責は及ぶか?」


「知らぬ事とはいえ祖父が行ったこと。さらに自分の功績となるべきだった謀。事が事だけに、無関係ともいかず何らかの処罰が及ぶ可能性も高く、本人も厳罰を望んでいました。ですが私の孫のサナが彼とは良き友人関係だったようで、熱弁を振るって、彼本人も含めて無罪を認めさせました……」


 あの襲撃者は、その生きて帰る事を考えているとは思えない無謀な突撃や、もたらした羊皮紙の情報から見ても、セイジの命を狙い、刺しし違えても、この隠された事件を公にしようとしていたと見られる。

 羊皮紙に載る情報はそれほどまでに、執念と恨みの篭もった多岐にわたる正確な情報であった。

 つまりはセイジを中心にして水妖獣事件が仕組まれ、それを白日の下に晒し出そうとする襲撃者によって出陣式の事件へと至ったというわけだ。

 サナに羊皮紙を渡したのも、お前が信じている男の正体はこれだぞという今際の際の呪いのつもりだったのだろうというのが、散文する情報から推測する世間の大体の憶測だ。

 全ての中心にセイジがいるのだから、己が知らぬ所で全てが進んでいたとはいえ、責められるのは避けられぬ状況で、本人もどのような沙汰が降ろうと受け入れるつもりだった。

 だがそれを嫌がり、セイジの頑固さに怒ったのがサナだ。

 今期の始まりの宮に挑む機会を諦め先延ばしにしてまで、来賓した他国の王侯貴族に頭を下げ弁護にかけずり回ったサナ曰く

『もしセイジに責任をとらせる気ならば、早く探索者とすることです。家の罪が自分の罪だという時代錯誤の頑固者には、無実の罪で収監し刑罰で償わせるよりも、探索者として功績を積ませる方が、何倍も世のため人のためになります』

 との事。

 元々大衆人気があったサナの熱心な弁護に加え、出陣式の際にあのソウセツ・オウゲンさえも退けた襲撃者に一矢を報いたセイジの姿が使い魔による中継をしていた広場中の水鏡に映し出されていた事も幸いする。

 上級探索者ソウセツさえも退け化け物的な気配を発する無法な襲撃者に対して、果敢にも立ちふさがり反撃してみせた若きサムライのセイジ。

 傷ついたセイジを庇うように飛び出て、自分の仲間だと大見得を切ってみせた王女サナ。 

 英雄譚に出てくるようなシーンの評判が、事件直後にはうなぎ登りとなっていた事もあり、セイジの無罪放免を求める者が続出。

 気の早い吟遊詩人によって、気概ある無実のサムライと、それを庇う勇敢な姫の話としてあちらこちらの酒場で謳われ出している始末だ。

 セイジの反撃で片手を失った襲撃者は、怪我を負ったことで無様な逃亡を謀るがその途中で囲まれ、ついにはおぞましい気配と共に自爆して果てたと、詩の中でされている事も影響しているのだろうが、   


「呪いとして託したか。なるほど……そうとも取れるな」


 何とも曲解されながら、それらしく聞こえる理由にフォールセンは苦笑するしか無い。

 呪いを紡ぐ暇があるなら、すでに斬っている剣術バカはそんな事は考えない。

 おそらく本当の意味で託したのだ。

 この醜悪な謀から素晴らしき才を持つ若者を自分では守れないと考え、堂々と仲間だと宣言してみせたサナを信じたのだろう。

 ケイスが自らの腕を犠牲にしてまでその剣の狙いを変えたことに、あの場にいたフォールセンだけが気づいていた。

 ケイスと同様、もしくは上回る剣の才能を持つフォールセンだから気づけた。

 だからケイスが何を考えたのか推測はできる。

 セイジを守ろうとしたのだと。

 ただあのほんの一瞬前までみせていた怒れる殺意から、何を思い一瞬で反転して守護に回ったかまではさすがに判らない。

 歴戦の勇者であるフォールセンをもってしても計りきれない。それがケイスだ。


「今回の件における被害や賠償はシドウ本家から、末席とはいえ一族の者が起こした不祥事。全ての弁済を申し出てきております。またセイカイへ協力し罪に問われた者の恨みがセイカイの子や孫であるセイジ・シドウに及ばぬように保護し、本家預かりとして面倒を見るとのことです」


 自分がした小遣い稼ぎの小さな悪事のはずが、今回の件でより大きな悪事へと繋がり、身の破滅となった者は数多い。

 ソウセツから言わせれば、罪に小さい、大きいなど無く、意識して行った以上は罪は罪だ。

 人生を狂わされた逆恨みが、セイカイの家族に及ばぬようにというのがシドウの弁だ。

 大衆人気の高まっているセイジを取り込むことで、今回の件でシドウの名声につく傷を少しでも軽くする狙いもあるのだろう。


「今のシドウ本家はセイカイ殿の異母兄。海運ギルド長のミカミ・シドウ殿だったか……ロウガの発展をまず第一に考えるとの評判だったな」


 セイカイが東方王国復興派だったならば、その異母兄ミカミは今のロウガのまま発展を望む現状派だと聞いている。

 引退しているフォールセンは世事とほとんど接触が無いので、ミカミが今のロウガの中心人物の一人ではあるがその頭角を現したのが、フォールセンの隠居後なので、聞き及んだ噂以上にはその人と形をしらない。

 彼がこの件に関わっているのか、それとも無関係なのか。

 シドウの総帥ともなると、そこまではさすがのフォールセンの情報網といえど、往年の力をほぼ失っているので調べきれてはいない。


「セイカイという末端ですら、ここロウガではシドウの名である程度の力が働きます。ましてやシドウ本家に面と向かって逆らえる者はそうはいませんでしょう」


「シドウ本家に面と向かってか……あまり気にはせんであろうな。そうでも無ければあの場で襲撃などかけぬよ」


「祖父殿……あれは一体何者ですか?」


 フォールセンの意味ありげな声に、ソウセツは面会を求めた真の理由を簡潔に問いかける。

 誰の事を言っているかなど口にするまでもない。

 誰に似ていると、聞くまでも無く、言わせもしない。

 強い視線に対して、フォールセンは懐の中に手を入れると、何かをとりだしそれをテーブルの上へと置いてみせた。


「これはケイス殿が持っていた物だ」


 フォールセンがとりだしたのは、銀を用いたほっそりとした刀身と丸みを帯びた柄を持つどこか女性的な短剣だ。

 握り拳程度の短い刃は、これが実用的な物では無くもっと儀式的な意味を、護符としての意味を持つ護身懐剣だと示していた。

 華麗な銀細工で全体を彩られた懐剣は、持ち主を守護し邪気を払う神聖品を中空となった柄に納め生まれた女子に贈るという、今は無き古い国の慣習の品だ。


「っ!」


 ソウセツの心臓が不規則に1つ跳ねる。

 その剣にソウセツは見覚えがあった。

 父母から贈られた品の中で唯一持ち出せて残った宝物だと何度か聞かされた。

 互いに想い合いながらも立場上は一緒の道を歩めないからと、義母が、ソウセツの親友だった思い人に自分だと思えと贈った誓いの品。

 そしてソウセツと親友は違う道を進む別離のときに、この剣に誓っていた。

 己の未来を。

 自分達が進む道は違えど、その根底にある物は同じだという誓いを。

 ソウセツは、義母の愛したロウガを守る者。

 ソウセツ・オウゲンとなる。

 親友は、ルクセライゼン皇帝フィリオネスは、義母の求めた理想であり夢を叶えると。

 民と共にあり、民を思う皇帝になる。

 そして義母の…… 


「まさかあの娘は!」


 思わず狼狽したソウセツは、椅子を蹴倒しながら立ち上がる。

 その顔、剣技。それからうっすらと察していた正体があった。

 伯母の、邑源華陽こと現カヨウ・レディアスの血を引く者であろうとは予想はしていた。

 だがこの剣をあの娘が持っていたことで、その意味は大きく変わる。

 この剣を、義母の形見を、フィリオネスが誰かに託すことなどあり得ない。

 いくらカヨウの血を引く者だとしても与えるわけが無い。

 姉の敵をとるために、姉が愛した男を守るために、この地を去ったカヨウが許すわけが無い。

 もし、もしも、もしもだ。フィリオネスがこの護りを与える存在があれば、あるとすれば……


「だ、だからですか……あの娘の存在を我等が知らないのは!」


 何に対して激高したのか、自分でも判らず、ソウセツは絞り出すように苦悩しながら声を荒げる。

 フィリオネスの子を孕んだからこそ、義母は謀殺された。

 世界最大の帝国であるルクセライゼンを維持し国体を脅かす者を排除する紋章院と、東方王国復興を旗印に掲げる者達によって、その未来を閉ざされた。


「フィオやリグ、伯母上が我等に伝える事が出来ないのは。そういう事ですか」


 英雄である義母は、遥か過去に受けた呪いの為に子を諦めていた。

 だから故あって預かったソウセツに本当の愛情を注ぎ、子供が好きで良く面倒を見ていた。

 義母に本当の子ができるとしても、ソウセツは何の不安も抱いていなかった。

 義母が注いでくれたものは、疑いも無く本物であり、これからも変わらぬと判っていた。

 ツレの母親に手を出すなと、フィリオネスをからかいながら、フィリオネスの守護騎士でお堅いリグライドにも無理矢理に飲ませて、三人ともべろんべろんによって立てなくなるまでに泥酔するほど祝杯を重ねた。  


『ソウタ。あんたお兄ちゃんになるんだから、おしめの替え方ぐらい覚えときなさいよ……ユイナさんとの間にあたしの孫が生まれたら、その時はお婆ちゃんがやったげるから』


 男が所帯臭いことなんてやれるかと嫌がる自分の首根っこを押さえてからかう義母の幸福そうな笑顔。

 最後の笑顔を思い出したソウセツは血が滲むほどに強く拳を握る。

 その待ち望んでいた子は、封じたはずの呪いが活性化したことで化け物と変貌し、義母は内側から食い破られる事になった。

 母として我が子を救うため、我が子に母殺しの罪を背負わせぬ為に、自らの残った命を振り絞り、我が子の命を絶ち、己の命を絶った。

 あの絶望が、あの無残な死に様が、ソウセツを、フィリオネスを変えた。

 あの日から目標は使命となった。

 成すべき事では無く、成さなければならない事になった。

 長かった髪を切り落としたソウセツは、酒も賭け事も全て絶ち、ただ鍛錬を積み、その名に恥じぬ武を求めた。

 ロウガを守る者として生きるとソウセツは誓った。

 思い人と、我が子を失ったフィリオネスは、そのトラウマによって子を成すことが出来無くなり、今も子のない皇帝として様々な誹りを受けている。

 だがそれでも民と共に歩く皇帝として生きている。


「だがでしたら、何故、何故にあの娘はここに、ロウガにいるのですか。それにあの娘の瞳は蒼くはありませんが、ナイカ殿は龍王の力と気配と断言しています」


 1つの回答がさらに多くの疑問を呼び、その疑問が更なる数多くの疑問へと至る道を開く。

 先ほどまではうっすらと察したと思っていた自分の推測が全くの勘違いだと、ソウセツは認めざる得ない。

 知れば知るほどに、その正体や目的が不明となる謎の存在としかいいようが無い。


「ソウタ……先ほどいろいろと要請が来ていると伝えたな。断りの良い返事を思いついたので今はそれを返している最中だ」


 狼狽するソウセツを落ち着かせるように、名を呼んだフォールセンは、ゆっくりとした口調で、話題を変えた。

 祖父が意味が無い話題の転換をするはずが無いと知っているソウセツは、動揺をその意思の力で押さえ込み続きを促す。


「どのように返答をなさっているのですか」


「最後の弟子をとることにしたと。その為に時間は取れないと……私の剣技を全て伝える事が出来るほどの天才に出会えたとな」

 
 フォールセンがその戦いの中で生み出した剣技や魔術、闘法は数多くの国で研究され、流派として伝えられている。

 だがそれは全てフォールセンのもつ武の一部を切り取った断片。

 技術体系1つに絞ってもその分野全てを体得するのは困難であり、誰も真似が出来ないほどの万能の天才。

 それほどまでに隔絶した才を持つ者。

 それが大英雄フォールセン。

 そのフォールセンが編み出したいくつもの技術体系の中でも、もっとも高名な物は、1対多をとする剣技『フォールセン二刀流』

 常に多数のモンスターと死闘を繰り広げる事になった暗黒時代において、フォールセンが最後まで生き残り、双剣の二つ名を得た大英雄の代名詞たる剣技。


「剣士殿は、私でも考えつかぬ思惑と、思いの中で生きている。この老いぼれの名と技でも、少しばかりはその身を守る盾となろう」


 テーブルの上に置いた懐剣を見つめたフォールセンが、誓いを口にする。

 大英雄最後の愛弟子。

 その称号が持つ意味は少しばかり等という物では無い。

 それを多少と呼ぶのは、フォールセンの謙遜か、それともそれさえも多少としか呼べないほどの混乱がこの先に待ち受けているのか。

 フォールセンがみせた決意の色に、ケイスと真正面から向き合うという宣言に、ソウセツも覚悟を決める。

 下手に調べようとすれば、藪を突く事になり、あの時の悲劇が再来するかも知れない。

 だから今はただ受け入れるしか無い。

 あの娘の正体が何かは判らない。判らなくなってしまったという事実を。

 その上であの存在が混乱を起こすなら、この街を守るソウセツは、混乱を抑え静めるだけだ。


「そうですか……ならば私はロウガを守る者として、あの者の前に立ちふさがりましょう。このロウガを乱す者は何があろうとも私が止めてみせます」


 フォールセンがその立場と剣技をもってケイスを守る盾となると言外に誓っている。

 ならばソウセツはその暴走を止める箍となろう。

 何をしでかすか判らない不確定要素を力尽くで止めてみせよう。

 それが結果的にケイスと名乗る、親友の血を引くかも知れない娘を守ることになると信じ新たな誓いを、義母が残した懐剣へとソウセツは立てていた。






















「少しお時間はいいかい。海運ギルド長様」


 シドウ本家最奥。

 物理的にも魔術的にも守られたはずの己の私室に突如響いた女の声。

 だが異母弟が起こした事件で近隣関係者に送る詫び状をしたためていたミカミ・シドウはその登場に驚いた様子もみせずに手紙を書き続ける。


「貴女ですか。ご苦労様でした。おかげさまで優秀な又甥を、シドウ本家に無事に迎え入れることができました」


 髪は真っ白に染まり高齢となっているが、その目の色は知性的で、遥か先を見据えていた。

 又甥の優秀さは聞き及んでいたが、その祖父である義母弟が問題行動の多い難物だったために、他の者の手前、優遇するのは難しかったが、それも今は変わった。


「鼠の資料が見つかるなんて想定外もいいところだが、こっちの失敗は失敗。大事になったんだ。挽回くらいは喜んでさせてもらうよ」


「多少の傷はつきますが、古き枝を取り去り、若芽を受け入れたと思えば十分でしょう」


 当初の計画では事は表沙汰にならず、証拠のみを突きつけセイカイは内々で処分しながら、セイジを引き入れる予定であった。

 いろいろと思惑違いのこともあったが、結果的には良い方向へと収束したといえる。

 本家で預かったセイジ・シドウは療養が終わり次第、来期の探索者を目指す事になる。

 セイジの弁護で今期を見送ったロウガ王女のサナと共に。

 金を払った吟遊詩人達が広めている又甥達の詩もそれなりに好評で何より。

 払った金は口止め料も含めてそれなりの大金ではあるが、傷ついたシドウの看板を修復すると考えれば安い物だ。


「くくっ。さすがシドウの長。先を見据えていられるご様子。盲目的だった弟殿とは大違いだ」


 ローブの端から出た赤銅色の髪を弄りながら意地悪く笑う魔女の言葉にも、なんの感慨も無くミカミは筆をしたため続ける。

 切り捨てることになった異母弟に対する兄弟としての思いはあるが、それはシドウの長としては些細な感傷。

 シドウはロウガの発展を望む者。

 狼牙ではなくロウガを。

 そこをはき違えていた異母弟は残念だが、その血筋が残した縁は、かつて無いほどにロウガ王家と繋がる道が見えたので良しとするべきだろう。

 象徴といえどロウガ王家には高い価値がある。

 美味く結びつければ周辺国家、地域からさらに人と富を呼び込む起爆剤となろう。


「セイカイはそれなりに優秀でしたが、あまりに東方王国に拘りすぎるきらいがありましたので扱いに困っていましたので、今回はいい機会でした。報酬のお話ですね。そちらのテーブルの上に置いてあります。さすがに本物をお渡しする訳にはいきませんので写しですが」


 ミカミは真新しい紙に書き綴られた分厚い書類の束をペンで指さす。

 龍によって壊滅した東方王国の文武百家の中、唯一大陸外にまで拠点をもっていた紫藤家が伝える東方王国時代の文書群の写し。

 税の取り立て記録。

 街道補修の人員派遣。

 飢饉の領地への他領地からの米の貸し付け記録等々。

 細かく雑多な記録は、東方王国時代の生活を鮮やかに浮かばせる物で、東方王国時代の遺物を集める好事家や歴史研究家ならば驚き寝食を忘れ読みふけるかもしれない。

 だがそれ以外の者にはあまり面白味が無い資料の類いだ。

 そんな埃を被った記録を報酬として提案し、ミカミに接触してきたこの策謀家がなにを考えているか?

 そんな物にミカミは興味は無い。

 ロウガにとって有益か害か。

 それだけだ。

 相対的に見てシドウの力が弱くなろうとも、新規の商家が増え、競争が増えロウガが潤うならば、喜んで受け入れよう。

 ロウガを発展させる。それだけがシドウの存在意義であり、その前では他に意味は無い。


「確かに。いろいろと調べなきゃならないから、失礼させてもらうよ」


 ぱらぱらと中身を確認した魔女は、すぐに帰るつもりのようで、魔力の篭もった目を怪しく光らせる。


「はい。ご苦労様でした。ロウガに恩恵をもたらせるようなお話でしたらいつでもどうぞ」


 これもロウガを発展させるための取引。

 初めて手を止めたミカミは。取引相手の魔女に対し、深く頭を下げ見送ることにする。

 取引相手には誠実であれ。

 それが外交に手腕を発揮し、商売人としての顔も持つシドウの家訓。

 その信念に従い生きるミカミの目や声には、悪意という感情は一切含まれてはいなかった。














「うむ……ぴぃっ!」


 ベットにうつぶせになったケイスは腫れ上がった尻の状態が気になってそろっと手を伸ばしてはみたが、触れた瞬間に生じた痛みで思わず変な声をあげてしまう。

 以前ならばこの程度ならすぐに回復できたが、今の状態では気にならないほどになるには数日かかるかも知れない。

 すでに夜も更けているのに痛くて眠れないので、窓から顔を見せた月を暇つぶしに見上げる。

 今回の件はさすがにケイスも反省している。というよりも懲りた。

 元々どうにも逆らいがたかったが、今回の件で完全に折れた。

 祖母達や従姉妹と同ランクの怒らせてはいけない人物にランクインだ。

 レイネは絶対に怒らせないようにしよう……なるべく。

 譲れない物がある時はどうしてもだが、それ以外はそうしようと心に誓う。


「んむ。叱られるのはやはり嫌だが、心地よくはあるな」


 痛いし、眠れないが、別に嫌な気分では無い。

 これが敵意や悪意のある人物からの攻撃であったならムカムカして斬ってやろうと思う。 

 だが叱ってくれる人達からの痛みは、自分を心配してくれた証だと教えられていたケイスは素直に受け入れることにする。

 自分を心配してくれる人がいる。それが嬉しい。

 実に単純なケイスの思考は、幼少時の人生経験の偏りや人との関わりの少なさによって形成され、今では染みついている。

 味方か。敵か。

 実に単純かつ明瞭な判断基準がケイスの基本だ。

 だから叱られても、怒られても嫌いにはならない。

 自分を心配してくれている人は味方だからだ。

 だが、

 だが、

 だがだ。何故心配する?

 それはどうしても思ってしまう。

 心配してくれる人がいるのは嬉しい、嬉しいが、心配されるのが少し寂しい。

 ケイスはいつだって出来無い事をしているのでは無い。

 自分ができると判るから、自分なら大丈夫だからと判っている。

 それなのに、それはいくら口に出して言おうが、実際にしてみせようが、いつまでも中々信じてもらえない。

 できる訳がない。

 たまたま上手くいった。

 そんな答えがいつだって返ってくる。

 それが少し寂しくて、少し嫌だ。


「鍛錬はしたいが怒られるのは……うむ。何か良い方はないか」


 ケイスは天才だ。

 己の才を誰よりも知っている。誰より理解している。

 だからこそ常に鍛錬を、努力を積まなければならない。

 天才ならば、必死の努力などをせずとも才を発揮できる。何でもできるはずだという者もいるだろう。

 しかしそんな者を、ケイスは天才などと思っていない。

 それは単に少しばかりの才能があるだけだ。

 何の努力も鍛錬もせずに全てを引き出せてしまう程度の、底の浅い才能を持つ者をケイスは天才などと呼ばない。

 天才たるケイスの中には、天才たるケイスが全身から血を流し、死ぬほどに自分を追い込んでも、使い切れない、引き出しきれない才能がまだまだ眠っている。

 その深さ、領域、限界がどこまであるのか、天才たるケイスにすら判らない。

 そもそも自分の才に限界があるのかすらケイスは判らない。

 だから努力する。

 己の力を引き出すために。

 己が求める最強を求める為に。

 自分はもっと強くなれる。強くなれるはずだ。

 だから今の強さにケイスは固執しない。

 魔力を捨て去っても、自分は強くなれる。

 争う龍の闘気に身体をぼろぼろにされ、今も闘気をまともに練れなくても、自分は強くなる。

 強くなれる。

 それは強がりでは無い。

 事実だ。

 純然たる絶対なる事実だ。

 あの最後の一撃がケイスにそれを確信させる。

 石垣崩しによってみせた破壊力は、あの時のケイスの限界を遙かにしのぐ力。

 龍王の血を抑えてきたケイスでは届かなかった領域。

 だが龍の血を開放すれば、届くことが判った。

 そちらの方が強くなれると理解した。

 なら進むだけだ。

 ならば強くなるだけだ。

 果てなど無い。

 いつか世界でもっとも強くなっても、そこには自分がいる。

 今の瞬間に最強だったケイスがいる。

 だから自分はそれを越える。

 最強の自分を越える最強になる。

 飽くなき強さへの慟哭は、乾きは、ケイスの本質。

 龍の中の龍たる龍王。

 この世の最強たる龍王さえもケイスにとっては通過点でしか無い。

 しかし龍王をも超える龍王を目指すケイスの心情を理解が出来る者などこの世には存在しないのかも知れない。

 ケイスが絶対の信頼を置く剣であるラフォスさえも、最後の一撃を放つときは必死に止めてきて信じてもらえ無かった。

 死ぬから止めろと心配された。

 自分ならば制御できると、ケイスは信じ確信していたというのに。

 心配されるのは嬉しい。

 だけど心配されるから寂しい。


 何故この世界には自分の言うことを、自分が天才だと真の意味で判ってくれる者はいないのだろうか?


 だがその寂しさこそがケイスを人として留める。

 いつか全てを理解してくれる人がいるかも知れないと思い、それを望むからケイスは人が好きで、この世に絶望をしていない。

 全てを喰らう最悪の龍王にはならずにすんでいる。

 だがケイスは知らない。

 ケイスが望む先にこそ真の絶望があることを。

 いつか得られるかも知れないという幻想があるから、ケイスは絶望せずにすむ。

 だが一度手に入れてしまえば、真の理解者を手に入れそれを知ってしまえば、それを失ったときケイスは耐えられなくなる。

 絶望に沈み、その寂しさを紛らわすために、唯一ケイスが他人を真の意味で感じられる剣に狂う。

 理解してもらえぬ絶望に苦しみ、理解する渇望を満たす為に、世界を敵に回し、全てを斬り尽くすまで止まらぬ。

 世界を喰らい尽くす最悪の龍王となる。


「ん。となればまずは初志貫徹だな。フォールセン殿に弟子入り。技をもって制せば良い」


 心たる魔術を失おうとも。

 体たる闘気に支障が生じようとも。

 類い希なる天才性をもって技を身につければ良い。

 己の運命を、真の絶望を知らぬ幼き龍王は、懲りずにいろいろと暢気に考えていた。











 神の一柱にミノトスという迷宮神がいる。

 彼の神が司る迷宮は、人に試練と報酬を与える。

 その試練と報酬を司る迷宮は、いつかこの世に起きる災厄に人々が立ち向かう力を得るためにあると、彼の神の神官達は謳う。

 現にかつて存在した迷宮を踏破した者が、その後に起きた大災厄を食い止め、討伐して英雄となっている。

 そして役割を追えた迷宮は死して、ただの洞穴となる。

 それこそが神の決めた定め。

 この世の摂理。

 しかし現在稼働する世界で唯一の生きた迷宮はその摂理から外れている。

 トランド大陸全域に広がり、今も拡張を続け史上最大の大きさと難度を誇る大迷宮群『永宮未完』

 この迷宮が生まれ、既に相当の年月が過ぎたが、迷宮は未だ健在。

 彼の暗黒時代を越えても、『永宮未完』は止まらず拡張を続けている。

 歴史学者、神学者、高位神官が幾人も集まり、話し合い、調べてもその答えは出ない。

 迷宮神ミノトスが何故今も迷宮を拡張し続けるのか人は理解が出来ない。

 だがそこに確かにある恩恵は魅力的なのは変わらない。

 ただ己の欲望を叶えるために迷宮に挑む者が増えたと嘆く神官がいる。

 迷宮に挑む探索者達が技術的にも精神的にも質の低下が目立ち、度々取りざたされるのもその為だ。

 『永宮未完』にはそれに相対する『大災厄』が存在しないからだと。

 しかし彼らは知らない。

 龍王をも超える龍王となるべき存在を。

 常に拡張を続け変わり続ける『永宮未完』に相対し、常に強さを求め続け決して止まらない『永久未完』である剣士を。

 その永遠に未完成たる故に最強の龍王が、歴史の表舞台に躍り出て、更なる騒ぎを引き起こすのは、もう少し先の話。

 最強たる道をひた走る事になる剣士のお伽噺は、数ヶ月後、ロウガ地方の始まりの宮『龍王湖』から幕を開ける。



 永宮未完第一部完



 旧バージョンを消して書き直して、足かけ7年くらいでしょうか。
 ここまで書いても探索者にならぬまま1部完ですw
 1部完といっても展開は考えており、エタりませんでこれからもお付き合いいただけましたら幸いです。



[22387] 第2部 挑戦者の日常 前日夜~早朝
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/07/17 20:45
 少しばかり雲がかかったうっすらと暗い月明かりの元、ケイスは右手に剣を持ち自然体で立っていた。

 相対するのは大英雄と呼ばれるフォールセン・シュバイツァー。

 数多くの二つ名の中で、もっとも高名であり代名詞である『双剣』を体現した、長剣を二振り、フォールセンは持っている。

 夜も更けてきたフォールセン邸の裏庭。昼間には孤児院の一部の者達が、剣技を習得する鍛錬所も、この時間には人気はない。

 頂上の月しか観戦者がいない夜のこの場所こそが、天才達にとっての修練の場となっている。


「ケイス殿。では打ち合おうか」


 息を整えたフォールセンが短く告げる。どういう形式や型で打ち込むなどの打ち合わせは必要ない。

 ただ剣を打ち合わせる。それだけで自分達にとっては十分だと両者共に知るから故に。


「うむ。参る!」


 フォールセンの誘いにつ頷いて、同じく短くかえしたケイスは、息を止め、低い体勢で一気に踏み込む。

 フェイントは意味が無い。フォールセンの剣技を、剣筋を見極めるために、ただシンプルに、愚直に突っ込む。

 引き絞った右腕を繰り出しながら、数ヶ月前の自分からすれば、児戯にも等しい速度と威力しか無くとも、今放てる最大最速の突きをただ無心に打ち込む。

 空気を切り裂く切っ先が鋭い音を奏でて突き進む。

 しかしフォールセンが繰り出した右手の剣によって、ケイスの打ち込んだ切っ先はあっさりと受け止められる。

 それどころか、切っ先を激しく打ち合わせたはずなのに、手応えが無い。抵抗すら感じず、それなのに威力が殺される。

 気づいたときには体勢が崩され、フォールセンが左手で繰り出した突きが、首筋へと向かって飛んで来ていた。

 ケイスは首筋へと向かう剣に合わせ、己の剣を跳ね上げる。迫る剣に絡め打ち上げて、剣を弾き飛ばそうとするが、剣筋を乱すことはできたが、また先ほどと同様に威力がかき消されてしまう。

 跳ね上げた剣の威力のままに、今度は最初の突きを受け止めたフォールセンの右手の剣が下から跳ね上がってくる。

 跳ね上がってきた剣を掠めながらも身を捻って交わしつつ、一歩前へとケイスは踏み込む。

 しかしフォールセンはケイスが踏み込むのが判っていたのか、ケイスが踏み込んだ時には同じ歩幅だけ下がっていた。

 未だ間合いには届かず。

 フォールセンの体勢を崩すために、仕方なくケイスは連撃へと移行する。

 剣を立て続けに繰り出し、突き、薙ぎ、そして振り下ろす。

 だがケイスの剣は、全て左右の両剣のどちらかに合わせられ、一瞬の間も置かず反対側の剣が同じ勢いと速度でケイスに返ってくる。

 何とか反撃の一撃を躱し、凌ぎ、前へと進み、さらに剣戟を繰り出すが、フォールセンを斬れる間合いには届かない。

 後1歩。ほんの1歩。だがそれが届かない。

 一方でフォールセンは、自らは先手は打たず、ただケイスの剣を受け止め、受け止めた剣と反対側の剣を繰り出し続けるだけだ。

 だから端から見れば、互いに攻撃を繰り出し合う一進一退の攻防と見えるかも知れない。

 しかしケイスは気がついている。自分はフォールセンの思うままに剣を振らされているだけだと。

 息づかい、目の動き、足運び、剣裁き。自分の全てが読まれている。

 剣の天才たるケイスが思考の末に、ここで剣を打ち込むという機微が、全てフォールセンに読まれ、さらに誘導されている。

 ならばと、わざとタイミングを遅くずらしても、普段ならば選ばない悪手を繰り出そうとも、それが全て完璧に防がれ、全てが通じない。

 剣を打ち込んでも、簡単に抑えられ、剣を返され、それを何とか凌ぎ、何とか攻撃を繰り出す。その流れを延々と繰り返す。
 
 ケイスの体力が尽きるか、老体のフォールセンがきつくなる時間が来るまで。

 激しいながらも、両者の体力的に5分程度しか無い短時間の稽古。

 フォールセンに剣の手ほどきを受けるケイスが行う鍛錬は、限られた時間を無駄にしないため剣を打ち合わせるだけという、単純なものだった。 









 日が昇る気配を察し、ケイスは意識を覚醒させる。

 目を開くと同時に、既に身体に染みついている無意識の癖として周辺の気配を探る。

 異常無し。そう確信してからケイスはベットから身を起こすと、眠る間左手に握っていたお守りでもある懐剣を、ベットテーブルに置いてあった鞘に仕舞う。

 以前の事件の際に、鎖が千切れて壊れてしまったが、フォールセンがわざわざ古式細工に詳しい銀細工職人に修理を依頼してくれて、つい先日手元に戻ってきたばかりだ。

 銀製の懐剣は、短くて脆いので心許ないが、剣の一本でもあると無いとでは、寝付きが違う。

 剣があるとやはりゆっくりと熟睡できる。


「ん……お爺様。おはようだ」


 短剣を首に掛けてベットを出たケイスは伸びをして体調を確かめてから、壁に掛けてある愛剣である羽の剣を手に取り、剣に宿る意思であるラフォスへと朝の挨拶をする。


『……』


 だがラフォスからの返事は無い。それは当然だ。今ラフォスの意思は深い眠りについている。

 それを示すように、ケイスの手の中にあっても、羽の剣は柳の枝のようにだらりと垂れ下がり、重さもほとんど感じさせない素体状態のまま。

 羽の剣は使用者の闘気を受け、その能力を覚醒させる闘気剣。

 だが今のケイスには、剣へと闘気を送るどころか、日常生活を行うだけの基礎的な闘気を生み出すだけが精々。ラフォスの意識を発現させるには到底足りていなかった。 

 前期の出陣式の日以来、ケイスはラフォスと意思の疎通をする事ができずにいる。

 少し口うるさいが、紛れも無い自分の祖の一人であり、何より剣士たる自分の愛剣。

 返事を返してくれないことが、喋れない事が少し寂しいが、それでも朝の挨拶を止める気は無い。

 自分だったら例え喋れずとも、眠っていようとも、誰かが声をかけてくれたら嬉しい。だから続けるだけだ。

 羽の剣を壁掛けへと戻したケイスは、動きやすい服に着替えてから、長い黒髪を無造作に後ろでまとめて縛る。

 手早く身支度を調えたケイスは、最近始めた日課を行うために、自然体で立ち、ゆっくりと息を吸う。

 以前ならば何の気にもせず自然と行っていた丹田を用いた闘気変換を行うために、極々少量の生命力を丹田へと送っていく。

 しかし少しだけ力を回した瞬間、全身に鈍い痛みがはしり、皮膚が毛羽立つ。このまま続ければあの時の二の舞になるのは考えるまでも無い。

 すぐさまに遮断し、大きく息を吐いて力を抜く。

 ほんの一瞬だったのに全身に広がる鈍痛と噴き出す冷たい汗。

 この様では、到底闘気による肉体強化など出来るはずも無い。

 頬を伝わり落ちて来る汗を右手でぬぐおうとして、

 
「っぅ……むぅ。やはりまだダメか」
    

 上げた腕にも痛みを感じるのでそこを見てみれば、僅かだが血管が切れたのか、二の腕の辺りが、皮膚下で内出血し青黒く染まっていた。

 もう少し力を入れていれば、皮膚が裂け、流血していたのは間違いない。

 御せない力が自分の中にあるのは実に気にくわない。だが、天才たる自分でも御せないほどの力があるのは僥倖とケイスは思うことにする。    

 闘気による肉体強化とは加算では無く倍掛け。素の力が強ければ、強いほど、同量の闘気で強化できる力は上がる。

 今は身体に眠る異なる龍種の血が暴れる影響で、闘気を練ることは出来無いが、いつかはその力を完全に取り戻すと決めている。なら力を取り戻すその日まで、鍛錬あるのみだ。


「ではお爺様。鍛錬にいってくるぞ」


 部屋を出る前に羽の剣へと向かって挨拶をしてから、早朝鍛錬を始めるためにケイスは部屋を出て行った。






 居候させてもらっているレイソン邸の前庭へと出たケイスは、日課の早朝稽古を開始する。

 右手に細身の刺突剣。左手にはナックルガード付きの凹凸の刃を持つ短いソードブレイカーナイフ。

 両手に剣を構えたケイスはゆっくりとした動作で剣を動かし型の練習をする。練習用に刃引きして潰してあるとはいえ、剣自体は本物。今の力が落ちたケイスには些か重い。

 さらにいえば一度切断して、再生した左手の握力は、まだ素の力さえ完全には戻っておらず、右手に比べかなり弱くなっている。

 剣を取り落とさないようにするだけでも一苦労だ。

 攻めに意識を2。防御に8。一方的に攻撃を受けていると仮定し、相手の攻撃を左手のソードブレイカーで絡め取り凌ぎながら、右手の刺突剣エストックを鎧の隙間を狙い突き立てる。

 相手の打ち込みを受け止め、突き込む。単調なその流れを飽きること無く繰り返す。

 稽古を始めて10分ほどしか経っていないが、既に全身から汗が出て、筋肉が痙攣を始めている。肉体的に幼いケイスにはきつい、だがきついからこそ鍛錬となる。

 しかし怠くなってきた腕では、太刀筋を維持するのさえ精一杯だ。

 
「むぅ……もう一度だな」


 自身が思い望む理想とはかけ離れた剣筋に、ケイスは眉根をしかめる。

 受け止めようとしても、想定する相手の力が強ければ、すぐに体勢が崩される。
 
 崩れた体勢のままに打ち込む突きでは、装甲の薄い関節部すらも貫く事は出来無い。

 しかも今はやっていないが無理矢理突き込むために体勢を崩しているので、その後に繋がらない。

 これはケイスの望む剣では無い。だがこれこそがケイスの今の剣だ。
 
 闘気による肉体強化が不可能となり、いくつもの力を失ったことで、戦い方を変更することを、ケイスは余儀なくされていた。

 今までならば、闘気による力任せの強化で、己の持つ最大の剣技を繰り出し、いくら怪我をしようが獣人にも匹敵するほどの治癒能力で、戦闘後に身体を癒やせばいいという無謀すぎる戦法。

 しかし今のケイスにはこの戦法は使えない。特に治癒能力が大幅に低下しているのが痛い。
 
 今までの肉を、骨も切らせてでも、命を絶つという戦い方では、己は敗北するだけだとケイス自身が誰よりも理解している。

 己が習得する流派のうち、最大の攻撃力を持つが、闘気による肉体強化を前提とし、ケイス自身への負荷も強い邑源一刀流は当面の間は封印するしかない。

 もう一つの剣技であるレディアス二刀流であれば、そこまで肉体負荷は強くないが、どうしても己の系譜や出自を探られる上に、二刀で長時間の戦闘をこなすにはある程度の筋力や持久力を必要とする。

 だからこちらも短期決戦ならばともかく、多様は出来無い。

 やはりそうなると求めるべきは、レディアス二刀流の源流ともいうべき、大英雄が生み出したフォールセン二刀流。

 昨夜の鍛錬を思い出し、型を再開しながら、ケイスは思考する。

 打ち込んだ剣が全て同威力で返ってくるという体験は、ケイスをしても初めての物だ。

 フォールセンの従者でもあった祖母のカヨウが生み出したレディアス二刀流にも、相手の剣を返す同様の闘法はあるが、その次元が違いすぎる。

 フォールセンの闘法とは、極論でいってしまえば相手の全てを、自分の意のままに操り、相手の攻撃の威力を己の物とし、最小限の力で、最大限の効率を発揮する戦闘剣技。

 その理屈は判るが、自他共に剣の天才と呼べるケイスをもってしても、フォールセンの闘法を模倣するのは、かなりの難度だ。

 形だけは真似できても、天才たるからこそ判る真髄が遠い。今の段階では利用できる相手の打ち込みは一定の型に限られ、しかも一対一という状況。

 だがフォールセン二刀流の真の形は、この闘法を1対多で使用できることにある。

 戦場全てを己の剣の支配下に置き、全ての敵を屠り必ず生き残る攻防一体であり最小の力で最大の威力を出せる剣技は、力を失ったケイスが今求める理想の形といえる。

 しかしその入り口はフォールセンに手を引いて貰う事で、ようやくおぼろげだが見え始めたばかり。先は長く、その終着点を今のケイスでは見通す事も出来無い。

 だがそれも当然。開祖たるフォールセンとて何千、何万もの戦場を越える中で生み出した剣技。

 しかもフォールセンの才覚は、天才を自負するケイスさえ上回るかもしれないほどの才。そう簡単に真似などできるわけが無い。

 故にフォールセンが使う闘法の一部の理屈理論を受け継いだ流派はあれど、完全な意味での後継者は、いまだ誰もいない。

 それほどの天才が生み出した剣技。唯一無二かも知れない剣。
    
 だが、ならばこそ、自分が受け継ぐ。

 天才が生み出した剣技を、天才たる自分が受け継ぐ。

 自分が憧れ、そして実際に出会い、さらに敬愛を強めた大英雄の剣技を全て喰らい尽くす。

 自らの強さを求め続ける傲慢にして貪欲な化け物たるケイスにとって、大英雄フォールセンの剣技とは、この世で最上の餌以外の何物でもない。

 飽きること無く1つの型で剣を振り続ける早朝稽古をケイスが延々と続けていると、


「ケイちゃんおはよう! 朝ご飯ができたから運ぶのお願いね」


 前庭に面したキッチンの窓が開けられ、そこから顔を覗かせた女医のレイネが、朝の挨拶と共に朝食の準備が出来た事を伝える。

 香草や焼いた肉の匂いがキッチンからは漂ってきて、ケイスのお腹が小さくなって空腹を訴えた。


「ラスト! ……うん。おはようだレイネ先生。すぐにいく」


 最後に渾身の力を込めて剣を振り切ったケイスは、笑顔で挨拶を返すと剣を下ろして、早朝稽古を終了した。



[22387] 挑戦者の日常 朝~昼
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/07/17 20:45
 近くのパン屋で焼かれる堅めの胚芽がたっぷりと含まれたパンを手に取り、ケイスは口に頬張る。茶色いパンは少しだけ甘みがあるが、甘党のケイス的には少し物足りない。


「ん……レイネ先生少しだけ甘みを足してもいいか?」


 テーブルの対面へと座るレイネ・レイソンに伺いながら中央の木イチゴジャムやアザリア蜂蜜の瓶へとケイスは手を伸ばす。


「どちらもスプーン一杯までね。糖分が多くなりすぎると薬効効果が落ちるから」


 本来ならジャムと蜂蜜をどっぷりとつけて食べたいところだが、ケイスの健康状態に目を光らせる主治医のレイネの指示では従うしかない。

 ほんの少しだけ山盛りにするだけで我慢する。


「ケイス。パンばかりじゃなくて野菜とか肉も多めに食っとけ。闘気強化が無理となりゃ肉体を鍛えねぇと小刀1つ振り回せねえぞ」

 
 ロウガ近郊の牧場で飼育されているウサギ肉の香草焼きを厚めに切り分けた、ガンズ・レイソンがケイスの小皿へと盛りつける。
 
 ロウガ港に水揚げされる小魚を用いたスープにも、肉料理と同じく薬草や香草が多く使われている。

 どちらも香りはいいが、苦味も強いので最初は苦手だったが、ここ数ヶ月でさすがに慣れて来た。今では拒否反応も無くパクパクと食べれる。


「うむ。筋力強化は急務だな。突き技主体にいくつもりだが、速さを出すためにも質の良い肉体が欲しいな。ガンズ先生くらいまではいかずとも、腕の筋力が倍は欲しい」


 筋骨隆々といった鍛えられた肉体のガンズをみてから、自分の二の腕に目を向けたケイスはその細さと頼りなさに不満げに頬を膨らませる。

 ケイスの目指すべきは最強の剣士。愛らしいや可愛らしいといった慣用句を纏うよりも、鋼のような肉体と例えられるほうに心引かれるのは仕方ない。


「俺から云わせりゃ、年齢やら体格を考えれば十分だがな。それに剛力派よりも技巧派向きだ。お前の場合は」


「技は鍛えるのは当然だ。だがそれでもやはり基礎となる肉体が強ければ強いほど良いではないか……なんで同じ食事を食べているのに先生の方が肉体強化が進むんだ。ずるいぞ」


「元が違うんだから仕方ないだろ。それよりこれもやるから、ささっと食っちまえ。お前も今日も仕事があるんだろ」


 まだ幼いながらも数年後には絶世の美女となる確信を十人中十人が即断するほどの、美少女から向けられる嫉妬の目線にガンズは呆れて返しながら、仕方なく自分の皿からウサギ肉を一切れケイスの皿へと移してやる。


「うむ。フォールセン殿からの紹介だ。しっかりと働くのはもちろんだが、食費くらいはちゃんと収めれるように頑張るぞ」


 不満げだったケイスは、増えた肉をみてすぐに満面の笑みに変わった。その笑みは誰もが振り返りそうになるまさしく天使の笑み。


「レイネ。ケイスが出るときは顔をしっかり隠させろよ。また人さらいでも招き寄せたら面倒だ」

 ある程度動けるようになってから、ケイスが手伝いを望むので近くの市場へと買い出しに出して起きた初日の騒動を思い出しガンズはゲンナリとする。

 見た目だけなら幼いが深窓の令嬢然とした美少女で注視を集める容貌。そしてその美少女の極上の笑顔がお駄賃に渡された林檎一個や、試食に食べさせてもらった肉一枚で出てくるのだ。

 笑顔を安売りしすぎだと嘆くべきか、根が純真すぎると心配すべきか微妙なところ。
 
 そんな一見騙しやすく連れ去りやすそうなケイスをみて、不届きなことを考える不貞の輩が出るのは仕方ないかも知れない。

 もっとも力を失おうが、その中身は美少女風化け物。


「心配してくれるのは嬉しいが、ガンズ先生は心配症だな。無手と云えど私があの程度の者にどうこうされるわけがなかろう。あの手の輩は私の容姿で油断するから容易いぞ」


 返り討ちどころか、むしろ不届き者に同情したくなるほどに一瞬で徹底的に叩きのめして、急所を潰し男に生まれてきたことを後悔させた化け物はあっけらかんと笑う。


「ケイちゃんが暴れると、治安警備隊の人もいろいろ大変だから変装はしっかりさせますね」


 正当防衛とみるか過剰防衛とみるか。だがどちらにしろ悪意ある相手だったのは間違いないが、すぐに手が出るというのも生やさしい武断な論理感は異常のひと言だ。

 だが少なくともケイスが無辜な相手には暴力的ではなく、むしろ友好的に接する人懐っこい性格だと、この数ヶ月共に暮らして理解したレイネは、なるべく騒ぎを招き寄せないようにするのがベストだと判断していた。

 さわやかな朝食の場には多少ふさわしくない物騒な話を交えながらも、レイソン邸での朝の日常となった光景はいつも通りすぎていった。


「ん。ごちそうさまだレイネ先生」


 闘気による胃腸機能の強化が使えず、食べれる量は以前の1/10もいかないので、感情的には少しばかり物足りなさを覚えるが、肉体的には腹八分目と判断したケイスはスプーンを置くと、食事を作ってくれたレイネへと頭を下げる。


「はい。お粗末様でした。ケイちゃんすぐに出る?」


 血流促進を意識した薬膳料理の効果で、全身がぽかぽかと暖かい。

 普通だったらこのまま腹ごなしに鍛錬といきたいところだが、今の自分は好意に甘えている居候だと、さすがに傍若無人なケイスといえど理解している。

 だからせめて自分の食い扶持くらいは稼ぐのは当然の事。

 だが鍛錬を兼ねるなら山にでもいって獣を狩ってくればいいのだが、あいにくロウガ周辺の野山は狩猟許可制で、いくらかの登録料がいる上に、取れる量も決められている。

 金に困った貧乏若手探索者が、最低限度とはいえ装備が必要になって危険度の高い迷宮での魔獣狩りはなく、安物の矢で十分な安全性の高い迷宮外で獲物を乱獲した事が過去に何度もあって、動物が激減したのが原因だそうだ。
 
 地元猟師からの要望もあって、取り締まりが厳しくなって、巡回兵も回っている状況では、さすがにケイスも思う存分狩りというわけにはいかないし、レイネにばれたときが恐ろしい。

 だからこの選択は無し。

 だが鍛錬はしたい。

 そして何より斬りたい。

 自他共に認める剣士にして刃物狂いのケイスにとって、何かを斬るのは趣味や義務という類いですらなく、生態と言えるもの。

 斬らないと落ち着かないし、しばらく斬らずにいると、どうにも調子が狂う。

 かといって見た目も中身も子供のケイスでは、その才能がいくらあろうとも、斬る事に特化したアルバイトなどそうありつける訳も無い。

 求人の張り出しがあった街の食堂などでも、その容姿故に接客ならという返答があっても、裏方の厨房では勿体ないといわれる始末だ。

 斬れないストレスをためているケイスに、最適な仕事を紹介してくれたのは、他ならぬフォールセンだ。
 

「うむ。早めにいこうと思う。昨日に大規模な探索者連合パーティが帰還したそうで、モンスターの処理がたくさんで、今日は斬り放題だそうだ」


「……どんだけ斬りたいんだよお前は」

 
 まるで城の舞踏会に招待され楽しみにするかのような笑顔のケイスに、ガンズはこいつ大丈夫かと今更ながらの不安を抱くしかない。

 フォールセンがケイスに紹介した仕事。それは迷宮から狩られてきたモンスターを解体処理する屠殺ギルド連合共同工房での解体業務だった。




 ロウガ新市街。商店が建ち並び人の通りで賑わう表通りから、荷馬車が行き交う工房区に入って、しばらく進んだ場所にその大きな工房はある。

 高い塀に囲まれた広大な敷地。中にはいくつもの棟が立つが、その建物は全て二重扉と二重窓に塞がれ、出入り口には警備ギルド所属の探索者が常駐している。

 厳重な警備は高価な資源であるレアモンスターも取り扱っている事もあるが、匂いの流出を防ぐためや、体内に毒を含むモンスター処理のための安全対策としての意味もある。

 門には屠殺ギルドを象徴する狩りの女神アズライアの印が施され、その下にはいくつもの他業種のギルド印が刻み込まれている。

 モンスターの血から人工転血石を生成する事を生業とする転血石ギルド。

 そのままでは岩のように固かったり、微量の毒を含む肉などを食用可能処理する精肉ギルド。

 モンスターの牙や鱗、骨などを取り出し加工、魔術触媒を作成する魔術触媒ギルド。

 さらには武具、家具、宝飾等各種ギルド印が、ずらりと並ぶ。

 この複数の印が示す取り屠殺連合ギルドは、いくつものギルドが集まり共同出資して作られた商工組合であり、共同工房となっている。

 迷宮隣接都市であり、近隣迷宮群の中に探索者となるための最初の試練『始まりの宮』を持つロウガが急発展を遂げ、拡大し続けて行く中で、問題となったのは狩られたモンスターの処理だった。

 探索者に成り立ての若手達にとって、もっとも手っ取り早い金策は、原始的な狩猟採取。言葉の通り、迷宮に潜りモンスターを狩り、植物や採石を採集することだ。

 その中でも価値を見分けるために特別な知識が必要となる植物や鉱石と違い、モンスター狩りは、ほとんどの獲物が自らこっちに襲いかかってきてくれる上に、血や肉体に魔力を持つ迷宮モンスターは、少なくとも確実に金になるからだ。

 しかし年々増加する初級、下級探索者と比例して増大する持ち込み量に対して、従来のそれぞれの工房やギルドごとの屠畜処理では追いつかず、処理でき無いまま品がだぶつき、値崩れや買い叩きが横行。

 それら諸問題に対して当時の管理協会ロウガ支部長だったフォールセンが音頭をとり、それぞれ複雑な利害関係を持っていたギルド間の調整をし、合同屠畜処理ギルドが結成され、新たに設けられた工房区画中央に、巨大な共同工房が築かれていた。

 




 真冬のような寒さに保たれた工房の中、分厚い木の板でできた作業台の上では、無数の小型モンスターが次々にばらされていく。

 既に最初の処理として血抜きは終わっているので、生々しさはそれほどでもないが、そこらに腹や頭部を開かれた死骸があるのだ、一般人がみてあまり喜色の良いものでは無いだろう。

 だが斬る事に特化した既知外にはそこはまさに博物館であり図書館であり、恰好の娯楽施設。

 酷い傷があるという理由で包帯をぐるぐる巻きにして顔を隠すケイスは、両側の作業台にのせられたモンスターをみながらウズウズしていた。

 並の刃では刃が通らないほどに固い外骨格を持つスロリア大鋏甲虫。
 
 強酸性の消化液を内包した袋をいくつも不透明の体内に抱えるメルサスライム。

 金属に触れると発火する赤色鱗粉を持つ巨大蛾真朱グラセイ。

 この区画で処理されるのは些か処理しづらい、つまりは危険度が高かったり、時間がかかる物ばかり。

 厄介な分、割高の手当は出るが、基本的にこの工房では処理数=賃金となり、その上処理を失敗し使えなくなった場合は減給の対象となるでの、よほどの熟練者でなければ嫌がる区画だ。 
 みればそれぞれの作業台の前で黙々と手を動かす職人もほとんどが年季の入った風貌の者ばかり。ケイスのような小娘は異物もいいところ。

 普通なら邪魔だとすぐに追い出される事になり、実際この区画にケイスが回された初日にはガキなんて回すなと罵声も飛んでいた。

 だがこの自他共に認める天才は、そんな声を己の才と誰が相手でも変わらぬ態度で一蹴していた。


「来たかケイス。フローティア蝙蝠だがやってみるか?」


 一番気むずかしげな偏屈そうな顔をしていた職人がケイスをみて、初孫が遊びに来たような年寄りのようにその厳つい相貌を崩し、自分の横の作業台を叩き置かれていた箱を指さす

 木箱の中には真っ白な毛で覆われた綿毛のように小さな蝙蝠が、宝石を治めるように区切りをいれた箱の中に一段ごとに並べられている。

 北方のツンドラ森林地帯で群生している蝙蝠で、霜柱のように脆い身体を持つことで知られるフローティア蝙蝠は、下手に刃を入れれば、その衝撃だけで全身が崩れてしまう。

 凍結魔術で凍らせれば捕獲だけならば容易いが、処理をするとなると難しい職人泣かせとして知られたモンスターだ。


「うむ。任せろ。飛膜を綺麗に剥がして、骨と内臓を分別すれば良いのだな」


 そんな難敵に対して、老職人が切り出した部位をみてケイスはむしろ望むところと目を輝かせる。

 フローティア蝙蝠の解体に求められるのは、正確な剣筋と、適量の力配分。

 剛力を失った今のケイスに残り、そして手っ取り早く鍛え上げられるのは正確性と力配分。

 そして何より様々なモンスターの肉体構造を実際に見て、体験できるのは、剣士として生き、これからも剣士であろうとするケイスにとって値千金の知識と経験にほかならない。

 
「あぁ。よく見ておけ。こいつの内臓は部位ごとで効能が違うから混ざると使い物にならなくなる。飛膜も少しでも欠損すると著しく効果が落ちる天然魔法陣だから気をつけろ」


「ん。良いお手本とさせてもらうぞ」
 
 
 偉そうに頷きながら駆け寄ってきたケイスは、老職人が振るう一振り一振りをつぶさに観察し、その手順や、力加減を学んでいく。

 屠畜という生きものを捌くという行為に未だに偏見の目を向ける者は一部ではあるが、確実にいる。

 そうで無くとも年若い少女となれば、生きものが捌かれる凄惨な光景に目を背けたり嫌ったりする者が多い。

 だがケイスは違う。

 初見ではかなり小生意気な言動をみせる生意気な小娘だが、その言動にふさわしい実力と才能、そしてそんな言動に反して、卓越した技術を持つ職人達への、確かな敬意を向ける真っ直ぐな瞳。
 
 誇るべき自分達の技術をしっかり評価し、さらに学ぼうとする少女が同じ場で働くことに、異議を唱える者はこの中には既にいなかった。

 昼を少し過ぎるまで、思う存分に刃物を振るい、新しい技術と知識を水を吸う砂のように吸収したケイスは、お土産代わりにもらった様々な鱗や骨を手に、次の日課であるルディアが働いている薬屋へと向かっていった。



[22387] 挑戦者の日常 昼すぎ
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/07/25 01:45
 昼休憩に入ったフォーリア工房。

 扉に休憩中の札が掲げた店内では、店主のフォーリアとアルバイトのルディア。

 そしてただ飯目当て、もとい、あまり聞きたくない情報をもって来たウォーギンが卓を囲んで食後の茶を飲んでいた。


「いくら何でもこの値上げは横暴すぎない?」


 テーブルの上の紙に書かれた、何度見ても変わらない数字にルディアは腹立たしさを覚えながらぼやく。

 その書類に書かれていたのは、年に一回で更新される工房街上下水道共益費値上げの通達。

 元々製造過程で水を多く使うこともあるが、有毒な動植物を用いる薬師工房では廃水処理はそれ以上に厳重におこなわなければならない。

 普通の街では、工房それぞれで処理施設を設けるのが当たり前だが、徹底的に壊滅したことにより、一から計画的に再建された街であるロウガでは、それぞれの業種ごとに集まった工房街が形成されて、廃水や廃棄物をまとめて処理される大規模施設が整備されている。

 その気になれば入居した初日からすぐに工房で作業が行えるほどに、環境が整っており、自前で処理施設を用意するよりも、金も手間もかからずすむので大きなメリットだが、その代償として安くない共益費がかかるのは致し方ない話。

 しかしその工房街共益費が、年明けの更新時よりも約五倍に上がっているとなれば話は別だ。

その対象は薬師工房だけで無く、全ての工房街で同様の値上げがおこなわれる事になっている。
 
 これが嫌がらせやデマの類いの情報ならまだ救いがあるが、管理協会ロウガ支部、ロウガ上下水道管理局、さらにはロウガのギルドの寄り合い機関である広域ギルド連合の印がしっかりと捺印されている正式書類。

 そして書類末尾には今回の値上げに対して、期日までに未払い、もしくは支払い拒否した場合は、来期以降の工房設営認可が取り消しとなる旨まで書かれている。


「中央広場の騒ぎで地下水道に多数の瓦礫が流れ込んで、新市街地浄化施設中枢が大きく損傷。その復旧費用と、その間の仮処理にバカ高い金がかかってるって話だ。この値上げも修理が終わるまでの間だけって話で、ちゃんとした名目ありじゃ、しょうが無いだろ」


 ロウガ育ちで、支部内にもいろいろ伝手があり、正式伝達前に聞き及んだ情報を持ってきたウォーギンは、薬茶で喉を潤しながら、皮肉気な顔でどうしようもないと答える。


「だけどこれ新市街だけじゃなくて、旧市街も含まれてるわよ。あっちの工房やらギルドが納得するわけないでしょ」


「旧市街のほうは旧市街のほうで問題ありだ。あそこの地下水道にやばい数いたはずの怨霊が何故か一柱も残らず消え去った。それはいいが怨霊が消えた影響で、今まで憑き殺されていた小型モンスターが異常増殖して、その駆除やら対策で若手探索者を大幅増員中。こっちの方はいつ総数が減少するか不明だから、下手すりゃ沈静化まで新市街より長引くそうだ。だから俺が借りていた工房も次の契約更新は無理だな」


 伝手があり格安だからこそ金欠の自分でも借りていられたが、この金額では無理だとウォーギンは両手を挙げて降参してみせる。

 元々魔導技師ギルドの一部から目をつけられているので、まともに仕事などなく、ほぼ自己満足な研究をしていただけのウォーギンはさばさばとした態度だ。


「なんでそんな厄介ごとが立て続けに起きてるのよ。まさかそっちもケイス絡みじゃないでしょうね?」 


 中央広場のほうの騒ぎの元凶は公式には未だ不明だが、思い当たる節がありすぎるのでルディアはあまり考えないようにしている。

 しかし旧市街のほうは初耳。だが生粋のトラブルメーカな化け物娘の事。どこで関わっているか判らない。


「さあな? で、リズン婆ちゃんはどうするよ? さすがに今の営業状態じゃこの値上げはきついだろ」


「そうさね。私はとっくに引退してもいい歳だったから、長年のお得意さんには悪いけど、これを機会に次の更新はしないで店をたたむしかないかもね」


 九十過ぎてもなお現役。薬師工房街で一番の古株である店主フォーリア・リズンは、目を細めながら値上がり金額から営業益を軽く計算し、すぐに無理が出ると判断したのか残念そうに息を吐いた。

 評判は良くとも歳の所為もあって細々と続けているリズン工房では、値上げに対応するほどの増産は難しく、かといって安易に値上げできる訳も無い。

 ロウガは探索者の街であると同時に国際貿易港。

 もしこの街の工房が一斉に値上げしたとしても、売れるのは最初だけだ。すぐに目端の利く商人が、別の街から安価な同商品を大量に仕入れてくるに決まっている。

 その老齢も考えれば、店主のフォーリアが店を閉めるという選択を選ぶのも無理が無いと判ってしまうルディア達も、簡単に引き留める事も出来無い。

 
「この街のお偉方はなに考えてるのよ。ロウガの工房街が壊滅したら元も子も無いでしょ」


「壊滅まで行かなくとも多少は潰すのが狙いかもしれんってのが、この情報を回してきたツレの話だ。ご多分に漏れず派閥争いが原因だな。ロウガの工房街は主流派が幅を利かせているが、この間の事件で要のシドウにケチがついただろ。それで勢いづいてる新興勢力にとっちゃ今回の件はそう悪い話じゃない」


 取水制限や処理機能の限界もあり、それぞれの工房街で開業できる数は一定数で決まっており、今ある工房が廃業でもしない限りはそう易々と新しい営業権は取得が出来無い。

 しかし空きを作るには、些か乱暴すぎる話だ。


「二枚目を見てみろ。特別免責条項ってのが設けられるみたいだ」


 一枚目のインパクトが強すぎてそこで止まっていたルディアが、ウォーギンに促され捲ってみると、始まりの宮を踏破し探索者となった三期までの若手探索者が、新規で開業する場合に限り、若手育生のため管理協会から補助金が支給され、実質そのままの料金で利用可能と表記されていた。  

 若手育生のためと云えば聞こえはいいが、探索者となったばかりの若者が工房を開こうにも、実家が資産家などの一部の例外を除き初期資金が心許ない。

 既存の工房も一時的に運転資金枯渇する可能性も考えられるので、ギルドや金貸しから借りるということになるだろう。

 借り手と貸し手という。強固な繋がりというか縛りが生まれて来るのは自然の理だ。

 そしてその縛りこそが、ロウガの街に楔を打ち込みたい新興勢力の狙いだと、ウォーギンの呆れ気味の目は言外に語っていた。


「……これって勢力争いが加熱しない? よく主流派がこれを許したわね」


「それだけの弱みなんだろ。この間の件が。もちろん主流派だって負けちゃ無い。自分の所の手飼いが探索者になればいいんだから、見所のあるやつを見繕って送り込むだろうよ。前期はあの事件でケチがついて辞退者が出ている分、今期にその分も回るって予想もあるから、探索者志望が相当に増えそうだって話だ」


「今期の志望者に2つの派閥が生まれるってことでしょ。それ……あぁもうただでさえいろいろと厄介なのがいるのに、どうなるのよ今期は。あの馬鹿は今の力でも突っ込む気満々だってのに」


 ロウガ王女サナ・ロウガと、本人は知らずとも前期の騒ぎの中心にいたセイジ・シドウ。
 
 この二人がパーティを組み今期の始まりの宮に挑むのは既に既定路線として大衆にも知られており、始まりの宮をもっとも短時間で踏破する最優秀パーティ候補筆頭として本命視されている。

 この二人が主流派の本命となるのは容易く予想できる。新興勢力側も対抗する為に優れた人材を送り込んでくるのは自明の理。

 下手すれば始まりの宮内で、両勢力がぶつかり合う可能性だって否定しきれない。

 火種となりかねないそこに、一部の人間しかまだ存在は知らないが、いくら力を失おうが根っこは変わらないケイスが絡むのだ。どのような予想外の事態が引き起こされるか……


「なんで薬師のあたしが、自分の為に毎日胃薬を調合する羽目になってるのよ」


 積み重なる心労に比例して消費が増えて、胃薬作りが最近のルディアの日課になっている。

 闘気変換が出来無くなり、化け物じみた力も回復能力も失っているのだから自重し、復調するまでは療養に専念しろとは思うが、ケイスがそんな提案を受け入れるわけが無い。

 言うだけ、心配するだけ無駄だとも判ってはいるのだが、そう単純に割り切れないのがルディアの人の良さ、もしくは苦労性というべき美点であり欠点だろう。


「でもこの条件なら、いっその事ルディアちゃんが探索者になってあたしの店を継がないかい? ルディアちゃんが引き継いでくれるなら、私も安心して引退できるんだがね」


「無茶言わないでください。一応護身程度に魔術は使えますけど、モンスター相手の戦闘なんてからっきしです」


 フォーリアのいきなりの提案に、ルディアは首を横に振って即否定する。
 
 野草を摘みに野山に踏みいることもあるので野生動物対策で、多少の攻撃魔術も使えるが、ルディアの本分はあくまで薬師。

 本格的なモンスター相手となれば逃げるだけで精一杯だ。


「そういう手もありか。いっその事そんだけ心配するならケイスと組んで、始まりの宮に挑んじまえ。あいつなら何があろうとも絶対にルディアを守ろうとすんだろ」


「ウォーギン……面白がらないでよ。あたしじゃあの子の足手まといになるだけよ。あの馬鹿は自分が大怪我してでも、あたし達を守ろうとするのは知ってるでしょ」 


「やることなすこと無茶苦茶なくせに、義理堅いつーか、妙なところで真面目すぎるからなケイスの奴。力のある自分が弱い誰かを守るのは当然だ云々って」


「ケイスのは時代錯誤とかヒロイズムに走りすぎっていうのよ。あのこの前で変なこと言い出さないでよ。本気にするんだから」


「あいよ。義理堅いで思い出したが、そういや薬代代わりだつって、今日もバイト先でもらった材料を持ってくるんだろリズン婆ちゃん?」


「お代はフォールセン様に頂いているけど、お嬢ちゃんはそれは自分の物じゃないから、感謝の気持ちが込められないっていっとるねぇ」


 大怪我だけでなく気血榮衛の経絡が著しく損傷したケイスの治療には、フォーリア特製の薬が用いられていた。

 その薬代はケイスの後見人となったフォールセンが既に支払っているのだが、それに納得しないのが他ならないケイスだ。

 フォールセンにいつかは返金するのはもちろんのこととして、それとは別口で自分の感謝の気持ちを示そうと、アルバイト先である屠畜工房から、正規品としては使えない材料をもらい、フォーリアの工房に持ち込むのが日課になっていた。


「気を使うのいいけど、規格外だから、大きさにばらつきがあって、癖があったりして処理に余計な一手間かかるって理解してくれれば助かるけどね」   


「そこら辺の気づかいをケイスに求めるだけ無駄だな。あいつ自己中心で基本的に人に気を使うってのが出来無い自己満足で、こっちがいくら心配しようとも、まず自分の考え最優先だろ」


「あたし達、よくそれで友達づきあい続けてるわね……そろそろケイスが来る時間ね。ともかくしばらくこの情報は隠しといて。それこそあの子がこれ見たらどう判断するか読めないんだから」


「隠すつってもな。先に情報を回して貰いはしたが、どうせ今日の昼すぎには正式発表されるって話なんだがな」


「それでもよ。心労が1分でも減る方がありがたいんだから。それに少なくとも今年中は営業できるんだから、そのうちにいい解決策ができるかも知れないでしょ」  


 嵐が来る事にはもう諦めがついているが、それならばせめて到来するまでの、短い平穏を祈るしかルディアには出来る事は無かった。




「ん……」


 フォーリア工房へと向かう道の途上も、またケイスにとっては良い鍛錬になる。

 ロウガ市内を行き交う大勢の人。ケイスは周囲へと常に意識を向けながら雑踏の中をゆったりとした足取りで進んでいく。

 何十、何百も重なる足音や話し声。

 すれ違う民衆の中には数多くの探索者達がおり、血気盛んな気配を隠そうともしない若手探索者や、人混みに紛れているが、その足運びからただ者ではないと窺わせる強者等、強さも様々だ。

 交差する路地や、路地裏に積まれた木箱。庇を支える柱や、切り崩しやすそうな古い石壁、今のケイスにとってはそれもまた意識を向ける対象の1つ。

 道の両脇店舗に目を向けてみれば、軒先でくだらない雑談を交わす者達や、オープンカフェで今話題の迷宮について情報を交わすパーティなど多種多様な、情報が行き交う。

 ケイスは自分が知覚、視覚出来るその雑多な情報を全て自分の中に取り込み、思考へと組み込もうとする。

 はっきり言ってしまえば、その行為は無駄も良いところだ。

 これほどの人数の中で、顔を隠し奇行も見せないケイスに注視する者などほぼ皆無。

 帽子を被りその隙間から包帯をちらりと覗かせるケイスを、すれ違うときに一瞬見るだけだが、すぐに興味を無くしていくのが精々。

 道は変わらずとも、商店脇に置かれた木箱などは、その日のうちにどこかにやられて、覚えていた配置とすぐ変わってしまう。

 周囲で交わされる会話も、今のケイスでは聞き取れるのは、大声で話している者達の、デリカシーと機密性が皆無な会話くらいだ。

 無駄に気を張り、無駄な情報をただ集めるだけの愚行を、ただケイスは地味に、地道に積み上げていく。

 例え愚かと笑われようが、全ては自己強化のため。だがこれは常に周囲に気を張り、異常や、自分への注視を感じ取るという事ではない。

 今この一瞬。この場にいる何かが、もしくは全てが敵に回った時、自分はどうするか? 

 ここは戦場であると想定し、ありとあらゆる状況を常に考え、さらにそこに自分の行動を仮定として加えて、状況を作り上げる。

 どういう経路を取り、何を斬り、何を味方とするか、戦う為に必要なこと、逃亡するために必要なことを全て手に入れようと、貪欲に周囲の情報を喰らい、この場を全て自分の支配下に置く。

 戦場支配。それこそがフォールセン流の真髄と、ケイスは解釈し、その道を進むために鍛錬を続けていた。

 万物を己の意の元にひれ伏せさせ、唯一無二の一である自分の剣を、刹那の間であろうとも世界最強の座へと君臨させる。

 傲慢不遜にして、傍若無人な、ケイスらしい解釈をしながら、すれ違う人々や、建物を用いて、仮想戦場を組み立て、どうやって斬ろうかと楽しんでいた。

 無論、無辜の民衆を斬る趣味はケイスには無いし、むしろ絶対にやりたくない行為。

 だがそれは周りが、ケイスにとって無害だからだ。

 もし今この瞬間、自分に危害を加えようとする者があれば、もしくはケイスが見逃せない、気にくわない行いがあれば、ケイスは頭の中の行動のままにそれを斬る。

 斬ってはならない物から、斬るべき物へ。

 その切り替えをケイスは、躊躇も迷いもしない。

 斬らねばと思った瞬間には斬っている。

 友と思っていた存在が、自分に牙を向ける。

 古の迷宮『龍冠』で、数え切れないほどの幼少時の体験故に、条件反射的に染みついた癖や、根源的思考は、ケイスの異常性を跳ね上げる要因となっていた。


 殺さなければ殺される。だから殺す。


 やがて世界の全てを敵とし荒ぶる龍王となるために生まれてきた故の、異常性と原体験から来る性格形成。

 だがケイスの異常性は、そんな神の思惑さえも越える。

 ケイスは唯々強さを望む。単純に明快に1つの理論を持って。

 殺さなければ殺されるのは、自分が弱いからだ。

 ならば相手に殺されないほどに、自分が強くなれば良い。

 相手が自分を殺そうとしても、自分が殺さないほどに無力化できるほどの実力を持てば良い。

 そうすれば自分が好きな者や、好きな物を斬らなくても、殺さなくてすむ。

 例え相手が自分を殺したいほどに憎悪していようが、それはケイスには関係ない。

 ケイスが、自分が好きなのだ。だから相手の感情や事情など、この最悪の龍王は一切気にしない。

 自分が好きな物を、ただ愛でるだけだ。

 そしてケイスが何かを好きになる垣根は恐ろしく低い。

 純粋というか単純と言うべきだろうか。

 頼ってくれた。

 自分に親切にしてくれた。

 自分を助けてくれた。

 それがどれだけ些細なことであろうとも、自分の琴線に触れただけで、ケイスはその者が好きになり、その為に自分の命を張って守ろうとする。

 自分が好きな者を、自分が殺さなくてもすむように強くなる。

 誰よりも、何よりも、この世の全てを圧倒的に凌駕するほどに強くなる。   

 だからケイスは強くなる事を望み、自分が好きな者が自分より強いならば越えてやろうと常に滾っている。

 傍若無人で傲岸不遜な性格であり、世界を敵に回すはずの存在でありながら、博愛主義的な一面を持つのは、皇族の血を引く故か、それとも生まれ持った力故の余裕か。

 それはケイス本人にも判らない。

 ただケイスはそれも気にしない。

 自分が好きだ。それだけで良い。

一方的で過剰な愛情というべきこの厄介すぎる難儀な性質。

 それに合わせ、ケイスの根源である自分の人並み外れた力は、誰かのためにあるという、母から授けられた思考が、さらにケイスの運命を複雑化させる。

 大勢の人達ですれ違う雑踏の中。フラフラと頼りない足取りで歩く人物をケイスの感覚が捉える。 

 真夏も近く、晴天の空の元、強烈な日差しが降り注いでいるというのに、その気になった人物は、かなり薄汚れた厚めの旅外套で全身を覆い隠した怪しげな風体をしていた。

 普通の人ならば避けて通るような風体。だがケイスは気にしない。

 フラフラとした力ない足取りながらも、人や障害物を巧みに避けるその歩法に、強く興味を引かれていた。

 かなり調子が悪そうだが、あれは強者の雰囲気がする。

 調子が悪く、さらに強者かも知れない。 


「……調子が悪そうだな? 大丈夫か」


 お人好しな戦闘狂であるケイスが、鍛錬を打ち切りその怪しげな人物に声をかけるには、それだけの理由で十分だった。



[22387] 挑戦者の日常 午後
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/08/19 01:11
 コポコポと小さな音をたてながら沸くフラスコの液体の色を確認しながら、ルディアは細かくすりつぶしておいた薬石を、少しずつ、少しずつ混ぜていく。

 薄い青みがかったサラサラとした液体が、薬石の粉が加わるごとにそれを核として、徐々に赤みを帯びながら結晶化していく。

 本来ならばそこで火を止め、後は自然冷却し完全に固形化させるのだが、ルディアはあえて定石を外し、別に用意していた木炭と薬草を練り合わせた濁り水を、スポイトで吸い取ると、冷水に突っ込み温度を急速に下げながら一滴ずつ、慎重に加えていく。

 ドロリとした粘度の高い状態になったところで引き上げ完成。

 基本的な効果を得るだけならばレシピ通りに混ぜ、定石をはみ出す必要は無い。今回の処置は薬効は少し下がるが、吸収性あげて即効性を重視した派生レシピの1つだ。


「できたわよケイス。即効性の体力回復薬だから、大分マシになるわよ」


 瓶に触れてみて、直接飲める程度まで温度が下がったのを確認したルディアは、疲れ果てて工房のテーブルへと突っ伏したケイスへと声をかける。

 店主であるフォーリアが作った方が効果の高い薬ができるのだが、ケイスはルディアの友人であるし、派生レシピのいい練習にもなるからとルディアが任されていた。


「すまん。た、たすかる」


 よたよたと痙攣を起こして震える手で身を起こしたケイスは、何とかフラスコを受け取る。

 大怪我前は、並の成人男性を軽く凌駕する膂力を誇ったケイスも、闘気強化が使え無ければ、見た目通りの華奢な美少女。

 それで自分が弱くなったからと自重すればまだ良いが、ケイスの本質は一切変化無し。

 道ばたで行き倒れた見知らぬ旅人を、一人で店まで何とか引きずってきたはいいが、自分も体力を使い果たしてダウンする辺り、かなり厄介で物騒な性格のわりにお人好しなケイスらしいといえばらしい行動だ。  


「…………に、苦いぞルディ」


 中身を禄に確認もせず一気に飲み干したケイスだったが、あまりの苦さに涙目になって恨みがましい目をルディアへ向ける。

 即効性は良いが、やたらと苦くなり、お世辞にも美味いといえる物では無くなるが、後先を考えない”馬鹿”にはそれこそ良い薬だ。

 
「あんたね。犬猫じゃないんだから、気軽にほいほい拾ってくんじゃないわよ。しかも厄介そうなのを」


 ケイスの抗議の視線は無視し飲み干したフラスコを受け取りながら、行き倒れを拾ってくるにしても、もう少しマシなのにしておけと、あきれ顔でルディアは忠告する。

 ただの行き倒れならまだ良いが、今回ケイスが連れてきた人物の第一印象は、怪しいのひと言だ。

 本人は意識不明らしく、こちらからの呼びかけに返事は無し。

 全身を覆った旅外套は四肢所か顔まで覆った特殊な物で、身元を確認出来るような持ち物は探れるところには見当たらず、その風体さえ確認出来ない。

 倒れた原因が毒の類いかと疑い、解析魔法陣を使おうとするが、外套が魔具の一種、それも玄人のウォーギンからみても相当高度な品らしく、一種の結界となっており、内部への干渉ができず、逆に中の物も外に出さない特殊仕様。 

 その外套を脱がそうにも、魔術鍵が掛かっていて、普通に脱がすことは不可能な上に、見た目では判りづらいが一見厚手の布の内部には金属も織り込んであり、生半可な刃物を通さない防刃仕様。

 そんな怪しいというしかない件の人物の外套を脱がそうと、隣室でウォーギンが解錠を行っており、もし着用者が毒だったり感染型の病気に感染していた場合に備えてサポートにフォーリアがついているが、自他共に認める天才であるウォーギンですら中々苦労しているようだ。

 明らかに普通の旅人ではない装備と状況に、すでに厄介な予感がひしひしとするのだが、元凶のケイスといえば、


「何をいう。誰であろうと目の前で倒れている者を放っておけるか。それにルディだって、身元不詳であろうが、倒れている者を助けるであろう。何せ私を助けたくらいだからな」


 怠そうな顔を上げながらも、助けるのは当然だといつも通りの反応だ。

 怪しさでは自分も負けないという自覚はさすがにあるようだが、ケイスを助けはしたが、それはリトラセ砂漠でのことで、ケイス的には初めて出会ったのは、ロウガのはずではないのか。


「…………」


 そんな突っ込みが心に浮かぶが、あえて無視する。

 疲れて頭が動いていない所為もあるだろうが、それ以前にバカ正直というか、根が素直というか、兎にも角にもケイスは嘘をつくには致命的に向いていない。

 さらに心理的障壁が下がる親しい友人のルディア相手となればなおさらだ。

 墓穴を掘っている自覚もない上に、やたら厄介事に首を突っ込む危なっかしい性格には危惧さえ覚えるが、言ったところで筋金入りの頑固さを持つケイスが鑑みるわけもない。


「ん……よし。少しは動けるようになった。倒れた者が心配だ見に行くぞ」


「はいはい。付き合うわよ」


 ケイスと友人付き合いを続ける以上、多かれ少なかれ巻き込まれるのは必至。面倒事を避けるなら、縁を切るという選択もあるが、それができない段階で自分の負けだ。

 心の中で白旗を揚げたルディアは、まだ足元がおぼつかないケイスの腕を支えて、隣室へとつきそう。
 
 隣室は、薬を扱う薬師工房の常として、様々な症例にすぐに対応ができるように簡易的な治療も可能な診察室になっており、ベットが2床設置されている。

 窓際のベットには外套の不審人物が寝かされ、その横でウォーギンが外套へとペンを使い魔法陣を書き記している。

 一方で店主のフォーリアは万が一に備えてか、ベットを取り囲むように設置された隔離用結界を展開する準備をしているところだった。


「おんや、ケイスお嬢ちゃんもう大丈夫なのかい?」


 ついさっきまで疲労困憊でまともに動けもしなかったケイスが、ルディアの手を借りているとはいえもう動けている事に、フォーリアは少し驚いているが、
  
  
「うむ。フォーリア殿のレシピと、ルディの腕がよいからな。だいぶ楽になったぞ。礼を言う。ありがとうだ」


「あんたの場合、すぐに動ける理由は主に気力でしょうが……ウォーギンどう調子は?」


 怪我をしてようが、我慢して気合いで動くタイプなのを熟知しているルディアが、無意味な無理をさせないようにケイスを部屋の椅子に座らせてから、楽しげな表情を浮かべるウォーギンに進捗具合を尋ねる。


「中々難物だが見えてきたな。着用者の気配や魔力を外に逃がさないことに特化したワンオフ品ぽいぞ。要は着る気配遮断結界だな。相当古い代物だが、効果は相当だ」


「誰かに無理矢理に着せられたとかはないのか。人さらいが喜びそうな機能だな」  


「いやそりゃ無いだろ。こいつは着用者の意思次第で着脱可能な構造をしてる。どうやら内部の術式一部が何らかの原因で破損して、こいつを脱げなくなってるだけっぽいな」    


 懸念を浮かべるケイスの問いかけに、ウォーギンは手を休めることなく首を振る事で答える。

 外からの魔力探査を弾く魔具外套に対して、どうやってそこまで調べたのかはわからないが、自分が信頼する、魔導技師の判断だ。ならばケイス的には信頼し受け入れるだけだ。 


「うむ。脱がしてやれそうか? この暑さの中で、その分厚く重い外套では私でもまいるぞ」


 背負ってというか、背負いきれずに足を引きずるようにここまでこの人物を担いできたが、かなり重くさらに背中越しに焼けるように熱くなっていたのを思い出したのか、ケイスが懸念の表情を浮かべる。


「もうちょっと待ってろ。かなり複雑だから無理矢理に解くと余計に取れなくなる可能性もあるから、元々の解錠効果のほうを一時的に使えるように陣を再構築してる。繋がればすぐに解ける」


 魔具のことは魔具のプロに任せておけば問題無い。なら次はルディア達の出番だ。


「暑気あたりって可能性がありそうね。フォーリアさん。薬はどうしますか?」


 外の状況や外套越しに触っても判る熱さから、一番可能性が高そうな症例に当たりをつけたルディアは、フォーリアの判断を仰ぐ。

 熱でやられたと軽く見ることは出来無い。場合によっては、障害が残ったり、命に関わるからだ。

 診断は後でするとしても、準備だけはするべきだろうかと問うルディアに、遮断結界を稼働させたフォーリアは、寝かされた旅人の全身をゆっくりと見てから、


「そうさね。ギン坊が脱がしてから判断だね。この恰好じゃ旅人さんの性別はおろか種族さえ判らんからね。一応氷とよく冷えた飲み物だけは用意しておこうかね」


 徹底的に着用者の身元を隠す仕様にでもなっているのか、織り込まれた金属が一定の形を常に維持しているので、外套越しからはその身長以外の体格さえも察することが出来無い。

 トランド大陸には、人種、獣人種、鳥人種、魔族種など様々な種族がすむ。中でもとりわけ国際交易都市であるロウガには様々な人種、種族が訪れる。

 それぞれの種族に適した薬効や必要量があるのだから、今の時点でもっとも確実なのは身体を冷やして、水分をとらせることだ。


「飲料用に使える氷も作ってくるから、ルディアちゃんこっちは頼むよ」


「はい。お願いします。すみません。今度氷の作り方を覚えておきます」  


 一年中氷点下を下回る最北の極寒の大陸出身のルディアからすれば、熱中症など別世界の話。

 さらに雪や氷はそこらに無数にあるので、魔術でわざわざ作る物でないという意識があってか、正規な術は未だに習得しておらず、ただ水を凍らせるだけならともかく、衛生的に合格点な医療用の氷となると話は別だ。

しかし薬師との兼業とはいえ一応魔術師でもあるので、今更基本中の基本を誰かに習うのが少し気恥ずかしいというのも、ここまで習得していない理由の1つではある。


「なんだ氷生成程度なら私が術式や印を教えてやるぞ。天才の私が教えてやるのだ、ルディならすぐにできるであろう」


「……だからあんたはなんで魔力が使えないのに、そう魔術に詳しいのよほんと」


「当然だ。どのように些細なことでも、使えない知識であろうとも、知っているのと、知らずでは、戦闘の際に差が出る。氷系の魔術を知らずに氷盾で塞がれたら、斬るのに苦労するであろう」


 魔力変換障害で魔術を一切使えないというわりに、そこらの魔術師よりも深く広い魔術知識を持つことも、ケイスの怪しさを深める要因の1つだが、天才を自称するケイスは胸を張って、斬るためだという、いつも通りの答えを返すだけだ。

 一事が万事、斬る事に特化した物騒な戦闘狂がそう言う上に、これ以上追求してもどうせ下手にはぐらかして誤魔化すだけ。

 ケイスが知る魔術知識は、自分よりも深くさらに広いとルディアは確信していた。


「あんたの時間がある時でね。お茶でもしながら教えてもらうわよ」


 怪しい事この上ないが、ケイスの真意を疑うレベルはとうの昔に飛び越している。

 本当に親切心で教えようとしているだけだと判っている。

 それにケイスが一度教えると言った以上、絶対に、無理矢理にでもレクチャーしてくるのは目に見えている。逆らうだけ無駄。なら素直に教わるべきだとルディアは諦めた。


「っと、こんなもんだろ。動かしゃすぐ解けるぞ」


 黙々と手を動かしていたウォーギンが満足げに息を吐くと共に、作業を終える。

 外套の固く絞められた腰ベルトのバックルには、ほのかに光を放つ極小で精巧な魔法陣が描き出されていた。

 この短時間で描いたとは思えないほど細かい物だが、そこは魔導技術に関してはケイスの剣技と同レベルの天才の技巧の仕事だ。

 フォーリアはまだ戻っていないが、外部と隔離する遮断結界はちゃんと稼働している。先に開放してやった方が良いだろう。


「了解。遮断結界外に一応離れておいて。ケイス開けていいわね?」


 ウォーギンがベットの横に下がったのを見てから、ルディアはケイスに確認する。わざわざケイスに確認しなくてもいい気はするが、拾ってきたのは、この生粋のトラブルメーカーだ。


「ふむ。良いぞ。ウォーギン開けてくれ」


 偉そうに頷き返したケイスは椅子から立ち上がると、ほぼ無意識だろうがルディアの前に立った。

 何かあったときにルディアを守ろうとする意識の表れだろうか。   

 それとも腰のナイフに手をかけているので、何かあったときには斬るためだろうか。

 どちらかは判らないが、最低限の警戒態勢に入ったケイスや、あきらめ顔のルディアを確認したウォーギンが小さく詠唱を唱えて、待機状態だった魔法陣を稼働させる。

 バックルの上に描かれた魔法陣の光が強まり、中に描かれた紋様や数字がぐにゃりと曲がり点になったかと思うと、さらに無数の線となって、外套全体へと広がっていく。損傷し解錠不可能になった内部の魔法陣の上に魔力の流れを導き、内部の欠損部分を外部から補う動作をさせているようだ。

 数秒ほどで全身を覆った魔法陣だがすぐに光が消失すると、先ほどまでつなぎ目さえなかった外套のあちらこちらに線が走り、その形を変えていく。

 まるで拘束着のように動きにくそうにみえた外套だった物は、その一瞬で四肢や胸部をガードする動きやすそうな軽鎧へと変貌を遂げていた。

 だがそれ以上に驚くべきは、その着用者だ。


「……ん。女性の獣人か。珍しいな純粋な白毛だぞ」 


 大抵の事には何時も超然としているケイスが珍しく驚きを含んだ声を上げる。   

 外套の下から姿を現したのは、真っ白な体毛で全身を覆われた虎の女性獣人だった。



[22387] 挑戦者の日常 夕刻
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/08/21 22:06
 老薬師フォーリアが氷水につけてからよく絞ったタオルを、女性獣人の額や首筋に置き当てていく。 

 フォーリアとウォーギンの見立てでは、倒れた原因は魔具の不調からの魔力過剰浪費による生命力低下と、外套内部温度の上昇による軽い熱中症。

 幸いにも身体が頑丈で生命力に優れた種族である獣人だから、どちらの症状も命に別状はなく、血管が集中している部位を冷やし熱を下げる処置をしながら、生命力回復促進の強化魔術薬を時折投与すれば問題は無い。

 ただ、だいぶ消耗しているようなので、意識が戻るまでは一晩はかかるだろうとのことだ。


「……染めたようじゃないし、この娘さんビャッコ様かねぇ。初めて診る種族さんだよ」


 その根元まで純白になった毛に思い当たる節があったのか、種族名を指すらしき1つの言葉をフォーリアは口にした。


「ビャッコ様? フォーリア殿どういう種族か知ってるのか」


「あたしの薬師の師匠の師匠が若い頃に薬草の買い付けにいった山奥の里に、真っ白な毛を持つ虎獣人族がお住まいだったとか、昔話に少し聞いたくらいなんで、そういう種族がいるって聞いただけで詳しくは知らんのよ。すまんね」


 年老いたフォーリアの師匠の師匠の若い頃となればかなりの大昔のこと。さすがに暗黒時代に遡るまではいかないだろうが、直後か極めて近い昔になるだろう。

 かつて火龍や迷宮モンスターが荒れ狂った暗黒時代に滅び去った国は街レベルの小国も含めれば3桁に及び、絶滅したり、壊滅状態に至った種族に至っては数え切れないほど。

 徹底的な破壊による伝承の途絶で、今の時代には名や存在さえもほとんど伝わっていない種族も多く、少数が生き残った種族も血脈を保つために山奥にひっそりと暮らしていて、知られていないことも多い。

 だがこれほど見事な純白の毛色を持つ種族ともなれば、少しくらいは噂になりそうな物だ。


「フォーリア殿でも知らぬか。ウォーギン。この者の魔具から何か判るか?」


「独特の術式だ、相当古い。おそらく東方王国の流れをくむ一派の作だと思うが、俺に判るのもそれくらいだ。魔導技師ギルドを通せりゃ少しは調べも進むんだがな。まともに情報が返ってくるかどうか微妙だな」


 外套が軽鎧に変化した際に見えた魔法陣の形状を記憶を頼りにスケッチしていたウォーギンが、その形状から推測が出来る事を教えてくれるが、手がかり以上といえる情報ではない。

 これ以上の情報を得るならば、大陸中から魔具に関する情報が集まる魔導技師ギルドに頼るのが一番。

 だが、カンナビスゴーレムの水面下での情報提供の打診を拒否した所為で、ギルドの一部とはいえ、かなり上の方からウォーギンは睨まれているので、様々な嫌がらせがあるようだ。


「ウォーギンには世話になっているし、何より私の大切な友人だ。その邪魔をするとは良い度胸だな。斬ってくるか?」


「おまえな。気持ちはありがたいが、ただでさえ睨まれているのに、これ以上揉め事が起きたら追放されるかねないから止めろ」


 嫌がらせよりも、ケイスが暴れる方が厄介な事になるのは火を見るより明らかなので、ウォーギンは即答で拒否し、横で聞いていたルディアもケイスのいつも通りすぎる刃物思考に深く息を吐く。


「なんでもかんでも斬りたがらないでよ……事情なんかこの人が目を覚ましたら聞けば良いでしょ」


「それではこの者が敵だったときに後れをとるぞ? このような魔具を使ってまで自分の気配を隠すような者だ。姿を見られたら殺すという厄介な者かもしれんではないか」


 ルディアの窘めに、ケイスは不満げに頬を膨らませる。何故自分が警戒する理由を理解しないと。

 目の前で倒れていたから助けた。

 だが斬るかどうかは別だ。もし自分が思ったとおりの敵ならば斬るだけだ。それ以前に……


「この者は、私より強いのだぞ。警戒するのは最低限の備えだ。先ほどもいったとおり敵ならば斬る、敵でないならば、助けた礼代わりに手合わせをさせるのは当然であろう」


 強い者を求めるのはケイスの本能。強い者と戦いたい。勝ちたい。越えたい。

 喰らい尽くして、さらなる高みを目指す。

 見事な白毛の下に隠れた筋肉は、一瞥しただけで判るくらい、敏捷力に優れた素腹らしい戦士の肉体。

 戦う以外どのような選択肢があるというのだ?

 という理屈が通じるのは、あいにくというか当然というかケイス本人のみだだろう。


「このバーサーカー娘は……嫌がったら止めてあげなさいよ。承諾無く襲ったらレイネ先生に言いつけるわよ」


 一般的な常識の中に生きるルディアには、力説されても理解が出来るはずも無い。

 理解は出来無くとも、戦闘狂の血に火が点った事を察したルディアは、戦いたがるケイスを引き留めるのは無理だと早々に諦め、次善策を提示する。

 ロウガに来て最大の収穫は、傍若無人で常時暴走状態なケイスへのストッパーというべきか、それとも天敵というべきなのか、レイネという対ケイス最終兵器を得た事だ。


「ゥ……むぅ。判った。だがこの者が敵だったら、レイネ先生は関係なく斬るからな」


 すぐ怒られるうえに、頭が上がらず、逆らえないレイネの名を出されると、さすがにケイスといえど不承不承だが頷くしかない。

 いっその事、敵だったら確実に戦えるのに良いのだがと、物騒な事を考えながら、深い眠りにつく女性獣人を眺めていたケイスは、ふと思いついて椅子から降りる。

「ちょっと早いが、フォールセン殿の屋敷に行ってくる。蔵書に古い物も多いから、この者について何か手がかりがあるやもしれん」


 疲労していた足元はちょっとおぼつかないが、全力疾走するならともかく、ただ歩く分ならば、問題無い程度には回復していた。

 何時もなら、世話になった礼に、フォーリアの店の掃除やら、倉庫整理の手伝い、近所への配達などの雑用をこなしつつ、夕食まで過ごすが今日は予定変更だ。


「あんた今日は倉庫の掃除をやるっていってたでしょ。どうするつもりよそっちは?」


「ウォーギンがいるではないか。私より背が高いから高いところにも手が届くぞ。それに斬るためだけでは無いぞ。種族特性が判れば治療もより的確になるであろう」


「お前ほんとナチュラルに人を使うな……飯食わせて貰った礼がわりになるから文句は無いけどよ」


 何時ものことといえば何時ものことだが、自分勝手すぎる言動だが、ケイスと付き合い続けるなら、この程度の事を一々気にしていれば早々に胃をやられるだけだ。

 胸を張るケイスと、その発言に諦めと呆れの混じった顔を浮かべるルディア達を見て、フォーリアが微かに笑いを浮かべ、

「あぁならちょうどいい。ケイスお嬢ちゃん。メイソンさんから、腰が痛いからって頼まれていた湿布薬があるから、ついでに持っていってくれるかい」 


 少しでもルディアの心労が和らぐ大義名分を作ろうとしたのか、お使いを1つケイスに頼んでいた。







 知らなければ湖や湾と見間違えるほどに川幅の広い大河コウリュウ河口。

 差し込んでくる夕日を眺めながら定期の渡し船を使い、ケイスは対岸のフォールセンの屋敷がある旧市街区へと渡る。

 夕刻で家路に急ぐ勤め人や職人達と時間が被ってしまったのか、船の上は少しばかり混雑していて、座席は全て埋まっていて、立ち乗りもそこそこいた。

 何時もなら、もう少し遅い時間の船に乗るので、ここまで混んでいたのは計算外だが、早く調べたいので、次の船を待つのももどかしく、混んでいるは承知の上で乗った次第だ。


「むぅ……やはり泳いだ方がはやいな」


 僅かながらも水龍の血を引く故か、ケイスは泳ぐのは大好きだ。

 どうせなら泳いで渡る方が早いのだが、コウリュウは流れもそこそこに速く、かなり広く深いので基本的にロウガの街中は遊泳禁止区域となっている。

 自分なら力が落ちた今でも造作もないと知っているが、下手に泳いで渡ろうとして誰かに見つかれば、子供が泳いでいると警備兵に通報されるのは確実。

 今の力では逃げるのは難しいので、保護されるだろうし、そうなればレイネにも連絡が行きかねない。

 自ら叱られるネタを増やす趣味は、さすがにケイスにも無い。

 人の多い船室にいるよりも風に当たれる後方デッキに陣取り、やることもないので水面を眺めていると、不意に現れた巨大な影が水面に長い影を伸ばし始め、僅かに波が強くなり、船が揺れはじめた。

 影の出元のほうを見てみれば、見上げるほどに巨大なストーンゴーレムが、ゆっくりとした足取りで川の中から浮上してきた所だった。

 普通のゴーレムは人や動物などを模した物で、デザインに凝っている物も多いが、今川の中から浮上してきたのは左右非対称で直線的なラインが目立つ少し不格好な形状をしていた。

 ゴーレムが些か不格好な歪んだ形をしているのは、同種のゴーレムと接合して橋桁などに使われる歩く建材となっているからだ。

 あれほど巨大なゴーレムを大量に使うほどの、大河コウリュウを横切る大橋が建設中だが、その完成は10年以上先という気の長い計画だ。

 なるべく波を立てないようにゆったりと動いているが、かなり水深があるのに、胸から上が出るほどに巨大なゴーレムが、水を掻き分けて浮上してきたのだ。

 川船としては大きい方だが、ゴーレムから見ればオモチャの笹舟のような渡し船がかなり揺れるのは仕方なく、頻繁に出没するので立ち乗客も慣れた物で、それぞれ足を踏ん張ったり、近くのロープや壁につかまっている。

 いつもならケイスもこの程度の揺れならば、その抜群のバランス感覚をもって微動だもしないが、今日は足元に力が入っておらず蹈鞴を踏んでしまう。

 その弾みで近くにいた女性の足を踏みそうになり、近くのロープをつかんで体勢を立て直した。


「っと……失礼したご婦人」


 年頃の少女には似つかわしくないケイスの言葉遣いが少し可笑しかったのか、ベール付きの日よけ帽を目深に被っている女性は、僅かに見えている口元に小さく笑みをみせた。

 ただ嫌な感じの笑みではなく、可愛らしいとでも思ったのか好意的な色がケイスからは見て取れた。


「あら、ご丁寧にありがとうございます。お嬢さんお怪我をなさっているのかしら、大丈夫ですか。どこか座れるようにお願いしましょうか?」


 良くも悪くも目立ちすぎる幼い美貌を隠す為に、包帯を巻いているケイスがふらついたのを見て、女性が体調を気遣う。

 聞こえてくる声の感じは若いが、その話口調は、上品で少しばかり年寄りめいている気がする。

 その帽子に隠れる耳が長いエルフなどの長命種だろうか?

 見知らぬ者の正体は気になるが、敵意は感じず、気になるほどの強さも感じない。何よりケイスを気遣ってくれる優しい人物。

 夕暮れとはいえまだまだ強い日差しから、肌を焼けることを嫌っているだけかも知れない。

 ベールの下の正体を確かめようという不作法を起こす気は無かった。

 
「ん。気づかい無用だ。少し身体が疲れているだけだからな。でもありがとうだ」


 尊大な言葉遣いと裏腹に、ケイスは丁寧に姿勢を正して女性へと頭を下げる。

 敵意には剣を、好意には礼を。

 両極端すぎる思考はケイスの単純さ、ひいては幼さを明確に現していた。


「お疲れですか。もしよろしければ少しおまじないをして差し上げましょうか? 疲労回復ができますよ」 
 

 女性はほっそりとした白い手に印を作ってみせる。その印は上位神【康応西母神】とその系列神を信奉する神術師の基本印だ。

 神術は、魔術と似通っているがまた違う物。

 魔術が己の魔力によって超常の力を生み出すものであるならば、神術は神に祈ることでその力を賜る物。

 基本的に魔術よりも、神術の方が習得は難しく、さらに術それぞれの効能も限定されるが、効果範囲や威力などは魔術よりも神術が上回るとされている。

 高位の神術師を見極めたければ、その組んだ印を見ろという言葉がある。

 同じ形であるというのに、そこから受ける印象や感じる力が、低位と高位の術者では明らかに異なると言われるからだ。

 女性が組んだ印は、無理な力が入らず自然で、そして優しさを感じさせる物。

 相当に腕の立つ神術師だと、ケイスは判断する。 

 もしやって貰えば今の疲労感などたちどころに抜けるかも知れない。


「ん~遠慮させていただく。貴女の腕を疑うわけではないぞ。疲労回復のために薬をもらったから、その者達に失礼に当たるからだ」


 だがそれは、フォーリアやルディアの好意に対する明確な裏切り。今の体調でも半日もあれば完全に復調できるはず。

 差し迫った脅威となる可能性は、女性獣人だけだが、彼女が意識を取り戻すまでには治るなら、この女性の申し出を断るのがケイス的には正解であり、唯一の答えだ。


「そうですか。良いご友人をお持ちのようですね」


 素気なく断られたというのに、女性のほうは気を害した様子も無く、むしろケイスの言葉になぜか我が事のように嬉しそうにクスクスと笑みをみせていると、対岸に船が近づいたことを知らせる鐘が鳴り響き始めた。


「ん。ついたようだな。私はいくところがあるのでこれで失礼する」


「そうですか。ではこれで、ご縁がありましたらまたお目にかかりましょうお嬢さん」   


「うむ。その時は治療をうけるやもしれんから、その時は世話になろう」


 手を振る女性に向かってケイスは頭を下げてから、ぞろぞろと動き出した乗客の間をすり抜けながら搭乗口へと向かって駈けていった。 


「……それにしてもソウタ殿は何をして、あの剣士殿にそこまで嫌われたのでしょうか?」


 ケイスの後ろ姿に懐かしげな目を向けた女性が楽しそうにこぼした独り言は、乗客達のざわめきにかき消されていた。



[22387] 挑戦者の日常 鍛錬
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/08/30 00:39
「全身が純白の毛に染まった虎族か……獣人族を調べるなら東方王国時代の資料がよかろう。あの国は国内に数多くの獣家、氏族を抱えておった。文武百家の中には希少種族が長を務める一族もいおったな」


 かつては管理協会ロウガ支部としても使われていた広いフォールセン邸。

 その地上部よりもさらに広いという地下倉庫へと続く石段を降りていくフォールセンの背を追いながら、ケイスが後に続く。

 ひんやりとした冷気を伝えてくる石壁は、上の母屋よりも古い時代の様式。かつてこの場所に立っていた、東方王国時代の古城地下構造を改装して使っていると知る者も今はもう少ない。


「しかしフォールセン殿の手を煩わせずとも、置いてある場所だけ教えてくれれば探すぞ。この後来客の予定があるのだろう?」


「なに約束の時間まではまだある。それにここの倉庫は少し広いでな。ケイス殿が気を引かれる武具も多いので、目的を忘れぬように付き添いは必要だろうて」


 ここの所の付き合いで、ケイスの度を超した武具マニア振りは、フォールセンもよく知る所。

 なにせ鍛錬のために最初に使う武具を選ぶのに、吟味するといって一昼夜をかけるような凝り性だ。

 剣と防御短剣の組み合わせをどうするかと、おもちゃ箱をひっくり返して遊ぶ玩具を選ぶ幼児のような、楽しそうでかつ真剣に悩んでいたケイスの顔を思い出し、フォールセンは笑いながら、付き添った理由を答える。


「むぅ。フォールセン殿は存外に意地悪だな……しょうがないではないか。武具に目を引かれるのは剣士として当然の事であろう」


 むくれたケイスを見て、フォールセンはまた笑う。

 見せる表情は年相応の、しかもとびきりの美少女なのに、その内容は不釣り合いにもほどがある武具というギャップが、可笑しくてしょうがない。


「ケイス殿らしい答えだな。だがそうなるとケイス殿の心を惑わす物ばかりとなりそうだな」


「うっ……そんなにか? フォールセン殿の好みは私と合いすぎるから、絶対に惑わされるではないか」


 まずは頑強さ。その後切れ味、そして最後に扱いやすさ。

 それがフォールセンとケイスの求める武具の順番だ。

 どれも高レベルなら言うことはないが、ともかく頑強さを求めるのは、この両者が似通った才能の持ち主であるからに他ならない。

 切れ味は己の技で補い、扱いにくさは鍛錬を持ってして克服する。

 頑強であれば、他はどうにかする。どうにでもなる。

 天才にとって、なまくら刀などという言葉は存在しない。

 どのような武器であろうとも、それこそ、そこらで拾った木の枝であろうとも、剣とするほどの隔絶した天才達。

 完成した天才であるフォールセンと、まだ途上ながらも天才であるケイス。

 この二人の波長が合うのは、ある意味で必然の事だ。


「ぬぅっフォールセン殿の武具か……うぅ……しかし調べが」


 武具に心が引かれる。しかしそれで目的を疎かにしたり、忘れたら本末転倒。だが見たい。

 誘惑に負けそうなケイス半泣きになりかけていたが、


「よし! 決めた!」

 
 しばらく悩んでいたケイスは何か思いついたのか、一転笑顔になって手を打つと、とことこと階段を下りてフォールセンの隣へと並ぶと、その顔を見上げながら己の右手を差し出す。
 

「フォールセン殿。私は目をつぶって倉庫内をすすむから手を引いてくれ。そうすれば惑わされずにすむ」


 見れば我慢できなくなるのは自分でも判っている。なら見なければ良い。シンプルで単純なケイスらしい解決策だ。

 
「おや、良いのかなケイス殿。剣士が利き腕を他人に預けて?」


「問題無い。私は左手のみでも戦えるし、何よりフォールセン殿は私の師で最強の剣士であろう。利き手を預けて何を心配する必要がある」  


 フォールセンの笑い交じりの問いに対して、ケイスはそれ以上に輝く屈託のない顔で胸を張って答えてみせる。

 恐れ知らずの台詞は、可愛いと呼べるレベルではなく、実に生意気な世間知らずの小娘と、他人の目には映るだろう。

 ましてや相手は大英雄と謳われるフォールセン。だがケイスには、世界的な英雄相手でも、遠慮や気後れなど全く皆無だ。


「むしろ何かあれば、フォールセン殿のお手を煩わせることなく、私が戦ってみせるぞ。良い鍛錬だ」

 
 かといってやたらと偉そうな言葉遣いや、横柄な態度とは裏腹に、その顔や目に浮かぶのは紛れも無い尊敬と、それ以上の好意の色。

 ケイスはその人物が持つ肩書など、最初から眼中にない。

 判断基準の1つにはなるかも知れないが、最終的には自分がその人物が好きか嫌いか。この一点に集約する。

 だから誰が相手だろうと変わらない。

 市場の片隅に生きる物乞いであろうとも琴線に触れるならば敬意を持って接する。

 大国の王や高位神官という権力者であろうとも、気にくわなければ斬る。

 そのケイスの生き様は危ういを通り越して、社会不適合者であり、騒動の種をばらまき、自らも危険に巻き込む自殺行為に他ならない。

 現にその怒りのままに暴れた先日の襲撃では、大騒ぎの末にいろいろと引っかき回し、当人も死にかけている。

 だがケイスは変わらない。変えられない。自覚の有る無しでは無く、それがケイスの性質だと、フォールセンは目の前でまざまざと思い知らされた。
 
 今もみせる無邪気な子供らしい愛らしさがケイスの一面であると同じように、怒りによって暴れ狂う凶暴な龍王たる一面もまた紛れも無くケイスの素なのだと。


「それは頼もしい。では護衛はお任せするので、この先のエスコートを私が仰せつかろう」
   

 毎日剣を振っているというのに豆の1つも出来無いケイスの手を、フォールセンは握り返す。


「うむ。任された」


 嬉しそうに頷いたケイスは、早くも目をつぶるとフォールセンのゆったりとした足取りに合わせて階段を下り始める。

 目をつぶっているのかと疑いたくなるほどふらつきも無く歩くケイスと、フォールセンが階段を下りきると、短い通路となっていてその行き止まりに地下倉庫へと通じる頑丈な鉄扉が姿を現した。

 扉の表面にはいくつもの魔術文字や刻印が刻み込まれ、物理錠だけで無く、魔術的にも封印されていることを感じさせる物だ。

 禍々しさを感じさせるほどに厳重な封印が施された扉に、フォールセンが懐から古めかしい鍵をとりだし、その鍵穴へと差し込む。

 そのまま右に捻ると鍵はあっさりと回り、錠が外れる音だけが小さく響いた。

 だがこの時、魔力の流れを目で見る事が出来る者がこの場にいれば、思わず驚きの声を上げただろう。

 鍵をいれ、回す。ただそれだけの行為に数十もの使用者特定魔術が用いいられ、さらにその数倍もの結界魔術が、一瞬で開放された事に。

 複数の高等魔術を干渉させること無く、1つの機構に納める。魔導技師のウォーギンならば垂涎の研究対象となるだろうが、魔力を持たず、開かない扉ならぶち破ってしまえば良いケイスは、それに気づいた様子もみせず、


「この先だな。私は絶対目を開けないから、フォールセン殿も私を惑わすようなことを言わないでほしいぞ」


 自分の好奇心を刺激しないで欲しいと、フォールセンに注意していた。







 目をつぶり、暗闇の中に身を置いても、入ってくる情報は数多い。

 肌に当たる空気の流れ。高く響く足音とその反響音。冷たく乾燥した地下倉庫に漂う匂い。

 視覚に頼らずとも、戦えるように鍛練は積んできたが、闘気による肉体強化が出来無くなり、五感の感受力が大幅に落ちた事で、探知能力がだいぶ低下している。

 落ちた分をどう補うか。

 低下した感覚と肉体の反応速度に合わせた闘法の構築。

 考える事、やることもまた数多い。

 だから今の状況は、普段ならば暗闇の中をすすむ良い訓練だと一も二も無く考え、実際先ほどまで思っていた。

 だが今のケイスの驚異的なまでの、そして盲目的なほどに一点突破な集中力は、別の部分に注ぎ込まれている。

 それは自分の右手。もっと正確に言うならば右手で握っているフォールセンの手の感触や、そこから感じられる闘気の流れだ。

 武具には確かに強く心が引かれる。だがそれ以上にケイスが強く引かれるのは強い相手だ。

 利き手を強者に預けた状態から、一瞬の駆け引きで切り込めるか、引き倒せるか。

 どうしてもそれを考えてしまう。もはやそれはケイスの本能だ。
  
 だから一瞬の隙を突いて、フォールセンに襲いかかろうとするのだが、ケイスが行動を起こそうとする直前、ほんの一瞬手前に、フォールセンが僅かに歩調や歩幅、手を握る強さ、息づかいを変えてしまう。

 気勢を削がれ、ならばと次の瞬間を狙おうとするのだが、その次もまた崩されてしまう。

 何度襲おうとしても、確実に読まれてしまう状況。

 思い通りいかないならば、普通はいらつきを覚えストレスが溜まりそうな物だが、ケイスは自分が手玉にとられることに、あまりの達人振りにワクワクして逆にストレス解消になっていた。


「フォールセン殿の寝首をかくにはどうすれば良いのだ? 私が斬ろうと思って、ここまで出鼻を防がれるのは初めてだぞ」


 目をつぶったままだというのに律儀に顔だけはフォールセンのほうを向けたケイスは、天使の笑顔で物騒な事この上ない台詞を吐き出す。

 自分が隙あらば襲いかかろうとしていることは、フォールセンも当然気づいているので元から隠す気も無い。 


「ケイス殿は素直だからな。剣筋と同じく、ずるさや狡猾さが無いので至極読みやすいよ」


 一方でフォールセンのほうも、見境無く襲いかかってくる狂獣が近距離に、それも左手を預けているというのに至極落ち着いた声で返す。


「フェイントならよく使うぞ? 実際何度か入れているが全て効かんぞ」


「それはケイス殿が一人で全てやろうとするからだな。一人で出来る事などたかが知れておる。そして一人で出来る事ならば、対応もまた一人で出来るは道理。仲間を伏せおいたり、罠を仕掛け変えたりなど、一人では出来無い無数の選択肢をとられれば、また対応が変わるであろうな」


「ん。他者の力に助けを求めることは理解する。しかしそれでは、私の力のみではフォールセン殿に勝てないことになるでは無いか。それでは意味が無い。私はフォールセン殿に今はまだ勝てずとも、少なくとも一太刀を入れたいのだぞ」


「焦らずともケイス殿ならば、遠からずこの老いぼれに一太刀を入れる事など造作も無くなろうよ」


「それは謙遜だ。少なくとも私には、今の私がフォールセン殿に一太刀入れる絵図が思い浮かばんぞ。無論いつかは入れられるようになると思っておるし、するが、それはだいぶ先の話であろう。だが私はすぐにでも一太刀入れたいのだ」


 会話を交わしながらも何度も隙を窺い襲いかかる瞬間をケイスは模索するが、それもやはりちょっとした行動で防がれる。

 このまま無視して襲いかかるかとも考えるが、どうにも嫌な予感が抜けず二の足を踏む。

 ケイスが。ここまでフォールセンに一太刀を入れたがるのには訳がある。

 実にケイスらしい理由が。


「やれやれ。そこまで意地を張らんでも……ケイス殿は紛れも無い、私の、それも最後の弟子だぞ」


「うむ。当然だ。こうやって今も鍛錬に付き合っていただいているのだ。フォールセン殿は私の師であり、私は弟子だ。だが一太刀も入れられない私が、臆面も無くフォールセン殿の弟子であるなんて名乗れるか」

 
 フォールセンを師として敬愛してはいるが、自分自身が弟子だと名乗るのはまだ認めていない。

 それがケイスの主張であり、弟子と名乗るのは、一太刀入れてからということらしい。


「師である私が認めておるのだから、名乗れば良かろう」


「むぅ。それはダメだ。今の私は力もだいぶ落ちている。さらにフォールセン殿に一太刀も入れる事が出来ず技も拙いのだぞ」


 ため息交じりの師の言葉に対して、頑固で偉そうすぎる弟子は真面目な口調で反論を開始する。


「そのような状態でフォールセン殿の弟子だと名乗ってみろ。弱い私が恥知らずや、笑われるのは我が身の不徳の致すところだと恥じた上で、笑ったその者を斬れば良いが、もし見る目が無いとフォールセン殿を笑い名声を傷つけるとなれば、そのような戯言を発した者のみならず一族を根切りにしたうえで、私の命を詫びに捧げても、返せないほどの罪だ」


 数え切れないほどの心からの賞賛や、こびを売るためのおべっかの言葉をその身に受けたフォールセンだが、まじめくさって言うケイスの言葉に込められた思いの重さは、悪い意味で歴代でもトップクラスだ。

 前時代的というか、思い込みやすいというか、矜持や誇りという感情にやたらと拘るケイスの事だ、一族郎党を根切りは例えでは無く実際にやりかねないであろうし、やるだろう。

 
「だから、最低でもフォールセン殿に一太刀いれられるだけの実力を持つか、私がフォールセン殿の剣を受け継ぐにふさわしいという名声を得るまでは、先生達や親しい友以外の他者に弟子だと名乗る気は無いぞ。そして私が望むのはやはり前者を得た上で後者だ」


「欲張りだなケイス殿は」


「うむ。フォールセン殿の最後の弟子を名乗るのだ。世界一欲張りになるぞ。だからフォールセン殿も誰にもいわんでくれ。そして今のように本気で相手してくれ」


 自分を侮らず本気で相手をしてくれる強者がケイスは大好きだ。フォールセンはそのケイスの好みに、これ以上無いほどに適合する師。

 だから敬愛し、その誇りを守るのは、不肖の弟子としての役目。

 目をつぶったままだが、誰もが美少女と認めるしかないケイスは、家族に向けるのと変わらない極上の笑みを余すこと無くまき散らす。


「せめてその笑みで襲いかかってこようとするのは、止めてもらえるとありがたい。思わず油断しそうであるな」


 このまま貴族や有力者の集まる夜会にでも連れて行けば、その微笑みだけで有力な後援者がそれこそ鈴なりでできるほどの美貌を持つ少女が笑いながら、狂獣のように隙あらば襲いかかろうとしている。


「でも私の笑顔を見ても油断しないであろう。だからフォールセン殿は私が師であり、尊敬に値するし、好きなのだ」


 いろいろと厄介な過去、事情を抱えているであろうケイスを、自分の最後の弟子として公表し守ろうとするフォールセンの思惑は、その弟子の常識を越えた頑固さ、そして非常識な思考によって妨害されていた。



[22387] 挑戦者と保護者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/09/17 03:35
「ケイス殿。もう目を開けても大丈夫だ」 


 フォールセンに目的の場所に着いたことを知らされ、目を開けたケイスの視界に映ったのは、天井に埋め込まれた魔法陣が産み出す光球の明かりに照らされた、古い書物がずらりと並んだ背の高い書棚の壁だ。


「うむ……ずいぶんと多いな。いくつくらいあるのだ?」


「記憶しておる書棚の数からして、万はいかずとも、それに近い数はあるであろうな」


「古語か。稀少な物ばかりのようだな」


 共通言語や文字が世間一般で使われるようになった暗黒時代前の書物ばかりなのか、今は使われていない書式や、使い手のいなくなった消失文字で書かれている背表紙が目立つ。


「フォールセン殿。手にとってもよいか?」


「保護魔術によって保管してある。よほどの力を込めない限りは破けもせんから構わんよ」


 フォールセンの許可を受け、ケイスは手近の棚から一冊の本を抜き取る。

 やけにつるつるとした表紙の手触りを確かめながら、ページを捲る。

 フォールセンの言う保護魔術の効果か、少しばかり文字ににじみは見えるが、古い紙の匂いも無く、頁が朽ちる心配も無さそうだ。

 ただ問題は1つ。ケイスには理解出来ない言語体系で書かれているということだ。

 一部の地域では、第二言語や方言として古語の類いも使われてはいるが、一般的な物では無く、生まれの複雑さ故に出自を隠していても、ケイスもまた共通文字や言語の素となったルクセライゼンの出身。古語にはさほど馴染みは無い。

 祖母からの手ほどきで、東方王国系ならかろうじて簡易な文字の判別はできるが、専門的な知識は無いので、今手に取った本のように字を崩されたり、時代様式がかなり古い物となると途端に苦労する。

 中身をぺらぺらと捲って図式や絵柄をみて、かろうじて判別できる字で、中身を判断するのがやっとだ。


「ん……獣と人……使役術か違うな」


 手に取った本の中身の陣や読める単語から推測し、異界から呼び寄せた魔獣や魔物を使役する為の手引き書だと判断。

 目的とする物では無いが、ケイスが見たことも無い魔獣が描かれているので、稀少な情報、知識なのだろう。

 魔力を捨て、肉体の枷を外したことで、自分の力が遥かに落ちていること、弱くなった事をさすがのケイスも認めざる得ない。 

 だからこそ、弱さを埋めるための知識が重要。

 通路の前後を見渡せば、ぎっしりと本がつまった高い棚が並ぶ。 

 ここにはケイスが読めない、判らない、知らない知識が山のようにある。

 読めない文字も多いので、この中から今欲しい知識だけを探すのは骨が折れる。それにせっかく自分の知らない知識に触れた機会なのに、何もしないのは勿体ない。

 となれば単純なケイスとしてはやることは1つだけ。 
  
 
「ん……面倒だな。フォールセン殿。今日の鍛錬は読書にさせてもらって良いか?」


 最後までめくり終えたケイスは、次の書物を取り同じようにぱらぱらと捲っていく。


「私は構わんが、ケイス殿が剣より本をとるとは珍しいな」


「ん。少し時間が掛かりそうだからな。しかし万までいかずなら、朝までにはなんとかなるだろう。夜通し戦うのと比べれば少しは楽であろう」


「古語を理解する使用人も幾人はおるので、手伝いに回そう」


「ん? 何を手伝わせるというのだ? 私が見なくては意味が無いでは無いか」


 手を止めてフォールセンを見上げたケイスは、何故そんな意味の無い事を言うのだときょとんと首をかしげる。


「ケイス殿の目当てのも書物を探し当てるのに人手があった方が早いのが道理だと思うがな」


「あぁそういう事か。なら心配は無用だ。ん~とりあえず読めない文字や判らない文章が多いが、稀少だというなら、とりあえず全てを絵として覚える事にしただけだ。いつか解読できれば力になるからな。それにこうやって追うことも目の鍛錬にもなるので一石二鳥だ」


 書物の頁472枚の全てを一枚一枚ごとに絵として詳細まで覚えたケイスは、書棚に戻して次の本に取りかかる。

 前だったらもっと速い速度で捲って、目で追えたので万までいかないなら、2、3時間あれば全てを記憶できたが、肉体的に大きく落ちている為に、どうしても本を捲るのにも目で追うのも落ちるので、その数倍は掛かってしまう。

 やはり早く己の身体を思うがままにに操れるように戻らなければ不便でならないと、ケイスは不機嫌で眉根を寄せる。
 

「全てを覚えるか。ケイス殿は本当に無茶をいうな」


「別に理解しようとしているのでは無いぞ、ただ覚えるだけだからな。造作もないぞ」


 さすがの大英雄といえども、想定できない予想外の答えに驚きが交じった表情をフォールセンが浮かべるが、化け物はただ平然と返すだけだ。


「私が目指すべきはフォールセン殿をも上回る史上最強の剣士。フォールセン殿より強くなるのでなく、フォールセン殿も含めたこの世の全てより強くなりたいし、なると決めている。この程度で無茶だと言っていたら、いつまでも越えられぬではないか」


 大英雄を前にして、ケイスは淡々とした声音で大言壮語をはき出す。

 フォールセンは憧れであり目標。だがケイスの目指すべき道はさらにその先。まだ足元さえ見えぬ届かぬフォールセンを越え、さらにその上を行く事だ。

 ならばこの程度は無茶でも無く、無理でもない。


「天才たる私が全能力を発揮して必死に追っても、まだ先が見えぬほどの場所に立つフォールセン殿が何を言うのだ?」


「全く……ケイス殿らしいな」


 目の前に立つこの少女であり化け物、自分が辿った道を一体どのくらいで駆け抜けるつもりなのであろうか?

 末恐ろしくもあり、楽しみでもあり、頼もしすぎる弟子の言葉にフォールセンもさすがに呆れるしか無かった。






 家令のメイソンが持ってきた茶器を使い、手ずから注いだ茶を入れたカップを、フォールセンは差し出しながら、対面へと座る前ロウガ女王ユイナ・ロウガに頭を下げる。


「すまんなユイナ殿。そういう次第で遅れた。試しに中身を聞いてみたら本当に覚えておってな。ついつい面白くなって色々聞いていたら、ついには来客があるのだろうと追い出されてしまったほどだ」


 ケイスに驚かされ、ついつい本気で読む気かとしばらく付き合っていたため、約束の時間に遅れたフォールセンは笑いながら、失敗を再度謝った。

 ベール付きの日よけ帽を脇に置いたユイナは 尊敬する大英雄よりもさらに深く一礼してからカップを受け取る。

 
「ふふ。フォールセン様さえ振り回しますか。船上でお目にかかった時は元気なお嬢さんだと思いましたが、まさかそこまでとは」


 カップから立ち上る香りの懐かしさと共に、フォールセン邸へ向かう途中での、予想外のケイスとの出会いを思い出しユイナは微かに微笑んだ。


「ナイカ様から弱者を装えとアドバイスを頂いておりましたが、お話以上にずいぶんと変わったお方ですこと。最近噂になっておりますフォールセン様の最後のお弟子様に会えるかと思っておりましたら、まさか名乗ることを拒否なさって、地下書庫に篭もっておられるとは」


「重ね重ね申し訳ない。本来なら私が弟子として紹介すべきなのだがな。ケイス殿が今の実力ではその名に満たないと拒否するでな。偶然とはいえユイナ殿が当家に向かう途中で出会ってくれて良かったよ……驚いたかね?」


「……はい」


 フォールセンの問いかけに、万感の思いを込めて静かに頷いてからユイナは茶を口にする。

 口に広がるほのかな渋みとすっきりとした甘さが記憶を刺激し、在りし日の懐かしい思い出が脳裏をすぎていく。

 フォールセンも同じ思いに耽っているのか、先ほどまでの談笑とは違いしばしの無言の語らいがこの場を支配する。

 二人が共有するのは過去の傷であり、同時に半世紀近くが経った今も続く痛みをもたらす生乾きの傷。

 本来であればそこに触れることも憚ってきた。だがケイスが現れたことで、嫌が故にも目の当たりにするしか無くなってしまった。

 だがケイスがもたらしたのは痛みだけではない。

 もしあの人が生きていたら、もしあの人の子が生まれていたら……

 あり得なかった過去が、紡がれるはずだった未来が、色鮮やかに蘇ったような錯覚さえも覚えるほどだ。

 ただそれを声高に語りはしない。過去に起きた惨劇の原因は今も続く闇の中に蠢いていると知るからだ。


「それでフォールセン様。私に頼み事とは一体何でしょうか? 私共ロウガ王家は飾り。引退した王に出来る事などたかが知れておりますが」


 ユイナは半分ほどになったカップを音も無く静かに戻し、今日の本題へと入る。

 ロウガを実質取り仕切っているのは管理協会ロウガ支部であり、その最上層部である評議会。

 あくまでもロウガ王家は、ロウガ復興の象徴であり、この土地を治めるための大義名分でしかない。

 天然の良港であり、かつての貿易都市の狼牙跡地を狙った近隣諸国の争いを起こさせぬ為の護り。

 中立を保ち、支配の名目である王冠としてあるべき。

 それこそがロウガ王家の役割だと、ユイナはよく判っている。

 だからこそ出来る事も少なく、できたとしてもやらずにいた。

 そしてフォールセンもまた同じように隠居した身として、世間から隔絶したこの屋敷でひっそりと余生を過ごしていた。


「なにケイス殿が我が弟子であると公表されるのを嫌がるのであれば、自ら出るしかない場を設けようと思ってな。その助力を頼みたいのだ。それに齢12だというのが本人の弁だが、それでは、ロウガ支部の年齢制限規定である16才に引っかかるのでな」


 永宮未完はあくまでも神が作り出した迷宮であり、探索者管理協会はそこに挑む探索者の支援と統制を目的として設立された組織。

 だから迷宮への挑戦を望む者を止める権利は、管理協会には無い。

 かといって幼い子供や、大病を患った病人など、挑むだけの理由はあろうとも明らかに無駄死にとなる弱者を迷宮へと送り込むのは、さすがに風体が悪い。

 だから大抵の支部では、始まりの宮前に行う管理協会主催の初心者講習会を開催しており、その講習会履修者にのみ管理協会が支援するという方式をとっている。

 大陸全土に力を持つ管理協会の支援を受けずに、迷宮に挑むのは無謀であり、ほぼ不可能といっていい。

 そうすることで年齢制限を設け低年齢者や、履修不可能な弱者を弾くというシステムが出来上がっている。

 だが世の中にはいくつも例外がある。

 領地の継承には探索者資格がいるが、その継承者がまだ制限年齢にみたず、しかし早急に継承しなければ他家に領地を与えられてしまうなどの緊急を有する場合。

 大病を患っていようともそれを遥かに凌駕するだけの才能を持ち、探索者となる事で完治や病状の緩和が望める者等。

 そういった例外のために、推薦枠という物が用意されていた。

 もっとも講習会で講師が、迷宮に挑むに満たないと判断すれば、即時で未履修となるので、絶対に始まりの宮に挑めるというわけでは無いので、あくまでも非常手段……だがそれは昔の話だ。


「なるほど……しかしケイス殿の性格を聞いた限りでは、フォールセン様の推薦を嫌がるのでは? 自らの力を示すことに誇りをお持ちのご様子ですので」


 最上位の探索者である上級探索者が推薦することで、あらゆる条件を免除して、初心者講習会に参加する事が出来るが、強情そうなケイスの性格に、ユイナは無理ではと疑問を口にする。


「そうであろうな。だからケイス殿が望む筋書を立てようと思う。当家で預かっておる子達には親が探索者であり同じように目指している者もおり、1日でも早く名を馳せたいと背伸びする子も多い。だから齢15を制限として、他の支部に習い武闘大会を開いてみようと考えておる。覇者には、私がロウガ支部へと推薦するという優勝賞品をもうけてな」


 これならばケイスは嫌がらないであろう。むしろ名誉と思い望んで参加するであろう道をフォールセンは提示する。


「なるほど、最近他の街で話題となっていました武闘大会ですか」


 フォールセンの提案にユイナがしばし思案する。

 寂れた地元支部を盛り上げようと商売っ気のある上級探索者による推薦枠を使った武闘会が開かれ大盛況を治めたという事が少し前にあり、最近では同じように所属探索者の減少に悩むあちらこちらの支部で開かれ始めていた。

 しかしロウガは元々この地方で最も大きい街であり、資金力でも群を抜く大手支部。

 だからこのような奇策である起爆剤を行わずとも、十分に希望者が集まり、十分な初級探索者が常に増えているからと、この手の催しは行っていない。

 推薦人たるロウガ支部所属上級探索者もいることはいるが、フォールセンを筆頭に見せ物となることを嫌がる者も多かった。


「フォールセン様の名の下に行うとなりますと、色々と嘴を突っ込もうとする者も増えるでしょうね。ですから私にお声をかけたと」


 フォールセンが、大英雄が動く。

 その名声が未だに健在なのは、前回の出陣式での盛り上がりを見れば疑いようも無い。そのフォールセンが武道大会を開こうというのだ、そこに関わり利を求めた、水面下の争いが起きるのは簡単に想像できる。

 だからこそ自分に、中立たるロウガ王家に声をかけたのだとユイナは納得し頷く。


「最近の街は少し騒がしいのでな。この老いぼれの名を使い、主流派と改革派の両勢力に益をもたらし少しでも融和を果たす役割となれるならば良しとしよう。ただ私が直接に出ると騒がしくなりすぎるでな、名代をユイナ殿にお願いしたい」


 今までならば無気力故に見過ごしていたが、ケイスに触れたことで活力を取り戻しつつあったフォールセンは、自分が作り上げた街で起きる対立に対する憂慮を静かに口に出すと、静かにテーブルに額が着くほどに深く頭を下げた。


「中立であるロウガ王家が仕切りをするとなれば双方の勢力とも文句は出せませんでしょう。……王城の野外鍛錬所を即席の闘技場として開放し、両勢力に均等に益がいきますよう、名代として大役を取り計らわせていただきます」


 さて自分の夫でもあるソウセツにどこから話すべきだろうと考えつつも、フォールセンの頼みにユイナは快く返事を返していた。  



[22387] 挑戦者と白虎姫
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/09/24 00:25
「ふぁ……武闘会か。むぅ……なぜかあまり気乗りしない」


 フォールセンの提案に、ケイスはあくび交じりで答え眉根をしかめる。

 戦いは好きだ。相手が強ければ強いほど好きだ。

 なにより今の自分は弱くなっているのだから、一戦でも戦いの機会を得られるなら、これ以上に嬉しいことは無い。

 だというのに、どうにもケイスの心は弾まない。

 自分が何故気乗りしないのか考えようとするが、頭がぼうっとするので考えがまとまらない。


「少し待ってくれフォールセン殿……頭を動かす」


 ケイスはひと言断ってから、テーブルに置かれた蜂蜜の入った小瓶を手に取る。

 ほどよく温められたミルクが注がれたカップに、スプーンを使って蜂蜜をドボドボと投入していく。

 小瓶一杯分の蜂蜜を全て投入したせいで、ほぼ縁ギリギリまで、ミルクがせり上がってきたが、気にもせず一気に飲み干していく。

 ドッロとした食感と重い甘みは、蜂蜜入りミルクというよりも、蜂蜜のミルク割りといった所だが、疲労しきっているケイスにはこれくらいが丁度いい。

 闘気による肉体強化が出来無いので、消化吸収力を極端に上げることは出来無いが、それでも元々人間離れした肉体を持つケイスだ。

 一気に血脈の流れが活発化し、頭が目覚め始め、同時に、自分が気乗りしない理由をはっきりと自覚する。 
 

「……ん。結局それはフォールセン殿の偉功にすがる事で、純粋に私の力のみが評価されたわけではないではないか」


 ナプキンで口元に着いたミルクを拭き取ったケイスは、理由を打ち明ける。


「武闘会でケイス殿の武を示せば、資質を認めさせるには十分であろう。それにケイス殿が最速で上級探索者を志すのであれば必要な過程ではないかね」


 対面に座るフォールセンは自分の提案に難色を示すケイスに、理を持って説明を始める。

 管理協会から支援を受けるためには、初心者講習会を受講しなければならない。

 だが受講には年齢制限があり、ケイスの見た目では16以上だなんて嘘はまず通用しない。

 管理協会の支援が無ければ、迷宮探索に大きすぎる制約を背負うことになり、まして上級探索者を目指すのであれば、協会の支援は必須。

 そして初心者講習会を必須とさせるのは、己の実力も鑑みず迷宮に挑む無謀な者を出さないためであり、あくまでも一般的な者に対する枷。

 だからこそ推薦という特別枠が設けられている。

 そして武は見た目では無く、実際に剣を見せた方が、万人に正確に悟らせることができる。

 フォールセンの語る理は判るが、無謀な者の枠に自分が判別されている事は、天才を自負するケイスとしては苛立たしい。

 だが世間一般の目から見て自分がどう思われているかも、さすがに判ってきていた。

 前ならばとりあえず斬れば良いかと思っていたが、さすがにそれだけでは通用しない場面もある……力だけで押し通すにはもっと力を上げなければ。


「あくまでも武闘会が嫌だというならば、私はただケイス殿を推薦させてもらう。それだけの才を認めておるからな。私から推薦されるのと、私の推薦を勝ち取る。ケイス殿の好みはどちらかな」


「むぅ。後者だ。しかしそれよりも私の実力を私のみで示す方が」


「ならば、今期での参加は諦めるしかなかろうな。ケイス殿には今期の始まりの宮に拘る理由があるのだろう」


「うぅ……昨夜も思ったが、フォールセン殿は本当に意地悪だな。理由を告白しなければ良かった」

 
 あくまでも理に沿いながら、ケイスの明確な弱みを突いてくるフォールセンに対し、ケイスは返す言葉に窮していく。

 上級探索者となり、目的の天印宝物を手に入れる、それはケイスの絶対目標であり、早ければ早いほどが良い。

 だがそれ以上に、今期の始まりの宮に挑む、いや、挑まなければならない理由がケイスにはある。

 それは自分が起こした失敗を償うため。

 ルディアや、レイネ達にも話していない理由を、唯一フォ-ルセンに打ち明けていたことをケイスは今更ながらに悔やむ。

 
「剣士が剣士と対するのだ。明確な弱点があり、勝ち筋が見えるならばそれを攻めるのは定石。それにケイス殿は舌戦といえど手加減される方が気にくわなかろう」


「ぅ……判った! 参加させてもらう! だけど違うぞ。私が参加する一番の理由は、生半可な者にフォールセン殿が認めたという称号を与えないためだ。もしその者に資格無しと判断したら私は容赦なく叩きつぶすからな」


 自分の嗜好をほぼ完璧に理解する師相手にこれ以上戦っても不利。だが素直にその思惑に乗るのは気分が乗らない。

 自分でも負け惜しみでしか無いと思うが、負けず嫌いなケイスにとって精一杯の抵抗であり、本心でもある理由をぶちまけるしか無かった。


「それは良かった。次の始まりの宮までに時間はあまりない。今日にも触れをだし、一両日中には開催する運びとなろう」

 
 ケイスの負け惜しみには触れず、フォールセンは微笑を浮かべると、やけに短い日程を伝えてくる。


「ん。ずいぶんと拙速だな。妨害があるのか? フォールセン殿が主催だというのに」


「下手に期間を設けるといろいろあるのでな。謀を起こす暇を与えぬ為に致し方あるまい。私が直接動くと騒がしくなるので、名代を前ロウガ女王であるユイナ殿に頼んである。王城において行われる手はずだ」


「ユイナ殿に、ロウガ王城か……むぅ、そうなるとあの者もいるな」


 一方的に今は嫌っているロウガの治安警備の最高責任者であり、ユイナの夫でもあるソウセツの顔を、ケイスは思いだし不機嫌になる。

 名を口にするのも今は腹立たしい。
 
 力をつけたらまず真っ先に斬らなければ、ちゃんと勝たなければならない相手。
 
 そうで無ければ語る事も出来無い。

 出自は明かせずとも、父の親友とはたくさん話したいことや、聞きたい昔話もあったのに、それが出来無いのは、ソウセツが全て悪い。

 ケイスの実力にでは無く、容姿に負けてしまうソウセツがだ。


「さて、ケイス殿のいうのは誰のことであろうか知らぬが、大勢の者が集まるであろう場は、ケイス殿をさらに知るには良い機会であろうな」


 実に自分勝手な理由で毛嫌いし怒るケイスの心情を察しているのか、それともそれがケイスだと理解しているのか、フォールセンはただ楽しげに笑っていた。







 病室に持ち込んだ簡易テーブルの中央にケイスが持ってきたパンを置いて、情報交換兼朝食をウォーギン・ザナドールはとっていた。 


「というわけだ。だからウォーギン。私の顔を隠すついでに声も変える覆面を作ってくれ。容姿で侮られるのは私に対する侮辱だし、何より手加減でもされたら楽しめない」


 昨日拾ってきた獣人の出自を探ると飛びだしていったはずのバカが、フォーリアの店に朝一に帰還すると共に、その結果報告ではなく、武闘会への参加を表明して、装備を要求する。

 脈絡など無いケイスの行動に、普通の一般人なら振り回される所だが、話を振られたウォーギンもまた変人・奇人の類い。
 

「武闘会ねぇ。こいつの礼代わりに作ってやっても良いが、魔術師も出てくるだろうな。目くらましや幻術対策やらもいるか。今日、明日で製作となると、そこまで本格的には出来無いがどうする?」   


 ケイスがフォールセン邸からの土産として持ってきたクロワッサンをかじりつつ、その謝礼にと注文の詳細を詰めはじめる。

 単一機能魔具ならともかく、複数の機能を持たせようとすればある程度の製作日数を必要とするところだが、この天才にとってはそれこそ朝飯前ですむ仕事だ。


「ん。それならそれに足して麻痺系の術を防げれば良い。さすがに周囲の空気を毒に変えられたら接近が出来ん」


「お前な、本格的に出来無いつってんのに増やすな……仕方ねぇな。昨日調べたこいつの解析結果を使うか。ぶっつけ本番だから不具合があっても文句は言うなよ」


 テーブルの一角。パンが入った包みを置くために、乱雑に寄せたメモの山を、ウォーギンは指さす。

 そのメモは、件の女性獣人が着込んでいた魔具についての解析結果を書いた走り書きの山だ。

 昨夜のうちに基本解析だけは済ませたようだが、その紙の量が魔具に使われた術式の複雑を雄弁に語っている。


「なんだもう終わったのか。さすがだな」


「見たことが無い術式だが、効果はそれほど物珍しくないからな。類似効果の術式やら、年代が同じ位の魔具から推測すりゃ何とかって所だ。製作して試験してみなきゃ正解かどうかわからねぇよ。それよりケイス。もう一個よこせ。これくらいじゃ足りねぇぞ」

 
 それは報酬という意味なのか、それとも量という意味なのか?

 どちらかは不明ながらもケイスが持ってきたクロワッサンの包みにウォーギンは右手を伸ばしてひとつ掴み、反対の左手では、筆と新しい用紙を手元に寄せて、さっそく特製魔具の設計を始めだした。


「むぅ仕方ないな。私のおやつにするつもりだったが特別だ、もう少しやろう。それよりルディは食べないのか。美味いぞ」


 横柄に頷きながらも許可を出したケイスは、テーブルの反対側へと視線を向ける。

 そこでは同じテーブルに着き話は聞いていたが、精魂果ててテーブルに突っ伏していたルディアの姿があった。


「ケイス。あんたもウォーギンと同じで徹夜明けなのに、なんでそんな元気なのよ」


 大事は無いだろうが、放置もできず、気を失ったままの獣人女性の容態を、ルディアは一睡もせず一晩みていた。

 真面目すぎる性格的に、魔術で冷水を作る練習をしていた所為で魔力切れもあって、疲労困憊中のルディアを尻目に、この天才的なバカ二人は元気その物だ。

 まだ目を覚ましていない病人がいる病室で大声で話すなとか、色々言いたい事はあるが、今のルディアには恨みがましい目線を向けるだけで精一杯だ。


「完徹の二、三日位ができなくて、魔導技師なんてできねぇからな」


「蜂蜜をたっぷり食べれたからな。レイネ先生の家では、甘いものをたくさん食べると怒られるから満足だ」


 百歩譲ってウォーギンは精神的な物だから良いが、ケイスの答えは、明らかにルディアの常識を超越した謎生物な生態。

 闘気強化を失い常識化したはずなのに、何故時折人間離れした快復力をみせる。

 前々から本当に人間かと疑っているが、さらに疑念を深めかねないケイスの言動。

 いっそ友達づきあいを止めれば楽になると判っているが、それは今更だ。


「……聞いたあたしがバカだったわよ。あーもう。ケイスそれより本題はどうしたのよ。この人のこと調べに行ったんじゃ無いの」


 ケイスに関してはいつも通り棚上げ、忘れることにしたルディアは、大きくずれた話を本筋へと戻す。

 ルディアが指さした先のベットには、昨日に比べて苦しげな表情が消え失せ、規則的な寝息を立てる真っ白な毛に覆われた虎族の女性の姿があった。


「ん。そうだな。では調べてきたことの答え合わせをするか。いつまで寝ている!」


 頷いたケイスは懐から何時も持ち歩いている投擲用ナイフを取り出す。

 そしてそれを躊躇する様子もみせず、女性が眠るベットに向けて力一杯に投げつけた。


「な!?」


 ケイスのいきなりの凶行は何時ものことと言えば何時ものことだが、まさかいきなりナイフを投げつけるとは。

 予想される凄惨な光景におもわず目をふさいだルディアの耳に、おっとりとした女性の声が響いてくる。


「君ねぇ。いきなりナイフを投げつけるのは無くない? 一応ボク病人だよ」


 いつから気づいていたのか女性獣人はベットに寝込んだ体勢のままで、左手だけを布団から突き出して、投げつけられたナイフを軽々と受け止めていた。


「寝たふりをしているのが悪い。助けてやったのだから、起きているならさっさと起きて礼くらい言え」

 力が落ちたといえ、投擲技術には少し自信があったケイスは頬を膨らませる。


「いやぁ、ほらアレだよ。目が覚めたら知らない場所だし、知らない人ばかりでしょ。そりゃ警戒ぐらいするよねって話」


「うむ。それには同意しよう。だから別の話をして私達の事情を聞かせてやったのだ。だがいつまで聞いているつもりだ」


「いあ、だってそっちの薬師さんは一生懸命看病してくれたからともかくだけど、君とそっちのおじさんはおかしいでしょ。ボクの魔具を一晩で解析する凄腕魔導技師と、どうみてもお子様なのに凄腕の剣士って感じる君でしょ、そりゃ警戒するって」


 睨み付けるケイスの強い目線に対して、身体を起こした女性獣人はのんびりとした顔で答える。

 一般的には勇敢やら獰猛とよく言われる虎族にしては、やけに力の抜けたふにゃふにゃした笑みを浮かべる。


「おじさんはいいが、あんたな、このバカと一緒の枠に入れるなよ」


「ふん。誰がバカだ……まぁいい。まず名を聞かせろ。それで許してやる」


 ウォーギンはケイスと同等扱いに不満げだが、一方でケイスはなぜか少しだけ機嫌を治し、その名を尋ねた。
 

「ケイス……あんた凄腕って言われて少し嬉しかったでしょ」


 明朗な答えを求めたがる短気なケイスにしてはやけに鷹揚な返しに、ルディアが指摘すると、ケイスは僅かに頬を染める。

 どうやら図星のようだ。


「う、五月蠅いなルディ。私の実力を察する強者に対して名を問う、剣士としての作法に従ったまでだ。おい、こら! お前まで笑ってないで早く名を名乗れ!」


「あーごめんごめん。ボクはウィンス・マクディーナ。なんて言うか、見た目通りの訳あり獣人だね。本名を誰かに聞かれるとちょっとまずいから、ウィーでいいよ」


 ケイス達のやり取りに少しばかり残っていた警戒感も皆無になったのか、髭が垂れ下がった女性獣人ウィーは、訳ありを自称する癖に、やけに気の抜けた名乗りをあげた。 



[22387] 挑戦者と仲間達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/10/01 00:12
 大陸の東域と中央域を隔てる鳴省大山脈。

 迷宮より這い出た高レベルモンスターが時折徘徊し、手つかずの自然が色濃く残る深山幽谷。

 その奥深く、道無き道のそのまた先。外界から隔離された地。白き毛で覆われた体躯を持ち、魔を祓い統べる力を持つ聖獸白虎と呼ばれる獣人一族の里が……





「ん。白虎という名称で探し出せたのはこの伝承の一文だけだ。当時とは地名や地形などは変わっているが、記述から推測するに位置的にはおそらくこの辺りであろう」


 調べてきた伝承についてケイスは語りながら、テーブル中央に広げたトランド大陸東域地図の左隅。主な街道からも離れた辺境域を指し示す。

 活発な活動を続ける火山帯で、低木が群生しているが、とても深山幽谷と呼べる地域ではない。

 だが暗黒時代に荒れ狂った龍や迷宮モンスター達と探索者達の激戦によって、トランド大陸では過去の地図に存在した山脈や湖が消え、気候や環境が激変している事も珍しい話ではない。


「この一帯は有力な獣人氏族複数の勢力地で、よそ者をあまり寄せ付けないという。ウィーのような珍しい毛色の獣人の噂が表に出ずとも不思議では無いからな。ウィーお前ここの出身だな?」


 ケイスが推測した周辺地域には、主だっただけでも7つの有力な獣人氏族の勢力が存在し、日頃から武力を持ってぶつかり合う小競り合いが繰り広げられている。

 稀少鉱石が採れる以外は、火山帯に上位迷宮が点在するくらいで、あまりよそ者が好んで寄りつかず、情報の集まるロウガでも伝聞程度の噂話しかない地域だ。


「正解。ただ寄せ付けないっていうか、何にも無い田舎な上に、道も悪いから、馴染みの行商人以外はなかなか来ないだけなんだけど」


 訳ありだと自称したくせにウィーと名乗った女性獣人は、ケイスの予測をあっさり肯定し、のんびりとした声で答える。


「どこの部族の誰が一番強いかで揉めたり、腕試しが多くて、しょっちゅう街道やら山道が崩れたりボクみたいに、のんびり穏便に生きたい人にはいい迷惑だよ……それにしてもこのパンは美味しいねぇ。もう一個もらっていい?」


 ケイスが持ってきたクロワッサンをかじりながら、ウィーはリラックスモードでのんびりと尻尾を揺らしている。

 どうやら相当お腹が空いているらしく、既に五個目だがその食欲は衰える兆しは見えない。


「ん。好きにしろ。獣人族との戦いが多い土地か。私には合いそうな地だな」


「つまりはケイスの集団が暮らしてるって感じか……最悪」


 嬉しそうに頷くケイスとの隣で、ルディアはそこら中でケイスが決闘を行っている様を想像して、すぐにその嫌すぎる妄想を振り払った。

 
「あーまてまて。ケイス。今、魔を祓うつったか?」


 ケイスが発した言葉の中に気になる単語が混ざっていたのか、ウィーの魔具に使われている魔法陣の一部を書き出したメモの一部をウォーギンは取り出す。


「ん。そういう風に書いてあった部分だけ読めた。しかし、その後の文は専門的な古語ばかりで解読できていないぞ。その書物の全文は覚えてあるが書き出すか?」


「辞書を丸暗記できるお前が読めない古語を、俺が読めるわけねえだろうが。ちょっと気になる箇所がいくつかあったんだが、あんたひょっとして魔力拡散能力持ちか?」


「あーと……うん。そうだけど。君たち。ほんと普通じゃ無いねぇ。よくすぐ見抜けるよねぇ」


 その事を隠したかったのか、それとも呆れていたのか、しばらく返答に時間をおいてうなづき、感嘆の声をあげる。


「お願いだからその中にあたしは入れないで。ウォーギン。字面で何となく判るけど魔力拡散能力ってのは?」


「天然の魔術無効化能力だ。かなりレアな特性で、俺も話で聞いたことがあるくらいで実物は初めて見る。ガチガチの解呪対策を内側に施してあったから何かと思ったがそういう事か」


「ん。普通のディスペルとは違うのか?」


「術を無効化するのは同じだが厳密には違う。魔力を打ち消すんじゃ無くて、魔力を拡散させて無属性化する事が出来るって話だ」


 白紙のメモを二枚手に取ったウォーギンは、その紙に光球という文字を書き込み、すぐにそのうち一枚に書かれた文字の上にべったりと墨を塗り覆い隠す。


「普通のディスペルが、紙に書いた文字の上から、塗りつぶして意味を無効化するようなもんだろ、だが拡散能力ってのは、書いた文字をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、意味を無くす」


 もう一枚のほうは字を中心に四等分に切り裂き、上下左右を入り変えて並べ直して、文字を崩してみせる。
     
 どちらも意味を無くすという結果は変わらないが、その過程は全く別物の力だ。


「しかも不安定な残存魔力が残るディスペルと違って、術者の制御から外れ意味を無くすから魔力は、大気に拡散してすぐ消えるって寸法だ」


 ディスペルを表した紙はテーブルに残したまま、拡散を現した方の紙をウォーギンはばらばらに千切ってから屑籠に捨てる。

 魔術とはこの世界の理から外れた、理外を統べる力。外れた力は術者によって、一時的にこの世で存在しているにすぎない。

 だがディスペルもまた術者によって制御された術。ディスペルによる残存魔力はしばらくだがその空間に残る。

 大規模戦闘において、互いの術を打ち消し合い続けることによって不安定な残存魔力が生まれ、術者の思惑を外れ規模や効果が大きく変化する事も珍しい話では無い。


「ふむ。戦いにおいて不確定要素になる残存魔力を残さないのは大きいな。しかも通常のディスペルでは、術のレベルと規模に比例して、かき消すための消費魔力が膨大になるが、こっちの方が少なくてすみそうだな」


「いや、少ないどころの話じゃ無くて、こいつは特性。魔力は一切いらねぇって話だ」


「魔術師の天敵みたいな能力ね。にわかには信じがたいんですけど、ウィーさんほんとですか?」


「んー……」


 ルディアに尋ねられたウィーは新しいパンを口に加え、しばらく三人の顔を見回す。

 その眼には先ほどまでの愛嬌のいいのんびりとした色が消え、野生の虎が獲物を値踏みするかのような鋭さが顔を覗かせる。

 思わず腰が引けそうになる二人と、その目の色に戦闘意欲が刺激され腰のナイフに手を伸ばす戦闘馬鹿一人。

 緊迫した空気が生まれそうになるが、


「病み上がりだからやらないって、とくに君。君とはじゃれ合うだけでも命がけになりそうだから面倒だしねぇ」


 ふにゃっと力を抜いたウィーは、テーブルに身体を預けた非警戒態勢をみせる。生殺与奪好きにしてくれと言わんばかりだ。


「なんだつまらん。では何故先ほどあのような態度を見せた。ぬか喜びをさせるな」


 無抵抗の相手を斬っても面白くも何ともない。

 新しいオモチャを目の前で取り上げられた子供のように、ふて腐れたケイスが頬を膨らませる。

 態度だけ見れば子供その物だが、今にも斬りかかってきそうな物騒な気配を醸し出している。


「んとね、ボクの場合は、技師さんの話のもう一つ先があるんだよ。見せた方が早いかな。薬師さん。ルディさんだっけ。火球を作ってもらえるかな?」


 ケイスの殺気を面倒そうに受け流してテーブルに身を預けだらっとした体勢のまま、ウィーは右手の人差し指だけ伸ばして振ってみせる。
 
 どうやら指先に火球を乗せてくれと要望しているようだ。

 獣人族は闘気生成、操作に長けた種族で、逆に魔力生成や魔術を先天的に不得意とする。
 
 しかし火球のような基本低位魔術程度なら、消費魔力も操作難度も種族特性を無視出来るレベルの簡単な物。

 火球を生み出せないのは、それこそケイスのように魔力その物を生み出せない変換障害者くらいだ。 


「ルディアよ。ケイスが勝手に一文字だけ略してるだけだから。はいこれで良い?」


 いくつかの疑問は浮かんだが、それを確かめるよりも実際に見た方が早い。

 薬師らしい合理的な思考にしたがい、ルディアは簡易詠唱を唱えながら印を作り、林檎ほどの火球を生み出す。


「ほいっと。では種も仕掛けもございませんと」


 渡された火球を人差し指の先端で受け取ったウィーはクルクルと回し始める。

 回転に合わせてほんのりと熱い熱を放っていた火球は、徐々に小さくしぼんでいく。

 米粒ほどの大きさになって消え去ると思った瞬間、一気に膨張して大きくなっていく。だがウィーの指先に生まれたのは土の塊。

 それは火球と同じく初級魔術に属する土球だ。


「はっ!? おい属性変化か!? 魔力無しでだと!? ルディア何か仕掛けたか!?」


「普通に作っただけよ。なにこれ……」


 魔導技師の常識としてあり得ない現象に、ウォーギンは驚きの声をあげ、光球を作ったルディアは唖然とする。

 既に作られた術の属性を、後から変化させるにしても、先に仕込んでおくにしても、高度な技術と手間が掛かると相場が決まっている。

 こんな指で回した程度で簡単に変わるなら、魔導技師は全員職を失ってしまうほどの異常。だがウィーが見せる変化はこれに留まらない。

 さらに指で回していくと土球が割れ、その中から尖った金属片がいくつか姿を現す。
 
 中途半端な作りかけのような形。ケイスはそれがなにか気づき、そしてこの術が何かを察する。


「ん。武具生成のなり損ないか。となると次は水球で、最後に樹木生成か?」


 剣士であり、元魔術師であるからこそケイスは、ウィーの行った事が何か察していた。

 ケイスが予言したとおり、金属が溶けて水に変わり、飴玉ほどの小さな水球が指先に生まれ変わる。

 だが変化はそこまでで、すぐに蒸発するように水は消失していった。


「いあ、さすがに完走は無理か。でもほんと君ってすごいね。少しはこっちの二人みたいに驚こうよ」


「驚いているぞ。五行いや八卦か? 少なくとも今の術式にそった物では無い。古い術様式だな。変換の度に術が小さくなっていたのは、魔力を失っているからか?」


「そーだね。ボクはどうすればなるかは判るけど、詳しく知らないから、これ以上上手くやるのはむずかしいけどね」


「ふむ。変換時に無駄が多いのかもしれんな。もっと基本的なことを学べば、変換効率を跳ね上げられるやもしれん。ん~少し時間ができたら私が教えてやろう」


「ケイス。こっちを放置して一人で納得してるな。っていうか教えるってお前」


 放っておくと勝手に話を進めてしまうケイスに対して、ウォーギンがさすがに止めに入り、詳しい説明を求めた。   


「変換原理は私もよく判らん。判ったのは変換の理屈だけだぞ。東方王国時代の魔術思想の1つで五行という物だ。簡単に言えば火が灰となり……」


 火は灰を生み、灰が土となる。

 土は、金(金属)を生みだす。

 金は、結露し水を産み出す。

 水は、木を育て成長させる。

 木は、火を産み出す。


「ん。巡り巡って何かを産み出す。これが五行相生という理屈だ。他にも打ち消す相克やら、重ねる比和やら、逆転する相侮、過ぎる相乗という理屈があると言っていたな。ウィーのやって見せたのは五行相生に基づいた魔術変化理論の一種であろう」


 紙に書いたそれぞれの文字を矢印で結びながら、ケイスは相関関係を書き記していく。

 火>土>金>水>木>火。ケイスの書き記した文字の並びは、途中までではあるが確かにウィーが見せたものと同じ並びとなっている。


「お前これの知識はどこで手に入れた。東方時代の魔術理論書はそこまで残ってないのに、言っていたって誰がだ」


「ん。ちょっと前に知り合った東方王国時代の霊魂に教えてもらった」


 自分の言っている事がどれだけ異常なのか判っているとは思えないケイスに、ルディアは自作頭痛薬をとりだし口の中に放り込む。

 薬効を高め苦くなりすぎてとても売り物にはならないが、これになれてしまったルディアはボリボリとかみ砕き、水も無しで飲み込む。


「ケイス……あんたの事だから嘘は言ってないと思うけど、どういう状況でどうしてそうなるのよ。ほんと」


「たまたまだな。見せてもらった剣技などは私の糧となるが、魔術知識はどうしようかと思っていたところだった。今の魔術理論と違いすぎて、ルディやウォーギンに教えても扱いにくそうだったので丁度いいな」


「いやー君たちボクの正体を気にするより、この子のほうを気にした方が良くない?」


「諦めたわよ」「気にするだけ無駄だ」


 ウィーのもっともな提案に対して、同意はするが、とっくにその段階は過ぎた二人はそれぞれの言葉で返した。

 ケイスに関しては、過去も存在も、さらにはその思考回路も含めて謎が多すぎるのでまともに相手にしても疲れるだけ。

 ケイスのやることなすことは、ある意味の自然現象だと思ってしまった方が、まだ楽だ。


「ふん。人の事が言えるか。魔術の苦手な獣人がこれだけのことをやれる。しかも伝承にも謳われ、特性だとウォーギンが言っていたな。お前の父母も使えたのではないか。つまりはお前の子にも継がせられる可能性があるのではないか」


 魔術は獣人族にとって弱点。それは紛れも無い事実であり、そしてよく知られた特性。

 だがウィーの持つ力は、それを軽々と覆す。むしろ知識次第では魔術を得意とする事も難しくない。

 目立つ毛色に、それ以上に有名となりそうな種族特性。なのに白虎と呼ばれる種族の名は、調べなければ出てこない。

 これらを加味して考えれば、知られていないのでは無く、意図的に隠されていると考えた方が自然だ。そして隠していたのは……


「そう考える人が多いんだよね。でも技師さんもいったけど珍しすぎて、ほとんど生まれないんだけどね。ボクが20年ぶりくらいに生まれた白虎だったし」


「……ウィーさんの出身地を領土とする有力獣人種族が、痩せた土地だというのに離れないのはその力の為ですか?」


 自分達が力を独占するために、ウィー達一族を閉じ込めているのではないか。そんな嫌な想像が過ぎり、ルディアは多少遠回しに確認する。

 もしそうであれば、あのような魔具でウィーが正体を隠そうとしていた理由も納得できるものだ。 


「あー心配してくれてありがと。でもちょっと違うかな。ボクのご先祖様が暗黒時代初期に、いくつかの獣人種族を保護してたからその頃からのお付き合いだよ」


 ウィーの説明では当時はまだ数のいた白虎族は龍の魔術攻撃さえも何度も退け、里やその周辺を死守し、逃げ込んできた周囲の種族も同胞として受け入れていたらしい。

 だが度重なる激戦で純血の白虎族は数を減らし、それを補うために逃げ込んでいた他族との混血も進んだが、世代を重ねるごとに白虎として生まれる子は激減していったらしい。

 だからあの地域では白い子が生まれると、神子扱いでそれはそれは丁寧に育てられるとの事だ。


「ご先祖に種族を助けられたからって、今も律儀に残って良くしてくれてるんだよね。どちらかって言うと、世話焼きな過保護な親戚のお爺ちゃん、お婆ちゃんて感じ……各種族が」


 嫌っているわけではなさそうだが、少しウンザリしているのか、ウィーが苦笑いを浮かべる。

 
「隠そうとするのも当然だ。これだけのレア特性で、しかも変換まで可能。倫理観無視で技術者的に発想するなら、人体実験をやらかそうが、どれだけ不利益をこうむろうが、再現ができたら釣りが来る」


「そんなにか?」


「おう。だからこそこりゃ下手に残せねぇな。ルディア、後で燃やしといてくれるか」


頭を掻きながらウォーギンは自分が書いていたメモを、全てゴミ箱に捨てていく。

 魔具を見て自分が推測ができたのだ。ウィーの魔具について書いたメモを見て、他の誰かがウィーの存在や能力に気づかないという保証は無い。


「はいはい。ケイスあんたも人前で喋らないようにね。ウィーさんにも私達にも迷惑が掛かるから」


「うむ。わかっている」


 ルディアが口蓋禁止を促すと、ケイスは即断で頷く。


「……自分でいうのもアレだけど、ボクの情報ってお金になるでしょ。売るつもりは無いの?」

  
 口外する気は無いというケイス達を見ながら、ウィーは尋ねた。


「真っ当な魔導技師としての道に外れたら、死んだ師匠に会わせる顔がねえからな」


「お金より平穏だって、ケイスで厭になるほど判っているからです」


「私達を信頼して、属性変化まで話したのであろう。ならばその信頼に応えるのは当然だ」


 三人を見回したウィーは心底のんびりとした表情を浮かべる。

 これがうわべだけなのか、それとも本心なのかは、その目を見れば判る。


「君たち本当に変わってるね……だからこそ話したんだけどね。ちょっと協力して貰いたい事があったから」


「協力? ふむ。私はウィーが気に入った。私達が出来る事なら手伝ってやろう。だから後で手合わせしろ」


「あんた勝手に約束しないでよ……もう巻き込まれているから、犯罪行為でなければ協力はするけど」


「交換条件で魔具の修理をやらせてくれるならな。ありゃ古さもあるが、あんた拡散特性の所為だろ。過剰なほどに解呪対策してあったが、一部が劣化してシーリングが切れてた。その部分の魔力導線が解除されたのが原因だろうな。いろいろいじくる余地があって面白そうだ」


 ケイスは手合わせを望み、ルディアは面倒見の良さ故、そしてウォーギンは魔具をいじれるなら何でも。

 三者三様の答えは、纏まりの無さを如実に現しているが、まだ中身を聞いていないのに、既に頼みを聞くつもりなのは変わらないようだ。


「ありがと……あーボクね、ちょっと訳あって探索者になるつもりなんだ。ただこの見た目でしょ。何とか目立たないように協力してもらいたいんだよね」 


 尻尾をゆっくりと揺らしながら、ウィーは髪型を変えるのを手伝ってくれないかとでもいう軽いトーンで、依頼を口にした。



[22387] 鬼翼と狼女王
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/10/03 01:46
 最近ロウガで囁かれる噂がある。

 隠棲していたはずの大英雄フォールセン・シュバイツァーが、生涯最後の弟子をとり育生を始めたと。

 しかしその噂には懐疑的な目を向ける者が多かった。

 フォールセンが暗黒時代の終焉と共に探索者としての活動を終わらせ、ロウガ支部長としても既に半世紀前に引退した過去の人。

 あのお方が今更弟子をとるのか? 

 それ以前に幾人もの天才が挑み挫折した大英雄の技を、受け継げる者など現れるのか?

 そういった声が大半であり、フォールセンの邸宅を訪れその弟子との面会を求めた者も少数はいたが、会うことは出来無かったとまことしやかに噂されている。

 やがて、未だに表舞台に担ぎ出されそうになるフォールセンが嫌気を覚え、弟子をとったと理由をつけて拒んでいるのではないかというそれらしい理由が、新たな噂として流れ始めていた。  

 だがそれは今朝までのこと。

 フォールセンが今期の始まりの宮への推薦枠を行使し、その名代として前ロウガ女王ユイナによる推薦を得るための武闘会が開催される。

 協会を通じ大々的に公布された情報は、一部の者達に大混乱をもたらしていた……







「失礼します!」


 早朝のロウガ王城。前王女ユイナ専用執務室への、この日最初の訪問者はノックとほぼ同時に部屋の中に飛び込んでいた。

 息子に王位を譲ったとはいえ、前女王として様々な慈善活動を行い、名誉職に着いているユイナの為の専用執務室は私室に隣接して設けられている。

 王族のプライベート空間といっていい奥まった執務室まで、こんな早朝から押しかけられるのもまた彼女が王族だからにほかならない。

 
「サナ。はしたないですよ。家族とはいえせめて返事は待ちなさい。それにどうしたのですか。先ほど出かけたばかりでしょうに?」


 ノックとほぼ同時に執務室に飛び込んで来た孫娘である王女サナの不作法を、筆を休めたユイナはやんわりと注意する。
 
 人前では王族としての立ち居振る舞いをほぼ完璧にこなしているが、慌てると途端に余裕が無くなり礼儀作法が彼方に消える欠点は、子供の頃から変わらない。

 それにしてもつい先ほど朝の鍛錬へと向かうと出て行ったばかりなのに、何故こんなに慌てて戻ってきたのやら。


「そういう場合ではありません! 大お爺様の名代として御婆様が武闘会を開くという触れが出ています! これは本当の事なのですか!?」


 執務机の側まで早足で駆け寄ってきたサナは、机の上に一枚の紙を叩きつけるように置く。

 今朝印刷が終わったばかりなのかまだ新しいインクの匂いを漂わせるその号外広報には、フォールセンの名の元に武闘会が開催される旨が記されている。

 どうやら街でこの広報を見つけ、慌ててとんぼ返りしてきたらしい。


「あらもう触れが出ましたか。さすがにロウガ支部はお仕事が早いですね。それともフォールセン様のご高名と感心いたしましょうか」


 昨夜フォールセン邸をあとにしてから協会にその足でより、事情を話しいくつか依頼をしていた。

 前女王がいきなり持ってきたフォールセン絡みの依頼に、ロウガ支部は一瞬混乱状態に陥っていたが、それでもこうやって次の日の朝には大きく情報を流しているのだからたいした物だ。

 これで余計な権力争いが無ければ……  


「私も出場させていただきます! もちろんセイジもです!」


 憂慮を覚えるユイナに気づかず、祖母の肯定に目を輝かせたサナが高らかに参戦を宣言した。

 セイジ殿に確かめているのだろうか? 

 半年前の一件以来、おおっぴらに仲間として付き合うことができるようになったはいいが、どうにもサナにはセイジを引っ張り回す傾向が見える。


「サナ。武闘会の趣旨を判っているのですか?」


 孫とはいえ人の恋愛に嘴を突っ込む気は無いが大丈夫だろうかと心配しつつも、それらは表情には出さずユイナは問いかける。


「無論です! 大お爺様の最後の弟子を選抜する為です! 勝ち抜き選ばれる者がただ一人であろうとも、それを理由に大お爺様を敬愛する私が参戦しないなんて選択はございません!」
 

 サナの背から雄々しくも優雅に生える猛禽の翼が、歓喜に打ち震えている。

 フォールセンを心の師と仰ぐ孫娘には、今回の件は名実共に弟子を名乗る事が出来る絶好の機会に見えているようだ。


「全く貴女は……今回の武闘会はお弟子を選ぶ為などでは無く、フォールセン様が推薦権を行使なさるためです」


 サナが持ってきたチラシに目を通したユイナは、条件や主旨がしっかりと書かれているのを見て嘆息を吐く。

 どうやらフォールセンの名の下に行われると聞いた段階で、後の細かい部分は目に入っていなかったようだ。  

「今回の武闘会は前期の出陣式で起きた騒ぎや、あらわになったセイカイ殿の企てによる悪影響をご心配なさったフォールセン様のご厚意によって……」


 前代未聞の出陣式への闖入者によるロウガの象徴ともいえる英雄噴水の破壊。

 末端とはいえ名家シドウに属するセイカイとロウガ支部の一部も関わる陰謀劇。

 さらには最近取りざたされる若手探索者の実力や質の低下。

 探索者やロウガ支部への、一般大衆の不安増大や、信頼低下に繋がる不祥事が連続した事態を憂えたフォールセンの厚意により、急遽ではあるが今回の武闘会開催となった。

 才能ある若者を見いだしロウガ支部全体でバックアップして、探索者全体へのイメージ改善を図るためである。

 武闘会への出場資格を16才以下のみに限定したのは、年齢が満たないが才能に溢れ事情がある者に与えられる推薦権の本来の建前があった故致し方ないという事情に加え、低年齢者が大英雄の名の下に見いだされるという筋書きは、大衆受けが良いと判断した為。

  
「私が名代となったのは、フォールセン様が表立って動くと、貴女のように勘違いする者も増え収拾がつかなくなる恐れもあったのと、闘技会会場として我が王城の野外鍛錬所をご提供する運びとなったためです」


「で、では、大お爺様の弟子選抜という噂は!」


「それこそ根も葉もない噂です」


「そ、そんな……」


 あくまでも政治的事情や、将来も見据えたイメージ戦略の一環であるとにべもなく告げたユイナの説明に、サナはがっくりと肩を落とす。

 先ほどまで滾っていた背中の翼も、しゅんと落ちて、心なしか色つやまで悪くなったようにみえる。


「……早朝からお騒がせし申し訳ありません御婆様。私は鍛錬へといってまいります」


 朝から押しかけた非礼をわび頭を下げたサナは、残念で仕方ないという無念を顔に貼り付けながらヨロヨロと執務室から出て行った。

 心ここにあらずといった状態。気もそぞろに鍛錬を行って怪我をしなければ良いが。


「根も葉もない噂か。全く、お前は昔からしれっと嘘をつくな」


 扉が閉まると共に、バルコニーへと続く庭側の扉が開かれ、ユイナの夫であるソウセツが入室してくる。


「お疲れ様ですソウタ殿。ロウガの街は本日も変わりなくですか?」


 ソウセツの言葉には一切触れず、にこりと微笑んで夫をねぎらったユイナは茶を入れるため席を立つ。


「変わらずだ……忌々しいことにな。見させて貰うぞ」


 むすりとした固い表情のまま答えたソウセツは、サナが持ってきた広報を手に取ってから部屋の隅に設置された応対用のソファーへと腰掛ける。

 昨夜の夜回りでは禁制品を扱う闇商人や、納入する探索者崩れを幾人か捕縛したが、あくまでもそれらは末端。

 いくらでも出てくる有象無象にすぎず、ロウガに根付く闇はまだまだ色濃く広い。

 互いに不老長寿である上級探索者であるため、実際の年齢よりかなり若く見えるが、長年連れ添った夫婦である二人の間に詳しい言葉はいらない。


「今日はナツメや陳皮などを使ったお茶にしてみました。香りはいかがですか?」


 ソウセツの心労をねぎらいながら、対面へと腰掛けたユイナは、ほんのりと果実香りがする淡い色のついた茶をポットからカップに注いでいく。

 オリジナルのハーブティー作りは、息子へ王位を譲ってから少しは暇ができたユイナが新しく始めた趣味だ。


「少し甘い。もう少し苦みがあっても良い」


 カップを取りソウセツは香りを嗅いでから一口飲み、正直な感想を口にする。

 下手になにも考えず美味いと返せばすぐに見抜かれ、具体的にはどういう風にだとからかい気味に攻めてくる。

 亡くなった義母ユキも似たような事を良く仕掛けてきたので、ソウセツにとってこの手の対処はなれた物だ。


「少し配合を弄ってみますね。義母様のようにはまだまだいきませんね。やはり色々と自作をした方が経験も積めてよろしいのでしょうか」


 本職の料理人顔負けに、飲む人の好みや体調に合わせ、何時も最適な飲み物や食べ物を提供していた義母にはまだまだかなわないと、ユイナは懐かしそうに微笑みを浮かべた。


「あの人のアレは食い道楽が過ぎた結果だ。そこまで真似をされたら適わん」


 一方でソウセツも二口、三口とカップを傾けつつ、懐かしげではあるが少し苦い色をその顔に覗かせる。

 遊びたい盛りの少年期に、漬け物を作るのを手伝えやら、干物にする魚を捕ってこいなど、仕込みを色々手伝わされた記憶が蘇っていた。

 自作の茶だけならまだしも、往年には酒まで造り始めるほど。

 元々料理好きではあったが、あそこまで生き甲斐を見いだしていたのは真面目すぎる性格ゆえか、それとも家庭を守ることに誇りを持つという東方女性の血だろうか。

 義母と同じく東方の血を引く証である黒髪をなびかせる妻へと視線をむけたソウセツの脳裏には、また同じく黒髪が印象的な少女の顔が浮かんだ。

 最近では義母よりも多く頭に浮かび、さらには頭痛の種となる騒動をこの数ヶ月でたびたび引き起こしているケイスの顔が。 


「祖父殿が動いたのはあの馬鹿娘のためだな」


 公報を読み終えると、ソウセツは前置きもいれず断言する。

 いくら広報でそれらしい理由を並び立てようとも、事情を知る者からすれば隠棲したフォールセンが動くには、今回の武闘会の理由としてはあまりに弱すぎる。

 あの程度の不祥事で動くなら、この半世紀で既に何度もフォールセンは動いていた。 


「今期の始まりの宮に剣士殿は挑むおつもりです。ですが年齢が足りませんでしょ。しかしフォールセン様が推薦をなさろうとしても、ご本人が拒否されるだろうとのことです」


「あの頑固者のバカ娘が。まだ自分が弟子だと公表させないつもりなのか」


 厄介すぎるケイスの性格をここの所の関わりで嫌でも知っているソウセツは、ユイナの説明で事情をほぼ完全に察し、眉間に皺を寄せる。

 ケイスを弟子にすると、フォールセン本人から最初に聞いたのは誰でも無いソウセツ自身。 
 しかしそれから数ヶ月も経つのに、フォールセンが弟子をとったという話は、あくまでも噂で、それも信憑性が低い流言飛語扱いされる始末だ。

 『大英雄の最後の愛弟子』その名誉ある称号を素直に受け取っていれば、良い物をどうして拘るのか、ソウセツには理解出来ない。

 安易に推測が出来るケイスの出自は、世界的な規模の戦乱さえ呼び起こしかねない危うい物のはず。

 だが本人は隠しているつもりなのか、それともこちらが気づいていても気にしていないのかどちらかは要として判らないが、隠れる気も無く自由すぎるほどに動き回っている。


「フォールセン様にお伺いしましたら、ご自分の武がまだフォールセン様の弟子を名乗るほどには、達していないからとのことです。可愛らしい理由では無いですか」


 ユイナはころころと笑っているが、妻が面白がるのに比例してソウセツの皺は深くなる。


「どこが可愛い……正直に化け物だぞアレは。私達が関わらずえないほどにな」 


 本来ソウセツ達、ロウガ支部治安警備部の役割は、人外の力を持つ探索者達の取り締まり。

 あくまでも探索者やそれに準ずる力を持ち、一般の警備兵では対処が難しい者、その治安警備部が12才の少女が起こした騒ぎをたびたび相手にしなければならないという段階で、既に異常事態だといえる。


「武闘会には当然アレも出てくるのだろう。下手をすれば死人が出ないか?」


 ケイスで憂慮すべきは力よりも、あの異常性格だとソウセツは考えており、概ねその考えは間違っていない。

 気にくわなければ殺しに来るし、気に入っても本気で倒しに来る。どちらにせよケイスの思考は大元に剣と戦いしかない。

 その本性が遺憾なく発揮される舞台としては申し分ない。


「私個人の観点からすれば、フォールセン様の推薦を得るためならば、命など惜しくないという方が望ましいのですが、そういう訳にもまいりませんでしょうね」


 ほんわかとした微笑みのまま少しばかり本性を覗かせたユイナが、片手を振って術を発動させ、風を起こし執務机の上の書きかけの書類を手元へと引き寄せる。

 それは今回の武闘会における大会ルールの草案といえるものだ。


「このようなルールを考えております。これならば怪我人位で死人まではいかないでしょ」 


 その書類をユイナはテーブルにのせた。

 それを受け取ったソウセツは、ゆっくりとその中身を吟味していく。

 ロウガ近隣の街も含めて、おそらく100から300ほどの参加希望の若者が集うだろうというのがユイナの見積もり。

 特に出身地での制限は設けていないが、開催までの期間の短さを考えれば、ロウガとその近隣の街だけとなろう。

 下手に期間を設ければフォールセンの高名に釣られ、外からさらに多くの探索者希望の若者が集うことになりかねない。 

 年齢制限はあるが、探索者の街であるロウガ市街の武道場や数々の戦闘技能を教える教室の数と、フォールセンの高名を考えれば最大300という数字もあり得なくない。

 その中にはケイスのように並外れた実力を持つ者もいれば、もしかしたらという可能性にかける者や、己の実力を過信する未熟者などもいるだろう。

 有象無象の中から、選ばれるのはただ一人だけ……

 
「まずは予選として探索者としての資質を見抜くために集団戦。後に個人技を見る形でのトーナメントと考えております」


 楽しげな微笑みを見せるユイナが語るように、そこには二段階に別れた選別方が書かれている。

 まずは大きくふるい落とす集団戦。後に個人技と。 


「ずいぶんと意地が悪いなコレは。トーナメントが必要になら無い事態もありうるのでは無いか。もしコレがなれば心折れる者もでるぞ」


 だが妻の性格や考えを知るソウセツは、細やかに書かれたルールの中に、予選だけで全てが終わる条件が1つだけ隠れていることに気づき、少しだけ責める目線を飛ばす。

 死人は出ないだろうといった言葉には確かに間違いは無いが、それは肉体での話で、精神的に殺される者が、来期以降に本来の適正年齢になっても、探索者となる事を諦める者が大量に出る事態になりかねない罠だ。


「最近は安易に探索者を目指す若者が増え、それに伴い、資質の低下や死亡者が増大しております。探索者としての資質を示す良い機会となりましょう。ましてや今回は大英雄の名の元の大会。私が用意した1つだけの最適解にいたる位で無ければ、その名にふさわしくはありません」


 適正無き者は折れればいいと言外に語り、微笑んだままユイナは茶を口にする。

 何時も微笑みを絶やさぬ裏で、相手の戦力や地形から冷徹な判断を下すパーティの頭脳役だった妻の一面を、ソウセツは久しぶりに見た気がする。

 おそらくだが、サナが先ほど勘違いしていた今回の武闘会はフォールセンの弟子を選抜するためという噂。その噂の出所はユイナだとソウセツは見ている。

 そうすることで優勝者が、フォールセンの弟子であると公言しなければならない空気を作り出すために仕掛けたのだろう。


「あの馬鹿娘に見抜けると? もしかしたらそう考えるかも知れんが、今の力ではそれを果たすのは難しかろう」

 
 果たしてユイナがわざと作った可能性にケイスはいたるだろうかと、ソウセツは懐疑的な色をうかべる。

 常人ではまず考えない思考と、常人ではまず抜けられないほどの試練がそこには待っている。 

 思考はともかく、今の力ではケイスが突破できる可能性は限りなく〇に近いはずだ。


「昔、義母様に伺ったことがあります。英雄を越えた英雄。大英雄と至るためには何が必要かと」


「義母殿の事だ。碌な答えでは無いだろうな」


「いえ素敵なお答えでしたよ。『そんな事考えてるやつは至らない。後先考えない馬鹿だけよ』とお答えくださいました」


「全く……お袋らしい。やはり碌な答えじゃないな」


 大英雄を馬鹿扱いするとは。

 そんな台詞を嬉しそうに言う義母の顔が浮かんだソウセツは、昔の呼び名を口にしながら苦笑するしか無かった。



[22387] 挑戦者の高揚
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/10/07 01:55
 大陸全土に広がる大迷宮【永宮未完】

 永宮未完への入り口がある迷宮隣接都市には、迷宮から大きな富がもたらされるが、同時に時折、迷宮からあふれ出した怪物達が災いとして降り注ぐ。 

 トランド大陸東域でもっとも大きな迷宮隣接都市であるロウガでの、迷宮への入り口は新市街地側最北部山中の中腹。

 見上げるほどに巨大な一枚岩の岩壁にぽっかりと穴を開けた外洋帆船が船団を連なって抜けられるほどに巨大で深い洞穴こそが、ロウガの迷宮口。

 そこは迷宮への入り口でもあるが、同時にトランド大陸北域へと繋がる主要接続回廊、北部大街道の出発点でもある。

 入り口周辺には、大がかりな関所が設置されているが、そこはあくまでもロウガに出入りする旅人達の審査をするための要衝。

 迷宮モンスターからロウガを守るためのロウガ防衛最終ラインとなる城塞、それこそが、山裾に築かれたロウガ王城だ。

 山側に向かって広く、街側に向かって狭くなる台形上の中央区画、そこから王城回廊壁と呼ばれる防壁が左右に長く伸びている。

 張り出した回廊壁は、ロウガの街をぐるりと囲む外周防壁と接続されており、街が拡張し新たな防壁が築かれる事に、回廊壁もまた改修され延伸され続けていた。

   







 フォールセンの名の下に行われる武闘会は、ロウガ王城に隣接してはいるが、防壁外、街の外になる王城野外鍛錬所でおこなわれる事になっている。

 降って湧いた大イベントを一目見ようと言う大量の観客と、もしくは武闘会で己の武を見せようと滾る少数の挑戦者達。

 彼らはまだ日も完全に昇りきらない早朝だというのに、会場へ向かって大移動をしていた。

 その群衆の中にケイス達”四人”の影があった。

 ルディアとウォーギンはいつも通りの服装だが、後の二人は違う。

 白虎と呼ばれ純白の体毛が目立ちすぎるウィーは、ルディアが作った魔術無臭染色薬で、毛を虎獣人によくいる茶色に染めている。

 ただの染色薬では無く、魔術薬を使った理由は、嗅覚に優れた獣人にその匂いから使用を見抜かれる恐れが強く、疑念を抱かせる可能性を少しでも少なくするためだ。

 本来ならばこれほどの人出があるならばフードを被った上に顔まで隠しているが、染色薬のおかげで素顔を晒して歩けるためか、ウィーは気持ちよさそうだ。

 一方でケイスは、逆にその幼くも整った美少女然とした美貌のみならず、その体格以外は全ての情報を隠す戦闘用の武装に身を包んでいた。

 頭頂部から顎先まで覆い、両目の部分には、対幻覚魔術用処理を施した魔具グラスが縫い込まれ、変声機能を持つマスクは、今回の武闘会に合わせ昨日一日で作られた品だ。

 突貫品であるマスクとは違い、そこから下はこれから迷宮へと挑むために、ケイスが準備してきた武装となる。

 軽さと動きやすさを重視し、植物モンスター素材から作られた伸縮性がある薄く弾力性もある合成繊維性の四肢まで全てをカバーする一体型スーツ。

 それだけでは些か防御力に不安があるので、胸部、腕部、脚部のそれぞれをなめし革製の軽装甲で強化。

 腰のベルトのみならず、全身にはベルトを増設して、それぞれに近接戦闘用防御ナイフを一本に投擲用の各種軽量ナイフを数本で1セットとし、いつでも引き抜けるようにしている。

 足元はつま先と足裏を薄い金属板で補強したブーツを履き、そこにもいざというときの拘束魔術解除用の仕掛けを施した念のいりようだ。

 メイン武装としては、最近愛用している刺突剣を一本と、頑丈さにこだわった厚みのあるロングソードを一本。

 一つ一つはたいした重さが無くとも、それなりの装備重量を持ち込んでいる。

 闘気肉体強化が不可能になって非力となってしまったケイスには些か重すぎるが、上に羽織った戦闘用外套の裏地に仕込まれた軽量化魔術が欠点を補う。

 これらは全て既存の武具に魔導技師のウォーギンがケイスの要望を元に改良を施した武具達。

 魔術を使えず、何より魔力を生み出せず、魔術攻撃に対して致命的に耐性が無いケイス専用装備のこれらは、対魔術戦を強く意識し魔具中心の装備構成となっている。
 
 もっともその出来には、ケイスもウォーギンも満足はしていない。

 魔導技師であるウォーギンとしては、ケイスが魔力を生み出せない影響で、どうしても魔具への魔力補充が転血石を用いた充填方式となるために、その為に余計な術式が増えて、品質や威力に制限が生まれている事が気になる。
 
 自身の魔力を使うタイプの魔具であれば、もう数段階上の術式を余裕で組み込めるのが判っているだけに歯がゆさがあるのは致し方ないだろう。

 一方で使用者であるケイスの不満は、純粋にその理想や希望が極めて高いからになる。いざ戦闘となれば武具があれば何でも使い、使ってみせるが、好みとなればまた別問題。

 両者とも不満点は違うが、一致しているのは改良の余地が多々とあるという一点だ。


「王城っていうよりも、どっちかっていうと国境砦じゃないこれ」
    

 人が多すぎるのでノロノロと進みながら、ようやくたどり着いた回廊壁。壁の向こうへと向かうそのトンネルを見上げた、ルディアは率直な感想を口にする。

 人里から離れた要所に築かれた城塞とは違い、街の中や近郊の城塞とは、本来であれば行政の中心であったり、象徴としての意味合いが強い。

 だがロウガ城の作りは明らかに戦闘を、それも大規模な侵攻を意識した作りとなっている。


「しかも戦争中の国のだねぇ。なんでこんな大きいの?」


 ウィーも同じ感想のようで、小首をかしげている。

 二人ともロウガにきたときは西側の中央大街道を通って来たため、王城回廊壁部分を通るのは初めてになる。

 3階建ての建物とほぼ変わらない高さに、その下をくぐる20ケーラはあるだろう長さのトンネル。これはそのままこの回廊壁の高さと厚さを語る。

 その大きさ、積み上げられた石の堅牢さ、何より壁面に施された魔術防御処理加工の数と質。すべてが一級品の要塞といって過言では無い作りだ。
 

「実質国境みたいなもんだからだ。この先の山側に向かう街道を進めば迷宮口が見えてくる。もし始まりの宮後にあそこからモンスター共があふれ出してきても、ここで食い止めるって話だ」


 ロウガ育ちであるウォーギンは眠たげな目であくびを交じえながらも、感嘆の声をあげるルディア達の疑問に答える。 

  半年に一度の迷宮閉鎖期と並行しておきる、モンスターの異常繁殖期。

 迷宮内で増えているだけならばまだ良いが、始まりの宮の終了と共に、迷宮内で大増殖しすぎ溢れたモンスターの大群が近隣の街を襲ったという話は、トランド大陸では珍しい話では無い。

 その最たる物が暗黒時代の始まりとなった火龍侵攻と呼ばれる事例だ。

 その時はトランド大陸全土の全迷宮口から、モンスターが一斉に溢れ出し大殺戮を開始し、さらには迷宮の王たる龍の群れが、ロウガの前身である東方王国狼牙を一晩で灰燼に変えたという記録が残されている。


「それにしても大きすぎない。これ建設費もそうだけど、維持費も馬鹿にならないわよ」


 左右、天井や床にまでに描かれた魔術文字や、魔法陣には、色あせた形跡が無く、時折設置し直されている事を窺わせる。

 これだけの陣を作るためにかかる触媒の量や、その手間を考えたルディアは、あまりに大げさすぎだと呆れていた。


「領主として街を守るべきだった先祖の行いを恥じ、さらに償うためなのであろう。隠さずにいることは褒めてよかろう」


 ルディアの感想に対して、マスクの効果で何時もと全く違う声ながらも、いつも通りの上から目線全開な話し方のケイスが、出口側の壁に埋め込まれた歴史を記したプレートを指さした。
  
 火龍侵攻の際に狼牙領主とその一族は部下に死守を命じながら、我先に逃げ出していた。守るべき領民への避難の指示さえもせず。

 本来ならば領民を見捨て逃げ出した領主の末裔が、やがて王になるなど許される話ではない。

 だが火龍侵攻により、今のロウガよりもさらに巨大な街だったという狼牙は滅び、数十万人を数えたという領民も、わずか百名ほどしか生き残ることはできなかった。

 さらにそこから暗黒時代が終わりを迎えるロウガ開放まで、二百年以上の時間が掛かり、本来責めるべき者もほぼいなくなり、地域情勢も考えた政治的判断もあった結果、今のロウガ王家がこの地の王となっている。
 
 過去の恥ずべき所行があるからこそ、今のロウガ王城は街の中心部ではなく、迷宮口に最も近い北部に建造され、王族が最前線に立ち、街を、民を守るという意思を表していた。


「でもさぁそれにしては妙じゃない。ロウガの王様って飾りで、実質街を取り仕切っているのはロウガ支部って話で、警備兵さんは幾人か見たけど、とても街を守れるだけの数はいないよ?」


 街防衛時には最前線の要塞となるわりには、そこに詰める兵の数が異常に少ない事をウィーが指摘する。

 実際に群衆を誘導する王城警備兵よりも、今回の武闘大会のため急遽増員されたらしき協会所属の警備兵が目立っているほどだ。


「ん。ロウガ王家は歴代飾りであるのもあるが、元々の狼牙領地はもっと広大な地域で、今は周辺国家の領土となっている。周辺国家に余計な緊張や警戒を与えない方針で、最低限の警備兵しか持たない主義だからだ。それに今の王家には上級探索者が二人もいる。これだけの防壁があれば、防衛くらいならどうにか出来るであろう」


「へー。アレでも王城野外鍛錬場ってあそこでしょ。あんな大きい鍛錬場はあるのに、最低限の兵隊さんしかいないっておかしくない?」


 ウィーが指さした先には、平地から始まり、山の中腹辺りまで連なる長い木製の壁で囲まれた森が見える。

 うっそうと茂った木々の隙間からは、物見塔や建物がいくつか顔を覗かせていた。

 道の脇に設置された案内図を見れば、街の区画が数個すっぽりと入るほど大きい敷地面積を誇るようだ。


「王家の権限強化を求めた王族がいた名残だ。先ほどのプレートを建前に、兵の増強を画策して、最終的には周辺国家の武力併合を企てていた王子の肝いりらしい。その王子が失脚した時には完成してしまっていたので、今はロウガ支部が時折行う大規模人数講習などで用いているとガンズ先生はいっていたな」

 
「東方王国復興派ってやつか。ケイス。その話にあんまり触れるなよ、ロウガじゃかなりデリケートな問題で、揉め事の種だぞ」 


「ん。心得ている」 


 ウォーギンの忠告にこくんと頷いたケイスの様子に、ルディアは軽いため息を吐く。


「あんたがあっさりとした反応を見せる時って、盛大な前振りでしかない気がするんだけど」


 やるな、関わるないったところで、このトラブルメーカー娘がそのうちに大事を起こすのは、既に既定路線。

 とんでもない理由で、とんでもない事をしでかしかねない戦闘狂と、今回の武闘会という組合わせ。まだ受付前だというのに、既にルディアの胃は悲鳴をあげ始めていた。   


「ん。どういう意味だ?」


「観戦の方はそのままこの道を進んで広場へ向かってください。武闘大会参加者の方はこちらの道を抜けて、大会本部で受付を済ませてください」


 言われた意味が判らず、首をかしげたケイスの耳に、参加者を誘導する係の声が聞こえてくる。

 ほとんどの者は流れに乗ってそのまま進んでいくが、時折一人、二人と列を外れ小道へと入っていく。

 若くまだ少年、少女といった面影の者もいるが、中には大人顔負けの体格を持つ者や、見た目では歳がよく判らない獣人族や、異形の服装を身につけた魔族といった他種族も見受けられた。

 強そうな者や、変わった顔ぶれにケイスの戦闘意欲が刺激される。どういう戦い方をし、戦闘技能を持つのだろうか?


「では、いってくる」


 変声した状態でも判るほどに弾んだ声を出しケイスは、三人への挨拶もそこそこに列を抜け出し小道へと向かう。

 今から斬るのが、楽しみで楽しみでたまらない。ケイスの思考は既に戦闘モードに入っていた。



[22387] 挑戦者と魔術の塔
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:3835ca5e
Date: 2017/10/24 00:21
 フォールセン・シュバイツァーの名の下に行われる、特別推薦者選抜武闘大会。

 その名誉を与る者は若干一名。

 たった1つの席を求め集まった若者の数は、主催者の予想を超える300人以上となっている。

 しかしその中には、数多くの条件を満たさない者、年齢制限を上回る者も紛れ込んでいる。それを見抜くのは、ずらりと並んだ受付の役目だ。

 受付はその一つ一つが独立した天幕で隠されており、その外に参加者達が列をなしていた。

 まるで人気占い師のテント前のようだが、それもあながち間違いではない。

 多種多様な種族の適正年齢を見分ける力が求められる受付には、参加者達の守護星からその実年齢を見抜ける星読み師達があてがわれているからだ。

 暗闇の中でこそ力を発揮する彼、もしくは彼女たちによって、極めて厳正な適正資格判断が行われいた



「はっ!? 巫山戯るな俺はまだ成人していないつってるだろうが!」 


 天幕の1つから怒声が響く。

 中を除いてみれば、まだ見た目には子供っぽさが残るエルフ族の若者が、怒りをあらわにしていた。

 参加資格は、協会規定で初心者講習会への参加が認められている成人未満の者。

 もっとも数の多い人間種ならば17才。肉体的精神的に早熟な者が多い短命種ならば10才から始まり、長命種ならば50才以上という枠もある。


「管理協会共通規定では、貴方の種族は45才以上が初心者講習会への参加資格を得られることになっています。貴方が生まれてから巡った星は47周。残念ながら今大会の主旨とは外れます」


 薄暗い天幕の中、フードを目深に被り瞳を隠した女性星読み師はマニュアル通りの対応で答えると、分厚い種族対応表をしめす。

 ごねようが何をされようが、ただ規定を示して正論で押せ。

 コレが管理協会受付臨時バイトに与えられる指示だ。

 何時もと違うことといえば、適正年齢に満たない者を見抜く所が、真反対の適正年齢を超えている者を弾くところだろうか。 


「あ、あのババア。息子の年齢まで適当ぶっこきやがってたのか。とっくに参加資格を満たしているじゃねぇか」


 どうやら自分の年齢を間違えて教えられていたらしき、エルフの若者は、がくりと肩を落とす。

 長命種になればなるほど時間感覚が曖昧になっていくのか、数年単位の誤差はよくある話。

 さらに臨時とはいえ協会が雇う星読み師には一定以上のスキルが求められるので、一番簡易な年齢判断を誤るはずも無く、そして協会の規定で決められている以上、いくらごねようと覆すのは難しいと判っているのか、すでにあきらめ顔だ。

 あまりに気落ちしたエルフの若者へと同情したのか、星読み師がそっとその手を取り、フードの奥に隠れた朱と銀色の混じった瞳で若者を見つめる。 


「今回は縁がありませんでしたが、普通に初心者講習を受けられるのだから、良しと致しませんか。もしよろしければ知り合いのお店が、講習会申し込みの代理や、武装や各種補助アイテムの手配などもしていますよ。私からの紹介と行ってもらえば良くしてもらえますから」


 艶のある唇に微笑を浮かべた星読み師は、幻惑的な響きさえある声で囁き、自分の名刺と一緒に地図をそっと握らせた。

 ぞくりと痺れのような快感が背中を走り若者の怒りは、なぜかあっという間に静まっていく。 

「お、おう。機会があったら行かせてもらう」 


 星読み師の色香に堕とされた若者は上擦った声で、そう答えるのが精一杯だった。







「…………熟成47年もの。味見しちゃったぁ」


 長命種が多い魔族の中でも特に有名な夢魔種族。

 いわゆるサキュバスのインフィニア・ケルネは、エルフの若者を送り出すと浮かべていた営業スマイルを引っ込め、とろりとした笑顔を浮かべ舌なめずりする。

 インフィにとっては、初物な若者の精は、最高級のワインにも勝るご馳走。

 特に今の子の怒りの感情のピリッとしたスパイスは、ほどよく刺激が合って実に美味。

 インフィが渡す名刺は一種の符となっており、精気を少量だけ吸い取りマーキングして夢に入り込む為の鍵ともなっていた。 

 あぁ今夜にでも夢のなかに入って、あの子の母親でも演じて少しだけ嬲ってそして怒らせたい。

 その上で反撃され禁断の関係を結んで獣のように滅茶苦茶にされたい。

 攻めるのも好きだし、攻められるのも好き。

 インモラルなシチュエーションほど、相手が嫌がれば嫌がる悪夢ほどドッロとしたコクが生まれる。

 淫魔としては至極真っ当な性癖に基づいた嗜好全開の妄想をしていると、閉じたばかりの天幕の入り口が開かれた。


「入るぞ。名刺を渡してつまみ食いしただろ。インフィさん。他にいかがわしい誘いして無いだろうな?」


 若者の次に入ってきた人物は、インフィの表情を見て、中で何が起きたのか全てを察しっているのか、あきれ顔だ。

 受付所には、弾かれても無理にごねたり、受付に暴力を振るおうとする不届き者を排除する巡回警備として、管理協会から幾人もの人員が配置されている。

 協会で戦闘技術講師をやっているガンズ・レイソンもその一人だ。


「誰かと思ったらガンズ君じゃない。やーね。昔の知り合いに人手不足だからって頼まれたからには真面目にやってるわよ。他には店子さんのお店を紹介しているだけだし」


 昔馴染みにインフィは先ほどまでの怪しげで色気のある笑みを引っ込めると、朗らかな笑い顔で若者に渡した地図をぴらぴらと振ってみせる。

 インフィが既婚者には手を出さないを絶対ルールとしているのを知っているので、妖艶な淫魔から渡された地図をガンズは警戒も無く受け取る。

 そこに書かれていたのはロウガではよくある探索者向けの宿屋兼酒場であり、各種仕事の仲介を行う斡旋所の広告だ。


「【青葡萄の蔓】か。聞いた事が無い店だけど新規か?」


 ただその店名はガンズには聞き覚えのない。

 現役を離れているとはいえ、協会で講師をやっている関係上、ある程度流行っている店ならば小耳に位は挟むはずだ。

 聞き覚えが無いとなれば、最近にできた店か、それともあまり流行っていないかのどちらか。

 そして悲しいかな。商売敵が多くて競争の激しいロウガにおいて、新規で開店したが流行らず潰れる探索者向けの斡旋所は、それこそ月単位でも片手に余るほどだ


「ん~もうオープンして二、三年くらいかな。リタイアしちゃった探索者の子と、あたしの知り合いの子がやってるんだけど、なかなか有望な子がいなくて紹介して欲しいって泣き付かれちゃって。他にも若手の探索者志望さん向けに色々と、ほらあたしの所は店子さんが多いから」


 そういってインフィはテーブル脇に置いた、他の地図もいくつとって見せる。

 それらは全てインフィが所有する建物に入っている店子の商店主から頼まれたチラシで、武具屋や、魔道具屋。地図屋など、若手や志望者向けの低レベル商品を扱う店が多い。


「相変わらず面倒見がいいな。青田刈りは他の連中も仕掛けてるだろうから止めはしないが、あんまり本気で喰うなよ。人生が狂わされかねないから」 


「はいはい。味見だけで我慢しますよ。迷宮が閉まれば古い馴染みさんも来るからしばらく楽しめるから心配しないで」


 インフィにとって星読み師はあくまでも趣味の延長線上。

 本業はロウガで半世紀以上の伝統を誇る個人娼館のオーナーにして唯一の娼婦であり、さらには歓楽街と商業区に跨がる一区画を所有する大地主としての顔も持っている。

 俗にいう裏社会の大物という立場になるのかも知れないが、そういった凄みとは無縁で、世話役として動くとき以外は、のんべんだらりと生きている自由人だ。


「そう願うよ。まぁそっちはそれでいいんだが、ちょっとインフィさんに受付をしてもらいたいのがいるんだが頼めるか?」  


 どうやらガンズが様子を見に来たのはついでのようで、本命の用事はこちらのようだ。


「あたしに? 星読みはあたしより上の子がたくさんいるのにまたなんで?」 


「インフィさんの口の堅さをみこんでだ。どうしても自分の素顔を言うなって馬鹿がいるんでな」


「なにか訳ありみたいね。いいわよ。閨は別世界が私達の流儀だから」


 ガンズの頼みに、インフィは二つ返事で頷いてみせる。

 自分の氏素性を隠し、偽名で訪れるお客は本業でも多く、星読みをしているときも本名や素顔を知られ呪術の対象となる事を恐れるのか、隠したがる者もいる。 

 相手の深層心理に入り込める夢魔にとってはそんな警戒など無意味だが、入り込めるからといってそれを他者に漏らすようでは、娼婦だろうが占い師だろうが即日廃業すべき。

 それもまたインフィの絶対ルール。破れない決まり事の一つだ。 


「悪い助かる。インフィさんならそう言ってくれると思って、実はもう既に待ちは別に回してあるから、あの馬鹿が来るまでもうちょっと待っててくれ」


「それは準備のいいこと。でもそんなに自分のことを隠したがる子がこんな目立つ大会に出ていいのかしら?」


「あーそれについちゃインフィさんの想像しているような…………すまん。早速暴れているみたいだから連れてくる……俺が行くからそのまま手を出さずに待たせろ。下手に刺激すると斬りかかってくるぞ」 


 緊急連絡が入ってきたのか眉間に深い皺を寄せたガンズは、深く一礼してから足早にテントを出て行く。

 それからほどなくして、


「大人しくしろ! この馬鹿が! 追い出されたいのか!」


 すぐに雷鳴の様なガンズの怒鳴り声が響いてきた。

 出て行ってから声が聞こえるまでの時間から推測するに、少し離れている場所のようだが、すぐ耳元で鳴られたような大きな怒声にガンズの怒りのほどが知れる。

 それからほどなくして戻ってきたガンズが、まるで猫の子のように首根っこをつかんでぶら下げて持ってきた土産を見せた。


「悪い。インフィさんこの馬鹿だ」


 その第一印象は実に怪しいのひと言。小柄でまだ幼い子供としか思えない身長しか無い。

 顔はマスク付きの覆面で覆いその風貌は完全に隠され、軽鎧に隠されたその体躯からは、種族や男女の区別さえできない。

 全身の至る所にナイフを止めたベルトを身につけ、細剣と剣の両刀を腰に下げており、さらによく見ればその身につけたマントも含めて、その装備のほとんどがオーダーメイドらしき魔具という構成。

 武闘大会参加者というよりも、これから戦争に行きますといった方がしっくり来るほどの重装備と、それには何とも似つかわしくない体躯の珍妙な珍客だ。


「ほれケイス。とっとと受け付け済ませろ。お前が顔を見られるのが嫌だからってごねるから、わざわざ口の堅い知り合いの所に連れてきたんだからよ」


 ガンズが掴んでいた手を放すと、その珍客はすたっと降り立ち頭頂部を痛そうにさすっていた。


「ごねてなどいない。わざわざ覆面で顔を隠しているのに何故見せなければならないと、抗議していただけだぞ。それなのにいきなり拳骨は酷いぞガンズ先生」


 声まで変えているのかやけに低い声でケイスと呼ばれた人物は答える。

 しかしその声に反し、言っている事は拗ねた子供のような答えだった。











「俺が止めに入らなければ斬ろうとしてただろ。やっぱりこっちに来て正解だったな。お前が絶対に何かやらかすって予想を見事にぶち当てやがって」


「あれは私の覆面を無理矢理にとろうとしたからだ」


 自分が何故悪いのか理解出来ないケイスは立腹しながらも、ガンズの言葉には素直に従い、先ほどまでは頑なに外そうとしなかった覆面を取る。

 連れてこられた天幕の星読み師が誰かは知らないが、信頼するガンズが口が堅いと保証するならば信用するだけだ。

 だがそれでも腹が立つことは腹が立つ。


「おい星読み師。一応だが言っておく。この大会が終わるまでに、私の素顔を誰かに話したら、先生の知り合いでも斬るぞ」


 その美少女然とした素顔と、裏腹の言動に、唖然としているのか固まっているインフィと呼ばれた星読み師に向かって、ケイスは苛立ち交じりに忠告をする。


「お前は狂犬か。悪いインフィさん。こいつ見た目だけは令嬢然とした容姿だろ。この顔だからって舐められるのが嫌いで顔を隠してんだよ。見た目で侮ってくるなら楽だってのに」


「むぅ。それは私の望みではない。極限の戦いの中で勝ち取った勝利こそが、フォールセン殿の推薦という名誉に唯一値するからな」

 剣を交えていないのに容姿で侮られるのは、剣に誇りを持つケイスにとっては一番の屈辱。

 ましてや今回は名誉を掛けて挑む武闘会。油断や驕った相手を斬って得た勝利など意味は無い。

 なぜその自分の気持ちが理解してもらえないか、ケイスには納得ができない。

 それ以前に何故天才たる自分が、その戦いを見せてもいないのに、容姿で侮られなければならないと腹が立っていた。


「この子を今回の大会に放り込むの。可哀想じゃ無い?」  

 星読みに使う水晶のレンズ越しに、ケイスの顔をまじまじと見つめていたインフィはなぜか意地の悪い笑みを浮かべると、そんなケイスの怒りをさらに続伸させるようなひと言を放り込んできた。

 星読み師とは、天にある星だけを見て判断するのではない。地上にある生命それぞれを1つの星として読み取り、その行く末や辿ってきた運命や他者との関係性を見通す魔術の一種だ。


「どういう意味だ。私を侮辱するつもりなら斬るぞ」


 ケイスの瞳に剣呑な色が浮かぶ。しかし何時もなら剣に手をかけているところだが、そこまでは動かずただ睨み付ける。

 心配して言ってくるならばまだ許せるが、どうにもそういう感じでは無い。かといって、バカにしているようでも無い。


「あら、あたしは相手が可哀想って言ったつもりなんだけど。それでも斬られるのかしら。ふふ、いいわよ。貴女みたいな可愛い化け物に虐められるのもゾクゾクしちゃう。貴女に殺されたくなって来ちゃった」 


 情欲におぼれたとろんと目尻を下げたインフィが明確な好意を示しながら、早く斬ってくれといわんばかりに両手を頭の上に上げて無抵抗をしめす。

 明確な敵意を持つ者や、殺さなければならない相手ならば命乞いされようが気にもせず斬れるが、こういうのは別だ。

 もし斬ったら本当に喜びそうだが、ケイス的には、今のインフィを斬るという選択肢はあり得ない。

 自分をからかっているのは明白だが、かなり歪んでいるが向けられているのは明らかな好意、というか欲情だ。


「ガ、ガンズ先生! これはなんだ! おかしいだろ!」


 今まで自分の周りにはいなかったタイプに、ケイスはどうしていいか判らず、隣であきれ顔を浮かべていたガンズに泣き付く。


「落ち着け。この人はこういう人なんだよ。相手から何をされても快楽に持ってける究極の被虐嗜好者ってやつだ。しかも美少年、美少女好きで常々小間使いではべらせたいって公言してる性的倒錯者だ」


「なんでそんな変なのを私に紹介したんだ!?」


「性癖以外はマジで頼りになるし口が堅い。裏世界にも顔が利くから知り合いで損は無い。あと、騙されてあくどい娼館に売られたガキの借金を肩代わりしたり、貧民街の炊き出しに資金提供なんかもしてるから、その辺はお前にも好評価だろ」


 ただでさえ問題を起こしやすいケイスの事。下手に暴れていつどんな恨みを買うか知れた物では無い。

 それらを考えればかなりの変人ではあるが、面倒見のいいインフィと知り合っていた方が良いだろうというのがガンズの考え。

 誤算は相性がいいというべきか、それとも悪いというべきか、インフィをケイスを気に入ってしまった事だろうか。


「ますます斬りにくいではないか!」


 確かにガンズの言う通りケイス的には、インフィの行いや、口が堅いという評価はケイス的には好印象。だが情欲の目を向けられるとなると、ケイスとしてはどうしていいのか判らない。

 変なことをしてこようとするなら敵と認識して斬れるが、斬って欲しいとねだってこられるとなると敵と思うのも難しい。


「ねぇ……はやく。忘れられない傷をこの胸に刻んで」


 困惑しているケイスを見て、ますますそそられたのか、インフィがさらに甘い声をあげ始めた所で、さすがにガンズが見かねて仲裁へと入る。


「あんまりからかってやるなってインフィさん。こいつこう見えても、かなり生真面目なんだからよ」


「あら、それは失礼。でも誰でも良いわけじゃないわよ。気に入った子以外に虐められても楽しくないじゃない。さてと見終わったから、こちらをどうぞ」


 インフィは先ほどまでの怪しげな蕩け顔を一瞬で引っ込めると、テーブルの上に置いてあった細い腕輪を手に取りケイスへと差し出してきた。 

 どうやらケイスをからかっている間も、一応は星読みとしての役割をこなしていたようだ。

 
「はいお嬢ちゃん。コレが参加資格証明になる腕輪よ。特別な魔術が付与されているから外さないでね」


「……本当だろうなガンズ先生」


「間違いねぇよ。そんな警戒するなって」


 ガンズが頷いたのを見てから、ケイスは引ったくるように腕輪を取って、一足跳びに後ろに下がる。


「最初に言ったとおり私の素顔を語るなよ。本当の本当に斬るからな!」


 腕輪をつけ、覆面を被り直したケイスは、たぶんに負け惜しみ成分を含んだ捨て台詞を残してから、天幕から出て行った。









「嫌われちゃったわね。ああいう所も可愛いけど」


 ケイスを見送ったインフィは、堪えきれなくなり笑いをこぼす。

 アレは反則だ。あの”顔”であんな初心な反応をするのは反則だ。

 同時に、ここの所不審に思っていた全てが線で一つにつがった。

 昔馴染みのソウセツが乱入者によって怪我を負ったという、耳を疑うような不覚を起こした理由も。

 引退していたはずのフォールセンが、今になって動き出したわけも。

 当然だ。あんな子が現れれば、彼らが、自分が乱されないわけが無い。


「だからほんとに虐めるなって。あいつアレで本当に腕は立つから、切れたら斬りに来るぞ」


「でしょうね。全てをかき乱す大きくて不規則な巨星。総てを引っかき回して喰らい尽くす凶星。どう考えても普通じゃ無い星が見えたから……全く、あんな子がいるならもっと早く言って欲しかったわね」


 今回の仕事を依頼してきた古なじみに向けるべき愚痴をガンズに向けて、インフィは楽しそうにこぼしていた。







 ロウガ王城野外鍛錬所の端。回廊壁そばに観客向けの特別席が設けられていた。

 本来の閲覧席に使われる天幕席は、来賓や一部の有力者達に独占されており、大半の観客は階段状になった移動式の木製席を並べただけの急造の席に座っている。

 元からある閲覧席の両翼に弧の字型に並べ延長された観客席の中央には、大型魔法鏡がいくつか設置され、鍛錬所に散開した使い魔達が送ってくる各所の映像が映し出されていた。

 その中の一つ。一番大きな鏡には、観客席から少し離れた広場での受付が終わり、ルール説明を聞くために並ぶ全参加者達が映し出されていた。


「ふぁっ。さすがにケイスは見つけられねぇか……ルディア。眠気覚ましになる薬ってなんか持ってねぇか?」


 観客席のベンチに腰掛けて大きなあくびをしたウォーギンは、ケイスを探すのを諦めると、入り口で配られていた大会規約に目を通していたルディアに尋ねる。

 ここに来るまではまだ歩いていたから良かったが、座っていると眠気が強くなってきて、目を開けているのさえ億劫になっていた。

 眠気覚ましにケイスを探してもみたが、さすがにあの背丈では人の群れに埋没していて探し出すのは無理だ。

 多少の仮眠は取っているが、あくまで多少。いくら慣れているとはいえほぼ3日連続の徹夜はさすがにきつかった。


「珍しいわね。薬なんか飲んだら手先がぶれるとか言ってるのに」


 眠気覚ましの薬には、意識を覚醒させるために興奮剤が含まれているので、精密作業も多い魔導技師はあまり服用したがらない者も多い。

 典型的な職人気質のウォーギンもそんな一人で、薬よりも濃いめに入れた泥のようなコーヒーで十分だと宣うタイプ。

 そんなウォーギンからの珍しい頼みに疑問を覚えながらも、何時も身につけているポーチから薬ケースを取りだしたルディアは、青色の丸薬を一つ取りウォーギンへと渡す。


「うげぇ。にげぇなコレ……覆面以外に作った別物があって、そっちが気になってるからな。居眠りなんてできねぇよ」


「ほいお水。ボクもそっちにちょっと協力したけどよく短期間で作れたね。なんでそれだけの技術があって貧乏なんだか」


 あまりの苦さに顔をしかめているウォーギンに、前の席に座っていたウィーが水を差しだす。 
 野ざらしの観客席は日差しも強く、よく冷えた水やジュース売りも出ているが、万年金欠状態のウォーギンでは、子供の小遣いで買えるそれらにも事欠く有様だ。


「うるせえよ。イロイロあんだよこっちも」


「別物って、またケイス向けにとんでもないの作ってそうね」


 なんかいろいろやっているとは思っていたが、まさかこの二日で別の魔具まで作っているとは。

 何を作ったか気にはなるが、下手にその手の話題に触れると、難解な技術的な説明から入って長くなるのは判っているので、ルディアはそれらの疑問をスルーして、規約へと目を戻した。

 今回の選抜武闘大会は大きく二つの部に分けられている。

 まずは予選である集団戦で行われる第一次選抜戦。

 そして予選を勝ち残った者達で行われる一対一の文字通りの武闘会という二部構成だ。


「最初の予選会ってのが結構くせ者ぽいわね。チーム分けは参加者の自由。ただし制約ありだって」 


 主旨やルールが書かれた頁を開き、ルディアは指し示す。

 一次選抜の集団戦はルディア達がいる野外鍛錬所の広大な敷地全域を用いて行われる事になっている。

 簡易地図で示された敷地内には、森や平地といった通常の風景以外にも、広大な池や、小さな村を模した建物群、さらには地下に人工的に作った洞穴まで書き込まれている。

 人工的に作られた多種多様なフィールドには、探索者に重要視される、応用力や判断力を示すために色々なトラップも仕掛けられているとのことだ。

 さらにフィールド内には、防衛拠点となる場所も用意されており、そこには有志の商人やギルドからの提供という形で、無料で使用できる各種武具やら魔具も用意されている。

 その広い戦場を舞台に、参加者達は7つのチームに分けられ、一つの勝利アイテムを巡り戦いを繰り広げることになる。

 勝利条件となる勝利アイテムは、最初は今回の武闘会に協力している下級探索者5人で組まれたパーティが所持しており、彼らを倒すか、アイテムを奪い去る必要がある。

 アイテムがどこかのチームに渡ってから、五時間の制限時間がカウントされ始め、最終的に他のチームが総て敗退条件を満たすか、制限時間が切れたときに、アイテムを保持していたチームの勝ちというのが基本ルールとなっている。

 そしてそのチーム分けというのが、ルディアの言う通り実にくせが強い物だ。

 まず第一のチーム。参加者数は自由。敗退条件は1割が戦闘不能。

 第二のチーム。参加者数は50~70人。敗退条件は4割が戦闘不能。

 第三のチーム。参加者数は40~60人。敗退条件は5割が戦闘不能。

 第四のチーム。参加者数は30~40人。敗退条件は6割が戦闘不能。

 第五のチーム。参加者数は20~30人。敗退条件は8割が戦闘不能。

 第六のチーム。参加者数は10~20人。敗退条件は9割が戦闘不能。

 そして最後の第七のチームは残り全員。敗退条件は1割が戦闘不能。

 という組み分けになる。

 ただし勝利アイテム所有時は、敗退条件は参加者の全滅へと変更。

 勝ち残った一チームだけが、第二次選抜の武闘会へと駒を進めるという方式だ。

 参加者全員に、身代わりの腕輪というアイテムが配られており、戦闘不能状態つまりは死亡した際にだけ発動し、一切の怪我が完治した状態でフィールドの外に排除される事になる。

 無論自己判断でのギブアップも認められるが、その場合は身代わりの腕輪は発動せず、怪我はそのままで、治療費などは自己負担となる。

 チーム分けには主催者側は一切関わらず、参加者間の話し合いで自分の判断で誰を仲間にするかを選ぶ形式となっている。

 結成人数条件を満たし申告したチームから順に、フィールドへと出陣という形だ。

 闘技場などで名が知れた者や、知人などもいるだろうが、大半の参加者同士は顔も実力も知らぬ者ばかり。

 誰と組めば勝ち残れるか。

 どこのチームの所属すれば自分の力を発揮できるか。

 もしくはずば抜けた強者とは別チームにはいり、予選で如何に落とすか。 

 第一のチームで大人数パーティを作り、勝利アイテムを真っ先に保持し敗退条件を変更し、良い防御拠点を確保し最後まで粘るか。

 それとも下級とはいえ現役探索者と刃を交えるリスクを避け、制限時間の針が動き出してから狙いにいくか。

 時には、予期せぬ凶暴なモンスターと遭遇し、行きずりの者と臨時のパーティを組むこともある探索者に求められる、勝ち残る為にはどうするべきかを見抜く、様々な判断力が試されるルールとなっていた。





「また荒れそうなルール。勝ち残った人達で二次選抜じゃ、自分の実力隠したりとか出そうだねぇ」


「そこら辺も含めて資質を見るって事でしょ。間髪入れずに次だから、どれだけ温存できるかとかもみてるんでしょ。しかしお祭りね。これだけ見ると」 


 先ほどからどうにも不安が胸をよぎるのだが、その正体がどうにも判断がつかない。

 ウィーに返事を返しながら、ルディアは何か無意識でも不安を覚える物があったかと、観客席となった広場を見渡す。


 各種飲料や軽食の屋台はまだいいが、この大会で使用されるトラップやら、参加者が使う武具やら魔具を、現役探索者や小売り店主に向かってアピールする工房の出店。

 さらには暇を持てあましている子供向けの芸人やら、どこの誰がや、何人が二次選抜に残るかを賭ける公認賭博など、色々な催しが行われている。

 ごった煮な印象だが、それでも上手く住み分けているのか、トラブルは見受けられない。

 さて、ではこの不安は気のせいだろうか。


「ロウガ王家っていうか、前女王のユイナ様はやり手で有名だからな。どこかを優遇すると文句が出るが、いろんな派閥を一緒くたに集めて文句を最小限に抑えてんだろう」


「何時もは仲の悪い人達も一緒に楽しましょうって所? それだけ聞くとほんとにお祭りだねぇ……ん。始まるみたいだよ」


 のんびりと尻尾を揺らしていたウィーが耳をぴくりと動かした瞬間、鍛錬所の中央付近で大きな音と共に、青空に稲光が空中に向かって駆け上がっていった。

 大会を盛り上げるための儀式用魔術かと思ったが、その稲光は、ある高さまで駆け上るとその高さで留まり雷球を作り出す。

 その雷球は花が芽吹くようにふわっと広がっていくと、瞬く間に一つの陣形を描き出す。


「ありゃ雷光魔法陣だな……地上の様子はあっちか」


 ウォーギンが一枚の魔術鏡を指さす。そこには長い魔術杖を持つ魔術師とその周りに待機した4人の人影が映し出されていた。

 空中の魔法陣と呼応しているのか、その魔術師を中心にして、土が盛り上がって同じ図形を描く様子が映し出されていた。

 それと同時に中央の魔術鏡に映っていた参加者達が一斉にばらけはじめる。大会の開催と共に早速仲間集めに動き始めたようだ。


『皆様大変長らくお待たせいたしました! 我がロウガが、いや世界が誇る大英雄!『双剣』フォールセン・シュバイツァー様のご推薦という名誉を賭けた若者達の大会! 第一回ロウガ特別選抜大会の始まりです! この名誉ある大会! ロウガ闘技場の熱血ジャッジメントこと火神派神官カノス・キドウが司会をさせていただきます!』


 拡声魔術で自己紹介をしながら出て来たのは、威勢の良さがその言葉の端々にも表れた女性神官だ。


『本来ならばまずは主催者挨拶といくのでしょうが、そこは我等が大英雄! 今回の大会は若者達が主役。老人は〆の言葉だけにさせてもらうとのお申し出。いやぁ判っていらっしゃる! 主催者挨拶30分! 試合5分! 観客からの金返せコールが今でも思いだします!』


 額には大きな角が目立つ鬼人女神官は、軽快なトークで観客の笑いを誘いながら、注目を集めていく。

 手に持っていた杖を一振りして伸ばすと、つい先ほどウォーギンが指した魔術鏡を指し示しその映像を、中央の巨大魔術鏡へと映しだした。


『こちらがまずは若者達が挑む魔術塔となります! こちらはロウガ新鋭の魔具工房ロイズルート工房の最新作となっております。作成終了まで僅か3分。モンスターの大群に囲まれても慌てず用意で、即防御施設完成といった優れものです!』


 カノスが観客向けの説明をしている間にも、地上に描かれた魔法陣の下から地面が盛り上がり、土で固められた塔が姿を現しぐんぐんと伸びていく。

 ほどなくして観客席の目の前にある森の上からもにょっきりと姿を現すほどに、大きくなっていた。


「アレってただの土壁かな? なんか魔力の流れがみえるんだけど」


 その肉眼で塔を確認したウィーは、土壁の表面に細かだが魔力が流れている反応を捉えていた。


「大元は白の迷宮系の技術ぽいな、そこにゴーレム系をアレンジで足して、土壁自体に攻撃力を付与をしてやがる。迂闊に近寄ったら壁に飲み込まれるぞ」


 魔法陣から解析が出来た情報を答えたウォーギンは眠たげだった目を見開くと、メモを取り始める。

 新作と聞いて魔具制作者としての血が騒ぎ出したらしい。


「一筋縄じゃいかないって訳ね……嫌な予感がますます増すんだけど」


 なんとなく、そう何となくだが、その不安が何かルディアには判ってきた。

 正確に言えばあえて無視していた第一予想を、見るしかなくなってきた。

 制約の多いルール。困難な状況。


『この塔を作り上げた魔術杖こそが今回の勝利アイテムとなります。杖を奪い所有したチームこそがこの一次予選の勝者! 塔の各階には一人ずつとはいえ若手の有望下級探索者が待機し、大いなる壁と成り立ちはだかる! 若者達の戦いにご期待ください! ではここでそんな若者達の様子を見ながら、我々が独断で選んだ有望者への突撃インタ……はっぁ!? もう第1チームが決まった!? しかも一人!?』


 立て板に水を流すように流暢な語り口調をしていたカノスへと、慌てた表情で駆け寄った一人のスタッフが耳打ちすると、カノスがすぐに素の驚きの声をあげる。


『どこの誰! 早く調べて!?』


 その漏れた声から観客もある程度の事情が察しがついた。

 どうやら、どこかの馬鹿がたった一人で第1チームとして名乗りを上げたのだと。


「一人っつたよな今?」


「目立ちたがりの馬鹿か」


「だっ! どこのバカ野郎だ! 第一に賭けてたのがパーじゃねぇか!」


「あの馬鹿」「ケイスか」


「あ、やっぱりそうなんだケイらしいね」


 観客達がざわつく中、ルディア達はそんな馬鹿なことをしでかす、とびっきりの馬鹿の顔がはっきりと浮かんでいた。


『よ、予想外ですが早速、出陣したという勇気ある若者がどうやって単独であの塔に挑むのか使い魔を向けて見てみましょう! しかしあまりに無謀です! 塔には現役探索者が待ち受け、さらにはあちらの塔自体にトラップが!』


 何とか気を取り直したカノスが出陣した馬鹿を追って使い魔を向けるように、大慌ての大会スタッフの魔術師に指示を出しながら、木々の上から姿を現していた塔を指さす。

 映像を切り変えている間の繋ぎのつもりだったのだろうが。その配慮は更なる混乱をまき散らす引き金となる。

 完成したばかりの見上げるほどに大きな土製の塔。それが徐々に横に動き出していた。上空の魔法陣は既に消え失せている。

 塔は完全に完成していた。

 だが動いている。

 ずるりと言う幻聴が聞こえるほどに、それは物の見事に動いている。

 やがて自重に耐えかねたのか塔が横に倒れ始め、角度が深くなるほどにその勢いは増していった。

 大勢の観客達の目の前で、出来上がったばかりの塔は、周囲の木々を巻き込みながら轟音をまき散らしながら横倒しに倒れていた。


「今の倒れ方……斬ったわね。あの馬鹿」


 何が起きたのか、目の前で起きた事を信じられない観客の中で、どうやったかは知らないが、何が起きたのか、正確に察していたのもまたルディアだった。 



[22387] 弱肉強食 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:62237d5c
Date: 2017/11/10 23:38
 天に浮かんだ雷光平面魔法陣と、塔の表面に浮かび上がっていた魔力の流れから、塔の天辺と、基礎部分の両方から魔力を供給し塔を維持していると推測。

 一瞥した魔法陣の構成式から、ゴーレム術式改変型が組み込まれていると判断。

 防御拠点をあえて塔という目立つ形としたのは、攻めてこさせようとする意図があると考えれば、塔に対する直接攻撃には罠が仕掛けられている可能性が高い。

 下手に剣を打ち込めば、ゴーレム技術を用いた自動防御機構が反応を起こすやもしれない。

 かといってバカ正直にこれ見よがしに設置された真正面の扉から入っていても、敵の懐に飛び込むことになる。

 どちらにしろ危険だというならば、ならばこそ叩き斬るを選ぶ。

 塔を両断し、天辺と基礎の間の魔力伝達の流れを絶って無効化させるのが一番有効という判断。

 だがそれ以上の理由がある。斬るのが困難だったり無理と言われれば、余計に斬りたくなる。それがケイスだからだ。

 覆面の下の両眼で塔を睨みながらケイスは、即時に斬るための算段を考え、実行に移す。
  
 胸元のナイフを引き抜き、腰のベルトに吊した機具からワイヤーを引き出し柄頭に接続。

 一瞬だけ足を止めて、手近の木の幹に向かってナイフを突き出しながら、器用に足も使って強く蹴り込む。

 怪我をする前ならば一突きで、簡単に抜けないほどにめり込ませることもできたが、今は足を使っても刀身の半分を打ち込むのが精々。

 少し力加減を間違えれば抜けそうで些か心許ないが、なら力加減を間違えなければいい。それだけだ。

 さらに腰のベルトから大振りのナイフを左手で引き抜き、その柄元に設置したボタンを押す。刀身の一部がスライドし穿孔が姿を現し、そこから真っ黒な粘液がにじみ出てきた。

 幹に打ち込んだナイフが抜けないように、ワイヤー越しに伝わる突き心地を意識し速度を調整しながら走り始め、左手のナイフをワイヤーへと当てて、粘液を多めに滴らせていく。

 塔の目前を横切り少しばかり距離を取ったところで、直角に曲がりつつ塔を横目で見上げながら、左手のナイフを鞘に戻す。

 塔との距離、斬り込む角度を計算。息を整える僅かの一瞬で最適解を出し、その予測に従い地を強く蹴り、背中の外套型魔具の留め金型のダイヤルを回し、込められた軽量化魔術を最大稼働させる。

 重力の束縛から解き放たれたケイスは、飛び立つ鳥のように高く飛翔しながらワイヤーの巻き取りを開始した。

 ウォーギンが精製した魔力吸収液をたっぷりと塗りつけ黒く濡れたワイヤーがケイスの身体と打ち込んだナイフの間で引っ張られ、たるみが無くなりピンと張る。
 
 剣士の意思の元、一つの大きな刃と化したワイヤーが、塔に対して並行するケイスの動きに連動して魔術塔の外壁に触れた。

 その瞬間、ワイヤーが接触した部分の土壁が、魔力の光と共に沸き立ちはじめる。

 ゴーレム生成魔術を応用した防御機構が、接触した異物を土壁の中に閉じ込める為の触手を産み出そうと蠢きだした。

 その自動反応こそがケイスの狙い。

 一部の組成を軟質に変化させる為に輝いた魔法陣に向け、右手で針のように細いナイフを三本引き抜き、間髪入れずに投げつける。

 投擲したナイフの刀身には細やかな装飾めいた魔法陣が刻まれ、その中心には豆粒のように小さな転血石を埋め込んである。

 壁面に浮かんだ魔法陣の要所へと寸分の狂いも無く、ナイフが着弾し、転血石に込められた魔力が、魔法陣へと浸食を開始。魔法陣へと、一時的にだが強制的に過剰魔力を供給しはじめた。

 ウィーの見せた属性変化を起こさせる機構が最終目的だが、さしもの天才魔導技師とはいえたった数日で再現は不可能。

 このナイフはその前段階。既存の魔法陣へと、数秒のみだが魔力を強制的に注ぐという能力が組み込まれている

 通常では何の役にも立たない。むしろ一瞬だけとはいえ敵の魔法陣を強化するだけ。

 しかしそれがケイスの手にかかれば、巨大な塔を切り裂く為の手段と変わる。

 ケイスがピンポイントで狙った3カ所は、性質変化範囲指定の記述式が刻まれた部分。そこに過剰な魔力を流し込むことで、範囲を塔の外周を一周するまで拡大化させる誤作動を起こさせる。

 魔力を失った、捨てたとはいえ、龍王直伝の龍魔術すらも扱って見せたケイスの知識と理解力を持ってすれば、平面魔法陣への介入など造作も無い。

 しかし転血石の大きさからも判るように込められた魔力はごく僅か。時間にすれば僅か1、2秒。変化した幅は糸のように細い僅かな道。

 だがそれがいくら短かろうとも、細かろうとも、剣の天才を自称し、そしてまごう事なき天才たる剣士にとっては十分。

 斬る道筋があって、手には剣がある。

 ならば斬るのみ。

 過剰な魔力が放つ発光を追って、ワイヤーが極度に軟質化した土壁に食い込み、切り裂き始める。

 ワイヤーに付着する高濃縮された魔力吸収液が、切り裂いた両辺に付着し、周囲の魔力を吸収しただの土塊へと変化させる。

 その形を構成する為の魔力を失ったことで、斬られた部分を中心に、拳程度の大きさの土壁がぼろぼろと崩れ落ちていく。

 高濃縮された魔力吸収液には、まだ魔力吸収の余力がある、斬るケイスの方はそうではない。

 土壁を斬った抵抗によって、その飛翔速度は少しずつだが落ちている。塔を斬りきる前にその速度が完全に止まる。

 それを察知したケイスは、魔力供給ナイフを再度引き抜き投擲。下向きに向かう新たな切断線を確定させる。

 二筋の魔力光が発生すると、即座に外套魔具への魔力供給を停止、軽量化魔術の加護から外れる。

  
「はっぁ!」


 重力を思い出し、落下を始める己の体を使い、呼気と共に右手でつかんだワイヤーを一気に振る。

 最後のだめ押しとなり、直径20ケーラはある塔は、への字型に切断された部分の支えを失って、ゆっくりとずれながら倒れ始めていく。


「むぅ」


 地面に降り立ったケイスは、その様を見ながら、覆面の下で不満げに息を漏らす。

 思惑通りに斬れたが、及第点にはほど遠い。

 時間優先で上に向かって跳びながら斬るよりも、最後にやったように最初から下に向かって斬ったほうが、結果的に早かった。土の抵抗を甘く見すぎていた。

 そのおかげであまりの数の無い魔力供給ナイフを余計に使ってしまったこと、回収するつもりだったワイヤーとナイフが塔の下敷きになって、今は諦めなければならないことを反省する。

 大きな轟音を立てながら横倒しに崩れ落ちた塔を見る化け物に、満足感などない。

 ケイスが目指す剣は、世界最強の剣。たかだか塔の一つを斬ったくらいで、満足していては到底届かない。

 もっと早く、もっと強く、もっと多く。

 飽くなき渇望を訴える心のままに、より多くの斬る機会を得るために、濛々と土煙が巻き起こっている塔の瓦礫に向かって、腰から伸びたワイヤーを切り離した化け物は走り始める。

 まずは勝利アイテムという魔術杖を確保する。それが無ければケイスの望みは叶わない。

 斬る機会を多く得るために、不利だと判っているのに、わざと一人を選んだのに、杖を得られなければ本末転倒だ。

 魔力供給を絶たれて完全に土塊に戻った塔の残骸の上を器用に移動しながらケイスは、人の気配を探る。

 塔に詰めていた探索者達は5人。普通に考えれば、杖の所有者はこの塔を製作した女魔術師だが、それは最後。

 これだけの塔を一瞬で組み上げるのに使った魔力量は馬鹿にならない。もっと上位の探索者ならば余裕であろうが、低位の下級探索者では魔具の助けがあっても、残存魔力はかつかつのはずだ。

 魔力の切れた可能性の高い魔術師よりも、より警戒すべきは他の探索者四人。

 しかし未だ収まらない土煙の中では、塔の瓦礫の下敷きになった探索者達を探すのも一苦労する。

 あちらこちらで土壁の破片が崩れる音がするので、気配を探るのも難しい。

 闘気強化が使えたころなら、探れた気配も今では難しい。だが無い物ねだりをしても意味は無い。

 ケイスはわざと足を止めると、細剣を抜いて垂直に地面に向かって突き立て、目を閉じる。

 息を沈め、切っ先に全神経を集中させる。剣から伝わる僅かな振動。それを頼りにケイスは周囲の気配を感じ取ろうとしていた。

 微かな振動をいくつも感じ取るが、それは周囲の土壁が崩れ落ちたときに起きただけ。ケイスの高揚感を呼ぶ物では無い。

 ケイスが望むのは斬る者。戦いを挑む者。ケイスの本能に訴えかける者。

 斬るべき者を自分が間違えるはずが無い。もう間違えてはいけない。

 力を失おうともケイスの、剣に生きる剣士の、総てを斬り尽くす化け物の本質は変わらない。

 剣がこの手にある。だからこそケイスの本能は常に最大に高まる。

 ……捉えた!

