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[11180] 城塞都市物語
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/10/11 14:02
【旅立ちの日】


何の変哲も無い国境付近に位置する辺境の村ナサハ
その村の人口は500人を超えたことはなく、そこに住む人々の大半は
農業を営むことによって生計を立て、慎ましくも細々と生きていた。


有体に言えば、みな地味で鄙びた生活を送っていたのだ。




そのため、村に住む若者達は変化無く、この緩慢に死にゆく日々に耐えられなくなり、
刺激的な日々を都会での生活に求めて、この村を後にすることも少なくはなかった。

もっとも、その殆どは10年も経たぬ内に夢破れ、錦を飾ることもなく、
故郷に逃げ返るように戻り、村を出る前と同じ生活を営むことが多かったが。



だが、そのような多くの挫折と失敗談は、遥先の幻想を追い求める若者達の
耳には入らず、その目には映りはしない。
彼等に聞こえるのは輝かしい成功談、
彼等に見えるのは栄光を掴む己の未来の姿だけなのだから・・・



そんな、少なくない夢見る若者達を見つめながら育った少女エリカは、
幅広い世界を夢見るちょっとだけ行動力に溢れた女の子に育っていた。




◆◆





赤子から老人まで顔見知り以外が存在しないナサハの村に生まれて早15年、
両親二人が流行り病でポックリ逝って早一年、ようやく準備は整った!!



今思えば両親が死んでから朝から晩まで、つらく長い激動の一年だったけど
私は乗り切ったわ!この目の前にある100万レル以上入った袋が私の努力の結晶!
ようやく貯めに貯めた資金で、この田舎を飛び出す時が来たのよ!



思えば、悲しむ暇も無く慌しい葬儀をヒイヒイ良いながら乗り切った次の日から、
うんざりする位の数の縁談話が舞い込んでくるわ。

維持がとてもじゃないけど一人では無理なんで、処分した遺産の畑や家畜は
足元見られて二束三文の投売り、叩き売りで直ぐに食い潰しちゃうし。

もう少し高く売れれば、他の家の農作業の手伝いする位で、夜も酒場でバイトしたり、
単純作業過ぎて死にたくなるよう内職に追われることもなく、
悠々と村を出る資金を貯められたっていうのに・・・



まぁ、いいわ。済んだことをグチグチ考えるのはこれ位にして寝て置かないと
明日の出発に差し支えることになっちゃう。今は過去より未来の事を考えるべきね!











決意を新たにして、床に付いた少女はしばらくするとかわいらしい寝息を立て始める
旅立ちの前夜で興奮していたにも関らず、あっさりと寝付いた彼女は中々図太いようだ。


もっとも、その図太さがあるからこそ、年端もいかぬ少女でありながら、
成人男性であっても賊の襲撃や猛獣に襲われる可能性が無いとはいえない旅路を
女の一人身で敢行しようという些か無茶な行動に出たのだろう。

彼女はそんな持ち前の図太さと楽観的思考で都会での大成功を夢見て、
若者らしい浅はかな挑戦を行うことを決意したのだ。



無論、そんな無鉄砲な彼女にも良い所は一応ある。


向き不向きが当然ありはしたが、彼女はどんな賃仕事を引受けても持ち前の図太さで、
つらい顔を仕事中に見せることなく、明るく元気いっぱいで仕事に取組むことが出来た。

そのため、村の爺様、婆様には良く働く元気でいい娘っこだと評判はすこぶる良く
『ウチの嫁さこい』『孫の嫁にならんか』と縁談の話に未だ事欠くことが無いほどである。


また、高齢者達から受ける評判ほど高くは無いが、良く働く元気な彼女は
他の世代の村人全般からも比較的良い評価を得ていた。
少々、金にシビアな所があるのと、昔の悪戯娘だった頃の数々の悪行が
若干マイナス補正気味に掛かってその評判の足を引っ張っていたが。




そんな図太くも村人から愛される少女が、一人都会を目指すと知った周りの人々は
危ないバカなことはやめなさいと彼女を心配して必死に説得しようとした。だが、




「行かずに後悔するより、行って後悔したほうがいいよね?」

「行くなよ!ぜったい行くなよ!は行けの前フリ!」




・・・と、頑なに新天地への夢を諦めなかったため、村人達は渋々説得を断念していた。
他人であっても、他人毎で済ませられない村特有の暖かさと煩わしさが良く現れた
村人達の善意の行動は、彼女に翻意させるほどの力を残念ながら持ってはいなかった。




◆◆



こうして、彼女は当初の予定を違えることなく、
生まれ育ったナサハの村を旅立つことになったのだが、

その旅立ちの朝は早かった。エリカは後ろ髪を引かれぬようにするため
見送りの人々の数を出来るだけ少なくしようと考え、敢えて出発を早朝に定めていた。


だが、ほとんどが農作業に従事している村ではその効果は非常に薄く、
多くの友人知人たちがエリカの門出を祝い見送るため、
彼女が出発するために村の出口についた時には、既にその場所に集まっていた。



「ひっそりと出てくつもりだったのにぃ~、もう、行く前から悲しくなっちゃうじゃん!」



文句を言いつつもなぜか溢れ出る涙をエリカは止めることが出来ず、
嬉しい様な寂しいような、色々と入り交ざった感情で胸を一杯にしていた。

自分の事を思って見送りに来てくれた村の人々の姿を見て、
今まで、退屈だと思っていた変化の無い日常がどれほど大事だったのか、
エリカは旅立ちを前にして、それをようやく実感してしまったのだ。


目の前には自分と同じくらいに顔をくしゃくしゃにした親友のリア・・・、
彼女は両親があっけない最後を迎えてしまった時、その事実を中々受け止められずに
ただ呆然としていた自分を力一杯抱きしめて慰めてくれた
エリカにとって一番大切な女友達でもあり、親友の彼女はエリカとの別れを
心の底から惜しんでくれていた。


小さい頃から一緒に遊び回って悪戯も一緒にした洟垂れ小僧だったレイド・・・、
今は見違えるほどイケメンに進化しており、悪友ではなく未来のパートナー候補として
唾でも盛大に付けとけば良かったかな?とエリカは偶に思ったりしたことがあるのだが、
これは彼には絶対に内緒である。
そんな、少しだけ痒くなるよう思い出を自分にくれた一番の男友達もリアと同等か、
それ以上に悪友であるエリカとの別れを惜しんでいた。


エリカはそんな二人を見るめながら、決してリアの野郎うまくやりやがってなどとは
欠片も思わず。近い内に結ばれるだろう二人がその日を迎えたら、
二人の大親友として、心の割と深い所あたりから祝福しようと誓っていた。

もっとも、レイドの初恋の相手がリアでは無く、自分であったことを知ったら、
かなり浅い所からの祝福に変わったかもしれないが・・・



そんな二人の大切な親友と、小さい頃から世話になった大人達と別れを済ましたエリカは、
農耕馬にしては立派な体つきをしているヒンベェに颯爽と跨り、
元も近い大都会の城塞都市グレストンへと盛大に後ろ髪を引かれながら旅立つ。






【孤独な旅路に・・・】



「はぁ~、ここから馬に揺られて8日間、野宿しながら大都会を目指すって・・・
 ほんと今更ながら思うけど、うちの村ってとんでもない辺鄙な場所ってことよね?
 隣国のロネール王国に続く街道上になかったら、余所者が全く来ない村になってるわ」



永延とつづく草原にゲンナリしながら、エリカは田舎すぎる故郷に文句をブー垂れていた。
彼女の村ナサハはフリード公国の端、南の大国ロネール王国の国境沿いにあり、
両国を繋ぐ街道沿いに位置していた。


本来なら交易の要所としてもう少し賑わっていても不思議では無いのだが、
ここ二、三十年、幸いな事に両国は交戦状態に陥る事は無かったが、
その間に微妙な緊張が常に走らせていたのが、村の発展を阻害する要因になっていた。

交易にはべらぼうに高い関税や厳しい通行許可書取得審査等の制限が掛かり、
両国の交流は少なく国境近くの辺鄙な村としての地位を強制させていたのだ。



また、そういった両国の外交上の問題もあって、両国を結ぶ街道の人通りは
当然少なかったが、それは、狙える獲物がすくないことも意味しており、
人通りが少ないにも関らず、夜盗がほとんど存在しないという利点も生み出す。
もっとも、これはエリカの孤独な時間が非常に長いものになることも意味していたが・・・




~4日目~


「ほんと、大草原に満天の星空に淡い光で旅人を照らす三日月か・・・
 きっと、私の偉業を讃える伝記の始まりにはこの美しい夜空の光景が、
 輝きに満ちた私の未来を暗示していたようだって記されるに違いないわ」




~5日目~


「まったく、いくら人通りが少ないっても、一人ぐらいすれ違ってもいいんじゃない?
 どんだけ使われてない街道なのよ!道って言うのは必要だから作るモノじゃないの?
 なに、これは私に対するあてつけ?エリカが通ってるから、この道止めようぜとか?」



~6日目~


「もう、嫌!胸躍るような旅の縁所か、人っ子一人見えないじゃない!
 ヒンベェもそう思うでしょ?やっぱり、旅ってのは見ず知らずの他人と交流とか
するのが醍醐味よね。何、貴方もそう思うの?ヒンベェって馬とは思えないほど
 よく分かってるじゃない。やっぱり、主人の出来が違うと変わってくるモノなのね」



~7日目~


「野宿に外での用足しにもすっかり馴れて逞しくなったのはいいんだけど
 なんか、女の子として大事なモノを失った気がするわ。え、なに?
 ちゃんと女の子で、すっごくかわいい?もう、ヒンベェ恥ずかしいから止めてよ!
 あっ、でも今は私達二人だけだからいいかな?ねぇ、ヒンベェずっと一緒だよ・・・」





~8日目~


ナサハの村を旅立ち8日が過ぎると遂に孤独な旅路は終わり、
目的地である城塞都市グレストンに一対の人馬は到達した。

彼女らの目の前には20メートルにっ達しようかとする厚く堅固な城壁がそそり立ち、
視線をその根元に移せば、そこにある鋼鉄の門は戦時には万の犠牲を持っても
抜けぬと思えるほどの威容を誇りながら固く閉ざされていた。
残念ながら夜明けの開門時間までは、もう暫く待つ必要がありそうであった。


もっとも、月夜に照らされる城塞都市の壮大な姿を見て大興奮したエリカにとって、
少しばかりの待ち時間など大した問題には為りそうもなかった。



「ひゃ~、聞いてはいたけど実物を見るとやっぱ違うなぁ。こんな凄いなんて・・・
 やっぱ、苦労してここまで来て良かったって確信した。一生、村から出ずにいたら
 こんな想像も出来ないような凄いモノ見れないで、人生終わちゃってたんだから」



『ほぉー』やら『へぇー』と城門の前で感嘆の声を漏らしつづけながら、
門の周辺をうろうろしたり、お上りさん丸出しの奇行を行う少女であったが、
夜明け前ということもあって、城門の周囲に人は殆どいなかった為、
幸いな事に奇異な目でジロジロと見られるようなことは無く、
早々に不審者として門兵や衛兵に通報されて尋問を受けることも無かった。





【悲しい別れ】



『おいおい、お嬢ちゃん。バカを言って貰っちゃ困るぜ』
「ふん、お上りさんだからって足元見ないで欲しいわね!」



馬上のまま入城しようとして、門兵に平民は場内で下馬しなければならないと
注意されたエリカが最初に向かったのは、城塞都市グレストンでもっとも賑やかな場所
街の西側に位置するサン・クレファン市場であった。


この市場では大小100を超える商店や露天が立ち並び、扱われる商品は食料品から
生活用品に武器や医薬品、骨董品等の嗜好品に他国からの珍しい舶来品、
それに奴隷や家畜などだけでなく、愛玩動物なども数多く売られており、
城塞都市グレストンの生活水準かなり高いレベルにあることを示していた。


そんな喧騒激しい市で、エリカは大柄で強面の商人を相手に大声を張り上げて
自分の目的を果たすため、買い物客達の注目を大いに浴びていた。



『嬢ちゃん、おめぇーさんの少しでも高く売りたいって気持ちは痛いほど分かる
 だが、モノには限度ってもんがあらぁ。こっちは相場以上の45万レル出すって
 言ってるんだ。無駄にゴネるのは止めて大人しく従って置くのが賢いってもんよ!』

「へぇ、相場以上?そっちがそう言うならこっちも言わせて貰うけど、内のヒンベェは
 そんじょそこらの農耕馬と思って貰っちゃ困るわ!この逞しい肉付きに、賢そうな目
 駆ければその速さはサラマンダーより早いんだから!60万レル以上の価値は確実よ』


『ほんとー?このおウマさんサラマンダーより早いの?』
「ええ、勿論よ♪サラマンダーより早いーってみんな言うわ!」

『サラマンダーよりはやーい♪』『サラマンダーよりはやーい♪』




『あぁぁっ!もう止めてくれ!勘弁してくれ、70万レルで買ってやるから
 餓鬼ともどもどっかに消えてくれ、こっちの頭がおかしくなっちまうぜ!』





エリカは見物客の連れた小さな子を上手く使って、子供の甲高い声が苦手な馬屋の親父に
ずっと一緒だと誓った筈のヒンベェを高い値段で売りつける事に成功する。


その見事な売りっぷりは、周りの見物客から拍手喝采を浴びる程のモノであったが、
何故か遠い目をしている男や、微妙な表情で力なく項垂れる男が後を絶たなかった。
彼等にとって何か胸糞が悪い記憶でも呼び起こされたのだろうか?





【泊まりに行こう♪】


愛馬を結構な大金で容赦なく売り払ったエリカは次に跨る相手を探す・・のではなく、
野宿続きで疲れた体を癒すため、安くて居心地の良さそうな宿屋を探していた。


城塞都市グレストンは大都市だけあって、訪れる人々の数も多ければ宿屋の数も多く、
その値段も質もピンからキリまであった。一泊素泊まり1500レルポッキリの安宿もあれば
30万レルを超える超高級ホテルのスイートかと思うほどの値段を要求する宿もあった。

そんな中で、エリカが選んだ宿は平均より安めの一泊4500レルの宿屋だった。
値段が安い割に、夕食と朝食が付いたのが決め手になった



『へぇ~、お嬢ちゃんはナサハから飛び出して一人この街へやってきたのかい?
 そりゃ、大したもんだ。向かいの根暗野郎にも見習わせたい位の肝っ玉だねぇ』

「も~、おじさんったら、肝っ玉がでかいなんて女の子には褒め言葉になりませんから♪」

『そうですよアナタ♪こんなかわいい子にそんな事を言うなんて、駄目ですよ!
 それにお向かいさんの悪口をまた言って、ご近所さんとは仲良くして下さいね』


『すまんすまん♪ついつい、お嬢ちゃんのハキハキと気風の良い姿を見てたら
 向かいの根暗で根性の曲がりきった糞野郎に対する怒りが沸々と湧いて来てな』



「お向かいさんとそんなにな仲悪いんですか?って、あのゴメンなさい
 そんなこと興味本位で聞くことじゃないですよね。すみません忘れて下さい」

『いやいや、気にすんな。俺が勝手にくちゃべってるのに付き合ってくれたんだ
 謝ることないさ。逆にこっちが礼を言いたい位だしな。ほんと気にしないでくれ』

『そうですよ。エリカさんは何にも悪くないですからね?それに主人とお向かいさんは
 ホントはと~っても仲がいいんですよ♪ついこの前も宿代の売上勝負だとか言って・・・』

『サリア!その話は止めてくれって言ってるだろ~。そうだ!もうそろそろ風呂が
沸いてる頃だな。うん、お嬢ちゃんも疲れてるだろうから早く風呂入って寝たいだろ!』


「あっ、えっと、ちょっとぉ~!!」  『あらあら慌てちゃってかわいい人ね♪』





今日の唯一の客であるエリカと宿屋の若夫婦は楽しい夕食の一時を過ごしていた。
宿屋夫婦にとっては大切な客ではあるのだが、人のいい夫婦は珍しい少女の一人客を
純粋に心配して、色々とエリカに話を聞いている内に
彼女の事を気に入ってしまったようである。



対するエリカの方も孤独な旅路で人恋しくなっていたということもあるが
自然と親切な二人に好感を持つようになっていた。
そして、この町での住居が見つかるまではこの宿屋を仮の本拠として滞在する事を決める。


もっとも、この居心地の良すぎる仮の本拠に、彼女は仮とは思えないほど
長く滞在することになるのだが、それに彼女が気付くのはもう暫く先のことだった。




【ワロハに行こう!】



『いってらっしゃい。お夕飯までには帰ってきてね』 『気をつけていくんだぞぉー!』




親切な宿屋夫婦に見送られた少女は生活の糧を得るための仕事を探すため、
職業紹介機関『ワロハ』を一先ず目的地と定めて目指す。

ちなみに『ワロハ』はあらゆる『ギルド』からの要件を満たした求人を受付、
求職者達に職業を紹介する公益機関である。


驚くべき事にこの機関はフリード公国だけでなく、大半の国家の大都市に存在している。
そうなった理由として挙げられるのは、『働かない奴は消毒だ!』という
格言からも分かるように、古来より無職の人間を汚物扱いしていたこの世界の慣習が
職業紹介機関を大いに発展させる助けとなっていた。
この慣習に動かされた多くの国家は汚物を生み出さないために、
沢山の求人を集め、効率的に求職者に配分する方法を追い求めた。


そして、その結果生まれたのが『ワロハ』という職業紹介機関である・




『グレストンワロハにようこそ。本日はどのようなご用件ですか?』



綺麗な受付嬢に声を掛けられたエリカは仕事を求めてやって来たことを告げると、
受付嬢に2階の窓口へ行くように案内され、彼女は二階の求職者専用窓口で希望の職業を、
年配の相談員の軽いセクハラ攻撃を捌きながら、一生懸命探すことになる。





う~ん、さすがに住み込みの仕事はあんまりないなぁ・・。
あるのは『俺の昂ぶる想いを受け止められる20歳以下の女の子、日給2万レル~』とか、
頭に蛆が湧いてるんじゃないかって思うようなものばっかりだし、正直、碌なのがない。



上手い話なんてそうそうある訳ないんだから、仕方ないか。住込みは諦めて、
比較的まともそうで、それなりのお給金が貰える所にしよう。
もうそろそろ、この執拗に手を触ってくるエロジジイの相手も限界だし・・・


『公爵家で下働きできる男女募集、女性にはかわいい作業服を夏冬二着ずつ無料支給
 勤務時間は午前9時~午後16時半、昼食に限り賄い有りで日給6000レル以上!!』



うん、日給は低いけどこれにしよう。怪しくないしっかりした所だし、
それに作業服支給と昼食賄い有りは大きい!それに日給が低いと言っても、
今の宿代よりは1500レル高い。安い住居が中々見つからない可能性も当然あるから。

一先ず、この街に滞在できる最低限の糧を得る方が先決だと思う。
まぁ、最悪どうしても合わなくて嫌になったら別の仕事を探せばいいからね。



『フヒヒ・・・、お嬢さん、どれになさるかお決まりですかな?』

「はい!ここに決めました。直ぐにでも面接に行きたいので紹介状をお願いします」



相談員にコメカミをピクつかせながら元気良く返事を返したエリカは生活の糧を得るため、エックハルト公爵家の下働きとして就職しようと生まれて初めての面接試験に挑む!

もっとも、彼女は『ワロハ』で求人情報を選んだだけで、採用が決まった訳でもないのに
なぜか、その自分が選んだ職に採用が決まった気になってしまっていたが・・・




【面接を受けよう!】



エリカが訪れたエックハルト公爵邸は城塞都市内でも一等地の高級住宅街に、
百人くらいの平民が死に物狂いで一生馬車馬のように働いて得た生涯賃金でも
買えなさそうな大豪邸であった。


実の所、これほどの権勢を誇るエックハルト家は城塞都市グレストン副総督を
何人も輩出してきた名家であり、グレストンでは総督家に次ぐ、
押しも押されぬような権門であった。また、その歴史も古くフリード公国成立時まで
遡ることができ、国内で知らぬ者は無く、国外においても国際情勢に聡い者であれば、
名前位は知っていて当然という高い知名度を誇っている。



そんな超が付くほどのスンゴイ名家に一人やってきたエリカは、
ついこの前まで、ど田舎で農作業や子守に酒場での給仕をしていた芋娘。
ただ、ただ屋敷の威容に圧倒され、採用は決まったものという甘い考えを
二秒で吹き飛ばされていた。完全に自分なんかが受かる訳がないと諦めた。


諦めたのだが、彼女は踵を返すことなく、採用面接を受けるため大きすぎる門をくぐる。
たとえ駄目そうでも、奇跡が起こるかも?という生来の楽観思考と、
採用が無理っぽいからドタキャンするのは、人としてやってはいけない事だという考えが
しっかりと頭の中にあったので、彼女に面接を受けないという選択肢はなかったのだ。


引きつった笑みを張り付かせながら、エリカは面接試験に挑む!





『ナサハ家のエリカ様ですね。どうぞお掛け下さい』
「あの、ナサハは出身地です。平民なので苗字はありません。それに
私なんかに様付けなんてとんでもないです!呼び捨てで構いません」

『えー平民~?ショボイー、キャハハ』
『キャハハ、平民が許されるのは男爵家までだよね~』



騎士階級や下級貴族の者達は大貴族の家に娘を奉公に出して
貴族社会の礼儀作法を学ばせることは頻繁にあり、
中には、あわよくば御手付きにでもなれば、正室は無理でも側室に迎えて貰えるのではと
考える者も少なく、伯爵以上の家格の家にもなると、
平民の奉公人は男性以外ではほぼ皆無なのが実情であった。

そう考えると、そんな所をエリカに紹介した『ワロハ』の職員は実は鬼であった。
いつの時代も、親切そうな顔をして嫌な事をする奴は居るのである。
セクハラを撥ね退けたエリカに対する嫌らしいい意趣返しだったのだろう。



そういった処々の事情もあって、場違いな仕事を求めた無知な田舎娘は嘲りを受け、
都会の洗礼というより厳しい格差社会の洗礼を受ける事になってしまう。
支配階級と被支配階級の間にある壁は辺鄙な村で育った少女が認識している以上に
厚く高いものなのだ。

そして、その壁を不用心にも乗り越えようなどとすると、
足を引っ張られ、登りかけた所で上から石をぶつけられて突き落とされるなど、
非常に手荒い洗礼を多方面から容赦なく受ける事になるのが、この世界の常識であった。


 

『ミリアとラミアは退出なさい。貴女達は一度、自分の振る舞いを良くお考えなさい
ご不快な思いをさせて本当に申し訳ありません。エリカさん。エックハルト家に代わり
今回、面接官を勤めさせて頂きます。シェスタ・バクラムが心よりお詫びを申し上げます』
 

「いえ、いいですよ!そんなに謝らないで下さい。私なんか全然大した事ない
田舎者ですし、こんな場違いな場所にお邪魔しちゃった私が悪いんですから!」


『いえ、礼は欠いたのは私達です。それを謝すのは当然のことです
 どうか、先程の非礼をお許し下さい。本当に申し訳なく思っております』





面接官を名乗る凛とした女性は非礼を働いた二人に有無も言わせず退出させ、
年少で平民のエリカに深々と頭を下げ、その非礼を謝した。


そして、その予想外に腰の低い対応を受けたエリカはあたふたしながら
それを諾々と受け入れることしかできなかった。


その後、シェスタは何が出来るか、どんな事をしてきたか等、
ごく一般的な面接に有りがちな質問をエリカに丁寧な言葉で問い掛けた。
それに、エリカは緊張で所々詰まる点は有ったものの、ハキハキと答えて面接は
和やかな雰囲気なまま終盤を迎えようとしていた。



『それでは最後にエリカさんの方から何か聞きたいことか、言いたい事があれば
 それをお伺いして、面接を終わりにさせて頂きたいと思います。なにか御座いますか?』


「特にありません。大丈夫です。シェスタさんの貴重なお時間を
私なんかのために割いて頂き、今日は本当にありがとう御座いました」



『そうそう、一つ肝心なことを確認し忘れておりましたわ。エリカさん
 いつからなら当家に来る事が可能ですか?受入の準備をしたいと思いますので』

「はい?」




思いもかけない言葉に呆けたあほ面を晒すエリカに、
笑いを噛み殺しながらシェスタは採用の決定を彼女に告げた。

さすがの田舎娘も最初に受けた辱めで、平民の女が大貴族近くで仕えることなど
常識外れで、ありはしないことだと身を持って実感していた。
そのため、シェスタの口から出た採用決定を匂わす言葉は信じられないどころか、
完全にエリカの予想の範疇から外れており、彼女に見事なあほ面を曝け出させた。



シェスタ慇懃な対応も、エリカが最初に受けた仕打ちを恨んでエックハルト家の悪評を
あることないことを織り交ぜながら市井にばら撒かれないようにするための
忠誠心のあらわれだろうと考えていた彼女は、
シェスタの主家のためなら平民相手に頭を下げる事も厭わない姿勢に、
ただ感心するだけで、自分が採用されるなどとは露ほども思っていなかったのだ。






こうして、彼女は翌日からエックハルト公爵家に仕えることになるのだが、
これは、彼女が城塞都市グレストンで残す大きな軌跡の内のほんの一部に過ぎない


彼女は、この城壁に囲まれた街で更に多くの出会いと別れを繰り返す内に
この地に来た当初では考えられないような様々な経験をしていくことになるのだから・・・


ただ、残念なことに、その後の彼女の物語を知る者はなく、

今では始まりの章しか伝えられていない。
そのため、この『城塞都市物語』は失われた物語と人々に呼ばれるようになる・・・

                                 


                                




[11180] エックハルト公爵家伝
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/09/24 22:14

【初出勤!】



五芒星の形を模した城塞都市グレストン、
失われつつある古代魔法技術が眠る難攻不落の城塞都市として、
その名は近隣諸国に知れ渡っていた。


そんな壮大で華やかな街にやってきた15歳の少女エリカは、
この街に住む20万人の人々の中に埋没するちっぽけな存在に過ぎなかった。


そんな、ちっぽけな少女は仮の本拠とした宿屋の一室の姿見の前で、
勤め先から支給されたかわいいデザインの侍女用作業服を身に付けて
テンションをMAXギリギリまで上げていた。



◆◆



なにこの服!これが作業服とかありえないんですけど!!
しかも、夏冬二着ずつ無料支給ってホント太っ腹だよね~♪


やっぱ、お貴族様の中のお貴族でもある公爵家ともなると違うわね。
ナサハの木っ端役人達とはそもそものスケールが違う。


そんな超名門家の一員にただの平民の私がなっちゃうなんて、
もうっ!これで興奮するなっていうのが無理ってもんよ!



それに、もしかしたら、あくまでも仮定のお話だけど、
『貴族だらけだよエックハルト公爵邸』っでビックリ玉の輿の出会いなんてことも!

上手く行けば男爵夫人や子爵夫人、もしかしたら、エリカ伯爵夫人とかに
なちゃったりしてチクショーぉおお!!もう、このこのこぉ~!!!




