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[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2011/01/14 23:39
まえがき

 皆様はじめまして。初挑戦のdelphinusと申します。

 まだ勝手が分かっておりませんが、感想やご意見等お待ちしております。よろしくお願い申し上げます。

 1/14*27話更新

                              
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




















 青春を謳歌できなかった、あなたにひとときの青春を。


















 青春を謳歌した、あなたに今再びひとときの青春を。
















 そして今、青春の真っ只中にいる君たちに青春の尊さを捧ぐ。



















 苦くて、でもたっぷりの栄養を心に与えながら、まるで格闘家のように戦って青春を走った、彼らの物語。














 ――――――――――――青汁闘魂。


















 ――――高校二年生の春に見る桜というのは、実に綺麗なものだ。入学したてで何もかもが新鮮だった一年生の頃の緊張感はなく、かといって三年生の大学受験という壁に圧迫される訳でもなく。

 おそらく、心に余裕があるからだろう。

 入学式も終わり、かったるいだけの新入生歓迎セレモニーを終えた上級生たちは、新入生の勧誘に必死になっていた。新入生と見るや、ひっ捕まえて拉致監禁しそうな勢いである。そんな彼らを横目にさっさと下校しようとしている男子は藤野 良樹。部活が盛んなこの高校においては数少ない帰宅部である。

「あー終わった終わった」
 
 数少ない帰宅部という事は、必然的に下校は一人になる確率が高い。今日も彼は一人で駐輪場へ向かっていた。一人で下校する事はもう慣れている。
 不意に全校放送が流れたのは、ちょうど彼が鼻歌交じりに自転車の鍵を外した時だった。

『生徒の呼び出しをします。2年A組、藤野君、校長室まで来てください。繰り返します――――』

 校長室? なんで?

 訝しく眉をひそめながらも、彼はもう一度自転車に鍵をかけた。聞かなかったフリをして帰っても良かったのだが、校長室に呼び出しとなれば自宅に電話がかかってくるのかもしれない。そうなった方が面倒だ。
 それに校長室に呼び出される程の悪事を働いた記憶はなく、何故呼び出されたのか気にもなった。
 
「すみません、呼び出された藤野ですけど」

 数分でたどり着いた校長室の扉は黒塗りの無駄にちょっと荘厳なものだった。ノックしての伺いに対する返事は早く、扉を開けるように促される。
 なんだろ。特に怒ってる様子はないよな。
 扉越しの声色から判断しつつ、ドアノブに手をかけた。
 あ、そういえばカバン背負ったままだった。失礼かな? でも、まぁいいか。
 ほんの数瞬だけ考えて、藤野は扉を開けた。

「ようこそ、校長室へ」

 ここまで至近距離で見るのは初めてだろう校長は、温和そうな雰囲気をたたえた初老の小太りだった。しかも頭頂部が薄い白髪という典型的ぶり。癒しさえ感じる笑顔からして、どうやら説教とかではないらしい。
  何が大丈夫か分からないが、とりあえず大丈夫だろうと安心できたのは束の間だった。

「で、君、今日から生徒会長だから」

「はい?」

 明らかに失礼だと分かる表情と声を漏らしても、校長は温和な笑顔を崩さなかった――――。







[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】1話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 20:20
「いや、だから、君、今日から生徒会長だから」

 もう一度繰り返された言葉は、やはり最初聞いたものと同じだった。人間、呆気にとられるとうまく頭が回転しないもので、藤野はしばらく何を言えばいいのか分からなかったが、とりあえず率直に聞いてみる事にした。

「えっと、何でですか?」
「うむ。簡単に説明すると、生徒会長がいなくなったから」

 あまりに簡単にされすぎた説明に、藤野はまた混乱した。どうしよう。ってかどうしてくれよう。俺は何だ。試されてるのか?
 思考がループを始めると、校長の温和な笑顔が逆に恐ろしくなってくる。
 とりあえず藤野は一年間培ってきた学校の記憶をフルに掘り起こして反論に出て見る。

「何でですか、生徒会長はまだ任期が残っているでしょう?」

 生徒会は毎年6月に選挙が行われるため、したがって任期も6月までだ。まだ4月の時点で生徒会長が不在というのはあり得ない。

「それが急に会長の転校が決まってしまってね。急に席が空いてしまったんだよ」
「いやいや、だったら副会長がやればいいじゃないですか」

 至極真っ当な反論をしたつもりだが、校長は一切揺るがない。何なんだこの校長は。まるで銅像じゃないか。

「おやおや忘れたのかい? 転校してしまう生徒会長は副生徒会長も兼任していたんだよ。だから代わりもいないんだよねぇ」
「だったら書記とかがやればいいじゃないですか」
「もっともなんだけどねぇ、でも書記にしろ会計にしろ、兼任させてしまうのは負担が大きすぎてね。だから新しく選任しようとなったんだよ」
「だったら公募か何かして選挙してってのがフツーの流れでしょ? なんだっていきなり呼び出して指名なんてするんですか」

 返す刀でスパスパと藤野は言い募る。

「だってお金と時間がかかっちゃうじゃないか。ウチ、そんなに余裕ないんだ」

 ここでさらりと変わらぬ笑顔でオトナの事情を持ちだすのか。このヒトは。
 しかし藤野は諦めなかった。オトナの事情なんてコドモの自分からしたらオトナのエゴでしかない。

「だからって何で俺なんか選ぶんですか、意味がわかりません!」

 自慢ではないが、藤野自身、特徴がないのが特徴だと思っている程に目立ったものはない。学力も平均、運動能力も平均。学習態度もいたって普通である。まさにどこにでもいる普通の生徒でしかない。
 すると校長はにこにこしたまま机にトランプカードを並べた。ざっとみて数十枚ある。

「このカードは帰宅部、つまり部活に所属していない生徒の名前が入っていてね。で、一枚引いたら、君の名前が出たんだよ」

 ………………。つまり、テキトーにカード引いたら俺の名前が出たから指名した、と。なめてるのかこのジジイは。そうか。そうなんだな。よっしゃ良い度胸だ。ってか、いいよね。ここは俺、キレていいところだよね。

 流れたほんの数秒の沈黙の中で藤野は理性を弾き飛ばした。

「ふざけてんじゃないですよ! 俺はイヤです! 大体たまたまカード引いたら俺の名前があったからなんて理由で生徒会長に指名なんてすんな! そんな横暴が通るわけないでしょ!」

 荒げた声はそれなりの激しさを持って校長室内に響く。いや、響いたはずだった。藤野を不安にさせたのは、一切表情の変わらないにこにこ笑顔の校長だ。

「通るも通らないも、僕、校長だもん」
「意味わかんねぇ!」
「じゃあ言い方を変えようか。この学校で一番偉いのは僕で、この学校において最高の絶対権力者だからだよ」

 藤野は絶句した。
 発言内容がどう考えてもトンデモな事も一つだが、いきなり校長の雰囲気がずしりと重たくなったためである。
 なんだ。なんですか。いきなりヤクザに変身ですか。くそう。何でこんな人のよさそうな笑顔にプレッシャー感じてるんだ俺。
 負けてなるものか。去年体験した、ちょっとしたトラウマになりかねない部活勧誘の嵐に屈しなかった精神力を滾らせ、藤野は抵抗を続ける。

「一番の権力者だからって横暴が許されるはずないでしょ。俺はイヤです」
「何を言ってるのかな。僕は言ったでしょう。君、今日から生徒会長だから、って。これ、決定事項だからね」

 またまた飛び出た横暴発言に藤野は口を開けたまま何も言えなくなった。しかもなんで威圧感が増しやがりますか。

「決定事項って俺の意思とかは!?」
「関係ないんだよねぇ。校長命令ということで」
「関係なくねぇって! っていうか、命令ってどんな職権乱用!? 教育委員会とかに訴えるぞ!? 人権侵害だ!」
「あっはっはっはっは」

 ここで初めて、校長は声を出して笑った。

「訴えられるものなら訴えてみなさい」

 何だろう。何でこの温和な笑顔なのに深遠の闇を彷彿とさせるドス黒い凄みがあるんだろう。なんでひしひしとそれを感じるんだろう。アレだ、肌が痛ぇ。
 背中にじんわりと脂汗を感じながら、藤野はどうにかして生徒会長を断る理由を探し出すが、今度は校長の方が先手を取ってきた。

「でも、そこまで言われたら仕方ないねぇ。本当はこんな手を使いたくなかったけど」

 と、もったいぶって懐から出したのは数枚の写真と一枚のUSBだった。
 ちらりと見せられただけで藤野の顔はまともに引きつった。背中の脂汗が悪寒へと切り替わる。

「ここには男子高校生の恥じらいとか恥じらいとか恥じらいとかが詰まったある意味のメモリースティックです。僕はこのデータを僕と分からないようにバラ撒く方法も知っています」

 何でいきなり敬語になるんですか、と言った突っ込みは頭に刹那だけ浮かんで末梢された。藤野にとってはどうでもいい。今、目の前にちらつかされている恐怖の物体の存在の方が重要だ。
 下手をすれば高校生活、いやこれからの自分の人生に終止符を打たれかねないものである。

「な、なんだってそんなモノを!?」

 動揺しているせいでうわずっている声を聞いた校長は、ギリギリ見える部分で黒い表情を見せながらキッパリと言い切った。

「だって、僕校長だもん」
 
 そこですか。そこでそうきますか。経緯とか説明とか一切なしですか。

「で、どうするのかな?」

 やはり笑顔で問いかけられるものの、押しつけられた選択肢は一つしかない。

「せ、生徒会長任命の件、謹んでお受けイタシマス……」

 もはや藤野に抗うだけの力は残されていなかった。

「そうか、それは嬉しいことだ。あ、ちなみに、ちゃんと今のセリフは録音させてもらったから。このUSBレコーダーで」

 さりげなく出されたレコーダーに、藤野は今度こそ膝をつく。USBレコーダーで録音して証拠作りなんて、どこの刑事ドラマな展開だよ。くそう。ホントになにものだこの校長は。
 自身の理不尽さを脅迫でねじ伏せ、屈した所をすかさず証拠にとる。ここまでされて、屈しない精神力の持ち主など、高校生ではまずいない。
 校長から挨拶回りは明日の昼にして、生徒会長の心得なる書類を熟読しておくようにとのお達しを受けて、藤野はがっくりと肩を落としたまま退室した。

「ってゆーか、生徒会長って何すんの、いったい」

 トボトボと廊下を歩きながら、藤野は渡されたばかりの書類を見た。
 生徒会やら委員会やらとは全く縁がなかった藤野は何をするのか知らない。だからこそ、生徒会関係への挨拶を後回しにしたのだろう。事前知識を与えるというフォローを入れたのだ。考えれば考えるほど校長という人物は恐ろしくなってくる。あの笑顔の裏に一体何を隠してやがる。
 藤野が所属している高校は工業科、進学科、一般科、体育科とクラスが分かれており、生徒会運営陣は一般科から選出される。従って、藤野も一般科である。そのため、生徒会長は、学祭や体育祭の企画、運営、準備を始め、部活の予算の決算、課外活動やボランティア活動の企画や運営補助、HR等における連絡調整、愛好会から部活への承認……などなどの基本的な業務に加え、各科との折衝も受けなければならないようだ。この折衝が大変らしい。
 どう大変なのか、藤野はイマイチピンとこなかった。
 各科は校舎自体が分かれており、お互いに干渉しあう事は少ない。部活に参加していればまた別だろうが、部活はおろか、イベントにも積極的に参加しない藤野は他科との関わりは皆無であり、各科の折り合いなどは全く知らない。
 事前知識として調査が必要かな、と思いながら資料の中の運営予定表を見て愕然とした。

 部活動及び学園祭における各科予算決議

「明日じゃんコレ!」

 どうやら、いきなり折衝をやらなければならないらしい。なんてことだ。
 頭を抱えながら藤野は帰宅し、とりあえずトモダチと呼べる知り合いに情報を求めたが、彼らも藤野と同じく帰宅部のため、それらしい情報は得られなかった。
 悩みに悩んだせいで寝不足となった翌日、昼休み中に何とか顧問と生徒会面々に挨拶を済ませた。生徒会長交代はまだ公になっておらず、近々行われる全校集会の時にお披露目される、という事も決まった。
 なんだかどんどん世界が変わっていくんですケド。
 戸惑いを覚えながらも何とか順応しようと諦めた藤野は、まともに情報収集できないまま放課後の会議に挑むこととなった。

「それでは、予算決議を始めたいと思います」

 会議前に軽く生徒会長交代した事と、全校集会で発表するからそれまでは内密にする事を伝えてから、藤野は渡された原稿を棒読みした。
 この予算決議は、タイトルの通り部活や学園祭などに使用される予算の割合の決定だ。基本的に学校が要望に沿って予算を設定してくれるが、もちろん限界があり、要望通りにはまず下りない。そのため、決議によって必要予算を協議して、各科ともに要望に近い予算を勝ち取ろうというのだ。
 ここで面白いのは、各科の部活所属が見事に住み分けしている事だ。
 進学系は文系、体育会系は運動系、工業科は軽音部やロボティクス、機械工作など。一般科だけは関係なく所属しているが、放送や吹奏楽、新聞部などの専門部が多い。
 そういう訳で、一般科を除く各科の委員長が、科に所属している各部活の予算要望を取りまとめて予算要望を提出するシステムが出来上がっている。
 このシステムが出来上がってから、決議に参加する人数は極端に少なくて済み、時間も大幅に短縮しているらしい。
 今回も参加メンバーは生徒会面々と、各科の委員長と取り巻きだろう数人の委員だけであり、小さい会議室で済んでいる。 

「ではまず、前年度予算の使用状況から纏めていきます」

 どうかまともに早く終わりますように。
 藤野は願いながら、会計が纏めてくれた書類を読み上げ始めた。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】2話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 20:20
「だからふっざけんじゃないわよ! こんなの譲れる訳ないじゃない! そっちが譲りなさいよ!」

 長机が真っ二つに割れるんじゃないだろうかと思う程の轟音が響く。

「さっきからガンガンうっせぇんだよ! 犯すぞテメー! ってか譲れる訳ねぇだろバーカ!」

 ふてぶてしく長机に置かれた足でまた長机が悲鳴を上げる。

「お前の声も十分にうるさいぞ。少しは大人しくしたらどうだ。これだから脳が発達していないバカどもは困る」

 コツコツと油性ボールペンのペン先が長机に黒いシミを作っていく。

 いったいなんですか。何なんですか。この長机にとっても優しくない決議は。

 藤野はもはや調停する気力もなく机に突っ伏していた。
 滞りなく進行すると思っていた決議は、各科が予算要望を出し終わり、それに対する今年度の予算配分を発表した瞬間に紛糾した。いや、暴走した。むしろちょっとした戦争である。
 最初は静かに、とか、やめなさい、とか注意していたのだが、そんなものはまるで空気が如く流されていて。予算の話し合いは奪い合いに発展し、いつしか各科の委員長の言いあいというか罵りあいに成り下がっていた。今にも殺し合いが起きそうなノリである。こいつら全員「いのちをたいせつに」という言葉を知らない人種だ。
 始めた当初はあんなにおとなしかった空気は踊り狂っていて、罵りあいはもう雑音としか聞こえなくて。しかしそれを聞いているだけではいつまでたっても終わらないというのに、同席している書記や会計は既に諦めの悟りを開いて沈黙しているという有様だった。

 ああ。帰りてぇ。

 全てを投げ出したい気分に狩られたが、投げ出すと待っているのは校長によるアイデンティティ崩壊データ公開だ。それだけは避けなければならない。
 罵りあいはとりあえず放置する事にして、藤野は何故か書記が用意していた各科の委員長のプロフィールに目を通した。もしかしたら何か役に立つものがあるのかもしれない。

 まずは一番憤慨しているベリーショートの少女。体育科委員長であり、女子総合格闘部部長である、前田 柚。通称、体育科の女王。全国大会でもぶっちぎりの優勝を飾るなど、野性味溢れる武闘派。密かにファンクラブもあるらしい。各科の委員長と仲が悪い。

 次に一番冷静な、前髪で片目をかくしている文系少年が、進学科委員長で、PC部部長でもある、瀬川 元就。通称、進学科の覇王。外国生まれの試験管ベイビーらしく、超がつくプログラミングの天才。天上天下唯我独尊。各科の委員長と仲が悪い。

 最後に、セミロングのどう見ても不良の男が小早川 順。工学科委員長で、軽音部部長。通称、工業科の魔王。巷ではちょっとした有名なワルのカリスマらしい。同じく天上天下唯我独尊。各科の委員長と仲が悪い。

 うわぁ。全然役に立たねぇ。ってか、女王だの覇王だの魔王だの、なんだこのとびっきり濃ゆい三人は。俺なんかが纏め切れるはずねーだろうが。

 愚痴を内心で吐き出していると、ポケットに忍ばせているケータイがバイブした。バイブの感覚からしてメールだ。机の死角を利用してこっそり確認する。知らないアドレスからだ。
 迷惑メールか何かだろうかと思いつつも開くと、藤野は完全に硬直した。

【生徒会長へ】

 会議室の下は校長室です。とってもうるさいです。早く黙らせて決議をとらないとバラ撒きます。

 校長だ。校長しかいない。ってか何でメアド知ってるんだ。
 決議が終わって問い詰めても、おそらく「だって校長だもん」の一言でたたまれそうな気がするので不問に付すしかないだろう。何より、全身を駆け抜ける恐怖の悪寒がそれを許さない。
 ダメだ。一刻の猶予もねぇ。今すぐ何とかしないとバラ撒かれる。
 焦燥感が目を素早く走らせて、頭の回転もグッと上昇させた。
 閃きは本能で、行動は反射だった。だからこそ誰も予想ができず、止めることもできなかった。

「いい加減に黙れぇぇぇ――――――――――――っ!」

 怒鳴り声と金切り音が重なる。不快にも程がある音は見事に三人を黙らせた。さすがは「黒板ひっかき」だ。最も、一番近くにいた当事者である藤野が最大のダメージを受けている訳だが。

「ちょっ、何すんのよいきなり」

 両耳を塞ぎながら講義してきた前田に、びしぃ! と人差し指を向ける。

「今、ここにいるのはお互いに罵りあうためじゃないでしょ。予算決議のためにいるんでしょうが。熱くなるのは分かるけど、少し落ち着けって」
「う……ゴメン」

 素直でよろしい。
 一番着火しやすい前田を鎮めると、残りの二人もとりあえずは静かになった。とはいえ、また議論を再開させたらヒートアップする事は間違いなく、何とかそれを避けなければならない。

「っつうかさ、今年の予算少なくねぇ?」

 ふてぶてしい姿勢のまま発言したのは今年の予算額関係の書類に目を通していた小早川だった。言われてみて藤野もはたと気付く。
 確かに少ない。前年度からの予算繰り越しを合わせても、前年度の予算には四割程届かない。これで前年度と同水準の予算を申請されている訳だから、どこも足りなくなって当然である。
 さらに、平均的に予算を削って分配しても、各科ともおそらく譲れるだろう予算削減額ラインを超えてしまう。これで揉めるなという方が無理だ。加えて、良くも悪くも我が強い彼らにとって、与えられた条件に順応してお互いに譲り合い、妥協するという行為は非常に高度であり、相当の難題と言える。

「っていうかさ、PC部とか物理部とかの予算申請何よコレ、異常じゃない?」

 と、相手にケチをつけて予算を奪うという短絡的行為に走る。

「前年度とほとんど変わらない。それに必要経費だ。逆にお前たちの経費はなんだ。無駄ばかりじゃないか。もう少しモノを大切にしたらどうだ。壊れたら新しいものを買うなど、脳みそ単細胞の考えることだ」

 当然手痛い反論が帰ってくる。ついでにこの瀬川という男は口がとても達者なようで、皮肉も交えてくるからタチが悪い。

「なんですって?」
「なんだ?」

 また飛び散る火花は今にも爆発寸前だ。慌てて藤野はガタンとわざと音を立てて席を立った。相手の注目を確認してから素早く後ろを振り返る。

「おっと待った待った! 悪かった! あたし達が悪かったから黒板攻撃はやめてお願いだから!」

 ぎょっとした前田が制止してくる。身ぶりも大きいのは仕様らしい。藤野は一つテンポを置いてから席につく。今、自分は生徒会長であり、この場をまとめなければならない。まとめられなければ待っているのは恐怖だ。

「とりあえず揉めるような事はしないで。とにかくさ、今与えられた予算はこれだけしかないんだから、ケンカしたってどうしようもないよ」

 藤野はあえてオトナになることを選んだ。例え背伸びした結果であろうと分不相応であろうと、この場では有効だと考えたのだ。
 流れた沈黙の中、気に食わない。そんな表情を浮かべたのは小早川だった。彼が不機嫌そうな表情をとると少し怖い。

「だったらさぁ、予算増やせばいいんじゃね?」

 思いもよらない方向からの槍に、藤野は反撃の機を逃した。たたみかけるようにして小早川は続ける。

「このままじゃ埒があかねぇんだろ? 俺らも代表な訳だしさ、譲れないモンってのもあるし。だったらさ、予算を増やしてもらうのが一番だろ」

 落ち着いて考えてみれば、詭弁でめちゃくちゃな理論だ。だが、小早川の放つ言葉は巧妙にそれを隠している。今、この部屋に流れている雰囲気すら利用しているせいでもあるだろう。
 単なる不良と思っていたが中々どうして曲者だ。

「それもそうね」

 一番に乗ったのは前田だった。コイツ。ホントに単細胞だ。絶対勧誘詐欺とかに引っかかるタイプだ。

「一理はあるな」

 続いて同意したのは瀬川だった。頭が良いのだから、どれだけの無茶難題なのか見抜いているはずだ。それでも同意したのは、藤野の味方ではないからだ。正義感だのなんだのを、コイツに期待してはいけないらしい。
 今更ながらに思い知らされる。彼らは本当に仲が悪い。そしてそれは生徒会に対しても同じなのだ。だから敵の敵は味方の理論が通じる。

「じゃあ生徒会長サン。予算の増額お願いするわ」

 言うだけ言って小早川はささっと席を立つ。まずい。ここで反論して押し潰さなければ押しつけられる。

「って何言ってんの、そんなの無理に決まってるじゃん!」
「はぁ? おいおい、何言ってくれちゃってんのよ生徒会長。俺たち生徒が困ってるんだぜ? それを何とかするのが生徒会長ってもんじゃないの? まさか教師から言われるままに踊っちゃうダメダメ君なんだ?」

 またまた飛び出す詭弁に、しかし藤野はすぐに反論できなかった。

「じゃあ決定ね。今日の決議はこれでおしまい、次回に持ち越しってコトで」
「そうだな」

 呼応して前田と瀬川の二人も立ち上がる。完全に面倒を押しつける形だ。

「いやいや、だから待ってって」
「いやいや、次回に持ち越すんだからさ、俺らももうちっと考えてみるよ。予算要望削れるかどうかサ。これでいいでしょ? お互いドリョクするって事で」

 小早川はワルのくせに論戦でも強い。完全に押し黙らせる形で、藤野をたたみこんだ。

「じゃあ次の予定決まったら教えてくれよな~」

 まだ閉会の言葉も言っていないのに、小早川たちはそそくさと部屋を後にした。金魚のフンのように取り巻きたちもついていく。残されたのは生徒会の面々だけである。

「えっと、どうするのかなコレ」

 救いを求めるように視線を巡らせると、書記と会計は視線をそらしつつ立ち上がった。えっと何かな。同じ生徒会だよね? 同じ一般科だよね?

「僕はこれから予備校あるんで」
「同じく」

 あ。見捨てられた。
 という事は彼らも校長のオソロシサを知っているのだろうか。それとも面倒だから関わりあいを避けただけだろうか。どちらにせよ、藤野は孤軍奮闘を強いられてしまった。
 予算増額と言っても、どうすればいいか分からない。とりあえず顧問に相談するべきだろうが、果たして上手く通じるかどうか。

「あぁ……メンドクセェ」

 膨れ上がった悩みの種の重さに、藤野は負けて突っ伏した。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】3話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 20:21
 録音したUSBレコーダーを議事録代わりにして、藤野は重たい足取りでまずは顧問に長い報告を行った。当然のように渋い顔をされたものの、怒られることはなかった。
 彼ら各科の委員長は、入学当初からトンデモない問題児だと教職員では有名だったらしい。去年の予算決議の際も彼らは委員として参加しており、ひどく紛糾したそうだ。去年はまだ予算が潤沢だったため辛うじて纏められたそうだが、今年は予算も少なく状況は劣悪で、収集がつかなくなるかもしれないと予想していたらしい。
 もしかして生徒会長は鬱とかになって逃げたんじゃないだろうか。
 口に出してはいけない疑いをこっそり胸に秘めつつ、藤野は予算増額が出来るかどうかを申し出た。押しつけられたとは言え、頼まれてしまった以上、やらなければならない。
顧問は「私の一存で決められる事ではないので、上とかけあっては見るが」と前置きを置きつつも、

「かなり厳しいと思う」

 とオトナの回答で否定されてしまった。暗に不可能だと、表情と声色からも伝わってくる。
 そうですよね。そらそうですよね。当たり前ですよね。
 予想していたものの、落胆せざるを得なかった。予算増額が不可能となれば、現状の予算でまた話し合いをしなければならない。場を設けても不毛な争いの場になるだけだろう。

「まぁとにかくお疲れ様。いきなり洗礼を受けたような感じだが、これからもよろしく頼む。今日はもう遅いから帰りなさい」

 受けた感じ、じゃなくてモロに受けましたよ。歯を食いしばれ! って言われて食いしばったら無防備なボディに一撃食らったぐらいに受けましたよ。
 顧問の労いになっていない労いに苦笑で返しつつ、藤野は校舎を後にした。外はもう薄暗くなっていて、校舎の灯りもほとんど消えてしまっている。ここまで遅くなったのは久しぶりだ。

「あれあれぇ? こんなトコで何してるのかなー?」

 早く帰ろうと手早く自転車の鍵を外したところで、声は後ろからかけられた。振り向くと、どこをどうみても不良な男が三人。逃げ場を作らせないように囲まれていた。
 え? 何?
 状況把握が出来ない中、藤野は三人を一度ずつ見渡す事しかできなかった。怖い。声が、出ない。

「遅くまで何やってたか知らないけどゴクロウ様ーってヤツ? それでさぁ、ゴクロウ様ついでで悪いんだけど、金貸してくんね?」

 どんなついでですか。単純にカツアゲしたいだけじゃないですか。
 内心だけは活発に口が動いてくれるが、実際声にはならない。辛うじて首を左右に振る程度だ。微かに震えているのが分かる。

「いやいや、俺たち金に困っててさ、どうしてもキミから貸してもらわないとダメっていうか」
「ね、いいじゃん、ゼッテェ返すからさ」
「とりあえず今手持ち全部貸してくれたらそれでいいからさ」

 次々と吐きだされる言葉はどんどんエスカレートしていく。こいつらは自分をヒトとは見ていない。財布として見ていない。
 何なんだ。ホントに。いきなり生徒会長に任命されて、決議したらしたでとんでもない事を押しつけられて、疲れて帰ろうとしたら絡まれて。なんて理不尽なんだ。くそう。
 藤野はたった二日間で追いつめられるだけ追いつめられていた。理不尽に不幸へ陥れられた絶望と恐怖はやがて怒りへ還元される。

「イヤだ」

 声が出た。思ったよりも強く、大きい声が。

「お、おお、俺がアンタたちに、金を貸す道理なんてない」

 なんだ。言えたじゃないか。
 声が恐怖で震えていようが、どもってしまって上手く言えていなかろうが。否定の力となって放たれた言葉は藤野を勇気づけた。
 反対に不機嫌な表情を浮かべたのは三人組みである。当然と言えば当然だ。

「え、何? 反抗しちゃってんの、それ」
「やべぇ、マジでウケるって。ビビってんのに反抗とか。カッコイイー」
「でもさでもさ、痛い目にあわない内にお金出しちゃった方が良いと思うぜ。俺ら優しいけど気は長くないんだよね」

 一人がニヤニヤとしながら藤野に詰め寄る。ちょっと動けばぶつかるぐらいに顔を近づかれ、鋭い眼光で睨みつけてくる。何だって不良って、みんな目つき悪いんだろう。
 もし普段の藤野だったら、ここで金を出していただろう。最後の不良が言ったように、痛い目にあって金を奪われるなら、痛い目にあう前に金を出してしまったほうが余程建設的だ。所詮、結論は同じなのだから。
 だがプライドが許さなかった。藤野は人間だ。藤野という人間だ。生徒会長なんて肩書とか、まして財布などではない。

「イヤだ。出さない」

 すると不良はお互いに目配せし、無表情になった。あ、ヤバい。

「じゃあ、やっちゃうよ。お前が悪いんだぜ。殴られて金巻き上げられるっての、お前が選んだんだからさ」

 来る。殴られる。藤野は直感的に目を強く閉じた。背負ったカバンを盾にでもしてやろうかと考えたが、そこまでは身体が動いてくれなかった。やっぱりお金出せばよかったかも、とちょっぴり後悔が心の根に沸いた瞬間。

「やられるのはアンタの方だっつうの」
「ぎゃふっ」

 耳に入ってきたのは清廉な声とステキな悲鳴。うっすら片方だけ目を開けると、薫風が目の前を駆けた。
 脇腹に蹴りを入れられて真横に吹っ飛ばされた不良に向けて風は踏み込むと、まるでアクション映画でも見ているかのような鮮やかさで腹に拳を叩きこんだ。腰がしっかり据わっている分、一撃は重い。
 身体を「く」の字に傾いだ男の顔面にまた拳が突き刺さる。ぐしゃ。と鈍い破砕音が耳に障る。

「あ、ヤバ、鼻折っちゃった」

 手ごたえで分かったのだろう。殴った姿勢のまま、風の主である――少女はまるで文字を書き間違えたかのような軽さでそれを口にした。殴られた不良の方は慣性の法則に従って後ろに顔をのけぞらせて尻もちをつき、鼻を両手で押さえてもがく。黒いアスファルトに真っ赤な血が数滴落ちた。

「アツシ!」
「お前何すんだよ!」

 無残にもやられてしまった不良を庇うように二人は少女の前に立ちはだかった。今にも睨み殺されそうな中、少女は一切臆さない。

「は? 何って、いきなり脇腹に蹴り入れて、吹っ飛んだ所をリバーブロウ打って、鼻に正拳叩きこんで折っただけよ。てか、一応手加減したんだけど。カルシウム足りてないんじゃないの、そいつ」

 加えてこの男勝りのふてぶてしさだ。
 藤野はようやく両目をしっかりと開いて、こちらに背後を向けている少女の姿を認識した。ベリーショートの髪に、ランニングシャツとスパッツ。顔を見なくても分かる。前田 柚だ。どうして彼女がここにいるのだろう。

「それよりもさぁ、カツアゲなんて今どきダサイから止めたら? こんな人気ない時間狙って、ゴキブリみたいに。ってゴキブリみたいだから仕方ないんだろうけどさ」

 まさに火に油を注ぐセリフだが、本人は真剣な表情で言っている。ずけずけとした物言いは地なのだろう。

「キレたぞこのクソ女!」
「タダで済むと思うなよ!」

 完全に頭へ血を上らせた二人は息を合わせたように同時に飛びかかる。ケンカには卑怯も何もないと良く言うが、女(明らかに何らかの格闘技で段を持っていそうだが)を相手に二人掛かりは如何なものか。
 体が勝手に動いていた。反射としか言いようのない速度で藤野は前田の脇をすり抜けると、一人の不良に頭から突っ込み、両手を回して相手の腰をがっちりと掴んだ。

「何すんだテメェ!」

 容赦のない拳が振り下ろされ、カバン越しに衝撃が背中を貫く。大して痛くない。教科書がいっぱい入っていて良かった。

「オッケー5秒間だけ食い止めてて!」

 言いつつ前田は真正面から突っ込んできた男に、完璧な後ろ回し蹴りを叩きこんで文字通り一蹴すると、藤野が捕まえている男に向かって走り出す。しかもこれ以上とない会心の笑顔で。
 不良は焦った様子で藤野を振りほどこうと肘を入れる。一撃はたまたま延髄に入り、藤野は呻く間もなく崩れ落ちたが、しがみつくようにして両足に再び両手を回した。

「必っ! 殺っ!」

 宣言は高らかに。動きは軽やかに。前田は全身の筋肉を全て使って跳びながら回転した。まるで後ろ回し蹴りのような動きだが、その蹴り足は宙を舞っただけだ。

「トル・ゲ・チャギぃぃぃぃ――――――――――――――――っ!」

 次の刹那、軸足と思われた足が蹴られ、込められた回転力を直線状に変換する。まさに必殺の威力となった足は華麗に弧を描いて不良の側頭部を見事にとらえた。
 ステキに強烈な衝撃は一瞬にして不良の意識を奪う。本当に力のなくなった人間は重いもので。藤野は支えきれずに両手を離した。

「うーん、ちょっと重心が高かったかなぁ。もうちょっと低くしないと威力が出しきれないや」

 いや、あの十分すぎる威力だと思うんですけど。
 藤野は首の痛みに耐えつつ、あっさり昏倒した不良を見た。痙攣などは何もしていないのでとりあえず失神している程度だろう。まさかリアルに一撃で仕留めるシーンを目の当たりにするとは。

「立てる? 生徒会長」
「え? ああ、うん」

 茫然としていて膝をついたままの姿勢だという事を忘れていた。問いかけられて我に返った藤野は立ち上がろうと膝を立てたが、思うように動かずよろけてしまった。

「あら?」

 自分でもかなり間抜けだと思う声が出て、視界が揺らぎ、止まった。前田が腕を掴んでくれたのだ。なんて綺麗で白い腕だ。細いけれどしなやかな筋肉がついている。

「ちょっと大丈夫? あの肘首に入ってたもんね、結構いい一撃だったんじゃない?」

 無遠慮に前田は藤野の首筋に顔を近づけてまじまじと見つめて触ってくる。
 や、やめろ近寄るな触るなって何て柔らかいんだよってか汗かいてるのにイイ匂いするじゃねぇかそれよりも良く良くみたらパッチリ二重だし顔ちっちゃいしすっごく可愛いじゃねぇかこんチクショ――――っ!
 理性と男としての本能が葛藤を呼び、体を硬直させた。顔が耳まで赤く染まっていくのがイヤでも自覚させられる。
 ダメだいけないとりあえず離れないとこのままじゃ俺も不良の仲間入りになっちまう!
 即ち、我を忘れて前田に襲いかかり、そしてあっさりと返り討ちにされることを意味している。どんどん本能に剥ぎ取られていく理性を根性で回転させ、藤野は何とか二歩、出来るだけ自然な動きで下がった。

「うん、ちょっと痛いけど大丈夫。ありがと。助かった」
「ホントだよー。あたしがいなかったら顔面パンパンになってるトコだよ? ちゃんと感謝してよね」

 恩着せがましい発言だが、前田は胸を張って笑顔である。そんな意図があるとは思えない上、実際恩があるのだから仕方ない。

「うん。ありがとうございました」

 と丁寧に頭を下げると、前田は満足げに「よろしい」と返してくれた。

「にしても結構根性あるんだね、生徒会長って。見直しちゃった」
「へ?」
「知らないの? コイツら小早川のグループでさ、結構幅きかせてるんだよね。警察にも睨まれてたはずだし、いつ停学になってもおかしくないって言われてる連中だよ」

 小早川って言えば、今日の決議で滅茶苦茶してくれた不良委員長だ。確かプロフィールに不良のカリスマとか書いてあった気がする。そうか、そんな危険な奴らだったのか。
 正直な感想は正直に表情へ転化され、前田の笑いを誘った。「ホントに知らなかったのね」はちょっと余計だ。

「まあでもスゴイじゃん。助けを呼んでもこないような状況だからさ、黙ってお金渡しちゃうんじゃないかと思ってた。キミ、見た目からして草食系だし」
「って待ってその言い方だと、それなりに前から絡まれてるの見つけてた事になるけど?」
「あ、結構頭もいいんだ。ゴメンね。ちょっと試してみたんだ。だって、キミのこと何も知らないし、選挙で受かった訳でもないのにいきなり生徒会長って言うんだもん。それに決議で纏め切れなかったし、言いように小早川に押しくるめられたしさ。だから、よし。どんなもんなのかと」

 なんだか色々と侮辱的発言だ。さすがに藤野はむっとした表情を浮かべる。

「だからゴメンって。ちゃんと助けたしいいじゃん。まぁ、根性見せたからだけどね。あそこで歯向かわなかったら無視してたよ」

 なんでこう雄々しい発言するんですか。くそう。何か自分が見てたんなら助けろよ、って小さい事言ってる人間みたいじゃないか。
 情けなさで頭を垂れると、その様子を察したように伸びてきた手がぽんぽんと優しく叩いた。

「よしよし、キミは真っ直ぐな人間なんだね、偉い偉い。ますます見直したぞ」

 なんだ。リードマインドか。女のカンってやつか。慰められて褒められて。これで笑わなきゃ男じゃないだろ。

「ありがと、前田さん」
「あ、柚でいいよ、ユズで。あたし、苗字で呼ばれるのそんなに好きじゃないんだ」
「そうなんだ」
「そうなの。と言う訳でこれからはユズって呼んでね。じゃ、あたしランニングの途中だから。またね。首、痛かったらシップしなよ」

 恰好からして何となく察していたが、やはりトレーニング中にたまたま藤野が絡まれている所を通りがかったようだ。こんな遅くまで御苦労さまと言う場面だろうか。
 無言で手を振っていると、ユズも手を振り返してくれた。

「あ、予算増額の件、頑張ってね――――!」

 ここで落してくれやがりますか。
 藤野はガクっと姿勢を崩した。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】4話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 20:21
「あー、惚れた」

 起きて開口一番、藤野はそうつぶやいた。
 あの後帰宅した藤野は茫然自失だった。家に帰るなり玄関でつまずいて親に笑われ、食事中に米を口に入れようとした所で5分間程硬直して親に怪しまれ、トイレに一時間程こもって親に怒られ、風呂に入ってのぼせて親に心配され。何だか親不孝な夜を過ごしている間、ずっと頭の中は前田 柚の事でいっぱいだった。
 予算増額の件も考えなきゃいけないのに、ダメだ。まずはアイツを考えてしまう。
 趣味は何だろう、どんな食べ物が好きなんだろう、私服はどんなのを着てるんだろう、もっと笑った姿を見てみたい。などなど。生まれて16年の中で幾度目かの。高校生になってからは初めての恋といえた。

「あー良かった。今日が休みで」

 こんな調子では授業を受けても意味がない。生徒会活動にも当然身が入らないだろう。当然タソガレてしまう訳だから、クラスメイトからも怪しまれることこの上なしだ。平穏な高校生活を取り戻すために、クラス内での立ち位置はなるべく悪くしたくない。
 今日は特に予定も入れていなかった。心ゆくまで物思いにふけっても良いのだろうが、それでは何かイケナイ気がするので、とりあえず気分転換として町へ行くことに決定する。
 ケータイがメール着信を知らせたのはその時だった。送り主は昨日しっかりと登録しておいた校長からだった。

【10時に出頭しなさい】

 本文はなく、タイトルにだけそう書かれていた。
 なんだろう。たった9文字なのに逆らうことがとっても許されない気がする。というかこっちの予定まるっきり無視ですよね。しかも本文が入ってないってことは用件は分かってるんだろうなって意味ですよね。そして出頭ってことはお怒りなんですね。
 深い深い溜息がもれた。袖を通しかけていた私服を脱ぎ捨て、制服に着替えると、藤野は細々しくなった食欲で朝食のためにダイニングへ移動した。

「なんだ、休みの日だというのに制服なんかきて」
「あらあらホント。珍しいわね」

 声をかけてきたのは両親だった。特に厳しい訳でもなく、甘い訳でもない両親は、これといった特徴はない。しかしその分家族の会話は成立しやすく、話しやすい雰囲気でもあるので家庭環境は良いと判断できる。
 藤野はテーブルにつくと、出されていた食パンにバターを塗りながらどう言おうか悩んだ。校長に出頭しろと言われたからとバカ正直に答えては色んな意味でマズイことは分かっている。

「うん、ちょっと学校に用事があるんだ」
「学校に? 何かしでかしたのか?」
「いや、そんな悪いことしてないよ。ちょっと生徒会の用事で行くだけだし」
「生徒会?」

 父親は訝しい表情で聞いてくる。あ、まずった。と思っても後の祭りである。聞き咎められた以上、答えなければならない。
 いずれ言わなきゃいけないことだしね。ちょっと前倒しになったと思えばいいか。
 やや楽観的に判断すると、藤野は正直に答えることにした。

「うん。今度から生徒会長になるんだ」
「ほほう。そうなのか」

 沈黙。時間にすれば僅か数秒。しかし父親にとっては永遠に近い時間だったに違いない。

「な、何ぃぃぃ――――――――――っ!?」

 父親は叫んで大きく仰け反って椅子ごと後ろに倒れこみ、母親は絶句して手に持っていたお皿を落として割る。何このちょっとしたカタストロフ。
 あまりと言えばあまりの反応に藤野はついていけず困っていると、父親は腰を押さえつつ何とか立ち上がった。その顔は驚愕に青ざめており、まさに信じられないといった様子である。

「本当なのかそれ?」
「うん。てかそんな嘘ついてどうすんのさ」
「かかか母さんどうしようこの場合赤飯か? 寿司か? ステーキか焼き肉か? ああ、祝電打たなきゃいかんよな。あと、そうだお祝いの花も用意しなきゃ」
「あら、あらあらあら。紅白饅頭とかも必要かしら。おめでたいんだから鯛の砂糖菓子とかカマボコとかかしら」

 そこまでかそこまでの事なのか。それよりも何か色々間違ってるし。

「まって二人ともおかしいから。赤飯とかどうでもいいし、まぁお寿司とか肉とかは嬉しいけど、祝電とか花とかはいらないでしょ。ってか今目の前にいるのに何で祝電なのさ。母さんも。紅白とか鯛とか結婚式じゃないんだから」
「あ、ああそうか、そうだな、スマン。父さんとした事が取り乱してしまった」
「あらあらあらお皿割っちゃってたわ、片付けなきゃ」

 俺が生徒会長になるって聞いただけでそこまで取り乱しますか。一大事ですか。
 激しく突っ込みたい衝動に駆られたが、どうせその通りだと言われるのがオチだろう。事実、今まで目立った何かをしてこなかったのだから仕方ないのかもしれない。オーバーリアクションは否めないが。
 これ以上付き合っていたら時間に遅れる。そんな事になったらどうなるか分かったものではない。藤野は手早く朝食を済ませると玄関を後にした。家から学校まで、自転車でざっと15分といったところだ。
 住宅街の路地を曲がると広い道路に出て、信号交差点がある所まで直進すれば地元商店街にぶつかる。地元とつくだけあって、八百屋、魚屋、肉屋、パン屋などをはじめとした食品関係から電気屋、本屋、中古からブランドまで幅広いアパレル、美容院、雑貨屋、薬局や診療所なども軒を連ね、果てはゲームセンターやちょっと怪しいPCショップまで取りそろえられている。
 そんな商店街のメインストリートを直線に抜けて、踏切を渡ったすぐ左をずっと行けば藤野の通う学校だ。
 颯爽と自転車を駆っていた藤野は慌てて急停止した。狭い路地からヨタヨタとした足取りで誰かが出てきたからだ。ブレーキの摩擦した金切り音が耳を貫く。

「おっと、失礼」

 大きな荷物を肩に担いでいたせいで顔が見えなかったが、どこかで聞いたことのある声だった。

「なんだ、生徒会長か」
「そういう君は瀬川君、だよね」

 忘れられるはずもない、前髪で片目を隠したどこか東洋離れした顔。間違いなく瀬川 元就である。

「よし。手伝え」
「は?」
「何を間抜けた声を発している。同じ学校で顔を互いに知っている間柄で、且つお前は生徒会長であろう」

 えっと。要するに、困ってるから助けろと、そう言ってるわけですか?
 何かと曲解を生みそうな物言いはさすが天上天下唯我独尊と称されるだけはあると言うことか。藤野は苦笑しながらも了承した。幸いにも藤野の自転車は後輪上部に荷台が取り付けられているタイプだ。紐さえあればくくりつけられる。
 近くに雑貨屋があるから、そこで仕入れようかと思っていたら、瀬川は懐からビニールの紐を取り出した。

「なんでそんなの持ってるの」
「必需品だからだろう」

 そ、そうですか。進学系の考えてるコトってわかんねぇ。

「っていうかサ、これ何なの、めっちゃ、重いんだけどさ、よっと」

 ちゃんと自転車を支えていなければ重さに負けて倒れてしまう程だ。さらにそれなりの大きさで、無地のダンボールに包まれている。いったい何が入っているのだろう。

「組み立て式の自作用HDD一式だ。それとモニターやマザーボードなんかも入っている」
「自作PCの部品の塊ってこと?」
「平たく言えばそうなるな」
「ふーん。ところで、これ、どこに運べばいいの? 学校いく用事あるからさ、そう遠くまで行けないんだけど」
「その程度は見れば分かる。学校まで運んでくれればいい。メンバーが台車を手配してくれているから、後は構わん」

 メンバー、というのは部活のメンバーの事だった。聞くと、ほとんどの進学科と僅かな一般科で構成された部員は全員徒歩か電車通勤らしい。台車は学校からの貸し出しだから、校外持ち出し禁止だ。そのため、瀬川が自分の足で買いに来るしかなかったのだろう。

「ところで、分かっているな」
「フツーは自転車の荷台に積んであげるんだから、そっちが運転手やるもんじゃないの?」
「何をいう。自慢ではないが私の体力の無さにおいて右に出る者はそうそういないぞ」

 ホントに自慢じゃないな、それ。
 藤野は内心で突っ込みつつ、身構えた。荷台に荷物を背負った自転車が一台。人間が二人。そして二人とも迅速に学校まで辿り着かなければならないとなれば手段は一つ。法律上とってもよろしくないが二人乗りになる。それも一人はサドルに乗るため、もう一人は延々立ちこぎをしなければならない。苦行である。
 かくして、ある意味公平ではないが、手段としては公平なじゃんけんで勝負する運びとなった。
 負けられない。男の勝負だ。と言わんばかりの殺気を二人は放ちながら、ほとんど同時に動いた。

「最初はグー!」
「じゃんけん!」

 なんか後から聞くと勝てるかどうかは分からないけれどまず負けない手法ってのがじゃんけんにはあるみたいです。卑怯ですね。

 サドルに座って悠々としている瀬川の前で、藤野は必死に立ちこぎをしていた。重い荷物に加え、一人を余剰に乗せていては太ももにかかる負担は尋常ではない。何とか学校までは持つだろうが、もし坂道があれば途中で力尽きるだろう。

「でも自作PCってスゴイね。性能とか、そんなにこだわりあるんだ?」

 藤野の中で自作PCと言われたら、それはそれは素晴らしいくらいの専門知識の集合体たる脳みそを持つ『ヲタク』な人種が口にするようなレアリティの高い言葉である。高校の部活でPCを自作してしまうなどはあまり聞かない。大抵は学校側が用意した、授業でも使うPCを使用するはずだ。

「それもあるが、経費削減のためだ」

 意外な答えに藤野は一瞬黙りこくった。

「あの場面で、私は小早川に同意した」

 記憶がフラッシュバックする。小早川が決議の時に無理やり藤野に押しつけた予算増額の件だ。

「そして小早川は予算申請額を削れるかどうか検討するとも言った。それを含めての同意だ。だから余計な経費を節約できないか検討した結果、自作することにしたのだ。やはり完成されたものを買うのと比べれば、万単位で違う」
「そんなに違うんだ」
「その上で自分好みにセッティングできるからな」
「ってか学校のPC使わないの? そしたら元手いらないじゃん?」
「学校で使っているスペックがいかに低いか知らないのか。いいか……」

 あ。地雷踏んだ。
 内心で後悔しながら、藤野は話を流す方向へシフトした。出来るなら自転車のペースも上げたいところだが、それは体力の関係上無理なので諦めることにした。
 でも悪いヤツじゃないんだ。予算削減考えてくれたりとか。正義感とかそういうのは持ち合わせていないし、物言いも偉そうだけど。もしかして、結構不器用なヤツなのかな。