 無数の振動のなか、手応えをいくつか感じとると共にケイスは動き出す。

  
「……っな、なにが、ぎゃっ!?」
 

 大きな土壁の塊。その下から声が聞こえた瞬間に剣を突き出す。相手の姿を確かめるまでも無い。その声の聞こえてきた位置から急所ののど元を推測。

 土を突き抜け感じたのは確かな肉と骨の手応え。

 喉を潰し、さらにその奥の頸椎を断つ刺突の一撃が相手を絶命させる。

 ただし奇妙なのは、その後の手応えが霞のように無くなったことだ。実際に打ち込んだ細剣はあっさりと抜けて戻ってくる。

 下手に骨や肉に絡むと、引き抜くにもなかなか苦労するのだが、それが全くなかった。

 相手がいたであろう場所を踏むと、抵抗も少なくあっさりとその周囲が陥没した。よくよく見れば、その陥没痕は人の形をしているように見えなくも無い。


「……ふむ。身代わりの腕輪とやらの効果か。肉体が外に転移されたか」


 外したかと思いしばし考えたケイスは、それが身代わりの腕輪と呼ばれる魔具の効果だと気づく。

 どうやら相手役の探索者達にも、保護アイテムが与えられているようだ。

 相手役にも命の保証がされているとなれば、どんな無茶をしてくるか判らないので、警戒しなければならない。

 他に気をつけるべきは、死体を盾にしたり、斬った死体を踏み台に跳躍するという手が使えない可能性も考慮すべきということだろう。

 相手を殺すという行為に対する感慨などケイスには無い。行く道に立ちはだかる敵ならば斬るだけ。それだけだからだ。

 まるで地面の下のもぐらを潰すようにあっさりと、同じ要領でケイスはさらに二つの気配を断つ。

 これで残りは二人。その中に魔術師がいたかは判らないが、従者の従姉妹がよく話してくれたお伽噺では、宝物は塔の頂上と相場が決まっていた。

 だからまだ先のはずだ。

 次の気配を探ろうとしたケイスが地面に剣を突き立てようとした瞬間、違和感が背筋を駆け抜ける。足元から昇ってくる寒気がとっさに身体を動かした。

 ケイスが跳躍するとほぼ同時に周囲の地面と化していた土塊が、轟音と共に一気に吹き飛ぶ。  

 バラバラと落ちてくる土の雨の中、立ち上がってきたのは筋骨隆々な年輩の老探索者だ。その右腕には、表面に細かな傷の目立つ年季の入ったハルバードが握られている。

 真っ白に染まった頭髪と髭は土で汚れて、肩が外れたのか折れたのか判らないが、左腕はだらりと力なく下がっている。

 どうやら右腕の長柄一つで、この範囲の土塊を吹き飛ばしたようだ。

 
「がっ! 無茶苦茶してくれるな若いの! 結構結構!」 

 口の中に入っていた土片を唾と共に吐きだした老戦士が、豪快な笑い声を上げる。

 左手を怪我をしているが、それを気にしている様は見て取れない。


「ほぉ。しかも早速三人やりおったか! 最近の若い奴らは面白味が無い、真面目くさいのが多くてな。今回も子供のお守りかと思っておったが、思いのほか楽しませてくれおる!」


 パーティを組んでいたのか、既に三人が倒されている事を知った老戦士は、何故か満足そうに頷き、そのひげ面に好戦的な笑みを浮かべた。

 饒舌に語る老戦士に対して、ケイスは無言で剣を構える。


「なるほど! 己の武で語るタイプか! ますます結構! 一つお相手願おう!」


 ケイスの返礼に合わせて、老戦士も右手一本で長柄を構えた。

 油断できる相手ではないと、ケイスの警戒心が最大まで高まる。

 あの一瞬で一気に闘気を高めて周囲を吹き飛ばした練度。

 そして怪我を感じさせない自然体の構えは、ケイスが隙を見せれば一瞬で攻め込んで来る気配を感じさせる。

 この老戦士を前にして浮かぶ感情はただ【強い】の一つだけ。

 つまりは自分が越えなければならない壁だという意識のみ。

 覆面の下のケイスは無言。だがその目だけが強く輝く。

 小さな自分を前にしても、その心根が心地よく、好意を覚える。

 だからこそ斬る。だからこそ勝つ。

 小さく息を吐くと同時にケイスは、斬りかかっていった。



[22387] 弱肉強食 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:fdbec7eb
Date: 2017/11/12 02:18
 崩れ落ちた塔を象っていた土塊はふかふかとしていて沈みやすく、足場としては極めて悪い。

 外套魔具の軽量化魔術を発動させ、柔らかな足場を跳ねるように左右へと不規則にケイスはフェイントを入れる。

 一方対峙する老戦士はその場で僅かに動いて、少しずつ足場を踏み固めながら、右手だけで構えたハルバードの穂先を揺らし、視線だけはピタリとケイスを追跡し牽制を続けている。

 いくらフェイントを入れようとも、目で追われることに焦れたケイスは、左手で引き抜いたナイフを老戦士の顔めがけて投擲。

 ナイフの軌道を追って、地を這うような低い体勢で剣の間合いへと入るために踏み込む。

 上下二段同時攻撃に対し、老戦士がハルバードを振りあげる。

 長柄の利点を生かし、間合いに入られる前に、ナイフをたたき落とし、さらにケイスを斬ってしまおうというのか。

 狙い通りの反応。右手を引き絞り、細剣による狙い澄ました突きの一撃を放つ。

 しかし踏み込みは足りず間合いが剣一本分は遠い。だがそれは承知の上。

 ケイスが狙うのは老戦士でも無ければ、その獲物であるハルバードでも無い。

 ケイスの狙いはただ一点。自分が投擲したナイフの柄頭。

 高速で放った突きが、ナイフの柄を捉え飛翔速度を爆発的に加速させる。

 僅かに力点がずれればナイフの軌道は、あらぬ方向に流れる。

 だがケイスは軌道を一切ぶらすこと無く、ただ純粋に加速させてみせる。

 ハルバードの柄が振り下ろされる前に、加速したナイフは老戦士の懐へと飛び込み、その顔面を目指す。

 自分が投擲したナイフ。そして自分が握る細剣。天才たるケイスの意思の元に振るわれる剣達だからこそ可能な、曲芸じみた共演技。

 さすがに予想外だったのか、老戦士が面白そうに歯を見せ笑う様を見ながら、ケイスはその柔軟な身体を使い、左膝を曲げて倒れ込むように軌道を変えながらクルリと一回転する。

 耳元で轟音を奏でながら振り下ろされた斧刃を紙一重で躱しながら、刃を返し刺突剣の刃を老戦士の首元に向かって叩き込む。

 しかし次の瞬間に手元に返ってきたのは、のど笛を掻き斬る肉の感触では無く、堅い金属の感触だった。

 自分の攻撃が防がれたと頭が判断するよりも速く、ケイスは本能的に横っ飛びに跳び退る。

 一瞬遅れて、ケイスがつい今の瞬間まで立っていた場所をなぎ払う一撃が、老戦士によって振るわれた。

 もし考えてから回避行動に移っていれば、今の一撃で足を叩き折られていたはずだ。


「むぅ」


 せっかく入った自分の間合いを早々に退散することになって、ケイスは不機嫌に唸りながらもさらに数歩分跳び下がり仕切り直しを計る。


「ふぉ、あぶふぁい、あぶふぁい……若いの器用だな!」   


 ケイスが投げたナイフを吐き捨てた老戦士は、危ないというわりには、裏腹の余裕綽々といった豪快な笑みを浮かべる。

 地面に吐き捨てられたナイフの柄には、ケイスが先ほど打ち込んだ斬撃の傷が残っていた。

 投げつけられたナイフを口でくわえ受け止めたばかりか、ケイスの渾身の一撃もまさかそのナイフを使って受け止めてみせるとは。

 どちらが器用だと返したくなるが、ケイスはただ無言で剣を構え直す。

 この老戦士の前では、無駄な会話、つまり一呼吸でさえ命取りになりかねない。


「ほうまだ語らずか! 無口も結構! しかし少しばかりは年寄りに付き合っても罰は当たらんぞ!」


 老戦士がハルバードを不意に地面へと突き刺し、そのまま一塊ほどの土塊を宙に向かって放り投げる。
 
 ついでその穂先を細やかに動かして、空中に飛んだ土塊に何かの形を刻み込み始めると、宙に浮かぶ土塊が不規則に躍動を始めた。

 刻んでいるのはおそらく魔術印。しかしケイスから見て裏面に刻み込まれた印の形は判らず、術の種類や効果範囲を推測する事は出来無い。

 即時退避するべきか、それとも発動を待って見極めてから動くべきか。

 刹那の思考の末にケイスが選んだのは、あえて謎の土塊に向かって飛び込むという選択肢だ。

 形式が判らないなら、発動前に斬る。

 細剣をその場に突き立てると同時に飛び出し、無手になった利き手の右手で魔力吸収液内臓の大振りのナイフを腰ベルトから引き抜く。

 指先でボタンを弾き、機構開放。

 瞬時ににじみ出した魔力吸収液を纏うナイフを強く振って、黒ずんだ液を前方に向かって散布。

 不気味に蠢いていた土塊の収縮が液が付着すると同時に、急速に収まっていく。それを確かめつつ、ナイフを腰に戻した右手で即座にもう一つのメイン武装であるロングソードを抜刀。

 そのままロングソードの刀身で目の前に浮かんでいた土塊を横薙ぎに両断。さらに切り抜ける最後の瞬間に合わせ僅かに刃を横に捻りねかせる。

 ハルバードを弾き飛ばし、老戦士の懐に飛び込もうとし、

 視界の隅。足元から昇ってくる銀閃。

 とっさにロングソードを胴体に引き寄せると、間髪入れずに金属同士がぶつかり合う激しい音が響き、強い衝撃が剣越しに身体に伝わる。

 強い衝撃に数ケーラは後方に弾き飛ばされながらも、ケイスは何とか転ばずに着地をし体勢を整える。


「なるほど腕も立つが、魔具使いか! 隠し技が他にもありそうじゃの! 次は何を見せてくれるか楽しみだな!」


 自分の魔術攻撃をかき消されたというのに、老戦士は動揺する様子も無く笑っている。

 ケイスを吹き飛ばしたはずのハルバードは、最後にケイスが目視した位置から一切動いていない。

 だが受け止めたのは間違いなくあのハルバードのはずだ。自分の勘がそう告げる。

 なら答えは簡単。ケイスが認識できる速度よりも遥かに早く、この老戦士は長柄でケイスの身体をかちあげてきた。

 それだけのことだ。

 これが最速かは判らないが、相手の剣速はケイスより遥かに早い。ならばますます長丁場は不利だ。

 まだ足場が不安定だからこそ、軽量なケイスが、重鎧を身につけ年のわりに筋骨隆々な老戦士を機動力で勝っている。

 だが老戦士は着実に足場を踏み固め、自分が動きやすい場を広げている。 

 自由に動かれたなら、今のように斬り込むのさえ苦労する。

 老戦士の隙を窺い周囲を回る際は、なるべく自分の踏んだ足跡を踏み、地の利を維持しているが、さすがに一定の場所を踏んでいることもそろそろ読まれかねない。

 もしくはもう読まれているか?

 読みながらあえて見逃している?

 何故か兜を着けていない頭部に向かってケイスは攻撃を繰り出しているが、老戦士はあえて隙を作って狙わせている?

 虚を突くためにあえて分厚い装甲に固められた膝関節や、腕部を狙うべきか?

 まだ倒していない敵は一人。魔術師が魔力を回復させ、参戦してくれば勝機は大きく減る。

 早急に倒す必要がある。

 だが今の力では、届かない。

 息を整える僅かな一瞬の間にも、頭の中でいくつもの仮設や推測を問い、戦闘方針へとケイスは織り込んでいく。

 総ては勝つために。今の自分を、一秒後の自分が越えるために。

 だから考える。総ての違和感を。総ての手を。

 今手にある総てをもって越える道を。









「とんでもねぇなあのガキ。なに者だ!? 下馬評で名前上がってる奴か?」 


「ありゃ見せ方が上手いだけだ! 名勝負メーカーのセドリック爺さんだぞ!」


「さすがに出来すぎじゃ無い? 運営の仕込みとかじゃないの。ほら短身種の探索者だったりとか」


 使い魔によって届けられた映像が映る大鏡を見た観客達の間に広がっているのは、熱狂といった熱とは、ほど遠い戸惑いという名の空気だった。  

 巨大な魔術塔を崩壊させ、動けなくなっていた探索者をそのまま三人屠り、4人目に苦戦しているとはいえ、曲芸じみたとてつもない剣技を見せる。

 ケイスのその現実離れした強さが、観客を困惑させていた。

 ある者は、その正体を探ろうと、大会非公認で配布されていた予想紙をつぶさに見始める。

 またある者は、相手をするのが下級探索者であり、ロウガで人気の剣戟興行一座を率いるセドリック老だから、わざと盛り上げて見せているだけだと否定しようとする。

 また別の者は、あれは本当の参加者ではなく、大会を盛り上げるために投入された仕込みでは無いかと疑いの目を向ける。

 一部を除いて、あれは、あの挑戦者はあり得ないという否定的な空気が大半。それほどまでにケイスの見せる剣技は理解しがたい物だ。  


「あれが世間一般の普通の反応よね……嫌な慣れかたしてるわね。我ながら」


 果たして自分が今の周りのような反応をしていたのはいつだったろうか?

 現役探索者相手に善戦してみせる様や、平気で殺していくぶっ壊れた性質を見ても、ケイスだから当然だと思ってしまう。

 ケイスの無茶苦茶さ加減を嫌というほど知っているルディアは、自分の感性が世間とかけ離れたことを今更ながら自覚し自虐的に笑う。


「あーケイの装備がいくつか減ってるね。胸の部分の新しい奴が2、3本かな」

 
「あいつ早速新型を使いやがったのか。貴重だから大事に使えつったのに」


 一方でウォーギンは、遠目の効くウィーに頼んでケイスが使った魔具の残量をチェックしていた。

 基本的にケイスは扱いが乱暴なのか、それとも無茶が過ぎるのか、あるいはその両方か。

 武具。特に剣の消耗が激しい。ひたすら頑丈なのを好むのもすぐにポキポキと小枝のように折ったりかけさせ、投擲ナイフは、まるで鳩に餌を撒くように無造作に盛大に使う。

 新作の強制魔力供給ナイフは時間も無く、作れたのは5本だけで、しかも繰り替えし使用の出来ない1回こっきりの使い捨て。

 それをいきなり半分以上使うとは。

何せこれは挑戦者同士の生き残り戦。今戦っている探索者だって本来は最初の障害でしかなく、本命はケイスと同じようにフォールセンの推薦を得ようとする、大勢の若者達。

 その本命達はまだ無傷で全員が控えているというのに、今のケイスはあの老探索者に対して、どう見ても全力で挑んでいた。


「あいつ考えて戦ってるのかどうか、たまに判らなくなるな。そこらへんどうなんだウィー? 昨日やってみた感想は」


 後先考えているのかと、ウォーギンはさすがに呆れかえって、ケイスの昨日の鍛錬に半ば強制的に付き合わされていたウィーに尋ねる。

 技術者のウォーギンでは判らないが、ケイスと剣を交えたウィーならば少しは判るだろかと、あまり期待はせずに尋ねる。


「あー、うん。ケイかぁ。頭おかしいからねぇ。なに考えてるんだか……鍛錬に付き合わないなら本気で斬るって脅してくるし、どちらにしろ自分に斬りかかられるなら、まだ寸止めしてやる鍛錬のほうがマシであろうなんて真顔で言うんだもん」


「すまん。無茶な質問をした」


 一晩稽古に付き合ったくらいでケイスを理解出来るなら、誰も苦労しない。自分の質問が実に意味の無い物だと悟ったウォーギンは頭を下げるしか無い。


「それのどこが快く引き受けてくれたなのよ。どこまで自分本位の言いぐさしてるのあのバカは」


 ウィーを説得したら快く鍛錬相手を引き受けてくれたとケイスから聞いていたルディアは、事の真相を聞いてその非常識が過ぎるケイス理論に頭を抱える。

 
「いやーまぁケイの場合は、自分が強くなって、ボクの目的に全力で付き合ってくれるとも言ってくれてるんだけどねぇ。行き倒れのボクを助けてくれたし、一応善意含みだと思うけど」
 

 ウィーが困惑を表すかのように尻尾を不規則に動かしながら答えていると、急に観客席から大きなざわめきが上がり始めた。

 話し込んでいる間に何か大きな動きでもあったのかと、ルディア達は大鏡に目を戻し、そしてその騒ぎの意味に一瞬で気づき、さらに支離滅裂なケイスの行動に言葉を無くす。


「はあっ!? うそだろ!?」


 黒く濡れた艶のある黒髪が風にたなびく。


「…………女の子だと!? しかも人間種だろあの顔!」


 意志の強さを現す髪と同じ色の目は、真剣な眼差しで老戦士のセドリックを凝視する。
 

「いやいや! 無いだろ!? あんなの可愛らしいのが今までの見せてたってのか!?」

 お伽噺の中から抜け出してきたような、幼くとも人目を引く端整で深窓の令嬢然とした気品を漂わせる美貌は、10人が10人、口を揃えて自分が今まで見た中で一番の美少女と評価するだろう。


「……いやほんと。なに考えてるのよ。あの馬鹿だけは」


 あれだけ油断されたり、侮られたりするのが嫌だと、素顔を晒すのを嫌っていたというのに、何故かケイスは自らの手でその顔を隠す覆面を取り去っていた。



[22387] 弱肉強食 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:cb657d47
Date: 2017/11/24 23:51
「ほぉ。威勢のいい若いのと思っていたら、こんな綺麗どころのお嬢ちゃんとはな」


 相手の視線、動き、口調、呼吸を把握。

 自らの一挙手一投足に対する、反応を記憶。

 呼吸を沈め、力を蓄え、髪の毛一本一本まで神経を通し集中の極まで。

 覆面を取った自覚はケイスには無い。

 斬る。

 今のケイスにあるのはその一点のみ。

 数多の人外の力を自ら捨て去り、怪我により失いながらも、ただ1つ残ったその高速思考能力が最大の力を発揮する。

 喰らうは総て。この場にある万物。

 その眼は総てを見通す。

 その耳は総てを聞き取る。

 五感を研ぎ澄まし一瞬で喰らい尽くし、己の糧とする。 

 頬に薔薇色がさし、黒檀色の瞳は潤み、僅かに開いた唇からは吐息が漏れる。

 幼くとも絶世の美姫となる将来を誰にも予感させる美貌が、まるで恋をするように上気にそまる。

 まだ少女だというのに蠱惑的な色気さえ醸しだしかけたケイスの様子に、歴戦の勇士であろう老戦士さえも思わず戦いを忘れ、見とれかけてしまったのか、その饒舌な言葉が一瞬止まった。

 ケイスがその表情を見せたのは一瞬。そうほんの一瞬。だがそれで、それだけでいい。

 この世の総てをやがて喰らい尽くす化け物にはこれで十分だ。

 敬愛すべき老戦士の手管は全て喰らい尽くしていた。 

 後は斬る道を見つけるだけだ。









「ん。名を教えていただけるか剣戟師殿。さぞ高名であろう貴殿の名を尋ねるのは失礼に当たるかも知れぬが、あいにく私はロウガの剣戟興行に詳しくないのでな」 


 今まで頑なに沈黙を保っていたケイスは、呼気を抑えながら言葉を発する。

 両手で構えたロングソードの切っ先で、地面に線を描くように下構えでかまえる。

 声を発すれば隙を生む。その隙を消すためには、相手の意識を反らす、興味を引く会話を繰り出す。

 それが老戦士の、いや老剣戟師の話術であり、一種の戦術だとようやく気づいた。

 ケイスが無視しようとも一方的に続けていた饒舌で流暢な問いかけは、ただの無駄話でもなければ、ケイスの情報を聞き出すための駆け引きでも無い。

 老剣戟師の間合いの取り方であり崩し方だ。

 ケイスの攻め気をずらし、削ぎ、じらし、己の望むタイミングで打ち込ませるための戦術。
 

「世間一般なら名を尋ねるならば己から名乗れと返すのがお約束ってもんだが、演者が名を尋ねられたら答えなきゃならんな。ロウガを拠点に東方地域を巡業している剣戟興行で座長を務めるセドリック・ハグロアだ。以後ご贔屓にお嬢ちゃん」


 老剣戟師セドリックが名乗りとともに、その頭上で大きくハルバードを回して見得を切ってみせる。

 一瞬その大振りに隙を見つけたような気がし、斬り込みたくなるが、ケイスはその衝動を抑える。

 今のは隙では無い。誘いだ。

 正確に言えば、今のケイスの力だけでは、どのような状況であろうとも、セドリックの隙に付け入る事が出来無い。

 速さが違いすぎる。それは先ほどのかろうじて防いだ一撃で思い知らされている。

 隙を見つけ斬り込もうと動いたときには、即時に把握され対処される。

 今のままでは相手の掌で踊っているような物だ。  

 老戦士までの間合いは約10ケーラ。軽量化状態なら3歩。だがこの3歩が遠い。


「しかしお嬢ちゃん。どうして儂が剣戟師だと気づけたのか、ご披露してもらえるとうれしいね。最近は若いのを花形として売り出し中で、チラシにも顔乗せはしていないんでな」


 向けられた穂先から逃れるように、ケイスはじりじりとすり足で移動しながら、外套に仕込んだ軽量化魔術の効果を無効化させる。

 ケイスの身体が重さを取り戻し、柔らかな土に足が沈む。

 これで速度も跳躍可能距離も半減した。しかし速度を捨てなければ、軽量すぎて打ち負ける。

 セドリックは軽量化状態のケイスよりも早い。そして力も強い。
 
 身体能力でケイスが勝る部分は1つたりとも無い。

 自分よりも強い相手の勝つには、通常の手段では届かない。だから喰らう。勝つためにあらゆる物を。

 自らが積み重ねてきた、喰らってきた経験と、育んだ技量を最大効率で組み立て直していく。


「ふむ。知り合いに南方の剣戟師がいる。剣戟師が口上も述べるトランド式とは違い、演者は剣だけを魅せるが、基本は変わらぬであろう。その剣戟師達が言うには、観客の目を意識して、楽しませつつも、見応えがあるように動くのが基本であり真髄と言っていたのを思い出した。観客の目。つまりはそこらを飛び回っている使い魔達だ」


 自分達を取り囲むように宙に留まっている水晶や紙でできた小鳥型の使い魔達を視界の隅に捕らえ、ケイスは顎で指ししめす。

 あれらは主に偵察用に使われる、簡易で使い捨てのできる使い魔達だ。

 ルディア達のいる会場へと、この戦いの様子を届けているのだろう。


「セドリック殿が私に打ち込ませるとき。それはあれらが良い配置にいる時であろう。それで判った。あとは私を弾き飛ばした一撃だ。あれは出始めを私にわざと見せたな。防げたから一見派手な打ち合いになったが、本来ならあれで私は斬られていたはずだ」  


 セドリックの言葉に合わせながらも、ケイスは微妙に歩幅をずらして、セドリックが望む見栄えのある位置をさけ、己のタイミングで切り込める位置取りを計る。


「しかし斬れるなら斬っとくべきではないかね。とくにお嬢ちゃんのような何をしでかすか判らないのは」


「私が先行して飛びだしたからであろう。他の参加者達がパーティを組むまでの時間稼ぎだな」


「やれやれ。そこまで舞台裏を見抜くかい。音声中継もされているからあまり裏事情を話されるのは困るんだがね」


 一方でセドリックはあくまでも受けの体勢で、ケイスの機先を制するのでは無く、その動きに合わせて穂先を動かしている。


「ふん。その程度セドリック殿ほどなら労も無かろう。観客から無茶振りされようとも断らず答えるのが、良い剣戟師というからな」


「ほう。嬢ちゃんは観客の期待を裏切れない剣戟師の苦労をよく知っているな。どうだいうちの一座に入らないかね。顔立ちも良いし、技量もありそうだ。何よりその意思の強い目がいいな。花形になれるだろうよ」


「ふむ……」


 もし自分が、運命が違っていれば、どうしていただろう。今ももっとも憧れた剣を振った母が生きていれば、どの道を選んでいただろう。

 いつか母のように仮面で顔を隠した剣戟師として、帝都の剣舞台でその剣を魅せていたのだろうか。

 一瞬脳裏をよぎった妄想。しかしそれは今目指すべき道をより強く照らし出すための、道しるべにしかならない。

 ケイスが目指すべき、進むべき道は1つだけだ。ならば迷いなど無い。


「私が目指すべき道は1つだけだ。だがその誘いは嬉しいな。私がもっとも憧れた剣士は剣戟師だからな」


 ケイスは惚れ惚れするような笑顔を見せる。しかしそれは言葉とは違いセドリックの誘いが嬉しかったからでは無い。

 ケイスにとって至上の喜びは、強くなる事、斬れない物を斬れるようになる事。それだけだ。

 斬るべき道を、常人では至れぬ道を天才たるケイスは見いだす。

 先ほど踏み込んだ位置までようやく到達したケイスは足を止め、セドリックを真正面へと見据える。
 

「しかし良いのか? 名も知らぬ者を己の一座に誘って」


 小首をかしげながらケイスは尋ねる。

 ケイスは世間を知らない。それ以前に人の心が良くわからない。

 他者が知る、物事の判断基準となる世間の常識、論理感も倫理感をケイスは持ち合わせていない。

 ケイスが知るのは、理解が出来るのは剣を交えた思いのみ。故に剣を交え、剣戟師であると知ったセドリックが次に発する言葉を想像……いや確信できていた。


「ならそろそろ名乗ってもらえるかね。剣士殿」


 ケイスの誘いにセドリックはにやりと笑い、寸分の狂いも無く望んだ言葉を発する。

 立ち止まったケイスが仕掛けて来ることも察し、ゆっくりと身を沈め、迎え撃つ体勢を取った。


「大願を叶えるまで家名は名乗らぬと願をかけているので、真名を正式に名乗れぬ非礼を先に詫びさせてもらう」


 両手でかまえていたロングソードを右手だけに持ち替え、空いた左手で腰のベルトへと手を伸ばす。

 セドリックは強い。今の自分よりも遥かに。だが勝つ。斬る。

 斬る。その概念を前にこの世の総ては、ケイスにとって意味を無くす。

 斬る。その為に今の自分よりもさらに強くなる。総てを喰らって強くなる。


「だから代わりに我が流派と共に名を名乗ろう。故に一生の誉れとせよセドリック・ハグロア。私がこの誇りある流派と共に名乗るのはこれが初めてだ。貴殿の剣技は至上の名誉に値するだけの価値を持つと認めてやろう」


 心臓が高まる。鼓動に合わせ血が滾る。まだ名乗らぬと決めていた。ふさわしい力を身につけるまではと。

 だがケイスが決めた条件を越える条件が1つある。それはケイスが決して届かない相手が目の前にある事。

 セドリックは強い。自分よりも遥かに。だからこそ総てを持って超える価値がある。

 今はまだ未熟なれど、その未熟さを持ってしても越えるべきふさわしい相手がいる。それが嬉しい。たまらなく歓喜を覚える。

 ケイスが腰のベルトから選んだのは頑丈な防御ナイフ。それを逆手に抜き出し、手首の前ねかせるように構え顔の前まで持ってくる。

 左手に短剣。右手に長剣。

 世にある二刀流でよく見られる基本形。しかしそれはその名を名乗ることで大きく違う意味を持つ。

 歴史に名を残す英雄が振るった剣。

 隔絶した天才性故に、誰一人として、真の意味で受け継ぐ者がいなかった流派。

 過去の伝説であり、繰り返し英雄譚で謳われようとも、その剣の真価を、目にした者はもうほとんど残っていない幻の剣技。

 一人の天才によって、再びこの世に現れる剣。


「私は双剣を受け継ぎし者。そして双剣を超える者……ケイスだ!」  


 自分の名を力強く名乗ると同時に、左の短剣を手首の力だけで投擲。

 先行する剣を追ってケイスは駈け出す。先ほどの交えた剣の再現をするかのように同じ軌道を飛翔する。

 だが決定的に違うのはその速度だ。遅い。飛翔する短剣も、それを追うケイスも。

 手首の力だけで飛ばした短剣は、全身を使った投擲よりも遥かに遅い。

 軽量化魔術の恩恵を切ったケイスの身体は、1歩1歩事に土に足が取られ、素人目でも軽く追いかけられる速度しか出ていない。

 牽制で放ったはずのナイフとの距離さえ開き、先ほどのほぼ同時攻撃となった一撃とはほど遠い。

 届かない剣にやけになって突っ込んだようにしか見えない、無謀で意味の無い攻撃。

 だが先ほどの名乗りが、セドリックの判断を鈍らす。

 フォールセンを……双剣を継ぎ、ましてや越えるとまで謳う者がただ無意味に剣を振るか?

 あり得ない。それはあり得ない。

 戯れ言と笑われる。

 はったりだと判断される。

 身の程知らずな大言壮語と呆れる。

 フォールセン二刀流を受け継ぐという者が現れれば、常人ならば、いや剣に卓越した者であればあるほどこそ、その隔絶した伝説故に疑う。

 セドリックも通常ならば一笑しただろう。だが今のセドリックにはそれが出来無い。

 警戒させたのはセドリックが先ほど褒めたケイスの目。

 その瞳に映るのは恐ろしいほどまでに純粋で、紛れも無い殺気。

 斬る。斬ってみせる。百万、一千万、無限に積み重ねた言葉よりも、はっきりと判る無言にして絶対を込めた1つの意思が、総てに勝つ。

 万物を屈服させ、喰らう、化け物の目を前にすれば、何者であろうとも、生存本能が最大まで刺激される。 

 ケイスの瞳が呼び出したのは、純粋にして無垢な命のやり取り。

 原初にして、この世のもっとも基本的な法則。

 弱き者は喰われ、強き者は糧とする。 

 【弱肉強食】

 この遊戯世界における基幹法則をもっとも体現した龍王が作り出した間合いが、ケイスとセドリック。両者の間をつなぐ。

 そこにいるのはもはや剣戟師セドリックではない。セドリック・ハグロアという1つの生命。

 最大まで刺激された生存本能に従い、セドリックはほぼ無意識に己が放てる最大にして最速の技を繰り出す。

 それはハルバードが長柄という利点を生かした超高速の突き。振りかぶって切り伏せる斧では無く、最短距離で突き進み突き刺す刺突の一撃。

 愚直にもただ真っ直ぐ突き進むケイス相手だからこそもっとも有効な一撃を、セドリックは力ある戦士だからこそ無意識に近くとも自然と繰り出していた。

 それを化け物は喰らう。相手が力あるからこそ、選ぶであろう一撃をケイスは突っ込んだときに読み取っていた。

 セドリックの剣をケイスは捉える事が出来ない。今の実力では速すぎて認識が出来無い。だが認識はできずとも、来ると判っている。来ると信じた。

 見た目に違わぬ凄腕の老戦士にして、ケイス相手に自由に打ち込ませる技能を持つ素晴らしき剣戟師であり、ケイスが欲する最高の好物である強者ならば振るうと確信していた。

 見えない、目に捕らえない一撃。本来であれば防御不可能な攻撃に対し、ケイスはただ単純に対処するだけだ。

 ロングソードを来るであろう瞬間を見計らい、ただそのタイミングに合わせて動かすという、単純明快な答えで。

 セドリックが狙ったのは、この空間を作り出すほどの存在感を放つケイスの目。鋭く強すぎる万物を喰らい狂わせる龍の眼を潰そうと迫る穂先を、ケイスが振りあげたロングソードが斜めに受け止める。

 セドリックの得意とする、己の望む間合いとタイミングで相手に剣を振らせる技能を喰らったケイスは、思惑通りに振るわせた一撃を防ぐ。

 すさまじい速度を込めた一撃にケイスの身体は吹き飛ばされそうになるが、それは力だ。

 ケイスが失った強靱神速の力だ。

 力を喰らう。打ち込まれた力を喰らい、己の力と変える。それこそがフォールセン二刀流の真髄。

 数多の化け物に囲まれ、己よりも遙かに力でしのぐ化け物達を相手に戦い抜き、生き抜いたフォールセンが育んだ剣の真理を、天才たるケイスは察し、体現してみせる。

 斜めに受け止めた刺突の衝撃をずらしながら僅かに跳躍。空中で流される身体を、その類い希なるバランス感覚で制御。

 前転気味に回転しながら空中で捻って体勢を整え、右足を精一杯にのばす。

 ケイスが持つ剣と、セドリックの長柄では間合いに差がありすぎる。間合いの差を埋めるためケイスは己の体を柄とする。

 柄となったケイスが求めるのは、やはり刃。刃が無くして剣は完成しない。

 そして既に求める刃はそこにある。ケイスの意思に基づき宙を駈ける剣が。

 伸ばした右足が先行していた短剣の柄を捉える。目で見ずとも、捉えきれない刹那の間であろうとも剣の動きは位置は判る。

 ケイスが望み投擲した剣だからだ。

 伸ばした足先が、ナイフの柄を確実に捉える。

 自らを剣士と誇り、剣と共に生きるケイスだからこそ可能な人刃一体を持ってして、絶対的な差があった間合いを制し、絶望的な差があった技量差を埋め、隔絶した力量を上回る。

 セドリックの力を喰らって、最大、最速化されたケイスの渾身の蹴りがセドリックの右肩に叩き込まれる。

 足先のナイフの刃が重厚な鋼鉄製の肩当てへと食い込み撃ち砕き、肩肉へと食い込み、セドリックからどす黒い血しぶきがあがる。

 しかしセドリックも歴戦の戦士。予想外の動きで打ち込まれた予測不可能な一撃に対して、ほぼ反射的に反応して身を沈め、その衝撃を受け止め打ち消そうと動いていた。

 その思惑通り、ケイスが打ち込んだ一撃は深手は与えたが、致命傷とまではいかず肩骨に食い込み刃が止まる。

 力が入らなくなったのかセドリックの右手からハルバードがこぼれ落ちた。落ちたハルバードを受け止めようとしたのか、その左手が僅かに動くが、折れている左手はセドリックの意思には従えなかった。   

 だが届かない。未だ届かない。ケイスの剣は斬るまでは、一刀では届いていない。

 しかし今のケイスは二刀。二振りの剣を振る二刀流の剣士。

 自らの出自を隠す為に封印した、本来の戦闘スタイルを取り戻したケイスはそこでは終わらない。

 未だ宙にある己の体の両足を丸め、重心を変化させながら、両手でロングソードを握り直し着地と同時に渾身の力を込めて剣を振り下ろす。

 狙うは自らが食い破った隙。重厚な鎧に空いた破損。ナイフが作り出した斬撃。

 息もつかせぬ二連撃がセドリックの右肩に食い込み、さらには鎧を砕きながら一気に左脇腹まで抜け、その身体を逆袈裟に両断する。

 本来ならば臓物と血しぶきが舞う無慈悲な一撃。

 だが両断すると同時にセドリックが身につけた腕輪が発光し、その身体が光の泡となって宙に消えた。 


「ふっぅ……」


 どうやら身代わりの腕輪の効果が無事に発揮されたようだと思いながら、ケイスはゆっくりと息を吐く。

 ケイスには傷1つ無い。見ようによっては圧勝と見られるかも知れない。だが剣を交えたケイスは薄氷の勝利だと自覚する。

 最初の一撃で命を絶てなかった段階で、まだ自分は未熟だと反省する。セドリックの左手が万全ならばハルバードを拾われ反撃されていた。

 いやそれ以前に片手の一撃だから受け流せたが、両手で打たれていたら、来るのは判っていても反応しきれたかと問われれば無理だったと認めざる得ない。

 強い。斬った後でも強いと素直に賞賛できる。それほどの強者だ。

 よく見れば一撃を叩き込んだロングソードは刀身全体にヒビが入り、使い物にならなくなっている。

 一撃で武器が壊れるほどの剣を放てたのは久しぶりだ。その爽快感がたまらなく気持ちいい。


「ふむ。よく頑張ってくれたな。お前とセドリック殿に敬意を表して、今の剣技はフォールセン二刀流新技【刃車二式】とでも名付けさせていただこう」


 愛剣と、強敵に対する最大の敬意を現すために、自らが放った技に名付けたケイスは、使えなくなってしまったロングソードをその場に突き立てる。

 後で回収には来るが、さすがに使えない剣を持って移動するのは体力的に不利だ。それに満足感は覚えているが、戦いはまだ始まったばかり。

 それなのにメインウェポンをいきなり1つ失ってしまった。メインが細剣一本でやれないことも無いだろうが、耐久度を気にしながら戦っていくのはストレスが溜まる。

 そう考えたケイスは足元に落ちていたセドリックのハルバードをじっくりと見る。

 ケイスにはちょっと長いが、刃がついている以上は長柄であろうとも、ケイスには剣だ。

 なら使えないわけが無い。


「ふむ。地面に突き刺すのは良いな。しばし借り受けよう」


 最後の一人を探り、刺し殺すにはこっちの方が良いと判断したケイスは、新しいオモチャを拾った子供のように無邪気な笑顔で笑い、ハルバードを拾い上げ振り回す。

 最初の一撃で返り血を浴びた顔を乱暴にこすった剣鬼は、次に斬るべき標的を求めて動き出した。



[22387] 剣士の鍛錬
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/02/14 00:21
「がっ!?」


 のど元に深く突き刺さった短剣に声帯を突き潰されたのか、空気が抜けるようなくぐもった声をあげ、大刀を構えていた若きサムライが前のめりに倒れていく。

 一瞬の交差でその命を絶った化け物は、すれ違い様に若サムライが差したままの脇差しを拝借する。


「くそっ! またかよ!」


 先ほどから繰り返される光景に、巨大な曲刀を持った若者の口から思わず悪態が洩れる。

 その声が含む敵意に引き寄せられたのか、それとも元から切りに来るつもりだったのか、化け物が若者を標的と定め、地を強く蹴り跳び上がった

 跳んできた化け物を迎撃しようと、若者は巨大な曲刀を振りあげる。

 木々が生い茂る林の中では、大きすぎる若者の獲物を横に振り回すのは至難だが、縦ならばその重量と切れ味に任せ、枝諸共切り落とせば問題は無い。

 直線的に迫る化け物を、正面から打ち落とす軌道を剣が奔る。 

 迫り来る曲刀に対し、化け物がつい先ほど奪ったロウガ仕様の古式の脇差し刀をもつ右手で全く見当違いの虚空を突いた瞬間、化け物の身体は不自然に右側に傾き倒れた。

 まるで脇差しの重さが急激に増加したかのような不自然な挙動で、化け物は曲刀を舐めるような紙一重で躱す。

 右に流れたことでその攻撃可能範囲は大きくずれたが、化け物は曲刀の刀身を軽く蹴り足場とすると、その軌道を一瞬で修正してきた。

 上下が逆さまになった体勢の化け物が放つ鋭い突きが、面当ての隙間を通り、若者の視界いっぱいに迫る。

 予想外の位置とタイミングからの攻撃を、若者が防ぐ術は無い。


「なっ!? ぎゃぁつ!?!?」


 ずぶりと眼球を突き抜け、頭部の中に浸食してくる激痛を伴う冷たい金属の感触に、恐怖と絶望に染まった断末魔の絶叫が、薄暗い林の中に響く。

 絶叫をあげた若者の手から曲剣がこぼれ落ちた次の瞬間、若者の身体は光の粒子となり、頭部に刺さった化け物が繰り出した脇差しと共に転送されていく。

 一刀のもとに若者を惨殺した化け物は、着地と同時に若者が落とした巨大な曲刀を右手でつかむと即座に次の獲物へと襲いかかる。


「きゃぁっ!? こ、来ないでよ化け物!」
 

 顔をすっぽり覆う覆面と仮面から覗かせる鋭い眼光に怖じ気づいたのか、後詰めに動いていた短槍使いの少女が恐怖の悲鳴をあげながら、なにも考えずに唯々恐怖に駆られ、電光石火で短槍を繰り出した。

 どれほどの威力や速度があろうとも、意図も持たず恐怖から繰り出された槍の一刺しなど、化け物にとって餌以外の何物でもない。

 槍の穂先に合わせ左手の防御短剣を合わせ、刃先を流しながら踊るようにクルリと回る。

 さらに右腕に持った巨大な曲刀を槍の一撃とほぼ同じ速度の”電光石火”で振り回した。

 突きを喰らった曲刀が袈裟斬り気味に振り下ろされ、肩当ての一部を軽く砕ききり、さらには短槍使い少女の首元からめり込み、その重量と速度を持って膝さえも叩き折った。

  
「ひぎゃっ!?」


 踏みつぶされたカエルのような苦悶の声をあげ少女が絶命する寸前に、曲刀から手を放した化け物は、少女が振るった槍を右手でもぎ取り己の物とする。

 事切れた槍使い少女の身体が先ほどの曲刀使いと同じように、光の粒子となり消えていく。身体にめり込んだ曲刀と共に。

 その消え去る姿を一瞥することも無く、化け物は奪い取った槍を構え、自分を包囲する者達へとその穂先を牽制のためか向けた。
 

「なんなんだよこの化け物は!?」


「知るか! 怖じ気づいてないで次誰かいけよ! 休ませるだけじゃねぇか!」


「あっ!? てめえがいけよ! 俺らももう少しやられたら失格なんだよ!」


 先ほどから断続的に続けられる殺戮劇に、恐慌状態に陥ったのか怒声が飛び交う。

 覆面で顔を隠しているので種族は判らないが、その体格は小柄で幼い子供ほどしかなく、数多く参加者達の中では一番肉体に恵まれていない。

 実際に力や速度もその小さな身体にふさわしい程度なのか、大して早くも無く、力も無い。簡単に弾き飛ばすことができ、逃げる先に回り込むことができる。

 もっとも脆弱な肉体を持つ者を、もっと優れた肉体能力を持つ者達が大勢で囲んでいる。

 誰がどう考えても勝者が判る状況。

 だというのに、そのはずなのに、今この場において、常識は易々と覆される。

 斬り殺されたのは今の三人だけでない。既に参加者の半数、少なくとも百人以上がこの化け物によって斬り殺され、

 化け物が逃げ込んだ林を包囲する挑戦者は、もはやその所属チームなど関係なく、残った者達が総て協力する形となっていた。

 だがいくら数が多くとも、木々が生い茂った林の中では連携は取りにくく、同士討ちの危険もあり、一度に攻撃できる人数は限られる。

 広範囲魔術攻撃が可能ならば、林もろとも一気に攻撃魔術で吹き飛ばすという手もあるだろうが、魔術を得意とする者達は、化け物によって既に一人残らず駆逐されていた。

 残っているのは、腕は立つが近接戦闘が専門の者ばかりだ。

 その腕利きが数人ずつで攻撃を仕掛けるが、その度に化け物によって一刀の下に切り伏せられ、慣れ親しんだ武器を奪われつづけていた。


「当てにならねぇな。他の奴らは」


 魔術塔を切り崩し、下級クラスとはいえ現役の探索者パーティを短時間で壊滅させ、さらには大多数に囲まれながらも、未だ寄せ付けない強さをみせる存在を、化け物と呼ばずなんと呼ぶ。

 この期に及んで、まだそんな事すら判断できない他の参加者に対する苛立ちを覚えながらも、まだ顔に幼さが残る青年が無言のまま、木々の間を音も無く走り、化け物の背後へと回る。


「雑魚は退いてろ! 俺達”二人”が行く!」


 青年が絶好の配置についた瞬間、その機を逃さず、大きな怒声が響き、集団の中から言葉通り二人の若者が1歩前に出ると剣を構えた。

 周囲を煽るような大声。だがこれは合図であり牽制。

 道場仲間の二人が正面から斬り込み、気を引いている隙に背後から一撃で断つ。

 いくら縦横無尽に剣を振るう化け物であろうと、迷宮モンスターのように複数の目や腕がある訳でも無い。

 同時に迫る剣は防げないはず。先ほどまでの攻撃は一斉に襲いかかっていただけで、まともな連携にはなっていなかった。

 だが自分達は違う。一対一では無く、多対一を得意とする。探索者としての戦術を身につけた自分達は。

 力で劣る人間が、化け物に勝つには、数の力を結束して戦しかない。

 それが彼の、探索者を目指す者の常識であり、最適解だ。最適解であるべきだ。最適解で無くてはない。

積み重ねてきた数え切れない先人達の屍から導き出された答えが、こんなにあっさりと覆されて良いわけが無い。

 これは、これだけは認めてはいけない。こんな戦い方をする者だけは認められるはずが無い。

 ただ一人で、数の力を否定する者だけは。

 その敵愾心が、彼らから棄権という選択肢を、勝ち目の無い強敵からは逃げるという、探索者としての常識を忘れさせていた。
 







 覆面の下で荒れる息を悟らせないように、浅い呼吸で息を整える。

 闘気による強化を失ってからは、初めての長時間戦闘。

 本来のケイスの戦い方は、敵の攻撃は可能な限り回避し、敵へと肉薄し、己の最大の攻撃を敵よりも先に当てることを信条としている。

 だが闘気強化が出来ず力の大半を失ったケイスには、先の先ができない。

 後の先。いわゆるカウンター主体の攻撃法へと変更を余儀なくされている。

 攻撃を受け止め流し、己の力と変えることで可能な限りに消耗を抑えてはいるが、逆に言えば攻撃を受け止めなければならない分、それなりの衝撃をもろに喰らっている。

 両手首が少し痛み始め、防御短剣にも細かな刃こぼれや歪みが目立ち始めていた。

 この痛みや、刀身の損傷はケイスにとって、己の未熟さを痛感する恥だ。これらは相手の力を受け流しきれていないという、何よりの証拠に他ならない。

 そしてそれよりも深刻なのは精神の摩耗だ。

 天才を自負するケイスを持ってしても、タイミング1つのズレがすぐに負けを呼び込むので、薄氷の上を進むかのように気を張り詰め続けていなければならない。

 より高レベルの剣技を使えるならば、完璧に相手の力を受け流すことができるならば、数千、数万と剣戟を交わしても、己の肉体も武器も精神も損耗はしない。

 相手の力を全て受け流し己の元とする。これは机上の空論でも、実現不可能な理想でもない。

 フォールセンとの稽古で、その剣の極みとも言うべき極地を実際にケイスは目撃して体感している。

 だから確実にこの先にあるはず。だが今のケイスでは届かない。見えない。

 それは闘気変換ができ無くなり、闘気による肉体強化が出来なくなったからではない。

 フォールセンも、また今のケイスと同じように身体の中で暴れ狂う異なる龍種の血により、その力をほぼ失っている。

 だがそれでもケイスが理想とし、憧れ続けている剣を振るってみせた。

 そこから導き出される結論はただ1つ。純粋に、そうただ純粋に、ケイスの技量が足らない。

 フォールセンが到達した次元が遥かに遠く、今のケイスではその世界への扉さえ認識できないのだ。

 フォールセンが苦難の果てにたどり着いた領域に、己の才能だけで到達できるとは、唯我独尊で傲慢なケイスとてさすがに思っていない。

 たどり着くにはただ1つの道しか無い。鍛錬を重ね、己の剣技を磨き続ける。

 そしてケイスにとって、最大効率となる鍛錬とは実戦に他ならない。
 
 だから苦しいのが嬉しい。きついのが楽しい。数多くの敵に囲まれているのが好ましい。

 より苦境を。

 より難関を。

 全ては己が強くなるため。

 己が世界最強となるため。

 この窮地こそが、ケイスの進むべき道だ。

 前方左右からタイミングを合わせて迫る剣士が二人、ケイスは疲れた四肢へと力を入れる。

 獲物は揃いの装飾が施された長剣と皮鎧。おそらく同門の仲間か。

 その両者が一瞬だけだが、見据えているはずのケイスから目線を外して、後ろへと視線を投げ掛けた。

 不自然な行動。それが意味するところは?

 激しく回転する戦闘本能が答えを導き出す。

 把握していない”敵”がいる。

 駆け引きを仕掛けて来る相手をケイスは嫌いではない。

 自分の力を正当に評価し、どうにか勝とうとしている。好ましい。実に好ましい。

 好ましいからこそ、全力で叩きつぶす。

 全力には全力で答える。それが剣士としての礼儀だ。

 ケイスは攻撃態勢を整える。

 前方二者の目線の角度から、後方の敵位置を推測。

 構えから推測が出来る狙いは三方からの同時攻撃。前方からは袈裟斬り、逆袈裟の双方向攻撃により前方、左右への退路を断つ形だ。

 後方は推測位置から考え、速度優先で刺突攻撃により急所への一撃。

 迫り来る前方両者と、来るであろう後方からの攻撃を前に、ケイスはあえてその場から動かないという選択肢を選ぶ。

 前方から迫る両剣、気配さえ感じさせない後方の剣。

 ケイスはそれを感覚で捉えながら、グッと身を沈め、足に力を込めた。

 そして足の親指の僅かな力のみで地を蹴る。

 外套型魔具によって軽量化された身体が、その僅かな力に押されふわりと上昇を始める。

 緩やかすぎる上昇速度。通常ならば良い的となる。だがあえて見せた予備動作が襲撃者達の予測を欺き、必殺の一撃を外させる。

 
「なっ!?」


 上方から響くのは第”四”の声。

 やはり。

 前方二者。そして後方一者。前後左右は塞がれていた。ならば上方は?

 檻を完成させるには天井が足りない。 

 後方へと視線を飛ばした誘いは、確かに上出来だ。だが上出来すぎた。あまりに自然でつい見てしまったという装いが過ぎた。

 前方左右から仕掛けて来る者達は、目配せも無く、同一の動きで合わせているというのにだ。

 あの練度を出せる者達ならば、見なくとも互いの動きが判る。判るはずだ。

 ならばそれこそが誘い。後方にいると読み取らせ、檻を完成させるための誘い。

 それを見抜いたが故にケイスは逆に誘った。

 己が上方へと強く跳ぶと見せかけて誘い出した。

 しかし誘い出したことで、ケイスは既に檻の中にいる。

 空中にふわりと浮いたままのケイスへと剣が迫る。

 機を外されようとも、斬れば良い。狩人達がそう考えるのは自明の理だ。何せ化け物は既に檻の中にいる。

 剣が集結する中心点に。

 自分にとって不利な地。四方から迫る死。

 常人ならばその地を死地と考える。

 だがケイスは考えない。思いつきもしない。力が、剣が集う場所。

 剣が己の手が届くところにあるならば、そここそがケイスの間合い。その剣こそがケイスの力。

 ケイスは剣を使う者剣士。暴虐で唯我独尊で傲慢な思考が導き出す答えは1つ。

 剣が集う場所であるならば、そこは死地にあらず。

 ケイスが絶対強者として君臨する世界だ。
 
 覆面の下ケイスは、微かに口元を動かす。


『帝御前我御劔也』 
 

 唱えるのは誓いの言葉。己が持つ全ての力を、受け継ぎし技を用いて、勝利するという絶対意思の言葉。

 あの幻の中で出会った、曾祖父から受け継いだ技を模倣するには、会得するには今しかない。

 四方からの同時攻撃の、どれをみてもケイスが力で勝れる攻撃は無い。

 それ故にケイスが勝つ。負けが重なるからこそ、力が重なるからこそ、ケイスが勝る。

 左手に構えた防御短剣ソードーブレイカーを頭上に繰り出す。

 その櫛刃をもって、頭上から落ちてきた剣士が突き出す剣の切っ先へとかち合わせ絡め取る。

 同時に手首を返し、自らの身体を上へと持ち上げ剣の柄を台地に上下逆さまに倒立する。

 ケイスが行った動作はそれだけ。それだけだ。しかしたったそれだけで全ての剣はケイスの元へと集う。

 ケイスの身体が大きく動いたことで、その命を奪おうとしていた剣達は行く先を失いケイスの身体を掠めながらも外れ、まるで吸い込まれるかのように1カ所に集う。

 剣が向かう先はケイスが繰り出したソードブレイカー。

 ガチリと甲高い音をたてる金属音が響き、打ち合った金属同士が放つ火花が散る。

 火花が産み出しは一瞬の均衡。地に足をつけた三人の剣士が支える剣が、一人の剣士と化け物の身体を空中へと留めるという、奇妙なオブジェを一瞬だけ産み出す。

 その中心。ソードブレイカーに集うのは四者から集まり積み上げられた力だ。

 神がかり的なバランスで均衡を保った力点に対して、ケイスは魔具に注がれる魔力を切り、足を地面へと向かって強く振り下ろすことで、己の支配下に降す。

 軽量のケイスが地面へと降り立つと同時に、ほぼ大人と変わらぬ体格を誇る四人の若者達が高々と空中へと投げ飛ばされ、いや、まるで自らの意思で跳ねたかのように空中へと躍る。

 長い流派の歴史でもそこへ到達したのは曾祖父一人のみ。それは死の間際に至った真理。

 龍の群れとの戦いで、闘気を使い果たし、死にかけ、もはや剣を振るう力などほぼ失った状態で見た極地。

 力では遥かに劣る弱者(人)が、強者(龍)の力を喰らい、己が力と変える為の奥義。

 故に途絶え、誰も知らぬ、知るよしもなかった先代邑源宋雪最後の絶技。

 
「邑源一刀一槍流模倣『龍柱骸四ッ重』」


 片膝を突いて体勢を整えたケイスは短槍の柄を地面につけ垂直に立たせる。


「あがぁつ!?」「ぜがっ!」

 天に向かって立つ槍の穂先へと投げ飛ばされた者の身体が刺さり、さらにその上に次の者が積み重なり、下の者の胴体の中心を貫通した槍が突き刺さり、さらにその上に次の者が積み重なる。

 下の者は背骨を砕かれたのか意識を失っても、まだ絶命できず、ピクピクと手足が動く様を見ながら、ケイスはすぐ近くまで降りてきた一番下の者の手から長剣を奪い取った。


「ゃっざ!?」


 人が串団子のように次々と積み重なるという悪夢の光景を産み出したケイスは、最後の四人目の体がその穂先に刺さるその瞬間に合わせ、僅かに槍を揺すり、そのぶれた穂先で四人目の心臓を穿つ。

 四人目を殺害すると同時、下の三人も絶命したのか、突き刺さった槍と共に、光の粒子へと変わっていく。

 ほのかに照らし出される光の中でケイスはすくりと立ち上がり、深く息を吐く。
 
 やはりまだまだだ。

 本来なら槍に刺さった瞬間に身体を真っ二つに両断して絶命させる技なのに、刺すのが精一杯の段階で技が未完成なのは明らか。

 一人目が絶命して槍が消えるかと懸念して、刺突剣の柄に乗せていた左手が空しい。

 あの幻のロウガで見た曾祖父の技は、投げ飛ばした高さも威力も数も段違いで、ましてや曾祖父が積み上げた骸である龍と比べれば、人が身につける皮鎧など枯れ葉よりもさらに脆い代物だというのに。

 力が無くともできる技だが、それ故に高い、それこそ隔絶した技量が必要となる。

 曾祖父同様に相手の力を使うことに長けたフォールセンに剣を習ったことで、少しは出来るようになるかと思ったが、及第点にすら届かない。

 生命力が強靱な敵ならば、胴体を貫かれたくらいでは、戦闘に支障など無いし、自分だって戦うだろう。

 未だ道は遠し。

 だがいつまでも気にしていても、強くなれるわけでは無い。

 あまりに凄惨な光景にか、それとも信じがたい技にか、声を無くした他の参加者達を見据え、ケイスは深く息を吸い、戦況を整理する。

 自分のメイン武器は持ち込んだ刺突剣と、今奪取した長剣。それと数が減った各種短剣類のみ。

 他の参加者から奪った武器は、生命保護にかけられた魔具の力が作用して、使い続ける事は出来無い。

 本来の使用者が手から落としたときは、対象と接触しておらず生命保護の腕輪魔具の効果範囲から離れているのかまだ戦場に残っているが、その武器を使って他の者を斬り殺すと、その者と接触しているため、効果対象とされるのか、一緒に武器が転送されてしまう。

 おそらくこの生命保護魔術と魔具は、街が戦場になった際、一般市民の保護と避難も考えて考案された広域魔術。

 迷宮モンスターの中には、デュラハンやオークなどのように武器を使うモンスターも数多い。

 そういった武器使いに武器を取られないようにする為の安全策であり、同時に武器を失った仲間への窮余の策。

 仲間が使うときはそのまま残り、敵の手に渡ったときは、次に斬られた者と一緒に転送するという効果なのだろう。
 
 一定以上の人数が減った際には、グループ全員が失格となり残っている者も一斉転送されるという仕様も、継続戦闘維持の一環と考えれば納得がいく。

 護衛となる衛兵が全滅もしくは人数が少なくなった際に、避難施設で護衛されていた民ごと、より後方の避難所へと転送するためだろう。

 ずいぶんと念の入った高位魔術仕様だが、龍に滅ぼされたロウガの過去を考えればこの備えも当然だ。

 これだけの備えを有するほどの危険が迷宮には存在する。

 ならばその危険よりも強くなる。今より、もっと、もっと強くなる。

 類い希なる剣戟の才能。

 幼少期より積み上げた戦いの記憶。

 大多数に囲まれるという絶好の鍛錬の機会。

 久しぶりに多くの者を斬る事が出来る快感。

 何より数多くの剣を振るう事が出来る楽しみ。

 天才的な技能と、剣術馬鹿の戦闘狂思考に基づき、ケイスは一瞬で状況を判断し、己が取るべき行動を導きだす。

 とりあえず斬る。目につく者全てを。斬れば斬るだけ自分は強くなる。

 つまりはいつも通りだ。



[22387] 挑戦者の噂
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/02/17 22:28
「あのケイスって娘。どうやらソウセツの旦那の隠し子か、その血筋らしいぞ」


 探索者となるための試練『始まりの宮』前となれば、迷宮隣接都市の酒場で噂されるのは、今期の始まりの宮に挑む有力株と相場が決まっている。

 トランド大陸東方地域における最大都市ロウガでも、その多分に洩れずあちらこちらで、出所も知れない四方山話が、酒のつまみ代わりに盛んに囁かれる。

 今期はつい先日に行われた大英雄のなのもとに行われた武闘大会において、圧倒的な強さで、他の参加者を惨殺、壊滅させた少女の話題で持ちきりとなっていた。


「はっ? 胡散臭いなそりゃ。どっから出て来たんだよ」


「知り合いの知り合いで古語研究している奴がいるんだが、そいつの話じゃケイスってガキが名乗ってた技名にオウゲンて言葉が含まれてるんだとよ。しかもほれあの旦那、今じゃ堅物だけど、昔は女癖が悪いって……」


 赤ら顔の職人達は噂話を小声でやり取りしているつもりのようだが、酒が回っているせいかやたらと声が響いていた。

 ……またケイスが怒りそうな変な噂話か。

 聞く気も無いのに耳に届く得体の知れない噂話に、精神的な疲れを覚えたルディアはカウンターに突っ伏したくなる。

 よりにもよって名前を聞いただけで不機嫌顔になるソウセツの血縁者扱いされるとは。この場にケイスがいたら、一悶着を起こしていただろう光景が脳裏に浮かぶ。

 それ以外にも耳に届いた噂話といえば、

 力を失った元上級探索者だ……

 古代魔術でこの時代に逃げて来た東方王国の生き残りだ……

 どこぞの亡国姫の亡霊に取り憑かれた狂戦士だ……

 人の皮を被った新手の迷宮モンスターだと、出るわ出るわの、面白半分の戯れ言の山ばかり。

 最近ロウガで噂の化け物娘が、見ず知らずの他人なら楽しめるかも知れないが、友人であるルディアからすれば、噂話の多さは、現在進行形で厄介事が加速度的に増えている何よりの証左でしか無い。

 これが飲みに来ているならば、酒がまずくなるだけなので即座に河岸を変えるところだが、あいにく今は配達した魔術薬の検品待ちという立派な仕事中。

 ロウガの酒場でよくあるように、この店もまた探索者向けの依頼仲介や引き渡し代行をしており、ルディアが今世話になっているリズン薬師工房のお得意先の一つだ。 
 

「すまないルディアさん。待たせすぎか」


 ウンザリ顔を浮かべているルディアに気づいたのか、酒場の店主が検品の手を休めると、カウンターの下から紙の束と未開封の酒瓶を取り出す。


「どうせうちで最後だろ。もう少しかかるから、次の発注依頼書でも眺めながら、今度入荷した新酒の試飲でもしててくれ」


 慣れた手つきで封を切った店主がコルクを抜いて、薄紅色の果実蒸留酒をグラスに注いでいくと、果実の香が強く漂い、思わずルディアは喉を鳴らす。

 北方大陸出身者には、雪に閉ざされた冬に果実は高価な贅沢品。その代用ではないがその香りがふんだんに閉じ込められた果実蒸留酒は、冬のお供として大人気の品。

 もちろん酒飲みを自称するルディアもその例外では無い。


「それじゃ、一杯だけいただき……」


 差し出されたグラスを受け取り、まずは香りを楽しもうとしたルディアだったが、依頼書の束の一番上に書かれた共通文字に目を奪われ、その手が止まった。

『嬢ちゃんを探っている連中が出てるぞ。詳細は下記に』

 簡潔に書かれていた一文。今の状況でその主語が誰を指しているかなど考えるまでも無い。

 配達ルートの関係上、ここの店が最後になるので、ケイスやウォーギンと待ち合わせしたことも数度あるので、店主もケイスの顔くらいは知っている。

 この様子では顔だけでは無く、アレが最近話題の化け物少女だと気づいているのは間違いない。

 探索者向けの酒場は、彼ら向けの情報も扱っている。探索者達にケイスの同行を探る依頼を出した連中がいるという忠告だろうか?

 色々と考える事はあるが、この香りがこれ以上飛ぶのも勿体ない。

 グラスを傾け空気と一緒に含むと、口の中に甘い香りが広がり、それとは裏腹の喉を焼く刺激の強いのどごし。弱い酒では物足りない北大陸人向けの実にルディア好みの味だ。

 こういう良酒は腰を据えて純粋に味わいたいが、本題の話は聞いておくべきだろう。

 グラスを無言で揺らして、ルディアは続きを促す。 


「北大陸人向けの香りと強さだろ。よければボトルで入れるかい」 
     

「いくらです?」


「共通金貨で五枚。すぐに無くなるって感じじゃないが、一応確保しておいた方が良いかもしれんな」 
  

 急を要する情報じゃ無いが、用心はしておけ。その言葉に含まれた意味を察したルディアは、懐を探る。

 ケイスから押しつけられた金はまだ少し残っているが、共通金貨五枚分にはちょっとだけ足りない。


「じゃあボトルで。これそのままもらってきます」


 ここでケチって、後で痛い目を見るのも馬鹿らしい。精神安定剤としての酒と情報だと思えば安い買い物だと考え、ルディアは封の切られた酒瓶と依頼書と称した紙の束を指さした。








 世界的にも名を知られた暗黒時代を終わらせた大英雄フォールセン・シュバイツァー。

 その名の下で行われる武闘大会は、優勝者にはロウガ支部初心者講習会へ未成年者でも参加できるフォールセンの推薦が与えられるという報酬だけが約束されていた。

 得られる物が推薦状ただ1つと、馬鹿には出来ない。

 フォールセンの名の下に選ばれたという価値は、より大きな富や名誉に直結している。

 各種工房からの武具提供、大手ギルドからのスカウト、大陸各国王家や大商家との繋がりやすさなど、使い方次第ではいくらでも考えられる。

 フォールセンという名には今もそれだけの価値がある。

 名誉を求める個人はもちろんのこと、ロウガ近郊の名家門や武技流派から、勝ち残りを期待されて選ばれた者達も数多く参加していたのは当然といえば当然の事だ。

 優勝が出来なくとも、広く注目されている武闘大会で一門の若者が活躍をみせ、名を馳せれば、家門や流派のよい宣伝となるという思惑と共に。

 だがその希望と計算はケイスによって無残に潰された。

 半狂乱になった参加者が一撃の下に残酷に屠られていく悪夢が、公衆の面前で展開され、面目を潰された家門や流派は数え切れないほどだったのは言うまでも無い。

 しかも未だ正式発表はないが、あの化け物は少し前に噂になっていたフォールセンが自分の剣を伝えると話した弟子かも知れないという噂が、より状況を最悪にしていた。

 あの武闘大会と全ての参加者は、化け物を鮮烈に世間へとお披露目する茶番劇だったのではないかと考えるものが世間では多くいる。

 そしてあまりにも人間離れした信じられない戦い方に、アレは大がかりないかさまで全てが計算された剣劇でしかないと疑った見方をする者もまた多くいる。

 この一連の噂で面白いことといえば、一番に黒幕だと疑われそうなフォールセンに対して、否定的な話が無いことだろうか。

 人格者で知られる大英雄が、このようなことをするはずがない。おそらくはあの少女とその後援者がフォールセンに無断でやったことだろうという話が大勢を占めている事だ。 

 これが、一部の者達の敵愾心を決定的にさせている。

 いかさまを否定すれば、自分達の期待していた若者があの小さな少女の無様に負けた事になる。

 かといっていかさまだったと嘯けば、あの少女と共に大英雄の名声を悪用したという悪評に繋がる。

 肯定も否定も出来ず、ただ黙っているしか出来ないというジレンマが、恨みとなって積もり続けるという悪循環が始まっていた。

 さすがにフォールセンには手は出せないが、ケイスと名乗った謎の少女が報復可能な相手かどうか調べようとするのも当然の結果だ。

 しかし当の本人はどこに消えたのか、大会終了直後から雲隠れしており、未だその姿を確認した者はいない。

 あと数日で初心者講習会は開催される。
 
 それまでにその正体を探ろうと、躍起になっている勢力は両手に余るほどとなっていた。








「よくこうも、多方面から上手いこと恨まれるな。ケイスどうすんだ? 結構有名所の道場とかもいるぞ」


「はぐ。こいつらは美味いが歯ごたえが無くて、もぐ……物足りなかったからかな。斥候に来るのが現役探索者や、有名道場の門下生なら丁度良い鍛錬相手だ。依頼者を聞き出して逆に斬りにいってもいいな」


 ぱちぱちと音をたてる焚き火の前でルディアの土産の酒をちびちびと飲みながらレポートを読んでいたウォーギンの問いかけに、炙っていた巨大カエル腿肉にかぶりつきながらケイスはいつも通り傲慢に答える。 


「あんたはまた気軽に……ウィーも黙って食べてないで文句の1つもこの馬鹿に言いなさいよ。黙ってると付き合わされるわよ」


「ん、ボクは姿を隠せればどこでも良いし、ケイが狩りして来てくれるから、ご飯に困らないし、斬る相手がいるからあんまり癇癪も起こさなくて、ほとんどのんびり出来てるから特に文句なくて。ぶっ通し稽古の相手とか、襲撃は勘弁だけど」


 ケイスと同じくカエルの太ももにかぶりついているウィーは、焚き火でぬくぬくしながら眠たげなあくび交じりで答える。

 その様は虎の獣人というよりも家猫のようだ。

 時折ケイスがあまりに五月蠅いので鍛錬相手をしているが、それも短時間ですんでいるので、気が抜けているようだ。


「むぅ。本当はウィーが稽古にもっと付き合ってくれるのが良いのだぞ。だが同意無く稽古に付き合わせたらレイネ先生にまた叱られるから、我慢してるんだぞ」


「あはは。ケイって本当にあの女医センセに弱いね。あれだけ強いのに」


「孤児院時代から、レイネの奴は悪ガキを躾けるのが得意だったからな。さしものケイスも、あいつにかかりゃ手のかかるガキでしかねぇよ」


「二人とも五月蠅い! レイネ先生は怒らすと怖いんだから仕方ないだろ!」 


 この天才共は……

 状況を判っていないならまだ救いがあるが、状況を完全に把握したうえで、何時もと変わらない三人に、自分一人が真面目に考えて悩んでいることが馬鹿らしくなってくる。

 しかしだからといって見限ることが出来ないのが、ルディアの欠点であり長所だ。


「あんたらは、少しは真剣に考えなさいよ……特にケイス。多方面に盛大に迷惑を掛けてるんだから少しは反省しなさいよね。こんな所に逃げ込む羽目になったのも、世間を騒がせすぎたからだってのに」


 ロウガ旧市街工房地区ヨツヤ骨肉堂の階段から地下へと下りた地下水道。そこが初心者講習会が始まるまでのケイスの鍛錬場所兼潜伏場所となっていた。 



[22387] 挑戦者の目標
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/04/19 01:11
 ヨツヤ骨肉堂へと続く階段から、明かりの少ない暗い地下水路を少し進んだ先。

 少し広くなった古い資材置き場跡を、ケイスは仮拠点兼鍛錬場としている。


「ではいくぞっ!」


 ケイスは合図と共に駆け出すと、対面に構えていたウィーに向かって真正面から飛び込み、右手の刺突剣での突きを敢行する。

 所々濡れて滑る足場を避けつつ、速度重視の突きを無呼吸で繰り出す。 


「と。ほいと」


 怠そうな何時もの気の抜けた表情のままのウィーは、ケイスの猛攻を右手につけた手甲で捌いていく。

 肉体能力では獣人であるウィーが比べるまでも無く、”今”の自分より遥かに勝るのはケイスも判っている。

 だが判っていようとも子供扱いで簡単に防がれるのは、腹が立つ。 

斬る。斬る。絶対に斬り倒す。

 ケイスの気配が変わり、目に力が篭もった事に気づいたウィーは、この後に来るセオリー無視の無茶な攻撃の気勢を削ぐために、左手に忍ばせていた堅い殻に覆われた小さな木の実を親指で弾き飛ばす。

 獣人の筋力で撃ち出された木の実が、風切り音を纏い迫る。

 薄暗い地下ではでは、小さな木の実は目で捉えにくく、距離、速度が把握づらい。

 視覚情報は捨て、音にのみ集中しタイミングを測ったケイスは、左手の短剣を振りあげ木の実を弾き落とす。

 攻撃は防いだ。しかしケイスが足を止め防御態勢を取る間に、ウィーは数歩下がって距離を開けていた。

 即座に追いかけようとするが、そこで息が尽きたケイスは、足を止めると大きく深呼吸をして切っ先を下げた。

 1つの呼吸の間に、ウィーの防御を突破したらケイスの勝ち。それ以外は負けという単純なルール。

 呼吸を止められる時間は僅か。激しく動けば動くほど呼気を消費する。限られた手の中で、如何に早く相手の防御を突破するか。

 今の体力では短期決戦しかなく、如何にそれを重ねるかがケイスの継戦能力に繋がる。


「むぅ。私の間合いまで遠いな。もう一度やるぞ」


「まだやるの? 今日分の鍛錬はもう付き合ってあげたでしょ」


「ん。腹ごなしの遊びだから鍛錬じゃ無い」


「いやいや。隙があったら斬る気じゃん。腹ごなしは無理があるって」


「斬るつもりでいかねば、ウィーは自分の負けで良いと怠けるじゃないか。それでは面白くない」


「ボクはあんまり勝ち負け意識しないで、のんびりとした暇つぶしの方が好きだからね~」


 両手を挙げたウィーは、もう腹ごなしはお終いと意思表示をしてみせる。


「むぅ。しかたないな……それよりウィー。礫は同時に2つ弾けるか? 少し前に教わった技で魔術では無く、技術で風切り音を無くす弓技がある。それを投擲用に考えたのがあるから付き合ってくれている礼に教えてやる」

 
 物足りないケイスは一瞬だけ不満顔を見せるが、すぐに気持ちを切り変える。

 自分の腕を磨くことはケイスにとって至上の命題であるが、それ以外にも託された物を誰かに伝える事もケイスにとって、名誉であり大切な事。


「鍛錬に付き合ったお礼が、技ってのがケイらしいね」


「闘気の量やら礫同士の距離調整がちょっと難しい技だが、ウィーならすぐ出来るだろ。私ほどではないが、ウィーの才覚は天才のそれだからな。真面目に鍛錬すればもっと強くなるぞ」


 幻の狼牙で見て会得した武技や魔術は、今のケイスでは使えない高等技術が多いが、その理屈、理論は別。

 ウィーならば弓術の音無技を、指弾術として用いることも出来ると判断する。

 自分と比べれば、多少は劣るとはいえ天才だと、世間的にはこの上ないほど上から目線、ケイス的には手放しに値する、賞賛の言葉を贈った。

 
「ケイのちょっとって、相当に難しい気がするんだけど……でも役に立つそうだから教えて。ただし明日ね。今日はもう疲れたから」


 ケイスがちょっと難しいという技を覚えるのは正直にいえば怠いが、このままノラリクラリ交わしていても、頑固で妙に律儀な部分もあるケイスの事だ。斬り倒してでも教えると癇癪を爆発させかねない。

 素直に教えを請う方が結果的には一番疲れない方法だと、この数日で熟知したウィーは諦め、僅かな抵抗で明日という条件で同意した。


「ん。仕方ないな。では明日だ。朝一で教えてやろう」


「ケイス。終わったなら今度はこっちの質問に答えないよ。これ全部を薬に変える気なの?」


 凡人の目からはまともに追い切れない剣戟を、酒のつまみ代わりに眺めていたルディアが、相変わらずの上から目線に呆れながら、ようやく腹ごなしなんだか、鍛錬だか知らないが終わったので、自分の疑問を投げかけた。

  ルディアが指さす先にずらりと並ぶのは、死骸の山があった。

 ぬめっとした肌と、生気の無いぎょろっとした目玉。両目の間には、鋭い刺突痕が1つ空いたカエルが一番多いだろうか。
 
その数は数十体に及び、かっ捌かれた大カエルの腹からは薬として使える肝臓などが抜き出してあるが、肝臓1つとってもこれだけの量を薬にするならば、治療用傷薬が優に十数人分にはなるだろう。

 他にも、スライムやら蝙蝠やら大鼠やらと、この地下水道に生息するモンスターの図鑑が出来そうなほど。

まさしく死屍累々の有様だ。

 ケイスが大人しくしているか心配だったのもあるが、この隠れ場所にルディアが訪れた理由は、ケイスから依頼されていたからだ。


【始まりの宮で使うから、材料を渡すので薬や魔具と交換してきてくれ】


 文面だけ見れば真っ当な物だが、その数は異常すぎた。

 誰も自由に出入りできる特別区に生息する下級モンスター達なので、血に強い魔力を有するわけではないが、皮や肝臓、他にも水かきや粘液など部位事に魔術薬や魔具素材として用いることが出来る。

 下手をすれば、下級探索者パーティが一回の冒険で狩ってくる量の倍以上はあるだろう。

 地下水道に身を隠したのは、つい先日だというのに、ハイペースすぎる狩りの手際だ。


「ん。どれくらいの量と交換が出来るか次第だが、依頼料がないから、現物払いで半分を治めてくれ。よくある方法なのだろう」


 材料を多く持ち込んで現品と引き換えは、駆け出し探索者達がよくやる手法だが、その場合も足元を見る店側がどれだけであこぎでも、原材料の3割マシが精々。さすがに半分は納め過ぎだ。


「これなら傷薬だけで30人分くらいにはなるわよ……依頼は良いけど、せめて現物払いの相場を知ってからにしなさいよ」


「友達価格というものであろう。ルディやウォーギンには感謝しているからな。その礼だ。差額は受け取れ……しかし30人分か」


「それだけあれば十分でしょ。それと友達価格の使い方が間違ってるから」


 相変わらずの金銭感覚の無さは、大ざっぱというべきなのか。それとも鷹揚というべきか。

 世間知らずのケイスが、悪徳商人のいいカモにされる未来と、同時に騙されたと知った時に商人を斬り殺す場面が易々と脳裏に浮かんだ。


「ケイスにその辺を期待するだけ無駄だろ。しかしお前、なんで無駄に傷を与えない戦いが出来るのに、武闘大会であんな乱暴な倒し方したんだ」


 ちびちびと酒を飲みながら、魔具素材に使う為の下処理をしていたウォーギンは、その金銭への執着の無さはケイスの持って生まれた気質だと諦めているようで、それよりも気になる致命傷となった刺突痕を指さした。

 ずらりと並べられた大カエルの死骸は、後ろの両足はケイスがご飯とするために切り取ってあるが、その命を絶った一撃は頭部の小さな傷だけ。

 有益な部位を一切傷つけずに、一撃必殺の剣を叩き込んでいると素人目でもわかるほど見事な物だ。

 ケイスが剣の天才であるという事は、今更本人が力説せずともルディア達はよく知っている。だからこそ逆に疑問を抱く。

 武闘大会で見せたケイスの強さは、確かに人間離れしていたが、あまりに荒々しく、そして無駄に血が多く、残酷すぎる気がしたのだ。

 ケイスならばもっと上手く倒せたはず。それは予測でも、願望でも無く、歴とした事実。

 いくら魔具の力によって実際に相手が死なないとはいえ、もう少し倒し方を考えていれば、数多の剣術道場や名家を敵に回すことも無く、化け物扱いされる事も無かったはずだ。 


「ん。あの時に最初に戦ったセドリック殿の牽制や戦場支配の領域に到達するには、今の私ではまだ無理だ。相手を冷静にさせず、加熱させ、混乱させて、初めて、私があの場を支配できた」


 戦いに関しては、世間の常識とは隔絶した才を誇る天才は、事も無げに告げる。


「今の私は闘気による治癒促進は使えないし、怪我を負えば、神術治療が無しではすぐに回復は難しい。そして迷宮内では、いつでも神術治療が受けられるわけではない。だから、大勢が相手でも無傷で勝ち残る術を身につける必要があった。その結果だ。うむ。いい練習になったから、あの者達には感謝だ」


 血に酔ったとか、必死だったので取り繕った戦いができ無かったなら、まだ良いかも知れない。
 
 しかしケイスの答えは、明確に自覚した上での、大勢の敵を混乱させ、単独で打ち勝つ為のやり方であり、やった本人は鍛錬気分というものだ。  


「それで色々恨みを買ってたら世話は無いわよ。ウィー、ウォーギン。判ってると思うけど、今の話は絶対に黙ってなさいよ。もし知られたら余計に恨みを煽るだけだから」


「りょ~かい。ボクも面倒事は避けたいからね」


「ほっとけほっとけ。どうせこいつが探索者になったら、まだこの間は大人しい方だって世間も知るだろうよ」


「ふむ。そう心配するなルディ。定期的に本気で襲ってくる良き鍛錬相手は、私は大歓迎だぞ」


 ルディアの切実な悩みに返ってきたのは、実に軽い答えが2つと、言語道断な答えが1つ。


「それ世間一般では襲撃だから。あんたはほんとに。襲撃をかけそうな連中以外にも、始まりの宮に挑む人達もいるみたいだし、初心者講習会では、言動には気をつけなさいよ。迷宮内で襲われたって、目撃者はいないんだから」


 自分が心配しすぎ、考え過ぎなのだろうかと、崩れかけそうになる自分の中の常識をルディアは無理矢理に立て直し、とにかく敵を作りやすいケイスの言動を注意する。

 酒場で渡された情報資料を見れば、いくつかの流派や名家は、名誉回復の真っ当な手段として、今期の始まりの宮に挑む若手に、採算度外視の装備や、念入りな鍛錬を施して送り込む腹づもりとの事。

 始まりの宮を最も早く踏破することで、管理協会ロウガ支部が与える今期のロウガ支部最優秀初級探索者の称号を得るつもりのようだ。

 そんなリベンジにいきり立っている連中を、ケイスが無自覚に何時もの上から目線で煽ればどうなるか……

 想像はしたくはないが、安易に思いつけてしまうルディアが、いやな未来予測を無理矢理に捨て去ろうと酒瓶に手を伸ばそうとしていると、ケイスが脱いでいた外套を身に纏い始めた。

 外套の下には、いくつものナイフやワイヤーやロープが入っている。


「まさか誰か来たの?」


 いきなり戦闘装備に着替え始めたケイスに、ルディアは警戒の色を浮かべて、きょろきょろと辺りに視線を飛ばすが、暗闇の中から聞こえてくるのは水路を流れる水の音だけだ。  


「いや敵の気配は無いぞ。30人分では足りないから、狩りにいってくるだけだ。後この10倍くらいは必要であろうからな。異常繁殖中で狩りには事欠かないから丁度よかったな」

 
「10倍ってあんた、問屋でも開くわけじゃなし、なんでそんな溜め込む気よ」


「言ったでは無いか。始まりの宮で使うかも知れないと。前期が騒ぎで参加辞退が出た分、今期の参加者数も多いそうだ。ガンズ先生の話では250人を越えるかもしれんと言っていたからな。余裕をみて300人分も用意しておけば問題無かろう」


「ケイス……あんた自分が使う分を用意してるんじゃ無いの?」


 いつも通りと言えばいつも通りだが、予想外の答えにしばらく頭の中で状況を整理してから、ルディアは再度尋ねる。


「無論、自分でも使うぞ。だが始まりの宮では何が起きるか判らんと聞く。傷薬不足や魔具不足で、他の者が困っていたら、助けてやれるだけの用意をしてやろうと思っただけのことだ。そうで無ければロウガの始まりの宮に挑む”同期全員”で探索者になる事など出来無いからな」

 
 そしてその問いに返ってきたのも何時ものケイス節だ。何を当然の事を聞いてくるときょとんとした表情を浮かべている。

 全員、全員と言ったかこの馬鹿は……


「同期全員で探索者になるって簡単に言うけど、記録された限りでも、始まりの宮で犠牲が出なかった期が一度も無いのは……あんたの事だから知ってて言ってるんでしょうけど」


 探索者となるための最初の試練【始まりの宮】

 大陸中に同時期にいくつも出現し、その難易度は期や場所によってまちまちではあるが、平均踏破率は大体6割から7割となる。

 後の世に名を馳せる探索者が参加した始まりの宮で8割を越え、伝説の期と、英雄譚で謳われたりするほど。

 それは裏を返せばどれだけ手練れの若者達が揃っていても、2割は未踏破……つまりはそれだけの未帰還者=死亡者が出ているということだ。

 
「当然であろう。ガンズ先生も気に病んでいる。先生は初心者講習の講師として、迷宮に挑む者を何度も送り出している。もっと詳しく教えていればや、別の対処方を教えていればと悔やむことも多いと、レイネ先生が仰っていた」


 腕を組んだケイスは、真剣な顔で深く頷きながらしみじみ語るが、そんな話をレイネが聞かせたのは、だからケイスは、無茶をしないでほしい、悲しませないでほしいという、心配と願い故だ。

 しかしこの馬鹿にして、化け物には、そんなレイネの気づかいを、全く別の意味に取ってしまう。

 
「ならば私が全員を生還させてやれば、探索者としてやれば良かろう。さすがに他の地域の始まりの宮に挑む者までもとはいかんが、ロウガの始まりの宮に挑む同期全員を手助けし、探索者とする。ガンズ先生やレイネ先生には世話になっているからな。ささやかではあるが御礼だ」


 堂々と胸を張ったバカは、有史以来誰も成し遂げた事が無い奇跡を、ささやかなお礼だと宣っていた。














 あまりの大言壮語に唖然としていた三人が、我に返ったのは、ケイスが再度狩りに出撃してしばらくしてからだった。


「あのさケイの……あれってやっぱり本気?」


「本気も本気だろ。ケイスらしいっちゃケイスらしいが。当のガンズの親父さんが今の話を聞いたら、迷宮をなめるなって制裁喰らうぞ」


 ウィーが差し出したカップに、酌をしてやりながらウォーギンはお手上げだと手のひらを見せる。   

 ケイスの事だ。それは無理だと言っても聞きもしないのは、火を見るより明らかだ。


「どうするよルディア。物を揃えないで、物理的に諦めさせるか?」


「そんな事であの馬鹿が諦めるわけ無いでしょ。判ってること聞かないでよ。ウォーギンもケイスの律儀さは、厭になるほど知ってるでしょうが。やるって言ったら、どんだけ無茶してもやるわよあの馬鹿」  


 ウォーギンから酒瓶を引ったくったルディアは、カップに並々と注いだ酒を一気に飲み干して、次の酒を注ぐ。

 せっかく上等な果実蒸留酒なのだから、香りを楽しみながらちびちび飲みたいところだが、今の気持ちでは苛々するだけなので、安酒を流し込むように2杯目も一気に開ける。


「あーでも全員って探索者っていってもさっきルディも言ってたけど、ケイを敵視している人達もいるんでしょ。どうする気なんだろ?」


「そんなの承知の上で、深くまで考えてるわけ無いでしょ。いつも通り力尽くよ。助けさせなかったら斬るとか言いだすに決まってる。あの娘、究極の自己中心主義者よ」


 極論を言ってしまえば、ケイスの判断基準には、他人の意思は一切関与しない。

 相手が自分を嫌っていようが、殺したいほど憎んでいようが、助けを望んでいなくても、関係ない。

 自分がその相手を好きならば、好ましく思っているなら助ける。

 他人が、友人であるルディアがいくら心配し、気にしようとも、その事自体には感謝しても、自分の意思にそぐわなければ、一切気にしない。

 自分がやりたいこと、やると決めた道を進む。それだけだ。


「いや~今期は荒れそうだね。ボク一人でケイの相手かぁ……辞退して始まりの宮に挑むのは来期にしようかな」 


「そうなるとケイスの奴一人でもいくな。基本的に始まりの宮は5人パーティで挑むことになる。組み分けは基本お互いに望めば希望が通るが、人数が足りない場合はロウガ支部で能力を見て振り分けるって仕様だぞ」


 頬を掻き、尻尾をゆらゆらと揺らしながら、半分本気交じりな口調でウィーが思案にくれていると、ウォーギンが作業途中の魔具素材を脇に置いて、ルディアに視線を向けた。


「あの性格だ。急遽組んだ奴らが馴染むまで相当の時間がかかるぞ。しかも今は力が落ちているのに、阿呆なこと考えてやがる。いくらケイスでもさすがに無茶が過ぎるんじゃねぇか?」


 怪我をする前。闘気を使えた頃のケイスならば、どうにでもなったかもしれない。それほどの化け物だ。

 ケイスは頑なに認めようとしないが、ケイスの本気の戦闘はルディアもウォーギンも、カンナビスで目撃している。

 だからこそ逆に今との落差が、弱体化したケイスの力が、どうしても不安視させる、してしまう。


 ウォーギンの視線はどうすると言外に語っている。そしてその視線の意味に、ルディアは気づいてしまう。

 外で心配していても埒が空かず、更新料問題もある。

 それに慣れるまで時間が掛かるなら、慣れている者がいれば、多少は、少しはマシな緩衝材くらいはなるだろう。


「ウォーギン。もちろん自分も数に入ってるんでしょうね。あたしだけって言ったら二度と奢らないわよ」


「一応こっちも廃業の危機だからな。ケイスが無事に探索者になってくれれば、なんとでもなるが、まずその前提から問題発生じゃ仕方ねぇだろ。ったく自分用に改造なんて日が来るとは思ってもみなかったんだがな」


 ルディアの刺すような視線に、ウォーギンは魔具素材の作業を再開しながら肩をすくめる。


「あたしだって、この間リズンさんにあり得ないって答えたばかりよ……だけどウィーに、ウォーギン、あたしでもまだ3人よ。あと一人どうする気よ?」


「一応それなら当てがある。かなり癖が強い奴だが、逆にそれくらいじゃ無いとケイスにやられるから、丁度いいだろ」


「じゃあ任せる。ウィー。あんたも散々苦労させられる覚悟しときなさいよ。ケイスに関わったのが運の尽きだから」


「りょ~かい。あんまり大変なのは勘弁してほしいけど、ケイ相手じゃしょうが無いか……休めるときに休んでおいた方が良さそうだからボクは一眠りするよ」


 諦めを通り越して、達観の域まで入ったルディアの言葉に、ウィーはもはや無駄な抵抗だという事実を悟り、尻尾を揺らし大きくあくびをしてから焚き火の前で丸くなった。  



[22387] 挑戦者と英雄噴水再破壊事件
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/04/21 07:34
 カンテラの明かりが地下水路の闇中で揺らめき、明かりを受けて鈍く光る刀身が暗闇を切り裂く銀閃となる。

 閃光が奔る度に、ケイスを喰らおうと襲いかかってきたモンスターは、水音を立てて水路へと落ちていく。

 数は多いが、連携など無くただ本能のまま、ばらばらに襲いかかってくるモンスターなど、ケイスの敵では無い。

 速度重視の刺突を急所へと繰り出し、一撃必殺をもって、次々に屍の山を築いたケイスはゆっくりと息を吐いた。


「うむ。この近辺はあらかた斬り終えたぞ」


 目に付く範囲に動く影が無い事を確かめたケイスは満足げな笑顔を浮かべると、自分が先ほど飛び込んで来た上の水路を見上げ手招きする。


「ケイス……あんたね。状況探る前に突っ込むの止めなさいよ。せめてウィーと一緒に行くとかいろいろあるでしょ」


「いやーボクは楽で良いけどね。さすがケイ」


「いいからお前らとっとと降りろ。一応ここの通路にも仕掛けとくぞ」


 最後尾に付いていたウォーギンに促され、ルディアについで、ウィーが飛び降りてケイスと合流する。

 ウォーギンは血の臭いに引かれたモンスター達の背後からの襲撃を避けるために、水路の壁に感知式魔具をくっつけ、即席の足止めトラップを設置していく。


「美味しそうなのもいるけど、刈り取っている時間が無いのが残念だね~」


「場所を提供してくれたヨツヤ殿への返礼だから手を出すなよ。本当なら私が持参すべきだが、ここで流せばそのうちつくから問題はなかろう」


 巨大な鋏をもつ大蟹をもったいなさそうに見ていたウィーを、ケイスが嗜める。

 突き殺したモンスターはヨツヤ骨肉堂直下の死骸処理場へと水の流れに乗って自然と運ばれ、処理場では積み上げられた死骸が一定以上になれば、死霊術によって肉と皮が腐らされ、殻や白骨化される仕組みになっている。

 処理場で見張りをしている幽霊のホノカに世話になった礼に、処理場の骨を増やしておくと伝えてあるので、後は任せておけば良い。


「ふむ。一段落は付いたが、やはり数が増えている。特別区を抜けるのに少し時間がかかるが、受付は夕刻までだ。問題は無かろう。ウィーこの先の通路はどちらの方が多くいそうだ?」


 剣を振って血を飛ばしたケイスは、背後で片目をつぶってモンスターの気配や臭いに意識を向けていたウィーに尋ねる。

 地下のため今の正確な時刻は判らないが、昼少し前といったところか。

 今日は管理協会ロウガ支部において、今期の初心者講習受講申し込み受付が行われている。夕刻の締め切りまでに、申し込みをしなければ、次の機会は半年後の来期となってしまう。

 そんな大切な日だというのに、ケイス達が地下水路を進んでいるのは、やむにやまれない、もしくは限りなく自業自得な事情が原因だった。


「う~ん。このまま進むと巣があるっぽいかな。右側の通路からは気配が少ないから、迂回した方が良さそうだけど、ルディ。この先ってどこに通じてる?」


「旧市街北部方面みたいだけど、この先は地図に載ってないから探りながらで時間かかるわね。コウリュウ超えするなら、あと4階層は下に行かないといけないから……道が判っている正面を突っ切るか、地上に出るかの二択ね」


 ロウガの旧市街と新市街を分断する大河コウリュウ。渡し船でも20分ほどかかるくらいに幅が広く深い大河。

 ロウガの地下には、東方王国時代の旧地下水道跡が網の目のように張り巡らされており、大深度に掘られた水道もあるが、さすがにコウリュウの下を抜ける地下水道は数が限られている。

 今の位置からコウリュウ超えが出来る大深度水路に到達できるルートで判明しているのは、ここから真正面に進む以外にない。


「よっと、地上は渡り船の発着場に網が張ってあるだろうな。コウリュウを泳いで渡るって訳にもいかねぇな。いっそ河口まで降りて、そこらの漁船でも借りるか?」


「ケイスが武闘会でやった中に、網元の一人娘ってのがいるわ。ケイス絡みでここまでお膳立てが整っていて、トラブルが起きないわけないでしょ」


 トラップを設置し終え飛び降りてきたウォーギンの提案に、ルディアは首を振って顔をしかめた。

 酒場のマスターから手に入れた追加資料を見ると、網子にも優しい気立ての良い娘だそうで、負けたのは自分の実力不足だと本人は納得しているらしいが、一部の若い衆が、うちのお嬢さんにと憤慨している様子。

 この件に限らずロウガの街中には、ケイスが大暴れして埋め込んだ因縁という爆弾が、あちらこちらに眠っている。

 ついに申し込み当日までケイスを発見できなかった恨みを持つ者達の中でも、質の悪い一部の連中が絶対に姿を現さざるえない、この日を狙って来るのは当然といえば当然。

 街の要所、要所に検問が出来ており、何が起きるか判らない街中を進むよりも、モンスターが溢れている地下水道を抜けたほうが、まだ早く進めるというのは、なんとも皮肉な話だ。

 だがさすがにモンスターの巣窟に突っ込むとなると話は別。

 このままモンスターの巣に突っ込むか、地上に出てケイスのロウガ支部到達を妨害しようとしている集団と一戦交えるか。

 地図を片手に慣れないマッピングをしていたルディアは、どちらにしろ戦闘を避けられない状況に判断に迷っていた。


「準備運動には良いではないか……しかしウォーギンの知り合いはすごいな。半分くらいは推測だと話だったが、ここまでほとんど間違いが無いぞ」


 自分が全ての元凶だというのに斬る物さえあれば基本大満足な剣術バカは、今日はさらに輪を掛けてキラキラと輝く満開の笑みで朗らかに笑うと、地図を覗き込んでこの先の戦闘地点を予測しながら感心声をあげる。

 ルディアが持っている地図は、広大な上に何階層にも連なる地下水路のほんの一部とはいえ、分岐の特徴などが詳細に書かれており、ナビゲートに不慣れなルディアでも道に迷うこと無く進める出来の良い地図となっている。

 
「筋金入りの迷宮構造マニアだからなファンドーレは。趣味が高じ過ぎて、高給取りの神術治療士を辞めて、今じゃ古書街に根を下ろして古地図を漁ってる変わり者だ」


 この素人にも判りやすい地図を製作したのはウォーギンの古い友人だという、ファンドーレ・エルライトという人物のこと。

 半年に一度。迷宮閉鎖期を挟んで大きく内部構造を変える永宮未完に魅入られた変人で、価値の無くなった古い攻略地図や伝聞を集め、その構造変化を調べることを生き甲斐としているらしい。


「ふむ。変わった御仁のようだが感謝だな。私とともに探索者を目指してくれるだけで無くて、こうやって地図も貸してくれるとはな。そのうちに厚く礼をしなければならんな」


「礼もなにも、初心者講習会に付き合ってやるから、探索者になったあとも迷宮情報を常にただで寄越せ。あと地下水路の予測地図を貸してやるから、情報の正誤を確かめてこいって、体の良い実験台にされている段階でお互い様でしょ」


 ウォーギンが探索者志望の当てがあると言っていたのは、その件のファンドーレだ。

 複雑すぎる上に、立入禁止区域も多く、禄に調査されていないロウガ地下水道。それなのに僅かな情報を元に、その構造や流れを予測し地図を自作していたようだ。

 あくまで過去情報に基づいた推測地図とのことだが、その正確性はケイスが感心するほど。

 いわゆる天才という類いの人間のようだが、未だ文面のやり取りだけで、ウォーギン以外は直接の対面はないが、癖が強いといっていた前評判に間違いはなさそうだというのが、ルディアの事前印象だ。 

 持ちつ持たれつというか、互いに利用しているというべきか、どうにもルディアはケイスほど素直には感謝できずにいた。


「ん~ルディはそういうが助かっているの事実であろう。正誤を確かめるのはついでだから、礼は別にするべきであろう。では真っ直ぐだな。先行偵察にいってくる。ルディ達はゆっくり付いてくると良いぞ。怪我をすると困るからな」


「あ、っちょっとケイス……あ、あの馬鹿。まだ決めてないでしょうが!」 


 軽い足音だけを残してケイスは弾むような足捌きで暗闇の中に走り去っていき、ルディアの声だけが地下水道に空しく響く。


「いぁ~でもルディ。このまま地下しか無いでしょ。あれだけ楽しみにしているケイが、地上に出て邪魔されたら、人死にの山を作るでしょ。申し込み云々どころの騒ぎじゃすまなくなるねぇ」


「あいつ自分の邪魔をするなら、モンスターも人も区別が無く躊躇無く殺しにかかるからな。とことん街中に住んで良いタイプじゃねぇな」


 友人を語るというよりも、危険生物か殺人鬼を語るような評価だが、あながち間違いではないのでルディアとしても反論に困り、大きく息を吐く以外なかった。


「あぁもう。言わないでよ……やっぱりあたし達もケイスと一緒に初心者講習を受けるってのはギリギリまで隠しとくべきだったわね」


 人の話を聞かないのはケイスの通常状態だが、それに輪を掛けた暴走振りに、ルディアは自分達も探索者を目指すと告げた判断が誤りだったと少し後悔する。

 ルディア達が一緒に探索者を目指してくれる。それが心底嬉しいらしく、この勢いなのだがさすがにはしゃぎすぎだ。

 暴走気味のケイスがまた先行してしまったので、ついで戦闘能力の高いウィーが周囲の気配を探り、地図片手で手のふさがっているルディアが中央、後方を警戒しウォーギンが殿という並びで三人は地下水路を進んでいく。


「そうは言っても先に言っとかないと、ケイスの暴走をちっとはコントロールなんて出来ねぇだろ。同期全員を探索者にするなんて無謀な挑戦をしようってんだ。作戦も事前準備無しでどうこうなるかよ」


「あ、それそれ。なんか考えがあるって言ってたけど、どういう手なの?」


「中央にいた頃に、迷宮踏破率を上げるにはどうするかって研究コンペの没案の一つが使えそうだ。既存魔具を少し改良して相互位置情報をやり取りして……」


 ケイスほどではないがまるで散歩中のように暢気に雑談をはじめるウィーに対して、魔導技師狂いのウォーギンが専門用語を交えた技術談義で答え始める。   

  
「いや、ほんとあんたら少しは緊張感を持ちなさいよ……ファンドーレって人が、その辺の感覚だけはまともなこと祈るしかないわね」


 状況が限りなく厄介だというのに、深刻にならないのは強みかも知れないが、それも限度がある。

 一人だけ心配する羽目になっているルディアは、地図を見ながら自作の胃薬を取りだし口中でかみ砕き飲み込むことにした。






 探索者管理協会ロウガ支部正門。ロウガ中央広場に面した正門前は今、奇妙な緊張感に包まれていた。

 正門前には朝から臨時のテントが立てられ、そこでは今期の初心者講習の受講希望受付が行われている。

 支部内では無く、わざわざ正門前でやっているのは、受付からすでに特別なイベントの一種故だ。

 テントの周囲には朝早くから大勢の見物人が集まっており、今期の始まりの宮に挑む若者達を見守る者もいれば、賭けの対象ともなっている今期のロウガ支部最優秀初級探索者候補を予測する者もいる。

 もしくは既に受付を済ませた若者達が、ライバルとなる同期を牽制したり、情報交換をしたりというのが何時もの恒例行事。

 より人の目につき易く、大勢の人間が集まりやすい広場に面した正門前で行うのが通例となっている。

 だが夕暮れ差し迫ったこの時間ともなれば、初心者講習受付もまもなく終了で、例年となれば自然と閑散となってくると相場が決まっている。

 しかし今期はその時間が差し迫ったというのに、むしろ人だかりが出来るほどに混み合い始めていた。

 その原因は他でも無い。今期の始まりの宮の事前予測でもっともロウガを騒がせていた【ケイス】と名乗る少女が未だに姿を見せていなかったからだ。

 始まりの宮に挑む若者達に対して行われる初心者講習。

 探索者になるためには【始まりの宮】を踏破すればいい。それだけが絶対にして唯一無二の条件。

 極論を言ってしまえば、管理協会が行う講習会など受けずとも、直接本番に挑むことも出来る。

 しかしそれでは超常の力を持つ探索者の把握、管理が出来なくなり、治安の悪化が懸念される。

 だからトランド大陸のほぼ全ての地域では、国、もしくは国から認可された管理協会が初心者講習会を行い、講習受講者以外が始まりの宮に挑むことを法律で禁止している。

 こうした初心者講習会は少しでも若者達の生存率を上げる事を目的にすると共に、超常の力を持つ探索者を管理するためという二つの意味合いがあり、そして初心者講習会を受け、管理協会麾下の探索者となる事で、管理協会からの様々なサポートを受けられ、協会を通した正規の迷宮物資の取引が可能となる。

 管理協会に属さず、探索者生活を続けるのは困難な体制が、全世界規模で確立されているということだ。

 初心者講習会を受けず探索者となった者達。管理協会管理外の探索者。

 いわゆる【はぐれ探索者】と呼ばれる者達も若干はいるが、それは大体が国に準ずる力を持つ組織や、もしくは国の暗部に属する者達。

 探索者となるにも、そして探索者を続けていくためには、管理協会に属するのは必須。

 管理協会に属さず探索者になる事など出来無い。それが世間の常識であり道理。

 それなのにケイスは未だ現れず、群衆の間からはざわめきが起き始めていた。

 ケイスを疎ましく思い、その身を狙っているという者達がいるというのは、既に噂では無く、事実として語られはじめている。

 何かが起きたのか。それとも何かが起きるのか?

 何とも言いようのない緊張感は高まっていく一方だった。 







「ただいま戻りました王女殿下」


「セイジですか。例の娘はまだなのですか」


 協会支部正門にもっとも一番近いカフェの2階個室席。

 日の出前に並んで朝一に受付を済ませから、この個室席に陣取っていたロウガ王女サナ・ロウガは、今日何度目になったか判らない問いかけを、周辺の偵察に出ていたパーティメンバーのうち一人。セイジ・シドウが戻ると共に苛立つ声をぶつける。

 大きく開いた窓から正門を見下ろすサナの背中の羽根は、その焦燥を現すかのように焦れて小刻みに震えている。

 本当なら自ら偵察にいきたいが、サナはロウガの王女であり、しかも背の羽根が目立つ翼人。

 ここで大人しく待っているしか出来る事がないのも、王女という肩書の堅苦しさも苛立つ原因の1つだ。


「まだです。妨害を企てていた者達との争いがあったという話も、今の所はありませんでした。ご期待にそえず申し訳ありません。プラド殿は密かに受付を済ませたかも知れないと、受付に確認してくるとのことです」  


 八つ当たり気味の怒り声をぶつけられようとも何時もと変わらない鉄面皮のセイジは、背を正し深々と頭を下げ謝罪をし、連れ立って偵察に出ていたもう一人が、受付に確認にいったので少し遅くなることを伝えた。

 この臣従で大仰な反応がまたサナの苛々を募らせているのだが、臣従体質は根の奥まで染みこんでいるセイジに期待するだけ無駄だというのはサナも自覚はしている。


「姫。まずはセイジ殿の労を労いませ。茶だ。飲まれよセイジ殿」


 二人のやり取りに、同じくパーティメンバーの鬼人種で符師好古・比芙美が、式神を呼び出しテーブルの上に、新しいカップを用意した。

 その席はわざわざ空けておいたサナの真横だ。

 真面目くさった口調とは裏腹に、好古の顔はにやにやとしている。


「かたじけない好古殿。しかし主との同席は」


「いいから座りなさい。主である私からの命令です!」  
 

 好古にからかわれていると分かりながらも、こう言うしかセイジが座らないと判っているサナは、赤面しながらも命令を下す。

 主の命であるならばと、セイジは一礼をしてからようやく用意された席に腰掛ける。


「出たよいつものやり取り。お前ら飽きないの? 東方系ってのはどうしてこう奥手かね。セイジお前も男なら、姫さんの気持ちくらい察してやれよ」


 生真面目すぎるというか、融通が利かなすぎるセイジと、サナはサナでもう少し別の言い方は出来ないのかと、弓の手入れをしていたダークエルフ族のレミルト・ハスラが、同性としてセイジに忠告をする。 


「私としても王女殿下のお気持ちを察し、ケイス殿を発見しようとしておりましたが、力及ばず申し訳ありません」


 セイジはテーブルに額が着くぐらいに深く頭を下げるが、見当違いというレベルでは無く、ここまで来るとわざとはぐらかしているだろうと確信できる返しに、レミルトが愕然とする。


「おい、姫さん、好古、マジこいつ。なんなの? 前から手を出さないのなんでと思ったらマジか?」


 サナと好古を手招きして集めると、ひそひそと声を交わす。


「ロウガのサムライが、主君筋の姫君に手を出せるわけが無かろう。士道というものだ」


「うわーめんどくせぇ……姫さんの苦労が少し判っちまったぞ」


「セイジはこういう人なのです。今更苦労などではありません」


 レミルトの浮かべる同情目線に対し、腕を組んだサナは怒り顔で返しながらも、力強く答える。

 
「それにこれはこれでおつという物。お預けを喰らう姫を楽しむのも興よ。噂に名高いロウガの翼姫が色恋に悩む様をこんな1等席で拝める幸運を感謝されよ」


 扇で口元を隠しているが、口元が邪悪に歪んでいるであろうと判る楽しげな声で好古が笑う。


「おまっ。マジ最低だな。姫さんあんたよくこんな性悪をパーティメンバーに引き入れたな」


「おやおや。そう仰るならレミルト殿こそ一国の姫に対して遠慮がないのでは。もしや寝取る気か? それであるならばそれもまた一興よな」


「んだと……悪趣味なお前と一緒にすんな。そういえば、逃げてばかりのてめーとはしっかりと勝負がついたこと無かったな。今からやってやろうか」


「そこまでです」


 からかい続ける好古と、微妙なラインを越えられ少しばかり気色張ったレミルトが一瞬即発になりかけたところでサナが手を振り下ろす。


「お二人とプラドさんは良くも悪くも裏表が無く、信頼できる。だから私達のパーティに誘いました。もう誰かの思惑に乗せられるのは、私もセイジも望みません。文句ありますか」


 好古もレミルト。そして未だ戻らない獣人のプラドは、セイジが鍛錬のために訪れた闘技場で知り合ったロウガ外の出身者達。

 三人とも手練れだが、性格や生まれに訳ありで、孤立していたはぐれ者達。

 しかしサナが一番信頼するセイジが剣を交えて、彼らは信頼できると断言している。ならサナが信じるには十分。半年前に起きた陰謀劇のようなことはもうこりごりだ。

 自分達は自分達の腕と、信じる者達と共に、名を馳せる為に探索者になる。

 それがセイジとサナの軸たる思いだ。


「セイジだけじゃ無くて姫さんも堅物だよな……好古。さっきのは二度と俺に言うなよ」


 向けられた視線の真っ直ぐさに負けたのかレミルトが、怒りの様を潜めて、好古へと舌打ち交じりの忠告をし、


「素直に詫びよう。すまぬレミルト殿。私が見たいのは恥ずかしがる姿であって、不快にさせるのは外道であったな」


 言葉にはまだ若干からかいの色を乗せてはいるが、扇を畳んだ好古もはっきりとした謝罪の言葉を口にした。
  

「ならいいけどよ……それにしてもプラドの奴は遅すぎだ」


 若干の気まずさが残っているのを誤魔化そうとしたのか、レミルトが受付が行われている正門の方へと目を向けるが、人が多すぎてその中に埋もれて姿は確認が出来ない。


「締め切り期限も迫り、人も増え、苛立っている者が増えてきている。プラド殿の事。迷子でも拾ったかの」


「あいつの顔だと、ガキは喰われると思って大泣きするからすぐに判るだろ」

 子とはぐれた親。または親とはぐれた様子の子も、ちらほらと見える。

 悪人顔に似合わず気の優しい獣人プラドのこと余計な荷物を背負っている可能性は否定できないが、その場合は逆に目立つだろと、レミルトは否定する。


「プラドさんの場合は顔で喧嘩を売られている可能……どうしましたセイジ」  


 それ以外にも巻き込まれていそうなトラブルをサナが想像していると、不意に今まで無言を貫いていたセイジがさりげなくだが腰の太刀の柄に右手を掛けた。

 雑踏の中に殺気でも感じたのかと思いサナ達も警戒をする中、セイジは無言で周囲に視線を飛ばしているが、その目線は定まっていない。

 
「お騒がせしました……気のせいだったのかもしれません」


 しばらくしてから息を吐いて太刀から手を放すと、セイジにしては珍しくどことなく歯切れの悪い声で謝罪をした。

 レミルト達は不可思議な顔をしているが、サナだけは無理も無いと一人、心の中で納得する。

 この中央広場は半年前の出陣式でセイジが襲撃を受けた現場でもあり、あの時に襲ってきた暴漢は、身元不明で公式には自爆して死亡となっている。

 だがサナとセイジだけは、あの時あの場で暴漢の顔を見ていた。

 そしてその顔は今ロウガで話題になっている【ケイス】と呼ばれた少女と瓜二つ……いや同一人物だと断言できた。

 顔はどうこうなるとしても……あの目だけは、力に満ちていた目だけは、見間違えようが無い。

 何故あの謎の行動を起こした暴漢が生きていて、しかもフォールセンの弟子だということになった?

 何故あれほどの力を持っているはずの少女が、武闘会では弱体化していた?

 なにより何故邑源流を名乗る技を使えた?

 しかも邑源流槍術の使い手であるサナが、邑源の当主たる祖父を持つサナさえ知らない、一刀一槍術という技はなんなのか?

 疑問点が多すぎ答えを予測さえ出来ない。

 祖父母やフォールセンに聞いてもはぐらかされるだけで、回答が見えてこない。

 ならば自分で、自分達で調べるまでだ。自分達は探索者を目指す者。

 道を自ら切り開く者達だからだ。

 改めてその決意をしたサナが何気なく正門から目線を外し、少女が死んだはずの場所。

 広場の中央に置かれた英雄噴水へと目を向けたその瞬間、再建されたばかりの噴水の一部ががらがらと崩れ落ち始めた。

 
「……なっ!? 何事ですか!?」


 予想外の光景にサナは思わず立ち上がり、窓から飛び立っていた。   






「ケイスあんた! いい手があるって、斬る以外に他に無いの!?」


 頭上から落ちて来る石片交じりの水でびしゃびしゃになりながらも、ルディアは怒鳴り声を上げる。

 地下から水を汲み上げるための設備とそのメンテナンス用の足場があるから良いが、それでも足を踏み外せば命は無いほどの高さの大井戸の淵。

 そんな死と隣り合わせの場所に立つ恐怖を、少しでも紛らわすには大声を出す以外に他に出来る事は無かった。  


「何をいっているのだルディ? 私は剣士だぞ。剣士が目前の壁を越えるなら斬るしかあるまい」


 いつも通りの調子で答えながらケイスは突きを繰り出し、石の目を読み次々に崩していく。

 思ったよりモンスターの数が多く時間が掛かって、新市街の中心地に到達したのが遅くなったのは計算外。

 だがいくつも回廊を抜け階段を上がる時間を無視して、大井戸から直接中央広場に出ればまだ間に合う。


「あーほんと無茶苦茶だよねケイって。これってロウガ名物の英雄噴水でしょ。壊して良いの?」


「非常事態だ。それにこの間再建したばかりで、歴史など無い。また作れば良かろう」


「今回はもう時間も無さそうだし諦めねぇか? こんな風に間近で見られるなら研究がはかどるんだがよ」
  

「却下だ。必要ならいつでも斬るか、もう一度ここまで連れてきてやる。それよりしっかり掴まっていろ。炸裂ナイフで一気に吹き飛ばして地上に出る。5秒でセットした」


「バ、バカ! ケイスこんな所でそんな爆発物をって、ちょっとは人の話を聞きなさいよ!?」


 ルディアが止める間もなく、ケイスが胸のホルダーから投擲ナイフを外して、投げつけていた。

 ウォーギン特製の魔具ナイフは今も進化を続けており、今では炸裂時間調整も出来るようになっているが、ケイスの使い方はウォーギンの想定を越えていく。 


「安心しろ。爆風はほとんどが外に出るように計算して斬ったからな。耳を塞いでおけ」


「せめて、もうちょっ!!!!!!」 


 もう少し時間をよこせ。

 ルディアの真っ当すぎる訴えは、最後まで伝えられること無く爆発音によって、かき消されていた。 









「ふむ。よし間に合ったな」


 開けた大穴から外へと這い出たケイスは、大分沈んできたがまだ日が顔を覗かせているのをみて、満足げに頷く。

 全身はずぶ濡れで、しかも所々モンスターの返り血を浴びた凄惨な姿だが、その美少女然とした美貌は一切損なわれることは無い。

 ふと足元を見下ろしたケイスが見てみれば自分が破壊して飛びだしてきたのは、巨大な剣を持つ鎧武者の像。

 どうやら穴を開けたのは、自分が写し身のように似ているという大叔母の像だったようだ。

 これも何かの縁だろうかと思うが、今のケイスには関係ない。

 周囲の群衆は理解が追いつかないのか、いきなり飛びだしてきた美少女風化け物のケイスに唖然と視線を向けているがそれも気にしない。

 ケイスが目指すのはいつだって1つだ。


「よし。受付に行くぞ」


 ロウガ支部の正門へと目を向けたケイスは像から跳び降りて、中に残っている仲間に呼びかける。


「ケイよくこの状況で平気だよね……ルディとウォーギンが気絶してるし、しょうが無いからボクが担いでいくから先に受け付けお願い」


 ルディアとウォーギンの二人を小脇に抱え込んだままでも造作も無く像から飛びだしてきたウィーは、動じなさすぎるというか、なにも考えてないのか、理解不能なケイスに告げてから、その意味不明な状況に茫然自失としているらしき群衆に同情の目を向けた。 
 
 空を見れば愕然とした表情で固まっている翼人が一人。まるで縫い付けられたかの様に空中で止まっていた。


「うむ。では先にいってくる」


 力強く頷いたケイスは、正門前へと元気に走っていき、同じく唖然として固まっていた受付担当職員の前に立つと、


「ケイスだ! 私の仲間も含めて4人分の受付を頼む!」


 花は恥じらい、月は姿を隠すほどの人を魅了する満面の笑みを浮かべ力強く自分の名をケイスは名乗った。





 ロウガ英雄噴水再破壊事件。

 謎の美少女改めてケイスがロウガを騒がす事となった最初の事件は、その様を目撃した民衆によって瞬く間に広まり、酒場での話の種となるが、それもすぐに消えていった。

 なぜならロウガに住まう者達はすぐに知る事になるからだ。

 美少女風化け物がこれから起こしていく騒動からすれば、これはまだ可愛げのある、些細な事件であったと。



[22387] 挑戦者と初心者講習
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/06/26 03:03
 魔術で作られた光球がうっすらと照らし出すのは、大昔に大型地中モンスターによって岩盤が抉り取られて出来た地下回廊。

 北部山脈を貫く地底街道としても使われている主道と、そこから枝分かれして伸びる側道。

 街道として整備された主道と違い、明かりがなければ先が見通せない側道は数え切れないほど無数にあり、蟻の巣のように複雑になっている。

 中にはモンスターの巣が作られている箇所も少なくはない。

 そんな側道の1つに、探索者を目指し、今期の始まりの宮へと挑む受講者達の姿があった。

 

 牙を打ち鳴らし、高音の羽音と共にケイスに迫るのは、西瓜ほどの大きさで真っ黒な虫だ。
 
 これはロウガ近郊でこの時期によく見かける虫種モンスターで、その鋭い牙と素早い動きで、獲物の腕や首などを一瞬で食いちぎる事から、通称千切り虫と呼ばれている。

 迫ってくるのは一匹。それを見据えながらケイスは軽く息を吐く。

 そのケイスの後ろには、後詰めとしてウィーが立ち、さらにそこから後ろにルディア達が控えている。


「前衛は真っ直ぐ突っ込んできた虫を避けて、腹部をねらえ! まず回避してから反撃だ! 後衛は前衛がミスしたときにフォロー出来るように気を抜くなよ!」


 パーティ単位でのの戦闘訓練を講義するガンズが、セオリー通りの対処方を、くどいほどに繰り返す。

 受講者の中には道場で剣術を会得した者や、猟師などの経験があり迷宮外に住まう野生モンスターを討伐した者もいる。

 だが最下級とはいえ、迷宮モンスターを相手にした経験がある者はそうはいない。

 迷宮外と同じ外見をしていても、迷宮モンスターは、その生命力や速度、堅牢さが全く別種と言って良いほどに強化されているからだ。

 迷宮内の千切り虫の外骨格は、外と違い鋼のように堅く、普通の剣では歯が立たない堅牢な物となっている。
 
 大量発生するので手に入りやすく、加工しやすい形状なのもあり、金のない駆け出しの探索者達の防具にもよく用いられているほどだ。

 訓練といえど油断すれば、大怪我や死亡の危険性もある。だからこそガンズはくどいほどに、安全を考慮した戦い方の注意をする。

 だがケイスはそれが気にくわない。

 真正面から切らずして剣士と名乗れようか。最初から斬るのを諦めていたのならば、そこで終わってしまうからだ。


「だっ! ケイス! 人の話を聞いてんのか!」


 背後から聞こえるガンズの怒声を気にせず、真っ正面から愚直に突っ込む。

 最初から斬れないと諦めるのが嫌なのもあるが、何より初心者講習が始まってから座学が続いていた所為で、ここ数日はしばらく生物を斬っていない。

 無論日課の鍛錬として剣は振っているが、やはり生物を、獲物を斬らないとどうにも落ち着かない。不満だ。

 今日は久しぶりに生物が斬れる日。なら気持ちよく斬りたい。

 そんな剣馬鹿思考のケイスは、斬ったときの斬りごたえが気持ちよく、少しでも長く続くのがほしいので、協会支部が受講者向けに貸しだしている剣の中から、一番長い剣を選んでいた。

 真正面から突っ込んだケイスは、千切り虫が打ち鳴らす牙の隙間を狙い、身長と同じほどの長さの剣をただ真っ直ぐに振り下ろす。

 幼く短身のケイスが見せるのは、見事なまでに綺麗な剣筋。無駄な動きなど一切なく、真っ直ぐに銀閃が奔る。

 その剣捌きには、ケイスを快く思わない者も多い他の受講者達でさえ思わず感心の声をあげてしまうほどだ。
 
 剣と虫がぶつかり合い音をたてる。

 刃が触れた瞬間、ケイスはその天才性を持って理解する……外したと。

 足りない物は膂力と速度ではない。一点を狙う純粋な精度。

 
『良いか嬢ちゃん。こいつらは堅いが、一匹一匹微妙に外殻が割れやすい箇所がある。そこを突けば……ほれこの通りだ』


 目指す道とは違えど、モンスターの解体に精通した職人達は、ケイスが師事を受けるにふさわしい知識と技能、そして経験を持ち合わせていた。

 千切り虫を含め、固い骨格を持つモンスター達を捌くときに、捌きやすくなる目を。

 教わったときの死骸は固定してあったが、今は飛んでいて狙いがぶれるなどの、言い訳はケイス的にはあり得ない。

 斬れたか。斬れなかったか。それだけだ。  

 刹那の思考と共に、ケイスは即座に動く。右足の力を抜き、体勢を大きく崩しながら虫を手元に引き寄せる。

 傍目にはケイスが力負けしたかのようにみえる攻防。しかしケイスの狙いはその先にある。

 そのままクルリと身体を回し、剣に噛みついた虫を、元々の速度と、己の力、さらに遠心力を持って、虫が飛んできた方向へと勢いよく投げ返す。

 先にあるのは、土を固めあわせて作られた彼らの巣だ。

 その巣の出入り口である穴の近くに投げ飛ばされた虫が、剛速で打ち込まれた。その途端、巣の中から、千切り虫が飛び出してきた。

 その数は数十を超えるだろうか?

 あれだけいれば十分だ。

 ケイスは満足げな極上の笑みを浮かべると、改めて真っ正面から突っ込む。虫たちの中心へと。

 足りないならそれを補うのは鍛錬のみ。

 斬れないのならば、斬らなければ死ぬ状況に自分を追い込めば良い。

 斬らなければ生き残れないなら、自分に剣士に斬れないわけが無い。

 結果ありきの過程を導き出した剣術バカは、巣を壊され怒りに狂う虫たち相手に、大立ち回りをはじめた。







 ロウガ支部が運営する北部鍛錬所は、初心者講習が行われるこの時期は、受講者のための合宿所として扱われている。 

 昼間に戦闘訓練を行った迷宮区への入り口に近く、有事には砦ともなる鍛錬所は、数百人が同時に寝泊まりできる設備を有している。

 その広い大食堂では、色々と精神的に疲れた受講者達が、味は今ひとつだが量は多い夕食にありついていた。

 そんな彼らの話題は、やはり初の戦闘訓練で、まごう事なき天才性と、それ以上に常識外の言動を見せつけたケイス一色となっていた。

 テーブルの一つ。ロウガの姫たるサナ達の席も、話題の主題はケイスにあった。


「姫……あの娘、やはり相当な気狂いとみえる。関わり合いにならぬほうが御身の為ぞ、いまは始まりの宮に集中されよ」


 鬼人好古が食後の茶をゆっくりと啜りながら、人をからかうのを好み、常に薄笑いを浮かべている彼女にしては珍しく、真顔でサナに忠告をする。 


「好古に賛同するのは嫌だが、俺も同意見だ。あの数に真っ正面から突っ込んでいくだけでも頭おかしいのに、それを全部斬り捨てて生還するってどんだけだよ」


 昼間の惨劇で散らばった虫の死骸を思い出すのか、スープに入ったエビを残したレミルトは、スプーンでいじりながら同意する。

 剣の腕は確かにフォールセンの弟子と称するだけの事はあるが、それ以外はあまりに常識知らずな言動が目に余る。

 申込日に英雄噴水を破壊したかと思えば、講習が始まって僅か数日だというのに、理由は様々だが日課のように、他の受講者者や講師と揉め事を起こし続けている。

 しかもそれのどれもこれもが、どこかずれている。言葉は通じるが、思考や感情のあり方が全く別種の生きもの。それが好古の印象だ。

 協調性皆無で、今日の訓練をダメにした馬鹿は、講師のガンズとなにやらそのあと揉めていたが、最終的にはガンズの振り下ろした拳骨で物理的に黙らされ気絶させられていた。


「なによりあれやこれやとしでかしても、あの娘が講義より追放される様子はみてとれない。協会に顔の利くよほどのパトロンがいるようよの。それこそ自称通りの」
 
 
「フォールセン様が私情のみで、圧力を掛けるような事をされるとは思えません。いろいろあるはずなのです。あの娘の真意を含め見極めるべき事が」 


 好古の推測をサナが途中で遮り、一部を否定する。

 ケイスと名乗る娘との因縁を、好古達にはサナは話していない。 セイジにも口止めしている。

 下手に触れるわけにいかない。それこそ祖父母達が歯切れが悪くなるほどの秘密を持っているはずだと、サナは察していた。


「セイジ達のように私も無理矢理にでも巣穴捜索に参加するべきでしたでしょうか。あの娘に恩を売り話を聞く機会でしたのに」


 ケイスが大暴れした影響で虫たちは、鍛錬に使う予定だった場所の巣穴を放棄。入り口を埋めてしまった。

 このままでは実戦的な集団戦闘訓練が無しとなりかねない為に、講師であるガンズ達と受講者の中から選抜された有志一同が、鍛錬を行った場所周辺で別の巣穴を捜索中。

 サナ達のパーティメンバーからも、ロウガ出身で近場で鍛錬をしているため土地勘のあるセイジと、獣人ゆえ鼻の利くプラドが捜索隊に加わっている。

 サナも参加希望はしたのだが、地上ならともかく、狭い地下通路では翼人としての能力は発揮できないと、ガンズ達に却下されている。

 無論言葉には出していないが、サナの出自も影響しているのだろう。


「やめとけやめとけ、君子危うきに近寄らずだろ。っと噂をすればなんとやらってか、戻ってきたようだぜ。問題児が」


 レミルトが指さす入り口側の廊下の方から、鈴がなるような可愛らしい声には似つかわしくない怒声の羅列が聞こえ初めてきた。









「納得がいかん! あれが私の剣の失敗は悔しいが事実なのだから認めよう! それが原因で他の者に迷惑を掛けたのも事実だ! だがならば何故元凶たる私が探しにいってはならんのだ! 探しに行くと言ったら気絶までさせられたんだぞ!」


「いや、あんたの場合、別の巣穴を探している途中で、斬るのに夢中になって野生化するか、見つけてもまた壊滅させかねないでしょ」


 生物を斬っていない日が続くとストレスが溜まるという、頭のおかしい小さな友人の手を掴みながら食堂へと向かうルディアの脳裏には、その様がありありと浮かぶ。

 大好物が目の前にあると自制が効かなくなるといえば、見た目通りの子供らしいと表現が出来るが、好物がモンスターの群れという辺りが実にケイスらしいといえばケイスらしい。

 ケイスの暴走っぷりは、ガンズもよく判っているので、とりあえずケイスを気絶させて強制帰還させたのも納得だ。
  

「それにうちの班からはウィーとファンドーレが捜索に加わっているんだから、連帯責任って事でいいでしょ。あたしとウォーギンはあんたの見張り役で戻ってきたけど」


「それだ! あと気にくわないのは! 何故私が逃亡防止用の首輪をつけられなければならん!」 

 
 不機嫌顔のケイスは、自分の首元につけられた、皮で出来たチョーカーのような拘束魔具を指さし怒鳴る。

 これはこの訓練所で戦闘訓練などに使われるモンスター用の首輪で、逃走防止用にいくつかの魔術効果が付与された魔具となっている。


「目を覚ましたら、すぐに戻ってこようとするだろうってガンズの親父さんの判断だ。モンスター用のを人間用に書き換えるのって地味に面倒なんだからな。あと高いから斬って壊すなよ。斬っても、即座に麻痺の魔術が発動して動けなくなるからな」


 面倒というわりには手早く魔具の調整をしたウォーギンが、自分の首元にあろうが平気で刃を振るいかねないケイスへと忠告した。

 魔力を持たない、生み出せないケイスにとって、抵抗の出来ない魔術は天敵。首輪として身体に接触している状態では、回避する事も不可能だ。


「ぐっ……判っている! 大人しく待っていればいいのであろう」 


 さすがに状況的にどうしようもないと認めざるえず、ケイスは不満げに頬を膨らませた。 

 しかし自分の尻ぬぐいを他者に任せっぱなしは、どうしても気にくわない。だがいい考えが思い浮かばずに、余計苛々していた。


「そういう事。あんたが大人しくご飯たべてるのが一番平和。それとただでさえ目だってんだから、食堂内では少しは静かにしてなさいよ」

 
 注視や敵意を集めるなと、既に腫れ物扱いされているケイスに、今更言っても焼け石に水だと理解はしている。

 しかし食事中くらいは、周囲からじろじろと見られるのは精神的に疲れるので勘弁してほしいところだ。


「ルディとウォーギンだけ食事にいけ。私はいらん! 先生やウィー達が食事を取っていないのに私が食べれるか!」


 ここまで無抵抗できたケイスは、ルディアの手を無理矢理に振り払い、踵を返した。

 確かに空腹を覚えているが、自分の所為で食事にありつけていない者がいる状況で、自分が食事をするというのはケイス的には絶対不可だ。 


「食事を取らないのは良いけど、ケイスどこ行くつもりよ?」


「剣を振ってくる! この首輪がある限り外には行けないから心配はするな!」


 肩を怒らせながら食堂とは反対側に歩きさったケイスの背中を見ながらルディアは、息を吐く。

 他に食べていない者がいるのに自分が食べるわけにいかないと、多少なりとも可愛げがあるのは良いが、ケイスの場合は空腹になると余計に面倒事を引き起こしそうな気がするのは、ルディアの気のせいではないだろう。


「あの馬鹿は本当に、とことん集団行動に向いてないわね。どうするウォーギン?」


「俺らが喰わなきゃ喰わないで、あいつ不機嫌になるだろ。ほっとけほっとけ。それよか少しでも賛同者を作る方が重要だろ。予定がたて込んでいるから食事の時くらいしか接触する機会ないんだからよ。今日、声を掛ける予定はルディアの知り合いの知り合いだから、お前いないと話にならねぇしな」


 ケイスを一人で放置しておくのは極めて不安であるが、ウォーギンの言う通りにも一理ある。

 誰も死者を出さずに始まりの宮を突破しようとしているのだ。準備に掛けられる限られた時間は貴重だ。 


「ったくケイスの所為で二の足を踏んでいる人が多いってのに。少しは大人しくしてほしいわね」


 死者を出さずに始まりの宮を全員で突破する。恩義のあるガンズのためだと一番に望んでいるのがケイスだ、

 だが、その為にルディア達が計画した協力案に今ひとつ、他パーティや受講者から賛同を得られないのは、ルディア達がトラブルメーカーであるケイスのパーティメンバーだというのが一番の理由となっていた。 



[22387] 挑戦者と翼王女
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/07/18 00:27
 剣を振る。

 ただ、ただ無心に剣を振る。

 頂点まで昇った月明かりが薄明かりで照らし出す無人の野外鍛錬場で、ケイスはただひたすらに、左手の防御短剣、右手の長剣。双剣を振り続ける。

 風を切る剣の音以外は、街の喧騒も遠く、ただ静かに、昼の暑さを残した風が吹いていく。

 剣を振っている間だけは、どうにも出来ない息苦しさを忘れられる。

 ケイスにとって、街は非日常の象徴。

 命のやり取りになることはほとんどなく、思う様に剣を振るい、殺すことさえそうそう出来ない。

 何故殺してはダメなのか? 

 なぜ自分以外の、他者の決めた決まり事が優先されなければならない?

 物心ついたときより、他の命を奪い己の命を繋ぐ事を、常とする迷宮に捕らわれていたケイスにとって、大抵の人にとって当たり前の平穏な世界こそが、違和感の塊である非日常であり、命のやり取りが常となる迷宮世界こそが日常。

 迷宮こそが、息苦しさもなく、ただ自然体に振る舞える世界。

 街には信頼する友人達や、大恩ある恩人達や尊敬すべき師がいる。だから街が嫌いなわけではない。むしろ美味しい物も食べられ、身体をゆっくり休められるので、好きな部類だ。
 
 それでも息苦しい。

 思うままに剣を振るえず、抑圧され、ケイスには理解出来ない理論、理屈に制限され、鬱屈した感情が溜まっていく。

 だから剣を振るう。

 剣を振るうことこそが、ケイスにとっての日常の象徴。

 振るった剣が宙を駈け、切り裂く物が無いことは、かなり不満だが、それでも息苦しさを少しだけだが忘れられる。

 だがそれでも全部が解消されるわけではない。

 だから強くなりたい。なによりも強くなりたい。この苦しさを無くすために。

 どこにいようとも己の理が全てを支配するまでに強くなりたい。なれば良い。なるしかない。

 ケイスは人と違う。他者を遙かにしのぐ天才性故か? それとも常人は理解も出来ない狂った思考故か?

 当のケイス本人にも判らない。
 
 判らないから、ただ剣を振る。

 振るった剣こそが、自らの言葉であり、自らの意思、自らの姿、自ら。
  
 不意に天上の月に雲がかかり、僅かに月明かりが切れる。

 集中が一瞬揺らぎ、ケイスはふと気づく。こちらを観察する視線が頭上にある事に。

 これが敵意を含むものであれば、剣に意識を向けていようが、すぐに気づいただろう。

 しかし、ケイスに害をなそうという類いの物ではなく、かといってただの好奇心から来る物でも無い。

 手を休め、息を整えたケイスは、空を見上げる。

 雲が通り過ぎ、白色の月光がまた地上を照らし始める。その明かりの中、白い翼を広げ姿を隠すこと無く、こちらをじっと見下ろしてくるロウガ王女サナの姿があった。

 サナの手には、槍士の槍であり、魔術師の杖でもある兵仗槍を握られていた。


「……初めて言葉を交わすがサナ殿だったな。何か私に用か?」


 何か言ってくるかと思ったがサナが何も言わないので、ケイスから声をかける。

 あくまでも言葉を交わすのが、初めてであるという前提の元に。

 サナの眉がケイスの言葉に微かにだが、不満げにあがった。サナは翼に込めた浮遊の魔力を弱めたのか、音も無く地面まで降りてくると、ケイスと真正面から対峙する。


「私が尋ねたい事は、貴女が一番判っているのではありませんか? いくらとっさのことでも、対峙した者の顔と声を覚えていないとでも」


 明確な敵意は無い。しかしその言葉には好意的な色も見えない。しらっと嘘をついたケイスが何を考えているの判らず、態度を決めかねているようだ。

 しかし何を言われようとも、どう思われようとも、ケイスが返すべき言葉は、態度は1つだけだ。


「先ほども言ったが、私がサナ殿と声を交わすのはこれが初めてだ」


「……あくまでも惚けるつもりのようですね。ならば別の質問を致します。何故貴女が邑源流を名乗り、しかも私も知らない流派、そして技を使えるのですか」

 
 すっと目を細めたサナが、ケイスをきつく睨み、兵仗槍を強く握る。

 ケイスが真面目に答える気が無いとでも感じたのか、これ以上はぐらかすなと全身が強く訴えていた。

 わざわざ武装し、いざとなれば力尽くでも聞き出してみせる。そんな強く明確な意思をケイスは感じ取る。

 こういう判りやすいのは、自らの力に任せる猪武者振りは嫌いじゃ無い。むしろケイス的には好ましい。


「ん。先代の邑源宋雪とその配下の方々に偶然会ったので教わった。既に数百年前の混乱の中で亡くなった方々なので、ほとんどの流派や技が失伝していても当然であろう。特に一刀一槍流は先代邑源宋雪が作りだした流派だが、扱いずらくて他に担い手がいなかったそうだ」
 

 だからケイスは真面目に答えた。バカ正直に、これ以上ないくらいシンプルな事実だけを。

 元々使えた邑源一刀流の師は、祖母や母であるので、多少の嘘は混じっているが、今の所、人目につくところで、自分の名で使った邑源流は、曾祖父の一刀一槍流の技1つのみ。嘘は言っていなかった。








 巷で流れていた噂。尊敬する祖父に対する下劣で根拠の無い風説。

 ケイスと呼ばれる娘は、祖父ソウセツ・オウゲンの隠し子、もしくはその血筋である。

 だからケイスは、ソウセツを憎み、敵意を向けている。

 だからケイスは、それを哀れんだフォールセンに匿われ、育てられていた。

 その血筋故に邑源流を使えた。邑源を名乗る流派を自ら編み出した。

 色々な想像をした末に、サナとしては相当な覚悟を決めて問いかけた質問に対し、当の本人があっけらかんと返してきた答えは、予想外な、そして馬鹿馬鹿し過ぎるほどの戯れ言だった。


「…………はあっ!?……な! なにを言っていますかっ!?」


「何をと問われても伝えたままだが。せっかく長きに渡り受け継がれ、研鑽されてきた武技、闘技、魔術の一大系譜。それがあのような形で途切れるのは、大いなる損失であろう。故に私が継承させていただいただけだぞ」  


 予想外の答えを平然と続けるケイスは、困惑し、言葉を失うサナに対して、何故不思議に思うと言わんばかりに、きょとんと小首をかしげる。

 自分の答えに何が問題がある、どこに戸惑うことがあると、言わんばかりに胸を張る。


「もっとも私は魔力変換障害体質で魔術は使えんから魔術体系は、そのうちに暇でも出来たら書物に起こしてフォールセン殿に預ける予定だ。闘気を用いる技も、今は怪我で闘気を練れないから、宝の持ち腐れで申し訳なくはあるがな」


 何を、何を言っている?

 言葉は耳に入るが、サナの頭では理解出来ない答えが、ただ流されていく。

 魔力変換障害で魔術は使えない。それはそうだ。魔術とは生命力を魔力に変換して初めて使用可能となる術技。魔力が使えなければ使えないのは道理だ。

 闘気も同様だ。闘気は肉体を強化する力の源。肉体を強化できるからこそ、常人を遙かにしのぎ、魔物と渡り合える肉体能力を得ることが出来る。

 サナが初めて見たケイスとは、前期の出陣式に乱入してきた襲撃者は、祖父のソウセツさえ退けるほどの力を持っていた。

 怪我で弱体化しているというなら、今のケイスがあれに比べて弱くなっているというのも一応の理屈は通る。

 しかしだ。しかし。それにしてもだ、ケイスは常識外の力を持つ。今日の昼間だってあれだけの数の千切り虫を相手でも、圧倒的な剣技で切り裂いて見せていた。
 
 魔力も無く、闘気も無く、素の肉体の力であれをやって見せてのけたというつもりか?

 続けるべき言葉を失ったサナに対して、一の問いかけで、無数の困惑を返した化け物が、極上の惚れ惚れする笑顔をなぜか浮かべた。

 だがその醸し出す気配は、実に物騒で、物々しい。

 先ほどまで剣を振り続けて乱れていた息が整う。全身から流れていた汗がピタリと止まる。

 頬が赤く染まる。目に力が入る。全身にゆっくりと力がみなぎっていく。


「もっとも口で伝えても、私の話は信じにくいであろうな。だから私は、剣で語ろう。それにサナ殿もそのつもりであったのだろう」  


 左手の短剣を腰の鞘に治めたケイスが、長剣の握りを確認し、その重さを一度確かめる為か軽く振る。

 背筋に氷柱が押し込められたような寒気が奔る。

 じっとサナを見据えるケイスとの距離は5ケーラは離れているのに、肌と肌がふれあうほどの近距離にケイスがいるような錯覚を覚えた。

 ようやくサナは気づく。自分が化け物のテリトリーに足を踏み入れていたことに。

 とっさに後ろに跳び退り、全身に闘気による強化を施し、背中の羽根に魔力を込めて、兵仗槍を構えた臨戦態勢に……手合わせでは無く、本気の戦闘態勢でサナは構える。

 我知らずにケイスによって構えさせられる。


「うむ。闘気も魔力も使うか。良いなサナ殿。天才たる私を相手にするには当然の選択だ。だから私も本気で行かせてもらうぞ…………帝御前我御剣也」


 幻想的な月明かり。その神々しい月光さえも霞む、お伽噺から出て来た妖精のような微笑みを見せる美少女の口から古語が紡ぎ出される。


「お、お爺様のっく!」


 驚きで一瞬反応が遅れる。その一瞬。刹那の逡巡。それだけの僅かな隙で、サナは一気に近づいてきたケイスに近距離に押し込まれていた。

 サナの祖父。ソウセツ・オウゲンが負けられない戦いで口にする誓いと一文字一句の違えない言葉に驚きや戸惑いも覚える余裕も無く、サナは生まれて初めて、本気の殺気の洗礼を浴びていた。



[22387] 挑戦者の食べ方
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/07/24 02:31
 サナは休むこと無く突きを繰り出し、長柄の自分が得意とする距離を必死で維持する。

 対峙するケイスは右足を前にした半身で、右手の長剣を槍の穂先に的確に合わせて、刃の角度も用いて僅かな力で弾く。

 剃らされるのは僅かな角度。だがまだ幼いケイスの小さな体格もあり、反らされたサナの槍がケイスを捉える事は無い。

 反らされたなら横払いに切り変え柄で身体をなぎ払おうにも、ケイスは必要な時以外は踏み込まず、穂先がギリギリ届く距離を、長剣では届かず、長柄が得意とするはずの中距離をあえて維持しつづけている。

 かといって、サナの方から迂闊に踏み込むことも出来ない。

 1歩詰めようとすれば、その隙を突きケイスは2歩を踏み込んでくる。己の剣が届く距離。サナが現状での絶対的な技量の差を痛感させられる近距離へと。

 ならばより長距離。

 魔力を持たないというケイスの絶対たる弱点である魔術を用いた攻撃に切り変えようと、逆に距離を取ろうとしても、僅かでも連撃の圧力が弱まれば、サナの思惑を見抜いたのか、それとも隙とみたのか、ケイスは一気に詰め寄ってくる。

 踏みいることも、下がることも出来ず、ただ互いに距離を保つ。

 この拮抗状態で、その勝敗を左右するのは、如何に相手の思惑を外すかに掛かっていた。 

 不意に右足の力を抜いたケイスが右側へと倒れ込むように動きを変えながら、右手の長剣を大きく振り被った。

 大技を放つつもりかと、思わず剣の動きをサナは追ってしまう。

 だがそれはケイスの誘い。ケイスはあっさりと、長剣を投げ捨て、死角になった左手側で自らの股下越しに短剣を投げ放つ。


「っ!」

 
 予想外の位置からのど元を狙って宙を飛ぶ短剣を、引き戻した槍の柄で何とか弾くが、その所為で一瞬、手と足が止まってしまう。

 ほんの僅か、1秒にも満たない隙。

 そこにケイスは仕掛けて来る。

 剣を捨て身軽になった身体を使い、右足の力のみで宙に躍ると、サナが弾いた短剣を左足で捉え、蹴り放つ。
 
 その狙いは頭部。接触部分が刃先で無かろうとも、鉄の塊が当たれば、一撃で大きなダメージを受けてしまう。

 背中の翼を介して、周囲に大気に働きかける風魔術を使い弾くには、時間が足りない。

 だからといって直接的な防御のために、槍をあげれば、胸部ががら空きになる。そこをこの化け物が見過ごすはずが無い。

 ならば……

 とっさに闘気と魔力を練り上げ、背中の翼を闘気によって硬化させ、魔力で浮遊を強めて両面に強化。

 全身をくるむように羽根を前に回し、即席の盾とする。

 頭部方向に一撃。間髪入れずに胸部にさらに重い一撃。連撃を受けてサナの身体は大きく後ろへと弾き飛ばされた。

 浮遊魔術の効果により、軽くなったサナの身体が吹き飛ばされたのは10ケーラほど。

 蹈鞴を踏みながらも、なんとか転ばずに体勢を立て直し、視界を覆っていた翼をよける。

 
「っう。はっぁ……くっ」


 硬化が効いたのか、切れたり、折れてはいないが、衝撃で羽根の根元が痺れ痛み、せっかく距離を取れたというのに、魔術攻撃を行うだけの集中ができない。

 精々大きく息を整えるのだけが精一杯だ。

 一方でケイスの方も追撃はせず、それとも出来ないのか。肩を上下させ大きく息を吸っている。

 見れば全身から汗が出て、その幼くとも人目を引く美貌も酸欠なのか、少し青くなっていた。

 動きは速くない。力も弱い。体力だって勝っている。ケイスに対して肉体はあらゆる面で自分が勝っている。

 なのに追い込まれているのは自分の方だ。

 全てに勝るはずのサナが、ケイスと拮抗してしまう理由は、ケイスがただ上手い。そうとしか言いようが無い。

 劣る肉体能力を、天才を自称するだけの事はある才と、予想もつかない攻撃で、十分以上に補っている。

 そしてケイスの才能以上に、サナを苦しめるのは、ケイスが放つ殺気と殺意に溢れた攻撃。

 一瞬の油断も許されず、攻撃に対して的確な対応をしなければ、致命的なダメージを喰らう。

 その明確に脳裏に湧くイメージが、道場や闘技場で行ってきた練習や試合では無い事を、嫌でもサナに実感させる。
 
 息が予想以上に荒れる。慣れ親しんだはずの兵仗槍がやけに重い。

 全身に必要以上に力が入り、身体が思うように動かない。

 命を喰らいあう実戦。その緊張感と恐怖がサナの身体を掻き乱す。

 その一方で対峙するケイスは、肉体の疲労度を測っているのか、軽く手足を揺らしながら、無造作な動作で先ほど投げ捨てた剣を拾い上げる。


「ふぅ……ふむ。サナ殿は強いな」


 今の今まで殺し合っていたというのに、好意以外の他意など微塵の欠片も見せない、見惚れるような極上の笑みを浮かべていた。





 
「今の軽さと堅い手応え。翼に闘気硬化と浮遊魔術を使用したな。闘術と魔術のレベルの高い併用。やはりサナ殿は、あの者の血と武を受け継ぐだけあって強いな」 


 故あって今は嫌っているので、実力で斬り倒すまではソウセツの名を直接は口にしないと堅く誓っているので、ケイスは多少回りくどい言い方ながら、最大の賞賛をサナに送る。


「…………」


 ケイスの賛辞に対し、サナは無言でただ息を整え、警戒を強めている。

 話術により隙を作ろうとしているとでも、疑っているのだろうか?

 しかし反応があろうが無かろうが、ケイスは気にしない。自分が賛辞を送りたいから送るだけだ。

 闘術と魔術は本来因果関係。どちらも共に生命の力の源たる生命力を、それぞれ闘気と魔力に変換し使用する。

 どちらか一方を強めれば、もう片方に使うべき力が減り、結果技能に差がどうしても出やすくなる。

 優れた者。それこそ上級探索者でも、基本的にどちらもを高いレベルで習得しているが、闘気操作を極めた戦士寄りの者と、魔術を極めた魔術師寄りの者と分類でき、両方が拮抗した万能型は少ない。

 しかしサナにはその偏りが少ない。先ほどのとっさに見せた羽を使った防御を見ても、闘術、魔術共に鍛えているのは一目瞭然。

 祖母から聞いていたソウセツが、武にも魔術にも優れた万能型という話も、サナと剣を交じり合わせたことで強く実感できた。

 惜しむとすれば、サナよりも遥かに高いレベルに位置するソウセツの本気をすぐには味わえないことか。

 大叔母の生き写しだというこの顔に、ソウセツが亡き養母の面影を見て、本気を出せないのは理解出来なくも無いが、自分は自分だ。全てソウセツが悪い。

 だから本気を出したソウセツを斬り倒すまでは、嫌うことに決めた。

 ソウセツの本気を引き出すために、顔を気にする余裕も無く命の危機を感じ、本気を出さざるしかないほどまでに、自分がより強くなると誓った。

 サナの闘法は、ソウセツと比べれば稚拙ともいえないほどかけ離れているだろう。だが、ソウセツに通じる流れの物。自らの力を高めるためにはうってつけの相手だ。

 問題は槍の間合い。

 槍を躱したり、弾くために、どうしても一手が必要になり、得意の接近戦へと持ち込んでも、その僅かな差で決めきれない。

 かといって投擲術でどうこう出来る物でもない。サナは翼を持ち、飛行能力に長けた翼人。

 風を操る事も造作も無い者相手では、先ほどのように隙もつかずに投擲した物では、容易く弾かれるか回避されてしまう。

 サナ自身が考えているよりもサナとケイスの実力は伯仲しており、そしてサナ自身の自己評価よりも遥かにケイスはサナを評価している。

 今の自分の力、技のみでは、もう一歩が届かない。

 ならば、今編み出す。サナに勝つための技を。間合いを制するための技法を。

 数多の力を失いながらも、自身に残った最大の武器。思考力を最大に高め、ケイスは己の中に取り込んだ戦闘技を思考する。

 それは他者から見れば一瞬。しかしケイスからすれば長考。

 その末にケイスは見出す。変化させるべき技法を。伝えるべき技を。

 長剣を鞘に収めたケイスは、投擲用ナイフを取りだし、その柄頭へと腰の機具からワイヤーをある程度引き出して長さを固定する。

 引き出したワイヤーの長さは、サナの槍よりも少しばかり長くしてある。

 その準備をしている間は明らかな隙が生まれているが、サナは理解が出来ないケイスの動きを必要以上に警戒しているのか、槍を構えたまま、距離を取っている。
 
 長柄の槍に対して、長剣よりもさらに短い投擲ナイフに持ち替え、しかも投擲距離を制限するワイヤーで繋ぐという他者には理解不能な行動に出たケイスに警戒するのはある意味当然であろう。

 だが真の意味で、サナを警戒させ困惑させるのは、そのケイスの言動に他ならない。


「サナ殿。一つ良い技を見せてやろう。失伝している邑源流技法の一つだ。元は槍と風魔術を使う技術なのだが、私用に少し変えてみた。しかし魔力を持たぬ私では初技能のみで完璧に使いこなすことは出来ぬが、闘術、魔術の両者に長けるサナ殿ならば使いこなせよう」


 自分は今からお前を倒す。だからその技を覚えて見せろと。

 明らかな好意と、明確たる殺意。相反するはずの両者が乗った複雑なそして極上の笑みを浮かべたケイスは弾む声で告げる。
 
 自らの敵に、血肉を、技能を、与える事に、ケイスは躊躇しない。

 相手が自分を喰らい強くなれば、それをさらに喰らうのが楽しみになる。

 獰猛な、そして狂った捕食者としての本質を現したケイスは、投擲ナイフを構え、無謀にも真正面からサナへと突っ込んでいった。



[22387] 挑戦者と既知外の世界
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/09/15 21:01
 先ほどまでとは比べものにはならないほどの恐怖が、サナの全身を穿つ。

 殺される、ではない。サナが感じるのはもっと原始的で粗暴な感情。ひと言でそれを表すなら【喰われる】

 生物の根源。己が生きるために、他者を喰らう。

 原初の生存本能が、頭が思考する前に、身体を自然と動かす。

 力のこもった両腕が、大地を踏みしめる両足が、風を纏う翼が双翼が、反応する。

 喰われる前に喰えと。

 極限のプレッシャーを前に、萎縮すること無く、サナは自然な動作で槍を突き出していた。

 無心から放たれたそれは紛れも無く、最速最鋭の一撃。

 今のサナが放てる最強の一撃で風を切る穂先が目指すは、ケイスの身体中心一点。

 互いの動き、間合い、槍の速度、それら全てを加味して、ようやくサナの意識は認識する。

 どの方向に回避しようとしても、今の体勢から可能な横払いで致命的な一撃を与えられる。

 短剣を使い防ごうとしても、先ほどまでのケイスの筋力であればその防御を弾き飛ばして貫ける。

 防げずとも軌道だけを変えようとしても、この威力なら押し勝てる。

 これは絶対の一撃だ。

 サナが勝利を確信した刹那、真っ直ぐに突き進んできていたケイスが動き、右手に構えていた投擲ナイフを、手首の力のみで弾くように投げつけた。

 ナイフの軌道は僅かに槍の穂先からずれている。それどころか重心がぶれてナイフが回転してしまっている。

 焦って外した? 

 否、それは無い。

 瞬時の判断で理解はするが、今のサナでは、ケイスの真意を見抜く術も、対応する時間もない。

 既に己が出せる最大最高の一撃を放っている。ならそのまま貫くだけ。

 だがこの天才を自称する化け物は、そんなサナの思惑を全て外してしまう。





 迫る槍の穂先。

 全身全霊を込めながらも自然体で繰り出される突きに、ケイスは歓喜する。

 さすがだと。

 自分の本気の殺意を前に萎縮すること無く、度重なる修練を経てのみ身につける事が可能な無駄なき一撃を放てるサナに、敬意と愛情をケイスは抱く。

 なればこそ、だからこそ、自分が預かったこの技を伝えるに、サナはふさわしい。

 ケイスの手によって回転を与えられ投げつけられたナイフは円軌道を描く。

 その動きに釣られ、柄頭から伸びる極細のワイヤーが幾重にも連なる一直線の輪っかを一瞬だけ産み出す。

 それは僅か刹那の造形。一瞬の時で崩れる脆く儚い奇跡の形。

 天才たるケイスの手にかかれば、一瞬の奇跡さえ技となり得る。

 本来であれば、魔術によって産み出される風の螺旋回廊を、剣の天才たるケイスは物理的に産み出す。
   
 作り出された螺旋回廊が、サナが繰り出した槍の穂先をその中心に飲み込み、受け入れる。

  
 邑源槍流【昇華音暈】

 
 穂先を捉えた絶妙のタイミングで、腰から伸び投擲ナイフへと繋がるワイヤーに手をかけ、一気に引き絞った。

 狭まったワイヤーの回廊が、槍の穂先を捉え、一綴りに連なる擦過音を奏であげながら優しく包み込む。

 槍を縛り上げるのではない。槍の軌道をケイスが思い描く形へと極々僅かにだが修正し、全ての力を一点へと集中させる形へと昇華させる。

 これこそがケイスの傲慢。天才故の残酷さ。

 サナが繰り出した、度重なる修練によって得た最高の一撃。

 だがその最高の一撃さえも上回る一撃。サナが未だ到達できない、もしくは一生掛かっても到達することの適わない領域。

 天才が故の常人には既知外の領域へと、ケイスは無理矢理にサナを引きずり込んでいた。 





 ケイスが投げたワイヤーによって槍の軌道は僅かに変化する。

 それは本当に僅かな、砂粒1つ分の大きさも無いズレ。

 だが今のサナにはそのズレは、頂上が見えないほどに巨大な絶壁だと感じる。

 何故だ? 自分は最高の一撃を放ったはずだ。

 なのに。なのにだ。肉体はケイスが修正を施した一撃こそ最大の一撃だと認め、上書きしてしまった。

 実際に穂先の速度も、穿つ貫通力も、一気に跳ね上がる。

 修練を積んできた10年以上の刻。自分の今の限界を誰よりも知っているのは自分だと自負していた。

 今の限界を超えるためには更なる修練を積み重ねて、僅かでも、着実に己を磨くしか無いと信じていた。

 だが、ケイスによってその常識はあっさりと覆される。

 サナが限界だと思っていた場所は、到底限界などと呼べる位置では無いという事実を。

 ケイスが変えた槍の軌道は、ほんの少し、極々僅か。技を放ったサナの体躯には一切変化がない。

 それなのに、それだけなのに、サナはある事さえ気づきも出来なかった、別世界の扉が、一気に無遠慮に、しかも幾枚も強制的に開いていく。  

 まざまざと見せつけられるのは技量……いや才能の差だ。

 わずか10分ほどの手合わせで、化け物は、生まれたときから知る自分の肉体を、サナ以上に把握し、使ってみせる。

 しかも魔術によって意識を乗っ取るのでもなく、逐一指示を出して体の使い方を教えるのでもなく、命の取り合いをしているはずの実戦の一瞬でまざまざと見せつけるという方法で。 

 自分の努力は無駄だったのか、無意味だったのかと、嘆く暇さえ、今のサナには与えられない。

 ワイヤーを引き絞ったケイスが、その動きのまま身体を捻り体勢を変える。

 急に鋭く早くなった穂先の速度差を利用し一瞬で攻撃をかろうじて躱し、追撃に移行しようとしているのか?

 だがいくらサナの意図から外れ槍が早くなろうとも、その軌道までは大きな変化はしていない。

 槍を舐めるように躱そうとするならば、そのまま横になぎ払い、柄で絡め取り、思い切り地面に叩きつければいい。

 反射的にサナが持ち手に力をいれようとした瞬間、それを見越していたのか、ケイスの全身から力が抜け、さらにはつい今し方まで全身を撃ち貫かれると錯覚するほどの暴虐的で原始的だった殺気が霧散する。

 力が抜けたことで動きが鈍ったのか、その脇腹を槍が掠めるが、傷を負ってもケイスは身じろぎさえしない。

 あまりに唐突に切り変わった事でサナは困惑させられる。

 生存本能は訴える。

 殺気が消えようとも、ケイスはこちらに迫ってきている。対処しなければならないと。

 だが別の本能が訴える。槍使いとしての本能が。

 今自分は、自分でも認識できなかった世界へと、自分の限界だと思っていた物よりさらに先の領域へと片足を踏み入れている。

 この槍を振り切れば、自分はその世界への行き方を完全に把握できる。今は適わずとも、一度見た道ならば、鍛錬を積み重ねれば、確実にいつでも自分の意図で到達できる。

 そこはいわゆる天才の領域。凡人では見ることも適わず、ある事さえ認識できない別世界。

 だが今偶然とはいえ足を踏み入れている。そこは既知の外では無い。既知の領域。今この機会を逃せば、二度と手に入らないかもしれない至宝。

 せめぎ合う2つの本能。   

 意識することさえ出来ない刹那の刻に、無意識的にサナは選択をする。

 二人が交差したその時、月明かりの元に、鮮血が飛び散った。



[22387] 薬師の人物評
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/09/18 00:51
「基本は探査系魔具と通話魔具の応用だ。基点魔具を設置。これが子機魔具の距離と移動経路を記録していく。既存魔具に追加設置するで。子機魔具は魔具固有の魔力波動を増幅して、基点に位置情報を送りつづける。基本どのタイプの魔具にも簡単につけられるから簡易に同一種魔具以外なら個別識別が可能って寸法だ。対応距離は諸々条件にもよるが、基本100000ケーラ範囲ならほぼ誤差無くいける」


 ウォーギンがテーブルの上に広げた杭型の基点魔具についで、既存の魔具に追加設置する魔具を指さす。

 基点魔具の方はルディアの腕ほどの大きさがあるが、一方で子機魔具と称したのは、首飾りほどの長さしか無い一見ただの鎖だ。

 魔具への接続も輪っかを作りどこでも良いからただ縛ってくっつけるだけ。上手く飾り付ければ、元からの装飾だといわれても違和感が無い代物だ。

 魔力波動増幅及び放出をメインとし、既存魔具から魔力を拝借する形なのでここまでコンパクトかつ安価で出来たというのが、ウォーギンの談。

 この小ささ、簡易さで、対応距離は、そこらの一般的な下級探索者が扱う下位探査術の数倍以上。


「ほほぉ。なるほどなるほど。それはなかなかの距離。私の式よりも優秀なことよ」


 扇で口元を隠した若い鬼人娘が感嘆の声をあげて感心する様に、ルディアは胡散臭さを感じざる得なかった。

 彼女の名は好古・比芙美。ルディア達が今日接触するつもりだった受講者のリストの中には、彼女の名は無い。

 それも当然といえば当然。彼女は、ケイス絡みでなるべく接触は避けた方がいい他の受講者の中の筆頭。ロウガ王女サナ・ロウガのパーティーメンバーの一人だからだ。

 ただでさえ色々と厄介事を巻き起こしているケイスと王族という組み合わせは、最悪な物の1つ。


「しかし常時稼働でその広さを網羅するとなれば、魔力を食い過ぎるのではなかろうか?」


「基点魔具の方は大きさもあるが、ご指摘通り魔力を馬鹿食いするから、転血石交換、直接魔力充填で二系統にして仮拠点に設置って形だ」


 しかもケイスが何故か一方的に毛嫌いしているソウセツ・オウゲンの孫娘であるサナとなれば、本人は元より、そのパーティメンバーとだって、必要最低限の接触にしておくのが無難というのがルディア達の方針だった。

 だから協力体制を作るにしても、なるべくなら直接的に関わり合いになる気は無かったのだが、今日の説得予定のパーティにあんまり感触が芳しくない説明を終えたあとに、好古の方から接触してきた形だ。


「ほう。しかしそれでは地図の更新はどうなさる? わざわざ拠点へと戻らねばならんとなれば、他のパーティが既に調べた後かも判らず二度手間となりかねん。長期探索の出来る迷宮はともかく、始まりの宮のような短期決戦で協力体制を敷くにはちと不具合よのう」


「子機魔具の方に位置情報共振リレー機能を取りつけてある。こっちは基点ほどの広範囲受信能力は無いが、500ケーラ以内なら他子機の位置情報を常時受信可能。子機同士がカバーし合う形で移動経路を確認出来る。もっともマップの方に自動更新が出来るほど高性能じゃ無いから、マッパーが逐一その移動経路を記載するか、追加で自動筆記魔術でも使ってくれって形だ。共通術式を使っていて、一般的なマップ生成魔術に対応可能な魔力放出になっているから、マッパーの初期知識があれば対応はできんだろ」


 ルディア達のテーブルの周りには、もう消灯時間も近いというのにまだまだ多くの同期生達が残って、あからさまな聞き耳を立てている。

 その中には既に声をかけ終えたが、こちらの真意を疑っているのか、使えそうだとは思っても回答は濁している者達も多くいる。

 ロウガ王女のパーティと、今期で一番何かと話題をかっさらっている問題児パーティという組み合わせに、警戒と興味が半々なのだろうか?

 他のパーティを落としいれたり、出し抜く悪巧みをしているわけでも無し、わざわざ声を潜めて、無用な警戒をされるのも馬鹿馬鹿しい。

 他のパーティにしたのと同様の、探索魔具の技術的な説明と、攻略地図作成への要請にのみ話の内容はしぼっているので、会話を聞くなら聞いてくれというスタンスで、周囲からの注視はルディアは無視していた。


「地図作成をする私が楽が出来る話かと思えば、苦労はそれなりにありそうよの……さてレミルト殿はどう思う?」


「好古。お前な、黙って任せろつーから任せたが、アレとは関わり合いになるなって姫さんに忠告しときながら、こっちから接触してどういうつもりだよ」


 自分の聞きたい事はほぼ聞き終えたのか納得顔の好古の問いかけに対して、同じくサナのパーティメンバーであるレミルトが初めて口を開き疑いの目を返した。

 パーティを組んでいるが、どうやらこの二人の相性はあまりよくなさそうだというのが、ルディアの印象だ。


「おや、これは異な事を。我等は始まりの宮に挑む同期達。ミノトス教や管理協会が謳うように、共に手を取り合い、神の試練を越えるべきであろうよ」


「「胡散臭い」」


 白々しい建前を扇に隠した口元から発した好古に対する、ルディアとレミルトの率直な感想が異口同音でつぶやかれる。

 一々言動に裏がありそうな好古よりも、ルディア達にあからさまな警戒をしているレミルトの方が気があいそうだと、ルディアは思っていたが、どうやら間違いではないようだ。


「やれやれ。本心であるのだが信じていただけぬとは悲しいことよの。知らぬ危険よりも、どこから先が危険か知るのは大事であろうよ。あの気狂い娘と比べ、こちらの御仁達はまだまだ話が通じる様子。協力しあえる、もしくは利用しあえるか。それを探るのは私達には適任であろうよ。何せ姫は性分的にはいずれは良き王となるであろうが、些か短絡的なところが玉に瑕であるから」


「ケイスと比べんな。あいつの比較対象にされるだけで相当だ。あとこっちは利用じゃ無くて、協力体制を作るつもりだってのは理解しといてくれ。色々と面倒があるから、一時的。それこそあんたのいう建前の間だけのな」


 アレ呼ばわりされても反論する気も起きないケイスと一緒にされるのが嫌で顔をしかめたウォーギンが、テーブルの上の瓶を手に取り、自分の空いたグラスに注いだあと、空のグラスを二人の前に差し出す。


「それぞれのしがらみはあるでしょうが、それを一時的にでも忘れて生き残る可能性を上げたい。それがこっちの願いです」


 わざわざ腹の探り合いなどする気は無いルディアは、シンプルに自分達の基本指針を口にする。


「これはご立派な。恩讐を越えて手を取り合おうと。虚言であれば卓越した演者であろうし、本心であればずいぶんと夢想家だことよ」


「この性悪鬼の一々回りくどい言い回しはともかく、俺も額面通りに受け取る気はしねぇ。何せあんたらの所にはアレがいる」


 注がれたグラスの酒には手をつけず、二人はそれぞれの言葉で否定的に答える。

 ロウガには色々な勢力、派閥が集まり、上の方では主導権争いで様々な政争が起きている街だというのは誰もが知ること。

 そして今現在その状況をさらに大きく引っかき回して、場を混乱させている元凶は他ならぬケイスの存在だ。

 フォールセンが選んだ最後の弟子。

 生い立ちは不明ながら、そこにはロウガの誇る英雄ソウセツ・オウゲンとの因縁を感じさせる。

 何よりもその幼くとも人目をひく美貌とは裏腹な、凶悪凶暴なまでの戦闘能力と、常人には理解不能な独特すぎる思考。

 混乱の元凶に近しいルディア達が、手を取り合い一緒に協力しようといっても、それこそ胡散臭いことこの上ない。


「今日の実戦で巣を壊滅させたのも、こいつの宣伝目的か? あんたらこれのセットを講師に渡してただろ」


 今現在講師であるガンズ達は、受講生から選抜した一部を率いて、戦闘訓練用に新しい巣を探索中。その探索の補助として、ウォーギン謹製の探索魔具セットが提供されている。

 実際に使用させる事で有用性を示す。その機会を得る為にケイスが昼間に巣を壊滅させたのでは無いか? 

 その疑念はレミルトだけでは無く、周囲の受講生達も懐いているのか、ルディア達の回答を聞くために、申し合わせたわけでも無いのに一瞬、食堂が静まりかえる。


「逆だ逆。実際に使ってもらう為じゃ無くて、ケイスが暴走したからその穴埋めだ。子機魔具は使い回しができるが、基点魔具の方は、記録を消去してまっさらにするより、中身を新造した方が手間もコストも掛からないから、使い捨てに近い構造になってる」


「こっちだって資金が潤沢にあるわけじゃ無いから手持ちを使うのは惜しいけど、これ以上の反感を集め無いためです。第一あの子の方は私達がやっている事を知らないし、知っていたとしても『ん、任せる』ってひと言で関与してきません」


 またもケイスが原因で、ありもしない策謀を疑われる。何時ものことで慣れてはいるが、ルディアは諦め口調で、ありのままの事実を伝える。

 ケイスは基本的に、物事の解決に他人の力を自分からは頼らない。

 もっと正確にいうならば、自分の戦闘能力を高めるために頼ることはあっても、それはあくまでも自分の力の増幅や、十全に動ける治療のため。

 物事を解決する際にメインで動くのは自分であり、あくまでも他人はサポート。

 ただ自分の邪魔になら無いという絶対条件さえ守られていれば、他人がどう動くかは気にしない。

 寛容的な個人主義とでもいえばいいのだろうか。

 それとも基本的に上から目線というか、極々自然体で他の生物を見下しているせいといった方が正しいのだろうか。


「ほう。ならば貴女は昼間の件はどう説明する気であろうよ? あの娘の真意はどこにあると」


 端から見ているだけならばケイスの言動には不審なところが多すぎるが、しばらく付き合えば、思いのほか単純だと判るはずだ。

 目は笑っていない好古からの問いかけに、ルディアは単純明快な答えを提示する。


「そりゃ斬りたいから斬っただけですよ。講習会が始まってから座学ばかりで、生物を斬ってないって理由でストレスを溜めてましたから。基本的にあの子に深い考えなんてありませんよ。なにせ……あの子はまた」


 何時ものケイスをひと言で表す言葉で答えようとしたルディアだったが、その時食堂の入り口がにわかにざわめき出し始め、非情に嫌な予感がしてそちらに目を向け、深く息を吐く羽目になった。
 
 食堂の入り口から入ってきたのは、ルディアが今の所ケイスと関わり合いにさせない方が良いと考えている筆頭のロウガ王女サナであり、その肩にはケイスが担がれている。

 気を失っても剣を手放さないケイスの右手は抜き身の剣をぶら下げたまま。その脇腹の辺りには、ずいぶんと乱雑だが止血用の包帯が巻かれている。

 だがそれより異常なのは、肩に担がれているケイスが肩越しに、サナの翼の根元辺りに噛みついている事だ。

 一方サナの方も自分の顔の中央辺りを左手に持ったハンカチで押さえているが、食堂の淡いランプでもはっきりと判るが、血で染まっていた。

 何事かとざわつく周囲を無視して、食堂を見回したサナはルディア達のテーブルで目線を止めると、ケイスに噛みつかれたままの背中の羽根を憤懣やるせないという感じで小刻みに振るわせ、足音も荒々しく一直線に近づいてきた。

 
「姫……だからいったであろう。関わり合いにならぬ方が御身の為だと。何故喰われておるのか?」


 明らかに一悶着あったとおぼしき、しかし何故そうなったと聞きたい両者を見比べた好古が、先ほどまでの胡散臭い態度をけして真顔で忠告するが、サナの耳には入っていない様子で、ルディアの横に立つと、


「ふぁなた! いっふぁいなんふぁのですか!? この娘は!」


 何かが顔面にぶつかったのか赤くなった鼻から出てくる鼻血をハンカチで抑えながら問いただす。


「お、お腹……す、すいた……この鶏……固い……」


 そのサナの肩で翼をハムハムと力なくかんでいるケイスが僅かに身じろぎ、腹が盛大に空腹を訴える鳴き声を発している。

 そういえばケイスが今日まともに食べたのは朝食のみ。昼食は気絶して喰い逃し、夕食も探索に出ている者達が帰るまで食べないといって、剣を振りに出ていった。

 サナとの間に何があったのかは判らないが、ケイスが倒れて意識が朦朧としている理由と、その姿はルディアにはいつか覚えがある物だった。

 前の砂漠の時は自分のマントの裾がかまれていたなと、遠い目で思いだす。 


「ただのお腹をすかせた剣術馬鹿です」    


 空腹を紛らわす為に剣を振る。そして剣を振りすぎて余計に腹を空かし目を回す。

 今のケイスをひと言で表すには、ルディアの回答はこれで十分だった。 



[22387] 挑戦者の二つ名
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/10/19 00:36
 明日早朝には今期の出陣式が執り行われるロウガ。

 街の北部に築かれたロウガ王城では、定例となった出陣式に出席する来賓向けに、前女王であるユイナ主催の歓迎レセプションパーティーが開催されていた。

 ロウガ統治のための象徴であるロウガ王家は、トランド大陸東方域に広大な領土を有していた東方王国時代に、狼牙と呼ばれていた周辺地域を治めていた領主の血を引いている。

 暗黒時代の終焉は迷宮モンスターの群れや龍との戦いの終わりであるが、その次に待っていたのは人種による対立と諍いの時代。

 天然の良港であった狼牙の帰属を巡り、周辺の新興国家同士で牽制や小競り合いが起き、復興の大きな妨げとなっていた。

 その対立を止め、ロウガ建国に周辺国家からの一定以上の理解、もしくは理屈を得るために、狼牙領主の末裔を探しだしたフォールセンによって、現王家が据えられている。

 その役目はあくまでもお飾りであり、ロウガ周辺のみならず、かつての東方王国の旧支配領域の取得を目論む東方王国復興派の旗印として担ぎだされ、周辺情勢を不安定化させないために、積極的に政治には関わらずを信条としている。

 国の統治さえも余計な力を持たぬ為に、探索者協会ロウガ支部やいくつかの有力ギルド連合が、王家の命という形で街の運営を代行しているほどだ。

 だから本来であれば、有力者を招いたレセプションパーティーなどもあまり行うことはないのだが、始まりの宮前の迷宮閉鎖期は迷宮から街に戻っている探索者が激増して、普段よりも管理協会は仕事に追われており、来賓者向けの公式パーティーを開催している余裕などないという事情もあり、権威的にロウガのトップである王家が、ロウガ支部に依頼され開催する運びとなっていた。

 もっともロウガ王家の長である現王では無く、王女や前王が主催という形にすることで、なるべく周辺国家への影響を抑えるという配慮もされている。

 いつもであれば、ロウガや近隣都市国家の王侯貴族や、有力ギルド支部長が主な参加者となり顔ぶれはそう変わらないのだが、今回は何時もの顔ぶれにあわせて、トランド大陸各地方や、はては別大陸の国家やギルドからの来訪者を向かい入れる盛大な物となっていた。

 探索者となるための特別な迷宮【始まりの宮】はロウガのみならず、同時期にトランド大陸各地に出現する。

 この時期はどこの国もギルドも忙しさに追われ手の空いている者も少なく、ロウガまで来る余裕などそうそうは無いのだが、多少の無理をしてもトップ自ら、もしくはその名代としてなるべく高位の役職を持つ者が派遣されている。

 数年前に執り行われた現ロウガ王の王位継承式と比べても、勝るとも劣らないほどのそうそうたる顔ぶれが集った理由はただ1つ。

 半世紀以上前に隠居して以来、公の場にはほとんど姿を現していなかった大英雄フォールセンが、今回のレセプションパーティーに参加するという告知が発表されていたからにほかならない。

 トランド大陸完全解放と暗黒期の終焉を切り開いた英雄達。その中でもフォールセンとそのパーティの功績と知名度は群を抜いている。

 僅かでも縁を得ようと、もしくは純粋なる好奇心、己の二つ名でもある剣技双剣を伝える為フォールセンが弟子を取ったという噂の真偽を確かめるため。

 様々な理由で集った参加者達だが、そこはさすがにそれぞれ立場も名誉もある者達。

 フォールセンに顔を覚えてもらおうと、無駄に騒ぎ立てる輩も少なく、立食パーティという形式もあって、普段は縁の少ない地方の者との顔つなぎの挨拶や、情報交換など、規模や顔ぶれは大きく違うが、何時もの歓迎レセプションと変わらぬ雰囲気のままに行われている。

 華やかではあるが、今ひとつ盛り上がりに欠けるのも仕方ない。なぜなら彼らは今回の主役ではない。主役はあくまでも探索者達だ。

 だから今回の集まりは、顔あわせが目的の前哨戦にしか過ぎない。パーティの本番は始まりの宮が終わった後。

 見事に迷宮を踏破し新米探索者達となった者達の中から、優秀な者達を招いて行われる祝賀会に他ならない。

 将来有望な探索者は、国や自分達のギルドの力となる。探索者側も上手くすれば後援者を得る機会となる。

 双方の思惑が絡み合った祝賀会が本番であるのだから、歓迎会での話の中心は自ずと、今期の有望者達の話へとなっていく。

 しかしその有望者の中に混じったあまりに突拍子もない存在のせいで、尾ひれの付いた噂話が静かに会場内には蔓延していた。


「私は弟子殿と王女殿下が決闘を行ったと聞いたが?」


「それが巷に流れる噂レベルですが、どうもサナ王女が弟子殿に襲いかかったのが真実らしいですぞ」


「あら私が耳にしたのは真逆で、弟子の娘さんがサナ王女を鍛錬に託けて殺害しようとして、最終的に噛み殺そうとしたとかなんとか」

 
 いくつかの違いはあるが、遠方からの来訪者達が耳にした噂は、フォールセンの弟子とロウガ王女が不仲で殺し合いにまで発展したというものだ。

 しかもその内容も滅茶苦茶で、過激な物となると、弟子が王女の顔面が変形するまで殴り潰したや、王女の翼を食いちぎっただの、どうにも弟子の凶暴性を強調した噂話が多い。

 しかしそれも少し前の話で、最近はその弟子の姿を見た者が皆無だという話も出ている。

 王女に返り討ちにあったやら、罪に問われて投獄された、はたまた自ら逃亡したやらなんやらと、これまた色々な噂が流れている始末だ。

 その弟子というのが相当な問題人物だというのは、ロウガに属する者達が口を揃えて話すのは真実なのだろうが、あまりに噛み合わず、そして過激すぎる噂話に、僅かに訝しんだ顔を浮かべた列席者たちは、自然と目を会場の中央へと目を向けた。

 そこではフォールセンや主催者であるロウガ前女王ユイナ。そしてその夫であるソウセツが中心となり挨拶や歓談が行われている。

 もし噂話に1つでも真実があるならば、孫であるサナが、フォールセンの弟子によって命を狙われたという事になる。

 だが堅物で有名で何時も硬い表情のソウセツは別として、穏やかな微笑を浮かべ応対するフォールセンやユイナの様子からは、その巷で流れる噂話の欠片も見てとれない。

 噂話は所詮噂話にしか過ぎないのだろうか?

 そんな疑問を誰もが心の片隅に抱きながら、レセプションパーティは特に問題もなく進行していった。






 王城の奥まった一室。レセプションパーティ終了後、ユイナの執務室には部屋の主であるユイナだけでなく、ソウセツとその相談役であるナイカ。そしてフォールセンと家令メイソンが集まっていた。


「やれやれ。久しぶりに人前に出ると疲れてしまうな。メイソン。屋敷に戻ったらこちらの名刺の整理を頼む。それと茶も頼む。久しぶりに話しすぎて喉がからからだ」


 フォールセンはユイナに勧められソファーに腰掛けると、渡された名刺の束を、横に控えていた家令のメイソンへと預ける。

 
「畏まりました。ではユイナ様。キッチンをしばしお借りしてもよろしいでしょうか。南方の珍しい茶葉が手に入りましたので皆様もお試しください」

 
 主から渡された名刺を傷つけないように布で来るんで足元の鞄にしまったメイソンは、別の鞄から小さな茶箱を取り出してみせると、部屋の主であるユイナへと、執務室に併設された小さな給湯室の使用許可を求めた。

 
「ふふ。兄弟子のお茶を久しぶりに楽しませていただきます。道具は好きに使ってください。それと新しいブレンドの香り茶もあるので、よろしければお屋敷でお使いください」


 なにかと忙しい義母の名代にされた年下の少年召使いに、古式の茶の入れ方を教わったかつての日々を思い出したのか、ユイナは楽しげな笑みと共に快諾する。

 茶はユイナの趣味の1つ。趣味の世界では立場は関係ない。そして茶の腕前と知識では本職の家令であるメイソンに教わることはまだまだ多い。

 メイソンが給湯室へ向かうとすぐに、フォールセンの対面に腰掛けたソウセツが頭を下げる。


「祖父殿。この度はお手数をおかけし申し訳ありません」


「気にするなソウタ。ロウガ王家と私が不仲だという噂は、あまり良くない影響を生む。この程度は手間でも何でもない」


 ケイスとサナが不仲という話が広まった根本には、ケイスがソウセツの血を引くのではないかというこれまた根も葉もない噂が起因となっている。

 そしてそれから派生して、ソウセツやユイナとフォールセンが不仲になっているという噂まで出てくる始末だ。

 噂は所詮噂だと放っておけば、その噂に利があると考えた不埒な輩によって、いつの間にやら真実めいた話としてされかねない。

 だからフォールセンがわざわざ歓迎会に出席し、ソウセツ達と席を一緒にして、噂を払拭する必要があった。


「謝るのであれば私の方です。申し訳ありませんフォールセン様。ケイス殿の評判や噂話の押さえ込みの策がほぼ裏目に出てしまって」


「ありゃユイナ様のせいじゃないだろ。お嬢ちゃんが規格外過ぎるのが原因でしかないよ。旦那。どうも下手に手を出すと余計事態が複雑化するタイプだよあれは」 


 笑みを引っ込め憂慮を浮かべたユイナに、ナイカが仕方ないと慰めの言葉を掛ける。

 ケイスの存在を隠すのは、フォールセンに弟子が出来たと広まっている以上、いまさら無理な話。

 さらにケイス自身の容姿が目立ちすぎるうえに、剣技に至ってはフォールセンでさえ認めるほどの才を持つ。

 せめてケイスが隠しているであろう真実を他者に広めないようにするために、ユイナが建てた策も、武闘大会を発端に、ことごとくケイスの予測不能な言動で打ち破られ、悪評へと変わる。

 これで噂になるなというのが無茶な話だ。


「とりあえず今はあたしの方で、噂の出所を確かめて、あまりよろしくないのはチェックしてる。立場のある総大将やユイナ様には不向きな裏方はこっちで何とかするつもりだけど、今の所は面白半分、真実半分だね」


「直接的な被害がなく、娯楽としてみれば面白いのだろうな。あの馬鹿娘は。申込日に私設の検問を張っていた者達には釘を刺しておきましたので、しばらくは大人しくしていると思います」


 ケイス本人を大人しくさせることは不可能。なら周りを押さえつけるしかない。ソウセツ達の行動は直接的な解決策ではなく、場当たり的な緩和方にならざるえない。

 幸いにもケイスは講習会が始まって以来、単独で街中に姿を現していないので、不特定多数との揉め事は発生していない。

 もっともその代わり、同じ受講者と色々と起こしていて、それが漏れ出し新たな尾ひれの付いた噂の元凶となっている。

 王女であるサナと、ケイスがしばらく前に殺し合いをしたという噂が、最近ではもっとも大きな話題となっている。


「それこそ苦労をかけるな。それよりもサナ殿の様子はどうだ? ケイス殿と剣を交え壁にぶつかってしまったという話だが」


 食い殺そうとしたやら、サナが奇襲をかけたというやたらと誇張した噂ではなく、フォールセンの耳には真実がしっかりと伝わっている。

 発端はケイスが何者かをサナが確かめようとしたことであり、結果はケイスが何時ものごとく自分を現す剣で答えた。それだけだ。

 しかし問題は、ケイスが天才だということ。天才も自覚し、公言しながらも、他者が理解出来ない高みに、その才がある事だ。


「セイジという若者と鍛錬を繰り返しています。どうすればもう一度あの一撃を出せるかと悩んでおります。幾度か助言をしようとしましたが、自分で身につけなければ、気がつけなければ意味がないと断られています……我が孫ながら頑固なことです」


「ソウタ殿に似たのでしょうね。自分が定めた限界を、悠々と超えられてしまったのです。サナも腕に自信を多少ながら持っていた分、悔しくて悔しくて仕方ないのでしょう」


「実戦中にワイヤーを使って槍の軌道を微修正して、さらなる高みを見せるかい。しかも元は風系魔術を使うって話だとかいうけど、旦那の方でその技、もしくは使い手に思い当たるのはあるかい? さすがに地下の成仏した連中に今更、聞けやしないしね」


 失伝した東方王国系の武技、魔術をケイスが継承している事は、ここにいる全員が知っている。

 その継承手段が、地下で亡霊化していた旧東方王国狼牙兵団から教わったという、冗談のような真実だということも。

 だが東方王国最強と謳われていた狼牙兵団の往時の姿を知る者となれば、フォールセンしかこの場にはいない。


「風系の魔術は精密操作が難しくなりがち。対集団戦ならば得意手だが、個人相手となるとな。しかも闘気と魔術の併用となれば……槍術にも長けていた先代の宋雪殿だけであろうな。もしユキ達が知っていたならば、ソウタにも伝わっているはずだが」


「流れの中に組合わせた技法ならありますが、融合させ1つの技として使う物は伝承されていません。闘気と魔力の同時使用は両方のいいとこ取りしようとして、結局中途半端になりやすいから、横道に逸れるのは槍を極めてからにしろ。ただしそこから先は私も知らないから、自分で切り開けと」


 首を横に振ったソウセツは、懐かしさと恥ずかしさの入り交じった微笑を浮かべる。

 次々に技を教わろうとする自分と、1つ1つを着実に己の物としろという義母。けち臭いと散々反抗していた自分が、今では同じように一つ一つ着実に歩めと伝えているのだから、若いときの自分がどれほど未熟だったかと反省しきりだ。


「ってことは、ユキさんやカヨウさんにも継承されていない技ってことかい。伝える時間が無かったのか、それとも伝えるにはあの人達でもまだまだ未熟だったってことだろうね……アレは東方王国時代の生き残りっていわれた方がまだ納得できそうだよ」


 主と同じ二つ名の双剣と呼ばれていた邑源姉妹は、フォールセンには及ばずとも、天才、もしくは化け物と呼ばれる類いの者達。

 旧狼牙が龍達によって滅びたのは、ユキが16,7才、カヨウに至ってはまだ10にも満たない時代。

 いくら才能があろうとも、まだまだ道を歩み始めたばかりのひよっこだったのであれば受け継げなかった技があるのも当然だ。

 だからこそ余計にケイスの異様さが際立つ。武技は威力を落としながらも可能とし、魔力は持たぬ故に魔術技の伝承は不可能であろうが、その全てを知識として吸収し、己の物としてみせる。

 しかも亡霊達と邂逅したたった一晩で。 
 

「そちらの方がユイナ殿の苦労もずいぶん減ったであろうな。だが壁が大きくとも、サナ殿ならいつか超えてみせるだろう。なんといってもソウタとユイナ殿の孫であり、ユキの心を受け継いでおる。オウゲンは諦めるという言葉を知らぬ一族であるからな」


 自分にとっても孫と変わらないサナが、鍛錬を繰り返しているときいたから、フォールセンは安堵すると、話のタイミングを見計らっていたのか、絶妙なタイミングで戻ってきたメイソンが一礼と共に、薄茶色の液体で満たされたカップを差し出す。

「……良い香りだな。メイソン。茶葉も良いが腕も上げたな」 


 カップから立ちのぼる香りを、フォールセンは目を閉じて楽しむ。懐かしい香りはフォールセンの故郷である南方大陸ルクセライゼンの極一部の高地で取れる稀少な茶葉は、一般には流通しておらず、知る人ぞ知る銘茶。

 皇太后が住まう深き山脈の奥地。聖地【龍冠】の近隣でしか栽培されていない皇室専用の茶葉になる。


「ありがとうございます。カヨウさんが時事の挨拶と共に送ってくださった何時もの品ですが、ケイス様も大変お喜びになっておられました」


 未だカヨウからはケイスに対する連絡はなく、時折時事の挨拶として手紙がしたためられるだけで、通常と変わらないやり取りだけがされている。

 
「喜ぶねぇ。あの娘、本当に正体を隠す気があるのか不安になるねぇ……それでその本人はどうしてるんだい? 姫様とやりあった後は静からしいけど、ちっとは自重したのかい。ガンズ坊も忙しいから一々呼び出すわけにも行かないからねぇ」


「サナとやりあった際に怪我を負ったらしい。幸い軽傷だが、どうせ禄に療養もせず剣を振るうえに、一度サナと揉めた以上また色々起こすだろうから、パーティメンバーの提案で出陣式まで薬で寝かせておけとなったらしいな」


「文字通り寝た子は起こすなかい。英断に感謝だよ。これ以上仕事を増やされたらたまったもんじゃないからね」


 茶を飲みながらナイカがしみじみいったひと言に、この場にいる誰もが無言で頷き同意していた。








 うっすらと瞼を開くと、何かが目の前に浮いている。

 視界が霞んでよく見えないが、精々15ケール(㎝)ほどの大きさの生物だと、無意識的に判断する。


「もう目が覚めたのか? まだ半分近くしか薬の効果は抜けていないのに、どういう身体をしているんだお前は」


 その何かが何か声をあげているが、半分寝ている今のケイスの頭では理解が出来ない。

 ただとりあえずお腹が空いていたので、とりあえず寝起きとは思えない、さっとした動きで、手を伸ばして捕まえた。


「……ご飯」


 その何かを丸囓りしようと口元に運ぼうとするが、その前に手の中のそれが大きく開いたケイスの口の中に何かを放り込んだ。

 途端に口の中に甘い味が広がる。

 肉も好きだが、甘いものは大好きなケイスは、口の中に入ってきたその甘い小さな塊をころころと転がしながら、久しぶりの甘味に意識を持って行かれる。

 しばらくすると、まだまだ眠いが少しだけ意識がはっきりして、周囲の様子をうかがい知るには問題は無い半覚醒状態へとケイスは一気に浮上する。

 様々な生薬と魔法薬の匂いが微かに香り、カーテンでしきることが可能なベットが横並びに置かれている。

 講習会の受講生達が一時的に寝泊まりしているロウガ支部が所有する鍛錬所の医務室のベットの一つにケイスは寝かされていた。


「護身用とか言う訳の判らない理由で、飴玉を持たされた理由はこれか。患者に喰われそうになるのはさすがに初めてだな」


 頭から丸かじりにされそうになったというのに、やたらと落ち着いた声が手元から響いてきて、ケイスは己の手へと視線を落とす。

 手の中には、背中に羽根を持つ小妖精族の青年が、がっちりと握っていた。
 

「ふぁぁ……なんだファンドーレか……お前は固そうだから、あまり美味しそうじゃないな。……小鳥かと思ったのに残念だ」


 ケイスが半ば無意識で食べようとしていたのは、ウォーギンからつい先日紹介され、今期の始まりの宮に共に挑むことになっているパーティメンバーの一人小妖精族のファンドーレ・エルライトだった。


「人を見て美味そう、まずそうで判断するないかれた馬鹿娘が。早く放せ。お前は体温が高いから暑苦しい」


 普通なら、寝ぼけていたからといっても食べられそうになれば激怒したり、小鳥だったら生で丸かじりする気だったのかと、色々と突っ込み所はありそうな物だが、ファンドーレは暑くて不快そうにはしているが、その顔には焦った様子は見てとれない。


「ふぁむ……んー……眠い」


 言われるまでも無く、仲間を食べる気など毛頭ないケイスは手を開いて、ファンドーレを解放すると、ベットに半身を起こして身体の調子を確かめる。

 身体の伝達が鈍いのか、反応は緩いが特に動作に問題はない。

 ただ頭の方は別だ。何時もなら寝起きはいいのに、異常なほどにまだ眠く、どうにも舌に違和感のある味を感じる。

 最後に覚えている確かな記憶は、サナと実戦稽古をやっていて、技を放とうとしたその瞬間まで。

 そのあとは大きいが、固くて食えない鶏にかぶりついたイメージががうすぼんやりとあるが、それが夢現なのか微妙な所だ。

 
「んー……この舌に残る味……ふぁ薬か……ただ嫌な感じが無いからルディか?」


 飴玉の甘さに消されそうになっているが、口の中に少し苦みのある違和感が残っている。その味から、どうやらルディアに睡眠系の魔術薬でも飲まされたようだと判断して、ファンドーレに尋ねた。


「正解だ。お前がいては講義に支障が出るし、あまりに馬鹿で、問題行動が多く、挙げ句の果てには、ロウガの翼姫相手に喧嘩を売って、軽いとはいえ怪我をしたからな。もういっその事、始まりの宮前まで、強制的に寝かせて、怪我を治すついでに色々とおきる問題の種を詰んでおくかという事になっていた」


 ファンドーレの言葉は文だけ読めば所々辛辣だが、あまりに淡々とした口調なのでそこに悪意は感じられない。

 あくまでも事実を、事実として、そのままに伝えているだけに過ぎない。

 ファンドーレとは初心者講座が始まってからの付き合いだが、付き合いが長いウォーギンから、口が悪いと言うよりも単に歯に衣着せぬだけだと聞いているので、ケイスも不快には感じない。


「ふぁぁ、別に喧嘩などしておらんぞ。誰かと聞かれたから、剣で私を答えたまでだ」

 
 目を擦りながらケイスは間違いを訂正する。

 ケイスにとっては剣を全力で打ち合わせても、アレはあくまでも自己紹介でしかない。軽い挨拶程度の物だ。

 しかし問題が無い訳ではない。何せ自分の記憶がはっきり残っているのは、伝えようとした技を放ったところまでだ。


「むぅ……そういえばまだサナ殿に肝心の……技の芯を伝えきっておらんな。謝罪してからもう一度……やりあわねばならぬな」


「止めておけ。後数時間で出陣式が始まる。今怪我をさせるか、怪我をしたらレイネが本気で怒るぞ」


「むぅっ……それはまずいな……判った後でも良かろう……それよりファンドーレ……ご飯を寄越せ……お腹が空いた」 


 起ききっていない頭でも、レイネを怒らせるのだけは本能的な部分でまずいと理解している。
 
 どうせ剣を交えるなら、天恵をえた探索者となった後の方が、力も出しやすい。となれば今は自分の体調を最大稼働状態まで持っていくだけだ。


「どうせ起きたらすぐに飯だというだろうといって、今ルディア達が作っている最中だ。ちょっと待っていろ」


「ん……さすがルディだな……それでこそ私の友だ」


 後数時間で命がけの迷宮へと挑むというのに、ケイスはいつも通りにマイペースを保ち、ルディアの作ってくれる料理が何だろうと考え、お肉が多めだと嬉しいと暢気に笑う。

 戦いこそ全てのケイスにとって、起きたら、始まりの宮に挑む朝になっていたといわれてもなにも変わらない。

 いつも通り、お腹いっぱいになって、後は敵を斬るだけだ。









 探索者協会ロウガ支部。その正門前には、今期の始まりの宮に挑む若き挑戦者達が完全武装した状態で整列している。

 門を出た目の前の噴水広場には、下手したら数万を超えるほどの群衆が駆け付け、出陣式の開始を今か今かと待ち受けており、その大きなざわめきが響いてくる。

 もう後数分も立たずに門が開かれ、彼らのお披露目となる。

 例年であれば、この段階で挑戦者の若者達の大半が緊張の色を浮かべているのが、今年は少し違った。

 なんともいえない表情で見守るその先には、初心者講習関係者の誰もが認める問題児一行がいた。
 

「ちょっとケイス! 起きなさいって! あーもう! もたれかかるな! ファンドーレ。薬って抜けたんじゃないの!?」 


 ルディアは人目も憚らず、ケイスを揺すりながら声を張り上げるが、同じように軽鎧を纏いながらも、うつらうつらとしたケイスは、ルディアに力なくもたれかかってくるだけだ。

 その幼い美貌を余すことなく発揮する寝顔は、普段の気の強さや傍若無人な言動を忘れさせ、誰にも保護欲を抱かせるまさに天使の寝顔といっても過言ではない。 


「抜いたが、後は自分の意思で寝るそうだ。どうせこの後数日は動き続けるのだから今のうち寝だめするそうだ。それに出陣式などといっても景気づけに剣を振ることも、気にくわないお偉方の一人も斬る事が出来ないなら、寝ていた方が苛々しないともいっていたな」


 もっとも外見はいくら天使でも、その中身が変わるわけではない。

 ロウガの上層部にはケイスが嫌う汚職にまみれている者もいる。顔を見たらつい斬りたくなると普段から公言している問題児ぷりは変わらずだ。


「いあーケイらしいね。無理に起こさない方が良いんじゃない? 下手すると寝起きの機嫌の悪さで、貴賓席に殴り込んで戦闘を早々と始めるかも知れないし」


「ウィー……あーもう。簡単にいわないでよ」


 毛色のみならず完全武装で顔さえも隠したウィーが、威圧感のある装備とくぐもった声とはギャップのある、何時もの暢気な口調でそのままが良いというが、常識人なルディアとしてはそうも行かない。

 ただでさえケイスには敵が多い。それなのに出陣式などという衆目を集める場で、本当に眠いとはいえ、来賓者に対してあまりに不遜な態度をとれば、より敵意を煽る結果は火を見るよりも明らかだ。


「しかたねぇな。これでも被せて寝顔を隠して、あと横からウィーとルディアで抱え込んで無理矢理歩かせれば良いだろ。暴走しないように抑えているようにみせかけとけ」


 ケイスの頭にウォーギンが武闘会で作っていた仮面のついた覆面を被せる。

 これも武闘会でのケイスのあばれっぷりを思い出させるので、ある意味で煽っているといえば煽っているのだが、その効果はまだ限定的になるだろう。  

 後は長身のルディアとウィーで左右から挟めば、暴れないように大人しくさせて連行しているように見えなくも無いが、どっちにしろケイスの評判には悪影響だろう。


「最悪よりマシだけど、悪い結果を選ばなきゃならないって勘弁してほしいんだけど」


 始まる前から頭痛の種が尽きないが、これで自分達が参加していなかったら、ケイスはどうしていたかと考え、ルディアは、諦めと気苦労を込めた息を吐き出していると、門の横に控えていた協会所属の魔術師が、頭上に向かって雷を纏った魔術を解き放った。

 凝縮された雷弾は遥か高みまで登ると、轟音と共に弾ける。その音と共に閉ざされていたロウガ支部の門が大きく開かれた。

 
「決めてあった順番通りに先頭のお前から噴水前まで移動を開始だ! 式典終了後すぐに龍王湖へ向かって始まりの宮へ挑むことになる! 浮き足立つな! もうお前らの戦いが始まっていることを忘れるな!」 


 門の横に控えていた講師のガンズが大きく声を張り上げ、緊張した面持ちをみせていた先頭に立つ挑戦者の背を強めに叩き、送り出し始める。
 
 気合いを入れるためか先頭の挑戦者が両手で自分の頬を張ると門外へと向かって、ゆっくりと移動を開始する。

 最初の若者が外へ一歩踏み出した途端、肌がびりびりするような歓声の声が大群衆の中から上がった。

 一瞬気後れしそうになったのか、足を止めかけるが、先頭の若者が意を決し踏み出し、その後にパーティメンバー達が続く。

 最初に出ていったパーティが噴水前の所定の位置に着いてから次のパーティが出発する。

 新たなパーティが門を出て行く度に、大きな歓声が何度も上がる。中には闘技場などで既に名を馳せていた者達もいるのか、個人名を叫ぶ声も混じっていた。

 今回は前期の騒ぎもあった所為で、参加者の人数が何時もより多く、入場だけでも相当な時間が掛かっているが、観衆のテンションが下がることはない。むしろ徐々に高まっている。

 それは今回の話題となっている人物達を待ち望んでいるからだろう。

 待ち望まれている者達。

 吟遊詩人達によって謳われ最近人気を博している、ロウガ王女サナと忠実な若きサムライセイジ。

 そして大英雄フォールセンが選んだ剣技を伝える唯一の弟子であるケイス。

 最後を勤めるサナ達は最後尾に並んでいるので、列の中間くらいにいるルディア達からは姿は見えない。

 あれ以来ケイスを寝かしていたので、サナがケイスに絡んできた事はないが、どうにも意識しているのは、何度か言葉を交わした中で、ルディアも嫌というほどに気づいている。

 何をしてみせたのかまでは判らないが、よほどサナのプライドに触れる事をケイスがしでかしたのだけは間違いなさそうだ。

 好意や悪意とひと言では言い表せない感情がサナの問いかけには含まれていた。

 面倒事ばかり積み重なっていくと心労を覚えながら徐々に前に進んでいくと、ついにルディア達の1つ前のパーティが門から出ていった。

   
「あーまだダメかこの馬鹿は? どこまでマイペースだ。ケイス起きろ!」


 先ほどから出ていくパーティ達にひと言ずつ声をかけていたガンズが、ケイスの頭を撫でるように軽く叩くが、身じろぐだけで禄に反応も見せない。微かな寝息とそれに合わせて僅かに肩が上下するだけだ。

 どうやら覆面を被って暗くなったうえ、周囲の声が聞こえづらくなった所為で熟睡したようだ。 

 この様子にケイスの理解者の一人でもあり、しばらく一緒に暮らしていたガンズは起こすのは無理だと早々に諦め、その頭を覆面越しとはいえ今度は本当に撫でる。


「今までいろんな奴をここから送り出したが、この馬鹿ほど心配しなくて良い奴は初めてだな」


「逆じゃないのか親父さん。心配するだけ無駄な奴ではあるが、講師なら心配しておけ」


「あのなファンドーレ。甘く見てるとか舐めてかかって、寝ているならともかく、ケイスが戦いに関して油断するわけないのは判ってる。力を蓄えてるんだろうどうせ……何をしでかす気かまでは知らんが、探索者になったこいつはとてつもないことをしでかすんだろうな。お前らはともかくこいつを上手く使え。こいつがいればどうにでもなる。苦労している代償だとおもって楽しとけ」


 普段は協力しろや、メンバーを信じろなど、連携を重視した指導をするがケイスに関しては、そんな一般常識は当てはまらない。ケイスの動きやすいようにすれば自然と結果は付いてくる。危険ならばケイスに任せてしまえと、ある意味で無責任極まりない講師にあるまじき台詞を口にする。

 しかしそれも致し方なし。何せケイスだ。


「代償と成果が釣り合ってるかって聞かれたら、マイナス収支の方が多いって断言できますけどね。じゃあ無理しないで済むことを祈りながら行ってきます」


 ケイスと知り合ってから胃薬が手放せなくなったルディアは思ってもいない言葉を口にすると、ガンズに一度頭を下げた。

 別に決めたわけではないがいつの間にやらパーティリーダーとして仕切らされていたルディアに続いて、それぞれもひと言だけガンズに声をかける。


「次のパーティ! 問題が無いなら出てくれ!」


 前と間が十分に空いたのをみた進行係が、ケイスががぐったりとしているので訝しげな目を浮かべるが、進行を優先し指示を出す。

 その声に応えルディア達は門を越える。

 迎えたのは大きな歓声。だがそれは一度大きな波迎えた後、波が退くように近くからすぐに静まっていく。

 何となく緊張感を持った雰囲気が一気に会場内に広まっていき、ひそひそと言葉を交わす声が聞き取れないざわめきとして耳に入ってくる。


「うぁ……ウィーなに言ってるか聞こえる?」


「あー覆面と体格でケイだって気づいたみたいだね。ただこれでしょ。反応に困っているみたい」

 
「これから華々しく出立するというよりも、刑場に引き立てられる罪人といった形だからな。無理もないだろう。ウォーギン。覆面は失敗ではないのか?」


「こいつの場合は寝顔を晒しても周囲を黙らせる効果があるからな。前に酒場を壊す乱闘事件を起こした時に実証済みだ。どっちにしろ結果はかわらねぇだろ」


 何とも居心地の悪い降って湧いた静寂だが、ケイスと付き合っていればこの程度はまだマシな事態。

 これ幸いと粛々と足を進めていくルディア達が、半分を過ぎた頃、急にケイスがむくりと首をあげた。そしてなにやらゆっくりと左右に首を振って周囲を伺いはじめた。

 ケイスの行動に不穏な雰囲気を感じたルディアが周囲を同じようにみるが、呆気にとられている群衆の人だかりだけだ。



「ウィー。敵意でも感じる?」


「そんな感じはないよ。ただなんか甘、ってケイ!?」 


 敵意は感じないが、兜で顔を隠していても漂ってくる甘い匂いを指摘する前に、ケイスが跳び跳ねて、不意を突かれたルディア達の手から抜け出た。

 いきなり走り出したケイスは、怪我の影響で闘気も使えないというのに軽い身のこなしで群衆の頭を飛び越え、肩を踏み台にして、花道を外れる。

 これが貴賓席に向かっているならば、前期の悪夢の二の舞だが、ケイスが向かっているのは真逆。広場の外側だ。


「うっ、あ、あの馬鹿。アレが原因か」

 緊張感に負け逃亡しているようにもみえるかも知れないが、ケイスが一直線に向かう先にある屋台に気づいたルディアは事情を察し、手で捕まえるのではなく、思い切って鎖で縛っておけば良かったと今更ながらの後悔をする。

 ケイスが向かう先には、最近お気に入りのドーナッツ屋の屋台があった。






「はむ……ふぁむ……うまい」


 紙袋に入ったドーナッツを1つ取り出し、一口食べる度にケイスは花が笑うようなにこりと幸せそうに大輪の笑顔を見せる。

 何時もの気の強さを現す釣り気味の目もその険しさが全く霧散して、年齢よりもさらに幼い妖精のような美少女ぶりを遺憾なく発揮する。画家であればこの一瞬を描き出そうと誰もが思うだろう……平時であれば。

 各国からの来賓が挨拶をする出陣式の最中、半分寝ぼけた状態のケイスは紙袋を抱え込んだまま、幸せそうにおやつにありついていた。

 誰の言葉も耳に入れず、ただひたすらに栄養補給にいそしむ。

 普通であればこのような式典の最中にこんな行いをすればつまみ出されるか、最低でも紙袋を取り上げられる、そんな傍若無人振りだが、今のケイスはどうしようも無いと放置されていた。


「いやぁ、ケイって剣を振るのが最大攻撃かと思ってたけど、泣き顔で罪悪感を煽ってくるのも極悪だね……揚げたてで美味しそうだね」


 下手に取り上げようとして、剣を振るならまだまし。

 脳の回転が戦闘欲よりもかなり食欲よりになっているらしく、剣よりも食べ物が勝り、取り上げようとする本人が、自分が極悪人だと錯覚してしまうような、この世の終わりのような泣き顔をする所為だ。

 式典を司る儀礼局の職員が軒並み精神ダメージでやられ、ルディアの説得にも耳を貸さない。レイネでも連れてくればなんとかなりそうだが、群衆の中で転んで怪我をしたり、気分が悪くなった者も多いので、治療院の仕事が忙しく呼び出すわけにもいかない。

 幸いにも大人しく列に並び、ただ食べているだけなのでこのままでいいだろうと、ケイスに嫌な意味で慣れ始めていたロウガ警備守備隊のナイカの口利きもあり、多少の混乱はあるが式典はそのまま続行となっていた。


「物欲しそうにみないでよ。あーもう。この馬鹿だけは」


 目立たないというのは無理だと思っていたが、どうしてこうも何時も何時も予想外のことばかり起こすとルディアは嘆きたくなるが後の祭りだ。

 
「もう少し甘いものが多いと良いとぼやいていたが、もう少しじゃなかったようだな」


「ファン。先にそれ言っとけ。こいつ蜂蜜瓶ごといくほどの甘党だ。ちょっと物足りないは確実に足りてねぇぞ」

   
 こうして前期とは違った意味で、色々と騒ぎと話題になる出陣式は多少の問題は含みながらも、進行され終わりを迎えた。

 この出陣式の後、まだ探索者となる前の挑戦者であるケイスの名をかたる際に、民衆の中である二つ名が付いて呼ばれるようになる。

 二つ名は高名、悪名問わずその探索者を現す物で、よほどの事が無い限り呼ばれないのだが、誰がいつの間にやら呼んだその二つ名は、すぐに定着するようになる。

【馬鹿のケイス】

 あの馬鹿というひと言で誰のことを指すのか。ロウガでは常識になる二つ名が、やがて【赤のケイス】となるのは、まだ先の話。

 だが出陣式の騒ぎなど、まだ前奏曲ですらない。

 天才による本当の狂想曲は今幕を開けはじめた。



[22387] 挑戦者と始まりの宮
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/10/20 00:29
 幾筋もの滝から轟々と流れ落ちた水流が広大な水面を叩き、幾万もの水玉となって跳ねて、濃い霧を産み出す。

 対岸は見えず、まるで大海のような錯覚を覚え、ひんやりと肌を包む冷気に思わず温かい太陽を求めて空を見上げても、そこには遥か高みに岩盤で覆われた天だけが広がる。

 ここは地の底。かつて赤龍王の褥となった地底火山が、赤龍王の死と共に大規模な陥没を起こし発生した地底カルデラ湖。ロウガ近郊迷宮特別区。巨大すぎる地底湖は【龍王湖】と呼ばれていた。

 水中に発光虫がいるのか、それとも何らかの神の加護なのか、水面はキラキラと発光していて、そこらには無数の林ができており、その奥からは動物たちの気配も感じる。

 空を見なければ、ここが地下だと思わず忘れてしまうほどだ。

 湖畔に築かれた迷宮神ミノトスの神殿の周囲では、始まりの宮が開くのを待つ挑戦者達が待機していた。

 身体を温めるために剣を振る者。装備のチェックに余念がない者。瞑想して意識を集中させる者。役割分担を再度話し合う者達。他のパーティと協力しあうために最終の打ち合わせをする者達。

 思い思いの時間を過ごす挑戦者達から少し離れた湖のすぐ側。そこに目を覚ましたケイスは立っていた

 
「ふむ……これが龍王湖か」


 湖岸に立つケイスは、湖を見つめながら背伸びをして身体をほぐす。

 遥か地底の底でこれほどの巨大で、そして眩く発光している湖を初めてみれば、大抵は圧倒されるのだが、ケイスはむしろ故郷に帰ってきたかのような安堵感を覚えていた。

 始母が微睡む龍冠の最深部である地底湖と、どこか似たような雰囲気を感じる所為だろうか。

 身体に当たる水しぶきが気持ちいい。水龍の血を引くせいか、ケイスは水が好きだ。

 それにケイスの身体には祖母が倒し喰らった赤龍王の血も流れている。ここが赤龍王の玉座であり、死地であった事もよい影響があるのかも知れない。

 龍の気配に満ちた湖。ケイスにとってもっとも過ごしやすい、力を発揮しやすい環境がそこにあった。

 だからといってケイスは油断しない。

 始まりの宮の出現まではもうすぐ。ロウガの【始まりの宮】はここ龍王湖に道が開く。あるのではない。

 半年ごとに、日が頂点に昇ったときに忽然と現れ、そして3日後の迷宮閉鎖期の終わりと共に忽然と消滅する。まだ中に挑戦者達が残っていれば、その者たちごと消え去ってしまう。

 始まりの宮はある程度の傾向はあるが、常に一定の物が出現するのではない。

 その期に挑む挑戦者の数や、彼らの実力にふさわしい難度や規模の迷宮が、トランド大陸のどこから無作為に選ばれていると、昔から迷宮学では予測されており、概ねその推論に間違いは無い。

 挑んだ始まりの宮のある街から遠く離れた地で、迷宮に挑むも力及ばす無残に喰われた挑戦者の亡骸が見つかるのも珍しい話では無く、その死体を金銭と引き替えに回収、返還をする専属ギルドもあるほどだ。

 その法則で行けば、今回はただでさえ人が多く、さらには自分がいる。過去最大級に難度も規模も高い迷宮が選ばれるのは、ほぼ間違いないはずだ。

 迷宮はケイスにとって幼き時より生きてきた遊び場ではあるが、一瞬の油断もできない死地であることも重々承知している。

 ケイスを殺そうと、それとも試練を与えようとするのか知らぬが、神はいつでもケイスに全力で抗うことを求めてくる。

 無論いつも通り生き残る。しかし他の者達も、大切な者達がいる。自分だけが生き残るのでは意味がない。

 自分達が全員で生き残らなければ、全員が探索者にならなければ意味がない。

 自分の願いを邪魔してくる神がだから気にくわない。自分の行く手を塞ぐ者は全て敵。ならば神だろうが悪魔だろうが斬るだけだ。


「ケイス! まだ打ち合わせに時間が掛かるけど、すぐに開くんだから遠くに行かないでよ!」


 ほかの探索者パーティとなにやら話し合っていたルディアが、ケイスがどこかに行きそうに見えたのか注意してくる。 


「ん。判っている」


 ルディアに軽く手を上げ短く答える。

 他の者達と何をしようとしているのかは詳しく知らぬが、ルディアを信頼しているから、気にはならない。

 今の自分がすべき事は、自分の力を最大にまで高める事。

 自分の力とは、すなわち剣技。剣を最大威力で振るためには……

 龍の力と水。少し思いついたケイスは、軽鎧のうえに纏った外套の下に、今は使えないが一応は身につけていた愛剣を手に取った。

 暢気そうに見える態度ながら、その頭はすでに完全な戦闘態勢に切り変わっていた。
 






「なーんかケイ、何時もと少し違わない?」


 手を振った後その場でしゃがみ込んで水辺に手を突っ込み何かを洗い出している。

 一見子供が水遊びをしているようにも見えるが、どうにも真剣すぎるその横顔に口をはさむ気にもならず、ウィーは小声でルディアに耳打ちする。

 違うといっても緊張している様子も無く、いつも通りマイペースで打ち合わせは任せるのひと言だけ残して、湖を見にいっている自分勝手全開は変わらず。

 どこがどう変わったのかと尋ねられても説明しにくいが、周囲の空気が引き締まるとでも言えばいいのか、少しだけケイスをみる周りからの目も変わっていた。


「で、こっちの赤い瓶が攻撃系触媒液になります。大抵の流派の基本系魔術一次触媒にはなりますから、各属性との併用が効きます……ケイスの戦い前ってあんなもんよ。いつも通り何を考えてるか判らないけど、ケイスが必要と思ったなら必要なんでしょ」


 ほかのパーティに持ってきた触媒液の種類を説明しながらを渡していたルディアは、手短に答える。

 こと戦いに置いてはケイスの判断を、理解は出来なくともルディアは全面の信頼をしようと決めている。

 
「なぁルディアさん。あんたらの手助けや申し込みは正直に助かるし、こっちも全力で協力はさせてもらうが、あの子はあれで大丈夫なのか?」


 しかしそれはルディアが、ケイスの戦いを肌で体感しているからに他ならない。

 触媒液を受け取った魔術師が、ウィーに釣られたのかケイスを見るが、そこには心配と不安が入り交じった複雑な感情が浮かんでいた。

 見た目は子供で中身が化け物だと判っているようだが、打ち合わせにも興味を示さず戦闘前と思えない行動に困惑しているようだ。

  
「すみません。大丈夫ですとしか今はいえなくて。口で言っても判ってもらえる話じゃないので。でも見れば判りますから。ケイスの戦いを」


 協力関係を結んだパーティに答えるには我ながら不誠実だと思い、頭を下げながら、それでもルディアは詳細を語らない。語れない。

 文字通り見て体感してもらうしかない。そうで無ければ実感できないのと知っているからだ。

 砂船の倉庫で見たように。カンナビスの闘技場で見たように。誰かを守るために戦おうとするケイスの背中を。









「「「「「我が神。迷宮神ミノトスよ。新たなる道を切り開き、御身のお与えくださる試練に……」」」」」
 

 吹きさらしになったミノトス神殿に、一糸乱れることなく整列した挑戦者達の頭上を、その周囲を囲む多数のミノトス神官達による朗々とした祝詞の声が響き渡っていく。

 神力と呼ばれる神の力を降ろした神官の声が一音一音響くごとに、挑戦者達の足元に綺麗に敷き詰められた石畳に彫られた古式の神意文字の一つ一つが光を放ち始める。

 神意文字の輝きと連動し、目の前の湖の湖面からは、まるで湖水が沸騰したかのように、水蒸気が昇り始め、徐々に徐々に霧が濃くなっていく。

 濃い霧の向こうには、いつの間にやら巨大な壁が不意に現れ、次の瞬間には消えてと、出現と消滅を繰り返す。

 ここではないどこか。トランド大陸のどこかに存在する迷宮との道が開かれ始めていた。

 今は迷宮への立入が、最低ランクの特別区を除いて、一月の間不可能となる迷宮閉鎖期。

 入ることは出来ないが、滞在できることは出来るため、閉鎖期前から迷宮に潜り続けている者達によって内部の様子は伝え聞こえているが、中は地獄だと語れた者はまだ運が良い方で、残った大半は行方不明となり、迷宮に喰われてしまう。

 無数のモンスター達が異常増殖し、狂ったかのように暴れるモンスター同士の迷宮内部で弱肉強食の喰らい合いと、迷宮の内部構造を大きく変化させる激しい環境変化が発生する。

 煮えたぎる溶岩が流れ古い通路を完全に塞ぎ、街すら飲み込むサンドワームの成虫が新たな通路を築き、異種交配によって生まれた新たな迷宮モンスターが跳梁跋扈を始め、勢力図は大きく書き換えられ、過去の攻略地図は無意味となる。

 入り口だけは同じとしても、中身は全く新しい迷宮が半年ごとに新たに姿を現す。

 だからこの迷宮は、永久に完成せず変化し続ける迷宮【永宮未完】と呼ばれている。

 挑戦者達は生まれ変わったばかりの新しい迷宮へと挑む事になる。そこには決められた道筋も、攻略法も、モンスター情報さえも存在しない。

 迷宮が消える三日後までに、それぞれに与えられた試練を突破し、迷宮から脱出が出来る転位場所を探し出して脱出しなければ、迷宮と共に消え去り、この地に再び生きて戻ることは不可能となる。  


「「「「「やがて生まれる災厄に抗う者達への試練よ。今道は切り開かれん!!!」」」」」


 天を覆う岩盤の先で見えないが、天に燦然と輝く太陽が頂点に達する時間とともに、神官達はトランス状態となり、その神力が最大まで高まる。

 地上に太陽が生まれたかのような目も眩む閃光が、地下の湖岸を一瞬真っ白に染め上げ、突如発生した暴風が駆け抜けていく。

 光と風が収まったとき、挑戦者達の姿はなくなり、代わりに完全に取り払われた霧の向こう。巨大な湖面を覆いつくす古木の壁が出現していた。












 足元からの強すぎる閃光に目を閉じていたのは一瞬か。それとも数秒、数分、もしくは数日?