『エリカさ~ん、枕は殴るものじゃないからね?それに、今何時かは分ってるよね♪
 もし、まだ騒ぎ足りなくて眠れないようだったら、私がゆっくり眠らせてあげるけど?』

「ごっ、ごめんなさい!調子に乗りすぎました。直ぐ寝ます!今寝ます!」



『うん、分ってくれたならいいのよ。明日からお勤めなんだから
ちゃ~んと寝て、しっかり休める時に休んで置かないと駄目よ』

「はい。あの・・・、心配してくれてありがとう御座います
 サリアさん、私、明日からがんばってお仕事してきます」


『そう、でも無理だけはしないでね?あと、エリカさん
その服似合っていて凄く可愛いわよ。明日が楽しみね』

「はい♪」








興奮して眠れないエリカに対するサリアの厳しくも優しい気遣いは、
彼女の気持ちをとても暖かくする。

両親を無くして以後、都会に飛び出すという大きな目標のために辛い日があっても、
歯を食いしばって耐えてきた彼女にとって、優しい姉のように接してくれるサリアは
あって二日足らずにも関わらず、素直に甘えることが出来る大切な存在になっていた。


それに対するサリアの方も、少々危なっかしい所もあるが元気一杯なエリカのことを、
ちょっとだけ手の掛かる妹のように思いはじめていた。


どうやら、エリカの初めての宿選びは大成功だったようである。




◆◆




「あぁっ~!!どうしてサリアさんもグレアムさんも起こしてくれないのよ~!!」

『もう、なんども大きな声で私は呼んだわよ!』
『まぁまぁ、今は遅刻しない事が肝心だろ?ほら、パンと弁当に水筒だ!
 走りながら朝飯は食っていきな。ここでのんびり食ってる時間は無いだろ?』


「ありがとグレアムさん!じゃ、サリアさん行ってきま~す!!」


『はいはい、いってらっしゃい気をつけるのよ』
『おう、行って来い!最初からヘマばっかりすんなよ!』



サリアとまだ20台で『おじさん』じゃないと主張するグレアムに
慌しい挨拶をし終えると、エリカは全速力でエックハルト公爵邸に向かって駆ける。

結局、昨夜は興奮して殆ど眠れなかったエリカはお約束の寝坊を盛大にかまし、
パンを口に咥えながら、時間に対して真剣勝負を挑む破目に陥ってしまったのだ。



『おう!嬢ちゃん朝から元気がいいねぇ』

「おひゃひょうごょうざいみゃすぅ~!」



そんな微笑ましい光景を見た街の人々はエリカに声を掛け、
エリカも喉にパンを詰まらせそうになりながら、
手を振ってふひゃふひゃとした挨拶を返す。

ほのぼのとした気持ちのいい朝の光景であった。
そんな光景が生まれる城塞都市グレストンはとても治安がいい街だった。




◆◆



「ギリギリセーフぅ~!!」



エックハルト公爵邸に門を蹴破るような勢いで飛び込み
定刻ギリギリになんとか間に合ったエリカは喜びの声をあげたのだが、

そんな『やった~♪』的な表情を肩で荒い息をしながら見せたエリカに浴びせられる
シェスタ・バクラムの視線は絶対零度の温度を持っていた。



『エリカさん、確かに遅刻はしなかった事は評価致しましょう
 ですが、エックハルト家に仕えようとする者が、事もあろうに
 まるで賊のように、門を蹴破って飛び込んで来るのは頂けません』

「すみません・・・」



『それに、遅刻はしなかったとは言え、あまりにもギリギリ過ぎます
 何も夜明け前には来いとは言いませんが、もう少し、余裕を持って
 屋敷に着けるようにしなさい。髪を振り乱し、肩で息をするような
 醜態を許すほどエックハルト公爵家の規律は緩くも甘くもありません』

「はい、本当にすみませんでした」



厳しく注意するシェスタにエリカはシュンとなって素直に謝罪の言葉を口にする。
彼女自身も自分の不注意で遅刻し、自分に期待してくれたシェスタを裏切った事に
大きな負目を感じていた。


そんな『もう、私はクビなんだー!!』って位に沈んでいるエリカの様子に
シェスタは溜息を吐くと、彼女に最初の仕事としてお使いに行くよう指示を出したのだが、

その瞬間『やっぴークビじゃないやー♪』って位に嬉しそうな顔をして
元気良く分りましたと返事をする少女の姿に不安を感じ、再び溜息を吐く。


エックハルト公爵家で『奥向きの事はシェスタに』と言われるほど優秀な彼女も、
年相応と言えば相応なエリカの子供っぽい反応に採用した事を少しだけ後悔し始めていた。


もっとも、一度や二度の些細な失望で人を切り捨てるような狭量さとは彼女は無縁であり、
シェスタはエリカに感じた『何か』を確かめる為、暫く様子を見ることに決めた。


そんな目で見つめられている当の本人は全く気付くことなく、
初めてのお仕事だ!自分の力を見せるぞ!と能天気にウキウキワクワクしていた。






【モノの価値、ヒトの価値】



エリカに最初に与えられた仕事は20万レルで10個の『コチの実』を買ってくるという
非常に簡単そうなお使いであった。

ちなみに、『コチの実』は磨り潰してお湯に煎じると、ほのかに甘い味と香りを出す実で、
貴族の子女が好んで口にするそこそこ高級な嗜好品であった。

エックハルト公爵家でもそれは良く消費されており、週に一度市場まで『コチの実』を
20万レルで10個ほど買い求めに行くのが新米侍女の仕事とされており、
それは、シェスタが新米侍女だった頃から変わらない一種の慣習となっていた。




◆◆



シェスタさん、凄く怒ってるよなぁ・・・、多分無理を通して私みたいな平民を
採用したのにいきなりその期待を裏切るようなことしちゃったし、
ほんと、申し訳ないことをしてしまった。

でも、クビにならなくてホント良かったわ!あれで失望されたまま終わったら情けなくて
涙が出ちゃうところだったわ。

とにかく、どうやったって失点は消えないんだから、
新たに得点をとって汚名を・・えっと、返上しないとダメよね♪

クヨクヨして悪循環に陥ったってイイコトなんか無いんだから、
まずはこのお使いをちゃんと完璧にこなしてポイントをしっかり稼ご~と♪


それに、昼までに帰ってくれば良いってシェスタさん言ってたから、
結構長い時間サン・クレファン市場で油売れそうだから、
善い物があればなんか買って来ようかな?






早々と失敗から立ち直ったエリカは買い物籠を片手に意気揚々と公爵邸を後にし、
目的の品が並ぶサン・クレファン市場を目指して歩く。

彼女がこの城塞都市で初めて手に入れることになる『手柄』をその小さな手で掴む為に・・・



『いやー、この前のサラマンダーのお嬢ちゃんはエックハルト家の侍女様だったとは
 なに、私もあの場を所用でたまたま通り掛かりましてね。久しぶりにいい物を
見せて頂きましたよ。今日は『コチの実』を20万レルで10個、宜しいですよね?』


「全然宜しくないわ!『コチの実』の相場を私が知らないとでも思ってるの?
最高級品でも一個5000レルが関の山の商品に2万レルも出す訳無いでしょ?
あんた脳味噌が間抜けなんじゃなないの?私が払うのは5万レルが上限よ
それ以上はビタ一文だって払わないし、品質を見て悪そうならもっと低く買うわ!」



『いやいや、勇ましいお嬢さんだ。ですが、この品はエックハルト公爵家専用に
 苗木から選別して、熟練のコチの実栽培専業農家が丹精込めて育てた最高級の品
 そこらの店の物と一緒くたにされては困りますよ。それに何年間もこの値段に
 ご納得頂き、これまでの侍女様方は購入して頂いております。お分り頂けますかな?』



小五月蝿い小娘だと言いたそうな顔で、適正価格では無いと主張するエリカを諭す店主に
エリカはぶち切れる寸前であった。

数年前のシェスタの時代とは違って『コチの実』の栽培方法が多くの農家に広く伝播し、
栽培に手間が掛かる事だけが、その単価を吊り上げる要因になったというのに
数年間変わらぬ値段であると言う店主の言葉から、ボッタくられていると悟ったのだ。


これまでの貴族様や騎士階級の世間知らずなお嬢様侍女は、
言われたままの事を機械的にこなすだけで、他店で相場を調べることなどしないから、
公爵家に取って些事ではあったかもしれないが、嗜好品の一つで盛大に鴨にされていた。


そして、この先人達の無能さが、後発のエリカを大いに助けることになるのだ。



「ふーん、面白い事を言うのねぇ。さっき、その『高級品の木箱』を馬車から
投げ捨てるように降ろしていたのを見たんだけど、それにその馬車は向かいの店にも
同じように『コチの実』が入った木箱を投げ捨てていたわ。大した高級品よね?
まぁ、私も新人で良く分からない点も多いし、今回は買わずに戻ってこの事実を
公爵様とシェスタ様にご報告させて頂きます。もしかしたら、専業農家に巡察官を
お送りになるかもしれないわね。ほんと、その時が楽しみ。誰かの首が落ちたりして?」


舌をだして可愛らしい笑顔で恐ろしい事実を述べる侍女を見て、
店主はもう小娘と侮る気力も勇気も無かった。
あとは如何にして彼女との間に妥協点を見つけるかに彼と彼の店の命運が掛かっていた。

城塞都市で二番目に権勢を誇るエックハルト公爵家に舐めたマネをしていた事が
バレようものならば、恐ろしい報いを受ける事は確実である。


エリカが『サラマンダーの小娘』であると知っていながら侮ったのが、
店主の一番の敗因であった。
彼女は貴族の世間知らずな小娘ではなく、農業に本格的に携わっていた
田舎の世間知らずな小娘だったのだから・・・




『賢くも美しく可憐な侍女様。どうかお許し下さい。これも一重に昨今の
 利益追求主義が蔓延る社会の趨勢が一つの要因でありまして、決して
 公爵家様を虚仮にするような大それた気持ちはありません。どうかお慈悲を』
 

「そうねぇ、私も『善良な商人』が失われるのは心苦しいと思うわね」
『それでは!お許しいただけますね!!』


「えぇ、私は他の侍女とは一味も違う賢くも美しく可憐なる侍女ですから
 もっとも、少しばかり私のお願いを聞いて頂けることが条件ですけど・・・」



エリカの提案にただただ首を縦に振る店主に出された条件は非常に温情深く、
双方にとって大きな利益がある物だった。

内容としては、『コチの実』以外に購入しているボッタクリ値段の商品を
適正な値段に一定期間を置いて変えていくこと、
そして、値段改定のタイミングはエリカの指示によって決めるという物であった。


一気に事を進めて一度でコストダウンの手柄を終わらせるのではなく、
段階を踏む事によって手柄を細分化して小出しにしていけば、時間は多少掛かるが
お買物に関して、第一人者としての地位が築けるのではとエリカは見込む。


また、御用商人の方もぼっていた致命的な事実を正されるのではなく、
正当な値段改定に応じたという形を取れれば信用を失うどころか、
逆に融通の利く善良な商人として更なるビジネスチャンスを得られるかもしれない。

これまで世間知らずなエックハルト家の侍女たちは鴨にしていたのは他の商店も同じ、
それが通じなくなったというならば、逸早く対応を変えて他に先んじる方が賢い。



損得勘定に聡い店主はカネに厳しい侍女の提案を嬉々として受け容れ、
エリカは商人に対する大きな貸しと、『持続性のある』手柄を手に入れる。



エリカはシェスタの忠誠心の高さとその高潔さを心より尊敬し、
自分に目を掛けてくれた事に対する恩を強く感じていたが、
エックハルト公爵家には今のところ大して義理を感じていなかった。


そのため、彼女はエックハルト公爵家の利益より、
自身の継続的な『お買物』の手柄の確保に重きを置いた行動をとる。

その行動の結果、エックハルト公爵家の物品調達に関して
有為な人材として認識され、やがて、大きな権限を持つ可能性があったのだが、



当然、彼女はそんな可能性に気付くことも無く、差し当たって得られるだろう、
お使いを5分の4の出費で終えた『小さな手柄』に対するシェスタの称賛を期待して、
スキップ交じりの軽やかな足取りで、公爵邸への帰路につく。





【平民はつらいよ!】


昼前にエックハルト公爵邸にちゃんと戻ったエリカはお使いの結果をシェスタに報告する。
彼女から報告を聞いたシェスタは購入単価を下げた成果に対して軽く称賛の言葉を与え、
エリカを端から見ても分るほど大いに喜ばすと、その姿に苦笑を浮かべながら
昼休憩を取るように言って、食堂の場所を教えた。


これに対して、エリカは褒められた事に対する喜びを噛み殺しながら、
『一緒に昼食を取りましょう!』とシェスタを執拗に誘うが
所用のあるシェスタに素気無く断れションボリとすることになるが
空いている日は一緒に取っても構わないと言われて直ぐに復活する。



◆◆


『何あれ~?もしかして前来た平民じゃない?』
『うそ、平民が公爵家の侍女に採用されるなんてあり?』

『もしかして、公爵家に入り込む為に体でも使ってたりしてぇ?』
『ヤダァー、エミリアったらヤラシィ~♪そういう話題好き過ぎだよー』



多くの貴族や騎士階級の子女からなる侍女集団の華やかなランチの場に現われた
平民のエリカは珍獣扱いで極一部は淫獣扱いをする始末であった。


当然、そんなエリカと昼食を共にしようとする勇者はそこには居ないため
彼女は一人寂しくサリアが好意で作ってくれたお弁当を食べるようとした。



『なにあの弁当?貧乏臭いんですけどぉー♪』
『ねぇねぇ?なんか本当に臭くない?生ゴミでも食べてるんじゃない?』

『有りえる。平民って底辺でギリギリ生活してるゴキブリみたいなモノだし』

『それより、なんかあの子自体が臭くない?』
『ラミア、それウケルけど言い過ぎだって、平民だって川で身体くらい洗うわよ』



面接の時にエリカを蔑んだ二人を筆頭にその他の侍女たちはヒソヒソと、
エリカに充分聞こえる声量で汚ならしい影口に華を咲かせる。

そんな彼女達の低レベルな仕打ちにコメカミをピクつかせながら、
エリカは黙々と弁当をパクついていた。
流石に、エリカも初日早々暴力沙汰を起こしてクビになってしまうのは避けたかった。
そう考えて『無視よ!ムシムシ!』と心の中で念仏のように唱えながら耐える。


だが、そんな彼女をあざ笑うように運命の神は叛逆の狼煙をあげる。




『なにこれぇ~?残飯なんかテーブルに置かないでよ』


意地悪そうな顔をした侍女のミリアが、暴言と共にサリアお手製の弁当を
テーブルから払い落としたのだ。その上『服が生ゴミ臭くなったわ。捨てようかしら』と
とんでもない発言を重ね、取巻きの笑いを更に煽った瞬間、床に崩れ落ちた。


顎に一発だった。それだけでミリアの軽い頭は大いに揺れて崩れ落ちた。
その余りにも信じられない一瞬の出来事は、侍女専用の食堂をパニックに陥れる。

その瞬間を目撃した侍女は言葉を失い震えながら硬直し、
良く見えなかった位置の侍女たちはキャーキャーと甲高い不快な音を立てながら叫ぶ。
そんな収集の付かぬ狂騒は永遠と続くかに思えたが、直ぐに終わりを迎えることになる。



「やかましいぞっ!!クソアマ!!ギャーギャー騒ぐと殺すぞっ!!」



ぶち切れて立ち上がったエリカの一喝と4、5人は殺してそうな目付きで睨まれた
甘ちゃんのお嬢様方は一瞬で震え上がり黙りこくった。

ナサハの村で近所の悪ガキとつるんで、気に入らない奴を容赦なく肥溜めに落としていた
『肥溜めクイーン』の異名をかつて持っていた悪戯っ子なエリカにとって、
温室育ちの彼女達を黙らすことなど造作もなかった。


倒れて動かなくなったミリアを優雅に足で押しのけながら、再び席についたエリカは
床に落ちなかったパンを『パンおいしねん』と言いながら抜け抜けと食し、
怯える侍女達に自分が悪魔の化身であるかのような印象を与えていた。


そして、この恐怖に満ちた昼食の一時はエリカが『貧血になった』かわいそうなミリアの
両足を持って引き摺りながら、医務室へと運んでいくまで続いた。









こうして、少しばかり波乱のあった昼食を終えたエリカは
ミリアが目を覚ますまで優しく介抱してやり、必要なだけ友好を淑女的に深めると、
腰を痛めたジュゼッペ爺さんの代わりに巻き割りをしてあげたり、
廊下の雑巾がけに食器洗いをといった侍女らしい仕事をこなしてお勤め一日目を終える。


朝からドタバタした事もあって、田舎育ちで体力に自信のあるエリカも定時間際になると
さすがに疲れを感じていたが、シェスタから労いの言葉と共に初給金を受取ると
現金なもので疲れなど一瞬にして吹き飛ばしていた。


6000レルとミリアから詫びと友好の印として借りた高そうな懐中時計を握り締めながら、
宿屋へと帰るエリカの足取りは来るとき以上に軽かった。



エックハルト公爵家でのお勤めは、エリカにとって楽しいものになりそうであった。








つい、最近になって発見されたこの『エックハルト公爵家伝』は本物で
城塞都市物語の一部ではないかとも言われているが、これは恐らく創作上のものであろう

この伝には繊細で大人しく心優しい筈の主人公を野蛮で粗野な人物として記しており、
彼女と敵対する悪辣な勢力が悪意と逆恨みを持って記したとしか思えないからである。

聖女のような心やさしき少女とナサハの村で崇められる主人公の事を
『肥溜めクイーン』と書くなど、嘘を書くにしても酷すぎであり、
この伝は間違いなく『城塞都市物語』の偽物であると断言することが出来る。


私はこのような悪質な歴史の歪曲に怒りを覚えずにはいられない。
きっと『城塞都市物語』が殆ど破棄されて伝わっていないのは、
不当に主人公を貶めようとした悪しき敵対勢力の手による工作に違いないからである。


私は今回発見された『エックハルト公爵家伝』などと称される紛い物を見て
その確信を強めると共に、たった一つ真実を明らかにする為
失われた『城塞都市物語』の調査を精力的に行いたいと強く思う。






[11180] 子爵令嬢手記
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/09/24 22:14
【お部屋探しにGO!】



フリード公国第二の都市、城塞都市グレストンは人口と規模の点で
公都フリディニアを凌駕しており、それに魅力を感じた活力の溢れた多くの人々は
この地で成功を掴むために、故郷を捨て移住していきていた。


そのため、旅人や冒険者に、交易商人や観光客と言った人々のための宿屋だけでなく、
移住者や留学生用の長期滞在目的者向けの貸家や貸部屋も数多く存在し、
不動産仲介業も成熟しており、値段や設備といった様々な条件を選ぶことができた。


多種多様な宿泊施設に賃貸物件の充実と、城塞都市グレストンは外から来る人々を
受け容れる事に関して非常に寛容である言える。
もっとも、それは『カネ』を持っている場合と条件が少しだけ付いたが・・・


多くの人が来ると同時に、多くの敗残者が去る街、
それが、城塞都市グレストンが多く持つ顔の内の一つであった。






エックハルト公爵家での初日こそ、平民の侍女という物珍しさから、
意地悪な侍女達の嫌がらせを受けたエリカであったが、真正面からその嫌がらせを
受けて立ち、完膚なきまでに叩き潰したエリカの振る舞いに恐れをなした侍女達は
それ以降、直接・間接を問わず、彼女に嫌がらせをするという危ない橋を
決して渡ろうとはしなかったため、エリカは何事も無く日々のお勤めを
平穏無事に終える事が出来ていた。


また、最初のお使い以降、首根っこを押さえた店主を利用することによって、
小出しに調達物品のコストダウンを実現しなから確実に手柄を稼ぐエリカに対する
公爵家の評価は少しずつではあるが高まっていた。
そして、初出勤から三週間が経つ頃、そんな使えると判断された彼女に対して、
シェスタはご褒美として特別ボーナス10万レルを支給し、三日の休暇を併せて与えた。


エックハルト公爵家は才ある者を遇する術を知っていた。
もっとも、残念な事にそれを受けたエリカの忠誠心は主家ではなく、
直属の上司であり、褒章を与える為に動いてくれたシェスタの方に益々傾いていたが・・・




◆◆



ボーナス! なんて魅力的な言葉なのかしら!その上、休暇まで貰えるなんて最高ね!
明日から通常の休暇と併せて五連休なんて、ホント夢見たい。

これも、カッコよくて美人でとってもステキなシェスタさんの御蔭ね。
休み明けもお仕事バリバリ頑張って、引き立ててくれた御恩に報いちゃうぞー♪



『ふふ、なんか張り切ってるわねー』
『まぁ、元気があっていいんじゃないか?それがあの子のいい所さ』

『あら、貴方はエリカさんの良いところには直ぐ気付くのね』
『おいおい、サリアの良い所は多すぎて言えないだけさ』
『もう、調子のいいことを言って・・・、でも、ありがとう優しい旦那様♪』



あちゃー、お二人さんが盛大にストロベリ始めちゃったよ。
二人が仲いいのは凄く嬉しいけど、朝食時からそれやられちゃうとなぁ・・・、
うん、正直言うとしんどいし、精神的に胃ももたれてきます。

別にうらやましいなぁ・・・とか、何だかコンチクショーなんて思ってません。ほんとだよ!



『あら、もう終わり?もっとゆっくり食べて行けばいいのに
 今日、エリカさんは特別休暇でゆっくり出来るんでしょ?』

「えっと、今日は部屋探しでもしようと思ってるんで
 ロンファン通りの不動産屋へちょっと早めに行こうかなって」


『なんだい、お嬢ちゃん出て行っちまうのか・・・』



「はい。ほんとはもっと早く出て行く心算だったんですけど、此処が凄く居心地が良くて
ずるずると居座ちゃいました。でも、この街で暮らすならちゃんとお部屋を探さないと」


『うん、そうよね。何時までも宿住まいじゃお金も掛かるから仕方が無い事よね
 私達夫婦を捨ててでも、エリカさんが貸し部屋を探すのはしょうがないの事なのね』



捨てるって・・・、また極端な、それにチラチラと私の顔見てるから嘘泣きなのバレバレです。
ほんと、いい人だけどしょうがない人だなぁ。まぁ、そういう所も好きなんだけど。

ここは大人しく妥協案をだして、納得して貰うとしましょうか。



「もう、ちゃんとこの宿屋に近い所で部屋探そうと思ってますから
捨てるとか変な心配しないで下さい!私も二人の事大好きですから♪」










自分でも『これは無いかな?』と思いつつも、サリアに媚びたエリカは盛大に
後悔する事になる。
エリカの大好き!攻撃が良いところに入って興奮したサリアは
『なに、このたまらんかわいい子♪』といった感じになってナデナデぎゅうぎゅうされ、
予定の出発時刻を大幅に修正することになってしまった。


度が過ぎる親愛の表現は必ずしも自分に良い結果を齎す訳では無いと、
エリカは身をもって知る事になった。



そんな二人の横で、グレアムは楽しそうだなぁ~と横目で見ながら
暖かいお茶を飲みつつ、朝の穏やかな幸せを一人だけ満喫していた。

こういう状態に入った妻と言うか、女性には関わらない方が良い事を
賢い夫である宿屋の主人グレアムは知っていた。



◆◆



結局、買物に行くと突然言い出したサリアにお留守番を強引に頼まれたエリカは、
予定より3時間以上も遅れて昼食後に不動産屋を目指すことになった。

こうして、エリカは出発前から疲れてゲッソリとした顔をしながら、
ロンファン通りを目指して歩くことになった。




『おう、嬢ちゃん!疲れた顔してるな?さては彼氏でもできて夜更かしか?』

「はぁ、そんな相手が居ればもっといい顔してますよ~」



そんな彼女を見かねた宿屋の近所のおっさんが冗談交じりに声を掛けるのだが、
返事を返すエリカにいつものような元気さがもどる事は無かった。
その様子に『しばらくはダメだな』と思ったおっさんはあっさりと元気付けるのを諦め、
『まぁ、がんばれよ』と適当な励ましを申し訳程度にし、
エリカの方も『お気遣いサンキュ~です』と力なく手を振って応えながら分かれる。


どうやら、興奮したサリアの『かわいがり』は彼女にとって
数時間経っても抜けないほどの疲労感を与える威力を持っていたようである。
もちろん、嫌悪感は微塵も感じておらず、若干嬉しく思った位なのだが、
それは、ちょっと限度を超えており、疲れるのだけはどうしようもなかったのだ。




◆◆


「よっし!とにかくちょっと疲れる事があったけど、なんとか目的地に着いたわ
 ここで、良い部屋を必ずゲットして生活基盤を固めないと!ごめんくださ~い!」

『はいはい、いらっしゃいまし。ようこそニヤニヤ不動産へ、お部屋をお探しですかな?』



不動産屋の前に着いたエリカはいつまでも疲れを引き摺っていられないと、
気合を入れなおして、その店に元気な挨拶と共に入る。


そんな、声を聞いてのそのそと出てきたのはにやにやと笑う
老店主のニヤック・ニヤードだった。
彼は苗字がある事から分るように貴族・騎士階級に属する者であったが、
小さな領地と騎士の地位を息子に譲って以後、暇を持て余すようになったのか、
この城塞都市で道楽がてらに不動産業を営むようになっていた。


そんな、少し気味の悪い老人の笑みを盛大に無視することに決めたエリカは
安くて良い部屋を紹介してくれとストレートに要求を述べる。
このエリカの清々しくも欲望に忠実な態度にニヤックは
皺くちゃな顔を更にくしゃくしゃにして笑いながら、
幾つかの物件資料を彼女の前に置いて見せる。



『ひょっひょっひょ、どれお嬢ちゃんのお気に召す物件はおわりですかな?
 この物件などどうです?今滞在の宿からも近く、家賃は一月39800レルですぞ』

「確かに魅力的ね。でも、前の人は首吊り、その前の人も首吊って
 おじいちゃん、この部屋絶対呪われてるって無し無し!お化けとかダメ!」


『おやおや、お嬢ちゃんはそういう曖昧なモノなど全然気にしない子じゃと思いましたが
 どうやら、私の見込み違いでしたかな?しかし、そうなると困った事になりましたなぁ』




たかだか一件の物件が条件に合わないといっただけで、心底困ったというニヤックに
疑問を感じたエリカが、その点について質問するとニヤニヤした笑顔見せながら
老店主はとんでもない理由を説明する。



『いやのう、困ったことにこの街の不動産屋がお嬢ちゃんに紹介できるのは
 一件を除いて、訳ありの呪われてそうな部屋しか紹介する事が出来んのじゃよ』

「はぁ?なにそれ、意味が分らないんだけど?まぁ、良いわマシな一件を先ず見せて」




返された意味不明な返答に『ぶち殺すぞクソジジイ』状態になり掛けた少女であったが、
相手がニヤニヤしているとは言え殴ったら死にそうな老人だったため何とか我慢し、
例外の一件について、質問することにした。
やっちゃうのはそれを聞いてからにすることにしたようである。


『ひひっひ、そうカリカリしなさんな若いの、短気は損気じゃよ?
 そうそう、例外の一件じゃったな。ほれ、この物件がそうじゃよ』



プンプン状態になっているエリカに動じる様子も見せず、食えないジジイが見せた
物件の説明書は、彼女をいとも容易く驚愕させることに成功する。

その説明書にはこう書かれていた。



『グレアムとサリアの築30年のラブラブハウス♪二階に素敵な空き室あり!
 なんと朝夕に昼食はお弁当との選択が可でお家賃なんと5万レルポッキリで格安!
 此処に済まないエリカさんは鬼か悪魔!PS、他の不動産屋に行っても無駄なの☆』





QBK(急に、弁当の材料を、買いたい)と訳の分らないことを言って自分に
お留守番を命じたサリアが何をしていたのか悟ったエリカは、
物件の説明書が置かれたテーブルに勢い良く突っ伏した。



『ひょっひょっひょ、お嬢ちゃん潔く諦めなさい。お嬢ちゃん位の年頃の子が
 背伸びして独り立ちしたいという気持ちも分るんじゃが、まだ慌てることも
ないじゃろうて。折角、心配してくれる人が居るんじゃから、もう少しだけ
甘えてみるのも良いのではないかのう?折角の縁じゃ、大切にしなさるといい』

「はいはい。もう、この物件にすれば良いんでしょ!分ったわよ!」


『ひっひっひ、お嬢ちゃんは賢い子じゃな。長い物に巻かれるのが長生きの秘訣じゃ』



ニヤニヤと笑いながら良く覚えておくと良いというニヤックを見ながら
このお爺ちゃん、無理矢理綺麗に纏めようとしているなとちょっとだけ思った
エリカであったが、この物件をもしも蹴ったりしようものなら、
なにか恐ろしいことになる事位は想像できたので、
大人しくちょっとアレな超お買い得物件を選択することにした。



どうやら、エリカが城塞都市グレストンで築いた最初の縁は
斧でも切れなさそう強靭さを備えているようである。




【困ったお姉ちゃん】


不機嫌そうな顔をして帰ってきたエリカを満面の笑顔で盛大に迎えたサリアは、
エリカにお茶とお菓子を勧めながら、素晴らしい物件のことについて
彼女が話しだすのをそわそわと待ち続ける。


