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[19023] 正しい主人公の倒し方(架空恋愛シミュレーション)
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2013/04/18 00:55
読み始める前の諸注意


・架空ゲームキャラに憑依するという内容です。
・本作に出てくる人名や地名等は実在するものと一切関係がございません。
・主人公が精神的に追い詰められる展開があります。

加えて、初投稿になりますので至らいないところが多々あるかと思います。
書いていく中で誤字や話の矛盾など出てくると思いますのでどんどん突っ込んでください。
少しでもミスを減らせるよう頑張ります。

こんな作者ですが、それでも読んでくださるのなら軽い気持ちで右下の『次を表示する』を押してください。




5月22日
チラ裏からオリジナル板へ移動しました。
ですが、こちらの手違いで一回全削除をしてしまいましたorz
折角みなさんに沢山の感想を頂いたのに……。本当に申し訳ありません。
      
テキストエディタに残っていた分を手直しと修正しながら投稿させて貰います。
元の話数までなるのに少し時間が掛かると思います。すみません。



5月25日 
ようやく話数を戻す事が出来ました。
ご迷惑をおかけしてすみませんでした。


3月9日
Arcadiaの禁止ワードに「の 佐藤」があります。
感想欄でも上記のワードがあるとエラーになってしまいます。
もし引っかかったら言い換えなどをお願いします。

舞さんの報告にも書いてあるワードだったので記載しましたが問題のあるようでしたら、この文は即刻削除します。

4月18日
感想欄でご指摘がありましたので、注意書きを追加しました。



[19023] 第零話 ~さくら、さくら、来年咲きほこる~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/05/22 19:29



「一番好きな桜の咲き時は?」


 正門にある桜を見上げ、幼なじみの加奈は何気なく僕に尋ねた。



 一分咲きと答えると「物足りないね」と言われた。


 七分咲きと答えると「満足出来るの?」と返された。


 満開と答えると「欲張りだね」と笑われた。


 葉ざくらと答えると「ひねくれている」と注意された。


 花も葉も全て散った後と答えると、返事をしてくれなかった。






正しい主人公の倒し方 第零話
 ~さくら、さくら、来年咲きほこる~






 毎年綺麗に咲き誇るこの桜の木の下には、いくつの死体が埋まっているのだろう。
僕が生まれてから毎年、この桜はピンク色に染め上がる。少なくても17体は埋まっていそうだ。
この桜は毎年僕たち学園生を喜ばせる。維持費も掛かるが、それ相応の働きをしてくれている。
それに比べて僕はどうなのだろう。食費分の働きをしているのだろうか。

 去年の僕は何をしていたのか。いや、何もしていなかった。
価値にするなら、桜の下に埋まる死体より劣る。何もしていない。


 僕は死体じゃない。


 だったらそれ相応の働きをみせるべきだ。それしかないじゃないか。
また無意義な一年を過ごすべきではない。僕は変わって見せる。

 自然と頬が緩む。これからなすべきことが僕の前に無数に広がっている。

 隣を歩く加奈は不思議そうに僕を見る。
彼女は運がいいのかもしれない。僕が新しく生まれ変わる瞬間を目の当たりにしたのだから。


「突然ニヤニヤし出したけど大丈夫?」

「大丈夫さ。僕が変わっただけだから」

「えっ? どこが変わったの?」

「これからさ」


 これから僕がどう変わるのか僕だって知らない。
けど、変わって見せる。この満開の桜は一ヶ月もしたら散る。
けれども、一年したらまた咲き誇る。ならば、桜に見てもらいたい。
満開になった時の君と一年経った時の僕のどちらが人の役に立つか。


 桜舞う中、僕は新たな決意を胸に刻み、加奈は僕の頭をしきりに心配していた。





[19023] 第一話 ~背景、十七の君へ~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2013/02/21 04:08

 世界の中心とはどこなのか?


 明確な答えを俺は知っているわけではないが、
俺が世界の中心にいることは地球が一日三回転半してもありえないことだろう。


「人生なんてな、誰しも自分が主人公なんだよ。
君が脚本と主演を兼ね揃えて最高の舞台を演出するんだ。
スッポトライトを舞台の中心で浴び拍手喝采の中、カーテンを閉めるんだ」


 以前居酒屋で酔った友人に言われたことを思い出した。
残念ながら、この世界では友人のありがたい言葉は通用しないようだ。


 教壇に立ち、司会役をやっている男がいる。

 
 彼の名前は織田伸樹。
華奢な体つき。女の子受けしそうな優しそうな顔立ち。そして、目に掛かるまで伸びたうっとうしそうな前髪。
クラスメイトから一生懸命に意見を求めている姿はまるで小動物がせっせと動いているようでどこか微笑ましい。
数人の女子生徒も嬉し楽しそうに眺めている。


 俺が思うに彼こそが世界の中心に位置する男だ。


 ――なぜなら彼はこの世界の主人公だから。







正しい主人公の倒し方 第一話
 ~背景、十七の君へ~







 まず幾つか話しておかなければいけないことがある。

 俺こと佐藤尚輔は元々この世界の住人ではない。
アホな事を言うなと思うかもしれないが、ある日俺は目を覚ますと別人になっていた。

 険しい目付きに細く整えられた眉毛に茶色に染まった短髪。
普段見慣れた顔より数段若いその顔はお世辞にも善人面と言えず、どちらかと言えば不良に近い。
それが今の俺の顔である。


「嘘だろ……。これが俺なのか?」


 見知らぬ部屋で目覚め、洗面所の鏡で顔を見れば別人。
気が狂ったか夢から醒めていないのか。試しに頬をつねっても逆立ちを五分し続けても現実は変わらなかった。

 ため息をつきながらも、何かないかと見知らぬ部屋を物色した。
すると、いくつか手がかりになりそうな物が出てきた。
財布に入っていた学生証。そこには先ほど見た人相の悪いツラが写っていた。


 名前の欄には『佐藤 尚輔』。

 見覚えがある名前だった。しかし、有り得ない。


 箪笥からはこの男が通っていたであろう学生服が出てきた。
同じく佐藤尚輔と名前があった。なんとなく着こむとサイズはぴったりと合った。
どうやらこの学生服も佐藤尚輔の持ち物のようだ。

 学生証を再び見た。そこに書かれていた学校名『静越学園』に再び見覚えがあった。


 静越学園――それは現実ではなく仮想でしか存在しない学園。


『School Heart』とは株式会社Poster制作の恋愛シミュレーションゲームである。
俗に言うギャルゲだ。ギャルゲに馴染みのない人に説明すると「意中の人とイチャイチャすることが目的」のゲームである。
ちなみにそこから発展し「意中の人とパコパコすることが目的」になるとエロゲとなる。まあどうでもいい話だ。


 静越学園は『School Heart』の舞台である。イチャイチャの方だ。
思い出せば、この学生服もゲームに登場した物と同じ形のものだ。


「もしかしたら、俺は別世界に来たのか?」


 人間なんて単純な生き物である。自分が納得できる理由さえ見つけられれば、それに簡単に流される。
なぜ別人になっていたのか? なぜ知らないところにいるのか? なぜゲームと同じ制服があるのか?
深いことを考えず、疑問は追求しない。物事の裏側を探ろうとせず、ありのまましか見ない。

 憑依――ぼんやりと頭に浮かんだこの言葉だけで、俺はいとも簡単にこの世界を受け入れてしまった。

 胸が熱くなった。息づかいが、心臓の鼓動が、手首の脈拍が、全てが早く感じられた。
ありのままを受け入れ、すぐに学生証に書かれた住所を確認し、部屋を出た。
さながら、百円玉を握り駄菓子屋に向かう子供のように心を弾まながら学園に向かう。


 謎の憑依。原作知識の使用。未知の可能性。最短ルートの暗記。無駄のない攻略法。俺だけのハーレム計画。画面越しだった恋愛。


 それらが今、俺の手のひら上で踊っている。
これらを取捨選択するのは俺だ。落とすも拾い上げるも自由。世界は俺が決められるんだ。

 今にも意気揚々にスキップを始めようとする両足を抑えながら、学園へとつながる坂を駆け上がった。
同じ学生服を着込んだティーンエージャーたちが同じ校門へ向かっている。俺の考えは間違っていなかった。
ここは間違いなく静越学園で『School Heart』の世界だ。緩んだ頬を気にせず門をくぐった。


 だが、現実とは非情である。


 俺が門の先で見たのは『織田伸樹』。
幼なじみ、同級生、後輩、妹を侍らす姿は、まさしくこのゲームの『主人公』だった。

 俺はその様子を遠くから、ただ呆然として眺めることしか出来なかった。


 そして、俺の『佐藤尚輔』としての人生が始まった。









 少しだけ俺、『佐藤尚輔』について説明しておこう。

 佐藤尚輔は『School Heart』に一応登場している。
彼のゲーム中での発言を思い出せるだけここに書いておこう。


「俺は特にないな」

「いいぞ。俺がやっておくからお前は行け」

「その通りだな。やっぱり織田の言う通りだ」


 以上である。もしかしたらもう少しあったかもしれないがどちらにしても目くそ鼻くそだ。
お釣りの1円が2円になってもそう変わらない。佐藤尚輔、彼は物語に関わるキャラクターではない。
驚き要員その一と言ったところか。このようなキャラをサブではなくモブキャラクターと言う。

 しばらく経ってから思い出したことだが、ゲーム中には佐藤尚輔の名前はなく『男子生徒B』と記載されていて、
ファンブックでの人気投票でやっと公開された。もちろん人気は下から数えた方が早いのは言わずもがな。

 だから、俺のこの世界の役割は指を咥えながら織田伸樹の繁栄を羨ましげに眺めるだけしかないのだ。

 では、話を今に戻そう。
俺が佐藤尚輔になって既に一ヶ月は経過した。









「そういう事で、クラス展の意見はありませんか~?」

 織田が今やっていることは文化祭のクラス展決めだ。
だが、クラスメイトたちは人前で発言することに恥ずかしさを覚えるお年頃。
クラスからは中々意見が出てこない。織田の声だけが虚しく教室に響く。

 少しだけ目尻に涙を溜める織田。
けれども、それを流さないよう必死に我慢している。
保護欲というか母性本能というかその手の感情が揺さぶられる。
クラスの一部の女子がにやつきながらも微笑ましく見守っている。分からないでもない。


「はい、私はあるよ!」


 ぱぁっと織田に笑顔が戻る。元気よく手を挙げたのは柴田加奈。織田の幼なじみだ。


「巷で話題のメイド喫茶なんてどう? メイドさんは伸樹が女装で」

「ごめん。却下」

「ええっ! 絶対可愛いよ」


 織田は落胆しながら黒板にある書きかけの文字を消した。柴田さんは文句を垂れながら席に着いた。
しかし、柴田さんが発言したおかげで教室は意見を言いやすい雰囲気になった。次々と意見が出てくる。


「みんなで演劇をやろう」

「私は合唱でもいいかな?」

「グラウンドの大型会場で異種格闘技トーナメントとかどうよ!?」

「教室に六四を置いて大乱闘スマッシュシスターズ大会」


 織田は意見を聞きながら今度は満足そうに黒板に書いていく。
中には変なものも混じっているが、みんなで馬鹿な事を考えるのもまた楽しい。各々が適当に意見を言っていく。


「メイド喫茶」


 再び織田の手が止まった。ゆっくりと織田は後ろを振り返り、一人の女子に迫力のない睨みを効かせる。


「また加奈かい? 僕は絶対にしないよ」

「ひどいなあ、小さい頃は私と一緒に女の子の服に着替えて遊んでいたのに。
伸樹にメイド服は似あうと思うよ? ああ、あの頃の伸樹は可愛げがあったのになあ」


 教室がざわつく。ある者は羨ましげに、ある者は頬を少し染める。
一部の女子は黄色い歓声を上げ、悶え苦しんでいる。場が混沌としていく。

 柴田さんに悪意のない分、織田は対処に困っているようだ。
顔を赤くしながらどうしようか戸惑っている。

 このやり取りは一度ゲームで見たことがあった。
そう言っても、直接肌で感じ取れるこの雰囲気が仮想のものだとは思えない。
既にここは、俺の中のもう一つの現実だった。


「佐藤くんはどうかな?」

「……えっ?」

 
 メイド喫茶から逃げるように織田から突然振られた。
それに俺はすぐ反応出来なかった。全くの予想外。ゲームではモブに意見を求めるようなシーンはない。
しかし、現実であればクラスメイトに意見を尋ねることはなんら不自然ではない。
改めて、ここがゲームの中だけで済むような世界ではないと思い知らされる。


「ないのかな?」


 俺は考えた。ゲームではこの後に織田の親友、徳川が「お化け屋敷しようぜ!」と言って最終的にお化け屋敷に落ち着く。
もしも、俺がここでお化け屋敷と言って徳川の役を横取りしたらどうなるのか?

 俺はモブ(群集)キャラだ。


それが物語に関わること言ったらどうなるのか?
もしかしたらモブからサブへ。物語の中心に近づけるのではないか?


「……お化け屋敷が――」

「そうだ! それだ!! お化け屋敷しようぜ!!」


 俺の声をかき消すように後ろから声が聞こえた。

 徳川康弘だ。

 その後、徳川は捲(まく)し立てるようにどんどんお化け屋敷のメリットを言っていく。
手振りを加え、率直な意見を出していく様はさながら人気政治家を思わせる。
クラスメイトは徳川の言葉を聞き入っている。ああ、なんというデジャヴであろうか。この流れも一度見たものではないか。

 気がついたら、クラス展は徳川発案のお化け屋敷に決定されていた。
挙手多数。黒板に書かれたお化け屋敷の下には佐藤ではなく徳川の文字。その下に正の字が五つほど書かれていた。

 授業終了のチャイムが鳴った。
楽しい時間は過ぎ、10分後には学園生たちは再び睡魔との戦いへと戻る。


「それじゃあ、お化け屋敷で決まりましたので放課後から活動します~」


 織田の一声でクラスメイトたちはそれぞれの行動へと移る。
次の授業の準備する生徒、お化け屋敷について話すグループ、トイレを我慢していたのか走って教室を出る男子。
ただ取り残されたように俺だけが、消されるまで黒板の『徳川』の文字を見続けていた。


 すこしだけ変わった。
と言っても徳川が発言する時間が少しだけ前倒しになったぐらいだ。
根本が変わることはなかった。結局俺は物語の渦を遠くから見ることしかできなかった。
渦中に飛び込むこと、いや近寄ることすら許されないようだ。


 はて、俺が背景から前景に出られることはあるのだろうか?






[19023] 第二話 ~涙が出ちゃう モブのくせに~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/08/31 10:27
 今日最後の授業は終わり、放課後になった。

 クラスは早速文化祭に向けて動き出していた。
ある者はダンボールや木材集め。ある者はポスター制作など、クラスが一致団結しお化け屋敷の準備をしている。
文化祭まで、あと一ヶ月幸先の良いスタートだ。








正しい主人公の倒し方 第二話
 ~涙が出ちゃう モブのくせに~









 『School Heart』では、文化祭での分岐は大まかに分けて3つあった。


 一つ目は、文化祭自体に参加しないもの。
この分岐はヒロインの好感度が上がらず、パラメータ上昇の機会もない。
なので、素人にも玄人にもお勧めできない。分岐埋めでしか通らないルートと言っても過言ではない。

 二つ目は、部活展で参加するもの。
これは文化系の部活に所属している場合に起こるもので、比較的失敗しにくい。
簡単にパラメータ上昇が望めるので、大半のプレイヤーは運動部に所属しても、
文化祭終了までは文化系の部活を掛け持ちするのが常套手段だった。

 最後は、クラス展を開くもの。
最も好感度とパラメータが上がりやすいが、失敗する確率も高い。
文化祭実行委員になるための容姿。企画を練り上げるだけの知識力。クラス展を組み立てるのに必要な体力。
これら全ての高いパラメータが必要とされ、初心者なら間違いなく失敗に終わる。



 もう一度教室を見渡した。織田や徳川は率先してみんなをまとめていた。
誰ひとりとして怠けているものはいない。これなら失敗することはないだろう。

 俺は鞄に教科書を詰め込み、そっと教室から出た。


「あれ? 佐藤くん帰っちゃうの?」


 声がした方に振り返る。
そこには前髪を黄色のピンで止めたショートカットの女の子がいた。
斉藤裕、クラス委員長。メインヒロインの一人だ。


「ああ、帰らせてもらう。どうせ俺がいても変りないさ」

「そんなことはないよ。みんなでやるから意味があるんだよ」

「大丈夫。俺がいなくてもきっと成功するから」


 この後に文化祭に関するイベントは当日を除いてなかった。
つまり、どんなに頑張っても俺が前景へ行くことは無い。なら、面倒くさい仕事はしないに限る。
 
 止めていた足を再び動かし始める。だが、止まる。
斉藤さんが俺のシャツを掴んでいた。俺のようなゴツゴツした手とは違う、色白く柔らかなそうな手だった。
こんなか弱そうな手のどこに俺を引き止められるだけの力があるのか、不思議に思う。


「本当に駄目なの?」


 首を25°右へ倒し、少しだけ困った様子で聞いてきた。
俺と斎藤さんには身長差があるため必然的に上目遣いになる。決して狙ってわけではない自然な仕草。
そこら辺にいる一山百円の男子ならコロリと落ちそうな身振りだったが、俺は首を縦に振った。


「ごめん。面倒だから」


 斎藤さんは悲しげに肩を落とし、視線も床へと落とした。
罪悪感が残るが、仕方がない。ヒロインとはなるべく関わりたくなかったから。
だから、この胸糞悪い気持ちを我慢しなきゃいけないのも仕方がない。







 まだ全員には会っていないが、メインヒロインはみな悉(ことごと)く魅力的な女性だった。
快活的で、理性的で、友好的で、それぞれ自分だけの魅力的な何かを持っている。けれども、俺は近づきたくなかった。

 自分でも矛盾していると思う。物語の中心に行きたいけどヒロインとは関わりたくない。

 きっと憑依初日に見た光景がいけなかったのだろう。
あれさえなければ、尻尾を振って斎藤さんの手伝いをしていたはずだ。
教室に残り、クラスメイトと一緒に汗をかいているはずだ。それもピンク色の下心を持ったまま。
とにかく、あの光景は俺の心をえぐり込んだ。


 ヒロインたちと一緒に登校する織田伸樹。初日に門の先で見た光景。


 織田の周りにいた彼女たちはみんな笑顔だった。
汚れ一つさえ見つからないような無垢な微笑み。見ているこちらまで心温まるようなそんな表情。
それらは全て織田だけに注がれていた。そこには、斎藤さんも含まれていた。

 俺が織田の位置にいたら、彼女たちは俺にあの笑顔を見せてくれるのだろうか。
いや、無理だろう。彼女たちが笑っていられるのも織田が『主人公』だからだ。


 謎の憑依。原作知識の使用。未知の可能性。最短ルートの暗記。無駄のない攻略法。俺だけのハーレム計画。画面越しでの恋愛。


 それまで俺の手のひら上で踊っていたそれらは、スルスルとすり抜けるように指の間から落ちていった。
残されたのは、それでも物語に関わりたいという虚栄心――押されればすぐ倒れそうな安っぽい自尊心と隙間だらけの幻想から出来ていた。


 ヒーローとヒロインが物語を作る。
 俺はヒーローではない。
 よって、ヒロインと付き合えることはない。


 アホみたいな、だけれども世界の真理とも言えるこの三段論法は俺なりの結論だった。

 ヒロインと仲良くしようとすると決まって思い出すのは、彼女たちのCG。
それはキスシーンであったり重要イベントのシーンであったり。そこに佐藤尚輔はいない。いるのは織田伸樹。


「どうせ仲良くしてもお前に振り向くことなんかないぜ……」


 悪魔だけがずっと囁いてくる。天使はいない。悲しさよりも虚しさが募っていく。
まるで一人相撲。なにをしても無駄。結果が見えているものに何の意味があるのか。

 いつしか俺はヒロインたちから距離を置いた。それは一種の諦めだった。
それから、小さな機会を狙って俺はコソコソと動き、物語に関わろうと頑張る。けれども、ヒロインから避けるようにして。







 目の前にいる斎藤さんは今だにうつむいたままだ。
悪いことをしたと思うけど、優しい言葉の一つもかけてあげられない。
これは俺が一ヶ月かけて出した結論だから。


「いいかお前ら! クラス展は最初が肝心だ! 気合入れて準備すっぞ!」

「おおおおおおおお!!」


 教室からは徳川の激励が聞こえる。体育会系の男子も大声で答える。


「クラス展の部で優勝を目指そうよ!」

「うん、頑張ろう伸樹!」


 織田の声で柴田さん並びに女子が黄色い歓声を挙げる。それと一部の男子も。
 
 俺は廊下から教室の中をぼーっと見ていた。教室の扉の下にあるレールが境界線のように見える。
あちらは人ごみとお囃子が飛び交う祭ような賑やかさ。こちらは祭が終わり人がいなくなった会場のような静けさ。


「ねえ、佐藤くん……」

「ん?」

 
 ずっと床とにらめっこをしていた少女はようやくこっち見た。
ようこそ、後の祭会場へ。


「もしかしたら、黒板に徳川くんの名前が書かれたこと気にしてる?」

「…………気にしていない」

「嘘ついてる。間があったよ」


 まさかの質問。咄嗟に答えられなかった俺を見て、
斎藤さんは先ほどの困った顔が嘘のように、にこやかな顔になる。
名探偵より先に事件の手がかりを発見した一般人のような得意顔。


「自分が出した意見なのに、他人に取られたら誰だって怒るよね。
あとで私から織田くんに注意しておくよ」

「あ、あの斎藤さん?
気にしていないのは嘘になるかもしれないけど
俺が帰りたい理由は――」

「大丈夫! 私は気にしない。
男の子はカエル、カタツムリ、小犬の尻尾。
それとちっちゃなプライドで出来ていることぐらい知っているよ」


 完全に間違えた解釈をされてしまった。
ショートカットの迷探偵は一人でうんうんと頷いている。
俺が帰りたかったのは、ヒロインと関わりたくなかっただけなのに。


「そのちっちゃなプライドを受け止めるのも女の子の仕事だから」

「そんな胸を張って言われても困るんだが……」


 えへへっとはにかみながら、控えめでない胸を強調されてもこちらが余計困る。主に目のやり場が。
どうしてこうも彼女は自然な仕草で魅せるのか。


「気にしちゃうのも仕方ないよ。
だけど、いつまでもウジウジ引きずっちゃ駄目。
私たちはクラスメイトなんだから一緒に頑張ろうよ」

「あ、ああ」

「さあさあ、佐藤くんも仕事するよ!」


 腕を引っ張られる。俺は慌てて着いていく。
その小さな白い手は想像通りの柔らかさだった。そして、温かかった。



 それから俺は教室でクラスメイトたちと一緒に準備に取り掛かった。
仕事はダンボールや木材の搬入と整理などの下準備。必要ならば今のうちに木材は鋸で切っておく。

 こんな作業をしたのは何年ぶりだろう。
やるべき事を聞いたり探したり見つけ出したり。ようやくそこで俺はクラスメイトたちの名前を覚えた。
俺と同じく前景に行くことがなかった背景たち。ゲームでは『学園生徒』で片付けられた者たち。

 田中、鈴木、山田、橋本、などなど。

 鈴木は少林寺拳法の有段者。山田は相撲部部長。橋本はドイツ人のクォーター。
みんなそれぞれ個性があるのにそれを出せずに終わった。

 中でも田中とは気があった。
金髪に、着崩したシャツ。ギターを持てばサマになりそうな容姿。
佐藤尚輔と似た不良気質があったが、気さくで話しかけやすかった。


「さっき廊下で委員長と何話してたんだ?」

「別に。他愛もないことだ」


 田中は「ふーん」と鼻で軽く返事をし、板を切り抜く作業も戻った。
俺は鉄ヤスリで切った跡をなめらかにしていた。


「でもさ、佐藤は一度帰ろうとしてから戻ってきたじゃん。
どんな風に説得されたんだ?」

「半強制的に。でも斎藤さんじゃなきゃ戻ってこなかったかな」

「斎藤さんじゃなきゃ……。
もしかしてお前委員長に気があるのか!?」

「それは絶対にないさ」


 彼女はヒロインだから。


「キッパリ言うなあ。仲良く話していたから案外イケるんじゃないか?
もったいないな。委員長可愛いのに」

「もったいないか。じゃあ、お前が彼氏に立候補すればいいじゃないか」

「う~ん。オレはパスさせてもらう
なんか自信が湧かねえんだ。アレを見ると」


 そう言って田中は、作業中の織田の方を見た。
斎藤さんは織田から指示を受けていた。織田は事細かな指示を送り、斎藤さんはそれをメモする。
指示が終わると互いに曇りひとつない笑顔を見せていた。


「お前なら分かるだろ?」

「ああ」


 分かりきっていた。再度確認するのは辛い。
それより意外だったのは、俺以外の人も同じようなことを思っていたことだ。
知ったところで意味のないことだが。

 俺と田中は頷き合い、苦笑した後それぞれの作業に戻る。



 何枚の板にヤスリをかけたのか。汗を流しながら次の板に手につけようとすると、呼び止められた。


「あのう、佐藤君いいかな?」


 振り返ると、俺が一番苦手な男、織田と徳川がいた。
ヤスリがけを止めて彼らの方に向き直した。


「ごめん!! 康弘の名前を書いちゃって」

「俺からもだ。わりい佐藤。お前が言わなかったら思いつかなかったのに」


 二人とも頭を下げて謝ってきた。
なんでも斎藤さんから俺のことを聞いたらしい。斎藤さんは直接ではなく、遠回しに言ったようだ。
俺の面子を潰さないようにする配慮。実に斎藤さんらしかった。


「いいや、気にしていない。
どうせ俺が言っても、あそこまでみんなを乗り気に出来なかった。
それより、お前たちには期待しているぜ。頑張ってクラス展を成功させよう」


 そうすれば、おこぼれで俺の出番が来るかもしれないから。


「うん、頑張ろう!!」

「おう! 任せておけ!!」


 もう一度頭を下げると彼らはそれぞれの担当場所に帰っていった。
話してみると、意外と悪いヤツラではなかった。

 その後は、ゆるやかに時間が過ぎていった。
教室の後ろにはダンボールと木材の山が出来上がっていた。
まだ足りない材料も多いが、まだ一ヶ月ある。


「今日はこれで終わります。みんなご苦労様でした」


 織田の挨拶でクラスメイトは散り散りになる。
明日の授業の心配をしながら、レールの境界線を跨いでいく。
一人、また一人と教室から人が消える。

 一人の女の子がこちらに来た。
彼女は俺の顔を見るとクスクスと笑った。


「俺の顔になんか可笑しいところがあった?」

「ないよ。ただ、佐藤くんがさっきより良い顔になっていたから」


 「なんとなく嬉しくて」と斎藤さんは続けて今だにクスクス笑っている。
その表情を見て俺の頬も自然と緩んだ。嬉しさをもらったのはこちらもだ。


「じゃあまた明日ね!」

「ああ、またな」


 彼女は教室を出て行った。扉で見えなくなるまで俺に手を振っていた。
日が落ちて彼女の顔がはっきりと見えなかったが、きっと笑顔だった。
そう思いながら、俺もそっと教室から消えた。




 主人公だけしか見ていないと思っていたヒロインが、俺のことも見ていた。

 少しだけ嬉しかった。







[19023] 第三話 ~世界の端から こんにちは~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/08/31 10:28

 佐藤の表札がある家は近所に三軒あった。

 その中で、小さいながらも比較的新しいものが佐藤尚輔の自宅だ。

 玄関の扉を開け、家に入った。花瓶の近くにあるスイッチを入れた。
照明は二回ほど点滅を繰り返したあと、通路を明るくした。


「ただいま……」


 俺の声は虚しく響いた。返事が帰ってくることはない。
靴を脱ぎ靴箱につっこんだ。毎日俺以外の靴が動くことはない。

 階段を上がり、自分の部屋に入った。憑依初日に目覚めた部屋だ。
漁りに漁ったがこの部屋で他に目新しいものが出ることはなかった。
他の部屋も同じように探ったが、めぼしい物は出なかった。

 鞄を机の上に適当に置き、学生服から普段着に着替えて下の階へ降りた。
台所で冷蔵庫の中を確認して今日の献立を考えた。


「焼きそばでもするか」










正しい主人公の倒し方 第三話
 ~世界の端から こんにちは~












 この家には誰もいなかった。正確に言えば『今はいない』になる。
佐藤尚輔になった日から、俺は佐藤の家族に会ったことがなかった。

 家に残された衣類や家具などから判断するにこの家に居たのは、佐藤と一人の男性。
たぶん父親だろう。単身赴任か、亡くなったのか。よく分からなかったが、
箪笥の奥から見つけた通帳に、毎週お金が振り込まれているため生活費の心配はなかった。

 通帳には無用心にも暗証番号が書かれていた紙が添えられていた。
そこには番号と佐藤のものと思われる殴り書きがあった。


『親父のバカヤロウ』


 俺は佐藤がどんな生活をしていたのかは知らないし、どんな家庭環境だったのかも知らない。
そして、これからも知ろうともしないだろう。

 知ったところで一文の得にもならないし、その親父が帰ってきたとしても困る。
ここに住んでいるのは佐藤の顔をした別人なのだから。


 ひとまず佐藤の事を考えるのを止めた。
考えても考えても答えが出てこない。堂々巡りするオチが見えていたから。


 俺はテレビをつけた。夕方ごろにやっている普通のニュース番組。
平淡な話しぶりをするアナウンサーの声をBGMにして焼きそばの下ごしらえを始めた。


「烏山首相は政治とカネをを巡る問題について『5月末までには決着する』と発言しました。
これに対して自社党の大沢議員は『早すぎる。今のままでは解決するはずがない』と発言し、波紋を呼んでいます」


 似ているようで少し違いがある世界。
地図に自分の生まれ故郷がないの知ってショックを受けたのは二週間前の出来事だ。

 ただ、ホームシックにはなりそうもない。
もともと大学生の時から一人暮らしをしていたし、放任主義の家庭で育った。
懐かしくは思えど、帰りたいとは思わなかった。


「あらよっと」


 キャベツ、人参などの野菜を中華鍋で炒める。隠し味の粉末コンソメを軽くふりかけ匂いを引き出たす。
麺はあらかじめレンジで温めておき、適度にほぐした状態にしておく。
豚バラを投入し、色が変わり始めたら麺も入れる。この時入れる粉末ソースは半分だけ。
 

「続いて、県内の天気です。猛烈な台風が週末にも本州に上陸する恐れが出てきました。
雲の中心を見ていただきますと、目がはっきりしていて発達している様子が分かります。
来週にも県内に直撃する恐れが高まっています」

「……」


 中心か。

 何をもって俺は物語の中心に行けたとするか。
俺が今まで中心に行くことをこだわっている理由も端っこの役を与えられた腹いせに近い。
小学校の学芸会で木の役をもらった子どもが本番で大声を挙げたくなるそれに近い。

 目立ちたいだけなら今すぐ織田の目の前で全裸になり、忘れられない人になればいい。
もちろん、そんな馬鹿な事はしない。というよりもしたくない。

 俺がしたい事は、『物語に関わること』だ。
あの感動的な名場面や、心を揺す振るようなエンディングに立ち会う。
これが、俺の目指していることだ。


 しかし、台詞もない木の役が関わるにはどうすればいいのか?


 麺が大分ほぐれてきた。残していた粉末ソースをふりかけた。
そこで醤油と砂糖を少々入れた。ここで気を付けるのは砂糖は全体にふりかけることだ。
一見、焼きそばと相性が悪そうな砂糖だがソースと絡むと化ける。
甘辛くなった焼きそばはご飯泥棒と言える存在に昇華する。


「よし、これぐらいか」


 男の焼きそばが完成した。これとご飯を一緒に掻き込めば今日の夕食は十分だ。
こってりとしたソースの匂いとご飯の湯気が台所に漂う。
机に食器を置いて箸も揃える。飲み物は織部焼の湯のみに入れた緑茶。
蛍光灯の光にコメの一粒一粒が反射して、俺に早く食べろと訴えかける。

 俺は慌てない。
ゆっくりと親指、人差し指、中指と両手を合わせていき胸の前に持ってくる。
この世の全ての生きとし生ける物へ、俺の糧になっていく者たちへ、そして農家のみなさんに。


「いただきます」


 まずはお茶を飲み、口に潤いを持たさせる。
安堵の溜息をつき気持ちをホッと落ち着かせ、ようやく箸に手を伸ばす。
狙いは焼きそば。油と絡んだ麺が憎たらしくかつ扇情的に俺を誘っている。


 箸が止まった。

 
「なんだと……」


 足りていない。決定的に足りていない。
意識がそこまで回りきらなかったことが俺の失態だった。
バスの整理券を取り忘れるような初歩的なミス。


 この焼きそばには紅しょうががのっていない。


 俺は紅しょうがの事がそこまで好きではない。あれば嬉しい程度だ。
だが、俺が紅しょうがを必要とするのは別の理由がある。


 それは彩りである。
 

 茶色の塊に紅色を付け加えることで、その塊は焼きそばとしてのアイデンティティを持つ。
土色一色ののままで妥協して食べる者は『食』を理解していない。

 動物が食事の際に彩りを気遣うだろうか。答えはNOだ。
彼らは食べ物の中に美しさを見出さずに、貪り食う。
食事の彩りとは人間であること、いや文化人であることの証明とも言える。


 だから、紅しょうがの一つぐらいと侮る事なかれ。
少しの手間は大きな満足へと変わるのだから。


 俺は急いで焼きそばにラップを掛けて、財布をポケットに入れた。
テレビを消して、玄関に鍵をかけて家を出た。向かう先は最寄のスーパー。
一ヶ月の間で見つけた裏道を使った最短ルートで行こう。
俺は裏道に向かって走り出した。



 裏道は暗い。進む毎に電灯の数もどんどん少なっていく。
スーパーまで徒歩七分程度。近くはないが遠すぎることもない。
もし女子ならこんな道は歩きたくないだろう。いつ襲われても可笑しくない。
しかしながら、俺は不良面の男だ。襲われることなんてないだろう。


「うへへへへ、いいじゃないか、嬢ちゃんよお。
俺たちと良い事しようぜ」

「い、いや! 離れて!!」 


 俺が襲われることはないだろう。
しかし、襲われている場面に遭遇することはあるらしい。
数人の男が一人の女子生徒を取り囲んでいる。しかも、どこかで見た制服。
薄暗い道のため顔を確認することができない。

 頭の中に天秤が現れた。右に紅しょうが、左に見知らぬ女の子。
揺れる、ぶれる、回る。天秤の針が二、三度交互に左右へと傾いた後、ようやく落ち着いた。
改めて確認する。男の数は四人。全員チャラチャラした服装、手には何も持っていない。
最善の方法を探す。よく漫画とかにある知り合いのフリをしてみようか。
俺は左手を挙げてフレンドリーにその集団に近づく。


「なんだよおめえは? こっちをジロジロ見やがって。
見せモンじゃねえぞコラッ!!」


 強制エンカウント。俺と彼らのファーストコンタクトは会話をすることなく終わった。
言葉という素晴らしきコミュニケーションツールを使う暇すら与えられない。俺は挙げたままの左手を降ろした。
男どもは舐めまわすような視線をこちらに向けている。野郎にそんな視線をされてもこれぽっちも嬉しくない。
俺は彼らを無視して女の子に近づく。やっぱり静越学園の制服だった。


「やあ、こんばんは。
こんな所で立ち止まっていると体が冷えるぜ。
さあ早く帰りな」

「えっ?」

「もう五月だけど今年は冷える。
おうちに帰ってホットミルクでも飲みな」


 俺は野郎たちがいない方向に女の子の背中を押す。
囲いから女の子は出た。彼女は一度俺の方に頭を下げると裏道を駆け出した。
男どもが呆気にとられている間の数秒の出来事。
野郎の一人が気がついたときには、女の子の後ろ姿は豆粒ほどの大きさになっていた。


「なな、なんにしてくれてんだよ、テメエは!!
女が逃げちまったじゃねええか」

「俺らに殺されてえのか、ああん?」


 男の一人が顔を近づけてくる。ヤニの臭いが鼻につく。
後ろに控えている男たちも口々に意味不明の罵倒を俺に浴びせた。
この場面で交渉という手段はなさそうだが俺は聞いてみた。


「なあ、あんたらあの女の子に何しようとしてたんだ?」

「何って、ナニだよ。分かるだろう、お前さんも男なんだからよお?」


 一人の汚らしい笑いにつられて、他の男たちも下品な声を出す。
あのヒロインたちの心が洗われるような清々しい笑顔とは真逆。
見ているものを不愉快にさせるだけの最悪の笑い声。

 気がついたら、俺の拳は醜男の土手っ腹に埋まっていた。
倒れる男。取り巻きの声が驚きへと変わる。


「むかつくんだよ……。お前らみたいな糞野郎を見ていると」










 数分後、チンピラどもは全員地面に倒れ臥した。
狭い路地裏に逃げ込み一対一の状況を作り出し、中段正拳突きを一人ずつ喰らわした。
積み重なるチンピラどもの屍。臆せず突っ込んでくる者も一瞬で同じ末路を辿った。
最後に路地裏で立っているのは俺だけだった。







 残念ながら、そんな展開になることはなかった。





 俺は逃げている。
こんなに走っているのは、それこそ学生時代の持久走大会以来だ。
振り返る暇はない。むしろ、チンピラどもが騒いでるため振り返る必要がない。

 一対四は流石に分が悪い。得物がないとも言い切れない。
こちとら一般人。白刃取りも胴回し回転蹴りもできるはずがない。

 男を殴り気取った台詞を吐いた後、
俺は包囲を抜けるため、倒れた男の方を目掛け猛ダッシュをした。
男が立ち上がる前に、完璧に退路を塞がれる前にだ。

 最初から全速力。足のギアを落とすことはない。
顔と脇腹を殴られ、右足にも一発蹴りを貰った。
しかし、俺は脱出した。

 しばらく走り続け、見覚えのある十字路を左へ曲がりすぐ物陰に隠れた。
身を小さく屈めて男たちが通りすぎるのを待った。

 子供の頃にかくれんぼで鍛えられたステルス技術をいかん無く発揮する。
息を潜め、動かすのは目だけ。見つかった時でも動けるような姿勢を保持。

 男たちが来た。
こちらには気がついてない。俺を見失って奴らは焦っていた。

 早く。頼むから早くどっかに行ってくれ。

 時間がゆっくりと感じる。喉が日照るように乾く。
時計の秒針が一周した頃になって、ようやく願いが通じた。
男たちは大声を挙げた後、去っていった。


 薄汚いコンクリートの上に座り、荒い息を落ち着かせる。呼吸をする度に殴られた脇腹が痛む。
小さく長く息を吸って吐く。それでも肺が詰まるような気持ち悪さを覚えた。


 俺はアホだ。


 なにをヒーロー気取りしていたのか。女の子を都合よく助けられただけで舞い上がってしまった。
隠された力や秘められた能力があるはずもない一般人なのに。
頭を使わず、ついカッとなってやったのが間違いだ。反省するしかない。


「消毒液に絆創膏にその他諸々、買い物が増えちまったな……」


 上を見れば夜空の中に幾つか星が光っていた。
大小明るさも様々ある星の中で、俺は弱々しく光る六等星の星を見つめた。

 ふと気づく。


「似ているなあ……」


 地球から見て明るい方から一等、暗いから六等。
プレイヤーから見て目立つから主役、地味だからモブ。
似たもの同士に親近感を覚えた。こんなに近くに仲間がいたとは。

 勝手に同族扱いされて六等星の方は迷惑かもしれないが俺は安心した。
あいつらの輝きも一箇所から見た場合に過ぎない。実際とは違う。
俺の方はどうなのか知らないが、違うと嬉しい。

 仕方ない。今は甘んじよう。この世界の端っこを甘んじよう。

 よく分からない男に憑依したとしても、自分の意見が通らなかったとしても、 
チンピラに追われようとも、俺はこの世界に自分の足で立っている。

 世界が優しくないのは今に始まったことじゃないさ。それはどこの世界でも共通事項。
殴られた頬がキリキリと痛むが、俺は六等星をニヤつきながら見る。


「あはははははっ、そうだよな。そんなもんさ」


 いつか必ず俺は中心に行く。
そうじゃなきゃ俺がこの世界にいる意味がわからない。

 六等星の明るさは地球から見ていたらいつまで経っても変わらない。だったら見る場所を変えればいいだけの話。
星は動かないが俺は動ける。もしかしたら俺には明るくなるための術があるかもしれない。


 重い腰を上げ、紅しょうがを買いにスーパーに向かう。

 そうさ、『今』は甘んじるだけさ。


 



[19023] 第四話 ~ういのおくやま もぶこえて~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/08/31 10:29
「買出しに付き合ってくれる男子募集中だよ!」


 教壇に立ち、司会役をやっている女がいる。


 ショートカットの彼女は連絡事項のついでにそんな事を言った。

 だが、天気が傾き始めている放課後にわざわざ出かける稀有な存在はこのクラスにいないらしい。
クラスメイトからの挙手がない。斎藤さんの声だけが教室に虚しく響いた。

 表向きは天気が悪いから挙手がない。だが、実際は違う。


 ここの男子は水面下で互いを牽制しあっている。


 この機会に委員長とお近づきになりたいのは、殆どの男子たちが思っていることだ。
ここで挙手をすれば至福の時間が約束される。その代わり、終われば周りは敵だらけ。
男子からの風当たりが強くなることは必然。昨日の友を今日の敵にしたくはない。

 彼らの頭の中にある天秤は上がったり下りしているのだ。
ほら、また前の席の山田と橋本が目配せをしている。

 だんだん斎藤さんの顔に焦りが出始めた。
そんな中、教壇に立つ彼女は机の上でダレていた俺と目が合った。
彼女の瞳は餌を見つけた猛禽類のように鋭く誇らしげになる。
狙いを定められたネズミの如く動けない俺に斎藤さんが尋ねてきた。


「ねえ、佐藤くんお願いできないかな」


 いい加減挙手の一つもしない男子にうんざりしていたのだろう。
そこには有無を言わせない迫力と圧力があった。


「ああ……」


 前の席の山田が明日から敵になることが確定したのもこの時だった。
俺は頭を垂れながら肯定の返事をするしかなかった。

 一つの違和感を抱えたまま。








正しい主人公の倒し方 第四話
 ~ういのおくやま もぶこえて~









「チクショウ、なんでオレまで行かなきゃいけねえんだよ」

「すまないな、田中。強いて挙げれば、道連れが欲しかったからだ」


 教室を出る間際、俺は教科書を枕に安眠していた田中を叩き起こした。
首根っこを押さえ、買出しのメンバーに強制的に加えた。
おめでとう、明日から君の周りも敵だらけだ。


「まあまあ、田中くん落ち着いて。
君たち二人なら、私も安心して荷物運び手伝ってもらえるから。
そうだよね、滝川さん?」

「はい……。お二人ともお願いします」


 丁寧にお辞儀までしてくれる滝川さん。彼女は『School Heart』においてサブキャラに位置する。
普段は控えめで、休み時間の度に文庫本を読んでいる姿が印象的だった。
肩まで伸びた黒髪と銀色の細いフレームをした眼鏡が彼女をより一層おとなしめに見せた。

 そんな彼女は斎藤さんと仲が良い。
その為今回の買出しメンバーは俺・田中・斎藤さん・滝川さんの四人で構成されていた。
不良面二人に、委員長と文学少女。なんともバランスが悪い。


「ところで、斎藤さん。
俺たちはどこまで買い物しに行くんだ?」

「駅を中心に雑貨屋とか回っていくよ」

「げえっ。意外と遠いぜ……」


 駅までの行くためには、この学園に坂を一度下る必要があった。
田中は恨みがましく俺を睨んできた。


「あの、もしかしてご迷惑でしたか……?」

「いやいや、そんなことない。
オレも丁度暇で放課後何をしようかと迷っていましたから。
人の役に立つためなら、オレ頑張りますよ!」


 田中は滝川さんの顔を見て、一瞬で表情と意見を変えた。現金な奴め。
なぜか斎藤さんはそんな田中の姿を見て、うんうんと頷いていた。



 駅はこの町の中心にあり、駅周りにはデパートやら服屋など様々なものが揃っている。 
休日になると旅行や出張などの多くの人で、この駅周りは賑わう。
他の町へ出るのに、ここの電車は大変便利らしい。

 俺はこの町から出たことがなかった。一度出ようと地図を開くも大半が知らない地名。
日本や東京など国名、主要都市は同じだった。けれども、そこに俺の故郷はなかった。

 知らない場所に出てもどうしようもない。
どうせ生活する分にはこの街で足りるのだからと、
そんな曖昧な気持が続いてしまい、いつしか俺の中で外に出る気持ちは失せていた。


「ふう、やっと着いたぜ……」

「なに溜息なんかついてるのかな、田中くん。大変なのはここからだよ」


 斎藤さんはあんなことを言っているが、田中がため息をつくのも仕方がない。
学校から駅まで徒歩で来たため、俺の首筋にも一粒の汗が伝っていた。

 バスを使わなかったのは経費削減、お小遣い死守という方針を打ち出した斎藤さんと田中のおかげである。
田中は自業自得だとしても、言い出しっぺであるだけに斎藤さんは息を切らしていなかった。

 驚いたことは、滝川さんも涼しい顔をしていたことだ。
この事を滝川さんに尋ねると「吹奏楽も体力が必要ですから」と笑って答えてくれた。


「さっそくだけど買い物を始めよう!
だんだん曇り始めてきているから早く終わらせようね」


 ビルの隙間から空を見上げると、灰色の雲が一面に広がりを見せていた。
青色の空は塩をかけたナメクジの如く徐々に消えていた。


「それじゃあ、滝川さんと田中くんは衣装用の布を担当。私と佐藤くんで文具は買いに行くから。
一旦ここでお別れだね」

「えっ?」

「分担した方が効率いいでしょ?
滝川さん、場所は分かっているよね?」

「はい。大丈夫です」


 田中だけが状況をうまく呑み込めていないようだった。
置いてけぼりを食らっている田中を無視して、斎藤さんと滝川さんは打ち合わせしていた。
確かに俺も四人で行動するものだとばかり思っていた。


「では田中さん、行きましょうか?」

「う、うん」


 田中は未確認生物を見たような不思議な驚きと戸惑いを持ちつつ滝川さんの後を着いていった。
それを見て斎藤さんは「終わったらドワールに集合だよ!」と言って、再びうんうんと頷いていた。
彼女の顔は、まるで自分で考えた悪戯が成功したような笑顔だった。


「じゃあ、私たちも行こうよ!」

「ああ」


 田中・滝川組に遅れること二分。俺たちも文房具屋に向けて出発した。









 斎藤さんが男子を連れてきたのは正解だった。

 俺の両手は、ガムテープ等の入ったビニール袋で埋め尽くされていた。
小物ばかりで一つ一つは重くない。ただ、塵も積もればなんとやら。二歳児の平均体重なみの重量になっている。
こんな大量購入が必要なのかと聞くと「ここで買った方が安いからね」だそうだ。


「お疲れ~。本当に佐藤くんが来てくれて助かったよ」


 ようやく俺たちの方の買出しが終わり、喫茶ドワールで田中たちを待つことにした。
喫茶ドワールは、ゲームによく登場する。俺は場所を知らなかったため、一度も足を運んだことがなかった。

 天井ではシーリングファンが回り、ウォールランプは暖かく店内を明るくしていた。
木製の椅子は統一感を出し、珈琲豆の心地よい匂いは気持ちを落ち着かせた。
小洒落た内装は、ここが名店であることの証明のように思えた。


「いい雰囲気だな。この店は」

「えへへっ。そうでしょ。私好きなんだこのお店」


 斎藤さんはまるで自分が誉められたかのように嬉しそうな顔をした。
コーヒーに角砂糖を二つ入れて、斎藤さんは話を続けた。


「このお店は織田くんに紹介してもらったんだよ。
お洒落なお店だったから気に入ちゃったんだ」


 自分でも眉がぴくりと動いたのが分かった。
たかが、話の途中で出てきただけの織田を意識してしまう。自分の女々しさに呆れてしまう。


 扉に備え付けれたベルが鳴る。
カランカランっと耳当たりの良い音を立てた方向には俺の友人がいた。
汗だくの男に涼しそうな顔をしている女の子。なんともアンバランスだ。

 店員が田中を案内すると、俺たちとは別のテーブルに連れてかれた。
俺たちが来た時から人が混み始めていたから仕方がない。


「滝川さんに食事が終わったら集まろうってメール出したよ」

「これで今回の買出しは終わったのか?」

「残念だけど、あとひとつ残っているよ。それも大きくて重いのが」


 ちまちまとフォークでいちごショートケーキを削りながら斎藤さんは言った。
コーヒーもちびちびと飲みながら、一口一口を愛おしそうに噛みしめていた。
あんなに美味しそうに食べてもらえれば、いちごショートケーキ冥利に尽きると言ったところか。

 なんとなく田中の席を見た。
買出し前の呆気にとられていた顔とは打って変わって、楽しそうに滝川さんと話していた。
重い荷物を運んだためか、田中の首筋に汗が流れていた。それに気づいた滝川さんがタオルハンカチで拭いてあげた。 
田中はゆでダコのように顔を真赤にしながら、うつ向いた。


「なかなかいい雰囲気だね。あの二人」

「そうなるように仕組んだ人が何を仰る」

「あっ……。バレてた?」


 急な分担に、四人席を予約せずに入った喫茶店。
それらをわくわくしながら実行していた彼女。
それでも気づかないのは、三つ奥の席でラブコメっている二人ぐらいだろう。


「滝川さんはね、田中くんのことが気になっているんだって」

「そうか」

「もともと大人しい子だからね。
佐藤くんが田中くんを連れてきた時に、私がなんとか出来ないかなと思って……。
これって迷惑だったのかな?」


 申し訳なそうな顔をして彼女は俺に聞いてきた。
俺の頭にサブとモブという単語が浮かんだが、すぐに消した。


「俺は当事者じゃないからはっきりとは言えない。
だけど、迷惑だったらあんな顔をしていないさ」


 俺は親指を奥の席に向けた。
そこには楽しそうに、そして少し気恥ずしそうに話している男女の姿があった。 


「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」

「どういたしまして」


 俺は無糖のコーヒーを飲み干した。
口の中に酸味と苦味が広がった。喉を通ると少しの甘さが出た。
最後に、独特な匂いだけが口に残った。


「俺からも質問があるんだけどいいかな?」


 今日指名されてからずっと心に引っかかている違和感。
喉に魚の骨が刺さった時よりもずっと大きいその違和感を、斎藤さんにぶつけた。


「なんで俺なんかを選んだんだ?」


 そうだ、どうして織田を選ばない。
こんな手頃に好感度を上げられそうなイベントに何故主人公が選ばれない。


「特に理由はないよ」


 あっさりと彼女は答えた。
飾ることなく、言い訳することなく、単刀直入に。
だが、納得し切れない俺の顔を見て、彼女は続けてくれた。


「そうだね。あるとしたら佐藤くんが難しそうな顔をしていたからかな」

「難しい?」

「そうそれ! 今だってしているよ。
この世界の全てを考えていますみたいな顔でつまらなそうなんだもん」


 彼女は両指で目を引っ張り、険しい顔を作った。
どうやらそれが彼女から見た俺の顔まねらしい。


「そんな酷い顔していたのか?」


 俺は彼女の顔を指さしながら答えた。


「なんか、私の顔が酷いって言われてるよう気がするんだけど……」

「違う。自分のことだ。
それにそんなことはない。
斎藤さんは可愛い。それこそ見惚れるぐらい」

「えっ」


 言い終わった後に気づいた。
だんだんと彼女の頬が朱に染まっていく。
彼女のショートヘアが少し揺れて、はらりはらりと元の位置に戻る。
そんな彼女を見て、触らなくても自分の頬が熱くなっているのが分かった。


「田中たちの食事が終わりそうだな!
そろそろ会計してもいいんじゃないか?
まだあと、一箇所残っているしな」

「う、うん。そうだね早くしないと!」


 気恥ずかしさを紛らわすように早口で言い立てた。
俺たちはレジに向かって歩き出した。お互いの顔を確かめることなく。









「ふぅ、やっとこれで終わりか……」


 俺と田中はホームセンターから持ってきた鉄パイプを学校の駐輪場に下ろした。
最後の一箇所は確かにきつかった。女子が荷物の半分を持ってくれたが、それでも鉄パイプは重かった。


「ありがとう~。また今度鉄パイプは教室に運べばいいから」

「お二人ともお疲れ様でした」


 足をぷるぷるさせながら斎藤さんはビニール袋を持っていた。
その様子は、さながら生まれたての小鹿のようだった。

 しかし、隣にいた滝川さんは平然と荷物を持っていた。
この事を滝川さんに尋ねると「吹奏楽も筋力が必要ですから」と笑って答えてくれた。
流石は吹奏楽部部長だ。


「今日はここで解散! みんなありがとうね」

「お疲れさん。さあ、帰るか!」

「そういえば、滝川さんと田中くんの家って同じ方角だよね?」


 田中はチラリと滝川さんの方を見た。
雲に呑まれた空を見上げ、コンクリートを見て、それから田中は口を開いた。


「あのさ滝川、迷惑じゃなかったら途中まで一緒に帰らないか?」

「……いいですよ。お願いします」


 そう言って滝川さんは笑顔で返した後、丁寧にお辞儀をした。
その時彼女は見逃した。田中が物凄く嬉しそうな顔をした瞬間を。

 二人が一緒に帰っていく後ろ姿を見て、斎藤さんは三度目の頷きをしていた。
なんともお節介な委員長なのか。


「佐藤くんとは家の方角違うから、ここでお別れだね」

「そうだな」


 彼女も俺も、あれから目を合わせていない。


「ねえ佐藤くん?」

「なんだ?」


 どんよりと広がったネズミ色の空を見ながら彼女は話す。
俺も見上げたが、すぐに飽きて止めた。


「世界って佐藤くんが思うよりもっと単純だと思うよ。
それこそサイコロみたいに」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ」


 灰色の雲から目を離し、ようやくこちらに目を向けてくれた。
透明感のある黒く済んだ瞳の中に俺の顔が映った。


「だから、迷ったり困ったら相談してくれると嬉しいな。
こんな顔をする前にね」


 また彼女は目を引っ張って俺の顔まねをしてくれた。


「そうだな。そうする」


 俺も自分の目を両指で引っ張って険しい顔をした。


「あははははっ。おもしろいよ」

「俺は面白いぐらいひどい顔なのか」

「そんなことないよ。
佐藤くんの顔、いいと思うよ。心もね」


 そう言って斎藤さんはすぐに走り出した。
手を振りながらこちらに顔を向けず、大きな声で「またね!」と彼女は言った。
俺の方も「じゃあな!」と大きな声で返した。

 斎藤さんの姿が見えなくなると、俺は走って学校の坂を下った。
ゲームとか主役とか物語とかそんなことを考えず、懸命に駆け下りた。


 それはどうしようもなく曇った日の放課後の出来事だった。





[19023] 第五話 ~群集など知らない 意味ない~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/09/05 22:46

「お前、実は女の子と付き合った事ないだろ?」

「へっ?」


 両腕を回しながら、俺は隣にいる田中に聞いた。
田中は、擬音に例えるなら「ドキッ!」という音が一番合いそうな顔した。


 俺たちは、運動場で準備体操をしている。


 天気は相変わらず良くない。
文化祭なら天候はあまり関係ないが、出来れば晴れていて欲しい。
その前に、この肌寒い気温で外に出なきゃいけないことが嫌だった。


「な、なんでお前はそんな事言うんだよ」

「この前の買出しでお前の反応が初々しかった。
見りゃ分かるだろう」

「……」


 前後に開脚をしてアキレス腱を伸ばす。
痛くなりすぎないよう適度なところで止める。
隣の男の体操は止まっていた。


「……はあ、お前の言うとおりだぜ。
俺は女子と一度も付き合った事ないよ」

「そうか」

「頑張ってお洒落に気を使った結果がこれだ。
みんなからアイツは遊び人だとか言われるし。
オレだって女の子と付き合ってみてえよ」


 田中の体操が再開された。
俺は体を前に曲げて、立ったまま長座体前屈の姿勢をとった。
ハムストリングが心地いい程度に伸びる。


「そんな事言って佐藤の方はどうなんだよ。
無駄に落ち着いたところあるから意外と多いんじゃねえか?」

「そうだな……」


 この世界に来てから、佐藤尚輔になってから、俺はまだ女性経験がない。
女の子の手を握ったことすらないことに気がついた。


「俺もないよ。まだ一人も付き合っていない」

「本当かよッ!」


 ひと際大きな声を挙げて驚く田中。
俺は田中からどんな目で見られていたんだ?


「お前たち、なに授業中に話しているんだ!!
私語は慎みなさい!」

「すみません~」


 体育教師に叱られ、俺たちは小声で会話を続ける。


「とりあえず、俺は田中を応援する。ガンバレよ」

「……ありがとな」


 照れくささを隠しながら、最後の深呼吸をした。
グラウンドに引かれた白線を見て、両手で頬を三度叩き気合を入れた。
大トラックに白線があるということは、今日は持久走になる。


 今日、勝負するしかない。
 









正しい主人公の倒し方 第五話
 ~群集など知らない 意味ない~










「今日は先週言ったように持久走を行うぞ。
男子は1500。女子は1000でやる」

「え~!!」

「うるさい! 口答えする奴らは3000走ってもらうぞ!!
男子は十分後に開始するからそれまでに足りないところを補っておけ」


 生徒たちは、グラウンドに散って各々自分の行動を始めた。
友達とお喋りをしている人もいれば、めんどくさそうに体を動かしている人もいる。
しかし、その中に一般人とは違う顔つきになっていく者たちがいる。


 その顔は言うなれば、勝負師。
 その男たちの瞳の奥には闘志が見え隠れしていた。


 女の子たちに自分のイカした姿を見せようと頑張る集団。
コンディションを最高潮に持ってこれるように黙々と調整している。
その押えきれぬ情熱を十分後に発散させようとしている奴らだ。


 もちろん、その中に俺も加わっている。


 断っておくと、俺の理由は女子より物語の中心に行くためである。
今日の持久走で起こるであろう一つのイベント。俺はある男の登場を待っていた。



 そいつは、俺が足首のストレッチしていた時に現れた。



「さあ織田伸樹よ! 俺と勝負したまえ。
柴田さんの前でお前の負けた姿を晒してやろう。
そして、俺は柴田さんのハートを掴みとろうぞ」


 その男、石川本一は大声を張り上げ登場した。
織田と徳川が声を出しているバカの方を見た。
遠くで柴田さんが若干引いている様子が見えた。

 石川本一。石川財閥の御曹司で、柴田さんに恋ごころを寄せる男。
俺や徳川ともタメを張れそうな体格。もみ上げまで後ろに流したオールバック。
黙っていれば二枚目。口を開けば三枚目とは彼のこと言うのかもしれない。


「どうした。勝負する前から怖気づいているのか?
ふはははは、この俺と勝負するのなら仕方あるまい」


 胸を張り、髪をかき上げながら挑発する石川。
俺の石川に対する第一印象は面白そうなバカだった。


「今の伸樹の実力だと勝てるかどうか分からないな。
止めておけよ、アイツに勝っても得られるものはないぞ。
何も賭けていないんだから」

「違うよ康弘。もう僕たちは賭けあっているんだ。
――男同士の熱いプライドをね」


 そこには、火花が散っていてもおかしくない織田と石川の睨み合いがあった。
それを見た徳川は両手を返し、呆れながら言った。


「伸樹がやるって言うなら、俺はお前を応援するよ」

「ありがとう。康弘」


 織田と徳川は拳をつくった右手同士を上から、下から、前から三度当てた。
その後、軽く抱擁をして互いの友情を確かめ、勝負の健闘を祈った。
それを見ていた女子の一部が、キャーっと黄色とピンクを混ぜた悲鳴を上げた。


 ゲーム通りに事が進んでいることを知って安堵した。


 俺の方は、軽いジョグとストレッチをしながら遠目で見ていた。
自分一人では上手く伸ばせない箇所は田中に引っ張ってもらう。


「佐藤もやる気満々だな」

「そういうお前もな」


 田中は先週までサボりたいとか言っていた。
たぶん滝川さんに無様な姿を見せたくないんだろう。
恋心は人を強くする。そんなフレーズが脳裏に過ぎった。


 この持久走の一位と二位は決まっている。織田と石川だ。

 ワンツーフィニッシュで終わるこの持久走の順位は、織田のパラメータで決まる。
勝っても負けてもイベントCGがあり、文化祭までの重要イベントでもあった。

 もし彼らが死闘を繰り広げている間に、俺が一位を取ったらどうなる?

 考えて欲しい。突然舞台上に知らない男が乱入してきたら、君はどう思う?

 それは、積み並べられたドミノを勝手に倒してしまうような痛快さ。
一枚倒れたドミノはパタパタと倒れていき、中心まで連れていってくれる。
そこで待ち受けるものは何だろうか? 想像するだけニヤついてしまう。


「おい、佐藤どうしたんだよ?」

「大丈夫、大丈夫。
取らぬ狸の皮算用を楽しんでいただけさ」


 体育教師の集合が掛かる。俺たちは走って向かった。
ウォーミングアップはこの気温に合わせて十二分した。
走る前から既に勝負は始まる。


 誰も知らない。誰も望んでいない中で、俺の挑戦は始まった。










 この無駄にデカい体と糞悪い目付きに感謝した。
少し目を細くするだけで大半の生徒はどいてくれる。
スタートラインは最前列を確保することが出来た。

 田中とははぐれてしまったが、代わりに織田と石川も最前列に陣取っていることが分かった。
他にもクラスメイトの顔がちらほら見えた。

 勝負師のような集団は女子から見えるように良いポジションに着く。
やる気ないの者たちは自ずから後ろへと流されていった。

 ある程度位置が決まってくると、体育教師はピストルを空高く上げた。
ああ、この瞬間が緊張する。聴診器を当てずとも自分の心臓の爆音が聞こえてきそうだ。


「位置について……よーい」


 視界良好、足回りOK。さあ、踏み出すだけだ。


「どんっ!!」


 足音が何十とも重なり、大きな地鳴りが起きた。
最前列にいた者は、そのまま先頭集団となりトップを走る。

 体を前に倒して、一歩ずつ動かしていく。
俺も漏れることなく、先頭集団について行くことが出来た。

 グラウンドを六周すると1500メートルになる。

 まずは、一周目。
誰がこのトップ集団にいるのか把握する。
数えると、だいたい10人ほどが集まっている。
佐藤、石川、田中などなど。驚いたのは、その中に相撲部主将、山田もいたことだ。

 100kgオーバーの体重から考えられないほどの軽快なステップだった。
巨躯を活かして、山田は内回りを陣取ろうとしてる。トラックに大きな回り道が作られる。

 俺はとっさにインコースから山田の前に行き、その回り道を回避する。
出遅れた者は山田という名の巨大な山を通らなければ行けなくなった。

 集団が別れた。
陸上部をトップにした9人のグループ。山田を先頭にした準先頭グループ。
俺の前には7人の頭が見えた。現在順位8位。悪くない走り出しだった。


「すー、すー。はあー、はあー」


 二回吸って、二回吐く呼吸を繰り返す。
なるべく意識して呼吸をし、肩に力を入れすぎないようにする。

 前の走者のペースが乱れる。一周目に全力を入れただけの奴だったようだ。
俺は息が切れかけた彼を抜いて7位になる。

 次の走者は、田中だった。


「おっす……、佐藤も頑張るなあ……」

「ああ……」


 簡単な挨拶をして、走りに専念する。
まだレースは長い。俺は田中の後ろに張り付いていくことにする。


「頑張ってね~!」


 トラックの外からは女子の声援が聞こえる。
彼女らは自分たちの番に備えて、体をほぐしながら応援している。
中には笑顔で手を振り返す男子もいるが、生憎俺にそんな余裕はない。

 後ろから威圧を感じる。
振り向きたくなるのを我慢し、ただ走ることだけに集中をする。
見なくても分かっている。後ろにいるのは徳川康弘だ。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 徳川が近い。
四回目のカーブに突入すると、俺はすかさずラインぎりぎりを走る。
中からは抜かせない。徳川がアウトコースから攻めてくる。
俺も少しだけアウトに膨らむ。


「ちっ!」


 後ろから聞こえる徳川の舌打ち。
不安要素はなるべく早く消えて欲しい。


「あと半分ッ! ここから気合入れていけよ!!」


 先頭の陸上部が三週目を終えたようだ。
十秒後には俺も三週目のラインを超える。勝負は半分を切る。

 だんだんと息が詰まってくる。しかし、ここが耐え時だ。
苦しい時間帯のデットゾーンが始まる。


 デットゾーンを耐えようとした矢先、スタミナ切れをした山田の巨体が目の前に広がった。
アメリカ車のような燃費の悪さ。あの軽やかな足使いはもうなかった。
同じトラックを走っているので、周回遅れは仕方ないことだが邪魔すぎる。


 カーブが終わってからストレートで抜こう。

 俺が伏せていると、徳川が勝負を仕掛けてきた。
ここは我慢するしかない。

俺は徳川を見逃し、前を走らせる。代わりに、俺は田中から徳川に切り替えをする。
田中とすれ違う時に、黙ってアイコンタクトを交わす。
ストレートに入ると、山田を抜き去り徳川を追う。

 徳川がさらに一人抜き、俺も抜いたため順位は6位となる。
残り五人。トップから陸上部が二人、石川、織田、徳川になる。

 足首とふくらはぎに熱が籠ってくる。
顔をしかめながら、腕を振ることだけを考えるようにする。
頭の中からネガティブなイメージを排除させる。


 事件は四週目、1000メートル付近で起きる。


 トップを走る陸上部が転び、それにもう一人も巻き込まれた。
その間に俺たちが抜き去り、順位は二つ繰り上がり4位。
これでゲーム主要キャラがトップ3を独占した。

 俺は彼らに金魚の糞のごとくしがみついてく。

 待っていれば、彼らは駆け引きを勝手に始める。俺はそれを知っている。
徳川はギアを上げて、一気にトップまで詰める。
これはブラフだ。石川のペースを乱すための徳川のお節介。
織田は知らないはず。


「……」


 俺は黙々と走り続ける織田の背中にぴったり付く。 
俺たちは石川と徳川の走りを傍観する。

 競り勝ったのは石川だ。

 ここまではゲームの展開通り。
織田が徳川を抜き去るとき「アホ」と口パクをしていた。
それを見た徳川は、笑顔で親指を立ててみせた。

 勝負は終盤、ようやく体の隅々まで酸素が行き渡ってきた。
体が今までよりずっと軽く感じて、何処までも走れそうな気分になる。
脳内麻薬を垂れ流しながら、二人を睨む。


 これなら、イケる。


 ペースがやや落ちた石川に織田が喰ってかかる。
次のカーブまでに決めないと、残りは一周になる。
俺も足の回転を早めて、仕掛けに出る。


 やるなら、今しかない。


 周回遅れにした奴らを縫うように避け、織田の手前まで追う。
スライドの大きさなら俺の方が圧倒的に有利だ。


「伸樹ー! がんばー!」

「ここで気合見せろよ、石川!」

「二人ともラストだぞ!!」


 終わりに近づき、観客の声も大きくなる。
見学していた男子も、体操している女子も固唾を飲んで見守る。
体育教師は時計を見つめ、タイムを確認している。


「良いタイムだよ、あんたら!! さあ、ここからここから」


 残り250メートル。あと一分もしないでこのレースも終わる。
織田と石川が一度横に並ぶ。観客の声が聞こえる。


「おおおおおっ!!」


 しかし、石川が振り切りカーブまで逃げ切る。これでチャンスは二回。
勝負をするなら、次のストレートだ。最後まで待つ賭けは分が悪い。

 俺は、張り付きを辞め、腕を大きく後ろに引き始める。
歩幅も大きく、呼吸も早めのテンポに切り替える。

 織田を捉えた。俺は織田と並び、一歩先に出る。これで二位。
石川の後ろから右足を出し、ついに一位になる。


 勝った!!
こんな展開はゲームになかった。
どのルートでも、どの分岐でも背景キャラが勝負に絡むシーンはなかった。
自分の足で物語に着々と近づいている。

 応援している女子の声が一際大きくなる。
俺の後ろではとうとう織田が石川を抜いたようだ。
しかし、そこでようやく俺は気がついた。


 
 誰一人として観客は俺を見ていないことを。



 俺の勘違いや気のせいではない。運動場にいる全ての視線は俺の後ろへと注がれている。
織田と石川こそが本当の先頭であると言わんばかりに。

 俺は確かにここにいる。こうして体を動かし、一位をキープしている。
織田は二位で、ゲームシナリオとは違う展開にさせたのに。

 なんで、誰も俺を見ていないんだ?

 まるで自分が背景と同化しているような気分になる。
俺は空気。俺は草木。俺は地面。存在していることを意識されないもの。


「ウオオオオオオオオッ!!」

 
 無駄な大声を張り上げて自分の存在を主張する。
けれども、それもただ虚しく響くだけで、残ったのは疲労感。

 なあ、少しでもいいから俺に振り向いてくれよ。 

 直線が終わり、最後のカーブに突入した。
あと100メートルもしない内に持久走は終わって、このイベントも終わる。

 顔を上げれば、最終コーナーに斎藤さんが立っていた。
彼女は手を振って応援してくれている。


「あと少しだよ。ファイトっ!!」


 それは俺に対してではなく、後ろ側にいる奴に。俺を通り過ぎて、織田へと贈られる。

 斎藤さんのエールはゲームでもたぶんあった気がする。
いや、あったはずだ。そうに違いない。だから彼女は織田を応援しないといけないんだ。

 緊張の糸が切れる。

 息苦しさを急に感じる。鉄球を引きずるような重さが足にのし掛る。
足の回転はゆっくりと遅くなって、その間に織田と石川に抜かれて、ゲーム通りの展開になって……


 一位になったのは織田だった。柴田さんが喜んで織田に抱きついていた。
織田は顔を赤らめて、徳川は満足していた。それを見て、石川が悔しそうに地面に倒れ込んでいた。
けど、もうそんな事はどうでも良かった。

 俺はなにも変えるが出来なかった。そして、なにも出来ない事を知った。









「おい、早く校舎に入ろうぜ」


 田中は一足先に校舎に向かって走り去った。
男子の持久走が終わると共に雨が降り出し、女子の持久走はなかった。


「……」


 ビチャビチャになった体操服が気持ち悪かったが、俺は校舎まで走れなかった。
運動場からは、どんどん生徒が消えていく。俺はさっきまで必死に走っていたトラックを見つめた。
そこで俺は一人の男を発見した。

 石川本一は、トラックの真ん中で大の字になって倒れていた。


「おい、そんなとこにいたら風邪引くぞ」


 自分も言えた義理ではないことは分かっていた。
しかし、なんだか俺は石川のことを放っておくことが出来なかった。


「なあ、そこのお前。
どうして柴田さんがこの俺に振り向かないか分かるか?
なんでこの俺が織田伸樹に勝てなかったか分かるか?」


 石川は倒れたまま俺に聞いてきた。


「そうだな……。前者はお前の攻めが強すぎるからだな。
アタリが強すぎてもいいってモンじゃないだろう。
後者は織田伸樹が――」


 主人公だから。そう答えたかったけど俺は言えなかった。


「女神様から祝福でも受けているからじゃないか」 

「なんだその答えは? 運が悪かっただけとでも言いたいのか」

「そんなところさ」


 雨が強くなる。遠くの景色が見れないほどだ。
俺の解答を聞いた石川は口元を緩めた。
そして、なにが可笑しいのか突然笑い出した。


「そこの茶髪、俺はお前の事が気に入った。名を何と言う」

「名前を聞くときは先に名乗れよ。
小学生の時に先生に言われなかったのか?」

「失礼した。俺の名は石川本一、石川財閥の社長になる男だ」

「俺は佐藤尚輔。そこいらにいる平凡な学生だ」


 俺は右手を差し出し、石川を引き起こした。
その右手同士は解かずに、固い握手へと変えた。


 こうして、俺は舞台に登れる資格を持つ男と友達になった。




[19023] 第六話 ~タイフーンがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/08/31 10:32
「強烈な台風が市内を襲っています。御覧下さい!! 強風により木がしなっております。
地域住民の姿も見当たらず、歩くことすら困難な状況です。
外には出来る限り出ないようにお願いします」


 テレビの中にいるリポーターは雨に打たれながらも必死に実況をしていた。
あと、二時間程で俺の住んでいる地域にも台風がやって来る。
学園からは既に休校の連絡が廻っており、今日は学園に行かなくても良い。


「この芳ばしい香り……。やはり珈琲は至上の嗜好品だ」


 八時になっても学校の支度をせず、のんびりしている。
俺はコーヒーを沸かして、リビングでくつろぐ。
香りを少しだけ嗅いで、一口啜る。そして、叫ぶ。


「なんて最高の日なんだ!!」


 雨というものは人間に制限をかける。
しかし、その制限こそが逆に人間の本能をくすぐるのだ。
制限されたものを解禁へと向かわせるプロセスが人間を衝動的にさせる。

 雨音が五月蝿いので、いくら騒いでも隣の家に迷惑をかける心配もない。
久々に訪れた休みを満喫すべく、日頃溜まっていた鬱憤を叫んで解消する。
ああ、一人暮らしは素晴らしい。

 要するに、俺は学生らしく休日を楽しんでいるのだった。

 俺はこの抑えきれないテンションを、何かにぶつけることにした。
さっそく目についたのはテレビゲームだった。
ある程度揃っていたソフトから俺が選び出したのは、ゾンビを打ち倒していくゲームだった。


「ひゃっはー! ゾンビは消毒だー!!」


 普段なら見せないようなテンションで俺はゲームを進めていく。
きっと誰かに今の俺の姿を見られたのなら軽く首を吊って死ねる。

 画面上に現れた怪物たちを火炎放射器で一掃する。
次々と倒れていく彼らは、俺のストレス解消の道具でしかない。

 武器を切り替えて、接近戦を挑む。銃で対抗していくのが普通だが、今の俺を止めるものはなかった。
鈍く光る銀色の棒を装備して、ゾンビが密集している所で振り回す。


「あっ……」


 最近どこかでゲーム上の武器を見た気がする。ステータス画面を開いてすぐに確認する。
そこに映し出された文字は『鉄パイプ』。


「置きっ放しだよな……。鉄パイプ」
 

 斎藤さんが今度教室に運ぼうと言ったまま放置されたままの鉄パイプ。
スペースがなく、一本は駐輪場近くに立てかけて置いた気がする。
このままにしていたら、絶対に倒れて他のクラスの材料や展示物に被害を出す。

 すぐに動きやすそうな格好に着替える。
鍵をかけて外に出ると、案の定雨と風が出迎えてくれた。向かう先は、静越学園。目的は鉄パイプの移動。
ゲームで発散しなくても、俺のテンションはすり減っていた。








正しい主人公の倒し方 第六話
 ~タイフーンがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!~








 嵐の前の静けさ。
そうまでもいかないが、雨風は思ったほど強くない。
学園まで走っていけば十数分で到着するので、俺は急いで向かった。

 田中と石川に応援を頼もうとしたが、電車が止まっているため来られないらしい。
仕方なく俺は一人で、学園の坂を雨に打たれながら駆け上がった。
 
 目的地に着くと俺は愕然とした。 


「あはは……。なんだよ、これは」


 鉄パイプの周辺には、置いた時よりも倍の荷物が積まれていた。
文化祭が近くなったからだろう。鉄パイプを取り出すにはそれらを一旦どかす必要があった。

 俺は傘を閉じて、一つずつ運び出した。
全身を雨に晒されながら、他のクラスの木材なども移動させる。徐々に雨は強くなっていた。

 なんで俺がこんな事しないといけないのかという気持ちもあった。
しかし、ここまで来てしまったのだからやり通そうという意地があった。

 10個程度運び出すと、ようやくお目当ての鉄パイプに出会った。
久しぶりの再開。やあ、元気だったかい鉄パイプ。雨の降りしきる中で二人っきり。
なんてロマンティックだ。君を持ってゾンビを殴り倒したら爽快だろうな。
くだらないことを考えながら安全な場所に運ぶ。

 だが、鉄パイプは言う事を聞かない。

 俺は焦った。鉄パイプは確かに重かったが、一人でも持てる重量。
この前との違いは田中がいないことだ。支えになってくれる人がいない。
引きずっていけば何となりそうだが、跡が付くことが怖い。

 吐く息は白くなった。早く帰って風呂に浸かりたかった。
もう一度ホットの珈琲を飲みながらゾンビ倒しに興じたかった。
一方的に攻めれたボクサーのように雨というパンチに打たれ続けた。


「あれ、佐藤くん?」


 名前を呼ばれたので振り返ると、そこには可愛らしい水玉模様の傘を差している斎藤さんがいた。
しっかりと制服を着込んで、不思議そうな目でこちらを見ていた。

 この前のマラソンの事などが一瞬脳裏を掠めた。
だが、そんなことより目の前の最優先事項をなんとかしないといけない。


「斎藤さん、早くパイプの端を持って!!」

「えっ!? う、うん。分かったよ」


 斎藤さんも傘を仕舞い、鉄パイプを持った。なるべくこちらに重さが来るように俺は持ち方を変えた。
二人がかりでやっと鉄パイプを移動することが出来た。
パンチを貰いすぎた俺は、朦朧としながらパイプを仕舞った。


「よし、終わった。解散」

「ち、ちょっと待ってよ!」


 俺は引っ張られて、屋根の下に移動した。
俺の手が冷えすぎていたためか彼女の手は暖かい。
これで二回目か。相変わらず彼女は強引だった。けど、嫌じゃない。


「ほら、これで拭いて」

「斎藤さんも拭いた方が――」

「これでも言えるの?」


 彼女の持つ手鏡に映る俺は、ずぶ濡れだった。
水もしたたりすぎた男は、どうやらイイ男ではなくなるらしい。
手渡されたタオルハンカチで軽く顔の周り拭いた。
花の匂いのような良い香りがした。


「こんな時によく手鏡なんか持っているな」

「えへへっ。それは私が女の子だからですよ」


 俺はポケットからハンカチを出した。こういう几帳面さは社会人の常識。
持っていない物だと思っていたのか彼女の顔に驚きの表情が浮かんだ。
彼女に、ずぼらな人間と思われていたのかもしれない。


「でも、鏡は自分の顔を見るもんだ。これで拭いてくれ」

「あ、ありがとう」


 
 いつものふわっとしたショートヘアは濡れて、しっとりと真直ぐ伸びている。
吐く息も白く、ハンカチで体を拭く彼女。それは、湯上りを思わせるようで魅力的かつ扇情的だった。
屋根の下で、互いのハンカチを交換して顔を拭いている男女。奇妙な風情があり、乙なものだ。


「そろそろ帰ろうか。
ハンカチは洗って返すから」

「私も洗って返すね」


 それぞれの傘を広げた。その時起きた突風。
彼女の可愛らしい傘と俺の没個性なビニール傘はコウモリ型から一転、ワインを入れるようなグラス型へ変わった。
戻そうとすると、骨組たちがバキバキと音を立てて壊れていった。斎藤さんは涙目になった。
水玉の傘だったものに愛着があったらしい。

 俺たちは帰る手段を失った。









「うん……。友達もいるから……。じゃあお願いね」


 斎藤さんは携帯電話を切るとため息をつきながら、こちらを向き直した。


「あと30分ぐらいで父さんが来てくれるって。
佐藤くんの方は家への連絡いいの?」

「俺は一人暮らしだから、連絡取っても意味ないんだ」

「へえ、一人暮らしだったんだ」


 なにを納得したのか腕を組んで一人で頷いている。
今更気づいたが、これは彼女の癖のようだ。


「ところで、佐藤くんはよくこんな雨の中一人で来たね」

「斎藤さんもね」

「私は頭で考えるより体が動くタイプだから」


 俺もここにいるということはそっちのタイプのようだ。
荷物を運ぶことを考えておけば、お互いカッパで来るなり、援軍を呼んだはず。


「この前買った鉄パイプ置きっ放しだったことに気づいた時は慌てたよ」

「俺もそうだ。あのままだったら絶対に倒れていたからな」


 自分たちのクラスの分を壊したならまだ良いが、他のクラスの物を壊したら大変だ。
本当に斎藤さんが来てくれて助かった。


「それで斎藤さんはなんで制服で来たんだ? 今日は休校なのに」

「休校だけど、平日に学園に来るなら制服じゃないと行けないのかなって思ったんだよ」


 彼女は「そんな必要はなかったけどね」と舌を出しながら続けた。

 こんな律儀さがあるから彼女は委員長なんだろう。
静越学園の制服はチェックのスカートに、リボンとラインの入ったベスト。
今はベストが濡れてしまったので、斎藤さんはベスト脱いで長袖のオーバーブラウスになっている。
もう一度彼女の制服を見た時、俺は気づいてしまった。


 彼女の背中で、水色のブラがちらりと透けて見えることに。

 
 斎藤さんとは横並びなっているため、前は見ていない。
前もどうなっているのか確認したくなる自分を必死に抑える。
いやらしさと浅ましさに自己嫌悪しそうになる反面、「しかたないさ……君は男だから」と諭してくれる悪魔がいる。

 意識しまいと思うほど、意識が持ってかれてしまう。まさに泥沼。
この程度のハニートラップに掛かるほど俺は飢えているのだろうか。
ずっと悪魔が「YES! YOU CAN!! YES! YOU CAN!!」と叫んでいる。死ね、悪魔。


「な、何しているの?」

「ヒンドゥースクワットだ……」


 二人っきりの屋根の下で、女を差し置いて下半身運動の王様をする男。気持ち悪い以外の何でもない。
煩悩という悪魔を退散させるには、百八回の鐘つきかこれしかなかった。

 ようやく悪魔を撃退した頃には10分経過していた。先ほどより息が白くなっていた。


「お、おつかれさま~」

「ああ」


 しばし無言が続く。当然か。
いきなりスクワットを始めた男になんて声をかけたらいいか分からないもんだ。
俺だって分からない。もし、知っている人がいたらソイツはスクワットマニアかその友人だろう。


「あのさ、なんで突然スクワットしたの?」


 ああ、スクワットが終わったらこうやって声をかければいいのか。
俺は無駄な知識を一つ斎藤さんから学んだ。だから、お礼に素直に答えた。


「斎藤さんのブラストラップが見えて、煩悩を封じ込めるため自分と戦った」


 綺麗な平手打ちを喰らったのは数秒後だった。
彼女の右肩を中心に弧を描いた右腕はスナップを効かせたまま、俺の左頬を叩いた。
人生で初めて母親以外の女性から叩かれた。ジンジンと染みるような痛さが残った。
殴られた後に気づく。なんでこんな馬鹿な解答をしたんだ。

 きっと雨に打たれて思考能力が低下していたからとか、煩悩を打消しきれていなかったからとか、言い訳だけがポンポンと浮かぶ。
けれど、それは意味のないことで再び俺と斎藤さんの間に沈黙が始まった。

 雨と風は暴徒と化していた。雨が大好きなアマガエルさんたちもこんな天気を望んでいないはずだ。
彼らのゲコゲコと喧しい合唱が打ち消されてしまうから。可哀想なカエルさんたちだ。

 俺はつまらない現実逃避を止めた。


「……さっきはごめん。変なこと言って」


 諦めて、俺は斎藤さんに話しかけた。非がこちらにあるのだから仕方がない。


「……いいよ。佐藤くんだって男の子だもん。気にしちゃうのは仕方ないよ」

「じゃあ、見てもいいのか?」

「ダメ」


 重かった雰囲気は冗談が言える程度に軽くなった。良かった、まだ見放されていない。
その後は俺たちは当たり障りのない会話をして過ごした。授業のこと、友達のこと、好きな音楽のこと。
なるべく斎藤さんの方を向かないようにして。

 話題が途切れ途切れになった時、俺はこの前気になったことを聞いた。


「前に世界はサイコロにみたいに単純って言ってたけど、どういう意味なんだ?」

「う~ん、そうだね……。頭の中に六面サイコロを思い浮かべてみて」


 頷いた後、頭の中に立方体を描く。そこに20個の黒点と1個の赤点をつけていく。


「出来た? 次はそれを手のひらに置いたイメージを持って」

「こうか?」


 頭の中にあったサイコロを右手の上に移し出す。俺は架空のサイコロを優しく握る。


「サイコロを振ってみて」


 言われた通りに、振る真似をする。
右手から立方体は転がり落ち、コンクリートの上でくるくると回る。
やがて一つの面に落ち着く。


「何の数字が出た?」

「……3だ」


 適当に思いついた数字を口にする。
その数字を聞くと彼女はふむふむと頷いて満足したようだった。


「それが世界の全てだよ」

「数字の3が? 42じゃなくて?」

「違うよ。佐藤くんがサイコロを振って出した数。
それが世界の答えなんだよ」


 ぽかんと口を開けたまま理解出来ていない俺を見て、彼女はクスクス笑った。
意地悪な謎々を出して旅人を困らしているスフィンクスのように。


「サイコロはね、1から6の数字しか出ないんだ。
だから、佐藤くんも7とか0とか言わなかったんだよね」 

「あ、ああ」

「小学生でも何の目が出たのか分かるよね。
たとえば、双六で3の目が出たら佐藤くんはどうする?」

「進ませるしか無いだろ。それがルールだから」

「3マス先に『一回休み』の文字が見えていても?」

「……ああ」


 彼女は一回俺から視線を外して、雨の様子を見た。
当たると痛そうな強さで雨は降っていた。


「人生のサイコロを振る前には、いろんな可能性があるんだ。
サイコロを振っちゃったら、どんな目でも進まなきゃいけない。
けど、ただそこに行くまでに努力をすればいいんだよ」