 どうにも時間感覚が曖昧となるような不可思議な感覚にとらわれていたルディアは、ゆっくりと瞼を開き、声を失う。

 儀式の終わりと共に迷宮内に転送されると事前説明されており、目の前の光景が変わると理解もしていたが、それでもさすがに驚く。

 先ほどまで見えていたのは、地下の湖と、そこに築かれた壮大な石造りの神殿とそこにならぶ同期達の姿だ。

 しかし今ルディアの目の前に広がるのはなにも無い空間で、数ケーラ先には先を見通せない暗闇がぽっかりと穴を開けていた。

 その闇の中に無数に禍々しく輝く赤い小さな実らしき物が取り囲んでいる。

 濃厚な緑の匂いに混じり漂ってくるのは、微かな刺激を伴う酸味臭と不快なアンモニア臭。 

 足元は今にも腐り落ちそうな古い木の枝が無数に絡み合って出来た自然の床。ぎしぎしと軋み揺れ動いている。

 どうやら空洞で宙づりになっているようだが、あまりに不安定で今にも抜け落ちそうだ。

 宙に浮く床を支えるのは、か細い蔦で出来た橋。人一人がかろうじて通れるくらい細い橋が何本も暗闇の向こうに消えており、どうやら道を選べという事らしい。

 
「光球使うわよ……っひ!?」


 暗さを嫌がったのか中央の方で誰かが光球を打ち上げるが、それはすぐに悲鳴に変わる。

 暗闇だと思っていたものは数え切れない無数の大型犬ほどもある巨大な蝙蝠達。そして赤い実だと思ったものは彼らの目だ。 

 僅かに蝙蝠達の隙間から見えるのは、樹木のようにも見える。どうやら巨大な木の洞の中に自分達は転送されたようだと誰もが気づく。

 上を見上げてみれば、天井にもびっしりと蝙蝠達がぶら下がっており、前後上方を蝙蝠の群れに取り囲まれていた。

 しかし急に現れた明かりに蝙蝠達は反応はせず、ただルディア達を見据えている。

 緊張感からか頬に浮き出た冷や汗を右手でぬぐったルディアはいつの間にやら、自分の右手の中指に透明な指輪が嵌まっていることに初めて気づく。

 それは探索者達の証である指輪の素の状態であり、この指輪が銀色に染まったとき試練を突破した証明となる。

 指輪を見て、自分が超常の存在である探索者になろうとしていると、ルディアは初めて実感をし、同時に落ち着きを取り戻す。

 まずはいつ落ちるか判らないここから蔦を伝わり、安全な場所に行かねば。その為にはどうにか蝙蝠をやりすご、


「ルディ。ちょっとこの状況はまずそうだ。私があいつらを引きつけてくる。ウィー。皆の護衛を任せるぞ。ファンドーレ。蔦の橋は16に別れているから、マッピングをなんとしてでも他のパーティと共有しろ。難度が違いすぎる。ウォーギン。耐酸性の防御魔具があれば広域展開して、この場所をなんとしてでも確保しろ」


 有無を言わせぬ口調でケイスが早口で指示を出す。1秒一瞬でも時間が勿体ないと言いたげなケイスは、腰の鞘から長剣と短剣を引き抜くと、両手に構え、ぐるりと周囲を見渡す。


「……なるべく破裂させないように斬るが、ちょっと派手にやりあうことになりそうだ」


 いきなり剣を抜いて戦闘態勢に入ったケイスに、周囲の者達が驚きの表情を浮かべるが、誰も声をあげない。あげれない。ケイスがあげさせない。

 その鈴のような可愛らしい声が、何故か頼もしく聞こえ、聞き逃せば、危険が増すと本能が理解する。

 何をケイスが感じ取ったのかルディアには判らない。だがその顔と背には意思が、ルディアが絶対の信頼をする、誰かを守ろうとするケイスの思いが詰まっていた。


「ったく、いきなりね。ケイス、通信魔具は持ったわね。無茶するなって言っても無駄だろうけど、気をつけなさいよ」


 言っても止まらない。そしてもし万が一止まっても、それは致命的な判断ミスとなりかねない。

 だから今は信じるだけだ。ルディアが捕らわれてしまった、心奪われてしまった小さな剣士を。







「ん。では行ってくる…………帝御前我御剣也、っぐ!」


 ケイスは見送ってくれたルディアに感謝の意を込めて挨拶してから、誓いの言葉と共に、ほんの一瞬だけ心臓から闘気を産み出す。

 身の毛がよだつ恐ろしい気配が龍王の気配が、思わず漏らした苦悶の声と共に僅かに洩れだす。

 一瞬だが全身に奔る痛み。ばらばらに切り裂いてケイスの身体からあふれ出そうとする龍の闘気。

 しかし……一瞬だけだが耐えられなくはない。初めて全開で解放したときには、耐えられなかったが、今はほんの一瞬でも耐えられる。

 怪我をしてから闘気を産み出せななくなったこの数ヶ月。それでも地味でも着実に積み上げた鍛錬。そしてこの地に満ちる水と、龍の気配がその一瞬を作り出す。

 誰もが身をすくめさせる龍の気配。しかしそれは一瞬で収まる。それはここに弱り、傷つき、全力を発せられない、龍が居ることを告げる何よりもの印。

 迷宮モンスター達にとって龍は迷宮に君臨する最上級種の暴虐なる王であるが、弱り死にかけているならば最大の馳走へと変わる。その身を喰らえば、己の力は数倍、数十倍へと跳ね上がると本能が知っている。

 迷宮モンスターであれば何もが目の色を変える供物がそこにあるのだ。無反応だった蝙蝠達も例外では無い。
 
 微動だもしていなかった蝙蝠達が一斉に羽ばたき、我先にと壁から離れた。狙うはケイス。


「ふん、私を喰らいたくなったか。良かろう。付いてこい」


 しかしそれこそがケイスの狙い。全ての敵を己の身1つでおびき寄せ、この地を確保する。ケイスは軽く枝の床を蹴り、暗闇に、底が見えない穴に向かって飛び込んでいく。

 落下していくケイスを追い、喰らうために無数の蝙蝠達は幾筋もの黒い波となって続いていった。


「っ! あの気配は! やはりあの娘ですか!」


 僅かに聞こえた誰かの声は蝙蝠の羽ばたきに消えケイスの耳には届かぬままに。










 賽子が転がる。

 賽子の内側で無数の賽子が転がる。

 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。

 賽子が転がる。

 神々の退屈を紛らわすために。

 神々の熱狂を呼び起こすために。

 神々の嗜虐を満たすために。 

 賽子が転がる。

 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。




 次期メインクエスト最重要因子【赤龍】

 探索者モードへと仮登録。特異生存保護指定消去。

 システム蠱毒常態モード移行。

 迷宮主【十刃】覚醒。新規贄全捕食モード移行。

 贄全捕食可能性及び赤龍覚醒確率を計算……計算終了。

 到達可能性は極めて低く、現在位置関係、赤龍の状態によって十刃早期消去可能性高し。

 代替えシナリオ生成準備。新規龍滅者。翼女王をメインにサブシナリオ生成開始。



[22387] 挑戦者達の戦い
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/10/23 04:15
 狂気、もしくは狂喜、それとも驚喜か、血走った赤い目が、闇の中、四方八方からケイスへと迫り来る。

 自由落下でバサバサと揺れる外套のはためく音と、耳元を通り過ぎる風音に混ざるのは、無数の羽ばたき。

 周囲は全て敵。誰もがケイスを喰らおうとしている。必死に、先を争い、全力を持って、食らいつこうとしている。

 だからケイスは笑う。嬉しさで笑う。口元に好戦的な笑みを浮かべ、心を弾ませる。

 長剣を持つ右手の小指を強めに握る。手甲と一体化したグローブに仕込まれていた伝達魔具が動作に反応し、仮面の暗視魔術と、外套魔具に込められた軽量化魔術が発動。

 手足を縮めて、球状の軽量魔術効果範囲にケイスの身体はすっぽりと収まる。

 表面積はそのままに自重だけが1/10以下となったことで、一気に増加した空気抵抗によって落下速度が急激に落ちた。

 急激な速度変化によって蝙蝠達には、まるでケイスがいきなり空中で止まったかのようにみえただろう。

 その一瞬の虚をつき、背後を振り向き様にもっとも手近のケイスに噛みつこうとしていた蝙蝠の頭部に、剣を叩きつけ怯ませる。

 接触と同時に小指の力を緩め、軽量化を解除。

 蝙蝠の身体に食い込んだ剣を支えにしつつ、柔軟な身体を使い、左足を蝙蝠の首を刈るようにして引っかけ、そのまま全身のバネを使い上体を無理矢理起こしたケイスは、不快な金切り音めいた鳴き声を上げる蝙蝠の背に飛び乗った。

 極上の餌に歓喜し狂う蝙蝠達は、同胞の区別さえつかないのだろう。ケイスが足場とした蝙蝠諸共喰らおうと牙を剥きだし群がってくる

 手を伸ばせばすぐに触れるほどの距離に、蝙蝠の血走った目が数え切れないほどにあった。

 落下する蝙蝠の背を蹴って跳躍したケイスは、両手の剣で牙を受け止め、爪を流し、身体をすかしながら、次の足場に目標を定めると着地、即座に跳躍。

 蝙蝠で出来た大地を次々に踏み渡って、致命的な攻撃をひらりと躱し続ける。

 斬ろうと思えば斬れる。殺そうと思えば殺せる。剣が届かなくとも、足りずとも、肘、つま先、膝、頭、全身を駆使して戦えば、どうとでもなる。

 だがケイスは極力殺さないようにしながら、最低限度に剣を振るい、ひたすらに蝙蝠達を引きつけ続ける。

 群れのただ中に入ったことで先ほどこの空間に転位したときに感じ、予感は確信へと変わる。

 獣臭に混じるのは酸臭。見れば牙からは毒のように滴る液体が僅かでも付着した外套の裾がぼろぼろに崩れている。

 量は少ないが強酸性の溶解液を排出されている。おそらく身体の中に酸袋を持つはずだ。

 解体工房でばらし方を教わった蝙蝠の中にも、毒や燃焼液をはき出す為の器官を持つものが数多くいたが、その亜種の1つなのだろう。

 あのまま出現した空間で戦闘になって、蝙蝠を下手に打ち倒せば、かろうじて繋がっていた蔦の橋は、あっという間にぼろぼろとなって、大半の挑戦者達が足場諸共落下する羽目になっていたはずだ。

 落下した先は先も見通せない暗闇。軽量化や浮遊の魔術を使って何とか生き残れる者もいるだろうが、それら中級魔術を使える者は挑戦者の中では極一部だ。

 かといって蝙蝠達を倒さずにあの場を確保どころか、移動するのさえ難しい。

 戦うならば足場よりも下。それもなるべく多くを引きつけ上には行かせず、足場を頑強にするまでの時間を稼がなければならない。

 幼少時に積み上げてきた龍冠での戦闘経験が、一瞬での状況判断、そして解決策を導き出していた。

 だからケイスは跳びだした。下手に恐慌状態に陥った同期達の暴発によって戦闘が始まり、自分が引きつけれる数が減る前に。 

 即断即決した甲斐もあって引きつけれた蝙蝠は全部で数千を超えるか?

 なら困らない。ここが空中であろうとも、己の才を持って敵を大地とし、足場とすればよい。

 斬りたいと、殺したいと叫ぶ本能を、意思の力で支配するケイスは、不安定な足場を渡り続けながら、今度は左手の中指を強く握り、通信魔具に魔力を通した。







 まるで明かりに惹かれる虫たちのように一斉に動き出した蝙蝠達は、落下するケイスに釣られ、自分達には目もくれず目の前を通り過ぎていく様を、呆気にとられていた挑戦者達の大半はただ見送るしかできなかった。

 呆然としている中で動き出したのは、ケイスが指示を出した、ケイスが信頼する仲間達だ。


「うわぁ……落下しながら戦闘でもするのかと思ったら、ある程度の高度を維持して戦ってるよねアレ?」

 暢気な声を出しつつも、護衛を任せるといったケイスの指示があったので、蝙蝠が戻ってくるかと偵察のために足場の縁で眼下を見下ろしたウィーは、100ケーラほど下で発生した蝙蝠で出来た黒い雲を発見する。

 ケイスの覆面の元になったウィーの変化型鎧にも暗視用の魔術機構が取りつけられているので、元々の視力の良さもあって、蝙蝠達の浮き出た血管の一本一本も昼間のように見通せるが、肝心のケイスの姿は、分厚い蝙蝠雲に隠れてうかがい知ることは出来ない。

 ただあの雲が下に降りていかずその場に留まっている事から、どうやらケイスがあの中心で戦闘に入ったとおぼしきことは推測が出来た。


「蝙蝠を足場に飛び渡ってるんでしょ。前も似たようなことをやってたわよ。ウィー下の警戒は頼むわね! ウォーギン! 広範囲に耐酸性魔具って展開できるの!?」


「ちょっと待ってろ。今から作る。個人用のシールド系魔具ならあるから、拡大形の術式を使って改造する。ただこの広さで終わりまでの数日分を持たせるってなると、短く見積もっても10分くらいかかるぞ」


 首飾り型の魔具をいくつか取りだし、手持ち工具を広げたウォーギンは、常識ではあり得ない時間を伝えてくる。 

 魔具は精密な術式で構成、完成された代物。下手に弄れば術式その物が破綻し使い物にならなくなる。範囲を拡大させ、効果時間も延長させるとなると、新しく設計して新造した方が遥かに早いほど。

 とても片手間程度に出来る作業ではないのだが、そこはケイスが認める天才魔導技師。

 パーティが有する魔具のほとんどは、自分が作り、整備し、設計詳細を当然把握しているのだから、手持ちの魔具同士を組合わせ、ケイスの望みを叶えるための品を作り出すのも造作も無い事だ。


「ウォーギン。基点魔具も起動させろ。それとルディアはほかの連中も説得しておけ。ケイスの言う通り協力関係にある連中だけじゃ数が足りない。あの馬鹿に状況を説明させれば、ここが死地なのも判るだろう。それでも協力しないという、あの馬鹿以上の大馬鹿共なら勝手にさせておけ。俺は使い魔で橋の先を先行偵察しておく」


 宙に浮かぶ小妖精のファンドーレは、基点魔具との接続処理を行いながら、左手でポケットからビーズほどの小さな実を取り出すと、それを基礎とし使い魔を作り始める。

 呼び指されたのは小さな羽虫状の仮想生命体。移動速度は遅いが、その大きさ故に目立たず、潜伏や潜入に適した種別となる。


「ファンドーレが頼まれたんでしょうが」


「俺が話すと、大抵喧嘩別れになるが良いのか?」


 率直すぎるというか、口の悪さは自覚しているが、治す気はないのだろうファンドーレは、素人迷宮学者としての血が騒いでいるのか、周辺探索に専念する気のようだ。

 この上ない説得力のある返しに、改めて他者との折衝が自分の役割だとあきらめたルディアは、まずは通信魔具を取りだす。

 言葉で説得するよりも、自分も含め未だ状況が詳細に判っていないのだから、ケイスとの会話を聞かせる方が手っ取り早いはずだ。

 
「あーもう判ったわよ。ケイス! 聞こえる? どういう状況!?」


 腕輪型にして身につけていた通信用魔具の感度と音量を最大まで上げ、下で戦闘中のケイスの魔具と接続する。

 ルディアの呼びかけはケイスに聞かせると言うよりも、同期達への合図であり、ざわめいていた彼らも公然と聞き耳を立て始める。


『ん。何とか引きつけっと! いる! 奴等の牙に強酸性毒液が含まれている。身体の中に毒袋持ちだろうから、下手に斬ると酸で焼かれるから気をつけろ。酸の種類までは判らん! 可燃性か、それとも爆発性。あるいは有毒ガスを発生させるか。あるいはその全部か』


 状況を伝えるケイスの声に混じってノイズのような羽音と、気色悪い獣の叫びが絶え間なく響いてくる。ケイスが囲まれているのは間違いない。

 しかし声に焦りや危機感はないので、余裕があるのは伝わってきて、ルディアは顔には出さずとも安堵の息を吐き出す。

 実力で足元にも及ばず、比べるのもおこがましいかもしれないが、ケイスの何時もの無茶を心配するくらいは、年上の友人として最低限の権利として行使しても罰は当たらないだろう。


『ともかく先ほども言ったがその場所を確保しろ。16の分岐。その全ての交差点はそこだけかもしれん。指輪で目標の大体の方角はわかるはずだが、ばらばらではないか? 私はほぼ真下だ』


 ケイスの言葉に目を閉じたルディアは、右手の指輪に意識を向けると、右下方向に後ろ髪を引かれるような錯覚を感じる。

 神の試練である迷宮を踏破するための鍵が何かまでは今は判らないが、それがこっちの方向にあると本能が感じ取っていた。

 仲間達や先に協力体制をしていたパーティ達に目を向ければ、彼らも我が意を得たりと無言で上下左右をあちらこちら指さしている。

 パーティ事に方向の纏まりなどなく、むしろばらけているくらいだ。

 ケイスの言う通りこのスタート位置を確保しておかなければ、どれだけ遠回りさせられるかしれたものではない。


「あたしは、今の位置から右後方に反応を感じるわね。ウォーギン達や、協力してくれている人達も大半がばらばらの方向。耐酸の処置はウォーギンがやってるけど10分位掛かるそうよ」


『むぅ。長いな。もっとパッとできないか? 引きつけてはいるが、そっちに行くひねくれ者がいるやもしれんぞ。下手したら足場が崩れ落ちるぞ。それに橋の先も気になる。私なら同時に襲撃を仕掛けるぞ』
 

「ルディア! ケイスに無茶いうなって言っとけ! あんま焦らせると逆の効果になる。後傘を張るだけだから、燃えたり爆発するようなら意味ねえぞ!」
   

「だ、そうよ。聞こえた? あと橋の先はファンドーレが偵察に虫を出したわよ」


『変化があったらすぐに知らせろ。戻れたら戻る』


 激しい戦闘の最中だが、自分よりもこちらの状況が気になるのか、ケイスの声に僅かに愁いが帯びていた。






 立場や所属陣営も違う者達が集まっている挑戦者達。中にはケイスを敵視とまで行かずとも、厄介に思う陣営に所属する者もいる。

 だが、今この瞬間だけは誰もが声を抑え、ケイス達の会話に耳を傾けている。

 ケイスがもたらす情報は、確たる証拠も無い一方的に告げる物が多い。だがそれを信じさせるだけの真剣味を帯びている。

 いきなり飛びだした理由も、ルディア達が始めた作業も、全て辻褄が合う推測をしている。

 そして実際に指輪に意識を向けてみれば、目指すべき方向がパーティ事にバラバラになっている事実。

 下手に戦闘になっていればこの足場諸共に、大抵の者がスタート直後に落下していたかも知れない。
 
 もし無事にか細い蔦の橋を渡りきっていても、目標とは別方向で、大幅な時間のロスを余儀なくされていたかも知れない。

 全ては仮定の話。だがその仮定からでも、迷宮が自分達に向ける殺意を強く感じる。

 自分達が殺されずに生き残るには……

 目の前に燦然と輝く道しるべの存在に、誰もが口に出さずとも気づき始めていた。

 しかしそれを手に取るのを躊躇する者も多い。全てはケイスの行いのせいだ。

 あまりに問題行動が多く、正直頭のいかれているケイスの意思の元に動いて良いのかと、二の足を踏むのは仕方ないだろう。

 その空気を誰よりも実感し、二の足を踏むのは、ロウガ王女であるサナだった。

 ケイスと決闘めいたことをしでかして以来、ケイスが眠りについてしまったため、会話も出来ず、その真意さえ確かめられていない。

 むしろより疑わしくなっていたのだが、先ほどケイスが一瞬だけ醸し出した身の毛もよだつ恐ろしい気配が決定打となっていた……前期の出陣式の日に襲撃者が纏っていた空気。やはりアレはケイスだったと、今更ながらに確信する。


「……セイジ。先ほどのあの気配は」


「ケイス殿でしょう。しかし姫。今は御身の為にも忘れるべきでしょう。橋の向こうより怪物共の気配がいたします」


 同様にケイスの正体に確信を得たであろうセイジに話を振ってみると、セイジは軽く息を吐き既に戦闘態勢を取っていた。


「判りました。セイジ、プラドさんは橋を。好古さんとレミルトさんは一緒に来てください」


 信頼するセイジの言葉にサナは即断すると、仲間達に指示を出した。





 先ほどまで足場の縁で足元を見下ろしていたウィーは、セイジが動き出すのとほぼ同時に手近の蔦へ俊敏な動作で飛び移って、走り始めていた。


『スケルトンやオーガなど下級のモンスター共の巣となっているようだ。橋の上で戦闘となったら、一対一を余儀なくされ……一足遅い。出てきたぞ』

 
 通信魔具から僅かに遅れたファンドーレの舌打ちが聞こえると共に、蔦を渡った先に見えていた洞窟から、ぞろぞろと下級モンスター達が一連なりに出てくる。

 四碗を持つスケルトンの手には錆びついた武器が握られ、常人の数周りは大きなオーガの手にはひと抱えもある棍棒が握られていた。

 どちらも一対一で真正面からは戦いたくない装備だが、この足場に来るのを待ってからでは、一度侵入を許せば、収拾が付かなくなる。

 ならまだ橋の上で抑えた方がやりやすい。 


『むぅ。戻っている余裕も時間も無いな。ウィー! こっちはどうにかするからそっちを抑えろ!』


「あー了解了解。もう動いているよ。人使い荒いなー。でもさすがに1つだけだよ。って言うか見えにくいし、いきなり本気で行くしかないかぁ」


 身軽な動作で蔦の上を飛び渡るように走っていたウィーは指を1つ鳴らし、全身を覆っていた旅外套を、軽鎧へと変化させる。

 一応毛色は変えているので、すぐには気づかれないだろうが、自分の正体を知られると面倒なのであまり目立ちたくはない。しかしそうは言っていられる状況でもない。

 それに手を抜いて後でケイスに文句を言われて、詫びに稽古でも付き合えと言われた方が、百倍めんどくさい。

 染色して茶色に染まった毛をなびかせながら、ナイフのような爪を指先から出したウィーは、自分よりも大きなオーガが棍棒を振りあげるのも構わず、一気に懐へと飛び込む。

 瞬間的に加速した勢いのままに両手の爪を一閃。そこらの武器よりも遥かに切れ味の良いウィーの爪が、己の胴体よりも太いオーガの両腕を引きちぎり切断する。振りあげた棍棒は腕の勢いのまま明後日の方向へと飛んでいった。

 ちらりと棍棒を見送るが、目の前のオーガは武器も両手も失ってもまだまだ戦闘意欲はなくならいのか、大きく口を開き怒りの雄叫びと共に、ウィーを頭から丸呑みにしようとする。

 身も竦むような殺気の前でも涼しげな顔のウィーは、不規則に跳ねる蔦を蹴り飛び上がると、顎先に向けとんぼ返りをしながら蹴りを打ち放つ。 

 獣人の脚力によって打ち込まれた蹴りは顎だけでなく、その太い首さえもあっさり叩き折り、一瞬で絶命させる。
 
 ぐらりと揺れたオーガの巨体が、そのまま横に倒れ、虚空へと落ちていく。

 不安定な足場に、危なげなく着地したウィーは前方を見て、うんざり顔を浮かべた。

 先ほど落としたものと見分けが付かないオーガが既に次の攻撃を繰りだそうと、待ち構えていた。

 これではなかなか前に進めやしない。もっとも近いからと、この橋を選んだが、もっと楽なところにすれば良かった。


「あーと、ケイと違ってボクはおかわりはあんまりいらないんだけどなぁ」


 今から戻って別の所を選べないだろうか。

 当たれば必死の棍棒をかいくぐり近接格闘戦を始めたウィーは、オーガの振るう剛力に対して、速さで圧倒しながらも、暢気な事を考えていた。  


「あっちは大丈夫だろ。ルディア。お前は腕に自信は?」


「あんなの相手じゃ防壁にもなりゃしないし、あたしの魔術攻撃じゃ蔦にもダメージを与えそうで怖すぎで手が出せないわよ。クレイズンさん。手練の人がいたらこっちへの侵攻を防いでもらって良いですか! 後コントロールに自身ある人は横から魔術攻撃で後方を攻撃してください!」


 早々と一進一退の攻防を繰り広げだしたウィーを見守りながら、ルディアはどうすべきかと考え協力関係にある者達へと支援を頼み、ファンドーレがその場に大きめな魔術地図を展開する。

 それは球状にこの近辺の空間を切り取って表示したもので、簡易的に青で挑戦者達を現し、赤でモンスターを現し、橋の上で始まった戦いを一目でどこが押されているか、直感的にわかりやすい図を描き出していた。


「判った! とりあえず橋の確保を最優先する! 俺とミト、あとローリーで抑えるぞ! 横から攻撃する連中は角度に気をつけろ! 流れ弾も考えてなるべく上の方を狙え!」


 年かさのクレイズンが仲間達に指示を出し、散らばり始めた。これで防げるのはまだ四箇所かと、ルディアが地図へと目を向けると、橋の上で防いでいる場所は、16箇所中既に3箇所とされていた。

 いつの間にウィー以外の者達が? ルディアが誰がと確認しようとすると、一人の女性が近づいてきた。誰でも無いサナだ。


「ルディアさんでしたね。私のパーティからセイジと獣人族のプラドさんが迎撃に出ています」


「え、あの良いんですか?」


「あの娘に思うところはあります。聞きたい事もあります……ですが状況を判らないほど大馬鹿のつもりはありません」


 先ほどのファンドーレの言葉に対して返すつもりなのか、憮然とした表情を僅かにみせながらもサナが毅然と答える。

 その言葉通り、橋をすすでくる四本腕のスケルトン相手に、セイジが刀一本でも技量で圧倒し背骨を砕き、また別の橋ではおそらく熊族と思われる大柄な獣人が、同じくらいの体格のオーガ相手にここまで音が響くような殴り合いを展開して次々にたたき落としている。


「やれやれ。結局関わり合いになる事になりおるか。あちらはセイジ殿、プラド殿に任せておけば良いな。ならば我は補強の方へ廻ろうよの。蜘蛛を呼び出し補強するとしよう。レミルト殿。手助けを願ってもよろしいか?」


「足場の木を活性化しろってんだろ。好古てめぇなよろしいかと聞きながら、手伝い前提で話進めんな。しかもこっちの方が広いじゃねぇか」


「そこはほれ。レミルト殿の腕を信頼しておるからに決まっている」


 扇で口元を隠した好古は意地の悪い微かな笑いを漏らしてレミルトの文句を交わすと、袂からいくつもの札を取りだし、宙へと投げる。

 複雑な文字が描かれた札がぐにゃりと曲がり、掌大の大きな蜘蛛が札の数だけ産み出される。

 出現した蜘蛛たちは、次々に対岸の木壁へと向かって糸を吐き出していく。万が一蔦を切り落とされても、早々に落ちないように強化しているようだ。

 一方でレミルトの方はひとしきり好古を睨んでから、効果は無しと思ったのか諦めの息を吐き出すと、矢を取りだしそのまま足元に突き刺した。 

 ついで懐から小瓶を取りだしたレミルトが、矢羽根側から液体をふりかけ、小声で祈りを捧げる。

 すると足元の枯れていつ朽ち果ててもおかしくない古枝から若芽が飛びだし、さらには皺の入った皮がむけ、青々しい若木のものへと生まれ変わっていく。

 どうやらいわゆる自然魔術の一種で、古木を活性化させて、生き返らせているようだ。足場がしっかりとしてくれば、多少戦闘が激しくなっても、一部が崩壊、崩れ落ちる心配も少なくなるだろう。
 

「さて、ほかのパーティの皆様も腕に覚えがある方は橋をお願いします。私が言えた義理ではありませんが、各々の立場は、まずは生き残ってから思い出すことに致しましょう」


 サナがにこりと微笑み頭を小さく下げる。

 王族の貫禄とでも言うべきか。

 サナの言葉は、未だに去就を決めかねていた者達を動かすだけの力を発揮する。


「……王女さんの命令で動けるなんて機会は滅多に無いからな。後で自慢話にさせてもらおう」


「薬師さん! どこに行くか指示してくれ。あの獣人やサムライみたいにゃいかないがちっとはやれるぞ!」


「後ろをたたき落とせば良いんだろ。的当てならまかしときな!」


 全員が1つの集団となって動くのならば無理があるが、この場合は16に別れた橋の上の攻防戦というのが良かった。

 それぞれが独立した戦場と捉える事でパーティ事に分散しての対応が始まる。


「とにかく手近な場所から塞いでください。洞窟側にたどり着けたのならそっちの確保も。後マッパーの人は集まってください! 今だけでも構いませんから、地図情報の共有化をしてフォローしやすい体制を作ります」


 一気に動き出した同期達にどうやら指示役として担ぎ上げられたルディアは、地図を見て一番近い位置に割り振って、簡潔だが対応を指示していく。

 ルディアが指示をほぼ出し終え、それぞれで激しい戦いが始まり出すと、横にいたサナがルディアに問いかけた。


「さて、私は飛べますから各所のフォローへと廻ります。下にしますか。それとも橋の方でしょうか?」


 最後の最後に一番厄介な指示確認がきたルディアは、どうせならお任せしますと答えたいが、サナの目がそっちで決めろと強く語っているので僅かに悩む。

 そちらに協力した代わりに、ケイスと接触させろと言外に含んでいるような気がする。おそらくその推測に間違いはないはずだ。

 ケイスとサナを接触させれば、どうなるか判らない。

 しかし始まりの宮の間、一時的だけでもサナ達の協力を取りつけられたなら、この状況は安定するはずだ。


「周囲のフォローをお願いします。でこっちが落ち着いたら、下にケイスを迎えに行ってもらって良いですか?」  


「判りました。下の蝙蝠達の情報を聞きたいので、少し話をさせてもらいます。よろしいですね」


 油断ならない状況と、その後の展開を天秤において考えたルディアは、もっとも無難な答えを告げると、サナは念を押しながら有無を言わせぬ了承で返してきた。



[22387] 挑戦者と迷宮主
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/10/31 01:31
「こっちの浄化は終わった! モンスター共が通路側から来る気配はないが、用心でトラップの設置中だ! 次はどこに行く!」


 戦闘開始から既に三時間以上が経過。16の橋は全て勢力下に収め、対岸の洞窟へ侵攻した挑戦者達は9つの洞窟を制圧し終えていた。

 10個目の洞窟。スケルトンで溢れていたカタコンベの制圧を報告に来てくれた、まだ少年の面影を残した血気盛んなメイス使いが率いるパーティに、全体の状況を確認し、戦力の割り振りや休憩、入れ替えの調整をしていたルディアは頭を下げる。


「みなさんありがとうございます! あっちで休憩を入れてください。負傷した方はあちらの橋を渡ってください。医療用の部屋にしてあります。武器の手入れや薬品類の補充ならあっちを」


 サナパーティ達によりかなり強化されたとはいえ不安定な足場よりも、制圧した洞窟の方が安心して休憩や補給が出来るだろうと考えたルディアの提案によって、早々と制圧が終わった洞窟は安全を確保したのちに、それぞれのパーティから治療や武具補修を得意とする者達が集まり、継戦能力を維持する準備が出来つつあった。 


「赤毛のねーさん! 俺らは武器の補修がすんだら、暴れ足りないからもう少しやらせて貰うぜ!」


 リーダーのメイス使いとは違い、少し疲れた様子を見せる火神派神官の印をいれた杖を持つ少女が、ため息と共に杖で槍使いを軽くこづく。


「休憩出来るならまず休憩! 幾人か手傷を負ってるから治療させてもらいます。うちのリーダーが、ねーさんの所のちびっ子に触発されて突っ込む突っ込む。フォローするこっちの事も考えろっての」
 

 神官少女の後ろでは、ほかの年若いパーティメンバー達も、再突入前に休憩が出来ると聞いて安堵の息と共に座り込んでいる。

 深手を負っている者はいないが、鎧や盾に付いた傷が、つい今し方までの激戦を感じさせる。


「んだよお前ら情けないな。あのケイスってガキがまだまだやってんだろ。じゃあこっちも負けてられねぇぞ!」


 どうやらケイスと同じく脳筋気味なのか、それとも激戦でアドレナリンが出ずっぱりなのか、対抗意識を燃やしているようだ。


「あの子と張り合うにはあんたじゃ実力不足もいいところ。情報聞いてる間くらいは休んでろ。ねーさん。戦況と、あと下の状況ってどうなってます?」


「洞窟は貴女達で10個目を制圧。後の6個も……オークの群ればかりで、安全に制圧できるだけの人を確保はできているから、今は休憩して英気を養ってください」


 ファンドーレが展開した大地図を中心に臨時の野戦司令部と化していた中央で同じく情報整理、各所の指揮に廻ってくれている魔術師達に目を向けると、既に同じような質問を何度も受けて勝手がわかっている彼らは、問題無しと探索者が使うハンドサインで返してくる。


 神官少女へと、ルディアは順調に進んでいる戦況を話し終えたあと、ちらりと足もとに心労からの息を吐きだし、腕につけた通信魔具を起動させる。


「それで下の方は……実際に聞いてもらったほうが早いわね。ケイス。そっちどう?」


『うぅぅっ、やはりどこもまずい。ルディ。オークを落としてくれ』 


 ルディアの呼びかけに、すぐにケイスの半泣き声が返ってくる。

 下の状況が緊迫してきたのかと年下のパーティ達が顔色を変えるが、魔術師達は苦笑いを浮かべ、ルディアはもう一度心労からの息を吐いた。

 大群相手での空中戦闘のコツを掴んだと宣う剣の天才は、ほぼ疲労しないどころか、軽量化マントを使い相手の勢いを喰らって大きく移動することで、僅かながらも休憩が出来るまで、この数時間で進化し終えていた。

 このまま蝙蝠達が攻め疲れで疲労死するまで付き合っていられるとケイスがいうので一安心していたが、約10分前にケイスの小腹が空いてきた所為で、別の意味でルディアは心配が生まれ、それはものの見事に的中。


「だから蝙蝠を生で食べるなってさっきもいったでしょ」


 剣で切り取った蝙蝠肉にかじりつき、固くて臭くてまずいと味の文句を言いだすケイスに、どうせ聞くわけ無いと思いながらも忠告をする。

 どうやら部位を変えて試食しているようだが、どこもケイスはお気に召さない様子だ。


「それにさっきからオークじゃなくて、ちゃんとした食べ物を落としているけど、あんたの所に行く前に蝙蝠に取られてるのよ」


 もちろんケイスが蝙蝠の大群を一人で引きつけてくれているのは判っているので、ルディア達も手をこまねいているわけではないが、ケイスを囲む蝙蝠達の包囲網が分厚すぎて、食べ物を落としても、蝙蝠達に先に奪われる始末だ。


『だからオークを生で落とせ! そうすればこいつらが食い尽くす前に私が確保できるのでないか!』


 蝙蝠はまだ見た目が獣獣しているが、オークはモンスターとはいえ人型。

 一応迷宮内での食料としての捌き方も周知されているが、人に似た見た目で、迷宮食材初心者にはあまり好まれない食材の1つ。

 もっとも悪食なケイスは見た目など気にせず、豚に似て脂肪分が少なくてそこそこ美味いとそれなりの評価で、ルディアもちゃんとした下処理をして食肉となっているなら、まぁ我慢はでき無くはない。

 しかし今回は生でいこうとしている。オークの血にまみれた口元に笑みを浮かべる美少女風化け物という正気を失いそうな光景を想像して、ルディアは気が滅入ってくる。

 一人で蝙蝠に突っ込んで引きつけたおかげで、多少なりとも同期達からの視線が変わる切っ掛けができたのに、そんな化け物が下から出てきたら台無しだ。


「あーごめん。オークはもう全滅させたから後はスケルトンだけよ」


今後も考え、しれっと嘘をついたルディアは、メイス使いパーティへと目を向ける。


「……あんたが同じような状況で味云々とか文句が言えるなら、休憩無しで戦闘続行も良いけど」


「わりぃ俺が比較対象を間違ってた。休憩しよう」


 神官少女からの呆れ目を向けられたメイス使いは、ケイスの非常識な言動で、冷静になったのか、それとも疲れを自覚したのか神官少女の横にぺたりと座り込んだ。

 突入役と抑え役が機能している良いパーティのようで羨ましい限りだと、ルディアが微笑ましく見守っていると、


『ルディ! ちょっとまずそうなっく!?』


 繋がったままの腕輪からケイスの緊迫した声が響いて、通信が途絶する。

 間髪入れずに、下方から閃光が上がり、通信魔具越しではなくはっきりと聞こえる爆音がルディア達の乗る足場を揺らした。


「ファンドーレ!? なに起きたか判る!?」


 揺れる足場の上で倒れないように片膝を突いたルディアは、大地図の中央に浮かぶファンドーレに状況を確認する。


「蝙蝠の群れの中に、何かが二つ突き上がってきて薙いだようだ。今もかなりの速度で群れを引き裂き続けている。今の閃光と爆発はその1つにケイスが何かを仕掛けたようだが、遠目で詳細まではわからん」


 蝙蝠達を刺激しないように極小の虫型使い魔を散らして情報収集を続けているファンドーレが、地図上の表記を弄り、今現在ルディア達のいる足場下方に、突如出現した二本の柱と、それに引き裂かれた蝙蝠の群れをいくつかの塊に散らす。


『ルディア! 今の爆音はケイスが使う爆裂ナイフだな! 何があった!?』


 洞窟の1つで魔具の修理や簡易改造、魔力補充を引き受けていたウォーギンからの通信が、腕輪に嵌めたケイスとは別の石から響く。


「何かが下から上がってきたみたい! ケイスとの通信は途絶中!」


『魔力吸収効果が悪い方向に行ったか。下から上がってくる風もあって、粒子が細かいから数分は途絶するな。軽量化魔術も使用不可能になって、浮遊魔術も無効化されるから直接救援に行くのはこりゃしばらく無理だぞ』


 ケイスが使う爆裂ナイフの爆発は二次効果にすぎない。あくまでも魔力を生成出来ないケイスにとって最大の弱点である魔術を打ち消す魔力吸収物質を広範囲に散らす事が主目的となっている。

 だが魔術封じは同時に、今の魔具を多用するケイスには諸刃の剣。空中戦闘をこなすために必要だった軽量化や、この暗闇で敵を見据える仮面の暗視機能も無力化されてしまう。


「ケイスがそれに思いつかないわけないし……本気でまずいかも。すみません! 夜目が利いて視力の良い獣人か魔族の人がいるか、各パーティに問い合わせてください! 後火矢の用意と弓手を!」


 下で何が起きたのか? ケイスを案じてはいるが、今は状況確認の手しか打てないもどかしさに歯がゆい思いをしながらもルディアは動揺をみせる同期達に、協力を要請した。      


 ルディアとの会話中に感じたのは強烈な殺気。

 とっさに剣を盾にし軽量化を最大まで稼働させていたおかげで、蝙蝠の群れを突如突き破って飛び出てきた触腕にも対処ができ、手が痺れるほどの衝撃で受け止めていた。 

 攻撃を防ぐと同時に即座に左手の防御ナイフを腰の爆裂ナイフと入れ替え、時限機能を選択し一度下がった蝕腕にむけて投擲。

 蝕腕を受け止めた勢いで蝙蝠で出来た壁を突き破りながらも、それでもケイスは一気に数十ケーラは跳ね上げられ、安全圏までとりあえず退避した直後に、爆炎爆音と同時にナイフが炸裂していた。


「クラーケンそれも亜種か!」


 上空で体勢を立て直しながら一瞬の閃光の明かりで視認した攻撃の主は、周囲の木壁に8本の足を突き立て、洞を塞ぐほどの巨体で下から這い上がってくる大イカの化け物。クラーケンだ。

 また普通のクラーケンとは違い、蝕腕全体がいくつもの小石や岩で完全に覆われており、先端に至っては、吸盤ではなくまるで大剣のように鋭く太い爪状となっていた。

 相当頑強なようで、表面の岩は砕けているが、動き続けている蝕腕に爆発の影響はあまりなさそうだ。

 一度打ち上げられ手いたケイスの身体が重力を思い出し落下を始め、すぐに仮面に仕込まれた暗視機能が不安定に揺らぎ始め、ルディアとの通話も途切れていた。

 周囲の粒子に魔力が吸収され、動作が停止するか不安定になる魔具には頼れない。ならば己の視覚、聴覚に頼るのみ。

 幸いにも石をつなぎ止めるために蝕腕から可燃性の体液が出ているようで、岩の表面で炎がちろちろと燃えているので、うっすらとだが敵の姿を見通せる。 

 8本の足で壁を昇りながら、それらより遥かに長い二本の蝕腕で、今も蝙蝠達を次々にたたき落とし、一枚が民家の屋根よりも大きな嘴を大きく広げて、むさぼり食っている。

 このまま蝙蝠達を喰らいながら上まで上がり、挑戦者達も喰らうつもりなのだろうか。

 その時にケイスは気づく。右手の指輪が訴える。アレがケイスの乗り越えるべき試練だと。打ち倒すことで迷宮を踏破した証となると。

 それに気づいた瞬間、ケイスの怒りは頂点に達した。

 何故この状況で現れる! 何故こんな所で出てくる! 

 上にはルディア達がいる。仲間達の安全を確保するために、退くわけにはいかない。

 だからここで戦うしかない。

 こんな場所でだ。

 今は見逃してやるから下がれと言いたいが、どうやら先ほど蝙蝠達を引きつけるために龍の気配を使ってしまったことで、このクラーケンも大きく魅了してしまったようだ。

 爆裂ナイフに怯むこともなく、己の体の表面が燃えていてもすぐに消えると無視しているのか、ただ貪欲なまでの食欲に支配されている。

 だからいくら脅そうが、攻撃を加えようがここで戦うしかないようだ。

 不満だ。極めて不満だ。

 ”せっかく”10本の足があるのに、2本しか相手が使えない状況で戦わなければならないことが大きく不満だ。

 もしこのクラーケンの本来の住処で10本足と戦っていたのなら、それはどれだけ激戦で心が弾み、ワクワクしたことか。

 相手が使う蝕腕は、剣は2本。ならば自分が勝つに決まっている。

 なぜならケイスは剣の天才だ。

 生まれてからこの方自分よりも実力のあるものはいくらでも見てきて、幾度も戦ってきたが、純粋な意味で剣の才能で自分より勝ると断言できるのはフォールセンのみ。

 だから気づいてしまう。判ってしまう。2本の蝕腕しか使えないクラーケンの防御をすり抜け斬る剣を。

 気にくわない! こんな不完全な相手を斬るのが自分の趣味ではない! 何より楽しくない! 

 だがルディア達を危険にさらすのはもっと気にくわない!

 だから斬る! 斬り殺す! 自分が満足するほどの一撃で! 

 思考は一瞬。判断は即時。そして行動は随時。

 ここまで使っていた長剣を左手に移したケイスは、右手をマントの内側に突っ込み、本来の愛剣を、先代深海青龍王ラフォスの宿る羽の剣を手にする。

 引き抜いた剣には力なく刀身はだらりと垂れ下がり、重さもほとんどない。

 それは当然だ。楔を捨て去り龍の力を解放した今のケイスでは、羽の剣を自由自在に使うだけの闘気を常に生み続けることは出来ない。 

 だが一瞬なら出来る。この半年で積み上げた鍛錬により、今のこの身なら一瞬だけであろうと剣を使いこなせる。

 振ることが出来るのは一振り、一技のみ。

 たった一度だけの剣。外せば次に剣を振れるまでしばらく無防備となる。

 無謀、無茶、無理と凡人は考えるだろう。

 しかしケイスは理外の天才。

 剣をもって世界を制すだけの狂人にして天才。

 一振りだけの剣。ならばそれはケイスの理想。ケイスの目指すべき世界。

 最強の一振りを持って全ての敵を切り倒す。

 それこそ剣士。それでこそケイス。


「行くぞ大イカ! 住処から出てきおって! 私の楽しみを奪った報いを受けてもらおう!」


 右手に羽の剣。左手に長剣を構えたケイスは体を入れ替え、八つ当たり気味の怒号と共に、頭を下に向けると、逃げ惑う蝙蝠達を次々に蹴りながら加速を始める。

 目指すは一点。激しく動くイカの嘴とその口蓋。 

 蝙蝠達の身体を一瞬で引き潰す鋭く重い嘴に触れれば、重鎧さえも簡単に引きちぎられるだろう。

 しかしケイスに臆す心はない。あるのは縦横無尽に繰り出される10本の蝕腕相手に戦える楽しみな戦闘を、食欲如きで潰した相手に対する怒りのみ。

 重力と脚力に任せて最大まで加速したケイスは一本の矢となり、蝙蝠や燃える蝕腕を蹴りつけ、一気に激しく躍動する口蓋へと到達。


「行くぞお爺様!」


 轟音を立てて噛み合わさる嘴を見据えながら、半年前までは何度も口にした言葉と共に、ケイスは心臓と丹田に力を込め、闘気の二重化という、この世でケイスにしか使えない非常識な力を生み出す。

 赤龍と青龍。異なる龍種の闘気が、燃えさかる炎となり全身を焼き尽くそうとする。冷たい氷の棘が血管を駈け巡り、身体を内側から突き破ろうとする。

 正気を失いそうな激痛はケイスを心身共に壊そうと暴れ狂う。

 しかし一度体験し、それを征そうとする天才は遥かに凌駕し、一瞬でも自らの意思で凪を産み出す。

 生まれた凪の一瞬を見逃さず、全身に闘気を巡らせ肉体強化し、両手の剣にもありったけの闘気を込める。

 羽の剣の刀身がすらっと伸び、硬度と重量を瞬時に極限まで増加し、刀身に宿るケイスの遥か祖先。先代深海青龍王ラフォスが目覚める。


『無茶をするなこの馬鹿娘は! イカの分際で我ら龍を喰らおうというこの痴れ者を斬り終えたら説教してくれよう!』


 目覚めと共に頭に響くのはラフォスの怒声。どうやら外に意思を向けれるほどの力は無くとも、剣の中で微睡みつつも周囲の状況は把握できていたようだ。

 無茶ばかりするケイスに対しての怒りは伝わってくるが、返してくるのはケイスが望む重さと硬度。

 さすがは我が愛剣。我が祖先。

 怒られているというのに嬉しげな笑みをこぼしたケイスは、剣を持つ両手を交差させ、


「合技! 水面双刃月!」


 ケイスの身体を両断しようと嘴に両剣をあわせて剣を勢いよく弾かせ、その勢いのまま身体を回転させつつ、双剣を身体に引きつけながら振り回す。

 相手の食欲さえも喰らい産み出したのは、真円を描く剣の月。

 邑源流とフォールセン二刀流をあわせたその技は、触れた者を全て切り裂く魔剣と化し、嘴を一瞬で切り裂き、ケイスの身体を無事にクラーケンの口の中に通過させる。

 飛び込んだ場所はクラーケンの頭部。胴体部にある胃に落ちるまでも無い。

 嘴の破片を蹴ったケイスはクラーケンの胴体と頭部を繋ぐ力が集中した弱点を、野性的な本能と、剣士としての本質で見抜き、残った力を全て喰らえとばかりに切りつけた。  

 振り切られた剣が弾力のある肉を易々と切り裂き、クラーケンの身体に十文字の斬撃が深く刻み込まれる。

 通常であればケイスの剣は深手ではあたえたが、致命傷とまでは行かなかっただろう。

 だがここは空中。クラーケンは己の巨体を支える為に8本の足を伸ばし、蝕腕を勢いよく振り回している最中だ。己の自重と剛力によって、刻み込まれた傷から瞬く間にクラーケンの体躯は切り裂かれて割れていく。

 大きくバランスを崩した巨体の自重に負け、木壁にめり込んでいた触手の一本が大きな木片と共に、壁面からはずれた。
 
 一本が外れるとさらにバランスは悪化し、重さに負けて次々に足は外れていく。一本はずれるごとに、巨木を揺らす大きな揺れが発生し、さらにその揺れが足が食い込んだ木壁を崩し、次の足を外す。

 クラーケンの巨体を支えた足が全て外れ、口の中に飛び込んだケイスと共に、その巨体が深い闇の中に落ちていくまでは、1分足らずの時間もあれば十分だった。



[22387] 挑戦者と迷宮の罠
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2018/11/10 01:59
(大体お前には後先を考える以前に、謙虚さや自重という概念が、根本から消失していることが問題だ!)


(むぅ。久しぶりに話せたのに、口うるさいな。お爺様は心配が過ぎるぞ)


 切り裂いたクラーケンの身体に寄りかかりながら、ケイスは心の中で返す。

 クラーケンの神経節が集中した両眼の間を内側から切り潰して瀕死にしたはいいが、その代償で全身全霊を込めすぎて、ケイスはまともに動けなくなっていた。

 指先1つも動きそうになく、声さえあげられない。

 そんな状態だというのに、せっかく良い剣を振れたのだから、愛剣なら褒め言葉の1つでもあって当然だと、剣術馬鹿思考で不満を表明していた。


(この馬鹿者は……ここからどうするつもりだ! イカ諸共、底に叩きつけられるつもりか)


 だがラフォスが心配するのは当然と言えば当然。これが地上なら少し休めば良いだけだが、触手との神経を切断され瀕死状態のクラーケンはその巨体を支えきれず、洞の中を落下し始めている。

 弾力のあるクラーケンの身体がクッションとなって、中にいるケイスは偶然軽傷ですむかもしれないが、そんな幸運に期待するのは都合が良すぎる。

 しかし光明もある。クラーケンが落ちた事で、爆裂ナイフがまき散らしていた魔力吸収の効果範囲を抜けたのか、仮面の暗視機能が復活していた。これなら軽量化マントも使用可能となっている。

 戦闘のしっぱなしでそろそろ転血石の残存魔力量が気になるところだが、まだ石を交換しなくても数分は持つはずだ。

 切り口から見える洞は滑らかな木面をさらしている。掴むところが少なく、昇るのは無理そうだ。

 所々クラーケンが昇って来たときに開けた足がかりらしき、大穴があるので、それを足場に、軽量化マントを併用すれば上に戻れるかも知れないが、落ちた距離を考えると上まで石が持つか怪しい。

 ウォーギンの作る魔具は市販品と比べて性能は段違いで良いが、その分調節が複雑で石の交換1つとっても微細な調整が必要。

 本人でなければ判らない機微があるので、さすがのケイスでも手軽に交換というわけにはいかない。


(小言なら後で聞くからまずは脱出だ。底までの距離は判るか?)


(……下に水の気配を僅かながら感じる。今の落下速度であれば47秒もあれば到達するな)


 存在自体は巫山戯ているが、基本的に根は真面目なケイスは、生き残るために情報を集め出す。

 末の娘がそれを望み、動き出した以上、これ以上は言っても聞く耳さえ持たないのは経験で判っているラフォスも感知した水を伝える。


(なら30秒で身体を動かせるようにする。ちょっと意識を集中する)


 息を深く吸い弛緩した身体の隅々まで少しずつ力を入れていく。この疲労感の原因は全身に回した闘気による肉体強化の反動。

 心臓、そして枷を外した丹田から産み出す闘気には、暴虐な龍の力が濃厚に含まれている。

 その龍の力に、ケイスの人としての肉体が萎縮してしまったようだ。抗えず傷だらけになるよりはマシだが、それでも我が身ながら情けない。

 火龍と水龍。反発し合う異なる龍種の力は意思の力で、徐々にだが完全に従わせれる兆しを見せている。

 なら今から目指すは更なる肉体強化。龍の力に負けない、人としての肉体を手に入れる。

 探索者は迷宮を踏破し、天恵と呼ばれる超常の力を徐々に身につけていき、人の限界を超える存在となる。

 探索者こそが、ケイスの目指す道。望む未来を手に入れるための答え。その為には、全てを喰らう。

 顔の目の前にはクラーケンの肉体。何とか首を動かし覆面をずらして口元だけを露出させると、歯を立ててクラーケンにかぶりつき、肉を無理矢理に噛みちぎる。

 味は淡泊すぎるが、新鮮なおかげか臭みが少なく弾力もあって食べ応えがある。ゆっくりと堪能したいところだが、時間も無いので二、三回咀嚼してから丸呑みする。   

 野生の獣のようにそのままもう一噛みして肉を噛みちぎった頃には、ケイスの肉体には力が戻っていた。


「がっむ…………ん。そこそこ美味いな」

 
 立ち上がり、もう一度丸呑みしたケイスは大きく息を吐く。闘気による再強化はまだ出来ないが、通常戦闘に支障はない。


(味の感想を言っている場合か。あと3秒だ)


 脳裏に響くのは呆れ気味のラフォスの声。先ほどの一撃でほぼ残っていない残滓となった龍の闘気でも、ラフォス自身の意思を目覚めさせる位は問題がないようだ。


「ん。判った」


 力を込められなくなったラフォスの宿る羽の剣は腰へと戻し、左手に長剣を構えたままケイスは、一瞬の躊躇も無く、傷口から外へと飛び出る。

 全身を叩きつける下方からの風が、つかの間の浮遊感を生むが、すぐにケイスの身体はクラーケンと併走して暗闇の中を落ちていく。

 手足を振って体勢を整えながら、周囲を観察してみると木の洞は太さを変えることなく、すらっとした円筒が上下に伸びている。

 ベルトから投擲ナイフを一本引き抜き、斜め下方に向け落下の勢いも乗せながら投擲。

 壁に刺してワイヤーを使い落下速度を減速、停止させようとするが、腰ベルトからワイヤーを引き出しながら飛翔する投擲ナイフは、樹壁には刺さらず、あっさりとはじき返される。

 上部の樹壁は、脆く枯れかけていたのに、この辺りの樹壁はまだ生きているようだ。

 今の威力が最大。投擲では埒があかない。とっさに判断しクラーケンの身体を強く蹴って軌道変更。

 樹壁に向かって頭から突っ込む姿勢を取りながら、左手の長剣を逆手に持ち替え、右手を柄頭に。

 闘気による肉体強化は出来ずとも、自分が好む逆手双刺突の型を取る。

 高速で迫る樹壁に対し、ケイスはその才を持って、寸分も違わない好機に剣をあわせ、右手で柄頭を叩き突き出す。

 失った剛力の変わりに、落下の勢いを込めた一撃は、先ほどの投擲を遙かに凌ぐ貫通力を発揮し、手が痺れるような衝撃と共に密度の濃い樹壁に甲高い音をたてて突き刺さった。

 間髪入れず軽量化マントを使用し、己の体重を誤魔化して、壁に取り付こうとしたが、その前に限界を超えて酷使した一撃に長剣が先に根を上げる。

 何時もなら闘気を剣に流し込み、強化した状態で使っていた技、さらに武器に対してはこだわりがあるケイスが愛剣として使うほど気に入った剣としても、所詮は吊し売りの一般物。

 軽量化したとはいえ落下の勢いを持つケイスの衝撃に耐えきれず、刃元に生まれたヒビ割れが一気に広がり、剣が刃もとからぽっきりと折れてしまう。


「っ! 許せ!」

 
 クラーケンを切り裂いた段階でかなり酷使していたのに、さらに無理をして折ってしまった剣に謝りながらも、とっさに腰のナイフを新たに引き抜き投げつけ、引き出されたワイヤーを操り、樹壁に突き刺さったままの刀身にナイフとワイヤーを幾重にも絡みつかせる。

 腰ベルトから伸びたワイヤーを限界まで引き出しながらも、ケイスの身体はかなりの衝撃を伴いながらようやく落下を停止した。
  

「うぅ。無茶させすぎた……せっかく手に馴染んできたのに」 


(お前は何かにつけて我等に対して扱いが乱暴すぎる。自業自得だ。それよりも下を見ろ。最深部のようだ)


 九死に一生を得たが、それを喜ぶよりも剣を折った方が嫌で半泣きになっているケイスに対し、ラフォスが注意を促し、下を見ろと警戒の声をあげる。

 促され下に目を向けてみれば、空洞の終わりには、出現地点と同じように枝葉で出来た足場が生い茂っている。クラーケンが落ちた大穴が中央に空いていて、こちらはまだ青々とした生きた枝葉で出来ていた。

 上のルディア達と連絡を取ってみようと腕輪の通信魔具に嵌めた石を叩いてみるが、石に反応は無い。


「通信魔具は効果範囲外か……転血石の魔力残量を考えればこのまま上を目指すよりも、下を探索して上のルディア達と合流する道を探した方が良いな。お爺様下に降りるぞ」


 伸びきったワイヤーに別のナイフから伸ばしたワイヤーを継ぎ足し延長。樹壁を蹴りながらワイヤーを徐々に繰り出し懸垂下降で降りていく。

 手持ちの投擲ナイフをさらに三本使い下の足場へとようやく届く。上と違いこちらは頑丈でケイスが乗っても軋む事は無い。

 手持ちのナイフの残数を考えれば回収したいところだが、いくらワイヤーを引っ張ってみても長剣が、がっちりと食い込んでいるので、落ちてこない。  


「むぅ。羽の剣はまだ使えないし、ナイフが6本だけか。ここらの枝でも棍棒代わりにするか」


 年相応と言うべきか短身のケイスでは、ナイフだけでは些かリーチに不安がある。無論負ける気はなく、しないが、戦いやすさでは段違いだ。


(武器を探すなら下まで降りた方が良いだろうな。下の水場にいくつか金属の匂いがある)


「下か……ん。アレかずいぶん小さい水場だな。群がって周囲から伸びているのは根か?」


 クラーケンが開けた大穴の縁から下を見下ろしてみると、ぽっかりと空いた広い空洞の中心部に尖った大岩が突き出ており、岩を中心にして微かに光る水場が出来ている。

 樹壁の最下部からは白く太い根が数え切れないほどに生まれていて、それが蔦のようにつり下がり、僅かな池を目指して伸びている。

 中央の大岩には上から落ちてきたクラーケンが突き刺さって死骸をさらしていた。


「ん。水生生物のクラーケンがいるのだから、もっと大きな湖があるかと思っていたのだがな」


(どうやら水涸れだな。おそらくはこの空間を埋め尽くすほどのもっと大きな地下湖水であったのだろう)


「樹が枯れかけているのはこれが原因か。今期の閉鎖期での変化の影響か……ふむ。あの辺りの根を蔦って下までいけそうだな。降りてみる」


 水を失い、死にかけているらしい巨木の迷宮が今回の始まりの宮となったのは何か意味があるのだろうか?

 一瞬浮かんだ疑問を心の中に留めながら、ケイスは手持ちのナイフで、樹壁近くの足場を切り裂き、下までの穴を開ける。開けた位置からは根が見えた。少し離れているが跳べないほどではない。

 一応安全のために軽量化マントに魔力を通して、根に向かってふわりと飛び降りる。


「っ!?」


 だが根に取り付いた瞬間、視界は暗闇に染まり、身体が重量を取り戻す。

 普通なら慌てふためく場面だが、ケイスは暗闇の中、ほぼ直感のみで手を伸ばし、手に何かが触れた瞬間にしっかりと掴み、足も出して抱きつき、なんとか身体を支える。

 そのまま手探りで動いて、安定した体勢になってから、覆面を取り外し、ベルトに下げた小物入れから、掌サイズの折りたたみ式のオイルカンテラを取りだし、フリントを叩いて灯心に火をつける。

 暗闇の中ぽわっとした明かりが広がり、僅かな範囲だが照らし出す。

 全く同時に魔力が切れたと考えるよりも、下の空間では魔具が無効化されると考えた方が妥当か。

 しかしタイミングがおかしい……根に触れた瞬間。

 ふと気づき、腕につけた通信魔具を見てみると、赤い輝きを持っていた転血石が色を失い灰色に変わっていた。これは内蔵した魔力が消失した何よりの証だ。

 使っていた仮面やマントだけで無く、使用していない腕輪の転血石まで色を失っているとなれば、思い当たるのは1つだ。


「お爺様。どうやらこの樹の根に石の魔力が吸い尽くされたようだ。ほかの魔具も軒並み使用不可能となっている」


(吸魔樹か……魔術不可領域があるとは厄介な。どうする?)


 成長やその巨体の維持に魔力を必要とする迷宮植物は多く、物によっては根から土地の魔力を吸い尽くす有害樹もあるが、どうやらこの巨木もその1つのようだ。

 魔力を持たず、生み出せないケイスならば魔具は使えなくはなったが、それでも無いなりの戦いが出来る。だが魔術前提の戦闘方を身につけている者達にとっては。この無数の根が張り出した空間は厄介な事この上ない。


「あのクラーケンを先に倒せたことを僥倖と思うしかあるまい。10本足でも戦ってみたかったが、下手したら死人の山となるところであったろうな。ともかく下に降りて……何か来るな」


 対策や上に警戒を伝えようにも今のケイスに出来る手は限られている。まずは状況確認のために下に向かおうとしたとき、暗闇の中で羽ばたきの音が上方から微かに聞こえた。  

 先ほどの蝙蝠の生き残りがここまで降りてきたか?

 足元は不安定で、手持ち武器は心許ないが、下にまで降りている時間は無い。

 右手に大振りのナイフを構え、左手にカンテラを持ちながらケイスが警戒態勢を取ると同時に、猛禽の翼を持つ翼人が光球を片手に、中央部の大穴をくぐり抜け下に降りてきた。

 それはロウガ王女サナで、何故かその肩にはケイスのパーティメンバーであるファンドーレが乗っている。

 どうやらケイスを探しに、同期の中で自由自在に飛べる翼持ちの二人が降りてきたようだが、タイミングが悪い。

 ケイスが警戒の声をあげる前に、サナが邪魔な根をどかそうとして手を触れてしまう。


「っ! 魔力が!?」


 一瞬で翼に込めた魔力が消失したのか、驚きの声をあげたサナが浮力を失い落下していった。かろうじてファンドーレだけが難を逃れているが、周囲の根がサナの魔力で栄養を得たせいか急成長を始め、天井の大穴を塞ぐ勢いで伸び始める。


「ファンドーレ! 根に触れるな! 吸魔樹だ! 私も下にすぐ降りるからサナ殿を頼む!」


 必要最低限の情報だけを叫んで伝えたケイスは、ファンドーレの返事も待たずに、ケイスは下に向かってカンテラの明かりだけを頼りに飛び降りてた。

  



[22387] 挑戦者と迷宮の掃除人
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/01/14 23:56
 微かな明かりを頼りに、落ちるような勢いでケイスは次々に根を伝って駆け下りる。

 死にかけていた吸魔樹が、ケイスの持つ魔具とサナが使用していた飛行魔術から魔力を得た事で、一時的にだが活力を取り戻している。

 更なる獲物を求め、細くなっていた根が太くなり、新しい根を途中から生やして、暗闇の中で広がっていく音が、四方八方から聞こえた。

 下に落下したサナも心配だが、グズグズしていたら張りだしてきた根に行く手を塞がれ、囲まれ、最終的には押し潰されかねない。

 伸びてくる根を払い、躱しながら数十回の跳躍を繰り返し、サナが落ちた中心部から少し離れながらも、ケイスは最下層に着地する。

 底は所々ひび割れており、乾期で涸れた湖底と似たような地面を晒していた。右手に持ったナイフを降りた勢いと共に突き刺して足場を確認してみたが、表面だけが乾いた泥では無く、堅く締まった感触が返ってきた。

 斬った感じから、水が枯れてから数日、数ヶ月では無く、この空間から水が無くなってからもっと長い年月が経過していると、剣士の勘で直感的に感じ取る。

 水が涸れた原因は気にはなるが、今必要なのは足場の情報。問題無く動けると判断し、すぐに中央に向かって走り出す。

 閉鎖された空間なので音が反響して距離感が判りにくいが、金属と何かがぶつかり合う音があちら側から聞こえてくる。

 状況から下にいた何かとサナが戦闘を始めたとみるべきだろう。


「ん。成長は止まったか。ファンドーレが追いついたか。サナ殿は魔術を使っていないな」


 上から下りてきた根が個々の樹のように乱立する林を抜けていくが、先ほどまでと違い、太くなったり枝分かれすることは無い。追加の魔力補給が無く、先ほどまでの異常な増殖成長は出来なくなったようだ。


(娘。僅かな怪我でも気をつけろ。我の血をひくお前は、この手の樹木共には爆発的な成長をもたらす格好の餌だ。意思を持つ恐れがある。戦場に下手に飛び込むな)


 止まぬ戦闘音が聞こえてくると、ラフォスが細心の注意を払えと喚起する。

 ケイスの血に流れるのは、迷宮の主、最強生物である龍。しかも龍の中の龍である龍王。それも火龍、水龍の二系統の血。

 ケイス自身が魔力を持たずとも、魔力を増幅させる龍血は、血を餌とするモンスターにとってこれ以上は無い最上の餌となるのは、道理だ。

 かすり傷一つでも負い、血が少量でも吸われれば、吸魔樹は、さらに上の段階のモンスターへと即座に変貌しかねない。


「ふむ。鞭のように蔦や根を伸ばして自在に動くという龍食いの樹か。強敵だというし、戦ってみたいが今は我慢だな」


 ラフォスとしては闇雲に進むのでは無く、相手を確認してから戦闘しろという意味で注意をしたのだが、末の娘から返ってきたのは、いつも通りの戦闘馬鹿丸出しの答えだ。


(久しぶりだというのに成長無しか娘)


 戦ってみたいから吸わせてみると言わないだけマシだろうかと、ラフォスは諦め半分で呆れるしかない。

 ラフォスの心配を余所に、一切速度を落とすことなく根で出来た林を駈け抜けたケイスは、何故かそこだけ根の無い中央部分に躍り出る。

 臑ほどまで浄水に満たされた小さな水たまりとなっていて、その中心部には先ほどケイスが斬り殺した大イカの死骸が突き刺さった先鋭した岩が鎮座する。

 その岩の前では、大型犬ほどもあるフナムシのような甲殻類モンスター達に周囲を囲まれ飛びかかられながら、明かりを灯したカンテラを岩の出っ張りに引っかけ、魔術師の杖でもある兵仗槍を振るい追い払うサナの姿があった。

 どうにかして無事に着地できたらしく、縦横無尽に槍を振るうサナの動きに怪我を負っている様子は見られない。
 

「ふん。失礼だなお爺様。ならば見せてやろう私の成長を」


 ケイスは言葉だけは不満げだが、弾んだ嬉しそうな声で答えると、左手に持っていたカンテラから伸びた紐を口で咥え、手を空けると、腰のホルダーからぶ厚い戦闘用のナイフを二振り引き抜く。

 そして一度足を止めると、水音を甲高く立ててモンスター達の注意をひきながら、水たまりをゆったりとした速度で歩き始める。

 まるで襲ってくれと言わんばかりの無防備な速度で歩き始めたケイスに気づき、最後部にいたモンスターが踵を返し、群がってくる


「な、何をしているのですか!? 私達は大丈夫ですから!」


 急に変わったモンスター達の動きに、ケイスの存在とその無謀な行動に気づいたサナが、槍を振るいながら逃げろと叫ぶが、ケイスは足を止めず、ゆっくりと前に進んでいく。
 
 長い触覚を蠢かせながら接近してきた巨大フナムシ達の一部が、ケイスの目前で、身体を縮めて溜めを作ると高く跳ね上がる。

 短い足がワサワサと動く腹側もぶ厚い殻に覆われており、上から来る者は自分の重さでケイスを押し倒し、下から迫ってくる者はそのまま攻撃を加え、群れで仲良くケイスに食らいつくつもりのようだ。

 上下から攻めてくる大フナムシの意図が読めても、ケイスは歩みを止めず避けようともしない。

 正確には走れない。悔しいがまだ走りながら、この技を使う事が出来ないからだ。

 右腕を頭上に伸ばしたケイスは、短いナイフの刃を突きだし、大フナムシの体の一部と接触した瞬間に、手首と指の動きだけで大フナムシを投げ飛ばし、水面に強かに叩きつける。

 投げ飛ばした勢いで崩れた体勢のままに今度は左腕を上に向け、違う大フナムシがナイフに一瞬触れた瞬間に同じ要領で、下から迫ってきた大フナムシに両者の殻にヒビが入るほどの勢いで投げぶつける。

 身体を入れ替えた勢いで下から来た大フナムシの顎に右手のナイフを逆袈裟気味に振るい引っかけながら、同時に左手のナイフで上から来た大フナムシを受け止めた勢いで、己の体を支点として同時に投げ跳ばす。

 次々と襲いかかってくる大フナムシを、ケイスは歩みを止める事無く真っ直ぐに進みながら、飛びかかってくれば休むこと無く投げ飛ばし、下から迫ってきた者は掬い上げ上に放り、次に投げ飛ばすための重りへと変える。

 食らいつこうとする大フナムシの群れに対して、ケイスは綿埃を払うかのような気安さで排除して、ただ一直線にサナの元へと向かって歩みを進めていく。

 ケイスが行うのは剣を使った投げ技。

 剣が触れた一瞬の間に”掴み”、己の意図した方向へと投げ飛ばす。武器を持ったままの組み打ちを体技として持つ邑源の基本技の一つで、ただ投げ飛ばすだけならばケイスは昔から使えた。

 今行うのはその本来ならば一対一で用いる投げ技を、さらに強化発展させた、一対多を得意とするフォールセン二刀流に属する歩法になる。

 モンスターの群れが跳梁跋扈し禄に休憩も補給も出来ない暗黒時代に、己の体力と武器の消耗を抑えながら、大群を突破するためにフォールセンが編み出した剣技だ。

 本来であれば全力疾走しながら、敵モンスター達の動きを、己の目配せ、息づかい、腕の振りで意のままに操り用いる技だが、今のケイスではそこまでは出来ない。

 ゆっくりと歩き位置と体勢を調節しながらでしか使えない己の弱さには不満はあるが、それでもラフォスへと己の成長を誇れる技として、ケイスは剣を振るい大フナムシの群れの中を、真っ直ぐに突き破っていく。

 ケイスが通った背後には、殻にヒビが入り、足がネジ折れ、触覚の千切れた半死半生の大フナムシの山が築かれていく一方だ。

 急に飛び込んで来た暴虐無人な化け物に、知能は低い大フナムシたちもこれは自分達の餌にはならないと本能的に悟ったのか、包囲網の半分ほどを抜けた辺りで、攻撃を止めると怯えるように身を寄せて、その行く先を邪魔しないように道を空け始めた。

 サナに襲いかかっていた大フナムシたちも今は遠巻きに見守るようになっている。


「……ふむ。もう少し歩行速度を上げた練習をしたかったのだがな」


 退いたモンスターの群れを見て、ケイスは少し不満げに頬を膨らませる。

 どうせ襲いかかってきたならば、最後の一匹まで気合いを入れて襲いかかって来れば良いのにと、戦闘狂思考で考えるが、


(全く貴様は。本当に変わらぬな。どれだけ成長して驚かせれば気が済む)


 傲岸不遜なケイスの何時もの態度はとにかくとして、確かに成長を見せられたラフォスは、遠回しながらも褒めてみせる。


「ふむ。天才の私が、天才の師に学んだのだ。急成長は当然であろう」


 目指す先はまだまだ遥か先だが、一応今の技術では満足いくレベルの剣は振るえたので、ラフォスの褒め言葉に嬉しそうに笑いながらケイスはナイフを収める。

 大フナムシたちが退いて道を空けたので、そのまま抵抗なく水たまりを歩き抜けたケイスは、唖然として固まっていたサナの元へと歩み寄って、


「すまん。待たせたな、サナ殿。ふむ、怪我は無いようだな。さすがだな……ん、ファンドーレはどこだ? 合流できていないのか」


 その全身をみて怪我の有無を確かめて無事である事を確認し、安堵と賞賛の混じった花も恥じらう極上の笑みをみせるが、すぐにファンドーレの姿が近くに無いことに気づき眉を顰める。


「あ、貴女、何故突っ込んで、いえ、それ以前に今何を? どうやって」


 一方でサナは槍を構えた体勢のままで、驚き、声を失っている。

 モンスターの群れを突破して、さらには萎縮させたというのにケイスがみせるのは、待ち合わせに遅れた事を詫びるような軽さだから、反応に困っているようだ。


「俺ならここだ。それに姫。ケイスの非常識な行動理念は聞くだけで疲れる上に、理解が出来ず無駄だから止めておけとのことだ」


 不意にカンテラの明かりが不自然に揺らめき、声が聞こえたので見上げると、大岩の表面に張り付いているファンドーレの姿があった。

 馬鹿にしたような評価だが、その又聞きの評価の主が、ケイスを良くも悪くも理解しているルディアやウォーギン達であろう事は間違いない。

 一応、極々少量だが、ケイスなりにルディア達には迷惑をかけている自覚はあるので、自分の評価へと不満は覚えず、それよりも石を詳細に調べているファンドーレがケイスには気になった。


「そこにいたのか。避難しているようでは無さそうだな。何かあったのか?」


「この岩には古代文字が書き込まれていて、どうやら自然の物では無く、意図的に設置した人工物のようだ。もう少し調べたいが、この突き刺さったクラーケンが邪魔だ。魔術も使うわけにはいかんから。どうにかしろ」 


 どうやら大フナムシとの戦闘よりも、迷宮学者のファンドーレはこっちの方が気になっていたようで、戦いそっちのけで調べていたようだ。

 もっとも吸魔樹の根に囲まれて下手に魔術が使えない状況では、小妖精族の自分ではサナの足手まといになると割り切って、戦闘は任せて調査に専念していたともいえるのだろうが。


「ん。こいつは斬りづらい肉質だぞ。しかも私の方は長剣が折れたから、ナイフだけだと相当な時間が掛かるぞ」


 確かに指さす先には何かが書かれているが、そこから上の部分は途中で突き刺さった大イカの死骸に隠れてしまっている。

 しかしどうにかしろと簡単にいわれても、長剣を失い、ナイフのみのケイスの手持ち武器ではこのクラーケンを切り裂くのも一苦労。


(我を使うつもりなら少し休んでからにしろ。負担に耐えきれなくなる)


 羽の剣を使うだけの闘気を産み出すにも、もう少し時間をおいてからにしないと身体への負担が大きすぎると、ラフォスも注意してくるので無しだ。


「サナ殿は、斬れるか?」


 生きている獲物なら他人に譲る気は無いが、死体となればあまり斬っても面白くない。

 未だ大フナムシに囲まれているこの状況下で、平然と打ち合わせを始めた変人達に戸惑った目を向けていたサナに尋ねる。


「わ、私の槍は斬るよりも突き刺す方に重点を置いていますから不向きです」


 状況の変化に戸惑ってはいるが、それでも重要性を感じ取ったのか、遠巻きに囲む大フナムシ達を警戒しつつもサナが首を横に振った。


「ん。やはりそうか……よし」


 半分予想通りだったので落胆することも無く、ケイスはしばし考えてから次の手を見出す。

 ケイス一人では斬るのは大変だ。サナがいてもそうは変わらない。ならあるものを使えば良い。

 ケイスは振り返ると未だ周囲を包囲しながらも、二の足を踏んで、遠巻きにしている大フナムシたちに目を向ける。

 ケイスを恐れながらもこのフナムシたちが逃げない理由、それをケイスは野性的な本能で、見抜いていた。

 膨大な数の彼らの腹を満たすには、ファンドーレはもちろん、小柄なケイスだけで無く、サナを足しても到底足りない。だがそんな彼らそれぞれに、十分に行き渡るほどの肉がここにはある。


「ん。お前達の本来の狙いはクラーケンの死骸であろう。これは私が斬り殺した私の獲物だ。だがら喰らいたいならば私に協力をしろ。これが邪魔だから喰らえ、ただし私達に襲いかかってきたなら逆に喰うぞ」


 その無い胸を張ったケイスは、いつも通りの傲慢な口調で、まるで人に語るかのような口調で大フナムシたちに命令を下し、さらには脅してみせた。

 普通なら言葉の通じない者同士では意思の疎通は極めて難しい。
 
 ましてや人と虫型モンスターだ。

 だがケイスは気にしない。ケイスにとって他者とは自分以外の何か。

 ケイスにとって周りの者とは、自分が気に入る者か、嫌いな者かだけ。

 ケイスには、種族も、種別の違いなどもなく、そして理解が出来ない。

 この世は自分と、自分以外。その二つだけ。

 傲岸不遜にして傲慢なこの世の最強種、龍。

 その龍の中の龍。未来の龍王の勅命はモンスター達の生存本能を強く強く刺激し、その身と心に刻み込まれる。

 私の思い通りにしろ、従わねば喰うぞと。

 ケイスに脅されたフナムシたちが、そろそろと大イカの死骸に近づき、おそるおそるといった風情でその身に群がり喰らい始めた。

 一匹一匹が咀嚼するスピードはさほど早くないが、数だけは多いので、邪魔なクラーケンの死骸はすぐに排除されるだろう。


「よし。これで良いな。ファンドーレ。間違えて喰われると危ないから一度降りてこい。休憩するから、上の状況を教えろ」


 モンスターを己の意のままに動かすという非常識な言動をみせるも、自分に従うのはさも当然といわんばかりに平然としたケイスは、大岩の出っ張りに腰掛けると、懐から飴玉を取りだしてなめ始める。

 周囲の大フナムシは見た目からして平べったくて、殻を割っても食べられる部分は少なそうなので、どうにも食指が動かない。それに疲れている時は甘い物が1番だ。


「あぁ……ファンドーレさん……この娘はいったいなんなんですか」


 幼女のように邪気の無い幸せそう笑みを浮かべて飴玉を楽しみ始めたケイスに聞いても無駄だと悟ったサナが、前にルディアにした質問を今度は下に降りてきたファンドーレに投げかけるが、


「俺の友人曰く、ケイスについては考えるだけ無駄だそうだ。何をやらかしてもこれがケイスだと納得しろとの事だ」


 その友人であるウォーギンからケイスに負けず劣らずの変人だと見られているファンドーレは、あまりにシンプルで、そして何の解決にもならない答えをサナに返すだけだった。



[22387] 薬師と挑戦者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/01/15 00:00
「あ~いるね。ちょっと先の通路のほう。3……っと4匹かな。オークだねぇ」


 無数に枝分かれした横穴がいくつも顔を覗かせる小部屋の入り口で立ち止まったウィンス・マクディーナは、後続に伝える。


「あちらだな」


 大柄で全身に刀傷が目立つ熊獣人。ロウガ王女サナのパーティメンバーであるプラドがウィーの横をぬけ先頭に出て、ウィーの指さす穴の前へと立つ。

 真っ暗で物音一つすらせず、ウィーと同じく獣人族であるプラドにさえ、血と獣臭が混じるオーク特有の匂いはおろか、小動物の気配さえ感じられない。

 ここまで感じ取れないならば普通ならウィーの気のせいと思ってもいいが、ここまで誰よりも早く確実にモンスターに気づいているウィーの野生の勘に間違いは無いと、頼りになるとプラドも含めて誰もが実感していた。

 索敵はウィー。いざ戦闘になったらモンスター達の攻撃を受けるのは、オークとの殴り合いでさえ勝てる頑強な身体を持つプラドという役割分担になっている。


「こちらに近づいてきていますか? その場合は先行して罠を仕掛けます」


 プラドの後ろに控えた罠設置と無音戦闘術に長けているという小柄なシーフが黒く縫ったナイフを片手に警戒をみせるが、


「んと、大分先で止まっているね。物音をたてないように気配を殺そうとしてるみたいだね~」


 待ち伏せしているつもりなのか、それともこちらをやり過ごそうと息を潜めているだけなのかは、さすがにもう少し近づかなければウィーでも判らないが、ここまでこのパターンの場合は、隠れてやり過ごそうとするモンスター達しかいなかった。


「やっぱり散り散りに逃げてるかあいつら……しかしあんた獣人にしても鼻が利くな。どこの種族出身なんだ?」


 先行偵察に一緒に出ていたエルフの青年が、部屋の分岐をマッピングをしながら、何気なく尋ねてくる。

 おそらくそこに他意はなく、急造チームゆえにコミュニケーションを取ろうとした一環なのだろうが、ウィーとしてはなるべく触れてはほしくない部分だ。

 ウィーの出身種族は、多様な種族が存在する獣人の中でも、極めて稀少かつ特別な聖獸と呼ばれる【白虎】

 ルディアの魔術薬で毛染めをして隠しているが、本来はその名の通り純白の毛で覆われており一目でわかる上に、その血筋が持つ能力を知る研究者からすれば歩くお宝のような存在。

 のこのことその辺を歩いていれば、いつ金目当てで攫われるか判らない、何かと面倒な出自。


「あー、田舎も田舎の山奥なんだよね。ここらの人だと名前も聞いたこと無いような」


 細かく突っ込まれたらすぐにぼろが出そうな下手なごまかしをウィーがしていると、


「襲って来るはずのモンスター共がこう逃げているならば、迷宮主が倒されたと判断していい。手も足りない。一度戻ってこの先の攻略を話し合うべきだ。戻るぞ」

 
 プラドが、その厳つい顔に似合いの低い声で話の流れを戻して、本隊との合流を提案する。

 モンスター側からの襲撃が無く、当初の予想以上に進んでしまい本隊と離れている。

 それにあまりの分岐点の多さに、この人数ではとても全てを見て回れる物では無く、一度戻るべきだというプラドの提案はもっともな意見だ。

 
「あいよ。仮拠点との通信は問題無いが、反対側に行った連中らのマッピング情報は途切れがちになってきてるから、結構な距離が開いたみたいだ。んじゃ戻るか」


 ウォーギンの特製魔具の効果によって得ることが出来た他の先行偵察隊の調査結果はざっと見ても、上下に入り乱れ、このまま闇雲に進んでも効率は下がるだけだと、エルフの青年も簡易なマッピングを終えて、同意する。

 どうやら先ほどウィーへの質問は、本題に気を取られて流されてしまったようだ。

 上手いこと話が逸れたのは良いが、さてそれが偶然なのか、それともプラドがわざとやったのか、どうにも判断がつかないウィーはちらりと視線を向けるが、その視線の先の人物は踵を返し、とっとと戻り始めている。

 
(警戒はしとくべきかな~。この堅苦しさ御山の防人さんっぽい雰囲気あるし、そっち系の人かもね~)


 攫われる恐れと同じように警戒するのは、ウィーを、正確には聖獸を守ろうする身内。

 まだ目的の入り口に入ったばかりで連れ戻されるわけにはいかないウィーは、尻尾を揺らして、そのどっしりした背中を警戒した。








「ウィー達も戻って来るそうです。先行偵察隊は一部で戦闘はあったけど、特に怪我も無く無事みたいです」
 

 展開した大地図魔法陣の前でほっと胸をなで下ろしながら、その場の流れで臨時とはいえ総指揮を取らされていたルディアは肩の力を抜く。

 今現在、挑戦者達の大半は、スタート地点から繋がった洞穴に設置した仮拠点で最初の戦闘で消耗した装備の整備や、軽傷とはいえ怪我を負った者の治療中。

 しかしウィーのような獣人族やエルフなど、偵察能力の高い者達の一部は、いくつかの班に分かれ、スタート地点から繋がっていた洞穴の先を先行偵察を行っていた。

 とにかくルディア達には時間が無い。始まりの宮が開いているのは僅か三日間。その間に各々の目的を達成し、どこかにある脱出口から出なければならない。

 それもありとりあえずの協力体制は未だ維持されているが、その結果判ったのは、この迷宮が、今までの記録が残っている始まりの宮と比べても、異常なまでに広いかもしれないという悪夢だ。


「それは幸先が良い。しかし問題は姫とあの娘。それと学者どのよの。通信途絶から既に半刻。さてどうした事やら。ひょっとして決闘を再開しおうたかの。ならさぞ面白い見物となろうな」


 大地図の管理を引き受けている鬼人の好古が、口元に浮かんだ微笑を扇で隠す。どうにも言動が不穏なのだが、どうやら行方知れずのケイスを心配するルディアの反応を見て楽しんでいるようだ。

 悪趣味な性格だと判ってしまえば、対応が可能な程度には、変人達に対する返し技がルディアには出来ている。


「この状況でその状態になったら、この場にいる全員を斬り倒しますよ。サナさんの次に斬られたいなら観戦は止めませんけど」


 変人には変人。

 それもルディアが知る限りで最上位の変人というか、おそらく世界でもっとも頭のおかしいケイスをぶち当てれば良い。

 何せあの既知外美少女風化け物は、基本的に剣が思考の中心にいる謎生物。

 戦いたいから戦い。守りたいから守ると、戦闘本能のままに生きている。

 下手に戦闘テンションが跳ね上がれば、ここにいる挑戦者達を全員ぶっ倒してから、全員が無事に脱出が出来るようにするとかしかねない狂った答えを出すのは十分考えられる。


「してその心は?」


「全員が始まりの宮をクリアして探索者になる最善の方法が、下手にモンスターと戦って殺されるよりも自分が後遺症を残さない程度に倒して、その間に自分が迷宮内の全モンスターを斬れば良いって前に言ってます。本気で」

 
 死人を出さないで始まりの宮をクリアするにはどうすれば良いかと考え、まず最初にケイスが言いだした案がこれなのだから本当にどうかしている。 
 

「ガチもんの狂人かよ……その時は俺は逃げるから好古が相手しろよ。それよか薬師の姉さんよ。やっぱりこりゃ迷宮主が倒されているだろ。ほとんどのモンスターが通常の、迷宮外と同じ行動をしていたぞ」


 ケイスの言動にウンザリ顔を浮かべたレミルトが、狂人思考を追い出すかのように頭を振ってから、先ほどまで偵察に出ていて実際に交戦した感想を伝える。


「迷宮の化生共の特性は、人に対する狂気的なまでの攻撃性。こちら数十で、対する己が一匹であろうとも、挑んできおるという話であったな」


 本当にケイスの相手をさせられてもたまらないと言いたげな好古も、巫山戯るのをやめると大地図を見上げ、真剣な目で交戦箇所を追う。


「はい。それに異種のモンスター達が争う状態も確認されています。ここ以外でもスケルトンらしき骨の残骸も確認が出来たとか」


「あぁ。そいつは俺の所だ。小部屋の一つで四腕の白骨死体と錆びた武器をいくつも確認しているって話だ。入った瞬間、扉が落ちたからトラップ部屋だったぽいな」


 情報整理を手伝っていた魔術師の一人が地図の一点を点滅させ、上方の罠が仕掛けられていた部屋を指し示す。

 同じようなトラップ部屋はほかにもいくつも発見されているが、どこももぬけの殻で、簡易なトラップだけが残されているだけだ。

 本当の迷宮。上層の一般人でも入れる特別区ではない迷宮区画のモンスターは、地上の同種とは一線を画すほどの力を持つが、その行動もまた大きく変わる。

 迷宮全体が一つの意思の元に、侵入者たる人を排除し喰らおうとする。

 外では捕食関係にあるモンスター達が陣を同じくして一斉に襲いかかり、命が尽きるその瞬間まで、同種が死のうが、手足の1本、2本を失おうが、狂ったかのように襲いかかってくる。

 それが迷宮内の戦いであり、馴れない挑戦者はその狂気に気圧され、喰われてしまう。

 実際に先ほどまでこの場で起きていた戦闘が、まさに迷宮内の戦いであった。

 だがその流れが大きく変わったのは、ケイスが下から這い上がってきた何かと接触した瞬間だ。

 おそらくケイスがそれを切ったと同時に、モンスター達が一斉に逃亡を開始し、今も少数が散り散りばらばらに少しでも人の手から遠ざかろうと逃げ、スケルトンといった魔法生物たちはただの骨へと戻って崩れさっていた。

 ケイスが斬り殺したであろう大型モンスターこそがこの迷宮の主。もっとも強く、迷宮を迷宮たらしめる迷宮主。

 探索者達が迷宮を踏破する際に、もっとも有効的な攻略の最優先であり、そしてそれ故に困難なのが迷宮主の討伐。

 迷宮主討伐は、迷宮殺しと同意。

 迷宮主が倒されることで、一つの意思のように蠢いていた迷宮のモンスター達は、その頸木から解き放たれ、一匹の生物へと戻り、迷宮から提供される魔力により動いていたアンデッド達は仮初めの生命活動を停止させる。

 迷宮モンスターそれぞれの力まで落ちるわけでは無いが、それだけでどれだけ攻略が楽になるかなど、声高に語る必要などないだろう。


「しかしいきなり迷宮主討伐ってなったのは幸先が良いが、肝心のアレが一緒に行方不明。さらにそれを探しにいった姫さんと学者さんまで二次遭難ってのが笑えねぇな」


「セイジ殿も下方面へと続く道の先行偵察へと出たが、反応は拾えぬと。技師殿も下方の大広間に第二拠点を築いて基点魔具を設置したと言うが、そちらの反応はいかがか?」


「あっちの方でもケイス達の魔具の反応は無しです。上下左右どの方向もやたらと広がっている上に複雑に絡み合っているうえに、ウォーギンの話では、探査魔具の魔力反応から魔力遮断域か魔力吸収生物がいる可能性も高いから警戒しろって事です」


「やれさて難儀な話よ。されば薬師殿。次なる一手はどうするつもりで?」


 問いかけた好古だけで無く、周囲にいたほかの挑戦者達の視線もルディアに一斉に集中する。

 そしてその目が求める、望む答えが判らないルディアでは無い。


「あー協力体制の延長って事で。とりあえず皆さんの説得に廻ります。この広さは非常事態っていっても間違いないでしょうから」


 軽く調べてみただけでも、とてもパーティ単位では廻りきれないほどの広さと深さがあると感じさせた大地図を前に、ルディアは息を吐きながら求められた答えを、率直に口にする。

 最初に協力体制を言いだしてしまった手前。

 そしてなにより他パーティの力も借りなければ、行方不明となったケイス達をこの広大な迷宮から探しだすのは、困難だ。


(ケイスの相手をするより、こっちの方が精神的に楽ってのはどうなのよ。あの馬鹿は。無事だろうけど、無茶はしないでよね)


 柄では無いが、他大陸の出身でロウガでのしがらみも少ないルディアは、望む望まぬも拘わらず調整役に立候補するしか無かった。



[22387] 挑戦者と十刃
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/02/19 01:26
「ん……むぅ……これもダメだな」


 凍えるほどに冷たい水の中から引き上げた古びた剣を一瞥して、すぐに眉を顰める。

 金属ではあるが、鉄や鋼鉄では無いようで表面にはさび1つ無いが、刀身に大きなヒビが入っていて、今にも折れそうだ。

 柄の方は細めなので、小さなケイスの手でも持ちやすいのだが、さすがにこの刀身ではいくらケイスが剣の天才と言えど、この壊れかけの剣で斬れるのは精々1回、2回がやっとだろう。

 水が涸れかけているので深いところでもケイスの膝下くらいまでの浅さなので地底湖とはとても呼べないが、それなりに広さはある池の大半を探し尽くしたケイスは仕方ないと諦めて、拾った剣を片手に持ちながら、サナ達がいる中心の岩へと戻ることにする。

 たしかにラフォスが感じ取った通り金属製武器がいくつも落ちていたが、激しい戦いでもあったのか刀身の損傷がどれも激しく、使い物になるのは1つも無かった。

 上の戦闘でオーガやオークが使っていた石棍棒などは、高所からの落下で砕けており、こちらもまともな物は残っていない。


「やはり相当古い様式だな。字の解読は出来たか?」


 立てかけた9本の剣の表面を調べていたファンドーレの近くに、最後に拾ってきた剣を同じように並べたケイスは、すり減っていた柄頭を一瞥してから、頭上へと目を向ける。

 岩に突き刺さっていた大イカの死骸は、フナムシたちによって今は綺麗さっぱり消え去り、そこに刻まれた文字と、同じ属種の文字が柄頭に刻み込まれていた。

 ほかの剣にも同じ様式の文字があるのだが、それらは今の時代、世界のどこでも一般的に用いられている共通文字とは、大きくかけ離れたものだ。


「4腕、頭骨も独特の形状のスケルトン。おそらくは西方の虫人族とみていい。虫人は氏族事の発声法が違う孤立言語。その所為で類似文字が無い孤立文字と虫人共通文字の併用を行っていたという。そしてこれらが虫人共通文字でないのだから、十中八、九、消滅文字だ。解読するには、サンプルを集めて数年がかりになるな」


 古字。それも使用種族がとっくの昔に死滅した消滅文字と呼ばれる物だとファンドーレは断言し、お手上げだと解読を諦める。

 消滅文字はトランド大陸では珍しい物では無い。

 火龍侵攻と同時に発生した迷宮モンスターの大増殖による破滅的破壊。

 いわゆる暗黒時代に、トランド大陸から消えた国や人種は、数百以上とも、あるいは数千とも言われている。

 これだけ数がぶれている理由も単純明快で、生き証人どころか、街や国その物が痕跡さえ無く破壊され、東の雄。東方王国のような大国ならまだしも、都市国家規模の小国家、もしくは一種族による閉鎖コミュニティなどは、現存する僅かな当時の資料の片隅に名前の1つでも残っていれば奇跡的という有様だからだ。
 

「虫人か。大昔には多くの氏族をもつ一大勢力だという話だったが、今現存しているのは数氏族だけだったな。むぅさすがに会った事は無いな。サナ殿は付き合いは無いか?」 


「あいにく私もおりません。ただ……お爺様の古い知り合いにいらっしゃると耳にしたくらいでしょうか」  


 探るような目をサナが向けている事には気づいたが、ケイスは無自覚的に頬を膨らませる。

 サナの祖父であるソウセツは、ケイスが会うのを楽しみにしていた探索者ではあるが、今は実力で打ち倒すまで大嫌いになると決めている。

 だからその力を頼るのは不本意だが、だがこの場合は仕方ない。

 自分の好き嫌いで、死者を軽んじるなど、それこそケイスの行動原理に反するからだ。


「うぅぅっ、ならこれをあの男に渡して、虫人に届ける様に頼んでくれ。氏族は違うとはいえ、先達達の墓標を弔うには同種族の者達がふさわしいからな」


 比較的に状態が良く、多く文字が刻まれた剣を1本取ってサナに押しつけるように渡す。

 本来ならば発見した自分が届け、その状況を伝えるのが筋だが、さすがに西方まで赴き、ひっそりと隠れ住むという虫人のコミュニティを探す時間はケイスにも無い。

 だから不承不承ながらも、ソウセツを頼らざる得ない。

 それは判っているが、ただソウセツに負けた気がして悔しいのは変わらない。


「物事を頼むのならば、私が紹介しますのでご自分で、」


「解読不可能な以上ここにいても仕方ないが、私はもう少し武器になる物を探してくる! 二人とも出立の用意をしていろ!」


 言いかけたサナの提案を無理矢理遮り、ケイスは岩場から飛び降り走り去る。

 直接会ったら、とりあえず戦う為に斬りかかるつもりだが、今はまだ勝てない。これ以上負けを積むのは悔しいから、まだ会わない。会うわけにはいかない。

 ケイスからすれば単純明快な理屈なのだが、それは狂人なケイスの理屈。他者から見れば誤解を生む行動でしかないと、まだまだ世間一般との付き合いに疎いケイスは気づいていなかった。







「…………」


 走り去ったケイスを無言で見送りながら、サナは小さく息を吐き出す。

 始まりの宮前に決闘めいた戦いをしたが、今の所サナとケイスのコミュニケーションには問題無い。

 むしろケイスの方はなぜか親愛の情を向けてくれているのは、言葉の端々から気づいている。しかし祖父の名前を出すと、途端にあれだ。

 あまりに判りやすい拒絶の態度に、ロウガの街中でまことしやかに囁かれる噂が、どうしても気に掛かる。

 やはりケイスは、ソウセツの血をひくのではないか?

 厳格な祖父が、若い頃は有能だが破天荒で素行の悪い探索者で、探索に成功する度にその報酬で色街に入り浸って豪遊していたというのは有名な話だ。

 口さがない者などは隠し子の一人や、二人いてもおかしく無いとも。

 あまりに年齢離れした戦闘力、ソウセツに向けてみせる強い敵意、ソウセツの義祖父であるフォールセンの最後の愛弟子、そして何より前期の出陣式に殴り込んできた暴挙。

 サナの知るあらゆる情報、状況が、その根拠無い噂を確信へと近づけていく。

 ケイスがソウセツに敵対的なのは、捨てられた、無かったことにされた祖母や、父もしくは母の怨みでは無いか。

 もしケイスがソウセツの血を引くのであれば身内であり、年齢差的にサナにとっては妹同然のようなものだ。身内同士の争いをサナは、ロウガ王族は望まない。

 だからサナとしては、ケイスの真意を確認して、ソウセツと一度じっくりと話し合ってもらいたいのだが、いまだその足がかりさえ掴めていない状況だ。

 
「姫。あれの行動に関してはあれこれと考えても無駄だと思うが」


 疑心暗鬼で色々と思い悩んでいるのが表情に出ていたのに気づいたのか、時間の無駄だと言わんばかりにファンドーレがあきれ顔を浮かべていた。


「ソウセツ殿とケイスの間に何らかの確執はあるのは確かなようだが、自分が納得するまでは他者の意見など気にもとめないから、放っておくのが最善かつ唯一の方法だろうな」 


「殺し合いになるかもしれないのに、放っておくなど出来ません」


「いくらケイスと言えど、さすがにソウセツ殿相手では、しばらくはまともに戦いなどならないだろう。それこそ余計な心配だな。それよりもだ姫。あいつがいないうちに解読結果を伝えておく」


「ぇっ!? か、解読ができていたのですか!?」


「あぁ。消滅文字だがこの手の古語に詳しいへんた……知り合いがいて、幸運にも教わっている中の1つだった。ただ岩に刻まれた内容が不穏だったので、ケイスには伝えるのを止めておいただけだ」


 ファンドーレがなぜかしかめっ面を浮かべながら、 あっさりと前言をひるがえす。


「不穏? なんて書いてあったのですか」


「文法も違うので要約となるが、『封希望。破壊絶望変化。絶望死経希望有』何が希望か、絶望かは断定は出来ないが、この大岩は人工的にした封印で水源を遮っているのは判った。隙間から僅かに水が漏れて、この水場は作られているので、水源は枯れていない。この蓋である岩を破壊すれば水があふれる仕掛けだろうな」


「水で満たされる……希望はともかく、絶望は吸魔樹が完全復活するという事でしょうか?」


「文面と状況から考えてそうかも知れないが、まだ情報は少なく、何が起きるかは判らない。だから、壊す、壊さないはもう少し調べてからにしたいが、ケイスに伝えれば、壊せば判るなら、壊すとなりかねない。短絡思考馬鹿には隠しておけ。それと俺の指輪がこれの解読成功と共に解除されたが、姫の方はどうだ? 姫も俺と同じく真下に反応があったのだろう」


 人形サイズの小妖精族のファンドーレにに合わせて、極小だが歴とした探索者の証である指輪は銀色に色づき、始まりの宮の試練を突破した事を示していた。

 しかしサナの指輪はまだ透明のままだ。だがそれも当然だ。


「いえ……まだ色づいていません。今は感じるのは上のほうなので通り過ぎてしまったのでしょう」


 ケイスの安否を確かめにいくだけでは、仲間達が許してくれないだろうと思い、試練がケイスと同じく真下にあると嘘をついていたからだ。

 そこにファンドーレも真下だと言うこともあり、飛行能力を持つ二人がケイスを探しに縦穴を降りてきた訳だが、結果は二重遭難という有様。

 サナが指輪から感じる試練のはっきりした方向は無い。全方向にうっすらと感じるのだ。

 この手の感じ方の試練は、迷宮内で何匹のモンスターを倒せという討伐系試練が多いと講習会で習っている。

 だからサナは自分の踏破には、あまり心配はしておらず、ケイスの真意を探ることを優先していた。

 







「お爺様。ほかに金属の感じはあるか?」


(水中にはもはや武具と呼べる大きさの物は無い。だが我を使うにはもう少し時間はおけ)


「ん。だいぶマシになったが、さすがに間を置かないでの闘気生成は控えるぞ。1日、2回か3回といったところだな」


 身体に流れる龍血は、本来の力を解放するための切り札ではあるが、同時にケイスを殺しかねないほどに暴虐。

 超常の力を支配するためには、また超常の力を。すなわち迷宮を踏破し天恵を得て、肉体強化をすれば良い。

 だからそちらは心配していないが、ケイス的に目下の問題は武器だ。


「どうも大イカを倒した時に僅かながら力を得たようだ。このままではお爺様はともかく、ナイフの方も存分に振るえんからな」


 先ほどフナムシの群れを屈服させた戦闘ナイフを引き抜いてみれば、刀身には刃こぼれや細かなヒビがいくつも見てとれた。

 それはケイスにとっては予定外のダメージ。

 フナムシの群れとの戦闘時には今現在闘気強化無しで出せる最大の力と、速度で振るっても、刀身に致命的なダメージを与えるほどにはならなかったはずだが、ケイスが自覚していた最大値よりも、僅かだが上回っていた所為で、余計な力が刀身に加わった結果だ。

 既に長剣は折れ、替えはあるがナイフにも軽くないダメージを負っている。武器となる物を探すのは、剣士として当然の行動だ。


(…………)


 一方で予定外の力の増加に末娘が本格的に迷宮神の思惑に取り込まれたことを悟りながら、ラフォスは真実への口を噤む。

 本来であれば天恵は、迷宮を踏破して初めて探索者にもたらされる超常の力。

 だがケイスは違う。その役目は龍王。むしろ迷宮に属するモンスター側だ。迷宮で敵を倒せば倒すほど、その力を喰らい、その場で上限無く強化されていく。

 クラーケンだけでは無く、微々たる物だがフナムシたちを倒し得た力もケイスは取り込んでいる。

 だから予想外に力を振るえてしまい、それが武器へのダメージへと返っている。

 迷宮【永宮未完】は蠱毒の壺。この世の最強種、龍。その龍の中の龍。龍王を産み出すために用意された褥。

 そして世界の敵たる龍王を討伐する力を、人種が得る過程を楽しむ、神々達の遊戯台。 

 かつて永宮未完が出来上がる前の、討伐されるべき龍王だったラフォスだからこそ知るこの世の真実。

 世界の理を知る者は、知らぬ者に語る事を許されないと知るからだ。語れば迷宮神によって存在事、抹消されてしまう。

 既に自身は終わった者と悟っているので、消滅すること自体に恐れは無い。

 だがどうにも気に掛かる末娘の行く末だけは、許されるまでは見守り、力を貸そうと思っているのもまた事実だ。


(金属では無いが、あれらはどうだ? 大イカの残した爪のようだ。骨ごと喰らう掃除虫共が食い残すほどだ。よほど頑強であろうな)


「ん。あれか。そういえば最初に一撃を防いだときかなり堅い感触が返ってきたな……ん~大いかの嘴は見当たらんから、あっちは喰われたか。なら爪の方が堅いようだな」


 先に落ちてきたオークやオーガどころか、スケルトンたちの骨の1つも水の中には落ちていない。大フナムシたちによって綺麗さっぱり喰われてしまったようだ。

 一番手近にあった爪に近づいたケイスは水中から拾い上げる。

 僅かに弯曲気味だが長さや幅的には大剣ほど。しかしその重さは金属剣の半分ほどに軽い。叩いてみると堅い感触と音が返ってくる。

 
「切れ味は……ふむ。これは斬撃特化と見た方が良いな」
 

 腕を覆っていた金属小手を近づけ滑らせてみると、力を入れていないのにあっさりと傷がつく。爪の方には欠けは見られない。

 下手に持つと手を切ってしまいそうなので、ナイフから引き出したワイヤーと布きれをかませて縛り背中にくくりつけ、ほかの爪も拾いに行く。

 次に拾った爪は針のような形をした細長い円形状で、先端は鋭い。突き刺し用といった形だ。

 さらに次に拾った爪は、片側半分が先端から半分ほどまでに、ギザギザの細かな突起がついたのこぎりのような爪。

 かと思えば、中身に何かが詰まっているのか、先端だけが膨らみ重くなっているメイス状の爪と、10本共にやけに個性が強い作りをしていた。

 形はどれも違うが、共通しているのはずいぶんと頑丈だが、根元辺りが中空になっているのか見た目より軽く、今のケイスの力でぶん回しても、ちょっとやそっとでは損傷し無いだろう。

 しかしどれも持ち手となる部分が無くつるっとしているので、このままでは使いにくい。

 街に戻ってから鍛冶屋に持ってけば、簡易改造で使えそうだが、このままでは、


「ん。良いことを思いついた」


 どうにか使う方法が無いかと考えたとき、ケイスはある案を思いつき、きょろきょろと辺りを見回す。


(どうした娘? 爪はこれで全部だが)


 ケイスが見つめる先にはイカを喰らったあとも、ケイスを警戒しているのか遠巻きに見張るフナムシたちの群れ。


「いや……っと、いたな。とりあえずどれが喰ったか判らんから手当たり次第に腹を割くか」


 物騒な事を言いだしたケイスは、言葉とは裏腹な名案を思いついたとばかりの笑顔を浮かべると、フナムシの群れに突進していった。









 それは突然だった。先ほどまでは遠巻きにこちらを伺っていたフナムシたちが急にざわめきだし、岩場の裏側から激しい水音が聞こえてきた。


「虫たちが!? 新手のモンスター!?」


「怪物と言えば怪物だな。どうやらケイスがフナムシ達に襲いかかって逆上させたようだ」


 移動準備は終えていたがケイスが戻ってくるのを待っていたサナが驚きの声をあげるが、先に岩場の裏側を見たファンドーレが冷静な声で告げる。


「な、何をしていますかあの娘は!?」  


 予想外の言葉にサナも慌てて裏側に回ってみると、腹を割かれて死亡したフナムシを担いでこちら側に走ってくるケイスと、その背後から津波のように押し寄せるフナムシの群れが見えた。

 腰から爆裂ナイフを抜いたケイスが背後に投げつけ、発生した爆風と音でフナムシを一瞬怯ませ、一気に岩場へと駆け戻ってくる。


「ケ、ケイスさん! 貴女一体どういうつもりで!」


「サナ殿ちょっと防いでいてくれ。だが試し切りをするから全部は殺すな」


 身勝手さを発揮したケイスは、戸惑いながらも問いただすサナをまるっきり無視して、背負っていたフナムシの死骸と大イカの爪を放り降ろす。


「っ! か、勝手なことを!」


 理不尽すぎるケイスの言動に、生真面目なサナは怒りを覚えるが、フナムシたちが迫っているので、ケイスを叱るなんて悠長なことをしている暇は無い。

 兵仗槍を構え追い払うために岩場から降りたサナを見送ったケイスはまとめていた荷物の中から引き上げていた剣を1本引き抜き、そのまま横の岩に叩きつけ刃もとを僅かに残し躊躇無く叩き折る。

 先ほどまで弔う云々を言っていたのに真逆の行動も良いところだが、ケイスからすればこれも当然。

 剣として死んだのだからその使い手達の遺志を尊重し墓標として丁重に弔うのが最優先だが、剣として蘇る道を見つけたのだ。

 ならば剣の天才たる自分が使ってやるが、もっともふさわしい弔い。

 まさに身勝手。まさに剣馬鹿。

 叩き折った剣を先ほど担いできたフナムシの裂いた腹の中に突っ込み、すぐに引き抜く。

 その先端には粘着性の強い物質がべったりとついていた。


「大イカの足の粘着物質だな。接着剤代わりにでもする気か? サンプルにしたいから少し残しておけ」


 魔術を使えるならともかく、吸魔樹の根がそこらに張り出しているここでは自分は役に立たないと達観しているファンドーレは、ケイスの作業と、その背中に背負ったイカの爪を見て興味深げな声をあげる。

 大イカの足を覆っていた岩を頑強に貼り付けていたのは、その足からにじみだした粘液。色と匂いで、ファンドーレはその正体を見抜いたようだ。

 迷宮学にはモンスター素材の利用研究もあるので、学者としての探求心を優先している。 


「うむ。柄の方は細めで使いやすそうだったからな。だからこうして」


 大剣サイズの爪を左手で支え、その根元に向けてケイスは右手で鋭い突きを解き放つ。

 折れた剣であろうが、どれだけ硬い爪だろうが、天才たるケイスが放つ近距離からの動かない物体への突きで、突き破れぬ物など無い。

 強い抵抗がありながらも、正確無比に外側を突き破り中の空洞部へと到達する。

  
「むぅ。ぐらぐらするな。しばらくしないと乾かぬか?」


「火であぶれ。その手の素材は少しの火ですぐに硬化する物が多い」


 ファンドーレのアドバイスに従いカンテラの覆いを外したケイスが、灯心の火で接続部分を炙ると半透明状の粘液がすぐに黒く染まり、ぐらついていた爪、否、刀身が安定する。


「ふむ……よし! さすがだなファンドーレ! ちょっと試し切りをしてくるからほかのも同じようにしておいてくれ!」


 一、二度素振りをしてその手応えを確かめたケイスは、喜色満面の笑みを浮かべ、大立ち回りを強いられているサナの方へと駈けだしていった。

 
「どうやってやれというのだあの馬鹿は。しばらく時間が掛かるなサンプルの確保をするか」


 ケイスの技量があって初めて出来る力任せの改造をやれと言われても、できる訳も無い。

 鬼神の如き勢いでフナムシたちを一刀両断し斬り捨てだしたケイスを一瞥して、無理な頼みを頭から無視したファンドーレはフナムシの腹に近づき、己の知識欲を最優先することにした。



[22387] 挑戦者と対龍都市遺構
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/03/10 00:12
「風の流れはここのようだ。魔術で排除が出来れば通れそうだが、根が反応する」


 水が枯渇した地底湖の中心から少し歩いて、風の流れを探っていたファンドーレの先導に従い、ケイス達は外周部へと到達する。

 魔力を使って浮遊することが出来ないので、ケイスの頭に腰掛けるファンドーレが指さす先には、か細いカンテラの光に照らされるアーチ状に組まれた石組みの遺構。

 その中心は崩れ落ちたのか、それとも埋めたのか、瓦礫と土砂でふさがっていた。

 瓦礫の亀裂に近づいてみると、頬に乾いた風の流れが感じ取れる。

 人が通れそうな隙間は無いが、この向こう側に空間があるのは間違いないだろう。

 短剣を手に構えたケイスは、アーチ表面の石組みに軽く剣を当て、音の反響から距離を探る。くぐもった音の反響が暗闇の中に響き、すぐにかき消される。


「埋まっているのは数ケーラ程度のようだ。ほかの場所を探すよりも、ここを崩して抜けた方が早そうだ」


「待て。いきなり崩そうと思うな。罠の可能性も疑え」


「ん。言うことは判るが、制限時間があり、ほかに出口があるかもわからぬ状況だぞ。どこに繋がっているか確かめるためにも開いてみるべきではないか」


「だがどうやって崩す? 魔術を使えば吸魔樹が反応するとさっきも言ったが忘れたか」


「ん~。体調が万全なら双刺突で崩すんだが……サナ殿。対陣型突破技で突き破れるか? 槍術ならば槍気刺突で十分だと思う」


 闘気強化が出来れば突きの1つでこの程度なら障害にもならないが、まだ体調を考えれば時間がほしい。

 自分が無理ならば、獲物は違えど同流派である同じオウゲンの流れをくむサナへと、対陣基本技の1つである技は使えるかとケイスは尋ねる。


「体得していますが、その技名をどこで知りましたか?」


「だから狼牙の先達の方々に教わったといったであろう。サナ殿は疑り深いな。時間が勿体ないから早くしてくれ」


 疑いの眼差しに、ケイスは目をそらしながら嘘を答え急かす。

 邑源流の様々な流派技をロウガ地下で狼牙兵団の死霊に教わったのは事実ではあるが、その時に見たのは、奥義や絶技など今は継承が絶えた技。

 今も伝わる技はサナの祖父であるソウセツへと、祖母であるカヨウや、大叔母のユキが伝えた技なので、祖母、母経由でケイスも知っているという単純な理由がある。

 大元の祖母は狼牙生まれなので、大まかに言えば嘘では無いという自己防衛をしつつ、生まれを隠すケイスとしてはバカ正直に知っている理由を言うわけもいかず、下手なごまかしをするしかない。

 もっともそのあからさまな嘘と態度が原因で、サナが別の疑惑への誤認を徐々に強めているのだが、他者との関わりに対する経験値が低い上に、元々他者をあまり気にしないケイスが、サナの向ける目が持つ意味に気づくわけも無い。

  
「二人とも下がっていてください」


 疑惑をますます強めながらも、今はケイスが言う通り時間が惜しい。サナは複雑な感情を押し殺しながらも、兵仗槍を水平に構えた。

 丹田から生み出した闘気を穂先へと集中させながら、サナは脳裏に力の伝播を思い描く。

 力が及ぶ範囲を広げつつ、力を全方位へと分散させるのではなく、一方向へと導き、効果範囲と貫通力を上昇させる。

 闘気とは肉体強化の力。すなわち己自身。内界へと働きかける力。

 外界へと働きかける魔術の方が、瓦礫の除去に適しているが、吸魔樹の根があって使えないのであれば、技によって乗り越えるしか無い。

 
「邑源槍流……槍気刺突!」


 呼気をはき出すと共に、槍を一直線に瓦礫の上側へ向けて打ち放つ。

 槍の穂先を中心にして円形状に広がった力の向きを、槍を僅かに回し穂先を微細にコントロールし制御する。

 サナの放った一撃は、まるで巨大な丸太で突き破ったかのように詰まっていた瓦礫や土砂の一部を吹き飛ばし、向こう側へと貫通する穴をあっさりと作りあげた。

 背中に大きな翼を持つサナでも立て膝で進めば、どうにかこうにか通り抜けられるだろう。

 
「やはり人為的に埋めた跡のようだ。通路の天井に崩落箇所は見られない。通っても問題ないな」


「ん。先行して安全を確かめる。ファンドーレ、肩に移れ。ちょっと低いからかがむ」


 同年代の子供と比べても小柄なケイスでも、立って抜けようとすれば頭を打ちそうなので、中腰で空けたばかりの穴を通り抜ける。
 

 背中にくくりつけた10本の剣をガチャガチャと鳴らしながらも穴を通り抜けると、水平な通路はすぐに終わり、傾斜のゆるい昇り通路が伸びていた。先は暗く見通しなど利かない。

 穴を空けた事で風の通りがよくなり、上の方からの風に交じり匂いが伝わってくるが、動物が近くにいるような匂いも気配も感じられない。


「問題無さそうだ。サナ殿、通り抜けられるか?」

 
 安全を確かめてから声をかけると、ケイスと違い背中の翼があるので多少苦労して土埃に汚れながらも、サナも何とかこちら側に抜けてくると、辺りを見回す。

 
「古い様式ですけど、思ったより立派な通路ですね。ファンドーレさん、何か判りますか?」


「石の組み方は古代遺跡によくある滅亡したトランドドワーフの形式だが、土砂や瓦礫の中に魔力遮断性質を持つ鉱物が混じっていたようだ。吸魔樹を閉じ込めるためにわざと埋めたと見るべ……埋めてあったというべきか」

 
 ケイスの身体から飛び降りて、通路を塞いでいた瓦礫や土砂の破片を観察していたファンドーレだったが、何かに気づきため息を吐き出す。

 ファンドーレの目線に釣られ背後を見れば、今抜けてきたばかりの穴から、ゆっくりと這いだして伸びる根がちらりと見えた。


「二人ともすぐに上に駆け上がれ。吸魔樹が再成長を始めだした。どうやら上に魔力発生源があるようだ」
 

「塞いでいる時間も材料も無いか。仕方あるまい、サナ殿、走るぞ。距離を空ければ魔術を使うだけの猶予も出来るであろう」


 ファンドーレを拾い上げるとサナの返事を待たずに、ケイスは行き先も判らぬ上への通路を駆け上がり始める。


「なんでこうも行き当たりばったりなのですか貴女は!」


 文句は言いつつもほかに選択肢も無く、サナもケイスの後を追いかけるしかない。

 幸いにも吸魔樹の根はケイスの魔具や、サナの魔力を吸収したときにみせた爆発的な成長ではなく、ゆっくり徐々に伸びているようで、すぐにこすれる物音は聞こえなくなる。

 もっとも聞こえないと言っても、こちらに向かって伸びて来ている事実は変わらない。さらに最悪なのは、吸魔樹が求める魔力発生源に到達すれば、どう転んでも碌な事にならないだろう。

 カンテラの明かりを頼りに、僅かに曲線を描きながら延びる上昇通路をただひたすらに駆け上がっていく。ゴールは見えないが分岐なども無いので、ただ走っていくだけ。

 根から離れれば離れるほど、魔力を使用できる時間が稼げるのだから、今は少しでも距離を空けるのが得策だ。


「どう思う。ずいぶんと頑強のようだが何かの神殿の一部か?」


「神殿にしては華美さが足りん。松明を使った煤の痕跡も無い。地下湖の水面の高さをあの空間の上部だと想定すれば、この辺りの高さまで、当然水が来ていたとみるべきだ。だからといって地下湖から水を汲み上げる水路にしては遠回りが過ぎる。傾斜の緩やかさからみて、水中通路か何かだろう」

 
「ならば半水棲の虫人都市遺構という事ですか? それにしては狭すぎますが」


 通路の立派な石組みが虫人族ではなく、他種族のドワーフの手による物ならば、今の時代でも少なくとも地方諸侯クラスの権力と資金を必要とする。

 だが人が二人ほど並んで走れる幅はあるが、都市への物資の搬入に使うにはいくら何でも狭すぎる。


「非常時の隠し通路の一種として水没させる仕掛けもある。姫の住まうロウガ城にも狼牙地下水路に繋がる道がいくつかあるだろう。城の構造から城内礼拝堂辺りの井戸か」


「な、なんで貴方がそれを知っていますか!?」


「趣味で地下水路地図を作っていて立地から疑っていただけだ。姫、正解だと教えてどうする。いくらロウガ王家がお飾りとはいえ、少しは腹芸を覚えろ。ロウガ市民としては素直すぎる王族など不安しか無い。俺に悪意が有れば良からぬ企てに使われかねんぞ」 


 相手が王族のサナだというのに、何時もの毒舌で平然と告げる。

 王の居城へ繋がる隠し通路の情報は、人によっては値千金の価値が有るのは間違いないが、ファンドーレの場合は、旧地下水路の全容を明かすのを趣味にしているだけだ。


「なんだ地下水路から行けるのか。ファンドーレならば今度、私に教えろ。あの男に奇襲を仕掛けてくる」


 だがそのファンドーレを遥かに上回る非常識さをデフォルトにするケイスは、さらに物騒なことを宣う。

 ケイスが指すあの男が誰かなど言うまでも無い。


「ほら見ろ、このような馬鹿がでる。今の台詞はレイネに伝えておく」
 

「むぅ、卑怯だぞレイネ先生に告げ口なんて。パーティメンバーを売る気か」


「卑怯云々は、ソウセツ殿に奇襲を仕掛けようとするお前が言えた義理か。元同僚のよしみで後輩の頼みを優先するだけだ」


「ふん、アレの実力ならば奇襲されたくらいでどうこうなるか。むしろ本気を出させるための仕掛けだ。私だと知ればまた手を抜かれるからな……だからレイネ先生には言うな」

 自分だと知れば、ソウセツは手を抜く。

 ケイスの言葉はまたもサナの疑惑を助長させる物だが、当の本人はレイネに発覚する方が気がかりなので、気づきもしていないようだ。


「本当にお前が地下水路から仕掛けたら、レイネの事だ。俺の資料を全部燃やすとか言いだしかねんから断る」


「うー判った。断念する。絶対にやらん。剣に誓ってやる」


 ケイスがほかに何か口を滑らせるかと、黙ってサナはケイス達の会話を窺っていたが、その後に続いたのは拗ねたケイスの文句だけだった。

 そんな馬鹿な話をしているうちに、通路の終点へとケイス達は到着する。目の前の石造りの階段を上がると、狭い小部屋へと繋がっていた。

 こちらも石造りの小部屋ではあるが、地下通路のように隙間無くびっしりと敷き詰められた物と様式が違い、もっと乱雑な作りだ。

 ここは倉庫だったのか、壊れた樽や戸棚らしき物の残骸があちらこちらに散らばっているが、四方は壁となっていて出口らしき扉は見えない。

 壁際にはこの階段を隠していたとおぼしき板と金属の持ち手が朽ち果てたままにされている。ファンドーレの予測通り、今抜けてきた部分は隠し通路とみれる。


「これだけ距離が空いていれば、飛翔魔術を使うくらいなら問題はないな。出口を調べるから大人しくしていろ」


「では私は魔力の流れを確認します。方角がわかれば魔力発生源を発見して停止させられるかも知れませんから」


 ケイスの肩を蹴って飛翔したファンドーレが、周囲の残骸を調べ回り始め、サナも術を使って風に含まれる魔力の流れを探り出したので、ケイスは根への警戒を一応するために今上がってきた階段へと意識を向ける。


「閉める暇も無く逃げ出したのか、それとも戻れなかったのか。どちらであろうな」


 自分の背中に背負った柄に手を当てながら、ケイスは考える。水辺の岩場に落ちていた剣。そして塞がれた通路。

 どのような気持ちで、過去の使い手達はここを抜けてあの場へいったのだろうか。

 なんとなく、おそらく、それはケイスの勘だが、剣士として何かを守るための戦いだったのだろうと判断する。


「どうやら出入り口は天井のようだ。縄梯子の残骸があった」


 残骸を漁っていたファンドーレが、天井へと向けて光球をあげるとぽっかりと空いた穴が姿を現す。
 
 飛行能力を持つサナが周囲の安全確認をするために先行して、穴から部屋の外へと出て、


「っ!? ……だ、大丈夫です。二人とも上がってきてください」


 驚き声が思った以上に大きく周囲に響き渡りそうになって、すぐに口を噤んだサナが小声で手招きする。

 その顔には驚愕の色が色濃く表れていた。

 ファンドーレが外に出たのに次いで、残骸を踏み台にして部屋の壁を蹴ったケイスも脱出し、


「……これは」


 目の前に広がった光景に、さすがのケイスも驚き、言葉を失うしか無かった。

 ケイスの目に飛び込んできたのは、光球やカンテラの灯り程度では全容が見通せないほどに広がる都市の廃墟群。都市のあちらこちらから数え切れない無数の石柱が、建物や道路を突き破っている。

 だが真に驚かせるのはその石柱の先だ。そこには龍が居た。見上げる天を埋め尽くす巨大龍の石像が存在した。

 それも1つや2つでは無い。

 無数の石で出来た龍が連なり重なり、天を埋め尽くし都市を覆う蓋となっていた。

 背後を振り返ればケイス達が転位してきた吸魔樹の大木が鎮座し、こちらも無数に伸びた枝が龍を貫き、龍と共に石となっている。樹上部は龍で埋め尽くされているので見通せないほどだ。


「ファンドーレ。これは本物の龍……火龍だな」

 
 今にも炎を吐きそうな獰猛な顔や、突き出た牙、鱗の一枚一枚まで数えられるほどの造形。これが飾りで彫られた物などとは思えない。

 そして何よりケイスの中の龍血が告げる。これは全て本物の龍。完全に命は尽きているが、龍だったものだと。


「対龍都市の遺構か。火龍達の住処があった東域とは違い、離れた西域の諸国は多少なりとも滅亡するまでの時間があり、いくらかの成果は上げたと聞いた事はあるが、おそらくこれもその1つだ……まさかここまで完璧な姿で残っているとは」


 何時も冷静なファンドーレの声にも、僅かだが驚きと興奮を含んだ色が含まれる。


(貪欲な火龍共の性質を利用した罠であろう。吸魔樹のままで龍食いの樹の力の一部を開放し、対龍兵器として用い石化させたか。飢えた顔をさらしながら絶命しおって龍の名折れ共が。娘、早く出口を見つけるように仲間達に伝えよ。死しても龍は龍。こやつらの死骸その物が魔力の塊。封ずる術など無い)


 ラフォスはあからさまな罠に掛かった火龍の骸が不愉快なのか嘲るように吐き捨てると、ケイスへと注意を発する。


(龍食いの樹は自由自在に動く根や枝を突き刺し龍を石化させ、その魔力を吸い取るが、吸魔樹の段階では、石化能力も、自身の毒による石化への無効化能力は持っておらん。そこをうまく利用したようだな)


 この都市の虫人達は、魔術改良で龍と吸魔樹が相打ちになるように、吸魔樹のまま龍食いの樹の石化能力だけを発現させる事に成功したと、ラフォスは断言する。


(ん。感謝するお爺様……だがその前に斬らねばならん物達がいるようだ)


 情報をくれたラフォスに感謝を述べながら、ケイスは背中に背負っていた剣の1つを掴み、抜刀して構える。

 気を取られてはいたが、周囲への警戒を緩めてはいない。ケイスの目は都市の残骸の中に浮かび上がった灯りを見逃しはしない。


「二人とも気をつけろ! 何かに囲まれている!」


 ケイス達の周囲を取り囲むように赤黒い灯りがいくつも浮かび始めていた。



[22387] 挑戦者達の連携
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/03/15 22:38
 暗闇の中、周囲を取り囲む赤黒い光は徐々に大きく、そして数を増していく。瞬く間にその数は40を超え、なおも増加は止まらない。

 都市の灯りという感じではない。鼓動するかのように点滅を繰り返し、徐々に大きくなっており、この主が生物だと直感が告げる。  


「斬り込むか?」


 まだ遠く敵の正体はわからぬが、自分に出来るのは斬れることだけ。ならば相手が動く前に剣の届く距離に、自分の間合いに踏み込むために、ケイスは突撃をかけようとするが、


「待て。魔力を使うのは控えていたが、自体が自体だ。即席地図を作る」


 吸魔樹の活動を活発化させる懸念が有って控えていたが、多少の距離が空いたのもあり、ファンドーレが背中の羽根を振るわせ周囲に魔力を放出していく。

 マッパーがよく使う障害物による魔力減少反応を利用した地形調査魔術で把握した周辺地図を、光球を変化させ線描地図で目の前に出現させる。

 短時間製作なのでそこまで広域な地図ではないが、それだけでも大小の路地が交差する複雑な都市構造と、破壊された建造物や、突き出た根が石化して出来た石柱によって、塞がれた箇所が無数にあるのが見てとれた。


「瓦礫であちらこちらが塞がれ、相当に移動しにくい構造になっている。移動しながらの戦闘よりもここに篭もった方がまだマシだ。今のうちに脱出路を探すからアレはどうにかしろ……それにしてもあちらで横倒しになった残骸は物見塔か? 換気のためというよりも陽光を取り込むための天窓らしい物もある。しかし上には地下墓地もあった。ならここは元は地上にあった埋没都市と……」


 この状況下でも研究心が勝るのかファンドーレは脱出経路を探すため地図を拡張しつづけながらも注視しているが、戦闘職の二人は今判る範囲内だけをパッとみただけで頭に叩き込み、ほぼ同時に動き出す。

 地下室の出入り口は、破壊された倉庫とおぼしき建物に繋がっていた。倉庫の天井は崩れ落ちて跡形もないが、三方には半壊はしているがまだぶ厚い石の壁が残って遮蔽物となっている。


「私が上を抑えて全方位を監視します。入り口をお願いします」


「うむ。心得た。サナ殿に任せるぞ」


 翼を持ち機動力のあるサナが遊撃を勤め、もっとも戦闘慣れしているケイスが一番の弱点である入り口を塞ぐ。

 現状でもっとも適した陣形を自然に取れたのは、皮肉なことにフナムシに斬り込んだケイスの暴挙が原因。あれだけの乱戦をくぐり抜ければ、自然と互いが得意とする距離や戦闘法が嫌でも判るというものだ。

 サナの場合は、空を得意とする翼人故に、足場が無い状況での戦闘にも特性があり、任せておける。

 入り口を塞ぐように立ったケイスは最初に引き抜いた一本以外の、背中にくくりつけていた剣をはずして、壁の横に投げ置く。

 本音を言えば全部を試したいので、持ったままでいたいが、さすがに10本ともなると身動きの邪魔になる。必要となれば隙を見て変えれば良い。 


「お爺様。正体はわかるか?」


(判らぬ。ここは火龍の力がある所為で感覚が鈍りおる)

 
 水龍と火龍の相性は悪い。それこそ天をも恐れぬ唯我独尊、傍若無人なケイスでさえ、枷を外せば、互いを食い合う血を完全に抑えきれず死にかけるほど。

 先代深海青龍王とはいえラフォスが宿るのは、羽の剣に用いられたかつての肉体の極々一部。逆に火龍は石化死したとはいえ、その骸が数えきれぬほどの数が天を覆っている。どうしても能力が抑えられてしまうのは仕方ない。 

 正体が判らぬのであれば、判らぬなりのやり方がある。

 右手にクラーケンから得た貫通力重視の細く長めの爪の剣を持ち、左手には数が少なくなってきた防御ナイフを引き抜き逆手に持つ。両肩の幅に足を開き、均等に重心を預けた、足を止めた防衛の型を取る。

 軽量かつ小柄なケイスの戦闘法は、基本的には移動しながらの一振り一殺。足を止めた籠城戦はあまり採用しない。

 だがそれは得意、不得意と言うよりも、大局的には好みの問題。

 防御、防衛重視で足を止めるとなれば、斬れる数も減り、時間も掛かる。毎回毎回突っ込むのは、敵は即座に斬りたく、殺意が高すぎるケイスの好み故の戦い方でしか無い。 

 ケイス達が戦闘準備を整えるとほぼ間もなく、赤い光が一斉に動き出し始める。

 まるで熟して樹から落ちた林檎のように光は一斉に次々と落下し、地面に落ちた途端に強く光って軽く跳ねる。跳ねた先で何かにぶつかるとまた光って跳ねる。

 障害物の多い都市残骸を巧みに利用し、光の群れが縦横無尽に跳ね返りと強い発光を続けながら、徐々にその速度は増し、そして着実に近づいてくる。どうやらある程度なら跳ね返る方向をコントロールは出来るようだ。

 数多の光を追い続けていれば反応が遅れる。残像を景色として捉え、最接近している光のみに、注視を次々に切り変えていく。 

 その速度が捉えきるのが難しいと感じるほどに早くなってきた瞬間、光の1つが反射角度を急に変えて、ケイスを目がけて右斜め方向から突っ込む。

 不意を突いたつもりなのだろうか。だがケイスは即座に反応し、僅かに足捌きをして、ひと抱えはある大きさとなった光の軌道を読み取り、右手の突きを繰り出す。

 切っ先が光にめり込む。

 光の正体は赤黒く発光する粘液と即座に目視で確認。

 しかし粘液の表面を、剣は突き破れずスライムの表面を突いたかのような弾力で、その威力は大半が打ち消されつつある。

 さらにめり込んだ切っ先が、異常に堅い何かに触れる。おそらくこれがこのモンスターの本体。だが威力の落ちた突きではその外殻を突き破れない。

 限界まで突き込んだのか粘液がまた強く発光し、一瞬半透明になり弾性が弱くなりその中身を晒した。

 光る粘液の中に隠れていた物、それは中央に星形の穴が空いた特徴的な甲羅を持つ亀だ。どうやらその穴が粘液の出現箇所なのかぽこぽこと気泡が湧いている。

 発光が弱くなると共に粘液がまた濁り、同時に弾性を最初よりも強く取り戻し、剣を押し返してきた。

 刹那の観察、思考で正体、特性を読み取ったケイスは、右膝から崩れ落ちるようにして体を入れ替え、押し返された威力を受け流しつつ、別方向へと跳ね飛ばす。

 ケイスの突きの威力を喰らって速度を増した粘液亀は、別方向から迫ってきていた別の亀と正面からぶつかり、両方とも強く発光しあらぬ方向へと弾かれる。

 跳ね飛ばされた二匹の亀は勢いよく都市の残骸に何度もぶつかりながら、徐々にコントロールを取り戻し、群れの中に戻る。 


「サナ殿! 気をつけろ。弾力を持つ粘液の中に堅い甲羅を持つ亀がいる。闇雲な突きは止められる。躱すか、風で受け流せ!」


 触れた甲羅の強度は、今の突きで突き破れないならば、並大抵の技では通用しないと判断し、上空のサナに警戒の声をあげる。

 ケイスの忠告にサナが返す前に、その声で亀の群れが反応したのか、両者に向かっていくつも跳んでくる。

 高速で迫る粘液に包まれた亀の群れ。だが彼らは1つの失敗を既に犯している。

 それはケイスに一度切られたことだ。

 通用しなかった突きであろうともケイスは剣の天才。

 言葉ではなく、剣を交えなければ他者が理解を出来ない、剣の申し子にして、異常者。

 千の言葉を交わすよりも、万の時を過ごすよりも、たった一振りの剣でケイスは、彼らの特徴を読み取り対処を思いついている。

 軽く跳躍して宙に跳ねたケイスは空中で、突っ込んできた最初の亀を左手の防御短剣で受け止める。

 その勢いで反転しながら右手を振り別の亀を迎撃した勢いで、最初の亀で崩れた体勢を空中で立て直し。

 さらに最初に受け止めた亀が弾力戻りを短剣の刃の角度を変え調整し、斜め上に弾く。そこにいた3匹目の亀に当て両者を弾く。

 右手で受け止めていた亀はそのまま腕を振りあげ、サナの死角から迫っていた上空の亀の軌道に合わせて放り投げる。

 ケイスの投げた亀とサナに迫っていた亀が空中でぶつかり、また別々の方向へと弾け跳んだ。


「風よ!」


 翼を大きく振ったサナが産み出した吹き下ろしの突風が、全方位から迫る亀の突進速度を抑える。

 どうやらケイスの忠告に対し、サナが自分の役割を牽制役に見出したようだ。

 サナが生んでくれた隙を使い、ケイスは地面に着地し、次に備え体勢を整える。

 受け止め、弾き、別の亀に当て、さらに馴れてくれば、足元の古い石畳、向かい側の廃墟を利用した跳ね返りを使い、途切れること無く迫る亀を次々にはじき返して、入り口から先には一歩たりとも進ませない。

 どうやら亀たちが弾む方向をコントロールできるのは粘液の一部分、短い手足が突きだした方向だけだと判ってからは、さらに効率は上がる。

 上手いこと甲羅側を弾いた箇所に当てれば、剣を当てたときだけで無く、二度目まで跳ばす方向をコントロールができる。

 さらに頭上では回避を優先しながらサナが呼び起こした突風で、亀たちの動きを牽制し、速度を落としてくれているで、さらにやりやすい。
 
 だがそれは防ぐだけだ。亀本体に刃が届いていないので、数は一向に減らない。

 サナが幾度か火炎系の無詠唱魔術を放ち当ててはいるが、粘液が少し蒸発してすぐに消えているので内部までダメージが通っている気配も無い。

 もっと高位の術ならば焼き尽くせるのかもしれないが、そこまでの術となれば無詠唱では難しく、高速移動をする亀達相手では、その隙を見いだせない。

 しかも魔術行使を繰り返しているので、地下の隠し通路を這っている吸魔樹が、どのような反応をしているのか判らないので、あまり時間をかけている余裕も無い

  
「どこかによい退避経路はあるか!? 大規模魔術の行使が出来る場所だ!」


 またも迫ってきた3つの亀を同時に処理してとんぼ返りを打ちながら、ケイスは背後の光球地図を確認し、退避路を探し続けているファンドーレに問いただす。

 数は多いが、ケイスならば防ぐだけはなんとかなる。

 サナもしくはファンドーレが高位魔術の準備をし、その間にケイスが防げばいいのだが、今の立地では下手に破壊力のある術を使えば、周囲の残骸が崩落し巻き込まれる恐れが強い。

 現に使いやすい位置なので、なんども亀を叩きつけた真正面の建物は、石積みが崩れてしまって、使えない。

 唯一幸いなのは崩落の際に巻き込まれた亀の一匹が、瓦礫に埋もれて動けなくなったことくらいか。

 どうやら弾力はあるが、瓦礫を自ら跳ね返すほどの膂力は無いようだ。しかしこの状況では一匹減った所で、さほど変わらない。


「広場らしき場所があれば良いが、大抵が埋まっている。姫! 上空からどこかよい場所は見えるか!?」


「見える範囲内は廃墟のみで、開けた箇所は道路のみです! 大光球をあげればもう少し見えるでしょうけど、ほかの場所の魔物を刺激する可能性があります!」


 滞空位置を次々に変えながら、槍で受け流し、翼が産み出した風で亀たちを牽制するサナからも色よい返事は返ってこない。


「ん、いっその事、建物の崩落で先ほどのように埋めてしまうか……」


 その手も時間をかければ出来るだろうが、地下通路を進んでいる吸魔樹の根が到達するまでに、どうこう出来る数では無い。

 そこまで考えた時にケイスの頭に名案がひらめく。

 跳ね返りのコントロールは最大二回まで。丸くなった亀の粘液は弾力が強いが、上から落ちてきた瓦礫をはねのけれるほどの力はない。

 そして吸魔樹の根が進む背後の地下室とそこからつながる深い通路。 

 
「お爺様。この案だが、構造把握はしたが、なるべく全部の亀の位置を常に知りたい。なんとかならんか?」


 思いついた策の為に必要なのは精密な周囲の地形情報と、その時の亀の正確な位置と移動情報。

 詳細な地図はファンドーレによって作成され確認し、全てを記憶できている。問題は亀の居場所とその跳躍方向と速度。


(また無茶な案を……せめて水があれば水面下の動きで感知できるが無理だ)


「むぅ。仕方ない。ならば無理をする」


 ラフォスの探知能力が発揮できればどうにか出来るが、無理ならばケイス自前の視力、聴力でどうにかするしか無い。まだもう少しは時間がおきたかったが、致し方ない。

 僅かに呼吸を変え、丹田と心臓から闘気を発生させる。


「ぐっ!」


 全身を一瞬で満たした暴虐な闘気が身体を引き裂きそうな力を内部から生み出し、こめかみの皮膚が弾け、口元からもこみ上げてきた血を少量ながらも吐き出す、 

 産み出したのは極々僅かな闘気だというのに、十分な時間を空けていなかったために、ケイスの身体を容赦なく傷つける。

 燃えるような灼熱が全身を焼き、血管を流れる凍える血が体内をぼろぼろに切り裂く。

 だが耐える。ケイスの身体は精神は耐える。

 少なくないダメージと引き替えに産み出した闘気ではとても肉体全体の強化は出来ないので、感覚のみを強化する。

 暗闇動く光を目で捉え、切り裂く風音で聞き、そして……薄紙を隔てた様な誤差はあるが皮膚が亀の発する熱を感知する。
  

「お爺様?」


 異常強化された感覚にはなれているが、ケイスにして初めての皮膚感覚に僅かに困惑を覚える。

 それはケイスの身体が産み出した力とちがい、血が外から感じ取った感覚。ラフォスがケイスの闘気に反応して使ったかと思ったが、


(我では無い。それは火龍の技……火龍の眠る地。僅かなりとも鼓動を保つ者でもおったか) 

「ん。理解した……サナ殿! 今いる位置に地面と平行になった風の盾をなるべく巨大に作ってくれ! ファンドーレ! 地下通路に奴等を叩き込み一気にけりをつけるから、最後に床を崩して地下室ごと埋めろ!」


 熱源探知は火龍の技だと断言したラフォスの言葉に、ケイスはとりあえず納得し頷き、考えるのは後にし、二人へと強い声で簡潔な指示を出す。

 両者が自分の思った通り動いてくれるかなどケイスは意識しない。考えない。考えている時間も無い。

 ただ両者を信じるだけだ。

 なぜならば龍血による闘気発生はケイスの切り札であるが、同時に全てのモンスターにここに龍が居ると知らせる技。

 まして本来の龍と違い魔力を封じ、肉体も傷ついたケイスは著しく弱体化している。迷宮の住民達にとっては、死にかけの龍は、天敵ではなく、最上の贄でしか無い。

 今まで様子を窺っていた者も含めて、一斉に亀がケイスに向かって殺到しているからだ。そしておそらくは地下の吸魔樹の根も。

 切り札は、切った段階で勝負に出なければ、意味はない。

 全方位から一斉に迫る亀達の光を風を熱を感じ、地形情報を読み取り、剣技を組み立てる。

 暗闇の中でケイスに高速で迫る光の群れ。それは端から見ればまるで不気味に輝く夜空の星が、一斉に凶兆を指し示す流れ星に変わったかのような幻想的な光景。

 ならば付けるべき名は、


「参る。フォールセン二刀流新技……凶星流し!」


 妖光を放つ亀を迎え撃つために自ら動いたケイスは、最初の光に剣を合わせ弾き飛ばす。狙いはサナが産み出したであろう風の盾。

 その正否は視認せず、崩れた体制のままで振るえる剣で角度を合わせ、別の亀を剣で捕らえ石柱の1つに当てて、自分の元へとまた戻ってくる角度へと調整して弾き投げる。

 速度も角度も違う亀たちを、ケイスは次々に自分の元へと戻ってくるようにはじき返しながら、途切れなくサナが構える風の盾に向かって弾き投げる。

 そして盾によって跳ね返された亀たちは、なすすべも無く地下通路へと落ちていった。

  







「な、なんて無茶な!?」


 一方でケイスの不可解な指示に困惑し僅かに遅れながらも、とっさに風の盾を作り出していたサナは、魔術師の杖でもある兵仗槍を構え、その先に産みだした不可視の盾を必死に維持していた。

 ケイスが打ち上げた亀が当たるごとに盾が削られるので、常に平面を保つように魔力を注ぎ補修を続けなければならない。

 僅かなズレや歪みでも、亀モンスターは地下室から通路に落ちていかない

 かなり繊細なコントロールが必要なのだが、ケイスが行う剣技の難度と比べれば児戯にも等しい。

 的確な角度で打ち上げられる亀を除き、はじき返した亀はお手玉でもするかのようにケイスは剣と障害物の間を往復させて無力化させているのだが、その数は多く、一瞬でも気を抜けば流れは途切れる。

 さすがのケイスでもかなり無茶をしているのか、反応が徐々に鈍り始めている。だが身体の動きが鈍るごとに、逆にその剣技はさえていく。

 間に合わない、角度があわない、力が足りない。

 サナがそう判断する状況さえも、ケイスは次の瞬間に答えを導き出し、消耗している身体を使い、成し遂げてみせる。

 見た後でさえも何故そうなるのか、何故そう判断したと、理解ができ無い剣が、天才が振るう常人の理を離れた、理外の剣をケイスは行使する。

 そこに感じるのは圧倒的な才能。

 だがそれ以上に感じるのはサナやファンドーレに対する信頼感だ。

 ケイスは指示をした後は一度もサナ達の方を見てもいない。そこに風の盾があるのかと意識さえしておらず、全身全霊をモンスターに向けている。

 自分達が必ず望む通りにやってくれると、強い信頼を抱いていると、その件が如実に語っていた。

 ケイスの真意を未だ理解が出来ていないサナとしては、強すぎる一方的な信頼には困惑を覚えるしか無いのだが、考える暇も、躊躇する余裕も、状況は許してくれない。

 風の盾で跳ね返った亀たちは次々に直下の穴の中に叩き込まれていく。上手いことに通路に落ち、さらに続々に追加が来るので這い出すことも出来ないようだ。


「これで最後だ!」


 5分ほどもの間、休む間もなく剣を振り続けたケイスが、右手の爪の剣を大きく降りきり頭上に向かって弾き飛ばすと同時に力尽きたのか、片膝を突いて地に伏せった。


「ウォーギン達の言う通りに、あいつはつくづく化け物だな。ゴーレム造成魔術を応用して床を崩してうめる。姫はケイスを担ぎ上げてきてくれ。あの位置だと巻き込む」


 いつの間にやらサナの横に浮かんでいたファンドーレが、背中の羽根を揺らしていて、みれば倉庫の四隅に妖精族独特のゴーレム生成魔法陣が描かれている。

 どうやら次々に亀が降り注ぐ中でも、全く気にせずケイスに頼まれた作業をしていたようだ。

 サナが慌ててケイスを拾い上げ空中に戻ると同時に、ファンドーレが石ゴーレムを起動させ立ち上がらせる。

 床の一部がゴーレム化して抜けたことで崩落し、地下室が瓦礫の山に埋もれる。止めとばかりにファンドーレは産み出したゴーレムもその瓦礫の山に寝かせると即座に解除し重しを追加した。


「……ん。あれだけやれば、出で来られまい……ファンドーレ。最初に埋めた一匹の方も処理してくれ。お腹が空いたから、あっちは食べるから粘液を何とかしろ」


 サナの手の中で疲れたのかぐったりしていたケイスは、空腹を訴える自分の欲求に従い、崩壊した倉庫の真正面の瓦礫に埋まったままの亀の生き残りを指さした。


「瓦礫の上から炎で炙って、石焼きにすればどうにか出来るな。しかし甲羅に星形の穴。成獣になれば山ほどの巨体になりダンジョン化するマウントタートルの亜種か幼体の可能性が高い。死骸は研究用に持って帰るから足の一本くらいは残せよ」


「ん~。亀の蒸し焼きか。よかろう。任せた」


 下に降りていくファンドーレを見送ったケイスは、会話の内容はともかく美少女然としたその顔に満足そうな笑顔を浮かべて頷いた。


「食事の前にケイスさん。貴女には怪我の治療が必要です」


 先ほどまで命がけの戦いをしていたというのに、戦闘終了後すぐに通常状態に戻った二人の会話に、常人のサナはついて行けないが、割れたこめかみからは血が流れているケイスを放ってもおけずファンドーレの後を追おうとしたが、


「ん~。その前にサナ殿にたのみがある。助力してくれた者がいるので礼を言いたいので連れて行ってくれ。どうやらすぐにも力尽きそうな気配だから急ぎだ」


 制止したケイスは何故か上空を、石化した龍の一匹を指さしていた。



[22387] 挑戦者と火龍
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/06/23 23:59
 風の盾を張り続けていたサナは、腕に力が入らずケイスを取り落としそうになる上に、魔力も回復しきっていないので、速度は出さず安全優先で翼から弱めの風を産み出し、飛翔魔術の下位術である浮遊術を使用する。

 疲労からなのか、ぐったりとしたままのケイスを抱えながら、ふわりと上空へと浮上していくと、先行させていた光球が廃墟都市の空を埋め尽くす異形の群れを詳細に照らし出し始めた。

 近くでそれを眺めて改めてサナは息をのむ。

 下から眺めているときも圧巻だったが、頭部だけで大型外洋船ほどもある巨大な龍達が絡み合って出来た天井は、途方も無い威圧感を放っていた。

 石化し絡み合う龍達を縫い付けるのは無数の石柱。


「あの地面から突きだしたのは吸魔樹の根だ。この都市の古代魔術師達は、吸魔樹の状態で、その上位種である龍食いの樹の捕食能力を発現させることに成功したようだ。樹液と龍の血が混ざることで強力な呪術石化能力を発揮している。もっとも龍食いの樹も脅威的な力を持つモンスターだ。だから石化無効能力は発現させず、共倒れを狙ったようだが、この惨状を見ると都市防衛に成功したのか失敗したのかは判らんな」


「どこからその推測にたどり着いたのですか?」


 ケイスの説明は状況的に十分に納得は出来る物だが、どうやってその仮説を導き出したのかが疑問として残る。

 あまりに詳しすぎる予測に、元から抱いているケイスへの不信感が増幅させられるが。


「ん。お爺様が教えてくれただけで受け売りだ……あれか。右から二つ目の龍。あれの額の辺りにいってくれ」


 サナの問いかけに対して意味不明な答えを返しケイスは、まともに答える気が無いのか、誤魔化すかのように一匹の石化した龍を指さす。

 助力をしてくれた者がいるので礼を言いたい。しかもその人物の命は今にも尽きそうだと。

 そんなケイスの求めに応じて一応ここまで連れてきたが、だがケイスが指さした場所に誰かがいるようには見えない。

 姿は確認出来ないが、探しているのは今、ケイスが名をあげたお爺様とやらのことなのだろうか?

 考えても判らず、聞いた所で、余計に困惑させられるだけ。ケイスの行動をみて判断するしか無いと諦め、ケイスが指さした部分へと向かう。

 大きくせり出した翼を避けながら前方へとまわって、拳ほどの大きさがある石化した鱗が立ち並ぶ頭部の真正面へと出る。


「狭くなっていますね。このまま通るのは難しいので、着地します」
 

 別の龍が上にのしかかるような形になっていて、翼を広げた飛行状態で通るのは難しいので、サナはおそるおそる狭い龍の鼻先へと着地する。

 脆くなっていないかと心配したが、靴裏から返ってきたのは固い岩の感触だ。

 サナとケイスが乗ったくらいではびくともしないほどに頑強そうなので、サナはほっと一息を吐く。

 一応サナは周辺を警戒しようとしたが、ケイスは腕から抜け出すと、膝に力の入っていないフラフラした足取りで進んでしまう。

 逆立ったまま石化した鱗で足場が悪いことこの上なく、躓けば落下は免れない。
 

「ケイスさん! 足場が悪いのだから」


「……ここだな」


 見るからに危なっかしいケイスの足取りに慌ててサナは追いかけるが、無頓着に進むケイスはすぐに足を止めると、一枚の石化した鱗の前でしゃがみ込んだ。   


「むぅ。反応がほとんどないな。礼を言う前に死ぬな、斬るぞ……仕方ない」


 舌打ちをしたケイスはとても謝礼を言いにきたとは思えないぶっそうな台詞をつぶやくと、血が止まっていたこめかみの傷に爪を立てて軽く抉り、指先に新たな鮮血を付着させた。


「ちょっと直接会ってくるから、サナ殿はここで待っててくれ」


「だ、だから待ってください。せめてもう少し説明を!」


 碌な説明も無く自分勝手にどんどん話を進めていくケイスに何をやるつもりなのか問いただそうとしたサナだったが、急いているのかケイスはサナの問いかけには応えない。

 血のついた人差し指と中指を伸ばし剣指をつくり、懐から取りだした丸まった何かと共に鱗に触れた。


「なっ!?」


 ケイスが鱗に触れた瞬間、身の毛もよだつ気配が急に発生し、同時に全身を焼くような強烈な熱風を感じ、サナは思わず目を閉じた。














 強烈な熱さを感じ目を開けば、周囲に煮えたぎる溶岩がぽこぽこと沸き立つ沼の中心にできた岩場へと変化していた。

 呼吸をする度に肺が焼かれそうな強烈な熱気と、鼻を突く異臭。目の前には城塞かと思うほどに巨大な岩が鎮座する。


「……ん。上手く行ったか」


 先ほどまでは一変した光景に驚きの色もみせず、全裸で立つケイスは鷹揚に頷く。

 ここは触れた火龍の精神世界。このどこかの火口は火龍の抱く原風景だ。

 おそらくはこれが彼の名高い火龍の住処であり最難関の迷宮の1つとして知られる、東域最大の火山『火龍口』なのだろうか。

 他者の精神世界に入り込むには、極めて高度な精神魔術が必要になるが、魔力を有していた昔ならともかく今のケイスでは不可能。

 だから失った魔力の代わりに、種は違うが同じく龍であるラフォスの手助けを借り、ラフォスの精神世界を中継地として、侵入してみたのだが上手くいったようだ。

 だがケイスにも誤算が2つあった。

 本来の火龍口は、その内部が全て溶岩で満たされた灼熱地獄と聞いており、このように生身で踏み込める場所ではない。

 現実との差異は、減った溶岩が精神世界の主が、予想以上に死にかけ弱っていることを現しているのだろう。

 こうやっている間にもみるみる減っていく溶岩は終わりが近づいている何よりの証左だ。

 そしてもう一つの誤算は、背後に感じる気配と、驚き声も上げられぬ止まった息の音。


「どうしてサナ殿まで来られたのだ?」

 
 振り返ってみると、ケイスと同じく全裸のサナが唖然として固まっていた。


「なっ!? 転位魔術ですか!? でも装備が、って私もない!?」


 あまりに急変した状況に驚き固まっていたサナがケイスの呼びかけに再稼働して、次いで自分達が全裸になっていたことに気づき、恥じらいからか翼で己をくるむようにしてしゃがみ込んだ。


「なんで恥ずかしがる? サナ殿の身体はよく鍛えられていて誇って良いものだぞ。まぁ気になるなら少しイメージすれば良いぞ。こういう風に」


 無駄な贅肉は少なく、女性の王族だというのに古傷が残る腕や足をみれば、ちゃんとした戦闘訓練を積んできた事が見てとれる。

 一般的な羞恥心に興味も理解も無いケイスはサナの反応を不思議に思いつつも、いつもやっている通り自分の装備をイメージして纏ってみせる。


「っ!? ……まさか精神世界ですか!?」 


 先ほどまでの軽鎧と剣を一瞬で呼びだしたケイスを見て、少し間を置いてからサナもここがどういう所か気づいたようだ。

 次の瞬間には無意識的にだろうが、気づいたことでサナも先ほどまで身につけていた装備を取り戻していた。優秀な魔術師としての証だと、ケイスは内心で感心する。
 

「うむ。助けてくれた火龍の心の中だ。この者に礼を言いたかったが、聞く耳も、答える喉も石になっていた上に、意識さえほとんどなく、みての通り死にかけだ。仕方ないから赴いてみた」


『気軽に言うなこの馬鹿者が。死にかけの者の心に入り込む等危険な真似をするなと言う忠告を無視しおって。もしこの小僧が尽きれば、娘も引きずられ目覚められぬ死の眠りにつきかねんというに。のんびりしている時間は無いぞ』


 右手に握っていた羽の剣から、苦言を呈すラフォスの声が響く。

 精神世界のためそれは直接耳を打つ音で、サナにも聞こえてしまうが、残された時間が少ないので、ケイスを急かすことを優先したようだ。


「助けてもらって、礼も言わない無礼が出来るか」


「その剣!? やっぱり貴女があの時の!」


 剣が話したことに対する反応もあるだろうが、羽根の剣を注視するサナの視線とその問いかけにさすがにケイスも、サナの驚きの意味を察する。

 前期の出陣式でセイジ・シドウを襲撃した際に、取り落とした羽の剣は、サナにばっちりみられている。

 誤魔化せないと観念するしか無い。


「とりあえず紹介しておく。お爺様だ。後で説明してやるから今は何も聞くな。少し意識を集中する剣が必要だから、黙っていないとサナ殿でも斬るぞ」


 ラフォスの忠告通り時間が惜しくなってきたので適当にもほどがある紹介と、脅しにしか聞こえない注意を済ませる。

 目と言葉にそれが例えで無く本気だと悟ったのか、サナが不信感が最大まで高めた目を向けるが、口は噤む。

 サナの不審げな目を気にせず、黙ってくれたので満足げに笑って返したケイスは振り返る。 
 ケイスが目に捉えるのは、この空間の中央に位置した城の様に巨大な1つの大岩。

 そっと手を触れるとほのかに温かい気がする。そして硬い。軽く打ってみた感触は金剛石にさえ勝るやも知れる。

 そして身体に流れる火龍血が告げる。この物言わぬ岩の塊がこの世界の主だと。

 呪術は対象の心を蝕み、そのあり方をねじ曲げる呪い。心を犯し、その肉体をも変える。

 石化呪術は、龍の血に潜む魔力により術を強化し、心を石へと変化させ、肉体も石へと変える。

 龍の血を持って、龍を殺す、龍食いの樹。その怪物さえも用いた対龍兵器。


『どうする娘? 意思などほぼ無い岩の塊のようだが』


「斬る。当然であろう」


 ラフォスの問いに簡潔に答えると、大岩を見上げ羽の剣を両手で握る。

 心を犯し変えたというのならば、ケイスが再度犯せば良い。己が望むままに、己の求めるままに。

 息を整える。

 脳裏に思い描くのは先ほど目撃した龍の姿。描いたイメージと目の前の物言わぬ石を重ねる。

 龍はこの世の最上種。最強生物。肉体も心も他の生物の追随を許さない。

 今のケイスでは力では龍にはとても及ばない。足元にも届かない。

 だが心は違う。ケイスの精神は、心は、龍さえも凌ぐ。
  
 なぜならばケイスは、ケイスだからだ。

 己の意のままに生き、己の意のままに剣を振る。

 己の望み以外は他者のことを鑑みない。他者が何を言おうとも、己の意に沿わねば変わらない。

 それが心を犯す呪術であろうとも、ケイスには通じない。

 人にして龍の中の龍たる未来の龍王の肉体はまだ未完成であっても、心は既にここにある。

 己を変えるのは己のみ。

 ケイスの意思は最強たる龍を凌駕し、世界さえも凌ぎ、己が思うままに暴虐に吹き荒れる。

 心象世界を外へと放ち理を変化させる。それこそが魔術の基礎にして真髄。

 故にケイスは最強の魔術を放つ世界最強たる龍王となるべくして生まれた。

 その最強の魔術を、魔力を捨て去ろうとも、基盤たる精神に一欠片の欠損も無い。

 そしてケイスの心は今ここに、手の中にある。

 剣こそが我が心。我が言葉。我が魂。

 ケイスの意思を具現化するのは剣。剣だ。剣が全て。

 岩がケイスの体躯の何千倍もあろう質量を持とうが知ったことか。

 龍が変化したその身体が金剛石にさえ勝る硬度を持とうが関係ない。
 
 剣はケイスの意思その物。ましてやここは精神世界。心が強い者こそが望みのままに支配する世界。   

 剣を正眼に構え、息を整える。ゆっくりと頭上に振りあげ、


「……っはぁっ!」

 
 呼気を強く吐くと共に、剣を真っ正面から真っ直ぐに振り下ろす。

 そこに技など無い。唯々剣に己の意を乗せ、思い描いたイメージを乗せ、大岩にめり込んだ切っ先を一気に躊躇無く振り抜く。

 羽の剣が刻んだ切り口からすぐに放射状に広がっていき、大岩の表面が、ぼろぼろと乖離して崩れて始めていく。

 溶岩の海に落ちた岩の欠片が火の粉をまき散らし、熱と蒸気が狭い世界にあふれ出した。

 その熱の霧の中で大岩は激しく崩落しながらも1つの形を徐々に描き出した。それはケイスが思い描いた姿。

 巨木のように太い腕と鋭く尖った爪。巨体にふさわしい巨大な翼。鋭い眼光を持つ眼がついた大型船ほどもある頭部。

 崩落が収まったとき、ケイスの目の前には、さきほど現実世界でみた龍と瓜二つの石像が出来上がっていた。


「姿形は心を変える。ならば姿を戻せば心を少しは取り戻すであろう。私の声が聞こえるな火龍、先ほどは助かった。礼を言うぞ。何か私に出来る事はあるか?」


 剣一本で彫り上げた龍を見上げながら、ケイスは何時もと変わらない傲岸不遜な態度で呼びかける。

 火龍が意思を取り戻せると疑いもしない。自分の剣に対する絶対的な自信をもってケイスは胸を張る。


『……戦を……戦を与えてくれ……俺の死はこのような場所では無い』


 呼びかけに対して、苦しげな呻き交じりの慟哭が響く。

 怒りと悲しみを含む憎しみを強く強く訴える。


『数を頼みに攻めるなど龍では無い。怒りに支配され誇りを忘れた汚れた王の傀儡として終われる物か。龍としての死を、龍としての生き様を求む。龍の心を知る娘よ。俺と戦え』


 石の体にヒビに入れながらも、慟哭する龍は無理矢理に動き出す。

 翼が崩れ落ち、爪が割れる。しかし龍は止まらない。

 より速く死に近づいていく自殺行為。まともな戦いなど出来る状態ではないのは一目瞭然だ。

 だがそれ故に、ただ座して死を待つことだけは拒否し、残り少ない命を燃やしている事をより強く感じさせる。


「お爺様」


『狂った若き赤龍王の呪いによって意思をねじ曲げられたようだな。龍が人の都市を焼き払う程度に群を駆るなど恥辱以外の何物でも無い。我の知る赤龍王ならば決して行わぬ愚行……この小僧の気配にはあやつの面影が有る。血族だろう。先王の血筋故に使い捨てたようだな。もっとも皮肉にもその呪いが、石化の呪いの効力を弱め、この時まで命を長らえる要因となったようだ』


「ん。得心した……お爺様は立ち会いになれ。ならば私だけで行く!」 


 恩人に刃をむけるのはケイスの流儀では無い。だがこの若い龍が望む物はケイスの琴線に触れる。ならば受けて立つだけだ。

 恩人たる龍に報いるために、最高の名誉を与えるために、ケイスは全てを忘れることにする。 
 今の立場も。今の状態も。すぐ近くで驚きながらも事の行く末をみているサナの存在さえも。

 死に瀕した龍が己の全身全霊で戦いを求めるのだ。ならばケイスも全身全霊で答えるのが礼儀。


『龍の心を知るか……お前は本当に我等よりも我等らしい生き様だな』


 羽の剣をケイスが頭上高く放り投げる。

 呆れるのか感心しているのかよく判らないが、ケイスの意思を察したラフォスも、本来の己の姿である巨龍の姿を顕現させ、ケイスと火龍の間に鎮座する。


『若き火龍よ。我は先代深海青龍王ラフォス・ルクセライゼン。我が血脈の末たる娘と牙を打ち合わせる貴殿の立ち会い。我が見届けさせてもらう』


『おぉぉぉっ! 種族は違えど真たる王の眼前ならば! 俺の死に場所にふさわしい!』


 ラフォスの名乗りに、火龍が歓喜の雄叫びを上げ、空間が揺れる。

 火龍の発した雄叫びに合わせ激しく溶岩が沸き立ち、熱風がかけめぐり、溶岩の海が激しく荒れる。

 最後の輝きを放とうと、この空間に残る熱の全てが火龍の元に集まっていく。


「ならば名乗れ火龍殿よ! 私の相手としてふさわしき真名を!」


 普段は誰に対しても上から目線のケイスは、この相手が自分が敬意を抱くにふさわしいと認め言葉を改めると、一足跳びに距離を取り後ろに下がり、決闘の口上を求める。


『真なる火龍の長! 剛炎赤龍王の名と龍の誇りにかけ、セオンガイルドが一子! ノエラレイド参る!』


 ノエラレイドが名乗りと共に、石で出来た顔の造形を大きく壊しながらも、その口蓋を無理矢理にこじ開ける。

 周囲の熱が集まりのど奥に激しい炎が渦巻始めたかと思えば、収縮をはじめ、やがては天に昇る日のように眩い輝きを放ち始める。
 
 龍が持つ最強の技。全てを焼き尽くし、骨の欠片も残さず蒸発させる火龍のブレスを最後の一撃に選択したようだ。

 地上に生まれた太陽。その熱量と輝きに誰もが恐れ、ひれ伏し、死を覚悟するしかない必殺の一撃。

 しかしケイスは満足げな狂気と驚喜に満ちた笑みを口元に浮かべる。

 戦いこそに心が踊る。龍よりも龍らしい人にして未来の龍王は笑う。

 自分を正当に評価し、手抜きをしない者をケイスは好み、愛する。故に斬る。

 全力に対しケイスは剣で答えるしか、全力を示す術を知らず、そして興味がない。


「ならば宣言しようノエラレイド殿! 私の真名ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンに誓って! 我が剣を持って貴殿の逆鱗を貫くと!」


 ノエラレイドの名乗りに負けぬほどの裂帛の気合いを込めた名乗りをあげたケイスは、全身へと力を入れる。


「……帝御前我御剣也」


 誓いの言葉と共に手の中に剣が生まれる。

 今は姿形は無くとも、思い浮かべるは理想の剣。

 何者にも負けず、決して折れず、万物を斬る夢の剣。

 ケイスの身と心をまごう事無き現すいつか現れる剣。
  
 やがて手に入れる剣を左逆手に持ち替え、左足を引き右足を前に出し半身に。

 肩口の高さまで左腕を上げ、切っ先は突き込むべき一点を指し示す。

 右掌をそっと柄頭に当て、息を深く吸いながら膝を曲げ突撃体勢へと。

 それはケイスがもっとも好み、もっとも己を現すにふさわしいと誇る技。

 全てをもって全身全霊の一振りを示す、ケイスを体現する技。

 愚直に、ただ真っ直ぐに好敵手に向かって駈け出す。


『GRAAAAAAAAA!』


 真っ正面から突っ込んでくるケイスに向かい、輝きを持つ火龍のブレスが放たれる。

 それは眩い輝きを放つ高温の塊だが西瓜ほどの大きさしかない。一撃で街1つを壊滅させる火龍本来のブレスからみれば極小になっている。

 避けようとすれば避けられるだろう。だが避けない。避けるわけがない。避けていいはずがない。

 残り少ない命を全て注ぎ込んだ最後の一撃。

 それを打ち破らず、食い破らず、何が勝利か。何が剣士か。

 我が剣は全てを切り裂き、全てを撃ち砕く。

 現実ではまだその領域は遥か彼方。未だに到達できない世界の果ての果て。

 だがケイスは信じている。知っている。やがて自分は到達すると。到達できると。

 ここは精神世界。思いこそが力となる。

 ならばこの肉体はケイスが理想とする肉体。

 ならばこの剣技はケイスがやがて手に入れる剣技。

 空に浮かぶ太陽であろうが月であろうが、己の敵に回るならば斬り捨てるのみ。

 ならば斬れぬ訳がない。斬れぬはずがない。斬れないなど認めない。故に斬れる。

 1つの剣となったケイスは真正面から突っ込んで渾身のブレスをあっさりと叩き斬り、ノエラレイドののど元に一気に到達する。

 目前には一枚だけ逆さになった鱗。最強種たる龍が持つ唯一明確な弱点である逆鱗。

 弱点を捉えた邑源の剣士ならば、龍殺しの剣士ならば、ここから放つ技は1つしかない。

 
「邑源一刀流! 逆手双刺突!」


 技名を言霊にのせ、切っ先が逆鱗に触れた感触を肉体が感知するよりも刹那の瞬間だけ早く、右手の掌打を柄頭に打ち放つ。

 のど元にぶつりと抉り深く突き込んだ剣をぎゅっと握りしめ、硬い龍の身体を大地としてその上に降り立ち、


「逆鱗縦断!」


 全身の力を使い一気に剣を振り切る。

 逆鱗に刻まれた縦一文字の傷口が上下に走り、ノエラレイドの巨体を瞬く間に両断してのける。

 それは龍殺しの技。多少の傷ならば一瞬で治癒してしまう龍を一撃で屠る剣。

 大英雄。双剣が一人邑源雪が、その生涯でもっとも磨き上げた剣技。

 かつてこの技を持って狂った赤龍王を叩き斬り、暗黒時代を終わらせ、トランドを、ロウガを開放した奥義。
  

「ふむ。私の勝ちだな。ノエラレイド殿」


 クルリととんぼ返りをうって着地したケイスは大きく息を吐く。全身からは汗が噴き出し、極度の疲労感を身体が訴えるが、ケイスの心は満足だ。

 今はまだ精神世界でしか理想の剣を振れないのが癪だが、それでもケイスのまずは目指すべき道の果て。そして真に進むべきはその先。道無き道の先。敬愛するフォールセンが立つ領域。


『……礼を言うケイネリアスノー。我等が誇るべき仇敵である邑源と最後に戦えたことを。俺の命の終わりにふさわしい戦いだった。深海龍王殿にも立ち会っていただき感謝する。恥辱に満ちた終わりを迎えるかと嘆いていたが存外の喜びだ』


 両断されたノエラレイドの石像は崩壊する速度を速め、それと共に全ての熱を生命力を使い果たしたのか、急速に溶岩が冷えて塊、周囲が石の世界に変わっていく。

 響くノエラレイドの声にも、先ほどまでの怒りの熱はすっかりと消え失せ、静かな物になっている。その落ち着きが己の死を受け入れたと感じさせる。


『先代赤龍王セオンガイルドの名に恥じぬ戦い。確かに見届けさせてもらった。貴殿の死に様は火龍の里に届けよう』


『感謝する……ならば恥知らずにも願いたい。その言葉を父に伝えてもらえるだろうか。火龍口の奥底に繋がれ捕らわれてはいるが生きているはずだ。末裔たる若龍嬢ならばいつか俺達の牙城にも攻め入る事が出来るだろう。その運命に生まれたとお見受けする』


『先代はまだ存命……ならば貴殿も知る者か。それ以上は口にするな。死すら消える』  


 龍達がなにやら会話を交わす中、息を整えていたケイスは立ち上がり、


「ならその言葉は自分で伝えろノエラレイド殿。貴殿は私に負けたのだぞ。龍の戦いは己の全てを掛ける物だと始母様が仰っていた。敗者は勝者の所有物になるだと。つまりは貴殿は私の物だ。死んでいいと誰が言った。貴殿の生き様が気に入った。私と共に行くぞ」


 空気を一切読まない唯我独尊な言葉を発する。

 相手が死に納得し、既に覚悟が決まっていようが関係ない。自分が気にいったのだから生きろ。

 その傍若無人な我が儘こそがケイスであり、まさにこの世の最強種であり暴君の龍その物だ。


『……あの痴れ者は。悪癖を子孫に武勇伝として伝えておったか』


 若龍時代は、目についた強そうな同族やら巨人族との戦闘に明け暮れていた娘である現深海青龍王ウェルカの所行を思い出し、大きな息を吐く。

 何度言っても止まらなかったウェルカの悪癖を何倍にも濃くして煮詰めたのが、末たるケイスなのだから止まるはずが無いとすでに諦めの一手だ。


「私の中には、御婆様が討伐した赤龍王の火龍の血も混じっている。だからお爺様と同じように私が力をわけてやる。青龍と赤龍の血は開放したばかりだから、しばらくは全力を出せないから、ノエラレイド殿の力を全て発揮は出来ないだろうが、意思と熱源探知能力の発現くらいなら出来るであろう。あとお爺様の愚痴に付き合え。甘い物が多いとか小うるさくて敵わん」
 

『待て一緒に来いといってもどうする気だ。ケイネリアスノー。俺はもう死ぬ身だ。魂魄写しの魔術を使う時間など』


「ん~。何となくだがこうすれば良いだろ。食べるぞ」


 一方的な宣告をしたケイスは切り割った逆鱗の欠片を掴み、そのまま口に運び噛みつき、文字通り喰らう。 

 ケイスは本能的捕食者。相手の精神をほかの物体や生命体に移す魔術は使えずとも、自分も相手も精神世界にいるのだ。なら喰えば良いと単純な結論を出して喰らい、


「……ごりごりしていてまずい。しかし上手く行ったようだな。赤龍の血が何時もよりコントロールしやすい感覚があるな。うむ。予想外の効果だ」


 手を何度か開いて閉じてを繰り返して感触を確かめてから、自分の中にノエラレイドをあっさり取り込んでしまう。

 その証拠にこの世界は熱を無くし終わるはずだったというのに、冷えて固まっていた溶岩の隙間からは、ちょろちょろと水が湧き出し、熱湯に満たされた温泉が出来上がった。

 そしてその湯の中からは先ほどとは比べものにならないほど小さいが、深紅の鱗を持つ火龍の姿を取り戻したノエラレイドが姿を現した。

 どうやら火龍と水龍の血が交じり安定した状態を表しているようだ。


「そっちの方が美味そうだな……青龍も使いやすくするためにお爺様も食べるか。お爺様は生だから美味いかもしれんし」


世の魔術師、魔導技師達がこれを知れば頭を抱えるであろう事を、あっさりやってのけたケイスはそんな事は気にもせず、石だったからまずいのならば、生まれ変わったノエラレイドや、生身で顕現しているラフォスなら美味しく食べれるかと、空腹の獣の目を向ける始末だ。


「むぅ。なんか眠くなってきた。しばらく寝る……後。今のふぁぁっ……私はケイス……だ。そうよ……べ……」


 だがすぐにあくびをして、そのままその場でころんと丸くなってすやすやと寝息を立て始める。

 ここは既にケイスの精神世界でもあるので、安心しきった美少女らしい寝顔だ。

 
『……青龍王殿。末裔殿は一体』


『聞くな。貴殿もこれからこの娘の無茶苦茶に付き合わされる。そのうち諦めがつく』


 あまりの流れに何とも言えない顔を浮かべる小さいノエラレイドに対して、ラフォスはケイスに関しては馴れるではない。何をやってもケイスだから仕方ないと諦めるしかないと告げる。

 そしてその言葉はノエラレイドだけで無く、一連の流れについて行けず唖然としているしかないサナに対しても告げた物だ。


『羽根の娘もだ。いくらこの化け物娘でも龍を取り込んだ以上、しばらくは眠りについて精神調整を必要とするのだろう。面倒を掛けるが世話を頼む。せめてもの忠告として、早めに薬師の娘と合流することを勧めておく』

 
 自分達は精神的存在だからまだ良いが、物理的な意味でも世話を掛けることになるサナに対して、同情と申し訳なさを含んだ言葉を与えた。 



[22387] 薬師と天才達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/03/20 21:41
 廃墟都市の神殿広場の一角。迷宮神ミノトスを祭った半壊したミノトス神殿。その門にはミノトスの神印が浮かび、踏破した者が通過すれば迷宮外へと戻れる出口となっていた。

 広場には、上から降りてきた挑戦者達が 最終仮拠点兼集合場所として陣を張っている。

 陣と行っても適当に煮炊き用の火をおこし、怪我人を寝かすためにテントをいくつか立てただけで、後は天井となった龍の群れを見上げて土産話用に目に焼き付けていたり、そこらに座り込んで身体を休めたり、モンスターの気配はないが一応は周囲を警戒する等、思い思いに過ごしていた。

 時刻は最終日となった3日目の明け方。あと1日しかないのだが彼らの顔に焦りはない。なぜなら彼らの指に嵌めた指輪は既に色を帯びている。

 ここにいる全員が始まりの宮を踏破していた。後は門をくぐるだけなのだが、待機をしていたのは訳がある。

 それは……

 上部へと通じている横穴から、誰かが転げるような速度で駆け下りてきて、広場に駆け込んでくきた。


「残っていた連中も全員無事に踏破完了で指輪が色づいた! 負傷者はいるけど軽傷で問題は無し! これで全員で探索者になってロウガに帰れるぞ!」


 待ち望んでいた知らせを持って現れた先触れの戦士の報告に大歓声が起きた。


「しゃぁぁっ! きたきた!」


「うそっ……ほんとに出来た。やったの!?」


「全員突破って世界初だろ!? つ痛ぇ! まじか!? 俺ら!?」 


 周辺警戒をしていた戦士が槍を突き上げ、疲労で座り込んでいたエルフの少女は涙ぐみ、怪我を負って横になっていた獣人の若者は思わず跳ね起きて痛みに悲鳴をあげる。

 様々な反応を見せる若者達に共通するのは、驚き。そして笑顔だ。

 管理協会発足以来。さらに言えばその遥か昔より、探索者となるための最初の試練迷宮【始まりの宮】は大陸のあちらこちらで半年に一度だけ開き、数多の若者が命がけの挑戦を繰り広げてきた。

 だが挑んだ若者が誰も帰らなかった事は有っても、誰も犠牲にならず全員が帰還した事例は無い。

 だがそれも今日までだ。

 挑戦者全員が迷宮を踏破し帰還するという奇跡は、目前まで迫っていた。

 しかもその偉業を自分達が成し遂げるという協会史に刻まれる名誉と共に。 

 歓喜の声は止むことなく、探索者となった後は商売敵となるギルドに所属する事が内定している者達や、何度も喧嘩騒ぎを起こした敵対武術道場の門下生達でさえ、朗報に肩を組み、互いの健闘をたたえる。

 まだ脱出をしていないのに、前祝いだと早々と祝杯を挙げようとする者まで出てくる始末だ。
 
 発展著しいロウガには、新旧様々な勢力が入り乱れ、争いの種があちらこちらに発生しており、その勢力争いには探索者を目指す若者達の大半は無関係ではいられない。

 通常であれば始まりの宮は、ライバル達に負けぬように、出し抜き、誰よりも早く踏破しようという争いになる。

 だから全員が協力し、ライバル達の無事を祈る等、考える事さえ無かった。

 だが今回はスタートから違った。あまりに巨大な迷宮。いきなり始まった乱戦。

 個々のパーティだけで挑んでいては壊滅必至な状況に、迷宮外の立場を一時的に忘れ協力して行動したことが、困難すぎた事が、良い方向に働き、一時的な同盟は極めて機能的にこの最終日まで維持され続けていた。

 地図共有魔具を用いた効率的な探索。

 獣人族による斥候情報を用いた、多人数による安全度の高い戦闘。

 身体を安心して休ませられる仮拠点、充実した薬品類などの万全のバックアップ体制。

 さらには先行してこの廃墟都市にたどり着いたファンドーレが、上部の詳細地図を発見しており、一気に全容を暴き出。

 最初は多少のわだかまりなどもあったが、迷宮という極限状態の中で、これらの助けをありがたく思わない者など誰もおらず、3日目の今日ともなると、粗はかなり目立つが1つの集団と呼んで差し支えのない連携がそれなりには出来ていた。


 そんな彼らの中心部。各パーティの中心人物達が集まっていた場の中心にルディアがいた。


「皆さん。ありがとうございます。本当に無茶な願いを聞いてもらって、これで全員で帰れます」


 待ち望んでいた報告に安堵の息を吐いたルディアは、燃えるような赤髪の頭を下げる。

 なし崩しとはいえまとめ役をやっている以上、過剰な緊張を強いられていたのだが、ようやく肩の荷が下りた気分だ。


「お疲れさんだなルディアさん。こっちこそありがとうな」


「そうそう。姉さんの気づかいのおかげで上手いこと廻ってたんだしよ。いやマジ助かった!」


「そうですそうです! ルディアさん達のおかげで、ロウガの始まりの宮に挑んだ全員が突破って、世界初の偉業が成し遂げられるんですから! この肩書は宝物ですよ! 私達全員期待の若手として色々仕事も斡旋してもらえますよ!」


 一番年上のクレイズンが感謝の言葉を告げると、周りのパーティリーダー達も感謝やねぎらいの言葉を次々に贈ってくる。

 これからの先の展望に期待を膨らませる者達も多いほどだ。


「いえ、ほんと、皆さんがあたし達を信じてくれたおかげですから……ほらあたし達はケイスがアレなんで。特にクレイズンさんが仲介してくれなかったら、こんなに上手く行ってないですし」


 同期全員との協力体制を敷こうなんて無茶な案が上手く行ったのは、バイト先の薬屋の常連という繋がりが有ったとはいえ、あちこちに顔の利くクレイズンが仲介してくれたおかげというのがルディアの正直な感想。 

 共闘を呼びかけたルディアが別大陸出身で地盤がないというのもあるが、何よりも前評判も悪く、そして実際にも、色々と厄介ごとを起こすケイスがいるのだ。不信感を持たれても仕方ない。

 それでも何とか協力体制を維持が出来たのは、奇跡だとルディアは思っている。


「俺はたいしたことしてねぇよ。それよりあんたのパーティの頑張りだろ。特にそのケイス嬢ちゃんだ。姫様の話じゃ、ここにいたモンスターもあの子がどうにかしたんだろ」


「そうそう。それだけじゃなくて、あの子が最初にあんな無茶したから、最初の罠は切り抜けられた。その上で迷宮主まで早々に倒してくれたおかげで、かなり楽だったからな」


「ありゃ大物になる。っていうか既に大物だろ。そのうち自慢できるかもな。あのケイスと同期なんだぜって」


 無茶苦茶すぎるケイスを心底よく知るが故に、その評価がどうしても厳しくなってしまうルディアとは違い、比較的被害の少ない同期達の評価はかなり好意的になっていたようだ。


「さすがに双剣フォールセン様の最後の弟子と噂されるだけあります……でもその無茶の反動で彼女は倒れたままなのでしょ? 大丈夫なんでしょうか?」

 
 心配げな顔でケイスを寝かしているテントの方を見た女性神官に対して、ルディアは何とも言えない曖昧な笑みを浮かべるしかない。


「あー……疲れているだけなので大丈夫だと思います。何時ものことなんで、えぇ本当に何時ものことなので」 


 何とか二日目の明け方頃にケイスとは合流できたが、嘘をつくのは心苦しいが、極度の疲労で今も寝込んでいる事にしてケイスを隔離している。

 事態はもっと厄介で、馬鹿馬鹿しく、そしてケイスらしい事になっている。

 考えると頭が痛くなるが、ケイスが昏睡状態であったのが僥倖だった思うことにする。

 寝顔だけは深窓の美少女そのもので、見る者の目を引き大人しいから好評価を維持できているのだと。


「お。そうだケイス嬢ちゃんに伝えに行ってきなよ。嬉しい報告に案外すぐ目を覚ますかも知れないだろ。あの子が俺ら全員が探索者になるのを最初に望んでいたんだろ」


「あー……じゃあすみません。少しお任せします。ちょっとケイスの様子を見るついでに、サナさん達にも報告をしてきます」


 もっともそれはケイスが起きるまでの短い平和だとも知っていた。








「……まだ目覚めない。人払いはしているからばれてはいない」


 ケイスの眠るテントの入り口にルディアが近づくと、その脇で番をしていたサナのパーティに所属する熊の獣人プラドが低い声で告げる。

 傷の目立つ厳つい顔と丸太のような腕と威圧感はあるが、この獣人がその見た目に反して、信頼の置ける好人物だとルディアもこの数日の付き合いで判っている。

 何せ獣人は体力があるからと、禄に休憩も取らず最前線を駆け回り救援に赴き、この3日間不眠不休で働き続けていた上に、ケイスの見張りまでかって出てくれたのだ。


「ありがとうございます。もう少しお願いします」


 軽く頭を下げてテントの中に入ると、狭いテントの中にはウォーギンとサナ、そして鬼人の好古が中央で眠るケイスを囲み、その状態をみていた。

 
「おうルディアか。でかい声が上がってたが全員分が終わったか?」


「まぁね。セイジさんだけでなくウィーとファンドーレが後詰めに行ってるから問題も無く、すぐ戻ってくるでしょ。それで、ケイスの様子は?」

 
 ウォーギンの問いに答えながら、安らかな寝顔ですやすやと眠るケイスの顔を覗き込む。

 その幼いながらも美少女過ぎる寝顔は、まるで天使のようで何とも平和的なのだが問題はその額だった。

 ケイスの額にはルディアの握り拳より、さらに一回りほど大きな深紅色の鱗がべたりと生えていた。

 合流したときにはごま粒大の赤い発疹ほどだったが、一晩でこのあり様だ。


「みての通りだ。さっきから目に見えてでかくなってる。魔導技術的に解析したらガチの龍鱗だな。好古さんあんたの鬼道的にはどうよ。呪術の蛇憑きとかの間違いだったりしないか?」


「いやはや。何度も調べてみたが間違いなく龍鱗。それも赤龍由来の赤鱗よの。龍憑きは生き残れば竜人と転生が世の理。されど赤色は狂いて人を襲うが必定。滅せよは人が理。はてさてどうしたものか姫よ。ロウガを継ぐ者として災いを呼び込むかの?」


 扇で口元を隠した好古は穏やかな口調とは裏腹に笑ってはいない目で、合流時から黙り込んで禄に会話も返さず何かを悶々と悩んでいるサナに問いかける。 

 龍はその強大すぎる魔力で周囲を、己の都合の良い物に変えてしまう。

 それは動物も植物もそして人も変わらず、龍の住処の近隣に住まう生物はその影響を受け姿形を徐々に変えていく。

 竜人種族はその典型で、龍由来の頑強な肉体と強力な魔力生成能力を持ち、他種族とは一線を画すほど強力な力を持つが、その代償としてか、時折龍の力に意識をのまれ抑えきれない衝動に狂う者が一定以上でるという特性がある。

 特に暗黒時代を引き起こした赤龍由来の赤い鱗を持つ者は、一人の例外もなく確実に暴れ狂い大きな被害をもたらす為、鱗一枚でも生えた段階で狂っているので、鱗の確認と共に即時抹殺という法で定めている国も珍しくない。

 そして赤龍に滅ぼされたロウガも、例外ではない。

 このままケイスを連れ帰れば、最悪発覚したその場で処刑。良くても魔術研究のために解剖送り。どちらにしても死は免れない。

 プラドが外に控えているのはこの状態のケイスを他の者に見られないためだが、同時にケイスが狂った時にすぐに対処する為ということもある。 


「…………待ってください。ちょっといろいろありすぎまして。せめてお爺様達に相談してからでないと」

 
 かなりの間を置いてから苦悩の色を浮かべたサナが、重い声で先延ばしの答えを口にする。
 
 何が原因でこうなったのかさえも、サナが語らないのでルディア達には判らずじまいだ。


「姫……もしやあの噂。真実であったか?」


 青ざめているサナの顔色に何かを想像したのか、好古が声を潜めながら再度問いかけた。如実にサナの顔色が変わる。

 しかしサナは僅かに首を横に振って否定する。言葉にする事もできないとその表情が語っていた。

 何とも緊迫した空気を出すサナと好古だが、ケイスをよく知るルディアとしては何とも口をはさみにくい空気に困り果てる。

 なぜかこの状態のケイスを心配する気が起きない。

 無論状況が悪いとは自覚しているのだが、どうしても既視感があるのだ。

 こっちの心配を全く無駄にする馬鹿の寝姿には。

 怪我でもしていない限り、真面目に考え深刻になるだけこっちが馬鹿になる。

 
「サナさん。好古さん、あまり気にしない方が良いですよ。どうにかしますからケイスの場合。起きさえすればですけど」  


「まぁ、そうだな。元々頭おかしくて狂っているから逆に正常になるんじゃないか。それより好古さん噂ってアレか。ケイスがソウセツさんの血筋とかって馬鹿げたやつ」 


 どうやらウォーギンもルディアと同意見らしく、あまり心配していない口調で、禁忌を軽く口にした。

 ルディアがケイスが激怒するだろうと思っていた伝えていなかった噂話を。


「むぅ……誰だそんな不快な噂をしている奴は。斬るから出所を教えろ」 


 今まですやすやと寝ていたケイスが、ウォーギンがその噂を口にした瞬間、眉を顰めるとむくりと突如起き上がった。

 そして脇に置いて合った剣を、早抜きで抜刀して構える。

 
「お前。寝てたんじゃねぇのか? 出所なんぞ知るか。酒場の馬鹿話だぞ」


 首元に刃を突きつけられながらも、ウォーギンはあきれ顔で答える。ルディアほどではないが、ケイスに対する耐性が出来上がっていた。


「うむ。疲れたので気持ちよく寝ていた。しかしそんな不快な噂を、耳にして目が覚めぬわけが無かろう。私にも、あれにも、そして何よりサナ殿の祖母ユイナ先王殿に失礼であろう」


「おはようケイス。予想はしていたけど無事だったわね。心配かけんじゃないわよ」


「ん。ルディか。そっちこそ無事だったようだな。うむ。そうか二人とも踏破したか。よかった」


 言動が相変わらずおかしいがそれが通常運転のケイスの気をそらすために、ルディアもあえて普通に話かけると、ケイスは偉そうに頷き、次いで二人の指輪の色を見て満面の笑みを浮かべて剣を脇に置く。

 どうやら怒りは、二人が踏破できた嬉しさで収まったようだ。


「で、ケイス。額のそれって?」

 
 ルディアが自分の額を指さし尋ねると、ケイスは自分の額に手を当ててなで回す。


「ん? ……ふむ。こうなったか。っ! ウォーギン。火龍の魂入り鱗だ。額当てにでも加工してくれ」


 そしてかさぶたでも剥がすようにしてあっさりと龍鱗を剥がして、ウォーギンへと渡した。

 ちょっと涙目なので少し痛かったようだが笑顔だ。


「どこで手に入れたんだ。こんな貴重品」


「ん。石化状態でまだ生きていた火龍殿がいて、ちょっと助けられたので礼を言いに行ったら、命が尽きる前に戦いを望んでいたから戦って、勝ったから食べて私の物にした。ただそのまま一緒だと、私が意識を乗っ取ってしまいかねんから分離してみた。良い武人だぞ……うむ。この場合武龍と呼ぶべきか?」


「知るか。それより額当てだな。火龍っていうと熱探知か。火除けの加護も併用して精度あげてみるか」 

 
 ケイスのこだわりにはどうでもよさそうに答えたウォーギンの意識は、既に火龍素材へと完全に向けられている。

 ケイスやウォーギンの様な天才達が何をしでかそうが、細かい事を気にしたら負けだし、きりが無い。

 それが凡人であるルディアが、ケイス達と付き合うための真髄であり秘訣。 


「ケイス。あんたに馴れてないサナさん達が反応に困るから、人間離れもほどほどにしときなさいよ」


 突っ込み所はいろいろあるが、サナが茫然自失となって口数が少なくなった理由の一端を垣間見たルディアは、意味はないだろうと思いつつも、そのフォローをするために一応の忠告をしておいた。



[22387] 挑戦者と廃墟都市
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/03/22 01:11
「ん。火を通した粘液部分が硬くなっているが甘じょっぱくて美味い。肉も歯ごたえが柔らかくてよい感じだな」


 大きな西瓜ほどはあるモンスター亀の包み焼きの一部を切り取り、そのまま手づかみでかぶりつきながら、自分が寝ている間に完成した迷宮立体地図をケイスは眺める。 

 亀の全身を覆っていた弾力のあった粘液は、火を通したことで、黒く固まったカラメルに変化していて少々硬いが、バリバリして歯ごたえが楽しい。

 蒸し焼き状になった中は、火がよく通っているので厚い皮も柔らかくなっていて、肉は脂がたっぷりなかなかの美味だ。

 周りでは撤収準備が始まっているが、もう少し休んでいろと言う同期達の勧めもあり、ケイスはまずは食事を最優先していた。

 食事のついでに、約束を交わしたサナと話そうと思ってもいたが、言動、生体共に非常識すぎるケイスに、サナの精神耐性許容量がついに限界を迎えてしまい、休憩を訴え、もう一人の当事者であるセイジが戻ってから改め仕切り直しとなってしまい、ふらつくサナに好古とプラドが付き添って、少し離れた場所で横になっていた。 


「全容が知れたのは大きかったな。怪我人も少なくてすんだのは良いが、むぅ、私がいれば怪我人さえ出さずにすんだやもしれんのが無念だ」


 事情があったので仕方ないとはいえ、寝ている間に同期全員が踏破を終えていたのはケイスとしては、嬉しいが、怪我人を出してしまったことが少し残念だった。

 初日しか活動していないので、あまり役に立っていない。それがケイス自身の自己評価。


「いくらあんたでも同時に二箇所は無理でしょ。廃墟都市にあんた達が到達できたから、この時間で全員が踏破できたんだからそれで満足しときなさいよ」


 もっともルディアや他の者から言わせれば、ケイス達が早々と廃墟都市に到達した上、ファンドーレが迷宮全域地図とゴールとなるミノトス神印を見つけ出したのだから、文句なしの第一貢献者だ。

 さらに言えばケイスは事前準備から色々動いているのだから、もう十分働いていると断言して良い。

 だがケイス的には、不完全燃焼というか不満があるのは仕方ない。何せ斬り足りないのだから。

 集合地点となっている廃墟都市まで戻っていない者達が幾人かいるというので、護衛をかねて迎えに行くのも考えたが、帰還場所となるミノトス神印まで既に発見されていて、30分ほどで戻ってくるだろうから、あとは帰るだけ。大人しくしていろとルディアに釘を刺される始末だ。 
 
 不承不承ながらも承知はし、お腹もすいていたし食事をしながら、それでも一応の用心として完成した地図の把握にいそしむことにしていた。

 
「ふむ……少し気になったのだが、迷宮そのものが、単純だが巨大な魔導兵器の回路構造となっていないか。これは?」


 手についた脂が勿体ないので指を舐めながら、ケイスはふと気づいた点を指摘する。

 スタート地点はほぼ天辺付近。そこから8又に別れた通路は、複雑に枝分かれし入り組みながらも、本線は途中で一度も混ざらないまま、石化した龍の天井部分まで降りてきて合流し、そこに掘られた横穴から最深部の廃墟都市へと到達する造りとなっている。

 地図の中心には、ケイス達が直接降りてきた吸魔樹の縦坑が鎮座しており、規模が巨大すぎるのでスケール感がずれるが、その周囲にある一定の規則で築かれた通路と合わせて、よくよく見れば、積層型魔法陣に用いる魔力導線と同じ構造となっている。

 所々、魔力の流れをコントロールする為に人工的な魔力遮断域があるのが何よりの証拠だ。


「おう。正解だ。かなり簡略化しているが、上部でともかく巨大な魔術爆発を起こして周囲を吹き飛ばす作りだ」


 先ほど渡した火龍鱗を早速用いて魔具作成をするウォーギンは、その作業の片手間ついでにケイスの指摘を肯定し頷く。


「それも対龍兵器の一種か?」


「兵器っていうよりも脱出のための準備だな。この龍天井の上の上部迷宮部分は、何百ケーラの厚さもある溶岩台地になってやがる。たぶん迷宮の直上には、さらに10倍近い厚さで冷えて固まった溶岩台地が積み重なっているだろうってのがファンの予測だ」


「……そうか火龍の地形変成特性か。近くに巨大な火山でも生成されて、降り積もった灰と流れ出した溶岩流によって都市ごと埋まってしまったのだな。石となった火龍が積み重なって傘となったから都市はこうやって残っていたのか」


 石化した龍の死骸は最高級の武器防具として利用もされるが、欠片1つを切り出すために数十日以上の軟化魔術処理をしたうえで、いくつもツルハシを壊して、やっと取り出せるほどに硬く頑丈。

 そんな龍の死骸が何百匹にも渡り重なっているのだ。その上に分厚く溶岩が重なっても、この空洞を保つくらい造作もなかったのだろう。


「そういう事、トランドの西域地域はいまでは高原地帯が多いけど、暗黒期が始まる前は低湿地帯だったって話だし。龍の大規模襲撃後に生き残った人達もそこそこいたみたいで、何とか脱出しようと試行錯誤した痕跡やその記録と一緒に地図を発見したって」


「まぁ……あれだ。色々やったが結局は脱出は出来ず、ここで終わったみたいだ。最上部に大規模なカタコンベがあったんだが、その遺体にも、少しでも爆発の効力を増すための仕掛けが施してありやがった。もっとも最終的にはそういう処理もなくなって、少しでも地上に近い位置で同胞を葬ろうとしてたみたいだけどな」


 火龍鱗をはめ込んだプレートを弄る手を止めて、ウォーギンが敬意の篭もった瞳で真上を見上げる。過去の先達達が残した苦心の跡に技師として思う所があるようだ。


「むぅ。しかし失敗の原因はなんだ。構造的に問題はなさそうだし、この規模なら島の1つや2つを消すほどの魔力爆発が出来るはずだぞ。魔力不足か?」


「魔力自体は、どうにか出来る当てがあったみたいだな。お前も見たとかいう地底湖。あれがかなり強力な自然魔力泉。いわゆる聖地ってやつらしい。その魔力を使って対龍兵器のあの吸魔樹を改良したはいいが、逆にあれに魔力を吸われるから、その魔力を溜めるのは不可能だったみたいだな」


「ファンドーレが言ってたんだけど、泉の魔力水を封印する岩には、この都市の古代文字で絶望とか希望って書いてあったそうよ……あの樹が龍を倒す為の希望なのか、それとも脱出を拒む絶望だったのかは、当事者に聞いてみないと判らないでしょうけどね」


 石化した龍達と、ほぼ死にかけながらもまだかろうじてその巨体を保つ吸魔樹。そして滅び廃墟となった古代都市。

 ケイスは無意識的に、額に右手を当て、そして脇に置いて合った剣達の柄に左手を伸ばす。

 そして考える。

 ウォーギンの弄っている火龍鱗と宿るノエラレイドの事を。

 刀身は折って付け替えたが、その柄は間違いなくこの都市で最後まで生き残っていた者達の証。そしてその心。


「……ふむ。ウォーギン、もう出来るか?」


 肉を食いちぎり一気に飲み込んだケイスは、ウォーギンに作業の進捗状況を尋ねる。

 普通の魔導技師なら、まともな工具があってもかなりの時間を必要とするが、そこはケイスが認めた魔導技師のウォーギンだ、


「あとちょいだな。手持ちの魔具に組み込む形で使ってるから楽だ。火龍の熱探知能力を強化して、多少はぶれるが広範囲探知と、至近距離で使える精密探知に切り替え可能だったな。どのくらいの精度がほしいんだ?」


「ふむ。広域の方は200ケーラ範囲程度でまずは良い。近距離の方は、対峙する相手の太めの血管を流れる血流とか臓器くらいなら感じ取れればいいな。内臓を動かせる相手にも急所を狙いやすくなるし、乱戦でも血管を外した手加減がしやすくなる」


「んなもんか。街1つ分が判るようにしろとかの無茶が来るとか思っていたが、かなりマシな範囲か。となりゃ一度組んで使ってみて、微調整した方が早いな。始まりの宮が終わった後は頼まれ仕事でちょっと忙しくなるから、手が空いてる今のうちに一気に組み上げちまうか」


 ケイスの要求はかなり無茶な要求なのだが、ウォーギンは平然と可能だと答え、手の速度を上げる。

 ウォーギンの魔具を実際に使ってみたことで、その出来や性能に惚れ込んだ同期達からいくつも製造依頼や改良依頼をもらっているらしく、魔導技師としての本業の方が忙しくなるようだ。


「それは良いけど、あたし達もこれからは一応は身分上は探索者になるんだし、ケイス相手とは違うんだから、ちゃんと協会は通してもらいなさいよ。あたしの方も頼まれた魔術薬は、フォーリアさんに正式依頼を出してもらうんだから」  


 協会に登録したパーティ内で魔具や薬を融通する分は管理協会も見逃してくれるが、さすがに同期とはいえ他パーティとなると、協会や各ギルドを通さないと色々と五月蠅いことになる。

 ケイスの目指す迷宮探索を主な目的とする純粋な意味での探索者と、ルディアやウォーギンの様に薬師や魔導技師等の職を持ち、低位迷宮での材料集めや、迷宮素材取り扱い許可の一環で副業として探索者となる者達は、始まりの宮後の活動が違ってくる。

 前者は迷宮をひたすら踏破し、後者は時折は迷宮に潜ったり、もしくは危険を恐れ迷宮には立ち入らず、本業にいそしむことになる。


「ルディアおまえな、リオラみたいな事言うなよな。それくらい判ってるっての」


「そのリオラさんから頼まれてるのよ。ウォーギンはほっとくと重要書類の提出期限だって、放置してて仕事するから見張ってくれって。月一で手紙の近況報告だってしてるわよ。あんたから連絡が無いか、きても設計書ばかりだって愚痴ってるから、探索者になったことぐらいは自分で報告してよね」


「めんどくせぇな……」


 心底面倒そうな顔を浮かべるウォーギンと、あきれ顔のルディアの会話を聞き流しながら、ケイスはこの後の行動方針を密かに練り上げる。

 レイネに怒られる可能性はちょっと高いが、思いついたことはケイスがやるべき事だ。ならやるだけだ。

 ただ問題はどうやってルディアを躱すかだ。

 ルディアに言ってもたぶん反対されるし、下手に誤魔化してもすぐに気づかれる。

 かといって伝えて心配しなくても良いと言っても、心配される。

 それに面倒見の良いルディアの事だ。下手したら付き合うとか言いだしかねない。

 それはそれで嬉しいが、さすがに今の思いつきをルディアを庇いながら行うのは無理があるし、かといって危険に晒すのはケイス的には絶対無しだ。

 どうするかと頭を悩ませながら、亀にぱくついていると、一人の戦士がケイスたちに近づいてくる。


「ルディアさん。話しが盛り上がっているときにちょっと悪い。少し良いか?」


「あ、大丈夫です! すみません。クレイズンさん達に撤収準備を任せて、私達は休憩させてもらっていて。何かありましたか?」


 ルディアが立ち上がって頭を下げようとするのを手で制したクレイズンは、


「たいした手間じゃ無いから気にしないでくれ。それよりもほかの連中とも話し合って満場一致で決まったんだが、あんたらのおかげで全員無事に突破できたんだ。だからあんた達のパーティがまず始まりの宮を踏破してくれってな」
  

 迷宮神ミノトスの神印が淡く輝く門を指さした。

 大陸各地の始まりの宮を最初に踏破して脱出したパーティ達とそのメンバーは、各支部から管理協会本部に報告され、その功績をたたえ名前が喧伝されると共に、金一封が準備金として支給される。

 又それだけでなく、その地域で一番優秀な新人パーティというなによりの証でもあるので、地域の有力ギルドや有力者からの覚えもよくなり、色あせない金字塔となる。

 その名誉を譲ってくれるという、しかも誰からも反対がないという破格の申し出だが、ケイス的にはそれは少し困る。

 困るが、同時にいくつもの懸念を一気に解決する良い案が浮かんだ。


「ケイス。どうする?」 


 パーティの名目上のリーダはルディアだが、その行動の中心は常にケイスだと誰よりも理解しているのがそのルディアだ。


「ん。ならルディと、クレイズン殿。それに各パーティの代表者がまずは続々と先陣を切ればよかろう。私達全員で踏破したのだ。ならば全員がその名誉に値する。それに人が少なくなって来れば襲ってくるモンスターもいるやも知れぬ。だから同期の中でもっとも戦闘力に長ける私とサナ殿、それにセイジ殿で殿を受け持つことにしよう」


 ルディアの問いかけに対してケイスは胸を張って、思いついた名案を堂々と語った。



[22387] 剣士の生きるべき世界
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/03/23 00:05
「いい。本当に余計な事しないで、脱出しなさいよ」


 過去のケイスの行動を思い返せば不安が消せるわけがないルディアは、ミノトス神印が輝く門の前で、本人ですら何度目か忘れた念押しをする。
 
 同期の中で最初に始まりの宮を踏破をしたパーティには、様々な恩恵が与えられる。

 しかし自分達は同期全員が始まりの宮を踏破したのだから、各パーティから代表者を出して、まずは彼らが最初に通過し迷宮を踏破する。名誉も恩恵も同期全員で分ければいい。

 ケイスの提案したそれは確かに公平で、そして何より同期全員が第一功労者と考えるケイス本人がそんな提案するのだから、同期からは感謝はあれ反対がでる理由は無い。

 しかし言いだしたのはケイスだ。しかも殿として最後にケイスが出るとなると、嫌な予感をルディアが覚えるなというのが無理な話だ。


「判った判った。くどいぞルディ。後ろの者達も待ちわびている。何より向こうではガンズ先生がやきもきしているだろうから、早く行ってやれ」


 一方で何度も言われて聞き飽きていたケイスは、心配するなと手を振って門を示す。

 怪我人もいることだし、確かにいつまでも心配して押し問答を続けるわけにも行かない。

 それに始まりの宮での踏破最短公式記録は16時間。平均的な話としても2日目の早朝には最初の踏破パーティが迷宮を脱出してくる。

 今は3日目の朝。龍王湖のほとりのミノトス神殿で待機しているロウガ支部関係者は、誰も帰還しないという異常事態に、気が気でも無いはずだ。

 ただそのガンズが、本人の化け物じみた力があるので無事はともかく、何をやらかすか心配しているのがケイスだ。

 まずはケイスを連れて行った方が、ガンズが何よりも安心するのでは無いかと、ルディアはどうしても考えてしまう。

 
「仕方ないな。耳を貸せ……サナ殿達と余人を交えず、話をするには丁度よいからな。少し用事を済ませたら追いかけるから心配するな」


 ちょいちょいと呼ぶケイスに合わせてルディアがしゃがみ込むと、潜めた声でロウガ王女であるサナと内密な話があるから殿を引き受けたと打ち明ける。


「ケイスあんたね……切った張ったの展開にしないでしょうね」


 ルディアが知っているだけでも、色々とやらかしていたり、やたらと過去に謎のあるケイスの事だ。

 下手したらそれが新しい騒動の火種となりかね無いので、同期が出ていった後の、始まりの宮ならば、盗み聞きされる恐れがない方が、安心なのは確かだ。


「私にとってサナ殿は姉様みたいな存在だぞ。鍛錬でも無いのに、剣を向けるような無礼を働く訳がなかろう」


 ルディアの懸念を、胸を張ったケイスは堂々と否定するが、その自信満々な態度が、逆に不安を煽る。

 だが、一度言いだしたケイスが、行動を変えないのをルディアは嫌なほど知っている。


「仕方ないわね。待ってるから、あんたもほんと早くきなさいよ……皆さん。お待たせしました。戻りましょロウガに!」


 大きく息を吐いたルディアは諦め立ち上がる。

 ケイスに最後の念を押してから、後ろに列になっていた同期達に帰還を告げると、門を越える一歩を踏み出した。
 
 門をくぐった瞬間、長身のルディアの身体は光の粒子となってロウガ近郊の地底湖龍王湖へと転送されていった。

 先陣を切ったルディアに続き、疲労していたり怪我を負ってはいるが、誰もが誇らしげに見える同期達が、意気揚々と続く。


「じゃあ俺も続くか。世話になったケイス嬢ちゃん」


「うむ。こちらこそルディが世話になった」


「武器がほしいなら良いドワーフ職人を紹介をしてやるから、連絡を寄越せ」


「ん。助かる。礼は弾むぞ」


「あんまりルディアの姉さん困らせるなよ。あの人だいぶ心配してたんだから」


「むぅ、判っている。私の事よりお前は怪我を早く治せ。ウィーが褒めていたぞ。良い戦士だと」


 門をくぐるときに、横に立つケイスにひと言をかけていく者もそこそこにいる。

 最初の腫れ物扱いを考えれば、相当な改善だが、ケイス本人はそんな物など気にならない。初めから何とも思っていない
 
 相手が自分をどう思うかよりも、自分が相手をどう思うかだ。

 態度は相変わらずの傲岸不遜だが、極上の美少女笑顔でニコニコと笑い返して、その労を労ったり、ふくれ面を浮かべつつも、腕を吊った戦士を見送る。

 代表者が出たのに続き、今度はそれぞれのパーティごとに纏まって門をくぐっていく。

 撤収はつつがなく進み、あっという間に廃墟都市に残ったのは2パーティだけになる。

 ルディアを除いたケイス達のパーティと、そして代理で代表となった好古を除いたサナ達のパーティだ。
 

「ケイ。周囲にモンスターの気配はないけど、ど-する? 一応ボクも残ろうか。話し合いが決裂したときに備えて」


 その耳の良さでルディアにした耳打ちも聞こえていたらしいウィーが、どうにも緊迫した表情を見せるサナの様子を窺いつつも、あくび交じりで尋ねてくる。

 普段からのんびりした気質を持つウィーだが、今回のあくびに関してはずっと先行偵察をしていたので疲労が溜まっている所為らしく、尻尾の動きも緩慢でどこか気怠げだ。


「いらんいらん。別にサナ殿達とやりあうつもりはないから心配するな。ウィーも動きっぱなしなのだろ。早く帰って休め」


「完全装備しているお前が言っても、説得力がねぇよ……人払いがいるんだろ。額当て使ってみろ」


 ウォーギンに首を縦に頷いて答えたケイスは、完成したばかりの火龍鱗ヘッドギアを使って周囲の熱源を探る。

 額の部分に当たる鱗に宿るノエラレイドを通じ、周囲の熱がケイスの感覚に上乗せされていく。

 目の前にいる7人以外は、崩れた建物下に閉じ込めた隠し通路の亀だけで、ほかの生物の熱反応は近くには感じ無い。


「ん。問題無い。ほかに残っている者はいないな。話を聞かれたら、斬らなければならんから、気が進まんかったがよかった」


「あんたら、よくこんなのと仲間やってられるな。姫さん。セイジ。本当に今する必要がある話なのか? 戻ってからでもいいんじゃないか。姫さん調子が悪いんだろ」


 物騒な発言をするケイスに、多少引き気味のレミルトがサナに念を押して確認する。

 他者のいない場でケイスと話し合いなど、獰猛なモンスターの檻に一緒に入るのとさほどかわらないとでも言いたげだ。 


「えぇ……私とセイジだけが残ります」


「あまり公にしない方が良い話のようです。ならここの方が都合が良いでしょう。王女殿下のご体調次第ですが」


 硬い表情で答えるサナの言葉に、横に控えたセイジも頷き同意はするが、サナが不調ならばすぐに切り上げることを言外に告げる。


「あんたらの方は? 一応これでも相手はロウガの姫だぞ」


「残ろうとしてもケイスに追い出されるだけだ」


「追い出すだけで済んだらまだマシだねぇ。ケイなら斬りかかってくるねぇ」


「ウィーおまえなぁ、それ冗談になってねぇぞ」


 今回の始まりの宮に関するデータを早速まとめているのか、手帳に色々と書き込んでいたファンドーレに次いで、ウィーとウォーギンも似たような答えを口にした。


「それに俺はこの大量の資料をとっとと整理したい。これもプラド殿のおかげだな。正規報酬以外に後で一杯奢らせてくれ」


 廃棄都市で回収した遺物を色々と背負っているプラドに、ファンドーレが感謝する。

 遺物は石版などが主でかなりの重量が有るのだが、その足取りにふらつきは見えない。

 石版に刻まれているのは今は使用者の途絶えた消滅文字。研究資料としてはそこそこの価値があるかも知れないが、金銭的には微妙な所だ。

 迷宮で収拾した遺物や素材を持ち帰る。ある意味でファンドーレが一番探索者らしい探索者をしているといえた。


「世話になっている荷役ギルドの良い宣伝になる。気にするな」 


 港湾都市でもあるロウガでは、港での荷役ギルドの需要は高く、膂力に優れた獣人が副業として日雇いで働いていることも多い。

 強面の外見に反しプラドも闘技場に出場する戦士業の傍らで、地味な裏方である荷役ギルドにも登録しているようだ。

 変わった文字が目立つ石版は、今回の始まりの宮関連とも相まって街の噂話などでよい宣伝になるだろう。


「ん。なら皆も文句はないな。すぐに終わる話だ。早く先に行ってろ」


 反対は無い事を確認して横柄に頷いたケイスは、ウィー達の背中を押して追い出す。

 三人きりになった所でケイスは、サナとセイジの二人と真正面から対峙して見上げる。

 サナの方は色々と衝撃的なことが続いて精神ダメージが酷いのか顔色が優れないが、セイジの方は落ち着いた物だ。

 
「ふむ。ではそうだな……サナ殿、セイジ殿も早く戻りたいだろうから、一番肝心な事から打ち明けよう」


 どう話すか少しだけ考えて、色々と周りくどくするのが面倒になったケイスは主題にいきなり入ることにする。

 懐に畳んで持っていた羽の剣を取りだし、軟化状態のままだが軽く振って二人の前にみせ、


「まずは何よりも謝罪しよう。前期の始まりの宮でセイジ殿を襲撃したのは私だ。この羽根の剣がその証拠だ。二人ともすまなかった。特にセイジ殿には深手を負わせ、本当に申し訳ない」


 ケイスは深々と頭を下げる。

 斬ってはいけない者を斬る。

 剣士であると自負するケイスにとってそれは、紛れも無い恥であり、犯してはいけない失敗。

 だから心から反省し、謝罪したのだが、サナ達からは反応は無い。


「……」


 サナはそこに続くケイスの次の言葉を待っているのか沈黙を維持し、


「……」


 一方でセイジはセイジで、主筋に当たるサナがまず答えるべきと考えたのか口を噤んだままだ。
 
 誰かに謝り馴れていないケイスは二人の沈黙にどうして良いのか判らず、とりあえず何か返事があるまで頭を下げたままにする。

 さらに1分ほどの時間が流れ、


「姫。私には判りませんが、ケイス殿に尋ねたい事が有るのではありませんか」


 さすがに見かねたのか、セイジが助け船を出してくる。


「セイジ……そうですね。ケイスさん頭を上げてください。貴女が出陣式の襲撃者だったというのは今更の話です。それよりも重要なことがあります」


 サナに言われたので頭を上げてみると、 セイジに背中を押されサナはなにやら意を決した表情を浮かべていた。

 覚悟を決めた表情だというのは判る。


「……? 出陣式の事以外で、何かほかに重要な話があるのか?」


 だがケイスにはサナの問いかけの意味が判らなかった。

 前期の出陣式の時の話以外でサナ達に打ち明けることなど、何も思いつかないからだ。


「惚けないでください。だ、だから貴女の出生の話です。あの時、名乗った真名の意味を、私が判らないとでも思ったのですか! それになぜ私達に好意を向けるのとか!」


「うむ。気づくだろうな。だから今更言う必要もあるまい。それと好きな理由は邑源流の使い手であるサナ殿は私にとっては姉弟子、つまりは姉様みたいなものだからだ。流派を抜きにしてもセイジ殿共々、その生き様は敬意に値するし、腕が立つから好きだぞ。それがどうかしたのか?」


 サナが何故怒ったのか判らないが、ケイスはケイスなりに自分が思ったことを、そのまま誠実に答える。


「あと私の生まれは隠した方がよいのは、サナ殿なら判るであろう。だからセイジ殿にも詳細は言わぬ方がよいぞ。故にサナ殿もセイジ殿も忘れろ。私はケイスだ。それが今の私だ」


 そしてケイスのややこしすぎる生まれを察し、さらにソウセツの義母である曾祖母と現ルクセライゼン皇帝の間で起きた悲劇を少しだけは知っていたサナが、ここ2日間もの間、悩んでいた葛藤や、苦悩を、忘れろのひと言であっさりと終わらせてしまう。


「あぁぁっ……もう、なんなのですか貴女は。うぅ、また立ちくらみが」


 会話にならないというか、言葉は通じるが、その考え方や価値観が常人と違いすぎるケイス相手に、大声を上げて貧血でも起こしたのかサナがふらついた。

 横に控えていたセイジがすぐに手で支えていなかったら、そのまま倒れ伏していただろう。


「ケイス殿。申し訳ないが、今日の所はここまでにしていただいて、よろしいでしょうか」


「ん。仕方あるまい。サナ殿は養生したほうがいいだろうな。始まりの宮での疲れが出たのだろう」


「あ、貴女が、げ、原因です……」


 自分が強烈なストレス源である自覚が一切なくしたり顔で頷くケイスに、サナが恨めしげな目を向ける。


「王女殿下。まずは体調を取り戻してから改めて話し合いの場を設けましょう。お体に触ります」

 
 こういうときはともかくストレス源と一刻も早く遠ざけるべきだと知っているのか、セイジはサナに肩を貸したまま、門へと向かう。


「セイジ殿は私に言うべき事はあるのでは無いか?」


 結局セイジとは禄に話せてないので、その背中に呼びかけるが、


「自分の右手を犠牲にしてまで剣の軌道を曲げ、私の命を救ってくれた。そのような剣士であるならば、私が知らぬ何らかの事情があったと気づいております。また剣を交えながらでも聞かせてもらえれば十分です。それでは先に失礼します」


 冷静沈着な態度と言葉のまま、セイジは一礼してから門を通過し、二人の身体が光となって消え失せた。


「ん。曲げたことを気づかれていたか。セイジ殿はなかなか目もよいな」


 一人残されたケイスは話は中途半端だが、自分が言いたいことは言えたし、セイジの目の良さを確認できて満足して頷く。
 
  
(狼牙の侍だな。今の時代でもあのような者が残っているか。俺に肉体があれば良き戦いが出来そうのが惜しい)


「ふむ。ノエラレイド殿もそう思うか。私もだ。いつか正当な理由で刃を交える日が来ればよいな。さて、ではいくか」


 武人の存在に龍としての性が刺激されたのか、額当てが少し温かくなった気がする。

 ぽかぽかした気持ちいい良さを感じながらケイスは、横に置いてあったいくつもの剣を束ねていた紐を取る。


(龍である我が言えた義理ではないが。せめてもう少し他者の心を判ってやれ。羽根の娘や薬師の娘に同情したくなってくる。早く戻って安心させてやれ)


 血の気の多い一人と一匹とは違い、老熟したラフォスはケイスの行き当たりばったりで他者を省みない言動を注意する。


「ん? 何を言っているお爺様。サナ殿との話はとりあえず終わったが、まだ一番大事な用事が終わっていないでは無いか」


 出口である門に背を向けて、ケイスは剣の束を背中に背負いながら中心に向かって走り出す。

 眠って休めた身体は十分に体力も気力もある。

 ご飯も食べた。ならいつも通りに動ける。

 いやノエラレイドを取り込み火龍の血の制御力も上がり、そして新しい魔具も手に入れた。

 今のケイスは、2日前のケイスより強くなっている。
 

(待て娘。何を考えている)


 ケイスの向かう方向。そして僅かに高揚した弾む声に、ラフォスは非常に嫌な予感を覚える。


「私は剣士だ。決まっているであろう。まだ斬り残している物がおるからな。斬ってから帰る」


 その予感を物の見事に的中させる答えを伝えたケイスは、目的地で足を止めると、胸元に一本だけ残していた爆裂ナイフを引き抜く。

 目の前にはこの廃墟都市にたどり着いたときに抜けてきた隠し通路への入り口が埋まった瓦礫の山がある。

 火龍鱗の熱探知が伝える。

 この瓦礫の下にはあの時に弾きは出来たが斬れなかった亀たちがまだ蠢いていると。

 その存在を改めて感じ取ったケイスは、崩れ落ち積み重なった瓦礫に向かってナイフを躊躇無く投げつける。

 着弾と同時に瓦礫の山が吹き飛び、地下に続く穴が半分ほど姿を現し、開放を待っていたかのように、その中から怪しい赤黒い灯りがいくつも飛びだしてきた。

 ケイスの周囲を跳ね回る亀たちは、閉じ込められた怒りを現すかのように強く輝き出す。

 その熱をケイスは感じ取る。

 弾力のある粘液球に包まれる亀の本体。その固い甲羅の中で躍動する心臓や血流、各種内臓。

 その肉体構造を、手に取るかのようにケイスは感じ取る。

 その身体の構造を感じ取り、そして先ほどは同族の亀も平らげた……ならば、

 不意に角度を変えて突進してきた一匹に対して、ケイスは無造作に剣の一本を引き抜き、電光石火に振り抜く。

 刃と亀が交差した瞬間、粘液の球だけでなく、その中の本体の甲羅ごと、ケイスは一刀両断してのける。まるでシャボン玉を割るかのようにあっさりと、事も無げに。


「ん。よし。では次の剣だな」


 満面の笑みをみせたケイスは次の剣を手に取る。今度は先が細くなった刺突剣だ。

 手に入れた大イカの爪を用いた剣は10本。

 まだ禄に斬り試していないのに帰れる物か。

 ケイスは乱戦を開始する。 

 廃墟都市を駆け抜けぬけ、剣を次々に変えながら、鎧袖一触で次々に死体の山を築きあげ、剣を振る。


(娘! 亀共だけであろうな!)


「何を言っているお爺様! これは準備運動だ! あそこにいるであろう! まだ斬っていない最大の大物が!」 


 ケイスの心は弾む。斬りたいと。

 ノエラレイド達火龍の群れでも倒せず、そしてこの対龍都市の生き残り達でも折れなかった存在を。

 彼らの気持ちを、無念を汲もうなどと、ケイスの根源には毛頭ない。

 ただ斬りたい。斬れない物が許せない。斬りたいから斬る。 

 剣でしか、世界を知れない。剣を振ることでしか、他者を知る事が出来ない。

 斬れば判る。

 斬らなければ判らない。

だから人と接するよりも、モンスターの方が判りやすい。


「ノエラレイド殿! 広域探査で吸魔樹の主根の位置を調べろ! あれを斬ってついでに泉の封印石も斬るぞ!」   


 人の世界で息苦しさにあえぐケイスは、誰に向けるよりも楽しげで溌剌な笑顔を浮かべながら、己が本来生きるべき迷宮を駆け抜け始めた。















 次期メインクエスト最重要因子【赤龍】及び龍滅者2名 

 探索者モード登録完了。

【赤龍】四龍クエスト開始。

【翼女王】龍滅クエスト前提条件到達。

 運命交差改変準備。

 対龍都市及び対龍兵器関連クエスト全放棄。

 新規戦乱クエスト作成開始。

 クエスト命名【龍骸戦争】

 トランド大陸西方領域全域を戦域指定。

 喪失生命体量700万個体まで許容。
 
 サブクエスト生成を開始。

 賽子が転がる。


 賽子の内側で無数の賽子が転がる。


 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。


 賽子が転がる。


 神々の退屈を紛らわすために。


 神々の熱狂を呼び起こすために。


 神々の嗜虐を満たすために。 


 賽子が転がる。


 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。



[22387] 剣士が知る者。剣士を知る者。されど理解者は未だ無し
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:754e80b9
Date: 2019/03/29 23:11
 ロウガ始まりの宮、今期挑戦者達、全員踏破し帰還する!