そんなちょっと過保護すぎる姉のような態度を示すサリアを見ながら、
エリカは溜息を吐くのとクッキーを頬張るのを交互に起用にこなしながら、
話を切り出すの待つ彼女の期待を盛大に裏切り続けることにする。


サリアの好意はほんとうに嬉しかったのだが、ちょっと子供扱いされた気がしたし、
事実、子供だから素直にありがとうと言えないのが分ったエリカは気恥ずかしさもあって、
ちょっとだけ拗ねて、かわいい意地悪をすることにしたのだ。

ただ、目をキラキラさせながら話を切り出すのを待ち続ける
自分と同じくらい行動力に溢れた女性を相手にすぐ降参することになったが、


◆◆



「サリアさん、その、これからも、よろしくお願いします」

『うん、よろしくねエリカさん♪あと、入居にあたってのちょっとした条件なんだけど
 あの、別に全然大したことじゃないのよ!嫌だったら、聞き流してくれれば良いから』


エリカの言葉にぱぁっと花が咲いたような顔を見せたサリアは、
顔を少し赤くしながら、手をもじもじしながら、
なんだか言いにくそうに入居条件につい続けてて話そうとする。

そんな様子に、もう諦めました。何でも言ってくださいって気になった
エリカは『どうぞどうぞ』とサリアを促す。




      『エリカちゃんに、お姉ちゃんって呼んで欲しいの!!』




いきなりのちゃん付けに驚けばいいのか、姉宣言に驚けばいいのか判断が付かなかった。
このサリアからのビックリなお願いにエリカは空になったティーカップから
空気を啜りながら、期待の眼差しを向けてくる姉に降参し、『サリアお姉ちゃん』と呼ぶと、
今朝の二倍超の時間抱きしめられ、エリカは早まったと再び後悔することになる。


まぁ、多少は疲れる部分もあるが、心底を自分を好いてくれる家族が、
移住先で一ヶ月も経たずに手に入ったのだから、それ位のマイナスポイントには
目を瞑るべきであろう。エリカ以外の移住希望者の大半はそんな幸福を手に入れるより、
大なり小なり騙されたりする確率の方が高いのだから・・・




『俺はこの宿屋では要らない子・・・、存在自体忘れ去られているんだ』




また、横で愛する妻にすっかり忘れ去られて、落ち込んでいる哀れな男についても
盛大に無視するべきであろう。ウジウジと落ち込む男に関わったって得する事はないのだ。
放って置くのが一番良いのである。そのうち、妻から甘い言葉の一つでも囁かれれば
一瞬にして復活してしまう程度の落ち込みなのだから尚更である。







こうして、かわいい姉と気の良い兄を手に入れたエリカは
城塞都市グレストンで確固たる生活基盤も同時に手にする。


これは、彼女が大きく勇躍しようとする際に大きな力となるだろう。
帰れる家と大切な家族がいると言う事は心に余裕を生み、前に進む活力を与えてくれる。

事実、宿屋の若い夫婦との関係は様々な形で少女の歩みを助ける存在となっていく。
もっとも、その効果は目ではっきりと見え、言葉で説明できるようなモノではなかったが、


ただ、どんな素晴らしいものにも一つや、二つ欠点はあるものである。
彼女が手に入れたとても素晴らしい物件には一つだけ欠点があった。
入居する二階の部屋は、二人が眠る寝室の真上にあったため、
耳年増なエリカであっても、耳栓をいくつか購入せざるをえなかった。

まぁ、大切な家族でもある二人が仲睦まじいことは良い事でもあるので、
一概に欠点と言うこともできなかった。
欠点と長所が表裏一体という場合は結構多いのである。






【借りは返す】


五日間の連休の内、部屋探しと新たな生活の準備にエリカは四日を充てる。

その期間でエリカは市場で気に入った家具や小物を購入して部屋に持ち込み、
いつも朝の挨拶を交す大工のおじさんに格安で壁紙の張替えや
戸や窓の立て付けを直して貰ったりして、新しい住処の住み心地を一気に向上させる。


また、そんなエリカの手伝いをサリアは嬉々として行うだけでなく、
自分の望むかわいい妹の部屋を実現する為、お手製の縫いぐるみや
『ふぁんしー』なパジャマなどをエリカに新居祝いとして無理無理に押し付ける。

そんな暴走気味の血の繋がらない姉のはしゃぐ姿に何度かエリカは頭を抱えながら、
その好意やサリアの気持ちをついつい嬉しく思ってしまい、
サリアの暴走を掣肘する所か、完全に黙認してしまっていた。


そんな、計画通りに行った部分と行かなかった部分があった部屋の模様替えを四日間で
なんとか終わらせたエリカは『借り』返すため、休日の最終日にある場所へと向かった。







目的地についたエリカは『ようこそいらっしゃいました。さっさ、奥へどうぞどうぞ』と
執事や侍女に案内されるまま、屋敷の貴賓室で美味しいお茶とお茶請けを
ゴクゴクモグモグと堪能していた。


立派な屋敷の門の前に立って呼び鈴を鳴らし、エックハルト公爵家の侍女仲間と
言って身分証代わりに支給される公爵家の家紋入りの髪留めを見せるだけで、
碌に確認もされずに中に入れたのだから、チョロイものである。


悪友のレイドと一緒に昼下がりの情事を覗き見るために農家の天井裏に
忍び込んだ時のほうが余程大変だったのでは無いか?と
余りの簡単さにエリカも拍子抜けしてしまっていた。



これは、『エックハルト公爵家』の侍女と言う身分の信頼性が如何に高いかを
よく表している事例と言えよう。普通の二流、三流貴族の家の侍女では
こうも上手く行くような事は先ず有り得ないであろう。



エックハルトの名はギュスターク子爵家の敷居など、いとも容易く低くしてしまうのだ。




◆◆


『へっ平民!?なんで貴女が、わっ・・、私の家の貴賓室に平然と腰掛け、
ふてぶてしいほど優雅に来賓用の最高級のお茶とお茶請けを味わってるの?!』

「あっ、ミリアお帰りぃ~♪お邪魔してご馳走になってます。食べる?」


『食べる?・・・じゃないわよ!何しに来たって言うの?なに?今度は家まで
攻め入ってきた訳?下克上?下克上か?そうなのね平民!!下克る気ね!』

「いや、そんなに興奮しないでよ、ただ、お友達の家に遊びに来ただけだって」


『あljgふぇlじdpこjげいぎgrぎrhjktl!?・・。ンガググ!?』



倣岸不遜な招かれざる客に子爵令嬢ミリア・ギュスタークはその美しい眉目を
盛大に痙攣させながら言葉にならぬ叫びをあげるのだが、
エリカは素早く手に掴んだ茶菓子を彼女の小さな口に突っ込み黙らせる。

大切な『友達』に貴族らしからぬ無様な叫び声をあげさせるのは耐え忍び難く、
余計な人に来られて自体がややこしくなっても困るので緊急処置を取らざるを得なかった。


『んふふっ!へひひひゃあああ!?』

「ミリアちゃ~ん?下手に叫んだりしたらどうなるか分ったわよね?
 今から手を離してあげるけど、口が自由になったからって大声出したら
 どうなるかは、誰よりもミリアちゃんがよ~く分ってるよね?手離すよ?」

『んん~んふんっふんっ!』



密着状態で口を仇敵で、天敵としてなによりも恐れている平民の化物に抑えられた
かわいそうなミリアは『エリカのお願い』にふんふんと全面的に従う意志を見せ、
窒息の危機から介抱されるとプハァーと一気に息を吐き出してゼェハァーゼェハァーと
出した分以上の酸素を取り込まんと、小さな胸を限界まで膨らます。



「ミリアちゃん、落ち着いててくれた?」 

『御蔭さまで落ち着きましたわ、はぁ・・・、それで今日は一体どんなご用件ですの?
 生憎ですけど、私は貴女のような野蛮な平民とこれ以上は関わりたくありませんの』


「あはは、随分と嫌われちゃったねぇ~。まぁ、仕方ないか?そうそう、用件は
 全然大した事じゃないんだけど・・・って、『大した事ないなら帰れ』って顔は
止めてよ。地味に傷つくから!もうっ、さっさと済ませて帰ればいいんでしょ!
はいっ!これ借りてた貴女の懐中時計返すわ。丁寧に扱ったから壊れてないから」


『えっ?返して・・くれるの?』



三週間前にエリカをいじめた際に反撃された後、半ば奪い取られるようにというか、
奪い取られた大切な懐中時計をすんなりと返して貰えるとは思って居なかったミリアは
キョトンと大きな目を更に大きく見開きながら呆けてしまう。

そんな、彼女に対してエリカは更に時計を取った手を前に突き出して、
ミリアに強引にそれを握らせて受け取らせたのだが、それでも信じられないといった風の
彼女の態度に少しだけ傷つきながら、理由を彼女に教えてやる。



「借りたものはちゃんと平民だって返すわ。それに、その時計って親からの誕生日
 プレゼントでしょ?蓋の裏にメッセージ書いてあったし、大事なモノって分ったから
 その、悪かったわ。どうせ、金持ちの貴族様だからいくつも持ってるモノの一つで
 全然大した物じゃないと思ったから、仕返しにちょっと取り上げてやろうと思っただけ
だけど、殴った事は謝らないわよ。貴女も私の姉さんが朝早く作ってくれたお弁当を
私にとって大切なものを侮辱して壊したわ。そのことを我慢するなんて絶対いやだから」




二度と戻らぬと思って諦めていた母親の形見ともいえる大切な思いでの品が手元に戻り、予想外の謝罪を受けたミリアは喜びと驚きで混乱する思考を上手く収めるのに
大幅な時間を必要としそうであったが、返事をしないまま黙り続けるのも
おかしな事であると思ったので、何も考えずに幼い子供のように言葉を返してしまう。



『返してくれてありがとう。あと、ごめん・・・なさい』



◆◆



なにこれ?ちょっと、この子かわいいんですけど!思わず抱きしめちゃった。
今なら、サリアさんの気持ちがちょっと分かるかもしれない。

うん、素直なミリアって反則的にかわいいわ。背もちっちゃくてお肌もスベスベで
お人形さんみたいにかわいい顔してるし、もう家に持って帰りたいんですけど?
妹が欲しいって気持ちが猛烈に分ってきましたよ!もう、我慢するなんて無理☆




『ちょっ、ちょとぉ離しなさいよ!平民!平民聞いてるの!!』

「う~ん♪キコエナーイ。ワタシ、ヘイミンジャナイアル。エリカヨー」

『訳の分んないカタコト喋りしてないで、離してよ!
平民、もしかして、そっちの趣味じゃないでしょうね?』



「あ~、それもありかも!ほれほれ、もっとくっ付いて頬っぺたスリスリしちゃうぞ~♪」

『ちょっとやめなさい!やめてったら、平民!聞いているの!?エリカやめて!』



「うん♪『エリカ』がやめたげる」
『違っ、今のはえっと・・・』


「それじゃ、今日はもう帰るね。ミリア!またお屋敷でね♪」







心底してやったりと言った顔のエリカに無性に腹が立ったミリアであったが、
それほど嫌な気分はしなかった。
彼女はエリカという同い年の平民が自分と同じように家族の事を思いやる心を持ち、
家族を辱める行為には騎士のように堂々と立向かう姿をその身を持って知った。


以後、ミリアはエリカの事を今まで馬鹿にしてきたただの平民では無く
『侮れない平民』と目するようになる。


彼女達が友人となるにはもう少しだけ時間がかかりそうであった。









ミリア・ギュスタークとエリカの出会いは厚い壁で隔たれたような身分の差ですら
人は乗越える事が出来るのだと後世の人々に大きな希望を今尚与え続けていることは
広く知られている。


行き過ぎた貴族社会による血統至上過ぎ教育によって悪しき選民思想に洗脳されていた
哀れなミリアを聖女とも称されるエリカは根気強く説得し、その真摯な言葉によって
呪われた階級思想からミリアを解放する下りを読むたびに、私は感動を禁じえない。


その後、改心した少女が最も大切にしたモノをエリカに差出して許しを乞う潔さと、
その場で返すのではなく、それを敢えて受け、再び彼女に無償で返したエリカの
年に見合わぬ配慮というか、深謀遠慮には驚嘆しずにはいられない。


妄信的な忠誠を受け容れて彼女を僕として扱うのではなく、
あくまで預かったと言う形にし、二人の間に信頼という名の強い絆を生むことを望んだ
彼女の清純さはどんな宝石よりも美しい輝きを放っている。


だからこそ、私はエリカがミリアを腕力で屈服させ、
一時的に彼女の大切なモノを巻き上げたと言うような野蛮な記述を許す事が出来ない。

そして、同時に情けなく悲しい。いつの時代にもこのように美しい話を歪曲し、
汚そうとする者達が後を絶たないことに何度絶望しそうになったことか!


だが、私は諦めない!真実が書かれた城塞都市物語を全編発掘し、
必ず正しい主人公像を世に明らかにして広めたいと思う。

例え、その道がどんなに困難に満ちていようとも、
彼女通った道と比べれば、どのような道ですら平易なものに過ぎないのだから・・・



[11180] 軍師公爵帰郷追記
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2010/07/14 20:32
【若き英雄の帰還】


エックハルト公爵家、その歴史を遡ればフリード公国成立時にまで達し、
公国内はおろか近隣諸国までその名声を馳せていることは先に述べたが、
今現在、名声だけでなく、名家としての権勢も最盛期を迎えようとしている。


現当主の17代ヨハンス・エックハルトは城塞都市グレストンの副総督に就いて15年、
その叔父のオーフェルも城塞都市の五角の北の一角を守護する五星将軍筆頭の
地位に長くあり、軍権を握る重鎮として城塞都市内に強い影響力を持っていた。


また、オーフェルの孫娘イライザは総督の息子の婚約者で一年後の春に16才に達した後、
次期総督後継者の指名と併せて婚礼の儀が執り行われる予定である。


その他にもエックハルトに連なる人々はみな城塞都市グレストンの街の中で要職を占め、
その血筋に相応しい地位と権勢を誇っていた。



その隆盛を極めつつあるエックハルトの一族の中で、最も大きな輝きを現在放つのは
誰かとこの当時に問われれば、公爵の一人息子、レオン・エックハルトの名を
皆が挙げたであろうことは想像に難くない。



レオン・エックハルトは次期公爵という肩書きだけでなく、
5年前に没した大軍師マシュー・ジルバーグの最後の直弟子であるのもさることながら、
20代の若さで既に何冊もの軍学書の注釈書を世に出しており、実践経験こそ無いものの
その優れた見識を各国から高く評価されていた。
また、彼のその卓越した才は既に偉大なる師を超えるとまで多くの人々に言われていた。



そんな超絶エリート若手軍師NO1のイケメンでリア充が約束されレオンが、
フリード公国の形式的な宗主国でもある大国、キースリング帝国での遊学を無事に終え、
城塞都市グレストンに帰郷するという報せは、城塞都市中に喧伝されることになる。


そして、この報せを受け取った街の人々は、街の誇りでもある若き英雄の帰還に大いに
湧き、当事者のエックハルト公爵家はそれ以上の喜びと興奮で満たされることになる。


そんな盛り上がった空気は、田舎から一人で街に出てきた少女が無関係で居続けることを
許すことはなく、英雄の帰還という祭りの参加者に強制的に組込み彼女を巻き込んでいく。




◆◆



たかだか、どっかのボンボンのどら息子が帰ってくる位でお祭り騒ぎとは
お目出度いねぇ~と、大して興味のないエリカは湧き立つ街や屋敷の人々と違って
まったく気分は盛り上がっていなかった。


まぁ、そもそも彼女の出身は『ナサハ』なので若きグレストンの英雄と言われても、
それほどピンと来ないのも当たり前と言えば、当たり前であったが、
周りが大盛り上がりしている中で、一人普通のテンションなエリカは目立つため、
アゲアゲ気分の同僚達に『どうしたんだよ?もっと熱くなれよ!気持ち伝わんないよ!』
などなど、ウザイぐらい声を掛けられて辟易していたくらいである。



「ほんと、みんな浮かれすぎ!それに、何で私ばっかりに盛り上がれとか
 声掛けてくるんだろう?シェスタさんだって別にテンション高くないのに」


『貴女が声を掛ける側だったら、どちらに声を掛ける?多分、それが答えよ』


お茶休憩の時間に強引にミリアの向かいの席に座ったエリカは率直な疑問を
彼女にぶつけたのだが、冷静に切り返され『納得!』と一言呟いて頷きつつ

話しかければ律儀に答えを返してくれるようになったミリアのちょっとつんとした顔を
にやにや見つめながら、このまま行けば、案外早く仲良く成れるかも?と考えていたが・・・


『なに人の顔見てニヤニヤしてるのよ!あんまり調子に乗らないでよ平民!』と言って
急に怒って席を立ってしまったため、
さすがに、もうちょいかかるかと苦笑いすることになった。



そんな遣り取りをする二人を他所に、他の年頃の侍女衆達の大半は脳天気に
まだ見ぬ若き英雄とのめくるめくラブロマンスを妄想していた。




【英雄のヒヨコと侍女のたまご】



レオンが城塞都市グレストンに到着する日は奇しくもエリカが公爵家に
雇い入れられてから、丁度一月が経った日であった。

そんな侍女としての経験も浅く、侍女のタマゴちゃんなエリカであったが、
レオンの帰郷に際して予想外な大役が与えられることになる。

この大抜擢ともいえる人事は、本人だけでなく周囲の人々も大きく驚かせることになった。


彼女が抜擢された役を簡単に一言で説明すると『暇つぶしの相手』である。
次期当主が長期外遊から帰郷した際の慣習として、現当主の公爵との面会まで
次期当主は控室で二時間ほど待たされることとされているため、その待ち時間の間、
次期当主が退屈しないようにするため、話し相手役が設けられることになるのだが、


この役に順当に選ばれたシェスタの補佐役になんとエリカが選ばれたのである。



◆◆



う~ん、若き天才軍師さまのお相手かぁ、他の子達なら『恋のチャンス?』って感じで
大喜びなんだろうけど、田舎の平民エリカ様には全く関係ない話だから
嬉しくもなんともないや。逆に、変に嫉妬されたりしてありがた迷惑な気がする。


まぁ、私が指名された理由も貴族の色恋から完全に外れてるからなんだよね。
せめて、シェスタさんが私の能力を買って推薦とかだったら嬉しいんだけどな。


『エリカさん。心配しなくても大丈夫です。基本的にはレオン様への対応は
 私が行うことになるでしょう。貴女には多少の手伝いをお願いするだけですよ』

「はっはい。分かりました。出来る限り頑張ります」 『えぇ、期待していますよ』



ふぅ、ちょっと考え込み過ぎちゃったな。今更ジタバタした所でどうこうできる
訳でもなし!どうせやることはお茶出し程度の雑用くらいなんだろうし、
噂のイケメン天才軍師さまの顔でも見物しちゃうぞって感じで行こうっと♪



『ふふ、だいぶ表情が解れたようですね。いつも通りの元気で明るい貴女なら
 きっと大丈夫です。心配しないで普段のお客様を相手にするのと同じ心算でいいですよ』

「はい!あの、お気遣いありがとう御座います」



はぁ、ほんとシェスタさんって仕事出来る上にやさしくて凄く綺麗だし、その上、
平民の私なんかにも分け隔てなく接してくれるなんて非の打ち所がなさすぎ!
ほんと頭下がります。これで尊敬するなって言う方が無理ってもんです!


唯一、腑に落ちないことがあるとしたら、なんで独身なんだろうってことかな?
確か、私より5歳位年上だって聞いたから、二十歳の大年増に片足突っ込んでるんだよね。
准男爵家でそんなに家格が高くないってミリアが言ってたけど、
これだけの器量良しだったら、ウッキーな男達がほっとく訳ないと思うんだけど?


なにか結婚しない理由とかあるのかな?もしかして、敵国の王子様との道ならぬ恋に
落ちてるとかだったりして。まぁ、今から会う英雄様と恋仲だったら笑っちゃうけど・・・




『レオン様、失礼します』




◆◆



謁見の間の直ぐ隣にある控え室に入ると、シェスタが三年振りに、エリカは初めて会う
次期エックハルト公爵家当主は部屋の中央で悠然と佇み、笑顔で二人を出迎える。



『久しぶりシェスタ、君の顔を見ると我が家に戻ってきた気がするよ
 そっちの子は新入りちゃんかな?レオン・エックハルトだ。よろしく』



これが本物の貴公子といった感じで爽やかな挨拶をするレオンにシェスタは恭しく
挨拶を返し、エリカはなんかスカしたお坊ちゃんだなぁという思いを
表に出すことなく、『こちらこそ、よろしくお願いします』と元気良く返事を返す。



近所の悪ガキ達と徒党を組み、使える手はどのような卑怯な手であっても打ち、
『肥溜めクイーン』として、泥臭い実戦形式のような模擬戦経験を何十も積んできた
歴戦のエリカに対して、


大軍師マシューの私塾で机上の軍学を学び、その後、各地で遊学をする傍ら、
何冊もの兵書の注釈書を執筆し、高い評価を得てきたレオン。


エリート将校気質のレオンに、ゲリラ部隊の実戦指揮官のようなエリカはまさに水と油
レオンの方は初見ではその事実に気付かなかったようだが、
実戦形式の豊富な戦闘経験によって嗅覚を磨かれたエリカは本能的な感覚で、
レオンが気に食わない性質の人間だと気付いたようである。

もっとも、気に食わないからと言って牙剥き出しにしてツンケンするような
愚かな真似は当然しなかったが、そのせいでレオンに感じの良い元気な新人の女の子と
ソコソコに良い評価を下され、嬉しくもないことに顔と名前を彼に覚えられてしまう。



『エリカちゃんは、ナサハという国境近くの村の出身なのか。そこは閑静な場所で
 きっと伸び伸びと生活出来るのだろうね。実に羨ましいよ。都会の喧騒の渦中で
 望まぬ名声を得てしまったこの身では、心安く生活することなど望むべくもないからね』

『心中お察し致します。せめてこの屋敷内だけでもレオン様が心穏やかに過せるよう
 私を含めて家中の者一同協力し、出来得る限りのことをさせて頂きたいと思います』


なんか、まどろっこしい喋り方する男だなぁ~と思いつつ、エリカは適当に返していたが、
シェスタの方は真面目にレオンを慰めているので、『私も協力します!』と取りあえず
話を合わせていたが、正直、うんざりし始めていたので早く公爵との面会時間が来ないかな~と、一日千秋の思いで待ち続けていた。







レオンが遊学で広めた見聞を巧みに用いながら、シェスタやエリカに話しかけるといった
流れが終始続いた待ち時間は、一人の女性にとっては大変短い時間であり、
もう一人の少女にとっては長すぎる待ち時間であった。
そして、そのひと時は家宰がレオンを呼びに現れたことで、ようやく終わりを迎えることになる。



こうして、役目を終えた二人は控え室に残されたのだが、その表情は対照的であった。


部屋を去るレオンの後姿を切なげに見送る誰もが佳人と認めるシェスタに、
ようやく面倒ごとが終わったと天真爛漫な笑みを見せるエリカといった風に…


もっとも、その二人の表情は翌日に知らされた驚くべき発表によって、
全く正反対の者に変えられることになるのだが、この時は知る由もなかった。







【侍女として、女として】


シェスタ・バクラムがエックハルト公爵家に侍女として仕え始めたのは今から7年前、
彼女が13歳になるか、ならないかの頃であった。



シェスタはそれほど裕福ではない准男爵家の家計を少しでも助けるためにと
公爵家に来ただけあって、仕え始めた当初かしっかりした子として周囲の評判は良かった。

また、彼女は誰が見ても見惚れずには居られぬ容姿を備えていたため、彼女が16、7歳に
なる頃に自分や息子の嫁にせんと考える騎士階級や下級貴族達が、
彼女の周囲によく群がっていた。


そんな人気の高すぎる新人侍女は、こわ~い先輩方から厳しい指導と言う名の洗礼を
受けるのが慣例であったが、彼女はそれを受けることが幸いにして無かった。

彼女のこなす仕事は常に高水準レベルにあり、非の打ち所が無かったし、
子供じみた嫌がらせや、妨害工作など次々に看破して付け入る隙を全く与えなかった。

ある侍女が彼女にトカゲやゴキブリを盛大にぶちまけてやろうと画策し、
それを必死で集める侍女のことを害虫駆除に熱心な立派な人がいると
純真な笑顔を浮かべながら侍女長に敢えて報告し、
人々の賞賛による周知で動きを封じた機知は、とても少女の物とは思えない程であった。


そして、彼女は上に記したように自身に害を成そうとした侍女に対しても、
彼女が賞賛を受ける形にするなど、極力事を荒立てないように常に配慮を怠らなかった。


そんな彼女に対するつまらぬ嫉視は一月も経たぬ内に収まり、逆に良く出来る
しっかりものの頼りになる後輩として、先輩諸氏から重用されるようになっていた。



そんな頃に、彼女は運命とも思えるような出会いをすることになる。
城塞都市グレストンの総督に請われて二年前から逗留する大軍師マシューの
私塾で麒麟児と称され始め、その才を持てはやされ始めた貴公子
レオン・エックハルト付きの侍女として抜擢されたのである。



◆◆



『来て貰ってそうそうで悪いが、私は自分のことを何一つ出来ない無能ではないからね
 君の、いや侍女の手助けなど必要ないという訳さ。何かあれば呼ぶから下がってくれ』


レオン付きの侍女を拝命したことを彼に告げ、挨拶をするシェスタに返されたレオンの
反応は非常に冷淡であった。彼はようやく18になったばかりのまだまだ若造であったが、
その才は既に周囲にも認められ、自らの能力に強い自負を持っていた。


そんな彼は、自分が認めるだけの才を持たぬ者に対して徹底的に無関心であった。
特に空っぽの頭で自分の血筋や才に容姿と言った俗な要素に目が眩んで、腰を振りながら
恥じらいも無く、必死に自分に言い寄ってくる売女のような侍女達を軽蔑すらしていた。


レオンにとって彼女達は慎みも恥じらいも無く、無遠慮に自分の領域に踏み込んで
置きながら、それをすればするほど、自分に好かれるだろうと考える
到底理解しがたい思考を持った知恵を持たぬ、まったく躾がなっていない
見てくれだけが良いペットのようなモノであったのだ。






「畏まりました。御用がありましたら直ぐお伺い致します。いつでもお呼び下さい」




そんな取付く島もないようなレオンの態度に対したシェスタは、主の心無い最初の命に
特に傷ついた顔を見せることも無く、スカートの両裾を少しだけ持ち上げ、
深々と頭を下げつつ、彼が最も好むだろう答えを返した。


この少女らしからぬ完璧な振る舞いにレオンは多少の驚きを感じたが、
多少マシだからといって侍女風情に興味を持つ気も無かったので、
それを表に出すことなく、彼女の退室を少しだけ温度を高めた視線で見送った。






レオン付きの侍女はシェスタで何代目になるか分らぬほど代わっており、
その在任期間も平均2週間程度と短かった。

シェスタがその若さにも関わらず彼付きの侍女に大抜擢された理由は
彼女なら気難しい若様の侍女を何とか務める事が出来るのでは?という周囲の
淡い希望によるところが大きかった。


レオンはすべからく最初の対面から直ぐに侍女を自室から追い出し、
後は基本的に何も用付けずに放置という形を取るため、
これまで大半の侍女達は部屋の前で立ち尽くしながら、ご用命が無いかと待ち続けていた。


だが、彼からは一度たりとも声をかけられる事は無く、その多くは一週間もせぬ内に
配置換えを望み、残りの少しの子達も三週間以内に音を上げて配置換えを望んだ。

何もしなくても良いとはいえ、ただ立ち尽くすだけと言うのは世間知らずで貴族育ちの
侍女達にとっては耐え難い苦行であった。




そんな恒例の仕打ちを受けたシェスタは勤務時間中には片時も部屋の前から離れず、
昼食の時は勿論のこと、用を足すために部屋を離れる際も少女らしい羞恥心を堪えて
ノックの後に報告してから離れるなど、律儀にレオンの侍女を務め続けた。