「おい、聞いているのか」
「聞いてるよ、ちゃんと。続きどーぞ」

 そう思うと気が楽になってきた。藤野は自然と笑顔になっていた。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】5話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 20:21
 結局、学校に着くまでの時間は早かった。いろいろと専門的知識が雪崩のように入ってきたけれど、頭が理解できなかったので精神的疲弊は少なかった。ほとんど一方的に聞いているだけでいいというのも大きい。
 裏口の方の校門へ回ると、メンバーらしき人物が台車と共に待っていた。精密機械の上に重い荷物だけあって、ダンボールは二人がかりで下ろした。自転車置き場は正門からの方が近いので、藤野はそこで瀬川と別れた。
 休日とはいえ、体育系の部活は活発だ。どこの部活かは分からないが、集団でランニングしている生徒の横を通り抜けて藤野は所定の位置に自転車を置いた。
 さて、校長室かぁ。気が重いなぁ。
 とはいえ、尻ごみしてもたもたしている余裕はない。時間に間に合わなければとんでもない事になる。
 きっかり五分前に校長室へ辿り着いてノックすると、あの日と同じような調子の声で入るように促された。まるで過去にタイムスリップしたような感覚になりながら部屋へ入ると、やはりあの日と同じように校長が机にいた。

「生徒会顧問から報告を受けました。と言えば、用件は分かるね?」

 いきなりなんですかそのプレッシャーは。
 人のよさそうな笑顔の裏に見える赤黒い修羅が怖い。この前囲んできた不良の三人より遥かに怖い。戦々恐々としていると、校長は全く変わらない笑みに歪んだ表情のまま続ける。

「確かに僕は決議を取りなさいと言ったね。で、取ってきた決議がこれとは、いやあ。実に高校生だね」

 予算増額の申請でまとまった事に対してだろう。
 初々しく、中学生より大人で、でも大人より子供で。ただ甘酸っぱく、真っ直ぐでいられるだけの中学生の青春ではない、ほろ苦さも混じった青春。だからこそ違う意味で過ちを犯す。

「分かっているだろうけど、一応大人の回答をしておこうか」

 怒っているけれど、怒っている訳ではない。藤野は初めて違和感を覚えた。

「学校は部活と学園祭のためだけに存在しているのではないよ。お金にしても、校舎の維持、施設の維持、教員の給与、物品、教育素材。光熱費などのライフライン維持ももちろん、様々な所で出費がある。その上で学校側にも使えるお金に限りがある」

 当然だよね、といった含みを持たせて語りだすので、前置きなのだろう。藤野は相槌代わりに頷くだけにした。

「その中で、今年の部活動や各科での学園祭で割り振られた予算額がそれだよ。単純に考えた訳ではなく、十二分に吟味した上で」

 つまるところ。校長は人差し指を立てて語る。

「前にも言ったと思うけれど、ウチにお金の余裕はない。それ以前に、お金は有限で、無限ではないんだ。応急処置的に他の予算から持ってくるという手もなくはないけど、そんな事までして予算を増やす気にはなれない。つまり、今回の予算は絶対条件と言っていい」

 そこを理解できずに予算増額申請に至ったのは考えが足りないと言わざるを得ない。藤野は最初から言い訳の許されない状況に立たされてしまった。実にもっともなオトナの回答である。
 ここでごめんなさいって言って引きさがっても、待っているのは決まらない決議だ。

「よって、その予算増額の申請は、学校側としては受付できないんだ」
「分かります。でも、何とかなりませんか?」

 結論を待ってから、藤野は食らいついた。違和感が確かならば、校長は藤野に対して怒っている訳ではない。なら、せめてもの抵抗は許されるはずだ。脅迫されたら引き下がればいい。
 校長は半分予想していたのか、表情をほとんど変えずに藤野の言い分を聞く姿勢に入った。ちょっと威圧感が増したけど。

「今年の予算額がすごく少ないんです。去年と比べても、すごく。これじゃあ揉めても仕方がないし、予算を増やしてって声も出て当然だと思うんです。だから、何とかなりませんか?」
「結論は変わらないよ」

 さらりと校長は口を滑り込ませる。

「予算が減額されたのは、それなりに理由があるんだ。去年より少ないからって予算を増やせというのは子供の理屈でしかないよ」
「理由?」
「単純だよ。去年に予想外の出費を受けたから、今年の予算を抑えざるを得なくなった。それだけなんだよねぇ」
「予想外の出費?」

 藤野は一瞬噛みつく要素を見つけたと思った。もしこれがオトナの事情での出費であるならば、生徒には関係がない、だから予算をせめて前年度と同じにしろなどと主張ができる。
 しかしそう噛みつかれると校長も予想していたようだ。してやったりという笑みが見えた。

「まぁ列挙していくとだね……」

 週明けの月曜日。昼休みに決議を再開させるべく、藤野は朝の早いうちに委員長へ呼び出しをかけた。元々週明けの昼は決議の予備日として確保していた事もあり、集まりはスムーズのはずだった。

「えぇっ!?」
「ゴメンねぇ、すっかり忘れちゃっててさ」

 衝撃的事実を聞かされたのはその日の4時限、選択科目の音楽が終わった頃だ。さぁこれからお昼だと思った時に、担当の教師から思い出したように打ち明けられたのである。小早川に今日の昼、決議があると知らせていないと。
 収集を急遽決めたため、事前通達が出来なかった藤野は、1時限が終わった時点で放送部を通して全校放送で通達させたが、念を置いて小早川、瀬川、柚のそれぞれの担任に通達をお願いしていた。嫌な予感がしたからである。主に小早川に関して。
 だから念には念を押したってのに。と苦ってもはじまらない。
 藤野の予感は的中しており、出席簿によると小早川は2時限の途中から登校しているため、放送を聞いていない。他のクラスメイトが教えてくれていれば良いのだが、その確認も取れていない。つまり、小早川は何も知らない可能性があるのだ。

「どうするんですか、もう昼ですよ!?」

 苛立ちを隠すことなく藤野は責めたてる。しかし教師は特に反省する様子もなく、「それで悪いんだけど、先生これから出張なのね。だから直接伝えてくれないかな?」と言ってのけた。

「そんなこと言われたって、小早川がどこにいるかなんて、分かりませんよ? 放送も流せないのに!」

 不幸な事に、工学科の校舎のスピーカーは調子が悪いらしく使用ができなくなっていた。つまり、全校放送を行っても小早川が工学科の校舎にいる限り意味をなさない。

「いや、この時間なら音楽準備室にいるわ。お昼は絶対そこにいるの」
「音楽準備室って言われても知りませんよ場所なんて」

 藤野は一般科だ。トモダチと呼べる知り合いもいない工学科の校舎による機会などまずなく、勝手など知る由もない。

「ダーイジョブ、校舎入って左ドンツキだから」
「いや、ってかそんなの言われても、俺だって昼飯食わなきゃならないし、準備もあるし、困ります」
「ゴメンね、先生ホントにもう出なきゃいけないからさ、お願いっ。今度なんか先生おごるからさ」

 と両手を合わせて拝まれる。こういう時の女性は強いもので、藤野は押しつけられる形で了承するしかなかった。

「それでついでって言ったらなんだけど、これも届けてあげて」

 渡されたのはA4サイズの茶色の封筒だった。本か何かだろうか。思っていると、「じゃあヨロシク~」と言い残して教師はさっさと教室を後にした。もう溜息しかもれない。とりあえず何かおごってもらう約束は取り付けたので良しとしよう。
 ほとんど無理やり自分を納得させて、藤野はその足で工学科へ向かった。教室に帰ってから動くよりも、このまま工学科へ向かった方がタイムロスは少ないからだ。
 届け物して決議があること伝えて、購買よってから会議室でメシ食うか。あ、そういや、工学科の校舎ってヘンな雰囲気って誰か言ってたな。ヤだなぁ。めんどくせぇ。
 などと心の中で愚痴りながら一階へ降りて、工学科へつながる渡り廊下へ出た。

「うわぁ」

 思わず声を出してしまった自分を、しかし藤野は恥ずかしいと思わなかった。
 ところどころ欠けてひび割れたコンクリートの地面。トタンの屋根は錆びていて、柱には傷がたくさん。渡り廊下の左右は中庭なのだろうが、手入れも何もされておらず、ただ雑草が生えるのみという荒れっぷりだ。

「何コレ」

 極めつけは天井に張られた墨痕鮮やかな横断幕だった。

「絶対……不干渉領域?」

 意味が分からない。何だかイヤな予感しかしないので、さっさと済ませようと足を進める。
 どこぞの不良学園モノ映画に出てきそうな雰囲気の中、藤野は校舎へ入った。何か入って右から工学科二類(ヲタクの聖域)の勢力、左から工学科一類(不良の領域)互いに入るべからず。と校舎入口の中央に立つ柱にでかでかと書かれているが、とりあえず無視する。
 ホントに変な雰囲気だな。
 どうしても馴染めそうにない空気の中、藤野は左側、工学科一類の方へ足を向けた。

「えっと、ここかな」

 ドンツキまで来た所で、藤野は小さなプレートを見つけた。「音楽準備室」。ここだ。雰囲気からして今は何も使われていないただの空き室のようだ。鍵がかかっている事を懸念したが、あっさりと開いた。

「あれぇ?」

 油断していた、とは多少違う。前の方に意識を集中させ過ぎていたせいだ。後ろから肩を叩かれ、藤野は大きく体を震わせた。

「なんでキミがここにいるのかなぁ?」

 振り向くと、三人。全員に見覚えがあった。確か、カツアゲしようとしてきたが返り討ちにあった不良連中だ。
 そう言えば工学科だって言ってたな、柚が。

「ここに用事あるんだ? ちょうどいいじゃん、俺らも用事あるんだ、ちょっと一緒に入ろうぜ」

 あ。危機再来。
 顔をひきつらせながら藤野は顔を左右に振ったが、相手は全く見る気もない。挙句「そっかそっか、一緒に入ってくれるか」などと嘯きながら肩を掴む力が強くさせ、半ば強制的に教室の中へ連れ込む始末だ。
 抵抗らしい抵抗も出来ず連れ込まれた藤野は、無情にも閉められる扉をただ見つめるしかなかった。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】6話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 20:21
「いやーマジで何でこんなトコにいるか知らないけどさ、ちょうど良かった」

 扉が閉まって開口一番、鼻に痛々しいガーゼをつけた不良が話し出す。確か柚に鼻を折られたヤツだ。険しい表情なのは、疼痛と怒りからくるものか。威圧感に負けて後退ると、両脇を残りの二人がおさえこんだ。すぐ後ろはもう壁だ。
 音楽準備室と言われるだけあって、教室の半分程度の大きさしかない。壁中に何かのロゴや落書きがところ狭しと乱雑に並び、本棚の一つもない。しかも埃臭い。そのくせ、端っこに置かれているピアノは綺麗に黒光りしていて、良く手入れがされているようだった。

「痛かったぜぇ、これ、マジ折れてんだもん。今も痛み止め飲んでねぇとヤバいし」
「キミがさっさと出してくれてたらこんな事にはならなかったんだぜ?」
「だからさぁ」

 内容はもちろん、口調も藤野を煽る調子だ。藤野は不快感を隠せず眉をひそめた。
 情けない。何で俺が金出さなかったからアンタたちが怪我した事になってんだ。どこまで勝手なんだよ。しかも俺に絡んできてるのって柚には勝てないからだろ? 俺なら勝てるって思ってるからだろ?
 事実その通りである。藤野は格闘技をやっている訳でもなければ、特別体を鍛えている訳でもない。不良から見たら恰好のマトだ。

「とりあえず10万。親の財布から盗んででも持ってこいよ」
「拒否権とかなしな? はいって言うまで殴り続けてやるからさ」
「さぁどうすんの?」

 三人が囲む輪が縮まる。怒りと恐怖がせめぎ合い、恐怖がやはり勝る。後ろに下がり、とうとう壁に背中をぶつけた。

「黙ってたらわかんねぇじゃん。答えろよ!」

 がなりと同時に蹴りが一発。左腿に走る痛みに、藤野は歯を食いしばった。

「何やってんの」

 声は不良の後ろ、それも扉が開いた音とほとんど同時だった。
 あれ、なんかとってもデジャブ。
 声を聞いた瞬間、不良三人組が露骨にびくついた。顔に浮かぶのは、恐怖。なんだ、こいつらが声を聞くだけでビビるって何。

「こ、小早川クンじゃん」
「確認はいらねーって。俺が聞いてんのは何やってんのって」

 恐怖がへばりついた表情のまま、不良の一人がへらへらと笑う。藤野は竦んだ首を伸ばして向こうを伺うと、明らかに不機嫌と分かる小早川が立っていた。「何? カツアゲ?」と言いつつ教室にずかずかと入ってくる。
 うわ。入ってきただけで逃げ腰になった。小早川ってナニモノ?
 そう言えば周辺の不良たちのカリスマで魔王ってあだ名がついてたなぁ、と前回の決議の時に見た資料を思い出す。なるほど、魔王と呼ばれるだけはあるらしい。

「何でそんなの俺のエリアでやってんの?」
「い、いや、それはさ」

 しどろもどろになっている不良を、小早川は静かに見据える。切れるような視線だ。確かに怖い。

「で、生徒会長。手に持ってんのは何?」
「あ、ああ、これは音楽の先生に渡してって言われたヤツ」
「何? わざわざそれを持って来にこんなトコまで?」
「あ、後、今日の昼休みに決議があるからさ。えと、工学科って放送が今聞けないから、直接」
「ふーん」

 気のこもっていない返事だったが、小早川の不機嫌はさらに悪化した。切れるような視線に凄みが混じる。

「で、お前ら、俺に用事あるヤツに手ぇ出そうとしてたんだ」

 うわ。キツい。
 今にも刺されそうな空気が流れた。不良たちはもうそれはそれは肉食動物の前に晒された小動物のように震えあがっている。

「いい、いいいや、そんな事はしてないって。なぁ?」
「う、え、おう」
「お、俺たちこれから用事あるんだ。な、行こうぜ! じゃあまたね小早川クン」

 何故姿勢を伸ばしてわざわざ演技臭い態度を取るんだろう。
 冷静な突っ込みを内心で入れつつ、そそくさ、と言うよりほとんど逃げるようにして三人は教室を後にした。残ったのは小早川と藤野の二人だけ。

「で、それ。ちょうだい」

 大事に胸に抱え込んだ封筒を指差され、藤野はたどたどしい手つきで渡した。まずい重い空気のままだ。

「ってかさ、それ何?」
「楽譜」

 端的に答え、小早川はピアノの前に座って封筒から取り出した楽譜を広げた。ぱっと見ただけでとんでもない数の音符が並んでいる。
 静かに楽譜を見通した後、軽く準備運動させたピアノに――のった。そして、踊った。

「これは……」

 指が踊り、音が踊る。優雅と鮮烈と恐怖が入り混じった技術の結晶。左と右、どちらも留まる事を知らない。それだけ音に溢れているというのに、不協和音は聞かせない。むしろ、美しいと思わせる。
 この曲を、藤野は知っていた。

「パガニーニの主題と変奏第6番?」

 正解だ。だが小早川に答える余裕はなかった。当たり前である。
 彼の技術は悪魔に魂を売り渡して手に入れたものだ。と言わしめた天才ヴァイオリニスト、パガニーニの曲をピアノの芸術的練習曲として構想された曲である。その超絶技巧を必要とする事から、つい数年前まで「演奏不可能」とされていた曲の一つだ。
 むしろ、それほどの曲を弾けている事自体が異常である。しかも高校生が。
 流れるように美しい曲は7分近くあったが、音は華麗に貪欲に進み、気がつけば終わっていた。

「ま、こんなもんか」

 極度に集中していたせいか、小早川はうっすらと汗をかいていた。

「す、スゴイ」
「それはこっちのセリフだっての、良く知ってたな、この曲名」

 小早川は汗を拭きながら言った。
 パガニーニの名前自体、そもそも音楽をかじっている人間でなければ知らない。そんな彼の曲から生み出されたピアノ練習曲など、一般的に知名度は極めて低いと言わざるを得ない。

「ああ、親が揃ってクラシック好きでさ、聞いた事もあるから」

 実はクラシック好きが両親の馴れ初めのきっかけだったりするが、語る必要はない。

「ふーん」
「でもやっぱりスゴいよ。初めてみたもん。生でそれ弾いてる人」
「何言ってんだ。ミスタッチも多かったし、音も崩れてた」

 気のない返事に聞こえるが、満更でもないようだ。小早川は藤野から視線を外して答えている辺りがそれだ。
 なんだ。不良の魔王って言われてるけど、俺たちとそんなに変わらないんだよね。当たり前だけど。
 当たり前のことを今更ながらに気がついた藤野は、内心で小早川との位置関係を少し修正した。成り行きとはいえ、助けてもらった恩も加算されている。

「いやいや、形になってるだけでスゴイと思うよ」
「持ち上げすぎだっつの。っていうか、お前、こんな時間にここに来てんならメシ食ってないっしょ」

 あ、話題変えた。結構強引に。
 思いつつも、腹部を覆う空腹感を自覚させる程度には効果があった。藤野は小さく返事をして頷く。とっとと用事を済ませて購買へ行く予定だったのだ。カツアゲにあったり、ピアノを聞いたりして結構タイムをロスしている。

「しかも今日決議あるんだろ? 俺もまだでさ。購買よって会議室に直行しね? パンとかなら入るだろうし」

 小早川はケータイで時間を確認しつつ言った。確かに、今から動けばパンをかきこめるぐらいの猶予はある。

「そうだね、賛成」
「決まり。行こうぜ」

 不良の魔王と草食系に見えがちな一般男子(でも生徒会長)の組み合わせは意外なものだったが、それほど注目を浴びる事もなく、菓子パン類を仕入れて二人は会議室へ入った。
 結局のところ、パンとジュースを詰め込んだ所で瀬川と柚が会議室へ現れ、雑談もそこそこに決議が始まった。
 前回同様、この三人が揃うと空気がギスギスするものの、藤野の心境は違った。

「で、決議再開って事は、まさか予算取れたの?」
「いや無理だった」
「何よー」

 キラキラと目を輝かせた柚に、藤野は即答で切り捨てた。とたん、柚が不満顔に染まる。喜怒哀楽が激しいというよりかは表情豊かと言うべきか。くそ。カワイイ。

「じゃあどうするのだ? 前と同じみたいに予算奪い合いするのか?」

 デフォルトと勝手に認識したふてぶてしい物言いは瀬川だ。早くも臨戦態勢が伺えるのは、自分はしっかりと予算削減について考えてきたという自信があるからだろう。小早川は口からでまかせの発言だったはずだし、柚だって予算削減を十分に考えてきている訳ではないだろうから、強烈な武器にはなる。
 そこまで深読みしての行動なら黒いけど、たぶん違うんだろうなぁ。
 冷静に分析しつつも、空気が張り詰めていくのを藤野は感じた。早くも三人が空中で火花を散らせている。

「血気盛んなのは良いと思うんだけど、話し合いだからね。ケンカになりそうだったら即座に黒板ひっかくからね」

 念押しをしてから、校長から呼び出しを食らったあの日に伝えられたことをおこした紙を改めて見る。あえて三人には渡していない。

「まず、何で今年の予算が削られたのか、だけど」

 これは凶悪な威力を持った鎮静剤であり、劇薬だ。だからこそ、予算の奪い合いという不毛な争いはなくなるはずだ。

「去年の予想外の出費が今年の予算に響いているみたい。去年の部費とかの予算に手をつけなかったから、繰り越しはあったけど、結構ひどいよ。よく手をつけなかったな、ってくらい。例えば、夏休み期間中、何故か異常なまでに電気代が増えたとか」
「異常?」
「うん。ちょっとこれはって言いたくなるくらいの金額」

 ここで僅かな動揺を見せたのは瀬川だった。やはり。口にはしなかったが、校長からは誰が犯人なのか、ある程度の示唆は受けている。その程度とは、藤野でも簡単に断定できるレベルだ。
 僅かな変化を見逃さなかったのは小早川だった。

「へぇ、何でなんだろうな。で、何でお前がちょっとキョドってんの?」
「キョドってなど」
「あ、そういや、アンタ去年夏休み中ずーっと学校通ってたわよね。勉強かと思ってたけど」

 追い打ちは柚からやってきた。ほほう、と何かを察したかのように小早川はふてぶてしい態度のまま顎を指でさする。

「そーいや、去年はお前スパコン研究とかしてたよな。もしかして、実験のせいか? 異常な電気代って」
「例えば、スパコンの性能を引き出した状態での一か月の消費電力、とか」

 補足は藤野が入れた。瀬川は完全に旗色悪しと唸り、縮こまった。図星らしい。こうなると瀬川がマトになるのだが、そうは問屋が卸さない。小早川と柚の攻撃が始まる前に藤野は次へ移る。

「次に、教室ってか、校舎中のホウキやらモップやらが纏めて真っ二つになってたり、校庭の土がすごく掘り返されていたりと破壊活動が認められ、しばらく警備員を強化したりして人件費がかかったり」

 この発言にぎくりとしたのは柚である。一番最初に追いつめられた瀬川は何も言わなかったが、余裕のある小早川が早速刃を向ける。

「へー。スゲェ。軽く犯罪じゃん。何? 格闘技の練習とか?」
「ちょっとテレビ見て興味出たからやってみただけよっ」

 あ、自爆した。
 そんな一面だったり、顔を赤らめている辺りもまた、とモードに入りかけるのを何とか藤野は制御する。

「まだあるよー。教職員室が色とりどりのペンキに染まってたり、校長室が墨汁で真っ黒になってたり」
「ああ、それ?」

 とあっさりと小早川は認める方向で口を開いた。ちょっと意外である。悪びれる様子がない辺りはらしいが。

「アンドリューのバカがウチの学校のセキュリティは万全だ! とかほざくからやったんだよ。簡単に侵入できてさ、色んな色のペンキをバラまいてさ。墨汁も面白かったな」

 アンドリューと言うのは体育教師だ。藤野でも当然のように知っている、生徒間ではかなり有名な教師だ。かなり濃いキャラの上に生徒指導主任なので、特に小早川とは絡む事が多いのだろう。
 いろいろ思う所もあるが、ペンキとは中々えげつない。そして、この事件も警備員を増強させる一因を担っているだろう。

「結局、どの事件も犯人が特定できた訳じゃないから、全額学校側が泣く泣く負担したから、今年の予算を削らざるを得なかったみたい」

 最も、校長辺りは独自のナニかを使って犯人を特定していそうだが。

「あれ? じゃあ今年の予算削られたのって、あたし達のせい?」
「うん。全員、連帯責任ってやつ?」
「ぬう。ではこの予算で何とかしなければならないのか」
「奪い合いはナシね。だって皆悪いんだから、痛み分け痛み分け」
「だからって部費はこれ以上削れねーんだって。無理だろこんなの」

 やはり各科の代表だけあって譲れないラインを割っている事は大きいようだ。

「でもそうなるとさ、削るとしたら学園祭の方になるよ」

 予算は学園祭運営の方も含まれている。結論、ここを削るしかなくなるのだ。部費を選ぶか、学園祭を選ぶか。苦渋の決断だ。
 分かり切っていた道筋に、しかし三人は黙り込んでしまう。学園祭は学園祭で盛り上げたい思いがあるためだ。
 前回よりも遥かに長机に優しい決議にはなったが、話し合いは平行線である。どこかで折り合いをつけなければならない。藤野はちらりと時計に目を配った。後五分程度しか残されていない。
 さて、どうしたものかな。
 このまま決まる気配はない。決議が次回に持ち越されるのであれば、日程を調整し、今度は会議室を抑えるために申請書を書かなければならないなどと、少し面倒な作業が加わる。何より、時間がもうほとんどない。
 予算は確か生徒総会までに決定しておかなきゃならないんだよね。
 その生徒総会は再来週に控えている。
 何か乾坤一擲の策はないものか。思っていると、その策はとんでもない方向からやってきた。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】7話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 20:22
「あー、埒が明かないよねー。予算がパーッと増えればいいのに」

 柚がどこか投げやりで放った言葉に、引っかかりを覚えたのは藤野だった。予算が増えればいいのに。それは不可能だ。予算はもうこれ以上望めないのだから。いや、待て。違う。
 そうだ。その通りだ。増やせばいいんだよ。
 光明が見えた。まさしく乾坤一擲、いや、これしかない。全部が全部、満足させるためには。
 急に考え込む素振りを見せた藤野に、小早川は怪訝な表情を見せた。

「何考えこんでんの生徒会長」
「いや、ナイスアイディアだと思って」
「は?」

 分からないといった素振りの小早川に、藤野はようやく纏まり始めた考えをどう表現するか悩んだ。こういう時、瀬川みたいにもっと性能が良ければ簡単に整理がつくのだろうが。

「今、柚が言った言葉だよ。予算が増えればいいのに。それじゃん」
「何言ってんだよ、予算増額は却下されたんだろ。しかも俺たちが原因で。どうしようもないだろ」

 小早川の意見は正しい。確かに、学校側に予算増額を求めるのはもはや不可能だ。同意を示すように瀬川と柚も頷く。

「いやいや、だからさ」

 藤野は前のめりになった。胸が躍っている。たまらない。こういうのをわくわくと言うのだろう。

「予算を増やすんだよ、俺たちで」

 一瞬の沈黙。この手のアイディアは博打だ。一気呵成にメリットを並べ立てなければ、潰される。特に小早川と瀬川は自分より頭が良く、しかも回転が早い。
 つまり。と、前置いてから藤野は黒板にチョークを立てた。あまり綺麗とは言えない字が大きく表れた。

「稼ぐんだ。予算を」
「はぁ!?」
「うおっと」

 盛大に声を上げたのは柚で、慌てた声を出したのはふてぶてしい態度を取っていた小早川だ。バランスを崩して危うくステキな転倒劇をする所だったのだ。ちょっと見れたら面白いのに。唯一瀬川だけは表情を変えなかった。
 行ける。そう思わせるだけの手ごたえがあった。
 黒板に書かれたのは、「予算を稼げ!」の文字。

「何言ってんの!? どうすんの!? バイトでもする気? 無理無理無理無理。例えあたしらがフルで稼働しても、予算なんてとても稼げないよ?」
「そりゃそうだ。まともにバイトしても稼げるはずがない」

 柚や小早川、瀬川は当然部活に励んでいるし、藤野も生徒会長だ。活動が終わってからバイトに励んでも、せいぜい二時間程度。本当に小遣い程度しか稼げない。柚にしては正論だ。
 しかし、考え方のベクトルがそもそも間違っている。
 藤野はもったいつけるようにチッチッチと指を振ってから口にした。

「でも稼げる方法はあるはずなんだ。それは俺たちにしか出来なくて、俺たちがやらなきゃならないかな」
「だから何が言いたいのさ。何、宝くじでも買う訳? サマージャンボ?」
「バッカ、その元手どーすんだよ、第一、そんな簡単に当たるもんじゃねぇだろ。ちっとは頭使え」
「言い方が少し変だから曲解が生まれるのだ、生徒会長。言葉を少し変えてやれ」

 三人の中で一番早く悟ったのはやはり瀬川だった。

「いい? 部費の予算に関してはもう切羽詰まってるから、どうしようもない。だから、皆が用意してる譲れる最低限のラインで予算を振り分ける。学園祭の予算から引っ張ってこれば、何とかなるでしょ」

 巧妙な時間トリックだ。部費は決議が終わればほとんど間をおかずに使用を始めなければならない。しかし、学園祭の予算の使用時期は、せいぜい夏休み前からだ。しかも潤沢に必要になってくるとなれば、それこそ夏休み明けになる。裏を返せば、それまで学園祭の予算は使う必要性はない。
 ここに気付けた事は非常に大きかった。
 小早川もピンときたらしい。頭の上に電球が点いた様な顔をして、含み笑いを浮かべた。

「だから、学園祭の予算を稼ぐんだよ。俺たちが頑張って協力をあえげばいい。何もパトロンは学校だけじゃないでしょ」
「むしろ、学校って立場を利用してパトロンを集うという感じだな」
「うげぇ。メンドクセ。でもそれしかないな」

 今年の予算が削られたのは彼らの責任が大きい。だから、嫌とは言えない立場でもある。小早川はそれでも投げそうな可能性があったが、一応の責任感はあるらしい。この辺りも不良のカリスマで魔王と呼ばれる所以か。

「ちょっとちょっとちょっと。何よ。だから何が言いたい訳?」

 唯一理解の追いついていない柚が割って入る。

「要するに、学園祭の予算を負担してもらうってこと。パトロンたちに。で、そのパトロンがたくさん集まってるトコが一つ、学校の近くにあるでしょ?」
「えっとそれって商店街?」

 ほとんど野生のカンで答えたに等しいが、正解だ。女のカンとは侮れない。何だか少しズレた感想を持ちながら、藤野は頷いた。

「そそ。でさ、毎年、出店やら喫茶店やら、全部俺たち負担でやってるでしょ? 規模でかいから一般人も入れるし、でも味の保障がない分、超激安。ほとんど原価みたいなモンだし、利益が上がっても、打ち上げでパーっと使っちゃうでしょ?」

 これは去年学園祭を経験したから知っている事だ。潤沢なまでに学園祭予算が下りているからこそ出来る荒技である。

「むしろ消費電力や雑費、警備員などの人件費などで総合的に見れば赤字だろうな」

 瀬川の発言はもっともだ。
 学園祭は利益を上げるためのものではない。生徒の自主性を育てるのと同時に、協調性、社交性を鍛えるためでもある。もっとも、楽しみとしての思い出作りの側面もあるが。

「だから、商店街の人たち、パトロンたちに協力してもらって、出店や喫茶店なんかで利益を上げる。その利益で足りない予算を補てんするんだ」
「どうやって?」
「その辺りは……えっと」

 正直なところ、具体的に決まっていない。言葉に詰まっていると、助け舟がやってきた。チャイムだ。

「今日はこれで終わりだな。次回までにどうするか、具体的内容を決めてきてよ、生徒会長」

 あ、待って。何気なく一番メンドクサイ事をまた押しつけましたね。小早川クン。

「そうだな。これは発案した生徒会長の仕事としたものだ」

 あ、また同意してくれやがりましたね、瀬川クン。

「そっかぁ。じゃあまた呼んでね! 出来るだけ時間合わせるからさ!」

 あ、また考えもなしに場の空気に流されましたね柚サン。

 藤野は抵抗しようとしたが、前回同様丸めこまれるにきまっている。ただがっくりと肩を落として、三人を見送るしかなかった。
 昼休憩終了のチャイムから五時限目開始のチャイムまで10分ある。その間に顧問へ会議室の鍵を返却し、議事録は後日提出を願い出た。今回の決議は書記や会計も呼んでいない。完全に四人だけで行ったため、決議で発覚した今年の予算が削られた原因は外に漏洩していない。そして、漏洩させてはならない。色々とまずい。その辺りをうまく消去して議事録を作るためだ。
 こればっかりは家に帰ってやるしかないかぁ。放課後残るのめんどいし。
 なんだかんだで悩みの種が増えたような気がする。
 三人に伝えていた譲れる最低限ラインの予算要望書は、放課後までに手元へ集まった。前年度とほとんど変わらない水準だ。学園祭の予算を流しこめば、十分に足りる。

「学園祭の予算をどう稼ぐかを纏めてからじゃないと、この予算書類も出せないよな」

 決議の結果はこうだ。学園祭の予算を一時的に借入する事で部費予算不足分を補い、学園祭の予算を稼ぐ。しかし、この予算を稼ぐ方法、つまり商店街の面々から具体的にどう協力を仰ぐのかを考えておかなければ決議として通らないだろう。
 結局、五時限目、六時限目と授業の内容理解に支障がない程度に考え込んでみたが、さっぱり見当もつかなかった。
 一軒一軒協力してもらうように生徒とかを使ってローラー作戦? いや、それはもう方法だ。具体的にどう協力を仰ぐか、の答えになってねぇ。
 気がつけばSHRも終わり、下校の時間になっていた。

「帰るかー」

 悶々としたまま駐輪場へ向かうと、隣の駐輪エリアで立ち尽くしている生徒がいた。風体というか、雰囲気で分かる。瀬川だ。

「どうしたの? ボーっと立ち尽くして」
「呆けてなどいない。ただ困っているだけだ」
「何? どうしたの?」

 促されて視線の方向を見ると、何だかとってもいけない気がする自転車が厳然と存在していた。なんですかコレは。アレですか。山登りですか。そして山籠りですか。

「とりあえず動かん」

 当たり前だね。うん。
 奇跡的に自転車はバランスを保っているようだが、いつバランスを崩して倒れてもおかしくない。それだけの重量が乗せられていた。しかも前かご、荷台、さらにはフレームの左右にまで。

「っていうかさ、一体何を詰め込んでるの、これ」
「私物だ」
「あ、ああ、そう」

 そんなこたぁ分かってるんですけどね。ただ中身が何なのかなぁと思っただけで。まあいいですけど。

「でも無茶するね」
「無茶ではない」

 静かに瀬川は反駁した。腕組みなどしながら、やや憤然と言い放つ。

「理論的には完璧な装備だ」

 遠慮も何もなく、藤野は姿勢を大きく傾がせた。思わずこけそうになってしまうが、それだけは阻止した。

「何だ、そのリアクションは。完璧だろうが。重量仕分けも寸分の違いもない。バランスも完璧だ」
「いやいやいやいや」

 思わず噴き出しながら藤野は言葉を切った。何故笑う、と瀬川はますます不機嫌になる。
 確かに自転車に対する体重仕分けなど、理論的には間違ってはないない。到底真似できる芸当でもない。だが、根本的に間違っていては意味がない。

「とりあえず一台でこのまま運ぶのは無理なんだからさ、二台に分けたら? 俺のチャリ使っていいからさ」
「ほほう。随分と良いアイディアだな」
「家まで送ればいいんでしょ? どの辺り?」
「商店街の東側だな」
「じゃあ途中まで帰り道一緒だから、そんな手間じゃないし、送っていくよ」

 そうと決まれば、と瀬川と藤野は共同作業で荷物の取り外しに掛かった。
 二台に分けても結構な重量になったが、動かせない程でもなかった。少し根性がいるが、普通に走れるレベルである。
 あ、これってアドバイスとかもらえるチャンスだったりする?
 他愛ない世間話もほどほどに、藤野は本題へ切りだした。

「ってかさ、実は商店街の人たちにどう協力を仰ぐかってので困っててさ」
「ほう」
「単純に寄付募るだけじゃ、足りないと思うんだよね。前年度予算を考えると」

 寄付というのは善意であってお願いである。断られても当たり前であり、また、こちらから金額を指定するなどと持っての他だ。
 ふむ、と瀬川が考え込む様子を見せた。僅か数秒でしかないが、藤野では到底入りきらない知識の海を泳いでいるのだろう。

「まずはその数字を明確化させることだな。学園祭の出店で利益を上げるなら、どれぐらいの利益が見込めそうなのか、その利益と必要な金額とを引いて、どの程度協力金が必要なのかを算出しろ」

 必要な事は情報の整理だ。瀬川は言う。

「もしそれで到底望めない金額になるのであれば、利益が焦点になるだろうな」
「えっと、どう利益を上げるかってこと?」
「そうだ。コストを徹底的に削減したり、色々と策を講じて利益を上昇させ、見込めるであろう協力金の金額に済むように計らうしかないだろう」
「なるほどね」

 やはり賢い人間は視点も違う。藤野の視点が狭いだけなのかもしれないが。

「基本を踏襲しろ。基本なくして応用も生まれない」
「ありがと。参考になったよ」

 藤野は素直に礼を言った。面と向かって言われた瀬川は少し気恥ずかしそうに顔をそらす。尊大な物言いからして彼は敵を作る事の方が多いはずで、お礼など言われ慣れていないからだろう。
 あー、じゃあまずは去年のデータを徹底的に洗い出しかぁ。出店ごとにどれだけのコストがかかって、どれだけの無駄があるのか。どれだけの利益を求めることができるのか。細かいデータだけど、顧問か会計あたりなら持ってるかな。
 面倒だな、と思いつつも、今はそれが最善だ。
 

 あれ? でもなんか、また悩みの種が増えてねぇ?


 その事実に気付くまで、藤野はたっぷりと時間がかかった。



[22222] 青汁闘魂〜新米生徒会長大奮闘記〜 【青春・学園・ちょっと恋愛】8話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/26 18:13
 資料は割とすぐに手に入った。会計に聞いてみると、USBで保存されていると情報を得たのである。ただし、学校側の経理情報でもあるため、生徒会室のパソコンのみでしか閲覧が許可されていない。じっくり読み込む必要があるため、必然的に放課後、居残りで閲覧するしかない。
 ファイルを開いてから、前任の生徒会長がかなり優秀であった事を思い知らされた。会計も噛んではいるのだろうが、ほとんどが生徒会長の手が入っている。細かく分かりやすく分類してある上、いちいち備考欄に改善策まで記入されている徹底ぶりだ。
 利益を上げるためには必要経費を削り、予算を切り詰める事が一番である。何と良い条件が揃ってるんだ。これ幸いと改善策を練りこんで予算を切り詰めてみたが、出てきた数値に藤野は愕然とした。

「全然足りないじゃん」

 改善策と自分なりのアイディアを盛り込んで予算を設定しても、実際はほとんど変わらなかったのである。これでは寄付を募っても必要金額に満たない。

「去年の時点で無駄は大分省かれてるのか。当たり前と言えば当たり前だけど」

 学園祭の歴史は結構古く、開催される度に無駄を削ってきたのだろう。特に去年は劇的に無駄が省かれている。その上での改善策は微々たるもので、影響は小さい。
 この状態で予算をさらに切り詰めるとなれば学園祭自体を縮小せざるを得ない。

「それはなるべくしないって方向だもんなぁ」

 あれだけ仲の悪い三人が唯一、一度で意見を一致させた事がそれである。自分たちのせいで今年の予算が少ないというのもあるかもしれない。
 カチカチと時計の秒針の音が室内に響く。時間とストレスだけが蓄積されていく中で、思考はどう利益を上げるかにシフトしていた。予算を切り詰めて利益を上げる事が難しいのであれば、更なる利益を求めなければならない。
 つまり、増客だ。
 学園祭は一般にも公開されている上、客の内訳としても結構な数に上る。OBやOGが多いこともあるが。となると、どれだけ呼び込めるかになってくる。呼び込むとは注目を集めることだ。単純に考えれば、宣伝である。
 宣伝って言ったら、広告を印刷して、商店街にばら撒くぐらい? 後は学校の周りに小さな看板立てたり、ポスター貼りつけしたり。
 去年の記憶と画面に表示された予算額を照らし合わせて考えが巡る。

「あれ? マジでまだいたんだ生徒会長」

 いきなりノックもなしに扉が開かれ、入ってきたのは小早川だった。マジでまだいたんだってなんだよ。誰のせいでいたくもない学校でひきこもってると思ってんだ。

「うん。まだいる。で、どうしたの?」

 内心の抗議は内心のまま、藤野は問いかける。呼び出した覚えもないし、予算申請書はちゃんと受け取っている。用事はないはずだ。

「お前さ、音楽好きだろ?」
「好きっていうか、まあ、うん」

 いきなり何を聞いてくるんだ? と思っていると、小早川は胸ポケットから細長い紙を取りだした。

「ライブいかね?」

 はい?
 間の抜けた声が出なかったのは頭が大分疲弊しているせいだ。どうやら手にしているのは何かのライブチケットらしい。
 こんな忙しい時に。無理だっつうの。
 頭から拒否しようとして、藤野の本能が危険を告げた。待て。落ちつけ。今、俺が目の前にしているのはあの不良のカリスマたる小早川だ。下手な断り方をしたらどんなメに遭わされるか分かったもんじゃない。

「大分煮詰まってるみてぇだしさ。軽い息抜きでいかね? ストレス発散にもなるし」

 考える間に、小早川は甘い言葉をどんどんと出してくる。

「アレだぜ? 一つのことを一つの目だけでずっと見てたら視野狭くなるし、見えるモンも見えなくなんぞ?」

 しかもいちいち理にかなっているときた。その上、その気にさせるのだから侮れない。
 ホントに口が達者っていうか、知恵が回るっていうか。ああ、でも気分転換にはマジでいいかも。

「そうだね。気晴らしにいってみようかな」
「オッケー決まり。今から帰れる? 十八時スタートなんだ。場所は商店街二番ゲートのライブバウス」
「うん。そこだったら、たぶん間に合うよ」
「で、一応聞いとくんだけど、ライブは初めて?」
「うん」
「じゃあ破れてもいいような半袖Tシャツと、ボタンじゃなくて、ポケットがチャックになってるパンツで、後着替えな。アクセとかつけてくんなよ。タオルも用意しとけ。で、金は出来るだけ小銭用意しとけよ。じゃあな」

 あれよあれよと言う間に決定し、気がつけば服装や所持金まで指定されていた。小早川はかなりライブ慣れしているらしい。
 扉が閉められた後の生徒会室は嵐が過ぎ去ったかのような沈黙に支配され、はっと我に返った藤野が慌ただしく戸締りを開始する。遅れたらシャレにならない。絶対。うん。
 職員室へ鍵を返したら家まで直行し、タンスをひっくり返してオーダー通りの服と着替えを用意する。小銭はなかったので、近くのコンビニで崩した。どれくらいあればいいんだろ。とりあえず三千くらい?
 悩みつつ自転車で商店街の中の二番ゲートに着いたのは、二十分前の五時四十分だった。

「よう。ちゃんと言いつけ守ってきたな。よしよし」

 ライブハウスの前で立っていた小早川は、一目で藤野の恰好をチェックすると、満足げに頷いた。当の小早川もやや古ぼけたTシャツに紺のパンツで、パンツはチャック式のポケットが何箇所もある。さらにタオルを首に巻いていた。

「はい、これチケット。ワンドリンク制だからな」
「ワンドリンク?」
「チケットと一緒に五〇〇円払え。で、ドリンク券もらえるから。好きな時に注文しろ。大抵はアルコールだけど、ソフトドリンクもあるから」

 カラオケと同じようなものか。小銭を用意しておけ、と言うのはこの事なのだろうか。

「荷物持ってきてんな。そこにコインロッカーあるから、突っ込んどけ、ハウスじゃ預かってくれねぇからな」

 指差したのはライブハウスの向かい側だ。自動販売機の隣に、コインロッカーが幾つも並んでいる。ライブハウスに荷物は持ち込めないための配慮らしい。

「分かった」

 言われるまま、藤野はコインロッカーに荷物を入れた。小早川にならって、ズボンに小銭を入れてタオルを首にかける。戻ってくるとチケットを手渡された。コンビニのオンラインチケットだ。

「ありがと。でさ、誰が出るの、これ」

 一応チケットには小さい字で出演バンドが列挙している。どうやら幾つかのバンドが出演するらしいものの、藤野が知っているバンドはいない。

「目当ては白光」

 涼しい顔で小早川は答える。

「ハッコウ?」

 聞いた事もないバンド名に、訝しく眉を潜めた。あ、しまった。と思ったが、小早川は案外気にした様子を見せず、

「知らなくて当たり前かもな。最近出てきたばっかのバンドだし、まだまだインディーズだし。自作CD作ってっけど、枚数少ないし。でも、メジャーから注目集めつつあるし、実力はピカイチのバンドって感じ?」
「へぇ」
「そこらへんのバンドとは一線違うぜ。聴けば分かるって。降りるぞ」

 ライブハウスは地下にある。なんのためらいもなく薄汚れた階段を降りて行く背中を慌てて追いかけた。ためらって距離を開けてしまっては迷う気がしたのだ。一本道だと言うのに。
 うわ。なんだろ、この空気ってか、匂い?
 地下にあるだけに、煤汚れた感じの沈んだ空気はやや湿っぽくて黒い香りがする。どこか胸を不安にさせるような、アンダーグラウンドを垣間見させる薄暗さ。壁には無数の落書き。人種も様々だ。藤野のように草食系の恰好をしているヤツもいれば、ド派手なヤツ、全身にタトゥーを刻み込んだガタイのデカイ輩もいる。
 キョロキョロしていると、小早川が横腹を肘で軽く突いた。

「あんまキョドんな。今日のライブはそこまでじゃないから大丈夫だろうけど、もっとヤバいイベントだったら絡まれんぞ」
「絡まれるって」
「脅しだけで済んだら上等だな。金を奪われる事だってあるし、顔面の形が変わる事だってある」

 さらりと言われて、藤野は縮こまった。なんだ。なんだかとってもキケンな所に身を置いてる気がする。

「そろそろ入るぞー」

 ここのライブハウスは比較的規模が大きい場所で、ホールとカウンターが別の部屋になっている。カウンターはいわゆる待機室みたいなもので、トイレなども完備されている。通路は狭いが。天井には大小の管が剥き出しになっていて、そこにも落書きがされているのだから驚きだ。
 ホールに入ると、それはそれは無骨なものだった。
 四角四面コンクリート。ガムの跡やら所々欠けていたりやら。しかも狭い。せいぜい教室一つ分くらいだろう。閉塞感が強く、より一層アンダーグラウンドな匂いがする。イスなんて気のきいたものなどなく、オールスタンディングだ。
 なんか、ホントにヤバそうな感じ。
 灯りと言えばステージを照らすライトだけで、薄暗さはさらに濃い。そのステージも仕切りなどはなく、段差だけだ。その段差も1メートルぐらいなので、簡単によじ登れる。

「今からオープニングアクトだからさ、様子見しとけよ」

 言う間にぞろぞろと人が入ってくる。え、なんですか。こんなに狭いのにどんだけ入ってくるんですか。
 僅か数分で人口密度は極度に上がった。後方にいるのでまだ余裕こそあるが、前の方はもはや通勤ラッシュ時の電車並みの密度だ。

「そろそろかな」

 宣言の通り、ステージ両脇に設置してある人よりも大きいスピーカーが重低音を響かせた。腹の底に響く。

「っていうか何あの分不相応なデッカいスピーカー。大丈夫なの?」
「ああ、慣れればヘーキ」

 慣れればっておっしゃいましたか今。
 次の瞬間、ギターの爆音が耳をつんざいた。痛い。慌てて耳を抑えるも、周りは平気である。なんだ。なんなんだコイツら。

「お前らぁ! チョーシはどうですか―――――っ!」

 の掛け声をきっかけに、ライブは始まった。

 すげぇ。

 ライブも前半戦を終了して、ただ浮かんだ感想はその一言だけだった。
 耳からでなく、文字通り全身に入ってくる轟音。全身に叩きつけられるリズム。狂騒。荒々しいメロディ。爆発するフラストレーション。汗。むわっと増す湿度。反対に薄くなる酸素。
 クラシックコンサートで体験するような、清廉とした美しい音の波で味わう感動ではない。まさに洪水、津波だ。全身で感じる『痺れ』を今、藤野は味わっていた。いうなれば、音の暴力だ。
 不思議なのは、全く知らないバンドのオリジナル曲だというのに、リズムに乗れてしまうことである。 
 ただ、前衛に行ける根性はなかった。なんだか人が跳び跳ねたり飛び込んだり渦ができたり波ができたり。なんだか絶対内臓がおかしくなる。小早川は平気でその前衛で突っ込んでいっているのが恐ろしい。

「どう?」

 幾つ目かのバンドが終わり、いよいよメインを控えた休憩時間中、小早川はドリンクを持ってきてくれた。水を前にして初めて、喉がひどく渇いている事に気がついた。ありがたい。

「うん。すごい」

 一息で半分ほど飲みほしてから、藤野は素直に感想を告げた。口の中にウーロン茶の後味が広がる。今になって酒かもしれないといった恐怖に取りつかれたが、単純にソフトドリンクだ。罠は仕掛けられていない。

「メインの白光はもっとすごいゼ。五倍くらい」

 その宣言は嘘掛け値なしだった。
 流れる音は強烈で、暴力と平和が共存していた。吐き出されるリリックはシンパシーを呼び込み、怒涛の如く時間を進めては、恐ろしいぐらい静寂にさせて音を聴かせる。沁み込ませる。生の音だ。本当に、生きている音だ。

 なんだ、この一体感。

 気持ちが悪いくらいに、皆の気持ちが分かる。そして気持ちが良い。
 気がつけば藤野も前衛にいた。潰されるかもしれない圧迫感。でも、彼らに近づけばより分かるのだ。彼らの音楽が。汗にまみれながら、十人くらいでサークルを作ってグルグル回ったりもした。お互いに押し合ってモッシュもした。極めつけはダイブまで。もっとも、このダイブは望んでやった訳ではなく、後ろからいきなり持ち上げられたからだが。小早川からの「両手足をあげてじっとしてろ!」というアドバイスがなかったら今頃どうなっていたか分からない。
 学校では決して体験できないであろう一体感を胸に、藤野は久しぶりの解放感を味わった。
 ライブは怒涛の如く進行し、アンコールも含め終わった時は午後十一時を回っていた。

「あーやっぱライブはいいなぁ」

 シンと静まり返って重く冷たく、しかし清廉とした空気を胸一杯に吸った小早川は思いっきり伸びをする。

「うん。良かった。でも耳がキーンてするんだけど」

 さっきから耳の調子が悪い藤野が返す。
 当たり前と言えば当たり前だ。分不相応なまでに巨大なスピーカーで且つ爆音のという環境下に長時間いたのだから。

「言っとくけど、それ数日残るからな」
「マジ?」
「マジマジ。それを含めてライブってイイんだよ」

 この空気感を味わうのも、全身の筋肉を使いきった倦怠感も、耳の不調も、汗でべっとりとなった服も。まさか雑巾絞りよろしく汗がしたたり落ちるとは思いもしなかった。
 コインロッカーの鍵を解除して、藤野と小早川は素早く着替える。さっとタオルで汗を拭いて渇いた服の袖を通すだけで違う。とはいえ下着まで汗でびっしょりとなっているせいで、下半身は諦めなければならないが。

「でもこんな世界があるんだね。知らなかった」
「だろ。メチャ良かったろ」
「うん。なんていうか、こう、一つになるっていうか、気持ちの共有?」

 そう。まさに共有だ。全く見ず知らずの人間だというのに、お互い物言わずとも何を考えているのか理解できる。音を楽しんでいるのだ。音を全身で、全力で楽しもうとしているのだ。
 思い出すだけで胸が躍る。異体同心とも言うべき現象は、こうまで心身に影響を与えるものなのか。

「フェスとかいったらさ、もっとそういう感覚味わえるぜ」
「へぇ、そうなんだ」

 などと会話して、藤野は奇妙な引っ掛かりを覚えた。

 共有。一つになる。

「あ、なるほど」

 ぽんっと両手を打って、藤野は閃いた。そうだ。共有だよ。一つになるんだ。

「何?」
「共有だよ、そうだよ!」
「は?」
「今日は誘ってくれてありがとう! じゃあね!」
「あ、そう。バイバイ」

 妙なハイテンションを見せた藤野の様子を分からない小早川は傍観して流す事に決めたらしい。見事なスルー力ともいうべき何かであっさりと別れた。
 藤野は倦怠感を押し殺し、鍵を開ける間も惜しんで自転車にまたがった。
 そうだ。まさに起死回生、乾坤一擲、あったよ! これが!