「そうすれば、一回休みもなくなるよ」と彼女は続けた。


「意外と単純じゃないな」

「ううん。自分が頑張ればいいだけだから、単純だよ」


 彼女は笑って答えた。俺はその表情を見ると首を縦に振ることしかできなかった。
彼女の言葉の意味を考えていると、俺の視界に光が入った。

 白のセダンが屋根の前に止まった。運転席の窓を4分の1ほど開けて、男が顔を出した。
白髪混じりで細目の人の良さそうな男だった。


「ご苦労様だったね、裕(みち)。さあ早く乗りなさい。
確か佐藤くんだったかな? 君も乗りたまえ」


 斎藤さんは俺に顔を向けて「父さんだよ」と言った。








「いやあ、大変だったろう。この酷い雨の中だ。
これでも飲んで暖かくなりなさい」


 俺はタオルで濡れた箇所を拭きながら、斎藤さんのお父さんの話を聞いた。
悴んでいた指には、渡された暖かい缶コーヒーはありがたかった。


「ありがとうございます」


 ふむふむと満足そうに頷いている姿が斎藤さんとかぶった。
あの癖は親から引き継がれていたのかと妙な納得をした。


「ところで、佐藤くん。尋ねたい事があるんだがいいかな?」

「はい、なんでしょうか?」

「娘とはどこまで進んだんだい?」


 この人は車を器用に操りながら、そんなことを聞いてきた。
飲みかけていた缶コーヒーを吹き出しそうになるが、必死に抑える。
助手席に座っていた斎藤さんは缶を落としそうになるが、なんとか落とさなかった。


「なに言ってるのよ、父さん!!」

「はははっ、裕が最近話題に出す男の子のことが気になってね。
娘の恋心を心配する。これも一つの親心さ」

「わ、私たちはそんな関係じゃないよ。ねえ?」


 斎藤さんは、こちらに首を向けて尋ねてくるが俺は曖昧な返事を返すしかなかった。
「そうです」「かもしれませんね」「おおよそは」こんな感じで。


「見た目は少しおっかないけど、礼儀正しい。
力も強そうだし、この手のタイプの人はいざという時頼りになる。
うん、及第点だ」

「父さん、おっかないとか失礼だよ! それに及第点ってなに!?」

「そりゃ、我が娘に相応しいかの点数さ。斎藤に佐藤。なんだか似ているな。
どうだい佐藤くん、うちに婿入りしてみないか? 結婚しても苗字はさほど変わらんぞ」


 呆れ果てたのか斎藤さんがこれ以上口を開くことはなかった。
フロントガラスに当たる水滴は大きな玉になって後ろへ流れた。
水滴の隙間から見えた景色は、自宅近くのものだった。


「ここら辺りじゃないかな?」

「そうですね。次の交差点を右に曲がってから見える小さい家です」

「あれかい? いいね、新築じゃないか」


 佐藤家の前で白のセダンはピタリと止まった。
雨が入らないようにしながらドアを開けた。


「今日はありがとうございました」

「少しいいかな、佐藤くん」


 斎藤さんのお父さんは窓を開けて、俺を呼び止めた。
手招きまでされたので、俺は顔を近づけた。


「ああ見えても、あの娘はなんでもかんでも突っ走る癖があってね。
君ならそれを止められると思うんだ。よろしく頼むよ」


 斎藤さんに聞こえないような小さな声で彼は言った。
俺がもう一度何を言ったのか聞き返そうとする前に、車は発進した。

 俺は頭を掻きながら、誰も待っていない家に帰った。




[19023] 第七話 ~ある日サブと三人で 語り合ったさ~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/06/12 17:03


「ふむ、佐藤の言う通りだったな。学食も悪くない。
俺はこの『レギュラーカレー』の庶民くささが好きになったぞ」

「ああ、別名『具なしカレー』のことか」


 学食のおばちゃんに聞くと、よく煮込んだから具がないらしいが真相は定かではない。
ただし、量だけはある。あの相撲部部長山田の大好物なだけはある。

 俺は田中と石川と一緒に三人で学食で昼飯を食べている。
不思議なことに先ほどからずっと田中は無言のままだった。
何か言いたげなのを我慢し、時折グラスに入った水を飲んでいるだけだった。


「どうした田中? 何かあったのか」

「で、デートをしよう――」

「えっ?」


 田中の言葉を聞いて俺は箸を、石川はスプーンを落とした。
彼の頬は、まるで初夜を迎えた生娘のように赤く染まっているではないか。
硬直――学生食堂内で俺たちのスペースだけ時が止まったように思えた。
俺と石川が、停止から復帰するのには数十秒を要した。


「……いいか田中。俺とお前は友達だ。
それに間違いはないがそれ以上いけない。親友が限度だ」

「その通りだ。愛の形は人それぞれだが、お前が行こうとしているのは茨の道。
止めはしないが、其れ相当の覚悟はできているのであろう?」

「ち、ちょっと待てよお前ら! オレがいつ同性愛者になった!!」


 今度は佐藤たちだけではなく、周辺にいた人たちまでが反応した。
好奇の視線が消え去るまで、気まずい空気を耐えるしかなかった。


「違ったのか?」

「ちげえよ。俺は今度の週末に、滝川をデートに誘おうと思っていたんだ。
それをお前たちが途中で区切るから、変な風になっちまったんだよ」

「はは、そうだったか。失礼したな」


 石川のその謝りは、形式上のものに近かった。俺の方は我関せず味噌ゴーヤ丼を食った。
味噌の甘みがゴーヤの苦味と絡み合い、非常に旨い。

 石川を田中に引き合わせたのは数日前だった。
偉そうだが、自分のことは鼻に掛けない。そんな石川と田中はすぐに打ち解けた。
今では、こうして三人で学食にいることが多い。
 

「お前って女子と付き合った事ないんだよな。大丈夫なのか?」

「ああ……。だけどよ、まあ頑張ってみるぜ」

「そうか」


 今度、豚バラが安い日に味噌ゴーヤチャンプルを作ろう。
俺はそんな事を考えながら、田中の話を聞いていた。










正しい主人公の倒し方 第七話
 ~ある日サブと三人で 語り合ったさ~










「まずは、今週末のテスト合格しなきゃいけねえぜ。
クリアしねえと土日が補習になるからな……」

「田中よ、お前は勉強が苦手なのか?」

「二人と違って、補習授業常連者なんだよ」


 マヨネーズをあえてもいいかもしれない。味噌とマヨは相性がいい。
むしろ、完成した後にマヨをぶっかけてみてもいいだろう。
夏でもガツガツ喰っていけるようなこってりさが出るかもしれない。


「お~い。佐藤聞いているか?」

「ん? やっぱりぶっかけた方がいいかもしれないな」

「はあ? 何を言ってんだお前は」


 頭の中からゴーヤを一旦消して、真面目に話を聞くことにした。
どうやら今度の金曜日にある日本史のテストのことらしい。


「石川は勉強よく出来るからなあ。この前の期末にも掲示されていたし」

「忌まわしき英才教育のお陰だ。小学生の頃に友人と遊んだ記憶がない。
今は助かっているが、後悔もしているぞ」

「オレは今後悔しているよ」


 とほほっとため息をつきながら田中は言った。
テストで成績優秀者の上位10名は掲示板に貼り出される。
その横に貼られるのが、補習組の成績劣等者になる。


「でも、意外なのは佐藤も最近成績が良くなった事なんだよな」

「えっ、俺か?」

「あんまし話さなかったけど一年生の頃は、お前とよく補習してたんだぜ。
それなのに、二年になってから一度も補習教室に顔を出さねえもんな」


 勉強は好きではなかったが、今なら効率良く出来る。
仕事相手の顔を伺うことや採算が合わない数字と睨めっこするより遥かに楽だ。
そういえば、分からない箇所を教師に聞きに行ったら驚かれたことがあったな。
俺が来る前の佐藤とはそういう生徒のようだ。


「一生のお願いだ。頼むから俺に勉強を教えてくれッ!」


 学食の机に両手と頭をつけて頼む田中。
もし机がなかったら彼は土下座していたかもしれない。それほど気迫の篭った申し込みだった。


「簡単に一生分を使うではない。手伝いたいのは山々だが、すまない。
この一週間は部活がある。佐藤の方はどうだ?」

「俺は帰宅部だからな……。明日あたりなら見てもいい。
日本史は暗記科目だし一夜漬けでもなんとかなるかもしれない」

「マジかッ!? 恩に着るぜ佐藤」


 俺の手を握りながら、田中は満面の笑みを浮べていた。
とりあえず、腕が痛くなるから握った手を上下に振るのは止めて欲しい。


「田中よ、今度のテストは戦国時代から桃山までが範囲だったな。
この問題はどうだ?」


 俺たちが手を握り合っている横で、石川はノートに問題を書いていたようだ。
俺と佐藤はそのノートの書き込みに注目した。


『中世の日本において法原則である喧嘩(   )は、武田氏や今川氏など様々な戦国大名の(   )に取り入れられた』


 日本史などの歴史や過去の偉人は、この世界でもほぼ一緒だった。
歴史や暗記科目に困ることはなかった。ここでもクラシック音楽を聞けたことに感謝する。
俺の隣の田中くんは先ほどの元気はどこにいったやら、頭を抱えて悩んでいた。


「穴を埋めて言ってみたまえ。これは基礎問題だ」

「中世の日本において法原則である喧嘩(上等)は、武田氏や今川氏など様々な戦国大名の(精神)に取り入れられた……」

「戦国時代の治安が恐ろしくなりそうだな。正解は(両成敗)と(分国法)だ」


 札束がケツを拭く紙切れにもならないような世界が頭の中に浮かんだ。
そこは、木が枯れ水が無くなり人々が飢え死んでいく殺伐とした戦国時代だった。
田中の顔は、まるで世紀末に世界が核の炎に包まれたと言わんばかりに青ざめていった。


「……オレなんとかなるのか?」

「なんとなるじゃなくて、するんだろ。
滝川さんとデートするんじゃないのか?」

「そうだ、佐藤の言う通りだぜ。オレも頑張るからよろしく頼む!」


 田中は起上り小法師ばりの立ち直りを見せてくれた。
だが、それから問題を出しても出した分だけの不正解が返ってきた。
その度に田中は、落ち込んでは復帰することを繰り返した。


「……教える俺が言うのもなんだが、本当に大丈夫なのだろうか?」

「案ずるな。田中はテストで絶対に合格するであろう。
何故なら心惹かれるもののために真剣に頑張っているからだ」


 ふと口から零れた疑問に、すぐに石川が反応した。


「俺も柴田さんに惚れている。似たもの同士が成功して欲しいという希望かもしれない。
しかし、女のためという欲でいいと思うぞ。欲は向上心に繋がる。
精神的に向上心のないものはバカだ」

「石川……」


 田中は石川の言葉に感銘を受けたようだった。


「ところで、石川はなんで柴田さんに惚れ込んでいるんだ?」

「その事を話すとなると長くなるな。
俺が彼女と会ったの一年前のグラウンドだ。
真っ直ぐに笑顔でトラックを駆け抜ける彼女を見て俺は一目惚れをした。
胸の奥深くに訴えてくるまるでレモンのような爽やかな何か。俺は彼女の姿からそれを得た。
それからというもの出逢う度に彼女の美しさに気がついていく。
昨日は瞳、今日は頬、明日にも何かを見つけるだろう。
きっとサモトラケのニケに顔があるなら、それは彼女の生き写しかもしれない云々――」


 恋は盲目とは言い得て妙。
時速270キロを出している新幹線のように石川の饒舌は止まらない。
石川がバカになるは柴田さん関連のことらしい。この場合は、向上心をもったバカになるのだろうか。
面白いのでしばらくそのままにしておこう。


「そういや、この中で好きな子を言っていないのは佐藤だけだよな」

「ん?」

「オレは滝川、石川は柴田。じゃあお前は?」


 少し考えてみた。自分が好きな異性はいるのだろうか。
輪郭だけがぼんやり浮かんで、屋根まで飛んだシャボン玉のように一瞬で消えた。
石川は勝手に柴田さんとのエピソードを話していた。


「いないな」

「じゃあ、好みのタイプぐらいはあるだろ?」


 それなら答える自信がある。ずっと前から決まっている。
いつの間にか石川は話をやめ、俺の解答を待っていた。


「笑顔が可愛い子。見ているこちらまで、温かくなるようなそんな笑顔」


 俺の答えを聞いて二人は驚いていた。
彼らは俺がどんな事を言うと思っていたのだろう。


「なかなか測りにくい基準だなあ。
それでよ、その基準をクリアした女の子はいたのか?」

「いたことにはいたけど無理だな」

「そう簡単に諦めちまうのか?」

「ああ」


 彼女たちは俺が手の届かない一等星だから。
彼女に見合う明るさが俺にないから。今はまだ。


「駄目だな」


 石川は髪を掻き上げながら俺に言い放った。
田中も石川の意見に同調するように頷いた。


「実に勿体無い。俺は佐藤がどういう理由で諦めているか知らない。
しかし、諦めたらその勝負はスタートラインにすら並ぶことがないぞ。
いつまでもウジウジしていたらいつの間にかレースが終わっているぞ」

「オレもさ、誰かを好きにならなきゃいけないとは言わないけど、
誰だって人を好きなる資格はあると思うぜ。それが叶うかどうかは別だけどよ」


 昼休み終了のチャイムが鳴った。次の授業開始まであと五分。
俺は結論を出さないまま、食器を片付けるため席を立った。


「二人とも今日は勉強手伝ってくれてありがとな。佐藤、次の教室に行こうぜ」

「こちらこそ」

「ああ、行こう」


 石川と別れて、田中と教室に向かう。
その間、田中はずっと日本史の頻出語句をぼやいていた。
石川が作った予想問題が書き込まれたノートと睨めっこしながら。


 俺はずっと好きな子の事を考えていた。
何の変哲もない代わり映えない廊下と睨めっこしながら。






[19023] 第八話 ~振り返ればメインがいる~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/06/12 16:58
 サイコロを机の上に転がすと、カラカラと数回跳ね回った。
現れた数字は『3』。俺は教室でサイコロの一番上になった面をぼんやりと眺めていた。


「おっ、サイコロじゃん。石川も一緒にチンチロリンしようぜ」

「そのチンチロなんとかというものは何だ?」

「サイコロ賭博だ。言っておくけど賭け事なら俺はしない」


 昼休みに、俺たちは教室に集まりぐだぐだしていた。
のんびり過ごすことも悪くない。勉強に追われる学生に許されたほんのひと時の休息。
気がつけば、文化祭も残すところ一週間。時の流れは早い。


 ふと見れば、机の上にあったサイコロは『4』を示していた。









正しい主人公の倒し方 第八話
 ~振り返ればメインがいる~










 教室の扉がガラリと音を立てて開かれた。
入ってきたのは、柴田さんや斎藤さんなどの女子たち。
石川は素早く席を立ち、柴田さんのもとに駆け寄った。


「やあ、柴田さん。今日は天気が素晴らしい。そして貴方はいつも美しい」

「あれ……? なんで石川くんがいるのかな。クラス違うよね」


 柴田さんの頬がやや引きつっていた。
前に当たりが強いと助言をしたのに、石川は全く参考にしなかった。
悪いとは言わない。これが、彼なりの柴田さんへのアプローチだから。


「このクラスにいる友達とくつろいでいてね。
あと、もう一つの大きな理由は柴田さんに会いに来たことかな」


 おお、引いとる引いとる。柴田さんは目に見えて後退りをしていた。
歯を輝かせて微笑んでいる石川を、俺は心の中で応援するしかなかった。
柴田さんが下がった分だけ石川が追うので、二人はどんどん教室から離れていく。


「あっ、佐藤くんいたいた!」


 それとは対称に近寄ってきた女の子がいた。斎藤さんだ。
彼女は水色のメモ帳を片手に俺たちの元に来た。


「お化け屋敷製作でまだ足りていない材料が出たから、買出し手伝ってくれないかな?」

「ああ、いいぞ。ただな――」


 俺は田中の方をチラリと見た。
斎藤さんは分かったようでうんうんと腕を組んで頷いてくれた。


「田中くんも行こうよ」

「えっ、オレは遠慮するぜ。お二人さんで行ってこいよ」

「滝川さんも来るよ?」


 田中から、ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえた。
こいつの頭の中の天秤は既に一方に傾いているはず。

 予想通り十秒も経たない内に、田中は買出しメンバーへ志願した。


 田中はこの前の日本史テストを合格した。
平均点のプラス10点。彼の基準でその点数は偉業。
晴れて、田中は補習という拘束から週末の自由を勝ち得たのだった。

 しかし、週末がフリーになっても彼が滝川さんと出歩くことはなかった。
彼はテストに全力を使い果たし、デートに誘うことを忘れてしまったのだ。
田中の箪笥には、デートの時に卸すはずだった新品の服が今だに眠っている。
仕方なく俺と石川で残念会を開くことになったのは、また別のお話。



「じゃあ、放課後にまた集まろうね」


 斎藤さんがそう告げた時、再び教室の扉から音が聞こえた。
大方、いつの間にか消えた柴田さんと石川が戻ってきたのだろうと予想をしていた。
だが、違った。教室に入ってきたのは二人の下級生だった。

 この学園は制服のリボンの色で学年が分かる。
一年は青、二年は黄色、三年は赤。信号機のようなコントラスト。
青のリボンをした一人の下級生が織田の元に駆け寄った。


「兄さん、お弁当忘れていましたよ」

「助かったよ、市代。持つべきものはしっかり者の妹だね」


 織田と仲睦まじく話しているのは妹の織田市代だった。
目尻はややつり上がっているが、厳しい印象より落ち着いた印象を受ける。
左耳後ろからまとめているピンは、桃色の花の形をした可愛いらしいものだった。

 もう一人の下級生、羽柴秀実もメインヒロインだった。
あざやかな茶色の髪を右にまとめたサイドテール。
小柄な体型で、織田の妹さんとは対照的に元気溌剌とした印象があった。


「先輩!!」


 はきはきとした声が教室に響いた。
どうせ彼女も織田の元に行くのだろう。俺には関係ない。

 しかし、そうではなかったようだ。

 彼女は織田の元へ行かずに、こちらに来た。
斎藤さんにでも用があるのかと思ったら、通り過ぎた。
俺の前まで来て、ようやく彼女は足を止めた。
今日は予想と外れることが多い。お神籤を引いたら大凶が取れそうだ。


「うう、やっと石川くんから脱出できた……。
あれ秀実ちゃん、うちのクラスになにか用?」


 柴田さんだけが教室に戻ってきた。石川はいない。
柴田さんに呼ばれた羽柴秀実は、もじもじとしながら俺の顔を見た。
横につけられた茶色の尻尾がふわっと動いた。


「はい。探してた人がようやく見つかりました」

「むむ? なんかいつもの秀実ちゃんと違うぞ。
まあいいや、それは誰なの?」

「実はこの先輩が、私の王子さまなんです……」


 彼女は手のひらをこちらに向けてそう言った。えっ、俺のこと?

 クラスに訪れたのは数秒の静寂。
誰一人とも喋らず、誰一人とも持ち場から動こうとしない。
運動場で昼練をしている野球部の声だけが、時を進んでいることを示す。


 しかし、一分も経てば、はち切れんばかりの大騒動。


 こんな不良面の茶髪を誰が王子様と思い浮かべるのだろうか?
シンデレラにも白雪姫にも出てこない。出るとしたら山賊物語あたりだ。
唯一思い浮かべることの出来る少女は、目を輝かせて俺を見ていた。

 俺が急いで席から立ち上がり、何のことか聞こうする前に、彼女が先に口を開いた。


「あ、あの……」


 今度は言い終わらない内に、彼女は俺に抱きついてきた。

 ふにゅっと柔らかいものが俺の腰辺りに当たる。実に大きい。
何故か俺の頭に浮かび上がったのは『直径×Π=円周の長さ』という公式。駄目だ、計算し切れない。
鼻の下が伸びそうになるが、集中して堪える。実に柔らかい。

 何なのだろうか、この状況は。ヒロインが俺に抱きついている?
俺は明日には死ぬのか。死ぬから神様が冥土の土産にこんな事をしてくれたのか。
ありがとうございます神様。でも生憎俺はまだ死にたくはありません。


「あの先輩?」

「な、なんだ?」

「放課後あいていますか?」


 繰り返し襲いかかる混乱の津波を必死に落ち着かせる。
素数や偶数を数えている場合ではない。意識して呼吸を整える。


「実は放課後には先客が――」


 俺は斎藤さんの方にアイコンタクトをとった。
彼女もフリーズをしていたが、俺に気がつくと頷いてくれた。


「放課後は、他の人に頼むから大丈夫だよ」


 彼女は笑顔でそう言ってくれた。


「じゃあいいんですか!!
ありがとうございます先輩」

「えっ、うん……」


 彼女はより強く俺に抱きしめながらお礼を言った。
今更断ることが出来ないのは、俺がNOと言えない日本人だからだろうか。
ただ単に煩悩に従順な奴隷である思春期だからだろうか。


「ではまた放課後に!」


 ようやく開放された俺は半ば放心状態で、教室を出て行く彼女を見送った。
あんな元気いっぱいな笑顔を見せられたから、断れなかった。
これが俺の断れなかった理由だ、たぶん。

 俺は斎藤さんに行けなくなった事を謝ろうとしたが、彼女は無言だった。
そのまま昼休み終了のチャイムが鳴り、彼女が俺の横を通りすぎる時、ボソリと呟いた。


「…………お猿さん」


 どうやら、鼻の下は伸びきっていたようだった。










 
 放課後になるまで残りの授業は、ずっと昼のことを考えていた。
斎藤さんと関わるまで俺は、ヒロインたちから距離を取っていた。
それなのに今回は、ヒロインの方から積極的に近づいてきた。
これを素直に喜んでいいのだろうか。

 そして、もう一つ気になることがあった。
先ほど俺はクラス中から注目を浴びた。でも、持久走ではシカトされた。
この違いは、ゲームでのイベント。それが鍵になるのではないだろうか。
クラス展決めや持久走は既にゲームで決定されているものだ。だが、昼休みは違う。


 もしかすると、俺はゲームでのイベントに直接介入が出来ないのかもしれない。


 そんな仮定が頭に過ぎり、悲観しそうになるが堪える。
逆手に取ってみれば、俺は舞台裏なら自由に動けることになる。
つまり、俺にも――


「おい佐藤、ここの問題を解いてみろ」


 気がつけば、国語教師からご指名が入っていた。
物語の主人公の心情を説明せよという問題のようだ。
読んでいなかったから分かるはずも無い。


「……分かりません」

「ふん、授業中にボーっとしているな。
勉強しなくて困るのは、将来のお前たちだ。
私は、お前たちの事を思って言っているのだぞ」


 ネチネチとした説教を聞き流す。
あの台風の日から快晴が続いている空をガラス越しに見上げる。 
雲ひとつないその空が綺麗に見える。

 景色を楽しむことが出来ることは、心に余裕がある証拠だ。
切羽詰まった状況では、冷静に周りを見ることすら出来ない。

 俺は国語教師の声を子守唄代わりに睡眠を取ることにした。





 目を覚ませば、いつの間にか放課後になっていた。
今日は文化祭の準備がない日だったので、クラスには誰も残っていなかった。

 俺は鞄に教科書をつっこんで、教室を出た。
廊下では吹奏楽部の演奏が耳に入った。文化祭ではステージ発表がある。
様々な楽器の音色が入り混じり、一つの美しい旋律を奏でた。
俺はそれらを聞きながら、昇降口へと向かった。

 昇降口では一人の女子生徒がぽつりと立っていた。
俺は急いで靴を履き、その女の子の元へ近づいた。
彼女は俺に気がつくと、手を振って出迎えてくれた。


「行きましょうか、佐藤先輩」

「ああ。えっと……羽柴さん」

「秀実でいいですよ」

「秀実……さん」


 俺の言葉を聞いた彼女は頬を少し膨らめ、不満であることを示した。
その顔は、失礼だが小柄な体型と合っていて、より彼女をチャーミングに見せた。


「秀実……ちゃん」


 ようやく納得したのか、彼女はニコッと笑顔で返事をした。
だが、やや物足りなさそうに「呼び捨てでもいいのに」と小声が聞こえたことは無視する。

 俺は自分の首筋を右手で摩った後、彼女の後ろをついていった。









 彼女と一緒に歩いた場所は、それと言って特別な場所ではなかった。
デパートでウィンドウショッピングしたり、近くの公園で散策したり。
深刻そうな顔で言われた割には、案外普通の場所だったので拍子抜けしてしまった。


「見てくださいよ、先輩!
あの人形かわいいですよね。あっちのモグラも!」

「そうだな」

「でも、今月はお小遣いピンチだ! う~ん、悩むなあ」


 ただ、秀実ちゃんのはしゃいでいる姿を見ているとこちらも元気が出てくる。
ゲームで出てきたように、彼女は場を明るくするムードメーカー的存在だ。
ちなみに彼女の言う人形は、ツギハギだらけの桃色をしたウサギだった。
俺にはカワイイよりブサイクに見えた。

 
「じゃあ、次の場所に行きましょう!」


 彼女に振り回されるのも悪くない。
この時俺は、文化祭のことを忘れて彼女と遊んでいた。

 横に並びながら、俺たちは歩いた。
そこらにいる人には、兄妹にしか見えないだろう。
この身長差だ。心の内で苦笑いしてしまう。


「着きました! お次のスポットはここです」


 秀実ちゃんは立ち止まると元気に言った。
ただこの時だけは、無理に元気さを強調しているように思えた。
止まった場所は、薄暗い道路。店や遊び場もない所だったから。

 しばらく、俺たちは喋らなかった。
秀実ちゃんがこちらを見つめてくるが、俺は視線を外す。
本当に何も無い薄暗い場所だ。夜にはさぞ危ない場所だろう。


「ねえ、先輩?」

「ん?」

「……もう気づいていますよね?」


 彼女は、髪留めのゴムを外した。
右に纏まっていた髪は、下へと流れるように動いた。髪を下ろした彼女の姿に見覚えがあった。
この場所で起きたことも、もう大分前のことに思える。どうやらあの時の少女は無事だったようだ。


「……ホットミルクはちゃんと飲んだか?」

「はい。人生で一番おいしかったです」


 快活な表情ではなく、落ち着きと神妙さのある表情だった。
彼女は両手を自分の胸の前に置き、少しずつ話してくれた。


「こわかったです……。
男の人達に囲まれた時、本当にダメだと思いました。
声を出すことだけが精一杯で、足なんかみっともないぐらい震えていて。
逃げようと思っても足が動かないんです。
あの時、先輩がいなかったら――」


 彼女はそこで、話を止めて俺にもたれかかってきた。
受け止めた俺の腕の中では、彼女の啜り泣く声が聞こえた。
きっと彼女は、この前の出来事を誰にも打ち明けていなかったのではないだろうか。

 しばらくして、俺は彼女の背中から手を引いた。
彼女も、落ち着いてきたようで泣き声もだんだん小さくなった。
そっとハンカチを渡すと、彼女はそれで涙を拭いた。


「……だから、私にとって先輩は王子さまなんです。迷惑でしたか?」

「いや、光栄だ」


 でも、言えない。
君を助けた後、王子様は悪党を倒さずに逃げまわったことを。その王子様は実はただの一般人だって事実も。
そして、俺以上に君に似合う王子様がいることも。


「先輩に好きな人はいますか?」


 突然、彼女は俺にそんな事を尋ねてきた。
彼女がシャツを掴んでいたので、俺は逃げることが出来ない。
それにしても、どうして俺の周りの人は好きな人の事を聞きたがるのか。


「……ああ」

「どんな人なんですか?」

「……すまない。それは言えない」


 秀実ちゃんは俺からそっと離れた。
しかし、視線はずっと俺から離さない。


 不意に、後ろから足音が聞こえた。


 振り返るとそこには、織田伸樹がいた。
右手に持っているのは大量の何かが入ったビニール袋。
思いがけない出会いに、俺は驚いてしまった。


「やあ、佐藤くん。こんなところで逢うとは意外だね。
あれ? 秀実ちゃんもいるね。いつも妹がお世話になってるよ」

「ああ……。本当に奇遇だな」

 
 此処は道路だ。別にどんな人が通っても不思議じゃない。
無理やりそう言い聞かせて、心を落ち着かせる。
けれども、このタイミングは一体なんなのか。


「もうすぐ文化祭だね。ここからが大変だけどがんばろう」

「そうだな。その手に持っているのはクラス展の材料か」

「うん。さっき斎藤さんと一緒に買ってきたんだ」


 織田の後ろに女の子が立っていたことに気がついた。
その見慣れたショートヘアが、斎藤さんだと分かるのに時間はそうかからなかった。
俺が斎藤さんに顔を合わせると、彼女は若干赤い顔をしていた。甘いミルク珈琲の香りがした。


「あの後、織田くんに買出しを頼んだんだよ」

「そうか」

「じゃあ、私たちは学校に材料置いてくるから。
また明日学校でね」


 そそくさと斎藤さんは去っていた。
織田は俺と秀実ちゃんに手を振ってから、斎藤さんの跡を追った。
残された俺たちは暫し呆然としていた。


「……私は諦めません」


 秀実ちゃんは、サイドテールを直しながら言った。
纏まり直した茶色の尻尾を動かして、俺を見つめた。


「今日はありがとうございました!
家はこの辺りなので、一人で帰れます」


 丁寧なお辞儀をして、彼女は俺に背を向けた。
彼女の後ろ姿が消えるまで俺はその場を離れることが出来なかった。



 今日は牛乳も珈琲も美味しく飲めそうにない。



[19023] 第九話 ~そのときは主人公によろしく~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/10/13 21:06
 ある生徒は、上靴のまま机の上に乗っている。

 ある生徒は、他人の椅子を勝手に倒している。

 ある生徒は、隅で隠れてお菓子を食べている。

 言葉にすれば、学級崩壊を起こした教室のように聞こえるかもしれないが今日は仕方がない。
何故なら、今日は文化祭前日。俺たちのクラス展『お化け屋敷』は形になりつつあった。


「暗幕は当日するから、まだ動かすなよ!!」

「扇風機入手しました。延長コードお願いします~」

「外壁班、ガムテープ切れました。余っているブースあれば下さい」

「マジック! ちがう、赤じゃない。黒マジック!!」


 俺たちが作業をしていると、ピーンポーンパーンポーンとお知らせ音が学内に響き渡る。


「文化祭の準備は9時までになります。
作業の終わった生徒は速やかに下校をしてください」


 誰も帰る素振りを見せようとはしない。
教師公認の夜まで騒げるイベントだ。全員わくわくうきうきしながら準備をしている。
これなら、明日の公開には間に合うだろう。俺はそっと教室を出た。


「あれ? 佐藤くん帰っちゃうの?」


 声がした方に振り返る。
俺にそんな風に声を掛ける相手は決まっている。
斎藤さんは心配そうに俺を見ていた。










正しい主人公の倒し方 第九話
 ~そのときは主人公によろしく~









「喉乾いたからジュース買って来るだけだ。
だいたい鞄も持っていないのに帰ることないだろ」


 俺はそう言って、教室にある自分の鞄を指差した。
斎藤さんは、その事に気づくと申し訳なさそうに言った。


「ごめんね。前みたいに帰っちゃうのかと思ったから……」


 前みたいに――そうか、そんな前科があったな。自分の中でずっと昔の事に思えた。
あの時斎藤さんが引き止めなかったら、俺は田中と親しくなれなかった。それに彼女ともここまで親しくなれなかった。
出会えなかった人もいると思う。彼女に感謝。


「ああ、そうだ。ついでに奢るから、なんか飲みたいジュースあるか?」

「えっ、いいよ」

「そう言いなさんな。たかが120円の甲斐性だ。遠慮するな」

「……じゃあ、りんごジュース」

「分かった」


 俺は斎藤さんに親指を立てた後、教室から離れた。
時計の短針は『6』を指していた。


 自動販売機は、学園の中央広場に設置されている。『コ』の形に建てられた校舎の真ん中に広場はある。
ベンチにもたれながら花壇を見て昼寝。日当たり良好。休み時間の際、生徒たちで賑わう場所だ。
体育館前にも自動販売機はあるが、遠いのでこちらの方に俺は向かった。

 学園の至る所が、色鮮やかに飾り付けられている。普段通っている学園と同じ場所とは思えない。
そこら中にあるポスターや広告を見ながら歩くので、いつも歩いている廊下がやけに長く感じられる。


「演劇部『ロミオVS桃太郎 ~和洋折衷~』 12:00から第一体育館」

「吹奏楽部『My Favorite Music Medley』 12:00~1:00中央広場で」

「石川本一ソロコンサート『ヴァイオリンに乗せて、僕の想いを』 10:00中央広場にて」


 最後のポスターを見つけた時、危うく吹き出しそうになった。
そこには、正装をした石川がヴァイオリンを弾いている姿が貼られていた。意外とサマになっていた。
時間があれば、田中と当日行ってみようと思った。


「ん? なんだこれは?」


 石川のポスターより目を惹く広告があった。
いや、広告というよりそれはノートの切れ端に鉛筆で書かれているだけのものだった。
生徒会の承認の判子もない。怪しさ全開の紙を俺は食い入るように見た。


「『SH』 この文字に心当たりがある方は文化祭の二日目に3階自習室へ」


 俺は掲示板からその紙を引き抜き、読み返した。
心当たりがあった。周りに人がいないか左右に首を振って確認した。
引き抜いた紙をそっとズボンのポケットに入れた。文化祭にもうひとつ用事が出来たようだ。




 中央広場には、予想通り特設ステージが準備されていた。
明日にはここが人で埋め尽くされるだろうことを推測しながら、広場の隅にある自動販売機に向かう。


「缶コーヒーでも飲むか」


 240円を投入し、まずは林檎ジュースのボタンを押した。
ガコンっと音を立てて、自動販売機の口から林檎ジュースが現れた。
しかし、チャリンっと音を立てて、120円のお釣りも返ってきた。

 再びお金を再投入し、缶コーヒーを買った。
時間にすれば、数秒のロスなのになんだか凄く勿体無く感じた。
二つの缶を持ちながら俺は、教室へと足を運ぶ。


「あっ、佐藤先輩!!」


 俺を呼んだ秀実ちゃんは、元気よくこちらに近づいてきた。
その格好は、黒と白を基調にしたやたらフリルの多いメイド服だった。
夜の学校に、彼女の格好はいささか不釣合いだった。


「それを文化祭で着るのか?」

「はい! 私のクラスで『メイド喫茶』するんですよ。
今日はその試着です。良かったら文化祭の時、先輩来てくれませんか?」

「そうか。行かせてもらうよ」


 ゲームでも秀実ちゃんと織田の妹さんが、メイドになっていた事を思い出した。
その姿は、目の保養に十二分の効果を発揮している。ブルーベリーの数十粒分の効果が期待できる。
 
 ふと秀実ちゃんの顔を見れば、俺が持っているジュースに目がいっていた。
俺は、林檎ジュースを彼女に手渡した。


「これでも飲んで、残りの仕事頑張れ」

「えっ、いいんですか?」

「いいぞ。眼福料も兼ねているから」

「ありがとうございます。……ご、ご主人様」


 お辞儀をした後、彼女は舌を出してはにかんだ。


「てへへ……。練習しているんですが、慣れませんね」

「そりゃあ、普段からそんな風に言ってないからだ。
慣れていた方が驚くぞ」

「それなら普段から呼んでもいいですか? ご主人様?」


 彼女が首を傾げて聞くと、頭の横でアップした髪も合わせて動いた。
白のカチューシャに合わせて、ヘアゴムも同じ色にしてあった。


「……却下。文化祭が終わったらメイド役も終わるんだ。続ける意味がない」

「あはは、そうですよね。冗談が過ぎました」


 なんだか勿体無い気がした。120円を入れ直すより勿体無い気がした。


「そろそろ時間なので、クラスに戻ります。ジュースありがとうございます。
じゃあ先輩! 当日はぜひ来てくださいね」


 照れながらメイドさんは、俺のあげたジュースを大切そうに持ったまま去っていった。
俺はそれを手を振りながら見送る。彼女の姿が通路を曲がって見えなくなるまで。


 俺は自動販売機で林檎ジュースを買い直し、教室へと戻った。




「おっそ~~い!!」


 鼓膜が破けんばかりの第一声。
教室に入るなり、俺の耳元で斎藤さんの声が響いた。


「……すまん」


 夫婦喧嘩の際、仲直りの秘訣は男がすぐ謝ることだと聞いたことがある。
夫婦ではないが、この場合も俺が圧倒的に悪いのですぐに謝る。
時計の長針は、俺が出て行った時から半周進んでいた。

 それでも、なお怒っている斎藤さんの元にある女子が来た。
斎藤さんの友人にして吹奏楽部部長、そして田中の想い人。


「ふふっ、実は斎藤さんは先ほどからずっとそわそわしていたんです。
もしかしたら、佐藤くんが遅くて心配していたのかもしれませんよ?」

「あわわわっ! な、なに言ってるの滝川さん!!」


 あたふたと両手を素早く振って否定する。
その強い否定に少し傷つきながらも俺は、林檎ジュース片手に斉藤さんに尋ねた。


「少し休憩でもしないか?」

「……うん、いいよ」


 俺たち二人は、教室の隅に作られたスタッフルームで缶ジュースを飲む。
『やや微糖』の文字に惹かれて買った缶コーヒー。俺はプルタブを引き一口啜る。
口当たりも後味も甘い。無糖からやや甘いではなく、砂糖ありからやや控えめという事らしい。
甘さが気になって、一気に飲めないのでちびちび啜るように飲む。

 横にいる斎藤さんは、林檎ジュースを一口ずつゆっくり飲んでいた。


「だいぶ形になってきてるね。明日には公開できそう。う~ん、楽しみだよ!!」

「そうだな」


 鉄パイプで固定された壁によって、教室は迷路のように入り組んでいる。 
鉄パイプの内の一本はやや錆びかけていた。台風の日に運んだ鉄パイプだろう。


「台風の時は大変だったな」

「そうだね。でも、佐藤くんのおかげだよ。
もし、あのままだったら絶対間に合わなかったよ」

「斎藤さんがいなかったら、俺は困っていた」


 俺が斎藤さんを見ると、視線を外された。
彼女は林檎ジュースの缶を見ながら、話題を変えて話した。


「ところで、佐藤くんはどこのブース担当?」

「確か、第三ブース」

「私と同じだよ」

「どんな仕事をするんだ?」

「こんにゃくをお客さんに当てる仕事」


 斎藤さんが指差す方向には、釣竿が置いてあった。
なるほど、こんにゃくを垂らして通り過ぎたら当てる。
お化け屋敷の小道具で定番中の定番だ。だが、地味な仕事にかわりない。

 缶コーヒーが残り少なくなってきた。
首を後ろに倒して、最後の一滴まで飲み切った。若干口の中に甘さが残った。
同じぐらいに斎藤さんも飲みきったようだった。


「よし、仕事再開するか」


 俺は立ち上がり、腰を反らして背筋を伸ばした。
斎藤さんも同じ動作とって、ストレッチをした。


「ジュースありがとう。缶捨ててくるよ。
奢ってもらったから、これぐらいしなきゃ」

「それじゃあ、よろしく」


 二つの缶を持って斎藤さんは、教室を出て行った。
俺の方は、教室の仕事を手伝う。田中や山田などいる輪に俺は向かった。




 時間の流れは、集中力に作用されるらしい。
専門家ではないので詳しいことは分からないが、とにかく俺は集中していたようだ。
只今の時間は午後八時。残る仕事は細かい装飾ぐらいだろう。
ダラけ始める連中も出てくるのも無理もない。


「佐藤くん。少しいいかい?」


 呼ばれて振り向けば、織田が立っていた。


「今から用事があって抜けるんだけど、残りの仕事頼んでいいかな?」


 残った仕事は、外壁に厚紙を貼って隙間を隠す作業だそうだ。
織田は自分の背が低いので時間がかかったが、背の高い俺なら大丈夫だと思って頼んだらしい。
自分がさきほど抜けていた事を思い出した。このぐらいは引き受けよう。


「いいぞ。俺がやっておくからお前は行け」

「ありがとう! じゃあすぐに戻るから」


 織田は教室から出ていき、代わりに俺が仕事を引き継ぐことになった。
田中たちを呼んで、数人で取り掛かった。のりを付けてペタペタと厚紙を貼っていく。


 何か重要な事を忘れている。


 俺はヒロインを避けていた。 
だから、文化祭前日は関係ないと思い込んでいた。

 でも、あるじゃないか。そうだ、あるんだ。
選択イベント。織田がヒロインの元へ行く。それが、誰なのかは分からない。
咄嗟に教室の中を確認した。柴田さんも斎藤さんもいない。
当然だ、イベントが進行しているんだから。

 胸糞悪い気分になる。
いや、関係ない。俺の目的は物語の中心に行くことだ。
関われたのなら、もうそれで十分だ。何もしなくて明日は文化祭だ。
そうだな、明日は忙しくなりそうだ。


 それでも、何でだ?
ヘドロが喉の奥から込み上げてくるようなこの気持ちは何だ? 
どうしてこうも続く。俺は諦めたんじゃないのか?

 俺はこのままでいいのか?


「どうした佐藤、そんな顔して。体調わりいのか?」

「……すまん、田中。後の仕事頼んだ」

「おい、どこ行くんだよ!!」

「屋上」


 田中がまだ何か言っていたが、無視する。
今度学食でレギュラーカレーでも奢ってやる。だから今回だけは許せ。

 廊下を思いっきり走る。
こんな日だ。いちいち咎める教師も風紀委員もいない。
汗を掻きながら走る俺は、廊下にいる生徒たちの注目を集める。

 俺の記憶に間違いがなければ、彼女は屋上にいる。

 この世界はゲームだ。
織田が主人公で、俺はモブ。俺だけでは、この世界を覆せない。
ガラス越しの玩具を欲しがる子供のように指を咥えて待つしかない。
背景、群集、端っこ。それが俺の役目かもしれない。

 しかし、俺は意志を持って、この世界に二本の足で立っている。
今、俺が廊下を走っている事は誰にも止められない。
世界が俺を決めるんじゃない。俺が、世界で行動を決めるんだ。
勝手にルールを作っていたのは、俺だ。


 背景で何が悪い!! ヒーローじゃなくて何が悪い!!


 俺は全力で駆ける。頭で考える前に、体は前へ進む。
階段は二段飛ばしで上り、屋上へ向かう。


 頭の中に浮かぶCG。彼女の隣にいるのは主人公の織田。
屋上にいる織田の横で、彼女は笑顔で星を見ている。
それがどうした! そこに俺がいてもいいじゃないか!


 彼女は、俺を初めて認めてくれた人だ。
ひねくれていた俺に声をかけてくれたのは、彼女が初めてだった。
いつも笑顔で俺に話しかけくれる彼女に俺は惹かれた。

 この世界はゲームだ。でも、俺は俺だ。彼女は彼女だ。
画面越しの彼女が好きになったんじゃない。
――この世界の彼女が好きなんだ。


 俺は一人の女性として『斎藤裕』が好きなんだ。

 物語なんかどうでもいい。俺は彼女のことが好きだ。


 扉の前まで来た。
そうだ。この扉を開けば、斎藤さんがいる。
彼女は星を見上げているだろう。俺はなんて声を掛ければいい。


「やあ、元気かい?」
「好きだ! 俺に味噌汁を作ってくれ」
「サモトラケのニケに顔があるなら、それは君の生き写しかもしれない云々」


 どれも違うような気がする。頭がしっかり働かない。

 ドアノブに手をかけた。
あとは回せばいい。それだけの動作なのに、緊張してしまう。
心音は狂ったように速くなっていく。このままだと心臓が破裂してしまいそうだ。


 俺はドアノブを回す。扉は……



 ――開かなかった。
 


 何度もひねり回す。ガチャガチャと音はするが、扉は開かない。
何だよ、これは! 鍵を掛けられるのは内側だろ! 何で開かないんだ!!


「……で………だったよ」

「それは…………に………」


 扉の向こうから話し声が聞こえた。

 声で分かる。織田がいる。斎藤さんがいる。俺はいない。
ああ、楽しそうだな畜生。へへ、なんで俺はこんなところにいるんだろう。

 屋上へと続く扉にもたれる。
そのまま体は床へとずるずる落ちていく。
右手で顔を隠すように伏せる。でも、隠しきれず涙が落ちていく。

 扉一枚なのに遠い。君への距離が遠い。
その前にいる強敵を倒さないといけないのか。
相手は勇者だ。村人Bが倒せるのか。

 どうでもいい。
感動的な名場面や、心を揺す振るようなエンディング。
そんな物は糞食らえ。今欲しいのはこの扉をぶち壊す力だ。
けれども、俺にそんな力は無い。


 明日は、文化祭。
見上げても、夜空も星もない。
あるのは、暗くて黒いコンクリートの天井。


 星にすらなれなかったのか、俺は。


 




[19023] 第十話 ~文化祭の散歩者~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/06/18 13:21
 学園内は活気に満ち溢れている。
俺の顔とは対照的に、通る人みな笑顔満開。

 見上げた空は、憎たらしいほど雲ひとつ無い。
俺の心なんて関係なしに、太陽はサンサンと輝いている。

 溢れ返る人の山。いつもの学園と比べて当社比20倍。
この学園に来場して下さるお客様のお蔭で、学園内の気温は5℃くらい上がっていそうだ。
学生たちは、必死に呼び込みをしている。チラシを手に、メガホン片手に、コスプレなどをして。

 普段は目立たない文化部は、ここぞとばかり自分たちの腕を見せ合う。
彼らは、己が磨き上げた芸術作品を自信満々に披露していく。
自分たちの活動が、いかに生産的であり有意義であるかを示すために。

 運動部の方も、活動をしている。
活動と言っても芸術関係ではない。出店を開くことだ。
正門から校舎へと続く道は、食の楽園。その道は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、全てが揃っている。

 短髪の筋肉質の男子たちが、汗を掻きながら料理をしている。
可愛い娘が来ると、鼻の下を伸ばしながら彼らはサービスしてくれる。
彼らは、女の子の一瞬の笑顔とお礼のために数百円分の食材を無駄にするのだ。

 ああ、なんて楽な事なのだろうか。
この世の淑女諸君は、笑顔を出し惜しみしてみたまえ。
それから狙い澄ましたところでそっと微笑めば、男はイチコロだ。
何故なら、男は単純だからだ。単純だからこそ悩む。そして、俺も男なので悩んでいた。

 このままで良いはずがない。

 俺は昨日から寝ていなかった。
布団の中に入っても寝付けず、眼がずっと冴えきっていた。
眼を閉じてしまうと、あの時の事を思い返しそうだった。


「おい、大丈夫か?」


 ハッと意識が戻ると、横にいる田中は心配そうに俺の顔を見た。
周りのお客さんに迷惑をかけないように声は、だいぶ潜めていた。


「……ああ」

「昨日戻ってきた時から調子が変だったぜ。本当に大丈夫か?」

「大丈夫だ。それより今は石川の演奏を聴こう」


 俺の声に頷いた田中は、ステージ上の石川へと顔を向けた。
礼服を着用した石川は、優雅にヴァイオリンを弾いていた。
時に優しく、時に激しく、時に情熱的に。音に乗せた想いが体に染み込んでくるような旋律。
中央広場にいる誰もが彼の演奏に耳を傾けていた。
たまたま通路を通った人でさえ立ち止まった。一人が立ち止まると後ろの人もつられて止まる。

 多くの視線が、石川へと集まる。
人々は夢心地で、石川の奏でる音に聞き入っている。
臆することなく石川は弾き続ける。その顔は、今まで見た中で一番輝いて見えた。

 弦がヴァイオリンから離れた。演奏が終わった。
観客は自分の感動を表すために、石川に賞賛を贈るために懸命に手を叩く。
スタンディングオベーション。座っていた人は立ち上がり、石川へ最大級の賛辞が贈られた。
拍手喝采の中、堂々としたまま石川は礼をした。


 俺が周りを見渡しても、柴田さんの姿が見えなかった。
ここにいないのか、ただ単に俺の位置から確認しにくいのか。
どちらにしても、彼女の耳には入ってくるだろう。
石川が最高の演奏をした。それも柴田さんのために。


「いやあ、スゲエ演奏だった! オレは音楽に詳しくないけど、感動したぜ!」

「そうだな。ここまで素晴らしいとは思わなかった」

「ああ、チクショー! アレさえなければ石川に会えるのにな。
仕方ねえからまた会ったときに、話そうぜ」


 ステージの出口には、出待ちしている人集りができていた。
老若男女問わず集まっているその波に入り込む勇気がなかった。
メールで別行動になることを送っておいた。


「そろそろ、なんか食いに行こうぜ」


 田中がそう尋ねてきたので、時計を見た。時刻は10時半。


「昼食を取るにしても少し早いな」

「でもよ、昼間まで待っていたら混んじまうぞ」

「……ああそうか、12時から吹奏楽部の公演もあるからな」


 この男は、本当に顔に出やすい人だ。ポーカーフェイスとは無縁。
賭博は嫌いだが、今度田中相手なら挑んでもいいかもしれない。


「……ああそうですよ。その通りです。俺は吹奏楽部の演奏が聞きてえんだ」

「正確には『滝川さんの』じゃないか?」


 肩を震わせている田中。対照的に俺はニヤついている。
イジるのもこれぐらいにしておこう。俺はもとの質問を返した。


「そうだな、お前の言うように混むから食べに行こう。
どこかオススメはあるか?」

「……後輩から割引券貰ったんだ。そこで食おうぜ」


 田中は、少しすねながら答える。イジリすぎたか。
俺は、右腕を田中の肩に回してから言った。


「そうイジケるな。祭は始まったばっかりだ。
なんなら今日は俺が奢ってやる。さあ、祭を楽しもう!」

「うぉっ! 突然なにすんだよ。……今日のお前変だぞ?」

「気にするな。こんな日もあるさ」


 こんな日だから仕方ないさ。









正しい主人公の倒し方 第十話
 ~文化祭の散歩者~










 田中に連れられて入った所は、喫茶店。
一年生の教室をカーテンから壁紙まで変えたその空間は、安らぎの場だった。
学校の机を使わず、わざわざ小洒落たテーブルに変えているあたり手の込んだものだ。
人気の出そうな造りで、昼前でも長蛇の列ができていた事は驚いた。


「長い列が出来ているのに、並ばずに入ってよかったのか?」

「ん? いいんだぜ。ほら、この割引券は優待券代わりにもなっているから」


 見せられた券には確かに優待と書かれていた。
列に並ぶ人たちから白い目で見られながら入るのは、気分の良いものではなかった。
そういえば、ネズミの国でも似たような経験したな。ファストパス。優越感と少しの後ろめたさを持つチケット。


「割引があるとはいえ奢ってもらってわりいな。
オレはよく食う方だから少し高くつくかもしれないぜ?」

「金のことは気にするな。好きな奴を選べ。さて、俺は珈琲でも……」


 俺の動きが固まった。テーブルの上にあるメニュー表を見て固まった。


「ふんわりお絵かきオムライス ¥1100」
「ピリッと辛い小悪魔チックなカレーライス ¥1200」
「ドキッ!?ぐるぐる巻け巻けすぱげてぃ ¥900」


 身の毛がよだつネーミングセンス。異常なメニュー単価。
そして、俺の頼もうとしたコーヒーでさえ630円。
俺は田中に視線を送った。ある願いを込めて。


「いやあ、本当にタダ飯は旨いぜ。ありがとうな、佐藤。
それじゃあオレは『男は度胸!テラ盛りwwwビーフカレーセット ¥2000』を頼むぜ」
 

 田中は、この店を出る気配がなかった。そして、この男は容赦がなかった。
たかが文化祭の昼食で、野口先生が二人も消え去るとは思いもしない。


「はあ、なんだこのボッタクリは……」

「いやいや、ボッタクリじゃねえぞ。佐藤もそのうち納得するぜ」

「信じられないな」


 財布の中を覗き込み、肩を落とす。さようなら、先生。また会う日まで。


「ご注文は決まりましたか?」


 店員に呼ばれ、財布から眼を離した。
納得。この喫茶店が高い理由が分かった。
店員さんの服装は、昨日も見た白と黒をベースにしたメイド服だった。


「『コーヒー』と『テラ盛りビーフカレーセット』で」

「かしこまりました。ご主人様」


 軽くお辞儀をする店員。その振る舞いには、わざとらしい媚がなかった。
あくまで平然と、そうだ、普段からその手の仕事をしているような慣れ。
人里離れた屋敷で、昼食をとる主人とメイド。
この些細な注文のやりとりが、ブルジョワジーの日常から切り抜いた一コマのように思える。
そして、彼女は注文の最後にそっと微笑んだ。

 その微笑みで、少し高くてもいいかなと思い始めたら負けだ。
上品かつ淑やかな振る舞いでメイドさんは去っていく。
前日、秀実ちゃんから言われたので俺には耐性があった。しかし、危なかった。


「いい……」


 耐性のなかった田中はあっさり陥落した。
やはり淑女諸君は、笑顔を出し惜しみしてみたまえ。
サイコロ以上に、男は単純明快だ。



 料理が来るまでの間、俺たちは雑談をして時間を潰す。


「佐藤、この後どこか行きたい場所とかあるか?」

「一箇所だけだな。オススメとかあるか?」

「グラウンドで毎年恒例のミスコンがあるぜ。女装ミスターコンテストだけどな」

「……パスだな」

「他には体育館でバザーやってるけど、危険だな。
とてもじゃないが日頃セールで訓練された精鋭主婦軍団に勝てる気がしない」

「ご主人様、お待たせしました。熱いのでお気をつけ下さい」


 メイドさんが、注文の品をトレイの上に乗せてやって来た。
田中の前に慎重に置かれたカレーライス。食欲誘うスパイスの香りが辺りに漂う。
しかし、その尋常ではない量は食べる者の心とスプーンを折る。赤字覚悟のボリューム。
例えるなら、それは『山』だった。田中が簡単に登頂出来るとは思えなかった。
俺の前には、ちょこんと珈琲が置かれた。


「まあ、そのなんだ。がんばれ。健闘を祈る」

「……そうだな。残さないようにするぜ」


 田中はスプーンで山を崩しに掛かるが、いくら掘っても先が見えない。
それは暑さによる汗なのか、山の恐ろしさを見た冷や汗なのか。首筋に垂れる汗を気にせず、次々と口へ運ぶ。

 優待券を使った俺たちを白い目で見ていた連中が、レジで代金を支払っている頃になっても戦いは続く。
俺はその間に、コーヒーを三杯おかわりしていた。

 田中がカレー相手に格闘をしているのを横目に、俺は考えていた。
それは、今後の活動だ。織田も参加する女装コンテストに、出場する気はない。
ゲームイベントなので少し前までなら、思い切って参加していたかもしれない。
しかし、あまり乗り気ではなかった。引き伸ばして、明日に起きる事件に介入するとしよう。

 時間ならまだある。イベントだってまだあるじゃないか。

 宿題を夏休み最終日へ回す小学生のような行動に、おもわず苦笑いしてしまう。
逃げている自分がありありと分かってしまう。昨日の一件から俺の中に諦めが出てきた。
何をしても織田に取られて終わってしまう不安。今までの目標も、ここに来て陰りが見え始めた。

 情けなさを隠すように、俺はコーヒーを啜る。
醤油を薄めたような糞不味い味に、顔をしかめてしまう。


「大丈夫ですか、ご主人様?」

「ああ……あ?」


 俺が考え事をしている間に勝負は既に終わっていたらしく、皿の上にあった山の姿は消えていた。
そして、勝者である田中の姿も消えていた。代わりにいたのはメイドさん。
先ほどまで、注文を受けていた女の子とは違う子。羽柴秀実が座っていた。


「どうして君がここにいるんだ?」

「ここ、私のクラスですよ。それとお連れの先輩から預かり物です」


 そう言って手渡された領収書の裏には、田中の汚い文字があった。


『ゴチになったぜ。サンキュー。俺は一人で聞きに行くから。
この後輩と一緒に回ったらどうだ、王子様?』


 ニヤニヤしながら、メッセージを残した田中の姿が浮かぶ。
お節介だった。決して要らぬものではなかったが。


「それと、野口さんを一人置いて出ていきましたよ」

「全く田中の奴め……」


 田中が置いていった千円札と割引券を見た。
改めて気のきく友人に心の中で感謝した。


「いい友達ですね。羨ましいです」

「ああ、良い友人だ。自慢出来るぐらいのな。今度紹介する」

「楽しみにしています」


 田中と秀実ちゃんは、気が合いそうな気がした。
きっと、この二人ならすぐに仲良くなる。なるべく早く会わせたいものだ。


「……はい、あ~ん」

「突然どうしたんだ? スプーンを差し出して」

「えっ! 『あ~ん』を知らないんですか!?」

「……いや、それは知っているが」

「サービスです。このパフェは『カレーセット』のデザートになるんです。
お連れの方が食べずに帰ったので余りました。そして、これは私から先輩への特別サービスです。
さあ、ご主人様。恥ずかしがらずに、あ~ん」 


 いつの間にか用意されていたパフェ。さすがにこれは普通サイズだった。
パフェ一口分のったスプーンは徐々に近づいてくる。彼女はニコニコしながら近づける。
だが、俺は顔を背けてしまう。心の準備がまだだった。


「ええっ、どうして背けるんですか!?
ほらほら、早くしないとアイスが溶けてしまいますよ」


 スプーンが秀実ちゃんと俺の間に浮いている。
俺がしどろもどろしている間に、アイスが溶けていく。
仕方なく彼女は、自分でそれをパクっと食べた。


「意外です。先輩ってシャイだったんですね」

「……予想外の行動で驚いていたんだ。
それに、君がそんなに積極的だったとは知らなかった」

「それは違いますよ」


 落ち着いて彼女の顔を見ると、頬に赤みが帯びていた。


「私だって緊張していました。心臓だってバクバクです」


 彼女は手のひらを自分の胸の前に置きながら話した。
そんな彼女の顔を見て、恥ずかしさを感じて下を向く。


「……あの、先輩?」

「ん?」


 哀しそうな声に反応して顔をあげると、口の中にスプーンを入れられる。
甘いイチゴの味が口の中に広がっていく。


「てへへっ、私の勝ちですね」

「……いつ勝負をしていたんだ」


 よく分からなかったが俺は負けていたらしい。
秀実ちゃんがもう一本スプーンを持ってきて、しばらく俺たちはパフェを食べる。
時折「またしますか?」と彼女が聞いてきたが、その都度断った。


「先輩は、これから何かありますか?」

「いや、特にない」

「もうすぐ私の仕事が終わるので、一緒に文化祭回りませんか?」


 子犬のような瞳で俺を見つめる。じっとこちらを見ている。
マンションに住んでいても、捨て犬を拾ってしまう人の気持ちがわかる
同情や偽善などの安っぽい感情に流された訳じゃなくて、しっかり考えた上で答えた。


「……3時にお化け屋敷のシフトが入っているから、それまでならいいぞ」

「えっ! 本当にいいんですか? ありがとうございます!」


 正門でも、廊下でも、石川の演奏でも。文化祭では、多くの笑顔を見てきた。
だが、彼女の笑顔が一番明るかった。サンサンと輝く太陽に負けない笑顔。
俺も返事をして良かったと思えた。


 文化祭一日目、午前中はのんびりと過ぎていった。

 




[19023] 第十一話 ~俺の前に道はない~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2012/09/02 16:11
 俺達は校舎から出た。向かう先は、通称『食の道』。
正門から来場した来賓者は、始めに出店がずらりと並ぶこの通りを見ることになる。


「うわー、すごい人ですね」


 人。人。人。秀実ちゃんの言うように右を向いても、左を向いても人の山。
ゴミゴミとした人混み避けながら、俺たちは正門から続く出店を見て回った。

 メイド喫茶で俺が口にしたものは、珈琲とパフェのみ。
秀実ちゃんもまだ昼食を食べていないそうなので、俺たちはこうして食の道を歩く。
焼きそば、フライドポテト、トロピカルジュース、かき氷など。実に祭らしいラインナップが揃っている。
鉄板から発せられる熱気がこちらまで伝わってくる。少し高めの値段も雰囲気料だと思えば悪くない。

 ちなみに、彼女は今だにメイド服を着用していた。
そのため、彼女は道行く人の視線を集めている。通り過ぎた男衆は一度可愛らしいメイドを見て、横にいる不良面を睨んでくる。
背中に突き刺さるその痛みを、なるべく俺は気にしないようにした。


「何か食べたいものはあるか?」
 
「焼きそばと飲み物が欲しいです」


 定番とも言えるセット。悪くない。
だが、定番とは逆に人々が多く集まることを意味する。
焼きそばとトロピカルジュースの出店には多くの人が並んでいた。
片方ずつ行くとなると、ジュースは温くなる。焼きそばは冷めてしまう。


「人が多いから分担しよう。俺はトロピカルジュースに行く」

「分かりました。私が焼きそばに行きますね」

「ちょっと待ってくれ」


 俺は、今すぐにも並ぼうとしていた秀実ちゃんを呼び止めた。
顔をやや右に傾けて、なんですかとジェスチャーが送られた。
下らないことだが俺は彼女にその事を伝えた。


「男の店員だったら、並んでいるときはムスッとしていて、注文するときはそっと微笑んでみてくれ」

「何でですか?」

「単なる実験さ。買い終わったら、正門近くにある桜の下に集まろう」









正しい主人公の倒し方 第十一話
 ~俺の前に道はない~








 秀実ちゃんより先に買い終えたようだった。
桜の木の周りに彼女の姿はなく、俺は近くにあった空いているベンチに座り込んだ。
両手に持っていたトロピカルジュースの容器から、水滴が落ちる。
一旦トロピカルジュースをベンチの横に置き、青々しい若葉が生い茂る桜の木を見て、俺は溜息をついた。


 葉ざくらと答えると「ひねくれている」と注意された。


 ゲームの冒頭でもあった台詞を思い出した。
でも、俺は葉ざくらが嫌いじゃない。ひねくれものかもしれないが嫌いじゃない。
散っていく花の儚さよりも、元気よく生え重なる葉の方が好きだ。

 葉ざくらを一枚一枚観察するように眺めた。
光りに照らされて葉脈が透き通るようにして見えた。
それは人間の血管のように葉の隅々まで広がっている。
葉脈は、葉っぱが生きている証拠だ。そして、その葉っぱは枯れても生き続ける。
――大自然の設計図は、寸分の狂いもなく命を変化させ続けているのです。そんな一文を思い出した。

 あんな小さな葉っぱ一枚でも、生きている。
木を遠くから見た時、葉っぱ一枚を注目する人はいないだろう。
けれども、その葉っぱ一枚一枚がなければ丸裸の木でしかない。俺も小さな葉っぱの一枚。
出来れば、花のそばにある葉っぱでありたかったと、再び溜息をついた。


「そんなに溜息ばかりついていると幸せが逃げてしまいますよ、ご主人さま」


 見上げていた顔を下ろすと、そこにはメイドさんの姿があった。
両手に持っていた焼きそばのパックには、これでもかと言わんばかりの量が詰まっている。


「俺としては、自分にも逃げてくれるほど幸せが有り余っていたんだと確認できて嬉しいよ。
それに、溜息は深い呼吸ができて安心出来る」

「先輩、その考えはひねくれていますよ」


「そうかな」と俺は笑いながら、秀実ちゃんをベンチに座るよう促した。
それぞれの買ったものを交換し、俺達は昼飯を取ることにした。
焼きそばを見ると、気前よく豪快にサービスした坊主頭の運動部が瞼の裏に浮かんだ。
男に食べられることも知らずに頑張ってくれた彼に感謝した。


「どこか行きたい場所とかあるか?」

「バザーに行きたいです。準備しているときに見かけたぬいぐるみがどうしても欲しいんです」

 
 半分位食べたところで俺が聞くと、彼女はそう答えた。
体育館で行われるバザーは、田中ですら止めておこうと言った場所だった。
忠告しようと思ったが、バザーへの意気込みを語る彼女を見るとそう簡単に言えない。

 氷ばかり入ったトロピカルジュースを一気に飲み干した。
早めに食べ終えた俺は、氷を噛み砕きながら秀実ちゃんを待つ。
しばらくすると彼女も食べ終えた。時計台で確認すると、バザーまで時間があった。


「少し早いが、移動するとしよう」

「はい。いいですよ」


 笑顔で返事した彼女に感謝しつつ、俺たちはベンチから立ち上がった。


 体育館は校舎の南側から少し離れたところにある。
南校舎にある体育館通路を通らないといけないため、授業や集会以外では滅多に訪れない場所だった。
ちなみに体育館の横にはプールがあり、男子更衣室が事情により無いこの学園は男子が教室から上半身裸でプールへ向かう。
その際大半男子は腹筋に力を入れながら廊下を歩くが、そんな話はどうでも良い。

 再び人混みを掻き分けて、俺たちは体育館通路に行くため校舎に戻った。
以前変わらぬ人口密度。むしろ、増えている気さえしてきた。
幅を大きく取っている宣伝用の馬鹿でかい着ぐるみに蹴りを入れたくなる。

 秀実ちゃんから俺は、身長差の関係で見つけやすいかもしれない。
しかし、ピョコピョコ上下している白のカチューシャと茶色の尻尾だけが、俺にとって彼女の目印だった。
ひとたびその目印を見失えば、赤白の横縞服を着た男を探すような困難が俺に待ち受ける。
できるだけ彼女の隣を歩くようにした。

 しばらく歩いていると、俺の視界の片隅にひとりの男が見えた。
誰でもない。世界の中心に位置する男。主人公。


 織田伸樹がそこにいた。


 彼は、こちらに気がついていなかった。クラスメイトの誼みで声をかけても良かった。
だが、俺には出来なかった。自分でもよく分からなかったが、出来なかった。

 何故だろうか。
声をかけたら、隣にいる彼女が消えてしまいそうな気がした。
元気よく笑顔を振舞っている彼女が、一瞬だけ泡沫より儚げな存在に見えた。

 だから、俺は秀実ちゃんの手を取って駆け出した。


「えっ」


 驚く彼女を無視して、俺は走る。右へ、左へ、体を動かして人を避ける。
目的地の体育館から遠ざかっていた。逆走していたが、足は止められなかった。
織田から離れる。俺の頭は、それだけしか考えられなかった。
階段を上がり、出来る限り遠くへ遠くへ行く。階が上がるごとに人の数が少なくなった。

 俺の足がようやく止まったのは、それから数分後のことだった。
北校舎の3階自習室。そこでやっと俺は止まったのだった。


「……痛いです」

「す、すまん」


 慌てて、彼女の手を離した。気がつくと、周りに人の姿は見えなかった。
人がいないのは当然だった。北校舎の三階は文化祭の間、物置き場になる。
通った教室には、使われない机や椅子が整頓されて置かれていた。
いつの間にか、関係者以外立ち入り禁止のテープを無視して進んでいたのだろう。
祭りの喧騒を遠くに感じた。

 この3階自習室は、数学や社会などのクラスが分かれる授業の他はあまり使われない。
殆どの生徒は空調設備が整っている図書館などで自習をするので、ここはあまり使われていない。名ばかりの自習室。

 今この自習室には、他の教室からの机や椅子が沢山入っていた。
積み上げれた机のピラミッドは、戻すとき面倒なほど積まれていた。
その絶妙なバランスを作る机を一つでも抜けば、ジェンガのように綺麗になだれ倒れるだろう。
そうならないために立ち入り禁止のテープがあったはずだが、俺は無視してここまで来てしまった。
しばらく、息を落ち着かせるためピラミッドを鑑賞した。


「あの突然どうしたんですか。何かあったんですか」

「……なんでもないさ」


 不安そうに秀実ちゃんは俺に言った。
突然腕を掴まれて変な場所に連れてこられたら、俺だって理由ぐらい聞きたくなる。
しかし、自分の中でも納得出来る理由が見つけられなかった。
だから俺は、曖昧な返事を返すしかなかった。


「秀実ちゃんの気にすることじゃない。なんでもないから」

「……嘘ついています。ほら、先輩が嘘ついているから鼻の上に汗が出ていますよ?」


 俺は右の人差し指で鼻の上を触れた。
そこに汗が出ているはずもなかった。触れた後に気づいたが、時既に遅し。
したり顔になった秀実ちゃんを見て、俺は肩を落とした。


「さあ、白状して下さい」


 ニコニコしながら彼女は俺を追い詰めてきた。
この教室には彼女と俺だけであって、助けを求めても無駄だった。
話題をそらしても、彼女は笑顔で再び軌道修正してきた。

 もはや、言い逃れが出来る状態ではなかった。
俺は一度溜息をついて自分の余った幸せを確認した後、彼女に話した。


「真面目に聞かなくてもいいし、冗談だと思って肩の力を抜いて欲しい。それぐらいの話だから」

「はい。分かりました」


 そんな前置きをしても、彼女は真剣な眼差しでこちらを見ていた。
だからだろうか、俺が思わず心の内を明かしてしまったのは。


「……絵の具がぐちゃぐちゃに入り混じったような気分だったんだ。いや、ここ最近ずっとそうだ」

「絵の具ですか?」

「ほら、いろんな色を混ぜ過ぎると黒のような白のような紫のようなよく分からない色になるだろ。そんな感じ。
自分が何をしたいのか、自分が何をするべきか分からない。
目指していることすら正しいのか分からなくなったんだ」


 教室に響くのは俺の声だけだ。秀実ちゃんは無言で聞いていた。
情けない声だった。年下の女の子に自分の弱さを打ち明ける声は情けなかった。
俺の吐露が終わると、教室は無音になる。不思議なことに、文化祭の喧騒が全く聞こえない。
俺達だけが世界からすっぽり取り残されたような感覚になる。


「……なら」


 秀実ちゃんが沈黙を打ち破った。 
いつもの笑顔は消え、真っ直ぐな瞳が俺を捉えた。
喉奥から絞って声を出すように、彼女は躊躇いがちに続けた。


「なら、作り直せばいいんですよ」

「何を?」

「目標です。分からなくなったなら見直せばいいんです。
今までの目標は先輩にとって、本当にやりたい事なんですか?」


 それは、目が醒める思いだった。

 
 目標――物語に関わること。
こちらに来てから俺は、この事を考えて行動していた。折角この世界に来たんだから、物語に関わりたいと思った。
何もしないなんて勿体無いと思っていた。でも、それは本当に正しいことなのだろうか。
結局物語に関わっていなくても、友人ができ、一緒に遊んで、俺は満足している。
物語に関わるなんてことは、もう建前でしかないのかもしれない。


「何かに縛られず拘らずに、自分の納得のいくことをすればいいんですよ」

「自分の納得のいく……」

「先輩は先輩なんですから、自分のやりたい事をすればいいんです」


 秀実ちゃんが言った言葉を反芻した。
自分は自分、納得、やりたい事。繰り返し繰り返し口ずさむ。
認めたくない部分は残っている。しがみついていたい気持ちと不安が交差している。
それでも少しだけ手元が照らせれ、自分の行くべき道が見えた気がした。


――この道より、我を生かす道なし。我、この道をゆく。


 誰の言葉だっただろうか。
いつ習ったかすら思い出せない。
もしかしたら、本やテレビでふと見ただけの言葉かもしれない。
それなのに、この言葉が心の奥まで深く響いた。



「……そうだな。ありがとう」


 気恥かしさを隠すように、右手で頭の後ろを掻きながらお礼を言った。
それに「どういたしまして」と笑顔で彼女は返してくれた。
根本的な問題の解決にはならなかったけど、彼女からヒントを貰えた気がした。


「……あれっ? ところでなんで私はここに連れてこられたんですか?」


 小首を傾けて秀実ちゃんは尋ねてきた。
「はは、なんでだろうな」と笑って俺は誤魔化しながら答えた。
納得しないのか、彼女は少し頬を膨らませていた。俺はそれを気にせず続ける。


「さて、時間も近づいてきた。そろそろバザーも始まるから行こう」

「あっ、待ってください」


 この教室に、明日も来ることを思い出した。
俺は昨日抜き取った紙をじっと見つめた後、秀実ちゃんと体育館へ向かった。


 この先にどんな道が待ち構えているか分からない。
けれども、迷わず行こう。行けば分かるさ。人生に逃げ道はないのだから。




[19023] 第十二話 ~被覆鋼弾~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2012/04/12 01:54
戦場だった。
そこに味方は存在しない。
信じられるのは自分の力だけ。

体育館の扉が開かれる。
待ち構えていた主婦たちの瞳が変わる。
その瞳に見覚えがあった。
突発的なタイムセールが開催された時のそれだ。
日々買い物で訓練された主婦のその眼は、即座に対象物を目標物へ変える。
彼女らは一心不乱に敵兵を掻き分けて目標物を奪取する。
誰よりも早く、誰よりも強く、誰よりも靭やかに。
目標物を掴んだ手を休めることはしない。
次があるからだ。

例えるなら、それは暴風。
この嵐を止められる者は居ない。
一人の主婦が勢いをつけて商品に手を伸ばす。
周りを気にしない、良く訓練された主婦だ。
係の生徒が静止を掛ける。
だが、その程度で止まるようでは主婦の名を語れない。
一瞬で生徒の手が跳ね除けられた。
気がつくと、商品は主婦の手の中へ。
知覚を越えた動き。
居合術のような電光石火の早業。
生徒は何が起きたのか理解できなかった。
彼が呆然としている間にも、商品は次々に消えて行く。

静越学園の体育館ではバザーが行われている。
しかし、ここは体育館ではない。
そう、ここは戦場だ。








正しい主人公の倒し方 第十二話
 ~被覆鋼弾~








さて、俺の状況を説明しよう。
今、俺は体育館のバザーに参加している。
予想以上の盛況を見せているバザー。
先ほどまで隣にいた秀実ちゃんは、メイド服を着たまま主婦たちの輪に突撃した。
なんでも、欲しいぬいぐるみがあの輪の向こうにあるそうだ。


「だが、どうしたものか……」


俺は少し離れた場所から熱気が渦巻く輪を見届けていた。
主婦たちが鬼の如く凄まじい形相をしながら群がっている場所は、割引商品があるスペースだった。
半額当たり前、夢の八割引き、もはやタダ同然。
買わなければタダなのに、『割引』という魔性の魅力が主婦を惹き込む。
同じような鍋を三つも買っていた主婦がいた。
きっと買った後に後悔するんだろうな、と思いながら俺は別の場所を見て回る。

始めに目に付いたのは、コーヒーカップだった。
体育館の片隅に他の陶器に紛れながら、ひっそりと置いてあった。
コーヒーカップと言っても、美濃焼のコーヒーカップ茶碗だ。
独特の深緑色とわざと歪めた奇抜な形。
そのカップに一目惚れしてしまった。
手に取って使い心地を確かめる。
――悪くない。


「ほほう、それを見つけるとは中々いい眼を持っとるな」


声がした方へ振り向くと、そこには日本史の渡辺先生がいた。通称、お爺ちゃん先生。
定年間近だが、授業の分かりやすさと親しみ易さで人気のある先生だった。
彼は、田中が苦しんだあの日本史のテストを作った人だ。
そんな先生は、俺が持っている陶器を見ていた。


「綺麗で鮮やかな深緑色だろう。
実はそのコーヒーカップ、私が寄付したものなんだよ。
確か君は……」

「二年B組、佐藤です」

「ああ、そうだった。
すまないねえ。年を取ると物忘れが多くて困る。
顔は覚えていても、名前が思い出せないとは」


そう言って先生は恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。
それから、懐かしそうに眼を細め他の陶器を手に取った。
先生は、わが子を慈しむようにそっと丁寧に扱う。


「私は、来年には教壇から去らなければならない。
学園に何か貢献出来ないかと思って、家に眠っているものをあらかた寄付したんだ。
私が言うのもなんだが、そのコーヒーカップは良い物だ」

「そうですね。落ち着いた色合いに心惹かれました。
手に取って分かりましたが、奇抜な形も逆に手に馴染みます」

「ふむ。佐藤君、やはり君は良い眼を持っている。
歪んだ形も違う角度から見ると毎回違う味わいがある。
私は珈琲をあまり飲まないから、棚に眠らしておくのが勿体無く思っていた。
学生には少し高いかもしれないが、使ってもらえれば嬉しい」


手に持ったカップをくるりと回して全体を眺めた。
先生の言うように、見る場所によって趣が変わる不思議な形だ。
一見だけで知り得ることの出来ない魅力。
気に入った。


「俺、これ買いますよ」

「それはありがたい。大事に使ってやってくれ」


俺の返事に、先生は子が誉められた親のように頬を緩ませた。
自分が思ったことを素直に顔に出せるのも、この先生の人気の一つかもしれない。


「……それにしても、君は他の生徒とは少し違うな。独特な雰囲気を持っておる。
それに、いつも難しそうな顔をしていたが、今日は良い面構えだ。
何か良い事があったのかい?」

「……まあ、ボチボチと」

「それは良かった。
いつも苦虫を噛み潰したような顔じゃイカンぞ。
今度何かあったら相談に来なさい。
勉強でも、私事でも構わん」

「はい、そうさせてもらいます」


先生と別れ、コーヒーカップを持ったままレジに向かった。
少し値が張ったが、自分の気に入ったものなので後悔は微塵もない。
むしろ、良い買い物が出来て嬉しいくらいだ。
包装されたカップを手に、体育館の出口で秀実ちゃんを待つことにした。
最初に比べて、荒れ狂う主婦の輪は少しだけ沈静化していた。
待つこと数分。
大きなぬいぐるみを両手に持ちながら、輪からメイドさんが出てきた。
サイドポニーにピョコピョコさせながら、覚束ない足取りで出口まで来た。


「お疲れさん」

「お疲れ様でしたー。人が多かったですね」

「ああ、そうだな。……それ、大きすぎじゃないか?」

「えっ、そうですか?」


疑問を投げかけてくる彼女とは対称に、両手に持つぬいぐるみはかなり大きい。
小柄な彼女が持つと、体の半分はぬいぐるみで隠れる。
緑色の服を着て耳がぐるりと巻かれているうさぎ。
半開きされた口と間抜けな顔が可愛くも……見えないな。
少なくとも俺にとっては。


「先輩は何を買ったんですか?」

「俺はこれだよ」


俺は包装を外して、コーヒーカップを見せた。
秀実ちゃんは一度ぬいぐるみを床に置いてからカップを見た。


「へえー。変わったカップですね」

「ああ、この奇抜な形が遊心を擽るだろ。
これ、日本史の渡辺先生が寄付したものなんだ。
良い物を買えたよ」

「あっ、お爺ちゃん先生ですか。
渡辺先生って、生徒のこともよく考えてくれる良い先生ですよね」

「ああ、今年でいなくなるのが惜しいな」


体育館に設置された時計で時間を確認した。
そろそろお化け屋敷のシフトが入る。


「さて、名残惜しいがそろそろ時間だ。とりあえず校舎の方に戻ろうか」

「えっ、もう時間なんですか!?」

「すまない。クラスに迷惑を掛けるわけにはいかないからな。やっぱり楽しい時間は過ぎるのが早いものだ」

「そうですね。本当に短かった気がしますね」


彼女も俺と同じように楽しい時間を共有してもらえたのなら、嬉しい限りだ。
一旦別れることになる彼女に、俺は質問を投げかけた。


「秀実ちゃんは、この文化祭を最後まで楽しみたいか?」

「もちろんです! お祭りは最後まで楽しまなきゃ損ですよ!強いて言えば、最後に先輩と……」

「ん? 後のほうが聞こえなかったが」

「いいえ! 何でもないです。お仕事頑張ってください!」


秀実ちゃんはピシッと右手の人差し指をデコにつける。
左腕にあの間抜けなぬいぐるみを抱いたまま。
メイド服とぬいぐるみと敬礼。
そのギャップに笑いそうになったが、俺も彼女に敬礼を返した。


「じゃあ、行ってくるよ」

「はい! また会いましょう!」


熱気に包まれた体育館を出た。
体育館通路まで一緒にいても良かったが、ノリで別れてしまった。
コーヒーカップが他の人に当たらないように気をつけながら、俺は教室に戻った。



教室の外装は実に凝ったものだった。
窓ガラスを全て外して障子に変えてある。
蜘蛛の巣や壊れかけの柱も備え付けてある。
見た目は、さながら廃れた長屋のようだ。
文化祭の『お化け屋敷』にしては上々の出来。
時折中から教室の中から悲鳴が聞こえる。
クラスメイトに声を掛けて、裏口から教室に入った。
教室の中は、風が一切入らず蒸し暑い。
狭い通路を歩き剥き出しの鉄パイプを避けながら、第三ブースを目指した。

暗い通路の先には、前の担当者がまだ仕事をしていた。
その前任者は釣り糸を垂らしては、お客さんにこんにゃくを当てた。
お客さんから悲鳴が聞こえては、ガッツポーズをして喜びを表す。
こんにゃく当て――遠くから見ると地味な仕事だが、その前任者は楽しそうに仕事をしていた。
お客さんの反応が良い時には、右手を口元に当てクスクス笑っていた。
こんにゃくを当て、素早く戻し、雑巾で拭いたら、また当てる。
その単調な作業を飽きることなく続けていた。
頃合いを見計らって、俺は声を掛けた。
もうこの際、この前任者がずっとこんにゃく当てをしていても良い気がしていたが。


「お疲れさん、交代の時間だ」

「あれ、もうそんな時間だったかな?」


前任者が振り返る。
そういえば彼女も同じブースだったな。
昨日から今日にかけて色々な事が有り過ぎた。
今朝からずっと避けていた彼女を、今日初めてしっかり見た。
黄色いヘアピンで掻き分けられた前髪。
いつも人の苦労を見つけてしまうお節介な瞳。
ちょっとだけ自己主張が強い胸。
そして、いつもと変わらない優しい笑顔。


「ああ、そうだ。斉藤さん」


思う事は山ほどある。
だが、俺はそれを堪えた。


「じゃあ、後はお願いね」


斉藤さんははこんにゃく付きの釣竿を俺に渡した。
ぷらんぷらんと空中を回るこんにゃく。
コイツは、今日何人の首筋を舐めたのか。
その度に、お客さんからどれほどの恨みを買ったのか。
俺は額から流れる汗を手で拭きながら、そんな事を考えることにした。


「交代の前に一つアドバイスしておくね。
教室の中はかなり暑いから、水分補給を忘れずに。
スタッフルームのクーラーボックスに飲み物があるよ」

「了解。こんなに暑いとは思わなかった」

「確かに暑いね」


斉藤さんはポケットからハンカチを取り出し、首筋を拭いた。
緑と白のチェック柄をしたそのハンカチは、女の子が持つにしてはあまりに男らしいモノだった。
可愛さの欠片が微塵もなく、サラリーマンが使っていそうな没個性なハンカチ。
斉藤さんが汗を拭いたそれに、俺は間違いなく見覚えがあった。


「あれ、どうしたの?」

「……それ俺のハンカチじゃないか?」

「えっ?」


斉藤さんが握っているハンカチは、台風の時に渡したものと酷似していた。
彼女が持つハンカチの動きが止まった。
ハンカチは首筋から目の前に差し出された。
確認が終わると、彼女はぴょっんと勢い良く顔を上げた。その顔は赤い。


「ご、ごめんね。今日返そうと思っていたんだよ。本当にごめん! 今度返すから!」

「気にするなよ、今でいい」

「えっ! それは困るよ!」

「なんで?」

「……だって、私の汗がついているから」


自分のデリカシーのなさに恥じた。
次の言葉が思いつかず、言葉が詰まる。
どうして沈黙とは意識してしまうと、こうも時間の進みが遅くなるのか。
第3ブースはこの間、三組ほどお客さんを無視してしていた。
四人組目のお客さんが来る前に、口を先に開いたのは俺の方だった。


「……聞きたいことがあるんだ」

「何?」

「斉藤さんは、この文化祭を最後まで楽しみたいか?」


斉藤さんは、その綺麗な目をさらに丸くした。
突然脈絡のない話を持ち出され驚いたのだろう。
だが、俺からしてみればこの質問は、大いに重要なものだった。
これは、自分から逃げないための一歩だ。
自分を納得させるために、俺は彼女に聞いた。


「どうだ?」

「私は楽しみたいよ。みんなで頑張った文化祭だから」

「そうだな。みんなで頑張ったよな」


その時、第3ブース前をお客さんが通過した。
俺はすかさず手に持っていた釣竿を飛ばして、お客さんの首筋にこんにゃくを当てた。
気味の悪い触感にお客さんは思わず、うひゃあと情けない声を上げた。
それを聞いた俺と斉藤さんは、二人でクスクス笑った。


「ありがとう、参考になった。残りの仕事は任せてくれ」

「うん、任したよ。じゃあまたね」


手を振って彼女は通路を進み、暗闇に消えた。
残された俺は、彼女から引き継いだ仕事を取り掛かった。
こんにゃくを垂らしながら、明日の事が頭の中に浮かんだ。
今日になるまで考えていなかった選択肢。
ゲームに沿わない新しい展開。
明日は行動を起こすには、絶好の日和だ。




 俺は背景でいることを選んだ。





[19023] 第十三話 ~主役のいない事件の昼~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2012/09/02 16:10
 誘拐事件が起きる。
 今日の文化祭は中止になる。
 それでも、織田伸樹は活躍をする。