そして、レオンから一言も声が掛けられない状態のまま一週間が経ち、ニ週間が過ぎ、
やがて、これまでの最長記録を遥かに超える二月が経った。

この頃になると、彼女に期待してこの役を申し付けた者達は
それにもう充分応えてくれたから、任を辞しても構わないと彼女を心配して
レオンの侍女を降りるように頻繁に促すようになっていた。


だが、シェスタは主から暇を出されない限り、彼付きの侍女を辞する事は不忠であると
言って聞かず、そのまま3ヶ月間、レオンの部屋の前で立ち尽くし続け、
いつ何時御呼びが掛かってもよい様に備えていた。




◆◆



シェスタがレオン付きの侍女になった初春から季節が晩夏に変わろうとする頃、
彼の部屋の扉から小さいがチリーンと鈴の音が確かに聞こえた。
その音を部屋の前に侍り続けた侍女は聞くと、早過ぎる事も無く、強過ぎもしない
丁寧なノックをして、主から入室を許可を認める声を聞くと丁寧に扉を開けた。



 「失礼致します。何か御用がありましたら、何なりとお申し付け下さい」



レオンの目の前に立った少女は、三ヶ月以上も前に部屋を出る際に彼に見せた
完璧なお辞儀を完璧に再現して見せた。
この完璧なまでのシェスタの立振舞いにさしものレオンも敗北を認めざるを得なかった。



『そうだな。先ずは君の名を教えて貰えないかな?その後に
君にこれまでの非礼を詫びたいと思うのだが、構わないかな?』

「シェスタ・バクラムと申します。あと、レオン様は非礼と詫びたいと申されましたが
 そのようなことをされる必要は御座いません。レオン様は礼を欠くような行動など
 されておりません。また、そうであったとしても、臣下の私などにする必要はないかと」



主に問われて初めてその名を告げた少女は、詫びる必要どころか、
そもそも非礼すら無かったといって、彼の謝罪を受取ろうとしなかった。

だが、レオンは礼を尽くすべき者に礼を尽くさなかったことは非礼に当たると言って、
シェスタに深々と頭を下げて、これまでの非礼を詫びて許しを少女に請う。



「分りました。私はなんら非礼など感じておりませんが
レオン様がそれを望むのなら、慎んでお受け致します」









これ以後、シェスタは名実ともに時期当主レオン付きの侍女となったのだが、
レオンに取って彼女は臣下の侍女ではなく、対等の才ある人物であった。

そして、彼は私塾で軍学やその他の学ぶべきことのために費やす時間以外に余った時間を
シェスタとの会話に費やすようになっていく。


彼女との会話は、自分より随分年上で同姓の識者ばかりを相手にしてきたレオンにとって、
新鮮で驚きに満ちたものであり、有意義であるだけでなく、
純粋に楽しいと思える非常に貴重なものであった。
また、彼女と過ごす内にレオンの大きな欠点の才走った点は少しずつ薄れ、
才なき目下の者に対する態度も信じられないほど軟化し、丁寧な物に変わっていく



一方のシェスタも、准男爵という下級貴族の娘に過ぎない自分に対して、
声望高き次期公爵のレオンが対等の相手と認め、臣下ではなく話し相手として
自分を必要としてくれることに大きな喜びを感じていた。


そして、二人の間にある尊敬と喜びの感情は季節が何度も変わり、
二年を過ぎようとした頃にはすっかりとお互いを想い合う恋慕へと変わり、
身分違いの許されぬことと認識しながらも、お互いを求め愛し合う関係になっていた。



このままレオンの自室で過ごす二人だけの時間が永遠に続けば良いと、
レオンとシェスタは愛し合いながら何度思ったことだろうか、
その回数は両手の指の本数で足りる数では無かった




やがて、そんな二人の許されぬ幸せな時間も終わりを迎える日が来る。



故マシューの薫陶厚いレオンの才をより伸ばす為、
エックハルト公爵は彼にキースリング帝国へ3年間遊学するよう命じたのである。


その命はレオンに取ってまたとない物であった。マシューの死後、
貪欲に知識を求める彼の欲望に応える者は城塞都市グレストンには存在せず、
彼はより優れた知識が集積されたマシュー祖国でもあるキースリング帝国への
遊学を強く望んでいたのだ。



彼はこのことを父親である公爵から命ぜられると、
その事実を一番最初に誰よりも愛するシェスタに告げた。

美しい少女から美しい女性へと生まれ変わろうとしつつある彼女に
レオンは何度もキースリング帝国への想いを語っており、それが実現した事を
誰よりも彼女に祝って欲しかった。


レオンからその話を聞かされたシェスタは我が事のように喜び、彼に祝辞を述べた。
だが、彼が続けて共にキースリング帝国に付いて来て欲しいという願いには
頑なに首を縦に振ろうとしなかった。


出会った頃と違い彼女はもう17歳、いつ結婚してもおかしくない年齢である。
そして、レオンも若いとはいえもう20代である。彼の家柄と声望があれば、
一国の姫君の降嫁すらありえぬ話ではない。


彼女は夢の終わりが来た事を瞬間的に悟ったのだ。
例え目を背けようとも変わることの無い事実があることを、
どんなに恋焦がれようとも目の前の男を自分のモノにすることは叶わないことを・・・





何度も彼女を翻意させようとしたレオンであったが、
やがて、彼女がこうまで頑なになる理由に思い立ってしまった彼は言葉を失った。
そして、同時に激しい後悔に襲われた。結ばれぬことなど最初から分っていたのに、
結果として、愛という都合の良い言葉で、己の欲望のまま彼女を汚し、
ただ、傷つけただけという事に気付いてしまったのだ。



出発の前夜、最後の夜を共に過ごした二人は何も言わず分かれた。
出立の朝、レオンの乗った馬車が遠ざかるのを、シェスタはただ黙って見つめる。

彼等はレオンが遊学する3年間一度たりとも手紙を交すことなく過ごし、
その輝きに満ち溢れた一時を思い出としてその胸の奥へとしまい込んだ。

高い身分の壁が存在するこの世界では珍しくも、面白くも無い話であった。




そう、ここで話が終われば・・・





◆わがまま坊ちゃん◆



断ち切った筈のレオンに対する想いが、いまだ灰の奥に隠れて眠る火のように
しぶとく燻り続けていることを知ってしまったシェスタは、


公爵とレオンの会談が既に始まり、その任を終えているにも拘らず、
彼がついさっきまで居た部屋を離れる事が出来ずに居た。


ごく自然に自分に接してくれたレオンが過去の愚かな一時のことなど、
とうの昔に忘れ去っているであろうというのに、
彼の笑顔を見て、その声を聞いてしまった瞬間、燻り続けた炎は何度も燃え盛ったのだ。


エリカが『ささっと帰りましょうぜ姉御!』といった風に退室を促すが、
彼女の足は棒のように固くなり、たったの一歩すら踏み出せそうに無かった。


そして、時は流れて彼女の前に最愛の人が姿を現した。
エリカは再び不機嫌な顔を見せた。



◆◆


『シェスタ!私はいまここに宣言する!レオン・エックハルトは誰よりも
 シェスタ・バクラムを愛していると、どうか、私の生涯の伴侶となってくれ!』


『レオン様!!』  「はぁ?なにそれ?」



公爵との面会の間から飛び出るように出てきたレオンは、
シェスタの存在を確認すると飛び出た勢いのまま彼女に求婚する。

その突然すぎるプロポーズにシェスタは歓喜の余り冷静さを失い、
まったくの部外者で第三者のエリカは『なんだぁーそれ?』と言った感じで
完全にポカーン状態でシェスタに抱きつくレオンを呆然と見る。


一方抱き付かれたシェスタの方も若干冷静さを取り戻し、身分がどうのやら、
もう二十歳で年増女だと今更な事を言ってその抱擁から逃げ出そうとするが、
そんな悪足掻きをレオンは許さない。矢継ぎ早に『父を説得して既に了解を取った!』
『それなら、私以外に誰がお前を貰うんだ!』と赤面物の言葉を惜しげもなくぶつける。


もう、エリカは帰っていいですか?状態である。




『さぁ、シェスタ!どうか私の妻になってくれ!君を生涯かけて愛すると誓う!』

『はい。レオン様。私・・、わたくしを貴方の妻にして・・ください!!』



再度問いかけられたシェスタは涙を流しながらも
くちゃくちゃの笑顔でそれを受け入れ、レオンを強く、強く三年分の想いを込めて抱きしめる。


そんな二人の横でエリカは高そうなソファーに寝転がりながら、
足をぱたぱたとバタ足させながら、はいはいお幸せにねぇ~と軽く適当に祝福しながら、
控室に用意されていた茶菓子のクッキーを、お行儀が悪い事に寝転がりながらパクついて
ボロボロと滓をソファーや絨毯に零していた。



二人と一人の間に著しい温度差がある中で、新たなハッピーエンドな物語が
城塞都市グレストンの歴史に追加される。


エリカは、未来の公爵妃シェスタ誕生というちょっとした歴史的瞬間の証人となった。









大軍師レオンとエリカは全くタイプの異なる人間であったことはよく知られており、
しばしば、その意見を対立させることがり、その仲は険悪であったとも伝えられるが、
私はそうは思わない。


彼女たち二人の関係は敵対していると言うよりも、お互いの力を認め合ったライバル関係
であったと私は考えており、恐らくそれが真実であると断言しよう。


もちろん、断言するのはそれなりの根拠があっての事ではあるが、
その中でも最も大きく分り易い根拠を一つ紹介するとしよう。


エリカは、レオンの妻であるかつての上司でもあるシェスタと
大変仲が良かったと伝えられ、それは終生変わることが無かったらしい。

もし、エリカがレオンと骨肉を争うような関係であればその妻と仲が良い事など
ありえないだろう。この当時、夫婦は一心同体であると言う考えは
今以上に強かったのだから、先ず間違いないだろう。


エリカと英雄レオンはお互いの才を認め高めあう非常に理想的な関係を築いていたのだ。












[11180] 公妃誕生秘話
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/09/30 21:50
【花嫁の部下】



准公爵の地位にあるレオン・エックハルトに嫁ぐことになったシェスタは、
出来る侍女から、一気に次期公爵夫人へと立場を変えることになった。

この劇的なビフォーアフターの変化はエクッハルト公爵家に仕える人々にも
少なからぬ影響を与えることになる。


どの者を次期公爵夫婦付きにするか、家宰と侍従長はその人選に慌しく追われ、
その他の人々もレオンとシェスタの婚儀の準備に、公爵邸の直ぐ隣にある
次期公爵夫婦用として代々使われてきた別宅の手入れ等で慌しく動いていた。


そんな俄かに慌しくなったエクッハルト公爵家に仕えるエリカも安穏と過ごせる訳も無く、
婚儀や夫婦の新生活に必要な物品の調達を次期公爵夫人から直々に拝命し、
彼女のサポート役として任命したミリアを扱き使いつつ、
良い物をより安くという大方針の下、ハードなお買い物に精を出していた。







エリカはうんうん♪と上機嫌に頷きながら、大分様になってきたミリアの値切り方を
見ながら、自分が購入した品をテキパキと記録し、過不足が無いか確認していく。


この次期公爵夫婦の婚礼や住居絡みの調達を一手に任されたことは、
エリカにとって大きな結果を与えることになる。


城塞都市グレストンの時流に聡い商人達は、この彗星の如く現れた年端も無い侍女が
未来のエックハルト公爵家の調達セクションのキーマンになる可能性を、
その打算に優れた頭脳で正確に弾き出し、彼女のご機嫌を取ろうと活発な行動に出始める。




エリカが馬に乗ってこの城塞都市を訪れた後、愛馬を手放したという情報を手に入れた
商人は彼女に惜しげも無く名馬を一頭贈り、彼女が下宿生活と知った商人は彼女に
住居を提供するために空家を整備し、その家の鍵をエリカに渡そうとして
『余計なことをするな!』と激怒したサリアに追い払われたりしていた。

そんなこんなで、商人達のエリカに対する贈物攻勢はレオンとシェスタの婚礼の日取りが
近づけば近づくほど、日増しに激しくなっていった。


もしも、エリカがその贈られた品を全て受け取っていれば、自分専用の蔵の二つや、
三つくらいなら楽に建てられたのだが、現実はそうならなかった。


彼女は贈り主が分かる品については、丁重に熨斗を付けたままの状態で送り返し、
分からない物ついては全てシェスタに贈られた物として献上した後に、
彼女に代わってミリアにその品々を売却させ、すべて金銭に換えた。


こうして生まれた金銭は全て彼女の実家のバクラム准男爵家に送られ、
公爵家に輿入れするかわいい娘に恥をかかせたくないが、どうにもならない家計に
頭を悩ませていたバクラム准男爵はエリカの配慮に娘共々深く感謝した。



エリカが請け負った次期公爵夫婦に関する物品調達で得た報酬は
日々の給金とシェスタから受け取った心からの感謝の言葉だけであった。




◆◆


『ちょっと貴女のこと見直したわ。どうせ卑しい平民のことだから
 贈物だけじゃ満足せずに、自分から賄賂を要求して私腹を肥やすと
 思っていたのに、一つも受け取らないなんて感心するほど無欲よね』



信じられない物を見たと言った驚き交じりのミリアの賞賛を受けたエリカは
少々失礼な仕事のパートナーの物言いに特に気分を害することも無かった。

エリカ自身もミリアと同じ立場から自分の行動を見れば、同じような感想を持ったに
違いないと確信していたので、その当たり前な反応をむしろ微笑ましく思った位である。



「まぁ、今の生活に不満も無いし。三食付いてやさしい姉夫婦まで漏れなく付いてくる
 下宿生活は50000レルポッキリ!今のお給金で十分ゆとりある生活が送れるてるしね」
 
『ふ~ん、そんなものなのね。平民ってお金掛からなくっていいわね』


「うん、ミリアが悪気はないのは分かってるから今回は軽く流すけど
 次に何にも考えずに同じような事いったら、拳骨お見舞いするからね♪」



ただ、エリカも完璧な人間には程遠く、世間知らずなお嬢様発言を再度するミリアに
ちょっとカチンと来てしまったので、エリカは『この子はアホな子アホな子だから』と
心の中で念仏のように唱え、なんとかポカポカせずに文句を言うだけで怒りを抑える。


そんなエリカの胸の内にある葛藤と自分がどんだけ平民を見下して失礼な発言をしたのか
全く気付いてないミリアは、ぷぅっと頬をかわいく膨らましながら、
理不尽だと思ったエリカの発言に対してぶーぶー文句を言っていた。



大量のお買い物を一緒に協力してこなして行くうちに、相変わらず言い合いの数は
減ってはいないが、二入の間に以前あった険悪な空気はいつのまにか無くなっていた。
周りの二人のことを知らない人達の目からしたら、ぶーぶー言い合う彼女達はまるで
仲の良い子猫がじゃれあっている様にしか見えないだろう。
仲良し二人組みの微笑ましい光景に、周囲の人々は和みその目じりを下げていく。



エリカはこの婚礼によって尊敬する先輩上司を失ってしまったが、
その代わりに遠慮する必要の無い可愛いけどちょっとアホな同僚を手に入れたようである。




◆婚礼前夜◆



盛大な婚礼を前夜に控えたエックハルト公爵家は、既にその準備を終え、
屋敷内は数日前までの喧騒が嘘のような静けさを保っていた。


エリカもミリアを供にして当った調達の任を概ね完璧な形で済ませており、
家宰から特に何もしなくても良い新婦の部屋に通ずる部屋で番を命じられていたため、
特に何をする訳でもなく二人は仲良くだらけきっていた。


そんなゆる~い時間が午前中一杯続き、午後もこのままだらけれるなぁと思い始めた
矢先に、明日の主役でもあるシェスタにエリカは呼ばれ、隣の部屋に足を運ぶ。




『エリカさんごめんなさいね。疲れている所を呼び付けたりして
 どうしても話したいことと、お願いしたことが少しあったから』

「全然大丈夫ですから、気にしないでください。元気一杯です!」



心底申し訳なそうな顔をするシェスタに対して、エリカは全く気にする必要がないと答え、
『では遠慮なく話しますね』と微笑みながら言う彼女に半瞬ほど見惚れた後、
どうぞどうぞと気にせず話を続けるように促した。



『先ずは貴女にお礼を述べさせて下さい。エリカさん本当にありがとう
 本来なら貴女が仕事の対価として受け取っても誰も文句を言わないような
 品々の数々を、私の実家の窮状を憂いて婚礼祝いとして贈ってくれた配慮
 貴女のやさしい心遣いが本当に嬉しかったです。エリカさん、ありがとう』



エリカの手を両手で包み込むようにやさしく握りながら、シェスタは彼女の大きな瞳を
真剣に見つめながら心からの感謝を伝えた。
実家の苦しい台所事情を分かるが故に、輿入れ費用を頼むこともできず、
かといって、倹しい嫁入れ道具を持って権門のエックハルト公爵家入ろうものなら、
自分や実家が恥をかくだけでなく、公爵家やレオンに恥をかかせる事になってしまう事を
シェスタは心底恐れていた。自分がどのような謗りを受けようとも耐えられるが、

貧乏貴族の娘などを嫁に貰った等の謗りを、愛する人や大恩ある公爵家が受ける事は
彼女には耐え難いことであった。



また、それを避けるためにレオンや公爵家に実家に対する援助を願うような事も
彼女はする訳にはいかなかった。もし、彼女がそれを頼めば彼等は諾として
快く引受けるに違いなかったが、その事実が周囲に漏れればそれこそ
『エックハルト家は金で女を買った』などの謗りを受けかねない。
金が無いのは首が無いとは良く言ったもので、シェスタは幸せな婚礼の前に
八方塞の状態になっていた。


そんな彼女の窮地をエリカが颯爽と解決してしまったのである。
エリカに対する感謝の念が途轍もなく大きいものになっても不思議ではなく、
エリカは尊敬するシェスタから最大限の謝意を受けて快感に身を震わすことになった。




◆◆





ぬふふふ・・・、平民が無欲ですって?やっぱりミリアは愛すべきアホな子ね。
今にもその吐息が届きそうな距離で両手を握り締めながら、シェスタさんから感謝の念を
伝えられる。この素晴らしさは筆舌にしがたく、その価値は万金に勝って当然!


どこの欲ボケ商人が送りつけてきたか分からない贈物の権利を放棄するだけで、
それが手に入るなんてほんと安過ぎるくらいだわ!
あ~もうっ!嬉しすぎて頭がおかしくなっちゃいそう!



『エリカさん?その、聞いています?エリカさん!』
「すっ、すみません!ちょっと嬉しくてぼーっとしてました!」




『もう、しょうがない子ね♪でも、エリカさんのそういうトコが可愛くて
 貴女のことをつい抱きしめたくなったりしてしまうのかもしれませんね』


うわっうわっ~ぁ、なにこの超展開?嬉しすぎて、正直たまりません!
シェスタさん柔らかくて暖かいし、それに凄く良い香りがするし、
もう、このまま抱擁されたまんまずっとクンクンしてたいよ~








シェスタの熱い抱擁を受けながら彼女の胸に顔を埋めるエリカに
もしも尻尾があれば盛大に振られていただろう。


そんなシェスタという飼主に懐きまくっている子犬のようなエリカは
続いて聞かされた『自分達夫婦付きの侍女になって欲しい』という彼女の願ったりな
お願いにぶんぶんと首を縦に振って快く引受け、飼主の笑顔を再びゲットする。


こうして、素晴らしい一時を過ごしてミリアの待つ部屋に戻ったエリカであったが、
横の少女が食詰めて何か変な物でも拾い食いしたんじゃないかしら?と心配するほど
頭の中がお花畑になっており、上機嫌でニコニコし続けていた。




ミリアへの一撃で直接的な嫌がらせは無くなった物の、所詮は成り上がりの平民と言う
謗りを幾度と無く影で受けてきたエリカに取って、最初から首尾一貫して彼女の頑張りを
正当に自分を評価してきてくれたシェスタに対して、誰よりも強い尊敬と感謝の念を
向けるようになっていたのだ。

そんな彼女が幸せに繋がる切符を手に入れたと知って、
エリカはじっと何も手助けせずに傍観できるような性格をしていない。


エリカがシェスタを助け、彼女に子犬みたいに懐くのは自然の成り行きであった。





◆妖精は踊らない◆



遂に次期公爵夫婦が誕生する日を迎えたエックハルト公爵家には、二人を祝福するという
名目で城塞都市グレストンの各界の名士は勿論のこと、フリード公国内の要人だけでは
収まらず、隣国からも少なくない人々が、婚儀に出席するため集まっていた。



そんな超セレブな人々が集まる式は、肥溜めがいたる所にあるような鄙びたどこかの村で
見ることができるような豪華な式とは規模も格も遥に違っており、その村でクイーンの
称号を一応得ていたエリカですら、自分が調達した品々の多くを一回の式で使うんだと
ただただ驚くだけであった。



リーファスの女神に愛を誓う式場は歴代の公爵が式を挙げてきた大広間で、
吹き抜けの天井を突き破ろうとするほどの高さを持つ金色に輝くパイプオルガンが
荘厳な音楽を奏でるため鎮座し、中央にある女神を祭る祭壇はその宝石類の重みで
崩れ落ちないか要らぬ心配を抱かせるほどの装飾が施されていた。


これをみた参列者達は皆、エックハルト公爵家が一体どれだけの隆盛を誇っているかと
驚嘆せずには要られない。どうやら驚くのは平民のエリカだけではないようである。




大貴族エックハルト公爵家が主催する婚礼の儀は壮大で豪奢な式となる。




だが、驚きを人々に与えるのは婚礼の儀の豪奢さだけではない。
隣室の披露宴会場では式に参列した来賓達を持成すため、
テーブルの上には贅を尽くした料理が山のように並び、逸品物のワインのボトルが
まるで林のように立ち並んでいた。



エリカがシェスタのため、自らの評価を上げるために用意した最高級品々を惜しげもなく
使った料理に、グレストン中のワイン倉を引っくり返して手に入れた名酒の数々であった。


もっとも、彼女はこれらの品を揃えるに当って商人を競合させ、変動する商品相場の
最新情報を収集するなど、いままでの機械的な発注から一歩踏み込んだ調達活動を
ミリアと行っていたので、過去最低の予算で過去最高のクォリティの披露宴を実現する。



最高の準備によって整えられた最高の舞台で、最高な結婚式の幕が揚がろうとしていた。




◆◆




「その、何ていうかシェスタさんホント綺麗です。私ちょっとドキドキしてきました」

『ふふ、ありがとうエリカさん。貴女も凄く可愛いわ。素敵なドレスね』

『馬子にも衣装って感じですけど、平民とは思えないぐらいのカワイさですよね!』

「ミリア~、服貸してくれて感謝してるし、カワイイって褒めてくれたのも
 凄く嬉しいけど、式と披露宴が終わったらちょっとお話でもしましょうか?」

『えー?終わったら直ぐ家の者が迎えに来るから、直ぐに帰ろうと思ってるんだけど
 明日じゃ駄目なの?エリカがどうしてもって言うなら、今日でも別に構わないけど』

「あー・・、うん、もう良いわ。そんな大したことじゃないから・・」




いつものミリアが発する無意識な腹立たしい発言にカチンと来たエリカが、
ちょっと頭冷やそうかといった感じで話し合いの場を設けようと要求したのだが、
まったく、そのことに気付かないミリアの返事に毒気を抜かれて脱力してしまう。



『ふふ、二人は本当に仲がいいみたいですね』 「『違います!』」



そんな二人を見ながらシェスタは心底楽しそうに笑う。
婚礼の儀を目前にして多少なりとも緊張して肩に入った力が抜けたようである。
花嫁のドレスの長い裾を持ち上げるリーファスの妖精レルルとラルルの大役を担う二人は、
抜群の相性を発揮して式が始まる前から良い仕事をしていた。


音楽が鳴り響き、一番の主役である花嫁が入場する時がきた。
美しい女神と二人の可愛らしい妖精達は式場へと続く道をゆっくりと進んでいく。


人々の祝福と打算に溢れたレオンとシェスタの結婚式が始まる・・・




◆◆



はぁ、花嫁さん姿ってやっぱりいいなぁ。いつかは自分もって思っちゃうくらい魅力が
あると思うんだよね。あの純白のドレスに身を包んで素敵な旦那様との結婚式・・・



『夢見ているところ悪いけど、こんな凄い結婚式は大貴族でもなきゃ
 到底無理だってこと位は、貴女だって良く分っているんでしょう?』

「うっさい。今だけは夢見ていたいの!」
 


ほんと変な所で現実的なのよねミリアって、普段は全然世間知らずのアホな子なのに
というか、もしかして私が貴族社会での世間知らずってことなのかな?
何も知らないから、有り得ない夢を見て悦に浸っちゃったってことなのかも・・・


うん、考えたら負けよね!平民だって、お金が無くたって幸せな結婚は出来るんだもん!


『そういえば、エリカってそもそも結婚のアテとかあるの?例えば田舎の幼馴染とか?』

「ねぇ、ラルル?お喋りな妖精さんは舌を抜かれちゃうんだよ」

『そうなの?そんな話は私初めて聞いたわ。平民なのにエリカって物知りよね』


もう、この子絶対ワザとだよね?ワザとすっ呆けて平民の私を馬鹿にしてるね。
その上、過去の故郷での失敗を地味に抉ってくるし、
幼馴染のイケメン君は私の大親友と今にも結婚しちゃいそうだって知ってるんだよね?
ううん、知らなくてももうどうでもいいや!この舐めた妖精ちゃんには
制裁という名のしかるべき処置が必要だと女神様もきっと思っているに違いないから!