「連絡もなしにこんな夜遅くまで一体何やってたんだお前はぁ―――――――――――――――――――っ!!」

 家に着くなり怒号が響いたのは言うまでもない。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】9話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/17 22:44
 結局夜明け近くまで説教を食らった藤野は、ほとんど死にかけの態で登校した。あそこまで激昂した親を見るのは初めてだった。

「つぅか、眠ぃ」

 小早川の宣言通り、耳鳴りは未だ続いていた。キーンという金属音のような音は周囲の音の聞き取りを遮断する。まるでフィルターをかけられたようだ。
 実際、友達と会話していても何度か聞きなおす場面があった。会話の腰を折るような流れになりそうなら聞き流すこともしばしば。 
 なんか一人だけ年食ったみたい。しかも全身あます事無く筋肉痛だし。
 とりあえず一時限目から三時限目までをほとんど居眠りで過ごし、体調を復活させてからアイディアの練り込みに挑む。大体の概要は昼休みまでに完成し、議事録もついでに纏めておく。いい加減提出しなければいけない頃合いだ。

「今日も放課後コースだなぁ」

 生徒会長というのはとにかく忙しい。副会長も兼任しているからだが、会計や書記も必要最低限の業務しかこなしてくれないので、必然的に雑務も請け負う事になっていた。くそう。庶務係か何か募集できないのか。
 愚痴こぼしも兼ねて顧問に相談してみたが、上申書を書いて会議して、人員を選定して、臨時選挙を行って、と少なく見積もっても数カ月はかかると言われて諦めた。前任の生徒会長もこんな苦労をしていたのだろうなと思うと溜息がもれる。
 何とかして書記や会計も働かせないと。これもカイチョーのシゴト?
 どんどん加速的に膨らんでいく悩みを抱えながら、決議を持ったのは三日もたってからだった。時間の余裕を見て放課後に設定した。例のごとく、書記と会計は欠席である。

「ハァ!? だっから何なのよその物言いは! バカにしてんの!?」

 拳が長机に叩きつけられ、悲鳴の轟音が響く。ああ。痛そうな机。

「ウルセーな。すぐバンバン叩くんじゃねぇよ暴力娘が」

 いえ、あの。その薄汚れた上履きで机をコンコン踏むように蹴るのも良くないと思うのですガ。

「そうやってすぐ頭に血が上る辺りがバカに見えるんだ。脳みそ筋肉で出来ているんじゃないのか?」

 お願いですから油性で長机にシミを作らないで頂けません? シミ抜きするのとか大変なんで。
 っていうかさ。なんで決議始める前から揉めてらっしゃいますかアンタたちは。ってか長机がすっごい可哀想だし。
 藤野は黙って静かに立ち上がると、耳栓をしてから後ろを振り返る。

『ああああああああああっ!!』

 耳に突き刺さり、背筋を凍らせる恐怖の音に、三人は纏めて震えあがった。もしかして音波兵器とかに使えるんじゃないだろうか。黒板ひっかき。
 耳栓をしていたお陰でノーダメージの藤野は静かに着席してから、

「とりあえず、決議を始めていいかな? イヤならもっかい黒板ひっかくけど。今度はロングでスペシャルなコースで」
「いえ、遠慮しときますごめんなさい」

 三人を代表して謝ったのは柚だ。その後に「会長、何だか逞しくなったいうか、強くなったいうか」と続くが、敢えて無視する。誰のせいで強くなったと思ってんだ。

「それで、良い案は浮かんだのかよ、会長」

 仕切り直しと言わんばかりに小早川はふてぶてしい態度を藤野に向けた。相変わらず上手い男だ。

「まぁね。ちょっと大胆っぽいから、色々考えてる内に三日くらいかかったけど」
「えっと、商店街のヒトたちに協力してもらうんだっけ? どーすんの、結局。寄付お願いして回るワケ?」
「うん。最初はそれ考えたんだけどさ、無理」

 キッパリと断定してから、証拠の資料を配った。

「去年までの学園祭でさ、既に結構無駄省かれてて、予算の切り詰めはほぼ不可能。単純に寄付金を募って、大体集まるお金を試算して組み込んでも、去年の予算はかなわない。だから寄付を募るだけじゃ、規模を縮小するしかないってなっちゃう」

 論より証拠、紙に並べられている数字が物語っている。三人が資料に目を通して納得する程度の時間をおいてから、藤野は口を開く。

「じゃあどうすんのさ」
「うん。結論は一つ。一体になればいいんだよ、学園祭と商店街が」
「は?」

 三人が三人とも、怪訝に眉を潜めて間抜けな声を吐き出した。うん。いい反応。藤野はまず瀬川を見て質問する。

「お金を出す時ってさ、大抵どういう条件の元、発生すると思う?」
「見返りだな。リスクはリターンがあって初めて負えるものだ。寄付にしろ、善意で感謝されるという見返りがあるからだ。偽善か善かはどこかに丸投げしての理論だがな」

 そこまで深読みして即答できる辺り、やはり瀬川だ。

「そそ。寄付金じゃ足りないんなら、利益を上げて還元する、リターンを前提とした出資をしてもらえばいいんだよ」
「出資?」
「つまり、商店街を学園祭に誘致するってコト」
「なるほど。商店街の人たちに出店、出店してもらうという事か」

 いち早く理解した瀬川は納得したように手を打った。次いで小早川と柚も「おお」と唸る。

「そそ。従業員はもちろん生徒だから人件費は実質タダ。場所にしろ道具にしろ、学校である程度揃っているから、そこもタダ。もちろん専門的な道具になったら借りなきゃダメだけど、借りるんなら予算いらないでしょ。で、光熱費は当然学校持ちなんだからタダ。絶対いつもより安い値段で品物を提供できるから、ちょっとしたセール価格でできると思わない?」
「要するに、学園祭の場所と人員で、商店街の人たちに商売してもらうってこと?」
「そそ。そうしたら出店関係、喫茶店関係の予算はほとんど削れる上に、利益の何パーセントかを還元してもらったら、そのお金で他の学園祭予算に回せるし」

 確かにそれならば、商店街側にも利益が生まれる。なるほど、いいアイディアだ。

「アリかもな。それをウリにして商店街に張り出ししたら、一般客の誘致も簡単になる」

 ただでさえ消費を抑えてデフレ傾向にあるのだ、セールとなれば一般客も集まるだろう。学園祭のビラは毎年商店街に設置してもらっているので、そういう意味での広告費は去年並みにセーブする事ができる。

「でしょ? 商店街側としても名前売れるから、食いついてくると思うんだ」
「確かに色んな面白いコトできるかもな。ってか、それだったら、商店街の人らにゴハンのおいしい作り方とか、そういうのもレクチャーしてもらえんじゃね?」

 いい所に目がいく。それも藤野は織り込んである。毎年、学園祭には専門的知識を持つ人間を誘致していて、生徒たちの指導に当たってもらっている。やはり専門知識な集団だけに、結構な値段もかかっていた。上手くいけば、そこもゼロにできる。

「出資してもらって、元手はキッチリ回収してもらって、利益も上げてもらう。良いコトづくめだね。ま、客を呼び込めればって話になるけどさ」
「そこは商店街の人たちにも協力してもらうさ。出資する以上、元手回収は絶対なんだから、呼び込みとかにも力入れるだろうし」

 商店街は長年賑わいを保っており、いろいろ戦略を練っているため、そういう技術に関しては一日の長があるはずだ。

「お互いの良い面を出し合って共有する。だから一体になる、か。中々言葉にセンスがあるぞ、会長」

 何か褒める場所違うんですけど。
 突っ込みは内心で封じ込め、藤野は素直に「ありがと」と返した。

「でも商売する以上は、割高になるんじゃないの?」
「いや、大丈夫だろう」

 柚の懸念を一蹴したのは知識の宝庫、瀬川である。

「学園祭で出店をやる場合、俺たちだと仕入れはスーパーとかになる。どれだけ安売りを狙っても、スーパーの利益になるように計算されているんだ。だが、問屋から仕入れを行っている商店街の人の協力を直接受けれれば、間に挟むだけのコストが減るから、仕入れの値段は逆に下がるはずだ」
「上手くいけば去年よりも安い値段で提供できるかもね。しかも去年よりも格段に美味くて。ま、これは利益還元云々を差し引いて、って前提がつくけど」
「うっそマジ?」
「オッケー。じゃあ出店関係の予算はかなり削れるな。それで、他はどうすんの? 演劇とか、研究発表とかにかかる材料費とか」
「商店街には工務店とか金具店とかもあるでしょ? スポンサーになってもらう事で安くしてもらおうかなって。演劇って毎年脚本をオリジナルに改変してるでしょ? そこにスポンサーの名前を出してもらうとかさ。研究発表にしても、スポンサーの事を掘り起こして発表するとかね」
「要するに、CMみたいな感じ?」
「そそ。演劇のプログラムのパンフにも提供、○○工務店とか入れてさ」

 利益を上げる事は不可能だが、出費を抑える事はできる。まだまだ練り込みが必要な分野だが、ある程度の威力はあるようだ。三人は特に反駁することもなく納得した。

「利益のパーセントはどう設定するのさ?」
「そこが悩みどころでさ」

 と、藤野は相談を持ちかける。どうか紛糾しませんように。

「出店関連だけで予算を引っ張り出そうとしたら、結構なパーセントになりそうなんだよね。だから、他にも要素がいると思う」
「要素なぁ」
「結構考えてみたんだけどさ、俺じゃ浮かばないんだよ」
「浮かばないんならさ、そこらへん取材でもしてみれば?」

 さらりとアドバイスを入れたのは小早川だ。上手なのは投げやりで押しつけ気味なところである。自分がやるつもりはさらさらないらしい。しかも、瀬川をうまくくすぐっている。

「そうだな。情報収集で知識を吸収するのは基本だ」

 そうは問屋が卸さない。藤野は素早く口をはさみこんだ。

「俺もそう思う。でもさ、俺一人じゃやっぱり限界あるんだよね。お互い情報収集するにしても得意分野と不得意分野ってあるでしょ? だから情報収集に協力してもらって、どんなのがいいか、意見も出し合ってほしい。これは生徒会長として各科の委員長に助力を願い出るって形になるかな」

 要するに、生徒会長権限を使用しての協力要請だ。瀬川と柚はこれであっさりと陥落してくれたようで、反論はこなかった。問題は小早川である。明らかに面倒臭い表情を浮かべていた。権限云々で指示を出しても、曲者たる彼が納得するはずがない。
 前回は面倒臭そうにしながらも協力する素振りを見せつつも、結局うまい具合に押しつけられたが、今回はそれを事前に防いだ。
 さあ、どうでる。
 全く予想がつかない中、一人緊張して小早川を見ると、彼は少しわざとらしく視線をそらして口を開いた。

「あー、協力したいけどサ、俺じゃ役立たずだと思うんだ。だって、俺が得意な分野で何が出来るよ。不良の意見なんて、組み込める訳ないっしょ? それか、不良の誘致? 治安悪くするだけだぜ」

 そう来たか。さて、どう返そうかとした時に、藤野は失念していた。超瞬発娘がいることに。

「うっわ、アンタってホントそういうトコで逃げるよね。何それ」
「逃げてねぇよ。役に立てそうにないから素直に言ってやってんだろ?」
「それを逃げって言うのよ。あんたバカ様ですか? 大体、予算不足はアンタにも原因あるんだから、協力しなさいよ惜しみなく」
「何だよその連帯責任的なノリ。うぜぇー。超うぜぇ。だいたい責任感あるんだったら不良なんてやってないって。やめてくんない? そういう汗臭くて体育会系ノリ」

 あ、ヤバい。
 論戦を繰り広げた所で、柚が小早川に勝てるはずがない。正論と正義よりも清濁併せのむ方が強いのは明らかだ。

「そんなのカンケーないでしょ!? せっかく会長がここまでやってくれたんだから、協力しなさいよ!」
「だからそれがうぜぇってんの。人が努力してるから自分も努力しろとか、何のオシツケだよ。それこそ何様?」
「ムカついた! ちょっとアンタ表に出なさいよその曲がった根性叩き直してやるわ!」

 息巻いて机にドンと足を置いて腕をまくる。どこの江戸っ子だ。

「あれ? そうやって口で勝てなかったら力で訴えるんだ? そこらの不良と変わらねぇな。それで正義のミカタぶるんだから余計タチが悪いぞそれ」
「何ですってぇ!? だったら――」

 まずい。それを言わせたらいけない!
 藤野は口を挟もうとするが、遅かった。

「アンタの協力なんていらないわよ! バーカ!」

 言っちゃった。
 にやり、と小早川は笑うと、さっさと立ち上がって教室の扉を開けた。曲者らしい話の持って行き方だ。

「あっそ、じゃ協力止めるわ。ああ、でも一応カイチョーたちの決めた事には従うからサ、後はよろしく頑張れや」

 しまった、と柚も気付いたが、今更発言を撤回できない。すると瀬川も静かに席を立った。

「会長の意見は半分は受け入れる。道理だからな。だから俺は俺でやらせてもらう。情報は提供しよう。だが、意見を出し合うなど、慣れ合いは好きじゃない」
「瀬川! アンタ!」

 睨み殺しそうな勢いで視線をぶつけられても、瀬川は一切動じない。

「なぁなぁで情報収集するつもりはないと言う事だ。集めた情報は会長に渡せばいい。どう纏めてどう生かすかは会長の仕事だろう」

 知識を第一に、割り振りをキッチリとする瀬川らしい発言だ。天上天下唯我独尊と言われる所以のひとつだ。

「では俺も失礼する」

 開けられっぱなしの扉を瀬川はくぐった。残されたのは青ざめた顔の柚と、気まずい顔の藤野の二人。
 あちゃあ。なんだろコレ。まとまったのにまとまってないぞ。
 決議はうまくいっていた。商店街にリターンを与えることで全面的なバックアップを受けるという意見も方向性もまとまった。しかし、肝心の協力体制はてんでバラバラで、こうして物別れに終わった。
 個性的すぎて仲が悪い三人と決議するのだから、考えられる可能性の結末だった。もちろん、最悪の結末だ。

「えっと、その、あたしはちゃんと協力するからね!」

 何の罪滅ぼしのつもりだよ、その発言。違うだろ。柚、アンタが引き金を引いたかもしれないけど、アンタのせいじゃないだろ。
 結果として、三人を御しきれなかった藤野に責任がある。三度目は許すまじとしたたかに立ち回ろうとした結果だ。

「ありがと。でも責任感じないでね」

 フォローを入れてから、藤野は悩みの種に一つ加えこんだ。


 この三人をどうにかして協力させる。


 なんか世の中の真理に挑むが如く難題だ。思わず頭を抱えなかったのは、柚が気にしないようにとの配慮だった。

「とりあえず終わろうか。できるだけ情報収集してきてね」
「うん、分かった!」

 何故か握りこぶしを作られたらとっても不安になるんですけど。

 思いつつ、藤野は決議をたたんだ。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】10話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/21 10:00

 とりあえず概要は纏まったので、部費予算関係の書類を朝イチで提出し、その昼に校長から呼び出しがかかった。
 即ですか。即呼び出しとかいう奴ですか。
 今度は何を言われるんだろう。やっぱりまずかったかなぁ。などと、どんどん後ろ向きに思考が偏りつつ、藤野は出頭した。

「随分早いね、昼ご飯はちゃんと済ませたかな?」

 ええ、そりゃもう。全速力で食べましたとも。食欲なんて一切湧かなかったし、緊張と恐怖で弁当が砂の味しかしませんでしたから、詰め込むだけ詰め込んできましたとも。
 内心で突っ込み、表面で藤野は「はい」と愛想よく答えた。昼休憩に入るや僅か五分少々でご飯を食べ終え、出頭してきた次第なのだから心配されて当然ではある。
 校長は朝に提出したばかりの書類に目を通して、温和な笑顔を見せた。

「いやはや、思いきった事を考えたんだねぇ。学園祭予算を部費予算に割り当てて、学園祭予算に対して協力を募ると」

 学校側から出してもらえないのであれば、外から集めればいい。乱暴に纏めてしまえばそういう理論になる。

「物事には有限があり、限られた条件の中でいかに努力するか。それを学んで欲しいと思ったんだけど」

 それ、後付けですよね。明らかに後付け設定とかいうヤツですよね。
 言ってしまえば必ず鬼が出てくる。背中からそれはそれは恐ろしい黒い鬼が出てくる。悟っているからこそ、藤野は口にしなかった。

「まぁでも、新しい可能性を探求した結果と思えば、認められなくはないね。うん」

 勝手に自己完結すると、校長は藤野を見た。本当に、ただ見た。睨む訳でも、慈しむ訳でもない。
 うわ。なんだろう怖い。
 言いようの知れない別次元の恐怖を覚え、藤野は僅かに後ろへ下がった。

「前任の生徒会長はものすごく優秀でね、学園祭でも無駄を大いに切り詰めてくれた。それだけじゃない。君もその恩恵を授かっているはずだけど」

 その通りだ。学園祭予算関係だけではない。あらゆる業務で、前任の生徒会長の影が残っている。彼が残してくれた意見やマニュアルのお陰で藤野は何とか生徒会長業務をこなせている。
 今まで一度も生徒会に関わってこなかった藤野が、である。

「その生徒会長と比較して、君の能力は明らかに劣る」

 教育者の発言じゃないですよね。まぁ当たってるから怒らないケド。
 前任の生徒会長は学業においても非常に優秀だった。記憶が確かならば、学年でトップ5に入っていたはずだ。運動面においても優秀で体育祭ではリレー選手に選ばれている。加えて品行方正、人気も高いと来る。どこの超人だ。
 そんな彼と比べて、むしろ劣らないと評価される方が少ない。
 何より正当な手段を踏んで堂々と実力で生徒会長に就任した彼と、校長の勝手きままで任命されてなし崩し的に就任した藤野とでは能力に差があって当たり前だ。

「部活に参加せず、運動能力は平凡、学業も音楽を除いては総じて中の下。見た目も平凡、性格も平凡。まさに世に埋もれる典型。まぁちょっと隠し持ってる秘密はアレだけど」

 あれ、なんだろう。グサグサ刺さるんですけど。涙でそうなんですけど。

「そう思っていたんだけどね。いや、実際そうなんだけど」

 校長は初めて見せた。本当に面白そうな顔を。

「君は面白い」
「え?」
「君は君で、前任の生徒会長とは違う一面を持っている。だからこんな突拍子もないような書類を書ける。常人なら思いつきにくい」

 けなしてるんですか? 褒めてるんですか?
 限りなく微妙な言い回しに混乱した顔を出したが、校長はもちろん無視して続ける。

「うん、いいでしょう」

 校長は引き出しから何か金の装飾が施された印鑑を取り出すと、書類に捺印して藤野に見せつけた。小難しい漢字なのはオーダーメイドのためだろうか。
 一泊遅れてから気付いた。捺印は申請許可、つまり、商店街に協力を募るという企画が承認されたということだ。

「学校側として可能な部分はバックアップを入れるから、もっと練ってきてほしいね。企画としては通るレベルだけど、仕様としては認められない。まだまだ改善の余地はあるはずだ」

 例えば、と校長は前置きをつける。

「出店や喫茶店の場合、コップや皿をどうするのか、ゴミの問題もあるしね。それに商店街のどの店がどのように協力をすればいいかも細かく決まっていないよね。これは相手側、商工会との折り合いもあるから、協議を持って決めなければならないだろうけど、ある程度こちらから要望を出す必要がある」

 うわ。なんかいきなり教育者発言ですよ。って教育者の長なんだし当たり前か。
 今までが教育者らしからぬ言動だったためか、妙な新鮮さと感動を覚えさせた。何かの作戦だろうかと疑りつつも藤野は耳を傾ける。オトナの意見はオトナの世界で通じるものだ。商店街の協力を募るなら、即ちオトナの世界であり、オトナの意見を聞き入れた方が今後やりやすいだろうと考えたのだ。

「商工会への打診は僕から入れておくから、今月中にとりあえずは纏めてね」

 商工会を通すという行為はオトナの世界だ。藤野は商店街一軒一軒に協力を頼まなければいけない、いや、頼めばいいと思っていた。商店街の大本たる商工会を通す必要があるなどと想像もつかなかった。
 ああ、まだまだガキなんだなぁ。
 思い知らされながら、「はい」と返事を返して藤野は頭を下げた。

「あ、そうそう。言い忘れてた」

 ん? 何か今黒いモノが見えましたよ。何をのたまうつもりでおられますか?
 途端、背中に嫌な脂汗が染みつく。

「赤字が出たら、足りない部分は君たちで負担してね」
「へ?」
「金銭面では学校側は一切協力しないから。これ以上お金出せないしね。学園祭予算を部費に回して、足りない部分を商店街から出資させても、たぶん足は出るだろうから黒を出さないといけないだろうし。足が出た分は君たち負担だからね。企画を見る限り、商店街にある程度出資させて、利益として最低限でも元手回収させるつもりらしいから、叶わなかったらこの損害金も君たち負担」
「え?」
「商工会にはその方向で話を進めるつもりだから」
「ええっ」
「きっと赤字が出た時のことなんて考えてないだろうし、もし出たとしても学校側が負担するだろうと甘い考えを持っているんだろうけど」

 校長はこれ以上とない最上の笑みと最凶の黒いオーラを放ちつつ言いきった。

「ありえないから」

 まるっきり図星、言い当てられた藤野は顔をひきつらせたまま黙り込んだ。赤字の事なんてまるで考えていなかった。金銭的にも商店街の協力を募るというオトナの世界の理論で行くのだから、責任を持つのは当然だと言いたいのだろう、校長は。どこまでドSなんだ。
 まずい。絶対にまずい。ひたすらにまずい。もし赤字が出たとしてもあの三人が素直に支払を負担するはずがない。生徒会長なんだからと言われて全責任を押しつけられる。絶対だ。誓っても絶対だ。

「だから、死ぬつもりで頑張るように」
「ちょ、ちょっと質問っ!」

 命の危険を感じつつも、話を畳もうとした瞬間を狙って言葉をねじ込んだ。

「何かな?」
「げ、現状、僕だけじゃもう手詰まりです。決議だってまとまったのが奇跡っていうか、最後には押しつけられたり物別れに終わったりで、結論、全面的に協力を受けている訳じゃありません。むしろ協力的じゃないっていうか」

 実際の所、柚は協力的になってくれているが、悪いと思いつつあえて一括りにした。

「つまり、彼らの協力を得るにはどうしたらいいか、もう分かんなくて、だから教えてもらえたらなぁと」

 なるほどねぇ、と頷きつつ一瞬だけ逡巡を見せ、口を開く。

「それは困るよね。君たち三人が死ぬほど根性振り絞ってやらないと成功する見込みないんだし。苦しみながら落ちぶれていく様子を見るのも好きなんだけど、教育者として如何なものかと思うしねぇ。とりあえずまぁヒントをあげようか」

 今日はホントに遠慮ないなぁ。このひと。
 純金と見紛うばかりの万年筆をメモに走らせる様子を伺いながら、藤野も遠慮なく言う。内心で。
 サラサラと書き心地抜群の音が終わり、校長は藤野を机のすぐ前まで手招きしてからメモを渡した。鮮やかなインクは教育者のお手本のようなキレイな字を描いている。

「これは?」
「だからヒントだよ。そのまま教えてしまったら面白くないでしょう」

 いや、面白いとかそんなレベルじゃないんですけど。
 音読しなさい。と命令されて、藤野はメモを目でなぞった。

「図書館にはレファレンスというサービスがある」
「うん」
「カラスは自分の興味のある物事に対して能力を遺憾なく発揮する」
「うんうん」
「野犬でも飼いならせば正しく制御する事ができる」
「はい。よく出来ました」

 いったい何の暗号だ。これは。
 読んでみても目で見てもまるで訳が分からない。訝しく眉を潜めていると、校長がその隙を突いてきた。

「じゃあ頑張るように。以上」

 しまった。話を畳まれてしまった。
 畳まれてしまった以上、食い下がっても命を縮めるだけである。仕方なく藤野は「失礼します」と頭を下げて退室した。
 誰なら分かるかな、この暗号。
 知り合いを頼ろうにも、柚たちの事まで含まれている以上、相談はさすがに出来ない。次回の集会で発表されるまで、自分が生徒会長であると言ってはならないと緘口令も敷かれている。

「あ、いたいた! おーいフジチョー!」

 後ろから響いた声が藤野の集中を解いた。
 ん、どこかで聞いたことのある声がする。フジチョーって誰だろ。

「ちょっとフジチョー!?」

 声と足音がどんどん近付いてくる。あれ? もしかして俺ですか呼ばれてるの。
 振り返ると、手を大きく振りながら走ってくる短髪女が一人。ああ。柚だ。遠くから見ても可愛いなぁ。
 最終的には駆け足で藤野の隣まで来た柚は肩に手を置いて「やぁ」と言う。

「って。フジチョーって俺?」
「他に誰がいるのさ」
「すんごい突拍子もないアダ名なんだけど」
「そう? だって藤野生徒会長でしょ? 略してフジチョー。ほら完璧」
「いやいや、だったらフジとかでいいじゃん」
「フジって呼び名の子はもういるんだもん」

 うわ反則だろそれ。唇尖らせて言うんじゃねぇ。奪うぞ、その唇。

「それで? すっごい嬉しそうに話しかけてきたってことは、何かあったの?」
「えっ、すごい良く分かったね」

 真面目に感心する素振りを見せた柚に、藤野は辛うじて姿勢を傾がせるのを防いだ。
 スゴイも何も。表情が丸っきりそうなんだけど。でもそこもカワイイ。やべぇ、俺、マジで恋してんじゃん。

「で、何があったのさ」
「そうそう。結構いい情報手に入れてきたんだよ。手芸部の子たちに聞いてきたんだけどさ」

 手芸部は一般科に所属する部活だ。体育科の柚が関係しているのはちょっと意外だった。それとも関係なく手当たり次第アタックしていったのだろうか。

「今年の夏でさ、定期的にやってたフリマが休止するんだって」
「フリマ?」
「そうそう。結構規模が大きいらしくて、毎年季節ごとに開催されてたんだけど、会場がショッピングモール建築予定地に入ったみたいで、別の会場を確保したはいいけど、使えるのが来年の春以降みたい」
「へぇ」

 フリマとはフリーマーケットの略称だ。イベントにもよるが、それなりの規模のフリーマーケットの場合、集客性は結構高い。

「学園祭は秋じゃん? だから、フリマできたら結構お客集められない?」
「なるほど」

 問題はスペースだ。藤野は脳内で去年の配置図を再生した。デッドスペースをうまく潰せば、結構な規模の会場が出来るかもしれない。
 逆に、広告は手芸部を通して夏のフリマ会場に掲示すれば広告費は最小限に抑えられるだろう。コストの面からみても優秀だし、有効性のあるイベントの一つと言えるだろう。

「うん。使えそう。そのアイディア頂き。ありがとう柚」
「ホント!? もっと褒めていいわよ」

 えっへん、と両手を腰に当ててふんぞり返るのを見て、藤野は苦笑した。ああでも可愛い。ってか、周りから俺たちはどう見られているんだろう? 仲の良い友達? それとも――カップル?

「偉い偉い」
「えへへ。それじゃ、あたしもう行くね。次は体育なんだー」
「そっか、怪我すんなよ」
「うん、ありがと」

 とても女子とは思えない瞬発力で、柚は廊下を駆け抜けていった。

「っほほおおおおう」

 地獄の深遠の底から湧いてでたような恨めしい声はすぐ真後ろからした。大きくびくついて距離を取ろうとしたが遅い。相手が一拍早く藤野の首に腕を回した。
 あ、ヤバい。これはマジでヤバい。入った!
 ジタバタと抵抗してみるが、体格にしろ筋力にしろ相手が勝っているようで振りほどけない。

「貴様ぁ、いつからあの前田女子と仲良くなってんだぁ?」
「ちょ、まっ」
「言い訳無用っ! 前田女子ファンクラブ会員番号第三七号の俺の前でイチャついた罪は万死に値するっ! しかも藤野の分際で!」

 説明を求めたのはお前だろ――――っ!? 口を開いたら言い訳無用ってなんだそれ!?
 声の正体は誰か知っている。藤野と同じクラスの、それなりに仲の良いオトモダチだ。柚のファンクラブの会員であるとは知らなかったが。それよりも本当に存在してたんだ。ファンクラブ。
 キュッと首を締め付ける力が強くなる。完全に極まっているのに、タップをしても聞き入れてもらえず。必死に暴れる内にも藤野の意識はどんどんと遠くなって――――。

 でも、周りから嫉妬されるくらい仲良く見えてたんだ。それだけは満足。

 意識が落ちる瞬間、藤野は妙な冷静さでほくそ笑んだ。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】11話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/26 17:06

 目が覚めると、知らない天井だった。という訳ではなく、普通に保健室の天井だった。体調不良で授業を休んだ時に何回か見ている天井だ。懐かしくもある。
 まったくの無音と、白の世界だった。スクリーンも、枕もシーツも布団も白。耳鳴りすら感じる世界。異世界にでもきた感覚を味わいつつ、藤野はゆっくりと体を起こした。

「目を覚ましたようね」

 シーツの擦れる音で気づいたらしい。保健医が様子を見に来る。顔色と脈拍を測って、大丈夫ね、と笑った。
 えーっと。たしか、いきなり首に腕まわされて、それで気を失ったんだっけ?
 まだぼやけた頭で状況把握しつつ、藤野は後頭部に鈍痛を覚えた。いてぇ。思わずさすると、先生が説明をしてくれた。

「痛む? なんか絞め落とされた時に、後頭部から倒れたみたいね。軽いタンコブが出来てるけど、意識もはっきりしてるみたいだし、特に変な様子はなさそうだから大丈夫だと思う。でも念のため、今日は入浴禁止ね。それと少しでもおかしいな、と思ったらちゃんと病院にいくこと」

 立てる、と聞かれて藤野はベッドの脇に並べてあった上履きに足を通して立ち上がった。ふらつきはない。

「大丈夫そうね。どうする? 授業に復帰する? 今、六時限始まったトコだけど」
「あ、はい。します」
「分かったわ。じゃあ書類書くから、そこに座ってて」

 保健医の言う書類とは、休養証明書だ。授業に出席できなかった理由の証明になるもので、提出すれば欠席扱いにならない。提出するとしないとでは、後々の評定への影響が全く違うので、地味に重要な書類である。一授業につき一枚必要になるので、今回は五時限の欠席証明と、六時限の遅刻証明の二枚になる。
 保健室は意識的に白を強調しているせいか、爽やかな世界にいる気分だ。藤野は待つ間に保健室をぐるっと見渡して、山積みになった本に目をやった。
 本能的にズボンのポケットから一枚のメモを取り出して広げる。校長からもらった暗号の一つ。『図書館にはレファレンスというサービスがある』の一文だ。
 レファレンスってなんだ。

「あ、一つ質問していいですか」
「いいわよ。何かな」

 書類に何か書き込みながらも、気さくな声のまま返した。

「レファレンスって、知ってます? 図書館の」
「知ってるわよ。 どうかしたの」
「いや、レファレンスって何のことなのかなぁと思って」

 言葉を知ったけど、意味が分からないから、と言い訳を付けると、保健医はそれ以上突っ込む事はしてこなかった。

「ああ。レファレンスっていうのは、簡単に言うと、検索サービスみたいなものね。係の人に調べたい事柄を尋ねたら、適切な本を探してきてくれるのよ。規模の大きい図書館だと、その有難みを味わえるわよ」
「へぇ。そうなんですか。ありがとうございます」
「はい。出来たわよ。」

 書類を受け取った藤野はまた頭を下げて退室した。
 レファレンス。膨大な本の中から適切な本を検索、提供するって意味か。じゃあ図書館ってのは、何かの比喩だよな。
 廊下を歩きながら、図書館から連想できる事を考える。
 本。静か。文字。辞書。棚。貸し出し。図書カード。調べ物。自習。調べる。

「……知識。あ。そっか」

 知識から連想される人物と言えば、瀬川しかいない。つまり、この一文は瀬川を活かすヒントなのだろう。

「レファレンス、検索、条件」

 そうだ。知識を頼ればいいんだ。藤野は意識せずとも手を叩いていた。つまり、欲しい情報や知識を明確に伝えてやればいい。そうすれば、彼は膨大な知識の中から適切なものを教えてくれる。
 思い返せば、彼は決して非協力的ではなかった。自分に与えられたものは全うしているし、藤野が頼れば反応を返している。

「瀬川の知識を頼る、か」

 では現状、何に対して瀬川の知識を借りなければならないのか。考える程に頭が飽和していく。これはいけない。
 紙か何かに書き起こすかな。それと、あと二つの文章の解読。
 ヒントが有用だと分かった以上、解読は早い方がいい。藤野は自然と教室へ向かう足を速めていた。

 現代文の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、少し騒がしいSHRも終わり。眠たくなるようなクラシックが流れる掃除の時間も過ぎ去って。

「えっと」

 藤野は既視感に襲われていた。

 これでもかというぐらい荷物を載せられた可哀想な自転車。苛めかこれは。そして困っているように見えなくもない様子で佇んでいる男子高校生が一人。言うまでもなく瀬川である。
 何してんだアンタは。
 喉まで出かかった突っ込みを何とか飲み込んで、藤野は空気を読んでそっとしておくことにした。

「ほう。会長ではないか。随分奇妙な歩き方だな」

 ああ。神様ってホントに無情だね。せっかく音を立てまいと忍び足で過ぎ去ろうとしていたのに。
 見つかってしまったからには仕方がない。藤野は諦めて溜息を小さく漏らす。

「それはともかくとして。一体何やってるのさ。この間で自転車に荷物載せすぎたらダメって分かったんじゃないの」
「うむ。だから完璧を越える完璧さで理論を再構築した。動かせるはずなのだ」
「でも動かない。だから立ち尽くしていたと」
「立ち尽くしてなどいない。なぜ動かないのかを考えていたのだ」

 コイツひょっとしなくても実はアホなんじゃないだろうか。

「よくわかんないけど、理論では可能かも知んないけどさ、腕力足りてないでしょ、フツーに」

 お世辞にも瀬川は体格が良いとは言えない。ひょろりとした痩せ形で猫背。とても筋力があるようには見えない。
 いや、っていうか、何でそこでハッとした顔で見るのかな。

「お前天才か」

 前言撤回。アホなんじゃないだろうかじゃない。ひょっとしなくてもアホだコイツは。

「とりあえず、荷物分担しようか。また送るから」
「それは助かる」

 ああ、俺ってお人好しなのかなぁ。などと思いつつ荷物を自分の自転車にも載せて、藤野は足を踏み出した。

「そう言えば、何か学園祭で決まったことはあるか?」

 聞いてきたのは瀬川からだった。やっぱり。彼は非協力的なんかじゃない。
 どこか安堵感を覚えつつ、藤野は答えを滑らかに放つ。

「うん。とりあえず校長に了承貰った。それと、フリマやろうかなと」
「フリマ。フリーマーケット。自由市か」
「何か、今までやってたフリマの会場が無くなるから、一時的に休止するんだって。その合間を縫って開催できたら、結構集客性があるんじゃないかなぁと」

 ほほう、と、瀬川が面白そうな溜息を漏らした。

「それだけじゃないだろう」
「え? どういう事?」

 おうむ返しに聞くと、瀬川がその知識を披露してくれた。

「フリマは基本的に出店料を徴収する。中には無料のものもあるが、九割以上は出店料がかかる。だから学園祭と言えど、出店料を要求しても抵抗は少ないだろう」
「マジ? それってどれくらい?」
「千円台の所もあれば、三千円台の所もある。値段の幅は土地や出店スペースなどの条件の差だな」
「ウチの学校だった場合は? どれくらいが相場かな」

 と、言葉を終えかけて言葉を再び紡ぎだす。そうだ。これはレファレンスだ。要望を叶えるための条件を出せ。自分に可能な限りでいい。後は知識の泉に任せれば良いのだから。

「スペースは学園祭のデッドスペースをかき集める形になるから、前回のフリマのような規模は望めない。出店スペースも小さくなる。でも、学校の学園祭という環境だから新しい客層が発掘できるかもしれない」

 瀬川はしばらく考え込む様子を見せる。果たして頭の中ではどれだけの知識が流れ、藤野では理解できない公式が渦巻いているのだろうか。

「ふむ。聴いた必要条件から絞り出したフリーマーケットになら、出店した事がある。あのスペースより小さくなるのであれば、おそらく千円前後が妥当だろう。出店スペースや場所などがもっと細かく分かれば、断定できるが」
「いや、十分だよ。良く分かった、ありがとう。ってか、出店したことあるんだ」

 なんだろう必要条件って。とりあえず聞いてはいけない気がする。
 本能で危険を察知した藤野はさし障りのない話題を選択した。意外そうな声色になったのは瀬川とフリーマーケットのイメージが一致しないからだ。

「うむ。不用品処分ついでにな。だが全く売れなかった」

 うわぁ。なんだかすっごく想像がつくんですけど、それ。
 やや憮然と言う瀬川の隣で、藤野は思わず吹き出しそうになった。おそらく、憮然とした態度がまず好まれず、品物もおそらく常人には理解のできない難解なものだったに違いない。その癖、理論的思考で徹底的に整理整頓されていたはずだ。異様な光景である。
 こうして聞くと、瀬川は実に偏っていることが分かる。
 高校生離れした知識の量に対して、それを応用したりこねくり回したりする知恵というものが不足しているのだ。故に、高度な応用が必要となるフレキシブルなコミュニケーションや、意見のキャッチボールが苦手なのだろう。

「そうなんだ。売るのって大変だしね。で、話をちょっと飛ばすけど、そっちの情報は集まったかな」
「集まったことは集まったが」

 瀬川にしては小難しい顔を見せる。表情が微かなので察知し辛いが、間違ってはいないはずだ。

「倫理的に使えないものばかりだ。やはり学園祭に相応しい情報を集めるのは得手としない」
「り、倫理的にって……」
「例えば学校グラウンドを使った大規模火薬実験。学園祭をいかに混乱させるかのテロ未遂事件。出店の品をいかに美味しく味わせつつ遅行性の毒をしみ込ませるかという万能化学合成調味毒薬の実験」
「いやいいです。もうそれ以上はいらないです」

 迷わず敬語で藤野はぶった切った。危険だ。危険すぎる。倫理的以前に犯罪オンパレードじゃねぇか。
 しかし収穫が全くなかった訳ではない。瀬川に学園祭に使えそうな、穏やかな情報は期待できない事が収穫だ。限りなく後ろ向きな収穫ではあるが、気にしないことにした。

「じゃあさ、瀬川には違う役目をお願いしていいかな」
「なんだ」
「瀬川って、理論的思考得意でしょ」
「もちろんだ。私情の一切を切り捨てて、突きつめられた理論を駆使して何かを導きだしたり、知識を貯め込んでいく事は得意だ。嗜好だ。ある意味愛だ」

 愛とまで言いますか。なんでそこで茶目っ気だすか。いや、マジだ。こいつはマジだ。

「じゃあさ、それを協力してくんないかな。俺には瀬川みたいな知識もないし、理論的思考も得意じゃないし」
「良いだろう」
「うん、ありがとう。助かる」

 この学園祭は成功させなければならない。そうなれば、生き字引も必要だ。

「後は小早川の協力かぁ、なんか一番厄介そう」
「なんだ、柚の協力はもう得ているのか」

 柚、という名詞に引っ掛かりを覚えてから、気付いた。そうだ。柚は苗字で呼ばれるのが嫌いなんだった。
 同時に違和感を覚える。逆に言い換えれば、それだけ交流があったという事だ。

「うん。まぁね。って前の会議の時でもう協力的だったじゃん」
「そう言えなくもない」
「それよりもさ、なんだって柚たちと仲が悪いのさ。あそこまで悪いと何か因縁とかあったりする訳?」

 少し変化球で藤野は攻めて見る。柚に恋していることを悟られたくないためだ。

「何故そんな事を聞く」

 あからさまに嫌な顔をされたが、藤野が投げた変化球は二段階仕様である。

「生徒会長として。そして、これから学園祭を運営するに当たって、三人の協力は必要不可欠だから。因縁の原因を知っていれば、仲を取り持つとは言わないけど、それに触れないように関わる事はできるでしょ」

 見事に決まったらしい。瀬川は押し黙って考え込む。最も、藤野の発言は本音でもあったりするのだが。どう彼らの協力を手に入れるかは今後を大きく左右する命題だ。

「一理あるな」
「教えてくれない? 何が原因なのさ」
「原因はおそらく、ない」

 言葉を選ぶ様子だったので、藤野は黙った。

「小早川と柚とは、幼稚園の時から同じだったのだ。小学生までは仲が良かったのだが、中学生になってから険悪になった」

 ああ、と藤野は納得した。
 おそらく柚と瀬川と小早川は、常に三人でいる程仲が良かったのだろう。三人同じで当たり前、同じ考えで当たり前。半ば呪いに近いそれは縛りとなり、鎖となり。中学生にもなれば、より強い自我が生まれる。強い自我は個性を呼び起こし、意見の相違を生む。
 険悪の原因はそれだ。
 今まで意見が同じで当たり前だったのに、相違のせいでぶつかり合う。昔はこうではなかったのに、と嘆いてもどかしむ。
 幼馴染として互いに近すぎたが故の空中分解は尾を引きずる。そのまま別々の道を歩みだし、別々の友達を作り、さらに疎遠になる。この状態で再び邂逅し、またぶつかり合うとなれば険悪はさらに悪化して当然だ。
 さらに今の三人はあまりにも違いすぎる。ここまでなる前に仲介してやれる役目がいれば違っただろうが、不幸なことに彼らの前には現れなかったのだろう。藤野も同じ経験をしているから良く分かる。

「なら、もう一度仲良くなろうってのは思わないの?」

 藤野は思った事がある。もし彼と今でも仲良くやっていたのなら、同じ高校にいっていただろう。同じ部活に励んでいただろう。それでも実行しないのは、少しばかりの遠慮と、大いなる意地だ。

「思わないこともない。だが――」

 同じなんだ。やっぱり。という事は、柚はもちろん小早川も、きっと。

「難しいだろうな。私は奴らの考えていることが理解できない。奴らもそうだろう」
「うーん。そっか。わかった。ありがとう、ごめんね、イヤな話させて」
「いや」

 瀬川はさして気にしていない様子で視線を逸らす。藤野は内心で付け足した。
 収穫その二。彼らの仲を取り持つヒントをゲット。

「別にかまわない、と言いたいところだが、同じぐらい重い荷物がまだあってだな。手伝ってくれるのであれば許す」

 今度こそ藤野は姿勢を傾がせた。
 うわ。結構巧いことも言う。これは元々からなんだろうか。

「うん、いいけど、一体何なのさこの荷物」
「私物だ」

 ああ、そうでした。そうでしたね。前回もそう答えましたよね。
 結局荷物の中身が何なのか知ることもなく、藤野はもう一往復した。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】12話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/10/31 21:15

「スマンかった!」

 登校して早々。両手を合わせて頭を下げて謝られた藤野は、仁王立ちだった。
 昨日絞め落とされたせいで五時限を欠席、六時限も遅刻しての参加となったからだ。正直そこまで怒り心頭という訳ではなかったが、何となくで流してやる気もなかった。一応筋というものは通さなければいけない。
 それに、柚のファンクラブという存在を把握しなければならない。柚と付き合うという目標の前に立ちふさがる大いなる壁だ。

「許してやらんでもないけど……条件がある!」
「よし聞く!」

 藤野が強気で出られる理由は二つある。まず、相手が反省していて罪悪感を持っている事だ。二つ目は、藤野が彼を校内暴力者として学校側に告発できる権利を持っている事だ。下手すれば停学という処分も視野に入るため、内申に大きなダメージが出る。
 まずは実態を掴むことからかな。

「まずファンクラブって何だ!」
「前田女子ファンクラブっていって、一年から三年まで四十人くらいの秘密非公認非公式ファンクラブですっ!」

 ほほう。既に一年にまで魔の手が及んでいるのか。
 詳しく調査をする必要がありだ。藤野はさらに問い詰める。

「活動内容は?」

 内容に問題があれば即座に潰す。生徒会長になる事は来週発表だが、そんなもん多少フライングしてでも潰す。
 後で校長からの呼び出しがそれはそれは恐ろしいが、しらばっくれたらいい話だ。たぶん。きっと。

「いや、単純に彼女の試合の日に応援にいったり、でも迷惑になったらいけないから良識わきまえた応援で。後は遠巻きにこっそりと見ていたり。あ、話かけたりしたらいけないルールがあって、抜け駆けとかしたらリンチ刑。向こうから話しかけられない限り、こっちからはアタック禁止で、匿名の差し入れとかも禁止。気持ち悪がられたらイヤだし」

 何その昭和の香りプンプンするファンクラブ。って言うかとっても弱気だし。それでいいのかファンクラブ。俺的にはいいけど。
 そこまで常識的と言っていいか分からないが、ともあれなファンクラブであれば無視しても害はないだろう。藤野自身には危害くわえられる可能性は残るが、そうなれば正体暴いて晒して正々堂々と潰せばいい話だ。

「じゃあ今後それ関連で俺に手出しするの禁止な。したら纏めて告発するから」

 一応の釘を刺す。すると彼は目敏く聞いてくる。うっすら殺意すら乗せてくる辺り、彼も柚の事を気にしているのだろう。

「え、それってまさかお前、前田女子と」
「ちげーって」

 防衛本能が言葉を先に吐き出させていた。今ここでそうだと言ってしまえば、確実にこじれる。

「ゆ……前田とは話したりするからさ、その度にお前らに疎まれたり、こうして暴走されたりしたら嫌だからじゃん」
「それは」
「だから禁止。続けるけど、告発するついでに、ファンクラブの事も公にする。ただで済むと思うなよ。校内暴力までするカルト的なファンクラブって噂は一気に広まるぞ。そうなったら学校側からの潰しはもちろん、皆からも白い目で見られるだろうな」

 即ち、健全な学校生活の崩壊を意味する。下手をすれば学校生活自体送れなくなり、自主退学すら考えられる。

「むう。わ、分かったよ」

 数秒間だけ天秤にかけて逡巡し、彼は了承を答えとした。よし。これで当分の壁は取っ払った。

「じゃあ次の条件な」

 藤野が並べた条件は、抜けた時間のノートを書き写させる事と、ジュースとパンだった。それで手打ちになるならば、と相手は特に抵抗せずに頷いた。
 これでとりあえずの決着、と。
 内心でエンドマークを付けると、登校してきた他のオトモダチとグループを作ってしばしの談笑タイムとなった。
 朝のSHRが始まるまで教室はとても賑やかだ。挨拶から始まり、昨日のテレビの話や授業の予習、復習の話など、黙る暇がない。ほどほど程度に付き合っていると、チャイムが鳴った。
 雑談のムードを残しながらも皆が席に座りだしてから、窓際の誰かが叫んだ。

「おい、犬がいるぞ!」

 クラスが騒然となるには十分な発言だった。我先にと窓際にたかり、外をのぞきこむ。二階にある教室からは、ちょうどグラウンドが臨める。
 グラウンドを縦横無尽に駆けているのは薄汚れたように見える白い大型犬と、それを追いかける一人の少女だけだった。

「あ、アレって」

 良く目をこらせば、その少女を断定できた。柚だ。

「くぉらあああ――――――――――っ! あたしの弁当返せぇぇ―――――――っ!!」

 どっとクラス中に笑いが巻き起こる。確かに犬の口を見れば、何かをくわえているのが認識できた。アレが柚の弁当なのだろう。
 思わずこけそうになった藤野の隣で、ファンクラブ所属のオトモダチが目をうっとりとさせている。
 いや、カワイイのは分かるけどさ。
 はてどう突っ込みをいれるべきかと悩んでいると、柚の「だから返せっつってんだろ焼いて食うぞコラァ!」などと冗談にはとても取れない恫喝が轟き、また笑いを巻き起こした。
 騒動はいつしか教室だけにおさまらず、校舎中に伝染しているようだ。隣のクラスから「がんばれー!」という応援が飛んでいた。

「ってかスゲー。犬に追い縋ってんぞ」

 誰からぼそりと言った。確かに、と藤野も内心で同意する。白い大型犬は犬にしては走る速度は遅いものの、ヒトと比べたら相当に速い部類だ。それに離されないという事は少なくとも犬と同じ速度で走っている訳で、いかに柚の身体能力が高いかが知れる。
 しかし、走力に特化しているとも言える四本足に、汎用性に優れた二本足ではやはり叶わない。
 一気にスパートをかけた柚がつまずいてしまったのだ。たたら踏んで何とか転倒だけは避けたものの、速度は大きく削られた。

「ああ―――――……」

 当然、犬は変わらぬ速度で逃げていく。それでも追いかけようとするが、頭よりも体が不可能だと知らせているようで、ジョギングぐらいの速度しかでない。

「あ、あたしの、あたしのお昼ごはん」

 その絶望はいかばかりか。柚はとうとうその場で膝をついて崩れた。ああもう。くそ。
 藤野はいてもたってもいられない様子で教室を抜け出した。犬の追走劇が終わったので、みんなバラバラと自分の席に帰っていく間隙を縫っての行動なので、誰にも咎められなかった。
 二段飛ばしで階段を駆け下り、廊下の曲がり角をほとんど滑るようにして曲がり、とぼとぼと歩いて校舎に入ってきた柚の前に着いた。

「柚」
「あ、フジチョーじゃあん! どうしよう、犬にお昼ごはん奪われたよぅ。あたしの元気の活力なのにぃ」

 あれだけ走り回っていたというのに、ほとんど息を切らしていない柚は泣き言を漏らして落ち込んだ。

「それは何というか、残念だったとしか言いようが。ってか、購買とかはダメなの?」
「お小遣いくれるの明後日でさぁ、お金ないんだって。どうしよ、昼抜きはマジ倒れるわ」

 背中にまるで黒いオーラが見えるかのような落ち込みぶりである。というかさっきまで校舎中の注目集めてたのは気にしないのか。

「ああ、じゃあ奢ってあげるよ」

 何気ないつもりで言うと、柚がぴたりと動きを止めた。刹那。

「マジ!?」
「うおっ」

 まさに飛びつくが如く急接近され、思わず藤野は慌てふためく。
 ヤバい近いヤバいかわいいってかいい匂いするって何かデジャブってかクソかわいいじゃねぇか心臓が一気に動悸がっ!