未来が見ているわけではない。
展開を知っているのだ。
この先どんな事が主人公の周りで起きるか知っている。
それは俺のアドバンテージだった。
ルートが違えば、今日誘拐事件なんて物騒な事は起きなかっただろう。
しかし、織田が文化祭実行委員になり、お化け屋敷は繁盛し、前日には斉藤さんと屋上で二人きりになっていた。
誘拐事件が起きる『フラグ』は順調に立っている。
此処まで来てしまえば、あとは必然的起きるだろう。
止まらない、止まれない。

誰かにこれから起こる未来の事件を話しても良い。
道行く人を捕まえて、今日この学園で誘拐事件が起きますよと。
だが、そんなトンデモ話をまともに聞いてくれる人がいるのか。
いない。いたとしても、俺の頭を心配してくれる心優しい人だ。
白い部屋には閉じ込められたくはない。
とにかく俺ひとりで事を進める必要がある。

 赤いワンピースを着た少女。

名前は、足利良美。
俺が今回の文化祭中に探し出さなければならない子どもだ。
ゲームでは誘拐され、織田伸樹によって助け出された少女。
俺が覚えているのは、彼女の名前と立ち絵の服装ぐらいだ。
犯人の方は顔がサングラスとマスクで隠れている立ち絵だったので、手がかりになりそうになかった。

ゲームでの立ち絵は、この世界でもほぼ再現されている。
学園の制服に関して言えば、ほとんどのキャラクターが同じような格好をしていた。
織田ならしっかり着込んで、徳川なら崩している。それぞれの特徴を捉えてあった。
しかし、私服まで立ち絵と常に同じとは言えなかった。
休日に織田を見かけた時、ゲームでは見たことのない服を着ていた。
当然の事だ。
三日以上同じ服を着ている人は、不衛生か変わり者のレッテルを貼られる。
今日の探し人、足利良美も服装が変わるかもしれない心配があった。
だが、よく考えるとその心配も無くなった。
足利良美の登場は、今回が初めて。文化祭にしか出てこないキャラクターだ。
そうなれば立ち絵と同じ服装である可能性が高い。
だから俺は赤いワンピースを探して歩く。


「見当たらないな……」


時刻は10時を少し過ぎた。
一時間前から探し始めたが今だにそれらしい子どもは見つからない。
徐々に学園内に人が混み合い始め、騒がしさが増してきた。
廊下を通りすぎていく一人一人の顔と服装を確認していく。
午後3時までに見つけ出さなければ、終わってしまう。
事件が起きてしまえば、文化祭は即中止だ。

最悪見つからなくても、事件は解決される。
ただそうなってしまう事は自分が許せない。
俺の足を動かすのは、小さな意地だ。
男の子はカエル、カタツムリ、小犬の尻尾。それとちっちゃなプライドで出来ているらしい。
ほんの少し力でプチっと潰れてしまいそうなプライドかもしれない。
でも、それでいい。

無理矢理でも足を動かして、学園内を歩く。併せて目も忙しなく動く。

学園祭二日目、楽しんでいる余裕はなかった。








正しい主人公の倒し方 第十三話
 ~主役のいない事件の昼~









「王子よ、王子よ、そんなに慌ててどこへ行く?」


廊下を早足で歩いていると、後ろから声を掛けられた。
それは、聞き覚えのある声。
振り返ると声の主である田中、それと石川もいた。


「どうした佐藤、そんなに慌てて。お姫様にでも逃げられたのか?」


結局昨日は石川と会えずじまいだった。
俺は石川に昨日言えなかった演奏の感想を話すことにした。


「おはよう石川。昨日のヴァイオリン良かったぞ」

「ありがとう。……だが、俺としては80点の出来だ。彼女の事を気にし過ぎて一部リズムがズレた。完璧とは程遠い」

「柴田さんの事か?」

「当然であろう。それに最後まで彼女が来ているかどうか分からなかったのが心残りだ」

「それなら……」


続けようとしたが、止まってしまった。
織田が柴田加奈ルート狙いなら、残念ながら彼女は来ていない。
それ以外なら、顔を出しているはずだが、俺はあの時彼女の姿を確認することが出来なかった。
それに、あの時は織田の行動を見る余裕がまだ無かった。
だから俺は、あの演奏を聞いて思ったことを言う事にした。
石川の友人として。


「お前の演奏なら学園内に響いたはずだ。あの場にいた誰もが息を呑んで聴いた演奏だからな。届いているはずさ、きっと」

「……そうか。そうだったら良いな」


顔を見合わせた俺達は、互いの握り拳を当てた。
それが何の健闘を讃えるものか分からなかったが、自然としていた。
拳が離れると、なんとなく可笑しくて俺達は笑った。


「ちょぉぉぉぉっっと待っっったぁ!!」


突然、隣にいた田中が叫びだした。


「なんだ田中いたのか?」

「『いたのか?』じゃあねえぞ! 俺が先に声を掛けたじゃねえかよ、石川より先だったぜ!」

「あれ、そうだったか? でも、お前も石川の演奏に感動したって言ってたじゃないか?」

「うっ! それはオレもそうだけど……。けどよ、お前らが青春ごっこしている間、除け者扱いで寂しかったんだぞ!
オレも混ぜろよ! オレもやりたかったぞ、畜生!」

「にしても、石川の柴田さんへの想いは見ていて清々しいな」

「至極当然、自分の気持ちに嘘をつきたくない」

「無視するなよ! ……いや、二人でどこか行こうとしないで下さい。マジでお願いします。無視しないで下さい」


だんだん声が小さくなっていく田中。
ウサギは寂しいと死んでしまうという噂は、実は間違いらしい。
それでも適切なケアとコミュニケーションは必要である。
田中の場合、このままでは死んでしまいそうなので、悪ふざけは止めることにした。


「冗談はこの程度にしておこう」

「まったく質の悪い冗談だったぜ……」

「ところで、田中は赤いワンピースを着た女の子を見なかったか?」

「う~ん。多分見てないぜ」

「石川は?」

「田中と同じく見かけなかった」


収穫は0。
目立つ服装だったのでどちらかが見かけていると思っていたが。
もしかすると、まだ学園に来ていないのかもしれない。


「佐藤よ、何故そんな事を聞くのだ?」

「…………」


――誘拐事件を未然に防ぐため。
そんな突拍子も無い事を言っても駄目だ。
後ろめたかったが適当な理由を作る事にした。


「迷子になった子どもを探しているんだ。名前は足利良美。特徴はさっきも言ったが赤いワンピース。
もし見かけたら俺の携帯に連絡をしてくれ」

「分かった。連絡しよう」

「じゃあ、俺は探さないといけないから。またな」


俺が二人から離れようとすると、肩に手を掛けられた。
田中は俺に向けて親指を立てた。


「一人じゃ大変だろ? オレも手伝うぜ」

「……いや、ありがたいが――」

「心配するなよ。迷子探しならオレに秘策ありだぜ?」


自信たっぷりに田中は笑った。
やれやれと外国人のように肩をすくめた石川も笑った。
そして石川も「俺も手伝おう」と言った。
どうしようもない友人だ。
俺には勿体無いぐらいのどうしようもない友人だ。


「……悪いな。手伝ってもらおう」

「おうさ。クレープ一つで手を打つぜ」

「俺はレギュラーカレーでいい」

「おいおい無料奉仕じゃないのか。……わざわざすまない」




『秘策がある』と言った田中は俺達をある扉の前まで連れてきた。
扉の手前に『立ち入り禁止』のロープが張られていたが、そんなものは無視した。
扉の先は、屋上だ。
田中はドアノブを右に回した。
あの時開かなかった扉はあっさり開いた。
コンクリートの床。
それを囲んでいるのは緑色のフェンス。
時折心地良い風が吹く。
見上げれば蒼く澄んだ空が広がっていた。
しかし、学園内で太陽に一番近いこの場所は暑かった。


「あちー! ヤベえぜ、上履きがヤバすぎる。絶対ゴムの部分が溶けてきているぜ」


一番に屋上に入った田中はタップダンサーのように足を動かした。
彼が言うように上履き越しでも床の暑さが伝わってきた。
暑さを我慢しながら、フェンスに近づいた。
そこからは、学園全体の様子が一望出来た。


「なるほど、確かに此処なら見渡せるな」

「そうだろ。これがオレの秘策だぜ」


そう言いながら、田中は今だにタップダンスを続けていた。
そのダンスをずっと見ているわけにもいかないので、早速学園内の様子を見た。
学園内を歩く全ての人が、まるで蟻のように小さく見える。
蟻のように小さいかもしれないが、服の色ぐらいは識別できる。
目を細めて俺は赤色を探した。
運動場、校舎、中庭、校門、体育館通路、武道場。
様々な場所へ眼を移すが、そう簡単には見つからない。
けれども、そう簡単に諦めたくはない。


「んっ。 アレじゃないか?」


声を出したのは、石川だった。
石川がゆっくり指を指した方向は校舎裏だった。
静越学園では校舎裏の暗いイメージを払拭するため、花壇やベンチなど配置してある。
ゴミ置き場などにはせず、なるべく開放されたイメージを持たせていた。
それでも、午前中は影が差し、人が集まりにくい場所だ。
俺はフェンス越しにその場所を見つめた。
そこにはそぐわない明るい色があった。
赤だ。
明るい赤いワンピースを着た女の子がいた。


「でもよ、男の人と一緒にいるぜ。迷子じゃなかったのか?」

「確かに……」


女の子の横には、スーツ姿の男性がいた。
花壇の周りではしゃいでいる女の子とそれを見つめている男性。
見ようによれば学園祭に遊びに来た親子に見えなくもない。
しかし、妙な違和感があった。
しばらく観察していると、自ずと答えが見つかった。
男の顔だ。
遠くからでも分かる。それは楽しんでいる顔ではない。何かを思い悩む顔だ。
確かめなければいけない。
他の場所を見まわっても、赤いワンピースは他にいない。
赤色はその女の子しかいない。


「田中、石川。少しの間、ここであの女の子を見張ってくれないか」

「おう。いいけどよ、お前はどうするんだ?」

「確かめに行く。校舎裏に近くなったら、携帯で連絡する」

「えっ? おい、もう行くのか」

「ああ、これは俺がするべき事なんだ」


屋上の扉に手を掛けた時、後ろから声が聞こえた。
友人二人の応援だった。


「よく分からんが、頑張れよ! あと、缶ジュース追加な」

「佐藤よ、悔いは残すな!」


手を振って田中と石川に答え、屋上を後にした。
屋上から校舎裏まで駆け足で移動した。
その間も他の赤色を探したが、見当たらなかった。
やはり彼女が足利良美なのだろうか。
校舎裏に出る通路の前で、田中に電話を掛けた。


「どうだ? まだ女の子はいるか?」

「早いなあ、お前。まだ校舎裏から動いていないぜ」

「分かった」

「それと、オレも石川もクラスの仕事があるから手伝えるのは此処までだぜ。ごめんな」

「いいや、本当にお前たちがいてくれて助かった。――ありがとう」

「…………」

「どうした?」

「いや、なんでもないぜ。オレもお前といると飽きねえから楽しいんだ。じゃあな、頑張れよ」


俺は携帯電話を耳から離して、ポケットにしまった。
さて、仕事をしなければいけない。
通路に出て、校舎裏の様子を覗った。
――いた。
そこには、まだ女の子と男がいた。
屋上で見た時よりも鮮明に男の表情が分かった。
眉間に皺を寄せ、何かを憂うような顔。
刻まれた深い皺は、歳だけが原因ではないだろう。
白髪混じりの髪がそれを物語った。
男が女の子を姿を見て、溜息をついた。
その時、確信した。
コイツは間違いなくこの女の子の親ではない。
俺が校舎裏に近づいているのに、男は気がつかない。
蝶々を追いかけていた女の子だけが気がついた。
だから、俺は嘘をついた。


「良美ちゃん、お母さんが待っているよ」

「えっ、ほんとう!?」

「でも、少しだけ待ってくれるかな」

「うん、いいよ!」


再び良美ちゃんは蝶々を追いかけた。
男が俺の方を見て驚き、その場から立ち去ろうとした。
すぐに男の肩を掴んだ。


「何か驚くことがあるんですか?」

「別に驚いてはいない。それより肩に乗せた手を退けてくれないか?」

「……少しだけ話を聞いてくれたら離します」


俺は肩を掴んだまま、男の隣へ座った。
男が面倒臭そうな顔をしていたが、そんな事は無視した。
座った後、すぐには話さなかった。
無言の時間がしばし続く。
俺と男はその間、蝶々を追いかける女の子を眺めていた。


「可愛らしい子ですね」

「…………さっさと用件を話せ」

「それに幸せそうだ。あの女の子が誘拐事件に巻き込まれるとは思えない」


俺はあえて隣の男を見なかった。
男がどんな表情をしているか分からない。
再び驚きの表情を浮かべているのかもしれない。
必死に感情を顔に表さないようにしているのかもしれない。
どちらにせよ俺の話は続く。


「会社が潰れて人生がどうでも良くなった。他人の幸せがとても羨ましくも妬ましくもなった。そんな時、道連れが欲しくなった」

「何の話をしている?」

「友人から聞いたドラマの話です。続けますよ。それで、男はとある学園の文化祭で幸せそうな子を見つけた。
その子には未来がある。しかし、自分には先がない。そして、男はその子を道連れにしようとした」

「…………」

「でも、このドラマは結局主役に男が捕まってしまうんですよ」


隣から反応がない。


「ポケットにあるサングラスとマスクは使わなくていいんですか?」

「…………」

「そのナイフは学園祭でいつ使うんですか?」

「…………」

「どうして学園祭に来たんですか?」

「…………」

「後悔しても、誘拐しますか?」

「…………………お前、何者だ?」


ようやく男から言葉が発せられた。
返答する前に、一呼吸置く。
その答えは、もう大分前から決まっている。
それこそが、俺なのだから。




「『男子生徒B』ってところですかね」







[19023] 第十四話 ~一般人、佐藤尚輔~
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/12/31 11:43
きっかけなんて些細な事だ。

一緒にお化け屋敷を頑張ったクラスメイト。
台風の日でもクラスの事を心配した委員長。
最高のヴァイオリン演奏を見せてくれた友人。
慣れないメイドを一生懸命演じた下級生。
教師として最後の文化祭を暖かく見守る先生。
文化祭に対する様々な想いを俺は見てきた。

 文化祭を潰したくない。

俺はそう思うようになっていた。
もともと、俺は織田が犯人を取り押さえる事に協力するつもりだった。
そうすれば、俺も物語に関わることが出来ると思っていたから。
でも、今の俺は違う。
文化祭を中止させないために、事件を起こさせない。
事件が始まる前に終わらせる必要がある。
今から俺がする事は、きっと目立つ事でも輝かしい事でもない。
誰にも気づかれずに、終わらせなければならないのだから。
カーテンが上がる前に劇が終わっているように。
観客に誰が主人公だったか気付かれないように。
アンコールなんて以ての外。劇場を拍手喝采にさせる必要はない。

この選択が100%正しいなんて思わない。
どちらにせよ、これは俺の自己満足だ。



ゲーム中の三択が羨ましい。
俺の前に選択肢なんか現れやしない。
どれが正解なのか分からず闇雲に歩きまわる。
見ない先をいつもおっかなびっくりに歩かなければいけない。
でも、それは普通なのだ。


俺は普通の人間だから。









正しい主人公の倒し方 第十四話
 ~一般人、佐藤尚輔~









太陽が上がり始め、裏庭にも光が差すようになってきた。
携帯電話を開いて時間を確認した。――11時20分。
まだ事件が発生する3時までは余裕がある。
ベンチの隣に座っている男は今だに黙ったままだ。
しかたなく俺は良美ちゃんに声を掛けた。
彼女も蝶々観察には飽き飽きしていたようで、すぐに近くまで来た。


「ごめん。このおじさんと話をしないといけないから、先に一人で職員室に行ってもらえるかな」

「うん、いいよ。どうやっていけばいいの?」

「あの通路を進んで突き当たりを右。そのまま真っ直ぐ行けば職員室につく。
もしお母さんがいないようなら先生に声を掛ければいいよ」

「わかった! じゃあね、お兄ちゃん」

「ああ、気をつけて」


手を振って駆けていく少女を見送り、裏庭には俺と男の二人だけが取り残された。
重い空気は以前変わらない。綺麗な蝶もいつの間にか姿を消していた。

どれくらい経ったのだろう。
隣にいた男が声をだした。
始めは、それこそ耳を傾けなければ聞こえないほど小さかった。
だが、ふつふつ湧き上がるように男の声は次第に大きくなる。
終いには、笑い出した。


「ククク……アハハハハハハハッ……――!」


男は額を右手で覆い、狂い可笑しく笑い続けた。
それが何に対しての笑いなのか、分からない。
しばらくすると笑いを止め、男はこちら向いた。
ところどころに見える白髪。落ち窪んだ瞳、シワよれたスーツ。
それから、落ち着いた低い声で話し始めた。


「君の言うとおりだ。私は誘拐を考えていた」


男は新間孝蔵と名乗った。
聞いたことのない名前だったが、ゲームでは犯人の名前は現れていない事を思い出した。
この名前が正しいか、確かめる術はない。しかし、ここで無理に焦る必要もない。
俺は黙って男の話を聞くことにした。


「道連れか。いや、確かにそうだが少し違うな」

「…………」

「ほら、君が言ったナイフだ。綺麗だろう?」


何の躊躇もなく、男はポケットから鞘に入ったナイフを取り出した。
鞘が外され抜身になったナイフは、太陽に照らされ輝いた。
汚れが一切ない新品のナイフ。
それはこの日のためだけに用意された物なのだろう。


「誘拐を止めてくれるのか?」

「分からないな」

「この事件はあんたが思うようにならない。例えこの学園の外へ逃げたとしても、最後は捕まえられて終わるだけだ」

「どうしてそうなると言い切れる?」

「それは……」


男の質問に口篭ってしまった。
織田伸樹が、この男を捕まえるのは確定事項だ。
世界の中心が織田伸樹なら、どう足掻いても無駄なことになる。
俺達は主人公の引き立て役でしかないのだから。
しかし、それは俺の頭の中にある知識でしか無い。
他人に説明するための確実な根拠にはならない。
それでも、信じてもらえるとは思えない事を言わなければならなかった。


「この世界の未来を知っているからだ」


男が静かになった。
握られているナイフは下を向いた。
急に刺される心配はないはずだ。


「そうか、そうか。ククク……」


男は誰に同調することなく頷き始め、一人でに笑った。
先ほどとは、違う異質な笑い方。
俺はただ男のその笑いが止むまで傍観しているほかなかった。


「奴が言っていた通りだ。本当にそんな事になるとはな」

「……どうしたんだ急に」

「何でもない。こちらの話だ」


クククッと喉に詰まったような声を再び出しながら、男は革製の鞘にナイフをしまった。
こちらを全く見向きもせず男は話を始めた。


「君に朗報がある。誘拐を諦めよう」

「どうして急にそんな事を言い出す」

「そうだな……。君は今回私が起こすはずだった事件を『馬鹿らしい』行動だと思うかね?」

「『馬鹿らしい』と思う。どうせ誘拐しても捕まるからな」

「そうかもしれないな。だがな、私からしてみれば逮捕されることなどどうでも良かった」

「それなら何があんたをそこまで駆り立てたんだ」

「……試練だよ」


男は呟くようにそう言った。他には何も語らない。
言葉の意味を考えようとしたが、情報がなさすぎる。
それに今大切なのは言葉の意味を調べることではない。


「なあ、あんたは本当に誘拐をするつもりだったのか?」

「するつもりだった。つい先程までな」

「あんたはあの子の姿を見て溜息ついていた。それはどうしてだ?」

「ああ、それか。何のことない。ただ言っていた通りに事が進むことが嫌だっただけさ」


へらへらと笑いながら男は答えた。
不気味な作り笑い。無機質なその笑い。
男の『諦めた』という言葉を簡単に信じることが出来ない。
俺は喉元をすんなり通らない何かに焦りを感じた。
――いや、心配することはないはずだ。
無理矢理自分の考えを心の中に押し込んだ。

この事件が未然に防げたら、次は三階自習室にいこう。
文化祭前日に見つけた謎のチラシ。そこに書かれていた記号。それらを確かめるためにも。
やりたいことは山ほどあるが、まずはこの山を乗り越える必要がある。
隣にいる男は虚ろな瞳で、ただ空を見上げていた。
俺も同じように空を見た。俺からして丁度真上に太陽はあった。


「男子生徒B君」


名前を呼ばれ、男の方を向いた。
呆気無いほど一瞬の出来事。
向くと同時に嫌な感触を腹部に感じた。
体にじんわりと何かが埋まっていく。
視線をゆっくりと下げた。
いつの間にか外された鞘が地面に落ちていた。

 そして、ナイフの柄が俺の脇腹から出ていた。

有り得ない場所から異物が突き出している。
痛みの中心はナイフ。激しく熱く痺れる。
縦に開かれた痛みは、鼓動と共に体全身へ広がっていく。


「そうだ。私は誘拐することを諦めた。君が言ったじゃないか。この娘で事件を起こしても駄目だって。そうだろ?」

「ンッ……」

「事件を起こす事。私の目的はそこにある。君が反対に事件を起こしたくないようにね」


ああ、やはりコイツは狂っていた。
まともに話が通用する相手ではなかった。
気がついた時には遅い。
腹に埋まっていたナイフを引き抜く。
傷口から溢れる血がシャツを濡らしていく。


「君を殺して事件を起こせばいい。そう思ったんだ。なに簡単なことだ。
取れない葡萄があるなら、別の木を探せばいい。狐にだって分かることだ。
君には素質がある。私の標的になるだけの十分な素質が」

「フザケるな……」

「私を睨みつけてどうするんだ? 私が憎いか? それでは駄目だ。
恨むのは私ではない。社会だ。そう、この醜く汚く卑しい社会を。
生まれた時から不平等なこの世界を。だから君も世界を恨みたまえ」


男は自分の言葉に酔いしれているようだ。
大きな手振りを加えて、自分が神か王かと言わんばかりに戯言を語っていた。
どうでもない男のどうしようない戯言のはずなのに、頭の片隅に残ってしまう言葉があった。

――不平等なこの世界を。

頭のどこかで俺は死なないと思っていた。
男女の恋愛を見せるために作られた世界。
そんな世界に来れた俺は死ぬはずがないと決めつけていた。
しかし、今なら分かる。それは間違いだった。
英雄でも、勇者でも、主人公でもない。
なにも取り柄のない一般人。
だから、一歩間違えば、崖から落ちてしまう。落ちた先から奇跡的な生還なんて出来るはずもない。
だが、痛みを感じながらも俺は叫ばずにいられなかった。


「ふざけんじゃあねえよ!!」


堅く握られた右拳。


「テメエは何様のつもり何だ!」


それは男の頬を殴り抜けた。


「他人を不幸にしていい道理なんてねえだろ!!」


突然の反撃に驚く男。
もう一度殴ろうとしたが、今度は避けられた。
寒い。
体が震えている。
流れ出ていく血は、体の熱も流していく。
血が足りない。
膝に力が入りきらず、俺の体はふらりと崩れた。
その一瞬の隙に攻守が交代した。
男は真っ赤な顔をして殴ってきた。
前のチンピラほど強くはないが、それでも今の体に痛みが重く伸し掛る。
男は続けざまにもう三発。頬、脇腹、右肩。それぞれに当ててきた。
今は痛みを耐えるほかない。
男の攻撃は続く。


「チッ、しぶとい奴だ……」


男が十発ほど殴った後の事だった。
これ以上殴っていても埒が明かないと判断したのだろう。
男は地面に落ちていたナイフに目をつけた。
それを取ろうとして身を屈めた瞬間に、俺はタックルをかました。
バランスを崩した男は、そのまま背中を地面にぶつけた。
俺は倒れた男に跨り、交互に拳を振り下ろした。
右。
左。
右。
左。
機械的に繰り返していく。
腹から飛び散る血が下にいる男に降りかかる。
残り少ない力を振り絞って拳を握る。
男が何か言ってるようだが、そんな事はどうでも良い。
ただ黙々と同じ動作をしていけばいい。
考える必要なんてない。
傷の痛み、拳の痛みを感じるより先に拳が動く。
単調な動きを続けていく。


「ハァ…ハァ……」


今にして思えば、この男に話しかける必要なんてなかった。
出会った瞬間、ただ一方的にこの男を殴れば良かった。
そうすれば、こんなに苦しまず終わらせる事が出来たはずだ。


「おい、何しているんだ! お前たちは!!」


遠くで声が聞こえた。だが、頭がそれを理解しようとしない。
瞼が重い。体が寒い。傷が痛い。
俺がここで意識を手放してしまったらこの先はどうなるのか。
学園祭が中止されてしまうのではないか。
良美ちゃんは無事でいられるのか。
分からない。
答え合わせをするだけの力は、もう残っていない。
意識が徐々に削れていく。削れた分だけ黒い何かが俺を覆う。
黒い部分が俺の意識を全て覆うと、俺は何も感じなくなった。












ぼんやりとした明るさを感じた。
うっすら瞼を開けていくと、俺は白いベットの上にいた。
仕切られていたカーテンを開けると、ここが学園の保健室だと分かった。
そして、椅子に座っていた男性がこちらにやってきた。
白髪混じりの気さくな教師。その男性は渡辺先生だった。


「もう大丈夫かね、佐藤君?」


その声は、意識が無くなる前に聞いたものと同じものだった。


「俺はいったい……」

「迷子の女の子から職員室で『裏庭で生徒に道を教えてもらった』と言われてな。急いで向かうと、そこに倒れていた君がいたわけだ」


記憶の点と点が繋がりだして、ようやく先程の事を思い出した。
ナイフで腹を刺されて、男を殴り、そして意識を失うところまで。
思い出すと、今度は俺が意識を失っていた間の質問が次々と浮かんできた。


「文化祭はどうなったんですか!?」

「今は4時だから、あと一時間ほどで閉会式だね」

「え、えっと、それなら、問題とか事件とかは起きなかったんですね」

「ああ、勿論だとも。今年も無事終える事ができそうだ」


他にも聞きたいことはあった。しかし、先生の次の一言で俺は質問が出来なくなった。


「お陰さまで私は最後の良い文化祭を送れたよ」


きっと先生が言った言葉は俺一人に当てた言葉ではなかっただろう。
文化祭に関わった生徒全体に対するお礼だ。
それでも、俺は先生の言葉で報われた。

――自分の進んだ道は間違いではなかった。

この世界に来てから、初めて世界に認められた行動。
自分の居場所をようやく見つけられた安堵。
その想いが止めきれず、涙がこぼれそうになった。
駄目だ、こんなところで簡単に泣いたりしては。
きっと今の自分の顔は、安心と喜びが混じった情けない顔をしているはずだ。
俺は先生から顔を背けた。


「どうしたんだ!? どこか痛むのかい?」

「い、いえ。何でもないんです……。大丈夫ですから」


先生は俺が落ち着くまで待ってくれた。
俺は深く息を吸い込み、長く吐いた。
体中にある酸素をすべて吐き出すようゆっくりと。
それから、先ほど聞けなかった最も重要な質問をした。


「すみません、もう一つ聞いていいですか? 俺のそばにいた男はどうなったんですか」

「男? あの場所には君しかいなかったはずだが」

「スーツの中年男性です。たぶん迷子になった女の子も見ているはずです」

「おかしいな。女の子も『裏庭に一人でいたら、お兄さんが声を掛けてくれた』と言っていたぞ」


背筋に寒気を感じた。鳥肌が立った。
あの場所にいたはずの男がいない。
俺にしか見えない存在とかそんな馬鹿げた者ではないはずだ。
それに、あれほど現実味おびた痛みが夢の出来事なのだろうか。
何かを思い出そうとしている先生を横目に、俺はシーツをめくった。

俺が着ていたのは、真っ白なシャツ。
それを捲り、自分の腹を見た。
だが、そこには全てがなかった。
ナイフで突きされた傷も。
溢れ落ちた血も。
痺れるほどの痛みも。
あの時感じた全てが嘘のように俺の体から消えていた。

夢、幻、仮、妖、虚、嘘。
頭の中で様々な考えが渦巻いてはぶつかっていく。
その考えがぶつかって消えて行く度、俺は目眩と気持ち悪さを覚えた。
先ほどあった安心と喜びは既にない。
今あるのは、吐き気だけだ。
不快感を振り払うように俺はベットから降りた。


「おい、佐藤君。どこに行くのかね?」


向かった先は、保健室の片隅にある流し台。
顔を下へ向けて、腹に力を入れた。込み上げてくるモノを全て吐き出した。
腹の中に溜まったモノ全てを吐き出しきって、ようやく落ち着いてきた。


「これでも飲みなさい」


顔を上げると、渡辺先生が水の入ったコップを渡してくれた。
俺はそれを一気に喉へ流し込んだ。


「ありがとうございます」

「本当に体は大丈夫かい?」

「……もう平気です」


まだ平気とは程遠いが、それでも幾分かはまともになった。
混乱した頭を冷やすために、俺は気持ち悪さを我慢して考え直した。
男がいなくなって困ることはない。
結果だけ見れば、事件は起こらず皆は学園祭を楽しめた。
それでいいじゃないか。
何も得てはいないが、何も失ってはいない。
俺はベットに向かわず、保健室のドアに向けて進んだ。


「まだ休んだほうがいい」


先生は俺の肩に手を置いて止めた。


「すみません。それでも確かめないといけない事があるんです」


先生の手を払い、一礼した後、廊下へ出た。
学園内はまだ騒がしさがあったが、どこか寂しさもあった。
俺が眠っている間に祭は終わりへと確実に近づいていた。
片付けや売れ残りを処理しているところもある。
いちいち避ける必要もなくなった廊下をただひたすらに歩いた。
俺の足が止まったのは、三階自習室。
昨日も来た教室。そして、この先には何かがある。
ドアを開けると、沈みかけた赤橙色の日が教室に差し込んでいた。
その光の向こうに、一人の女性がいた。


「あなたで最後みたいね」


教室内に響き渡る高く凛とした声。
彼女は俺の姿を確認すると、こちらに近づいてきた。
後ろ髪を左右で纏めてた髪は、光のせいか金色に見えた。
ほっそりしている輪郭に、小ぶりな唇。
一重の瞳からは気の強さを感じるが、その目元にある泣きボクロは彼女を優しげに見せた。
俺は彼女を知っている。


「これまで誰ひとりとして、私を満足させてくれる解答をしてくれる人はいなかったわ」

「『SH』の事か?」

「ええ。そうよ」


物語を面白可笑しく掻き回していく存在。
俺のようなモブより一歩だけ前に立っている人物。
こちらに来て初めて俺は彼女の姿を見たが、一目で彼女の正体が分かった。
そこにいたのはゲームでの登場人物の一人、松永久恵。
本編では攻略されることない、自由奔放なサブキャラクター。



「あなたは私を満足させてくれるの?」



二人だけの教室で彼女は俺にそう訪ねた。






[19023] 第十四半話 ~サブヒロイン、松永久恵~
Name: Jamila◆00468b41 ID:b7fae158
Date: 2012/04/12 01:53

例えば、空を見上げた時にどうして空が青いのか考えたことある?
他にも、地図を見た時にどうしてこんなに世界は広いのとか。
見方さえ変えれば、世界には不思議がたくさん転がっている。
でも、それを気づかない人たちは、知らないで蹴っ飛ばしてしまう。
飛んでいったそれは誰にも拾われる事なく腐っていく。
それだともったいないから、私はそれを蹴らないように注意して、ひとつひとつ拾いあげては鑑賞していく。
気に入ったものは丁寧に自分が納得いくまで調べ上げる。
それが私の趣味、ライフワークと言っても過言ではない。

だから、私が『それ』に興味を持ったのも当然といえば当然なのかもしれない。









正しい主人公の倒し方 第十四半話
 ~サブヒロイン、松永久恵~











「ねえねえ、マッちゃんはあの噂についてどう思う?」


二年生に成り立ての4月。
昼休みに教室でぼうっとしていると、前の席に座っていた友人が私に話しかけてきた。
友人の言う噂とは、女子の間で話題になっている『記憶を失ったカップル』だと思う。
なんでも記憶喪失が原因で別れたカップルがこの学園にいるだとかいないだとか。
そんな感じの噂だが、口から口から伝わっていく過程で形がだいぶ変わっている。
尾ひれはひれついたこの噂は、初めの形を失っているはず。
学園内にある桜の木の呪いで記憶を失ったとか。
実は記憶喪失は嘘で、本当は別の人に乗り換えるためだったとか。
信用性の欠ける噂はこれでもかと言わんばかりに広がっていた。


「下らないわね。だいたいさ、誰が誰と付き合ったっていいじゃない。
いちいち恋愛に赤の他人様が首を突っ込む必要ないわ。
それに私が欲しいものはそんなゴシップなんかじゃないの」

「え~、でもさマッちゃんは一応新聞部じゃん。この手の話題を載せれば学校の女の子は読むよ」

「……馬鹿らしい」


私は溜息をついた。
友人の言うように私は一応新聞部に所属している。それでも最近は顔をだしていない。
半年も行っていないから、きっと退部扱いでもされているだろう。
まるで音楽グループの解散理由みたいだけど、方向性が違ったのだ。
私の求める不思議が新聞部が調べるそれと違っただけの話。それ以下でもそれ以上でもない。
友人に向き直してから私は言った。


「私ならまだ『開かない教室』の方が面白いと思うわ」

「それつまんないよ~。だってさ、名前からしてベタな怪談みたいだし、聞いたらオチもなかったじゃん。
あっ! そういえば前に『桜の下の死体』調べてたけど、あれはどうだったの?」

「ああ、アレね。残念だけど桜の下には何にもなかったわ」

「なんだ~、つまんないな~」


友人の声のトーンが低くなり、彼女は私の机にぐでんと体を置いた。
私としても結果はつまらなかったが、過程は充分に楽しめたので満足だ。
学園の歴史や桜にまつわる云われなど副産物的に得られた知識もある。満足度七十点ってところかしら。
ぐだっている友人は目だけを上げて私を見た。


「でもさ~。本当にこの学園って不思議な事多いよね。一年生のときにもだいぶあったね。
わたしはそういう事があったほうが飽きないから大歓迎なんだけどね」

「確かにそうね。私も不思議大歓迎。むしろ見かけたら追っかけるわ」

「でも、そんなに不思議ばっかり追いかけていると男の子には逃げられちゃうよ~」

「な……!」


からかわれたと思った時にはもう遅い。友人は口元をニンマリと上げた。


「確か一年生の時に同じクラスだった織田君だったかな。残念だね~、今年は同じクラスになれなくて。
いやぁ、マッちゃんの好みが童顔だったとはね~」

「…………」

「顔が赤くなっているよ~。マッちゃん風邪ひいたの~」


くすくす笑いながら友人は私のほっぺを突っついてくる。
何度手で払いのけても、ふにふにと突っついてきやがる。
違う、本当に違うのに。思わず私は怒鳴ってしまった。


「いい加減にしろッ!」


言ってしまったから後悔。
私の一声は思いのほか大きかったらしく、静まりかえってしまった教室。
クラス中の視線が私たちのところへ集まった。
恥ずかしさのあまり顔はさきほどより赤くなってしまった。
下を向いて黙ってその場をやり過ごす。
しばらくすると、みな興味を失ったのか自分たちの事へと戻っていった。
私は自分が出せる最大の怒りと恨みを込めて友人を睨みつけた。


「まあまあ、そんなに怒らないでよマッちゃん」

「アンタが悪いんでしょ、アンタが! どうしてアンタは人をおちょくるのが好きなのよ。
アンタのせいで無駄にクラスの注目浴びちゃったじゃないの。新学年そうそうクラスメイトに変な目で見られたわよ!
どう責任とってくれるのよ!」

「ごめんごめん。それにしてもマッちゃんは感情が高ぶるとよく喋るようになるね~。
おっ、チャイムが鳴った。模範的かつ優等生なわたしは授業の準備をしなければ。ではでは~」


昼休み終了のチャイムを理由に友人は私の元から逃げていった。
駄目だ。彼女といると私の溜息が多くなってしまう。
本日二度目の溜息は床に届きそうな深い深いものだった。




私の放課後の予定は、特に決まっていない。
その日の気分とやる気で決まる事が多いので、日によって放課後を過ごす場所が変わる。
今日の私は図書室の気分だった。
昼休みに友人に言った『開かない教室』を調べる必要があるからだ。
『開かない教室』は確かに『記憶を失ったカップル』に比べればつまらないし、華がない。

 放課後、とある生徒が忘れものを取りに行ったら教室の扉が開かなかった。

これだけで説明が終わってしまう噂。
ちなみに、この話はその後生徒が行方不明になるなどの劇的なオチはない。
本当につまらないから、あまり話題にならないがそれでも体験談はよく聞く。

私は図書室に入り、そのまま人がいない奥へと向かった。
図書準備室と書かれた扉の前でノックをして暫しの間待つ。
聞き慣れた女性の返事が聞こえたので、私は扉を開けた。
その人は、いつも通り決まった椅子に座りながらのんびりと本を読んでいた。
私が準備室に足を踏み入れると、彼女はこちらを向き、その黒髪はサラサラと心地良さそうになびいた。
それから彼女は柔らかい笑顔で、ゆっくりと挨拶をした。


「お久しぶりですね、松永さん」


まるで深窓の令嬢のような佇まい。
明智美鶴――我が校が誇る秀才、そして私の先輩であり友達。
なんというか同じ女性である私でも嫉妬しまうほどの美人。羨ましい。
学力、容姿、運動。勝てるところが見つからない相手とは彼女のような人の事を言うのだろう。
唯一あるとすれば……胸かもしれない。
でも、私のそれも平原の如きなだらかさなので、所詮どんぐりの背比べ。
大丈夫、私たちはまだ成長期。明るい未来だって広がっているはず。
現実逃避からすぐに戻り、私は明智さんに挨拶を返した。


「そうですね、明智さん。この前はありがとうございます」

「どういたしまして。ところで、桜についてはもういいんですか?」

「はい。おかげ様で土を掘り返す必要がなくなりました。
今日からは『開かない教室』でも調べようと思っているんですよ」


私は埃かぶった本棚から手掛かりになりそうな資料や本を引き抜いた。
図書準備室には一般生徒が閲覧できない資料が揃っている。
一般人である私がこうして堂々と資料探しが出来るのもひとえに明智さんのおかげ。
図書委員長の彼女の権限で、私もおまけで入れてもらっている。


「それなら、この本とかどうですか?」


資料を探していると、明智さんはいくつかの本を手渡してくれた。
お礼を言って受け取ると、彼女はいつものように読書に戻った。
準備室にある大きな椅子に座って本を読む明智さん。隅で好き勝手に調べ事をしている私。
これが私の図書室での過ごし方。今日も時間がのんびりと過ぎていく。
調査が一段落した後、ふと思いついた疑問を明智さんに聞いてみた。


「あの……どうして明智さんは私の手伝いをしてくれるんですか?」

「もしかしたらお邪魔だった?」


明智さんは一度本を閉じて、私の顔をじっと見つめた。


「い、いえ! そんなことないです。ただ、明智さんが読書しているのに邪魔しているみたいで申し訳なくて……」

「それなら気にしないでください」

「でも……」

「知らないかもしれないけど、貴方は調べごとしていると表情がコロコロ変わるんです。
発見した時は子どものように喜んで、見つからなかった時には物凄く悔しそうな顔をします。
それを傍らで見ているだけで、私も同じような気持ちになれるんですよ」


「だから貴方と一緒に居られる時間は特別です」と微笑みながら明智さんは言った。
男性だったらコロリとやられてしまいそうな微笑みと台詞は、同性である私にも充分危険なものだった。
もう少しで明智さんをお姉さまと呼びたくなりそうなぐらいに。心拍は一気に20ほど上がった気がした。


「あ、ありがとうございます……。あっ、そうだ! 他にも調べものしなくちゃ」


わざとらしく席を立って、本棚が置いてある方に向かった。
たまにあの人は素でこういう事を言ってくる。だからこそ手に負えない。
男子より女子に人気がある理由が分かった気がした。
なるべく明智さんの方を見ないようにして本棚をあさっていく。


「あれ? コレなんだろう」


私の目は本棚のある一箇所に止まった。
本と本の間に見慣れないモノが挟まれていた。手に取ってみると分かったが、ゲームの説明書のようだ。
どうしてこんな場違いなものが置かれているのだろう。
とりあえず明智さんに聞いてみるとしよう。
可愛いキャラクターが描かれたそれをパラパラとめくりながら、明智さんのところへ戻る。
しかし、私の足は止まった。開かれたページは登場人物の紹介。


「変……オカシイわ……」


そこに書かれているのは、私が知っている人ばかり。
絵描かれているキャラクターは彼らの特徴を捉えていた。
下に書かれた説明文も私の知っている限り当てはまることが多い。
手が震えてしまい、私はその説明書を落としてしまった。
見たくなかった。読みたくなかった。知りたくなかった。
知っている人だけではない。
そこには松永久恵――私もいた。
これが私と『School Heart』との出会いだった。









私が説明書を見つけてから、早いもので二ヶ月が過ぎた。
あの日から私はもっぱら『School Heart』だけを調べている。
だが、調べても調べてもかすりすらしない。
市場に出回っていない謎のゲーム。その割には手の込んだ説明書。
舞台が私たちの住んでいる街であるのも余計に気になった。
これを見つけた後すぐに明智さんに聞いてみたが分からないと言われた。
そもそも準備室に入れるのは一部の先生と明智さん、それと私ぐらいらしい。


「でも、明智さんもこのゲームのキャラクターなんだよね……」


このゲームは、恋愛シミュレーションと言われる種類のものだ。
私自身あまりゲームをしない方なので詳しい事は分からないが、この手のゲームは決められた期間に恋人をつくるのが目的らしい。
ゲームの主人公は織田伸樹。彼は一年生の時のクラスメイトだった。
ぱっとしないどこでにでもいそうな男子生徒。それが私が彼に持っていた印象だ。
一週間ぐらい前に、思い切って織田君にこのゲームを聞いてみたが「知らないよ」と返された。
私の知る織田君は平気な顔をして嘘をつけるタイプではない。本当に知らないのだろう。


「その後も、これに載っている人全員に聞いても駄目だったわ……」


それでも唯一の成果と言えるのだろうか。
一見なんともないページに気になるところがあった。
その画面の背景には強い雨が降っていた。日付は5月20日。
織田くんの台詞に「こんな時に台風が来るなんてね」。
現実でも季節外れの台風はその日に来た。この説明書を拾ったのは4月の出来事。
それを見つけて以来ただの偶然と割りきってしまう事が出来ず、ずっと私の頭に残り続けた。
でも、それ以上進展はない。
八方ふさがりなこの状況。
普段の私なら、そろそろ諦めて他のモノに興味が移っていたと思う。
しかし、私はこの『School Heart』が普通のゲームではないと感じていた。
思考停止なんてしている場合じゃない。
頭では分かっているが気がつけば、文化祭前日になっていた。
何一つ分からないまま時間だけが過ぎている。不満が日に日に募っていく。


「あ~、もう何か手っ取り早い方法はないの!」


このままでは不思議は解明できず、謎だけで終わってしまう。それだけは許せない。
テストで赤点とろうとも、消費税が上がろうとも、このままの状況は許せない。
これの正体が悪戯だったら、それはそれで良いのだ。ただ私は答えを知りたいだけ。
隠された真実なんて大それたものは望んでいない。私が望んでいるのは、正解を伝えてくれる人。
この変なクイズに終わりがあることを知らせてくれる人。
恋する少女のようには待っていない。腹を空かせた貪欲な狼のように待っている。


「そんな風に自分を自虐的に例えるようでは、私も相当追い込まれているわね……」


他の生徒はみんな文化祭の準備を頑張っていた。
それを横目で眺めながら晴れない気持ちで歩いていると、廊下に貼ってあった広告に目がついた。


「石川本一ソロコンサート『ヴァイオリンに乗せて、僕の想いを』 10:00中央広場にて。へえ、石川君頑張ってるなあ」


そのクラスメイトの広告を見つけて、私は下らない事を考えついた。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
そして私はこう思った。


「まあ、何もしないよりはマシね」


クラスに戻って、私は二、三枚のノートの切れ端にある事を書き込んだ。
「『SH』 この文字に心当たりがある方は文化祭の二日目に3階自習室へ」
それを適当なところに貼った。もちろん生徒会の許可なんて取っていない。
どうせ怪しい事を調べるんだ。怪しい雰囲気があった方が良いだろう。
裏切られた時、失望をしないように期待はしておかない。
餌をつけずに釣り糸を垂らしているようなものなのだから。
文化祭二日目まで私はそんな中途半端な気持ちで過ごしていた。


しかし、予想とは裏切られるのが世の中の常らしい。
意外にも文化祭二日目に3階自習室に来る物好き人が複数いた。世の中とは分からないものだ。
だから、期待をしていなかったはずの私は、そんな人たちが来る度に期待をしてしまった。そして、当然の如く裏切られる。
来る人来る人、みんな的はずれな解答だった。ちなみに、一番多かった解答は『上海(ShanHai)の略』。
ほとんどの人はこれを何かのレクリエーションだと思っていたようだ。
途中、見回りに来た先生にも「ここは立ち入り禁止だぞ」と怒られてしまった。
どうせ今日も収穫はないだろう。時計の針が進むたび、私はそう思ってしまう。
期待の女神様は私の方を一向に振り向かない。裏切りの神様がずっと私の事を見ているみたい。

でも、それでも私は待ち続けた。
日が沈み始めても、自習室から出ず、来るかも分からない人を待ち続けた。
いったい私は躍起になって何をしているのか。
今頃きっと織田君は女の子と一緒に文化祭を満喫しているのだろう。
私は説明書を眺めながらそう思った。
ここ二ヶ月、織田君の生活を見ると彼は学園生活を充分に謳歌していた。
比べて私は大切な青春の1ページを誰もいない教室で過ごそうとしている。
なんとも淋しい気持ちに襲われそうになるが、これは自分が選んだこと。
いいんだ。これでいいんだ。
そんな事を考えていたら、物音が聞こえた。
まだこの教室に来る物好きがいるようだ。時間を考えると今度来る物好きが最後になるだろう。
ドアが開かれると、長身の男が教室に入ってきた。


「あなたで最後みたいね」


茶色混じりの短髪に薄い眉毛。
加えて目付きの悪さ。それに長身が相まって常に相手を威圧しているように見えた。
どこからどう見ても立派な不良生徒。校舎裏で煙草を吸っていてもおかしくなさそうな男だった。
学園内で彼の姿を見た事があった。確か佐藤という学生だ。
そんな人が来るとは流石に予想外だった。私は彼に近づいた。


「これまで誰ひとりとして、私を満足させてくれる解答をしてくれる人はいなかったわ」

「『SH』の事か?」

「ええ。そうよ」


第一声がそれについての確認。彼は他の人と違った反応をした。
だから、私は期待の女神様にすがってしまった。次の瞬間には見放されるかもしれないのに。
この男は私の求める答えを知っている人なのだろうか。
それとも、他の人と同じような不思議に気づかない人なのだろうか。


「あなたは私を満足させてくれるの?」


私はそう聞かずにはいられなかった。
だが、彼は私の問いを素直には答えてくれなかった。


「どうしてお前はそれを知りたがるんだ?」


少しだけ考えてから私は答えた。


「可笑しいかもしれないけど……」

「なんだ?」

「あなたは七不思議とか怪奇現象とか信じる方?」

「信じる方だな」

「あら、意外。強面だからそんな事信じないで、てっきり馬鹿にする方だと思ったわ」

「人を見た目だけで判断するな。それで七不思議がどうした?」

「それはこの学園にも不思議なことが起きているからよ。下らないことも凄いことも含めて色々とね」


彼の一歩手前で立ち止まり、私は彼の顔を下から覗き込む。
近くで見ると、彼は意外にも整っている顔立ちをしていた。
それでも、威圧的な雰囲気は相変わらずだけど。


「開かない教室、記憶を無くしたカップル、校庭のドッペルゲンガー、桜の下の死体。
どれも低俗な三流ゴシップみたいな内容。でも、私たちの身近で何かが起きているのは間違いないの。
あなたの身の回りでも何か不思議な事が起きたりしなかった?」

「……」

「まあいいわ。どうして私が『SH』を知りたがっているか答えてあげる」


私は手を自分の胸に置き、彼に向かってはっきりした声で言った。


「好奇心よ。犬も喰わない好奇心なら、私がそれを食べるわ。
この世で、しかも身近に納得がいかない事があるなんて満足できない。だから私は調べるのよ」


そう言ってから、私は唯一の手掛かりを取り出した。
彼が話さないなら、話すように変えてやる。
予想通りそれを見ると、彼の表情が変わった。
驚き8割、不安1割、その他1割と言ったところかしら。
興味を抑えられない様子。彼は私の取り出したそれを食い入る様に見た。
間違いない。彼は知っている側の人間だ。私をきっと満足させてくれる。私の直感がそう囁いていた。


「どうしてお前がソレを持っているんだ……」

「ソレってなに?」

「『School Heart』の説明書をどうしてお前が持っているんだ!」


溜まっていた不安を吐き出すような怒鳴り声が教室に響いた。
通路の奥まで届いてしまいそうな大きさ。
だが、それは彼の意志とは反したものだったのだろう。
すぐに彼は謝った。


「……すまない。急に怒鳴ってしまって」


見た目とは違った素直な態度。
虎が飼い主に叱られてしょんぼりしているような感じを受けた。
私はその様子がなんだかおかしくてクスリと笑ってしまった。


「なにか変な事をしたか?」

「いいえ、違うの。あなたが私の思っていたような人じゃなかったと分かったから。
いいわ。なんで私がこれを持っているか話してあげる。それと私が調べたことも。
ただし、条件付きでね」

「条件?」

「情報交換よ。あなたが知っているコレについての情報を先に教える。簡単でしょ?」


彼は眉間に皺を寄せて数秒考えた後、低い声で「分かった」と返事をした。
「信じられなくても仕方がない」という前置きしてから彼の話が始まった。


彼の口から出る言葉は、私が想像していた事とはかけ離れていた。
馬鹿らしい、阿呆らしい。いつもの私なら一蹴していたはず。
だけど、今の私にはそれを否定するだけのものを持っていない。
むしろ、肯定できるものがあるから彼の話を必死に理解しようとした。
彼の言っている事は現実離れしている。しているからこそ、不思議で魅力的で官能的。
話を聞きながら、私は頭の中にあるパズルを必死に解いた。
組み立てる手は止まらない。楽しい。気味が悪いけれど楽しい。



「これで終わりだ……。信じなくていいぞ。俺の話には証拠がないからな」



いつの間にか彼の話は終わっていた。
出来上がったパズルを見て、私は若干物足りなさを感じた。
これは完成していない。まだ不完全な状態。


「今度は私の番ね。その前にあなたに言いたい事があるの」

「なんだ?」


彼の話を信じれば、ここは作り物から出来た世界。
さらに世界は織田君を中心に回っている。
過去も未来もイベントという既定事項で固められている。
そして、目の前にいる彼は彼でない。
こんなにおかしい話を簡単に認めてしまうとは、どうかしている。



「私はあなたの話を信じるわ」



でも、私は肯定しよう。
この不思議は、私をどれほど満足させてくれるのだろう?
 



[19023] 第十五話 ~それでも俺は主人公じゃない~
Name: Jamila◆00468b41 ID:b7fae158
Date: 2012/04/08 20:03
沈む夕日が今日の終わりを知らせている。
教室の窓から校庭を見ると、後夜祭の準備がされていた。
校庭の真ん中で積み上げられた薪。
キャンプファイヤーのために用意されたそれを中心に人集りができていた。
終わりに向かう祭だが、誰もが楽しそうな顔をしていた。










正しい主人公の倒し方 第十五話
 ~それでも俺は主人公じゃない~











「あなたはこれからどうするの?」


窓から視線を外すと、松永がそう尋ねてきた。
松永が持っている説明書。
それには間違いなく見覚えがあった。
松永の話を聞いて、俺は少なからず衝撃を受けた。
『School Heart』が存在するという確たる証拠。
それがあったからだ。


「……分からない。だが、今までのように『佐藤』として生きるつもりだ」

「事件の発生を防いだりしないの?」

「今のところ考えていない」

「あなたは何もしない生活に満足できるの?」

「満足できるとは言い切れないな。だが、このままでいいんじゃないか」


俺は現状に満足していた。
気になる女の子がいる。
助けになる後輩がいる
そして、頼りがいのある友人たちがいる。
文化祭を中止させないという目標も達成できた。
たとえモブだろうが、俺は『佐藤尚輔』として生きていくと決めた。
そんな俺を見て、松永はぼそぼそと何か呟いた。


「つまらない……」

「すまん。声が小さくて聞こえなかった」

「つまらない男って言ってんのよ!」


さきほど俺が怒鳴ってしまった時と同じぐらいの音量。いや、それ以上かもしれない。
彼女のつまらないという言葉が耳の奥で残響した。
松永は俺に向かってわざとらしく盛大に溜息をついた。


「あなたは死んだと思ったら傷一つなかったんでしょ。しかも、誘拐犯はどこかに消えた。
他にも屋上のドアが開かなかったり、長距離で誰も注目しなかったりとか。
羨ましいほど不思議体験しているのに、これからも何かしようと思わないの? 馬鹿なの?」

「馬鹿じゃない。俺は俺なりの人生を生きると決めたんだ。
それと、これ以上ゲームに振り回されるのは御免だ。無理に関わりを持ちたくない」

「ふん、肝っ玉の小さい男ね。振り回されるんじゃなくて振り回すぐらいの覚悟がないの?
男ならそれぐらいの覚悟しないでどうするのよ。だいたいこんなで満足するなんてどうかしているわ。
分からない事だらけなのに、もやもやしてこないの? 思考停止してんじゃないわよ!」


捲くし立てるような早口。
言葉の端々から感じる自信と熱意。
松永は今にも俺の胸ぐらを掴みかかろうとしていた。
そんな彼女の様子を見て俺はポツリと呟いた。


「違うんだな」

「なにが?」

「俺の知っていた松永とは違ったんだ。クールでちょっとだけいじわるな女の子だと思っていた。
だけど、実際にこうやって話してみるとそれだけじゃないって分かったんだ」

「……当たり前よ。あなたが見た私なんて織田君の主観でしょ。説明書に書かれているような小さな括りで私を縛らないで」

「なるほどな。だとすると織田の前だと猫を被っていたのか? それとも好意を――」

「はあ!? 馬鹿ッじゃないの! どいつもこいつもどうしてそう決め付けるの!」


顔を真っ赤にしながらムキになって怒鳴る松永。
はっきり言って説得力に欠ける。
だが、本人が否定しているのでこの話題は避けよう。


「それだったら俺はこの先何をすればいいと思うんだ?」

「……そうね。とりあえず恋愛してみれば?」

「えっ?」

「そんなマヌケ面しなくていいわ。『School Heart』は恋愛ゲームよ」

「確かにそうだが、それがどうしたんだ?」

「あなたのクラスに斉藤さんがいたはずだわ。
彼女も登場キャラだから、彼女と恋仲になれば何か起きるかもしれないわ。
そうすれば、新しいアクションが起きるかも。そうは言っても、私は人様の恋愛に興味はないけどね」

「俺は新しいアクションのために恋愛するのか」 

「そうよ」

「憎たらしいほど堂々としてるな。……待てよ。お前が織田にアプローチしてみればいいんじゃないか。
ゲームでは有り得ない展開だ。そっちの方が何か起きるかもしれない」

「はあ? 何で私がそんな事しないといけないのよ。こんな時に冗談言わないでよ」

「お前こそ冗談は胸ぐらいにしとけ。登場人物中最下位だしな」

「嘘よ。明智さんの方が無いに決まっているわ」

「いや、公式設定だと明智さんの方が微妙にある」

「えっ、本当?」

「本当だ」

「…………私の胸なんて関係ないわ。とにかくあなたは恋愛すればいいのよ」


お前がやれ、あなたこそやれ、そんな言葉が飛び交う低次元な争いはしばらく続いた。
お互い冗談だと分かっていた。分かっていたから言い争える。
ただ俺達は互いに戸惑いを隠していただけなのかもしれない。
言い合いはアナウンスが聞こえるまで続いた。


「みなさんお疲れ様でした。文化祭終了時刻になりました。生徒はグラウンドに集合してください。繰り返します――」


どこからともなく聞こえてくる歓声と拍手。
終わった。ようやく終わったのだ。
今回の文化祭は、一回目の人生であったどの文化祭より濃いものだった。
俺と松永は顔を見合わせた。ここで俺達の言い合いも終わりのようだ。
松永は俺より先に教室を出ようとした。


「あっ、最後に言い忘れた事があったわ。私はこれからあなたをどう呼べばいいの?」


扉の近くで松永は振り返った。


「佐藤でいい」

「分かったわ。じゃあまたね佐藤」

「また今度だ。松永」


誰もいなくなった教室。
遠くから聞こえる生徒たちの声。
明日になれば何事もなかったように学園は元に戻る。
祭が終われば、どの生徒も勉強や部活に追われる日々に戻る。
その事に若干の寂しさを感じながら、俺も教室を出た。







片付けられたお化け屋敷。
教室の隅にはまだダンボールや脅かすためのマスクなどが置いてあった。
だが、明日にでも授業が出来るような状態だ。
祭はもう終わった。そう感じられる光景だった。
俺は机の上に座って、窓から校庭の様子を見た。
キャンプファイヤーには火がつけられていて、それを囲むように生徒が広がっていた。
閉会式も終わり、すでに後夜祭が始まっていた。


「無事に終わるんだな……」


その光景を見て、俺は安心した。
まさか誘拐犯が再出場なんて馬鹿げたことは起こらないだろうが、それでも心配だった。
まだ情報の整理がついていない頭を働かせながら、ゆらゆらと揺れる炎を遠くから眺めた。


「あれ、まだ誰か残ってるの?」


声がした方を急いで振り返った。
そこにいたのは見覚えのある人影。
このクラスの学級委員長がそこにいた。


「斉藤さんか……」

「佐藤くんだったんだね。びっくりしちゃったよ」


そう言ってから、彼女は俺に近づいてきた。
机の傍まで来ると、彼女は「空いてる?」と聞いてきた。
俺は隙間を作ったが、ひとつの机に二人が座ると若干窮屈だった。
ほのかに香る柑橘系の甘酸っぱい匂い。
こうして二人っきりになるのは、何回目だろうか。


「どうしてこんなところ来たんだ? 後夜祭ならもう始まっているぞ」

「ただの忘れ物だよ。ところで佐藤くんはどうして教室にいるの? もしかしておサボりさん?」

「おサボりもあるけれど、俺はこうやって文化祭の終わりを見たかったんだ」


窓の向こうに広がる光景。
笑って、楽しんで、思い出をつくっている生徒。
文化祭は無事終わった。誘拐犯も出なかった。
でも、結局それを守れたのは俺の力ではない。
よく分からないうちに全てが終わっていた。これが今回の結末だ。
言葉に出来ない後ろめたさと納得のいかない悔しさがあった。
あの輪の中に入りたいが、こんな気持ちのまま参加しても楽しくなれない。
そう思って俺は教室に引き篭っていた。
けれども、彼女がここに来るのは予想外だった。
こんなイベントを俺は知らない。


「そういえばね、文化祭で迷子だった子を助けた生徒がいたんだって」

「へえ、それは偉いな。誰なのか知っているのか?」

「知らないよ。でも凄いよね。自分の事より人の事を気遣える優しさがあったんだよ、その人は」

「……そいつには下心があったかもしれないぞ。迷子を助けるのも他の事が目的だったかもしれない」

「そんな言い方しちゃダメだよ。物事を点で見ないで線で見なくちゃ」

「線で見るとそいつの行動は良かったのか」

「うん。花丸だよ」

「そうなのか……」


俺の生返事にうんうんと頷いてくれる斉藤さん。
それでも、俺は自分の行動に花丸をつけられない。
松永の言葉を借りるなら、きっとそれは思考停止になってしまうから。

『分からない事だらけなのに、もやもやしてこないの?』

思い返せば、俺は今までゲームの事をまるで見ていなかった気がした。
ゲームの世界に入り込んだこの異常な状況。
気にしていたのは、いつも自分の立場だけで周りを見られなくなっていた。
それを気づかせてくれた松永には感謝しきれない。
気がつくと隣で斉藤さんがジーッと俺を見ていた。


「どうしたんだ。そんなに目を細めて」

「佐藤くんがまたつまらなさそうな顔をしていたから。だけど、今回はなんか違うんだよね。
う~ん、もしかしたら女の子が関係している?」

「……そんな事はない」

「間があったよ。佐藤くんの嘘は分かりやすいよね。誰の事考えていたの?」

「斉藤さんには関係ないさ」


俺が素っ気無く答えると同時に、校庭から音楽が聞こえた。
それは幾度か聞いたことのある懐かしい曲だった。
「私…隣に…のに……と悔しいかな……でも私も…」
音に紛れてしまい、斉藤さんの言葉がよく聞こえなかった。
そして、なぜだか彼女の顔が寂しげに見えた。
俺が聞き返そうとすると、彼女は突然立ち上がった。
その時には、いつもの斉藤さんに戻っていた。


「ねえ、踊ろうよ」

「いきなり何を言うんだ」

「この教室にも音が聞こえるから踊ろうよ」

「踊るなら校庭に行けばいいじゃないか」

「今から行っても間に合わないよ。さあ、早くしないと」


彼女は強引に俺の手を握った。
その手は、あの時と変わらない柔らかく小さな手だ。
今回も彼女に引っ張られた。そして前と同じように俺は彼女に従うしかなかった。
互いに手を取り合って向き合う。
急に自分の手が汗ばみすぎていないか気になった。
しかし、そんな事を気にせず斉藤さんは話しかけてきた。


「えへへ、緊張するね。こういう時は男の子がリードするって聞いた事あるよ」

「……それなら頑張ろう。準備はいいですか、お嬢さん」

「うん!」


今だけはモヤモヤする気持ちを忘れよう。
この世界には不思議がある。
それでも、今向き合っているのは彼女だ。
窓の向こうから聞こえてくる軽快な音楽に合わせる。
昔の記憶を掘り返して動作に移る。
ああ、そういえば昔は好きな人の一つ前でこの音楽が終わったな。
しかし、今は違う。


――えっと、これでいいのかな?

――そうだ。今度は前に足を出す。

――うん!

――よし、合わせるぞ。

――右、左、右、左、前、後ろ、くるりと回ってありがとう。

――あれ? 次の人がいないよね。

――だったら二人で続けるしかないな。

――うん。ずっと続けるしかないね。


顔を見合わせて笑い合う。
俺達は二人だけでただ同じ動作を繰り返していく。
それは誰かに見てもらうための踊りではない。
観客が一人もいないホール。舞台で踊るのは俺達だけ。
これに意味があるとすれば、自己満足だろう。
彼女の気持ちは分からないが、俺は幸せだった。
この過ぎていく一秒一秒がもったいない。
このまま時間が止まってしまえばいい。
そう思うが、現実的に時間が止まることなんてない。
ずっと続けることなんて出来やしない。


「……終わっちゃったね」


曲が終わると共に自然と俺達の手は離れた。
そうして、また二人で机の上に座り外の様子を眺めた。
斉藤さんは校庭を指さしながら言った。


「ほら、見てよ。みんな笑顔で楽しんでいる。こんな日が毎日続いてほしいよね……」

「ああ、確かに楽しそうだ。だけど、毎日はごめんだ」

「なんで?」

「大変だからだよ」


今日あった事を思い返すと色々あり過ぎた。
迷子を見つけて、誘拐犯に刺されて、気がついたら事件は無くなっていた。
それに松永にあって、説明書を見せられた。本当によく分からない日だ。
そんな日が続いてしまったら、俺はきっと疲れ死んでしまう。
溜息をつこうすると、校庭から大きな音が聞こえた。


「あっ、花火だ……」


校庭の端から打ち上げられた小さな花火。
それは後夜祭が終わる合図だった。
この花火が打ち終わったら楽しい夢の時間はお終いだ。
一発一発打ち上げられる度、校庭から歓声が上がる。
斉藤さんもそれを見上げている。
俺は気づかれないように彼女の横顔を盗み見た。


このままでいいのか?


脳裏に浮かんだのは自分に対する疑問。
本当に俺は何もしなくていいのか。
ただ背景に甘んじる味気ない日々を送るだけでいいのか。
来るかも分からない終焉をじっと待っているだけで、俺は満足できるのか。
そして、つまらない男のままでいられるのか。
答えは……NOだ。
やり残したことがある。
誰かのためではなく、これは俺自身の問題だ。

彼女が好きなら、俺にはするべき事があるはずだ。


「あのさ……」


斉藤さんはこちらに顔を向けて、何かあるのと首を傾げた。
――言っちまえ。
分かっているさ。でも、簡単に言えるなら誰も苦労はしない。
これがゲームなら三択が表示されて、一つをポチっと選択すれば終わる。
だが、現実は星の数ほどある言葉を選び相手に伝えなければいけない。
しかも、どれが正解か分からないときた。なんたるクソゲー。
それでも、俺はこの状況を乗り越えなければいけない。そうしないと、前に進めない。
詰まる喉の奥から言葉を引き出していく。頭の中は真っ白だ。


「あのさ……今度映画でも見に行かないか?」


違う。
デートのお誘いは大切かもしれない。
だけど、今大切なのはそれではない。
もっと伝えたい気持ちがある。
頭の中がぐちゃぐちゃになりかけているが、斉藤さんは律儀に返事をしてくれた。
それは俺にとっても嬉しい返事だった。


「えっ……。う、うん。いいよ」

「……あ、ありがとう。それでさ――」


――今度こそ言え。想いをぶつけちまえ。
秀実ちゃんの言葉で物語の中心に行くことが俺の目的ではなくなった。
俺の目的は佐藤尚輔としての自分なりの物語を作っていく事だ。
何かに縛られず拘らずに、自分の納得のいく事をしていく。
そうじゃないのか、佐藤尚輔。
腹を括り直して俺は彼女の顔を見た。
だが、彼女は予想外の表情をしていた。


「……どうして泣いているんだ?」


彼女の赤い頬を伝う涙。
顔の端で溜まったそれはポツリポツリと落ちていき教室の床を濡らした。
彼女は下向いたまま、時折グスンと鼻をすすった。


「だ、大丈夫だから……」

「もしかして嫌だったのか。決して無理に誘ったわけじゃないんだ。嫌だったら断ってくれても――」

「そうじゃないよ。デートのお誘い嬉しかったよ」


泣きながらも彼女は笑った。
雨上がり太陽の光を浴びた紫陽花のような美しさ。だが、同時に儚さも感じた。


「自分が嫌になっちゃたんだよ。自分の気持ちもしっかり決められなくて。
分かっているはずなのに。何が一番なのかずっと前から決めていたはずなのに。
……だから、はっきりさせてくるね!」


斉藤さんは教室から出ようとした。
俺は彼女の腕を掴んで引き止めた。
もう自分の想いを伝えるムードではないが、それでも彼女と居たかった。
これは俺の我がままだ。
彼女は顔だけをこちら向け、真剣な瞳で俺を見つめた。


「デート楽しみにしているよ」


柔らかい微笑みとともに、するりと彼女の腕は俺の手から抜けた。
消えるように彼女は教室から去って、教室には俺だけが取り残された。
だらしなく上げたままだった右腕を下ろし、俺は窓から外の様子を見た。
後夜祭はもう終わっており、校庭には人影が少なくなっていた。


「楽しみにしているか……」


彼女の様子は途中から明らかにおかしかった。
暗い教室で俺は考えた。
斉藤さんがこの後向かった先の仮定を立てる。
そして最悪の場合を考えた時、俺は居ても立ってもいられなくなった。
もし彼女が屋上に向かったとしたら。
俺は教室を飛び出して、急いで屋上に向かった。
長い廊下を走り、階段を駆け上る。
息を切らせつつも俺は屋上入り口に到着した。
扉の前で息を整えていると、向こうから話し声が聞こえた。
焦った俺はすぐさまドアノブに触れた。
だが、その時文化祭前日の事を思い出してしまった。
ドアノブに置かれた手が一瞬弱まった。


「……きっと大丈夫だ」


根拠なんて有りやしない。
あの時と同じように開かないかもしれない。


「それでも上等だ。今度は無理矢理にでも開けてやる」



俺はドアノブを回す。扉は……



 ――開いた。



屋上にいたのは斉藤さん、それと織田伸樹だ。
彼らは俺が入った事に気がつかないようだった。
夜の屋上に二人きり。これは文化祭前日のイベントではない。
文化祭後の最大イベント。忘れるはずがなかった。
斉藤さんは後ろ姿で表情こそ見えないが、俺には分かる。
頬を林檎のように優しく染めて、緊張しながらも織田の表情を伺っているのだろう。
かつて俺がプレイヤーとして画面の外からそれを見ていたからだ。
だから、聞こえてきた台詞は何ら問題のないものだった。
ゲームが正しく進行しているとされるのならばそれは正しいものだ。
最悪の場合は当たっていた。


「あのね織田くん……」


ヤメてくれ。


「どうしたの?」


止まってくれ。


「わ、私は君のことが――」



その先を言わないでくれ。


絶叫を上げてこの場をぶち壊したい。
織田の胸元を掴んで殴り倒したい。
それは彼女の気持ちを無視した無粋な行為だろう。
分かっている。それぐらいの事分かっているが止められそうもない。
体は自然と二人の先に向かった。無駄だと分かっているのに。
俺に向けてくれたあの笑顔は全て仮面越しの嘘だったのか。
斉藤さんが口を開いた。
残酷なまでに彼女の言葉は紡がれていく。





「好きなんです…………」





終わった。

抱き合う二人の姿を見ても不思議と涙は出なかった。
俺は気づかれないよう屋上を後にした。
その日の星は悔しいほど綺麗だった。




[19023] 第零話其の二 ~あめ、あめ、ふれふれ~
Name: Jamila◆00468b41 ID:b7fae158
Date: 2012/07/14 23:34


 僕は雨が好きだ。


「~~~♪」


この季節は雨がよく降る。
ざあざあ降っても良い。
しとしと降っても良い。
ぽつぽつ降っても良い。
どんな降り方でも僕は好きだ。
それが雨ならば僕はどんな形でも受け入れる。






正しい主人公の倒し方 第零話
 ~あめ、あめ、ふれふれ~






久しぶりの雨に僕の心は浮き浮きしっぱなしだ。
あの台風が去ってしまった日から天気は飽きるほど晴れが続いた。
毎日雨でも僕は構わないぐらいなのに。


「あめあめ~ふれふれ母さんが~」


鼻歌では満足できずについ声に出してしまった。


「じゃのめでお迎え……。『じゃのめ』って何だろう?」


立ち止まってその言葉の意味を考えてみた。
じゃ飲め、邪の眼、蛇の女、ジャの芽。
候補は浮かぶけど、一向に答えが出ない。
今日は久しぶりに一人で登校したので相談できる相手もいない。
康弘ならまだしも加奈に聞いたところでマトモな答えが来るとは到底思えない。
仕方なく僕は再び歩き始めた。
道端に誇らしげに咲いているのは紫陽花。
コンクリートの壁をマイペースにのそりのそりとよじ登る蝸牛。
側溝からはアマガエルが一匹出てきた。
カエルの合唱はこの季節の風物詩だ。
ゲコゲコと五月蝿くも愛嬌のある歌声を披露してくれる。
アマガエルはじっと僕の方を見つめてくる。
とても可愛らしい目だ。
僕がいくら近づこうとも逃げやしない。


ああ、雨はいい。
雨音が好きだ。
僕の好きなものに会える。
靴の汚れも取ってくれる。
それに、心のなかに溜まったものも流してくれるような気がして。
たまらなく雨が好きで、どうしようない。


気がついたら正門に到着していた。
しばらく雨に会えなくなる事を残念に思う。
帰る頃には、もう止んでしまいそうだ。
僕は傘を少しずらして、見上げた。
そこにはあの桜の木があった。
桜の木は、いつの間にか葉桜になっていた。
緑色に生い茂った葉桜。
残念ながら桜の木はここから衰退の一途を辿る。
なぜなら、次の季節には葉すら落ちてしまい丸裸になってしまうからだ。
つまるところ、春まで待たないといけないのだ。
だが、春になれば桜は咲き誇る。


「そのときになったら、勝てるのかな……」


ふいに僕は『じゃのめ』の事を思い出した。
頭の中にあったワードを組みあせて一番納得の行くものが出来た。
蛇の目、これに違いない。
だけど僕は蛇が苦手だ。
体はニュルニュルとしていて、舌でチロチロと挑発までしてくる奴ら。
極めつけはあの眼だ。狙った獲物を逃がさないあの鋭い眼。それが蛇の目。
母さんがそんな眼して待っていたら、僕だったら裸足で逃げてしまうだろうね。
でも、いつまでも逃げ出しているだけではいけない。
僕は強くならなければいけないから。


「……目標を作ることが大切である」


その言葉を僕は信じる。
選択していくことで得られる未来。
それなら、次の目標が必要だ。
僕を満足させてくれて、なおかつ成長させてくれるようなもの。


「ああ、毎日楽しくてしょうがないよ」


クスクス笑いながら、僕は皆が待つ学園の中へ入っていった。




 楽しい学園生活は、まだまだ続く。



[19023] 第十六話 ~正しい主人公の倒し方~
Name: Jamila◆00468b41 ID:b7fae158
Date: 2011/04/24 15:01


こんな夢を見た。
朝、俺の隣に女の人がいて、二人は仲良く通学路を歩く。
彼女の顔こそはっきりと覚えていないが、落ち着きのある綺麗な人だったと朧げながら覚えている。
授業の話だったか、学校行事の話だったか、彼女はごくありふれた日常的な事を話していた気がする。
俺は黙ってそれを聞き、時折頷いて返事をしていた。
太陽が優しく道を照らして、穏やかな時間が過ぎていく。
学園の坂が見えてきた頃だった。
靴の裏に何か違和感を覚えて、俺は立ち止まった。
足を上げると、靴の下には先の尖った小さな石があった。

「何だ、ただの石か」

俺が石から眼を離して顔を上げると、いつの間にか隣にいた女の人が消えていた。
慌てて辺りを見回すと、彼女は俺より数歩先にいた。
良かった、いなくなった訳ではなかったようだ。
安堵の溜息をつこうとした瞬間、その女の隣に男がいる事に気がついた。
彼の顔には見覚えがあった。夢の中の出来事だが、忘れもしない。
織田伸樹――どうして彼が夢の中まで出てくるのか。
織田は彼女を連れたまま、正門をくぐっていった。
俺は坂の下から、ただその様子を眺めていた。
足を動かそうにも動かない。織田に向かって叫ぼうにも叫べない。夢の中だからどうしようもない。
突然、壊れかけのブラウン管のように映像が乱れた。
砂嵐の向こうで織田が何か喋った気がした。
夢はそこでプツリと切れた。



眼を覚ますと、そこは自分の部屋だった。
寝汗が気持ち悪く肌にまとわりついていた。
大きく息を吸い込み、鼓動を落ち着かせる。
窓から外の様子を見ようとしたが、雨が降っているのでよく分からない。
時計を見るとまだ起床するには早い時間だった。


「はぁ、なんて夢だ……」


最悪な目覚めだ。
とてもじゃないが、二度寝出来る気分ではない。
溜息をついた後ベッドから下りた。
汗がついたシャツを脱いで、制服へと着替える。
さあ、今日も学校にいかないと。








正しい主人公の倒し方 第十六話
 ~正しい主人公の倒し方~









煩わしい雨の音は教室の中まで聞こえてくる。
昼休みにも関わらず教室には多くの生徒が残っていた。
昼練が出来ない運動部や中庭で昼食を取れなかった生徒たちだろう。
特にすることもない俺は自分の席から、雨の脚をぼうっと窓越しに眺めていた。
文化祭が終わってから既に数日経った。
あの日から斉藤裕は変わった。
だが、その変わったは決して悪い意味ではない。
クラスの男子は口を揃えて言っている――「委員長が可愛くなった」と。
それは当然なのかもしれない。
彼女はあの日からよく笑うようになった。
そうだ、主人公のみに許された純粋なあの笑顔だ。
魅力的なそれの数が増えた分だけ彼女の魅力が増すのも、当たり前の事なのかもしれない。
ほら、今だって彼女はその笑顔で織田と仲良く喋っている。


「ねえ、織田くんは今日の放課後空いているかな?」

「う~ん、多分空いているよ」

「それだったら、今度の行事について話したいんだけどいい?」


不思議なことに彼女の俺に対する態度は変わっていない。
まるでこの前の事がなかったように平然と接してくれる。
もしかすると、あの日に約束したことも忘れてしまったのかもしれない。
そんな考えが頭に過ぎると、今日何度目か分からない溜息をついてしまった。
俺は仲睦まじく話す二人の様子を見ながら、ポケットに入れていた或る物を取り出した。
水玉模様のタオルハンカチ――台風の日に交換して今日まで返しそびれたそれだ。
正直に言えば、彼女にこれを渡すことが怖かった。
これを渡してしまったら、俺と彼女との何かが壊れてしまう。そんな気がしたからだ。
だが、心のどこかに残っている淡い期待が俺を後押しする。
これぐらいしか今の俺と彼女を繋ぐ接点がない。
重い腰を上げて、俺は仲良く話している二人に近づいた。
意識して顔を引き締めながら話しかけた。


「すまん織田。少し斉藤さんに用事があるんだがいいか?」

「区切りが良いところだから大丈夫だよ。それじゃあ、斉藤さんまた放課後に決めようか」

「分かったよ。……それで佐藤くん、話は何?」


彼女の顔が若干寂しそうに見えたのは、俺の勘違いなのだろうか。


「渡したいものがあるんだ。ここで渡すのもアレだから、廊下に出よう」


アレとは何なのか。彼女には分からないだろう。
それは、ただ俺が織田の近くに居たくなかったという気持ちの表れだった。
彼女を人気の少ない廊下まで連れて行く。
昼休みも終わりに近付いているため、人も疎らになっていた。
丁度話しやすい場所を見つけ、そこで俺は彼女にハンカチを見せた。


「これ、返すのが遅れてすまなかった」


渡しながら、文化祭の時に一度彼女も俺のハンカチを返そうとした事を思い出した。
色々あって彼女の方も忘れているかもしれない。
とりあえずこのハンカチさえ渡して仕舞えば、それで用事は終わりだ。
それで彼女と俺を繋いでいた物も消える。


「ねえ、どうして佐藤くんがコレを持っているの?」

「えっ……」

「だって、コレは……」


戸惑っていた彼女は、何かを思い出したかのように顔を上げた。


「……あはは、ごめんごめん。私の勘違いだったみたいだよ」

「もしかして忘れてしまったのか?」

「大丈夫、ちゃんと覚えているよ」


気まずさからなのか、彼女は俺から顔を背けた。
その視線の先にあるのは体育館だった。
どこかの運動部が練習でもしているのか、中から威勢のよい掛け声が聞こえてくる。
俺もその元気を少しでもいいから分けて欲しかった。


「……忘れられるはずないよ。でも、きっと今のうちにしか言えないから」


彼女の目尻に水滴が溜まっていく。
俺は彼女をそんな顔にするため此処に呼んだわけじゃない。
どこで間違えたのか。
俺は一体どこで選択肢を踏み間違えたのか。
掴んだ腕を離さなければ良かったのだろうか。
あの時のように笑い合える仲にはもう戻ることは出来ないのだろうか。


「私の方も佐藤くんに言わないといけない事があったんだ」

「何かあったか?」

「……ごめん。デート行けなくなっちゃった」


ある程度予想は出来ていた。覚悟も出来ていた。
しかし、実際に言われてみるとその言葉は思いのほか心に響いた。
返事をしなければいけないのに、続く言葉が見つからない。
それっきり俺と彼女は黙ったままで、重い時間だけが過ぎていった。
まるでこの前まで当たり前に話していた間柄が嘘のような沈黙。
しばらくすると、昼休み終了の予鈴が鳴った。
彼女は俺の顔を見ず、教室に戻ろうとした。
俺は引き止めることも出来ず、ただそれを見送るしかなかった。
だが、去り際に彼女は一言残した。
それは、俺に聞かせてくれるためのものか分からないほど小さな呟き。
俺の耳が狂っていなければ、彼女はこう言った。


「今の私だと君を傷つけてしまうから――」









授業が終わり、俺は昇降口でとある人を待っていた。
流れるように人が出入りしていたのは、もう数十分前の事だ。
今だに待ち人は現れない。
その間、俺はずっと斉藤さんの事を考えていた。
一生懸命クラスをまとめる姿、誰にでも優しい性格、ふとした時に見せる笑顔。
思い出すときりがなかった。彼女と過ごしたのは、ほんの数カ月のはずなのに。
そもそも彼女の幸せとは何か?
考えて見れば意外とそれは簡単な事だった。
この世界がゲームだったとしたら、俺は終わり方を知っている。
ゲームにはスタートがあるように、エンディングもある。
――HAPPY END。
めでたく主人公がヒロインと強い絆で結ばれる素晴らしい終わり方。
プレイヤー達はこの終わり方を目指してゲームを進めていく。
彼女の幸せを願うならば、約束されたその終わりを見守るべきなのか。
俺が含まれていないハッピーエンドを認めてしまえば、それで済む事なのか。
今の俺には分からない。だから、俺はアイツと会ってから決めようと思う。
考え込んでいたせいで、俺は肩を叩かれているのに気がつかなかった。


「誰か待っているのかね」


顔を上げると、そこには渡辺先生がいた。
歳相応の白髪と白鬚、それこそお爺ちゃん先生というあだ名の由縁だろう。
研究用のものなのか、先生はあまり見かけない難しそうな文献を持っていた。


「ええ、そんなところです。先生こそ、その難しそうな本どうしたんですか」

「ああ、これの事かい。図書室で借りてきたんだ。
ところで、少し時間の方は空いているかね? 少し君に話したいことがあってね」

「まだ来ないみたいですしいいですよ。俺も先生に聞きたい事がありましたので」

「そうか。立ち話ですまないね」


実は俺も先生に聞きたいことがあった。
文化祭で倒れたときの事だ。
あの時、俺は急いで松永の所へ行ったため詳しい事を聞けなかった。
倒れていた俺を一番に見つけた先生なら何か知っているかもしれないと思ったからだ。


「文化祭二日目に、倒れていた俺を見つけたのは先生でしたよね。
その時俺の体に何か変なところがありませんでしたか?」

「ふむ、私が行った時には既に裏庭で君が倒れていたからのう。
意識と呼吸の確認をして、すぐに保健室に連れて行ったが、変なところはなかったはずだ。
今さらですまないが、あれから体の調子はどうだい?」

「痛いところはありませんし、大丈夫そうです」


俺は脇腹を右手で摩りながら答えた。
先生には伝わらないだろうが、傷口もないその場所に痛みはない。
やはり残っているのは俺の記憶だけだった。


「そうか、無事で何よりだ。さて、次は私の話でいいかい?」


期待はしていなかったが、やはり何も得られなかった。俺は落胆を隠しながらも頷いた。
先生は話し出す前に一度辺りを見まわし、一呼吸を置いた。
先生がゆっくり話すのは、慎重に言葉を選んでいるためなのだろう。
優しそうな顔をしながらも、その老いた両眼は確かに俺の眼を見据えていた。


「佐藤君。君は何か特別な事に巻き込まれていないかね?」

「……いいえ。そんな事はありません」

「そうか。いや、すまない。老いぼれのお節介だったようだ」


俺は嘘をついた。
先生は自分の白髪を撫でながら、愉快そうに笑った。
それは気不味い雰囲気を飛ばすための先生なりの気遣いだろう。
先生の笑い声が途切れる頃、丁度廊下の角から待ち人が現れた。


「待っていた人が来たみたいなので失礼します」

「ああ、こちらこそすまなかったね」


俺は先生に一礼してから、急いでその場を離れた。






早いことに、ソイツは既に下駄箱から靴を取り出していた。
冷静になれと心の中で念じながら、俺はソイツに声を掛けた。


「なあ、織田。今日は俺と帰らないか?」


主人公である織田伸樹。
俺が佐藤尚輔になってから最も避けていた人物だ。
だが、いつまでも避けていても始まらない。
自ら織田と関わりを持とうとしたのは、初めての事だった。
織田は突然俺が話しかけた事に驚いていたようで、しばらく俺の顔を眺めていた。


「あ、佐藤くんか。うん、いいよ。でも、帰る道が違ったよね?」

「大丈夫だ。たまたま用事が出来たんだ」

「そうなんだ。それにしても珍しいね、佐藤くんが僕を誘ってくれるなんて」

「今日はそんな気分になったんだよ。迷惑だったか?」

「そんな事ないさ。逆に嬉しいぐらいだよ」



適当な嘘を言いつつ、俺も靴を履き織田の隣まで行く。
外に出ると思っていたより雨は強く降っていた。
傘を差して二人で歩く。
桜の木の前を通り過ぎ、学園の坂を下る。
意外にも俺と織田の会話は続いた。
傘を差して隣を歩いているので、俺は織田の表情を読み取る事は出来ない。
だが、その声の調子から判断するに織田は本当に嬉しそうだった。