相方に対するせめてもの情けで、中身の詰まった瓶じゃなく、
いま私が一気に飲み干したワインボトルで床に沈めてあげよう。

ラルル、『かわいい子には地べたを這いつくばらせろ』って昔から言われてるんだよ♪






元気一杯にモグモグ料理を食べ、ちょっぴり背伸びをしてワインを少し飲んだエリカは
ちょっとほろ酔い気分のテンション高めで、ミリアの普段通りの発言に耐える堪忍袋は
何処かに消えうせてしまっていた。


そんな空のワインボトルを片手に持って近づく危険なエリカに対して
ミリアはほっぺにソースを付けながら『この料理おいしいねん』と意味不明な発言を返し、
迫りくる危機にまったく気付いていなかった。


もう少し、彼女達二人に声を掛けた男達のタイミングが遅かったならば
披露宴会場は割れる瓶の音と悲鳴の協奏曲をBGMに人々は酒ではなく、
血に酔う事になったかもしれなかった。


非常に間のいい男達は、期せずしてこの豪奢な披露宴を守る影の功労者となった。




◆貴公子のお誘い◆


大貴族の結婚披露宴は各界名士が一同に会する社交の場であるだけでなく、
まだ独身の貴族や大商人の子弟達が自分に相応しいパートナーを探す狩場でもあった。

そんな狩場でかわいらしいドレスを身に纏い背中に羽を付けたレルルとラルルの
妖精役を務めるエリカとミリアはその容姿も手伝って注目度NO1で目立ちまくりだった。

当然、そんな彼女達にお近づきになり、あわよくばお持ち帰りしたいウッキーな男共は
会場内に幾らでもいたため、披露宴が始まると二人の妖精に男達が一斉に群がる。



◆◆



『美しい女神の妖精さん。私はグレストンの正騎士、紅蓮のテルムと申します
 よろしければ、今宵の出会いを祝して私と一曲踊ってはいただけませんかな?』


最初に二人に声を掛けた正騎士の男は自分がイケテルと思い込んだ勘違い男であった。
エリカとミリアは無言で冷たい視線を投げ掛けつつ、一言も言葉を発しない。

哀れな勘違い男は二人の御蔭で幸いにも自分の勘違いに気付く事が出来、
その場をそそくさと後にする。



『私はベルナード伯爵家のガゼットと申します。良ければ少しだけお話でもしませんか?』


続いて二人に声を掛けた男は爽やか伯爵家の長男で、
非常に人の良さそうな好青年であった。ミリアの方も満更では無い顔を見せていた。


「私はナサハ出身の平民のエリカと申します。私と二曲続けて踊ってくださいますか?」



そんな当たりっぽい好青年であったが、エリカの自己紹介と誘いを聞いた瞬間、
急にしどろもどろになって、その場を逃げるように後にする。

婚礼の披露宴会場で二曲を続けて踊る事は婚約を意味し、
エリカの素性を平民と知ったいま、そんな真似をするような気は全く無くなっていた。


このエリカの『私平民ですのよ♪』発言の効果は絶大であった。
それ以後、声を掛ける男達は二人組みの女性の片方だけ、エリカを視界から除外して
子爵令嬢のミリアのみに話しかけ、ダンスに誘うというマナー無視の露骨な態度を
取りつづける。その彼等の行動がエリカだけでなく、ミリアをも失望させる事になるとは
横に並ぶ女性を自分のステータスの一部としか考えない愚かで浅はかな男達は
最後まで気付くことは無かった。


そんな彼等に酷く失望し、落胆した妖精達は披露宴から退場する美しい花嫁を
新郎の部屋に送り終えた後、本格的な宴が始まる披露宴会場に戻ろうとはしなかった。



◆◆



「ヒゥッ、子爵令嬢のぉ~、かわゆいミリアさんは戻らなくてもよろしいんですかぁ~?」

『貴女ちょっと酒癖悪過ぎよ!碌に飲めないくせにがぶ飲みするなんて・・』

「何いってれんすかぁ~?このわたきゅしはワインのちゃがいが分る女の子なのですよ」



分ってはいたものの、実際やられると結構ショックだったエリカは
貴族の子息達のあんまりな仕打ちに憤慨したものの、無視と言う直接的な嫌がらせでは
無かったため、エリカも拳を振り上げて真っ向から反撃できなかったため、
鬱屈した思いを飲めもしない酒に溺れて晴らそうとしてしまった。そんな愚かな妖精は
なんとか花嫁を新郎の部屋まで送り届ける事に成功したが、その後は糸が切れたように
ぐでんぐでんのべろべろべぇ~状態で迷惑顔の相方の妖精さんに絡んでいた。



『はぁ、なんで私が酔っ払いの世話なんかすることになったのかしら?』

「だからぁ~、ミリア様は戻って男をあしぁゃってりゃっしゃいって言ってるのれす」

『それは遠慮しとくわ。頑張った友人にあんな酷い仕打ちする殿方なんかは
 こっちから願い下げよ。それに貴女を家まで送って欲しいって頼まれてるしね』

「うぅ~ミリァ~!」



どうしようもない『友人』の介抱をしぶしぶ引き受けることにしたミリアに
エリカはよろよろと千鳥足で近づき抱きつく、そんな彼女は普段のちゃきちゃきした姿と
異なり、ちょっぴり弱々しい女の子そのもので、『なんかかわいいかも?』とミリアは
不覚にも思ってしまったのだが、続くエリカの言葉と行動で
本当に不覚だったと思い知ることになる。





           「 気持ち悪い・・・ 」








エックハルト公爵家中興の祖と言われるレオン・エックハルトと良妻賢母の鑑として
後世に讃えられるシェスタの婚礼及び披露宴は『城塞都市物語』の一節の中でも、
一際煌びやかな描写が随所に見られ、一見すると華やかに見える。


しかし、よく読むとこの式典の最大の功労者でもあり、物語の中心人物のエリカに対して、
心無い対応をする人々が居たと記述されている部分が見受けられる。
華やかな舞台の中で、それを演出し、見事に成功させたエリカが受けた不当な仕打ち、
その対比が物語の中では淡々と描かれているが、その描写からエリカを代表とする
平民達にとって当時がいかに生き難い時代であったのかがよく分る。
また、それと同時にその時代に大きな成功を得たエリカが如何に傑出した人物であったか
ということがよく分る良い例でもあろう。


彼女は当時の各社社会によって生み出された、平民の不当な扱いに吐き気を催しながらも、
歯を食いしばって耐え、決して膝を屈することなく成功を勝ち取っていったのだ。
その力強く何よりも気高い彼女の生き様は私を惹き付けて止まない。








[11180] 隻眼騎士列伝下巻
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/09/24 22:15
夜明け近くまで続いた華々しくも豪奢な宴も終わりを向かえ、
会場のエックハルト公爵邸も新郎新婦の新居となる別邸も昨日の喧騒が嘘のように思える
静かな朝を迎えていた。



そんな何とも気だるい朝にゆっくりとする事が許されたのは、一部の地位ある者と
例外を許された極一部の使用人だけであった。
公爵家に仕える使用人達の大半は式や披露宴会場の後片付けに追われるだけでなく、
再び始まる日常の中で生まれる業務に既に慌しく追われていた。


そんな普段以上に忙しい朝の中、新婦付きの妖精さんとしての大役を果たした
二人の少女は、未来の公爵妃が大役を果たしたご褒美として特別に配慮をしてくれた御蔭で
午前の勤めを免除され、ゆっくりとした朝を迎えることが出来ていた。



◆◆




「ミリアおはよう♪」 
『・・、・・・・』


「えっと、昨日はすごい式でシェスタさんとってもキレイだったよね?」 
『・・・』

「なんか今日は昨日の疲れが残ってて気だるいよね。ミリアは大丈夫?」
『・・・・、・・・・・』 

「そういえば、面白い話が・・」
『・・・・、・・・』



「あの、その・・、昨日はホントごめんなさい!借りた服と汚した服も頑張って弁償します」

『別に弁償しなくていいわ。同じドレスは一回限りで二度も着たりはしないから
 ただ、一つだけ約束してもらうわ。もう、無理してお酒は飲まない。いいわね?』

「うぅっ、反省してます。あと、ミリアほんとにごめんね」



絡むわブチ撒けるわと家に送り届けられるまでに色々とミリアに迷惑を盛大に掛けた
エリカは朝からご立腹なミリアに平身低頭といった体で接し、ようよう許しを得ていた。

一方のミリアの方も多少は腹を立ててはいたが、実は態度ほど怒ってはいなかった。       
ただ、いつも強気で元気一杯なエリカがもじもじと不安そうな顔をしているのが
ちょっと新鮮でかわいい感じがしたので、ついつい意地悪をしてしまっただけである。

もっとも、同じような目には二度と遭いたくは無いという思いは強かったので、
エリカには無茶酒を絶対にしないようにと固く約束させていた。



『そういえば、貴女が来る前にシェスタ様から話があったことだけど
 新しく別宅に勤務する事になった人達の歓迎会を開いてくれるらしいわ
 一応、貴女と一緒に参加しますって伝えておいたけど、それでいいよね?』


「へぇ~そうなんだ。うん、もち参加で良いわよ♪日にちってもう決まってる?」



レオン夫妻やそれに付き従う形で本邸から別邸に移ってくる使用人達を歓迎するため
元から別宅の維持管理を行っていた人々は週明け早々に歓迎会の開催を企画していた。

古参と新参の者達が親睦を深める場を設け、相互の理解を深めることによって、
今後の業務の流れを円滑化する一助としたいというお堅い主旨の下で企画された歓迎会で
マジメ臭を表面上はぷんぷんさせていたが、内実は大いに異なっていた。


この一見してクソ真面目そうな企画を立てたのは、別邸勤めの武官達であった。
彼等の多くはまだまだ年若く見習い騎士や従騎士と言ったペーペーで
常日頃若い侍女が皆無の別邸勤務を嘆き、時には発狂しかけることすらあった。

そんな彼等の元に次期公爵夫妻に付き従って年若い侍女達がやってくるとなれば、
お近づきになろうと画策しないなどということがあるだろうか?

こうして邪な思いによって立案企画されることになった歓迎会、
そこで、エリカは新たな出会いを得ることになるのだが、
それは同時に悲しい別れの始まりでもあった。


エリカは出会いと別れを幾度と無く繰り返しながら城塞都市グレストンで少しずつ成長し、その地歩を固めていくことになる。




【買い物しようよ!】


週明け早々に行われる歓迎パーティに着ていく服を一緒に買いに行こうと約束した
エリカとミリアは週末の休日をお洋服選びに費やしていた。

彼女達が向かった洋服店はロンウェル商店街の表通りから少し奥に入った場所に
店を構えており、高級ブランド店とはとても言えないが、
若く力のある被服職人や裁縫職人が所属しており、あんまりお金の無い一般庶民の
若い女性達から高い支持と人気を誇る店であった。


その情報をサリアから聞いたエリカは早速ミリアのドレスを駄目にしたお詫びをする
好機到来として、『平民の服なんか・・』とNGワードを言いかけた友人を強引に黙らせ、
このセレナ洋服店を購入先第一候補として選択して訪れていた。



◆◆



「わー、ミリアかわいい・・。なんて似合うのかしらぁ・・・すごいすごーい」


自分の洋服を選び終わったエリカはすっかり軽くなった赤のがま口財布を片手に
完全に真っ白に燃え尽きていた。『何着でも買うたる!任せんしゃい!』とどこぞの
酔っ払い親父のように威勢のいい事を軽い気持ちで言った浅慮を盛大に呪いながら・・・



『ほんと?じゃ、これも頂こうかしら。普段、入らないようなお店だから不安だったけど
 かわいい服が色々あって驚いたわ。また、エリカと一緒なら買いに来てもいいかなぁ?』

「気に入って頂けたようで光栄で御座いますミリア様。あはは・・、ははは・・・うふふふ」



『ありがとうございましたー♪』とほくほく顔の店員が出した元気の良い感謝の言葉に
送られながら、ルンルン気分のミリアと真逆の状態のエリカはセレナ洋服店を後にする。


後に大陸随一のブランドとして知られることになる『セレナ』もこの当時は
エリカと同様にまだまだ駆け出しであり、侍女の日給をコツコツ貯めた金額を
涙目になりながら散財すれば何着も購入できるほどリーズナブルであった。

もっとも、半泣きから本気泣きになり掛けているエリカにとっては未来の
ブランド展開などどうでも良いことであったろうが・・・



『もう、お昼過ぎですし、何処かで昼食でもとりましょうか?エリカが
食べたい物何でも良いわよ?今日のお礼に私がご馳走してあげるから』

「ほんと?なんか悪いわねー。でも、折角の親友のご厚意を無碍にするなんて
 失礼な真似はできないし、もう、遠慮なくパクパクパク~って食べちゃうからね♪」


『ええ、それで構わないわよ。でも、食べ過ぎて
太っても私は知らないからね!体重管理は自己責任よ』

「分かってるって♪私はそんな事で文句言ったりしないってば!」




昼食がミリアの奢りになった途端に再起動し始めたエリカは
商店街で美味しいスイーツが笑えるほど出てくると有名な料理店『スイッツ・ノウ』で
評判のケーキを山ほど食べるため、ミリアの手を引っ張りながら商店街を早足で進んでいく。


両親の死後、周りの助けは当然あったものの、身一つで生計を立てる内に
世の中の世知辛さを良く知り、シビアな点も所々見受けられる少女ではあったが、
所詮は15歳の小娘、甘い物一つではしゃぐ子供っぽい所も多分に残していた。

そんな彼女と同様かそれ以上に幼さを残すミリアもしょぼくれたエリカを
元気付けるための提案だったはずが、いまはお店に並んでいる美味しいマロンケーキの
事で頭が一杯になっていた。



色気より若干食気が勝る、そんな微妙なお年頃の二人であった。





「あっんま~い!!」 『うっんま~い!!』


「この蕩ける様なマロンクリームの甘過ぎず、さりとて物足りなさを感じさせない甘さ
 まさに一つのクリームに己の全てを賭ける!そんなパティシエの姿が目に浮かぶわ!」

『ふぅ、分かってないわね。これだから安物食いの平民はって言われるのよ
 このマロンケーキの真髄は一見して地味に見えるスポンジの方にあるのです!
 そう、このスポンジには溶かしたあっんま~いマロンが絶妙な配分で加えられ
 スポンジのふっくら感とマロンのしっとり感が奇跡的に共存しているのです!』




「・・・ん?ごめんミリア、何か言った?ちょっと食べるのに夢中になってて」

『はぁ、もういいですわ・・」



力一杯にスイーツの真髄を語るエリカを更なる高みへと導こうとしたミリアであったが、
スプーンを咥えてケーキを夢中に頬張る食い意地の張った友人の姿を見て諦めた。
スイーツ道の果てしない坂道を登りつめることができるのは、自分のように選ばれた者
だけと悟ったのだ。



『もう、四つ目よ。まだ、食べる気・・?』
「ひゃふえる!」




二個目のケーキで満足したミリアに呆れられながら、エリカはもっと食うぞーと
5個目のケーキを片付けに掛かる。
彼女の住んでいたナサトのような田舎にあるスイーツはふかし芋や果物と言った物が
精々でケーキやプティング等の手の掛かるスイーツは存在しなかった。
その反動もあってか、エリカは城塞都市グレストンで知ってしまった
未知の甘味に嵌ってしまっていた。
実際、エリカは仕事帰りに自分へのご褒美として期限切れ前の夕方限定のセール品を
ちょくちょく購入してはサリアと一緒に楽しくお茶したりしていた。


どうやら、エリカはいつの時代も女の子は甘い物に弱いを地で行く少女のようである。






仕事場の身分違いの同僚と休日にショッピングに楽しいお食事とお喋り、
城塞都市グレストンに来てからわずか数ヶ月の間にエリカは公私に渡って充実した生活を
送ることが出来るようになっていた。羨ましい限りの充実振りを見せていた。

多くの都会に出てきた田舎者は市場や宿ではボラれて財布を軽くし、
職を探しても自分の希望するような職にも就けない。
その結果、定住することもできないまま故郷に逃げ帰るのが、
おのぼりさんが辿る一番ありがちなパターンになっていたのだが、それとは大違いである。


もちろん、彼女がそれを運だけで手に入れたとまでは思っていない。
彼女は持前の明るさや元気の良さを最大限に生かす行動力を持って
一生懸命に生活基盤を確立するため動いていた。その結果として、
いまの心地よい環境を短期間で手に入れた事は否定の出来ない事実と言えよう。

例え、そこに運の要素が大きく関っていたとしても、それを掴むことが出来たのも
彼女が自分で動いて行動したからこその結果なのだ。


彼女は追い風に乗るだけの力をこの時点で備えていのである。
ただ、向かい風に立ち向かう力を備えているかどうかは、この時点では分からない。
その答えが出るのは、軽い彼女の身を吹き飛ばすような強い逆風に晒されたとき。
果たして、エリカは逆境の中でも挫けずに前に進むことが出来るだろうか?



風はいつも同じ方向に吹き続けることは無い
     これはいつの世も決して変わることのない真理である





【歓迎会は恋の予感!?】


エックハルト公爵家別邸で行われるささやかな歓迎会は
つい先日に行われた新たな屋敷の主人となる夫婦の結婚式と比べれば規模も小さく、
予算も少なかった。だが、かわいい子ゲットだぜ!な熱く邪な意気込みと、
新人さん達に早く新しい環境に馴れて欲しいという年長者達の思いやりが込められており、
盛り上がりも、暖かさも引けを取らない楽しい宴会になっていた。




◆◆


「へぇー、あーくんって見習い騎士さんなんだー。偉いねぇ~」

『アーキスです!ヘンな呼び方は止めてください!』


件の披露宴以後、しばらく男はいいやとなったエリカは皆からチヤホヤされまくる
ミリアやそれ以外の年若い侍女達と別邸付き若い武官や家令の集団から抜け出て
年下っぽい見習い騎士の少年を楽しそうにからかっていた。ワイングラスを片手に・・・



『もうっ!頭撫でたりしないでください。僕は子供じゃありません!』

「うんうん♪あーくんはもう立派な見習い騎士様だもんね!おねーさん感心感心
でも、もっと一杯食べて大きくならないとね?じゃ、あーん?ほら、あーん♪」

『いい加減にしてください!僕はもう16です。立派な大人です!!』

「へっ、私より年上?私より全然かっわいい~のに?」



顔を真っ赤にして怒る童顔の見習い騎士が自分より一つ年長だと知ったエリカは
衝撃の事実を前にして危うく料理を乗せたスプーンを取り落としかけたのだが、
それも無理も無かろう。

アーキスの身長はさすがにエリカよりは高いものの、華奢な体つきで大きな瞳に付いた
睫も女の子のように長く、当然髭など一本も生えてない始末。
見習い騎士の礼装ではなく、侍女の作業服でも着込んでいればショートの超かわいい
侍女さんの誕生である。同僚や先輩騎士達の一部も熱い視線を送ったりしており、
実はついてなくて、男装のボク娘と言われて納得してもおかしくないほどであった。


この騎士の道をひたむきに走るアーキス・ネイサーはかわい過ぎる自身の容姿に
強いコンプレックスを感じており、それを遠慮なく突っついたエリカの第一印象は
『何て失礼で酒癖の悪い女の子なんだろう』という最悪な部類に入るものだった。

いくら悪気はなくとも、酒に酔っていようとも、人の最も言われたくないことを
執拗に言って良い訳ではない。エリカはアーキスを侮辱したのだ。


この悪意無き侮辱にとうとう我慢の限界に達したアーキスはレディを置いて
その場を立ち去るような非礼を取りはしなかったが、憮然とした表情で押し黙り、
それ以後、自分から決して口を開こうとはしなくなってしまう。


ここに来てようやく、やっちゃったと気付いたエリカは何とか自分の非礼を
詫びようとするのだが、アーキスの口は既に堅く閉ざされてしまっており、
何度か話しかけて、ようやく最低限の返答がされるだけになっていた。
周りが楽しい雰囲気のまま宴の終わりを惜しむ中、エリカとアーキスの周りだけ
重い空気が流れていた。


この日、エリカは自室に戻ると酒癖の悪さを深く反省していた。
ミリアにアーキスといった迷惑を掛けてしまった人のことを思うと申し訳無さで
夜も眠れぬほど胸を締め付けられるため、止むを得ず寝酒の力を借りて眠りに就く。



【新しい職場】


レオンとシェスタ夫妻付きの侍女として仕えるエリカとミリアは基本的に
二人のお世話をする事が専らの生業となるのだが、それほど出の身分が高くなく
夫の侍女として仕えていた経験が長くあるシェスタは大半の事を自分で済ませてしまうため、
エリカ達は二人の話し相手になったり、もっぱらお茶の用意をする程度の仕事をするだけで、
非常に楽で暇な日々を重ねていく。


子爵令嬢でもともと貴族気質が強いミリアはこの余裕のある職務に直ぐに馴染んでいたが、
貧乏暇なしの生活を貧しい村で送っていたエリカは手持ち無沙汰に耐えることが出来ず、
別邸で消費される物品や別邸詰めの武官達の装備品の購入を度々引き受け、
1レルすら惜しむ鬼の調達品購入担当として、新たな職場でもその地歩を着々と固めていた。


一方、暇を満喫しているミリアも半ば無理やりに誘われる形で
エリカの仕事を手伝っていたのだが、ぶーぶー文句を言うだけでしっかりとやる事を
やっている所を見ると、エリカと一緒に働くことに多少なりとも楽しさを
見出しているのかもしれない。



そんな一生懸命で仕事の出来る二人の侍女は別邸に移ってから、
一月もしない内に屋敷の中では誰もが半目程度は置く位の有名人になっていた。

特に軍需品という一番ぼられやすい装備品等を必要としていた武官達は支給される
モノの質が大幅に向上するだけでなく、コストも2割減じたため大喜びしていた。
この彼女等の働きには報いるべきと別邸の武官長も考えたのか、
何か望みがあれば可能な限り応えたいと二人に提案するほどであった。



◆◆


「それで、あーくんじゃなくて、アーキス様が私達の所にわざわざ来てくれたって事?」

『そんな事のためにわざわざお越し頂くなんて、見習い騎士って大変なんですね
一番下っ端だからほとんど上官のパシリか下僕みたいな酷い扱いと聞きますし
 給金も低い上に休みも訓練三昧なんて、本当にかわいそうです。頑張って下さい』


『それで・・、お二方には!なにかお望みがお有りでしょうか!!』

「あはは・・・、うん、この娘も悪気は無いからあんまり怒らないで・・って、無理だよね」



武官長から命令されてきたアーキスは気に食わない女と認識したエリカの所に
子供のお使いのように訪れるのも正直嫌であった。それに耐えて来たにも関らず、
更にその友人の侍女から心をグサグサと抉るような理不尽な励ましまで頂くに至って、
アーキスはその別邸一愛らしいと評判な顔を怒りで歪めさせていた。


最早、怒り心頭のアーキスであったが、武官長からの任を個人の感情で放棄するわけには
いかないし、もしそんな事をしたら・・と思い直し、口調は荒くなったものの何とか耐え、
さっさと目的を果たそうと彼女達の返答を促していた。


そんなお冠なアーキスと、それを見て『かわいいなぁ』と思いつつ宥めるエリカに、
何で怒っているかよく分からないミリアと、彼等は三者三様の態度を見せていたのだが、



『そうねぇ、私はエリカのお手伝いをしただけですから、特にお礼はいりません
 ただ、このお屋敷で困っている女性をもし見かけたら、助けて頂けたらと思います』



促されてミリアが発したお願いと言っていいのか良く分からない猫かぶり全開な提案は、
『騎士たる者はかくあるべき』という新米騎士にありがちな青臭い考えを持っていた
アーキスの琴線に触れるものがあり、彼の正当な憤りを瞬く間に沈静化させるのに成功し、



『それは騎士として当然の振る舞い。ですが、貴女の願いをよい契機として別邸詰めの
武官一同再び襟を但し、その願い、今後も騎士の責として果たすことをお約束します!』




・・・と、クリクリした二つの眼をキラキラと輝かせながら気障な台詞を謳いあげる。
本人的には格好を付けている心算なのだが、高すぎる声と愛らしい顔が邪魔をするのか
残念なことに、かわいい頑張り屋さんな『女の子』が、
微笑ましい決意を新たにしているようにしか見えなかった。



そんなアーキスの姿にエリカもミリアも『かわいいなぁ』とウットリ見惚れていたのだが、
男が見たら襲っちゃいそうな笑顔をしながら、
アーキスはエリカの望みを続けて問うてきたので、彼女は渋々観賞を中断し、
ある意味、彼女らしい風変わりなお願いで見習い騎士の少年をビックリさせる事に成功する。



『騎士の鍛錬に参加したいですって!正気なんですか?』

「正気って・・、そんなにおかしいこと?光輝のリィーファや紅蓮のエルーナとか
 女騎士として活躍して后妃になったり、侯爵に封じられたりする人もいたんでしょ?」


『確かにそうですが、今グレストンにいる女性騎士は10名足らずしかいないし
 爵位を継いだ方々の殆ども、次代が成長するまでの後見として継がれているだけです』

『そうそう、それにエリカって平民でしょ?よっぽどの武勲でも立てない限り
 爵位に封じられるどころか、見習い騎士にだって叙任なんかされないのよ?』


「もう、とりあえず普段やってる鍛錬に参加したいだけだって言ってるでしょ!
 いくら私でもトントン拍子に騎士になって貴族様になれるなんて頭に蛆の湧いた
妄想なんかしてないわよ!最近、結構暇だし、文武両道を目指す騎士の鍛錬にでも
参加したら、無為に毎日を過ごすよりは充実した日々を過ごせるかなって思っただけ」



予想外に向上心の高い友人の発言にミリアは『へぇ~』と驚きつつちょっぴり感心し、
己の研鑽に励むのが騎士道の第一歩と考えるアーキスはエリカに対する評価を
気に食わない女から、ちょっと気に食わない女へ変え、幾分かの上方修正を行う。

ただ、この騎士の鍛錬を受けたいと言うエリカのお願いは余りにも予想外な希望である。
見習い騎士に過ぎぬアーキスでは、この場でその可否を到底即答しえず、
一度、武官長に確認を取った上で正式な回答をすると述べるに留めた。


こうして、アーキスは一旦二人の前から辞し、武官長が待つ執務室へと足を運ぶ次第となる。





【老騎士と侍女】



「ほぉ、騎士としての鍛錬に年若い侍女が参加したいと願い出るとはのう・・・
しかも、その侍女の出自が平民とは、人生は驚きに満ちていると言った所か」




アーキスからの報告を受けた武官長ゼスク・ルーデンハイム准伯爵は静かに笑い、
突拍子も無い侍女のお願いに腹を立てないかと不安顔の見習い騎士を安堵させる。


アーキスを含めた別邸詰の騎士達を束ねるこのルーデンハイム准伯爵はかつて公爵家の
筆頭武官としてエックハルト騎士団を率いて度重なる戦役を生き延び、
受けた傷と等しい数の武勲を積み重ねた隻眼の猛将であった。

今は70を超えた高齢を理由に別邸の武官長に退いて後進の育成に力を注いでいるが、
その威風は一向に衰える気配を見せること無く、公爵家以外のグレストン中の騎士達にも
尊敬の眼差しと煙たいものを見るような目で見られる大きな存在であった。



そんな彼は既に武人としての名誉や実績を充分過ぎるほど得ていただけでなく、
准士爵から始まった爵位も准伯爵まで進め充分すぎる栄達を果たしていた。
だが、人の欲望と言うものは際限が無いものである。最晩年にも関らず彼の欲望は尽きず、
今は自分のこれまで培ってきた経験や知識を授けるに足る粋の良い多くの若者達を
渇望するようになっていた。
これは忍び寄る死に対する老人にとって最後の戦いなのかもしれない。



そんな彼の前に飛んで火にいる夏の虫の如く現れた変り種の侍女のエリカは、
見てくればかり気にする他の小娘と違って仕事も出来る点で一応の基準は満たしていた。
加えて、その褒章には宝石やドレスではなく、更なる高みを目指すための力と知識を
望むとは・・、まるで、野心をギラつかせていた若い頃の自分にそっくりではないかと
ゼスクは考え、久しぶりに鍛え甲斐のありそうな弟子が手に入るかもしれぬという期待に
その頬を綻ばせることになる。




老いた隻眼の猛獣が静かに笑う声の持つ迫力の圧され、
濡れたウサギのように震えるアーキスに鋭い眼光を放つ獣は彼に命令を与える。
その内容は『エリカの首に縄を付けてでも自分の執務室に連れて来い』という
非常に分かりやすくシンプルなものであった。


この命を受けた瞬間、アーキスはこの後に行われる地獄のような鍛錬を想像し、
『かわいそうなエリカ』と少しだけ少女に同情するが、彼の足はその思いとは裏腹に
老将の命令を全うするため、エリカの下へと一刻も早くいざ征かんと歩みを速めていた。

エリカを売ることによって老将の目が自分達から逸れ、血反吐を吐くような鍛錬から
少しでも逃れられるなら、翻って自分達にとって幸いなことでもある。


それに、元々は無知な少女が自ら望んだこと・・、そう、彼女の希望が叶うのである。
それに、武官長が小娘の鍛錬を引き受ける気になるなど誰にも想像できない筈と
アーキスは自己弁護しつつ、『そうだ、自分は悪くない!何も悪くないんだ・・・』と
罪悪感を無理やり打ち消していた。


度を越した厳しさを持つ老将から少しでも逃れられるなら、
アーキスはか弱き女性を守る等と言う糞の蓋にもならぬような騎士道精神など幾らでも
投げ捨てることが出来るようである。


騎士道だ、友愛に博愛主義と言った大層なお題目を掲げて見たところで所詮は人間。
自分の保身をついつい優先しがちになるのは仕方がなかろう。アーキスは多分悪くない。




◆◆




心なし申し訳なさそうな顔をしているアーキスに連れられて別邸武官長の執務室を訪れた
エリカは人並みに緊張し、表情を少し強張らせながら背筋をピンとさせていた。
どうやら、公爵家に仕えてまだ日の浅い彼女にすら恐れを抱かせるほど、
この部屋の主が持つ厳格さは本邸、別邸を問わず、公爵家内に広く知れ渡っているようで
あった。




『アーキスご苦労であった。下がって宜しい』 『ハッ、失礼致します』



退室の許可を得た見習い騎士は嬉々として、いまにもスキップを始めそうなほど
軽やかな足取りで厳しい武官長の執務室を辞す。
その光景をしょうがない奴だと思いながら見送ったゼスクは豊かに蓄えられた顎鬚を
撫でながら目の前に立つ少女に視線を向ける。


未だ緊張した面持ちを崩すことなく立ち続ける老人と半世紀以上年を隔てた少女は
この騎士が剣や鎧を見定めるかのような隻眼の鋭い視線に晒され、
ますます緊張の色を濃くしながら、エリカは一歩後ろへと退きかけたのだが、
ここで退けば『肥溜めクイーン』として君臨した矜持の全て失うと理屈では無く、
本能で察し、嘗ての子分達に顔向けできないような醜態を晒すまいと
浴びせられる圧力に必死に耐え、何とかその場で踏み堪える事に成功する。



『立ったままでは辛かろう。ほれ、そこの椅子にでも座るがよい』



一先ずの値踏みを終えたのか、幾許か眼光を弱めた隻眼の老人に促されたエリカは
背中に流れる氷のような冷たさを持つ二雫の汗を感じながら、
不用意な音を立てぬように細心の注意を払いながら、彼に座るように促された椅子に
ちょこんと借りてきた猫のような大人しさで腰掛ける。

もし、ここまでの一連の様子を普段の彼女を知る者達が見たら、いつもと全く違う
様子の異なる姿に驚き言葉を失うことになっただろう。
それほどエリカは目の前に座る威容を誇る老人に萎縮してしまって、
元気で快活な彼女とは程遠い大人しい清楚なお嬢さんにしか見えなくなっていたのだ。


そんな、いつもらしからぬ様子の彼女であると知ってか知らずが、特に気に留めた様子も
見せずにゼスクは簡単な自己紹介をする様に彼女を促す。
これに対し、エリカを時折緊張で言葉を震えさせる事はあったものの、何とか自分の中で
及第点を付けられるのではないかと言う受答えをすることが出来たと思ったのだが、
それが目の前に座る厳格そうな隻眼の老将のお眼鏡に適うものであったかどうかを
判断することは出来なかった。


エリカは目の前にどっしりと座る老人を真っ直ぐに見据え、彼から言葉が発せられるのを
じっと待った。




『なるほど、ただ日々を無為に過ごすのでは無く高みを目指し、研鑽に励むか・・
 エリカは若いのに似合わず、殊勝な心掛けをしておる。また、それを実現しようと
 する強い意志もお主の話しぶりから感ずることが出来た。騎士の道を求め進むだけの
 資質はしかりとあるようじゃな。よろしい、明日よりわしが直々に稽古をつけてやろう』

「ほんとですか?ありがとう御座います。私これから頑張ります!」


アーキスからエリカについて大まかな説明を受けて見込がありそうだと
ゼスクは最初から考えてはいた。ただ、実際に会って取るに足らぬ小娘と判ずれば
『先ずは侍女としての勤めに励むが良い』などと言って適当にあしらい、
少女が喜びそうな菓子やら髪留め等を適当に与えて、礼の代わりとする心算であった。


だが、緊張した面持ちで自分に騎士の鍛錬を施して欲しいと話す少女の真直ぐな姿は
若者らしい清々しさに溢れていた。
ゼスクはエリカの話に真剣に耳を傾け、それを最後まで聞き届けた彼には彼女の申し出を
断るという選択肢は除外されていた。


こうして、エリカは翌日から侍女の本分を果たさなければならない時間以外は
ゼスク自らの手で騎士の鍛錬を施して貰える様になったのだが、


女騎士物語の最高傑作クイーンサーガ全235巻に嵌って読破しただけで、
自分がもしかしたら騎士になれるかもなんて甘い考えを
ちょっとだけ持ってしまったエリカはこの日の騎士の鍛錬を受けたいと望んだ
不用意な選択を直ぐに後悔することになる・・・







老騎士の下で侍女だけでなく、女騎士としての道を歩み始めたエリカは、
強気を挫き、弱きを助けんという理想に燃えていたのではないだろうか?