「ねぇねぇねぇマジマジマジ!?」
「うんマジマジ。購買のパンとジュースぐらいだけどさ」
「それでもチョーありがたいってフジチョーって神様? 仏様?」

 喜んでもらえるのは嬉しい限りだが、まるで犬のように尻尾を振ってくるのはいかがなものか。かわいいけど。
 って犬。柚って犬。野犬。ああ、そうか。
 二つ目のアドバイスの暗号が解けた。それはそれはもう簡単に。『野犬でも飼いならせば正しく制御できる』という一文だ。野犬とは言うまでもなく柚の事である。そして現状、藤野の行為は、表現は悪いが飼いならしている状態だ。

「うん。どっちでもいいんだけど。とりあえず購買まだ売り出ししてないから、どうしよっか」

 購買は基本的に文房具など、日用品は朝から夕方まで発売しているが、食料品、それも昼飯になれるぐらいのものとなれば、昼前からしか店頭に並ばない。納品の関係らしい。
 つまり、今から購買にいったとして、昼に足りるようなものは売っていない。せいぜい駄菓子程度である。

「あ、じゃあ授業終わったら落ち合うってのはどう? 購買売り出すの三時限終わったぐらいからだけど、あたし三時限と四時限はぶっ通しで体育でさ」
「うん。オッケー。じゃあ昼に落ち合おっか。ついでにメシ一緒できるし」

 あ、何気ないつもりだったけど下心っぽく見えるかな?
 言ってから不安に襲われたが、柚はまるで気にしていない。

「いいね、それ。じゃあアドレス交換しよ。四時限終わってすぐに合流できたらいいけど、着替えとかあるし。ちょっと時間かかるかな。だから、あたしからメール入れるよ」
「あ、うん。オッケー」

 アレ? もしかして俺さりげなくアドレスゲットですか?
 緊張しながらも藤野はケータイを取りだした。柚も合わせてポケットから取り出す。ああ、なんか手が震えそう。
 何とか赤外線通信を終えた時には、背中に汗をたっぷりとかいていた。

「購買には先に買っておくよ。リクエストとかある?」
「いいの? ホントにありがとー! えっと、激安特大ソーセージパンとお徳用大盛り焼きそばパンと小倉アンパンと牛乳で」

 微妙に遠慮していると思われるそれは、質より量を優先していた。ちょくちょく購買を利用していて勝手知ったるの藤野は苦笑しか出ない。もっとも、購買の商品ラインナップは意外とレベルが高いので、味は悪くないのだが。
 栄養バランスが微妙の上かなりの高カロリーだが、柚の運動量を考えると普通なのかもしれない。

「了解、任された」
「マジでありがとー! ホントに助かる!」
「いいって。お互い様だしね」

 むしろアドレス交換できたりこうして話できたりして、メリットばっかりなんだけど。
 口にしてはいけないものだらけなので、藤野は内心だけで付け足した。

「じゃあまた後でね!」
「うん」

 軽快に走り去る柚を見送って、藤野は小さく溜息を漏らした。
 これで残りの暗号は一つであり、自動的に小早川を指していると判明した。『カラスは自分の興味のある物事に対して遺憾なく能力を発揮する』。カラスの能力とは何だ。答えは簡単に導き出される。
 カラスの最大の特徴といえば、三歳児並みの知能、知恵だ。これも適切だ。小早川は知識こそ多くないが、知恵は相当なものだ。

「まさにカラスだけどね」

 問題は彼の興味がある対象だ。それを導き出して、上手く学園祭に興味を引かせてやらねばならない。藤野が知っている彼の興味の引くところと言えば音楽しかない。
 こりゃ調査が必要かな。
 瀬川からの話によれば、柚と瀬川と小早川は幼馴染だ。おそらく最も彼のことを知る存在のはずだ。いくら縁遠くなっていようとも。
 昼に柚とご飯を食べる約束を取り付けたのだから、その時に聞けば良いだろう。

「やぁ、藤野君」

 唐突にかけられた声は、とんでもない破壊力を持っていた。

「こ、校長先生っ!?」

 飛び退くようにして距離を取って振り返ると、いつもの温和な影に修羅を隠した校長が立っていた。

「そんなに下がられたら何だか心外だなぁ。校長先生傷ついちゃうぞ」

 それはアレですか。あまりな反応かましてると仕留めるぞ、って意味ですか。
 冗談めかして言う校長が怖い。

「い、いやあいきなり後ろから声をかけられたからつい驚いてしまって」
「筋の通っていそうな言い訳だね。もっと自然な感じなら完璧だけど、棒読み状態じゃあ意味がない」
「あは、あはは」
「いいんだけどね。教育者は時として畏敬されなきゃならないし」

 畏敬というよりかは畏怖なんですけど。っていうかむしろ恐怖大魔王?
 とりあえずの誤魔化し笑いで済ませつつ。さっきまでの幸せ気分はどこへやら。さあどうやって立ち去ろうかと頭をフル回転させていると、校長は矢を放って来た。

「ところで、学園祭なんだけれど、何かイベントか何かは思いついたのかな」
「え、あ、ああ、はい、何とか」
「何をやるのかな?」
「フリーマーケットをやろうかなと思ってます。あの、この近くでやってるフリーマーケットが一時的に休止しちゃうみたいなので、その合間を突いてやれば集客性あるんじゃないかなって思ったりもしたりもして、スペースもデッドスペースをかき集めれば何とかなりそうな気がしますし」

 まくしたてるように言うと、校長はふむ、と口の中で声を押しとどめ、何か逡巡しているようだった。

「確かに間隙を縫っての攻撃なら集まるだろうし、土地代を設定すれば収入も出る、か。考えてはいるけれど」

 いる、けれど?
 もう嫌な汗しか出ていない。今度はいったい何を吐き出すつもりだ。戦々恐々としていると、校長はズバリと切ってきた。

「主体性がないね」

 訝しく眉を潜めかけたのを何とか制するが、校長は空気で察したらしい。

「ちょっと営利に走り過ぎてるんじゃないかな? 出店を商店街の方々に協力していただく、というアイディアは生徒側も今までとちょっと違って楽しめると思うし、勉強にもなる。だから許可をしたのだけれど、フリーマーケットは違うよね。フレキシブルな対応が求められる以上、生徒に販売を任せることはできない」

 フリーマーケットでは値引き交渉など日常茶飯事であるし、値段も随時変更される。これを生徒に一任する事は不可能だ。自分の出品物ならいざ知らず、他人の出品物で、他人の利益になるのだから、トラブルに発展しかねない。
 この観点から見て、校長の言う通り生徒が参加できる領域は狭く、主体性があるものではない。
 ホントにタマにだけど教育者っぽいこと言うなぁ、校長。

「だから、生徒が楽しめるメインイベントを設定してほしいな。フリーマーケットは開催していいけれどね、収入になるし、それだけ赤が出る可能性は薄くなる訳だから」
「分かりました」
「うん。素直でよろしい。良いねぇ。あ、でもその素直さが故に赤が出ても請求はするからね」

 語尾にハートマークなぞ付けられそうな勢いに、藤野は顔を引きつらせるしかなかった。
 くそう。いったいどっちが本当の校長なんだ。

「もうすぐチャイムが鳴るから、教室に戻りなさい。僕が呼びとめたせいで遅れた、なんて言い訳させないからね」

 というかそんな言い訳したら呼び出しですよね? 即呼び出しですよね? そして圧殺するようなプレッシャーかけますよね?
 裏に鬼を隠した笑顔で語られ、裏に戦慄を隠した笑顔で藤野は返し、「失礼します」と言い置いてさっさとその場を後にした。

 あぁ、もう何かまた悩みごとが一つ増えた気がする。

 階段を駆け上がりながら、藤野は大きな溜息をついた。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】13話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/11/01 22:53

 学校の購買には幻のパンというものがある。特別高い訳でもなく、超高級食材で作られている訳でもない。単純に『購買のおばちゃん』と呼ばれる販売員が手作りしたパンだ。
 その名も『おばちゃんのココアサンライズ』。
 いわゆるメロンパンとして売り出されている菓子パンのクッキー生地に、ココアが入っているバージョンのパンである。
 手作りが故の丁寧さで作られており、パン生地はきめ細やかでふんわりもっちり、クッキー生地はサクサク。ココアのビターとクッキー生地の甘さのバランスが絶妙で、誰もが唸るパンである。
 まさに完璧だが、弱点はただ一つ。数が二十数個しかないのだ。即ち店頭に並べば争奪戦必至、手に入ったらその日の運は使い果たしたとまで言われる程レアリティが高い。
 そんなパンが今、彼女の目の前にあった。

「は、はうあうわうあうわぁぁ――――――――っ!」

 購買の袋から手包みの紙包装のそれを出した瞬間、柚は意味の成さない言葉で吠えた。パンはまるで神々しい光を放っているが如く、手に持つ手が小刻みに震えている。ってそれほどか。
 オーバーリアクションに藤野は苦笑しつつも、柚の歓喜の様子に満足していた。
 体育だった三時限がいつもより早く終わったので、着替える前に購買へ寄ったら売っていた。ほとんど何も考えずに手に入れたのだが、柚もそのパンの存在を知っていたらしい。そして様子から察するに、目にするのすら初めてのようだ。

「こ、これが幻の……っ!」
「拝まなくていいし、祀り上げなくてもいいから。とりあえず食べてみなよ、美味いよ」
「ちょっと食べたことあんの!?」
「まぁ何回か」
「神!? フジチョーって神!? なに、あたし何かされるの!?」

 藤野はまた苦笑した。実のところを明かすと、一年の時のクラスに幻のパンを手に入れる達人がいて、彼からおこぼれを与って食べていただけだ。一個まるまる食べた事がなければ、手に入れたのも初めてである。

「何もしないから大丈夫。遠慮なくいただいちゃってよ」
「じゃ、じゃあ遠慮なく。いただきまーす」

 緊張した面持ちで、はむっ。と女らしくない大きい口で柚はパンを頬張り、咀嚼。表情がみるみる緩んでいく。うわ、かわええ。口の端に小さいパンクズをつけてる辺りさらにかわええ。
 見とれている間に柚は咀嚼を終えて胃にパンを運び、小さな溜息ひとつ。

「美味い……マジ美味い。幻に嘘偽りなしだわ、これ」
「そう? 喜んでもらえて光栄だね」
「うん。何かあれよ。弁当奪ってくれて犬ありがとう! の境地よ今あたし」

 何だかスライドしてませんか?
 そこからの柚は早かった。美味い美味いと言いつつあっという間にパンを平らげる。普段は小さい口のはずなのに、男以上にペースが早いとはどういうことか。

「早食いは体に悪いよ?」

 一応の忠告を入れてやると、柚はこれまた可愛く両の頬を膨らましたまま「もふゅもふゅ」と反駁してくる。

「ごめ、何言ってるかわかんない」

 訂正入れてやると、柚は高速で咀嚼して飲み込んでからくすくすと笑った。

「ごめんごめん。早食いって訳じゃないよ、一応ちゃんと三十回は噛んでるし。ただ噛む速度がスゴイんだよ。日頃から鍛えてるから」
「そ、そうなの?」
「そうなの。ってか、何かアレだね、逆だね」
「逆?」

 おうむ返しに聞き返すと、柚はまた笑った。くそ。マジ可愛い。

「だって、フジチョーはお弁当だし、あたしは購買のパン。で、あたしの方が食べるの早いって、まるで男女が別じゃん? だから何だか可笑しいなぁって思ってさ。フジチョーって乙メンってヤツ?」
「いやいや、違うから。絶対違うから」

 藤野は両手でもって否定した。料理なんて家庭科の授業ぐらいでしかやらないし、掃除も洗濯も苦手だ。生まれてこのかた肌なんて気にしたことなどなく。化粧水などもまるで知らず。思春期の象徴たるニキビが出来ても基本放置である。まして女の気持になって女の会話に混ざるなど到底できるものではない。

「っていうか単純に柚が男勝りなだけじゃん」
「あ、ひっどーい。そういう事言っちゃうんだ? しかも当たってるから言い返せないじゃんかぁ。殴るよ?」
「ごめんごめん」

 急激に背中がじんわりとする。脂汗だ。柚に殴られれば、鼻骨折は免れない。ちょっとキツい突っ込みだったかと反省していると、柚は逆に意気込んだ様子だった。

「よーし、じゃあ女の子らしいとこ見せてやろうじゃん」
「へ?」

 いや、その宣言自体男っぽいというか雄々しいというか。
 気圧されて身を引くと、柚はそれを上回る勢いでぐいっと藤野に顔を近づける。ふわりと香るシャンプーと女の匂い。強烈な刺激は一気に血圧を上昇させて顔を赤面させる。
 艶めかしいとはちょっと遠い拳ダコができた手が伸びて、藤野の頬に触れた。

「ごはん粒つけてる。えへへ。とっちゃった」

 ヤバい卒倒していいですか。まるでカップルじゃねぇか。
 たまに恐ろしいぐらい女の子っぽい所作するから本当にたまらない。男殺しとしか言いようがない。藤野は赤面したまま俯くしかできなかった。そうしなければ、本当に襲ってしまいそうで。
 ダメだ落ちつけ俺ここで襲ったら変態だ変質者だっていうか殴り飛ばされて骨折られて下手したら殺されかねんぞ俺。

「あ、恥ずかしがってる。女の子感じた?」
「うん。感じた。すっげぇ感じた」
「よろしい」

 両手を腰につけて仁王立ち。雄々しい。
 上がるだけ上がったボルテージは、何とか理性のタガを破壊する前に収まり始めた。藤野は思考をかき消すようにして弁当を食べ、彼女に聞くべき話を思い出した。
 今なら雰囲気バッチリだし、良いタイミングだよね。

「ってかさ、柚にちょっと聞きたいんだけど、いいかな」
「いいけど、自宅とスリーサイズは乙女の秘密だよ」
「いや、そういうんじゃなくて」

 ホントは物凄く知りたいんだけど。
 男子高校生の欲望渦巻く本音は、心の内に力の限り叫んでひとまずは押しとどめさせ、藤野は続きを紡ぐ。

「小早川の事を教えて欲しいんだけどさ」
「何でまた」
「いや、瀬川から柚と幼馴染って聞いたから、一番良く知ってるんじゃないかなと思って」

 険悪な男その二の名前まで飛び出して、柚は露骨に不機嫌な表情を浮かべた。しかし即座に拒絶するほど機嫌を損ねてもいない。
 柚にしてはじっくりとどう言うべきか吟味しているようで、返事にはしばしの時間が必要だった。

「まぁ、確かに、ある意味では一番良く知ってるかもだけど、最近のアイツなんて分かんないよ。仲悪いしさ」
「大丈夫、あくまで参考程度だし」
「うーん。何でまた知りたいのさ」

 一瞬だけ、藤野は誤魔化すことを考えた。柚ぐらい単純であれば、藤野の頭脳でも嘘の誤魔化しはいくらでも思いつく。
 正直に言うべきだよな、ここ。
 思いとどまったのは、三人の仲に関することでもある上、この先も誤魔化し続ける事は難しいからだ。嘘から生じる亀裂は時間がたてば大きくなる。下手をしなくとも、柚との関係が悪化するだろう。個人的にも、学園祭を成功させるためにも、よろしくない。

「学園祭を成功させるために必要だから。小早川の協力が」

 真正面からぶつかると、柚は少しだけ面喰った顔をして、顎に指を添えて悩みだした。

「何かフジチョーって土壇場で男らしいよね。誤魔化したりしないで、直球で来るし。いいよ、特別に許可しちゃる」

 どうやら直球ど真ん中勝負は正解だったらしい。教えてもらえる許可を取り付けたので、その後の「でも、誤魔化してきたりしたら笑顔で嫌じゃあって殴り飛ばせたのに……」などという物騒な発言は聞かなかったことにする。
 というか殴られてたのか、俺。
 考えて見れば、険悪な仲になった幼馴染の事はタブーになっていても不思議はない。思っていた以上に危ない綱渡りだったようだ。

「ありがと。教えて欲しいのは、小早川が興味の持つものなんだけど。何でもいいんだ」
「興味、ねぇ」

 問われて柚は渋い顔をして唸りだす。昔の記憶をなぞっているのか、時折微笑んだり鬼のように眉をひそめたりする。プチ百面相だなぁと眺めていると、最初に浮かべた渋い顔に戻る。

「今も続いてたらって前置きがつくけど、やっぱり音楽じゃない? ピアノ大好き人間だったし、音楽に目覚めるっていうの? なんかそういうの早かったし」
「あ、音楽はたぶん今でも好きだよ、ライブへ一緒に行ったことあるし、この前音楽準備室でピアノ弾いたし。しかもパガニーニ」
「そうなんだー。ってあれ、音楽準備室って確か、工学科の校舎にあったよね?」
「うん。ちょっと用事があっていったんだ。小早川ってピアノ超うまいよね」

 ひゅう、と柚が口笛を鳴らした。

「一般科の人間なのに、あそこいって無事に済んだんだ? もしかして一人?」

 黙って頷くと、柚はもう一度口笛を鳴らした。「あたしでも一人じゃ近寄らないのに、すごいね」と続く。どうやら工学科という所はこの高校において危険にも程がある場所のようだ。

「無事っていうか、絡まれたんだけど。たまたま小早川が来て、成り行きで助けてもらった」
「超絶ラッキーというか何というか。一ヶ月分ぐらいの運使っちゃったんじゃない?」
「そこまでなんだ?」

 思わず聞き返すと、柚は目を点にさせた。

「フジチョー生徒会長だよね? すっごい疎くない?」

 イタイ所を突かれて藤野は呻いた。ここも正直に吐くしかない。

「いや、俺、会長になるまで帰宅部だったもん。それに一般科だし、学校にトモダチはいるけど、シンユウはいないしさ。同中の奴らとは知り合い程度だし」

 一般科はクラス編成が一番多いため、大抵のことは一般科の内で完結できてしまう。そのため他科の交流は、友人でもいない限りないに等しく、部活動に励んでいなければ、触れ合う機会など体育祭や学園祭ぐらいのものだ。
 殊更、藤野は一般科の中の人間関係すら希薄だ。クラスの中で帰結してしまう程度だ。他科の事は噂話程度でしか入ってこない。特に工学科ともなれば、進学科や体育科の校舎よりも物理的に離れているせいで余計に入ってこない。

「うーん、フツーはもうちょっと知っててもおかしくないんだけどね。まぁ工学科の内情も内輪もめみたいなモンだし、一般科には被害出てないから、人づきあい薄いなら仕方ないのかなぁ、それでも疎いとしか言いようないけど。よっぽど人付き合い薄くないと。って事はアレ? 中学校でイジメられてたとか?」
「そんなんじゃないよ」

 藤野はまず否定を入れた。

「ただ、中学校まで仲の良かった友達と結構キツいケンカして絶交してさ。それから何かもう面倒臭くなっちゃって」
「あれま。なんかあたし達と似てる?」
「ちょっとね」
「それで何で生徒会長になんてなったのさ。もっと面倒臭いじゃん」

 ごもっともな意見だ。藤野とて望んだことではない。どういうべきかと悩んでいると、その沈黙は触れたくないものだと勝手に思ってくれたらしく、「ごめん」と詫びて話題を戻す。

「とにかく、工学科にはあまり近寄らない方がいいよ。特に二類。あっちはマジでヤバいから」
「そうなの? 二類ってヲタクの聖地とかってあったけど」

 イメージ的にはむしろ弱者というものがある。一類の不良連中に虐げられるから、脱却するために団結、徹底抗戦しているような。境界線をはっきりさせていたのも、不良たちに入られたくないというイメージが強い。
 しかし柚はハッキリと言いきった。

「ヤバいね。そりゃ、ガチンコで殴りあったら一類の方が強いだろうけど、精神的打撃を与える意味では圧倒的に二類の方がヤバい。色んなとこで嫌がらせしてきて追い込みかけてくるし、詰んでくるし。最終的にガチンコ勝負持って行っても、奴らはタイマンには応じないの。絶対に数的有利に持ち込むし、道具使ってくるのよ」
「うわ、そりゃキツいっていうかタチ悪いね」
「だから小早川が入ってくるまでは二類の天下だったんだよ。ウチの不良が大したことないってのも手伝ってたんだろうけど。その上、頭脳では進学科よりも上だ! って思ってる節があってさ、一度瀬川に勝負挑んだ事もあったなぁ。返り討ちにされてたけど。小早川もそこを突いて権力拡大していって委員長になって、やっとなりを潜めたの。まぁ、対等関係みたいなものらしいんだけど」

 権力だの天下だの何だか呆れる程臭い話ではあるが、いたって真剣な柚を見る限り事実なのだろう。学校の天下などどうでも良い藤野と違い、彼らにとっては重要という事か。
 もしかして工学科と縁遠いのは、その二類があまりに危険だからってのがあるから?
 あながち間違っていない考えが脳裏をかすめる。

「へぇ、ってか詳しいね」
「そりゃあ体育科委員長だし、実際二類にケンカふっかけられた事あるしね」
「ケンカって。結果は聞いてもいいの?」

 すると柚は袖をめくって二の腕の筋肉を隆起させて鼻息荒く。

「二度と手を出せないようにしてやったわ。でも、いつまたケンカふっかけてくるか分かんないから、情報だけは集めてるわよ」

 つまり柚を始めとする体育科も警戒しているのか。逆にどうして一般科に被害がないのだろう、と疑問に思ったところで柚が先に答えを口にした。

「一般科に手を出さないのは、単純に見下してるからね。過去に何かあったか知らないけど、交流も全くないし」
「うわさすがにそれは結構心外なんだけど」
「ほっといたらいいんだって。関わられたらウザいだけ。だから繰り返すけど近寄らないようにしなよ」

 危険なのは不良たちだけじゃない。と。何やら物騒な高校だなぁ。平和だと思っていたのだけれど。
 しかし柚の話で分かった事が一つ。
 柚と瀬川と小早川の三人が工学科二類を抑え込み、良くも悪くも仲が険悪だからこそ、均衡を保って平和なのだ。この高校は。お互い多少の警戒はしているだろうが、致命的な諍いは起きていない。起きていればいくら事情に疎い藤野でも耳に入る。
 女王だとか魔王だとか覇王だとか、前から思ってた以上に大きい存在なんだな、この三人は。
 ひきかえ、何て自分は小さい存在なのだろうと藤野は思う。

「わかった。忠告ありがと」
「どういたしまして」

 柚は仁王立ちで笑う。雄々しいが、照れているのだろう。

「でもさ、何か初めてだなぁ」
「何が」
「アイツらを対等に評価してる人と出会うの」
「へ? どういう意味?」

 訝しんで深く突っ込むと、柚はこれまた可愛らしい仕草で照れ笑いを浮かべると、ぽつぽつと答えだした。

「小早川とライブにいったり、ピアノ弾いてるの見たり、それに瀬川から幼馴染だって聞いてるんだから、二人と仲が良いでしょ。それに、あたしとも仲良くしてくれてるしさ」

 ぽりぽりと頬をかきながらのセリフは最後が特に言いにくかったらしく、声が尻すぼみに小さくなった。
 成程、と理解できた。三人は畏れられているのだ。物騒な二つ名は最たる象徴と言える。つまり、三人の内、誰かを対等な立場として見るとする人物は希少であり、三人を三人とも対等と見るとなれば、さらに希少に違いなく。
 って俺も対等とは思ってないんだけどね。
 雰囲気台無しになるので口にはしなかった。しかし、彼女が対等として付き合ってくれていると思っているのであれば、周りからはそう見えているのだろう。

「だから何か嬉しいなって思って。たぶん、小早川や瀬川も同じだと思うよ」
「そっか。悪い気はしないかな」
「あ、もっと喜んでいいよ、そこ」

 素で指摘され、藤野は吹き出した。柚は本当に面白い。カワイイ。
 時間が経つのは早いもので、弁当を済ませて他愛ない会話をすると、チャイムが鳴り響いた。

「あ、戻んないとダメね」
「そうだね」
「今日は奢ってくれてアリガト。いろいろ楽しかった。あ、メールとか、いつ送ってくれてもいいからね。あたしメール大好きだし」

 え、何それマジ嬉しいんだけど。
 がっつきそうになった衝動を抑え込み、藤野はその代わりの笑顔を振りまいた。
 今、俺最高に幸せかも。
 柚と別れた後、嬉しさのあまり微妙にスキップしながら藤野は教室へ戻っていく。この時の彼はまったく気付いていなかった。


「あれ? 結局のところ、小早川について、ほとんど何も分かってなくね?」


 気付いたのは、学校が終わって自宅の風呂でくつろいでいた時だった。






[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】14話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/11/05 14:28
 小早川への協力要請をどうすべきか。考えは遅々として進まない中、藤野は瀬川に一つ要請していた。学園祭における効率的な配置である。一番の目的はデッドスペースをうまく纏めてフリーマーケットを開催できるだけのスペースを確保することだ。当初は藤野が自分でやろうと努力してみたが、電気配線の関係に縛られたり、集客性のある店の配置などに振り回されたりなど、飽和状態になって纏め切れなくなって諦めた。柚は最初からドロップアウト状態で、苦肉の策として瀬川に要請した次第だ。
 瀬川曰く、収納の知識を駆使すれば何とかなるかもしれないとのことで、一応の成果はあげられるだろうと期待は持てたのが幸いだ。
 出店の種類などは毎年ほとんど同じようなもので、数の差異はほとんどない。つまり、非常に複雑なパズルの組み換えである。結局、数日間かけて新しい配置図は完成された。
 放課後、直接手渡しに来た瀬川を前に、藤野は配置図をただじっと見ていた。

「よく出来てる、と思う」

 開口一番、含みのある口調で告げた。瀬川も理解しているらしく、追求してはこなかった。
 実際、藤野が第一案として考えていた配置図より、遥かに効率的な配置になっていた。用意されたフリーマーケット用のスペースも広くなっている。数日かけただけはあって完成度は高い。

「でも、何か足りないというか、何だろう」

 うまく言葉にできないまま、感じた違和感を口にする。そう。足りないのだ。何かが。

「私もそう思う。効率的という意味では極めて優れた配置のはずなのだが」

 感じるところは瀬川も同じだったらしい。二人は結局うんうんと唸る羽目になったが、何が足りないのか分からないままその日は解散の流れとなった。今回は重い私物はないので、二人とも自転車で快適走行である。
 入学式の時に満開を迎えていた桜は終わろうとしていた。後一週間もすれば花は散り切るだろう。

「おそらく、足りない何かを解明するための鍵はウィズダムだな」

 せめてもの気分転換にと、しばし春の風情と香りを楽しんでいたら、瀬川が急に結論を放った。辛うじて学園祭の配置図の事であろうと察せた藤野は、何の話だと聞き返さず言葉の意味を問うた。

「ウィズダム?」
「そうだ、ウィズダム、知恵だ」

 どうやらかなり考え抜いての結論らしく、瀬川は揺るぎない。

「理論を徹底的に突き詰めても、それは理論でしかない。突き詰められた理論は、現状与えられた何かを計算し、完全なる想定はできるが、越えることは出来ない。つまり、テーゼに対する説明はできても、答えであるジンテーゼにはなり得ないという事だ」

 小難しい、というレベルではない。藤野は何一つ理解できず、クエスチョンマークを大量に頭の上に出した。
 あまりの表情に瀬川も察したのだろう。微かなしかめっ面を浮かべ、どう噛み砕いて説明すべきかを考えてくれたようだ。言葉を選びながらの説明が始まる。

「一つの事象があるとする。解決するためには理論を駆使する必要がある。つまり、理論とは予め解決できる手段だ。徹底的に突き詰めれば、解と説明を誰もが理解できる形で成立させられる。だが、違う事象が発生した場合、その理論では解決できない」

 つまり、と瀬川は例えを出した。

「リンゴを三つ持った人間が三人いたとする。リンゴは合計で幾つか、と問題が出る。会長、その場合の式と解はどうなる」
「単純に三×三で九になる」
「この場合の理論は掛け算だ。掛け算をする事によって円滑に回答と説明がなされる。では、逆に、九つのリンゴを三人で均等に分けあうとなった場合、掛け算で証明できるか?」

 答えは不可能である。この場合の証明は九つのリンゴを三人で分け合った場合、一人どれくらいのリンゴが割り当てられるか、の証明であり、解である三を導きだしてやる式が必要だ。最初から解である三が導き出されていなければならない掛け算は適当と言えない。
 藤野は首を横に振る。

「いや、割り算じゃないとダメでしょ」
「その割り算という理論を使うという思いつきがウィズダム、つまり知恵だ」

 なるほどね、と藤野は納得した。同時に頭を抱えたくなる事実が一つ。漏れ出した溜息が大きいのは許してもらいたいところだ。

「となると、ここでもやっぱり小早川が必要になってくるのか」
「なんで小早川などが出てくるのだ」

 機嫌を損ねたように眉を潜め、瀬川は遠慮なく突っ込んでくる。

「いや、だって、知恵って言ったら小早川でしょ」
「どうしてそうなる。アイツは単に小賢しいだけの口先だけで自分に利益があるよう立ち回って偉そうぶる面倒臭がりのカラスではないか」
「えっと、それって知恵があるって認めてるんだけど分かってる?」
「む」

 冷静な指摘を食らった瀬川は自転車を漕ぐ動作すら忘れて動きを止めた。スピードがみるみる落ちていく中で、珍しくはっきりと物凄く嫌そうな表情を浮かべる。
 心底認めたくないんだろうなぁ。きっと。
 付け加えるのなら、認めたくはないが、自身がモットーとしている突き詰められた理論では認めているはずだ。

「むぅ。認めてやる」

 彼にしてみれば相当な苦渋だったはずだ。苦虫をどれくらい噛みしめているか分からない表情である。

「しかし小早川の協力を求めるなら、不可能だと思うぞ。奴は今まで出会ったどんな人間よりも面倒臭がりだ」

 強調するなぁ、そこ。
 もっとも、事実は事実なのだが。小早川を協力させることは非常に厄介だ。打ち解けられたとしても、面倒だと感じれば引き受ける可能性は低いと思える。第一、そこまで打ち解けるまでに費やさなければならない時間は膨大のはずで、学園祭準備期間のほとんどを使いきってしまうだろう。

「うーん、興味があることに対してなら、何とかなりそうな気がするんだけど」
「否定はしないが肯定もしないぞ」

 それでもヤツは面倒臭い成分を見つけてくる、と瀬川は穿った見方をする。

「まぁヤツが協力するとなれば、やりやすくはなるだろうがな」

 瀬川の発言にはちょっぴり願望も含まれていて。藤野は何となく感づきながら、「そうだな」と同意した。
 踏切を前にした辺りで藤野と瀬川は別れた。理由は時計を確認して分かった。踏切が開かずの時間帯に差し掛かるか差し掛からないかといった、微妙な時間帯だったのだ。
 瀬川の自宅は商店街の東側にある。商店街メインストリートへ繋がる踏切を渡らずに東へ進めば、地下通路にぶつかれるので、踏切でなくとも線路をくぐれる。もっとも、迂回する事になる上、地下通路をくぐった先の道が入り組んでいて薄暗いらしく、踏切が開かずの時間帯でない限り利用する人間はいない。
 こりゃ結構待たないといけないかな。どうだろ。
 自転車通学の身であるので、電車のダイヤに精通しているはずもなく、大体の時間帯しか知らなかった。予想では待たなくて済むと踏んだのだが、はずれだった。
 カンカンとなる踏切の列車が来る進行方向の電光板が左右を指したのである。
 不幸を嘆いたのは一瞬だけで、どれくらい待たされるだろうかと思考がシフトする。場合によっては瀬川と同じ迂回ルートも考えなければならない。とはいえ、藤野の自宅との位置関係を考えれば相当な迂回になるので、待っていた方が早い場合も多いのだが。
 ハンドル部分に肘をついて考えていると、声は後ろからかけられた。

「ほほう、生徒会長がそんなだらしない姿勢でいいのかな」

 生徒会長、と呼ばれて驚いた。聞いたことのない声だからだ。現状、藤野が生徒会長だという事は教職員と、生徒側では小早川と瀬川、柚の三人だけである。どちらにも緘口令が強く敷かれているので、誰にもバレていないはずだ。
 なのに何故、聞いたこともない声の主が生徒会長であることを知っている。
 おそるおそる振り返ると、そこにはやはり見知らぬ男が立っていた。華奢といっても差し支えがない痩せ体型で、小早川を始めとした不良たちほどではないが、着制服を着崩している。襟のバッヂからして同じ学年の生徒だ。

「誰?」

 警戒レベルを最大にまで引き上げて、藤野は問う。

「調査の通りだな。この僕を知らないなんて」

 声をかけられた時と同じく、ひどく粘着質な声だ。淡泊さと切れるような鋭さを併せ持つ顔つきは爽やかさを受けるが、彼の全身から放たれる異様な雰囲気が打ち消している。小早川が持つ危険な雰囲気とはまた違う、異質なものだ。
 っていうか、コイツ今調査の通りって言ったか?
 いつの間に調査の対象になったんだ。警戒レベルが最大どころかオーバーして警報を鳴らし出した。隙を見て逃げ出すのがベストだろうか。

「まぁ、この僕も誰も知らないはずがないなんて傲慢さは持ったつもりはないのだけれど、君の無知ぶりというのも如何なものか」

 なんだ、このナルシスト全開野郎は。そして凄く失礼だ。よーし。
 先にケンカふっかけてきたのは向こうからだ。数的不利でもなく、体格的にも不利ではない以上、怯える必要はない。

「とりあえずマンガの世界の住人だっていうのは分かった。もしくはお伽噺」
「どちらにしても褒めたモノじゃないだろ、それ」
「うん。だってキモいし。フツーに考えて」

 あ、本音出し過ぎたかも。
 さすがにマズいかと思ったが、後悔する程ではない。生理的嫌悪という本能には逆らえないのだから仕方ないと諦めた。
 対する彼はぴくり、と眉を跳ね上げる。その反応もいちいち演技臭いというか、何というか。

「失礼、穢れた俗の言葉には慣れていなくてね。一応の確認をするのだけれど、僕にケンカ売ってるのかい?」
「売ってるつもりはないんだけど、マンガの世界の設定みたいなヤツに付き合うつもりもないってだけ」
「ふん」

 またもや作られた動作でふわり、と長い前髪をかきわけ、彼は怒りを必死に隠そうと敢えて余裕の仕草を見せる。

「さすが、小早川、前田、瀬川の三大俗物とじゃれあっているだけはあるか」

 なんだ、コイツ。
 あの三人をけなされて藤野はさらに苛立ちを募らせる。瀬川、小早川もそうだが、柚をけなすとはどういう事だ。

「っていうかさ、お前誰なの? んでもって調査って何だよ」
「意外に短気だな。それとも、何か癪に触れる発言をしたのか。どちらでもいいか」
「うん、どっちでもいい。だから俺の質問に答えろって」
「答えてやる必要はない。だが、君は僕の言葉を聞いてもらうよ。幸運に思ってほしいくらいだ。僕にこれだけの無礼を働いておきながら、尚話かけられているのだからね」

 うわあ。ダメだコイツ。イタイ。何かもう、全部通り越してイタイ。
 ぞぞっと全身を襲う寒気に震え、藤野は半身引いた。警戒が内心に鳴り響かせるアラートは聞いた事もない大音量で、不信感も完全にフルゲージ、確実にお関わり合いになりたくないと悲鳴を上げている。

「君、新しく生徒会長になるのだろう」

 否定の言葉が喉まで出かかって、押し込んだ。コイツはさっき調査と言っていた。その上で生徒会長と言ってくるのだから、確たる何かを手に入れているのだろう。どこから手に入れたかは知らないが。
 下手な嘘は関わる時間を長くさせるだけ、かな。

「だから何?」

 むしろ拒否反応を最前面に出しながら言うと、彼はニヤニヤと笑う。

「予想通りの行動をありがとう。君は御しやすいね。それで提案なのだけど」

 何をどうそれで、なんだよ。
 違和感が過ぎて逆に存在感に不思議がなくなってくる。

「僕と天下を取らないか?」
「は?」
「分からないかい? この学校の支配者となるのだよ。表は君、裏は僕。そうすれば、思いのままに……ってどこにいくのかな」
「迂回して帰ろうかなぁと思っただけなんだけど。離してくんない?」

 さっくりと方向転換して走り去ろうとしたのだが、彼の手が自転車の荷台を掴んでいるせいで出来ない。

「いやいや、人の話の途中にその場から去ろうとするのは無礼の極みだと思わないか? さすがに許し難いのだけれど」

 許すも何も。
 藤野は鼻で笑い飛ばす。

「聞くに堪えない話だから去ろうとしたって分かんない? 学校の支配者になって何になんのさ? 意味分かんないんだけど。ってか天下とか支配とか、何? マンガの見過ぎじゃん。それに、こっちの話聞く気ないんだったら、そっちの話も聞く気なくて当たり前だし、何より人の友達バカにしてさ、失礼無礼なのはそっちじゃん」

 小早川の事を友達と言えるのかどうかは分からなかったが、このさい一括りにしてしまって良いだろう。

「許し難し!」

 ついに耐えられなくなったか、相手は爆発した。

「この僕の崇高な目的を理解てきない低俗ぶりもそうだが、態度があまりに許し難し! 君はそれでも生徒会長か! 人がせっかく低姿勢でいてやっているというのに!」

 いや、アレのドコが低姿勢だったんデスか?
 自尊心溢れまくり、高圧的としか取りようのない物言いだったはずだ。小早川や瀬川を上回る唯我独尊ぶりである。

「君には制裁が必要だな。そして僕を怒らせた罪深さを呪うがいい!」

 激高に身を任せて彼は制服のポケットに手を突っ込んだ。何かを出すつもりだ。
 ヤバ。刃物とかかよ!?
 緊張と焦りが一気に且つ同時にせりあがってくる。荷台を掴まれている限り、自転車をこぎ出しても無意味だ。いっそ自転車を乗り捨てて逃げようかと体が反応しそうになった時、それは現れた。

「何やってんの」

 手がポケットから離れる前に、腕がしっかりと掴まれていた。びくともしない様子からして、相当な力が加えられている。

「貴様はっ」

 思わぬ横やりに、物理的圧力を持っていそうな目で手を掴んだ諜報人を睨みつけるが、相手は一向に動じる様子はなかった。
 逆に今にも殺されそうな勢いで睨まれ、怯まされる始末である。距離を取れなかったのは腕を振り払う事ができなかったからだ。
 カンカンとなる踏み切り音に高速で通過する列車の轟音が重なる。

「小早川」

 巻き起こる風に髪を揺らせながら一瞬たりとも視線を外さずに手を掴む男は、藤野の言葉の通りだった。
 半袖のシャツにジッパー式のポケットが幾つもついたパンツというスタイルからして、ライブにでも行くつもりだったのだろうか。
 小早川は威圧感を抑えることなく言い放った。

「止めた方がいいんじゃね? 何するつもりか分かんねーけど」

 あれ、もしかしてまた助けられてる、俺?
 呆けるように黙っていると、相手は掴まれた腕を何度も振り払おうとしていた。結果は同じで、ビクともしない。あげく、「腕力じゃ勝ち目ないっしょ」と言われる始末だ。

「汚い腕で、僕に触るな。いつまでも」
「だったら何か出すのやめろよ。分かるんだって、力入ってんのが。悪ぃけど、俺にもケンカの経験あんだぞ」

 むしろ経験豊富と言うべきだ。伊達に不良のカリスマと呼ばれていない。
 重みと説得力のある言葉でも負け、彼は盛大な舌打ちをして引き下がった。全身を強張らせていた力を緩め、荷台から手を離す。

「それとさ」

 すかさずに小早川は藤野と彼の間に入る。手を離した瞬間、藤野が襲われないようにするためだ。

「俺の友達に何かするつもりだったら、俺と全面衝突する覚悟決めてからにしとけよ」
「強く出たな。一類の連中が全員貴様に従っている訳ではないくせに」
「そんなん関係ないんだって」

 小早川の凄みが増した。背中しか見えなくとも藤野に伝わってくる。

「要は俺とやりあえる覚悟があるかってコト。マジだから」

 脅しではない。宣言だ。
 そこまで言われて、彼はようやく引き下がった。不本意ではあるのか、小早川が掴む力が緩んだと感じるや荒っぽく腕を振りほどく抵抗を見せたが。

「いいだろう。貴様との決着をつけるのも必要な事だからな。僕の天下統一のためには!」
「別にいいんだけど、そのテンカトウイツとかに俺を巻き込むなよ。ウザいから」

 小早川も藤野と同じ感想を持っていたらしい。あっさりと言ってのける。

「フン、せいぜい怯えているがいい!」

 負け台詞としか思えない捨て台詞を残し、名も知らぬ彼は恰好つけるにも程がある動作でその場を去った。
 まるで嵐というか、災厄というか、バカというか。
 未だカンカン鳴っている踏み切り音が静かに感じるくらいだ。

「あ、ありがと、小早川」

 藤野は我にかえると同時に礼を言った。今回は紛れもなく助けられたのだし、当然だ。何より、前回は礼を言えていない。

「いいって、友達なんだろ」
「へ?」
「聞こえてた。俺のコト友達って言う奴、この高校に入って初めてだったからツイ」

 何その勢いでやってしまった。反省はしていない。的なノリ。
 小早川も恥ずかしかったのだろう、頭をガシガシとかきむしりながら言う。

「それに、厄介なヤツに絡まれてたっぽかったからさ」
「あ、厄介なヤツって、アイツの事知ってるの?」
「知ってるも何も。ってかお前ホントに生徒会長か?」

 小早川は眉を潜めて本気で疑ってくる。どうやら相手はそこまでの有名人らしい。

「それ、柚とかにも言われたけど、ホントに生徒会長。事情にはメチャ疎くてさ」

 恥ずかしながらの申告に、小早川は「あ、そ」と平然である。

「アイツは新宮って言って、工学科二類の頭やってるヤツだよ」

 工学科二類。頭。情報が入ってきて処理され、理解できた瞬間、藤野は顔をまともに引きつらせた。柚が言っていた、関わらない方がいい科のリーダーって事か。そういうことか。
 重く沈んだ感情は物理的な威力もあるようで、思わずへこたれた。
 まさか向こうから絡んできてくれるとは。ありがたくない。すっげぇありがたくない。でも何か納得。
 自分たちのエリアをヲタクの聖域と呼ばわる連中のリーダーだからこそ、あんなイタイ子なのだ。

「た、確かにとんでもなく厄介なヤツだわ……」

 そう吐き出すしか、藤野はできなかった。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】15話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/11/06 23:57

 工学科二類の新宮。一度会えば色んな意味で忘れられない男。脳に深く深く刻み込まれた藤野は気分を落ち込ませるしかなかった。

「っていうか、目ぇつけられたぞ、ありゃ」

 この追い打ちである。
 相手は敗北こそすれど、瀬川と柚に勝負をけしかけたり、小早川と権力争いを繰り広げたりする猛者だ。相手のフィールドに立ち入れば何をされるか分かったものではない。

「これじゃあ工学科に、誰かについてきてもらっても行きにくくなったなぁ」

 下手をしなくとも巻き込ませる恐れがある以上、良心の呵責が許してくれない。

「って言うか、くんな。一般科が、工学科なんかに」
「え、でも用事とか出来るかも知れないし」
「生徒会を通しての用事ならセンセー使えばいいだろ。言っとくけど、今回の事がなくてもウチは良くねーんだって」

 パチンと軽いデコピンがヒットする。痛くはないが衝撃がある程度だ。

「アイツが言ってた通り、一類は全部が全部、俺に従ってる訳じゃねーし。第一、俺は俺が過ごしやすくするために色々やってるだけで、あのバカみたいに支配がどーのこーのとか興味ねぇんだよ」

 そもそもが違う、と小早川は言う。妙に必死なのは同類に思われたくないからだろう。
 ようやく踏切のカンカンという音が消失した。二人はとりあえず踏切を渡る事にする。一分も経たない内にまたカンカンと鳴りだすのは分かっていて、この機を見逃してまた長時間踏切を待つのは嫌だった。
 渡り終えた辺りで、小早川は続きを口にした。

「だから、一類にも俺をウザいって思ってるヤツはいんだよ。表だってケンカふっかけてこないだけで」
「じゃあさ、個人的な用事があった場合どうしたらいいのさ」
「バッカ、何のためのケータイだよ」

 言いつつ折り畳み式のケータイを取りだす。顎で促されて、藤野もケータイを取り出した。アドレス交換を劇的に簡易化させた赤外線通信を終えると、小早川はいつもの表情に戻っていた。

「一応、二類の方にもアンテナたてといてやる。もし何か仕掛けようとして、俺が察知できたら教えてやるから」
「あ、それはマジ助かる」
「対処できそうになさそうだったら、センセーでも頼っとけ。そっちの方が穏便に、でも厳しく始末できる」

 キッチリ俺を頼るなという予防線を張るあたり、知恵がよく回る。
 アドバイスを聞き終えた藤野は、今度はこっちの番だと話題を切り出した。可能な限り早く、小早川の協力は欲しい。

「いきなり聞くんだけど、小早川ってパズル得意?」

 前置き通り唐突な質問に小早川は眉を潜めた。

「ホントにいきなりだなお前。別に。苦手じゃねーけど。どっちかって言うと脱出ゲームとか、そっちの方が得意」
「マジ? じゃあちょっと協力してくれないかな。結構困ってんだ」