「あともう少ししたら夏休みだね。早く来ないかな」

「まだ一ヶ月半も先だろう。しかも、夏休み前に期末テストもある」

「ああ、そうだった! うわー、もう頭痛くなるよ」

「今からでも勉強すれば大丈夫だと思うぞ」

「はあ、ここから頑張るしかないよね……」


ごく普通のクラスメイト同士の会話。
その中で織田は心地良いリズムで話の緩急をつけていく。
そのまま惹きこんで、ありのままの感情を見せる。
これが演技か嘘なら、将来大物の政治家か相当な詐欺師になれるだろうと俺は思った。
話題がひとつふたつと変わる度、いつの間にか親しみを感じてしまう。
それが彼自身の魅力なのか、主人公として補正なのかは分からない。
いつまでも浸かっていたい快い雰囲気だった。
きっとこのまま喋っていたら、俺達は仲良くなれた気がした。
でも、そうはいかないだろう。


「織田、お前に聞きたいことがあるんだ」


頃合いを見計らって、俺は話題を変えた。
今の俺にはどうすればいいのか分からない。だから、俺は織田と会ってから決めようと思っていた。
大きく息を吸ってから吐き出し、自分の気持ちを確認し直す。
抑揚のない淡々とした口調で俺は織田に尋ねた。


「この前の文化祭、織田は斉藤さんに告白されたよな」

「えっ!? と、突然、何を言うのかな。驚いちゃうよ」

「告白されたよな」

「…………うん。されたよ」


一瞬間があり、それから織田は答えた。
織田はどうして告白の事を知っているか不思議に思っているようだった。
だが、俺は重ねるように質問を続けた。


「告白の返事はどうした?」

「……」

「答えてくれよ。俺にとって大切な事だから」


俺はその場に足を止めた。
靴の先に雨が染みこんでくる。
安物のビニール傘は雨に打たれて、うるさい音を立てる。
けれども、そんな事を気にすることはない。
一歩先で立ち止まっていた織田がこちらに振り返る。眼と眼が合う。


「今はまだ応えられないって伝えたよ」

「どういう事だ」

「待ってもらう事にしたんだ」

「待ってもらう……どうしてお前はそれを選んだんだ」


質問をしながらも、俺は分かっていた。
受け入れた訳でもなく、拒否した訳でもない。
そんな曖昧な返事が出来るのは、限られた展開しか有り得ないから。
織田は俺の言葉にゆっくりと頷いてから話し始めた。


「みんなを幸せにするんだ。価値もない死体のような人に僕はなりたくない」

「お前にそんな事が出来るのか」

「出来るよ。いや、しなければいけないんだ。それが僕の目標だから」


その言葉を聞いて、俺の手から傘が落ちた。
この男の言葉が何を意味しているか、俺は知っていた。
織田は斉藤裕を選ばなかった。しかし、彼は彼女を拒否した訳ではない。
主人公が一人のヒロインを選ばなかっただけの事だ。

――主人公が選んだのはヒロイン全員だった。

彼にしか出来ない事への嫉妬。
既に時が動き始めていた事への後悔。
そして、俺の前に立ちはだかる大きな壁への絶望。
主人公である織田は選ぶことが出来て、背景である俺には出来ない。
俺が納得しようともしなくとも物語は進んでいて、このまま勝手に終わる。
俺は自分の好きだった人に振り向いてもらうことすら出来ない。
心を痛めた恋は織田にとって通過点にしか過ぎない。
認めたくない。
俺はそんな事を認めない。
奥歯を噛み締めて、緩んだ手に力を篭め直して拳を作る。それは自分の決心を固めるためのものだった。
俺はしなければならない。俺がこの世界にいるために。俺自身の証明のために。


「ねえ佐藤くん……傘、落ちているよ。濡れちゃうよ」

「…………織田伸樹」

「なんだい?」


俺は織田に向かって或る事を言い放った。
それは決意表明なのか、宣戦布告なのか。
そもそも正しいことなのか分からない。
しかし、俺には抑える事が出来なかった。
俺は傍観者でいる訳にはいかない。




「俺はお前を倒さないといけないみたいだ」









[19023] 第十七話 ~友情は見返りを求めない~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/04/12 01:56

「正気なの?」

俺の話を聞いた松永の第一声はそれだった。
織田と下校した次の日、俺は松永に現在の状況を伝えた。
放課後の自習室、人が来ないそこは内緒話をするにはもってこいの場所だ。
まるで黄色い救急車を呼びかねないほど心配そうな松永。目を細めてこちらの様子を伺っている。
そんな眼で見ないでくれ、俺は狂ってなんかいない。

「ああ、正気だ。俺は織田を倒す」
「……佐藤の気持ちは分からないでもないわ。けれども、織田君を倒す方法なんてあるの?」
「あるはずだ。この世界がゲームを元にして作られているのなら」

確証はなかったが、可能性なら十分ある。
このゲームの元は恋愛シミュレーションで、画面の奥にある恋愛を楽しむだけのもの。
アクションのように敵を殴って倒せる訳でもないし、RPGのように俺が強くなれる訳でもない。
そんなジャンルの主人公を倒す方法――思いついたのは、バッドエンドに向かわせる事だった。
織田が選ぶと思われるのはヒロイン五人と交際するルート、通称ハーレムルートだ。

「織田がハーレムを選んだなら失敗する可能性が十分にある」
「失敗?」
「ハーレムルートの場合、一人でもヒロインの好感度が夏休みまで足りていないと失敗になる。
そうなれば、織田はバッドエンドに向かうしかない。ようするにゲームオーバーだ」

「そうなんだ……」と呟きながらも、松永は納得したのか分からない曖昧な表情を浮かべていた。

「佐藤はさ……」
「なんだ?」
「それが誰かの幸せを奪うかもしれないってこと考えた?」

そんなことは分かっていた。
バッドエンドに向かえばまず織田は幸せになれない。他にも悲しむ人がいるかもしれない。
主人公が失敗して嬉しくなるような物語、少なくとも『School Heart』はそんな物語ではなかった。
それでも俺は突き進むしか無い。
頭の中に浮かんだのは、今にも泣きそうな彼女の顔だった。
理屈や道理なんて大それたものじゃない。ただの我がままだ。

「そう……。決心はついているのね」
「悪いな、お前の好きな織田を不幸にするかもしれない」
「からかわないでよ。あなたのことを心配してあげたのに」

松永は腰に手を置きながら、こちらを睨んできた。
冗談を言うつもりはなかったが、内心を気づかされたくなかったので誤魔化してしまう。
俺は「すまない」と形だけの謝罪をしておいた。
それから窓の近くに寄り、外の様子を確かめる。
雨は降っていない。ただ、鼠が大行進しているようなボコボコとした雲がたくさん漂っていた。
その灰色の下には下校している生徒たちの姿が見えたが、まだ奴の姿は見えない。

「ところで、佐藤はどうやって織田君をゲームオーバーにするつもりなの?」
「織田のイベントを妨害して好感度を上げないようにするつもりだ」
「……ねえ、それなら他にも方法あると思うんだけど」
「他にあったか?」
「『あなた』がヒロインと付き合って、織田君よりその子の好感度を上げることよ」
「ハハハ、なにを無理なことを言ってんだよ」
「人が真面目に言ってんのに笑うなんて失礼じゃない」
「違うんだ。俺はデートにすら誘えなかった男だぞ。そんな男がヒロインの好感度をあげられると思うか? 妨害工作をした方が効率が良いだろ」

俺はわざとらしく腹を抱えて笑いながら、否定した。
拒否されてしまうこと。失望してしまうこと。諦めてしまうこと。どれも二度と経験したくない。
臆病者が逃げた先にあった答え、それが「妨害」という選択だった。

「松永、協力してくれないか」
「それは私に織田君を倒す手伝いをしろということ?」
「倒すのは俺だ。松永には情報を集めてほしい」
「情報ね……。集めるのは得意だけど、それをして私にメリットがあるの?」
「嫌だったら断ってもいい。俺は織田と渡り合うために、松永はこの世界を知るために。
お互いの利益が一致していると思って頼んだだけだ。駄目なら自力で何とかする」

返事はすぐに返って来なかった。松永は目を瞑ったまま自分の髪を触る。
彼女のピンと立った長い睫毛が動いたのは、しばらく経ってからのことだった。
気の強そうな瞳の中に映る好奇心は、相変わらず俺を覗き込んでいた。

「……協力するわ。ここで好奇心を抑えるようならそれは私じゃない。こうなれば地獄の底までとことん付き合ってやるわよ」
「ありがとう。お前が協力してくれるなら心強い」
「どういたしまして。それで? 何か調べたいことがあるから私に話したんでしょ?」
「察しの良いパートナーで助かるよ。早速これらについて調べてほしい」

俺は右ポケットから様々な単語が書かれたメモを取り出した。
そこにある人名や地名は、今後のゲームの展開に関わりそうな単語だ。
それを受け取った彼女はざっと目を通した。

「あれ? ここに書いてあるのって」
「ああ、それはだな――」

その時、珍しく自習室の扉が開いた。
運命のいたずらなのだろうか。何食わぬ顔で入ってきた彼もまたゲームの登場人物だった。
そして、厄介なのは今の俺達にとって彼が味方とも敵とも言えない微妙な立場だったことだ。








正しい主人公の倒し方 第十七話
 ~友情は見返りを求めない~









「珍しいな、佐藤とこんな所で会うなんて。それとよく伸樹にちょっかいを出す奴もいるじゃないか」

その男、徳川康弘はカバンから教科書と取り出すかと思えば、すぐにこちらに近づいてきた。
どうやら彼は真面目に勉強するため此処に来た訳じゃなさそうだ。
精悍な顔立ちに逞しい体つき、短く切られた黒髪は爽やかな印象を受ける。
主人公の親友ポジション――それがゲーム内で彼に与えられた役割だ。

「私は別に織田君にちょっかいなんて出した覚えはないわよ。勘違いしないでほしいわ。それに私の名前は松永。いい加減覚えなさいよ」
「はいはい、分かりました分かりました。それで佐藤、お前もここで勉強するのか?」
「いや、そうじゃない。少し松永と話していただけだ」

そう言ってから俺は親指の先で松永を差した。
徳川と目が合った松永は明らかに不機嫌な顔をした。
苦手な料理を出された小学生のような顔、それを見た徳川は苦笑して受け流した。
松永から嫌われているのを特に気にしていないようだ。
徳川は再度俺と松永を交互に見た。そして軽く爆弾を落とす。

「こんな人気の少ない場所で会っているなんて、お前たち付き合っているのか?」
「……な、何言ってんのよ! 私が佐藤と付き合ってるわけないじゃない。ほら、佐藤からも言ってやんなさいよ」
「確かに付き合っていない」
「ね、違うでしょ」
「でも、こうして人目を避けて密かに会う仲だ」
「ちょっと何言い出すの!?」
「そして俺のパートナーでもある」

松永は口をぽかんと開けたまま俺を見てきた。わなわなと肩を震わせて、後ろで纏められた二本の髪も揺れている。
状況を理解したのか、徳川は笑いを堪えながらも見守ってくれた。
ジロリとこちらを睨みつける松永。釣り目気味の彼女のが睨むと、そこらのヤンキーに負けない迫力があった。
彼女は耐えるように奥歯を噛み締めた。
そして次の瞬間、決壊したダムのように罵りの言葉が俺に押し寄せてきた。

「馬鹿じゃないの、佐藤! アンタのせいで誤解されたらどうするの?
いい? 誤解というのはね、ひとり歩きしていくものなの。それで気がついたら悪評だけが残る。
人の噂も七十五日。それって二ヶ月半なのよ! 時間に直せば1800時間、どれだけ長いのよ!
時給700円で換算すると、120万円以上にもなるのよ。アンタはそれだけの金額を払ってくれるの!
あのね徳川君、私は佐藤とは全くそういう関係じゃないから。彼は私のタイプから外れているの。
こんな悪人面よりもっと優しそうな人が好みなの。だから、佐藤の言ったことなんて信じちゃ駄目だからね!」

言い終わった松永は息切れをしたようで、呼吸がだいぶ荒くなっていた。
彼女の顔の赤みはしばらく引きそうにない。
俺は笑いながら、徳川に補足説明を加えた。

「こういう仲だ。彼女が情報通だから聞きたいことがあったんだよ」
「分かった。それにしても佐藤、お前とは気が合いそうだな」

俺たちはどちらからともなく握手をした。
からかわれた事が分かった松永は、悔しそうに歯を食いしばる。
それから彼女は荷物をまとめて、扉へ向かった。

「気分が悪い。私は帰るわ」
「からかって悪かった。それとアレのことはよろしく頼む」
「ええ、それはそれよ。しっかり調べてくるわ。じゃあねお二人とも」

こちらに目もくれず手だけ振って松永は教室を出て行った。
教室には大男二人が残された。
徳川は教科書を置き席に着いてから、俺に話しかけてきた。

「それで佐藤も勉強していくか?」
「いや、するつもりはない。徳川はいつもここで勉強しているのか?」
「してねえよ。最近伸樹が勉強してるから俺もしないといけないと思ってな。今日はたまたまだ」
「織田か……」
「そうそう、この間なんか俺よりも良い点数取ってたんだぜ。本当に伸樹は変わったよ」

懐かしむように目を細めた徳川の顔は、どこか優しさのあるものだった。

「徳川は織田の事を本当に気にかけているんだな」
「そりゃあアイツと何年も親友をしているんだ。伸樹のことなら他の誰よりも分かっているつもりさ」
「それなら織田が変わっていくことを徳川は良いと思うのか?」
「当然だ。伸樹の成長は俺の喜びだ」

俺は徳川がどれほど織田伸樹を信頼しているか知っている。
ゲーム中では、彼はいつも織田の手助けをしていた。困難があれば、織田に手を貸し共に乗り越えていく。
特に幼なじみの柴田加奈のルートでは告白の手伝いまでした。彼自身の気持ちを隠したまま。

「でもよ、なんだろうな……たまに伸樹がどこか遠くに行ってしまうような気がするんだ。伸樹が成長して俺の手から離れていくのが悔しいのかもしれない。
いつまでも保護者気取ってちゃいけないんだがな……。おっと、すまん。変な愚痴をしちまった」
「いいや、人にはそれぞれ思うことぐらいあるさ」
「伸樹には黙っておいてくれよ」
「ああ、約束するよ。それじゃあ勉強頑張れよ」
「赤点ぐらいは回避してやるさ」

教室を出る時、俺はもう一度振り返った。
織田をゲームオーバーにするなら確実に悲しむ人がいる。
ペンを握り、ようやく勉強を始めた彼の後ろ姿を見てそう思った。







昇降口に着くと、織田と柴田さんが仲良く一緒に歩いていた。
どうやら織田は今日も順調にイベントをこなしているようだ。
俺は彼らにバレないように近くの壁に隠れた。そして汚れた壁を見て、ため息をついた。

「こんな小さなことでは駄目だったか……」

壁の落書きを読んでいた織田を柴田さんが見つけて一緒に帰る。それが今日起こるイベントだった。
俺は休み時間に先回りして、廊下にある落書きを消した。
しかし、それは何の意味もなくイベントは進行していた。
もしかするとイベントを止められると思ったが、失敗に終わった。
俺は汚れた壁をなぞりながら、もう一度ため息をついた。
どうやら、この程度では織田のイベントを止められないらしい。

「そこに何か書いてあったんですか?」
「いや、下らない噂話が書かれていただけで……。なんだ、秀美ちゃんか」
「なんだとは失礼です。でも佐藤先輩だから許します」

突然現れた秀実ちゃんはニコニコしながら俺を覗き込んできた。
普段どおり元気な彼女は、茶色のサイドテールをぴょこぴょこさせている。
そして、俺の右手を握ってきた。

「そんな辛気臭い顔をしている先輩にハッピーチャンス! 先輩、私と一緒に帰りましょう!」
「急にどうしたんだ?」
「なんか急に炭酸ジュース飲みたくなるときってありませんか? お口の中がしゅわーってなるのを味わいたくなる気持ち。
それと同じなんです。先輩の顔を見ていたら、一緒に帰りたくなってきたんですよ」
「おいおい、俺は炭酸ジュースと同じなのか」
「むー、嫌なんですか?」

本音を言えば、織田が柴田さんとのイベントをどのように進めているか見ておきたかった。
だが、せっかくの後輩の誘いを断るのはもったいないと思う。
というよりも、むすっと頬を膨らませている後輩が可愛く見えたせいで心が揺さぶられている。
しばらく悩んだ後、照れを隠しながら「いいよ」と言うと、彼女は握った手をぶんぶんと大きく振った。

「やったー! じゃあすぐに靴を履いてきますね。善は急げですよ、先輩!」

そう言うなり彼女は急いで一年生の靴箱に向かった。
俺も二年生の靴箱に向かったが、その時にはもう織田と柴田さんの姿はなかった。
今後のことを考えようとしたが「早く! 早く!」と急かしている後輩の声が聞こえたので、俺は靴を履いて彼女のもとに向かった。
笑顔で俺を待っている秀美ちゃん。その笑顔を見て、少しでも好感度の事を考えてしまった自分が嫌だった。


緑が生い茂る桜並木の坂を下り、正門を出た。
こうして放課後に彼女と歩くのは久しぶりだ。
だが、この前のようにウィンドウショッピングなどの寄り道はしない。ただ帰るだけ。
それでも、隣にいる小柄な彼女は音程の外れた鼻歌をしてしまう程度に上機嫌だった。

「へえ、先輩の家と私の家ってやっぱり近かったんですね」
「ああ、こうも学園から近いと寄り道すらできないよな」
「そうですよね。私も入学してから買い食いなんてあんまりしてません。すぐに家に着いちゃいますから」
「友達と帰り道のコンビニ前で駄弁るとか憧れないか? 青春の1ページを刻んでいるみたいで」
「憧れますねー。でも、私は女の子なんでロケーションはコンビニよりクレープ屋とかの方がいいですね」
「クレープ屋なんてこの街にあったか?」
「ありますよ。駅の近くになりますけど」

そう言ってから、彼女は大きく両手を広げて空を見上げた。

「にしても、今日はいい天気ですねー」
「おいおい、誰がどう見ても曇り空じゃないか。いい天気なんて言えないぞ」
「そんなものは気の持ちようです。晴れはスッキリしていい天気、曇りは涼しくていい天気、雨はじっとりしていい天気。ほら、どうですか?」
「雨はじっとりの部分がイマイチ理解できないんだが……」
「そんな事より先輩はこの曇り空すら許せない気分なんですか?」

この後輩はちょっとしたところで目聡い。
どうやら俺の情けない溜息は彼女に見られていたのかもしれない。
後輩に心配されるようでは俺もまだまだ未熟だ。

「先輩はいつだって難しい顔をしています。でも、今日は一段とそれがひどいです。
前だって私は先輩の悩み事を聞きました。今回だって少しでも力になれるかもしれませんよ?」
「……それなら秀実ちゃんにちょっと尋ねていいか?」
「はい! どんと来てください!」

胸に手を置いて構えている秀実ちゃん。俺が尋ねたかったのは、彼女自身の気持ちだ。

「秀実ちゃん。君には好きな人いるかい?」
「えっ! そ、その質問はですね。あのですね……ええと………」

先ほどの威勢はどこに消えてたのか。
みるみるうちに顔が赤くなっていく彼女から質問の答えは返ってこない。
俺が彼女の顔を覗くと、すぐにそっぽを向かれてしまった。
悪い質問をしてしまったと後悔し謝ろうとした矢先、彼女は今にも消えそうな声で答えてくれた。

「き、気になる人ならいます……」
「例えばの話になるが、その気になる人が他の女の人と仲良くしていたらどんな気分になる?」
「……きっとモヤモヤすると思います」
 
その言葉を聞けて、俺は安心した。
ハーレムをつくろとしている織田は五人のヒロインと仲良くなる。
それなら、織田は少なくとも彼女を幸せすることが出来ない。
彼女の気持ちが変わらなければだが。

「ひゃあッ! 先輩いきなり何をするんですか!?」

自然と伸びた左手が彼女の頭に触れて、そのままくしゃくしゃと撫でていた。

「嫌だったか?」
「いえ、そうではないんですけど……もう少し優しく……」

茶色がかった髪を優しく解くように撫でる。
女の子特有の髪の柔らかさ、そして甘い香り。
彼女は黙って俺の手を受け入れてくれた。

「大丈夫だ。秀実ちゃんは何も心配しなくていい。こればかりは君を巻き込みたくない」
「でも……」
「俺を信じてくれ」

彼女は上目遣いに俺を見て、それから「はい」と小さな声で答えた。
その小さな仕草に俺はどきっとした。
不意を突かれた俺の顔はきっとみっともないほど赤くなっていただろう。
そして、急に先ほどまでの自分の行動を思い出して悶え苦しみかけた。
調子に乗って何を気取っていたのだろうか。
慌てて俺は彼女の頭から手を退けて、顔を背けた。

「あっ……」

名残惜しそうな秀美ちゃんの声。

「……」

気まずい雰囲気が漂いかけたので、わざとらしく話題を変えた。

「時間があるなら、クレープ屋にでも食べに行くか」
「……えっ! けど、駅近くまでだいぶ歩かないといけませんよ?」
「いいじゃないか。こんないい天気だ、もっと歩きたくなるだろう?」

俺の言葉に先ほどとは違い、彼女は大きな声で答えた。

「はい!」

曇り空の下、俺は後輩と歩く。
俺は俺自身のために行動をするつもりだ。
隣にある温かな笑顔が少しでも長く続くように。
あわよくば、もう一人の子が泣かない世界であるように。
そして、主人公に一泡ふかしてやりたい。それが俺の望みだ。





[19023] 第十七半話 ~風邪をひいた男~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/04/16 01:50


PPPとうるさく鳴っている時計。
俺は力任せにボタンを叩いてそれを止めた。
時刻を確認すると、午後1時を少し過ぎていた。
今日は平日である。
模範的な生徒なら、今頃机の上に教科書を並べているところだろう。
だが、俺はいまだに家のベッドで臥せている。
言葉に少し語弊があるとすれば、学校に行けないのだ。
頭が天井に引っ張られそうになる感覚を我慢しながら、テーブルの上にある電子体温計を取った。
脇に挿し込み、待つ事数分。
音が鳴った体温計を取り出して、溜息をついた。

「38度……。昨日から変わらずか」

昨日の放課後、根性で何とか病院に行った。
診察代、移動費、その他諸々。一人暮らしには手痛い出費だったが、健康以上に大切なものはない。
そう思って病院に行ったが、医者は「まあ、いわゆる普通の風邪ですな」と言ったので、俺はこの風邪を軽く見てしまった。
しかし、今の状況はどうなのだろう。
医者に貰った薬はまるで効いている気がしない。
吐き気はないが、頭痛とダルさが常に付きまとっている。
間違いなく悪化の一歩を突き進んでいた。
それでも貰った粉薬は朝昼毎回飲んでいる。溺れたものが藁を掴む気持ちである。
効果ないが、頼れるものはこれぐらいしかないのだから。
あらかじめペットボトルに入れておいた水と医者に貰った粉薬を飲んだ。
粉薬が喉を通ると、口の中に何とも言えない苦味が残った。
再び水を含んで、口直しをする。
一仕事終えると、もう動きたくなかった。
体とベッドが鎖で繋がれてしまったようで、上半身を起こす気力すら沸かない。

「ヤバいな……本格的にヤバいぞ」

俺の世界の中心はベッドだ。
ベッドは、俺の寝床であり、俺の棲家、俺の城である。
朝起きると、そこはベッドの上。寝るときはもちろんベッドの上。
スタートはベッド。エンドはベッド。
一日の四分の三以上がベッドでの生活になっている。
なんて小さく無駄で楽な世界だろう。
このままでは、ベッドと一体化して死んでしまう気がした。
それを悪くないと思ってしまうあたり、相当ヤバいのかもしれない。
織田を倒すと宣言してから1週間、今だに成果は上がっていない。
奴の行動が気になって仕方がないが、今日ばかりはどうしようもない。
俺はまともに働かなくなった思考を回復させるため、眼を閉じて無理矢理眠ることにした。







正しい主人公の倒し方 第十七半話
 ~風邪を引いた男~








どれぐらい眠れたのだろうか。
外から物音が聞こえて、眼を覚ました。
窓から外の景色を見ると、既に日は傾き夕方になっていた。
電線に乗っているカラスたちが縁起悪くこちらを睨んでいた。目覚まし代わりになったのは、どうやら彼らの鳴き声だっだようだ。
今日休んだ分だけでも、織田はイベントを進めている。
何とかしなければいけないと早る気持ちと慌てても仕方ないと抑える理性が葛藤する。
しかし、迷っている暇なんてない。それに現在の最優先事項は病気の回復である。
力なく立ち上がり、さながらゾンビのようにふらふらとずるずると歩く。

「……あっ」

足が思い通りに動かず、本棚近くでよろめいてしまった。
本棚に右半身を預けて体勢を立て直す。
だが、またバランスを崩してしまい、ずるりと体が傾いてしまう。
それでも、立て直すためにのそりのそりと本棚に体を寄せる。
本棚で体を上下している男。それは第三者が見ていたら、きっと可笑しな光景だろう。

「……なんだ、これは?」

本棚に顔を近づけていた俺は、本と本の間から変なモノを見つけた。
それの見た目は、どこにでも売っていそうな黒色の手帳。
本棚に手帳を入れた覚えはない。
そうなると、俺ではない佐藤尚輔の持ち物らしい。
これまで散々、この家を物色したが見落としていたようだ。
俺はあまり冴えていない頭を無理矢理働かせながら、目を通すことにした。





1/12 晴れ
屋上でサボってたらアイツが来てこの手帳をわたされた。
「勉強しなくていいから机に座る習慣をつけろ」だが何だか。
めんどくせえけど、まあアイツには恩もあるしヒマつぶしにはいいか。


1/14 くもり
出席日数がヤバいと担任に言われた。
補習かったるいけど、当分サボるのやめるしかない。
ああ、勉強イヤだ。でも、補習もイヤだ。


1/18 晴れ時々雨ちょっと
準備室にいたらアイツが来た。
俺がノートを開いているのに、おどろいたらしく頭をなでてきた。
ヤメろと言ったら、私の方がお姉さんだからいいんですって言い返された。
言ってもヤメねえと思ったからほっとく。ビミョウにくすぐってえ。


1/22 晴れ
変なものを拾った。
でも、俺はこんなもんやらんだろうな。


2/2 雨
クソッ! ムカつく。
母さんの命日が近いっていうのに、アイツはまた海外に行くんだとよ。
家族が大切なんて言うくせにアイツは金のほうが大切なんだ。そうに決まっている。


2/14 晴れ!
すげえ、うれしい。
頭が悪いから言葉にできねえけどすげえうれしい。
こんなん生まれてから初めてかもしれん。
本当にうれしい。マジでうれしい。最後にもういっちょ、うれしい。


2/16 ドンヨリとくもり
サイアクだ、銀行の番号わすれて金がおろせなかった。
手続きがめんどくせえ。こんなことがないように番号をメモしておこう。
にしても、最近ものわすれがひでえ気がする。
こんなに若いのに、ボケたのか? シャレにならんぜ。


2/25 まだくもり
アイツと放課後にゲーセン行ってきた。
UFOキャッチャーで小さなキーホルダーを落とせたからアイツにあげた。
ゲーセンの中はうるさくて、アイツはあんまりいい顔してなかった。
今度は別のとこ行くか。公園の湖でボートなんかいいかもな。


3/5 晴れ
期末終了! 今度こそ補習なんてやらねえぞ。


3/13 くもり
頭が痛くて学校休んだ。
出席日数は多分足りてるけど、不安だ。
明日には治ってほしいぜ。


3/14 晴れ
俺もなんかとか進級できそうだ。良かった良かった。
春休み中にアイツと出かけることになった。
その前に服でも買いに行こうか。


3/20 くもり
胸くそ悪い。頭が痛え。


3/23 晴れ
頭がワれそうなほど痛え。
大事な約束があった気がするけど、思い出せねえ。
つうか、なんで俺日記なんか書いてんだ?

 



汚い字で書かれていたが、かろうじて読むことができた。
他人の日記を盗み見ると、なんとも言えない気持ちになる。
もしかしたらこの中は使えそうな情報があるのかもしれないと思ったが、こんな状態ではまともに考えることはできない。
その上、判断材料が少なすぎる。後日、読み直すことにしよう。
俺は手帳を本棚に再びしまった。





[19023] 第十八話 ~馬に蹴られて死んでしまえ~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/04/22 14:56
示し合わせたわけでもないのに、不思議と静かになる時がある。
誰かが「喋るな」とか「黙れ」とか言ったわけではない。理由があるとすれば、なんとなくだ。
一人一人がその場の空気を読んで、自然と出来た沈黙の空間。奇妙な一体感。
たまたま今日は、朝のHRが始まる前にそれがあった。
だから、俺の行動は皆の視線を集めた。
机に座って担任の到着を待っていたクラスメイトたちは、教壇に立った俺に注目する。
好奇の目に晒されながらも、俺は日直の下に書かれた名前を消した。
沈黙は、ざわつきへ。そして、それすらも上回る大きな女性の声。

「あー! なんで私の名前を消すのさ!」

俺が消した柴田の文字。消された本人は立ち上がって俺に抗議をしてきた。
とりあえず俺は彼女の声を無視して、クラスメイトたちに向かって声を出した。
大切なのは、他の人にも俺の行動を認識させることだ。

「みんな聞いてくれ。今日は俺が日直をすることになった。もし仕事があるなら俺に持ってきてくれ」

日直が変更されたという平凡な業務連絡。
なんだその程度の話だったのかと、興味を失ったクラスメイトは、もう俺を見ていなかった。
俺は教壇を下りて、自分の席に向かう。
柴田さんの横を通り過ぎようとすると、彼女は俺の服を掴んで止めた。

「私も日直なんて面倒だからやりたくないけど、どうして変わってくれるの?」
「なんとなくだ」
「ふ~ん、別の仕事を代わりを押し付けたりしないよね?」
「押し付けたりはしない」
「むむ? まあいいや。じゃあ佐藤お願いね」

掴んでいた手を離すと、彼女は笑顔で俺を見送った。
席についた俺は担任が来るまで、今日起きるイベントをシミュレートした。
HR、休み時間、昼休み、授業、放課後。自分に何かを出来る可能性はないかと模索する。
時々、攻略ルートを書き出したノートを見ながら今日の予定を確認していく。
このノートを作ったのは、まだ自分が物語に関われるんじゃないかと希望を持っていた頃だ。
まさかこんな使い方をすることになるとは、あの頃は夢にも思っていなかっただろう。
HRが始まる前の少し時間、俺は同級生の恋路を妨害をすることだけを考えていた。
人の恋路を邪魔するだけの存在。
馬に蹴られて死んでしまうのも、そう遠くないかもしれない。









正しい主人公の倒し方 第十八話
 ~馬に蹴られて死んでしまえ~







HRが始まり、出席を取った担任は教室を見渡した。
この後、彼は連絡事項を伝えてから日直に今日の仕事を任せるはずだ。
仕事はプリント運びなど簡単なものだが、織田がその仕事を手伝うイベントがある。
イベントの内容を思い返してみる。
仕事を手伝おうとした織田が、柴田さんにぶつかりプリントをぶちまけてしまう。そして、倒れた織田の視線の先には丁度良い感じに捲れたスカート。
前に選んだ選択肢によってパンツの柄が変わるというパンチライベントだった。
全種見るためにはセーブ&ロードを繰り返す必要があるので、面倒臭いイベントということも合わせて思い出した。
特に妨害することは難しそうでもないし、これが起きても俺がパンツを見られるわけではないので、妨害を実行しようと思い立ったわけだ。

「今日報告した以上の事を守ってくれ。それで、今日の日直には……あれ、佐藤だったか?」
「柴田さんと代わりました。仕事があるんでしたら俺がやります」
「あ~、そうだったか。おい、柴田。面倒事を押し付けてんなよ」
「ち、違いますよ! 佐藤がなんだかよく分からないんですけど代わってくれたんですよ」
「ほうほう、そうなのか。それなら三時限目は柴田が数学のプリントを配布してくれ」

会話の流れに変化が起きた。
クラスメイトたちにはこの流れが自然と思えるはずだが、俺は一人だけ焦っていた。
俺の知っている内容と少しだけズレたからだ。それは俺とって都合の良くない外れ方だ。
一呼吸だけ、深く吸い込んで浅く吐く。落ち着くように自分に言い聞かせた。
流れが変わったなら、無理に抗う必要はない。流されながらも、自然に変えればいいだけだ。
柴田さんが担任へ文句を言おうとした瞬間を見計らって、俺は口出しをした。

「先生、そういう雑務だったら日直の俺がやりますよ」
「いや~悪いな佐藤、今回は柴田にやらせてくれ。あいつはこの前の補習をサボったんだ。数学は俺の担当授業なのにな」
「え、えへへ~、その件はすみませんでした。何はともあれ、補習の代わりに雑務一回ならいいかな?」

柴田さんの言葉を担任は鼻で笑って、切り捨てた。

「誰が代わりだと言った。これは逃げた罰だからな、当然補習もある。今日の放課後とかいいだろう、丁度陸上部も休みだったからな」

教室に一人の悲鳴と多数の笑い声が包まれた。
駄目だ。このまま流されたままでは変えることができない。

「あ、あの……!」

俺は席を立って、声を上げた。クラスメイトの視線が突き刺さる。
場違いな事をしている自覚はあるし、明らかに俺の行動は浮いている。
でも、限られた機会があるなら俺は行動しなければいけない。

「俺がやります! 俺がやらなきゃいけないんです!」
「どうしたんだ佐藤!? 本当に柴田に弱みを握られているんじゃないんだろうな? 柴田は何を仕出かすか分からん奴だからな」
「先生、違いますよ~。もう私がやりますから。ていうか先生はいつも私をそんな眼で見ていたんですか?」
「そうだが、なんか問題あるか?」
「大アリですよ!」

俺はもう一度割り込もうかと思ったが、口を開けなかった。もう流れを変えられる雰囲気ではない。
これ以上口出しても、クラスメイトから白い目で見られて終わるだけだ。
俺は黙って席につき、眼を瞑りながらため息を吐いた。
何も出来やしないじゃないか……。
その後は、普段通り委員長の号令がかかり朝のイベントは終わった。
もちろん、三時間目プリントは盛大にぶちまけられ、教室中に舞った。
織田の選択肢なら黒パンを見たのだろうと思いながら、俺は次の妨害を考えた。







昼休みのチャイムが鳴り、俺は教室を出て購買部に向かった。
昼食用のパンを適当に買い漁り、レジまで持っていく。

「あれ? 今日はコッペパン買い占めなくていいのかい?」

俺の顔を見るなり購買部のおばちゃんは笑顔で尋ねてきた。
俺は引きつった笑みを浮かべながら、おばちゃんに返事をした。

「今日は……いや、今後はあんなことしないと思います」

織田の妹イベントでコッペパンを食べる場面があったので、買い占めたことがあった。
その日のコッペパンは全て俺の手元にあったはずなのに、一つだけ棚の奥に落ちていたコッペパンがあり妨害は失敗した。
結局、俺は余ったコッペパンを十個ほどやけ食いして気持ち悪くなり、残りは田中に無理矢理食べさせた。
この購買部には、そんな苦い思い出があった。

「そうかい、こっちはあれからコッペパンたくさん仕入れたのに。……はいよ、おつりの40円」
「すみませんね、もうコッペパンは飽きるほど食べたので」

パンとおつりを受け取る。
コッペパンの控えめな甘さは嫌いではないが、流石にあれだけ食えばもういらない。
おばちゃんが「私の若いころは惣菜パンなんか」とか「栄養が偏っている」とか言ってくるので適当な相槌を打ち、頃合いを見て学食で待っている田中と石川の元へ向かった。

「お~い、佐藤。こっちだ、こっち」

混み合い始めた学食の片隅で手を振っている田中を見つけた。
俺は田中の横に座り、購買で買った惣菜パンを袋から取り出した。
既に田中は担々麺を食べており、向かいにいる石川はいつものカレーを食べていた。あの具がないレギュラーカレーだ。

「なあ、石川。そんなに毎日カレー食べてて飽きないか?」
「ん? 飽きるはずがなかろう。ほら、これを見ろ」

スプーンの先に乗せられた茶色い物体。石川は自慢気にその物体を見せてきた。

「牛肉がどうかしたのか?」
「レギュラーカレーに牛肉があったら、今日一日は運がいいらしい。どうやら今日の俺はついているようだ」
「……これまでに牛肉が入っていた回数は?」
「二回。そのうち一つは塊で入っていた。残念ながら、今日は塊ではないがな」

そう言って、石川はスプーンを口の中に入れた。一口一口しっかり噛んで味わっている。
スーパーで売られてそうな薄い肉を幸せそうに食べる石川。本当にこいつは金持ちなのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。

「そういえば田中、何か話したい事があったんじゃないか?」

昼休み前に、深刻そうな顔で田中が話しかけてきた事を思い出した。

「あるぜ。今日はお前たちに相談したいことがあるんだ。……にして、この坦々麺うめえな」
「食べるか喋るか、どっちかにしろ」
「わりい、ちょっと待てくれ。スープまで飲んだら話す」

ゴクゴクと喉を鳴らしながら、田中は赤いスープを次々と飲み干していく。

「良し、準備OKだ。話していいか?」
「よく激辛坦々麺のスープを一気飲みできたな……」
「美味しいもんだったら、一気飲みできて当然だぜ。それにこの学食の激辛って名前ほど辛くねえし。
それで相談の事なんだけどよ、とりあえずコレを見てくれないか」

田中はポケットから携帯を取り出して、メール欄を開いてこちらに見せてきた。

「携帯の……メールがどうかしたのか?」
「実はこの前滝川さんとメールしたらな、これを間違えて送っちまったんだ」

スクロールされていった画面に映った文字。
『気合があれば生きましょう』
向かいに座っている石川は危うくカレーを吹き出しそうになった。

「何なんだ、これは? 田中よ、お前は滝川女史に闘魂でも注入する気であるのか?」
「女の子相手に闘魂ビンタするつもりなんてねえよ。『機会があれば行きましょう』の打ち間違いなんだよ」
「……そうだったのか。それにしてもお前はメールだと敬語になるのだな。普段の柄とは違って笑えるぞ」

口の端に茶色いご飯粒をつけて不敵に笑う石川。本当にこいつが財閥のエリートだと思えなくなってきた。

「うるせえやい、石川なんか字だけの黒いメールしか打たねえだろ。うう、佐藤助けてくれよ」
「こんなところで泣かれても困るんだが……。ところで、返信はどうだったんだ? それによって対応も変わるだろうし」
「それなんだが『生きていれば良いことありますよ』って返されたんだ。それ以来メールというか会っても話せない……。どう返せばいいんだ?」
「哀れだな。俺が柴田さんに送るならば『貴方が生きている限り、私は生きられる』ぐらい送るぞ」
「……逆に引くぞ、それ。俺だったら無難に『すみません、誤字です』って送るな」
「おお、そうだよな! サンキュー佐藤!」

当たり前の回答をしただけなのに、田中は頭の上に電球が浮かびそうな驚きを見せた。
恋は盲目なり。周りが見えなくなるほど夢中になれるものがあるのは、良いことなのかもしれない……時と場合によりけりだが。
アドバイスを受けた田中は早速メールを打ち始めた。

「そうか、そうだよな。そうやって送れば良かったんだよな。クソッ、テンパリすぎた過去のオレを蹴り飛ばしたいぜ」
「過去を消すことはできない。書き加えられるのは未来だけだ。俺としてはこれからメールの題名に『拝啓、麗しき姫君へ』とつけておくことを薦める」
「石川は黙れ。突然そんなメールが来たら怖えぜ。スパムより先に即効削除だぜ。だいたいお前が誘えた試しないだろ? そろそろ諦めたらどうだ?」
「五月蝿い奴だ。そう簡単に諦めるはずがなろかろう。それに、誠意があればいつかは振り向いて貰える」
「いやいや、お前のメールだと無理だぜ。早く諦めろよ」

石川は無言で立ち上がった。そして、カッと眼を見開いて田中を睨みつけた。

「田中よ、右か左、どちらの拳で殴られたい。……ほぅ、両方がいいとは田中は欲張りだな」
「ちょ、タンマ、ストップ、ヤメてくれ! お前が殴ったらマジで洒落にならんから」

石川はテーブルから身を乗り出して、田中に掴みかかろうとしていた。
石川の体が田中の食器に当たったが、幸いなことに田中がスープまで飲んでいたため惨事には至らなかった。
いつものじゃれ合いだが、周りにいる生徒が迷惑そうに二人を見ていたので、俺は二人を止めに入った。

「二人とも席に着け。……まずは田中、石川に謝れ。石川もこんな狭い場所で暴れるな。他の人に迷惑がかかる」
「わりい、石川。調子に乗ってた……」
「俺もすまなかった」

互いに頭を下げた二人は、周囲の目を気にしながら席についた。

「そういえば佐藤よ、少しばかりお前に聞きたいことがある」
「いいぞ。ただし恋愛相談はヤメてくれ。面倒だから」

この二人の恋愛相談は実に面倒くさい。
意中の子の興味を惹く朝の挨拶とか、好意を抱かれるデートの誘い方とか。
自分のことすらままならない俺に、色々なことを聞かれても返事に困る。
そのため先手を打っておいたが、石川の話は恋愛事ではなかった。

「いじめの話だ」
「それはどんな話だ?」
「お前が織田伸樹をいじめているという話だ。他愛もない噂話だかな」
「……チッ、オレも聞いたことある。でもよ、オレそれ信じてねえから」

自分の耳を疑った。どういうことなのだろうか。

「詳しく話してくれないか?」
「お前が織田のものを壊したり、体育館裏に呼び出したりしているような噂が流れている。勿論、俺は何かの誤解だと信じているがな」

身に覚えがないと言えば、嘘になる。
今日までに妨害のため辞書をその時間だけ隠したり、嘘をついて他のヒロインを誘導したことがあった。
それを誰かに見られていたのかもしれない。石川たちに気づかれないよう唾を飲み込んだ。

「そんな噂は嘘だ。最近、織田とうまくいってないんだ。それを見た誰かが間違った噂を流したんじゃないか」

友人たちには笑顔を見せた。顔の裏にある動揺を見せたくなかった。

「ほう、それなら良かった」
「そうだよ、そうだよな! ハハハ、わりいわりい一年の頃のお前ならまだしも、今のお前がそんなことするわけねえよな」
「痛えよ、そんなに背中を叩くな」
「気を悪くさせるような話題を出してすまなかった。俺もお前が弱者を虐げるような男だと始めから思っとらんよ」
「……弱者か、そうだったら楽なんだがな」
「ん? 佐藤何か言ったか?」
「いや、なんでもない。一人一つずつなんか聞いてるから、俺もお前たちに聞いていいか?」
「構わんぞ。ただし、柴田さんに関する相談なら即却下だ」
「また柴田さんかよ、オメエも飽きねえな」
「人には譲れない物があるのだよ。それで佐藤、相談事とは?」

なんとなく思いついた疑問があった。
主人公とモブという越えられない壁が俺の前に立ちはだかっている。
俺はそれを友人たちに聞くことにした。

「例えばの話になるけれど、どうしても追いつけない相手がいたらどうする?」
「へえ、なんつうか哲学っぽいな。それって何が追いつけないんだ? 勉強? 運動? 恋愛?」
「全てだと思ってほしい。自分の全てを越える相手がいたらどう立ち向かうべきか」
「力を蓄える、然るべき刻に挑む。諦めるぐらいなら死んだほうがマシだ」
「オレも諦めんのは癪だしな。ただポテンシャルっていうのかな。そういうのオレ多分ねえからさ、一人では追いつかねえなら二人で。二人でも駄目なら三人で勝負するぜ!」
「……人によって考え方も変わるんだな。ありがとう、参考になった。さて、しみったれた話は終わりだ」

俺は惣菜パンの最後の一欠片を口に放り込んだ。
やはり味がついたパンの方がコッペパンより食べやすいし、美味しい。
時計を見ると、昼休みも残り少なくなっていた。

「そうだよな、オレたちにしみったれた話は合わねえぜ。気分転換にここらでボーイズトークいっとく?」
「ボーイズトーク? 何だ、それは?」
「ガールズトークってあるじゃん。それの逆バージョン」
「具体的に言うと?」

田中は腕を組んで、しばし考える素振りを見せた。

「……猥談?」

疑問形で聞かれても、こちらが困る。

「ハイハイそこの二人、ヤング雑誌の袋とじを期待して裏切られた少年みたいな顔をしない」
「田中よ、まだ昼だ。それに公共の場ではそのような話題は控えよ」
「おいおい、石川もこの手の話題は嫌いじゃないはずだぜ。あの残念会で『おっぱい記号説』を熱く語った仲なのによ」

俺はかつて田中のために開いた残念会を思い出した。
深夜特有の異常なテンション。思春期真っ盛りの男子校生。あと、少しのアルコール。
そこにあったのは理不尽で低俗な漢だけの宴だった。

「いや、確かにしたが……。いやはや、その手の話題には適した時間が――」
「人間とは記号の集まりである。それならおっぱいもただの記号でしか無いはず……であるのに、我々を魅了して止まない不思議な存在。いやあ、熱くも感慨深い夜だったな」
「佐藤よ、お前まで裏切るのか!?」

縋るように見つめてくる石川。今日に限り俺は田中の話を聞くことにした。その方が面白そうだから。

「乗り気じゃない石川は置いてといて話すぜ。
あれは昨日寝る前の出来事だ。蒸し暑くて中々寝付けない夜。
丸型の蛍光灯を見ていてふと思ったんだ、おっぱいのどこまでがおっぱいなんだって?
ブラで隠せる範囲だと思ったんだけど、それじゃあ上乳が当てはまらない。
他の横乳、下乳、どれもみんな同じくらい大切だからそう簡単に決められない。
だから、どこで境界線を区切るべきなんだろうかって考え出したらその日は眠れなくなっちまったんだ」

昼の学食に、馬鹿が一人いる。

「考えついた先にオレは砂山のパラドックスを思い出したんだ。
砂山の砂を取っていくと、どの段階で砂山は山の状態で無くなるのか分からないというパラドックス。
これっておっぱいでも同じこと言えんじゃないかって」
「……つまり、どういうことなんだ」
「おっぱいの境界線は作れない。境界線が曖昧であるゆえ全てがおっぱいになるんだ。一箇所でも肌を露出しているならば、それはおっぱいを露出しているのと同義なんだぜ」

極論だ。酷すぎるほどの極論だ。
それなら、マスクや手袋を着けていない女性はみんな露出していることになる。
でも、こういう話で大切なのはその場の乗りだ。
俺は近くにいる制服のリボンが黄色い女子生徒の方を向く。

「それなら、そこでサラダライスを食べている同級生も」
「おっぱい露出中だ」

きっと小さすぎず大きすぎず、形の良いものを持っているだろう。

「あそこにいる黒髪の綺麗な上級生も」
「おっぱい露出中だ」

少しばかり物足りないボリュームだが、柔らかくて上品なものだろう。ぜひ鑑賞してみたい。

「俺達に学食を作ってくれているおばちゃんたちも」
「おっぱい露出中だ」

あまり想像したくない……。なんでこんなことを言ったんだろうか。

「さっき通り過ぎたポニーテールも」
「おっぱ――グエッ! 痛えじゃねえか石川! なんでマジで殴ってくんだよ」

相手が悪い。通り過ぎたポニーテールは、柴田加奈。石川の想い人だった。

「し、痴れ者が! その下衆な眼で柴田さんを見ただろう! 許さんぞ貴様、恥を知れ!」
「ま、待ってくれよ! 石川もさっきまでしっかりとボーイズトークを聞いてたじゃん。助けてくれよ、佐藤」
「おっ、チャイムが鳴ったな。田中も次の授業に遅れんなよ」

パンの袋は丸めて、ゴミ箱に投げ捨てる。テーブルの汚れはハンカチで落としておく。
そして、忘れ物がないか確認してから席を立つ。
後ろの方から何か叫び声が聞こえてくるが、俺は無視して教室へ向かった。

「親友を置いていくのか! 殺意の波動に目覚めた石川を前にして置いていくのか!」
「……さて、あと二、三発は我慢してもらおうか」
「助けてくれーー!」

遠くで聞こえる悲鳴に向けて、俺は黙祷を捧げた。



[19023] 第十九話 ~日陰者の叫び~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/04/22 14:58


「それでお前はいつ滝川さんに告白するんだ?」
「へっ?」

腕を回していた田中の動きがピタリと止まった。
雲ひとつない青空の下、グラウンドには多くの生徒が集まっている。
そして、俺は今日の主役とも言える石川のストレッチを手伝っていた。
背中を押されている石川も興味深そうに田中の顔を覗く。

「……お、俺のことは関係ねえだろ! お前達こそどうなんだよ」
「ふん、俺なら大丈夫だ。なにせ今日は柴田さんを賭けた勝負をするからな」

自信たっぷりに田中を見返す石川。今日の彼はイベントの中心にいる。
俺がどう足掻いても辿り着けなかった場所に、彼はいる。







正しい主人公の倒し方 第十九話
 ~日陰者の叫び~








事の始まりは、織田と石川の言い争いからだった。
その日の昼休み、彼ら二人は睨み合っていた。
どちらが柴田さんに相応しいのかという不毛な会話、それは口喧嘩まで発展した。
織田は幼なじみとして、石川は意中の相手として、どちらにも譲れないものがあった。
だから、勝負で決めようとした。勝者こそ柴田さんの隣に立つ権利がある。男達は勝手に協定を結び、勝手に争おうとしていた。

「ち、ちょっと待ってよ! 私はそんな事を知らない!」

そこで止めに入ったのが、柴田さん本人だった。彼女からすれば、知らないうちに話が進んでいたのだから迷惑な話だ。
一度、柴田さんはその勝負を止めるよう命じた。だが、勝負がなくなれば男達のメンツとプライドは潰れてしまう。
そこで一つの提案が出た。勝負内容は二百メートル走。三人の中で一番になった人の言うことを聞く。
男二人は運動が得意であり、柴田さんは陸上部所属。誰が勝ってもおかしくない勝負。
これが俺の覚えているイベントの始まりだ。

「はーい、誰が勝つか賭けてみないかー。一口五百円だよ」

当日、その噂を聞きつけた生徒たちがグラウンドに集まっていた。
織田の姿はまだ見えなかったが、体操服姿の柴田さんがグラウンドの隅で友達と準備運動をしていた。
この学園の女子体操服は、ゲームよろしく紺色のブルマである。
そして、柴田さんのブルマから覗かせる小麦色のしなやかな足は、見蕩れてしまうほど綺麗だった。
隣にいる田中も周りの目を気にすることなく見蕩れている。
柴田さんが、石川の姿に気づいたようでこちらに手を振ってきた。

「ほら石川、柴田さんだぜ。そんな空ばかり見てないで、手ぐらい振ってあげろよ」
「……遠慮する。今日の彼女は敵だ」
「ふーん、いつもだったらオレたちと話している時でも柴田さんのところに行くのにな」

石川は昨日からずっと「柴田さんは敵、柴田さんは敵」と不気味に呟いていた。
馬鹿みたいに一直線で一方的な愛情表現しかできない男だ。だからこそ、今日の勝負で彼が手を抜くことは有り得ない。
元々何事にも真剣に取り組む性格だから、なおさらだろう。
ストレッチが一段落すると、石川が申し訳なさそうにこちらを見てきた。

「すまない、緊張して喉が渇いた。何か飲み物を買ってきてくれないか」
「ああ、いいぞ」

俺がグラウンドを離れようとすると、不思議そうに田中がこちらを見つめてくる。

「どうして佐藤まで緊張したような顔してんだよ? 何かあったのか?」
「なんでもないさ。それよりポカリでいいか?」
「ああ、助かる」

俺はグラウンドから離れて、昇降口に向かった。
人通りの少ない下駄箱に着いた時、俺は静かに深い溜息をついた。
手が微かに震えていた。
この先に起こることを想像しただけで、冷や汗が出てきた。
この世界で俺だけが、このイベントの結末を知っている。
しかし、その中に石川が勝つ結末は無かった。
分岐は二通り。織田が一着か、柴田さんが一着か。
どちらにせよ、俺の友人が一着になる分岐は存在しなかった。
だから、俺にはいくら想像しても石川の負ける姿しか浮かばない。
このイベントが起こることを知ってから、何度妨害しようと考えたことか。
けれども、俺は妨害を実行できずにいた。
本気で挑もうとする石川を、俺は近くで見ている。
卑怯を嫌うあいつが、妨害なんて許すはずも喜ぶはずもない。
友人の支えになりたいと思うが邪魔だけはしたくない。だが、この勝負が終われば石川は……。
葛藤は今だに続いている。
ふと辺りを見渡すと、織田の靴箱が目に入った。
まだ彼はグラウンドに出ていないようだ。

「俺に出来ること……。織田を倒すこと……」

右手が織田の運動靴に触れていた。
例えば、この運動靴に刃物を仕込む。購買に行けば、カッターでも画鋲でもある。
何でもいい。織田の妨害をすれば石川が一着になれるかもしれない。石川の知らないところで妨害をすればいいだけだ。
口の中に溜まっていた唾を飲み込み、ここ数日の出来事を思い返した。
織田のイベントを阻止するため、俺は様々な妨害をした。
キーアイテムになりそうな物を先取りする。ヒロインと接触して他の場所に誘導する。織田の邪魔をして、イベントの発生を遅らせる。
それらは、どれも失敗に終わった。敗因は不自然なまでの偶然。
突然代わりになる物が現れたり、ドアの立て付けが悪くなって開かなくなったりするなど。
これまで一度として織田のイベントを妨害できていない。
しかし、もっと直接的な事をすれば成功するかもしれない。
考えて見れば、織田を倒す機会なんてどこにでも転がっているじゃないか。
こんなセコい真似をしなくとも、もっと直接的に――。

「……違う」

伸ばした手を力なく下ろした。

「こんなことは誰も望んでいない」

靴箱から立ち去ろうとしていた俺を、一人の女の子が見ていた。
彼女が首を傾げると、ピンで留めていない前髪が軽くなびく。
斉藤裕は俺を不思議そうに見つめていた。

「何をしていたの?」
「……何もしていないさ。それより織田の応援に行かなくていいのか?」
「まだ始まっていないし、大丈夫だと思うよ」

行くことを否定しない。当たり前か。

「ねえ、佐藤くん。今大丈夫かな?」
「少しぐらいなら大丈夫だ」
「佐藤くんに話したいことがあるんだよ」
「……何だ?」
「最近私たちお喋りしていないよね。……君が私を避けているように思えるんだ」

俺は返事をせず、ただ黙っていた。
彼女の言う通りだ。妨害を決めたあの日から、俺は意識して彼女を避けていた。
そして、彼女のイベントに対する妨害だけは一度もしていない。妨害をすれば彼女が織田と一緒にいるところを否応なく見ることになるからだ。
臆病なのは分かっている。情けない男だと言われても仕方ない。俺は怖かった。

「それに教室でよく暗い顔しているよね。前にしていた難しそうな顔とはまた違う。
重たいものをいつも引きずっているようで苦しそうだよ。クラスメイトなんだからもっと私を頼ってほしいな」

彼女は優しく手を差し出してきた。俺が好きだったあの表情で、そう言ってきた。
彼女の手に自分の手を重ねたら、前みたいにちょっとしたことで笑い合える関係に戻れるかもしれない。そんな甘い幻想を抱いてしまう。
けれども、俺の手はどうしようもないほど動かない。

「……それは無理な相談だ。ごめん」

ここで手を取ってしまったら、その程度の関係で終わってしまう気がする。
ヒロインとモブの差をこの先も抱えたまま、学園生活を過ごすことになる。
それができないから、俺は妨害することにしたのだ。ここまできて今更引き返すことはできない。

「……私が悪いことしたからかな。だから、君は頼ってくれないんだよね」
「それだけじゃないんだ。自分で決めたことだから」
「あ、あのね……ほんとうにごめんね。なんでこうなっちゃったんだろう……。悪いのは私なのに」
「違う! それは――」

彼女の悲しそうな顔を見たくなかったから、俺は大声で言った。だが、続く言葉を喉へ押し戻す。
彼女のせいではない。これは、なるようになったとしか言えない。しかし、説明するのは難しい。
無言が重く伸し掛かり、彼女から顔を背けた。
俺は居心地の悪さを感じて、逃げるように自動販売機に向かおうとした。

「待って!」

彼女の鋭い声に、俺は立ち止まった。
振り返ると、彼女は眉をひそめて心配そうな顔をしていた。
なんで俺のためにそんな表情をしてくれるんだ。

「質問をします。君はコップに半分入った水を見て何を思う?」

彼女の口から出たのは哲学めいたことだった。

「ただの半分しかない水だろ? 何を考えればいいのかも分からない」
「君は水を半分しか入っていないと思うんだね?」
「ああ、半分しかない水だと思う。それがどうかしたんだ?」
「やっぱりそう思うよね……。でもね、この質問で聞きたかったのは『半分しかない』とするか『半分もある』とするかの違いだったんだよ」
「そんなの大半の人が――」

彼女は腕を組んでうんうんと頷いた。
納得した時、思うようにいった時に彼女が見せる仕草。
無理して笑顔を作っているのが分かったが、久しぶりにそれを見た俺はなぜだか安心してしまった。

「そうだね。大半の人が『半分しかない』と思う。私もそう思うし、それは当たり前のことだよ。
私のことを頼りにしなくてもいい、避けてもいい。でもね、君には『半分もある』と思える人でいてほしいんだ。それが私からのお願いです」

何も言えなかった。俺は彼女の意図することを読みきれなかった。
しかし、彼女が俺を励ましてくれていることだけは分かった気がした。
それだけで、俺は嬉しかった。そして、また迷いが生まれた。

「じゃあ、また会おうね」

彼女は靴を取り出し外へ向かった。
その後ろ姿を見送り、俺は自動販売機へ向かった。






勝負が始まる前、グラウンドは多くの生徒で埋まっていた。
俺と田中も最前線を陣取り、始まりを待つ。
三人の選手はスタートラインからやや離れたところで、それぞれ最後のチェックをしていた。
柴田さんは、ふくらはぎを入念にマッサージ。
織田は、手を動かしフォームの確認。
そして石川は、何もせず目を瞑ってスタートを待っていた。

「それでは、スタートラインに来て下さい」

三人が動くと、グラウンドは大きな歓声で包まれた。
それぞれが応援する人へ激励を送る。俺たちも石川へ向けて声援を送る。
石川は俺達の姿を見つけると、少しだけ口元を上げた。
三人がスタートラインに立つ。不思議と歓声は止んだ。
静かな空間の中、陸上部員が雷管を上げて引鉄に指を乗せた。
緊張がグラウンドに広がり、全ての視線が三人の選手へと注がれる。
五秒ほど静かな時間が流れる。
そして、雷管が音を鳴らす。
三人とも綺麗に揃って一歩目を踏み出した。
静寂が破れ、再び湧き上がる歓声。
俺も田中も声を張り上げて、石川を応援する。
勝負は平行線。誰かが優勢なのかは一切分からないほどの熱戦。
石川が俺たちの前を通り過ぎた。彼はゴールテープしか見ていない。
もしかすると……。そんな期待を抱いてしまうほど勝負の行方は分からなかった。
だが、残り50メートル、期待は不安に変化した。
石川の足の回転が一度だけズレた。何が原因かは分からない。
外れたリズム、一瞬だけ速度が落ちた。持ち直すことができない。
ついに脱落者が現れた。それは俺の親友だった。
呆気無いほど一瞬。しかし、その一瞬で勝負は決まってしまった。
俺は静かに目を閉じた。たった数秒の出来事だ。
すぐに、ひときわ大きな歓声があがった。
目を開けた先には、涙を流しながらも笑っている女、観客に囲まれて戸惑う男、そして空を見上げている男の姿があった。
俺と田中は、親友の元へ向かった。彼は俺達を見ると、自嘲気味に呟いた。

「俺はまた負けた」
「……」
「努力も才能も全てが足りないのか……」
「……そんなことないぜ。お前はよく頑張った。オレが保証する」
「頑張ったところで、結果が伴わなければ意味が無い」
「……それじゃあ、もう柴田さんのことを諦めちまうのかよ」
「分からん」
「おいおい、そこはいつものように『諦めるはずは無かろう!』とか言うのがお約束だぜ。そんな答え、お前らしくねえぜ」

石川は何も答えず、憎たらしいほど晴れている空を見上げた。
遠くから場違いな笑い声が聞こえてきた。
それは徳川の笑い声だった。彼は織田を肩車して、にこやかな顔をしていた。
親友の勝利を祝福する。当たり前のことだが、今の俺達には見せつけられているようで悔しかった。
それから石川は怒ることなく、悲しむことなく口を開いた。

「佐藤、田中。お前たちに言いたいことがある。俺は明日から――」
「学校から居なくなるなんて言うなよ」

俺は石川の言葉を消すように被せた。驚いている石川を無視して続ける。

「自分を見つめ直すためにどこか行くつもりなんだろう。止めろ。そんなことをしても答えは見つからない。お前が何もしていない間に織田は柴田さんと一緒にいられるんだ。
お前はそれを許せるのか? それを許すのは負けを認めることじゃないのか?それに……今の俺にはお前が必要なんだ」

石川がシナリオに関わる人物だからという理由もある。
だが、一番大きな理由は友人としてコイツと一緒にいたいからだ。
この世界で得た数少ない友達。ここで彼がいなくなれば俺は絶対後悔する。俺の言葉を聞いて、石川は笑った。

「ああ、お前の言うとおりかもしれんな」
「それなら――」
「だがな、俺は強くなければいけないのだ。財閥を引き継ぐためにも、俺が俺であるためにも、俺は強者でなければならない。
何もせずに運が悪かったと嘆いているだけの俺を、お前は必要とするのか?」

言い返せなかった。
人は眼を見れば本気かどうかが分かる。
彼の眼には映るのは、何を言われても変わることのない決意。
俺は口を閉じた。しかし、それまで黙っていた田中が石川の肩を掴んだ。

「……突然でよく分からねえけどよ、本当にどっか行くつもりなのかよ?」
「如何にも。あてのない武者修行も良いかもしれないな」
「ふざけんなよッ! たかが勝負に負けたからって逃げるのかよ!? 武者修業? 笑わせてくれるぜ、譲れねえもんを見失ってんじゃねえか!?」
「貴様に何が分かる。圧倒的な者が前にいる不安、焦り、苛立ち。告白すら出来ず、いつまでも同じ場所でウジウジ這い回っている貴様に俺の心が分かってたまるか!」
「て、テメェッ――」

田中の肩が震えていることに気がついた。固められていく拳。
次の瞬間、田中の拳が石川へと向かう。
俺は急いで自分の体をその間に割り込ませる。
右肩に重い一発。ずしりと来る痛みで、田中の本気具合が分かった。
――マジで石川に一発食らわさそうとしていたんだな、コイツ。

「え……。おい、なんでだよ……」

幸いなことに二発目は来ない。
腕を下ろした田中は、怒りとも後悔とも取れる表情でいた
しばらくして、自分がしたことを理解したのだろうか。
顔を伏せて、右手で自分の髪をワシャワシャを掻き回した。

「わりい、マジでわりい……二人とも」
「すまん田中よ、俺こそ言葉が過ぎた」
「ちげえよ……。オレが手出しちまったんだ。駄目だオレ。頭冷やしてくるわ」

頭を下げて謝っている石川を無視して、田中は昇降口へと向かった。
運動場の賑わいも無くなりつつあり、残っているのは運動部か俺達ぐらいになった。
突然、石川は笑い出した。けれども、目も口も笑っていない。

「自分は他者より優れた存在である。そう思い込んでいることが、俺の短所だ」
「どうしたんだ?」
「虚勢を張る事だけで精一杯、張子の虎より劣る存在。いつ化けの皮が剥がれるか不安に駆られながら生きていた。
それを続けてきた結果がこれだ。俺は勝負に敗れ、友も失った」
「まだ大丈夫だ。やり直しは効く」
「いや、今の俺ではまた同じ過ちを繰り返すだけだ。勝負になれば、自信だけがあって本当の実力を見失う。
感情的になれば、再び言葉を誤って誰かを傷つけてしまう。兎にも角にも、今の俺は屑だ」

意外だった。石川の口から自分を否定する言葉が出てくるなんて。

「なればこそ、必要なのは俺自身を変えることだ。俺は修行に行くぞ、佐藤よ。お前たちの横にいられる存在になるためにもな」
「……」
「田中によろしく頼む」
「……ああ、分かった。頑張ってこいよ」

背を向けた石川は気障ったらしく手を上げて答えた。
校舎に向かう彼の後ろ姿に迷いは無い。
しかし、彼が再びこの学園に戻ってくるのは二学期以降になるだろう。
俺の勝負は夏休みまでには終わってしまう。彼が修行から帰ってきた時に、俺を取り巻く環境はどう変わっているのか。
石川の背中が見えなくなるまで、俺は一人取り残されたように校庭に残っていた。
しばらく何もせず立っていると、校舎にある大時計がカチリと進み、昼休み終了のチャイムが鳴った。
時間が解決してくれるものは多い。失恋の痛みも、体の傷も、時間が経てば自然に気にならなくなる。
それなら、この喪失感もきっといつしか気にならなくなるはずだ。
そう思ったはずなのに、足元がぐらついて、そのまま地面が抜け落ちてしまうような不安が襲う。
気がつけば、俺の足は勝手に動き出していた。着いた先は屋上。
フェンスに寄りかかって、校舎を見渡した。
どの教室でも普段と変わらず授業が行われていた。
下手な字で板書をする教師。ノートを必死に取る生徒もいれば、教科書を立てて寝ている生徒もいる。
平穏な日常の1コマを表したような光景。けれども、今の俺にはレンズ越しと言うべきか、もう一枚何かしらの壁が挟んであるように見えた。
どうしてそう思えるのか数分ほど考えて、ようやく気づいた。

「ごめん、石川。俺は……間違えたんだ」

俺はフェンスが歪むほど強く握った。
何もしなかったから、こんな結末になった。こうなることぐらい予想できたはずなのに、何もできずに愚図っていた。
不甲斐ない自分に対する怒りと後悔。自分を責める言葉はいくらでも浮かんだ。だから、1分間だけその言葉を受け止める。
責め終えた後は大きく息を吸い込み、その余分な感情を抑えるために叫ぶ。
今までの俺ならここで耐え切れず、諦めていたかもしれない。だが、あいつのように俺自身も変わらなければならない。

「諦めてたまるかあぁぁーーー!」

叫び声が青い空に吸い込まれる。
フェンスから離した手に赤い線が付いていた。指をしまいこんで、拳を作る。
諦めない、諦めたくない。もう一度、空に向かって叫ぶ。

「足掻いてやる……この糞ったれで不平等な世界で足掻ききってやる!」



[19023] 第二十話 ~そうに決まっている、俺が言うんだから~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/04/25 19:59

いつもと同じように学食で昼食を取るが、物足りなさを感じる。
その理由は普段ならここにいるはずの一人がいないからだ。
俺と田中の間に交わされる言葉はない。
ただ黙々と目の前にある飯を食べているだけ。

「……なあ、田中」

口にしてから、特に話題を考えていなかった事に気づいた。

「……坦々麺うまいか?」
「ふつうだぜ。別にマズくもうまくもねえよ」
「そうか」
「……佐藤こそレギュラーカレーうまいか?」
「いいや、具がなくて貧乏くさい。ボンカレーの方がまだ旨い」
「そうか」
「そうだ」

会話に盛り上がる予兆が見られない。
木戸に立てかけし衣食住。きっとどの話題を振っても会話のキャッチボールは続かないだろう。
気不味い雰囲気の中、坦々麺のスープを一気飲みした田中は立ち上がった。

「用事があるから先に戻るぜ」

引き止める理由もないので、俺は黙って頷いた。
田中は食器を乗せたトレイを持ち、そのまま去った。
残された俺は、黙々とスプーンを動かしてカレーを口へと運んだ。
掛け違えたシャツ。どの箇所で間違えたのか分からない。しかし、間違いがあることだけはすぐに分かる。
最後の一口を食べようとした時、溜息が聞こえた。

「辛気臭い顔してるわね」

振り向くと、呆れ顔をした松永久恵がいた。

「不幸せを貼り付けたみたいな顔になっているわよ」
「……お前の歯には青海苔がついているぞ」
「えっ、本当!? どこ?」
「嘘だ。それより女なら手鏡ぐらい持っていたらどうだ?」

今にも爪楊枝でシーハーシーハーしようとしている女を止めた。
辛気臭いと言われて悔しかったから冗談を言っただけだが、意外な面を見せられた。
意外というより親父臭い面かもしれないが。

「冗談なら止めてよね。せっかく佐藤に『いい』話題を持ってきてあげたのに」
「どうして『いい』の後で首を傾げるんだ、この女は」
「五月蝿い男だわ。そんなんで女に――。とりあえず、放課後に来て欲しい場所があるの」

中途半端に終わった言葉が気にはなったが、俺は頷き返しておいた。
掛け違えたシャツ。
数時間後、俺は誤解をしていたことに気づいた。
どの箇所で間違えたのかではない――間違いは始めからあった。
掛け違えた場所は襟元。物語が始まる前から間違いはあった。






正しい主人公の倒し方 第二十話
 ~そうに決まっている、俺が言うんだから~







「それにしてもこの前は驚いたわ」

放課後、呼ばれた場所に着いた俺は松永にそう言われた。
この前というのは、協力を仰いだ日のことだろう。
彼女はスカートのポケットから、この間渡したメモを取り出した。
そこに書いてある項目の一つを指す。

「だって、あなたの名前『佐藤尚輔』が書かれているんだから」
「前に言ったように俺は俺じゃなかった。だから、佐藤尚輔がどんな奴だったのか知りたかった。それで、分かったからこうして呼び出したのか?」
「ええ、少しだけ。でも、とても大切な少しが分かったのよ。佐藤はここがどういう場所か分かっているでしょ?」

俺は辺りを見回した。
沢山の本に埋もれたこの場所は、図書準備室。
本棚にはきっと一生読まない、いや縁のないだろう本や資料がたくさん置かれていた。
俺が知っているのは、あるヒロインがこの部屋によくいることぐらいだ。
それがどうしたのかと松永に聞く前に、準備室の扉が開かれた。
予期せぬ来訪者がいたことに驚いたのだろうか。
準備室に入ろうとしたその女子生徒は、俺をじっと見つめた。
それから、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
彼女は俺の前で立ち止まり、眉間に皺を寄せながら見てきた。

「……馬鹿」

彼女は呟いた。

「うっ……ぐす…………うわあぁぁぁあん」

そして泣きながら俺にしがみついてきた。
腰に両手が回され、俺は動くことができなくなった。
彼女は子どものように辺りを憚ること無く声をあげて、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
それを見た俺は、ただ戸惑うばかりだった。唐突すぎるこの状況を、俺のちっぽけな脳味噌では理解できない。
松永に助けを求めようとした時、その女性は俺に話しかけてきた。

「やっと……やっと戻ってきてくれた……尚輔……どれだけ待たせるんですか………馬鹿……」

いよいよ分からなくなってきた。
どうして彼女が、どうして明智美鶴が、俺の名を知っているのか。
『SH』における年上ヒロイン。攻略対象の中で登場が最も遅い人物。
俺が佐藤になってからまだ彼女とは会っていないはずだ。けれども、彼女は俺を知っているようだ。
増すばかりの混乱。思考を切り替えてくれたのは、松永だった。

「ねえ、佐藤。あなたは『記憶を失ったカップル』の噂知ってる?」

学園で一時話題になったその噂を思い出した。

「あの下らない噂なら知っているが、それがどうしたんだ」
「その噂のカップルってあなたたちのことなの」
「何だって……」
「佐藤尚輔と明智美鶴は付き合っていた。そして、佐藤尚輔は記憶を失った。これが真実よ」

松永は明智美鶴の肩に手をかけた。

「明智さん、彼は本当にあなたとの記憶を失っています。そして、ごめんなさい。
私はあなたを騙してここに呼び出しました。あなたに会えば、もしかしたら彼が何か思い出すかと思ったんです。
でも、それは違って……本当にごめんな…い……」

最後の言葉が聞こえなかったのは、彼女も泣き出してしまったからだ。
俺の胸に顔を埋めていた明智美鶴は顔を上げた。目の下まで真っ赤にしながら俺に縋るように尋ねてきた。

「尚輔……本当に私の事覚えてないんですか?」
「……すみません。俺はあなたのことを知らない」
「本当に?」

俺は首を横に振り、「知らない」と答えた。そして、また彼女は泣き出す。
俺が知っているのは、ゲームでの彼女でしかない。
だから、俺は彼女に真実を告げた。

「俺は佐藤尚輔ではないんですよ」


ようやく話せる状態に戻ったのは、それから十分ほど経ってからだった。
松永は気を利かせたつもりなのか「事後報告よろしくね」と言って、ついさきほど準備室を出た。
つまり、この部屋には二人しかいない。
俺と明智美鶴はお互いの顔が見えるように対面してソファーに座っている。
改めて俺は目の前の美人を見ることにした。
先ほど泣いたせいで目の周りは赤くなっていたが、それを差し引いても彼女は綺麗な顔立ちをしている。
流れ落ちるような艶のある黒髪、おっとりとした優しそうな目、淡い桜色をした口唇、日本人らしい美しさを持った女性だ。
松永の言葉を信じるなら、そんな彼女と俺は恋人同士だったそうだ。
いや、この場合は佐藤尚輔だ。俺はこの女性のことをゲームの情報以外では一切を知らないのだから。
俺が何を話そうかと決めかねていると、先に彼女が口を開いた。

「とりあえず、お茶でも飲みましょうか」

ソファーから立ち上がった彼女は、部屋の隅にある棚からコンロを取り出した。
それから慣れた手つきで準備を進めていく。気がついたら机の上には珈琲カップがひとつ。
ミルクとシュガースティック、それとクッキーも用意されていた。

「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」

カップを手に取り、一口啜る。酸味が少なく程よい苦味、インスタントにしては上出来な入れ方だった。

「美味しいですね」
「お粗末さまでした。本のことを考えると、こんな部屋で火を扱うのはいけないことです。でも、本をゆっくり読みながらお茶をする時間は素敵だと思いませんか?」
「……はい、素敵だと思いますね」

俺の返事を聞いて、彼女は少し寂しそうな顔をした。

「やっぱり貴方は尚輔じゃないんですね」
「どうしてそう思ったんですか?」
「貴方は珈琲に何も入れずに飲みました。彼は珈琲を好き好んで飲むような人ではなかったし、飲んでも砂糖とミルクを沢山入れていました。
もう一つは、先ほどの質問に同意してくれたこと。私個人としては嬉しかったんですけど、彼だったらそんな答え方はしないと思ったからです。
記憶を無くしているというよりも、貴方は別人のように思えました」

佐藤尚輔の顔をした誰か。きっと彼女の眼にそんな風に写っているのだろう。
そんな風に写ってしまう一端を俺は担っている。
彼女が信じる信じないは別にして、俺にはどうしてこうなったのか彼女に説明する責任があると思う。
どうやら腹を括るしかなさそうだ。

「明智さん」
「はい、何ですか?」
「今から話すことを信じてもらえるとは思っていません。それでも俺は貴方には知ってもらいたい」

体は佐藤尚輔であっても、俺が佐藤尚輔ではないこと。この世界がとあるゲームに似ていること。
織田がヒロイン全員を狙っていて、俺はそれを妨害しようとしていること。
俺は自分の体験と知識を包み隠さず彼女に話した。彼女はそんな馬鹿げた話を最後まで黙って聞いてくれた。
そして、話し終えた俺に向けて一言呟いた。

「……大変でしたね」

迷子になった子供を諭すような優しい声。思わず俺は聞き返してしまった。

「こんな話を信じてくれるんですか?」
「信じますよ。松永さんが何を調べていたか私は知っています。貴方の話と彼女が調べていたものが合っていましたから」
「それなら、どうして俺を怒らないんですか?」
「どうしてですか? 私が貴方に怒る理由なんてありませんよ」
「俺が佐藤尚輔にならなければ、貴方が知っている佐藤尚輔はきっと記憶を失わなかった。貴方の恋人が消えたのは俺のせいですよ」

焦っている俺の姿を見て、彼女はくすっと笑った。

「恋人ですか……。大丈夫ですよ、私と彼はキスはおろか、手を繋ぐことすらしてませんでしたから」
「えっ?」
「あら、意外でしたか?」
「意外というか、あの、佐藤尚輔と明智さんは付き合っていたんじゃないんですか?」
「ふふ、そうじゃないんですよ。一方的な片思いでしたから。それに、彼には一度フラれました。『アンタとは付き合えねえ』と低い声ではっきりと」

俺は頭を落ち着かせるために、珈琲を飲み干した。まずは一旦、頭の中を整理する必要がある。
明智美鶴――『School Heart』における唯一の上級生ヒロイン。
失恋経験はゲーム中にも語られていて、それは彼女が恋に臆病になった原因になっていた。
ゲームでは織田との付き合いで段々と克服していくが、まさかその失恋相手が佐藤尚輔だとは思ってもいなかった。

「……辛くないですか。その、俺は昔フった男の顔ですし、そんな相手がここにいるのは」
「大丈夫ですよ。もう前のことですから吹っ切れています。それに完全にフラれた訳ではないんです」
「どういうことですか?」
「彼と約束をしていました。彼は『今のままだとアンタを傷つけちまう。俺がここにまた来れた時に付き合おう』と言ってくれました。
だから、私は待っていたんです。尚輔がこの扉を再び開ける日を」

どこかで聞いたことのある言葉。

「それはいつ言われましたか!?」

ソファーから身を乗り出して、彼女に尋ねていた。
意外なところで見つかった接点。あの時の小さな呟きに意味があるかもしれない。
俺は高鳴る期待を抑えれずにはいられなかった。

「と、とりあえず座りましょう。話しますからまずは落ち着いて下さい」
「申し訳ありません。似た言葉を聞いたことがあって驚いてしまって……」
「似た言葉は『付き合おう』の事ですか?」
「いえ、『傷つけちまう』のところです。佐藤はそれをいつ言いましたか?」
「あれは……三月の下旬、春休みに入った後でした」

俺がこの世界に来たのは、四月の上旬。
その間に佐藤の身に起きた出来事を明智さんは知っているかもしれない。
それはこの世界を攻略するためのヒントになり得るかもしれない情報だ。
でも、それを彼女に聞く前に言うべきことがある。

「……すみません。俺なんかがここに来てしまって」

俺は頭を机に着きそうになるまで下げた。彼女と佐藤はここで再び会うと約束していた。でも、ここに来たのは俺だった。

「俺はあなたと佐藤の大切な約束を破ってしまいました」
「だ、大丈夫ですから顔を上げて下さい。貴方が約束を知らないのは当然ですから」
「約束を知らなかったとしてもあなたを傷つけたことに変わりはありません。俺はここに来るべきではありませんでした」
「そんなこと、言わないで!」

顔を上げると、明智さんの頬に一筋の涙が伝っていた。

「私は久しぶりに貴方の顔を見て嬉しくなりました。でも、貴方はいなくてまた泣いてしまって。
悲しくないと言えば嘘になるけど、嬉しい気持ちで一杯なんです。貴方の元気な姿が見たから。
……それに、おかげで気持ちの整理がつきました。こちらこそありがとうございます。私は貴方が戻ってくるまで待つだけです」

明智さんは溢れた涙を堪えることなく流したまま微笑んでくれた。
今の俺は、彼女に安っぽい慰めの言葉をかけることはできない。
彼女を本当に慰められるのは俺ではなく、佐藤尚輔なのだから。

「だから、私は大丈夫です。……あっ、珈琲無くなっていましたね。おかわりは要りますか?」
「お願いします。うんと濃いのを一つ入れて下さい」
「分かりました」

手の甲で涙を拭きながら、彼女はコンロの方へ向かった。
俺は彼女を強い人だと思った。織田を倒したい一心で立ち直った俺なんかとは違う。
しばらく待っていると、カップいっぱいに入った珈琲が出された。注文通り、とびっきり濃くて苦い珈琲だった。
「どうですか?」と聞かれたので「丁度いい濃さです」と返す。
再びソファーに座った彼女は「あの……」と前置きをしてから訊ねてきた。

「貴方は先程この世界はゲームに似ていると言いましたよね」
「はい。この世界は『School Heart』と同じ登場人物が出てきて、イベントも同じように起きています」
「それなら、私はその織田伸樹という生徒に恋をしてしまうんでしょうか?」
「……分かりません。けれども、俺の知っている子は織田を好きになりました。有り得ない話ではないと思います」

黒い瞳が縋るように見つめてくる。

「私は……尚輔の事を忘れて恋をしてしまうんでしょうか?」

彼女は怯えていた。
新しく始まるであろう恋、それは昔の恋の終わりを意味している。
どちらが正しいのかは俺には分からない。

「可能性はないとは言い切れません」
「そうなんですか……」
「でも――」

俺は彼女を安心させるように優しく声をかける。先ほど彼女が俺にそうしたように。

「明智さんは絶対に佐藤尚輔を忘れないと思います」
「どうして……?」
「あなたと俺はつい1時間前に会っただけですけど、あなたがどんなに佐藤を想っているか分かりました。こんなに想っている相手を簡単に忘れられるはずがありませんよ」
「本当にそうでしょうか……」
「そうに決まっていますよ。『佐藤尚輔』である俺が言うんですから。大丈夫ですよ」

俺は親指を自分に差しながら、笑顔で言った。
それを見た明智さんの表情は、強ばっていたものから柔らかいものへと変わった。

「ふふ、本当に貴方は尚輔ではないんですね」
「『俺を片時も忘れんじゃねえよ』と低い声で言ったほうが佐藤らしかったですか?」
「いいえ、彼だったら恥ずかしくてそんな気障な台詞は言わないと思います」
「だとしたら、どんな態度を取ったんでしょうね」
「そうですね、顔を赤くしてそっぽを向いたんじゃないでしょうか」

顔を赤くして恥ずかしがっている佐藤の姿を想像して、二人して笑った。
手で口元を隠して笑う明智さん。その仕草には嫌味がなく、彼女らしく上品に見えた。
こんな美人に想ってもらえる佐藤の事を羨ましく、また申し訳なくも思う。
『School Heart』が始まってから俺と変わった佐藤尚輔。
もしかすると、『School Heart』が終われば佐藤尚輔は戻ってくるかもしれない。
その時、俺はどうなるのか。
漠然とした先には何が待っていて、何が残るのだろう。
明智さんの入れてくれた珈琲を飲みながら、俺はその漠然とした先のことを考えた。
結局いくら考えても結論は出なかった。





それから俺は準備室を出て、日が沈むまで図書室にいた。
本棚の整理、本の貸し出し、清掃。俺は図書委員の仕事を明智さんの代わりにしていた。
織田は期末テストの勉強をするために、この図書室に現れるはずだ。
そこで明智さんと出会って、交流を深めていく。俺はこの出会いを潰すことにした。
さきほどこの事情を明智さんに話すと、快く引き受けてくれた。今頃、彼女は準備室で読書か清掃でもしているだろう。

「意外と退屈な仕事だな……」

期末が近いためか勉強をしている生徒がちらほら見受けられるが、そこまで混んでいない。
勉強をする生徒は基本的に本を借りないので、一通り仕事を終えた俺は暇を持て余していた。
混乱していた頭は、もう落ち着いている。この先のことはゆっくり時間をかけて考えていくしかなさそうだ。
考え込んでいた俺は、カウンター前にいた利用者に気がつかなかった。

「あの……本を返したいんですけど」
「ああ、すみません。では、返却する本を……あれ、秀美ちゃん?」
「あれ、先輩?」

受け取る手と差し出す手。互いに本の端を持ったまま、俺と彼女は固まった。
表紙に書かれている『花のワルツ』の文字。
文学とはあまり縁のなさそうに見える彼女が、ここに来ているのは意外だった。

「どうして秀美ちゃんはここに来たんだ?」
「読み終えた本を返しに来ただけですよ。私が本を読むのにそんなびっくりしましたか?」
「正直に言うと、意外すぎて驚いている」
「えへへっ、実は文学少女という一面も持っているんです。惚れちゃいましたか?」
「……ノーコメントで」

俺の言葉に、むすっと頬を膨らませる秀美ちゃん。
こういう子どもっぽい仕草や普段見せる無邪気な表情。
そこから、彼女にこんな一面があるなんて想像もしなかった。
もちろん、ゲーム中にもこんな設定があるとは知らなかったという理由もあるが。

「そういえば、今日は明智先輩はいないんですか?」
「明智さんを知っているのか」
「はい! 面白い本をよく紹介してもらっています」

織田伸樹はまだ明智さんに会っていないはずだが、ヒロイン同士は互いを知っているようだ。
ゲーム中では語られていない設定がまた一つ増えた。ゲームの情報をアドバンテージと考えていただけに、少しだけ不安になる。

「明智さんなら準備室にいるはずだ。もし用があるなら尋ねればいい」
「いえいえ、たいした用事ではないので。……それよりも私は先輩と明智先輩の仲が気になったりするんですよー」
「……明智さんとは共通の話題がある仲だ」
「へえー、先輩って見た感じは本なんか破り捨ててしまいそうなのに意外と読書家なんですね」
「それは秀美ちゃんも同じだ」
「私はか弱い乙女です。そんな破り捨てれるような馬鹿力ありませんよ?」
「ちょっと待て。俺もそんな馬鹿力ないから」

良い感じに秀美ちゃんは共通の話題を勘違いしてくれた。
あまり追求されても返答に困りそうだったので、ひとまず胸を撫で下ろした。
ところで、秀美ちゃんはいつから明智さんと知り合ったのだろうか?
そんな疑問が浮かび、彼女に聞こうと思ったが、勉強をしていた生徒の一人がこちらを睨んできた。話し声が大きかったのかもしれない。