そんな将来有望なエリカの素質を正確に見抜いたゼスクの慧眼には畏れ入るばかりである。
まさに、亀の甲より年の功といったところであろうか?

これ以後、彼女は数少ない女騎士の端くれとして、
様々な難事を克服していく事になるのだが、それを成し遂げるために必要な力は
ゼスクによって施された騎士の鍛錬によって培われたのだと考えられる。
エリカにとって、ゼスクという老騎士は師と言う非常に大きな存在であった。


一部の口さがない研究者は、少女向けの女騎士物語にどっぷりとはまった単純な小娘が、
騎士って簡単になれるかも?なんて甘い考えでゼスクに師事を仰いだなどという
非常に浅薄で愚かな俗説を組み立てているが、私はそんなことはないと断言できる!


名将は名将を知る、老騎士ゼスクは未来の英雄エリカの資質に
誰よりも早く気付いていたのだ。

とにかく、エリカは凄いのだ!異論は認めない!!









[11180] 名人対局棋譜百選
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/09/30 21:51
千里の道も一歩から、特別な才能もない者が己の能力を伸ばそうと欲するならば、
長く辛い修練に励むしかない。

朝起きたら、なでもかんでもござれのスーパーマンになっていた。
そんな荒唐無稽な話はまず有り得ないのだから・・・



【学成り難し】


シェスタに頼まれた所用をさっさと済ませて暇になったエリカは
自分を主人公とする女騎士物語がいま始まるのだと言う妄想を脳内で花開かせながら、
師となるゼスクが待つ武官長執務室を目指して意気揚々と廊下を歩いていた。


だが、武官長の待つ執務室に近づくにつれて、昨日の厳しそうな老人の顔を思い出し、
歩みを鈍らせたのだが、満面の笑顔でエリカを待ち伏せていたアーキスに連行され、
武官長ゼスクが待つ執務室の扉を潜る事となった。



◆◆



『武官長、エリカ嬢をお連れ致しました!』


エリカを案内したアーキスを下がらせると、ゼスクはエリカを自分の机の前に用意した
椅子に座るよう手で促した。
促されたエリカは大きな声で『よろしくお願いします!』と言って深々とお辞儀をしたあと
『失礼します』と言って自分のために用意されたかわいいクッションが敷かれた椅子に
腰掛けた。



『うむ、元気があってよろしい。子供と騎士は元気が無くてはいかん』
「ありがとうございます!」





元気な挨拶が出来たエリカに対して、隻眼を細めかわいい孫を見るような視線を向けた
ゼスクは昨日からは想像できないような優しい表情で礼儀正しい少女を褒め笑った。
その予想外に柔らかい武官長の対応にエリカは驚いたものの、直ぐに気を取り直し笑顔で
元気な返事を返し、やさしいお爺ちゃんと化した老騎士の表情を更に緩めさせていく。



もし、この場にアーキス等のゼスクに師事している騎士が居たら、その普段とは余りにも
掛け離れた厳格な師の様子に驚愕し、言葉を失ったであろう。
それほど、エリカに接する別邸武官長ゼスクの態度は甘く優しいものであった。

もちろん、ゼスクも最初からこんな甘い態度をエリカにする心算はなかった。
逆に、女だからといって特別扱いせずに思う存分鍛えてやろうと思っていた位である。

だが、目の前にかわいらしく座る少女の姿を改めて見ると戦死した二人の息子に
子供が生まれていたならとついつい考えてしまい。エリカの姿が弟子というより
目に入れても痛くない孫娘のように見え始めてしまったのだ。


出会った初日はなんとか威厳を保つことが出来たのだが、
二日目はもう色々と駄目だったらしい。

こんなかわいいエリカに厳しい剣術や体術の稽古をさせるのは無理と悟ったゼスクは
彼女に騎士に必要な知識を学ばせる講義形式の鍛錬を行うことを選択する。
この老人の選択はどちからというと体を動かす方が好きな野生児にとって
逆にありがた迷惑なものであったが・・・



◆◆


「兵は詭道なり、真の騎士たるもの主君の勝利のためなら、卑怯者の謗りを受けようとも
 あらゆる権謀を用い、その術数を多くして、相手を出し抜かなければならないのである」

『うむ、騎士たるもの常に正道を歩めば良いと勘違いしておる若者が多いが
 それは誤りである。戦を経験すれば直ぐに理解できることだが。騎士は主の剣
 その剣は主を勝たせるために存在しておるのだ。その為に策を用いることは
 決して騎士道から外れるものでは無いと私は考えておる。先ずは勝つ事が肝要』


一応、ナサハの村の寺子屋で読み書きを習っていたエリカはゼスクの持つ兵書が
読めたので、それを読み上げながらゼスクの注釈やそれを学ぶ意味を聞くといった形の
頭を酷使する鍛錬が行われることになった。


正直なところ、エリカが持つ騎士の鍛錬のイメージは武術や馬術などを中心にした活発で
動きのある物で、彼女はそれを期待していた。それが、ずーっと椅子に座って本を読み、
老騎士の講釈を延々と聞くことになるなど全くの予想外で、勉学より外で悪戯するのが
好きだったお転婆娘は鍛錬を望んだ事を半ば本気で後悔し始めていた。


そんなエリカの内心を知ってか知らずにか、
ゼスクは兵書を用いた実戦を常に念頭に置いた講義を自分の実体験を交えながら、
嬉々として続ける。



騎士の装束を身に纏い、輝く細身の剣を振り回す華麗な女騎士という少女趣味全開な
エリカの妄想は鍛錬開始早々に脆くも崩れ去っていた。





【鍛錬の成果】


昼食前まで続いた老人の道楽からようやく解放されたエリカは、聞き慣れない知識を
たっぷりと頭に詰め込まれた影響か、頭をクラクラさせながら食堂で食事を取っていた。
そんな今にも頭から蒸気を噴出しそうなエリカの姿は向かいに座る親友を心配させる。



『大丈夫?やっぱり、女の子が騎士の鍛錬を受けるなんて無謀過ぎたのよ
 私も一緒に謝ってあげてもいいから、武官長に断りのお願いしてみたら?』


「ありがと、たしかにキツイし、軽率だったなって後悔もしてはいるんだけど
 たったの一日で投げ出すのはちょっと悪いし。もう少しだけ頑張ってみるわ」



ぐでーんとしているエリカを心配したミリアにもう止めたら?と言うのだが
問われた方は苦笑いしながら、まだ大丈夫と力なく返す。
正直なところ、軍学なんかに全然興味などないので直ぐにでも止めたいと心底思って
いたのだが、嬉しそうに講義をしてくれるお爺ちゃんのがっかりする姿が容易に想像
出来たので、実際にお断りをする決心をすることが出来なかったという次第である。


ナサハの村でも年配の人に良くかわいがって貰っていたエリカはお年寄りには弱かった。



そんなこんなでエリカは老人の道楽に付き合うことになってしまったのだが、
そこで思いがけずに得た知識は彼女の身を大きく助けていく事になるのだが・・・

当然、この時の彼女はそれを知る由も無かった。



◆◆



「エリカ君がゼスク老から軍学の薫陶を受けていると聞いたけど本当かい?」

『えぇ、エリカさんは教え甲斐のあるいい子だと、准伯爵が大層気に入ったらしく
 なんでも、才能だけならレオン様すら凌ぐとことある毎に仰っていられるそうです』



別邸の主レオンは自分が注釈を加えた兵書を退屈凌ぎに読みながら、
最近、屋敷で話題によくのぼるようになった自分達付きの侍女について
自分の傍らにピッタリと寄り添っている美しい妻に尋ねたのは、
エリカがゼスクに師事を仰ぐようになってから一週間ほど経った頃であった。

一方、愛する夫に尋ねられたシェスタは彼女にしては珍しい悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
レオンにとって聞き捨てならないような答えを返していた。



「これは驚きだ。そんな賢人が身近にいたとはね。人物鑑定眼は
 私より君の方が優れているようだ。ところで、そんな賢婦人に
一つお願いをしたい事があるのだか、聞き届けてはくれないか?」

『分かりました。エリカさんをお呼びすればいいのでしょう?
 本当に貴方は昔と変わらず、『クレト』が大好きなのですね』
 



愛用の駒を指で弄びながら、笑顔で子供っぽいお願いをする夫に少しだけ呆れながら、
それに応えるため、シェスタは隣室でミリアと一緒に暇を持て余しているエリカを呼びに行く。

ちなみにレオンが大好きな『クレト』という卓上遊戯は6種類の駒を18個、二人併せて
36個の駒を9×9のマスで区切られた盤上で争わせる将棋やチェスみたいな遊びである。
また、この遊戯は比較的簡単なルールで取っ付き易いのと、
駒を象牙細工や宝石細工にしたり、盤を翡翠で拵えたりせずに廃材を利用した木彫りの
物で済ませれば安価に道具を用意できるため、
王侯貴族から平民や奴隷までといった風に幅広い層の人々に親しまれていた。
もっとも、戦をモーチフにした遊びなので女性には余り馴染みの無いものではあったが・・・



◆◆



「失礼します。何か私に御用でしょうか?」

『忙しい所をすまないね。エリカ君にちょっとお願いがあってね♪』


シェスタにピッタリとくっ付いて部屋に入って来たエリカを見やると
部屋の主人はその端正な顔に多くの女性を魅了して止まない微笑を浮かべながら彼女に声を掛け、
小さな円卓の前に置かれた椅子、自分の向かい側に座るよう促した。


促されたエリカは侍女の誰もが羨む様なドキドキのうふふなシチュにも関らず、
特に興奮した様子も見せずに、淡々と指示された席に座る。
実は、大好きなシェスタにエリカはお呼ばれされたと勘違いしており、先ほどまでは
上機嫌だったのだが、実際に要件があったのが温室育ちの気障なエリート色男であったため、
酷く落胆しており、気に食わないレオンの微笑みなんぞに愛想を返す気になれなったのである。


無論、そんな一方的で理不尽な敵意にレオンが気づく筈も無く、
無表情でどこか余所余所しいのは、次期公爵で高い声望を得ている自分を前にして
緊張しているのだろうとピントがずれた感想を抱いていた。


そもそも、『肥溜めクイーンと』恐れられた親無し野生児と、
『大軍師マシューの再来』と讃えられる次期公爵確定のエリート御曹司という
全く異なる生い立ちの二人の馬が合う方がおかしいのである。
いや、正確を期すなら、それなりの苦労を重ねて自分の道を力ずくで切り開きつつある
エリカがレオンを気に入る筈が無いといった方がよいだろうか?



『呼びたてて早速で悪いが、君はコレを知っているかい?』

「ええっと・・、男の子達が良くやっている『クレト』の駒や盤ですよね?」



円卓上に置かれた『クレト』の盤と36個の美しい象牙の駒を指差しながら、
エリカに知っているかと尋ねるレオンに返された答えは、ある意味予想通りの物であった。

この余り詳しく無さそうなエリカの返答に少しだけ落胆するレオンであったが、
そこは根っからの『クレト』狂い、直ぐに気を取り直してルールが分かるか?
やったことはあるのか?と、エリカに対して矢継ぎ早な質問をぶつける。


そんなレオンの態度にエリカは『うぜぇなぁコイツ』と内心思っていたのだが、
一応、シェスタと同じく直接の上司で未来の雇い主と思い直し、
その胸の内を巧妙に隠しながら曖昧な笑顔で対応していた。



『やった事は無くとも、一応、ルールは分かるんだね?なに心配することはない
 私が指導碁の要領で教えてあげるよ。エリカ君も直ぐに『クレト』に夢中になる!』

「えっと、あの・・、私なんかじゃ、レオン様のお相手なんて無理ですよ」


『もう、レオン?余りエリカさんに無理強いして困らせてはいけませんよ』


『シェスタ、邪魔しないでくれ。そうだ、エリカ君がこれから私に一度でも
勝つ事が出来たなら、どんなの望みだって叶えてあげよう。これでどうだい?』


「えっと、どんな・・願いでもですか?でも、私なんか勝てる訳も無いし・・」

『なに心配することないさ。私は人に教えるのもそこそこの物だと自負しているし
 シェスタのお気に入りのかわいいお嬢さんを相手にいきなり本気を出したりしないさ』



こうして、芝居がかったレオンの執拗なお願いに渋々と言う形でエリカは
『クレト』の相手をする事を了承した。


そんな二人の様子に溜息を吐きながらシェスタは
『では、邪魔者の私は一人寂しくお茶の用意をしますね』とちょっと拗ねた顔をしながら、
困った夫とそれに付き合わされる侍女を残して部屋を後にする。



決戦の場にはレオンとエリカの二人だけが残された・・・



◆◆



『このゲームは非常に単純なものだが、だからこそ奥が深いともいえる
 エリカ君は並べられた6種類の駒の中で、一番強い駒はどれだと思う?』

「はぁ・・、一番強い駒ですか?縦横無尽に動く事が可能な『鉄騎』でしょうか?」


『確かに、縦横に自由自在に動けるこの駒は、攻めるにも守るにも重用され
 非常に使い勝手の良い駒だが、一列に整然と並べられた『歩兵』に対して
 不用意に仕掛ける事はできない。直ぐに後ろの『近衛』や『皇帝』に易々と
 討ち取られてしまうからね。今は動かせても精々『歩兵』のニマス前までだ』



レオンは悦に入った様子で『鉄騎』を『歩兵』の攻撃範囲から一マス外の場所に進める。
この手にはなんら意味は無いのだが、エリカに駒の特性をより深く認識させる為に
敢えて無駄な手を費やし、駒を動かしていた。

そんな演出過多なレオンの打ち方に心底呆れながら、
エリカは『歩兵』を一マス前進させる一手をしっかりとした手付きでパチリと打つ。

そんなエリカの様子を、答えを考えている故の無表情と誤解したレオンは
自駒を超えて敵の駒を取れる『弓兵』や『鉄騎』と違って斜めに自由に動ける
『宰相』といった駒の持つ特性を説明しながら、次々と実際に動かして見せていく・・・



「つまり、駒の特性を生かすことが出来るかが一番で
 最強の駒など最初から存在しないと言うことですか?」

『ご名答、それぞれの特性を理解し、そこから最良の一手を選ぶ
 これは、実際に軍を動かす戦いにも通じていると私は考えている』


「その考え方はごもっともですが、私の考えは違います
 兵は詭道なり、ゲームも戦も如何にして相手の裏を取るか
 これが一番重要です。そろそろ、貴方の『皇帝』を頂きますよ」



エリカの言葉に驚くレオンを無視して、ピシャリと良い音と共に打ち込んだその一手は
この一局の最良手となる。

べらべらと喋りながら不用意に駒を動かし、薄くなったレオンの陣を
エリカの『鉄騎』が切り裂いたのだ!!


愚かにも自らの手で、その陣を乱した公子レオンに向けられる視線は
刈り取られる獲物に対する哀れみが篭った物へと既に変わっていた。


『エリカ君・・・、君は一度も『クレト』をやった事が無いのでは・・?』

「レオン様、先程申し上げた通り『兵は詭道なり』です。それにちゃんとヒントは
 出していましたよ。私の駒の打ち方、素人にしては結構堂々としていませんでしたか?」



『こっ・・、この私を君は嵌めたというのかい?』

「戦いの場で騙される方が悪いです。それにしても、大軍師の再来と言うワリに
 レオン様って、存外チョロイですね♪そうそう、負けたら約束守って貰いますよ」




絶対的な有利の状況を手に入れたエリカは先ごろまでの大人しい表情とは一変し、
確実に獲物を仕留める蛇のような嫌らしい笑みを浮かべていた。
大好きなシェスタが居ない今、猫を被る必要性を認めなかったのだ。


必死の形相で圧倒的不利な状況を覆すべく、レオンはその時点での最上手を返し続けるが、
村の子供や大人相手に握った『クレト』の勝負では一度足りとも負けが無い少女が
ミスをすることはなく、シェスタが二人のために紅茶とお茶請けを持って
部屋に戻ってきた時には、既に勝負は決していた。


百手にも届かぬ少ない手数で終わった一局は、エリカの圧倒的な勝利で終わりを迎えた。
もしも、最初からレオンがエリカの本性に気が付いていたら、このような不覚を取る事は
無かったのかもしれない。だが、それも所詮は敗者の言い訳に過ぎない。




笑顔でシェスタを迎え入れたエリカに、真っ白になって項垂れる愚者・・・
本当の強者がだれであるかを、その姿が何よりも雄弁に物語っていた。








老騎士ゼスクから戦の真髄を学んだエリカが、今でも広く人々に親しまれている
『クレト』の名手であったことは余り知られていない。
恥ずかしながら、私もその事実を知ったのは彼女のことを調べ始めた最近のことである。


彼女は『クレト』愛好家であり、当代一の『クレト』名手として多くの『定石本』を
現在に残したことでも知られるレオン・エックハルトを真剣勝負で完膚無きまでに
叩きのめしたと言う記録が残っているのだ。


ただ、それ以外に彼女が『クレト』を指したという記録が全く残っていない為、
レオンが手加減をしていただとか、エリカがイカサマをした等と言う声もあるが、
私はその愚劣な声を全て否定する事が出来る!!


何故なら、エリカはレオンとの一局に勝利した褒美として、
エックハルト公爵家の至宝とも言える『アイスダガー』を受取っているのだ。
レオンから9代遡るエックハルト公がガラハッドと名乗る男から殺してまで奪い取った
名剣中の名剣を賭けて争っていながら、易々と負けてやる訳が無いのである。


以後、『アイスダガー』は新たな所有者エリカの太腿に身に付けられ、
彼女と共に激動の時代を駆け抜けていくことになるのだが、その先のページは
まだ発見されていない。だが、私の熱きエリカへの想いがあれば失われた記録が埋まる日も
そう遠い未来ではないだろう。



いつの日にか、私が完全なる形の『城塞都市物語』を完成させて見せよう。









[11180] 弓翁隠遁記
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/09/26 12:36
誰にも等しく訪れる終わり、『死』と言うモノから人は逃げる事が出来ない。
だが、人は『死』を克服することは出来る。

その終結点を『幸福な死』にするのか、『不幸な死』にするのかは、
人がそれまでの日々をどのように送って来たかで決まるのでは無いだろうか?


無為に漠然とした日々を送り、前を見る事も無く後ろばかりを見ながら
言い訳と後悔を友にして最後を迎えることほど恐ろしいことは無い。


『死』を受け止め、超えて行くために人々は研鑽を怠ることを許されない・・・




【日向ぼっこ】


「ぽっかぽっか~、やっぱり日向ぼっこしてダラダラするのって幸せ~」

『そうねぇ、夏も終わりだし、大分陽射しも弱まってきたから
 こうやってお茶しながら、中庭で寛ぐのも気持ちが良いわね』


相変わらず暇な公爵夫婦付きの侍女を務める二人は、公爵家別邸中庭の芝生で
日々を無為にだらだらと過ごそうと寝転がっていた。
ミリアの方も大分エリカに毒されてきたのか、普通の貴族令嬢がしないような、
庭でひっくり返るという行為をすることに余り抵抗を感じなくなって来たようである。




『でも、武官長の所に行かなくていいの?暇な時間は鍛錬にあてなきゃ
いけないのでしょう?こんな所でごろごろと油を売っていても良いの?』


「あぁ~、それなら大丈夫よ。なんでも古い知り合いが訪ねてくるから
 今日の鍛錬は夕方の暇な時間にでも来てくれれば良いって言ってたから」



エリカがサボりで武官長に起こられたりしないのかと心配するミリアであったが、
問題ないとエリカが答えたため、それ以上は何も言わず、かわいらしい寝息を立て始める。
どうやら、親友に心配事が無いのなら一緒に思う存分昼寝でもして、時間つぶしをすれば
良いと考えたらしい。

そんな暢気な貴族のお嬢様の寝顔に毒気を抜かれたエリカは、大きく伸びしながら
欠伸をし、横の少女と同じようにごろんと芝生に寝転がり睡魔に身を任せる。


中庭の木陰で二人の妖精さん達は、幸せそうに寝息を立てていた。
もうそろそろ、どこかもの悲しさを感じさせる秋の訪れを予感させる
静かで平和な昼下がりであった。





【業はただ深く、未練は尽きず】


「黙っていないで座ったらどうだ?大分、足腰も弱っているのだろう?」

『隻眼の名将にお招き頂くだけでも恐悦至極であるのに、老い先短いこの身を
労わってまで下さるとは、このニヤック・ニヤード感激の余り言葉もありませんな」


「憎まれ口はいいから座れ、ニヤード。道楽で商売をやっている
貴様と違って、わしは忙しいからな。さっさと要件を済ませたい」

『ふん、久方ぶりに訪ねた客人を老いぼれ扱いしておいてよう言うわい』



自分以上に口が減らない相変わらずのニヤードの姿にゼスクは苦笑いを零していた。
そんな二人がいる一方で、入室早々に目の前で繰り広げられる舌戦というか、
軽口の応酬に退室の機を逸したアーキスは、ゼスクがその存在に気が付いて
彼にお茶の準備を頼むまで、その場に立ち尽くさざるを得ず、とんだ災難を被っていた。






『お前さんらしくないのう。小僧っ子が居ることも忘れて本題を切り出そうとするとは
 自慢の隻眼も曇って周りが見えなくなったか、それとも、ようやくボケが始まったか?』

「ふぅ、ボケてはおらんが・・・、当たらずも遠からずという所ではあるな
最近、よく気が急いてな。昔と比べて、周りを見る余裕が無くなったわ」


『悪いのか?』




ゼスクはただ頷いて、先程とは打って変って鋭い視線を向けた男が発した言葉を肯定した。


一瞬、目の前に座る『老人』の背が急に縮んでしまったのではという錯覚にニヤードは捕らわれたが、
直ぐに、そんな馬鹿な事はあるまいと思いなおし、頭をほんの少しだけ振って
俄に浮かび上がった下らぬ感傷を思考の隅から追い払う。
目の前に座る男の老い先に想いを馳せて感傷に浸るなど失礼極まりない行為であろう。



また、自分が果たさなければならない責務は安っぽい感傷に浸る事などではなく、
死期を悟ってなお、何かを残そうと自分を頼みにする男に応えることではないか?と考え、
ニヤードは隻眼の老人の言葉を静かに待つ。




「恐らく・・、冬は越せぬであろう。散々足掻いて、生にしがみ付いて
ここまで生き永らえたのじゃから、今更、命数の長さには文句を言うまい
 だが、春に咲く花が気に為ってしょうがなくてな。その世話を貴様に頼みたい」

『ひょっひょっひょ、花の世話とな?その年になっても色を好むとはの
 お主も大した英雄じゃ。じゃが、老い先短いのは此方もそう変わらぬぞ?』


「その心配はない。後三年、いや二年もせぬ内に、誰かから水や肥料を
与えられなくとも、自分の力だけで、大輪の花を咲かせるようになる」

『野に咲く花の強さを持つ子か・・・、合い分ったお主の頼み、しかと引き受けよう』




共に半世紀以上を武人としての生涯に充て、その四半世紀を敵味方と立場を何度も変えながら、
時には争い、肩を並べ、恐れつつも、また、頼りにもするという奇異な縁で結ばれた
関係の終わりを、いつか咲くであろう一輪の花が飾る。



血みどろの道を、屍を踏み散らしながら進んできた自分達にとって、
『是ほど似つかわしくないことは無かろう』と、老人達は皺枯れた笑い声をあげる。
己の刻んだ業の深さを自嘲した寂しい笑いであった。