 言いつつ取り出したのは学園祭の配置図だ。

「これをどうしろっての」
「学園祭でフリマやることになってさ、要らないスペースとかかき集めて、効率の良い配置を考えてるんだよ。これも上手く出来てると思うんだけど、何か足りない気がするんだよね。だから何とかならないと思って」
「ペンと紙」

 どうやら引き受けてくれるらしい。興味を引かせる事ができたか。
 藤野はすぐにカバンを開けて、まずバインダーを渡してからペンと紙も渡した。紙は学園祭の配置図の基のようなもので、グラウンドや校舎が既に書き込まれている。また、各部に供給できる電力も記載済みだ。ペンは色分けが簡単なように三色ボールペンとシャーペンが組み合わされたものである。
 小早川は紙の上でめまぐるしく目を動かし、ボールペンの頭を押してシャーペンに切り替えた。

「これ、考えたの瀬川でしょ」
「すごい分かるんだ」
「与えられた条件っての? そういう中で、俺以上に完璧だしさ。そんなヤツ、周りじゃ瀬川くらいだし」

 さりげなく自画自賛もしつつ、小早川は瀬川を評価する発言をする。

「でも、与えられた条件で最大限を尽くすしかできないからな、あのバカ」

 同時に落とすことを忘れないあたり、実に彼らしい。藤野は苦笑を浮かべた。
 なんだかんだで幼馴染だからかな。よく瀬川のこと分かってるなぁ。
 口にすれば確実に機嫌を損ねるだろう感想はひっそりと奥にしまいこんでいると、小早川はシャーペンでせっせと動かし出した。歩きながら、まるで片手間のように。一切の迷いのない動きは、消しゴムの要求を必要としないようだった。
 あっという間に埋まっていく配置図を前に、藤野は驚愕するしかなかった。
 あれだけ藤野や瀬川を苦しめた電力供給量の制限も、彼にしてみれば枷にならないのか。いつの間にか鼻歌すら交えながら、小早川はペンを止めた。次に赤、青と色を使い分けながら線を引いていく。

「こんなもんじゃね?」

 簡単だよ、と言わんばかりの様子で手渡され、藤野はポカンと口を開けた。
 瀬川でも結構時間かかって作ってたのに、こんな短い時間で完成させてくれちゃいますか。そうですか。
 ふと我に返って、渡された紙に目を通す。

「あれ、電力供給のトコおかしくない? これじゃ、ここ足りなくなるじゃん」
「足りない分はこっちからもらえよ。ここら辺はむしろ余ってんだから」

 小早川は赤に塗られた線を指でなぞる。赤の線は他にも幾つかあり、それら全てが電力の足りない箇所へ割り振られていた。

「合計の電力は等しくしてるからサ、配線上手くいじれば問題なくない?」

 何事もないように言われ、絶句した。盲点を突いていると言えば突いた視点であり、そしてどこにも無駄がないように配置がなされている。電力供給に関しても、供給がスムーズに行くように考えられている。各所による電力供給量という枷を外して手抜きをしている訳ではない。より緻密に、綿密に考えられている。
 知恵が回る、という凄さを実感した。小早川の場合、パズルや脱出ゲームが得意という次元ではない。そこから頭一つ飛びぬけている。

「言われてみればそうだけど、こんなの良く思いついたもんだよ。ヤバい」
「別に。フツーじゃね」
「いやいやフツーじゃできないって、やっぱ小早川って頭良いんだね」
「違ぇーって。俺の場合は頭良いんじゃなくて回転が早いって言え。柔軟でもいいけど」

 どうやら瀬川との差別化を意思表示しているらしい。何となく分かる気がした。比較されたくないのだ。瀬川と。

「そっか。分かった。ありがと。マジ助かったよ」
「こんぐらい別にいいって、だから。他には何かないの」

 あ、何か今やる気になってくれてる? 今がチャンスってヤツ?
 藤野は善は急げと言わんばかりに最重要案件を口にした。

「実はさ、メインイベントを考えてるんだけど、何がいいかなって思って」
「メインイベント? キャンプファイヤー的なアレ?」

 さすがに察しが鋭い。藤野は一度大きく頷いてから続きを話す。

「うん。生徒主体でやるイベントみたいなの。でも、そんなにお金かけられないのが正直。キャンプファイヤーとかは無理」
「去年は全校生徒参加型の巨大ビンゴ大会だったっけ」
「それも無理。去年みたいな商品は取り揃えられないし。あのビンゴゲームの紙、既製品じゃなくて受注生産して作ったものでさ、それを全校生徒分用意してるとかで、すんごい金かかってる。去年の学園祭で一番金かけてた」
「メインイベントって金かけて当たり前じゃん。そこも削ったら面白くなくね?」

 小早川の意見は至極真っ当なものである。藤野も本音では盛大に金を注いでやりたい所だ。懐事情さえまともであれば。

「そうなんだけど出来るだけ削りたいんだ」

 赤字だけは出したくない。いや、出してはならない。何としても。そのためのリスクはできるだけ少なく、回避すべきだ。

「ライブとかなら、そんなにお金かけずに済むと思うんだ。機材も軽音部で揃ってるし、会場は体育館使えばいいし。でも、アーティスト呼ぶ経費がスゴイ。一応でっかいイベントになるけど」

 ミュージシャンはもちろん、芸人を呼ぶにしても金は莫大にかかる。理由は単純だ。知名度が低ければギャラは安くすむが、盛り上がりにはかける。となれば、そこそこのレベルを呼ばなければならなくなり、ギャラはウナギ登りに高くなる。生徒主体かどうかは怪しいが、主に生徒を喜ばせる、盛り上げさせるイベントであればギリギリセーフだろう。ダメだったら、生徒参加型のちょっとしたイベントを企画して混ぜてやればいい。
 どうしたものかと思わず唸ると、小早川も同じように唸っていた。悩んでいる種類が違うようだが。
 注目すると、小早川は「いやさ」と前置きをつけた。

「何も有名なアーティストが全員湧きあがらせるって限らないっしょ」
「そりゃそうだけど」

 有名アーティストの最大の武器は知名度と安定度だ。もちろん実力からその知名度と安定度を得ている訳で、高確率で盛り上がる。
 しかし、と小早川は巧妙に仕掛けられた心理トラップを外していく。

「実力が高かったらさ、知名度低くても盛り上げるんじゃね? この前お前が体験したライブみたいにサ」

 ちょっとしたショックだった。もっとも、確実に盛り上げられるだろう実力者を見出す「目」が必要になる。小早川はともかく、藤野にそんな「目」はない。
 でも、ギャラを少なく済むから、効率的という意味では一番か。

「でもそんなレアなの、いるかな」
「いるだろ」

 あっさりと事も無げに小早川は言う。

「今、目の前に」

 人差し指が向かう先は、地下へと続くライブハウスへの入口だった。何を言わんとしているのか、藤野はしばらく考えてようやく思いついた。小早川と藤野が知っていて、且つ、お互いに知っているという情報を共有しているモノ。
 即ち。

「もしかして、白光?」
「アタリ」
「って、どうやって? あの人たちと面識ある訳じゃないし、連絡先知らないんだけど」

 彼らの実力は肌で感じている。初見であれだけ盛り上がらせたのだから、相当な実力と見ていい。しかし、連絡先が分からないのでは意味がなかった。調べるにしても方法が思いつかない。すると小早川は含みのある笑いを浮かべた。

「今ここにいるんだって」
「え、あ、じゃあ今日もライブやるんだ?」
「いや、何か手伝いしてるんだって。タダで練習させてもらう代わりに掃除とか色々雑用とか引き受けてるカンジ?」
「へー。詳しいじゃん」
「まあな。知り合いになったから」

 瀬川と比べれば豊かな感情が自慢げであると表していた。意外って言ったら何だけど。

「マジ?」
「結構通い詰めたからなー。向こうも顔覚えてくれててさ。話しかけられて仲良くなって」

 今日も遊びにきなよって言われたから来たんだ。と一息で言ってから、指を一本立てる。

「出演交渉っての? お前もこいよ」

 一瞬迷った。相手からしてみればほとんど初対面である。その上、藤野に交渉能力なんてあるとは到底思えない。同時に、経費を大きく浮かす千載一遇のチャンスでもある。
 やれるだけやってみるか?
 どうせダメ元だ。当たって砕けろの精神で行くしかないと腹を括り、藤野は頷いた。
 戦地に赴く気持ちで階段を一段一段降りていくと、以前とは違う雰囲気が目の前にあった。同じなのは前を歩く背中である。

「こんちゃーっす」
「あ、いらっしゃい。って君か、早速だね。彼は友達?」
「そっす」

 扉を開けてすぐの受付にいたのは、藤野も見覚えがある青年だった。小柄でキャップ帽をかぶった、藤野以上に草食系の見た目。女と間違われんばかりの童顔。間違いない。あの強烈なライブで一番光っていたバンド、白光のボーカルだ。
 感想を抱いている間にも青年は軽い様子で中へ案内してくれた。
 誰もいないホールは本当に味気がない。セピアのランプが点灯しているおかげで明るく感じるものの、初めて参加した時に味わった閉塞感はさらに強くなっていた。壁も床も無機質なコンクリートで、天井は配管がクモの巣のように走っている。さすがにタバコや酒の匂いはしないが、どこか湿っぽく暗い匂いは残っている。
 アスベストとか大丈夫なんだろうか。などと思いながらキョロキョロしていると、唯一明るく照らされたステージに目をやられた。
 二本のマイクスタンド。立てかけられたギター。ベース。ドラム。アンプに繋がる黒い配線。

「ライブハウスに来るのは初めてなの?」

 穏やかな声が耳に入ってくる。振り返ると、青年は穏やかな笑みをたたえていた。

「あ、いえ、実は二回目、です。その」
「ぷっ。ごめん。そんなに緊張しなくていいよ。僕、ハウスの責任者とかじゃないからさ」
「ってか緊張し過ぎたら警戒されんぞ。リラックスしろって」

 穏やかな声の後に、からかい口調の小早川の咎めが刺さる。って何でアンタはそんなにフランクなんだ。くそう。
 違和感を覚えつつも、どう何を言えば良いか分からなくなり黙っていると、小早川がフォローを入れてくれた。

「でも緊張すんのは仕方ないっす。だってコイツ、この前のライブが初めてで、アキラさんの事は覚えてるはずだから」

 すると青年は僅かだけ思い返すように眉をひそめ、ああ、と声を出した。

「思いだした。いきなり後ろから持ち上げられてメッチャ焦ってた子だ」

 げ。そんなの覚えられてたのか。
 恥ずかしくなってセピアの灯りの下でも分かるぐらい赤面すると、アキラと呼ばれた青年はまた笑った。

「ゴメンゴメン。でも分かってほしいかな。僕たちライブをやる方からすれば、お客に怪我されるのが一番怖いし嫌なんだよ。だから肝を冷やした所とかは良く覚えてる」

 自分たちの音楽で音を楽しんで欲しいから。だから嫌な思いはしてほしくない。そんな感情と気遣いがありありと見えて、藤野は彼の器の大きさを知った。

「でもさ、僕を前にして緊張してるって事は、それだけ僕らの音楽が良かったって受け取ってもいいのかな」
「もちろんです! その、何て言うか、初めてだったんです。音の渦ってか、そういうのに揉みくちゃにされて、気がついたらもう心ぶち破られて、解放! ってか、もう」

 ああヤバい今自分でも何言ってるか分かんない。しかもイタイこと連発してる!
 気付くと声は尻すぼみに小さくなっていく。

「いいよいいよ。十分に分かった。ありがとう。嬉しいね、結構最高の褒め言葉だよ。それ」

 真摯の笑顔に、藤野はほっとした。アキラという人物はこちらの感情や伝えたい心情を隈なく拾い上げてくれる。これ以上とないくらい親しみやすい人物だ。
 ここまで時間が経過しておいて、藤野はようやく気付く。他のメンバーがいない事に。ドラムやギターがあるのだから、居ても不思議はないはずだ。それすら察知した様子で、アキラは答えてくれた。

「他の人らは楽屋の掃除とか、買い出しとか。色々と忙しく立ち回ってくれてる。僕は経理兼受付担当」
「あ、じゃあ今がチャンスだったりする? アキラさん代表だしさ」
「ん? 何かあるの」

 え。いきなり振りますか。そこに振りますか。どうしよう。
 微塵の迷いもなく動揺する藤野の隣に小早川は移動すると、脇腹をこっそりつついてくる。言え。と。
 それでも逡巡していると、アキラがじっくりと聞く体勢を取ってくれた。ああ、本当に優しい人なんだなぁと感心しつつ、藤野は意を決して開口する。

「えっと、僕、藤野って言います。実は、この近くの高校の生徒会長やってまして……」

 どぎまぎしながらの説明は非常に分かりにくく、逐一小早川のフォローが必要とするぐらいだった。とはいえ、まともに何をどう言うべきか考えていないのだから許して欲しいところだ。
 いつもの数倍もの時間をかけて、今年の学園祭は予算が少ない、でも、大きいメインイベントをやりたい。だから、バンドとしての出演依頼をお願いする意向までは伝え終えた。
 大体の事情を伝えてから、話しの終わりまで、アキラは難しい顔をしていた。それでも険悪な雰囲気を醸し出さない辺りはさすがと言うべきだろうか。藤野が何とか話し終えても、しばらく考えこむ様子を見せていた顔がようやく動く。

「ごめん。事情は分かった。でも、出演するに当たって、僕たちにはどんなメリットがあるのだろう?」

 予想だにしなかった質問に、藤野はもちろん、小早川すら面を食らった。
 短時間ではあるが、アキラの人柄は確認できた。話しやすく、感情をくみ取ってくれる、とても優しい青年。そんな彼からは出てくるとは思えない鋭い刃に戸惑うしかなかった。何かを裏切られた気分にすらなる。

「ごめんね」

 空気を呼んだアキラはまず詫びた。裏切られた、と言う感情は勝手であるはずなのに。藤野にしろ小早川にしろ、お互いを理解できる程時間を共有している訳でもない。単純に、音楽という接点で多少繋がりを持っているだけの軽い関係でしかなく、何かを期待し、裏切られたと思わせるだけの何かも共有していない。
 だが彼は詫びるのだ。しかし、同時に容赦もしない。オトナでもなければコドモでもない。高校生として、彼らに接しているが故に。

「小早川クンも言っていたけど、僕はバンドの代表なんだ」

 言葉と声には魔力がある、と誰が言ったか。二人は有無を言わさず引き込まれた。

「あらゆる交渉事を僕が担当してる。少しでも負担を減らして、多くのお金を稼ぐために。こうしてボランティアで手伝うって対価を支払って、タダでスタジオ代わりに練習させてもらうようにね。音楽で生きていきたいから」

 怖くはない。寒気がするような程の雰囲気を出している訳でも、睨まれている訳でもない。だが、逆らう気は起きなかった。

「それでも足りないから、皆それぞれバイトしたり、他のバンドにヘルプで入ったりして稼いで、何とか回してるんだ」

 何だろう。誰かに似ている。誰だろう。
 不安が頭をかすめる。思い出せそうで思い出せない。いや、思い出させるという作業をさせてもらえない。圧倒的すぎて。

「繰り返すけど、僕たちは音楽で生きていきたい。プロになりたい。そのための努力なら惜しまないし、泥水もすする。だから常にバンドにとってどんな利益が出るかって事を最優先しなきゃいけないんだ」

 そして言葉は輪廻して帰結する。アキラが始めに放った鋭い言葉へと。どんなメリットがあるのか。バンドにとって。

「勘違いして欲しくないけど、音楽で誰かを楽しませたいって事は根底だし、大前提だよ。正直、学園祭のイベントのメインを飾るんならそれなりの人は期待できるだろうし、湧き上がってもらえると思う」

 さりげなく自分たちの実力を誇っている発言だが、厭味がないので二人は気付けなかった。

「それだけじゃダメなんだ。上へ上へ行くには、ステップを上る度に潤沢な資金が必要になる。必要になっていく。汚い話、ギャラをたくさん貰わなきゃならない。そのためにファンを増やしていかなきゃならない。少なくとも、僕たちの音楽を好きになって、数千円支払ってでも聴きにきてくれるファンが」

 ああ。そうだ。校長だ。
 藤野はようやく思い至った。目の前にいるアキラは、毒気も威圧感も全くない校長と言えた。脅迫もしてこない、全くクリーンな校長だ。存在感だけで逆らう気力を失わせる力と、しっかりと意見を聞かせる力の持ち主だ。
 理解した刹那、アキラの言葉がどこに至るか、何となく察せた。

 きっと、これは。

 だが、言葉を挟めなかった。ただ、聞くという選択肢しか、藤野にはなかった。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】16話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/11/09 21:59

 アキラの言葉は続く。

「例えば、小早川クン、前回のライブのチケット、いくらだった?」
「二千円かな」
「正解。ここのライブハウスのキャパは大体二五〇で、最大三〇〇近く入る。前回は二七〇だった。そして、チャージバック制で、僕らは七対三でギャラを貰う事になってる。一枚当たり、いくらになるかな」

 話しを振られて藤野は慌てて頭で演算した。七〇パーセントなのだから、0.7かけてやればいい。

「一四〇〇円?」
「そう。前回のライブで、僕らを目当てにライブへ来たのが一七三人だった。つまりギャラは二四二二〇〇円」

 そう言えば、入場する時にどこのバンドが目当てかと聞かれた。小早川に言われるまま、「白光」と答えていた。

「つまり、僕らを動かすなら、最低でも二十四万必要になる。支払えるの?」

 いきなり問われて、藤野は返答に詰まった。現時点で、どれくらいの費用が工面できるか試算すらできない状態だからだ。
 しばらく黙っていてもアキラは見逃すつもりはないらしく、返答を待たれた。苦渋の末、「わかりません」と答えると、しかしアキラは怒る事も、残念がる事もしなかった。分かっていたからだろう。

「さらに学校までの移動費や雑費なんかもそっち持ちになるから、実際はそれ以上かかるだろうね。知り合ったよしみでサービスって訳には悪いけどいかない。僕らは食べていかなきゃいけないからね」

 反駁の余地を悉く潰しながらアキラの言葉は終わった。ぐうの音もでない。

「じゃあ、出演は無理ってこと?」
「相応のギャラを支払ってくれたら考えない事もないけど、ちょっと厳しいかな。高校生相手にライブして、いったいどれだけのファンがつくか分からないしね。自主制作のCDすらまだ出せていないんだから、僕らは」

 利益を伴うファンが必要だ。次のステップへ進むために。
 明確に言い放たれ、小早川は説得を早々に諦めた様子だ。彼のカンは鋭く、中々正しい。これだけの胆力を持つアキラを相手にするのは高校生程度では厳しい。言いかえれば、それだけアキラのマネジメント力が高いのだ。
 理解した様子の二人に、アキラは少し首をかしげた。

「でも、二人ともそんなに音楽が好きなんだったら、何だって自分たちでやろうって思わないの」

 さらりと言い放たれ、二人は目を点にさせた。

「小早川クンはもちろんだけど、藤野クンも音楽好きでしょ? 僕たちに対しての感想で分かったんだけど」

 あれだけ抽象的表現で感想を言えるのは、音楽が好きじゃないとダメなんだよ。と言われ、藤野は顔を赤らめた。
 しかしアキラの目線は藤野ではなく、小早川に向けられていた。あからさまに面倒臭そうな顔をしている、彼に。
 あ、ちょっと期待かも。
 のらりくらりと小早川は口が達者で逃れるのが得意だ。そんな彼にアキラの言葉がどこまで通用するのか。藤野にとってはこっそりワクワクとする対戦カードだった。

「小早川クンは楽器できるでしょ。しかもマルチに、ピアノとギター、ベースにドラム。今から練習すれば何とかなるんじゃない? 藤野クンは何か出来る?」
「アコギなら少し。ピアノもちょっとだけかじってました」
「ほら。まずメンバー一人」

 あれ? 勝手にメンバーその一にされちゃいましたよ、俺。
 高みの見物決め込むつもりがキッチリ巻き込まれている。やはりアキラは校長によく似ている。

「いやいや、メンドいってのもあるけど、無理っすよ。フツーに考えて。そりゃ探せば楽器やってるヤツなんているけどサ。学校の生徒盛り上げるぐらいのレベルじゃないし」
「今は、でしょ。それは。練習すれば良いと思うんだけど」
「それがメンドクサイっす」

 成程。口で叶わないのだから、開き直るのか。
 両手を頭の後ろで組みながら言う小早川をチラチラと見つつ厄介だなぁと思っていると、アキラは小早川を逃がさないように見据えながら次の手を放ってくる。

「なんでメンドクサイのかな。音楽やってみたいんでしょ、本音では」

 グイと踏み込んできた。小早川みたいなタイプはそれを嫌う。反発は免れないはずだ。案の定、不機嫌に眉を潜めて反駁してきた。

「練習とか、何かの目標を持って、とか? 俺、そーゆーの性に合わないんすよ。アツイの苦手だし、一人のが好きだし」
「それって一度は目標を持って突き進んだ事があるって意味だよね。そして挫折して失敗して、諦めたんだよね。だから嫌になって、もうそんな思いしたくないから、そうなったってか、そう振る舞ってるんだ。君は」

 ズバズバとアキラは切って捨てて、小早川の持つ無意味な矜持を真っ二つに折りにかかった。

「でも裏を返せば、君はもう一度目標を持って進んでみたいんだよね。でも、今の環境がそうさせてくれないんだ。何かを目標とすること、突き進むこと、誰かを本気で仲間と思うことを、置いてきたんだよね。何より自分を守るために、今を手に入れるために」

 鼻っ面に一撃食らったが如く、小早川は鼻白んだ。まるで抵抗を許されない。
 何、この一方的。圧倒的。小早川がまるで反論できないじゃん。
 底の知れなさは校長と同レベルである。藤野はアキラに対して戦慄を覚えた。この人も何ものだ。いったい。
 何も言い返せない内に、アキラは畳みこんでくる。静かな調子で、静かな眼差しで。

「過去に置いてきた思い残しがあるのなら、取り戻してみなよ。今、君の中で」

 どくん、と心臓が高鳴った。
 藤野に響いたのだから、小早川にも響いているはずだ。二人の共通点は、過去に親友と袂を分かっていること。それが今も楔になっていることだ。置いてきたもの。自分が、置いてきたもの。取り戻せるのだろうか。
 いや、違う。
 取り戻してみせなければならない。置いてきたもの。人と付き合うということ。
 藤野はそれを生徒会長になることで、柚や瀬川や小早川と触れ合う事で、少しずつ取り戻している。だが――。

「そんなの無いっすよ。穿ちすぎって言うの? 別に、俺は今の自分で満足だし。音楽なんてヤるだけが全部じゃないじゃん。ライブにオーディエンスで参加したりするのも音楽じゃん」

 用意されている逃げ道は詰まれている。アキラはすかさず叩いた。

「今の自分で良いとか、立ち上がるのを諦めるなよ。今の自分で良いなんて自惚れるなよ。まだお前は高校生だろ? 青臭いガキじゃん。まだまだ何でもできる、なんでも取り戻せる年齢でしょ。デカい夢を持てとか、そんなクサい事は言わないけど」

 言葉がまるで物理的な何かを持っているかのように突き刺さる。小早川はとうとう捕まえられた。
 すげぇ。マジですげぇ。そしてアツい。すげぇアツい。
 新宮のようなイタイ発言ではない。まさに実体験を伴ってきたような重みがある。

「まだ何もかもを諦められる程、モラトリアムしてないでしょ。老成してないでしょ。そんな簡単に捨てんな」
「じゃあさ、じゃあさ。音楽やって、やったからって、それを取り戻せるんすか」
「それ、音楽を侮辱してる発言だからね」

 追いつめられるだけ追いつめられ、とうとう爆発した小早川の上をアキラは行く。言葉の強さも、重みも。放つ威圧感も。

「取り戻せるか取り戻せないかは自分次第だ。音楽にそんなもんを頼るな。音楽はそんなもののためにあるんじゃない」

 音楽とは何か。何のためにあるのか。確固たるものを持つアキラに、小早川が敵う道理はなかった。

「自分がやりたいことを、取り戻したいことをしろよ。それと音楽をやりたい気持ちが重なるんならやれよ。今の君なら、重なってるんだろう。重なるんだろう。だったら、やれよ」

 なんで。なんで。どうして。
 過去を話した事がないはずなのに、ここまでピンポイントで刺してくるんだろう、このアキラって人は。
 揺らいでいる。初めて突き刺されて、徹底的に追い詰められて、小早川は揺らいでいる。あの淡々とした調子も、のらりくらりと何もかもを回避して押しつける彼もいなかった。
 置いてきたもの。それは、柚と瀬川との絆。やりたいもの。それは音楽を通して、誰かと繋がること。何かに突き進むこと。置いてきたものを取り戻す。絆を取り戻す。音楽を通して。
 無造作に顔を下に向け、ふふっ、と小早川は笑った。

「負けた。ここまで言われて、やらなきゃ何かダメっぽいし、俺」

 照れ隠しが明らかなので、アキラは突っ込みを入れなかった。

「会長」
「分かってる。メインイベントは僕らのバンド演奏によるライブで決定。だね」

 メンバーは言わずもがな。柚と瀬川、藤野に小早川だ。四人いれば形になる。柚と瀬川がどんな楽器が出来るか不明だが、小早川がマルチに楽器をこなせるのだから、指導も出来るだろう。

「よしよし。上出来だね。お互いコンセンサスも取れてるみたいだし。じゃあお兄さんからご褒美だ」

 ライブ出演を引き受けてあげられない代わりに、とアキラは笑顔を振りまく。

「特別に君たちのバンドの監督をやってあげる。基礎練習やって、形になったら連絡しておいで」
「マジですか!?」

 飛びついたのは小早川である。藤野も同じ感想だ。
 あれだけ実力のある、ほとんどプロと遜色のないミュージシャンに監督をしてもらえば、それはそれはハイレベルな仕上がりになる。
 やるからには本気で。アキラは言外に言い放つ。

「うん。容赦はしないけどね」
「むしろ歓迎っすよ。俺らじゃ分かんない部分絶対出てくるし、第三者から見てもらった方が指摘されても身に着きやすいし」
「うん。助かります。至らないと思いますけど、よろしくお願いします」

 対照的な二人を前に、アキラは鷹揚にいいよ、と引き受けてくれた。この助っ人は強力だ。水と油を混ぜる界面活性剤の役目を果たしてくれるだろう。
 藤野と小早川はお礼とばかりにアキラの手伝いをしてから、ライブハウスを後にした。
 外はすっかり暗く、少し肌寒い。今回は事前に親へ連絡入れてあるので、帰っても怒られる心配はない。学習とはすばらしい。

「なぁ、会長」

 夜風に当たっていると、小早川がいつになく神妙な声をかけてきた。

「俺さ、柚と瀬川と仲悪いじゃん。ズタズタなんだ。もっかい修復できると思う?」

 言いかえれば仲直りしたいということか。
 内心でゆっくりと言葉を選んでから、藤野は口を開いた。

「絶対なんてこの世にはないんだから、断言できないけど、出来るんじゃないかな。お互いに関係を修復したいと思ってるんなら、一からやり直すって感じでさ」

 やり直したくてもやり直せない藤野だからこそ思い浮かべられる言葉だった。

「もちろん、もう前のようにはいかないと思うけどね。皆が皆、それぞれ変わっちゃってるんだもん」

 やり直そうとして失敗する典型である。前と同じと思って行動してしまう。具の極みだと気付く時は何年も経ってからだ。
 理解した小早川は何かを考え直している様子になった。藤野の言葉を噛みしめるようにぶついている。

「そっか。何かすっげぇ参考になった。さんきゅ」
「うん、それなら良かった」
「でさ、また会議持つの?」

 唐突に聞かれ、藤野は何も考えていない事に気がついた。
 生徒会長の仕事は学園祭だけではない。日々こなさなければならない業務もある。特に全校集会で予算発表と生徒会長就任の発表があり、その後は立て続けに委員会が動き出すため、報告の取りまとめなど、一際に忙しくなる。
 最低でも一週間以上は後になるだろうが、具体的な日程は組めない。何日が委員会なのかはうろ覚えなのが致命的だ。

「持つ事は持つけど、たぶん結構先になると思うよ。学園祭以外にも、こなさなきゃいけない業務とかあるしさ」
「そっか。なら仕方ないか。決まったら教えてよ」
「うん、分かった」

 と、ここまで会話した所で、小早川は早々に道が違うからと別れていった。嫌にあっさりしている辺りは地らしい。

「でも、バンドを組むのかぁ」

 アキラに言われるまで思いもしなかったが、実に利にかなっている。明らかに生徒主体の上、生徒会長と各科の代表委員が組むバンドとなれば注目も高く集まるだろう。加えて軽音部や吹奏楽部にも協力を要請すれば、規模も大きくなる。
 パッと出のアイディアと思ってたけど、中々深く考えこんであるなぁ。
 その辺りは校長とは違う部分だ。と勝手に論表する。藤野の中でアキラはもはや善人の校長という位置づけである。
 自転車に跨り商店街を駆け抜ける中、想像が想像を呼ぶ。自分たちがバンドを組んでいる想像を。

「あれ、なんだろう」

 思わず頭を抱えそうになったのは仕方がない。

「ケンカしてるイメージしか思い浮かばないんだけど」

 そして仲裁役は確実に藤野だ。どう考えても、自分が仲裁しているイメージしか沸きあがらない。
 一つの悩みが解決したと思ったら、もう新しい悩みかよ。もう。

「何か、悩みが浮かばないで済む日って来ないのかなぁ」

 叶うべくもない願望をぼそりと口にしつつも、藤野は気付いていなかった。


 面倒臭いと思わなくなりつつある事に。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】17話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/11/16 19:59

 それから藤野は激動の時間を過ごす事となった。全校集会の基礎的な骨組みは教諭が設定してくれているが、その中での発表内容の取りまとめから始まり、膨大な情報を纏めての資料作成。資料配布で職員会議での認証を得た上で一件落着ではなく、自分の生徒会長としての抱負の文章の作成まで。
 ここでも前任の生徒会長が残してくれたファイルが非常に重宝した。つくづく自分との差を痛感しつつも、表に出せる余裕はなかった。

「――――以上で、全校集会を終了します」

 ようやく言えたこの言葉に、藤野は心の底から安堵した。
 やっと終わったよ。スゲー緊張した。ヤバいくらいした。気絶しそうなくらいした。
 壇上に立つや否や、圧倒的人数が自分の前にいた。それの広い事と言ったら。ガチガチの緊張の中、まず顧問が前置きを入れてから藤野の生徒会長就任のあいさつから始まり、去年の予算の報告、今年の予算の報告と入り、集会の司会も務めた。
 これだけの大人数を相手に何かを話すのは生まれて初めてであり、見るからに緊張していたが、幸いトチる事はほとんどなかった。
 早く終われ、早く終われ、と願いつつ地獄のような長時間を過ごし、今解放された。
 パチパチと拍手が始まり、喝采に発展する。その中で藤野は一礼をして壇上からハケた。

「よくやりましたね」

 校長挨拶を終えて壇上の影にいた校長が、ほっと肩から緊張の抜けた藤野に声をかけた。再び戻る緊張。ああもう。

「中々の演説だったよ。かなり緊張してたみたいだけど」
「それは、もう。はい」

 自分でも演説できた事が奇跡だと思っているのだから。
 しかし一体何の用だろう、と藤野は少し探る素振りを見せた。単純に労うだけで声をかける人物ではない。誓って良いくらいだ。
 校長は知ってか知らずか。早速話題を切り出した。

「じゃあ、これから校長室で作戦会議と行こうか。SHRなら大丈夫。校長権限で特別欠席にしたから」

 矢継ぎ早にまくしたてられ、藤野はもはや一言の抵抗も許されなかった。
 いや、まぁ、いいんですけどね。SHRなんてマジかったるいだけだし。でもそれを校長権限発動って教育者として如何なものですか。
 胸に湧き上がる突っ込みを寸前で抑え込み、藤野は小さく頷くに終わった。
 校長権限での特別欠席は単位の上では出席扱いになるので、藤野にとってダメージは何一つとしてない。言いかえれば、そんな特別権限を行使しなければならない程、重要な何かが待ち受けている訳だ。
 藤野は校長の背中を追う形で教職員しか出入りできないドアから退出し、真っ直ぐ校長室へ向かった。

「さて」

 いつもの位置に座して、校長は机に両肘を突いてから手を顔の前で組んだ。威圧感は健在である。

「まずは途中経過を聞こうかな。学園祭のメインイベントだけど、何か決まったかい?」
「あ、はい。ライブを開く事にしました。音楽ライブです。僕と代表委員で結成する予定です。後は、部活や、趣味でやってる人たちを募集しようかなと」
「ほう」

 興味深く相槌を打つと、数秒間だけ考え込む様子を見せる。

「生徒に主体性もあるし、生徒を楽しませる要素もあるし、機材は元々学校に配備されているものや、個人的に持っているものを使うから新規で何かを買う必要はほとんどない。なるほど、よく考えたね」

 どうやら合格点らしい。ほっと胸を撫で下ろしていると、強烈な一撃が見舞われる。

「まぁ、盛り上がるかどうかは出演する人たちのレベルによるから、最低限君たちはハイレベルでなければならないけどね」

 全くもってその通りだ。一見良い事づくめのプランだが、出演者たちの腕に大きく左右される弱点がある。おそらく藤野たちがメインをやるのだろうと踏んでの発言だろうが、実に的確だ。
 ホント、こういうトコだけは教育者っぽいというか。

「まぁ君たちに頑張ってもらうしかないけどね。さて、本題に入ろうか」

 さらりと流してから、校長は前のめりに姿勢を変えた。

「来月、GW明けにクリーンタウンキャンペーンがあるのは知っているね。去年も経験したと思うのだけれど。いつもならボランティア精神の向上、根付けの意味合いと、清掃を通して学校近辺の住民の方々と交流を行うものだけれど、今年は違う」
「違うって、何がですか」
「商工会の人たちへの心証アップのチャンスなんだ」

 それだけで藤野は察した。校長が一体何を狙っているのかを。
 ってか、そんな黒い話、生徒の前でしていいのか?
 例え生徒会長であっても、一生徒には変わりないのだが、その辺りを突っ込んだらとんでもなく危険な香りがするので無視する。

「今回のキャンペーンで商工会の心証をアップすれば、協力を漕ぎつける確率が上がる。交渉の武器になるんだよ」
「つまり、町を徹底的に綺麗にしろ、と」
「もちろんそれもあるんだけど、もうひとつ。苦情の殲滅だ」

 クリーンタウンキャンペーンは毎年それなりに効果を上げるが、一部素行の悪い生徒の影響で苦情も発生する。対応に苦慮させられるのもあるが、そのせいで心証が思ったより上昇しないそうだ。
 言いかえれば、その苦情さえ殲滅させられれば心証アップの効果は大きく期待できる。

「少しでも交渉を楽にしつつ、大きな協力を吐き出させるためだから、今回、コケてしまうのはいただけない。任務は苦情の殲滅。失敗したら学園祭にも大きく響くと思っていいよ」
「って言われても、キャンペーンは全校生徒参加でしょう? それで苦情殲滅なんて不可能ですよ」

 一部素行の悪い生徒、というのは主に工学科一類の連中だ。中には一般科にもいる。そんな彼ら全員をどう制御するというのか。

「そこを何とかするのが君の役目だよ」

 さらりと言い放たれ、藤野はがくりと頭を垂れた。
 そうでした。そうでした。一瞬だけだけど忘れてました。校長ってこういうのを投げてくるんだ。それも全力で。
 こちらとしては、キャッチせざるを得ないのだから余計にタチが悪い。何を言っても押しつけられるだろう程度には読めるようになっているので、藤野は無駄な抵抗を悟って諦める事にした。

「やれるだけはやってみます」
「その言葉を言えるようになったのは大きな成長だね。校長先生嬉しくてダンスしそうだよ」

 などとのたまわって本気で椅子から立ち上がるのだから、藤野は慌てて「いや、いいです」と突っぱねる羽目になった。

「冗談はさておいて」

 冗談だったのか? ホントに冗談だったのか? だったら何でそんなに残念そうに下を向いてんのさ。
 本気で疑りながら、藤野は聞く体勢を取った。

「ある程度の要求なら考えてあげるよ。予算はもちろん限られているから、その辺りは何ともできないけど」

 度量の広さを見せつけているようで条件に縛りをかけている。相変わらずの巧者ぶりにぐうの音もでない。

「忌憚のない意見を期待するよ。じゃあもう帰っていいよ。生徒会の仕事もあるだろうし」
「わかりました」

 大きく背負わされた重圧と悩みに溜息を内心で漏らし、藤野は退室した。教室にカバンを取りに帰って早速向かったのは生徒会室だ。
 頼りはもはや一つしかない。前任の生徒会長が残してくれた資料の数々だ。
 もう慣れてしまった職員室で顧問に鍵を借りる作業を終え、生徒会室にひきこもる。立ち上げたPCに入っているファイルを選択しようとして、マウスが迷った。ないのだ。クリーンタウンキャンペーンに関するファイルが。

「あ、そっか」

 しばらく頭の上に浮かんでいたクエスチョンマークが解消された。
 理由は至極簡単だ。前任の生徒会長も経験していないからだ。思い返せば今回の全校集会もファイルが未完成な部分も多かった。

「うわぁ、マジか」

 頼りになるはずのものが無いと分かり、藤野は思わず頭を抱えた。一体どうすれば良いと言うのか。それでも何か使えそうなものはないかと色々とファイルを漁っていると、メールの知らせが届いた。顧問からだ。
 今年度のクリーンタウンキャンペーンについて。と銘打たれた内容は、今年の清掃範囲と、一クラスに割り当てられる区画の地図だった。校外学習であると同時に対外との交渉もあるためか、教師がタッチする部分が多いようだ。
 教師のバックアップを強く受けられるのは幸いと言えば幸いだが、一番の肝であるどこの科にどこの区画を担当させるかの基礎は生徒会長の仕事らしい。
 マジどうしよ。これ。
 校長の至上命令である苦情殲滅のためには、この区画の振り分けが最重要である事は分かっている。
 一連の流れとしては、各科に担当させる区画を決めた後、各科の代表委員に通達、各科の代表委員がクラスの委員を集めて、どこの区画を担当するのかを話しあって決める事になっている。つまり、恣意的な何かが入る余地が大きいのである。
 かと言って、一から十まで全てを決めてしまうことは不可能なのだから困ったものだ。
 延々と悩んだ結果、思考は次々とシフトしていき、ある程度絞られた。
 苦情を殲滅――は不可能である。となれば、校長が言わんとしている事の解釈が大切だ。校長は商工会との交渉を巧く進めるためが目的とも言っていた。つまり、苦情をゼロにしなければならない苦情は商工会の息のかかっているエリアである。そこに苦情の受けやすい科を割り当てなければ良い。
 そしてもう一つは、生徒自身のやる気である。
 何かしらの方法でやる気を出させてやれば、苦情のリスクは大きく減る。

「一番手っ取り早いのは、単位に響かせる事なんだけどなぁ」

 ぼやきは誰もいないからだ。会計や書記も一応顔は出してきたが、基本的な仕事しかしない彼らは既に帰っている。元から頼るつもりはないので構わないのだが。
 単位に響かせる事が不可能なぐらいは簡単に行きつく。校外学習自体評価の対象になるため、それ以上の単位への影響を与える事は出来ないのだ。
 藤野はとうとう机に突っ伏した。考えすぎて頭が鈍痛を訴え出した頃になって、ようやく家に帰ろうと席を立った。外は暗い。

「あーもう。嘘でもいいから誰か大丈夫って言ってくんないかなぁ」

 気休めにもならないと知りつつも漏らした言葉に、藤野は引っ掛かりを覚えた。
 あれ? これって使えるんじゃね?
 閃きは跳躍して閃きを呼び、どんどんと考えを呼び起こしていく。

「ちょっと校長に要相談って感じだな」

 浮かんだアイディアは独断で決行してはならないリスクがある。それを説明してからでないと、手痛いしっぺ返しを受けるだろう。主に校長から。それだけは絶対に何があっても根性で避けなければならない。
 ちょっぴり想像してしまった藤野は身震いを覚えつつも、職員室に鍵を返し、顧問を通してから校長に言伝を頼んだ。
 生徒会長になったと周りに公表してから、ガラリと雰囲気が変わったように感じた。
 クラスメイトに囃したてられるのは覚悟していたが、そうでなくとも痛いぐらいに視線を感じるようになった。注目されていると思うだけでガチガチになりそうになる。
 一瞬たりとも気が抜けないな、何か。
 基本的に校則を守る事に違和感がないので模範的な生徒であること、と言うのは標準程度にクリアしているので外見的に問題はないと知りつつもやはり動作一つについて気にかけるようになった。

「この感覚に慣れるのはイツになるんだろ」

 どっと疲れが押し寄せる中で、藤野はゆっくりと下校した。

 翌日、藤野は早速校長から呼び出しを食らった。放送を使わずにケータイに直で呼び出しメールが来たが、特に驚く事はない。
 うーん。慣れってオソロシイ。
 明らかにおかしいのだが、指摘するだけの気力がわかない。どうせのらりくらりと逃げられた果てに脅迫が待っているのだから。背中にじんわりとかく汗の無駄というものだ。
 指定された昼休みに出頭すると、校長が待っていたと言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。

「よく来ました。それで、どんなアイディアが浮かんだのか教えてくれるかな」

 前置きは一切いらないらしい。藤野は一度だけ大きく唾を飲み込むと、結論から話し出した。

「まず、苦情の殲滅は不可能です。だから今回の最重要ターゲットである商工会の息のかかった周辺には、進学科、体育科、一般科の素行優良なクラスに振り分けられるように持っていきます」
「最初から工学科は外すの。妥当だね。彼らが一番苦情受けるしね」
「それと、モチベーションの上昇を狙います」
「ほう」

 校長が食いついてくる。

「生徒側からして、一番効果があるのは即影響のあるモノ、成績への反映です」
「また難しい事を注文してくるね。校外学習という意味で、生活態度等の内申点に影響はあるけれど。どう反映させたいの?」
「例えば」

 渋い顔に人差し指を一本立てて、藤野は雄弁に語る。一晩かけて練ったアイディアだ、相応の自信があった。

「5点救済システムとかどうですか」
「詳しく教えてくれるかな」
「中間テストにしろ、期末テストにしろ、後何点かあれば……って言う事が結構あるんですよ。平均点に届くのに、とか、赤点から逃げられるのに、とか。その時に使えるような点数付与をしてあげれば、かなりモチベーション上がると思うんです」
「ふむ。成程。表に見える形での成績への反映か。悪くない」

 実際、この学校では課題等の提出物を複数回忘れた場合、テストの点数から一点マイナスするなどのシステムがある。これを利用しているのだから不可能ではない。そして、身近に感じられるものであるからこそ、生徒側からすれば嬉しいご褒美でもある。

「逆に、苦情等を受けた場合はペナルティを与えるようにすれば、より確実に苦情を受けるリスクを減らせます」
「さらにクラス、は大きいか。一つのグループごとの連帯責任にすればさらにリスクが減るね」

 敢えて触れなかった事をさらりと言い放たれて藤野は思わず内心で唸った。生徒にとって連帯責任ほど鬱陶しいものはないからだ。
 校長は気付いてか気付かずか、話を続ける。

「その方向性で行くのであれば採点方式が良いだろうね。担任とボランティア参加の地元住民の方々、ダブルチェックで」

 アイディアを校長は面白いぐらいに発展させていく。おそらく、生徒側である藤野が知らない領域の事も考慮しているのだろう。まるで教え込むように語っている辺りからも見え隠れしている。

「良いでしょう。採用します。明日、明後日にでも区画振り分けをお願いできるかな。それまでの間に職員会議の手配かけるから」

 あ、それって明後日までに仕上げてこないと仕留めるって意味デスカ?
 こっそりとかけられた重圧に脂汗を忍ばせながら、藤野は黙ってこくこくと頷いた。
 三人寄れば文殊の知恵。すぐさまに集合をかけるべく、退室してまずケータイのメール画面を起動させた。

「校長室から出てくるとは、何かやらかしたのか、表の支配者」

 一斉送信が終わったタイミングで、後ろから声をかけられた。驚いた、と言うよりも嫌悪で寒気がした。ビクっと肩を震わせなかった自分をほめてやりたい。
 無視だ。無視しよう。そうだ。無視するんだ。
 藤野としてはこれ以上とないくらい自然に聞こえなかった振りをして立ち去ろうと足を進めたが、今度は肩を掴まれて阻止された。

「相変わらず無視が好きな支配者だな。下剋上食らうぞ、それでは」
「いや下剋上も何も」

 しまった! つい突っ込んでしまった!
 思わず振り返った瞬間、藤野は心の底から悔やむと同時に、それはそれは自分のツッコミ体質を恨んだ。突っ込まれた相手、今、最も見たくない人物である新宮は粘着質な笑みを浮かべていた。
 何だそのしてやったりな笑顔は。凄くムカつくんだけど。

「はっはっは。データ通りの動きをしてくれるな、キミは。いや、ここは諜報部の面々の能力の高さを評価すべきか」
「とりあえず何デスカとってもイタイ人さん」

 肩から手を離し、ナルシスト全開で無意味に長い前髪をふわりとかきあげながら何やら謎の自慢を披露する新宮に冷たく言い放つと、一瞬にして彼は顔を紅潮させて激昂した。

「失礼だな君はっ! 僕には新宮という苗字と晴久という素晴らしい名前があるんだ! 気をつけたまえ!」
「あっはっは。それは失礼。こっちも名前名乗られたの今が初めてだからさ、どう呼べばいいか分からなかったんだ。わざわざ教えてくれてありがとう、イタイ人さん」
「呼び方が変わって無いじゃないか! 許し難し!」
「イヤだなぁ。愛着があんまりこもってないけど単なるアダ名ってヤツじゃないっすか」
「そんな不名誉な二つ名はいらん! 却下だ! 大体私には『工学科二類の皇帝』という立派な、ってまた立ち去ろうとするな!」

 ちっ。逃走失敗か。
 思ったよりも強く肩を掴まれ、仕方なく藤野は逃走を諦めた。

「立ち去って欲しくないなら、せめて表の支配者とか言うの、止めようよ。鳥肌立つんですけど」
「何を恥ずかしがっている。事実だろ」

 いや、違うし。

「俺は生徒会長なんですけど。支配者って立場じゃないんですけど」
「何を言う。立派な表の支配者だろう」

 言っても無駄だろうなぁと思いつつ言ってみると、予想通りの答えが帰ってくる。
 何の遠慮もなしに溜息をもらし、藤野は不快感を露わにして振り返る。ほとんど振り払う動作で肩から手を離させる。

「それで、一体何の用なのさ」
「ふん、簡単な事だ。公式に表の支配者となった君に、最後のチャンスを与えてあげようと思ってね」
「は?」
「もう一度、僕と手を組むつもりはないか、と聞いてやっているのさ。どうかな。学校を好きなように動かす快感と、ひしひしと受けられる畏敬と尊敬のまなざしを一身にってまた逃げたっ! しかも今度は全力疾走で!」

 慌てて追いかけてくるが、スタートダッシュで付けた差は大きく、差が埋まらない中、階段の踊り場で決着がついた。滑りながらも転倒を阻止して階段を駆け下りられた藤野に対し、新宮は見事に滑り転んだのである。
 よし! 逃走完了!
 無様な恰好の新宮を見る事すらせずに、藤野は走る。

「許し難し! 覚えておけ! この聡明な僕の最後の良心を踏みにじって! 後悔させてやるっ!」

 などと負け犬の遠吠えを耳にしながら。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】18話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/11/24 22:16

 小早川、柚、瀬川の三人に連絡がついたのはその日の夕方で、翌日の放課後に会議が開かれる事となった。本当は昼休みにでも、と思ったのだが、小早川からの申し出があったために断念した。学園祭の事でも話し合いがしたいらしい。
 昼休み返上で可能な限り書類を仕上げたせいで、疲労の中で藤野は放課後を迎えた。

「――――と言う訳なんだ」

 校長にした説明と、校長から伝えられたアイディアを纏めて伝えた藤野は、まず三人の表情を伺った。

「なるほどなぁ。こういう所にもオトナの事情って響いてくるのね」

 率直な感想を口にしたのはやはり柚だった。だが、前回までと違って、否定的ではない。ただ漠然と浮かんだ感情を口にした、そんな感じだ。他の二人も同じような様子である。
 敢えてオブラートに包まずに伝えたのが功を奏したようだ。手ごたえを感じつつ、藤野は続ける。

「これからも何回も言うけど、学園祭を失敗させる訳にはいかない。だから、僕はこれが最善と考える」
「確かに最善じゃね? 要は、商工会と上手くやっていくためって事っしょ? 俺らにボランティア精神とかそーいうの教え込むのと同時にさ。俺ら工学科の態度が悪いっつーのはもう誰にも否定できねーし」