「それで先輩はどうして――」

秀美ちゃんが話そうとしていたので、俺は人差し指を口の前に添えた。
彼女はそのジャスチャーを理解したようで、言葉を飲み込んだ。
図書室では静かに。世界中にあるどの図書室でも共通しているそのルールを思い出したようだ。
受け取っていた本のバーコードを読み取り、秀美ちゃんに返した。

「元の場所に戻しておいて下さい」
「分かりました……」

秀美ちゃんは本を受け取り、顔を伏せて俯いてしまった。

「そんな寂しそうな顔をしないでくれ。俺はまだ仕事があるから離れられないけど、また今度クレープでも食べに行こう」
「……ほ、本当ですか? 絶対に行きましょう!」
「秀美ちゃん、図書室では静かにお願いします」
「す、すみません」

怒られても彼女の口元はにやけていた。
そんな喜んだ顔を見せられたら、クレープを何枚でも奢りたくなる。
財布が軽いと心が重いという言葉があるが、そんなことばかりではないと思う。

「残りのお仕事頑張ってくださいね、先輩」
「ああ、気をつけて帰れよ」

本を持った秀美ちゃんを見送った後、閉館の時間まで俺は仕事をした。
残っていた生徒を図書室から追い出して、窓や扉を閉めた。
椅子をきちんと並べて、消しゴムのカスや落書きある机を綺麗にする。
ある机の落書きに『二股とはいい度胸ね』という言葉とMastuのサイン、見覚えのある筆跡だった。
どうやら松永は図書室にいたようだ。
今度会ったら根掘り葉掘り聞かれそうだと思うと、気が重くなる。

「これで終わりかな」

最後に図書室の扉を閉めて、準備室へ向かった。
仕事が終わったことを明智さんに報告して帰ろう。
扉の前に立って、ノックを数回した。

「佐藤です。仕事が終わりました」
「……」
「明智さん、いますよね?」
「……ええ」

中から聞こえてくる明智さんの声が震えていた。嫌な予感がする。俺は急いで扉を開けて中に入った。
日が落ちたのに、蛍光灯をつけていない準備室は暗い。椅子に座っていた彼女は、顔を伏せて泣いていた。
何かに怯えているように、彼女は自分の肩を抱いてうずくまっている。数時間前あった温かい雰囲気は、この部屋から消えていた。

「どうしたんですか! 俺がいない間に何があったんですか!」
「会ってしまったんです……」
「誰に会ったんですか」
「織田伸樹」

どうしてだと思う前に、怒りがこみ上げてきた。

「織田の奴に何かされたんですか?」
「……いえ、何もされなかったです」
「なら、どうして泣いているんですか」
「忘れてしまったんです……。あの人と話している間、私は尚輔のことを忘れてしまったんです……」

奥歯を深く噛み締めて、悔しさを耐えた。
俺は彼女に絶対忘れないと言った。しかし、絶対は有り得なかった。
何が『大丈夫ですよ』だ。俺はどうしてそんな無責任な言葉を彼女に言ってしまったんだ。
後悔の念が押し寄せるが、まずは落ち着かなければいけない。
どういう訳か織田は図書室ではなく準備室に現れた。その後は、きっとゲーム通りにイベントが起きてしまったんだろう。
明智美鶴と織田伸樹の初めての出会いは終わった。他のヒロインと同じように攻略対象になってしまったということだ。

「明智さん。辛いかもしれませんが、詳しく話してくれませんか」
「はい……。織田伸樹はふらりと準備室に現れました。『部屋を間違えた』と言ってましたが、本当かどうか分かりません。
始めは私も警戒していたんですが、いつの間にか彼と仲良く話していました」

それは俺にも分かる。織田伸樹は人を惹きつける魅力がある。

「彼なら、もしかしたら彼なら私を――。気がつくと、そう思ってしまった自分がいたんです。
私の中の何かが壊れてしまいそうで……。尚輔に会うまで守っていたはずのものが……。
ごめんなさい。初めて会ったばかりなのに泣き顔ばかり見せてしまって……」

眩暈と吐き気に襲われそうになるが我慢した。本当に辛いのは俺じゃない。
織田がいなくなった後から、一人で彼女は不安を耐えていたはずだ。
俺は俯いている彼女の肩を抱いた。

「大丈夫です」
「えっ……」

確証も根拠もない、無責任な言葉。
彼女の目元に流れる涙をそっと指で拭う。それでも止めどなく流れ落ちる涙。
俺という存在が彼女の日常を壊したのは、紛れも無い事実だ。

「俺があなたを守ります」

俺がこれからしていくことは変わらない。織田の妨害を続けていくだけだ。
だから、そこに一つだけ責任を加える。彼女に言った言葉を嘘にしないため。
彼女が泣き止むまで、俺はずっと傍にいた。
ゲームでのルート分岐地点。
織田がヒロイン全員を受け入れるはずのその日。
残された期間は一ヶ月を切った。



[19023] 第二十一話 ~ふりだしに戻って、今に進む~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/02/21 04:13

「ちっ、もう屋上で寝られる季節じゃねえな」

屋上から吹きこむ風が肌寒い。開けかけた扉をそっと閉めた。
絶好のサボり場はこれから冬季休業に入るようだ。
さて、どうしようか。
めんどくせえ教師の授業なんざ、聞いてもしかたない。というか、分からねえ。いっその事、学校をフケっちまおうか。
額に手を置き、溜息をつく。……このままでいいのかねえ、俺。
何が原因だったか憶えていない。キッカケなんて無くても人は駄目になっていく。
落ちこぼれ、問題児、屑。今の自分を表す言葉なんて沢山ある。
俺の人生は間違いなく下り坂の真っ最中だった。

「ん?」

手にヌメッとしたものを感じた。慌てて額から離すと、指の先が赤くなっていた。
昼前に上級生に絡まれたことを思い出す。その時の傷が開いたんだろうな。
学校にいてもケンカ、街に出てもケンカ。売った覚えはないのに勝手に買われるケンカ。
一日に一回は誰かの顔を殴っている気がする。おかげで、入学してから半年は経つのに友人は0。笑えねえ。
時間が経っていたせいか、血はドロリと垂れ落ちてきた。今はサボることより血を止めることが先決だ。
階段を下りていき、保健室まで向かう。その途中、図書準備室の扉が開いているのを見かけた。
図書室、ましてや準備室になんか入ったことがないから、物珍しさに中を覗き込んだ。

「中々綺麗じゃねえか」

かび臭い部屋だと想像していたが、綺麗に本が並べられていた。
ぐるりと見渡して、目についたのは寝心地よさそうなソファー。
そこに横になった自分の姿を想像すると、眠気が出てきた。
梅干しを見たら唾が出るのと同じ。寝心地が良さそうなもんがあるんだったら寝るしかない。
ソファーに体を預けると、チョコレートのような甘い匂いがした。
窓から差す日差しが暖かい。自然と瞼が重くなる。
ああ、止血しねえといけねえのに。






正しい主人公の倒し方 第二十一話
 ~ふりだしに戻って、今に進む~







目を覚ますと、黒髪の女が椅子に座っていた。

「あっ、起きましたか」

時計を見ると、3時間ほど針が進んでいた。と言うことは放課後か。
結局、今日も授業に出ることなく下校することになった。はは、これじゃあ学校に来る意味ねえじゃねえか。
寝心地が良かったソファーを離れるのは、名残惜しいがずっといてもしかたない。
ソファーから立ち上がり、女に声をかける。

「邪魔して悪かった。すぐに出る……痛ッ」

肩に痛みが走った。思わず摩ると、少しだけ腫れていた。
まさかあの時に当たった突きが響いているとは思わなかった。
時間が経ってからくる痛みは侮れない。2,3日は動かしづらいかもしれねえな。
二回ほど肩を回して調子を確認してから、扉に向かった。

「少し待ってくれませんか」

思わず振り返ってしまう。
俺を引き止めたのは、聞き惚れてしまうような穏やかで優しい声だった。
そして、続いた言葉に俺は度肝を抜かされた。

「脱いで下さい」

扉の前で、立ち止まること十五秒。

「……は?」
「早く脱いで下さい」

二の句が継げない。
頭がどうかしてるんじゃないのか、この女は。
俺はこの女の名前すら知らない。だいたい顔を見たのも1分前の出来事。
しかし、女は俺を真剣に見つめている。そして「脱げ」と言う。
なんだ、この部屋で休憩していたからその料金を払えということか。
お前みたいな貧乏人に金を求めてもしようがねえ、だから体で払えと。
よく分からん。けれども、払う金もない俺は、言われた通りベルトを緩めてズボンを脱いでいく。
現れたのは、赤いボクサーパンツ。俺のお気に入り。
流石にこの女もパンツまで脱げって言わないだろうな。

「ず……」
「ず? どうしたんだ。お前が言うように脱いだぞ」
「ず、ズボンではありません! 上着、上着を脱いで!」
「なんだ、そっちの方か。ほらよ」

ズボンを穿き直して、今度は上着を脱ぐ。肩を見ると、案の定赤く腫れていた。
女は顔を赤くしながら恐る恐ると近づいてきて、腫れた箇所を少しだけ触った。
細く冷たい指。何をするのかと思っていると、ヌメッとした感触が俺の肩を襲った。
メンソールに似た鼻につく匂い。女が傷薬を塗りこんでいたからだ。

「あのな……」
「なんですか?」
「手当してくれるなら始めから言えよ。それに、どうしてこういうことができるんだ?」
「えっ?」
「俺とお前が会ったのは、今日が初めてだ。ここまでする義理がねえだろ」

傷薬だけのことではない。
俺は額に貼ってある絆創膏をなぞりながら言った。
寝る前に流れていた血は止まっている。多分これもこの女がやったのだろう。

「気まぐれです」

女は言い淀むことなくキッパリと言った。他に言葉は付け加えない。
それを聞いて俺は、笑ってしまうほど気分が良くなった。痛快。実際に口から笑いが漏れてしまった。
責任とか親切なんかより、俺には納得できてしまう理由だ。それに澄ました顔をして言うのだから更に気に入った。
女は塗り終えた傷薬を救急箱にしまう。それから、備え付けの棚からコーヒーカップを取り出してこちらに見せてきた。

「塗り薬が乾くまで、お喋りしませんか。恩を感じたなら、少しだけでも付き合ってください」

俺も気まぐれに付き合うことにした。
上半身を明かしたまま、先ほど寝ていたソファーに座りなおして待つ。
女はポットを沸かして、手際よく準備を進めていく。
手持ち無沙汰の俺は、ソファーから女の後ろ姿を見ることにした。
日本人形みてえな黒髪。すらりとしたモデルみてえな体。改めて見ると、結構な美人だった。

「はい、どうぞ」

机の上に出されたコーヒー一杯。心が落ち着く濃厚な香り。黙って一口もらう。

「熱ッ! 苦ッ!」

気取ってみたのが失敗だった。本当はコーヒーの香りなんて分からねえし、猫舌の俺は普段こんなもの飲まねえ。
口の中が熱さで痛い。そして、どろりとした苦味がヤバい。
吐き出してしまいたくなるのを我慢して、必死に喉へ落としていく。それ見ていた女は、右手で口元を隠しながら笑った。

「……ちっ、笑うなよ」
「ふふ、すみません。はい、砂糖とミルクになります」
「あるんだったら始めから出せよ、チクショウ」

受け取った砂糖とミルクを全てコーヒーへぶちまける。
もはや黒さの欠片もないコーヒーに息を吹きかけて、ちびちびと飲んでいく。
今度は普通に飲めた。旨い。

「どうですか?」
「まあまあかな。それでアンタは――」
「アンタではありません。明智美鶴と言います」
「おっとすまねえ。自己紹介もまだだったな。俺の名前は佐藤尚輔だ。それで美鶴はこの部屋にいつもいるのか」
「……始めから呼び捨て」
「なんだ、駄目だったか」
「お気になさらずに。そうですね、図書委員なのでほぼ毎日ここにいます。何か気になることでもありましたか」
「寝る時によ、チョコレートみてえな甘い匂いがしたんだ。ここで菓子でも作ってんのか」

今も微かに匂うこの香り。気にはなるけど、嫌いじゃない。

「いいえ、作ってませんよ。コンロを使うのもお湯を沸かすときだけです」
「それなら何の匂いだったんだろうな」
「きっと本の匂いですよ」

そう答えた美鶴の顔は嬉しそうだった。友達を見つけた子どものような屈託の無い笑顔。

「尚輔さんは――」
「呼び捨てでいい」
「尚輔は本が好きですか?」

考えるまでもなく、首を横に振った。本なんて読んでも眠たくなるだけだし、読みたいとも思わない。
教科書なんて枕がわりになるくらいだ。枕にするなら国語の教科書がベスト。数学は薄すぎるから使えねえ。
俺が本好きではないと知った美鶴は、しょんぼりとした顔になった。
クールな感じがすると思っていたけど、感情が表情に出やすい質だ。ますます気に入った。

「そうなんですか、残念です……。それなら図書室には来たことありますか?」
「この学園に来て半年になるが、一回も入ったことないな。図書室より先に準備室に入るなんて思いもしなかったぜ」
「尚輔は転校生だったんですか?」
「はっ? 俺は転校生じゃねえぞ」
「もしかして1年生?」
「そうだよ。もうピカピカでもなんでもない1年生だよ」
「てっきり同級生か先輩かと思っていました……」

ごめんなさいと謝ってくる美鶴。そんなに老けてんのかねえ、俺は。留年とかしてねえのに。

「そういえば、その肩の怪我は何か部活でしたものですか?」
「いいや、俺は帰宅部だ。これはケンカでできた奴」
「喧嘩ですか……」
「なんだよ、その目は。文句あるのかよ」
「あります。喧嘩なんて互いを傷つけるだけです。感心しません」
「……ちっ、分かった分かった。これからはあんましやらないようにするさ」

それからしばらくの間、コーヒーを飲みながら互いのことを話した。
初めて会ったばかりだから、自己紹介に近い内容になってしまったが、会話は弾んだ方だと思う。
二杯目を飲み終える頃には、肩の傷薬も乾いていたので制服を着た。
コーヒーのお礼を言いつつ、一言。

「本とか読まねえけど、またここに来ていいか」

美鶴は飲みかけのコーヒーカップを一度置いてから、頷いてくれた。
俺は扉に手をかけてから、振り返る。

「それと、あんがとな」





夏が近づいてきた証拠なのだろうか。
蝉の声が聞こえ始めたのは、つい三日前。
ジジジジと羽を擦り合わせる音は、窓を閉めきったはずの自習室に響き渡る。

「それじゃあ、第5回定期報告会を始めるわよ」
「どうしたんだ、疲れた顔をしているぞ」
「そういうあなたもね」
「……現状は悪くなるばかりだからな」

自習室で行われる報告会。ここで俺と松永は放課後に時間を合わせて情報交換をしている。
しかし、報告の大半は織田の進行状況であり、その内容は聞いていてうんざりするものばかりだ。
ルート確定まで2週間。柴田加奈・織田市代の必要好感度は達成したと見ていい。
残る斉藤裕・羽柴秀美、それと明智美鶴の好感度を上げさせないようにするしかない。

「ねえ、佐藤。悪い話、どちらとも言えない話、良い話どれから聞きたい?」
「良い方から」
「言い忘れていたけどね、私はデザートを残しておく主義なの。もう一度聞くわ。どれから聞きたい?」
「……悪い方からでいい」
「先週の日曜日に斉藤裕が織田君と遊園地に行ったという情報を入手。これって結構ヤバいんじゃなかった?」
「そうだな。かなりヤバいな」

将棋で例えるならば王手。チェスならチェックメイトと言ったところだ。斉藤裕の必要好感度は達成寸前まで来ているようだ。

「次はどちらとも言えない話ね。捉え方次第で良くも悪くもなりそうだわ」
「分かった。話してくれ」
「私の調べた結果、文化祭であなたが会った新間孝蔵という人間は存在しなかった」

新間孝蔵、文化祭の誘拐犯になるはずだった男だ。彼は俺を襲う前に名乗ったが、それが実名だという確証はない。
文化祭後の彼の所在が気になって松永に頼んでいたが、この結果はどう捉えるべきだろうか。
迷っていると、松永は人差し指を立てて話しかけてきた。

「可能性その1、新間孝蔵は偽名であり彼はまだ生きている」
「現実的な考え方だな。俺もそれが可能性としては一番高いとは思ったが、あの状況で偽名を言うメリットが思いつかなかった。
事件を起こすことが目的なら、わざわざ偽名を言う意味がないからな」
「ええ、私もそう思うわ。次にその2、新間孝蔵は実名であり彼はこの世界からいなくなった」
「それは有り得ない……と否定できないな」
「その3、私が調べきれなかっただけ。これは外してもいいわ」
「大した自信だな。信用してもいいのか?」
「あなたが言った特徴と合わせるといなかったわ。あなたが会った新間孝蔵は北海道在住の95歳? 鹿児島県在住の88歳? 不安なら、顔写真でも持ってこようかしら」
「……そこまでしなくていい。俺が見た新間孝蔵は歳こそ取っていたが、そこまで高齢ではなさそうだった。本当によく調べてくれたんだな」
「私を誰だと思ってんのよ。知識と不思議の探求者、松永久恵よ」
「決め顔で言ってて恥ずかしくないか」
「……若干ね。そんなことは置いといて、私たちが検証しなければいけないのは可能性その2よ」

松永は人差し指と中指を立てた。

「あなたはこの世界がゲーム通りに進行してるって言ったわね。それで新間孝蔵の行動をゲームと照らし合わすとどうだった?」
「だいたい合っていたんじゃないか。事件が起こる前からフラグはしっかり立っていたし、実際に奴は誘拐をしようとしていた」
「けれども、結末だけは違った」
「そうだな。奴は誘拐をせず俺をナイフで刺して事件を起こそうとした。意識がなくなる瞬間までは覚えているが、起きたら怪我も事件もなくなっていた」
「やっぱりね。……あのね、佐藤。これから話すことは私なりの仮説。だから、信じてくれなくていいし、外れた方があなたのためになるわ」

いつになく松永は真剣な表情をしていた。

「世界からいなくなった。つまり、それまで新間孝蔵と関わった人の記憶、彼が残したもの全てが消えてしまったということ。
普通だったらこんなことが起きるはずない。けれども、それが起こり得る可能性として私は説明書を持っている」

そう言ってから、松永は白チョークで背面黒板に樹形図らしきものを書き始めた。
線は何本にも枝分かれしていき、途中で合流しているものもある。
その一ヶ所の端に『GOOD』と書き込み、その下に『BAD』と書いた。

「私の考えだとね、新間孝蔵が消えた理由はゲームの進行を邪魔したからだと思うのよ」
「その理由は?」
「う~ん、例えばの話になるけどゲームのバグで絶対に倒せないモンスターに会ったらどうする?」
「ラリホ……睨むなよ、逃げるが一番だろうな」
「そう、普通だったら逃げるわね。だから、この世界でも同じようなことが起きたのよ」

松永の説明を理解できていない俺は、ぽかりと口を開けてしまった。
そんな俺を見て、松永は口元をニヤリと上げて得意顔になった。
分からない説明をしておきながら、その表情は若干いらつく。

「新間孝蔵が起こした想定外の行動。佐藤をナイフで刺したことね。もしこれがそのまま現実として起きていれば、どうなっていたと思う?」
「警察が来て、はい終了……なんてことはないな。事件のせいでしばらくは休校になるだろうし、マスコミへの対応やらで学園生活にも影響が出る」
「Exactly. そんなことになったら『School Heart』は恋愛シミュレーションではなくてミステリーかサスペンスになってしまうわ」

松永は樹形図の数本の線に被せるように佐藤殺傷事件と書いた。
それから赤チョークで樹形図の始まりから『GOOD』までの道筋をなぞっていく。ただし事件と被さった線は避けるように。
ここでようやく彼女が言いたかったことが分かった気がした。
自分なりの解釈でまとめよう。松永が黒板に書いた樹形図は、シナリオの分岐を表している。殺傷事件という想定外のバグが起きて、物語は直線せず避けるという選択が取った。
どうして、そのまま直進をしなかったのか。それは後のシナリオに大きな影響を与えてしまう危険性があったからだ。その代償として、新間孝蔵の存在は都合よく無かったものとされた。
そうは考えてみたが、腑に落ちないところも納得いかないところもいくつかある。
けれども、俺はこの考え方を支持したくなった。理由の1つに俺の妨害がうまくいっていないことがある。
『School Heart』というシナリオの進行に、不必要な事柄は回避されるという現象。それは俺が嫌なほど体験している。
そして1つ疑問が湧いてきた。それでは誰がいったいこんなことをしているのか?

「難しい顔してるわね。もしかして誰がこんなことをしているのかと考えてるの?」
「その通りだよ。神様か仏様か人間様かどんな奴がこんな面倒くさいことをしているか不思議に思ってな」
「あ~、だったら止めておきなさい。そんなの」

意外にも彼女はこの問題に対して思考停止を選択した。

「あなたが佐藤尚輔になったことも人間様がどうこうできるものじゃない。答えてくれない存在に答えを求めるなんて愚の骨頂、あるいは時間の無駄。あなたは神と戦う気なの?」
「チェーンソ……いや、冗談だ」
「それにあなたが戦うべき相手は、そいつじゃないでしょ。織田伸樹という主人公じゃないかしら?」

言われてから「ああ、そうだ」と頷いた。ここで俺達が世界の真実について議論しても世界は変わらない。
林檎は上へは落ちないし、時間は過去へは進まない。ゲームの進行を邪魔すると何か起きる。その可能性だけを頭の片隅に置いておけば十分だ。
俺は考えるのを一度止めて、松永を見た。

「確かにどちらとも取れる話だった。それじゃあ、最後の良い話を聞こうか」

松永は口を開かなかった。そして、俺から顔を背けて、黒板に何か書き始めた。
俺は黙って見ていたが、黒板に現れたのは一時期ネットで有名になった絵描き歌だった。
つまるところ、今の話題と無関係。現実逃避の落書きだった。

「おい、良い話は何だ。……まさか無いのか?」
「……そのまさかよ。話していれば何か思いつくと思っていました。ごめん」

松永は落書きを止めて、こちら向いて謝ってきた。それに対して俺は何も言わずにじっとしていた。
何のリアクションも返って来ないことに困ったのか、松永は恐る恐る顔を上げた。

「……怒ってる?」
「いいや、怒ってないさ。むしろ気分が良いくらいだ」

不思議そうに見つめてくる松永に、笑って答えてやる。 

「自分の行動があながち間違いじゃないって分かったからだ」
「はあ?」
「新間孝蔵のミスは物語の進行を妨害したことだ。物語に影響を残してしまような事件を起こそうとした。
けれども、俺は違う。俺は可能性のある未来を目指そうとしてるんだからな。無茶な行動は避けて、妨害をすればいいんだ。織田をバッドエンドに連れていける自信がちょっとだけ湧いたんだ」
「それはまだ私の仮説だって言ってんでしょ。そんなに信じてもらっても……」
「俺だって100%は信じていない。それでもさ、俺みたいなモブキャラに一矢報いる可能性があるってことが嬉しいんだよ」

少しだけ、なんとなくだが、この世界に来た時の気持ちを思い出した。
主人公をバッドエンドに引き摺り込む。あまり良い物とは言えないかもしれないが、どう考えたって、これは物語に関わることだ。
だから、こんな気持ちになったんだろう。

「……あなたは正真正銘紛うこと無き馬鹿よ」
「褒め言葉ありがとう。やっぱりお前と話せて良かったよ。……それじゃ、俺はそろそろ行く」
「えっ、どこに行くのよ」

俺は鞄を手に取りながら言う。

「彼女のところさ」

図書準備室がある方向を差しながら言った。
それで理解してくれた松永は、俺に向かって人差し指を立てた。

「1つだけ覚えておいて。明智先輩は――」





「あら、いらっしゃい」

準備室に入ると、いつものように明智さんは準備室の奥にある少し大きめな椅子に座って本を読んでいた。
俺は挨拶してからソファーに座り、ノートを広げた。
傍から見たら勉強熱心な学生に見えるかもしれないが、書くのは先程松永と話したことだ。
学生の敵とも言える期末テストは日に日に近づいている。しかし、俺にとってはテスト期間よりも夏休み初日の方が重要だ。なにせその日がルート確定の日になるからだ。
何か妨害できそうなものはないか考えるが、集中が続かない。準備室内でも聞こえる蝉のせいだ。結局ニ、三行程度書き加えただけで終わってしまった。

「俺が消えるなんてことは有り得ないよな……」

もしかしたら、今までしてきた妨害が小さなことで良かったのかもしれない。
新間孝蔵が俺にしたような「直接的妨害」だったら、俺も消えていた可能性があった。
でも、小さな妨害のままでは織田に追いつけないことは承知している。

「どうすればいいものか」

ペンを置いて、気分転換に最近のことを思い返す。
明智さんと出会った日から、俺は図書準備室に入り浸っている。妨害ができそうにないイベントの日はだいたいこの部屋にいる。
だがらと言って、明智先輩のイベントを妨害できているわけではない。
俺のいないところで織田は明智先輩に会っているという話を松永から聞いた。そして、自習室を出る前に聞いた一言も気になる。
悩んでいる俺とは対照的に明智先輩は蝉の音が気にならないようで、平然と澄ました顔で本を読んでいた。
数十秒に一回、細長い指がゆっくりと頁を捲る。

「……あの、何かありましたか」

俺の視線に気がついたようで、彼女は本から顔を上げてこちらを向いた。

「いえ、何でもありませんよ」

あなたの指を見ていました、なんて言えるわけがなく誤魔化すように立ち上がった。
古臭い本で囲まれた準備室の中を適当に見渡す。
中には納入されたばかりの新しい本も数冊置かれていたが、図書委員ではない俺が読むのは躊躇いがある。
何か面白そうなものはないかと、狭い準備室の中を散策した。
明智さんが普段から掃除をしているようで、床にも本棚には埃ひとつない。
俺は背表紙を見て、気になる本を見つけては引き抜きパラパラと捲る。そして、戻す。
そんなことを数回繰り返した頃、明智さんが椅子から立ち上がった。
彼女は読み終えた本を棚に入れて、辺りをキョロキョロと見渡した。

「何か探していますか?」
「ええっと、斉藤兵衛の『山下り』を探しているんですが」

聞いたこともない作家と題名が返ってきた。

「それはどんな本なんですか?」
「上京した主人公の青年が故郷との違いに戸惑いながらも、自分の居場所を探していく話です。
その中にある故郷の風景描写がとても良くて私のお気に入りなんです。蝉の声を聞いていたら、また読みたくなってしまって」
「いやいや、俺が聞きたかったのは本の形です。それを知らないと探せないので」

頬を赤らめて恥じらう明智先輩。

「……すみません! 茶色の背表紙の文庫本です。古いので文字が掠れているかもしれません」
「いいえ、こちらが悪いんです。聞き方が悪かったんですから。そうだ、読み終わったら俺にその本を貸してくれませんか?」
「えっ?」
「本の事を語る明智さんが楽しそうだったので、その本に興味が湧いたんです」
「はい、良い本なので是非読んでください!」

俺は早速、明智さんとは反対側の棚から本を探す。
近くの棚から一段一段隈なく見ていくが、それらしい本は見当たらない。
こっちにはなかったと別の棚を見ている明智さんに報告しようとすると、彼女は背伸びをしていた。
棚の一番上は、女性にしては背の高い彼女でも届かないようだった。俺は彼女の隣まで行き、茶色い文庫本を抜き取った。
掠れている題名の方を表にして、黙って彼女に差し出した。

「ありがとうございます」

本を受け取ったまま、明智さんはその場を動かなかった。
不思議に思っていると、彼女は何かを呟いた。そして、服の端を掴んできた。

「あの……」

細い指が、制服をちょこんと引っ張って離さない。

「……前にも同じことがありました。私が本を探していると黙って本を差し出してくれたんです」

彼女は縋るような瞳でこちらを見る。俺の制服をキュッと強く掴んだ。

「貴方は尚輔ですか?」

その質問の意図を理解するまで、少しかかった。乾く喉を我慢しながら言う。

「すみません。俺は俺のままです」
「……そうですよね。ごめんなさい」

お互い続く言葉が見つからない。
そのせいで、外から聞こえる蝉の音が一段とうるさく聞こえてしまう。
胸のざわつきと合わせるように蝉が鳴いている。

「……そうだ、期末テストが近いから勉強しないと」
「それなら、コーヒーを入れますね」

俺は逃げるようにして、ソファーに戻った。
苦し紛れの言い訳通りに勉強用のノートを広げて、教科書を開いた。
当然だが、したくもない勉強なんて頭に入るわけがなかった。
ただ教科書を眺めている時間は、明智さんが珈琲を持ってくるまで続いた。

「はい、どうぞ」

差し出されたコーヒーカップの隣にはシュガースティックとミルクが付いていた。
前に要らないと答えたはずだったそれらは、今日も付いていた。

『1つだけ覚えておいて。明智先輩は今でも佐藤尚輔を待っているわ』

松永、お前の言う通りだよ。明智さんは今だに佐藤尚輔のことを想っているさ。
俺は砂糖もミルクも入れずに、珈琲をゆっくりと飲んでいく。
こんな状況になってしまったのは誰の責任なのだろうか。
主人公である織田伸樹のせいなのか。この世界に来てしまった俺のせいなのか。それとも、この世界から消えてしまった佐藤尚輔のせいなのか。
問いただそうにも、問いただせる相手が見つからない。いや、違う。問いただせる相手は、ここに一人だけいた。――俺だ。
俺がいなければ彼女はこんな表情をせずに済んだ。

「どうしたんですか? もしかして濃すぎましたか?」
「いいえ、違います。美味しいですよ、この珈琲」
「それなら良かったです」

珈琲を飲み終えてから、一度大きく深呼吸をする。
文化祭の事件が終わった後、俺は一度佐藤尚輔として生きることを考えた。
けれども、それは『俺が演じる』佐藤尚輔であって、『明智さんが待っている』佐藤尚輔ではない。
だから、俺は鞄から黒色の手帳を取り出した。これは明智さんが佐藤尚輔に送った日記代わりの手帳だ。

「えっ、どうして……」

俺は無言で、それを彼女に渡した。
きっと佐藤は彼女には読んでほしくなかったと思う。
けれども、俺は彼女にこそ読んでほしいと思う。佐藤尚輔の気持ちが残っているのはこれしかないから。
明智さんはゆっくりと大切に頁を捲っていく。目を潤ませながら、短い日記を繰り返し読んでいた。

「それは佐藤の部屋で見つけたものです。これがあの時言えなかった佐藤の気持ちです」
「……意外でした。尚輔のことだからすぐに止めていたと思っていたので」
「俺も最近まで日記に書かれているのが誰のことなのか分かりませんでした。それで、お願いがあります」

彼女の鞄につけられた小さな熊のキーホルダーを指さした。

「ゲームセンターで佐藤に取ってもらったものですよね?」
「はい、そうですが」
「……あれを貰えませんか?」

過去との決別、それを表すための道具としてゲーム中にもキーホルダーは出てきた。
公園の湖に向かって、それを投げ捨てるというイベント。陳腐でありきたりな演出。
俺は彼女にそんなことをしてほしくなかった。

「……考えさせて下さい」

明智さんが目を瞑っている間に、俺は自分自身のことを見つめ直す。
一歩間違えれば思春期の少年が授業の暇つぶしに考えるような恥ずかしいテーマだが、それでも大切なことだ。
右手をぎゅっと握りしめて、ぱっと放す。それを三回繰り返した。
この手は3月まで佐藤のものだった。だが、今は俺の意思で動いている。
俺が佐藤尚輔になり変わることは不可能だ。それを彼女にも分かってほしい。

「いいですよ。けれども、無くさないでくださいね」
「ありがとうございます。大切に持っておきます」

明智さんは鞄からキーホルダーを外して、丁寧に渡してくれた。
合わせて、手帳も返してくれた。だが、それは受け取らないことにした。

「その手帳は明智さんが持っていてください」
「でも、これは尚輔のもので……」
「佐藤のものだからですよ。佐藤にも会っていない俺が持っているようなものではありません。だから、佐藤が戻ってきたら返してやってください」
「分かりました。必ず尚輔に返しますね」

彼女の返事を聞いた後に腕時計を確認すると、そろそろ織田がイベントを起こす時間だった。
俺は広げてあったノートやペンを片付けて、鞄へ入れた。

「もう行くんですか?」
「はい、コーヒーありがとうございました」

扉に手を掛けたところで振り返ろうとしたが止めた。
準備室を出てから、体を伸ばして気合を入れ直す。

「さて、頑張って妨害しに行くか」



[19023] 第二十二話 ~無様な脇役がそこにいた~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/02/21 04:12
じっとりとした寝汗を首元に感じて、目が覚める。
時計を見ると、セットしたアラームより1時間前だった。
明智さんからキーホルダーを預かった日の妨害も失敗。その次の日も失敗。
もはや成功なんて有り得ないのではないかと思うほど、俺は失敗を繰り返している。
残された期間は、一週間と少しだけ。妨害できるイベントにも限りが出始めてきていた。
俺はベッドから下りて、誰もいない1階に向かう。
冷蔵庫を漁りながら朝食の準備をして、TVをつける。
普段あまり見かけないアナウンサーの挨拶を聞きながら、食材を刻んでいく。
いつもと変わり映えのないニュースが流れ、次に占いが始まる。
動かしていた手を止めて、なんとなく眺めてると結果は1位と最下位だった。
俺の誕生日だと1位で、佐藤の誕生日だと最下位。ラッキーカラーはベージュとブルー。
どちらを信じればいいか分からないので、とりあえずそれぞれの色のハンカチを持っていくことにした。
黒髪が綺麗な女子アナは、占いの最後にコメントをつける。

「最下位の人も大丈夫。思いがけない出来事に気をつければ、今日一日も良い日になりますよ」

思いがけない出来事なんて、予測がつけば誰も苦労はしない。
今日のイベントの舞台は体育倉庫だ。5時限目に体育があるので、その時にイベントが起きると踏んでいる。
妨害の方法をいくら考えても、不安は消えない。今だにイベントを起こさせないための何かを掴めずにいるからだ。
だが、これまでの失敗を振り返りいくつかポイントを押さえてある。
まず、イベントの話題となるキーアイテムを奪う。それだけでは代わりになるものが出てくる可能性がある。
次に、イベントが起きている最中に邪魔をする。これは、できた試しがない。良い例が文化祭前日の屋上だ。あまり期待はできない。
最後に、ヒロインをイベントが起きる場所に行かせない。織田がヒロインのいる場所に現れれば、明智さんのように勝手にイベントが進んでしまう恐れがある。
しかし、そこでしか起こりえないイベントなら妨害ならどうだろうか。この学園に体育倉庫はグラウンドに1つしかない。
ゲームの中でも気に入っていたイベント。
ヒロインの斉藤裕と一緒に主人公が体育倉庫に閉じ込められてしまうというイベント。
今の俺にとっては一番起きてほしくないイベントとなってしまった。
蛇口を捻り、コップに溢れかえるほどの水を入れる。今日初めて口にする水は、体の隅々まで染み渡っていくようで美味しかった。







正しい主人公の倒し方 第二十二話
 ~無様な脇役がそこにいた~







その日は朝から授業にろくすっぽも出ず、妨害のために校舎を駆けまわっていた。
朝の職員会議の終わり頃を見計らって、職員室から体育倉庫の鍵を盗み出す。
教師や生徒が慌ただしく出入りしている時だったので、誰も盗んだことに気がつかなかった。
次に向かったのは、校舎から離れたプレハブ小屋。
元々どこかの文化部の部室だったようだが、今は物置替わりとして使われている。
幸い鍵は開いており、中に入ると芝刈り機から体育祭で使われるであろう大玉まで、様々なものが置かれていた。
その中を何か役立ちそうなものはないかと物色する。

「これは使えるかもしれないな」

積み上げられたダンボールを退かすと、錆びかけの脚立を見つけた。
他にもロープや長い木の棒があったので、とりあえず借りておく。
その3点をプレハブ小屋から持ちだし、体育倉庫の裏に隠しておいた。
いよいよ、舞台となる体育倉庫で下準備を進める。
始めるにあたって、閉じ込められるシチュエーションを起こさせないことを考えなくてはいけない。
まずは体育倉庫の錠前を外して、扉の開閉を確認した。
今のところ問題なく開閉できるようだが、イベントが起きればどうなるか分からない。
心配になり注意して扉を見てみると、レールに砂や小石が溜まっていた。
これが原因で扉が開かなくなることは……ありえなくもない。
手近にあった木の棒を拾い、地道に取り除いていく。
7月の外は暑い。風が運んでくるのは熱気。日除けもない倉庫前での作業は思っていた以上に体力を使う。
汗を流しながら、無心で手を動かし続ける。砂や小石を取り出して、レールの周りにも何も残らないようにする。
そんな地味な作業が終わったのは、1時限終了のチャイムが鳴るのと同時だった。

「……何やってんだかな、俺は」

主人公を倒すと息巻いて、やっていることは小細工。
右ポケットに入っていたブルーのハンカチを取り出して、額の汗を拭う。
でも、これでいいんじゃないんだろうか。
効率の良く効果的な方法も見つからなかったから、こうするしかないのだ。
気合を入れ直すために、自分の頬を三度叩く。

「よしっ、頑張るか」

そう気合を入れたものも、流れ落ちる汗は依然として止まらない。
喉も乾き始めて、唾液が出にくくなっていた。
五時間目までは時間もあるし、一旦休憩を入れよう。
作業を中断して、体育館前にある自動販売機に向かう。
休み時間にわざわざ体育館前の自動販売機まで来る生徒はいないようで誰にも会わない。
自動販売機の前で財布を取り出し、ラインナップを見て何を買おうか考える。
俺の好きな珈琲を選ぼうとしたが、ボタンに手を乗せたところで止まった。
缶コーヒーには地雷が多い。少なくともこの自動販売機には飲みたい珈琲がない。
それなら炭酸ジュースにしようかと思ったが、そうもいかない。赤いランプで映し出された売切の文字。
いっそのこと水道水で我慢しようかと考えるが、自動販売機前まで来て何も買わないのは勿体ない。
人間、小さなことでも迷い始めたらきりが無い。
そうやって時間を浪費していると、突然冷たくて硬いものが首筋に当てられた。

「うひゃぁっ!」

思わず変な悲鳴を上げてしまった。
首に手を当てて振り返ると、そこには松永がいた。
彼女の手にあるのは林檎ジュース。冷たくて硬い感触の正体はそれだった。

「お疲れ様。体育倉庫の前で何をしていたの? しかも、私に内緒で」
「……見ていたのか」
「ええ。暇な時に窓から外を見ていたら、偶然あなたの姿が見えたのよ。あと、これは差し入れ」

差し出された林檎ジュース、お礼を言いつつ受け取る。
プルタブを開けると、冷えた林檎ジュースの爽やかな匂いが鼻を擽る。
耐え切れずに一口だけ飲む。透明感のある甘みが口の中に広がり、さっぱりとした後味で締められる。
そして、気がつけばごくごくと喉は音を鳴らしながら飲んでいた。思っていた以上に自分の喉が渇いていたようだ。

「それで、あなたはあそこで何をしていたの?」
「アリの観察だよ。アリは餌を見つけると、仲間のために道しるべフェロモンを出すんだ。知っていたか?」
「…………」
「あー、すまん。妨害の下準備をしていた」
「いつもなら何をするかぐらい言ってくれたのに」
「その点はすなまかった。どうしても今日のイベントで焦っていたんだ」

休み時間終了のチャイムが聞こえた。
レールの部分はあらかた終わったが、体育倉庫の中はまだ見ていない。
缶を捨ててグラウンドに向かおうとすると、松永も着いて来た。

「私の顔をじっと見つめているけど、何かしら?」
「お前、授業があるよな」
「あなただってあるじゃない。それと、私のクラスは次の時間自習になっていますから大丈夫」
「妨害には協力しないんじゃなかったか?」
「しないわ。ただね、あなたが何をするのか興味があるのよ」

溜息をついた後、俺は仕方なく了解した。松永がいたところで作業の邪魔になることはないだろう。
体育倉庫に着いて扉を開ける。扉は先程より開けやすくなっていた。扉に関しては、ひとまずは気にしなくて良さそうだ。
薄暗く埃っぽい体育倉庫の中を見渡して、イベントを起こさせないためにすべきことを考える。松永も同じように見渡していた。

「ふ~ん、ここで斉藤裕と織田君が閉じ込められるのね」
「ああ、そうだ。好感度を上がりやすいイベントだ。ハーレムを狙ってるなら外すことは考えられない」
「閉じ込められるなんて安っぽい恋愛小説に有りがちな出来事ね。ところで、あなたは斉藤裕のことが好きなの?」

何を言い出すかと思えば、この女は。
俺は振り返って、すぐさま松永を睨みつけようとした。だが、俺の首は動かなかった。
戸惑いと言うべきか、躊躇いと言うべきか。好きかと聞かれた時、その感情が浮かばなかった。
だから、俺は怒ることも恥ずかしがることもできなかった。

「……そんなのどうでもいいだろう」
「確かにどうでもいいことね。どうせ、私には関係のないことだったわ」

なんとなく尋ねただけだったのだろう。
俺の返事には興味を示さず松永は、倉庫の状況を指さしながら確認し始めた。

「マットやハードル。体育や部活で使うものが置かれているわね。要らなくなった机や椅子、本棚なんかもあるわ。
そして、出入りができるのは鉄製の扉と窓のみ。けれども、窓は高い位置にあって手を伸ばすぐらいでは届かない」
「だから、この脚立を持ってきたんだ」

錆びかけの脚立を窓の近くで広げた。登ってみると、手が鍵に届いた。
無理すればここから出れるぐらいの高さだ。次にすべきことが決まった。
レールの掃除は閉じ込めさせないための準備だった。次は起こさせないための準備だ。

「松永は一旦体育倉庫から出てくれ」
「今から何をするの?」
「バリケード作りだ」





太陽が西へ傾き始めてきた。バリケード作りが終わると松永はすぐにクラスに戻った。
5時限目の体育は既に始まっている。その間も、俺はずっと体育倉庫前に居座っていた。
誰一人として中に入れていない。いや、扉を開けたとしても机やマットで作ったバリケードがあるから入れないはずだ。
腕時計で時間を見ると、授業終了まで残り10分。長い。時計を見る動作が多いと時間の進みが遅く感じるそうだが、まさにその通りだった。
ちらちら腕時計を見ても針は一向に進んでいないように感じる。
残り5分。誰かが近づいてきた。体育の教科当番になってるクラスメイトだった。

「あれ、佐藤? 今日は欠席じゃなかったの?」
「午後から来たんだ。それより体育倉庫に入るのか?」
「違うよ。朝から体育倉庫の鍵がないみたいでね、教官室にメジャーを返しにいくところさ」
「ということは、もうそろそろ体育が終わるのか」
「うん。グラウンドで挨拶している頃じゃないかな」

会話をしながらも、俺は気が気でなかった。本当にこのまま無事に終わるのか分からないからだ。
クラスメイトが離れていき、俺は再び倉庫前に座った。
残り3分、2分、1分。30秒、10秒、3、2、1、0。そして、5時限目終了のチャイムが鳴った。
ようやく終わったと安堵の溜息をつこうとした瞬間、倉庫の中から物音が聞こえた。
何かの聞き間違えだろうと思ったが、それを否定するように再び音がした。
まさか、そんなことが、起こりえるのだろうか。
急いで錠前に鍵を差し込んで回す。だが、いくら捻っても錠前が外れることはなかった。
鍵穴が壊れている。しかも、こんな時に限って。
急いで俺は体育倉庫の裏へ回りこみ、窓の様子を確認する。
動かした形跡は見られない。俺はプレハブ小屋から持ちだした棒を使って、窓を開けた。
入れなくてもいい。中を確認できればいいんだ。
助走をつけて窓に向かって跳んだ。駄目だ。これぐらいじゃ届かない。あと5センチほど足りず、地面に着地する。
もう一度挑戦する。今度は前上に跳ばず、壁に向かいながら跳ぶ。ぶつかる瞬間、右足で力一杯壁を蹴り上げる。
良い感じだ。ジャンプが最高地点に到達する時を見計らって手を伸ばす。ぎりぎり手が窓枠に引っかかった。
両手を窓枠にかけ直し、そのまま体を持ち上げる。厳しい体勢だが、倉庫の中を辛うじて見ることができた。
出る時に使った脚立はそのままだ。バリケードも動いていない。そして、倉庫の中には誰もいなかった。
安心した瞬間、手の力が抜けた。真っ逆さまに体は落ちていく。無様に腰を地面に打ちつけてしまった。

「…………はあ」

情けない溜息が出た。そして、自然と口元が緩んでいた。

「……あはははははは。なんだよ、これが成功なのかよ」

起こさせないようにしたのだから、これが正しい形なのは分かっている。何もないことが成功の証拠なのだ。
けれども、失敗がありすぎて実感が湧かない。失敗の方が目について分かりやすかったからだ。
体についた埃を払いながら立ち上がる。腕時計を確認すると、まだ休み時間だった。
6時限目からの参加。大遅刻だが、とりあえずは教室へ行く。
教室の扉を開けると、体育終わりの男子生徒たちが着替えをしていた。様々な制汗剤の匂いが入り混じっており、むせ返りそうになった。
それを我慢しつつ自分の席につこうとした時、アイツがいないことに気づいた。
既に着替え終わっていた徳川に話しかける。

「織田はどこかに行ったのか?」
「いいや、知らないな。授業の途中で体育倉庫に行ったみたいだが……」

それはないはずだ。5時限目に織田は倉庫に来なかった。
体育倉庫でイベントは起きていないはずだ。納得のいかない俺は考え続ける。
閉じ込められるイベントを前提として考えた時、1つの可能性が浮かんだ。

「織田は何を取りに行ったんだ?」
「確か番号の着いたビブスを取りに行ったはずだ」
「ビブスは体育倉庫以外にも置いてあるよな?」
「ああ、そうだな。体育館倉庫にもあったはずだって、どこ行くんだよ。授業始まるぞ」

徳川が頷いた瞬間、俺は駆け出していた。呼び止める声は無視した。
おかしい。ゲームで起きた場所はグラウンドにある体育倉庫であり、体育館倉庫ではないはずだ。
似たようなロケーションなら何でもいいのか。そこまでご都合主義なのか。
上靴を脱がずに体育館に入り、そのまま倉庫に近づく。
中から聞こえる物音。先程とは違う。間違いなく誰かがいることが分かる。
扉に手を掛けて、すぐさま横へ動かす。だが、開かない。俺は阿呆か、錠前が掛かってるじゃないか。
職員室まで鍵を取りに行く時間が惜しい。大事な時に扉が開かなくなるのは、もう飽きた。散々だ。
苛立った俺は拳を扉に向かって叩きつけた。

「開けってんだよッ!」

金属が擦れた音がした。
咄嗟にその音がしたところを見ると、錠前の取り付け部分が緩くなっていた。
扉が木製だったのが幸いした。力任せに錠前を引っ張ると取り付け部分ごと外れた。
これで入ることができそうだ。俺は荒くなっていた息を静めるように、ゆっくりと扉を開けた。
薄暗い体育館倉庫、その中にはマットの上に倒れている二人の姿があった。織田伸樹と斉藤裕。
扉が開いたことに気がついた織田は立ち上がった。

「佐藤くん、助けに来てくれたんだね」
「……」
「ありがとう」

その一言で、張り詰めていた糸が切れた。それがきっかけだった。

「馬鹿にするのも大概にしろ……」
「えっ、何を言ってるんだい?」
「何もできていない俺を見下してんだろう! そうさ、俺は失敗続きだ! 何が『ありがとう』だ!」

血の全てが頭に上っていく感覚。
ただ目の前にいる男が憎くて仕方がなかった。織田の胸倉を掴んで持ち上げる。
織田はじたばたと足をばたつかせる。鬱陶しい。織田の体を壁に押し当てて黙らせる。
俺は空いている左手を固めて、振り上げた。

「止めて!」

斉藤さんの叫び声が体育館倉庫に響く。振り下ろす直前だった手が止まった。
織田を掴んでいた手が緩むと、織田は床へどっさと落ちた。

「けほけほっ……」

咽ている織田を無視して、斉藤さんを見る。斉藤さんは困惑した表情で俺を見ていた。

「突然どうしたの? なんでこんなことをしたの?」
「したら駄目なのか? 織田が憎くてやったんだ」
「嘘だよね? 佐藤くんにも理由があるんだよね。……あのいじめの噂だって本当は違うんだよね?」
「違う。……けど、信じてはくれなさそうだな」

彼女の目には今まで見たことがない怯えがあった。

「俺も斉藤さんに言いたいことがあるんだ」

自分の声が脅すような低く太いものになっていた。
俺が斉藤さんに一歩近づくと、彼女も一歩引いた。
壁際まで詰めていき、両手を壁に当てて彼女が逃げないようにする。

「なあ、どうして織田なんだ?」

頭の中で何度も警告が鳴る。情けない姿を彼女に晒すなと。でも、言葉は止まらない。

「どうして織田を選ぶんだ。アイツはハーレムなんかを作ろうとしているんだぜ。馬鹿げてる。
けどよ、そんな馬鹿げていることすら、俺は止めることができないんだ。世界の中心は主人公。
そういう風に世界が回っていることは、もう十分承知した。けれども、それを邪魔する隙すらないのかよ。
主人公、主人公。憧れても成れないんだよ。俺にも万が一の可能性は――」

倉庫に渇いた音が響いた。
その一瞬だけ、世界が止まったように思えた。
振り払った斉藤さんの右手が赤くなっていた。きっと俺の頬も同じくらい赤くなっているのだろう。
幸いなことに口の中は切れていないようだ。彼女は息を切らせながら、俺を睨みつける。
怯えが消えて、敵意だけが剥き出された瞳。けれどもそれは一瞬で、聞こえてきたのは弱々しい涙声だった。

「ご、ごめん……」
「…………」
「ごめんね。ごめんね。ごめんね、ごめんね――」

彼女の涙が落ちるのを見て、取り返しがつかないことをしてしまったのだと気づいた。
今まで積み上げてきた信頼は、ほんの少しの行動と時間で崩れ落ちてしまった。もう元には戻らない。

「……あ、ああ」

口元が震えて、どんな言葉も掠れてしまう。
どうするべきなのか考えようとするが、頭の中は徐々に霞んでいき、やがて真っ白になった。
もう何も考えられない。思考停止。それでも吐き気がするほどの後悔だけは残っている。
気がつくと、俺は夢中になって体育館倉庫から逃げ出していた。
その姿は、おおよそ主人公とは似ても似つかない見苦しいものだった。
無様な脇役がそこにいた。







このまま泡になって溶けて消えてしまいたい。
屋上で夕日を浴びながら、俺はそう思った。大の字に寝っ転がて、ぼうっと遠くにある雲を眺める。
結局、体育館から逃げた後は授業には出ずに屋上で時間を潰していた。
家に帰ってしまったら、そのまま腐ってしまう気がした。だから、一人になれて落ち着ける場所としてここを選んだ。
しかし、落ち着けることなんてなかった。バリケードを放置したままだったとか、鍵を返していなかったとか、無駄なことを考える。
けれども、すぐに体育館倉庫での出来事を思い出して悶絶する。

「どうしてあんなことをしてしまったんだろう……」

大きな独り言。口ではそう言ったが、理由は分かっていた。
溜めすぎていたからだ。
デートに誘えなかったことも、石川がいなくなったことも、妨害が上手くいかなかったことも。
全てが積み重なっていき、自分でも知らないうちに大きな負担になっていた。
織田の一言はきっかけに過ぎない。
残された期間は、一週間と少しだけ。今日の放課後は明智さんのイベントを妨害しないといけないのに――。
もう何かをしようという気力は無くなっていた。
今の俺は、空気が抜けた風船のようなものだ。
せっかく入れた空気も、見当違いなところに飛んでいって無駄になってしまった。
空気をもう一度入れる時間は残されていない。飛ばない風船なんて無価値同然だ。
オレンジ色をした空を眺めながら溜息をつこうとした時、黒い影が俺の視界を覆った。

「どーしたんですか、先輩?」

慌てて飛び起きると、それは秀実ちゃんだった。逆光のせいで一瞬誰なのか分からなかった。

「……おっす、秀実ちゃん」
「おっすです」

制服を着た秀実ちゃんは俺の顔を見下ろしている。
今は放課後で部活の時間なのに、どうして彼女はここに来たのだろうか。
校庭からは運動部の声が聞こえてくる。フェンスの向こうでは陸上部が個人種目の練習をしていた。
その中に柴田さんの姿もあって、秀実ちゃんは確か柴田さんと同じ陸上部に所属していたはずだ。

「部活はどうしたんだ?」
「いきなり単刀直入ですね、先輩」

秀実ちゃんは人差し指で頬を掻きながら、恥ずかしそうに言った。

「……実は足を捻挫してしまいまして、部活を休みました」
「大丈夫なのか?」
「全然平気! ……だったら、良かったんですけどね」

突然、秀実ちゃんは靴下を脱ぎだし始めた。
彼女が屈むと、シャツの隙間から胸の谷間がチラリと見えそうになる。
多分、秀実ちゃんは気がついていない。その証拠に彼女の視線はずっと下を向いている。
けれども、俺は揺れ動く彼女のサイドテールをずっと眺めていた。

「見てください、見てください。こんなに腫れっちゃったんですよ」

彼女の足首はぷっくりと赤くなっていた。

「痛そうだな。でも、怪我しているんだから早く家に帰った方がいいんじゃないか」
「そうなんですけど、なんというか一人になれて落ち着ける場所に行きたかったんです」

それは俺と同じ理由だった。

「でも、先輩がいたから一人にはなれなかったんですけどねー」
「それなら俺は帰ろうか。俺は屋上を十分に堪能した。ここは後輩に譲るよ」
「いえいえ、譲らなくても結構です。というか一緒にいてください。そっちの方が私は嬉しいですよ?」
「嬉しいと思うなら語尾を上げて疑問にするなよ」
「えへへっ、照れ隠しですよ。言わせないでください」

秀実ちゃんはへらへらと気の抜けたように笑う。
いつも変わらない無邪気な表情。けれども、どこか無理があるように見えた。

「……いいよ。秀実ちゃんが飽きるまで一緒にいるよ」
「さすが、先輩! 物分かりが良くて助かります」
「どういたしまして」

どうせ今の不抜けた状態で妨害なんてしても成功するはずがない。
それなら、誰かと一緒にいた方が気が紛れるだろう。
今日は、もう妨害のことは考えない。
俺はあぐらをかいて、鳥も飛行機もない空を黙って見上げた。秀実ちゃんも俺の横に座って、それを見始めた。
街を赤く染める夕日は、どんなビルよりも大きかった。

「この夕日がどんどん近づいてきて、私をジュワーッと溶かしてくれればいいのに……」
「それは俺も思った。この夕日が溶かしてくれないかって」
「あっ、そうなんですか。奇遇ですね。……もしかして、先輩も嫌なことがあったんですか?」
「何でそう思った?」
「夕日を見て、そんな風に思ったからです。あと、声かける前の先輩は魂が抜けたみたいだったから」

秀実ちゃんは首を傾げながら、訊ねてきた。

「どうなんですか?」
「あったよ。とても嫌なことが」
「そうなんですか。……私も嫌なことがありました」
「そうか、大変だったね」
「……あの、話してもいいですか?」

心配させないように、笑顔で頷く。
学園祭の時も、俺は彼女に話を聞いてもらった。ならば、彼女の話を聞くのは当たり前のことだ。
体育座りをしている彼女は、顔を膝に埋めながら話し始めた。

「始めは嫌なことではなかったんです。むしろ、それは良いことだと思っていたんです。
でも、今になって悪いことだったと知ってしまって――。気づいてしまったら後戻りはできませんでした」
「……それは何のことだ?」
「ええっと、秘密です。けど、部活で怪我してブルーになったら、余計に思い出しちゃったんです」
「そうか。無理に話さなくていいさ」
「ありがとうございます。……ねえ、先輩。自分の幸せとみんなの幸せ、どちらが大切なんでしょうか?」

自分の幸せとみんなの幸せ。きっと秀実ちゃんの嫌なことと関係しているのだろう。

「どちらも大切なんじゃないのか?」
「それは分かっているんです。けれども、どちらかしか選べないんです」
「そうか……」

二択、どちらかを選ばないといけない。それなら、こっちしか俺には有り得ない。

「そうだな、俺だったら自分の幸せを選ぶよ」
「どうしてですか?」
「自分自身のことでも精一杯な奴が、みんなの幸せなんて選べない。自分のことが終わったらみんなを幸せにすればいいさ」
「そういうものなんでしょうか……」
「そういうもんだ。だから、秀実ちゃんも焦らなくてもいいんじゃないのか?」

俺の肩に何か柔らかいものを感じた。秀実ちゃんが肩にもたれ掛かってきたからだ。
彼女は顔を伏せたままだったので、表情まで見ることはできない。

「やっぱり先輩は優しいですね」
「優しいのかな? 俺はな、女の子に怖い思いさせてしまったんだ。それが俺がした嫌なこと。優しくなんてないさ」
「でも、私には優しいですよ」
「それは秀実ちゃんだから」
「私だからですか? ……先輩にとって、私は特別ですか?」
「特別さ。こんなに話ができる後輩は他にはいないから」
「そうなんですか。私にとっても先輩は特別ですよ」
「話ができる先輩として?」
「違います。好きな人だから」

隣に座っている秀実ちゃんは顔を上げた。俺は聞き間違いなのではないかと疑う。
だが、間違いなく彼女はその言葉を口にした。主人公でもない脇役の俺に対してだ。

「……友達としてだろ?」
「いいえ、違います」

彼女の顔が赤くなっているのは、夕日のせいだとか陳腐な言い訳はしない。

「私は一人の女の子として、先輩が好きなんです」

告白。
あの羽柴秀実が俺に告白をした。想像もしていなかった出来事。
俺の顔は熱くなって、頭の中はぐしゃぐしゃになって、みっともないほど動揺する。
そのせいか、口からは出任せに言葉が出てくる。

「……俺は人から好かれるような面じゃないぞ」
「先輩の笑顔、素敵ですよ」
「性格もひねくれている。一緒にいると嫌な気分になるかもしれない」
「まっすぐなところもあります」
「君の知らない嫌な所が沢山ある。ついさっきもそれで失敗した」
「人間誰しも嫌なところはあります。それを含めて先輩です」
「俺自身、佐藤尚輔がよく分からない。そんな状況で君と付き合うことはできない」
「……だったら、私と一緒に探しましょうよ」
「今から君を押し倒すかもしれないぞ」
「えっ……」
「冗談だ。だからな――」
「いいですよ。先輩にだったら押し倒されても……」

スカートを両手でぎゅっと掴みんで、顔を真赤にしながら彼女は呟いた。
ここまで彼女にさせておいて、俺は何をしているんだろうか。
焦らず、落ち着かさせるように、深く息を吸い込み、吐き出す。
まずは考えなくてはいけない。俺自身が秀実ちゃんをどう思っているのかだ。
羽柴秀実、『School Heart』のヒロイン。仲が良い後輩で、俺のことを慕ってくれている。
秀実ちゃんと過ごした日々を思い出す。ああ、どれも楽しかった思い出だ。けれども、俺は彼女に対して恋愛感情を抱いていただろうか?
いや、絶対に抱いていなかった。それは俺には好きな人がいたからで、その相手は斉藤さん……だったんだ。
それなら今はどうなんだ? 分からない。それなら、受け入れてもいいんじゃないのか?
『あなたがヒロインと付き合って、織田君よりその子の好感度を上げることよ』
松永が言った台詞を思い出す。俺は彼女の気持ちを利用してまで妨害をしたくない。
考える度に泥濘に嵌り込んでいくようで、終いには自分の気持ちすら分からなくなってきた。
夕日はだんだん沈んでいき、小さくなっていく。

「なあ、秀実ちゃん……」
「な、なんですか?」

躊躇っていはいけない。言わなければいけない。

「ごめん。夏休みが終わるまで返事は待ってほしい」

泣き出しそうになる秀実ちゃん。彼女の肩を支えようとしたが、思いとどまる。

「或ることが終わるまで俺は純粋な気持ちで君と向き合うことはできないんだ」

ここで受け入れたところで、気持ちを利用したという罪悪感が残る。
もちろん、彼女の思いに答えを出さないなんて、卑怯な選択だってことは分かってる。
受け入れた訳でもなく、拒否した訳でもない。結局は織田と同じなのかもしれない。
けれども、中途半端な気持ちで答えを出すことだけはしたくなかった。
全てが終わった後にもう一度自分の気持ちと素直に向き合おう。

「そうなんですか、やっぱり……」
「ごめん」

居心地の悪くなった俺は立ち上がって、屋上階段への扉に向かった。
俺がドアノブを掴んだ時、後ろから声が聞こえた。

「……扉なら開きませんよ」

その言葉に戸惑いながら、ドアノブを捻ると奇妙な違和感があった。それは何度か味わった感覚。
妨害が失敗する時にいつも感じるものと同じだった。それでもかとドアノブを開けようとするが、やはり開かなかった。

「屋上階段の近くで織田先輩と明智先輩が話しているんでしょうね」

俺はすぐに振り向いた。

「扉が開かない理由は――先輩なら分かっていますよね?」
「分かってる? 一体何のことを言っているんだ」
「イベントが発生した場合、どんなことをしても中断することはできない。これはルールなんです」
「本当にどうしたんだ? 何のことか分からない」
「とぼけないで下さい。私はヒロインですよ」

彼女はゲームソフトのケースを取り出した。見覚えのあるパッケージに描かれたイラストとタイトル。
『School Heart』
間違いなくそれは本物であり、この世界の設定を証明するものだった。


「分かっていますよね、先輩?」


羽柴秀実、『School Heart』のヒロインは涙を流しながら、そう言った。



[19023] 第二十三話 ~School Heart~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/09/02 16:08
それがあるからと言って、世界が滅んだり終わったりはしない。
だからと言って、世界を救うために必要なものではない。
ありふれたゲームショップの片隅にでも置いてあるようなものだった。
ただ一点だけ。それはこの世界にあってはいけなかった。
彼女が手にしているものは、この世界の全ての始まり。
この世界の在り方にして、元となるとなるもの。
『School Heart』
それを彼女は持っていた。
そして俺に向かって彼女は「私はヒロインですよ」と言った。







正しい主人公の倒し方 第二十三話
 ~School Heart~







秀実ちゃんは袖でゴシゴシと涙を拭ってから、こちらを見つめてきた。
俺はというと彼女を直視できず、ゲームソフトを見て困惑していた。
次々と浮かんでいく疑問。何から考えればいいのか分からない。
ヒロイン? 秀実ちゃん? いつから? どうして? イベント?
疑問が湧き出るように浮かび、頭の中に漂っては散乱していく。
野積みされていき、放置されていき、脳味噌を圧迫していく。
だから、脳味噌が混ざり合ってぐちゃぐちゃになっていく前に、1つだけ取り出す。
取り出せた疑問をそのまま口にした。とぼけてこの場をやり過ごすなんて選択肢は端から考えていなかった。

「それは本物なのか?」
「これに偽物があるんですか?」
「……それは本当に『School Heart』なのか?」
「そうですよ。織田先輩が主人公のゲームです。……やっぱり先輩は知っていたんですね」

その言葉を聞いて、頬がやや引き攣る。
間違いなく彼女が持っているものは、俺がプレイしたことがあるゲームだ。
そして、疑問が疑惑へと変わっていく。彼女が手にしているそれを食い入るように見た。

「これがそんなに気になるんですか」
「……ああ、もっと見させてもらえないか」
「いいですよ。……でも、その前に質問に答えて下さい」
「……それなら、お互い質問をし合わないか? 俺も君に聞きたいことがある」
「分かりました。答えられる範囲でなら」

彼女はしっかりと頷いた。
どれから聞くことにしようか。壊れた蛇口のように溢れ出てくる質問。
手当たり次第にかき集めるが、数の多すぎるそれらは頭の中から零れ落ちていく。
5個、10個、20個、数え直す度に増えていく気がした。

「先輩、条件をつけましょう」

突然、彼女から提案が出された。

「質問を考えてみたんですが、先輩に聞きたいことがたくさんありすぎました。先輩もそうですよね?」
「……確かにそうだな」
「だから、5つまでにしましょう。その代わり嘘や誤魔化しは無しです。もちろん黙秘権は無しですよ」

俺は頷き返した。
5つに絞るのは難しいことだが、後半の条件は魅力的だった。
もちろん、彼女が嘘をつく可能性だって考えられる。けれども、何も聞かないよりはマシだ。
沈みかけた夕日は、俺達二人の影を細長くする。影はフェンスの先まで伸びていて、首の辺りでぷつりと切れていた。
秀実ちゃんが最初に質問をする。

「私からいきます。1つ目、どうして先輩は妨害なんてしようとしているんですか?」
「織田のハーレムを作らせないためだ。こちらからの質問1、どうして俺が妨害していると知ったんだ?」
「先輩の行動を見ていれば分かります。それに、何度も思わせぶりなことを言ってましたから」
「ああ、そうだったな……」

秀実ちゃんと一緒に帰った日を思い出す。あの時の俺はこんなことになるとは思っていなかった。今だって信じられない。

「それでは2つ目、どこで先輩はこのゲームを知ったんですか?」
「先に俺からの質問、どこで秀実ちゃんはこのゲームを手に入れたんだ」
「……道端で拾いました」
「いつ?」
「質問の1つに数えますよ」
「いいぞ。それでいつだ?」
「この学園に入る前です」

秀実ちゃんが、この学園に入る前ということは4月より前になる。
つまり俺が佐藤尚輔となる前から、『School Heart』を知っていたことになる。
それが本当だったら、俺が彼女に初めて会った時には既に……。いや、今は考えないようにしよう。

「先輩は3つの質問が終わりましたね。では、私の質問に答えて下さい。どこで先輩はこのゲームを知ったんですか?」
「近所のゲームショップだ」

嘘は言っていない。それを聞いた秀実ちゃんは、眼を大きく開いた。

「……本当に?」
「同じ質問をしてもいいが、同じようにしか答えない」
「分かりました。続いて3つ目、先輩は『School Heart』を持っています?」
「持っていない。……俺からの質問4、秀実ちゃんはいつからこの世界に来たんだ?」
「……えっ、質問の意味が分からないんですが?」
「それならそれでいい」

本当に分かっていないようだった。普段から彼女の姿を見ている俺にとっては、それが演技だとは思えなかった。
どうやら秀実ちゃんは俺のようにこの世界に来たわけではなく、元からこの世界にいたらしい。
俺は残り1つ、秀実ちゃんは2つ。残された質問は少ない。最後は慎重に選ばないといけない。

「私からの質問その4。先輩は本当に佐藤尚輔なんですか?」

息が詰まる。今までにそれに気づいた人はいなかった。
松永にも明智さんにも、俺からその事実を言っただけだ。
どこで、気づいたのか? それを聞くか? 駄目だ、勿体無い。

「どうなんですか?」
「……違う。俺は佐藤尚輔であるが、佐藤尚輔ではない」
「やっぱり、そうなんだ。『であるが、ではない』とは、どういうことなんですか?」
「それは質問の1つになるぞ?」
「う~ん、それなら答えなくていいです。最後はとっておきにしなくちゃもったいないですから」

いよいよ互いに最後の質問になる。
数ある中から、最も重要な質問を選び抜く。
それを選んだ理由は直感だった。この質問をすることになったきっかけ。
俺は彼女が持っている『School Heart』を指差す。

「最後の質問。どうして、俺にそれを見せたんだ」

彼女が口を開くまで待ち続ける。
辺りは静かになっていた。部活動は既に終わっているようで校庭から人の姿は消えていた。
虫の声も聞こえない屋上では、既に体を溶かしてしまうほどの熱気はない。冷たい風が頬を撫でる。
俺は彼女と過ごした文化祭を思い出した。初めて彼女に弱音を吐いた日。
その時、彼女は弱い俺を受け止めてくれた。だから、俺は脇役であることを選べた。
もしあの時、俺があのまま腐っていたらこんな状況にはならなかったのだろうか。
彼女の口元が上がる。

「ふふふっ」

彼女は笑い出した。気味が悪い笑い方ではない。
嘲りではなく、おどけたように。心と腹の奥からこみ上げてくるような純粋な笑いだった。
彼女は先ほどの雰囲気とは打って変わって、嬉しそうな表情を浮かべていた。

「あははははははっ」
「なんで笑ってるんだ?」
「ごめんなさい……やっぱり私にシリアスな雰囲気は似合いませんね」
「……はぁ?」
「だって、先輩とこんな雰囲気になったことなんてなかったじゃないですか? ピリピリしてて、真剣勝負みたいな空気。
そうそう、西部劇に出てくるガンマンを思い出しちゃったんです。こう、先に一歩動いたら負けだぜ、みたいな。
……だから、今までと違ってちょっと楽しくて嬉しかったんです」

その秀実ちゃんの笑顔を見て、俺まで毒気を抜かれてしまった。
肩の力も抜けて、ふっと溜息がもれてしまう。

「それじゃ、最後の回答をしますね」

あどけない笑顔をしながら、秀実ちゃんは最後の質問に答えた。

「それは対等でいたかったからです」
「対等……? どういう意味だ?」
「ブブー! 駄目ですよ、先輩。それは6つ目の質問になりますからルール違反です」

沈んだ太陽の代わりに、いつの間にか空には月が浮かび始めた。
秀実ちゃんは両手を後ろで組んで、こちらに近づいてくる。
俺の足から頭の先までじっくりと見つめた後、ニカッと笑顔を見せた。

「先輩に謝らなくちゃいけないことがあります」

彼女は『School Heart』を手渡してきた。
懐かしいパッケージ。それは俺の知っているゲームに違いなかった。
ケースを開けた時、俺は声を上げそうになった。そこにあるべきはずのものがなかったから。

「そんなに驚かなくても大丈夫です。私が拾った時にはありました」
「それなら――」
「ゲームソフトは織田先輩に渡しました。だから無いんですよ」
「……」
「そして、織田先輩にハーレムルートへ進むように言ったのは私です」

質問をしていた時から薄々と感づいていた。
彼女はこの世界の決められたルールを知っていた。もしかしたら、俺以上に詳しいのかもしれない。
だから、織田と関わりを持っていてもおかしくなかった。それでも、簡単に割り切れない。
俺の弱い部分を受け止めてくれた秀実ちゃんが、織田伸樹の味方だったなんて……。

「今、言ったことは本当なのか……」

彼女は何も答えなかった。俺は秀実ちゃんの両肩を掴んで揺さぶりながら尋ねていた。

「なあ、答えてくれよ! 君が本当にしたのか!?」

どれだけ聞いても揺すっても彼女は黙ったままだった。

「お願いだ……。何か言ってくれないと、俺は君が嫌いになりそうだ」
「……ごめんなさい。全ては私が悪かったんです」

俺の手を払い除けて、するりと彼女は通り抜けた。
彼女の結ばれた横髪が俺の視界を遮り、そして流れ落ちていく。
彼女は扉の前で立ち止まり、ドアノブに手を掛けたところで振り返る。

「私からの最後の質問をします。……先輩は私のことが好きですか?」
「答えないといけないのか」
「質問をし合う前に決めたはずです。黙秘権は無しだと」
「俺は君のことが嫌いじゃない。けれども今は――」
「……そうですよね。あんなこと言ったら嫌われるだけですよね」
「ち、違う。戸惑っているだけで君を嫌っているわけじゃない」
「もう、いいんです。……やっぱり先輩は優しいです。私はそんな優しい先輩が大好きでした。それじゃあ、今までありがとうございました。さようなら」

それだけ言うと、彼女は扉を開けて屋上から消えた。
一人ぼっちになった俺の手元にはソフトのないゲームケースがある。
月が俺を嘲笑うかのようにじっと見つめていた。





次の日の放課後。
俺は明智先輩のいる図書準備室に向かった。
必要好感度を考慮すると、妨害を進める相手は羽柴秀実と明智美鶴の二人しか残っていない。
しかし、先日あった出来事を思い出すと秀実ちゃんを相手する自信がない。
もちろん、そんなより好みできるような状況ではないことは分かっている。
図書準備室の扉を力なく三回ノックした。
明智さんとお茶でも飲みながらゆっくり考えようと思っていたが、扉の向こうから声が聞こえない。
不在なのだろうか。もう一度ノックをしてみた。

「明智さん、俺です。入れてください」

準備室の中から人が動いた音がした。なんだ、明智さんいるじゃないか。
ドアノブを掴んで中に入ろうとした時、彼女の声が聞こえた。

「……すみません。今日のところは帰ってくれませんか」

消えてしまうような弱々しい声だった。

「はい、分かりました……なんて言えません。入れてください」
「嫌です……」
「俺も嫌です。入れてくれるまで俺は扉の前に居座りますよ」
「……分かりました」

無理矢理という形で了承を得た俺は、扉を開いて中に入った。
大きめな椅子に座っている明智さんは、顔を隠すように本を読んでいた。
ただし、本当に本を読んでいるのか分からなかった。
部屋の中はカーテンを閉めきっており、こんな暗さで本を読むことはできないからだ。

「明かりをつけた方がいいですよ。こんなに暗いと――」

本すら読めないと続けようとしたが、俺はその言葉を飲み込んだ。

「どうして泣いているんですか……」
「ごめんなさい、私が悪いんです」
「……謝る前に、理由を話してくれませんか?」
「私は貴方から預かった日記帳を捨ててしまいました」

軽い目眩がした。
キーホルダーを捨てるというイベントを阻止する代わりに交換した日記帳。
考えが浅はかだった。キーホルダーは過去の思い出を象徴するものとして投げられるはずだった。
だが、あのイベントはキーホルダーを捨てることが重要ではなく、過去との決別が重要だったのだ。
だから、思い出という点なら日記帳でも十分代わりに成り得た。
どうしてそこまで頭が回らなかったのか、悔やみきれない。

「取り返しのつかないことしてしまいました……。彼に、尚輔に顔を会わせられません」
「……すみません、俺のせいです。そうなる可能性があったのに、至らなかった俺が悪いんです」
「いいえ、違いますよ。結局、投げたのは私自身ですから」

そう言われてしまい、返す言葉を失った。
けれども、俺は断じて明智さんのせいだとは思わない。
ゲームのことを伝え、守ると言って、それでも何もできなかった俺の方が悪いに決まっている。
しかし、そんな事を口にしたところで明智さんは納得しないだろう。その事が分かっているからこそ、余計に心苦しさを感じた。
明智さんは顔を隠していた本を置いて、こちらをじっと見た。涙の跡が見えた。

「……すみません。やはり帰ってもらえませんか」
「どうしてですか?」
「貴方は尚輔と同じ顔をしています。貴方がそこにいるだけで、彼が私を責めているように思えるんです。
そんなことを彼がするはずがないのに……。私はどうかなってしまいそうです」
「そんな……」
「ごめんなさい、これは私の我儘です。できれば、もう私は貴方と会いたくありません」

思わず俺は自分の顔を撫でた。この世界に来てからもう一人の自分として受け入れた顔。
納得していたのは俺だけで、本当の 佐藤尚輔を知っている彼女には受け入れがたいものだったのだろう。
それはこの前の出来事からも分かることだ。
でも、彼女は俺が佐藤尚輔と成り代わったことを一度として責めなかった。
だからこそ、彼女から初めて拒絶を見せられたようで『会いたくありません』という言葉が重く伸し掛かる。
奥歯を噛み締めて、俺は扉に向かう。準備室に出る直前になって明智さんが声を掛けてきた。

「最後に一つだけ、織田伸樹は貴方がどう妨害するのか知っているようでした。もしかしたら協力者がいるのかもしれません。
ごめんなさい。これぐらいしか伝えられなくて……」

それは既に知っていることだった。協力者はゲームソフトを渡した羽柴秀実だ。
その事実を更に突きつけられて、泣きそうになるのを無理して微笑んでみせる。

「……情報ありがとうございます。それでは」

扉を開けて、外に出る。もう図書準備室には来ないだろう。

「さようなら、明智さん」
「さようなら、もう一人の尚輔」






時間だけが残酷に過ぎていく。
何をしても、何もしなくても、一分一秒進んでいく。
最後の一週間が終わった。






1学期の終業式が終わり、学生たちは夏休みを迎える。
そして、夏休み初日。
ゲームではルートが確定するその日、俺は学園に繋がる坂を歩いていた。
桜の木の下で、織田伸樹とそのルートのヒロインが会う。
つまりハーレムなら、全ヒロインが桜の木に集まっていることになる。
一人でも欠けていたなら、失敗だ。それが俺の求めるこのゲームの終わり方。
坂を登りきると、桜の木の下には織田伸樹と数人の影があった。
柴田加奈、織田市代、斉藤裕、明智美鶴……そして、羽柴秀実。ヒロイン全員が集まっていた。
織田伸樹はハーレムルートの確定に成功した。
俺はその場で膝をついた。目の前で行われているルート確定後のイベント。
そのやり取りは俺の知っているものと、寸分の狂いなく進められていく。
やがてイベントが終わり、ヒロインたちは桜の木から去った。
桜の木の下に一人だけ残っていた織田は、こちらに近づいてきた。

「佐藤君、どうしたんだい?」
「……お前は、成功したんだな」
「そうだよ。君が知っているように僕はハーレムルートに入った。後は何があっても悪いようにはならないよ」

織田は優しく微笑む。彼は決して俺を見下すような態度を取らない。

「これを君にあげる。もう僕には要らないものだから」

ポケットから取り出したのは透明なプラスチックのCDケース。そこに『School Heart』のソフトが入っていた。
それだけ渡すと、織田も学園を去っていった。
現実感がなくなる。
照りつける太陽も、青々しい桜の木も、俺自身も、作りものであるように思えた。
それを否定するようにアスファルトに向かって拳を叩きつけると、皮が捲れて血が出た。
生きてる。だから、痛い。血も出る。でも、この世界は作られたものだ。
これはゲームだから、プログラムされたように決められた道にしか進めない。
俺は脇役。主人公の働きを遠くから見ているだけの傍観者。
『School Heart』は、まだしばらく続く。

その現実に俺は絶望した。



[19023] 第二十三半話 ~桜の樹の下から~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/07/16 00:54



その現実に俺は絶望した。








正しい主人公の倒し方 第二十三話半
 ~桜の樹の下から~










物語の始まりは、この桜の木の下から。

緑の葉を生い茂る桜の木は、大きく、そして静かに、俺の前に立っている。
木の下から見上げると、視界が緑で覆い尽くされて青い空が全く見えない。
それが綺麗だと思う反面、自分の価値を問われているようで、気味が悪くなった。
人を魅了するだけの価値が、この桜の木にはある。
それでは、自分はこの世界でどれほどの価値を持っているのか。
いくら考えたところで、この桜の木には追いつけなかった。
気味悪さは吐き気へ変わる。
自分がこの世界に来てから、してきた事を思い出して憂鬱になる。
どれだけ足掻いても、俺は遂に主人公に追いつくことはなかった。
舞台に立とうとしても、あらすじを知っていたとしても、俺にスポットライトが当たることは一度としてなかった。
1学期が終わった。けれども、2学期、3学期とこのゲームはまだまだ続いていく。
そして、ゲームを終わっても俺はこの世界に存在しなければいけないのだろうか。
葉桜は、そんな俺を見下すかのようにそびえ立っている。
しかし、もう恐れる必要はない。
俺に価値がないのなら、この桜の木も同じように価値が無くなればいい。

物語の終わりは、この桜の木の下で。

グッドエンディングを迎えた主人公とヒロインはこの桜の木の下で将来を誓い合う。
どの終わり方においても、それは共通した終わり方だった。
これが俺の最後の妨害になるだろう。
俺が準備してきたものは3つ。ポリタンク、新聞紙、ライター。
ポリタンクのキャップを開けて、ガソリンを桜の木に浴びせかける。
新聞紙は雑巾のように絞り、ライターで火をつけて松明代わりにする。
そして、これを近づければ桜の木は無くなる。

「何をしているんだ!」

いよいよ、着火だという時に教師が現れた。
急いで桜の木に近づけようとしたが、新聞紙に点いていた火が消えかかった。
慌ててもう一度ライターで火をつけようとするが、中々上手くいかない。
教師が俺を羽交い絞めにする。自棄になった俺は、新聞紙を桜の木に投げつけた。
新聞紙は放射線をえがき、ガソリンをかけた場所に落ちる。
そして、着火。一瞬で燃え広がる。

「な、なんてことをするんだ!」
「……いいぞ。燃えろ。燃え上がって、全てが無くなってしまえ」

しかし、桜の木は焼け落ちなかった。
突然、ポツポツと降りだした雨。気がつけば、周りが見えなくなるほどの豪雨へと変わった。
見る見るうちに火の勢いは弱まり、やがて消えた。
俺は教師に取り押さえられながら、立ち昇る煙を力なく見上げた。
煙は空へ向かって上がり、次第に見えなくなっていく。

こうして、俺の最後の妨害は呆気無く終わった。



[19023] 第二十四話 ~諦めは毒にも薬にも~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/08/06 10:35


失敗を語れる人間は、幸福だ。
往々にして失敗を語れる人間とは、成功している人間だからだ。
桜の木を燃やそうとしたことで、俺は謹慎処分を受けた。夏休みの間と二学期の頭から一週間ほどの自宅謹慎。
後になって聞いた話だが、渡辺先生の口添えによってこれでも処分は軽くなった方らしい。
ありがたいと思う気持ちはあったが、もはやどうでも良いと思う気持ちの方が大きかった。
気がつけば、夏は過ぎ去っていた。
家にあるカレンダーを捲り忘れることも多くなり、一週間ほど気が付かなかった時もあった。
溜まってしまったカレンダーをゴミ箱に捨てていく度、あの時俺を動かしていた気持ちが消えていく。そんな気がした。
『諦め』という感情がこれ程便利なものだと知らなかった。









正しい主人公の倒し方 第二十四話
 ~諦めは毒にも薬にも~










「そういうことで、体育祭の出場種目はこれでいいですか?」

織田が教壇に立って、クラスから意見を求めていた。
九月も残り数日となり、十月には体育祭が始まろうとしていた。
黒板には体育祭の種目とそれに出る生徒の名前が書かれている。

「良くない!」

一際大きな声が教室に響き、織田は怪訝そうな顔をした。元気良く否定したのは柴田加奈だった。

「体育祭最後の大舞台リレー。それなのに、なにさこのメンバー。伸樹、あんたの人選はなってない!」
「……どうすればいいのさ」
「とりあえず、私が考えたメンバーに変えて」

織田は溜息をつきながら柴田さんが書いたリストを見る。そして、もう一度溜息をついた。

「これ本当にやる気なの?」
「当たり前にして自然、略して当然。陸上部のエース、柴田加奈が選んだメンバーに狂いはない!」
「僕は50mのタイムを参考にして、選んだのに……」
「だめだめ、そんなんじゃ。リレーは個人ではなく集団競技、そして体育祭の大取。勝負強い人を選ばなくちゃ」

織田はリストを見ながら、そこに書かれているメンバーを渋々と黒板に書いていく。
それが全て書き終わった時、俺は驚いて目を大きく開いた。メンバーの中に、佐藤尚輔という名前が入っていたからだ。
俺のことはさておいて、黒板に書かれていくメンバーは柴田さんの言うように、ここ一番で活躍できそうなクラスメイトだった。
メンバーを見て、これも有りなのではと納得しているクラスメイト。どうだ! と言わんばかりに柴田さんは得意顔をしていた。

「……でも、やっぱりこれは却下させてもらうよ」

黒板に書かれた名前を見返して、織田は言った。
柴田さんは『はあ?』と『えっ?』が両方混ざったような。

「はぇっ?」

という謎の声を上げた。それから不満そうに両手を組みながら、織田を睨みつけた。

「この柴田ジャパンに何が不満なの? はん、さては自分が外されたことが嫌なわけね。仕方ないわよ、伸樹はここぞという勝負に弱いから」
「違うよ。体育祭の出場規約に反していたからだよ。加奈は覚えてる?」
「え~と、ピッチに立てる海外選手数は三名まで?」
「……そんな規約はないよ」

織田は赤チョークを持った。
新たなリレーメンバーとその前に書いた出場種目を見比べて、被っている名前に下線を引いた。
すると、柴田さんの構想しているメンバーは他の種目と多くの被りが出てきた。
俺の名前にも赤線が引かれ、リレーに出ると全部で4種目出場することになった。

「今年度の体育祭は、一人につき3種目までしか出れないんだ」
「ああ~、あったね。そんな面倒くさい規約。なら、被ってる人は他の種目へ移動すればいいじゃん」

ぶすっとしている柴田さんを無視して、織田は全体への説明を始めた。

「例えば、リレーに佐藤くんを入れてしまうと人力車競争や綱引きで代わりが必要になる。
けれども、これらの種目には佐藤くんのような力強い人が必要になる。そうなると、代わりを探すのは難しいんだ。
リレーは大取だけど、他の種目での得点も疎かにできない。この人選だと佐藤くんの他に鈴木くんや橋本くんも代わりがいなくなる。
だから移動はできないと考えたんだ。それで、どうかな加奈?」
「うう~ん。悔しいけど……納得」
「後付けになるかもしれないけど、始めのメンバーの方が全体的なバランスもいいんだ。
書いたり消したりして混乱させてしまったかもしれないけど、僕はこのメンバーでいきたい」