 探索者となるための最初の試練【始まりの宮】の挑戦者達が全員無事に帰還するという、史上初の快挙は、最初の帰還者から全員帰還の情報がもたらされると同時に支部に先触れが走り、すぐに管理協会本部にも報告された。

 最初の帰還パーティが平均的には2日目の朝までには戻ってきて、その後後続のパーティが続々と続く帰還し、3日目の終わりに2割から3割が未帰還となる。

 それが例年の流れだが、今回は3日目まで未だ帰還者無しという非常事態に、全滅もあり得るかと騒ぎになっていたロウガ支部関係者一同は、大逆転の朗報に胸をなで下ろした者が多数だったという。

 しかも最初に突破する第一功を競って、足の引っ張り合いになる事も珍しくないというのに、全挑戦者による協力体制が敷かれ、全員の踏破確認終了後に脱出をしたという彼らの行動が、探索者間での協力を謳う管理協会の理念に沿った物であったことが、一部の関係者達を大いに喜ばせた。
  
 昨今、仕事にあぶれた探索者や、過剰な権益を持った支部での数々の不正、犯罪行為の頻発で、問題視されていた探索者や管理協会の悪評を覆せると。

 ロウガ全員帰還の報を知らせる管理協会本部の知らせは素早く、大規模な物となり、僅か1週間ほどでトランド大陸のみならず、別大陸にまで、全員の名が記された記事と共に過剰に装飾された美談として、盛んに喧伝されていた。










 南方大陸統一帝国ルクセライゼン。帝都コルトバーナ。

 別大陸への出発地点である国際港と、大陸各地と繋がる大運河の基点に築かれた難攻不落の水上大要塞コルト大宮殿。

 代々の皇帝居城であるその最深部。皇帝私室では、幾重にも敷いた防諜魔術を用いて、現皇帝フィリオネスとその側近達による、内容は極めて私的ではあるが、帝国の未来を憂う大切な話し合いが行われていた。


「こちらが調べなくても、ケイネリアの行動が、自然とわかってくるようになりましたか。少しは楽できますかね。もっと早くかと思っておりましたが、3年もかかるとは」


 今はまだ大量に名前が乗ったリストの中段に家名もなく記された程度だが、家出中の孫娘の愛称【ケイス】を発見し、カヨウ・レディアスは面白げに笑う。

 今回の騒ぎに乗じて情報を集めても、国内の潜在的敵対皇族達や、姉の敵である紋章院にも、全員突破が可能となった理由を探っているだけだと思われるだけだ。

 探索者は、それぞれの陣営でも手が喉から出るほどにほしい人材。ましてや、自分の手駒が確実に探索者となれるならば、これほど有用な情報はない。ルクセライゼンだけでなく、世界中の国家やギルドも同じように情報を集めだしている。

 木を隠すなら森の中というべきか、カヨウ自らが暗黒時代の途中からトランド大陸中に張り巡らした精鋭隠密情報網である【草】すらも、時折見失っていたが、探索者となった以上は、迷宮に潜るときと帰還時に最寄り支部に報告義務があるので、ケイスの動向を格段に探りやすくなるはずだ。


「3年も隠し通せたのが奇跡でしょう。ケイネリア様の本来の力があれば、国の一つや二つ滅んでいてもおかしくありません。しかも悲報ではなく、朗報で知れ渡ったことをひとまずは喜びましょう。さすがは陛下の血を引く御子様です」


 堅物過ぎる幼馴染みにして守護騎士であるリグライトは、ケイスは実の孫だというのに、あくまでも隠し子ではあるが主家の血をひく皇女として扱う常の態度で語る。


「リグ。その冗談は笑えんぞ。ケイネリアが絡んだ革命騒ぎで滅んだ小国があっただろ。あの時も、カンナビスの時も、いつ表舞台に出るか、出るかとヒヤヒヤしていたが、ついにきてしまったか」


 祖父母達はそれぞれ多少は喜んではいるが、実の父であるフィオは頭を抱えるしかない。

 ルクセライゼン皇帝フィリオネスの血を引く唯一の隠し皇女であるケイネリアスノーの存在は、国を揺るがす大きな火種。
 
 国を思う皇帝として、そして無理、無茶、無謀と三拍子揃ってはいるが溺愛する愛娘を思う父としても、心配と悩みの種は尽きることなく、これから加速度的に増えていくことだろう。


「遅かれ早かれ、こうなる日はいつか来ると覚悟を決めていたでしょう。それにしてもイドラスの隠し子として私に似た容姿を誤魔化す予定でしたが、ソウくんの血筋として疑われるようになるとは。相変わらず読めない子ですね」


「それだカヨウ。元遊び人のソウタの奴はともかくとして、ユイナ殿に誠に申し訳ない」


「ソウタ殿を嫌い、何度か揉めた事から疑われたようですね。しかしソウタ殿は、ケイネリア様が是非話して剣を交えたいと常々あげていた武人の一人。何があったのでしょうか?」


「あの子のことだ。私達には判らない理由だろう……それよりも今回の件だ。どう作用すると思う」


 理解出来るかどうかは別として、いくら考えても愛娘の行動原理は、本人から直接に聞かない限り判らない。

 世間でよく聞かれる父親の愚痴と似たようで、決定的に違う本音をもらしたフィオは、父から皇帝としての表情に切り変え、この騒ぎがルクセライゼンにどう影響するか、相談役のカヨウに問う。


「准皇家による次期皇帝候補選抜圧力が、まず間違いなく強まるでしょう。長期にわたるメギウス家の皇位専有を面白く思わない方々も増えてきております。今回のロウガの踏破者の中に齢13の少女がいたという話も、適正年齢を満たすが突出した力を持たない後継者候補を、協会の年齢制限に満たない一族の若者にすげ替えたい准皇家にとっては、力尽くでねじ込む後押しとなりますでしょう」


「上級探索者となり、始祖様の天印武具を得た者が次代の皇帝となり国を治めよか……それが我が国の伝統とはいえ業の深い話だ」


 自身も上級探索者であるが故に、皇位継承戦の困難を知るが故に、一族の血を流す争いにフィリオネスは憂いを浮かべる。

 だがそれはパーティメンバーであるカヨウとリグライトしかいない、この場でしか口に出せない。

 公言した瞬間、准皇家のいくつかと、国体を維持する紋章院との内乱となり、それは民を巻き込む大騒乱となるだろう。

 人類存亡の危機となった暗黒期に、人種の力を結集させるため旧ルクセライゼン王国が南方大陸を統一して統一帝国ルクセライゼンが建国されて既に数百年以上。様々な歪みを今のルクセライゼンは内包している。

 ロウガよりもたらされた快挙の報は、皇帝の出身であるメギウス家を含めて、旧王族であり皇位継承権を持つ各准皇家間での争いはもちろん、准皇家内での勢力争いも熾烈を極める事となっていく。










 トランド大陸中央領域への入り口であり、大迷宮北リトラセ砂漠迷宮群に隣接する迷宮隣接都市カンナビスでも、ロウガからもたらされた報は街中での話題となっていた。


「今年のカンナビスの始まりの宮踏破率は8割弱か。これでも普通なら多い方だってのにな。ボイド。親父さんの方は大丈夫か?」


 探索者向けの情報が載った新聞を片手に、杯を傾けていた魔族のヴィオンは、親友であるボイドとそして恋人であるセラの父親であるカンナビス支部長の心配をする。

 ロウガ支部全員突破と本部からの転送記事を大々的な喧伝する横で、ひっそりとカンナビス支部が発表した始まりの宮の踏破率は、決して悪くない数字だ。

 8割が帰還。しかも最初の踏破パーティは1日待たずにスピードクリアと、何時もなら酒場では期待の新人達への祝杯が飛び交い、亡くなった者達に多少の哀悼が捧げられるのが、始まりの宮後のカンナビスの酒場での常だ。


「ロウガで全員帰還が出来て、何故カンナビスはこれだけ未帰還者、死者が出たんだって問題になってるそうだ。踏破に湧いていたルーキー共も、仲間を死なせたって非難の声に凹んでいるのが多くて、しばらくはケアが必要だとよ」


「スオリーお姉ちゃんも、遺族の人達からの支部の怠慢が原因じゃないかって問い合わせが多くて大変みたい。探索者なら自分の命は自分の責任だって、覚悟が無くてどうするって話よ。盛り場での話題もあんな感じでロウガ一色みたいだし、地元なのにしばらく肩身が狭いかも」


 出鼻をくじかれた後輩達を心配するボイドと違い、強制されたわけでもなく自分で選らんで探索者を目指していたのだからとセラは不満げだ。

 今期は完全にロウガに話題を持って行かれ、聞こえてくるのも、今期に挑んだロウガ王女や仕えるサムライのラブロマンスやら、同期全員を恫喝して協力させた姉御肌の赤毛の大女といった根も葉も無い噂話が流れている。


「みんなを纏めた赤毛の大女ってルディアの事よね。薬師だってのに。しかもウォーギンさんまで探索者になったみたいだし、やっぱりこれってケイス絡みだよね」


「間違いなくケイスの仕業だろ。なんか噂じゃあ、あんまり名前が出てないのが妙だけどな。ルディアからの手紙じゃ、無事に発見して合流は出来たが、未だに、カンナビスの事は知らない、ロウガで初対面だって言い張ってるらしい。なに考えているか知らないが、相変わらずおもしれぇな。あのちびっ子は」


 どうにも相性が悪くケイスを苦手とするセラと違い、ヴィオンの方はケイスを面白がっているので楽しげな声で笑う。


「全く死んだかと思って心配してりゃこれだからな。うかうかしてると、俺らもすぐに抜かれかねないな。中級探索者を目指してそろそろ本腰を入れるか」


「兄貴気合い入れすぎ。張り切るのは良いけど、その前にお仕事お仕事。今回もラズファンへの護衛で常連のファンリアさんは払いは良いし、ご飯もミズナさんの所で美味しいんだから、楽しみながら稼がせてもらいましょ」


 ケイスと同じく近接戦闘を得意とするボイドが、ケイスに触発されたのか、金属製のカップがミシリとなるほどに力を入れるのをみて、セラはあきれ顔を浮かべていた。










「親父。この剣とこの斧は前ほど良くねぇぞ。あとこっちの弓はもう少し高値でもいけるんじゃねぇか」


 日課の夕方鍛錬を済ませたラクトは、先ほどまで使っていた武器を馬車の床に並べて丹念に整備していく。

 キャラバンは明日にはカンナビスの街へと入る。

 始まりの宮が終わり1週間。閉鎖期で閉じていた迷宮が再開して、内部が変化し新造、改造された迷宮に挑んでいた探索者たちの第一陣が戻ってくる。劣化した武器や損傷した防具の代わりを求めた買い手や、職人達から頼まれている迷宮素材の仕入れには、丁度いい頃合いだ。

 神術再生した両足は、寒いときは多少は痛むが、今ではほぼ支障がない程度に治っている。

 脅威的な回復力の原因が、ラクトの命を救うためとはいえその両足を切断したケイスが教えた闘気生成法と回復強化のコツなのだから、恨むべきか、感謝すべきかラクトとしては微妙だった。

 
「おう。じゃあ仕入れ先を少し変えるか。そっちの武具工房は先代が引退して、代替わりで揉めてるみたいだから新規を開拓するしかねぇな」


 ケイスとの一戦以来、武具の微細な感覚を直感的に捉える才能に目覚めた息子の批評を、武器商人としての矜持を持つマークスも、素直に受け入れる。

 ラクトが実際に使って判断した感想は、マークス自身の目と同じくらい信頼できる物と今では思っているほどだ。

 マークスの商売の師匠で商隊長のファンリアさえ、ラクトの武器鑑定には、武器の神様にでも見出されたか、それともケイスの殺気で生存本能が刺激された結果かと、煙草片手に感心するほどだ。

 そのまま親子は背中合わせで在庫を調べたり、整備していると、ラクトがぽつりと告げる。


「なぁ、親父。16になったら俺はカンナビスで挑む。あんな事が出来る無茶苦茶な奴に勝つ為には、少しでも時間を無駄に出来ない」


 何がとか、どうしてだとはマークスは問わない。

 ラクトが当に決めていたことを知っているし、改めて声に出して決心をさせた原因もわかっているからだ。

 盛んに喧伝されるロウガで行われた快挙の報は、耳の早い商人達の間でも大いに話題になっている。

 その派手な情報の中、特別枠の13才という年齢以外はひっそりと書かれていた名前のみの少女の名を親子が見逃すはずもなかった。
  

「そうか……それまでに俺の生涯で最高の武具を仕入れなきゃならねぇな。ケイスにやった羽の剣を凌ぐ奴をな」


 今の息子にならどんな武器でも扱えるだろう。親馬鹿と笑われようが、それがマークスの今の見立て。

 武器商人として大成したくば人を見る目を鍛えろという、小生意気にもほどがあったケイスのアドバイスに従い、跡取りを失う代わりにマークスが得た力は、胸を張って武器を託せる戦士を見出す力となっていた。

 だがその目を持ってしても、そして実際に刃を交えたラクトを持ってしても、ケイスの力の限界は見極められない。

 人の領域を越える力を持つケイスに挑むのが、無謀なのか、それとも必然なのか。答えが出るのはまだ先の話だ。








「申し訳ありません。ロウガ支部は元より、協会本部でも、まだ詳細情報は極秘とされており噂や喧伝された内容以外は、細かな事実は詳細不明です」


 砂交じりの風が吹くカンナビスの上空。月明かりを受けながら陰行魔術で足元を隠しながら、カンナビス支部の受付嬢であり、隠れ中級探索者、草の構成員でもあるスオリーは、臨時調査の一次報告を済ませる。


「街中の噂にも情報操作の疑いがあった。協会本部が意図的に隠している可能性が高い。その馬鹿皇女を知っている竜獣翁様に頼った方が良い。情報収拾のためだからって、お酒ばかり飲まされて、仲間にならないかという誘いを断り続けるのもそろそろきつい」


 調査指示が出て3日しかないが、酒場やらギルドを廻り雑多な情報を集めてきた同僚の女魔獣師のニズラが、特徴的な入れ墨を入れた頬を赤くしながら酒臭い息を吐きながら抑揚の無い口調で告げる。

 基本的にはスオリーが情報収集担当で、相方のニズラは迷宮内情報収集を専門とする実行担当なのだが、今のスオリーは表の仕事での問い合わせが多く、禄に動けないので、ニズラが情報集めに動いていた。

 ニズラはスオリーと違い、協会に正規登録した探索者であり、様々なパーティを渡り歩くフリー探索者。モンスターを捕縛し使役できる珍しい職業の魔獣師ということで、固定パーティやギルドへの勧誘の誘いも多く、話を聞き出すついでに口説かれて苦労しているようだ。


『それが出来たら苦労しない。死んだはずの者のことなど知らんで完全拒否だ。緑帝の爺様がケイネリアの事を知って動くことを警戒してんだろうから仕方ない』


 草を管理する元締めであるリグライトとカヨウの息子であるイドラスは、ニズラの提案を即時却下し、顔をしかめる。

 コオウゼルグと同じく元フォールセンパーティの一員である協会本部理事の一人であり大英雄が一人『緑帝』ミウロ・イアラス。

 龍嫌いで知られる老エルフの種師は、相手がかつての仲間の血を引こうとも、悪意ある龍と認定すれば良くて隔離、場合によっては死滅を掲げる対龍強硬論者。

 彼の基準からすればケイスなど勝手気ままに暴れる龍その物。即殲滅対象となりかね無い。


『ともかく今回の詳細記録を至急あつめろがスポンサー様のご意向だ。全員が帰還するなんてシチュエーション。剣戟舞台の題材としちゃ美味しすぎるからな。ただどう書いても、後からケイネリアに覆されそうだって、筆が進まないそうだ。あの放蕩変人女侯爵様は』


『イド! 聞こえておりますよ! あーあの姪っ子は! 何をしたらどうやって全員を踏破させれたというのですか!? さすがは私の愛するリオラ姉様の血を引く逸材! リオラ姉様への愛に誓って私の劇場で世界に先駆け公開しなければ!』


 事実は小説よりも奇なりを地でいく姪っ子に、真逆な意味で悩まされる叔父と伯母の声がカンナビスの夜空には響き渡っていた。






 



「コオウ老。すみませんが。調査をお願いします。ロウガの始まりの宮となった舞台はどうも対龍都市の遺跡の一つのようです」


 年齢は既に600を超えるが、上級探索者であり元々老化が緩やかで長寿のエルフ族出身故に若々しい風貌を保ち続けるミウロ・イアラスは、気心の知れた老賢者へと現地調査の依頼書を渡す。

 
「この辺りは今は人外未踏の危険領域ばかりか。地図を造りながら進むとしても、地形は大幅に変わり、都市遺構も地下深くに埋まり場所の特定が難しいがなんとかなるだろう。半月後には季節の新作が出る予定だったが、戻ってからの楽しみとするしかなかろうな」


 出された茶受けを右手で鷲づかみしながら好物の甘味を味わうコオウゼルグは、左手で資料を速読し終えると、上級迷宮をいくつも踏破した先の、活火山が活発に活動した山岳や毒ガス溜まりが点在する高原地帯など、第一級の危険地域への調査だというのに、さほど気にした様子も無く引き受ける。  

 コオウゼルグにとっては、調査中に売り出されるであろう、新作の甘味が味わえないことの方が問題のようだ。 


「いえ、それがさほど難しくないと思われます。始まりの宮終了と共に、この地域に未曾有の大地震が発生し、同時に天に昇る巨大な魔力攻撃反応を、年単位攻略を必要とする近隣の上位迷宮に篭もっていた探索者パーティが観測しています。遠く離れた地域でも、岩石の落下や土の堆積が確認され、おそらくは地層ごと吹き飛んでいるので、一目で判るかと」


「資料にあった脱出用の魔力砲撃を何者かが使用したというのか?」


「判りません。最後の挑戦者達が踏破後すぐに全員で脱出したという事なので、残っていた者はいないと報告されています。始まりの宮が踏破されたことで、上位の迷宮へと変化して発生したのかも知れません。都市を覆うほどの火龍の石化天井の存在は捨て置けません。情報が漏れれば龍の遺骸を求め、調査や採掘を行おうという国や、ギルドはいくらでもあります。争乱の火種となるまえに協会で直轄管理が出来れば良いのですが」


「おまえも苦労が絶えぬな。リンドレイの1/10でも人生を楽しめれば楽になろう物を」


「大切な戦友で、今となっては対等に話せる得がたい友人ですが、彼のように一族から死亡扱いされるほど奔放なのはちょっと」


「本人は喜んでいたがな。これで自由に旅が出来ると。目的が覗き旅行なのがどうかとは思うがな」


 数年前に一族から死んだ扱いにされ、それはそれは盛大な葬儀が執り行われた大英雄の一人【妖精光】リンドレイ・クロゼリスの事を話ながらも、竜獣翁コオウゼルグは脳裏に、もう一人のどうかと思う、死んだ扱いの理解不能少女のことを思い浮かべていた。










「なんじゃ土産と言うからには当時の面白い物かと思えば石版か」


「死人がふらふら出歩くな。へんた……大師匠。なんのようだ?」


 身の丈以上もある石版の前で解読作業をしていたファンドーレは、いつの間にやら部屋を訪れていた所属クランの創始者にして、妖精魔術の師匠の師匠、さらにその上、開祖である【妖精光】リンドレイを邪険に扱う。

 リンドレイは間違いなく一族の誇りであるが、同時に類い希なる陰行魔術を自由自在に使い、覗きやら痴漢まがいのセクハラに及ぶ厄介すぎる変質者で、その名声が汚れることを危ぶんだクランの上層部が一致して死んだことにしてある。

  
「なにあの嬢ちゃんの感想はどうだったかと思っての」


「あれは馬鹿だ。腕は立つが、大馬鹿だな。ロウガ支部の上層部が頭を抱えるのも当然だ。しかし大師匠がどうしてあいつを気にする」


 腐っても師匠筋にしてクランの元最高指導者。ウォーギンからの声掛け以外にも、リンドレイの頼みがあって、ケイス達のパーティに加わったが、そのケイスの行動が予想以上に理解不能すぎた。頭がおかしいが結論だ。 
  
 
「ちょっと気になってな……あの幼さと将来性が混じった未成熟な身体は来る物があっての。亡くすのは惜しいとな」


 一瞬真面目な表情を浮かべたかと思えば、下らない理由をあげたリンドレイに、作業の邪魔をされファンドーレは呆れかえるしか無い。


「なら触りに行けば良い。そして斬り殺されてこい変態」


 卓越した回復魔術と幻影魔術によって不死者とまで呼ばれるリンドレイを殺せる者などそうはいない。

 だが訳の判らない強さをもつケイスならどうにかするだろうと、一族の期待を込めてファンドーレは吐き捨てた。








「名誉にこだわらぬ。というか開催を知っても戻ってこないのは、ケイス殿らしいといえばケイス殿らしいな」


「笑い事ではありません祖父殿……あの大馬鹿娘は何を考えている!」


「もう諦めましょうソウタ殿。あの方をコントロールしようとするのが浅はかだと、私も思い知りました」


 フォールセン邸の応接室。大英雄フォールセン。鬼翼ソウセツ。そしてロウガ前女王ユイナの三人は遅めの茶会を開きながら、ソウセツの愚痴に耳を傾けていた。

 昨夜に王宮で行われた踏破と帰還を祝うパーティに、来賓として招いたフォールセンへ出席の礼を言うのが本来の目的だったのだが、ケイス関連が主となるのは避けられない話だ。 

 全員踏破という偉業に、異例ではあるが、ロウガの挑戦者達、いや新しく初級探索者となったルーキー達が全員が招かれ、怪我をしている者も僅かな時間とはいえ出席をした盛大なパーティではあったが、唯一の欠席者がいた。それがケイスだ。


「ギリギリまでまで始まりの宮から出てこない! 出てきたと思ったら、捕縛しようとした支部所属探索者達を返り討ちにしてそのまま初級迷宮に挑むなんて前代未聞だ!」

 
 すぐに出てくるはずのケイスは、セイジに支えられたサナが脱出しても出てこなかった事から、おそらく迷宮内で戦闘を始めたという予測は、誰もがすぐに想像は出来ていた。

 最初はその帰還を待ってから龍王湖を離れるという意見もあったのだが、怪我人がいることや、全員踏破完了という知らせが、先頭で出てきたルディアからもたらされた瞬間に、ロウガ支部に使いが走ってしまい、その支部から帰還命令が出てしまったので、同期全員と新人教育の総責任者のガンズが離れた事が、後の喜劇にして悲劇に繋がる。

 龍王湖に残った支部職員でもある下級探索者達は、油断せずに連れて帰れとガンズから指示をされていたのだが、探索者に成り立ての小娘とケイスを侮ったのか、力尽くの無理矢理に連れて帰ろうとして、怒ったケイスによって返り討ちの憂き目にあってしまい。

 しかも当の本人は一番乗りを目指して、そのまま開いたばかりの赤の初級迷宮へと突入。そして1週間が過ぎたのに、未だロウガに未帰還という有様だ。

 初級迷宮は成り立ての初級探索者しか入れない迷宮。同期から有志一同が捜索に出て、途中で何度か遭遇したがそれも全て逃げられ、慰労パーティのことを叫んで知らせても、行けたら行くという行く気のない回答が帰ってくる始末で、結局パーティ当夜になってもケイスは帰還せず迷宮攻略を未だ優先中。

 踏破した者達の証言を信じるならば、今回の全員突破の快挙の立役者は間違いなくケイス。

 だがその当人が未帰還で、またロウガ支部に正式登録していないので、規則に原則に照らし合わせると未だ未帰還者扱いになる。

 先走った一部の者達が既に協会本部に全員踏破と伝えてしまっており、今更戻っていない者がいると告げることも出来ず、しかもそれが大英雄フォールセンの最後の弟子。

 対応に困り果てた支部は、ケイスだけが怪我の状態が重く欠席したとしつつ、他の踏破者達の噂や情報を多く流して、ケイスの存在を薄めて面子を保つのが精一杯の工作だった。

 
「それにしてもガンズ殿も相当に怒っていたが、ソウタも負けず劣らずだな」


「まぁ、でも今回一番怒っているのはどうもウチのサナらしいですよ。なにやらケイス様との間に色々と抱えることになったのか難しい顔をしております。今日も迷宮帰りにケイス様の御親友の薬師殿の所によると言う話でしたので、若いっていいですね」


 ケイスに関しては当事者となるより、傍観者に徹底している方が精神的疲労が少ない。理解不能なケイスに積極的に関わる気力の続く孫娘の若さを、ユイナは少し羨んでいた。









「なんであの娘はまだ戻っていないのですか!? 隠しているならルディアさんでも許しません!」


「隠しませんって。あの馬鹿を発見次第、俺を呼べってガンズ先生も怒り心頭なんですから」


 カウンターで魔術薬の調合をしながら、ルディアは迷宮から帰り道にそのまま寄ったサナの何時もの詰問に、何時もの答えを返す。


「王宮での慰労パーティさえあの子だけ欠席した所為で、その実力が疑われているというのに! これでは私達がバカみたいではないですか!」


 今回の件は聞いた者全てが褒め称えるわけではなく、全員が踏破できるほど温いのだろと小馬鹿にする者や、たった13才の小娘でも踏破できるなら俺も受ければ良かったと冗談交じりで嘆く者も僅かながらに出ている。

 命がけで迷宮を踏破したというのに、少しでもそんな風に言われる事が腹立たしいのか、サナの背中で翼がバサバサと怒りに揺れた。

 室内で風を起こすのは勘弁してほしいのだが、それを指摘すると余計怒りそうなので、ルディアは黙って聞き役に徹する。

 後ろに控えているセイジが頭を下げ、落ちた紙束や依頼書を丁寧に拾っているが、激怒しているサナは気づいていない。

 こうやってルディアの所に顔を出す同期達は、何もサナだけではない。

 ケイスの行方を尋ねてくる者や、魔術薬を求めに来る者。はたまた単に雑談に来る者と、いろいろあるが、概ね同期間の仲は良く、ギルド間のいざこざが絶えないロウガでは、近年まれにみる良好な関係が築かれているというのがガンズの弁だ。

 どうも始まりの宮内で皆の動きを仕切ったために、その流れで同期の幹事役というか仲介役にされている節をルディアは感じている。

 面倒ではあるが、世間には理解されない、そして理解が出来ないケイスを、上手いこと世間と繋げる役目をするには、ある意味で好都合だ。


「戻ったら一番に知らせますから落ち着いてお茶でもどうですか。胃薬もありますけど」


「……両方、頂きます。よく効きますから常備薬としたいほどです」


 ルディア自身、ケイスと関わってから常備している茶や薬を勧めると、サナは胃の辺りを抑えながら、それを不承不承ながら受け取った。










 大国の皇帝を父として持ち、不義の子として生まれた隠されし皇女は、生まれながらにして世界の敵となる為、神に見そめられ、迷宮に捕らわれ、迷宮と共に成長を続けていく。

 だがその神の定めた運命さえも、少女はもっとも可能性の少ない数奇な道をただただ走り抜けて進んでいく。

 かつての迷宮であり生まれ故郷でもある【龍冠】を離れ、世界で唯一今も生き続け拡張をし変化をつづける大迷宮【永宮未完】へと。
 
 世界に知られていなかった皇女がその三年に及ぶ旅の途上で出会った者達は数多い。

 遭遇した事件は、歴史書に載るような物から、すぐに記憶から忘れ去られる些細な物も含めれば、枚挙に暇など無いほどに濃密。

 正体を知らずとも、存在を知る者は多く生まれた。

 だが知りはしても、その思考を、生き様を理解、共感が出来る者は未だ皆無。

 生まれ育った迷宮を出ることで幼き皇女は、広い世界と多数の人を知る。

 知れば知るほど、その孤独は強くなっていく。

 誰にも理解出来ない。理解されない。

 それでも皇女は駆け抜ける。

 ただただ斬り続ける。 

 己を現す剣に、己の全部を、いつか理解してくれる者がいるだろうと期待と希望を持ち続け、迷宮を踏破していく。

 この世の生きとし生ける全ての存在の天敵。

 龍の中の龍。龍王。

 だが皇女の至るべき頂点はそこではない。そこで終わるはずがない。

 なぜならそこは誰かがいつかたどり着いた道でしかない。

 至るべきは未踏の地。

 人にして全ての龍王を統べる龍。

 この世の頂点として君臨し、それ故に矛盾した属性を抱える4種の龍王。

 火の山に捕らわれし剛炎赤龍王。

 地の底に沈められし地底黄龍王。

 天に縛り付けられし蒼天白龍王。 
 
 水面の底で微睡みし深海青龍王。

 混ざれば互いに消滅するはずの龍王達を統べ全てを喰らい、己が力とし龍王の中の龍王。

 世界を滅ぼし、世界の全てを斬る、この世の殺戮者にして、神々すら斬る。

 それは存在しない、あり得ないはずの可能性。神に勝る、人などいない。いてはいけない。

 そのあり得ない目を出すために、迷宮神に求められた龍帝となるべき皇女の真名はケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼン。

 しかし世間に知られる名は、また違う。

 近接戦闘を司る赤の迷宮のみを踏破し続け、やがては探索者としての二つ名に、赤の迷宮の色名そのものを与えられる。

 その迷宮を代表し、その分野においては並ぶ者は無しの探索者として最上の名誉【赤のケイス】と呼ばれることになる皇女。

 そんな人外を行くケイスを理解する者は、人であった。

 人でありながら、ケイス以上に歪み、ケイスさえも凌駕する、剣しかみない狂った鍛冶師と出会うまでは、まだ幾ばくかの時が過ぎるのを待たねばならない。






 神の一柱にミノトスという神がいる


 生命に試練と褒賞を与える迷宮を司るミノトスは常に悩みを抱えていた。


 いかに趣向を凝らした悪辣な罠を仕掛けようとも凶悪なモンスターを徘徊させようとも一度踏破されたダンジョンはその意義を失う。


 難敵を攻略する為の情報が飛び交い、迷宮の秘密は暴露され、略奪された宝物が戻る事はない。     


 何千、何万の迷宮を製作し、やがて彼は一つの答えに到達する。


 そしてその答えを、長い年月をかけ、形として作り上げた。


 それこそが『生きる迷宮』 


 街を飲み込むほど巨大な蚯蚓が、複雑に入り組んだ主道を作る。


 地下を住処とする種族が、その穴を通路へと変え、末端を広げていく。 


 迷宮から持ち出された宝物は、所有者の死亡や物理的な消失に伴い、神力、魔力の粒となり大気へと消えやがて、風や水に運ばれて迷宮に再び舞い戻り宝物として再生する。


 神域へと近づいた職人や理を知る魔術師。


 異なる世界を観る芸術家。


 彼らによって生み出された新たなる宝物には、神印と呼ばれる記章が浮かび上がり、やがて運命に導かれるように迷宮へとたどり着く。


 数多く存在する宝物が放つ神力、魔力に魅了されたモンスターが自然に集まり、大規模な群れを形成し異種交配を重ねて新たな種族が生まれていく。


 その存在が世に知れ渡って既に幾年月。 


 いまだ拡張を続け、古き宝物が戻り、新しい宝物が発生し、太古より生き続ける伝説のモンスターが徘徊し、日々図鑑にも載っていない未知の種族が生まれる。


 世界で唯一の生きた迷宮。


 そこは【永宮未完】と呼ばれていた。



[22387] 下級探索者編 未登録探索者とレッドキュクロープスの噂
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:01
 トランド大陸東域南西部には、広大な低地帯が広がる。

 火龍が産み出した巨大火山が、探索者達との戦いの余波により崩壊して出来たカルデラ。

 そこには、かつては十数カ国と数え切れない村々があった。しかし人の住まう地は今はない。
 
 一呼吸で命を奪う毒の大気。全てを溶かす酸の湖。底の見えない無数の縦穴。支配者達たるは迷宮に住まうモンスター達。

 そこは魔窟。人の侵入を阻む魔境。

 かつての地名など記憶の彼方に消え去った東域カルデラ迷宮群より、物語の舞台は再び幕を開く。








 神の一柱にミノトスという神がいる。

 迷宮神とも崇められるかの神は、世界に災いが生まれたときに、人にその困難に立ち向かうべき力を与える為に迷宮を産み出す。

 迷宮の試練を突破し、人外の力を手に入れ、人が災厄を打ち破るために。

 力を、天より与えられる力【天恵】を求め、迷宮に挑む者達は探索者と呼ばれる。

 ミノトスが産み出しその迷宮は、広大なトランド大陸全土に広がり、それでも止まること無く、拡張を続け、何度も生まれ変わり、再生され続けていく。

 その特色によって、赤、青、白、黒、緑、黄、紫そして金色の8色で分類されし迷宮群はいつか現れる災厄を待ち続ける。

 赤……近接戦闘技能

 青……遠距離戦闘技能

 黒……魔術戦闘技能

 白……迷宮構造知識・地図作成技能

 緑……罠察知・解除・気配察知・隠匿移動技能

 黄……モンスターの生体知識及び解剖技能

 紫……薬物・毒物知識及び取り扱い技能

 金……総合的な力


 永遠にあり続け、そして未だ厄災が現れないために、完成はしない生きた迷宮。

 そこは【永宮未完】と呼ばれていた。





 
 カルデラ迷宮群。赤の下級迷宮【魔禁沼】


 得体も知れない死骸と腐った草木が絡み合う沼は、今も大地の底に残るマグマにより温められ不気味に沸き立つ。

 臭気を伴う気泡が時折ぽこりと浮き上がり弾け、付近一帯に漂う晴れることのない霧の中で微かに響く。

 このような環境下にも適応進化した植物たちは、石のように硬い樹皮に覆われ、根からの熱と栄養に全てを頼り、葉を失って久しい。

 灰色に染まった葉の無い奇妙な木は、まるで石の柱のように見える事から石柱木と呼ばれる。

 石のような木と奇妙ではあるが味のある形から、一風変わった柱建材として数奇者に時折求められるが、それ以外は特にこの迷宮でなければ採取できないという素材もなく、探索者達からは不人気な迷宮となっている。

 不人気な理由はその迷宮名にもある。
  
 沼から沸き立つ泡が産み出す霧は、僅かな火種や魔力に過剰反応して発火する性質を持つのだ。

 地上迷宮ではあるが、昼間でも霧は深く、夜になれば真っ暗闇となり、足元はおぼつかなくなる。

 しかも沼地に住まうモンスター類は大蛇の類いが多く、毒や、鉄鱗といった難儀な性質持ちも少なくない。

 灯りのための火や、代用できる魔術も禁じられ、しかも鉄鱗の蛇を下手に攻撃すれば、放った斬撃で発生した火花で火だるまは免れない。

 異常な高難度でここが下級迷宮だというのが、間違いではないかと言われるほど。

 挑戦する探索者が少なく、それ故に迷宮主を倒す完全踏破はおろか、迷宮神の神印を見つけ迷宮を脱出するだけの踏破でさえ、ここ数期は果たされていない有様だ。

 だがそれ故に挑む探索者達が時折現れるのも、不人気迷宮の常でもある。


「だっ!? クソがっ! こんな足元じゃあまともに逃げられねえぇぞ!」 


「文句言ってないで足動かせ! てめぇが踏破してない迷宮なら天恵がっぽりだって言うからこの様だろうが! ウィードが喰われてる間に逃げるしかねぇんだよ!!」


 無様に逃げる探索者の一行が怒鳴り合いながらも、沼の中に出来た僅かな道を必死に走っていく。

 道から足を踏み外せば、沼に足を取られ、後ろから迫っている迷宮主にすぐに追いつかれる。

 この沼の迷宮主は大木と見間違えるほどに太い胴体と、二つの頭を持つ多頭蛇。その全身は金属鱗で覆われており、着火の危険もあって下手な攻撃が出来ない。

 先ほどまで聞こえていた仲間”だった”者の断末魔の叫びは既に聞こえなくなり、代わりにじゃらじゃらとなる鱗の音がまた響いてきている。  


「いや! いやっ! こ、こんな所で終わるなんて!? もうじき日が暮れるのに出口まで戻れるの!? だ、だから、やだったのに! 初めての下級迷宮で未踏破宮を選ぶなんて!」 


「巫山戯んな! ロウガの連中に負けられないつったのは誰だ!」


 先頭を進む女剣士が恐慌状態で泣き叫ぶが、落ち着かせる余裕のある者など誰もいない。

 ここまでのマッピングをした地図を何度も何度も見返しながら、何とか沼から出る為の道を思い出して選んでいくが、辺りを漂う霧は、不吉なほどに赤く染まってきている。

 もうじき夜の帳は完全に降ろされる。そうなれば今はかろうじて見えている足元の道を確認する手段は無くなってしまう。

 そうなればもはや逃げる手段もなくなり、自分達は先ほど喰われてしまった仲間の後を追うしかない。

 彼らは、半年間に渡る初級探索者としての期間を終え、今期から下級探索者となった若者達だ。

 始まりの宮を突破した者達は探索者となるが、それから次期の始まりの宮が終わるまでは、初級探索者と呼ばれる身となり、挑める迷宮も初級探索者だけが挑戦できる初級迷宮となる。

 そして半年後。次期の始まりの宮の終了と共に自動的に下級探索者となり、初めて上位の下級迷宮へと挑めるようになる。  

 これは神の温情だと言われている。まずは難度の一番優しい迷宮に挑み、ある程度の経験を積み、本格的な探索者となるため、もしくは己の才に限界を感じ、諦めるために与えられた猶予だと。

 そして彼らは、この上なく順調に始まりの宮を踏破し、初級迷宮も同期の中でも群を抜く功績をみせた。

 だから増長した。自分達ならばここ数期は踏破されていない未踏破宮も踏破できるのではと。

 そうでもしなければ、別の街ではあるが、話題になっている今期の者達に後れを取るという焦りもあったのだろうが、その結果は見ての通りだ。

 彼らの命運はここで終わる。誰にも知られず、誰も知らず。

 それはよくある話。別段トランド大陸では、珍しくもなく、ありふれた探索者の死。

 つまりは傲りと高ぶり。そして油断が招いた死だ。


「ひっ!?」


 ふいに悲鳴をあげて女剣士の足が止まる。前方から漂ってきた恐怖をもたらす気配に、これ以上先に進むのを拒否し竦む。


「と。とまるな! に、にげっ!?」


「な、なんだ……あ、あれ」


 その背中に体当たりをかましそうになった後続の獣人も、その気配に気づき全身の毛を逆立て声を無くし、殿を勤めていた若い重装戦士も、二人とほぼ同時に足が止まり、そして異変に気づく。

 赤く染まった霧にうっすらと浮かび沈み掛けた夕日が、いつの間にやら二つに増えていた。

 霧の中急に現れた二つの夕日のうち1つは不動。だがもう一つの夕日は、血の色よりもさらに赤い深紅の妖光を纏い上下に動きながら、彼らの方に迫ってくる。

 怪しく動く夕日から、その身の毛もよだつおぞましくそして恐怖を覚える気配。何よりも濃厚な血の臭いが漂ってきた。

 あれは夕日などではない。化け物。そう化け物だ。

 その妖光が進むごとに、沼から生えていた石柱木の一本が轟音をたてながら折れ、沼に沈む。

 自分の行く先の邪魔をする木を叩き折って進む化け物の姿は、霧に隠れて見えない。ただ赤く光る目だけが空中を奔り、彼らから少し離れた沼の上を一瞬で通り抜けていった。
 

「い、今の、ま、まさか、赤の初級迷宮を荒らしまくっているって言う、あ、赤目の単眼巨人! レッドキュクロープス!? 下級迷宮にも出たの!?」


 真っ赤な明かり。濃厚な血の臭い。そして化け物じみた剛力で障害物を叩き折る。それは極最近噂に囁かれるモンスターの話と一致した。

 ここ最近赤の初級迷宮を次々に渡り歩き、迷宮主を食い殺す赤目のキュクロープスが発見されたと。

 発見されたと言っても、その巨人の姿を見た者は誰もいない。

 ただ赤く輝く単眼だけが確認され、それが抜けた先には、ばらばらに引きちぎられたモンスターの血肉の山が広がり、目が消えた後には、心臓を抉り殺された迷宮主の死骸だけが残っている。

 


「う、噂だ。そうだろ。んな化け物がいるわけ! な、なんだ次は!?」


 あまりにも荒唐無稽な怪談話。迷宮食いレッドキュクロープスの噂は、迷宮に怯え逃げて、迷宮踏破の手柄を誰かに横取りされた新人達が、自分達の不甲斐なさを誤魔化すために、慰めるために噂していると。

 誰も信じていない最近出来た噂話だと獣人が否定しようとすると、不意に何かの影が彼らの頭上を覆った。

 慌てて防御態勢を取ろうとした彼らの目の前の沼に、大きな何かが轟音と共に落ちて来る。


「ひっ! ウ、ウィード!?」


 熱泥を盛大に撒き散らかしながら頭上から振ってきた物をおそるおそる確認した女剣士は腰を抜かし、後ろに倒れ込む。

 それは先ほどまで彼らを追いかけ回していた双頭大蛇の切り裂かれた頭部と、そしてその口からはみ出し苦悶の表情で絶命している仲間の死体だった。 












「ん。ノエラ殿。上手く届いたか?」


 沼の中に立つ石柱木の天辺に立ちながらケイスはゆっくりと息を整える。


(嬢の狙い通り逃げていた奴等の元に首は届いた。しかし仲間を囮に逃げるとは、最近の武人共は嘆かわしい)


「ん。己を犠牲にして、仲間を逃がしたかも知れぬから、悪く言ってやるな。埋葬は仲間達の手で故郷で行ってやれば良かろう。ここで埋葬してやるよりそちらの方が喜ぶだろう」


 火花を飛ばさないように速度重視で斬った大蛇への警戒をしながら、額当てにつけた深紅の龍鱗に宿るノエラレイドの報告に覆面の下で頷く。


(娘。沼の中よりほかの蛇共が迫ってきておる。どうする……かなど聞くまでも無いな)

 
 迷宮主よりは小さいがそれでも大蛇と呼んで遜色無い気配をいくつも探知したラフォスが、諦め半分の警戒の声をあげる。


「うむ。全部斬るぞ。ここの主は頭が2つで心臓も2つか。蛇の心臓は焼いても生でも美味しいからな。楽しみだ」


 額当てを通して、迷宮主の双頭蛇の弱点を探りながらも、ケイスは弾んだ声をあげる。

 双頭の蛇の片頭は、突っ込んできた勢いで斬り跳ばせたが、完全に足を止めたので、もう一度今の速度を出すのは少し時間が掛かる。

 しかも仲間の蛇が近づいてきている以上、そこまで自由には動けない。

 だが気にしない。同じ斬り方をしてもつまらない。


「大分、体調も戻ってきた。全開で行くぞ。お爺様。ノエラ殿」


 始まりの宮から一ヶ月。斬って斬って斬りまくって、食べて寝る。

 それを繰り返したケイスは怪我を急速に回復させ、全盛期の力を取り戻し始めていた。







 これは迷宮に挑む、英雄の物語ではない。

 英雄に憧れ、迷宮に挑み、死に行く者達への鎮魂歌でもない。

 迷宮と共に生きる人達の暮らしを弾き語る詞曲でも無い。

 ましてや世界の敵たる、災厄となるべき化け物の伝説でもない。

 一人の剣士と、一人の鍛冶師が、出会うべくして出会う二人が出会うまでの物語である。



[22387] 未登録探索者と迷宮の宝物
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:02
 濃く立ちこめる霧の向こう側。山裾へと日は沈みきり、赤色に染まっていた霧は暗闇に色を変える。

 周囲の闇からは威嚇のつもりか、それとも恐怖からか、じゃらじゃらと鉄の鱗を盛んにわめき立てて鳴らす迷宮主の気配。

  
「ふむ。やけに音を鳴らす」


 闇の中、自然体で立ち右手に持つ大剣を下段に構え、左手には投擲用のナイフを逆手に持つ。

 大剣は長さはケイスの身長ほどもあるが、先は細く根元は太め、厚さは薄い披針形でまるで柳葉のような形となっている。

 あまりの薄さにケイスの動きに合わせて刃が揺れるほど。

 黒色に染まる刀身は金属ではない。元は大イカの化け物、始まりの宮の迷宮主からケイスがはぎ取ってきた爪の1つだ。


(沼に浸かって熱を蓄えている。どうみる嬢?)


「己の体温を上げて一気呵成に一撃で決めるか、それとも逃亡を計る気か。どちらにしろ、奴に合わせるしかあるまい」


(体温を上げたことで体内の動きが見れなくなった。俺が熱感知をしていると察したようだ)


「少し手をみせすぎたか。まぁよい。居場所と体勢がわかり易くなった。ちょっと試したい技があるからやってみる」


 沼には既に斬り殺した無数の大蛇の死体が横たわる。

 巻き付き絞め殺そうと群がってきた蛇たちはケイスに取って絶好の餌。自分からこちらの間合いにきてくれた上に、無防備な腹を晒してくれるのだ。

 鱗の隙間をぬって筋肉の筋を断ち、神経を斬りちぎり、突きと共に血管に小石を埋め込み血流を塞ぐ。

 これもノエラレイド経由の熱感知によって、その体内構造を完全に把握するから出来る芸当だが、あくまでもそれはケイスの腕があってこそ可能な攻撃だ。

 見られなくなったから斬れないでは、ケイスの目指す剣士ではない。

 両手に剣があれば、自分に出来無い事は無い。殺せない生物、いや存在などいない。

 ケイスを支えるのは、絶対的なまでの己の才能に対する自信。

 額当てに埋め込んだ赤龍鱗が放つ赤色光もすぐに闇にのまれ、手の届く範囲程度しか照らせないが、元々己の手が届く範囲を、剣の間合いを己が世界とするケイスにはそれで十分。

 耳を澄ませ、額に意識を向け、音と熱で迷宮主の動きを探りながら、その動きに合わせすり足で僅かずつ体勢を変えていく。

 双頭の片頭を最初の接触で切り落とした為か、迷宮主は必要以上にケイスを警戒し、なかなか仕掛けてこない。

 こちらから踏み込んでも良いのだが、そうすると沼の上で断つ事になる。それはダメだ。

 斬った迷宮主が沼に落ちて沈んでしまったら、せっかくの獲物なのに食べられない。

 事ここに至っては既にこれは戦いでは無い。

 圧倒的捕食者たるケイスと、哀れにもその贄に選ばれてしまった大蛇という関係でしか無い。 
 今の時間は迷宮主に思い知らせる時間でしかない。

 逃げることは出来ない。逃げようと背を見せれば、化け物は残った片頭を後方から抉り貫いてくるだけだと。
 
 生き残るためならば、窮鼠は猫を噛むしかないと。

 蛇の体温が、高熱を帯びる沼とほぼ変わらないほどまで高まった瞬間、迷宮主が覚悟を決め大きく跳ねた。  

 全身を覆う鉄の鱗を逆立て、その強烈な身体の一撃でケイスを叩きつぶそうと頭上からのし掛かってくる。


「邑源流石垣崩し!」


 頭上から迫る蛇に合わせケイスは左手を鋭く振る。

 雷光のごとく放たれた短剣は、鉄鱗に当たって火花を起こさないように鱗の隙間をぬってその下の大蛇の肉体に浅く突き刺さる。

 それは大木のように太く頑強な身体を持つ大蛇からすれば、一本のちっぽけな棘が刺さった程度の物。

 本来ならば何の問題にもならない攻撃。だがそのナイフにはケイスの闘気がこれでもかと詰め込んである。

 ケイスの込めた闘気と蛇の身体に充満していた熱を帯びた闘気。

 異種の闘気同士はぶつけ合い、互いを滅ぼそうと活性化し爆発的に膨れあがって、周囲の筋肉や血管を異常に肥大暴走させ、すぐに耐えきれない濁流となって、ナイフが刺さった箇所から大蛇の肉体を内側から弾かせる。

 礫となって弾ける鉄の鱗は、地面深くまでにめり込み突き刺さり、周囲に生えた石柱木を叩き折り、飛び散る血肉が雨のように沼に降り注ぐ。
  
 その熱を帯びた鉄と血と肉の雨の中、自らの四肢を掠める鉄鱗も、腕を焼く熱い血も、視界を覆う肉片も気にせず、地を蹴り蛇へと飛びかかる。

 吹き飛ばした箇所は心臓のやや真下。内側から弾けた肉に埋まり躍動する赤黒い臓器が発する濃厚な血の臭いをその嗅覚に捉えながら、ケイスは左の空手を闘気を込めた拳へと変えつつ、右手の大剣をしならせ振りあげる。

 上から落ちてくると大蛇と下から飛び上がったケイスが交差し、その両者が立ち位置を変えたときには、勝負はついていた。

 その身を地面に横たわらせ、全身から血を噴き出して一瞬で絶命した双頭大蛇と、その大蛇から抉りだした心臓を左手に掴むケイスへと。













「あむ……うむ。コリコリして美味い。こっちは生だから、もう一つの方は、ここを出てから火で焼いて食べよう。鮮度が落ちるのが嫌だが、火が使えぬでは仕方ないな」


 まだピクピクとしている心臓に時折かぶりつきながら、斬り殺した大蛇の腹に取り付き、抉りだした心臓とは別の位置にあるもう一つの心臓を取り出すために、ケイスは鱗を力任せに引きちぎって剥いでいく。

 一見は深窓の令嬢然とした虫も殺せないような美少女だが、基本的に美少女風肉食系化け物であるケイスが、口周りや腕につく血を気にもせず心臓にかぶりつきながら、手に持った大剣で大蛇の腹をかっ捌いていくその光景は、控えめに言っても凄惨すぎる地獄絵図だ。


(娘。おまえの食性はもう諦めているが、最後の攻撃は何をした?)


 時折別の食感が欲しいのか、切り開いた蛇の腹肉を噛みちぎっていく末の娘の悪食は、今更どうしようもないと知るラフォスは、大蛇を絶命させた一撃について尋ねる。

 ケイスが最後に放った一撃は、まず拳をぶち当てて蛇を絶命させ、その刹那の一瞬に早業で心臓を抉りだした流れはラフォスにも判ったのだが、問題は打ち込んだ拳だ。

 いくらケイスと言えど、この巨体の蛇を拳1つで殺せるわけが無い。

 そんな遠い遠い昔の祖先であるラフォスからの疑問に、


「ふむ。あれだお爺様。私も散々苦労させられた青龍の闘気を、拳に乗せて闘気浸透で心臓に打ち込んでみた。あれは暴走状態では、血管を氷の刃が流れるような冷たさを感じて、実際に内側から血管をずたずたに切り裂くであろう。試しでやっていたら上手く行ったな。今度は赤龍の闘気で燃やしてみても良いかもな」


 ケイスは事も無げに答えてみせる。迷宮で戦えば戦うほど、迷宮主を喰らえば喰らうほど、ケイスの強さは天井知らずで上がっていく。

 そしてそれに比例、いやそれ以上の勢いで非常識さは増していく。


(……ラフォス殿。青龍の闘気は物理的に外界へ作用する物であったか?)


(青龍に限らず、他者の肉体、外界に干渉するそれは魔力の分野だと貴殿も知っておるであろう。娘の非常識は真面目に考えるなと忠告しておこう。身を持たない我等ですらも疲れるだけだ) 
  

 前であればケイスの非常識さに、ラフォスは一人悩まされた物だが、今は同じく魂だけになった同類のノエラレイドがいる。

 自分以上に困惑して理解でき無い者がいるおかげで、多少は冷静さを保てる幸運をラフォスは感謝しつつ、自分が至ったケイス絡みの対処方を伝授する。

 すなわち何をやってもケイスだからと思考を放棄して、結果のみを受け入れろと。


(諦めが肝心と言うことか。ご忠告痛み入る。さすがは前青龍王殿。的確な対処だ)


「むぅ。二人とも失礼だぞ。闘気浸透を用いた心打ちの派生型なのだから出来て当たり前だぞ……ん。そうだな。技名を派生闘氷心打ちとでもするか。よい名だな。うむ」


 他の生物からみれば非常識の塊である龍達ですら呆れさせた当の本人は、自分の心の中で会話を繰り広げる二人達に頬を膨らませ文句を言っていたが、すぐに新しい技に名前をつけて満足げに頷いて、心臓発掘作業を再開する。

 ケイスの使う古武術の心打ちはあくまでも対象を麻痺させる技法であって、物理的に絶命させる技ではないという事実をさておき、実にご満悦だ。

 そのまま鼻歌交じりで大蛇の死骸を捌いて身体をのめり込ませながら、ケイスはもう一つの心臓があった位置を発見し手を伸ばすが、すぐに眉を顰める。

 発見した心臓があったであろう位置を手探りで触ってみると真四角ですべすべした何かがあったのだ。

 その心臓の代わりにあった物を両手で持ち上げ、顔の前に持ってきたケイスが目をこらしてみる。


「……宝物(ほうもつ)化しているのか。むぅ、これでは食べられないではないか」


 それはどこかの下級神の神印で封が施された迷宮の宝である稀少な品々、宝物が入った箱だ。

 普通の探索者なら、迷宮主を倒して得た莫大な天恵に合わせて、宝物まで得たその幸運を神へ感謝するのだろうが、既に味付けをどうしようかと楽しみにしていたケイスは僅かに頬を膨らませ、不満げなため息を吐き出した。



[22387] 未登録探索者と戻らない理由
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:03
真っ暗闇の中、ケイスは視覚情報を捨て、額に当たる龍鱗から送られる周囲の熱情報を頼りに、温度差で浮き出る流木や動物の死骸など、沼に出来た足場を渡りながら、沼の中心へと向かい飛び渡っていく。

  
 周囲を漂う霧は未だ晴れず、淡い月明かりや星々の放つ輝きを遮る暗幕は未だ取り払われていない。

 始まりの宮や初級迷宮ならば、迷宮主を倒せば、迷宮化を解除できていたので、今回も双頭大蛇を殺したことで、霧が晴れるかと思ったが、依然環境に変化はない。


「迷宮主らしき者を倒しても迷宮が死なぬか。やはりここは既に初級迷宮ではなく、下級迷宮のようだな……ふむ。皆から逃げられたのだから結果的にはよかったか」


 同期有志一同で結成されたケイス捜索隊改め捕縛隊から、逃亡している間にとりあえず目についた赤の迷宮に飛び込んだ偶然ではあったが、今までとはモンスターの質、量、そして迷宮の難度が跳ね上がっていたのは気のせいでは無かったようだ。

 何時もなら迷宮内まで追いかけてくるサナや、ついに投入されてきたケイスが自分より強いと断言できる同期最強だがめんどくさがりのウィーも、下級迷宮までは物理的に追いかけて来られない、


(下級より先は迷宮主を倒した上で、迷宮神の印を開放して初めて完全踏破であったな。その原則はいいが、娘が下級探索者となるのは半年後ではなかったか?)


「逆なのであろう。半年後に実入りのよくなる下級探索者になるのではなく、半年間しか儲けは少ないが比較的に安全である保護された初級探索者ではいられないということであろう。ふん。底意地の悪いミノトスのやりそうなことだ」


 迷宮神ミノトスによって幼少の頃から振り回されているケイスは、ラフォスの問いに不機嫌になる答えを返す。

 半年後に下級探索者に自動でなれるのだからと油断し鍛錬を怠ったり、逆に楽な初級迷宮を簡単に踏破したからと迷宮自体を侮る。

 初級から下級に上がったばかりの探索者の死亡率は特筆するほどに高い。


「下の位階から上に至る条件は、年月経過ではなくどれだけ迷宮を踏破したか、天恵を集めたかだ。つまりは初級探索者から下級探索者に上がるのも同じなのであろう。初級探索者でいられるのに期限がある点を除けばな。私はこの一月でひたすら天啓を得た。それによって下級探索者の位階へと先んじて到達したとみればおかしな話でもあるまい」


(嬢みたいな無茶をしなければ無理な条件か。嬢以外には誰も到達できていないわけだ。もし嬢と同等の化け物がそうそういたのなら、遠からず世界が滅びていたな)


「むぅ。失礼だぞノエラ殿。それだと私が化け物みたいでないか」


((どの口が言うか))


 迷宮に滞在し続ける程度ならともかく、食事と睡眠時間以外は次々に迷宮を梯子して、迷宮主を喰いまくる生活を日常とする者を化け物と言わずなんと言う。


「私は天才だぞ。出来て当たり前だ」


 龍2匹からの同時突っ込みに、ケイスは何時もの台詞で返して頬を膨らませて抗議を返す。 
 化け物と呼ばれると腹立たしいが、天才と称されるなら我が身にふさわしい。

 本人的には上が見えているのでまだまだ納得していないが、他者からすれば既に意味の判らない神業の類いの剣を振る。

 謙遜すれば他者への嫌味になるどころか心をへし折り、道を諦めさせるレベルの隔絶した天才であるケイスに、従者でもあった従姉妹が教えた概念は、母国ルクセライゼンを支えるべき未来の優秀な騎士達を幾人も救いあげた至高の苦肉の策だ。


「ん。近いな……あれか」


 探索者の証である白銀色の指輪から感覚として伝わってくる迷宮のゴールであるミノトス神印の気配を近くに感じ取り、ケイスは速度を落として辺りを見回し、暗闇の中で揺れる小さな明かりを発見する。

 近づいてみると、沼の中心に突き出た僅かな陸地に生える古く巨大な石柱木が一本生えていた。

 その大きさや枝振りからみるに、この沼で一番の古木かも知れない。神印はその古木の枝先。僅か1つだけだが出来ていたつぼみに宿っていた。

 指輪つけた右手を伸ばし、つぼみへと触れると、神印が弾け、次いでつぼみを中心に強い風が巻き起こり、周囲を覆った霧がケイスの指輪へと激しい勢いで吸い込まれはじめた。

 霧は迷宮を形作っていた力。その力が指輪を通して天より与えられる力、天恵としてケイスの中に溜まっていく。

 近接戦闘を司る赤の迷宮で得られる天恵効果は、純粋な肉体強化や、闘気強化効率上昇。

 指輪を発端としてぽかぽかと暖かい熱気がケイスの身体を火照らせる。

 その熱と共に力の上限が上がり、そして一番の懸念である持久力が大幅上昇した感覚をケイスは感じ取った。

 同時に今まで白銀だった指輪が、鮮血のように真っ赤な色に染まる。指輪が色づくのは下級探索者となった証だ。

 そして指輪は持ち主が得意とする迷宮を現す。

 ここまで赤の迷宮しか踏破してこなかったケイスの指輪は当然のように、混じりっけの無い純粋な赤色で燦然と輝きだしていた。


「ふぅ。染まったか……ん。よい月夜だな」


 身体の中を駈け巡る熱を逃そうと吐息をもらしたケイスが、冷たい空気を求めて天を仰ぐと、いつの間にやら周囲を漂っていた霧は綺麗さっぱり消失していた。

 頂点近くにしとやかに輝く月が昇り、久方ぶりに沼地を優しく照らしだす。そしてその月明かりによって描かれた古木の影が、次の行き先を地面へと描き始めた。

 沼地の全景を現す影と、影古木の枝の先に一際明るい光が、複数ある迷宮の出口を指し示す。

 ご丁寧にも出口を指す光の横には、その地の情報も文字として浮かび上がり、探索者達が次に目指すべき道しるべとなっていた。

 そこから行ける近場の迷宮のランクや色別、さらには安心して休憩が取れるモンスターの近寄れない安全地域。

 飲める水場や食料調達が出来る動物のいる森や魚の住まう湖といったことまで細かく現れるので、この情報に命を救われ迷宮神を崇める探索者が増えるわけだ。

 もっとも迷宮神を疎ましく思っているケイスからすれば、機会があって斬ったさいに少しだけ加減してやろうかと僅かに考える程度だが。


「追っ手を考えると入り口と逆側がよいな。接続先も出来れば初級迷宮がない場所だな」


 さすがに夜も更けてきたし、ご飯(蛇心臓)を食べてちょっと眠くなってきた。どうせなら朝までゆっくり寝たいから、追っ手である同期達からなるべく離れた位置にしたい。


(娘。そろそろ諦めて戻ったらどうだ? これ以上逃げても埒があかんぞ)


 ケイスがあれこれ考えて次の行く先を考えて吟味していると、そろそろ一度ロウガに戻れとラフォスが忠告をしてくる。

 これは踏破した迷宮が30を越えた頃から、1つ迷宮を突破するごとに、毎回毎回言い続けてもはや恒例となった忠告だ。

 普通の探索者なら、複数の迷宮を踏破しなければたどり着けない奥地を除き、一度で複数の迷宮を踏破するような無茶な日程は組まない。

 どれだけ簡易でも事前準備として、迷宮を自ら下見したり、既に挑んでいるパーティ経由の情報があれば地図ギルドから買ったりと、攻略情報を集め、対策した装備を整え安全を確保し、踏破の際も無理はせず、近ければ街へ帰還したり、仮拠点を作り装備を整備し休養を取る。

 しかしケイスの場合は、その才能に任せてぶっつけ本番、迷宮主も倒しての一発クリア。しかも、調子が良いか、斬り足りなければ、一日に2つ、3つの踏破さえする時も珍しくない。

 これを可能とするのは兎にも角にも、今のケイスは戦闘継続に支障がある重大な怪我をしないからだ。

 その要因はケイス自身の力が上がった事もあるが、新しく身につけた剣技フォールセン流にある。

 今とは比べものにならない悪鬼魔獣が跳梁跋扈した暗黒時代に大英雄フォールセンが産み出した迷宮剣技は、迷宮で生き残り継続戦闘能力を高いまま維持する為に、消耗を極限まで抑えた戦い方を主とする。

 昔ならば一戦ごとに武器を破壊し、さらに自身も大怪我をして休養を余儀なくされていたケイスも、初の下級迷宮だというのに、今回負った手傷も僅かな切り傷や擦り傷。

 しかもその傷は、最後に双頭大蛇に喰らわせた自分の技である石垣崩しの余波という有様。

 さらにラフォスが宿る羽の剣を筆頭に、その武器も始まりの宮で手に入れた破格の硬度を誇る迷宮主の爪10本セット。

 食料についても問題はない。

 寄生虫の類いは、大きい物は歯で噛み殺せ、小さい物でも自分の胃で溶かしきれる。毒があっても血流操作で排出可能。

 でたらめな身体を持ち、さらに極度の悪食なケイスにとっては、恐ろしい迷宮モンスターのほとんどはご飯でしかない。
   
 身体は無事、武器があって、食べ物にも困らない。

 まさに迷宮で生きるために生まれた生物であるケイスにとって、迷宮は極度に適した生活環境だという事もある。

 だがケイスが戻らないのは、もっと根本的で、そして簡潔な理由だ。


「むぅ。しかし今戻ったらレイネ先生にものすごく怒られるではないか。何とか怒られない手を考えるまでは、もう少しいるぞ」


 最初はとりあえず迷宮をまず一番に踏破しての、効率的な天恵集めが目的だったが、ここ数週間は、保護者代わりなってくれている女医のレイネに叱られるのが嫌なので、とりあえずずるずると帰宅時間を先延ばしにしているに過ぎない。


(素直に尻を叩かれて叱られろ。もう何もかも手遅れであろう)


 理由だけは13才の少女らしい発言を返すが、それにしても逃げ込む先が迷宮はどうかとラフォスは深く息を吐くしかなかった。



[22387] 未登録探索者と湯上がりの適度な運動
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:03
「くぅっん……ん~湯につかれるとは嬉しいな。ミノトスを斬る際は痛みなど与えずに斬ってやることにしよう」


 魔禁沼を出てすぐ側にあった安全地帯の中央部にはほどよい適温の湯が沸き出す泉があった。

 天然の露天風呂に浸かりながら、ケイスは手足を伸ばして、疲労を湯の中に溶かし出す。

 脱ぎ捨てた服や防具は、適当にもみ洗いしてから、地熱で温められた岩場においてあるので、朝までには乾くだろう。

 長い黒髪を適当に縛っていた髪留めもはずして、大の字でゆったりと湯に浮かぶ。

 身に纏うのは、赤龍鱗がついた額当てと、右手で掴む羽の剣だけ。

 熱を好む火龍であるノエラレイドと、水を好む水龍であるラフォスの両者にもこの心地よさを味わせてやろうという心遣いもあるが、この2つを身につけているのは一応の警戒という事もある。

 迷宮の安全地帯である休憩所にはモンスター達は近寄れないが、ほかの探索者達がいつ訪れるか判らない。

 そしてその探索者達が、ケイスが憧れを懐いていた、誰もが良識を持ち、弱き者達の力となる高尚な人物達では無いというも、世間知らずだったケイスといえどさすがに理解していた。

 特別区の安全区域といえど、ここも人の世の法や、良識を外れた迷宮内。誰にも知られず悪事をこなす外道探索者達もいると知ってしまった。

 ケイスは己の理にそぐわねば、人の世の法も理も無視するが、そんなケイスが抱く理は、幼稚な、子供だましのお伽噺の正義。

 己の優れた力は、己が好きな者達を護るためにある。

 それは亡き母が、生物としての枠さえはみ出した異質な力を持つ娘に施した、化け物がかろうじて人の世で生きるための祝福にして呪いだ。 

 
「ふぁぁっ。眠る前に甘い物が欲しくなった。ノエラ殿その辺に林檎でも生えてないか?」


 お湯に温められて眠くなって瞼の落ちかけた目を擦りながら、周辺の目隠しになっている森の中に、果物の木が無いかと尋ねる。

 持ち歩いていた飴玉もなくなって久しい。血の滴る生肉は好きだが、やはりそれだけだと飽きも来る。甘味を求めるケイスに、

 
(俺の熱探知は形や大きさまでは把握できても、それが食えるかどうかは判らん。実のような物が出来ている木ならいくつかあるが味は保証しない)


「ん~実際に食べてみれば判るから問題無い。いくつかもぎ取ってくるか」


 迷宮内で鋭くなった感覚がノエラレイドを通して、暗い森の中の植生を熱感知で浮かび上がらせる。

 拳ほどの実がいくつかなった木を数本確認したケイスは、湯から上がると裸身のままでカンテラを持って、その木の根元まで行って見上げる。

 しかし見上げた木になっている実は時期が違うのか、青くまだ未成熟で、食べても甘みなど無さそうな代物だった。

 始めから無いならまだ諦めもつくが、一度期待しただけにより欲しくなってしまう。


「むぅ。こそっとロウガに戻って買ってまた潜るか」


(そこまでするなら素直に一度戻れ。あの街は迷宮の入り口に監視所がある。帰還は絶対に漏洩する。無理に突破しようとすれば、余計な騒ぎを起こすだけだ)


「むぅ。それならロウガ方面以外の街か。外輪山外に小さな村や街がいくつかあったな。あちらならば、ロウガのように迷宮への出入り口を常時監視するほどの人手は割けてないから無人だ」


 周辺地図を頭の中に呼び起こし、行ったことはないが探索者達の拠点となる街や集落があった箇所を思い出す。

 比較的安全な特別区経由では現在地から1日ほどかかるが、迷宮内を近道で抜けていけば数時間でつく。


「手持ちのお金があまりないが、迷宮で狩った物をいくつか売れば問題はないか。アレも売ってしまうか。趣味ではなかったしな」


 ケイスが指すアレとは双頭大蛇から得た天恵宝物の中身で、小振りだが色取り取りの宝石が施された儀式短剣。

 一応剣の形はしているが、どちらかといえば装飾品の類いだ。


(宝石が多く造形も良い物だが、嬢は龍の血を引くわりに宝物を集める癖はないのか?)


 武闘派だが龍らしく光り物を好むノエラレイドとは違い、ケイスは完全なる実用主義。

 欠点があっても、切れ味や耐久性、もしくは取り扱いやすさ等、どこかに秀でていれば集めても良いが、宝石装飾短剣の売りはその華麗さだ。
 
 宿った神印もどこの弱小神かは知らないが、その神印から美術を司る大神一派の眷属神だとまでは判る。武器としてよりも、美術品として見出されたのだろう。

 迷宮外での探索者の切り札としての使い方もあるが、それを問題無く使う為にはどこかの支部で探索者として登録が必要。

 今はまだロウガに帰還していないので、身分的には未登録探索者のケイスにはでき無い話だ。

 売るだけなら足元を見られるが、非合法な買い取り屋の1つや2つくらいそこそこの大きさの街で探せばあるだろうし、場合によっては気にいった探索者に安めで売っても良い。


「美術品は興味ない。一応は短剣だから使えなくも無いが、すぐに壊れそうだから好かな……なんだ?」


 どこかに熟した実は無いかと諦めきれず気もそぞろに答えていたケイスだが、認識範囲外から現れて、こちらに向かってくる2つの熱反応を捉える。

 2つは寄り添うように走っているらしいが、片側が怪我をして血でも流しているのか、点々と小さな熱反応が現れてはすぐに消えていく。

 そのすぐ後に複数の熱反応も出現。どうやら前者の者達を追いかけている。逃げる者も、追いかける者もどちらもその形から人種でモンスター達ではない。


「岩場まで服を取りに戻っている暇は無いな。このまま行く」


 用心としてカンテラの火を消して、気配を忍ばせながら物陰を音をたてずに屈みながら移動して、休憩場所へと繋がる道の脇の草むらに潜んで、そっと様子を窺う。
  
 素肌にちくちくと刺さる雑草が気になるが今は無視だ。

 みてみると先に逃げていた二人は、脇から出血して膝をつきながらも、包囲する者達を槍で威嚇する中年男性探索者。

 その背後で庇われるのは、20を越えたくらいのまだ年若い女性。女性の方は背負った旗指物から、迷宮内で探索者相手に行商を行う、どこかの迷宮商人ギルド所属なのが見てとれた。

 追跡してきたのは6人。どれも若い男達だが、服装がやけに威嚇的であまり雰囲気が良くない。どこかごろつきめいた雰囲気は、彼らが真っ当な探索者ではない何よりの証拠だろうか。

 しかし気になるのは、槍を持って入る男と、包囲している男達が同じギルドに所属するギルド印を持つことだ。

 そしてそのギルド印は……


「はぁはぁっ。手こずらせやがって……おい、おっさん。あんた自分の娘はどうなってもいいのか? それともそんなぎゃっ!?」


 とりあえず状況はよく判らないが、何か言おうとしていたリーダー格の男の背後からそっと忍び寄ったケイスは先制の一撃として、重量増加させた羽の剣の腹で問答無用でぶん殴る。


「はっなっ!?」


 いきなりリーダー格を襲ったケイスは返す刃で二人目、三人目と相次いで脇腹へとたたき込み、顎を跳ね上げ、無力化する。

 
「なんだこのガっ!?」


「どこからでっ!?」


 ようやく四、五人目がケイスの事を認識するが、既に遅い。羽の剣をしならせ四人目の鎧の端に引っかけ、そのままぶん回して五人目に向かって投げつけて一気に二人をのし倒す。

 最後の1人はまだ判断力があったのか、それとも臆病だったのか、一人目がやられた瞬間に即時に逃亡していた。

 小石も多く裸足のまま今から追いかけるのも少しきつそうなので、次にあったときに斬れば良いとその背丈と顔だけを脳裏に強く刻み込んでおく。


「歯ごたえが無いな。探索者ならもっと即時に反応をすれば良い物を」


 あっさりと五人を無力化したケイスは不思議に思い首を捻る。

 仲間が襲われているのに、なぜ正体を探ろうとするのか?

 自分だったら。とりあえず斬り倒してから判断するというのに。

 
(娘……せめて状況を把握してから襲いかかったらどうだ?)

   
 今の身は剣であるからこそ、主たるケイスの意図には素直に従うが、状況も成り行きも確かめず、襲いかかる野生っぷりにラフォスは苦言を呈す。

 これで非が逃亡者側にあったら目も当てられない。しかも1人を逃して放置状態。

 下手をすればケイスの手配書が作られてもおかしくない事態だが、ケイスには緊張感があまりになく、いつも通りだ。


「安心しろお爺様。このギルド印は護衛ギルドの1つで、なにやらロウガ周辺で人さらいみたいな怪しげな事をやっている連中で、前から斬ってやろうと思ってた連中だ。それに殺していない。だから問題無しだ」


 前にフォールセンの屋敷で養生中に暇を持てあまして、ロウガの近況報告を読んでそのうち斬ってやろうという不埒な連中をあぶり出していたが、このギルドも縁があったらケイスの斬ろうと思っていた組織の1つだ。

 護衛ギルドとは名ばかりの金次第で何でもやるごろつきで、金貸しやら地方領主と結託して、闇奴隷市場に関わっているという噂もある。

 もっとも下っ端をやった所であまり意味がないし、とりあえず話が出来る程度の半死半生状態で留めているのだから、ケイスとしてはむしろ穏便に済ませた方だ。


「あ、やべぇ……天使の……お迎えかよ……わ、わるいニーナ……父ちゃん……」 


 出血が激しかったのか意識も朦朧としている中年探索者ががくりと倒れながら、なにやらケイスをみて死の前に見る幻だと思ったのか、涙を流している。


「ちょ!? おっさん! しっかりしろって! って言うかあんた誰!? なんで裸!?」


 一方で怪我は無いが、走り詰めで顔も青くした商人娘の方は倒れた男性を心配しつつも、迷宮内で現れるには予想外過ぎる救いの神の姿に混乱状態だ。

 
「うーん。手当もしたいし、面倒だからとりあえず落ちろ」


 混乱状態の商人娘の顎先を、比較的やさしめに殴り倒して気絶させる。


「ノエラ殿。後詰めの気配は?」


(無いが。嬢なんでこの娘も殴り倒した?)


「ん。ぎゃあぎゃあ叫いてられて、この男の治療が遅れて死なれても寝覚めが悪いであろう。簡単に気絶させただけだし、温泉にでも放り込めばすぐに目が覚ますであろう。とりあえず全員あっちに運ぶか。ついでにこっちは運びやすいように手足は外しておこう」 


 無造作に答えたケイスは気絶している男達の手足を、間違って折ってもいいかくらいに適当に関節を外して無造作に畳んで、男達が持っていた袋に詰め、首だけ出した運びやすく抵抗できない状態に手早く処置する。


(ラフォス殿。この者達も人種で一応は嬢の同族ではないのか。しかも嬢は馴れすぎだと思うのだが)


(気にくわない者は人扱いしない。盗賊や山賊の類いのように、その場で首を撥ねないだけまだマシな手段だ)


「別に今回は私や私が知る者が何かされた訳でないからな。この二人がこの者達を殺したいほどに憎んでいたとしたら、私が殺してしまっていたら申し訳ないであろう」


 2匹の龍にどこか倫理観がずれた答えを返しながら、二人と5つの荷物をケイスは露天風呂の方へと手早く運び始める。

 何せ手早くやらなければ、せっかく暖まったのに湯冷めをしてしまう。



[22387] 未登録探索者と猟犬商人
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:04
 気を失っている男は40才くらいだろうか。身につけている装備は使い込まれている跡はあるが、ついている傷は古い物ばかりで、鎧や槍の様式が昨今の流行から外れていてやや古い。

 軽鎧を外して血にまみれたシャツを捲ってみると、包帯が乱雑に巻き付けられていた。

 血で固まった包帯をナイフで切断し、はぎ取って傷を確認。ケイスの掌ほどの長さで、深さはさほどでは無い。

 一応の応急処置はした痕跡はあったが、逃げている間にまた傷口が開いたようで、血がダラダラと流れている。

 基本的に自身の怪我は、ご飯を食べて、闘気強化で肉体治癒能力をあげて直してきたので、応急処置は出来るが、本格的な治療はいくらケイスとて無理だ。


 「ん。内臓までは達していない……ルディの作った傷止めと化膿止めを塗って縛っておくか」


 始まりの宮の時にルディアに一応持たされていた塗り薬が、未使用のまま入っていたことを思い出し、岩場に戻り外套の内ポケットを漁る。

 温泉で外套ごと洗ってしまったが、金属製の軟膏いれは密封がしっかりしていたので、水が入ってダメになった痕跡は無い。蓋を回して開けてみると、茶色で刺激臭の強い塗り薬がちょこんと入っている。


 温泉の湯で濯いだ綺麗な布で傷口を拭いてから、薬を指で取って男の傷口へ厚めに塗っていく。

 傷口に触れるたびに痛むのか男は小さな呻き声をあげるが、意識は戻らず昏睡状態は続いている。

 薬をたっぷりと塗って、そのまましばらく手で押さえる。

 ルディアの説明では、血と混じることで強く凝固して傷口自体を塞いでくれるとのことだったが、確かにその説明通りピタリと血が止まった。


「包帯は……ここに入っているか?」


 手持ちの包帯やらガーゼはここ一月の間に使い切っていたので、男の持ち物らしき、内部拡張の術が施された天恵アイテムであるバックを漁る。

 いくつか物を取りだしてから応急処置キットを見つける。中から新しいガーゼと包帯を取りだし、きつくならない程度に巻き付けて、とりあえずの応急処置は完了だ。

 血が流れすぎて寒いのか顔色が青いので、もう一度拡張バックを漁り中から見つけた毛布を男に掛けておく。


「ふむ。鞄の方が入る量が断然多くて使いやすいな」


 始まりの宮からの脱出時にその場へと出現し、ケイスが今所有している内部拡張のポーチと比べる、男が持つバックの内部容量は数段階は上の代物のようだ。

 ロウガ支部講師でありケイスの恩人でもあるガンズの話では、背負い鞄型の天恵アイテムはたしか中級迷宮をいくつか踏破しないと得られないアイテムのはず。

 探索者の証である右手の指輪を見てみると、青を下地にして黄色や緑の薄い線が走り、上級探索者の証である玉石は嵌まってはいないが、中級の証である空の台座は出現している。

 天恵アイテムのバックと指輪から見て、この男が中級探索者なのは間違いない。


「お爺様。ノエラ殿。この男どう見る?」


(同じ武具としての観点で、大切に保管されておったがしばらく使われていなかったと我はみる)


(ラフォス殿に俺も賛成だ。この男は武人であるが香りが薄い。一度武器を置いた身だ)


 2匹の龍が断定した答えはケイスの見立てと変わらない。

 この男の装備、肉体の古傷は歴戦の戦士を感じさせる物はあるが、その割に今の体躯はあまり鍛えられていない。

 現役探索者では無く、少なくとも数年は前に引退しており、最近になって復帰、下手すれば今回が久しぶりの迷宮のはずだ。
 
 引退探索者が何故ごろつきな不良探索者達と一緒のギルド印をつけていたのか?

 そしておそらくは仲間割れを起こしたのだろうが、その理由は?

 気になる事は多いが、本人がこれでは話はしばらくは聞けそうには無い。


「この者が目を覚ます前に、聞ける方から聞いてみる」


 手についた血を温泉で洗い流してから、寝かしておいた女性行商人の方へとまずは移動する。

 未だ気絶したままの女性行商人は20代前半くらいか。

 よくよくみれば髪に隠れた耳が少し長く、耳全体も薄い毛に覆われている。

 触った腕の筋肉の付き方も、一般的な人間種女性よりもしなやかだが強靱で、良く引き締まっている。
 
 獣人の血を引いているようだが、ハーフにしては特徴が薄いので、血の薄いクォーター辺りだろうか。

 顎先を殴りつけたときに闘気も少し送って気絶させたが、闘気操作に長け耐性も強い獣人族の血を引くなら、何もせずともそろそろ目覚めるはずだ。

 だが気の短いケイスは、その僅かな時間を待つのを嫌い無理矢理に起こすことにする


「そろそろ起きろ。そんな強く殴ってはいないぞ。目覚めないならこのまま温泉の中に放り込むぞ」


 女性の頬に手を伸ばしたケイスは軽くはたきながら、脅しめいた台詞交じりで呼びかける。


「……や、やめ。お、起きるから」


 もうほとんど目が覚めていたのか、それともケイスの口調からその本気を感じ取ったのか、女性行商人は上半身を起こす。

 ただまだ頭がくらくらするのか、フラフラと揺れている。


「水だ。のむか?」


 女性の脇に置いておいた水筒を掴み、目の前に差し出してやると、女性は無言で水筒を受け取り、一気に傾けごくごくと喉を鳴らす。

よほど喉が渇いていたのか、そのまま一気に飲みきってしまう。

「……うわぁ……夢じゃねぇし」


 水を飲んで人心地が付いたのか、全身を一度弛緩させ力を抜いた女性は、横にいたケイスの全身をじろじろと見た後、目を丸くする。

 その口調やあまりしゃれっ気の無い実用一辺倒の服装からみるに、自分が女性だとあまり考えていないタイプのようだ。

 もう一度ケイスをじろりと見てから女性は周囲をざっと見渡した。


「湯気……さっきお嬢ちゃん、温泉に叩き込むって言ったな。じゃあここはウェルムの泉か?」 


「名前までは知らん。魔禁沼の近くの安全地帯だ」


 ケイスが脳裏に覚えている地図はもっと大まかな物で、細かな地名は書いていなかったので、とりあえず近場の迷宮名を答えておく。

 魔禁沼の名を出すと目に見えて女性の表情が変わる。それは驚きや恐怖などでは無く、安堵の色が目立っていた。


「あぁ。じゃあ間違いないわ。何とかつい……た……って! おい、あのおっさんは!?」


 どうやら行商人達はこの安全地帯を目指して逃げて来ていたようで一瞬安心しかけたが、怪我を負った連れのことを思い出したのか顔色を変えた。


「安心しろ。傷薬を塗って包帯を変える程度だが応急処置はした。血を流しすぎていて体力が不安だが、中級探索者であるなら何とか持つであろう」


「はぁぁぁっ。良かった。助けてもらっておいて、お礼も言えない不義理を犯すとこだった。お嬢ちゃんが助けてくれたんだ。感謝感謝」


 女行商人が今度こそ深く深く安堵の息を吐いて、顔から緊張の色が抜けた。口調は軽くがさつさだが、どこか人なつっこい笑顔をケイスへと向けて頭を下げた。


「ん。気にするな。それよりもあの男の治療を優先するためにおまえを気絶させた。許せ」


「あぁ! そう! それ! うぁ。情けねぇぇぇっ! こんなちびっ子に一発って!」


 気絶させた件一応だが謝ると、女性は今度は叫んでから一気に落ち込みはじめた。どうにも喜怒哀楽の感情の幅が広いタイプなのか、色々と忙しい。


「あぁぁぁ……商売っ気ばかりじゃ無くて。ちっとは身体も鍛えろって兄貴共の言葉が今ほど痛いことない……業務報告出したら特訓確定……」


 頭を抱える女性の右手の指輪は、薄い赤色が下地となって、緑、黄、紫の細い線がはしっている。宝玉はもちろんのこと、その為の台座も影も形も無い。

 指輪の色をみるに一応は近接戦闘を得意とするようだが、ほかにも色々と雑多な迷宮を踏破している行商人兼下級探索者のようだ。


「落ち着け。いろいろ聞きたいことがあるからまずは答えろ。おまえ名前は?」


 なかなか話が進まないので、ケイスはとりあえず名前から確かめる事にする。


「あ……あぁぁっ! 悪い悪い! お初に名乗り忘れるなんて商人失格だな! 珍しい物あれば東へ西へ! 世界を股に掛ける大商人を夢見て今日もあちらこちら! 商人ギルド猟犬商会のミモザ・フルワードとはあたいの事さ!」

 
 なにやら色々と情報の多い名乗りと共に、それらが事細かく書かれた名刺をミモザが懐から取りだしケイスへと差し出した。

 よく見れば、【こちらをギルド本店でご提示いただければ全品一割引致します】とでかでかと目立つ様に書かれたその横には、見落としそうな小さな文字で(ご来店2回目まで)と注意書きがしてある。 

 元々行商人は印象に残るためか、勢い任せで調子の良い者が多いが、ここまでハイテンションな名乗りも珍しい。


「……くそっ、おやじ、兄貴共、恨むぞ。こんなこっぱずかしい名乗りをギルドルールにしやがって」


 どうやらギルド員は絶対しなければならない挨拶のようで、ミモザは本意では無いのか顔どころか耳まで赤くしつつ、小さく愚痴をこぼしている。


「ケイスだ。家名は大願を果たすまで名乗らぬと誓っている。許せ」


 しかしマイペースなことでは他の追随を許さないケイスは、特に何の感想も抱かず名刺を一瞥してから、通称であり、今の唯一の名で返す。


「ケイスね。あーちょいとケイスお嬢ちゃんの疑問に答える前に聞いてもいいかい?」

 
「ケイスで構わん。聞きたい事とはなんだ」


「んじゃ聞くけど……なんでケイスは裸なんよ?」


 額当てをつけ、右手に羽の剣だけをもつだけの全裸状態だというのに、堂々と受け答えをするケイスを指さしたミモザは、心からの疑問だとばかりに問いかけてきた。


「いくら安全地帯って言ってたも、ここだって迷宮内だってのに。防具どころか服さえ無いって、さっき助けてくれたときもそうだったけど、現実感ねぇにもほどがあるから。天使のような超絶美少女の全裸バーサーカーって」


「温泉に入るついでに着ていた服をそこの温泉で全部洗っていたからだ。生乾きは気持ち悪いではないか」


 鍛錬を積み、だらしない贅肉など一切ないという自負と、こう見えても元は従者付きの隠されし皇女。

 着替えや風呂に世話係がついているのが当たり前だったケイスは、他人に裸を見られる事に一切の羞恥心を感じない。


「……迷宮内に野生化した人食い原住民が現れるって、アホみたいな噂を思い出してたけど、やっぱり噂だったか、現実の方が妙じゃぁねぇか」


 ケイスのあまりに堂々とした的外れな答えに、呆気にとられたミモザは、冗談なのか、本気なのか判らない呟きをこぼしていた。



[22387] 未登録探索者とカミワザ
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:05
 探索者は迷宮へ挑む者達の通称であるが、迷宮に対するスタンスで大まかに分けて二通りに分類できる。

 1つはケイスのように、人の魔術では不可能な不可思議な力を持つアイテム【天印アイテム】や、人の理の範疇ではあるが神が認めた優れたアイテム【神印アイテム】等迷宮の秘宝を求めたり、人を越える超常の力【天恵】を求めて、迷宮踏破に命がけで挑む者【冒険探索者】

 そしてもう一つは、迷宮踏破を目的とせず、前者の冒険探索者達が集めた攻略情報を買い、すでに迷宮化を解除されたり、その内部構造が判明している比較的安全な迷宮へと潜り、モンスター由来の迷宮素材を集めたり、稀少鉱石を掘り出すなど、生活の為に迷宮と共に生きる者【生活探索者】

 下級探索者であり迷宮行商人であるミモザが属する、一族経営の小規模商人ギルド【猟犬商会】は生活探索者であり、その商売相手も主に同類の生活探索者達を相手にしている。

 生活探索者達は迷宮隣接都市を拠点とする者も多いが、中には、年に二回起きるモンスターの異常増殖期であり迷宮が閉鎖される閉鎖期を除き、迷宮内に仮拠点【ギルドホーム】を築きそこで定住し、周辺の下位迷宮を廻って狩猟、採集、採掘をするギルドなども珍しくは無い。

 猟犬商会は迷宮内ギルドホームで迷宮素材を買い付け、逆に街でしか手に入らない生活雑貨や嗜好品、武具の販売、手入れまたは手紙の配達や迷宮最新情報などを、ギルドホームへと届ける事を商いにしている。

 迷宮と迷宮外を往復して、物流を担うのが猟犬商会であり行商人ミモザである。

 そしてミモザが今回この東域カルデラ迷宮群を訪れたのは、特定のギルドホームとの往来ではないが、この周辺でしばらく何らかの調査をするという探索者集団への、物資配達を依頼されたからだったという。

 しかし今日の夕方にその集団との待ち合わせをしていた安全地帯へと到達する直前に、先ほどの男達に強襲を受けたらしい。

 必死の抵抗をするミモザに手を焼いた男達に刺されそうになったその時に、いきなり仲間を裏切って庇ってくれた中年男性に救われ、そのまま2人でここまで逃げてきたというのが、事の流れらしく、ミモザも何故自分が狙われたのかは判らないとのことだった。





「ウェルムの泉周辺は、魔禁沼みたいな未踏破だけど美味しくない迷宮が多い。でもケイスが入っていた温泉があんだろ。ここならどっかのギルドホームがあって、助けを求めれるかもしれない。最悪、誰もいなくても、霧に覆われた魔禁沼の中に逃げ込んで追っ手を撒けるって、あのおっさんが判断したんだよ。きつめにするか?」

 
「ふむ。私はよく動くからずれないようにしてくれ……では顔見知りでは無いのだな?」


 ミモザに事情を聞きながら時折、質問をはさみつつ、ケイスは着替えを手伝って貰っていた。

ケイスが身につけるのは生乾きの物では無く、ミモザが売り物から出してくれた真新しい着替え一式だ。

 何故着替えながらの説明となったかといえば、これまたケイスらしい理由。

 元々着ていた服は、レイネが丈を詰めて用意してくれた探索者向けの頑丈な生地で出来ているが、さすがにこの一ヶ月迷宮に潜りっぱなしなうえに、度重なる戦闘でぼろぼろになっていた。

 それに加えミモザの後に男達を尋問するが、服がまだ濡れているので着替える気はケイスには無かったのだが、それを聞いたミモザがせめて服を着ろと何とか説得したためだ。


「名前もしらねぇ。逃げながら手当をするのがやっとで、詳しい話も聞けてないよ」


 助けた謝礼代わりにと譲ってくれた真新しいシャツの袖口のボタンを止めて、その上から防刃手甲を両手首に巻き付ける。
 
 軽鎧の方は、表面上の傷は色々出来たが、強度面ではまだ問題はないのでそのまま身につけ、肘を動かして角度を確認。


「それにしても……ケイスあんた。結構金の掛かった装備を使ってんな。特に魔具なんて既存品カスタムじゃなくてオリジナルっぽいけど、どうしたんよこれ」


「うむ。友人に設計を頼んで作ってもらった。魔導技師としては天才だぞ。服をくれた礼だ。紹介してやろうか?」


 服の礼として、ウォーギンを紹介してやろうとケイスは上機嫌で頷く。

 
「ケイスの知り合いかぁ……いや、まぁ物には罪は無いけどな。あたいが話せるのはこんな所だよ。合流する今回のお客様達絡みなのかもしれないけど、他言無用って念を押されているから細かい事情は知らない。依頼を受けたギルド長の親父は知っているかも知れないけど、使いっ走りのあたしは聞いて無いよ」


 良い物を仕入れるチャンスのはずだが、何故かミモザは僅かだが警戒の色をみせて引き気味で、説明を終えた。


(話の流れに不自然な所は無い。この商人娘が嘘をついている様子は見てとれんぞ)


 着替え終わりと共に終わったミモザの事情説明の内容と、その話口調から、おそらく真実だろうとラフォスが断言する。

 確かに逃げるのが精一杯だったのなら、傷を負った男に巻かれた包帯がやけに乱雑だったり、傷口が開くほどに適当な応急処置だったのも納得だ。 


「さて……では着替えは終了だ。しかし変な所にこだわる奴だな。あんな奴等に服装を正して礼節を持って接する必要などあるまいに」


「変なのはあんただ。礼節じゃ無くて羞恥心の問題だっての。あたいもがさつやら、女らしくないってよく言われるけど、ケイスには負けるよ」


「どういう意味だ? それよりも手伝え。顔を見たり五月蠅いと、斬りたくなるから、猿轡を噛ましてある。全員をとりあえず並べてから外してくれ」


 手足の関節を外して大袋に入れた上に、猿轡を噛まして止めに小袋を被せていた男達は、意識を取り戻し、驚いているのか、それとも息苦しいのか、先ほどから地面の上でもぞもぞと動いている。

 男達が入った袋はそのままに持ち上げて適当に並び座らせてから、袋と猿轡を外していく。


「くっ……くそが……きが……て、めぇ……」


 猿轡を外された男達は、あえぐように空気を貪りながら、ケイス達を睨み付けたり悪態をついている。

 それを無視して全員分を外してから、ケイスは男達が見渡せる真ん中に立つ。
  

「さて面倒だから単刀直入に聞く。なぜミモザを襲った。それとあの男はなんでおまえ達を裏切った」


 ケイスは羽の剣を右手にだらりと下げながら、前置きを省略して本題をリーダー格へと問いただす。

 しかしリーダー格は射殺すような目でケイスを睨み、


「はっ! 舐めんな。てめぇみてぇな下の毛も生えそろって無いようなガッ!?」


 最後まで言わせずケイスは無造作に羽の剣を横に薙ぎ振る。

 鋭い風音が鳴り響き終わると共に、リーダー格は声も無くそのまま真正面にバタリと倒れ、ぴくりとも動かなくなる。


「げぁっ!? メレード!?」


「ま、まじか!」


「お。俺は喋る喋るから! 殺さないでくれ!」


「……ぁ」


 まさかいきなりあの言葉だけで刃を振ると思っていなかったのか、それとも剣と共に溢れたケイスの怒気に気圧されたのか、男達は引きつった悲鳴をあげ、身を縮こませ、1人は意識を失って白目を剥く始末だ。


「ち、ちょっ!? な、ななに!? やってんだ!? い、いきなり殺さなくても!?」


「むぅ。何を言っている。殺してなぞいないぞ。よく見ろ」


 慌てふためくミモザに対して、ふて腐れた声で答えながらケイスは倒れたリーダー格の首元を掴みその身体を起こす。

 身体が起こされると共にリーダー格の頭部からごっそりと落ちていく……髪の毛が。
 
 起こされたリーダー格には傷1つ無い。だが先ほどまでぼさぼさの髪の毛が覆っていたその頭部は、まるで剃刀で髪の毛を全てそり落としたかのように、つるつるにはげていて、少し赤くなっていた。


「こ、これ……ど、どうなってんだ?」


「ん。頭の形に合わせて剣を振って髪の毛だけをそぎ落としただけだ。摩擦で頭が赤くなっているが死んではおらんぞ。どうにもこの手の輩は、私を子供だと侮ると、先ほどのような品の無い言葉を言って私を馬鹿にするのが多いのでな。こうすることにしている」


 自由自在に形を変える羽の剣だからこそ可能な、髪の毛だけを一振りでそり上げるなんて神業ではあるが、それもケイスの技量があってこそ。

 そしてケイスにとってこの程度の芸など自慢にもならない。何せ目の前の手の届く範囲にあるのだ。

 剣士である自分が、斬りたい物だけを斬れ無い訳がない。

 しかし、やられた方はたまった物では無い。

 剣気を纏った刃が頭部をピタリと沿って高速で通り過ぎるのだ。一瞬で与えられた恐怖に魂さえもが竦み、意識を失うのは道理。

 そしてそれを目の前で見せられた者たちもだ。

 自分達には理解でき無い領域にケイスがいると嫌でも思い知らされ、同時に可憐な少女という見かけと反し、精神がおかしい異常者、いや化け物なのだと気づかされる。


「全く、いくら本当の事とはいえ、私の身体の特徴を馬鹿にするなど失礼であろう。本当なら私と同じようにしてやる意味で、ズボンごと下腹部の体毛を剃り落としてやっても良いのだが、お爺様が嫌がった上に、哀れすぎるから止めてやれと言うのでな」

 
 これでも妥協してやっている頬を膨らませるケイスの額で、赤龍鱗が小さく光る。


(ラフォス殿……心中お察しする)


(確かに剣としての矜持もあるが、それ以前に種は違えど我も雄だ……恐怖のあまり下半身むき出しで失禁する姿があまりに哀れでな)


「ふん。当然の報いだ……さて今は腹立たしいが、一応は本当の事だから加減してやった。だか私の質問に答えないというなら別だ。答えたくなるまで1人1人全身の皮を剥いてやっても良いんだぞ」

 
 種族を越えた同情をする龍2匹に憮然と答えてから、ケイスは震え上がっている男達に向けて改めて剣を向ける。

 ケイスの表情には脅そうという凄みなど無い。

 あくまでも普段通りで、先ほどの怒りが少しだけ残った、見た目だけは可愛らしい頬をちょっと膨らませた不機嫌顔で問いただす。

 だが先ほどケイスの剣をまじまじと見せつけられた男達にとっては違う。

 自分の命令を聞かないなら、その存在に価値は無い。

 その剣が何より語りかける。

 殺されたくなければ答えろと。

 龍王の詰問に耐えられる生物などこの世には存在しない。


「毒だ! その女の荷物を奪って毒を盛るた……」


「ロウガのルーキーどものレッドキュクロープス捕獲を邪魔し……」


「ク、クレファルドの地方領主だ。あの腐れ男爵がてめぇの所の王族ルーキーに手柄を」



 喋れば命を助けてやるという口約束さえケイスはしていないというのに、男達は恐怖からか我先にとばかり一斉に自分が知る限りの情報を吐露し始めた。



[22387] 未登録探索者=レッドキュクロープス
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:05
「まずはおまえから答えろ。ロウガ所属の初級探索者達がどうした?」


「ロ、ロウガのルーキー共の動向や狙いを調べて、ついでに妨害するのが俺らの今回の仕事だ」


 命惜しさに喋ってくれるのは良いが、3人が3人、思いつくままに喋り、内容も時系列もばらばらだったので、まずはケイスにとって一番聞き逃せないことを喋った男に問いただす。

 ほかの2人は軽く剣を向けただけだが、剣が口ほどに物を言うケイスの意図を察したのか、口を噤んでいる。


「あんたも噂で聞いていると思うが、今年のロウガのルーキー共は全員が突破しやがった。どうやったら出来るのか、その秘密を知りたがっている連中は多くて、今回の依頼主もその1人だ」


「ふむ。その依頼主が先ほどそっちのおまえが言った貴族か?」


「この近くのクレファルドって国の地方貴族だ。一番下っ端の男爵でその領地の田舎町がここの迷宮群に隣接している。野心が強い野郎で、色々と手を出していて、今回もロウガの秘密を手に入れての出世を目論んでる。その調査の中でルーキー共が不穏な動きをしているって判って、同時にレッドキュクロープスって化け物の噂がその行動に連動して上がってきたんだよ」


「レッドキュクロープス? 赤い単眼巨人か。なんだそれは? 私は聞いた覚えが無いぞ」


 初耳となったモンスターの名にケイスは首をかしげながら、男の首筋に刃を当てる。

 暗黒期ならともかく、今の時代は上級迷宮でさえ巨人属種は遭遇するのも珍しいレアモンスター。それがロウガ近郊で出現しているなど、眉唾にもほどがある。


「嘘じゃねぇよ! 始まりの宮のあと、この近隣で赤の初級迷宮だけが、異常な速度で迷宮主が次々に殺されてんだよ! 闇の中に光る巨大な赤い目を見たって初級探索者パーティの話もあって、実際にその後に首をねじ切られたり、腹に大穴あいた迷宮主の死骸が次々に見つかってんだよ!」


 震え声ながらも男は嘘じゃ無いと必死に説明を続ける。その態度に嘘をついて騙そうという気概はとても感じられない。

 そして何よりその状況にケイスは思い当たる事が、ありすぎるほどにありすぎた。


「はぁ……目撃情報とはロウガの初級探索者達か?」


「違う! ロウガの連中じゃ無くてほかの支部のルーキー連中からばっかりで、ロウガの連中は不自然に黙りで、上層部も黙殺して反応してねぇ! だからそのレッドキュクロープスって化け物! そいつが全員踏破の秘密じゃ無いかって話なんだよ!」


「全く、面倒だな。最後のおまえ。毒とはどういう事だ? 致死毒か……」


 ケイスが最後に向けた剣には明確な殺気がこれ以上には無いほどに込められている。返答次第では即時に首を切り落としかねない剣呑さだ。


「ちげぇ! 毒っても軽く食中毒を起こして一瞬間くらい寝込む程度のもんだ! そいつを補給物資の中に混ぜて、奴等を足どめして、その間にその化け物をこっちで捕縛して、その手柄をクレファルド王族で今期に探索者になった姫に献上するって計画だ! ロウガのルーキーの中にはロウガ王女もいるから毒殺するような真似はさすがにできねぇよ! マジだ! 信じてくれ!」


「それでミモザを襲って、荷物を奪って成りすますつもりだったか……今のおまえ達のように。それは黙っていたな」


 ケイスの切っ先が示すのは、男達から奪った武器に刻まれたギルド印。それはロウガに本拠地を構える護衛ギルドで、ケイスがいつか斬ってやろうとしていたごろつき共の集まりだ。

 だがケイスの勘は、この男達がそのギルドを騙る偽物だと判断する。それを指摘した瞬間、男達の顔色が目に見えて変わった。


「ち、違う! だ、黙ってるつもりはねぇぎゃっ!?」


 最後まで聞かずケイスは剣を振って、男達の顎先をしたたかに打つと、声も無く3人がバタリと倒れる。


「お、おい。ケイスいいのか!? まだ話の途中だろ?」


「いらんいらん。これ以上聞いていたらムカムカして殺しそうになるから。その対策だ。むしろ命を恵んでやるから感謝しろという話だ。全く……ロウガ所属のギルド。しかも素行が悪い者共が私の名前に一度も反応しない段階でおかしいと思っていたが、男爵とやらめ。相当に悪人だな」


 始まりの宮前にも色々とやらかした所為で、ケイスの情報はロウガの裏社会である程度やり取りされている。

 実際には見たことは無くても、その名前や特徴的な容姿等の噂を耳にしたことはあるだろう。

 しかし男達にはケイスの名前を聞いても、それらしい反応が一切なかった。


「不審な点はいくつもあったからな。まず一つ目は、こいつらはロウガの連中やルーキーと呼んでいて、内容もどこか他人事だった。ロウガを拠点とするギルドならばもう少し言い方が違うであろう。二つ目は手際の悪さだ。こいつらが詐称したギルドは評判の悪い、裏奴隷市場にも繋がっているという連中だ。故に拉致などお手の物のはずだ。それなのにミモザに抵抗をされた上、手負いの人間を連れて逃げるミモザを捕まえるのに苦労していた。人攫いになれていないのであろう」


「いや、まぁあたいが逃げ切れたのは確かだけど、じゃあ、何者だよこいつら?」


「知らん。金で釣られた探索者崩れであろうな。どうせ事が済み次第、始末するつもりであったのだろう。もっともその男爵とやらの金払いが悪かったのか、人を見る目が無い所為で、予想以上に役立たずしか集められなかったのか。あるいはこやつ等に罪を着せて、ロウガに恩を売る事を画策しておったか。どちらにしろ。碌な事を考えていない貴族と名乗るのも烏滸がましい外道だろうな」


 話を聞いただけだが、もっともケイスが嫌う卑怯な策を弄するタイプのようだ。とりあえず出会った瞬間に斬るランクの同率最上位にその男爵とやらも付け加えておく。


「……はっ……正解だ。あのクソ野郎が……お貴族様だって、悪い冗談にもほどがあらぁ」
 

 苦しげな声をあげながらも、ケイスの評価を肯定しながら、いつの間にやら目を覚ましていた中年男が身を起こす。


「いつ目覚めた?」


「あんだけすさまじい殺気を横で放たれて、目を覚まさないほど暢気じゃねぇよ」


「おっさん! まだ立つな! また腹の傷が開くぞ」


「寝てなんかいれねぇんだよ……ちょっと待て。そっちの嬢ちゃんその手はなんだ?」


 ミモザの制止を振り切って立とうとした男だが、ケイスが手を振ってから人指し指と中指の先端を曲げて鈎状に構えているのをみて、ぎょっと目を剥く。


「起きたなら丁度いい。今度はおまえの話を聞かせろ。ミモザを助けたようだが、元々はおまえも仲間だったのだろ。素直に座らなければ、傷口からいらない内臓を引き抜くぞ」


「物騒すぎんだろ。それ以前に内臓にいらない所なんてないだろ」


「心臓に決まっているではないか。私のいうことを聞かないならいらないし、不快な言葉をこれ以上、聞かずにすむからな」


 ミモザの問いに、ケイスはあっさりと一番大切な臓器の名前を挙げる。


「……死ぬ前に天使を見たかと思ったのに、悪魔だったか……俺はモーリス。しがない元仲介屋で、今はそのクソ男爵に借金っていう首輪をつけられた犬だよ」


 モーリスと名乗った男は、自分の境遇を唾棄するかのように吐き捨てながらも、腰を下ろして楽な体勢に戻った。


「タクナール村を領地にしているのがファードン男爵。70だかを超えてるのに出世欲に魅入られたクソ爺だ。あいつらの話と大体かぶるが、ロウガの連中に身分を偽って接触して、その情報を掴めってのが、俺に下されたご主人様のありがたい命令だ」


 名を出した表情をみるだけでも、忌み嫌っているのが判るくらいに嫌悪感が篭もっている。


「毒を使うといっていたがそれは知っていたのか?」


 ケイスの問いかけに、皮肉げな顔を浮かべながら、モーリスは首を横に振る。


「怪しまれないように、そっちの姉ちゃんを捕縛して持っている割り符と荷物を手に入れて、俺が変わりに接触する。後先考えない、がばがばも良い所の手だ。だけど後で良い所取りをするつもりだったなら納得だ。どうせ俺らの企みを偶然知って、自分の配下が急行してルーキー共を救助。卑劣な犯人共は抵抗したのでその場で処刑ってのが本当の筋書きだろな」 


「あたいを助けてくれた理由は?」


「一時的に意識を失わせて、記憶だけ消すっていうのが聞いてた話だったが、あいつらが手を焼いて殺そうとしたんで、思わず間に入っちまった。後はあんたも知っての通りだ」


「何とも粗雑な手だな。その男爵は失敗したときのことを考えているのか?」


「実行犯の俺達を始末すれば良いって考えだ。年齢もいっているから、手を選ばなくなっている。世界中に喧伝されている、ロウガの快挙に目が眩んで、なんとしても利用しようとしているんだろ」


「言いなりになったのは借金が原因だといったな。なぜだ? 武具や身体の傷を見れば判るが、おまえは今はともかく、昔はそれなりに腕の立つ中級探索者だったのではないか? 借金なぞ、迷宮で真っ当に稼いで返せば良かろう」


「……1人娘がいんだよ。女房は大病の末に死んじまってな。その時の薬代が店をうっぱらったくらいじゃ足りなくて、債権が回り回ってあのクソ男爵の物になっちまってな。今回の仕事の間は大変だろうから、娘は……ニーナは館で預かってやろうってな。もし俺に何かあったら良い所に奉公に出してやるって、要は人質兼売り物だ」


 妻を失い、残された一人娘さえも取り上げられ、いわれるままに犯罪行為に手を染めるしか無い。

 悲しみ、無力感、情けなさ、色々な感情がこもっているであろう悔し涙をモーリスが浮かべる。


「おっさん……それなのに思わずあたいを助けちまったのか」


「ついな。そのくせ、避けきれなくて腹を切られるなんて情けないにもほどがあるだろ」


 掛けるべき声が思いつかないのか、ミモザも困惑している。

 モーリスに助けられなかったら、ミモザは死んでいただろう。だからといって犯罪行為に荷担していたのは間違いない。

 ロウガ支部に訴えれば、男爵の糾弾も出来るだろうが、モーリスも咎人となる。


「頼めた話じゃ無いが、ロウガ支部に事件の報告を入れるのは少しだけ待ってくれないか。仲間の1人が逃げただろ。男爵の野郎に失敗と裏切りを報告されたら、娘がどうなるか判らない。だから、恥を忍んで頼む……少しだけ待ってくれ。あいつを捕まえて何とか時間を稼ぎたい」


 モーリスが深く頭を下げる。腹に傷を負っていても、なんとしても逃げた男を捕まえて、娘の力になりたいという強い感情がそこには篭もっていた。


「待て待てモーリスのおっさん。気持ちは判るけど、無茶いうなって、タクナール村って、ここから1日は掛かるだろ。おっさんは怪我しているし、あれから2時間は経っていて逃げた奴に追いつける保証だって無い。ここから一番近くの街に行って、協会支部に事情を説明して捕縛してもらうしか手は無いって」  


「命に代えても追いつく。そうしなきゃならねぇんだよ。ニーナだけは守るって女房に誓ってんだ。そうじゃなきゃ俺の人生は全く無意味になるんだよ」


 地図を広げたミモザが、今から追いつくのは不可能だとなんとかモーリスを説得しようとするが、モーリスは理屈では無く、死んでも追いつかなければならないと悲痛な覚悟をみせる。

 これはケイスの琴線に触れる。

 相手は事情があるとはいえ犯罪者だ。ケイスの大切な仲間達に危害を加えようとしていた一味だ。

 だがそれらを無視してケイスは、モーリスを個人的に気に入る。

 何より妻や娘のために、一生懸命に生きる父親は大好きだ。

 自分が気に入れば、ケイスには巷の法など関係ない。

 何よりケイスが斬りたいのだ。そのファードン男爵とやらを。


「よし。ならばどこに逃げたかもわからぬ男を追いかけるなどまどろっこしい事はせずに、男が到着する前に、今宵の内に男爵の館に攻め入れば良かろう。その男爵を斬るついでに、ニーナとやらも助けてやろう。無論。娘を助けるのだ。モーリスお前も付いてこい」


((やはりこうなったか))


 胸を張って答えるケイスの額と、右手で、2匹の龍が諦めの声をあげる。彼らの使い手は彼らの意見は参考にするが、一度決めたら、いくら言っても引かず意地でも実行する。

 それなりの付き合いのラフォスは無論として、出会って一月足らずのノエラレイドも嫌になるほど思い知らされている。

 
「も、もっと無茶だってのケイス! あんた腕が立つかも知れないけど、おっさん抱えてどうやって村まで今夜中に到達する気だ!? 領主館ってどれだけ規模は小さくても一応は城塞になってんぞ!? しかも個人的に領主を斬ったら国が敵にまわんぞ!」 


 だがさすがに知り合って半日も経たないミモザは、ケイスがそこまで無茶苦茶な事は知らず、モーリスもいきなりの力任せの解決策の提案に驚きのあまり声を無くす。

 村にたどり着くには、安全な特別区をどれだけ急いでも1日はかかる。途中には未踏破宮がありショートカットも難しい。

 辺境の小さな村の領主館。だが辺境だからこそ、その館は、いざというときの砦や村人の避難所として使われる。平時であれば警戒は緩いが、それでも堀と塀を構え、兵士も多少は常駐し、警戒している。

 さらに相手がどれだけ外道であろうとも弱小であろうとも、国が認めた貴族。国としての、面目と体制を保つために、斬り捨てた者を見逃すはずが無い。

 だが……それがどうした。ケイスには関係ない。

 相手が理不尽であれば、それ以上の理不尽で押し切り、己が思うままに振る舞う暴君だ。


「遠回りせずに迷宮を一直線に駆け抜ければ良い。モーリスを抱えていても私の脚力ならば夜が明けるまでに到達できる。幸い一番の障害となる魔禁沼は私が先ほど踏破したばかりだ」


 地図の上で村までの道筋を一直線に辿るケイスの指で、これ以上は無いほどに深紅に染まる赤き指輪が光る。


「それに領主館程度なら私は幾度も斬り潰しているから心配するな。貴族としての誇りも無い、腐った貴族は大嫌いだからな。そういう輩は斬る事に決めている」


 羽の剣がケイスの滾る闘気を喰らい、重さと切れ味を増していく。

 ケイスに答え無限に重さと硬度を増す剣の前では城壁など無意味。


「男爵とやらは私に会いたいようだからな。こちらから会いに行ってやるだけだ。レッドキュクロープスとやらが暴れるだけのことだし、もしばれたなら、そのような腐った貴族を放置していた国ごと潰すまでだ」


 額当ての赤龍鱗が強く光り輝く。

 噂となるほどに怪しく輝く赤き単眼のように。

 ケイスにとっては全ては些細な事。

 斬りたいから斬る。

 斬りたい物があって、斬れる条件が整ったのだ。

 その剣を止められる物はこの世には存在していなかった。



[22387] 未登録探索者を追う者、出会う者
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:06
 迷宮内に作られた安全地帯は2種類が存在する。1つは迷宮神によって魔物除けの処理がされ作られた天然の物。

 もう一つは近隣の管理協会支部が、結界魔術によって作り出した人工的な安全地帯で、維持管理には手間と金は掛かるが、安心して休めることの出来る拠点設置は迷宮に挑む探索者の増加のみならず、近道として特別区を使う商隊の往来を増やし、ひいては地域経済の活性化に繋がる。

 止まり木で休む鳥たちのように、安全地帯で休む探索者達は緊張から解き放たれ、ゆっくりと英気を養い明日に備える物と相場が決まっている。

 カルデラ迷宮群人工安全地帯が1つ。ブナの木で出来た森を丸まる1つモンスター除けの結界で覆った通称『オーク森林の木陰』では、そのセオリーに反し悲痛な泣き声が響いていた。


「なっちゃん! もう無理! 胃が持たない! 森に帰りたい! あたし1人で下級迷宮に行かせられたんだよ!」


 遠方との秘匿通信を行える魔術鏡を呼び出した管理協会ロウガ支部資料保管庫司書ミルカ・レイウッドは、今回の仕事に無理矢理送り込んだ従姉へと、いやいやと緑色の髪と共に首を振って泣き叫いていた。

 見た目だけは10代後半のまだ年若い女性にも見えるが、ミルカは長命なウッドエルフ出身。これでも資料保管庫の主と呼ばれるほどの古株職員だ。もっとも精神的には見た目同様、もしくはもっと幼いがミルカを知る者一同の共通見解だ。

 ケイス捜索隊改めケイス捕縛隊は、表向きはロウガ支部所属初級探索者有志一同による合同迷宮踏破訓練の名目で50人規模からなる大パーティを組んでいる。

 これは始まりの宮を含め、あまりに非常識な行動かつ前人未踏の成果を出すケイスの扱いに困ったロウガ支部上層部が体面を気にして、未だケイス関連の情報を機密扱いし秘匿しているからだ。

 故に大々的な支援をして外部に、ケイスの存在とその真の目的を察せられるのを防ぐため、ロウガ支部からの現場バックアップは最低限とし、非戦闘職員であるミルカが抜擢されていた。



『あーぴいぴい五月蠅い! いい歳した大人が一々嫌な事があったら、森に帰りたいとか情けない事を叫くな! 仕事だから諦めな!』


 鏡の向こうでは治安部隊のご意見番上級探索者ナイカが苦虫を噛みつぶした様な顔で、へたれ過ぎる従妹を怒鳴りつける。

 暗黒期末期のロウガ解放戦に参加し、英雄の1人としても知られるナイカに怒鳴られれば、大抵の物はその迫力に身が竦み、声を無くすが、ミルカからすれば、英雄で、部署は違うとはいえ上役でも、幼い頃からの付き合いの従姉のなっちゃんでしか無い。


「私まだ220越えたばかり! 下級探索者! なっちゃんみたいに上級探索者じゃないし、司書がお仕事! 通信魔術の使い手ならなっちゃんが来れば良いじゃない!」


 保管庫に根を張りほとんど住み着く自他共に認める引きこもり型文系なミルカが、ロウガを離れ迷宮へと赴いたのはもちろん本人の意思ではない。

 比喩抜きで、ナイカに無理矢理に檻に放り込まれて、ここまで強制的に連れてこられたからだ。

 位階は下級探索者ながら、極めて優れた精霊魔術の使い手であるミルカは、特定の条件はあるが精霊を介し長距離かつ秘匿性の高い通信魔術を使用できる。

 その為に、ロウガ支部と現場の迅速な情報共有が何よりも必要とされる、今回の極秘活動に抜擢されたのだが、元々ミルカの神経が細いのもあるが、今回の対象であるケイスがあまりに非常識すぎて、その神経を遠慮なく削られまくる日々に、ルディア特製の胃薬が手放せない日が続いている。


『あたしが動いたらただでさえ怪しいのが、完全に隠しきれなくなるって何度も説明したろうが! 顔が知られて無くて、警戒されない下級職員でこの時期に暇していたのはあんただけ! 普段はサボって、昔の資料を読みふけってるだけなんだから、給料分くらいはきっかり働きな! そんなんだから伯母上に穀潰し娘は世間の厳しさを知ってこいって森から追い出されてんだよ!』


「うっぁぅぅっ! なっちゃんまで母様みたいなこと! うぅっ!」


 盛大な従姉妹喧嘩の末、伝家の宝刀を抜いたナイカに一撃で打ちのめされたミルカが、しくしくと泣き出す。

 見た目はともかく両者とも自分よりも遥かに年上なのに、その何とも言えない身内喧嘩を横で見ていたルディアは、ファンドーレにそっと耳打ちする。


「この精神状態でも鮮明で、途切れないどころか遅れさえ無い通信状態が維持できるって……ミルカさんって司書よりも通信課向きなんじゃ」


 長距離での通信魔術は、普通ならよほど精神を集中していても持続が難しいのだが、ミルカの呼び出した鏡に映すナイカの姿には一切のぶれさえ無い。


「この引きこもりエルフがそんな器用に繋げたらの話だ。今の所は繋げられるのは血が近い特定の同族との間だけ。この近辺ではナイカ殿くらいだ。ミルカ。話の邪魔だ。鏡は維持したままであっちに行ってろ」


「うう、ファンくんまで酷い事、言う……」


 元々口の悪いファンドーレは悪意を含まない故により辛辣な評価を下して、顔なじみだというミルカをぞんざいに追い払う。

 しくしくと泣きながらミルカは、近場に止めた馬車の荷台の最初に放り込まれた檻へと戻っていく。檻は捕獲したケイスをロウガまで移送する特別製なのだが、この狭さが実家でよく逃げ込んでいた洞を思い出して良いと、今はミルカの引きこもりスポットになっていた。


「毎度毎度の事だけど、あの扱い良いの?」


「どうせ英雄叙事詩本の1つでも与えておけば機嫌が直る。俺の蔵書からあれの読んでいない本をいくつか持ってきているから心配するな」


 ミルカはまだモンスター達が跳梁跋扈していた幼い時代に、フォールセンを中心とした大英雄パーティに九死に一生の危機を救われ、それ以来の度を超した英雄フリーク。

 アマチュア迷宮学者で迷宮マニアであるファンドーレとの接点は、治療院での仕事の合間に資料を求めて支部書庫に入り浸っていたときに、マニアックすぎる英雄達の迷宮攻略話で盛り上がって、それ以来、年の離れた友人関係となったらしい。

 
『悪いねファンドーレ。あんたがそっちで手綱を握ってくれて助かるよ。あたしがそっちに行けたらどうにかするんだけど、そうもいかないからね。で、そっちはどうなったんだい? 嬢ちゃんは本当に下級迷宮に入ったのかい?』


 毎度毎度通信のたびに弱音を吐くミルカに辟易しているナイカが、安堵の息を吐くと、表情を改める。

 ファンドーレが無言で首を振り始めろと丸投げしてくるので、始まりの宮に続いて一応現場のまとめ役をやっているルディアは、1歩前に出る。


「はい。それは間違いありません。さっきなんとかミルカさんに【魔禁沼】に入ってもらっていたんですが、完全踏破されていたらしく霧が晴れていたそうです。ただあの馬鹿は今の所まだ見失ったままです」


 ミルカ以外は全員が初級探索者。だから下級迷宮の中を確認を出来るのが、始まりの宮後は一度も迷宮を踏破はしておらずとも、一応は下級探索者であるミルカだけだ。

 単独で迷宮に入るのを怖がり、嫌がるミルカを何とかなだめすかして中の確認をしてもらったのだが、結果はあの通りだ。


『入って出て来ただけであの騒ぎかい。あの子は本当に……しかしケイスの嬢ちゃんが下級に到達したってのは、いよいよ誤報じゃ無さそうだね。しかもいきなりのぶっつけ本番で、ここの所、何期も未踏破宮だった魔禁沼。つくづく化け物だねあの娘は。上層部のお偉いさん達が右往左往するのもさすがに見飽きたね』


「踏破数が踏破数だ。ひょっとしたら無条件で半年後に初級から下級に上がるのは、時間経過で下級探索者になるのでは無く、時間切れで初級探索者でいられなくなるということかもしれない。迷宮学の通説が大きく塗り替えられる事になりそうだ。もう諦めてあの馬鹿の存在を公表すればいいだろ。信じる信じないかは別だが」


 奇しくもケイスが出した推測と同じ予測を、迷宮学者であるファンドーレが仮説として唱える。

 赤の初級迷宮だけとはいえケイスは、この一月あまりで50以上の迷宮を、それも全て迷宮主を倒す完全踏破を成し遂げている。

 未だケイスが正式登録していないために、公式記録としては残せないが、ロウガどころか大陸全支部の公式記録を当たっても、前代未聞の踏破速度、数である事は間違いない。

 故に半年後に初級探索者は下級探査者へと無条件で位階が上がるという通説を無視して、この段階で下級探索者へと到達したと考えてもおかしくは無い。


『それが出来たら苦労しないよ。何せ公式報告では、全員踏破の裏で双剣のお弟子様は始まりの宮で大怪我をして今も絶対安静って事になってる。アレだけ速報を打っておいて、まさか1人が未帰還だって言えやしないよ。しかも全員踏破の立役者が、今のままじゃ違法な未登録探索者で、さらには下級探索者に上がっている。功罪多すぎる上に、嘘に嘘を重ねているから今更引けないさね』


 始まりの宮全員踏破の偉業を、ロウガ支部のイメージアップなど政治的に利用しようとしたのが運の尽きだとナイカは鼻で笑う。

 確かに全員踏破はしたが、正確にはケイスは未だロウガに戻らず、探索者登録さえしていないので、未帰還かつ大陸の大体の国では違法となる未登録探索者。

 ケイスが始まりの宮後に即座に迷宮に挑みはじめた初期の段階で、体面など気にせず公表していれば、まだ傷は浅かっただろうが、まさかケイスがその後に一月に渡り破竹の勢いで迷宮を踏破しまくり、たった一月で下級探索者になるなど誰も予想できなかっただろう。

 とにかく、なんとしてでも秘密裏にケイスを捕獲して、嘘を真実にしないと、ロウガ支部の体面は丸つぶれという状況だ。


『どっちにしろ上のミスだ。あんたらは気にせず嬢ちゃんの追跡をしながら、一応の名目である合同踏破訓練の方もそこそこにやってておくれ。ほかの支部やら国が、どうにも疑っているみたいだからね。合同踏破訓練の方はどうだい?』


「そちらは問題ありません。人数はいますから無理せずに近隣の迷宮を廻って、完全踏破とまではいきませんが、踏破をぼちぼちやっています。赤の初級迷宮はケイスが完全踏破しているので、天恵は得られないスカベンジャーになりますけど、逆に安全に迷宮資源を集められるので、仲間内では好評です」


 迷宮主を倒してケイスが完全踏破した迷宮は、迷宮を迷宮たらしめる仕掛けが解除され、モンスター達の異常な攻撃性も収まり、特別区とさほど変わりない安全性まで落ち着く。

 完全踏破された迷宮を、主な狩り場とする探索者は、死肉漁り『スカベンジャー』と呼ばれることもあるが、立派な生き残るための知恵でもある。

 ましてやケイスの場合は、中の資源など目もくれず、斬り倒した雑魚モンスターも大抵そのまま放置。迷宮主を喰らって即座に離脱と、ほぼ丸まる手つかずの迷宮資源が残っている。

 後を追うルディア達はさほど時間をかけられないが、ケイスのおこぼれに預かり、かなりの恩恵を受けていた。


『順調みたいだね。しかし順調すぎるのも目がつけられるからね。一度あんたらは戻そうかって話も出ているよ。あの子が下級になったなら、こっちも精鋭が送り込めるからね。ガン坊なんぞ一番に名乗りあげたよ。ウチの総大将はさすがに送り込むわけに行かないけどね』


 初級探索者しか出入りできない初級迷宮ではなく、狩り場が初級探索者を除いた全探索者が出入り可能な下級迷宮に移ったならば、ロウガから腕利きで口も硬い探索者を動員できる。

 ケイスの恩人であり、ロウガ支部講師であるガンズならば、現時点でなら近接戦闘でもケイスを上回る技量を持つ。

 いくらケイスと言えど、中級探索者を中心にしたパーティなら捕縛はさほど難しくは無いはずだ。


『とりあえずまだ話が纏まるまで、もう少し時間はかかるだろうから、嬢ちゃんの動向を探りつつ無理せず合同踏破訓練に重点を置いておくれ。もっとも言わなくても五月蠅い翼の姫君辺りなら、がむしゃらに踏破しようとしてるだろうね』


 何時もならロウガとの通信の際には顔を出すロウガ王女サナの姿が見えず、さらにルディア達の背後の人数も少ないことに気づき、負けず嫌いなサナの性格から動向をナイカは予測する。


「正解だナイカ殿。姫なら、ケイスが下級探索者となって、追えなくなったら追いつくまでと、迷宮主を発見した青の初級迷宮の完全踏破に同期を連れ立って挑戦中だ」


『やれやれあのじゃじゃ馬姫は。そろそろ槍なんかもガタが来ているだろうに。一応替えの武具なんかやと一緒に、ギン坊が作った対ケイス専用捕獲魔具なんてのも、知り合いの商人ギルドに送らせた。今夜には合流できるって話だけど無事出会えたかい?』 


「いえ、まだです。ウィーが散歩がてらに周囲偵察に出ています。この森の安全地帯は広い上に、見通しが利かないので、どこか別の場所にいるかも知れないので」


「ウィーさん!? どうしたんだ!」


 ルディアが首を振って説明をしていると、見張り番に立っていた同期の1人が驚きの声をあげているのが聞こえて来た。


「噂をすれば何とやらだな。ウィーが戻ったようだ。だが何かあったようだ」


 ルディアが声の聞こえてきた方向をみてみると、なにやら大きな袋を5つ担いだウィーと、旗を背負った女行商人がなにやら疲れ切った状態で続く


「ほい。ルディ。ケイの置き土産だって、で、こちらがケイに助けられたっていう、ボク達と合流予定だった行商人のミモザさん」


「猟犬商会のミモザだ。あんたらに文句をいうのはなんだけど、あの子、ケイスはなんなんだよ?」


 気絶状態で首だけ出した若い男達が収納されている大袋を軽々と担いでいたウィーはその場に適当に降ろし、連れてきた女商人ミモザを紹介すると、ケイスに精神的にやられたらしいミモザは青ざめた顔を浮かべていた。






「じゃあなに。血の臭いを辿ったらミモザさんがいて、ついさっきまでケイスがいたのね?」


 一通りの説明を聞きながら、ルディアは、深く息を吐き懐から胃薬を取りだし、苦い薬を水も無くかみ砕いて飲んでおく。

 色々と精神的にやられたらしいミモザは、説明の途中で力尽き今は寝込んでいるが、ルディアはそういうわけにもいかない。

 ケイスの名前が出た上に、そして当の本人がここにいない以上、どう転んでも胃が痛くなる話になるの間違いないので、予防策だ。


「そうそう。こっちの人達が、どこかの男爵様の依頼で、ボク達の動向を探るついでになにやら悪巧みしてミモザさんを襲ったって。偶然近くにいたケイがぶちのめして、ついでに口も割らせた状態」


 気絶した男達の顔は例外なく恐怖で引きつっている。1人の頭部などつるつるで髪が無くなっているが、どうせケイスが嫌う下品な煽りでもして、剣の一振りでそり上げられたのだろう。


『そいつらはこっちで引き取りに人を回すとして、その本人はどこに行ったんだい?』


「えーと、ケイらしい我が儘な話と、ケイらしい最悪な話の2つありますけどどっちから聞きます?」


 ナイカの問いかけに、鋭い爪が生えた指を立てたウィーが暢気な声で答える。


「その順番で良いからとっとと話せ。どこから聞いても、碌でもなく、馬鹿げた話なのは変わらないだろ」


 男達により深い昏睡魔術をかけ終えたファンドーレは、既に予測が出来ているのかあきらめ顔だ。 


「祈るだけ無駄だけど、予測が外れてることを祈るだけね」


 正直言えばルディアも予測は付いているのだが、一応、万が一の幸運を祈ってファンドーレに同意する。 


「んじゃまず一つ目。らしい我が儘話なんだけど、ボク達に渡る補給物資。特にウォーギンの作った魔具をケイが無理矢理に持っていたって。『私”に”使うか、私”が”使うかの些細な違いであろう』って、ついでに、邪魔をするならミモザさんでも斬るって何時もの脅し付きだって」


「そこが一番重要でしょうが……あの馬鹿。姿隠しのマントに、非殺傷性閃光ナイフ、それに軽量魔術添付ナイフってまた応用が効きそうなものを的確に持っていったわね」


 ウォーギンが送ってきた魔具の説明書を読みつつその性能をみたルディアは、頭痛薬も飲むべきだったと後悔する。

 化け物なケイスを捕獲するために、天才魔導技師であるウォーギンが用意した魔具は、人間離れしたケイスの反射速度を凌駕する機能を盛られたピーキーな特製品。

 それは裏を返せば、並の武具、道具では耐えられないケイスの戦闘能力に、楽々と付随出来る性能を持つということ。

 ウォーギン謹製魔具とケイスの相性の良さは、この一月、ルディア達がケイスを取り逃している事からも今更言うまでも無い。

 鬼に金棒ではないが、ケイスの戦闘能力がまた跳ね上がったのは明白だ。


「なるほどあの商人がダウンしたのはあの馬鹿の殺気にやられた所為か。ルディア。気付け薬でも用意しておいてやれ。あれは初見では身体に悪い」


『時間が無いからって省いたけど使用者制限の仕掛けもギン坊にやらせとくべきだったね。で虎の嬢ちゃん。らしい最悪なのってのは? それだけの武装を持ってどこに行ったのかあんまり聞きたくないけどね』


「いやー何でもミモザさんを襲った襲撃者の1人で、仲間を裏切って助けてくれたおじさん探索者がいたらしいんですけど、その男爵に借金で縛り付けられた上に娘さんを人質に取られた上で犯罪行為を余儀なくされたとかで……で、その人を気にいったケイが男爵を斬るついでに、娘を助けてやるって領主館のある村にむかったみたいです」


「「『……あの馬鹿』」」

 あまりにらしすぎてもう笑うしかないとウィーは苦笑いを浮かべ、残り3人は予測していた最悪の正解をなんのひねりも無く、そのままぶち抜いてくるケイスに対して、異口同音な何時もの代名詞を口にするしかなかった。










 出発するときは頂点にあった月は半ばほどに沈み、夏が近いとはいえ、夜明けまであと僅かとなった空気は少し冷たい。

 強行軍で文字通り迷宮を一直線に突破し、カルデラ迷宮群を抜けたケイスは、外輪山の麓近くにあるタクナール村へと到達していた。

 村をぐるりと囲む動物避けの柵を横目でみながら、村の脇を流れる水量の多い川沿いを上流へと向かって茂みの中を静かに進む。

 この辺りは迷宮隣接地域ではあるが、見返りが少ない割に難易度だけは高い迷宮が多い所為か探索者の拠点となるメイン拠点としては、あまり利用されておらず、村の主な産業は林業となるらしい。

 川沿いには山から切り出してきたままの原木や、それらの枝葉を切り落として運搬しやすい丸太や板へと加工する製材所がいくつか見てとれた。


「大丈夫か? 息が相当苦しそうだぞ」


 モーリスの呼吸は、迷宮外に出てから荒くなり、腹の傷が痛むのか時折呻き声もあげている。

 なるべく振動が無いように走ってはいるが、ケイスとの体格差がありすぎる所為でどうしても肩で担ぐしか無く、モーリスの身体に負担が掛かるのは避けられなかった。


「だ、大丈夫だ。迷宮外だから天恵の効力が弱まっているが、薬は効いている」


 脂汗を流しながらで強がりにしか聞こえないが、こういう強がりはケイスの好みだ。

 探索者が得た天恵による強化の恩恵は、迷宮内で最大に発揮され得た天恵に合わせて強大な力を振るえるが、迷宮外ではその恩恵の効果は1/10以下となってしまう。

 これは神によって与えられた力である天恵は、世界の危機に対応するための力であり、迷宮外、つまりは人の世でみだりに振るうべき力ではないからだと、神官達は説法をする。 


「私の仲間が近くに来ているが、医療神術を得意とする者や腕の立つ薬師がいる。娘を助けたら連れて行ってやるから、もう少しだけ我慢しろ……見えてきた。あれだな」


 村の最深部、川が大きく蛇行するそこに領主館は建っていた。

 丸太を地面深くまで埋め込んで並べた壁を四方へと張り巡らし、3方向を流れる川を天然の掘とした、その佇まいは領主館というよりも砦と呼んだ方がしっくり来る無骨な作りだ。

 村から続く正面は坂道となり、夜明け前だというのに煌々とかがり火を焚いて照らしだしており、門前には門番らしき兵が常駐し、壁の上にも幾人かの兵士が巡回している様が見てとれた。


「やけに厳重だな……なるほどそういう事か」


 辺境の一男爵が居を構える割には、兵の数が多いと思ったが、砦門上部のポールに掲げられた旗を見てケイスは得心がいく。

 門の上にはファードン領を示す木を基調とした紋章をあしらった古びた旗が掲げられているが、その隣のさらに高い位置に真新しい旗がひらめいていた。

 夜中でもかがり火に反射する金をあしらった贅沢な旗には、この国クレファルドの王族が使用する紋章が誇らしげに輝く。

 どうやらファードン男爵が取り入ろうとしているという、王族の姫とやらも館に在留中のようだ。    


「王家の旗……こんな状況じゃいくらあんたでも」


「方針は変わらぬぞ。予定通り夜明け前にここまで来られたのだ。後は一気に攻め込んで男爵を斬って、ニーナとやらを助けるだけではないか。二人の身体的特徴を教えろ。ここから位置を察知して、斬り方を考える。ウォーギンの魔具が手に入ったのは僥倖だ。おまえの娘を思う気持ちが、私と出会った幸運を呼び込んだのだ。喜べ」

 
 モーリスも厳重な警戒と王家の旗に気づき絶望的な表情を浮かべていたが、ケイスはその杞憂を一蹴して、自分と知り合ったことを喜べと笑ってみせた。  



[22387] 未登録探索者と元仲介屋
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:06
 瞼を閉じて額に当たる赤龍鱗が感じとった熱を、脳裏に描いていく。

 使い始めの頃は熱源との距離は判るが、闇夜に浮かび上がる蝋燭の炎を遠目で見ているように、ぼやけていた印象だった。

 しかしここ一月に渡り常に使い続ける事で、探知距離は変わらないが、より温度差を細分化して感じ取れるようになっている。

 脳裏に描かれる画像は、温度差によってくっきりと色分けされ、鮮明な地図となって通路や部屋を判別してのける。

 描かれた地図には、外で不寝番をする兵士達だけで無く、建物内の人々も描かれる。

 屋敷のあちらこちらに配備された帯剣した兵士達。

 屋敷正面を見渡せる2階の部屋で明け方も近いというのに、なにやら落ち着きなく部屋の中を移動する片足が義足となった者。

 その部屋へと繋がる通路の見当たらない隠し地下室に閉じ込められ、鎖で繋がれた少女らしき小さな者。

 周囲が不自然に無人となった東側の貴賓室で、人型をした人形らしき物体に囲まれ一人椅子に座り佇む者。

 さらには人だけで無く、屋根裏に潜む鼠や、庭の馬屋近くで羽を休める渡り鳥までも感じ取る。


「巡回の兵士は中と外を合わせて40人ほど。義足の者が男爵だったな。それは一人だけだ……モーリスおまえの娘のニーナは10才だったな。当てはまる体格の少女はここだ。構造的に通常の地下牢では無いな。隠し通路らしき先の部屋に拘束されているようだ。だが安心しろ。鎖に繋がれた手足を動かしているから元気そうだ」


 ナイフを使い地面へと感じ取った館の見取り図を描き出し、特定した見取り図を描いていく。

 赤龍の額当ては高性能ではあるが、有効範囲が半径200ケーラ程度が欠点といえば欠点。だが幸い領主館はそこまで広くは無い。モーリスを残して、館の周囲をぐるりと回ることで全体像を把握する事は出来ていた。

 少し休めたことと、薬が効いたのもあって痛みが治まったのか、モーリスの顔色は先ほどよりは大分マシになっていた。

  ケイスが描き出す内部図があまりに正確で、多少は希望が見えてきたのか、先ほどまでの絶望の色は少し薄れたのもあるだろうが、何よりも娘が生きていると判った事が一番大きいのだろう。


「ニーナ。待ってろよ……でもあんたすごいな嬢ちゃん。本当に今年のルーキーなのか? 指輪まで色づいているってのに」


 ケイスがつい一月前に始まりの宮を踏破したばかりのルーキーだというのが、モーリスはとても信じられないようだ。


「そうだ。あとケイスでいい。それよりだモーリス。おかしくないか? この配置は」


「あぁ。従者がいない。それにこいつはまるでクソ男爵が軟禁されているみたいだな」


 ケイスの書き出した地図を見下ろしていたモーリスの推測も、ケイスが気づいた違和感とほぼ同じだ。

 いくら地方の下っ端貴族とはいえ、この規模の館を維持するならば使用人達が幾人もいて当たり前だ。

 だがケイスの描き出した地図に描かれるのは、武装した兵以外は男爵とニーナ。そして人形に囲まれた者だけで、小間使いや女中達らしき者が館内に一切見当たらないのだ。

 そして屋敷内を巡回する兵士達の動きは、侵入者を発見する為の物では無く、男爵が部屋から勝手に抜け出せないように見張っているような動きであった。


「うむ。それに気配を探ったのだが、どうも見張りの者達は外側への警戒よりも、何故か内側をやけに気にしている様な感じがした。立ち止まった者達が目を向けるのはここだ」 


 ケイスが指さしたのは、何故か一人隔離された位置にいる人形に囲まれた人物だ。


「少し確認したいのだが、この国は男爵の館に王族が逗留する際に、兵のみにするはよくあることなのか? おそらくこの人形をやけにはべらせている者が姫とやらだとおもうが」


 国にもよるが、爵位が最も低い男爵の館に、王族が逗留するなど稀な自体なはず。ましてやここは辺境の村。警戒に警戒を重ねて厳重な警備網を敷くはずだ。

 だが館の防壁周りはともかくとして、貴賓室周辺には警備兵らしき者の反応は無い。

 側仕えの者が待機する付随した従者部屋も無人で、中庭も巡回の兵士さえいない。


「人形か……王族旗の個人紋章は確認は出来たか?」


 ケイスが人形に囲まれていると推測を口にすると、モーリスの顔色が目に見えて変わる。

 先ほどまでの娘の安否を気遣う父親の顔が、眼光が鋭くなり深く考える仲介屋としての顔を覗かせた。

 仲介屋とは、管理協会に持ち込まれた依頼を委託され、各探索者達に仕事を斡旋していく商売になる。

 宿屋だったり、酒場だったり、もしくは買い取り屋など探索者達がよく利用する店等と兼業して行う者も多いが、有能な仲介屋とは裏表の情報に精通し、その探索者に適した依頼を紹介できる者と言われている。

 モーリスもつい最近まで……妻が大病を患うまでは、それなりに知られた宿屋の親父兼仲介屋だったとのことだ。


「一角獣と鎖を組合わせていたな。心当たりがあるのか?」


「あぁ……そりゃ間違いない【人形姫】だ。となると妙だ。大物過ぎる。俺が聞いていたのは愛妾が生んだ姫で傍流だが、横を流れている川の水利権に口出せる伯爵家子息へ嫁ぐ姫とかだったはずだ。ここの下流は貴族領地が入り乱れている。通過する際に一々持って行かれる川の利用料がでかすぎて、男爵は禄に裏金を作れないで付け届けが出来ていないって話だ」


「将来の伯爵婦人の口利きで、一つ一つの家に払うのでは無く一括形式にでもするつもりだったということか。しかし傍流とはいえ、一国の姫が嫁ぎ先も決まっているのに探索者になるのか?」


 これ以上は無いほどに自分の事を棚にあげたケイスの疑問だったが、その一言でケイスがクレファルドの内情に詳しくないとモーリスは察したのか、かなり端折りながらだが、説明を開始する。


「クレファルドは2世代前の王の時代に、隣国との領土問題に端を発したお家騒動があって国を二分するほどの王侯貴族間の争いがあった。最終的に隣国の影響を国内から排除し戦争も辞さないタカ派の王子と貴族が、かなり譲歩した融和を謳っていたハト派の王侯貴族一派を全粛正して、国の中枢を完全に抑えている。だから貴族の連中は、今も武を重んじる傾向が強くて、嫁に求めるのは、いざとなれば兵を率いて戦え、強い子を産める女傑だ」


「ふむ。男爵が功績を譲ろうとした姫に箔が付けば、嫁ぎ先の公爵家の名声も高まるという事か……武を重んじるのは好みだが、人に譲ってもらって誇るのはどうなのだ」


「戦争に明け暮れた一世代前ならケイスみたいに言う連中も多かっただろうが、現世代は親世代の武勇伝を聞いて育っただけで、実際に戦場に立った者なんて少数だ。功績は自分に献上される物って子弟も多い。実際、俺が現役の仲介をしていた頃には、王命を受けた貴族の坊ちゃんの代わりに討伐やら調査をって依頼が多かった。他言無用だが報酬が良くて探索者受けも良い上等な依頼だ」


「ならば男爵もか?」


「いや……あのクソ野郎は違う。内乱時の武功で新たに貴族として列せられた、文字通りのたたき上げだ。武功つってもまともな戦働きじゃなくて、野盗のふりしてハト派貴族の領地の街や村を次々に襲って、金品を略奪するだけじゃなく、自国内だってのに奴隷狩りもやってたって噂だ。ただその上がりを自分の懐に収めるんじゃ無くて、上に提供して取り入っていたからあくまで噂の域を出ない。だから汚れ仕事をしていたってのに、上手いこと立ち回って貴族に成り上がれた連中の1人だ。そんな連中が少なからずいて、領地が細かく入り乱れているから国内は今ひとつ纏まりきって無いのが現状だ」


「ますます斬りたくなってきた……では今屋敷にいる人形姫とは何者だ?」


「詳しい事情は今ひとつ俺ら庶民には伝わってこないが、王家の中でも特別な一族ってのがもっぱらの噂だ。先の内乱にも全く関わらず、王位継承権を持たない上に、領地さえ持たない。王宮の一区画がその居住地で、王都で孤児院を管理している以外は、王国内で仕事らしい仕事をしている形跡が無い謎の一族。その長が【人形姫】って代々呼ばれている」


「複数の人形を抱えているという事は、王家の闇……呪術師か何かの類いかもしれんな」  


「実際そういう噂もある。王城の小間使いなんかがたまに姫を目撃しって流れてきた情報だと、代々の姫は、綺麗だが生気がない白い肌をして無口。それこそ人形みたいな娘ばかりで、しかもその居室には、手足が欠損したり、目や口を太い糸で縫い合わせた不気味な人形であふれかえっている。ほかにも人形と同じ傷をつけられた幽霊が姫の部屋を出入りしているやら、それを目撃した小間使いが殺されて人形に詰め込まれたってのが、クレファルドの定番な怪談話になるくらいだ」


「むぅ。途端に胡散臭くなったぞ」


「仕方ない。それくらい表に出てこないって事だ。姫は初代から代替わりしていない上級探索者だって話もあるくらいだ。だけどなんで人形姫が男爵の屋敷にいるんだ。しかも男爵を軟禁しているってのは」


「むぅ。考えても埒があかん。とりあえずその人形姫とやらは気にするな。この配置とそれぞれの位置なら……うむ。それが動く前に私が何とか出来そうだ」


 描いた地図をもう一度見たケイスはしばし考えてから、男爵を斬って、ニーナを助ける算段を導き出す。

 ケイスが算段を立てたのを聞いて、モーリスが覚悟を決めた表情を浮かべてから、傷が痛むのも構わず深く頭を下げる。


「ケイス。迷宮内でみせてもらったからあんたがすさまじく強いってのは判ってる。だから情けないがケイスに全部を任せる。俺がおとりになって、死ねって言うならそれでも構わない。だから改めて頼む。ニーナを助けてくれ」


 娘のために命を捨てられる父親の強い愛情は嫌いではないが、一応はこれでもニーナと同じく父親を持つ娘であるケイスとしては、父親に死なれる方が嫌いだ。

 もし父のフィリオネスが自分の為に死ぬ気だと言って無茶するようなら、とりあえず言った瞬間に斬って動けなくするくらいには、ケイス的にはあり得ない。

「むぅ。覚悟を決めるのは良いが、怪我をしていないならともかく、今のおまえは足手まといだからいらん。私が屋敷には1人で突入するから、その間にあそこの船着き場の船を確保しておけ。追っ手が来たら全部を斬っても良いが、一応ほかの船には穴を開けておけ」


 それにこの程度の事で誰かを犠牲にするつもりなどケイスには無い。なぜならケイスは天才だ。

 
「見てみろ。屋敷の正門から男爵のいる部屋とそしてニーナの捕らわれた地下室。期せずしてほぼ一直線に並んでいるではないか。だから正門を斬って、そのまま屋敷と男爵ごとニーナのいる地下室まで一気に斬ってしまえば良い。剣の二振りですむからな。簡単な話であろう」


 地面に描いた地図に持っていたナイフで2つの切り込みを入れて、ケイスはあっさりと造作も無いと断言してみせてから、あまりの力技に唖然としているモーリスを放っておいて立ち上がる。 

 ケイスは剣の天才だ。その隔絶した剣は、他者には到底到達できない領域にある。自分の考えが他者に理解されない事にもさすがに慣れている。

 だから百万言を語るよりも、実際に剣を振ってみせた方が早いと、ケイスが言葉少なになるのは致し方ない。

 自分の中で幾千も重ねた熟考の末に到達した行動方針が、他者から見ればどれほど短絡的で、無謀で、無茶苦茶で、馬鹿なことなのか、今ひとつ気づいていないのもその諦め故だ。

 
「夜明けまでには、会わせてやるから楽しみにしていろ」


 それだけ告げると、モーリスを残してケイスは明けが近くなった空を一度見上げてから、館の真正面へと通じる坂に向かって駈けだしていった。



[22387] 未登録探索者の剣技
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:07
 夜明け前の闇に紛れながら身を低くして進んだケイスは、領主館の門から30ケーラほど離れた坂道の下に出来た茂みに音も無く潜り込む。

 ここから先は、館へと続く坂道の両脇に篝火が焚かれており、門前の警備兵達に悟られずに接近するのはさすがに不可能だ。


「魔具を用いた魔術的な明かりでは無く、わざわざ篝火を焚いているのは、魔力探知術への妨げを嫌ったからであろうな」


(館の周りに魔力空白地帯を作って、魔術による侵入、もしくは脱出する者を探知するためか。どうする娘?)


「魔具の中に身隠しが使える魔具があった。使えば探知されるならば、逆に利用する」


 ミモザから強奪、もとい借り受けてきたウォーギン特製の魔具の中には、周囲の風景にとけ込み一時的に姿を隠せる外套が入っていた。

 身隠しの魔術は便利ではあるが必要魔力が多くその魔力波形も独特。魔力探知術を使われれば使用がすぐにばれてしまううえに、停止状態ならば問題はないが、移動の際にはどうしても景色を歪めてしまい逆に目立ってしまう欠点がある。

 狩りの際、獣の待ち伏せに用いたり、暗がりや夜など、状況、時間が限定される魔術、魔具だ。

 だが魔術を使えないケイスには探知不能。しかもウォーギンは既存魔具に改良を加え、その魔術効果を拡大強化し、使用者本人のみならず、使用者が放った投擲ナイフや矢にも、十数秒だけだが一時的に身隠し効果を持たせている。

 使用者本人は動かず姿を隠したまま、見えない攻撃を可能とする意図があったようだ。
 
 ケイスが纏うには些か大きすぎる外套を羽織るのではなく、木の枝に引っかけその中に潜り込むことで、ケイス自身が投擲物と同様に効果を得られる状態へと準備する。


「囮としてここにマントを残して、効果時間内に最短距離、最短行動で一気に接近、侵入でいく」


 魔術探知によって気づかれるのは避けられない。ならば効果を得たケイスよりもさらに大きな外套本体の魔力反応で警備兵の目を引きつける。

 やり直しの利かない一発勝負を選択するのは、ケイスが持つ最大の弱点があるからだ。

 魔力を持たない。魔術を捨てたケイスにとって、どれだけ初等な術であろうとも魔術は天敵。
 
 見習い魔術師が詠唱した拙い捕縛魔術であろうとも、ケイスは生身では打ち消すことが出来ず、込められた魔力が自然と切れるまで最大効果が発揮されてしまう。

 周囲の魔力を吸い取り魔術を無効化する爆裂投擲ナイフなどを対策装備として用いているが、そちらは始まりの宮、そしてこの一月の間に使い切ってしまい、今は手持ちには無い。

 ミモザが持っていた補給物資の中にあったウォーギンの魔具を漁ったのも、それら対魔術用装備が入っていないかと期待してのことだったが、その期待は空振りに終わった。

 だが代わりに、新作や改良された魔具が有ったのだから、運が良かったと思えば良い。

 息を整え魔具の発動準備を終えたケイスは、懐から華美な装飾が施された短剣を取り出す。

 それは今日手に入れたばかりの迷宮の秘宝。神の印が施された神印宝物の飾り短剣。

 美術品としての出来の良さから神に見出された短剣はとても実戦向きでは無く、ケイスの好みでは無い。ケイスが取りだしたのは武器として使う為ではない。

 一発勝負を仕掛けるからこそ全力をだす。それは探索者ケイスとしての全力だ。

 左手に構えたナイフの刀身に刻まれた芸術神に属する下級神印へと、右手の真っ赤に染まった指輪をあてがいながら言葉を紡ぐ。


「神印……解放」


 唱え終わると共に神印が一瞬強く輝き、次いで短剣そのものが光の粒子となり、指輪を通じケイスの体内にその光が、力の塊が取り込まれる。

 それは水路を水が流れるように。

 それは風を受け回る風車のように。

 それは炉の中に火種が放り込まれたように。

 迷宮で振るわれるべき超常の力。天恵は迷宮外では制限され、探索者達の力は大きく劣ることになる。

 迷宮外、人の世界に、迷宮内で得た天恵の力を全て発揮する為の奇跡であり、探索者の切り札。

 それこそが【神印解放】

  
「行くぞおじいさま! ノエラ殿!」


 身体に全力が宿ったと意識すると共に、身隠しの魔具を起動させ、術式が発動すると即座に外套から飛びだし走り出す。

 神印開放は探索者の切り札であり、同時に敵対者達にとっては最悪の一手。

 それに対する警戒を用意していない訳がない。主立った街や砦などには神印解放反応を感知する魔具が常設されている。

 ここファードン男爵館にも、もちろん神印解放を感知する準備がされており、門の脇にあった鐘が誰が触れたわけでも無いのに、がなり立て始めた。

 夜明け前。残の月が淡く照らし出す空気の中、騒がしいほどにがなり立てる鐘の音が響く中、門前の兵は素早く槍を構え、簡易詠唱を唱える。

 槍の柄には小振りの宝玉が埋め込まれており、サナと同じく槍であり杖としても用いているようだ。
 
 右側にいた兵士の足元に魔法陣が広がり魔力探知を行い、同時に左の兵士が、呼び子を吹き鳴らす。

 館全体に異常を知らせる笛の音が甲高く響き渡る。

 いきなりの神印解放反応に対してもみせる的確な役割分担と行動。彼らがそれなりに精鋭だという証だろう。

 それは地方の田舎男爵に雇われた兵士ではなく、人形姫とやらの手勢。王都の近衛に属する者達かもしれない。

 普通の侵入者や脱出者ならば手堅い最初の一手。だが相手が悪かった。

 呼び子の音が消えるよりも早く、門前の兵達の間を一陣の風が通り抜けた。


「邑源一刀流刃車!」


 姿を消したまま30ケーラの坂道を数歩で詰めたケイスは、門前で軽く飛び上がり空中前転をしながら、両手で持った羽の剣へと闘気を送り込む。

 通常は鳥の羽の一枚分ほどしか無い軽量で、折り曲げれてしまうほどに柔らかい羽の剣。だがケイスが闘気を込めることで、自在に形を変えながら無限に硬度と重量を増していく。  

 領内で取れる木の中からも厳選された硬い木材を用い、所々を金属で補強した城門正面大扉。さらには内側には鉄の閂。

 両者共に硬化魔術でさらに強化されており、攻城戦で用いられる破城槌にもしばらくは耐えるであろう標準的な備え。

 だがそれがどうした。剣を持ったケイスには関係ない。

 脅威的なまでに重量と硬度を増した羽の剣を全力で用いた剣の天才が放つ一撃の前では、どれだけ頑丈強固な扉であろうとも薄紙と変わらない。

 縦真一文字に振り下ろした剣は轟音と共に扉に食い込むだけでは飽き足らず、一気呵成に突き破り、裏側の閂さえもその一振りで両断してのける。

 門扉そのものは何とか原形を留める程度には耐えてみせるが、その門を支える蝶番と門柱まではそうはいかない。

 木材が砕け割ける破壊音と共に門扉をつなぎ止めていた門柱が真っ二つに折れ割けて、内側に向かって門自体が崩れ落ちる。

 崩れ落ちた木片の中から適度な大きさの物を一瞬で判別。羽の剣から左手を離し、腰のベルトからワイヤー付きの投擲ナイフを引き抜き、そのまま左手を振って放つ。

 狙いは今判別したばかりの木片。それはケイスが乗っても問題無いほどの大きさがあった門扉の欠片の一部。

 投擲したナイフもまたウォーギンが作った新作の軽量化魔術添付ナイフ。発動している魔術効果を一時的に改変して、軽量化の魔術を発動させるという物。

 破壊したばかりの門扉にはまだ硬化魔術の効果が残っている。

 門扉の破片に撃ち込まれた投擲ナイフが、硬化魔術を改変。破片の持つ重量を無効化し浮遊とまではいかないが、最大限まで打ち消し軽量化させる。

 ワイヤーを固定。さらにケイス自身が身につけた軽量化マントも発動させつつ、目の前に落ちてきた破片を再度振りあげた剣で強く跳ね上げながら、地面を強く蹴る。

 月に届けと言わんばかりに打ち上げられた破片。そしてそこに突き刺さったままの投擲ナイフとワイヤーで繋がれたケイスの身体も自身の跳躍と合わせて天高く舞い上がる。


「ノエラ殿。熱探知! この一撃で決める。詳細に頼むぞ!」


 ワイヤーを巻き取り打ち上げた破片へと近づいたケイスは、それを臨時の足場とし、大地を見上げ、天を見下ろす逆さまとなりながら、天地が逆転して直上に見えてきた領主館へと狙いを定める。


(相変わらず無茶をする! 委細承知だ任せろ嬢!)


 吠えるノエラレイドの声と共に、ケイスの額で赤く赤龍鱗が輝きだし、次いで身隠しの魔術の効果がきれた。

 煌々と輝く赤龍鱗の明かりが、天に新たに禍々しい凶星が生まれたかのように空中に現れた。

 神印解放反応から僅かの時間で発生した門破壊と、次いで突如として現れた天に輝く妖光の月。

 突然の天変地異に何が起きたのか判っていないまま、右往左往させられていた地上の兵士達、そして轟音に気づきテラスに出た義足の老人、窓際に寄った貴人の年若い女性が一斉に天を見上げた。

 彼らから見れば、それは巨大な巨人が門を蹴り壊し、遥か高みから赤く光る目で小さな人間達を見下ろしているかのように映るのだろうか。

 老人が『レ、レッドキュクロープス!?』と驚愕する唇の形さえも、その解放された感覚でケイスは把握する。

 事前にモーリスに聞いていたファードン男爵の年齢、容姿に間違いは無い。なにより義足であることがその証左だ。

 さらに館の地下。隠された部屋に捕らわれたケイスが助けるべき小柄な少女の位置と、ファードン男爵が斜めの直線でほぼ重なる。

 兵士が巡回した屋敷に忍び込み、巧妙に隠された隠し部屋へいく方法などをわざわざ探す気などケイスには毛頭ない。

 ケイスは剣士だ。剣でいつでも切り抜け、道を作るだけ。

 その行く手を塞ぐのであれば、門であろうが屋敷であろうが斬り開くまで。

 破片と繋がっていたワイヤーを切断すると同時に、逆さに着地していた仮初めの大地を強く蹴り、天にある地上に向かってケイスは飛び上がる。

 屋敷は周囲や内部を仕切る壁は石や煉瓦製だが、天井やその内部の床は木製の板張りと熱探知で判別してある。

 この位置、高い天空からなら、助けるべき少女への道を阻むのは、斬らなければならない物は木材とファードン男爵のみ。

 ならこの天空こそがケイスの最短距離。

 剣の天才であるケイスの導き出した最適解。

 他者から見れば不可能な道であろうが、ケイスにとってもっともらしい道だ。


「邑源一刀流……」


 轟々となる風の音を聞きながら、左手で逆手に構えた羽の剣の切っ先で真っ直ぐファードン男爵を捉え、右の掌を軽く柄に押し当てる。

 天から降り落ちる1つの流星となったケイスが放つ殺気に身でも竦んだのかファードン男爵は、その顔に明らかな恐怖の色を浮かべながらも、逃げることさえ出来ていない。

 このまま男爵を突き殺し、そのまま屋敷を貫き壊して地下まで到達すれば良い。あとは混乱に紛れてモーリスの娘のニーナを連れて脱出するだけ。

 ケイスは油断したわけではない。ただ斬るべき物にだけ、強く強く意識を向けていた。

 だから直前まで気づかなかった。別の存在に。

 視界の隅からいきなり出現した半透明な鎖がテラスへと飛び、ケイスが手に掛けようとした直前にファードン男爵の全身に巻き付く。

 そのままケイスの目前から、男爵をテラスの外に引き摺り落として奪い取ってしまう。

 一瞬だけ視線を向けた鎖の先には揺らめく古い鎧姿の鎧姿の幽鬼が1つ。その背後にはこの距離からも一目で仕立ての良さが判る上等で細かい装飾が施された白いドレスを纏い、高貴な雰囲気があるが、どこか儚げで生気の少ない色白な年若い女性が、小さな人形を抱えて立っていた。

 あれが人形姫か!

 目の前で獲物をかっさらわれた怒りに一瞬、我を忘れそうになるが、もう一つの斬るべき物を忘れたわけではない。

 今ならばケイスの技量を持ってすればまだ間に合う。着地と同時に方向転換をし、男爵を斬れる。

 だがそれでは屋敷を斬れず、ニーナを助けることが出来ない。

 ならば……今この場でこの体勢から、離れた2つの目標を斬る新技を作れば良い。

 床に到達するまで砂時計の砂粒が1つ落ちるほどの時間さえ残っていない状況。

 だが時間が僅かでもあるならばケイスには問題無い。

 ケイスがもつ最大にしてもっとも異端な力。それこそが思考力。

 常人を遙かに凌ぎ、足元にも及ばせない圧倒的な思考の速さと、自らの精神を分割し切り分けることで同時に複合的な思考を成し遂げる。

 魔力を生み出せた幼き時には、人の身でありながら複雑怪奇な龍魔術さえも会得してのけたその思考は、この土壇場での最適解を生み出す。


(お爺様! 最大荷重!)


 柄頭から放した右手でナイフを掴み鎖で引き摺られて離れていく男爵ののど元に目がけて身を捻り投擲、同時に柄頭を打てず放てない逆手双刺突の威力を代用するために、脳裏で叫び羽の剣をさらに加重させながら剣の形を変更し、先ほどナイフを投擲したひねりを用い、床板を抉り斬るための剣技とする。


「がっぎゃ!?」


 U字型に曲がった羽の剣が床を抉り剥がし、その穴に飛び込んだケイスの背後で、年老いた老人の悲鳴と共に、何かがぼとりと落ちる音が響いた。



[22387] 未登録探索者と神印解放
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:08
 2階の床を削りきり床下に潜ったケイスだったが、無理な体勢で振った剣は次が続かない。

 突入の際に柱は避けていたので、とっさに全身に闘気を回し肉体を硬化させ、1階の天井を己の体でぶち破る。

 だが脆い天井材はまだ良いが、床板に直撃となれば大きなダメージは免れない。

 羽の剣を下へと突き出し、何かに接触した瞬間に、剣を軟化させつつ形状をバネのように変化させて、墜落の衝撃を何とか打ち消し、轟音を立てながらもやけに柔らかい床へと何とか着地する。

 木くずや天井裏に溜まっていた埃や、剣を突き立てた先にあった布袋が破け、真っ白な粉が、着地の衝撃で盛大に撒き散らかされ、周囲が一瞬で煙たくなる。

 どうやら1階は倉庫になっていたようで、製粉された小麦粉袋の上に運良く着地できたようだ。

 
「けほっ! へっく! けむっぽい!」


 小麦粉や埃で全身を一瞬で真っ白に染めたケイスは咳き込みながらも、身体の各部の状態を素早くチェックする。

 無理な着地で手足に一時的な痺れはあるが、この程度なら戦闘の支障とはならない。

 墜落といっていい着地の衝撃を一身で受けた羽の剣の方も、元々呆れるほどに頑丈なので、この程度では欠けるどころか、ヒビ1つさえ無いので問題はなし。

 とりあえず戦闘継続に問題が無い事を確認したケイスは、周囲を一瞬で見渡しながら熱探知を行い、周辺探査と索敵を開始する。

 明かりの落とされた食料倉庫は、小麦の袋以外にも、大きな樽がいくつも置かれており、その樽からは日持ちがする乾物や、酒や酒に漬けて保存された果物の匂いがしてくる。

 ただ奇妙なのは積まれた樽の中の一部が二重底になっていて、それこそ人を入れられるくらいの隙間が空いていることだ。

 それらは埃が被って奥の方に積まれており、埃の積もり具合からここ数年ほど動かされた形跡はない。


(嬢。目当ての娘はこの真下だ)


「男爵は奴隷狩りをしていた噂があったそうだが、樽や地下室はその時の名残か。近年まで行っていたようだな」


 モーリスから聞いた噂を思い出し、倉庫直下に隠し地下室がある事に得心がいく。貴族であるという特権階級を利用して、闇奴隷市場へと人を出荷していたのだろうか。


「むぅ。やはり投擲では確実な手応えが無いから物足りぬ」 


 先ほど男爵に向けて投擲したナイフが確実に命を絶てたか、今のケイスには確信が持てない。

 あの距離と位置なら当てることは出来ただろうが、突如現れた幽鬼とその幽鬼が産み出した半透明の鎖が気に掛かる。

 鎖は男爵を縛りあげ逃がしていたことから実体を持っていた。

 幽体化と実体化を切り替えられるのは高位レイスの証。その反応速度はケイスに勝り、鎖を呼び出され攻撃を防がれた可能性は高い。

 そしてあのレイスを使役していた人形姫とやらはおそらく死霊術師。

 死霊術師は死者の魂を使役する為に、世間一般では穢れを扱う者として忌み嫌われるが、その存在は稀少かつ、強い力を持つ者が多い。

 王族の中に死霊術師の血を引く者がいれば。国にとって稀少な戦力となるが、同時に人心に多大な影響を与える。

 人形姫の一族とやらが王族でありながら日陰者として隠されてきたのは、その辺りが理由だろうか。

 男爵を庇ったにしてはやけに乱雑に扱った人形姫の目的など気になる事はいくつもあるが、今は考えていても埒があかない。
 
 ケイスは真下へと視線を向ける。この床下には倉庫よりは狭いがそれなりの広さの隠し地下室があつらえてある。商品の奴隷達を一時的に収容しておく場所だったのだろう。

 そして今そこには、自分の頭のうえで何か轟音が響き怯えているのか、部屋の隅に寄っている少女がいる。

 まずは助ける。考えるのはそれからだ。

 屋敷のあちらこちらにいた警備兵達は、未だ動揺しているのか動きがバラバラ。

 しかし、幾人かの者は、直上の男爵が軟禁されていた部屋に集まってきており、また1階からここの倉庫に向かってくる者達もいる。

 囲まれる前にとっとと退避が正解だ。

 おそらくはこの倉庫のどこかに隠し階段でもあるのだろうが、そんな物を探している余裕は無い。

 羽の剣を再度、重化、硬化させて無造作に足元へと斬りつけ、床の一部を一気に切り抜き落とす。

 床材と柱の一部があっさりと切断されぽっかりと穴が空くと、


「ぎゃっ!? なに今度なに!?」

 
 監禁されていた割には思ったより元気な少女の慌てふためく声が、階下から聞こえてくる。
 
 自分が開けた穴の中にケイスが飛び込んで下に降りると、燭台の明かりが微かに光る牢獄の片隅でパニックに陥っている少女が叫んでいた。

 ケイスより少し年下の少女の足には壁から伸びた足かせが嵌められており、一定範囲以上は動けないように拘束されている。

 少女はいきなり降りてきた真っ白なケイスの姿に驚いて慌てふためいている。

 肩口までの赤茶色の髪に、茶色の目。モーリスから聞いていた容姿通りだ。彼女がニーナで間違いは無いようだ。


「お、おばけ!? 美味しくないあたし美味しくないから! やせっぽちっだし! い、いまこ、恐くて漏らしちゃったから匂いす!」


「安心しろ。人の形をしていて言葉を喋るものは食べちゃダメだと言われている。しばらく寝ていろ」


 どこか見当違いの答えを返しながら近づいたケイスは、とりあえず五月蠅いので黙らせるため額を軽く弾いてニーナを気絶させる。     

 どうせ説明している時間も無いのだ。このまま攫った方が早い。

 剣を振ってその足を拘束していた鎖を断ち切り、ぐったりとしたニーナを肩に担ぐ。

 脱出しようとしたその時倉庫の扉を乱暴に蹴り開ける音共に数人の足音が、上から聞こえて来た。

 腰のベルトから非殺傷製の閃光ナイフを引き抜き、倉庫の天井に向けて投げつけながら、地下室の床を強く蹴る。


「そ、倉庫に穴が空いているぞ! やっぱり隠し部屋があっ!?」


 ニーナを抱えたケイスが飛び出すと共に、発光ナイフが弾け倉庫内に眩い光球が発生して白く染め上げ、そのあまりの光量に目を焼かれたのかなだれ込んできた兵士達が悲鳴をあげた。

 一方でケイスは、額の赤龍鱗が伝える熱感知を使い目をつぶったまま倉庫へと降り立ち、そのままもう一度床を蹴って、今兵士達がなだれ込んできた扉から倉庫の外へと飛び出す。

 そのまま無人の廊下を走り手近な部屋に飛び込み、部屋の中を一気に駆け抜け窓枠を突き破りながら外へと飛び出る。

 窓から躍り出ると侵入してきた正門からは、逆の裏庭側へと出る。先ほどの騒ぎで兵士の注意は正門側に向いているので、こちらに人影はない。

 一応警戒しつつも裏側に作られた狭い畑や果樹園を抜けて、館を囲む塀に駆け寄り、近くの物見櫓を足場に飛び上がって一気に塀を跳び越えて、外部へと脱出する。

 塀の向こう側へと着地するとほぼ同時に、ケイスの身体に流れていた力が急速に弱まり、高揚感が収まっていき、迷宮外で発揮できる通常時まで力が落ち込む。

 神印解放の効力が消えて、通常状態に戻っただけなのだが、どうにも喪失感を感じてしまうのは仕方ないだろう。

 
「ふぅっ……最下級神の神印では1分ほどか。結構ギリギリだったな」


 ケイスは息を吐きニーナを抱え直すと、未だ騒ぎが聞こえてくる領主館から足早に離れる。

 男爵を斬り殺せたかは気になるが、まずはニーナを送り届ける事が最優先だ。


「お爺様。ノエラ殿。あの人形姫やその配下の兵達と、今の装備でやりあうには心許ない。とりあえず一時退避だ。モーリスの怪我の具合も気になる。ルディ達と合流する」


 僅か1分弱で圧倒的な破壊の爪痕を残した小さな美少女風化け物は、後で様子を見に来れば良いと気軽に考えながら明け方に残る闇の中へと姿を消していった。



[22387] 未登録探索者と凱旋帰還
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:08
 城塞都市であるロウガは、大河コウリュウ東岸の旧市街と西岸の新市街に別れ、その周囲にモンスターの侵入を拒む長い防壁を張り巡らしている。

 なだらかで低い丘陵部に作られた旧市街は、西岸の開発に伴い元々土地が手狭なこともあって、新しく防壁を築き市街の拡張がされることはなく、防壁の外では、ロウガ名産である茶の畑が青々とした木々を広げる、古き町並みを保っている。

 一方で西岸の新市街は、元々ここにあった東方王国時代の大都市狼牙の中心地であり、北部は迷宮への入り口が存在する山脈が蓋をしているが、南にはその名の由来となった牙状半島が突きだして良港となるロウガ湾を抱え込み、そのさらに先の南、そして西には広い平野が広がっていた。

 人口増加に伴い、防壁は拡張新造され、それらが幾重にも連なり層となって、40以上にもなる街区を形成している。

 もっとも古い防壁。一の壁の内側には、各官庁や大英雄達の像を飾った噴水広場、管理協会ロウガ支部を初めとした各種公共機関や、大陸各国の大使館、大店のロウガ支店等が建ち並ぶ。

 一の壁の北側、迷宮の入り口がある山脈側には、鉄壁の防御を誇る要塞でもある、王城ロウガ城が築かれ迷宮モンスターへの睨みを利かせている。

 逆に南側の端は、保護区域として開発が制限されているロウガ半島の付け根となり、その根元、内海側周辺には国際貿易港であるロウガ港が別大陸からの貿易船を受け入れ、積み降ろされる荷物で溢れた広大な倉庫街が広がる。

 一の壁の外側、二の壁内は新市街地が作られた際に形成された最初の一般区画となる。

 ”将来的に増えるであろう需要を十分に補うだけの容量を計画して”作られ、ロウガ新市街街区の中では現状ではもっとも広い地域となっており、東岸の旧市街地に続いて古い住宅街や商店街、工房街、宿泊街といった基本的な都市機能を全て兼ね備えた複合街区となり、ロウガの中心街といえばここの事を指す。

 二の壁以降は、初期計画で”予想以上”に急速に増大を続けていく需要に合わせて、その度ごとに小刻みに増築されていった小振りの街区だ。

 一般的な住宅街や商業区画以外にも、その時々の要望に合わせて街の作りも工夫されており、工房からの音を遮断する防音障壁で出来た壁で囲まれた第7街区『鋼工街』

 上下水道浄水施設を完備した第18街区『トルン薬師街』

 定住者のみならず来訪者が使用する騎乗生物を飼育管理する為に広大な空き地を用意した第9街区『カンテ厩舎区』

 関係者以外の出入りに年齢制限を設け、門を通るのにパスを必要とする色町第12街区『燭華』など、それぞれが専門色を醸し出す街区がロウガには存在する。

 それぞれの街区には例外なく、今現在もっとも外側にある城壁の各所に設けられた大門と、一の壁の内側、新市街の基点たる中央噴水広場を繋げる大路が設けられ、初めてロウガを訪れた者も多少遠回りをしても迷うこと無く、目当ての街区へと到達できるようにと配慮がなされていた。

 その大路の内が1つ。南西部大門へと繋がるコンラート大路では、物見高い群衆達が群れをなして、帰還した探索者達の凱旋見物と洒落込んでいた。

 ロウガは迷宮隣接都市。近隣の迷宮は北側の大路から繋がる北部山脈に入り口があるので、凱旋はもっぱら北側からだが、今日の一団はロウガから国をいくつか超えた南西にあるカルデラ迷宮群へと出向いていた一行。

 何時もとは違う方向から来る物珍しさという事もあるのだろうが、何より大衆を引きつけたのは、その一団が最近何かとロウガで話題となっている今期のルーキー達であるからだ。

 初の迷宮攻略に対して全員が協力し合い、誰1人欠けること無く始まりの宮を踏破しきった若き英雄達。

 吟遊詩人達が紡ぐ新たな英雄達を賞賛する英雄譚はロウガのみならず、トランド大陸の外も持てはやされており、生粋のロウガっ子達にとっては、俺達の街の誇りと好意的な目を向ける者達も多い。

 
「すげーな! 今年の新人達は! 南西門の貸し馬車屋の馬車が全て出払ったって話だぞ!」


「初級迷宮で取れる素材つっても、あんだけ稼いでこれるならたいしたもんだ」


「稀少獣リズラ狼の毛皮に、あっちはルミナス水晶か、小振りだが良い透明度だ。こりゃしばらく相場が荒れるぞ」


 門近くの貸し馬車屋で借り受けた荷駄馬車に、今回の遠征での成果を山積みにした新人達は、それも数十も連ねて街の大通りを進んでいく。

 この光景を見て、群衆が盛り上がらないわけが無い。思い思いの歓声を飛ばし、初級迷宮産とはいえ稀少な迷宮アイテムの数々に、早くもそれらの物資が市場に流れたときの相場を想像する商人達。

 この凱旋隊列は遠征団を組んだ探索者達に協会が推奨している恒例行事だ。

 探索者達は始まりの宮を踏破時に内部拡張の神術が掛かったバックを天恵アイテムとして授かるので、その身1つで大量の荷物を運べるが、荷駄馬車を借りて自分達の成果を誇るようにと。

 その狙いの1つは探索者達のイメージアップと戦力の誇示。

 凶暴凶悪きわまる迷宮モンスター達がいつ迷宮隣接都市を襲うかは誰にも判らない。そのような凶事に対抗するだけの力を有していると宣伝するため。

 そしてもう一つが商取引推進の為の宣伝。

 管理協会にとって一番大きな収入源は、探索者達が持ち帰った迷宮素材を買い取り、協会の承認印を付けて加工や、転売する事による転売差額やその手数料。

 迷宮素材は、強力な魔力を有す物も多い。

 下手に闇で売られたり、弄られれば大魔力災害を引き起こす恐れもある。

 それら事件、事故を防ぐため、流通量や流通先を公的な販路下で管理する為の機関。それもまたミノトス探索者管理協会の仕事の1つだ。

 これこれこのような素材を手に入れたおおっぴらに宣伝させることで、探索者による闇流しを防ぐという意味合いも含むのだろう。

 もっとも大半の探索者達はそんな事は気にせず、自分達の成果を誇れる機会を大いに楽しみ、わざとゆっくりと歩き、歓声に胸を張る物だ。

 しかし大歓声を送られるルーキー達は少し違った。むしろこんなお披露目はどうでも良いから、早く協会に着いてくれと言わんばかりに、心なしか早足となっている。 

 凱旋する彼らの誰もが少し緊張した顔色で、時折列の中央へと目線をちらちらと向ける。

 その目線の先には、貸し馬車では無く、管理協会の印が施された大型馬車がガタゴトとゆっくりと進み、その荷台には覆いを被され中身が隠された檻が鎮座している。

 ルーキー達が向ける目線に目ざとい群衆の幾人かが気づき、注目がそちらへと集まる。

 わざわざ覆いを隠して運ぶ檻の中身はなんなのか。

 見ればその大型馬車の横には、ロウガ王女とその恋人だと最近噂されている若きサムライのパーティや、ルーキー達のまとめ役だという長躯痩身で燃えるような赤毛の女魔術師の姿もある。

 周囲にも屈強な獣人や、雰囲気のある戦士達が幾人もその大型馬車を囲み警戒態勢を敷いていた。

 よほど警戒する何かがその中にいるようだ。

 
「ありゃ今度のオークションの目玉になりそうだ。ひょっとしたら迷宮主でも生け捕りしてきたのか?」 


「騎乗用モンスターでも、護衛用モンスターでも、それこそ研究素材としても生きた迷宮主となれば桁が違うな! いやほんとすごいな今年の新人達は!」     


 あれほどの警戒をするなら中身はそれに見合うのだろうと早合点した自称事情通がしたり顔で頷き、それを聞いた声の大きな者が声高に喧伝する。

 その噂がさらなる歓声と、根も葉もない尾ひれを付けて、瞬く間に群衆の間に広がっていく。

 あの檻の中は目を合わせただけで石化する大蛇モンスターだの、いや見ただけで精神が壊れる薄気味悪い不定形モンスターだの、悪臭を放つ不浄なアンデッドモンスターだから覆いで遮断しているだの、勝手気ままに憶測を語る始末だ。


「うわぁっ……知らないって恐ろしいね」


 そんな群衆の囁き声をきっちり聞き分けながら、大型馬車の横を進む獣人ウィーは、茶色く染めた毛が生える虎耳をぴくりと動かす。

 人間?のくせに闘気強化でウィーに匹敵する身体能力を発揮するので、この群衆の声も聞こえているだろうが、中身の御仁は静かだ。

 ただし静かだからと言って、それで安心が出来る様な性格をしていないのも、そろそろ半年以上の付き合いになるので骨身に染みている。

 なんせ気にくわなければ、その瞬間には、王族だろうが、貴族だろうが、英雄だろうが、神獣だろうが剣でぶった切ろうとするいかれ具合だ。

 魔術加工が施され、純粋な力では壊せないウォーギン謹製の専用檻のはずだが、中身は自他共に認める剣の天才。

 どうにかして這いだして来てもおかしくない。

 実際、『檻の隙間が大きすぎる。その気になれば、引っかかりそうな手足を、一度切れば外に出れるぞ』と、檻の中に自分から入った時に忠告してきたくらいだ。

 斬った後どうする気なのかと問えば、上手く斬れば、すぐに切断面同士をくっつけて、包帯で縛っていれば自然とくっつくだろうと平然と述べる。街の皆が噂する迷宮主モンスター以上の化け物だ。

 大人しくしているのは、気まぐれというか、本人の思念故だが、それもこの本人が激怒しそうな不快な根も葉もない無責任な噂を聞いていつまで持つか。

 ウィーの懸念は、ウィーのみならず、今回の遠征に参加したルーキー達全員が共通して抱く悩みだ。

 とりあえずとっととロウガ支部に届けて、その帰還を首を長くして待っているロウガ支部上層部やら、レイソン夫妻に引き合わせなければ。

 カルデラ迷宮群への大遠征。そしてお披露目となる凱旋行進。

 それに付随した様々な理由はすべて表向きの理由。

 真の目的は1つ。この馬車に捕らえたというか、自分から合流と共に檻に入った存在を秘密裏にロウガに戻すため。
  
 ロウガの始まりの宮のルーキー全員生還踏破の真の立役者にして、この時点でロウガ最大最悪の問題児として既に一部で認識されつつあった馬鹿娘ことケイス。

 【赤のケイス】のロウガ帰還をもってして、今期のロウガの始まりの宮は真の終わりを迎えた。 



[22387] 未登録探索者と捕縛理由
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:09
 ケイスの捕縛……もとい帰還。

 この報に管理協会ロウガ支部の上層部はようやく胸をなで下ろしたが、その後の続報に再度対応に頭を悩まされることになっていた。

 隠匿魔術による防諜処理がこれでもかとされた奥まった会議室へ、各部門の責任者と支部長が集まった今後のロウガ支部を左右しかねない重大な秘密会議は未だ結論は出ていない。

 今回の一連の出来事を隠匿するのは最低限の前提条件だが、あまりにも功罪が多すぎ今後どう扱うかでの議論が紛糾し、ルーキー達がケイスを連れて帰還したことで、結論の先延ばしも出来なくなっていた。


「一月。この短期間で赤の初級迷宮ばかりとはいえ五十以上を完全踏破。さらには下級探索者へと昇格した上、長年未踏破だった下級の魔禁沼さえ完全踏破……判断を下すには時期尚早かも知れないが、これは上級探索者となるやもしれん」


 報告書に書かれた内容は、長年管理協会の運営に関わっていた幹部達にとっても信じられない物ばかりが並ぶ。

 始まりの宮直後、単独、踏破数。どれも前代未聞の記録。さらに初級探索者は、半年後に下級探索者となるという、彼らの常識さえ凌駕してみせる。

 自分達の支部出身者から最上位探索者である上級探索者の誕生は、何よりの功績であり慶事だが、幹部の1人が呻き声と共に漏らした未来予測はおそれさえ含んだものだ。

 功績だけ見れば多少の問題行動は不問にしてもいいほどの成果を上げている。だがその罪。問題行動も群を抜いて高すぎる。  


「フォールセン殿の剣を継ぐ最後の弟子という名は伊達ではなかったか。だが数々の問題行動に異常性。どう考えてもコントロールできる輩ではないぞ」


「しかし放逐などすれば、この化け物が勝手気ままに彷徨うことになります。それこそ手の終えない事態になりかねません。他国の貴族にまで手をかけた疑いもあるとなれば、このままというわけにもいきません」


「その男爵とやらは、突風による建物崩壊とそれに付随して起きた火事に巻き込まれて死亡したとクレファルドから広報が出ているが、今の所、水面下での接触も無しか?」


「ルーキー達の遠征関連補佐であちらに向かった者達にそれとなく探らせているが、あまり突っ込むとやぶ蛇にならんか」


 クレファルド王国のファードン男爵が死亡したという報が出されたのは確認されているが、それはあくまでも不幸な事故として、クレファルドでは処理されている。

 ケイスの存在に気づかなかったのか、それとも男爵とやらが色々と企てていたという話もあり、クレファルド側も都合が悪いからと事故として処理したのか。

 真相は未だ闇の中。だが下手に探ればロウガとの関連が疑われる。

 男爵襲撃はケイスの独断行動だが、ロウガのルーキー達を巻き込んだ陰謀劇の芽を摘むために、ロウガ支部が暗殺者を送り込んだと思われてもおかしくはない。


「……実力は惜しいが、いっそ怪我の悪化という事で強制的に退場させますか。他のルーキー達の評判にまで影響が出る前に」


「まて! 小娘の後見人は双剣殿だ! それ以前に貴殿はこの娘の報告書を読んでいないのか。万が一仕損じれば、支部に真正面から喧嘩を売って我等の命を狙う可能性が高い! それこそ前代未聞の不祥事となる!」


「ロウガ地下水道精通。地下潜伏大規模討伐隊発見困難。下策」


 結論を急ぐあまり、言葉は濁しつつも物理的に排除をという過激的な意見が出るが、すぐにそれは別方向からの意見で打ち消される。

 さすがにケイスの詳細報告書を出された後となっては、たかが初級探索者。しかも相手は小娘1人と侮る者はいない。   


「それにおしい。この娘が関わったことで得た利益を考えろ。初の全員踏破でロウガの名声は高まり、我がロウガでの来期の始まりの宮挑戦希望者の増加傾向が既に出ている。そして今回のルーキー達の遠征成果だ。この物資量は馬鹿に出来ない」


 所属探索者の数=支部の力。彼らが持ち帰った迷宮資材が多ければ多いほど、地域経済は周り、国は発展する。ましてやロウガは上に立つ王家は名目上の君主であり、その国営の実体を握るのは、彼ら管理協会支部幹部達と主立ったギルド長が評議員となったロウガ評議会。

 自分達の利益に直結するのだ、彼らがケイスへの扱いに慎重になるのは当然だ。

 毒を含んでいると判っていても、あまりに美味しい匂いを漂わせる逸材は無碍に斬り捨てるにはおしすぎる実力と未来性を持っている。

 結局はこれに尽きる。ケイスの危険性を理解しながらも、どうにか利用できないかという思いが誰にもあるのだ。

 そしてケイスを利用する為に必要な一手は、最新の報告書の中でケイスが大人しく檻に入ってロウガへ搬送された理由として記載されていた。

 しかし誰もがその手に気づいてはいたが、自らは決定的なひと言を口にしない。

 口にすれば後にケイスが隠しきれない問題を起こした際に、責任を負わされるのは明白だからだ。如何に自分の責任を減らして、利益を得るか。

 己の利を考える幹部達の牽制が続く中、今まで会議の進行役にだけ徹していた支部長が時計を気にする。

 そろそろルーキー達が確保したケイスを連れて戻る時間。これ以上無駄な会議という名の責任の押し付け合いをしている時間は無い。


「レイソン夫妻をロウガの要職へと昇格させましょう。特にガンズさんは今までの実績と、今回の功績があれば反対する者はいないでしょう。来期以降も見越して、技術指導部門の一部を分離。ロウガの挑戦希望者及び若手全般への指導を専門に担ってもらう若手教育部門を創設。彼をトップに据えようと思います。幸いにもケイス嬢は彼の夫妻を慕っている様子です。上手く指導してくれることでしょう……賛成の方は挙手をお願いします」


 ロウガの各派閥とは一定以上の距離を置き中立を保ち続け、調整役として期待され、実際にそれを担っている管理協会本部出向組の支部長は、全員で責任を分け合いそれぞれの負担を薄め、さらには恰好のスケープゴートを用意するという折衷案を提案した。










 他者の目を気にして倉庫へと馬車のまま運び入れられた荷台の檻はようやく覆いが外され、その中ではケイスは、楽しげな顔で剣を握っていた。

 機嫌がすこぶる良いのは斬る事が困難な対象が目の前にあるという喜び故だ。

 物理的な力では破壊不能といわれた檻を斬って出ようとし見事に失敗したが、困難であれば困難であるほどケイスにとっても斬り甲斐があるという物だ。


「剣がすり抜けるか。すごいなウォーギン! どうやった!」
 

 檻を構成する格子は一見は普通の金属なのに、まるで水面を斬ったかのように、剣がすり抜けて手応えが全くなかった。

 これを斬るのは至難だと直感が告げる。だからこそ切れたときは自分の腕が上がった何よりの証左。斬るための考察が楽しくて仕方ないという剣術馬鹿の本領を発揮する。


「一定以上の衝撃で液化する魔導金属を使った特注品だからな。体当たりで逃げようとしても、再固体化した格子が絡みついて拘束捕縛するって仕掛けだ。拘束した後は電撃で麻痺させる事も出来るから今は大人しくしとけ。それよかケイス。後で勝手に持って行った外套魔具の使用感も教えろよ。おまえ対策に急造した奴だったから、試験も禄にしてない一品物だってのに無くしやがって」

 
 笑顔のケイスに簡素な説明をした魔導技師ウォーギン・ザナドールは、意味の判らない無茶苦茶な剣を振るケイス相手でも効力を発した檻に満足げに頷きながら、動作チェックを続ける。


「この剣術馬鹿だけは……お前ら。すまんな。本当に無駄な苦労を掛けさせた」 
   

 自分が陰謀劇に巻き込まれているなどつゆ知らぬガンズ・レイソンは、この状況でも天真爛漫というか、平常過ぎるケイスに、憤懣遣る方無い表情で綺麗にそり上げた禿頭に血管を浮かび上がらせながらも、ずらりと並ぶケイス捕縛部隊の面々へと頭を下げる。

 
「気にしないでください。探索ついでに皆さんも色々と迷宮資材が手に入り、良い遠征になりましたので。私個人としても、そこの馬鹿娘に言いたい事が腐るほどありましたから」


 彼らを代表して前に出たロウガ王女サナが言葉とは裏腹に深い溜め息を吐きながら、疲労感の多い表情をみせる。

 他の者も多かれ少なかれ同様の精神的疲労をみせている。その理由は無論ケイスに、他国の貴族殺しの嫌疑があるからだ。

 当初は暴走娘を連れ戻しに行っただけなのに、最終的にはこの始末だ。

 ケイスが捕縛した襲撃者はロウガの入り口門で警備隊に密かに引き渡し、助けたモーリス親子と行商人のミモザもその時に事情聴取のために別れている。

 彼らから詳しい事情が聞かれてからロウガ支部の方針は最終的に決まるだろうが、いくら事情があったとはいえ他国の貴族を手に掛けたとなっては、ケイスにどのような処罰が下るか。

 このまま支部に引き渡しても良いかと、彼らが思い悩んだのは仕方ない。

 その中でももっとも悩んだのが誰かと問えば間違いなく最多票が集まるのは、この中ではケイスとの付き合いが一番長いルディアだ。


「それでガンズ先生。例の件はどうなりましたか?」


「まだ基本方針さえ聞いて無い。事が事だけに公表も難しい。何せケイスは怪我で療養中ってのが、支部の正式な発表だったからな」


 懸念の色が濃いルディアの問いかけに、ガンズも状況が難しいと答えるしかない。

 始まりの宮で大怪我を負いその療養のため、一時的に表舞台から姿を消している。

 それがロウガ支部の発表したケイスに関する情報だというのに、迷宮挑戦への申請も出さずに勝手に迷宮を踏破しまくったあげくに貴族殺しだ。 

 事を穏便に収めるための偽装工作が完全に裏目に出てしまっている。

 もっとも当の本人はそんな事を微塵も気にもしていない。


「なんだルディも先生も気にするな。私が戻ったからには先生達を首になどさせんぞ。もしそういう戯れ言をいう支部幹部がいるなら斬るから安心しろ」


 むしろ何故か支部上層部への敵意をみせる始末だ。

 あまりにも聞き捨てならない不穏な発言に、ガンズが訝しむ。


「おい。どういう意味だ今のこの馬鹿の発言は?」


「今は聞かない方が良いですよ。そのガンズ先生も振りあげた手の落とし所に困るというか」    


「いいから答えろ。この後、この馬鹿を連れて幹部連中に詫び安行して廻る予定だってのに、落ち落ち面会もやらせられねぇ」


 言葉を濁すルディアに対して、ガンズが再度強めに問いただすと、


「あー……ケイスが大人しくロウガに戻ってきた理由ってのが、このままあんたが戻らず暴走していると、講師のガンズ先生や面倒を見てくれてたレイネさんの責任問題とかになって、ロウガ支部を首になるかもって伝えた結果でして。そうでも言わないと男爵を確実に殺せたか判らないから、現場に戻って確認するって聞かずつい」


 殺意の塊のようなケイスを、ロウガに帰還させる為の説得というか、了承させるために口にしたとっさの出任せ。

 その出汁にした事を申し訳なさそうに伝えるルディアの様子に、相当説得に苦労したのが手に取るように判ったので、ガンズとしても責めるわけにもいかない。

 そして何よりだ。


「うむ。当然だ。先生達には恩義しか無いからな。だからこそその恩に応えるために、皆を無事に帰還させたというのに、私が原因でその功績が皆無になるうえに、首にするなどという不条理を許すわけが無かろう。私の責ならば、私が戻ることで私だけに向ければ良かろう」


 檻に入れられた捕縛の身だというのにどこまでも上から目線で胸を張る馬鹿が、あまりにも快活な笑顔をガンズに向けた。

 そこに含まれるのは、紛れなど一切ない純粋無垢な好意のみだ。


「クソ……確かにルディアの言うとおり、後で聞けばよかったか」


 檻から出したらとりあえず拳骨の1つでも全力で落としてやろうと思っていたガンズだったが、その意気を大いに削ぐ素直に捕縛された理由を宣うケイスをみて、握った拳の落とし所を、ルディアの予測通り見失ってしまっていた。 



[22387] 人形姫と厄災人形
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:09
「ファードン男爵を殺害した暗殺者の追跡調査ですが、やはりロウガが関連している可能性が高いとのことです。ただそれ以上の追跡調査は不要と」


「ロウガですか……陛下らは彼の地に呪いの対象が移ってしまえば、我が国は安泰と?」


 傅く騎士の報告を聞く、生気の少ない青白い肌色の若き女性は、膝に抱えた歪な造形をした人形を慈しむように撫でながら、か細い声で憂いを発する。

 まだ幼き童女を象った人形の顔は血涙を流す刺繍が施され、口は開かぬように太い糸で厳重に縫い付けられる。

 細い首には禍々しい赤黒い色に染まる縄が幾重にもまかれる。

 両腕は何かを支えるように頭上に伸ばされ、足かせを付けられた両足首から下には炎を象った綿が揺らめく。

 苦しみと憎しみの末に死した少女。

 それはかつて男爵が行った国内の敵対勢力への焼き討ちにより殺された少女。

 象ったのではない。人形でもない。

 女性の手によってでは無く僅かに動きながら、縫い合わされた口からは聞く者全てを呪い、病ます呪詛をはき続ける。

 ”それ”は怨霊と化した少女その者だ。


「そこまでは……ですがその少女霊の顕現厄災は大火。木造建築の多い我が国で呪いが発動すれば、多くの死傷者が出る恐れがあります。厄災が厄災を呼ぶ大厄災となる可能性が高くなるよりはと」


「私が抑えていられる時間はさほどありません。彼の大都市に贄となるべき者が逃げ込んだのであれば、より多くの者が死すでしょう。1人の贄で、多数の市民が救われるというならば彼の地の施政者達も差し出すことを躊躇しないでしょうに」


 クレファルド王国は、かつての暗黒時代に龍に故郷を追われた周辺国家の人々が多数逃げ込んだ大森林地帯の跡地に立つ。

 深い森に逃げ込んだ人々の数は、今となっては杳として知れない。

 その数は数十万だったのだろうか、それとも数百万、あるいは数千万。

 それは誰も知らない。知るはずが無い。その森に逃げ込んだ人々は全て龍によって森諸共焼き払われ、全て死に絶えたのだから。

 龍によって殺された無数の死骸と魂魄。彼らはその後に龍によって産み出された火山が吐きだした溶岩流の奥底に沈み閉じ込められていた。

 その上にクレファルド王国は築かれた。築いてしまった。誰もその事を知らぬまま。豊かな森と大穀倉地帯を持つ近隣有数の農業国家として発展してしまった。
 
 そんな悲劇があった地だという事実さえ、遥か過去となってしまっていたが故に。

 故にここは呪われた王国。非業な死を迎えた者に共感し、時折地の底の底からわき上がってくる救われぬ魂によって、厄災を巻き起こす怨霊が産み出されてしまう。

 彼らが眠るのは人の手が届かない地の底。鎮魂しようと深い穴を掘ろうとしても、そこにたどり着く遥か前に発狂して死を迎えてしまう。

 しかし今更、国を捨てるわけにはいかない。それほどに発展してしまった。

 だから鎮めるために贄を与えるしか無い。産み出された怨霊の核となる者を鎮めるための贄を。


「いくら姫とはいえ、他国も絡むとなりますと王の意向を無視なさるわけにはまいりませんが、いかがなさいますか?」


「ならばそちらの線は捨てます。男爵の配下に忍び込んでいた者がいましたね。彼が襲われたという少女の線から当たりましょう。ファードン領と魔禁沼は距離はありますが、全くの無関係というにはタイミングが良すぎます」


 大火厄災少女霊の贄はファードン男爵。だがその男爵は、目前で謎の暗殺者によって殺されてしまった。

 深く暗い呪いは伝播する。贄を殺した者はまた贄となる。

 あの暗殺者を贄として捧げなければ、少女霊は怨霊の炎となりてロウガの街さえ焼き尽くす大火を巻き起こすだろう。

 女性はそれを防ぐために、その青い顔に決意の色をみせる。


「畏まりました。特徴的な可憐な容姿と、正確無比な剣を振るったという事でしたので、対象の人物を絞り込んでみます」


 クレファルド王国王宮翡翠の館。王宮北に残されたうっそうとした森の中に、ひっそりとその館は建つ。

 その館に住むのはクレファルド王族の中でも、もっとも特別にして、最も重要な使命を持つ王族。

 国土の安寧と鎮守を守る守人。

 荒ぶる魂を鎮め鎮魂を司る巫女姫。

 厄災に対する贄を見つけ出し、生殺与奪の自由を与えられた死霊術師の王女。

 その一族の長は代々【人形姫】と呼ばれている。 



[22387] 下級探索者(偽装)と鳳凰破壊事件
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2022/03/11 23:47
「ウィー! どこだ!?」


 眼下の大通りを必死の形相で逃げていくのは、半裸の男性客や、艶やかというか濃いというか、過剰な化粧と扇情的な服装の遊女達。

 色町らしい服装の人々をちらりと見ながら、頂点に近い月明かりの元、立ち並ぶ娼館の屋根を蹴って逆走するケイスは、同様に屋根を飛び渡りながらも、かなりの余裕を持って追随するウィンス・マクディーナへ騒ぎの発生箇所を尋ねる。

 道沿いの娼館や飲み屋からは逃げ出した客や店員達でごった返したパニック状態になっていて、騒ぎの出所をこの状況下で判断するのは難しそうだ。


「ん~……あそこかな。果物の匂い。気配4で男性3。あーまずいかも。既に虜になってるっぽいねぇ。発生源の人が上に逃げているけど、あの建物内部は結構複雑な作りでいまいち掴みにくいかな」


 元の毛色を隠し染色した茶色の耳と、鼻をピクピクと動かしたウィーは、一際目立つ光球装飾が施された不夜城、大規模な娼館の中層階を指さす。

 ウィーの索敵能力は、ノエラレイドの熱感知を使ったとしても自分よりも遥かに上。ならば自分よりも信用できる。だから間違いない。

 壁面には、こて絵と呼ばれる左官職人による色艶やかな向かい合わせになった二羽の聖獸鳳凰を象った巨大な漆喰装飾画ほど越されており、相当な高級店、もしくは大手ギルドの旗艦店となっているようだ。

 建物が大きく、内部は細かく仕切られてい部屋数が多いのか、娼館の正規口には、逃げようとする客や遊女が殺到して、押し合いへし合いのもみくちゃ状態になっている。


「淫香の影響下はその三人だけか」


「今の所は大丈夫。入り口辺りの人達は理性を保ってるねぇ。上の三人さえなんとかして、発生源の子を隔離すればとりあえずオッケー」


「ふむ。あの混雑では入り口辺りで手間取るか。仕方ない直接狙う! 左側の鳳凰の首付け根辺りを引っぺがす! ウィー合わせろ!」

 
 人混みを掻き分けていくよりも直接斬り込んだ方が早い。ご丁寧に壁には細かい装飾が施されている。目的地の指示には困らない


「あー引っぺがすって……ほい。んじゃ飛ばすよ」


 何をする気かは知らないがどうにも不吉な言葉を発したケイスに対して、ウィーは深くは聞かず聞き流して諦める。

 基本的に生物無機物に限らず、斬れる斬れないが第一判断基準であるケイスだ。

 こて絵を施された娼館の建物が文化財として扱われてもおかしくない老舗だと説明しても、古いならガタが来てていて斬りやすいか、崩れないように上手く斬ると見当違いの答えを返してくるに決まっている。

 ケイスが出す被害については最初から諦めているウィーが、少しだけ速度を上げケイスに追いつき背後にくっつく。

 ウィーが背後に来たのと同時に、ケイスは背中に背負った羽の剣に闘気を込めて硬化しつつ、左手の指の間にワイヤー付き投げナイフを四本掴み、右手で首元の軽量化マントの留め金を触り作動させる。

 屋根を蹴ってふわり浮いたと次の瞬間、一切の加減の無いウィーの強烈な前蹴りが背後に背負った羽の剣へと轟音と共に叩き込まれる。

 軽量化+獣人の全力キックによって、爆発的な加速力を得たケイスは風切り音を放つ神速の矢となって宙を一気に駆け抜ける。

 瞬く間に目的地である娼館の壁に大迫力で描かれた鳳凰が迫ってくる。

 あまりの速度と勢い。並の剣士であれば何も出来ず壁に叩きつけられ、鳳凰の絵柄に赤黒い彩りを与えるだけだろう。

 だがケイスは違う。並では無い。天才という言葉さえも生ぬるい、剣の申し子。

 刹那の時と僅かに動く手足の幅があれば十分。

 その身に宿す剣技は、打ち込まれた力の流転を得意とし、迷宮のモンスター共を刈り尽くし生き残る迷宮剣術【フォールセン二刀流】


「合技! 四縫剥ぎ!」

 
 背中側から打ち込まれた力を四肢を使い制御。その勢いの全てを乗せた左手の投擲ナイフ群を打ち放つ。

 引き出されたワイヤーと共に飛翔したナイフが、幅を広げながら四方に飛び30ケーラほどの正方形を描きながら壁に着弾。内部の木舞と呼ばれる格子状に組まれた芯材である木材をへし折りつつ絡みつく。 


「お爺様最大加重!」


 ナイフが絡みついた感触をワイヤーを通して感じ取ったケイスは、さらに背中の羽根の剣に闘気をぶち込み、重量を一気に増加させる。

 まるで大岩を背に背負ったかのような脅威的な重量を一瞬で産み出したことで壁に向かって横に吹っ飛んでいた身体が、今度は逆方向、後方下側に引っ張られる。

 急激に方向を変化させれば、引き裂かれそうになった体中が悲鳴をあげ、方向感覚が狂い、上下さえ見失うだろう。

 だが全ては自分の意のままに振るった剣。ならばそれがケイスの妨げになる道理などない。

 クルクルと回る視界の中、打ち込まれたナイフとワイヤーに引っ張られた娼館の壁に無数の亀裂が走る。

 鳳凰のこて絵が縦に大きく割れ、さらにはその付近が崩れたことで支え切れなった上部の壁さえも次々に崩落していく。崩落した壁面から内部の通路が露出した断面図が姿を現した。


「ノエラ殿! 指向性探知!」


 思ったより大きく剥がれたが、見やすくなったから結果オーライだ。近くの屋根に一度着地したケイスは、即座に見上げつつ目的の人物達を探す。

 仲間であるウォーギン作の赤龍鱗額当ては近距離精密熱探知、全方位遠距離熱探知に加えて、最近の改良でその中間ほどの能力が加わっている。

 それは一定方向にしか使えないが、そこそこの距離をそれなりに精密探査が出来る指向性熱探知機能。

 つい2ヶ月前の騒ぎで、知らぬ間に付けられたあだ名赤目の単眼巨人を彷彿させる赤い光が、ケイスが視線を動かすのに合わせて、壁が崩れてむき出しになった建物内部を這うように進み探っていく。


(見つけたぞ嬢! あそこの奥側だ! すでに捕まっているな!)


(これほどの破壊が起きても、意にも介さず雌を求めるか。淫魔の香りとは厄介な。理性を失っているだけであるのだから、雄共は斬り殺すでないぞ娘)


「ん! 判っている。とりあえず殺さない程度に斬れば良かろう!」


(何時も言っているが心打ちを使え。何故毎回毎回斬る事にこだわる)


 心臓を一時的に止めることで相手を怪我もさせず無力化させる技は持っているが、徒手空拳で使う技故か、あまり選択肢の上位に来ない末娘に対して、ラフォスは既に飽き飽きしている恒例の注意と共に諦めの息を吐きだした。
 

 

 
  



 城塞都市国家ロウガ第12街区【燭華】

 街区によって様々な顔を持つロウガにおいて、燭華は国より認可を受けた特殊酒場や娼館が立ち並ぶ街区となる。

 他国では公娼と呼ばれる娼婦達は、ロウガでは旧東方王国にあやかり遊郭、遊女と呼ばれ、東方王国時代の雰囲気を伝える歓楽街として、周辺地域、国家にも名高く知られている。

 国が主導してここまで大規模な歓楽街を設置したのには複数の理由がある。

 お気に入りの遊女を巡る客同士のトラブルや、客の取り合いによる店同士の小競り合い、さらには入れこみすぎた客による強盗犯罪。借金の形に強制的に連れてこられた幼き者。または一時乱立した娼館ギルド間での大規模抗争等々のトラブルの多発。

 ただでさえロウガは迷宮隣接都市にして探索者達の街。武力、魔力に秀でた血の気が多い荒くれ者達が多い。

 トラブルがエスカレートして、力を解放した探索者同士の戦闘まで起きるとなれば、民間のトラブルだからと静観しているわけにも行かないという治安的問題。

 もう一つは財政的に無視出来ないほど大規模な脱税行為が、歓楽街の各ギルドでおおっぴらに行われていた事に他ならない。

 広範囲で多発するトラブルへの市民の苦情の対処一件、一件に巡回警備兵たちを多く取られるよりも、いっそ街区を1つ丸まると作り、そこ以外の地域での娼館営業を禁止。

 トラブルが起きる箇所を集約した上で、人の出入りを管理した方が税の取り立てが効率的になるのは当然の話だ。

 街区への立入許可制の導入、護身用武器以外の持ち込み禁止、規制は多くある物の遵守すれば大幅に税率が下げられる優遇措置など様々な試みを行っていった結果、今ではトランド大陸東方地域最大の歓楽街といえば【燭華】であると誰もが答えるほどに発展していた。

 季節は【華替わりの祭り】と呼ばれる数年に一度だけ行われる大祭直前。

 後に公式記録上で、ケイスが初めて関係探索者として名が乗った案件であり、燭華始まって以来の最悪の被害をもたらしたとされる【大華災事変】の中では、鳳凰破壊事件など序の口であったと、人々が思い知るのはまだまだ先のことであった。  



[22387] 下級探索者(偽装)と淫魔
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 21:11
「悪いねルディアさん。ただでさえ手荷物検査に時間が掛かるのに、身分証が変更されると手続きがどうしても色々と必要になるんでな。こっちの同意書にもサインを頼む」


「気にしないでください。この手の街に出入りする薬師の検査が厳重になるのは馴れてますから。今回は私事で身分証も変更しているから時間が掛かるのは覚悟していました」


 鞄の中身は全部提出。持ち込んだ薬の種類、用途、販売用であるならその取引先まで全記載。さらに広域薬師ギルドの印が押された身分証を諸事情で新規発行したために、本人確認のための諸々の手続。

 ロウガ第12街区【燭華】にいくつか設けられた関係者用出入り門の検問所で足止めをされていたルディアは、検査官の出してきた新たな書類を受け取りながら、軽く目を通して、まだ馴れない新たな名であるルディア・”リズン”とサインする。


「しかしあんたがリズンさんの後を継いでくれて良かったよ。あの人の作る薬は副作用が少なくて好評だったからな」


「まだまだリズンさんの出来にはほど遠いですけどね。レシピも色々頂いてますけど、十全な効果とまでは。私の薬でもいいと出資してくれた方もいるので、ご期待に応えられるように勉強の日々です」

 
 ルディアのバイト先だったリズン薬師工房の老店主フォーリア・リズン御年92才は先日老齢を理由についに現役を引退した。

 しかしフォーリアの作る薬には根強い愛用者が大勢いた為、何とか続けられないかという話もあり、フォーリア自身の推薦もあって急遽後継者として白羽の矢を立てられたのが、住み込みバイトをしていたルディアだ。  

 一度閉店してから、ルディアの名で再度営業資格を取るよりも、親子間の事業譲渡という形でした方が、申請期間も遥かに短く節税にもなるというアドバイスもあり、養子縁組をしたのがつい先日のこと。

 店舗、機具やら在庫の薬草類をフォーリアが最下限の見積もりで譲渡してくれたので、課税される贈与税も最低限ではあったが、それでもフォーリアに支払う代金や各種諸々の税金は初級探索者となったばかりのルディアの貯金では、些か手が届かない大金。

 薬師ギルドから借り受けた以外にも、フォーリアの顧客が何人か出資者となってくれてようやく事業を引き継げた形だ。

 個人的には姓をタートキャスから、リズンへと変更する事にはなったが、ルディアの故郷である一年中雪に閉ざされた北方の氷大陸では、それぞれの村人口が都市部ほど多くないので、姓はどの地方や村出身かを現す程度の扱い。

 居住地を替えれば、その村や地方を指す名へ性を変えるのが当たり前であったので、姓を変える事への抵抗はさほど無かった。

 フォーリア当人は、昔からの友人が経営するロウガ近郊の薬草園へと嫁いだ娘さん夫妻と同居の為に引っ越していた。

 古なじみや孫達と茶でも飲みゆっくり過ごしつつ、薬草の出来を見ながらルディアの元へと送ってくれる事になっており、仕入れルートも安泰という至れり尽くせりな状況。

 傍目には順風満帆であるルディアだが、それら+要素を一人で一気に-へと持っていく要素がいることも忘れてはならない。


「それで話は変わりますけど、昨夜あの馬鹿って何やらかしたんですが? ここに来るまでにも、また壊しやがったとかちらほら聞こえてきたんですけど」


 このまま考えないように、無視しておくにもさすがに限度もある。

 ルディアの問いかけに、検査官は何とも言えない表情を浮かべた。

 完全に人ごとなら見せ物的な感じで面白いが、少しでも関わっているとなると悩みの種。

 誰と名を出さずとも、あの馬鹿で伝わるのが悲しいが現実。


「……燭華でも一、二を争う老舗な鳳凰楼って遊郭があるんだが、そこの象徴的な壁画をぶっ壊して、しばらく休業状態に追い込んだって話だ。そこの店主がたまりかねて、あの子の所に怒鳴りこむって話だが、余計な騒ぎになりそうな気がするんだがな」


「すみません。なるべく手続き早めでお願いします。無駄な騒動を避けるためにも」


 同情的な目を向ける検査官に、沈痛な面持ちのルディアは不正になら無い程度に検査を簡略化してくれと懇願する以外の術を持たなかった。









「華替えの直前だってのに休業だ!? この時期に本店をぶっ壊してくれた落とし前をどう付ける気だ!」


「鳳凰楼の店主か……元々淫香を発する者が出たら店をしばらく閉めて、従業員を全員検査する決まりであろう。何を言っているのだ?」


 いきなり喧嘩腰に怒鳴り込んで来た、右目の辺りに刀傷が入った柄の悪い初老の男性の恫喝に、ケイスはいつも通り傲岸不遜な態度で首を捻りながら答えると、何事も無かったかのように朝食を再開する。

 ここは燭華の裏町で営業中の宿屋にして、燭華の街中からあげられた探索者への依頼を仲介する仲介屋【青葡萄の蔓】

 元探索者の女性と、その女性探索者に買われた元遊郭つとめの遊女という変わった取り合わせのコンビが営む店だ。

 商才がないのか、見る目が無いのか、運が無いのか、それともその全部か。

 閑古鳥が大合唱をしているような経営状態が続いていたが、最近他国出身ではあるがベテラン仲介屋だった父親と、まだ幼いが接客業に適した娘という親子がスペシャルアドバイザーとしてロウガ支部から派遣されたことで、急速に立て直しを図っている真っ最中の店だ。

 ただしその際に、ロウガ最悪の問題児を含む一組の初級探索者パーティが付いてきたのはご愛敬といった所か。

 遊郭や高級酒場が建ち並ぶ華やかな表通りとは、壁などで物理的に仕切られ直接の出入りが難しい裏町通りは、表通りの店に勤める従業員の居住区や利用する商店、出入りする商人などが一時的に宿泊する宿屋など、一般的な街とさほど替わらない施設が建ち並ぶ。


「だから無理ですって親父! このガキに常識や道理を求めるのは!」


「頼んます。後生ですから堪えてください! この化け物と敵対したら俺らが潰されます!」


 店主の後に少しばかり人相が悪い若い男達も続いて駆け込んできて、何とか店主をなだめようとしている。

 彼らがケイスに対して及び腰なのは、一度ケイスと揉めた顔ぶればかりだからだ。

 見た目だけなら美少女なので、からかい半分で下世話なヤジを飛ばして、躊躇無く半殺しにされたり、大剣の一振りで頭髪を刈られたトラウマが根深く残っているらしい。

 ケイスがいつ暴発するか気がかりで仕方ないらしいが、無駄な心配という物だろう。

 なにせケイス的には多少物言いは気になるが、彼らの言動はケイスの実力を認めているので、むしろ気分がいいもの。

 だがそんな些事よりも今は朝食。

 目の前に並ぶ朝食は、海鮮食材が多くあっさりのロウガ風朝食では無く、肉や野菜、チーズをふんだんに使ったクレファルド風朝食。

 農耕・林業国家であるクレファルドは、重労働が多いためか、これから動く朝、昼はしっかり、夜は熟睡できるようにあっさりという食文化を持つ。

 基本的にどの時間でも、いつでも食事はたっぷりなケイスには、何時もと少し変わった朝食は、気分が変わってありがたい。だから意味の判らない文句を言われるよりも、温かい朝食を優先するのはケイスにとって当たり前の事だ。


「うわっ!? ま、また揉め事なのケイス姉ちゃん!?」


「ん。気にするな。それよりニーナもう一人前だ。美味しいし昨夜は結構動いたからまだまだ食べられそうだ」


 揉めている男達をさほど気にもせず、長めのパンを手頃な大きさに千切り、軽く炙った肉や塩っ気の強いハムと新鮮な野菜を挟んでチーズソースを付けて暢気にぱくつき、さらに何事かと奥から出てきた看板娘のニーナにおかわりを頼む始末。

 これらの態度が余計に店主を苛立たせるとは、全く気づきもしない。


「こいつが壊した鳳凰はうちの金看板だ! 爺や親父から受け継いできたウチの誇りを壊されて黙ってろってか! 巫山戯るな!」


 顔を真っ赤にし大声で怒鳴る店主の激怒する様に、若い衆もニーナも思わず身を縮める。

 そこまで怒っている店主を見て、ようやくケイスは食事の手を止める。別に店主の剣幕に気圧されたからでは無い。

 ケイス的に気に掛かる言葉が店主の口から飛びだしたからだ。


「むぅ……一族の誇りと言われては謝罪するしか無いな。すまん許せ。修繕費と休業中の営業補償は私が持とう」


 誇りや矜持はケイスが気にする部分ではあり、本人的には十分謝る気もあったし、店舗を閉める事によって生じる機会損失を補うためのできる限りの提案のつもりなのだが、どうにも金で解決してやるから黙れといった雰囲気が出てくる。

 常に上から目線な上に世間とかけ離れた価値観をもち、謝罪慣れしていないのがケイスのケイスらしさだ。


「あの壁はな! 名工左官が生涯最後の最高傑作として仕上げてくれた絵だ! 金看板を壊した代償が金だけで済むと思うんじゃねぇ!」


「むぅ、ならば他に謝罪が出来る事があるなら提案しろ。やれることだけはなんでもしてやろう」
 
 
 謝る気はあるが、朝食が冷めるのも気に掛かる。ケイスが不用意に発したひと言に店主が苛立ち交じりの顔ながらも、値踏みするかのように目を動かした。


「このガキ……ならおまえの水揚げをウチでやらせろ。見た目だけなら最上だからな。十分仕込んだ上でお得意さんに募れば、華替えまで休業なんて情けないことになったウチの看板も癒やせるって」


「はいはい。そこまで。素人娘に手をかけたら名門鳳凰楼の名がそれこそ泣くわよ。しかもこの子の場合は旦那の首を撥ねかねないんだから手出し厳禁ね」


 ほぼやけくそになっている店主が怒りにまかせていると、不意に林檎のような甘い香りが店内にうっすらと漂い、次いで声だけでも艶を感じさせる声が響いた。  

 入り口の方へと目を向けると、いつの間に来たのか、朱と銀色の混じった少し眠たげな瞳の、年若そうにも、長い経験を積んだ妙齢にも見える、年齢不詳な美女が気怠そうにしながら扉をくぐってきた。

 様々な特殊能力を持つ者達を魔族という。その中でも相手の夢の中に好きに出入りし、精気を主栄養源とする淫魔一族の中の代表格夢魔。

 いわゆるサキュバスのインフィニア・ケルネは、激高する店主と、言われた水揚げの意味が判らず首を捻っているケイスの間にするりと入り込む。


「インフィの姐さんか。じゃあどうしろってんだ! このガキをここに呼び込んだのはあんただろ!」


「だから私が落とし前を付けてあげるってば。この子がお金はだすっていうんだから立て直しは豪勢にして、その落成記念であたしもお店に出るから勘弁してあげて、ね」


 媚びる目で店主に話しかけたインフィの身体から漂う林檎の香りが僅かに強くなると、まるで憑き物でも落ちたかのように店主の顔から怒りがすっと抜け、さらにケイスが何をしでかすかと警戒していた若い衆達の警戒心もグッと落ちる。


「あ、あぁ……あんたがいうならその顔を立ててやる……おめぇら帰るぞ」


 その後にインフィと二言、三言言葉を交わしただけで、つい今し方まで怒髪天だった店主を含めて、全員がどこか夢心地でふらふらとした心許ない足取りながら、あっさりと店から出て行った。


「あーもう。これで尻ぬぐいは12件目だったかしら。身体が足りるか不安になりそう」


 その瞳に情欲の色を強く現したインフィが、その大きな胸を強調するかのように自分の身体を抱きしめながらよがる。

 困っているどころか、喜んでいるのは一目瞭然だ。


「とっととその淫香を抑えろインフィ。朝ご飯を食べているのに、お菓子が食べたくなるではないか」


 一方で仲裁してもらった形のケイスは、甘い林檎菓子みたいなインフォの放つ香りは嫌いな匂いではないが、ご飯よりもお菓子が食べたくなると嫌がって、ぞんざいに手を払って応対する。


「あら依頼主に対して、口の利き方がなっていないのじゃ無いかしらお嬢ちゃん。レイネちゃんに言いつけちゃおうおうかな。またたっぷりと叱られてしょぼんとする所を見てみたいかなぁ」


 ロウガ帰還時に保護者である女医のレイネに、心配させすぎて泣かれた上に、その後、多数の友人や関係者に心配と迷惑を掛けたとして、泣かれた時間の数倍なお説教とお仕置きをされたケイスは、その時のことを思い出して身を軽く震わせ、眉をむっとしかめる。


「斬るぞ。おまえがインフィと呼べとか、いつも通りの口調と態度で構わないといったからであろう……それで昨夜の件であろう。どうなった?」


 ただレイネに言いつけるというインフィが、自分をからかっているだけと判っており、下手な反応をしても喜ばせるだけだと理解もしたので、ケイスは素っ気なく答え、本題に入ることにする。


「ほんとつれないわねお嬢ちゃん……そっくりなんだから。ニーナちゃん。あたしにも朝食セット1つね。食べながら話しましょ」


 インフィが一瞬向けた懐かしげな目と小さな呟き。あえてその独り言を聞かない振りをしたケイスは、インフィが自分を通して他人を見ている事に気づいている。

 それが誰かも判っているが、あえて触れない。触れるようなことではない。

 それに自分が気に食わないことではあるが、このロウガではそれも致し方ないと割り切る。何せその人の方がこのロウガに根付いている……いや、いた人なのだから。


「ニーナ。私のおかわりの方が先だからな。インフィの方が後だ!」


「どうぞどうぞ。あたしの主食はお嬢ちゃんのおかげでしばらく困りそうにないし」


 だがそれでも腹立たしいのは腹立たしいので、せめてもの抵抗というにも子供っぽい嫌がらせをするケイスに、インフィは童女のような笑みをみせて可笑しそうに笑う。

 インフィニア・ケルネはこの燭華でもっとも小規模ながら、もっとも古く、そしてもっとも高級と呼ばれる個人娼館の女主人にして唯一の娼婦。

 そしてこの燭華を仕切る顔役、それも長老格の一人。

 そんな彼女から、ロウガ支部の施療院院長に昇格したレイネを通じてケイスたちに依頼されたのが、最近この燭華で度重なる事件の解決だ。

 先ほどのインフィのように、男達を手玉に取り、魅了し、時には暴走させるという淫魔が放つ果物の香りにも似た甘い体臭。

 【淫香】が他種族から発生するという不可解な事件が、最近燭華を大きく騒がせていた。



[22387] 下級探索者(偽装)と苦手な街
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/09 23:58
「はい。こっちが鳳凰楼の身体検査結果。淫香を出した新造の子以外は特に異常無しだって」


「また一人だけか。新造とはまだ客を取っていない者であったな。この間のように禿という幼児では無かっただけマシか」


 多めの砂糖と蜂蜜を入れた食後の茶をちびちびと飲みながら、インフィから渡された調査書へとケイスは目を通す。

 東方王国時代の習慣に倣う燭華では、客を取る遊女、その遊女達の世話係や、付いている遊女の客の話し相手となる娘を新造。そしてそれより幼い者、身寄りがなく引き取られた者や、遊女が産んだ子などを禿と呼ぶ。

 今回は手っ取り早く壁を壊して侵入したから、淫香で理性を失った男達に襲われる前に介入が出来たが、ケイス達が依頼を受ける以前や、遠くの楼閣で起きたために、間に合わなかったり等で、心身共に深い傷を負った者達もいくらかは存在する。

 大恩あるレイネがそんな少女達の治療に当たり、惨状に心を痛めていたからこそ、少しでも恩義を返すためにケイスは今回の依頼を受けている。

 これが単なる事故なのか、それとも何者かの意図がもたらす事件なのか、まだ不明だがそれを白日の下に晒すまでは、迷宮へいくのさえ諦めているほどだ。

 そんなケイスの行動は、ロウガ支部にとって当初の目論見通りと言えた。

 まだ探索者となって、半年が過ぎていないというのに圧倒的速度と量で迷宮を完全踏破し、下級探索者となってしまったケイスの存在は、あまりに厄介で、他の者への影響が心配される事態。

 見た目だけなら華奢な、しかも深窓の令嬢然とした本来なら探索者として協会が許可する年齢に満たない幼い美少女。

 そんなケイスが軽々と迷宮を踏破してみせるのだ。それを見た若者達が、迷宮の危険度に対する認識を甘く見る事態は容易に想像がついた。

 しかも踏破を重ねれば、半年待たずに下級探索者となれるという新たに判明した事実。

 名誉や名声を求め、ケイスのようにと、無理を通り越した無謀を後追いする者さえ出かねない。

 さらに支部公式発表では、ケイスは始まりの宮で大怪我を負い療養をしていて、つい先日復帰したばかりとなっている。

 そんな諸々の事情もあって、ロウガ支部としては少なくとも半年が経つまでは、初級探索者達が全員が下級探索者となる日までは、ケイスが既に下級探索者へと到達したことを公表するわけにはいかないということで、普段は揉めている各派閥長の意見も一致している。

 だからケイスが迷宮に挑まず、ロウガで長期依頼を請け負っている現状は、ロウガ支部としては願ったり叶ったりで、レイネを出世させた思惑もぴしりとはまった……と胸をなで下ろせたのも僅か数日。

 その後二ヶ月の間に、玉潰し、竿斬りから始まり、橋崩し、名店崩落、高名パーティ壊滅、他国の高官片腕切断と、淫香絡みでケイスが起こしたショッキングな見出しが並ぶ新聞沙汰な事件の数々を、ロウガ支部の面々が事前に知っていれば、安易なぬか喜びをすることにはならなかっただろう。


「これでもまだ営業は続けるのか? 原因も不明であるならば燭華自体を閉鎖して様子を見るべきであろう」


 今朝の号外の見出しで【鳳凰殺し】と物騒な異名が付いたとはつゆ知らず、さらに聞かされたとしても、そのうち本物の鳳凰を斬って真実にするから良いと気にしない剣術馬鹿は、すでに見飽きた、新造の娘が淫香を発した理由が原因不明という結果報告に、眉間に皺を寄せる。
 

「正直、誰かさんが騒ぎを大きくしなければ、暴走したお客さんにってよくある話。被害を受けていないお店からすれば、燭華全体を閉めるまでのことかって反応。とりあえず禿の子達は隔離するって方向で話を進めているけど。ただねぇ、新造の子までとなると、お店の営業に支障が出るからちょっとって難色を示す店主さんも多くて無理かな」


 取り締まりはしているが、違法な媚薬や発情薬を持ち込んで来る客や、逆に提供する店などもあり、被害的には、暴走した客に襲われるというたまにあるレベルの話。

 問題は淫魔にしか生み出せないはずの淫香が別種族からも発生するという事だ。

 その為、普段ならば暴走した客をしめる恐いお兄さん方が淫香の所為で介入できず、代わりが、常識外の破壊活動と苛烈な剣を振るう剣術馬鹿が大暴れする所為という所だ。

 だから、被害に有っていない店は、ケイスのおかげでライバル店が一時閉店に追い込まれたので、むしろチャンスだと考えている節さえある。


「無理か……ルディが外に行ったついでに、淫香を発する新薬が出ていないか調べてくると言っていたがありうると思うか?」


「そんな物が出来てたら、とっくに広まってるでしょ。何せあたし達の発する香りは簡単に殿方を虜に出来るんだから。違法でも何でも使うお店や、個人で使おうとする娘も絶対に出る。ここはそういう街よ。どれだけたらし込んだか、くわえ込んだかで格が決まるんだから」


「むぅ……おまえの言うことはよく判らんが、薬では無いと言うことだな。事件が起きたのは今の所、常に夜。しかも雨の降らない晴天の日か……儀式魔術の可能性も疑った方が良いか」


 これ見よがしに欲情的な仕草をしてみせるインフィだが、性的知識に関してはほぼ皆無。

 むしろ毎月、月の物で耐えきれない腹痛を味わうので、意図的に忌避しているケイスでは、その仕草や言葉の意味を1/10も理解でき無い。

 知りたくも無いので、とりあえず淫香を発するタイプの魔術薬では無いという事だけを理解するに留める。


「反応薄いわね。レイネちゃんにちゃんとその手のことも教えた方が良いわよって、アドバイスしようかしら」


「余計なことをするな。レイネ先生はただでさえ忙しいのに。ウィーがその新造の娘とやらのここ数日の足取りを追跡調査中だ。どうせ暇だろ。おまえは残ってウィーから話を聞いておけ」


 どうにもうとい方面に話を持っていくので、苦手意識を持つインフィから離れるため、朝食を終えたケイスは立ち上がり、横に掛けていたフード付きのローブをかぶり顔を隠し、外出の準備をする。


「あら、どこ行くのかしら? 薬師のお姉さんから、お嬢ちゃんは急ぎの用事でも無ければなるべく出歩くなって注意されてるはずでしょ」


「急ぎの用事、金策だ。鳳凰楼の修繕費用と営業補償をすると言ったからな。どの程度か知らんが、手持ちがこの間の橋の修繕費で尽きたから稼いでくる」


「あそこは大きい上に名店だから、一晩お大尽してたら家が一軒建つくらいよ。お嬢ちゃんに払えるのかしら。なんならあたしが用立ててあげましょうか?」

 
 インフィが発する林檎のような体臭が少し強まり、獲物を見るような目をケイスへと向ける。

 こんな見え見えの誘いに乗ったら、何を請求されるか。


「いらん。少し知識を売ってくるだけだ。後ついでにこの燭華の古地図や、過去の事例、それと独特の言い回し、習慣も調べてくる。水揚げやら華替えだの意味が判らん言葉が多すぎる」  

 
 インフィに聞けば教えてくれるだろうが、そんな事も知らないの、実戦で教えてあげましょうかとからかわれるだけ。

 しかも気にくわないから斬ろうとすると、むしろ喜ぶので斬るのもためらう。

 本人曰くSでもMでもどっちもオッケーなバイとのことだが、ケイスには無論意味が判らない。

 だから適当に流してあしらうのが最適解だと、理解した。

 どうもそれがインフィが一番喜ぶ、自分と誰かがかぶるという事も理解はしているが、他に手は無し。


「夕方までには戻ると伝えておけ」


 ケイスとしては本当に珍しく、無条件で敵前逃亡を選択するほど苦手としていた。



[22387] 下級探索者(偽装)と裏町
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/15 00:14
 3ケーラほどの高さの石壁が緩い曲線を描きながら伸び、その頂点には金属製の返し。しかもご丁寧なことに侵入者防止のために、飛んだり跳び越えようとすれば、近くの返しから雷撃が飛んでくる仕様。

 高さは違うがロウガ全域を守る防壁と同じ作りとなっているのは、不埒な考えを持つ困った客から、遊女達を守る為だ。

 この石壁の向こう側は、絢爛な建物が並ぶ風俗街たる燭華の表町。そしてこちらはその舞台裏。遊女達がくらす裏町と呼ばれている。

 こういった裏町は、表町に囲まれながら小島のように燭華全体に点在していて、その全てが地下通路で繋げられた作りとなっていた。

 日常から隔離された別世界。色町である表町の雰囲気を守るため、裏側は絶対に覗かせないという意思が感じられる作りだ。



「お爺様。ノエラ殿。魔力の流れが不自然な部分はないか?」


 遊女や店関係者達が暮らす裏町の密集した裏路地を右手に石壁を見ながら、ゆっくりと抜けていくケイスは、魔力を捨てたことで自分では感知できなくなった魔力の流れの違和感がないかと剣と額当て、それぞれに宿る龍達へと尋ねる。


(人の手による魔術が多過ぎて、何とも言えん。娘が疑う儀式魔術となればなおさら大型化するであろう)


(右に同じく。俺が生身であった時代とは、魔術様式ががらっと変わっていて読みにくい。これが嬢を対象とするならまだしも、街全体を見渡しても判るかどうか)


「ロウガは防壁だけに留まらず、あちらこちらに照明用の光球灯があるせいか……ウォーギンの話では他にもいくつかの効果を持たせた複合魔具という事だったな」


 ケイスが見上げるのは、石壁の前に立てられた一本の金属柱。

 その表面には一見装飾に見える細やかな紋様が刻み込まれているが、みる者が見ればそれは魔力導線であり、これが複数の効果を持たせた大型魔具だとすぐに判る。

 夕方になると、文字通り頂点部に光球を発生させる光球灯は、夜道を照らす街灯としての役割以外にも、探索者による街中での無断神印解放反応への監視機能、マーキングされた犯罪者への追跡機能等、治安維持機能を兼ね備えた物だ。

 さらにそれぞれの個人宅でも、火力の調整が容易い調理魔具や、夏でも涼しい風を発生させる空調魔具、携帯用の照明魔具などが、昨今では普及している。

 迷宮モンスター達の血から、魔力の塊である転血石の人工製造技術が出来てから、魔具は身近な生活家具となり、特に迷宮隣接都市であるロウガでは、それらの魔具や人工転血石の製造工房があるので、より多く出回っているのは当然といえば当然だろう。

 
「ふむ。魔術薬などによる体質の変化で無いのならば、存在その物の変化を疑ったのだが、なかなかはかどらんな」


 燭華で最近連続している淫香発生事件。

 淫魔では無い別種族から、異性を魅了し理性を奪う淫香が発生する理由が、魔術薬などによるものでは無いならば、淫魔へと変化させる中途半端な儀式魔術では無いかという疑いをケイスは抱いていた。

 存在を変化させる術は、高度ではあるが不可能では無い。

 高い魔力を持つ存在である高位迷宮モンスター。それこそ龍であれば、周囲の環境や動植物を、無意識的に己の心地よい物、都合の良い物へと変化させることが出来る。

 火龍が住み着けば穏やかな草原に火山が出来るように、水龍が住み着けば砂漠が巨大な湖に変化するように。


(儀式による存在変質か。だがそれにしては対象や位置にばらつきがあったが)


「うむ。確かにお爺様の言うとおりぶれがある。だからこそ中途半端な、偶発的な儀式条件の発生を疑った。ある程度の魔力供給源、それと魔術触媒もしくは導線、そこに一定方向への集団意識が重なれば、条件を満たすかと考えた。しかし魔力発生源たる魔具がこうも多くては、供給源の推測は難しいか」


 龍などの高い魔力を持つ高位迷宮モンスターは単独で成し遂げてみせるが、最強種たる彼らに比べれば、人種の中では高い魔力を持つ竜人や魔族さえも微々たる物。

 だがその魔力の特性に大きな違いがある。

 高位モンスターであればあるほど、その魔力は僅かでも強力な魔術効果、外世界への干渉力を発揮する反面、なかなか他由来の魔力と融合せず、むしろ別魔力を食い散らかし滅殺しようとする。

 逆に人や低位迷宮モンスターの発する魔力は、高位モンスター由来の魔力ほど強力ではない分、他の魔力と混じり同化しやすいという傾向を持つ。

 本来高位モンスター以外からは滅多に取れない転血石の、人口合成が可能となったのも、融合しやすい特性を利用し低位モンスターの血液を凝縮精製し結晶化させているからだ。  


(魔力が微々たる物でも、それを束ねれば大きな魔術と変わるか。俺が生きていた頃の東方王国のサムライ達とはずいぶんと様変わりをした魔術だ。俺の好敵主たるあやつらは、それこそ嬢のように一騎当千の実力を持つ強者揃いだった。逆に戦う力を持たぬ者は、今よりも数多く存在していたな)


 戦いを好む特性を持つ龍らしい龍であるノエラレイドは、過去との違いに懐かしさの入り交じった感想を漏らす。

 ノエラレイドが生身であった時代は、天恵を得るために迷宮に挑む戦闘に長けた者達は少数で、それ故に一般の民の間には確固たる身分差が有り、また別種族なほどに力の差も歴然であった。

 しかし皮肉と言うべきか、火龍達の侵攻、そして迷宮モンスターの長期異常増大。

 いわゆる暗黒期の到来により、強大な龍や魔物達に比べ、非力な人種対抗する為に、様々な試行錯誤が繰り返され、力を得るために迷宮に挑む者も増えた結果、身分の上下差は多少減り、人類全体の能力の底上げがされたと言っても過言ではない。


「ひいお爺様達の魔術か。闘技法もそうだが、今とは技術体系も大きく異なり、高度な肉体操作や術式が必須で習得が困難ではあるが、その分強力な技が多いからな」


 ノエラレイドの言葉に、ケイスも頷き同意する。

 ケイスやロウガ王女のサナが受け継ぐ邑源流はその最たる物。中途半端な鍛え方で技を使えば、むしろ使い手が負傷する様な技とて珍しくないほどだ。

 そんな話をしながら周囲の探索をしていたが、特にめぼしい物も見つけられずに、裏町の端へと付いてしまう。

 そこには表町と裏町を繋ぐ検問所であり、同時に燭華外へと通じる地下通路への出入り口ともなっている。

 朝営業の店が開店してから1時間ほどが経っているので、検問所には人の姿は見えず、どこぞの護衛ギルド所属の探索者が少し暇そうに立ち番をしているだけ。

 しかもよく見れば、それはケイスと同期に探索者となった初級探索者の一人だ。 

  
(どうする。このまま地下を抜けて他の裏町とやらも見て回るか?) 