 助け舟は小早川から来た。最も反発を覚えやすいだろう彼が納得した言葉を吐いたのであれば、後はたやすい。

「うん。今回は悪いんだけど、外させてもらった。その代わりと言ったら何だけど、学校から割と近い地点を担当してもらおうと思ってる」
「いーって、別に。それにその五点救済システムっての? お前らにゃ効果あるだろーけど、俺らには効果半減だしさ」
「半減?」
「俺ら工学科は実技試験もあるからさ、筆記が悪い奴らはさ、実技で巻き返すってのが通例になってんの。だから多少点数が悪くても気にしないし、点数が悪くなったとしても巻き返せるって思いこんでるからさ、態度とか何も変わんねーと思うぞ」

 鋭い指摘に藤野はまた無知を知らされた。校長が同意したのはこの辺りをも鑑みての事のはずだ。

「工学科の代表委員がそう言うのであれば、他科の我々が口を出す権利はないな」
「あたしもいいよ。学園祭は成功させなきゃならないんだしさ」
「協力感謝。重ねてで悪いんだけど、その区画分けも手伝って欲しいんだけど、いい?」

 言いつつ、ある程度は作成された紙を三人に見える形で広げた。

「うっわ、ゴメン。それあたし無理だわ」

 早々にギブアップした柚に対し、瀬川と小早川が真剣に検討を始めていた。

「ある程度は完成されているが、甘いな。各科に振り分けられる面積はこの程度なのだろう。だったら、こうしたらどうだ」
「待て待て。そんならここを移動させて、こう区分けしろよ。じゃないと境界線分からなくなんぞ」
「むう。確かにそうだ。ではここも変えた方が良いか」
「おっけ。いいんじゃね? ちょっと広いけど、そんなに負担でかくないっしょ」

 あれ? こんなに仲良かったっけ、この二人。
 などと思いつつ様子を窺っていると、ふと思い出した。そうだ。こいつら、仲悪いけど共通の何かを見つけたら一気に団結するんだった。
 藤野に面倒事を押しつけてくれた時も、あれだけ反発しあっていたのに磁石のようにくっついていた。今回も同じで、振り分けるという共通の目的が出来たからだ。
 次々とパズルのピースが埋められていく中、唯一柚だけは眠り姫状態だった。
 二人の熱の入ったやり取りすら子守唄に清々しいぐらいの寝顔を披露している柚を見ながら、藤野は微笑んだ。ちくしょう。やっぱ全部カワイイ。でも。

「あで」

 軽めに入ったチョップは眠り姫を起こすのにはちょうど良かったらしい。

「何すんのよフジチョー。せっかく気持ち良く寝てたのに」
「そのどこぞの猫型ロボットに頼りまくるメガネ少年に匹敵する寝付きの良さは褒めたたえるけど、今は会議中だからさ」
「うわ真面目」

 え、何ですかソレ。俺が真面目じゃないと思ってたんすか。
 柚が心底嫌そうな顔をしながらぶついた言葉に刺されつつも、藤野は気にしないふりをして注意を続ける。

「真面目で上等。俺は生徒会長だからね」
「何偉そうぶってんのよーもう」

 ぷぅと頬を膨らませてすねる柚に、藤野は眩暈を覚えた。やべぇ。

「え、偉そうぶってないし。ってか、参加できないのは仕方ないとして、せめて起きてようよ」
「はーい」

 まだ少し不満そうではあるが、柚は従う姿勢を見せた。ちょっと斜め姿勢なのもツボだ。

「出来たぞ」

 その後もちょっとした会話を柚としていると、唐突に発言したのは瀬川だった。小早川も納得の言った様子で頷いている。何度も検討し直したのだろう、長机の上に消しカスがたまっている。
 手渡された紙を見て、藤野はひどく驚いた。思わず唸りたくなる出来栄えだからだ。何一つ不自然さはなく、何一つ不満の出ないものだ。これなら、商工会から苦情が来る確率は限りなく低くなるだろう。
 さすが、この二人にかかれば完成度高いなー。

「ありがと。これ完璧じゃん」
「うむ。今回の会議の用件はこれで終わりか。では」
「ううん。もう一つあるんだ」

 さらりと言葉を滑り込ませた藤野はファインプレーだった。さりげなく小早川とアイコンタクトを取りつつ、次の言葉を開く。

「学園祭のメインイベントの事なんだけど」

 切りだされて、まず訝しく眉を潜めたのは瀬川だった。

「なんだ。フリーマーケットじゃないのか、メインイベントは」
「生徒主体のイベントが必要なんだって言われたらしくて、開催はするけど、メインイベントじゃないのよ」

 フォローを入れたのは柚だった。絶妙のタイミングである。流れを感じた藤野はそのまま後を引き受ける形で声を出す。

「うん。でもお金をあまり消費する訳にはいかない。そこで考え付いたのが、音楽ライブだ」
「ライブか。考えたな。設備なら既に揃っているし、新しく用意する費用か各段に安く済む。それに軽音部もいるから、メンツにも事欠かないだろう」
「良いことずくめっぽいけど、唯一弱点ってか、肝みたいなのがあって」

 少し言い出しにくそうにしたのは演技だ。ちょっとクサイかと思いつつ小早川に視線をやると、余計な事を、と言わんばかりの、しかし怒りではない視線を返してきた。
 ここでバトンタッチだ。口車に関してなら小早川の方が優れている。何より、彼の仕事だ。

「要するに、集客性があって話題性に富んでて、そして舞台を盛り上げられるだけの実力を持ったバンドが必要って事だ」

 いつもよりかは控えめな――それでも十分――ふてぶてしい態度で、小早川が端的に説明した。集まる視線にも一切動じず彼は続ける。

「ウチの軽音部がやるっつって、どれだけの集客性と話題性があるよ? 特に何か受賞してきた訳でもねーし、有名アーティストを輩出した訳でもねーぞ。格別超上手いってレベルでもねーしさ」
「ふむ。現状では必要条件を満たせている訳ではないのか」
「だからだ」

 何やら小難しく考え出した瀬川を牽制するタイミングで小早川は口をはさむ。その呼吸の絶妙さは熟練の経験を思わせる。
 きっと、昔のままの仕草、行動だったからなんだろうな。
 改めて幼馴染であることを感じながら藤野は見守る。小早川が次に放つ言葉を。

「俺たちでバンドを組むってのはどーよ」

 沈黙は数秒間流れた。

「は、はぁぁ―――――――――っ!?」

 まず雄叫びをあげたのは柚だった。眠気も完全に吹っ飛んだようで、目をばっちりと開けている。

「ちょっとアンタ何言ってんのマジなのそれねぇちょっと!?」
「うるっせーな。お前は人間スピーカーか」
「いやいやいやなるから。スピーカーだろうと拡声器だろうとマイクだろうとなるから。アンタ今バンド組むって言った? しかも俺たちって? 誰のことよそれ」

 ほとんど詰問状態だが、小早川は耳をほじくりながら、藤野、瀬川、柚と順番に指差した。それも平然とした顔で。
 指を目で追っていた柚は、また数秒ほど沈黙してから、さらに反発する。顔はもはや鬼のように赤い。

「そんなの出来る訳ないでしょ――――っ!?」
「どう思うよ、生徒会長」

 あえて無視して小早川は視線を藤野にうつした。
 カイチョーではなく生徒会長と表現した裏の意味を悟った藤野は、用意していた言葉を舌に乗せる。

「生徒会長と各科の委員がバンドを組むとなったら、話題性と集客性はあると思う。みんなは各科で慕われてるみたいだし、僕だっていきなり生徒会長になってるんだから、物珍しさってのも上乗せされるだろうし」
「なるほど、特に我々は仲が険悪だと知られているからな。そういう意味でも効果的ではあるか」

 実際、この三人の仲の悪さは結構広まっている。生徒会長になるまで知らなかった藤野の方が稀有な例である。
 納得する方向で思案し始めた瀬川と対照的に、柚はまだ反発し足りないようだった。「でも、でも」と前置きをつけてから探し当てた言葉をぶつける。

「じゃあ実力はどうすんのよ。盛り上げられるだけの力あるのか、あたしらに」

 発言した本人にもダメージを与える自爆発言だが、小早川は予想していたらしい。素早く切り返しを叩きこむ。

「何言ってんだ。ライブ本番まで何カ月あると思ってんだ。盛り上げられる最低限のラインまで引っ張り上げてやんよ」
「誰が」
「俺に決まってんだろ」
「そうか。お前はバンドに必要な楽器を一通り扱えるんだったか」

 瀬川の発言が決定的だった。柚は反発の言葉を失い、声にならない声が宙を舞う。追撃をかけたのは藤野だった。

「それに、今回の学園祭の予算がないのは、柚たちも大いに関わってる事だしさ。だから先導する意味と罪滅ぼしの意味をこめて、ここは頑張ってみない?」

 倫理的に攻撃すれば瀬川は納得するが、柚は納得しない。分かっていたからこその言葉だ。こういう情に訴えかける発言に柚は弱い。
 柚は目論見通り数歩後ずさった。まだ何か言いたげに口をぱくぱくさせるが、やがて断念してうなだれた。
 自分に嘘つけない性格だよね。そこもカワイイんだけど。

「……分かったわよ。やるわよ」
「おっけ。柚決定な。瀬川、お前は」
「理論として考えて否定するものが見当たらない」
「じゃあ決定って事で。カイチョーは?」

 すでに参加決定は伝えてあるが、建前上の意思確認だ。藤野は僅かながら苦笑して頷いた。

「ここで生徒会長一人だけ参加しないってのは何か変な話だしさ。いいよ、乗った」
「じゃあ決定な。んで担当だけど、もう決めてあるから」

 この手際の良さは少し生徒会に欲しくなる。と藤野は真面目に思った。書記にしろ会計にしろ、自分の担当の業務しかこなさず、しかもその速度は決して速いとは言えない。

「リードギターは俺がやる。一番得意だし、色々指示できるし。瀬川、お前はベースやれ。お前は冷静で乱れる事があんま無いから、音の基盤のベースにぴったりだ」
「良いだろう」

 頷く瀬川を見て、今度は柚に視線をやる。見据えられて「うっ」と言葉を詰まらせ身構える柚にも容赦はしない。

「柚、お前はドラムやれ。お前のリズム感は完璧だから。パワーもスタミナもこのメンツん中じゃ一番あるしな」
「わ、分かったわ」

 一度引き受けた以上は引き下がれない性格が出ているのだろう、柚はかなり怯えつつも了承した。

「サイドギターはカイチョーな。後、ボーカル任せた」

 おっけぇ。と言いかけて藤野は硬直した。完全に。

「はい?」

 思わず聞き返すが、小早川は一切表情を変えることなく再度言い放った。

「だから、サイドギターとボーカル」

 あ、ヤバい。冗談じゃなさそう。この感じ。って俺がボーカル!?

「マジ?」

 顔が引きつっているのが自分でも分かる。震える指で自分を指差すと、小早川は大きく頭を縦に振った。

 あ。ああああああ。何か、とんでもない事になったんですけど。

 心の底から不安に駆られた藤野は、辛うじて頭を抱えるのだけは制御した。





[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】19話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/11/27 22:33

「だってお前、音楽の成績良いだろ?」

 硬直状態から解けない藤野を追いつめるように、さらさらと小早川は言う。確かにその通りだ。と言うか。

「どこでそんな情報を」
「何言ってんの。俺の担任は音楽教師だぜ」
「あー、そう言えばそうだった」

 ぴしゃりと額を叩いて藤野は納得した。
 他人の生徒に他の生徒の成績を教えるなど個人情報漏えい甚だしいが、小早川の舌先三寸の威力とあの音楽教師の軽さを考えれば仕方ないのかもしれない。おそらく、瀬川や柚の成績も耳に入れているはずだ。彼ら二人が選択教科である音楽を取っていればの話だが。
 うーむ。侮れない。
 意外な情報源と情報収集力に驚きながら、藤野はどう抵抗しようか悩む。

「ってかさ、音楽の成績良くても、歌がうまいって事になんないじゃん?」

 思いついた抵抗は、しかし無意味だった。

「何言ってんの。お前、声楽が一番成績良いだろ」

 さらりと返されて、藤野は言葉を失った。
 ああ、そうですか。そうなんですか。そこまで調査されてるってかそこまで聞き出してるんですか。
 口が軽すぎる音楽教師に恨みを持ちつつ、これ以上の抵抗はおそらく無意味だ。舌先三寸で丸めこまれるに決まっている。
 反論の余地なし。かといって引き下がる訳にもいかない、か。
 学園祭の成功のためと言う意味もあるが、この三人がまた仲直りできるかどうかの瀬戸際でもある。事情を知っているだけに、無碍に断るという訳にはいかなかった。

「うん、わかった。引き受けるよ」

 覚悟を決めて頷くと、小早川は今まで見せた事の無い笑みを浮かべた。

「さんきゅ」

 瞬間、柚と瀬川が石化した。空気すら固まりそうな雰囲気の中、おそるおそる柚が口を開く。

「ちょっとマジ? 今、コイツ笑いながら本気で感謝口にしたわよ」
「うむ。いかん。天変地異の前触れかもしれん。核シェルターの準備が必要だな」
「何かお前らスゴイ物言いだなオイ。アレか? はっ倒していいか?」

 半ば殺意を沸かせながらの発言に藤野は寒気を覚えるが、二人は一切動じない。

「いやいやいやホントに奇跡だからさ、だってアンタ、人に感謝したのって何年ぶりよ?」

 ああ、まずい。これは崩壊パターンだ。
 藤野は素早く空気を読むと、険悪なムードになる前にバンと強く机を叩いた。

「とりあえずバンドやるって事で決定でいいよね? じゃあ今日はこれでお開きって事で。バンドとしての打ち合わせはまた日を合わせてしようよ。ゴメン、悪いけど俺、報告書とか色々作らないといけなくてさ」

 あ、ちょっと苦しいかな。
 いかにも取ってつけた言い訳を最後に付属させたが、逆に臭いと思われたかもしれない。後悔が少し襲ってきた頃、柚と瀬川は了承した様子で席を立った。

「分かったわ。あたしも部活あるしさ」
「ではまた日取りを教えてくれ。出来るだけ都合を合わせよう」

 何とか誤魔化せたか、それとも空気を読まれたか。二人は早々に席を立つと教室を後にした。残されたのは、瀬川と小早川の二人。

「なんかちょっと釈然としないんだけど」
「い、良いんじゃない? 結果的にはバンド組む事決定したんだしさ」
「まぁな」

 会議は成功と言えるものだった。クリーンタウンキャンペーンの振り分けも完成した上、学園祭のメインイベントも決定した。何より物別れに終わらなかったのだ。
 藤野個人的という条件に限っては、バンドのボーカルを担当と言うとんでもない役目を背負わされて苦労しそうなので成功と言えるかどうか微妙だが。

「じゃあ俺も資料作りしないと。バンドとかの関係は全部一任していい? こっちじゃまるで勝手分かんないからさ」
「おっけ。楽器とかは部活であるからそれ使えばいいし、練習もそこで出来るしな。曲とかは俺が選ぶ。また色々決まってからメール流すからチェックよろしく」
「うん。ありがと」
「でさ、結構気になってたんだけどさ、書記と会計? 今日も参加してなかったけど、何かあんの?」

 率直に疑問をぶつけられ、藤野はああ、と相槌を打ってから返す。

「あるっていうか、無いからかな。悪い奴らじゃないんだろうけど、予備校が忙しいとか何とかで、必要最低限の仕事しかしなくてさ」

 一応、今日の会議は通達を入れてあるが、早々に欠席届がやってきた。生徒会役員として如何なものかと思うが、仕方がない。
 聞いた小早川は気の無い「ふーん」を鼻から吐いて手を後頭部で組んだ。

「じゃあ気ぃつけた方がいいな。協力してくれねーんだったら、ダイレクトに飛び火来るだろーし」
「飛び火?」

 オウム返しに問うと、小早川は会議室の窓から見える隣の校舎、工学科の校舎に指をやりながら言う。

「来るとしたらそろそろなんだけど。あのバカの嫌がらせ」

 あのバカ、と言われて思い至らない程藤野のカンは鈍くない。言うまでもなく新宮だ。

「何しでかしてくっか分かんねーけど、注意しとけよ」

 そんな小早川の予想はものの見事に的中する事になる。

「何、コレ」

 夜遅くまでかかって作り上げた報告書を顧問に提出したせいで、翌日にも疲れを残した藤野は何とか放課後までクリアした。今日は何もせずに帰ろうとしたものの、顧問に仕事を頼まれたので生徒会室に顔を出したのだが。
 目の前に広がっている光景は、決して少ないとは言えない書類の束が乗せられていた机だった。
 なんですか。なんなんですか。
 先に生徒会室へやってきていた書記と会計は自分の仕事を済ませようとするだけで、こちらには意識の欠片もよこしてこない。生徒会長を空気扱いとは中々の達人である。
 っていうか、挨拶もないって空気悪いよね。

「部活動……承認要請書?」

 席に座りながら一枚目の書類のタイトルを読んで、藤野は訝しく眉を潜めて思い至る。校長から手渡されたマニュアルに書いてあった。確か、予算のつかない同好会が予算のつく部への昇格を求める申請書の事だ。
 部活動が盛んなこの高校において、部活動への昇格と部活動としての維持はかなり熾烈なものとなっている。
 藤野が目を通した規定によれば、同好会はいつでも結成が可能で、顧問も必要がない。人数下限もなく、自由である事が一番のウリだが、学校に承認された訳ではないので部室を与えられる事もなければ部費としての予算も出ない。対して部は顧問が一人以上いる事と、最低五人の部員、適切な活動をしている事が大前提だ。ただし、予算がつく。また、部員が五人に満たなくなった場合は部が廃止されるデメリットがある。
 部の承認、部の廃止、どちらも生徒会の仕事だ。
 とはいえ、最終的な決定権は学校側にある。生徒会が承認した同好会は職員会議にかけられ、そこで承認されて初めて部となり、試験的な予算が与えられる。この予算が今季の補正予算の主な使い道であるが、来年度からは正規の部活動予算から算出されるため、今ある部活動の数や予算の割り振りを鑑みる必要がある。部への昇格は予想以上に厳しい。逆に廃止はすぐに通る。余程の嘆願書が集まらない限りはあっさりと廃止が承認されてしまう。
 予算の節約、という面もあるが、新しく意欲のある部を承認して活気ある部活動を奨励するためでもある。

「そっか、今がその時期なんだ」

 諦めたように藤野は椅子に座りつつ、まずは顧問から頼まれた業務を先に始末してから、その書類に目を通した。
 って、何ですかコレは。何の冗談だっつーの。
 承認要請書に書かれている内容は、どれも酷いものだった。
 ヲタク萌萌部。内容はとにかく萌えるヲタクアニメ観賞の部活。テニスラケットラブ部。内容はテニスラケットを愛でる部活。こんなものは可愛いもので、中には思わず脱力して机に突っ伏してしまうものもあった。
 ふ、ふざけすぎたろ、こんなの! 却下だ却下! てか何でこんなアホな部に顧問ついてんだ!?
 承認要請書に必要な事項は、部名と活動内容、五人の部員の氏名、そして顧問の名前だ。全ての書類が必要事項を満たしているのが不思議でたまらない。藤野は憤然としながら不許可のハンコを押していく。

「ってか、毎年こんなモンなの? 結構な量なんだけど」

 結構な量どころではない。不自然な量だ。しかし、書記と会計は全く気にする様子もなく、

「分かりません」

 の一言で終わらせた。さらに「今日の分は終わりましたので」とのたまって退室された。

「ホント、何か冷たいってゆーか」

 わいわい仲良く親友同士、とまでは行かなくとも、和気あいあいと出来ないものか。それとも生徒会とはこんなものか。
 などと思いつつ全ての書類にハンコを押し終えて、藤野は帰路についた。

「って今日もこんなにあるの!?」

 驚きの声をあげたのは数日後の事だった。
 部承認不許可の書類は書記に渡し、そこから各同好会の長に渡る。期間的に考えて、もう手渡されている頃合いだ。不服に思ったのか、また同じ内容のものが大量にあった。

「そうですね」
「いやいや、そうですね、じゃなくて、ほとんどが同じ内容じゃん。その場で却下してくれないの」
「そんな権限持ってないです。それに僕の仕事じゃないし」

 うわあ。とりつくシマもない。
 とはいえ正論なので、藤野はそれ以上何もいわずに不許可のハンコを押していく。この単調作業は結構精神的にも肉体的にも厳しい上、二回目の申請書の場合不許可の理由も明記しなければならないため、物理的に時間も多くとられる。普段の業務が圧迫される勢いだ。
 くそー。しかももっともらしい理由書かなきゃならん所がムカつく。
 不満を内心で抱えつつ、藤野はその業務に没頭した。

「おかしいっしょ、これ」

 さらに数日後、また机の上に置かれた書類の束を見て、藤野は愕然と呟いた。それでも書記と会計は無視である。
 こいつらの無関心の徹底ぶりはある意味習うべき点かもしれないけど。
 思いつつ藤野は書類を持って顧問がいる職員室へと向かった。これは生徒だけで対処できる問題ではない。

「嫌がらせかも知れないな、これは」

 一通り事情を聞いた顧問が発した言葉はまずそれだった。かも知れないなも何も。

「嫌がらせ以外の何ものでもないでしょ、これは」

 憮然としてしまったのは相当ストレスが溜まっているからだ。この顧問に対しても。藤野は言い募る。

「だって、申請書には何人もの同じ生徒の名前が被ってるし、顧問の先生だってホントに承認してるか怪しいですよ?」
「部活動のかけもちは認められているからなぁ、そこを責める材料にはできないし、顧問の認印だって押されているし、まぁ、活動内容は確かにふざけているとしか思えないものだが」

 顧問になった教諭に一応指導は出来るが、顧問になるなとは言えないんだよ、と顧問は弱弱しく言う。

「だったら何とか出来ないんですか」

 藤野はさらに突っ込んだ。今後もこの嫌がらせが続くようであれば堪えられないからだ。明らかに他の業務にさしつかえが出る。

「口頭での注意は出来るが、具体的な処罰は不可能だ。部活の内容にしても、違法ではないから」

 何だよその弱腰対応。
 と思いつつも、藤野はどこかで納得していた。顧問が弱すぎるだけではない。申請書が狡猾なのだ。規約違反でもなければ、違法でもないのだ。
 思ったよりもずっと考え込まれて作られているものということか。

「それに注意した所で、逆に攻撃されかねん。すぐに教諭を頼る生徒会長なのか、とか。自分たちはここまで情熱的に訴えているだけだというのに、とかな」
「つまり逃げ道を作った上での嫌がらせですか」
「対処に苦しむが、一時的、一過性なものだろう。あまり気にしない事だ」

 いや、気になるから言ってるんですけど。
 内心の言葉は当然相手に伝わるはずがなく。藤野は大きく溜息をついて諦めた。職員室を出てから、頭は対策を練る事にやっきになっていた。何はともあれ現状を打破する必要がある。
 まずは生徒会室に帰って資料を漁った。部活動承認要請書の提出期間についてだ。幸運な事に、提出時期は二回しかなく、春と冬の一ヶ月程度ずつだ。今春の残っている期間はおよそ三週間。しかも返答期間は期間ギリギリイッパイまで引き延ばせるという事も分かった。
 よーし。そうなれば今の書類の返還をギリギリまで引っ張ればいいんだ。
 とりあえず不許可のハンコを押し終えて、藤野は書類を引きだしの中へしまい込んだ。
 次は発生原因だ。何でこんな嫌がらせを受けなければならないのか。と考えだした数分も経たない内に結論が出た。

「あ、アイツか」

 繙くきっかけになったのは申請書の生徒と顧問だ。調べればすぐに出てきた。工学科二類のクラスの担任の一人だったのだ。
 工学科二類。イコール、新宮だ。
 後悔させてやるとか何とか言っていた気がするが、こんなチマチマした嫌がらせを敢行してくるとは。予想以上に小さい。
 でもま、ギリギリ正攻法で攻めてくるんならこっちもギリギリ正攻法で返してやるだけだし。
 目には目を、歯には歯を。の理論で藤野は決定すると、普段の業務を再開した。

「あの、会長」

 珍しく書記の方から声をかけてきたのは、業務が終わりそうになってからだった。

「何?」

 顔をあげて聞くと、書記はどこか面倒臭そうに口を開いた。

「部活承認の申請書、終わったんならくれませんか。早く返事が欲しいってせっつかれてるんで」

 ほほう。こっちが返答期間を引き延ばしてくる事も予想済みって訳か。
 さすがに小早川や柚、瀬川に勝負を挑もうとするだけはある。どれもこれも敗退してるようだが。

「ああ、悪い。理由書かなきゃいけないからさ、それにちょっと時間食いそうで」
「だったら早く仕上げてくれませんか。いつもの事をやってるみたいだから、もう終わってると思ったんですけど」

 うわ、何かムカつくんだけど。
 考えて見ればこの書記と会計もストレスの元になっている。もっとちゃんとしてほしい。意を決して藤野は相手を少し睨んだ。

「いつもやってる事も大切なんだけど、俺にとっちゃ。返事はちゃんとするからさ、待っててくれって伝えてくれない? それは書記の仕事だよね」
「いや、でもせっつかれてるんで」
「だからさ。俺の仕事は部活承認の申請書をチェックするだけじゃないんだ。クリーンタウンの事もあるし、他の事もあるし。君たちがもっと積極的に手伝ってくれたら別だろうけど、嫌なんでしょ」

 空気が最悪になる。分かっているが、藤野は止まれない。協力的になりつつある三人衆と比べて、この二人はあまりに非協力的だ。それも同じ生徒会のメンバーなのに。
 ムッと機嫌を悪くした書記はさらに食い下がってくる。

「でもそれが会長の仕事でしょ」
「そうだよ。だから会長の仕事としてやるから、期限までに返事するから待っといてって言ってるの」

 自分たちが手伝うつもりがないんだろう? という攻撃は裏で肯定しつつの反駁は、あっさりと藤野に潰された。あの三人衆に揉まれていれば、多少なりとも胆力がつく。
 睨みあいはしばらく続いたが、折れたのは書記だった。

「わかりました。そう伝えます」

 そう言ったきり、書記は自分の席に座った。自分の仕事を終えて退室する時まで、一言も話さず。会計も直接はぶつかりあっていないはずだが、書記と同調しているのだろう、同じように退室するまで一言も口を開かなかった。
 なんか、俺、こいつらと上手くやっていける気がしない。
 身を凍えさせる程の居心地の悪さを感じながら、藤野は目の前の業務に手をつけた。





[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】20話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/12/02 21:15

「そりゃ間違いなく嫌がらせだろ。あのバカのやりそーなこった」

 週明けの会議が始まる前の雑談タイム、藤野から報告を聞いた小早川はあっさりと切って捨てた。表情が苦々しいのには理由がある。
 手渡された資料のクリーンタウンキャンペーンのクラス担当振り分け表が理由だ。各科の担当区域が決まり、職員会議でも『五点救済システム』と名付けられたシステムも承認されたので、各科の代表委員が議長となって各クラス単位での担当区域を決める会議を行ったのだ。前日までには柚と瀬川は提出してきたのだが、小早川は今日になってしまった。言い換えれば、それだけ担当の振り分けが紛糾し、時間を食ってしまったのだ。
 言うまでもなく新宮の横槍である。辛うじて小早川の舌先三寸で批判の矛先を躱し切ったようだが、相当なストレスになったらしい。

「でもこれでキャンペーンの準備は整ったし、後は雑務だけだから」
「って事は、今日は学園祭関連なワケ?」
「そ。とりあえず、生徒会と各科の代表委員を合わせて、学園祭実行委員を結成できたから、今日から本格的に色々決めていこうと思って」

 学園祭へ向けての概要は大体決まったが、まだ校長に提出できるレベルではない。もっと細かい事まで決めなければならない。

「あれ、じゃあ今日は書記とか会計とかいなきゃダメなんじゃん?」
「企画を練るのは僕らの仕事なんだって。議事録も後でUSBくださいって言われてサヨナラ」

 ああ、と小早川は何となく察してくれた。
 そろそろいい加減あの二人に対して怒鳴ってもいいんじゃないかなぁと思い始めた頃に、柚と瀬川が顔を出した。

「今日の議題は何?」

 席に座りながら柚が聞いてくる。

「学園祭の事なんだけど、色々決めたくてさ。例えば、具体的にどんな出店をするのか、どういう形にするのか」
「なるほど」
「単純に店を出させるだけじゃ、社会見学とおんなじで、学園祭やってる気になれねぇもんな。やっぱ屋台とかやりたいし」

 いつも通りふてぶてしい態度を取って小早川は言う。柚と瀬川も同意のようだ。

「うん。だから屋台組んで、いつもの営業もするけど出店も両方したいなって思って。組んでくれた店の配置図なら、それも出来るから」
「肉屋の周辺に肉関連の出店、魚関連、果物関連なら、か。一応その辺りも考えてあるしな」

 商店街の店と出店のエリアを分けてしまうと、商店街側に客が偏り、肝心の出店が鳴かず飛ばずになる可能性がある。避けるためには混合させるしかない。

「その関連の出店を出すクラスから、普段営業する店の手伝いを何人か選抜するって考えになるの」
「最も効率的だと思うが」
「じゃあそれで決定で。あ、それと、考えてきたんだけど、出店にさ、材料はどこどこの店の何を使ってます! って表示させたらどうかなって思って」

 アイディア力は藤野に分がある。言われて三人は「おお」と唸るように感心の声をあげた。

「それなら店の宣伝にもなるな。いいじゃん、それ」
「うむ。良いアイディアだ」
「これで出店関連はほぼ終了?」
「バッカ、まだあんだろ。容器の問題はどーすんだ。そこらへん考えてあんの、カイチョー」

 小早川が口にしたのは一番最重要案件である。藤野はプリントアウトしておいた資料に目を通しながら難しい顔をした。

「そうなんだよ。学祭が三日間ぶっ通しでしょ、だから結構費用がかさみそうなんだ」
「実際どれくらいかかるの」

 柚に突っ込まれ、藤野はうーんと唸った。

「使い捨て容器の場合だと、一度きりだからさ、お客が来れば来る程、コストは高くなっていくんだ。紙コップで行くと、大体一個が10円から15円くらいでしょ。って両手使っても計算しきれるレベルじゃないからね、柚」
「あう」

 さらりと入れたツッコミに、柚は赤面して両手をひっこめた。掛け算で両手使うとは珍しい行動である。
 そのタイミングで「例えば」とはさみ込んできたのが生き字引だる瀬川だ。

「去年までは一日三百人として、全員がドリンクを買ったとする。そうなれば10円の紙コップ三百で3,000円、それが三日間で9,000円だな。対して、一日千人の来客があって、千人がドリンクを買ったとしよう。千人なら10,000円だ。それが三日続いたとなれば30,000円になる。コストは三倍以上だな」

 具体的な例を聞かされて、柚は「おお」とまた唸った。小早川が思わず小馬鹿にした視線を投げやるが、柚からは見えていない。

「じゃあお客が増えれば増える程コストが増えてくんだ。うーん」

 両手を組んで厳しい表情をしながら考え込む柚だが、何かが出てくる訳でもなく。一分も経たない内に諦めた。
 くそう。カワイイ。
 などと思いつつも、見とれている場合ではない。実際問題、解決しなければならないのだから。

「その辺りはちょっと調査が必要かな。もっと大規模な学園祭とかフェスとか。そういうトコの方がコストでは悩んでるはずだからさ、対策とか考えてるんじゃないかな」
「あー、何かあったぞ、それ」

 ちょっと待て、と小早川は眉間に皺を寄せて考え込む。何かを思い出すように、手が空気を掴んでは離す。藤野らはそんな小早川に注目した。

「フェスでさ、何か、ドリンク買って、飲み終わったら回収してたんだよ。ゴミとして、じゃなくてさ。再利用するとか何か。だから多めに金取られたんだよ。買った時に。まぁ結局返ってきたんだけど」
「調べてみよう」

 言って瀬川は携帯端末を取りだしてタッチパネルを操作しだす。

「じゃあ瀬川が調べてる間に、別の事も考えよう。後、コストの問題で上がってきてるのは演劇とかなんだよね」
「ああー大道具とか作ったり、結構手間かかったりするもんね」
「プラス、その演劇には劇団の人たちが来て、演劇指導したりとかするでしょ。確か、脚本の相談とかもしてたと思う。そのギャラが予算結構食ってんだよね」

 毎年、演劇を希望するクラスは多く、抽選すら行われる時がある。そして、一つの劇団が全てのクラスを担当するものだから彼らに来てもらう日数も必然的に多くなっている。
 一般客も入れる学園祭だからこそ、演劇として一定以上のレベルを与えるための配慮で、お陰で毎年演劇の評価は高い。わざわざ演劇を見にくる客もいるという。客を誘致するためには、この評価を維持する必要もある。故に廃止する事はできず、去年も前任の生徒会長は手を出していなかった。
 けど、もう手を出さないとね。
 可能な限り赤字になる可能性を潰さなければならない。出来るだけのことを、今、やるしかない。

「調べて見たんだけど、その劇団は公演の度に千人以上動員するらしくて、中堅クラスなんだって。そんな劇団がずっと演技指導してる割には経費激安と言えば激安なんだけど」
「確か、学校と何かしら縁があるから格安とか何かだっけ。去年演劇やったから、そんな噂聞いたわよ、あたし」
「けどその格安っつっても十分キツいんだろ」

 その通りだ。必要予算を限りなく削らなければならない以上、負担はかなり大きい。

「何か、見返りが必要って事なのかもね」

 さらっと言われた一言に、藤野の閃きが刺激された。それだ。

「そっか。見返りだよ、見返り。何もお金支払うだけが見返りって訳じゃないよね。通貨が生まれるまでは物々交換の世界だったんだし」

 指をパチンと鳴らして、藤野はさらに続ける。

「だったら、一日一回、公演してもらおうよ。毎年毎年、演技指導してくれるだけで全く外に出てないんだし、宣伝の意味を兼ねて」
「しかしそれは、いささか難しいだろう」

 反論は調べている瀬川からやってきた。調べつつしっかり話は聞いていたらしい。

「中堅クラスもの劇団となれば、舞台監督も雇っているだろうし、美術や音響、照明などもプロを雇っている可能性が高い」
「そんなのにプロっているんだ」
「当たり前だ。特殊技能職に分類されるからな」
「でもそれって、ウチの演劇部で何とかならないのかなぁ。受賞したりしてるでしょ、確か」

 総力をあげて部活動を奨励しているだけあって、演劇部のレベルも高い。去年は確か全国コンクールで銀賞を取ったはずだ。

「それなら大丈夫じゃね?」

 ついと声をはさんだのは小早川だった。

「舞台監督ってのは分かんねーけど、俺らはさ、照明とか音響とか、その劇団員から指導受けてんだろ? だったら、自分たちでやってんじゃねーのか? 調べてみろよ」
「一理あるな。了解した」

 調べるべき情報が増えたのだが、瀬川は苦にならないらしい。
 どうやって調べるんだろう、と思っていたら、瀬川は次々と情報を拾い集めているらしい。その間に、藤野はさらにアイディアを口にした。

「それは調べてからにするとして、後は、パンフレットにもその劇団の広告とか出したらいいんじゃないかな。HPのアドレスとか、公演内容とか」
「それはアリだな。パンフは結構出回るし」

 知名度を少しでも上げる、という事は劇団にとって重大なタスクである。広告掲載は喜んで食いついてくるだろう。

「調査が終わったぞ」

 情報を取りまとめているのか、何やらメモを走り書きしつつ瀬川は言った。

「まず、劇団だが、小早川の言った通りだ。照明、美術、音響は劇団員がやっているらしい。さすがに舞台監督は外注らしいが、技術は超一級、専門職クラスらしいな」
「じゃあどっちにしてもウチの演劇部は役に立たないのか」

 専門職クラスとなれば、以下に賞を取る演劇部と言えど到達できている領域ではない。

「いや、スタッフとしては貴重な戦力になってくれるだろう。交渉のカードとしては持っておいた方がいい。演劇部にしても、劇団と触れ合える訳だからメリットが勝るはずだ」

 まぁ、交渉は学校がやるんだろうけど。と小早川が尻を持った。瀬川は頷いてから、次の話題に移る。

「それともう一つ。小早川の言っていた事だが、判明したぞ。リユースカップの事だ」
「リ、リユ? 舌回らないわ。何それ」
「再使用カップの事だ。柔軟性の高いプラで出来たカップで、洗浄する事で何回も使用が可能なエコ志向のカップだ。大体四回以上使用する事によって紙コップより環境へ与える影響が小さくなるらしいな」
「へぇ。そーいやそんな事言ってた気がすんな。ライブとかフェスとか、ゴミってかなり問題になるからさ、回収して当たり前って思ってっから、気にしてなかったけど」

 小早川の口から出るとは思えないマナー発言だが、小早川はライブを純粋に楽しむタイプだ。ある意味当然なのかもしれない。

「じゃあさ。何で最初ドリンク買った時、金取られたんだ」
「テポジットというヤツだな、それは」
「何それ」
「テポジットとは保証金みたいなものだ。もしカップを回収できなかった場合は、そのカップを新しく購入しなければならない。その際に当てるための金額だ。むろん、カップをきちんと返せば返金される」

 なるほど、と手を打ってから、「人質みたいなもんね」と柚が言いえて妙な事を放った。思わず苦笑しつつも、藤野の中で何かが疼く。

「コスト的にはどうなの? エコっていうから、安くつくの?」

 問われて瀬川は少し渋い顔をした。

「長期的スパンで見れば、コストは安く済む。洗浄すれば何十回と繰り返し使えるのだから、使い捨ての紙コップのコストがいずれ上回るからな。逆に言えば、短期的に見るのであれば、紙コップなど、使い捨ての方が安く済む。遥かにだ」
「試算できねーの、それ」
「リユースカップを購入するとなれば、大量に受注すれば、一つにつき80円程度に抑えられる。紙コップは15円が妥当だろう」

 単純計算で五倍以上だ。

「一日二回、洗浄して使って三日で六回使用したとすれば、辛うじてコストは安くつくが。もちろん洗浄費は除いての話だがな」
「うーん」

 頭を悩ませる事案だ。だがリユースカップが持つ期待性は十分すぎるくらいにある。
 後はどう使いこなせるかって事か。
 色々調べる必要がある。藤野は頭の中で新しく入った情報を取りまとめていく。演劇に関するコスト削減、ゴミ問題。予算を大きく食う要素を解決できる光明が見つかったのだ。

「柚、出店とかやってる人たちに、どんな時間帯が売れるかとか、聞き取り調査お願いしていいかな。一日に二回、洗浄してサイクルできるかどうか確認したい」
「オッケ、任せて」
「瀬川はリユースカップについて、もっと詳しく調べて。もし、原価をもっと安くできるなら、それに越した事はないし」
「良いだろう」
「小早川は引き続きバンドの事をお願い。僕ら以外にも出演バンド欲しいしね」
「めんどくせーけど仕方ねーな。いいぜ、軽音からツテ伝っていくわ」

 三人がそれぞれ了承をしてくれた所で、時間がやってきた。

「じゃあ僕は今の会議を取りまとめておくから、詳しく聞けたら教えて。今日はここまでにしよう」

 ここまで言いきって、藤野はUSBレコーダーのスイッチを切った。議事録を作るためだ。

「お疲れー」

 ガタガタと席を立って会議室を閉めて、藤野は真っ先に生徒会室へ向かった。



[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】21話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/12/07 22:10
「あれ?」

 思わず声が漏れたのは、ドアノブを握った瞬間に覚えた違和感からだ。異様に軽い。ドアノブを回すと、かちゃりと音がした。カギが開いているのだ。不審に思ってそのまま手が止まる。
 誰だろう。
 疑りながら、藤野は生唾を飲み込んだ。生徒会室へ入るためのカギは生徒会役員か顧問しか持ち出しが出来ない。そして、今日は生徒会役員である書記と会計は既に帰宅している。顧問は午後から出張だったはずだ。
 即ち。
 今、この学校で生徒会室のカギを持ち出せるのは藤野しかいない。且つ、今日、生徒会室へ入るのは初めてだ。それなのにカギが開いているという事は明らかにおかしい。何より、そのカギは今藤野が持っているのだ。
 考えはループしながら悪い方向へ突き進み、足を凍らせる。このまま引き返そうか、とも思ったが、もし泥棒だった場合、放っておく事は許されない。生徒会室はそれなりに機密事項もある。
 誰かを呼んでたら遅いかもしれない。くそ。いちかばちか!
 覚悟を決めた藤野は勢いをつけてドアノブを回し、一気に扉を開ける。

「おや」

 声は酷く聞きなれたもので――手にしているものは見慣れないものだった。
 一気に全身が硬直する。カバンを盾と武器の両方として使うつもりで構えていた姿のまま。藤野を真っ直ぐ捉えているのは黒光りする銃身と温和な笑みをたたえた校長だった。
 じゅ、銃っ!? や、ややややややや!? な、なして校長がそんなモンもってんだ!? ってかこの人アレ!? ヤクザ!?
 などと思っている内に引き金が引かれ。パンっと軽い音がした。同時に弾き出される国旗が連なる紐と紙束。

「はい?」

 思いっきり間の抜けた顔と引きつらせた顔とを混合させた表情はかなり面白かったらしい。校長はたまらず吹き出した。

「あっはっはっはっはっは。面白いねぇ、藤野クンは」
「え? へ?」
「ただのオモチャだよ。コレは。本物なんて持ってるはずがないでしょ。ボク、教育者で校長だよ?」

 いや、アンタだからあり得ると思ったんですけど。心の底から。
 まだ状況が掴めないままでも藤野は根性で内心ツッコミを叩きこみ、全身の力が抜けていくのを抑えられなかった。っていうか。

「いきなり何てことするんですか! 一瞬本気で死ぬかと思いましたよ!? ってかそもそも何やってんですこんなトコで!」

 校長が放つ圧力より力が抜けてまた入った反動の方が大きかった。一気に捲し立てると、校長はまた笑い飛ばす。

「コレはちょっとからかいたくなったから。それと、ここで何やろうと自由でしょ。校長だもん」

 ああ、また説明全面カットですか。しかも納得させますか。
 諦めた藤野は同時に悟っている。校長が何の目的もなしにふらりと寄ってくる事などあり得ないと。

「それで、何の御用ですか、校長」
「おや、話が早いね。心得た様子はとても良い事だよ」

 言いつつ校長は生徒会長のイスに座る。いや、そこ俺の席なんですけど。などと言うツッコミは野暮だ。

「フィルターツールの更新と、システムのインストールのために来たんだ。それが第一の目的」
「システムのインストール?」

 生徒会室のPCはネットにもつながっている――むろんフィルターが掛けられているので、不用意にネット閲覧はできないが――のでフィルターツールの更新は理解できたが、システムのインストールは理解できなかった。
 いったい何をぶち込むつもりだ。このヒトは。

「怪しいシステムじゃないよ。セキュリティ関連なんだ。パソコンのじゃなくて、学校のね」
「学校の?」
「そ。クリーンタウンキャンペーンは職員も生徒も学校にほとんどいなくなっちゃうからね、セキュリティをオンにしておかないとダメでしょ。誰かに入られたら困るもの。主に後始末が」

 後始末って何をなさるおつもりですか。

「だからここを臨時の特別警備室にするからさ。そのためのセッティングにきたの。他の人にやらせてもいいんだけど、忙しそうだし。良い校長でいるのって大変だよ」
「特別警備室?」

 さらりと吐いた、聞いてはいけないセリフは流して、藤野は三度オウム返しに問うた。

「そう。警備員に来てもらって、巡視と監視をしてもらうの。あ、だから、その日までに機密事項チックなものは全部鍵付きの引き出しに収納しておいてね」

 どうやら全て決定事項らしい。こちらの意見は全く無視である。

「さて、これでインストール完了を待つばかりだね」

 ああ疲れたと腕を伸ばしてポキポキ関節を鳴らした校長は、不敵な笑顔のまま藤野へ振り向いた。

「学園祭の企画はどうなってるのかな、順調だと良いんだけど」
「あ、はい。具体的な案も出てきてて、去年と比べても大分予算削れてます。まだ情報収集が必要ですけど」
「そう。うまく黒字が出るように頑張ってね。あ、そうそう」

 思いだしたような声が出た瞬間、藤野に戦慄が走る。なんだ、何を言うつもりだ、このオッサンは。

「商工会と基本的な交渉はしておくけど、プレゼンは君たちがやってね。協力要請を受諾してもらえるかどうかが掛かってるプレゼンになるから、今から何を言うか考えておいた方がいいよ」

 藤野は身構えた姿勢ごと全力で打ち砕かれた。傾いだ姿勢を取り戻す事はかなわず、そのまま膝をがっくりと折る。

「な、なんですと」
「いやあ生徒の自主性はとことん尊重してあげないとね」

 簡単に言ってくれる。要は責任放棄ではないか。もし交渉に失敗すれば学園祭は自動的に失敗に終わる。最悪、学園祭の中止だって十分にあり得るのだ。
 どう否定しようか、どう校長を説得しようか。頭は必死に回転するが、結論は不可能に帰結した。

「まぁでも学校のメンツにも掛かってくるからね。どんなプレゼンか、事前に聞かせてもらうし、足りない部分はバシバシ指導していってあげるから、そこまで気負わなくてもいいよ。おっと、インストールが終わったね。ROMを回収して、と。じゃあ頑張って」

 一応、と前置きの付くフォローを入れて、校長は笑顔のまま生徒会室を後にした。ぽつんと取り残された藤野はしばらく膝を折って地面に手をついた姿勢のまま動けなかった。
 いけない。めげてちゃいけない。
 我に返るまで数分要したが、藤野は何とか立ち上がってケータイを取りだす。起動させたのはメール画面だ。宛先は瀬川である。

 【追加。プレゼンの方法も調査しておいてください。商工会の人の前でする事になりました】

 送信完了の文字を読んでから、藤野は二つ折りのケータイを閉じた。

「さて、色々資料作りに励むかな」

 というより、現状、その業務をこなさなければ今月末までと決められた学園祭の企画書が間に合わない。
 藤野は上着を脱いで椅子にかけ、シャツをまくってインストールが終わったPCの前に座った。もう何回と繰り返したか分からない作業でファイルを開く。もう覚えてしまったパスワードを入力し、テキストを立ち上げる。
 一度キーボードに指を乗せれば、気分はちょっとしたタイムトリップだ。気がつけば夜になっている事などしばしばだからだ。
 あーあ。授業が五限で終わっても意味ないよな、これじゃ。
 溜息をもらしつつ画面に集中すると、後ろ向きな考えはすぐにしぼんでいった。

「あれー。ちょっとフジチョー、まだやってんの」

 声をかけられるまで、意識は完全に飛んでいた。正確に言うのであれば、PCに全て奪われていた。声をかけてきたのが柚でなければおそらく聞こえる事すらしなかっただろう。
 顔をあげると、トレーニングウェア姿の柚がドアを開けた入口で立っていた。重そうなカバンを肩からさげている辺り、帰宅するのだろうか。そして部屋が妙に人工光だけで照らされている事に気がついた。外はもう夜だ。時計を見ると、部活動を遅くまで励んでいる生徒すら帰る時間帯だ。

「うわ、やっば」

 慌ててテキストを保存し、PCをシャットダウンする。

「片付けする事ある? 手伝うよ」
「いや、大丈夫だよ。カバンここにあるし、カギを返したらいいだけ」

 幸いな事に、今日は本棚に収納してある資料は一切使っていない。PCを落とせばそれで完了だ。

「じゃあ途中まで一緒に帰ろ。護衛したげる」
「護衛って」

 ドンと胸を叩いて任せなさいポーズを取る柚に、藤野は癒されて笑う。確かに護衛だ。明らかに自分より強いのだから。

「じゃあお願いします」
「よーし、任せなさい。ま、生徒会長に手ぇ出すバカはそうそういないと思うんだけどね」
「そりゃそうだ」

 言いつつ生徒会室の照明を落とし、鍵をかける。思いもよらぬランデブーに少し胸が高鳴った。
 なんていうか、これは、ラッキー?
 胸の高鳴りは緊張へと直結し、動きがややぎこちなくなる。異変を察知した柚が眉を潜め、

「大丈夫?」
「いや、大丈夫だよ、ありがと」

 まずいまずいまずい。今更何緊張してんだ俺。落ちつけ、落ちつくんだ俺。深呼吸、はしたら怪しまれるな。とりあえず平常心だ。
 内心で必死に自分へ言い聞かせ、藤野は笑みを振りまいた。