◆◆



『そうそう、先王陛下の恩に報いる為、最後の戦奉公に行かねばならなくてのう
 ちと、店を空けることになる。春までに戻る心算じゃが、どうなるかは分らん』

「そうか、そのニヤケ顔を見るのもが此れが最後かもしれぬと思うと
 感慨もひとしおと言うものだな。年寄りの冷や水に為らぬようにな」


『ふん、お主に心配されるほど腕は鈍ってはおらん。最後まで口の悪い男だ
 向こうに着いたら文を送る。せめて、それ位までは足掻いてもらわねばな』

「相変わらず貴様は無茶を言うわい。ニヤック・・、頼むぞ」



『あぁ、お主も達者で、体を労われよ・・・』




めっきりと薄くなった頭髪の上に帽子を軽く被り、マントを羽織った馬上の老騎士を
見上げながら、
ゼスクは重ねて後のことを頼んだ。

死を受け入れ覚悟したと思ったら、今度は死後の事を心配し始める。
これほど欲深く未練たらしい生き物は人間以外におるまいと自嘲の笑みを浮かべながら・・・


一方、背中が心なし丸くなったように見える隻眼の老人を見下ろしながら
最後の別れを終えたニヤックの心は既にこれから向かう戦場へと向いていた。

既に武人では無く、好々爺然とした穏やかな顔を見せるようになった友の顔を、
これ以上、目に焼き付けたくは無かった。




愛馬に一声駆けて前に進むニヤックは振り返ること無く、その場を後にする。
そのいつまでも武人であり続ける友の姿が見えなくなるまで、ゼスクは一人立ち尽くし見送った。



再び彼等二人が顔を合わせる事は無かった。






長弓を携え自分と同じように年老いた馬に乗りながらニヤックが目指したザスツール王国は
圧倒的な戦力を率いてイクセリア聖王国に攻め込んだにも拘らず、
聖王国が誇る三名将に率いられた軍勢に無残に敗れ、逆に押し返されていた。
老人が辿り着いた時には、既に十の町と五の砦を焼かれ、三つの城を奪われるという劣勢に立たされていた。
開戦当初にあった二倍の戦力差も逆転し、イクセリアは勝利の女神の後ろ髪をほぼ掴んでいた。


だが、老人が放った矢によって首都に迫る三名将が瞬く間に討ち取られたのを機に、
再びザスツールに流れは傾き、逆侵攻を仕掛けたイクセリアは軍を立て直すために国境付近まで撤退したが、
ザスツールにはそれを追撃する余力は既に無く、戦線は膠着することになる。


こうして、夏の中頃から始まったイクセリア・ザスツール戦役は痛み分けに終わり、
両国は憎しみと恨みを分厚い面の皮で隠しながら、一時的な休戦協定を結ぶことになる。



そんな報せがグレストンに齎されたと同じ頃、ゼスクには一通の封書がザスツールから届いていた。
その友人からの封書は、彼が人生の最後に受取る手紙となった。


再会することは叶わなかったが、最後の約束は果たすことは叶ったようである・・・



【老将の最後】


数多の戦場を駆け、その度に武勲を立てた老将の最後は血生臭い戦場ではなかった。


別邸副武官長のロベール・ヨーク子爵が武官長の執務室を訪れた際、
別邸武官長ゼスク・ルーデンハイム准伯爵は既に事切れていた。
その死に顔は普段の厳しそうな表情と違って穏やかな顔であったと今に伝えられている。


享年は76歳、この時代としては長命の部類に入り、先ず大往生と言って良かった。
だが、そのような客観的な事実も残される者達の悲しみを薄める事は出来ても、
全てを消す事は出来ない。


彼の葬儀には多くの弔問者が訪れ、故人が生前に残した偉功を人々に改めて知らしめていた。
グレストン中の高官達は言うに及ばす、首都や隣国からも多くの弔問の使者が訪れていた。


そんな盛大な葬儀の中で、一際目立っていたのはエックハルト公爵でも、次期当主のレオンでも無く、



養女にして、唯一の遺族として人々に紹介された少女、エリカ・ルーデンハイムだった。




◆◆



『エリカさん、無理をしなくても良いのですよ?後は私達に任せてくれれば・・・』

「ありがとう御座いますシェスタさん。私、大丈夫ですから
 無理してでもちゃんと武官長の葬儀を無事に務めて見せます」



師と突然の別れに涙を零す暇も無い内に、遺言でルーデンハイム家の養女と成ってしまったエリカは
その驚愕の事実を受け止める時間も与えられずに、葬儀の主役として祭り上げられていた。


正直な所、尊敬し、慕っていた師ゼスクの死を彼女は静かに悼みたかった。
だが、ゼスクに師事した短い期間でエリカはそんな甘えが許されないことをしっかり学んでいた。


彼女は黒い喪服に身を包みながら、ピンと背筋を伸ばした姿勢を保ちながら、
弔問に訪れた人々の貴賎を問わず、遺族として参列者に感謝の言葉を一人一人に丁寧に掛けていた。

その毅然とした彼女の態度はどこか故人を彷彿とさせ、
さすがは『隻眼のゼスク』の娘だと参列者達を唸らせる物であった。



もっとも、弔辞の場面でだけは溢れ出る涙を止める事は出来ずに、クシャクシャの顔で
何度も言葉に詰まりながら、途切れ途切れでようやく読み終えると言った体であったが、
それが、逆に参列者の涙をより誘うという結果を齎していた。




『城塞都市グレストン』に来て初めての別れは、エリカにとって悲しいものになった。




◆◆



『ほぉ、『クレト』であのレオンの小僧を負かすとは、さすがワシの弟子よ!
始めは処女の如く、後は脱兎の如し!相手の油断を誘うのは立派な兵法じゃ』

『この1ヶ月、みっちりと戦術のイロハを仕込んでやろう。暫くは侍女の仕事を
休んで構わん。無論、レオン達の許可も取ってある。なんじゃ、その嫌そうな顔は?』



朝から続いた葬儀を終えて、ようやく家に戻った時は既に日が傾いていた。

エリカを出迎えた心配顔のサリア達には食事はいらないとだけ言うと、
部屋を駆け上がってベッドにうつ伏せになって寝転がったのだが、
この一ヶ月、妙に自分との時間を取ろうとした厳しくも優しい老人の言葉が
頭には浮かんでは消えるため、中々。寝付くことが出来そうに無かった。




「死に掛けてんなら、ちゃんと言ってよ・・!!そしたら、もっと良い子になってあげた
 退屈そうな顔せずに軍学だってなんだって勉強したわよ!ほんのちょっとだったのに
 大好きにさせるなんて酷いよ。養女なんかにしてくれなくて良いから、生き返ってよ」




ほんの数ヶ月、それだけで名将と呼ばれたゼスクはエリカの心を落としていた。
彼女の涙でくしゃくしゃになった遺書には何度も書き直した後が見受けられ、
故人のエリカに対する深い愛情が滲み出ていた。

彼に取って始めての女の子の弟子は、手は掛かるがかわいくて仕方がない孫みたいなものであったのだろう。
そして、それを何となく察したエリカも優しい祖父に持つような親愛の感情を向けるようになっていく。
エリカにとって、家族としての絆をゆっくりと深めていこうとしていた矢先の別れだった。





『エリカちゃん・・。入って良いかな?』 「うん・・・」



部屋を優しく二度ノックしたサリアの呼びかけに、エリカは小さく返事を返した。
正直、一人で悲劇のヒロインぶってもう少し泣き伏していたかったが、
優しい姉の気遣いを無碍にするような事は故人の教えに反すると考え、
素直にサリアの好意を受取ることする。



『ホットケーキ焼いたから一緒に食べようかなって、エリカちゃん前作ったとき
 凄く喜んでくれたから・・・、えっと、その少しでも食べた方が良いと思うし・・・』

「うん・・、お姉ちゃん。心配かけてごめんなさい。あと、ありがとう」



予想より酷い顔をしているエリカを前にサリアはどう慰めて良いものか盛大にテンパリ
しどろもどろとした言葉を発することしか出来なかったのだが、
どんな着飾った言葉よりも、その愛情に溢れた家族の言葉の方がエリカにとって嬉しかった。

サリアは姉として優しく妹のエリカを黙って抱きしめつづける。
エリカの腹ペコ虫が横にあるホットケーキを食べたいと大きな鳴き声をあげるまで・・・






朝起きてサリアに元気に朝の挨拶と昨日の礼をするエリカは『いつものエリカ』だった。

今日は彼女のことを気遣った公爵家から特別の休みを与えられていたので
盛大に朝寝坊をしていても良かったのだが、うじうじとベッドの上で塞いでいるのは
自分らしくないと考えたエリカは朝の散歩でもするかと早起きしていた。


サリアが用意してくれたパンに切込みを入れ、自分が焼いた熱々のベーコンと
半熟の目玉焼きを挟んで作った物を一気に平らげると、
カップに入った牛乳を立ったまま腰に手を当て一気に飲み干して『プハァッー』とする。

ちょっとお行儀の悪い行いだったが、エリカが無理して勢いをつけようとしているのを
何となく察した目の前に座る二人はその所業に敢えて目を瞑り『行って来ます!』と
笑顔で元気良く外に出掛けて行くエリカを優しく、少し寂しそうな表情で見送った。


近い将来、貴族の娘となってしまった彼女がここを出て行くことになるのを
二人は良く分っていた。



【叙勲式典】



ゼスクの喪が明けたエリカは故人となった養父が自分のために用意してくれていた
白と赤を基調とした騎士装束に身を包み、
自分のために開かれる叙勲継承式典に参加する為、グレストン総督府を訪れていた。


式典の主役たる彼女の出立ちは並み居る列席者を唸らせる物であった。
白銀の胸当てに刻まれた赤い家紋は良く映え、赤いスカートが揺れるたびに覗く
彼女の太腿に付けられた名剣アイスダガーはセクハラ紛いの視線の良い言い訳にもなっていた。
『別に太腿にハァハァしてるんじゃないよ!アイスダガーを見たんだよ』と
エリカの叙勲式典に参加したエロオヤジ達は同じような見苦しい弁明を繰り返していた。


彼女に薄く化粧を施したシェスタと彼女の肩より少し下まで伸びた黒髪を丁寧に結ったミリアの苦労も
この周囲の反応を見れば充分報われているといって良さそうである。
作られた美少女ポニテ女騎士エリカを芋臭い田舎女と笑う者は誰も居なかった。


ただ、エリカがどこの者とも分らぬ平民の出であったため、
大半が選民思想に凝り固まっている特権階級の人々からの強い侮蔑の視線は消す事は出来なかった。







『エリカ・ルーデンハイム准子爵』



グレストン総督の横に控えるエックハルト公爵に呼ばれたエリカは『はい!』と
ゼスクが良く褒めてくれた元気の良い返事をして総督の前に進み出て跪く。



『エリカ・ルーデンハイム、汝を大功あるゼスク・ルーデンハイム准伯爵の養女として認め
准子爵に叙す。フリード公国に忠誠を尽くし、このグレストンのためにその命を捧げよ』



呼びかけに跪いたまま面を上げたエリカは再び頭を下げ、
総督が彼女の両肩に右、左と一度ずつ乗せた細身の剣を差し出した両手で受取り、
それをフリード公国国旗に向かって掲げると腰に付けた空の鞘に収める。



この瞬間、エリカはルーデンハイム准子爵としての一歩を踏み出すことになった。
出自が平民故にそのままの爵位ではなく二段下がっての継承であったが、
養父と同じように武勲を挙げさえすれば、幾らでも階位を進める事が出来る。
無限に広がる可能性を少女は手に入れたのだ。



ルーデンハイム家叙勲継承式典、これはエリカ・ルーデンハイムの名が
公式に刻まれた最初の出来事であった・・・







ゼスクの養女となったことに対しては、エリカに批判的な愚かな学説を唱える者達も
財産目当てだとか、色ボケ老人を若さで垂らし込んだ等と言う下劣な抽象を行うものは居ない。

これは当然のことであろう。もし、そのような誹謗中傷を行えば己の低脳振りを全世界に
知らしめ事になることが自明の理であるからだ。


純真無垢にして可憐なエリカに、厳格にして高潔な武人として知られるゼスクの間にあるのは
祖父と孫の間にあるような美しい親愛な情しかなかったであろう。


ただ、残念なことにこの素晴らしき老人と少女が、如何に敵を効率的に殺すか等といった
血生臭い軍事の話ばかりをしていたという俗説もある。

私は断固たる決意を持ってそのような事実は無く、
その節は不当に歴史を歪曲した物であると主張したい。


そんな血みどろで、恐ろしい話を共にする少女を自分の全てを受継がせる養女などにする訳が無い。
数々の戦で己の業を良く知る隻眼の老将は、最晩年に出会ったエリカという
清らかな聖女の純真さに惹かれ、彼女の持つ自愛によってその業を許されたのだ。


その素晴らしき少女の救いに報いる為、彼は彼女に己の全てを託したのだろう。









[11180] 従者奉公録
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/10/03 15:50
【新米貴族は大忙し】


いつの世も成り上がり者に対する目は厳しい。
同じ地位に上がられた人々の多くは下賤の輩と侮蔑の視線を送り、
何か不手際をしようものなら、それ見たことかと嘲弄の声を大にする。

また、下の者達はいままで同じだった者が自分の上に立つことが許せず、
少しでも偉そうな態度を見せれば、最初から上に立っていた者以上に反発し、憎むようになる。


立身出世の道は決して平坦ではなく、その先に幾多の困難が待ち受ける歩みにくい道なのだ。



◆◆



『なんで僕がよりによってエリカさんの下で働かなくちゃならないんですか?
 それが正騎士叙任の条件だと言うなら、僕は見習い騎士のままで構いません』




ゼスクの後を継いでルーデンハイム准子爵に叙せられたエリカを無役の平騎士にする訳にも行かず、
エックハルト騎士団内で副武官長付きの騎士長の役を与えたまでは良かったのだが、
女騎士長に仕えたいなどと言う奇特な騎士は全く居ないため、騎士長のエリカに仕える
従者の選定は大いに難航していた。


本来ならば、こういった事態を打開するために別邸における最高権力者のレオンが主導して
エリカ付きの騎士を強引に選定すればことは足りたのだろうが、
『アイスダガー』の一件から始まって、ゼスクと組んで事あるごとに自分に苦杯を
舐めさせてきたエリカの手助けをするほどレオンは聖人君子ではなかったので、
騎士団内で起こった微妙な人事問題について積極的に関ろうとせず、新武官長に一任していた。



こうして、絶対的な前任者の後を継いだだけでも大変な新任別邸武官長ロベール・ヨーク子爵の手に全てが委ねられる。
だが、いきなり武官長としての強権を発動して強引にことを進めれば、プライドだけは高い騎士達の反感を買い
今後の組織運営に支障をきたすことは目に見えていたので、
アーキスなどの一番格下の騎士達に見返りとして正騎士への昇任をチラつかせたりしながら、
就任早々に起きた厄介な問題を何とかし穏便に済まそうとしていたのだが・・・




『御用件がそれだけでしたら、失礼させて頂きます!』





誰でも思いつくような目の前にぶら下げたニンジン作戦がそうそう上手く行くわけも無く、
プンスカプン!と言った感じで部屋を出て行くアーキスの後姿をヨーク子爵は見送りながら、
続く8人目の候補者を呼ぶか、今日はもう諦めて問題を先送りにするか真剣に頭を悩ませることとなっていた。





◆◆



『あっ、エリカさん・・・』



勢い良く武官長の執務室から飛び出したアーキスは先程までの話題の中心だった
騎士の略装に身を包んだエリカと鉢合わせてしまい気まずい思いをすることになった。

そんな『出来過ぎた気まずい偶然』に動揺したアーキスは目の前の少女にどう声を掛けるべきか
容易に判断を下す事が叶わず、ただ押し黙って二人の間に何ともいえぬ沈黙が漂いかけたが、
俯きかけた顔を再び上に向けてアーキスをほんの少しだけ見上げる少女によって、その沈黙は破られる。




「その、武官長にちょっと話が有って・・、聞き耳立てる心算はなかったの!
 でも、私のこと話してるのが聞えちゃって、あの、ほんとごめんなさい・・」




話している途中からエリカは既に涙目になって潤んでいた大きな瞳からポロポロと涙を零す。
アーキスは涙を溢れさせ続けるエリカを前にして再び動揺しておろおろとするだけで、
彼女を泣き止ます方法をどうやっても思い浮かべることが出来なかった。


そんな、かわいそうなアーキスにエリカは容赦ない追い討ちを仕掛ける。
一度攻勢に転じる好機を得たら徹底的に仕掛けろという師の教えを彼女は良く理解していた。




「うぅ、良いの・・・、私みたいなドジでノロマな子に仕えるなんてみんな嫌だよね
 気にしないで、独りぼっちでも負けないから!でも、女の子だから涙が零れちゃう」



『私なんて不幸な女の子なのかしら』発言で善良な少年の心を容赦なく抉るという戦法に打って出たのだ。
この戦法は非常にアーキスに対して有効であった。
騎士たる者はか弱き女性の味方で無ければと考える真直ぐな心根を持ったこの少年は
全てエリカに仕組まれていたと気付く事も無く、聞かせる心算の無い自分の言葉によって
目の前の少女を傷つけてしまったと強い罪悪感を持ってしまう。


アーキスはする必要も無い贖罪を行うためにエリカの従者となる事を誓ってしまう。
その結果、自分がどのような酷い目に遭うか深く考えもせずに・・・




『分かりました。僕がエリカさんの従者として仕えます。勿論、ずっとじゃないですよ』

「うん、それでいいよ。アー君ありがとう!」




自らの望む最良に近い回答を得た少女はさっきまで泣いていたのが『嘘』のような笑顔で
アーキスに飛びついて喜んだ。
一方、急に元気になった少女に抱きつかれた哀れな少年はエリカの勢いにタジタジになりながら、
自らの決断を早まった物だったのではないかと後悔の念を早くも浮かび上がらせていた。





◆◆



「誰も成り手がいないってのは、ある意味、気に入った相手を自分で探せるってこと
 そんなに悪いことじゃないわ。人事権も無いただの騎士長が選好み出来るんだしね」
 
『ふ~ん、そんな考え方も確かに出来なくないわね。それで、エリカは人が良いのが
 取柄のアー君が従者候補として武官長の部屋に呼ばれるまで張り込んでいたって訳ね?」



ミリアの問いに『そういうこと』と得意満面の笑顔で答えたエリカは、
自分がどういう立場にあるか良く理解していた。『平民上がりの上に女』という事実が
ゼスクのような後ろ盾が無い状況ではどれだけのハンデになるかということを。

もっとも、そういうことを見越して次期公爵のレオンに猫を被って媚を売ったりして、
自身の地位の強化を図るのが得策だと分かっていながら、
虫が好かないという感情的な理由でちょこちょことレオンに逆らっているあたり、
エリカはまだまだケツの青い未熟な部分も多分に残していたと言える。

現実の厳しさを理解したうえで自己を客観視した結果を元に最良の選択を取れるような
『賢明な大人』とはまだ程遠い小癪な小娘であった。



『これからは准公爵夫妻付きの侍女から変わって、騎士長として武官勤めになるのよね?』

「な~にぃ、私と一緒に仕事出来なくなっちゃうのをミリアは
 悲しんだり、寂しがったりしてくれたりする訳?嬉しいなぁ~」


『うん。凄く寂しいし、悲しいかな。でも、休みの日とかは一緒に遊びに行けるよね?』




そんな小癪な小娘の友人がエリカの職種変更を惜しむ発言を続けてしたので、
ニヤケ顔をしながらミリアをからかうエリカだったが、予想外にかわいい返答をされて
ちょっとグっときちゃったのか『当たり前じゃない』と言いながらミリアにぎゅっと抱きつく。


城塞都市グレストンで出来た初めての友ミリアはエリカが平民だろうと、貴族だろうと関係無しに
親愛の情を向けてくれる最高の親友であった。

ただ、感動して抱きつく鍛錬後のエリカに『なんか、汗臭い』とその場の雰囲気を
ぶち壊す発言を何の気なしにしてしまう欠点だけは相変わらずで、
『ワタシミリアダイスキ』と棒読みで言うエリカに力一杯抱きしめられながら、
潰れた蛙が出すような声を上げさせられていた。





【女騎士と従者】


本来なら三人ほどの従者が付く騎士長という役職であったが、成り手が居ないのと
エリカが『若輩で経験に乏しい自分には従者一人でも過ぎたる処遇』と固辞して
殊勝な態度を見せたため、エリカに従う従者は正騎士アーキスただ一人となった。


どうやら、別邸で誰よりもかわいい顔をした少年の前には、受難の日々が手薬煉を引いて待っているようである。



◆◆



『エリカ様、今日の予定ですが・・』


アーキスが延々と今日の騎士団の予定をエリカに説明をしているのだが、
彼女に聞く気はさらさら無く、全て右から左へと聞き流していた。
どのみち聞いた所で、女騎士長にたかだか正騎士の小所帯に大した仕事が回ってくることは無いのだ。
そのため、不真面目と言えば不真面目であったが、エリカの態度を従者は咎める事なく、淡々と予定表を読み上げてく。



「それで、今日の私達はなにすればいいの?な~んにも無いんだったら
 お昼寝して暇潰すか、ミリアやシェスタさんの所に行こうと思うんだけど?」

『いえ、一応仕事はちゃんとあります。別邸の中庭に生えている
 雑草が伸びているので、それを引き抜いて処理しろという命令です』


「えぇ~、この前は庭の掃き掃除で、その前は門の前のドブさらいでしょ
 いくら鼻抓み者の女騎士長だからって、この仕打ちはないんじゃない?」

『では、こんな仕事はやらずに命令を無視なさいますか?』


「ううん、ちゃんとやるわよ。それも徹底的にね!雑務ばっかりだけど、一応は
 必要な仕事だし、それに、元々似たような賃仕事もちょっと前までやってたから
 平気よ!勿論、アー君に無理に手伝え何て言わないし、私一人でもやるからいいよ?』


『いえ、手伝わせて頂きます。主人にだけ嫌な仕事をさせる訳にはいきません!』




扱いに困る女騎士長のエリカに与えられる騎士団からの役割は簡単な雑事処理係であった。
来る日も来る日も、ただひたすらに掃除やら武具等の整理などをし続ける毎日。
現武官長が、騎士団を自発的に辞めるのをエリカに期待しているのは明らかであった。

だが、そんな上司の意図にムカつきはしても、もともと田舎で賃仕事に励んで
小銭を稼いでいたエリカは与えられた単純作業に参ること無く、それを楽々とこなしていたが、
一応は貴族階級の端くれで、かっこいい騎士に憧れているアーキスには辛い日々の連続であった。
そんな従者の思いに何となく気付いたエリカは『気にしないで、一人で出来るもん!』と
度々、強がっている振りをして、『雑務でなくかわいそうな少女を助ける行為』であると
アーキスに思わせる事によって彼の心が折れないように気を使っていた。


エリカなりに自分に同情して従者として自分に仕えてくれる心優しい少年に感謝しており、
自分のせいで騎士としてのプライドを傷つけられていることを申し訳無くも思っていたようである。






『はぁ、だいたい抜き終わりましたね。後の雑草を袋に詰めて捨てるまでは
 僕の方でやりますから、エリカ様は先に武官長への報告をお願いできますか?』


「うん、分かった。じゃ、お言葉に甘えて武官長の所に報告に行って来るね
 それと、こんな事ばっかりでごめんね。あと、いつも手伝ってくれてありがとう」




日が傾き始めた頃、ようやく公爵家別邸の中庭に生える雑草の処理をあらかた終えた二人は
西日に照らされた影響か、頬を紅く染めながら後始末と報告といった
それぞれの仕事を果たすために一先ず分かれる。



そんな疲れの中に気恥ずかしさを隠した自分達の姿を、
少し離れた場所から眺めている不埒者が居るのには気付くことはなく・・・








別邸の武官達は、エリカがただの侍女として武具やら何やらを低価格で調達していた頃は喜び大いに感謝もしていた。
だが、女騎士として故人となったゼスクの養女として准子爵というそれなりの爵位を得て
エリカが自分たちのシマに上がり込んで来ると、多くの騎士団員達は手の平を返したような排他的な態度を彼女に取り、
その彼等の浅ましい姿は、地位の高さと人間の出来が必ずしも一致しないということを
エリカに身を持って理解させる大きな助けとなっていた。


また、この経験は地位や家柄などと言った背景よりも能力や経験と言った物を重視するという
彼女の傾向をより強めさせることになり、彼女の成長を促す一助ともなっていく。



野に咲く花は北風に負けぬ強さを少しずつ身に付けていく・・・






【温室の薔薇と野薔薇】



レオン・エックハルト准公爵とエリカ・ルーデンハイム准子爵・・・



両者共に城塞都市グレストンにその名を馳せた存在として後世に知られることになるのだが、
現在において後者は前者と比べるべくもない知名度しか持っていなかった。



そんな有名なレオンと無名なエリカの現在の関係は『仲が悪い』の一言で表す事が出来た。


その直接的な原因はエリカが『クレト』という盤上遊戯で名手レオンを陥れ、
エックハルトの至宝として伝わる『アイスダガー』を巻き上げたことにあったが、

理論派としても知られる大軍師マシューの薫陶を厚く受けたレオンと違って、
エリカは実戦派の権化とも言える養父ゼスク・ルーデンハイムの薫陶を厚く受けており、
その性質が正反対であることや、エリカの敬愛するシェスタをレオンが突然横から現れて
嫁にして掻っ攫っていたことに対する不満などといった大小様々な要因が折り重なって
エリカのレオンに対する敵意とレオンのエリカに対する隔意を生みだしていた。




◆◆


『やぁ、エリカ君。騎士長になっても色々と苦労しているようだね?』

「いえ全く苦労などしておりません。ただ、どこかの意地悪な盤上遊戯狂いの男が全く
 配慮をしなかったため、従者が中々決まらずに要らぬ苦労をした者もいるそうですが」


『まぁ、どこぞの性悪に騙されて酷い目に遭う騎士の事を思うとその男も良心が咎めて
 要らぬ配慮をする気にはなれなかったのかも知れないし、一方的にその男を悪し様に
 言うのは性根の真直ぐなエリカ君らしくない、少し軽率な物言いだと私は思うのだが』



「そうでしょうか?」 『そうだよ』



武官長に任務完了の報告をした帰りにレオンと廊下で偶々会ったエリカは、
どぎつい嫌味の応酬を終えるとレオンの爽やかな笑みに負けない朗らかな笑みを浮かべていた。

そんな内心とは真逆の笑みを自分に向けてくれる少女の姿に溜息を吐きながら、
レオンはもう何度目になるか分からぬ提案を彼女に持ちかける。





『さて、下らぬお喋りに時を費やすのは人生を浪費することと同意だ
 本題に入らせて貰おうか、今日こそ『コレ』の勝負を受けてくれるね?』



そう言って手に持った『クレト』の駒をエリカの目の前にチラつかせる。
実のところ、レオンはエリカに『クレト』の勝負で一敗地に塗れて以後、
再三再四と彼女に再戦を挑んでいたのだが、その度にエリカに断られてイライラを募らせていたのだ。

そして、このイライラが未だ小娘に過ぎぬエリカ如きに名声を欲しい侭にする若き天才が
ただの小娘に過ぎぬエリカに隔意を持つ一番の原因であった。




「レオン様、申し訳ありませんが、お断りさせて頂きます」

『執拗に再戦を避けるのは敗北を恐れて逃げるという事かな?
 やはり、正々堂々と勝負して私に勝つ自信が君には無いと見える』



何度目か分からぬエリカの断りの言葉にレオンはついつい大人気なく
実力では勝てないと分かっているから逃げるのだと、目の前の少女に安い挑発を仕掛ける。
天賦の才を優れた先人達に鍛えられ、同年齢以下の人間に遅れを取ったことが無いレオンは
年少の少女を相手に負けたままで居られないほどの『子供ぽっさ』は残していたようである。


彼の愛する妻のシェスタであれば、そんな少年じみたレオンの負けず嫌いな所も
かわいいところですと笑って惚気たりしそうであるが、彼に冷やかな視線を向ける少女に
同じような理解を求める事は限りなく難しそうであった。
エリカは気に入らない奴を満足させるために下らない遊びに付き合うほど『寛容な大人』ではないのだから・・・



「どうやら准公爵者様は勘違いをなさっておいでのようです。そもそも『死人』と
 『クレト』が出来ない故、私はレオン様からの申出をお断りしているだけです
 その駒を用いた遊戯は戦場を模したもの、詰まらぬ意地でさっさと投了もせず
 討ち取られる寸前まで打ち続けた者に、捲土重来の好機が来るとお思いですか?」




慇懃無礼なエリカに皮肉タップリの笑みと言葉で嬲られたレオンは
普段から『クレト』こそが、最も戦場を模す事に成功した至上の遊戯と広言していたため、
エリカの言を『たかだか一敗地に塗れただけではないか』と一笑に付す事がどうしても出来なかった。



長い廊下を鼻歌交じりに歩き去る少女とその場にただ立ち尽くす男、
二人の進む道は重ならぬまま、その距離を増して行く・・・




◆◆



「どうやら、待たせちゃったみたいで悪いわね」



エリカの謝罪を受けた従者は首を振ってその必要は無いと答えた。
もっとも、それ以外の点では色々と言いたい事があったので、
エリカが二の句を告げようとするのを遮って、無鉄砲な主に諫言を行う。


『エリカ様、レオン様に何であんな態度を取られるのですか?只でさえ別邸内での
 立場が良いと言えないのに、自ら立場をより危うくするような真似は控えた方が・・・』

「やだっ!」


『やだって、子供じゃないんですから』

「だって、キライなんだもん!」



口を尖らす子供みたいな主の態度にアーキスは頭を思わず抱えていたが、
そんな従者の苦悩を見ても、エリカは諫言に耳を傾ける気には全くなく、
諫言から続く説教が始まる前に話題を強引に転じ、その話を終わらした。


当然、その流れに釈然としない気持ちになったアーキスだったが、
少し擦れて大人びた所のある彼女にしては珍しく自然な子供っぽい姿だったので、
ついつい、ちょっとかわいいかもと思ってしまい主に対する追撃の手を迂闊にも緩めてしまう。



レオンとエリカの関係と違って、此方の二人の主従関係は中々良好な物になりそうであった。








エリカの従者アーキスは非常に義侠心厚い人物として今に伝えられている。
血統重視の厳しい身分制の中、男社会である騎士団に入って不遇を受けていたエリカを助けんと
自ら従者として名乗り出た点からもそれが良くお分かり頂けるだろう。




彼はエリカと並ぶ心根の優しさを持った騎士道精神に溢れた好人物であり、
エリカに対する不当な扱いに強い憤りを感じていたことは間違いない事実である。

その証拠に、エリカの従者選定問題について激しく武官長とぶつかり、理不尽なエリカに
対する仕打ちに怒りを爆発させて、別邸武官長の執務室から飛び出した記録も残されている。


だが、どのような素晴らしい美談にもケチを付けたり、それを汚そうとする愚者は後を絶たないもので、
エリカがアーキスを嵌めて強引に自分の従者とした主張する者達もいるが、
これは事実無根で荒唐無稽な与太話であろう。


正しい歴史知識に基いて公平な目で当時の騎士団という物を見れば、
その意見が如何に間違っているかは直ぐに分かる。


この当時のエリカの騎士団に置ける地位は騎士長である!
少なくとも別邸副武官長の地位にでも就いていなければ、人事権を振るうことなど到底不可能なのだ。


間違いなく、アーキスは美しくも可憐な不幸な聖女を救うために自ら進んで
彼女の従者となることを望んだのである。

彼が従者になって以後、騎士のプライドがズタズタになるような雑務を
エリカと共に耐えて全てやり遂げたという記録からも、彼の高潔な決意が本物であった事が窺える。



アーキスが取るべき選択肢を巧妙に奪い取られてババを引かざるを得なかったという話は



嘘!そう、真っ赤な嘘でインチキ話なのだ!!