「いや、挨拶ついでに表町の方を見てみる。あちらは夜にしか行ったことがないから違いを見つけられるやも知れぬ」


 ラフォスの問いに首を横に振ったケイスがフードを取って、同期探索者へと近づくと、槍を手持ち無沙汰に持っていた相手も、ケイスに気づき片手をあげた。


「よぉケイスの嬢ちゃんか。元気に……って聞くまでも無いか。昨日も散々暴れたって話だもんな」


「別にたいしたことはしておらん。怪我人もいなかったのだからな」


「まぁ嬢ちゃんの場合、確かにそれくらいじゃたいしたことないもんな。始まりの宮の後の暴れっぷりも、この間他の奴等と飲んだときに聞いたぜ。精神的にきついけどかなり儲かったって話だろ。俺も仕事が無ければなってちょっと後悔だ」


 同期の者達は多少の差はあれ、ケイスに対して友好的な者達が多い。なにせ始まりの宮の全員踏破はケイスの貢献が大きい。

 しかも本人はそれを笠に着るでも無く、恩着せがましくするでも無く、むしろ初日しか戦えなかったと詫びるくらいだ。

 全員より年下という事もあり、色々と問題が多すぎて手は掛かるが、可愛い妹分という認識がされている。


「一応箝口令が敷かれているのだがな。あまり口にするな。それに仕事があるのならば、真面目にやれ。燭華の警備は、高給であるが信頼が無ければ回されないという話であろう」


 警備担当者が、色香に血迷って違法行為などしたら目も当てられない。だから燭華の出入りに回される者は、護衛ギルドから信が厚い者となる。

 もっとも槍使いの彼が燭華の警備に回されたのは個人への信頼というよりも、この裏町に危険生物であるケイスが滞在しているからに他ならない。

 一応怒らせなければ気の良い奴だと槍使いは説明はしてみたのだが、燭華で起こした様々な騒ぎが噂を加速させ、ケイスと接触する可能性が高いのと、淫香発生に巻き込まれることも考え、辞退者続出で抜擢された上に、危険手当も出ているほどだ。

 だがこの辺りの事情を教えると、何かやらかしかねないのがケイス。

 地雷を避ける思慮が出来るから、ケイスと遭遇する可能性が高いここに彼が回された理由だ。


「……それよりかさっき鳳凰楼の店主がフラフラ戻っていったけど何かあったのか? 来たときは絶対に落とし前付けさせるって息巻いてたけど」


「インフィがなだめた結果だ。それとは別に修繕費や営業補償もする事にしたから心配するな」


「鳳凰楼って、俺らじゃ敷居もまたげないほどの高級店って話だけどな……嬢ちゃんならどうにかするか。で、今日は調査の一環か? 出入りするならこっちの書類にサインを頼んだ」


 自分だったら一生返し続けても利子分さえ払いきれない借金漬けになるだろうが、ケイスの事だろうからなんとでもなるだろうという謎の信頼感が有るので、さほど心配はしていないようで、槍使いは本来の仕事へと戻ることする。


「気になる事があるので、ちょっと表街の方を調べてくる。その後、ロウガ支部へと金策にいく予定だ」


 渡された書類に名前と滞在場所としている青葡萄の蔓を記載し、外出する理由も簡易に書いていく。

 何時もの癖で、ケイスという短い名前を書くにはやけに左詰にして書いてしまったが、それ以外には特に不審な所も無いので、槍使いが軽く目を通しただけですぐに判子が押される。
 

「装備品はポーチに入れた上封印してあるな……羽の剣は見つからないようにしろよ」 


 後は軽い持ち物検査を兼ねた身体検査をされるが、鞘にも入れず丸めて腰に差して持ち歩いている物体、闘気剣【羽の剣】を見た槍使いは、闘気を込めていなければ軽くグニャグニャと曲がり武器には見えないので、実態は知っていても同期のよしみで見なかった振りをしてくれる。

 非常時以外は、大小に関わらず刃の付いた武器の類いは持ち込み禁止が燭華の伝統。許されるのは護身用の殺傷能力の低い短物だけ。

 目だつクラーケン爪製の十本の剣である十刃や、投げナイフなど武器類は内部拡張されたポーチにしまってあるが、剣を一切持ち歩かないというのはケイス的には苛々して落ち着かないので助かる。


「その辺りのごろつきならば体術で十分だ。心配するな」


「騒ぎは起こさないって言わない辺りが、ケイス嬢ちゃんらしいよな。ほれ表町用の腕輪な」


 自分が身につけていた腕輪型魔具と、あきれ顔の槍使いが差し出した品と交換する。

 表裏の出入りだけで一々書類を書いて、身分証替わりの魔具を交換するのも面倒な話だが、この辺りも警備の一環だというのだから仕方ない。

 管理厳重で金の掛かった警備態勢があるからこそ、これだけの規模の色町が、多少の問題はあるが維持されている。

 だからこそ逆にそんな街で、何かの企みをしようとするのは、事が大きければ大きいほど難しいはずだ。


「ん。では行ってくる。何か怪しげな奴が通ったら後で教えてくれ」


 街のあちらこちらで淫魔が誕生しようとしている。そこにどんな意味が、意思があるか未だ不明。

 とあれ魔力を失った、捨てたケイスには、魔力の流れを見ることも感じ取ることは出来ない。

 被害者達の身体を調べても外傷以外は判らない。

 それらは、淫香に影響される可能性があって、中には入らず燭華外でサポートしているウォーギンやファンドーレに託すしか無い。

 とにかくあらゆる情報を、総当たりで総ざらいする為に、フードをかぶり直したケイスは槍使いの開けてくれた門をくぐって、昼夜問わず賑わうトランド大陸東部最大の歓楽街、燭華の表町へと繰り出した。



[22387] 下級探索者(偽装)と飴屋の鬼女
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/16 01:15
 渡された腕輪の認証機能を使って開けた表町への門をくぐり抜けると、生け垣に囲まれ隠された小道が続く。

 立ち並ぶ店舗裏口の木戸や、干された洗濯物の群れを横目で見ながら小道を歩いていく。

 周囲の建物に設けられた隠し窓のいくつかから視線が飛んでくるが、特段敵意は感じないのでケイスは気にせずそのまま抜ける。

 この路地の監視は出ていく者では無く、入ってくる者。泥酔して迷い込んだ客や、金も払わず店外でお気に入りの娘に接触しようとする不埒な者を排除する為に設けられた作りだ。

 人気のない路地裏を抜けて、賑やかな表通りへと出ると世界が一変する。

 原色多めの派手で人目を引く看板が店舗の壁には立ち並び、店先では宝石や金銀細工をふんだんに使い花の形をもした魔具灯籠が燦然と輝く。

 華灯籠と呼ばれるそれは一つ一つが異なる姿をしており、店頭に吊された華灯籠の数が、今店に出ている遊女達の人数を現していると、インフィからは事前に聞いていた。

 この一角は両脇に酒場が立ち並ぶ飲食店区画となっているが、それらはケイスが知る普通の飲食店とは大きく異なる。

 サシで飲める完全個室を謳う店や、大人数宴会向けの豪華な食事と芸達者な綺麗どころを売りとする店。

 各地の地方出身遊女が郷土の料理や酒を提供する店があるかと思えば、応対する遊女が獣人やら、エルフ、ドワーフなど各人種だけといった種族専門店。

 石畳が綺麗に敷き詰められたメインストリートには、まだ昼前だというのに軽く酒を引っかけた千鳥足の男達が数え切れないほどに行き交い、そんな男達の隣には艶やかで扇情的、ケイスから見れば実用性皆無で、防御力の無い薄着な服を身につけた女性達が寄り添う。

 相手がいない者、もしくは今から飲む店探している者には、格子で遮られた店内ら遊んで(何故食事では無く遊びなのだろうと、ケイスには判らない)ってと、呼びかける遊女や、飲食を売りにする区画であるはずなのに、食べ物よりも従業員の方を強調する客引き等も目だつ。


「夜よりも灯籠の数が少ないか。それに機能が変わっている。夜の方は光るだけだったが、似姿を映しているな。思ったよりも高度な魔具か」


 夜はただ薄ボンヤリと幻想的に輝くだけのはずだった華灯籠は、この時間は通信魔具の機能を応用しているのか、その華灯籠に対応する遊女達が、踊ってみせたり、身体の一部をアピールする映像が繰り返し浮かび上がって、盛んに宣伝している。

 ただの灯りとしてだけで無く、あれだけの機能を持たせれば、魔具が用いる魔力は数倍に跳ね上がるはずだ。それがこの一区画だけでも百以上は並んでいる。

 形は微妙に違うが、華という同じモチーフ、看板という同じ意味、投写という同じ機能を持たせた魔具が大量。数を束ねより大きな力とする儀式魔術に用いるには恰好の魔力供給源だ。

 しかしこれだけでは個別の華灯籠を、1つの儀式に用いる魔力源とする要素には弱いと、ケイスのもつ魔術知識が否定する。

 華灯籠は常に同じ物が出ているのではなく、その遊女が店にいるときだけ展示される代物。

 その時によって有ったり無かったりでは、不安定で繋がりが弱くなりやすい。

 魔力を通しやすい銀糸や、モンスター由来の素材を使い、物理的に魔力導線を繋げてあるのなら、1つの魔力供給源として利用可能だが、そのような仕掛けが街に施されている様子は見られない。

 夜になってもこの状況は変わらない。

 ここ燭華は夜が本番であり、吊された華灯籠の数は多くなるが、店に出られない体調不良の者が出ることも有るだろうし、年中無休を売りとする燭華では、遊女達は交代制の休みを取っているので、儀式に用いるには無視出来ない変動が発生する。


(この街で働く遊女とやらの総数はどのくらいだ娘?)


「流動が激しく、ちゃんとした統計が取れていないが、営業許可をちゃんと取っている店の数から推測すると、現役の者、新造や禿も合わせれば、数万人くらいという話だ」


(ならば全てでは無くいくつかにしぼり、点として用いるのはどうだ? 晴れの日の夜だけに現れる理由付けとはなるぞ)


「だがそれでは魔力源としては弱い。いくら中途半端な不発の儀式魔術といっても存在その物を変える術だ。限られた数の灯籠と、その魔力だけでどうにか出来るとは思えん。魔具に用いる転血石が、高位モンスター由来であるならば少数でも可能だろうが、浪費が出来るほど安くは無いし、出回る数も稀少だ。それ以前に高出力過ぎて魔具が壊れる」


 ラフォスの問いに答えるケイスも考えれば考えるほど、手がかりだと思った物が、的外れな予感がひしひしとしてくる。

 魔具の専門家であるウォーギンならば、詳細調査をすれば違った見解を出せるかも知れないが、偶発的な儀式魔術でないかとケイスが個人的に疑っている段階で、決定的な証拠には弱い。

 灯籠が魔力供給源であると証明、もしくは否定するための詳細調査に掛かる手間と時間を考えれば、今はまだ可能性の1つとして扱う程度の労力しか割けない。


「何か芯となる物があれば別だが、これだけの魔具を遠隔的に束ねるとなると、相当に強力かつ大がかりの仕掛けとなろうな。近傍の立て直しや新造された建物を探してみる方が良いか」


 最初の淫香発生事件が確認されたのは、ケイスがロウガに戻る数日前。

 それ以前には何も起きていないのだから、少し長めに見積もって1年ほど前から、二ヶ月前までの間に、何らかの変化があったと見るべきか。

 その期間に行われた工事や、怪しげな建造物を探してみるだけならば、資料を当たるだけなので、魔力を持たないケイスでも調査には問題はない。


(嬢。少し気になるのだが、火龍の気配をうっすらと感じないか?)


 建築許可の申請書ならば、ロウガにおいては役所機能も兼ね備えた管理協会の管轄。後でロウガ支部に向かったときに次いでに調べようとケイスが考えていると、ノエラレイドが訝しげな声で問いかける。


「ん? ……確かに言われてみればあるな。だが相当弱いぞ。あの店か」


 言われるまでは気づかないほどに弱い気配の出所を探してみれば、一軒の店が目に入る。

 そこは酒の種類を多く取り扱っている事を売りにする店だ。やけに丈の短い薄手のシャツとスカートを身につけた女性店員が忙しそうに走り回っている。

 背の高い店の棚には各地の銘酒、稀少酒の瓶が取りそろえてあって並んでおり、客が注文するたびに、女性店員がやけにのんびりとした動きで梯子を昇ったり、透明なガラス製の踏み台を使って瓶を下ろしている。

 高い酒ほど上の棚にあるようで、その最上段に昇った女性店員が、瓶の表面に火龍を施した飾りを入れた一際高そうな酒瓶の蓋を開けている所だった。


「火龍酒または龍命酒という代物か。何でも火龍の血を原料にした酒らしい。あれだな気配の出所は」


 龍由来の代物であれば多数の魔力を強制的に支配下に置くのも難しくないので期待したのだが、気配の正体を知ったケイスは当てが外れて軽く肩を落とす。

 龍の血を元にしているとは言え、ただの酒が儀式魔術の芯となるとは思えない。強化する触媒が精々だ。


(龍の血すら己が嗜好品へと変えるか。人の力と本当に強くなった物だな。しかも血を欲するほどに火龍への怨みがまだ残っているのか)


「早々作れる物ではないらしいぞ。しかもそこまで火龍を恨む者など少数だろう。何せ今や龍はお伽噺の代物らしいからな」


 ケイスにとっては身近な存在の龍だが、一般市民や大半の探索者にとっては知性が低く獣と変わらず、力も弱い竜ならばともかく、本物の龍など一生目に掛かることなど無い伝説の存在。

 最強種であることに変わりはないが、数も減った龍は、一部の上級迷宮の奥地にひっそりと住まう存在でしかない。


(しかし俺達の血を酒にしても美味いのか? それ以前に何故龍の血を酒にしようと思ったのやら、魔術触媒ならば判るが)
 

「私は酒を嗜まないから味は知らん。ものすごく辛くて強いが酒好きには美味いそうだ。由来の方はお婆さまに聞いたことがある。なんでも火龍酒を最初に作ったのは大伯母様で、憂さ晴らしに火龍口で火龍を倒しに行った時に、持ち込んだ酒が切れた上に水も無くて、試しに残っていた酒と血を混ぜてみたら、発酵が進んで美味かったからという偶然らしい。その後も個人的に作って楽しんでいる龍命酒を知り合いに差し入れしているうちに、幻の名酒と知られるようになったそうだ。今では酒好きの探索者。特にドワーフが、たまに狩りにいくくらいで生産数は限られているから、相当稀少な酒なのだろうな」


 火龍酒の瓶から酒を汲み取る女性店員の動作一つ一つに、その周りに詰めかけた客の男達から大きな歓声が上がり盛り上がっているので、その稀少さや旨さが、酒を知らないケイスも多少は理解が出来た。


(嬢の大叔母というと邑源の姫か。あの一族には時折人とは思えない力を持つ者が生まれていたが、その姫も相当な人物だったようだな)


 憂さ晴らしで火龍達の本来の住居である大火山へ火龍口に行くなど正気の沙汰ではないが、それが邑源の者、しかもケイスに近い血縁者となれば、さもありなんとノエラレイドは納得している。


「しかしあの女性店員は何故上も下も下着を身につけていないのだ。動きももたもたしているし、間が抜けているのだろうか? 早く飲みたくて待ち望んでいる客がいるというのに」


(そういう習慣の部族なのではないのか。この間の夜にも服を着ない裸主義者とやらがいたであろう)


(いやラフォス殿。あれは雄であったぞ。今日は暑いからではないだろうか)


 きわどい衣装でノーブラノーパンで棚の酒を取る。高い酒ほど時間を掛けてたっぷりとサービスシーンを演出。

 そういうサービスが売りの店だという事が理解が出来ないケイスが龍達に尋ねるが、人外の二匹に正解が答えられるわけも無かった。



「華灯籠くらいか気になったのは、一応ウォーギンに教えてみるか。ロウガ支部に行く前にちょっとこの近くの飴屋による」


 魔術的なことならばともかく、風俗的な事に関してはどうにも見当違いな推測しか出来ない1人と2匹では、今ひとつはかどらない調査という名の散策を1時間ほど続けてみたが、当然のごとく碌な手がかりは無く、成果もあまり無しのまま、一度打ち切ることを決めたケイスは踵を返す。


(甘いものばかりではまた女医に叱られるぞ)


「飴が目的では無く話を聞く、飴を買うのはついでだ。飴屋のオババは燭華が長いらしいから独自の習慣や意味を聞くのに丁度よかろう。あの老鬼女殿はインフィみたいに面倒で無いからな」


 一応の怒られない理屈をひねくりだしたケイスは、遊女達への土産物を扱う店が立ち並ぶ区画へと移動し、古い佇まいのこぢんまりとした商店の扉を開け中に入る。

 扉を開けた瞬間に、ケイス的には酒の匂いなどよりも百倍嬉しい甘い匂いが漂ってくる。そこは飴細工や干菓子など細工の細かな菓子を扱う店となっていて、色鮮やかな菓子類が所狭しと並んでいた。

 値札を見れば、燭華外と比べれば似た商品でも数倍以上と、値が張る物が多いのは、これはいわゆる燭華価格というやつだ。

 遊郭の目当ての遊女、そのお付きの新造や禿など女、子供相手に手土産として菓子などを持ち込む客は多いが、それらは全て燭華内で製造販売された物に限定されるという不文律のルールがある。

 外から持ち込まれた物など何が入っているか判らないという、それらしい理由があげられているが、燭華内製造に限ると限定されている大きな理由はもう一つある。

 それは身請けもされず、年齢や病気で客が取れなくなり引退したが、燭華以外では生きる知恵を持たない元遊女者達へと、日々の糧を与えるため、それらの製造販売などに関わらせる、福利厚生でもあるからだ。

 
「誰か思えば疫病神の小娘かい。あんたは夜のはずだろ。真っ昼間から出んじゃないよ」


 他の客の姿はなく1人暇そうに店番をしながらキセルを吹かしていた鬼人の老女が、店内に入ってきたケイスを見るなり嫌そうな顔を浮かべた。
 
 流行廃りの早いロウガでは、些か流行から取り残された感のある古式な菓子を扱うこの店の老女店主もそんな引退した遊女の1人だ。

 顔や手足の皺は目だつが、若いときは涼やかな美人であったと思わせる程度にはその名残が残っている。


「誰が疫病神だ失礼だぞ。今日はこれをもらうぞ」


「探索者なん誰も疫病神さ。共通金貨1枚」


 ケイスがどうこうというよりも探索者相手だと常に無愛想。というよりも嫌っているのが、この界隈で飴屋のオババと呼ばれる老鬼女の特徴だ。

 なにやら色々と探索者と過去に有ったようだが、ケイスは特に気にしない。

 相手が自分を嫌っていようが、自分が相手を気にいっているならば、さほど気にしないからだ。


「手持ちが無いからつけておけ。それよりオババに聞きたいことがある」


 自分勝手なケイスは、オババの口が悪いのは何時ものことだと流して、金も払わず勝手にケースを開けて気になった飴玉を取りだし、口に放り込む。

 雑味の少ないすっとした甘みが口の中に広がり、微かな林檎の香りが楽しく、思わず笑顔になる。


「ふむ。オババの店の品はどれも上質で良い物が多いな。何故これで流行らん」


 ケイスがこの老鬼女を気にいった理由も単純明快。好みの甘いお菓子があり、そのラインナップを選んだのがオババなので、それだけで好評価というまことにケイスらしい理由だ。


「余計なお世話さぁ。ほんと疫病神だよ。この娘は……で、なんよあしに聞きたい事は?」


 傍若無人過ぎるケイスの行動に関しては、もはや諦めの領域で、アメ代はその保護者役の某薬師から利子込みで取り立てればいいと考えつつ、老鬼女は煙管を横に置くと、ケイスをとっとと追い出すために、話を進めることにする。


「ふむ。燭華独特の言い回しや言葉の意味についてだ。鳳凰楼の主人から弁償だけでは面子が保てんから、私の水揚げをやらせろ等と言われてな。他にも華替えの祭りとやらの詳細も聞きたい。あと華灯籠について何でもいいから聞かせろ」 


「注文が多いさね。おぼこ娘に教えるのは骨さね。情報1つにつき飴玉1個は買いぃな。しか、鳳凰のとこの馬鹿旦那も、また恐ろしい事を平気で口にしなさん。見た目だけなら燭華の一番花になるや知れんけど、こんな娘なんぞ店に出したら後で痛い目見るに決まってろうに」
 

 現役の頃は、ケイスよりも幼い禿の娘達に、燭華の常識のみならず話芸、手妻やら色々と教えてきたが、その時よりも遥かに苦労するであろう予感がひしひしと感じたオババは、飴玉の旨さに思わずフードの下で華のような笑顔を浮かべているケイスに向け、心底嫌そうな顔を浮かべていた。



[22387] 薬師と白虎姫
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/20 01:08
「おう赤毛のおねえちゃん。あんたどの腕輪だい?」


 表町の雑踏の中で背後から掛けられた上機嫌な呼び声の主に対して、ルディアは振り向くことも無く、右手につけていた銅色の腕輪を無言で掲げて見せる。

 昨今は身体を売らず、大人の社交場として、ただ酌をしたり、話し相手になるだけの店も増えている燭華では、遊女は金色の腕輪、まだ新造や禿、身体は売らないサービスをしている者は銀色の腕輪、そしてそれ以外の一般女性は銅色の腕輪と区別がされている。

 もちろんルディアの色は一般の銅色だ。


「ちっ……商売女でも無いくせに、派手な髪晒して歩いてんじゃねぇよ」


 舌打ちと共に悪態を吐いた男は、苛立ち交じりの足音を残して去って行く。


「大変だねルディ。ケイみたいに隠したら。それかボクみたいに染めるとか」


 表町で偶然合流したウィーは、同情の色を込めた慰めをする。
 

「やれたらしてるわよ。でもこの暑さでしょ。それに染めると碌な事にならないから」


 長身痩躯で燃えるような赤毛の長髪。目だつのは仕方ないので、燭華で行動を始めてから何度目かも忘れた理不尽な罵りにも、ルディアは諦めの息を吐くだけ。

 ケイスのようにフードで髪を隠したり、ウィーのように染めるという方法もあるのだが、それには少しばかり不都合がある。

 まず一つは純粋に暑いからだ。

 北方の氷大陸生まれのルディアには、ロウガの気候は蒸し暑すぎる。探索者となって少しはマシになったが、元々あまり体力だって有る方では無いのでフードなどかぶっていたらバテるだけ。

 そしてもう一つの理由は、この髪自体がルディアにとっての護符だからだ。


「あーやっぱりその髪って魔術的な意味を持ってるんだ。なんかそんな匂いしたんだよね」


「匂いって……ケイスもかなりの特殊能力持ちだけど、ウィーもウィーよね」


 今はルディアの作った染色薬で毛色を変えているが、ウィーの元々の体毛は雪のように白く、その出自は白虎と呼ばれるレア獣人族。

 肉体強化や体術に長けた闘気特化種族の獣人のなかで、極々珍しい魔術対応力にも優れた一族で、魔力、魔術を匂いで判断し、その咆哮や爪で魔力の流れを断ち切り無効化したり、混ぜ合わせ、全く別の術へと変貌させることも出来るという特殊能力を持っている。

 存在自体が歩く超高等魔術触媒のような存在なので、身を攫おうとする不埒な輩も多く、ウィーが御山と呼ぶ生まれ故郷から出ず、そこで生き神として一生を過ごすのが本来の生き方だ。

 それがなんでロウガで探索者になっているかと言えば、極めて個人的な事情、人捜し故だ。


「赤い髪を切るな、染めるなって地元の言い伝え。人数は少ないけど、歴史だけはあるから、ウォーギンの言う無意識の儀式魔術で護符になってるのよ」


 生まれ故郷では赤い色の髪は、太陽や炎、そしてそれらから活発な生命を現す幸運の象徴として捉えられていた。

 だから濫りに切ったり、色を変えたりすれば不幸が訪れると信じられ、それ自体が既に一つの魔術として成立している。

 といっても、多少の毒や軽い呪いなら無効化し、また火傷など炎に関係した怪我などの治りが僅かに早くなる程度なので、普段の生活では恩恵はあまり感じられない。

 むしろ気になるのはその弊害の方だ。

 調合中に不注意で毛先を燃やしてしまった時は、風も無いのに上から瓶が落ちてきたり、買ったばかりの薬草が腐っていたり。

 染色薬が飛び散って色が変化したときには、元に戻るまで熱が出たり、足が頻繁に攣ったりと、髪に関して何かしたあとに立て続けに起きた微妙な不幸の方が気に掛かる。


「集団意識と風習による積み重ねで発動する原初の魔術様式かぁ。今回もそれっぽいって事だけど、ウォーギンの予想って当たってそうなの?」


「それを調べてこいって事でしょ。無いとは思っていたけど、薬による体質変化はやっぱり無さそう。となると存在その物の変化を疑えって事らしいわね。まだ確定じゃ無いけど、被害に有った人達って魔術耐性が弱い傾向が多いみたい」 


 身分証の更新で薬師ギルドに寄ったついでに依頼していた新薬情報は、表裏含めて痕跡さえ無し。レイネやファンドーレが行っている被害者の女性達の検査でも残存薬物反応は無し。

 その代わりにようやく判明したのが、彼女達は元々魔力が少ない体質だったり種族の者が多いということだ。

 少ないと言っても平均の僅か下で、見逃していたというよりもデータが揃ってようやく確信を持てたというレベルの事実。

 体内に流れる自前の魔力が少ないと言うことは、外からの魔力の干渉に弱いと言うこと。つまりは魔術耐性の低さと同義。

 ウォーギンはそこに注目し、意図していない儀式魔術の対象になっているのでは無いかと予測し、怪しい風習が無いか調べてこいとルディアに伝言を託している。


「要はそれって彼女達が何かされたから、なったんじゃ無くて、抵抗しきれなかったから淫魔化しかけたって事だよね。そうなると捜査対象がすごく広がりそうなんだけど」


 ウィーは昨夜の鳳凰楼の事件で淫香発生源になった被害者少女の証言を元に、ここ数日の足取りを追跡調査しているが、今の所それらしい怪しげな物は見つかっていない。

 その調査の途中で、勝手にほっつき歩きだしたケイスを探しに表町に出て来たルディアと偶然遭遇したというわけだ。

 ウォーギンの予測した無意識の儀式魔術がその理由だとすれば、何気無い日常の行動が、事件の原因である可能性さえ有る。

 そして燭華には、色町故か独特の風習がいくつもあり、疑うならば、いくらでも疑える街だ。


「手がかりが見つかっただけまだマシでしょ。取っ掛かりさえ無かったんだから……ただ個人的にはケイスがどうも同じ結論に自分で達したって事が気になるんだけど」


 男に声をかけられたときよりも、さらに重い息をつく。

 拠点としている宿に残っていた顔役のサキュバス。インフィによれば、ケイスは儀式魔術では無いかとつぶやいていたそうだ。


「やっぱりさぁ。ケイって生まれつき魔力が無いって嘯いているけど、あれ絶対後天性だよね。魔術対策とか、とっさの判断とか、魔術に精通してないと無理だよ」


「魔術知識と理解力もウォーギンがちょっと驚くレベルだってのに、あれで隠してるつもりよ本人は」 


 ウィーの評価に、ルディアも全面的に同意するが、それを今更ケイスに問いただす気など無い。聞いてもどうせ下手に誤魔化すか、途中でしつこいと怒るだけだ。

 元々根が素直というか隠し事など出来ないほどに単純というか、ケイスの言動は自分が怪しいという自覚を持っているのか疑わしいほどに拙い。

 あれで隠せていると思っているのは、当の本人だけだ。


「ケイってさ結局何者なの。あのお姫様とかなんか知ってるっぽいけど……やっぱりあの噂通りとか?」


 ウィーの言う噂とは、今も時折囁かれる、ロウガ元女王の王配で、現ロウガ国王の父親である上級探索者ソウセツ・オウゲンの血縁者ではないかという話だ。


「それ絶対ケイスに聞かない方が良いわよ。本気で斬りに来るか、その場でいきなり脱いで背中みせるかしかねないから。それにあの子の相手は今現在だけで手一杯。過去まで面倒見きれないわよ」  


 本人はそれに対して、証拠としてその場で脱いで背中に羽根の後が無いと明確に否定しており、また相手の口調に少しでも嘲りの色があれば、脱ぐまでも無くその場で叩きのめすほどに激怒してくる。

 元々怪しい事は重々承知で、それでも友達としてやっているのだ。これ以上余計な心労を抱えないためにも、ケイスの過去についてはあえてルディアは無視している。

 
「ボクらが言えたことで無いかも知れないけど、直情的だねぇ……ん。いたいた。ケイあそこみたい」


 会話の最中も街に流れる匂いの痕跡からケイスの足取りを追っていたウィーが足を止め、一件の古びた佇まいの飴屋を指さす。

 何らかの明確な指針があるのか不明でフラフラとあちらこちらをうろついていたケイスだったが、どうやら甘いものが欲しくなったのでお気に入りの飴屋に立ち寄ったらしい。


「あそこの店主さんって探索者嫌いで有名なのに、ケイは全く気にしないよね」


「ケイスがそんな事気にするわけ無いでしょ。美味しければそれで満足なんだから。余計な騒ぎ起こす前に引っぺがしに行くわよ」


 昨夜の鳳凰楼だけでなく、ケイスの所為で一時休業に追い込まれたり、笑えない被害に有った店なども数多い。

 ただその全部が、淫香で正気を失った男達に襲われた被害者を助ける為の最速の一手だった事も確かな事実。  

 女性陣を中心に、店主達の手前、表立っては言えないが知り合いや妹分を助けてもらったと感謝している遊女達も多く、非難がしにくい空気が出来ている。

 何よりケイス自体が何をしでかすか判らない危険生物な事も、さすがに燭華の住人も判って来ているのでトラブル自体は減ってきているが、逆にその状況で何かしてくるとすれば、ケイスに深い怨みを抱いた者達だ。

 そしてその手の輩に対して、ケイスは場合によっては容赦なく斬り殺す。

 今朝方きたという鳳凰楼の主人も、間にインフィが入ってくれたからよかったが、そうで無ければ大店の店主だろうが、自分が気にくわない暴言を吐かれたら気にせず斬るのがケイスだ。

 ケイスの水揚げをやらせろと、鳳凰楼の店主が言ったとインフィから聞いたときは、ルディアは思わず鳳凰楼店主の冥福を祈ったくらいだ。

 幸いにもその意味、処女の喪失。いわゆる未通を開けるという意味からくる隠語を、ケイスが知らなかったので良かったが、意味を知れば、今からでも斬り殺しに行くとなりかねない。

 なんとしても余計なトラブルを抱え込まないためにも、それだけは防ごうとルディアは気合いを入れ直して、引き戸を開けて店内へと入る。

 そこにはやけに疲れた様子の老鬼女店主と、その対面で飴玉でも口の中に転がしているのか口をもぐもぐとさせながら話を聞いていたケイスがいた。


「ん。ルディとウィーか。丁度いい。お金を貸してくれ。飴玉全部で7個分なので金貨7枚だ。手持ちが無い」


 扉の開く音に振り返ったケイスが、2人を見るなり金の催促をしてくる。

 確かに細工は細かいが、飴玉の値段としては法外。それ以前に手持ちも無いのに、豪遊するなと言いたい所をルディアはグッと堪える。


「判ったわよ。立て替えるから後で返しなさいよ。それより鳳凰楼弁償に金策でロウガ支部にでも行くんでしょ。無駄に油売ってないで行くわよ」


 インフィの話では、鳳凰楼の修繕費用どころか閉店期間中の営業補償まですると言ったそうなので、またとてつもない金額が必要になるが、ケイスにはそれを払う当てが有るのもルディアは知っている。

 正確にはケイスの持つ、とある知識にそれだけの価値があると言うことと、その売り先をだ。

 しかしいつでもルディアの予測を外すのが、常識など世界の果てにほっぽり出した予想外の思考をするのがケイスだ。


「あぁ。なら心配するなそれなら当てが出来た。だからルディ避妊薬とやらをくれ。持っているのだろ。鳳凰楼の店主はお金では無く、水揚げとやらで良いらしいので、それで代償すれば良かろう」


 言葉の意味を知ったのか、それとも誤解したのか。

 名案だと真剣な顔で答えるケイスの横で飴屋の店主がどうしようも無いと首を横に振っていたのが、ルディアにはやけに印象的だった。



[22387] 下級探索者(偽装)の判断基準
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/07/21 06:35
「……一応尋ねるけど、ケイス。自分の言っている意味判ってる?」


 なにやらやたらと気むずかしい顔を浮かべたルディアが、重い息をゆっくりと吐き出した後ずいっと寄ってきて詰問口調で尋ねる。

 
「うむ。オババに水揚げとやらの詳細を聞いた。要は鳳凰楼の店主が指名した相手と生殖行為をすればよいのであろう。対策さえすれば問題は無かろう」


「生殖行為ってまた生々しいというか。硬いというか……ごめん。質問変える。あんた正気? なに考えてんのよ」


 尋ねられたから簡潔に判りやすく答えたのだが、それに対してルディアは最近よく見かける錠剤を取りだしてから水も無しでガリガリとかみ砕いて飲み干すと、額を抑えながら再度尋ねてくる。
  

「私は剣士だ。ならば剣士であるなら当然であろう」


 ルディアが疲れているようなので気を使ったケイスは、難しく考えなくても済むように今回の選択に至った何よりも簡潔な答えをあげてみせるが、


「それ禁止! あんたの場合は一から十まで全部話す! 理解出来るか!」 


 耐えかねて赤髪を掻きむしったルディアからは、ケイス的には極めて理不尽な怒声が返ってくるだけであった。





 ケイスには理解が出来ないが一般人の常識から見ればルディアの反応は当然。

 ケイスの奇妙奇天烈で珍妙な思考を、剣士だからのひと言のみで理解しろとは、まさにケイス級の理不尽以外の何物でも無い。


「あのねケイ。ルディはケイが鳳凰楼の店主を斬り殺すかと思って心配してたんだけど、なんでそんな結論になったの?」


「何故、私が鳳凰楼の店主を斬らねばならん」


 息切れしているルディアを見かねたウィーが引き継ぐが、ケイスは小首をかしげるだけで、質問の意図を理解していない。

 仕方ないのでウィーはさらにかみ砕いた、判りやすい質問へと切り変える。


「ほら、ケイってそういうエッチな話、嫌いでしょ」


「ん。月の物でお腹が痛くなったこと、正確に言えばそれが原因で負けた上に、殺し損ねたことを思い出すから嫌いだ。しかし何故それと今回の件が関連する」


「いやだから自分にその手のことやれって言われて怒るんじゃないかって」


「なるほど。理解した。しかし嫌ではあるが怒ることか? 私はそれほど狭量では無いぞ。別に鳳凰楼の店主は、私を愚弄したり辱めるために、あのような申し出をしてきたわけではないようだしな」


 いきなり切れて剣を躊躇無く振り回す狂人である自覚は一切無しで、ケイスは胸を張り堂々と答える。


「店主は店やあの壁画を一族の誇りと言っていた。そしてその弁済として私は金銭を払うと申し出たが、それでは代償にならんとして、代わりに水揚げを要求してきた。つまり店主にとっては誇りと同等の価値と認め求めたという事であろう。ならば私が怒るようなことではあるまい」


「あールディ……やっぱ任せて良い? なんかボク頭くらくらしてきた」


 代役を買って出たは良いが、展開されるケイス理論に、ウィーは早々に白旗を揚げる。

 ケイス最大の問題点はこれだ。あまりに考え方、論理の組み立て方が違いすぎる。

 普通の一般常識であれば、楼閣の主人が弁償として年若き美少女(中身はともかく)の身体を要求してきたという実に世間体の悪い悪評となるのだろうが、ケイスに掛かれば、自らの誇りと同等と認めた正当な要求となってしまうのだ。


「むぅ。何故理解出来ん。オババも言っていたぞ。派手な水揚げは新造や禿の者にとって、最初の晴れ舞台だと。つまりは名誉ではないのか」


 水揚げと呼ばれる一連の処女喪失儀礼が、燭華の遊郭や、そこで働く遊女達において、極めて重要かつ盛り上がるイベントであるのは確かだが、燭華外、特に昨今良識あると大人と呼ばれる者達からは眉を顰められる内容であるのもまた事実。 


「この馬鹿に何を教えたんですか」


 ケイスに何をどう伝えたのかと、飴屋の鬼女店主をルディアは睨むが、


「あしを睨むなや薬屋。こんおぼこには女心の機微やら、建前なんぞ通用せんのが悪いさね」


 老鬼女は新たな葉を詰めた煙管に火をつけると、お手上げだと片手をあげてみせる。

 新造の娘が悲喜交々な感情を抱くのを慰め誤魔化すための一番最初の建前の段階で、ケイスが納得してしまったのだから、手の施しようが無い。

 ウィーは撤退、飴屋の店主も諦め顔だが、ここで引き下がれないのがルディアの付き合いの良さというか、貧乏くじを引く所以だ。

 味方が皆無という状況でも何とか気力を振り絞ったルディアは、再度切り込みはじめる。


「第一よケイス。今のどこに剣士として当然って要素が有るのよ」


「ん。修繕費や保証に相当お金が掛かりそうだ。だが私の初めてとやらだけで済むならば、その分を武具に回せるでは無いか。剣士が武具を求めずどうする。それに水揚げとやらは一晩であろう。断然早いではないか」


 そしてすぐにあっけらかんと答えるケイスによって撃沈される。

 貞操観念という概念など粉みじんにまで切り刻んで、どこかに捨て去っている剣術馬鹿にとって、武具代と迷宮に潜る時間の方が何千倍も尊いようだ。


「ほんとーに何するのか判ってるのあんた! よく知らないおっさんに抱かれるのよ!?」


「生殖行為の詳細はよく知らんが、オババが言うには火箸を身体の中に打ち込まれるほどに痛いというが、その程度の痛みであればたいしたことはあるまい。噛みついた牙が体内に食い込んで肉を爆砕する爆弾鮫に片手を吹き飛ばされた時は気絶するほど痛かったし、毒一角兎の角で腹を突かれた際は、腸の一部が腐りかけたから、火で焼いたナイフで無理矢理切除したこともある。痛いと言ってもその時ほどではあるまい。ならば耐えられるぞ。心配するな」


 ケイスが自信満々堂々と答えるので、自分の方が間違っているのではないかという錯覚にルディアは捕らわれそうになる。

 恥ずかしいとか、悲しいとか、そういった感情が一切なく、ただ痛いか痛くないかで判断して、さらには痛みの一例として挙げてくるのが、なんでそれで生きてんだあんたはと突っ込みたい物ばかりだ。


「むぅ。さっきからルディが何故反対しているのか判らんぞ。生殖行為は悪いことなのか? この街ではちゃんとルールとして守っていれば違法なのでは無いのであろう。鳳凰楼の店主が申し出て私が納得している。双方の合意があるのだ。ならば問題はあるまい」

 1文字1句があまりにケイスだ。ケイスが過ぎる。そうとしか言いようが無い。他に例えるべき慣用詞が無く、これ以上にふさわしい言葉など無いほどにケイスだ。

 この馬鹿を説得し、反意させる手立てが全く思いつかず、しかし放置していると本当にやりかねないので、放っておくことも出来ないジレンマにルディアは陥る。

 だがそのルディアの窮地に、思わぬ所から救いの手がさしのべられる。


「おぼこ。水揚げ自体は一夜やし、しかその前に最低限、座敷と伽の作法ってもんを身につけなきゃ話ならん。鳳凰楼の遊女となりゃ二、三年は姐付いて勉強が必要やし」


「なんだオババそれを先に言え。私は忙しいのだぞ。さすがに年単位で付き合ってられるか。手っ取り早いと喜んで損をしたでは無いか」


 飴屋の鬼女から水揚げ前に準備として修行期間があると聞いたケイスは、不満げに頬を膨らませると拍子抜けするほどにあっさりと意見を撤回する。してしまう。心配したルディアの事などまるっきり気にもせずに。 

 
「ケ、ケイス。あんたね。ほんと人騒がせもいい加減にしときなさいよ」


 徒労というか、無駄な心配というか、常に自分の都合最優先なケイスに振り回されるルディアは脱力し、店の床にへたり込む。

 幸運の象徴である自分の赤毛がストレスで抜けるか、白く染まるのではないかと、ついつい心配になるほどだ。


「なんだルディ? 疲れているのか。ならば飴でもなめろ。ここのは美味しいから元気になるぞ。ウィーも奢ってやる」


 最終的な払いはともかくとして今この場でその金を出すのはルディア本人なのだが、そんな事は全く考えもせず近くの箱から飴玉を勝手に取りだしたケイスは、二人の口に勝手に放り込んでくる。


「あーえと。ルディ大丈夫?」


「大丈夫に見えるなら、良い薬を処方してあげるわよ」


「もう、ただで良いから、とっとと帰ってくれんかね。これ以上疫病神共に付き合ったら店の前にあしが潰れん」


 景気の悪い顔を浮かべる二人と、存在その物が疲れさせるケイスを見た飴屋の鬼女は、虫を追い出そうとするかのように煙を吹きかけてくるが、ケイスはそれを手で払いのけると自分用の飴玉を取りだし、口に放り込む。


「潰れるようなたまではあるまい。それに飴玉1つで情報一つであろうオババ。飴玉3つだ。次は華灯籠と華替えの祭りについて聞かせろ。私は今回の騒ぎの原因がそこにあるのでは無いかと疑っているのだ」


 どこまでもマイペースを貫くケイスは、何事も無かったかのように情報収集を再開し始めた。 



[22387] 下級探索者(偽装)と2つの祭り
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/08/20 01:50
 華替えの祭りとは元は華送りと呼ばれた祭儀。
 
 病死や自殺、望まぬまま押し込められた遊郭から最後まで出ることが敵わず、異国の地で非業の死を遂げた遊女達への鎮魂の儀は、大風俗街【燭華】ができる前から行われていた古い祭りだ。

 だが燭華として専用街区ができた頃から、見送るべき者達への鎮魂ではなく、新しい街区を象徴するためか、より明るい、より華やかな物とするためか、新しく遊女となった者達をお披露目する儀礼が併設して行われるようになっていた。

 すなわち古い華から、新しい華へと差し替える儀礼。華替えの祭りへと。


「あしが禿だった頃には、まだ鎮魂としての華送りも細々続いていたけど、その頃には燭華としてこの街区も出来て結構経っておたし、帰るべき故郷が有る者がほとんど。それ以前に自ら命をたつ者なんぞ滅多とおらんし、医療も充実しておったからね。そんなんで、祭儀を取り仕切とった老舗の遊郭主が引退した後は絶えとるよ。今じゃ華代わりの裏でそんな儀礼があったと知る者も少ないさね」


 煙管を片手で玩ぶ、飴屋の老鬼女が口から細い煙を吐きだす。

 どこか遠い目をしているのは、その当時にその華送りで誰かを見送ったことがあるからかもしれない。

 だがそこには深く触れてくれるなという表情と雰囲気を全身から滲ませていた。


「ふむ。その華送りの祭儀が執り行われていた場所はどこだオババ?」


「燭華が出来る前は、コウリュウのほとりだったらしいさ。燭華完成後は、朝の日の出と共に厳かに執り行われるのが華送り。燭華の本来の顔である夜に、行列を束ねて通りを練り歩き大々的に行われる華替えの出発点。そのどちらも燭華中心部にある大華公園、大華燭台の下よ」


 老鬼女が煙管で店外を指し示す。

 煙管がさす先には、建物の隙間をぬって顔を覗かせる、朝顔の象形が施されたガラス細工が施された灯光部が遠くに見えた。

 燭華では大燭台と呼ばれる大華燭台は、明かりが落とされた状態で静かに佇んでいる。

 その灯光部の根元ではちょこちょこと動く人達がなにやら動いているのは見えるが、さすがにケイスの目でも何をやっているかまでは判らない。


「あれなんかガラス部分を外してるね。おばあーちゃんあの大燭台ってここの所、夜でも光ってないけど故障中?」


 だが獣人のウィーにはこの距離でも何をやっているのかばっちりと見えていたようだ。


「華替えの時は、普段つかっとる華灯籠だけで無く、あの大燭台の華ガラスも交換する事になっとるからさね。その工事だね。華替えの最初に、再点火式を行うのが、前回の華替えから通算で一番稼いだの遊女の役割。【遊華】、燭華でもっとも最高の遊女の称号で呼ばれる事になるよ。前回それを取ったのは鳳凰楼の遊女さ。今年も取ると鼻息が荒かったが、どこぞのおぼこの所為で、一時とはいえ店を閉めることになったから、怪しいさね」


「……ケイス。あんたほんと怨み買いまくりじゃない。これ以上余計なトラブルを抱え込まないようにしてよ」


「別に抱えたくて抱えているわけじゃない。昨夜のあれは私が出来る最善手だったからだ。それよりもだオババ。あの取り外した大華燭台とやらはそのまま廃棄されるのか? 灯光部に使うならば、光を増幅したりする魔具効果も付属していると思うのだが」 


 実質的な被害だけで無く、誇りや名誉が掛かった時期に閉店へと追い込まれた鳳凰楼店主の気持ちと怒りの様を察したルディアに対して、その怒りの矛先であるケイスは、他にこれ以上良い手が無かったのだから仕方ないと悪びれずに答えるのみだ。


「取り外した古い華ガラスは、縁起物として華灯籠に使われる。これも中心部には大昔の大燭台からのおこぼれをつかっとる。後の飾り物は客に貢がせて仕上げる。その遊女の人気のほどを表す指標さね。一月もあればひとつ完成させて、次の作成に掛かる売れっ子もおれば、ついぞ次の花替えの時まで1つさえ作りきれない遊女もでるさね。そしてそんな不人気な遊女は廃業さね」


 老鬼女が煙を吹きかけた棚には、花を象ってはいるがいくつも花びらが欠けた歪な、一目で未完成だと判る古い華灯籠がぽつんとおかれている。

 棚に放置されてはいるが埃の一欠片もついておらず、金属部に錆も見えない。よほど丁寧に扱っているのが見てとれる。


「ご覧の通り完成はしなかったんで、あしもそのまま廃業さね。縁起物つってもこの様さ。おぼこが望むような魔術的効果なんてもんは期待も出来んよ……ちょっと話すぎで疲れたさね。今日は閉めるんで帰ってくれぁ」


「ん。判った。礼を言うぞおばば。ありがとうだ」


 老いてはいるが往年の美貌を窺わせる残滓を含む憂い顔をみせた老鬼女の言葉に、さすがのケイスもそれ以上の情報収集を諦め、礼を言って済ませることにした。








「結局金貨11枚って、ケイスあんたどんだけ飴をなめてたのよ。おかげでしばらく仕入れが出来ないんだけど」


 飴屋をでる際にしっかりと代金を請求されたケイスの代わりに支払ったルディアは、怨み節を乗せて空っぽになった財布を振ってみせる。

 手持ちの遊び金だけじゃ無く、薬草や薬石の仕入れにつかう運転資金にまで手をつけてしまったので、納品した薬の代金を早めに支払ってもらうか、ケイスから立て替え分が返ってこないと地味に本業がピンチの有様だ。


「ふむ。アメ代として考えるな、有意義な情報と引き替えと思えば安い物であろう」


「ボク自分の分だけ払おうか。一枚だけだけど」


 借金しているくせに何時もと変わらず傲岸不遜かつ偉そうに胸を張るケイスだが、そのケイスに無理矢理飴玉を奢られたウィーの方が、むしろ申し訳なさそうになっているほどだ。 


「いいわ。ウィーも無理矢理に食べさせられたんだから、きっちりケイスから徴収しなきゃ筋が違いすぎ。それよりケイス。今の話を聞いてどう考える?」


「ん。華灯籠それぞれにコアとして大華燭台の一部が使われている。有意義な情報であろう。ウォーギンに魔術的な繋がりを調べさせるのが良いな。ウィーもしばらくそちらの線で当たってみてくれ」


「良いけど。ケイは行かないの? ケイのことだからすぐに大華燭台を調べるって突進するかと思ったけど」


 ゆらゆらと尻尾を揺らすウィーが、尻尾の収まりが悪いのかちらりと後方へと視線を飛ばしてから、中心部にあるため通りから真っ正面に見える大華燭台へと目を向けた。


「あのな。ウォーギンが言っていたのだろう。被害者は魔術耐性が少しばかり低い者達が多かったと。少し低くても、淫魔化しているのに、私なんて魔力を持たず魔術耐性が無いのだぞ。火急に処理しなければならないならともかく、対策もしていないのに自ら危険地帯に踏み込むほど愚かではないぞ」


「個人的には火急の時で有ろうと無かろうと、その常識的な判断して欲しいんだけど、じゃあ当初の予定通りロウガ支部に行く? なら付いてくけど」


 ケイスらしからぬ常識的な判断に、むしろその後のしっぺ返しが酷いのでは無いかと逆に不安がましたルディアは、しばらく行動を見張っていようかと考えていると、ケイスは首を横に振った。


「ん。その前に少し気になる事が出来た。ウィー。気づいているなら先に言え」


「あー、そうくると思ったから黙ってたんだけど。見てるだけで仕掛けて来る気配無いし、金属系の匂いもしないから無手だし、少しほっとこうよ。ルディ。後ろ振り返らないでね。ボク達を、正確にはケイを尾行している人がいるから」


 フードの下で頬を膨らませて不満げな声をあげるケイスに、面倒そうにあくび交じりで答えたウィーが次いでルディアに小声で注意する。

 今いる通りは三人が横並びに歩けるほどではあるが、通りに人が少ないわけではなく、それなりに混雑している。

 左右の店は昼までも営業している店も有り、呼び込みの声が時折聞こえ、騒がしいほどだ。

 この状況下では相手に殺気でも無ければケイスも判別ができないが、ウィーが先にこちらを窺っている視線がある事に気づき微妙に反応したので、尾行者の存在に気づけただけだ。 


「今回の件絡みか、それとも別件なのか微妙な所でしょ。あんたがまた表に出て来たからって懲りずに狙っている人もそれなりにいるみたいだけど」


 ケイスと知り合ってからこっち、この手の修羅場には望む望まずに拘わらず強制的になれてしまったルディアも、表面には驚きは出さず、前を向いたまま小さく息を吐く。

 卸先兼通いの飲み屋の1つである酒場のマスターからは、今も時折ケイス絡みの情報を回してもらっているが、ケイスに面子をつぶされたり、揉めて叩きのめされ、それらの復讐を諦めていない者達は、大まかに集団で纏めても片手に余るほど。

 思い当たる節が多すぎるので、いつどこで何らかの襲撃騒ぎが起きてもおかしくないのがケイスの状況だ。


「私もそう予測したが、ウォーギンも今回の淫魔化は狙いが不明瞭で偶発的、何らかの事故だと予測したのであろう。となれば些事だ。幸いここは武器の持ち込みが原則禁止された燭華。ウィーが無手と感じたのならばなおさらだ。捕らえるのに丁度よかろう。後顧の憂いを断つためにも、少し確かめてくる」


 監視者の背後関係を探るには丁度よいと頷くケイスに、年長の二人はもう諦めの境地。敵を見つけた状態のケイスには何を言っても無駄。

 まだ飢えた犬から肉を取り上げる方が容易いだろう。


「……あたしとウィーはこのまま大華燭台を調べてくるから、後で合流。合流先はロウガ支部。いいわね?」


「ん。判った。じゃあまた後だ二人とも」
  

 小さく頷いて答えたケイスは、尾行者をおびき出すために、自然な振りで横道へとはいりこんだ。



[22387] 下級探索者(偽装)と大火厄災人形
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/09/01 01:02
 人通りの少ない脇道へと逸れたケイスは、腰ベルトにつけていた対魔術攻撃用の仮面型魔具を身につける。

 ある程度までなら幻覚や大気変化等、間接的な魔術攻撃に対してこれで抵抗が出来るが、直接的な攻撃魔術に対する対抗手段は今の手持ちに乏しい。

 普段用いている周囲へ魔力吸収物質を拡散させる爆裂ナイフは、他の刀剣類と一緒に封印されたポーチの中。

 護身ナイフから刃を外した状態で、ベルトに下げる柄の内部には高濃度液体化された魔力吸収液が充填されているが、こちらは直接魔力と接触しなければならない形式なので、範囲攻撃魔術相手には不向き。

 追跡者に余計なことをさせず、出来たらこちらから不意を突くのが最適。


(なるべく一撃で決めたい。ノエラ殿。伏兵に備えて周辺警戒。距離と進行方向が判れば良い)


 脳裏に周辺地図を描きつつ、すれ違う通行人や、極小の使い魔によって会話を聞かれている可能性も考え、心の中で話しかける。


(承知した。最大範囲で熱探知を開始する)


 フードの下で額当ての赤龍鱗が淡い光を発しながら、周辺の熱探知を開始。

 捕らえた数百以上の熱源を、脳裏に描いた地図に重ね合わせ、連動した動きが無いか警戒しながらも、後方の追跡者へと意識を向ける。

 追跡者は、別れたルディア達へと目は向けず、ケイスの後方約20ケーラを追尾中。

 一人になっても特に何かを仕掛けて来るような気配は感じず、ケイスでさえ自然すぎて見逃していた。今だって、意識していなければ、偶然同方向に進んでいるとしか思えないほどだ。

 だが普段のやる気はともかく、実力、能力共に信頼するウィーが追跡者と判断し、さらにはケイス狙いだと断言してくれたからこそ、確信を持って敵対者だと断言できる。

 幾度か角を曲がり、視線を切った状態で、さらに別の角を曲がってみるが、追跡者の行動、速度に変化はない。

 ただ淡々とケイスの後に続いてきており、姿を見失ったはずの分かれ道でも躊躇する素振りさえ感じさせない。

 使い魔でも空に飛ばして上から見張ったり等、何らかの手段でケイスの姿を見失わないようにしているようだ。
   
 情報収集が目的で、行動や範囲を探っているだけか?

 それとも、もっと人気のない場所まで仕掛けてくる気が無いだけか。

 相手はここで仕掛けてくる気が無いのかも知れないが、それはあちらの都合。ケイスには関係ない。


(ルディ達の方は大丈夫そうだな。単独のようだしここで抑える)

  
 周辺に、隠れ潜んでいる者や、ケイスの行き先に会わせて先回りしている仲間の気配は無し。

 無関係な人の通りは若干あるが、一撃で決めるつもりであるので巻き込む心配などする必要もない。

 わざと一度行き止まりの路地へと曲がったケイスは、数歩分進んでから、道を間違えた振りをして元来た方向へと戻る。

 視界を全体に広げながら、一点を注視しない状態で、ようやく肉眼の片隅に追跡者の姿を捕らえる。

 中肉中背。よくいるような顔立ちの人間の男で、若くも無く、かといって年寄りとも呼べない。

 特徴が無いのが特徴とでも言えばいいのか、服装もよく見かける他国の商人風の出で立ちで、歓楽街の燭華を、昼間からうろついていても悪目だちしていない。

 逆走してきたケイスに対して、何の反応も示さず、周囲の店を見物がてら冷やかしているような行動を続けている。


(どう問い詰める気だ娘? 我を使うか)


(いらんいらん。お爺様を抜いたら、せっかく帯剣を見逃してくれたのに迷惑を掛けるから。徒手空拳でいく!) 
  
 ケイスなりに門番をしていた同期に気を使った答えをラフォスに返すと、ノーモーションで横ステップを踏み、すれ違う直前の追跡者の男に向かって、忽然と襲いかかる。

 周囲からの評判、騒ぎによって生じる悪評等を、ケイスは一切気にしないからこそ出来る奇襲戦法。

 相手が弱者であろうとも、無抵抗であろうとも、追跡をしている段階で既にケイス的には戦闘が始まっている。

 横に跳んだケイスは、そのまま全身の体重を乗せた右足の浴びせ蹴りを、男の肩口へと叩き込む。

 肩骨を折って無力化させるつもりで放った一撃。


「なっ!?」


 だがケイスの足が、男の身体に触れた瞬間、その輪郭が歪み一瞬で全身が黒く変色し影の塊となって、ケイスの身体を勢いよく飲み込みはじめた。

 男だった物体の厚さから見ればとっくに突き抜けているはずなのに、ケイスの足は反対から飛び出しはしない。

 転位トラップの一種。しかも人型をした高度な魔術トラップだと気づくが、既に遅い。

 ワイヤーナイフでもあれば、そこらの壁に打ち込み支えと出来ただろうが、今の手持ちには無い。

 魔術攻撃の一種で有るならば、虎の子の魔力吸収液で打開できるかも知れないが、腰ベルトは既に飲み込まれてしまい、取り出すことも出来ない。

 底なし沼にでも引きずり込まれたかのように勢いよく引っ張り込まれ、全身を瞬く間に影で出来た沼の中に引きずり込まれた。

 抜け出すのは不可能と判断し、とっさに呼吸を止めたケイスの視界は一瞬だけ黒く染まるが、次の瞬間には光を取り戻し、空中に投げ出された浮遊感とともに身体にも自由が戻る。


「ここは?」


 ほぼ勘で上下を判断して、猫のように身を丸めたケイスは四つ足で地面に降り立ち、素早く周囲を見渡す。

 整然と立ち並ぶ店は燭華独特のケバケバしい装飾が施され、その軒先には灯りの消えた華灯籠が並ぶ。

 その並びや、店それぞれの装飾は、つい先ほどまでケイスがいた場所と寸分の狂いも無い。

 一見には先ほどまでと風景に変化は無い。だが決定的な違いが1つ。

 人、いや、生物の気配が一切感じられない。

 いくつか通りを隔てても聞こえてくる呼び込み達の声や、雑踏のざわめきも無い。

 そこらの料亭で真っ昼間から宴会にふける座敷から聞こえてくる音楽や、歌声も消えている。

 額当ての赤龍鱗を用いて、最大範囲で熱探査を開始。半径100ケーラまで広げるが、静まりかえった街中には、ケイス本人以外には熱源の1つさえ感じられない。


(嬢。幻覚の類いではないぞ。少なくとも俺には感じられない。ラフォス殿は?)


(周囲の水辺にいた魚や虫共の気配も無い。近くの炊事場や座席などの湯飲みまで含めて、存在する水の量に変化は無い)


「そうで有ろうな。仮面は正常に動いている。転位と判断したが、それより格上か……隔離空間作成魔術の類いと見た方がよかろう」
 

 今の状況、情報から考え、あの一瞬で、周囲の空間情報を複写し、他の生物を排除し隔離された異空間を作りだしたと判断するしか無い。

 だがあり得ない。あの一瞬でこれほどの空間を作りあげる魔術など、人の手でどうこう出来る物では無い。

 例えそれが魔術を司る黒の上級迷宮を踏破した魔術を得意とする上級探索者であろうとも、これほどの規模の異空間を何の下準備も無く出来るはずが無い。

 あり得ない事象。しかし実際に起きている現実。


 二匹の龍達からの情報を受け、立ち上がったケイスは懐から羽の剣を引き抜き構える。

 ならば自分が知らぬ理、存在がこの現象に絡んでいるだけ。

 そしてケイスにとっては未知であろうが既知であろうが、対処は何時も替わらぬ。

 ケイスは剣士だ。剣のほとんどは腰のポーチ内に封じられていて取り出せないが、羽の剣は健在……ならば切るだけだ。 


「誰かいるならば出てこい。私にどのような用事があるのか聞いてやろう。出てこぬならば勝手に出て行かせてもらうだけだぞ」


 地面を蹴って近くの店の屋根の上へと跳んだケイスは、フードを取り去ると声を大きく張り、この異空間を作り出した者へと呼びかけながら、再度赤龍鱗を起動。

 ケイスの額で赤々と燃える光が、頭上の太陽にも負けぬほどに強く光り輝く。

 呼びかけに対して、これだけの空間を用意した相手には未だ動きは無し。

 どうやって出るか手段はまだ思いついていないが、出るという結論だけは出している。ケイスが決めたのだ。だから決定事項だ。

 周囲に熱変化は無し。このまま隔離し続けて、閉じ込めているつもりなのだろうか。

 再度の熱探知を今度は、地上部では無く、地下に向けて使おうとかと考えていると、


『昨夜と同じその赤き光……問います。やはり貴女がレッドキュクロープスと呼ばれた者ですか』


 街全体に響く女性の声が耳に飛び込んでくる。声は反響して聞こえるのでその出所は様として知れない。

 精気をあまり感じ無い、感情が抜け落ちたような幽鬼のような声。

 だが反応はあった。しかしその問いかけて来た内容は少し意外な物であった。

 少し前によくある迷宮での噂話として流れた、赤の初級迷宮だけを荒らし回る赤き単眼を持つ巨人の化け物の名を。


「むぅ。自分で名乗った覚えは無い。だが私の戦闘行動を見て、そんな噂が流れたのは事実だ」


 声の主が言うのは昨夜鳳凰楼で建物内の捜索の際に使った赤龍鱗の光のことだろう。相手はほぼ確信を持って尋ねてくる。ならば誤魔化す意味もない。

 馬鹿正直に答えながらケイスは全身へと闘気を張り巡らし、戦闘態勢を作る。

 声の主の正体も問いかけの真意もまだ判らない。だがケイスの戦闘本能が確信する。

 今の答えこそが分水嶺だと。


『ならば……怨みはありません。恨まれても仕方ありません。ですが貴女を贄とし厄災を鎮めさせていただきます。それこそが私の定め』


 響く声が僅かに固くなる。どうやら本意で無いようだが、それでも替わらぬ意思の硬さを感じさせた。


『目覚めなさい。猛りなさい。抑圧されし怨みを。奪われた悲しみを。亡くした者への怒りを。その思いの一つ一つを糸とし紡ぎ、己の体を作りあげなさい』


 響く声に合わせて風が渦を巻きながら、空で輝く太陽を背にして空に巨大な何かを象りはじめる。

 描くのは人。だがそれは明瞭では無く、不明瞭に、そして禍々しく崩れた造形の身体と四肢。

 顔には血涙を模したとおぼしき風が流れ、その大元の瞼は硬く縫い合わされている。

 ゆらゆらと蠢き不定型に形を変える足元からは、足かせが姿を覗かせる。

 首には大蛇のように太い縄が編み込まれ全身の何倍もの長さで伸びていく。

 その異形の人影はやがて、偽りの天の太陽と一体化し、赤々と全身を燃やしはじめた。

 足元から焼かれもがき苦しみ、風にのって身も竦むような怨嗟の声が響き渡っていく。首に巻かれたロープは身体を焼く炎よりも禍々しく赤黒い血の色に染まる。
 
 天に表れたのは、ロープの長さも合わせれば全身が数十ケーラはあろう巨大な、そして歪な、火刑に処された少女とおぼしき怪物だ。


「私は人形をもって荒ぶる魂の鎮魂を担う者。クレファルドが子の一人にして、脈々と受け継がれし魂の運び手。人形たる姫が祈ります。大火厄災の少女霊よ。その怒りを解放しなさい』


 朗々と響き渡った女性の、人形姫の声が終わると共に、天に浮かんでいた火刑少女の目を縫い合わせていた糸が燃え落ち、燃えさかる炎で出来た目を見開くとケイスをぎらりと睨みつける。

 天に向かって伸ばした2本の手はそのままに、その目線に合わせて足元で燃えさかる炎の一部が分離し、小屋一軒ほどの大きさの巨大な火球となって落ちて来る。

 その速度は早くはないが、巨大なだけ合って爆ぜて燃え広がれば周囲は瞬く間に火の海と化すだろう。
  

「ふん。なるほどクレファルドの人形姫か! 男爵絡みか!? 良かろう。事情は知らぬが掛かってこい!」


 相手が何者かは判ったが、真意は今ひとつ不明。どうやら男爵の敵討ちという単純な話でも無さそうだが、ケイスには関係ない。

 敵がいて、ケイスに刃を向ける。ならば斬るだけだ。

 軽量マントへと魔力を通して身軽となったケイスは、足元へと蹴りを叩き込み、屋根瓦の一部を砕き跳ね上げ、そのまま返す足で天に向かって高く蹴り上げる。

 屋根瓦を飛ばすと同時に再度屋根を蹴って飛び上がったケイスの目が捕らえる目標は上空から迫る火球。

 額の赤龍鱗が輝き火球を分析する。


(嬢。どうする気だ!? あれは純粋な火の塊だ!)


 あれには中心核など無くただの、それ故に斬る事も出来無いはずの火の塊。そんな物に真っ正面から突っ込むなんてただの馬鹿のやることだと、ノエラレイドが声をあげる。


「丁度よい修行相手ではないか! 火龍のブレスを弾く技を実戦で会得するには良い機会だ! 邑源一刀流……模倣轟風道!」


 弾む声で答えたケイスは、火球の遥か手前で、両手に構えた羽の剣を形状変化させる。

 柄頭に刃先が重なるほどに極端な弧を描きながら、身体を捻り、刃先に先ほど蹴り上げた瓦を捕らえる。

 刃先を止めていた柄頭を軟化させると同時に、刀身を本来の形状に戻しながら最大硬化。
 
 風切り音を放つ刀身に合わせて、己の体自身も超高速で振り回し、瓦を砕きながら撃ち出す。

 空気を切り裂く轟音を奏でながら、飛散した煉瓦の破片が四方へと散らばって広がりながら衝撃を伴う不可視の波を起こす。

 ケイスが模した技は邑源流弓技が1つ【轟風道】

 途中で細かく分離する鏃を超音速で放ち、巨大な衝撃を複数発生させ不可視の壁を作りあげる術。一瞬しか存在しないその障壁は、タイミングさえ合えば龍のブレスさえ弾き方角をそらすことさえ可能となる。

 実際にケイスは幻の狼牙で、この技が天から降り注ぐ龍のブレスを弾き、大河コウリュウへと反らした場面をこの目に焼き付けている。

 その時に火龍が放った巨大ブレスに比べれば、この程度の速度。この程度の大きさの火球など児戯にも等しい。

 ならば剣で再現が出来る。剣士だからこそ出来る。ケイスだからこそ出来る。

 自らと剣を、剣術をもって、弓へと替え、撃ち出す瓦礫を矢とする。

 真っ直ぐに落ちてきた火球は、ケイスが産み出した衝撃によって途中で不意に角度を変えて、坂道でも転げるように行き先を変え近くの料亭の庭に設けられた池へと落ちて大きな水蒸気を起こしながら爆ぜ、火の粉と水滴を撒き散らかした。

 天から降り注ぐ火の粉と水滴という矛盾した空模様の下、すぐ直上で起きた衝撃波によって屋根瓦のほとんどが吹き飛ばされた屋根へとケイスは着地する。

 見れば周囲の庭木はいくつも折れ、窓も粉々に割れたり外れたり、広範囲の建物にかなりの被害が出ているようだ。

 
「ふむ。地上近くでこの技を使うなと言ってたのはこれか。ここが異界で良かったな」


(感想は後にしろ! くるぞ娘!)


 ラフォスの注意に前を見れば、今の火球が無効化されるとみたのか、それともケイスを直接つぶそうとしてなのか、地上に降りて、燃えさかる炎の足で周囲の建物に火を放ちながら、こちらへと進んでくる火刑巨大少女の姿。

 だが少女の進んだ先は燃えることはあっても、建物がその自重で崩れ落ちる事は無い。どうやら実体は火球と同じく炎であり、自在に形を変えているようだ。


「炎の身体か。だが意思を持っているのならば斬るのに問題はない! お爺様は近くの水源確認! ノエラ殿! 炎を予想外の方向から飛ばす可能性も警戒しろ!」


 斬る事が出来ないと言われれば、むしろ是が非でも斬りたくなる。

 ちりちりと肌が焼かれる熱よりも、さらに剣士の血を熱く燃えたぎらしたケイスは鋭く吠えると、強敵を斬る事への楽しみと、周囲の被害を一切考えなくても良い幸運に喜びを含んだ笑みを浮かべながらまたも真っ正面から突っ込んでいった。



[22387] 下級探索者(偽装)と斬るべき者
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/09/03 01:56
 背筋を氷の柱が貫くような寒気を覚える金切り声と共に、全身が火で出来た巨大な火刑少女が、歪んだ造形の右足を、足かせ諸共大きく蹴り上げる。

 その一蹴りにあわせ、巨大火刑少女の足元に溜まっていた炎は、火の波となって通りの建物を一気に覆いつくすまでの高さとなって、真正面から攻め入るケイス目がけて一直線に押し寄せる。

 炎によって産み出された津波を前にしても一切臆すこと無く、かろうじて炎に飲まれず残っている突き出た屋根の先端や、軒先の僅かな足場を使い、火刑少女の攻撃を躱し、機会を窺う。

 火刑少女まで直線で約30ケーラ弱。彼女の足元を覆う炎は、周囲の建物表面を覆い尽くして燃焼させながら広がっていく。

 こうして燃え広がった新しい炎も、火刑少女は己の意思の元ある程度は使えるようだ。

 風向きなど全く関係ない不自然な動きで、突撃してきたケイスの行く手を遮り立ちふさがる火の壁が出来上がったかと思えば、突如吹き上がった火柱からは、丸太ほどの太さもある炎の杭が撃ち出され、着弾して、新たな火種を作り出している。
 
 先ほどそこらの楼閣の2階に置いて有った手水鉢をいくつかたたき割って、中に入っていた水を付いたばかりの火に掛けてみた所反応は2つ有った。

 どのようなか細い形にしろ火刑少女と物理的に繋がった火は、水がかかっても火の勢いは衰えず燃えさかる一方。

 だが火刑少女と離れていた火は、水を掛ければ勢いが弱まったり、消えたので、少女本体と離れた火は自然の火とかわらない。


(この火に囲まれると厄介だどうする嬢!?)
  

 ノエラレイドによる熱探知が脳裏に描く周辺図では、ケイスに向かって来る火の波とは別に。巨大な鳥が大きく翼を広げたかのように、左右にも伸びながら燃え広がっている。  
 
 今はまだ燃えていない場所を、点々と足場にしながら動けているが、このまま火刑少女と繋がった消せない火に周りを囲まれてしまえば、焼死は免れない。


「ならばまずは火を飛ばす足から潰す! お爺様形状変化!」 


 近くの店の厨房から勝手に拝借した水桶の水を全身に浴びたケイスは、掌の中でクルリと剣を回し逆手に持ち替える。

 構えた羽の剣を軟質へと変化させ腰だめに少し後方の石畳へ向かって強い下突きを撃ち出す。

 ケイスの意思の元に形を変えた羽の剣は、石畳には突き刺さらず切っ先を止め、その刀身を段々折りの形へと変化、まるでバネが収縮した様な奇抜な形状をとる。

 そのまま硬質へと刀身を一気呵成に変化。折りたたんだ刀身が元の形へと戻る反動力を用いて、前方へと向かう跳躍力へと転換。

 自らの脚力もそのタイミングに合わせたケイスは文字通り矢のような勢いでもって、目の前に迫る火の波に真っ正面から突っ込む。

 両腕を顔の前で交差させた防御態勢を取ったケイスの体は、自ら突っ込んだ火の波で一瞬だけ炎で全身が包まれるが、勢いを減少する事無く一瞬で第一波を突き抜ける。   

 少女本体と繋がった火から離れたことで、全身に回っていた火も服を濡らしていたおかげもあって火勢を弱めるが、僅かな残り火が外套や、風になびかせる黒髪の先端をちろちろと焼く。

 自らを焼く炎。しかし今のケイスにはそんな事は気にも掛からない。

 目に映るは、炎で出来た異形で巨大な歪な足。ただそれのみ。

 燃えている物体本体ならばともかく、不定型に形を変える炎など、刃で斬れるわけが無いと常識だと誰もが言うだろう。

 斬ったと思っても刃がすり抜けるだけで、次の瞬間には何事も無く、元通りの形に戻るだけ。

 それが常識。それが道理。それが不変不滅な自然の理。

 火刑少女を構成する炎が異質な炎であっても、その法則は変わらない。変わらない。  

 だがケイスは斬れると信じる。自分の剣がいつかその理さえも切り裂くと、剣士としての本能で知っている。

 不定形であろうとも、実体が無かろうとも、水であろうとも、雷であろうとも、光であろうとも、闇であろうとも、この世の万物が自分の剣で斬れないはずが無いと決めている。ケイスが決めている。

 ならばそれこそが真理。

 ならばそれこそが絶対に変わらぬこの世の絶対法則。

 しかし今はまだ自然の炎を斬るまでは己の力量が足りぬ事も知っている。まだまだ目指すべき道が遠いと悟っている。

 だが今回は違う。火刑少女髪に纏う炎は、少女自身を構成する身体のその物。少女の意思が作り出す異形の炎。

 つまりそれは精神体と幽霊と変わらぬ。
 
 故に斬れる。

 ケイスが身につけた霊体を物理的な剣で切る方法。

 それは至極単純。少女本人が斬られたと思い、信じ込むほどに純粋な剣の一撃。それがあれば斬れる。  


「邑源一刀流! 虎脚一閃!」


 返した右手の手甲を剣の腹に押し当てながら振った剣をもって、交差した火刑少女の膝辺りを一気に薙ぎ斬る。

 イメージするのはただの炎では無い。肉体を、斬る手応えを感じる実体。それに合わせ、羽の剣の細部重量を微妙に変化させ、自らの身体にもその手応えによって生じる変化をつけ、ケイス自身が斬ったと確信できる一撃を、一瞬の交差の間に打ち放つ。

 僅かに減少した勢いのまま宙を駆け抜けたケイスは、そのまま事前に、火刑少女の後方に確認してあった料亭の壁を斬り破り、その庭の池に大きな水しぶきを上げながら着水。

 全身に残っていた燻る火を確実に消し、ついでに危険なレベルまで熱くなっていた身体を一気に冷却させる。

 亡き母譲りで自慢の黒髪も先端から半ばほどが焼け落ちてちりちりとなって水面に浮かぶが、今は気にせず、すぐに池の中の岩の上に飛び移って立ち上がると、後方を振り返り自らの剣を目視で確認する。

 自らの髪を犠牲に火刑少女に与えたのは、あまりにも足が太く大きいために、長剣である羽の剣でも、その全体の4分の1にも満たない長さの刀傷。

 たかが4分の1。だがそれで十分。膝部分をそこまで深く斬られればまともに動ける者などよほど肝の据わった戦士くらいだ。

 燃えさかる炎が接合することは無く、火で彩られたぱっくりと開かれた傷口が現れていた。

 痛みにあげる悲鳴なのか、怨嗟の恨み声なのか、それとも今の自分を斬る化け物への恐怖なのか、天を仰いだ火刑少女が甲高く心を抉る雄叫びで吠え、産み出した突風が周囲の炎をざわつかせる。

 揺らぐ炎の中にぐらりと揺れた火刑少女は、天に向かって突き上げた両手はそのままに膝から崩れ落ち、その場へとぺたりと倒れ込み、動けなくなる。

 あの足では炎を撒き散らかすことはもう出来ないだろう。

 形はいくら異形であろうとも、その本質は、その根っこはおそらく少女その物なのだろう。

 それではケイスには勝てない。火で髪が無様に焼けながらも、一切揺らがない深窓の令嬢然とした美少女でありながら、この世でもっとも歪な本質をもつ生粋の化け物には。

 しゃがみ込んだことで、火刑少女の首は下がってきている。

 後はもう一度今と同様の一振りで首を斬り落とせば、火刑少女自身に首を斬られ殺されたと思わせ、消滅させることも出来る。

 敵を斬り殺す機会が有るならば一切の躊躇もせず、何時ものケイスならば既に動いている。

 だが岩の上に立つケイスは、剣を構えたまま、地に座り込み自らの炎の中で、悲痛な声をあげる火刑少女を見つめる。


(どうした娘!? 思わぬ手傷でも負ったのか!?)


(嬢! 傷がふさがりだしている! 今ならまだ首を落とせる!)


 動かぬケイスに、思わぬダメージを心配したラフォスが声をかけ、火刑少女を監視し続けていたノエラレイドが与えた傷が急速にふさがっていることを報告するが、ケイスは動かない。


「……むぅ。少し違えたやも知れん」


 形無き者を斬る。そのような偉業を成し遂げたというのに、ケイスの顔には強い不満が浮かんでいた。

 ケイスは異常者だ。あまりにも考え方が世の生物と違うために、基本的に心の底から他者を、他の存在が思考して出した結論を、その意味を理解が出来ない。

 何故、気に入らない者を斬ってはダメなのか。

 何故、自分の意思を我慢しなくてはならないのか。

 何故、自分が出来る事が、他者には出来ないのか。

 言葉を交わしいくら話し合おうとも、表面上では理解出来ても、心の底から納得することはできない。

 そんなケイスが他者を心底から理解が出来る唯一の行為。それが剣だ。

 剣を打ち合わせれば、斬れば理解が出来る。

 だからケイスは剣が好きだ。

 そんなケイスが今の剣をあまりに好きにはなれない。

 正確に言えば斬ってはいけない者を、真に斬らなければならない物を違えたと、自分の心が本質が訴えているのだ。

 斬った手応えも違う。あれは単一の物では無い。もっと何か、多数の物が集まり、火刑少女の元となった者を中心にして象って出来た者だ。

 熱で火照る身体を冷ますように、深く息を吸って、ついで吐いたケイスは、頭の中にクレファルドに関して知る情報を、助けたモーリスから聞いた男爵の過去などを、同時並行的に思い出し、思案する。

 自らが斬るべき者。斬るべき事。剣士としてやるべき事を。

 そして理解する。あの火刑少女の意味を。

 ケイスという化け物を前にしても防御にも回さず、崩れ落ちた今も、頑なに天に向かって突きだしたまま広げる両手の意味を。     

 同時に悟る。自分が目指し理想とする剣を振る剣士としてやらねばなら無い事を。

 斬るべき物を。

 ”助けるべき者”を。

 だが今のケイスには足らない。届かない。説得力が足りない。

 この目で見えるならば、何者であろうともなんであろうとも、いくらでも現実と同じように斬ってみせる。

 だが見えない物を、火刑少女にしか感じられない者を斬るには、まだまだ剣が未熟。

 火刑少女に助ける為だと思わせる剣を振ることが出来ない。

 出来ない。だがやりたい。ケイス的には火刑少女が気にいった。是非力になってやりたい。

 自分の命を狙って来る存在であろうと、ケイスが気にいったのだ。ならばその者の為に剣を振る。

 それがケイスの目指す剣士。

 亡き母と約束した剣士。

 力なき者を、弱き者を救う剣を振るう者。

 だが今の自分では足りない。ならば……


「人形姫! 見ているのであろう! ならば力を貸せ! 死霊術師として、私の言葉を彼女に届けろ! 貴殿が救おうとする者を私が今から救ってやると! 力を貸さぬと言うならば、彼女を斬ってこの空間を脱出した後、クレファルド王族を根切りとする!」

  
 自分をこの異空間に閉じ込めた者。人形姫に対して、協力要請とも、脅しとも取れる強い言葉を天に向かって吠えていた。



[22387] 下級探索者(偽装)と鳳凰復活事件
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/09/07 23:06
 地に膝を着いた火刑少女が天を仰ぎ、慟哭なのか、悲鳴なのか、怒りなのか、死人にしか発せられない叫びを謳う。

 憎悪に満ちた赤黒い炎が渦巻く瞳からは、血涙を模した火が留まることなく流れ落ち、彼女の足元に広がる大火は火勢をさらに強まっていく。

 火が勢いを増すのに合わせ、先ほど与えた足の傷が急速にふさがっていく様を、額の火龍鱗が察知する中、自らの望みを伝え終えたケイスは、失った息を取り戻すために軽く息を吸う。

 あと十数秒もあれば火刑少女は再度立ち上がり、先ほどと同じように足を使い火を飛ばしてくるだろう。

 それもより激しく、より遠くに。 

 自らの体を焼く火を、火勢を強めた火を少しでも、自分達から”離す”ために。

 あれは純粋な攻撃だけではない。

 彼女は必死で足元で燃えさかる火を払いのけようと、火を放った者にぶつけ返そうとしていたのだとケイスは気づく。

 だが火種は、燃えさかる劫火の出所は彼女自身なのだから消えるはずがない。

 何より彼女自身が、自分を焼き殺した火は消えないと知り、定義している為に、僅かでも彼女自身と直接繋がっている周囲の火も水を掛けても消えない不滅の火となってしまっている。

 彼女はおそらくかつて、クレファルド国内の争いの最中に、野盗に扮して敵勢力領内で火付けや強奪を行っていたというファードン男爵によって殺された者。

 その魂のなれの果て。悪霊と化した者。

 彼女の復讐の相手、執着する存在である男爵を、ケイスが殺したため、その業までケイスに移りでもしたのだろう。

 対象が死んだことも、変わった事にも気づかぬほどに、そこまでに深い怨みと怒りを生み出した理由は、火刑少女の象る姿にある。

 見せしめか、それとも他者の口を割らせるためか、嗜虐趣味か、それとも商品価値を見出せず廃棄したのか。

 詳細まではさすがに判らないが、野盗達の中でも特に質が悪ければ、強い絆で結ばれた者達、親兄弟、友人、恋人関係にある者達を使って、嘲り遊ぶ悪癖がある者達もいる。 

 上に乗る一人を首括りにした状態で肩車をさせて、下の者を的にした野盗などを実際にケイスは旅の途中で知っているし、そんな一味を1人残らず斬り殺してきている。

 状況が語る。火刑少女も類似した私刑による被害者なのだと。

 誰かを頭上に抱えたまま、逃げ出せないように首に縄をつけられ、足かせを嵌められ、生きたまま焼き殺されたのだと。  

 それでも彼女は死の直前まで抗い続けたのだ。必死に足を使って火を払い、頭上に掲げた手は最後まで下げぬまま、誰かを、大切な者を守ろうとしたのだと。  

 結果的には不本意ながらも、斬ったから、剣を振ったからこそ、ケイスは彼女の生い立ちを、死に様を理解した。

 理解したならば、ケイスが取る行動は1つだけ。

 彼女の死を覆すことは出来ない。死人は決して生き返りはしない。

 それはこの世の道理。
 
 絶対不変の法則。

 だが肉体が滅びた後も、死した者の魂までも、束縛され、陵辱され続けていいはずがない。

 命を救えぬならば、魂だけでも救う。

 その為に必要な手は打った。

 生前の意識を保つ霊魂ならばともかく、狂乱し理性を無くし人に害をなす悪霊に堕ちた者には、普通の人間の声は届かない。思いは声としては伝えられない。

 そのような霊にも声を届けられる者。使役できる者が死霊術師。

 知り合いの死霊術師はロウガにもいるが、この隔離された空間から脱出しなければ、呼びに行くことも出来ない

 そんな遠回りをケイスは嫌う。

 目の前に苦しんで、悲しんで、死んでなおも慟哭し続けている者がいるのだ。

 1秒でも、一瞬でも今救わなければならない。救いたい。苦しみから解放してあげたい。

 そして今この場で力を使える死霊術師は、ここにはいないかも知れないが、ここを今現在見て、力を振るえる者がいる。

 ならばその者の、人形姫の力を借りれば良い。

 人形姫は少なくともケイスが嫌いなタイプの、私利私欲で権力を振るう王族ではないはずだと直感する。

 自身を隔離空間に閉じ込め、火刑少女をけしかけ、命を狙ってきた者だが、そこにはおそらく被害を最小限に抑えようとした意図がある。

 もし現実の燭華で火刑少女が顕現していれば、大勢の建物や人が火にまかれ、消失し、死亡したことだろう。    

 何より、人形姫は死霊を扱う死霊術師でありながら、鎮魂の一文字を口にした。

 死霊術師にとって、死霊とは己の意のままに扱う道具。そして強い死霊とは、怨み、怒り、妬み様々有れど強く暗い感情を残して死した者達の魂。

 その残滓が濃く強くあればあるほど、死霊術師にとってはありがたい使い勝手の良い道具となる。

 憎悪を煽り、記憶を操り、その残されし念を増幅する術式も多いという。。

 悪霊の力を弱め、ましてや無力化し封じる鎮魂は、彼らの多くと敵対関係にある神職の領分。

 だからこそ、悪霊を活性化させ操る死霊術師は、人々から恐れられ嫌われる日陰者なのだと。

 ケイスにそんな死霊術師の当たり前を、茶飲み話のついでに話した知人の老ネクロマンサーであるヨツヤ婆は、そしてこうも言っていた。

 もし鎮魂なんて言葉を口にする、職業理念に反したそんな風変わりな死霊術師が、自分以外にもいたら、その術師が困っていたら力を貸してやってほしいし、ケイスが困っていれば頼めば力を借りられるかも知れないと。

 だからケイスは、一見には無理筋である要請を人形姫へとだした。

 火刑少女となってしまった彼女の魂を救うためにならば、力を貸すだろうという確信をもって。

 それら全ての思考は、心臓の一鼓動にも満たない刹那の間にケイスの脳裏で思い出され、思考され、決定される。

 ケイスの思考は、その理論の組み立て方も、思考速度も常人とは遥かに違う領域にある。

 それは、あまりに一瞬で、そして異質な結論故に、他者からは思いつきや、気まぐれで、またおかしな事を言いだしたとしか思われない。

 だからケイスは言葉を重ねない。

 自分の要請に未だ人形姫が応えず、無反応を通していても、理解を求めるために、頭の中で駆け抜けた思考を事細かく口に出すことはない。   

 物言いが、偉そうだや、傍若無人ぽいと、何故か一部の者から不評なことも、ケイスが口少なくなる一因となっている。

 なによりケイスには、理解を求める百の言よりも、理屈を語る千の筋道よりも、ただ1つで済む物があるのだ。

 ならば次に紡ぐべき言葉はただ1つだけ。ひと言だけで十分だ

 ケイスが小さく呼気を吐きだすとほぼ同時に、傷の再生を終えた火刑少女が立ち上がる。

 その両手は今も頭上高くあげられ、見えぬ何かを少しでも自らの足元で燃えさかる劫火から遠ざけようともがき苦しむ。

 炎の鎖で繋がれた両足によって撒き散らかされた炎が、周囲の通りや建物を次々に飲み込み炎上していく。

 池の中から突き出た庭石の上に立つケイスの周囲でも、燃えさかる劫火が木々を焼き、さらには少女本体と繋がった為に、池に落ちた火さえ消えず水面さえも、炎の海へと変えていく。

 肌を焼く熱と、火の粉を纏う熱風の中、元の長さの半分ほどになった黒髪をなびかせながらケイスは自分の心臓へと意識を集中させる。

 真正面で構えた羽の剣は正眼へ。斬るべき物を剣線真正面に捉え言葉を、誓いを紡ぐ。


「……帝御前我御剣也」

 
 剣士としての掛け値無き本気を出すための誓いを口にすると共に、心臓と丹田を用いた二重闘気生成を開始。

 心臓が産み出すは周囲の火海の熱さえ凌駕する燃えさかる火龍の闘気。

 丹田が産み出すは周囲の火海の熱さえ遮断する凍てつきし水龍の闘気。  

 本来ならば、幼き人の身でありながら、龍の中の龍。龍王と呼ばれるにふさわしいだけの、空前絶後の膨大な魔力を産み出す事が可能となる心臓を、己の意思の力で闘気を産み出す器官へと変貌させる。

 この世で唯一、ケイスのみが可能とする異なる属性の闘気二重化による肉体の超強化。

 互いに反発し合い、対消滅するはずの異なる龍の闘気は、ケイスの意思の元に、統合され超常の力をもたらす。

 異常なまでの雰囲気を発するケイスに気づいたのか、火刑少女の目がケイスを捉え、その瞳の中で渦巻く炎の色がさらに赤黒く、勢いを増す。

 彼女の目にはケイスが、この火を放った者に、かつてのファードン男爵として見えている。

 大きく蹴り上げた左足が最大級の大波としてケイスに迫る。 

 見上げるほどに高い炎の壁が迫る中、巨大な庭石がその反動で真っ二つに割れるほどの苛烈な力と共に蹴って、ケイスは高く高く飛び上がる。

 軽量化マントの力もあって、軽々と炎の壁を凌駕する高さまで到達しても、その勢いはまだ衰えない。

 さらに高く高く。

 巨大な火刑少女自身さえも見下ろす高度まで一瞬にして到達したケイスは、身体を振ってクルリと体勢を入れ替え、眼下を見下ろす。

 それは奇しくも男爵を斬ったときと似たような高さ、状況。

 だがあの時は大地とした扉の破片は今は無い。

 見下ろした砦の闇の中、点々とついていた篝火の代わりに、地上は足の踏み場など見出せないほどに一面の火で覆われた火炎地獄。

 人が生物である以上は本能的に恐れるはずの火を前にしても、ケイスの意思は揺るぎもしない。臆しもしない。

 既にケイスは、誓いの言葉と共に剣となった。剣士となった。その目に写るのは斬るべき物だけ。

 斬るべき対象は3つ。そのうち1つはまだ現れていない。ならば先に2つだけを斬る。

 極々単純に思考し、放つべき技を選択、決定。

 極限まで高まった集中力が、言葉にするでも、心で思い浮かべるでも無く、ケイスを人刃一体とし、振るうべき剣を、二匹の龍へと伝える。

 自らの愛剣である羽の剣に宿るラフォスによって、速度を出すために加速度的に重量を増していく。

 額当ての赤龍鱗が強く輝き、ノエラレイドが僅かな熱の違いで炎の海の中に沈んだ斬るべき物の姿を浮かび上がらせる。

 暴虐的な重量増加が産み出す殺人的な速度で降下を開始。

 切っ先を炎の照り返しで輝かせながら、真昼の流星となったケイスは火の海に向かって飛び込む。

 轟々となる風音を半ば意識外で聞き流しながら、羽根の剣を頭上へと振りあげる。

 火刑少女は実体を持たない霊体。霊体を斬る剣は、霊体に斬られたと思わせる事で、痛みを錯覚させることで、その効果を発揮する。故に霊の肉体部への斬撃が一番効果を発揮する。

 だがケイスが斬るべき物は、火刑少女自身の肉体その物ではない。

 斬るべき物は、火刑少女を捉えている物。その身を束縛し、この火炎地獄に押しとどめている象徴。

 つまりは首に巻き付けられた縄と、炎の海の中に沈む両足の足かせ。

 火刑少女自身の肉体ではなく、しかもこれもまた実体を持たない、現実には存在しない火刑少女がイメージする物質。

 そこに見えて、そこに無い物を斬る。

 それは無理難題も良い所。幻を斬れといういうようなもの。

 だが斬る。斬らねばならない。斬ると決めた。

 そしてその為の技をケイスは既に持っている。

 池に映った水面の月を斬ることで、天に浮かぶ本物の月にさえ自分が斬られたといつか思わせようと名付けた、現状ケイスが振るえる剣の中でも最速、最鋭の剣の一振り。


「邑源一刀流……水面刃月!」  


 寸分の狂い無く振るった切っ先が、まずは火刑少女の首筋をなぞり、その首に幾重にも巻かれていた炎のロープを一瞬で全てを両断。

 しかも少女本体には傷1つさえつけない一瞬の神業をみせる。

 だがケイスはそれでは止まらない。

 角度、勢いを維持したままに、火刑少女の身体を這うように超高速で落下しながら、火刑少女の膝下まで上がってきていた炎の海の中へと飛び込む。

 あまりの高熱で、一瞬で外套が含んでいた水分が灼熱の熱湯へと変わり、次の瞬間には水蒸気へと目まぐるしく変わり、ケイスの視界を塞ぎ、痛みを伴う熱を伝えてくる。

 それでも剣を持つ以上、斬ると決めたからにはケイスの剣は揺るがない。

 一切ぶれることなく突きだした剣の切っ先が、炎渦巻く火炎地獄の中から、見事に火刑少女の両足を繋いでいた足かせから伸びた炎の鎖の中心を捉え斬り砕く。

 鎖が壊れたと感じた次の瞬間には、既に炎の下に隠れていた大路地の石畳は目前。

 いくら闘気強化しているとはいえ、この速度で地面に叩きつけられれば、ケイスの肉体とてもたない。全身の骨は砕け、まともに動けなくなり、生前の火刑少女と同じく生きたまま炎に焼かれる事になる。

 そうならないために切っ先が石畳に接触したと意識する感触を手が感じるよりも僅かに早く、地面との距離を杖に計算していたケイスは、羽の剣に意識を向け、事細かく軟化と硬化した部分を全体に折り混ぜ変形させ、バネのような特殊な形を作りあげる。

 反動を使って速く飛んだ時の逆。流星と化して落ちた事で発生した衝撃の九割九分九厘近くを羽の剣によって吸収させつつ、体捌きをもって、僅かな距離で姿勢を入れ替え両足側で着地。

 石畳の一部を破砕し、両足に強い痺れを伴う痛みを伴いながらも、骨にはヒビ1つ無い着地を敢行する。


「ぐっ!」


 だが両足で降り立ったそこは火炎地獄の底の底。四方八方を火が渦巻き、ぶ厚い外套と顔につけた仮面を通過し、容赦なく熱をぶつけてくる。

 全身を襲うのは激痛。荒いやすり紙で全身を激しく削り落とされるような痛みを産み出す地獄の洗礼。

 その痛みを無視しながらケイスは天を見る。未だ火刑少女の頭上には、両手の先には何も現れない。彼女が救おうとした者が、ケイスが斬らなければならない者の形は浮かび上がらない。

 一度脱出するべきか? 

 ダメだ。今の剣を一度体験させた。もしこれでロープや足かせの鎖が再生されたら、もう一度斬ったと思わせられるか判らない。

 これが唯一無二のチャンス。

 思考したのは一瞬。だが信じて待つと決めるも一瞬。


『思い出しなさい』


 その時どこからともなく人形姫の声が響く。

 その言葉が終わるよりも、遥かに早くケイスは、強く石畳を蹴って火刑少女の頭上へと向かって再度高く高く飛び上がる。

 全部は聞いていない。意味だって伝わらない。だが今の一瞬の声で悟った。

 生気を感じさせない声はそのままだが、それでも驚き、そして何やらの覚悟が篭もっていた一音。

 ならばその覚悟を信じる。

 人形姫が、死んでもなおも火の中に捕らわれた火刑少女の魂を救うために、ケイスが提案した作戦に乗ったと。


『守る人を』


 なぜなら信じて当然だからだ。

 自分が剣を振った。助けてみせると言って剣を振ったのだ。


『描きなさない』


 ケイスの言うことを理解でき無い者は、この世には数えきれないほどにいる。

 真の意味でケイスの言うことを、その思いから紡いだ言葉を心の底から理解してくれる者など皆無かも知れない。

 だが剣が有る。己の振った剣は、言葉よりも、文字よりも、人に伝わる。人と繋がる。

 そう心の底から強く信じるからケイスは強く地を蹴れる。蹴れた。


『炎の中から現れる奇跡を』


 全身に炎を纏いながらもケイスは火の海を脱出し、高く高く飛翔する。

 外套の一部が燃え尽き、両袖の一部が焼き切れながらもなびく炎を引き連れながら、天へと駆け上がっていくその姿は、まるで1羽の鳥。


『救いの不死鳥が現れると』


 火の中から飛び出たその姿はどこか昨夜ケイスが斬り壊した壁画に描かれていた鳳凰を彷彿とさせる。

 ロウガ風で呼ぶ鳳凰の別名はフェニックス。それは不死を司る不死鳥。自ら炎の中に飛び込み死して、また蘇る伝説の鳥。

 少しでも言霊に力を乗せる為か、人形姫がケイスを不死鳥に例えた即興の言葉を紡ぎ終わった瞬間、火刑少女の両腕の先におぼろげながら何かが姿を現す。

 それもまた炎で組まれた造形。小さな、四つ足をもつ家具。まだ幼い子供用の椅子にはそれにふさわしい小さな人の形をした何かが背もたれにロープでくくりつけられていた。


「見えた! 水面刃月返し!」


 軽微とは言え全身に火傷を覆いながらもケイスの剣はぶれることはない。
 
 先ほど火に飛び込んだときと全く変わらない鋭さを持つ剣を、かつて編み出したときには振れなかった斬り降ろしからの、切り上げに繋げる、真の意味での水面刃月を放ち、そのロープを見事に切断してのけていた。

 
「誇れ! 火に焼かれながらも貴女は無事に大切な者を守り抜いた! 貴女の頑張りが私を間に合わせた!」


 それは詭弁。実際にはあり得なかった事。火刑少女は、守るべき者ととうの昔に死んでしまっている。

 そんな事は百も承知だ。それでもケイスは褒め称える。助けたのだと強く強く断言する。

 重要なのは過程でも、結果でも、事実でもない。

 ケイスが認めたのだ。ケイスがそう信じたのだ。

 龍の中の龍。未来の龍王が決めたのだ。

 ケイスの声が天高くより響く中、火刑少女を象っていた炎が急速に崩れ、僅かに白色に色づいた霊体の塊、無数の霊体が集まって形成された霊体群へと変わっていく。

 それと共に見渡す限りの眼下に広がっていた火の海も、幻だったかのように瞬く間に消失する。

 焼け崩れ落ちた建物の残骸がその痕跡を残すだけだ。

 中核をなしていた少女の魂が変質したことで、一時的に無力化でもしたのだろう。

 だがあれほどの悪意をもっていた霊体群をこのまま放置していても、碌な事にはならない。

 しかし斬る物は斬った。

 後は本職の、それこそ死霊術師の出番だ。人形姫に任せれば良い。その後で今回の仕掛けてきた真意を問いただしてみるのもいいだろう。

 それより今気にすべき一番の問題は、この半分に焼けた髪と、軽いとは言え全身の火傷の原因をどうやってルディア達に伝え、正確には誤魔化すかだ。

 空中で息を吐きながら、ケイスは怒られなくて済む方法を暢気に考える。

 だから斬るべき物を斬った満足感で、気を抜いていた忘れていた。

 龍のそれも、龍王の力を使うということの意味を。

 今の燭華では、予想外の面倒事を引き起こすかもしれないという懸念をすっぱり忘れていた。

 だからこそ……事態はより混沌化する。


「むっ!?」


 不意に強い光が発生しケイスは思わず目を閉じる。

 とっさに目を閉じる直前に発光が発生した箇所をちらりと見たが、光は燭華中心方面からだと確認するだけで精一杯だった。


『……原因不明ですが、この空間の要たる人形が私の制御を離れつつあります。貴女だけでも』


 少しだけ焦っている風にも聞こえる人形姫の言葉は最後まで伝わること無く、ケイスは最初にこの空間に引きずり込まれたときと同じ引っ張られる力を全身に感じた。

 次いですぐに景色が暗転したかと思えば、気がつけばいつの間にやら足が地面をとらえる。

 ゆっくりと目を開けば、そこは燭華の表町の通りから伸びた路地の片隅に積まれた荷物の影に隠れるようにケイスは出現していた。

 表の通りに目をやれば、不思議そうに自分の身体や周囲を見てざわめく人々達がいた。


「なんだったんだ今の幻覚!? 完全にこの辺り一帯火の海だったよな!? 化け物みたいなでかいの一瞬みえたぞ」


「驚いたけど、どこかの遊郭の宣伝じゃねぇか?」


「なら昨日壊されたとか言う鳳凰楼じゃないか? なんかそれっぽいの最後に天に昇っていっただろ」


「んなのいたのか? 俺は火がついたかと思って焦って見逃したぞ! まってりゃもう一回やらねぇかな」


 ざわついているがパニックになっているというほどではない。むしろ不意打ちの出し物に遭遇したとでも言うような楽しげな響きを持っている。


「どう思う?」


 だがつい今し方彼らが見た一瞬の幻と剣を交えていたケイスにとっては、そのような楽しげな物では無い。

 急いで羽の剣を折りたたみ懐に戻したケイスは、所々焦げ付いてはいるが一応服としての面目を保っている外套を羽織ると、通りに出て周囲を自身の目で確認する、


(最後に人形姫とやらが制御が離れた等と口にしていたがこれのことだろうか)


(いやそれは少し変ではないかノエラ殿。人間共の話ではその少し前の光景、火に覆われた街を見たようだ。どうする娘?)  


「……少しだけ周囲を調べてから支部に向かう。最後の光は燭華中央方面から。ルディ達が調べに行った大華燭台とやらがある方向からだったな」


 ケイスが目を向けた中央方向。建物の隙間からは、光など放たず静かに佇む大華燭台の先っぽだけが見えていた。 








 龍王感知

 怨嗟結実刀【火鱗刀】休眠状態解除

 拐奪厄災人形能力及び、大火厄災人形構成霊体群火鱗刀掌握  

 火鱗刀完全起動

 能力一部改変。思念変貌機能を思念実体化機能へ改装

 特殊イベント【大華災】発生条件到達



[22387] 下級探索者(偽装)と鬼翼の実力差
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/09/21 02:48
 月が静かに輝く深夜。僅かに薄い雲がかかる空の高みから、背の翼を大きく広げたソウセツ・オウゲンは苛立ちが少し混じった瞳で、眼下を見下ろす。

 視界一杯に広がるのはソウセツが、義母より守護を託されたロウガの街。

 その翼からは、弱く柔らかい風が産み出され、空気の流れに乗り周辺を探索し続ける。

 もうじき日付が変わろうという深夜だというのに、ロウガの街では至る所で動く灯りが見られる。

 早朝、深夜を問わず常に到着する船の荷を積み下ろしする港湾区は、日光に弱く、月明かりや篝火で十分だという夜目の効く一部の種族達が多く集う。

 人気がなく明け方の僅かな時間にしか出現しないレアモンスター捕獲や、夜中にしか開かない迷宮区へと向かうために、深夜だというのに意気揚々と出発する探索者。

 そんな彼らへとサービスを提供する職人、商人達によって営まれる夜市場は、昼間の市場と比べて規模は小さいが、品揃えは負けず劣らず、日没から、日の出まで営業している。

 ロウガには様々な街区があるが、完全に眠りにつく街はなく、誰かしらが動いておりいつでも人の息吹が感じられる。
    
 だがそんな不夜街の中、ぽっかりと浮かび上る一切の灯りが消えて闇に染まる街区が1つ。

 それは本来は夜にもっとも輝くはずの街区。東域最大の歓楽街として名高い燭華。

 きらびやかな灯りで派手に彩られ、地上の太陽となるはずの街は、明かりが全て落とされ、人の気配も皆無となっている。

    
『大将。こちら地下水道担当水狼ロッソ。魔力反応感知したんで、導線追跡を開始します。ただ内部の複雑さもある上にやばめのガーディアンも湧いて来ますし、どこまで追えるか微妙っすけどね』


「判った。無理はするな。方向さえ判ればサナを派遣するだけの理屈が通る。それで今は十分だ」


 地上部には変化無し。だが地下に潜っている部下からは予想通りの報告が上がってくる。

 報告から数秒後。眼下の闇の中にほのかな灯りが産まれる。

 それは燭華中心部。今は火が消えたはずの大灯籠。大華燭台先端部。ガラス細工の花弁が放つ灯りだ。

  
『周辺警戒担当壁狼のリンシャです。地上でも魔力反応を感知しました。魔力遮断防御結界を展開。他街区への魔力伝播妨害を開始します』


 別の部下の声と共に、さらに強い灯りを放つ光の壁が高く高く立ちのぼり、燭華の外郭を形作っていく。

 街区と街区を隔てる防壁に展開していた部隊が使用したのは、防壁その物に備えられていた結界機能。

 非常時には外部からの魔力攻撃を遮断し街を守るための防衛機能の1つだが、今は逆の目的。街中で発生する物から、外を、隣接街区を守るために用いられている。

 一定の高さまで伸びた光壁が空を覆う天蓋上に形を変化させる中、境界上に浮かんでいたソウセツは僅かに翼を動かし降下。

 閉まりはじめた結界内に自ら侵入する。

 結界が閉じるとほぼ同時に、大華燭台の光も満開となり闇を煌々と照らし、そして突如弾ける。

 弾けた光は無数の花弁状となって燭華全体に広がって降り注いでいく。

 ヒラヒラと舞い落ちながらも、何かを探しているようにも見えた花弁達は、やがて捜し物が見つからず諦めたのか、すとんと一斉に地に落ちると徐々に形を変え、さらに光体のまま実体化していく。

 ある花弁は、人の形をした何かに。

 ある花弁は、獣の形をした何かに。

 ある花弁は、道具の形をした何かに。

 ある花弁は、見たことも無い何かに。

 ボンヤリと光る発光体の形をした何か達は出現すると同時に、一斉に天を仰ぎ、声ではない声で、だが確実に判る悪意と殺意の篭もった呻きをあげる。

 気の弱い者であれば、それだけで発狂しそうなほどにおぞましい呻き、嘆き、妬みの篭もった闇の誘い。

 生きている者へと向ける羨望と嫉妬と怒りの声の対象となったのは、結界内でただ1人生きているソウセツだ。
 
   
「ソウセツだ。依り代となる小動物や古道具も全て排除した所為か、昨夜よりも姿が不明瞭であやふやになっているが、脅威度は変わらない。これより排除に入る。各員結界維持及び防衛に専念。水狼は魔力発生源及び魔術中心点の索敵に全力を挙げろ。以上」


 重さなど感じないように飛び上がってくる、光で出来た怨嗟の塊を前にしても、何時もと変わらぬ厳しい顔を浮かべたままのソウセツは、部下達へと向けて指示を出し終えると、愛槍を握る右手の力を強める。

 その右手の中指にはいくつもの輝石が輝き、複数の色が走る探索者の指輪が輝く。

 輝石まで発現した指輪は、ソウセツが上級探索者である事を表す何よりの証左だ。

 その右手の指輪に対して、左手に身につけた腕輪を近づけ意識を向ける。

 左手にはめた腕輪は、若い頃ならばともかく、今のソウセツの趣味としては些か派手できらびやかな装飾が施された代物だ。

 だがその似合わないアクセサリーをつけているのは、それが神によって認められた宝物であるからに他ならない。

 銀細工で彩られた腕輪の中心で燦然と輝く金の印章は、山を司る山岳神派の中の一柱。中級神メフォリアが神印。


「神印解放」


 唱え終わると共に神印が一瞬強く輝き、次いで腕輪そのものが光の粒子となり、探索者の証たる指輪を通じソウセツの体内に光が、力の塊が取り込まれる。

 それは水路を水が流れるように。

 それは風を受け回る風車のように。

 それは炉の中に火種が放り込まれたように。

 迷宮で振るわれるべき超常の力。天恵は迷宮外では制限され、探索者達の力は大きく劣ることになる。

 迷宮外、人の世界に、迷宮内で得た天恵の力を全て発揮する為の奇跡であり、探索者の切り札。

 それこそが【神印解放】

 本来ならば、上級探索者たるその力が振るわれるのは迷宮最深部。

 伝説の魔物が群れとなって跳梁闊歩する中を突き破り、山脈級の巨体を持つ大魔獣と渡り合い、万物を意のままに書き換える龍と対峙する為の力。

 相手がいくら無数の光の化け物といえども、ソウセツが自ら力を振るうのは些か過剰ともいえる。
 
だが相手が、街を、人を、物を、この世の全てを、怨み、妬み、破壊しようとする輩であるならば、義母の愛したこの街を傷つけようとするならば、ソウセツが加減をする道理などない。

 目前まで迫った光の化け物の群れを見下ろしたソウセツの目に怒りが篭もる。

 剣士が振るった剣。獣が鳴らす牙。提灯らしき物が放つ火の玉。その全てはソウセツが引きつけなければ、地上で振るわれていた悪意。

 この悪意によって初日、そして2日目。燭華の一時閉鎖と全域避難が決定されるまでに発生した死者重軽傷者は合わせて961名。

 そして花弁に取り付かれ依り代となり怪物へと姿を変えた者は、ソウセツ率いる治安警備隊によって排除された125名にもなる。

 その全ては解呪前に負った傷で死ぬか、解呪に成功しても、怪物へと変貌した段階で本来の生命力がつきていて、元に戻っても絶命してしまっている。

 怪物としての姿だからこそ、その瞬間まで生きていただけ。花弁に取り付かれた段階で、それは死んでいる。生きる屍でしか無い。

 あの光こそがあれの本質であり、動かす力。

 ならば断つ。断たねばならない。全ての脅威を、全ての悪意を。


『帝御前我御剣也』


 義母より教えられた古い言葉こそ、ソウセツの誇り。そして約定。

 己が持てる全てをもって、この街を、新しきロウガを守る守護者である事の誓いの言葉であった。










「むぅ。早すぎる。目で追えん」


 注視していた南の空では、地上から浮かび上がってきた無数の光が、瞬く間に消滅していく光景が展開される。

 その殲滅速度はあまりに速すぎる。ケイスが必死で目をこらしているというのに、これだけ遠方からでもソウセツの動きを追うことさえ出来ていない。

 ソウセツによって潰された光が弾けるので、かろうじてその航跡をたどれるが、どこを飛んでいるかなどまるで判らない。

 あの速度ではあと1、2分もあれば、全ての光の化け物を殲滅できるだろう


「お爺様が神印解放をしているので私たちでは見えなくて当たり前です。お爺様が言われるには自分などまだ遅い方で、一部の格闘家は短距離ですが光よりも早く動いてラッシュを叩き込む方もいるとの事です」 


 同じように空を見ていたソウセツの孫娘であるサナが、実力差も考えず本気で悔しがるケイスに呆れる。


「むぅ。雷光という奴だな。私もそのうち体得するつもりだが、闘気消費が激しすぎて、距離が限られるのもそうだが、連続使用も難しいという話だ。あれのように常時超高速移動できる方が使い勝手が良いかも知れんな」


「気になるようでしたら、直接コツなどを聞かれたいかがですか? 私が仲立ちし」


「断る。あれは絶対に実力で斬る。話すのはそれからだ」


 サナからの仲裁案をケイスは途中でぶった切る。

 あれだけの実力を持ち本来は尊敬できる大叔父だが、兎にも角にも、一度手を抜かれ勝ちを押しつけられたからには、斬って実力のみで勝ってからで無ければ、話したくは無い。

 それが紛れも無いケイスの本音で、決意だ。


「貴女は……もう面倒なので何も言いませんが、お爺様のあれを見ても対抗心が沸き立つってどれだけ負けず嫌いですか」


 自分の生まれを普段は一応はひた隠しにしている癖に、その場のノリでつい真名を名乗ったケイスによって、その生まれの一端を知ってしまっているサナは、他人に相談できないジレンマから、深く息を吐くだけだ。
   

「ケイス。サナさん。あっちは私達じゃどうしようもないし、ソウセツさんが動いたんだからもう見学も良いでしょ。こっちはこっちの仕事。たぶん地下水道から繋がっているっていう魔術中心点の調査の打ち合わせを始めましょ」


 2人の会話が何時もの流れになったのを見計らい、ルディアが声を掛ける。

 最後に少しだけ空を見て、ソウセツの動きがまだ追えないことを再確認したケイスは、小さく息を吐くと表情を改める。

 それは奇しくも、先ほどソウセツが見せた物とよく似た表情。

 炎に焼かれ肩に裾が掛かる程度に短めの髪になっても色あせない幼い美貌に微かな、しかし確かな怒りが浮かぶ。


「ん。私の同期の名誉を汚し、命まで奪ったのだ。この事件は絶対に私が解決してみせる」


花弁によって怪物へと姿を変え大暴れした、加害者にして被害者の中には、ケイス達の同期。燭華で門番をしていた若い槍使いもいた。

 話した時間は少ない。どういう人物だったかもあまり知らない。

 それでもケイスを気に掛け声をかけてくれた。

 ケイスの大切な者達と共に協力し迷宮に挑んで、ケイスの大切な者の1人となった人物だ。

 だがそんな者が守るべき町を破壊させられ、守るべき人を殺させられ、傷つけさせられた。
 
 そして命まで奪われた。

 魔術学者の中には、花弁が人の心の奥底に眠る欲望や渇望を具現化しているのではないかと説を立てる者もいる。

 その前兆現象こそが、時折起こっていた淫香事件であり、淫魔となっても客を取りたいという欲望が、何らかの魔具や儀式魔術によって形となったのではないかと。

 そしてケイスがロウガ支部に報告し、国家間の問題となる恐れから、公には出来ないとして今は隠されているクレファルドの人形姫や、あの火刑少女の霊を形取っていた悪霊の群れが絡む変化によって、その魔術式に変貌が生じ、今回の事件へと発展したのだと。

 真相は調べなければ判らない。調べても判らないかも知れない。

 しかし、結果はどうあれケイスがするべき事は、望むことはただ2つだけ。

 仲間の敵を取り、汚された名誉を晴らす。

 それだけだ。  



[22387] 下級探索者(偽装)とロウガ評議会
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/10/04 23:06
 城塞都市国家ロウガを、ロウガ王家の名代として実質的に運営するロウガ評議会は、ロウガ復興の主力となった管理協会を中心とし、有力ギルド長やその幹部、またそれぞれの街区から選ばれた評議会議員によって構成される。

 有力街区の1つである燭華で発生した異常事態から1週間。

 それぞれの勢力の思惑の違いによって日常的に発生していた諍いが自制され、有効的な対策や、原因究明の為の手立てが議論されている。

 街区閉鎖というあまりにも多くの派閥の損益に関わる事例が引き出した一時的な共闘だが、それだけの異常事態である事は、朝から始まった臨時議会が、幾度かの休憩をはさみながらも深夜になったにも関わらず続行されている事からも判るだろう。

 花びら状の光体が原因だとされていることから、【大華災事変】と名付けられた今回の大事に対して、議会は総力を発揮して対応にいそしんでいた。


「ソウセツ殿と警備隊の活躍によって、物的、人的被害は今夜も皆無となりそうですね」


 ロウガ支部支部長であり、評議会議長も兼任するフェルナンド・ラミラスが、長時間に及ぶ議会でも疲れを感じさせない声で静かに告げる。

 議会場正面に設置された魔法陣が映すのは、今現在燭華上空で行われている上級探索者ソウセツによる戦闘……いや一方的な討伐だ。

 文字通りの目にも見えない速度で縦横無尽に空を駈けるソウセツが、自らに襲いかかって来る光の化け物を、交差した一瞬で一撃で葬り去っていく。

 この光体は、毎日決まった時間、深夜に、燭華中央の大華燭台が発光したのちに花弁状に飛び散ると、一定以上の大きさがある生物や、製造から年月の経った古道具に取り憑き、それらを一瞬で化け物へと変貌させる力を持つ。

 変貌した化け物達は周囲の人々へと無差別に襲いかかる習性をもっており、出現初日と、2日目に、多数の死傷者や、その後の討伐戦闘において大きな被害をもたらしている。

 憑依対策のために、燭華を一時閉鎖し、全住人を他街区へと避難させ、比較的安全と思われる昼間に、手の空いている探索者を総動員して、憑依可能性のある古道具の運び出しという大がかりな作戦が決議されたのは3日目。

 人の避難や、その避難先の確保は当日中に終わったが、難航したのはあまりにも多い古道具の運び出しだ。

 とても1日では終わらないと判明した段階で、ソウセツから提案されたのが、街壁に備わった大規模結界で燭華全体を魔術的に閉鎖。

 内部に残ったソウセツが、空中で化け物共を一身に引き受け、被害を最小限にするという作戦は実行され、憑依された古道具の損壊以外は、建物の被害は0という、被害減少に著しい成果を収めている。

 そして事件発生から7日目となる今日の昼間にようやく全ての対象物除去が終わったのだが、今度は憑依先を失った光体その物が実体化し、襲いかかる事態となっていた。


「鬼翼ソウセツ・オウゲンの開放状態……まさか幾度もこの目で見られるなんて」


 周囲を完全に取り囲まれているというのに、危険を感じさせないほどに圧倒的な戦闘力に、若い評議員の中には、興奮を抑えきれない声をあげる者さえもいるほど。

 街の大事だというのに、憧れの英雄を見る目を向けるのは些か不謹慎ではあるが、それも仕方ない。 

 探索者達の実力は迷宮外では普段は抑えられている。迷宮で手に入れた超常の力は、迷宮内で振るわれるべき物であるからだ。

 しかもソウセツは、最高位の上級探索者の中でも一握りの英雄と呼ばれ詩に詠われるほど。

 あまりに圧倒的で強大な力を持つが、普段は力の大半が封じられた状態でも事足りてしまうので、その全力戦闘をこうして街の中で目撃する機会など、ほぼ皆無なのだから、この反応も仕方ない。

 あと、2、3年後には、とある化け物の所為でロウガの街中で能力開放状態の探索者による大規模戦闘が頻発するようになるとは、そしてその対処に自分達が今以上に翻弄させられるとは今は知らぬが故に、評議員の大半が滅多に見られない光景に心を引かれていた。


「しかし、今度は原因その物が実体化か。これでは明日も発生する可能性が高い。神印解放をこうも連日を行い、中級神印宝物は足りるのか。いくらソウセツ殿とはいえ下級神印宝物では開放時間が足りなくなるぞ」  


 かろうじて冷静でいる引退した元探査者の評議員が、安堵感からか緊張感が途切れ僅かに弛緩した議会を絞めるために、懸念を口に出す。

 ソウセツがこれだけの力を迷宮外で発揮できるのは、神の認めた宝物。神の力と偉功を現す神印が宿った神印宝物を消費して、一時的に全能力を解放しているからだ。

 しかも稀少な中級神クラス宝物を用いているから数分の戦闘でも力を振るえるが、これがまだ手に入りやすい下級神クラス宝物となれば、物によっては数秒しか持たなくなる。

 かといって下級神宝物を連続使用というわけにもいかない。

 異なる神の力を連続で宿すのは、あまりに肉体負担が激しく、上級探査者でも十中八、九、耐えきれず身体が弾けて死亡する。

 神印開放は最低でも12時間。出来れば1日以上の時間を空けるのが探索者達の常識だ。

 今はソウセツの力によって、被害を抑えられているが、あくまでも発生後の討伐は場当たり的な対処でしかなく、根本的な解決となっていない。


「はい。ですので原因の排除を最優先としています。発光発生と同時に魔力流を逆追跡する為、地下に潜っている水狼から先ほど連絡がありました。どうやら魔力の発生源はやはり地下。狼牙地下水道遺構の深部。ただ、追跡調査の途中で強力なガーディアンが出現。撃破は出来ましたが、そこから先は水路が初級迷宮化していたため行く手を塞がれたそうです」


 フェルナンドが指を振り、燭華上空を映していた映像から、地下水道の立体図へと切り変える。

 あまりにも巨大過ぎて全容は未だ様として知れない、東方王国時代の遺構である地下水道網は、現在のロウガの街よりも遥かに広く、そして地下深くへと続いている。

 一部が迷宮化している魔窟なのだが、今回問題とすべきは、魔力発生源があるとおぼしき付近へと通じる通路は複数が確認されているが、どれも×が付いて途中で途切れている。

 深部に近づくほどに、当時の防衛機能と思われるガーディアンとの戦闘を余儀なくされた上、そのどれもが初級探査者以外の出入りを拒む初級迷宮化されており、中級探索者以上で構成された治安隊ではこれ以上の調査が不可能となっていた。


「……またですか。しかしあり得るのですか。こうも初級迷宮が何度も行く手を塞ぐなんて」


「実際に起きているんだ。考察は後回しにしろ。やはり今年のルーキー達を出すしかないか……しかしアレは外せないのか。旧狼牙の血を引くロウガ王女であるサナ殿達だけでも良いのではないか」 


「ルーキーの中で、地下水道でのコウリュウ超えを達成したのはあの問題児とそのパーティだけ。それに赤の初級迷宮だけとはいえ、すでに迷宮殺しの異名さえ持ちうるほどの完全踏破率を誇る化け物だ。確実性をあげるには出すしかない。最悪でも迷宮化さえ解除できれば、精兵が送り込める」


 まずは解決。その為にすべき事は議場に詰めている評議員達も理解はしているが、誰もが苦い顔を浮かべている。

 物が東方王国時代の遺物であるだけに、その当時の領主の血を引くサナを送り込むのは、一部の結界やガーディアンに対する解除キーとなる可能性も高いと、サナの祖父であるソウセツ自身が提言しており、サナ自身も解決のために自分の力が役に立つならばと快諾している。


「一度破壊されたガーディアンの復活までには早くても半日。今なら途中の戦闘を考えずにルーキー達を送り込める。時間はないぞ」


 だがお飾りとはいえ王女を送り込むのだ。絶対に失敗できないこの案件に対して、有効な手として、ルーキー最強戦力を同時に投入するという理屈は判る。

 だがそれでも不安はぬぐえない。
 
 まだ未熟な初級探索者達に、事件の解決を託す不安ではない。彼らの不安は、より事態が悪化するのではないかという懸念だ。

 今回の異常事態に対して、一部の関係者以外には非公開とされていたある探索者に関わる詳細報告書が、事件解決のため評議員達には公開されている。

 それは謎の化け物レッドキュクロープスの正体と、その関連事項。

 いまだ初級迷宮に潜る資格を持つ、今期のルーキー探索者でありながら、同時にあまりに多くの赤の迷宮を完全踏破したために、史上初めて次の期を待たずに下級探索者になってしまったケイスの戦闘評価と、引き起こした一連の騒動に関してだった。











 評議会がケイス達、正確にはケイスの投入を正式決定するか、葛藤に悩んでいる頃、既に評議会の思惑など全く気にせず、勝手に突入する気でいたケイスは、情報整理にいそしんでいた。


「こいつが、ここのありったけの資料をかき集めて作ったロウガの東方王国時代地下水路遺構の概略図か。ファン。これでも全体の20%くらいか?」


「現段階の予測で20%だ。正直俺が思っていたより深く広い。水路としては無意味な部分さえ多い……どちらかと言えばこれはおまえの専門のようだ」


 旧友でもあるウォーギンの問いに、ファンドーレは、地図情報結合魔術を用いてテーブルの上に表示していた見取り図を縮小させ、地上のロウガとの比較をしやすい形とする。

 比較的浅い部分は現在判明しているだけでも最外部の防壁よりも遥か先にまで広がり、深部も外洋大型船すら易々と遡上できる深いコウリュウ河口部のさらに下。

 ケイス達が初心者講習の申込日に使ったコウリュウ超えの一番深いと思っていた地下水路よりもさらに深い部分に、今回の事件での調査で未発見区画が発見されているほどだ。

 深い部分ほど当時の防衛機能であるガーディアンやトラップが生きており危険度も高く、基本的に立入禁止区域ばかりで放置気味だった地下水路遺構だが、さすがにロウガ支部も自分達の足元を無防備にしているわけではない。

 時折思い出したかのように、幾度か地下通路の現状把握や、内部に発生したモンスターの討伐が行われているのだが、掃除が終われば、それらの記録は書庫の片隅に放置状態となっていた。

 これら稀少かつ、普段は目につかず、誰も興味を持たない書類が数多く眠る古文書保管資料室に集まっているのは、ケイスを中心としたパーティのメンバーであるルディア、ウォーギン、ファンドーレ、ウィー。

 そしてロウガ王女サナを中心としたパーティのセイジ、好古、レミルト、ブラド。

 そしてもう一人。この古文書保管資料室の主とも呼ばれる司書ミルカ・レイウッドの計11人だ。


「ウォーギン殿の専門と言うことはこれも一種の魔具、いや複数の効果を持たせる儀式用の神殿かの?」


 常識外れな規模に、巫術師の鬼人好古・比芙美が愛用の扇で隠した口元に呆れと困惑が入り交じった色を浮かべる。

 いくら東方王国時代の狼牙がさらに大きな都市だったとはいえ、それは上下水道として用いるには、あまりにも不自然かつ、無意味な作り。

 だがそこに別の意味を見出せば話が違う。

 流れる水とその形が描くのは、無限の流転と無限の形。

 すなわち巨大な魔法陣の集合体として用いるならばだ。

 燭華で発生していた淫香発生事件。そしてこの1週間、深夜に連続して発生し続けている大華災と名付けられたこれら全ての大元は、この巨大すぎる積層複合魔法陣の奥底から浮かび上がってきている。


「いやはやそれにしては些か面妖な。規模もそうだが、東方式巫術を受け継ぐ私もついぞ見たことが無い様式と見受ける。一体何の術に用いる気であったのやら。姫は聞き覚えは? 姫の家系は領主であったのであろう」


 好古の使う巫術は古式。既に滅亡した東方王国の術式体系に属する流派の一つだが、多少なりとも東方系魔術知識を持つ好古をもってしても、この巨大な魔法陣集合体の概要さえ掴みきれないのだ。

 全く違う思惑、知識、思想で組み立てられた物という印象を受けている。


「私の祖先が狼牙領主だったのは確かですが、それは血を引いているという意味であって、知識を伝承しているわけではありません。実質には一度断裂していると思っていただいても相異ないです。むしろこれらに関しては……」


 力になれず申し訳ないとサナが首を振ると、ケイスへと意味ありげな視線を向ける。

 むしろケイスの方が詳しいので無いかと言いたげだ。

 地図を見つめていたケイスはサナの視線に気づき、とりあえず判っている分だけでもと一瞬で暗記してから、サナへと向き合う。


「私も知らん。旧市街区の地下で先代の邑源宋雪には会ったが、教わったのは実戦的な闘術や魔術の知識だからな。こんな事なら地下水路についても聞いておくべきであったな。ミルカ殿の蔵書に似たような事例はないのか?」


 首を横に振ったケイスが目を向けた先には、先ほどケイス自身が書きしるして渡した魔導書を読みふけっているミルカだ。

 曾祖父である先代宋雪やその配下の狼牙兵団から託された失伝した知識や技術のうち、自分には不要な魔術知識に関しては、ケイスはそれらを最近は暇を見ては体系を纏めて、魔導書として書き写すと、高額でミルカへと売り渡している。

 ケイスの持つ東方王国時代の魔導技術知識は、戦闘用の一部ではあるが、その大半が失われた技術、知識の一翼を担う物。

 それらを応用すれば、今までは未解析だった魔法陣の使い方や、修理方法が不明でガラクタだった当時の魔具を再生産できる可能性もある宝の山であるが、同時に威力や範囲が広すぎる今では禁術とされる類いの物も含む危険な知識。

 もっとも当のケイス本人がそこら変には無頓着で、知り合いや、知識を求める者に気軽に与え軽い混乱が起きたために、情報漏洩防止や、情報相場維持を目的として、ロウガ支部が魔導書という形で買い取る事になり、臆病な性格はともかく知識量と管理技術では支部でもっとも長けたミルカが情報査定係に選ばれ、ケイスに渡す代価を決定している。

 稀少知識故に一冊ごとに少なくとも数年は遊んでいられる大金となるのだが、その大半が燭華で壊した建造物の修理費や、営業補償費として使われ消えているのだから、ケイスの暴れっぷりも判るという物だ。


「…………」


 ケイスの呼びかけでミルカに注目が集まったが、どうやら読書に集中しすぎているようで返事がない。

 
「斬るか」


「だからあんたは。ミルカさん、油断していると斬られますよ」


 腰のナイフに手を掛けた段階で、ルディアが先に動いてミルカの手から本を取り上げる。

 ケイスが斬ろうと思ったのがミルカ本人なのか、自分が書いた本か微妙な所だが、普段より苛立っているのか手が早く油断が出来ない。   


「ひっ!? な、なんでお仕事しているだけなのに!?」


 もっともミルカとしては災難も良い所。

 荒事には向いておらず、ケイス達が必要そうな資料は全部抜いて来たので、後は筆者の次に誰よりも早く真新しい本に読みふけれるという趣味兼仕事に没頭できると思っていたのにこの有様だ。


「読むなら後で読め。今はお金より情報が欲しい。地下水路がどうも巨大な魔法陣となっているようなのだが、些細な情報でも良いが思い当たる節はないか?」


「あ、あ、え? し、資料からの、よ、予測なら、で、でも外れてたら斬るとか、い、言わない?」


 どうにもケイスを殺人鬼と同一視しているようで怯え気味なミルカが震えながらも、縮尺された地下水路の一点を指さす。

 それは対岸の旧市街区の地下。しかもケイスには覚えがある場所。旧市街区職人街。ヨツヤ骨肉堂の地下に広がる作業場だ。


「ヨツヤ殿の所か。しかしあそこの術式は後から作られた物で今の形式だったぞ」


 流れ着いた動物や地下水道に生息するモンスターの死骸をすぐに腐らせ、死霊魔術で扱いやすい骨だけにする術式が用いられているが、それは現代式のはずだ。


「そ、そっちじゃなくて、あ、あそこの墓守の子。しゅ、出自不明の幽霊。そ、その子が大華災事件発生後に行方不明になって、そ、捜索願が出てるって」


 だがケイスの予想に反して、ミルカが指摘したのは、そのヨツヤ骨肉堂の看板幽霊の失踪と関連性があるのではないかという推測だった。


「ホノカが? ……あいつはレイスロードのなり損ないだったな。偶然とみるにはタイミングが良すぎるか」 


 思わず出た知人の名にケイスはどうにも嫌な予感が胸をよぎった。

 幽霊となったホノカは素養があったのか、それとも生前に強い魔力でもあったのか、生前と変わらない思考力を維持したままレイス化、それも他のレイスを無意識に使役できるロードクラスの強力な力をもっている。

 もっとも当の本人は、力はともかく性格的に死霊の王と呼ぶにはとことん向いていないので、ご近所で評判の看板幽霊ポジションとして落ち着いている。


「あれの服は東方王国様式だったな。ならあの時代の、狼牙地下水道が出来た頃の幽霊で関係性があるという事か?」

 
「そ、それがあの子は服装が一見狼牙時代の様式なんだけど、び、微妙に違って、50年くらい前の東方王国復興運動が盛り上がっていた頃の、リバイバルされた物じゃないかって個人的には思うの。ただ発見されたのはヨツヤ骨肉堂の地下。しかも記憶喪失だからって、あそこの店主の死霊術師さんが保護者になったって、根拠は、こっちの資料とかこの雑誌とか」


 広い資料室の書庫の中身を全て覚えていると噂されるミルカはその噂に違わず、風魔術で手元に取り寄せた古い報告書や、大昔のファッション雑誌をその根拠の証拠として提示する。

 確かにミルカが開いた色あせたページには、東方王国様式と称され新発売されたという触れ込みで、ホノカが身に纏っている物と酷似した服が掲載されている。  


「むぅ、人形姫に続きヨツヤ殿か。どうにも死霊術師の影が見える……ロウガの死霊術師といえば火華刀殿も関連してくるのか」


 ミルカの推測したとおり、ホノカには関連性があるようにも思えるがどうにも結論までいたらない。

 死霊術がこうも関わってくるとケイスが自然と思い出したのは1つの二つ名だ。だがケイスがその名を口につい出すと、ルディア達は不可思議な顔を浮かべ、互いの顔を見回した。
 

「ねぇ、火華刀様って大英雄の1人よね。なんで死霊術関係なのよ」


 周りの視線が自分に集中したことで、聞くのは自分の役目だと諦めたルディアが、ケイスに問いかける。

 ケイスが口にした二つ名【火華刀】 
 
 その二つ名を持つのは史上ただ1人。大英雄フォールセンパーティの1人にして、唯一その生死が不明となった大英雄。

 赤龍王との最終決戦時に、パーティを龍王の元へと送るために、多数の龍を引きつけ囮となり討ち死にしたとも、龍王にさえ敗れない結界を張るために神印宝物を越える力を持つ天印宝物を用いて、探索者としての力を失い人に戻ったとも伝えられる、狼牙出身の女侍【霞朝・鳴】だけだ。

 普段は料理と酒を愛す華人なれど、一度愛刀の【華凜刀】を抜けば、花のように舞う血しぶきの乱舞を戦場に産み出す、当時最強の武神が1人。

だが後世に残る逸話は数多くあれど、彼女に死霊術というほの暗い影が見えるなど、欠片さえ聞いた覚えが無い。


「…………ん。私の気のせいだ。忘れろ」


 自分に注目が集まっていることに気づいたケイスは、しばらく悩んでから、明らかに誤魔化しているとバレバレの態度で開き直った。


「あんたはまた……」


「ケイスさん。人には言わないと斬るといってそれは」


「姫。深き事情があるのでしょう。忘れましょう」


 ため息を吐き諦めたルディアと違い、納得のいかない顔を浮かべるサナが斬り込もうとするが、セイジが諫めて止める。

 何かを隠しているのは確かだが、ここで深く追求すると、しつこいと逆ギレして斬ってくるようなケイスの相手は疲れるだけだと判っている他の面々も、それぞれ聞かなかった振りや諦め顔を浮かべるだけだ。


「まぁよい。どちらにしろ斬るだけだ。時間があればヨツヤ殿に話を聞いてくるのだが……その時間はなさそうだ」


 つい口を滑らせたケイスは強引に話を区切ると、ウィーとブラドの獣人組がドアの方へと目を向けた事に気づき、僅かに遅れて資料室に向かって足早で進んでくる気配を察知する。

 駆け込んできた評議会の使いは、ケイス達2パーティに対して、支部前の英雄噴水から地下水道に侵入。魔力発生予測地域の調査及び、初級迷宮化解除に向けた完全踏破指令を携えていた。



[22387] 下級探索者(偽装)と考えごと
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/10/19 23:11
 2パーティ。計10人で地下水路横に設けられた細い歩道を移動しているケイス達の周囲を、光球が浮かび周囲を照らしだす。

 脇を流れる水路の幅は広く、光球の灯りでは届かず対岸が見えず、ゆっくりと流れていく異臭を放つ水は、腐っているのか、濁りが濃く、どのくらいの深さがあるのも判らない。

 灯りの届かぬ闇からは、別の水路と交差して流れ込む水音が絶え間なく響き、時折地下水道に生息する動物やモンスター達の足音らしき物が響くが、ルディアの作った低級モンスター除けの魔術薬の効果もあって、こちらへと近づいて来る物は無い。

 もっとも警戒すべき防御機構のガーディアンも、先行していた水狼が破壊しているのでその戦闘痕跡が所々に残っている程度で、行軍は静かな物だ。


「またガーディアンの残骸か……だけどさっきまでと違って水みたいになってやがる。ウォーギンさんこれってたしか再生中なんだよな? 放置でいいのか」


 周辺警戒をするレミルトが指さす先では、爪ほどの大きさに砕かれた破片が水銀の様に半固体状になっている。

 それらはまるで生物のように少しずつ動いて、通路の隅で集合しようとしていた


「深部に近い所で出てくるって話の、未解析技術で出来た再生増殖型だな。下手にちょっとでも持って帰ると、そこら辺の建材やら金属製品を取り込んで再生する厄介な奴だ。中央にある専用の研究保管施設が必要で、ロウガじゃ手に負えないから絶対に持ってくるなだとよ。稀少品でもったいねぇが仕方ない」


 ガーディアンの構成素材は暗黒期に失われた魔導技術による、まだまだ研究解析中の素材の1つ。

 個人的な研究用に持って帰りたい所だが、念を幾度も押された上に、行きに行われた持ち込みチェックの厳しさを考えれば、帰りも同様となるのが目に見えているので諦めたウォーギンが残念そうに肩をすくめると、また会話はしばらく途切れる。

 必要最低限の会話だけになっているのは、襲われてはいないとはいえ迷宮を進む緊張感から来る事もあるのだろうが、もう一つの大きな要因がある。

 それは、普段なら剣を振るう良い機会があれば嬉々として先頭を進むはずのケイスが、あまりみせない真面目な顔でなにやら黙り込んだばかりか、ついにはしばらく考えるから戦闘になったら任せるとあり得ない言葉まで飛びだしてきたからだ

 実際にモンスターの気配は感じても一切反応せず、隊列の中段を無言でついてくるだけだ。

 その物憂げな表情で考え込む姿は掛け値無しで美少女だが、中身は戦闘狂という言葉でさえ生ぬるい頭のおかしいケイスだと、この合同パーティの誰もが知っている事なので額面通りに受け取るわけも無い。

 むしろケイスがやたらと真剣になって考え込んでいるので、不安しか無いというのが率直な感想だ。

    




 周囲から時折するモンスターの気配も、仲間達からの訝しむ視線も無視したケイスは、意識の大半を思考の中に沈め、己が持つ武具に宿る2匹の龍と話し合っていた。


(ホノカはレイスロード、意思無き霊を無条件で従える事が可能だ。ヨツヤ殿が地下作業場を管理するために呼び出して使役しているかと思ったが、保護されていたとなると話が変わる。あの地下作業場は、ひいお爺様や狼牙兵団、そして旧狼牙の民で出来た霊団が固まっていた場所へと降りる事が出来る唯一の場所。となれば有力な予測が1つ生まれる)


 地下に住まう悪霊化した太古の民達を封じるために、ヨツヤ骨肉堂の作業場はあの場所へと作られていると、老店主は語った。

 唯一の通路となるあの場所に別種の死霊を集めることで、地下深度への魔力の流れを遮断し、また地下の悪霊が浮かび上がってこないように蓋をしているのだと。


(何者かが、あの霊団を使役化しようと狙っていたか……だがあの数が混ざり合い、生者に無差別に襲いかかる霊団では些か使い勝手が悪い。ならば個々を抽出する必要がある。しかしあそこまで混ざり合った魂から、特定の物を抜き出すのは手間が掛かりすぎる。ノエラレイド殿は、娘の曾祖父やその配下の生前と矛を交えたことがあったと言っておったな? それだけの価値があるか)


(ある。俺が知る時代の狼牙兵団は、上から下まで文字通りの一騎当千の精兵揃い。死霊術師が与える仮初めの身体に左右はされるだろうが、一兵団員の魂だったとしても今の時代であれば、かなりの戦力となるとみる)


(うむ。私もノエラ殿と同意見だ。それに力だけで無く知識も得られると考えれば、兵団員以外にも価値は生まれる。私が受け取れたのはかの時代の戦闘に関する技術、魔術知識で極々一部。あの霊団の中には、戦闘技とは別体系の魔導工学技術やらを知る技師や学者もいたと記憶している)


 龍の魔力に縛られた彼らの死を追体験したときに、さすがに細々とした記憶、知識とまでは行かないが、ある程度はその来歴や立場をケイスは知っている。

 霊団の大半は市井に生きた当時の一般庶民だが、中には確かに当時の国家機密であるだろう魔導技術の一端に関わる者もいたはずだ。


(レイスロードのあの娘を使い霊団を抑えその後分別処理する為の機構。それがなにやら誤作動をして、今回の色町での一連の事件での原因となった。それが娘の予測だな)


(ロウガの霊達は私が解放した。だから本来ならば動作はしまい。だが火刑少女を構成していた霊団が取り込まれているとなれば話は通る。深夜ごとに放出されるあの花弁。あれ一つ一つが分別された、意図した者達にはいらぬ余計な霊ではないかと思う。ただ実体化をしているのが気になる。あれでは被害が生まれる。もしくは改良途中で何かが原因で計画が頓挫したという可能性もあるが) 


 ホノカが死後に自然発生したレイスロードではなく、何者かによって素質を見出され死霊術儀式によって産み出された人工レイスロードであれば、全く違う絵図が浮き出てくる。

 霊団を支配下に置き、さらには分別した霊一つ一つも意のままに操る為に、ロードの力を用いるという絵図が。

 しかしそれにしては些か腑に落ちない点もいくつもある。

 ホノカの来歴、服装からして少なくとも50年近く前に、何者かが立てた計画による産物だと予測は出来る。

 だが何故今になってそれが発動したのか?

 あれだけ地上に被害を生み出すのであれば、まだ構造自体は未完成だったのではないか? 

 それ以前に誰が作ったのか? 何故ホノカが記憶を無くしていたのか?

 考えて情報が足りず憶測となる事ばかりで、正確な予測は立てられない。

 だからこそケイスは持てる限りの知識と、記憶を動員し、ありとあらゆる模索を頭の中で行い、少しでも正解に近い予測を導き出そうと集中していた。

 そしてその予測の中で、確定ではないが高い頻度で上がってくるのが、大英雄の一人【火華刀】霞朝・鳴の愛刀だ。


(フォールセン殿から伺ったあの刀の由来、それに真の名、諱。もし私の予測が正しければあの刀がより分けのための格好の器となるはずだと思うが、今ひとつ決め手に欠ける。結果が違いすぎる)


(それこそ魔導技師に尋ねれば良かろう。あの者ならば推察できるであろう)


(事は鳴殿の名誉に関わる話。又聞きした私がおいそれと語るわけには行かぬ)


 ラフォスの言う通り、ウォーギンに詳細を話して相談するのが良い手だとケイスも思うが、難色を示す。

 ケイスならば真実を知っても、なにも気にせず受け入れられるとフォールセンが信じ話してくれたのだ。

 いくらケイスが信頼するルディア達相手といえど、そうおいそれと話すわけにはいかない。

 それにだ……
 

(無いとは思うし、皆を信じてはいるが……もしそれで鳴殿のことを悪し様に言う者がいれば、私は斬らねばならぬではないか。それは嫌だ。ならば私1人でどうにかすれば良かろう) 


(妙な所で律儀というか、融通が利かないというか……娘。その頑固さがおまえの仲間達に危機を招くやも知れぬというに)


(嬢。俺は話すべきだと思う。もし核となるのがその刀であったのならば、破壊もしくは無効化したときに捕らわれていた霊が一斉に解放されることになる。しかも、宿りが赤き鱗であるならば狂った状態でだ。嬢の剣技を疑うわけでは無いが、無差別に荒れ狂う数はどうにもならん。対策は必要となるぞ)


 自分なら斬れるとは、さすがのケイスでも強がれない。

 斬るだけならばともかく、周りに被害を出さずに1霊も逃さず絶対に斬れるなどと大言壮語を臆面もなく吐けるレベルにはまだ達していないと、ケイス自身が一番判っている。


(むぅ、ノエラ殿、正論でいじめるな…………しかし判った。皆に推測を話そう。だがせめて鳴殿を直接に知る者に許可をもらってからにする)  


(双剣殿にか? 今から地上に戻る気か)


(違うぞお爺様。それにフォールセン殿なら今はお留守だ。なにやら中央の協会本部に極秘で呼ばれて、ユイナ殿と一緒に向かわれているそうだ。だから別だ。ロウガ解放戦に挑んだ英雄が、この先にもう1人いるであろう。私以外にも華凜刀、そしてその諱たる火鱗刀を知る者が)  

 結論を出したケイスが小さく息を吐き前方へと目を向けると、ケイス達の周囲に浮かぶ光球よりも、遥かに多く、そして明るい巨大な光球に照らし出された、大木のような柱がいくつもそそり立つ、広い空間が遠くの方に見えてきていた。
  



[22387] 下級探索者(偽装)と刀の諱(いみな)
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/11/09 22:47
 水路を遡った先は巨大な貯水池となっており、濁った水面から伸びた巨大な柱が整然と立ち並ぶ。

 柱の向こうには巨大過ぎて遠近感が狂ってくる壁が行く手を塞いで広がっており、壁に設けられたいくつかの放水口から、滝のように水が流れ落ちて、水音を奏でていた。

 水面上に作られたキャットウォーク上で、先行していた水狼と合流したルーキー一行は、周辺情報を聞かされていた。


「周辺探索で大きさは判明したが、迷宮区は上下左右に伸びていて横幅はさほど大きくない。この辺りが一番広くて、全体の形状は逆さにした壺型って所か」


 水狼隊長ロッソ・ソールディアは、相棒である棍を軽く振って、ファンドーレが空中に投映していた地下水路地図に下級迷宮区域を重ね合わせる。

 ロッソは横幅はさほど広くは無いというが、横幅は目測で4000ケーラを越える。それに上下も加われば、かなりの大きさとだと感じたのがルディアの素直な感想だ。

 他の面々も地図に目を向けている中、ただ1人ケイスだけは少し後方に離れ、合流後にすぐに水狼の副長であり上級探索者のナイカを捕まえて、なにやら密談中だ。

 一応ロッソの話に会わせて地図をチラ見したりと耳だけは傾けているようなので、時に注意する気は無いが、やけに真剣な顔をするケイスに対して、対照的に面倒そうなナイカの表情が気に掛かる。

 だが気にした所で、自分が納得するか、自分で決めるまで、ケイスが口に出すわけが無いというのも、そろそろ年単位で数えた方が早くなった付き合いで判っているので、今はとりあえず放置だ。


「探索効率を考えるなら上か下がセオリーだ、しかし今回の侵入箇所が中央ということは、他に入り口は無いのか?」


「そこの壁に出ている放水口はかなりの数を見つけているが、レンみたいに液体状に姿を変えられる水妖族ならともかく、俺らじゃ無理だ。一番上に取水口もあったが、取り込み口に大型ゴミ排除用の仕掛けがしてあって、入ろうとしたら一瞬で粉みじんだろうな。もっとも中級の俺らや、上級のナイカさんが使い魔を飛ばしても弾かれるからここが初級迷宮だって判ったわけだがな……でだ、結局見つけたのはあそこだ」


 一行のメインマッパーを勤めることが自然的に決まっていたファンドーレの質問に答えたロッソが、足を止めると手元にあった光球の1つを先行させ、壁側に向かうキャットウォークへと移動させる。 

 下位探索者達が使うただの灯り用の光球とは違い、光球にはよく見れば魔術文字が表面に浮かび上がっており、攻防探知一体型の付与が施されている事が判る。

 これだけでなく、周囲に浮かぶ多くの光球に付与を加え長時間の維持ができるのは、中級探索者の中でも指折りの実力を持つ者と相場が決まっているのだが、あいにくというか当の今回の術者ロッソには、悪い意味で貫禄は皆無。

 うだつの上がらないやる気の無い万年下級探索者という第一印象を覚える者が大半だ。


「俺らにはあの壁の辺りは、切り抜いた形だけは扉の形をしているが、黒一色で模様や色は判断できない。おまえさん達には、扉が見えるか、そしてその装飾が何色に見えるか。それが重要なんだよな」


 光球が照らしだした壁は、ロッソの説明とは違い、壁の大きさのわりには小さいが、細やかな装飾がされた扉が1つみえた。

 扉の縁や中央に埋められた宝玉の色は、キラキラと輝く金色をしている。

 扉を彩る色の意味は、ルディア達も講義で習い、実際にいくつかの迷宮に挑んでいるので判っているが、実際に金色の扉を目にするのは初めてだ。

 仲間達の目線が自分に集中したのを感じ取ったルディアは、小さく息を吐く。

 始まりの宮以来、同期達が集まるときは自分が司会役というかしきり役にされるのが通例となっているのだが、どうやら今回の攻略も自分がリーダー役に自然と選ばれたようだと諦めて答える。


「金色です。装飾や中心部の宝玉が金色です」


「……マジで金なのか?」


「黄色では無く、間違いなく金色です」


「あー金か」


 ルディア達が念を押して返した迷宮色の返答に、ロッソは渋面を浮かべ、魔術杖代わりの棍にだらっと身体を預けた。

 誰でも、それこそ探索者でない者でも入ることが可能な特別迷宮区を除き、永宮未完の迷宮区は基本的に資格を持たぬ者の侵入はおろか、僅かな情報を与える事さえも許しはしない。

 下級探索者であれば下級迷宮まで、中級探索者ならば下級から中級迷宮まで、上級迷宮に挑めるのは無論上級探索者のみというのが絶対のルールとなる。

 資格外の者には迷宮区への侵入口となる扉は漆黒の闇としてしか映らず、その迷宮がもつ特色、色さえも知る事は出来無い。

 水狼は副長という名の相談役につく上級探索者のナイカ以外は、全員が中級探索者で構成されており、ロウガ近郊の迷宮区の大半に対応が可能な構成となっている。彼らが入ることも知る事も出来ないのはそれこそ初級迷宮だけだ。

 だから地下水路を探索し魔力の流れを追ったロッソ達水狼が、行く手を塞ぐ迷宮が自分達では侵入できない初級迷宮区であることまでは判っていたが、その迷宮色は、挑む資格があるルディア達が合流して、今初めて知る事が出来たが、その色が問題だ。

 踏破にそれぞれの分野に特化した力が求められる他の色の迷宮と違い、金の迷宮踏破に求められるのは総合的な力。

 他色同ランク迷宮を全て踏破できるだけの力が必要とされる、金の迷宮は同ランク迷宮の中では最難度を誇る迷宮となる。

 その数は他色の迷宮に比べて極端に少なく、運が悪ければ探索者生活で一度も遭遇しないこともあるレア迷宮となり、その難易度、レア度にふさわしく1つの特徴を持つ。

 それは金の迷宮迷宮主を倒せば、確実に神印宝物が手に入る事だ。

 探索者や迷宮を語るときハイリスク・ハイリターンという言葉がよく出てくるが、金の迷宮はまさしく迷宮らしい迷宮と呼べるだろう。

  
「どうするよロッソ。金はさすがに予想外だ。長期戦になるぞ。上の判断を仰ぐか? 今の時間なら評議会が開いてんだろ」


「いやいや。方針なんてすぐ決まらないでしょ。それにこの子達が戻るまで待機とかいわれても、他のガーディアン寄ってきて面倒なことになるわよ。今はレンジュウロウが引き離してくれているけど、他のグループだっているし。さすがに今の手持ち装備じゃ全力戦闘は後数回が限度。もって数日って所だよ」 


 通信用神術を使えばすぐに連絡がつくと提案した神官戦士ギド・グラゼムに、水路伝いに水棲使い魔を飛ばして周辺警戒を続ける水妖族のレンス・フロランスが、武具の状態や消耗品の量から、ルーキー達が戻るまでここを維持するのは無理だと断言する。


「さすがに金相手に2パーティでは足りない。方向別に上下に二つに分けて、拠点確保と救援用に後3パーティは欲しい。ルーキー共にそれだけの手練はいるか?」


 未だ健在のガーディアングループが接近するたびに引き離しているレンジュウロウ・カノウは、愛刀を手入れしていた手を休めて、攻略に向けた現実的な提案をする。

 迷宮の大きさや侵入位置が、丁度迷宮の中央からとなるので、踏破までは2、3日はかかるだろうというの彼らの予測だったが、ここが金の迷宮となれば話はがらっと変わってしまう。

 どれだけ短くても攻略には1週間、月単位となる事だって珍しくなく、それどころか発見以来、誰も踏破が出来ていない未踏破宮や、入った探索者が1人も帰ってこなかった迷宮だって金の迷宮には数多くあるのだ。

 一度戻って再度戦力を揃え、攻略方針を練り直すのが、常識であるだろうが、ここには常識など一切気にしない者がいる。他ならぬケイスだ。

 
「ふん。ならば今日中に片をつければ良いだけだ。連絡するならば私達が入ってからにしろ。勝手に連絡したら斬るぞ……ナイカ殿。金だぞ。あれがここにある可能性は上がるのではないか?」


 いつの間にやら密談を終えていたケイスが、冗談とも本気ともつかない何時もの口調で告げると先ほどまでなにやら話し合っていたナイカへと振り返る。 


「ったくお嬢ちゃん。あんたの予測通りだとしても、なんであたしが言わなきゃならないんだい。あんたの口から説明すればいいだろに。旦那が語ってくれたならあの人も文句は言わないよ」


「鳴殿が許そうが、私が嫌だ。私は直接に知らん。だから資格を持たない。なれば共に肩を並べ戦ったナイカ殿しかいないではないか」


「共につっても、あの人らは最戦前。あたしはその予備隊って感じで、そこまで語れるほどじゃないんだけどね……恨むよ双剣の旦那」


 ナイカがなるべくなら掘り起こしたくないという顔を浮かべていたが、あまりにケイスが頑ななので根負けしたのか、フォールセンへの愚痴をこぼすと、やり取りを見ていたルディア達へと顔を向けた。


「ここに来る前にケイスさんが火華刀様の名前を出したんですけど、それに関連した事ですかナイカ様」


 おそらくケイスの発言の意味を一番気にしていただろうサナが、真っ先に口火を切る。


「そこまでこぼしているなら自分で説明しなよ……正解だよ姫さん。嬢ちゃんが予測するには今回の燭華に現れたあの光の化け物どもには、1つの刀が関係しているんじゃないかって話だよ。あんたら、火華刀の愛刀は知っているかい」


「華凜刀だろ。何でも斬るときの血しぶきが花びらみたいに散った事から名付けられたとか。昔、仕事でそんな剣が作れないかって持ち込まれた事があったんだが、貴族の道楽ならともかく、暗黒期にんな無駄な機能をつけたりするのかって疑ってんだが」

 
 ナイカとは亡くなった父親が付き合いがあり、生まれたときからの知り合いだというウォーギンが臆すること無く答える。


「そりゃ実情を出すとやばいことになるからって、流した噂だよ。花びらのように血が舞い散るんじゃ無くて、刀身が拡散分離して、それが自由に形状を変えて、広範囲の戦場に散らばる。まるで花吹雪のようにね。多層連接剣って特殊構造の剣だよ。その状態は見た方が早いか。ちょっと待ってな、あたしの記憶から呼び出してみるから」


 そう言ったナイカが高速呪文を一小節唱えて、掌を広げるとその上に一枚の鏡が召喚される。

 自分や他者の記憶の一部を鏡に写し出す高等幻術を無造作に使ったナイカの掌の上では、過去のナイカが見たであろう血なまぐさい戦場が映し出される。

 そこはどこかの戦場だ。数え切れない戦士達と、それらよりもさらに多く無尽とも思えるほどにわき出す様々な種類が混成したモンスター達が、真正面からぶつかり合い死闘を演じている。

 倒れ傷ついた仲間の屍を踏み抜いて、盾にしてまで戦いを続ける戦士達と、どれだけ剣で斬られ、術で肉体を抉られようが命尽きるその瞬間まで、人を駆逐しようとするモンスター達。

 それはもはや戦いと呼ぶよりも、どちらの種が滅びるかを掛けた生存競争と呼ぶ方がしっくり来るくらいの、無慈悲で無情な戦場の地獄絵図だ。

 この地獄絵を見ている人物も、矢が尽きるまで弓を放ち、矢が切れれば弓本体で殴り倒し、弓が壊れれば、近くに落ちていた剣を拾い、ブレスで焼かれたのか手首だけ残した元の持ち主を無理に引きはがして振るって、何とか生き抜こうと足掻いていた。


「これがどこの戦場だったかは忘れたけど、あの頃にはよく有ったありふれた絶望的な戦いの1つさね。せっかく数千の犠牲の末に取り戻した前哨地が、周囲の迷宮から湧いてきた化け物共にすりつぶされるって奴だね。魔力吸収タイプの大物モンスターが出てきていて、魔術が使えなくて苦労したんだったかね。音が無いのは勘弁しておくれ、この頃は欠損した両耳の治療も出来なくて放置してたからね」


 自らの窮地を淡々と語るナイカの表情には色は無い。それは今現在まで生き残ったという事実から来る安堵の色ではない。

 本人が言う通り、それがいわゆる暗黒期ではありふれた、よくある日常の1つだったと感じさせる物があった。

 無音の中、ただひたすらに駆け抜け体術だけで何とか生き残っているナイカだったが、周囲の者達が次々に倒れて劣勢に追い込まれ、ついには不意に横から飛び込んで来た巨大な狼に左腕に噛みつかれ地面に引き摺り倒された。 

 倒され足が止まったナイカに向かって、周囲のモンスター達が一斉に群がってくるが、次の瞬間には、視界全域を赤い色で埋め尽くすほどの花びらが一瞬で駆け抜け、それに触れたモンスター達が切り裂かれ、傷口から激しく燃え上がり、その炎が花びらへと吸い込まれるという形で一瞬で燃え尽きていく。

 花びらが通り過ぎた後に残るのは、元の形が判らないほどにみじんに切られ、燃えかすの破片となったモンスターだった屍の山だけ。

 動いている物は視界の中には無い。

 倒されたナイカが立ち上がり戦場へと目を向けると、一瞬で新たなる異なる地獄絵図を産み出した赤い花びらの群れが広がり、モンスター群の中に大穴を空けて、孤立した生存者を救い出して行く。

 燃え広がった炎は、宙を駆け抜ける花びらに次々に吸い込まれて鎮火していく。

 別方向からは、未だかろうじて粘っている前哨地に向かって重厚な東方鎧に身を包んだ2人の仮面武者を従え、圧倒的な剣技をもって進軍する双剣の勇者の姿を遠目に見た所で、映像は途切れた。


「あれが火華刀の鳴さんだよ。それと嬢ちゃんこの後を見せろって言っても無理さね。旦那達が着いた所で気が抜けて気を失ってぶっ倒れたからね」


 先手を打ったナイカの言葉にケイスが不満げに頬を膨らませるが、説明を丸投げして任せた手前、ケイスなりに遠慮したのか、口は慎んでいる。


「分離した刀身が花吹雪のように広範囲で舞い、それが通り過ぎた後に残るのは火を放つ屍の山。それが鳴さんが火華刀と呼ばれた理由だよ。でだここからが肝心なんだけど、真実をねじ曲げて隠した理由は極々単純……刀の材料にやばいもんが使われていたからだね」


 そういったナイカはケイスへと視線を向ける。もっと正確にはその美貌を彩る額当ての中心に設置された宝石のように輝く赤い鱗だ。


「火華刀の愛刀の正式名、嬢ちゃんが言うには諱は、火の鱗の刀。同音で火鱗刀って呼ばれてたんだよ。そしてその鱗は、火龍の鱗じゃ無くてもっと手に入りやすい物。龍と戦ってその魔力の影響で狂った竜人化した戦友の亡骸……ここまで話したら隠す意味もないね。竜人化した連中を使って武器に仕立てたんだよ」


 説明途中で一度言葉を止めたナイカは、改めて言い回しを変えて一気にはき出す。

 その顔に浮かぶのは、何とも言い表しにくい、様々な感情の色だ。


「死体を使ったアンデッド兵なんかは、まぁ一般的じゃ無いが隠すほどじゃない。その言い方だと……まさか生きたままか?」


 その表情に何かを察したのかウォーギンが、ナイカが言いにくそうにしていた事実を言い当てる。

 ウォーギンがそれを察せられたのは、ケイスが身につける火龍鱗の額当てをウォーギンが製作したからに他ならない。


「そうだよ。竜人化した連中は狂って見境無く暴れるが力だけはたいしたもんだ。死霊術の応用で魂が篭もった強力な素材として用いたのさ。嬢ちゃんが身につけているその額当てみたいにね。その素材の中には、無名な奴等もいれば、勇ましく戦って死んだって事になっている奴等だって、救国の英雄だって謳われた奴等だって幾人もいる。そんなのを馬鹿正直に公表は出来ないさね。諍いの火種になる上に、後から続く連中が尻込みしちまうよ。人の補充が無ければ、あたしらは戦いを続けられなかったからね」


 暗黒期に英雄と呼ばれた物は数多い。それは祖国解放のために戦った者もいれば、名誉や名声を求めて戦う者もいただろう。

 個人個人様々な思惑はあっただろうが、彼らが英雄と呼ばれ華々しく戦い、そして時に悲劇として散るからこそ、民衆はモンスターを恐れず、憎み、自分もそのような人物になろうと後に続こうとする。

 人が次々に補充されなければ、戦いは続けられない。それは紛れも無いナイカの本音だったのだろう。

 そうでなければ当時の戦場は維持できず、人類はトランド大陸のみならず、世界から駆逐されていたかも知れないからだと、ナイカが先ほど見せた映像が強く語りかけていた。

 ルーキー達だけで無く、数々の修羅場を抜けてきた中級探索者である水狼さえその言葉の意味に、発するべき言葉を無くす中、動いたのはやはり空気を読まない馬鹿だけだ。


「ん。見れば判っただろうが、火鱗刀には魂を取り込んだ火龍鱗を用いて強大な力を発揮する力がある。だが如何に強力な魂とて有限ではない。使えばすり減るからな。そしてすり減った鱗に補充するため魂を吸収する機能も取りつけてあったという。先ほど見たとおりに斬り殺したモンスターを燃やして回収する形のようだな」


 斬るべき物がある時のケイスには、他人の情緒も、感傷も理解する気が無く、元々考えていない。必要なのは自分が戦う為の情報だけだ。


「私が戦った火刑少女も魂の集合体であり炎を用いていた。これは偶然なのかも知れぬが、フォールセン殿には、私にはまだ少し早いからと詳細を教えてもらってはいないが火華刀殿はここロウガで既に亡くなられているそうだ。しかしその愛刀たる火鱗刀の行方は不明。そして宝物が確実に眠る金の迷宮。関連づけて考えるのには無理はあるまい。迷宮主の中には、武具がモンスター化した物もいると聞く。火鱗刀やも知れぬから皆、気を引き締めろ。では行くぞ!」


 既に戦いに向けて気を張っているケイスは、他者の意見やロウガ支部の意向など一切気にせずそう宣言してクルリと背を向けると、ルディアが止める間もなく走り出す。

 もちろんケイスが目指すのは、キャットウォークの端で金色に輝く迷宮区への扉だ。

 その指には、これ以上は無いほどに赤く輝く指輪が見える。

 始まりの宮踏破後まだ半年に経たない初級探索者にして、下級探索者でもあるこの世で唯一の存在の証の指輪が。


「ちょっ! あの馬鹿! ウィー止められる!?」


 まだ情報交換も途中だというのに既に迷宮に意識を向けているのは、先ほどのナイカが見せてくれた暗黒期の戦闘映像で、戦闘本能に火が着いたからだろうか。

 それとも一連の事件で同期を殺されたことで、元からキレていた所為もあって抑えが効かなくなっただけか。

 どちらにしろ、ケイスはいつも通りといえばいつも通りの暴走状態に入っていたのは間違いない。

 どうにも止められないという予感を抱きつつも、パーティ最速のウィーにダメ元で尋ねるが、返ってきた答えは予測通りのものだ。


「無理無理。止めに入ったら斬ってくるよ。急いで後を追いかけるのが、一番無難だろうね」


「あーもう! すみません行きます! ウォーギン! あの子の首につける縄でも今度作ってよね! 金に糸目はつけないから!」


「それなら私もご協力します! ケイスさん! 貴女はなんで何時も何時も勝手に動くんですか! パーティ攻略だって説明したじゃ無いですか!」    


 バタバタと掛けだしたルディアの横に並んで翼を振って宙を駈けるサナが、怒りの色を含めた表情でケイスに呼びかけるが、一足遅い。

 ケイスが宝玉に指輪を当てると、今まで微動だにしていなかった扉が開き、迷宮が解放される。迷宮の中から反響し増幅された無数の水音がまるで音楽のように響き渡ってきていた。










 次期メインクエスト最重要因子【赤龍】

 初級迷宮【金の水琴窟】攻略戦開始確認



[22387] 下級探索者と迷宮の洗礼
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2019/12/07 23:32
「あーもう! ケイス速すぎ!」

 
 長身のルディアが大きめのスライドで追いかけているというのに、迷宮へと飛び込んだ小さな背中はみるみるうちに離れていく。

 ケイスが行うのは、闘気を足元に叩きつけて速度を稼ぐ戦闘歩法。あれを使っているときのケイスは直線的な速さだけなら、獣人にも匹敵する移動速度を稼ぎ出す。

 ケイスから少し遅れてルディア達も、口を開けた扉から迷宮へと、不本意ではあるが侵入する。

 飛び込んだ先の通路は、サナとルディアの二人が横並びで走ると肩が当たるほどに狭く、手を伸ばせばあっさりと天井に手が着くほどに低い。

 燭台用の灯り置きが規則的に配置されており、水が通っていた痕跡は無く、迷宮化する前は点検専用通路としてでも用いられていたのだろうか。 

 とっさに飛びだしたので先行してしまったが、ケイスに追いつける可能性があるウィーかブラドに先頭を譲ればよかったと今更ながらに思うが、この狭さでは交代さえも難しい。


「いっそ拘束魔術を使いますか!?」


「無効化魔具を使ってくるだけ! 無駄撃ちさせるのも先を考えれば不安です!」


 飛ぶことが出来ず窮屈そうに翼を畳んで横を走るサナの提案に、ルディアはすぐに首を横に振る。

 自身が魔力を持たず、魔術攻撃に致命的な弱点を抱えていることを誰よりもよく知っているのはケイス自身。

 対抗策にウォーギンに作成させ身につける魔術無効化魔具は幾種類にも及ぶが、それらは強力ではあるが、魔力吸収物質を撒く爆裂ナイフのような1回限りの使い捨て魔具や、邪視等を防ぐ仮面型の転血石動力魔具と、使用回数制限がどうしても付きまとう物ばかり。

 迷宮入り口で同士討ちでいきなり消費して、肝心な時に足りないとか、魔力切れとなっては、あまりに馬鹿馬鹿し過ぎる。

 となると結局は今現在出来る事は言葉で止める事くらいしか無いのだが、言葉くらいでケイスが止まる訳がないとも判っている。

 それでも、言わずにいるのも業腹。

 そうこうするうちに、通路の終端が見えてきて、響き続けていた音がさらに激しくなった。

 広い空間が、迷宮本体がこの先にあることを感じさせた。

 今の勢いのままだと、数秒だけだがケイスは単独で迷宮へと突っ込むことになる。何が待ち受けているかも判らないというのに。


「この馬鹿! ちょっとは慎重に行動しろ!」


 制止よりも、文句の成分が倍以上に多い言葉をルディアが発すると、初めてケイスが反応しちらりと後ろを振り向いた。

 不機嫌そうに頬を膨らませたケイスは、折りたたんで懐にしまっていた羽の剣を一振りして伸ばし、足元に好き刺すと、そのまま無言で前に向かってさらに加速を始めた。

 通路に突き刺さった羽の剣は、ケイスが前に進むのに合わせて、刃先辺りから前方へと折れ曲がる。


「みんなストップ!」


 それを見た瞬間、ルディアはようやくケイスの意図に気づき、とっさに足を止め、横を走っていたサナのマントを掴み制止した。












(むぅ。気づくのが遅い!)


 後ろから追っかけてきていた仲間達が、ケイスが先ほど危険を感じて残した羽の剣前でようやく足を止めた事を察知し、胸をなで下ろしながらも、ケイスは心の中で不満を覚える。

 別に同期が亡くなった怒りで我を忘れたのでも、焦りから先走ったのでも無い。

 現状わかっていた情報。そして踏破すべき迷宮が初級最難度に分類される金の迷宮だと判明した段階で、もっとも手早く有益な手を考え、そして実行したに過ぎない。

 迷宮でもっとも危険なのは入った直後。最大まで警戒を高めていても、予想外の事象で手痛い目に遭うのは、探索者にはよく有る話。

 ましてや相手は全ての要素を併せ持つの金の迷宮。

 まず自分が真っ先に迷宮へと飛び込み、危険度を、最短時間で計るという、単純明快な方法を。

 どうせそれを伝えても、単独先行偵察はルディアやサナ辺りから危険だと反対される。

 だがやることに変わりはないし、方針を変える気も無い。話す時間が無駄なら、だったら何も言わず、実行した方が手っ取り早い。


(生物的熱反応は無し! 水温が相当冷たい気をつけろ嬢!)


 ノエラレイドの警告と同時に、侵入した迷宮本体は真っ暗闇でなにも見えない。暗闇の中、幾重にも重なって聞こえてくる水音が反響しあって耳が痛い。

 目の前にあるはずの自分の手さえ見えない暗さと響いてくる音が、空間認識を惑わし、足元をおぼつかなくする。

 手探りで面当てをおろしながら組み込んだ仮面型魔具の暗視機能を発動。視界が昼間のように一瞬明るくなるが、即座にノイズが走り、仮面型魔具が機能停止する。

 再度触ってみたが再稼働しない。

 機能消失する直前の反応から考えて、ここが魔力吸収帯で魔力が瞬時に尽きたという感じではない。

 さらに魔具の不調に続いて、全身に様々な痛みが襲いかかる。

 右手は火に炙られたかのように熱く、逆に左手は熱を奪われ動きが鈍る。

 背中は痺れる痛みがはしり、両足はなにも触れていないというのに、浅いが無数の裂傷が一瞬で生まれる。

 複合的な痛みが発生する攻撃を受けた痕跡は、今の所感知できていない。

 だが原因を模索するのは後だ。

 周囲の景色が見えたのはほんの一瞬。

 天から降り注いでくる巨大な水滴と、落ちてきた水滴を受け止める、段々畑のようにいくつも設けられた小さな貯水槽。

 それぞれ独特の形をしている貯水槽に、水滴が落ちるごとに、水しぶきが飛び散り、微妙に違う音が響き渡り、反響して交じり合う。

 ケイスが走る通路の周囲には水面から伸びた柱がいくつか。その柱の上には異形な怪物を模した石像が佇んでいた。

 炎のたてがみを纏った魔犬でも模しているのか、やけに細やかな造形を施された石で出来た化け物達。

 見えたのは一瞬。だが一瞬だけ有ればケイスには十分。そして一瞬でケイスは脅威を認識する。
 
 魔具の不調も身体の痛みも後で考えれば良い。

 両足を襲う小さな痛みに顔をしかめつつも、通路を蹴って別の通路へと飛び移る。

 直後に、つい今し方までケイスが立っていた場所に、何かが飛びかかり、ついで閃光を放つ雷撃が水面を走る。

 激しく響く水音に混じって聞こえるのは、通路を蹴るやけに重い音。

 雷撃の閃光で一瞬だけ捉えたのは、先ほどまで柱の上に立っていた異形な怪物の姿を模した石像。

 それがまるで生物のように動き出して、ケイスに襲いかかってきていた。

 よく見るような宗教上の悪魔を模した物では無いが、あれは動く石像。いわゆるガーゴイルの一種だろう。
  

(視認した敵はガーゴイルが4体! ノエラ殿位置は判るか!?)


(近づいてこなければ無理だ! 水しぶきが邪魔な上に、奴等は冷えているぞ!)

 
 水しぶきによって探知が妨害される上に、ガーゴイル本体が冷えている所為で、ノエラレイドの感知速度は落ちているようだ。

 ならばと、ケイスは意識を集中させ耳を澄ませ、両手に2本ずつ投擲ワイヤーナイフを引き抜く。

 重すぎる足音を頼りに、指先の動きで投擲方向を調整して予想する進行位置へと向かって、両手を振って4本のナイフを同時投擲。

 ワイヤーを伸ばしながら飛翔したナイフが、それぞれの標的に命中。しかし硬い石材に覆われたその装甲を打ち破るまでは勢いが足らず、あっさり弾かれる。  

 それもケイスの計算の内。指先を再度動かし、ワイヤーを少しだけ波打たせる。

 波打ったワイヤーが、石像の装飾部分へと引っかかったと、僅かな抵抗を感じ、


(お爺様! 形状変化!)


 接続通路へと残しておいた羽の剣へと繋がる腰につけていたワイヤーを通して、闘気を送り込む。







「い、いきなり! ごほっ! 何を!」


「すみません! 説明は後で! ウィー! 前に出れる!?」


「ごめん! ちょっと無理!」


 とりあえず何とかサナを止められたが、掴んだのがマントだったため、首が絞まって咳き込むサナに謝りながら、この後の予測をしたルディアは、ウィーを最前列に呼ぼうとする。

 しかしルディア達のすぐ後ろにいるのが、大柄な熊の獣人のブラドなので、さすがに即座に前に出るのは難しいようだ。

 しかも事態は、ルディアの予測よりも速く進行する。

 先ほどケイスが飛び込んだ迷宮本体で落雷のような稲光が奔ったと思えば、そのすぐ後にはバネ仕掛けのオモチャのように、迷宮側を向いていた羽の剣が、入り口側に向かって勢いよく跳ね返る。
  
 見れば羽の剣の柄頭には、ケイスがよく用いるワイヤーがくくりつけられており、迷宮に向かって真っ直ぐ伸びていたワイヤーがたるみ、迷宮から何かが、洒落にならない速度で飛んでくる。

 身体を丸めて飛んでくる物体。他でも無いケイスだ。

 羽の剣の変幻自在な形状変化特性を用いて、いろいろとケイスがやっているので、ルディアには予測はできたが、判っていてもさすがにこの短時間で対応するのは難しい。

 ケイス本人は小柄で軽量だが、軽鎧を身につけ、他にも武具でフル装備状態。投石機で飛ばされた石弾とさほど変わらない。


 魔術による防御壁で防げば、こっちが無事でも、さしものケイスでも大怪我は免れない。

 ウィーなら互いに怪我が無いように受け止めることも出来るが、ルディアにはさすがに無理だ。

 しかもこの狭い通路では避けるスペースも無い。

 せめて距離があればケイスならどうにかするだろうが、ルディア達が近づきすぎてしまっているのでどうにもならない。
 
 この先の戦闘を考えるならどうするべきか。

 しかしそれなら考えなくてもすぐに判る。

 サナを守るためにも1歩前に出たルディアが自分を盾にしようとすると、顔の横から大きな腕が伸びる。

 すぐ後ろにいたブラドだ。  

 五指を真っ直ぐ伸ばしたブラドは、勢いよく跳んできたケイスに触れると、腕全体を引きながら同時に指を少しずつ下げて、ケイスをふんわりと受け止める。

 そのまま勢いを完全に殺して、ケイスを通路へと降ろすとほぼ同時に、通路の先、闇の中で何かがぶつかり派手に壊れた破砕音が4つ響いた。


「積み卸しの荷よりは軽いからまだマシだな。無事かケイス嬢?」


「ん。ガーゴイルがいたが壁に当てて破壊したから問題無しだ。どうしたルディ。呆けて? ブラド殿がいるから心配する必要はなかったぞ」


 どうやらケイスは隊列から対策も織り込み済みだったようだ。しかし、さすがにいきなりでそこまで判断しろや、心配するなは無理がありすぎだ。


「うっさいこの馬鹿! せめて心配ぐらいはまともにさせなさいよ! あーもうあんただけは」


 脱力したルディアが、それでもケイスを立たせようと右腕に触れた途端、ケイスが僅かに顔をしかめた。

 その表情の変化に気づきしゃがみ込んだルディアが、ケイスの袖をまくってみると、赤くなってごく軽度の火傷を負っていた。

 しかし服や鎧の手甲には火で炙られた痕跡など無く、不可思議なことにその下の皮膚だけが赤く腫れている。


「これはガーゴイルにやられたのですか? とても直接的な戦闘による物とは見えませんが」


 普通では無い怪我の状況に、サナもケイスが先行偵察に出ただけと気づいたようで、訝しげに推察を始める。


「右腕は火傷だが、左腕は軽い凍傷状態。背中側も火傷しているが、火よりも電撃系の魔術でやられた痛み。両足も細かな裂傷を少し負ったが、筋肉に力を入れれば塞げるレベルだ。背中は手が届かないから薬を塗ってくれ。ルディの薬と自己治癒力を高めれば1時間もあれば治るから問題はない」


 手早く鎧を外したケイスが、仲間の目を全く気にせずそのまま上着を脱いで上半身の裸身を晒して、怪我を見せる。


「躊躇無く脱がないでよ。あー男連中は後ろを向くか下がってて。好古さん。符で痕跡って拾えますか? 魔術攻撃ぽいです」


「やってみよう。ほれほれ男共は邪魔よの。退くかしゃがめ。姫とセイジ殿には前方警戒を頼もう。最後尾のレミルト殿は撤退できるか一応の確認を頼む」


「さっき俺が最後に入ったときに扉が閉まるっていうか、通路ごと消えたから、無駄だと思うが一応見てくる」


 入り口とはいえここはもう迷宮内。前後に広がって警戒態勢を作ってからケイスの治療を始める。

 下も脱ぎそうな勢いだったので、それはさすがに止めて、裾だけまくらせてケイスの全身を見ると、確かに身体のあちらこちらに系統の違う軽い怪我が出来ていた。

 左手は冷たくなっており紫色にそまり、背中にはみみず腫れ状になった火傷。両足の裂傷は細かな傷が無数だが、どれも浅く表面だけすっぱりと切れていて、ケイスが闘気によって治癒力を高めているのですでに塞がりかけている。


「微かに魔力痕跡があるようのな。奇妙なことにそれぞれ属性が違うも、攻撃といえるほどではなさそうだが。さてはて」


 ケイスの傷口へと好古が当てた符の色が、それぞれ違う色へと変わった。

 残留魔力反応は傷口に合わせた右腕火、左腕氷、背中雷と属性を示し、無数の裂傷を負った両足は風属性反応となった。

 しかし、魔術攻撃にしては残存魔力痕跡が少なすぎる。


「風と言うことは、かまいたちに突っ込んだような物か……ふむ。ウォーギン。怪我とほぼ同時に暗視用魔具が停止した。何か判るか?」


「投げんな。おまえみたいに死角から飛んでくる物を受け取るなんて無理だこっちは」  


 ケイスが投げ渡した仮面が頭に当たったウォーギンが文句をいいながらも拾って、少しだけばらして点検を始める。

 
「転血石は残ってる……魔力は廻っている……おー。やっぱり自動防御対応用の魔力動線がきれてるな。切り替えが速すぎて対応しきれなかったか。となるとこの先まさかの多属性増幅炉かよ。そりゃケイスが顔以外に変な怪我をするのも不思議じゃねぇか」


 ちょっと弄っただけだがすぐに故障箇所を見つけたのみならず、ケイスが怪我を負った原因にも合点がいったと頷く。


「なんだ故障理由だけじゃ無くて、怪我の方も判ったのか?」


「まぁな。簡単に言えばこの先で、目に見えないが複数の属性魔力の塊が乱反射してる。内部に魔力を止めながら、外部から注ぎまくって高める魔力増幅機構の1っぽいな。仮面の方は、暗視だけじゃ無くて幻視対応もあんだろ。感知したそれぞれの属性にあわせて対応を変える仕様だ。異なる魔力属性を次々感知して対応しきれずショートして安全機構が落ちたな。だけど仮面全体に魔力が残っていたから、顔だけは怪我しないですんだってところだ」


「むぅ。ならば対抗するだけの体内魔力を持たない私だけに影響が出ると言うことか?」


 ケイスは魔力を持たない、生み出せない魔力変換障害。魔力影響をダイレクトに受けやすい体質。

 攻撃魔術という形ではないが。属性を持つ魔力に触れた事によって、肉体に直接的な変化が生じたようだ。

 幸い顔を覆った仮面には魔力が流れていたので無傷で済んだが、それが無ければ目にも何らかの被害が出ていたかも知れない。


「ならいいが増幅炉だって言っただろ。時間ごとにそれぞれの魔力が強まるはずだ。そうなると俺らでもいつまで耐えられるか問題だな。おそらく最大に高まるのは深夜だろうよ」


 毎日深夜に地上の燭華では光体が発生して被害をもたらしている。

 その魔力の大元はこの迷宮へと繋がっている。最大出力時刻が連動していると考えるの当然の話。


「技師殿の推測が当たっているのであれば、私達の魔術も予想外の動作を起こしそうではあるな。効果減少で済めばよいが、目の前で暴発となれば下手な手も使えぬか……1つ試してみよう」


 好古の手から放たれた一枚の符が、光を纏った鳥へと変化する。

 迷宮内に向かって羽ばたいていった鳥は、通路を抜けた辺りで、運悪く見えない魔力塊に触れたのか、強い光を放ちながら弾け跳んでしまう。

 鳥は光を放つだけの物だったから良いが、攻撃用魔術が目の前で弾ければ術者本人が怪我を負うことになるはずだ。


「戻った。やっぱり後ろの方はダメだな。入り口が消えてやがる」 


「ふむ。後退は出来ず、前も厄介か。なるほど、さすがは金を名乗る迷宮だけはあるな。先ほどのガーゴイルの雷撃攻撃はその魔力塊を破壊したのか、それとも取り込んだか。斬りごたえがあるようだな」


「楽しげにいうなこの馬鹿……対策を考えるわよ」


 まだ迷宮入り口だというのに前途多難にもほどがあるが、ケイスに付き合っていればこの程度は何時ものこと。

 嫌な意味で逆境に慣れてきた自分に諦めながら、この段階で判った事が幸運だと思おうと、ルディアは建設的な方向で考える事にした。  



[22387] 下級探索者と第三の剣技
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/03 23:19
 鳴りやまぬ落水が奏でる音に重なり、刀、槍、拳、矢が、迫るガーゴイルを弾き、砕き、撃ち落とす破壊音も負けじと響く。

 前衛を引き受けているセイジ、サナ、ウィー、ブラド達4人が四方から襲いかかって来るガーゴイルを通路からたたき落としながら、張り巡らされた点検用通路を進軍し、その後方に後詰めとしてレミルトが弓で援護をする態勢をとっている。

 ガーゴイル達は周囲に漂う魔力を取り込み、己の武器と変えているが、その放出位置は爪と牙だけに限定される。

 なら当たらなければ、もしくは当たる前にたたき壊せば問題無い。

 前衛組が動くたびにガーゴイル達は破壊され、そして周囲に漂っている見えない魔力塊は、彼らの身体や武器に当たるたびに弾かれ、避けていく。

 彼らの振るう武器や拳、そしてその全身には、好古による護符と、ルディアによる魔術薬によって水属性魔力が付与されており、その加護により周囲を漂う浮遊魔力を一時的に弾き飛ばす事が出来る効果がもたらされていた。

 周囲を漂う魔力は様々な属性を内部に宿していて、触れれば極々弱いが魔力攻撃を受け他のと変わらず、下手に魔術を放つと干渉し、過剰に威力を発揮したり、逆に消滅するトラップとなっている。

 属性の異なる魔力は通常状態では干渉しあい、長時間、同一空間に留めておくのは難しいのだが、ここではそれが可能となっている。その絡繰りは、この空間を漂う異なる属性魔力の周囲を、水属性魔力の膜が包む形で形成し、同属性魔力で互いを反発させ分離状態を維持するというものだ。

 水魔力の膜さえ突き破らなければ、中の魔力が外に出ることも、それに反応して魔術が暴走する事も無い。


「とりあえずそろそろ何とか交代を入れてけ。効果がきれる頃合いだ」


 その事に気づいて対策を考案したウォーギンは、移動しつつも魔力観測用の眼鏡で上方を観測しながら、残り効果時間に注意を発する。

 今も落ちて来る水を受け止め違う音を奏でながら、水属性魔力で包まれた異なる魔力を発生させ続けている大水瓶を見上げながら、この施設の全体構造の把握にいそしんでいる。

 一方で魔力的な意味では無く、構造的意味で周囲を把握し、この先の通路や進行方向を指示しているのは、迷宮学者でもあるファンドーレだ。

 周囲を漂う魔力塊によって邪魔され探査魔術は使えないが、構造の様式からある一定の法則が出来ていることを見抜き、そしてそれによりガーゴイルの出現ポイントも大体把握が出来てきたので、早々不意打ちを食らう恐れも少なくなってきていた。


「次は右側に曲がる。その先に階段が有る。その途中で前方に数体。左壁側にもいくつかいるはずだ」


 大きな円筒状となった内部には、蜘蛛の巣のような横通路が空中に張り巡らされ、側面側に上階や、壁面に取りつけられた様々な大水瓶へと昇るための階段が設置されている。

 上手く上に上れる通路へと行ければいいが、違う通路を選ぶと、昇った先が大水瓶へと繋がる行き止まりとなっていて、余計な回り道をさせられる。

 光球が使えず暗い上に、似たような構造ばかりで迷いやすい構造は、まさに迷宮だ。

 だが周囲に漂う魔力塊の謎が解き明かされ、迷宮構造もガーゴイルの出現法則も判明してきた今の彼らにとっては、足元が滑り少しばかり大変ではあるが、苦戦するというレベルではない。

 破竹の勢いで上方に向かってひたすらに進軍を続ける。しかしそのがむしゃらに上に向かうのにも、それなりの理由がある。

 ただひたすらに上に向かって進む仲間達の戦いを、直接戦闘能力では劣るので後方から追いかけるルディア達と一緒に、ケイスはぶすっとした顔でただ見て追いかけているだけだ。

 別にケイスは戦闘不能な怪我を負ったわけでは無く、むしろ自分だって戦いたいのに、出ると邪魔だからと、後方待機を厳命されていた。
 

「むぅ。ずるいぞルディ。補給交代の時くらい私がでても良かろう」


「しつこい! 魔術抵抗ないあんたじゃ、薬も、護符も悪影響が出る可能性が高いんだから大人しくしときなさい!」


 小走りで移動しながら、浮遊魔力対策用の防御魔術薬を合成するという面倒にもほどがある状態に陥っているルディアは、もう何度目かも判らないケイスの文句を即時却下する。

 ルディアの薬にしろ、好古の護符にしろそれらは武具や身体表面に水属性魔力を纏わせるという物。
 即席で作ったので効果時間は短く、安全面でも対策はほとんどしていない。

 それでもさすがに普通の者なら、よほどの長期間でも使用しない限り、酷い影響を受けない程度には安全性はあるが、魔力を持たないケイスでは5分も経てば、水属性魔力の影響を強く受け、体内の血が薄まって倒れるか、最悪皮膚全体が溶解崩壊しかねない代物だ。

 ケイスの戦闘能力は群を抜くが、下手に防御手段を使うわけにもいかないので、今はとりあえず温存。

 ルディア達後方集団の中心において、周囲を漂う魔力から、ケイスをカバーするというのが一番効率的という結論だ。

 もう少し時間があれば、外にだけ魔力放出を向けたケイス用に調整を施す事もできるだろうが、あいにくその程度の余裕さえも今の彼らには与えられていなかった。


「むぅ……水の勢いがまた少し上がった。4つ下まで上がってきたぞ」


 頬を膨らませたケイスだったが、羽の剣を握る右手に力を込めると、視線を足元にちらりと向ける。

 通路の下は真っ暗闇となっていて底は見通せないほどに暗いが、羽の剣を通じ周囲の水位が急激に上昇をしていると、ケイスは感じ取っていた。

 移動しながら薬や護符を作らねばならないほどに、時間が追い込まれたまずい理由。それは足元から徐々に水がせり上がってきているからだった。

 4つ下の階層を通過したのは10分ほど前。もう少しもたもたしていたら、足元を水で覆われさらに移動しづらく、戦闘に支障が出る状態となっていただろう。


「やれやれ。もう上がってきおったか。墨が乾く暇も無い。このままではあと2、3階層で追いつかれようのぉ」


 迷宮入り口で対策や準備を話し合っていたときはまだかなりの距離があったが、それはこの数時間でほぼ無くなるほどに縮まっていた。

 今までの水かさが増す勢いからも考えて、好古の予測したそれはまだ楽観的なほうだと捉えても良いくらいだ。


「薬師殿。今からでも水中呼吸薬は準備できるかの?」


「無理です! この下の水って魔力飽和水の可能性が高いんですよね! んな高魔力環境下でまともに稼働する魔術薬は作れないですって!」

  
 ダメ元で尋ねてみたのか、ルディアの答えに、好古はやはりという顔を浮かべ仕方無しと頷く。

 魔術薬とは繊細な作りとなっており、その状況状況に合わせて細かな調整も必要となるときも多い。

 水中呼吸薬にしても、淡水と塩水で多少成分は違う位だ。ましてやただの水ならともかく、今足元からせり上がってくる水は、限界まで魔力を含んだ魔力砲和水の可能性が高い。

 下手に薬を用いても、何が起きるか判らず使うのは絶対に避けたい状況だ。


「ったくどっから魔力を引っ張って来てんだここは。魔力飽和水を、周囲の形状の違う水瓶に落として、違う音階、一種の呪文として奏で、属性の違う魔力を大量発生。しかも水属性魔力で包んで同時存在させる。余った水で囲んで、水中に沈んだ浮遊魔力を極限まで圧縮させてさらに詰め込めるようにする。効率が悪いにもほどがあるが、アホみたいに単純に作りやがったな」

 
 かなり状況的にはまずいのだが、技師としての血が騒ぐのか、ウォーギンは文句を言いつつも実に楽しげだ。

 100の強さを持つ1種類の魔力と、1の強さを持つ100種の魔力。

 両者ともトータルでは同じだけの強さは持つが、それを自在に操ろうとした時に格段に難易度が上がるのは、そしてその分、様々に応用して使えるのは後者の方だ。

 この水が奏で出す巨大過ぎる空間は、複数の異なる属性の魔力を存在させ、何らかの高度な術を発動させる目的のために作られた巨大な魔具である。それがウォーギンの見立てだ。

 もっともそれが判ったとしても、肝心の術の効果や、どの程度の魔力で発動するかは、まだまだ不明だ。

 時間があればつぶさに観察して、予測も立てられるかも知れないが、それも命有っての物種。

 今はとりあえず生き残ることが最優先だ。

 しかしだからといって、水が上がってきてとりあえず下には行けないから上に向かうという場当たり的な対応をしているわけでは無い。

 迷わず上を目指したのは、ケイスがぶ厚い水のベールの向こうに感じ取った気配。

 正確にはケイスが額に装備した赤龍鱗とそこに宿るノエラレイドの魂が、同じ属性の気配を上の方から、しかも1つや2つでは無い複数を感じ取ったからだ。

 この迷宮は金の迷宮。それは神印宝物が有る証。そしてそれ自体が迷宮主と化した状態で。

 あまりに都合が良すぎる上に、色々と疑問が残るが、状況的にその神印宝物の予測もついている。

 それは赤龍人と化した人達の鱗をまとめ作られた呪物。華凜刀もしくは火鱗刀と呼ばれた一振りの刀だ。

 ケイスが何度却下されても、戦いたくなってきているのは、その気配が徐々に強くなっているからに他ならない。

 慌てるルディの右手をあいている左手で掴んだケイスは強く握る。


「慌てるなルディ。上に上がるのもそろそろ終点だ……気配が強まった。ファンドーレ! 天井が近いぞ!」


 周囲に漂う濃い水の気配で相変わらず感覚の大半は遮られているが、それでもケイスの額が赤龍鱗が熱く熱く燃えるように訴える。

 敵がいる。強き者がいる。龍が居ると。

 そのケイスの予言はすぐに当たる。

 二つ上の階層にあがり、すぐ下の階層まで水が上がってきたせいで、あれほど響いていた複数の水音が、一つの音に減ってきこえてくるのとほぼ同時に先頭を進んでいたセイジが階段の終点と、硬く閉ざされた大扉の前へとたどり着く。

 上がってきた勢いのままブラドが体当たりを掛けるが、門はびくともしない。


「閂は見られませんが開きそうにはありません。開閉装置を探しますか?」


 金属製の両扉には取っ手も無く、ここ数年、下手すれば数十年近く閉ざされた状態であったのか動いた形跡さえない様子だ。

 ケイスも素早く門の周辺を確かめるが、それらしい機械設備は見当たらない。

 扉に刻まれた紋様を確かめていたウォーギンが違和感の篭もった声をあげる。


「妙だな。ここまでの設備は旧東方王国系の技術がメインだ。だけどこの門だけが様式が新しい。つっても、40,50年前くらいの技術、いや、にしちゃちぐはぐな懐古的な術式だな」


「ふむ。気にはなるが緊急避難だ……斬るか?」


「水が入ってくるかもしれないじゃないですか。ケイスさん。貴女は後先を少しは考えてください……この形式の門の解錠には私が心当たりがあります」


 せっかく上がってきたのにここで扉を開けられず水死などはケイスの望む未来ではない。開かぬならば、いっそ斬るかと剣を構えようとしたが、その手をサナが止め門の前に立った。

 ウォーギンの言葉に僅かに表情が硬くなったサナの様子に、ケイスは違和感を覚える。

 どうやら解錠方法を知っているようだが、どうにも望まない顔をそこに見出したからだ。

        
「説明は後で……私達ロウガ王家にとって、あまり好ましくない人物、組織がどうやらここには関わっていたようです……開けます」


 しかし今はサナは話している場合ではないと思ったのか、それとも長くなると考えたのか最小限に留め、親指を噛んで血を滲ませるとその指で門の中央に触れる。

 血を鍵に用いた古典的な魔術門はサナの血に反応したのか全体が一瞬光り、今まで微動だにもしていなかったのに、内側に開いていく。

 扉が開いた瞬間、一瞬でケイスの全身に警戒心が浮かび上がり、そしてそれ以上の闘争本能がかき立てられ、右手に羽の剣を構え、左手に防御短剣を引き抜いた二刀へと自然に戦闘体勢へと移行。

 仲間達へと突入の声もかけずに真っ先に飛び込む。

 そうしなければならない。まずは最初の一手を防がなければならない。

 そうケイスの本能が告げていた。

 扉の隙間から転がり込むように飛び込んだケイスの目に写ったのは、闘技場にも似た広い円形の空間だ。床の上には複雑な積層魔法陣が立ち上がり、妖しげな光を放っている。

 魔法陣の光りがあるおかげで、部屋全体を見通すには苦労は無い。

 周囲の壁には、今ではほとんど見なくなった東方王国様式の大鎧と呼ばれる、古代甲冑がまるで生きているかのように、魔法陣を守るように数十体以上が整然と並べられている。
 
 その魔法陣の中央。そこにはガラス製だろうか、透明な筒が部屋の天井から床を貫き、その中を轟々と大量の水が流れていた。

 どうやらあそこは部屋の中心であると同時に、この巨大な魔具全体の中心として機能しているようだ。あの魔法陣が水に無限ともいえる魔力を与えているのだろうか。それとも別の効果が有るのだろうか?