「ならいいんだけど。でも、ちょっち顔色悪いよ」

 言われて少しドキッとした。ここ最近、生徒会の仕事のせいでかなり疲弊している。元々体は頑強な方ではないので、いい加減ガタがきてもおかしくはない。

「ここ最近特に頑張ってるみたいだしね」
「誰に聞いたの、それ」
「誰にも聞いてないよ。ただ、あたし毎日ロードワークするからさ、そのコースにあの道も含まれてるの」

 あの道、と言って指差した方向は、生徒会室の窓から見下ろせる通りの事だ。

「だからさ、生徒会室の明かりが点いてるとフジチョーが頑張ってるんだなぁって分かるんだよ」
「そうなんだ」

 何気ない相槌を打っているようで、心の内側は相当テンパっていた。カバンを握る手を強くする事で何とか表に出す事を防いでいるが、じんわりと汗をかいている。
 それってアレか。毎日明かりを見上げてたって事か。毎日気にかけてるってことか。これは脈アリか!?
 そんな藤野に気付かず、柚は続ける。

「でも今日は特に遅かったからサ、心配になって見に来たんだよ。部活終わってからだけど」

 ああ、ヤバい。限界近いかも。
 自制心が警報を鳴り響かせる中、藤野は笑う柚を目に、脳裏に焼き付ける。いけない。ダメだ。今、手を出したら壊れる。

「そっか、ありがと」
「へへん。感謝しなさい。でもホントにアレだよ、無理はしちゃダメだからね」
「うん」

 ああ、時間が止まってくんないかな。マジで。
 夢見心地のまま、藤野は柚と共に職員室へ鍵を返し、自転車を取ってから校門前で解散した。惜しむらくは柚と帰る方向が全く違う事だ。同じならずっと一緒にいられるというのに。

「ああ、なんか、ホント、マジ惚れてるわ、俺」

 すっかり深くなった夜空を見上げ、藤野はぽつんと呟いた。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】22話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/12/12 22:51

『生徒の呼び出しを行います。生徒会長の藤野クン、藤野クン。体育科代表委員の前田サン、前田サン。職員室まで』

 放送が流れたのは、夢見心地な下校から一夜明けた翌日、昼休憩が始まってすぐだった。
 え。昼飯まだなんですけど。
 不満を隠しへだてなく表に出しつつ、藤野は席を立った。呼び出された以上は仕方がない。生徒会長としての面目もある。とはいえ、呼び出されるとは何事だろうか。ここ最近を振り返ってみても、素行の悪い事はしていない。

「あ、フジチョー」

 職員室を目の前にして声をかけてきたのは柚だった。

「柚、呼び出し食らったけど、何か覚えある?」
「いや、何にもないよ。窓ガラス割ってないし、ホウキも折ってないし。誰かを絞め落としたってのもないわね。ってか、全般的に破壊活動は自粛してるから」

 いや、そのセリフ、女の子が吐くものじゃないんですけど。
 ツッコミは内心で叫んで解消させ、とりあえず職員室へ向かった。二回ノックして扉を開ける。すると待っていたかのように、指導教諭が仁王立ちしていた。小早川といつも敵対している、通称アンドリューである。
 おお。指導のボスが何でこんな威圧感全開なんだ。

「ほほう。仲良く出頭とは余程仲がよろしく見えるな、お前ら」

 は?
 訳が分からず怪訝に眉を潜めると、アンドリューは別の意味で捉えたらしく、やっぱりなぁ。と青みが強い顎をさする。

「生徒指導室にこい」

 表情を厳しくさせたまま言い放つと、そのまま生徒指導室まで先導する。どうやら何かやらかしたのは事実らしいが、二人にはまったく見当がつかない。非常に厄介である。どこをどう突いてこられるのかが分からないのだから。
 警戒心を最大にしつつ生徒指導室に二人並んで入る。扉は柚が閉めた。
 藤野は初めて入るのだが、随分と閉塞感の強い部屋である。無機質な折り畳みイスと長机があるのみで、蛍光灯の数も少ない。

「さて、藤野、前田。これを見てもらおうか」

 イスはあれど座る事はすすめられない。どうやら飾りらしい。などと思いつつも机の上に置かれたのは、一枚の写真だった。
 ん? これって……
 全体的に暗い写真なので夜に撮影されたものだ。写真中央には自転車を引いている生徒、藤野と、その隣、トレーニングウェアの柚が立っていた。忘れるはずがない。昨日の光景だ。

「昨日の、だよね、これ」
「うん」

 一応の確認の意味合いで聞いてくる柚に、藤野は頷いた。まだ分からない。何があるのだ、いったい。

「余裕だな、貴様ら。ではこれでどうだ」

 机の上を滑ってきた写真を柚が止める。同時に柚が硬直した。覗き込むようにして藤野も写真を見て、やはり同じく硬直した。
 な、ななななななっ!?!?!?
 何ですか。何なんですか。いったいどういう事ですかこの羨ましい限りこの上なしな写真、いやいやいや! 不届き極まりないのは!
 後から襲ってきた動揺は大津波級だった。容赦なく飲み込まれ、溺れる。

「不純異性交遊、というモノだな。先生は悲しいぞ」

 とってつけた何ものでもないセリフは二人の耳には入らない。ただひたすらに写真に食い入るのみだ。
 思い出せ。よーく思い出せ。
 藤野は脂汗を覚えながら記憶を掘り起こす。写真は恐るべきことに、なんと校門前近くで柚と手をつないでいるのだ。もしあまりにも夢見心地だったせいで忘れているのであれば、意地でも思いださねばならない。

「ってこんなのウソですっ! あたし、フジチョーと手なんてつないでませんっ!」

 深く深く沈んでいく藤野と対照的に、柚は思いっきり、それこそ清々しいまでに否定した。

「だがここにあるぞ、写真が」
「それがウソなんですって! 確かに一緒に下校したけど、校門ちょっと過ぎるまでだし、単純にダベってただけだし!」
「カップルはそういうウソをつくもんだ」
「か、かかかかカップル――――――――っ!?」

 思わず耳を塞ぐほどの大音量が指導室内に轟き響いた。赤面しまくりの柚は口をパクパクさせている。
 カワイイけど、何か刺さるなぁ、コレ。
 何かを抉り取られる感覚に襲われつつも藤野は悪意を察した。アンドリューからではない。写真からだ。

「なんだ、違うと言うのか」
「違うに決まってんでしょ! 何言ってんのよアンタはっ! あたしとフジチョーは単なる友達だって!」

 あ、痛恨のボディブロー。
 内側まで突き刺さった一撃に、藤野は肩を落とした。当然と言えば当然だ。恋愛感情は藤野から柚への一方的であり、実質的な関係は友人関係のなにものでもない。
 柚は敬語を使うのも忘れてアンドリューに食ってかかるが、相手は一切をウソと端から挑んでいる。馬の耳に念仏でしかない。

「ちょっと、フジチョーも何とか言いなさいよ! あたし、あんたとなんか付き合ってないわよね!?」

 あ、それ、俺の口から言わせるの。
 確かにこの状況下、藤野も必死に否定しなければならない。だが、一度否定してしまえば、何かが壊れるような気がした。
 壊れるのが怖い。だから口に出せない。
 アンドリューの視線が藤野に向けられた。ああ。言わなきゃならないのか。ここで俺が黙ってたら、付き合ってるんだって思われる。誤解されて、処分されて、柚に嫌われる。でも、でも。

「どうなんだ」

 声までかけられて、藤野は決断を迫られた。
 くそ。むかつく。誰だ、誰だよ、こんなの。写真、明らかにマガイモノだろ。俺も覚えないし、柚だって違うって言ってるし。

「この写真」

 藤野は羨ましくも憎々しい写真を手に取る。

「偽物だと証明出来ればいいんですよね」

 付き合ってなんかいない。ホントに単なるトモダチだ。そう口にしたくないから、藤野は矛先を向けた。出来るだけ口にしないようにするために。そして、柚を傷つけないために。

「偽物もなにも、その写真を撮られているのは事実だろう。否定するのは見苦しいぞ、生徒会長」
「だから」

 静かに藤野は言う。故にこそか、アンドリューも聞く姿勢を取った。

「証明できればいいんですよね」

 繰り返した発言は有無を言わせないつもりだ。するとアンドリューは腕組をして、

「できるものなら、してみればいい」
「分かりました。じゃあ、瀬川を呼んで下さい。彼なら、偽物だと証明できます」
「良いだろう」

 アンドリューは余裕の鼻笑いなどかましつつ、指導室の奥にある放送機器のスイッチをオンにして全校放送を行った。ものの数分で瀬川は指導室にやってきて、アンドリューから説明を受けた。最初は柚がしようとしたのだが、あまりの動揺ぶりに話がうまく伝わらなかったためである。
 ほとんど表情を見せないまま問題の写真を手にとって、約一分。瀬川は小さく溜息をついた。

「加工だな」

 と、端的に言ってのけた。ほう、と藤野と柚から安堵が洩れた。偽物なのは当然なのだが、それを第三者が認めてくれる事はやはり大きいものだ。

「なんだ、加工ってのは」

 一人分からないアンドリューが突っ込んでくる。瀬川は専門用語を口に出しかけて、一度飲み込んだ。アンドリューは見た目からして体育会系であり、機械系に疎いはずだ。

「コンピュータによる画像の加工です。そういうソフトがあります」

 出来るだけ選んだはずの言葉は、しかしアンドリューには通用しなかった。ただ怪訝に眉を潜めて首をかしげるだけだ。

「この写真を預からせてください。放課後には加工された写真だと証明できるはずだ」
「良いだろう。じゃあ今は解散にしよう。前田も藤野も出て良いぞ」

 偉そうな態度を崩さずアンドリューは言い放ち、三人はさっさと指導室を後にした。

「っだぁ――――っ! 何よあのアンドリューのヤツ! ムカつくわぁ!」

 そう柚が叫んだのは指導室から遠く離れた広場である。進学科、体育科、一般科の三つの校舎に囲まれる形にある広場は、全天候型と銘打たれて一面ガラス張りである。椅子やテーブルも用意されてあり、また、ガラス部分が各校舎と繋がっているため濡れる事もなく、直結通路もあるので移動も便利だ。工学科を除いて、利用する生徒は結構多い。
 広場の一角にあるテーブルに陣取って、柚と藤野は昼食を開始した。瀬川は既に食べ終わっていたので、代わりにノートパソコンをテーブルに広げていた。

「っていうか、ホントに証明できんの、瀬川」

 柚は未だ怒り収まらぬ様子で瀬川を向いた。今にも噛みつきそうな雰囲気だが、瀬川は全く気にせず言う。

「当然だ」

 既に写真を手持ちのノートパソコンに取り込んだ瀬川は早速作業を始めていた。藤野からは伺えないが、耳に入ってくカチャカチャという音の猛然さから、目にも止まらないスピードでキーボードを叩いているのだろう。

「加工された写真には必ずキズが残る」
「キズ?」

 パンを齧りながら聞く柚に、瀬川は画面へ目線を向けながら説明を始めた。

「写真に残る不自然な部分の事だ。写真の加工なら誰にでも出来るが、加工の際に出来る不自然さをなくす事は誰にでも出来るものではない。そのレベルの高さで、加工した人間の技術力が分かる。今回のこの写真は、ざっと見ただけでは不整合は見当たらない程度の完成度合いではある」

 辛うじて相手を褒めていなくもない発言だ。瀬川からすれば最大級に近い賛辞かもしれないが。

「言いかえれば。素人離れしてはいるが、本職には敵わない、その程度の出来だ」
「アンタにはそのキズってのが見えてんの」
「当たり前だ。私からすれば、何故見えないのかが不思議なくらいだな」
「言うわね、アンタ」
「落ちついて、柚。写真が偽物だって証明してくれてんだから、臨戦態勢とらない」

 声に気合いがこもった柚を、藤野はすかさず嗜めた。今、ここで喧嘩などされたらシャレにならない。

「出来たぞ」

 瀬川はノートパソコンを180度回転させて画面を二人に見せた。
 画面には二つの写真が表示されている。一枚が加工された写真、もう一枚はその写真の加工された部分を塗りつぶしたものだった。

「両腕を器用に加工して手をつないでいるように見えなくもない画像にされているな。元々あった腕は背景の暗闇部分でペーストされて隠されている。そこで生まれる不整合だけを隠そうとするから、他のつじつまが合わなくなる。見ろ、肩の関節部分も、微かではあるがおかしいだろう」

 言って指を差したのは柚の方の肩だ。確かに、本当に本当によく見ると、違和感を覚える。

「アンタ、凄いわね。こんなの見破るなんて」
「加工に本格的に携わっていれば見破るなど容易い程度だぞ、これは」
「つまり素人目には分からないって事か」

 藤野の言いかえには閃きが潜んでいた。頷いた瀬川に、さらに追撃の質問がくる。

「これぐらいの加工って、誰にでも出来るレベルじゃないでしょ。少なくとも素人レベルじゃない」
「そうだな。少なくとも加工ソフトを自在に操れなければならないから、パソコンに相当慣れている人物である必要がある。それに一夜でここまで加工したとなれば、尚更だろうな」

 待っていた言葉に、藤野は即ち、と一言付けて人差し指を立てた。

「こんな画像加工できる人物ってかなり限られてくるんだよね。学校内においてだと、特に」
「ちょっと待ってよ、何で学校内の人物って断定できてるのよ」
「だってこの写真、学校の内側から撮られてるんだよ。それに、学校の生徒か教師じゃない人が、こんなの撮って何のメリットになるのさ」

 至極当然な理論に、柚は深い感銘を受けて頷いた。うん、そういうとこも好きなんだけどね。
 ふと瀬川が考え込む素振りを見せた。二言、三言と聞き取れない程度の呟きが洩れ、やがて「そうか」と納得した顔を見せる。

「その人物なら特定できるかもしれん」
「マジ!?」

 身を乗り出したのは柚だった。藤野も半身乗り出している。
 何故ならば、今回の事件で偽物だと証明できても、その偽物の写真を誰がアンドリューに渡したか教えてもらえないからだ。ほぼ確実に匿名を使っているはずだろうし、こちら側からの復讐をアンドリューが恐れて教えない公算が高いのだ。
 最も、藤野はこんな偽物の写真を使ってまで嫌がらせを仕掛けてくる人物など見当がついている。

「瀬川、それって工学科二類と関係あり?」
「ああ。関係ありどころか、工学科二類の生徒だ。今、特定しようとしている人物は」

 うわ。ビンゴじゃん、それ。

「じゃあその辺りもお願いしていい? もちろん、協力できるトコはするし」
「分かった。それと藤野、前の会議で上がっていた資料だが、情報を集めるだけ集めたから、生徒会室の方にメールで入れておいたぞ」
「マジ? 助かった。ありがと。よく読んで次の会議を持つよ」

 藤野が言い終わったタイミングで、チャイムが鳴った。時間切れだ。

「じゃあまた放課後に」
「分かった」
「おっけー」

 さっさと弁当を片付け、藤野たちは駆け足気味に教室へ戻った。後は放課後を待つばかりで、昼休みの間に偽物だと証明されたお陰で気も幾分か楽だった。
 午後からの授業は割と藤野が好きな授業だったため、時間が過ぎるのも苦ではなく、あっさりと放課後を迎えた。
 SHR後にアンドリューから呼び出しがかかり、今度は瀬川を含めた三人で指導室に赴き、瀬川が偽物の証明を説明してのけた。

「むう」

 一切の淀みない説明に、アンドリューは唸るだけだった。証明された写真を睨み、やがて大きく頭を下げる。

「済まなかった。俺の勘違いも大きく含まれていた。お前たちは無実だ。済まなかった」

 潔く謝れるこの教師は良くも悪くも体育会系だ。ここまで清々しく謝罪されたら、藤野と柚も受け入れるしかない。二人は一度顔を見合わせてから、「分かってくれたなら、それでいいです」と許した。
 アンドリューは頭を挙げると、眉を顰めながら写真について語りだした。伝えなければならない義務感に狩られたらしい。

「この写真は、匿名で置かれていたものだったんだ。手紙と共にな」

 アンドリューが出した手紙を受け取り、瀬川も含めて三人で読む。四つ折りにされたコピー用紙にはしっかりした文章の文字が印字されているだけで、どんな人物かは特定できないようになっている。結びの文も「善良なる一生徒」としか書かれていない。
 やり方が上手いって言うか、狡いなぁ。
 単なる写真を送り付けられただけなら、真剣に取り合われない可能性がある。だからこそ、しっかりした内容の文章を添えている。だが、文章は無機質で、個人を特定できないように配慮されている。ここからも悪意が見えた。
 ってかこの狡いやり方、ますます新宮にそっくりなんだけど。

「こんな悪質なイタズラ、処分の対象になるはずだが、これでは誰がやらかしたか特定できん」

 一人疑惑から確信へと強める藤野に向けて、アンドリューは困った様子で説明した。

「たぶん、そこも考えてこんなイタズラをやらかしているのであろう」

 瀬川の一言に、アンドリューは唸った。正義感からか、怒りすら見えた。
 ホント、単純なんだよね、この先生。
 失礼な感想は心の扉にしまいこみ、藤野は話題を畳みかけた。調査して犯人を突き止められるだけの力がアンドリューにはないと分かり切っている。さっさと終わらせてしまった方が良い。

「とりあえず、僕らの無実は証明された訳ですし、これで失礼しても良いですか?」
「ああ、構わん。済まなかったな」
「いえいえ。じゃあ、失礼しますね」

 さっと頭を下げて、藤野は瀬川と柚を連れて指導室を後にした。しばらく廊下を歩いた所で、瀬川が前に立った。

「さて、これから犯人の所へ向かおうと思うんだが、どうする」

 どうやら放課後までに犯人まで特定したらしい。藤野と柚はお互い何も口にすることなく頷いた。

「わかった。では案内しよう」

 瀬川は淡々と言った。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】23話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/12/19 23:36

「ここだ」

 瀬川がひた、と足を止めたのは特別教室の前、パソコンルームだった。「PC総合研究部」と札がかかっている。瀬川が部長を務める部室だ。
 ごくり、と小さく藤野と柚は唾を飲み込んだ。棟の一番奥にある教室だけあって、独特の雰囲気を醸し出している。

「監視カメラはオフにしてあるから、まだ我々の存在はバレていない」
「監視カメラ?」

 無声音でとんでもない事を言い放った瀬川に倣って藤野も無声音で聞いた。学校の校舎の中で監視カメラって何事か。
 ただ頷くだけの瀬川に、藤野は苦笑した。
 いや、説明はなしですか。聞かなきゃダメですか、ダメだよな、これは。

「いや、なんで監視カメラなんてついてんの」
「許可は取ってあるぞ」
「そういうんじゃなくて」

 っていうか取ってるのか、許可。良く下ろしたな。
 思っていると瀬川は心の底から不審そうな顔を浮かべ、

「会長、寝惚けているのではないか。監視カメラと言えば目的など一つしかないだろう。防犯以外に何がある」

 えっと。そういう意味でもなくて。いや、イイデス。
 説明を諦めた藤野は「そうだよね」と潔く引き下がった。それで満足したか、瀬川は軽い説明を始めた。
 いわく、今、部室には犯人と断定された生徒一人しかいないという。この「PC総合研究部」というものは連携する事がほとんどなく、基本的に一人で研究しているらしい。自分の研究結果を知られたくないがため、横の繋がりは無いに等しく、部活動の伝達事項は全て瀬川が一人一人、垂直で流している。情報は水平に共有する事はほとんどない。
 つまり、犯人以外の生徒には部活動休止を伝達し、犯人には瀬川がかなり遅れてくるとだけ伝えているらしい。

「でさ、ソイツが犯人って証拠あるの」

 問いかけたのは柚である。すると瀬川は無言で懐からスマートフォンを取り出して画面を見せた。藤野も覗き込むと、どうやらメッセンジャーが立ちあがっているようだ。

「この画面は奴が使っているPCと同期させてある。つまりこのメッセンジャーは今、現在進行形で行われているやり取りだ」

 流れてきている会話は以下だ。相手のハンドルネームは【shingu】となっている。言うまでもなく新宮だろう。

 ・あの写真加工は素晴らしかった。ヤツらもさぞや困っているだろうね。
 ・一夜漬けしましたから。今眠いですよ。
 ・君の努力は最大限に評価しよう。
 ・どうも。あ、約束の件、忘れていないでしょうね。
 ・もちろんだ。それはそうと聞きたいことがある。
 ・なんですか?
 ・瀬川も呼び出されていたようだが、何か知っているか。
 ・いいえ。でも、瀬川からは呼び出しで遅れると通達がありました。何かPCが不調だから修理するとか。

 あー。なんだろ。この丁度よいタイミングでこのやりとり。

「私が呼び出した理由は適当に嘘をついた。それを信じるだけの交流もないが、疑われるだけの交流もない」

 淡々と言う瀬川から、いかにこの部活の交流が希薄なのか伺い知れた。もっとも、今はそれに助けられているのだが。
 そして瀬川は短いながらも濃密な作戦を口にした。

「メッセンジャーが終わるタイミングで突入するぞ。逃げられないように柚、お前が取り押さえろ」
「取り押さえるって、出口一つしかないんじゃないの」
「隣の教室へ逃げられる通路がある。隣の教室は倉庫になっていて、内側からしか鍵が開けられない構造だ。しかも教室からの出口は二か所あるからな」
「わかった、おっけ」

 一度取り逃がすと、捕まえるのに苦労するだろう。故に逃げる前に取り押さえなければならない。瞬発力もあって格闘技もやっている柚には最適の役目である。

「会長はこの出口をカバーしてくれ」
「瀬川は」

 了承の意味で頷いてから、藤野は聞く。

「決まっているだろう。傍観だ」

 いや、なんでそう堂々と言いなさるのかな。
 思わずこけそうになったが、辛うじて姿勢を傾がせるだけで済ませる。対して柚は納得顔である。

「正解じゃない? だってアンタ、とことん非力だしね」

 運動能力が低そうというのは瀬川の体格を見れば大体分かる。ひょろりとした背恰好に猫背なのだから。しかしそれでも堂々と傍観すると宣言されてはこけそうになっても仕方ないのではないかとも思う。
 もっとも、藤野が芸人体質で、しかもツッコミに偏っている辺りも多分に影響しているのだが。
 っていうかこれから突入して犯人確保って、ドラマじゃある意味クライマックスなのに、どーしてこう平和な雰囲気かな。
 イマイチ欠ける緊張感の中、三人は突入のタイミングをはかる。

「終わった。行くぞ」

 宣言は短く。そして突入は派手に高らかに。

「どおぉぉぉりゃあぁぁぁぁ――――――――――っ!!」

 勢いよく扉を開けると同時に柚は放たれた獣よろしく突撃した。犯人は大いに驚いて全身を震わせ、振り返りつつ席を立つが、柚の瞬発力はトップアスリートレベルである。早々に逃げ道を塞がれる。

「何、何、なんなの!?」
「抵抗したらブン殴る! 抵抗しなくてもブン殴る! よっくもあたしを貶めようとしてくれたわねこのタヌキ野郎―――――っ!」

 力いっぱい人差し指を相手に向けながら、柚は鬼の形相で宣言した。
 いや、待って。それどっちを選択しても殴るんじゃないの!?
 制止すべきか、すべきでないか、心から悩んでいる間にも柚は野性的に動いていた。ズカズカと威圧感全開で近寄ると、両手で胸倉を掴んで持ち上げた。足が地面から離れる。

「な、なんなんだよぅ!」
「なんなんだよぅ、じゃないわよ! 分かってんでしょうが!?」

 うわ、すげー力。
 藤野は本音を押し殺すのに必死になった。犯人はお世辞にも良い体格とは言えず、ずっくりとしている。いわゆる肥満体形だ。しかも男であり、かなりの体重があるはずだ。

「離してやれ、柚。そんな状態では話も出来ないだろう」

 淡々とした口調には、同情などの感情は一切含まれていない。
 ひとしきり睨んだ後、柚は怒りの表情そのままで一度両手を離した。離された途端、犯人は大げさに咳こみながら距離を取った。

「いきなり何すんだ! いきなり暴力振るうなんて!」
「大内」

 噛みつくように吠える犯人――大内の名を呼ぶだけで、瀬川は黙らせた。瀬川に向けられた視線は酷く怯えているものだ。
 過去に何かやらかしたのか、それとも単純に怖がられてるだけなのか。どちらにせよ、瀬川の影響力は凄まじい。

「殴られなかっただけ恩の字と思え。下手をすれば月単位で入院させられるところだったぞ」

 平坦に、重みもなければ軽さもない言葉は、それだけ事実だけを大内に突き付けた。
 入院って……いや、まぁ、確かに。柚ならやる。絶対にやる。っていうかやれる。
 今にも襲いかかろうとしている野獣の目をした柚をこっそり目配せし、藤野は本気で思った。実際、藤野が絡まれた時には、柚はたった一撃で絡んできた不良の鼻をへし折っているのだから。

「な、なんでだよ! 僕は何もしてないって! いきなり掴まれて! 危うく殴られそうになって!」

 演技、とは思い難い必死さで大内は吠える。たった今までやり取りされていた会話を知っているこちらとしては、茶番でしかないが。
 っていうか、まぁ、締めあげられて怖かったってのもあるのかな。
 どこか冷静な藤野以上に、瀬川は冷静だった。用意してあった一枚の写真を大内に手渡す。

「その写真を加工したのはキミだな」

 疑問形ではなく断定形だった。写真を目にした瞬間、一瞬だけ顔を強張らせた大内に、瀬川は追撃をかける。

「キミがよく好む方法での加工だな。ここのボカシのかけ方はまさにそうだ」
「何を言ってるんだよ、部長。言いがかりもよしてって」
「では何故その写真を見た瞬間、顔を強張らせたのだ」
「強張らせてなんていないって、気のせいだよ、そんなの!」

 本人が認めなければ証拠にならないものばかりで瀬川は確実に大内を追いつめて行く。おそらく、この段階で白状すると思っていないのだろう。目的は、大内から余裕を奪う事だ。
 うまいって言うか、確実っていうか、絶対やられたくない方法だよな。
 完全にペースを奪われ、大内は瀬川の思惑通りに余裕をなくしていく。そしてとうとう爆発した。

「さっきから何なんだ! 何か証拠でもあるのかよ!」
「あるぞ」

 あっさりと瀬川は言ってのけると、携帯端末から呼び出した画面を正面から見せつけた。

「……ええっ! ど、な、なんで!?」

 目をむいて大内は声を上げた。どうして、なんで、そんなものが。と言わんばかりに。
 見せつけられた画面は、つい先ほどまで行われていた新宮とのメッセンジャーでのやり取りである。言わずもがな、自分が新宮の指示によって写真を加工したという内容だ。
 空気を求めるように口をパクパクさせる大内を見て、藤野はマンガみたいな反応ダネ、と突っ込みつつも前に出た。逃げ道を完全に塞いだ以上、入口付近に留まる意味はないからだ。

「貴様のPCと同期させてあるからな。ログを取らせてもらったぞ。新宮とのやり取りだな、これは。嘘はつかなくて良いぞ。どうせIPアドレスから辿れるからな」
「いや、ってか、同期って、どうやって!?」
「バレないように同期させるなど造作もない。伊達や酔狂で部長になった訳ではない」

 あー。そう言えば天才って謳われてるんだっけ、瀬川は。

「これを証拠に学校側へ提出すれば、どうなる、会長」

 いきなり話を振られ、「え?」と間抜けにも声を出してしまうも、藤野は咳払い一つで気持ちを変える。出来るだけ脅す場面だよね。

「指示されたとは言え、キミは実行犯だから停学、教唆、指示した新宮にはもっとキツい処分出るんじゃないかな。この学校、結構厳しいからね、そういうトコ」

 また言葉を失う大内。もう可哀想なぐらいに顔色を失っている。

「さて、どうしてくれようか」
「ま、ままま待ってくれ! 頼む! 頼むから、先生とかには言わないでくれよ!」
「はぁ?」

 怪訝に不機嫌に声を上げたのは柚だった。それだけで大内がびくりと震えあがる。柚は一切頓着せずに堂々と苛立ちを表に出して言い放つ。

「アンタ、あたしたちにこんな事かましておきながら、そんな図々しい頼みする訳? 土下座されても聞く訳ないじゃない」
「そんなぁ」
「今回だけではないぞ、大内。貴様は前にも何回か、同じような事をしているな。特に、新宮が直接私と勝負を仕掛けてきたとき、こちら側の情報を横流ししていただろう」
「そ、そんな事!」
「嘘は寄せ。そっちも証拠は握っている」

 間髪置かずに突き刺され、大内は今度こそ黙り込んだ。さっと目を藤野にやる。何を求められているのか。

「あー……前科があるんなら、一発退学も考えられるかもね。ぶっちゃけ、犯罪な訳だしさ」
「た、たたた退学っ!?」
「うん」

 いや、まぁ大袈裟だけど。
 藤野はさも当然かのように頷きつつ、内心で否定した。すると大内はほとんど縋りつく態で謝りだした。

「そ、それだけは勘弁! ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 逆らえなかったんだ! だって相手は新宮クンだし、俺、工学科二類だしさ、あの人に逆らったら学園生活送れないんだよ! だから仕方なく……!」
「事情は分かった」

 あっさりと瀬川が言う。瞬間、大内は今にも泣きそうな表情で「じゃあ!」と言うが、

「だが許さん」

 バッサリと切って捨てた。「そんなぁ!」と情けない声を出すが、瀬川の表情は何一つ動かない。
 そんな様子を見ながら、藤野はある事を思いついた。
 このまま新宮もろとも処分に持って行っても良いんだろうけど、退学になる可能性は低いし、いらない遺恨残しそうだよな。
 全面対決に至ったとしても、柚と瀬川が表に立つ以上、まず負ける事はないだろうが、厄介な事にはなる。何よりめんどくさい。
 必死に謝り続ける大内を見ながら、藤野はピンと何かを閃いた。

「じゃあ条件が二つ」
「何!? なになになに!? 何でも聞くよ!?」

 案の定、飛びついて来た大内の歓喜の視線と、瀬川と柚の非難の視線が混じり合ってぶつかる。
 うわ。怖い。
 本能レベルの恐怖心を内心で覚えつつ、藤野は勇気を振り絞る。

「一つは、僕たちの言う事を聞く事。例え、重労働であっても、従ってもらうよ。もちろん、そんな死にそうになるような事はさせないけどさ、今は事情があって、戦力が欲しいんだよね」
「わ、分かった」
「んでもう一つ」

 条件としてはこっちの方が大切だ。わざと間を開けてから、藤野はゆっくりと口にした。

「新宮と取り次いでくれるかな。直接、新宮にこんなちゃちい事仕掛けんなって注意したいからさ。あ、大丈夫、ついでになっちゃうけど、キミを苛めないようにそこも伝えるから」

 そう。二つ目の条件は、新宮との直接対決だ。

「本気か、会長」

 向けられていた非難の目線は、いつしか様子を伺うものになっていた。関わるとこれ以上とないぐらい厄介な人物であると知っているからこその目線だろう。柚も同じ様子だった。
 ま、ホントは関わりたくないっていうか、もう口すら聞きたくないんだけど。でも仕方ないでしょ。
 やる時はやらなければならない。学園祭のためにクリーンタウンキャンペーンも成功させなければならないのだ、いらないイザコザで時間を割かれるのも、精神的疲労を味わうのも勘弁だ。

「うん。もう二度と手を出させないようにしないとね。で、お願いできるかな」
「……ホントにそれで許してくれるんだな」
「うん。僕はね」
「わかった。言う事を聞くよ」

 自分の首が繋がる条件をのんで、大内はほっと安堵した。だがそれをつくにはまだ早い。早すぎる。
 藤野は言った。「僕はね」と。言いかえれば、瀬川と、藤野と同じぐらいダメージを受けた柚は許していないということだ。

「なら私も言う事はない。会長が許すのであれば。もっとも、監視は続けるがな」

 条件付きで許した瀬川につられる形で、柚も苦笑した。

「まぁ、仕方ないわね。でも言う事はホントに聞いてもらうかんね。それと」

 苦笑が満面の笑顔になる。それも、威圧感をたっぷりと乗せた、有無を言わせない調子で。

「やっぱり一発殴らせて?」

 刹那、教室内に悲鳴が轟いた。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~【青春・学園・ちょっと恋愛】24話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/12/23 22:55

「と言う訳なんだけど」

 説明を終えた藤野は、目の前に立つ新宮を真っ直ぐ睨みつけた。
 新宮との対決のために用意した場所は生徒会室だった。色々と小細工を仕掛けられないためである。時間は長期化を予想して放課後に設定し会計と書記にはこないように通達した。日は翌日である。
 同席しているのは、柚と瀬川、そして大内だ。

「今後もこういう事してくるんなら、次は容赦なく学校側に報告する。最悪、退学も有り得るからね」

 できるだけ低く、ゆっくりと言った。相手に刷り込ませるように。
 ちなみに部活申請に関する嫌がらせの件も言及した。証拠を、と言うまでもなく新宮はさらりと認めた。器の大きさを見せようとでもしているのか。

「く、くっくっくっく」

 退学も有り得る、という恐ろしい言葉を突きつけられた新宮は、笑いを漏らしつつ肩を大きく揺らした。
 うわ。演技くせぇ。
 三文芝居も良い所の動きに藤野は口をへの字に曲げ、瀬川と柚は今にも溜息をもらしそうな雰囲気を全身で出す。唯一、大内だけは顔を青ざめさせている。何故かは理解できない。
 一頻り笑いの演技を繰り出した新宮は、お決まりのように無意味に長い前髪をふわりとかきわけた。浮かぶ表情は余裕そのものだ。

「さすがは表の支配者だな」
「いや、表の支配者違うし。ってかやめてくんない? その恥ずかしい呼び方」
「振りかざせる白い権威を最大限に使ってこの僕を脅しにかかるなんて、実にキミらしい」
「白い権威って何だ白い権威って」
「裏の支配者、つまり、黒の権威に対抗できる正義の刃で斬ったつもりだろうけど、そんなもの」
「何その黒の権威って。正義の刃とか意味分かんないし。俺らがやってるのはフツーの事なんですけど」
「だがしかぁし!」

 数々のツッコミをスルーし、最後には声を張って新宮はねじ伏せた。
 あ、いや、全無視ですか、自分の都合悪いのは無視ですか。そうですか。まぁいいんですけど。
 無意味なようなので、藤野は仕方なく押し黙った。それを自分の力で黙らせたと勘違いしたのか、新宮はますます調子に乗って何やら語り始める。手を腰に当て、やや姿勢を斜めにしながら、さも余裕の様子で。

「そんなもので屈するボクではないよ」
「じゃあ学校側に訴えマス」
「まぁ待ちたまえ」

 即座に言い放つと、新宮は少し慌てた様子で制止をかけてきた。余裕ある素振りでふわりと前髪をかきあげたが、内心で焦っているのは見え見えである。

「支配を完全にするためには、裏の支配者たるボクの存在は邪魔なのも理解できるし、自分より強力な存在を排除したいのも理解できる」

 もはや突っ込む気力すら湧かなくなった藤野はただ小さく溜息をついた。
 あー。疲れる。すんごく疲れる。誰かー。コイツを幼稚園かどっかに送り返してやってくれー。
 ほとんど投げやり思考になりだしたせいか、新宮の言葉は脳が理解するより早く疲れの蓄積を誘発している。

「ならばここはひとつ協力しようではないか」
「……は?」
「表の支配者と裏の支配者。対等同盟と行こうじゃないか。お互いの弱点を補強しあえるだろう」

 何を言うかと思えば、いけしゃあしゃあと。
 呆れも度を超えると再び怒りが湧いてくる。自分の立場と状況をどう理解すればそんな発言をできるというのか。今、新宮は自分が犯した行為を責められているのであって、話し合いの場ではない。本来であれば謝罪か何かを入れ、今後は嫌がらせをしないと約束するのが正当な流れだ。
 ダメだ、これ以上は黙ってても何の進展もないし、ただ疲れるだけだ。何か言わないと。
 疲れで脱力していた体と脳に鞭を入れ、藤野は反論を口にしようとした、その時だった。

「っだぁぁぁ――――っ! もう無理、無理無理無理。ごめん、無理」

 我慢の限界を越えた柚が吠えた。全身をかきむしりながら、寒気に震えている姿が痛ましくもカワイイ。

「なんだ、人が同盟を提案している途中に挟みこんできて」
「いやさ、あのね、もう無理なのよ。何が無理っつったら全部が無理。あんたが無理」

 うわ。全否定。
 とは言え、ほんの僅かでも同情心を沸かせない辺り、新宮という人物が如何に人を苛立たせるかを如実に表している。

「あのね、もう良いよ、その芝居。なんかもう痒いわ」
「失礼だな、小娘。芝居などではない。真面目に考えているし、本気で提案しているのだが」
「いや、だからさ」

 本気で嫌そうに顔を歪めながら、柚は両手を否定の意味で振る。

「なんつーか、薄っぺらい」
「薄っ!?」

 予想以上の攻撃が来たせいか、新宮は思いっきり表情を壊して叫んだ。先ほどまでキッチリと取っていたナルシストポーズも完全に崩れて何か中途半端な中腰になっている。
 何その面白い顔と反応! ヤバいんですけど!
 必死に笑いを堪えるために藤野は俯いて口を抑えた。肩が小刻みに震えてしまうのは許してもらいたい部分だ。

「誰が薄いだ! 誰が!」
「あんたの他に誰がいんのよ」
「許し難しっ! 脳細胞が筋肉の小娘の分際でこのボクに良くもまぁそんな暴言を吐くものだなっ! ボクを誰だと思っている!」
「薄っぺらい芝居する、全然可哀想じゃないイタイ人」
「裏の支配者だあっ! そして笑うなそこ!」

 あまりに的確な表現に藤野は耐えきれず肩を大きく震わせてしまっていた。瀬川も顔を明後日の方向に逸らしている。

「いくら大海原のように心の広いボクでも許せない発言だな! 甚だしい侮辱だ! ボクの怒りは一度爆発するとそれこそ富士山の噴火より激しい被害をもたらすぞ!」
「だからさぁ」

 うんざりした様子で柚は憤慨する新宮に言い放つ。

「そこが薄っぺらいんだって。もうペラッペラ。一反木綿もびっくりするわ」
「何だとぉ!? 小娘の分際で!」
「何よ一反木綿より薄っぺらいイタイ人」
「ぶふぁっ!」
「そこ吹き出すなぁ!」

 耐えきれず吹いた藤野にすかさず新宮は怒りを指に込めて差してくるが、藤野は直視できず、とうとう蹲って爆笑した。
 あーもう無理、無理だわ。一反木綿もびっくりする一反木綿より薄っぺらい人って! て、適切すぎる!

「訂正したまえ! 僕は影の支配者だ!」
「えー」
「いいから訂正したまえ!」

 本気で激昂している新宮はもはやなりふり構わず叫ぶ。顔も完全に紅潮していた。そこに柚はとことん追い打ちをかける。

「仕方ないわね。一反木綿の影よりも薄っぺらいイタイ支配者でいい?」
「いい訳あるかぁ――――っ! その一反木綿とか薄っぺらいとかイタイとかを外せぇ――――っ!」

 叫ぶ新宮の声にかき消される形で、ぐふっ、と瀬川が小さく吹いた。瀬川も限界がきたらしい。
 柚と組ませるとこんなにコミカルになるんだ、新宮って。
 もう少しやりとりを観戦と行きたいところだが、そうはいかない。いつまでも新宮にばかり時間を取られる訳にはいかないのだ。

「待った待った。もういいでしょ。話の筋がズレてるから、完全に」

 二人の間に割って入りながら、藤野は新宮を見かけて止めた。あまりに面白いので直視したら吹き出すに決まっているからだ。止めに入った本人が爆笑してしまっては意味がない。

「だからさ、新宮。これ以上僕ら、ってか、僕らに限らず、迷惑行為はしないように。これはお願いでも何でもなくて、ホントに警告。次こういうのがあったら、言い訳無用で学校側に報告する。今回の事も含めてね」

 支配者だの表だの裏だの、一切を無視して、藤野は現実と自分の意思を突きつけた。

「……良いだろう」

 しぶしぶと言った様子で頷いた新宮に、藤野は掘り下げる。約束した以上は言わなければならない事でもある。

「その迷惑行為は、ここにいる大内にも適用されるからね。もし大内がキミから嫌がらせを受けた場合も学校側に報告する」

 徹底的に教えてやらねばならない。要するに、何かしたらアウト、今、新宮はリーチの状態なのだ、と。

「無論だ。彼は私の傘下だからな。今回の事で彼に責任を問うつもりはない」

 余裕を取り戻した新宮のセリフを聞いた瞬間、「だから薄っぺらいんだって」という柚のツッコミがぼそりと入る。やめて、お願いだから今はやめて、ツボだから。
 盛大に吹き出しそうになるのを根性で我慢し、藤野は黙って頷いた。新宮に合わせたのではなく、口を開いたら笑い声が漏れるからだ。

「それでは失礼させてもらうよ」

 何故か勝ち誇った様子で新宮はくるりと踵を返すと、何かのキャラになりきっているのか、カツカツとわざと音を立てて生徒会室を後にした。扉が閉まるのを確認してから、柚は眉を不審にひそめてぼやく。

「相変わらず訳分かんないわね、アイツ」
「ま、疲れたのは事実だね」

 新宮と話したせいもあるが、笑いを我慢して疲れたというのも多分にある。

「これで当分は手出ししてこないだろう。忘れた頃に何か仕掛けてくる可能性は残ってしまうが」
「じゃあ大内、キミにお願いだ」
「え? 俺?」

 大内の方へ向き直った藤野は、大きく頷いた。

「おかしな動きが分かったら教えてくれないかな。もちろん、わざわざ探りを入れる必要はないし、スパイになれって言ってんじゃない。単純に、何かやらかしてるなぁって思ったら報告してほしいんだ。生徒会に、善意で、匿名で」

 これは予め瀬川から吹き込まれた話法だ。真正面からスパイをやれと言われたら反発は免れない。特に大内は、先ほどのやり取りでも理解できたが、新宮を恐れている。工学科二類ではそれだけ影響力を持っているのだ。
 だから、あくまで善意という形を取る。もちろん、言うことを聞くという契約を取っている以上、断る事は許さない。吹きこまれた話法が昨日だったお陰でじっくりと考える時間があったのも言葉に重みを持たせている。
 もちろんこれで大内を完全に生徒会側に引き込める期待は持ってはいけない。だが、新宮側に抱きかかえられる可能性も遮断できる。次に新宮が何かをやらかして、それの片棒を担いだとなれば重い処分が待っていると刷り込まれているのも大きい。

「わかった。それでいいのなら」

 よし、これでとりあえずの対策はオッケー。
 内心で安堵しつつ、藤野は次の言葉を紡いだ。

「ありがと。今日はもう解散しよう。柚、瀬川、明日は委員会があるから、昼に会議室集合ね」
「わかった」
「おっけー」

 まず大内を見送ってから、柚、瀬川と続く。最後に部屋を出た藤野は鍵をかけると、そのまま職員室へ向かった。

「お、こんなトコにいたんだ、カイチョー」

 声をかけられたのは、職員室に鍵を返し終えた時だった。振り返ると、予想通り小早川がいた。手持無沙汰にクルクルと鍵を回転させている。

「小早川じゃん。どうしたの、こんな時間に」
「ちょっと音楽準備室にこもってた。で、ちょーど良かった。今からもっぺん準備室いかね」
「いいけど、そのカギは職員室に返そうとしてたんじゃないの」

 回転している鍵を指差すと、小早川は「いいじゃん」と追及されるのを拒んだ。

「ってか、とっとと行こうぜ」

 極めつけに話題をぶった切ると、小早川は藤野に背中を向けてさっさと歩きだす。特に機嫌が悪い様子ではないが、どこかに違和感を覚えつつも、藤野は仕方なく後を追った。
 薄暗くなった工学科の校舎って何かちょっとしたホラーだよね。蛍光灯も明るくないし。微妙に黄色いし。
 口にすれば小早川が不機嫌になるだろうかと遠慮していると、小早川は手慣れた様子で鍵を開けてドアを開いた。相変わらず壁中に落書きやロゴが描かれている。
 殺風景と言うよりどこかアンダーグラウンドな匂いのする教室で唯一設置してある黒光りのピアノに小早川は座った。

「学園祭でやるライブでさ」

 ポロン、と軽快な音が鳴った。

「俺らが演奏する曲、作ってみた」
「へぇ、って作った?」
「おう」

 素っ気のない返しをして、小早川の両手がピアノの上に乗った。始まったのは静かなイントロだった。

「学園祭でカバーやっても仕方なくね? ってアキラクンからも言われたからさ、作ったんだ」

 ピアノが流れていく。和音をはさみながら、音の羅列が流れていく。

「それで作ったって、かなり凄いんだけど」

 ここしばらく音沙汰なかったのはそれが原因だったのか。

「そうでもねーって」

 さらりと言ってから、小早川は歌の導入部に入った。しっとりと聞かせるラップだった。
 あ。これ、ヤバいかも。
 思う間にも曲はどんどん進行していく。青春真っ只中にいる藤野たちが特に共感できる内容の詩が歯切れよく小気味良く。

 ボクらは今で精一杯でさ でもオトナはもっと進めとさ 歩くペースはみんな違うのにさ
 誰かはそれに反発してさ 誰かはそれに従ってさ それぞれの道を進みだしたんだ

 だから

 いつしかその手は離れ
 いつしか僕ら背中合わせ
 振り返ればそこにほら 仲間と呼べる背中がある

 サビが終わり、ピアノが終息へ向かう。どうやら一番を演奏して終わるつもりらしい。

「うん。スゲー良い曲。ミディアム・バラードなラップだね」
「その方がとっつきやすいっしょ。サビはフツーに歌だしさ」

 メロディはラップで、サビは歌で、という形式はJ-POPとして市民権を得ている。最近ヒットを飛ばすバンドはほとんどがこの形式を取っている事から、今が旬と言えた。
 ってこれ俺が歌うんだよね、大丈夫なのかな。
 この歌は歌唱力がかなり要求される。ラップを使いこなせるだけのリズム感とサビを盛り上げる歌える力。両方を兼ね備えなければ良い歌とは評価されない。メジャーアーティストのラップなら聞く程度でしかない藤野にとって、ラップは強烈な壁となりそうだった。
 ピアノを弾き終えた小早川は、何でもないといった様子で藤野の肩をぽんと叩いた。

「ダイジョーブっしょ。んで、不安だったらアキラクンとこ行けば?」
「あ、そっか」

 一人で悩み、ループする寸前だった思考がスッキリした。やはり小早川は知恵が回るというか、視野が広いというか。アキラはラップも歌も両方ハイレベルだ。且つ、藤野とも顔見知りなので相談しやすい。

「とりあえずこれ譜面に起こすし、他にも曲書いていくけどサ、それまでに何回か召集かけねーと。カイチョーはとにかく、柚と瀬川は基礎の基礎から叩きこまなきゃなんねーしさ」
「そうだね、全くの未経験みたいだし、あの二人」
「基本覚えてから曲覚える方がアレンジしやすいし、トチる可能性低くなるしな」

 経験上からの発言だった。
 音楽に限らず、勉強でも仕事でもそうである。基本を覚えて応用がある。基本を理解できていなければ、いざという時、対応が出来なくなる上にちょっとした変化にもついていけなくなる。

「スタジオは金かかるし、ある程度デキるよーになってからだから、部室使うんだけど。とりあえず近いうちに召集かけてーんだけど、日程どうしよっか」
「明日、昼に委員会持つ事になってるでしょ。その放課後にしてみない? もし会議が長引いたら、って事で放課後も開けてもらってるじゃん。部室は使える?」
「それは全然オッケーなんだけどさ、大丈夫なのか。会議長引くんじゃねぇの」
「たぶん大丈夫と思うんだよね」

 小早川の懸念を藤野は杞憂だと指摘する。会議の資料は完成してあるし、何か揉め事を起こすような会議ではない。学園祭に関する情報がかなり集まったので、それを纏めた資料を基に綿密に考えていく会議で、ある程度のゴールは見えている。
 まぁ、プレゼンしなきゃならないっていう重大発表もしなくちゃならないかも、なんだけど。
 最も、唯一の紛糾のタネであるそれは、明日必ず発表しなければならないモノではない。後回しにしても良い。

「ならそれで行くか。じゃあ伝達をメールで流しといてくんね?」

 あ、さりげなく面倒な作業押しつけましたね。久しぶりに。ってかこれからもチョイチョイ押しつけられるんだろうなぁ。
 などと思いつつも、特に反対する理由はない。「わかった」と藤野は一言で了承した。

「じゃあ解散で。引き止めて悪かったな。それと、良い曲って言ってくれてさんきゅ」
「どういたしまして」

 お世辞で言ったつもりではないので、素直に礼を受け入れた藤野は、鍵を閉めるまでは手伝って、小早川と別れた。





[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】25話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2010/12/31 21:30