織田の言葉にクラス全員が頷いた。一波乱あったが体育祭の出場種目はこれで決まりのようだ。

「佐藤くんもそれでいいかな?」

突然、織田はこちらを向いて訊ねてきた。意外にも俺は、早く反応することができた。

「その通りだな。やっぱり織田の言う通りだ。俺はメンバーから降ろさせてもらう」
「ありがとう。それじゃあ……もう時間だね」

丁度チャイムが鳴り、ロングホームルームの時間が終わった。
終了の挨拶をして休み時間に入ると、教室はそれまでの雰囲気と違って、徐々に賑わいを見せる。
その中で俺は先ほどの言葉を思い出した。
――その通りだな。やっぱり織田の言う通りだ。
その言葉は、ゲーム中にある数少ない佐藤尚輔の発言だった。
もしかしたらゲームの流れを変えるチャンスだったのかもしれない。
けど、変えたところでどうする? 俺はもう諦めたんだ。なら、どうでも良いことじゃないか。
気分を変えるため、俺は缶ジュースでも買いに行くことにした。
廊下に出てしばらく歩き、T字を右へ曲がると織田市代と羽柴秀実がいた。
羽柴秀実はこちらに気がついたようだったが、俺は下を向いて通り過ぎた。
通り過ぎた後でも、背中に視線を感じたが無視をして歩き続けた。
そして、自動販売機前に着くと先客がいた。
後ろ髪を左右に纏めており、色は染めているのか金色に近い。本人曰く染めてはないと言っていたが、真相は分からない。
彼女の気の強そうな一重の眼は、俺をじっと見続けていた。
俺は顔を逸らして通りすぎようとしたが、彼女は俺の腕を掴んできた。

「久しぶりね……挨拶もしないの?」
「こんにちわ、松永さん。お久しぶりですね。……これで満足か? 満足したんだったら、この手を離せ」
「満足するわけないじゃない。最近の調子はどうなの?」
「最悪の時よりマシだ。……健康診断をしたいわけじゃないよな」
「ええ、もちろんだわ。久しぶりに会ったんだから、あなたと話したいの。時間もらえる?」
「嫌だと言ったら?」
「泣いて、喚いて、叫ぶ。問題児と優等生、教師はどっちの味方をするのかしら」
「ちっ……分かった。どこへでも連れてけ」

仕方なく了解する俺を見て、松永はちょっとだけ白い歯を見せた。
缶ジュースを買うことを諦めて、松永の後を着いて行く。
階段を上り、彼女が入ったのは自習室だった。妨害について話していた時以来、来ていない。
松永と俺はその辺にある椅子に座った。

「休み時間は10分しかない。手短に頼む」
「それは妨害のために一日授業をサボっていた人が言う台詞?」
「……」
「ふぅ、本当につまらない男に成り下がったみたいね」

松永が放つ安っぽい挑発。
それに対して、俺は顔色一つ変えなかった。
意地で無表情でいるわけでない。本当に何も感じなかったからだ。
そんな俺の態度が気に食わないのか、松永は舌打ちをした。

「感情が高ぶっている相手なら扱い易いわ。何もしなくてもアクションがあるから。けれども、今のあなたは最高にやりづらい相手よ」
「俺はお前と話したくもないからな」
「私だってできれば、今のあなたと話したくないわよ。……それで、あなたはこのままでいいの?」
「いいに決まってる」
「そうやってすぐに決めつける……。ああ、こういう手合いは本当にやりづらいわ!」

松永は自分の髪をくしゃくしゃと両手で掻き始めた。
しばらく「ああでもない」「こうでもない」と呟いた後、ピタリと動きが止まった。
顔を上げて、こちらを見てきた。その顔は何故か笑顔だった。天使の微笑みというより悪童の笑みだったが。

「佐藤……。私はあなたと一緒に妨害を考えていた時が最高に楽しかったわ。
世界にある不思議と真っ向から戦っている感じ。あの時の私は誰にも負けない自信があった。
あらゆる角度から物事を見て、考えて、判断する。あの時はどんな事も許される気がした。だから、調べ尽くした。
けれども、あなたの妨害が終わった後はあの時ほどの興奮に出会えない。当然と言えば、当然よね。……今の私が何をしているのか知りたい?」
「……いや、知りたくない」
「そこは知りたいとか頷くとかするところよ」
「知ったところで、俺に一銭の得もないからな」
「会話には流れというものがあるでしょ。少しは読みなさいよ」
「お前相手に必要なのか?」
「あなた、本当は落ち込んでなんていないんじゃない。私をおちょくりたいだけじゃないの。そういう気がしてたわ。楽しんでない?」
「若干な」

そんなふざけた俺の態度に怒るだろうと思ったが、松永は何も言わなかった。
それどころか松永は笑っていた。先程とは違う。子を見守る母のような優しい微笑みだった。

「あなたの笑顔、久しぶりに見たわ」
「……笑顔とか、そんなの自分だとしているのかどうか分からないな」
「笑顔なんてそんなもんよ。自分だと分からないことが、この世界にはありすぎるのよ」

そう言うと、松永は椅子から立ち上がり窓を開けた。秋の肌寒く寂しい風が教室内に入ってきた。
松永は窓の冊子に手を掛けて、空を見上げた。小さく纏まりのないうろこ雲が漂っていた。

「それで、今の私が何をしているか分かる?」
「分からない。何をしてるんだ?」
「……私はね、何もしてないの。ううん、違う。何もできずにいる。
例えるなら、一等賞が当たらないクジを引くようなものよ。私は当たらないクジをわざわざ引くような馬鹿じゃないわ。
どんな事をしても、あの時感じた興奮を味わえないことが分かっているから。私は何もできなくなった。
結局はあなたと同じなの。あの夏が終わってから、私は何もできない女になったわ。どう責任取るのよ、パートナー?」
「その責任は俺が取るべきなのか?」
「取るべきね。今日まで放置した分の利子。それとあの時の協力料を含めて」
「嫌だと言ったら?」
「待つわ。あなたが支払ってくれるまで待ち続ける。けれども、利子は増えるわよ」
「……それじゃあ、待ってくれ。いつか支払うかもしれないから」

そのいつかは来るのだろうか。長く、遠く、永遠に来ない気がした。

「そろそろ体育祭が始まる季節ね。ねえ、佐藤はリレーに出場しないの?」
「しない……。俺はもう何しないと決めたんだ」
「せっかく大きなイベントになるのに、何もしないんだ。つまらない男だわ」
「悪いな。俺は何もできずにいるお前とは違うんだ。俺は何もできない男なんだ。だから、俺に期待するな」

俺は椅子から立ち上がり、自習室から出た。
こんなに人と話したのは久しぶりかもしれない。
十歩くらい進んだところで、後ろから声が聞こえた。

「……この意気地なしーー!!」

ああ、その通りだよ。






次の授業は参加する気分になれず、俺は屋上でサボっていた。
フェンスから見下ろしたグラウンドでは、クラスメイトたちが体育の授業を受けていた。
やはりと言うべきか、この授業でも織田は活躍をしていた。
ソフトボールを持って、大きく振りかぶり投げる。ほら、クラスの中で一番遠くへ跳んだ。
しばらくぼうっと見ていたが、織田が活躍する以外大した変化もなく次第に飽き始めた。
少し早いが、昼食でも取ることにしよう。
屋上階段を降りて学食へ行く途中で、なんとなく図書室の方を見た。
すると、無用心に準備室の扉が開きかけていた。もしかしたら、明智さんがいるのかもしれない。
あの人は今どんな気持ちでいるのだろうか。そう思い、足先を変えようとしたところで思い止まった。
……明智さんに会って、俺は何をしたいんだ。久々に松永と話したせいか、変な気持ちが湧いたのだろう。
二回ほど人差し指で頭を掻いた後、本来の目的地である学食へ向かった。
授業終了前に学食に着いたので、生徒の数は少なかった。普段なら滅多に座れない隅の席を取る。
注文したカレーを前に、手を合わせてから食べ始める。変わり映えしないつまらない味だ。
水を飲みながらゆっくり食べていると、学食は段々と混んできた。
気がつけば前の席も、横の席も、埋まっていた。
カレーを半分ぐらい食べた頃、前の席で担々麺を食べている生徒が俺に話しかけてきた。

「よっ、久しぶり」
「……教室で毎日会ってるじゃないか」
「違う、違う。こうやって一緒に食べることが久しぶりなんだぜ」

一緒に食べようと誘った覚えはなかった
石川が休学してから俺と田中は一緒にいることが少なくなった。
どちらが意識して避けていたわけでもなく、自然と互いの気持ちが離れていた。
しかも、俺には謹慎処分を受けた負い目がある。だから、田中を無視をしてカレーを食べ始めた。
それでも、田中は構うことなく俺に喋りかけてきた。

「どうして今日の体育サボったんだよ? お陰で二人組の時にぼっちだったぜ」
「……すまん。気分が悪かった」
「あー、そういう日あるな。オレも勉強なんてやりたくねえ気分になること多いぜ」
「それはいつものことだろ」
「ははは、確かにそうだな」
「なあ、田中……あまり俺と一緒にいない方がいいんじゃないか」
「なんで?」
「周りから良い目で見られないからな」

人の噂が七十五日で終わることはない。桜の木を燃やそうとした馬鹿な奴。
今の俺は物好きな奴から見たら恰好の餌であり、露骨に指さしてこちらを見る生徒もいる。
生徒だけではない。あの日を境に、教師まで俺を見る目が変わった。

「気にならないぜ、と言ったら嘘になるけどよ。心境の変化ってやつがあったんだよ」
「……何があったんだ」
「ところで、佐藤は好きな人がいるか?」

質問に質問で返された。田中の質問に考える素振りを見せるが、答えは決まっていた。

「今は……いないな」
「実はオレもなんだよなー」
「滝川さんはどうしたんだ? もしかしてフラれたのか」
「フラれてねえよ。なんつうか、いまいち熱くなれないんだよな」
「どうしてだ?」
「あいつがいねえからだと思う」
「あいつ?」
「石川」

久しく見ていない友人の思い出す。想像上そいつは、口元をつり上げて笑っていた。

「オレは石川のことを尊敬してたんだよ。アイツが柴田さんにアプローチする姿を思い出してみろ。
かっけーんだよ。自分の気持ちを素直にブツケていたアイツの姿がよ。だから、オレも自分の気持ちに素直でいられた」

清々しくなるほど愚直な想いを持つ石川。
彼の姿を思い出すと、心の奥で燻っていた想いが再び燃え始めた。
次第に微かにだが、その想いは熱くなっていく。
だが、俺はいつものように蘇りそうになる感情を無理矢理抑えこんだ。
蘇った感情は毒にしかならない。薬になることは有り得ないからだ。

「今でも滝川さんのことは好きだけど、気持ちがシャッキンとしないんだ」

言いたいことを言い終えたのか、田中は毒々しいほど赤いスープを啜る。

「それで、お前の恋愛と心境の変化がどう結びつくんだ?」
「第一の理由は、佐藤にこのモヤモヤを話してスッキリさせたかった。お前らとしかこういう話できねえし。
色々とリセットしたかったんだ。2学期に入ってからオレたちの仲もギクシャクしていたからさ。
それと、第二の理由は――」

田中の話を聞いていると、誰かが俺の肩を叩いてきた。
振り向くと、想像上の姿と全く変わらない笑い方をした男が立っていた。
もう言わなくても分かるような第二の理由を、田中は言う。

「石川が帰ってきたからだよ」
「久しいな、佐藤尚輔。連絡が遅れてすまなかった。本日付けでこの石川本一は復学をする」
「……そうだったのか」

石川は俺を値踏みするかのようにジロジロと見た。
そして突然、拳を向けてきた。狙いは俺の右頬。咄嗟には避けれず直撃した。
倒れそうになるが、左手で押し留まる。すぐさま振り返って、石川を睨みつける。
石川は腰に手を当てて、初めて見た時変わらない傲慢さのある笑みで俺を見ていた。
周りにいる生徒が騒ぎ始める。

「どういうつもりだ、石川」
「どうもこうもあるまい。腑抜けた奴の目を覚まさせるのも、親友の役目であろう」

田中が暗い声でぽつりと呟いた。

「……わりい、オレが石川に事情を話したんだ。今のお前はさ、こう見ていて痛ましいんだよ」

俺は唇を噛み締めて、眼を閉じた。

「どうした? 何もしてこないのか?」
「何をするのも俺の自由だ。関わらないでくれ」
「ふん、見下げ果てた奴だ。大方、何かに失敗して自暴自棄になっているだけだろう」
「それが悪いのか」
「悪い。諦めは自己満足にしか過ぎないことだと悟れ」
「それぐらい分かっているさ」

俺は笑った。自分でも分かる卑屈な笑みだった。
この状況まで追い込まれて、友人たちからは同情される。
みっともない俺にはお似合いの笑い方だったと思う。

「佐藤よ。自分を蔑むのは止めろ」
「いいんだ。これが俺だから」
「それならば、何故拳を固めている」

膝下で、握りしめられた拳が震えていた。

「俺の言葉を気にしないなら、耐える必要はない。俺が気に入らないなら、その拳で殴れ。それで終わる」
「……殴らない」
「先程俺はお前を殴った。今度お前が殴れば、それで帳消しになる。さあ、殴れ」

石川は胸倉を掴みあげて、俺を立たせた。
それを見ていた田中は、慌てて引き剥がそうとする。
学食で喧嘩まがいのことを始めている俺達は注目の的となっていた。

「佐藤、お前が俺に初めて掛けた言葉を覚えているか」
「織田に負けた理由だったか?」
「違う。『そんなとこにいたら風邪引くぞ』だ。他人を気遣いながら自身が濡れている。俺は阿呆がいると思った。
だがな、その阿呆の眼には執念の色がちろちろと燻っていた。口先で仕方ないと言いながら、本心は隠せていない。だから、俺はお前に興味を持った」
「そんなこともあったな」
「お前はあの時から変わっていない。我故に我を殺すな。お前はこの程度で立ち止まる男でないはずだ」
「…………はは、そんなこと言われたら――」

安っぽい同情なんかじゃなくて、本気で心配してくれている。
嬉しさと同時に心苦しさが込み上げてくる。

「ありがとうな、二人とも。でも、もう遅いんだよ……。俺ではどうにもならないことなんだよ」

俺は石川の手を振り解いた。
そして、背を向けて学食を出ようとすると、肩に手を乗せられた。

「……佐藤よ。一つだけ言っておく。世の中には、石が流れて木の葉が沈むことも有り得る」
「道理が逆になることか。それがどうしたんだ?」
「機を待て。お前が俺たちを求めるなら、いつでも助けに行こう」
「ああ、そうだぜ。頼りねえかもしれねえけど、いざって時は頑張るぜ」

友人二人の言葉に、俺は頷き返した。
蘇りそうになる感情を抑えつけずに、学食を後にした。
これからのことついて、考えはない。
諦めるにしろ、足掻くにしろ、俺の今後を決めるのはもう少し先になりそうだ。
だから、俺はまずはあれから始めよう。
『School Heart』―-織田から渡されたそれをプレイする時が来たようだ。
自分の進むべき道をゲームに委ねる。
そんな馬鹿げたことを真面目にしなければならない。

毒でも薬でも飲み干す覚悟がようやくできた。



[19023] 第二十五話 ~物語の始まり~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/08/15 22:41

「――――さい」

遠くで声が聞こえた。
この声はきっと俺を呼んでいるものだ。
でも、駄目だ。温かい蒲団は俺を掴んで離さない。
ああ、憎い奴だ。憎いが、この温かさと優しさを俺も手放したくない。
開きかけた目を瞑って、再び意識を沈ませていく。

「いい加減起きてください、兄さん。……セイッ!」

次の瞬間、俺は腹部に衝撃を受けた。
痛みのあまり眼を開けると、俺の腹に肘を乗せている少女がいた。
完全に眠気が吹き飛んだ眼を擦りながら、彼女の姿を見る。
あどけなさが残っているが、ところどころ大人っぽい顔立ち。
肩よりやや伸びた青掛かった髪の左側はピンで留められている。
俺の通っている学園と同じ制服を着た彼女は、俺の顔を見てきた。そして、満足気に笑う。

「おはようございます、兄さん」
「……誰だ、お前は?」
「あらあら、まだ夢の中のご様子で。貴方の妹、佐藤市代を忘れてしまったのですか?」

なんだ、それは。混乱する頭を必死に落ち着かせようとする。俺に妹なんかいただろうか。いや、いないはずだ。
もう一度彼女をしっかりと見る。どこかで見たことがある顔だ。
しばらくして思い浮かんだのは織田伸樹の妹、織田市代だった。
目の前の彼女も織田市代と似てはいるが、織田市代が俺の家にいるはずはない。
ここは佐藤尚輔が一人暮らししている家なのだから。

「なんで、いるんだ……」
「妹が兄と同じ家にいるのは当たり前です。それと、そんなにまじまじと見ないでください。……は、恥ずかしいです」
「すまない。ところで、君は――」
「おっはよー! なおっち起きてるかー!」

ドアが突然開かれた。元気な挨拶と共に入ってきた女。
今度は俺が知っている人だ。織田の幼なじみである柴田加奈。
彼女はポニーテールを揺らしながら俺のベッドの近くまで来た。
大して親しくもない彼女が、どうして俺の部屋に来たんだ?
第一彼女たちはどうやって家の中に入ったんだ?
昨夜、玄関の鍵は確かに閉めた。戸締りはしっかりしていたはずだ。それなのにどうして?
まだ少し痛む腹を摩りながら、いくつもの疑問が浮かんでくる。

「あら、加奈さんおはようございます。今日もお早いですね。でも兄さんを起こすのは私の仕事ですから、もう来なくていいですよ。帰ってください。ていうか帰れ」
「いやいや、なおっちは私の幼なじみだから私が起こさないと」
「いいえ、結構です。ほら、貴方が来たから兄さんも迷惑しています」
「迷惑というよりは、状況が理解できなくて混乱しているんだが……」
「ほうら、妹だからって兄のこと理解できていないじゃんか。なおっちはね、いっちゃんが起こしたから困っているんだよ」
「そんなはずがありません! 私が兄さんを困らせるような真似をするわけないじゃないですか」

気がつけば、勝手に彼女たちは睨み合っていた。肉体的ではなく、精神的な意味で腹が痛み出しそうになる光景。
それを俺はパジャマのままベットの上で眺めることしかできなかった。

「ねえねえ、どっちが起こしてくれた方が嬉しい? モチのロン、私だよね」

そう言ってから、柴田加奈は俺に抱きついてきた。
突然押しかかってきたので、二人一緒にベッドに倒れてしまう。
柔らかい感触の何かが二つ。ふわふわ。いや、ふにゃん? とくにかくパジャマ越しでも伝わってくる柔らかさ。
これは仕方ない。たまたま起きてしまった偶然の産物だ。故意ではない。ゆえに、俺は悪くない。
悪くないはずなのに、鬼如き形相で睨みつけてくる女がいる。

「兄さんから離れなさい! この馬鹿女!」
「いやだよー。これは意味がある行為なんだよ。こうして私が抱きついて幼なじみ成分を補給しておかないと、なおっちがヤバいわけですよ。
授業中にエネルギー切れを起こしたら大変じゃん。当然、私の補給も兼ねているけどね」
「だったら、早くそこを退いて下さい。そんなものがあるなら、兄さんには妹成分も必要なはず」
「うわ、そんなもんあるわけないじゃん。なに信じているのさ」
「ムキーッ!」

ついには、キャットファイトを始めだした二人。
状況が飲み込めない内に、なにやら大変なことになっている。
とりあえず何とかしないといけない。適当な口実を考えて、争っている二人に言った。

「あの……着替えるから二人とも部屋を出てくれないか」
「了解! じゃあ、私は下で待ってるねー」
「朝御飯はいつものところにありますから、着替えたら食べてくださいね」

意外と聞き分けが良かったことに安堵する。二人が部屋を出て行くと、急に静かになった。
改めて部屋の中を見渡しても、そこは間違いなく俺の自室だった。
机の上は昨日開いた教科書がそのままだし、家具の位置も変わらない。
いくら頬をつねっても覚めないのは、夢ではない証拠だからだろうか。
下の階から彼女たちの騒ぎ声が聞こえてきた。急いで着替え、俺は一階に行くことにした。

「いったい、何が起きているんだ……」

織田が俺の妹だと言った。
柴田加奈は俺を幼なじみだと言った。
本来その役割は、織田伸樹だ。それなら、彼はどこにいるのだろう。
状況を理解しようとするため、ゆっくりと階段を下りていく。
二段ほど下りた時、背後に人の気配を感じた。振り返ろうとすると、背中を押された。
足が前に進む。踏み込んだ先に、足場はない。一秒に満たない短い時間の中で、自分の体が落ちていくことが分かる。
そして、落下。階段に胸を打ちつけて、次に頭をぶつける。体は、衝撃を受けながら一階まで転がり落ちていく。
最後に背中を床に打ちつけて、ようやく止まった。助けを呼ぼうとすると、胃液が込み上げきた。
吐き出すために立ち上がろうとしたが、体の節々から悲鳴を上がった。結局、吐き出すこともできず、首を横に向けて口の隙間から垂れ流す。
気持ち悪さと痛みで視界がぼやけてくる。そして、胃液の酸っぱさに我慢できなくなった時、俺は眼を閉じた。
遠くで声が聞こえた。あれは彼女たちの悲鳴だろうか。







正しい主人公の倒し方 第二十五話
 ~物語の始まり~







蒲団を跳ね除けて、体を起こした。

「はぁ……はぁ、はぁ…………」

右手で心臓の辺りを掴みながら、周囲を見渡す。
電気がつけられていない自室。昨日寝た時と変わっていない。
織田市代も柴田加奈もこの部屋にはいなかった。
寝汗がまとわりついたパジャマは既に冷たくなっていた。
時刻は4時20分。まだ太陽は昇っておらず、鳥の声も聞こえない。
気持ち悪さは若干あるが、体の痛みはどこにもなかった。

「なんだよ……。驚かさないでくれよ」

どうして、こんな夢を見たのだろうか。
答えはすぐに分かった。俺はつけっぱなしになっているゲーム機を見た。その隣に置かれているのは、恋愛シミュレーションゲーム。
昨夜、俺は『School Heart』をプレイしていた。どこまで進めたのかは覚えていないが、学校から帰ってきた後ずっとやりこんでいた。
そして、あんな夢を見てしまった。
のそりとベッドから立ち上がってゲーム機のところまで行く。
ゲームケースを開けてディスクを取り出した。ディスクを両手で持って、じっと一分ほど眺める。
キャラクターが描かれた方を表にして、両手に力を加えていく。ディスクが少しずつ曲がっていく。

「……いや、止めておこう」

ディスクを再びゲームケースにしまいこんだ。
昨日、ゲームをプレイした目的は『佐藤尚輔の登場』を確認するためだった。
2学期以降、シナリオに関われそうな場面を探してみた。
結果、登場場面は二回あった。1つは、この前あった体育祭の出場種目決め。
そしてもう1つは、期待していたものから大きく外れていた。
『そういえば、夏休みの間に謹慎処分くらった奴がいるんだってな』
クラスメイトの何気ない会話場面に出てきたのを最後に、佐藤尚輔はシナリオに関わらなくなった。
希望があるとすれば、俺がプレイしたのはハーレムルートでないことだ。
ルートが確定する前にバッドエンドに入ってしまったため、仕方なく他のルートをプレイした。
だが、それでも少なすぎだ。佐藤尚輔はゲームに関わることは、ほぼ無いと言っていいだろう。
もう既にこの世界から用済みなのではないかと思ってしまう。それならいっそ、この世界から消えてしまいたい。
俺は暗い部屋の中で何もせず、学校が始まるまでただ起きていた。
日が昇り、新聞配達のバイクの音が聞こえ出してから、俺は部屋を出た。
今日も1日が始まる。





特に大きなイベントもなく、普段通り授業が進んでいく。
行事などがあると否応無しに『主人公の存在』を意識することになるが、それ以外なら話は別だ。
目立つクラスメイトがいる。ゲームを考えなければ、織田伸樹はその程度の認識になる。
放課後になると、田中が俺に声を掛けてきた。

「佐藤、ゲーセンでも行こうぜ」
「……すまん。遠慮しておく」
「そうか。気が向いたら声を掛けてくれ。じゃあ、また明日な」

田中は嫌な顔一つせず、手を振って教室を出ていった。
俺には俺の友人がいる。ということは、俺だけの生き方もある。
ゲームに囚われずに生きていくことも有りかもしれない。
そんなことを考えながら、学校を出た。
しばらく道を歩いていると、見覚えのある白いセダンが横を通り過ぎた。
運転手もこちらに気づいたようですぐに急停車した。そして窓が開き、運転手が顔を出す。

「久しぶりだね、佐藤くん」

細目で人の良さそうな顔をした男性、斉藤さんのお父さんだった。
文化祭前の台風。斉藤裕と一緒に雨宿りをした時に送迎をしてもらった以来だ。
あの時はまだ、世界の仕組みを理解せず、悩みながらも純粋な気持ちでヒロインと接していた。
そして、一学期の終わりに俺斉藤さんに頬を叩かれて、泣かせてしまったことを思い出した。
そうなったのは俺が悪いのだが、その事について聞かれるのではないだろうか。
そんな不安に駆られている俺を知ってか知らずか、彼は食事に行かないかと誘いかけてきた。

「どうかな? そんなに時間は取らせないつもりだけど」
「……いや、その」
「君と話したいことがあるんだよ」

彼は俺の眼を見ながら、そう言った。
結局俺は断ることができず、車に乗せてもらうことになった。
話したいことがあると言ったわりに、車内での会話は当り障りのないものばかりだった。
それでも話すことによって多少の緊張は解れる。始めにあった不安が薄くなってきた頃に、車が目的地に着いた。
車から降りると、『喫茶ドワール』と描かれた看板が目に入る。文化祭の買い出しで一度斉藤さんと入った場所だ。また彼女を思い出してしまう。

「いや~、裕がこの喫茶店が良いって言ってたから一度来てみたかったんだ。洒落た店に一人で入るのは勇気が居るからね」
「俺も入ったことありますが、良い店ですよ」
「佐藤くんもそういうなら本当に良い店なんだろうね。それじゃあ、早速入ろうか」

扉を開くと、カランカランッとベルが鳴る。
店の内装も相変わらず綺麗で、前に比べて観葉植物の数が増えていた。
夕食前の時間帯ということもあり、店内はさほど混んではいない。すぐに店員が駆けつけてきた。

「何名様で?」
「ニ名、禁煙席で」

店員に連れられて、店の奥にある四人掛けのテーブルに座る。
改めて対面すると、不安がまた沸き上がってきた。メニュー表に目を通すが、まるで頭に入ってこない。
まだ決まっていないのに、店員がメニューを聞きに来た。

「ご注文は?」
「僕はケーキセット、ドリンクはストレートティーで。佐藤くんはどうする?」
「えっと、俺は……」
「お金の心配はしなくていいよ、僕が出すから。高いのも頼んでいいからね」
「ありがとうございます。それじゃ、俺もケーキセット、ドリンクはアイスコーヒーでお願いします」
「かしこまりました」

手と首筋が汗ばんでいる俺に対して、斉藤さんのお父さんは呑気にメニューを読み返していた。
話したいこととは何だろうかと考えていると、店員がドリンクを持ってきた。
俺は気分を落ち着かせるために急いで一口啜った。

「へえ、ブラックのまま飲めるのかい?」
「……はい。ここの珈琲は無糖でも美味しかったので」
「大人っぽくていいね。僕はコーヒーの苦味が駄目で、角砂糖を3ツほど入れないと飲めないんだ。羨ましい限りだよ」

彼は笑いながらカップに口をつけた。俺も二口目を啜る。

「ところで、君は娘に何かしたのかい?」

ゴホゴホッと咽てしまった。狙いすましたかのようなタイミング。紙ナプキンで汚れてしまったところを急いで拭いた。

「はははっ、そんなに驚くってことは何かやらかしたみたいだ。どんなことをしたんだい?」
「…………」
「言いにくいことかな。それなら無理しなくていい」

彼はカップを受け皿に置いて、両手を組んだ。

「君はまだ結婚していないから分からないと思うけど、子は親にとって命より大事な存在なのさ」
「……そうだと思います」
「だからこそ、父親にとって娘の恋人ほど厄介な存在はないよ」
「厄介?」
「ああ、そうだよ。娘に恋人がいれば、自分の愛娘を取られたと嫉妬する。けれども、いなければ逆に不安にもなる。
裕は男手一つで育ててきたから、その厄介さはそこらの父親よりも倍以上だよ」
「斉藤さんにはお母さんがいなかったんですか……」
「ああ、そうだよ。僕の妻は裕が幼い頃に亡くなってね。昔は僕が料理を作っていたんだけど、ここ数年は裕の方が上手くなってしまったよ」

フォークでショートケーキを崩しながら、彼はあっさりと家庭事情を話した。

「君をここに連れてきたのは娘の近況を聞きたかったのもあるけれど、それだけじゃないんだよ。
夏休みを境にかな、君の話題が食卓に全く上がらなくなって不思議に思っていたんだ」
「……夏休みは斉藤さんと会っていませんから」
「そうだろうね。それで気になって聞いてみると、裕は黙りこんでしまう。それと、仕事が遅くなった日のことだった。
寝ている娘の部屋を覗いたら君の名前を寝言で言っていたんだ。そして、涙を流していた。それを見た時、何かあったんだと感じたんだ。
同時に君の顔を一発殴りたい気持ちになったよ」
「どうぞ。覚悟ならできています」
「冗談だよ。殴っても君の方が強そうだから、返り討ちに遭いそうだ。それに僕が本当に殴りたいのは自分自身だからね」

彼は再びアイスティーを飲み始めた。静かに時間が過ぎていく。

「さて、娘に何があったのか話してくれないかな?」
「……俺は彼女を怖がらせてしまったんです。斉藤さんが織田と一緒にいたことに嫉妬して」
「織田君というのは、裕や佐藤くんと同じクラスメイトなのかい?」
「ええ、そうです」
「差し詰め、恋のライバルというところか。いいね、青春だ」

ライバルなんて言えない。同じ舞台にすら立っていないのだから。

「聞いてください。織田は――」

直感に近いものだった。この人になら、俺の気持ちを打ち明けていいと思った。

「複数の人と付き合っています。その中に斉藤さんも入っているんです」
「……本当かい?」
「俺は許せなかったんですだ。だから、俺は織田のハーレムを潰そうとしました」

軽く呼吸をして、腹を括る。

「俺は斉藤さんが好きでした」

それは始めの頃にあった間違いない気持ち。今は揺れ動いているが、それが有ったことは確かだ。

「お父さんは、織田のそんな付き合い方をどう思いますか?」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない……とか言いたいんだけど、今はそれが問題じゃないね。
本音を言うと僕も許し難いことだと思う。けどね、娘を信じたい気持ちがある。娘が幸せだったら、それでいい」
「……そうですか」
「佐藤くん、僕に縋ってはいけないよ」
「えっ?」
「もしも僕が『絶対に許さない。その男から裕を遠ざけるべきだ』と強く言っていたら、君はきっと喜んでいただろう」
「そんなことは……」
「だったら、何故がっかりしたんだい? 声の覇気もなくなったよ」

珈琲に入っていた氷が、カランッと音を立てて崩れた。

「君が何をしようとしているのかは、僕には分からない。けれども君は今、僕の言葉で自分の行為を正当化しようとしていた。
あの人も言ったから、自分は正しいのだと。だから、僕に免罪符を求めていた」

言い逃れはできない。俺は賛同者が欲しかったのかもしれない。
俺の選択を支えてくれる人を見つけて、それに縋ろうとしていた。

「佐藤君は織田君よりも裕を幸せにすることができるのかい?」

それを言われた時、俺はどうすることもできないことを知った。彼女を悲しませてしまったという事実。
例え作られたものだとしても織田といる時の彼女の笑顔は本物で、俺がしてきた妨害はそれを潰すことだったから。

「ごめん、ごめん。落ち込ませるつもりはなかったんだが、思っていた以上に口が動いてしまった。
正直に言えば僕もショックを受けた。娘がそんな付き合い方をしているのだと知って……。てっきり、君と付き合っていると思っていたから」
「……それはありえません」
「そう悲観することはないよ。寝言で名前が出てくるなんて、よほど気にしているか恨んでいるかのどちらかだから」

彼は慰めにもならないような言葉を掛けてくれた。
それからアイスティーを半分ほど飲み、カップをこちらに見せてきた。

「君はコップに半分入った水を見てどう思う?」
「それは斉藤さんから一度聞いたことがあります」
「なんだ、裕が先にしていたのか。こりゃ格好がつかないね。ところで、どう答えたんだい?」
「半分しかないと言いました。お父さんならどう答えますか?」
「飲んでしまいなさい」

半分残っていたアイスティーを飲み切り、空にした。

「渇きを感じるなら、自分が飲めばいい。友人が欲しいと言うなら、飲ませてあげればいいい。
半分しかないと悲観することも、半分もあると楽観することも、どちらも正しいとは言えない。何もない状態にすれば迷う必要はない。
コップに入った水は飲むためにある。それなら、折角ある水を飲まなければ勿体無いだろう」

一理ある答えだった。だが、その答えは質問に合っていない。

「納得していない顔だね。うん、確かにそうだ。どう思うのかと聞かれて、どう行動するのかを答えている。
でも、思っているだけでは何も始まらない。価値はね、行動を起こして初めてつくものだよ」
「そういう考え方もありますね……」
「質問を変えよう。佐藤君、君はコップに半分入った水を見てどう思い、どう行動する?」

自分の手元にある珈琲カップを見る。やっぱり俺は、半分しかないと思う。
その後の行動は、どうすればいいのだろうか。
答えが見つからずに迷っていると、携帯の着信音が鳴った。
斉藤さんのお父さんは、急いで鞄から携帯電話を取り出した。

「おっと、ごめんね。……もしもし……その件について……締め切りは………はい、承りました。お願いします」
「仕事の電話ですか?」
「そうだよ。ちょっと出掛ける必要がありそうだ。ごめん、先に出るね」

レシートの横にお札が四枚置かれた。

「お釣りが多いですよ」
「帰りのタクシー代。それと今日はありがとう。若い人と話すのは良いものだね」
「いいえ、こちらこそありがとうございました」

彼は荷物をまとめて立ち上がると、子どもっぽい笑みを浮かべた。

「僕個人としては、やっぱり君が裕と付き合って欲しいと思ったよ」
「えっ?」
「でも、これを口実にして正当化しちゃ駄目だよ。何を迷っているのか知らないけど、迷うだけ迷ったほうがいい。
自分の気持ちを誤魔化したり嘘ついたりしたら、後になって悔やむだけ。迷って導き出した答えは全て及第点だ」

斉藤さんのお父さんはそう言ってから、すぐに出口に向かった。
残された俺は、氷が溶けて混じった薄い珈琲を飲んだ。
苦味、酸味も全てが薄かったが、琥珀色の液体はすっきりと喉を通っていった。





「あなたの名前を教えてください」

家に帰った俺は、再び『School Heart』をプレイし始めた。
斉藤さんのお父さんと話した後、迷うだけ迷ってみることにしたからだ。
勿論、ただ闇雲に迷っているだけでは無駄だ。だから、俺はこの世界の手掛かりとなるゲームをする。
手始めにどのルートでもいいから、ゲームをクリア。そしてハーレムルートの攻略が目標だ。

「苗字はこれで良し。名前はナ行からで……次はア行で……」

漢字欄から自分の名前を探そうとしたが、途中で実名プレイの恥ずかしさを思い出した。
一文字削除のボタンを押して、デフォルトネームの『織田伸樹』にする。
OPが流れて、最初のイベントが始まった。
物語はここから始まる。


『一番好きな桜の咲き時は?』



[19023] 第零話其の三 ~No.52~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2012/08/17 01:09

学園へ繋がる長い坂を、僕はゆっくりと押し進めていく。
カラカラと回る車輪の音を聞きながら、舞い落ちていく桜の花を見る。
去年と比べて少しだけ痩せた頬。それは僕だけに限ったことではない。
車椅子に乗っている加奈も痩せていた。最近外出が少なくなった分、彼女の肌は白くなっている。
そして、桜の花と合わせて長い髪が風になびく。
来週から僕たちは3年生になるはずだった。





正しい主人公の倒し方 第零話
 ~No.52~






「もう桜の咲く季節になったんだ。毎年見ているけど、本当に綺麗だよね」

加奈は何も言わない。いつものことなので、僕は気にせず話し続ける。

「この桜を見た時に加奈は『一番好きな桜の咲き時は?』と尋ねたよね。あの日からもう1年だ」

加奈がそう尋ねたことすら、昨日ことのように思える。
去年の春も満開の桜だった。それから緑葉で埋め尽くされて、いつしか葉も全て散って、丸裸になっていた。
そして春になって、また僕らはこうして満開の桜を見ている。

「あの時、僕がどう答えたか覚えているかい? 確か『満開』だと答えたはずだ。
『欲張りだね』と言われても、僕は満開の桜が好きなんだよ。ほら、見てごらん」

僕がそう言っても、加奈は顔を上げようとしなかった。
車椅子のブレーキを掛けて、背もたれの角度を見やすいように調節する。
彼女の隣に立って、僕も桜の木を見上げる。
今年の桜もやっぱり綺麗で、こうして加奈と一緒に見られることを幸せだと思う。

「そういえば、来週から学校が始まるんだ。毎日は会えなくなると思う……ごめん。でも、心配しないで。
明後日には康弘と市代、それに石川くんも来るはずだから。きっと賑やかになると思うよ」

ポニーテールを下ろしている加奈の髪に、桜の花びらが一枚止まった。
払い除けようとしたが、それが髪飾りのように見えたのでそのままにしておく。
そうだ、来週の日曜日は加奈の洋服や化粧品を買いに行こう。
ファッションセンスには少し自信がないから、市代も連れて行こう。
我が妹なら、きっと加奈に似合う物を選んでくれるはずだ。

「じゃあ、そろそろ戻ろうか」

もう走れない加奈の代わりに、僕は車椅子を押し進める。
あの日から歩みを止めてしまった僕は、死体のような存在でしかない。
目標を作ることを止めて、成長することを忘れてしまった。
それを知ったら加奈はきっと怒るだろう。怒られた僕はすぐに謝ってしまうだろう。
そんな弱気な僕を見て、加奈はまた怒り出すはずだ。いつの間にか取っ組み合いの喧嘩が始まる。
懐かしくて、起こるはずもない光景が瞼の裏に浮かんで、僕は涙を流した。

さあ、桜よ。いつまでも咲き誇れ。そして、君は人の役に立て。
僕は君との勝負に負けた。けれども、僕にとってその勝負は既に意味の無いものだ。
加奈にとって僕が価値のある存在であれば、それでいい。
僕の世界の中心は彼女だから。

桜舞う中、加奈は黙ったままだったが、僕には彼女が笑っているように見えた。



[19023] 第二十六話 ~佐中本 尚一介~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/02/21 04:14
「どうすればあのルートに行けるんだ……」

リビングのカーテンを引くと、朝日が差し込んでくる。
目が慣れるまでしばらく庭の様子を眺めた後、部屋の中を見渡した。
TVに映っている『School Heart』。その起動時間は百時間に差し掛かろうとしている。
パラメータと好感度の調整に苦労して、昨日は学校を休んでまでもプレイをした。
個別ルートとバッドエンディングの繰り返し。しかし、ハーレムルートには今だ到達できていない。
雀の鳴き声を聞き、ぼうっとした頭のままインスタントコーヒーを入れる。
ハーレムルートは発売一ヶ月にようやく攻略方法がネットに公開された。
俺も攻略サイトを見ながら進めた口なので、鍵となるイベントやパラメータ調整がどうしても分からない。今週末もゲーム漬けになりそうだ。
インスタントコーヒーを一口啜ったところで、玄関からチャイムが聞こえた。俺はのそりと立ち上がり、玄関の扉を開けに行く。

「おっす、元気か?」

扉の向こうにいたのは、私服姿の田中と石川。彼らはビニール袋を携えていた。

「おはよう。どうしたんだ、こんな朝から?」
「お前、昨日学校休んだじゃん。今日は土曜日だし、心配になって来てみたんだ」
「見舞いの品も持ってきたが、その分なら心配は要らないようだな」
「……ああ、心配掛けてすまなかった。まあ、その……立っているのもなんだから、中に入ってくれ」
「了解。お邪魔します」

流石にゲームのために学校を休んでいたとは言えず、言葉が濁る。
何度か家に来ている田中は、靴を脱ぐなりリビングに向かった。
『School Heart』にはサブキャラクターである石川は勿論、田中も登場していた。
けれども、佐藤尚輔のような『男子生徒B』という名前さえ、田中にはなかった。
台詞から予想して、コイツがきっと田中なんだろうと分かったぐらいだ。
設定のあるモブと設定のないモブ。どちらが良いのかなんて分かるわけがない。
田中がリビングの扉に手をかけていた時、俺はゲームをつけっ放しにしていたことを思い出した。

「扉を開けるな!」
「そんなに慌ててどうしたんだよ。エロ本でも置きっ放しだったか?」

冗談として捉えたのか、へらへら笑いながら田中は扉を開けた。
起動されたままの『School Heart』は、運悪くタイトル画面から、OPムービーへ変わった。友人二人はその存在に気づく。
制作会社のロゴが表れ、主題歌が流れ始める。軽快なリズムに併せて、次々と映し出される学園内の風景。
途中でヒロインが一人一人紹介されていく。プレイヤーにとっては攻略対象であり、俺達にとっては知り合いである彼女たち。
最後は、織田伸樹を中心とした集合写真が映ってムービーが終わった。
俺たち三人は無言で、それを呆然としたまま見ているだけだった。

「なあ……なんだよ、これ」

しばらく経ってから、田中は訊ねてきた。石川は何も言わなかったが、俺の顔を見つめていた。
二人の視線に耐え切れず、顔を下へ向ける。

「……ゲームだ」
「ゲーム? 普通のゲームでクラスメイトの実名が出てくるかよ!?」

それは普通のゲームじゃないからだと叫びたくなる衝動を、喉へ押し込んだ。
この『School Heart』は彼らからしてみれば、現実がゲーム化されたようなものだ。
ましてや彼らは、松永のように自分で真実を突き止めた訳でもなく、明智さんのように巻き込まれた訳でもない。
どう言い逃れをしようかと考えていた俺は、顔を上げた。
そこには、心配そうに俺を見つめる二人の姿があった。
それを見て、俺は決意した。これからするべきことの全てを。
覚悟を決める為に、一度自分の胸を強く叩く。それから、二人の目を見ながら話し始める。

「……聞いてくれ。これから話すことは馬鹿げてる。信じれなくても仕方ない。でも、そこにあるゲームが証拠であり真実なんだ」

俺のことを『佐藤』と呼んでくれる友人たちに、真実を話す。








正しい主人公の倒し方 第二十六話
 ~佐中本 尚一介~








説明をひと通りし終えてから、俺たち三人は『School Heart』をプレイにした。
半信半疑だった彼らも、ゲームが進むに連れて表情が変わっていく。
ルートが確定する一学期終業式まで進んだところで、時刻は正午になっていた。

「すまない。少しばかり洗面所を借りる……」

石川がふらついた足取りで部屋を出ていった。
その姿を見て、本当に話して良かったのか後悔が生まれる。

「大丈夫。石川なら気持ちを切り替えられるはずだぜ」

俺の心を見透かしたように、田中は呟いた。

「石川はオレと違ってストーリーに関わっていたからさ、多分思うことが多いだろう。でも、大丈夫だ」
「本当に、そう思うのか?」
「ただで転んで帰ってくる奴じゃない。石川もお前もそういう性格なんだよ」

俺は田中のシャツが、汗で濡れていることに気づいた。コントローラーを握っている手も、若干震えていた。

「ごめん……」
「何がだよ?」
「この世界が、ゲームを元に作られたなんて現実味がなさすぎる。このゲームを見せたことが、田中たちの重荷になるんじゃないか?」

田中はコントローラーを置いて、こちらを見てきた。

「なるわけねえよ」

鼻の下を擦って、田中は照れたように笑った。

「オレは子どもの頃からゲームが大好きだったんだよ。佐藤もRPGとかやったことあるだろ?」
「よくやっていたよ」
「夢の中のオレは英雄で、伝説の剣を握り魔王やドラゴンを薙ぎ払っていた。そして、お姫様を助けてハッピーエンド。
子どもの頃だからさ、ゲームとかにすぐ感化されて、そんな夢ばかり見ていた。
でも、大きくなる度に現実には何もないんだと気づかされてきた。
剣じゃなくてペンを握りしめて、魔王やドラゴンじゃなくて教師やテストで、終いにはお姫様なんてどこにもいねえ。
だからなオレは、ワクワクして仕方がねえんだぜ。そんな現実をぶち壊してくれるもんがこんなところにあるからよ」

田中は誤魔化すように再び笑って、コントローラーを握り直した。

「それで次はどのパラメータ上げればいいんだ? 意外と難しいじゃねえか、このゲーム」
「……ありがとう」
「礼はいらねえよ。好きでゲームをやってるだけだから」

心の中でもう一回感謝の言葉を述べて、俺は田中の後ろからアドバイスをする。
イベントに一喜一憂しながら、楽しくゲームをしていった。
このゲームで楽しいと思いながらプレイするのは、初めてのことだった。
結局一回のプレイは上手くいかずバッドエンディングに入ったところで、勢い良くリビングの扉が開かれた。

「石川本一再臨! これが運命というならば、俺は受け入れざる負えない。そして、変えてみせる。さあ、続きを始めようか」

復活を果たした石川は、両手を腰に当て胸を張っていた。

「ほら、言った通りだろ?」
「確かにその通りだったな」
「何を笑っているのだ?」
「なんでもないぜ。それよりゲームオーバーになっちまったみたいだ」
「それは一学期に勉学を怠けていたことと、柴田さんを優先的に選ばなかったせいだろう。やり直しを希望する」
「石川の言うことはともかく、気分変えるためにもやり直すか」

『始める』を選んで、名前入力画面に進む。デフォルトネームの『織田伸樹』が表示されている。

「ここでオレから提案がある。名前を変えようぜ」
「どうしてだ? 名前を変えたところでメリットはないぞ」
「だって、織田のリア充ぶりを見るのはムカつくじゃん。滝川さんとイチャイチャしてるイベントも嫌だったし」
「俺も同意しよう。例え架空でも織田が柴田さんと接吻するなど言語道断。万死に値する」

言われてみると、『織田伸樹』のままプレイすることが気に入らなくなってきた。
三人で話し合い、それぞれから一文字ずつ取った『佐中本 尚一介』という奇妙な名前ができた。

「おっしゃ、『尚一介』がこの世界の女子を攻略しに行くぜ!」

田中は勢い良くスタートボタンを押した。





「アホ! そこはそれじゃねえって。容姿ばかり鍛えて、中身スカスカの伊達男にするつもりかよ」
「甘いな、田中。俺はいつでも最善の手を選んでいる。人々の心を掴むためには見栄えも必要なのだよ」

友人たちに秘密を打ち明けた日から、三人でゲームを攻略する日々が続いた。
放課後には必ず俺の家に来て、深夜までゲームをプレイする。
男三人集まってギャルゲーをするだけの、なんとも残念な集まりだが、俺にとっては心地よい時間だった。

「バカやろう。次は勉強だ。明智さんと会うまでに知識力上げとかねえと」
「五月蝿いぞ。持久走で『尚一介』がこの石川に勝つために、次の一手は運動だ。そうしなければ、柴田さんの好感度も上げられんだろう!」
「お前がコントローラーを握ると、ハーレムルートに行けねえじゃねえか!」

田中の助言を聞き入れずに、石川は運動のコマンドを入力した。田中は落胆の溜息をつく。
ちなみに、田中は前回のプレイで滝川さんとのイベントに固執してバッドエンディングを迎えている。
二週間ほど経った今でも、俺達はハーレムルートに辿り着けていない。

「ふう、石川は柴田さんのイベントに拘るから困るぜ」
「そう言うお前だって、滝川さんと明智さんのイベントに拘るじゃないか。まあ、二人とも田中の好きそうな落ち着いた女性だからな」
「ば、馬鹿言うんじゃねえよ。そういう佐藤は斉藤さんと秀実ちゃんに拘るじゃんか。お互い様だぜ」
「……それは本当か?」
「えっ、気づいてなかったのかよ……。石川ほど露骨じゃないにせよ、パラメータとかその二人寄りだぜ」

思い当たる節はあった。それだけ二人の事が気になっているのだろうか。
斉藤さんはこの世界に来てから初めて好きになった女性であり、秀実ちゃんは心の支えになった後輩だった。
だけど、これだけは言えることがある。今の俺は二人に対して、恋愛感情の類は一切持てない。
それでも、知らずのうちに選んでいたということは、心残りがあるのか。

「この前さ、オレがHR中に席を立ったことあったじゃん」
「前の水曜日のことか。立ち上がって急に喚き出したから、具合が悪くなったんだと思った」
「実はあの時、織田と柴田さんがゲームと同じ台詞を言ってたんだ。気味が悪くなっちまって、なんとか壊せねえかなと思ったんだよ」

田中の話を聞いているうちに、右の拳に力が入っていた。

「でも、お前が知っているように駄目だった。佐藤は何度もイベントを潰そうとしたんだろ? すげえよ、お前」
「そんなんじゃない」
「褒め言葉ぐらい素直に受け取れよ。そんな怖い顔してるより、笑ってた方が女子にモテるぜ」

モテたところで、いまさらどうしようもない。どうしようもないが、俺はこいつらの前では笑っていたい。
一人で悩んで、落ち込んでいた時の自分を蹴り飛ばしたくなる。
もっと早くに顔を上げていれば、この二人が近くにいてくれたことに気づけたのに。

「それで、このゲームを攻略できたら佐藤はどうするんだよ」
「……どうするべきだと思う?」
「それはお前が決めることだぜ」
「俺は……織田を倒そうと思う。それがエゴだって分かっているけど、俺はこのままだと納得できない」
「了解だぜ、親友。お前がそう言うなら、オレたちは協力する」

その言葉に、俺はゆっくりと頷き返した。
突然、PPPと携帯の着信音が聞こえた。俺のものではなく、田中は首を振って否定した。
ゲームをしていた石川が、ポケットから携帯を取り出した。

「もしもし、俺だ。アレを手に入れたか。良し、明日取りに行く」
「誰と電話してたんだ?」
「探偵だ」
「なんだ探偵か……って探偵かよっ!? どうして?」
「4月からの織田の行動を調べさせていた。それを当てはめてゲームを進めれば、ハーレムルートに行けるのではないかと考えたんだ」
「なるほどな。これでハーレムルートに辿り着けるかもしれない。石川、お前がいてくれて本当に良かった。ありがとう」
「ふん、権力とは使い処だ。俺は持て余すような馬鹿じゃないさ」
「ははん、一丁前に照れ隠してんぜ」
「う、五月蝿い。田中のくせに生意気だぞ」

後日、届いた調査書を元にゲームを進めると、予想通りハーレムルートに入ることができた。
それから、俺たち三人は『打倒織田』を目標に、ハーレムルートからのゲームオーバーを探し始めた。
ハーレムルートに入るために必要なイベントは、全てが綺麗に繋ぎ合わさっていた。
それを知った俺は、彼女の言葉の意味と後戻りできなくなった理由が分かった気がした。





「どうしてこんなところに登る必要があるのだ?」
「青春だからだ」
「青春だからだぜ」
「青春とは早朝に屋上に登ることなのか……。分からないものだな」

シーンタイトル達成数が全て埋まり、100%になった朝。俺たちは佐藤宅の屋上に登った。
残り1シーンで終わると分かった時には、後先考えず日付が変わってもプレイをしてしまった。
そして、『佐中本 尚一介』の物語は、ひとまず終わりを迎えた。
日が出てないせいか、季節の変わり目のせいか、屋上には冷たい風が吹き込む。
十一月も残すところ数日。俺の2学期は、少しの謹慎とゲーム漬けの日々だった。

「それにしても、面白いゲームだったぜ。これで曰くつきじゃなければ、もっと楽しめたんだけどな」
「田中の『滝川さんがどうして攻略できねえんだ』という言葉は聞き飽きたがな。無いものを探してことは時間の無駄だぞ」
「石川も二百メートル走のイベントで自分が勝てないか散々探しまわってたじゃねえか。アレこそ時間の無駄だったぜ」

やれやれと両手を上げる田中。彼は石川が背後を取っていることに気がついていなかった。
石川は口元をにたりと上げながら、田中の両肩に手を掛けた。

「あの、石川さん? ここは屋上なので、押したりしたら大変なことになるんじゃないんでしょうか? 主にオレがミンチになる的な意味で」
「その通りだな。しかし、偉人たちは言う、物は試しだと。もしかしたら、ミンチではなくブツ切りぐらいで済むのではないか?」
「ミンチもブツ切りも変わりねえよ。やめろ、落ちる! 押すなよ、絶対にだ」
「最近になって、そういうのはフリだというのを知った。田中よ、気合を入れろ」
「気合で何とかなる問題じゃねえよー!」

しばらくすると田中と石川のじゃれ合いが終わり、俺達は再び瓦の上に座った。
段々と明るくなっていく空を見ていたが、飽き始めた田中が口を開く。

「佐藤は織田を倒すんだよな……」
「そうするつもりだ」
「それなのに、妨害は冬季の林間合宿のみでいいのかよ? それだと、一回きりだぜ」
「いいんだ。これで失敗したら、俺は『School Heart』と関わることを辞める」
「お前が決めたんだったら、それでいいけどな……」

ハーレムルートに入ってから、ゲームオーバーになるタイミングは他にもあった。
だが、どれも今までと似たようなシチュエーションのイベントだった。
それと同時に、ゲームに振り回されることに疲れてしまった自分がいた。
だからいっそ、一つのイベントに全てを注ぎ込もうと考えた。これで駄目なら俺は俺だけの生き方をしよう。
こちらを見ていた田中は、つまらなそうな顔をした後、俺の頬を両手で引っ張ってきた。

「あほう。笑え、仏頂面のお前は怖えんだよ」
「て、手を離せ」
「離してやるさ。暗いことを考えるのは禁止。冬季林間合宿の詳細を復唱」
「冬休み始めの三日間。2年生は強制、1年生と3年生は希望制。もちろん、ヒロインは全員来る予定」
「イベントは調理実習、ウォークラリーなど盛り沢山。そして目玉は、スキー」
「失敗すれば好感度が大きく下がるイベントばかりで、織田にとっては失敗ができない行事だろう」

復唱と言いながらも、俺達は座っている順番に詳細を言っていた。
俺、田中、石川の順で、言い終わると互いを見合って笑ってしまった。

「にししっ、オレたち本当にゲームをやり込んだな」
「しかり。台詞を空で言える程繰り返したからな。どのような選択肢があったのかも覚えているぞ」

ゲームの起動時間はあれから二百時間ほど増えた。
土日になると必ず誰かがリビングでゲームをしている姿があった。
思い返せば、よくも飽きずに続けられたと思う。

「つうか、なんでうちの学園は冬に林間合宿なんてあるんだろうな」
「……もしかしたらゲーム製作者の意図かもな。夏は海と山に行くイベントがあったから被る。それを避けるために、こんな時期にしたんじゃないのか」
「あるわけない――って言い切りたいけど、ゲームの存在を知ってるとな……」
「そんなこと良いではないか。少なくとも俺達にとっては好機以外の何物でもない」
「確かにその通りだ。やるしかないな」

足掻くと決めた限りは、最後まで意地は貫き通す。迷う暇は残されていない。

「見ろよ、太陽が昇ってきたぜ」

一筋の光が東の空から差し込んできた。
青色と橙色の境界線が、徐々に薄まっていき、太陽が顔を出す。
陽が登る瞬間は毎日あるはずのなのに、どうしてか感動せずにはいられない。

「青春だな」
「青春だぜ」
「これが、青春か。何となくだが、分かった気がしたぞ」

正真正銘、最後の妨害が始まろうとしていた。



[19023] 第二十七話 ~3+1~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/02/21 04:24
バスに閉じ込められて、数時間。
ようやくその密室から開放された俺は、大きく口を開けて深呼吸をした。肺を満たしていく空気が、新鮮に感じられる。
山の空気は、そこにいるだけ普段と違って美味しく思えるものだ。
俺はもう一度深く息を吸い込む。その気持ち良い余韻に浸っていると、隣から唸り声が聞こえた。
学園指定のジャージの上に黒いダウンジャケットを羽織っている田中は、両手で口を抑えていた。

「うぇ……やっぱり、山道はつらいぜ……。何度来ても吐きそうになる……」
「窓側の席でもキツかったのか?」
「風に当たっても、少しだけマシになるだけだぜ。帰りもあるとか地獄じゃねえか……」

乗り始めてからすぐに「トランプやろうぜ!」などと言って騒いでいたから、自業自得ではないだろうか。
しかし、苦しんでいる田中を見るとこれ以上責める気にはなれなかった。
とりあえず俺は合宿場の地図を見ながら、辺りを眺めた。
駐車場からも分かるほど大きな時計。その横には赤色の屋根をした管理棟がある。
夏場には賑わいそうなバーベキュー場。運動広場の中にあるテニスやサッカーのコート。
そして、露天風呂など。様々な施設が合宿場には揃っていた。
幸いなことに合宿場には雪が降っていなかったが、隣の山は白く覆われていた。

「今から貴重品を預かるぞ。終わった者から荷物を宿泊棟に置き、大時計の周りに集合しろ」

教師から号令が掛かり、俺達は管理棟を越えたところにある宿泊棟へ行く。
女子は、男子から遠く離れた宿泊棟に向かった。男女でわざわざ離れた位置にしたのは、教師の配慮だろう。
管理棟を越えると細い道があり、そこを百人近い男たちが列を作って歩く。

「さながら蟻の行列だな」

途中で合流した石川が呟く。顔を見る限り、石川は乗り物酔いとは無縁のようだ。

「酔っているのにまだ歩かせるのかよ……。オレを休ませろ、そうしないと……」
「そうしないと?」
「吐くぜ」

親指を立て、青い顔をして自慢げに彼は言った。額から流れ落ちる汗が、彼の限界を物語っていた。

「残念だがな、田中よ。休みは遠い。これから班での調理実習、その後はウォークラリーが控えているからな。
合宿の日程表、教師の活動表、あらゆる情報を渡しておいたはずだぞ。しっかり把握しておけ」
「……うえ、気分悪くて忘れていたぜ」
「吐くならせめて木の養分にしろ。俺達の前でしでかすなよ」

石川の言葉に、田中は口元を抑えながら頷いた。それでも彼がしでかさないとは言い切れないが。

「我慢しているところ悪いが、田中に頼んでいた班の構成について質問がある」

俺は冬季合宿のしおりを取り出し、その中の活動班の頁を開く。

「何だよ……。言われた通り実行委員に頼み込んで、班決めに細工はしたぜ……。ここだけの話、初めはヤバかったんだぜ」
「田中よ、何がヤバかったのだ?」
「織田の班にヒロインが全員いた」

それは全ヒロインの好感度が最大値に近ければ、ありえる班構成だった。
班と言っても、一日目の調理実習とウォークラリーのみの活動班なので、エンディングに直接影響は出ない。
しかし、この微々たる変化は俺達にとって幸先の良いスタートだった。
それはさておき、俺の気になるところは別にあった。

「俺の班がな……」
「ああ、オレもいるじゃん。石川だけは別の班だけどな」
「お前たちと離れるのは寂しいな。しかし、柴田さんと同じ班にしたことは褒めてやろう」

石川の班はシナリオの中心となる班。つまり、織田伸樹がいる。他にも徳川康弘、織田市代もいる。

「石川が喜んでるなら、これで良かったか。それで、何が気になるんだ?」
「俺たちの班に、斉藤裕がいる」
「実行委員がそう移動させるとは、オレは知らなかったが――」

彼は言葉を濁した後、殴りつけたくなるほどの笑顔で言う。

「頑張ろうぜ!」







正しい主人公の倒し方 第二十七話
 ~3+1~







俺と斉藤裕の関係は「ただのクラスメイト」しか過ぎない。
そして文化祭が終わってからは、彼女との間には苦い思い出しかない。
こうして調理台に二人並んで立っているが、どこかぎこちない緊張がある。
数分だけ野菜を切っていればいいのだが、俺はこの空気に耐え切れそうになかった。
他の班は、賑やかで楽しそうに調理実習をしている。一方、俺達の調理台では会話の一つもなされていない。
田中は俺と斉藤さんの関係を知っているはずだ。それなのに、どうして俺と斉藤さんを調理場に置いたのかと嘆きたくなる。
だが、逃げだしたところで先がない。それに、明日には最後の妨害を仕掛ける男が何を弱気になっているのか。
自分に喝を入れ、野菜を切る作業を始める。
洗ったニンジンを手に取り、薄く皮を剥く。ヘタを切り落とし、一口のほどの大きさに乱切りをする。
俺はしばらくの間、無心でニンジンを切り続けた。
4本目のニンジンを切ろうとした時、右から玉ねぎが転がってきた。

「あっ……」

俺は玉ねぎを拾い、顔を横へ向ける。水玉のエプロンを着た斉藤さんが俺を見ていた。
1学期の始め、俺はヒロインと関わる度にゲームのイベントCGを思い出してきた。
最近また『School Heart』をプレイしたことによって、悪夢のようなそれが蘇る。
俺は無言で斉藤さんに手渡した。

「ありがとう……」

その言葉に頷き返した。
『そういう佐藤は斉藤さんと秀実ちゃんに拘るじゃんか』
ゲームをしていた時に田中から言われた言葉を思い出す。やはり気持ちの片隅には心残りがある。
笑って話しかけることもできない後悔。彼女との距離はだいぶ離れてしまっている。その距離を埋めるには、もう遅いのだ。

「痛ッ」

包丁の先が柔らかいものに触れた。
刃物を持っているのに、集中していなかったせいだ。左の人差し指から血が出た。
大した痛みではないが、真っ赤な血が傷口から流れ落ちる。

「大丈夫!?」
「……大したことはない」

痛みを顔に出さないようにし、蛇口の水で洗い流す。
血を洗い終わると、斉藤さんが心配そうにこちらを見ていた。
俺は彼女を無視して野菜を切ろうとするが、横から腕を掴まれた。

「傷、見せて」
「浅いから問題ない。野菜にも当たらないようにするから」
「駄目、じっとしてて。すぐに終わるから」

斉藤さんはポケットから絆創膏を取り出し、俺の傷口にそっと当てた。
その間、俺はどこを見ていたらいいのかも分からず、ただ視線を彷徨わせていた。
周りの班の進行を見て、切り残された野菜を見て、そして最後は斉藤さんに戻る。
一学期の頃と比べて、少し髪が伸びたのかもしれない。調理実習のためか、トレードマークのヘアピンはされていない。
柔らかそうになびく彼女の髪。空いている右手が、それを撫でようと自然に動いた。

「どうしたのかな?」
「……いや、何でもない。気にしないでくれ」
「そうなんだ。はい、終わり」

結局、髪に触れることなく腕を下ろした。
左の人差し指には、きつくもゆるくもない丁度良い感じに絆創膏が貼られていた。

「ありがとな。ええっと……――」
「どういたしまして。うん、その……――」

互いに言葉が見つからず、また気不味い雰囲気に戻る。
酷いくらい距離が開いてしまっていることを実感する。
無理をして言葉を続けようとしても、途中で分解してしまいそうな、そんな気さえした。

「……それじゃあ、残りの野菜を切ろうか」
「うん。そうだね」

これ以上場が悪くなる前に、俺たちは顔を背けた。
再び野菜を切り始めるが、どうも落ち着かない。
俺は彼女の横顔をチラリと盗み見た。すると、彼女は泣いていた。

「ど、どうしたんだ?」
「えっ!? ……あ、ごめん。玉ねぎが染みて」

斉藤さんの手元には、みじん切りされた玉ねぎがあった。
彼女は手の甲でゴシゴシと目を擦るが、余計に涙が流れ落ちていく。
何度も目をぱちくりさせても、効果はいまひとつのようだ。

「う~、痛いよう。家ではこんなことなかったのに……」

呆れながらも、大事ではなかったことに安堵した。少し濡らしたハンカチを斉藤さんに手渡す。
彼女はお礼を言いながら受け取った。目の周りを優しく拭く。ハンカチを折り畳み、しばらくそれを見ていた。

「……前にも佐藤くんからハンカチ借りたことあったよね」
「そう言えば、そんなこともあったな」
「あれからずっと持っていてごめんね。なかなか渡せる機会がなかったから。今度洗って返すね」
「いや、そんなことしなくてもいい」
「でも、ずっと借りていたからお詫びもしないと……」
「いいんだ。前のも適当な時に机に入れておいてくれ」

俺は首を横に振った。

「君がそんなことをする必要はないんだ」

彼女を心配させないように、少しだけ笑顔を作る。
そして、彼女が握っていたハンカチを取り、ポケットへねじ込んだ。

「俺はニンジンを切り終えたから、鍋に持って行くよ」
「……うん、分かったよ」
「それと、あの時はごめんな。怯えさせるつもりは無かったんだ」

野菜を入れたカゴを持ち調理場から離れようとすると、服の後ろを掴まれた。

「あ、あのね、私も……」

その手は弱いが、離れそうにない。きっと彼女は謝ろうとしている。でも、彼女が謝る必要なんてこれっぽちもない。
俺は何事もなかったように、一歩踏み出した。服から彼女の手が離れる。
後ろから聞こえた溜息のような短い言葉を、俺は聞こえなかったふりをしてその場を後にした。



外カマドでは、田中が他の班員と一緒に火の番をしていた。顔色はだいぶ良くなったようだ。

「ようやく野菜が登場したぜ。それじゃあ、鍋に入れていくか」
「そうだな。普通なら玉ねぎが先だが、こういう時は火が通りにくいニンジンからした方がいい」
「佐藤が言うなら間違いないか。……それで、どうだったんだ? 喋ってはいたみたいだけど」
「正直なところ、分からないな。彼女とどう接すればいいのか分からない。それと、心配するなら田中が始めから調理場にいてほしかった」
「はは、悪かったぜ」
「笑って誤魔化すなよ……」

溜息をつきながら、油を引いた鍋にニンジンを入れていく。
鍋に火は伝わっているが、コンロで調理している時と比べてやはり火が弱い。

「やっぱり、火足りてないか?」
「大丈夫だと思うが、芯まで火が通るのに時間が掛かるだろうな」
「それなら新聞紙と太い薪を持ってきてくれないか? 鍋はオレが見とくから」
「了解、すぐに持ってくる」

俺は早歩きで薪置き場まで向かい、そこで適当に4本ほど薪を見繕った。
新聞紙を持っている人は、夏休みの妨害で俺を羽交い絞めにした平手という教師だったので、受け取った時に苦い顔をされた。
必然的に俺も苦い顔を返してしまう。何も桜の木を燃やそうとしているわけではないのに。
そう思ったところで、こちらには問題を起こした事実があるので何も言えない。
両手が薪と新聞紙で埋まり、落とさないようにしっかり抱える。
他の班も火が弱かったのか、薪置き場からカマドまでの道が混み始めてきた。
俺は遠回りになるが、薪置き場の裏側から戻ることにした。
この合宿場の特徴とも言うべきか、広い道は駐車場から大時計までしか繋がっていない。
後は、枝分かれしたように細い道がいくつかある。その細い道は先程歩いたように舗装されていない山道だ。
当然、足つきも悪くなってしまう。石や根っこに足を取られないように地面を見ながら進む。
人の少ない道を選んだつもりだったが、途中誰かとぶつかりそうになった。

「おっと、すみませ……」

謝ろうとしたが、言葉が止まる。
そこにいたのは、松永だった。彼女も薪を貰いに来たのだろう。
松永は俺の顔をジロジロと見た後、ポツリと言う。

「へえ、いい顔になったじゃない」
「……そうか?」
「どちらかと言えば、浮かれ顔ね。この前までのあなたじゃないみたい」

相変わらず感の鋭い女だ。

「男子三日会わざれば刮目して見よって言葉があるだろ。愚図ってばかりじゃ先に進めないからな」
「言うようになったじゃない。でも、その三日の間に私は一人で情報収集していたけどね」
「収穫は何か有ったか? もしあるんだったら、教えて欲しい」
「嫌よ。膨れ上がった利子の一つも貸してもらってないんだから」
「それなら丁度いいな……ようやくお前に利子ぐらい返せそうだ」
「良いことだわ。どうやって支払ってくれるの?」
「織田に最後の妨害を仕掛けるつもりだ」

それを聞いた松永は、ひどく不機嫌そうな表情を浮かべた。
クリスマスの朝、靴下を覗いたら自分の欲しくないものが入っていた子供のようだ。
松永の反応が想像したものと違い、俺は焦る。唯一の協力者だった彼女が、そんな素振りを見せるだけで、堪らなく不安になる。

「なあ、松永。俺はお前の気に障るようなことを言ってしまったのか?」
「……べつに」
「それとも、今はまだ妨害を仕掛ける時じゃないのか?」
「……妨害は関係ないわ」

突然、松永が俺の肩に手を乗せながら、寄りかかってきた。

「私はね、あなたのパートナーになりたかったのよ。それが私の望んでいた支払い方」
「ちょっと待ってくれ。俺達は確かにパートナーだ。利害関係が一致したから組んだんだろう?」
「違う。利害とかそんなものは要らない」
「それなら何が――」
「私が欲しかったのは、あなた。本当の意味でパートナーになりたかったのよ。
あの時、落ち込んでいるあなたに声を掛けたのもそういう理由。私をずるい女だと思う?」

松永は顔を伏せて、少しずつ俺に体重を掛ける。両手が塞がっている俺は、振り払うことができない。
明るい金色の髪から、林檎のような甘い匂いがほのかに漂う。思わず唾を飲み込んだ。

「ねえ、答えてよ……」
「こ、ここは人が通るかもしれない。誤解されないように離れた方がいいんじゃないか」
「大丈夫。誤解されたって、気にしないから」

松永の予想外の行動に、俺の思考が止まりかけた。
思わず薪と新聞紙を落としそうになるが、なんとかして止めた。
それでも、顔の火照りだけは止められそうにない。
これまで意識していなかった相手だったからこそ、逆に意識しすぎてしまう。

「ふふふっ……」

胸の下から、含みのある笑いが聞こえてきた。

「あははははっ、引っかかったわね! あー、スッキリしたわ」

顔を上げた松永は、それまで見たこともないほど晴れやかな顔だった。
笑いすぎたためか、目尻には涙が溜まっている。
俺は数秒間抜けなほど口を開けてしまっていた。

「それで? 妨害は何をするつもりなのかしら?」

松永は涙を手で擦りながら、訊ねてきた。

「お、お前はどういうつもりで―-」
「はい、ストップ。騙してごめんなさい。でもね、こんなことに引っ掛かっているようでは駄目よ。
実際、あなたは羽柴秀実に騙されたそうじゃない。妨害をしても、生半可な気持ちでは失敗する。
言葉、態度、行動。全てのものを疑いなさい。それから隙を見つける。あなたが織田君に勝つためには、そうするしかないじゃない」

言い返すことができず、悔しさと怒りを喉元に押し止める。
彼女が述べたことは正しい。仲間を得て、目標が決まって、幸先良い始まりに浮かれていた。
俺が織田を倒すためには、少しの迷いもミスもあってはいけない。冷静に物事を見なければいけない。

「……本当にずるい女だよ、お前は」
「褒め言葉ありがとう。それでどうするのかしら?」
「明日のスキーで本格的な妨害をする予定だ。田中は、今日の風呂で覗きイベントに介入できないかとか言っていたけどな」
「田中ってあなたの友達よね?」
「そうだ、その田中だ。お前に言ってなかったけど、石川にも『School Heart』のことを話した」

松永は少し考え込んだ後「少し待ってて」と言い、薪置き場に向かった。
数分後に彼女は、薪を両手に抱えて走ってきた。そして俺達は横に並びながら、山道を歩いた。

「あなたは何も知らなかった人を、こちら側に引き込んだ。私の場合、謎は好奇心へと変わる。
けれども、彼らは? 謎が恐怖へと変わる場合だってあるのよ。本当に良かったのかしら?」
「……分からない。けれども俺がここにいられるのも、アイツらのおかげなんだ。責任は必ず取る」
「へえ、何もできない男が責任をね」

茶化す松永に、俺は平然として答えた。

「一人だと何もできないからだ。だから、松永。俺にはお前が必要だ」
「……!」
「どうしたんだ? 何か可笑しかったのか?」
「う、五月蝿いわね、馬鹿! ああ、落ち込んでいた時のアンタの方が、こっちが冷静に話せたわ。
おちょくられたことの仕返しをして満足していた私が阿呆みたいじゃない。どうして私がアンタに……」
「おい、急に走るなよ」
「付いて来ないでよ!」
「向かう先は同じだろ!」

早歩きになった松永の後を追いながら、外カマドに向かった。





調理実習は無事に終わり、目の前には出来立てのカレーがある。

「どうしてこのテーブルには、他の班員が混じっているんだ?」

四人席のテーブルに座っている松永と石川を見ながら言った。
二人とも、何を馬鹿なことを聞いているんだと言わんばかりの視線を送ってきた。
ちなみに、斉藤さんは別のテーブルで昼食を取っている。

「だって、田中君と石川君は『School Heart』知っているんでしょ? 作戦会議するなら私も混ぜなさいよ」
「俺は織田妹のカレー、もとい毒物から逃げてきたのだ。腹が減っては戦はできないからな」

隣に座っていた田中は、二人に聞こえないように小声で話しかけてきた。

「なあ、佐藤。この松永さんは信用できるのか?」

田中が松永を疑うのは、仕方がない。ゲームでの松永は、知的でどこか冷めた印象のあるキャラクターだ。
田中の場合はこうして松永と話すのは初めてらしく、ゲームでの印象が強いようだ。
けれども、俺は知っている。現実の松永はそればかりではなく、ゲームは一側面でしかないことを。

「大丈夫だ。俺が一学期に妨害をしていた時、頼りにしていた奴だ」
「そうか……。それなら心配いらねえか」

田中は納得してくれたようで、わずかに緊張しながら松永に話しかけた。

「松永さん。そういえば、自己紹介がまだだったな。オレは田中亮介っていうだ、よろしく」
「あなたのことは佐藤からよく聞いているわ。私は松永久恵。こちらこそよろしくお願いね」
「それならこの石川本一の自己紹介もしなければいけないな。俺は――」
「石川君はいいわよ。同じクラスなんだから」
「ぐっ、せっかく人が……」

落ち込む様子を見せる石川を置いて、松永は俺と田中の顔を見た。

「早速本題に入らせてもらうけど、妨害はどうする予定なの?」
「今のところ、明日のスキーで仕掛けるつもりだ。今日のウォークラリーと風呂に関しては迷っている。準備が間に合わなかったからな」
「風呂の妨害は、覗くつもりなのかしら。田中君が発案したって聞いたけど本当にするの?」
「佐藤! てめえ、オレが考えたみたいに伝えただろ。妨害方法を話した時は、お前たちも乗り気だったはずだぜ」
「田中よ、何を言っているんだ。俺がそのような低俗な妨害に賛同するはずがないであろう」
「全くだ。田中がどうしてもやりたいと言っていたから、俺は候補として挙げただけだ」
「お前ら……裏切るのかよ……」

松永は俺たちの下らないやり取りを見て、クスりと笑った。

「佐藤がどうして立ち直れたのか、分かった気がしたわ。良い友達を持てたわね」
「お陰様で諦めることができなくなったがな」
「いいじゃない。今のあなたの方が佐藤らしいわ。塞ぎ込んでいるなんてらしくなかったわよ」

佐藤らしいか。俺が俺らしくいるためには、今回の妨害で良い結果を出さなければいけないな。

「明日のスキーで妨害するのよね……それなら、一度情報を整理しない?」
「おっ、いいぜ。オレたちは一学期の 佐藤が何をしていたのか把握できないからな」
「あら、田中君たちにはあなたの失敗伝を語っていないの?」
「詳しくは言っていない。その、失敗を語るほど恥ずかしいことはないからな……」
「はあ、しようがないわね。それじゃあ、確認の意味を込めて私が調べたことを言うわね」

田中と石川は一度スプーンを置いて、姿勢を正して松永の方を向いた。

「まずは前提条件から。この世界はゲーム『School Heart』に沿って進行している」
「それはオレも体感したぜ。前にHRがゲーム通りに進みすぎて、気持ち悪くなっちまったよ」
「私は説明書しか持っていないから分からないけど、ゲームでのイベントはどの程度現実に反映していたのかしら?」
「う~ん、100%同じだと思うぜ。オレん時はそうだったからな」
「田中よ。台詞が微妙に異なる時があった。登場人物の立ち位置も時によって違ったぞ」

石川が言う通り、台詞や動作がゲームと全く同じとは言えない時があった。100%同じとはいえないが、それでもイベントの本筋が変わることはなかった。
例えば体育倉庫から体育館倉庫に移った妨害の時のように、イベントが起きても場所が変わるケースもある。
ゲームに沿っていると言っても、細かいところでは多少の違いは出てくるのだろう。

「次はヒロイン。ゲームの最終目標がヒロインとのグッドエンディングであるように、彼女らの存在は重要。
佐藤が何もしていなかった二学期の間も、織田君とヒロインの仲は順調だったわ」
「ヒロイン以外にも織田が積極的に接触している女子はいるのか?」
「ほぼいないわね。例外として、説明書に書かれていた人物、私と滝川さんは少しだけ交流があるわ。けれども、メインヒロインと比べるとごく僅か」
「そりゃあ、そうだぜ。無駄にサブキャラに会っていたらハーレムルートなんて入れなかったからな」
「なるほどね。石川君に質問があるわ。あなたは二学期の途中までどうして休学をしていたのかしら?」
「それは己自身を見直すために修行をしていただけだ。俺は織田に負けて、自分の不甲斐なさを悔やんだからな」
「本当にあなたの意思で?」
「無論」
「誰かに勧められたりしていない?」
「くどいな。俺が決めたことだ」
「そう、それなら本当に厄介なことになるかもね……」
「厄介? 自身が決めたことが何故厄介となるのだ?」
「ええっと、それを話す前にイベントについて話しましょう。イベントの内容は『School Heart』とほぼ同じ。
けれども、それを妨害しようとしても上手くいかない。織田君の主人公補正、あるいはシナリオの修正力というべきかしら。
とにかく何かしらの力が働いていると私は思っているわ」

俺は同意を示すように、大きく頷いた。
『School Heart』のシナリオに沿うために、俺の妨害は尽く失敗した。
それは、不自然なまでの偶然によって引き起こされたものばかりだった。

「私が前に『開かない教室』を調べようとしたことがあったんだけども、あれも修正力の一種だと思うのよ。
扉が開かなくなるのは、そこがイベントに関係する場所だったから。そんな風に考えることもできるわ」
「松永よ。その修正力は如何なる時に発動するのだ?」
「具体的には分からないけど、そうね―-」
「イベントが発生した場合、どんなことをしても中断することはできない。それがこの世界のルールだ」

松永が答えるよりも先に、俺は秀実ちゃんから言われた言葉を被せた。

「俺の考えになるが、イベント中は修正力が働くと思う。ただ、どの時点から修正力が発生するのかは詳しく分かっていない。
織田がイベントを選択する前からなのか、それともイベント中の選択肢を選んだ後なのか」
「ふむ。そこは検討する必要がありそうだな」
「それと扉が開かなくなるの修正力の一例で、他にもキーアイテムと言ってもコッペパンや鍵だが、それらの再出現もあった。
もっとも、厄介なところはこれらだけではなく――」
「感情の操作があるかもしれないことよ」

今度は松永が、俺の言葉に被せるように言ってきた。松永の顔を見ると、彼女は得意気にこちらを見返してきた。

「さっき私が厄介だと言ったのは、このことよ。
ヒロインの明智美鶴は、思い出の品を湖に投げ込んだ。サブキャラの石川本一は、自分を見直すために休学をした。
そして、モブキャラの 佐藤尚輔は桜の木を燃やそうとして謹慎処分を受けることになった。
どれも選択肢によっては確定しているイベント。しかも明智先輩の場合は本来の意思とは、逆の行動を取ってしまった。
石川君は自分で選んだみたいだけど、シナリオに沿うために自然と感情が操作されている可能性があるのよ」
「そんなことが……いや、しかし俺は……」
「心配しないで、石川君。人の感情が操作されているのは、あくまで可能性。私たちの行動が一々操作されているなんて馬鹿げているわ。
私たちはこうして自分たちの意思で集まって喋っている。イベントを阻止しようとしてどんな時でも修正力が掛かるなら、まずはこの話し合いすらできないでしょ?
もしかしたら、感情の操作は修正力の最終手段かもしれないわ」

感情の操作は、イベントのキーとなる行動を起こすためだけ行われるのだと俺は考えている。
それと感情の操作は、最終手段ではない。真の最終手段は『存在の抹消』だ。
文化祭で俺を刺した人物が消えたように、シナリオから大きく外れた場合に存在の抹消は発動する。
だが、無駄に不安を煽る必要はないのでこの事については話さないことにした。

「だー! 頭痛えよっ! 結局、オレたちはどうすればいいんだ?」

それまで、黙ってカレーを食べていた田中が急に叫んだ。

「馬鹿ッ、声が大きいわよ。織田君に聞こえたらどうするのよ」
「すまねえ。でもよ、オレたちは妨害をするためにここに来てんだぜ。感情の操作があるとか、一体全体どうすればいいんだよ?」
「そうね……。ありきたりかもしれないけど、強い意志を持つことかしら」
「強い意思? 何だか打ち切り間近の少年漫画で出てきそうな言葉が聞こえたぜ。もう一度言ってくれない?」
「私だって恥ずかしいんだから、聞き返さないでよ。根拠もなんにもないけど、具体的な対策が取れない現状では、それぐらいしか思いつかないのよ」
「わりい、悪気があって聞き返したわけじゃねえんだ。なるほどなー、強い意志か……」

田中は腕を組んで、ふむふむと頷いた。

「食べ終わった者からウォークラリーの準備をしろー。食器の後片付けも忘れるなよ」

遠くから教師の声が聞こえてきた。

「それじゃあ、私は班に戻るわね。また時間ができたら話しましょう」
「ああ、了解した」

松永は皿とスプーンを持って、洗い場の方へ向かった。
俺が明日の妨害について考えようとすると、田中がニヤっと白い歯を見せるように笑った。

「どうしたんだ田中、急にそんな顔をして?」
「いやー、何だかオレたちが挑もうとしているのは途方も無いことだって実感してよ」
「それはそうだ。もしかして怖気づいたのか」
「いんや、むしろ燃えてきた。だからさ、ウォークラリーで妨害をしようぜ」
「急だな……。準備も何もできてないぞ」
「だけど、何もやらずにいたらそこで終わりだぜ。オレは後悔はしたくねえ主義だからさ。やらないよりやって駄目な方が諦めもつく方なんだよ」
「面白い、俺も田中の意見に同意だ。修行を終えた俺には鋼の肉体と精神がある。修正力如きに負けはせんさ」

二人の視線が俺に集まる。迷ったのは、ほんの数秒だけ。俺は二人を見ながら言う。

「そうだな、妨害を仕掛けよう」

合宿初日の昼、俺達三人はウォークラリーで妨害を仕掛けることにした。



[19023] 第零話其の四 ~No.65~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/03/05 22:53
桜の蕾が膨らみ始めて、風も暖かくなってきた。もうすぐで春が来る。
春、それは新しい出会いの季節。そして出会いの前には別れもある。
正門近くにある桜の木は、他の木と比べて一回り大きく、僕はその下で彼女を待っていた。
長袖を少しだけ捲り、腕時計を出す。時計の長針が9を指し、丁度約束の時間になった。
坂の下で、走ってこちらに来る彼女の姿が見えた。






正しい主人公の倒し方 第零話
 ~No.65~





「珍しいね。秀実ちゃんが遅れるなんて」
「そうですか? いつも私が着いたら、すぐに先輩も来るじゃないですか。今日はたまたま逆だっただけですよ」
「そうだったんだ。……立ったまま話すのも疲れるから、ベンチに座ろうか」

桜の木がよく見えるベンチに、僕らは腰を下ろした。
昼休みや放課後に、ここに座ってよく喋っていたことを思い出す。
勉強とか、部活とか、そんな他愛もない話をずっとしていた。
僕から話題を振って、秀実ちゃんが面白可笑しく答えて、ずっと笑っていた。
でも、今日はどんな言葉から始めればいいのか、検討もつかない。
これから僕たちは別れる。
だから、どんな言葉が必要なのか分からない。

「……」

風が強く吹いた。桜の木の枝がしなる。僕は拳を強く握った。

「明日には、この街を去るんだよね」
「はい、荷物は向こうに送りました。明日には街を出るつもりです」
「……ごめん。結局、僕は何も力になれなかった」
「学校を辞めることは決まっていましたから。先輩は悪くないです」
「違うんだ。僕が君の一番近くにいた。君のことを一番理解していた。そう思って、何もやらずに怠けていたんだ。
秀実ちゃんが遠くに行くって分かっていたのに……どうしようもないクズだよ、僕は」
「先輩ッ!」