 その魔法陣の前には空中に浮かび上がった半透明の人影が一つ。

 意識は無いのか首をこくんと前に倒した古い服装の少女は、ケイスも見知った者。ヨツヤ骨肉堂の看板幽霊として知られたホノカだ。

 ホノカの周囲には、風も無いのにキラキラと赤く光る何かが、無数の花びらのように舞っていた。

 部屋に飛び込んで1秒にも満たない時間でケイスが周囲を確認し終えると、まるでそれを待っていたかのように、ホノカの周囲で舞っていた花びらが、一枚一枚が剃刀のように尖った赤龍鱗数百枚が一斉にケイスに向かって飛んでくる。

 
「レディアス二刀流! 重ね風花塵!」


 とっさにケイスは普段は隠している、もう一つのもっとも慣れしたんだ二刀流技を解放する。

 ただ剣で弾くだけでは防げないと本能が訴えたからだ。

 左手で振った防御ナイフによって音の速さを超えた衝撃波の壁を産み出し、さらに間髪入れず右手の突きも音の速さを超えて打ち込み、重ね合わせた衝撃を崩して、衝撃波の残骸による壁を産み出す。

 相手の力を利用し返す迷宮剣技フォールセン二刀流でも、闘気による強化を前提にした剛力無双の邑源流でもない。

 ケイスにとって第1の剣技にして、もっとも得意とする卓越した技量によって産み出す技巧剣。防御に長けた技が多いレディアス二刀流は、今までケイスがひた隠しにしてきた、己の出自に直接に繋がる剣にほかならない。

 爆音と同時に産み出した結露を纏った空気が、その技名のごとく花が散ったかのように前方へと広がる。

 とっさに音壁を産み出して稼いだ僅かな時間で、ケイスは扉前から横へとステップして、その動きを追いかけてくる攻撃から逃げつづける。

 ケイスがほんのつい今し方蹴った床を抉り赤龍鱗が刺さり、さらに高熱を持って床を溶かし斬り、跳ね上がり元の位置へと戻っていく。

 連続で斬りかかってくることは出来ないようだが、数が数だ。しかもあんなものに一瞬でも直接触れていれば、骨ごと焼かれかねない。

 だが戦闘開始からまだ2秒ほど。未だ状況を把握出来ていない仲間達が後ろにいる。ならば突っ込む。

  
「火鱗刀だ! 私が最初は引き受けるから矢弾きの術をはれ!」


 未だこちらを見ようともしないホノカに向かって方向転換。頭の中に浮かんだ対策を怒鳴り、仲間達に伝わったかも確認せず、後方を振り返りもせず、突っ込む。

 火鱗刀の攻撃は、数は多く切れ味も鋭く特殊能力も持つが、一つ一つは小さい。あの大きさ、速度ならば、ちゃんと張った矢弾きの魔術で防御できるはず。

 今の一撃には剣技などと呼べるものは無い。ただ侵入者のケイスに向かって矢雨のように振らせただけの、技量も、意思もない、ただの、そう。ただの攻撃。

 それが気にくわない。

 相手は火鱗刀。伝説にも謳われた、大英雄が1人火華刀の愛刀。

 なのに、いくら慣れ親しんでいるとはいえ、とっさに数年ぶりに出した一撃で防げていいはずが無い。

 防がなければ死んでいたという事実はさておき、防げてしまったことにケイスはこの上なく腹が立っていた。


「火鱗刀ほどの名刀を使って今の一撃か! 私を舐めるなホノカ! 意思があるかどうか知らんがとりあえず斬られたくなければ、もっとまともな一撃を放て!」   


 せっかく火鱗刀とやり合えるというのに、いきなり期待はずれな攻撃をされて、戦闘馬鹿はこの上なく激怒して、実に自分勝手にもほどがある暴言を吐いていた。



[22387] 下級探索者と剣士でない剣
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/06 00:35
 桜吹雪の中で踊るように、軽やかななステップと妙技たる剣技を駆使し、危なげな様子さえもみせずケイスは攻撃を引き受け続ける。 

 額当ての火龍鱗に引かれるのか、ケイスの身に宿す血に引かれるのか、それとも最初に部屋に入った者を攻撃するようになっていたのか、答えは知れぬが、数百枚の火龍鱗で構成される火鱗刀が産み出した7つの刃群は、仲間達が室内に侵入した後も、そのどれもがケイスだけを狙い、四方八方から降り注いできていた。

 ステップを踏み、剣を振り、全身で跳ねる。ひたすら躱し、打ち崩し、斬り込む為に前へと進もうとする。

 だが前へと進むには、火龍鱗の数が多すぎる。

 中央にホノカと魔法陣を見据えながらも、その周囲を廻るだけで、部屋の中央には切り込めていない。

 ホノカの足元には刀身の無い柄だけがぷかぷかと浮いている。おそらくあれが火鱗刀の柄部分なのだろう。

 そして本来はそこにあるはずの刀身は、今は分離状態で自在に飛び回っている。
 
 火龍鱗一枚一枚に繋がるワイヤーの類いは見えず、絡まる様子も無いので、何らか未知の技術を使い、柄と、数百の刀身を糸も無いのに繋げているようだ。

 ただの連接剣ではなく、小さな刃が自在に動き、襲いかかって来る。一瞬でも躊躇し、足を止めれば、その次の瞬間には火龍鱗の刃群によって、全身を切り刻まれるだろう。

 熱を持つ火龍鱗は、身を斬り焼き、骨を炙り溶かし、そして魂を焼き尽くし喰らい尽くす。

 触れれば死。

 だがその程度。触れれば死ぬ程度など、ケイス基準では危険では無い。

 魔力を捨てたときより、魔術に対しては常に無防備となってきた。

 魔術の攻撃が一撃必殺の弱点ならば、己も一撃必殺の剣を振れば良い。

 当たる前に斬る。殺される前に殺す。それだけでいい。強くなればいい。単純な、実に好みな方針こそがケイスの基本にして絶対。


「ケイス! 最初の群に力が戻ってる! こっちは矢弾きの準備あと5秒くらい掛かるからそれまで耐えて!」


 ほぼ反対側に来ていたルディアの叫びに目をやれば、最初の方に躱し、一度ホノカの足元に浮かぶ柄へと戻っていた火龍鱗が再度力を得たのか、またも宙を飛び一気呵成に迫って来ていた。

 体捌きの回避だけでは間に合わぬと判断し、左手の防御短剣で4度目の音速超えの剣を振り、衝撃波の壁を産み出し72枚の火龍鱗を受け止め、無理矢理作った隙間に身をかがめ31枚の火龍鱗を躱し、残り24枚の足元に刺さる火龍鱗を跳び越える。

 掠らせもせず躱してみせるが、その代償に防御短剣が柄元辺りから刀身にヒビが入り、砕け折れる。

 ケイスが防御のために振った音速超えの剣技風花塵は、本来は刀身に掘った溝によって力を分散させつつ衝撃波を産み出しやすい構造の専用剣を用いて使う、矢払い技。

 頑丈ではあるが、ただの防御短剣では、技の威力を受け止めるには些か荷が重かったのか、刀身の方が持たなかったようだ。
  
 柄ごと投げ捨てて、腰から別の短剣を即座に引き抜こうとするが、その間に別の刃群が右上方から突っ込んでくる。 

 右手の羽の剣は健在。だが体勢が悪い。風花塵を用いるには、腕をもう少し身体に引きつけていなければならない。

 空いた左手を前方に回しガード。火龍鱗が当たった瞬間に自ら切り落とし延焼を防ぎ、身体だけは守るか。

 一瞬で生き残るための取捨選択が浮かぶが、それは無駄な心配に終わる。

 風を纏ったサナが兵仗槍と共にケイスと刃群の間に飛び込み、翼の一振りで強力な風を呼び起こし、火龍鱗の勢いを殺す。

 さらにサナに合わせ飛び込んで来たセイジが、目にもつかぬ連続突きで一気に全ての火龍鱗を弾き飛ばして時間を産み出してくれる。

 見れば2人の身体の周囲には矢受けや矢弾きの符が浮かび、火龍鱗の攻撃に数撃は耐えれる防御態勢が出来ている。

 どうやら先に2人を優先してケイスの元へと送り込んでくれたようだ。

 見れば、巫術師の好古が他のメンバーにも次々に火龍鱗対策の符を付与して、戦闘準備は順調に進んでいるようだ。

 直接戦闘能力には劣るが、高度魔導技術知識を持つウォーギンや、迷宮構造学に詳しいファンドーレの安全が確保できれば、部屋中央の魔法陣を停止させる手立ても見つけやすくなる。


「助かる!」


 短いながらも心からの礼の言葉を告げたケイスは、もらった時間を使い腰の防御短剣では無く、内部拡張ポーチへと手を突っ込み、始まりの宮の迷宮主だった大イカより得た十刃のうち一刀を引き抜く。

 ケイスが取りだした剣は、黒色に染まりだらりと垂れ下がる柔らかな爪で出来た幅広の鞭のような刀身の剣。

 剣を得たケイスは、踏み込みの角度を変え、今まで攻めあぐねていたホノカの方へと向かい、一気に攻め入る。

 いくら自分に攻撃が集中していたとはいえ、仲間達の方へといくのが心配だったが、対策が出来てきたなら、攻撃に重点をおける。


「っ!? この馬鹿!? 仕切り直しなさいよ! そこは!」 


もっともルディア達にしてみればたまったものでは無い。こっちの防御態勢が出来てきて、セイジとサナを前衛に回せたのだから、剣も折れたしケイスが一度引くと思っていたのが、まさかの攻勢に転じるとは。

 さすがにサナもセイジも予想していなかったのか、追随は出来ていない。

 突っ込んだケイスに向かって、7つの刃群の内3つ。300枚を超える火龍鱗が一斉に真正面から襲いかかって来る。

 視界のほとんどを埋め尽くす死の花びらは上下左右どちらにも躱しようが無い。下がっても追いつかれる。

 絶体絶命の危機。

 だがそれは常人の考え。

 剣を振るために生まれた馬鹿にして、戦闘狂いの天才はそうは考えぬ。

 これが、かの大英雄による剣であれば、それは紛れも無い死を呼ぶ一撃必殺の剣技。

 しかしここまで剣を交え判った。今目の前にあるのはただ一撃必殺の剣。

 そこに技は無し。

 火華刀の剣技は、心は無い。

 この剣を振るうのがホノカなのか、それとも他の何かなのか、今のケイスには判らぬ。

 それでもあれは剣士が振るう剣では無いと断言できる。

 剣士振るう剣と、剣士ではない剣の戦い。ならば剣士である自分が勝つのは道理。

 左手に構えた十刃を円を描くように振るい、速度を微妙に速め、遅めと混ぜ込み斬る。

 鞭のようにしなる刀身の切っ先が複数回、音の速度を超え、空気を叩きつけ斬り破り一綴りの音を奏で出す。

 狭い空間に十以上の音超えの衝撃を産み出す。

 二つの衝撃波を重ねる重ね風花塵を独自進化させた技は、今思いついた。

 サナとセイジの合わせ技を見て、脳裏に浮かんだ。

 参考となる連携技を見て、そして思いついたのだ。ならケイスに出来ぬ訳がない。  
  
 音の残滓が消えぬ前に右腕を引き絞り最大加重させた重い突きを、全身のバネを用いて石床にヒビが入るほどの踏鳴と共に繰り出す。


「新技! 乱れ風花貫き!」


 剣が呼び覚ますは、300の火龍鱗を弾き飛ばす一突きの剛風。
 
 視界を埋め尽くさんばかりに迫っていた火龍鱗が、ケイスの産み出した一振りの突きによって周囲の空気と共に弾け飛び、空洞を産み出す。

 その先には見えるのは、未だ意思があるかさえはっきりしないホノカを中心に、部屋の中央部に広がる積層型魔法陣。

 新技を放った体勢から両手を開いたケイスは、両手の愛剣を手首の力で上空へと投げつつ、両腕を腰ベルトに伸ばして、空いた両手で八本の投擲ナイフを一斉に引き抜く。


「ウィー! 一瞬切り離す。ホノカだけを引っこ抜け! 私が火鱗刀の柄を回収する!」


 真向かいにいたウィーに向かって簡潔にもほどがある指示を出したケイスは、返事も待たずに爆裂投擲ナイフをホノカの足元に向けて一斉に投げつける。

 ケイスが振るった爆裂ナイフは対魔術用兵装。着弾と共に破裂して柄の中に仕込んだ魔力吸収物質を周囲へとばらまき、魔力を吸い取り魔術をかき消したり、一時的に効果を弱める効果が有る。

 魔法陣の効果は判らない。だが見た感じで幽霊であるホノカを中心に置いてあの魔法陣は展開されている。

 ならばホノカを引き抜けば、魔法陣を無力化できるのではないか。

 ほとんど勘だがそう判断したケイスは、一瞬だけだが火鱗刀の刃の大半が無力化となったこの瞬間を千載一遇の好機と捉えて勝負へと出ていた。








「無茶いわないでよね。ほんと!」


 ろくな打ち合わせも無い上に、いきなりホノカの救助を任されたウィーはあきれ顔だ。

 相手は幽霊。実体を持たない。それを引っこ抜けなんて無理難題もいい所だ……ウィー以外には。

 ウィーは聖獸とも呼ばれる白虎の希少種獣人。その爪や牙には魔を払う力を持つと謳われるように、実体の無い魔力を掴み切り裂くことが可能。

 だが希少性やそれらの能力も含めて、下手に存在がばれると、出身地から連れ戻しに来たり、人買いに狙われたりと面倒事が増えそうなので、普段から毛を染めて隠しているというのに、ケイスのその要請は思いっきり正体を明かせというのと同義だ。

 しかしそれら諸々の秘密がばれたときと、ケイスの指示通りに動かなくて後で色々絡まれるのとどっちが面倒かと聞かれれば、ウィーは間違いなく後者を選ぶ。

 ケイスさえも遙かにしのぐ速さで、真反対側から飛び込んだウィーの目前で、ケイスが投げた爆裂ナイフが炸裂。

 一応ウィーが飛び込んでくる方角を考えて投げていたのか、破片は一欠片もウィーの方には飛んでこないままに、ナイフに仕込まれていた魔力吸収物質が拡散。

 宙に浮かぶホノカを縛り付けるように展開していた魔法陣の極々一部が、すっと消え、だが即時に復活を始める。

 時間にすればホノカを縛り付けていた魔法陣が消失したのは0.1秒にも満たない刹那の時間。

 だがウィーにはそれだけあれば十分だ。

 ホノカ本体を傷つけないように、その古風な衣装の裾に爪先に引っかけるように打ち込み、ホノカ諸共、脚力に物を言わせて一気に後方へと下がる。 

 後方へと宙返りをするウィーの全身を覆う体毛が、茶色から、純白へ、変わって、戻っていく。

 どうやら突っ込んだときに魔力吸収物質の一部が付着して、ルディアが作った毛染め魔術薬の効果も切れてしまったようだ。

 意識を失った状態のホノカを連れたウィーがルディア達の元へと降り戻った時には、完全に効果がきれて白虎としての状態へと戻っていた。

 そのウィーを追いかけるように、ケイスも飛び戻ってくる。

 ホノカをウィーが掴んで離れた後即時に、中央へと飛び込んで火鱗刀の柄をばっちりと回収して来たのか、右手に持っている。


「いや……ほんとケイ。もう少し余裕とかもって指示を出してよ」


「ウィーなら余裕であろう。何を言うか」

 
 元々のパーティメンバーはファンドーレ以外は知っていたが、サナ達のパーティには隠していたのに、あっさりと正体をばらすことになってしまったウィーが恨みがましい目をケイスへと向けるが、ケイスは、ウィーの文句や、気を失ったホノカよりも火鱗刀の方が気になるのか柄の方へと目を向けて、軽く振って見せた。

 すると部屋の中でまだ動いていた赤龍鱗が一斉に火鱗刀へと戻ってきて、赤色の刀身をもつ長刀へと形状を変化させた。

 どうやらこの状態が基本形態のようだ。


「あんただけは……で、それって制御できたの?」


「いや、とりあえず振ってみたら、自然に戻っただけで何とも言えん。使い方が判らん」


 とんでもない事を平然としでかすケイスには慣れてはいるが、それでも疲れだけは覚えるルディアが尋ねるが、ケイスは不満げに首を横に振る。

 回収はしてみたが、停止状態へと入ってしまっただけでうんともすんとも言わない。


「やれやれ。全員分の矢弾きの符が無駄になった気がしないでも無いが、命も時間も掛けずに済んだは僥倖と思うべきかの……それにしてもウィー殿の色はいやはや珍しい」


「やはり御山の姫か」


 ウィーの毛色に好古が目を見張り驚き、ブラドはどうやら半ば気づいていたのか納得顔で頷いている。

 色々と聞きたい事はありそうだが、今は優先順位が低いと考えたのか、それ以上は言葉にせず、とりあえずの危険は去ったとみて、部屋全体の調査をそれぞれ始めることになった。
   



[22387] 下級探索者と真犯人
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/07 00:37
「……せぃっ!」


 外周部に立ったケイスはつなぎ目が無い一枚岩状になった壁に向かって、羽の剣を上段から袈裟斬り気味に叩きつける。

 重量はそれなり、硬度も上げていたのだが、ケイスの一撃をもってしても、壁には僅かな傷がつくのみ。

 しかも剣を引いてその部分を見ていれば10秒ほどで、斬り跡が盛り上がり消えてしまった。

 先ほどの戦闘で火鱗刀の刃が無数に食い込んだ床にも、すでにその痕跡は全く見えず、つるつるの床面が光っていた。

 迷宮化の影響か、それとも小さな傷ならば自動修復する魔導建材が用いられているようだ。


「だめだ。ケイスの嬢ちゃんの打ち込みで他に反応があるかと思ったけどないな。最初の扉以外に、隠し通路も無さそうだ」


「天井も、空気の流れにも変化は無いな。迷宮化が未だ解除されていないと判断した方が良さそうだ」


 ケイスが打ち込んだ事で、修復時に何らかの変化や違和感が生じないかと、壁や天井付近を丹念に調べていたレミルトやファンドーレだったが空振りに終わり、最初にここに飛び込んだ入り口以外に通路は無いと匙を投げる。


「火鱗刀を調べていたが神印が無い。どうも神印宝物ではなく、こういうのも変な話だが、特殊な力を持つが普通の刀のようだ。金の迷宮には必ず神印宝物があるはずだが、これが違うと言うことは別にあるという証だ。ホノカが迷宮主では無い可能性も高いな」


 迷宮主を倒せば迷宮は解放される。それはどの迷宮でも変わらない。

 火鱗刀と共にあったホノカが迷宮主かと疑っていたが、どうやらその可能性は低いようだ。

 しかしそうなると迷宮の中心たる迷宮主は別にいるという事になる。


「この部屋の外に迷宮主がいるとしたら、どうにか出ないと話にならねぇけど、出口が無いんじゃどうにもならねぇな」


 感覚が鋭いダークエルフのレミルトや迷宮構造学を専門とするファンドーレが、他に通路が無いと断言するのだから、外へ通じる通路は、最初に入ってきた扉しかないのだろう。

 しかし扉の外は今は完全に水没していて、獣人族で力自慢のブラドやウィーがどれだけ力を入れても開かず、サナが最初に開けたように血をつけた指で触ってみても反応はなく、ケイス達が完全にこの部屋に閉じ込められた形になって、既に数時間が過ぎていた。

幸いというか探索者の常として水と食料は数日分はあり、元々広いこともあるが、妖精族のファンドーレでさえ入り込むのは無理なほど細いが、通気口が天井近くに開いていて、空気の流れはあるので酸欠となる恐れも当面は無さそうだ。

だからといっても、ここは初級とはいえ最難度金の迷宮。なにもせず手をこまねいていれば、いつ状況が悪い方向に変わるか判らない。

 地下空間にいるため時間感覚が鈍くなってくるが、時刻的には既に夜。あともう一、二時間もすれば、地上の燭華では、人や物を化け物へと変える発光現象が始まる。

 その時にここで何が起きるか判らない。とにかく早急に何らかの手がかりを掴んで、燭華で発生している発光現象の原因を止めたうえで、迷宮主を倒して脱出する方法を見つけなければならないというのが、全員の一致した意見となっている。

 ケイス、ファンドーレ、レミルトが部屋の外周、サナやセイジがいくつも設置された古式の大鎧、ルディアと好古がホノカ、魔法陣をウォーギン。

 そして敵性反応は無いが一応の用心として、入り口付近で警戒をブラドとウィーという役割分担がなされていた。

 とりあえず外周部の調査が一段落したので、ホノカがいる魔法陣外周部へと皆が集まり、それぞれにこの時間で判った事を報告し合う事になった。


「外は変わらず。音と感じからして水がまだたくさんあるみたいだね」


「ガーゴイル共の反応も無い。扉が破られることは無さそうなのが唯一の救いだ」


 入り口を見張っていたウィーとブラドは、異常無しと簡潔に報告し終える。少なくとも、外は水で満ちているようで入ってきた扉から外へ出るのはまだ不可能のようだ。


「大鎧の方は、内側に何らかの術式が組み込まれていましたが私達では効果までは。ウォーギンさんの手が空いたら見ていただけますか。それとセイジの話では作られたのは近代ではないかと」


「はい。作りは東方王国時代風ですが、素材の一部に暗黒期後のモンスター素材が使われていたので、後の時代に作られたレプリカのようです。数は四十三領。一つ一つが獲物も含めて違う物となっていたので、個人を想定した物と見受けられます」


 セイジが属するシドウは元は商いで大成した一族。今もシドウの長がロウガの港湾ギルド長を勤めているように、セイジもまた武技を磨く傍らで、商取引の基本は叩き込まれている。

 武具の目利きもその1つで、日々新種のモンスターが生まれる永宮未完では、使われている素材から、その製作年代を見抜くのは基本技術の1つとなっている。

 外への出口も見つからず、大鎧の方も近代の物と判るだけで手がかりには乏しい。

 やはりこの状況を打破する手がかりとなりそうなのは、一連の事件の原因となったであろう、今も部屋の中心で輝く積層型魔法陣。そして未だ意識を戻さない幽霊のホノカだ。


「死霊と交信するための符を試してみたが、やはり他の強い術式で妨害されているのぉ」


 死霊術は専門では無いが一応少しは囓っている好古が、その系統の符をいくつか試してみたが、そのどれもホノカの意識を目覚めさせる事は出来ずにいる。

 どうやらホノカ自身が何らかの術に組み込まれているようで、おそらくその原因である魔法陣をどうにかしないと何をしても効果はなさそうだ。


「薬も効果無し。ウォーギン。そっちの方は?」


 幽霊相手に効く薬などさすがに手持ちにはないが、気付け薬などの香りの強い薬や香を一応試していたルディアも首を横に振り、中央の魔法陣を解析していたウォーギンへと希望を託す。


「ちっとは判ったが、どうもこの魔法陣は構成要素が三つある。それぞれ術形式の癖、それと効果が少し違うから、元の魔法陣を無理矢理改造して使った奴が、少なくとも2ついる」


 水が流れるガラス管を中心において展開する巨大な積層型魔法陣をいくつかに分けてスケッチしたウォーギンが、その作りから三構造に分けられると図を指して示すが、魔導技師であるウォーギン以外には、どこに違いがあるのかよく判らない複雑な構造式がそこには描かれていた。

 そこそこの魔導知識をもつケイスでも、一瞥では違いがわからないものだが、ウォーギンがそう言うのならば、そこに間違いはないと信じて、それを前提条件として受け入れる。


「元の術式を改竄したのか? 相当高度な技術ではないか」


 魔法陣とは魔力の流れや属性を制御して、同一の効果を確実に生み出す代物。そのバランスは繊細で、跡から術式を付け加えたり、全く違う物にするくらいなら、全く新規で作り直した方が手間が掛からない技巧の品。

 それなのにこの魔法陣は、全く違う効果をもたらす処置を、それも二度施しているというのだから、ケイスが驚くのは無理が無い。


「最初の元になった第一の魔法陣がどうも未完成だったみたいだな。不完全な部分に干渉して次に使った奴が上手く利用して、最後に使った奴がそのおこぼれに預かってる。最初に改良した奴が天才だな。だから最後の方もどうにかこうにか形にはなっている。ただどちらにしろ、かなり無理矢理でまともに作動するレベルじゃ無いんだがな」

 
自他共に認める天才魔導技師のウォーギンが、手放しの賞賛を送るくらいだ。最初に改良した者、もしくは組織が相当魔導技術に長けていたのは間違いないだろう。

 ただウォーギンの言い方には、天才が認めるその天才をもってしても、さすがにこの魔法陣の改竄は無理があったという雰囲気が篭もっていた。


「はて。それにしてはしっかりと稼働している様子。どういう事かな技師殿?」  
 

「その無理筋を通すためなのが、火鱗刀とヨツヤの婆さん所の看板幽霊だったみたいだ。それでも足りない分は本当に無理矢理だな。どうもこの魔法陣の稼働には、新鮮な龍の血肉が使われた痕跡がある。それも残存反応からみてここ一年以内で起動している。龍の魔力で無理矢理に起動したみたいだな」


「新鮮な龍の血肉って、ここ一年以内に龍が狩られたって話はこの辺りでは聞かないわよ」


 迷宮の王にして、この世の最強種たる龍。暗黒期ならなともかく、今の龍は最上位迷宮である上級迷宮の奥深くに篭もって外に出ることはほとんど無い。

 遭遇の機会も滅多に無いのに、ましてや討伐となれば上級探索者の中でも極一部の者だけが達成でき、その際は龍殺しとして協会を通して大々的に名前が喧伝され、新たな英雄譚として謳われる祭りとなる。

 ルディアが覚えている最近の龍殺しも、上級迷宮が立ち並ぶ大陸中央地域で二年ほど前に刻帝と呼ばれる有名な上級探索者による物だ。


「闇市場で龍素材を取引している国があるって噂があるけど、そっち経由かもしれねぇな。うぁっ……きな臭さが出て来やがった」


 自分の予想に嫌な声をあげたレミルトの顔には、深入りしたくないと如実に書いてある。

 龍素材に限らず迷宮上位モンスター素材は、武具としても魔具としても破格の物となる。

 隣国に知られずに武力を強化したい国や、秘密裏に売りさばいて儲けたい国が、管理協会の干渉を嫌い、探索者登録していない隠れ探索者を抱えているというのは、既に公然の秘密。
  
 ロウガは様々な国や組織の思惑が渦巻く探索者の街。

 下手に掘り起こすと面倒な事になると予感をレミルトの話で誰もが脳裏に思い浮かべる……一名を除いて。

 無論その一名とはケイスだ。

 むぅと唸って少し考えたケイスは、とりあえず思い出したことを横に置いて置くことにする。
 

「ウォーギン……魔法陣の効果は判るか?」


「一応だけどな。とりあえず大元の魔法陣は生体改変系だな。強力な魔力ってのは存在を歪めて、変化させるってのは知ってるだろ。どうも人工的に強力な力を持つ種族を産み出すための実験術式っぽい。相当古い術式。東方王国時代の物だろうな」


「無尽蔵の魔力で特別な力を持つ者を生み出そうとしたと言うことか……未完成というのは?」


「強力な魔力の中に突っ込んだだけで、んな上手くいくかって話だな。魔力で存在自体が崩れて大気に消えるのが関の山。上手く形になっても理性を無くした怪物が生まれんぞ。こんな乱暴な方法じゃ」  


 ウォーギンの説明では、魔力によって人の存在その物を改変しようという意図が感じられたようだが、問題は使用者が思い描く形とするには、あまりに技術が稚拙、もしくは初期的すぎて、形とするための制御が出来てい無いらしい。

 要は粘土を柔らかくする事は出来ても、それを思い描く形する技術はなく、別の予測不能な物となる可能性が高い。もはやそれは未完成と言うよりも失敗作といって良い物だ。 


「大元の魔法陣は研究初期段階。その後大分長い期間放置されてたみたいだな。下手したら暗黒期直前でそこで国が滅びて、そこから先の研究がストップしたかもしれねぇな」


「ちょっと待ってウォーギン。人を他の存在に変えるって……最初の淫香事件その物じゃない? それに最近の発光事件で取り憑かれた人とか物が変貌した件とも重なるんだけど」


 燭華で最初に起きていたのは、サキュバスで無い者達から、サキュバスの特徴である異性の理性を奪い魅了する淫香が発生するという事件だ。あれは魔力抵抗が低い者が不完全ながらサキュバス化し掛けていたために起こっていた。

 そして最近の発光事件は、大華燭台が放つ光の花びらに当たった者が、怪物へと変貌するという事件へと悪化していた。

 ウォーギンの説明を聞く限り、どう考えてもその原因はこの魔法陣にあるようにしか聞こえないが、現実は、未完成で何になるか判らないという説明とは少し違う結果となっている。


「こいつが原因だろうな。ただある程度の傾向が出来ているのは、最初の改造と2つ目の改造も絡んでくる所為だ」


 ルディアの指摘に、ウォーギンは頷くと外側の図面の1つを指さす。


「最初の改造で魔法陣には火鱗刀が組み込まれてる。で、その時にナイカさんの話じゃ霊体を取り込むっていう機能を持つっていう火鱗刀を使って、どうも多数の霊魂が混ざった霊団を取り込んで、その上で一つ一つに分離しようとした意図が感じられる。最初の改変機能を使って、霊魂一つ一つとしての形を作ろうとしてたみたいだな」

 
 魔力は変える力。それは肉体を失った霊魂にも影響する。術式の一部に霊特化の構造部分があるとウォーギンが複雑化した術式の1つを指し示す。それは積層型魔法陣の中でもかなり複雑化した中央部分だ。


「火鱗刀を組み込んだという事は、そこが火華刀鳴殿だな……霊団の解体。私が終わらしたロウガ地下の霊団を目標としていたのか?」 


 ウォーギンの説明でケイスがすぐに思い当たるのはヨツヤ骨肉堂の地下でであった、かつて火龍によって殺された狼牙兵団を含む旧狼牙市民達の霊団だ。

 数十万の霊魂が火龍の残存魔力と自ら怨恨によって、個々の意識を無くし怨みの塊として数百年もそこに留まり、そして苦しんでいた。

 火華刀こと霞朝・鳴は、伝え聞く伝説では狼牙生まれの女侍。

 そしてこの場ではケイスだけが知ることだが、狼牙兵団とその長で有ったケイスの曾祖父でもある当代の邑源宋雪によって、邑源姉妹の武術指南役として兵団から抜擢されていたと、姉妹の片割れである祖母のカヨウから聞いている。

 だからこそ邑源姉妹と共に避難していた霞朝・鳴は狼牙兵団の中で唯一の生き残りとなり、後に大英雄パーティの1人として赤龍王との戦いに身を投じたとも。

 霊団の中には、死んでもなお苦しむ者達の中には、鳴の同僚や、親しき者達がいたと想像するのは難しくない。


「そこまでは、もっと調べないと判らねぇな。ここと旧市街の地下じゃ場所がかなり離れているから、間に何かを仕掛けていた痕跡でもあれば判るけどな。ただどっちにしろ相当上手く組み込んでいたけど、これも予定通りは上手くはいかなかったみたいだな。相性が悪すぎる」


「相性か。ふむ……火鱗刀は龍殺しの刃。火龍の魔力による霊団相手では取り込むよりも殺してしまうと言うことか?」


「相変わらずどういう理解力だよおまえ。まぁ大体予測通りだ」


 一を聞いて十を知るというにも、あまりに理解が早すぎるケイスにウォーギンはあきれ顔を浮かべながら、他の仲間へとケイスが至った予測を話して聞かせる。

 火鱗刀の刃一つ一つの元は、怨敵たる火龍の魔力によって竜人と化してしまった数多の勇者達を魂ごと取り込んで生体素材と化した呪術刀。

 龍の魔力によって縛り付けられた霊魂を救う目的に使うには、その殺意が邪魔をし、霊魂ごと切り裂いてしまう可能性が高いのだと。

 その説明を横で聞きながら、ケイスは同時に、火鱗刀が自身だけを狙ったり訳と、手に取った瞬間から反応せず、基本形態のままであった理由、そして自分には使えぬという事実を悟る。

 火鱗刀は龍を殺す為の刀。

 そしてケイスは人の姿をしているが、存在は龍の中の龍。今は幼きともいつかは龍王へといたる存在。

 額当てに使う火龍鱗は紛れも無い火龍ノエラレイドが宿り、龍たるケイスの肉体から生まれた真性の火龍鱗。

 だが火鱗刀の火龍鱗は、龍に消えぬ怨みを持つ者達によって産み出された人寄りの火龍鱗。

 相性が悪いという意味では、狼牙の死霊達と比べても、その比では無く、むしろ天敵の間柄といって存在だ。

 無理に使おうとしても、刀が拒否し、無理矢理言うことを聞かせようとしても崩壊する可能性さえ有るだろう。

 剣士である自分が使えぬ刀がこの世にある事に、ケイスは不満を覚えるが、こればかりはどうしようも無い。

 かといって手元に置いておくのも悔しいので、使える者。技量に長けたセイジにでも渡して、利用してもらうのが、ケイス的には唯一の慰めだ。
  

「なんであんた急に不機嫌になってるのよ」


「五月蠅い。色々有るんだ気にするな。ウォーギン。それで2つ目の改造はなんだ」


 ルディアに八つ当たり気味に不機嫌な声で返したケイスは続きを促す。


「一番外側。もっとも新しいのは霊団を取り込んで分けるだけじゃなくてもう一つ進めてる。その霊魂を他の物に宿らせる機能だな。その霊を統率する役目としてこの看板娘を使ってやがる。姫さんらがさっきから調べてた大鎧にも中に何か仕込んであったんだよな?」


「はい。私達では効果までは判りませんでしたが、今のお話を聞く限りでは、より分けた魂を鎧に宿して、動く鎧にするという事ですか」


「半分正解か。どうもより分け機能で、ぶち込む魂を選別しようとしていたみたいだな。一定以上の強力な力を持つ魂を鎧に、それ以外の弱いのは外部に放出って形だ。んで、そいつが大華燭台から放たれたって言う光の正体だな。花びらの形をしていたのは火鱗刀の影響だろうよ。最初のサキュバス変化未遂も詳しく調べないと判らないが、この力が絡んでるっぽいな」


「むぅ。強い魂か。私が解放した魂には旧狼牙兵団の者達も多数いた。あの人達を鎧を動かす魂とする気だったのか……それでホノカか。あれは霊を従えるレイスロード。狼牙兵団の力と技術を己の意のままに操る計画か……気にくわん。どこの誰だ。斬ってくる」


 狼牙兵団の者達はケイスにとって、曾祖父とその部下達であるがそれ以上に、己が流派の先達。ケイスが受け継いだ剣技、武技の使い手達で、敬意を持つ武人達だ。

 計画は失敗に終わったと言っても、その彼らを意思を無視して己の意のままに使おうという計画は、ケイス的には嫌悪を覚える物。絶対に斬らねばならないと心が訴えている。


「あのな出られないで困っているのに、先走るな。それに。さすがに施した奴まで判らねぇぞ。しかも第二の改造でも相当古い。少なくとも40、50年。半世紀は前の術式だっての」


 何かにつけて直情的なケイスが今にも飛び出しそうだと思ったのか、ウォーギンは固く閉ざされた扉を指し示す。

 まずはここから生きて出られるかも判らないのだから、話は最後まで聞けとあきれ顔を浮かべている。


「……第二の改造を施した者達については私が心当たりがあります。ここの扉を閉じていた術式が彼らが好んでいた物だとお婆さまより聞かされています」


 しかしウォーギンの説明に、サナが浮かない顔を浮かべる。ここの扉を開けたときと同じ表情だ。 

 皆の視線が集まり無言で問うたことで、サナは覚悟を決めたのか、一度ケイスを見てから口を開く。


「東方王国復興派と呼ばれる者達が、五十年ほど前に活発に活動していました。セイジの祖父。今も収監されているセイカイ・シドウもその当時の幹部だった1人。そして祖母の兄。私の大叔父だという当時のロウガ第一王子がその首魁だったそうです。第二の改造は彼らによる手のものだと思われます」


 東方王国復興派とは、今は別の国や都市国家が治める東域は、元々は旧国家東方王国の領地だとし、ロウガをその後継者だとし主権を主張する一派だという。

 半世紀ほど前に勢力を誇り、ロウガのみならず、周辺国家にも渡る大規模なテロ事件を幾度も起こし、サナの祖父母である若き頃のソウセツやユイナ、そして当時帝位継承の為に探索者となるべくロウガに訪れていた現ルクセライゼン皇帝フィリオネスや、大英雄双剣フォールセンさえも巻き込んだ争乱を巻き起こし、最終的に彼らに討伐され壊滅した組織だ。

 今も国家間の問題となるため細かな詳細は隠されているが、ある程度はソウセツ達の英雄譚として謳われている為、ルディア達も少しは見聞きしている話になる。

 そしてケイスにとっても、祖父母リグライト、カヨウ、父フィリオネスに聞かされ、さらには生き写しだという大叔母ユキ・オウゲンの死因となった事件。

 今も関係者の心に深い傷を残している事件だが、それは当に終わった事件でもある。
 
 東方王国復興派は壊滅し、首魁であった王子も討伐され、今のロウガでは東方王国復興運動は厳しく取り締まられ禁止されている。今のロウガ王家がお飾りとして、その権力を議会とロウガ支部に任せて象徴でしか無いのもその事件からの流れだ。

 だがサナの顔に浮かぶ懸念は、今を苦悩する者の色だ。


「とっくの昔に終わった話だと私もここに来るまでは思っていました。ですが、ウォーギンさんの見立てでは、龍の血肉を用いてこの魔法陣を起動させたのはこの一年以内の話だと。そして燭華の騒ぎもここ数ヶ月のものです。東方王国復興派が活動を再開したのではないかと私は疑っています」


 苦悩の色が深いサナの顔には、同時に決意の色も浮かんでいる。

 ロウガの王女として、そして東方王国狼牙領主の血を引く者として、このような企みを決して見過ごすわけには行かぬという決意が。

 誰もがサナの覚悟を感じる中、ケイスはどうにも言いにくい雰囲気になったと、少しばかり後悔する。

 先に言えば良かったと。

 ウォーギンの見立てで、この一年以内にこの魔法陣に新鮮な龍の血肉を捧げた者がいると聞いたとき、真っ先に思い浮かんだ事例があるのだ。

 この魔法陣はロウガの地下水路と密接に関係している。

 あの時、二期前の出陣式の時に、英雄噴水をぶち壊す石垣崩しと一緒に、新鮮にもほどがある龍の血肉をこの地下水道にぶちまけた記憶が。


「ん……覚悟を決めている所にすまんサナ殿。おそらく魔法陣起動犯人は私だ。少し前に龍の生肉やら血を地下水道に大量に落とした記憶がある」  


 傍若無人がデフォルトなケイスにしては非常に珍しく、そして申し訳なさそうに頭を下げる。

 龍の闘気を完全開放状態にした状態での片腕一本と、全身から流れでた血の量だ。

 世界最高の魔術触媒でもある自分の血肉ならば、起動しないはずの魔法陣を無理矢理起動させるぐらいは起こるだろうという確信をケイスは覚えていた。



[22387] 下級探索者と迷宮主
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/06/10 19:33
 予想外にもほどがあるケイスの、魔法陣起動の真犯人は自分だという宣言に、何とも言いようが無い沈黙が訪れる。

 一連の事件では、燭華からは全避難が行われ、しかも3桁に上る死傷者が出ている。死者にはケイス達の同期もいるのだ。

 だというのに、自分が龍の血肉を地下水道に落とした所為で、動かないはずの魔法陣が起動したなんて宣言は、あまりにも荒唐無稽すぎて、不謹慎にもほどがある質の悪い冗談にしか聞こえないだろう……通常ならば。

 だがその宣言した主がケイスとなれば話は変わる。

 存在も言動も、いい加減にしろと言いたいほどに巫山戯た生物であるケイスだが、本人の性格は、基本的にクソがつくほどに真面目だ。

 どれだけ常識から外れた行動であろうが、ケイス本人は大まじめに考え、常に真剣に全力を尽くした結果でしかない。

 現に今だって、ぎゅっと手を握り、悔しげに唇を噛み、その意志の強さを現す少し吊り気味の目は潤んで少し泣きそうになって、必死に我慢しているその様を見れば、ケイス本人は、自らの宣言が真実だと信じ、同時に悔いている事が痛いほどに伝わってくる。

 同期が犠牲となったことで、一番怒っていたのはケイスだ。しかし、その大元が自分であった事に少なくないショックを受けているようだ・

 沈黙が続く中、いつの間にやら仲間の目線が自分に集中していることにルディアは気づく。

 黙っていても話は進まない。どうにかしてくれと訴えてくるプレッシャーに負けたルディアは、何となく答えが判っている質問を口にする。


「ケイス……1つだけ聞くけど、わざとじゃ無いんでしょうね」  
 

「そんなのは関係ない。私が原因だ。だから私が何とかする」


 返ってきた答えは、ある意味でルディアの予想通りだ。

 つまりはなにも詳細が判らない。何時ものケイスの秘密主義な答えだ。


「あんたは、ほんとにいつもいつも」


 ルディアは小さく息を吐く。

 わざとじゃないや、何らかのやむにやまれなかった理由をまくし立て、言い訳を重ねるような性格なら、あまりにトラブルメーカーなのでとうの昔に縁を切って見捨てられるのだが、こういう時にはなにも語らない癖に、自分の非だけを認め一切の弁明をケイスがしない所為で、ルディアは友人関係を続けてしまっている。

 生まれや過去も含めて、隠し事があまりに多すぎる所為もあるのだろうが、自分が悪いと全面的に受け入れた上で、なんで起きたという経緯ではなく、起きたから解決するという結果を最重要視しているからという事もあるのだろう。
 
 詳細は一切話さないが、あまりにも頑なで、真剣なその顔をみて、ケイスの言葉には嘘が無いと、ルディアを含め仲間全員が納得してしまう。

 何かがあってケイスが、龍の血肉を地下水道にまいたのが今回の事件の発端なのだと。


「ウォーギンの説明を聞いている内に迷宮主も判った。私は今からそれを斬って全てを終わらせる」

 
 ぐしぐしと乱暴に涙が浮かびかけていた目を擦ったケイスは、怒りを押し殺した声で殺気混じりの宣言をする。

 だがその脈絡の無い話にさすがに皆驚く。今までの会話の中で、どこに迷宮主を特定する要素があったのか不明にもほどがあるからだ。
 

「待て待て。説明した当人の俺がまだ判ってないだが、どういう意味だよ」


 斬ると口にしたときのケイスが何をしでかすか判らないのをよく知っているウォーギンが、さすがに暴走状態に入るのは見逃せなかったのか、少しでも勢いを殺し手綱を引くために率直に尋ねる。


「あの魔法陣だ」


 ケイスは右手に持った羽の剣で部屋の中央を指し示す。その切っ先が捉えたのは、部屋の中央で今も変わらず光り続けている巨大積層型魔法陣。

 火鱗刀を失い、ホノカも奪われたというのに、今も尽きぬ事無き魔力を蓄え光り輝いているが、それを迷宮の主、迷宮主と呼ぶにはさすがに無理がある。

 迷宮主といえば、どれもが巨大な化け物と相場が決まっていて、常に命がけの戦いを強いられる絶対的強者というのが、探索者に限らず、人々のイメージ。

 しかしケイスが迷宮主だと名指しした魔法陣は襲いかかって来るわけでも無ければ、形を変えもせず、ただそこにあるだけだ。

 ケイスの突拍子も無い発現に疑問を覚える顔を浮かべる者もいれば、逆にはたと気づいたのか手を打つ者もいる。


「ガンズ先生の講義でも言っていただろ。迷宮主とは、その迷宮で最強にして、迷宮の特徴その物だと。ファンドーレ、魔法陣が迷宮主だった実例としてカンナビスゴーレムを噂として知っているが、他にもいくつかあるか?」


「カンナビスゴーレムか……ゴーレムとついているがその本体である迷宮主はゴーレム構築魔法陣だと言う話だったな。他にノーライド銀狼陣や海王魔法陣辺りもあるな。それに魔法陣に限らず、魔具が迷宮主となったという話ならばいくつもあるな……どうしたウォーギン、ルディア」


「……ごめん。気にしないで」


「あーいや。そういえば有ったなって思っただけだ」


 すぐに思いつく有名所をいくつか例に挙げたファンドーレだが、ルディアとウォーギンが何とも言いがたい微妙な表情を浮かべていることに気づいて尋ねるが、2人は曖昧な返事を返す。

 2人の反応は当然と言えば当然だ。そのカンナビスゴーレム魔法陣が3人の目の前で復活して、当のケイスが倒したというのに、噂で聞いたとは、今更ながら白々しいにもほどがある。

 ただしその件は色々とまずい事も重なっているので、ルディア達も他言無用と厳命されているので話すわけにもいかない。

 結局こうなのだ。今回もそうだがケイスに関わっていれば、普通ならあり得ない事態に高確率で遭遇するのだと、改めて実感していた。


「ほう。しかし例はあると言っても、今ひとつ根拠に掛けると思うが、剣士殿が確信に至った理由は?」


 そんな事情は知らぬ好古が、魔法陣が迷宮主だった実例はあるとしても、どうして今回がそうだと思ったのかという当然の疑問を尋ねる。


「うむ。ウォーギンの説明では魔法陣は東方王国時代のもの。そして改造は2回。それも古く、サナ殿の話では、2回目でさえ半世紀以上前の東方王国復興派が絡んでいるという話であったな、だがそれだと少し話が合わない件が出てくる。魔法陣の変化は1週間前にも起きている。クレファルドの人形姫が扱っていた厄災人形とやらが、あの魔法陣に取り込まれているはずだ」


「それは火鱗刀の力では? ケイスさんが戦ったというその人形は霊魂の集まりだったとおっしゃっていましたよね。ナイカ様は火鱗刀は霊魂を取り込む刀とおっしゃっていましたよね。吸い取ったのでは」


「うむ。サナ殿、指摘はもっともだ。確かに吸い込むだけならばそうだろうな。だがその後、燭華で人や物に取りつき化け物に変えるという機能は明らかにおかしい。いらぬ魂を放出し、強き魂を取り込んだ生きる鎧を東方王国復興派が秘密裏に開発しようとしていたなら、そのような騒ぎを起こす余分な機能をわざわざつける意味がない。魔法陣自体が自然と変貌したと考えた方がまだ話はわかる」

 
 東方王国復興派は当時でも非合法な地下組織。当時の狼牙兵団を復活させようと企んでいたとしたなら、あくまでも秘密裏に進めていたはずだ。

 そして彼らが壊滅した後も、ロウガ支部はここの場所の情報を誰も知らなかったのだから、秘密はずっと守られていた、もしくは知る者が全て死んでいたと見るべきだろう。

 そのまま半世紀以上、この場所は誰も存在を知らず、立ち入らず、封鎖されていた。

 そんな隠された魔法陣が自然と変化するとしたら、この空間が迷宮化したことで、魔法陣自体が生きた魔法陣へと、変貌、いわゆるモンスター化したと考えた方がまだ話が通る。

 何よりこれは口にしないが、自分の血肉を取り込んだ魔法陣となれば、意思の1つや2つ持ってもおかしくないというのがケイスの推論。


「それにそう考えればいくつかの話が繋がる。私が龍の血肉を落とした数ヶ月前に魔法陣本体が起動。サキュバス化未遂事件が起きたのは、最初の変貌魔法陣が稼働していた所為だろう。ここの魔法陣と間接的に繋がっているとおぼしき、大華燭台のガラスを用いた華灯籠を持っていた遊女や見習い達のうちから魔力抵抗が弱い者達が、己が描いた望む形。異性を虜にするサキュバスをイメージしていたかなにかで、魔法陣の魔術で中途半端に変貌。その後、この直上の燭華で、私と厄災人形が戦闘して、火龍鱗の額当てを使った影響で、火鱗刀が稼働し、鳴殿の魔法陣が起動。そして火鱗刀の稼働に伴い、東方王国復興派の魔法陣も稼働。ホノカがここに呼び戻され、さらに人形姫から厄災人形が奪われて、あの花びらの化け物達が現れるようになったという流れだ。あれの魂は芯となった者とは別に、複数の霊が集まったものだ。しかも相当に質が悪い。あれは生きる者全てに無差別な怨みを向けていた。そんな物が放出されているのだ。無差別に襲いかかっていたのはその所為だろう」


 全ては自分が切っ掛け。どれもが偶然の積み重ねだが、いくつものあり得ない可能性が重なり、最終的に今の事件が起きた。

 ならこの事件を終わらせるには、魔法陣の完全破壊しか無いとケイスは決意を新たにする。


「理屈は判った。じゃああの魔法陣が迷宮主だと仮定して、問題は物理的にどうするかだ。ありゃ普通の手段じゃ壊せねぇぞ。床に掘ってある溝から光が浮かび上がって、空中に積層型魔法陣を展開している。お前がぶち込んだ爆裂投擲ナイフ数本の魔力吸収効果でも一瞬しか消せないんじゃ、何百本あっても魔法陣を消滅させるなんて無理だ。溝がある床の方も、数秒で自動修復が終わる素材じゃ、削りきるのは難しい。それと問題はもう一つある。あの魔法陣はこの下の魔力を制御もしている。今の状態で魔法陣を消したら、下に満ちる水の中で溢れた魔力が統制が取れなくて、周囲を巻き込んで大爆発するか、混沌化して辺り一面が全部が溶ける。無論ここにいる俺らもただじゃ済まない」


 推測に推測を重ねて物証は弱いが、一応の筋は通っていると認めたウォーギンが、具体策を尋ねる。

 魔法陣は今の所は考える限り破壊不能。そしてもし破壊したとしても、下の階層につまった水の中にこれでもかとたまった魔力が制御不能状態になれば、直上にいる自分達は無事では済まない。


「ふむ。だからだ。ウォーギンお前が第三の改造を施せ。魔法陣の外に新たな術式を組み込んで魔法陣を破壊しろ。具体的には……」


 いつも通り無茶ぶりにもほどがある計画を、ケイスは説明し始めた。


「あ、あんたね……いくら何でも、早々上手くいくと思うの今ので。乱暴にもほどがあるでしょ」


 ケイスの魔法陣破壊計画を聞き終えたルディアの感想は、皆の心の声を代弁する物だ。

 確かにそれならば壊せるかも知れないが、その為に越えるべきハードルは多く、しかもシビアなタイミングが多すぎる。

 ケイスが立てた計画は、パーティ全滅で済めばまだ良い方。下手したらこの直上の燭華全域のみならず、ロウガの街の何割かが吹き飛ぶ事になりかねない危険な計画だった。


「ケイ。だからほんと無茶ぶり止めてよ」


「御山の姫ならばともかく、俺ではそんな真似は出来ぬぞケイス嬢」


「ブラドとウィーさんはまだ良いだろ。俺とセイジなんて一発でも外したら失敗って状況だ」


「やれと言われればやるだけですが、さすがにいきなりの刀では難しい。しばし時間をいただけますか」


 魔法陣を破壊する実行班にケイスによって選ばれたウィー、セイジ、ブラド、レミルトがそれぞれの言葉で程度の差はあれ難色を示す。


「私の方も些か無茶が過ぎる。符を作るにしても龍の魔力相手では力不足となろうの。薬師殿の方は?」


「だから私だって手持ちの材料では難しいです。最大まで高めてみますけど、それでどうにかなるか微妙です」


「材料が揃った所で考えるの俺なんだけどな。あれは作りが単純だったがまだ良いが、絞れって簡単に言うなよな……まぁ考えるけどよ」


「通路を予測するのはいいが、外れた場合のフォローはどうする気だ」
       

 実行班よりはマシだが魔法陣破壊のために準備する物を考えて、好古とルディアは材料がかなり厳しいと異口同音に伝え、ウォーギンはいくら似たような効果だからといってそれを採用するかと呆れながら頭を掻き、ファンドーレも地下水路地図を展開しいくつも歯抜けになった部分を予測する難しさを指摘する。

 しかしもっとも無茶ぶりをされたのは、誰でも無いサナだ。


「貴女に合わせて槍を放てって、私とケイスさんの実力差をわかって言ってますか!?」


 サナにケイスが伝えた役目。それは槍で技を放てという実に簡潔であり、同時に絶対最難関だと誰もが思う無茶ぶりだ。

 何せケイスが求めるのは、自他共に認める頭のおかしいレベルの剣の天才であるケイスと、同レベル、もしくはそれより難しいタイミングで、ケイスが剣を打ち込んだ後に、サナが合わせるという、役割が逆だと声を大にして言いたい、無茶にも限界がある代物。

 
「別に無茶ではあるまい。皆ならば出来ると思ったから、採用しただけだ。特にサナ殿なら大丈夫だ。何せ私にとっては姉弟子だ。それに前に教えた槍流【昇華音暈】を使うだけであろう。ならば出来るはずだ」


 そして当の本人は、仲間の文句は一切気にもせず、いつも通り極めて真面目な表情で常識外れな計画に仲間達なら出来るはずだと太鼓判を押していた。  



[22387] 下級探索者と邑源の技
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/10 19:13
 霊体実体化魔法陣と呼ぶべき物は、東方王国時代の人体変貌魔法陣を、大英雄の1人霞朝・鳴が改造し、さらにそれを東方王国復興派がさらに手を加え、止めとばかりにケイスが落としたという龍の血肉によって無理矢理起動し、さらに迷宮化した影響で迷宮主、一種のモンスターと化した代物。

 まともに起動しているのも信じられない上に、その中心核となるであろうホノカと、火鱗刀も今は引き抜いているので不安定この上ない。

 そんな不安定な魔法陣の制御下にある下の階層に溜まった魔力総量を考えれば、このまま放置しているのが危険極まりないのは確かな話。

 下手すれば何が切っ掛けで魔力が暴走してこの一帯が吹き飛ぶか、あるいは全てが溶けて魔力に変化する混沌化と呼ばれる最悪の事態になるやも知れない。

 そんな危険状態な魔力直上の制御室に閉じ込められた自分達の命も関わるので、早急に何とかしなければならないというのは、ルディア達も判ってはいる。

 しかしケイスの提案した手段は、無茶と無理と不条理のオンパレードもいい所だ。

 龍の血肉で稼働し強化された魔法陣を破壊するには、同じく龍の血をもって魔法陣その物に破壊式を刻み込むのが確実。

 ケイスの言葉は確かに理屈として筋は通っているが、その為にどこから龍血を持ってくるかという質問に対して、ケイスが返したのは、自分の手持ちアイテムに”偶然”龍血があるという、あまりに無理筋な答えだった。


「薬師殿……増幅効果からして確かに龍血ではあるようだが、出所は触れぬ方が良かろうかの?」


 魔法陣破壊式用に新たな符を作る為に筆を走らせる好古は、先ほど墨汁に混ぜた赤黒い血を主成分とした魔術薬が入った小瓶を見てルディアへと尋ねる。

 龍の血は無加工でも触媒として抜群の魔術強化能力を持つが、他の材料と組合わせ魔術薬として調整することで、さらに術に特化した効果を引き出す事が出来る。

 ルディアが作成し渡したのも好古が用いる符に特化した魔術薬で、実際に好古が符にしてみると、何時もと段違いの手応えを感じる全くの別物となっていた。


「ケイスの場合、細かい事を気にしたらきりが無いから考えない方が良いですよ。こっちだって命が掛かってるんですから」


 もっともルディアもレシピは知ってはいたが、作成はこれが初めての品になる。龍の血肉なんて貴重品で、血の一滴だって、駆け出し店主のルディアには到底手が出ない高値で取引されるレア素材だ。

 そんな代物を、ケイスはちょっと待ってろというと、部屋の隅にある大鎧の影に隠れて、なにやらごそごそやってから、戻ってきたときには、小さな小瓶ではあるが3本も持ってきていた。

 瓶を持って帰ってきたときに、少しケイスの顔が青白くなっていたり左手の手首辺りについ今し方斬ってすぐに闘気に物言わせて塞いだばかりにしか見えない傷が有ったのは、ルディアも好古も気づいてはいた。

 人間離れした化け物だ、化け物だとは思っていたが、まさかそこまで外れているとは思わなかったのが、ルディアの率直な感想だが、同時にいくつか納得もする。

 リトラセ砂漠でケイスが手に入れた転血石が、龍を食った魔物由来の物ばかりだった事や、始まりの宮で、赤龍鱗を額から生やしていたのに常人のように正気を失わず、あっさりと剥がし取ってもケイスそのままで無事であった理由。

 何のことは無い。元から竜人よりも、龍に近しい人間なのだと考えれば色々説明はつく。

 龍を殺してその血肉を食べた者やその子孫は、龍と同様の力を得るという話はお伽噺でもよく有る話であり、実際にいくつかの龍殺しと呼ばれる一族が、人知を越えた力を持っているというのも聞いた話。

 身近な例では。ロウガが誇る大英雄の1人双剣フォールセンも、かつて青龍王を倒してルクセライゼンを建国した英雄の血をひく。ルクセライゼン皇帝一族が青目と呼ばれ、澄んだ青い瞳と、上級探索者と比べても勝るとも劣らない、すさまじい魔力を生まれながらに持つ事は有名な話だ。

 他にも西域で傭兵王として一大勢力を持つゴート家。

 中央で権勢を誇る広域魔術学の権威ライトボーン一族。

 一子相伝を称し兄弟間で凄惨な殺し合いをして後継者を決めるという、闇ギルド。ジラチート等々。

 龍殺しの一族は数はさほど多くは無いが、確実に存在し、おそらくケイスはその龍殺しの一族のどれかの出なのだろう。
 
 しかしそれを深く掘り下げる気はルディアには無い。

 ケイス自身が隠したがっているのは目に見えて判るし、何より噂に聞くだけでも、龍殺しは強い力を持つが故の歪みが生じ、どの一族も大小の差はあれ内々に色々と諍いを抱えているという話。

 下手に掘り起こしてもろくな結果にならないのは、容易に予想がつく。 

 
「あれで剣士殿はばれぬと思っているのかの」


 ルディアと同様の推論に至ったであろう好古は符に記号や文字を書き込みながら、少し離れた位置で息を合わせるためと言って、サナと剣を打ち合わせているケイスへと目を向ける。

 残りのメンバーはウォーギンを中心に、魔法陣に破壊式を刻み込むための打ち合わせに余念がなく、真剣な顔つきで稼働中の魔法陣の傍らで作戦会議中だ。

 ケイスが地下水道に落ちて大怪我をした話は、詳細はともかく、同期内や街中でもある程度は知られている。

 真相はもっと複雑な事情があるようだが、今判っている情報からだけでもケイスが落とした龍の血肉とは、おそらく己自身の物だろうと2人は見抜いていた。

 
「馬鹿ですけどそこまで大馬鹿じゃ……無いと思います。卑怯な言い方ですけど、私達を信頼しきってますからあの子」


 いくらケイスといえどさすがにあそこまでバレバレな状況や態度で誤魔化せるとは思っていないだろうが、微妙に言い切れない不安も覚える。

 なんと言うか悪い意味で世間慣れしておらず、元より他人を省みないケイスは、人の機微に疎い。

 本気でばれていないとか、誤魔化せていると思っているのも否定しきれないが、ルディア個人として、気を許した者には甘えるというか、甘いケイスの性格もあるだろうと考えている。

 龍の血として用いる事が出来る血肉を持つ人間。それは聖獸と呼ばれ特殊能力を持つ白虎族のウィーすらも凌ぐ価値を持つ。

 しかしそんな自分やウィーの秘密を、命を預け、預かる仲間達は濫りに口外しない、利用しないと、無条件の信頼を寄せている。

 ケイス本人の経歴や過去は色々と複雑怪奇な物があるのだろうが、その当の本人は人間離れした能力や、常識をうち捨てた思考はともかく、性格自体は、激情家ではあるが、単純で人なつっこい子犬じみたものだ。


「姫には剣士殿とはあまり関わらぬ方が御身の為と忠告していたのだが……やれ私も立派に巻き込まれてしまったようやの」
 

 元々逸楽至上主義的な所がある好古は、逃げられないならばいっそ楽しんでしまおうかとでも思ったのか、諦め半分の息を吐き出しながら、どこか楽しげに筆を走らせる速度を上げた。








「くっ!」


 仲間達が準備に余念が無いなか、息を合わせるためという名目でケイスと剣と槍を交合わせていたサナは、改めてケイスと自分の力量差を痛感させられていた。

 間合いではサナの兵仗槍の方が勝る。だがケイスの技量は、倍以上はあるリーチ差を物ともしない。

 自在に形状を変える羽の剣は、突きだした穂先に文字通り巻き付き絡みついて、油断すれば一瞬で両手から弾き飛ばそうとする。

 槍を失わないために強い力を入れれば、その瞬間にケイスは絡めた剣を支点にして縦横無尽な技を放ってくる。

 それは羽の剣の荷重能力とサナの力も用いた豪快な投げ技であったり、逆に自らが飛んでサナの関節を捻り外そうとする関節技であったり、果てには羽の剣を最大荷重化した状態で槍を拘束したかと思えば、両手を離して徒手空拳の組み打ちであったりと、セオリーなど全くなく、仕切り直すたびに、攻め方を自在に変えてくる。
 
 一手一手が全く異なって混乱しそうになるのに、一体これでどこが息が合うのかと思わなくも無いが、ケイス曰く『私が何をしてもサナ殿は迷わず槍を振るえ』との事。

 つまりは何をしでかすか判らないケイスの剣技を間近で見ても一切動揺せず、最高の一手を放つため、習うより慣れろという基本方針らしい。

 やたらと変則的な攻撃に偏っているのもあえてだが、その変幻自在な攻撃はケイスの力量があってなり立つ物。

 見せつけられるのが純粋な力の差ではなく、完全な技量の差。年下のケイスの攻撃を、読み切れず防げず、一方的にやられるサナのプライドは、今更ながらにぼろぼろもいい所だ。

 ただこのままやられっぱなしで、根を上げるのはサナとしてもあり得ない。

 少し癪ではあるが、ケイスが今回の切り札としてサナに要求してきた技を放つ体勢に入る。

 槍を間断なく突き続けながら、同時に背中の翼にも意識を向け、風を呼び起こす。呼び起こすのは魔力を含んだ小さな竜巻。魔力を持たないケイスにとっての弱点たる魔風を、ケイスから見えない背中側に巻き起こしさらにそれを細く絞る。

 渦を巻く竜巻の中心の太さは、サナが慣れ親しんだ兵仗槍と同じ太さとなっている。


「邑源槍流昇華音暈!」

 
 フェイントの意味も込めて技名を唱えたサナは、槍を手元に引き寄せる動作のまま、あえて穂先側で放つのでは無く、石突き側から竜巻の中に高速で突っ込む。

 同時に竜巻を操り、背中側から自分の足元を這わせ、さらには槍の穂先に警戒したケイスの足元から駆け上がり顎先に出口を一瞬で作りあげた。

   
「んっ!?」


 穂先からの攻撃を警戒していたケイスもさすがに予想外だったのか、驚きで目を丸く開きながらガードが間に合わないと読んだのか首に強く力を入れた。

 足元から蛇のように伸び上がってきた竜巻の先端から、サナが押し込んだ石突きによって押し出された高速圧縮空気の塊が一気に放たれ、ケイスの顎にアッパー気味にしたたかに打ち込まれた。

 首に力は入れていたがそれでも衝撃の強さで、二、三歩たたらを踏みよろけたケイスの首筋へと、サナは槍を突きつけた。

 
「むぅ……やるなサナ殿。昇華音暈を穂先の方では無く逆で使うか。さすが翼人のコントロールだ。教えた甲斐があるぞ」


 最初は悔しそうな顔を一瞬、浮かべていたケイスだが、すぐに満面の笑みを浮かべてサナを心の底から褒め称える。

 しかしその笑う唇の端から血がダラダラと流れていた。

 どうやら今の一撃で口の中を少し噛んだようだがケイスは一切気にしておらず、髪が短くなっても一切損なわれない美少女顔には些か似合わない粗暴さで、服の袖でごしごしと擦って済ませる。


「ようやく技の意味が判ったので使えるようになっただけです……あーもう袖でぬぐわないでください。あーんして」

  
 前にその場のノリと勢いでケイスが真名を名乗った所為で、ルディア達よりはその生まれや流れる血について知っているサナは、やたらと厄介なケイスの血が床に落ちたり、更なる厄介ごとを起こすことを嫌い、ハンカチを取り出す

 サナの言葉に素直に従いケイスは袖でぬぐうのを止めて、口を開いてみせる。

 やたらと鋭い犬歯が下唇に当たったのか一部が切れていたが、既に血は止まり、傷口も塞がり始めていた。

 どうやらケイスが傷口に闘気を回して肉体修復を優先した様子だが、ここでもサナはケイスとの技量の差をいやというほどに思い知らされながら、口の周りや袖をぬぐってやる。

 闘気を高めて全身の回復力を上げるならば、ちょっとばかり闘気操作法を囓った者なら基本技能でサナも出来るが、ケイスのように特定部位だけの肉体修復速度上昇となれば、途端に難度は跳ね上がって、中級探索者でも出来ぬ者が珍しくない高等技術。

 ケイス本人は、サナの方が年長で、剣と槍の違いはあるが同じ邑源流の使い手として姉みたいな存在だとして、ケイスなりに慕ってくれるが、サナとしては、ここまで技量で上回る規格外存在のケイス相手では、素直にその敬意を受け入れるのは、少しばかり難しい。

 一人っ子のサナは幼い頃に弟か妹が欲しいと願ったが、少なくともこんな規格外の妹を求めたわけではないと肩を落とす。


「昇華音暈はやはり風の魔術を効率よく使えるサナ殿には合っていたな。うむ。ひいお爺様、先代邑源宋雪も喜ぶな。アレとサナ殿に伝えてやってくれと頼まれていたからな。使いこなせるようになったのだからサナ殿からアレに伝えてくれ」


 後半は声を潜めながらケイスは太陽な笑顔を浮かべて力強く、我が事のように嬉しそうに頷く。

 相変わらずサナの祖父であるソウセツを、頑なにアレ呼ばわりなのは、もう諦めてはいるが、それならそれで嫌っているのか、好いているのかはっきりしてくれと思う。

 ロウガ旧市街地下で先代の狼牙兵団の亡霊に出会った時に、色々な武技や魔術知識を継承したというケイスだが、その時に現代の邑源流の使い手であり、サナの祖父である当代のオウゲン当主ソウセツ・オウゲンやサナへ失伝していたこの技の継承を是非にと頼まれていたようだ。

 邑源槍流昇華音暈。

 風の魔術によって中心が開いた風の道を作り、そこに突きを打ち込むことで、離れた目標に向かってサナがやって見せたように空気による打撃だけでなく礫や刃等を打ち込む、一撃必当の遠当て技となる。

 慣れれば風の道を分散させ一突きで、数百の目標に鋭い槍の一撃を打ち込むことも出来るというのがケイスの説明だ。


「それならそれで何故もっと詳しく説明してくれ無かったんですか貴女は。私のこの数ヶ月の苦悩は一体何のためだったのですか!?」


 笑い顔を浮かべるケイスとは真逆に、サナは怨み節を込めた声で呻く。

 ケイスは教えたと言うが、それはケイスなりの基準でだ。

 なにせ合宿所であの夜、初めて手合わせをした時には、ろくな説明も、それこそ技名さえ伝えないまま使って見せて覚えろといって、しかもその本人はその後空腹で目を回して倒れ、そのまま面倒事ばかり起こすからと始まりの宮まで寝かされる始末。

 その後も始まりの宮では忙しく聞く暇など無く、終わった後も暴走して迷宮連続攻略を始めたケイスは行方不明で連絡はつかず。

 その後も色々とタイミングが合わず、聞く機会も無く、サナがあの技の名を知ったのさえ、つい先ほどなのだ。

 だからサナが技の本質を勘違いしていたのは仕方ないだろう。まさかケイスがワイヤーを使って風の道を再現しているとは夢にも考えず、昇華音暈が遠当て技などとは思っていなかった。

 ケイスが放った謎の技が自分の槍の一撃を最適な物に修正したことから、風を纏わせ修正を施すことで最高の一撃を人為的に放つための技だと思い込み、そして何度やってもケイスが修正した一撃と同じ一突きが出来ず、今日まで悩み続けてきたのだ。

 しかもケイスが修正を施したのは、物のついでだというから余計に腹立たしい。

 何となくこうした方がより良い一撃になるからと、技を見せるついでにやっただけなのだ。


「技など見れば判るであろう。ふむ。サナ殿は難しく考えすぎだな」


 そしてこの天才児は、絶望的に人に物を教える才能が無いと来ている。

 なにせ自分は目で見ればほとんどが見抜ける剣の申し子。他人がなんで判らず、何を理解していないかさえ思いつかず、しかも習うより慣れろの実践主義者だ。


「ケイスさん! 貴女は自分が天才だという自覚をもっと持ってください! 言葉足らずにもほどが有ります!」


 ケイスの天才らしい他人を顧みぬ言いぐさにサナが切れるが、ケイスは珍しく少しばかり目を丸くすると、もう一度心の底からの笑顔を浮かべる。
 
 何が琴線に触れたのかは知れぬが、ケイスにとって、とても嬉しい何かを自分が口にしたのだと、怒っていたサナでさえ一瞬見惚れそうになる笑顔で判った。


「ケイス! 姫さん! こっちの準備は出来た。時間がないからとっとと始めんぞ!」


「ん。今行く! ……やはりサナ殿は私にとって姉様みたいな存在だな。ならば上手くいくであろう。では迷宮主である魔法陣を完膚無きまでに打ち壊そう。邑源の槍と剣が揃ったのだ。この世に斬れぬ物など無いぞ」


 準備を終え時間がないと急かしてきたウォーギンの呼びかけに強く頷いたケイスは、サナに改めて向き直り、どこまでも自信が篭もった勝ち気で好戦的な笑みを浮かべてみせた。  



[22387] 下級探査者と迷宮に眠る刀
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/04/21 01:45
「ファン。後もう少しで時間だ。頼む」


「まったくケイスの無茶はいつものことだが、付き合わされるこっちは面倒なことこの上ない」


 懐中時計を見て時刻を確認したウォーギンの合図に、ぼやいたファンドーレが両手を広げ、部屋中央で稼働中の魔法陣外周部の床に刻むべき線を光で描いていく。

 この光自体は魔法陣には直接的な影響は無く、新たな魔法陣を引くための目安だ。

 事前に何度も図面を確認はしていたが、こうやって実際に描かれた図形を見ると、その複雑さを皆が改めて実感し、誰かが緊張からか息をのむ音が響いた。

 ここの床は自然修復能力を持っており、傷をつけても数秒で直ってしまう特殊素材。床に刻み込まれた魔法陣用の魔力導線を、床諸共に破壊しても修復されてしまう。

 そこでケイスが提案し、ウォーギンが考えさせられたのは、床に刻んだ傷が消える時間までの4、5秒の間に、元の魔法陣の不要部分を削りつつ、新たな魔力導線を刻み込んで、魔法陣へと改竄式を刻み込んで、自己破壊魔法陣+下層に溜まった魔力を一気に放逐する物へと変えるという常識外れにもほどが有る作戦だった。

 
「いやーほんと。ボクとしてももう少し楽な手がないかなって思うんだけど」


 緊張しないためわざとなのか、それともあくまでもいつも通りなのか、面倒気な口調で身体をほぐしながら尻尾を揺らしたウィーがファンドーレに同意する。

 だがその全身を覆う純白の毛は、言葉とは裏腹に気合いはしっかりとみなぎっているのか逆立っている。

 ルディアが作ったウズラの卵ほどの大きさの柔らかなカプセルを両手に持てるだけ持って、カプセルを割らないように、鉄さえ切り裂く鋭い爪は引っ込めている。

 
「御山の姫。中央は俺が確実に壊すので、周囲はお任せいたします」


 ウィーの隣に立つ熊の獣人であるブラドがやけに畏まった口調で、拳を握り締めて目を細め標的たる魔法陣中央部へと目を向ける。

 部屋の中央を上下につらぬくガラス筒内では、今も水が轟々と音をたてながら下に流れ落ち、その周囲には積層型魔法陣がしっかりと展開されたままだ。

 好古の作った特製の符が表面には貼り付けてある両手の手甲を、ブラドは軽く打ち合わせる。

 
「りょーかい。ただその呼び方は止めてウィーで。外で呼ばれたらどこに人の耳があるか判らないんだし」  


「承りました。ご無礼ながらウィー殿と呼ばせていただく」


 出来たらその口調も止めて欲しいのだが、どうやら故郷の出身らしいブラドにこれ以上の譲歩を求めるのは酷かと思い、ウィーは諦める。

 何せ故郷では白虎は生き神扱い。こうやって前線を任せてくれているだけブラドはまだマシなほう。

 他の地元関係者なら、危ないので下がっていてほしいと、絶対に戦闘には参加させてもらえない。

 ロウガに向かう前、山を抜け出す直前に、ある事情から探索者になりたいと言った時には、お気持ちはお察ししますが、お考え直しくださいと、丁寧にしつこくそれも何十人ものお付きに懇願されて辟易させられていたほど。

 だからむしろケイスの人使いの荒さは、ウィーには新鮮な物で、言葉では面倒くさがってみせ、実際にも少し面倒ではあるが、無茶な頼みが信頼の証だとも判るので、やる気が刺激されていた。


「うげ……こうやって改めてみると相当きついな。セイジいけるか?」


 魔法陣を刻む役目を受け持ったレミルトは弓の弦を確かめながら、腰の矢筒一杯につまった矢を鳴らし、ファンドーレが描いたウォーギン謹製の改造魔法陣の複雑さに改めて、眉をしかめる。


「未だ少し慣れませんが、与えられた主命であるのならば、必ず果たして見せましょう」


 傍目にはその距離感からサナとは恋人同士としか見えないのだが、本人達的には相も変わらない主従関係を頑なに維持するセイジは、ケイスから譲られた赤い刀身を持つ大太刀。火鱗刀を顔の横辺りに持ち上げ刀身を寝かせた、霞の構えのまま静かに答える。

 大量の赤龍鱗で出来た刀身は今は一つの大太刀の基本形状をとっているが、よく見ればその刀身全体が魔術薬によってうっすらと濡れる。

 ウィーとブラドが魔法陣破壊組だとすれば、レミルトとセイジは魔法陣作成組。


「おまえな。こんな時くらい主命とか言ってないで、ちっとは姫さんを気遣ってやれよ。こいつが失敗しないって自信の表れだってなら良いけどよ」


 どうせ数秒で修復ができるので、目的の場所を壊すのに失敗すれば、仕切り直しと行けるかもしれないが、魔法陣作成は一発勝負。
 
 下手に刻み込んで違う形を描けば、下の魔力にどんな悪影響が出るか判らない。

 それこそパーティ全滅さえ十分考えられるのだが、いつも通り通常の答えを返すセイジに、レミルトは呆れながらも感心していた。


「姫。これで最後やも知れぬ。セイジ殿と熱き抱擁でもかわしてはいかがか?」


 一方少し離れた位置で気休めの防御陣を敷いていた好古は、緊張の色を見せるサナを楽しげにからかっていた。

 一歩間違えれば死という状況下で開き直ったのか、心なしか額の角もつやつやと輝いているように見えるほどに楽しそうだ。  

 
「必要ありません。このような所で死ぬつもりはありませんし、どうせ記憶に残すならせめてもう少しムードのある場所といたします。ここは些か風情に欠けますでしょ」
 

 ちょっと前ならば、このようなからかいには、わたわたして慌てていたが、パーティを組んでそこそこ経って慣れて来たのと、これが好古なりの緊張を解きほぐすための気づかいだと判ったサナが珍しく冗談で返すと、槍を構え、足をグッと沈め、背中の翼にゆっくりと魔力を満たしていく。

 ケイスが、サナに求めたのは正確無比な魔術操作を伴う槍の一撃。狙う先は見えぬ先への一点集中。ファンドーレが予測した地下水路図をもう一度頭の中に描き出していた。


「で、ケイス。あんたが珍しく引き立て役を受けた真意は?」


「適材適所だ。私の今の剣技では地上部まで一気に貫くのは難しいし、出来たとしても崩落を起こして地上に大きな被害が出るやもしれん。サナ殿とファンドーレの力があれば被害は最小限と出来るであろう。足りない物は仲間と補うのが探索者だ。ガンズ先生もそう言っていたであろう……あむ」


 気迫が入ったサナの横顔を頼もしげに見ていたケイスは、好古と同じく最悪の展開になったときの気休めとして防御魔法陣を展開していたルディアからの質問に答えつつ、懐から出した飴玉を口の中でかみ砕いて一気に飲み込む。

 本当なら口の中で転がしてしばらく甘みを楽しみたい所だが、魔法陣破壊に最適な時間までカウントを取るウォーギンの手信号はもう1分を切っているので仕方ない。


「適材適所ね……いざって時に後方待機しかでき無い自分が嫌になるわね」


 自分の実力ではギリギリの状況では足を引っ張るだけ、こうやって後方で役に立つか心許ない防御陣を張ることしか出来ないルディアがやりきれない嘆息を落とす。

 
「何を言う。ルディはサポート役として優秀ではないか。皆を束ねる役をここまで果たして、今も魔法薬も作ってくれたではないか。十分役目を果たしてくれた。後は斬るだけ。ならば剣士である私に任せて、安心してみていろ」


 何を嘆くことがあるのかと不思議に思いきょとんとした顔を浮かべたケイスは、心の底からの賞賛を口にする。

 同年代の異性から同じようなことを言われたなら、一発で心を奪われてしまうかも知れないが、同性しかも年下の親友からの台詞となると、ルディアとしても返すべき反応に困る。


「あんたは……じゃあいつも通り、私の命は預けるわよ」


 結局返答に困ったルディアは、ケイスが一番喜ぶであろう、ケイスを信じるという意思を言葉として示して見せた。


「うむ。任せろ。守る者がいる方が、私は……いや我等は強いのだぞ」


 ルディアからの信頼に大輪の笑顔を浮かべて答えたケイスは、右足を大きく引いた半身の体勢となり、羽の剣を左逆手に構え顔の横まで持ち上げ、柄頭に軽く右手を当てた独特の構えを取る。

 これはケイスがもっとも得意とし、そしてもっとも修練を積んだ突撃技【逆手双刺突】の基本構え。

 この構えから派生する技は数多くあり、状況が変わった際にもすぐに対応が可能となる構えでもある。


「20秒前だ! 19……18……17」


 ウォーギンが大きな声で伝え、カウントダウンと同時に両手であげた指で示していく。


「サナ殿。邑源の戦始めの古語は知っているであろう。合わせるぞ」


 ウォーギンの声と指を注視しながら、ケイスは隣に並び立つサナへと提案する。

 邑源の技を使う者達は、負けられぬ戦いの前には、何時もその言葉を唱え、必勝を誓い、そして勝ってきた。

 言葉とは力。言葉として積み重ね、実際に成し遂げてきたという事実が、言霊となり、力となる。

 だからこそケイスは、常に技名を、唱え、唱えられないときでも心の中で強く叫ぶ。

 それは過去からの最後の一押しであり、ケイスが未来へと渡す力。

 過去に成し遂げたという実績が、斬ったという事実が、守ったという結果が、ほんの少しだけの力となり、至らない状況を覆すかもしれない。

 この世界へ刻み込む力として、ケイスは、邑源の使い手達は常に唱えてきたのだ。


「……判りました」


 祖父ソウセツからその意味や理念を教わってはいたが、何となくではあるが、今の自分にその言葉を口にする資格があるのか、過去の使い手達の意思を継ぐ力を持つのかと、恐れ多さを感じ、サナは実戦で口にした事は今まで無い。

 だがケイスの誘いにサナは少しばかり悩んでから頷く。

 もしそれが僅かでも力となるならば、それが自分の守るべき物を守る今の力となるならば、唱える時は、今ほどにふさわしいときはない。


「「……帝御前我等御剣也」」


 ケイスとサナ。異口同音。剣と槍。異種武器。されど同じ心を継ぐ邑源の誓いが強く、強く響き渡る。

 我等はどのような戦場であろうと常に帝の前に立つように、守り、勝つ。

 必勝不敗の言霊が、凛と響き、制御室を満たすと同時に、ウォーギンが最後に残っていた右手の小指を倒しながら右腕を大きく振り下げる。


「0! いけまずは破壊だ!」


 その合図で真っ先に飛びだしたのはブラドだ。そのすぐ後にウィーが続く。

 獣の速さで駈けるブラドの両腕に力が込められ、その鋼のような筋肉がさらに膨れあがった。

 魔法陣の縁で高く跳んだブラドは一瞬で天井へと到達し、その天井を強く蹴って逆さとなって蹴り降り、魔法陣中心部部屋の上下を貫くガラス筒のすぐ脇の床へと、稲妻のような轟音と共に手甲に覆われた両手による力任せの両手突きをぶち込む。

 技と呼ぶのさえ烏滸がましい技巧の欠片さえない一撃。だがそれはまさに獣による絶対無比の破壊の一撃。

 ケイスの剣戟でさえ僅かに傷つけるだけだった床を、中央の魔法陣を維持するために床に刻まれた魔力導線諸共、大きく粉砕してみせる。

 しかしその破壊の力は、見えない壁に阻まれたかのように、時に不自然に方向を変えながら広がっていく。

 手甲に貼り付けた好古の手による符は、限定された範囲だけに破壊力を伝播する力を持つ。

 両手が産み出した格段の破壊力の伝播は、魔法陣中央部全体に広がり、その一部を見事に無効化して見せた。

 さらにそこへウィーが続く。

 ブラドに続き跳んでいたウィーは、天井近くで逆さになるまでは同じだったが、その足の力と戦闘用サンダルから姿を覗かせる厚いナイフのような爪をもって天井へと張り付く。

 眼下に見下ろすはブラドが産み出した両手突きによって、いくつもの部位が欠けた魔法陣。

 だがこれではウォーギンが思い描いた図には、まだ残った魔法陣が多すぎる。

 両手を振ったウィーは、両手に抱えていた大量のカプセルを魔法陣外周部に向けて一気に投擲。

 床に着弾したカプセルが弾け、中に少量だけ入っていた粘度のある液体が、床に刻まれた無傷の魔力導線に付着し、そこから魔力を奪い、さらに魔法陣を歯抜け状態へとする。

 カプセルに含まれていたのは、ケイスが用いる魔力吸収液。

 周囲一体の魔力を無差別に奪う爆裂ナイフと違い、単一の目標魔術だけを消しさる目的で作られたウォーギン謹製の特注品だ。

 次の手のために、どうしても残さなければならない部分だけは残し、それ以外を完全に無効化するために、ウィーに指定された着弾位置は37にもなる。

 並の者ではこの短時間で、それだけの数の目標に正確無比に当てるのは困難すぎる。

 だがウィーは、ケイスが、本人が本気を出せば今の自分より強いと認める者。

 一つも外すこと無く見事に成し遂げてみせる。

 ブラドの広域破壊。そしてウィーの精密破壊。

 二つの破壊をもって、魔法陣を無効化してみせるが、それは床の自動修復が済むまでの僅か数秒の時間。

 その数秒の奇跡を無駄にしないため、思い描いた通りに魔法陣が破壊された事を、長年の勘と才能で一瞬で判断したウォーギンが、挙げたままだった左手を振り下ろす。

 その腕が振り下ろしきる前に、レミルトとセイジが同時に動きだす。

 目にも見えぬ早業でレミルトが次々に矢をつがえ早撃ちして、魔法陣の外周部、ファンドーレが光で描いた目印へと、矢を着弾させる。鏃の先には、ブラドの手甲と同じように好古が作った符が突き刺さっている。

 2秒も満たず矢筒は空となり、全ての矢が外周部に円を描くように突き刺さると、一斉に炎を上げて符が燃え上がる。

 突如生まれた炎は不自然に形を変えて、文字や図形を作り出していく。

 ケイス提供による龍血由来の魔力を含む炎が描くのは、新たな魔術式。今ある魔法陣を強制的に変貌させ、全く別の効果を生み出すための手順書。

 だが新たに描かれた炎の魔法陣と、元からある光の魔法陣はどこも接触していない。ただファンドーレが引いた光の線だけがその両者を繋げるための道を描く。

 道を繋げるのは、セイジの役目だ。

 レミルトが矢を打ち始めたのと同時に、セイジは霞の構えから鋭い突きを一度だけ打ち放っていた。

 ただの一突き。だがセイジが構える刀は普通ではない。

 龍の血によって狂ったかつての勇者達千人以上を贄として産み出された呪術刀火鱗刀。

 分散した火鱗刀の赤龍鱗は一つ、一つが鋭い刃であり、そのどれもが魔術液で濡れている。

 さすがに千を越える赤龍鱗を一度に操作するのは、セイジの技量を持ってしても今は無理だ。火鱗刀の刃渡りの内8分の1にも満たない刃先だけが、刀身から分離し宙を駈けていく。

 飛ばせた赤龍鱗の数は、本来の数からすれば少なすぎる。

 しかしケイスほどでは無いが、セイジもまた剣の才を持つ天才。

 今宙を飛ぶ赤龍鱗はセイジが操れるギリギリ限界の数。この短時間の間に、セイジは今の自分が使える火鱗刀の限界を見極め、そして今使いこなしてみせる。

 火鱗刀の刃である赤龍鱗は、ファンドーレの描いた光の線を正確無比になぞり、床を削り、そこに魔術薬による道を描き出す。

 魔術薬の効果はよくある、魔法陣製作の際に用いる基本的な魔力伝導薬。

 炎が描き出す魔術式と光が描き出す魔法陣。そして火鱗刀が刻んだ道が一つへとなる。

 それはブラドの最初の一撃から5秒にも満たない時間の間に行われた妙技。

 その間も床は常に修復され続けていく。

 この魔法陣が形を維持できるのは、砂時計の砂粒が一つ落ちる時間にも満たないだろう。

 だがこの破壊魔法陣を考え、施したのは、天才魔導技師ウォーギン・ザナドールだ。

 それだけの時間があれば何の問題もない。

 空中へと展開していた所々がぬけた積層魔法陣を描く光が、一瞬にして炎の魔法陣へと切り変わる。

 同時に床の修復機能が無効化。魔法陣の書き換えが完全有効化され、魔法陣を描く炎が崩壊しながら、もう一つの機能を発動させる。

 炎が崩れだすと共に制御室全体が不気味に振動を始めた。

 見れば部屋中央の、ガラス筒の中では先ほどまで止まること無く流れ落ちていた水の流れが止まっていた。

 ウォーギンが新たに魔法陣へと刻み込んだ破壊式以外のもう一つの効果。

 それは制御室の下層に溜まった魔力を危険なレベルで大量に含んだ水を逆流させ、地上に向かって打ち上げるという機能。

 その改造魔法陣の元となったのは、始まりの宮にあった都市上部を覆ったぶ厚い溶岩台地を吹き飛ばし脱出する為に、太古の人達が命がけで産み出しながらも、結局は果たせなかったあの魔法陣になる。

 始まりの宮の魔法陣は純粋な魔力爆発が産み出した破壊力を上部へと集中させる効果を持っていたが、ウォーギンはそれを改良し、打ち上げる対象を魔力を含んだ水としている。

 既存の魔法陣をしかも全く別種の効果を持つ魔法陣と掛け合わせるなど、普通はできないがその常識を、ウォーギンの才能、そしてケイスがもたらした龍血という合わせ技が成し遂げる。

 だがそれは同時に大きな危険をはらむ行為だ。逆流させる水には大量の魔力が含まれている。

 そんな高魔力水が地下水道に流れ込めば、生息するモンスター達にどのような影響をもたらすが予想が出来ず、モンスターの大量発生や、高位モンスターへ変貌する事もありうる。

 さらに高魔力水が居住区域まで到達すれば、人への影響も当然として、魔具等に反応してより大きな被害をもたらす災害となる事さえありうる。 

 それらの被害を防ぐため、ケイスが提案したのは、実に単純な物だ。

 燭華へと集中させて打ち上げればいいという。

 今の燭華は住民全員が避難した上に、真夜中に起きる発光現象に備え、魔力防壁を展開準備した厳戒態勢。

 夜中に発光現象が起きる時刻に合わせてこの作戦を行えば、被害は最小限に抑えられるというものだ。

 燭華への被害や、唯一その燭華にいるであろうソウセツへの心配にしても、ケイス曰く『建物は直せばいいし、アレがその程度でどうにかなるならとっくに私が斬っている』と乱暴にもほどがある答えを平然と返していた。

 もう一つの懸念であった厄災人形を構成していた霊団は、どうやらこの数日で放出されきっていたらしく好古が調べてみたが、反応が見られず、とりあえずは安全だろうという結論に達していた。

 残った最終的な問題はどうやって燭華へと、水の流れを集中させるか。そしてそれこそがケイスとサナの役目だ。


「ケイス! 姫さん! 来るぞ!」


 不気味な振動は水が逆流を始めた証拠だ。ウォーギンの最後のかけ声と共に、ケイスとサナが部屋の中心を上下を貫くガラス筒に向かって、走り、飛翔する。

 先行したケイスが未だ燻る炎の魔法陣を一足跳びに跳び越えて、ガラス筒に向かって飛びかかる。


「邑源一刀流! 逆手双刺突! 鎧砕き!」 
   

 ガラス筒へと刃先が当たると同時に、何時もは掌底を打ち込む動作を変更し、柄頭に合わせた右手を回しながら闘気を送り込む。

 食い込んだ刃先が激しく振るえ細かな振動がガラス筒全体へと伝わり、さらにヒビをいれて砕き始めた。

 鎧砕きは非殺傷技。名前通り闘気を乗せた超振動をもって相手の意識を失わせつつ、身に纏う鎧だけを砕く特殊技。

 ケイスがガラス筒全体を砕き、むき出しとなった水流を、サナが極大化させた昇華音暈で包み込んで、地上部へと向けて風の道を作り水を導く。

 そして皆には言っていないが、ケイスの秘策はもう一つある。

 ケイスの持つ羽の剣に宿るのは水を操る水龍。先代深海青龍王ラフォス・ルクセライゼン。

 魔力を大量に含んだ水であれば、ケイスが魔力を持たないために普段は使えないラフォスの龍王魔術も行使が可能となり、ある程度は流れも操作できる。

 そこにウォーギンの魔法陣とサナの技を合わせれば、確実に地上の燭華限定で、高魔力水を導けるはずだと確信を抱いていた。

  
(っ!?)


 だがそのケイスの目論見は崩れ去る。

 刃先がガラス筒内の水に触れたことで、ラフォスがその水路構造を把握しケイスへと教えてくれたのだが、そこにはファンドーレも予測していなかった仕掛けが一つあった。

 この部屋の少し上に水の逆流防止弁がついていると。 

 構造、そして水が伝える感触からみて相当に頑丈で、このままでは逆流した水は行き場を無くし、割った筒から溢れ出しこの部屋に満ちてしまうと、一瞬で答えが思い浮かぶ。

 自らの命、そして仲間の危機に対処するため、ケイスは高速思考を発動させる。

 一瞬が無限に変わる中、必死に取るべき道を探し出す。

 サナの昇華音暈でしばらく持たせれるか……不可能。水の力を導くことは出来ても抑えるには風の壁では弱い。

 爆裂ナイフを打ち込み逆流防止弁を吹き飛ばすか……不可。水中では破壊力が減退し、確実な破壊が出来ない。魔力吸収物質を撒くことになるのでサナの昇華音暈への影響大。

 自分が水の中に飛び込み斬るか……不可能。いくらケイスといえど、魔力を持たぬ身では、高魔力水の中では意識を保つのさえ難しい。

 数百の可能性を考えても切り開く道を見出せない。

 そしてこの状況下で何時も思い浮かぶ答えが強く囁く。

 魔力を取り戻せと。

 魔術さえ使えば何のことはない。

 制約を無くしてしまえば、魔力さえ取り戻せば、剣となった為魔術行使に限界があるラフォスに頼らずとも、始母ウェルカに授けられた龍王魔術をもって、下層にある水くらいの量であれば己の意思で自在に操れる。

 それどころか魔力その物さえ己の身へと取り込むことも造作もない。

 皆を救うため、自分の命を拾うため、魔力を取り戻せ。

 甘い囁きは何時ものこと。

 だが今回はさらにもう一つの声が聞こえる。

 我を取れと。

 その囁きに気づいてみれば、いつの間にやらケイスのすぐ側に不可思議な箱が、迷宮主を倒すことで現れる神の印が宿る宝物【神印宝物】を宿す宝箱が浮かんでいた。

 どうやら魔法陣=迷宮主という予測は正解だったようだ。

 魔法陣自体は完全に崩壊しきってはいないが、その形を完全に変えたために、既に討伐が出来たと判断されたようだ。

 そしてケイスを呼ぶ声は、宝箱の中から響いてきた。

 それで判る。剣士だから判る。この中には剣が眠っている。ケイスの才覚を存分に発揮できる神の認めた宝物剣が。

 宝箱へと手を伸ばし剣を取れば、魔力を取り戻さなくとも、この状況を打破できる剣が触れるという確信をケイスは覚える。

 だがその両者の呼びかけは、今の状況を打破する二つの選択肢は、ケイスにとって、極めて不愉快かつ怒りを覚える物であった。


(私を舐めるな! 魔力も新しい剣もいらん! 今の私ではでき無いと断言した、私を侮辱した巫山戯た道を、私が選ぶと思うな! 迷宮神ミノトス!)


 今この時迷宮の宝をもたらしたのは、他の誰でも無い、ケイスが世界で一番嫌う神。ケイスを幼い時から迷宮へと閉じ込め、そしてケイスの邪魔をしてきた迷宮神ミノトス以外に存在しない。

 出来ない? 

 守れない? 

 そんな巫山戯た話があってたまるか。自分は天才だ。そして誓いの言葉を口にしたのだ。

 だから出来る! 出来なければならない!

 なぜなら自分は剣士だ!

 今の実力でこの窮地を脱せないというのならば、今この一瞬で! 

 音よりも速く! 

 光よりも速く! 
 
 万物よりも速く! 
 
 神の意図よりも速く! 

 強くなればいい。それだけだ! 

 余計なちょっかいを掛けてきたミノトスへの怒りが、ケイスを激怒させ、その才覚を最大までに発揮させる。

 あり得なかった道筋を、生きるための手段を脳裏に描ききる前にケイスは動く。
 
 右手を胸元に当て親指と人差し指、小指と薬指のそれぞれの間に短剣を挟み込み引き抜く。

 燃え上がる心臓、そして熱く躍動する丹田。両者から産み出した激しい怒りに燃える異なる二種の龍の闘気を、精密に操り引き抜いた剣それぞれに込めた。

 異なる龍種の闘気を宿る剣を弁の目前でぶつけることで発生させた石垣崩しによって、弁を破壊すればいい。

 あの技ならばあの程度の弁くらいは簡単に破壊できる。

 だがこれは、水の中にただ投げただけでは、ケイスの腕力を持ってして、上にある弁までは届かないと、先ほどまでの高速思考の中で何度も結論づけ、無理だと諦めた手。

 その無理を越えるためには……やはりここは先達の技を借り受けるしかない。

 一対のナイフを握った右腕を振りあげると共に、脚力に物言わせて振りあげた右膝を、右腕に打ち込みさらに加速させながら、割れたガラス筒の隙間から上方へと向かって水中へと打ち込む。

    
(邑源流投擲術! 双龍黒鶫!)


 一対の矢をもって放つ弓術の無音高速技である黒鶫は、矢の周りを闘気で囲み、空気を切り裂くのでは無く空気を押しのけ、矢の向かう先に真空を産み出し撃ち出す高等技術。

 ケイスが放った二本のナイフも、自らが進む僅か先の水をこじ開け真空を産み出す事で水の抵抗を無くし、一切濡れることも無く飛翔してみせる。

 僅かな距離ではあるが、絶望的な距離を一瞬で駆け上がった投擲ナイフが、逆流防止弁の前で初めて互いに接触し、そして各々に閉じ込められていた異なる龍種の闘気をぶつけ合い、膨れあがらせ、小規模な爆発を引き起こし、一発で弁を粉々に破壊してのけた。

 技は成功したが自分を馬鹿にされてムカムカとしたままだったケイスは、そのまま宝箱へと右手を伸ばして中身を引き出しながら、後へと続くサナのために道を空ける。

 ミノトスがもたらした宝剣へ、お前がいなくとも成し遂げてやったと見せるために。

 事前には予定していなかったケイスの突然の行動に多少は驚きながらも、先ほどまでの手合わせでケイスがなにをやっても驚かないように少しだけ慣れていたサナが、退いたケイスと入れ替わる。


「邑源槍流昇華音暈!」
   

 両手で構えた兵仗槍を天を突き破れと言わんばかりの勢いで上に向かってサナが裂帛の気合いと共に突き上げる。

 その背中の翼が産み出した竜巻がみるみる巨大化し、兵仗槍の穂先からケイスが割ったガラスやさらに中の水諸共に外側から包み込み制御室内にあふれかえらないように押さえ込み、地上に向かって道を作り出し始めた。

 さらに産み出された風の道を追いかけ、水がものすごい勢いで逆流を始め出す。制御室の振動はますます酷くなりまともに立っていられないほどに揺れ始める。

 水路の中に飛び込んで見えなくなった風の道を頭の中で描いた経路で正確になぞるためにか目をつぶったサナは、時折苦悶の声を漏らしながらも大きく翼を広げる。

 ここまで来ると上手くいっているかどうか判るのはサナだけだが、今の集中状態では声を掛けても答えるのは無理だろう。

 今は他の仲間達と同じように見守ることしか出来ない。

  
「ケイス! 大丈夫!?」


「ん。問題無い。問題があったから予定外の剣を一つ入れただけだ」


 尻餅をついたまま立ち上がれなくなったケイスを心配したのか駆け寄って来たルディアや仲間達に、あまり大丈夫ではない回答を返したケイスは右手を上げようとしてふと気づく。

 自分が右手に宝箱から引き出した剣をいつの間にか握っていたことに。

 初めて手にした剣なのに、あまりにも馴染みすぎて、持っていることさえ気づいていなかった。


「ケイス……あんたそれなに!?」 


 ルディアが不審げに出す声に改めて見てみれば、ケイスの右手は鮮血のように真っ赤な柄を握っていたが、その先端は未だ消えていない空中の宝箱へと繋がった状態のままだ。


「柄頭の印……神印宝物だな。槍か?」


 ファンドーレが指し示した柄の根元には、どこの神かは知らぬが、明らかに神印だと思われる刻印が施されていた。

 ここに出ている柄の長さだけでも既に羽の剣を越える長さだというのに、まだ刃先さえ見えていない。しかし槍にしては僅かに曲線を描いているので形状が変だ。


「ん~にしては形状が変だ。引き抜いてみたほうが早そうだ」


 立ち上がったケイスは振動の中でも身軽に一歩飛び下がって、空中に浮いたままの宝箱から伸びた柄をさらに抜いてみるがなかなかに刃部分が見えてこない。

 もう二、三歩下がってようやく刃元が見えてきて、さらにその倍は下がって、ようやく宝箱からその宝物は全身を現した。

 それは刃だけでもケイスの身長の倍以上はある巨大な刀。長巻と呼ばれる大刀だ。

 そしてケイスはこの長巻の名を、そしてそれが振るわれた光景を幻の狼牙で見知っていた。


「……長巻。神印宝物【紅十尺】だな」


 さすがのケイスも予想外の、予想外過ぎた剣が目の前にある事に驚く。

 柄も合わせた全長でケイスの身長の四倍以上、6ケーラを越える巨大な長巻。

 それは曾祖父邑源宋雪の愛刀であり、大英雄双剣の一人である大叔母邑源雪が受け継ぎ、暗黒時代を駆け抜けた名刀【紅十尺】と呼ばれた魔剣だった。   



[22387] 下級探索者(偽装)と大華災
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/16 21:20
 燭華で起きる謎の発光事件は人的、物的損害は甚大ではあるが、全員避難も終わり被害が限定されてきた8日目の夜ともなると、物見遊山気分で燭華隣接区域へと繰り出す者が出ていた。

 不謹慎と眉を顰める者もいるだろうが、ここロウガは活気に溢れると同時に荒くれ者も集う迷宮隣接都市。

 迷宮探索中だった探索者の死傷報告や、街中での揉め事や刃傷沙汰などは、日常の一景色。

 今回の事件にしても、自分や知人に被害が無かった者達にとっては、東域最大の歓楽街である燭華が閉鎖して、娯楽に飢えていた所にもたらされた、恰好の見せ物でしかない。

 何せ英雄譚に謳われるあの上級探索者ソウセツ・オウゲンの能力開放状態での、戦闘を遠目とはいえ見物でき、しかも街区を区切る街壁に設置された結界防御機能で、身の安全は約束されているのだ。

 燭華内に店を構える楼閣店主の中で目端の利く者などは、隣接街区の宿屋を貸し切ったりして太客を招いて、自分の店の遊女に酌をさせながらもてなすなど、閉鎖中でも出来る営業活動に余念が無い。 

 若手探索者達にとっても、上級探索者の本気の戦闘を見られる稀少な機会とあっては、それなりの数の見物人が自然と集まった状態で、8日目の夜を迎えていた。

 だがこの夜、彼らが目撃したのは、前日までとは全く異なる光景だ。

 不気味な地鳴り音が響いたかと思えば、何時もは妖しげな光を放ち化け物を産み出す花びらをはき出す、燭華のシンボルともいえる大華燭台がいきなり轟音と共に弾け跳んでしまったのだ。

 しかも異変はそれだけでは無い。

 大華燭台直下から水が勢いよく吹き上がり始め、隣接街区からでも見えるほどに、巨大な噴水が産み出されたのだ。

 月明かりを受けてキラキラと輝く水の頂点部では、まるで花が散るように無数の火花が次々に瞬いては消え、さらに展開された魔力防壁に何かが当たったのか、様々な色を伴う爆発を引き起こしていた。

 瞬いては消える火花や、絶えること無く続く爆発によって産み出された色取り取りの大華が咲くような神秘的な光景に、娯楽に飢えていた観衆達は大歓声をあげる事となる。

 その歓声が詳細な被害が判明すると共に、倍以上の悲鳴へと変わることになるとも知らず。

 噴き出していた水は地下水道から逆流してきた物で有り、有害なレベルで高魔力を含んだもの。

 さらに噴水のように噴き上げた水は全体の一部であり、大半は大華燭台根元から出水し、大量の水は鉄砲水となって燭華に流れ込でいた。

それだけで無く破壊された大華燭台の残骸や、水の中に混じっていた金属片や瓦礫は、水の勢いに乗って、空中に様々な属性魔力を含んだ無数の破片となって打ち上げられており、ソウセツが建物の少ない外周部、展開された防御結界を産み出す街壁近くに弾き飛ばしていなければ、燭華の街中へと、即席魔術が無差別に降り注ぎ、燭華全域が壊滅状態となっていた可能性さえあったのだ。

 夜が明けてから行われた被害調査では、鉄砲水によって燭華中心部の4割の建物や地下施設が浸水したり、崩れるなどして全半壊。

 水が流れ込まなかった残り地域にも、あまりの数にソウセツを持ってしても、外周部へと弾き飛ばしきれなかった、魔力を含む細かな瓦礫の破片が降り注ぎ、大小の差はあれ、大半の建物が修復や、残存魔力除去を必要とする被害を生み出していた。

 事件発生から三日後に出された初期被害調査報告書は、ロウガ評議会を大いに悩ませ、紛糾させる物であった。

 燭華完全復興には、莫大な金額と、年単位の時間が必要だろうという簡易見積もりと共に、今回の一連の事件は、花びらが産み出す化け物に始まり、防御結界が産み出した大華のような爆発で終わったとして、【燭華大華災事変】という名称でよばれ、出所の定かで無い風評が溢れており、事態沈静化のため、早急な公式発表が必要だという意見が記載されていた。





「ふぁぁっ……さすがに2日続けてはきついわね」


 コポコポと音をたてる火に掛けた製作途中の魔術薬を見ている内に、いつの間にやら眠気が強くなっていた大あくびをしたルディアは、しょぼしょぼしてきた目を揉みながら、昨夜から4錠目となる眠気覚まし薬を、口の中に放り込み飲み込む。

 どうにも舌に残る苦い薬草の味と、喉が飲み込むのを拒否するえぐみが問題点だが、効果だけは確かで、ここ2日ほど徹夜続きで、ぼーっとしていた頭がすぐにすっきりしてくる。

 巷の噂だけで無く、最近では公式でも燭華大華災事変と呼ばれるようになった、あの事件からは、既に半月ほどが過ぎた。

 報告というよりも取り調べと呼んだ方がしっくり来るほど、しつこく詳細や事実確認を何度も問いただしてきたロウガ支部の呼び出しも先週でようやく終了。

 晴れて自由の身になったルディアは、臨時休業の間に溜まっていた、本業の薬師としての仕事を再開していた。

 しかし本来の生活に戻れたのは今の所、ルディアのみだ。

 大衆人気のあるロウガ王女であるサナは、パーティメンバー全員と共に、燭華での瓦礫除去や残存魔力除去作業に参加し、今回の燭華大華災を防げなかったロウガ支部のイメージ回復に一役買っている。

ウォーギンと、ファンドーレは、実際に現場最前線にいた魔導技師と迷宮学者としてそれぞれの技能や知識を買われたことも有り、今もロウガ支部が行っている、金の迷宮跡地での現地調査に協力中で地下生活中。

 ウィーは、今回はさすがに目だちすぎたので、故郷の面々にばれると面倒だからしばらく雲隠れすると、関係者以外立入禁止の燭華に密かに潜り込んで隠遁中。

 そして何時ものごとく一番の問題はケイスだ。ケイスは今もロウガ支部で拘束され、処分待ちのまま据え置かれている。

 今回の事件の発端が、ケイスが龍の血肉を地下水道に落としたのが切っ掛けだと報告するのは、ケイスが隠そうとしているだろう出自を含めて、事態を余計に複雑化させる可能性があるとして、ケイスを除いた全員が同意し、公表を主張しごねるケイスを何とか説得し、全員で口裏を合わせ隠匿している。

 それでもケイスだけが今も拘束されているのはとある事情からだ。

 原因となった魔法陣は、東方王国時代の遺物を、大英雄の1人火華刀が改良を施し、さらに東方王国派が利用していたという曰く付きにもほどがある代物。

 さらには迷宮内から、火鱗刀と紅十尺という大英雄2人に縁の剣を持ち帰るという、おまけと呼ぶには大ニュース過ぎるおまけ付き。

 まともに公表できない秘匿すべき情報が山盛りの上、もしその魔法陣を処理していなければ、被害は燭華だけでは無く、ロウガ全域に渡り、より大きなそれこそ都市壊滅さえ十分に考えられたという非常事態。

 本来ならば諸々を含めて功績として評価されるべきなのだろうが、そうするにはあまりに燭華の被害が大きすぎた。

 住民全員が避難し人的被害は皆無とはいえ、燭華はほぼ壊滅状態で、復興に莫大な資金と時間が必要となれば、詳細は公表できずとも、事態の解決に当たっていたロウガ支部関係者の中から、誰かが目に見える形で何かしらの責任を取らなければならない。

 そんなジレンマに陥りロウガ評議会が責任転嫁で紛糾する中、燭華に魔力水を導くように私が提案したのだから責を負うなら私だと、馬鹿正直にケイスが宣言してしまったのが、よろしくなかった。

 実体はともかく公式には一介の初級探索者でしか無いケイスに、普通ならば押しつけられる責任では無いのだが、大小様々な問題を起こして、巷に聞こえ始めていたケイスの悪名がその懸念に勝った。

 あのケイスならば、頭のいかれた小娘ならば、狂人が何かをしでかした所為で、今回の大華災が発生したとしてもおかしくないと、街の者でも思う者が多いだろうと。 
 
 
「あの馬鹿……なんでも正直に全部言えば良いってもんじゃ無いでしょうが」


 薬の飲み過ぎか、それともケイスが原因か。どちらが原因ともつかない胃の痛みをルディアは覚える。

 正直なのは美徳であるだろうが、今回は事が事だ。ケイスと違い真の意味で一般人であるルディアでは、出来る事など皆無。

 しかもケイスは、ロウガ支部や評議会にとっては、好ましくない表沙汰に出来ない問題を次々に起こしている要注意人物。

 この機会に排除しようと思う者がいてもおかしくは無い。

 サナが復興支援にでているのも、ケイスへの処分を少しでも軽い物とするためだ。

 ケイスの後見人である大英雄フォールセンがいれば、事態はもっとマシになっているだろうが、フォールセンは今は極秘にロウガを離れ、サナの祖母である前ロウガ女王と供に中央の管理協会本部へと赴いている。

 支部職員であるガンズやレイネも動いてはくれているが、政治力という意味ではかなり弱い。

 さすがに死罪という事は無いだろうが、どういう処分が下るか。予断を許さない状況は続いており、ルディアに出来るのは軽い処分で済むことを祈るのみだ。

 ケイスの心配で気もそぞろになっていたルディアは、焦げ臭い匂いが漂っていたことに気づくのが少し遅れる。

 甘さを伴う焦げ臭さに慌ててみれば、薬を煮詰めていたビーカーの火が強すぎたのか、少しだけだが底が焦げていた。

 僅かな焦げだが、こうなってしまうと薬としては使えない。この二日間の徹夜は全てご破算。もう一度最初からだ。


「あーもう。今日はもう飲んで寝る!」


 幸い納期まではまだ日があるので間に合う。

 これ以上徹夜を続けるのは、集中力も続かず無理なので、とっておきのワインでも開けて、がぶ飲みして死んだように眠ってやろうかと、その燃えるような赤毛が栄える頭をテーブルに突っ伏していると、ドアベルが鳴る音と共に勢いよく扉が開かれ、誰かが飛び込んでくる。

 顔を上げてみれば店に飛び込んで来たのはサナだった。

 どうやら作業の途中で抜け出してきたのか、服や翼には泥がついたままだ。


「ケイスさんの処分が決まりました! 重大な過失を起こした責任として禁錮二ヶ月だそうです!」
  

 大きく乱れた息で告げたサナの顔は酷くこわばっている。

 サナの告げた禁錮二ヶ月は、ルディア達が予測していた中では軽い処分に当たる物だ。

 それに二ヶ月後には次の始まりの宮が開く。

 その頃までケイスを拘束できれば、ケイスが初級探索者でありながら、赤の迷宮を完全踏破し続けて、既に下級探索者になってしまったことを、世間一般には隠匿できる。  

 普通ならば、次の期を待たず下級探索者となった事も、世界初の快挙として功績として語られる類いの物だが、どうしてもそこには赤の迷宮を次々に踏破した化け物レッドキュクロープスと、他国の貴族殺しが付きまとう。

 来期の探索者志望者への悪影響も考えて、これらの事実を隠したいと考えるロウガ支部の思惑も見てとれる処分だ。

 しかしサナの表情は、どうみてもそれだけではすまないと如実に語っていた。

 視線で続きを促したルディアに対して、息を整えたサナは恐れを大いに含んだ口調で告げる。


「拘禁場所は、ロウガ沖合の海底鉱山監獄だそうです」


「はぁっ!? ちょ、ちょっと待ってください!? なにを考えてるんですかロウガ評議会は!? 島送りする気ですかケイスを!?」


 サナの告げたケイスが2ヶ月間の間拘束される場所を聞かされ、その恐れの意味を悟ったルディアの眠気が一気に吹き飛ぶ。

 通称で【島送り】と呼ばれるロウガ沖合、数時間ほどにある島に作られた海底鉱山監獄は、ロウガのみならず近隣諸国が合同管理する流刑地兼処刑場を兼ね備えた犯罪者収容施設。

 数十年単位の刑期を言い渡された常習犯罪者や、闇ギルドなど犯罪組織に属する者、政治犯や殺人犯など、重犯罪者が収容されている。

 どう間違ってもたった二ヶ月の禁固刑のケイスが送られる場所ではない。

 だがルディアとサナの恐れはそこでは無い。


「ケイスさんの問題行動の多さと、人並み外れた才能を鑑みて、劣悪な監獄を一時的に体験させる事で、この機会に大いに反省させ修正を試みようという主旨らしいです」


 自分で言っていて頭痛を覚えたのか、サナが額を抑え首を何度も振る。

 確かに不良少年、少女の更生目的で、監獄の実情を見せたり、収容体験をさせる事もあるが、ケイスをそれらと同レベルで語るのは、大いなる勘違いにもほどがある。


「いやいや。だって噂じゃそこ極悪犯の巣窟ですよね……そんな所にケイスを突っ込んだらあの馬鹿、収容犯が気にくわないからって、その日のうちに全員を叩き殺しますよ。すぐに支部に行きましょう。かなりまずいですよ!」


 眉をしかめたケイスが斬り殺しまくる姿が容易に思い浮かぶというのに、ロウガ支部は、評議会は何故に思いつかないと焦ったルディアが、なんとしても食い止めようと立ち上がるが、サナが絶望的な表情で首を横に振る。


「既に今朝早くケイスさんを乗せた特別護送船が、ロウガ港から出航したそうです。手遅れです」


「……本気でなにを考えてるんですかそれ提案した議員は。自分から蜂の巣に頭を突っ込んだようなもんですよ。頭おかしくないですか」


 ケイス+極悪犯多数。これで騒ぎにならないわけが、大被害が出ないわけが無い。そんなのちょっとでもケイスに関して知っていれば誰でもわかる話だ。

 ケイスを、あの化け物を、一体何だと思っているのだと、ルディアは正気を疑いたくなる。 


「正直、まだ自分から蜂の巣に頭を突っ込んだ方のほうが、私は正気を保っていると思います」


 ルディアとサナの顔からは血の気が失せ青白く染まっていた。



[22387] 監獄少女と水狼隊長
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/18 19:24
 悪夢の島。

 ロウガ沖合に忽然とぽつんと姿を見せる孤島は、そう呼ばれている。

 ロウガの中規模街区ほどの大きさの島だが、かつてそこには島などは無く、周りと同じように大海原が広がっていただけだった。

 だがある日忽然と一夜にして、海を突き破る隆起とともに、溶岩を大量に噴き出しながら島は出現した。それは自然の手による物では無い。

 火山島を産み出したのは、この世の最強種である龍の中の一つ。火龍。

 龍は、その身に宿す暴虐にして傲岸な魔力を持ってして、万物を己の好む物へと変えてしまう。

 動物も、植物も、大気も、大地さえも。

 島が出現したのは、当時東域で隆盛を誇った東方王国最大の貿易都市狼牙が火龍に焼かれ、暗黒時代が始まったまさにその日。

 空を埋め尽くす火龍の群による無慈悲な大虐殺の中、かろうじて出港して逃れた僅かな船も、火山島の隆起と共に、その火口から躍り出た火龍の別働隊によって、湾を出てすぐの所で1隻残らず焼き払われ沈没する。

 護衛のため船に同乗し、周辺海域に使い魔を飛ばして警戒していた狼牙兵団の侍の1人が、致命傷を負いつつも最後の力を振り絞って、次の脱出船の準備をしていた港へと連絡していなければ、それこそ狼牙に住まう者は全滅の憂き目に合っていた。

 紅蓮の炎に沈んだ狼牙で、生き残れたのは地下水路の奥深くまで落ち延びられた僅かな者達のみ。

 だが惨劇はそれだけでは終わらない。

 その後数百年の長きに渡り、火龍王の玉座たる狼牙北方山脈の地底奥深くに眠る地底火山を守る出城として、14を数える大海戦の舞台となり、一万を超える戦船と、百万を越える勇者達を海の藻屑へと変えて尚も、難攻不落の海上要塞として君臨しつづけた。

 正視できない凄惨な戦いと心が折られる甚大な被害。

 だがそれでも不屈の闘志で挑む人類連合軍は、暗黒期の終焉であるロウガ解放戦緒戦において、南方の雄ルクセライゼンやドワーフ国家エーグフォランを中心とする連合艦隊による15回目の島攻略海戦の戦端は開かれ、数多の犠牲の果てについに島へと初上陸を果たした。

 島中央に開いた地獄への入り口。金の上位迷宮火口迷宮の迷宮主でもあった火龍王側近赤龍ナーラグワイズを、当時のルクセライゼン皇帝や、エーグフォラン国王にして最強の傭兵団金獅子団長が、命と引き替えに討伐を果たして、迷宮化を解除。

 陸地側から進軍していた大英雄パーティを中心とした特攻隊を援護するための魔導砲艦隊を無事に送り込む下地を築きあげたが、その被害は過去の海戦と比べてもあまりに甚大であったという。

 いつしか人々はここを悪夢の島と呼ぶようになっていた。











 天気は快晴。初夏の日差しは眩しく、少し荒れだしているがまだ大人しい海面はキラキラと光る。

 そんなさわやかな海には似つかわしくない、古びた、しかし頑丈で無骨な中型転血炉動力貨物船が海上を進む。

 窓1つ無く、防錆塗料のはげ具合で修繕跡が丸わかりな船体。

 甲板には操舵室と、荷の積み降ろし用に船倉に繋がる大きな扉がいくつかあるだけの簡素な作りだ。

 船倉の1つは囚人護送用に改造されており、その中の檻の1つに、手枷足枷をはめ、得体の知れない汚れが残る床に直接座るケイスの姿があった。

 手枷は闘気の発生を感知すると、強い電撃を流す魔具としての機能も持つ対探索者仕様となった特注品。

 足枷の方も同様の仕掛けがしてあり、こちらは床に埋め込まれた大人の腕ほどもある留め具と鎖で繋がっている。

 まだ幼いしかも一見美少女虜囚を捕らえておくには、大げさにもほどがあるが、ケイスの実体を知る者からすれば些か心許ない。


「なんか楽しそうだなケイス嬢ちゃん」


 ロウガ治安警部部隊が1つ水狼隊長ロッソ・ソールディアは、その気になれば闘気が無くても素の力で鎖を引きちぎるか、刃物を持たせれば手枷くらい簡単に斬るんだろうかと思いながら、ニコニコと笑みを浮かべているケイスに問いかける。

 船に乗った当初は、空っぽな船倉だというのに染みついた嫌な匂いに顔をしかめ、やけに鼻をならして気にしていたが、そのうち何か納得がいったのか、大人しく座っていた。

 今は大人しく虜囚となっているケイスがなにかやらかした際に、油断せずに全力で確実に捕縛できる戦力として、現役中級探索者でもあるロッソが護送役として選ばれたのだが、本人としてはあの時チョキを出していればと悔やんでも悔やみきれない。

 せめてもう一人くらい犠牲者が欲しい所だったが、大華災事変のせいで燭華が閉鎖したことで、無許可の遊郭があちこちの街区で営業。怪しげな夜鷹も増え、それにまつわるトラブルが急増中。

 猫の手も借りたい今のロウガで、ただでさえ人手不足の治安警備隊からこれ以上は割ける人材がいないのは、ロッソもよく判っている。

 護送後は監獄長や看守達には、ケイスの取り扱い方をくどいぐらいにレクチャーしてから夕方の船でとんぼ返り予定だ。


「うむ。だってあの島は一般人立入禁止なのであろう。古戦場として有名な場所だから一度行ってみたかったんだ。こんな僥倖を喜ばぬ者などおるまい」


 そんな大人達の苦労や懸念は一切気にせず、高貴なお嬢様顔の化け物は、憧れの避暑地に行けると喜んでいるように口調が弾んでいる。


「この辺りじゃ、最悪だって評判の監獄に収監されるってのに、暢気だな。噂ぐらい聞いたことがあるだろ」


 この化け物娘と付き合っていると、あきれ顔がデフォルトになってそのうち張り付くじゃないかという懸念をロッソはしていた。
   
 悪夢の島と呼ばれ怖れられた島が、海底鉱山監獄として使われ始めたのは今から約四十年ほど前。

 迷宮主だった龍は討伐され迷宮化も解除されたが、島全体に残る龍の気配が悪影響を産み出したのか、近隣の海には小魚1ついない死の海が広がり漁師は近寄らず。

 また島近隣の海流も常に荒れているため、貿易船の航行ルートからも大きく外れていた。

 何より死者が多すぎた。幽霊船が島の近くには彷徨っているという噂も拍車を掛け、戦後になっても誰も近づかない魔の島が出来上がっていた。

 しかしこれを逆手に取った者達がいる。当時の闇密輸ギルド連合の面々だ。

 他はともかく幽霊船が出るという噂も彼らが撒いた物で、実際に不用意に近づく船は幽霊船を装った彼らの船によって沈められていた。

 いくつもの国の闇密輸ギルドが纏まった彼らにとって、誰も近づかない島は禁制品の取引場所として安全で、島に無数にある溶岩窟はその恰好の隠し場所となっていたからだ。

 しかもその後、探検気分で深く潜った者がいたのか、ただ迷い込んだのかは知れぬが、いまだ地中深くには燃えたぎる溶岩がみち、有害な火山性ガスが溜まっている火口洞窟奥で、良質の宝石、鉱石が採れる鉱脈をいくつも発見したという。

 これ幸いとばかりに、闇密輸ギルド連合は、自分達の商品の1つでもあった闇奴隷達を投入し、鉱山を開発。

 コソコソ密輸をやるならばともかく鉱山開発などとなれば、さすがにばれそうな物だが、ロウガを初めとした近隣国家の高官や役人たちに、高価な鼻薬を効かせて、見逃させていた。

 だがその裏では、劣悪な鉱山内環境によって多くの闇奴隷達が倒れ、崩落事故で亡くなっていた。それに耐えかねて島から逃げようとする奴隷も当然いたが、島近海の海流によって失敗に終わり、海にたどり着く前に捕まった者は、他の奴隷達への見せしめとして凄惨な処刑が行われた。

 そんな彼らの悪行もついに海流を突破し、ロウガへと何とか泳ぎ着いた、名も無き奴隷によって終わりを迎える。

 まともな食事も禄に与えられずやせ衰えた状態でロウガへと渡った奴隷は今際の際に助けてくれた探索者パーティへ、島の現状と、仲間達を助けて欲しいと懇願し力尽きた。

 命を掛け海を渡った奴隷を偶然にも助けたパーティは、当時中級探索者だった現ルクセライゼン皇帝フィリオネスや、ロウガ警備隊隊長ソウセツ達のパーティ。

 愛した者からの願い。民と共に歩む王の道を受け継いだフィリオネスや、自らの行いを恥じ生活を改め、ロウガの守護者となると誓っていたソウセツには、そのような悪行を見過ごす事など出来るわけが無い。 

 フィリオネス達は、友好パーティに声をかけ数を集めると、すぐに島へと向かいたった一昼夜で、密輸ギルド側の探索者達を打ち倒してみせる。

 さらに返す刀で密輸ギルドの大半を壊滅させ、島で行われていた違法鉱山開発による犠牲者数と賄賂を受け取っていた高官達のリストを公開して、どれだけの地位にあろうとも関係諸国が処罰に動くしかない状況を作りあげたという。

 その後、この事件によって発生した大量の逮捕者を収容するため、悪行は自らに返って来るという戒めのため、島の奴隷を収容する為の粗末な建物が補強され、監獄として用いられ、労役として危険極まりない鉱山開発が受刑者達には課せられることになった。

 酒場で謳われる英雄譚の中でも好まれる定番の1つとなっている有名な話だ。

 島の鉱山はこの四十年で掘り進められ海底よりも深い大深度にまで達しているが、未だ鉱脈は尽きず良質な鉱石や宝石を日々産み出している……数多の囚人の犠牲と引き替えに。


「うちの大将。ソウセツさんらの英雄譚じゃ綺麗に終わってはいるが、元々は無かった上に、どこの国も価値が無いからって所有権を主張してなかった島だからな。何とか落とし所として各国の共同管理ってことにして、鉱山の上がりは受刑者数に合わせて等分ってことにしたけど、管理がぐちゃぐちゃで、今は面倒な事になっているって話だ。看守も国ごとからの派遣で派閥があって、上がりに関わるからって、自分の国以外の受刑者をいじめ殺したって噂も絶えない場所だからな……んな、楽しめる所じゃないだろ」


 国が違うためどうしても複雑な人事関係になり横暴な看守。死を伴う鉱山開発。

 受刑者達が最悪の監獄として怖れ、ロウガの若い親たちが悪さをする子供に島送りにすると脅す定番にもなっているほど。

 
「中級探索者が何を言っているのだ。ちゃんとご飯も出て、寝る所もあるのだろ。ならば迷宮よりはずっとマシでは無いか。私的には斬り殺せるモンスターがいないのが不満だがな……ふむ。代わりに斬りたくなったら死刑囚を斬れば良いか。どうせそのうちに死罪であろう」


 だが頭のおかしい謎生物なケイスは、地獄の監獄でも、迷宮内よりは環境はマシだと言ってのけ、自分が斬りたくなった時の代案として、手枷をはめているのに器用にぽんと手を打って名案だと頷いてみせる。

 そのテンションの高さは、これから向かう先の説明を聞いても些か衰えることはない。

 なにせロウガ評議会で島送りを言い渡された際、歓声をあげたくらいだ。そんな受刑者は今まで誰1人いなかった。

 ここでも地味に史上初な快挙?を成し遂げたケイスの出自を知らないロッソには判らないが、ケイスの気分が高揚するのは仕方ないだろう。

 攻略戦で亡くなったルクセライゼン皇帝はケイスにとって直系の先祖。その墓参りをする絶好の機会。

 なにより四十年前の奴隷解放のお話はケイスが好む類いの英雄譚で、しかもその登場人物は大好きな父や祖父母、今は嫌っているが、それでも変わらない敬意も同時に持つソウセツに、いつか会って戦ってみたいと願っているロウガ前王女ユイナだ。

 
「ん。波が荒れてきたな! 早く島に着けば良いな!」


 島に近づいた証拠にいきなり大嵐の中にでも飛び込んだかのように、上下左右に激しく揺れだした護送船も、ケイスにとってはお楽しみ前の前座の出し物扱い。 


「……絶対斬るなよ。刑期が延びるぞ」


 受刑者としての自覚が無いにもほどがあるケイスに、唖然とし、ようやく口から出て来た当然すぎるロッソの突っ込みも、今のケイスの耳には禄に届いていなかった。



[22387] 監獄少女と怒る理由
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/22 18:21
 歪んだ楕円形を描く火山島は、島中央にボールをひっくり返した形の標高の低い火山が姿を見せ、元迷宮への入り口であった火口からは、今も細いながらも毒性の強い噴煙が上がっていた。

 島の東側には虫食いのような凹みがあり、そこが悪夢の島唯一の港として防波堤などが整備されており、ケイスを乗せた中型護送貨物船は、転血炉の出力を落として船足を緩め、岸壁へとゆっくりと接岸している。

 島内に無数にある溶岩窟を利用してそれぞれの棟は個別に建てられており、区域は高く分厚い壁と門で区切られ、厳重に警戒されていることが船上からでも容易に判る作りとなっている。

 今回は通常の定期便では無く、ケイス一人だけを護送する為に空荷で出された臨時便。 

 通常であれば入港時は、島への食料や生活物資の搬入、そして海底鉱山で採掘された鉱石や宝石原石が搬出のために、囚人達が駆り出されるのだが、今日は港に囚人達の姿は無く、5人の完全武装の看守達が並んでいる。

 人間族が3人に、身長も横幅もロッソの倍ほどある獅子族獣人が1人。そして耳の長いエルフ族が1人。種族事の違いはあるが全員が若く見える男性だ。

 ケイスを搬送するために港に来た看守達の指には、これ見よがしに探索者の証である指輪が輝く。指輪は複数の色に染まり、小さいながらも台座が見えるので、全員が中級探索者であることが判る。

 装備の方も柄頭に小振りな宝石を使った、些か装飾過多な物だが、鞘拵えは丁寧な高級良品。


「こりゃやべぇな」


 書類上は初級探索者であるケイスの搬送に、上級看守となる中級探索者を5人も繰り出してきたことにロッソはどうにも嫌な予感を覚える。

 前代未聞の問題を次々に引き起こしてきたケイスとはいえ、ロウガ評議会が下した今回の禁錮二ヶ月の島送りに、ロッソはどうにもきな臭さを感じていた。

 極めて優れた能力を持つが問題児であるケイスを更生させるために、最悪の監獄を体験させ、深い反省をさせ、修正を期待する。

 そんなお題目が掲げられているが、それを額面通りに受け取っているのは、治安警備隊には1人もいない。

 だから人手不足のなか、それでも何とか1人の空きをつくり、島までの護送役という見聞役をだしたのだ。

 海底鉱山監獄は収容定員一杯である二千人の囚人と、交代要員や上級職を合わせた看守千人に、炊事係や修理員など一般職員百人超。合わせて三千人を越えるその全てが”男性”だけの島だ。

 大陸本土であるロウガに家族や持ち家を持つ上級看守や一般職員を除き、基本的には下級看守は、監獄を共同運営する各国から独身の若手探索者が配備され、不正防止のために数年単位で順次交代されているとの話だ。

 いくら中身が化け物とはいえ、見た目だけならばケイスは幼くとも美少女。それも極上とつけても誰からも文句が出ないほど。男だけの監獄にたった1人だけとなる女を収監する。

 普通ならこんな決定が通るわけがない。

 それにロウガ支部としては、始まりの宮から半年も経たずに下級探索者となってしまったケイスの存在を秘匿したかったはずだ。

 しかしこの監獄は周辺各国が共同運営しているだけあって、他国の目につき易い。どう考えても、ケイスを収監するには適していない場所なのだ。

 故に裏の意図を感じてしまうのは致し方ない。

 ロッソ個人としては無謀の極みだと思うが、監獄内での事故や事件に見せかけ、ケイスを抹殺しようと考えている者がいたとしてもおかしくない。

 なにせケイスに殺したいほどの怨みを抱く者や組織は、ロッソが知る限り、ロウガだけでも両手両足の指を足しても足りないほど。

 探索者となる前、大怪我の後遺症で力を失っていた頃でさえ、違法金貸しや盗賊闇ギルドと揉めて大騒ぎになって、ロッソ達治安警備隊が介入して結果的に相手方が壊滅した事例も珍しくない。

 フォールセン主催の武闘会では、チーム戦となる予選段階で、いくら死なないように魔術ほどがされているとはいえ、単騎で他の参加者を全て壊滅させ、参加者に二度と消えないトラウマを多数植え付け、関係者のプライドを物の見事に踏みにじり、決勝が成り経たず払い戻しとなった闇賭博組織に大損をさせ、激怒させている。

 今回の大華災事変でも、被害を受け廃業した遊郭店主達も含めれば、さらにその数は倍増していてもおかしくない。

 ロウガにたどり着く前にも色々問題を起こしているであろうには想像に難くなく、どれだけの恨みを買っているか本人さえも知らないのではないだろうか。
 

「あの山を一気に駆け上がり火口へと突入したのであったな。身を隠す場所など無さそうだが、頭上から落とされる龍のブレスをかいくぐったと聞くがどうしたのだろう」


 もっとも当の本人は、港に着く前に島の外観を見たいとあまりに五月蠅く言うので、根負けしたロッソが多少規約違反ながら甲板に連れ出してからは、楽しげに声をあげており、一切警戒している様子が無い。

 この上機嫌がいつ大暴れになるかとロッソが不安に思っていると、迎えに来ていた看守達を一瞬だけチラ見したケイスが、ロッソに向き直り見上げてくる。


「ロッソは何故治安警備隊にいるのだ。ロウガ出身ではないのだろう。中級探索者を続けるよりお給金が高いのか?」


 そして何を聞くかと思えば、全く関係ないことを口にした。

 答えないという選択肢もあるが、その場合は無駄にケイスを不機嫌にさせかねないので、特に隠すことでも無いので素直に答えることにする。


「師匠筋のナイカさんの命令だ。昔馴染みが、腕が立つ何より信頼できる中級探索者を大勢雇うから、ロウガに来いってな。食堂の飯は美味いし、装備整備代は持ってくれて、毎月定額の収入もいいが、当たり外れが有っても現役時代の方が金回りは良かったに決まってるだろ」


 中級迷宮に潜って稼いで、金が無くなる前でのんびりに過ごして、尽きたらまた迷宮へな、その日暮らしは、ロッソの性格には合っていたのだが、今も頭の上がらないナイカの命令となれば無視するわけにもいかない。

 幸い他にナイカが声をかけたメンバー達も腕は立つし、気の良い奴ばかりなので、人間関係に苦労しなくていいが、ケイスがロウガに出没してからは仕事が激増する一方なので、特別手当が欲しいところだ。


「ふむ……ロッソはいつか斬りたいが、もどき共はどうでもいい。だがそれにしては装備が良すぎるな」


 今までのはしゃいでいた声を一変させ、ケイスが小声でつぶやく。

 いつか斬るという呟きは、物騒を通り越して、純粋な敵対宣言だが、頭のおかしいケイスにとって、現時点でロッソを自分より上と認める褒め言葉だと判る程度には、嫌でも付き合いが長くなっている。

 世間一般で言われているように、ケイスがただの馬鹿で無いことも判っている。ケイスが気づいた違和感の正体にも。

 船が完全停止し岸壁からタラップが伸ばされ、看守達がぞろぞろと昇ってくる。


「ケイス嬢ちゃん。気をつけろよ」


 私的な会話が出来るのはここまでだろうと、ロッソは短いが警戒しろとアドバイスを送る。 

「心配するな。私の命を狙おうとする輩がいたとしても、ロッソならともかくあんなもどき共が私の敵であるわけなかろう」


 それに対してケイスは、一瞬だけ獰猛な笑顔を見せ、いつも通りの強気一辺倒の答えを返す。

 この答えが告げる。

 今回の異例の決定も、不穏な状況も、身に迫る危険も、全てを正確に理解し判った上で、先ほどまでは気にもせず、ただ純粋に観光気分で楽しんでいたと。

 つまりはケイスはただの馬鹿では無く、他に類をみない大馬鹿なのだと。


「困りますね。我々に引き渡されるまで囚人は船倉から出さないというルールですが、ご存じありませんでしたか」


 五人の看守達のうちリーダ格らしきエルフが、ロッソのルール破りに苦い顔を向けて、勝手をするなと告げるなか、後ろに立つ男達の視線がケイスやロッソの右手、探索者の証である指輪をはめた手に一瞬だけ向けられる。

 ケイスは模造品である初級探索者の透明指輪。

 そしてロッソの指輪がグローブの中に隠れているのに気づき、看守達は、特に獅子獣人看守が見下すような侮蔑的な顔を浮かべた。

 探索者にとって、多種多様な色に染まった指輪や玉石の台座は、その実力を示すための何よりの証。

 指輪を隠すということは、自分の実力に自信がないか、他人に誇れるほど踏破していないからというのが、世間での捉え方で常識。

 その常識に従い彼らもそう思ったのだろう……中級探索者だというのに。

 この反応で遅ればせながらケイスが、看守達をもどきと呼んだ意味をロッソは悟る。

 彼らは、ロッソが指輪を隠す意味に気づいていない。

 だからといって、それを指摘して波立たせる気は無い。ここでの振る舞いの腹いせがロッソでは無くケイスに向く恐れがあるからだ。

 もっともロッソが心配するのは腹いせが向かうケイスの身では無く、その後のケイスの暴走大暴れの方だ。 


「申し訳ありません。あの大波で彼女が気分が悪いと言いだし、吐きそうでしたので、私の独断で甲板へと連れ出しました」


 いくら野生モンスター並みに、他者の気配や強さに鋭いケイス相手とはいえ、現役中級探索者の自分が気づくのが遅れた事をさすがにちょっと恥じたロッソは、その情けない心情を少しだけ偽りの言動に乗せて、頭を下げる。

 ケイスはむしろあの大波を楽しんでいたくらいだが、それらしい理由で茶を濁そうとしたが、  

「はっ。あの程度の波で根を上げる塵が、ここで二ヶ月も持つと思っているのかロウガの幹部やあんたは。そんな軟弱精神で、収監してから自殺でもされると、片付けが面倒だ。今ならそこから飛び込んでも見逃してやるぞ。この屑むすがっ!?」

 
 看守と囚人。絶対上下関係を早速叩き込むためか、演技過剰で牙をむき出しにして顔を近づけ威嚇してきた獅子獣人看守に対して、ケイスはノーモーションで両足を揃えた宙返り蹴りを放った。

 さすがに予想外にもほどがある行動はロッソも読めず、止められるわけが無い。

 蹴り上げられて空中に見事な放物線を描いた獅子看守は、そのまま自分が指さしていた甲板の縁から海に落ち、大きな水柱をあげる。

 いきなりの凶行に唖然とする四人の看守を、ケイスは睨み付ける。


「やはり全員もどきか。ロッソが指輪を隠すのは当然だ。中級となればモンスター共の知能も上がり、その色で得意や不得意とする迷宮色がモンスター達に露呈する。自分から弱点を晒す愚か者がどこにいる。だから熟練中級探索者ならば隠すのが当然だ。なのにお前達はこれ見よがしに見せびらかす。どうせ下級から上がったは良いが、すぐに下級と中級の難度差に挫折して、1つも踏破せず……いや、出来ず、現役を退いた者達であろう。そんな中級もどきが私が実力に敬意をはらうロッソを馬鹿にするなど、気分が悪い」 


 わざわざ出来ないと言い直したケイスは、先ほど看守達が浮かべた侮蔑をさらに強めた嫌悪感と、背筋を寒くなる怒気をむき出しにして四人に告げる。

 看守達が思わず萎縮するほどに強い怒りは、どうやら自身に対する屑呼びよりも、ロッソへ向けられた侮蔑が原点のようだが、まだ島上陸さえしていないのに、いきなり看守の一人を海に蹴り上げ落とし、本心からの言葉であろうが歯に衣着せぬ発言など、ケイス節が全開過ぎる。


「っこの屑娘が! その首ひねり潰してやる!」


 怒声と共に先ほど海に落ちた獅子獣人看守が、海を突き破り甲板に戻ってくる。あまりの怒りで、ぽたぽたと水が落としながらも全身の毛が逆立っていた。

 どうやらケイスの蹴りのダメージがほぼ無かったようだが、この体格差で、しかも闘気を使えない小娘相手に簡単に蹴り落とされたことが、誇りをいたく傷つけられたようだ。

 相手の体重移動の力や隙をも利用し、最小限の力で大きく蹴り飛ばしたケイスの卓越した技量にも気づかないというのに。

 この場でケイスを処刑しようという勢い。そして彼ら上級看守には反抗的な囚人や危害を加えた囚人を、自己判断で鎮圧する資格が与えられており、その際死傷しても責任に問われることは無いと明確に明記されている。

 これ以上は無いほどに明確な生殺与奪権が与えられているのだ。

 いくらケイスとはいえ、闘気を出せない状況で、ケイスがもどきと呼ぶとはいえ、一応中級探索者までたどり着いた五人相手は無謀が過ぎる。


「私の首をへし折るだと。私はお前の首を折らないように手加減してやったのだが、それも判らぬのか?」


 しかしケイスは、本人的に挑発の意図が無い生来の万物見下し癖を発揮し、徒手空拳で力が制限されたこの状況でも、勝つつもりなのか、手枷をはめた拳を握ってみせた。

 だがこれがケイスだ。自分が気にくわなければ、その場でぶっ飛ばす。後の事は、その時になってから考える。

 見た目は可憐な美少女であっても、本質は頭のおかしい美少女風化け物だ。


「そこまでだ」


 一瞬即発となったケイスと看守達の間に、割って入ったロッソは右手グローブを外し、その指輪をつけた右手と左手を広げ仲裁に入る。

 ロッソがつけた指輪は、近接迷宮の赤色と、毒物迷宮の紫が見事に混じる色鮮やかなグラデーションで染まり、大きくなった2つの台座には、いつ宝玉が、上級探索者の証が生まれても、おかしくないまでに成長している立派な物。


「まず制止が遅れた事を謝罪する。名乗り遅れたが、ロウガ支部治安警備隊水狼隊隊長【紫炎棍】ロッソ・ソールディアだ。ご覧の通り、この囚人は極めて凶暴かつ、一般道理が通じない。取り扱いは諸注意を必要とする。監獄長への取り次ぎを急ぎ頼む。我々の望みはこの囚人を無事2ヶ月間の刑期に服させる。それだけだ」


 自分でも似合わないにもほどがあると思いながら、威圧感を込めた声でロッソは告げる。  
 自然発生したり、功績を評価されて、国や協会から与えられる等の違いはあるが、二つ名を持つ探索者は、誰もが優秀かつ特筆した力を持つ探索者達。

 その中でも二つ名の中に、指輪の色と同系色を持つ者は、その迷宮の専門家、プロフェッショナルと認識される。

 卓越した近接戦闘と、上級探索者であるエルフ仕込みの自然毒の使い手【紫炎棍】は、東域のみではなく、中央でもちらほらその逸話が聞かれる若手の有望株。その紫炎棍が、ロウガ治安警備隊に入隊したと、当時はロウガで話題になったほどだ。

 同じ中級と名乗っていても、その実力は天と地ほどに隔絶すると、さすがに看守達も気づき、そして事と次第によっては、ケイスを守るために敵対すると、言外で宣言したのだ。

 怒り心頭だった獅子獣人看守も、ロッソが魅せた威圧感にさすがに怯んだのか、ケイスを睨み舌打ちしながらも引き下がる。

  
「……今後この様なことがあった場合、その約束は致しかねますがよろしいですね」
 
 
 エルフ看守が平静を装いながら警告を告げるが、その耳が怒りからか少し赤く染まっている。ケイスのもどき呼びから染まっていたので、図星を突かれて怒り心頭状態であろうことは容易に想像がつく。


「ふむ。やはりロッソは斬りたいな。今もどき共をやったら、お前とやれるか?」


 しかし大馬鹿はやはり大馬鹿だ。ロッソが魅せる威圧感に一切怯まず、先ほどまでの不機嫌から一転、この上なく上機嫌となっている。

 斬りたいがケイスの褒め言葉なのは判っていても、落ち着かない。

 常識的に考えれば、ケイスが徒手空拳で闘気が使えない今の状態でなくとも、それこそ羽の剣や十刃や各種特殊ナイフなど押収されている各種武具が完全。

 闘気もフル活用が出来てもも、今の実力差ならば、苦も無く勝てるとは思うのだが、それでも何をするか判らないのがケイスだ。


「嬢ちゃんの相手は面倒だから即逃げる。頼むから少しは大人しくしとけ。ガンズさんとレイネさんに報告すんぞ」


「ま、まて卑怯だぞ! ガンズ先生はまだともかく、レイネ先生には絶対言うな! 大人しくしてるから!」


 グローブをはめ直したロッソは、ケイスが怒られることをもっとも怖れるレイソン夫妻という対ケイス用の切り札を使い、その闘争心を根本から消滅させることに成功した。 



[22387] 監獄少女と白い狼
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:58612b0f
Date: 2020/01/26 00:54
「所持品検査と拘束具の変更のため、囚人はあちらの一般棟へまず連行します。ソルーディア殿はこちらへ。中央管理棟で、まずは引き渡しのための書類手続きをお願いします。そのあとに獄長との面会となります」


 ロッソが所属と二つ名を名乗った後、緊張感と呼ぶよりも、薄いながらも敵愾心めいた物を声の端々に覗かせるエルフ看守が立ち止まると、建物をそれぞれ指し示す。

 中央管理棟は溶岩窟内では無く、港正面の島の狭い平野部、文字通り各棟を見張れる中央部に建つ。

 一方でケイスがこれから連れて行かれるという一般棟は、大きな溶岩窟内にすっぽりと収まっており、唯一の出口となった門の周りは、二重の高い壁に囲まれている。

 中の様子や構造は外観から把握出来ず、他の棟も大体似たような作りとなっているが、いくつかの棟が集まった一区画からは、港の船着き場に向かって軌条が伸ばされており、その辺りが島外から運び込まれた物資倉庫や、島内で採掘された鉱石の一時保管場所となっているようだ。
 
 ここまでは、ロッソが切った切り札が一応は効いているのか、手枷、足枷に取りつけられた鎖の先を、先ほど揉めた獅子獣人看守に握られ、小柄すぎるケイスには些か早い早足で引かれるという地味な嫌がらせをされてはいたが、今の所は切れずに大人しくついてきていた。

 物資倉庫周りには、馬ほどの大きさはある巨狼型モンスターが数匹ほど、寝そべって待機している。

 雪のように白い毛並みと巨体に見合った太い四肢と、小型ナイフのように鋭く太い牙と爪。

 美しい見た目とは裏腹に高い狩猟能力をもつ中級迷宮モンスター白銀狼。

 躾けるか使役魔術で縛り付ければ、買い主や召還主に対して忠実で扱いやすいと評判で、金持ちの間では使役獣として人気がある種だ。


「くれぐれも我々の側を離れないでください。あれらは看守や職員。そしてその近くにいる者は襲いませんが、看守から離れたり、単独で行動する職員外の者がいれば襲う様に躾けられています。中級迷宮産の怪物ですので、いくら貴方でも複数の戦闘は避けたいでしょう」


 脅かしの意味を込めてか、それともケイスに先ほどもどきと呼ばれたのが未だに腹立たしく、少しでも精神的優位を得たいのか、エルフ看守がロッソへと勝ち誇ったような成分を含んだ注意を促す。

 隠れる場所もそうそう見つけられないここに放し飼いにされた白銀狼が数匹がいるだけでも、囚人達から逃亡の意欲を大きく奪う効果が有るのは容易に想像出来る。

 中級探索者であるロッソとて、戦うならともかく、走って逃げ切れる自信はない俊足の狼たちに対して、 


「白銀狼か……美味しそうだな」

 
 ロウガ支部から人目を避けて日が昇る前に連れ出され、船に叩き込まれここまで飲まず食わずで来た美少女風化け物には、ご馳走に見えていたようで、小声でつぶやいている始末。

 空腹を覚えているときの、ケイスの危険度と厄介度は時間経過事に跳ね上がる。  

 どうにも嫌な予感が抜けず、ここでケイスと離されるのは色々な意味で不安なのだが、ロッソの元々の仕事は、ケイスをこの海底鉱山監獄へと連行して看守達へと引き渡す事。

 あとは獄長や看守達に、危険生物なケイスの取り扱い方を軽くレクチャーして終わり。

 いくつも気になる事があり、不穏な空気も感じてはいるが、ここが周辺数カ国による共同運営となれば、権限も正当な理由も無く、無理が出来ないのがお役所勤めの悲しい所だ。

 
「マジで二ヶ月、大人しくしとけよ」


「しつこいぞ。私が自分から罪を背負うと決めたのだから、素直に収監されるに決まってい……むぅ」


「こっちだとっと来い屑娘。首輪をつけられた後も、その強気の態度がいつまで続くか見物だな」


 話の途中で、鎖を強く引かれバランスを崩し倒れかけたケイスが鎖を握る獅子獣人看守を睨むが、ケイスを完全に見下している事が判る嫌な笑顔を浮かべ、鎖を強めに引いて引き摺っていく。

 不意をつかれなければ、手足を拘束された小娘なんてどうとでも出来るとその態度が語る。

 獅子獣人看守が引き摺るケイスのあとを、二人の人間看守が逃げ場を塞ぐためか付いていった。


「囚人との私語は慎んでいただけますか。先ほどの暴行も本来であれば、刑期延長や懲罰処分にあたりますが、特別に無かった事にしたと忘れないでいただきたい。こちらです」


「失礼いたしました」


 監獄内では自分達の方が上だ。そう言いたげなエルフ看守にロッソは頭を下げ謝罪し、乱暴に引かれていくケイスを横目で見ながら、その後についていくしかない。

 もう一人の人間看守も、まるでロッソを逃がさないかのように、すぐ後ろについてくる。

 前後を看守達に挟まれ、連行される囚人気分を味わいながら、中央管理棟に入ったロッソは、エルフ看守の案内でまずは事務に赴き、引き渡しの為の書類手続きをこなす。

 今回のケイスは異例も異例なので、自ずと手続きも増える。

 嫌がらせかのように複雑で無駄に多い書類を一々確認して、ロウガ支部が用意したケイスの簡易経歴書も確認してもらいサインをもらい、さらにこの後に面会予定である監獄長にもサインをしてもらい、さらにロウガに戻ってからも、持ち帰った書類の確認手続きと、出だしから嫌になるほどの書類の山だ。

 さらに予想外にロッソの精神を削ってきたのは、身内からのフレンドリーファイヤー。ケイスの簡易経歴書だ。

 書類上ではケイスは普段自称している剣士という区分では無く、極めて強力な魔具を扱う魔具使いという説明がなされていた。

 画期的な非市販品の特殊な魔具を多数保有していた為に、年齢離れした高い戦闘能力を持っていたが、それらは今現在ロウガ支部によって押収。刑期が終わるまで管理保管されているので、本人の戦闘能力は著しく減退しているというものだった。

 大嘘にもほどがあると、ロッソが思わず口に出しそうになったほどだ。

 多少無理な言い訳を重ねても、ケイスを過小評価させて、その力を隠そうとするロウガ支部の意図が物の見事に現れた代物だ。 

 確かにケイスは、天才魔導技師ウォーギン・ザナドールのオーダーメイド魔具を多数所有していて、それが大きな力となっていたが、それはあくまでも副次的な物。

 ケイスの強さの本質は、その圧倒的知識量と、卓越した技量。何より化け物じみた闘気コントロールにある。

 迷宮に素っ裸で放り込んだとしても、モンスターを狩り、その皮を衣服とし、骨を武器とし、肉を食料として、潜り続ける事が出来るだろうケイスは、もはや探索者と呼ぶよりは、迷宮生物と呼んだ方が近い存在。

 この本質を隠して、監獄長や上級看守達にケイスの危険度や、取り扱い方を説明するのは、骨が折れるを通り越して、無理難題に近いのではないか。

 今からでも判る見通しの悪さに陰鬱な気持ちになると、作業効率もどうしても落ちて来る。書類が多い所為もあって、かれこれ手続きを初めて五十分くらいは経っていた。

 横に立ってロッソの一挙手一投足を、何故かつぶさに見張っている二人の看守達も、あまりに時間が掛かるので、苛立ちを隠そうともしない舌打ちが20を越えた当たりで、異変が起きた。

 甲高い警報音が突如ここ中央管理棟のみならず、島全体に響き渡り、それに続いて建物の外から、甲高い遠吠えと共に狼達があげる激しい唸り声が響いてきたのだ。

 一般職員も多い事務所の中が騒然となるなか、エルフ看守がロッソの側を離れ、事務局の前を丁度通りがかった下級看守を捕まえる。


「何の騒ぎだ!」


「倉庫棟に侵入者。囚人のようです! た、ただどうやったのか判りませんが、首輪を外していたため発見が遅れたと! 今は港側に出たようで白銀狼がっ!?」


「なっ!?」


 下級看守の報告途中でエルフ看守が、表玄関扉側から飛んできた何かに弾き飛ばされる。

 飛んできた何かをロッソの目は捕らえていた。

 それは玄関扉を突き破って激しい勢いで建物内に飛び込んで、そこら中に血と臓物を撒き散らかした白銀狼の首無し死体だった。

 エルフ看守諸共反対側の壁に叩きつけられた白銀狼の死骸は、その名の下になった白色の毛を赤い血の色に染め、まだ殺されたばかりでピクピクと痙攣する足を振るわせ、頭部が消えた首から血を激しく噴き出していた。


「うげっ! なんだよこれ!?」

 
「は、白銀狼!? 獄長に至急連絡を! だ、大規模反乱の恐れがあると!」


 目に見えて判る異常事態に蜂の巣を突いたかのように中央管理棟内が騒がしくなる中、幼くとも良く通る華やかな声が響く。

  
「ん。ロッソ。ここにいたか。あのエルフの顔が見えたので、すぐに見つかって良かった」


 人混みの中で知り合いを見つけ喜ぶ少女のように弾む声をあげる声の主が壊れた玄関から入ってくる。

 その姿を見た誰もが声を失う。

 囚人用拘束着に身を包んだケイスだ。

 だがその首には、囚人の居場所を知らせるとともに、拘束着全体に麻痺から致死レベルまでの電撃を放つ、電撃魔術調整用の首輪をつけていなかった。

 首輪の代わりに右手に宝石がごてごてとついた趣味の悪い剣から血を滴らせ、左手には斬り殺したばかりの白銀狼の頭部をもち、しかもあろう事にかその頭にかぶりついていたのだ。


「うむ。白銀狼は初めてだがやはり狼は美味いな。特に耳がいい。ちょっと硬い毛が多いがこの程度なら肉との歯触りの差が楽しめるアクセントと思えばよいな。さっき首を斬って首輪を外したときに、ちょっと血を失ったから、生肉は血の回復に良いな」


 右耳の辺りに噛みつき、ブチブチと毛ごと肉を噛みちぎり、数度かみこみ飲み込んだケイスが、肉質が好みにだったのか天使のような笑顔で嬉しそうに感想をこぼすが、その言葉の意味が判らない。

 首輪を外すために首を斬った。

 そう宣ったケイスの細い首元に目をやれば、既に治りかけているが、首を一周する切り傷が見てとれた。

 現実感の無い言葉を呟き、狼の頭部に噛みつき顔面を血にまみれさせながら微笑む少女に、一般職員達はもちろん、看守達さえも誰も意味が判らなく、動けず、ひと言も発せなくなる。

 幸か不幸か、多少ながらケイス耐性がついていたロッソを除いて。

 
「まだ1時間も経ってねぇ……なんでそんな事になってんだケイス嬢ちゃん」


 しかしさすがにロッソも、この状況にどうしてなったか見ただけで判るわけもない。

 それこそ元凶のケイスに聞くしか無いのだが、


「ん~色々有るが、食事量が少ないのが気になったのが切っ掛けだな」 


 あっけらかんと答え今度は左の耳に噛みついたケイスの答えは、食事が少ないから牢破りをした以外には解釈しようが無い物だった。



[22387] 監獄少女と監獄の怪談
Name: タカセ◆05d6f828 ID:9f05f979
Date: 2020/04/21 01:35
 時は少し遡る。

 ロッソが引き渡しのための書類制作に難儀していた頃、島内に無数にある溶岩窟の一つに建設された通常監獄棟へとケイスは連行されていた。

 塀は二重化されており、物資搬入用大門と出入り用小門が併設されており、それぞれ塀と塀の間が、出入りする物資や囚人を調べる検問室として使われている。


「今日の収監は例のこのガキだけですか。いつもよりは楽でいいですね」


「ガキでも一応女だ。野郎どものけつの穴まで一人、一人をみるよりは遙かにましだろ。ただ気をつけろよ。見た目より凶暴だぞ」


「首輪をつければどいつでもおとなしくなりますよ。今月の担当がこっちだったんで、貧乏くじを引いたと思ってましたが、まさかここで女をみられるとは思ってませんでしたから」 

 
 ここまで連行してきた人間種の上級看守が軽口混じりの注意をするが、検査担当の下級看守は下卑た視線をケイスへと向け、闘気を生み出そうとすれば、電撃を発生させ着用者を無力化する護送用の手枷、足枷の代わりとなる、首輪と囚人用の拘束服を取り出して、まずは首輪だけをケイスへとはめる。

 刻みこまれた魔術印や文字からみるに首輪は、手枷と同じ効果を持ち、拘束服には首輪の効果を殺傷レベルまで上げる術式に加え、建物内の出入りを制限し、居場所を知らせる発信機能も組み込まれた代物。

 看守たちの手首をみれば無力化をのぞく機能が施された腕輪を身につけており、彼らの動向もつぶさに監視されているようだ。

 出入り検査を担当する下級看守の持つ剣にも、上級看守ほどではないがそれなりの装飾が施されている。

 ここに来るまでに遠目で確認した、暇そうにしている警備の下級看守たちの装備は、つぶさに見たわけではないので断言は難しいが、そのような余分な、分不相応な装飾は施されていない。

 なんらかの関連性があるとみていいだろうか?

 監獄棟は外と内の門は両方が同時に開かない脱獄防止機構が施され、警備体制は厳しいものだが、四方を海に囲まれた孤島ということもあり、脱獄などできないと高をくくっているのか、逆に看守たちの間にはゆるみがみられる。

 ケイスの前で内情を、べらべらとしゃべってしまっているのが何よりの証だ。 


「無駄話していないでとっとと剥いちまえ。毛無しのガキの裸なんてみて何が楽しいかしらんが、背中を確認しろ。あまり待たせるとうるさいぞ」


 先ほど蹴り飛ばした獣人看守は、種族としての嗜好が異なる所為かケイスの裸身に興味などないのか、忌々しげな目をケイスに向けた。


「ディアスが戻るまで待ってくださいよ。このガキが来るって聞いて楽しみにしてたみたいですから。あとでおこぼれにありつけるかもって」


「そういえばおまえ一人だな。何かあったのか?」


「また飯の配分を巡っての囚人同士のもめ事ですよ。もう少し実際の人数が減ってくれるとこっちも助かるんですけどね」


「これ以上減ると鉱山採掘量に影響が出る。そういうわけにもいかねぇだろ。騒動が長引けば一時間は戻ってこねぇだろ。後でディアスの好きにさせてやるからとっとと運び込むぞ」


 上級看守たちは多少はケイスを警戒していたが、下級看守につられたのか、その警戒色がわずかに弱め、ケイスを着替えさせるために手枷、足かせを取り去って、乱暴に服をはぎ取り全裸に剥く。


「はっ。悲鳴の一つもないか。可愛げのないガキだな」


「ガキっても見た目はいいからな。飽きたら囚人どもに飯代わりの慰み者にでもさせてやるか」


「それより背中だ……痕は無いな。翼無しで生まれたから捨てられたか」


 ケイスは無手な上に、首輪をつけられ服をはぎ取られ裸身にされようが完全無抵抗状態。

 さらにこの場には上級看守が三人と、下級看守が一人。4人に囲まれた小娘など、好きなように弄べると思っても仕方ない。

 だが彼らは大きな勘違いを、いや過失をすでに三つ重ねている。

 一つ目はケイスの知識量と頭の良さを見誤っていたこと。

 
「なるほど食料費の着服かとも考えたが、それでは計算が合わんな。おまえたち食料品を減らして密輸に手を出しているな。それも大量に」


 今まで黙っていたケイスは、気づいた核心をいきなり切り出す。

 ここまでつれられてきた護送船の中でケイスは、錆臭さに混じってわずかに残るかすかに覚えのある残り香をとらえていた。

 薬師のルディアが用いているが、細かな帳簿をつけ厳重に管理し月ごとに利用量や購入量の報告義務があると愚痴っていた、利用制限がされた準禁制品であるはずの常習性の高い魔術薬の香り。

 さらに現在のロウガ港の現状。

 ケイスがいつか斬ってやろうと今でも思っているセイカイ・シドウは一年ほど前に逮捕されているが、その際、逮捕案件に絡んだ捜査で、港湾関係ギルド役職の立場を利用し密輸出に関わっていたことも判明し、大規模な摘発が行われていた。

 だがその捜査対象はあくまでも民間の商工ギルドに関しての話。

 治外法権を持つ他国の公船や軍艦には適用されておらず、ケイスをここまで運んできた護送船や、この海底鉱山監獄へと物資を搬入搬出する各種輸送船も各国の共同運営が行われている。

 ロウガ治安部隊に属するロッソが乗船する際にも、各種手続きが必要となっていたのを横目でケイスも見ていた。 

 故にこの島に関わる船も検査対象外。

 潰された民間密輸ルートを補うために、公船ルートが強化されているとみても不可思議はない。

 駆け引きのためのブラフでもなければ、当てずっぽうでもない。ケイスの頭脳が引き出した明確な予測。


「……このガキ。やっぱりあの鳥野郎の関係者か。紫炎棍を送り込んできた段階で怪しいとは思っていたが」


 だが看守たちは、そうは思わなかったようで。驚き顔を浮かべていたがすぐに無言で目を合わせて頷き、ケイスを改めて包囲した。

 どうやらケイスが潜入捜査のために送り込まれたとでも勘違いしたのだろう。

 先ほどまでの言動からみて獣人看守が嗜好から外れるケイスの背中を気にしたのは、ケイスにまつわる噂の一つ。ロウガ警備隊の長であるソウセツの血縁者だということを確かめようとでもしたせいだろう。


「むぅ。おまえたちも勘違いしているか。あれにも私にも失礼だぞ。だがその態度が私の予測を裏付けるぞ。とぼけてみせるくらいしてみろ」


 確信はしていたが物的証拠はないというのに、すぐにむき出しの敵意を見せたことに心底あきれながら頬を膨らませる。

 彼らの二つ目の失敗は、ケイスに害意を持っていたこと。

 殺意とまでいかないが、ケイスを傷つけようとしたのか、それとも利用しようというのかは分からないが、何かしらの悪意を持ってみているとケイスは感じ取って、潜在的な敵として認定していた。

 その言動や装備をつぶさに観察していた所に加え、下級看守がうかつにこぼしたおこぼれに預かれるという台詞や、囚人どもの慰み者にするという発言が、まともにケイスを扱う気がないと確信させ、この場で攻勢に出る意志を固めさせた。

 性的な意味や言動には不慣れではあったが、色町である燭華で過ごしたことで多少の知識を得て、さすがのケイスも、おこぼれや慰み者がどういう意味で使われているかを知っている。

 ロウガ支部から下されたケイスへの刑罰は、海底鉱山監獄での二ヶ月の禁固刑。

 だが看守である彼らはケイスをおとなしく閉じ込めておく意志など、端から持ち合わせていない。

 ならばケイスがおとなしく閉じ込められている道理もない。

 ケイスはロウガ支部が決めたから、刑に服そうとしていたわけではない。

 ただ自分が責を負うと決めたから従っていたに過ぎず、自らに許容できない危険が及ぶとなれば、相手が誰であろうと、何であろうとも敵に回すのに一切の躊躇などない。


「いきがるなよガキが。とっとと首輪から電撃を当てて、ションベンと糞まみれにしてやれ。どこまで掴んでいるか吐か」
 

 すでに制圧できた気になっている獣人看守から目線を外し、右手側に回っていた切れ味を重視したサーベルを帯刀した上級看守へと殺気を飛ばす。

 いきなり湧いた凶暴凶悪な殺気に当てられた看守は、とっさに抜き打ちで剣を抜き放つ。

 ケイスがもどきと見下していても、曲がりなりにも中級探索者。

 宙を一瞬で駆けた銀線がケイスの首筋にはめられた首輪の下側に吸い込まれるように打ち込まれ、一気に突き抜ける。

 とっさに首をかばおうとしたのかケイスの腕がわずかに遅れてあごのあたりに当たり、その勢いで空中に打ち上げられた首が一回転しながら宙を舞い、首輪が外れてカランコロンと乾いた音を立てる。

   
「馬鹿野郎! 何でいきなり殺して!」


「か、体が勝手に!」


 まさか同僚が脅しでない本気の剣を振るとは思っていなかった獣人看守が血相を変え、一番狼狽するなか、誰もが視線をケイスから一瞬外してしまう。

 彼らの三つ目にして最大の間違い。

 それはケイスを無手と侮ったこと。

 ケイスは世間一般から隔絶した剣の天才にして、常人の常識から外れた狂人。

 フォールセンより学んだ相手の力を使うフォールセン二刀流の神髄。

 そして以前に剣を打ち合わせた老剣戟師セドリックより学んだ、目線や息づかいで相手の剣を振らせるタイミング、打ち込む場所を操る技能。

 この両者を融合させたケイスは、やっかいきわまりない首につけられていた首輪を、まず排除することにしていた。


 肝は痛みを感じるか否か。痛みを感じればその段階で失敗。鋭く正確な剣があって初めて成立する妙技。

 自らの技量であるならば、一度成功すれば、何百、何千、何万と繰り返しても成功させる自信はあるが、今回は他者が持つ剣による技。

 だが剣がそこにあれば、ケイスの手に届く範囲であるならば、誰の剣であろうとも、それこそケイスには及ばずとも類い希なる剣の才能を持つ者の剣さえも、ケイスの剣にほかならない。

 打ち込まれた剣にあわせて、自ら体を動かし相手に足りない技量を補い、打ち込ませる周囲の筋肉をゆるめ、逆にその上下の筋肉には力をこめ血管をとめ血流を最低限にとどめる。

 さらに剣速に合わせて右手をぎりぎりのタイミングであご先に打ち込み、首を打ち上げ正確に一回転させる。

 空中に打ち上げた頭を計算通りに寸分違わずに切り口へと着地させたケイスは、心臓と丹田から闘気を産みだし、肉体修復力をあげ傷口を繋ぎ直しながら、一番隙のあった下級看守へと体重を乗せた蹴りをぶち込み、水龍の極寒の闘気を打ち込み、凍り付いた血液で体の内側から心臓や内臓を食い破らせる。


「がっ!?」


 全身から鮮血色の氷刃を生み出し、血を吐きながら下級看守は絶命。


「飾った柄は趣味ではないが借りるぞ」 


 手足で試したことはあるがさすがに首での切り戻しは初めてだ。少し首がぐらつくので右手で押さえつつ、断って左手で腰の剣を拝借。

 斬り飛ばされたケイスの首が一回転してくっつくなど予想もできるはずもない。

 その信じがたい光景に唖然とした獅子獣人が棒立ちになっているとみるや、間髪入れずに突きを撃ち放ち、脳天を貫き、そのたてがみを血と脳漿で赤黒く染める。


「っ!? んな、ば、ばかっ!?」



 獅子獣人の頭に刺さった剣をそのまま横降りにして、頭部を分厚い頭蓋骨ごと切断したケイスは、その横でようやく再稼働したが、防御ではなく驚愕混じりの悲鳴を上げていた看守の首を斜めに断ち切り一刀で命を絶つ。

 あっという間に三人を斬り殺したケイスは、残った一人へと目を向ける。 


 凄惨な場面には多少は耐性があるはずの上級看守も、同僚たちを一瞬で殺戮した左手に血肉に汚れた剣をぶらりとさげ、自らの首から流れる血と、返り血に全身が染まる全裸の美少女という、日常からあまりにかけ離れた光景に、正気を保つのは難しい。
 

「ひっぃ! く、くるな。ば、化け物!」


 抗うどころか、背を向けて逃げる意志さえもぽっきりと叩き折られたのか、腰を抜かして、震えているだけだ。

 だが化け物呼びされたケイスからすれば、このような反応はいつものこと。むしろ自分を侮っていた者たちが、ようやく自分の力を認めたとむしろ気分がいいものだ。

 
「ふむ。ならば殺さぬから密輸品を隠した倉庫まで先導しろ。証拠を掴む前に騒ぎになっては、さすがにここの全員を斬るのは骨が折れるから何とかごまかせ。ロッソをこちらに引き込むために物証がほしい」


 武装の装飾を見る限り、見て見ぬふりはあるかもしれないが、ここの職員や看守全員が密輸に関わっているわけではなさそうだ。

 しかし今のケイスの姿を見れば、全員を敵に回す必要が出てくる。やってやれぬことはないが、その後を考えるといろいろと面倒になりそうだ。

 いっそのこと看守たちがしていた勘違いを、本当にしてしまえばいい。

 この島でまた再び、しかも今度は官による密輸が行われていることを調査するために、ロッソが来たと。

 手柄を譲れば、この間の燭華でソウセツ達に事後処理を押しつけた詫びともなろうと。

 それがさらにやっかいな事後処理を押しつけることになるとはケイスは考えもせずに、自分の思いつきをよき案だとうなずく。

 そのとき濃厚な血肉の臭いに食欲が刺激され、そういえば朝から何も食べていないことを思い出し、ケイスの胃が強く抗議の声を上げ主張するが、さすがに人種を食うのはケイスを持ってしても禁忌。

 だが唯一生き残った看守からすればそれどころではない。この状況下ではケイスが殺人鬼どころか食人鬼にみえでもしたのだろう。

 
「く、食わないでくれ! 案内する! するから!」


「ふむ。ならば着替えるからしばし待て」


 必死で命乞いをする看守の声を聞きながら、ケイスは鷹揚に頷くと先ほどまで来ていた服で血を適当に拭き取ってから、その代わりに、テーブルの上におかれて被害を免れた拘束着を手に取る。

 この格好ならほかの看守達に目をつけられても多少はごまかせるだろう。  

 そんな適当かつ行き当たりばったりにもほどがある調子で、看守を先導させて倉庫へと移動したケイスは密輸の物証を手に入れたあたりで空腹に限界を迎え、この先は闇に葬れぬようにむしろ騒ぎなった方がよいと判断し、看守を約束通り死なない程度かつ再起不能になるように斬ってから、石垣崩しで倉庫の壁を破壊。

 そのまま白銀狼をおびき寄せ食料に変えつつ、この島で現状唯一完全に信頼できるロッソを捜し、すぐに目星をつけていた管理棟で見つけ合流する運びとなった。









「まだ1時間も経ってねぇ……なんでそんな事になってんだケイス嬢ちゃん」


 あきれ顔と呼ぶべきか、唖然としているというか、困惑していると呼ぶのが正解か。様々な表情が混じったロッソの問いに対して、


「ん~色々有るが、食事量が少ないのが気になったのが切っ掛けだな」 


 ここまでの諸々を説明するのが面倒だったケイスは、単純と呼ぶのさえ乱暴すぎる答えを返し、論より証拠と提示することにする。

 両手が手がふさがっていたので、白銀狼の左耳に噛みついて口にぶら下げると無手になった右手で腰にぶら下げていた倉庫から持ち出してきた禁輸品を詰めた袋を、その場でぶちまけてみせる。

 ケイスが気になった準禁制の魔術薬だけではなく、無断取引が禁止されている迷宮産の高純度鉱石の粒や、違法植物の種など様々な違法物が袋から転がり出る。

 
「ふぉふぉのふぉくいん、ふぁんしゅが……ごく。ここの連中が密輸に関わっている。これは極々一部だ。囚人関連の搬入物資を減らして荒稼ぎしているようだ。どうもその絡みで私がアレと関連があると疑い、いろいろ企てていたようだ。量や認可印からみても、ここの監獄長が関わっているのは確実だ。私が締め上げてくるから、ロッソはここで看守を押さえてくれ。少数ならともかく対集団戦では私は手加減できないが、ロッソなら怪我をさせずに押さえ込めるであろう」


 口にくわえたままではさすがに喋りにくかったので、耳を一気にかみちぎって飲みこむと、手短に、そして端的に事情と要望を伝えると、その返事も待たずに一方的に背を向けた。


「あー、まてまて! いきなりはいそうですかで動けるわけが」


「むぅ、何を言う。おまえはアレとナイカ殿が選んだロウガに治安を守る隊長の一人であろう。ならば任せた!」


 なにやら未だ困惑するロッソの抗議に対して、振り向きもせず、だが信頼する理由を告げたケイスはその場を任せると再度伝えて、切り倒す目標を求め上階へと駆け上がっていた。  



[22387] 監獄少女と赤い鱗
Name: タカセ◆05d6f828 ID:9f05f979
Date: 2020/04/16 00:20
 階段を駆け上がり二階へと足を踏み入れると、建物内の雰囲気が一気に変わる。

 一階は実務優先の為か、壁が少ない柱が目立つ開放的、天井からは部署を示す看板が下がり、その下に事務机が並ぶ、街の役所と変わらぬ作り。

 だが二階はうって変わり、一直線で身を隠す場所などない長い廊下と、長さの割に少ない扉だけが目立つ。

 ケイスが今駆け上がってきた中央階段があるがここは二階までで、さらに上の階層へ行くための階段は、一見するだけなら廊下の左右端にそれぞれ。

 分厚い外壁に設けられた明かり取り用の小さな窓が天井付近に整然と並ぶが、鉄格子がはめられており廊下に格子状の影を落とし、薄暗く重々しい雰囲気がのしかかる。

 魔力探知の術式が刻み込まれた部屋側の壁を剣で軽く叩いてみた手応えは鈍く、こちらも壁の厚さがかなり有り、物理的な盗聴を防ぐための役割があるようだ。


「ふむ、少し急ぎすぎたか」


 どうにも罠めいた作りに足を止めて息を吐いていると、案の定、今駆け上がってきた階段に、魔力光が光り、強固な術式を持つ魔術障壁が出現し、退路をふさぎはじめる。

 即座に次に来る手を予測し即断し、ケイスは両手を振る。


「双龍黒鶫!」


 無造作に腰ベルトに挟んでいたナイフ二本を左手で引き抜き、腕を振って右手側の廊下の先の外壁に向かって投擲。

 同時に自身は左手側の廊下に向かって、再び走り出す。

 音もなく飛翔したナイフは壁に触れる直前に互いに接触し、内部に込めていた闘気の反発により、物理的にふくれ上がり爆発しその破片をもってして壁に大穴をあける。

 急に大穴があいたことにより、よどんだ空気を押し流すように外から風が流れ込んで、以前ほどの長さではないが、肩口まで戻ったケイスの黒髪を揺らす。  

 とりあえずいざというときの脱出口と、薬を使われた際の最低限の備えをした。

さすがに自分たちの拠点たる管理棟内で、即死系毒物を使うことはないだろうが、暴徒鎮圧用の麻痺薬のたぐいは監獄内では常備している。

 元々毒物にはある程度の耐性を持つが、風の流れで薄まれば、戦闘に問題ない程度までリスクを下げられる。

 一瞬の判断で状況を察し動いたケイスはそのまま階段に向かうのではなく、もっとも手近にあった扉へと剣を振るいその蝶番を一瞬で切り落とし、そのまま扉へと蹴りをぶち込み室内に向かって扉を蹴り倒す。
 

「うぉっ!?」


 くぐもった男の声とガラスが割れる音が扉の裏側から聞こえるが気にせず、扉を踏みながら室内へと乱入し左右に視線を飛ばす。

 狭い室内には武装した看守兵が4人。唖然とした顔で固まっている。男の一人は金属製の投網を持っており、残り三人は長柄の槍を装備していた。

 足下の扉の下から液体が漏れてきたが、すぐに揮発し薄い煙を放ちはじめる。

 捕縛するはずのケイスがいきなり部屋に飛び込んできた事に理解が追いつかず、動揺したままの四人の足首辺り切り裂く。


「クっ!?」

 
 床に倒れた看守兵達は苦しげな声をあげつつも、上半身を起こして槍を振ろうとしたが、床に立ちこめてきた煙を吸い込むと、すぐに手足が弛緩したのか倒れ込む。

 やはりこの階自体が、乱入者を捕らえるための罠のようだ。

 退路を断ち、薬と投網で少人数に対応。大勢の場合は長柄の槍で槍衾で防ぐ。

 となれば、他の部屋も……

 手近に落ちた槍を拾ったケイスが廊下へと戻ると、他の部屋からわらわらと看守兵達が飛び出してくる。

 普段から詰めているのか、それともケイスが護送されてきたから一応待機をしていたのか。

 どちらかはわからないが前列の看守兵達が槍を構え通路をふさぎ、さらにその背後には魔術杖らしき短剣を構えた者達。    


「ガキ一人!? 紫炎棍はどこだ!」


「侮るな! 魔術探知に反応しなかったって事は、魔具だけでなく薬品使いかもしれんぞ!」


 頑丈な外壁にあいた大穴と、見た目だけは華奢な美少女であるケイスを見て驚きの声が上がる中、隊長格らしき先頭の看守兵が緊張気味の声で警戒する。

 やはりその男の腰の剣には、柄辺りにいくつも宝石が埋め込まれている。

 どうやらケイスではなく、二つ名を持つロッソを警戒して作られた警備体制のようだ。

 それは理解したが、どうして自分が魔具使いなどと呼ばれているのか、見当がつかない。

 確かに魔具は使うが、それはあくまでも補助的な物で、ケイスの本質は剣士。

 
「監獄長はどこだ。やつはこの島で行われている違法品密輸出に関わっている可能性が高い。私を辱めようとしたことも含めて、その真偽を吐かせる。邪魔するな。悪事に荷担する気がないやつは見逃してやるが、刃向かうならばここから先は手加減をしてやらんぞ」


 左右を取り囲む包囲網を一切気にせず、堂々と宣言して見せる。


「密輸だと! 戯言に惑わされるな! 手足を狙え! 監獄襲撃などを企てた者の背後関係を吐かせるから殺すな!」


 包囲網にも臆すことなく堂々と問いただしたケイスに、下級看守兵たちはいくらか動揺の色を見せたが、隊長格の男が声を張り上げ叱咤すると、一斉に槍が突き出される。

 その穂先が体を捕らえる前に、ケイスは槍を床に突き刺しながら軽く跳躍し、柄頭を踏み台にしさらにもう一度跳ぶ。

 二段跳躍によって突き出された槍を飛び越えたケイスは、天井すれすれで体をひねり、そのまま天井を蹴って、眼下の看守兵達の集団のど真ん中へ落雷の勢いで降り立ちつつ剣を振る。

 その一降りで数人を一気に切り伏せたケイスだったが、その一撃に耐えかねたのか刀身が砕け散る。

 物はいいが、切れ味追求で耐久性に劣りすぎてやはり趣味でないと思いながら、今し方切り倒した看守兵達に飛びつきそのベルトからナイフを拝借。

 集団のまっただ中で短剣二刀流による乱戦を開始した。 










「だから私は反対したんだ! あの化け物を受け入れるなど! ましてや生け贄にするなんて!」


 海底鉱山監獄獄長ナモンは、会議室の一席で頭を抱えうめき声を上げる。

 周辺国家が共同運営する海底監獄獄長には、距離的に最も近く対応がしやすいロウガの役人が就任するのが通例となっているが、その役目は主にロウガへの定時報告のみ。

 労役において生まれた鉱山収益国家間による実務的な話し合いや折衝はロウガで行われているため、監獄長だからといって旨みなど無く、いわゆる閑職に当たる。

 それどころか、ロウガまで高速船で半日とはいえ、数ヶ月に数日だけ与えられる長期休暇以外は、休暇でも島内に止まらなければならず、左遷先としてもっとも不人気な役職の一つに上げられるほど。

 だからこそ、はやく本土へと戻るためにも、そして戻った後に少しでもマシな役職に就けるようにと、表沙汰に出来ない後ろめたい仕事を受けようとする、受けていた歴代監獄長も多い。

 上の者とつながりのあった収監者を口封じのための秘密裏の処刑。

 政治犯として収監された貴族への便宜。

 収監者が過去の罪を自白したという体を取った、有力商人子弟の犯罪隠匿協力等々。

 前期の出陣式における謎の襲撃犯による式典失敗の責任の一端を覆わされ、左遷されたナモンも、8ヶ月ほど前に監獄長として就任してからは、歴代監獄長と同じく、表舞台に戻るためいくつかの裏業務に手を染めている。

 特に就任と同時期にロウガ港では取引が難しくなった民間船を使った密貿易の代行を引き受ける事で、上への賄賂と点数稼ぎを積極的に行っており、それなりに順調にこなしてきた。

 あと半年も貢献すれば、この島から脱出できて、大手工房相手の税務監査という実入りの多い役職につく目さえ見えてきたというのに。

 先ほどまで階下から響いてきた怒声や爆発音は、すでに会議室がある三階から響き渡るようになり、部屋前では激しく打ち合う金属音や、野太い断末魔の悲鳴が幾度も響いている。

 その声の主達は、先ほどまでロウガから届けられたケイスに関する申し送り書類を見せ、対策を話し合っていた各棟の看守兵長達だ。

 出身国は違うが、看守長や上級看守達はだれもくすぶっていたり、うだつが上がらず引退した中級探索者ばかりで、金で買収しやすく、報酬を前渡しすることで密貿易に積極的に協力はしているが、他国の者ばかりで、ケイスをよく知らずにいたのが、あまりに運が悪すぎた。

 申し送り書には魔具使いなどと虚偽の説明がされていた事もよろしくない。高級魔具を自分の実力と勘違いした初級探索者の小娘と侮ったためか、次々に返り討ちに遭っているようだ。

 密輸品が納められていた第6倉庫で爆発が起き、その実行犯がケイスで、こちらに向かってきていると報告があがってきた時には、すでにこの展開がナモンの脳裏にはよぎっていた。

 それ以前にケイスをこの監獄に二ヶ月だけとはいえ収監する提案がロウガ議会から打診された段階で、嫌な予感はしていたのだが、現実はその予感を遙かに上回る悪夢としてのしかかっていた。
 
 せめて、そうだせめて、ここで死んでくれ。殺されてくれ。誰でもいいから相打ちでもいいから殺してくれ。

 ケイスさえ死ねば、死んだ看守長達に密貿易の主犯を押しつけ、ごまかすことが出来るかもしれない。

 剣さえまとも握ったことのないナモンは、身勝手にも祈るしかないが、その祈りはあっさりと、無碍に打ち砕かれた。

 轟音と共に砕かれた扉の破片と一緒に胸のど真ん中に折れた剣を突き立てられた看守長の一人がテーブルをなぎ倒しながら床に崩れ落ちる。

 びくびくと痙攣する体と顔は驚愕と恐怖の色で固まり、瀕死状態でも心臓はか弱く動いているのか、その胸元に突き刺さった剣の刃もとからは、鼓動に合わせて弱々しく血が吹き出す。


「ひぃっうっぷ!?」


 砕かれた扉から見える廊下から、血と臓物が生み出す濃厚で生暖かい臭気が室内へと流れ込んできて、監獄長は悲鳴と共に遡ってくる胃液を口元からこぼす。

 扉の陰からおぞましい気配と共に姿を現したのは、全身に返り血をまといながらも、一切色褪せることのない幼き美貌を持つ美少女風化け物だ。


「むぅ。また折れたか。やはり刃の作りはよいがもろいな。やはりお爺さまとは違うな。闘気を込めたのに一撃で殺しきれなかった」


 誰かから取り上げたらしき折れた剣を見ながら顔をしかめたケイスは、最後に倒した看守兵長に近づき、まだ息があることを見ると、折れた剣をそのまま顔面にぶち込んで、頭部を潰して絶命させる。

 息が絶えたのを見届けてから看守長が右手に握りしめたままの長剣を取り上げる。

 一切躊躇のない殺し方はナモンが前回の休暇で見た、双剣の名の下に行われた武闘会で他の参加者を圧倒的実力で血祭りに上げて虐殺したケイスに間違いない。

 しかも今回は身代わりの魔術アイテムもない状態だというのに、本気で殺しに来ていると分かる躊躇のなさだ。


「こ、殺さないでくれ! わ、私は、おま、いや君に危害を加える事には反対していたぎゃっあ!」
   

 敵意はないと両手を挙げたナモンが命乞いを言いきる前に、一足飛びで近づいたケイスがナモンの両手の平をナイフで貫き通して、その刃先を椅子の肘置きへと深々と突き刺し、抵抗ができないように冷徹に処理する。

 火の塊を押しつけられたような激痛に、悲鳴を上げのたうち回りそうになるが、覗き込んできたケイスの瞳が黙れと無言で語り、必死に声をこらえる。


「私は耳がよい。おまえが、私の収監や慰み者にするのは、反対だったと先ほど一人で言っていたのは聞こえていた。だから殺さないでやる。だからおとなしく質問に答えろ」


 その表情や声だけ聞けば可愛らしい少女そのものだが、やっていることも、存在も、極めて危険な殺戮者そのもの。

 先ほど共倒れでいいから死んでくれと祈っていたことを知られれば、間違いなく躊躇無く殺しに来る。


「こ、答える! わ、私に答えられることは何でもしゃべる!」


 激痛に脂汗を流しながら、ナモンは必死に何度も頷く。

 ロウガの上役も、密貿易に関わる裏社会の顔役達も、そしてこの島内に住まう本当の最高権力者も今は知ったことではなかった。

 どうせそれらも、そう遠からずこの化け物のアギトに掛かるはずだ。どうせ死ぬ連中を、自己保身のために売る事に何の躊躇がある物だろうか。





「私の収監に反対だったのは、おまえ達のしている密貿易が漏洩する恐れが高かったからか?」


 命惜しさにすぐに仲間を簡単に売ろうとする辺りあまり好きではない人物ではあるが、手を見る限りまともに剣を振ったことさえないように見えに、さらには無抵抗すぎるので、とりあえずいつでも切れると考えケイスはまずは最初の問いを口にする。


「そ、そうだ。き、君は、鬼翼、ソ、ソウセツ殿の関係者なのだろ。君の護送に、直属の部下をわざわざ送ってきたくらいだ。だ、だからひょっとして今回の収監もソ、ソウセツ殿による潜入捜査ではと疑っていたんだ」


 どうやらケイスがソウセツの部下、もしくはもっと近しい関係と早合点しているようだが、あいにく今のケイスはソウセツを嫌っているので、無用な心配というやつだ。

 むしろおとなしく収監されてやるつもりだったのに、なぜそんな邪推をしたと、先ほどの見逃そうという気持ちが反転して、斬り殺したくなるが何とかこらえる。


「むぅ。迷惑千万な……ならばおとなしく牢に閉じ込めておけば良かろう。なぜ慰み者にするなどと言う話になったのだ」


「こ、ここの特別棟には、ひぃっ!」


 不意に監獄長が見せた恐怖の顔色と、背後にわき上がった殺気に、ケイスはとっさに監獄長を縫い止めていたナイフを引き抜き、背後へと振るう。

 堅い金属音と共に背後に繰り出したナイフがあっさりと叩き折られるが、その存外な力を喰らって利用したケイスは、監獄長の捕まえつつ背後から強襲してた相手と距離を取り、その顔を確かめようとして、すぐにあきらめる。

 そこには先ほど確かに絶命させたはずの看守兵長が立っていた。

 その胸や顔面には、半ばで折れた剣の刃先と、柄部分が刺さったままで、とても生きているとは思えない姿だ。

 だがよく見れば、先ほどとは違う箇所がいくつかちらほらと見て取れた。

 ケイスが防御用に回したナイフを叩き折ったのは、いつの間にやら看守兵長の指先から伸びていた鋭い刃物のような爪。

 先ほど剣を取り上げた時は普通の人間のものだったはずの手には、内側から川や肉を食い破るように、赤い鱗が生まれてきて急速的に全身を覆いだした。  

 それと共に顔面に刺さっていた柄頭の埋め込まれたいくつかの宝石のうち、もっとも小振りな、それこそ引き立て役の一つとして埋め込んだような目立たない赤い小さな石がほのかに点滅を繰り返している事にケイスは気づく。

 その時になって初めて自分の体に宿る血の一つがざわめきだす。


「柄の石は転血石か……それも火龍の血で出来たレッドドラゴンブラッドストーンだな」


 どうやらケイスの闘気を受けて柄の石が活性化してしまったようだ。

 活性化していなくても純血の火龍であるノエラレイドがいればすぐに気づいたのだろうし、使わないように注意してくれたのだろうが、後の祭りだ

 それと疑問は残る。

 いくらケイスの闘気を受けて活性化したとしても、人の死骸を赤龍鱗を持つ竜人へと変化させるのは不可能だ。

 明確な意志を持って浸食しなければ、竜人が生まれるはずはない。

 周囲を思うままに、自分が望むままに変えようとする龍の意志がなければ。

 その疑問に答えは生まれないまま、看守兵長の死骸は瞬く間に風船が膨張するかのように肥大化しつつ赤い鱗で覆われて、その顔面や胸に刺さった剣の破片を肉の中に取り込んでいく。


「ひっ! 死、死にたくない! に、逃げさせてくれ! このままでは餌にされる!」 


「今の段階では私のそばか、ロッソのそばが一番安全だ。聞きたいことがあるから守ってやる」


 事情を知っているのか床を這いずり逃げようとする監獄長の首を掴んだまま、ケイスは息を小さく吐く。

 どうやら監獄長に聞くことが一つ増えたようだが、事態はこの男が思っているものより、さらに複雑になったと、ケイスは気づく。

 なぜなら目の前でだけではない。島内でいくつか同様の反応を、血がざわめく感覚を捕らえているからだ。

 不自然に装飾が過多だった柄。ただの悪趣味だと思っていたが、あれがあの転血石を隠すための物だったら。

 それに気づかなかった自分の鈍さに少しだけ腹が立つ。

 この島はケイスの先祖でもあるルクセライゼン皇帝が命を落とした激戦地であるが、同時に強大な赤龍の一つが討伐された地である。

 龍はこの世の最強主にしてすべての生き物の頂点に立つ王。

 そんな存在が肉体を失ったくらいで、死んだくらいで滅びるわけがない。

 現にケイスが愛剣とする羽の剣に宿る先代深海青龍王ラフォス・ルクセライゼンがよい例だ。

 羽の剣の柄に埋め込まれたのは、小さな砂粒のようにも見えるラフォスの骨のかけらがわずかだけ。

 だが紛れもないラフォスの意志が、精神体がそこには宿る。


「竜人変化をこの目で見るのは初めてだ。口がなければ言いたいことも言えまい、待ってやるから早くしろ」


 そのまま警戒をしたまま変化を見守っているとしばらくして看守兵長は全身が赤い鱗に覆われた竜人へと変わり果てる。

 熊のような巨体となった看守長が放つ暴虐的な威圧感に気圧された監獄長が泡を吹きながら気絶してしまったが、ケイスは逃げる心配が無くなったと安心して、数歩横にずれつつ、剣を構えて備えた。


「喰わせろ! 邑源! 我の完全なる復活のために! おまえの血、肉を!」


 完全なる変化と共に先ほどまでとは比べものにならない速度で、竜人が腕を振る。

 腕の一振りごとに爪先が放つ風圧だけで、室内の机が砕かれ、壁に傷が次々について、窓が割れる。

 だがそれらをケイスは紙一重で躱し続ける。しかもその顔に浮かぶのは、恐怖ではなくつまらなげな不満だ。


「もういい。期待はずれだ。本来の戦い方が出来ないならば出てくるな」


 これ以上待っても他の引き出しはないと踏んだケイスは隙をみて一足飛びに腕の中に飛び込むと、剣を無造作に振る。

 軽めに放ったようにしか見えない一撃で首をはね飛ばすが、それはあくまでも副産物でしかない。

 ケイスの狙いは先ほど取り込まれた剣の柄頭の転血石。

 切断した首の付け根からみえた柄頭の石を返す刀で破壊すると、竜人看守長の体はそのまま倒れこんで、今度こそ動かなくなる。

 
「ふん。いくら力が強かろうとも、まともに剣や格闘術を修練していない者が私にかなうと思うな赤龍」


 尊大な物言いで剣を納めようとしたケイスは、刀身を見て眉をしかめる。

 一刀で両断してみせたが、堅い赤龍鱗を切ったためか、全体にひびが入って使い物にならなくなっていた。

 
「むぅ、やはりお爺さまでなければ使い勝手が悪い、せっかく龍を斬る良い機会が生まれそうだというのに」


 とりあえず自分が切るべき目標を見つけたケイスは、監獄長を担ぎ上げると、階下で奮戦しているであろうロッソに助太刀するために、割れた窓枠から外へと飛び出して近道することにした。



[22387] 監獄少女と千尋の明かり
Name: タカセ◆05d6f828 ID:9f05f979
Date: 2020/05/10 19:35
 気を失った監獄長を肩に担いだまま窓から飛び出したケイスは、雨どいや階下の窓枠を足場にして、勢いを殺しながら地面へと着地。

 降り立った場所は正面玄関の目の前。

 そこから中を見れば、看守兵の一部を相手にロッソが奮戦している姿がすぐに目に入るが、その様子はケイスが予想していた光景と少し違った。

 若干名の下級看守とおぼしき者達と共闘し、フロアの一角にテーブルを積み上げた簡易バリケードの前で非武装の一般職員達をかばっている。

 そのロッソ達に対峙し襲いかかる看守兵達は、大半はケイスが管理棟へ突入した騒ぎを聞きつけ増員された者達のようだが、よくよく見れば先ほどまでケイスが切り捨てた二階にいた看守兵達も混ざっている。

 殺気を向けてきた者達は数十人を斬り殺しはしたが、それ以外の者も半年はベットから出られない深手を負わせ全滅させたはずだった。

 だというのに、先ほどケイスが対峙したときよりもさらに強く俊敏な動きで襲いかかっている。

 他の看守兵達にしても、手足が千切れようが、首が不自然に曲がろうが、腹に槍が刺さろうが気にもせず、何度倒されても跳ね上がって立ち上がりロッソ達に襲いかかっている。

 自らの肉体の損傷を気にもせず襲いかかる様から見て、竜人化はしていないが、かつてこの島で倒された赤龍の意志が活性化した影響によって支配下に置かれたと見て間違いないだろう。

 先ほど対峙した際の発言からしても、赤龍は、他者の血肉を、生命力を求めている。おそらくは滅びた自分の肉体を再度誕生させるためか。

 その贄とするために、血、肉を求めている。

 だがそれならば、同じ看守兵達の中に暴走せず、ロッソの側に立って正気を保っている者達がいるのが謎だが、今はその疑問を推理するよりも先にやることがある。

 ロッソの実力ならば、この数相手でも無力化するのはたやすい。むしろケイスよりも広域戦闘に長けているので簡単なはずだ。

 だがそうしないのは、詳しい事情が分からずとも、襲いかかって来る者達が正気ではないと気づき、殺さずになんとかしようとしている所為だろう。

 見ればロッソの足下には薬によってか、無力化された者達も幾人も転がっているが、火龍の魔力が対応して、薬をすぐに無効化しているのか、すぐに立ち上がって来ている。

 
「ロッソ! こいつを預かれ! このような事態になった理由を知っているようだ!」
 

 監獄長の体をバリケードに向かって投げつけながら、丹田に力を入れて闘気を生み出す。

 赤龍が肉体を求めているならば、同じく赤龍の力を宿す自分の闘気に強く反応するはず。


「「「「「「!」」」」」」


 ケイスの狙い通り、バリケードを取り囲んでいた正気を失った看守兵達が一斉に入り口へと目を向ける。


「こっちだ! ついてこい!」


 自分たちの頭の上を飛ぶ監獄長には目もくれず、叫んだケイスに向かって殺到してきた。

 一対多で戦うならば、攻撃方向を限定するために閉所で戦うのがセオリー。

 だが今この管理棟には事情を知らぬ一般職員達も大勢いる。ならばここはケイスの戦場ではない。

 数歩下がって外に飛び出したケイスは、くるりと向きを変えて走り出す。

 ちらりと後ろを振り返ってみれば、連れ出してきた数は100には届かないくらい。

 骨まで見える折れた腕をぶら下げていたり、腹わたをこぼしながらも追いかけてくる者、足が折れてそれでも手を使い走るのと変わらぬ速度で追いかける者。

 正気を失っているのは確かだが、先ほど竜人と化した上級看守とは違い、赤龍の血が混じった転血石のかけらを所有している気配は感じず、赤龍の意志が顕現した様子もない。

 一種の使役魔術によって操られているとみていい。

 魔術によって動いているならば、心臓を貫き殺したとしても、おそらく問題とせずに戦闘を続けてくるはずだ。

 解除系神術、もしくは使われた使役魔術を上回る魔力によって打ち消すのが最適解。だがそのどちらもケイスには不可能。

 しかも火龍の魔力となれば、上級探索者でも荷が重い可能性もある。

 危害を加えられないまで、それこそ粉みじんとなるまで切り刻むのが、ケイス的には一番楽な手だが、自分の意志でもないのに襲いかかって来る者相手に、そこまでするのはケイスとて乗り気には慣れない。

 そうなればケイスがとれる手は一つだけだ。

 船着き場まで走ったケイスは、船着き場の先端まで到達し足を止める。

 三方向を海に囲まれた窮地。

 だがこの場所こそが、ケイスが目指した勝機。

 追い込まれたのではない。ケイスがここへと獲物を追い込んだのだ。 


「おまえ達が助かるかどうかは運次第だ。自分の日頃の行いが良いことを祈れ」


 聞こえていないとは思うが、一応の警告を発したケイスは、両手にナイフを引き抜き逆手に構えると、腹の中で沸き立つ炎のような熱を持つ赤龍の闘気をそのままに、心臓よりわずかな龍の闘気を生み出す。 

 氷の固まりが血脈を流れるように冷たい極寒を覚える青龍由来の闘気。

 互いに最強の名を冠する故に矛盾する龍種の闘気は、異種の闘気と混ざる事を良しとせず反発し、暴れ狂いながら互いを喰らい合って、やがてはどちらか、もしくはどちらも消滅する性質を持つ。

 だがケイスは違う。その意志の力で自らの中で荒れ狂う異種の闘気を支配下に置き、自らの物とする。

 最強主たる龍の中の龍。真に最強たる龍王。だがその龍王さえもしのぐ存在。

 未だこの世に生まれず、生まれるはずがない存在。

 四龍王を統べる龍帝としての可能性を持つケイスだけが可能とする、異なる龍種の闘気を自在に操る双龍闘技。


「フォールセン二刀流千仞灯火」


 生み出した青龍の闘気を両手に握るナイフへと浸透させながら、群がる看守兵達に対峙し、真名も名乗らぬ不義理から師とは呼べずとも、師と慕うフォールセンの技を借り受ける。

 突き出された槍を火花を放ちながら右のナイフで受け止め、同時に触れた槍を通して闘気をたたき込みながら、その勢いを喰らい投げ技へと変え海へとたたき落とす。

 崩れた態勢のまま次の攻撃をまた火花を放ちながら今度は左手で受けとめ、さらに投げ、左手でまたも受け止めさらに投げ、それでも足りなくなれば右足で柄を蹴りとめ海に蹴落とし、そこで流された勢いを乗せた左足の足払いで、また別の者を海にたたき落とす。

 敵の進入を拒絶する山のように、追っ手をとどめる谷のように、自らの身を千仞とし、絶対不破の砦とする不動技。

 同時にその戦技が放つ火花は、後退する仲間にとっては、敵との距離が開いたことを悟らせ希望の明かりとなって暗い闇の中で輝く希望技。

 全く用途は違うが師の技を用いたケイスは、三方向が海に囲まれたという立地を使い、襲いかかって来る者達を次々に海へとたたき落としていく。


「わぷっ!? な、なんで海に!? ぎゃっぁぁっ、お、俺の腕が!?」


 最初に海へと沈んだ看守兵の一人が正気を取り戻したのか浮かび上がってくるが、傷だらけな体に染みた海水に悲鳴を上げ、さらに骨折した腕を見て絶叫する。

 同様に正気を取り戻した者が次々生まれてくるが、中には致命傷に近い傷を負っているためか浮かび上がってこない者もいる。
 

「片手ぐらいで五月蠅い! 左手が使えるならば意識がない者を引き上げろ!」


 この瞬間も無数の刃を捌き、次々にたたき落としながらケイスは怒鳴る。


「お、おまえの仕業か! 暴動を起こすだけじゃなくて何しやがった! 小娘が!」


「だから五月蠅い! 気にくわないなら立ち会ってやるが後にしろ! 動かなければ斬るぞ! この船止めに足を止めて落としていくから、可能な限り助けろ!」


 さっきまでケイスの前に立ちはだかっていた者であろうが関係無い。

 別にそれは正義感から来る貴い行為でもなければ、自分の心証を良くしようとする打算でもない。

 ましてや操られた者達への同情心からでもない。

 自分が斬るのは自らの意志で刃を向けた者達のみ。剣士としての自らの矜持に従い剣を振るだけだ。


「おまえが仲間を斬り殺したことは忘れないぞ! いつか報いを受けさせてやる! ……動けるやつは隣の船止めからあがれ! ロープでも小舟でもいい何でも持ってこい!」


 必死の形相のケイスと、明らかに正気を失ってケイスに襲いかかっている同僚達の姿に、尋常ではない事態が起きているとさすがに察したのか、ケイスに対する敵愾心は一切消えていないが、他の正気を取り戻した仲間へと指示を出す。

 敵意の目が海からは無数に向けられるが、今は優先すべき事態ではない。ケイスは気にもせず、ただひたすらに剣を打ち合わせ、全身を使い、海にたたき落としていく。

 一歩間違えれば、一つでも対処を誤れば、あっという間に人の波にのまれて、殺される窮地。しかし四方を敵に囲まれるのはケイスにとって日常茶飯事。

 むしろいい鍛錬だと心底思いながら、さらに技の速度を上げ、動きを効率的にし、そして闘気を操る精度を高める。

 海へたたき込むまではフォールセンの技だが、そこから先、正気を取り戻させているのは純粋にケイスの技量からなる。

 そちらは至極単純な話だ。

 赤龍は別名火龍。熱を好み、火山を住処とする。

 青龍は別名水龍。水を好み、海や湖を住処とする。

 火山島であるこの島の上では熱の力が強く、どうしても赤龍の魔力が活性化し、それを打ち消すためにはその数倍は青龍の闘気をたたき込む必要がある。

 だがそんな量の闘気に晒され、しかも体内で争っては、いくら看守達が探索者といえど耐えきれるはずもない。 

 そこでケイスが選び出した戦場、戦術が、この場所この戦い方だ。
 
 看守兵達を動かす赤龍の魔力と、たたき込んだ青龍の闘気が喰らいあいはじめ、体に多大な負担を与える消滅を起こすよりも早く海へとたたき落とし、海という青龍の闘気を最大活性化させる場を使い、逆に苦手とする水に取り囲まれた赤龍の魔力を弱体化させ、必要とする闘気の量と消滅のダメージを最小限に抑え一気に決着をつける。 

 襲いかかってきた者達、96人すべてをケイスが海へとたたき落とすまで要した時間はわずか5分ほどだった。










「正気を保っていて動けそうな看守は13人。嬢ちゃんが海に落としたのはどいつも怪我しているし、いつまた正気を失うか分からないから護送船の船倉に隔離した。死亡者は管理棟で死んだ一般職員を合わせて72人だ」


 船着き場で生き残りの点呼や、治療の指示をしていたロッソは、ある程度のめどがついたのか、集団から離れ夕日に照らされる船着き場の先端でパンをかじっていたケイスに、重々しい表情と共に伝える。


「管理棟に38人を足しておけ。私が二階と三階で斬り殺したのがそれだけいる」


「……ちっとは悪びれろ。あっちの連中の中には、嬢ちゃんが原因だろうから、とっとと殺せって声まで出てんだぞ」 


「ふん。自分が殺すではなく、おまえが殺せであろう。自ら剣を持つ気概を持たぬ者の戯れ言など気にしてどうする。ロッソが望むなら相手をしてやるが、おまえは好ましいから殺しはせんから安心しろ」


 事情はどうあれ同僚を虐殺したケイスに対する不信感や敵意は、最悪なまでに高まっているが、圧倒的な戦闘力に及び腰で、憎悪や恐れの視線を向けてくるだけ。

 嫌われるのはいつものことだと慣れているケイスは、ロッソの忠告にはケイスなりの感謝するが、他は気にもとめないことにする。


「そりゃどうも。この状況下で戦力が減る真似をする気はねぇよ。さて、どうするかだな。本土との通信魔術施設は管理棟にあったらしいが、魔力障害が激しくてしばらく無理だな。海も大荒れに荒れているから、脱出は出来そうもない」


 島周辺は静かだが、外海はここから見てもわかるほどに波が大荒れに荒れており、この状況で船を出すなんて自殺行為だと、護送船担当職員が即時に断言するほど。

 さらに魔力障害が発生していて、下手に魔力を使えば暴走しかねず、大怪我を負った者にも治癒魔術は使えず、薬によって痛みを抑えるのが精々でまともな治療は出来ていない。


「神術師でもいれば良かったが、どうにかしないと重傷の連中がまずいな。この島の赤龍が復活したって嬢ちゃんの話が嘘かホントか別にして、やばい魔力が島の地下にあるのはたしかっぽい。おそらくそいつが原因だ」


 魔力を失ったケイスでは感知できないが、ロッソは落ち着きのない様子で島中央の火山へと目を向け、その視線を手元の地図へと落とす。

 魔力探知が示す先は、島の地下。それも反応的に相当深い位置だ。労役によって掘られた坑道の最下層辺りだろうか。


「さっき正気だった看守に確認したが、あいつらは2週間くらい前に赴任した新人達で、まだ地上勤務だけで、狂っていた連中は軒並み囚人の監視で地下坑道まで降りていたそうだ。同じように降りていた囚人が収容されている一般監獄や地下坑道も、そこの看守と連絡が途絶している。想像したくないが、ひどいことになってそうだな」


 げんなりした顔を浮かべるロッソに答えず、ケイスはパンをかみちぎる。

 先ほど落とした看守達は竜人化していなかったが、島内には似たような気配をまだいくつか感じている。

 殺した死体をせっせと火龍の元へと生け贄として運んでいる姿をケイスも想像はするが、相手がそのうち斬ってやろうと思っている囚人なので、特に思うところはない。

 精々それらが全員赤龍の配下となっていた場合、さすがにここに避難した一般職員をかばうのは骨が折れるということくらいだ。

 それより気になるのはその場所だ。


「火龍の最後は、ルクセの皇帝とエーグフォランのドワーフ王が崩れ落ちる火口と共に地下深くにたたき落としたという逸話であったな。その後、迷宮化が解除されたから討伐されたのは間違いない……気になるのは火龍の宿していたであろう転血石だ」


 転血石は、激しい戦いのさなか絶命したモンスターの血管中で魔力が物質化して生まれる、大きな魔力を秘めた石。

 龍ほどの魔力を有する存在ならば、確実に生まれるはずだが、それは二人の王の亡骸と共に地下深くに沈んだはずだ。

 そこに火龍の意志が残っていたと考えるべきだろうか。

 
「竜人になったっていうやつに刺さっていた剣を拾ってきて確かめたが砕かれた欠片も、他の看守長の剣も、確かに宝石に混じって目立たないが転血石が加工された物だ。それも相当な高位種の血でできた石だな。鉱山で掘り出したって事か。だがそれだけでこんな事態になるか?」


「龍の意志が目覚めた方は少し心当たりがあるが、それ以外に気になることがある。監獄長はどうした。やつに尋問している途中だったが、特別棟がどうこうと言うところで竜人化した看守の気配にやられて気を失いおった」


 赤龍が目覚めたのはケイスが闘気を使った所為か、それとも島に上陸したからか、それとも首輪を外す際に首を一度切り落として大量の血を流した所為か。

 思い当たる事はいくらでもあるが、それらはケイスが意図しない不可抗力が生んだ事態。

 だが監獄長に関しては違う。

 監獄長は、上級看守が竜人化したことを恐れはしていたが、なぜという驚きはあまり感じられなかった。むしろ恐れていた事態が起きたという反応だったように思う。

 それに剣の宝石に混じって装飾のように転血石を用いていたことも気に掛かる。魔術杖の触媒として用いるならわかるが、あれでは意味がない。

 ケイスの嗜好とは合わないが、持っていたのはいい剣であったが、あくまでも剣でしかなく、魔術的な力を期待した作りではなかった。

 装飾として用いるには、龍の転血石、ドラコンブラッドストーンはあまりに高く希少すぎる。

 他の意図があったと見た方がいいだろう。


「心当たりね……」


 ケイスがロウガに来て以来、それなりに関わっているので、ケイス関連では謎が多い事には慣れたか、それともソウセツやナイカ辺りから深入りしないようにでも忠告されているのか、詳しい話をしないケイスに対して、ロッソはあまり問わず肩をすくめるだけで済ませた。


「監獄長、ナモンさんつったか、あの御仁はたぶんそろそろ目を覚ま……覚ましたな」


 ナモンが寝かされている船着き場の小屋の方に顔を向けたロッソにつられてケイスも目線を向けると、船着き場の根本でまだ若い職員がびくびくとして戸惑っている姿が目に入った。

 どうやらロッソに知らせに来たようだが、ケイスが一緒なのを見て恐怖で足がすくんでいるようだ。


「ほんと少しは省みた方がいいぞ。せっかく助けても怯えられるのはきついだろ。嬢ちゃんと平気でつきあえる赤毛の姉ちゃんやレイネ先生みたいに、剛胆なやつの方が少ないんだからな」


「五月蠅い。ロッソは私が監獄長を斬らないか心配でもしていろ。禄でもない企みなら首を落としてやる」  


 感謝されたいから助けるのではない。助けたいから助けるだけ。

 あくまでも自分の意志を最優先するケイスは、怯える職員には目も向けず、ロッソを伴い小屋へと向かった。 



[22387] 監獄少女と監獄長
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:9f05f979
Date: 2020/05/07 02:09
 船着き場に設けられた見張り小屋兼待機小屋は、嵐が来たときに備えてか、小さいが石造りの建物となっている。

 扉を開けてはいると、中には簡易キッチン設備とテーブル以外にも、仮眠用のベットが二つあり、その一つに目を覚ました監獄長ナモンが力なく身を起こしていた。

 その顔は真っ青に染まり、恐怖からくる震えで小刻みに揺れ、今にも気絶しそうだ。


「わ、私ではない! 私は関係無いんだ! だ、だから殺さないでくれ!」

 
 その恐怖はケイスを目撃した瞬間に最高潮に達し、悲鳴混じりの命乞いへと即座に変わる。

 部下を皆殺しに近い状態にしながら、化け物が一歩一歩部屋に近づいてくる恐怖を味わったのだ、当然といえば当然だろうが、それ以上の怯えように、ケイスが他に何かしでかしたのだろうかと思うほどだ。


「尋常じゃない怯え具合だな。他に何した嬢ちゃん?」


「抵抗できないように両手を刺し貫いたくらいだぞ」


 
 両手の痛みを無視して今にも土下座しそうな勢いに、ロッソは同情さえ覚えるが、当のケイスは勘違いして眉をひそめる。 

 頭のおかしいケイスからすれば、そこまで怯えさせたつもりなど一切ないので、むしろ演技ではないかと疑う。

 短剣を抜いたケイスは、尋問するために監獄長の両手を再度ナイフで貫こうとしたが、その前にロッソが無造作につきだした手でナイフの刃を押さえる。


「待て待て、いきなり抜くな」 


 世間の常識からは徹頭徹尾外れてはいるが、基本的にケイスが真面目な性分だと幸か不幸か思い知らされているロッソは、先ほどの首を落とす発言が冗談の類ではなく、本心だとわかっていて警戒していたようだ。


「むぅ。先ほどまでの状態に戻すために、両手を刺し貫くだけだ。あの程度の痛みで、ここまで露骨に怯えてみせる輩の証言なぞ信頼できるわけが無かろう。じっくり問いただすために必要だぞ」


「……却下だ。んなことせんでも、1から10まで、聞いていないことまで吐くだろ。ナモンさんだったな。嬢ちゃんが納得していないみたいだから、何でそこまで恐れているかまず説明した方がいいぜ」


「わ、私はあのときあの場にいたんだ! 前期の出陣式の式典担当の一人だった! あ、あのときの乗り込んできた乱入者は、か、彼女なんだろ! あんな気配をだ、だすば、化け、相手に逆らおうなんて思わない! 思う者がいるはずがない!」


 ケイスなりに納得する理由がなければ、刃を引かないと思ったロッソのアドバイスに、ナモンはすぐに震え声で心のそこから叫ぶ。

 さすがにケイスさえもそこに嘘はないとは感じるが、予想外の理由だった。

 ナモンの指す出陣式は、勘違いからセイジを殺そうとした前期の事を指しているのは間違いない。

 あのときは久しぶりに本当に頭に来ていたので、本気の殺気を無造作にばらまいてしまったのは確かだ。


「あれは私でないぞ。勘違いするな。なぜそう思った」


 だがそれを認めるわけにはいかない。認めてしまえば、あのときソウセツがケイスに敗北したということになってしまう。

 自分の実力ではなく、ソウセツの心情から来る躊躇故に拾ってしまった勝利など、ケイスは望まない。認めない。認めるわけにはいかない。

 疑問はどこからばれたか、そしてその情報がどこまで広がっているかだ。

 返答次第では、この男のみならず関係者も抹殺する必要があるかと、ケイスは剣呑な目を浮かべる。


「そ、双剣様の武闘会でき、気づいたからだ! ほ、他の出場者を皆殺しにしたあの体裁きは、あのときの乱入者と同じだと!」      


 過呼吸を引き起こすほどに引きつった声でしぼりだしたナモンの答えに、ケイスはしばし考えて、短剣の柄から手を離し、近くの椅子に不満顔で腰掛ける。 


「二度とそんな不快な思い違いをするな。口にするな。斬るぞ。ロッソ。私は聞き役に徹するから何を知っているか聞き出せ」


 ケイスにとってこの世で最上級存在は剣技。その剣技を見て、同一人物だと正体を見抜いたというならば、それで斬るのはケイスの流儀にはない。

 むしろ自らに剣の才覚が無くとも、剣士を見る目を持っている人物には好感を覚えるほどだ。

 だが自らを辱めようとしてきた輩の親玉に当たるナモンに、好感を向けるのはしゃくだ。だから憎まれ口をはき出し、むすっと顔をしかめていた。

 単純明快なケイスの価値観ではあるが、それは中から見た場合。

 外側から見ていれば、複雑怪奇すぎて、いきなり剣を納めたのも本心かどうかなんてわかるはずもない。

 むしろ最後の台詞で、不用意に情報を漏らせば殺すと脅しをかけられたような物。 
 
 この後一生ケイスの陰に怯えて暮らすことと引き替えに見逃されたとは知らずナモンは、ただただ助かりたい一心で、自分が知る限りのこの島と海底監獄に関する秘密を吐露し始めていった。

 島で最初にその現象に気づいたのは、最初にこの島で鉱山を開発していた密輸ギルドの者達だったという。

 不法奴隷を使い、劣悪な環境で鉱山を違法開発していた彼らは、その奴隷達の中に極希に、竜人化の兆候を見せる者がいることを。

 それも普通であれば怒り狂い周囲をすべて殺し尽くす赤い鱗の赤竜人のはずなのに、理性を保ち続けたままで。

 この情報は、裏の商売関係でつきあいのあった大手魔術ギルド長に秘密裏にもたらされ研究が始まり、ロウガ評議会の有力評議員でもあったギルド長一族によって、島の開放後も隠匿されたまま、今に至っている。

 影響力を鑑みて死刑にする事が出来ず離島追放刑となった貴族階級の収監者用の特別棟には、魔術ギルドによる研究室も密かに置かれており、長年何らかの研究が続けられており、偶にそのための物資や人員が送られてくる。

 さらに収監者の中から竜人化の兆候を見せた者が搬送されており、戻って来た者がいないことから、幹部職員からは生け贄と隠語で言われている。 

 一部の看守達は、その魔術ギルドからの派遣であり、書類上は監獄長であるナモンの部下ではあるが、そちらの件に関してはナモンよりも権限が上の命令系統があり、ナモンも研究の詳細は知らず、肝心の赤龍の転血石がある位置も秘匿情報として、公から抹消されており、坑道のどこにあるかは不明だという。












 ナモンから一通りの証言を聞き終えたロッソに視線で促されて、ケイスは席を立つと、小屋の外へと出る。

 無言のケイスが目の前にいてプレッシャーが掛かり続けていた所為か、扉をしめるのとほぼ同時に、ナモンがベットに崩れ落ちるように倒れた音が響いた。


「どう思う嬢ちゃん?」


「赤竜の竜人となりながら理性を保つか。それが本来はこの島で竜人化した者達の症例。だが先ほど竜人化した看守は、赤龍の意志の元に捕らわれていたな。竜人化には至らずとも他の看守達もそうだ。研究内容とやらを確かめなければ詳細はわからん」


「魔導学は専門外なんだが俺。にしても、また大物が出てきたな。守旧派の派閥元締め一族かよ。確か嬢ちゃんの島送りを主張したのもその派閥の評議員だったな。ロウガに戻ったらまた仕事が忙しくなりそうだな」


 それが偶然だと思うはずもない。何かの企みがあるのだろうが、長年秘密裏にしてきた計画にケイスを加えるなど正気かと思いつつ、ロッソは面倒そうな表情で首をならす。

 管理協会がケイスの功績や所行を隠し続ける所為で、ケイスが関われば、一事が万事、大事になるとまだ理解していない者達がいる事に、むしろ恐怖を覚えるほどだ。

 さらに言えば、今回の黒幕であろう魔術ギルド長であれば、ロウガの大物評議員でもあるのでケイスの情報にも詳しいはずだが、それでもケイスを無理矢理な手でこの島に送ったとすれば、よほどの重大事があると言うことなのだろうが、


「そちらは後で斬れば良かろう。まずはその特別棟とやらから研究室を探し、赤龍の転血石がどこに埋まっているか、坑道の見取り図を探すのが先決だ。私も行くぞ。文句はあるまい」


 当の本人は全く気にせず、ちらちらとこちらを見てくる、正気を保っている看守達の視線にうっと惜しさを感じながら、ロッソに同行すると勝手に決めていた。


「むしろ俺一人で行くから嬢ちゃんを見張ってくれとか言ったら、生き残りから非難囂々だっての。危険人物は連れ歩くって事で納得してもらうか……薬師の姉ちゃんやら姫さんは大切にしろよ」


「うむ。わかっている。ルディやサナ殿たちは私のかけがえのない友人だ。心配しているだろうから、手早くこの件を片付けて顔を見せてやろう」 


 島全体を恐怖に陥れている化け物とは思えない可憐な笑顔を浮かべた美少女風化け物は、友人達が、ケイスよりもむしろそれに関わった者達の安否を気にしているとは夢にも思わず、満面の笑みで頷いて見せた。



[22387] 監獄少女と極上の餌
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:9f05f979
Date: 2020/05/16 05:42
「特別監獄棟区画は船着き場から見て島の反対側だとよ。通常は内部通路でいけるが、今回は避ける。中の囚人や看守の様子がわからないってのもあるが、途中の門や警備用魔導具が今の状況下で正常稼働しているか疑わしい。となりゃここが一番早い」


 管理棟から持ち出してきた、島全体の見取り図や警備網資料などの子細が記されていたが、特別棟に関しては区域のみの表示。内部に関しては極秘扱いで白紙状態。

 特別棟に出入りする資格を持っていた看守たちは、軒並み連絡途絶で行方不明か、昼間の戦闘でケイスによって斬り殺されているので、伝聞さえ期待できない。

 しかも特別棟に繋がる通路も警戒態勢が厳重となっており、途中にも検問所や隔壁がいくつも設けられている状態で、ロッソが選択した移動経路は、船着き場から海岸沿いをすこし歩いて到着した岩場だった。

 月明かりに浮かび上がるのは、切り立った崖。外海と直結しているためか、島にたたきつけられた波が、大きなしぶきを上げている。

 道など皆無だが、ロッソの選んだルートにケイスは気づく。


「崖渡りで行くか。だがこちらにも警戒網があるのでないか?」


 ここが切り立った崖で海に落ちたら、強い波によって岩にたたきつけられてひとたまりも無かろうとも、足場となる場所があるならば、近接戦闘を得意とするケイスにとっては無限の道があるのと変わらない。


「警報装置はあるが、並の人間じゃここで自由に動けない。白銀狼がへばりついたやつを捕獲するって流れだったようだが、群れのリーダ格を嬢ちゃんがぶち殺して喰っちまっただろ。生き残り残りは完全服従状態になっている。邪魔は入らないなら、嬢ちゃんなら最速で行けんだろ」  


「当然だ。島との連絡途絶で、夜には戻ってくるはずの護送船も戻らず、状況を確認しにロウガから新たに船を出すとして……到着は明け方くらいか。数時間程度の余裕はあるがのんびりしてはいられんな」 
  

 月光の下、懸念の表情を浮かべた美少女風化け物は、思わず目を奪われる名画のような雰囲気を醸し出すが、それを額面通りには受け取れないほどにはロッソも、ケイスとの腐れ縁が長くなっている。

 ちょっとした考え違いの差違が命取りになりかねないので、ロッソは一応の確認をする。


「一応聞くけど嬢ちゃんが心配しているのってなんだ? 調査船か」


 今島周辺の海域は大きく荒れている上に、魔力障害を巻き起こすほどに濃い龍の魔力が漏れ出している。

 状況を確認するために島に接近してきた船が転血炉動力船であれば、魔力暴走を引き起こして停止、漂流ですめばいいほうで、最悪爆発沈没も十分に考え得る。

 だから調査船が来るまでに、魔力発生源である赤龍の転血石をどうにかする必要が生まれているのだが、


「当然だ。どうせ私が何かしたかと考えて、アレかナイカ殿が来るであろう。そうしたら獲物が捕られるではないか。喧嘩を売られたのは私だぞ。私が斬るのが道理だ」


 顔をしかめ拗ねた子供そのままの表情でケイスはいつも通りのケイス節を発揮する。

 極めて自分本位で、傲慢にして傍若無人なケイスにとって問題は船では無く、その船で島に来るであろう人物達の方だ。

 彼らが乗っている以上どうとでもするだろうと、船自体の心配はしていない。

 龍が生身で健在であるならば別だが、魔力のみの存在であるならば、多少やっかいだろうとも上級探索者であるソウセツやナイカなら簡単に対処できる。

 さらに言えば、ケイスが斬りに行こうとしてもどちらかに拘束されるのは火を見るより明らか。

夜明け前までに斬りに行かなければ、せっかくの龍の魔力と戦う千載一遇の機会が無くなる。そちらの方がケイスには一大事だ。


「相変わらず初見じゃ理解しがたい考えしてんな。あっちはあっちでクソ忙しいから、ソウセツさんかナイカさんを最初に送り込んでくるか博打だけどな」


 今更ながらにケイス護送ジャンケンで負けたことをロッソは悔やみながら、止めるべきかと判断に迷う。

 二人のうちどちらか一人が来ればいいが、いきなり大駒を投入するほどの余裕は今のロウガ治安警備部隊にはない。

 ケイスは確信しているようだが、ロッソの予想では正直五分五分といったところか。


「……どっちにしろ早めに動いて損はないか。俺が先行するから嬢ちゃんが後から来てくれ」


結局悩んだ所で状況は変わらない。判断を先送りにして情報収集を最優先するのが無難。

 なによりケイスの戦闘能力は破格。

 魔術を使えない魔力変換障害という欠点はあろうとも、現時点でこの島でロッソに次ぐ実力を持つ強者かつ、背中を任せるに十分な程度には信頼が置ける。それにどのみち今は魔術が使えない状態。

 何をしでかすかわからないリスクもあるが、ケイスを遊ばせているよりも、戦場に投入した方が格段に攻略が早くなるのは確かだ。


「うむ。見たところかなり壁面がもろい、ロッソの後を素直に追うと崩落に巻き込まれる恐れもあるから、少し後方の斜め上で崖渡りをするがそれでよいか?」


 探索者としてケイスの実力を評価し現実的な判断をしたロッソに、ケイスも我が意を得たりと嬉しげに頷いて見せた。


「問題ない。ただこっちはまだいいけど、裏側に回ると月明かりが隠れる。崖の途中には、周辺海域を見張る監視所や採掘した屑石の捨て場もあるようだから、そっちに監視の目が配置されているかもしれないから、極力発見されないように明かりは使わないでいくから、片目はつぶって夜目に慣らしとけ」


 最低限の注意をしたロッソは、愛用の長棍を背中に担ぐと、長身の割に身軽な動きで次々に足場を飛びわたって崖を渡りはじめ、ケイスもロッソに続き、崖に向かって飛び出す。

 最初に足場とした出っ張りは見た目は頑丈そうだったが、ケイスが足をかけた瞬間にぐらつくが、慌てず即座に次の足場へと飛び渡る。

 ケイスが離れると同時にカボチャほどの大きさの石が壁面からはがれて、月明かりに照らし出される海に落ちていくが、波音が強いので水音は聞こえてこない。

 海底火山が隆起してできた島だから、ケイスが思っていたよりも相当にもろい岩肌のようだ。

 故郷である離宮のあった龍冠も、湖の中に浮かぶ切り立った孤島で、周囲は高い崖となっていた。

 祖母や従兄弟な従者に見つかったらものすごく叱られるので、隙を見て密かに崖を上り下りする練習はしていたが、そのときはもっと堅い足場ばかりだったが、ここは勝手が大分違う。

 ケイスが選んだ足場の三つに一つは崩落して落ちていく。しかしその一方で、ロッソの方はそのような事はなく、安定した岩場を確実に渡っている。

 それこそ大人と子供ほどの体格差があるうえに、ロッソの方が重装備を身につけているのに対して、ケイスは血で汚れた拘束囚人服と適当に拝借してきたナイフが数本と、細身の長剣のみだから、どちらが有利かなんて考えるまでもない。

 それなのに重量のあるロッソの方が安定しているのは、経験や選別眼の差と見るべきだろう。

 となればケイスがすべきことは、その技術を少しでも見て盗むこと。

 自らを高める自己鍛錬に貪欲なケイスにとって、己を上回る者は、何よりも極上の餌。その動き方や足場の選択を、ケイスは注視し、模倣をはじめる。

 一方で後方からの視線に気づいたロッソは、薄ら寒い感覚を覚えていた。

 ロッソは人族ではあるが、その師匠はエルフ族であるナイカだ。

 野外訓練と称して、難所を散々連れ回されたので、このような切り立った崖で狩りをしたこともよくある。

 今は難なくこなしているように見える崖渡りの技術も、師であるナイカの動きを目で追い、実戦し、時間を掛け必死で覚えた技術だ。

 だがケイスはそのロッソの努力をあざ笑うかのように、一つ飛ぶ事に、その技術を瞬く間に吸収し我が物としている。

 先ほど波音に混ざりかすかに聞こえていた崩落音も、3つに1つから、5つに1つとなり、10に1つになりと、あっという間に成長し、行程の半分ほどを来た段階で全く聞こえなくなっていた。

 すでに月明かりは島の向こうに隠れ、周囲は真っ暗闇となりロッソでさえ足場の選択に苦労するというのに、かすかに聞こえるケイスの足音は、どこか余裕さえ感じさせるほどに軽やかだ。

 ケイスがロウガに姿を現した初めての頃から、なんやかんやで顔を合わせているが、その成長率は異常の一言。

 無理無茶無謀が擬人化したかのような性格で、骨折ならかわいい物で、利き手を失うなど何度も大怪我を負っているのに、その力は下がる所か、1つ難関を越える事に格段に跳ね上がっていく。

 遠からずケイスに、力で抜かれるという予感をロッソは覚えていたが、そこに嫉妬という感情は生まれない。

 嫉妬とは他者と己を比べるから生まれる感情。だがケイス相手には生まれない。

 自らの後ろを追う者が、ケイスが、人や探索者という型枠では収まらない別種の存在、化け物だと改めて認識し、とりあえず今は、それらの恐怖を抱くであろう感情を頭の片隅に押しやっていた。
 
 ロッソが恐れを水面下に押しやっていると、少し先の壁面から、でこぼこした自然の物から、煉瓦らしき人工物へと入れ替わっているのが見えてきた。

 飛び渡ってきた距離からしてそろそろこの辺りが特別監獄棟のある区画のはずだ。

 後ろ手に回したハンドサインでケイスへと状況を知らせたロッソは、横移動から垂直移動へと方向を変える。

 そのまま少しだけ蹴りあがっていくと、崖から飛び出したテラスらしき物が見えてきたのでそこへと音もなく飛び移った。

 ケイスもロッソに続いて到着し、すぐに周辺警戒を開始する。

 全体が監獄となっているこの島は実務優先で作りも無骨な建物が多かったが、このテラスはやけに細かな装飾がほどこされた華美な作りだ。


「他国の王族クラスの流刑地にもなっている、その辺りのお偉いさんの幽閉先か。調度品も相当な高級品で固められている。ここが特別棟で間違いないな」


 テラスから室内をそっと覗いてみると、檻房と呼ぶよりも王侯貴族ご用達の宿の一室といった広々とした部屋には、テラスと同様に、装飾の施されたベットやナイトテーブルが置かれている。

 室内には荒らされた形跡はないが、物音は聞こえず、ベットからも人の気配も感じられない。

 この異常事態に室内で息を潜めている可能性もあるが、罠の可能性もあるかと慎重に確かめているロッソを尻目に、なぜかいら立ちを見せた馬鹿が動いた。






「おまえが気づくのだから私も気づくに決まっているであろう! 面倒だから引っ込んでろ! すぐに斬りにいってやる。おとなしく待っていろ!」


 無造作に立ち上がり扉を蹴破ったケイスが、室内に向かって吠えると、作り付けのクローゼットが内側から破壊され、何かが飛び出てきた。 


「邑源! 我をぐろ!」


 扉を突き破って姿を現したのは赤鱗の竜人。だがその口上が終わる前に、詰め寄ったケイスは一刀で唐竹割りで切り捨てる。

 両断された竜人は何か言おうとしていたが、聞く価値もないと顔をしかめたケイスは、持ってきた長剣が今の一振りだけで刃こぼれがひどく使い物にならなくなった事に気づき、さらに不機嫌になる。


「いきなり殺すな。せめて最後まで話を聞いたらどうだ。ちょっとは情報が欲しいんだからよ」


 いきなり奇襲に対しても十分に警戒していたのか、ケイスも気づかない間に長棍を抜いていたロッソも激怒しながら向かってきた竜人と、それを一切の躊躇無く一刀両断して殺すケイスという組み合わせにさすがに驚きの表情だ。 


「昼間に今のとやり合ったが、こちらの話は聞かんし、つまらんだけだ。大振りすぎて話にならん。全く私相手に本来の戦い方も出来ないのに、自ら手を晒してどうする。楽しみが減るではないか」


 ケイスはつまらないだけだと断言し、竜人の死体から武器をはぎ取り出す。

 腰を見ればぶら下がった長剣の柄頭にはやはり宝石が埋め込まれており、そのうちの地味で小さな石の1つは血の色をしていた。

 これもやはり看守が変化した存在の一人だろう。

 その石をナイフで念入りに砕いてから、ケイスは軽く一振りして重心を確かめる。

 切れ味優先で見た目はいいが、やはりもろい。切れ味は腕でカバーするので、もう少し分厚さと頑強さがほしいところだ。


「それで着いたはいいがどうする? この辺りに竜人の気配は他に感じない。いても操られた連中だけであろう。だが昼間みたいに正気を戻すに海にたたき落としたらさすがに死ぬぞ」


「すこし時間があったから、時間変化型の麻痺薬を配合した。時間で成分が変わる大型魔獣狩り用だから、強力だが後の副作用が心配ってリスクはあるが、半日くらいは効果が持つはずだ。これをぶち込むから極力殺すなよ」


 なぜ竜人の気配を感じるとか、海に落とした位で正気に戻るという説明にも納得はしていないが、秘密主義のケイスにつきあって、一々気にしていては埒があかない。


「うむ。ならば任せた。私はとりあえず片っ端から怪しい箇所を斬って、研究所とやらへの隠し通路がないか確かめる。では行くぞ!」


「もうばれてるから今更だが、一応隠密行動で行く予定がぶちこわしだな……しゃあーねぇ派手にやれ嬢ちゃん!」  


 開き直ったロッソに背中を押されたケイスは、宣言通り気になった箇所に向かって剣をぶち込み、壁を突き破り、書棚を突き貫き、天井を切り落とす家捜しという名の、破壊活動を開始した。 
   



[22387] 監獄少女と蘇る迷宮
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:9f05f979
Date: 2020/06/06 22:37
 まず最初に剣を突き込んだのは、先ほど斬り殺した竜人が飛び出してきたクローゼット。

 背板に食い込む重い切っ先を力任せに貫くと、堅い石壁の手応えと鈍い反響音が返り、突き破ることは不可能と思い即座に剣を引く。

 次いで床についた傷から見て、かすかに動いたばかりの形跡があった隣の書棚へ横なぎに剣を振る。

 書棚に刃を食い込ませたまま、自らの体重を剣へと預け重心を崩して、そのまま前方へと引き倒す。

 傾いた書棚からばさばさと書籍がずり落ちていくが、露わになった内容や表紙は、さしものケイスでもこの暗闇の中では見ることが出来無いまま、轟音を立てて倒れた書棚の下敷きとなる。

 中身を検分できなかった本を引っ張り出す手間を考えれば先に確かめるべきだったかと思いつつ、次にケイスが狙いを定めたのは、壁際に設置された細やかな金属糸で編み込まれ目や爪の部分には宝石が彩られた鳥形彫金が施された豪奢な魔導ランプ。

 燭華の高級店で幾度か見た物と同型のランプには、光量調整が可能な光球を発生させる魔具が埋め込まれており、これだけ室内が暗ければ常夜灯としてかすかな明かりを自動で放つ高級品。

 だが金物の鳥は僅かな濃淡の陰を晒すだけで、室内は暗闇に閉ざされたまま。

 共通金貨200枚だか300枚すると聞いた記憶もあるが、今のケイスにはそれは気にとめる必要もない些細な情報。

 逆袈裟気味に左斜め下から剣を振り上げ、火花を放ちながら金属鳥を一刀両断。

 かすかな火花で見渡した内部には光球を発生させるための魔方陣を描く魔力導線が細かく組み込まれていたが、肝心の魔力発生源である転血石と魔力に変換するする転血炉機構は見あたらない。

 代わりに燭華で見た物とは違う外部から魔力を引くための、白銀色の魔力導線が壁の中に消えていた。 

 その行く先を確かめたいが、今の手持ちの長剣で石壁を斬るのは、強度的にいささか心許ない。

 闘気による爆破技。石垣崩しには、対象が生体でないので、異なる龍種の闘気を用いた双龍技を用いる必要があり手持ちのナイフが二本必要。

 そちらも補給もままならない今の状況では使えない。

 つくづくラフォスが宿る愛剣、羽の剣が恋しい。

 羽の剣を手に入れるまで、ケイスが愛用した剣は、だいたいが戦闘中に損壊し、良質な物でも一戦、最大に持っても二戦程度の戦闘で使用不能となっていた。

 ケイスの扱いや、使う技が、かなり無茶苦茶なこともあるが、それ以上にケイスが切りたい対象があまりに多いからだ。

 いつだって斬りたい物は斬りたい。

 斬る条件が満たされないならば、自ら満たすのみ。

 貪欲、いや渇望的に斬ることを望む剣の申し子にして化け物は、暗闇の中に己の剣を見いだす。

 切り落とした鳥彫金の断片を左手で掴み、双剣を扱うために強化しその気になれば鉄板を引きちぎるほどの握力で握りつぶし、細やかな五指の動作で、金属糸をこより、即席の棒をいくつも作り出す。

 元が細い金属糸であるから一瞬でへたれ自重で曲がるほどにか細い棒。

 だがケイスの手にあれば、それは剣となる。剣とならなければならない。

 なぜならケイスは剣士。剣士が手に構えるならばこの世の万物は剣である。

 剣と呼べぬ物さえも剣となる。なって当たり前だ。

 ならば今より金属糸で編み込まれた棒ではなく、極細剣となる。

 血流に意識を這わせ、手の細やかな毛細血管の一本一本まで支配し、心臓と丹田から生み出す火龍と水龍の異なる龍種の闘気を完全に分別し、火6、水6計12の血流を作り、作り出した極細剣12本を指間に挟みそれぞれに闘気を込める。

 まだ幼い少女らしい細腕を電光石火に振り、12の極細剣を二本一組それぞれ狙った6点。

 ランプ真後ろ、壁、部屋中央天井、そしてテラス真正面の扉へと打ち込む。

 込めた闘気はごく少量。だが相反する龍種の闘気は互いを喰らいあい争い、極細剣が大きく破裂しながら消滅するのと引き替えに、壁や天井の一部が崩れ、高級な調度品が揃った部屋には似付かわしくなかった金属扉を強い衝撃で蝶番ごと通路側に吹き飛ばす。

 ケイスが通路側への扉を破壊した直後に、待機していたロッソが打ち合わせもしていないのにすかさず通路へと出て視線を飛ばし周辺警戒をはじめる。     

 自らが破壊した室内を一瞥してから、ロッソに少し遅れてケイスも通路へと飛び出す。

 通路にも明かりはついておらず闇が濃いが、敵影は見えず、差し迫った脅威も感じられない。

 これだけ大きな破壊音を立てたのに、何の反応もないのがむしろ気にくわない。


「隠し通路の類は無し。魔力導線は大本から供給が絶たれている」


「いくら嬢ちゃんの剣つっても、これだけ簡単に扉やら壁が壊せたって事は、脱獄防止に仕掛けられた建材強化魔術も切れてるな。異常魔力を感知して緊急停止したってなら上出来か」


 剣を打ち込んだ反響音や引き倒した書棚などから分かった情報を手短に伝えるが、ロッソもケイスの意図を読めたのか、全部を語らずとも同様の結論へと至ったようだ。

 隠し通路がないのであればクローゼットの中にいた竜人は、元からそこに潜んでいたことになる。

 だが互いに気配がわかるケイス相手にわざわざあんな稚拙な待ち伏せをするとは思えず、それよりも変化元となった看守があそこに隠れていたと見た方が自然な流れだ。


「隣の部屋を確かめる。ロッソは通路で警戒を頼む」


 最初に飛び込んだ監獄は通路の端っこにあったので、反対側の右側に駆け、最初に見えた扉に、こよりで作った極細剣をまたも打ち込み、扉を今度は外側から破壊して、室内へと踏みいる。

 こちらの部屋も広さは同じくらいだが、調度品の雰囲気が大きく異なり、蔓で編んだ家具やあでやかな色彩の毛織物が床に敷き詰められているが、明かりもなく人影は無し。

 同じ形の作り付けのクローゼットへと剣を打ち込んでみたが、こちらは予想通り誰もおらず、仕立ての良い服をいくつか貫いただけだ。

 角山羊が目立つ服の意匠から、ロウガの二つ隣、北方山脈を望む高地の国ゼラスランド、それも角の意匠には一部の者にしか使用が許されない金染めの糸を用いていることから、相当高位者の独房。 

 ただどうしてもちぐはぐな印象をケイスは覚える。

 囚人という割にはやけに優遇されている。

 家具に用いられている木材や、細部の細かな飾りも含めて安物は皆無。どれも本国で一級品とされる代物ばかりだろうと容易に想像がつく。

 だが部屋の作りは厳重な監獄であることは間違いない。

 今は稼働していないが、部屋全体を強固にする魔術式が発動していれば、いくらケイスといえど抜け出せないほどの強度を持つ作り。

 しかし室内には手洗い場や便所などが無く、寝室や私室といった印象を覚えてしまう。


「特別棟収監者の一覧や、犯した罪が分かる物は何か無いか? 罪人を閉じ込めるにしては部屋の調度品が良すぎるし、足りない設備が多く違和感がある。どこかにこの部屋の主達が大半の時間を過ごす場所があるはずだ。生き残りがそこにいるやもしれん」  


「収監者情報は極秘だ。国の威信に関わる部分もあるからな。噂で聞くところには、特別棟収監者はお偉いさん、それも上位の王侯貴族が主。このあたりの国でその地位となれば、ほぼ間違いなく色濃く始祖英雄の血を引き継いでる4世、5世あたりだ。そんなのを閉じ込めるとなりゃ、厳重な警備が必要になるのは分かる、血脈である程度の敬意をもたれるのは仕方ないだろうな」


 ロウガやその周辺は最後まで火龍の勢力下にあり、最終的に開放された地域。

 それ故に周辺国家を立ち上げた王族やそれを支えた高位貴族は、暗黒期の終わりを告げる最終決戦となったロウガ解放戦にも参加した者も多い。

 元々遠い祖先との縁のあった者達もいれば、その土地とは無関係ではあるが、募集された開拓民達に慕われ、王として請われた、その当時であれば誰もが国主、領主として認められるほどの人望と実力を備えた英雄達。

 例外があるとすれば、解放戦に参加せず、戦後に大英雄達が見つけ、フォールセンが後ろ盾となった東方王国狼牙領主の血を引くロウガ王家くらいだ。

 秘密魔導実験所と英雄の血を引く囚人達。それに火龍の転血石。

 断片的な情報から、対極的な二つの筋がケイスの中に浮かんでくるが、それを決定づける情報はまだ無い。


「どうする大部屋を探すか? それとも転血炉を先に確認するか? 建物の大きさ的に独立した転血炉があるはずだ。魔導研究所となれば使用魔力も大きい。そっちの線からたどるのもありだ」


「転血炉から探す。いるかどうかも分からない生存者よりもまずは確実にある物からだ」


 ロッソの問いかけに即答したケイスは、明かりの消えた通路をとりあえず道なりに走り出す。

 ゆっくりと曲線を描いて伸びる通路には等間隔で扉が並ぶが、固く閉ざされた室内からは何の気配も感じられない。

 扉は10を数えたところで終わり、そこから先の通路が金属の格子と、無骨な金属扉で区切られている。

 格子の先にも暗い闇が続き見通しがきかない中、ロッソが先に足を止め、僅かに遅れてそれに気づいたケイスも足を止め剣を構え直す。

 20ケーラほど先の格子に設けられた扉すぐ横の床には、暗闇と同化しているのでわかりにくいが、人影のような物が二つ倒れていた。

 耳を済ますが呼吸音のような物は聞こえず、人影も微動だにしない。

 ケイスの肩をロッソが人差し指と中指で軽くタップして、明かりをつけ確かめると合図を送ってくる。

 同意を表す足音をケイスが一つ立てると、すぐにロッソが腰の小袋から何かを取り出して、前方へといくつかばら撒いた。

 木の実のような形のそれは、壁や床に落ちると小さな音共に割れ、中に蛍光塗料でも含んでいたのか淡い光を放つ液体を散乱させる。

 魔術は使えず、松明のような火を用いた物は熱を司る火龍によっていつ暴発するやもしれない中、かすかな光でも十分に有り難い。

 そのか細い明かりが倒れていた人影を照らし出すが、光に照らされながらもそれは未だ真っ黒な外観を晒す。

 よく見れば人型を取るそれは、人の手のひらほどの真っ黒な羽を持つ無数の蝶が描き出す形だった。

 光に当てられた所為か、それとも奇襲が出来ぬと悟る知恵でもあったのか、蝶達が一斉に飛び立ち、ケイス達の方へと向かってくる。

 表側は真っ黒だが、羽の裏側はまがまがしいまでの赤色に染まり、こちらに襲いかかって来る蝶はまるで火炎津波のような様相を表す。

 蝶が飛び立った後には、焦げあと1つ見えない無傷の甲冑と、それとは真逆に肉や皮が炭化したらしき欠片が僅かに残る頭蓋骨が転がっている。


「また質の悪いのが出やがったな。あれは俺が引き受ける」


 ロッソは一目で正体に気づいたのか、嫌そうな声を上げながらも、突っ込もうとしたケイスを押さえ、長棍に何かの薬を塗りつけている。


「分かるのか?」


「あの羽模様は、人に植えつけた卵から孵化する寄生蝶の一種。幼虫の時に自らはなった高熱で宿主の焼いた肉やら内蔵を食べる悪趣味なタダレビ蝶だ。ただ普通の奴より、大きすぎで成長も早すぎるから迷宮モンスターで間違いない。刺されると厄介だから一気に殲滅する」


 長棍に薬を塗りおえたロッソがそのまま棍を蝶の群れの中心に投げつけると、棍には触れてもいないのに不気味な蝶達が次々に床に落ちていく。

 そのまま一、二回力なく羽をばたつかせていたかと思えば、絶命したのか死骸の山が一気にできあがった。


「気化毒か。むう斬ったことがないのだから一匹くらい残せ」


 せっかく構えていた剣が無駄になったケイスは頬を膨らませるが、ロッソは拍子抜けした顔を浮かべる。


「そこはあの数を一瞬でとか驚いてくれてもいいんじゃねぇのか? 人体には無害だから呼吸は止めなくていいぜ」


「ロッソならばそれくらい出来るであろう。なぜ驚く必要がある……それよりも迷宮モンスターだと言ったな。そっちの方が重要だ」


 蝶の死骸を足でかき分け床に落ちていた長棍を無造作に拾ったロッソが、布で軽く拭き取り棍を担ぎ直す横で、ケイスは再度格子の向こう側に目を向ける。

 おそらくあそこが境界線だ。

 ケイスの勘が告げ、心が躍り始める。

 迷宮モンスターとは、文字通り迷宮で発生するモンスター群。

 迷宮に住まう彼らは、迷宮外の同種とは比べものにならないほどの、生命力であったり、繁殖力であったり、成長力を発揮する。

 それが現れたということは、ここに迷宮が現れたと言う何よりの証左に他ならない。


「ふむ。魂だけとはいえ主が戻ったことで蘇ったようだな。迷宮が」 


「かなり予想外の状況で進んでいるんだが、どうするよ?」


「殺しても殺し尽くせぬモンスター共が群れているなら望むところだ。突入する」


 ロッソの問いかけに、ケイスはいつもの調子で答え極上の笑みを浮かべる。

 物騒な台詞とは裏腹に、まるでお菓子の家を前にした少女のような嬉しげな顔だ。


「今更ながらだが……その美少女笑顔で言う台詞じゃねぇなホント」  


 この島は元は迷宮。そしてその迷宮主は転血石となった火龍。

 迷宮と迷宮主が揃ったのだ。死んだ迷宮が生きた迷宮に戻るのは道理だ。

 迷宮モンスター以上に、迷宮と共に生き、成長をし続けているケイスにとって、目の前に迷宮が現れる以上に、嬉しく、心躍る物はなかった。




 メイン【討伐】クエスト対象【赤龍】特殊クエスト条件達成

 特殊クエスト【龍の血に抗いし者達】発動確認

 迷宮群【悪夢の島】再稼働確認

 プレイヤー未発見迷宮群への到達可能性極めて高し

 新迷宮群発見時メインクエストへの影響極大

 シナリオ改変を開始  





 賽子が転がる。

 賽子の内側で無数の賽子が転がる。

 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。

 賽子が転がる。

 神々の退屈を紛らわすために。

 神々の熱狂を呼び起こすために。

 神々の嗜虐を満たすために。 

 賽子が転がる。

 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。 



[22387] 監獄少女と携える武具
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:9f05f979
Date: 2020/06/12 02:15
 他の迷宮モンスターが潜んでいないかと、通路を区切る格子へと慎重に近づいてみると、横開きの扉には鍵が掛けられ閉まった状態となっている。


「格子の向こうに敵影は無し。突入前にあちらさんの遺体を確認するから、突っ込むなよ嬢ちゃん」


「むぅ、人を猪扱いするな。事前情報の大切さ位は分かるぞ」


 ケイスの日頃の言動から考えれば、短慮扱いをされても仕方ないのだが、本人的にはいろいろ熟考した上の行動なので、頬を膨らませ抗議してから倒れていた看守兵らしき2体の白骨死体の検分をはじめる。

 屋内警備に適した武具はオーソドックスな軽鎧系で、昼間に戦った看守兵達とほぼ同じ装備。

 右の遺体の脇に落ちていた長剣は、刀身の一部が変色しボロボロになっており、触れただけでもろくも崩れてしまった。

 柄には取り落とし防止用の腰ベルトから延ばした金属ワイヤーがつけられている。その長さは、なぜか手が届く範囲内で短く使い勝手は悪そうだ。

 左側の遺体も同じように腰ベルトからワイヤーが伸びていたが、右の遺体より長く引き出された上に、途中で途切れ武器はついていない。

 ワイヤーが途切れた部分はやけにきれいな断面を晒していて、なめらかな曲線を描く凸型になっていた。

 武器が下敷きになっているかと思い、無手の左側の遺体を持ち上げてずらすと、武器の代わりに乾いた血で汚れた鍵の束が1つ。

 石床にはかきむしった指でできた幾筋ものの血痕と、石の隙間に食い込みはがれた爪が何枚も残っている。


「ここまで何とか逃げてきたが、タダレビ蝶の幼虫が体内で孵化し動けなくなって、高熱で、もがき苦しみながら生きたまま喰われたみてえだな。血の乾き具合からして……数時間前って所か。迷宮内でモンスターが飽和して溢れてきたんじゃなくて、外に運んじまったパターンっぽいな」


 検分を終えた遺骸に、ロッソは冥福を祈って印をきった。

 迷宮モンスターは基本的に迷宮外へと出てくることはないが、モンスター達が異常増殖する迷宮閉鎖期明けに、モンスターの駆逐が追いつかずさらに増え飽和状態になると、迷宮外へとあふれ出し、群れをなして近郊の町村を襲うことがある。

 その最たるものが大陸中でモンスターたちがあふれ出た暗黒期だが、今回は卵を植え付けられ、それが外で孵化した例外事例のようだ。 


「先ほど私が斬った竜人の元となった者は、運良く寄生されず一人逃げおおせて、隠れていたということか」


「相当追い詰められて最後がアレか。同じ探索者として同情する」


 せっかく助かった命だというのに龍に意識を乗っ取られて、最後はケイスに斬り殺される。

 竜人へと姿が変わってしまったので、名前どころか本来の顔さえ分からないが、死体がある部屋の方に向かって、そちらにもロッソが冥福を祈って印をきる。
   

「他者の冥福を祈っているほど余裕はないぞ。この切断面をどう思う?」


 姿が変わろうとも、非業の死を遂げようとも、特別棟の看守達は自らの敵対者として定めているケイスは、微塵も介さず意識を迷宮攻略へと向け、どうしても気になった武器に繋がっていたとおぼしきワイヤーの先端を指し示す。

 
「斬った、噛みちぎったって感じじゃないな。滑らかすぎるか……取り回しが悪くなるのに、
わざわざワイヤーで接続するなんぞ。こりゃ迷宮特性かもしれねねぇな」


「うむ。私も同意見だ。【離さず】の呪いでも、迷宮全域に掛かっているのやもしれぬ」


 迷宮特性【離さず】は文字通り、武器に限らずあらゆる物が己の手の届く範囲外に出てしまうと、即時に消失する迷宮特性。

 わざわざ使い勝手が悪くなるのに短めのワイヤーで繋げていたのは、もし取り落としても手の届く範囲内に止めるため。

 
「左の遺体のワイヤーが長いのは、切り込んだときに刃が食い込み引きずられそうになって慌てて伸ばしたと私はみる。刃こぼれや腐食の痕から見て、堅い甲虫系、それも腐食性の体液を持つ虫系モンスターもいるのではないか?」


「となると、【赤の迷宮】か。嬢ちゃんの得意分野だが、問題は迷宮クラスだな。絶対に近づけたくない寄生系かいて、しかも大量湧きする虫系と。武器破壊系もとなると……中級以上、元の迷宮クラスも考えれば下手したら上級迷宮の可能性もあるな」


 永久未完迷宮は、迷宮を表す、迷宮色ごとにそれぞれ特徴があり、ロッソが予測した赤の迷宮は、近接特化の迷宮となる。

 高耐久、高魔力耐性モンスターなどといったモンスター群生傾向や、常に吹き荒れる強風や魔力暴走地帯などの自然環境、様々な事情で遠距離武器や魔術が使用できず、近接戦闘を強いられる迷宮。それが赤の迷宮だ。

 しかも赤の迷宮に限らず、どの迷宮もより上位の迷宮になれば、難易度が跳ね上がるのが常識。

 赤の迷宮であれば武器破壊や一定範囲外消失は序の口、一歩ごとに上下が変わる複雑に入り乱れた重量異常や、斬った端から傷がふさがる超回復持ちのモンスターと異常事態が牙を剥いて探索者へと襲いかかる。

 島は今現在、地下坑道のどこかにある赤龍転血石の影響により、魔力暴走が懸念され魔術使用が極めて危険な状態。

 さらに寄生系や、武器破壊系の虫型モンスターが沸いているとなれば、ロッソの推測通り、上位の迷宮が発生しているのも十分に考えられる事態だ。


「むぅ。下級であればよいが、中級ならば私が入れぬではないか。ロッソばかりずるいぞ。独り占めではないか」


 始まりの宮を踏破し探索者となった者達は、最初の半年間。つまりは次の始まりの宮が始まるまでは、もっとも低難度である初級迷宮のみに挑める初級探索者であり、その後、次の始まりの宮終了と共に下級探索者へと自動的にとなる。

 しかしケイスは例外中の例外。

 あまりに迷宮を踏破しすぎた所為で、定説を覆し、半年を待たずに次の位階、下級探索者となった化け物だ。

 だがそれでも所詮は下級探索者。より上位の中級や上級迷宮へは足を踏み入れることは出来無い。


「ずるいってな。こっちだってソロで中級迷宮に挑む気はねぇよ。中級迷宮クラスならどの色だろうとパーティ単位での攻略が俺らには常識だっての……ともかくまずは迷宮のランクと色を確認だ」


 嫉妬の目を向けてくるケイスに呆れつつも、ロッソは先ほど見つけた鍵の束を拾い、格子扉の鍵穴で一つ一つ試していく。

 鍵を半分ほど使ったところで、カチャリと鍵が回り、錠が外れる。

 合図を送るロッソの目線に無言で頷いて答えケイスが剣を構えてから、ロッソがゆっくりと扉を開けていく。

 きしみながら開いた扉の向こうには、またすぐに別の扉があった。 

 外界と迷宮を隔てる迷宮への入り口を示す扉は、ケイスの予測通り真っ赤に染まる縁取りがなされ、中央には血よりも濃い鮮血色の赤色に染まる宝玉が鎮座する。

 自分の目で扉が見えると言うことは、迷宮へと入る資格を持つ。つまりはケイスでも入れる迷宮だという何よりの証拠。

 
「やはり赤の迷宮か……ん。どうしたロッソ?」


 転血石となっているとはいえ、龍を倒すために迷宮へ挑む。

 この胸の滾りが無駄にならずにすんだと胸をなで下ろすケイスだったが、その横で格子扉を開けたロッソが非常に微妙な顔を浮かべている事に遅ればせながら気づく。  


「最悪じゃねぇか。またこの流れかよ……俺には黒一色で扉がみえねぇぞ。離さずの迷宮特性有りで初級はねぇだろ」


 扉が見えない。その一言はロッソがこの迷宮へと挑む資格を持たない事を表す。

 初級兼下級探索者であるケイスには見えて、中級探索者のロッソには見えない。となればこの迷宮はもっとも難易度が低い初級迷宮と分類される事になる。だがそれはおかしい。

 今現段階で予測される迷宮難易度は、初級のそれではない。少なくとも下級以上、最悪で上級迷宮さえ考えていたくらいだ。

 だが事態はロッソをあざ笑うかのように、最悪の上の最悪へと突き抜ける。


「ふむ。なれば一度迷宮化完全に死んだ所為ではないか? 前期で人が死にすぎたり、逆に踏破されすぎて、難易度はさほど変わらぬのに、来期で迷宮の階位が上下することは希にあるでのあろう」


 ランク的には、攻略が容易なはずの下位の下級迷宮であるが、油断や事故、あるいは探索者同士の争いで必要以上に人が死んでいた迷宮が、来期に中位迷宮となっていた。

 またそれとは逆に、難度の高い上級や中級迷宮であったが、安易な近道や、安全な攻略法が確立されたことで踏破者が異常に増大し、閉鎖期明けに迷宮のランクが下がっていたという事例は、珍しい現象ではあるが、何度も報告されている。 

 ましてや今回は、暗黒期末期に一度完全に死んだ迷宮が、百年以上の時が流れた今になって復活したという前代未聞の事態。

 常識外のことが起きているのだ。常識で考えるのがまず間違っているのだろう。


「簡単に言うな。その例の場合は、難易度は変わらないってのがほとんどだ。となるとこの扉の向こうは、実質上位迷宮と同じ迷宮特性持ちってことも十分あるって事だぞ」


 頭痛を覚えてきたのか額に手を当て大きく息を吐くという、ケイスが絡んだ事象で誰もがよく見せる反応をロッソもまた行う。

 しかし悩んだ所で事態は好転せず、むしろ悪化するばかりだ。


「ったく。島全体が迷宮化してくれれば、元から迷宮内にいるから問題ないってのに。どうしてこうも貧乏くじだよ」


 このまま手をこまねいていれば、島の様子を探るために送り出された探査船が二次被害を受ける事態も十分に考えられる。

 怪我の状態が思わしくない生き残りの看守や一般職員も多い。どうにかして赤龍転血石を処理しなければならない。

 そしてそれを行うために迷宮に飛び込めるのは、今この島においてはケイスだけだ。

 覚悟を決めたのか、ロッソは両手で頬を叩いて気合いを入れ直す。

 
「仕方ねぇ、出来る限りの準備をしてから迷宮に突っ込め……嬢ちゃんまずは偽の指輪をしたままでいいから宝玉に触れろ。それで本物の指輪を召喚できる。多少の天恵は失うが微々たるもんだ」


「ん。こうか?」


 ロッソに言われたとおり手を伸ばして扉中央の宝玉に触れると、赤色に染まる宝玉から血が滲んで来たかのように、ケイスが右手にはめた偽の指輪が真っ赤に染まっていく。

 初級探索者にして、下級探索者であるケイスを表す真っ赤な指輪へと。

 指輪は探索者の証であると同時に、迷宮の入り口である扉を開けるための鍵として重要な物ではあるが、同時に迷宮探索の際に失われることも多い物。

 指輪をした右手ごとモンスターに喰われたやら、トラップで体を押しつぶされて何とか助かったが指輪をなくしたというのはよくある話だ。

 その場合探索者を引退する事になるとか、もう一度始まりの宮に挑むなどは必要なく、今のケイスのように迷宮の扉にある宝玉に触れることで指輪の再召喚を行うことが出来る。

 指輪の再召喚には迷宮で得た力、天恵を僅かばかり必要とするが、迷宮で得られる莫大な財宝や力を思えば微々たる物だ。


「戻ったな。ん? しかしここに指輪があるのでは、ロウガ支部に預けた指輪はどうなるのだ?」 


 自分の指に戻った深紅の指輪を一瞥してからケイスはふと疑問を覚える。

 監獄に収監されることになったため、一切の私物。ラフォスの宿る羽の剣や、ノエラレイドの宿る赤龍鱗の額当てなどの武具一式や、内部拡張の神術が掛かった天恵ポーチなどと一緒に、元々の指輪もケイスはロウガ支部に預けてきている。

 言い訳が出来無いほどに真っ赤に染まった指輪を他者に見られれば、ケイスが半年を待たずに下級探索者となった事が世間にばれてしまう。

 普通であれば、快挙として誇れる事例で、ロウガ支部も大々的に喧伝したいだろうが、何せケイスの悪行というか行動は、その功績を真っ正面から打ち消した上に、完膚無きまでにたたきつぶすほどに問題行動も多いからだ。


「あっちの指輪は消滅している。だから島の異常事態が、詳細は分からずとも、何かが起きたってのはロウガ支部にも伝わるはずだ。何せ迷宮が今はないはずの島に送られた嬢ちゃんの指輪が召喚された。となりゃ、尋常ならざる事態になっているってソウセツさんやナイカさんならすぐに気づくさ」


「ん。だが指輪はその所有者が死亡しても消滅するのであろう。私が死んだと早合点せぬか? 実際に私に危害を加えようとした輩がいたわけだしな」


「嬢ちゃんが素直に殺されるようなタマかよ。心配するだけ無駄だろ。それよりか次は防具だ。今更だが、さすがにその格好で迷宮に挑もうっていうなら力尽くでも止めるぞ」


 ロッソが指さすケイスの格好は、首輪はないが昼間の拘束機能付きの囚人服のまま。

 ぬぐいきれない返り血の痕が残っていて普通ならば不気味この上ないのに、似合っていて可愛く見えてしまうのがケイスの恐ろしさだ。

 その所為でついロッソも見落として、ここまで同行していたが、その服には防御力という要素は皆無に等しい。


「つっても俺の手持ちじゃサイズが合うのがねぇな。かといってこれらもでかすぎか」

 
 長身のロッソが持つ予備の重防具ではケイスには丈が長すぎて、邪魔になりすぎる。

 転がっている白骨死体から不謹慎に軽鎧をはいだとしても、そこは大人と子供ほどの差が有るのは変わらず、ケイスの行動を阻害して、かえって危険だ。

 
「ん。防具なら私に少し考えがある。それよりもロッソの手持ちで、予備の武器があれば貸してくれた方が嬉しい。相手が武器破壊系の要素もあるのならば、手持ちが多い方がよい。とりあえず身を守る物を調達してくるから、その間に用意していてくれ」


 正直にいえばケイス的には防具よりも武器が重要だが、先ほどこのままの格好で行く気なら行かせないといったロッソの意志は強そうだ。

 ならば一応は納得させるくらいの備えは必要だと考えたケイスは、思いついた考えを実行するために、ロッソの返事も待たずに、来た方向へと通路を逆走する。


「あ、おい! 待て。考えってどうするつもりだ嬢ちゃん!」


 見せた方が早いとロッソの問いかけを無視したケイスは、扉をぶち明けた二つ目の部屋へと舞い戻る。 

 主不在の部屋へと勝手に再度押し入ったケイスは、先ほど破壊したクローゼットの中で見た記憶のあった厚手の毛皮付きの外套を引っ張り出す。

 この火山島の気候では必要もなさそうな厚手のコートだが、おそらく故国での思い出の品か何かなのだろう。

 持ち主が大切に保管してあったらしきそれに、ケイスは一切の躊躇なく剣を振ると、自らのが纏うのにちょうど良いサイズに丈を詰める。

 次いで最初に飛び込んだ部屋に行って、倒れている本棚の下から本をいくつか取り出して、表面を触ってワックスで煮込んで硬化処理された表紙を選別する。

 選んだ本を引きちぎってばらばらにしてから、極細剣として持っていた金属糸をもう一度ほどいて、それを金属糸として、本に使われていた表紙を何枚か束ねて縛り付け装甲板にして、持ってきたコートの腕や胸部、背中へと縫い付けていく。


「ん。こんな物か。むぅ、動きづらい。少し削るか」


 早速着込んで動作を確かめて、あれやこれと手直ししてみたが、あまり着心地は変わらない。

 使い手として前代未聞の天賦の才はあるが、作り手としてはそちらには遙かに及ばない劣った才しか自分は持ち合わせていないと、ケイスはあきらめてある程度で妥協する。

 見た目も不格好で動きにくさもあるが、無いよりは多少はマシというところの皮鎧もどきを速攻で仕立て上げたケイスがロッソの元へと戻ると、天恵バックを広げたロッソの足下にはいくつも武器が並んでいた。 


「また妙な物をこしらえてきたな。無いよりマシだけど意味あるか……それ?」


 表紙の絵やら文字があちらこちらに躍る珍妙な格好は、鎧と呼ぶよりも新刊宣伝用のオブジェと呼んだほうがしっくり来る。

 そんな代物で迷宮に挑もうというのも頭がおかしな話だが、それでも衰えない美少女っぷりを発揮するケイスにたいして、ロッソは呆れ半分だ。


「五月蠅い。それよりどれが壊れてもいいのだ? 無事に返せる保証がないから、思い出の品があれば引っ込めておけ」


「借り手側の癖に偉そうだな。近接用の手持ちは全部を出したから好きに持ってけ。けちって嬢ちゃんに死なれたら、レイソンさんらに会わせる顔がねぇよ」


「うむ。感謝するありがとうだ。この借りは絶対返す。何か困ったことがあれば私に言え。喜んで力を貸すぞ」


 太っ腹な発言をするロッソに、ケイスは笑顔で頭を下げてから、しゃがみ込んで武器の吟味を始める。

 予備の長棍。短槍が数種類。ケイスが好む厚手で身の丈を超える大剣はないが、使い勝手の良いショートソードが数本。ナイフ類は厚手の鉈状の物から、刺突用の細身の物など複数。

 変わり種では、棍の先につけるのか毒を添付する用の溝が掘られた穂先がいくつもあることか。

 さすがに実力を認める中級探索者のロッソの手持ち武器なだけあって、いろいろと五月蠅いケイスが及第点を与えられる作りのしっかりとした物が多い。

 欲をいえば、使ったことがない形状の武器もあるので、全部を持って行き試したいところだが、今のケイスは拡張ポーチを持たないので一度に運べる武器の数にも限度がある。

 刃のついていない武器は好みではないので棍は除外し、短槍とショートソードを各一本ずつに厚手のナイフを数本を借り受け、防御用装甲としても使えるように、選ぶたびに四肢に鞘ごと縛り付けたり、背中に背負う。

 そうやって一通り見ていった最後で、ケイスは最後に置かれた品に目を止める。

 それは今まで並んでいた武器ではなく、重厚な金属を幾重にも重ねて作られた手首までを覆う左手用の手甲だ。

 しかしその手甲は武具に精通しているケイスでさえ、一目ではどうにも判別できない妙な感じを覚える作りをしている。

 やけに凹凸が多く、しかも薄手の装甲が手の内側、指先にまで何枚も重ねてあるのだが、それらは微妙に1枚1枚がずれており、動かしにくそうで使い勝手の悪そうなイメージを一見覚えるが、どうにもケイスの琴線に触れる部分もある妙な代物だ。

 
「これはなんだ? トカゲの鱗みたいに重ねてあるが装甲としては薄すぎないか」


 スケイルアーマーのようにも見るが、毛羽立つように装甲板が立っていて無駄が多く、重量も意味なくありそうだ。

 重さや作りなどを確かめようと伸ばした手を、ロッソにつかまれ止められる。    


「あー触るな触るな。指切るぞ。武器だっつたろ。ロウガ工房街の試し市でよくある際物の1つ。それの手甲部分だ」


「試し市とは、たしか若手職人主催の武具市場だったな。参加料を取ってこの武具でこれが出来たらと課題を出して、参加者が成功したら無料で手に入るという物だったか。これはどういった物だ?」


「この手甲の場合は、これをつけてリンゴを傷1つつけずに掴めって奴だ。切れ味はこんな感じだ」


 手甲を身につけたロッソが取り出した薄い紙を手甲の手のひらに乗せると、一瞬触れただけで紙が細切れと化し、石ころを掴み手で握ると、大して力を入れているようにも見えないのに、砂粒となってこぼれ落ちていく。


「なるほど……装甲板に見えたあの一つ一つが刃か。ずいぶんと切れ味が良いな」


「それが売り。要は工房街工房主連盟が宣伝目的で作った際物で、こんな小さな刃でこれだけの切れ味が出せるって技術を見せるパフォーマンス用だな」


 表側の手首部分に触れないように慎重に外したロッソが手甲を床に置いてみせるが、今しがた石を粉砕した手のひら側の刃には欠けは一切みられない。

 
「光沢から見て、普通の金属ではないな。耐久性はどうだ?」


「材質はドワーフ工謹製の秘匿合金。耐久性は中級迷宮クラスでも十分耐えて、大抵の酸や溶解液なんかの腐食をはねのけるっての謳い文句の、全身が刃で出来たソードメイルだったかな? 昔、酒に酔った弾みで参加して、偶然にリンゴつかみに成功して手の部分だけは手に入れたんだが、見ての通り実際に使おうと思ったら、何かの拍子に自分の体に触れただけで大怪我って可能性が高くて危なくて使える代物じゃねぇよ」


「同素材で覆う全身甲冑なら問題はあるまい」


「そっちはそっちで、未だ誰も試しを突破したことがない上に、全身刃物まみれで数千、数万の刃がついていても、その全部を有効的に使えるわけ無いだろうって噂だな」


 使えるわけがない。ただの見せ物用。そう語るロッソだが、あきれ顔の中に浮かぶ目は、どこか期待を寄せるような色をたたずませる。

 わざわざ見せてきたのは、ただ手持ちにあったからではない。

 高耐久、高腐食性、そして身につけることで絶対に離すことがない刃。

 有効距離に問題はあるが、元々近接戦闘を極めようとするケイスの体術を持ってすれば、今から挑もうとする迷宮では十分に使える代物だ。

 無言で促すロッソの視線を感じながら、ケイスは無造作に手甲を掴み自分の左手に装着する。

 ドワーフ工による技術の賜か、手を入れたときはぶかぶかだった手甲は指先が先端に触れると、カチャカチャと軽い音を立てながら刃がうごめき、自動的にケイスの手にフィットする形へと変貌する。

 そのまま何度か手を開いて握ってと感触を確かめ、次いで素早く左手を動かし、胸のあたりにつけていたナイフを引き抜く。

 金糸が施された豪奢な毛皮の表面はもちろん、握ったナイフの柄にさえ傷1つつけずケイスは、身につけたばかりの手甲に生える無数の刃を、己の意志の元に制御してみせる。


「……で、嬢ちゃんならいけるか?」


「当然だ。私は剣士だからな。これも借り受けるぞ」


 指先の組み方、動かし方1つで、己の左手そのものが様々な剣と化す感触は、剣士であるケイスにとって実に心地いい。

 これが手甲だけでなく、全身揃えであるならばどれだけおもしろいだろうか。


「ロウガに戻ったら試し市に行ってみる楽しみが増えた。それについても礼を言うぞ」


 立ち上がったケイスは、ロッソにもう一度感謝の意志を込めて頭を下げてから、迷宮へと続く扉へと目を向け、ふと気づく。

 純粋な意味で一人で迷宮へと挑むのは、久しぶりだと。
 
 ルディア達仲間がいない状態は良くあるが、そのときでも常に剣に宿るラフォスや、額当てに宿るノエラレイドがいた。

 忠告や警戒の声を発してくれているので、ずいぶんと頼もしかったのは間違いない。

 仲間はいない。親身になってくれる武具もない。

 だがそれがケイスの足を止める理由とはならない。

 手に剣があり、斬るべき物が目の前にある。

 なら斬るだけだ。


「では行ってくる。ロッソは戻って生き残りの警護を頼む。何が起きるか分からぬから警戒しておけ」


「台詞が逆だと思うんだがな……気をつけろよ。嬢ちゃん」


「うむ。任せろ」


 ロッソの忠告に1つ頷いて答えたケイスは、右手の指輪で宝玉を強く叩く。

 澄んだ音色と共に血のように赤い光が広がっていき、赤の迷宮への入り口が、まるでケイスを喰らう獣のように大きく開いていった。    



[22387] 弱肉強食
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:9f05f979
Date: 2020/06/12 16:32
 それは爪である。


 明かり1つ無い暗闇の迷宮へと一歩足を踏み入れると同時にロッソから借り受けた、クルミほどの小さな丸い陶器を刃まみれの左手で器用に四つ掴み、一つを中指と薬指で潰し、残り前方、右手に握った短槍の柄部分、穂先、そして間合いの僅かに外へと投げ入れる。

 正確無比に投げられた陶器は前者二つは小さな音共に割れ、中に仕込まれていた淡い光を放つ蛍光塗料がほのかな灯りを放つ。

 しかし最後の一つだけはケイスの手が届く間合いの範囲外に出た瞬間、小さな炎を放ち灰さえ残さず一瞬で燃え尽きる。

 迷宮特性【離さず】

 自らの手から離れ、届かない位置に手放してしまった物は消失する遠距離攻撃殺しの呪いが、やはり発動している。

 ケイスが改めて確信するとほぼ同時に、左手、右手、そして穂先と三カ所から放つ小さな灯りに刺激を受けたのか、重く、熱く、息苦しさを覚えるほどに濃い気配がケイスを捕らえ、壁や天井を彩っていた陰が一斉に動き出す。

 灯りの中でかすかに浮かび上がる陰を象り、元の床や天井を埋め尽すのは、びっしりと密集した多種多様な虫たち。

 虫たちの体を覆う強固な外殻が互いにこすれ合って奏でる低い摩擦音や、無数の羽が震える高音が闇の中で響き、僅かにあった距離感を微妙に狂わしていく。

 闇から迫る威圧感、恐怖感に負け、常人であれば即座にきびすを返す死地。

 だが馬鹿はそこへ突っ込む。

 距離感を狂わされるならば、狂わない距離まで、敵と肌が触れあうような極近接戦闘圏まで。

 己が生きる世界へ。

 己が君臨する世界へと。 

 一足飛びに暗がりに飛び込んだケイスは、左手のみを覆う無数の剣で出来た手甲の五指を大きく広げ、強く振る。

 力任せに振られた灯りを灯す左手が、闇を大きく削り、切り裂き、さらには空気さえもかき乱す。

 立ちはだかる音の壁さえも貫き崩し生み出した乱れに、石床がひび割れるほどの踏み込みと共に、同じく光る右手の短槍による音越えの突きを間髪無く打ち込む。

 本来であれば、己に迫る矢の雨をしのぐために生み出された剣技【重ね風花塵】が生み出した暴風の盾が、攻め立てる虫たちの一角を崩し、猶予を作り出す。

 
 それは鋏である。


 防いだのは四方から迫る一角だけ。

 生み出した安全地帯である前方へと足を踏み出しながら一瞥した天井から、先ほどまでケイスがいた場所に向かってぼとぼと落ちてくるのは、ケイスの腕ほどの体長と太さはある丸々としたウジ虫。

 重ね風花のために振るった左手をそのまま頭上後方へと振り、五指それぞれを激しく動かすと、隣り合う指同士がぶつかり合い牙鳴りを奏でだす。

 刃がぶつかりる音が重なり合う1音ごとに、ウジ虫は縦一文字の半身に断ち切られ、その死骸がべちゃりと落ちて床を汚す。

 強酸性の体液をその身に含んでいたのか、異臭を放つ液体まみれのウジ虫の死骸に、他の虫たちが一斉に群がり、己の体が焼けるのもかまわず、咀嚼音を立てながらむさぼりはじめた。

 虫たちはよほど飢えているようで、より食しやすいウジ虫の死骸にたかって、ケイスを無視しているほどだ。

 監獄内にいたはずの囚人や看守達だけではとても足りなかったのか? 
 