 翌日の委員会の集まりは早かった。例の如く書記と会計は欠席である。もはや慣れたUSBの録音作業を済ませ、小さく不満の溜息を漏らしてから藤野は席についた。
 ここまで出席率低いってどうなのかな、役員として。全くもう。
 愚痴を言っても始まらないので、藤野は気を取り直して口を開いた。

「じゃあ委員会を始めようと思います。まずは資料を見てくれるかな。柚や瀬川からもらった情報を纏めてあるんだけど」
「ほほう」
「まず。リユースカップについてなんだけど、カップに広告を載せる事で、こっちの負担を減らせるみたいだね。いわゆるスポンサーってやつ」

 実質の総費用に変化はないが、スポンサーを集って、出してもらう広告費をリユースカップの購入費にあてるという理屈だ。スポンサーは言うまでもない。

「スポンサーの代表は商工会になってもらう事になるのか」
「うん。その方が効率的だし。使用する店ごとに出す広告とかを変えれば、どの店で出したトレイかも分かるでしょ? そうしたら洗浄して分別しやすいし」
「考えたな」

 微妙に褒めたたえる表情を浮かべる瀬川。彼からしてみれば最大限の評価なのだろう。
 唯一の難点は、商工会に掛かる負担がさらに増大することだ。一応、その対策も考えてきてはいるが、藤野はやや渋った。

「それと、これは非常に厄介な賭けになるんだけど……」
「この項目2ってヤツ?」

 何でもないような様子で柚は言う。反対に藤野は緊張の面持ちだ。当然である。項目2には、「リユースカップの購入予算の年度分割」とある。要するに、リユースカップは何年にも渡って繰り返し使えるのだから、今年だけの予算で捻出するのではなく、来年度、再来年度の予算を前借する形で分割しようという案だ。
 けどこれって、校長の逆鱗に触れそうなんだよね。
 前借するという建前は付くが、実際は学校側から予算のさらなる捻出を要求する意味だ。学校側からは今の予算以上の金銭的援助は出さないと通達されているので、かなり厳しい返答が予想される。

「これに関しては、もし可能であればって事を頭に入れておいてね」
「何がヤバいのよ。別に、来年、再来年の予算がちょっと削られるだけなんでしょ」
「バッカ。お前良く考えろ。今の段階で来年や再来年の予算の金があんのかよ」
「あ、そっか」

 小早川の指摘でようやく柚は納得した。そういう小早川も、藤野の懸念を全て拾いきれていない。当然と言えば当然だが。

「ていうか、一番のネックはそれを校長に伝えなきゃいけない事なんだけどね」

 ポロリと漏れた一言に、全員が眉を潜めた。まぁ、そうですよね。そうなりますよね、フツー。

「いや、学園祭関連についてはさ、校長と直接連絡取りあったりしてるんだよ」
「中々不思議な状態になっているようだが、何故それがネックなのだ」
「そうよ。顧問よりも校長の方が言いやすそうじゃん? あんなどこにでもいる典型的でニコニコ笑顔なのに」

 その笑顔が怖いんですってば。っていうかタダじゃ済まされないんですってば。

「いやいや、そうもいかないんだって、やっぱり相手はオトナだし」

 酸いも甘いも汚いも全部知り尽くした感じの、ってか主に黒い方向に滅法強くなった、絶対に敵に回しちゃいけないオトナなんだけど。
 もちろんそれを口にして学校中に広まろうものなら、どうなるか分かったものじゃない。故にナイーブな表現しかできなかった。

「それって単純に会長に交渉能力がないだけではないのか」
「そうそう、あと根性と気合」
「あれぐらいどうとにでもなんじゃねぇの? 目上に対してイエスマンなだけじゃ世の中渡っていけねーぜ」

 そんな藤野の思いが通じるはずもなく、三人は三様に藤野をズバズバと責めたてる。
 ほほぉう。そうか、そうくるか。こっちの苦労も知らないで。それは挑戦状だな、よっしゃ買った。お前らも道連れだ。
 黒い何かが囁くまま、藤野は口を開く。

「あー、そうかもね。じゃあさ、報告書が出来たら校長に提出するんだけど、みんなで行こうよ」
「は?」

 柚たちの声が唱和する。思わぬ切り返しだったからだろう。すかさず藤野は次の言葉を放った。

「だって、複数で行けばそれだけ口数だけでも物理的に有利になるじゃん。それに心強いし。俺だけじゃ、やっぱ不安だしさ、協力をお願いしたいなー、って思うんだけど」
「理論は筋立ちしているが」
「じゃあやろうよ。ってかさ。俺たちの委員会じゃん、みんなでアイディア出し合って考えたアイディアじゃん。それを、自分たちが分からないトコでオトナに潰されるのって嫌じゃない?」

 瀬川が何かを反駁しようとした刹那、藤野は矢継ぎ早に言葉を被せた。押し黙った瀬川を先頭に、柚も小早川も反論の術が出ない。

「むう」

 しばしの沈黙の後、唸ったのは瀬川だった。不服そうな唸り声ではなく、何かを結論付けたような感覚だった。
 ん。何、何か言いだすの?
 瀬川の知識力は藤野程度では到底及ばない。意外な反論が襲ってくるのかと身構えた。

「今のやり取りを思い返して、藤野に交渉能力がないというのは考えにくい。もしや、校長とは意外に傑物かも知れんぞ」
「伊達に校長じゃないってこと?」
「うむ」
「ほほう。侮れないわね、校長」

 いや、まぁそれを真剣に話されても。って何か今の新宮っぽいっつうか、どんだけ騙し効果あるんだ校長スマイルは。
 真剣に頷く瀬川に内心で突っ込みを入れつつ、感心する柚にチョップしたくなる衝動を抑えつつ、藤野は心底面倒臭そうな顔をして傍観している小早川を見た。
 バッカ、俺に何かを求めんな。
 目があった瞬間のアイコンタクトで伝わってきた言葉である。あーもう。こうなりゃ強行採決だ。

「じゃあ報告書が出来たらみんなで行くってことで。まだ何日か掛かると思うから。そして、次に、去年の学園祭の集客密集度のデータを見て欲しいんだけど」

 促すように次のページをめくると、柚が集めてきたデータを纏めたものが出てきた。

「時間帯ごとの集客率なんだけど、開園直後、昼と昼過ぎの三回に集中してるんだよね」
「ふむ」

 傾向で見て行くと、開園直後はソフトドリンク系や軽食系が良く売れている。昼は当然昼食になるものが良く売れ、昼過ぎからは生徒や教師が利用しにくるため、軽食からメインまで幅広く売れている。
 それぞれのピークまで何時間か空きがあるので、上手く采配すれば一日でリユースカップを使い回せる。
 どれだけ集客できるかでその数が変わってくるが、このデータは非常に重要だ。

「どの系統のトレイが出ているかまで細かいから、読みやすいな」
「そこで瀬川にお願いなんだけど、もちろん、商工会とやりとりしていく上で集客人数をある程度試算していくんだけど、その結果次第でどれだけのトレイが必要か試算してくれない?」
「良いだろう」

 ある程度基になる情報を渡せば、瀬川以上に正確な数値を叩きだす人間はいない。

「それで、そのデータを基にして、えっと、商工会の人たちの前でプレゼンします。みんなで」

 一瞬、空気が本気で硬直した。知っているのは瀬川だけで、瀬川は普通の表情をしているが、柚と小早川はまともに硬直している。
 ややあって、ようやく口を開いたのは柚だった。

「え、ええ、え、ええええええええ――――――――――――――――――――っ!」

 鍛え上げられた腹筋から放たれた声は爆音の何ものでもなく、男三人衆は迷わず耳を塞いだ。窓ガラスが割れるんじゃないかと思う程の声量だ。小早川が耳を塞ぎながら「うるせーよ!」と叫んでもかき消される勢いだ。

「ちょ、ちょっとマジで!?」
「うん。あ、でもちゃんとお膳立ては学校側がしてくれるし、ちゃんと学校側から指導やアドバイスも入るし、商工会の人たちの協力を仰ぐための手段みたいなものだからさ」

 早口でまくし立てるが、柚は関係なくズイズイと顔で詰め寄る。

「いつ決まったのそれ!?」
「ほんの数日前」
「いつやるのよそれ!?」
「まだ具体的な日程は決まってないけど、そう遠くないと思う」
「で、誰がやんのよ!? みんなって言ってたけど、みんなって誰よ!? みんなさんなんていないわよここに!」

 それ、素ですか。マジでのたまってますか。
 藤野はたまらず吹き出しそうになるが、辛うじてこらえる。柚の表情があまりに真剣だったからだ。マジだ。これはマジだ。

「いや、みんなって言ったら、ここにいる全員でしょ」
「あ、そっか」

 うん。そうなんです。っていうかさっきから掴んでる胸倉離して欲しいなぁ。

「ってイヤに決まってんじゃん!」
「けど、プレゼンするならお前が発表しといた方がいいんじゃねーの? 商店街のアイドルなんだろ?」

 力の限り反発する柚が、小早川の指摘で化石化した。ニヤニヤとしている辺り、明らかに狙っての発言だ。
 っていうか商店街のアイドルって、何した。いったい。
 ようやく化石から抜け出した柚は激烈に反応を示した。まともに赤面し、大きく仰け反る。

「な、ななな、何だってそれを知ってるのよ!?」
「一部では有名だもんなー。お前。ミーハー人気あるし」
「そんな答えになってない答えはいいっ! なんでそれを知ってるのよ!?」
「情報は常にどこから漏れるか分からない。緘口令を敷けなかったお前が悪い」

 口を入れたのは瀬川だった。瞬間、柚は鬼の形相で瀬川を睨みつける。

「貴様かっ! 貴様が漏らしたのかぁぁぁ―――――――――――っ!」
「ちょっと待った柚、何にでもかんにでもケンカ売りにいかない。柚が殴ったらフツーに骨折れるんだからさ」

 ガタン、と机の上に足を乗せてヒートアップする柚を見かねて、藤野はさすがに咎めた。

「で、マジメに聞くんだけど、そのアイドルって何? どういうこと? ってか多分、なんとなく想像はついてるんだけど」
「想像って何!?」
「え、いや、たぶん、商店街に絡んできたヤクザとか悪徳業者とかを鉄拳制裁したら、商店街の男連中が惚れてこっそりファンクラブか何か作ったりとかして。で、アイドル扱いされてたり」
「何!? フジチョーまさか見てたの!? それともファンクラブの一人!?」

 ドンピシャだったらしい。
 再び胸倉が強く締め付けられ、慌てて藤野は首をぶんぶん横に振った。即座に否定しておかないと返事をする前に絞め落とされる。
 タップしてようやく離された藤野は本気で咳こんだ。とりあえず何かフォロー入れとかないと。

「なんとなく想像はついてるって言ったじゃん。柚って正義感強いし。悪いヤツとか、困ってる人とか、そういうの放っておけないでしょ。だから、やっててもおかしくないかなって」
「いや、そ、そんな事っ」
「柚って考える前に行動するタイプでしょ? だから立ち回りとかが大胆になったりして、目立ったりするし」

 持ち上げるだけ持ち上げると、柚は妙に乙女な仕草で違う意味で赤面した。ううむ、そういうトコもまた。
 瀬川の「単純だな」という呟きは無視して、藤野は小早川を見た。小早川にとってプレゼンは限りなく面倒な行為であり、一切興味の持てない領域だ。拒否してくる事は目に見えている。

「このプレゼンが成功するか否かで、学園祭が出来るかどうかが決まる。みんなの協力は絶対必要だよ」

 その言葉を引き金に、小早川が口を開いた。

「じゃあ俺は前に出る必要なくね?」

 久しぶりの面倒モード全開を前に、藤野は身構える。どう何を仕掛けてくる。飄々としたまま、小早川は続ける。

「だって、俺、見た目からしてワルじゃん、そんなヤツがプレゼンに出たって、相手の印象悪いだけじゃん。プレゼン作りとかには協力するけどさ、プレゼンする必要ないっしょ」

 音楽をやりたいという気持ちが小早川には大前提として存在している。その上で、学園祭を開催できなければ音楽が出来ないという方程式が出来上がっているのだろう。だからこそ、重要な意味を持つプレゼンには協力する。しかし、プレゼン発表の前には出たくないがためにあえて自分自身を使ったのだろう。
 うわ、理由が正論なだけに何か反論し辛いんだけど。
 押し黙ってしまってはいけないと瀬川に助けを求める視線を送るが、彼は既に小早川の正論に負けている様子だ。柚に何かを求めるのは不憫で出来ないので最初から視線を送れない。

「プレゼンで見た目から気を使うんだろ。だったら、会長と、見た目マジメ系な天才と、そこのアイドル、後は書記と会計クンでいいんじゃねぇの?」
「それでも、小早川の協力は必要だよ、そのプレゼンの場でもさ」

 ほとんど反射で藤野は反駁した。
 実の所、プレゼンがどういうものなのか、藤野自身完全に理解している訳ではない。だが、商工会の面々の前でするとなれば、咄嗟の質問も受ける可能性が高い。おそらく、学校側が想定している以外の質問も。
 その時、うまく切り抜けられる知恵が必要になる。知識や行動力、アイディアでは切り抜けられない。

「このメンツで、今、小早川より知恵が回るヤツなんていないでしょ、もし何かあったら、上手く切り抜けられる力を持ってるとしたら、それは小早川だよ。だから、協力が必要なんだ」
「じゃあ前に出て悪くなる印象はどうなるんだって」
「そこらへんは……」
「インカムでのアドバイスなら可能ではないか?」

 ざっくりと間に入ってきたのは瀬川だった。一瞬で注目が集まるが、彼は何も気にしない。

「つまり、プレゼン会場がどんな作りになるか分からないが、カメラとマイクを設置して、どこかで待機しておく。それを受けて適切なアドバイスをインカム越しで伝えるのだ。それぐらいの機材なら揃っているぞ。自作だがな」

 揃ってるんだ。機材。てか自作って。
 改めて瀬川の天才ぶりに驚かされつつ、藤野は小早川を見やった。瀬川の助言はかなりのクリティカルなはずだ。小早川の言う条件をそろえているのだから。
 ややあってから、小早川は小さな溜息と共に納得した様子でまず頷き、

「わーったよ。それで良いんなら協力してやる」
「ありがと。恩に着る」

 本心で言って、藤野は顔を綻ばせた。小早川の協力を取り付けられた事は非常に大きい。

「じゃあ次に行くね」

 そこからは早足で済ませた事もあって、会議は何とか昼休み終了ギリギリで終わった。ほとんど完成品なので、明後日には完成して校長に提出できるだろう。かなり提出期限間際だが。
 バタバタと纏めの言葉を言い終わったところで、小早川は絶妙のタイミングで「待った」と声をかけた。

「今日の放課後、工学科の前の通路集合な。楽器の練習するから」

 何でもないと言った様子で言われ、柚は「うわ来たか」と一瞬だけ心の底から嫌そうな顔をしたが、それ以上反発はしなかった。一度やると言った以上の矜持があるのだろう。何とも雄々しい事である。
 同時に、何かが湧きあがるのを藤野は覚えた。
 始まるんだ。いよいよ。
 まだ四月も終わっていない時期ではあるが、今から本格的に始動するのだ。学園祭に向けて放つ、音の練習が。

「間違っても俺がいない状態で工学科に入るなよ。何があっても知らねぇかんな」

 全員に向けての忠告という形ではあったが、視線は明らかに藤野を突き刺していた。いや、分かってますってば。
 脳裏に浮かぶあのやり取りを思い出すだけで背中に嫌な汗が出る。工学科の校舎はこの学校内で最も危険でアナーキーなのだ。最恐ではないけれど。最恐はぶっちぎりで校長室である。

「じゃあまた放課後で。今日はこれで解散しましょ」

 藤野が締めの言葉を声にして、全員が出口に向かった。




[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】26話
Name: delphinus◆70288916 ID:571e1bf1
Date: 2011/01/07 20:24

「お、来た来た」
「ごめん、お待たせー」

 駆け足で校舎を抜けてきたのは柚だった。解散した後、小早川から送られたメールに載っていた集合時間の五分前だ。

「いやー掃除当番でさ、焦ったわ」

 あはは、と軽く笑い飛ばしながら柚は言う。瀬川は幼馴染からの経験か、大して気にしていない様子だ。って事は結構昔から掃除当番忘れてたんだね。しかも当日、終わり間際になって気付くタイプだね。
 それでも集合の五分前に集まるのだから、相当急いできたのだろうと伺える。

「まだ集合まで五分あるから、大丈夫だよ」
「っていうか時間シビア過ぎだっつーの。アイツの頭の中には掃除時間考えられてないのかっ」
「一応考えてると思うけどね、たぶん」

 握りこぶし作って唸る柚に、藤野は突っ込んだ。もし本気で考えていなければSHRが終わった時刻に設定されているだろうからだ。
 不意に、藤野は工学科から放たれる異様な空気に背中を震わせた。
 廊下の左半分をふてぶてしく歩くのは不良たち。右半分は見た目からしてオタクな生徒たち。お互いがお互いに牽制し合いつつも完全に無視を決め込んでいる。険悪という言葉を通り過ぎている。
 うっわぁ。キッツいな、コレ。
 柚たち三人組の仲の悪さも強烈だったが、彼らはそれ以上だ。もはや埋められる溝ではない。
 思わず柚と藤野は身じろぎして廊下の外側、中庭に避難した。瀬川も無表情でそれに続く。

「少なからず脅威を感じるな、アレらは」

 感じてたんだ。脅威。
 連中が過ぎ去った後、ぼそりと溢した瀬川の感想に藤野は思わず苦笑した。そのタイミングで工学科の校舎から小早川が姿を見せた。

「よし。揃ってるな、こっちこい」

 手招きされて、三人は工学科の校舎へ足を向けた。こころなしか重い足取りだが、小早川は一切頓着せずに中へ入っていく。置くに進めば進むほど、壁に物騒な落書きが増えていく。そればかりか、何やら敵意しか感じられない視線もぶつかってくる有様だ。
 こりゃ、確かに俺たちだけじゃ来るどころか近寄れもしないな。最初から行く気ないけど。っていうかウチ、こんなに治安悪いんだ。
 会長になるまで、他科とは一切関わらず、また関わらないで済んできただけに、藤野は衝撃を隠せなかった。

「そこまで警戒しなくていいぜ」

 小声でつぶやいたのは小早川だ。

「こいつら、大半は睨んでくるだけのヘタレだし。お前に絡んでった三バカトリオいたろ? アイツら程度で工学科でかなり幅利かせできる程度だ。校内でケンカとかもねーし、校外でならもっとおとなしいし。いわゆる内弁慶ってヤツ?」
「要するに見た目だけって事?」
「ガッコーん中で一番アブナい場所ってのは事実だけどな」

 言い終わって、小早川はぴたりと足を止めた。表札には「軽音部」とある。

「ここ」

 一言だけ残して小早川は扉を開けた。三人も後ろに続いて、まずその広さに目を奪われた。窓さえもない室内だが、一面防音フィルムで覆われた純白色のおかげで非常に明るい。落書きなどは一つもなく、教壇を改造したものだろう、簡易ステージには良く手入れをされていると一目で分かる程輝きを放つ楽器類があった。
 三人が入り終えると、小早川は扉を閉めると、さらにもう一つの扉を閉めた。防音のための二重扉だ。

「これ、二つの教室くっつけてんの?」

 柚の発言に、「おう」と小早川は短く返事をした。言われてみれば、確かにそれぐらいの広さだ。

「工学科にこれほどの設備があるなんて、思いもしなかったわ」
「学校の歴史を考えれば当然と言えば当然だがな」
「どういう事?」

 眉を寄せて問いかける柚に、瀬川は説明を始めた。

「この学校は元々工業高校だったのだ。つまり、昔はこの工学科の校舎しかなかった。ここまで言えば分かるだろう」
「なるほど。工学科って言っても音楽とかの授業が無い訳がないから、教室は全部この校舎に作られたって訳か。工学科の校舎に音楽準備室なんてのがある理由が分かったよ」
「へぇ。それで一般科や進学科、体育科と作られていって、音楽室とかは別の校舎で作られたから、ここは使われなくなったと。で、軽音部の部室になった訳か。贅沢なんだか何なんだか、よく分からないわね」
「贅沢だと思うぜ」

 言って小早川は高そうなソファの上に置かれていた紙の束を取って柚と瀬川に投げ渡した。

「広いし、防音設備は完璧だし、備品もアンプも揃ってる。いつでも本格的な音が出せるからな。音楽室を丸々一つ部室として使えるんだから、待遇としちゃ吹奏楽と変わらねぇし」

 まぁ今の音楽室と比べたら設備の型式は古いけどな、と付け足して、まず小早川はドラムキットの前に移動して、柚を呼び寄せた。

「まずはドラムの名称を覚えろ。まずはバスドラな」

 ドラムキット中央に位置する最も大きい太鼓の事だ。足でペダルを踏む事で音を鳴らす。大きいだけあって腹に響く重低音だ。感覚を掴ませるために柚をドラムの前に座らせて音を鳴らさせた。

「次に右側にあるでっかいのがフロアタム。左はスネアな。中央のバスドラの上に乗っかってるように見えるのがハイタムとロータム。んで、両脇にあるのがシンバル。スネアの隣にある小さいシンバルみたいなのがハイハット。これがオーソドックスなドラムの形だ」
「このペダルは何?」
「ツインペダルってヤツだ。これでツーバスが出来る。音質は劣るけどな」
「ツーバス?」
「このバスドラが二つある状態だ。ヘヴィメタとか、そういうロックだとドドドドって高速でバスドラ音がすんだろ? 一つのバスドラじゃ無理だから、二つバスドラを用意して、一定のリズムで高速に叩く。それがツーバスだ。けど、場所も金もかかるから、節約って意味でツインペダルにしてんだよ。このペダルがあれば」

 小早川がペダルをセットして踏み込む。特殊なペダルが二つキックしてバスドラを二回鳴らした。

「こうなる。もちろん一つのペダルとしても使えるから、お前はこれ使え」
「おおー。分かった」
「とりあえずしばらく好きに叩け。慣れてきたら基本リズムから教えるから。その間に、瀬川、お前だ」

 言いながら手招きして、小早川は瀬川にゆっくりとベースを手渡す。ベースは見た目以上に重いためだ。特に非力な瀬川には厳しい。

「ほう。このエレキベースは……」
「知識だけは予習してきたみたいだけど、素人がそこまで気にすんな。アンプもベースも使いやすいようにしてあんから。んで、基本的なベースだから、弦は4つ。4弦って言うから。上から1弦、2弦って呼ぶかんな。んで、この弦に対して垂直に走ってる鉄の棒がフラット。左から、1フラットって続く。こいつの組み合わせで色んな音が出せる」

 試しに、と小早川は指を持って3弦目の3フラットを押さえさせて音を鳴らさせた。ドの音だ。

「んじゃあタブ譜渡すから、まずCメジャースケールで運指覚えろ。2フレットが人さし指、3フレットが中指、4フレットが薬指、5フレットが小指。これの繰り返しな」

 Cメジャースケールと言われただけで瀬川は了解した様子でベースとタブ譜を交互に見た。たどたどしい手つきながらも弾いていく。
 タブ譜とはフラットと弦を図にしたようなもので、五線譜ではなくベースやギター専用の楽譜である。Cメジャースケールとは誰もが知る基本的な音階、ドレミファソラシドだ。どこにも♭や♯はつかない。

「むう。薬指と小指が動きにくいな」
「やってる内に動くようになっから。フレットに対して押さえる指を決めておかねぇと、後々苦しくなるからな、公式みたいなもんだ。頭に叩きこんどけ。それと、メジャースケールが分かってるみたいだから大丈夫と思うけど、コードは覚えてるか?」

 コードとは和音の事だ。例えばCというコードはドミソの和音になる。セブンスやメジャー、マイナーなど、様々な形がある。

「うむ」
「じゃあそのルートを完璧に拾えるようになっとけよ。アレンジはそっからだ」

 ルートとはそのコードの根の音、つまりCならドミソの和音でドが根の音になるので、ドの音を拾えるようになれという意味だ。
 二の返事で瀬川は頷くと、ベースに没頭を始めた。元々天才と言われるだけあって、吸収力と集中力はずば抜けて高いはずだ。小早川はそれで終わらすと、今度は藤野を呼び寄せてエレキギターを渡した。

「カイチョーはある程度ギター弾けるっしょ? どのくらい? コードとかって全部覚えてんの?」
「一応頭には入ってるよ」
「じゃあ理論とかもオッケー? 3度とか5度とか」
「うん、大丈夫。ちょろっとピアノとかもやってたし。テクニックとかはちょっと厳しいケド」
「じゃあ大変なのは歌の方だな」

 あっさりとギターは出来るけど下手なんだよ宣言を聞き流し、小早川は楽譜とCDを渡した。デモ演奏が入っているようだ。

「音を拾いつつ、楽譜で音程を安定させるように。ラップ部分はリズムだ。韻を刻め。歌詞と音を追っかけんな、それに乗れ」
「なんか凄いフィーリングな説明だね」
「音楽ってのはそんなもんだろ。とにかくあの素人二人組はしばらく俺が見るから、歌に力入れろ。ギターは無意識に弾ける程度にな」

 え? 今何かすんごくハードな注文しませんでしたか?
 聞き返す暇もなく、小早川はいそいそと柚の元へ向かってしまった。大分慣れてきたようだからだ。柚の代わりに座って、慣れた手つきで8ビートを刻んでいく。基本を徹底的に叩きこむらしい。
 藤野は諦めてギターを握って楽譜を見た。藤野の担当はサイドギターなので負担は小さい。コード進行を忠実に守れば何とかなりそうな感じの曲ばかりだ。

「最初はGadd9で……」

 コードを押さえつつ音を鳴らし出すと、藤野の集中力も一気に最高潮へ達した。その集中力は小早川が「終了ー」と宣言するまで続いた。
 ハッと我に返り、時計を見ればもう部活動終了の時間である。

「今日は終わり。大体自分が演奏する楽器がこんなもんだって感触掴めたらオッケーだから」

 つまり、小早川が目標としていたラインは達成できたらしい。小早川を始め、全員がうっすらと汗をかいている。心なしか、熱気も教室に籠もっているようだった。
 そして藤野は驚かされる。自分のギターやボーカル担当にばかり気をやっていたがために今気付かされたが、柚と瀬川が劇的に成長をしていた。柚は基本ビートを何とか形になる程度には叩けるようになり、瀬川はCメジャースケールをある程度自由に弾けるようになっていた。驚くべき飲み込みの早さだ。
 まぁ、柚は運動神経抜群だし、リズム感良いって小早川言ってたし。瀬川は天才だしなぁ。予習とかもしてたみたいだし。
 出来の良い人間を目の前にして、藤野は劣等感に襲われた。

「じゃあ解散って事で。瀬川はベース持って帰っていいぞ。柚は無理だから、スティック渡すから体にリズム叩きこんどけよ」
「わかった」
「オッケー」

 二人が頷くのを見てから、小早川はぐりんと体ごと藤野を向いた。予想だにしない機動におおう、と藤野は驚いた。虚を突かれたせいもある。
 な、何、何を言うつもり!?
 ビクビクしながら身構えると、小早川はギターを肩掛けして音を鳴らしつつ、さらりと言った。

「カイチョー。軽く1曲セッションするぞ。歌えるだろ」
「はい!?」
「いいから。オマエ、こいつらがちょっと飲み込み良いからってヘタレてんだろ。それが間違いだって教えてやっから。やれ」

 どうやら看破されていたらしい。藤野が表情に出やすい性質なのか、小早川の洞察力が異常に高いのか。定かではないが、微妙に不機嫌な辺り、気分を害させてしまったらしい。
 そりゃそうか。これから一緒にやっていくんだから、劣等感とか、そういうのはマイナス要素だもんな。
 チームワークに関して言えば、藤野はこの三人よりも能力は低い。長年、差し障りのない付き合いしかしてこなかったからだ。バンドを組む以上、心の芯まで協力し合う必要があるのだ。劣等感を覚えるなど論外である。
 気付かされた藤野はふう、と溜息にも似た息を一度大きく吐いて、うん、と言った。

「イントロから行くぞ。あの曲な。ライン行くから、コード弾け」

 と言われて小早川はギターで静かにアルペジオ演奏を開始した。曲名を言わなくても分かった。小早川が藤野の前でピアノ演奏して見せたあの曲だ。静かな、ミドルテンポのラップバラード。
 足でリズムを取りながら、藤野はそのアルペジオにコードを乗せる。口は自然に開いた。

 音楽はヒトの人生観を変えるだけの力がある。絶望に打ちひしがれていた人間に希望を与え、悲しみに打ちひしがれている人間を癒し、嬉しい気持ちにさせる。心の拠り所になり、原動力にもなる。

 それだけ偉大な力がある。

 思わせるだけの声が今、放たれた。

 ボクらは今で精一杯でさ でもオトナはもっと進めとさ 歩くペースはみんな違うのにさ
 誰かはそれに反発してさ 誰かはそれに従ってさ それぞれの道を進みだしたんだ

 だから

 いつしかその手は離れ
 いつしか僕ら背中合わせ
 振り返ればそこにほら 仲間と呼べる背中がある

 ラップから歌へ変わり、二つのギターが旋律を奏でる。最後の音が鳴り終わって、教室は静寂に包まれた。
 あれ、もしかしてヤバいですか。めっちゃ下手ですか。
 不安に駆られた瞬間、まず柚が行動を起こした。

「え、何、コレ。フジチョーってこんなに歌うまいんだ? マジでヤバくない? 冗談じゃなくてさ。何でプロじゃないの。なんでカイチョーなんてやってんのよ」
「いや、そんなトコ突っ込まれても」

 生徒会長になったのは藤野だって予想していなかった事態だ。
 筋違いの発言に呆れていると、何かを噛みしめているように黙り込んでいた瀬川が口を開いた。

「ふむ。まさに素晴らしいとしか言いようのない声だな。太く声量があるのに澄んでいる。高音部も掠れず、苦しそうではない。まだ余裕がありそうだな。だからと言って低音部がおろそかになっていない。低音部がどっしりとしているから、安定感があるのか」
「いや、あの、そこまで分析されると何か恥ずかしいんですけど」
「何はどうあれ、その声は大きな武器になるな」

 嬉しい評価に藤野は耳まで赤くした。小早川がすかさずからかってくる。

「何耳まで赤くしちゃってんの。ゆでダコかお前は。しかもボイルしたての」
「し、仕方ないだろ、慣れてないんだからさ」

 せめてもの反駁はしかし自爆だった。これ見よがしと小早川はニヤリと笑い、悪ふざけが疼いた柚と、何故か瀬川も参加して、五分程藤野をもてはやすパーティが催された。
 短時間で済んだのは思いのほか早くボキャブラリーが尽きたのと、いい加減帰らなければ時間だったためだ。
 これって俺の褒める要素が少ないって意味だよね。
 うっすらと気付きつつ、藤野は大きく溜息を漏らした。

「じゃあ今度こそ解散な」

 今回のシメは小早川だった。後片付けを終えて、扉を閉める。

「あ、言い忘れてた。バンド名があんだ」
「そんなのあるの? 単純に生徒会バンドとか委員会バンドとかって思ってたんだけど」
「んなネーミングセンスゼロなの許せる訳ないっつの」

 並々ならぬ拘りがあるらしい小早川は即座に柚の考えていたバンド名を切って捨てた。

「BTS。ブルーティースピリッツの略だ」
「ブルー、ティー? スピリッツ?」

 三人は三人とも訝しく眉を潜めた。もっと派手で分かりやすい名前かと思っていたのだ。小早川は気にせず続ける。

「訳して青汁闘魂。どーよ。ピッタリじゃね?」

 沈黙は一瞬だった。ぶはっと盛大に柚が吹き出したのだ。

「あっはっははははっ! 何それ! あたしらにピッタリすぎじゃん! 良く思いついたわ。小早川にしては絶妙なネーミングセンスね。あはははは!」

 爆笑の柚を隣に、瀬川も笑いを堪えられない様子だった。

「良いネーミングだ。私たちは確かに青汁のように苦い、えぐみをたくさん持っている。だが、中身は濃い。それにお互い譲らない程の根性もあるからな。これ以上とない表現の言葉だ」

 ほめてるのか貶してるのか、どっちなんだろう。
 内心本気で思っていると、小早川も同じように笑っていた。どうやら自分で言ったにも関わらずツボにハマってしまったらしい。

「いいだろ、こういうのもロックしてるって言うんだぜ」
「最高のロックだね。いいじゃん。突っ走ってみよっと。思ったより楽しかったしね」
「まんざらではない」

 えっと、このノリに乗れないともしかして俺、ダメな子?
 冷静な自分がいる半分、その雰囲気に乗せられている自分もいる。藤野は後者に身を任せる事にした。それは差し障りのない付き合いしかしないスタンスから大きな一歩を踏み出す瞬間だった。

「うん。やれるだけやってみよう。BTS。カッコイイじゃん!」


 こうして、彼らBTS、青汁闘魂は始動した。





[22222] 青汁闘魂~新米生徒会長大奮闘記~ 【青春・学園・ちょっと恋愛】27話
Name: delphinus◆70288916 ID:9337e40d
Date: 2011/01/14 23:38

 遂にバンドを始動させた藤野は、とびっきりの爆弾を詰め込んだ報告書を纏めて提出した。すぐにやってきたGWは楽器の練習に明け暮れて過ぎ去り、クリーンタウンキャンペーンを迎えた。
 クリーンタウンキャンペーンは午前中の4時限をフルに使っての清掃活動だ。昼休憩を挟んだ後、午後に総括の意味でLHRを2時限取って終了となる、非常に疲れるイベントだ。殊更、今年は生徒会長として挑むので尚更疲れる。
 結果、非常に幸いな事にトラブルというトラブルは発生しなかった。むしろ商工会から好評を得たのである。
 その報告を聞いて一番ほっとしたのは藤野だ。
 一番の危険因子である工学科二類を支配している新宮を抑え込み、トラブル要因である工学科一類を比較的校舎周辺に押しとどめ、各区画を清掃、連携しやすいように仕分けるなど、考え得る最大の策を講じたものの、一度に一〇〇〇人以上が動く一大イベントだ。何があってもおかしくはなく、内心ずっとハラハラしていた。
 いち早く「商工会から良い評価を貰ったよ」と生徒会顧問が珍しく嬉々とした様子で伝えにきたのだから、おそらくかなりの好感触だったのだろうと想像ができ、さらに安堵した。さらに「苦情らしい苦情はこなかったよ。モンスターって言われる連中からの言いがかりはあったけれどね」と続き、完璧だとももてはやされた。
 いっそ打ち上げでもしちゃう?
 と思ってしまうまでに舞い上がった藤野だが、狙ったかのように彼の者から呼び出しがやってきた。
 昼休憩も終わりに差し掛かった頃、久しくなかった彼の者専用パターンの振動がポケットを戦慄させた。あ、きた。
 どう考えてもイヤな汗でしかない何かが背中を掌握していく中で、藤野はおそるおそるケータイを覗き込んだ。画面にはもちろん「校長」とある。分かっていてもその文字を見ると再びの戦慄に襲われる。

 【大至急】

 放課後校長室に出頭。来なければ色んな意味でバラします。

 色んな意味って何だ色んな意味って。っていうか何でメールかな。
 生徒会長が校長室に呼び出しなど、校内放送でしてしまっては問題になるから、などという理由ではない。絶対に。来なければ色んな意味でバラします。この一文を入れたいがためにメールにしてきただけだ。
 くそう。やっぱり爆弾が爆発したか。
 画面が唐突に着信画面へと切り替わった。小早川からだ。

「もしもし」
「テメー校長にメアドか何か流しただろ!?」
「は?」

 いきなりの怒声と意味の分からない発言に、藤野は素になってしまった。小早川は矢継ぎ早に苦情を入れてくる。

「だっから、何で俺のケータイに今日の放課後に出頭しろとか訳のわかんねぇメールが入ってくんだよ。差出人校長とかって。他に俺のアド知ってるヤツで校長と繋がってるヤツなんていねーんだけど!」

 成程。そういうことか。
 小早川の怒りをよそに、藤野は冷静に納得できた。校長からの呼び出しという最重要恐怖がなければ小早川の怒声を聞いて縮みあがっている所だが。

「まぁまぁ落ち着いて、小早川。メアド流したの俺じゃないよ」
「じゃあ誰だよ。どうやってメアド手に入れたんだっつの。ウソついてたらマジ消すぞオメー」

 言葉の後半はかなりドスの効いたモノになっていたが、藤野は何一つ気にしない。

「いや、だって校長だし?」
「は!? マジ意味わかんねぇんだけど!」
「それ以外に説明のしようがないんだってば。とりあえず、放課後に校長室で落ち合おうよ。たぶん、柚や瀬川にも呼び出しかかってるだろうしさ」
「何でそんなことが……まーいいや。分かった。そこで俺が直接校長にきくから。もしオメーから聞いたってなったら、タダじゃおかねーかんな」

 と言い残して、通話は終わった。
 っていうか、これが校長の狙いだよね。たぶん。
 藤野は当然にして、柚や瀬川なら簡単に応じてくれるだろう。おそらく、彼ら二人にはメールではなく教師を通じて呼び出しがかかっているはずだ。対して小早川は呼び出し程度には応じない。だからメールという奇襲を仕掛けたのだ。
 いったいどうやって小早川のメールを調べたか分からないが、校長なのだから調べられたのだろう。そうとしか思えない。
 さて、何を言われるのやら。
 憂鬱な気持ちになりつつ、藤野はLHRに挑んだ。ほとんど眠気との戦いだが、切り抜けられたのは校長とどう戦うかとひたすらに悩んだためである。たまに役に立つんだよね、校長。
 SHRも終え、藤野は校長室に足を向けた。扉の前まで来ると、既に小早川と柚と瀬川は揃っていた。

「珍しいな、会長が一番遅いとは」
「あ、ごめん。考え事しながら来たからかな」

 いや、心の底から嫌だから足が自然と遅くなったっていうのもあるんだけどね。

「ふーん。言い訳か何かか?」

 怒りを隠すことなく言い放つ小早川は、出会った頃と全く同じ雰囲気を出している。近寄りがたい、危険なオーラと何ものも近寄らせない徹底的な敵意。
 確かにこんなの向けられたらきっついなぁ。
 などと思いつつ冷静なのは無実であるのと目の前にはさらに恐ろしい校長を相手取らなければならないためだ。

「違うって。それも合わせて校長に聞くんでしょ。準備はいい?」
「準備も何も。必要なの、それって」

 柚の意見に小早川と瀬川は同意しているようだ。真の校長を知らないから当たり前か。

「まぁ、良いんだけど。とりあえず入るよ」

 言ってノックすると、「入って」という声が掛かってきた。どうぞ、ではなく入って、である。ヤバい、これはヤバい。
 早くも脂汗が滲んで固まる藤野の変わりに扉を開けたのは実行力一直線柚だった。軽快なノリで「失礼しまーす」と言いつつ入って、彼女もまともに硬直した。

「どうしたのかな、入ってって言ったんだけど」

 小早川と瀬川に背中を押される形で藤野が入り、二人も続く。入った瞬間に理解したはずだ。校長室の中に充満する、異様に重たいなにかを。何だ、空気ってこんなに重かったのか。
 パタン、と逃げ道を閉ざす音の後、校長は満面の笑みのまま、後ろに阿修羅を出現させた。見えないけど見えるのである。悪鬼のごとく深紅で漆黒の阿修羅が。小早川と瀬川も圧倒されて金縛りにあったが如く動けないでいた。
 ほら、準備はいいって聞いたじゃん。
 自身も硬直しながら藤野は内心で突っ込んでいた。

「さて、君たちを纏めて呼び出したのは他でもない、この報告書なんだけどね」

 ぱさり、と軽い音を立てて報告書が校長の机の上に置かれる。藤野が苦労して作り上げた報告書である。

「内容はとても良いものだと思う。エコに注目してリユースカップを作ったり、劇団の諸経費を削る案を出したり、昨年のデータをフル活用してる辺りも大きいし、完成度は高いね。去年より高いんじゃないかな。さすが、三人寄れば文殊の知恵と言うだけある」

 でもね、と次の瞬間、その阿修羅が最前線に出た。校長は当然表の笑顔のまま。

「でもこれは許容できないかな。この、リユースカップの金額の三カ年計画って所。聞こえはいいけれど、学校側に更なる出費、言うなれば予算の増額を求めているんだよね。会長」
「そういう事になります」
「僕は今の予算以上の出費は学校側からはしないと通達したはずだけど。言い訳は聞かないけど意見は聞くよ」

 言い方も声も柔らかいのだが、放たれるオーラはラスボス級である。動く事はもちろん、藤野以外は声を出す行為すら出来ない。
 どうする、どうする。
 校長はじっと藤野を見据える。他に助けを求める事を許さない視線のせいで、唯一切り抜けられるかもしれない知恵を持つ小早川を見る事すらできなかった。何となく動けないというか、思いついてないだろうなとは思いつつ。
 焦燥感ばかり募るばかりで藤野が何も言えないでいると、校長はにこり、と笑いの皺を増やした。

「これじゃあ話しにならないなぁ」
「ていうかさ」

 声は後ろからした。小早川だ。今なら振り返れると思って振り返ると、小早川は辛うじていつもの体裁を保っている程度だった。
 あ、ヤバい。相当追いつめられてる。これ。

「話ぶった切るみたいで悪いんだけどさ、俺、アンタ……いや校長センセーに聞きたい事あんだけど」
「言いなおしたけど敬語使えてない時点でダメだからね。まあいいや、どうぞ」

 さらりと毒を吐きつけながら、校長は促した。ってか今ので普通の人だったら封殺されてるよね、うん。

「なんで俺のケータイのアドとか知ってんの、誰に聞いたの。呼び出しなら放送とかでいいじゃん」
「だって僕校長だもん」
「はぁ!? マジ意味わかんねぇ。俺は何でケータイのアドとか知ってんのって聞いてんだけど。答えるのがオトナの義務じゃね?」
「知りたいなら教えてあげなくはないけど、その代わり君の大事な何かは失われると思うよ」
「何それ」
「例えばだね」

 言いつつ校長は机の上のノートパソコンに手を伸ばした。一分程度で小早川のケータイが振動する。メールだ。促されるがまま不審そうにメールの内容を見た小早川は、今までに見せたことのない表情を浮かべた。
 うわぁ。
 思っている間に小早川はメール画面と校長を何度も交互に見る。どんどん青ざめていく辺り、相当な弱みなのだろうか。

「他にもあるんだけど。どうしても知りたいのなら、それぐらいの対価が必要になるね。何かを求めるなら何かの対価が必要になるんだよ。オトナの義務というのなら、オトナの世界の方式を使わせてもらうまでだけど。それでも、聞く?」

 と、満面の笑みで言われてしまっては。

「スミマセンでした……話を続けてクダサイ……」

 そう言うしか方法はない。くそう。あの小早川がこんなにあっさりとやられてしまうなんて。
 予想以上のあっけなさだが、時間が稼がれたのも事実だ。それと、少しばかりの心の余裕もできた。校長の視線と阿修羅が向けられると同時に、藤野は口を開いた。

「校長先生、確かに実質は学校側に更なる予算を請求してるんですけど、でもリユースカップはエコになる以上に、長期で考えたら経費削減にもなるんです。何十回と繰り返し使えるんだから、何年も使用できます。壊れるまでは経費がかからないんです」
「それは、洗浄費も加算しての結論なのかな」

 素早い切り返しが襲ってくるが、想定内だ。実際の洗浄費用は瀬川が概算で出してくれている。
 藤野は負けじとすぐに言葉を口にする。小早川と校長のやりとりでヒントを得た頭脳はアイディアを次々と吐きだしていく。

「生徒の手で行えばその洗浄費も大きく削れます。それに、学園祭でエコのリユースカップを使ったって宣伝すれば、学校にとっても大きな宣伝になるんじゃないでしょうか。しかも生徒側からの提案で許可したとなれば、生徒の自主性を重んじるという評価も出るはずですよ、きっと」

 何かを得るには対価が必要だ。藤野はそれを使ったのだ。予算を請求する代わりに見返りがあると。

「なるほど、エコ活動に励んでいるという学校側への心証も良くなるし、生徒数の応募増加にもつながる、か。形あるものを得るために形ないものを対価として差し出してくるなんて、考えたじゃないか」

 うんうん、と頷きつつも、校長は阿修羅を引き下げようとしなかった。

「でもダメ。もっと形あるものじゃないとね。もし失敗したら、が付き纏う以上は対価になり得ないよ」
「形にならなっていると思いますが」

 反駁を口にしたのは瀬川だった。校長の視線、いやもはやアイビームと言えるものの直撃を受けながらも、瀬川は口上を述べた。

「エコという言葉は既に市民権を得ています。多くの学校でもエコ活動に励みだしていますが、学園祭でリユースカップとなるとまだ使用例はごくごく限られています。大きく発信すれば、地方新聞の記事くらいはかっさらえるでしょう」
「確実性はあるのかな」
「地元商店街を抱きかかえての学園祭で、さらにエコを叫ぶとなれば話題性は十分のはずです」
「なるほど、地域活性も含まれてあるから、地方紙には載るかも、か。うまくいけば地方ローカルのテレビにも出るかもね」

 地方紙やローカルテレビとはいえ、一度発信されたという実績を作ってしまえば大々的に宣伝できる。効果の程度は計算しきれないが、間違いなくメリットが大きいはずだった。
 校長はしばらく考え込む様子を見せる。あくまで様子である事は、相も変わらず放たれる異様な威圧感から伺い知れた。ちらりと横を見ると、柚の限界が近い。いや、柚だけでなく、小早川はもちろん、実は瀬川も限界が来ているようだった。うっすらと脂汗がにじみ出ている。
 まぁ、初めての校長プレッシャーを全開でこんなに受け続けてるんだもんなぁ。

「仕方ないね。じゃあ三年計画において予算を捻出しよう。来年、再来年の学園祭予算はその分削られるからね」
「ありがとうございます」

 成功するとは思わなかった計画なだけに、思わず藤野はポロリとお礼を口にした。これでコストは紙コップ並みに抑えられる。この額の差はかなり大きいはずだ。

「まぁ商工会の印象もかなり上がってくれたみたいだしね。これを維持すればプレゼンも何とかなるだろうし。水面下ではもう交渉を始めようとしているからね。いやあ大変だよ。相手の弱みを探すというのは」

 最後の一言に藤野と小早川が一瞬ビクっと反応した。弱みですか。弱みを見つけようとしなさりますか。

「だから小早川クン、キミは工学科一類の代表委員なんだから、商店街では揉め事を起こさないように徹底してね。多少のことなら黙殺してあげるから」

 さらりと黒い発言が飛び出して、藤野以外の全員が顔をひきつらせた。はっきりと教育者の発言ではない。言外に言う事きかないヤツがいたら粛清してよし。と許可を出しているのだから。
 こくこくと頷くしかできない小早川を満面の笑みで認めてから、校長は退室していいよ、と言った。
 事実上の釈放宣言に一同の肩から力が抜けそうになる。抜かなかったのは未だ室内に残る威圧感の残滓のせいだ。藤野が一番に「失礼します」と告げて部屋を出ると、思い出したように三人もそれに続いた。
 パタン、と扉を閉めて歩くことしばし。ようやく一同は解放されたように肩を安堵で落とした。

「な、何なのアレ。マジあり得ない。今まで試合してきたヤツのどんなのよりも強烈だったわ」

 一番ダメージを受けているらしい柚はカバンからスポーツドリンクを取り出して喉を潤した。かなり喉が渇いていたらしい。

「アレは関わっちゃダメな人種っていうの? むしろ何であんなのが校長やってんだって俺は思うぞ」
「同意だな」

 珍しく疲弊の表情を見せながら小早川と瀬川は言う。まぁ、あの校長を前にして疲弊しないヤツなんていないんだろうけど。
 時計を見ると結構な時間が経っていた。校長プレッシャーのせいで時間の感覚さえ狂わされていたのだろうか。

「カイチョー、その、悪かったな。疑ったりして」

 謝る、というタイミングを知らないのだろう。小早川は唐突に言ってきた。ってか晴れたんだ。疑い。しかし小早川を責めるのは酷というものだ。何せ校長の行動の方が遥かにぶっ飛んでいる。
 ここはフツーに許す場面だよね。
 藤野は鷹揚に手を振りつつ、

「いいよ、疑いが晴れたんだしさ。気にしないで」
「すまん」
「んーなんか知らないけど仲直りな感じ? じゃ、あたしはスパとロードワーク軽くしたいから部室行くね。またねー」

 一番ダメージ食らったのは柚だが、一番回復するのが早いのも柚のようだった。軽快に走り去る姿を見送り、男三人衆もそれぞれに帰宅の途についた。


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