僕の言葉を否定するように、秀実ちゃんは大きな声を出した。

「……いいんです。これ以上自分を責めないで下さい。私は大丈夫ですから。学校を辞めても、私は私ですから」

どうしてそんな悲しい顔をしながら、笑っていられるのだろうか。
何故、僕はこんなにも惨めな気持ちになるのだろうか。

「手紙も出しちゃいけないんだよね?」
「はい。向こうではそういう決まりなんで」
「もちろん電話も駄目だよね?」
「駄目です。あとで、携帯のアドレスから私を消しといて下さい。もう掛けることありませんから」
「……はは。駄目だな、僕は」
「どうしたんですか、伸樹先輩?」

肺から全ての空気を吐き出す。

「秀実ちゃんみたいに潔く諦められない。本当に辛いのは君なのに、どうしてか僕のほうが未練が残っているよ」

情けない。僕は彼女に最後の弱音を吐いた。

「……私だって未練は残っています。でも、何もかも遅いんです」
「うん、そうだよね。そんなことは前からずっと分かっていた。……そうだ。秀実ちゃんに最後のお願いをしていいかな?」
「何ですか?」
「僕の頬を思いっきり叩いてくれ」
「ええっ!」

驚く秀実ちゃんに、僕はなるべく笑って言ってみせた。僕ができる最後のつよがり。

「区切りだよ。今日、僕と秀実ちゃんは別れる。辛気臭く未練を残すより、最後に恋人らしい別れ方がしたいんだ」
「ビンタが恋人らしい別れ方なんですか?」
「うん。ドラマなんかで見るけど、あれは良い別れ方だよ。未練も心残りも何もかもを手の平に乗せて、相手にぶつけるんだから。
それで、またどこかで会えた時に今日の事を笑い合うんだ『どうしてビンタだったんだろうね?』って。それが恋人らしい別れ方」
「……はぁ、いいですよ。思いっきりいきますからね」

僕は目を閉じて、ビンタに備えた。
歯を食いしばって、待つこと十秒。まだ来ない。
油断をした瞬間に来そうだから、まだ待ってみる。
でも、何も来なかった。
そっと目を開けると、隣にいた彼女が消えていた。ベンチには僕しか座っていない。
慌てて立ち上がり、周囲を駆けまわった。けれども、秀実ちゃんの姿はどこにもなかった。
どうして彼女は叩かなかったのだろうか。どうして彼女は別れも告げなかったのだろうか。
僕が余分な一言を言ってしまったせいだ。
『またどこかで会えた時』
それができないことを彼女は知っていた。だから、こんな別れ方になってしまったんだ。

「……もう逢えないんだよね」



[19023] 第二十八話 ~雨降る中の妨害~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/03/04 00:29

合宿初日の午後。
僕のウォークラリーは、最悪の始まり方だった。
班員の石川君と康弘が急に揉めだして、勝負をすることになったのだ。
班を二つに分けて、多くポイントを回れた方の勝ち。
いがみ合っているのは当の二人だけなので、他の班員には良い迷惑だ。当然、こんな勝負に乗り気ではない。
白い溜息が、僕の口から零れ落ちる。

「……知っているだけじゃ止められないからなぁ」

雨がぽつりぽつりと降り始めてきた。

「うわあ、雨が降ってきっちゃたよ。どうしよう、伸樹!?」
「とりあえず雨宿りができそうなところを探そう。ところで加奈、さっき挫いたところ大丈夫?」
「心配ごむよう! 気合、根性、努力で何とかするから」
「いやいや、無理だけは絶対しないでね」

焦りを顔に出さないようにしながら、僕は加奈にそう言った。
そして、最悪は現在進行形で続いている。






正しい主人公の倒し方 第二十八話
 ~雨降る中の妨害~








数分前、加奈は山道で足を挫いた。そして、康弘と他の班員はそれに気づかず先に行ってしまった。
運が悪いことに僕と加奈の荷物は、ジャンケンで負けた康弘が持っている。最悪が続いている理由はこれだ。
携帯電話はおろか、雨具や地図さえ手元にない。
冬の山。雨が降っている。助けを呼ぶ道具もない。そして、僕たちは迷子になっていた。

「立ち止まってないで、早く行こうよー」
「ちょっと待ってよ。そっちは来た道だよ。向こうに進まないと」
「あれ、そうだった? ごめんごめん」

僕と加奈が道に迷っているのは、二人が揃って方向音痴だからではない。
ずっと同じような景色が続く山道を歩いていると、人間誰しも方向感覚が麻痺してくる。
どれだけどこへ進んでいるのか分からなくなるものだ。
方角を確かめようにも太陽は雲に隠れていて、切り株なんて簡単に見つけられるものではない。

「さっきと同じ木を見た気がする。なんなのよ、ここは」
「道が続いているから、まだ大丈夫だと思うよ。獣道になったら怖いけどね」
「もう康弘の奴、後で覚えてなさいよね。雨も段々と強くなってくるしー」

加奈は、寒さに耐えるよう両手で自分の体を抱きしめていた。

「加奈、寒いの?」
「全然平気! 気合、根性、努力でヘックチッ!」
「全然平気じゃないよ。……あともう少しすれば小屋があるかもしれない。そこまで頑張ろう」
「うん、分かった。ところで、小屋があるってこの山に来たことあるの?」
「それは……ないよ」
「なーにーよーそーれー。期待して損したくない! 絵に描いた餅じゃ腹はふくれない!」
「い、痛い。ほっぺをつねらないでよ。根拠はあるんだ、さっき雀を見かけたから」
「へえ、雀ってあの雀? レストランとかで、空を飛ぶネズミとか言われて嫌われているあの雀?」
「加奈は要らない知識ばっかりよく覚えているよね……。雀はね、民家の近いところに住んでいるんだよ。だから、この近くに小屋とかあるかもしれないと思ったんだ」
「伸樹の知識もどっこいどっこいじゃない。でも、伸樹の言葉を信じてもう少し歩いてみる」

僕は嘘をついた。山奥に入ってから雀なんて一羽も見かけていない。それでも加奈を元気づけるための嘘なら許されるだろう。
それに民家かどうかは知らないが、歩き続ければ小屋は必ず見つかるはずだ。
足元に注意しながら、僕らは険しい山道を進んでいく。
雨はしとしと降って、視界を悪くしていった。
しばらく歩いていると、加奈の口数が減ってきた。終いには何も喋らなくなった。彼女の唇が先ほどより薄くなっている。
僕はジャケットを脱いで、加奈の背中に被せた。

「濡れているは、外だけだから。防水加工されているし、これで暖かくなると思うよ」
「でも、これじゃあ伸樹が――」
「心配ご無用。彼女が寒がっているのに、何もしないなんて男が廃るよ」
「……うん。ありがとう」

坂を上り木々の間を進んでいくと、ようやく小屋が見えた。

「あれ、小屋じゃない!?」

小屋を見つけそれまでの疲れが吹き飛んだのか、加奈は走り出した。僕も慌てて後を追う。
今にも壊れそうなほど古い小屋。物置程度の大きさだ。念の為「失礼します」と言いながら、濡れたドアノブを捻る。

「えっ……何、これ…………」

小屋の中にも雨が降っていた。見上げると、天井に大きな穴ができていた。
隅に置かれている名前も分からないような道具も全て濡れている。当然、床も水浸し。
小屋の真ん中には、大きな石がいくつか転がっていた。明らかに、誰かが意図して天井を壊した形跡だ。
最近このようなトラブルは滅多になかった。彼が活動を再開したのかもしれない。

「……ねえ、どうする?」

加奈は小さな声で僕に訊ねてきた。
ここまで天井が壊されていると、小屋の全体に雨が入ってくる。これでは外と変わらない。
ああ、本当に最悪のウォークラリーになってしまう。
思い出せ、この時はどうすれば良かったのか。必死に考えて思い出し、最善の一手を選ぶ。

「山を下ろう。それが一番いいと思う」
「さっき見た広い道には行かないの?」
「うん、始めは広いかもしれないけど後から細くなりそうだった。はぐれたら大変だから、安全な道を通ろう」

僕の言葉に加奈は頷いた。
それから僕たちは小屋を離れて、坂を下った。
歩く。とにかく歩き続ける。問答無用に降り落ちる雨は、体のありとあらゆるところを濡らしていく。
髪の毛がぺたりと頭に張り付く。泥が跳ねて、ズボンの裾が茶色く汚れた。早く風呂に浸かりたい。
足の小指の先まで冷たくなって、靴を履いているという感覚さえ危うくなる。もしかしたら靴が脱げて裸足で歩いているのかもしれない。
それを確かめるために顔を下げるのは、もったいない。そもそも、そんなことをする必要はない。
目的地は、もう目と鼻の先だ。
大きな木々に囲まれたその場所だけは、雨が降り注いでいなかった。
いつの間にか握っていた加奈の手を引っ張り、僕たちはそこに腰を下ろした。

「大丈夫?」
「……ちょっとつかれた」
「うん。僕も疲れた」

しばらく僕たちは何も喋らず、雨を眺めていた。
僕は雨が嫌いだ。
寒いし、冷たいし、痛い。
全てを飲み込み、いつ間にか消してしまう。そんな雨が大嫌いだ。

「……本当に大変なことになっちゃったな」

小屋で休めなかったのは、良くない。
場合によっては、僕達の関係は壊れてしまう。
その不安が顔に出ていたのか、加奈が覗きこんできた。

「つらい?」
「疲れてはいるけど、つらくないよ」
「……笑ってごまかすの止めてよ。そうやって笑うの嫌い」
「はは、ごめん。もうこれは癖なんだよ」

塗り固められていく嘘の感情。互いを傷つけないようにするために、僕は笑う。

「本当に止めて。最近の伸樹は、なんだかお面つけてるみたい」
「お面?」
「無理してる。ずっと一緒だったから分かる」

無理をしているのは自分でも分かっている。でも、それはどうしようもなく仕方ないことなのだ。

「……ねえ、加奈は僕のこと好き?」
「な、何を急に聞くのさ! こんな時にふざけないでよ!」
「大真面目だよ。誰でもない加奈の気持ちを知りたいんだ」
「…………わ、私は伸樹のことが好きだよ」
「そうか、ありがとう。それなら僕はまだ頑張れそうだ」
「伸樹はどうなの?」
「ん?」
「私のこと好き?」
「もちろん」

肩を寄せ合い、無言の時間を過ごす。数十分経ち、次第に雨が細くなっていった。
木々の向こうには、見覚えのある建物が見えた。

「良かった。もうすぐ雨が止みそうだね」

散々歩き回ったが、実際は合宿場の周辺をさまよっていただけだったようだ。
これでこのイベントは終わりだ。僕は立ち上がり、加奈の手を取る。

「ごめん。こんなことに巻き込んじゃって」
「ん? 何か言った?」
「何でもない。早く戻ってシャワーを浴びよう」

水溜りを避けながら、僕たちはゆっくりと歩いて行く。
終わりが見えると心も体も軽くなり、それまでの疲れが嘘のように消えていた。
そう少しで合宿場に着こうとした時、足が止まる。道の真ん中にレインコートを羽織った男が立っていたからだ。
何かをしているわけでもなく、ただこちらを見ているだけの不自然な存在。
フードの隙間から睨んでくるその男に、見覚えがあった。
僕たちが横を通りすぎようとすると、男は声を掛けてきた。

「今日は良い天気だな。こんなに晴れやかな気分になったのは久しぶりだ」
「あんなに雨が振ったのに、良い天気なんておかしいよ」
「そんなことはない。晴れはスッキリして良い天気、曇りは涼しくて良い天気、雨はじっとりして良い天気。
要するに天気なんて、気の持ちようだ。それに、今日は初めて俺の思い通りに事が進んだ。こんなに嬉しい日はない」
「……どうして、君がここにいるんだい」
「そう威圧的な眼で見ないでくれ。お前を待っていたんだ」

佐藤尚輔――彼は、僕と加奈を見て口元を歪めた。僕はそれまで繋いでいた加奈の手を離した。

「向こうで待っててくれないかな?」

加奈は黙って頷き、僕たちから離れた。
心配なのか何度も振り返ってくれたが、僕はその度に大丈夫だと笑った。
加奈の姿が見えなくなって、僕たちはようやく本音を語り合える。

「もう一度聞くよ。どうして、ここにいるんだい」
「イベントが終わったからだ。それでお前を待っていた」
「そうだろうね。イベント中は僕の後をずっと付けていたのかい?」
「まさか。先回りさせてもらったよ」

あの小屋が壊されていたのは、やはり彼の仕業だろう。

「君のしていることは無意味に近い。それなのにまだ足掻くつもり?」
「当然だ。俺は明日のスキーでも妨害をする。そこでお前をゲームオーバーに引きずり込んでやる」
「わざわざ宣言してくるなんて律儀だね」
「ゲームを貰ったお礼だ。それに、これは俺が俺らしくあるために必要なことなんだ」

どうやら彼は引く気がないようだ。これ以上何を言っても変わらないだろう。僕は彼を無視して歩き出した。

「待て」

低い声が僕を引き止める。
何をするのかと構えていると、彼はレインコートの下にあるショルダーポーチからタオルを取り出した。
そして、タオルをこちらに軽く投げた。

「柴田さんがだいぶ濡れていた。それで拭いてやれ」
「……ありがとう」

彼から受け取ったタオルを持って、僕は加奈の元へ向かった。





レインコートを羽織っているが、俺の全身は嫌な汗がまとわりついていた。
織田の姿が見えなくなると、それまで隠していた緊張が一気に押し寄せてくる。
深く息を吐き、額に溜まった冷や汗を手で拭う。

「……足りていない。あいつに追いつくためには、まだ決定的に足りていないんだ」

小屋で織田を休ませなかったことで、ゲーム内における最善の進み方は避けられた。
初めて成功した妨害と言えるかもしれない。しかし、織田は柴田さんと最後まで離れなかった。
好感度の上昇は抑えられたが、ゲームオーバーにはまだ遠い。

「それに、どうも違和感がある」

妨害が順調に進んだことだ。これまでの妨害はイベントに関わることすらできずに終わっていたことが多い。
けれども、班構成の件と今回の妨害といい完璧とまではいかないが順調すぎている。
ただ、今まで失敗の経験から俺が疑いすぎるだけかもしれない。

「杞憂だといいんだがな……」

ショルダーポーチに入れていた携帯電話が鳴った。

「もしもし、俺だ」
「あーやっと繋がったぜ。あの後はうまくいったか?」
「駄目だ。結局、織田と柴田さんは離れなかった。田中こそ、怪我はなかったか?」

昼食を取った後、俺たち三人はウォークラリーでのイベント分岐を洗い直し、妨害の計画を立てた。
石川はイベントを起こすためにわざと徳川に突っかかり、俺と田中は一緒に小屋を壊すということになった。
イベントを起こさないようにするのではなく、イベントの選択を誘導するという方法に決まり、俺たちは急いで妨害を始めた。
だが田中は山道で足を滑らせてしまい、途中から別行動を取っていた。

「オレはちょっとした打撲で済んだぜ。まあ本番は明日だから、今日は早く戻って風呂に入ろうぜ」
「ああ、そうだな。早く戻ろうか」

通話を切り、合宿場を目指して歩き出す。
水溜りを避けながら坂を下り、昼食を取った広場を通りすぎようとすると、また雨がぽつぽつと降りだしてきた。
レインコートを羽織り直して雨の様子を見ていると、調理場の屋根の下に女の子が立っていた。
誰かを待っているようで、辺りをきょろきょろと見渡している。

「あっ……!」

女の子が声を上げた。その女の子は、間違いなく斉藤裕だった。
学園のジャージの上に水色のパーカーを羽織っており、片手には傘を持っていた。
彼女はこちらを見てきているので、俺は仕方なく調理場の中に入っていった。

「実行委員のお手伝い、お疲れさま。仕事大変だった?」
「いや、そんなことはなかった。こちらこそ突然抜けだして悪かった」

ウォークラリー中、俺は嘘をついて班を抜けていた。だから、後ろめたさを隠すようにすぐに話題を変える。

「こんなところで一人でいるなんて、誰か待っていたのか?」
「佐藤くんを待っていたんだよ」
「……えっ、俺を?」
「雨が降ってきたから。佐藤くんが濡れているかなと思って」

彼女は、柔らかそうなタオルを差し出してきた。

「いや、タオルは自分で――」

自分のものを織田に渡してしまったことを思い出し、きまり悪くタオルを受け取った。
どうも落ち着かず、外の様子を見ながら肌を拭いていく。

「また降ってきたね……」
「そうだな」

雨の音が段々と早くなってきた。明日のスキーまでには晴れるだろうが、少し心配になる。

「佐藤くんは雨好き?」
「嫌いかな。雨には嫌な思い出があるから。斉藤さんは?」
「私は好きだよ。雨の日は静かで落ち着けるから」

そこで、一旦会話は途切れる。

「…………」
「……雨、強いね」
「……ああ」
「もう少し話をしていかない?」
「いいよ」

俺と斉藤さんは30センチほどの距離を置いて、調理台の上に座った。
手を伸ばせば、届きそうな距離。でも、それ以上近づくことはできなかった。
「話をする」と言ったはずなのに、俺達の間に会話はない。
それに彼女が言うほど、雨は強くなかった。でも、俺達は理由もないのに、この場所に留まった。
時間がゆったりと流れていくように感じられる。

「ごめんね」

前触れ無く彼女は言った。何を意味するのか、すぐに理解できた。

「急に呼び止めたりして変だと思ったよね。調理実習の時に言えなかったから、ずっと探していたんだ……」
「……そうだったのか。でも、斉藤さんが謝る必要はない。悪いのは全て俺なんだ」
「そうやって全部背負うのはずるいよ。私だって佐藤くんを叩いたんだよ」
「あの時のきっかけは俺にあった。だから――」
「違うんだよ……」

彼女は体をずらして、俺の手を取った。

「悪いのは、私なんだよ……」

涙声で彼女は言う。しかし、それを素直に受け止められない。
俺は彼女に許されるような立場ではない。あの日から今日まで、ずっとそう思い続けている。
だから、俺は握られていた手を静かに離した。

「事態は、君が思っているより複雑だ。それをさらに掻き乱したのが、俺だから」
「……」
「斉藤さんに聞きたいことがある……」

その聞きたいことを口にするだけで、唾が口の中にまとわりつく。
その質問がこの関係を完全に壊してしまうかもしれない。
しかし、覚悟を決める時は限られている。

「君は本当に織田のことが好きなのかい?」

しばらく無言が続き、斉藤さんは寂しそうに笑った。

「……佐藤くんは、織田くんのことを知っているんだよね?」
「織田が5人の女子と付き合っていることだよな」
「うん、それ。その中の一人が私。私は織田くんが好きだよ」

分かりきっていた真実を突きつけられて、俺の胸は強く締め付けられた。
震えそうになる声を誤魔化すように、俺は自分の喉元を触る。

「でも……」

彼女は呟く。

「……分からない」

俯きながら、辛そうな声でそう言った。

「どうして分からないんだ?」
「うまく言えないけど……気持ちを比べると、分からなくなるんだ……」
「気持ちを比べる?」
「……私ね、織田くんに告白するよりも前に好きな人がいたんだよ」

驚きを悟られないように「そうだったのか」と小さめに呟き、頷いた。

「うん。始めは怖い人だと思っていた。けど、そんな人じゃないってすぐに分かったんだ。
ちょっとしたことでも気になって、いつも彼を見ていたの。
難しそうな顔をしていると、何を考えているのか知りたくなって。
退屈そうな顔をしていると、話しかけたくなって――」

そこで、彼女は話を区切り一呼吸置いた。

「この前お父さんに、叱られたんだ。織田くんとの付き合いについても言われた」
「なんて?」
「『お前が幸せなら、問題ない。けれども、お前を心配している人もいる』
そう言われて何故だか、私はその好きだった人のことを思い出したんだ。
その人は私のことをどう思っているのか知らないのに、なんでだろうね……?」
「…………」
「私は織田くんが好き。でもね、ふたつの好きを比べたら、分からなくなっちゃったんだ。
同じ好きなはずなのに、どこか違う気がするんだよ。けど、何が違うのか分からない」

また彼女は寂しそうに笑う。見ている俺が辛くなるような表情だった。

「好きってなんだろうね……?」

斉藤さんは首を傾げて、こちらを見てくる。
その質問に対して、何一つ気の利いた答えを持ち合わせていなかった。
考えたところで、納得のいくような答えも浮かばない。

「ははっ、ごめんね。変な話しちゃって」
「そんなことはない。……そうか、織田に告白するより前に好きな人がいたのか。それじゃあ、文化祭の時にデートを申し込んだのも時期が悪かったな」
「えっ、ち、違うよ。それは――」

何を焦ったのか、斉藤さんは急に顔を近づけてきた。
雨の匂いと彼女の匂いが混じりあって、俺の鼻孔を擽る。
少し濡れた髪、整えられた眉毛、耳から顎にかけての滑らかなライン。俺の視界が彼女で埋まっていく。
視線を外そうと思っても外す先はなく、彼女の瞳には俺が映っていた。
彼女の唇が躊躇うように震えた。

「だって、私が好きだったのは――」

その時、近くで砂利を踏んだような音が聞こえた。
互いに近づきすぎていたことに気づき、ぱっと身を引く。
今度は手も届きそうにない距離が開いた。

「ご、ごめん。私もう戻るね。それじゃあ、また後で」

変な空気になるのは避けるためか、彼女はそれだけ言うと宿舎の方へ走りだしてしまった。
俺は彼女の後を追わなかった。いや、できなかった。彼女との会話の中で、引っかかるものがあったからだ。
『同じ好きなはずなのに、どこか違う気がする』
それこそが、感情を操作されている証拠なのではないだろうか。
佐藤尚輔に好意が残っていた明智さんが織田を好きになってしまったように、彼女もまた感情を変えられた。

「けど、本当のところは誰にも分からないんだよな……」

これは俺の推測だ。
斉藤さんがデートを断ったのも、織田を好きになったのも、全て何か原因がある。
そう至る過程には、どこかそうであって欲しいという俺の邪な思いが含まれている。
だから、これ以上考えても無駄だと、無理矢理切り捨てることにした。
調理場を出ようとした時、また物音が聞こえた。今度はもっと近く、すぐ傍だ。
その音が聞こえた方へ、顔を向ける。
調理場から少し離れた場所に、桜色の傘が見えた。
少しの後ろ姿しか見えないその人物を、俺は知っている。
愛嬌がよく、いつも自分を励ましてくれた後輩。
そして、彼女はあの屋上で織田にハーレムルートへ進むように言ったのは自分だと答えた。
こちらに振り返ることなく、彼女は姿を消した。

「秀実ちゃん……どうして君が…………」

俺の声は彼女に届くことなく、雨の中に消えていった。



[19023] 第二十九話 ~信じて、裏切られて~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/03/12 00:29

「そろそろ風呂の時間だぜ」
「そうだな。次のイベントが始まるな」
「そういや、さっき壊した小屋からサバイバルナイフとロープを持ってきたんだけどよ、使うか?」
「何に?」
「覗きにだぜ」

宿泊棟の一室、俺と田中は次なる妨害の話し合いをしていた。
夕食が済み、今日の活動はひとまず終わった。
午後から降っていた雨も止み、妨害のチャンスは風呂とスキーのみとなった。

「覗きにナイフは使わないだろ。それにロープもどう使うんだ? 塀の穴から覗くから、ロープは使わないぞ」

そういえば、体育倉庫での妨害の時に持ちだした道具の中にロープがあった。
あの時はいざという時のために倉庫から脚立なども持っていったが、ほとんど使わずじまいだった。
使わなかった道具たちは倉庫裏に隠したままだったが、誰か片付けてくれたのだろうか。

「確かに思いつかないものだぜ……。それじゃ、いっそのこと縛るか?」
「誰を?」
「……織田?」

縛られている宿敵の姿を想像すると、途端に気持ちが萎えてしまった。

「とりあえず両方使わないから、片付けておいてくれ。それより問題は風呂だ」
「風呂での覗きイベントだからなあ。オレたちも覗きに行くか?」
「……覗いてもいいのか?」
「……覗いてもいいんだぜ?」
「いいわけがないだろ、この不埒共め!」

石川の拳は俺たちの後頭部へ手加減なしで直撃した。

「痛えなあ。冗談だって分かっていたんだから、本気で殴んなよ」
「田中よ。言葉は軽くとも、眼は本気だったぞ」
「たはは、100%の否定ができねえぜ」

田中は風呂のイベントでも妨害をしようと考えているが、実のところ俺はそこまでノリ気ではなかった。
風呂よりも優先しなければいけないことがあったからだ。

「悪いが、俺は風呂イベントには参加できない」
「前に言ってた『借りたもの』を返しに行くのか?」
「ああ、ずっと借りたままだからな」
「それならしゃーないな。けど、作戦会議だけは付き合ってくれねえか?」
「分かった。早速風呂イベントの再確認をしよう」

ゲームの情報を書いたノートを広げる。
風呂イベントは織田が徳川に連れられて、女風呂を覗きに行くという内容だ。
女風呂の壁には3つの穴があり、そのうち1つは中を覗き見ることができる。
ポイントとなるのは、このイベントがゲームオーバーに直結している点である。
一番右の塀の穴を覗き見ようとすると、教師に見つかって退学させられてしまうのだ。
エンディング№70「若気の至り」。最も不名誉なバッドエンドである。
そして、その覗きを発見する教師は口調から察するに俺を羽交い絞めにした平手先生であるが、それはどうでもいい話だ。

「それで、どうやって織田を覗きに行かせるんだぜ?」

穴の向こうにある桃源郷が見たさに、殆どの男性プレイヤーはゲームオーバーなんて気にせずにこのイベントを選ぶものである。
ヒロインのみならずサブヒロインまでもが映っているCGは、このイベントと卒業式のものしかないだろう。
だから、CG回収とかイベント回収とか言い訳しながら、男性プレイヤーはゲームオーバーに向かっていく。
しかし、現実となると話は別だ。
織田は元々ゲームの所有者であり、このイベントがゲームオーバーへ繋がっていることを知っているだろう。
退学処分を受けるようなこのイベントを、素直に覗きに行くとは考えにくい。

「難しいところだな……」

勝算は極めて低い。どうするべきかと迷っていると、石川が俺の肩に手を置いた。

「それなら俺から提案がある。ウォークラリーからの分岐で、俺と徳川が競い合うように女風呂を見に行くイベントがあったはずだ」
「あったのか、そんなイベント?」
「石川本一に関するイベントを全てやり通した自信がある。なにせ俺自身のイベントだからな。俺と徳川が説得すれば、織田も女風呂まで行かざる負えないだろう」

豪語する石川。これで織田を連れ出すことはできるかもしれない。しかし、問題はもう一つある。

「どうやって一番右の穴を覗かせるつもりだ? 3分の1の確率に掛けるのもいいが、織田はハズレを知っているぞ」
「うむ、そこは俺も考えあぐねている。穴を選ぶ選択権は織田にあるからな。女風呂まで来て、織田が覗かない可能性もある」
「……おっ! いいこと思いついたぜ」

この部屋には俺達の他に誰も居ないのに、田中は思いついた考えを小声で囁いた。

「……なるほどな」
「いい方法だろ」
「そうなると勝負は5秒だ。このイベントの分岐は、その5秒に賭けられている。やれるか、石川」
「望むところだ。俺の全てを持って足止めをしよう」

妨害の方向性が決まり、俺たちは風呂での動きを確認した。
一番右の穴が選ばれるようにする工夫。徳川と織田を挑発するための言葉。
イベントの大まかな流れを把握し、田中と石川は着替えとタオルを持ち、風呂へ行く準備を始めた。

「風呂のイベントはお前たちに頼むことになる。頑張ってくれ」
「了解したぜ。そっちこそ、返すもんはしっかり返しておけよ」
「大切なものだからな。しっかり返すさ」







正しい主人公の倒し方 第二十九話
 ~信じて、裏切られて~








田中と石川が風呂に着いたであろう頃、俺はある人を探しに女子の宿泊棟に向かっていた。
男子と女子の宿泊棟は離れた位置にある。午後から歩き回っているため、宿泊棟に着くと疲れが押し寄せきた。
宿泊棟の入り口では、何やら話し声が聞こえてきた。

「問題はなかったみたいだな。また何かあったら俺たち教師に知らせろ」
「はい。ありがとうございます」
「全く、お前らの学年は問題児が多いからな。――ん?」

入り口で話していたのは、松永と平手先生だった。
遠くから見ていようかと思っていたが、近づきすぎていたらしい。
松永は驚いた様子を見せ、平手は訝しげに俺を睨みつけてきた。

「おい、佐藤。どうしてお前が女子の宿泊棟にいるんだ」

威圧的な視線。どうもこの教師とは、相性が悪い。

「借りたものを返しに来ただけです。この時間帯なら、まだ違反していないと思います。何だったら栞に書かれた規則でも読み上げましょうか?」
「……チッ、口だけは達者だな。9時には見回りに来るから、その時までに戻っておけよ」
「ええ、分かっています」

最後にもう一度俺を睨みつけて、平手は去っていった。平手の背中が見えなくなると同時に、松永はむっとした表情をした。

「あなた、風呂を覗きに行ったんじゃないの?」
「さっきメールを送ったじゃないか。覗かせる手伝いはしようと思ったが、覗きには行かないぞ」
「どちらにせよ犯罪よ。どういう妨害をしようとしていたのよ」

松永は眉を歪めて、こちらを見てきた。いつもと雰囲気が違う。
彼女は白い太めフレームした眼鏡を掛けていた。
俺の視線に気づいた彼女は、フレーム部分をそっと持ち上げた。

「普段はコンタクトで、夜は眼鏡なのよ。私の眼鏡姿って、そんなに珍しい?」
「ゲームには登場しないからな。意外と似合っているぞ」
「ふふっ、意外ってどういう意味かしら?」

その捻くれた答え方は、実に松永らしかった。

「それで、どうして女子の宿泊棟まで来たのかしら? 借りたものってなに?」
「借りてたというよりは、以前交換したものだ。明智さんは宿泊棟にいるか?」
「多分いると思うわ」
「悪いが、呼んできてくれないか。俺が行っても警戒されると思うから」

明智さんに『会いたくありません』と言われてから、もう数ヶ月経っている。
あの時から今まで、俺は明智さんと一度たりとも顔を合わせていない。
松永は「仕方ないわね」と言いながら、宿泊棟の中へ入っていった。
一人になって入り口でぼうっと立っていると、宿泊棟に出入りする女子がこちらを見てきた。
このまま目立ちすぎているのも嫌だったので、少し離れていたところで待つことにする。
風に揺られて木の葉が触れ合う音が聞こえた。
雨が止んだ後の夜空には、数え切れないほどの星が見えた。闇の中に燦々と輝く星々。
ここまで綺麗な星空は、久しぶりに見た気がする。
手を伸ばせばどれか一つぐらい届くのではないか、そう思ってしまうほど近くに感じる。

「星を掴もうなんて、顔に似合わずロマンチックなことをするのね」

いつの間にか松永は戻っていた。その横には、誰もいない。

「駄目だったわ。明智さんはお風呂に行っているみたい。もう少し待っていれば帰ってくると思うわ」
「そうか。それなら待とう」

彼女は俺の傍に来て、一緒に星空を見上げた。

「お前まで待つ必要はないんじゃないか?」
「暇だからよ。折角の学校行事の夜に何もなく一人で過ごすなんてつまらないでしょ?」
「けどお前は文化祭の時に、一人寂しく過ごそうとしていたじゃないか」
「そうね。でも、最後の最後にはそんな寂しさも吹き飛んだわ。誰かさんのお陰でね」
「はは、そうだったな」

それから俺たちはしばらくの間、取り留めのない話をしていた。
話の内容は『School Heart』に関する話題と雑談が半々の割合だったが、それでも彼女と話すのは楽しい。
俺がこの世界に来てから、最も多く会話をしている女子は松永かもしれない。
しばらく話していると田中から電話が掛かって来た。松永に断ってから、通話ボタンを押す。

「俺だ。……どうだったんだ? そうか……了解した」

田中との話が終わると、松永はこちらを興味津々な様子で見てきた。
しかし、俺は首を横に振った。
織田は一番右の穴を覗いたが、教師に見つかることはなかったそうだ。つまり、妨害は失敗したのだ。
制限時間付き選択肢を利用するという田中のアイディアは駄目だったようだ。

「イベントに修正力があるなら、時間制限を上手く活用できると思ったんだがな」
「修正力を逆手に取ろうとなんて、良いアイディアじゃない」
「でも、駄目だったんだ……」

溜息をつこうとした時、数人の女子が宿泊棟へ向かう道に現れた。その中の一人に明智美鶴がいた。
落ち込みかけた気持ちをすぐに切り替える。俺と松永は顔を見合わせ、一歩踏み出した。

「お久しぶりです、明智さん」

俺の姿に気づくと、明智さんはビクッと肩を震わせた。

「……こちらこそお久しぶりです」
「渡したいものがあるんです。少しだけお時間をいただけますか?」

控えめな声や戸惑っている様子から、明智さんが警戒していることが分かる。
こうなることは予想できていたはずだが、やはり実際にされるとこたえるものだ。
彼女の横にいる女子たちも、突然現れた俺を訝しげに見てくる。

「私からもお願いします」

隣にいる松永も一緒になって頭を下げてくれた。
それを見てようやく警戒を緩めてくれたようで、明智さんは女子たちに「先に行ってください」と伝えた。

「すみません、明智さん。急に呼び止めてしまって」
「いえ、構いません。……その、お元気でしたか?」
「はい、ここのところは元気に過ごしています」
「……ああ、良かったです」

明智さんは胸に手を置いて溜息をついた。本当に心配してくれているようだ。
そんな彼女を見ているとふと疑問が浮かんだ。彼女は俺が謹慎処分を受けたことを知っているのだろうか。
分からない。だが、彼女の顔を見るだけでずきりと胸が痛んだ。
俺はポケットから渡すべきものを取り出した。

「今日は渡したいものがあったんです。どうかこれを受け取ってください」
「これは……」
「前に交換してもらったキーホルダーです。壊れていたチェーンは交換しましたが、他はそのままです」

佐藤の日記と交換した熊のキーホルダー。
新調したチェーン部分が月明かりに照らされて、白く輝く。
明智さんはキーホルダーをじっと見つめるが、受け取ろうとしない。

「でも、私は……」
「安心してください。あのイベントは終わりました。もう何かを捨てることはありません」
「本当ですか?」
「信じて下さい。俺はあなたを守ることはできなかった。せめてもの償いです」

差し出したキーホルダーを、彼女は両手で受け取った。ゆっくりと目を閉じて、大切そうに握りしめた。

「ありがとうございます……。その、尚輔は?」
「俺は、あの日から体と名前を借りたままです。記憶も何も戻っていません」
「そうですか……」

残念そうに彼女は俯いた。木々の間を吹き抜ける風の音が沈黙を強調し、俺を焦らせる。

「あの、今さらキーホルダーを返すことになってすみません。『会いたくない』って言われていたのに、こうして押しかけて。
今の明智さんにとって、キーホルダーは良くない思い出があるかもしれませんが……俺の中で区切りをつけたかったんです」

舌が回らず、自分の気持ちを上手く言葉にできない。そんな俺の言葉を明智さんは黙って聞いてくれて、松永は俺の顔を見つめていた。

「いえ、こちらこそありがとうございます。……それと、あの時の『会いたくない』という言葉は撤回させてください」
「えっ?」
「ごめんなさい。あの言葉を言ってから、ずっと後悔していました」

明智さんは深く頭を下げた。

「ご存知かと思いますが、私は織田君と付き合うことになりました。
あの時の私は様々な葛藤があって、何が自分の気持ちなのか分からなくなっていたんです。
でも、今はもう平気です。人の気持ちは形を変えることがあっても、消えることはない。私が尚輔に抱いていた気持ちは、確かにある。
小さくなることはあっても、消えることはないんです。このキーホルダーを見て、またそのことが分かりました」

生意気そうに笑っている熊のキーホルダーをこちらに見せて、明智さんは優しく微笑む。

「貴方がこれから何をするのか、私は知りません。でも、頑張ってください。今の貴方は『佐藤尚輔』なんですから」
「……はい。頑張ります」
「良い返事ですね。それでは、私は宿泊棟へ戻ります」

深々とお辞儀をし「また準備室に遊びに来てくださいね」と明智さんは言った。俺は笑顔で「はい、もちろんです」と答えた。
それから彼女は、キーホルダーを大事に握りしめて、夜の道に消えた。





明智さんは織田との関係に折り合いをつけられたようだ。
それなのに、俺は今だに様々な出来事を引きずっている。
初めて織田を倒そうと思ったのは、文化祭が終わった後の雨の日のことだった。
斉藤さんを織田に取られたことの悔しさと何もできなかった自分への怒り。
自分という存在がただの傍観者であることを認めたくなかった。だから、俺は妨害を始めた。
けれども、今の俺はどうなのだろうか。
諦められなかったから妨害を始めたのに、俺は自分から諦めてしまった。それから立ち直り、もう一度挑戦しようとしている。

「……黙っちゃってどうしたのかしら?」
「すまない、少し考え事をしているんだ」

失敗は嫌というほど俺は繰り返してきた。それが今日のウォークラリーで初めて成功した。
決定的とは言えないが、これまでのものと比べれば十分すぎる成果だ。
それが返って、不安になる。どうして成功したのか。それさえ分かれば、明日の妨害へ繋げることができるかもしれない。

「……違いがあるのか」
「何のこと?」
「ウォークラリーで妨害は上手くいったんだ。これまでの失敗した妨害とは、違いがあったのかもしれない」

普段は学校での妨害ばかりだったから、場所が影響したのだろうか。
いや、それだったら田中たちがした風呂の妨害も結果を残せたはずだ。
それとも人数が違いか。いつもは一人で妨害をしていたが、ウォークラリーでは三人だ。
でも、人数が増えただけで成功するような単純な問題なのだろうか。
心の中にある引っ掛かりを、全て取り出す必要がある。
ウォークラリー中の出来事を振り返ると、気になることがひとつ見つかった。

『イベント中は僕の後をずっと付けていたのかい?』

織田と会った時の台詞だ。この台詞が出てくるような状況を考える。
先入観を捨て、ありのままを姿を想像する。
織田は元ゲームの所有者であり、ウォークラリーでのイベントを知っている。
にも関わらず、俺達の妨害によってイベントの進行を制限された。
あの時織田は、確かめるようにあの台詞を俺に言ったはずだ。

「織田は俺達たちがどうやって妨害をするのか分かっていなかったのか……?」

この一点は大きな手掛かりになりそうな気がした。

「なあ、松永。どうして俺の妨害が失敗ばかりだったのか分かるか?」
「昼の時にも言ったけど、私は修正力による影響が大きいと思うわ」
「確かに理不尽なことは幾らでも起きたからな……」

しかし、本当にそれだけなのだろうか。
ゲームの修正力が完全なものだったら、ウォークラリーでも妨害は失敗したはずだ。
あれは主人公である織田にとっても良くない進み方だったことには間違いない。
もしも織田が修正力を完全に操れるのならば、石川と徳川が喧嘩を始めた時点で何かしらのアクションが取れたはずだ。
だから、織田は完全に修正力を操る能力を持っていないと見ていいかもしれない。
疑問が一つ解消すると、次の疑問がすぐに浮かび上がる。
どうして織田は、今までの妨害を全て回避できていたのか。

「ねえ、そんなに頭を抱えて大丈夫?」
「……あともう少しで見つかりそうなんだ。織田は完璧じゃない。穴があるはずなんだ」
「そうね、きっとあると思うわ。でも、分からないものを調べるためには時間が必要なの。もっと落ち着ける場所で冷静になって考えるべきだわ」

松永の言葉を聞き、脳を針で刺すような何かを感じた。

「……松永、今なんて言った?」
「ええっと、もっと冷静になって考えるべきだわ」
「違う。それじゃない」
「分からないものを調べるためには時間が必要とは言ったけど、それがどうかしたのかしら?」
「分からない……そうだよ、織田も分からないんだ」

『ゲームの情報』『織田伸樹』『妨害』『修正力』『分からない』
頭の中で散らばっていた点と点に道筋ができる。
それをなぞっていくと、黒い大きな穴が描かれる。そうしてできた穴こそ、俺が求めていた答えだった。
ウォークラリーで織田は穴を埋めれなかったから、俺達の妨害を回避できなかった。ついに俺は織田の弱点を見つけることができた。
今までの失敗も、このためのものだと思えば苦では無くなるほどだった。
声を上げて喜びたかった。隣にいる松永に笑顔を見せたかった。
だが、俺が知り得た真実は、俺自身をも巻き込むような大穴だった。
顔から血の気が引いていくのが自分でも分かる。
覗いた先にある穴の奥深くには、裏切りという真実があった。

「佐藤、何か分かったの?」
「……ああ、分かったよ。どうしようもないことさえ分かったよ」

俺は頭の中を整理しながら、ぽつりぽつりと松永に説明を始めた。
ウォークラリーの妨害結果から、織田も完全に修正力を操ることができない可能性まで話す。

「けれども、一学期の頃織田は俺の妨害を回避し続けた。それには理由がある」
「妨害を避けられた理由?」
「織田は俺がどんな妨害をすることを知っていたんだ。だから、俺の妨害にかすりもしなかった」

一学期の終わりに明智さんは、織田が俺の行動を知っていると言った。それについて協力者がいる可能性もあると。
実際にいくつかの妨害では織田に先回りをされるようなことがあった。
例えば、体育倉庫で妨害をした時もそうだった。
俺は教師に見つからないようにするため、周囲を警戒しながら妨害の準備をしていた。
それなのに、織田は体育倉庫に一度も訪れることなく、体育館倉庫でイベントを起こした。
彼がイベントが起きる場所を避けられたのは、修正力とは関係なく、予め俺の行動を知っていなければできないことだ。

「織田は妨害を回避するために、俺の情報を握っていた。だから、俺がどう妨害しようとも事前に動くことができた。
もしかするとキーアイテムの再出現も修正力ではなく、前もって準備していたのかもしれない。
そうやって織田が避け続られた裏には、情報を流した協力者の存在があるはずだ。それも俺の情報を的確に知っている人物だ」
「……へえ、なるほどね」
「度重なる偶然で俺の妨害が失敗したんじゃない。必然によって回避され続けていたんだ。
その協力者に妨害内容を知られなければ、成功する確率も高くなるかもしれない」

織田は俺の行動を知っている。そして俺の知る限り、妨害を全て知っていた人物は一人だけだ。
ヒロインの誘導。キーアイテムの先取り。イベント発生場所の封鎖。俺が起こそうとした妨害を、彼女は全て知っている。
認めたくはないが、それで全ての辻褄が合ってしまう。

「松永、お前は………――」

俺は続く一言を躊躇った。言葉が喉に張り付いて、外へ出ようとしない。

「どうしたの? 途中で止められたら気になるじゃない?」
「お前は……――」
「お前は?」

ウォークラリーと今までの妨害との相違点。それは妨害の情報を『彼女に伝えていなかったこと』だ。

「お前は……織田に情報を流している。協力者は、松永なんだよな?」

彼女は下唇を軽く噛んだ後、余裕を見せるように大きく笑った。

「あははははっ、どうしたのよ佐藤。焦るあまりまともに考えることも、できなくなったのかしら?」
「焦ってはいるが、頭はいつも以上に冴えているつもりだ」
「本気で私を疑っているの?」
「……違うとでも言うのか」

松永が俺の妨害を知っている。その細い糸を辿って導き出した答え。それはあまりに脆く、自分自身でさえ信じきれていなかった。
だからこそ、彼女が否定するだけで俺の考えはいともたやすく揺らいでしまう。

「あなたの話はよく分かったわ。でもね、あなたが話してくれた内容には、私が織田君と協力している証拠が何一つない。
確かに私は誰よりもあなたの行動を知っていたわ。けど、それだけで決めつけるなんて酷くないかしら」
「……全くもってその通りだ。パートナーを疑うなんて今の俺はどうかしているかもしれない。
だが、疑うのは明日までだ。明日の妨害が終わるまで、お前とは協力しないつもりだ。すまないと思っている」

重要なのは松永が協力者であるか否かではなく、情報をこれ以上流さないようにすることだ。
そんな俺の弱気な発言を聞いて、松永はやれやれとわざとらしく肩をすくめた。

「私が協力者だと思い込んだままで妨害をして、他に協力者がいたらどうするのかしら?」
「その時は……」
「協力者も一人だとは限らないのに、そのまま放っといていいの?」
「……それじゃあ、どうすればいいんだ」
「答えは簡単よ。私が織田君と協力している証拠を探せばいいのよ。私も疑われたままなんて嫌だし、何時間でも付き合ってあげる」

疑われているのに、自分が協力者である証拠を探す。松永はどういうつもりで言っているのだろうか。

「不思議な顔をしないで。いくら考えても証拠が見つからなかったら、私が協力者じゃないってことが分かる。
そうして容疑が晴れたら、私も明日の妨害に参加できるわ。三人という少ない人数に、一人が加わることは大きいんじゃないかしら?」
「そうだな、大きなメリットになる。……だが、何から考えればいいんだ」
「変に考えこまず、もっとシンプルに物事を見ればいいわ。そうね、あなたの妨害を知っていたのは本当に私だけだったのかしら?
一学期の頃、私の他にもあなたとよく一緒にいた人物はいるはずよ。例えば、田中君や石川君だって協力者の可能性はあるんじゃない?」

つい数時間前まで一緒に笑い合っていた友人の顔が頭に浮かぶ。彼らが織田の協力者であるなんて、そんな馬鹿げたことは――

「有り得ない。あいつらが協力者だなんてあるはずがない」
「本当にそう言い切れるの? 友人だからとか、仲が良かったからとか、そんな曖昧な理由は認められないわよ」

頭に上りかけた血を抑えつける。ここで求められているのは、感情に流れることではなく冷静に判断することだ。

「俺が妨害をしていたのは文化祭が終わってから夏休み直前までだ。少なくとも石川は一学期の途中で休学をしている。だから、織田とは協力できない」
「なるほど。休学して学校を離れていたから、佐藤の行動が分からない。でも、石川君は休学をしていた時に何をしていたかのかしらね?」
「何が言いたいんだ?」
「石川君は探偵を雇って、4月からの織田君の行動を知ったそうね。それなら、あなたを監視できる可能性もあるんじゃない?」
「……絶対にないとは言えない。けど――」
「けど? 何かあるのかしら? そういえば田中君は、あなたがこちらの世界に来てからできた初めての友達だそうね。
1年生の時佐藤尚輔は問題児として有名で、友人と言える人物は一人もいなかった。それなのに、どうして彼はあなたと友達になろうとしたのかしら?」
「……それはあいつ自身の性格だ。悪評や噂に流されず、自分の見たことを信じる。あいつはそういう奴なんだよ、俺が保証する」
「保証って……それはあなたの主観でしょ? 始めから織田君の協力者としてあなたに接触したんじゃないの?」

そんなことは有り得ないはずなのに、否定するだけの根拠と証拠が見つけられない。

「合宿の始めに言ったはずよ。『言葉、態度、行動。全てのものを疑いなさい』
疑うことに罪悪感を抱いて、真実を見ない。それが正しいと思うなら、もう何も言わないわ」

反論することができず、歯を食いしばって黙る。
あるはずのないことさえ疑い、何が正しいのかさえ分からなくなってきた。
松永の言うように田中と石川が協力者なのだろうか。一瞬だけそう疑ってしまった。
その一瞬が、彼らと築き上げていた信頼にヒビを入れた。
不安から不信へ。
俺はどこまで彼らを信じきれているのか。
風呂の妨害を任せたが、失敗したのはあいつらが協力者だったからかもしれない。
田中はウォークラリーの時に、俺とはぐれた。だから、妨害が完璧に成功することはなかった。
石川には探偵を雇うだけの財力がある。常に俺の行動を見張ることもできる。
あいつらが協力者だったら、明日の妨害は確実に失敗する。

「違う……そんなことはない…………ないんだ………」

一つでも疑い始めたら、どんな些細な事でさえも信じられなくなる。
松永を疑い、更に田中と石川まで疑い始め、疑心が止まらなくなる。
見えるもの全てが不自然に見えて、見えない何かに押し潰されてしまいそうになる。

「何だよ、それ……俺は……俺には…………」

気持ち悪い。吐き気がする。呼吸が苦しい。
足に力が入りきらず、小刻みに震え出す。視界は焦点がどこにあるのか分からないほど揺れ動く。
助けて欲しい。でも、誰が俺を助けてくれる?
手を差し伸ばしてくれても、そいつが裏切り者かもしれない。
どうすれば、どうすればいいんだ。

「信じればいいのよ。誰でもない自分自身を」

気がつくと松永が俺の体を抱きしめていた。俺の肩に顔を埋めて、小さく呟いた。
彼女の体は温かった。昼に触れた時よりもずっと温かった。
単純かもしれないが、その温かさに触れて少しだけ気分が落ち着いた。

「追い込むようなことをしてごめんなさい。けど、あなたのためなの」
「松永……」
「諦めたら駄目。真実から目を背けないで」

真実なんて言われても、俺はそれがどこにあるのか知らない。

「ひとつひとつゆっくりと思い出して。真実は隠されていない。剥き出しのまま置かれているから。
あなたはまだ全てを見ていない。横も裏も見ていない。一面だけが全ての真実じゃないの」

松永の言葉に促されるまま、これまでの記憶を思い返す。
嬉しかったこと、苦しかったこと、恥ずかしかったこと、あらゆる思い出が頭の中を駆け巡る。
今探すべきものは、織田が誰かと協力しているという証拠。
俺が一面からの真実しか見ていないなら、織田の視点から想像して物事を見ていく。
完全に操れない修正力。誰かと協力しなければ妨害を避けることができない非力な主人公。
そうやって考えた先にあった一つの出来事。あの時も、織田は助けが必要だったはずだ。

「あった……あの日だ。明智さんと初めて会った日、俺は図書委員の仕事を代わりにやったんだ。
織田は図書室に姿を現せず準備室に向かった。体育倉庫の時と同じで、情報を知らなければ織田は図書館に行くはずだ」

体育倉庫の妨害の時よりも、俺が妨害をしていることを知る人物が限られる。
田中と石川は図書室に訪れていない。訪れていたとしても、明智さんがどこに居るのかは分からないはずだ。

俺が図書室にいて、明智さんが準備室にいることを知っている人物は三人だけいる。

「明智美鶴。松永久恵。羽柴秀美。この三人だけはヒロインの場所を知っていた」
「その通りよ。そして、この中で協力者ではないと断言できるのは?」
「明智さんだ。彼女が協力者だったら、そもそも図書委員の仕事を代わらない。
それに彼女は日記とキーホルダーの交換にも応じてくれた。協力者であるなら、イベントが発生しなくなる可能性があるものに応じないはずだ」
「間違っていないわ。明智さんが織田君と接触したのは、あの時が初めて。残るは、私と羽柴秀実。どちらが協力者だと思う?」

俺は、その答えを知っている。
明智さんに協力者の存在を言われた時、ゲームソフトを渡した羽柴秀実が協力者だと思い込んでいた。
しかし、『School Heart』でハーレムルートをプレイした時に、俺は秀美ちゃんの言葉の意味を理解した。

「秀美ちゃんが来たのは、日が沈んだ後のことだった。織田に明智さんの場所を伝えるには時間が足りない。
だから、あの時織田に情報を伝えることができたのは――」

どう考えても、結論は変わらなかった。
始めに見た裏切りという真実は、その形を保ったままだった。
だけど、その裏切りは始め見た時よりも、少しだけ色が違っているように思えた。

「やっぱりお前なのか、松永……」

松永は俺の頭を優しく撫でてから、体を離してくれた。
月の光に照らされた彼女は、それまで見せたことのないような笑みを浮かべた。

「正解よ。ようやく辿り着いてくれた。遅すぎるわよ」

本当に遅いんだから、と彼女は呟いた。

「最後の定期報告会を始めましょうか、佐藤尚輔」



[19023] 第三十話 ~少しは素直に~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/03/25 02:59

文化祭の終わりに、私はこの世界が作りものであると言われた。

文化祭2日目の午後。
自習室を後にした私は、今までにないほどの興奮を感じていた。
だって、不思議の手掛かりが、こんなにも私の身近にあるなんて思いもしなかったから。
これだから、不思議を調べることは止められない。
今日聞いた話をノートに書き込みながら、私は廊下を歩く。
まずは佐藤のことを調べる必要がある。
彼が言っていたことが本当に正しいのか、事実の確認をしなければならない。
それと今まで集めた情報も再確認しないといけない。何を見落としているか分からないから。
ふと足を止めて、窓から運動場の様子を見た。楽しそうに後夜祭の準備をしている生徒たち。
祭りが終わり、ひとつの区切りができる。普通なら区切りから区切りまでの間には充電期間がある。
けれども、私の場合はここから何かが始まる気がした。充電している暇なんてないぐらいすぐ何かが起きる予感。
視線をグラウンドから外すと、窓ガラスには私のニヤけている顔が映っていた。
誰かに見られたら恥ずかしいが、この嬉しさを隠せるわけがない。
私はその嬉しさをさらに表現するように、窓に向かってさらにニヤけて見せた。
世界にはまだ不思議が転がっている。それもたくさんあるんだ。

「あの……松永さん?」
「ひゃっ、はい!」

変な声を上げてしまった私は、すぐに声がした方を向いた。
心配そうに声を掛けた男子生徒は、織田君だった。
ああ、変な顔を彼に見られてしまった。
窓ガラスを見なくても、自分の顔がひどいくらい赤くなっていることが分かる。

「だ、大丈夫?」
「へ、平気よ。平気! そうそう、思い出し笑いってあるじゃない?
昔あったどうでもいいことを急に思い出してしまって、笑いのツボに入ってしまうこと。
たまたまさっき思い出しちゃったのよ。傍から見たら間抜けかもしれないけど、人間が笑うことは変なことじゃないのよ。
人間は笑うことで頬の筋肉を鍛えられるし、顔つきも良くなるみたい。今回はタイミングが悪かっただけで、その……忘れてくれる?」
「えっ……うん。分かったよ」

焦ってしまい、捲し立てるような早口になってしまった。
目に見えて織田君が戸惑っている。ああ、顔から火が出てもおかしくない。

「その、なんかごめんね。僕が変な時に声を掛けてしまって」
「いいのよ、織田君が謝る必要はないのよ……」

さきほどまであった高揚感が私の中から消えていく。
合わせて不思議を見つけた嬉しさも半減してしまったが、そのおかげで冷静な思考を取り戻しつつあった。
私は改めて、目の前にいる織田君を見る。
織田信樹、かつて同じクラスにもなった同級生の男子。彼を一言で例えるなら、優しい人だ。
もちろん、その優しいというのには良い意味と悪い意味が含まれている。
一年生の時に同じクラスだったから分かるけど、彼は周りに流されやすい。
自分よりも他者を優先してしまう彼の優しさ。
見る人から見れば、自己主張ができない優柔不断な男だと思われるだろう。
そして佐藤の話と説明書を信じるならば、彼はこの世界の主人公のようだ。

「……松永さん、どうかしたの?」

私の知っている限り彼には特別な能力も才能もないはずだ。
アクション映画やスパイ映画などに出てくるような、超人的な運動能力も頭脳もない。
けれども『School Heart』のジャンルが恋愛だからこそ、彼は主人公らしいと言えるかもしれない。
顔立ちは悪くない。と言うか女子の中でもたまに話題に上がるほどだ。

「何でもないわ。ところで、私に声を掛けてくれたけど何か用事があるのかしら?」

変な顔をしていたから声を掛けたなんて言われた私は死ぬ。
でも、実際のところ織田君が私に声を掛けた理由は違っていた。

「君に謝りたいことがあるんだ。僕は君に嘘をついていた。それを謝りたい」

彼は私が以前に書いたノートの切れ端を取り出して、とんでもないことを口にした。

「『SH』は『School Heart』の頭文字。4月の時に知らないと言ったけど、僕は『School Heart』を知っている」

驚いた私は呼吸を忘れて、再び彼の顔を見る。
どうして彼はこんなことを言うのか。その問いに彼は答えた。

「君の助けが必要なんだ」








正しい主人公の倒し方 第三十話
 ~少しは素直に~







冷たい夜の風が俺の肌をなぞる。鳥肌が立っているのは、この寒さのせいばかりではない。
松永は自分が織田の協力者であることを認めた。そして彼女は、俺の顔を見つめる。

「最後の定期報告会になるけど、いつもみたいに互いの近況報告をしてから妨害方法を検証してみる?」

松永と二人でしていた定期報告会。一学期の放課後に、俺達は織田を倒すための方法を語り合っていた。
その頃と変わらない素振りで、松永は俺に話しかけてくる。

「二学期になってから新しく仕入れた情報もあるわよ。もしかしたら妨害の時に役立つかもしれないわ」
「……『最後』ってなんだよ」
「私と佐藤の関係は、この報告会をもって終わり。パートナー契約は終了。晴れて私たちは、ただの同級生という関係に戻るわ」
「そんな……」
「それとも佐藤は裏切った相手と関係をまだ持っていたのかしら? 本当にお人好しね」

馬鹿にしたようにクスクスと笑う松永を見ると、怒りではなく悔しさが湧いた。

「俺はまだ信じられていないんだ。お前が本当に協力者だったなんて……」
「あなたは真実に辿り着いたはずよ。それに織田君の協力者である私自身が認めているんだから、素直に受け取ればいいのよ」
「……」
「人は一面で判断することはできない。あなたが見ていた一面からは、私の全てが見えなかっただけのことよ」
「それでも俺はお前と一緒にいた。全てが演技だったとは信じられないんだ」
「……あなたと過ごした時間全てが演技なんかじゃないわ」

松永はそれ以上語らず「聞きたいことある?」と促した。
どうやら彼女は自身が協力者であることを前提に話を続けたいらしい。俺は諦めて、松永に疑問をぶつけることにした。

「……どうして織田と協力しているんだ」
「織田君にあなたの妨害を教える見返りに『School Heart』の情報をもらっていたのよ」
「情報をもらっていた?」
「ええ、そうよ。私にとって、あなたの妨害が成功することも、織田君がハーレムルートに行くことも、どうでもいいことだった。
ゲームの情報さえ手に入ればそれで良かったのよ」

たかが情報と思うかもしれないが、松永なら有り得る理由だった。元々松永が俺とパートナーを組んでいた理由も、情報を得るためだ。
だから、情報のために織田と手を組んでいても何の不思議もない。そうやって納得ができてしまう自分が嫌になる。

「織田の協力者は何人いるんだ?」
「私以外いないんじゃないかしら。織田君が私に内緒で協力者を募っていたなら別だけど」
「本当か?」
「疑うならどうぞご自由に。ここで私が嘘をついてもメリットにならないことも考えてほしいわ」
「嘘の情報を流して、俺を油断させるというメリットがある」
「そうだったわね。でもね、あなたは私の言葉を聞く以外ないわ。それしか情報がないんだから」
「……協力と言ってもどんなことをしていたんだ?」
「妨害の情報を伝えていただけよ。場所や時間だけでも織田君はあなたの妨害を予測できたみたい」
「織田はゲームを持っていたから、イベント内容から妨害を予測はできるだろうな。ゲームはプレイしたことあるか?」
「ないわよ。織田君が持っているのは知っていたけど、一度も触らせてくれなかったわ」

松永は「他には?」と聞いてくるが、質問はなかなか思いつかない。
ここまできても松永が協力者であることを認めたくない気持ちが、自分の中に残っている。
だから、織田と松永の関係ではなく俺と松永の関係を聞くことにした。

「何故俺とも手を組んだ?」
「ゲームを進行させようとする者、止めようとする者。そのどちらからも私は観察できる立場だった。情報を得るためなら最適な立場でしょ?」
「二学期の腐った俺を励ましたのも情報を得るためか?」
「その通りよ」
「勿体無いな……」
「何が?」
「それだったら、何故協力者であることを認めたんだ。今後一切、俺からの情報は入らなくなるぞ」

松永はわざらしい大きな溜息をついてから、眼鏡のブリッジを中指で持ち上げた。

「気の迷いよ。信じるものを無くして死にそうなあなたの顔を見たら……どうでも良くなったのよ」

少しだけ見せた隙。どうでも良いなんて、情報に拘る彼女にしては可笑しな心変わりだった。

「本当にそうなのか?」
「……う、五月蝿いわね。本当にどうでも良くなったのよ」

一瞬だけ松永の言葉が詰まった。

「俺が協力者だったら、明日に妨害をしようとする奴に自分の正体は明かさないぞ?」
「だから、気の迷いって言ってるじゃない。あなたは私が眼鏡を掛けていることを知らなかった。それと同じよ。
あなたの知らない私の考えがあっても変なことじゃないわよ。それとも何? あなたは人の考えが読めるとでも言うの?
ゲームが元になっていると言っても『School Heart』には、魔法や超能力なんて出てこないはずよ。そんなものを持っていたら、あなたはモブなんて寂しい立場じゃないわよ」
「読まれたくない考えでもあるのか?」
「……あるわけないじゃない。どうして笑っているのよ?」

松永は、焦ったり緊張したりすると喋って誤魔化す癖がある。
きっと俺に知られたくない考えを松永は持っていて、それは松永が心変わりをした理由でもあるはずだ。
一緒と過ごした時間の全てが演技じゃないなら、それだけで十分だ。俺は彼女の全てを知らなくても、一面は知っている。

「いや、何でもない。笑ってなんかいないさ」
「はあ……大きな勘違いをしているのにそんな顔していられるなんて余裕ね」
「大きな勘違い?」
「その勘違いしたまま、私が協力者であることに気づけたんだから大したものよ」
「俺は何を勘違いしているんだ?」
「そんなの自分で気づきなさいよ。ヒントは、私と織田君の関係」

松永と織田の関係? ゲームであるなら主人公とサブヒロインだ。
松永が攻略されることはないはずだが、ここで聞いてくるということは、それなりの関係があるのだろう。

「松永は、織田の6人目の恋人なのか?」
「違うわよ馬鹿。もっと真面目に考えて」

こちらをじっと見てくる松永。どうやら茶化す場面ではなかったようだ。
この流れで関係してくることは、妨害のこと以外有り得ないだろう。
松永は織田に妨害の情報を流していた。そして受け取った織田は、俺の妨害を上手く避けていた。
しかし、今日のウォークラリーで妨害は成功をした。それは松永が織田に情報を渡していなかったからだが、俺たちが妨害する可能性ぐらいは伝えられたはずだ。
このタイミングで協力者であることを打ち明けて、織田との関係を聞いてきた。そんなことをわざわざ聞いてくるということは……。

「もしかしたら……今は織田と協力していないのか?」
「正解よ。今日、私は織田君に情報を渡していない。今までだったらどんな些細なことでも伝えていたわ」
「トラブルでもあったのか?」
「そんなところね。正解したから言うけど、私は二学期に入ってから織田君と協力していないわ」
「だいぶ前からだな。協力しなくなった理由は?」
「……言えないわ。大丈夫、そんなに大した理由じゃないから」

話してくれないと余計に聞きたくなるが、その衝動をぐっと抑えた。
肝心なところで質問をはぐらかす松永。俺は彼女がどうしたいのかイマイチ掴めずにいた。
彼女から聞いた情報を頭で整理していると、矛盾があることに気づいた。

「それならどうして風呂の妨害が失敗したんだ。協力していないなら、妨害は成功するはずじゃないか」
「さあ? 妨害を素直に受けるほど織田君も馬鹿じゃない。大方風呂のイベントが起きないように細工でもしたんじゃないかしら?」
「イベントを起こさせないようにすることができるのか?」
「簡単よ。織田君が登場人物に接触しなければ、イベントそのものは発生しないわ」
「待ってくれ。俺はヒロインを誘導して織田と会わせないように妨害したことがあったぞ」
「一学期の頃、私が妨害内容を織田君に伝えていたことを忘れたの?」

確かにそうだ。一学期の頃の俺は、松永に妨害の情報を馬鹿正直に伝えていた。

「そうだったな……。でも、イベントを発生させない方法があるなら、明日の妨害でも使えるんじゃないのか」
「残念だけど、この方法は全ての時に通用するものではないの。そのポイントは2つあるわ。
1つ目はその場に代役がいた場合。台詞や行動も、その人でなければならない理由がない限り、代わりの誰かで済んでしまう。
2つ目は重要なイベントだった場合。小さなイベントなら大丈夫だけど、ストーリーに関わるようなものだったらまず無理。
だから、イベントを起こさせないこの方法は明日のスキーだと無理だと思うわ。あなたが何度も体験した修正力によってね」

そう簡単に事は進まないか。

「結局、また修正力とやらに振り回されるのか」
「仕方ないじゃない。これまで調べてきた結論から言うと、この世界には決められたルールや修正力が存在しているんだから」
「分かりきっていたことだが、そんなものが存在しているなんてふざけているな……。欠点でもあれば助かるんだが」
「欠点ならあるわよ。修正力が存在する意味を考えれば分かるわ」

言われたように存在する意味を考えてみるが、答えは見つからない。答えを聞こうと松永の顔を見ると、彼女は頬んだ。
自分の知識を誇らしげに話そうとする、いつも見ていたあの笑顔だ。

「修正力は『シナリオを正常に進行させる』ために存在していると思うの。
イベントが発生した場合、どんなことをしても中断することはできないルールなんて、一番良い例になるわね。
登場人物をゲームのシナリオ通りに動かすことが、修正力が存在している意味なのよ」
「それのどこに欠点があるんだ」
「一見完璧にも見えるかもしれないけど、そこにはシナリオの方向性を保証していないという欠点があるわ。
現にウォークラリーではシナリオが悪い方向に進んでも、修正力がかかることはなかったはず。あなたも気づいていたはずだけど、修正力は主人公さえも操れない力。
それはあなたが思っているよりも不確実で、適当で、結構いい加減なものよ」

いい加減なものならもう少し働きを抑えて、明日の妨害を成功させてほしいところだ。

「むしろ登場人物はゲーム通りに動かないといけなくなるから、修正とはニュアンスが違うかもしれないわ。強制の方が正しいかも」

ゲーム通りのシナリオになるよう様々な事が強制される。不自由なのは十分承知しているが、この縛りを無理矢理解く必要はないだろう。
俺の目的は主人公を倒すことなのだ。むしろ、織田すら完全に操作できない力なのであれば、こちらにとって好都合ではないか。
俺はちょっとだけ息を吐いて、気持ちを落ち着かせた。明日のために考えなくちゃいけないことは山ほどある。でも、ここに来てようやく余裕が生まれた。
改めて眼の前にいる松永を見る。彼女が裏切っていたことを知らなかった。眼鏡を掛けていることを知らなかった。修正力の意味と欠点を知らなかった。
世の中には知らないことだらけだし、俺の知らないことなんてまだ山ほどあるだろう。

「ありがとな」

笑顔でそう言ったことが自分でも分かった。松永は目を見開いてこちらを見てくる。
そりゃ、いきなり前後を無視して感謝の言葉を言われたら驚くのは当たり前だ。
けれども、今しか言えない。明日のイベントに松永はいない。だから、俺は言う。

「苦しかった時期もあったが一人で妨害をしていたら、きっとここまで辿り着けなかったと思う」
「突然何を言い出すかと思えば……違うわよ。あなたは私がいなくてもここまで来れたはず」
「そんなことはない。松永は俺の知らないことを知っていった。それを基にして行動することができたんだ」
「やめて……」
「今しか言えないんだ。言わせてくれ」
「やめてって言ってるじゃない!!」

松永は俺の言葉を否定した。それまで溜め込んでいたものを弾けさせるような大声だった。ここまで感情を表した彼女を見るのは、初めてのことだった。
肩をわなわなと震わせて、目尻には涙が見えた。けれども、その涙は決して落ちることなく堪えているようだった。それはゲームの中でも一度として見せたことのない姿だった。

「どうして急にそんな事を言うのよ。あなたが言うべき言葉はそれじゃない!
私がいなかったら、妨害のどれかは成功していた! 織田君に妨害の情報が漏れることもなかった! 私はあなたを駄目にしたきっかけの一つなのよ!
私はあなたをずっと騙していた。だから、感謝される筋合いはないのよ! どうして罵声や恨み事の一つも言わないのよ!」

そう言われると、俺は松永に対して怒ったり恨んだりしていないないことに気がついた。
裏切られていたことはショックだが、それは悔しさの方が大きかった。勿論、その悔しさも自分に向けられているものだ。

「どうしてだろうな?」
「どうしてって……私は殴られることも覚悟していたのに」
「多分だけど、気持ちが全て自分の方へ向けられているんだと思う。裏切られたことの悔しさも、何も信じられなくなった情けなさも、俺自身が気づけなかったせいだから」
「それでも――」
「それでも俺は松永に感謝しているんだよ。怒りも悔しさも、お前がいてくれて、知らないことを知れたことに比べたら小さい。
裏切っていたとしても、情報収集とか熱心に手伝ってくれたじゃないか。もう一度言うけど、お前がいなかったら俺はここまで辿り着けなかったと思う」

言葉を遮って、自分の言いたかったことだけを並べた。本音だからこそ、詰まること無く言える。
それを聞いた松永は口を開けたり閉じたりして、何を言うべきか迷っているようだった。

「それだと私が納得できないのよ……。裏切っていた責任はどうするのよ?」
「俺は納得している。誰も責任を取る必要なんてない」
「……やっぱり私を殴って」
「おい、冗談だろ」
「こんな時に冗談は言わないわよ」

『School Heart』のバッドエンディングの一つにも、こんなシーンがあったことを思い出した。
織田がヒロインに平手打ちしてくれと頼むもの。言葉だけ聞けば奇妙なシーンだが、あのシーンの織田と今の松永の気持ちは分かる。
見える形での謝罪が欲しいから、こんなことを頼んでいるんだ。

「殴ってくれたら、私の気が済むから」

俺の気持ちを無視して、松永は勝手に目を閉じてじっと待っていた。彼女の顔には、一筋だけ流れ落ちた涙の跡が見えた。

「……早くしなさいよ」

俺は右腕を開いて、彼女の頬に狙いを定めた。
松永と組んでいたパートナーという関係は居心地が良かった。
裏切られていた事実がそこにあったとしても、俺にとっては大切な関係だった。そう思ってしまう自分は甘いのかもしれない。
でも、それでいいじゃないか。織田がみんなを幸せにするためにハーレムを作ったというなら、俺も自分のために行動をする。
振り払おうとする右手を、彼女の頬に当たる寸前で止めた。俺の冷たい右手が彼女の温かな頬に少しだけ触れる。

「えっ、これだけ……?」
「これだけだ。膨れ上がった利子があるから、これで清算。もう貸し借りは無しだ」
「……へたれ」
「女の顔を思いっきり殴れるかよ。なあ、松永。お前が織田に協力した理由に、恋愛感情は含まれていたのか?」
「さあね、あったかもしれないし、なかったのかもしれない。今となっては分からないわ。……そろそろ宿泊棟にいないと怒られるから、私は戻るわね」

腕時計で時刻を確認すると、9時を指そうとしていた。就寝時間までに宿舎へ戻らないと、教師に目を付けられて明日の妨害にも影響が出てしまうかもしれない。

「待ってくれ!」

去ろうとしていた松永の背中に向かって、俺は声を出した。

「お前は最高のパートナーだったよ」
「……」
「お前に会えて良かった」
「そういう言葉は好きな子に言うべきよ」
「好きだから言ってんだよ。ただし、パートナーとしてだけどな」
「ええ、私もあなたのことが好きよ。ただし、パートナーとしてだけどね」

最後まで俺達は捻くれたやり取りをしてしまう。

「今まで騙していてごめんなさい。そしてさようなら、パートナー。良い結果を期待しているから」







夏休みに入ってから佐藤と連絡が取れなくなり、織田君からは「ルートが決まった」と連絡を受けた。
不安を抱えながら夏休みを終えると、佐藤が謹慎処分を受けていたことが分かった。
彼が復学したと聞いて、私はすぐに彼に会いに行く。

「だから、俺に期待するな」

彼は変わってしまっていた。いくら言葉を掛けても、彼は立ち直ろうとしなかった。

「……この意気地なしーー!!」

自習室を去る彼の背中に向かって、思いっきり叫んでしまった。
こんなことをしたかったわけじゃないのに、彼の態度が気に入らなかった。
そもそも私は何のために彼に会いに行ったの? 裏切っていたことを正直に話すつもりだったの?
自分自身でさえも分からず、苛つくばかりだった。

「もうなんなのよ……」

その日の放課後、私は織田君と話すことした。文化祭の終わりに協力関係を結んでから、織田君とは頻繁に顔を合わせている。
それでもその協力関係とは、情報を交換するだけのとてもドライなものだ。私が佐藤の妨害や学校で起きている情報を伝える代わりに、ゲームに関する情報を貰う。
そんな関係だからこそ、今でも私は織田君の目的が分からないでいた。口癖のように呟く『皆を幸せにする』という言葉だけが、彼の意志を感じる唯一のものだった。
生徒が少なくなる時間帯を見計らい、織田君の教室で二人っきりになったのを確認してから本題を切り出す。

「織田君、あなたは『皆を幸せにする』って言ったじゃない。あれは嘘だったの?」
「嘘じゃないよ」
「それじゃあ、何で佐藤があんな風になっちゃたのよ! 皆の中に佐藤は含まれていないの?」

その質問に、織田君は答えを出さなかった。

「……君の助けはもう要らない」
「えっ?」
「今までありがとう。ここからは僕の我儘になるから」
「どうしてあなたまでそんなことを言うのよ……!」

彼は口を固く噤んで、真実を語らないようにしている。
苛つく。本当に苛つく。
急にこんなことを言い出した織田君に、塞ぎこんでしまった佐藤に、そして理由も分からず迷っている私自身にも。
その苛つきが私の頭の中で、ノイズとなり思考を妨害してくる。

「せいぜいハーレムごっこでも楽しんでればいいのよ!」

教室に響いた罵声。自分自身でも驚くくらい大声を出していた。
私は息を切らせながら織田君を睨みつけ、そしてすぐさま教室を出た。
本当に馬鹿みたい。誰が? 私自身に決まっている。
なんで私は、こんな結末になることを予測できなかったのだ。こうなった原因が私にあるのに、誰も私を責めない。それが辛い。
廊下を歩いていると、手に痛みを感じた。立ち止まって、手の平を見ると爪が食い込んだ跡があった。
顔を上げて窓を見ると、そこには今にも泣きそうになっている不細工な顔が映っていた。
気持ち悪いほど潤んでいる瞳。無理やり口角を上げて笑顔を作る。手の痛みも胸の痛みも気にしないようにする。
でも、駄目だ。笑顔なんて作れやしない。今日の私は、本当にどうかしている。

「ああ……分かったわ。今日、どうして佐藤に会いに行ったのか。そして何を言いたかったのかも」

裏切ってあんな風してしまったことを謝りたかった。それから惨めな私を叱って欲しかった。
佐藤が立ち直って妨害を再開するという淡い期待。それがあったから私は彼に会いに行ったのだ。
けれども、もし彼が立ち直れたなら協力者の存在に気づき、必ず私を疑うはずだ。
そうなったら、今までのようにパートナーの関係を続けていけるだろうか。
いや、できない。もう手遅れなのだ。
それは佐藤とパートナーを組んだ時から分かっていたこと。今まで彼を裏切っていた報い。
だから、彼が私を裏切り者だと気づくその瞬間まで、私は彼のパートナーであり続けよう。
そして、その時が来たら――

「私はどうしたらいいんだろう……」

窓の向こうに校舎から出て行く生徒たちが見えた。その中に佐藤の後ろ姿があった。
大きな体格のはずなのに、彼の背中は随分と小さく見えた。きっと私の背中も彼のように小さくなっているはずだ。
結局、私は不思議を解き明かせなかった。私が本当に欲しかったものは何? この世界の不思議に関する答え? 謎を解き明かしていく興奮?
それは欲しかったものだけど、本当に求めていたものではない。
知らないから不安になって、分からないから怖くなる。自分の弱い心を見ないようにするために、私は調べていた。
裏切ってまで手に入れたものは、後悔だけ。がらくたよりも使い道のない最悪な代物。
それを捨てるために私はどうしたらいいのだろうか。

「……少しは素直になってみようかしら」

私は、自分自身を納得させるように独り言を呟いた。



[19023] 第三十一話 ~早く行け、馬鹿者~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/10/05 23:41
太陽の光に当てられたゲレンデが白く輝く。
人がいるので白銀の世界とまでは言えないが、普段見られない風景であることには変わりない。
昨日降っていた雨の影響も少なく、今日は絶好のスキー日和だ。けれども、俺の心が浮かれることは一切なかった。

「佐藤よ、緊張しているのか?」

スキーウェアを着込んだ石川が声をかけてきた。

「当たり前だろ、これが最後になるんだから。石川こそ、目の下にクマができているぞ」
「ふん、お前もな」

昨日、宿泊棟に帰ってから俺はすぐに布団に入ったが、十分な睡眠は取れなかった。
無理矢理寝ようとして目を閉じると、瞼の裏にゲームのエンディングクレジットが映る。
バッドエンドになった時に現れる短縮版のエンディングクレジット。
目標であるはずのそれが、どうしても自分自身の失敗を暗示しているようで、気分が悪くなった。
違うことを考えようとしても、今度は松永とのやり取りを思い出してしまう。眠ることを諦めた頃には、朝日が登っていた。

「田中は、結局来れなかったな」
「39度の熱も出せば、外出禁止になるのは必然。奴はタオル一枚で俺の妨害に隠れてついてきたからな、仕方あるまい」
「それにウォークラリーの時は雨にも振られたし、体調を崩すのも無理ないか……今頃は一人、部屋で寝ているんだろうな」

仕方ないことかもしれないが、こんな時に限って田中が風邪を引くなんて。本当に田中は一人で寝ているんだろうか。

「不安か?」

ゲレンデを見ながら、石川が呟いた。
 
「松永が裏切っていたことは聞いた。俺と田中が、裏切っていないか不安になったのであろう?」
「そんなこと――」
「無理をするな。田中がいつぞやに言っていたように、お前は考え事が顔に出やすいのだ」

不安なんてないと否定することはできなかった。

「信じろ」

石川は普段と変わらない様子でそう言った。

「佐藤よ、俺は悔しいのだ。だから、お前と協力をして妨害をしようとしているのだ」
「織田に柴田さんを取られたからか」
「一理ある。しかし、それだけではない。生まれが恵まれていた俺は不自由のない暮らしをさせてもらっていた。
殆どのことが自分の思い通りになる、そんな世界で暮らしていた。だがな、それは思い込みだった。
この世界には俺の知らない何かが有り、今や想い人の一人も振り向いてもらえないのだ」

スキー場のリフト乗り場を見ると、6人の男女が乗り込む準備をしていた。織田のグループだ。
ついに俺が関わろうとする最後の妨害が始まろうとしている。

「思い通りにならないことが悔しくて、俺に協力してくれているのか?」
「いや、それが悔しいのではない。思い通りにならないことは愉快だ。痛快だ。やりがいになる」
「それならどうして悔しい?」
「お前だ。苦しんでいる親友がいるのに、助けることができない。それが悔しいのだ。
それは田中が協力している理由もきっと同じだ。お前だからこそ、俺たちは協力している」

石川の言葉には、協力者ではないという明確な根拠があるわけではない。
昨日、松永に言われたような曖昧な理由での主張。でも、俺にとっては心強く信じるに足る言葉だった。
昨日の一件がなければ、この言葉さえを信じることができなかっただろう。
松永が田中と石川を疑うように仕向けたのも、そうした理由があったのかもしれない。

「さて、そろそろイベントが始まるな。佐藤よ、場所を移すぞ」

俺たちはスキー場から少し離れたレンタルショップの裏側に場所を移した。
この日のために準備をしたものが、人目を避けるように置かれてる。
被せられていたブルーシートを取り払い、今日の足となる赤い車体が姿を現した。

「それにしても、石川はこんなものまでよく準備できたな。こいつなら織田よりも早く移動できる」
「小型雪上車、またの名をスノーモービル。田中はこれを『クリムゾンメテオ』と命名したがな」
「中二臭くて痛々しいネーミングだな……」
「俺としては『紅蓮』を推したいところだ」
「それもなんというか……」
「それなら、佐藤は何と名付ける?」
「えっと…………赤色一号?」
「佐藤よ、俺はお前に初めて失望した。何なのだ、その着色料のような名前は」
「名前とか今考えるべきことじゃないだろ。イベントがもうすぐ始まるし」
「佐藤は浪漫というものを理解していないな。発進前の点検をしておくから、その間に考えておけ」

石川はやれやれと肩をすくめてから、各パーツの点検を始めた。
点検を手伝うこともできないので、俺はこいつの名前を考えることにした。
このスノーモービルに合うような名前か……。
外装は赤をベースとして黒と黄色のラインがつけられており、全体的にがっしりとした厚みのある印象を受けた。
そこからアグレッシブな感じを名前に入れたいが、良い単語が思いつかない。
いや、外見を重視せずに、願いを込めた名前もいいかもしれない。そうなると……。

「オイル良し、ブレーキ良し、トラック良し。佐藤よ、いつでも発進できるぞ」
「ちょっと待ってくれ、名前がまだ――」
「織田たちのリフトホルダーにも細工を済ませてある。彼らが遭難する前に、こちらから動くとしよう」
「おい、お前が考えろって言っただろ。無視するなよ!」
「はははっ、そんな真剣に考えなくても良いぞ」
「お前な……」
「田中が言っていたのだ『あの馬鹿は心配症だから、緊張をほぐしてやれ』と。緊張は取れたか、親友よ」

そんなことを言われたら、怒る気にすらなれない。
こいつらは信じられる、だから悩んでいる暇はない。思考を妨害をするだけのものに切り替えた。

「ああ、もう大丈夫だ。これが最後のイベントだ、気合を入れていくぞ」









正しい主人公の倒し方 第三十一話
 ~早く行け、馬鹿者~









イベントの内容は、スキーコースから外れた織田のグループが遭難してしまうというものだ。
ヒロイン全員と逸れてしまい、織田は一人で彼女たちを見つけることになる。
時間内に3人以上のヒロインを見つけることができればイベント成功。
また、このイベントは織田のパラメータによって大きく影響を受けるものである。
織田の運動力が高いほど、捜索できる時間は増える。学力が高いと手掛かりを見つけることができると言った具合だ。
もちろん、ハーレムルートに進めた織田のパラメータは全てが高水準だ。イベントの成功率は通常のルートよりも高いだろう。

「それでも負けちゃいけないんだ……」

ウォークラリーの成功と松永の話から、イベントの分岐点になら俺達も介入できる可能性があると知った。
このイベントには3人以上見つけられなかったら失敗という分岐点がある。
だから、俺達は織田よりも先に3人のヒロインを見つけて保護することにした。
他にも5通りほど妨害方法を考えていたが、その中で最も有効だと思うものがこれだった。
失敗というシナリオに進ませる妨害なら、修正力の影響も少ないだろうと俺達は判断した。

「雪が強くなってきたな。佐藤よ、ゴーグルは装着しているか?」
「着けているけど、視界が悪い。そっちこそ運転は大丈夫か?」
「心配するな。この俺が運転しているのだぞ」

俺たちは赤いスノーモービルに乗って、雪山を疾走していた。石川が運転し、俺は後部座席に座っている。
スノーモービルに乗る機会は今回が初めてだが、そのスピードに驚く。
時速は40キロほども出ていないが、目の前にある風景がすぐに移り変わる。
風、音、振動、あらゆるものがスピードとの一体感を生んでいる。自動車などとは違う、画面越しでは味わえないこの感覚にやみつきになりそうだった。

「家の使用人たちにも捜索させているが、期待しないほうが良さそうだ」
「そうだな。俺たちの方も未だに何の反応もないしな……」

ハンドル部分にはスマートフォンを固定するためのホルダーが付けられている。その画面の中心部には俺と石川を示す赤丸が2つ映っていた。
スキーのリフトホルダーに発信機を取り付けてあるのだ。織田たちのリフトホルダーにも同様に発信機が仕込まれている。
ただし、この発信機の範囲は1キロしかない。勾配があり見渡しもきかない山地では、その範囲はさらに狭まれているだろう。

「佐藤よ、この妨害が終わったら旅に出ないか?」

急カーブを曲がり、平坦な道に出ると石川が俺に聞いてきた。

「突然どうしたんだ?」
「夏休みの時、俺は修行をしていた。佐藤は引き篭っていた。田中は……何をしていたか知らんが、俺たち三人は思い出に残るようなことはしていない」
「今のところ三人でしたことと言えば、ギャルゲしかないもんな」
「そうだ。それではあまりにも侘しい。だからこそ、これが終わったら旅に出ようではないか」
「知っているか、そういうのはフラグって言うんだ。ゲームをした石川なら分かるだろ?」
「『お約束』というやつか。だがな、俺たちは織田の成功フラグを折りに行くのだ。一々その程度のことに臆する必要はあるまい」
「そうだったな。それなら、今度三人でどこか行こうか」

約束を終えた時、ハンドルに付けられたスマートフォンから音が鳴った。
画面を見ると、現在地から北西と北東に赤丸が表示されていた。どちらとも直線距離にして500メートルもない。

「どちらの方が近いんだ?」
「北西の方が近いだろう。佐藤よ、今から速度を上げる。手を離さないようにしろ」

左に反れた道を見つけ、すぐに車体を傾ける。画面の赤丸の一つが近くなっていく。その赤丸と重なる手前で、石川が異変に気づいた。

「おかしいな……」
「スノーモービルに不調でも出たか?」
「いや、そうではない。人の気配がまるでないのだ」

元々人も来ないような雪山の奥深くだ。人の気配がないのは当たり前である。
しかし、石川の予感は的中していた。
目的地となっていた赤丸が画面の中心部に入った時、辺りには誰もいなかった。
代わりに、雪の上にはリフトホルダーが落ちていた。スノーモービルから降りて、俺はそれを拾い上げる。
リフトホルダーの裏に書かているナンバーは0549。明智さんが着けているものだった。