 それとも彼らの死骸を苗床にして喰らい尽くしたから、これほどの数が迷宮内に蠢いているのだろうか。

 我先と争い群がる虫たちの食事風景は、一歩間違えば己も餌になると、死を強く意識させる地獄絵図。

 正気を失いかねない悪夢じみた光景。

 だが飢えているのならば、その光景のきっかけとなった化け物もまた常に飢えている。

 斬りたい。斬り殺したい。

 自分がどれだけ斬り殺せば、斬れば、満足するのか……いや満足する日が来るのか。

 ケイス自身にも分からない。

 ただ斬りたいという渇望に突き動かされ、剣を振るだけだ。

 既に正気などという物は失って久しいケイスを前に、食欲を優先するなど、自殺行為だ。

 
 それは柄である。


「使ってやる! 感謝しろ!」


 自分を無視して横を通り過ぎ、餌にありつこうとしたオオムカデの頭部を伸ばした左手で掴み、手のひらの無数の刃を食い込ませて握りつぶし、さらに闘気を注ぎ込み、絶命させる。

 くたりと力なく折れたオオムカデの体長は、ケイスを三倍以上は上回る長さがあり、さらにその体の両側に生える無数の足には太い爪がぎらりと光る。

 左手につかみ殺したムカデを振り回しながら、食事中の虫たちの中へと自ら突っ込む。

 節ごとに折れて角度を変えるオオムカデの死骸を刀身とし、その爪を無数の刃と見立てた即席の連接剣として、剣戟の暴風と化したケイスの殺戮が始まる。

 左手の一振りごとに、数百の虫たちがはじき飛ばされ、数十の虫たちが爪に貫かれ、切り裂かれ絶命し死骸を晒していく。

 飛び散った体液や甲殻の破片がケイスにもびしびしと当たるが、着込んだ不格好な革鎧がむき出しの皮膚へと付着することを防ぐ。

 瞬く間にウジ虫に群がっていた虫達で死骸の山を作ったケイスは、一本道となった通路の奥へ向けて進撃を開始する。

 地図もなく、構造さえ把握していないうえ、こうも虫が多くては周辺探索する余裕もない。ならまずは斬る。

 無数の虫たち、それこそ万を超えていようが、億に迫ろうが関係無い。

 虫たちはケイスを喰らおうとした。餌としてみた。

 ならばケイスも喰らうだけだ。

 大ムカデ剣が一振りごとに無数の虫をたたきつぶし道を開き、時折運良く、それとも運悪く、刃の嵐を抜けて来た虫もいるが、それらはケイスにたどり着く前に右手の短槍で貫かれ、文字通りケイスに喰われる。

 串刺しになった無数の虫の中から食べられる虫を選別し、口元に運びケイスは喰らう。

 先ほど食べたパンだけでは物足りなかったので、ちょうど良いおやつだ。

 殻ごと歯で砕き割り、柔らかい筋繊維や内臓をむさぼりながら、即座に消化し力へ変え、刃を振るう。

 たった1人で、無数にわき出る虫たちを圧倒し、蹂躙する。

 もし他者に今の姿を見られれば、それが親しい者達であっても、ケイスの評価は地に落ちるだろう。

 その姿は、戦い方は、もはや人ではない。

 弱肉強食。

 迷宮のもっとも基礎的なルールに基づき動くケイスは、まさに悪鬼羅刹。

 暴虐と残虐の象徴となり、嫌悪感をもたらすほどの圧倒的な暴力性を発揮する。

 だがそれこそがケイスの本質。

 人の世に生きる姿は、ケイスの仮初めの姿に過ぎない。

 ケイスは美少女ではない。

 美少女という皮を被った化け物。

 迷宮に君臨する絶対的な強者。

 この世の最強種。

 人の姿をして生まれ落ちた龍。

 齢三才にして迷宮へと捕らわれ、大半の時間を過ごしてきたケイスが本来生きる世界。

 この地獄絵図こそが、迷宮こそが、ケイスがもっともケイスである世界。

 守るべきルディア達仲間もおらず、助言や苦言を呈するラフォス達保護者もいない。

 普段は無意識的に、窮屈さや、やりにくさを感じていたとも気づかぬまま、本性を解放したケイスは、冷静に、冷徹に、だが激しく、苛烈に、剣を振るい荒れ狂う。   


 それは槍である。


 数百回は振るい、その数十倍の虫をたたきつぶし、貫き殺したオオムカデの死骸だが、さすがに酷使しすぎた所為か、通路を駆け抜け、大きな広間に出たところで半ばで千切れ掛かる。

 柱がない円形状のホールは、何らかの意図があるのか物がなにも置かれていない。

 物がない代わりに、ここに来るまでに斬った虫達の数倍はいるであろう数がひしめき合う、地獄の釜の底と化している。

 その死地にも一瞬の躊躇無くケイスは飛び込むと、左手の力を緩め、オオムカデを拘束していた手のひらの刃を外す。

 手から離れて落ちたぼろぼろのオオムカデの死骸も、また炎に全身を包まれ一瞬で消失する。

 広範囲をなぎ払う武器を失ったケイスの姿を見て、本能的に好機と感じ取ったのか、背後の死角から、鎌のような二対の大顎を持つ甲虫が忍び寄る。

 甲虫の大顎がケイスの胴を捕らえ、さらにそのまま両断しようと力が込められた。

 だが両断されるよりも遙かに早く、ケイスはステップを踏んでくるりと反転し、左手の指を束ねた一本貫手を、下方からのアッパー気味に打ち上げ、甲虫の頭部へとたたき込む。

 貫手で貫いた甲虫を上方へと打ち上げながら、自らは両足の力を抜き、崩れ落ちるように床に身を伏せ、大顎から逃れる。

  
 それは逆茂木である。


 体勢を崩したケイスを完全に床に押し倒そうと、いや挽き潰そうと、一抱えはある体を丸めた大虫が巨石のように転がりはじめた。

 球状に丸まった巨大ダンゴムシに挽き潰されまいと、周囲の虫たちが慌てて離れていく。
 
 迫る大虫を前に未だ態勢が崩れたままのケイスは、石床に向かって左手の五指を広げて力任せに打ち込む。

 床石に深くめり込んだ己の左手を支えにして体を固定したケイスは、右手の短槍を手の中で回し逆手に持ちかえ、そのまま土台とした左手の中に槍の石突きを突っ込む。

 固定された短槍がきしむ音を立てながらも、転がって来たダンゴムシを食い止め、さらに外殻を突き破り、神経節を貫き絶命させる。


 それは盾である。

  
 衝突の衝撃で床から外れた左手をそのまま体ごとくるり振り回し、今殺したばかりの大ダンゴムシが弛緩して丸まった球状を解いて開いたばかりの腹部へと突き立て、すくりと立ち上がる。

 左手にダンゴムシの殻を使った即席大盾を産みだしたケイスは、そのまま左手を円を描くように振り回す。

 羽音も荒々しくケイスを狙っていた大蜂が尻から打ち出した毒針を、大盾が次々にはじく。

 豪雨の中で傘を差したような鳴り止まぬ衝突音を聞き流しながら床を蹴ったケイスは、背に短槍を戻し、腰ベルトから鉈状の厚手のナイフを引き抜き、空中の大蜂達へと襲いかかる。

 大蜂を足場にして、他の蜂の背中側に回ってはその小五月蠅い羽を一刀両断で切り離し、さらに左手を振りかぶり体重を乗せたシールドバッシュで次々にたたき落としていく。

 変幻自在に左手に装備した手甲を自由自在に組み替えながらケイスは、蹂躙を続け、時折気になった虫を喰らい、力へと変えて大広間で戦闘を続ける。

 あまりに斬りすぎ殺しすぎ、その死骸が足下を覆い尽くしても、ケイスはさらに斬り続ける。

 虫の死骸が幾重にも積もって層をなすほどになって、ようやくケイスは止まる。

 通路や部屋の壁を埋め尽くすほどに湧いていた虫たちが奏でた、気が狂いそうになる羽音も消え、闇色にふさわしい静寂が周囲を包む。

 僅かな生き残りも、ケイスを刺激しないためか必死に息を殺し、他の虫たちの死骸に混じり隠れ、生き残ろうと足掻いていた。


「ふむ……離さずが有るとはいえ、難度は初級程度ではあったな……少しおなかが減ったか」

 
 乱れていた息を深呼吸して落ち着かせるケイスは、足下の死骸の山の中から、斬っている途中で、ほのかに甘くて一番気に入った大蟻の死骸を引きずり出し、かぶりつきながら装備の確認をはじめる。

 体に怪我はしていないが、さすがに即席の革鎧では無理があったのか、外套はほぼ形をなさず崩れており、装甲板として用いた束ねた革表紙も酸や傷で損傷して、元々の題名など判別できないほどに薄汚れている。

 だがそれだけ斬り殺し、喰らい尽くしたというのに、ロッソに借り受けた武装には損傷が見受けられない。

 さすが中級探索者の扱う武具。耐久性が段違いだ。

 特に左手の手甲は、あれだけ酷使ししたのに、返り血や砕いた甲殻のカスが付着している程度で、ケイスが動かす指の動きにも支障は無く、武器としての機能を十全に保っていた。


「なれば次は特別棟に築かれた研究所とやらを……ふむ?」


 静かになった闇の中、かすかに聞こえてくる水滴音にケイスは気づく。
 
 その音が響いてくるのは足下。床下からだ。

 重なった虫の死骸に左手をたたきつけ乱雑になぎ払って、体液でぬれた床を露出させる。

 暗くてよく分からなかったので目を近づけてみると、石床の一部に線が走りそこにしみこんだ虫の体液が、空洞となった床下に落ちているようだ。

 そのまま周囲の死骸を払って線をさらに露出させてみると、曲線を描きながらそれはホールを一周する大きな円を描いていた。

 
「この作り……大型の昇降機か」
   

 どうやらホールだと思ったこの部屋は、部屋そのものが上下する昇降機だと判断したケイスは、周辺の壁を見渡し操作盤を探し始める。

 程なくして、入り口付近の壁に操作盤らしきスイッチ類を見つけるが、これも転血炉からの魔力で動いているのか、どのスイッチを入れても床は微動だもしない。

 エレベーターホールには入ってきた通路以外にも、どこかに繋がる通路が3つあるが、どれも通常の大きさの通路で、これほど巨大な昇降機を使う必要性があるのかと疑問を抱く構造になっている。

 目を閉じて耳を澄ませたケイスは、床を強く蹴ってその反響音を確認しはじめる。

 積み重なった虫の死骸に邪魔されて音が捕らえにくかったが、何度か試して、ホールの片隅でようやく目当ての、石床とは違う反応が返ってきた。

 周囲とは違う音が響いたあたりの死骸をどけて、金属製の整備用扉を発見する

 取っ手を掴み扉を開けてみると、熱を伴う風がケイスの髪を揺らすと、底の見えない暗闇と、その暗闇の中で道しるべのように光る簡易はしごがあった。

 はしごにはロッソが使っているような蛍光塗料が含まれているようだ。

 ホールから続く他の通路を探すか、それとも下の階層へと行ってみるか?

 これだけの規模の施設に用いる転血炉や、龍に関する研究をする魔導研究所ともなれば大型機材が必須となるが、今いる最上階は構造的に独房区画とみて間違いなく、それら大型機材を運び込むには、通路が狭すぎる。

 となれば目当ての部屋は別の階層にある、

 砂時計の砂粒が一粒落ちる程度の時間を思考に回し、推測を導き出したケイスは、別階層探索を選択して、はしごへと足をかける。

 熱気を伴う風が足下から断続的に吹き上がり、その風には薄いが不快感を覚える腐った卵のような硫黄の臭いが混じる。

 周辺の壁は補強されているが、元は溶岩噴出口でも再利用したのか、どうやら火山の深部までこの大穴は続いているようだ。

 上手くすれば赤龍転血石へと直行出来るやもしれぬと期待を覚えながら、壁を時折叩きつつ降りていると、音が変わる。

 足を止め、はしご周辺の壁を触って、すぐに壁に備え付けられた取っ手を探り当て、少しきしむ取っ手を捻ると、壁の一部がゆっくりと開く。

 見つけ出した別階層の整備扉から外へ出てみると、エレベーターホールには血、肉の臭いが充満し、さらに先ほどまで聞き飽きていた無数の羽音がまたも響いていた。

 どうやら先ほどまでは生き残りがいたのかもしれないが、戦闘音らしき物は聞こえてこないので、既に全滅したか、生き残っていても少数がいるかどうかだろう。

 導き出した推測にケイスは、眉を僅かに顰める。


「むぅ。これではここの虫達は食べられないではないか」


 亡き母との約束で人だけは食べるなと言われているので、人を食べたばかりと分かる虫を食べるのもケイス的には同義。

 逃げ込んだ人たちがいるのならば、どこかに食料があることを期待するしかない。

 異常過ぎる思考で冷静に考えながら、ケイスは別の群れを駆逐するために戦闘を再開した。



[22387] 監獄少女と迷宮特性
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:9f05f979
Date: 2020/07/03 22:45
 多少は目が慣れてはきたが、それでも闇が勝るなか、噎せ返るような死臭と、目と鼻に刺さる酸臭が感覚を惑わす。

 斬り、引き裂き、貫き、惨殺した虫達の死骸の山には、時折人の四肢らしき断片や、食いかけの頭蓋骨の欠片が混じるが、暗くて判別が難しい

 上の階層で虫を壊滅させた時間よりも遙かに早く、虫達の駆逐を終え屍山血河を生み出したケイスは、息を整えながら周囲に意識を飛ばし、気配を探る。

 ……周辺の物陰に敵影や気配無し。一定の間隔で落ちる水滴音がいくつか。

 音の出所に当たりをつけたケイスは、天井を見上げ、周囲の暗闇よりも色が濃い部分を発見する。

 よくよく目をこらしてみてみれば天井には大型通風管らしき管が走っており、その一部が溶解液によって溶かされでもしたのか、周囲より黒い影をさらす穴らしき部分から、ぽたぽたと刺激臭を伴う水滴が落ちている。

 あそこが虫達の進入経路だろうと推測すると同時に、虫達の数が少ない理由にも気づき、少し不満気に息を吐く。


「むぅ、道理で歯ごたえが足りないはずか」


 先ほど斬り殺した虫達は、上の階層で行った戦闘時に逃げ出した虫達の残りなのだろう。

 通風管に逃げた虫達は、生き残りが籠城していた下の階層にたどり着き、その空腹を満たすために彼らを食い荒らしたようだ。

 上の階層でも、ケイスとの戦闘中だったというのに、虫達は他の虫がやられ死骸を晒すと、食欲を優先して、ケイスを無視してその死骸へと群がっていた。

 一匹斬るごとに圧力が弱まるおかげで、殺せば殺すほど楽に斬り殺せたが、どうにも違和感を覚える。

 虫達に何よりも食欲を優先させるという習性があると仮定するのは簡単だが、それでは一部の虫達が、命惜しさにケイスから逃げた理由の説明がつかない。

 ここは迷宮内。

 手から離れた物が消失する迷宮特性【離さず】以外にも、何らかの精神的作用を持つ迷宮特性を宿している可能性も排除は出来無い。

 虫達はいなさそうだが、油断しないためにケイスは警戒を深め、この階層の探索を始める。

 周囲は灯りもなく相変わらず暗いままだが、周囲をなで回して感触を確かめたり、陰の濃淡で判別していくと、小屋ほどの大きさがある陰が均等に距離を開けて設置されている。

 その陰の一つを触ってよくよく調べてみれば、大型魔具である転血炉であるのがすぐに分かった。 

 ウォーギンの部屋で読んだカタログを思い出して、最新型ではないが最大出力に優れた名品という評価がされていた名機だと判別する。

 ここが探していた重要施設の一つである動力室と見て間違いないだろう。

 油分を多く含んだ虫もいたので、それを灯りにしてさらに詳細を調べたい所だが、火山島であるこの島では、どこでガスが噴出し充満しているか分からないから、安易に火を使うわけにもいかない。

 むろんガス溜まり対策として、ここの天井にもあるように、風系魔術を組み込んだ換気設備が島内には設置はされているが、動力源である肝心の転血炉が停止しているので、島全体の換気機能は止まったままになっている。

 魔力を失ったケイスでは魔力感知が出来ず、火龍の放つ魔力の余波の影響が今はどれほどあるか分からず、転血炉が暴走を起こす可能性は高いので、再稼働させることはできないが、それでも、いくつも情報を得ることは出来る。

 元々持っていた魔術知識に加え、最近はウォーギンから得ている最新の魔導工学知識をもって、操作盤から分かる使用転血石の種別や、転換魔力量などを調べていく。
 
 転血石を分解して魔力を生み出す転血炉は、太陽や星の位置に応じて、魔力導線の流れを変えることで、より効率的に魔力を生み出すことが出来る。

 特にこの大型転血炉は、最初に天体情報を登録する事で、季節の天体配置に併せて、自動調整を行う機能がある高級型だったはず。

 手で触れた感触で分かった操作盤の配置から逆算してみると、使われている転血石は、人工転血石混合タイプ。

 元になるモンスター血の種別にこだわらず複数種を混ぜ合わせ、ともかく安価で魔力を多く含有させる事を優先した大量消費向け転血石。

 発生魔力の属性にぶれが生じるので、精密な属性調整を必要とする高位の魔術や魔具には用いられないが、一般生活に用いられる魔術や魔具。灯りや空調などに使うのには全く問題がない代物だ。 

 転血炉が停止した天体配置は、まだ太陽の位置が高いので約半日前ほどだろうか。

 ちょうどケイスが管理棟で暴れ出したくらいの時間。その時に赤龍の魔力が活性化したことになる。

 これは必然か。それとも偶然か?

 そもそもいつから赤龍の意志は目覚めていた。本当に目覚めているのか。

 さらに言えばなぜケイスを”邑源”の名で呼んだ。龍がケイスを呼ぶなら、もっとふさわしい名がある”青龍”と。

 ケイスが青龍の血を引くことを、赤龍が認識していない可能性は極めて高い。

 異なる龍種の血を取り込むなど、この世ではケイス以外には自殺行為。

 それはまさしく、火に水を注ぐ行為。互いを喰らいあって、弱体化し、最悪で消滅してしまう。

 なのに赤龍は、ケイスを喰らおうと、自分が復活するための贄にしようとしている。

 この差違は……


「ちっ! のまれたか」


 推測のみで答えの見つからない思考の海に沈みかけたケイスだったが、その直前に警戒を強めていたおかげで、自分の精神に発生した違和感に気づき、正気を取り戻す、


「むぅ……思考の集中、いや単純化か、厄介な」
 

 どうやらこの迷宮内では、思考が単一に絞られやすくなる精神効果があるようだと気づく。

 一点に集中すると言えば聞こえはいいが、それは時に悪影響を生む。

 虫達は食欲に縛られ、天敵であるケイスを無視して死骸に食らいつき、そして今のケイスも答えが出しようもない推測に捕らわれ、時間を浪費しかけていた。

 そう考えれば、時間もあまりないのに、上の階層でつい虫達を執拗に殲滅していたのも、思考が単純化していた影響だろう。

 極限まで剣に集中している時のケイスは無類の強さを発揮するが、それは斬る者が無くなるまで止まらないと同義。

 この迷宮特性は、極めてケイスと相性が良く、そして時間がないこの状況では致命的な弱点となる。

 思考が単純化すれば、思い込みや見落としが発生する可能性も高い。


「甘い物が欲しくなるが仕方ない……ふぅぅぅっ」


 大きく息を吐いたケイスは、頭の中で剣を振るい、次々に思考を分割して、並列処理を開始しながら、数秒ごとにメイン思考を切り替えていく。

 複数の思考で同時に考え始めたことで、頭の中に余裕が生まれ、いくつもの打開策が展開されていく。 

 頭を全開で回すので疲れるが、一つの思考に捕らわれて、致命的な失敗を起こすよりもマシな状態にしたケイスは、ようやく火ではない灯りを自分が持っている事を思い出す。


「うっ、せっかく借りたのに忘れるとは。反省せねば」


 ロッソから借り受けた蛍光塗料入り極小陶器壺を取り出すと、それを短剣で割って、か細い灯りを放つ燭台代わりにして、先ほどまでの手探りよりも格段に効率の良い探索をはじめる。

 転血炉が設置された動力室区画は、厚い隔壁で囲まれた独立区画となっているようで、出入りは先ほど降りてきた縦坑のみで、他の出口は見あたらない。

 昇降機部分もケイスが開けた非常扉以外は、分厚い壁で遮られ、まるで城塞のように頑強な補強がされている。

 転血炉で事故が起きたときに周辺崩落を防ぐ効果も持たせてあるのか、今の手持ちの武器で斬るのはいささか困難だ。

 しばらくあたりを探索してみたが、人の断片が落ちているのみで資料らしき物はなく、彼らが動力源となる転血炉を守るために来ていたのか、ただ逃げ込んだだけなのかは不明のままだ。

 他の転血炉も調べてみると、どれもが完全停止した状態で、その数は10機以上もあった。

 地下の海底鉱山の換気、照明設備、採掘した鉱石の運搬を含めて、島全体の魔導機に必要となる予測魔力量は、確かに膨大な量となるが、それでもこのタイプなら予備を含めて8機もあれば十分なはず。頭の中でおおよそで換算してみる。

 
「転血炉の数が多いな…………過剰魔力の使い道が魔導研究所にしても多すぎる」


 予想通りではあるが同時に疑問点も浮かぶ。

 あまりに魔力発生容量が多すぎる。
 
 魔導研究に魔力を用いるといっても、計算した余剰魔力が常時必要かといえば、そこまでは必要としない。

 ならば研究だけでなく、何かを製造しているとなれば、まだ話が通る。


「……これだけの魔力を必要とするとなれば大型工房クラス……上級看守が持つ混ぜ物がされた転血石……近隣王家、いやこの場合は赤龍討伐隊と呼ぶべきか、その血縁者を収監……それに私を拐かそうとした……」


 断片的情報を、分割した頭の中で思考し統合していくと、おぼろげだが輪郭がみえ出す。

 この島の地下坑道のどこかには、赤龍、それも火龍王より重要拠点を託されるほどの、上位古龍の意志と魔力を宿した転血石が存在する。

 龍の魔力を宿す転血石は、上位存在であるほど強大な魔力を宿すが、同時にその元となった龍が強力であればあるほど、周囲の生物や環境を、無理矢理に己に、龍に適した物へと変える性質も強まる。

 特に赤い鱗、赤龍の影響を受けた者は、赤龍王の呪いなのか、人への凶暴な殺意に捕らわれ、誰かに討たれるまで暴れ狂うのが常だ。

 それなのに、鉱山の地下に眠る転血石の影響で変化した竜人化の兆候を見せた者達は、赤い鱗を宿しながらも、理性を保っていたという。

 現在巷に出回る龍由来の武具や転血石、はたまた龍の血を元に作った希少種龍命酒などに用いられるのは、上級探索者が数人がかりで何とか討伐できる最下級の若い龍や、先の大戦時に討ち取られた古龍の死骸を喰らい影響を受けたモンスター経由の物が大半。 

 元来転血石とは、高位迷宮モンスターの中で高まった魔力が結晶化して発生する物で、普通に低級、中級モンスターを狩っているだけではなかなか目にしない希少素材。 

 しかしそれも昔の話。

 かの暗黒時代において、無限に迷宮からわき出るモンスターにより多勢に無勢の劣勢に追い込まれた人類は、魔導技術を発展させ対抗手段を模索し、多量の魔物の血を合わせて、魔術処理することで人工転血石を作成する技術を生み出し、強力な魔術を、誰でも惜しみなく使える魔具をもって対抗してきた。
 
 今も魔具への信奉に近い魔具重視の傾向は強く、庶民の生活にも灯りや調理にと一般用魔具が普及し、転血石の需要は常に右肩上がりで、今ではブラッドハンターと呼ばれる、各種属性強化型転血石用に、要望のあったモンスターの血を専門に集めるギルドも珍しくない。

 龍血の危険度を下げるために他種の血を混ぜた転血石の再結晶化もやろうと思えば出来るだろうが、その場合は魔力含有量は元より激減する上に、一度石化を解いた龍血を制御するために必要となる使用魔力を考えれば、むしろ作成魔力量よりも消費魔力量が上回る。

 高位火龍の転血石の利点と問題点は、使い勝手の良い火属性の高い魔力を宿すこと。

 その魔力を用いれば、携帯可能な城塞破壊級魔具を制作するのも容易い。

 欠点は、龍の魔力には、物や生物を蝕む危険性があり、竜人化の危険もあって即時破壊、破棄が推奨され、小指ほどの欠片であっても、各地の国家や管理協会によって所有や取引が禁止された禁制品ということ。

 もっとも危険度はあっても、制御方を確立するために、隠匿している国や、有力ギルド、有力者はいくらでもいる。

 今回の件は人間側の思惑はおそらくそちらだ。

 そしてその制御法として目をつけたのが……近隣王家の血脈。

 彼らの祖は赤龍と長年戦いを繰り広げ、大陸を解放してきた勇者達。

 その戦いは、心身を蝕む龍血との戦いでもある。

 龍を倒せば倒すほど、その血を浴びれば浴びるほど影響を受ける。

 いつしか限界を超え、竜人化の兆候を見せた者達は仲間に狩られることになる。

 竜人化を恐れたり、またはやむにやまれぬ事情から討伐隊から去った者達も多数いるという。その中から最後まで残り、ロウガ解放線に参加した勇者達が、ロウガ近郊国家の祖達。

 彼ら、彼女らが長年戦って来れたのは、龍の血に抗う抵抗力を持っていた何よりの証。

 龍を数多に殺しながらも、龍にならない者達。龍に抗う者すなわち【龍殺し】

 耐性と抵抗力を持つ龍殺しの血を転血石に微量に混ぜる事で、赤龍の呪いを押さえようとしたのだろうか?

 そしてその人造転血石を、宝石と偽り、探索者でもある看守達に持たせ、経過観察実験していたのでは。

 それならケイスを狙ったのにも合点がいく。

 ケイスは龍殺しの血を色濃く継ぐ存在。

 赤龍王を直接討伐したパーティの一員だった祖母のカヨウはもちろんだが、元々龍殺しとして名を馳せた一族邑源の末裔。

 龍殺しにして龍たるルクセライゼン帝国現皇帝直系の隠されし姫。

 なにより異なる二つの龍種の血さえ我が物とするケイスならば、竜人化させる龍の呪いなど歯牙にも掛けない。

 その理屈で言えば、ケイスの血は極上の素材となり得る

 だがそれらの情報はルクセライゼン最秘奥とされ、隠匿された最大の秘密。

 ケイスの存在が本当に漏洩しているか、漏れたとすればどの経由で漏れたか。


「……むぅ。下手に藪をつつくよりも、証拠を掴んでからだな」

 
 不義の子である自らの出自の漏洩は、父や母の名誉を汚し、さらに皇帝唯一の子であるケイスの存在が、ルクセライゼン全土を巻き込む大きな戦乱を呼ぶ可能性も高いとなれば、さすがに傍若無人なケイスといえど慎重にならざる得ない。

 だがこれらもすべては推測で、証拠は一つもない。

 これ以上に一つのことを考えていては、いくら思考を分割化しているとはいえ、また思考が捕らわれる危険性もある。

 場合によっては生き残りがいても、後腐れがないように全員を斬ればいいと、今は結論づけたケイスは、次の目当てである魔導研究所を目指すことにする。

 それぞれの転血炉の制御板を見て、使われている転血石の種別を調べていくと、一つの転血炉だけ、同じ人工転血石であるが、混合型ではなく、高価かつ希少な単一型の転血石が仕込まれていた炉を発見する。

 さらにその炉では属性調整を行い、無属性の純粋魔力への調整をわざわざ行っていた。

 様々な魔導実験に用いるには、この純粋魔力が必要不可欠。となればこの配管の先に魔導研究所があるのは必然。

 その炉から伸びた配管をたどっていくが、すぐに床に埋没して行き先が不明となる。

 方向的には地下に向かっているようだが、どこから行けばこの配管の場所にたどり着けるかは定かではない。

 いっそ配管の中をたどってたどり着けないかと、剣を打ち込んで切り裂き、一部を無理矢理にもぎ取り外して中を確認する。

 配管の中身は空洞となっていて、内側壁面には魔力導線となる銀を用いた金属線が束となって走っていた。

 この形式の配管の内部整備は、小妖精族魔導技師達が専有しているので、内部は移動できる形式となっているが、さすがに小柄のケイスといえど入り込める太さはない。

 配管自体は交換しやすいようにか、一定の長さで区切ったパーツ構造になって、ボルトで留められているが、さすがに手を伸ばしても届きそうにはない。


「むぅ……遠回りする時間は惜しいし、正解かどうか分かるまで時間が掛かるか……よし!」


 配管そのものを排除すれば、ぎりぎり装備込みでも入れ込めそうだと気づいたケイスは、剣手甲をつけた左手を広げて、床に沈んでいる配管に打ち込み爪を立てる。

 そのまま闘気を使った肉体強化による馬鹿力で、無理やりに配管の一部を掴むと、ねじりちぎり、ボルト部分を破壊して持ち上げる。

 力業で引きちぎった1ケーラほどの長さの配管が、完全に取り外せたのを確認してから、放り投げると、迷宮特性【離さず】が発動し、今もぎ抜いたばかりの配管が火の子となって消え失せる。


「ふむ。やはりいけたか」


 もくろみが上手くいったケイスは、ほれぼれするような笑顔で頷き、道を見つけた喜びを露わにする。

 先ほどまでの戦闘でも、かろうじて生きている虫達は投げ飛ばしても消えはしなかったが、完全に絶命させた虫は、すぐに消えていたので、気づいていたが、どうやら考えは上手くいったようだ。

 【離さず】は厄介な迷宮特性で、自分の持ち物だけでなく、自分の手で持てる非生物であるならば、一度掴んでから離せば、今のように無条件で消えてしまう。

 これは天恵ポーチに仕舞っても変わらず、この迷宮特性を持つ迷宮では、得たアイテムや物資は常に手に持つか、身につけていなければならない制約が発生する。

 その所為で、手がふさがっていたり、重さが増している所為で上手く武器が使えずモンスターに苦戦したという話はよく聞く失敗談であるが、この特性を逆に使って、トラップを解除したり、無理矢理に扉を消失させたという冒険譚もいくつか聞き覚えがあった。
 
 無理矢理に道が造れるならば、遠回りする必要など無い。

 行き先が見通せない穴の中に潜り込んだケイスは、モグラが土をかき分け進むように、配管を引きちぎっては離して、引きちぎって離してを、繰り返して、配管を消し去り、地下へと潜行するという、力任せにもほどがある迷宮攻略を再開した。



[22387] 監獄少女と絶対捕食者
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/08/08 22:54
 突き込む、掴む、引きちぎる。

 突き込み、掴み、引きちぎる。
 
 捻り突き掴み、千切る。

 捻り突き崩し千切る。

 喰らう。

 一手一手ごとにケイスの左手から生み出される突きは、より洗練され、凶暴、強欲に進化する。

 最初は掴み千切っていた一撃は、捻りを混ぜ突き込むことで周囲を巻き込みながらえぐり取るように進化するが、そこでは止まらない。

 刃と刃の隙間、そこへ金属魔導配管の破片を挟み込むことで、掴むという動作を兼ね、指の動きに併せて刃の隙間を広げることで、離す動作も一連の流れの中に組み込む。

 裁断された細やかな金属片は配管内に落ちて、ケイスの手が届かなくなると、即時消滅を起こす。

 挟み込むための刃はいくらでもある。1つ2つ3つ4つと加速度的に刃を増やしていく千刃の手甲は、1つ剣を振るごとにケイスに馴染み、その細やかな刃の鱗一刃一刃に神経が通い、行く手を塞ぐあらゆる障壁を切り崩す、いや喰らい尽くすケイスの牙と化す。    

 最初は固い岩盤を掘り進む遅遅とした速度は、土を掘り分ける速度となり、水をかき分ける速度となり、雲霞をかき分ける速度へと。

 鳴り止むことを知らぬ1綴りに連なる破砕音を紡ぎ、ケイスは直下に向けて魔力導管を、迷宮特性【離さず】の効果も併せて破壊消滅させながら、一気に下り降りていく。

 特別監獄のどこかに隠された魔導研究所へ向かうための、力任せにもほどがある強引な突破方法であるが、極めて順調かつ単純に進んでいる……と端からは見えるだろう。

 だが当の本人であるケイスは、極めてやりにくさを感じていた。

   
「むぅ……もどかしい」


 剣を振るときのケイスの集中力は、まさに天才と呼ぶべきか、それとも剣術馬鹿と呼ぶべきか、外界すべての情報を剣を振るために一点集中させる。

 しかしその極限の集中力が、今この状況では邪魔をしていた。

 【離さず】と同様に【思考簡略化】と呼ぶべき迷宮特性の呪いが、この迷宮には掛かっている。

 敵を斬るならばともかく、障害物を排除する為に剣を振る事だけに思考が捕らわれてしてまえば、周囲の環境変化に気づくのが遅くなり、どうしても対応が一手送れてしまう。

 対策としてケイスはわざわざ思考を分割し集中を分散させているが、その弊害で自分が振ることの出来る最高の剣よりも、少しだけ劣る。  

 自分の芯を剣士と定めるケイスにとっては、とてももどかしい。

 しかしケイスの天才性は、苛立ちを乗せ剣をさらに荒ぶる牙へと変える。

 繊細な剣捌きによって生まれる技巧の極地ではなく、技巧では劣っていても力による荒ぶる剣で、破壊力という一点では遜色のない高みへと。

 雷鳴のような轟砕は、配管を通して、特別監獄棟全域に響き渡る。

 それはまるで龍の咆哮。今からおまえを喰らいにいってやると宣言する宣戦布告。

 隠形など一切考えず突き進み直下へと掘り進んだ距離が100ケーラに僅かに届かないほどで、指先がかすかに冷たさを感じ始めたと思えば、すぐに全身が凍えるような寒気を感じ始める。

 未だ地下にマグマ溜まりの残る火山を降下しているというのに、身を襲った明らかな異常事態。

 しかしこの寒さには覚えがある。  

 それはケイスが始母と呼ぶ現深海青龍王ウェルカ・ルクセライゼンの龍王体が微睡む、龍冠直下に存在する地底湖周辺と似た冷気。

 だがここは火龍王直属の赤龍ナーラグワイズが生み出した火山要塞跡地。地下に眠る赤龍の魂を宿した龍血転血石もおそらくナーラグワイズのものだろう。

 となれば青龍の好む地と同等の気配を感じる理由は……

 ナーラグワイズを直接討伐したのは、ケイスの直系の先祖でもある当時のルクセライゼン皇帝ベザルート・シュバイツァー・ルクセライゼン。

 そしてドワーフ王国エーグフォラン国王ガナド・エーグフォラン。

 ベザルートはルクセライゼン皇位継承の証である四宝の1つ【鎧】を発見継承していたと、始母から聞いている。そして天恵宝物であるその鎧が持つ効果も。

 四宝の鎧が持つ特殊能力は、己の体温を基準とし、異なる周囲の熱や冷気による効果をすべて無効化させる溶けない氷で出来た魔導鎧で、他にもその場に存在するだけで周囲に冷気をもたらす効果もある。

 だがそれは当然。ルクセライゼンの四宝。そう呼ばれる武具の正体を、何で構成されているかをケイスは知っている。作り出した当人から聞いている。

 それは紛れもない龍の血、肉、そして魔力、人へと転成した始祖ウェルカが元々の己の肉体である深海青龍の一部を使って生み出した、父であるラフォスを介錯するために伴侶に預けた生体武具。

 かつてその効果を持ってウェルカの伴侶でもあるルクセライゼン始祖王は、先代青龍王であるラフォスが放つ極寒のブレスとも正面から渡り合ったという。

 戦いの後に天印宝物となったそれら武具は、代々のルクセライゼン皇位継承者達に皇位継承の証として受け継がれていく。

 火山を根城にし、灼熱を操る難敵であるナーラグワイズ戦の先陣に皇帝ベルザート自らが立った理由だとも。

 そしてガナドはエーグフォラン国王であると同時に、かの七工房の1つの工房主でもあった魔導武具名工。

 そして当のナーラグワイズはケイスを邑源と呼ぶが、ケイスを青龍とは呼ばない。

 集中しすぎないように剣を振るいながらも思考の一部を推測に回したケイスは、すぐにいくつかの仮説へと至る。
 

「鎧の効果か……むぅ、しかしそうなると」


 だがそれはいくつもの疑問を生み出す仮定でしかない。

 いつもなら悩まず剣を振るうだけだが、集中を乱すために意識を分散させている所為で、余計な推測さえも考えてしまう。

 それらを頭の片隅にケイスが追いやっていると、直下に落ちていた配管の底へとたどり着く。配管はそこから南側に向かって伸びていた。

 右手で軽く配管を叩いてみると、反響音がこもる感じで一瞬響いたが、すぐに拡散を始める。

 配管の外に空洞、それも広い空間がある証左だ。

 小柄なケイスでもぎりぎりの狭い配管内の移動には、さすがのケイスでも窮屈さを感じ飽き飽きしていたので、そのまま先ほどの要領で横向きの配管も躊躇無く破壊消滅させていくと、程なく配管が壊れると共に、上向きの穴が開き冷たい冷気が流れ込んでくる。

 どうせここまで大きな音を立てて移動しているのだ。敵対者がいれば既にケイスの存在にも気づいている。

 むしろ動きの制限のされる配管内に居ては、不利だと考えたケイスは躊躇無く、穴から飛び出す。

 周囲は上と同じように暗闇に染まっていてよく見えないが、どうやら配管は床に這わせていたようで、すぐにケイスの足は硬い床の感触を捕らえる。      

 配管の先には陰の濃淡から見るに相当大きな魔導機らしき物体に繋がっていた。

 形状から見るに、多少改造されているようだが人造転血石を製造するための魔導機のようだ。

 どうやらここが魔導研究所のようだが、生きている生物の気配や、血の臭いは感じない。しかし死臭と呼ぶべき独特の感覚をケイスは感じ取る。

 ロッソから借り受けた発光塗料入りの壺も残り少なくなっていたが、それを割って灯りを生み出したケイスが、周辺の探索を始めると、ここへの入り口らしき大扉の前ですぐに人の死体をいくつも発見した。

 どうやら転血炉が停止したために金属大扉の開閉装置が稼働せず、ここに閉じ込められて居たようだ。

 服装や武装から見るに看守兵はおらず、主に魔導研究者らしき魔術師が大半。それとやけに上等な服装を身につけた者達が幾人か混じっている。

 鎧代わりに拝借した外套と同じ紋章を施したカフスボタンを身につけている者がいるので、どうやら特別監獄棟に収監されたどこぞの政治犯、王侯貴族とみて間違いないだろう。

 遺体をいくつか検分してみたが、顔のあたりに擦過傷を負っているが目立った傷は見あたらず、かといって毒物でやられたような苦しんだ表情や肌の変色も見られない。

 いきなり事切れて、倒れ込んだとみるべきだろうか。顔の傷はそのときの物だと考えれば納得がいく。

 この様子では本人は死んだことさえ気づいていなかったかもしれない。

 そのまま装飾品なども漁っていると、1つの共通点に気づく。

 それは指輪だったり、首飾りだったり、剣の装飾だったりと、少しの違いはあるが、明らかに中央にあった何かが失われた台座があることだ。

 そこにはまっていた物は、大きさ的にはケイスの小指の爪ほどか。

 おそらくそこにはまっていたのは龍由来の人造転血石。

 転血石消失と彼らの死に何らかの因果関係はあるのだろうが、今それを推測するには情報が足らなすぎる。

 この様子では迷宮内には、事情を知っている生者は誰もいないかもしれない。

 なぜ自分を狙ったのか。研究の目的は何だったのか。

 それらを調べる手がかりはこの魔導研究所を家捜しすれば見つかるかもしれないが、ろくに灯りもない状況では、どのくらい時間が掛かるか分からない。

 となれば、今優先すべきは赤龍転血石の破壊。

 分からないことはどうしようもない。

 迷ったなら剣を振るだけ。

 直上的かつ短絡的な実にらしい結論へと達したケイスは、目を閉じると周囲の空気の流れに意識を集中する。

 この冷気の出所が四宝の鎧が放つ冷気だとすれば、それはケイスには慣れ親しんだ感覚。

 ゆっくりと深く息を吸い、ゆっくりと吐きながら感覚を研ぎ澄ましていく。

 一時的に広がり高まった感覚が、僅かな冷気の違いを感じ取り、その発生地点へと向かう導となる。

 意識を周辺の温度感知に併せたケイスはその導きに従い、暗闇の中を早足で進み始める。

 人造転血石製造器の横を通り、いくつもの通路と部屋を迷うことなく抜けた先。厳重に封印が施された、見上げるほどに大きな鉄扉の前にケイスはすぐにたどり着く。

 行く手を塞ぐ扉。だが今のケイスには塞ぐ意味を成さない。

 斬りたい。斬るべき。斬るものがいる。

 剣士であるケイスの前に立ちはだかる物など、ただ切り捨てればいい。

 ケイスが左手を無造作に振るうと、千刃手甲はその無数の刃をもって、鉄扉を貫通し引きちぎり、ケイスが通れるだけの大穴があっさり生み出される。

 一瞬の迷いもなくケイスが穴をくぐり鉄扉の向こうへと降り立つと、そこは先ほどまでの石や板で整備された通路ではなく、むき出しの岩盤で出来た手掘りの坑道となっていた。

 僅かに下向きに傾斜した暗闇の坑道をケイスはすたすたと歩き出す。

 島には他にも幾人か竜人の気配を感じていたので、襲撃を一応警戒はしていたのだが、それらが邪魔をしに来ることもない。

 ケイスに竜人を向けても無意味だと火龍も気づいたのか。

 それとも龍らしく自らの巣穴に来る者は、自らの手で葬るつもりなのだろうか。

 火龍の思いがどちらにしても、ケイスには望むところ。

 ますます冷気が増していく坑道を5分ほど下っていくと、前方の坑道で淡い光がゆらゆらと揺らめいているのが見えてくる。      

 龍に挑む楽しさで駆け足になりそうな逸る意識を、ケイスは押さえる。

 もし先ほどの仮定が正しければ火龍は、転血石となっているとしても禄に力も振るえないほぼ封印状態のはずだ。

 そんな相手をいきなり倒しても楽しくない。

 まずやるべき事は1つ。その上で立ち会う。喰らう。

 狭い坑道を抜けてたどり着いた灯りの発生源は広い空洞となっていた。

 元は溶岩溜まりでもあったのだろうか、高熱で溶けた岩盤の一部がガラス状になっていて踏むたびに小さな破砕音を立てる。

 その空間の中心にそれは鎮座していた。

 真っ赤に躍動した心臓と例えるべきだろうか。

 首が痛くなるほどに見上げる巨大な深紅の岩がゆらゆらと幻炎を纏う。

 その炎が描くのは生前の龍の似姿だろうか。

 深紅の岩の表面には、全体から見れば僅かではあるが、確かな存在感を持つ深い青さを持つ氷の武具の破片らしき物が張り付いている。

 よくみればその武具は岩全体を押さえ込む位置に埋め込まれた要石となって、一種の魔法陣を形成している。

  
『来たか邑源! 喰わせろ貴様の血肉を! 我らの同胞から強奪した力を! 我を縛り付けるこの忌々しい楔を解き放つためにも! 我が肉体を取り戻すために!』 
 

 幻炎龍が吠えると共に、空気が一瞬熱を帯びるが、すぐに氷の武具が光り輝きその熱を押さえ込む。


「ふん。無駄に吠えるな赤龍。お前はナーラグワイズだな。数多の勇者と船を沈めた伝説の赤龍の名が泣くぞ」


 相手が伝説の龍であろうとも、巨大国家の王族だろうともケイスは変わらない。

 生物ならばその格の違いを魂から感じ、思わず萎縮するであろう咆哮を受けても涼しい顔で返す。

 傲慢なる龍よりもさらに上を行く傲岸さを発揮する。それがケイスだ。


「力を削がれた今の貴様では、私の相手をするにはいささか力不足だ。その封印は解いてやるからしばらく黙っていろ! その後で私に斬らせろ!」


 ケイスはただ龍を倒したいのではない。

 正々堂々戦って倒したいのだ。

 真正面から挑む事に、自らの力を、相手の力を全力にしてから挑む事にこそ意味がある。

 ならばまずは転血石となってもまだ力を持っていたナーラグワイズを封じるために、先祖達が命がけで施した封印であろうとも、今の自分の邪魔となるのであれば排除するだけだ。

 戦闘狂としての本能に突き動かされるケイスは、あえて迷宮特性【思考簡略化】にその身を預ける。

 ナーラグワイズを封じるのはルクセライゼン四宝の鎧。その元は始母ウェルカが作り出した自らの龍体を元にした武具。

 本来は反発し合うはずの異なる龍種の肉体を繋げたのは、エーグフォラン王の神業的技巧による物と容易く推測できる。

 だがそれは無理矢理に繋げた、この世の理に反する理。

 より正しい理が、神が定めた法則がこの世界には存在する。

 ならば火龍ではなく、人にして龍たるケイスの肉体により馴染むのが道理。

 今のケイスには魔力を使う術はない。

 魔力は自ら捨て去っている。

 理を曲げる為の魔術は使えない。

 だがケイスの狂気は、天才性は、その理さえも凌駕する。

 ただ戦いたい。ただ斬りたい。強き者と。全力の龍と。

 剣士としての思いだけで、すべてを捨て去り、1つを掴む。
 
 左手の千刃手甲を高々と上げたケイスは、ぼろぼろになった即席鎧ごと自らの体を切りつける。

 ドワーフ工による特殊合金は、あっさりと鎧もどきを破壊し、のみならず肌を裂き、無数の鮮血の流れをケイス自身へと刻み込んでいく。


『なっ!?』


 気が狂ったとしか思えない自傷行為に、龍であるナーラグワイズさえも驚き声を失う。

 ケイスを止めるルディア達も、常に共にあって制止するラフォス達もいない。

 だからこれこそがケイスの素。ケイスの本性。

 化け物という言葉でさえ生ぬるいこの世で誰も理解が出来無い、理解が出来るはずがない理外存在。既知の外をゆく者。 

 
「ぐっぐぁっぁ! うん! いいぞ! 思い通りに動く! これなら刻める! 魔力がなくとも使える!」


 全身に走る激痛へ耐え、自らの血肉にまみれながら、ケイスはそれでも笑う。心底楽しそうに。

 思いの様に剣を振るう事こそケイスの望み。ケイスの願望。

 その思いの元に振るう剣は、不可能を可能とする。

 かつてカンナビスで、ラフォスもケイスの血を用いた魔法陣をもって、やって見せたのだ。

 ならば出来ぬはずがない!


「始母様、ベザルートお爺さま借りるぞ! 龍王魔術【龍体生成陣】!」


 かつて失った魔力によって二度と使えぬはずの奇跡を。

 理外の外に存在する龍を超える龍王の魔術を。

 この世において比類無き最高の魔術触媒たる自らの血肉を用いて、自らの体を魔法陣とする狂気の沙汰をもって、呼び水として成し遂げる。

 ケイスの全身を用いた魔法陣が完成すると共に、赤龍転血石に埋め込まれた四宝鎧が共鳴を起こすと、瞬く間に微細な氷の破片となってケイスの元へと集い、鎧として再生成を始める。

 費やしたのは僅か数瞬。

 うっすらと漂った冷気を放つ靄と共にケイスの全身は、深青氷で出来た全身鎧に覆われる。


「ふむ。少し血を流したが、まぁまぁか。先祖とはいえ他人の魔力を使ったにしては前よりは上手くいったな」


 鎧の所々には龍をもした意匠が刻みこまれ、鱗状の防御が独特の形状を形成する全身鎧を動かして、ケイスは動作確認ついでに体のダメージも確認する。

 全身に痛みはあるが、龍と対峙するために必須となる鎧の代償と思えば安い物。

 体力と血を大分持って行かれたが、戦闘をする程度の余力は十分に残してある。

 左手部分はケイスの意志に基づき、元の千刃手甲をむき出しにすることが出来たが。どうにも相性が悪いのか、腕の動きに互いが少し干渉するのが少しばかり難点だ。

 もっとも最初にウェルカに習ったときは、どうにも鎧のイメージが上手く出来無くて、全身を覆う氷の彫刻といった形になってしまったので、それから考えれば格段の進化だ。

 鎧に満足は出来無いが、龍と戦える良い機会だ。文句は言うまい。
 
 さて準備は整った。後は戦うだけだ。


「待たせたなナーラグワイズ。さて斬ってやる。掛かってこい!」


 楔を解いたことで勢いを増しより鮮明になった姿を醸し出す幻炎龍に向かいケイスはどう猛で楽しげな笑みを浮かべる。 

 だが当のナーラグワイズは困惑の極みにいた。


『な、なに者、いや! なんだお前は!? なぜ邑源が! 赤龍の力を宿す貴様が青龍の気配まで纏う! なぜ人が龍の魔法を! 龍の最秘奥である龍体生成を使いこなす!』 


 ナーラグワイズの声に宿るのは困惑、そして恐怖だ。

 今目の前に起きた事実を、事実として受け入れる事が出来ない非常識な事態への拒絶反応だ。

 理を壊す存在。この世の理ではあってはならない存在。

 あり得ないことを、あってはならないことが、理解できない存在が、知らぬ恐怖が目の前に現れた、生物ならば誰もが持つ未知への恐怖だ。

 だがナーラグワイズはそれに気づかない。生まれて初めて味わう恐怖という感情に、それが恐怖だと理解が追いつかない。

 自分がしでかした行為が他者にとって何を意味するのか、それを理解しながらも、ケイスは気にしない。

 むしろ困惑し恐怖する相手を無理矢理戦場に引き出すために、抗うしかない殺気を叩きつける。

 それは絶対捕食者が放つ獰猛すぎる殺気に他ならない。


「ふん! ならば答えてやろう! 我が真名を! 私はケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼン! 龍殺し邑源、そして深海青龍王始母ウェルカの血族を受け継ぎし末の娘! お前の天敵だ! 私に喰われたく無ければ抗え赤龍!」


 絶対に生かしては帰さない。逃さない。その決意を込めた真名を名乗ったケイスは、幻炎を纏う転血石を破壊するために、食い破るために極上の笑顔で襲いかかった。  



[22387] 監獄少女と龍の戦い
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/08/19 07:36
 世界が変わる。

 ケイスの殺気に反応したか、それとも楔から解き放たれた、赤龍魔力が本来の力を取り戻したか。

 赤龍転血石が纏う幻炎が激しく燃えさかりナーラグワイズの姿をより鮮明に表しながら、熱波が奔る。

 灼熱の熱波によって岩盤の表面はヒビ割れながら溶融を始め、沸き立つ岩から立ち上るガス蒸気が視界を覆っていく。

 休止状態であった火山が再活動を始め、うなり声にも鳴動を伴いながら、地面は激しく揺れ動く。

 生身の生物であれば、高温と有毒ガスによって一瞬で命を奪われるであろう死地。

 これこそが火龍が好む世界。

 火龍が住まう住処。

 火龍の力がもっとも発揮される灼熱煉獄。

 対峙するケイスが身に纏うのは、異種龍深海青龍から生み出されたルクセライゼン四宝が1つ生体魔導鎧。


 鎧を構成する深青氷が、岩さえ溶かす灼熱を無効化し、青龍の面影を残す面当てが有毒な大気を浄化して清浄な空気をケイスへと供給する。

 本来は鎧は、存在するだけで天変地異さえ引き起こす暴虐なる龍に挑む、か弱き人に与えられた対龍装備。 
 
 しかし龍の肉より生み出された鎧を、龍の血を引き、龍の闘気を生み出すケイスが纏う事で意味は変わる。

 鎧に血が馴染み、闘気が充填されていく。

 ケイスが魔力を持たぬ故に、火龍転血石のように周辺改変能力は発動せずとも、それは深海青龍が現界したのと変わりない。

 剛炎赤龍と深海青龍。

 火と熱を司る火龍。

 水と冷気を司る水龍。

 相反する属性をもつ二匹の龍。

 互いが最強の名を冠する種の闘気と魔力が、鎧表面でぶつかり合い弾けながらも、互いに喰らい合い、この世から完全に消え失せる虚無を呼び寄せる。 

 それが龍の戦い。喰うか喰われるか。

 頂に立つは常に1つ。 

 故に龍の中の龍。龍の頂点に立つ龍王達は互いの交わりを禁とする。

 龍とは自然そのもの。龍の王とはこの世の炎を、水を、風を、大地を四大要素を司る存在。

 自ら達の争いが、世界を消失させる物と、滅ぼす物と同等と知るが故に。

 それがこの世の理。

 しかしケイスは、ケイスだけは理の外を、理外を行く。 






「帝御前我御剣也!」 


 押さえきれない嬉々とした感情のままに、誓いの言葉を口にしたケイスは太陽のように輝きを増し始めた赤龍転血石へ向かって突撃する。

 赤龍転血石が放つあまりに膨大な魔力に押され、熱では溶けぬはずの四宝鎧の表面がみるみると消滅していく。

 だが誓いの言葉と共に発動させた、心臓と丹田による闘気の二重生成と、意志の力による異なる属性闘気である炎氷融合によって、鎧属性が変化する。

 深く澄んだ青色の滑らかなだった鎧表面が、紅色を含んだ青に変わり、揺らめく炎を纏う氷装甲が消失箇所を再生させていく。

 さらには充填された融合闘気は、浸食し喰らおうとする赤龍魔力を喰らい赤龍闘気を強め鎧を赤く染め上げ、負けじとケイス自身が生み出す青龍闘気も猛る。


『理を犯す化け物がっ!』


 あり得ない事が目の前で起き続けていく。複数の異なる龍種の力を操る者などいるはずがない。ましてや自らの魔力が目の前で喰われ、闘気へと変換されていくなど。

 常識を壊し、未知なる力を発揮するケイスに恐怖を感じているとは気づかぬまま、ナーラグワイズが吠える。

 雄叫びに併せて、熱として放射されていただけの魔力が収束し煌めくとほぼ同時に、ケイスの目前で岩盤が一瞬で溶け弾けとび、溶岩の波となってふくれあがった。

 粘性の強い溶岩の中には、融点の高い強固な礫がいくつも混じっている。それらが爆発的な勢いでケイスに覆い被さるように迫る。

 ただの熱や龍魔力であれば鎧の効果や反発する龍闘気をぶつけることで防げるが、物理的力も持つ魔術攻撃となれば違う。

 借り受けた武器類を直接に打ち込めば、溶岩の高熱と含まれた有害物質でぼろぼろとなってしまう。

 一度後方に下がってひく?

 それとも上に跳んで回避する?

 否!

 龍の戦いは喰らい合い。一度、いや一瞬でも引けば負けを認める事になる。

 真正面から突破し食い破るが正解。

 始母から授けられた龍と対峙する時の教えは、ケイスの性根と実に合う。

 溶岩の波に直接触れる事は出来ない。ならば触れずにはじき飛ばすだけ。

 しかし迷宮特性【離さず】によって、技の効果範囲にもケイスの手が届く範囲内という距離制限がある。

 今の手持ちの技ではこの状況を乗り越えられない。ならばいつもの通り今この場で技を作るのみ。

 左手の五指でそれぞれ曲げる角度を変えた鈎を作り、音の速さで空を掻く。

 発生させたのは火麟刀と対峙した際に生み出した乱れ風化をさらに強化した、無数に蠢く衝撃波の渦。

 同時に鎧へと意識を向け、剣のイメージを重ねることで、表面形状を変化。沸き立った表面装甲から無数のトゲが発生し鎧全部を覆う。

 それは千刃手甲を元に、ケイスが全身へとイメージした細やかな刃の群れ。


「乱れ千刃風花! 鏑矢!」 


 自らが空気をかき乱した空間へと、強烈な踏み込みと共に回転しながら飛び込む。

 かき乱した空間に残る衝撃波を、自らの全身に生えた細やかな剣でさらにかき乱すケイスの全身が甲高い音を立てながら、溶岩の壁に大穴を開けながら突入。

 身に纏う衝撃波。音の壁によって、溶岩はケイスに触れる前に吹き飛ばされ、はねのけられる。

 迷宮特性【離さず】は、探索者当人が己の物と認識している物体に発動すると、ケイスはここまでの戦闘で結論づけている。

 ならば自らの技で斬った物は、生命として個の意識がないならばすべて自分の物だ。

 だから溶岩の波であろうとも自分の技で斬りさき、撥ねのけたならば自分の支配下にある物質である。

 傲慢、傲岸、強欲。龍よりも龍らしいと龍より評されるケイスの資質が、精神が、世界を浸食していく。 

 しかし左手が生み出す音に比べ、他の部分が生み出す音壁は目に見えて弱く、予想以上に突破に時間が掛かりケイスの不満は募っていく。

 原因ははっきりしている。
 
 左手はドワーフ工による武具。それ以外の全身を覆う鎧は龍由来の武具ということだ。

 強度的にはむしろ龍武具が勝るが、衝撃波を発生させる為に追加した鎧表面の形状変化はケイス自身による物。

 いくら武具に精通していようとも、造形、作成に関してはケイスは素人。

 ラフォスには散々言われてきたことだが、剣だけでなく、そろそろ防具の方にも力を入れてもいいかもしれない。

 もっとも忠告している者達は防御面を心配してのことなのだが、あくまでも斬ること、攻撃面だけを考えて忠告を気にし始めるのが、実にケイスだ。

 威力に不満を覚えようとも、剣を振るうはケイス。

 天才性を遺憾なく発揮し、打ち消しあって弱まった音をより強める最適な位置、タイミングを計り、溶融し柔らかくなった地を蹴って四肢を最大限に使い音速越えの衝撃波を次々に追加。

 質を量でカバーし、ナーラグワイズの攻撃を、力任せに蹂躙し蹴破ってみせる。


『ぐっ! 貴様の一族は待たしても我の前に立ちはだかるか!』


 避けるか、下がるか。

 この技を用いた際に、相手が選んだのはほぼそのどちらか。真正面から打ち破ろうとし、実際に成し遂げて見せた敵は、過去に一組だけだ。

 自らの肉体を失うことになった敗北の記憶が刺激され、さらに今の肉体である転血石内でトゲのように居座る異物への不快感を感じ、激怒したナーラグワイズが再度地面に向かって熱線を打ち放つ。


「なめるな! 同じ攻撃が私に、なにっ!?」


 一度防ぎ突破してみせたのだ、ならば規模が大きくなろうが、速度を増そうが自分に通用するはずがない。

 侮られたと感じ怒り覚えたケイスだったが、その予測は外れる。

 ナーラグワイズの一撃によって、表面だけが泥のように溶けていた岩盤が、一気に液体化し、地面が広範囲で崩壊を始める。

 巨大な赤龍転血石と共に溶岩の海に飲み込まれかけたケイスは、とっさに闘気による歩法で溶岩流を蹴り、宙に跳ぶ。

 踏み込みを邪魔し、攻撃の威力を落とす算段かとも思ったが、事態はケイスの予測を軽々と超えてくる。

 溶けて崩落した地面は止まることなく、さらに下降していき、みるみるうちにケイスと赤龍転血石の距離が離れていく。

 どうやらナーラグワイズの熱線は直下の地面だけではなく、さらに下の階層までぶち抜き、広範囲の坑道を一気に溶融崩落させたようだ。

 逃げたか?

 いやそれは無い。

 心に浮かんだ疑念を、即時に否定する。

 逃亡は龍にとっての負けだ。選ぶはずがない。

 逃亡で無いならば、より己に有利なフィールドに引き込む為の誘い。

 先祖達とナーラグワイズの直接対決は火口で行われたと聞く。ならばこの穴は出来たのではなく、元々あった火道が後に塞がって出来た空間と解釈した方がしっくり来る。

 つまりこの下は火山の本体とも言える溶岩溜まりへと直結している。

 より強大な火が、熱が渦巻く戦場が、地獄が待ち構えている。


「良かろう! 受けて立つ!」


 一瞬で理解し、判断し、そして決意する。

 そのあまりの思考の早さと思い切りの良さは、世間から考え無しの馬鹿だと思われる一因だが、どちらにしろケイスの異常性を表していることに変わりは無い。

 溶けずに残っていた壁面を蹴り下りながら、ケイスは高まる胸の鼓動と共に追跡を開始した。
  



[22387] 監獄少女と悪夢の島
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/08/30 23:56
 火道を塞ぐ積み重なった岩盤を次々に溶かしながら降下していくナーラグワイズを追いかけ、落下すると呼んだ方が正しい勢いで、ケイスは岩盤の僅かな凹凸を頼りに駆け下りていく。

 眼下に見据えた赤龍転血石表面で燃えさかる幻炎に浮かび上がる赤龍ナーラグワイズが、その首を持ち上げ、口蓋を大きく開く。

 その口中に複数の光を確認した瞬間、ケイスはもろい岩肌を両足で蹴り、さらに落下速度を上げながら進路を変える。

 直後に、先ほどケイスが蹴った位置に、ナーラグワイズが放った赤熱化した光弾が着弾。

 鋭い破砕音を奏でながら弾けた光弾の着弾地点を中心に、周囲の岩壁が一瞬で溶岩に変化する。

 瞬時の見切りで溶岩化しなかった微細な岩破片を、空中で右足に捕らえ、それを大地として闘気を用いた爆発的な歩法を無理矢理に敢行。

 矢継ぎ早に飛来してくる赤熱光弾をぎりぎりで躱すが、高密度で打ち込まれる光弾についにケイスは捕らえられる。

 深海青龍の肉体と変わらぬ防御力と断熱性を誇る四宝鎧の深い青色の氷が、致命的な熱をもつ赤熱光弾をはじくが、衝撃までは殺しきれない。


「ぐっ!」


 右腕の付け根に打ち込まれた赤熱光弾の衝撃に耐えきれず外れそうになった肩関節を無理矢理に力を入れて固持しつつ、苦悶の声を漏らしながらもその勢いを喰らう。

 体を開き左手を振って、空中で転がるように大きく方向転換し、反対側の岩盤に叩きつけられるようにしながらも、左手を突き刺し横向きに着地。

 僅かにダメージは負ったが、戦闘に支障は無い。

 だが回避の間にナーラグワイズの魂が宿る赤龍転血石との距離が先ほどよりも僅かに開いている。

 開いた距離は僅か。

 しかしその僅かが遠い。

 迷宮特性【離さず】の効果によって、投擲攻撃を封じられた以上、ケイスの攻撃可能範囲は、己の両手の間合い、そして握っている物体が届く範囲のみ。

 一方でナーラグワイズは迷宮特性による悪影響を受けておらず、ケイスを近づけさせまいと、火龍の咆哮を模した赤熱魔術光弾の弾幕で迎撃をしながら、降下を続けている。

 距離が開けば開くほど、ケイスの刃は届かなくなる。

 だがこの程度の、難関で思い悩む正気などケイスは端から持ち合わせていない。

 魔力を捨てたときより、剣を選んだときより、いつだってケイスの戦い方は1つだけ。

 斬る……ただそれだけだ。 

 鼓動を感じるほどの、息が触れるほどの、匂いを感じるほどの超近接戦闘圏こそがケイスの戦闘領域。

 剣を命を掛けるときこそが、ケイスが唯一、他者を、自分以外を理解でき心安らぐ刻。

 ケイスが求める唯一の世界。


「ふん! ぬるいぞ! ナーラグワイズ! これで火龍のブレスのつもりか! 私を幾度も殺してみせた狼牙の火龍に比べればまるで児戯だな!」


 かつて見た幻の狼牙に、受け入れた死霊達の地獄絵図に、幾度も焼かれ死した戦いに比べれば、この程度ではケイスを阻む壁としてはまだ生ぬるい。

 もっと撃ってみせろ。もっと大きくしてみせろ。もっと自分を阻んでみせろ。

 ケイスが足を止めたというのにナーラグワイズが追撃をしてこない物足りなさを感じた怒りのままに、岩盤の一部を苛立ち紛れにもぎ取ってから蹴りつけたケイスは再降下を開始した。










『くっ! なんだあの化け物は! ちょこまかと!』


 一方的に罵られ、嘲られるナーラグワイズは混乱の極みにいた。

 ナーラグワイズが放つ熱光弾は並の生物であれば一撃が必殺であるはず熱量を持つ。

 ルクセライゼンの末裔を名乗る化け物が纏う鎧が、ナーラグワイズを長年縛り付け、その意志を封印してきた深海青龍の肉体であることを差し引いても、それでも数発を当てれば十分に打ち消し合えるほどの力を込めている。

 だが化け物にまともに当たったのは最初の散弾の1つだけ。

 その後の二撃目、三撃目とも、回数を増すごとに密度を濃くしているというのに、化け物は自らの手に握っていた石のかけらを空中に投げると、即座にそれを足場として不規則に軌道を変えて、回避してのけている。

 何とか距離を縮めさせてはいないが、最初のように引き離すことも出来ずにいた。

 もっとケイスの迎撃に熱量を向ければどうにか出来るか?

 だが必要以上に熱を使ってしまえば、地下の溶岩溜まりまで掘り抜ける熱を失うやもしれぬ。

 赤龍にとっての力の元である熱を補給しなければ、肉体を取り戻すどころか、幻炎で生み出した肉体さえ維持できなくなる。

 それに熱量の低下はもう一つの致命的敗北を呼び込みかねない。今は押さえ込んでいるが、熱を失えば異物共が蘇り中から砕いてくるやもしれぬ。

 せめて生身の肉体があれば、心臓さえあればいくらでもやりようがあるが、今の状態では手持ちの魔力だけでやりくりするしかない。

 
『くっ魔力が足りん! 人が! 我らの聖域から熱を奪うのみならず、今世では我から力を奪いおって!』  


 大地を脅かした東方王国は滅亡させたというのに、今の人共はもっと悪辣な手段を用いて、龍より力を得ようとしている。

 いくら意識が発現できぬほど消耗していたとはいえ、自らの肉体である転血石が人の血と混ぜ合わされ、繋がりを経路として魔力を吸い出されていた事くらいは分かる。

 意識が顕現したことで、僅かに奪い返したが、それはこの数十年で失った力に比べれば微々たる物。

 周囲一帯が再迷宮化したことで、迷宮主たるナーラグワイズに、迷宮特性【離さず】によって炎と変わった物質の熱も入ってきたが、それもナーラグワイズを満たすほどの量ではない。

 龍が、我が、ただ物のように使われたなど……屈辱だ! ましてや人などに!

 やはり滅ぼさねばならない! 人という存在がこれ以上増長する前に!

 ナーラグワイズは怒りを呼び起こすことで、力を高める。

 魔力とは思い。感情。自らの心を持って、世界を浸食する力。

 人に対する憎しみが、力を奪われた憤怒が、滅ぼさなければならないという義憤が、魔力の質を高め、幻炎の龍のアギトが最大まで開かれる。

 生み出されたのは火道を埋め尽くすほどの熱光弾、いやまさに太陽と呼ぶべきか。

 怒りが頂点に達すると共に、不意に今までに無いほどの力がナーラグワイズの中でわき起こる。

 まるでどこからか、大量の力が流れ込んできたかのような高揚感。

 これならやれるあの化け物を!


『龍を侮るな! 化け物が! 己が愚かさを恥ながら死を迎えよ!』


 真昼のように赤々と照らし出しながら火道壁面を一気にとかし尽くし、蒸発させながら太陽が打ち放たれる。

 それはまさに火龍のブレス。

 狼牙の街を焼き尽くし、トランド大陸から人類を駆逐し尽くしかけた轟炎赤龍の怒りそのもの。

 龍の怒りを持って、残り少ない魔力を高めることで可能として最大攻撃をもって、今一番の驚異である敵を駆逐しようとするその行いは正しい……常ならば。

 しかし事ケイスに至っては、それは最悪の悪手。

 ケイスを迎え撃つ為に怒りを呼び起こすならば、ケイスにだけ集中しなければならない。

 ケイスのみを敵に定め、ケイスだけに全身全霊を向けねば、ケイスだけに怒りを向けねばならない。

 一瞬でもケイスから目を、意識を離すことが、どれほど危険であるかをナーラグワイズは、理解していなかった。 










 大きな溜めと共に生み出されるのは巨大城塞都市さえ一撃の下に打ち砕く赤龍のブレス。

 あの太陽の元で幾千、幾万、幾億の人が死んだだろう。

 纏う鎧が深海青龍を用いた四宝鎧とはいえ、闘気はともかくとしても、魔力も込めなければ十全の力を発揮しない。

 ましてや深海青龍であってもあの一撃をまともに受ければ無事には済まないだろう。

 そう龍ならば。

 だがケイスは違う。ケイスは龍の力を持ち、龍の血を引き、龍の魂を持つが、剣士だ。

 邑源を、フォールセン二刀流を、レディアス二刀流を継承し、天才たる剣士。

 もしケイス以外にも三剣を受け継いだ者がいたとしても、まともな剣士であれば死を約束されたブレスと真正面からやり合おうなどとは思わないだろう。 

 だがケイスは馬鹿だ。剣術で進むと、世界最強になると決めた剣術馬鹿だ。

 受け継いだ記憶からブレスが放たれるまであと15秒ほどの余裕があると判断し、即座に手を考え実行に移す。


「双龍闘気浸透遠当て!」


 横向きに着地したケイスは借り受けた右手の短剣と、左手の千刃手甲に、それぞれ赤龍、青龍の両闘気を込めながら壁面へと突き入れる。

 回避する為に横穴を掘ろうなどという意図はない。あのブレスならば山体もろとも崩壊してもおかしくない威力があるはずだ。

 それに逃げるなどケイスの流儀ではない。

 楽しくない。つまらない。斬る機会が来たのだ。なら斬らなくてどうする。

 逸る心のままにケイスは大地を掴む。

 迷宮特性【離さず】は探索者が握った物体が手の範囲から離れれば、火の子となって消失する現象。

 ではその効果範囲は?

 見える範囲内か。触れる範囲内か。認識できる範囲内か。

 答えはすべて否。

 探索者が持つ事の出来た範囲内がすべてその影響範囲内に入ると、既にケイスはここまでの戦闘と探索で見極めている。

 そして持ったことで探索者の持ち物と認識される時間は一瞬。

 異なる龍種の闘気は互いを喰らい合い、反発し合い、膨張し、やがて消滅する。 
 
 打ち込んだ闘気はケイスの手から繋がったまま、地中を駆け抜け周囲を消滅させながら一直線に突き進み、突き抜ける。

 ラフォスを最大加重で握ったような時のずっしりとした重みを感じ瞬時に両手を引き抜くと、火の子となって目の前の岩盤がぽっかりと消え失せ、ケイスが潜り込めるほどの長く一直線に伸びる即席坑道が目の前に現れた。


「むぅ。少し小さい。やはりお婆さま達のようにはまだまだか」


 かつて祖母と大叔母は、龍の大群へ背後から奇襲を掛ける主の為に、大陸に名だたる山脈を、一撃の剣技を持って貫いて道を開いたと聞く。

 実際に旅の途中で目にした、その大穴は今も山脈越えの大街道として使われているほど。

 それに比べれば、まだまだ未熟。まだまだ届かない。距離も大きさも。

 ましてや迷宮特性の力を借りるのだから、比べるまでもない。だからこれからも精進あるのみ。

 だがそれでも道は開いた。

 くるりと身を翻したケイスは、両足を岩盤にめり込ませ垂直で立つと下方を見つめる。

 まともに見れば目が焼かれそうなほどに煌々と輝き始めた太陽の向こうに、赤龍転血石と幻炎たるナーラグワイズは隠れ姿は見えない。

 だから思い描く。その姿を。斬るべき姿を。貫くべき位置を。

 最初に見た四宝鎧の配置から読み取れた陣の中央地点を。

 おそらくそこにいるはずだ。

 実に今日は良い日だ。

 龍を模した兜の中でケイスは見惚れるような笑顔で笑う。無邪気に、狂った笑顔で。

 魔力だけとはいえ伝説の龍と戦え、そして龍を倒せば、かつてその龍を倒した伝説の探索者達と戦う機会があるやもしれぬ。

 
「ふむ。頃合いか」


 高まる殺気、渦巻く熱量、輝く光量。

 そして背後の大穴からは、微細な振動と共に、潮の香り。

 火龍のブレスが来ると確信すると同時に、ケイスは岩盤から足を抜き自由落下を開始。

  
『龍を侮るな! 化け物が! 己が愚かさを恥ながら死を迎えよ!』


 雷鳴のような怒号が響き、殺意の塊である太陽が火道岩盤を蒸発させるほどの熱量の塊が、超高速で打ち放たれた。

 絶対たる熱を前にしてもケイスの笑みは変わらない。

 実に心地よい。

 喰うか喰われるか。これこそが、これだけがケイスが遜色なく完全に理解できる他者との交流。

 魂からの邂逅の瞬間。

 今回は貫きつつも掴まなければならない。ならば左手で行くべきだ。

 つくづくちょうど良い武器を借りられた物だとロッソに感謝しつつ、左手を貫手技に構え千刃手甲の五指をぴったりと合わせ刃をそろえる。

 この技を空中で放つのは初めてだが、何とかなるだろう。何せ自分は天才だ。なら出来ぬはずがない。

 大きく身を捻り左腕を引き絞ったケイスは、猛烈な勢いで打ち上げられた太陽に向かって一直線に落ちていく。

 それは無理。それは無謀。それは不可能。

 誰もがそう声をそろえて断言するだろう。

 だがケイスは己の勝利を疑わぬ声と共に、また1つ必勝という事実をこの世界に積み上げる為に技名を唱える。 


「邑源一刀流! 逆手双刺突!」


 ケイスが左手を突き出すと同時に、先ほど開けた大穴から大量の海水が火道へと一気に流れ込み、ケイスの背中を強く押しだす。

 ここは深い海から海底火山が隆起してできた絶海の火山島。

 地上から千ケーラを超える深さまで地下に潜っても、島の周囲は大海原に囲まれている。

 火龍のブレスに勝る為、水龍の鎧を最大限に力を発揮させる為に、海へと繋げたケイスは水流を纏いながら、地下からの昇る太陽へと真っ正面から突っ込んだ。

 赤龍魔力のこもった火と青龍闘気を纏う水がぶつかり合い、太陽と刃が鎬を削り合い、巨大な圧力と共に両者の間に力がたまっていく。


「ぐっっ! はぁぁぁぁぁっ!」


 思っていた以上に勢いと熱が強い。

 一気に突き抜けるはずの逆手双刺突でも全く進めない。

 地を蹴ることが出来れば良いがそれも出来ぬ以上、背中を押す水を大地とし全身の力と、闘気で押し込むケイスは、太陽のごとき火龍のブレスに真っ正面から拮抗してみせる。

 さすがは名を知られた轟炎赤龍ナーラグワイズのブレス! 魔力で生み出された疑似ブレスといえど遜色なし。

 四宝鎧でなければ一瞬で蒸発して、まともに相手など出来無かっただろう。

 海と繋なければ、鎧の力もすぐに尽きて骨さえ残さず死しただろう。

 ドワーフの特殊鋼性の手甲でなければ打ち込めなかっただろう。

 思わず笑い出したくなるほどの強さと、自分の運の良さにケイスの心は跳ねる。

 もっとだ。もっと力を込めろ。もっと超えろ。

 限界を。

 常識を。

 今を。

 剣を持って月は斬ってみせた。

 ならば剣を持って太陽を突き破れぬはずがない。

 足らぬなら足せばいい。

 借りていた短槍とショートソードをそれぞれ指の間に挟むことで右手一本で掴み、ブレスに打ち込む。

 
「レディアス二刀流! 弧乱真白!」
 

 それは本来は1つの力の流れとなって突っ込んでくる敵集団に対して、両手の剣を持って力の向きを乱し同士討ちさせる防御技の1つ。

 本来は両手で行う技を自らの天才性を持って片手で行うケイスは、短槍とショートソードが熱に負け溶け落ちるまでの一瞬で、僅かながらもブレス表面のほんの一部だけだが、流れを乱してみせる。

 乱れたのは一瞬。ほんの僅かな領域。

 しかしそこは紛れもなくナーラグワイズの意志を離れた力。

 ならば喰らう。相手の力を喰らい、相手を喰らう迷宮剣術を持って。


「フォールセン二刀流! 木霊綴!」   


 左手の千刃手甲の小さな刃の1つを持って、乱れた力の1つを喰らい、自らの力も乗せて、もう少し大きな乱れをうみ、さらに違う刃で受け止め、また少しだけ足して少しだけ大きな乱れに、さらに違う刃で受け止め……

 音が響き反響させるように力を蓄え、刃を増やしながら、ブレスを少しずつ割り自らの推進力に変換する。

 ぶつかり合い膠着し、拮抗していた火と水が混ざり合い、ケイスの物へと、ケイスが扱う力へと。

 小さなヒビが入り、それは見る見る間に広がり、割れた火の一部は水と混ざりながら爆発を生み出して、一緒にケイスの背中を押し始める。

 力任せに無理矢理ブレスを割り進むケイスの気配を感じたのか、ナーラグワイズの狼狽した声が響く。


『あ、あり得ない! 何をした! なぜ我のブレスを受け止めれる! 喰らえる!』


 それはもはや龍の、絶対的強者が放つべき声ではない。喰われる者の、弱者が放つ悲鳴。

 自分では理解できぬ答えを求める哀れなる被害者に対して、加害者たるケイスはいつもの台詞を無慈悲に投げかけるのみだ。


「決まっているであろう! 私が剣士だから!」


 理不尽かつ誰にも理解できないであろう暴虐なるケイス理論によって、ナーラグワイズの心が折れたのかブレスから力が消え失せ、一気に拡散する。

 千載一遇のチャンスをケイスが見逃すはずもない。

 目の前の障害は抜けた。ならば一気に突っ込み貫くだけ!


「邑源一刀流!」 


 水流を纏うケイスは咆哮と共に全身を捻る。

 偶然か。それとも必然か。

 ケイスが体捌きによって、纏う流水がまるで龍の頭部のような形を描き出す。


『ま、まさか! 貴様が次代のっ!』


「逆手蹂躙貫き!」


 技を放つ態勢に入っていたケイスは、ナーラグワイズが放つ断末魔の叫びなど耳にも入らずに、ただ一直線に赤龍転血石へ突っ込み左手の千刃手甲を力任せに打ち込む。

 龍の鱗とまでは行かずとも、龍血が固まった赤龍転血石は鋼並みの強度を誇るが、それをまるで飴細工のようにケイスの左手は食い破り、真っ二つにぶち砕きながら両断していく。


「これか」 


 そのほぼ中心点で鮮血色に染まっていた赤龍転血石の欠片に混じる黒い不純物を見つけたケイスは右手で素早くつかみ取るとほぼ同時にナーラグワイズの気配が消え失せる。

 すると周囲にあったナーラグワイズの転血石の破片が、一瞬で霧状に変化してケイスが右手にはめている指輪へと吸い込まれ、徐々に周囲が暗闇に閉ざされていく。

 難易度はそこそこ高いが、やはり初級迷宮だったので迷宮主であったナーラグワイズを討伐しただけで迷宮化を解除できたようだ。

 しかし龍を倒した割には、天恵による増幅はあまり感じられない。


「むぅ。やはり鱗無しだと本物より大分弱いか……下まで下ろして復活を待つ方が良かったか。しかしロッソの約定もあるし、怪我人もいたので致し方なしか」


 多少物足りなさを覚えるが、状況が状況だけに仕方ないと納得したケイスは水流を蹴って脱出して、溶けて柔らかくなった壁にとりつく。

 龍魔力の影響で治癒魔術が上手く使えず、怪我人に処置も出来ずにいたがこれでどうにかなるだろう。

 問題はむしろケイスのほうだ。

 ここが相当に地下深いことや、先ほどまでの戦闘の余波で、上の方も崩壊がひどくて戻れる道があるか不明なことだが、ある意味で脳天気なケイスはあまり気にしていなかった。


「ん……少しおなかがすいたな」
 

 柔らかい表面の手応えにケーキを思い出して少しだけ気が抜けたのか、腹が鳴って空腹を訴えだす。

 何か食べ物が欲しいところだが、手持ちになし。

 先ほどから流れ込んで来ている海水も、即席坑道のどこかで崩落が起きて塞がれでもしたのか、水音が弱くなってきている。


「中にいるのが、お一人かお二人か分からんが食べ物でも持っていれば良いがあまり期待できぬか」


 先ほどナーラグワイズ転血石の中から持ってきた異物、緊急用待避結界魔導具は暗黒期時代の代物だが、どうやら正常に稼働している様子だ。

 しかしさすがに現代の物と術式が違いすぎて内部時間の設定が遅延状態か停止状態かは、ケイスでも判断できない。

 それにどうせ無理矢理に開けられたとしても、ここでは実にやりづらい。どうせやるなら平坦な場所がいい。


「ふむ。とりあえず下まで降りてみるか」


 下がどうなっているか分からないが、上手くすれば先ほどの水流に巻き込まれた魚が地熱で焼けているかもしれない。

 まずは食べ物探しが最優先だ。何せ相手は上級探索者が1人か2人。しかも伝説とつくほどの先達達。


「ん。少しでも良い状態で戦えるようにしなければ失礼という物だな」 


 やはり今日はいい日だとケイスは心からの笑みで笑いながら、暗闇の中を下り始めた。









 戦闘終了

 前回記録より低レベルなれど赤龍龍王化兆し再確認

 全世界消失海水量測定……補充必要有り    

 特殊クエスト【龍の血に抗いし者達】続行承認

 南方帝国、地下王国共に新戦乱クエスト【望まれぬ王の帰還】作成開始

 迷宮群【悪夢の島】を主軸にした戦乱クエスト作成開始

 赤龍影響による世界戦乱化23%から44%まで上昇

 全現行クエスト調整開始

 賽子が転がる。


 賽子の内側で無数の賽子が転がる。


 無数の賽子の内側でさらに無数の賽子が転がる。


 賽子が転がる。


 神々の退屈を紛らわすために。


 神々の熱狂を呼び起こすために。


 神々の嗜虐を満たすために。 


 賽子が転がる。


 迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。



[22387] 剣士の足跡とその影響
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/08/29 22:36
 ルクセライゼン帝都水上都市コルトバーナ。
 
 ルクセライゼン大陸を代表する三大河川と、無数の運河の集結地点として繁栄の極みを迎える帝都。

 帝国内のみならず、世界各地から訪れる様々な船を見物できるバーナ湾。その中央に一際巨大な艦が停泊をしていた。

 それはお椀をひっくり返したような形状で、島と見間違えるほどに巨大な劇場艦【リオラ】

 5つの大劇場を艦内に抱えるリオラはつい2週間前に、初就航を記念したルクセライゼン大陸一周記念公演から戻ったばかりだが、整備もそこそこに、イベント好きなうえに商売っ気豊かな船主の変人女侯爵によって、帝都帰還日替わり公演が大々的に開催されていた。

 公演の目玉は、大陸各地で公演しつつスカウトしてきた地方の有名劇団や、無名ながら光る物がある若手剣劇師など、帝都ではあまり馴染みのない異国情緒溢れる剣劇群。
 
 様々な地方伝承が元になった目新しい演目は、目の肥えていた帝都の剣劇ファン達も満足するできばえの物ばかりが、毎日日替わりで行われている上に、一度でも見逃すと次はいつ見られるか分からないという希少所為もあってか、さすが剣劇道楽侯爵と呆れられながらも、連日連夜の大盛況による大入りが謳われ、常連客の中には現皇帝フィリオネスの姿もあったという。



 







「今夜も陛下は姪御殿の元へとお出かけか。どうにも陛下は御子がいらっしゃらない所為か、血縁者には甘いご様子だ」


 バーナ湾を一望できる帝国中央宮殿の一室から、夜の海に浮かび灯り輝く劇場艦リオラを見下ろしていたくすんだ灰色髪の壮年の男が、鮮やかなルビー色のワインが入ったデキャンタをとり、同席する明るい茶色髪の若い男性のグラスへと注ぐ。


「もっともこうしてメルアーネ殿が運んできてくれた、土産を楽しんでいる私たちが言えた義理ではないか。シュバイツァー領地で昨年仕込みの若のみの酒だ。お前の遅刻癖を加味して飲み頃に合わせた。試してみろ」


「好きこのんで、毎回遅刻しているわけではないのだがな……いただこう」

 
 若い男はため口で答えるが、壮年の男は別に不愉快さを感じた様子もなく、対面の席に腰掛けると手酌で自分の分をグラスへと注ぎ、ぐいっと傾ける。

 フルティーなさわやかな果実香と、あっさりとした口当たりにほどよい甘さ。

 どちらかといえば若い女性が好む類の軽い酒だが、厳つい見た目に反して男も、酒を楽しむなら、この手の若飲み、しかも安価な品の方が好みだったりする。

 だが男の立場故にか、他の者から送られる酒は熟成された年代物の高価な品ばかりなうえに、男にも見栄という物があるので、本来の酒の好みはあまり口外していないのだが、こうも見事に嗜好に合った品を持ってこられると、素直に降参して楽しむしかない。


「今宵の相手はファルゲルン家のノリア殿。演目はファルゲルン地方に伝わるオオムカデを退治した王子の話か。メルアーネ殿はなんだかんだ言われながらも、根回しはしっかりとしているな」


 男が昨夜皇帝と共に観劇した演目は、男とも縁深いかの大英雄パーティに関した物で、大いに楽しませてもらっていた。

 だが世界最大帝国の長である皇帝ともなれば、観劇1つとっても重要な政治活動の1つ。 

 毎回違う相手を伴い、連日連夜に渡り異なる演目観劇を続けている理由も、男の立場からは言われずとも自ずと見えてくる。

「言動はアレでも病弱だった弟殿や甥御に変わり、長年大公代理を務めている女傑だ。同じ年頃に探索者として、気ままに生きていた俺よりはよっぽど経験をつんでいるだろうよ」


 世間一般では剣劇狂い、少年、少女愛好家、同性愛者やらと、いろいろと陰口を叩かれている変人女侯爵だが、こうしてちゃんと相手が隠している好みもついてくる補佐役は、皇帝にとって貴重であろう。

 男のご相伴にあずかることになった若い男も、形式張った会食よりも、気のあった友人と気軽に飲み交わせる席と酒を好む。

 おそらくメルアーネは、2人が近日中に顔を合わせることを読んで、この酒をわざわざ送ってきたのだろうと2人とも分かっていた。

 見た目は親子ほどに離れているが、同い年の同窓生でもあり、それなりに血の近い親戚筋に当たる。

 壮年の男は大英雄が1人フォールセンの出身家でもあり、帝国有数の穀物地帯であるシュバイツァー家現当主ライネル・シュバイツァー。

 若い男は、上級探索者【青鱗の王】の2つ名でも知られるグライドルア家現当主ミトリ・グライドルア。

 グライドルア家は、その領地内に広大な大森林地帯を抱え、高い造船技術を誇る船工廠と船大工達でも知られており、帝国内で新造される船の半分以上は何らかの形でグライドルアが関わっているとされる。

 両家とも、ルクセライゼン初代国王の血を引く準皇族であり、同時に南方大陸において覇を競った国主達の末裔でもある。


「どこぞの他家の叔父上に、交易交渉で散々泣かされてきた成果で手強くなったと聞くが違ったか。おかげであの船を作るときには、当家も散々値切られて苦労したんだが」


「嘘をつけ。世界最大の船を作ると聞いて、当主自ら嬉々として協力したと聞いているぞ。それに俺の場合は、先祖の負け分を取り戻しただけよ。メギウス家の先々代が相当に優秀だったからな。どれだけ麦を安く買いたたかれたか」

  
 南方大陸統一帝国ルクセライゼンは、かの暗黒時代に迷宮から無限にわき出してくるモンスター達に対抗し人類の力を集中する為にという名目で、当時のルクセライゼン王国が大陸内の他国を併合して、大陸統一を成し遂げた経緯を持つ。

 併合は会談による平和的な物もあったが、そのほとんどは力による強引な物となったが、併合後もルクセライゼンは、敵対していた元王家や連なる者、領土、領民、文化を尊重して、公平に扱う事に苦心したという。

 それどころか、龍殺しの一族として知られる帝家は、超常の魔力を持つ王子、姫達を積極的に嫁がせ、婚姻関係を強化し南方大陸平定に全力を注ぎ、人類の反攻作戦を支える屋台骨を作った最大の功労国であると誰もが知ること。

 だがその偉功も今は昔……

 倒すべき敵、取り戻すべき土地、すべての種族が1つにまとまる困難。

 その全てが消え去った後に訪れた平和な時代は、皮肉にも世界最大の大帝国のみならず世界全域で徐々に暗黒時代の反動と軋轢が表面化を始める時代でもあった。








 会場劇場艦リオラには毎日無数の荷物や書簡が届けられる。

 演者に宛てて書かれたファンレターであったり、舞台上で用いられる小道具や、派手な演出を彩る魔導具といったものから、自作の剣劇の台本【剣譜】を送ってきた若手作家であったり、はたまた帝国内の剣劇コンクールで入賞に輝いた新人役者の推薦状であったり、他国、地方からの公演依頼や、逆に地方劇団の売り込みであったりと、多岐にわたる。

 それらは大陸のみならず、大陸外からの品も含まれているが、例え手紙1枚でも魔術文字を用いた召喚魔法陣によりテロ行為の可能性もある為、届けられた荷は全てリオラ下部に設けられた各種現象を沈静化できる魔導検査庫で厳重に精査されてから、各担当部署へと改めて配送されることになっている。

 そんな大量の荷物、書籍の一部には、【根】と呼ばれる諜報組織に所属する各地に潜んだ諜報員からの報告書も密かに紛れ込んでいた。
 



 最重要監視対象K介入事象および事後報告

 統一歴197年4月にKの助力によって弱小勢力であった第4王子とその派閥による王権が成立したトランド南方小国家地帯内メルティアナ国内にて、敗れた第1王子および第5、第8王子派それぞれの残党によるクーデターの動き。

 それに伴い近隣諸国間での軍事同盟および破棄が活発化。大規模な地域戦乱へと発展する可能性有り。

 同年8月上旬。Kによって殺害された、クライナ連合国前女大公にして上級探索者リワーラ・ノルベス居城における遺骨発掘調査が先月完了。およそ500から700を超える人骨を発見。

 Kによって救助された少数の生き残りの証言もあり、リワーラ大公による美容を目的とした儀式魔術および嗜虐的な性的嗜好を満たす為に浚われた少女の亡骸と断定。

 クライナ連合内で責任の所在を巡って連合議会が改めて紛糾中。連合からの一部離脱や解体可能性極めて高し。

 同年8月下旬。リワーラにKを売ったとおぼしき闇ギルドが壊滅。生存者無し詳細不明。クライナ連合国内暗黒社会に空白が出来た為か、他地域勢力流入と抗争が活発化。治安の急速な悪化が先の報告の一因となる。

 同年10月。トランド南東タルガのスラム街にて笑狂曲芸師の二つ名を持つ連続少女殺人犯中級探索者を撃破。その際に心臓をわざと刺されてから、闘気で跳ね返し相手を拘束する【鼓動返し】なる返し技を開発。

 現場に居合わせ精神的ショックから長期離脱していた根は、半年前に復帰するも、最近の管理協会から公式発信されるK関連情報に再び精神的不調を再発中。

 198年2月。数ヶ月にわたり行方不明になっていたKを再発見。南方街道支道の一つライトラ山道周辺の盗賊、および山賊団を一冬のあいだ山に籠もり駆逐していた模様。ライトラ山道や近隣街道での盗賊被害が激減。ライトラ山道越えルートの安全化により周辺地域経済活発化。

 反比例して、今まで使われてきた北側のクルリアン街道交易において壊滅的な利益減少が発生。安全を売りにした高額な通行料や宿代による反発と思われ、これによりいくつかの町村で集落離散が発生。またその一部が盗賊化したと情報有り。

 追加情報……ライトラ街道で活動していた山賊団の一部には、クルリアン商工ギルドから、商隊情報や資金斡旋があった証拠を発見。対応を確認中。

 同年4月上旬。リトラセ砂漠特別迷宮区【常夜の砂漠】において発生していた砂船遭難事件にKが遭遇。発生原因とおぼしきサンドワーム群の一部を撃破。

 撃破の際に少量の血をこぼしたか、もしくは気まぐれで野良モンスターに与えた為か、ここ数ヶ月の間にリトラセ砂漠迷宮群において異常強化された新種モンスターの発生を少数ながら確認。

 同年4月下旬。カンナビスにおいて、Kの血によりカンナビス魔法陣再生およびカンナビスゴーレム発生を確認するも、K自身によって撃破される。      

 これに伴い開発中であったカンナビスゴーレム関連技術を流用した魔具の開発停止および資料破棄が管理協会および竜獣翁により決定。

 開発、研究中止によって、中央大手のエクライア魔導具工房ギルド次期工主の選抜に大きな影響が起き、未だ次期工主が決まらぬまま当代が数ヶ月前に意識不明となったことで、さらに下部工房間の争いが激化。

 またいくつかの闇ギルドが、封印されたカンナビスゴーレム関連技術を狙い、暗躍中との情報も有り現在調査中。

 同年4月から10月。先の騒動で【羽の剣】と呼ばれる特殊剣を手に入れたKによる試し切りとおぼしき痕跡を多数発見。周辺野良モンスターの激減および盗賊団とそれに関連していた地方豪族の壊滅を複数確認。

 この期間中のK関連報告は、世界情勢に関連する大事は減少しているが、小事が膨大となる為に別資料を用意。

 199年3月。最終目標地点とおぼしきロウガ直前の街で、ロウガ出陣式襲撃事件の元凶となる事件に遭遇。

 影響に関して現在調査中…………






「……あのバカ姪は。ぽんぽんと気軽に事件を起こしやがって、調査報告まとめるこっちの身になりやがれ」


 未整理で山積みされた膨大な報告書を前に、イドラス・レディアスは机に突っ伏し、恨み節を込めたうめき声を上げる。

 一事が万事、気のまま思うがままで無軌道に、後先の影響を考えず動くケイスの所為で、幾人の根の諜報員が精神的にやられたことだろう。

 彼らと同じように倒れてしまえればいいのだが、根の長としての責任感か、それともケイスと近い血縁で少なからず耐性があった所為か、今のところ血反吐を吐くほどでもない、小康状態を保てているので仕事が出来てしまうのだからしょうが無かった。

 遂にはケイス関連の情報は、部下達からの懇願で、組織の長だというのにイドラスが専門でまとめる羽目になっているあたり、人材不足もいいところだ。


「イド! 泣き言を言っている暇があるなら早く新しい情報を翻訳しなさい! こうしている間も、あの姪っ子が何をしでかすか! 現実に負けるなんて剣劇作家としての名折れ! 負けるわけにはまいりません!」


 その一方、上の各劇場では今日も興業が大盛況だというのに、船主兼興行主のメルアーネは貴重な時間を使い新作の剣譜作りに余念が無い。

 一応血縁上で見れば、ケイスに関しては姪と呼ぶよりも、従姉妹と呼んだ方が正しいのだが、イドラスの亡き姉にしてケイスの実母である剣劇師リオラ・レディアスの名をこの船につけるほどの世界一のファンを自称するメルアーネに、その辺りを指摘しても無駄だと知っているので、ため息混じりに返すだけだ。


「対抗心を燃やすのが無謀だからやめとけメル姉。ケイスの奴、最近じゃ完全に空想の化け物に足踏み入れてんだろ」 


 【根】の諜報活動の一環として、リオラの一部を利用させてもらう代わりに、劇場艦リオラの雑用係……もとい総務部長という肩書きをメルアーネから押しつけられたのが不運の始まり。

 ケイス関連の最新極秘情報だというのに無理矢理にもぎ取っていく辺り、他家の重鎮を接待するという名目を立てつつも、連日連夜リオラに乗り込んで、娘の現状を聞かないと翌日の仕事が手につかないというのが一番の大きな理由であるケイスの実父皇帝フィリオネスとの血の繋がりを感じさせるものだ。

 ただメルアーネの対抗心はともかく、オジキと慕うフィリオネスの気持ちは分からなくもない。

 何せ娘のケイスがアレだ。アレ過ぎる。
 
 長年の夢であった探索者となったはいいが、その後に大騒動に次ぐ大騒動を引き起こしたり、巻き込まれている所為で、報告書は日ごとに分厚くなる一方で事件の整理どころか、機密報告の解読も追いつかない有様。

 挙げ句の果てには、イドラスも若い時代には幾度か世話になったロウガの色町【燭華】を破壊した大華災事件とやらで何をやらかしたのか、ロウガ支部に拘束されているのに、表だっては気に掛けることも出来無いフィリオネスの心労も察するに余りある。

 それを思うと、心身ともに疲れ切っている体に鞭を打ったイドラスは、送られてきた剣譜や手紙、または荷物の中から、いくつにも分割されて紛れ込まされた暗号を拾い集め手早く解読していき……しばらくしてできあがった報告書に、二度、三度、目を通してから今度こそ盛大にぶっ倒れる羽目になった。
 
 
「ち、ちょっとイド! どうしたのですか!?」


 さすがのメルアーネも筆を止め、心配げに声を掛けるほど。

 だがイドラスの耳にはその声も入ってはこない。


「な、なにやってんだあいつは!? なんかの誤報告だろ!? ないだろこれはさすがに!? オジキにみせたら近衛艦隊出しかねねぇぞ!?」 


 翻訳を失敗していたと思いたくなるような内容と、これを見てもまだ何とか正気を保てている自分。

 思わず、イドラスが天を呪いたくなる内容と担当している根の一人の悲痛な叫びが描かれていた。

 最重要監視対象K。大華災事件に絡み、ロウガ沖合海底鉱山監獄に送られるも、その初日に島全域で大規模な火山活動に伴う地震や山体崩壊が勃発。かつてこの島で討伐されたナーラグワイズの残した転血石による物と推測。

 Kが転血石破壊の為に向かったとのことだが、その後夜明け近くに起きた大規模な地震および陥没によって島の大半が海面下へと沈下。事前に救助されていた100人弱を除き、看守および受刑者のべ数千人が行方不明。非公開行方不明者リストの中にKの名も含まれている模様。

 現在緊急調査中。事態があまりにも急展開している為に追加の人員急募っていうか無理! もう無理! イド君のたっての頼みでもこれ以上無理! 森に帰りたい!



[22387] 薬師の(監視者付き)日常
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/09/04 17:23
 左手の千刃手甲で時折壁面を削り取ったケイスは、小石の破片を指弾の要領で跳ばして、微かに生まれた火花と反響音を頼りに、暗闇に覆われた火道を垂直に飛び降りていた。

 ナーラグワイズとの戦闘があった場所から、既に2時間ほど。目算で10万ケーラ(100㎞)ほど降りてきたが、未だ底は見えず、どう考えてもあまりに深すぎる。

 それに上の方は塞がっていた場所がいくつもあってナーラグワイズが溶かしていたのに、今は塞がっている箇所は皆無で、ひたすらスムーズに降りて来られている。

 どうも周囲一帯の空間が歪んで、空間そのものが延長されているか、壁面質感の違いから別の場所と次々に入れ替わっているとケイスの勘が判断するが、魔力を持たないケイスでは、脱出するどころか、周辺空間の歪みさえ調べることが出来ないので、とりあえず降りていくしか出来ることはない。

 思わず不安を覚えるような怪奇事象でも、ここトランド大陸の別名を思い返せば珍しい物ではない。

 迷宮大陸。

 迷宮神ミノトスによる摩訶不思議な迷宮が、太古より存在し、今も無数に生まれ続けている大地。

 ある迷宮間回廊を通っていると、気づかないうちに遠く離れた場所へと転移しているというのもよくある話。

 固定化された空間転移回廊は利便性が良い物は近道として利用されることもあり、固定転移回廊を見つけた探索者に管理協会から報酬が出たり、逆に見つけても報告せず、通路を偽装して秘匿して、個人やギルドで個人所有している者達もいると聞く。

 そんなことを思い返していると、ふと一つの仮説がケイスの中に浮かび上がってきて、右手に握ったままの古代魔具へと目を向ける。

 緊急用待避結界魔導具の中にはケイスの予想が正しければ、二人の上級探索者が逃げ込んでいるはずだ。

 ケイスの直接の祖先であり五代前のルクセライゼン皇帝ベザルート。

 もう一人がドワーフ王国エーグフォラン国王ガナド。

 かつてはナーラグワイズが生み出した悪夢の島を攻略する為に、数百年以上の年月と夥しい犠牲を必要としたが、ひょっとしたら正直に島を海上から攻略したのが失敗だったのではないだろうか。


「まさか本来は……」


この転移回廊を使い、火口に陣取っていたナーラグワイズを直下から奇襲を仕掛けていればもっと早く、犠牲もすく……


「むぅ」


 気にくわない仮説にたどりついてしまったケイスは気分を害して、顔をしかめて、考えるのをやめ、このような悪趣味を試練と称して人をあざ笑う神など、いつか斬ってやると決意を新たにし、降下に集中する。

 迷宮主ナーラグワイズを喰らったことで、迷宮化が解除され、迷宮特性【離さず】や【思考単純化】の効果も同時に消失した事で、探索や移動に支障は無くなったが、それ以前の問題として探索用のアイテムが足りない。

 借り受けた装備のうちまともに使えそうなのは千刃手甲くらい。

 他の武器はナーラグワイズとの戦闘時あまりの熱量で溶解したか、原形はとどめているが柔らかくなっていて使い物にならず。

 全身を覆っていた四宝鎧も、鎧に残っていた残存魔力を自らの血肉を用いて無理矢理増幅して使っていたが、龍のブレスを真っ正面からぶち抜いた事で、さすがに増幅元の魔力が尽きてしまった。いくらケイスの血が最高の魔術触媒といえど、増幅する元がなければどうしようもない。

 四宝鎧だった物は、今は氷できたケイスの爪ほどの鱗がついたブレスレットに変化していた。

 ケイス自身は囚人服だった血まみれのぼろ切れだけを纏った半裸状態だが、致命的な高熱も、一瞬で意識を失うような有毒ガスもこの辺りには流れていないので、今のところ問題は無いと、気にもしていない。

 幸いにも四宝鎧を纏う為に、魔法陣を刻む為に、切り刻んだ皮膚や肉は、ナーラグワイズを食べたおかげで一時的に身体能力が強まったのか、ほぼ治りかけでかさぶたがやけに目立つ程度には癒やされている。

 父の帝位継承の証であるルクセライゼン天印宝物。膨大な魔力増幅能力を持つ四宝杖も、非使用時は同じように鱗がついた革手袋となっていたので、帝家が受け継いだ龍魔力が発動の鍵であるようだ。

 元々の所有者であるベザルートとの魔力接続は、ケイスが着込む為に龍王魔術陣を描いた為に、今は一時的に切れてしまっているようで、時間経過での変化も見られない。

 ブレスレットのサイズはケイスの細腕には大きすぎるが、首にはめる分にはちょうどいいので落とさないように今は首につけている。

 何にせよ借り物の四宝鎧で、魔力の塊とはいえ龍、それも名の知られたナーラグワイズに対抗して斬れたのだ。感謝してもしたり無い。

 このような機会をくれた先祖にも、そして左手の千刃手甲を作ったドワーフ族にも、受けた恩義は返さなければならない。

 義理堅いケイスは、その恩義に報いる為に二人の王を絶対に国元へと返すという決意を固めていた。

 ただ、国元へ返すとなると、稽古だとしても、気軽に剣を向けるのも難しいだろう。

 となれば戦うなら、諸々が公にばれる前にしなければならない。

 伝説の英雄達に剣を向けたとばれたら、今周囲にいる人たちや、国元の家族にも、ものすごく怒られることは確定。それだけは絶対に避けなければならない。 

 もっともそれ以前に古代魔導具をどうやって解除するかや、武装を整えるなど諸々の準備が必要。

 だから第一目標はまずはロウガへの帰還。

 ロウガに戻れば、魔導具の専門家魔導技師のウォーギンがいる。

 それにケイスの愛用武具である先代深海青龍王ラフォスの宿る羽の剣や、火龍ノエラレイドが宿る額当ても早く迎えに行かねば。

 それに見つけたあの長巻も使っていないので、振ってみたい。

 ケイスが明確な目標を定めた事がきっかけだったのか、それとも一定の距離を移動したからか、あるいは偶然にも定められた順番を偶然成し遂げたのか、理屈は分からないが、今まで真っ暗闇だった奈落の底から、ほのかな青白い光が発せられ始めた。

 下が見えて格段に降りやすくなったケイスは、一気に足を速めて、ほぼ落ちているのと変わらない速度で壁面を蹴って下り降りる。

 穴の出口間近で壁に左手をたたき込み急制動してぴたりと勢いを殺して身体を止めてから、足下をのぞき込む。

 
「ふむ。やはり空間転移系か。天然の洞穴のようだがどう見ても溶岩溜まりやその後ではないな」


 上下逆さの光景でのぞき込んだ穴の底は、ケイスの背丈の倍はあるほどの大きな水晶の柱が床や壁面から乱雑に突き出た洞穴の一部が姿を見せた。

 数え切れないほどの無数の水晶は、仄かな光とほどよい熱を生み出しており、熱くなく、寒くもない、ちょうど良い気候で洞穴内で保たれている。
 
 左手を抜いて水晶伝いに飛び降りて底に降り立つと、足首ほどまでの高さでうっすらとだが水が満ちていた。

 水をすくってみると透き通っており、軽く舌先で舐めてみると、違和感や異臭、塩っ気もないほどよく冷たい真水だ。

 
「むぅ。綺麗すぎる。私が呼び込んだ海水でもないか」


 真水があるのは有り難いが、一切の雑味が感じられないのは、周囲に動物や植物が存在しないということでもある。

 喉の渇きは潤せたが、空腹はごまかせない。

 とりあえず水晶の一部を左手で砕いて口にしてみたが、歯でかみ砕けるし、闘気強化した状態なら石だろうが何だろうが消化も出来るとは思うが、ざらざらしていて美味しくないので最後の手段だ。

 水と砂利とはいえ胃に少し物が入ったおかげで、空腹が紛れたので周りを観察し考察してみるとすぐに違和感に気づく。

 張り出した水晶で物陰が無数に生まれているが、そこに何かが潜む気配はない。むしろほどよい暖かさと柔らかい明かりの所為か、どこか心が安らぐ。そしてこの感覚には覚えがある。


「ふむ、動物どころかモンスターの気配もないとなると……安全地帯の可能性が高いか」


 迷宮と迷宮を繋ぐ回廊は特別区扱いで通常ならモンスターなども出没するが、時折迷宮内にはモンスターが近寄らず探索者達が安心して野営を行える安全地帯が発生する。

 もしここが安全地帯であるならば……

 仮説を立てて周囲を探ったケイスは、すぐに水晶の一部が変化したのか、天然洞窟の中では不自然で目立つ模様の入った、迷宮への入り口を表す扉を見つけ出す。

 しかもそれは最初に見つけた一つだけではなく、立て続けに複数の扉が次々に現れる。

 迷宮色が判別できない扉もごろごろと転がっているので、それらは中級、もしくは上級のケイスが未だ踏みいる資格を持たない上位迷宮達だ。

 これだけ一つの安全地帯と隣接した迷宮入り口があるとなると、俗に迷宮群と呼ばれる迷宮密集地域となる。


「どこかの迷宮群。しかも初級や下位迷宮ですら終盤時期に軒並み未踏破となると……未発見迷宮群か」

 
 永宮未完に属する迷宮は、始まりの宮を始まりとして迷宮の扉が開き、五ヶ月後に下級迷宮や特別区迷宮を除いた迷宮が、扉を閉じ、出ることは出来ても入ることが出来無い迷宮閉鎖期を迎える。

 閉鎖中の迷宮内ではモンスターが異常増大し、迷宮構造そのものを大きく変える地殻変動も頻発する、まるで地獄のような状況になるという。
 
 そして一月後の閉鎖期の終わりに、次期始まりの宮が開くというサイクルで動いている。

 上位迷宮には、幾度も閉鎖期という地獄を超えて数年単位での攻略を必要とする大規模迷宮も存在するが、下位や初級には今のところそれほど大規模な迷宮は発見されておらず、やけに難易度が高い迷宮を除いてほとんどが、二、三ヶ月もあれば踏破されて、迷宮化が解除されている。 

 だというのに、今発見した迷宮に完全踏破されて迷宮化が解除された物は皆無。

ケイスが探索者となって既に4ヶ月以上。

 どれもが高難度で踏破が出来無かったと考えるよりは、この周囲の迷宮群がまだ人が足を踏み入れていない辺境や、よほど辺鄙な場所にあるからかもしれない。

 さてどこまで飛ばされた事やら……などとケイスは考えない。

 目の前に迷宮がある。なら生き残る為に、大切な人たちの元へと帰る為。かつて故郷の龍冠迷宮で過ごしたときのように、迷宮を乗り越えるだけだ。


「ふむ何はともあれ。まずはご飯からだな」


 やはり石では物足りないし、味気ない。

 迷うことなく赤の初級迷宮を示す赤い扉を選んだケイスは、どのようなご飯……もといモンスターがいるかとわくわくした顔で迷うことなく、前人未踏の迷宮へと飛び込んでいった。















 夕暮れに照らし出されるロウガの街は、ここ数日で急速にお祭りムードが盛り上がっていた。

 街の宿屋では至る所で派手な飾り付けがなされ、呼び込みに忙しい酒屋や露天には食べ物や酒が溢れ、武具商店や魔具屋にも真新しい新商品が並び、この半年に一度に最大の商機を逃してなる物かという気概で、誰もの目が血走っていた。

 明日には迷宮が閉鎖する迷宮閉鎖期が始まる。

 普段は迷宮に籠もりっぱなしだった探索者達が大挙して街に戻ってくるこの時期は、物珍しい迷宮素材が大量に入荷する時期で有り、戦利品によって財布の肥えた探索者達が集まる時期で有り、羽振りの良い探索者達にいかに金を吐かせるかと、商人達の鼻息の荒くなる時期でもある。


「よっしゃ! 飲め飲め! 今日は俺らの凱旋祝いでローゼン獣鱗団のおごりだ!」


 普段は街ではあまり見かけない歴戦の貫禄を誇る中級探索者の集団は、今回の探索で一山当てたのか、豪毅にも酒場の一つを借り切った上に、店先に樽をいくつも積み上げて、店内の客のみならず通りがかる通行人にまで、振る舞い酒を配っている。


 その乱痴気騒ぎを横目で見たルディアは、樽の銘柄がこの辺りではそこそこ珍しい地方の高級酒だとめざとく見つけ、一杯もらいたくなるが、配達の途中でもあり同行人もいる状況だったのでさすがに我慢をする。


「またいいお酒を。どこでどんだけ稼いできたんだか」


「ローゼン獣鱗団ですか。北部の湖沼地帯の大型淡水水竜を群れ単位で狩ってきたと聞いています。あの様にして自分たちの成果を誇って名前を売ることも重要らしいですね」  


 あの酒を樽買いとは。羨ましげに零したルディアの独り言に、横を歩いていたサナが反応し、サナらしい真面目な回答で答える。

 背中に大きな翼をもつ翼人という希少種族であるサナは、顔も知られ人気もあるロウガの姫で、こうやって街の雑踏を歩くのは難しいのだが、今はウォーギン謹製の内部空間をゆがめた翼隠しの外套を被っているので、あまり目立たず群衆の中に紛れ込めている。

 むしろ周りより頭一つ、二つ突き抜けた高身長で、燃えるような赤髪のルディアの方が周囲の目を引くほどだ。


「今年は良くも悪くもロウガに注目が集まっていますから、他の探索者パーティや、各ギルドも埋没しないようにと普段よりも派手に宣伝をしているようです」

 
 今期の新人探査者全員踏破に始まり、東域最大の花街が壊滅した大華災事件、今も様々な噂がされるロウガ沖合の孤島監獄。通称悪夢の島でおきた大規模な火山災害とそれに伴う島の大半か海面下に沈下したことで大量の看守、囚人が行方不明となった悪夢の島事件。

 確かに話題なら事欠かないほどに、ロウガではいろいろな騒ぎがこの半年間で起きている。

 酒のつまみ代わりに大いに壮大で荒唐無稽な英雄詩やら陰謀論やら持論を語るにはちょうどいいだろうし、それに負けじと自分たちの成果を謳うのもいいだろう。

 だがルディアは周りとの温度差に辟易し首を振るしかない。

 
「……これが当事者でなければ、野次馬根性発揮できますけどね」 


 悪夢の島での行方不明者は既に生存は絶望視されている。

 だが個人的には、いや仲間内や同期の間では、どうせ生きていると誰もが口をそろえるケイスは、未だ戻らず、既に3週間が過ぎていた。


「変に真面目なケイスさんのことですから、次の始まりの宮が始まり私たちが下級探索者に自動昇進するまで収監されることになっていたからと、自分で居残っていませんか?」


「嫌なんですよ想像するの。あのバカこっちの想像をぶっちぎった行動するから考えるだけ損です」


 サナがあげた推論を肯定も否定もせず眉間のしわだけが深くなる。

 ケイスならどれだけ荒唐無稽な理論理屈をひねり出してもおかしくない。

 それなりに長いつきあいになったが、未だケイスがやることなすことバカすぎるというか、考えやら思考パターンが独特すぎて読み切れないルディアは、とうの昔に心配はするが想像するのは止めたのだが、まだサナの方はそこまで達していないようだ。


「一応あの刀はまだ存在しているようですから生きているのは確実ですが、掘り進めてもまだ特別棟の上の階層だけでケイスさんが向かった深部にもたどり着けていないそうです」


 声を潜めたサナが語るあの刀とは、ケイスが見つけた神印宝物【紅十尺】

 やたらと長い深紅の柄と分厚い刀身で出来た長巻と分別されるらしい刀はルディアも初めて見た種別の武具だ。

 なにやら大英雄の1人が使っていた武器だそうだが、それよりも重要なのは、今の所有権を持つのが最初に紅十尺を取り出したケイスのままと言うことだ。

 神が認めた印。神印を宿す宝物は、探索者が真の力を発揮する神印解放に用いる事ができるという特性の他に、所有者が死亡した場合、消滅するという特性も持つ。

 ミノトス神官による譲渡の儀式を行えば他の探索者に譲ることも出来るので、流派によっては一つの神印宝物を代々の継承者の証として伝承しているようなところもあるが、紅十尺は所有権の変更を行っておらず未だケイスの所有品のまま。

 紅十尺の存在がケイスの生存を確信させる理由となっているが、この場合それは運が良かったのか悪かったのか……


「素直にそっちにいると思ってくれればいんですけど。こうやって付き纏われるのさすがに居心地悪くなってきたんですけど」


 ルディアが指すのはサナではない。

 ちらりと見た背後。そこには明らかにこちらを伺っていた事を隠そうともしない者が、それも複数いる。

 監視者のほとんどはフードの奥に顔を隠して人相もうかがい知れないが、中にはルディアも見知った警備治安隊のナイカなどもいて、そらに性質の悪いことに、わざと姿を見せているのが丸わかりなことだ。

 何せナイカは上級探索者。その気になればいくらでも姿を隠せるのであろうに、こうやって存在を誇示すること自体が、一筋縄でいかない事態になっていると嫌でも理解させる。

 ナイカ達の目的は聞いてもいないし、聞けそうもないが、十中八九、行方不明になったケイスが、ルディアに接触してくる可能性が高いからということだろう。

 島で何をしたのか、やらかしたのか。そして今何をしでかしているのか。

 裏の事情など一切知りはしないが、またもやケイスに巻き込まれたルディアは、ただの街の薬師として、いつも通りの日常を送っているというのに、複数の者達からの監視生活を余儀なくされていた。



[22387] 薬師と翼王女の免罪符飲み会
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/09/12 22:41
 日は暮れたがまだまだ昼間の暑さの残る時期。氷結魔具でよく冷やされた酒を求めて賑わう酒場はどこも賑やかしく、活気に満ちあふれている。

 そんな酒場通りの一つ。探索者向けの仲介屋も兼ねた馴染みの店で今週納品分も最後。

 探索者となったことで、内部圧縮と軽量化の奇跡が施された天恵ポーチを得て配達がものすごく楽になったのが一番の恩恵というのが、生活探索者と呼ばれる者達が口を揃えてあげる事例だが、ルディアも強く同意する。

 よく使われる傷薬や解毒薬などはとっさの時に判断しやすいように、薬師ギルドによって瓶や容器の種類、形が決まっているので、数えるのも楽だが、問題はルディア特製の特殊調合薬だ。

 色とりどりの液体薬、少し異臭を放つ固形薬、鈍色に光る塗り薬など、特徴のある品々をルディアはカウンターに並べていく。

 こちらはこの辺りでは見かけない故郷の氷大陸式調合法に基づいた魔術薬であったり、リズン工房先代店主フォーリアより受け継いだ東方式による特注品。

 いつもなら一回の納品でせいぜい一つ二つあるくらいだが、迷宮閉鎖期直前で大勢の探索者達が街へと戻ってきているので、一気に高額な特注が殺到したのは嬉しい悲鳴という奴だ。

 店が混んでいるこの時間帯を配達時間に選び、わざわざカウンターでやりとりしているのは店側に頼まれているからだ。

 うちの店では、これだけの様々な魔術薬を取り扱っているという一種の宣伝となるとのこと。


「少し検品に時間が掛かりそうだな……待ってる間次の注文書でもみながらいつも通り一杯やっていくかい? あと頼まれていた新しい酒も少しは入荷したがどうするよ」

 
 分厚いリストを手にしたマスターが、カウンターの下から新たな注文用紙の束と一緒に、故郷でよく飲まれている強めの蒸留酒の瓶を差し出してくる。

 ここのところ酒量と度数が若干増えているような気がしないでもないが、ケイスと友人関係を維持している以上、その辺りを気にするのは今更の話だ。


「上の2人部屋って空いてます? 今日は連れがいるから、じっくり飲みたいので。もちろん部屋代は出しますから」


 店内の混み具合を見渡したルディアは、少し考えてから二階の個室兼宿部屋を指さす。

 少し離れているところで待っているサナからは、仕事終わりでいいので内密な相談話があるので時間を欲しいと頼まれている。

 店に戻ってから話を聞いてもいいのだが、サナの表情から見るにどうせ酒でも飲みながら聞かないと、まともに受け止めたくない面倒な話に決まっている。

 だが最近の自宅に置いてある手持ちの酒は、ルディアが飲むにはちょうど良いが、サナに出すのはちょっと躊躇するレベルで強い物ばかり。

 いくら同期の友人とはいえ、仮にも一国の姫君を酔い潰すのはどうかなので、ここの店ならノンアルコールカクテルや、次の日に残らない弱めの酒など種類も豊富。

 さらに探索者向けの店なので、二階の個室には防諜、防魔術などの対策もされているので密談にはもってこいだ。

 追跡者達の存在は気になるが、これだけ人がいる場所で無茶なこともそうそうはしてこないだろう。

 そういう意味でも二階の個室を指定したのだが、マスターは大衆向け酒場は初めてなのかフード付き外套で顔と翼を隠しながらも、きょろきょろと興味深げに見ている小柄なサナの方をじっと見てから、


「かまわないが……ルディアさん、やっぱりあんたがあっち系が趣味だって陰口が叩かれないか」

  
 気遣う表情のマスターが、小声で忠告をしてくる。

 ここの二階は密談以外にも、連れ込み宿として使われることもあるが、女性2人で使ったからといって、そんな噂が立つような怪しげな店でもない。

 非常に不本意であるが、これもまたケイスが原因だ。

 基本的に傍若無人で唯我独尊な化け物ケイスだが、ケイスを気にくわない者達も、その容姿に関してだけは絶世の美少女と認めざる得ないほど可愛らしい幼い少女。

 しかもそんな美少女風化け物は、ルディアや仲間達には臆面も無くべたべたと甘えてくるので、ルディアはケイスを嫌う者達の間では、同性愛者でしかも少女嗜好趣味と陰口をたたかれているらしい。 

 
「大女で男っ気がないからってやつですか。丁度良い男除けですし、そんな戯れ言より、今からする面倒な話の方が……じゃあ鍵、お借りしますね」


 悪意ある噂よりも、次々に押し寄せてくる現実の方が気が重いルディアの現状や心情を察したマスターが、言葉の途中で無言で鍵を出した。
 
 鍵と一緒に注文表と酒瓶を受け取ったルディアは、上を指し示しサナと共に二階へと上がった。

 鍵に彫られた番号は廊下の端にあった部屋にはいると、キングサイズのベットとテーブルと椅子が二脚とシンプルな、一晩の借宿を求める者達が多いこの通りではよくある作りとなっている。

 
「お姫様を招くにはちょっとアレですけど、結構ここの料理とお酒っていけますよ。とりあえず一通り注文して腹ごしらえしてからにしましょ」

 
「えぇ。そちらの方が私も。素面で話すにはいろいろと気が重いので」


 話を聞いたあとでは、食欲が失せる可能性も考慮したルディアの提案に、外套を取ったサナもうなずく。

 一応窓とカーテンを閉めてから、テーブルの上にあった呼び鈴の形状になった結界魔導具を発動させると、ルディアとサナ両方の服表面で、バチリとなる音と小さな閃光が一瞬発生して、何かがぽとりと床に落ちた。

 見ればそれは追跡、盗聴用に用いられる虫型使い魔の一種。見た目は羽虫ほどの小ささで、常時結界でも発動していなければ気づきにくい代物だ。

 ただ魔術防御に関してはの無防備な存在なので簡単に排除できるが、安価かつ使い捨てにしても惜しくなく、使用者を特定するのも難しいと厄介な代物だ。

 このような物を使われても驚かなくなった自分に嫌になりながらも、気にするだけ無駄だと割り切ってもいるので無視し、メニューを取ると持ってきた酒よりも弱い物をとりあえず適当に見繕う。

 塩っ気の強い海鮮料理をあてに、適当に当たり障りのない世間話をしながらちびちびとグラスを傾けていると、いつの間にか瓶が二本ほど空になっていた。


「で、話は変わりますけど、内密な相談って何ですか?」


 そろそろ現実逃避や、まともな状況判断が出来る酒量の、両方の限界に達したのであきらめ、いくら弱い酒といってもルディアのペースにつきあっていた所為でほんのりと頬を染めていたサナに問いかける。

  
「……ロウガ全域に影響が出そう懸念が生じています。それでルディアさんにご協力をお願いしたくお時間を取っていただきました」


 どうせケイスがらみだと思っていたのだが、頭を下げたサナが切り出した話は、想像していた物と若干ニュアンスが違った。

 ただの一般市民であるルディアにこのような話を持ってくるとも、解決できるとも思えないが、藁にも縋る思いでという破れかぶれでもなさそうだ。

 第一サナはロウガの王女ではあるが、ロウガ王家とは象徴。もっとはっきりってしまえばお飾り。

 ロウガを実質的に支配、運営しているのは管理協会ロウガ支部や、有力ギルド長達によって運営されるロウガ評議会。

 政治的な話に、ロウガ王家自らが主体的に関わるのはノータッチが不文律。サナの性格も考えれば、わざわざ波風を立たせる様な真似をするはずもない。


「誰の提案です? 無理筋話を持ってきたのは」


「ロウガ支部からの要請、正確にはロウガ支部に名指しで指定して来た方からです」


 要はロウガ支部にさえ圧力を掛けられる相手と。

 聞きたくないなぁというのが本音だが、工房を運営するルディアとしては諸々の認可権を仕切るロウガ支部に非協力的な態度を見せるのは、後々に響きかねない。

 サナには悪いが、面倒なことになると理解しててもただ素直に返事をするのも癪なので、グラスをちびりと傾けて目線で続きを促す。


「自分の書き下ろした剣劇のお披露目公演が、同時期に私たちが始まりの宮を全員で突破した所為で霞んでしまった。想像が現実に負けるなんて名折れ。新しい脚本を書く参考にするから、そのときのお話をロウガ風剣劇に仕立てて自分の劇場で公演しろと。ついでに主立った者達をロウガ記念公演に招いて一緒に観劇させろ、その方から要請があったそうです。ルディアさんはリーダーとして同期をまとめたと知られていますから」


 なんとも逆恨みな理由と理不尽な要請。

 ただ言葉の端々に困惑した様子を見せるサナをみるに、その要請を額面通りに受けない方が良さそうだ。

 しかしこの話をサナが持ってきた理由も、これで合点がいった。

 同期のサナも当然当事者で、事情をよく知るものかつ、ロウガ王家の一員として権威だけなら有している。


「私たちも箝口令をしかれている諸々ありますけど」


 史上初の全員突破という偉業は盛んに喧伝されているが、当事者であるルディア達からすれば、世間に出回っている噂話は、かなり諸々を都合良く切り取って脚色したそれこそ物語だ。

 扱いに困るのは、もちろん始まりの宮後に起こしたケイス暴走関連がほとんどだが、大量の石化した赤龍死骸という戦略物資の所有権も関わってくる。


「ロウガ支部が、剣劇劇団に協力を要請した上で前後のしっかりしたシナリオを作られたそうです。ただ絶対に作り話だとばれない様にすりあわせして欲しいと」
     

「相手は劇作りのプロなんですよね。そんなの相手に騙せって……もしばれたらどうなるんですか」 


「燭華復興に関する物資や、各ギルドから提供される予定だった資金に諸々問題が起きそうだとのことです。機嫌を損ねたら片手間でそれくらいやりかねないお人です」


「ロウガ支部だけじゃなくて各ギルドって……どこのどなた様ですかその人」

 
 頭痛を覚えてきたのは飲み過ぎた所為だろうか。それとも飲み足りない所為だろうか。


「ルクセライゼン準皇家の一つで、皇太后の出身家系メギウス家当主代理を勤めているメルアーネ女侯爵閣下。剣劇狂いで有名な変人侯爵という噂です。その方が今回の悪夢の島に関わりもあったルクセライゼン皇帝名代として、ご自分の所有する海上劇場艦と共に、数日後にロウガを訪れます」


 既に決定事項となっている上に、状況的にもルディアに拒否権はなさそうだ。

 だが問題が一つある。最大の問題だ。


「……一番中心のケイスがいませんけど、まずくないですか?」


「まずいです。ものすごくまずいです。諸々のギルドも、機嫌を損ねたら資金打ち切りや、理不尽な圧力を受けるかと恐慌状態で、どうにかしてケイスさんを見つけ出せと独自行動に出ているようです。私もルディアさんと協力してどうにか事態を打破して欲しいといろんな方から頼まれています」


 頭を抱えているサナはものすごく必死そうで、申し訳ないが逆にルディアの方が冷静になれるので有り難い。
 

「あー……なるほどあのやたらと多い人たちその関係ですか」


 やけに追跡者が付いていたことにもこれで合点がいく。

 大半が水没した悪夢の島から、既にケイスが脱出していると確信している者も大分多いようだ。

 ただ、とりあえず今はルディアに出来ることはないと同時に理解した。

 なら良いだろうと、取り寄せてもらった故郷の酒の封を開ける。

 慣れているルディアでも一口飲んだだけで咽せそうになるほど強い酒だが、この状況下でも確実に酔ったうえで、強制的に眠ることが出来る請け合いの酒だ。

 こういう日は余計なこと考えて眠れなくなるよりも、とっとと寝た方が良い。

 幸いベットもある。もう潰れてしまおう。いっそのこと全部が終わるまで潰れても良い気がするくらいだ。
 
 放置しているだけで自然と減る酒をグラスに入れ、一気に傾けると喉が焼けるように熱くなるが、それもまた気持ちが良い。

 見ればサナが、無言でグラスを出していた。

 酒の強さには気づいているがどうやらルディアと同じような気持ちのようだ。


「ぶっつぶれ……何も考えず眠れます。酔い覚まし用の魔術薬なら常備してありますから」


 ロウガ王女を酔い潰せばまた妙な悪評が増えそうな気もするが、あれもこれもケイスが悪いという史上最強の免罪符を武器に、女2人の色気もへったくれもない飲み会は魔境へと突入した。



[22387] 剣戟狂い女侯爵と根あり草
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/09/16 15:56
 島と見間違えるほどに巨大な船は、月光に照らされる海原を白波を立てながら疾走する。

 一見は鈍重な見た目ながら、軍用快速輸送船さえしのぐ巡航速度を可能とし、むしろまだまだ余力を持つほどの巨大船。

 その異常なまでの高性能は、本来の建造目的が、乾坤一擲なる対龍王決戦特攻兵器であった名残だ。

 かつての暗黒時代初期に建造計画が持ち上がりながらも、赤龍王の侵攻と連動して迷宮より溢れたモンスターによって蹂躙されているただ中。

 数多の国の滅亡によって起きた、大陸規模の避難民とその救助に伴う、物資不足、食糧不足が積み重なった世界的困窮。

 さらには世界最先端の魔導技術を誇った魔術帝国や、トランド大陸最大の軍事力を抱えていた東方王国さえも滅亡し、彼らが秘匿していた秘蔵技術が失われた事による著しい技術後退。

 そのような状況では到底建造など出来る訳もなく、机上の空論、もしくは現実逃避、または士気高揚のプロパガンダと、当時からいろいろと言われてきた曰く付きの船である。

 どれであったにしろ結局お蔵入りとなった過去の遺物。

 そんな埃を被ったどころか、ほぼ化石化していたような建造計画を復活させた女侯爵は、建造理由を聞かれてこう宣ったという。


『姉様のお名前をいただくのに、史上最高と呼ばれる船以外を選べと?』


 さすが変人侯爵と呆れながらも納得される一言を元に、人類生存を賭けて計画された戦船は、現代にその性質を全く真逆な物へと変貌させて、蘇る……船名リオラ。

 かつて一世を風靡した有名剣戟師リオラ・レディアスの名を冠し【海上劇場艦リオラ】と命名されていた。
 





 海上劇場艦リオラは船内に5つの大劇場を有し、さらに長時間公演時に利用される一万人規模の宿泊施設も常設する、船と呼ぶよりも海上移動都市と呼んだ方がしっくりするほどの規模を誇る。

 船体中央にあるもっとも大きな第一大劇場では、天蓋が開かれ優しく照らし出す月夜の元で稽古が行われていた。

 来るべき初の海外公演に向けて、午前から始まった稽古も、既に深夜といっても差し支えない時間だというのに、演者達の熱量が下がることはない。

 南方式剣戟舞台と呼ばれるルクセライゼン式剣戟興業では、演者本人達は一言の台詞も発しない。

 彼らはただ剣を、武具を打ち合わせ、戦いを演じてみせる事に専念し、劇中の舞台説明や劇の流れは、楽団による舞台音楽に合わせて英雄譚を高らかに歌い上げる吟遊詩人達に一任されている。

 見ようによっては、軍事訓練としか思えない舞台稽古は、ルクセライゼン帝国が武を誉れとする軍事国家である証でもあるのだろう。
 

「熱心なこった若い連中は。そろそろ日付が変わる時間だってのに」


「当たり前です。ロウガで行う初の海外記念公演となれば、主題に【大英雄】を置く以外にあり得ません。場合によってはフォールセン様ご本人がご観覧なされるかもしれないとなれば気合いの入り方が違います」


 メイン舞台を真正面から見下ろすことの出来る特別貴賓席へと訪れたイドラス・レディアスの暢気な感想に、船主にして興行主でもあるメルアーネ・メギウスはキッと睨み付ける。

 大英雄。赤龍王を直接討伐し暗黒時代を終わらせた7人の上級探索者。

 暗黒時代初期から活躍を続けた彼らパーティは、国によっては武神やら救世主と神のようにあがめ奉られることもあり、武名に強い敬意をいだく国風であるルクセライゼンにおいても、それは変わらない。

 ただイドラスとしては、その大英雄の1人がよりにもよって実母なので、不肖の息子としては、現人神扱いする世間一般との温度差にいつも苦労させられる要因となっている。

 もっともそんな心情を素直に晒せば、剣戟狂いのメルアーネの機嫌を一気に損ねて、長い説教が始まるだけなので口をつぐんでおくか、何か話題を変えるに限る。

 そして今日の場合は丁度いいというか、本命である話題があったので、早速本題へと入ることにする。


「公演先でいくつかトラブルがあったみたいだ……報告をさせていただいてもよろしいでしょうか全権大使殿?」


 いくら稽古光景と言ってもメルアーネの楽しみである剣戟観劇を遮るのには間違いないので、重要な報告であることを強調する為に畏まってみせる。

 軽く頷いたメルアーネは青色の目を輝かせ魔力を高めると、一瞬で室内に数十も重ねた防音結界を発生させた。

 己の城とも言える持ち船だが、今回は皇帝の名代でもある外交使節団という一面もあるので、船には他の準皇家に属する者達も乗船している。

 水面下ではともかく、面と向かって敵対している他家はないが、情報漏洩に関してはいくら念を入れても損はない。


「それにしても礼儀作法だけは完璧ですが昔ならともかく、今の貴方には似合いませんわね。どこに可愛げを捨ててきたのやら」


 メルアーネは扇子を開くと口元を隠し呆れてみせるが、声は楽しげだ。

 レディアス家はルクセライゼンでも名門と呼ばれる騎士一族。さらにいえばイドラスは本家長男。

 若い頃に出奔して野良探索者になっていなければ、今頃国内の主要騎士団団長か、皇帝直属近衛騎士団幹部に収まっていてもおかしくない実力を有している。

 未だに惜しむ親族は数多くいるが、当の本人としては、家名や大英雄の血を引く重圧から解き放たれた探索者時代の方が性に合っていたので、どう言われようとも今更だ。


「適当にいけばいったで、真面目にやれってあんた言うだろうが。いくつかあるけど、あまりどれもよろしくないのばかりだな」


「たまには良いお話を持ってきてもらいたいですね。報告の順番は任せます」


「まず一つ、悪夢の島海域への立ち入り、調査協力の申し出はご丁寧に断られた。余計な物を見つけられても困るってところか」

 リオラの転血炉機関出力ならば、邪魔な海水を一時的に排除したり、崩壊した山体の一部を持ち上げることも出来る大規模地形魔術を連続使用可能。

 捜索費用もこちらが持つと提案はしたのだが、それらも軒並み断られている。

 これ以上ルクセライゼンの影響力が増すことを嫌ったのか、それとも全世界で表面上は禁忌とされている赤龍に直結する魔導技術の証拠を押さえられる事を恐れたのか。


「……物証はいまだ?」


「未発見だ。赤龍転血石の秘匿並びに極秘研究は今のところ証言のみ。しかもそれを証言したのは、密貿易に関与していた監獄長。そいつが自分の罪を軽くする為に司法取引ネタをねつ造しているとでも言われたら、ソウセツの叔父貴もさすがに大手魔術ギルドの長相手となると強行突破は難しい」


「一皮剥けばどこの国や大手ギルドもやっているとはいえ、ここまで大騒ぎになったら落としどころの一つは必要でしょうに。なぜそこまで頑なに……ロウガの重鎮であるならば捨て駒に出来る部下の1人くらいいらっしゃるでしょう」


 暗黒時代への恐怖から禁忌とされているが、赤龍に限らず龍種の力が絶大であるのは誰もが認めるところ。

 上位迷宮のさらに奥に隠棲している為に龍種を見かけることさえ希となっているが、赤龍に関しては少しだけ事情が違う。

 長い戦いの中で赤龍の死骸や、大陸全土に残した魔導技術が迷宮内に眠っている国も数多く、基本的には国から迷宮管理を委託されたミノトス管理協会が、それらの監視や封印を受け持っている。

 ただしそれは一般庶民向けの認識。

 再び赤龍が現れたときに効率的に対抗するため、赤龍遺構暴走を事前に防ぐためと、いろいろな事情をあげて、特例的に許可を得て堂々と行われている研究をする者達もいれば、技術転用のため秘密裏に研究を行っている国家機関、大手ギルドも数え切れないほどに存在するのは、一定以上の階級にいる者達からすれば常識でしかない。

 表に出さえしなければ、出たとしても落としどころの道筋をつけておけば、管理協会からの厳重注意とこれ以上の研究続行禁止程度でなし崩しに終わる程度の問題。


「前に報告をあげた中央のエクライア魔導具工房ギルド後継者問題絡みだ。有力候補者の1人に魔術ギルド長の娘婿がいる。今は身内や部下の失態が有れば、敵対陣営は喜んで叩いてくるだろうが、ちょっと弱い」


「舅といっても、直接的な利害関係の少ない他地方の魔術ギルド長。確かにそこまで責められる弱点にはなり得ません。となれば他に公に出来無い事情があると?」


「推測にさえならない前段階、個人的感触だけどな。次の報告だが、メル姉の脅しで始まったケイネリアの探索は今のところ成果無し。ロウガおよび近郊であいつの存在らしき報告は皆無だそうだ。必死こいて探しているみたいだからもう少し待ってやれよ」


 今の段階ではこれ以上の予測は難しいと肩をすくめたイドラスは次の報告に移る。

 ルクセライゼン皇帝フィリオネス自らも若き頃に関わった悪夢の島で起きた大規模災害に対して結成された弔問外交団。

 その姪であるメルアーネの、自らが手がけた公演初日に、始まりの宮全員突破という快挙をもたらし、舞台への注目度を下げたロウガの新人達に対する意趣返しおよび新規作品作成のための取材旅行。
   
 海上劇場艦リオラのお披露目を兼ねたルクセライゼンが有する技術力を誇示する砲艦外交も兼ねたロウガ公演。

 いくつもの思惑のうえに結成された外交使節団というのはあくまでも表向き。

 皇帝の血を唯一引く非公式皇女であり、神木ケイアネリスの種を抱いて生まれた神子。

 ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンの安否および所在確認並びに、状況によっては本人の意思を無視してでも捕獲……もとい保護せよ。

 それこそが出奔以来、数え切れないほどの度重なる大事、小事を引き起こし続け、遂には監獄に収監された上に島沈没に巻き込まれた娘を心配するあまり、帝位継承以来半世紀近く経つが、初めて体調不良で公務を休んだフィリオネスより下された厳命で、外交使節団の真の目的である。

 もっともその真の意図を知るのは、リオラ乗艦者にも少なくメルアーネとイドラス。そしてイドラスの根としての配下である数名のみ。

 手が足りないにもほどがあるが、今期の始まりの宮で活躍を見せた主立った者達を公演に招待したいという要請と、剣戟に関しては気を害したら何をするか分からないという悪評というメルアーネの剣戟狂いの変人侯爵という異名を遺憾なく発揮して補っている。


「まるで私が狭量ではないですか失礼な。あの子がそう易々見つかったら誰も苦労しませんのに。地下に未だ閉じ込められいる可能性も一応ですが考えていますから、悪夢の島に訪れたかったのですが、仕方ありませんね」


 青龍の血を引く皇族、準皇族は同族の存在を感じることが出来るので、島に上陸すればケイネリアがいるかどうかを確認できたかもしれないが、正直未だ島にいる可能性が低いとメルアーネは考えていた。

 なにせケイネリアは迷宮育ちの迷宮を突破するために生まれてきた生粋の戦闘狂。


「事件から既に3週間が過ぎ。あいつの化け物じみた闘気と剣術なら、頭上を覆う大量の土砂や岩石も、自分の行く手を塞ぐ敵だつって斬り進んで、とっくに地上へと出没していて当然だわな」


 姉の忘れ形見である姪に関して語っているのか、伝説じみた化け物を語っているのか自分でも怪しくなるが、的確な表現で、既にケイネリアは島にはいない可能性が高いとイドラスも判断する。

 どうやって脱出したかという疑問は残るが、それを考えるのは時間の無駄だ。

 何せケイネリアは、世界を大きく変えるほどの命運を持つ者に宿る神木を持って生まれた大英雄か大魔王の卵なのだ。常識など超えた超常世界に片足を突っ込んで、それでも思うままに生きている化け物。

 どうにか脱出したであろうと判断したなら、後はどこに出るかと、これからの行動予測の方が重要となる。


「探し出すよりも、あの子がみずから飛び込んでくる方が早そうですわね。いくつか餌を仕込んでおきましたが……上手く釣れれば良いのですが」


 舞台へとメルアーネは目線を戻すと、懸念が籠もった息を軽く吐く。

 その目線の先には、深紅色の柄と超長身の刃をもつ巨大すぎる長巻を振り回す演者がいたが、長すぎる武器に悪戦苦闘していて、周りに比べて動きの精彩を欠き、どうしても足をひっぱっているという感想を覚える。

 現に今もコンビを組んでいた同じほどの長さの黒塗りの槍を持つ演者にぶつかってしまい、流れが止まり、一時中断してしまった。

 遠目ではわかりにくいが、ぶつけられた黒塗りの槍の演者が、深紅の長巻の演者に喰って掛かって、周りが必死に止める一騒ぎが起こっていた。


「紅十尺か……どうせ代役にしたなら、あっちも前の長さに戻したらどうだよ。第一元々の長さに合わせた紅十尺を舞台の上で振るのはさすがに無理があるだろ。叔父貴も言ってたんじゃねぇのか、戦場で自在に振れたのは叔母殿だけって話だ。正直姉貴が生きていても舞台上でさえもてあましたと思うんだが」


 武具の名は紅十尺そして黒金十尺。共に神印宝物と呼ばれる神に認められた印を持つ名武具。

 東方王国で使われていた長さの単位をもつ大刀と大身槍は共に、刀身だけで十尺、3ケーラを超える。

 共に常識外の刃を持つ規格外武器であるが、その名が広く知れ渡っているのは使用者達の武名と共に英雄譚で謳われているからに他ならない。

 双剣の勇者フォールセンに仕え、共に暗黒時代の終焉まで駆け抜けた2人の鬼面武者。

 赤龍王を討つという誓いと共に真名も素顔も隠していたが故に、主と同じ二つ名である【双剣】と呼ばれる大英雄。

 その正体は邑源雪そして邑源華陽。

 暗黒時代の始まりとなった狼牙で生まれ、東方大陸最強の武門と呼ばれた邑源一族本家の血を引く姉妹。

 黒金十尺は華陽から、雪の養子であった当代のソウセツ・オウゲンに継承されたが、紅十尺は雪の死と共に消え去り、それ以来再発見はされないまま、今もどこかの迷宮に眠っているはずだ。

 
「紅十尺だけ短くしたら、黒金十尺と釣り合いがとれません。お姉様でしたらいつか振ってみせたはずです。ですから勝手に戻したらうちの主演女優が帰ってきたときにへそを曲げますわよ。あの子は私以上に剣戟狂いで、私に僅かに劣るとはいえお姉様のファンで有り直弟子ですからね」


 少し前までは、刃を含めた全体の長さが3ケーラを超えるそれでも規格外に長い長巻と槍が舞台道具として用いられていたが、舞台を観劇していたカヨウやフィリオネスの余計な一言で、本来の長さをメルアーネが知ったのが運の尽き。

 舞台演出では外連味を重んじるメルアーネは、武器が本来より半分近く短い状況を許せるはずもなく、早速本来の長さ刃のみで3ケーラ、全体を合わせれば7ケーラに迫る長巻と槍を作成してそれに合わせて剣譜を書き直している。

 もっともフィリオネスの懸念は当たり、突き主体であった槍の黒金十尺はまだしも、ぶん回す紅十尺は、メルアーネご自慢の女剣戟師でも扱いきれず、舞台として公開できるレベルには到底至らなかったほどだ。

 遂には責任を感じた女剣戟師は一時降板して、修行と称して旅に出てしまっていた。 


「似たもの同士だろ。それともう一つの報告があるが、その剣戟師の嬢ちゃんからの緊急連絡だ。どうも……」

 
 それはメルアーネの琴線に振れる報告で、ロウガでの楽しみがまた一つ増える、珍しくケイネリアがらみであるのに朗報であった。

 
「また面妖な事態に。これもケイネリアに巻き込まれた者の運命でしょうか……どちらにしろ餌が増えるのは好ましいです。全力で演じてみなさい、だけど決してこちら側に出自をばれない様に、それと成長を楽しみにしていますと伝えてください」


「門外漢な草役で根のフォローを頼んでいるだけでも心苦しいのに、これ以上課題を増やしてやるなよ」

 
 楽しげなメルアーネとは正反対に、イドラスは苦い顔を浮かべる。

 ケイネリアを誘い込むための罠が増えていくのはいいが、はたしてあの化け物はこの船を持ってしても捕獲できる程度だろうか。

 それ以前にちゃんと出て来るか。

 何せ相手は予想不能な怪奇生物な姪ケイネリアだ。

 ケイネリアに関しては綿密に立てた計画がいつも予想外の要因で崩され、いらぬ苦労ばかりかさむイドラスが懸念を覚えるのは当然といえば当然の帰結であった。 



[22387] 剣士と人の悪意と神の悪意
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:f58fe8e2
Date: 2020/10/09 02:58
『ルクセの道楽娘が、ロウガへと訪れるそうだ。皇帝の名代ということだが』


『所詮アレは道化。本命は大英雄の息子だ。草を牛耳る根の当代元締めという噂だ』


 キシキシと軋みながら錆が浮き出た嘴でからくり仕掛けの鳥のさえずりに、シリンダーが割れたオルゴールが答える。

 とある地方の片田舎の廃城の誰も気にもとめない倉庫群の一つ。

 がらくたとゴミが積み上げられた幾重にも堆積した層の奥底。

 人が入り込むことなど不可能な隙間一つ無い地で、怨嗟が込められた会議は繰り広げられていた。


『ならば情報通り、やはりあの気狂いは、彼の娘でしたか。邑源の大英雄の血を引く娘。私どもに渡していただければ、研究も進みましたものを』

 
『何を言うか! アレはやはり殺すべきだった! 島を落とされたばかりか、研究内容がルクセライゼンに漏洩すれば、さらにロウガへと奴らの介入を許すことになりかねん!」 


「あの娘の台頭も含め、これら全てが悪鬼双剣の企みだったのでは。あの鬼のことだ、自らの孫さえも手駒として使う事に躊躇などしなかろう。ならば脱出する手立ても用意していたはずだ』


 あくまでも研究素材としてしかみない足の折れたグラスが惜しむが、ヒビの入った剣が刀身を揺らしながら憤慨したのを合図として、破れた太鼓が厳かに告げると、いくつもがらくた達が一斉に自分達の意見をぶつけ合い始める。

 あの娘を捕らえるべきだ。

 いや殺すべきだ。

 放置が良い。
 
 生死不明な娘よりも、名代であるルクセライゼン皇族を事故に見せかけ屠る方が確実だ。

 反ルクセライゼン同盟。

 世界が混乱を迎えていた暗黒期に乗じて南方大陸を手中に収めたのみならず、未だに全世界に貪欲に手を伸ばし、いつか世界さえも平らげかねないルクセライゼン帝国への警戒、恐怖、または憎悪ゆえに集った者達。

 経済戦争を持って国を飲み込まれる逼迫した恐怖を抱く最貧国。

 平和の名の下に派兵された無限に沸く帝国兵との死闘を強いられる武装独立勢力の首領。

 龍の力を持つ者を長とする帝国を邪悪と認定し、断罪を求めるはぐれ神官。

 龍の力を得る手段を体系化し、ルクセライゼン皇族さえも屠る力を求める魔術師。
 
 それぞれの正体を秘匿し、それぞれのやり方で、世界最大の大帝国が伸ばした根を枯らそうと足掻く者達であるからこそその意見がまとまることはなく、そしてまとまる必要が無い。

 情報を共有するのみに止め、それぞれが独立し動くがゆえに、薄く広がる彼らが潰えることはない。

 終わりなき議論に間隙が生まれた一瞬に、静かにだが厳かに、地面に半ば埋まった鐘の音が響く。


『諍いはそこまでに。当面はケイスと名乗る娘の捜索もしくは合流阻止を優先して、情報を提供させていただきます……これ以上は南方の亜龍人王とその氏族に、人の大陸を蹂躙させるわけにはいかないと手を携えた盟約を皆様方はお忘れなきように』


 声の主は長ではない。ただ世話役と呼ばれる。

 同盟の中心として、常に公正を保ち、求める者達へと帝国へ反抗する為の知恵を与える存在が帝国を非難する声を発するとき、それは閉会の合図。

 騒がしく囀っていた百鬼夜行達は、その鐘の音と共に力を失い、元のがらくたへと返っていた。







 吹きすさぶ暴風。風に混じるは砕け割れた実が生み出す透明極薄刃。

 暴風を生み出しは、無数の刃針をはやした硝子実をたわわと実らせた、透明な幹を持ちながらも動く歩行樹の群れ。

 樹齢千年を超える大木でさえ、この木の前では若木と見間違えるほどに異形巨大な硝子樹より分裂した数えきれぬほどの子供達で埋め尽くされた大広場の中、ケイスは孤軍奮闘を強いられていた。
 
 硝子状の幹を持つ子木そのものには耐久性は無いに等しい。

 力も入っていない一振りで容易く砕け、細やかな粒子へと形を変えるが、だが砕けた子木が宿す実が弾けるごとに、予測不能な暴風が吹き荒れ、小柄なケイスは縫い止められる。

 足を止めたケイスに襲いかかる風には、身をずたずたに切り裂き、穴だらけに貫く、無数の不可視なる刃と針。

 風に晒されるごとに、むき出しとなった皮膚に裂傷が走り、肉がえぐられ、硝子の破片が血管に入り込もうと蠢き、外からのみならず内からも切り裂こうと、悪意と殺意をむき出しにしてみせる。

 音速越えの防御剣。重ね風花塵を連発することで、絶対防御圏たる風の障壁を生み出して抵抗はするが、実が弾けるごとに圧を増す暴風に押し切られるのも時間の問題。 

 しかも剣で防げば、防ぐほど、周囲を舞う敵たる刃は、さらに細かく割れ無限に増え、硝子のやすりとなって、ケイスを削り殺そうと荒れ狂う。


 どうする? 

 どう斬る? 

 どう剣を振る?

 脱出のために迷宮に挑み始めて幾日経っただろう。

 時間感覚を狂わす迷宮特性でもあったのか、迷宮に入ったのがつい先ほどだと思った次の瞬間には、数十年も孤独に戦っていたような寂しさが胸を郷愁のように襲う。
 
 剣を鈍らせ、判断力を奪い、心を乱す呪い。

 未だ外への道は見つからず、途切れぬ迷宮群を踏破し続け、頑強であった千刃手甲の刃も8割方欠け、血脂で機構の一部がつまりガタが来はじめていた。

 不安が、心細さが、恐怖が、迷宮に挑む者達を飲み込もうと、波のように何度も心に襲いかかる。

 だがそれでも剣を振る。

 生き残るために剣を振る。

 斬るために剣を振る。

 今はまだ名は無き未踏なりし赤の下級迷宮のただ中、ケイスはひたすらに左手の千刃手甲をもって風を斬る。

 言葉を発する事さえ億劫になるほどに、剣へと意識を向け、一体化し、人心を離れた異常なる状態へとケイスは至っていた。

 それはもはや人ではない。しかしそれをケイスが是とする。

 己を剣士と定めるケイスにとって、剣とは己。最高の剣を振るためならば命を躊躇する意味さえ無くす。

 人の心であれば恐怖と孤独から剣速が鈍る状況であっても、人の心を持たぬケイスには意味を成さない。

 近寄ってきた子木が振り投げた新たな硝子実が直近で割れ、吹き荒れる暴風がまた姿を変えた瞬間に、ケイスは待ち望んでいた好機を捕らえ、防御を止め攻勢に出る。

 即座に肌に突き刺さる細やかな硝子片。

 肌に刺さった17万5634の痛覚を起点とし筋肉を収縮。真皮まで通さずに食い止め、硝子を身に纏う。
   

「がぁぁぁぁぁっ!」


 咆哮と共に全身から血を吹き出しながら突貫。

 細やかな筋肉操作によって、全身から生えた硝子片を己の鎧であり、剣としたケイスは行く手を遮る風に乗り込む。

 身に生やした細やかな刃の動きで、風の中で荒れ狂う硝子片をたたき落とし、体躯表面で極小の重ね風花塵を無数に起こし、無理矢理に暴風を切り裂き踏みにじり砕き噛みちぎる。

 子木を一つ食い破るごとに、背後で落ちた硝子実によって起きた暴風に押され、加速を増加させ、また一つ破るごとに、もう一段階その動きを早める。

 暴風を喰らう神風となったケイスは、行く手を遮っていた無数の子木を踏み破り、食い破り、蹴り破り、殴り破り、突き破り、一直線に蹂躙していく。

 瞬く間に子木で出来た防御陣を突破したケイスは、硝子巨大樹を真正面に見据える。

 気が狂うほどの痛みのなかで、ただひたすらに暴風を制御し最大の加速度を得る道を待ち続ける狂気を持って、勝機を掴む。


「邑源一刀流! 刺突双闘気浸透!」


 まともに動かなくなった千刃手甲でも唯一完全に使える形態である貫手をもって、己そのものを剣としたケイスの一撃が、太い幹の中心に突き刺さる。

 燃える丹田より生み出した赤龍闘気。

 凍える心臓より生み出した青龍闘気。

 戦えば戦うほどに矛盾なる双極闘気を己が物とするケイスはその天才性を持ってして、暴虐なる龍の力を、より轟虐なる力で蹂躙してみせた。

 ふくれあがり互いを喰らい合う双龍闘気を打ち込まれては、迷宮主といえどただではすまない。

 硝子大樹が内側から砕け弾け、周囲を白い霧状になった硝子片が硝子嵐となって吹き荒れ、子木達を粉々に砕き、さらに落とした実によって嵐を地獄へと変える。

 放り込まれればどれだけ屈強な怪物であろうとも、数秒後には細やかな肉片となって、切り裂かれるほどの硝子地獄へと化した吹き荒れた嵐は、数分ほど経ってようやく収まるが、大広場の景色を一変させていた。

 硝子塵が積み重なって出来た地面が生み出した透明な雪景色。

 動く者など皆無の景色の中、ただ一つ己が流した血により真っ赤に染まった硝子雪をかき分けてケイスは這い出す。

 身体を揺すり、細やかな破片を筋肉でふるい落とし、口の中に入った硝子片をはき出し、天に向かって吠える。


「むぅ! また鉱石系か! 生物系をよこせ! ミノトス!」


 全身を血に染めた赤き人龍はただただ空腹から、この迷宮群を作り出した不倶戴天の仇敵である迷宮神ミノトスを斬り殺してやろうと怒りを積み重ねていた。

 行く手を塞ぐ強敵、初めて遭遇するモンスター達はいい。それは良い。手応えがある。

 自分が死力を尽くしても、かなわぬかと思った相手もいた。

 この硝子樹もずいぶんと苦労させられ、苦痛と我慢を強いられたがそれが故に楽しい。

 楽しいが美味しく食べられるモンスターがここまで皆無だというのが、ミノトスの悪意があって気にくわない。

 俗にいう鉱石系モンスターにしかこの迷宮群内では遭遇していない。

 外に持って帰れれば一財産どころか、小国さえ買えそうなほどの換金アイテムよりも、今は美味しい血の味がする生肉が欲しい。


「えぇぃ! 次だ次!」


 ぶるっと身を震わしたケイスは、闘気を用いて肉体修復能力を強め一瞬で血を止め、傷口を塞ぎ、かさぶたを生み出し、とりあえず目に付いた次の迷宮へ向かって駆け出す。
  
 外で、迷宮外で、自分を巡って、思惑が入り交じり、いろいろな駆け引きが始まっているなどつゆ知らず、知っていたとしてもあまり気にしないであろう化け物は、今日も元気に迷宮を蹂躙していた。



[22387] 新人仮面剣戟師と老剣戟師
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:2e61165f
Date: 2020/12/10 00:27
 今日から始まった一月にわたる迷宮閉鎖期。
 
 下級迷宮や一部の特別宮を除き、出ることはできても進入不可能になるこの時期は、探索者達にとって羽休めの時期であり、逆に商売人達にとっては、武具整備や、新しい魔導具、はたまた娯楽を求めて街に繰り出してきた探索者達で賑わう格好の稼ぎ時。

 特に初日ともなれば、迷宮隣接都市ロウガでは朝からお祭り騒ぎになるのは例年の事。

 今年はロウガのみならず東方地域最大の歓楽街である燭華街区が、大華災事変により閉鎖されたという不運はあったが、今こそ稼ぎ時と他街区の商人達の鼻息は荒かった。

 それを表すかのように、まだ残暑厳しい秋口の天に輝く太陽の熱で浮かれたように、やたらと賑わう人通りに面した一軒の酒場では、昨夜から続く喧噪がまだまだ継続中であった。


「やるな! エルフのねーちゃん! だがドワーフの誇りと意地に賭けて、酔い潰させてもらう!」

 
 船長帽を被った顔面にいくつもの傷を持つドワーフは、ワンショットグラス一杯で大半の酒飲みを潰すオーガごろしの異名を持つきつい蒸留酒がなみなみと注がれたジョッキを一気に飲み干すと、テーブルに勢いよく空になったジョッキを叩きつけながら、豪放に笑う。


「ふふふ! 望むところですよ船長さん! 氷大陸のお酒だけじゃなく、個人的なお約束、トランド大陸に来て最初の家賃! 無料にさせてもらいます!」


 一方船長と対峙するのは、白い肌と若草色の髪という典型的な容姿を持つエルフ娘も、同じ酒を平然と飲み干して、空になったジョッキに次の酒を催促する。

 頑丈で太く密度の高い骨格という身体の構造的に、何らかの手段がなければ水に浮かばないドワーフ族でありながら、大海原を行く他大陸貿易貨客船の船長を務める名物ドワーフ船長はロウガ屈指の酒豪としても有名。

 幾多もの酒飲みを酔い潰してきた王者に挑む、昨夜船長の船でルクセライゼン大陸から来たばかりというエルフ娘は、持って生まれた体内浄化能力を持ってして、ちょっとやそっとでは悪酔いしないという特異体質の持ち主。

 かくして昨夜ひょんな拍子から始まった、飛び入り参加者を含む14人によるトランド大陸では希少な氷大陸産酒争奪酒豪決定戦は、数多の犠牲の果てに残った無限ウワバミ二人による頂上決戦と相まっていた。


「いけ船長! 本命のあんたに賭けてんだ! 頼むぜ!」


「お願いエルフのおねーさん! あたし達のパーティ今期の儲けが少なかったから一発逆転させて!」


 日付が変わる前に酒豪対決が始まった際に、有名な船長に客の七割が賭けていた大半の観客が声援を送り、逆に大穴を狙い新顔のエルフに賭けたただ一組の女性探索者パーティが、手を合わせて必死に祈る。

 バカ騒ぎコレに極まりという酒宴は終わりなき最高潮を迎え、評判を聞きつけ集まってきた客も合いまり、急遽店舗前路上には、近隣の店から借り受けたテーブルや椅子によって野外席が設けられるほど。

 テーブルレンタル代代わりに、一店では追いつかない酒や料理の提供に、貸し出した店からの出張サービスも始まっているので、まるでお祭りのような突発イベントと相まっていた。


「やれやれ。表のバカ騒ぎが目くらましになってくれるのは有り難いが、身内が元凶というのは勘弁してもらいたい」


 そんな喧噪に包まれる表通りから一本はずれた裏道。

 宙に浮かぶ小さな妖精族の男が愚痴をこぼしながら酒場の裏口から出て来ると、ついでやたらとがたいのいいこれまた怪しい大男が身をかがめながら裏口をくぐって姿を現す。

 大柄な男の肩には、ぐったりとした二人の人物が荷物のように肩に担がれている。

 怪しげな二人組は、人目に付かないように気配を探りながら駆け足で裏道を移動し始めた。

 すわ、人さらいかと思われかねない、あまりの怪しさだが、当人達としてはこればかりはやむにやまれぬ事情があった。


「表に人の目が集中している。移動は楽だが……お前達二人ともケイスが移ったか? 待ち合わせに来ないからおかしいと思い、お前の配達先を巡ったらこのようなバカ騒ぎの中心にいるとは考えもしなかったぞ」


 白い目線を向けるファンドーレの天然天災娘ケイスと同等の評価は、いくら何でも心外だと気力を振り絞ったルディアは青白い顔をあげる。


「さ、さすがにケイスと一緒にしないでよ」


 もっとも特製酔い覚ましを飲んでいるので一応まだ意識はあるが、足腰がふらふらで自力では一歩も歩けず、怪力無双の熊獣人であるブラドの肩に担がれた状態では、説得力もへったくれもありはしないが。


「しかしルディア嬢。いったいどれだけ姫は飲んだんだ? 姫もそこそこに強いはずだが」


 二人を軽々と担ぎ上げつつも、時折人の気配を察知して素早く物陰に隠れる俊敏さをみせ、さらには極力揺らさないように上半身を安定させるという荷運びのバイトで身につけたスキルを遺憾なく発揮したブラドは、反対の肩に担いだサナを気遣う。

 ルディアが飲んだ物と同じ酔い覚ましの魔術薬をサナにも飲ませてはいるが、こちらはぐったりとした泥酔状態だ。

 ファンドーレが人気の無い道を選び、それでも時折ある人の目線からブラドが隠れながら進む理由。 

 それはロウガの若き王女として人気があり、昨今では期待のルーキー探索者の一人として名声の高まっているサナの完全に酔いつぶれた姿という、醜聞の塊をそうそう人目にさらすわけにはいかないという事情があるからだ。

 
「二人でちょっときつめの一本開けるだけ……だったはずなんだけど、飲んでいたお酒の所有権争いやら、酔い冷まし魔術薬使用の是非やらで酒造神一派の神官が絡んできたりいろいろあって、あの騒ぎに」


 所々記憶が飛んでいるのでルディアも正確な流れが把握できていないが、途中で酔ったサナ自らが、諸々のもめ事を一気に解決するために酒豪対決という名の喧嘩を吹っかけたのは何となく覚えてはいたが、本人の名誉のためにごまかしておく。


「どういう状況だったかは知りたくもないが、氷大陸出身者のいうきつめの基準は、この辺りの基準からみたら喉が焼け焦げるレベルか。毒消しの浄化神術でも使ったほうがいいか? 治療院を辞めた後も、この時期に使う事になるとは思わなかったがな」


 今は迷宮学者を自称しているが、元々は神術医療師が本職であるファンドーレにとっては、迷宮閉鎖期に、深酒で酔いつぶれた探索者が担ぎ込まれるのは一種の風物詩のような物だ。

 
「あー大丈夫。飲んでいる魔術薬が似たような効果だから。前にケイスがやってみせた毒物排出の闘気技法を魔術的に再現した薬で、血流を操作して特定成分を汗と一緒に排出するって薬だから」


 酒の匂いを多分に含む汗ばむ右手を振ってみせたルディアは、過去の実績もある強力な魔術薬だと太鼓判を押しておくが、


「無理矢理に闘気技法を使用させる薬か。劇薬指定薬をあまり姫に飲ませて欲しくはないのだが」


 下手すれば闘気の無理矢理な使用から来る疲労や、魔術薬の効果が強すぎた為に起こる極端な脱水やらで命の危険もあり、所持や使用にそれなりの制限がある類の薬に当たる。

 もっとも薬師ギルドに所属するルディアは、当然それらを処方や使用する免許を取得しているので法律的にも、技術的にも問題は無いが、さすがに万が一の事があった場合を考えるとブラドが難色をしめす。


「はい。それは本当にすみません。以後気をつけます」


 こればかりは平謝りしかないルディアも心底反省と、教訓を心に刻み込む。

 まさか正気を失うほど酔ったサナがあれほど喧嘩っ早いとは。

 サナの祖父であるソウセツが、若い頃は色町や飲み屋街に入り浸っては問題を起こす荒くれ者だったという噂は聞いたことがあるが、その血を多少なりとも受け継いでいるのだろうか。
 
 二度とサナに深酒はさせまいと心でルディアが誓ったのと時を同じくして、ブラドの足が大きな建物の裏口で止まると、ルディアを肩から降ろす。

 どうやら目的地に着いたようだが人目を避けるために、あちらこちらの裏道を抜けてきたので正確な場所はよく分からない。

 辺りを見渡してみると、密集した建物の隙間からも一目でわかる特徴的な造形の鐘楼の先端部分だけがちらりと見えた。


「ファルモアの塔?」


 塔の先端が象るのは、劇を司る神ファルモアのシンボル。大規模な闘技場や劇場、小規模な見世物小屋などが集まった観劇街と呼ばれる地区のシンボルタワーになる。


「今回の依頼の説明は姫がしているするはずだがどこまで聞いている? というか覚えている」


「あー……そういえば昨日サナさんが。かなり無理筋の話を上から持ち込まれたとか」


 ファンドーレの問いかけにまだ頭痛が残る頭を振り絞り、昨夜サナに聞いた話の一部をルディアは何とか思い出す。


「始まりの宮での戦いを剣劇にして観劇させろと、今度ロウガに来るルクセライゼン皇族に連なる大貴族から要請があったとか何とかって。しかもあたし達を招待しろとかいう面倒な話だっけ」


「そうだ。断ると燭華の復興やら、諸々の事業に悪影響があるほどのお偉いさんらしく機嫌を損なわないようにしろというお達しだ。もっともあのバカがいない所為で、どちらにしろ無理難題だ。何せケイスが良くも悪くも始まりの宮、いや俺たち同期の中心だ」


「ケイス嬢がいないのが一番の問題だと姫も頭を抱えていたからな。一応その対策案として支部が起てた計画もあって、今日早朝にここに同期の主立った者達が招集を掛けられていたわけだが、まさか姫とルディア嬢が姿を見せないとはな」


 始まりの宮内で、開始早々単独行動で、同期全員の危機を救ったのみならず、迷宮主をぶち殺し迷宮化を解除し、全員踏破の原動力となったケイス。

 そのケイスと始まりの宮内でもっとも行動を共にしたファンドーレとサナの両者。

 そして残りの同期をまとめたリーダーであったルディア。

 ファンドーレ以外、肝心要の三人がいないのだ。始まる話も始まらないというものだ。

 
「それについては本当に申し訳ないです。ただ正直手を貸せっていっても、剣劇なんて私はまともに見たこともないのでそれでどう協力しろと」


 剣戟という形式を取る以上、実際に起きたことをそのまま再現するという形ではないだろうし、ケイスがらみで箝口令を敷かれている案件も諸々あるのでいろいろとまずい。

 かといって素人の自分に、有効な劇の構成など分かるわけも無し。

 当然といえば当然の疑問をルディアが口にすると、


「百聞は一見にしかずだ。先入観がなく見た方がいいのもある。姫はこの状態だが、お前の方がつきあいが長いから問題あるまい。もう始まっているはずだ。さすがに担がれながらでは締まりが無い。ブラド殿に肩を貸してもらえ」 


 錠の掛かっていなかった裏口の自分よりも遙かに大きい扉を、風魔術を使い器用に開けたファンドーレは、それだけいうとさっさと入っていってしまう。

 いろいろと聞きたいことは多々あるが、遅刻してきた以上、あれやこれやと発言権もあるわけは無し。

 ファンドーレの忠告通り、サナを担いだままのブラドに腕を貸してもらいながら、何とか裏口から建物内に入ると、そこは倉庫のように広い空間となっていた。

 様々な風景が書き込まれた書き割りが立ち並び、様々な武具や小道具が無造作に詰め込まれた木箱が並ぶという、特徴的からここがどこかの劇場の舞台裏側だとようやくルディアは気づく。

 話の流れや、観劇区のしかも大きな建物とくれば、大型劇場だとすぐに気づきそうな物だが
、今の今まで思いつかなかった辺り、どうやら自分の予想以上に頭が動いていないようだ。

 となれば、先ほどファンドーレが言った始まっているとは、そのお偉いさんが希望した、ルディア達の始まりの宮での戦いを模した劇だろう。

 だがある程度のあらすじも出来ているだろうに、いったい何をやらされるのか?

 酒が残っていなくてもおそらく分からない疑問だろうが、それこそファンドーレが言うとおり見た方が早い。


「観客席に回るよりも舞台袖に向かう。あちらの方が演者に近いからアラも探しやすい」


 先導するファンドーレの後に続いて、そのまま舞台裏を抜けて舞台袖へと続く薄暗い通路を進むと、前方の方から激しく打ち合う金属音が響き始めてきた。

 






 仮面をつけ素顔を隠し右手に大剣を構え、左手に防御短剣を逆手に持つ小柄な少女が、舞台の上で軽やかに舞う。

 少し大きめな戦闘用外套は飾り気など無い実用一辺倒の代物だが、少女らしいほっそりとした手足がみせる見事な体術に合わせて、まるでドレスの裾のようにひらひらと輝く。

 その少女を中心に置き、周囲を取り囲むのは、武装した演者の男女5人だ。

 休むことなく打ち込まれる剣や槍に対して、舞台中央に陣取った少女は危なげな様子もなく足捌きで躱し、防御短剣で受け流し、大剣ではじき返す。

 くるりと回る回避行動が、そのまま次の防御行動へと繋がる体勢を生み出し、受け流した剣が別の攻撃を防ぐ少女の盾となり、受け止めた槍の穂先が反対側に立っていた演者を襲う少女の槍となる。

 多数に取り囲まれた死地であっても、絶対支配者とでも呼ぶべき、圧倒的な技量をもって、しのいでみせる。

 これは舞台。あらすじの決められた台本のある流れ。

 だがそれを思わず忘れさせるほどの緊迫感を生み出すのは、実戦さながらの矢継ぎ早の猛攻と、予想外な少女の戦闘にある。

 セオリーなど無いような縦横無尽な剣捌きと体術は、まさにケイスそのもの。



「来たか……次はアドリブ対処だ! ヤノ右から炎術符3枚! 嬢ちゃんは飛んで躱してみせろ、ついでライナが矢を射かけるがいけるか!?」


 身の丈を超える斧槍ハルバートを構えた初老の演者は舞台袖に新顔を見ると、大きく飛び下がって距離を開け、新たな指示をだす。

 取り囲んでいた四人の演者は座長の指示が出る前に、その動きを見て既に同様に距離を取っている。

 それから一泊遅れて、座長の意図に気づいた少女が声を仮面の奥に潜めたままこくんと頷いて答える。

 少女の右手側にいた扇情的な舞台衣装を身につけた若い女優が腰ベルトの札入れから、幻炎印を刻み込んだ符を取り出し、空中に展開する。

 反応した少女が炎を躱すために飛んでみせるが、派手な爆炎と爆音と共に生み出された僅かな熱量をもつ幻の炎は符から吹き荒れながら、三羽の鷲の姿を模して顕現する。

 威力は最低限、見た目重視の、舞台映えによく用いられる特殊符が生み出した焔鷲が、宙に跳んで身動きの出来無い少女に向かって飛ぶ。

 さらに追撃とばかりに反対側からは、分裂の魔術刻印が施された矢が紡がれ打ち放たれ、一本の矢が瞬く間に十数本に分裂して、横殴りの矢雨となり襲いかかる。

 少女の左右から迫るは、三羽の焔鷲と数十の矢。

 事前に聞かされていた攻撃とは微妙に異なる、躱しようのないタイミングで繰り出された挟撃。 

 両者とも舞台用魔術や魔具であるので少女が怪我をすることはないが、撃墜は免れない状況。

 しかし少女は対処をしてみせる。

 宙に跳んだまま左右の大剣と防御短剣から手を離し、腰ベルトから両手それぞれに投擲ナイフを数本引き抜き、左右から迫る脅威に向かって撃ち放つ。

 右手から放たれたるは、魔術を打ち消す魔力吸収物質をため込んだ爆裂ナイフ(弱)一対。

 僅かな角度をつけて放たれたナイフは少女から離れた空中でぶつかり合うと、内部の撃鉄機構を作動させ、魔力を喰らう爆煙を産みだしながらはじけ飛ぶ。

 生み出された魔力吸収物質を多分に含んだ魔術食いの煙に、真っ正面から突っ込んだ炎鷲三羽は瞬く間に消失。

 左手から放たれたるは、腰ベルトに設置された巻き取り機構と繋がるワイヤーを延ばしながら飛ぶ仕掛けナイフ。

 左手で伸びたワイヤーを掴んだ少女は、白魚のような五指を巧みに操り、ナイフを支点としワイヤーを揺らして、迫る矢雨を打ち払う鞭へと変える。

 しなるワイヤーが次々に矢をたたき落とすが、全部を打ち払うには僅かばかり長さと早さが足りない。

 隙間をすり抜けた一番外側の矢、一本が少女の頭部に向かって奔る。

 だが少女は慌てることなく空中に置いていた大剣を右手で掴み力を込める。

 その瞬間、金属の光沢を放つ大剣は、まるで紙で出来たおもちゃのようにぐにゃりと下方向へと曲がりながら、己の重量を増加。

 急激に生み出された超重力を持ってして発生した重心変化によって空中でくるりと回った少女の右足が寸前まで迫っていた矢を高々と蹴り上げる。

 蹴り上げられた矢が舞台の高い天井に当たり奏でる衝突音と同時に、重い地響きを立てながら少女が四肢を用いた獣じみた四つ足で、何とか舞台に着地する。

 躱しようのない猛攻を、己が技量と、摩訶不思議な装備、そして予想外の動きをもって制する。

 まさにそれはケイスと呼ぶべき戦い方だ。


「お見事。嬢ちゃんやるな。さすがに絶対に当たると思ったんだがな」


 少女が魅せた舞台映えする立ち回りをみて、斧槍を肩に担いだ初老の座長が悪戯げな笑みを含んだ賞賛を送った後に、舞台袖に現れた新客、ルディア達への方へと目を向けた。









   

「よう。初めましてだな。ルディアさんだったか」


 楽しげな初老探索者の一癖も二癖もある笑顔に、ルディアはどこかで見た顔だと思っていた記憶がようやく繋がる。


「たしか……ハグロアさんでしたっけ。ケイスと前に武闘会で戦った」


 管理協会が定めた年齢以下だったケイスが、始まりの宮に挑むための初心者講習への参加資格を得るために、フォールセンの名の元に行われた武闘大会において、ケイス相手に派手な立ち回りを演じて魅せた老剣戟師。


「おうよ。ロウガを拠点に東方地域を巡業している剣戟興行で座長を務めるセドリック・ハグロアとその一座だ。以後ご贔屓に薬師殿。で、ケイスの嬢ちゃんの一番の親友って評判のあんたから見て、このケイスの嬢ちゃんはどうだったかい?」


 ハルバートを頭上で振り回して見得を切って魅せたセドリックは、茶目っ気のある笑顔で、着地姿勢のままでいた仮面の少女を指さす。

 確かに戦闘方はケイスっぽい。ケイスっぽい気はする。だがあくまでも、っぽいだ。

 武技に関しては素人に毛が生えた程度のルディアでは具体的に表しにくい表現に悩みつつも、セドリックの問いに答える前に少女が怒鳴り声を上げた。


「なにしよっそ! セドリックジイジ! こんかつ練習でうちに怪我させちきか! ねーちんらもちった手加減せんか! 完全にうちのどあたまねらちゃきよね!? いくら矢あたま潰しとうてもあたりゃ痛かっしょ!?」


 どうやら着地した時の勢いを殺しきれず手足がしびれているのかぷるぷると震える手足のまま立ち上がった少女は座長のセドリックのみならず、少しばかり気まずそうな他の役者にも当然すぎるクレームをぶつける。


「いやごめんってカイラ。あの化け物の面影思い出して、つい恐怖で。あんたやっぱ才能あるわ」


「分かる。似すぎだわお前。途中から殺なきゃ殺れるって思わず我を忘れたわ」


「じゃからそんあ化けもんぞうちを一緒にせんか! どんな化けもんやしそん子!? まじで今回の剣譜きつかよ!?」


 謝っているのか褒めているの分からない仲間からの声に、素顔を隠していた仮面を取り払った少女カイラが、がーっと止まらない抗議の声を上げ始めた。

 容姿でもある意味で人外過ぎる絶世の美少女であるケイスレベルまでは行かないが、茶色の目と少し垂れ目のおとなしそうではあるが舞台映えのする整った顔立ちだ。

 もしケイスとの明確な違いをあげるとしたら、その口調だろう。

 基本的に尊大かつ不遜が服を着て歩いている、世間一般のみならず一部の尊敬する者を除いて、世界中の生物をナチュラルに見下している偉そうな口調ではあるが、実に綺麗な共通語を話すケイスと違い、カイラの言葉はかろうじて意味が分かるが、かなりの地方なまりを持っていた。

 それもただのなまりではなく、ルディアが分かるだけでも複数の地方なまりの入り交じった独特の言語は、多くの地方を回る交易商人や巡業役者の子息でたまに見られるものだ。


「とりあえず喋らなければ、ケイスっぽい……様な気も」


 あまりに違いすぎる言葉遣いに、僅かに感じて違和感が完全に吹き飛んでしまったルディアはそう答えるしかなかった。


「ほう。ならよかった。今度の劇は南方式で行う予定だ。喋らなければぼろも出ないだろ。あんたの監修もあれば替え玉作戦も何とかなりそうだな」


「まてぃ! うちはそん半端な剣戟師やなかちゃんね! 訂正せんしゃいセドリックジイジ! 完璧にそん子えんじてみせるやね!」


 安堵の息を吐くセドリックに目ざとく気づき、演者としてのプライドが刺激されたのか、カイラの矛先が、再度セドリックへと向かう。

 かくしてロウガ支部渾身のケイス替え玉作戦は、前途多難の様相を呈しながらも発動を始めた。   



[22387] 薬師と舞台裏
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:80899074
Date: 2021/02/13 03:54
 剣戟興行には大きく分けて二つの系統がある。

 小規模劇場公演、もしくは移動興行を主とし、演者の台詞で舞台説明を行う劇調で1公演30分ほどとなる短いトランド大陸の北方系剣戟。

 大規模劇場公演を主とし、吟遊詩人と楽団による舞台説明を行い、演者は剣戟劇のみを行う何幕かに分割されて行われる長時間公演となるルクセライゼン大陸の南方系剣戟。

 この二つの違いは、暗黒時代における役割の違いにある。

 北方系は、まだ普及初期であった共通言語を、取り返した土地に渡った開拓民や前線で戦う志願兵達に分かりやすく覚えさせ意思疎通を円滑に行うため。

 最初期の剣譜と呼ばれる脚本を見れば、こちらが安全だ、東に逃げろや、あちらの敵を叩け等、東西南北を表す単語や指示語が多く、その意図が分かりやすくなっており、時間も短くして覚えやすい物となっている。

 南方系は、トランド大陸での迷宮モンスターの脅威や、志願兵達の窮地を伝え、言い方は悪いが危機感を煽り、より多くの寄付金、物資や志願兵達を募ることを主目的となっていた。 

 大勢の志願兵達が、数倍以上もわき出す迷宮モンスターの大群によってなすすべも無く飲み込まれて行く悲劇や、その窮地の中で一際輝く英雄と呼ばれる高位探索者パーティによる活躍を高らかに謳いあげた物が多い。

 この成り立ちの違いから、同じ剣戟興行であっても、北方系と南方系では明確な違いがあり、また観衆の好みも、トランドでは短時間の劇調剣戟が好まれ、ルクセライゼンでは大規模で手に汗を握る激しい剣戟色の強い興行が好まれるという風潮が今でも強い。

 もっとも昨今では、トランドでも常設の大規模劇場が設けられて長時間公演が行われたり、転血石を用いた魔導技術の発展により、持ち運びが容易な舞台演出用魔具を満載した専用馬車を用いた小規模な移動劇団が、ルクセライゼンでも地方の祭りの際に見かけられたりと、時代に合わせた変化は見受けられていた。




 ロウガファルモア街区。通称で観劇街と呼ばれる健全な大小の娯楽施設が集まった地区では、人が多く集う迷宮閉鎖期となると、多くのイベントや新作公演が開始されるのが常となっている。

 ましてや今期は方向性は違うとはいえ、同じく娯楽を提供する色町燭華街区が閉鎖中。

 より多くの観衆を見込めるとあり、力を入れた催し物が多く開催されている中、昨夜の話題を多くかっさらったのは、未だ本公演でも無い、練習を兼ねた準備公演であった。

 ロウガでも老舗剣戟劇団であるハグロア一座による、今期、いや閉鎖期になった事で前期と呼ばれるようになった、若手探索者達の始まりの宮攻略を主題材とした剣戟興行である。

 僅か二回しか行われない準備公演の初回である昨夜の公演に運良く抽選に当たった観劇者達は、酒場や食堂で同好の士にせがまれ、昨夜の公演内容や感想を自慢げに語っていた。

 典型的な北方系であるハグロア一座の持ち味である、主登場人物の心情がわかりやすい高い演技力に、息の合った剣戟といういつもの持ち味。

 それに加えて、今回の公演に合わせて取り入れた南方系のエッセンス。派手な魔具による演出や、通常公演よりも3倍に近い1時間半超の公演時間となっていたが、それでも飽きさせない目まぐるしい展開と、概ね好評と上々の評価となっていた。

 そんな彼らが話の締めに語るのは概ね二つの話題であった。

 これが本公演、より派手で大規模な演出装置が組み込まれているという噂の海上劇場艦での公演となればどれほどの物か。

 そしてもう一つ、多数の演者達がいる中でも、出演時間は短いながらも劇前半ではほぼ主演といってもいい活躍を見せながら、終始仮面に顔を隠し、配役表でも名無しとなっている謎の新人演者についてである。

 それは剣戟興行においては、昔ながらのお約束の演出。

 演じられる英雄役を、英雄本人が担う際に用いられる、正体は決して明かさず、謎の新人として最後まで貫き通す王道演出の一つ

 全員突破の立役者であり、大英雄の直弟子でありながら、数多の騒動を巻き起こし、燭華壊滅の元凶となったと噂され、関係者の一部からロウガ最悪の問題児と呼ばれるようになったケイス役は、ケイス本人であるという話題であった。











「昨日は替え玉が何とかなるかって、懐疑的に仰ってましたけど、道すがら聞こえてきた評判だと問題なさそうですね」


 昼過ぎ、今日分の仕事を手早く終わらせたルディアは、昨日に続き観劇街に呼び出されたついでに、差し入れの飲み物を仕入れた酒場で聞こえてきた感想を伝えていた。

 ケイス替え玉作戦の1発目は、何とか成功といった感じだ。


「うちは典型的な北方系。しかし今回の主賓は南方系剣戟興行最大のパトロンとも呼ばれる女侯爵殿だ。箱の大きさも考えて、台詞ありで行くとしても、剣戟強めにした上にちょっとばかり派手な演出を用いた南方系のエッセンスを取り込む必要があったからな。魔具を平気でばら撒く上に、トンデモない剣を魅せる嬢ちゃんの戦い方はまさに外連味たっぷり。丁度いい」 


 朝稽古を終えて休憩中であった座長のハグロアも、昨夜の公演には手応えがあったのか上機嫌だ。

      
「魔具ですか……ウォーギン。この件に関わっていたなら先に教えなさいよ」


 魔具と聞いたルディアは、恨めしそうな視線で、差し入れの飲み物で喉を潤していたパーティーメンバーのウォーギン・ザナドールを睨み付ける。

 ケイスが使う魔具は、ほぼその全てが自他共に認めるこの天才魔導技師による一品。

 どうやってそれに近い効果で、かつ舞台用に威力を押さえた魔具を用意していたのかと思えば、何のことはないウォーギン当人による特製品であったと聞いたのは、つい先ほどの事だ。


「協会からは極秘仕事だってことで、身内にも他言無用で念を押されてたんだから勘弁しろ。特にお前の周りは最近は見張ってた奴が多かったろ。それよかカイラの嬢ちゃん。煙幕をもう少し多めだったな」


「にゃ。もうちこ多きほうが、うちがはける際にお客さんから見えづらとやね」


 昨夜の公演での問題点を伝えてくるケイス役の演者であるカイラの言に従い、使用された魔具の再調整を行うウォーギンは、ルディアの文句を軽く流しながら、魔具ナイフの柄を開け、内部の細やかな魔法陣を僅かにいじる。

 舞台演出用魔具など初めてであろうが、こと魔具に至れば、どうにか出来るのがこの魔導技師が天才と呼ばれる所以だ。


「見張りね。まだお一人いるんですけど。ナイカさんもお忙しいでしょうにどうして私にまだ付いてるんですか? しかも今日は堂々と姿を現して」


 仕事中のウォーギンにこれ以上何か言っても、のれんに腕押し。目標を変えたルディアは隣に座る人物へと目を向ける。

 昨日も目に見える範囲で張り付いていたロウガ治安部隊の隊員であり、探索者の街ロウガでさえ数えるほどしかいないロウガ所属上級探索者であるナイカへと事情説明を求める。

 昨日まではどこの所属かも不明な輩が、ケイスの動向を探るためかルディアには張り付いていたのだが、それら有象無象は今朝方には姿を消している。

 そして今朝がたルディアに、再度観劇街を訪れるように伝言を持ってきたのも、他ならぬナイカだ。

 ナイカは暗黒時代に活躍した英雄の1人として、時代考証やアドバイスも時折しているためハグロアとも顔見知りだというが、それでも上級探索者に使いっ走りのような役目をさせるなど無駄も良いところ。

 ましてや今は迷宮閉鎖期で、ロウガのあちらこちらで探索者同士のいざこざが頻発する時期。

 猫の手も借りたいほど忙しいだろうに、これがロウガ王女のサナの護衛ならまだしも、一介の街の薬師であるルディアに張り付く意味は理解不能だ。


「一応の用心さね。嬢ちゃんの替え玉作戦がとりあえず成功して、街にケイスのお嬢ちゃんがいると思ったとはいえ、あのお嬢に意趣返しを狙っている奴なんぞ両手で余るのはあんたもご存じだろ。もっとも賢明な判断をする輩ばかりなんで今日でお役ご免となりそうさね」


 その僅かな説明で、ルディアはぴんと来るが、思っていた以上の面倒事になっていたと初めて悟った。


「つまりケイスの動向を探るついでに、もしかしたら私も狙われていたと?」

 大華災事件以来、公にはケイスは協会ロウガ支部によって拘束中と名目ながら動向不明。

 ケイス不在のこの機会に、ケイスへの怨念を持ち意趣返しを狙う者が出て来るのは自明の理といえる。

 ただケイスの身内。パーティメンバーのうちウォーギンやファンドーレは、大華災事件後の後始末で協会仕事に同行中。

 ウィーは個人的事情もあって、大華災事件後に一時的に行方をくらましたまま。

 そうなると明確に居場所が分かり、身を拐かし易いのはルディアだけとなり、ケイスへの恨み辛みの矛先がルディアに集中したというわけだ。


「正解。あの嬢ちゃんを直接どうこうするのはリスクが高すぎる。その周りに手を出したとばれたら、いつ皆殺しに来るか分からない狂獣。それがあんたと直接に顔を合わせているんだ。誰でも二の足はふむさね」


 それならそうと警告の一つでもくれて良いのではないかと抗議の目を浮かべるが、ナイカはどこ吹く風。くぐってきた修羅場が違いすぎるので、一応用心はしていたが危機とも思っていなかったのだろう。


「もし不安なら閉鎖期明けに、特別講習で女性探索者向けの護身魔術講座をおこうなうけど参加するかい?」


 今回は一応ケイスがいると思われて、危機が去ったという説明だが、かといって過去の所行を考えると、この先ケイスが今回のようにいつ行方不明になるかなんてしれた物では無い。


「お願いします。あとウォーギン。護身用魔具、強力な奴。ケイスのつけで」


 自分の身は自分で守るのは、一応とはいえルディアも探索者。当たり前のこと。ナイカに教えを請い自らの実力を高めるのは当然だが、それはそれとして巻き込まれたつけはケイスに払わせてやる。


「あいよ。どうせ仕事も忙しいからロウガから出ないだろ。そうなると防御系でいいな。ちょっと試したい新作がある。今日の仕事が終わったらお前さん用に調整に取りかかる。ちょいと値が張るが、ルディア用となればケイスの奴も文句ないだろうな」 


 二つ返事で引き受けたウォーギンに、その作業を興味深げに覗いていたカイラが顔を上げて、不思議そうな目を向ける。


「んや、にーちゃんねーちゃんらそん子、火山島の火口で生死不明なんにゃら? 言っちゃ悪いやんけど、戻ってくる前提で、はなしゃ進めてよいん? 演技の参考になんし聞かせてくりゃせん」


 ロウガで悪夢の島と呼ばれる孤島の監獄での騒動でケイスが行方不明となっているのは極秘事項であるが、その代役を担うことになっているハグロア一座にはある程度の事情説明は行われている。

 ケイス役を担うカイラは、代役としてのクオリティを上げるためか、一応生死に関わる話題ではあるが臆することも無く尋ねた。


「「ケイスがその程度で死ぬわけねぇな」ないですから」


 語尾は違うが、同じ感想、いや事実をルディア達は、当然だと断言し、二人の言葉に、ハグロアやナイカも無言でうなずき肯定する。

 あの美少女風化け物が死ぬ姿が想像しがたい。

 ケイスを直接に知る者なら、それが共通認識となるのは致し方ない。

 そして実際にその証拠として、ケイスが確保した、とある天恵宝物が未だ現存している段階で、少なくともケイスが生存している事は確か。

 となればいつどこから出現しても、おかしくない。

 状況的に生きている方がおかしかろう、死んでいると考える方が常識だろうが、それでも常識を否定する理外存在それがケイスだ。


「その何とも言いがたいんですけど、今までのあの子を考えると、何とかしてるとしか」


 一言で説明するには言葉が足らず、言葉を増やしても、怪談めいた怪奇現象のオンパレードになりかねないケイスの説明を続けるのに苦慮するルディアを尻目に、ある程度納得したという顔でカイラは立ち上がる。


「ん、そんな感じにゃ。参考にしてみん。あんがと。座長! ちょいそん感じで練習してくんね! …………」


 元気が有り余っている感じで、練習をしてくると楽屋を走って出て行ったカイラがつぶやいた一言は、つい思わず漏れた一言だったのだろう。大半の耳には捕らえることも出来無い小ささだった。


「ん……座長。あの娘って前の公演では見かけなかった新顔さね。そんなのに重要な役目を任せていいのかい。探索者でも無い若い娘っ子と聞いて、お偉方の方で気にしている奴が多くてね」


 カイラの出て行った扉に目を向けていたナイカは、替え玉としての出来映えを尋ねる。

 背格好以外はケイスとは似ても似つかない所に、演技力や再現力などが気になり、気を揉んでいる関係者が多いのだろう。


「カイラは修行中の預かりで、うちじゃ無いがそこそこ舞台も踏んでいるって話です。遠方での公演時に知り合いの座長からの紹介されたんですよ。何でも南方系の劇団にいくつか参加していて、北方系の演技も学びたいとかで。ケイス嬢ちゃんほどではないにしても、小柄で背が近いってのもありますけど、今回は南方系の色を取り入れるのにもいくつかアドバイスもらってます。私の目から見て、演出も合わせれば替え玉を全うできると思います」


 ナイカ相手なので多少は畏まった受け答えをするハグロアは、問題は無いと太鼓判を押してみせるが、ナイカは思案気な顔を浮かべ、その目線をルディア達に向ける。


「あんたはそうは言うけどケイス嬢ちゃんの剣技なんて、そこらの娘っ子に模倣出来るもんじゃなかろうさね。仲間のあんたやギン坊から見てどうだい?」


「私が見たのはちょっとですけど、そりゃケイスとは違いますけど、舞台って言う枷があるって考えればケイスっぽい感じはしました」


「何とか形にはなっているって所だな。俺の作った魔具はともかく、羽の剣を短時間でも使えているのがでかい。ケイスが使う剣って事で、燭華での騒動もあって、結構知られてきたからな」


 ルディアは前日に僅かとはいえ稽古中の舞台を見ていたので、自分でも説明しがたいが多少の違和感が気になったのはあるが一応の及第点を下し、ウォーギンも作業を続けながら似たような感想を伝えた。 
 
 ケイスが主武器とする羽の剣は、その重量や硬度を自在に変化させることができる闘気剣。

 しかもその変化の幅は並の闘気剣や魔具を遙かに上回り、文字通り羽のような軽さから、一瞬で大岩の重さに変化し、自在に形を変える形状変化をしつつも、巨大モンスターの一撃さえ受け止めてみせる硬度を同時に発揮する。

 もし魔術的にその機能を再現しようとすれば、天才魔導技師ウォーギンをもってしても、組み込む積層魔法陣から、実物よりも10倍近い大きさを必要とするほど。 

 効果だけを見れば特級の闘気剣ともいえるが、あまり知られていないがデメリットも存在する。

 一定時間以上使用したり、闘気を込めすぎると、使い手の意志に反して、重さや硬度が勝手に変化し制御不能となってしまうという危険物でもある。

 今のところケイス以外にあの剣を使えたのは、ルディア達の知る限り、羽の剣を手に入れた時に知り合った武器商人の息子だけだ。


「私も試してみましたが、制御できるのはせいぜい1分くらいです。ですがカイラなら10分は持たせられるので、前半の見せ場くらいはおつりが来ます」


 舞台で使う程度の時間であるならば羽の剣を制御を出来るのがケイス役をカイラに任せた理由だとハグロアも補足する。


「制御ができるね……そういやあのカイラって子は魔力の方はどうだい? 嬢ちゃんは魔力変換障害を持ってる。魔力探知でもされたら一発で偽物ってばれるよ」


「あぁそれなら大丈夫だ。カイラの嬢ちゃんも同じく魔力変換障害持ち。ケイスと違って全く生み出せないって訳じゃなくてごく微量。舞台で身につけている魔具ってことで、いくらでもごまかせる。具体的には……」


 自分の専門分野に関わる話なのでウォーギンが説明を引き継ぎ細かな説明をはじめ、いくつかの質問を交えながらもしばらくして得心がいったのかナイカは立ち上がった。


「問題なさそうさね……邪魔したね。あたしは上に報告いれてくるからこれで失礼させてもらうよ。明日の昼には件の船が入港する。夜にロウガ王宮で、歓迎式典が開催されるからあんたらも準備しといておくれ。特にギン坊。ちったぁ身だしなみを整えさな」 


 エルフ族であり見た目は年若い女性ながら、ウォーギンの両親と顔見知りだったため生まれた頃から知っていることもあり、世話焼きの親戚の叔母ともいえる立ち位置のナイカは、だめ出しをしてから楽屋を出て行った。


「ロウガ王宮で、ルクセライゼン大貴族様の歓迎式典に参加か……前の時でさえ限界だったから、正直辞退したいんだけど」


 根っからの庶民であるルディアにとって、王宮での歓迎式典など場違いも良いところで、緊張から胃が痛くなるので勘弁してもらいたい。

 始まりの宮後に行われた全員踏破を記念した式典は仕方なかったにしても、今回は何とか不参加に出来無いかと願いたいところだが、


「無茶言うな。うちはただでさえウィーが行方不明って事で不参加。さらにカイラの嬢ちゃんがケイス役の謎の新人剣戟師って名目で顔出し無しで参加。となりゃ説得力をあげるために、目立つお前が横に付いてる方が良いだろ。すっぽかしたら姫さんに恨まれるぞ」

 
 だがそんなルディアのささやかな願いは、欺瞞工作という名の無茶ぶりによって無碍に打ち砕かれていた。 



[22387] 薬師と新人仮面剣戟師
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:80899074
Date: 2021/04/18 00:31
 ロウガの旧市街と新市街は、大河コウリュウの東岸西岸で区分される。

 コウリュウ河口を初めて見る者は、そこが湖や海だと錯覚するほどに幅が広く大きい。東岸西岸を繋ぐ渡し船も、休むこと無く24時間多数が運航されているが、利便性に著しく不都合があるのは誰の目にも明らか。

 むろん利に聡い者達が多いロウガ議会も手をこまねいていたわけでは無く、天候に左右されず、積み荷や乗客の積み卸しなどの時間を取られること無く、行き来が可能となる手段。東岸西岸を繋ぐロウガ大橋健造計画が立案、施工されている。

 石切場から切り出した石材に自立歩行式巨大ゴーレムの術式を施し、移動する建材として用いる橋脚工事が、昼夜問わず急ピッチで行われているが、その完成はまだまだかかり10年以上先という気の長い話だ。

 コウリュウ中央。大橋を支える中央橋脚兼新たな街区となる建材ゴーレムの集積体による人工島土台は八割方完成している。

 両岸からみる月夜に浮かび上がる新たに出来た島は、ロウガの名所の1つとなっていった。

 今宵はその巨大な人工島の横に、大きさはいくらか劣るがそれでも小島と呼ぶべき巨大な船体が錨を降ろし停泊している。

 南方大陸ルクセライゼンが誇る巨大劇場船リオラだ。

 あまりの巨船のため、東域最大の国際貿易港であるロウガ港でも接岸するスペースが無く、沖合の船溜まりも、他船の航路を塞いでしまうため、港湾管理部が苦心の調整の末に見いだしたのが建造中の人工島を一時的な停泊地としていた。

 これはリオラ側にとっても利にかなった提案であった。

 劇場艦という役割上リオラは多数の観客を同時に乗降させる事が可能な多数の乗降口を持つが、無数の乗降口は、リオラが属するルクセライゼンが大規模な船舶文化を有し、個人所有も含めて多数の船舶がどこの都市にもあるという前提条件があってこそ、最大限に活用される。

 ロウガも多数の船舶を持つが、それらは常時何かしらの役割を持っている事が多く、遊山船となればさほど数は無い。ましてや多数の乗客を劇場艦に運べる大きさとなると限定されてしまう。

 しかし建設中の人工島であれば、上物がまだ建設されておらず広々とした空間が広がっており、資材建材を運ぶ貨物船の為の接岸設備も多数設置されている。

 人工島を観客の一時待機場所として用いる事で、全ての乗降口を使用した場合と比べ多少は劣るが、それでも乗降をスムーズに行うことが出来るという目算が立っていた。

 もっともそれはあくまでも運営上としての問題の1つが解決したに過ぎないのは世の常だ…… 





 ゆっくりと流れるコウリュウの水面。リオラの停泊する人工島からわずかに離れた水上には、水面歩行の神術を使い、夜間警備をする3人の影があった。


「うぁ。どれだけ飛ばしてきてるんだか。また水中に使い魔わんさかなんだけど」


 ロウガ警備隊『水狼』に所属する水妖族のレンス・フロランスは、つい一時間前に掃除したはずの水中にわき出してきた使い魔反応に、疲労感の色濃いあきれ顔で報告する。

 
「また魔術毒を撒いて駆除するから、レンは広がらないように水の流れを押さえといてくれ」


 棍の先に使い魔撃退用の魔術毒が入った瓶をつけた水狼隊長のロッソ・ソールディアが、足下の水面へと無造作に突きを打ち込む。

 それに合わせてレンが、使い魔の反応水域周囲の水の流れを操り、魔術毒が水域街外に漏れずかつ、最大限に効果を発揮する密封領域を生み出す。

 棍の先から放たれた瓶はその勢いに乗って、使い魔反応が広がる水域のほぼ中央で炸裂。魔力を強制消費させる魔術毒によって、使い魔達は内蔵魔力を瞬く間に消費して、もとの石像や、無力な依り代へと戻っていった。


「掃除完了……まじでこれ朝までやんの? きりがなさそうなんだけど」


 レンが水流操作を止めると、それら使い魔だった物は、コウリュウの流れにのって海へと流れていった。


「しゃーねぇだろ。ありゃ劇場艦を名乗ってるが、実質ルクセご自慢の最新大型母艦。
そいつが国外初お披露目となりゃ気になる連中はいくらでもいる。しかもあっちの警備兵がお偉方の護衛で、船を留守にしていて人手が足りないってんで要請が来てるんだ。断れるわけもないんだ。2人ともあきらめろ」


 水上歩行の神術を用い、空側の警戒を行っていた戦神神官ギド・グラゼムが愛用の槌を空に向かって振ると、少し離れた水面に何かがポチャンと落ちる音が聞こえてきた。

 
 魔導技術においては一、二を争う南方大陸大帝国の最新艦の情報となれば、それが些細であってもいくらでも買い手がいる。

 仕事で請け負っている玄人連中なら、使い魔から使用者が特定される足が付くようなへまをするわけも無いだろうし、閉鎖期で戻って来た探索者の中には、小遣い稼ぎの面白半分でちょっかいを掛けてきている者もいることだろう。

 使い魔の残骸をわざわざ回収して持ち主を特定するというのも、手間だけが掛かって、結果は期待できず、ともかく潰して回るのが一番効率的な警備方法といえた。


「わーってるけどめんどくせな。これなら夜会警備の方に回った方がまだ楽だったか」

 
「あーないない。エンジがサムライだからって、よく城内パーティーの警備にかり出されてるけど、置物あつかいだって珍しく文句をいう仕事の1つなんだから。目の前でごちそうだけ見て突っ立てるだけなんてロッソも嫌でしょうが」


 水狼の一員でありレンの恋人でもあるエンジュウロウ・カノウは今時希少な生粋のサムライの1人。かつてこの地域で隆盛を誇った東方王国の継承者を自認するロウガにとっては、その継承の正当性を示す駒の1つとして重宝されている。

 もっとも剣術バカなエンジュウロウ当人としては、不埒な者による襲撃の可能性が極めて低い王城警備よりも、実戦を伴う前線警備任務の方が良い修行となると、珍しく嫌がる仕事の1つだ。

 燭華壊滅や、悪夢の島での大規模迷宮災害。立て続けに起きたロウガの災難に対し、ルクセライゼンは皇帝名代として準皇族を中心とした友好使節団を派遣している

 今宵はその主立った使節団のメンバーをロウガ城に迎え歓迎夜会が開催されており、他の隊からも幾人かが警備として回されている。

 ただでさえ人手不足な所に、さらに人を抜くなと現場からは大不評だが、立て続けの災害に見舞われたロウガにとっては、復興支援の出資者であるルクセライゼンはないがしろに扱えず、最上級の出迎えをするのは当然といえば当然のことだ。


「そろそろ夜会が始まる。日付が変わる頃には解散予定だったな。日が昇る頃には十分な数の警備兵が戻ってくるらしいから、それまでの我慢だ。そのあともいろいろ面倒事が続く気がするけどな」


 効果時間が切れかかっていた水上歩行の神術をかけ直したギドが上流へと目を向ければ、ロウガ城の高い尖塔の1つがかろうじて頭を覗かせている。

 あの明かりの元では、見た目は華やかながらも、さぞ面倒で複雑な政治取引や工作が行われることだろう。


「夜会っていえばナイカさんの正装って初めて見たけど、すごく似合ってたのに、なんであんな嫌がってんの?」 

 
 警戒は続けながらも一息をいれたレンが、夕方から気になっていた事を、師弟関係でありナイカとの付き合いが古いロッソへと尋ねる。

 水狼の副隊長であるが、それ以上に上級探索者にしてロウガ解放戦にも参加した英雄の1人としての名声を持つナイカはロウガ支部に泣きつかれ、警備の1人としてではなく、普段はしない祖国の正装を身につけ夜会に参加していた。

 薄緑色のパーティドレスは、白いナイカの肌に映え、見た目の若々しさもあって、着替えや化粧を手伝った同性のレンから見ても、引く手あまたの華の一輪となるだろうと思ったほどだが、当の本人はエンジュウロウと同じくらい嫌そうな顔をしていたのが印象的だった。


「エルフ族で見た目は若いけど中身はババアだからな。恥ずかしいんだろ。あれ未婚者用の正装で、あの人くらいの年代なら既婚者用の正装が当たり前だとか。行き遅れ扱いされたくなきゃ、婚約者もいるんだしとっと国元に帰って結婚すればいいんだけど、まだまだロウガでやることがあるんだとよ」


 いつまでも半人前の小僧扱いをしてくる師匠を部下にもつなんてなんて罰ゲームだと、息を吐いたロッソもロウガ王城がある方向へと目を向ける。


「にしても、あそこに嬢ちゃんの身代わりの役者もいるんだろ。アレの代役なんて出来るのか?」


「酒場辺りの評判じゃ、中身がケイス嬢ちゃんだろって憶測が主みたいだから大丈夫だろ。それより偽物の噂を聞きつけた当人でも乗り込んできたら大問題になりそうだけどな。ありゃ易々死ぬタマじゃねぇし、そろそろ脱出してくんじゃねぇか」


 悪夢の島の地下で行方不明になったケイスは、取得した宝物によって生存確認されているがその所在は未だ不明。生きている以上どこから出てきてもおかしくない。

 最悪偽物討伐と称して、夜会に殴り込みを掛けてきてもおかしくない、イカレ小娘というのが水狼全員の共通認識だ。


「あーエンジがそうなれば僥倖とか笑ってたんだけど。危険だから止めとけって言ってんのに……」


 雑談をしながらも、気を抜かず周辺警戒を続ける水狼達の仕事はまだまだ終わりそうには無かった。





 ロッソ達が話題にしていた夜会は、予想通りと言うべきか、それとも予想外の方向からというべきか、開始前、出席者の確認から一悶着が起きていた。


「私は剣士だぞ。なぜ剣を預けねばならん」

 今宵の夜会は仮面舞踏会でもないのに顔を隠すマスクを身につけ、変調した声色で誓言する小柄な少女が堂々と胸を張る。

 他国の皇族も出席する以上、武器の持ち込みなど厳禁なんて常識以前の、当然の禁止事項であるがそこに真っ正面から噛みつく馬鹿がそこにいた。

 受付周辺は人垣が出来て遠回しに見ているが、少女にひるむ様子は一切無い。


「ですから武器類は持ち込みが禁止されおります。こちらで預かりますのでどうぞお渡しください」


 受付を任された今宵ロウガで一番不幸なメイドは、困惑しながらも既に何回目かとなる同じ言葉を発するしか無い。

 普通ならばこんな聞き分けも無い迷惑な輩なんてすぐさま警備に引き渡して、取り調べや場合によっては投獄というのが常だが、そうも出来無い理由がある。

 自分の言動の正否を一切疑わず、それがさも当然だとばかりに宣う少女が提示する招待状は、偽造を疑う余地も無く正式な物だが、そこに名前の記載は無い。

 招待状の宛名は【仮面少女剣戟師殿】とだけ記載されている。

 今宵の主賓。ロウガ使節団団長であるルクセライゼン貴族が直々に希望したという剣劇の主役級の1人を、追い返すわけにも行かず、メイドはなんとか腰に差した剣を預かろうと説得を続けるが、そんな常識が通る相手ではない。
 

「では尋ねるが、剣を持っていたとしても私が何を斬るというのだ? もし私に斬られる者がいたというのであれば、その者が相応の罪悪を持つからであろう。ならば斬ればロウガやルクセライゼンの治安が良くなるではないか。であるならば私が剣を持つことに何が問題がある?」


 恐れも無く言い切る少女を少し離れた場所で見ていた燃えるよう赤毛が目立つ長身痩躯の薬師が、着慣れない借り物の夜会ドレスの裾を踏まないように悪戦苦闘しながらも周囲の人垣をかき分けて、足早にもめ事の中心へと近づく。


「この馬鹿! いきなりもめ事起こすな! いいからとっとと渡しなさい!」


 とりあえず問答無用で頭を叩いて、有無を言わせず腰に差した剣を取り上げて、乱入に困惑していたメイドへと渡す。

 不満げなうなり声を上げる剣士は無視して薬師が頭を下げると、周囲はやはりかという空気が占めた。

 小柄な少女の横にはよくこの赤毛の長身女性がいるというのは、割と知られてきている。

 今の気安いやりとりや、怒られ頭を叩かれても、不機嫌そうにうなるだけで終えているのだから、仮面に隠された少女の素顔がアレだと誰もが確信する。

 仮面に顔を隠そうとも、その奇天烈な言動が隠せるわけも無い。

 ロウガが誇り、ルクセライゼンの皇族出身という出自を持つ大英雄フォールセンの唯一にして最後の弟子。

 なにより、ロウガ新人達の全員生還という偉業を達した原動力とも呼ばれる希代の天才少女剣士だと。

 そのまま薬師の女性も一緒にボディチェックをされ、二人揃って受付を通り過ぎて会場へと通される。

 厳密に言えば並んでいた他の招待客を幾人もすっ飛ばした横入りなのだが、それに文句を言う者はいない。

 猛獣の横には、猛獣使いがいて当然だからだ。

 自己評価と、周囲の評価が最近乖離が著しくなってきたと感じながらも、最初の難関を突破したルディアは小さく息を吐きながら、手を握って同行させていた少女へと目を向ける。

 いつもよりも少し高い背と感触の違う手のひらが別人だと理解させるが、ケイスだとつい認識してしまうほどによく似ている言動に、脳が混乱してきそうだ。


「……ケイスっぽいを通り越して、ケイスそのものじゃない。現物も見てないのに、どうやったら真似できるんだか」


「当たり前であろうルディ。それが何者であろうともなってみせる、それ役者であるからな」


 いつもの様々な地方の方言が混じった癖がある話し言葉は一切消え失せ、流ちょうな共通語で、ケイスに扮したカイラが答える。

 ケイス以外の何物でもないと、ルディアが思わず思ってしまうほどのケイス節はまさにケイスであった。



[22387] 薬師と大夜会
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:80899074
Date: 2021/06/12 01:46
 ロウガ王城大夜会。

 王城の中央庭園を主会場とする今宵の夜会は、刈り込まれた低い生け垣や、軽くまたげるほどの小川などによって、東西南北の4つのフロアに分けられており、主賓であるルクセライゼン友好使節団上層部や近隣諸国の上級特使、そしてロウガの主立った有力ギルド長達など、いわゆるVIP客達は、庭園の東側に集まっており、周囲には城付き衛兵がこれ見よがしに配置され、一般招待客達との境界線を描き出す。

 夜会全体をみれば、装飾や料理は、あまり華美にならぬよう配慮がされている事が見受けられる。

 大国の友好使節団を歓待するとしては異例ではあるが、ただの夜会として正式な晩餐会とならなかったのも、今回の使節団には弔問の意図が含まれているからだ。

 大華災事変。

 悪夢の島再迷宮化。

 大華災事変においては少なくないロウガの民が犠牲になっている事もあるが、問題は再迷宮化だ。

 悪夢の島においては、犠牲者の大半は囚人とはいえ、数千人以上の行方不明者が出ており生存は絶望視された上に、その中には咎人として、遠島幽閉されていた周辺諸国の高位王侯貴族も含まれる。

 収監されていた王侯貴族の中には、王位継承の際のいざこざや、政敵として無実の罪で投獄されていた者達も含まれており、今回の事件は国内外の政局に小さくない波紋を起こす可能性もある。

 さらに再迷宮化がより事態を複雑化させる。

 海底鉱山としても稼働していた悪夢の島から産出されていた鉱石や宝石は、かなりの量を誇っていたが、迷宮化したとなれば、その価値は跳ね上がる。

 迷宮から算出されるのは、良質の魔力を含む迷宮モンスター素材のみで無く、植物、鉱石類も魔力を含んだ迷宮素材へと変化しているからだ。

 犠牲者を悼む言葉を交わす各国の出席者達はその言葉の裏側で、共同所有していた悪夢の島の取り扱いに関して他国の方針を探り合うための前哨戦が繰り広げられており、ぴりぴりとした空気が東側庭園には満ちていた。

 一方の残りの西と南北の一般客達は、別の意味で緊張感を伴う空気が満ちていた。

 客の中には、今回の一連の騒ぎに商機を見いだした商人も数多く、復興や再迷宮化に1枚噛もうと各国からの推薦や認可を狙う者もおり、また豊富な資金を持つルクセライゼンは出資者としてこの上ない存在。

 どうにか渡りをつけようと、鼻息の荒い者が多いのも至極当然と言えば当然だ。

 とは言ってもさすがに警備の問題上、一般招待客とVIP招待客は明確に分けられており、東側庭園に立ち入るには、元々懇親があるVIP客から招かれるか、もしくは他の庭園に受付係として配置された、従者や関係者からの口添えを期待するしか無い。

 商売っ気の強い会話で活気に溢れる中、東側と真逆、西庭園に周囲からは注目はされるが遠巻きに見られている一団があった。

 ルディア達、ロウガのルーキーである。


「アレが例のイカレ小娘か。本当にあの大英雄の弟子なのか?」


「先ほども受付で一悶着を……」


「よくこの場に顔を出せた物だ。招待客の中にはつい先日に斬られたセリザリス卿もいらっしゃ……」 


 ひそひそと漏れ聞こえる声は、好意的とは言えない色を強く帯びているが、明確な敵意とまで言える物はない。

 むしろ関わりにならないようにと、警戒を強めているというのが正解だろうか。

 だがそこに悪意があるのは間違いなく、もしケイス本人がこの場にいたなら、既に斬りに行っているだろうか? 

 
「さすがケイスの悪名……虫除け効果が殲滅レベル」


 つい先日珍しく酒で失態を演じたばかりなので、自分基準では酒とも呼べない軽めのカクテルで果物の香りを楽しみながら、ルディアは空気さえ気にしなければゆっくりと酒を楽しめるこの状況を喜ぶべきか、それとも中身がケイスでは無いとばれると警戒すべきかとしばし悩む。

 前回このロウガ王城に招かれたときは、始まりの宮全員突破という史上初の快挙を成し遂げたルーキー達のまとめ役として、必要以上に注目されて、禄に酒を楽しむ暇も無く、次々に祝辞を戴いたお偉方や、有力者の応対に終始していた。

 だが今日はケイスだと思われているカイラが横にいるおかげで、遠巻きに見られる視線の多さを気にしなければ、挨拶に終始する煩わしさは無く、同じく招かれていた同期達とゆっくりと近況報告をする余裕があるほどだ。

 ケイスの悪名は、以前は直接に関わった一部の者達、主にロウガの闇社会では有名ではあったが、燭華での大暴れ以降はロウガ近隣に広く知れ渡りはじめている。

 精神を惑わす淫香の効果によって正気を失って暴走状態にあった燭華を訪れていた客達を、その地位や権力など一切気にせず、死にはしない程度はあるが、必要とあれば無力化するために斬りまくったのだ。悪名が広まらないはずがない。

 ケイスが斬った者の中には、公にはされていないが、他国からお忍びで訪れていた高官や王族までいたのだから、遠巻きに見られるのも至極当然。 

 ケイスに近づいて利益を得ようなど目立つ真似をすれば、ケイスの被害者からの逆恨みを買う恐れもある。

 結果、珍獣もしくは危険生物の動向を気にする、悪意混じりの好奇の視線に晒されることとなっていた。


「ダメだぜルディアさん。剣戟興行で仮面役者の中身に触れるのはタブーだ」


 同期の1人。ほろ酔いになったクレイズンは、替え玉作戦を知らないので、中身がケイスだと信じているので、思わず口にしたルディアのぼやきに笑いながら突っ込む。

 人を騙すにはまず味方からという理屈は分かるが、命を助け合った同期まで騙すのはルディアは心苦しいのだが、カイラはそこは役者だ。


「うむ。私は名無しの仮面剣戟師だ間違えるな。それよりもクレイズン達は最近は北方の迷宮群を攻略していたのだったな。話を聞かせろ」


 始まりの宮後、頭角を現しはじめた若手パーティの1つであるクレイズン達へと話を振り、北方の様子や迷宮内の特徴を尋ねる。

 常に上から目線の話口調や、仮面の役者として己の正体を隠しているはずなのに、一切隠せておらず自分の興味があることを最優先する、素直というか馬鹿正直なケイスらしいケイスとしての振る舞いを、カイラは完全にこなしている。

 悪意に対しては言葉より先に剣が出るのが本物のケイスだが、カイラの演技もまたケイスらしいと言えばケイスらしい。

 下手に口を挟むよりも、カイラに任せた方がスムーズに行くと判断したルディアは時折相づちを打つだけで、話の中心からなるべく外れ聞き役へと徹している。

 今回の夜会に招待された客数は限られているとはいえ、ロウガや近隣諸国に影響力を持つ客も多い。彼らがケイスだと誤認するならば、宣伝効果としては十分だ。

 このまま何事もなく終われば上出来とルディアが祈っていると、先ほどウォーギンと連れ立ち、聞き込みや周辺偵察に出たはずのファンドーレだけが、ルディア達の元へ戻ってくる。

 偵察ついでに軽めの果実酒を頼んでいたが、さすがに小妖精族のフォンドーレが人間種用のグラスを持ってこれる訳もないので手ぶらでの帰還だ。


「ウォーギンは? 何かあった」


「あの馬鹿げた船の機関担当魔導技師の招待客の中に、昔の知り合いがいて、なにやらあいつに意見が聞きたいとかで捕まった」


 ウォーギンはかつては中央で名を馳せた天才魔導技師、知名度やら人脈はそれなりの物で、その伝手は南方の大帝国にも繋がっているようだ。 


「技術関連の話っぽいわね。しばらく、下手したら最後まで帰ってこないパターンか……自分で取り入くか」


 本物のケイスなら一瞬でも目を離すのが恐ろしいが、いくらケイスを模倣しているとはいえカイラならそこまで無茶はしまい。

 会場内を回っている給仕係もいるが、グラスから漂う香りは今ひとつピンと来ない弱い物ばかりなのもあり、今度は自分が酒を物色するついでに周囲の探索に出るべきか。

 1人になれば声を掛けてくる者も少なからずいるだろうし、そうなれば今ルディアの横にいる、どう考えても怪しい仮面剣戟師の中身を気にする者も釣れるはずだ。


「ファンドーレしばらく手綱を握っといて」


「まて、客だ」


 ファンドーレが指し示す方向を見れば、こちらに近づいてくる警備役の近衛兵が1人。よく見れば、それはルディアも知る水狼の一人エンジュウロウだ。

 どうやらエンジュウロウは衛兵として借り出されているようだが、退屈そうな表情にはただの警護役が不本意だと如実に表れていた。


「ご歓談中に失礼する。仮面剣戟師殿とリズンパーティの皆様を、サナ王女殿下がお呼びです」


 ケイスに扮したカイラはなるべく目立つ場所には引き出さないという方針。ましてやVIP客がいる東側には絶対に行かせないという方針でサナとは一致していたはずだが、そのサナ本人からの呼び出し。

 どうにも嫌な予感がするが、ここで断るも不自然だ。


「ウォーギンは途中で拾うか……すみません。少しサナさんの所に行ってきます。」


「あぁ姫様達には元気にやってるって伝えといてくれ。主催者の1人ともなれば、さすがにこっちにはこられないだろうしな」


「あっちの方がいい酒ありそうだ。ルディアさん土産は頼んだ」


「またいやしいことを……姐さん無視しとけ、しとけ」


「それよりケイスの首輪しっかり握ってよルディア。この子、貴族だろうが王様だろうがもめたら斬りそうだし」 


 同期達は、ケイスがバレバレの正体を隠している裏事情に絡んでのことだろうと、ルディア達だけの呼び出しに不自然さは感じなかったようで、軽口混じりの言葉で送りだす。

 同期達に軽く頭を下げ、エンジュウロウの後を追った。

 



「どう思う」


 中央に留学していた頃に世話になった先輩魔導技師ソクロが、周囲を伺いながらひっそり見せてきた大型転血炉の可動記録に対する意見を、仏頂面で求めてくる。

 黒塗りになった箇所も多く、断言せず言葉を濁しているが、ソクロが出してきたのは、今現在担当しているあの規格外の大型艦リオラの主動力転血炉の物で間違いない。

 新型炉の性能は国家最重要機密の1つ。

 一応劇場艦リオラは、ルクセライゼン帝国所属船籍ではあるが、あくまで個人所有艦となる。しかしその持ち主が皇帝にも繋がる血筋の大貴族となれば、実質的には国家所有に準じるとみていいだろう。

情報漏洩などすれば、間違いなく物理的に頸が飛ぶ事になる厄介事だ。 
 
そのリスクを犯してまで意見を求めてきた旧友に対してウォーギンは、グラスを口元に運ぶふりをしながら右手の腕輪型魔具に触れて、結界内部からの音漏れだけを防ぐ遮音結界を発動し最低限の警戒を行う。 

 転血炉は文字通り、迷宮モンスターの血より生み出される魔力結晶体転血石を用いた魔力炉。

 天然物の転血石は極めて希少だが、近年では人工結晶化技術の発達により人造転血石の大量生産が可能となっているが、それでも島と見間違えるほどの巨大な船の主動力炉に用いるとなれば、巨大転血石を必要とし、それも三日で1つ使いつぶす事になるほどだ。

 しかしその転血石消耗が、ここ数日のみだが半減しているとデータは指し示す。停泊した今日は別としても、通常航行をおこなっていた昨日、一昨日と、それ以前を見比べれば、全く別の炉の可動データだと思ってもおかしくないほど乖離していた。

 


「どうって聞かれてもなぁ……現物も見ないでなんとも。石の消耗が異常に減っているのはどの地点からです?」


「正確な位置は曖昧になるが、少なくともロウガ近海に入ってからだ。石に変更は無し。レンブラントギルド生成の5年物一級品。整備も通常点検のみで、他に思い当たる節は無い」


「レンブラントギルド……南部の大手工房か。あそこの石って確か同一種の血液のみで生成した上に、しばらく寝かせているから安定感が抜群ってのが売りと。ましてやルクセに納品するってなると、管理も最上級に気を遣っているか。現物のチェックと保管方法は?」


「納品時および設置時に複数技師によるクロスチェック。専用遮断格納庫に個別格納をとっている」


 マニュアル通りの慎重な対応は、転血炉の危険性を熟知したベテラン技師であることの証だ。ソクロの性格も考えれば手を抜いているとも考えにくい。


「それだと魔力汚染による変質って線も無い。となると炉本体、それも増幅機構のどこかだろうけど、さすがにそっちはわからねぇよ……ソクロさんの方でも、こんな事ぐらいすぐ分かるってるだろ。なんでわざわざ見せたんだよ」


 いくら天才魔導技師といえど、転血炉本体の構造さえ分からないのに原因特定など不可能、これ以上は推測ですら無くなる。

 原因不明の出力向上を起こしているという、ありきたりな結論を出すのが精々。

 そしてこの程度のことなら、ウォーギンが優秀な魔導技師と一目おく、ソクロならばわざわざ意見を求めるほどのことでも無く、原因箇所の特定は出来ているはずだ。


「口も硬く信頼できるから、現物を見せる方が早いと行ったんだが上が納得しないからな。この程度で採用試験になると判断するなら、口出しして欲しくないんだがな」


 知り合ってから一度も笑った所を見たことの無い仏頂面技師が、前置きすら無く本題を伝えてくるが、その裏の意味もウォーギンは感じ取る。 


「今更宮仕えってのは、それに話だけで厄介すぎて近づきたくない案件すぎる」


 ソクロは冗談を言う性格でもないので、本気だろうと分かりつつ即答は避ける。

 普通の魔導技師ならば、こんな簡単な試験で大国ルクセライゼン大貴族お抱えの魔導技師となれるならば一も二もなく乗るだろうが、どちらかと言えば研究者寄りのウォーギンとしては、今の自由にやれるフリーの立場が性に合っている。


「そう答えるだろうな。だがどうしてもお前の協力が必定だから次案だ」


 断られるのは計算のうちだったようだ。そしてそれほどまでにウォーギンの助力を請うのは今は詳細が明かせないが、よほど面倒な原因が絡んでいるという、嬉しくない証明でもあった。


「メルアーネ様がご観覧を希望した地元剣戟劇団の仕事を、今はしているはずだな。そこの舞台演出技師でも何でもいいから名目つけて乗船しろ。舞台演出の関連で必要となれば、もう少し詳しい情報を渡せる……お前だって興味が無いわけでは無いだろう? 上手く制御できれば効率上昇技術となるかもしれない事例だ」 


「それ言われると。確かにそうですけど……散々おごってもらったのが今になって効いて来るか」


 技師として確かに異常な効率上昇は気にはなる。それに個人的にもソクロには借りが多くあるので断りにくい。最初のスカウトをやんわり拒否しているので、なおさらだ。

 最初から次案が本命だったと気づいたが、後の祭りだ。ただ面倒事にはもう首を突っ込んでいるので、また一つ増えただけだと思うしか無いだろう。 


「一応仲間と相談して……あっちもなんかありやがったか」


 了承の返答を返す途中で周囲の客がざわめいていることに気づき、その目線を追ってみれば、先ほど分かれたファンドーレが、ルディア達を伴ってこちらに近づいてくる所だった。

 ケイスに偽装しているカイラは目立たせないはずだったよなという疑問は胸の中に仕舞う。あきらめ半分のルディアの表情を見れば、何か断れない案件が出来たのは一目瞭然だ。

 
「とりあえず保留で。あっちで手が離せない案件が出来るかもしれないんで」


「分かった。期待して待っておく」


「……そこは期待せずにって言葉だろ」


 ぼやきながらもソクロに返し、ウォーギンはルディア達に合流した。
 



[22387] 演出家と剣戟師
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2021/08/19 02:10
 東庭園は、一般招待客用に解放された南北西の各庭園と作り自体は同じだが、その広さの割には人がまばらで閑散としているのは、限られた要人と、彼らから招かれた者達だけに限定されているからに他ならない。

 その東庭園に足を踏み入れたルディアの目前では、元々あった東屋や、急遽設けられたであろう仮設の天幕の下、顔も知らぬ要人達の大多数がささやき合い、興味深げに向ける視線が、庭園中央付近に集中していた。

 その視線を追えば、どうにもまた予想外な面倒事が起きたという嫌な予感しか感じられない光景が繰り広げられる。

 要人達の注目を集めるのは少数の一団だ。

 その一団の中にいた座長のハグロアが、ルディア達の到着に気がつき軽く手を上げ、その横にいたサナが実に申し訳なさそうに小さく頭を下げる。

 しかし注視を集める一団の中心人物はサナ達では無い。

 サナ達も止めることが出来ず遠巻きに見守るしかないのか、その中心でにらみ合い対峙する二人の女性の姿があった。


「この私をもって、リオラお姉様への敬意が無いとはよくもいってくれる。お姉様の残した剣譜がまともに演じられないからと、他人に当たっている方がよほど敬意が感じられないのでは」


 対峙する二人のうち30代半ばほどの薄茶色髪の女性は、口調こそは落ち着いて冷静な色を保っているが、水面のように透き通るような青色の瞳には剣呑な色がぎらつく。

 怒りのあまり魔力が手からあふれ出たのか、口元を隠す扇の根元が凍りつき、物理的に寒気を催す冷気を周囲に放っている。

 極寒の怒気を含む強大な魔力は、術としての形を成しておらずとも対峙する者の心身を蝕む毒となるほどに強力。

 しかしその魔力を真っ正面から受ける相手は、その圧力にも一切ひるんではいない。

 頭2つ分は上振り下ろされる鋭い視線を、堂々と睨みあげるのは10代後半を超えた位だろうか。

 褐色の肌色にその金髪がよく栄え、うら若き乙女と声高に主張する体躯でありながら顔立ちはりりしいと呼んだ方がしっくり来る美形で、その顔に合わせたのか純白の男性礼装を纏う少女だ。


「俺はあの方の剣戟に憧れ、請い、足掻いて、演じられる舞台へと至る道を死にものぐるいで手に入れた。届かぬ、至らぬ。だが至りたい。その渇望こそがあの方に憧れた剣戟師としての俺の原動力。それを八つ当たりなどと同列に語るとは、やはり演出家風情には、剣戟師の気持ちは分からぬか」


 その服装に合わせたのか、それとも平時から男口調なのか、少女は淀みない反論で、女性の言葉を一笑に付す。
 
 よく見ればその男装少女の瞳も、真っ青な水色を描き出している。

 髪や肌は違えど、同色の水色の瞳は、龍由来の魔力を宿す一族の代名詞。

 様式は大きく異なり、さらには性差もあるが、共に一流と呼ばれるであろう職人や工房の手による格式の高い礼装着に、刺繍された紋章にはルクセライゼン皇家の血筋を引く者だけに許される国章が見える。
 
 その2つが導き出す答えは1つだけ。

 どちらの女性もルクセライゼンより派遣された使節団の一員。それも准皇族と呼ばれる皇家の血筋に連なる大貴族。


「独りよがりの目立ちたがりの剣しか振らず、もめ事ばかりの猿山大将が大言を吐きますこと」


「本気でぶつかり合ってこそ良き剣戟が生まれると知らぬか。さすがは金に物を言わせる金満演出家だな」


 口論をする二人は、ルディア達が到着したことにも気づかず、魔力が滲む冷たい舌戦を繰り広げ、一言一言が積み重なるごとに、庭園の気温が確実に下がっていく。

 彼女らの正体が分かっても、なぜ夜会の場で洒落にならない本気の口論をしているかなど、ルディア達には分からないが、少なくとも、この場にこのまま止まっていると碌な結果にはならないというのは誰もが気づく。

 ここまでの案内役をしてきたエンジュウロウなど、東庭園に入れば自分の役目は終わったとばかりに、無言で壁際に待避し、一介の警備近衛に戻ってしまっている。

 ケイスに扮したカイラは、さすがにこのような状況でケイスがどう動くか予想もつかないのか、仮面の下で無言を保ち、他の客と同様に見守ることにしたようだ。


「なぁ、このまま回れ右でよくねぇか?」


「余興に引き出されたり、貴族の喧嘩に巻き込まれるよりはよほど建設的か」  


 ウォーギンの提案に、ファンドーレも賛成のようで、逃走用に隠匿魔術を発動させようとするが、ルディアはあきらめの息と共に制止する。


「後でサナさんに恨まれるから却下で。ひょっとしたら私達は関係無い件かもしれないし。私達が呼ばれた後に、たまたま偶然もめ事が起きたとか」


 ここ最近、正確に言えばケイスに出会ってからの星の巡りを思えば、絶対にあり得ないだろうと心の中では確信しながらも、ルディアは一縷の望みを託すが、運命は一瞬の猶予も与えてはくれない。


「ばっちりこっち案件だ。薬師の姉さん」


 口論の爆心地からいつの間に抜け出したのか、気がつけばルディア達の背後に待避してきていたハグロアが無慈悲な答えを告げる。


「どこのどちら様ですかあのお二人方」


 ルディアもファンドーレと同意見で、巻き込まれたくないし、自ら厄介事に喜んで首を突っ込む趣味も無いが、どうせ嫌でも巻き込まれるなら、少しでも情報がある方がマシだと観念する。


「あっちの茶髪の女性が、俺らの業界ではかの有名な剣戟狂いの変人女侯爵レディーメギウスこと、メルアーネ・メギウス女侯爵閣下。ルクセの現皇帝の姪で、ルクセライゼン大公家の1つメギウス家当主代行。そこらの大国もしのぐ権力と財力持ちの大貴族中の大貴族様で、今回の友好使節団団長。ついでにあの馬鹿でかい劇場船の船主っておまけ付きだ」


「あーアレがか。こっちの業界でも、舞台演出用の魔具や技術開発の依頼予算が青天井って噂だったが、ありゃマジか。あの船まじで作る奴がいたのかってちょっと前に騒ぎになってたな」


 年長の女性をハグロアが指し示すと、ウォーギンも覚えがあったのか得心がいったように頷く。


「それでもう一人。あっちの男装剣戟師が、ルクセライゼンで最近売り出し中実力派令嬢剣戟師として、こっちでも名が聞こえ始めてきたミアキラ・シュバイツァー伯爵令嬢。准皇族シュバイツァー大公直系の孫だったかな」


「シュバイツァーって大英雄の一族ってことですよね。ロウガへの友好使節団には適しているでしょうけど、なんでこんな事に」


 予想以上のビックネームとそこに見え隠れしてくる厄介事の大きさに、ルディアは恨めしげに声を上げる。

 ルクセライゼン大公家とは、かつて南方大陸に存在した国々の王家の末裔であり、ルクセライゼン皇帝の后となる娘を、そして次期皇帝の母たる国母の生家となる資格を持つ準皇族と呼ばれる名家中の名家。

 何よりシュバイツァーの家名が指し示すとおり、大英雄フォールセン・シュバイツァーの出身家門。
 
 メギウス家。そしてシュバイツァー家。

 この両家がいくつかあるルクセライゼン大公家の中でも、隆盛を誇る有力家門同士というのは、ルクセライゼン大陸とは縁の無いルディアでも、世間一般の常識として知っているほどだ。


「メギウス当主代行と、シュバイツァー家令嬢が、お飾りとはいえ他国王家主催の夜会で口論か。時代が時代なら、戦の一つや二つ起こせる口実になりかねない。立場を考えていないのか、ロウガ王家を軽んじているとしか思えんな」


 皮肉たっぷりの成分を含んだファンドーレはあきれかえっているが、その中心に巻き込まれているサナの心情はそれどころでは無い。 

 落ち着き無く動く背中の羽からも、その焦りを見て取れるほどだ。  


「……国王陛下ご夫妻は? ホストならこういうときに仲介に出ても」


「両者ともあくまでも演出家と剣戟師としての意見の相違をぶつけているって体を取っている。ロウガ王家は象徴的存在。この程度のもめ事で、どっちかの家に肩入れしたって取られるのはリスクがでかすぎる。同時に他国のお偉いさんらもわざわざ火中の栗を拾いにはいかんよ」


「じゃあなんでサナさんがあの場に? ハグロアさんも最初いましたよね」


「姫殿下にご紹介いただいて、船主兼興行主にあたる女公爵殿に俺が挨拶をしてた所に、あっちのご令嬢が乱入してきたんだよ。原因は、まぁこっちだ。素人を自分達と同じ舞台に上げるつもりかってな。相変わらずいろいろ引き起こるな」


 そう言ってハグロアが、カイラへと目を向ける。 もっともその意味は、カイラが演じるケイスを指しているのは明白だ。


「手前味噌になるが俺ら一座はそれなりに名も知れているし、評判もそこそこ。シュバイツァー嬢も文句は無いそうだが、そこに実力もしれない仮面剣戟師それも中身が嬢ちゃんだと噂されるなら話が別だとよ。自分達と同じ舞台に立つ資格があるのか、剣戟師として試させろって喰って掛かってきてた」


「試すって、まさかこの衆人環視で剣戟をやって見せろって事ですか?」


「剣戟師が試させろっていうならそれしかないな。だけど女侯爵殿は、今日の招待客の中には初日の舞台を見に来る客も多い。今回の目玉を先に見させて、初見の楽しみを奪う気かって、演出家として大反対。そのうちヒートアップしてあの有様だ。今はあの劇場艦の艦名の元になった剣戟師をどちらが崇拝しているかの争いに移行してるって所だ」


「あぁっ……そういうことですか。こんな状況下で呼ばれた理由」


 今の説明でサナが自分達を呼び出した理由をルディアは悟る。悟ってしまう。

 この修羅場にケイスをぶち込むなんて、正気の沙汰では無い。余計に混乱を引き起こすだけだと、簡単に予測はつく。

 予測はつくが、それでも最悪の事態にはまだ至らない。

 予測できる最悪の事態。

 例え見世物であろうとも自分の剣を疑われた、貶されたとケイスが聞き及べば、最悪、斬りに行きかね……いや確実に斬りに行く。それこそ私の剣を見せてやろうと。

 相手が他国の大貴族だろうが何だろうが、時も場合も考えずに襲いかかる。 

 それならまだコントロール可能なこの状況下で、ケイスを引き出す方がマシだ……そう判断する。

 それはルディア達だけで無く、多少でもケイスを知る者達なら、同じ考えに行き着く。

 先のコントロール不能の面倒を考え、この状況でサナがケイスを呼ばない方が不自然。

 それほどまでに直情径行な馬鹿だ……本当のケイスならば。


「……どうする?」


 ケイスを模すカイラがどう答えるか? 

 答えの予測はついていたが、ルディアが見下ろすと、仮面少女は未だ口論を続ける二人を見据え、一歩前に足を踏み出し、


「ふむ。剣を振る機会ならば剣を振らずしてどうする。私は剣士だぞ……そこの剣戟師! 私”が”試してやろう! お前達が誇りに思う舞台が、私が剣を振るうにふさわしいかをな!」


 傲岸不遜。自信過多。傍若無人。

 上から目線のケイスらしい台詞で、自らもめ事に切り込んでいった。
  



[22387] 仮面偽双剣劇師と男装令嬢剣戟師
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/02/02 12:25
「そこの剣戟師! 私”が”試してやろう! お前達が誇りに思う舞台が、私が剣を振るうにふさわしいかをな!」

 
 心臓に悪い。

 気の強さと傍若無人さをたっぷりに含む、変調した少女の声が東庭園に響き渡り、動悸が跳ね上がったルディアの心情を一言で表すならこれだ。

 周りを見れば、その正体を知っているか知らないかは分からないが、ロウガの主立った役職者達も青ざめた顔を浮かべている者が大半。

 彼らにとっては南方大陸の大貴族たる主賓格達にさえ平気で噛みつく狂犬の登場といった所だろうか。

 対して暴言を吐かれた二人の反応は対照的だ。

 女公爵メルアーネの方は先ほどまでの険悪的な口論から一転、なぜか楽しげな笑みを一度浮かべてから芝居を楽しんでいるかのようにまじまじと仮面で顔を隠したカイラを見ている。

 一方で男装剣戟師ミアキラといえば、先ほどまでよりさらに激しい怒気を覚えたのか、鋭い視線で睨め付けている。

 その怒りの強さは極めて強く、魔力が自然とあふれ出て、周囲で魔力で発生した小さな雹の粒がはじけ飛んでいるほどだ。


「この俺に向かって、試してやろうだと! どういうつもりだ!」 

 
 しかしさすがに怒り心頭であろうとも、他国の宴でいきなり魔力攻撃を行うほどに冷静さを欠いているわけでは無く、ミアキラが向けたのは舌戦の矛だ。


「当然だ。そちらの女公爵が私の剣技を望んだのであろう。請われて出てやるのだ。私が試す立場で当然では無いか。何を言っているのだ?」


 離れている位置に立つルディアでも冷気を感じるほどの魔力を醸し出すミアキラの怒りに対してカイラは怯む様子も無く、理路整然と当たり前だといわんばかりの正論で返し首をかしげている。

 なぜなら今のカイラはケイス。自分絶対主義者の権化なら、場の空気など読むはずがない。

 むしろ言葉にするだけカイラの模倣はマシで、本物のケイスなら、まずはとりあえずそこらにあるナイフ一本で斬りかかってから、さも当然としていただろう。

 もっともそう思えるのは、奇天烈なケイスの言動に幸か不幸か慣れ、いや多少なりとも適応してしまったルディア達一部の不幸な関係者のみ。

 カイラの模倣は、その中身が偽物だと知らぬこの場に居合わせた者達に、仮面の下に隠した素顔を完全に錯覚させる抜群の効果を生み出し、少なくないざわめきを生み出す。


「剣狂い娘……行方不明という噂だったが」


「話半分だとしても数々の問題を起こしただけはある。やはりロウガが隠匿していたか」


「あのような無礼な小娘が双剣殿の弟子だと」
 

 この場には近隣諸国から招かれた為政者や、それに近しい関係者も多い。

 世間一般で囁かれていた噂よりも、幾ばくか真実に近いケイスにまつわる情報を知っている。

 値踏みする者もいるが、敵意を含んだ厳しい視線も少なく無いのが、ケイスが起こしてきた蛮行や騒動の多さを物語っていた。

 騒然とした庭園で次に動いたのは、カイラを黙ってみていたメルアーネだ。


「そこの貴女。私の話を聞いて無かったのかしら。私は貴女の剣をお披露目するのにふさわしい舞台を用意したつもりですけど」


 口元を隠しているが挑発的な目には楽しげな色が浮かび、どう答えるか期待しているようにルディアには見えた。


「侮るな。私は剣士だ。剣を一振りすれば成長するに決まっているであろう。剣を打ち合わせるのが、人の力量を見る才が無い剣戟師であろうとも同じ一振りに変わらん」


「貴様!」


 無自覚にこき下ろしたミアキラの向けた刺すような視線などどこ吹く風。

 口を挟む余裕も無くおろおろしていたサナのそばに控えていた護衛のサムライ、セイジへと無造作に近づく。


「刀を貸してもらえるか。私の剣は受付で取り上げられてしまったからな」


「真剣ですが、よろしいですか?」


「うむ。私は斬りたい物を斬り、斬りたくない物は斬らぬ。ならば真剣であっても何の問題も無い」


 請われたセイジがサナへと視線で尋ねると、女公爵と男装剣戟師の様子を伺ってから大きく肩で息を吐いたサナは無言で頷く。

 二人の様子を見て、口で止めるなんてもはや不可能。実際に剣を合わせさせるしか、この場を納める手段は無いと判断したようだ。

 セイジが腰から鞘ごと外すと、受け取ったカイラは、無造作に刀をぬくと、重さや重心を確かめるため一度軽く素振りしてから鞘に戻して、ミアキラに上から目線で命令を下す。


「むぅ、まだ準備が出来ていないのか剣戟師。お前が試させろと言ったのではないのか? お前も護衛から借りるか、自前の剣を持ってくるがよかろう。仕方ないから待っていてやる」


 身勝手かつ独断専行。

 剣士ならば剣で語る。それはケイスが普段から見せる言動であり、何より好む傾向。


「俺の剣を持ってこい! もちろん真剣だ!」
 

 無視された故か、それとも基本的に他人を顧みない模倣ケイスの言動に怒り心頭になったのか、ミアキラは耳まで真っ赤に染めて、護衛役らしい女性騎士へ荒げた声で指示を飛ばす。


「アレ……やり過ぎなんじゃ」


 観客その1となっていたルディアは、一連のやりとりに思わず口からこぼす。
 
 いくらケイスのふりをするとはいえ、律儀にそこまでしなくてもと思わなくも無いが、あれだけやらかせば、この場にいる者達は中身がケイスでは無いとは夢にも思わないはず。

 ケイスの不在を隠すというロウガ支部からの極秘依頼を、極めて真面目に達成しているといえば達成している。

 問題はこの騒動の落としどころを、カイラがちゃんと考えているかどうかだ。

 自らの剣の腕を疑われる。これが本物のケイスならば、文字通り剣でねじ伏せる。

 圧倒的な力量を持ってして、常人では理解できない剣の極地を繰り出し、ケイス本人の人格への評価を別として、誰もが天才だと認めざる得ない剣を振ってみせる。

 だからいくらカイラが剣戟師として才能があろうとも、さすがにケイスと同じ事を出来る訳は無い。


「嬢ちゃんは即興の組み立てがかなり上手い……あっちのご令嬢も相当やるな。こりゃ見物だ」


 不安を覚えるルディアの心情を察したのかハグロアは、カイラの腕に太鼓判を押し、女性騎士から剣を受け取ったミアキラが剣を抜きはなった所作、立ち姿からその力量を高く評価したようだ。

 他の客達もこの流れはもはや止められないと悟ったのか、対峙する二人から少し離れて観戦しやすい位置にそれぞれ陣取り始める。

    
「……そういやソウセツさんやナイカさんの姿がねぇな」


 その顔ぶれを見渡したウォーギンが、ルクセライゼンの大貴族であろうとも万が一の時に止めれるであろう力および権力を持つ上級探索者の二人がこの場には不在であることに気づく。

 夜会には二人とも警護ではなく賓客や主催者の1人として参加していたはずだ。

 生真面目ならソウセツならばここまで事態が悪化する前に止めていただろうし、物見高いナイカがこのようなおもしろげな催しを見逃すはずが無い。

 ウォーギンの疑問にハグロアが答える。


「あぁ、この騒ぎが始まる少し前になんか慌ただしく出て行った。それで本来ならナイカ殿を介して紹介してもらう予定だったのが、姫殿下に急遽変更になってな。なにか問題でも起きたかもしれんな」


「それでサナさんが矢面に……あとでいつもの胃薬差し入れしときます」


 ケイスの被害者仲間というか心労仲間のサナが胃の辺りをさすっている気持ちが、ルディアには自分のことのようによく分かった。

 出来ればそばに行って一言でも掛けてあげたいところだが、場の空気は既にそんな目立つ真似が出来るような雰囲気では無かった。

 数ケーラほど離れて対峙する2人が、この場を支配する。

 仮面をつけたカイラと、男装令嬢ミアキラ。

 演劇の一場面を切り出したかのように向かい合う2人は、対照的な姿をみせる。

 カイラの方は、納刀したまま両足を肩幅に開いた自然体。

 一方ミアキラは、細身の刺突剣を右手で構え僅かに身を低くした戦闘態勢だ。

 準備万全に待ち構えているのに未だ剣を抜こうともしないカイラに、ミアキラがじれたのか怒りの色をさらに強める。
 
 
「構えろ! 臆したか!」


「試してやるといったであろう。私が刃をぬくだけの価値をし」


 カイラが言い切る前にミアキラが電光石火で突っ込む。鋭い切っ先が狙うは顔の中心。仮面を剥がして素顔を晒してやろうという意図か。

 不意の突撃に対してカイラは、逆に切っ先にむけて突っ込み、タイミングを外す。

 体捌きと首の捻りで、狙われた仮面の縁で切っ先を受け流しつつ、同時に左手で鞘の根元を掴み、柄頭をミアキラの脇腹に向けたたき込む。

 攻防一体の返し手に対して、ミアキラは無詠唱魔術を発動。

 空気中の水分を集め氷結させ、手のひらほどの盾を一瞬で生成させる。

 躊躇無く打ち込まれた柄頭に当たって、氷盾が炸裂音と共に派手な氷飛沫となって飛び散った。

 本来の氷盾なら、あの程度の衝撃で弾け砕けるような事はないが、これも一種の演出として用いる剣戟用魔術として調整しているようだ。

 キラキラと光る氷雪の中央で交差した2人は、目まぐるしい攻防を始める。

 間断なく打ち込まれるミアキラの刺突を、カイラがすれすれで躱し、または鞘ではじき、柄頭や徒手空拳をたたき込み反撃をする。

 しかしその攻撃は、ミアキラが的確に生み出す氷盾によってことごとく防がれ、氷飛沫をまき散らすだけだ。

 両者共に未だ無傷であるが、ミアキラが完全に防いでいるのに対し、カイラはぎりぎりで凌いでいるため、袖の部分や仮面の縁などにいくつも切り裂かれたり、傷がつき始めている。

 状況だけみればミアキラが押しているかのように見える。

 だがミアキラは剣を一つ突くごとに、氷盾で防ぐごとに、眉間に皺を寄せ、悔しそうに硬く歯をかみしめて、表情を険しくしていた。


「ご令嬢のままごとではないな。あれほど鋭い剣技をみせるとは……」


「無詠唱魔術であれほど的確に、しかも最小限でガードとはなかなか……なのになぜ」


 優勢なミアキラが、なぜ怒気を強めていくのか、理解でき無い者も多いのか、戸惑いの色を含んだざわめきが聞こえてくる。


「またえげつないやり方を選んだな」


「どういう事です?」 


 だが同じ剣戟師であるハグロアには、ミアキラの怒る理由が分かるようだ。

 周囲の客と同じく理解が出来無かったルディアは、ハグロアにえげつないと評した意味を尋ねる。


「実戦じゃなく、即興とはいえこれが剣戟劇だからだよ。盛り上げるならぎりぎりの攻防を演出したくなるってのが剣戟師の本能だ。だけど嬢ちゃんは、さっきからそれをさせない一撃を的確に打ち込んでる。回避ができず、完全にガードしないと動けなくなる急所狙いで」


 いわれてみてみれば、先ほどからのカイラの反撃は、首元や背中の中心、間接部など一撃で勝負を終わらせる事ができる箇所を的確に狙っている。ミアキラの攻撃を躱した直後に流れるように手早くやっている為か、ミアキラ側は受けるという選択肢しか選べないようだ。

 弾ける氷盾は、場を盛り上げるせめてものミアキラの窮余策なのだろう。


「しかもだ。ご丁寧に自分からは攻撃しないで、わざと紙一重で避けて、一撃は一撃とばかりに返してやがる。そりゃなめてかかられていると怒るわな」


 ハグロアの分析を解釈すれば、ミアキラが押しているように見えるが、実際は真逆。カイラが一方的にミアキラを手玉に取っているということになる。

 ルディアが思っている以上にカイラの実力があったということだろうか。

 だが今問題にすべきはそこでは無い。


「怒っている相手をさらに怒らせるって……どうする気ですか?」


 この状況の収拾の付け方だ。


「むかついたから鼻っ柱叩き折ろうってわけじゃないとは……思うんだが」


 さすがにハグロアでも、わざと挑発を強めているカイラの意図は分かりかねるのか、首をかしげていた。 



[22387] 剣士の帰還
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/02/15 20:21
 ミアキラが次の攻撃を放つために、腕を引き絞り、切っ先が僅かに揺れる。
 
 一見は攻める箇所を相手に悟らせないためのフェイントにみえるが、これが剣戟師同士の立ち会いとなれば、話は変わる。

 二拍おいて一度フェイントを入れてから、左腕上腕部に向けた刺突を起点にした一連の攻撃手順を、揺れる切っ先で描き出し伝えているのだ。

 観客に気づかれずやりとりをする秘密のサインは、剣戟師にとって基礎の基礎。
 
 仮面に顔を隠すカイラとミアキラが行っているのは、あくまでも剣戟劇。

 剣譜、やり取りの詳細を記した台本も存在するが、常連の観客を飽きさせないために、舞台上で組み立てるフリー演技も差し込まれることは多々とある。

 揺れを押さえると同時に、ミアキラが矢のように一足飛びに踏み込み、鋭い刺突を突き放つ。

 だが事前に分かっているのに、わざと遅れてカイラが回避を開始する。ミアキラの送ってきたサインが分からないと演技するためだろう。

 1度目のフェイントに引っかかったカイラは体勢を崩すが、本命の突きを何とか体幹を駆使して捻り避ける。

 二の腕をかすめた刺突。素肌には触れてはいないが、裾についた切り込みは本当にぎりぎり。薄紙1枚程度しかない。

 こんなぎりぎりの回避は、本来剣戟師ならばやるはずが無い。舞台衣装に傷がつくし、いつ事故が起きてもおかしくない。

 不自然に見えない動きでもっと安全に回避する事くらい、生粋の剣戟師であるカイラには可能だ。

 しかし相手の攻撃が発動してから軌道を紙一重で避けるのは、あの”化け物”の模倣をするための苦肉の策なのだろう。

 崩れた体勢のままカイラが膝の力を抜き倒れ込むように前宙返りをうち、ミアキラの膝を狙った低空蹴りへと自然に移行する。

 低空蹴りを防ごうと氷盾が発生。

 しかしこの蹴りはおとり。

 ケイスを模倣するならば、決めては剣だ。剣で無ければならない。

 カイラが膝を曲げ軌道修正し、ミアキラの目前に着地。左手に納刀したままの刀の柄頭を、ミアキラの顎先にめがけて前宙の勢いのままに振り落とす。

 まともに決まれば一撃で意識を朦朧とさせる必殺攻撃。

 だがまたもや氷盾が発生し、砕け散りながら攻撃を止めた。

 氷飛沫がまたも幻想的に舞うなか、その顔に強い怒りを含ませたミアキラは、意にも介せず最初に取り決めた手順の攻撃を無理矢理強行する。

 さっきからのこの繰り返しだ。

 ミアキラが流れを伝えるが、カイラが一撃で終わらせ連撃へと繋げさせないようにし、ミアキラが氷盾で防ぎ無視して強行。そしてカイラがまた強烈な返しの一撃をたたき込む。

 しかし上手く化けてやがる。

 所用を済ませ、東庭園に戻ってきたイドラス・レディアスは素直に感心する。

 セオリー無視。無理矢理な体勢から繰り出す奇想天外な攻撃。肌をかすめそうな危うい攻撃にも、一切動揺を見せない立ち居振る舞い。

 頭のねじが外れているというよりも、頭の中、いや存在その物がおかしい姪っ子を模倣するのは並大抵の苦労ではない。

 イドラスはカイラに同情を覚えつつ、楽しげに観戦しているメルアーネ・メギウスの背後へと静かに移動する。

 今宵のイドラスは夜会参加者では無く、お付きとして従者服を纏っている。

 ここロウガでは、大英雄カヨウ・レディアスの息子という存在は少々目立ちすぎる。

 一部の者にはバレバレだが、ただの探索者としてトランドに渡っていた頃の昔の偽名を使い、存在を偽ると、皮肉にも姪っ子と同じ事をやっている。

 主人に何かしらの報告に来た従者という形を取っているので、悪目立ちはしないだろうが一応の用心に、周囲に遮音結界を張り巡らせ、口の動きから会話を読み取られないように、口元には擬態魔術も使用する。


「戻った。さっきから見ていると、剣戟の流れがあいつらの十八番ばかりなんだが、ばれてないかアレ? まさかばらしたのかメル姉」


 もっともその口調がとても従者とはいえない気安い物になるのは、致し方なしだ。

 隠匿魔術を使ってまでするべき別の報告があったが、それよりも先に優先度の高い確認が出来てしまった。

 抱いた疑念を口にしたイドラスは、非常に疑わしいと疑惑の目をむけた。

 何せメルアーネの世間での通称は、剣戟狂いの女公爵。おもしろい剣戟を見るためなら何でもすると悪名高い変人。

 このシチュエーションは彼女の好きな展開だと、昔からの付き合いでイドラスは知り尽くしていた。

 ”互いによく知る2人のライバル”

 その彼らが数奇な運命に導かれ対峙するというシチュエーションが。

 かつてカイラとミアキラは、メルアーネが主催した舞台で若手剣戟師として幾度も共演した仲だ。

 そんな彼女たちの配役で最も多かった物は、奇しくも今のカイラに少しかぶる。

 仮面に顔を隠し、名を伏せ、出自を秘した2人の大英雄。大英雄双剣フォールセンに仕えた、2人の若武者【双剣】と呼ばれていた邑源姉妹だ。


「まさか。私がそんな興ざめを望むと? むしろ私はここで立ち会うの反対していたのですよ。何せ噂のフォールセン様の剣技を伝える最後の弟子。もう少しふさわしい舞台がありますでしょう」


 もっとも、メルアーネの好みは、どうせなら両者とも正体を知らぬままというのがベスト。わざわざ話すわけが無いと否定する。


「でも始まったから楽しんでいると……となると自力で気づいたか」


「さて、ミアキラさんも確信までには至ってない様子ですが。このまま知らぬ存ぜぬであの子の方も強行するつもりでしょう」 
 

 替え玉をしているカイラの正体が、ミアキラにばれているとしたらかなり厄介なことになる。

 カイラに対するミアキラの対抗意識や感情というのもあるが、その替え玉の元となったケイスの存在がもっと問題だ。

 ケイスは……ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンは、現皇帝の血を唯一引く御子であり、神木ケイアネリスの種を持って生まれた神子。ルクセライゼン帝国帝室最秘匿存在である隠されし皇女。

 メルアーネが当主代理を務めるメギウス大公家以外の、他の大公家や、家門を司る紋章院に、下手に存在が発覚すれば、ルクセライゼン帝国全体で戦乱が起きかねない、火種と呼ぶには巨大すぎる物だ。

 そしてミアキラ・シュバイツァーは、準皇族と呼ばれるシュバイツァー大公家現当主の孫娘で、むろん青目と呼ばれる青龍血を持つ龍殺しの一族。

 龍血を持つ者達は、他の龍血持ちの存在に気づくという特殊能力も相まって、ケイス本人との接触は出来れば避けたく、そして下手に勘ぐられないためにカイラの正体にも気づかれないのがベスト。

 今のところカイラの擬態は完璧だといえる。

 ケイスが行いそうな無茶苦茶な剣戟を見事にこなしている。

 だから本来のカイラが魅せる相手も生かす剣戟とは、全く違う剣戟。

 だというのに、なぜミアキラが対峙する仮面剣戟師の中身がカイラだと疑っているのかは気がかりだが、この状況で口を挟めば余計に面倒なことになりかねない。

 このまま確信を得ずに終わってくれるのを祈るのみだ。


「それよりもイド。さきほどソウセツ殿達が席を外した理由は分かりましたか?」


 何らかの報告を受けて、ソウセツとナイカ2人の上級探索者が席を外したのは、メルアーネとミアキラとの口論が始まる少し前。

 その二人が揃って席を外すほどの緊急事態となれば、ケイスがようやく発見でもされたかと疑っていたのだが、


「いや、そういった空気じゃない。さすがにあの二人相手に盗聴はきついから、そこらの警護兵の会話を拾ったが、どうも対迷宮モンスター対策の準備に入ったみたいだ。そこまで切迫した空気じゃないから、今のところ少量が出て来たって所だと思うが」


 半年に一度訪れる一部の迷宮を除いて迷宮内へと入れなくなる閉鎖期は、同時にモンスターの異常増殖および迷宮内大規模変動期でもあった。

 この時期は住処が破壊されたり、新種モンスターとの生存競争に負けた一部の迷宮モンスターが、迷宮外へと出現する事が稀におきる。

 もっともその数は極々少量で、ロウガ規模の迷宮隣接都市ともなれば、常駐の監視対応部隊もいるので特に問題となることはない。

 だがそれでも警戒を重視するのは、かの暗黒時代も始まりは閉鎖期だったからだ。

 大陸中の迷宮口から前例が無いほどのモンスターがあふれ出し、普段は迷宮の奥底に生息するはずの火龍の群れさえ出現する異常事態。

 暗黒時代の再来を恐れ、そして防ぐためにミノトス管理協会は存在する。

 例え少量であろうとも、上級探索者達が動くのは管理協会の存在意義に直結するからに他ならない。


「あぁ。迷宮隣接都市の閉鎖期の名物ですか。確かここ王城のすぐそばでしたね。ロウガの迷宮口は」


「しかしそれにしちゃ奇妙だ。ここの目と鼻の先となりゃ、一応の用心で即座に夜会を中止してもおかしくないんだが、その雰囲気が……っ!?」


 ロウガが警戒態勢に入ろうとしているのは間違いないが、どうにも対応が奇妙だと感じ取っていたイドラスが説明の途中で、離れた位置から不意に沸き上がった気配を感じ取り驚愕の色を浮かべる。

 同族のような、だが明確に違うと感じる違和感が混じり合った強い気配。

 火龍と青龍。異種の龍血を併せ持ちながら、強すぎる気配。
 
 これを感じ取ったのは実に数年ぶりのことだが、忘れるはずも無い。

 つい無意識にイドラスが目を向けた方向は南。ロウガの中心、その地下深くだ。 

 メルアーネを見れば、彼女も感じ取ったようで同じ方向を見ていた。

 東庭園を見れば、他にも幾人かが同じように驚きの表情を同方向に向けていた。

 それらはメルアーネと同じく、青龍の血を引く者。準皇族、どこかしらの大公家に連なる者達だ。

 そしてそれはミアキラも同様だった。

 ここまで反撃の一撃を氷盾で完璧に防いでいたミアキラの防御が、その瞬間だけなぜか全く別の場所、カイラから見て反対側に氷盾が発生し、当の本人もなぜかその方向へと目を向けていた。

 剣戟の最中に他に気を取られることが無い。

 それがミアキラの印象だったカイラは、棒立ちになっている事に驚愕を覚えたが、頭部狙いで無理矢理な体勢で繰り出した一撃を止めるまでの余裕は無かった。

 ミアキラなら完全に防ぐという信頼があったから思い切り打ち込めていたと言うこともある。

 カイラが出せたのは素の声だけだった。
 

「かがめ! ミー!」


 緊迫したカイラの発した警告が鋭く響き、ミアキラがとっさに膝から力を抜き後方へとしゃがみ込むように倒れる。

 直後にミアキラの髪止めの一部をかすめながらも直撃を免れた柄頭の一撃が通り過ぎ、警告を出すのに気を取られ体勢を立て直せなかったカイラも、ミアキラの上に覆い被さるように倒れ込んだ。

 絡み合うような無様な倒れかたは剣戟舞台でやってしまったら、目も当てられない大失敗だ。

 だがそれよりも致命的な失敗があった。

 とっさに出てしまった失敗を繕うためにカイラは即座に立ち上がり、ケイスとしての言動を行おうとまだ倒れていたミアキラに手を差しだすが、


「むぅ、失敗した。興が削が」


「巫山戯るな! やはりお前か! 声を変えただけで、俺が気づかないとでも思ったか!? またか! またお前だけが抜け駆けしたか!」 
 

 カイラの手を荒々しく払ったミアキラが激高する。それは先ほどまでの怒りの比では無い。

 強い嫉妬の色を込めた暗く激しい怒りの情念がそこにはあった。

 ミアキラは言葉だけでは足らないのか、先ほどまでの華麗な剣戟とは真逆に力任せの無理矢理でカイラの仮面を剥がそうとしはじめる。

 仮面の下の素顔を衆目に晒して言い訳などさせないという明確な意志が両腕には込められていた。

 いきなり激しい嫉妬を含む怒りを向けられたカイラは困惑しつつも、何とかその両手を掴んで抵抗する。

 この場にはケイスの素顔を知るロウガ関係者も多い。

 ミアキラの言動自体も相当にまずいが、仮面を奪われ替え玉だったと確定させてしまうのがもっとも最悪だ。

 だが仮面を剥がすためには手段を選ばない決意が固まったのか、ミアキラが先ほどまで使ってはいなかった拘束魔術を発動。

 氷で出来た枷がカイラの手足にまとわりつき動きを封じようとしてくる。

 それは致命的な攻撃。先天的と後天的の違いはあるが、カイラはケイスと同じく魔力を生み出せない、もしくは少量しか発生させられない魔力変換障害者。

 魔術拘束に抵抗しようにも何も術を持たない。

 ましてや相手は、強大な魔力を持つ龍血の一族ルクセライゼン準皇家ミアキラだ。

 瞬く間に拘束を終えた氷の枷が、カイラから抵抗するための力を奪い去った。

 無抵抗に拘束されたカイラの姿に、ミアキラが確信を抱いたようだ。


「魔力変換障害持ちであれだけの剣の腕を持つ者が他に存在するか! お前が! お前だけが剣戟の高みに行こうとするのか! 俺を捨て去って!」


 言葉だけを捉えれば、痴話喧嘩にも聞こえない事もない怒りと共に、その正体をはっきりさせようとミアキラが仮面へと手を掛けたその時、けたたましい警報音がロウガ王城だけで無く、ロウガ全域に響き渡る。

 その独特の警報音は全世界で共通の意味を示す。すなわち迷宮モンスターの大量出現を表す最大警戒警報。


『ロウガ治安警備隊所属上級探索者のナイカだ! ロウガ地下水道内で大量の新種迷宮モンスターが出現。緊急警戒態勢に移行するよ! 一般市民は一応の用心で帰宅もしくは公共の施設へ待避しときな。手隙の探索者どもは支部および出張所に集合、稼ぎ時さね! 一匹たりとも地上には出すんじゃないよ!』


 警報が鳴るなかで響き渡るのは、警報の重大さに対して、警戒を知らせると言うよりも、たいしたことは無いと笑うようなナイカの檄。

 上級探索者という最大戦力がちゃんといるという安心感を与えるために、わざと強気な発現をしたようだ。

 警報とナイカの檄に思わず手が止まっていたミアキラの一瞬の隙を突いてイドラスが事態の収拾に動く。


「悪いなここまでだ。避難していただきますよ。ミアキラ様」


「待て! まだ話しっ!」 


 背後から近づいたイドラスは、軽く触れただけで一瞬でミアキラの意識を奪い、力なく倒れたその身体を右腕で丁寧に抱き留めつつ、左手を振ってカイラを拘束していた氷枷を容易く解除する。


「苦労かける。もうしばらく頼む」


「うい。そっちたのんよ」


 会場は未だ鳴り響く警報音で始まった混乱の最中、短く言葉を交わした二人は即座に離れる。 
 どさくさ紛れで何とかごまかすしかないのは致し方ないが、ますます状況が混沌としてきたとイドラスは頭痛を覚える。

 先ほど感じた懐かしい化け物の気配は、今は全く感じない。皆無だ。

 警報が鳴る直前に一瞬感じただけですっかり消え失せているので、勘違いかと思うほど。

 会場に目を向ければ同様に気配を感じていた者達も、警報に顔をしかめながらも、不思議そうなまなざしで気配を感じた方角、ロウガの中心地側へと目を向けていた。


「ご苦労様。目を覚ますと五月蠅いので船に戻します。それより先ほどのは、やはり?」


 ミアキラを一瞥して完全に意識を失っている事を確認したメルアーネが言葉少なく尋ねる。

 長年の付き合いでもあるので、その一言で言いたいことを全て察したイドラスは小さく頷く。


「だろうな。一応の用心で俺も参加者として討伐に出る」


「こちらからも一部の兵を出せるように手配しておきます。好きに使いなさい。それにしても気配が消えたなら普通なら瀕死か死亡したかと心配の一つもしますが、アレ相手ですとね」


 普通の手段では、龍血の気配を隠そうとしても隠せる物では無い。

 それこそ数日がかりの儀式魔術を執り行い封じでもしない限り、一瞬で気配が消えたなら瀕死で急激的に弱体化したか、もしくは死んだと判断する。

 普通ならそう判断するのが妥当、常識。だが、何せ相手が相手だ。


「俺らが気づいたんだ。あっちも気づいただろうよ」


 こちらの存在に気がついて、本来は不可能なはずの龍血を自ら押さえ込んで、気配を隠すくらいの芸当をやりかねない化け物。

 常識なんて概念は、ことケイスに対してはすっかり二人は捨て去っていた。 



[22387] 舞台と演者達
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/03/09 07:46
 硬い金属音が高らかに響く。


「硬ぁっ!? 鉱物系みたいだがどうする!?」


 たった一撃で折れはしないが刃こぼれした愛剣を片手に、前衛を務める重戦士は目前のモンスターに蹴りをぶち込み、その反動を利用して距離を取る。

 しびれを伴う手応えや蹴った感触が重い、見た目だけで無く中身まで詰まっているのは今の一撃で確認できた。  

 戦士が待避してからワンテンポ遅れて、対峙するモンスターが、赤色でクリスタルのような光沢を持つ足を振り下ろした。

 鈍い斧のような一撃が地下水道の硬い石畳を粉砕し砕く。
 
 宝石で出来た虫とでも呼ぶのが適切だろうか。馬ほどはある太い胴体から、先ほどの重い一撃を放った足が3対6足生えた新種モンスターは、その後ろに同型がここから見えるだけでも10匹以上は蠢く。

 先ほどの攻撃を見る限り、自重で力任せに押し切るのを主戦法としているようだ。


「真正面から対峙できるだけマシだわな……ここで討つ」


 パーティーリーダーの魔術師が、管理協会から支給された地図を確かめ、後方からの回り込みが無いことを確認し、戦闘継続を即断。 

 幸い探索者達の現在位置は、広い主水道では無く、脇の支道部分に当たり、狭く細い。対峙するモンスターの巨体なら前に出てこられるのはせいぜい二匹まで。

 硬い外殻で並の攻撃を物ともせずはじき、典型的な防御型近接種相手ならば、広い場所で戦って包囲されるよりも、狭い支道のほうがやり方はいくらでもある。

 リーダーの判断に即座にメンバー達が動く。

 神官が武器への強化神術を発動させ、シーフがワイヤートラップ魔術を壁面に打ち込みモンスターの行動をさらに制限。魔術師でもあるリーダーが貫通特化魔術の詠唱を開始。


「しゃっ! これだけ堅けりゃ素材として高値になんだろ!」


 仲間達の準備が終わるまでの時間を稼ぐため、戦士が気合いと共に壁となるために突っ込んでいった。




「ナイカ殿。戦況は?」


 地下水道にあふれ出てきた迷宮モンスターの出現は、同時に地下水道に今も息づく防御機構東方王国時代のガーディアンの活性化も伴う。

 資格を持たない者を容赦なく排除するガーディアン

 普通の中級探索者たちでは即時撤退するしかないほどの強固なガーディアンを、長大な黒槍で次々に打ち砕きながら地下水路を駆け抜けるソウセツは、涼しい顔でついてくるナイカに尋ねる。

 
「上層境界までには完全に防いでるようだね。剥ぎ取り自由ってしたから士気は高いさね。こっちはガーディアンに集中。あっちは若い連中に任せて問題はなさそうかね」


 高速移動をするソウセツに追随し補佐する為、飛行魔術を使用するナイカは、地図を確認しながら視界に入る新種モンスターへマーキング魔術を打ち込みつづけていく。

 ナイカが確認した地図はルーキー達が始まりの宮で使用した魔導技師ウォーギン謹製の、魔導地図と同型の物となる。

 今現在地下水道に潜っている全探索者に渡された地図は、リアルタイムでモンスターやガーディアンの移動進路や数の情報が更新されており、ロウガへの進入や地下施設への被害を完全に防ぐ為に大いに役立っている。

 マーキングは最終防衛ラインと定めた上層部との境界線までには完全に殲滅されている。

 無論ソウセツとナイカなら上級探索者である二人ならば、能力を限定された今の状態でもただ硬いだけのモンスターに苦戦することはないが、如何せん数が多すぎる。

 一々足を止めて戦闘をしていれば、ガーディアンへの対処がおろそかになる。

 なにせ東方王国時代のガーディアンはどこからか魔力を得ているのか、並外れた再生能力を持つ。粉々に砕いても十数分もあれば完全再生してしまうほどだ。

 広大な地下水道は複雑に入り組んでいる上に一部が迷宮化していることも有り、資格が無く立ち入れない区画もあって通れる通路も限定される。

 遠回りを強いられることもあって、上級探索者の二人がひたすらにガーディアン潰しに専念して、何とか被害を出さずに討伐は順調にいっていた。

 だが問題が一つ。

 ソウセツ達が入れない初級迷宮らしき迷宮口から無限とも言えるほどに途切れること沸いて出る新種モンスターだ。

 姿形や構成物質は異なるがそのどれもが鉱物系モンスターばかり。

 獣系や虫系など生物系モンスターが多いロウガ周辺の迷宮群とは明らかにモンスターの分布構造が違う。

 異なる迷宮群に属するモンスターが出現したと、どれほど間抜けな探索者でもすぐ気づくだろう。

 そしてわき出るモンスター達からは一つの感情が読み取れた。

 鉱物系のモンスターに表情があるわけでも無く、鳴き声一つさえあげないが、モンスター達から伝わる感情は恐怖だ。

 統率された動きも無く、蜘蛛の子を散らすように我先にと地下水道の四方へと散らばり、時には同族すら踏み砕きながら迷宮から離れようとしている。迷宮モンスターがだ。

 そしてその理由も二人にはおおよそ察しがついていた。

 新種迷宮モンスターの出現を確認してからしばらくして一瞬だけ地下深くで発生したおぞましい気配が悟らせた。

 上級探索者である彼らを持ってしても、化け物と呼ばずにはいられない人外の気配。それはある意味で慣れ親しんだものだと。


「しかし飽きずにわき出してくるね。こりゃ未探査の深層からと見て間違いないけど、なにやらかしやがったかね。あの嬢ちゃんは?」
  

「……俺相手では一言も口をきかん。ナイカ殿に任せる」


 剣さえ刃こぼれする外殻を持つ新種モンスターには、時折小さな歯形がついていたり、食いちぎられたような欠損部があるように見えるのは気のせいだと思いたい。

 そしてナイカと同じくそれに気づいていたソウセツは、渋面をさらに渋く歪ませ、苛立ちを穂先に乗せ、再生したばかりのガーディアンを一撃で打ち砕く。

 未だにケイスになぜか一方的に嫌われ、まともに会話を交わしていないソウセツの苛立ちは最高潮へと来ているようだ。


「フォールセンの旦那か、ユイナ様のお早いご帰還をいのるかねぇ」


 どれだけ正気を奪ってくる発言が飛び出すかとげんなりしたナイカは、せめて騒動が収束に向かうことを祈りながら、終わりの見えないマーキング作業へと戻った。 







「どうだ。なんか分かるか?」


「いや無理でしょこれ。完全に正常ですよね」


 魔導技師ソクロからの問いかけに、ウォーギンは両手を挙げる。

 避難警報が出て中止された夜会からウォーギンは無理矢理に引っ張ってこられ、劇場艦リオラの機関部にいた。

 ソクラとその部下達だという魔導技師に囲まれながら、図面と現物をチェックしていたが不審な所は一切無い。

 機密情報の機関部に部外者が普通なら立ち入る許可など取れないが、ソクロの推薦とウォーギンの魔導技師としての高名、そしてロウガが緊急警戒体勢に移行したことで、リオラも防御魔術を展開することになるかも知れないという事情がかみ合って、特別に許可されていた。

 変換率向上をしているのは良いが、それが原因不明とあっては、防御魔法展開中に、急に変換魔力が低下し、防御魔術消滅という事態もあり得るので、緊急対応を必要とするのは間違ってはいない。

 もっとも一通りチェックを終えたが、ウォーギンでも確認できる範囲では異常なしという結論しか出しようがないというのが現状だ。

記録を見る限り、ロウガに近づいてから発生したという、変換効率異常向上は確かに発生しているが、通常部分には一切の異常は見られないとなれば、疑うなら厳重な封印魔術が施され、一部は中身が隠された増幅機構部。


「となるとやっぱり……これか」


 ソクラが目を向けたのは炉本体から伸びた配管が複雑に繋がる増幅部機構の中の一つを指さす。

 たとえは不吉だが棺ほどの大きさで、黒塗りで厳重に封印が施された機構が鎮座していた。

 図面を確認し、実際に視認したウォーギンは、全ての魔力の流れが一度は確実にその区画を通過する構造であることを確認する。

 本来転血炉の最重要機関と言えば、文字通り転血石を魔力に戻す炉だ。取り出した魔力をさらに強める増幅機構や、使用する魔具に合わせた適した魔力に変える調節機構はあくまでも付随物となる。

 だがこの炉には何か違和感を感じる。


「炉の配置云々以前に、どうもこいつをまず中心にして考えられているような設計思考が見て取れるんだが中身は?」
 
 
「不明だ。開放に必要なキーさえ俺らには与えられてない。どう見る?」


「どうってなぁ、やばい物を積んでるって確定じゃないですか。出力向上は明らかにこいつが原因だってくらいしか」


 ぱっと見でも相当厳重な封印が施されており、中身は気になるが、開けてみようという気にもならないほどに厄介な匂いしかしない。

「とりあえず今は緊急事態だ。中身不明のままで安定した魔力制御方を、どうにか確立させる方法はなんか無いかなってとこだな。女公爵様からはやれる処置は何でもしろと許可をもらってる」


 天然魔力増幅生物でも最高峰の生きた龍でも封印しているんじゃ無いだろうなと嫌な想像をしながらも、ウォーギンはソクロからの依頼にいくつかの案を思案する。


「防御魔術機構を弄った方が早そうですね。魔力蓄積量を増やす増槽処置をして低下時にすぐに切れないように対処。後それとは逆に数値以上の変換魔力が発生した場合のバイパス回路か。なんか無害かつ魔力バカ食いする魔具があれば」


「それなら安心しろ。ここは劇場艦だ。舞台演出用に派手な装置がいくつもある。それらを緊急起動させる感じで組めばある程度は消費できるはずだ。不具合を押さえるとなると厄介だが、お前ならどうにか出来るだろ」


 ソクラもまた一流の魔導技師。

 聞いている分には簡単に聞こえるウォーギンの処置が、完成品を弄ることで魔力干渉等の影響などで不具合が積み重なり転血炉全体が停止する危険もあることを承知の上で、即断で採用する。


「急ぎ、徹夜仕事なんでふっかけますよ」


 これだけ大きい炉を弄るのはさすがのウォーギンも、中央にいた頃に2、3回くらいだ。

 興味はあるが、万が一壊したときの賠償請求が怖いので出来たら遠慮したいところだが、雰囲気的にも断れる空気ではない。

 何せウォーギン・ザナドールの名は若き天才魔導技師として、魔導技師達にはよく知られている。

 ソクラの部下達もどういう調整をするのかと興味ありげな表情を隠そうともしていない。

 別に自分の名を守ろうという気はさほど無いが、魔導技師として必要とされるうちが華が今は無き師の教え。


「うちの女公爵様は金払いが良い。大事な船に傷がつく危険性を下げたってなら、工房の一つや二つ買える金額でも請求しても払うだろうよ」


「あーそこも噂通りですか」


 剣戟狂いだというメルアーネの噂を思い出したウォーギンは、なにやらルディア達の方も騒がしい事になっているようだが、こちらに専念するしかないと観念することにした。





 ウォーギンがリオラでの魔力変換安定制御作業に入り始めた頃、ルディア達はファルモア街区のハグロア一座が仮拠点としている劇場に戻っていた。

 望んだわけでは無いがロウガ地下水道内の戦闘経験もあるルディア達にも、協力要請は出ていたのだが、如何せん戦力不足が甚だしい。

 最高戦力のケイスは行方不明、ウォーは雲隠れ中。戦力としては当てにしにくいウォーギンは昔なじみに引っ張られ件の劇場船でなにやら仕事と、まともなパーティ行動が取れる状況ではない。

 サナ達はフルメンバーが揃っていたのと、狼牙領主の血を引くサナならば新種モンスターよりも厄介なガーディアンも資格者と見なしておとなしくなる可能性もあるので、地下水道への討伐へと赴いていた。

 劇場へ戻ったのはルディア、ファンドーレ、そしてハグロアやカイラを含むハグロア一座の面々だ。

 ロウガ城内や近場の避難所では無くわざわざ劇場へと戻ったのは、内密にどうしても確認しなければならない懸念が生じたからだ。

 その懸念とは無論、ケイスに扮したカイラと対峙した男装令嬢剣戟師ミアキラが、最後に見せた一連の言動についてだ。

 ミアキラはカイラを明らかに知っているようで、カイラ自身も彼女の事を愛称らしきミーととっさに呼んでいたのは、ルディアも聞いていた。


「それであの状況って一体どういうことです?」


 舞台裏の一番大きな楽屋に集まった一同のなか、ばつが悪そうにしているカイラでは無く、まずはハグロアへとルディアは問いかけた。

 一座を率いるだけあって何かと食えない老剣戟師だ。カイラの事情も知っているのではないかとかまを掛けてみるが、


「いやいや俺もさすがにそこまで見抜いてないよ。ただあの一連のやり取りでその時に初めて気づいたよ」


 ハグロアは手を振って否定して、驚きと感心が入り交じった顔でカイラへと目を向けた。

 相手は剣戟と頭につくとはいえ役者。しれっと嘘を言っている可能性もあるが、ハグロアはある程度の事情には先ほど気づいたと答える。

 ルディアもある程度の予測はついたが、ハグロアはさらに詳細に気づいたようでそちらはルディアには分からない。目で尋ねたファンドーレも首を横に振る。


「ん。どういうこと座長? カイラが替え玉だってばれたって事じゃないの?」


 一般招待客の立ち入りが制限されていた東庭園にあの場にいたのは、この場ではカイラを除くと、ルディアとファンドーレ、ハグロアのみで、一座の他の者達は、正確な状況をまだ把握していなかった。


「それより厄介なことになってそうでな。どうするカイラ? 俺から話すか」


「あー……うちから言うんよ。あんがとセドリックジイジ」


 ハグロアの気遣いにカイラは申し訳なさそうに頭を下げてから、室内の全員を見渡し、


「あんま信じてもらえんかもせけど、うち、前にあの剣戟狂いの舞台にでとたんよ。んで、ミー、ミアキラはそんときに色々とあったんね」


 どうにも歯切れの悪いカイラから出た事情説明は、ここまではルディアの予測範囲内の物だ。だがそれではまだ足りていない。


「はぁっ!? まじ!」


「なるほどあの技量もそれなら納得だな」


「すごいじゃん! メルアーネ女公爵って相当な剣戟ファンで、端役で出るだけでも剣戟役者としてはすごい名誉だってあっちじゃ有名なんでしょ!」


 一方でハグロアの一座の者はカイラの告白に一気に沸き立つ。

 ルディアも名前を聞いたことはあったが、あの女公爵は剣戟業界では相当な有名人らしく、座員の興奮の度合いが大分高い。


「で、どの舞台!? 出たのって! どの役よ」


 剣戟師としては、替え玉だとばれたことよりもそちらの方が気になるのか座員の一人が興奮気味に問うと、カイラはなぜか覚悟を決めたかのように1度息を吸い、


「うそはいわんて、マジなんけど、双剣……の片方。そんときの芸名がカティラ・シュアラ……やけど」


 一瞬で空気が凍った。誰もが黙ってしまう。

 先ほどまではしゃぐように尋ねていた座員など、信じられない物を聞いたと言わんばかりに微動だにしていない。

 そして当のカイラはやっぱなったと、あきらめ顔で息を吐いている。

 このままだと場がなかなか進まないと感じていると、空気を読まないファンドーレが切り込んだ。


「大ボラでなければ、相当な身の程知らず、もしくは精神錯乱を疑われるな。お前がその名を名乗ると」


「ひどっ!? ひどがない!? マジってったのに!?」
 

「実際そういう空気だろ。俺ですら噂を聞いたことがある有名な新人剣戟師だったなそいつは。
若き天才、妖精剣戟師、あとは神が使わした神秘の少女、ほかには剣の乙女」


「ぎゅにゃっ! やからやなんよ! なのんの! そのこっぱずかしい二つ名! あの変人公爵が面白がってつけたんよ!」


 悪気は無いが言葉をオブラートに包むという事を知らないファンドーレがやけに仰々しい二つ名をあげていくと、赤面したカイラが耳を塞ぎ悶絶する。

 どうやら本人的にはどうにも受け入れがたい呼び名らしく、心底から拒否していると分かるくらいだ。


「……え、マジで。あの絵姿の美白美少女の中身がカイラなの!?」


「楽器より美しい声を持っているって評判のカティラが、なまり全開ってどうよ」


「詐欺でしょ! いやまじで! どこかの貴族の御落胤やら、下手したら皇帝の隠し子なんて噂もあったのに!?」


 カイラのあまりの恥ずかしがる態度と奇声が気付けになったのか、フリーズしていた座員達も再稼働を始め、カイラの態度からそれが本当の事だと悟ったようだが、その驚きもまたカイラには突き刺さるようだ。


「……有名なの? 私は知らないんだけど」


 しかしルディアにはその名前に聞き覚えが無く、今ひとつ皆が何に驚いているのか、そしてカイラが恥ずかしがっているか理解が追いつかなかったが、ハグロアが補足説明をし始める。


「カティラ・シュアラが表舞台で名前が大々的に出ていた期間は短いからな。一年、いや二年ほど前か。あのリオラって劇場艦がこけら落としをしたルクセライゼンの公演で一躍有名になって、その後すぐに無期限休業になってな。ロウガはルクセの剣戟情報もよく入ってくるが、薬師さんは聞いたこと無いかい」 


「あーそのくらい前だと、ロウガにはまだいませんね。旅の途中です」


 ハグロアの言う頃はルディアはカンナビスを出てしばらくした頃だろうか。

 ケイスの行方を追うのに躍起になっていたので、興味が無かった剣戟の情報となれば聞いたとしても覚えているはずも無い。

 カティラ・シュアラ。

 メルアーネ・メギウスの秘蔵っ子とも呼ばれたその少女剣戟師は、芸名以外は正体は不明とされていた。

 舞台上で見せる勇ましい剣戟とは裏腹に、目を引く容姿に透き通るような肌の美貌を持ちながら、その美しさを鼻に掛けることも無く優しげに微笑む仕草はまるで妖精。

 楽器のように響く美しい声は、舞台では声を発しない剣戟師でいるのがもったいないと言われるほど。

 彼女を一目見ようと連日押しかけた観客の中には、ルクセライゼン現皇帝フィリオネスの姿まであったという。 


「やからあの女公爵の嫌がらせやんの! うちがリオラ先生の再来やとか、言われるのが嫌って妙な二つ名目一杯つけた癖に、素のウチやと、先生の名声や、舞台の品格さげっから、言葉遣い強制させたり、普段でも気づかれないようにって、舞台立つときは魔術で容姿まで変えてたんよ!」


 もっとも蓋を開ければ、それはメルアーネ女公爵のプロデュースの一環とのこと。

 捨てられたのか、はぐれたのかカイラ自身も覚えていないそうだが、物心ついた頃にはカイラは地方を廻る小さな剣戟劇団に預けられて育っていた。

 そのうちにその劇団の公演でカイラを見いだしたメルアーネがカイラを引き取りパトロンとなり、剣戟師として教育や生活を支援され、やがてメルアーネの主催する舞台で頭角を表し初めて行ったという。

 敬愛する義姉と呼ぶ今は亡き剣戟師リオラに対する行きすぎた愛情が、その後継者とも呼ばれはじめたカイラに対する締め付けとなったというのが、カイラの弁だが。

 言葉の端々からは、メルアーネへの感謝もあるようだが、相当思うところがあるのがよく分かる。

 あまりに素の自分とかけ離れたカティラの人物像に、今まで世話になった劇団では素性を伝えても、疑われるか冗談かと笑われるならまだ良いが、熱心なカティラファンを名乗る者からは嫌がらせめいた事も受けそうになったのも有り、本名であるカイラで通しているとのことだ。

 その勢いはさすがのファンドーレでも切り込めないほどだ。


「……ミアキラさんってあの人も同じ舞台だったんですか?」


 このまま流れに任せていると、いつまでもカイラの愚痴が続きそうだったので、ルディアはカイラが息継ぎをした瞬間を見計らい軌道修正を図る。


「うー……ミーは、リオラこけら落としん時のあんときのもう一人の双剣やんよ。うちら相棒だったんよ。名前はきいとっても、やんのは初めてやっけどライバル視っていうんか、こっちも負けられんってバチバチで楽しくやってたんやけど。素は知られとったけど、あん子の演技まであっちの人には見抜けるわけないと思ってたんやけど」


 カイラは困惑の色をみせる。自分の演技に自信が有ったのか、見抜かれたのは予想外だったようだ。


「それだが、どうもあの男装剣戟師は見た目だけで無く、中身も相当変なようだな」


「どういう意味ファンドーレ?」


「あれの発言だが、『魔力変換障害持ちであれだけの剣の腕を持つ者が他に存在するか』と言っていたはずだ。正体を見抜いたと捉えるより、ケイスと名乗っていたと考えていたんじゃないか?」


「あ……そっち!? いやいや冷静に考えて魔力を持たない人が、探索者目指すなんて思うわけ無いでしょ。さ、さすがにそれは」


 ケイスと初めて出会った頃に魔力を持たず魔術も使えないと知って、ルディアは探索者を目指すなんて危ないから止めておけと忠告した事を思い出す。

 ケイスを見ていて慣れたというか、麻痺したと言うべきか、それが極めて異常で、無謀なことだとなかなか思い当たるようにはなっていなかったのは不覚だ。


「いやウチの劇団は私達も探索者ですけど、剣戟舞台用に魔術を使えた方が便利だからってだけで、探索者でない剣劇師はそれなりにいますし」


「南式剣戟師じゃ、探索者って方がむしろ珍しいだろ。さすがに考えすぎじゃ」


「ルディアさん達には悪いけど、第一比較対象があの化け物でしょ。良いも悪いも、あんなこと出来る子って普通はいないっていうか、現物見てなきゃ私だってデマだって笑うっての」


 並の探索者になるだけでも常識からずれているというのに、ましてやケイスとなればその功罪や実績を、多少体質がかぶったり、剣が使えるからと言って知り合いに当てはめるのは無理がある。ありすぎる。


「う、うーん。ミーって思い込みはげしいっちゅうか、人の話きかんと決め付けんところ有るから当たりかも。そ、そこまで常識無いちー思われんのやーなんやけど」


 だがカイラには思い当たる節があるのか、納得したくはないが、納得せざる得ないと苦渋を浮かべる。

 何とも言いがたい空気が場を占めはじめると、空気を変えようとしたのかハグロアが尋ねる。


「替え玉ばれるよりもそっちの方が面倒なことになりそうだな。しかしカイラ。お前さんまたなんでそんな良い舞台からこっちに渡ったんだ? 愚痴は多いがメルアーネ女公爵殿から扱いが嫌になったってほどじゃなさそうだったが」 


「ん……口で言うよりもみたんが早いかも。舞台にちょいよい?」 


 説明するよりも剣を見せた方が早い。

 一瞬考えたカイラは、ケイスめいた誘い文句で皆を舞台へと来るように促した。



[22387] 剣戟師と深紅の長巻
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/03/09 16:08
 長大な刀身が放つ銀光。

 艶やかな深紅柄が縦横無尽にどこまでも自由に踊る様は、どこか色気さえ醸し出す。

 動き一つ一つに意味があり、鳴らす足音は楽団がいない物足りなさを忘れるほどに、見る者達を聞き入らせる。

 仮面に素顔を隠し感情を見せない剣戟師だがその剣が語るのは、焦燥、憤り、憤怒、悲しみを乗せた荒々しい剣戟。

 舞台上で独演される剣舞は、紛れもなく一級品だと、剣戟劇に疎いルディアでさえ断言できる。

 カイラが演じる剣舞は、常夜の砂漠撤退戦と呼ばれる有名な一シーンだ。

 大陸中央への橋頭堡確保を目指して意気込んで攻め入った人類連合軍が、壊滅寸前まで追い込まれた常夜の砂漠第一次奪還作戦での無残な負け戦。

 その主敵はルディアも因縁があるというか、巻き込まれたあのカンナビスゴーレムだ。

 打ち倒した者を取り込み加速度的に力を増すカンナビスゴーレムの大軍を前に、殿として残り孤軍奮闘した大英雄は双剣が1人。

 紅十尺と呼ばれる長大な長巻を愛刀とし名を秘した若武者は、生存者達が全員撤退するまで数万の不死身のゴーレム達を相手に斬り潰し鏖殺しつくし、深手を負いながらも自らも見事帰還したという。 

 最初は技巧の極地である正確無比な剣を、やがて傷ついたことを表現する為にか、正確さを失いながらも力で無理矢理に軌道を修正する剣へ、最後には己の全身全霊を振り絞った唯々敵を屠るための剣へと。

 同じ演者が演じているとは思えないほどに構成や剣筋が変化していく剣を、一度も止める事無く振り切ったカイラは、最後に力尽きたかのように両膝をついて、その独演を終わらせた。

 言葉を無くして見入っていた観客達は、しばらくしてから我に返り、拍手をしながら、観客席から舞台へと上がると、座り込んだカイラへと賞賛を送る。


「噂以上だ……今のが剣戟師リオラの剣譜か?」


「うわっ。他の演者もいる劇場で見たい! ていうかあたしも立ちたい!」


「つーか構成えぐ。ひたすら全身酷使する剣譜よく演じきれるな。マジでカティラなのかよ」 

「さすがに南方最高の剣戟師の遺産。こりゃしばらく忘れられんな」


 感嘆の息を深く吐き出したハグロアも、年甲斐も無く紅潮した顔を浮かべている。

 観劇素人のルディアですらも言葉を無くすほどの剣戟だ。

 同じ剣戟師であるハグロア一座の者達は、今カイラが魅せた剣戟がどれほどのものかよく知るのだろう。

 だが演じてみせたカイラの方は、座り込み肩で息をしながら複雑な顔を浮かべている。


「んんや、褒められんちの嬉しいけど、じっつはこいだと、まだ未完成ちゅうか……簡易式なんよね。ロウガにいるみんななら分かるやろうけど、こいは本物のよか短いんらしいしょ?」


 今振り回していた舞台用の模造刀へと目を向けたカイラが零した感情には、悔しさめいた色が載っていた。

 そして今の一言でカイラが何か言いたいのかを、即座に理解できたのはこの場にはルディアとファンドーレの2人だけだ。

 大英雄双剣の1人。邑源雪の死と共に消え失せたその神印宝物は『紅十尺』の銘を持つ。

 ”公式”には未だ再発見されず、トランド大陸の迷宮のどこかに眠っていると言われる伝説の武具。 

 東方王国の滅亡や、共通言語、共通単位の普及に伴い、紅十尺の中にも含まれる尺は使われなくなった単位ではある。

 だが対となる神印宝物武具、もう1人の双剣こと邑源花陽の黒槍『黒金十尺』は今もロウガの守護者当代ソウセツ・オウゲンに受け継がれており高名。

 十尺という単位が約3ケーラだと知る者はそこそこいたりする。だからそこに誤解が生じる。


「ほんもんの紅十尺は、刃の部分やけで十尺。柄の長さもあわせっと今ウチが振ったこれの倍以上はあったみたいんよね」


 舞台用の模造刀とはいえ金属製でかなりの重量をもつ長巻は、重量武器と呼んでも差し支えない長物。

 これ以上の長さ重さとなると、並の人間にはまともに扱えない物となるのは明白だ。

 カイラの独白を聞いて、座員達も何を言いたいのかは分かったようだが、どうしてそこにこだわるのかは理解できなかったようだ。


「いやいや、ロウガだとソウセツ様がいるから、マジ物の黒金十尺って1度くらい見たことある人多いけど、あれ再現している舞台は無いってのもカイラも知ってるでしょうが」


「第一その模造紅十尺も劇用の中じゃかなり大物のほうだ。他の所じゃちょっと短い普通の長巻を使って再現しているところもあるけど、文句なんぞ出たこと無いんだが。振れる方向も限定されてまともな剣にならねぇだろ」

 
「ってか無理っしょ。ここくらい大きい舞台でもそれの長さがぎりぎり。その倍ってなったらまともに振る云々以前に、他の演者交えて剣戟劇なんて出来無いって」 


 座員達は、本来の紅十尺の長さに合わせた模造刀使用なんて無謀だと口々に断言する。

 実際の戦場であるならば、重さを無視すれば、3ケーラを超える長大な刀身は大型モンスター相手でも有効であろうが、カイラ達の戦場は剣戟劇。

 あくまで剣の打ち合いや、モンスター役剣戟師との死闘を演じ、英雄譚をみせる芝居。

 リアリティを追求するために、逆に舞台に支障が出るなど本末転倒も良いところだ。


「にゃ。実際そうやんね。ねーちゃんらいうとおりんよ。ただんねメルアーネのば……ねーちゃんがその辺こだわるほうやし、そんうえ参考に調べたリオラ先生の未公開剣譜がいくつかあんやけど、そんなかで、未整理だったもんのなかに、さっきの剣戟の初稿バージョンあったんよ。しかも実寸通りのをつこうた剣譜で……」


 今は亡き天才剣戟師が残した遺稿。しかも実現不可能と思われる実寸大の紅十尺を用いた剣戟劇。

 カイラの話は剣戟師なら強く興味を引かれる話題なのだろう。ハグロア達が色めきだつのも致し方ない。 

 カイラの説明が少し進むたびに、それは無理だや、いや立ち位置を調整すればあるいは、と各々の意見や感想を喧々諤々とぶつけだしている。

 放っておけばそのうち実際にやってみるかと立ち稽古でも始まりそうな盛り上がりの中、冷静でいられたのは、ルディアとファンドーレの2人だけだ。

「長くなりそうね……カイラさんが替え玉どころか、ケイスって名乗っているって誤認されてる対策を今切り出すのは無粋?」


 ケイスのパーティメンバーとしては、ただでさえハグロア一座には迷惑を掛けていて申し訳なさを覚えているので、盛り上がっている剣戟師達に水を差すのは気が進まないとルディアは悩む。


「剣戟師である前にルクセライゼン準皇族の姫。圧力を掛ければかなりの無茶が出来るかも知れないが、警戒警報が出て慌ただしい最中だ。さすがに今夜中にどうこうできる……」


 しばらく放っておけと言わんばかりだったファンドーレが、急にいぶかしげな顔を浮かべ、ルディアの肩に止まる。

 そのまま小声で詠唱を唱え始めたが、すぐに小さく舌打ちをして詠唱を止めた。

 迷宮内では斥候役を務めているファンドーレは、一応の用心で常時複数の使い魔を劇場周辺に展開していたが、今の詠唱はその使い魔との魔力接続を確認する物だった。

 
「使い魔達の反応がおかしい。街区外周に配置した連中が雨が降ってきたことを捉えたが、劇場近隣の連中が感知していない。乗っ取られて欺瞞されたかもしれん」


「今仕掛けてくるって……相当やばそうなんだけど」


「夜会での剣戟でケイスだと確信を抱いた奴でも出たか。いても、いなくても面倒事を引き起こすな。あの馬鹿は」


 夜が深い時間とはいえ、現在は特別警戒中で、地下水道からモンスターが出て来た場合に備えて街中には、警備ギルド所属だけで無く臨時警邏役の探索者も多く見回っている。

 何か騒ぎが起こればすぐに人が集まってくる。

 この状況で何者かが襲撃してくる可能性は低いと思いたいが、騒ぎになる前にどうにか出来る自信があるか、それとも騒ぎになってでも優先する何かがあるのか?

 思い当たる節とすれば、それこそファンドーレの推測通り先ほどの夜会での騒ぎだ。

 つい先日の燭華での騒ぎで、手ひどい損害を受けてケイスへと怨嗟を向けている遊郭経営者は両手の指でも足りないほど。

 そこに以前からケイスに恨み辛みを持つ者も合わせると思い当たる節が多すぎて、仕掛けてきた者が何者かを特定することさえ難しい。 

 だが監視網に何か起きている以上、早急に対応を始めなければ。


「とりあえずハグロアさん達には悪いけど、すぐに警戒を強めた、っぁ!!?」


 突如、劇場内の光球照明が全消失し、同時にルディアは、吐き気を催すほどの不快感と恐怖、怒りが入り交じった感情に支配されそうになり、膝をつく。

 その異変が起きたのはルディアだけではない。


「くぁっ!?」


「ぁぁっ!!」


「な、なんだっぐぅ!」


 肩に乗っていたファンドーレの苦しげなうめき声や、舞台の方からも嗚咽とも慟哭とも取れる叫びが暗闇の中に響き渡る。

 暗闇の中で木霊する苦悶の声によって、より際立つ恐怖と不安と怒りから、ルディアは身を守るために腰ベルトの触媒魔術薬に手を伸ばしそうになるが、ファンドーレの叫びがかろうじて正気を僅かに取り戻させる。


「き、強力な精神攻撃か、ぐっ、! 狂乱系だ! 魔力で抵抗しろ! 錯乱して同士討ちになるぞ! 強力な分効果時間は短いはずだ!」  

  
 それは凶悪なトラップ魔術の一つで、強制狂化と呼ばれる精神攻撃系魔術に分類される。

 しかし威力は強力ではあるが魔力消費が多く基本的には対個人用魔術に分類される。広範囲複数に、これほど強力な効果を与えて来るのならば、術の効果は長くても十数秒もないはず。

 術の効果が切れるまで魔力を高めて耐えれば、何とかなる……魔力があればだ。

 まずい! 

 かろうじて残っていたルディアの理性が悲鳴をあげる。

 カイラは、今の攻撃に対して何の抵抗力も持たない。

 カイラはケイスと同じく魔力変換障害。今は精神攻撃系魔術に抗う術を持たず、しかも先ほど剣舞をしたばかりで、その手には間引きされたとはいえ金属製長巻がある。


「ぁっぁぁぁぁっぁぁぁつ!!!!!!!」


 闇に覆われた舞台から血を吐くような絶叫が響き渡るが、ルディア達には何も出来ない。

 今カイラを止めるために何か魔術を行使しようとすれば、対抗するための魔力を失い、狂化に飲み込まれるだろう。
 
 カイラの近くにいるハグロア達とて状況は変わらない。

 むしろよりまずい。

 カイラから攻撃を受けそうになれば、防衛本能が暴走し、それこそ座員同士の殺し合いになってしまう。

 どうすることも出来無い……しかし、どうにかしなければ。

 その思いだけが先行し、何とか舞台へと顔を向けたルディアの視界が新たな異変を捉える。

 真っ白に発光する半透明の少女がいきなり飛び出てきて、舞台を照らし始めた。

 それは古い様式の東方王国時代風の服を身につけたまだ幼い少女幽霊、ルディアも知るヨツヤ骨肉堂の看板幽霊のホノカだった。

 飛び出てきたホノカが放つ灯りが、模造紅十尺を振りかぶるカイラや、苦しげにうめき声をあげながら膝をつく座員達を照らし出す。

 狂乱し正気を失ったカイラは、いきなり現れたホノカへの恐怖に捕らわれたのか、模造紅十尺を叩きつけるようにホノカに向けて切り落とした。

 しかし霊体のホノカにただの剣で切りつけても素通りするだけなのだが、斬られたホノカは恐怖で泣き顔になっている。
 

「うぁぁっ! だ、だからやだって、いったのに! ここ! ここ! は、はやく!」


 霊体のホノカに物理攻撃は効かないのだが、『幽霊が斬られたと思うから斬れる』なんて、でたらめなどこぞのとある剣術馬鹿の所為で、トラウマになっているようで、泣き声の悲鳴を上げつつ天井を見上げて必死に手を振る。

 それが合図だったのか、それとも偶然か、天井で何かがぶつかったような激しい音が響き渡り、


「時間が無い! 天井ごと斬り飛ばす! 上手く避けろ!」


「まぁたぁ無茶ぶりする」


 闇の中であろうとも聞き間違いようの無いやたらと偉そうな鈴のような声と、緊迫した状況でもやけにのんびり聞こえる声が、ルディアの頭上で響いた。



[22387] 剣士と連撃
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/03/09 23:45
「時間が無い! 天井ごと斬り飛ばす! 上手く避けろ!」


「まぁたぁ無茶ぶりする」


 劇場の天窓を斬り砕きウィーの抗議を聞き流し、内部へと進入。

 借り受けた長剣は、丹田で生み出した赤龍闘気を送り込み強固にしたが、それでも今の一撃で僅かに歪みが生じ、刃こぼれを起こす。

 まだまだ精進が必要だと悔しさを覚えながら、高速思考を発動させ状況把握。

 詳細不明だが状況がまずそうだからと、とりあえず飛び込んだはいいが、劇場内の構造も建物内にいる人数や、それどころか敵の有無さえ不明の全く手探りの状況だ。

 そのうえウィーの爪による一時的な魔術効果消去をもってしても、劇場全体を覆う何らかの敵対魔術効果を遮断できるのは、もって十数秒とのこと。

 時間が過ぎれば自己再生機能により、再度魔術効果が劇場を覆う。

 魔力を持たない、捨てたケイスでは、魔術攻撃に抗う術を持たず、簡単に捕らわれてしまう。自ら絶対に逃げられない罠にはまりに行くなど、愚の骨頂。

 だがそれがどうした。

 己が世界と定めた刹那の判断が生死を分ける極近接圏に合わせ、数千、数万の魔術の並行使用が可能なほどの、高速分割思考能力を適応進化させ続けるケイスにとって、一瞬は永遠と同義。

 何らかの魔術攻撃発動に合わせて劇場内は、明かりが消失しているため視界は極めて悪い。

 雨が降り出してきた夜空は、雲に覆われ月明かりも期待できない。真の暗闇の中で、おとり兼偵察役で先行させたホノカを舞台中央に確認。

 ホノカが放つ灯りに照らし出されるのは、狂化状態とおぼしき者が1人。背丈や武装から見るにおそらくあれがホノカが言っていた自らの替え玉。

 替え玉、周囲には呪術に抵抗しているとハグロア一座の座員達。

 話によればルディア達も行動を共にしているはずだが、姿は確認できない。

 仲間の安否は気がかり、しかしまずケイスにとって優先すべき事項は一つ。

 目標を定めたケイスは、斬り破った天窓の破片を蹴りつける加速。
 
 自らが砕いた木片や硝子片を追い越し、ホノカに重なるように舞台上に激しい音と共に着地。

 いきなりの侵入者に、恐怖を覚えたのか、それとも近づく者をひたすら排除しようとしたのか、深紅の長巻を力任せに振り回し、ケイスに打ち込もうとする。


「あぁぁぁっっ!?」


 そういえばこれの本物をまだ禄に振っていない。あっちも取りに行かねば。


「心打ち!」


 意識の一部でリストに加えつつ、右手の長剣を空中に1度置いて手を離し、空けた右手で替え玉の胸へと掌底を打ち込む。

 闘気を込めた心打ちをもって、暴走状態の替え玉を一時的な仮死状態へと一撃を持って沈静化させるついでに、ながした闘気を手がかりに、最優先目標を探り当てる。

 みつけた!

 歓喜の喝采を心の中であげながら、胸に当てた右手を滑らせ上着の中に手を突っ込み、折りたたまれた状態で仕舞われていた目当ての物の柄を掴み、闘気を込めながら一気に引き抜く。

 服を斬り破りながら掴みだしたのは愛剣『羽の剣』だ。

 ケイスをケイスたらしめる物、それは剣だ。今の状況も、何者が襲撃を掛けてきたのかも知らぬが、ケイスは剣を迎えにきたのだ。

 ならまず優先すべきは己の剣をこの手に収めることだ。

 だというのに、

 
(この馬鹿娘が! 今の状況を分かっているのか! 魔力を持たぬ娘が考えも無しに突入するな! 狂乱結界に捕らわれたらそこら中を切り裂く事になるぞ!)


(むぅ! せっかくいの一番に迎えに来てやったのに五月蠅いぞお爺様! ならそうしないようにするから合わせろ!)


 脳裏に轟雷のごとく響く羽の剣に宿るラフォスからの説教にケイスは不満を返しつつも頭の中に考えていた対策を思い起こし伝え、即座に次の行動へと移る。


(その前に他の者に対処しろ。前に娘に斬られた座員の一部が、娘と気づいて恐怖で狂ったようだ来るぞ!)


 ラフォスの忠告に注意を向ければ、替え玉の周囲で膝をついて倒れ込んでいた座員達はほとんどがそのまま術に抗っていたが、そのうち3人だけが狂乱しケイスへと素手で殴りかかろうと身体を起こし始めていた。

 どうやら先ほど心打ちを告げた声でケイスと認識して恐怖を覚えたのか、術中に捕らわれたようだ。

 襲撃者それぞれの配置、先ほど離した長剣、意識を失った替え玉の手からこぼれ落ちつつある模造紅十尺を認識。

 その気になれば襲いかかって来る座員達を一瞬で斬り殺せるが、殺意を向けてきているとはいえ術によって狂った状態でのこと。

 ケイスが斬りたい者では無い。

 羽の剣を引き抜いた動きのままに、今度は左手で長剣を掴みその場で迎撃態勢へ、


「弧乱真白!」

 
 もっとも手近の座員の服に左手の長剣を引っかけ引き寄せながら、右手の羽の剣を超加重。自らの身体を軸にして勢いを増して、最初の1人を残り2人へと投げつけてまとめて吹き飛ばす。

 相手の陣形を崩すレディアス二刀流の術技を用いたケイスの耳に鈍い音が聞こえる。
 
 骨の一つや二つは折れたかも知れないが、ハグロア一座の座員達は下級探索者だ。このくらい怪我のうちに入らないだろうと、自分基準で自分勝手に考えたケイスは、本来の行動に復帰する。

 超加重を掛けて回転したのは、攻撃を防ぐ為だけではない。足を曲げてその勢いのまま左手の長剣を天井に向かって投げつけ、次いで空いた左手で今度は模造紅十尺を掴み、心臓から産みだした青龍闘気を一瞬で送り込む。

 闘気を込めた模造紅十尺も、先に投げた長剣を追うように天井に向かって投げつけた。

 
「双龍石垣崩し!」


 属性の異なる闘気を自在に使い分けるケイスのみが成し遂げられる秘技を持ってして生み出された剣達は、劇場天井を支える一番巨大な棟木の同箇所に突き刺さった。  

 剣達に込められた異なる属種の龍闘気は、互いを喰らおうと巨大な圧力となって急速にふくれあがり剣もろとも炸裂する。

 激しい破壊音と共に天井を支える棟木は剣達が刺さった場所を中心に吹き飛ばされ、さらにその衝撃が棟木や梁を伝わって天井や建物全体を揺さぶる。

 さらには棟木が砕け折れ、梁ももろくなったせいが、ばらばらと破片を落としながら天井が崩落を始め出す始末だ。


「や、やり過ぎ! 潰れちゃう!?」


「霊体のお前は無事であろう。いちいち騒ぐな斬るぞ」


 このままでは崩れてきた建物の下敷きになってしまうとホノカが青ざめるが、ケイスは一息をついて落ち着いた物だ。

 元より狙ってやったのだ。むしろこれで天井が崩落しなかった方が大事だ。

 右足を振りかぶって舞台に叩きつけ、木造の床を砕く。

 衝撃で打ち上がった破片がホノカの明かりで浮かび上がる中から、形や大きさが適した物をいくつか選別。

 羽の剣をその破片に向けて振りながら形状変化。複雑に折れ曲がった羽の剣が生み出した隙間に選んだ破片を取り込んだ。

 両手に構えた羽の剣を肩で担ぐように大振りにかまえ、

  
「邑源流轟風道!」


 裂帛の気合いと共に一気に振りかぶり、同時に羽の剣を再度形状変化。

 本来邑源流弓技に属する技である轟風道を剣術を持って再現した技によって、超高速で打ち出さされた木片が、空気の壁を切り裂く轟音を奏で四方へと散らばって広がりながら、衝撃を伴う不可視の波を起こす。

 うなりを上げながら立ち上る複数の轟風が重なりさらなる破壊の衝撃となって、内側に崩れてくるはずだったがれきをその暴虐的な力で打ち返し撥ねのける。

 周囲の被害がひどいのであまり地上付近では使うなと忠告された技だが、今回は緊急事態だやむを得ない。

 石垣崩しと轟風道。暗黒時代に消失したはずの古の技達の効果か、それとも天の神さえもケイスを見ようとしたのか。

 空を覆っていた雨雲の一部が途切れそこから顔を覗かせた月が仄かに放つ灯りが、天井を失ってぽっかりと空いた大穴から客席の一部を照らし出す。

 そこには唖然とした顔で膝をついたルディアと、その肩であきれ顔で息をつくファンドーレの姿が浮かび上がっていた。

 
「うむ。成功だな……ん。そこにいたかルディとファンドーレ。一体何をしたのだお前達? 妙な術に狙われていたぞ。だが安心しろ。術を作り出していた結界を天井もろとも斬り飛ばして排除したからもう安全だぞ」


 言っていることはともかく、仲間達との再会に心の底からうれしさを覚えたケイスは大輪の笑顔を浮かべ満足げに頷いた。









 ケイスの声が最初に響いてから30秒も経っていないだろう。

 ルディアの目では追いきれないほどの早さでクルクルと舞台上でケイスが動いたかと思えば強風が吹き荒れ、気づけば天井が消し飛び、屋内のはずなのに雨に打たれながら、雨雲の隙間から顔を覗かせる月光に照らし出される。

 現実感が無いにもほどがある状況変化は、先ほどまで受けていた精神魔術攻撃以上の衝撃をルディアに与えていた。

 なんせ舞台に立つのは、同性で有りながら思わず見惚れるほどの極上の美少女風化け物だ。

 現実が裸足で逃げ出すほどの、おとぎ話の怪物がケイスにはふさわしい。


「……いや、もう突っ込みどころが多すぎて、何から言ったら良いか」


「久しぶりだから耐性が落ちたか? それよりケイス、ウィーはどうした。あのまま一緒に吹き飛んでないか」


 疲労困憊のルディアよりも、いささか現実主義なファンドーレは建設的な問いかけを優先した。


「心配するな。ウィーがあの程度でどうこうなるか。結界を壊したときの反応で術者の居場所を特定できるかと思って残ってもらっていた」


「ケイスあんたね。ウィーにそのうち噛まれるわよ」


 信頼していると言えば聞こえは良いが、その仲間がいる天井をどうやったかは知らぬが、一気に破壊し尽くすのはどうだろうかと、ルディアは思わずにはいられない。   

 だがこの正気を失う言動の数々は確かにケイスだ。間違いようも無くケイスだ。死ぬはずが無いとは知っているが、もう少し穏便に帰ってこられないのだろうかこの馬鹿は。

 状況把握をするための気力さえ易々と戻させてくれないので、少し黙っていて欲しいところだが、状況はルディアを休ませてはくれない。


「ほら見ろ、無事だ」

 
 ケイスが天井を見上げると、崩れた天井の端からウィーが飛び降りてくる。

 隠匿用の魔術薬の効果が切れているのか、白色の体毛がふさふさとなびいていた、


「いやぁー、ほんと無茶だよね。もう少し気遣って欲しいんだけど、で術者はファルモアの塔だっけ? そこの上の方にいるっぽいけど」


 匂いか、気配か、それとも声でも捉えたのか、手段は分からないが、先ほどの精神魔術攻撃を仕掛けてきた術者の位置をウィーは特定してきたようだ。


「ふむ。とりあえず斬ってくる。ファンドーレ。ハグロア殿達の治癒を頼む。近くで轟風道の余波を受けたから気を失ったようだ」


「ち、ちょっとまちなさい! 事情説明しなさいよケイス! 一体何と戦ってるのよ!?」 


「私は知らんぞ。剣を取りに来たら何かまずそうだからとりあえず斬り込んだだけだ。その辺りも術者を捕まえれば分かるであろう。ではいってくる」 


 きょとんとした顔で答えたケイスは、そのまま壁を蹴って天井の穴から飛び出していってしまう。

 言葉を発す気力を無くしたルディアが目線で問いかけるが、ウィーは頬を掻き、ホノカは気まずそうに目をそらす。

 二人の反応を見る限り、ケイスが何も知らないのは間違いなさそうだ。

 胃薬の新しいレシピを考えよう。もっと効く奴を。胃に穴が空く前に。
 
 ルディアが最優先事項にすべきことが決まった。



[22387] 弱肉強食
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/03/22 19:04
 久しぶりに手にした愛剣を片手に、ケイスは観劇街中心部に近いファルモアの塔を目指して小雨が降る中、屋根伝いに飛び渡る。

 ラフォスと積もる話もあるが、それらは後回しにし、先ほど劇場内で起きた状況をラフォスに確認し、頭の中で整理する。

 東方王国時代に建造された地下水道網は複雑な構造で、ロウガ地下で四方八方に広がっており、その一部は未だ現役で使われているほどに頑強。

 出現した迷宮モンスターに対応するために、警備隊や探索者の一部が地下で防衛網を張っているが、抜けられた時に即時対応を可能とするために、地上にも、いつもより警備が多く、その代わり外出制限が出ているためか一般人の姿はまばらだ。

 見回りらしき兵や探索者の姿が見受けられ、街灯のみならず各劇場や店舗は明かりを燦々と輝かせて、暗がりを無くそうとしている。

 なのに観劇街のシンボルでもある鐘楼は、いつもなら真夜中でも様々な色彩の光球によって艶やかに飾られているのに、現在は真っ暗な影を天に向かって伸ばす。

 飛行型のモンスターならばともかく、地下からモンスター達が出現するかもしれない非常事態状況下で、灯火管制をする必要性は皆無。

 ウィーの探知では、劇場に仕掛けてきた敵は塔の上の方にいるとのこと。その襲撃者が消したのだろうか?

 ケイスが思考を回していると、呼び子が幾つも鳴り、合図のためとおぼしき点滅したり色が変わる光球が打ち上げられた。

 どうやら先ほどの轟風道で鳴り響いた破壊音の現場を調べるために、劇場に急行している者達がいるようだ。

 襲撃者の数は分からないが、人が集まってくるならば無茶はすまい。ウィー1人でも大丈夫だろうが、あれだけの人数がいるならば、とりあえずルディア達の安全は問題ない。

 なら今ケイスがすべきは、友人、知人へと手を出した者を斬るそれだけだ。


(今はまともな対魔術装備も無いようだがどうする?)


 ラフォスの指摘に、ケイスは思考を再開する。

 先ほど劇場に仕掛けた魔術からして、襲撃者の中には罠型魔術の使い手がいると考えた方が良い。

 ウィーでさえ基点を特定できずにいたから一時解除しか出来ず、時間も無くて屋根ごと斬り飛ばして破壊する以外に手が無かった。

 それだけの力量を持つ魔術罠使いが、わざわざ逃げ場の無い塔にいつまでもいるとは思えない。

 だが逃げたと思わせる手で、塔に残っている可能性もある。

 逆に塔で待ち構えて罠を仕掛けていることもあるだろう。

 もしくは罠を仕掛けた上で飛行魔術で脱出するか。

 どちらにしても、何の対策も無く塔へ飛び込むのは自殺行為。

 かといって塔を斬り倒すのも無しだ。

 ファルモアの塔周囲は狭い広場となっており、建物が密集している。下手に切り倒せば、先ほど壊した劇場の比では無い被害が発生する。

 しかも今のケイスは赤龍麟の額当てを持っていないので、ノエラレイドによる熱探知を使えないので、周囲の建物内に人がいるかどうかすら探査できない。

 複数の予測が脳裏に浮かぶが、羽の剣以外の武装をまだ取り返していないケイスに出来ることは少ない。

 今の手持ちの中でもっとも確実かつ最短の手は……
  

「ふむ、上から斬りつぶすか」


(周りの被害がひどくなる。もう少し考えろ)


「考えた結果だ。自力だと少し高さが足りな」


 思いついた手を即却下されたケイスが頬を膨らませた瞬間、着地しようとした建物の灯りが一斉に消失。

 とっさに羽の剣を後方に振りながら加重。無理矢理に重心をずらして軌道を後ろ向きに修正。

 後方宙返りの態勢へと移行してそのままメインストリートの石畳を叩き割りながらも後ろに着地。

 次の瞬間、目の前の建物が、建物中央から立ち上がった爆炎と共に一気に焔に包まれる。

 あのまま飛び移っていたら、ケイスも一瞬で火だるまになっていたのは疑うまでも無い。


「お爺様! 魔力反応は?」


(別段急激な変化は我が感じられる範囲では無い。それよりも地下水路から何か来るぞ)


 ラフォスの警戒に僅かに遅れて地下水道に繋がる鉄柵や路上の蓋が吹き飛ぶ。

 その暗がりからぞろぞろとモンスターが出現を始めた。

 姿を現したモンスターは、透明な身体で二足歩行の、大男並の巨体を持つ鉱石モンスター達。

 角張ったブロックを積みあげたような身体は鋭角にとがった部分が多く、その爪先は石畳に軽く突き刺さるほどに鋭い。

 数十はいるであろうそれらは一斉にケイスに向かって、前後左右、さらには飛び上がり上から覆い被さる形で群がってくる。

 死霊術士のヨツヤに借りた外套や服に身を包むケイスは、まともな防具など身につけておらず、鉱石モンスターに触れただけで致命的な一撃になる。


「……ふむ?」


 首を捻ったケイスは、無造作にその場で一回転しながら、羽の剣を振りまわす。

 重心や硬度を自在に変化させながら、鞭のように自由自在に動く剣を持って周囲を取り囲むモンスターの先陣を迎撃。

 だが打ち落としたのは、先頭の数匹のみ。その後にはまだまだ鉱石モンスターが続く。

 しかしそれでケイスには十分。

 無理矢理空けた隙間に飛び込み、小刻みに立ち位置を変えながら、さらに縦横無尽に剣を振り、絶え間なく襲いかかって来るモンスター達をはじき飛ばし、切り裂き、粉砕していく。

 羽の剣が一振りされるたびに、鉱石モンスターが両断され、その身体が作り出した隙間に潜り込み、死角からくる攻撃を除け、身を守り、さらに斬り分けたつるりとした断面を力任せに蹴りつけ、死骸を別のモンスターに突き刺し、突き破らせる。

 触れれば斬られる。ならば触れずに斬る。斬ったモンスターを我が身の盾とし、我が剣とする。

 それは最小限かつ的確な一撃をもってして制圧する迷宮剣技。


(また腕を上げおったか)


 ラフォスが知るケイスの剣術は元々非常識その物だが、久しぶりに我が身を任せた剣技は、格段に向上した物となっている。

 特に対集団戦での位置取りや力加減の配分は別格。四方八方を囲まれたこの窮地においても、全く危なげなく支配下に置き、蹂躙してしまう。

 離れているこの僅かな間に、どれだけ斬ったのか想像もつかないほどに、洗練された動きだ。

 だがラフォスの賞賛にも反応せず。ケイスはいぶかしげに剣を振り続ける。 

 
(どうした?) 


「ん。少し気になる。こやつら逃げぬぞ」


 いつもの天才だから当たり前だと返す傲慢すぎる答えと、さほど変わらぬ返答をしたケイスは、疑問を確かめるために、突き出された鉱石モンスターの鋭くとがった爪先にいきなりかぶりつき、そのまま跳ねる。

 バキリと音を立てながら指先を砕き折ったケイスは、そのまま口の中で切り取った爪先をころがし、すぐに吐き捨てる。


(……さすがに石まで食べようとするな。どういう食性だ) 


「こやつらは切り取った一瞬だけ甘いぞ。糖分が鋼鉄のように凝縮し固まった身体を持つようだ。もっともすぐにはき出さないと変化するのか苦くなるが難点だ……はむ……甘いと分かってから散々食らいついてたから……あむ……私を天敵と認識してすぐに逃げはじめおったはずなのだがな」


 剣を振りつつラフォスに答えながらも、次々に無造作にモンスターに噛みつき折り砕き、一瞬だけ口に広がる極上の甘みを堪能し、吐き捨てる。 

 貪り食う。

 自分よりも巨体のモンスターの群れに取り囲まれているというのに、ケイスが行う捕食行為はまさにそれだ。

 明らかな力関係がそこにある。だが喰われているモンスター達は一切の恐怖をみせること無く、ひたすらにケイスへと襲いかかってくる。

 しかしラフォスにとって今一番の問題は、ケイスが明らかにこのモンスター達を知っていることだ。それもこの狩り慣れた様子から見て……


(娘……まさかと思うが、今回のモンスター共の出現騒ぎは)


「こやつらが逃げた先が、偶然かロウガの地下水道に繋がっておってな。ふむ私は運が良い」


 ロウガ地下水道に大量の迷宮モンスターがわき出した原因がケイスでは無いかというラフォスの懸念をケイスはあっさりと肯定する。

 数万を超えるモンスターに単独で渡り合って、喰われる恐怖で敗走させる。まさにこれぞ龍の所業。

 龍はこの世界の絶対捕食者。迷宮の王。

 その行動はともかくとして、同じ龍であるからこそ、ケイスが疑問が抱いた理由をラフォスは悟る。


(操られているか? となると足止めか)


「であろうな。そうなると次に来るのは、ん! また消えたか」


 周囲の街灯にともっていた光球が消失。暗闇の中で足裏が振動を感知したと判断するよりも早く本能でモンスター達の身体を蹴って、隙間を縫いながら高く跳躍。

 次の瞬間、石畳が強烈な衝撃と共にはじけ飛ぶ。

 おそらく地中で何か爆発したと判断したが、さすがに回避は間に合わず、ケイスは打ち上げられた鉱石モンスターの群れと共に吹き荒れる爆炎に包み込まれていた。 



[22387] 剣士と一撃
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/04/03 00:30
 とっさに地を蹴って飛び上がったケイスは、無理矢理に鉱石モンスターの隙間をくぐり抜けた代償として、モンスターの鋭い身体に触れ、四肢にいくつかの浅くない裂傷を負う。

 借り受けた外套や衣服と共にすぱっと切れた皮膚からは鮮血がほとばしる。

 周囲一帯の石畳が盛り上がり破裂し、鉱石モンスター達が吹き飛ばされ、いち早く上空へと逃れたケイスを追って、瓦礫と鉱石モンスターの破片を含んだ焔混じりの爆風が牙を剥く。

 しかし手傷を負いながらもケイスが生み出したのは、死地に抗うための値千金の刹那。

 愛剣であるラフォスと交わす言葉も、意志もいらない。

 ケイスは剣士であり、ラフォスは剣。すなわち人刃一体。

 立ち上る爆風に対し、振るうは轟風。
 
 羽の剣の先端の一部を軟化。

 高速で迫り来る瓦礫の最初のいくつかを切っ先が受け止めたと意識するよりも先に剣技を発動。

 最小限の手首の振りに合わせて、羽の剣の特殊能力、加重、硬軟変化を同時に行い、邑源流弓術を模した剣技、本日二度目の轟風道を敢行。

 バネ仕掛けの要領で高速で跳ねた刀身によって、受け止めた瓦礫を真逆へと、地上に向けて打ち返す。 

 空気の壁を越えた音速越えの大気の刃が、爆炎を真っ正面から切り裂き、炎を両断しかけた。

 しかし完全に断ち切る前に、轟風道を生み出す瓦礫が一瞬で蒸発するほどの熱量が、地上から発せられる。

 圧倒的な剣技を持ってして生み出された技さえも飲み込む、その焔は先ほどまで感じていなかった圧倒的な強者の魔力の匂いを醸し出す。

 石さえも一瞬で蒸発させるほどの熱量を生み出すは、龍の焔に宿るは火を司る轟炎火龍の気配。
 
 まともな防御装備を持たない今のケイスでは、一瞬で骨の一欠片を残すことも無く消失するほどの獄炎は、火柱となって一直線にケイスへと向かう。

 その絶体絶命の窮地のただ中、火が強まった理由を見たケイスは笑う。

 なるほどそういう絡繰りか。

 なら相手が”まがい物”であろうともその力が龍であるならば、自分の本気を出してやろう。

 故にケイスは謳う。

 死地を覆す為の誓いを。

 己が全力を出すための最後の枷を外す言葉を。
 

「帝御前我御劔也!」


 知っている親類以外にも、知らぬ親類もどうも近くにいるようだから、正体がばれると面倒になると思い、一瞬程度の使用に限定していた心臓の力を最大可動。

 羽の剣を用いて一緒に吹き飛ばされていた鉱石モンスターの破片の中からスモールシールドほどの大きさを選び突き刺し、生み出したばかりの青龍闘気をこれでもかと注ぎこみ、獄炎火柱へと真正面から打ち込む。

 万物を燃やし尽くす無限熱を持つ赤龍魔力火柱を、万物を凍てつかせる絶対零度の闘気を纏わせた青龍闘気の即席盾が受け止め、その熱を遮断しケイスの身を守る。

 轟炎火龍と深海青龍。

 異なる龍種の力はぶつかり合い激しい轟音と共に互いを喰らおうと消滅を始め、即席盾の一部がじりじりと消えていく。

 力と力は一進一退の互角の攻防を繰り広げるが、勢いの差で見ればその差は歴然。

圧倒的な勢いで吹き出す火柱に対して、小柄なケイスではあらがえるわけも無い。勢いに押し負けるケイスの身体は打ち上げたれた花火のように、空気を切り裂きながらまっすぐに天空へと向かって火柱の先端として駆け上がっていく。

 あっという間にファルモアの塔の高さを超え、地上の劇場街がみるみるうちに遠ざかっていき、それぞれの建物がミニチュアサイズに見え、さらには隣の街区、さらに隣りの街区、終いにはロウガ全域が見渡せるほどの天空の高みへと至るまで、ほんの僅かな時間しか必要では無かった。

 既に雲にさえ手が届くほどの上空までケイスが打ち上げられたところで、ようやく火柱が勢いを無くし、圧倒的な熱だけを残して消滅する。

 地上を見れば、あまりの熱量で直接に火に当たったわけでもないのに、劇場街のあちらこちらで幾つもぼやが起きているほどだ。

 しかしそれ以外にも、明らかに不自然に灯りが消えている場所がいくつかある。

 この高さまで上がったおかげで、先ほどの予想に確信を抱くことが出来た。

 ここから見れば一目瞭然だ。

 だから、ウィーが魔力の集中点を見極めきれなかったか。

 だから、ラフォスが変動に気づかなかったか。

 だから、まるで事前に攻撃を知らせるかのように灯りが消えたか。

 それらを、上手く隠していたが私の血で反応したか。

 得心がいったケイスの身体が、重力を思い出し落下を始めると同時に、つい今し方まで剣の制御に全力を傾けていた為に集中していたラフォスの説教が響く。


(娘! なぜ我に加重を掛けなかった!? この高さからどうする気だ!?)


 確かに立ち上る獄炎火柱の勢いはすさまじいが、それでも羽の剣の加重とケイスの技量を持ってすれば、逆に押さえ込むことも出来た。

 実際に一切ぶれること無く受け止める向きを調整して、まっすぐにここまで上がってきたぐらいの余裕があったほどだ。


「ふむ。少し確認したいことがあった。それと斬るために決まっているであろう。先ほど言いかけたが高さが足りなかったが、これならいける。周りに最小限の被害でやれる。詳しい話は斬ってからだ!」   


 説教に対してケイスはぞんざいに返すと、体勢を変えて頭を真下に向けて一直線に地上を目指す。


 この状況からどうやって助かるつもりなのか、そもそも斬るのを優先して自分の命に無頓着なのか。

 色々と思うところはあるが斬ると決めたときのケイスには何を言っても無駄。

 そうと知るラフォスは、どれだけ無茶をする気だとやきもきしつつケイスへと身を預ける。

 先ほどまで行われていなかった加重が小刻みに始まり、羽の剣が重量を増すたびにケイスの身体が加速を増していく。

 ばたばたと外套を風にはためかせながら、先ほどとは逆回しで、しかも比べものにならないほどの速度で近づいてくる地上の中から、斬り潰す標的を見つけ、剣技を放つために構えを取る。

 両手で握った羽の剣を上段構えから、肩に担ぐように這わせ、心臓と丹田より生まれる闘気を全身に張り巡らせる。  

 そういえばこの技を、足場が悪いどころか、空中でやるのは初めてだと、ケイスはふと気づく。

 しかも今から放とうという技は本来は迎撃技。高速移動、超重量級相手の攻撃を迎え撃ち、打ち落とすための防御剣術が本来の使い道だ。

 こちらから襲いかかろうとしている今の状況で使うような技ではないのだが、なに考え方を逆にすれば良いだけだ。

 相手が動く代わりに自分が動く、重さも速さも自分が生み出せば良い。

 打ち込む一瞬の見極めのための極集中が必要なこの技を習得しようとしても、並の天才ではまともに使いこなすことが出来ず、邑源流の中でも使い手が限られていた高等技だというのに、簡単に度を超えた天才剣術馬鹿は気軽に考える。

 未だうっすらと降り注ぐ小雨を激しく打ち破りながら最大加速したケイスは視界の中心に斬るべき物を捉える。

 それは観劇街の象徴的な建物で、特徴的な尖塔を持つファルモアの塔。

 ウィーがそこに術者がいると伝えてきたがまだいるかどうかは正直不明。だが先ほどまでの魔術攻撃はあそこが基点となっている。

 ならば斬る。

 斬り潰す。

 自分の邪魔をする万物は全て斬る。

 この世に切れぬ物など存在しない。

 最大まで高めた闘気と意志が常識を越える。

 塗りつぶす。

 食いつぶす。

 斬り潰す。


「邑源一刀流! 御前平伏!」 


 ケイスが生み出した速度と、最大加重まで高められた羽の剣の超重量を、呼気と共に振り下ろした切っ先に一点集中させ、尖塔の針ほどに細い先端部へとぶち当てる。

 ケイスが放つ剣技は、対大型モンスター用剣技『御前平伏』

 突進してきたモンスターの重心を崩して地面へと叩きつける技は、重心を崩せる一瞬、一点を見極める眼力と、見極めた箇所、時に正確に打ち込む技量、そして打ち込みの瞬間に生じる膨大な負荷を受け止めてみせる強靱な肉体の三者が揃って初めて完成を見る。

 だが今の御前平伏の威力は、モンスターの突進とは比にならないほどの勢いと重量を併せ持つ。

 今のそれは地上に落ちてきた流星を剣で打ち返すほどの無茶。いくらケイスといえどその勢いをまともに受ければ身体が持つはずが無い。

 しかしこの天才はさらにその上を行く。


「木霊綴!」


 打ち込んだ致命的な反動が剣を通して、自らへと襲いかかる前に、羽の剣を形状、硬度変化。

 衝撃を僅かに遅延させ、その隙にくるりと回り、本来は二刀流で放つべき剣技を一刀で敢行。

 フォールセン二刀流の神髄。相手の力を取り込み打ち返す迷宮剣技の極みを、自らの剣の力を取り込む形へと昇華。

 剣に籠もっていた反動をそのまま折れ曲がった尖塔に叩きつけ、とどめの一撃へとする。

 塔だけで無く周囲一帯を激しく鳴動させるほどの地響きを持って打ち込まれた極大の剣技によって、ファルモアの塔は内側にむけて崩壊を始めた。



[22387] 剣士と龍血
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/05/01 20:17
 小雨降る中、闇夜にうっすらと浮かび上がるファルモアの塔の影は、2/3ほどの高さまで縮んではいたが、傾きもせずその外観を保っている。

 周囲にほとんど瓦礫が散らばっていないので、まるで塔の土台だけが急に沈み込んだかのように見えることだろう。

 壊れた外壁の頂点にすたと降り立ったケイスの立つ天辺からみれば、無事なのは文字通り外見だけだ。

 力の掛かる方向を垂直下へと収束操作する剣技、御前平伏によって、瓦礫のほぼ全てが中心部に向かって崩れており、その勢いもあって、全てのフロアが崩れ落ちて、塔の内部では瓦礫の山が出来ていた。

 敵対者がまだ塔内部にいたのであれば、瓦礫によって押しつぶせただろうが、今ひとつ確信が持てない。

 本来意図した剣であれば、内部を斬り落とし潰すこと自体は変わりないが、塔の上部構造をほぼ崩すこと無く、斬り潰した尖塔の天頂部のみ超高速で駆け抜けさせる予定だった。

 しかし力の収束が足りず衝撃が分散し、上層部を崩壊させるブレが生まれてしまった。

 力が分散したことで生み出してしまった遅れは一秒にも満たないだろう。

 だが自分ならその時間があればどうにかする。

 同様に術者がとっさに防御魔術を展開していてもおかしくない。


「お爺様、気になることがあるからこの瓦礫の魔力反応を見てくれ」


 敵の反撃を警戒しながら、自分が切り崩した瓦礫を手に取ったケイスは、一見装飾用にも見える壁の模様に、固まりかけていた自らの血を指先につけてなぞる。

 ケイス自身は魔力を捨てたが、その身体に流れる血は、この世において最高効率を誇る魔力増幅機能まで失ってはいない。


(今なぞった部分に微弱だが、赤龍の魔力痕跡が一瞬発生した。どういうことだ?)


 ラフォスの回答に、ケイスは己の仮説が間違っていない確信を抱く。


「ふむ。敵術士は、どうやら極少量の赤龍魔力を用いて既存の魔具を改変して、魔具が持つ魔力を略奪して、先ほどまでの攻撃を仕掛けてきたようだ。魔力総量が変わらないから変化に気づきにくい。暗殺向けの技術であろうな。ロウガの常設劇場には特殊効果や空調管理用などに多数の魔具が存在すると、ウォーギンから聞いている」


 ハグロア一座のように現役探索者達が演者である劇団では、魔力を用いた演出も多く、観客に危険が及ばないように防御結界を常時稼働させているような劇場もあるという。

 色々あってロウガの魔導技師ギルドから睨まれて正規仕事にありつきにくいウォーギンもメンテナンスや新規設置など、魔導技師向けの仕事にありつけるくらいだ。

 観劇街にある魔導技術関連装置は膨大な数になることだろう。


(それで術発動前に灯りを灯していた光球が消滅したか、しかし魔具からの魔力と行っても高かが知れている。いささか威力や術式範囲が広範囲であったが)


「ふむ。私も気になったのはそこだ。だから上空で見て気づいた。この塔もシンボルタワーで有り、広告塔を兼ねた一種の魔具だ。観劇街の主立った劇場と魔力導線が繋げてあって、上映時間や演目の一部を映し出す投写機構を持っている。おそらくのその導線から、各所の魔具を一斉に操り、観劇街全体を一種の広域魔法陣として使用したようだ。ウィーが基点がぼやけると位置を判別できなかったのも道理だ。魔法陣内部にいたのだから」


 上空から見て、ケイスが戦闘を行っていた場所のみならず他にも幾つもの灯りが消えていた部分があった。

 実際に起きた炎上や爆発に併せて、灯りが消えた位置の配置からある程度の術式や魔法陣の仕様も推測は出来る。

 その全ての中心点は、足下のファルモアの塔。

 魔力を嗅ぎ取れるウィーの発言もある。ファルモアの塔を最優先目標としたことに間違いは無い。


「しかも爆発を回避したとき、迷宮モンスターの間を無理矢理抜けて手傷を負った際に、私の血が少量だがモンスター達に付着した。それが轟風道で火柱を割ろうとしたときに、地下に埋め込まれていた魔力導線に触れていた。おそらくあれも即席魔法陣の一部だ。私の血が魔法陣に接触して、火柱の威力が跳ね上がったのであろう。もっともそのおかげ火龍の魔力が強まって分かったから、怪我の功名だ」


 もっともその代償で火柱が吹き上がった付近はあまりの高熱で、近隣の建物にまで火事が起きているのだが、狙ってやったわけでも無く単なる偶然だとケイスに悪びれる様子は一切無い。


(また娘の血肉が、被害悪化の原因か……そろそろ本気で防具に気を遣え)


「五月蠅い。ともかく中心たる塔を基盤もろとも破壊したから、無効化できたと思うが、術者は仕留めきれたかは分からぬ」


 心の中で思えばラフォスと会話が可能だが、わざと言葉を発していたのも、敵術者にわざと聞かせるためだ。

 もし生きているならば手の内を読み取ったケイスを生かしておくはずが無い。反撃を仕掛けてくるはずと予測し警戒を続けるケイスは、会話の最中も気配を探りつづける。

 しかし雨音に混じって聞こえるのは、崩落した瓦礫が割れ崩れる音が僅かのみ。

 斬り殺したか、それとも逃げられたか?

 だめ押しでもう一度剣を打ち込むか……いや、だがもう一撃打てば、さすがに塔が崩壊する。塔を壊すのは必要であるからかまわないが、周囲の劇場にまで被害を出すのは本意では無い。


「私は直下に集中するから、お爺様は広域で魔力の気配を探って、っ!?」


 相手が撤退した場合を想定して動くべきかと考えあぐねていたケイスは、不意に別の気配を近隣に感じ取る。

 それは同族の気配。すなわち青龍の血を引く者。

 近づいて来たとかでは無い、探知範囲内に急に現れたと断言できる唐突さだ。


「従姉妹殿では……無いな。お爺様魔力変化は?」


(……転移系をつかったにして静かすぎる)


「むぅ。魔力さえ感じさせない転移魔術の使い手となれば相当な術者か。高位準皇族であれば私の血縁に気づくかも知れぬな」


 覚えのある気配であれば個人判断が出来るが、それはメルアーネでは無い。

 ケイスが初めて感じる同族の気配。従姉妹以外にも幾人か感じていた知らぬ親族の1人か?

 先ほど思い切り心臓に力を込めて青龍闘気を生み出してしまったので、遠方でも感じ取って探りに来たか。

 気のせいだとごまかすのも難しい。

 関係者各位からすれば隠す気があるのかと説教したくなるが、これでもケイス自身としては自らの出自の隠匿には気を遣っている。

 皇帝の隠し子。不義の子。結果だけ見れば、自らの甥の妻でもあった未亡人に手を出したという不名誉。

 自分の身が危険だどうだとかは一切気にせず、問題があれば斬れば良いと思っているが、両親の名誉に関わる問題となれば話は別だ。


(待て、もう一つの可能性がある。正確な位置を探れるか?)


 敵術者の生死は気に掛かるが、面倒を避けるためにも早急に身を隠す必要があると判断を下したケイスは撤退しようとしたが、どうやらラフォスには思い当たる節があったようで制止が入る。


「ん、少し待ってくれ……むぅ?」


 目を閉じたケイスは、感じ取った気配との相対距離からその位置を割り出し、珍しく困惑の色を浮かべる。

 気配の主がいる場所。それはルディア達がいる劇場だ。

 最初にあそこで轟風道を使ったが、その時は最小限に闘気を抑えていたのでよほど近隣にいなければ気づかれないはずだ。

 もしや既にケイスの正体をある程度見抜いて、その弱点となる仲間達を押さえに行ったか?

 だがケイスの出自は帝国最秘匿事項。そうそうと表立つわけも無く、かといってその正体を確かめるために、のこのこと顔を出すわけにも行かない。

 珍しくケイスは方針決定に悩んでいたが、ラフォスの予測はケイスの推測と少し違う。


(娘の代理を務めた役者の持つ闘気が、妙に我と親和性が良かった。我の制御を完璧ではないが少しはこなしてみせた。どうにも確信は抱けぬが血族のような感触を覚えた)


 ラフォスの宿る羽の剣は硬度や重量を自在に変化させる事が出来る闘気剣。その源は柄元に埋め込まれたラフォスの魂が宿る骨片にある。

 骨片に闘気を送り込み活性化させることでその本領を発揮するが、闘気の相性もありその制御は極めて難しく、並の人間の闘気ではすぐに暴走を起こし、制御不能に陥る。

 直系の子孫であるケイス以外で、羽の剣を十分に使えたのは、カンナビスで決闘したラクトだけだ。

 ラクトにはおそらく特別な才能、それこそ神に与えられた神才めいた物があったのだろうが、そんな人間がそうそういるわけが無い。

 青龍の血を引く者で闘気の相性が良かったと考える方がまだ現実的だ。

 しかしその推測にも一つ疑問が生じる。

 どれだけ血が薄かろうとも、ラフォスやケイスの感知能力なら直接触れれば分かる。

 だが断言できないラフォスの歯切れは悪く、ケイスも邂逅したのは一瞬とはいえ直接触れているのに、同族の気配を一切感じていない。

 だがその疑問に対する答えにケイスは行き着き眉をひそめる。


「……となると、先ほどの心打ちか。むぅ、さすれば面倒なことになるぞ」


 心打ちは闘気を打ち込むことで、相手の心臓を一時的に止めて、仮死状態にする拘束技。

 ケイスが今回用いたのは、仮死状態にすることに加え、血流停止による肉体損傷を最低限まで押さえる為に、打ち込んだ闘気で肉体強化を行って保護するという副次的効果も持たせた高等な物だ。

 しかしその気遣いが、今回は余計な面倒事を引き起こしたやもしれない。

 どの程度であるか不明だが、ケイスの代役を務めた役者は、青龍の、すなわちルクセライゼン皇家の血を引いている可能性は高い。

 ケイスの闘気によって、隠されていた血脈が活性化して目覚めた可能性は否定できない。

 何せケイスは現ルクセライゼン皇帝の一人娘にして、先祖返りを起こした人にして龍。

 いわば直系中の直系。

 平時であれば撃ち込んだ闘気の影響が抜けるまで静観するところだが、今の状況はそう言っていられない。

 なにせルクセライゼンの血を引く者達がロウガに今は多く集結している。

 なればその血を管理する者達もいるのは道理。

 そしてその者達は、自らの管理下を外れた、関与しない血の存在を認めない。

 彼らから、隠し子の存在を隠すための封印術式もあると、始母から聞いた覚えもある。

 紋章院。

 ルクセライゼン皇族や貴族の血脈を管理し、国体維持を第一とし皇帝さえも凌駕する強権を振るう建国当時より存在するという組織。

 適正な血の維持のためには、時には暗殺さえ辞さない紋章院の企みによって、大叔母、大英雄が1人邑源雪は自死した。

 父や祖父母達の仇敵である紋章院には、ケイスも思うところはあるが、それは父達の戦い。

 請われればいくらでも尽力するが、今のケイスが斬って良い敵ではない。

 何よりケイス自身が、紋章院には決して認められない存在。ばれてはいけない存在。


「紋章院が出て来ると厄介であるな……私が勝手に斬るべきではないし、仕方ない。一度引く」

 
 斬れば終わる迷宮内と違い、複雑な状況が絡み合う迷宮外での息苦しさを感じながら、最優先事項を変更したケイスは塔の外壁を蹴ってこの場を離れた。  








 ケイスが立ち去ってしばらく後。

 塔内に堆く積もった瓦礫の隙間を縫って、灰色の髪の毛がゆっくりとあふれ出していく。

 それらは数千数万という膨大な数だ。

 やがて髪の毛は崩れた瓦礫の上に集まると、自らを組み上げていき人の形を取りだした。

 だがその姿はどこかいびつだ。

 全身が灰色に染まったその人影は腕や足の関節は一つ多く、目や鼻のついている位置も微妙に上下にずれている。

 髪の毛の一本が瓦礫の隙間から、まがまがしい鮮血色に輝く赤い転血石を引っ張り出してきて、胸元にそれが埋め込まれると、その異形は身震いをして、天頂を見つめた。

 憎悪に染まる濁った目が見つめる先は先ほどまでケイスの立っていた場所だ。


「……龍の血族が」


 空気が漏れただけのような小さなつぶやきながらも、はっきりと分かる怨嗟で塗り尽くされた人影は、またも無数の髪に分散すると闇の中に消えていった。



[22387] 剣士と隠密行動
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/10/22 00:18
 未だ、しとしとと雨が降る中、ルディア達のいる劇場へと戻るためケイスは複雑に入り組んだ裏路地沿いに駆ける。

 劇場の壁を蹴り、窓枠を掴み方向転換し隣の路地沿いへ、なるべく身を隠し、地上に足跡を残さず、壁を蹴る回数も最小に。

 わざわざ速度が落ちる移動法をしているのも、直線的な表通りや、一番の近道である塔に向かったときのように屋根伝いに飛び渡らないのも、そうも行かない事情があるからだ。

 地下から上がってきたモンスター相手に市街地で大立ち回りをした事もあり、観劇街での騒動に気がついて、後詰めらしき警備兵の一団や、臨時雇われの探索者パーティが他の街区からも急行してきている。

 さすがのケイスといえど、雨が降る夜中に屋根伝いに飛び渡っていたら不審者以外の何物でも無いという常識ぐらいは持ち合わせている。

 呼び止められて、正体に気づかれたらさらに厄介だ。
 
 大華災を経て、今までも一部では有名だった、ケイスの悪評はロウガ全域で広く知れ渡っている。

 何より敵襲者の魔術罠を止めるためとはいえ、ファルモアの塔を破壊したのがケイス自身であることは間違いない。

 事情説明で済めばまだ良いが、連行されてさらに詳しい尋問となるようなら、一戦交えるはめになる。

早く戻りたいのに、そうなったら本末転倒だ。

 空は曇り、路地裏は灯りも全くない暗闇だが、幸いにも雨が降っている。

 建物や壁に付着した水滴をラフォスが感じ取り、その形状から周囲の構造や動き回る生物を感知しているので、道に迷うことも、誰かに遭遇することも無い。


 幸いというべきか、劇場方面から感じ取っていた、同族の青龍の気配は今は完全に消失している。

 先ほどの強い気配が一時的な物だったのか、それとも……


(むぅ。カイラと名乗る剣戟師が、カティラ・シュアラだったか)


 右手の人差し指で引っかけた窓枠をはじき、最小の音を立てつつ前へ跳ぶ。

 水の気配を用いた不完全な周辺情報と、足場にするには不安定な濡れた壁や窓枠。だが高速分割思考を用いたケイスにとって、その程度は気にするような障害ではない。

 ラフォスが見聞きした情報を一括で受け取り、思考のほぼ全てを状況整理に回して、残った余力でも十分な児戯だ。


(剣戟師リオラとは娘の母であったな。その弟子という事らしいが)


(弟子かどうかは舞台を見たことはないから知らん。だが従姉妹殿がその名乗りを許しているなら真実であろう)


 ケイスは剣をみれば、交えれば、例え隠していても、その流派、出自を感じ取れる。ましてやよく見知っていた実母由来の剣戟劇剣術となればだ。

 判断は出来無いが、母を心酔していた従姉妹が、その名乗りが広まることを容認している事は十分に証拠となろう。

 問題は剣戟師カティラが、偽名を用いてケイスの替え玉を演じていた事だ。

 自分の安否を確認する為に、父や叔父達がカティラをロウガに送り込んできたという可能性は極めて低い。

 人選が最悪だ。

 カティラの正体を見抜くなんて造作も無く、さらに同族だとすれば、ケイスの正体が広く漏洩する切っ掛けともなりかねない。

 現に紋章院の介入が起きてもおかしくない事態が引き起こされている。  

 だからあり得ない。

 ならば逆にカティラが他勢力から父の元に送り込まれた間者であれば?

 皇帝たる父の周辺は常に守護騎士たる祖父や、大英雄の祖母が控えており情報漏洩への警戒が厳重。ケイスの存在を探ろうとする動きがあれば、即座に秘密裏に処理される。

 その観点から見れば、大公代理メルアーネの周辺も警戒は厳重であるが、剣戟をこよなく愛す従姉妹の方がいくらかは隙があろう。

 祖母が設立した情報組織、全世界に散らばる草をまとめる根の頭領たる叔父は、メルアーネの剣戟興行を隠れ蓑として、情報収集を行っているとカンナビスでの騒動の際に聞いた。

 そちらの方面から、敵方が探りを入れてきたと考えた方が筋が通るか……


(止まれ僅かだが新手の魔力反応だ。前方の通りに武装した一団。このまま進めば見つかるやもしれんぞ)

 
(むぅ。やり過ごす。時間が惜しい……心打ちで無く斬っておけば面倒が少なかったか)


 今度は左手の指で壁の凹凸を掴み一瞬で停止、そのままぶら下がり暗がりへと身を潜める。

 交差していた前方の路地を、一瞬だけ複数の影がよぎる

 水たまりが点在しているのに足音さえ立たないのは何らかの魔術を使用しているか?

 背格好、歩幅に差違があっても一糸乱れぬ隊列での高速移動。

 ただ移動しているだけでも分かるその練度は、ケイスでさえ不意打ちを仕掛ける気や隙を見出せない。

 精鋭中級探索者クラスの集団とみて間違いない。


(やるな……このような状況で無ければ、斬ってみたい連中だ)
 

 ラフォスと高速で躱すやり取り以外にも、数千の思考をもって仮説を組み立てつつも、最終的には、どのような推測も斬るか斬らないかに行き着くのがケイスらしい。


(本能のままに動くな。探索は我の本領ではないのだぞ、いつ仕掛けられるっ躱せ!)


 ラフォスの警告の意味を理解する前に留まっていた壁を蹴り、全力で剣を振り隣接した建物の壁を叩きわり、内部へと進入。

 叩きつけた羽の剣の勢いのままに転がり込んだのは、裏方の使われていない倉庫のようで埃が舞い散ったのかかび臭い、臭いが鼻につく。

 暗闇の中、音の反響で素早く周辺警戒をしつつ、背後で起きた攻撃をラフォスを通して知る。

 周辺一帯に同一魔力反応直後に、路地裏に溜まっていた水たまりから幾つもの水糸が放たれ、ケイスが留まっていた壁や前後を塞ぐように付着している。

 水を用いた拘束魔術の一種とみて間違いない。

 不意を突いた一見好手、しかしケイスをそしてラフォスを相手にするのは悪手。

 ラフォスは剣に身を変え、生前よりもその能力が著しく劣化したといえど、水を支配する深海青龍王。

 魔力の流れを捉えたラフォスからの情報を元に、ケイスが持つ全魔術知識の中から魔術式を特定。

 術の発動までの時間から術者の力量を想定し脅威度を選定。

 周辺を覆い尽くす同一魔力反応によって、魔力反応から術者の位置を判別するのは不可。

 対魔術師戦用武具の持ち合わせが無い現状で取れる選択肢は限定状態。

 この暗がり、雨の中で、位置不明の術者に対して戦うか退くか……


「仕掛けるぞお爺様」


(我は剣だ。探索は本分ではないといったばかりだというのに無茶な案を)

  
 突き破った壁面の破片がばらばらと落ちる音の中、ラフォスのぼやきを無視して立ち上がったケイスは、即座に今飛び込んできた穴から外へと飛び出す。

 蜘蛛の巣のように張り巡らされた水の拘束糸をかいくぐり壁を蹴って、屋根へと跳び上がる。

 屋根への着地と同時に踊るように回転しながら、羽の剣で木造の屋根をなぎ払い、複数の破片を自分の周囲に打ち上げ。

 相手の居場所が分からないのならば、分かる剣を振れば良い。

 今の状況下でもっとも適した索敵手段を見いだしたケイスは、即興で組み立てた技を放つための体勢に移行。


「邑源流新技! 八卦轟風道!」
 

 さらにもう一回転したケイスは一緒に振り回した羽の剣を、超高速で硬軟自在に変化させ、周囲に跳ね上げていた木片を掴み、即座に形状変化がもたらす弾力と、重量変化による剛力を合わせ用いて、四方八方へと音速で打ち出す。

 あまりの高速によって大気との摩擦熱によりついていた水分が一瞬で蒸発、さらには木材が自然発火するほど。

 しかし生み出した轟風は弱い。

 轟風道は本来を邑源流弓術で用いられる防御技。音速を超えた鋼鉄の鏃が生み出した風は、龍のブレスさえ反らすほどの嵐の壁となる。

 ケイスもその天才性を持って剣技で再現してみせるが、剣を用いた轟風道の本領は一方向に限ってのこと。

 今のケイスではどうしても踏み込みや剣速の問題で、連続の轟風道は勢いが弱まる。ましてや用いたのは木材の屋根材。

 その強度から打ち出す速度には限度があり、轟風道の効果範囲や威力も激減する。

 精々周囲半径百ケーラに、強い突風を吹かせる程度。看板を揺らし倒せても、人を吹き飛ばすほどの威力もない。

 だが……それで十分。

ラフォスが感じ取った魔力の影響範囲は半径42ケーラほど。

 術式から遠隔自動発動式で無く、術者による任意発動型で、効果範囲内の一定水量を操ることが出来る水流操作。

 術式の一部にルクセライゼン式の流れとおぼしき改良痕有り。

 効果範囲外に魔力反応を漏らさない特殊部隊、特殊機関で用いられる隠密性も付与されていることから、公式に発表される物ではなく、一部には軍事機密指定される高度改変もあるので個人開発の可能性も極めて低い。

 十中八九、紋章院かそれに連なる者達が用いる術式であろう。

 さらに広範囲術式としては、操作性が高く、精密な動きも出来るが、その分術者本人が魔力効果範囲内にいなければならないという制約有りと読み取れた。

 ならば後は簡単だ。


 吹き荒れた風に乗って、振り落ちる雨や、壁に付着した水は勢いよくはね飛ばされていく。

 水を感じ取るラフォスにとっては、それは全方位に放たれた波に他ならない。

 
(後方24ケーラ。いたぞ!)


 ラフォスが伝え終わるよりも早く、ケイスは踏み出す。一足、二足、三足。

 闘気を精密にコントロールし、肉体の枷を解き放つケイスは、放たれた矢のように三歩飛びで、24ケーラの距離を一気に駆け抜けて、屋内へと続く階段横の暗がりに隠れていた術者を捉える。

 フードに身を隠し、短杖を構えていた術者が1人。体格からみるに年若い女性か。

 ケイスが放ったあまりの強風に、抗おうとするのでは無く、身を隠そうとしたその行動は、生粋の戦闘職というよりも、都市部での諜報を主とした斥候職としての反応か。


「がっ!?」


 相手が防御態勢を取れていなかろうが、ケイスの接近に気づいていなかろうが、戦闘が始まっていたのであれば手加減する気なんて毛頭無い。

 交差の瞬間、羽の剣で杖を叩き折り、逆の左手で肘打ちをみぞおちにたたき込み、呼吸困難にし無力化。

 さらに折らない程度に顎を打ち付け脳を揺らし、意識を奪って、ぐらりと倒れかけたその身体を抱え込む。

 袋のように肩口に女性術者を抱え込んだケイスは、どうするかと一瞬考え、即時に結論をひねり出す。

 紋章院は父の仇敵。仕掛けられたから排除したが、あまりケイスが表立って紋章院に関わるのは、より父に苦労を掛けるだけ。

 しかも今の状況はあまりに情報不足、母の弟子だというカイラと名乗っているカティラの立ち位置も不明。


「むぅ、色々面倒ではあるが仕方あるまい」


 街に戻ったらやりたいことが幾つもあったのだが、それらの優先順位を少しだけ考え直し、方針を決め直す。


(娘……そちらの方が父親達の心労を跳ね上げるのでは無いか?)


(ふん。私の身を案じたであろう父様が悪い。従姉妹殿を派遣してくるから、紋章院らしき者も出て来て、面倒なことになるのだからな)


 ラフォスの苦言を心の中で却下したケイスは、いくら何でも目立ちすぎた八卦轟風道を使った以上は、身を隠しながら進むより、開き直って屋根伝いで帰った方が早いと、ルディア達のいる劇場へと一直線に向かいだした。



[22387] 剣士と策略
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/10/23 01:34
 水狼一行の4人が異変に気づいたのはほぼ同時。

 背後で不意に発生した不自然な突風に紛れ、微量ながら魔力を感知した4人は、独自に動き出す。

 殿を務めていた神官ギドが、威力、発生時間は弱くとも無詠唱、最速で発生可能な広域シールドを背後に展開し、路地を覆い、攻撃へと備える。

 先頭を走っていたサムライエンジュウロウは、壁を蹴り飛び上がりつつ、その場で反転する勢いのままに抜刀体勢に。

 二番手を走っていた水狼隊長ロッソが肩に担いでいた棍を石畳に叩きつけ高音を発生。生じた音に単一簡易詠唱を用いて、周辺探索術を発動。

 水妖族のレンは両手の十指を振り魔力を放ち、周囲の水分を掌握。雨が降っている今夜は、水に困ることは無い。
 

 ロウガ守備隊に属する者は全て中級探索者。しかも精鋭と呼んで差し支えない者達が揃っている。

 水狼最強戦力。上級探索者ナイカを欠いた状態ではあるが、それが彼らの弱点となることは無い。

 防御、反撃、索敵、遊撃。己の役職、仲間の動き、それら役割分担を一々口に出して確認しているようでは、中級迷宮では生き残れない。

 パーティは1つの群れでは無い。1つの個体となることで、人よりも遙かに凶悪かつ凶暴な迷宮モンスターへと対抗することが出来る。

   
(14時方向43ケーラ。屋根伝いに跳ぶ奴が1人。肩口に何か担いでやがる。火事場泥棒かも知れねぇ。とりあえず職質すんぞ。怪我させんなよ、後で賠償ってなれば面倒だ)


 つい数時間前にルクセライゼン大型劇場艦の護衛に当たっていたかと思えば、今度は迷宮モンスター出現によって騒動が予想される観劇街での市街警備。

 高名な劇場には希少な美術品が展示されているから警備が必要という理屈が分かるが、超過任務が過ぎると思いつつも、仕事は真面目にこなすロッソは無傷で捕まえろと指示を出す。


(了解。捕まえる! 水鎖!)


 特定の迷宮を踏破することで得られる天恵。

 探索者の証したる指輪に付与されたパーティ間でのみ可能となる高圧縮思考による意志疎通天恵による情報共有を元に、ロッソの感知した不審者に向かって、レンが水で組み上げたバインド鎖を飛ばす。

 水妖族であるレンにとって、魔力を通した水は己が肉体と変わらない。

 水鎖の先端へと視覚を同調させ、自らが宙を飛ぶような感覚を抱きながらも不審者を追う。

 後方から迫るバインドに気づいた不審者が振り向きざまに振るった大剣を躱し、そのまま右足首へと絡みつき拘束。

 魔力抵抗させる隙も与えずに水を収縮させ、力任せに引き寄せを開始。

 変幻自在の水鎖によって、犯人を捕獲、即座に引き寄せ仲間が制圧という、一連の流れは水狼が得意とする捕縛手順。

 だが不審者はその手慣れた手順へと抗う。
  

(確保! エンジュウロウ! こっちに引き寄せるかっ! っえ!?)


 感じ取ったのは急激な重量変化。まるで大岩でも捕まえたかのような急激な質量の増大。

 いきなりの変化に対してレンは無意識に圧縮速度を早めて引き込む力を強めたが、意識が自覚する前に不審者は即座に次の行動に移っていた。

 それはまるで釣り上げている途中に、大魚から急に針が外れたかのような消失感。

 雨に混じり生暖かい感触を伴う別の液体がごく少量が4人の頭上から降ると共に、急激に収縮して戻ってくる水鎖がレンの手元に戻ってくる。

 水鎖の先端には先ほど拘束した細い足首が繋がっている。だが件の不審者の姿は存在しない。

 レンが引き寄せたのは、生々しい傷口をみせる切断したばかりとおぼしき足首から先の部分だけ。

 いくら中級探索者といえど、レンもエンジュウロウ、そしてギドも、ここまで躊躇無く、自損しながらバインドを外してくる狂人がいるとは予測はしていない。

 3人があっけにとられたのは僅か。だがその隙は致命的だ。

 自らの足を切り離し、枷から解き放たれた狂人不審者がレンの頭上に陣取っていると気づくまもなく、重力増加による雷光のごとき振りおろしが決行される。

 意識外から来る一撃必殺の振りおろしに、3人は反応が出来無い。

 だからロッソが動いた。

 棍を何とか刃先に合わせて、崩れ落ちそうになるほどの重い一撃を食い止めつつ、声を上げる。


「待て嬢ちゃん! 俺らだ!」


 追撃態勢に移行しかけていた不審者……ケイスはロッソの呼びかけに気づき、剣を止める。

 その切っ先はレンの首筋ぎりぎり。

 水で出来た彼女の髪の一部を切り裂いていたので、もし止めるのが一瞬でも遅ければ、彼女の首ははね飛ばされていたことだろう。


「ロッソ達か。驚かすな。後レンとりあえず私の足を返せ。今ならまだつなげられる」


 レンを殺しかけたというのに悪びれる様子もないケイスは意識を失った女性を担いだまま不満気に頬を膨らませ、腰を抜かしているレンに向かって足を返せと平然と宣っていた。











「これで最後の2人。薬は足りそう?」


 ファンリア一座の者達を楽屋に運んでいたウィーは両肩に担いでいた2人を床の上にそっと降ろす。

 ケイスが異常性をいつも通り発揮している間、劇場にいたルディア達もただ手をこまねいていたわけではない。

 床の至る所に寝かされたファンリア一座の者はほとんどが外傷も無く、命に別状は無い。

 だが魔力を使い果たし、その変換元である生物が生きる為の力、生命力さえも低下した昏睡状態に陥っており、このままでは数日は眠り続ける事になるだろう。


「何とか調合して足らす。一時的で良いから自力で動けるようにしてともかく避難しないと。ケイスの指示でホノカさんがフォールセン邸に連絡に行ってくれてるらしいけど、いつ戻ってこれるか不明でしょ」


 敵の正体が不明である以上、安心できる避難場所は限られる。

 厳重な結界に守られたフォールセン邸ならば確実に安全だが、意識不明状態の者がこれだけいる状況で、コウリュウ対岸の旧市街まで移動するのは現状では不可能だ。

 生命力低下には速効性の生命力増幅薬を飲ませるのが一番だが、人数が多いのでルディアの常備していた丸薬では足りない。

 碌な機材も無いが、水差しの水に丸薬を溶かし、目分量で量った別の粉薬も足していく。

 多少効力は落ちても良いから、ともかくかさを増して、人数分をひねり出すしか無い。

 狂乱結界魔術の中心が舞台側だったので、観客席側にいたルディアはまだ消耗は少ないとはいえ、それでも徹夜が続いた後のような重い疲労感を感じ全身がけだるいが、休んでいる暇など無い。

 襲撃者の追撃や、ロウガ地下に現れた迷宮モンスターが現れる可能性もある。

 まともに動けるのがウィー1人では、立てこもるのさえ無理。

 ともかく今はここから離れて、信頼できる誰かに保護してもらうのが最善だろう。

 ファンリア一座の者はケイスにやられた3人が軽傷を負ったのみで、魔力消耗から昏睡しているだけなので、魔力さえ戻れば戦闘はともかく、歩けるくらいにはなる……1人を除いて、

 
「カイラって子の容態は? ケイの替え玉とかいう役者さんも魔力変換障害って話だったけど違ったんでしょ?」
 

 その例外、ウィーが向けた目線の先には、ソファーに寝かされたぴくりとも動かない少女が1人。ケイスと同じく魔力変換障害持ちだというカイラだ。

 しかし今のカイラは、ウィーが普段身につけている軽鎧を気配遮断用の外套を変化させて、身に纏わせているのでその顔色さえみることは出来無い。

「途中までは確かに魔力を感じなかった。だが明らかに途中で感触が変わった。しかも魔力が強すぎて、消耗した今の俺たちが危険なほどだ。正直ウィーの外套が無ければ大惨事となりかねなかったな」


 魔力とは他を変える手段にして、自己を守る防壁。

 魔力を持たないケイスや、カイラには魔術攻撃は例えどれだけ軽い物でも致命的な一撃となりかねない。

 剣以外にはさほど物欲や興味がないケイスでさえ、例外的に対魔力装備には力を入れる。

 探索者であるファンリア達が昏睡するほどに魔力を消費させられた狂乱結界魔術をまともに受けてしまったカイラの場合は、回復不能なほどに精神汚染されていてもおかしくない。

 そうなってしまえば常時他者を襲う狂人として、処理されるか、運が良くても一生隔離状態に置かれることになる。 

 だから先ほどまでファンドーレが神術を用いて、残存魔力除去を行っていたのだが、その治療の途中で、カイラの中から極めて強力な魔力が生まれ始めていた。

 まるで精神攻撃魔術に抗うように。

 しかしその力が強すぎた。魔力の低下したルディア達に悪影響が出かねないほどの魔力だ。

 隠していたのか、それとも命の危機に対して防衛本能で魔力が目覚めたのか?

 それは今のウィー達には分からない。


「ケイの替え玉を名乗るためにごまかしてたとか?」


「知らん。あのバカ絡みの案件は考察するだけ無駄だ。どうせぐちゃぐちゃになる。今は助かるならば良しとする」


 頭脳労働をするのさえ煩わしいと如実に顔に表れるほどに、ファンドーレも消耗が激しい。

 神術は、信仰する神とその信徒の力を借りる術。

 神が強大であればあるほど、信徒が多ければ多いほど、己1人の力を使う魔術や闘気術と比較して、同様に生命力を変換して使う神力の消耗は遙かに少なく、強力な術を使えるが、今のファンドーレではその僅かさえきついようだ。


「お疲れ様。とりあえず試飲してみて。問題なければファンリアさん達に飲ませるから」 


「俺で実験するな……ぐっ……味はともかく生命力が少しずつ回復する感はあるな」


 ルディアの指しだしたかき混ぜ棒の先端を舐めたファンドーレは、苦かったのか顔をゆがめるがへたっていた背中の羽が少しだけピンとなった。

 小妖精の体調を見るなら羽をみろ。

 薬師の常識だ。  


「調整オッケー。ウィー。これスプーン一杯ずつだけど飲ませてあげて。10分くらいだけど生命力増幅力を上げることが出来るから。でも飲ませすぎ注意。副作用で魔力、闘気関係無くしばらく変換能力が不安定になるから。その量でも1日は使わないほうがいい緊急薬」


 調合した薬の注意点を伝えてから自分も少しだけ摂取してルディアも、その場でへたり込む。

 調合にも魔力を消費する薬なので自分で試飲が出来無いのが厄介だが、手持ちで作れる中でもっとも有効な薬を作れた。

 限界ぎりぎりだったルディアはほっと息を吐く。

 
「りょーかい。外も少し静かになったみたい、ケイも戻ってくると思うから休んでて」


 水差しを受け取ったウィーは床に寝かせていた一座の者達の身体を起こして、言われたとおり少量を飲ませていくと、死人のように青白かった顔に血色が戻り、ゆっくりだった鼓動も正常に戻っていく。

 意識がないので肺に入らないように気をつけながら飲ませていたウィーだったが、その人数が半分ほどになったところで不意に手を止めて、水差しを床に置いた。


「っ、もしかして足りない? 手持ちも魔力ももう無いんだけど」


「あ、大丈夫大丈夫。ケイと一緒にお客さんも来たっぽい。ほら今地毛の色が出ちゃってるしどうしようかなって。信頼できる人たちみたいだし」


 薬が足りなかったかとルディアは一瞬焦るが、ウィーは頬をかき、身を隠すかどうするかとしばし悩んだが、治療を優先することにしたのか水差しを再度手に取った。


「あぁもう信じ……! プライドがたがた……! ……かも短く……!」


 怒鳴り声が途切れ途切れに、ルディアにも聞こえてくる。

 複数人の足音や、ガチャガチャと聞こえてくる鎧がこすれる音も混じり、何者かが劇場内に入ってきたと気づかせる。

 怒声はだんだんと大きくなり、楽屋に近づいてくるが、ウィーが一切警戒しておらず薬を飲ませる作業に戻っているので、どうせ動けないのだからとルディアも背中を壁に預けたまま静観することにする。

「ん。全員無事か」 


 しばらくして楽屋のドアが開かれケイスが入ってくる。その肩にはどこからさらってきたのかは知らないが、謎の女性を担いでいる。

 そのケイスの後ろにはルディア達も顔見知りになっている水狼の一団がなぜかいた。 


「いたルディアさん! ケイスを単独行動させないでよ! 髪を切られた上に殺されかけたんですけど!」


 命知らずにもケイスを怒鳴りつけるのは水妖族のレンで、なにやら半泣きでやたらとぶち切れている。

 長髪だったはずの水髪の一部がやけに短くなっているのが目立つ。


「倒れている者もいるのだからレンは少しは落ち着け。ルディに育毛剤でも作ってもらえば良かろう」  


 なにやら知らぬが、ケイスは面倒事をルディアに押しつける気満々だ。


「水妖族の髪が薬で伸びるわけないでしょ! 私達の肉体は魔力で出来ていて髪もその一部! どうやったって物理攻撃で斬れる物じゃないのに!」


「あぁそれか。私の羽の剣には先代の深海青龍王の意識が宿っている。水妖族より青龍の方が水の支配力が強いからな。消したというよりも上書きして解除したのであろう……うむ。そう考えると髪で済んだのはまだ良かったか。私の剣を止めたロッソに感謝しろ」
 

「にゃぁつ! なんて物騒な剣つかってんのよ! っっていうかなに青龍王って初耳なんですけど!?」
  

 天敵にであった小動物のようにレンがパニック状態でケイスから一足飛びに離れ、エンジュウロウの背後に逃げ込む。

 当然だ。ケイスの説明が事実ならば、青龍の意識を宿すという羽の剣は、水妖族のみならず、水で出来た肉体を持つ種族やモンスターへの特効武器に他ならない。

 ましてや龍王の意識を宿す武器。それこそ伝説級の剣だ。

 その事実を公表したケイスは、唖然として言葉を失う周囲の反応を意にも介さず、平然と続ける。 


「うむ。そういうわけで、青龍由来の私の武器を狙ってルクセライゼン紋章院が仕掛けてきたようだ。こいつが紋章院の者だ。あと私の替え玉を務めていた剣戟師はルクセライゼンのカティラだったな。2人まとめて斬ろうとおもうが、カティラはどこにいる? あぁ、あと先ほど劇場に仕掛けてきた者と、この件は別件だ。襲撃者の方の正体は不明だが魔術罠は中心点のファルモアの塔もろとも潰したから、今夜は問題あるまい。事が済んだら調べて斬ってくる。それとさっきレンのバインドから逃れるために自分の足を切断して、闘気でくっつけたからお腹がすいた。何か食べ物は無いか。甘い物でも良いぞ」

 
 ルディア達が硬直している間も空気を読まないバカは、何がどうして、そうなったと突っ込む気力さえ失う断片的にもほどがある情報の嵐を叩きつけてくる。

 整理が追いつかず頭がぐらぐらしてきたルディアは、水狼隊長のロッソへと目を向け無言で助けを求めようとしたが、そのロッソも実に沈痛な顔で頭を抱えている。

 どうやらロッソ達も大半の話が初耳だったようだ。

本音を言えば聞きたくない。明らかに身の丈を超えた面倒事だと本能が拒否したくなる。

 だが理性が訴える。このままこのバカを放っておくと、さらに加速度的に状況が悪化する方向に突き進むと。そして自分達が否応無しにも関わる羽目になると。


「あ、あんたは……1人で突っ走っていないで事情を1から10まで説明!」


 怯みそうになる己の心を、ケイスへの怒りで、ルディアは何とか奮い立たせた。 



[22387] 女公爵と宣戦布告
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/10/25 19:53
「地下水路へ出現した迷宮モンスターはほぼ排除。少数が地下水路深部に残っていると思われますが、異物としてガーディアン達に駆除される見込みですので放置とします。駆除に出た警備隊および探索者に多少の負傷者はいますが、死者は出ていません」


 ロウガ評議会では、今回の事件の情報共有、そして今後の対策方針を決めるための緊急議会が開催されていた。

 二日前に出された特別警報は地下の安全が確保された街区から段階的に解除され、本日早朝にロウガ全域で解除され、ロウガは平穏を取り戻している。

 いや平穏と呼ぶのは些か語弊があるだろうか。 


「今回討伐されたモンスターは全て下級クラス鉱石モンスターですが、その全てが未発見の新種およびその亜種となります。種別および特性は取り急ぎの簡易解剖報告が上がっていますので、そちらをご参考ください」


 本来であれば、閉鎖期に発生する迷宮モンスターの迷宮外出現は災難以外の何物でも無い。

 だが新素材を得られる未知の迷宮群の可能性が存在するという予測は、災厄でなく新たなるチャンスとして彼らの欲望を刺激した。

 さらに出現したモンスターがロウガ近郊でよく見られる動物、虫型迷宮モンスターでは無く、近隣では希少種の迷宮モンスター達ということも拍車をかける。


 今回の事件に対してさらなる調査をという興奮混じりの声が、各生産系ギルドや探索者達から、ロウガ支部に届けられているのも当然の流れだ。


「薬師ギルドからだが、素材の一部に依存性のある危険物質が含まれていたと報告が上がっている。それらは数量および、所在確認を最優先して調査指示が出ている」


「討伐に出ていたパーティから流出したとおぼしき、未認可迷宮素材が港で押収されました。検査および見回りの強化を要請します」


「一部のギルドやバカ共が許可無く地下水道深部に立ち入り、迷宮口を発見しようとしているという密告があった。ガーディアンどもをソウセツ殿達が排除していたからモンスター共の相手で済んだというのに。各ギルドに無断立ち入りは未遂であろうとも、公認探索者資格の停止や剥奪もあり得ると、警告広報を発信していただきたい」

 
 評議員達からは急ぎの報告や要望が幾つもあげられ、それに基づき手早く承認や情報共有、人員配置、対応担当の割り当てが行われていく。

 常であれば権力争い、縄張り争いによる無駄な議論や、難癖に近い質問で紛糾するところだが、今回は誰もが納得する効率的な僅かな修正案が出される程度で、驚くほどスムーズに議会は進行していく。

 足の引っ張り合いを躊躇するほど今回のモンスター出現がそれほど重大……だったからではない。

 数十に及び報告および議決が近年では稀にみるほど手早く終了すると、最後の案件を始めるために評議会議長でもある管理協会ロウガ支部長フェルナンド・ラミラスが、厳重な記憶遮断魔術が施された特別資料を配付させる。

 
「それでは最後に、今回のモンスター襲撃に居合わせた”彼女”の証言についての詳細報告となります。いくつかの裏付けが取れましたので、ご報告させていただきます。こちらは最重要機密となります。この件の詳細記録に関して、議場外記憶遮断魔術が施されています。記憶情報の持ち出しを禁じていますが、記憶に残る大まかな情報も他言無用をお願いします。資料も規定通り議会終了後に回収させていただきますのでご承知ください」


 ロウガ最悪の問題児の帰還について最後に報告がある。

 議会開始時にフェルナンドから告げられていたその情報が、議員達を大いに焦らせ、早く他の案件を終わらせようと無自覚な協力態勢が築かれていた。

 大華災事件後評議員の間では、個人名よりも、その2つ名で呼ばれることの方が多い、疫病神、歩く大迷惑ケイスの帰還だ。

 議会外に持ち出せる記憶は少なくとも、ケイスが戻っていると知るか知らないかだけでも大きく対策は変わり、被害も減少できるやもしれない。彼らの行動は、当然の防衛本能だ。

 百ページ近くにおよぶ証言および調査報告の詳細を聞かされる評議員達の顔色は一ページ進むごとに、困惑と混乱、そして戸惑いに苛まれていく。

 海底鉱山監獄のあった悪夢の島での古の火龍ナーラグワイズの意志を宿した転血石の復活およびケイスによる撃破。

 また悪夢の島では、人工転血石作成技術を用いて、火龍転血石の制御実験の為に非合法な人体実験が行われていた痕跡があった。

 ナーラグワイズとの戦闘で山体崩壊などが発生したため、戦闘終了後地上への脱出不可能となり、唯一の道であった火道を降下。

 幾つもの転移を経た後、未発見の迷宮群に到達。目に付く片っ端の初級および下級の赤の迷宮群を累計43個完全踏破。

 43個目の迷宮を抜けた先がロウガ地下水道の最深部とおぼしき部分と繋がっており、そこからロウガに帰還。

 その際にケイスの”捕食”から逃げようとした迷宮モンスターの一群が、迷宮を捨て地下水道になだれ込んだために、今回の迷宮モンスター出現事件へと繋がった。

 迷宮存在の証拠として、ケイスからは神印宝物8点がロウガ支部へと提出されており、全て真作と鑑定報告有り。

 古い物では140年近く発見報告がなかった、暗黒時代以前の古美術品クラスの短刀も含まれており、功績を偽るために、他の探索者から譲渡や買い取ったと考えるのは不自然きわまりなく、真実とみられる。

 地下水路の一部が迷宮化していることは知られていたが、それは大半がもっとも脅威度の低い特別区で、地下水路を今も徘徊する東方王国時代の遺物であるガーディアンがモンスターを処理しているので、無視されていたのが現状だった。

 しかし今回のケイスの証言および手書きの地図に基づき、上級探索者のソウセツおよびナイカが、ガーディアン群を突破して地下水路最深部への強行偵察を敢行し、複数の迷宮口を発見。

 その数は今回の調査で発見しただけでも30を越え、迷宮色は現状では不明だが、迷宮の先にさらに複数の迷宮口があるというケイスの証言通りならば、ロウガ近郊の迷宮群と同規模かそれ以上の多種多様な数百以上の迷宮で構成された『大迷宮群』と推測される。

 迷宮閉鎖期のため内部への進入は大半の迷宮で不可能だったが、ソウセツ達は閉鎖期でも進入可能な特別区をいくつか発見し内部調査を決行。

 今回の襲撃事件で出現した迷宮モンスターの幼体および下位存在とみられる鉱石種迷宮モンスターの捕獲に成功。 

 現在も生態解剖調査中だが、今回の出現モンスターが、新たに発見されたこの迷宮群から出現したと断定して間違いない。

 ここまでの情報だけでも評議員達の理解力、処理能力的には限界。お腹いっぱいだが、ロウガ最悪の問題児はさらに味変をして情報をたたき込んでくる。

 迷宮モンスター出現と時を同じくして、ケイスの替え玉を行っていた剣戟師の所属する劇団およびケイスのパーティーメンバー2人が観劇街の劇場において、狂乱結界とおぼしき魔術による襲撃が発生。

 替え玉から剣を取り返す為に劇場を訪れていた、ケイスはその場にたまたま遭遇。

 敵対者と判断し術者がいるとおぼしきファルモアの塔を目指していたところ、謎の魔術攻撃により複数の劇場および建造物が爆発炎上、さらには件の迷宮モンスターが魔術テイミングされケイスを襲撃。   

 様々な要因から謎の攻撃魔術の正体が、観劇街に存在する多様な魔具を何らかの手段によって繋げ基点とした周囲一帯に作用する大型魔法陣型魔術攻撃と断定。

 その起点となるファルモアの塔を斬り潰して魔術攻撃を停止させたが、術者の消息および正体は不明。

 ケイスの証言を確かめるために、観劇街の魔具や舞台装置を点検した所、少なくない数の魔具や装置に不自然な魔力消費や、発動記録が残っていることが判明。現在詳細検査を執り行っている。

 また別件となるが、ファルモアの塔からの帰りに、ケイスはルクセライゼン紋章院による襲撃を受けこれを撃破。

 紋章院との戦闘終了後に、ロウガ守備隊水狼と接触。その際不幸な偶然と誤解から自ら足を切断し重傷を負ったため、現在ファールセン邸で治療中。

 こちらの原因は、ケイスが所有する生体闘気剣『羽の剣』は青龍素材を用いており、そこに宿る意志は、ルクセライゼンの国名への由来ともなった先代青龍王ルクセライゼン。
 
 青龍由来の剣を狙って、紋章院ひいてはルクセライゼンが襲撃を仕掛けてきたとケイスは断言している。

 その根拠としてケイスは、ケイスの替え玉を務めていた少女剣戟師カイラの存在を上げていた。

 彼女は過去を偽り偽名を名乗っており、その正体は現在ルクセライゼンを訪れている劇場艦リオラでも一時的に名を馳せていたカティラ・シュアラその人である。

 当初はカティラよって秘密裏に剣を回収する手はずだったはずが、ケイスが剣を取り戻したために、再度奪取するために強硬手段を行ったというケイスの主張で報告書は締められていた。  

「以上が彼女からの証言を元にまとめた第一次報告書となります。証言のみで裏付けが取れていない物も数多くありますので、警備隊のソウセツ殿を中心に追加調査中となります。何かご質問のある方は?」


 フェルナンドが話し終えると共に、議員の大半が大きく息を吐き出し、何ともいえない表情を浮かべるのみで、誰も発言を求めようとしない。

 あまりに荒唐無稽で現実感が乏しく、実際に起きたことであるのに、現実だと脳が受け入れるのを拒否しているのだろう。

 これがまだ優先順位をつけられる事態なら話し合いも進むだろうが、どれもが方向性が違いすぎて何を優先すべきか、誰もが判断しずらい状況だ。

 幾時かの逡巡のあと、素材調達ギルド派閥をまとめる初老の評議員が手を上げる。
 

「どこまでが真実で、どこから誇大妄想なのか、このような紙切れにかかれているだけでは判断が付かない。とにかく本人をこの場に呼ぶべきではないか、実際に未知の迷宮群があるとするなら対策を行わなければなるまい。ルクセライゼンとの関係もあるが、まずはロウガの安全確保を最優先すべきだ」


 新たなる素材獲得が見込める迷宮発見となれば、彼らのギルドがその詳細を求めるのは当然ではあるが、それを差し引いてもロウガの安全確保を第一とする初老議員の主張は正論だ。

 迷宮をそのまま放置していれば、内部での過剰繁殖による増大や、数が増えれば増えるほど強大な力を持つ変異種が発生する確率も高まる恐れがあり、素材調達ギルドには、モンスターの討伐や採取による調達のみならず、事前兆候や変異の発生など迷宮内の異変をいち早く管理協会に知らせる義務がある。


「迷宮学者として賛同させてもらおう。閉鎖期が開けて調査隊を送り込むにしても、ガーディアンを突破できるだけの上級探索者に匹敵する戦力をたびたび出すわけにもいくまい。こちらの正気を試されそうであまりしたくはないが、我々で再聞き取りをするしかなさそうだ」


 学者閥に所属する議員が、心労を心配したのか心底嫌そうな顔を浮かべながらも、ケイスの召喚に賛成する。

 単独や、少数の下位迷宮程度なら実入りも見込めず放置されることもあるが、大迷宮群ともなれば定期的な調査や、内部の間引きは必須だ。

 むしろよく今まで何も無く無事だったと、顔を青ざめさせた議員も少なくない。

 おそらく今までも少量の迷宮外出現があったのかも知れないが、地下水路のガーディアンが葬ってきたのだろう。

 だが今までが大丈夫だったからと言って、それが未来永劫続く保証などどこにもない。自分達の街の足下に管理されていない迷宮があっては、枕を高くして眠ることなど出来無い。


「分かりました。ですがすぐに召喚というわけにはいかなそうです。襲撃者を警戒するケイス嬢は、現在療養に専念し、怪我が癒えるまで信頼できる者以外との面会を拒絶しているとのことです。今回の報告も、ケイス嬢の治療に当たったロウガ医療院所属のレイネ神術医師からもたらされた物です」


 この非常時に自分勝手なと憤慨し、無理矢理にでもケイスを召喚しろと声高に主張する議員は現れない。

 強行すればケイスがどういう反応を見せるか誰もが予測が付き、その被害は誰もが予測できない。

 触らぬ神に祟り無し。下手に手を出して責任を押しつけられたらたまらない。

 ケイスの身元保証人は大英雄フォールセン・シュバイツァーであり、実質的に保護者として一時同居していた支部職員のレイソン夫妻にケイスがなついているのは周知の事実。 

 裏を返せば、フォールセン邸に滞在している現状は、ケイスをおとなしくさせ、ある程度は制御できている状態。

 しばらくは放置もやむ無しと、評議員達の間で共通認識が広まりだしていると、議場外がざわめき声が聞こえてきた。

 魔術結界によって議会開催中は議場内の音が外に漏れることはないが、外の音は問題なく聞こえてくる。どうやら大扉のすぐ外で押し問答が始まっている。


「お、お待ちください! 現在議会開催中で関係者以外は立ち入り禁止です。進入防止、防諜結界が発動しておりまして」


「あら。では私は今は立派な関係者ですね。参加する義務があるとなれば遅参をわびなければなりません」


 議場外で警備する警備兵が制止する声が響くが、意にも介さない女性の声が響き、次いで大扉に施された発動中の結界魔法陣が青く輝き始める。

 それは正規な手段を用いた解錠ではなく、強力な魔力による浸食だ。

 青龍由来の全てを喰らい尽くす暴虐的な魔力による掌握によって、結界魔法陣を一瞬で制御下に置いた乱入者は乱暴極まる強硬解錠手段とは裏腹に、音もなく静かに両開き扉を開くと、堂々とした足取りで進入してくる。

 突然乱入して来た妙齢の女性は優雅に一礼をし、


「ロウガ評議会の皆様お騒がせして失礼いたします。私メルアーネ・メギウス宛てに、ある探索者から書状が届きまして、その件について皆様に伺いたく訪れました」


 ルクセライゼン全権大使として派遣された女公爵メルアーネは口調こそ丁寧だが、冷ややかかつ怒気を含んでいると誰もが悟らせる声で告げる。


「その書状を出したケイスと名乗る少女探索者がいうには、彼女所有の剣を、我々ルクセライゼン帝国が強奪しようとしていると。彼女曰く『申し開きがあるならば公の場で聞いてやろう。もし拒絶するのであれば、ルクセライゼン帝国を敵として認識する。皇帝もろとも抗う者は全て斬るから覚悟しろ』と……一介の探索者から宣戦布告をされるのは我らとしても初めての事態でして、皆様の見解をお聞かせ願えますでしょうか?」


 ケイスという災厄の前に放置という選択肢は、ただ指をくわえて被害が広がるのを待つだけだと、誰もが悟ったのはこの時だ。  

 ストレスによる脱毛、白髪化、突発性胃潰瘍、鱗剥落等の甚大な被害を数多の評議員達に発生させ、大きな利権や権益を得られるとしてなりたがる者が多かったロウガ評議会議員という名誉ある役職が、貧乏くじや、寿命削り等と、後に忌避されるようになったのはこの瞬間であった。



[22387] 深窓令嬢風化け物と資料室
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/10/27 02:11
 夕日さすロウガ旧市街フォールセン邸正門前に、ロウガ治安警備隊水狼隊に所属するロッソとナイカの姿があった。

2人がフォールセンを訪れたのは、個人でルクセライゼンに宣戦布告というか喧嘩を売って評議会を混乱の渦に陥れた癖に、療養中と嘯いてフォールセン邸に引きこもるロウガ最悪の問題児ケイスに、ロッソとナイカが呼び出されたからだ。


「ったく人が疲れてるってのに、軽々しく呼びつけてくれるさね」


 ぼやくナイカはあくびをかみ殺す。

強大なガーディアンが存在する地下水路最深部を突破して、未知迷宮群を探索し深夜に帰還後、そのまま評議会に提出する報告書作り。昼過ぎにようやく仮眠が取れるとなったら今度はケイスからの呼び出し。

 気力、体力と共にまだまだ持つが、寝入りばなを叩き起こされた恨みはまた別だ。

 本来は水狼は、水上、河川を専門とする治安警備部隊であるが、どうにも最近は対ケイス専属班という扱いをされている気がしなくもないが、ケイスの真意を問いただす絶好の機会とみた評議会も接触許可をだしている。

 固く閉ざされた門扉は、一切の無断侵入を禁じる重々しさを放つ重厚な作りで、施された結界魔法陣が正常稼働している証に、全体が淡く光る。

 一方で屋敷をぐるりと囲む塀は高さはあるが、自然石を組み上げただけに見える古くさい様式。表面が凸凹しており足がかりが多く昇りやすい形状をしている。だがそれが見かけだというのは、ロウガでは有名な話。

 正門以上に幾重にも張られた結界があらゆる術をはじき、使い魔の侵入を拒み、それでも無理に侵入しようとすれば、命さえ容易く屠る攻勢結界が待ち受けているという鉄壁の要塞という噂だ。

 現在主人であるフォールセンは現在大陸中央に出向いており留守としているが、呼び鈴で呼び出した留守居を務める老家令メイソンが現在2人を客人として向かい入れるために、来客用認識腕輪を用意しに戻っている最中だ。
 

「もしケイス嬢ちゃんを引っ張り出して来いって命令が出たとして、開放状態ならナイカさんここの結界って破れるか?」


 門扉横の塀をノックするように、結界が反応しない程度の微弱な魔力を乗せ軽く打ったロッソは、返ってきた反応が噂と違うことに気づき、急激にやる気を削がれる。

 どこが鉄壁の要塞だ。そんな生やさしいクラスではない。塀のあちら側とこちら側でほぼ別世界となる、異界製造クラス結界がそこには鎮座していた。

 今回は話を聞いてこいで済んでいるが、評議会の混乱具合はいつ強硬手段命令が出てもおかしくないほどに混沌としている。


「無理に決まってるさね。古い知り合いに聞いた話じゃ、元は東方王国時代の邑源一族が拠点としてた出城跡地。この塀もその頃の遺構。火龍群の大魔力で結界は破られたそうだけど、塀自体は火龍のブレスだろうが、尾の一撃だろうが耐えきったそうだよ。しかもわざわざ来客者用腕輪が必要ってことは、結界が最大稼働した戦時状態になってるね。あんたも気をつけな。下手に外したり、許可された区画以外に一歩でも足を踏み入れたら黒焦げにされるよ」


「そりゃまた……ロウガ支部より物騒だな」


 さすが大英雄宅と肩をすくませるロッソに出来るのは、強行突破というとち狂った判断を評議会が下さないことを祈るだけだ。

 普段ならばフォールセン邸を訪れるのに、個人認識を施した腕輪をそのたびに作るなんて面倒な手続きは必要としない。

 ケイスの指示なのか、それとも襲撃を受けたファンリア一座の者達も療養のために滞在しているのでメイソンが警戒レベルを引き上げたのか。

 どちらにしろ、その気になれば、ロウガ防衛のためにそれぞれの街区を隔てる防壁に張られた強固な結界さえも破壊可能だろうナイカが、無理だと即答できる代物。まともな手段でどうこうできる類ではない。

 ましてや周囲は閑静な高級住宅街。周囲の被害を押さえながら使える手段は限られている。


「しかしどっから引っ張ってきてんだよ。そんだけの魔力」


「そいつも地下みたいさね。どれだけ爆弾が……ようやくかい」


「お待たせいたしました。ではお二人ともこちらをお付けください。ケイス様がいらっしゃる資料室までご案内いたします」


 正門横の通用門が開き姿を見せた老家令が差し出したのは細めの腕輪だ。


「資料室ね。ケイス嬢ちゃんのことだから鍛錬所でも連れて行かれるかと思ったらまた似合わないところに」


「斬った張ったじゃないだけましかね。精神的に疲れるのも嫌なんだけどね」


 身体が鈍るから鍛錬相手に呼び出したとなどのくだらない用事ではなさそうだが、ケイスには似付かわしくない場所に、むしろ不安が増す二人だった。





 フォールセン邸はその強固な結界と広い敷地内には広大な地下倉庫もあり、元はロウガ支部としても使われていた建物となる。
 
 新市街に今の支部が建造されたときに、ほぼ全ての支部機能が移設されたが、移動させるほどでもなく、かといって廃棄するわけにも行かない取り扱いに困る保管書類などはそのままにされていた。

 その時の流れから今でも、ロウガ支部が孤児院の運営費用を一部立て替える代わりに、一般公開書類限定で支部保管庫に置ききれなくなった各種記録の写しや資料を預かっている。


「ケイ。観劇街の設備点検記録ってどこにある? ウォーギンが最新じゃなくても二年ぐらい前のでもあれば欲しいって」


 別室で調べ物をしているウォーギンに頼まれ資料室を訪れたウィーは、周囲のテーブルを手元に寄せて堆く乱雑に積もった本や書類の山に囲まれた中心地に鎮座していたケイスへと尋ねるが、どうにも慣れない違和感をウィーは未だ覚えていた。

 数年前のルクセライゼン騎士名鑑という表題の分厚い書籍をぺらぺらと流し読みするケイスの顔をした深窓の令嬢がそこにはいた。

 普段は動きやすい格好を好み、戦闘で衣服が破けて素肌を晒そうが、鍛えているから見苦しいところなぞないと羞恥心が壊滅している美少女風化け物は、今日は淡い青色のイブニングドレスを見事に着こなしている。

 髪を結い纏め、普段ならば絶対にしない薄い化粧さえしているので、元からずば抜けていた絶世の美少女ぶりにさらに磨きが掛かっている。

 右足と左手首には重傷を負い、ドレス姿に致命的には似合わない包帯を巻いているのに、それさえ絵となるほどだ。

 怪我を負った姿が、どこか儚げで病弱な印象さえ与えるのだろうか。

 ケイスのこの姿をたまたま目撃した屋敷の者達や、屋敷に隣接した孤児院の子供達は、老若男女関係無く、一瞬声を失い、魅了魔術にでも捕らわれたかのようについ目で追いかけてしまうほどだ。

 しかしそれはケイスをよく知らない知らない者限定。

 この姿を見た仲間も一瞬魅了されかけたが、すぐに我に返り『詐欺だ』で全員一致した。悲しくもケイスという存在に慣れてしまったからだろう。

 もっとも当の本人は、周囲の反応など気にもとめていない。

 ケイスが周囲を気にしないのはいつもの事と言えば、いつものことだが、今回は少しばかり趣が違った。

 普段ならば剣を振りにくいとそのような格好を嫌がるのに文句も言わず、仲間達にあれこれやたらと面倒な指示を出した後は、資料室に籠もり、呼びかけにも最低限に答えるのみで、食事もこの部屋で取っているが、1時間に一食分というハイペースで平らげている。

 フォールセン邸に避難してからここ二日間ずっとだ。

 睡眠どころか、あれだけ食べても排泄行為さえしていないのだが、断片的に答えた本人の証言をまとめると、治癒能力を上げてついでに内臓機能強化で飲食物を百パーセント消化している巣ごもり状態とのこと。

 つくづく化け物だ。

 そんな美少女風化け物は、自分が不在時のロウガで起きた記録や、周辺国家関連の取引記録、経済誌からゴシップも含めたあらゆる新聞記事、フォールセン邸の図書室から持ち込んだ学術書などをひたすら読みふけり、時折家令のメイソンへと指示を出して、自分がしたためた手紙を渡していた。

 どこに出したのかと聞いても生返事が返ってくるだけで、不気味なほどにおとなしい。

 館の主であるフォールセンの実質的な弟子ではあるが、あくまでも客人だというのに、まるでこの屋敷の女主人であるかのような振る舞いっぷりで、資料室を占拠している。

 だが現状が混み合いすぎて楽観できる状況では無いので、今はとりあえずなにやら考えのあるケイスの好きにさせている状況だ。



「……ん」


 ウィーの問いかけにしばらく遅れてから反応したケイスは本に目を落としたまま、無造作に積まれたファイルの山の中段に手首に幾重にも包帯を巻いた左手を伸ばすと、すっと引き抜き投げ渡してくる。

 暴投気味で高めに飛んできたファイルを軽く跳んでウィーはつかみ取る。

 投擲技術でも人外じみた技量を誇るケイスが、いくら投げにくい形状のファイルだとしても、ここまで大きく外すのは異常事態。予想以上に怪我の影響が大きい。

 それはそうだ。左手は昨日斬ったばかり。さすがにいくらケイスといえど一日でまともに動かすのは無理のようだ。

 しかし、もしかしたらそれさえわざとかも知れないのが、ケイスの恐ろしさだ。

 右足の怪我がバインドから逃れるために自ら斬ったというのも、頭のおかしい話だが、左手の方はもっといかれている。

 完全切断した右足は、綺麗に斬った上で闘気でくっつけたから問題ないという、治療ともいえない治療に、入院してちゃんとした治療を受けろと心配する仲間や保護者を前に、再度自ら左手を斬ってみせたのだ。

 本人曰く『みろこの傷口を。これなら素直にくっつくぞ。だが心配をかけた礼と詫びだ。剣を振りにくいから治るまでおとなしくしているという保証にしてやろう』と、断面をみせて平然と答える始末だ。

 行方不明になっていた間に、また頭のおかしい狂人具合が跳ね上がっている気がしてならない。

 元々人外だが、迷宮を踏破すれば踏破するほど、その度合いがひどくなっている。


「左手は使っちゃダメだって。レイネ先生に怒られるよ。場所だけ言ってくれれば取るから」


「ん」 


 了解したのか、それとも反射的に答えただけなのか、今ひとつ分からない答えが返ってくるだけだ。

 渡されたファイルをウォーギンへ渡すためにウィーが資料室を後にしようとしていると、ノックの音が響き、


「失礼いたしますケイス様。ナイカ様、ロッソ様がお見えになりました」


「ん、入れ」


 メイソンからの呼びかけに答えたケイスは読みかけていた本をパタンと閉じると、乱暴な口調とは裏腹なゆっくりとした優雅な仕草で立ち上がり、入室してきた水狼の二人を向かい入れる。


「うむ。二人ともわざわざ済まない。礼を言うぞ……どうした?」


 微笑を浮かべ礼を述べ頭を下げるケイスはまさに令嬢。

 固まっている二人の様子に小首をかしげる仕草は、幼いながらも高貴さえ醸し出し深窓の姫君と見間違えられても、おかしくないほどだ。


「「……詐欺だ」さねぇ」 


 ナイカ達でさえ一瞬見とれてしまったようだが、数秒後には我に返り、異口同音で同じ感想を零す。

 傾国の美少女と呼んでも差し支えないほどの美貌だが、そんな物を物ともしない狂気を含んだ狂人だとケイスを知る者達に掛かれば、魅了効果も僅か数秒しか持たない辺りその業の深さが知れるという話だ。



[22387] 深窓令嬢風化け物と悪巧み
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:b4029844
Date: 2022/11/08 02:36
「ルクセライゼンに宣戦布告したって……療養に専念するって言ってたのにどうとち狂ったらそうなんの」


 水狼の二人が訪れたから来てくれと呼びされた時から嫌な予感がしていたが、想像さえしていないケイスの暴走にルディアは気が遠くなる。

 愛剣を狙われたケイスが示す怒りは想像は出来たが、いくら何でも個人が一国相手に喧嘩を売るわけがないだろうという常識が、無意識に選択肢から外していたようだ。

 怪我も気にせず斬りにいくと騒いでいたなら警戒もしていたが、資料室に引きこもっているからと、ファンリア一座の治療薬作りに専念していたのは失敗したと、ルディアは後悔しかない。


「お前。相手を選べよ」


「あきらめろウォーギン。ケイスよりその辺りをうろついている狂モンスターの方がまだ理性的だ」


「ぁーケイだからね」


 ケイスの奇行にある程度慣れていると自負していたパーティメンバー達でさえ、呆れとあきらめが混じったルディアと似たり寄ったりの反応をするしかない。

 ロッソとナイカはそんなパーティーメンバーと呼ぶよりも、ケイス被害者の会常設メンバーと呼んだ方がしっくりくる、ルディア達に同情と憐憫のまなざしを向けている。


「別に苦情を入れただけだ。あっちの捉え方が悪いと言い張れる程度の内容だ。公の場に彼の国を引き出すのが目的だったから問題はあるまい」


 一方でこの反応を狙っていたと平然としたケイスは、横に立つメイソンの入れた茶に砂糖、蜂蜜をどばどばと足して味わっている。香りも味もあった物じゃないが満足気だ。


「ふむ……しかし反応があったのはまだルクセライゼンだけか。他国はまだ態度を決めかねているか、裏で手を組んでいる最中か。メイソン。こちらにも返答は無しか?」


 唖然としている周りを気にもせずしばらく思考したケイスは、続けざまに不穏な台詞を吐いて、一人で納得してしまう。


「はい、当家の名で各国管理協会支部に出しましたので、無視されることはないと思いますが、返信は一切ございません」


 ケイスの企みに荷担した家令は恭しく頷く。

 引退したとはいえ大英雄フォールセンの名は絶大。その屋敷から出された書状ならば、最優先で、管理協会支部から国のトップに渡されているはずだ。


「フォールセンの旦那の名前まで使って、騒ぎを大きくしてどうする気さね。どこの国に仕掛けたんだい」


 口調はゆったりだがナイカが鋭い目つきから繰り出した詰問に対して、ケイスは正々堂々と胸をはる。


「後ろめたいことも恥じることも一切ないぞ。探索者としての義務を果たしただけだ。私が迷宮に飛び込んだのは悪夢の島であろう。あの島はロウガだけでなく、周辺国家が共有していた流刑地から今回の迷宮に飛び込んだ。故にロウガを含めた7つの管理国家に迷宮の存在やそこで得られた情報を報告したまでだ」


 言っていることは間違いなく正論ではあるが、あまりに杓子定規すぎて、今回は時と場合を考えろという悪手にしか思えない。


「どうせロウガ評議会はこの街の地下水道から繋がった迷宮だとして、自分達が管理して当然となっていて、現段階では他国と情報共有をするという発想には未だ至っていないであろう」

 
「間違っちゃいねぇが、また七面倒くさい勢力争いの爆弾ぶっ込みやがったな」


 その厄介さを察したロッソは、下手したら争乱の一つや二つ起きてもおかしくないと懸念する。

 迷宮は未知のモンスターが跳梁跋扈する危険地域。隣接した村々や都市、国家が迷宮からあふれ出たモンスターの襲撃を受けることも珍しくない。その最たる物が暗黒時代だ。

 だが同時に迷宮は資源の宝庫であり、物によっては迷宮を1つ抱えただけで、その国の流通や財政が劇的に改善する起爆剤。

 それ故に迷宮を有する土地の所有権は、時に戦争さえ引き起こす勢力争いの種ともなり得る物だ。

 ましてや今回は複数の迷宮を抱え込んだ大迷宮群。

 膨大となるであろう維持費や開発費を考えると多少は躊躇するであろうが、そこから半永久的に得られる利益を鑑みれば、どこの国も喉から手が出るほどに権益をほしがるだろう。


「だけどあの島は嬢ちゃんが突っ込んだあと山体崩壊を起こしてほぼ水没してんぞ。火道の下に迷宮があるつっても掘り起こすのに、どれだけ技術と金が掛かるとおもってんだ。正直、ロウガと周辺国家で力を合わせてもどうこうできるレベルじゃねぇぞ」


「ロッソの言う通りさね。ガーディアンの問題はあるがまだ地下水路に道を開いた方が容易い。ロウガは直接的な領土こそ狭いが、勢力としちゃトランド東域最大の都市国家さね。一カ国じゃ縄張り争いなんてなりゃしない。だけど他六カ国が纏まったら話は別って事で、地下水路側に1枚噛ませるきかい。ロウガに不利益を与えて嬢ちゃんはどうする気さね」


「別に地下水路側は狙いではないぞ。私の目的は別だ」


 新規迷宮の独占を当然と思っているロウガのお偉方からすれば、一応は管理協会ロウガ支部に所属するケイスの行動はロウガに対する背信行為その物だが、この化け物にはそんな狭い領域の話は元から意識にはない。


「じゃあその狙いって何よ。あんたここまで騒ぎ大きくして収拾を付ける算段あるの」


 下手したら戦争を引き起こす引き金さえ躊躇なくひきかねないケイスの真意を推測するのは不可能だ。何せ考え方、価値観があまりに違いすぎる。

 ケイスのことだ。いくら問い詰めても心配するなの一言でスルーしかねないと判断したルディアは、最終手段を導入する。


「ケイス。今からレイネさんに今回の悪行、全て話して怒ってもらう? 子供の悪戯だってことにして無難に収める方が現実的っぽいって私は考えるけど」


 対ケイス最終兵器ことレイネの名前が出ると、ケイスの頬が引きつる。

 傍若無人で他所をあまり省みず誰にでも強気なケイスが、抗いにくい希少な人物だ。

 何せ数え切れない恩やら迷惑をかけているうえに、叱られる、お仕置きされるなどを嫌がるが、なによりケイスが嫌がるのは心配させすぎて泣かれるパターンだ。

 ケイスが今着込んでいるドレスも、始まりの宮を突破した後に開かれるロウガ城での祝賀会用にと、レイソン夫妻がケイスに内緒で仕立てていた物になる。

 ケイスならばきっと輝かしい功績を立てて城に呼ばれるだろうと用意してくれていたのだが、結果はあの有様で、レイネを過去最大に悲しませることになっていた。

 それもあって今回はおとなしくする証として、療養中はそのドレスを纏っている。


「むぅ分かったから短慮を起こすな。今レイネ先生に出られたら、せっかく我慢しているのが無駄になる。賽は投げたのだ。説明してやる」


 ケイスはこのまま自分1人の脳裏でなにやら企てていた計画を推し進めるのを諦めたのか、積み上げていた本を二冊引き抜きテーブルの中央に広げる。


「なにその本?」


「結果から先に言えば、ルクセライゼン現皇帝派と紋章院が手を組むことはあり得ない証明だ」


 ケイスがみせるのは【ルクセライゼン旧国解析】と評された20年ほど前の交易商人向けの書籍。

 もう一冊はロウガで今も発行されている演劇雑誌。こちらはずいぶんと古い号らしく表面が変色している。  


「元来ルクセライゼン帝国は、暗黒時代に力を集結するために、複数の国があった南方大陸を統一して出来た連邦帝国だ。現在も元の国家事に高度な自治権が有り、かつての王族は大公としてそれぞれの領域に君臨している。そして今ロウガを訪れているルクセライゼン全権大使の女公爵は現皇帝の姪であり、皇太后の出身家系であるメギウス家の大公代理でもある」


 トランド大陸ほどではないとはいえ、ルクセライゼン大陸もかなりの大きさを誇る。

 共通言語が普及し、各種数値や単位が統一されてはいるが、領土は広大で、それぞれの地域ごとに文化や歴史が色濃く残っているので、地域ごとに異なる売れ筋だったり、商売慣習を紹介する内容が主ではあるが、各大公家ごとの関係性を解説した章にも多くのページが割かれていた。


「現皇帝は善政とはいえその治世が長くなりすぎており、帝位を望む準皇族と呼ばれる他の大公家出身の妃達との間に後宮も形成しているが、御子も誰1人おらず関係性は悪化していると、20年ほど前でさえはっきり書かれている。現状は言わずもがなであろう」


「派閥争いはどこのお国も常とはいえ、あそこは確かに色々あるさね……で、そっちの本は」


 ケイスの出自をおおよそ把握しているナイカは、ルクセライゼンを乱す最大の原因となりかねない存在が何を白々しくと思いつつも、未だその真意が不明なケイスに続きを促す。

 
「こちらには当時公開後すぐに公演中止となった演劇の内容が記されている。内容は多少変えているが、実際に起こった事件を元にしたからだ。内容はある大国の皇子と恋仲に落ちたメイドを主役にした悲恋劇。この劇の中で悪役のモデルが件の紋章院。皇子の子を身ごもったメイドは、国体の維持、皇室も含めた貴族血脈の管理を司る紋章院によって、腹の子共々、殺害された……皇子のモデルが現皇帝となる。ナイカ殿やメイソンなら知っているであろう」


「嫌な事件を思い出させてくれるさね。そいつは今もタブーってやつで関係者なら誰も触れたがらない件だよ」


「その方は当家に仕えていた当時のメイド長であり、私の師でありました。旦那様も大変心を痛められ、事件が収束後、協会支部長を辞められ引退なさりました」


 ひどく顔をしかめたナイカや、つらそうなメイソンの反応がそれが事実だと、この場にいる誰にも伝わってくる。


「すまんな2人とも。私も掘り起こす気なぞ無い。お前達もこれ以上は聞くな。ルディ達が心配するからついでに見つけただけだ。ともかくこのような遺恨がある以上、ルクセライゼン皇帝派閥と紋章院が手を組んで、私の剣を狙ったわけではない。狙いは別件だ」


「別件って……まさか!?」


「ふむ。ルディの推測通りだ。先ほど説明したとおり、紋章院の本質は血の管理。あの者達が出張ってきたのは、あの日、あの瞬間、ルクセライゼン皇族に極めて近い血の反応を確認した所為だ」


「まてまて。ケイス嬢ちゃん。血の反応ってどういうことだ。まさかお前」


 ロッソは疑惑の籠もった瞳をケイスに向ける。


「ん。違うぞ。発生源はカティラだ。あの者はどこの家かは知らぬが、ずいぶんと濃い青龍の血をひいている。現在あの者の瞳が青く染まっている。それが何よりの証左だ。そうであろうルディ?」


 自らの最大の禁忌をケイスは瞬時に否定して、無理矢理に話を切り替え、先ほど反応したルディアに振る。


「え、えぇ確かにケイスの言う通り、カイラさんが強い魔力を発するようになってから、瞳が青く染まっています。ただ本人の意識が戻らなくて魔力も制御不能状態なので、今は魔力安定用の点滴を打って、医務室の方で隔離療養中です」


「青い瞳。皇族の血をひく証ってやつかい。正当な血筋なら良いが、隠し子なら下手に紋章院に引き渡したら処分対象だね……あの人にまで手を出した奴らだ。躊躇なんぞしないだろうね」


「強い魔力攻撃に晒され、身体が防衛本能を発揮し、眠っていた魔力に目覚めたのか、それとも何かの隠匿魔術で隠していたが魔術式が壊れたのか。本人がそれを自覚していたのか含めてどちらにしろ正体不明だ。ファンドーレ。あの者の意識はいつ戻りそうだ?」


「もう数日はかかるな。魔力が安定するまで自己防衛本能が働いている状態だ。だが確かにお前が言う通り、魔力反応を見せてから目の色が水色に変わってはいたが、それにしては対応が早すぎないか」


「準皇族も含むルクセライゼン使節団が来訪してから、紋章院も活動を活発化させたのであろう。羽目を外した者によって、他国に血が拡散するのを嫌うであろうからな。そして時を同じくして、剣戟劇の練習や公演で羽の剣を使ったそうだな。私の剣は語ったとおり、前深海青龍王ルクセライゼンの魂を宿した闘気剣だ」


 ドレス姿であろうとも常に肌身離さず携行していた羽の剣を、ケイスがテーブルの上にそっと置く。

 力を込めなければ、名前通り羽のように軽く、触っても切れ味など無くふにゃりと曲がる摩訶不思議な剣。

 物言わないこのおもちゃのような剣に、彼の龍王の魂が宿っていると聞かされても信じられぬだろう。ケイスの剣技をみた者以外では。

 剣に触れたケイスが少しだけ力を込めると、刀身が硬質化し重量を増しみしりと机がなりはじめる。

 それに合わせどうにも居心地の悪い、ぞわぞわとする気配が刀身からは発せられる。

 普段ならば、ケイス本人の苛烈すぎる剣気に隠れて感じ取りにくい気配であるが、今はケイスが調整しているために剣の気配の方が強まっている、

 皆が感じるのは絶対捕食者を前にした恐怖が生み出す防衛本能。すなわち龍の気配を感じた人が示す当然の反応だ。

 そしてカイラの出す魔力も確かに似たような圧力を感じる物だ。


「ルクセライゼン皇族は龍を殺し、龍殺しの力を得た。元が同じなのだ。似通った反応で誤解を起こしてもおかしくはなかろう。出たり消えたりで確信を持てなかったかも知れぬがな。ウォーギン。魔導具で反応を拾う場合、今の気配とカティラの気配の判別ができるか?」


「使っているのが魔導具だとして様式が不明だが、魔力だろうが闘気だろうが反応を拾って分けるとなると、そうとう細かく調整しないと難しいな。しかも出たり消えたりか。俺なら機器の誤探知を疑うわな。頻発するからって、最初から目を付けられてたって言いたいのか?」


「うむ。そう考えている。そしてあの夜、カティラが魔力を発揮し確信を得て、確認する為にあの魔術師を出したのであろう。だがすぐにウィーの鎧で覆われたカティラからの魔力反応は途絶えた。そしてその代わりに羽の剣を使った私に誤認して捕縛しようとしたのであろうな。魔術師はなんと供述している?」


 件の魔術師はそのまま置いていてはケイスに斬られそうだからと、当日に水狼の手によって連行、もとい保護され、事情聴取を受けている。


「最初とかわらねぇよ。閉鎖期だからってロウガに買い出しに来たら、モンスターが出たって聞いて一稼ぎしようとしたら、怪しい人影を見かけて、火事場泥棒かと思ってとっさに捕縛魔術を使ったとよ」


 範囲外に魔力を漏らさないようにした術式や、登録しているのが中央の街で遠すぎるなど、怪しいことはいくらでもあるが、一応筋は通る供述を件の女魔術師はしている。

 このままなら厳重注意のみでおとがめ無しですむだろうとロッソは付け加えた。


「ふむ。カティラの存在が気づかれていないのであれば、そのまま返した方が面倒はないか」 

「ルクセライゼンが剣を狙ってないのは分かったし、カイラさんを隠そうとしてるってのは分かったけど、それがどうしてルクセライゼンやら他国まで巻き込むような危ない橋渡ることになんの」


 ケイスの行動が無茶なのはいつもの事と言えばいつもの事だが、今回は度が過ぎている。

 どれだけとんでもないことを考えているかしれた物ではない。


「様々な思惑が絡んで雑音が多すぎる。標的を一本に纏めるために、強硬手段を使ったまでだ。そうでなければ私の目的を果たせないからな」


 空になったカップをメイソンに付きだして二杯目を請求しながら、ケイスは状況を混乱させるだけ混乱させた目的を話し出す。


「主な目的は4つ。一つ目は羽の剣を私の所有物とはっきりさせる。二つ目はあの夜の観劇街で感知された青龍の気配の出所は、羽の剣であると正式に認めさせる。そして三つ目は悪夢の島を掘り起こすための資金を、ルクセライゼンに出させるためだ」


「……………一つ目と二つ目はまだ良いけど、三つ目はどう考えても無理筋でしょ。そのうえあともう一つって」


 無理筋、いちゃもんで喧嘩を売った相手に金を出させる気らしいが、どうやって国家プロジェクトクラスの金を得る気だ。

 とても正気とは思えない。無論ルディアの知る限りケイスの言動が正気であった事など無いが、さすがに今回は正気を疑って当然の無理くりだ。


「やらせる。火道を掘り起こしたついでにあの研究所も掘り起こさせる。私を狙うなら歓迎してやるが、狂乱結界を使ってまで私の仲間に手を出した以上、どのような手を使ってでもその企みを白日の下に晒し出し斬る。それが四つ目の目的だ」


 ケイスの四つ目の目的に、ロッソ達の目の色が変わる。

 違法実験が悪夢の島で行われていたという物質的証拠はなく監獄長の証言のみで、ロウガ評議会の有力議員でもあるギルド長にまで、とても捜査の手を伸ばすのは無理だというのが現状だ。 


「まて嬢ちゃん。犯人が分かったのか!? しかもその口ぶりだとあの島で研究やってた魔術ギルドの連中が絡んでいるって事になんぞ」


「おそらくだがな。観劇街で仕掛けてきた者は、既存の魔具や設備を、何らかの方法で繋げて魔法陣の基点として用いて攻撃を仕掛けてきた。私が上から見なければ気づけないほどの巧妙さだ。普通なら気づけまい。だが基点として用いたならば魔具の配置や仕様を詳細に知らなければ無理だ。だが大手の魔術ギルドであれば、それらは点検業務の一環として手に入る。今はウォーギンにそれらを証明するために確かめてもらっている」


「まだ半分も確認できてねぇっての。観劇街の登録大型魔具や設備に義務づけられてた当局からの検査記録や交換記録を漁っているとこだ。流行り廃りもあるから変えたってのもあるだろうけど、ただ現段階でも過去に明らかに不自然な交換や仕様変更がいくつかあった。そのあとにその現場から遠く離れた劇場なんかで、不自然な火事やら、魔術事故が原因不明で起きているって事もな」


「観劇街全体にトラップがあったって事か。相変わらず闇が深いなこの街は……それであの島の実験施設の掘り出しなんて無茶をやる気かよ」


 活気はあるが、それに比例して勢力争いが激しいのもロウガの特徴だが、今回はそうとうに根が深いと嘆息したロッソはケイスの狙いに気づく。

 確実な証拠を掴んで、動かなければもみ消されてもおかしくない。それこそ火龍転血石を用いた違法な人体実験という重大な案件でさえだ。

 だがそこにルクセライゼンや、あの島での権益で利害関係がある他国も絡むとなると話が変わる。

 悪事を隠そうとするならば、迷宮の発見という見逃せない利益を表に出して、全てを白日にさらそうとケイスは企てているようだ。
 

「ロッソを呼んだのは観劇街の魔具や魔術施設の交換、点検記録の最新情報を調べてもらうためだ。とくにここ一月のだ。ここの資料室にある保管資料では古くて確かめようが無い。あの島で借りた手甲や武器は全部使い潰してしまったからな。手持ちがなくて悪いが、その詫びと礼だ。お前達の手柄にしてくれ」

 
「義理堅いんだが、迷惑なんだが微妙なところが嬢ちゃんらしいな。ありゃ必要経費って奴だから気にしなくて良いんだがよ。聞かされた以上、動かないわけにゃいかねぇか。ナイカさん。従姉妹のミルカ嬢にご助力を頼んでくれ。保管庫の主なら、もし資料が改竄されていてもそこに気づけんだろ」


「あいよ。あの子も閉鎖期で資料整理に忙しそうにしてたけど緊急事態だ。仕方ないね、すぐに捕まえるよ」


 迷宮閉鎖期になると、各地から送られてきた探索者や支部からの新規情報報告書が集中して山積みとなるので、帰る暇さえないほど仕事が立て込んでいる。

 さすがに重大案件とはいえ繁忙部署から人の引き抜き等、普通は不可能だが、そこはナイカの名声と親戚の立場をフル活用する気のようだ。

 だがそこにケイスがストップをかける。


「まてナイカ殿を呼んだのは別件だ。もうしばらくここに滞在してくれ」


「指名された段階で嫌な予感したけど何をやらせ……っ!?」


 やれやれと肩をすくめていたナイカだったが、ケイスが取り出した古い魔具を見た瞬間、息をのんだ。

 普段から飄々としていて焦りを感じさせないナイカが珍しく驚きのあまり声を失っている。


「ウォーギンついでにもう一つ仕事だ。これを開けろ。ナイカ殿はこの中にいた者達の本人証明をしてくれ。それと上級探索者としてナイカ殿の政治力を駆使して、今回の件に対して私の公開査問会を開け。本来であればフォールセン殿に頼む気であったがまだお戻りになっていないからな」


「あ、あんまり驚かせないでほしいさね……しかも公開形式かい。本気で全部をあぶり出す気にしても……あぁわーかったよ。どうせその中身が出て来たら隠しきれず大騒ぎになるんだ。やってやるよ」


 やけくそ気味に承諾したナイカをちらりと見ながら、ウォーギンがケイスの取り出した魔具を観察する。


「ずいぶん古いな。緊急避難用魔具か……まだ稼働中だな、開けるとなると専用の魔法陣をひかないと無理か」


「ギン坊まだ開けるんじゃないよ。ファンドーレだけじゃ手が足りないかも知れないから、ウィーはひとっ走り支部に行ってなんとかごまかしてレイネを連れてきな。あとルディアもありったけの回復薬を用意しな。下手を打ったら、それこそ戦争になるクラスの国際問題になるよ」

 
 脅しにしてはやけに迫真に迫った台詞を零すナイカが過剰とも思える医療体制を整えようとする。

 予想外の展開について行けなかったルディアは我に返る。


「いやーさすがに無茶なんじゃ。この間の騒ぎの怪我人でものすごく忙しいらしくてケイの治療に来てもらっただけでも、あっちのお医者さん達にかなり恨まれてんですけど」


「医療神術士を二人もか。よほど重要人物かその中にいるのは。転職した身としては、任せられても困るんだが」


「ちょっと待ってください。いきなりすぎて理解が追いつかなくて、ちょっとケイス! どこで拾ってきたのよそれ。中身って一体!?」


「拾ったのはナーラグワイズの転血石の中だ。ルディ。先ほどの質問の答えだ。お二人をお救いすればルクセライゼン、そして上手くいけばエーグフォランから資金と技術を引き出せるはずだ」 


 全てを企んでいる狂人は、説明不足で混乱が増しただけのルディア達を尻目に、ほどよく冷めた二杯目の茶にまたもや正気を疑うほどに砂糖と蜂蜜をドボドボ入れてから、小憎たらしいほどに優雅に茶を嗜み始めた。



[22387] 深窓令嬢風化け物と老執事
Name: タカセ◆05d6f828 ID:ea41ef49
Date: 2023/06/24 19:31
 予期せぬ開放など万が一を考えて、幾重にも防御結界を施された魔導実験室内。

 その室内にはウォーギンの作業を無言で見守るケイス、ナイカの姿があった。

 幾つもの魔法陣を書き足して、緊急待避結界魔具の内部解析結果を終えたウォーギンが、珍しく自信なさげに結果を伝える。


「内部時間流はほぼ停止状態。温度は約1000°。液体状の岩石、簡単に言っちまえば溶岩でほぼ満たされた直径90ケーラの球体状の空間って所か。しかも反応的に赤龍魔力をこれでもかと含んだ状態だな……これに閉じ込められて、生きてるってのが些か信じがたいんだが」


 暗黒時代に作成された魔具と現代術式との差違があるため解析術をそのまま使用はできないので、魔法陣の式を大幅に改変をして用いなければならない。

 その解析術が示した結果は、普通ならば術式改変に失敗し何らかの誤差が出たと考えたほうが、まだ理解が出来る。

 それくらい異常な数値だ。

 しかし指し示す環境がいかに生物が生存不可能であろう地獄のような状況でも、自他共に認める天才魔導技師ウォーギンの解析。

 そして何より生存者達が上級探索者であるならば話は別だ。


「今の魔具みたいに、危険時に自動発動なんて便利な機能は無いさね。使用者が生きてる状態で自ら発動させなきゃいけない。本来なら発動後しばらくは位置を示すために、魔力放出をするはずだけど、大海戦のあと即座に砲撃戦に移行した。そこまで確かめている暇なんぞありゃしなかったろうね」


 救助対象者が皇帝や王であろうと、まず優先すべきはロウガ開放、そして赤龍王討伐。

 当時その過酷な戦場で戦っていたナイカ本人が言うのだ。探索、救助のための人員を割く余裕など微塵も無かったのだろう。


「発見時の状況から考えて、溶岩に満ちた火道内部で最終戦闘になったと思われる。おそらくはナーラグワイズ撃破直後に、火龍転血石の封印による復活阻止を敢行。急速冷却された岩石に閉じ込められては脱出不可能と判断し、周囲の空間ごと緊急避難したのであろう」


 火龍転血石の発見時と自らのナーラグワイズとの戦闘環境を思い出し、さもありなんと頷くケイスはしたり顔で頷く。

 完全に岩石で埋没した火道内。火龍転血石と遭遇したあの空間に繋がる通路は人の手によって掘り起こされた痕跡が見て取れた。

 多種多様な宝石や金属が掘り起こされる鉱山だとはいえ、火龍転血石が掘り起こされたのは偶然か、それとも必然か。

 そして自らが遭遇したのは……

 気に喰わぬ迷宮神の介入を感じたケイスは、無自覚に殺気を醸し出しかける。

 その身体に悪い空気を変えようとしたのか、ナイカがケイスの首筋を指さす。


「急速冷却ね……聞こうかどうか迷ってたんだけど、首のそいつはルクセの四宝かい?」


 華麗なドレス姿には些か不釣り合いな金属製チョーカー。その表面には一見飾りにも見える室温でも溶けない氷で出来た鱗が張り付いている。

 一瞬とぼけるべきかとケイスは考えたが、見た目は若くともエルフ族で長命なナイカは、父や、本来の持ち主であるベザルートと知己。
 
 おそらく自分の出自にもある程度は憶測が出来ているはずだ。

 それでも何も言ってこないのは聞いてこないのは、自分の出自が表沙汰になったときに起きる戦乱を危惧しているからであろう。


「うむ。ナイカ殿の推測通りだ。私が転血石を発見したときに、ナーラグワイズの意識をかなり押さえ込んでいた。四宝の鎧を破片上にして魔法陣の形状に、転血石に撃ち込んであったので、その意志や魔力を押さえ込んでいたようだ。私が難なく破壊できた理由の一つになる。図案で示すとこのような形だが、ウォーギンどう見る?」 


 ナイカは信頼が出来る。それでも四宝鎧をまとえたことは公にするわけにはいかない。

 ごまかしを入れつつも、状況に整合性を持たせると、話を変えるために手近にあった紙を手に取り、赤龍転血石と撃ち込まれていた四宝鎧の破片の見取り図を、右手で持った鉛筆で手早く描き出す。

 小気味よく音を立てて、一見すればでたらめに書き込んでいるようにみえる点は瞬く間に100を越えるが、正確無比にみたままを描き出しているだけだ。

 あのときケイスが確認できたのは前半分だが、ウォーギンの知識力、解析力ならばこれで十分だと信頼している。


「私が確認できたのはこれで全部だ。そして転血石のほぼ中枢地点に魔具が埋没していた。煮えたぎる赤龍血が固定化する直前に魔具を発動。そこを要にして鎧を撃ち込んだとみている。ドワーフ王の手による製造技術も用いて、最適化したようで破片の大きさは均一だったな。直前までお二人が生きていなければ不可能であろう。それがこの中でお二人が今も生存している根拠ともなろう」


 書き終えたケイスから紙を受け取りつつ、ウォーギンはケイスの首元へと無遠慮な目線をまじまじと興味深げに向けた。

 ルクセライゼン皇位正当継承の証にして、世に名高い天印宝物。

 ルクセライゼン四宝は魔導技師としても興味がひかれる一品だろう。


「お前な。そういう希少物なら先にいえ。あとで真贋鑑定名目でもいいから観察させろ……積層型魔法陣だな……お手本みたいな氷結完全封印型だが……少しバランスが悪い。転血石の表面には氷は付着していたか?」


「無かった。撃ち込まれていた鎧片のみが氷として残っていただけだ」


「あの島で赤龍転血石をもちいた違法実験してたって話だったよな。周囲の氷を除去した上に大元の転血石を削って、術式バランスが崩れたな。それで赤龍の意志が復活。挙げ句の果てに島陥没の大災害かよ。撃ち込まれていた魔法陣だけで封印が維持できると思ったか、意志なんて残っていないって判断したか知らないが、もう少しやりようが有るだろうよ」


 瞬く間に解析を終えたウォーギンはうんざり顔を浮かべる。なぜこれで問題が起きないと思ったと、あきれかえっているようだ。


「それだけ魅力的だったんだろうねぇ。赤龍転血石から取り出した魔力完全制御技術。こいつがどれだけの富と名声を産むか。ギン坊ならよく分かるだろ」


「赤龍系は厄ネタ過ぎて、まともな技師なら手をださねぇよ。鱗や牙ならともかく、暗黒時代の戦乱で死んだ赤龍の転血石は、例外なく呪われてんじゃねぇか。どれだけ防御結界を張ろうが、長時間弄ってれば狂って赤竜人化。それこそ討伐対象になんぞリスク高すぎだっての」


 数百年続いた暗黒時代の戦乱で討伐された赤龍の遺骸は、激戦地を掘り起こせば見つかる確率が高く、龍素材としては比較的手に入りやすい素材となる。

 だがそれでもまともな探索者や技師が、遺骸発掘や魔具制作になかなか手を出さないのは体内に残った転血石による魔力汚染を恐れているからだ。


「どのような勝算があったか知らぬが、結局は失敗しているのだ、そこは今は良い。肝心なのは、あの島の管理者や技師達は転血石の状況を見て、お二人の生存を想定しなかったか、無視した事だ。そして私は無視したとみている。それこそナイカ殿が言ったように、富と名声に目が眩んだのであろう……命を掛けて暗黒時代を終わらせた先達達の思いを踏みにじる行為。探索者として見過ごせぬ」


 ナイカが空気を変えた意味も無く、ケイスが、先ほどよりも強い殺気をほとばしらせる。

 自分が対象では無いと知っていても、上級探索者のナイカが思わず身構える。ケイスと同じ室内にいるぐらいならば、まだ猛獣の口の中が安心できると思えるほどだ。


「分かったから押さえろ押さえろ。こっちの心臓に悪い。いつものお前ならとっくに斬り込んでるだろ。主犯の目星も付いてるだろうにどういう風の吹き回しだよ」


 ケイスの殺気に慣れているのか、それとも抵抗が無駄と端から諦めているのかウォーギンの方が落ち着いているくらいだ。

 ロウガの治安を司る警備隊所属のナイカが、たきつけるなと睨み付けているが、ケイスの方には今はその気はない。


「ふん。怪我をしているからな。猶予を与えてやっているだけだ」


 むぅと眉をしかめたケイスはこれ見よがしに、包帯をまいた左手を振ってみせる。

 色々と思惑はあるが、自分の思いが、余人に話しても理解できない、してもらえないとさすがに分かってきたケイスとしては、なるべく説得力の有る答えを示したつもりだ。

 もっともケイスの常識的な返答に対して、二人が覚えるのは、何か企んでいるとしか思えないという懐疑的な感情だけだ。

 怪我をしているから強襲を控えている。それで納得しろというのが無茶なのだ。

 理由としている怪我にしたって、斬っても繋げられると宣う自分の剣技を示すために、自ら左手を切った狂人の発する常識的な発言を額面通りに受け入れろは無茶ぶりが過ぎるにもほどがある。

どうにも形勢不利な状況に打開点をケイスが見つけあぐねていると、控えめなノックの音が響く。

 その音と気配で、ノックの主をケイスは判別する。


「メイソンか。入って良いぞ」


「失礼いたします。ケイス様。ウィー様がお戻りになりました。ですがどうも説明がまずかったのか、ケイス様が危篤状態になっているとレイネさんに伝わっているようです。とりあえず顔を見せていただけると助かるとウィー様から救援要請が出ています」


 むぅとケイスは再度眉をひそめるが、レイネの名を聞いて殺気は霧散する。

 レイネにはただでさえ世話になっている上に迷惑をかけ通しなのだ。この上で心労を重ねさせるのはさすがのケイスでも躊躇する。


「分かったすぐに向かう。ウォーギンは先ほどの解析結果に併せた最適な解除方法を構築しろ、レイネ先生を長期拘束するのも悪いから、期限は二日以内とする」


「また無茶を……解除だけならともかく、中の溶岩と魔力対策を考えないと開けた瞬間大惨事だっての」


「私に考えがある。その環境に屋敷に対抗できる丁度良い者がいるからな。あとは火龍魔力制御は……ナイカ殿に頼むか」


「いくらあたしが上級探索者だつっても、森林エルフ族のあたしの魔力と、火龍の魔力とは破滅的に相性が悪い。場合によっちゃこっちの魔力が喰われるよ。それこそナーラグワイズの再誕になりかねないさね」


「ん。ナイカ殿の助力を頼みたいのはそっちではない。ロウガ支部に押収されたままの私の武具を何とか名目をつけて持ってきてくれ。剣の類が無理であるならば、額当てだけでも十分だが、解除時にはお爺様を使えないから、非常事態に備えて一本は剣が欲しい」


「嬢ちゃんの額当てって……あぁ、そういうことかい。しかし今の嬢ちゃんの立場だと色々横紙破りが必要だね。逃亡よりも襲撃を企てているって思われるだろうしね」


 額当てと言われてケイスの企みに合点がいったのかナイカは頷くが、その手続きの面倒さを感じ取ったのか、嫌な顔を浮かべる。

 例え殺傷力の無い額当てといえど、下手にケイスに武具を渡したら、どれだけ騒動が起きるかと、警戒するものが多数というか、関係者ほぼ全員が容易く想像でき、却下されるのが関の山だ。


「むぅ。元々私の物だぞ。第一私は査問会を受けると宣言したのだ。支部に戻ったロッソが既に報告しているであろうし、英雄であるナイカ殿に実地に向けて動くのだ。ならば受け入れられるであろう」  


「公開査問会はともかく嬢ちゃんに武具を返す件に関しては難しいだろうね。何せ歩く危険物ってのがロウガに知れ渡っちまったからね」


「ケイス様。ならば私に一つ腹案がありますが、いかがでしょうか?」


 納得がいかないと頬を膨らませているケイスを見かねたのか、黙って話を聞いていたメイソンが珍しく口を挟んだ。

 実際に対峙している戦闘状態ならともかく、目の前にいない相手の心理状態を察し仕掛ける精神戦はケイスがもっとも苦手とするところ。

 フォールセンの右腕として長年仕えてきた老執事が良い案であるというならば、自分が考えるよりも百倍良い案だろう。


「ん。任せる」


 鷹揚に頷いたケイスに対して、


「レイネさんの心配を利用させていただきましょう。ケイス様が火龍魔力によって危篤状態であるとすれば、お望みの額当てを返却させる勝ち筋はあるかと。ケイス様が提出した神印宝物が消滅する危険があるとすれば協会も認めざる得ないかと愚考します」


 メイソンは極めて真面目な顔で、ロウガ支部相手に仕掛ける盛大なブラフをぶちまけてきた。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
2.7531690597534