「やられたな……わざと落としたのか?」
「故意に落としたものではあるまい。俺達以外はリフトホルダーの細工をしたことをを知っている者はいないからな」
「そうだよな、明智さんは協力者じゃないんだ。今から、もうひとつの方へ向かうか?」
「いや、それは止めておこう」

石川はスマートフォンを指さした。

「北西にあった赤丸も先ほどの位置から動いていない。リフトホルダーを身に着けているのであれば、動きがあるはずだ」

もうひとつも外れの可能性があるということか。
これが偶然か、織田の行動か、または修正力によるものなのかは分からない。
辺りをもう一度見渡しても、雪が振り続けているせいで足跡すら見つからなかった。
でも、リフトホルダーがあるからには彼女は一度ここに来たはずだ。

「佐藤よ、すぐに発進するぞ。ここで時間を潰すのは無駄だ」
「いや、待ってくれ。もしかしたら一人は近くにいるかもしれない」

俺はポケットからもう一台の発信機を取り出した。
それは俺が自前で用意したものであり、石川が用意したものよりも性能は遥かに劣る代物だ。
範囲も狭いし、何よりも一人しか反応しない。だから、今日の妨害でも使うことはないだろうと思っていた。
けれども、彼女が『あれ』を身に着けているなら反応するはずだ。
グローブを取り、寒さを我慢しながら現在地を入力する。
かじかんで手は思うように動かせないが、それを堪えて待っていると反応があった。すぐに発信機の画面を石川に見せる。

「ここから、どれくらい掛かりそうだ?」
「2、3分で着くはずだ。だが、その付近の急斜面や岩があり紅蓮で通れないところがある」
「紅蓮って、スノーモービルの名前はそれで決定していたのか……」
「赤色一号より良い名だ。それはそれとして、目的地まで近づけるだけ近づいてから佐藤を降ろす」
「了解した。そこから俺は歩いて向かえばいいんだな」
「俺も紅蓮と共にすぐに向かおう」

落ちていた明智さんのリフトホルダーを拾い上げて、すぐさまスノーモービルに乗る。
石川はアクセルレバーを押し込んで、スノーモービルを加速させた。
カーブに差し掛かると体を曲がる方向へ傾けて、減速を抑えながら進ませる。
赤丸が近くなると急勾配の下り坂と岩があり、そこで石川はブレーキを入れた。

「ここから直進していけば赤丸に追いつくはずだ。無理だけはするな」

その言葉に頷いてから、俺はスノーモービルを降りた。
スノーモービルが走り去っていく音に少しだけ不安を覚えたが、俺は坂を下ることにした。
一度下ってしまうと上がることはできないだろう。俺は急斜面を滑るようにして進みながら、目的地へと向かった。
木々と雪の間に見える、微かな人影。ようやく見つけたその後姿に向かって、喉の奥から声を上げた。

「明智さん!」

ジャケットに着いた雪を振り払いながら、彼女の元へ駆け寄った。明智さんは俺を見ると、驚いたのか目を大きく開いた。

「な、なお……」

俺は出来る限り、丁寧な口調で彼女に尋ねることにした。ここに来たのが、佐藤尚輔ではなく俺だと言うことを知ってもらうために。

「大丈夫でしたか? どこか怪我をしていたりしていませんか?」
「……いえ、どこも怪我はしていません」
「ああ、良かった。明智さんがここにいる事情は知っています。それで俺達は助けに来たんですよ。
もし寒いようでしたら、このカイロを使って下さい。ポケットに入れておくだけでもだいぶ違いますから」
「ありがとうございます……」
「もう少しでスノーモービルが来るはずです。それに乗って、ゲレンデ近くまで戻りましょう」

彼女の口数の少ないことが気になったが、ひとまずヒロインを助けられたことに安心した。
これで修正力によって始めからイベントに介入できない可能性は消えたからだ。
それから待つこと数分、スノーモービルの駆動音が近づいてきた。

「待たせたな、佐藤」
「思っていたよりも早かったよ。明智さんは俺の後ろに乗って下さい。本当なら3人乗りは違反ですけど、こんな状況では仕方ありません」
「……分かりました」

先程まで乗っていた位置より少し前に乗り、明智さんはその後ろに座った。
彼女が俺の両肩に手を乗せたのを確認してから、石川に発進しても良いと合図を送る。
スノーモービルは勢い良く走り出した。できるだけ早く、そして安全にスノーモービルは雪の上を疾走する。
本来ならば田中を含めた三人でこのイベントを妨害するつもりだったので、ヒロインを見つけたら一人ずつ付いてゲレンデまで送る予定だった。
田中がいないため、こうして一人目はスノーモービルで送らなければならなくなったわけだ。
三人乗りということもあり、石川は緩かな道を選びながら進み、ゲレンデが見えたところでスノーモービルの速度を落とした。
俺は肩に乗せられていた明智さんの手を叩き、降りるよう促した。

「この道を真っ直ぐ歩いていけば戻れます。けれども、絶対に戻って来ないでください。また巻き込まれる危険がありますから」

明智さんともにスノーモービルから降りて、ゲレンデへの道を指さしながら注意する。
修正力に感情の操作があるなら、何かの間違いでまた彼女が戻ってきてしまう可能性もある。
念の為に石川は通信機で家の使用人と連絡を取っていた。後、数分もすれば彼女の身は無事に保護されるだろう。
だから、今の俺にできることと言えば、こうして注意することだけだ。

「あの……」

それまで黙って聞いていた明智さんはためらいがちに声を出した。

「何でしょうか?」
「あなたの手を貸してください」

そのまま手を差し出すと首を横に振られたので、俺はグローブを外してから再び差し出した。
明智さんもグローブを外し、両手で俺の手をぎゅっと包み込んだ。
目を閉じたまま、何も言わず、十秒ほど握り、その後名残惜しそうに離した。

「これでいいです」

彼女がその短い間に、何を思っていたのかは分からない。
そろそろ捜索に戻らないといけないが、彼女と別れる前に謝らなければいけないことがあった。

「明智さん、昨日渡したキーホルダー持っていますよね。出してくれませんか?」
「はい、ありますけど……どうして持っていることを知っているんですか?」

キーホルダーはスキーウェアのポケットに仕舞われていた。俺はそのキーホルダーを受け取り、チェーンを回して抜き取った。
熊の部分は彼女に返し、抜き取ったチェーンを彼女に見せる。

「黙っていてすみませんでしたが、このチェーンは発信機になっていたんです。だから、遭難していた明智さんを見つけることができたんです」
「……」
「軽蔑しても構いません。こんな小細工でもしない限り俺は織田を倒せませんから」
「……聞きたいことがあるんですが、いいでしょうか」
「はい、どうぞ」
「貴方はどうして織田君を倒したいんですか?」

昨日俺は久しぶり彼女に会いに行き、今日もこうして遭難していたところを助けた。
以前に事情を話した彼女なら、今回もゲームに関わっていることに気づいているだろう。

「……俺には今でも割り切れていないことが多くあるんです。自分とか、ゲームとか、色々なことに対して。
それをはっきりさせるために俺は織田を倒したいんです。倒してもそれがはっきりするかは分かりませんが、何かしないといけないんです。
それで、これが終わったら俺は俺らしく生きるつもりなんですよ。もしも佐藤尚輔が帰ってきた時に迷惑が掛からないで程度に」
「そうでしたか……でも、最後の心配はいりません」

彼女は今日初めて笑顔を見せた。

「尚輔は貴方が思っているより強い人です。そんな心配しなくても大丈夫です。だから、貴方の思うように行動して下さい」
「……はい、分かりました」
「頑張ってください、尚輔」

俺はもう一度力強く「はい」と返事をしてから、石川が待つスノーモービルに乗り込んだ。

「石川、待たせて悪かった」
「そんなことはない。あのような時間は必要なものだ。明智先輩とお前のためにもな」
「ああ、分かっているよ」

明智さんに見送られながら俺たちは進み始めた。
残りは二人、イベント開始から一時間が経過していた。





雪にまみれたスノーモービルが山を駆け巡る。
途中幾度か止まってしまう場面もあったが、二人で協力して軌道を修正しながら進めた。

「佐藤よ、行き先は決まったか?」

指先はだいぶ前からかじかんで、思うように動かせなくなっている。

「何の行き先だ?」
「旅だ。先程言ったであろう、三人でどこに行くかだ」
「それなら……温泉がいいな。ゆったりくつろいで、この疲れを取りたい」

雲行きが悪くなってきた。ゲームでも時間経過とともに天気が悪くなる描写があったので、想定内のことだが不安になる。
せめてあと一人を見つけるまで、吹雪にならないことを祈るばかりだった。

「温泉か。なるほど、それはいい案だ」

登り坂に差し掛かり、石川はレバーを強く押し込んだ。
加速しながら駆け上がり、あと少しで坂が終わろうとした時、スノーモービルが止まった。
その一瞬、嫌な予感がした。

「降りろ、佐藤!」

それは突然の出来事だった。
石川が背中を押し出して、俺を後部座席から突き落とした。
傾いて倒れていくスノーモービル。ハンドルから手を離そうとする石川。
宙に放り出された俺の視界には、それらの光景がゆっくりと映って見えた。
そして、突然早送りをされたかのように視界は空と雪を交互に映し出した。
慌てて手を動かして何かを掴もうと必死になるが、何もできずに転がり落ちていく。
もしもここで、岩に衝突したとしたら……。
恐怖で悲鳴を上げそうになるが、それすら許されず流されていく。
このまま俺は死ぬのか。いや、俺はこんなところで失敗してはいけない。あいつに負けちゃいけない。
掴むことを止めて、瞬間的に体を横へずらした。体の回転は止まり、引き摺られるように坂を下った。

「はぁ……はぁ……」

どこまで落ちたのだろうか。
まばらに降り落ちる雪が、俺の顔に触れては解けていく。
スノーモービルから落ちた時に受けた打撲以外に、怪我はなさそうだ。
ゆっくりと体を起こして辺りを見渡すと、数メートル先に石川が倒れていた。
その隣にはカウルが全壊したスノーモービルがある。ハンドルも曲がっており、もはや使い物にならないだろう。
力が十分に入りきらない足を引きずりながら、石川の元へ行く。

「大丈夫か、石川……」

返事がない。

「おい、嘘だろ……頼むから、返事をしてくれ!」
「聞こえているぞ……」
「石川!」

石川は瞼を開けて、首をこちらに動かした。それから心苦しそうに口を動かした。

「俺が運転を誤ったせいで岩に乗りあげてしまったようだ……すまない」
「謝ることなんてない。それよりも体は大丈夫か」

彼は首を横に振った。

「手と足を骨折したらしい。残念なことに俺はこれ以上妨害を協力できない。無念だ」
「妨害のことはいい……早く救助を呼ばないと」
「佐藤よ、あれを見ろ……」

石川が指差した方向には壊れたスノーモービルがある。
ハンドルは曲がっていたが、備え付けられたスマートフォンは外れていなかった。
それに映しだされた画面には、赤丸が表示されていた。俺はホルダーから外して、その赤丸の動きを見る。

「俺たちが落ちてから、すぐに反応があった。高低差のせいで発見されなかったのであろう。
それに、映された赤丸には動きがある。今から追えば、追いつくこともできるだろう」
「馬鹿野郎……怪我した友人を置いていけるか」
「馬鹿野郎は貴様だ。言ったではないか、俺はお前のために協力をしている。ここで俺に構って、今までの努力や苦労を無駄にするつもりか?」
「だけど、それとは……」
「案ずるな。このような事態に備えて、俺たちにも発信機が取り付けられている。通信機で使用人とも連絡が取れれば、じきに駆けつけてくれる」

それは連絡が取れたらの話だ。明智さんの時に通信機が使えたのは、山を抜けていたからである。

「佐藤よ、『School Heart』での俺はサブキャラクターだ」

俺の不安を他所に、石川は唐突に喋り始めた。

「あのゲームでの俺の役割は、織田という主人公を引き立てる存在でしかない。
ゲームプレイヤーからしてみれば、ヒロインにちょっかいを出す嫌なキャラクターだ。それでも、俺は『石川本一』という存在もキャラクターも好きだ。
先程の明智先輩との会話で出た『織田を倒したい理由』。あの理由だけが本心ではないのであろう?」
「……」
「割り切れないというのも理由の一つではあるだろう。しかし、隠されているものがある」

「言ってしまえ」と石川は目で語りかけてくる。心の奥に蓋をされた場所から、自分の本心を見つめる。
それは多分この世界に来た時からあるもの。不格好で、醜くて、人前に出せるようなものではなかった。
けれども、俺は勇気を出してそいつを石川に見せる。こいつなら俺の本心を受け止めてくるはずだから。

「ああ、そうだよ。俺は織田という主人公に嫉妬している。気に入らないし、気に食わない。
妨害を始めた理由も再開した理由も様々な事が影響しているけど、やっぱり根本にはそれがある。
誰かのためとかじゃなくて、俺自身が悔しいから。自分勝手な妬みが本当の理由だ」
「ふっ、やはりそうであったか」
「こんな不純な動機で俺は主人公を倒したいと思っているんだ。失望したか?」

妬みという感情は、物語に出てくるような主人公達とは遠く離れたみっともないものだ。

「失望? いや、満足した。実に単純明快な理由ではないか」

石川は高らかに笑った。追い込められている状況なのに、場違いな笑い。

「よいか、佐藤。もう一度言うが、俺はサブキャラクターだ。このイベントが終わった後にも出番がある。
ここがゲームに影響された世界であるならば、俺の死はゲームを崩壊させるはずだ。故に世界は俺を殺さない」
「故に世界は俺を殺さないか。凄い言葉だな」
「どうだ、気障な台詞であろう? だから、行って来い」

本当に世界が石川を守ってくれる保証なんてどこにもない。俺は親友の眼をじっと見つめた。

「いいのか?」
「無論だ」

俺は石川に背を向けて、一歩踏み出した。雪に足が取られないように慎重に進んでいく。
俺が先にあと二人を見つけることができたら、織田はこのイベントで失敗する。この状況で無駄に時間を掛けてしまうことは許されない。
けれども、振り返ってしまった。どうしても友人を見捨てることができなかった。
石川は通信機も持たずに、ぐったりとした様子で俺を見ていた。
俺が振り返ったことに気がつくと、余裕を見せるようにやりと笑いやがった。
ああ、畜生。これで戻ったら俺が格好悪いじゃないか。
だから俺も無理をして笑い返しやる「本当に行っちまうぞ?」と。
石川は追い払うように手を振ってきやがった「早く行け、馬鹿者」。
それを受けて、俺は最後に拳を突きつけて見せる「ああ、分かったよ馬鹿野郎」。
もう振り向かない。
先ほどよりも力強く一歩踏み出すことができた。





俺が佐藤尚輔ではないときに住んでいた地域は雪が滅多に降らないところだった。
だから、誰も足を踏み入れていない雪を見ると、どうしてか足を入れたくなる。
普段なら、そんな衝動に侵されているだろうが今の俺にはそこまでの体力と時間がない。

「うぉっ!!」

考え事をしながら歩いていたせいで、足が雪に嵌った。
ついでに打撲をしていた腰まで衝撃が響き、堪えれない痛みを声に出してしまう。
いかにスノーモービルで楽に移動していたのか思い知る。
それでも無い物ねだりをしていても仕方ないので、痛みを堪えながら足を引き抜いた。

「そろそろ追いつくと思うけど、思うように進まないな」

スノーモービルから取り外したスマートフォンを見ながら、溜息をつく。
スマートフォンと言っても発信機の位置を確認するために利用しているだけなので、通話という本来の目的は使用できない。
俺と石川が落ちてから見つけた赤丸はすぐそこにいる。
動いたり、止まったりしているのでリフトホルダーだけ落ちているようなことはないはずだ。
これがヒロインだった場合は良いが、最悪の場合は織田という可能性がある。
今回のイベントで織田が俺のようなモブキャラと遭遇する場面はないので、何かしらの修正力がかかるだろう。
こうして、思うように進めないのも修正力の影響なのかと考えてしまう。

「発信機をそれぞれ個別認識ができるようしておくべきだったな」

でも、これは本番にならないと分からない失敗だ。それに、まだ妨害までが失敗したわけではないのだ。
気を引き締めて、再び足を動かした。
無心になって足を動かしていくと、ようやく赤丸が画面の中心に映し出された。
辺りを見渡すと、木の影に黄色いスキーウェアを着た女の子が隠れるようにして座っていた。
ノルディック柄のニット帽を深く被り込んでいるが、俺には彼女が誰なのかすぐに分かる。
その女の子に、久しぶりに声を掛けた。

「助けに来たよ、秀実ちゃん」

驚いたように秀実ちゃんは顔を上げ、それから俺を見るなり涙ぐんだ。



[19023] 第三十二話 ~覚悟を決めるために~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/10/05 23:39

苦痛にも思える雪の白さが、続いている。険しい雪山の中を俺たち二人は進んでいた。
秀実ちゃんを見つけた時、俺は彼女を連れたまま石川のところまで戻ることにした。
現在地はゲレンデから遠く離れたところであり、彼女を連れてもう一人見つけるのは難しいと判断したからだ。
俺一人だったら無理をしてでも進もうと思うが、彼女の顔から疲れが読み取れた。長時間、一人でいたことが原因だろう。
ひとまず石川のもとに彼女を預けて、俺だけで捜索を再開しようと考えていた。

「……」

登り降りを繰り返しているうちに、目的地は着々と近づいていく。
なだらかで柔らかな道が続いても、俺たちの間に会話はなかった。
無駄に喋って体力を減らしたくもないが、会話がないことは俺にとってありがたい。
彼女が協力者ではないと分かった今でも、俺は彼女との距離を掴めていない。

「そろそろ着くと思うんだが……」

スマートフォンで確認しても、俺と秀実ちゃんの赤丸しか映し出されていなかった。
この辺りが俺と石川が落ちた場所のはずなんだが……。
少しばかり歩くと、雪を被ったスノーモービルが転がっていた。
その横には石川の姿はなく、代わりに俺たちが乗っていたものではない別のスノーモービルの跡があった。

「良かった……石川は助かったんだ……」
「先輩、どうしたんですか?」
「何でもないよ。それよりも予定を変更をしないといけない。もうしばらく歩かないといけないけど、秀実ちゃんは大丈夫かい?」
「まだ大丈夫ですよ」

彼女の言葉が強がりだということは分かっている。秀実ちゃんを連れたまま、もう一人探しに行くのは厳しいだろう。
ポケットから方位磁針を取り出し、方角を確かめた。距離は分からなくとも、方角さえ間違えなければ時間が掛かっても次の目的地まで行ける。
イベントもまだ中盤のはずだ。慌てたって良いことなんてない。そうやって自分に言い聞かせて、再び進み始めた。







正しい主人公の倒し方 第三十二話
 ~覚悟を決めるために~







少し前から、雪が強く降るようになってきた。イベント終盤では、豪雪になる展開もあったことを思い出す。
グローブの指先が濡れてきて、冷たいというよりも突き刺すような痛みを感じていた。なるべく早く目標を達成し終わらせたいところだ。

「きゃっ!」

後ろから短い悲鳴が聞こえた。振り返ると、秀実ちゃんが雪の上に倒れていた。
彼女の足元を見ると雪で隠れていた岩があり、どうやらそれに躓いたようだ。
秀実ちゃんは立ち上がろうとするが、足に力が入らなかったようでぐらりと転びかける。咄嗟に近づいて、彼女の体を支えた。

「すみません。膝を打ってしまったようで……」
「歩けそうか?」
「ごめんなさい。力が入らなくて……って先輩!」

俺は秀実ちゃんの前で、背中を向けてしゃがんだ。

「歩けないなら、こうするしかないだろ」
「それじゃあ先輩が……」
「もう誰も置いていけないんだ」
「そうじゃなくて――」
「いいから、早く乗ってくれ」

文句を無視し、彼女の体を無理矢理背負う。背負ってしまえば、彼女は文句の一つも言わなくなった。

「……あの、重たくないですか?」
「軽い。気にしなくていいさ」

自分が想像していたよりも彼女の体は軽く、これなら次の目的地まで行ける。
雪に足を取られやすくはなるが、体力の消費はそこまで気にしなくて良さそうだ。
秀実ちゃんに手は肩に乗せるように言い、背負い直してからまた歩き始めた。平坦な道に出ると、彼女は質問をしてきた。

「……先輩はどうして私を助けてくれたんですか?」
「俺はこのイベントを失敗させたい。そのためにヒロインを織田より先に保護する必要があるんだ」
「そうなんですか……」

彼女の溜息が首筋に当たる。
もう少し気の利いた答えをすれば良かったかもしれないが、嘘をついても仕方ない。
肩をぎゅっと握りしめられた。何かあったのかと振り向くが、秀実ちゃんは顔を逸らした。

「どうしたんだ?」
「……やっぱり下ろしてください」
「それはできない」
「でも、私は先輩の邪魔になっています」
「分かった。だけど、あと少しだけ付き合ってくれないか?」

緩やかな坂を登り切ると、遠くまで見渡せる開けた場所に着いた。
雪を被った木々の中に、俺が次の目標地点としていた山小屋がぽつりと建っていた。
秀実ちゃんも山小屋の存在を知っていたのか、それを見つけると声を上げた。
この山小屋は、ゲームイベントでも出てきた。彼女を背負ったまま周囲に警戒しながら、山小屋に近づく。
山小屋の周りには足跡もなく、中から音も聞こえてこない。秀実ちゃんを下ろしてから、俺はゆっくりと山小屋の扉を開いた。

「思っていたよりも酷いな……」

小屋の中を見て、溜息をつきそうになってしまった。とにかく汚い。
薄暗い室内は、木で打ち付けられた床と黒く煤けた石油ストーブが置かれている。その横には赤い灯油タンク、道具棚と箪笥があった。
どれも自分が想像していたよりも年季が入っている。言い方を変えればボロいだ。
秀実ちゃんの手を取りながら部屋の中に入り、丸太を切っただけの椅子に彼女を座らせた。

「少し待ってくれ」

初めてこの小屋に入ったが、ここに何が置いてあるのかだいたい分かる。
ゲームの知識に頼るなんてふざけていることかもしれないが、今の俺にとっては頼りになるものだ。
道具棚からマッチを取り出し、ストーブに火をつけた。
点火されたストーブは、静かに音を立てながら部屋を暖かくしていく。
それから俺はグローブを外し、スマートフォンのタイマーを15分後に設定した。
体が温まるに連れて、思い出しかのように疲労が襲ってきた。時間は貴重だ。でも、俺自身の体力は限界に近い。
無理に捜索して倒れてしまったら元も子もない。だから、15分だけは休憩しよう。
秀実ちゃんに隣に置かれた丸太椅子に座り、ポケットの中を探った。

「チョコレート食べるか?」
「えっ……」
「疲れた時はチョコレートを食べるといい。甘い物食べれば元気になれるから」

返事を待たずに赤い包装紙を破り、取り出したチョコレートを半分に折って彼女に渡す。

「ありがとうございます……」

秀実ちゃんが口の中に入れたのを見て、俺もチョコレートを食べる。一口目は味を感じなかったが、だんだんと甘さが広がっていく。

「……チョコレート、美味しいですね」

両手でチョコレートを持ち、少しずつ食べながら彼女は笑った。
その笑顔は、一学期の頃に見せてくれたものよりも寂しいものだった。
外から強い風の音が聞こえ、小屋はがたがたと揺れる。残り13分。それが彼女と一緒にいられる時間。
小屋の中は段々と暖まっているが、彼女はまだ寒いようで体を少しだけ震わせた。
道具棚の奥には綺麗に畳まれている毛布が置いてある。俺はそれを取り出して三回ほど叩いた。

「埃っぽいのは我慢してくれ。体を温めるものは、ストーブとこれ以外なさそうだから」

聞き取れないほどの小さな声がした。確かめるように秀実ちゃんの元へ近づくと、彼女は困ったように笑う。

「……先輩、私に優しくしなくてもいいんですよ?」

俺が答える前に、彼女は言葉を続けた。

「先輩は私のことを嫌っているんですよね? 気遣う必要なんてありませんよ。だって私は先輩に――」
「何もしていない。それに君を嫌ってなんかいない」
「嘘を言わなくてもいいんですよ。私はここを離れませんから。先輩は早く次の子を探しに行かないと」
「……なあ、秀実ちゃん」
「何ですか?」
「君は俺のことが嫌いかい?」

彼女は何かを言おうとしたが、すぐに口を閉ざしてしまった。返事が来ないので、俺は話題を変えた。

「知っていると思うけど、ここはゲームのイベントにも出てきた場所だ」

ゲームでこの山小屋が訪れるのは、そのルートのヒロインと一緒にいる時だけだ。
織田はハーレムルートに入っているので、全員を見つけなければ山小屋のイベントは現れない。
修正力を信じれば、俺たちが明智さんを先に見つけたことにより織田がここに来ることはないはずだ。

「昨日、ウォークラリーが終わった後に秀実ちゃんは調理場近くにいたよな?」
「……はい。先輩たちがいたところを見ました」
「邪魔をするために、あの場所にいたのか?」
「違います……と言っても信じてくれるとは思いませんけど」
「信じるよ。君が協力者じゃないということは分かっている。だから、秀実ちゃんが織田にハーレムルートへ進むように言った理由を教えてほしい」

ある程度の予想はできているが、それを知ることができれば心の負担が軽くなる。
秀実ちゃんはビー玉のように瞳を転がした。それは、話すか話さまいか迷っているように見えた。

「言いたくないんだったら、言わなくていい。無理する必要はないさ」
「いいえ……言わせてください……ここで言わなかったら、後悔すると思いますから。
でも、その前に1つだけ聞いてもいいですか? 先輩は……本当に私のことを嫌っていないんですか?」
「勿論だ。嫌いだったら、こんなイベントに関わろうともしないさ」

秀実ちゃんは被っていたニット帽を取り、それをぎゅっと握った。

「……先輩は私があのゲームを拾ったことは覚えていますよね?」
「ああ、学園に入学する前に道端で拾ったんだよな?」
「それで……学園に入学する前から、もしかしたら初めて会った時からかもしれません」

続く言葉を秀実ちゃんは躊躇したのか、一度唇をすぼませた。

「私は織田先輩に憧れを抱いていました。でも、先輩の周りにはいつも女の子たちがいました。
私の心が憧れから好意に変わってしまったら、きっとその女の子たちと競わなければいけない。
でも、私には競えるだけのものは何も持っていませんでした。それは今もそうです」

入学前から秀実ちゃんが、織田に憧れを持っていたことはゲームをすれば分かる。
でも、彼女の口からそれを告げられると気分が落ち込んでしまう。度量の小さい男だと自覚しながらも、秀実ちゃんの話を黙って聞いた。

「私の尊敬する柴田先輩、織田先輩の妹で親友の市代ちゃん、いつも優しくて親切な斉藤先輩。
それに比べて私は、チビで、頭悪くて、運動ぐらいしか取り柄がない。でも、その運動でも柴田先輩の方が早いんです。
何をやっても、何をとっても、私なんかが彼女たちに適うはずがありません。
だから、いつも一歩下がったところで私はそれを眺めていました。織田先輩と彼女たちの周りにいられることで、私は満足していました。
あのゲームを拾ったのは、そういう風に自分を納得させていた時期です」

彼女はそう言ってから、短い溜息をついた。

「ゲームの中に自分たちが出ていて驚きました。そして気味が悪かったです。
でも、そこに映るみんなはいつも笑顔で楽しそうな学園生活を送っていました。
だから、私はゲームを続けてみようと思ったんです。それで何回かプレイしてみて、みんなが笑顔で終われるエンディングを見つけたんです。
後になってそれがハーレムルートと呼ばれるものだと知りました」

ハーレムルートの鍵はヒロイン全員を平等に接すること、それと序盤からパラメータを上げ過ぎないことだった。
4月時点でのパラメータを高くしすぎると発生しないイベントがいくつかある。それを終えてからパラメータを上げる必要がある。
ゲームに慣れていなかった秀実ちゃんがハーレムルートに入れたのは、偶然に近いものだったのだろう。

「入学してみると、織田先輩の周りで起きていることが全てゲームと同じだったんです。
そこで私は思ったんです。ゲームの通りに進めば、みんなが笑顔で過ごせることができるんじゃないか。きっと幸せな学園生活が待っているんじゃないかって。
すぐに私は織田先輩にゲームソフトを渡し、ハーレムルートへの入り方を教えました。
私の願いは、みんなが幸せになることでした。これが織田先輩にハーレムルートへ進むように言った理由です」
「でも、秀実ちゃんは途中でそれが悪いことだったと気づいた」
「はい。気づいてしまったら後戻りはできませんでした……」
「屋上で会った日、君は俺に『自分の幸せとみんなの幸せ』について聞いてきた。
秀実ちゃんにとっての幸せが何なのかは知らないけど、現実が思い描いていた幸せの形と違った。だから落ち込んでいたんだろ」
「……」
「間違っていたか? 自分なりに考えてみたんだが」
「正解です。やっぱり先輩はすごいですね」

彼女は誇らしげそうに言った。彼女らしい純粋な褒め方に、照れとむず痒さを久々に感じた。

「以前聞きましたけど、先輩は本当の 佐藤尚輔さんではないんですよね?
『佐藤尚輔であるが、佐藤尚輔ではない』と答えましたが、良かったらその意味を教えてくれませんか?」
「いいけど、中々馬鹿げてる話だ。話半分で聞いてくれたら助かる」
「いいえ、全部信じますよ。先輩の言うことですから」
「ありがとう。それじゃあ話すよ」

俺が元々この世界にいなかったことから、俺が知っている佐藤尚輔の評判まで。
俺と佐藤尚輔の違いについて事細かに説明をした。
これで俺がこの世界の外から来たことを言うのは五人目だが、自分で自分のことを説明するのは奇妙な感覚がある。
自分であって、自分ではない。それを説明する度に俺は、ある一つの問題から目を背けている。でも、それは今考えるべき問題ではない。

「そういうことで、今の俺は佐藤尚輔として生活しているんだ。ところで、どうして秀実ちゃんは俺が本当の 佐藤尚輔ではないと気づいたんだ?」

元々、秀実ちゃんは佐藤尚輔と親しかったわけではない。唯一気づけたのは、佐藤と最も長い時間を過ごした明智さんだけだ。

「ほとんど勘みたいなものです。先輩はあのゲームには出てきませんよね?」
「いや、出ている。ほんの少しだけど」

俺がそう言うと、秀実ちゃんは黙ってしまった。不思議に思っていると、彼女はゆっくりと口を開いた。

「本当ですか……?」
「ああ、本当のことだ。立ち絵もないモブキャラクターとして出ているよ」

数秒の硬直。秀実ちゃんニット帽を深くかぶり直して顔を見せないように俯いた。
「うわー」とか「やっちゃった」とか、ごにょごにょと聞き取れないような呟きが隣から聞こえてくる。
それまであった緊張の糸がぷつりと切れたような気がした。しばらくすると、彼女は赤くなった顔を上げた。

「ごめんなさい。その……先輩が出ているなんて知らなかったので」
「別に謝ることでもないよ。気づく方が珍しいと思うから」

佐藤尚輔はストーリーに関わることのないキャラクターだから、と言葉を添えておく。
それを聞いた秀実ちゃんは、落ち着きない様子で両手で赤い顔を覆った。

「あのー、そのー、このー、失敗したと思ったけど、結果を見ればラッキー的な事を何と表現すればいいんでしょうか?」
「怪我の功名か?」
「それですよ、それ。私が先輩が佐藤尚輔さんではないと感じた理由は、ゲームに出てないと思ってたからだったんですよ。
先輩はイベントに関わっていそうなのに、ゲームでは名前を出なかった。それが気になって先輩のことを聞いて回ると、ある時から人が変わったという評判があったんです。
そこから先輩の身に何かあったのかと思って、あの質問したんです。だからゲームに出ていると知ったら、疑ったりしませんでした」
「それであんなに慌ててたのか」
「お恥ずかしい限りで……しかも怪我の功名と言っても、今の今まで怪我をしていたことすら知りませんでした……」
「はははっ、人間誰しも間違いや誤解なんてあるもんだ」
「わ、笑わないでくださいよ」

彼女が恥ずかしがった顔を見せた時、ポケットからアラーム音が鳴った。
休憩は十分に取れた。これから俺は主人公よりも先にヒロインを見つけなくてはいけない。
椅子から立ち上がり、彼女に背を向けようとしたが、思い留まってしまった。
また俺は置いていくのか。散々振り回されてきた修正力を今さら信用し、安全という保証はないのに、こんな場所に彼女を置いて本当に大丈夫なのか。
そんな俺の迷いに気づいたのか、秀実ちゃんは俺に話しかけてきた。

「ねえ、先輩……私と先輩が初めて会った日を覚えていますか?」
「君が不良に絡まれていた日のことだろ。あれは確か――」
「ゲームのイベントにもあるんです。ゲームなら織田先輩が助けに来てくれるんですが、ハーレムルートを目指す場合は優先度の低いイベントです。
それでイベントの当日、織田先輩が来ないからイベントも起こらない。悪い男の人たちにも会うなんてことはないって思っていたんです。
でも、会ってしまった。そして私は先輩によって助けられました。いつでも先輩は私が辛い時に現れてくれる。今日もそうでした」
「それは俺がゲームに関わろうとしているからだ」
「けれども、来てくれた事実は変わりません。先輩は私にとってのヒーローなんですよ」

ヒーローという言葉を聞き、この世界に来た時に出した自分の結論を思い出した。

 ヒーローとヒロインが物語を作る。
 俺はヒーローではない。
 よって、ヒロインと付き合えることはない。

そんな馬鹿な俺の考えは、彼女の一言によってあっさりと覆される。
だが、こんな俺を認めてくれることを嬉しいと思う一方で、素直になりきれない部分もある。
この世界は『School Heart』が元になっていて、主人公は織田信樹。物語には修正力も働いている。
やはり俺はヒーローでもなければ、この世界における主人公ではない。

「そんなことはないって顔をしていますね?」
「ああ、そうだよ。この世界で俺はそんな大層な役に成れないんだ」
「『世界にとって』じゃなくて『私にとって』のヒーローなんですよ。
私も先輩と対等でいたい。やっと自分の気持ちに向き合うことができそうなんです。だから、決めました」

彼女は両手を胸の前で組んだ。

「この合宿が終わったら織田先輩に別れるって言います。自分の気持ちと向き合うために」

修正力によって感情は操作される。かつて明智さんも強い意志を持って織田に接したが、結果は駄目だった。

「それは無理だ」
「でも、私は……」
「君はヒロインだ。ヒロインがこの世界の物語を終わらせることはできない」

『School Heart』はヒロインがヒーローを倒す物語ではない。

「それを終わらせるのは、俺の役目なんだ」

そう言ってから、ようやく彼女に背を向けることができた。扉まで向かおうと一歩踏み出そうとすると、背中を捕まれた。

「初めて好きになった人が先輩で良かったな……って、今でもそう思っています」
「光栄だよ」
「ここで先輩を引き止めちゃ駄目なんだって分かっています。だから――」

彼女は俺の背中から手を離した。

「いってらっしゃい」

振り返ると、そこにあるのは笑顔だった。





どこまで歩き続けても、ヒロインの姿は一向に見えない。
一歩を踏み出すのさえ躊躇するような吹雪が体を襲う。視界は遮られて、遠くまで見渡すことさえできない。
イベントは終わりに近い。体力も気力も限界に近い。それでも俺は進み続けた。

「早く見つけないと……」

雪山に取り残されているヒロイン。その姿に俺は斉藤さんを当てはめた。既に織田が斉藤さんを見つけてしまった後かもしれない。
けれども、俺は彼女に会いたかった。この手で彼女を救いたかった。昨日離してしまった手をもう一度握りしめたかった。
ヒロインの位置を確かめるためスマートフォンをポケットから取り出そうとしたが、腕が震えていたせいで地面に落ちてしまった。
慌ててその場に膝を下ろして、辺りを探す。だが、どこかに埋もれてしまったのかスマートフォンは見当たらない。

「畜生、畜生……どうしてこうも……」

独り言で悪態をついても、何も変わらない。うまくいかないことは今に始まったことじゃない。
徳川よりも先に「お化け屋敷」と答えたとき。斉藤さんに思いを告げようと階段を駆け上がったとき。ハーレムルートを認めたくなくて初めて妨害をしたとき。
どれも失敗に終わっている。全ては俺がこの世界に来た日、ヒロインを囲まれている主人公を見た時から始まっている。
しかし、今回だけは失敗しちゃいけないんだ。
やり場のない悔しさを地面に向かって拳を振り下ろすと、遠くから聞き覚えのある音が聞こえてきた。
スノーモービルの駆動音だ。音は段々とこちらに近づいてきて、やがてライトが俺を照らした。
スノーモービルに乗っていたのは、見知らぬ男性だった。男は俺の隣まで来るとスノーモービルを止めた。

「君は佐藤君かな?」
「はい、そうですが……」
「それなら君で最後だな。私は石川様に仕えているものだ。本一の坊ちゃんは病院に搬送された後も、君を心配していた」
「石川が……」
「うわ言のように『捜索を続けろ』とおっしゃられたので、一部の者はこうして山に残り捜索を続けていたんだ」

会話の中で気になる言葉があった。

「あ、あの……」
「何だね?」
「俺が最後ってどういうことですか?」

俺の疑問に、彼は淀みなく答えた。

「一時間前に四人の男女が保護された連絡を受けた。それとつい10分前、山小屋に一人でいた少女も助かったそうで――」

四人の男女。それはつまり、織田は三人のヒロインを見つけたということだ。
終わっていた。
俺がどう動こうが、イベントは終わっていたのだ。
一時間前は俺が山小屋にいた頃で、その時には既に織田はヒロインを見つけていたのだ。
劇的な変化もなく、期待していたような逆転もない。
そういうものだと納得してしまう自分とまだ諦めたくないと喚く自分がいる。
けれども、相対する二つの思いがあったところで現実は変わらない。

「ははは……いつだってこうだ。呆気ない終わり方だ。うまくいかないことは今に始まったことじゃないんだ……」
「だ、大丈夫かい? とりあえず麓まで下りよう」
「……はい。此処にいる意味はもう無いですからね」

心のなかに灯っていた微かな希望が、掻き消された。







宿泊棟に戻った俺は、一人で天井を眺めた。
石川は病院に、そして田中は別室にいる。残された俺はどうすることもできずに、ただ時間を浪費していた。
心のどこかで期待していた。織田とヒロインを取り合うような対決を。俺自身がヒロインを助けて、ヒーローに成れる瞬間を。
でも、実際は俺の手の届かない所でイベントが終わっていた。
いつもと変わらない失敗という現実。そこにモブキャラクターが介入できる隙間は初めからなかった。
右手を挙げて、蛍光灯にかざす。この手で、俺は何ができたのか。答えてくれる人は、ここにいない。

「ん、あれは……?」

部屋の片隅には、ゲームの情報を書いたノートが置かれていた。
俺たち三人がゲーム攻略のためにまとめて、妨害のために使用したものだ。
なんとなく捲っていくと、とある頁で手が止まった。
好感度によるルート分岐。
急いで織田が起こした行動を思い返し、ヒロインの好感度の数値化をしていく。
人の感情がそんな簡単に測れるものだとは思っていない。
けれども、ゲームに沿っているこの世界では織田の行動は直接的に影響を与える。
ふざけてやがると貶したくなるが、今はこの数値に頼るしかない。
ノートに全ヒロインの好感度を書き込み終えると、一つの事実が浮かび上がった。

「まだゲームオーバーにするチャンスが残っている。好感度が足りてない」

この林間合宿での妨害が功を奏したのか、織田は必ず今夜動かなければいけない。
宿泊棟を抜けだして、ヒロインに会いに行く。それを妨害できれば、織田をゲームオーバーにできる。
しかし、何の準備もなく織田に対抗することができるのか。また失敗してしまうだけのなのではないかと不安になる。
部屋の中を見回すと、不自然に膨れている田中のバッグが目についた。
昨夜田中がそこに入れた物を思い出しながらバッグを開けると、中からサバイバルナイフが出てきた。
サバイバルナイフを取り出して、確かめるように握る。
刃渡りは15cmほど。文化祭の時に見たものよりは、小さいという印象を受けた。
そして、俺は織田に対抗する術を思いついた。確証はなかったが、それは抗うための手段に成り得る。
鞘を外して刃を見ようとした時、部屋の扉が開く音が聞こえた。慌ててナイフをポケットにしまい、振り返る。

「こんなところにいたのかよ」

少しやつれ気味の田中が立っていた。

「風邪を引いてるんだろ。早く戻れよ」
「石川から結果を聞いたぜ。残念だったな。……でもよ、諦めたわけじゃねえよな。顔が死んでねえからな」
「ああ、まだ諦めたくないんだ」
「それなら手伝うぜ。合宿場にいる間に使えるかもしれねえ細工を見つけたんだ。ほら、中央広場にあった――」
「お前は休んでいてくれ」

ナイフを隠しながら、田中の元に近づく。

「へっ、嫌だよ。風邪なんて気合があればどうにでもできる。寝ていたら、後悔するだけだ」
「お前……」
「ここまで来て、協力させてくれないなんて逆に酷えぜ。スキーで協力できなかった分、やらせてくれよ」

俺はしばらく考えて、首を縦に振った。それから、二人で織田が行動するまでの計画を立てる。
確認し合った後、俺は一足先に外へ出ることにした。扉を開きかけると、田中が声をかけてきた。

「心配だから言うけどよ、何かトンデモねえことやらかす気なのか?」
「どうしたんだよ。そんなこと聞いてくるなんて」
「眼が据わってんだよ。覚悟を決めたとしても、雰囲気が違ったから」
「俺の妨害は織田をヒロインのところに行かせないだけのものだ。雰囲気が違ったのは……多分スキーの失敗が響いてるだけだ。心配することはないさ」
「それならいいんだけどよ……」
「それに田中がいないと今回の妨害は成功しない。田中こそしっかりやってくれよ」
「ああ、やってやるぜ」

拳を見せてきた友人に頷き返してから、外へ向かう。宿泊棟を出てから、誰にも聞かれないように呟いた。

「これで……いいんだよな」

覚悟を決めるために、胸を三回叩いてから夜道を駆け出した。
これが正しい倒し方なのか、俺には分からない。



[19023] 第三十三話 ~New Game+~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/10/17 02:15

夜空には、星を隠すように雲が広がっていた。
あれだけ雪山を歩いたが、その疲れはさほど気にならない。
気分も悪くない。ただ、何とかしないといけないという焦燥感に駆られていた。
宿泊棟を出てから目的地となる山道に向かう途中で一人の男がいた。
彼は昼食を食べたあの広場の真ん中で空を見上げている。
以前は、味方とも敵とも言えない微妙な立場だった。しかし、今日この時ばかりは彼が敵であるとすぐに分かった。
ゲームをしてから、こいつは良い奴だと改めて思った。主人公を影で支えるキャラクターだから、そう思ったわけではない。
この世界でクラスメイトとして彼と過ごして思った結果だ。
徳川康弘は、俺が近づいてきたことに気づいた。






正しい主人公の倒し方 第三十三話
 ~New Game+~







「よう、佐藤。こんな夜にどこに行こうとしているんだ?」

徳川は片手を挙げて、気さくに笑いながら俺に話しかけてきた。

「少し野暮用ができてな。山道を歩かないといけないんだ」
「悪いけど、ここから先は関係者以外立入禁止なんだ。帰ってくれると助かる。それとも、ここで俺と話していくか? 一人でいるって結構暇だからさ」

両手両足を広げて、冗談交じりに彼は言った。それでも視線だけは真剣に俺の動きを捉えていた。
ここから先は絶対に通さないという意志が伝わってきた。

「徳川は俺が今から何をするのか知っているのか?」
「いや、知らねえよ。伸樹から誰も向こうに行かせないように言われているだけだ。その理由も聞いてない」
「お前はそれでいいのか?」
「いいさ、親友だからな。全てのことに理由なんて求めるもんじゃない」
「そうか……」
「悪いな」

徳川が『School Heart』を知っているかは分からない。
しかし、これまでの学校での生活を見る限り徳川がゲームを知った上で行動している可能性は少ないように思えた。
それなら彼は自分の意志で織田に協力していることになる。
本当に俺の周りにいる男たちは馬鹿ばかりだ。自分よりも友人を優先するような馬鹿な奴らだ。
そんな馬鹿たちを俺は嫌いになれない。徳川康弘、違う形で会うことができたら良い友人になったかもしれない。

「俺は今から織田を止めに行くつもりだ。徳川も知っていると思うが、織田は複数の女子と付き合っている。お前は織田のそんな付き合い方を認めてしまうんだな?」
「いいんじゃないか。どう付き合おうとあいつがそうしたいなら」
「その中には……お前が好きだった柴田さんもいるんだぞ」
「はぁ……佐藤は気づいていたのかよ。誰にも気づかれねえ自信はあったのによ」

俺だってゲームをしなければ知らなかった。人の好意を気づけるほど俺は器用じゃない。

「確かに俺は加奈のことが好きだ。でもよ、加奈が好きなのは伸樹だ。好きな女の幸せを願うなら、俺が手を出しちゃいけねえだろ」
「織田と彼女たちの関係は歪だ。そんな関係で柴田さんを幸せにできると思うのか?」
「……できるんじゃねえかな、伸樹だったら」
「その通りかもしれない。けれども、それを認めたくないから俺は足掻くんだ」
「佐藤と俺は根本的に考え方が違うみたいだな。……知ってるか。人を好きになるのは一瞬だけど、嫌いになるのはしんどいだぜ。
伸樹と加奈が付き合ってるのを知った時は悔しかったり恨んだりしたけど、どうしても二人を嫌いにはなれなかったんだ。
俺は伸樹が人一倍努力していることを知っている。陳腐な言い回しかもしれないけど、世界中が敵になっても俺は伸樹の味方を選ぶと思う。だからさ――」

徳川はゆっくりとこちらに近づき、右手で俺の肩を叩いてきた。そして、空いていた左手で俺の腹を殴った。
徳川の拳が腹に埋まり、俺は体を曲げてその場に膝を着いた。

「すまねえな。俺は伸樹の親友だから」

顔を上げると、徳川の右足が目前に迫っていた。彼は躊躇いもなく俺を蹴り上げようとしていた。
咄嗟に真横へと転がり、蹴りを避ける。体についた砂利と埃を払いながら立ち上がり、徳川を睨みつける。

「急に殴ってくるとはな……どう頼んでも通してくれなさそうだ」
「当たり前だろ。喧嘩は先手必勝。佐藤が止めにいくのは、結果として伸樹に不利なことをなんだろ?」
「そうだな。俺は織田を倒しに行くんだ」
「なら、やっぱり通せねえ。どうしても通して欲しいなら、これで説得してみろよ」

拳を突き出す徳川。この場で逃げたとしても、徳川は追ってくるだろう。
どうやら織田を倒す前に、彼を倒さないといけないようだ。

「男同士なら最高のコミュニケーションだろ?」
「ああ、分かりやすくていい。だけど、痛いのはごめんだ」
「ふん、どうだかね。お前が言っても冗談にしか聞こえないぞ。なにせ元学内一の不良だからな」

構える徳川を見て、俺も漫画やアニメを思い出しながら見よう見まねで構える。
我ながら不恰好な構えだと自覚している。しかし、ここは何としても通らないといけない。
無駄にできる時間は残されないので、こちらから先に動く。
一歩踏み出して、固めた拳を徳川の顔へと振りかぶる。
だが徳川は簡単に俺の拳を避け、体に捻りを加えながら拳を突き出してきた。
早すぎる。俺は左腕で守ろうとするが脇腹を抉られた。
腹に感じる痛みに顔をしかめていると、次の瞬間には蹴りが向かってきた。
なすすべもなく俺は徳川の攻撃を受ける。いや、受け続けることになった。
殴ろうとすれば避けられ、蹴ろうとしても防がれる。そして徳川からの反撃を受ける。
俺と徳川の間には圧倒的な実力差が存在していた。

「噂には聞いていたよりも、大したことねえな。動きが素人だ」

攻撃の手を休めた徳川は、俺と間合いを取った。
どんな噂を聞いていたか知らないが、その通りだ。
この体は佐藤尚輔のものでも、俺は喧嘩なんてしたことがない。
不良に囲まれている女の子がいても戦わずに、逃げ出すような選択をする人間だ。
実に情けない。情けないが、こんな俺でも譲れないものぐらいある。
乱れた呼吸を整えて、骨が折れていないか確認する。大丈夫だ、まだ戦える。
俺は不恰好な構えは止めた。
普通に戦えば負けることは目に見えている。素人なら素人なりに、ある程度の賭けをしなきゃ勝てない。

「佐藤、ヤル気あんのか?」
「あるに決まってるだろ。倒す前に倒されたら意味がないからな」
「喧嘩慣れしてるかと思って、ああいうやり方してたけどよ。まだやるってなら、やり方変えてくぞ」
「手を抜いてくれるのか?」
「違えよ、意識を落とすってことだ」

近づいてくる徳川の肩が、少しだけ動いた。俺は殴られた時を思い出し、その軌道を読む。
徳川は顔よりも体を狙ったパンチが多かった。だから、狙いは読めた。
腹を狙う軌道を読み、徳川の右腕を押さこむ。
バランスを崩した徳川の顔に向かって、全力で拳をぶつけにいく。拳は頬の下から入り込み、そのまま殴り抜けた。
手に割れるような痛みを感じるが、それ以上の痛みを徳川に与えられただろう。
拳を食らって仰け反った徳川は、ニヤリと笑いやがった。

「やるじゃねえか、おい」

掴んでいた腕を、徳川は掴み返してきた。急な動作に驚いた俺は、徳川の動きに反応できなかった。
徳川は左手で俺の顔を掴み、頭を反らしていた。
来ると分かっていたが、動けない。
頭同士がぶつかり合い、脳天まで衝撃が響く。視界が定まらず、体から力が抜ける。
その一瞬を突かれ、徳川は俺の背後に回りこみ腕を首にかけてきた。
少しずつ、ゆっくりと首元が締められていく。

「これで終わりだな、佐藤」
「…………」
「最後に言いたいことはあるか?」

言いたいことなんて山ほどある。だけど、俺はその中の一つを呟いた。

「……逃げるなよ」
「あん? なんのこと言ってんだ」
「お前は織田と向き合うことが怖いだけじゃないのか」
「うるせえな……」
「親友とぶつかってみろよ。案外悪くはないぞ。俺はそうだったからな」

その言葉で戸惑いが生まれたのか、腕が少しだけ緩められたことを見逃さなかった。
首を思いっきり後ろへ動かして、徳川の顔面にぶつかる。
後ろから聞こえるうめき声。緩まった腕から抜け出すと、徳川は鼻を押さえていた。
決めるなら、今しかない。
右手を開いたまま掴みかかる。徳川と目が合う。そして、俺の手は徳川の顔面を捉えた。
勢いをつけたまま押し込み、徳川の体ごと地面に叩きつける。大きな音を立てながら徳川は倒れた。
すぐさま拳を振り下ろそうとしたが、腹に当たる手前で止めた。
勝負は着いていた。その証拠に、彼は立ち上がろうとしない。
俺は息を乱しながら彼を見る。

「勝負ありだな……」
「……ああ、佐藤の勝ちだ。慣れねえことするんじゃなかったぜ」
「立てるか? 手を貸すぞ」
「いいや、このままでいい。しばらく星を見て頭を冷やしたい。それより、行って来いよ」
「いいのか?」
「俺の気が変わらねえうちに、さっさと行けよ」

倒れている徳川を置いて、俺は山道へ向かった。
本当に違う形で会うことができたら良い友人になったかもしれない。
痛む体を我慢しながら、そんなことを思った。





男子と女子の宿泊棟を繋ぐ細い山道。俺はその中間に位置する場所で、織田を待ち構えた。
道幅は3メートルにも満たない。体をすぐに動かせば、端から端まで届く幅だ。
片側は崖になっており、そこから見える中央広場の大時計は9時30分を指している。
身につけている腕時計を見ながら、これから起きるイベントを思い出す。
このイベントは選択制になっており、選択肢は6つ。
五人にいるヒロインのところへ行くか、それともどこにも行かず宿泊棟で待機するか。
織田が前者を選択すると睨んでここで待っているが、後者では織田が10時に寝てしまう描写があった。
そしてヒロインと会う場合でも10時という時刻が出てきた。つまり、残り30分が勝負の分かれ目だ。
有り得ないかもしれないが、あと30分以内に織田が来なければ何もせずに俺が勝つ。

「……流れ星か?」

見上げると、曇り空の隙間に僅かながら輝く小さな星があった。
その星の中に、すうっと消えていく光の線が見えた気がした。
秀実ちゃんと初めて会った日も、星空が広がっていたことを思い出した。
あの日から俺は、あの星たちの明るさに近づくことができたのだろうか。
暗い先から、足音が近づいてきた。大時計が指す時刻は35分。やはり主人公は来てしまったようだ。

「こんばんは、佐藤君。月は見えないけど、過ごしやすい夜だね」
「そうだな。こんな夜はぐっすり眠れると思う。だから、宿泊棟で布団を被っていたらどうだ?」
「ごめん、それはできない。会わないといけない人がいるんだ。そこをどいてくれないかな?」
「悪いな、それはできない。お前に会わせてはいけない人たちがいるんだ」
「だろうね」
「当然だ」

織田との距離はまだ遠い。

「そういえば、康弘に会わなかったかい?」
「会ったさ。悪いが無理矢理通させてもらった。良い友人を持ったな」
「僕には勿体無いぐらいの親友だよ。君も良い友人がいるみたいだね」
「最高だよ、あいつらは」

頷きながら、絶対に通さないという意志を示すように道の真ん中で立ち構える。
織田はゆっくりと近づいてきて、五歩ほどの距離を詰めてから立ち止まった。

「ねえ、佐藤君。君は宝くじが当たったらどうする?」
「……何か企んでいるのか」
「いいから考えてみてよ。一度、君としっかり話しあってみたかったんだ。それに時間を稼ぎたいなら、丁度いいじゃないか。君と話している間、僕はどこにも逃げないよ」
「どうしてお前はそれを……」
「当たり前だよ。僕が君の立場だったらそうする。イベントが発生する時刻まで時間を稼ぐ。狙うならそれしかないよ」

織田は大時計の見てから、俺に向き直した。

「残り23分といったところか。さて、答えてくれるかな」
「……宝くじが当たったなら、自分の好きなものを買う。残りは貯金をしておく」
「ああ、いいね。僕は新しいマウンテンバイクが欲しかったから、たぶんそれを買うだろうね。残りは貯金か。将来を考えた悪くない選択だね」
「それがどうかしたのか」
「そんな怒らないでもいいじゃないか。お金っていうのは、目に見えやすい力の一つなんだ。
そんな力が自分のところに突然舞い込んでくる、当選という形で。これって僕たちと同じだよね。
宝くじが当たることも、自分たちが出てくるゲームの知識を手に入れることも、同じようなものだよね。
佐藤君。君はいつからこの世界が『School Heart』をもとに成り立っていることを知っていたんだい?」
「……」
「だんまりか。まあ、いいや。僕がするべきことは変わらないから」

わざとらしく肩をすくめる織田。

「もしも君が主人公であったのなら、間違いなくその知識や情報を利用している。それは宝くじと同じこと。僕も君も力があれば使わずにはいられない人間なんだから」
「……そうかもしれないな」

この世界が『School Heart』と同じだと気づいた時、確かに俺は原作の知識を自分のために使おうとしていた。だから、俺は織田の言葉を肯定をした。

「でも、君と僕との間に決定的に違うものがあると思う。それは使い方だ。僕は『皆を幸せにする』ために使う。君は何のために使うつもりだったのか教えてほしいな」
「……『自分のために使う』つもりだった。だが今は違う。『主人公を倒す』ために使う」
「はぁ……やっぱり僕たちの目的は相反するものだ。でも君に僕は倒せない。僕は目的を達成しなければいけないから」
「そんなことお前にできるはずがない……」
「できるできないの問題じゃない。しないといけないんだ」
「ふざけるなよ。主人公だからって全てが上手くいくなんてことはないんだぞ」
「……嫉妬かい。佐藤君は主人公じゃなくて、僕が主人公だからか」

止まっている織田に向かって、一歩踏み出しそうになるが思い留まる。
これは挑発だ。織田は隙を見計らって、すり抜けるつもりだろう。
惑わされるな、自分を保て。踏み出せない足の代わりに、言葉を放つ。

「織田、お前はハーレムルートを選んだな。これからもゲーム通りに進めていくつもりなのか」
「そのつもりだよ」
「ゲーム通りに進めるということは、感情さえ操作できるんだぞ」
「分かっているよ」
「お前の行動や言葉で、彼女たちの感情が書き換えられるんだぞ」
「知っているさ」
「それで好意を持たせるなんて……まるで洗脳じゃないか」
「その通り」
「お前はどういうつもりで――」
「全てを分かってもらうつもりないし、理解してもらおうとも思っていない。
僕は『皆を幸せにする』。ただそれだけのために動かないといけないんだ。さあ、これで話し合いは終わりだ」

織田はその場で屈伸を三回した後、こちらの様子を伺ってきた。
互いに息遣いを読み、タイミングを見計らう。鳥の鳴き声が聞こえ、それが合図となった。
駆け出した織田は、俺の右側から抜けようとしてきた。

「行かせるか!」

俺も重心を右に掛けて、織田の体を捕まえようとする。
すると、織田は左へ一歩踏み出した。釣られそうになるが、視線は今だに右を向いている。
だから、俺は自分の直感を信じて右に賭けた。舌打ちが聞こえた。
先ほどの一歩は、やはりフェイントだったようで、織田は右から突き進んでいこうとする。
体格差なら織田には負けていない。読み合いに勝った俺は、強引に掴みかかる。
手が織田の体に触れようとした時、織田は右手に隠してたものを俺にぶつけてきた。
それは砂だった。一瞬視界奪われ、俺の手は空を掴む。
右斜め一歩前に織田はいる。伸びきってしまった腕。それを戻して、再び掴みかかるにはもう遅い。
横を通りすぎようとする織田の顔は勝ち誇っている。
だが、忘れちゃいないか。手が使えないなら、他を使えばいい。
左足を軸にして、右足を回すように動かす。
見てくれの悪い回し蹴りは、足首で織田の体を捉えた。腰に力を入れて織田の体を前へ飛ばす。
倒れた織田に重ねて殴りかかろうとしたが、織田は立ち上がって距離を取った。

「けほけほ……やっぱり砂程度の小細工が通用する相手じゃないね」
「俺を舐めるな。例え日の当たらないモブキャラクターでも意地があるんだ」
「違うよ。君はモブキャラクターなんかじゃない」
「ふざけるんじゃない。あのゲームで佐藤尚輔はモブだぞ」

織田の言葉に思わず眉をしかめる。物語の根幹に関われないモブキャラクター。それが佐藤尚輔であり、俺である。

「ゲームならね。でも、今回の君はイレギュラーだよ」
「イレギュラー……?」
「こんな展開になることは、これまで一度もなかったのにな」
「何を言っているんだ?」
「覚えていなくて当然だよ。繰り返しを覚えている人は、僕以外にいないんだから」

織田は服についた埃を振り払い、夜空を見上げた。

「佐藤尚輔は明智先輩と付き合いのあった人。それは初めて明智先輩と付き合った時に分かったよ。
二回目に彼女と付き合った時は、意外と優しいところもあるという話を聞いた。でも、僕にとって君はクラスメイトという存在でしかなかった」
「二回目……?」
「君は毎周……というかほぼ毎回のように問題を起こして、教室にもあまり顔を出さなかった。
今回初めてこの世界がゲームをもとになっていると知った時でも、君に対する印象は変わらなかった。モブキャラクターという存在は、主人公の僕と離れていたからね」

織田が何を言っているのか理解できなかった。
一学期の頃の俺は毎日しっかり出席をしていたし、授業も受けていた。
それに、毎回という言葉もおかしい。俺は問題を起こしたが、それは夏休みの一回だけだ。

「それなのに、今回の君はいつもと違いすぎる。まるで人が変わったように真面目に授業を受けて、問題は夏休みまで起こさなかった。
斉藤さんや秀実ちゃんとも関わりがあって、それまでの君とは大違いだ。警戒するに値する人物になり得たからこそ、僕は松永さんに協力を頼んだ」
「…………」
「松永さんの話を聞いた時は驚いたよ。まさか君もゲームの知識を持っているなんてね。
今までそんな素振りはなかったのに、やっぱりゲームソフトが現れた今回だけは特別なのかな? 前回やり直した時はこんなことなかったし、繰り返しの中に変化もあるのかな?」
「繰り返しとかやり直しとか何を言っているんだよ」
「言葉の通りだよ」

続く言葉を、俺は理解できなかった。

「僕はこの一年間を繰り返しているんだ。何度も、何度もね」



[19023] 第三十四話 ~ハッピーエンドを目指して~
Name: Jamila◆00468b41 ID:7200081a
Date: 2013/10/17 02:17

「一番好きな桜の咲き時は?」


 正門にある桜を見上げ、幼なじみの加奈は何気なく僕に尋ねた。

 一分咲きと答えると「物足りないね」と言われた。
純粋に思ったことを答えただけなのに、鼻で笑われてしまった。
まるで「そんなんじゃ人生損しているわね」と言わんばかりの得意顔。
僕としては満開になってしまった桜の花より蕾の方が好きなのだ。
格好良い言葉で例えるなら、未完の美。楽しんだ後より、楽しみを想像するほうが好きだ。
顔には出さなかったけど、それをダメ出しされて悔しかった。どうすれば、加奈にも分かってもらえるのかな。

 七分咲きと答えると「満足出来るの?」と返された。
元気な加奈に再び会えた喜びを隠しながら、前とは違う答え方をしてみた。
けれども、この答えは加奈のお気に召さなかったらしい。私だったら~と以前にも聞かされた話が始まった。
自慢げに話す加奈の姿が懐かしくて、黙って聞き役に回る。
目頭が熱くなって、その事を加奈に心配されたけど、僕は「大丈夫だよ」と答えた。
だって、また加奈とこうやって話せるなんて思っていなかったから。

 満開と答えると「欲張りだね」と笑われた。
三度目の繰り返しを経て、ようやく満足のいく答えができたようだ。
僕らしくない答えだったと思うけど、加奈の笑顔は可愛くて、それを見られただけで満足だ。
だから、この笑顔を守らないといけない。皆を助けないといけないんだと桜の前で決意をした。

 葉ざくらと答えると「ひねくれている」と注意された。
加奈の言葉を僕自身の心の有り様を示しているようだった。
誰かを助けようとすると、誰かが不幸になる。その見えない鎖が、僕の精神を磨り減らしていく。
「どうせ」「何をしても」「変わらない」そんなことを思い始めてしまった。そんな弱い自分が嫌いになる。

 花も葉も全て散った後と答えると、返事をしてくれなかった。
駄目だった。何度繰り返しても、誰かが不幸になる。繰り返しの中で起きたことは、僕以外誰も覚えていない。
一緒に頑張ってくれた康弘も、今朝に戻ると何も覚えていなかった。世界に一人取り残されているような感覚。
世界は僕を置いてくことも追いぬくこともせず、ただ廻っている。そんな世界で僕はまた一年を過ごさないといけない。
やり直さないという選択肢も浮かんだけど、どうしてもそれだけは選ぶことはできなかった。

 二年生の春から始まって、一年経つと決まって同じ夢を見る。
暗い中に一本の道があり、頭の中に『繰り返しますか?』という言葉が響く。
そのまま道を進んでいくと、急に明るくなって、また二年生の春に戻っている。
体は二年生の当初のものに戻ってしまうけど、僕は今までの出来事を忘れていない。
繰り返しを選んでから数日経つと、加奈に再び聞かれる。


「一番好きな桜の咲き時は?」







正しい主人公の倒し方 第三十四話
 ~ハッピーエンドを目指して~







「そんなことを有り得るのか……?」

絞り出した声は震えていた。

「証拠が欲しいのかい? 残念ながら、繰り返している証拠は持っていないよ。
未来の出来事を言ったとしても、それはゲームでも起きることだ。君と僕はゲームをプレイした時点で、同じ知識を共有しているからね」

織田の言う通りだ。未来の出来事は、ゲームをプレイした者ならある程度分かる。
それに、ゲーム以外にも起こりえる未来の出来事を言ったとしても、ここで確かめる方法はない。
ただ俺は、どうして織田が突然こんなことを言ったのか分からず、困惑していた。

「繰り返していることを証明することはできないけど、なんで繰り返しているのかは説明できるよ」
「できるなら……説明してくれ」
「僕にもまだ分からないことは沢山あるけどね。この世界がゲームが元になっていると知ったのは、今回が初めて。
でも、それを手にしたら僕がこうして繰り返している意味も少しだけ見えてきたんだ。佐藤君は、僕が渡した『School Heart』をプレイしたよね?」
「ああ……」
「プレイしてるから分かると思うけど、あのゲームは何周もプレイすることを前提で作られている」

恋愛シミュレーションゲームの多くは、攻略対象がいる分だけ複数回プレイをしなければいけない。
さらに『School Heart』の場合は、莫大なイベント量と複雑なルート分岐があるため他のゲームより多く周回する必要がある。
周回すること前提作られたゲームは『School Heart』に限ったことではない。RPGなどの他のジャンルでも見られるものだ。

「だからかな。主人公である織田信樹は何度もニューゲームを選択しないといけない。
誰かと幸せな結末を迎えたとしても、誰かが不幸になる結末が待ち構えていて、繰り返しを選ぶ。
いや、そうじゃないね。『New Game』を選ばされている。神様なんて信じないけど、彼が世界を作ったとしたら性格が歪んでいると思うよ」
「誰かが不幸になる? それはどういう意味なんだ?」
「エンディングNo.52と言えば君は分かるかな?」

エンディングナンバーの40以降は基本的にグッドエンディングではない。確か50番台は柴田加奈に関するエンディングが多かった気がする。
No.52は柴田加奈が車椅子に乗っていたエンディングだったと朧気ながら思い出し、織田に頷き返した。

「例えばゲームだったらグッドエンディングってあるよね。僕は初めての……伝わりづらいね。一周目は斉藤さんと付き合ったんだ。
三年生の春を迎える直前まで斉藤さんとの幸せな関係が続くと思っていたけど、それは唐突に終わった。加奈が事故にあったんだ」
「もしかして柴田さんはNo.52のように……」
「うん、その通りだよ。エンディングNo.52のように車椅子生活を送ることになった。
結局斉藤さんとも別れて、後悔をした日の夜に夢を見た。そこで『繰り返す』か訊ねられ、僕は繰り返しを選択した」

「そこから悪夢が始まった」と織田は言い、彼が体験したヒロインの結末を語る。
ハッピーエンドではなくバッドエンド。ゲームのエンディングであったそれらは、俺が予想していたものより悲惨だった。
疎遠となったヒロインの裏側の話。ゲームでは語られることのなく曖昧にされていた箇所を抉り取っては差し出してくる。
剥き出しの結末は不快で、汚く、聞くに堪えないものだった。それを織田は淡々と話していく。

「僕の妹は引きこもったりするだけで可愛い方かもしれない。秀実ちゃんの退学した理由は男に――」
「止めろッ……! 止めてくれ……」

作り話なら出来すぎている。そうでないなら惨すぎる。
昨日今日話していた女の子たちが辿る未来の可能性。それを想像しただけでも、吐き気が込み上げてきた。

「秀実ちゃんはね、みんなと仲良くなるためにハーレムルートへ進むように言ったんだ。けれども、僕の求めたものは違う。
これまで僕が選んでこなかった選択、それがハーレムルート。その結末なら誰もが幸せになっている。だから、僕は目指す必要があった」

織田は視線を落とすことなく、俺を真っ直ぐ見つめてくる。
言葉の端々から強い信念を感じる。不気味なまでに拘っていた『皆を幸せにする』という言葉。
今まで鼻で笑い飛ばしていたそれが、急に現実味を帯びて俺の心を蝕んでくる。
こんなとんでもない話をして、俺の動揺させているだけかもしれない。
しかしながら、真実であった場合どうなるのか。だからこそ、迷いが生まれてしまった。
もしも、本当に織田が繰り返していて、そんな結末を迎えてしまうなら俺のしてきたことは何なんだ?
ある時、織田は『君のしていることは無意味に近い』と言った。今の状況を当てはめれば、それは言葉通りじゃないか。
自分の為に、そして主人公を倒すためにしてきた俺の行為は、全て無意味。
結果としてみれば、俺の行動はヒロインたちを不幸に進めるもの。自己満足に浸るだけの無意味なもの。
主人公の行動こそヒロインを幸せにするための布石。
主人公は倒すべき存在ではないのか……?


――違う。


自問を繰り返す中で、辿り着いた。
挫折したり、裏切られたり、迷ったりしたが、どれも俺自身が選んできた道だ。
『皆を幸せにする』なら、今を切り捨てていいのか?
斉藤さんは、2つの好きが分からず苦しんでいた。
明智さんは、佐藤尚輔への思いが消えることを悲しんでいた。
秀実ちゃんは、思い描いていた幸せの形が違って悩んでいた。
俺が妨害を始めた理由は、背景であることへの嫉妬だった。
けれども、彼女のたちの気持ちを知った今、主人公を倒すための目的は変わっている。
いつだったか、田中から好きな女性のタイプを聞かれたことがあった。『笑顔が可愛い子』という答えは、今でも変わっていない。
織田の行動で悲しんでいる子がいる。笑顔が少なくなる。それが現実であり事実だ。
それなら、俺はやっぱり織田を許せない。不幸な結末が先に待っていたとしても認めたくない。
自己満足でもいい。俺は自分の行動を正当化する。
嘲笑われてもいい。俺は主人公を倒さないといけない。
弱気な自分を捨て、余裕を見せるように口元を歪める。
その見掛け倒しの行為は、思いのほか様になっている気がした。
ようやく落ち着きを取り戻し、織田に話しかける。

「皆を幸せにする結末のためにハーレムルートを目指す。悲劇を起こさないために何度もこの一年間を繰り返す。
格好良いじゃないか、織田。お前はまさしく『主人公』だよ。でも、俺はそんな主人公を倒したいんだ。そしてハーレムルートを終わりにさせたい」
「ゲームをして結末を知っている君なら、少しは分かってくれる気がしたのにな……」
「分かるさ。あんなに魅力的な女の子たちが不幸になるなんて俺も認めたくない。
だけどな、今を見てみろよ。お前の行動で傷ついている子がいる。現実とゲームは違う。ハーレムルートなんて選んじゃいけないんだ」
「けど、ハーレムルートなら皆を幸せにするできるんだ。それまで歩んで来なかった可能性に賭けるしかないじゃないか」
「なぁ……それならどうして俺にゲームソフトを渡した?」

夏休み初日、それはルート分岐が決まる時に織田から渡された『School Heart』。
妨害からも俺が敵視していることは伝わっていたはずなのに、織田は俺にゲームを渡した。

「あの時点でお前は俺が妨害をしていることに気づいていた。俺がゲームを持てばシナリオが分かる。
選択肢もどんなものがあるか分かる。俺の妨害が有利になるだけだ。何故そんなメリットがない行為をした?」
「それは………」
「お前は『後は何があっても悪いようにはならない』と言いながら俺にゲームソフトを渡した。その言葉の意味は分からないが、分かることは一つだけある」
「…………」
「認めろよ。お前の心のどこかに、こんな糞ったれなハーレムは嫌だって気持ちがあったことを」

織田は僅かに顔を歪めた。

「……そうかもしれない。ハーレムルートが決まった時、僕の心にはまだ迷いがあった。だから君にあのゲームソフトを渡したのかもしれない。でも、引き返すには遅すぎるんだ」

織田は俺から視線を外して、大時計を見た。それから再び屈伸をして、睨みつけるような視線を送ってきた。
どうやら、また通せんぼうが始まるようだ。
俺は腕時計の時刻をちらりと盗み見た後に、織田と向き合う。織田は今まさに駆け出そうとしていた。

「残り10分かな。それまでに僕は彼女たちの元へ行く」

時が来た。親友が仕掛けた罠が作動する。

「残念ながら、タイムリミットだ。お前はもうヒロインの所にはいけない」
「えっ……?」

時計の針が動いた瞬間、織田は地面に膝をつけた。
目を何度も擦りながら睨みつけてくるが、瞼が重いようで視線が定まっていない。
何が起きたのか戸惑っている織田に、俺は腕時計を見せる。

「田中に頼んで時計駆動器を10分進めさせてもらった。だから、大時計にある時刻は偽物だ」
「それだと――」
「現在時刻10:00。イベントが開始された時刻にお前はヒロインの元にいない」

おそらく織田は睡魔に襲われているのだろう。
今夜ヒロインと会わなければ、宿泊棟で寝てしまうイベントがある。
イベントの発生に場所は問わない。それは妨害の経験から知り得たものだ。
そして、修正力は『シナリオを正常に進行させる』ために存在している。
だからこそ、『ヒロインと会わなかった』というシナリオの方向へ修正力が働き、織田は眠気に襲われている。

「ゆっくり休め、主人公。彼女たちが不幸にならないように、俺も動くから」

時計駆動器を進ませることは、田中が思いついたアイディアだった。
俺が徳川と会っていた頃に、田中は管理室に忍び込んで時計の針を動かしていただろう。
もしも織田が腕時計や携帯電話で時間を確認していたら意味がない妨害だ。しかし、危ない橋を渡った分の見返りは十分にあった。
勝利を確認するために織田を見る。そこには、立ち上がろうとする織田の姿があった。

「なっ、何故眠らないんだ!?」

織田は自分の腕に噛み付いて、眠気に抗っていた。

「……イベント発生時間には多少の誤差がある。それなら、まだ猶予があるはず。
僕は覚えているよ。君が文化祭の出し物を康弘より先に言ったこと。あの時から君に注意していたんだ」

体をふらつかせながらも、彼はこちらに近づいてきた。そして、睡魔を掻き消すように声を張り上げた。

「僕だって! こんな僕にだって小さなプライドぐらいある! だから、行かせてもらう!」

油断してしまった後の仕返しほど痛いものはない。
織田の剣幕に気圧されてしまい、先ほどよりも織田との距離が近いことに気づけなかった。
右か、左か? 迷う時間すら許されないほど、距離は詰められている。
一か八か、織田の視線から探ろうとすると、彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。
己の失敗に気づく。そもそも左右のどちらかに絞っていたのが失敗だ。
目前と迫った織田は、肩から俺にぶつかってきた。押し倒した俺の体に乗っかり、マウントポジションを取った。
俺は振り上げられた織田の腕を見て咄嗟に顔を隠すが、織田は腹を殴ってきた。
吐瀉物が込み上げ、顔を横に反らしながら吐く。

「ごめん」

吐いている間に、織田は立ち上がって俺の右腕を掴んだ。
腕を引っ張られ、背中を見せる形となり、徐々に捻り上げられていく。
靭帯が伸び始めて肩と腕の関節部が悲鳴を上げる。
限界を越えた瞬間、肩から泡が爆ぜたような嫌な音が聞こえた。

夜の森に叫び声が木霊した。

呼吸が詰まるほどの激痛が走る。
浅い呼吸を繰り返す度に、熱い痛みが広がっていく。
俺の肩が外れたことを確認すると、織田は呟いた。

「僕の命と君の命は、同じ価値だと思うかい?」

俺はその問いに答えることができず、犬のような短い呼吸を繰り返した。

「人の価値を何をしてどう生きたかと定義したら、僕の価値は殆ど無いようなものさ。
だって、君が言ったじゃないか。まるで洗脳のようだって。そんなことをしているような人間に価値なんて無い」

織田は虚ろな表情で俺を見下ろす。

「彼女たちを傷つけていることは分かっている。けれども、僕にとって彼女たちの幸せな結末が何よりも優先されるべきことなんだ。
それは僕が繰り返している理由でもあり、目的でもあるのだから。これを譲ってしまったら、僕は僕でなくなる」
「お、お前は……それでも……ハーレムルートを……目指すのか……」
「ああ、そうだよ。ゲームが終われば僕たちの関係はきっと崩壊する。だってそうだろ? 君が思うようにハーレムなんて現実では社会的には認められない異端な集団だよ。
それは本当の意味で彼女たちを幸せにはできない。だから、きっと崩壊する。その時になって、彼女たちが僕を恨むことになったとしても僕はそれでいい。
彼女たちが不幸にならない未来が訪れるなら、どんな苦痛も汚名も引き受ける覚悟はある」
「織田……お前は…………」
「それじゃ、行ってくるね」

そう言って、織田は彼女達のいる場所へ歩き始めた。その足取りは弱く、いつ倒れるか分からないものだった。だが、彼ならやり遂げる。そして、ハーレムは続行してしまう。

「待てよ……まだ……負けてねえぞ……」

俺は最後の気力を振り絞り、左手で体を支えながら立ち上がる。
気持ち悪さで視界が眩んだ。息を止めて、覚悟を決める。
左手で位置を調整して肩を押し込む。ガゴッと骨と骨が咬み合う音がした。抑えきれない痛みが悲鳴となる。
大丈夫だと何度も自分に言い聞かせて、呼吸を落ち着かせる。
痛みと痺れが残ったが、動かせないことはない。今までポケットに隠し持っていたそれを取り出し、声を上げた。

「俺はお前を認めない! 社会的とかそんなものじゃなくて、俺自身が納得がいかないからだ!
ヒロイン、いや彼女たちに何かあったら俺も命を賭けて不幸にさせないようにする。だから、まずはふざけたハーレムを終わらせる!」

俺の声に気づいた織田は振り返る。しかし、彼との距離は空いてしまっている。もはや追いつくことはできないだろう。

「そのナイフで僕を殺すつもりかい?」

鞘を外し現れたのは、刃渡り15センチ程のナイフ。俺は上着を脱ぎ捨てて、ナイフを構える。

「知ってるか、織田? 物語に影響を残してしまうような事件を起こすと、修正力によって『存在の抹消』が起きる。
シナリオから大きく外れた場合にその人物は消えるんだ。イベントともにな。
ゲームをして繰り返しているお前なら、過去に一度だけ『存在の抹消』が起きていることに気づいているんじゃないか?」
「もしかして文化祭の時に……!」
「ご名答。あの時、俺は新間孝蔵によって殺された。そして、文化祭で事件は起きなかった。だからな、お前を殺す必要なんてないんだ」

文化祭の時に新間孝蔵は『存在の抹消』を受け、事件に関するイベントは起きなかった。そしてイベントだけではなく、新間孝蔵と一緒にいた時間も改変された。
だから、もしも俺が同じような事件をここで起こせば、イベント自体が無くなるのではないかと考えた。
それを今から俺はそれを起こそうとしている。これからすることに確証なんて持てない。
『存在の抹消』を受けても、イベントが発生しなかったことになるか分からない。
それにイベントが発生しなかった場合でも、ゲームオーバーにならない可能性だって有り得る。
松永に相談したら絶対に止められていただろう。田中と石川なら殴られるかもしれない。
でも、やるしかない。主人公を止められるチャンスは今しかない。

「もしかして君は――」

そうだ、俺は今から命を賭ける。

「殺すのさ。俺自身を」

俺の行動に気づいた織田は道を引き返そうとしているが、もう遅い。
不思議と自分を殺すことに、緊張と恐怖はなかった。
緊張よりも期待が、恐怖よりも意地が俺の腕を動かした。
両手で握ったナイフを腹へ向けて差し込む。ナイフは服を切り裂いて、肌に突き刺さる。
かつて体験した嫌な感触が蘇る。痛みを我慢しながら、限界まで押し込んでいく。
まだ足りていない。これぐらいでは俺は死ねない。ナイフを引き抜くと、傷口から血が溢れ出てきた。
そして一呼吸を置いてから、もう一度ナイフを振り下ろした。その先が胃に当たったのか、口から血が出てきた。
なんだ、映画みたいに思いっきり吐くことはないのか。そんなつまらないことを思いながら、再びナイフを引き抜く。
いい感じだ。目眩がしてきた。体も震えてきた。もうひと押しだ。
三度目を下ろそうしたが、織田が俺の手を掴んできた。

「馬鹿なことは止めろッ!」

織田はナイフを俺の手から取り上げると、崖に向かって投げて捨てた。俺の体を横へ倒し、心配そうにこちらを見る。

「すぐに人を呼んでくるから持ちこたえて!」
「いや……そんなことはする必要ない……」
「喋らないで! そうだ、何か縛れるものは――」

上着を脱いでそれを傷口に当てようとしている織田をよそに、俺の意識は黒い靄で覆われていく。
久しぶりに感じたそれは、どこか気分の良いものだった。

「なあ……織田……」
「じっとして! お願いだから、無理して喋らないで」
「俺は……」

どうしてか分からなかったが、それを呟いていた。

「俺は……前に…出ることはできたのか……?」

そこで、俺の意識はビデオの再生が終わった時のように一瞬で途切れた。



[19023] 読む前にでも後にでも:設定集
Name: Jamila◆00468b41 ID:f4050e7c
Date: 2010/05/22 20:02

School Heart(ゲーム)
出典: フリー百科事典『ゲームピディア(Gamepedia)』


『School Heart』(スクールハート)は20××年に発売された株式会社Poster製作・販売のゲームソフトである。
略称は『School Heart』から「SH」または「すくは」と呼ばれる。



ストーリー
 学園に入学し、一年が経った織田伸樹は日々の生活に不満を感じていた。
夢があるわけでもなく彼女がいるわけでもない。ただ今のままではいけないという漠然とした焦燥感だけがあった。
正門の前にある桜は満開になり、また一年が始まろうとしている。今年こそ変えて見せる。満開の桜を見上げ、伸樹は決意する。




ゲームシステム

 本作は『パラメータ上昇型恋愛シミュレーション』に区分される。
プレイヤーが平日のコマンドを選択することにより、主人公のパラメータを高めることが出来る。
パラメータは女の子とのイベントに大きく影響し、ゲームクリアに必要なものとなっている。


好感度

 ゲーム中に出てくる全てのキャラクターには好感度が設定されている。
好感度は主人公のパラメータや行動により増減し、好感度によってキャラクターのイベントへの参加が決定される。
特定のキャラクターが揃ったイベントは次のイベントへと発展するため、好感度の調整もこのゲームにおいては、重要な要素である。




登場キャラクター


メインキャラクター

織田伸樹(おだ のぶき)
 『School Heart』の主人公。
 だらだらと過ごしてきた日々に嫌気が差し、変わることを決意する。
 だが、何を変えるのか具体的に決めていない。
 優しい心の持ち主。コンプレックスは身長。


柴田加奈(しばた かな)
 主人公の幼なじみ。
 明るい性格。主人公の過去の弱みを握っていたりもする。
 陸上部所属しており、主人公は短距離で彼女に一度も勝ったことがない。
 運動大好き。よくポニーテールにしている。


斉藤裕(さいとう みち)
 主人公のクラスの委員長。
 男女隔てなく接するので人気が高い。
 学園内、彼女にしたいランキング(非公認)2位の実力。
 裁縫が上手。幼稚園の時の夢はお嫁さん。
 

羽柴秀実(はしば ひでみ)
 主人公の後輩。
 主人公とは違う学年で妹を通して知り合う。柴田とも友人である。
 小柄だが主人公とは違い、気にしていない。ムードメーカー。
 口八丁手八丁な子。トラウマはカマキリから出てきたハリガネムシ。


明智美鶴(あけち みつる)
 主人公の先輩。
 学年主席を取る才色兼備のスーパーガール。
 前期末の勉強中、図書室で主人公と知り合う。
 ゲーム序盤は登場しない。失恋経験あり。


織田市代(おだ いちよ)
 主人公の妹。
 学年は一個下で、兄より勉強が出来る。
 しっかりものだが、料理が大の苦手。
 独創的な味覚の持ち主。得意料理はジャイ○ンシチュー。


サブキャラクター

徳川康弘(とくがわ やすひろ)
 主人公とは小学生以来の幼馴染み兼悪友。
 変わり始めようとしている主人公に何かとお節介をやく。
 性格は明るく、大雑把。趣味はクラゲの飼育と鑑賞。


石川本一(いしかわ もといち)
 柴田に恋心を寄せる学生。
 柴田とよく歩いている主人公を勝手に敵視している。
 金持ちで傲慢な性格。だが、頭がいい。けど、ボンボン。


滝川夏澄(たきがわ かずみ)
 主人公の女友達。
 斎藤の友人。主人公とは同じクラス。
 吹奏楽部に所属し、二年生ながらも部長をしている。
 大人しめな少女。好きな本のジャンルは歴史小説。


松永久恵(まつなが ひさえ)
 主人公に懐いたり冷たくしたりとコロコロと接し方が変わる同級生。
 リアリストであり、罰当たりなことを平然と行う。
 流行に敏い。好きなものは打ち上げ花火。


佐藤尚輔(さとう なおすけ)
 二年生。ファンブックでフルネームが公開された。
夏休み中に問題を起こし自宅謹慎をくらった生徒。
ゲーム中は「男子生徒B」とされている。



エピソード

・莫大なイベント量、複雑なルート分岐は「攻略本泣かせ」と言われた。
・元々、プレイヤーに飽きさせないため多くのイベントを取り入れた。結果として「やり込みゲー」となった。
・本作の隠しルートとされるハーレムルートは難易度が高く、発売当初は不可能とまで噂されたが発売一ヶ月にようやく攻略方法がネットに公開された。


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