[11180] 小村地獄絵図
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/11/01 20:33
【幸せな招待状】




国境付近の鄙びた村の朝はいつもより幸せな風に包まれていた。


村で一番のかわいいと評判の少女と村一番の色男と言われる青年の結婚式が
この日の午後から深夜に掛けて盛大に行われる予定になっていたのだ。


式を前にして緊張の色を濃くする新郎、此れからの蜜月に想いを馳せて頬を染める新婦に、
これからの明るい両家の未来に沸き立つ親族と馬鹿騒ぎする気満々の村人一同など、
国境付近の鄙びたナサハ村はちょっとしたお祭り気分の人々で一杯だった。




幸せな式が始まる直前までは・・・







騎士長として悪戦苦闘の日々を送るエリカの元に故郷の村に住まう親友と相棒から
彼らの結婚式の招待状が届くと、彼女はすぐさま別邸武官長に事情を説明して
休暇の許可を得ようと行動していた。



城塞都市グレストンとナサハを往復する日数を考えれば休暇の期間は最低でも15、6日は必要であり、
その期間の長さから、容易に許可は下りないだろうとエリカは半ば覚悟し、
決死の嘆願をする心算であったのだが、彼女の見込みは幸いにも外れることになった。
なんと、一月でも二月でも休んで構わないと別邸武官長が休暇申請をあっさり認めたのである。



武官長としては面倒毎の火種になりかねないエリカが自分からしばらく姿を消してくれると言うならば、
それを止める気はさらさら無く、喜んで送り出そうと考えたようである。



この武官長の余りにもうれしそうな反応と過分な処置に、一時的な厄介払い出来たことを喜んでいるのだと
気付いたエリカはちょっとばかしムカついたが、望外の結果を得たことには変わりがないので、
笑顔で内心を隠しながら、武官長に礼を言ってその場を辞した。




◆◆



『何で僕がエリカ様の休暇に付き合わないと行けないんですか!』

「えっと、アー君は一応私の従者でしょ?それに、女の一人旅ってやっぱ危ないよね?
 男の人が一緒に付いて来てくれると安心だし、ずっと一人ってのも寂しいし・・、ダメ?」




上目遣いで全然らしくないぶりっ子をしてお願いする主人の様子に怖気を感じながらも、
アーキスはしぶしぶエリカの帰郷に同行することを了承する。
一応、従者の役目として主を守るというものがある以上、エリカに付いて行かないと言う
選択肢を取ることは不可能なのだ。




「やった!アー君、ありがとう。それじゃ、早速だけど一緒に馬屋まで乗馬を選びにいこっか?」



強引に腕を自分の腕に絡ませて馬屋へと引きずって行こうとするエリカの
屈託の無い笑みを見ながら、アーキスは主のちょっとした我侭に付き合うのも悪くないかと思い始めていた。
少しずつ、エリカの術中に嵌ったアーキスは順調に飼い馴らされ始めているようである。



もっとも、貸し借りにかなりシビアの所があるエリカの方も、人の良いやさしい従者には
ついつい、甘えに近い我侭を言ってしまうなど借りを順調に増やしているようで、
その点からも、彼女がアーキスに心を許し始めている様子が窺えた。

あーだこーだ言いながらも一緒にいる、この二人のひよっ子騎士達は
このまま時間さえゆっくり掛けていけば、良いコンビになりそうであった。






【故郷への旅立ち】



もうそろそろ秋から冬へと季節が移ろおうとする中、かわいい顔をした従者と一緒に
ナサハを目指すことになるエリカは冬支度に旅支度と大忙しであった。


城塞都市グレストンを中心とする一帯は北方諸国と違って温暖で過ごしやすい気候であったが、
冬に半袖短パンで過ごせるような気候では当然無く、それなりの冬支度をする必要がある地域であった。

そのため、どちらかと言うと寒がりのエリカも初めてのグレストンでの冬を無事越すべく、
湯たんぽを三つも購入するなど、ほかほかベッドで就寝できる体制を整えていたし、



厳しい冬の旅を乗り切るため、厚手のコートに防寒・防水性に優れたマントや手袋等々、
防寒着をミリアと仲良く一緒に買いに行ったりしていた。




◆◆




「それじゃ、サリア姉さん行ってきます」



本来なら城塞都市内にあるルーデンハイム邸に転居している筈のエリカだったが、
叙任して一月以上経った今も優しい姉のいる宿屋での下宿生活をずるずると続けていた。

ことある毎に『もう、いっちゃうのよね・・』『私たちのこと出て行っても忘れないでね』と
寂しげに、時には涙ぐみながら言うサリアに引っ越しますとは言えなかったのである。


『うん、エリカちゃんくれぐれも気をつけて行ってね。ちゃんと夜は暖かくしてね
 アーキス様、くれぐれもエリカちゃんの事をお願いします。それから、それから・・・』



サリアが幼子にするような注意を始めようとすると恥かしくなったエリカは顔を真っ赤にしながら、
『もう、大丈夫だから!』と言ってなおも言い募ろうとする心配性な姉の言葉を強引に遮ろうとしたのだが、
『だって心配で心配で仕方が無いのよ』と返されると同時にぎゅっと抱きしめられ動けなくなっていた。


そんな微笑ましい二人の姿をサリアの夫とエリカの従者は優しく見守りつつ
待ちくたびれた二頭の馬がブリブリと地面に零す馬糞の処理を粛々と行っていた。





『アーキス君、もうしばらく掛かると思うから、裏の馬屋に馬を繋いで置いて
 中でコーヒーの一杯でも飲まないかい?出掛ける前に体を冷やしちゃだめだからね』

『すみません、わざわざ気を使って頂いて、お言葉に甘えさせて貰っても良いですか?』


『全然構わないさ。まぁ、あの二人は熱々みたいだし、ほっといても大丈夫だろう
 そうそう、ちょっと前にお客さんから貰ったいい豆があってね。それを煎れよう
中々の香りと濃くのある出物だから、きっと君にも気に入って貰えると思う』

『わぁ、ちょっとワクワクしますね。美味しいコーヒーのある朝って最高ですよね』




粗方馬糞の処理を終えた二人は、まだまだ終わりそうに無い熱い抱擁を続ける姉妹を放って
コーヒーブレイクを取ることにする。
盛り上がってしまったサリアの暴走が簡単にとまらない事を夫は良く知っており、
アーキスも彼女の事を良く知る人の言に従う方が賢明であると判断したようである。



ぎゅうぎゅうと愛情一杯の抱擁で熱くなる二人に、
湯気立つコーヒーの香りを楽しみながら静かに暖を取る二人・・・
少年少女の旅立ちはあったかく、それ以上にゆっくりしたものになっていた。









結局、城門まで見送ってくれた若夫婦を背にしながら、ナサハの村を目指す二人は
特に良い馬を見繕った甲斐もあってか、順調に草原を駆け抜けながら出発の遅れを瞬く間に取り戻していく。

小さい頃から騎士に憧れて馬術を修めてきたアーキスはもとより、
盗んだ農耕馬(エリカ曰く、黙って借りた)で悪友達と共に山野を駆けていたエリカの
馬術は我流特有の癖はあるものの、かなり高いレベルにあったので、
乗馬の能力をほぼ最大限に引き出して駆ける事が出来ていた。




「へぇ~、アー君ってカワイイ顔して結構やるじゃん。私のひんべぇ二号機に
 送れずに付いて来るなんて驚いたわ!やっぱ、騎士様の正しい馬術は違うわね」

『驚いたのはこっちですよ。まさか、平気な顔して早駆けできる女性が居るなんて
 それに、そんな馬の鬣を手綱代わりに引っ張る無茶苦茶な乗馬方法で早いなんて・・』



エリカから乗馬は得意だと聞いてはいたものの、彼女特有のハッタリと思って
余り本気にしていなかったアーキスは最悪、自分の後ろに乗せてしがみ付かせる心算だったのだが、
その目算は大きく外れ、全力で走らせる自分に平然と付いて来て並走する少女に驚嘆させられていた。




「まぁ、農耕馬のいつ切れても不思議じゃないぼろぼろの手綱なんか握って早駆けする
 度胸はさすがの私もなかったってこと。もうこの乗り方に慣れちゃったから手綱捌きは
 今一なんだよね。そうだ、アー君に手取り足取りイヤーンな感じで教えて貰えば良いよね」

『何ですか、そのイヤーンって言うのは?まぁ、良いですよ。僕も人に教えるほど
 技量がある訳じゃないですけど、初歩の手綱の扱い位なら十分教えられますから』




二人目の師ニヤードを髣髴させるニヤケ顔で言うエリカの冗談をさらりと流したアーキスは
彼女のお願いを快く引受ける事を約束する。
そんな良く出来た心優しい従者に主は少しだけ照れくさそう顔をしながら感謝の言葉を述べる。



たった二人だけの旅は、間にある距離を確実に短くさせていく。
少なくとも、今回のグレストン-ナサハ間の旅路でエリカは
孤独の余りサラマンダーより速い馬に恋しちゃうような醜態を晒すことだけは無さそうだった。







【月明かりに照らされて】



昼食と馬を休ませる時間を除いて、ほとんど休まずに馬を走らせ続けた二人の上空は
いつのまにか太陽の輝きが届かぬ夜へと様相を変え始めたので、
旅の歩みを一旦止め、二人の旅人は明日を無事に迎えるための準備を始めることにした。

まだ三分の一も進んでいない中で、少しばかり無理をしたところで意味がないことを良く分かっていた。


月明かりと星の輝きに彩られた闇に包まれた頃、仲良く協力して寝るためのテントをようやく組立終えた
少年と少女は焚き火で暖を取りながら身を寄せながら座っていた。



何も無い草原の静かな夜に音を与えるのは、二人の話し声と焚き火の薪が爆ぜる音だけが鳴り響く。






◆◆



「ねぇねぇ!もうちょっとくっ付いて良いよね!そっちの方が暖かいよね」

『ちょっと、エリカ様!幾らなんでもそれは拙いです!』


「もう照れない照れない、一緒に旅するって主従の親睦を深めるには
 凄くいい機会でしょう?ここはグッと距離を縮めて語り合わなきゃ!」



唯でさえ隣り合わせて密接しているというのに悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
更にずいと其処から体を寄せて腕を絡めてくるエリカに、アーキスはあたふたさせられていた。

故郷のナサハで男女の分け隔てなく駆け回っていたエリカと違って、
幼い頃から騎士としての道を志して修練に励んでいたアーキスは
余り同年代の女の子と接する機会がこれまで殆ど無く、女性に対する耐性が余り無かったのだ。



そんな初心な所が彼の容姿とあいまって非常にかわいくエリカには見え、
弄りたい衝動を掻き立てるのだった。



『まったく、エリカ様はもうエックハルト騎士団の騎士長という地位にあるだけでなく
 准子爵という爵位も持った貴族の一員なのですから、もう少し慎みを持って下さい』

「大丈夫大丈夫。普段はちゃ~んと猫被ってるから、私が大胆になるのはアー君の前だけ」


『耳に息を吹きかけながら変な冗談は言わないで下さい!怒りますよ!』




しなを作りながら耳元に息を吹きかけるエリカの色香は残念ながら
隣の実直な騎士を迷わすほどの力を持って居なかったようで、
自業自得ではあるがちょっと不機嫌になった従者の御機嫌取りを彼女はすることにしたのだが、


その白々しい気の使いようを見てもアーキスは中々冷やかな態度を崩さなかったため、
彼女は新妻たるものはかくあるべきかと言った風に甲斐甲斐しく
彼のために夕餉のスープをよそって手渡すなど色々世話を焼いて
一度怒ると面倒な少年の歓心を買おうと苦心していた。



『はぁ、もう怒っていませんから普通にして下さい。それと、私の世話ばかり焼いてないで
 エリカ様もちゃんと食事を取って下さい。明日も朝から長時間馬を走らせる予定ですよね?』

「うん、ありがと。あと反省もしてます。ついついアー君が相手だと調子に乗っちゃって
 また、嫌なことしました。ごめんなさい。これからは『出来るだけ』気をつけるようにします」


『どうにも、『出来るだけ』って所が引っ掛かりますが、聞き流して置きます』

「うんうん、細かい事は気にしない気にしない!さすがはアー君だね!」




機嫌を直した従者に大喜びのエリカは再び調子に乗り始めるが、
アーキスにはもうそれを止める気力も体力も残っておらず、
エリカが残りのスープをペロっと平らげる頃には座ったまま頭を上下させていた。



そんないつも真剣に自分のことを怒って、心配してくれる優しい従者の笑顔に癒されながら、
エリカは月明かりと焚き火の炎に照らされながら、
この幸せな夜がいつまでも続けばいいのにと願わずにはいられなかった。



親友を祝福するために始まった旅路は当たり前の幸せに溢れていた・・・







【雨とテントと二人】



二日目の朝、出発の準備をするためにテントを崩そうとする二人の頬に
小さな雫が落ち始めたと思ったら、瞬くままに激しい雨へと変貌していく。

この突然の豪雨から乗馬を守る為、二人は携帯していた馬用の簡易な雨避けを慌しく組み立てたのだが、
その作業をする間に少なくない雨をその身に受けてしまう。
無論、防水性の高いマント等を羽織ってはいたが、それで完全に風雨から身を守れるわけでは無かった。



こうして、二人は雨が降り止むまで旅路を進めることは諦め、
テントの中で濡れた衣類を乾かしながら、冷えた体を温めるという選択肢を採らざるを得なくなった。




◆◆



「ねぇっ、アー君、そのっその・・、昨日の今日のでであぁアレななっんだけど!
 さっさむさにはかっ勝てないよね?ちょっっちょっと抱きつかせて貰うわよ!!」



寒がりなエリカの強引な抱きつき攻撃にアーキスはジタバタと無駄な抵抗をするが、
髪を濡らしてガタガタブルブルしている女の子を突き放すような仕打ちも出来ず、
茹蛸状態になりながら、薄着少女の為すがままにされていた。





『そろそろ服も乾きましたし、その、離れて頂きたいのですが?』

「えぇー、くっ付いてるほうが暖かいのにーって・・・、分かったから睨まないでよ!」




渋々、アーキスという名のカイロから離れたエリカは『寒い寒い死ぬ死ぬ!』とぶつぶつ言いながら乾いた上着を羽織ると
雨が当たらないようにして焚いた火の直ぐ傍に、再びちょこんと座りながら手をかざして暖を取る。



このエリカの目にも止まらぬ行動の速さをみて、
主の過剰な寒がりぶりは自分に抱きつく為の演技では無く真実だとようやく信じる気になっていた。
ほんのチョッピリだけ演技だったことを残念に思った気持ちを主に内緒にしながら。


アーキスもなんだかんだ言っても年頃の男なのである。
柔らか~い女の子の感触が嫌いなんてことは無いのだった。








「全然、雨止まないし、ヒマ~!ヒマだぁ~!」

『ちょっと、転がりながら足バタバタしないで下さい!当たってますって!』 


「え~、だって晴れないんだもん!ヒマなんだもん!」

『なにが「~だもん!」ですか、子供みたいなこと言ってないで大人しくして下さい
 駄々を捏ねたって雨は止みませんし、今はじっと大人しく待つのが賢い選択ですから』


「ちぇっ、そこは子供みたいじゃなくて、『かわいく言ってもダメですよ』とか
 笑顔で言って、主様をドキドキさせて退屈させないのが従者の務めだと思うんだけど?」

『そんな変な務めは従者にはありません。下らない事を言う暇があるなら寝てて下さい』





半日以上経っても止まぬ雨にエリカのイライラは限界値を大きく上回り始めていた。
もともと、女の身でありながら悪くない縁談を幾つも断って村を飛び出し、
故郷を離れた都会で女騎士にまでなってしまう行動力に溢れた彼女は
とにかくジッとしている事が我慢出来ない子であった。



そんな主に付き合わされる従者のアーキスは旅が始まって何度目か分からない溜息を盛大に吐いていた。
彼は思わずにはいられなかった。
公爵家別邸などの皆がいる場所では大人びた表情と態度をみせている主が、
自分だけがいる場所では年相応の無邪気な姿をみせるのか?と、


もしも、アーキスがあと4、5年の時を経てもう少しだけ人として成熟していれば
これほど分かり易い彼女の態度から、自分に寄せられつつある思いを感じ取ることが出来たのかもしれない。






「それじゃ、退屈しのぎに主従の親睦を深める為にお喋りでもしよっか?」

『まぁ、ジタバタと暴れられるよりマシなので良いですよ。何を話します?』


「うん、じゃ、アー君に質問です!貴族の結婚相手とかが
 平民や平民出身貴族の息女とかってのはアリなんでしょうか?」

『何か脈絡の無い質問ですね。まぁ、大人しくしてくれるみたいなので答えますけど・・
 確かに伯爵以上で平民の女性や成り上がった貴族の息女と婚姻する例は、殆ど皆無です』


「やっぱり、そうなんだぁ。シェスタさんの結婚披露宴でのボンボン達の反応で
 何となくは分かってたけど、改めてアー君に知らされると結構ショックだなぁ・・」

『まぁ、王子様と村娘が結婚するなんて夢みたいなシンデレラストリーは
 結局は物語だけでの話というのは仕方が無いですよ。でも、高望みしないなら
 そんなに心配しなくても大丈夫です。下級貴族が平民階級の人と結ばれることは
 多くは無いですが、そこそこあります。ちなみに、私の母は平民階級の出身です』




「ふ~ん、さすがに公爵夫人とかは無理でも、騎士様のお嫁さん位にはなれるんだ」

『そういう事です。以前、エリカ様が話された方々は、皆父親が高位の人
 ばかりでしたから、ああいった素気無い態度を取られたのだと思います」




修学旅行の好きな子いるの?的なノリで始まった主従の会話は
恋愛要素3に雑談1の割合で少々内容は偏ってはいたが、
お互いそういう事に興味津々なお年頃であったため、そこそこ盛り上がっていい暇つぶしになっていた。


ちなみに、アーキスの母親が平民と聞いた時にエリカが小さくガッツポーズしていたのは内緒である。






【ロネール王国】



ロネール王国はフリード公国の南方に位置する国家である。
その歴史は古く、300年の永きに渡ってその一帯の支配者として君臨していた。

また、国境を接するフリード公国とも矛を交える事が度々あり、
戦史に残るような大規模な会戦を幾度と無く繰り返したこともあった。


もっとも、30年程前から始まった『南蛮七国の大乱』に大規模な軍事介入を行うようになると
フリード公国を相手にする余裕が無くなったのか、
多額の戦費補償金を支払うことによって、休戦条約を結びニ正面作戦を避けている。



それ以後、2国間の間では武力衝突は起きてはいないが、現在でも殆ど国交は無く、
休戦当初はロネールとフリード両国の間には微妙な緊張感が国境線沿いに走らせていた。


だが、緊張の糸は細く脆いものである。頭を垂れて休戦を仇敵から乞われたフリード公国は
戦略上の方針転換から自国が侵攻対象から外れた事を自らの力による勝利と慢心し、
南方の乱が永遠に続く物と錯覚していた。



30年の時は、戦線に張り巡らされた緊張と防諜の糸を緩ませるのに充分な期間であった。
関税やら通行許可審査などの通商上の制限と比べて、軍事的な警戒心は随分と薄まっていたのだ。





◆◆




『第ニ部隊、既に国境を突破しております。明日の夜明けと共にロウハの村への
 攻撃を開始する予定となっております。第三部隊もニーヒトの村を同様に・・・』


「結構、些事を含めて万事に滞り無しということでよいな?ならば、我々本隊も
 腑抜けた公国の連中に動乱の時代が再び訪れた事を知らしめに行こうではないか」



副官のアリエル・ベルモンド伯の報告を遮ったゲルト・ルーデル侯は、
『剣王』が持つに相応しい大剣を振りかざしながら、
血に飢え殺戮に狂った部下達に戦いの始まりを告げると狂熱の歓声が瞬く間に部隊に感染していき、
さほど時間を要することなく、侵攻の準備は整えられることとなった。
獲物を前にしながら躊躇し、モタモタするような間抜けは
新任の副官を除いて彼の部下にはいないようである。




過酷な南方の大乱を生き抜いた『剣王』の部下達はよく訓練された獣の集団であった。




「どうした副官殿?これから我々が為すことがそんなに不満か?」

『不満です。戦う術を持たぬ小村を焼く事に何の意味があるというのです?』


「俺達に逆らえばどうなるか、それを知った弱兵は俺達に恐怖するようになる
 そうなれば占めたものだ。殺すのが随分と楽になる。まぁ、狙いはそれだけじゃないが」

『何ということを!貴方は栄えあるロネール五師団の師団長という地位にありながら・・・』




初陣のアリエルにとって尊敬すべき地位にある師団長の言葉は信じられない暴言の連続であった。
将兵の模範となるべき将が、大した事じゃないとばかりに虐殺を肯定するような発言をするのである。
その上官の態度に栄えあるベルモンド家の一員である彼女が納得できるわけも無く、
暴挙を止めさせようとに盛大に抗議しようとしたのだが、



『剣王』に鞘から抜き放たれた大剣に前髪を数本切り落とされ、
腰を抜かして情けない言葉を吐き出すだけだった。



「そうキャンキャン吼えるなよ。お前だって死にたくないだろう?」

『ひぃっ・・、なっ何を・・、わたくしはベルモンド家の者なのですよ!』

「知るかよ。このままお嬢ちゃんを斬り捨てて、栄えある戦死者にしたって構わんのだぞ?
 名家の御令嬢の女騎士様だか知らんが、俺のやり方の邪魔になるなら『戦死』して貰う
 お前は黙って俺の横に突っ立って居ればいい。死にたくないなら一切余計な事はするな」




シンプルで非常に分かり易い主張を行動と言葉示されたアリエルは
ただ首を縦に振ることしかできなかった。
地獄のような戦線を10年間生き抜いて、一介の部隊長から師団長にまで登りつめた化物に意見することほど、
命知らずな事は無いと、遅まきながら気が付いたようである。








ルーデルはすっかり大人しくなった世間知らずのお嬢様に満足したのか、
大剣を鞘に収めると、座り込む副官を無視して自ら部下を呼び、
進撃の銅鑼を叩かせるように指示を出す。


愛馬に跨った『剣王』の進撃の始まりは、フリード公国南部の悲劇の始まりと同義であり、
出陣の時とは打って変った暗い表情を見せる初陣の少女は、望まぬ惨劇の目撃者となる。






【華やかな朝】


村で一番かわいいと評判のリアと美丈夫のレイド達二人の結婚式当日は
それまでの雨が嘘であったかのような晴天に恵まれていた。

そのため、止む無く屋内で行おうとしていた披露宴も当初の予定通り外で行おうと
村人総出で会場の移設作業で大忙しであった。


また、この対応から新郎新婦が村の人々に大事に思われていることや、
ここに住まう人々がどれだけ暖かいかという事がよく窺うことができる。



エリカの故郷のナサハは本当にすばらしい村であった。
新郎新婦も多くの人々に祝福されるような素晴らしい親友であった





◆◆


何とか昼前までに披露宴会場の移設を終えた村人たちは、
美しい花嫁衣裳に身を包んだ少女がいつ現われるかと首を長くして待っていた。
そんな最中に、幸せな式には相応しくない激しい轟音が南方から届く。





『何の音だ?あれ?』 『地鳴りもしていないか?』





最初は小さく、間の抜けた会話をしていた村人達であったが、
それが、恐ろしい怪物達が近づく足音だと気が付くのに時間は掛からなかった。





『盗賊だっ!!!』 「バカ野郎!あんな大軍の盗賊がいるかよっ!」





千騎を優に超える騎兵が村に一直線に突撃してくる。この悪夢のような現実は村中をパニック陥れる。
様々な条件が重なった村に取って最悪のタイミングでのロネール師団の襲撃であった。




この日は偶然にも二人の有望な若者の結婚式であった。
そして、数日来続いた雨が止んだ為に披露宴会場を屋外に移設するため、
見張り役の男衆もその作業に借り出されていたため、物見台には誰も人は居らず、
信じられないような襲撃に気付くのが致命的に遅れてしまったのだ。





「男は殺せ!!殺せ!女は犯せ!子供は嬲れ!」 『奪え!目の前の奴等は家畜だ殺して喰らえ!』

「逃げろ!村の外にっが・・・」 『いやぁっ、お父さん!』 「女だ!女いるぞぉおお!!」





馬上の騎士達が無差別に村人に槍を、剣を振るってその命を哂いながら刈り取る。
その悲鳴に心地よさを感じながら組み伏した女を相手に腰を振り続ける何匹もの獣達に、
身の程知らずにも自分達に牙を剥いた男の首級を手に携えた槍で突き刺し、高らかと掲げる英雄達・・・
絶対的な勝者達はその勝利に相応しい戦利品を貪っていた。




幸せの式の変わりに最悪の宴が始まったナサハ村の彼方此方で火の手が上がっていく・・・





◆◆


『こんな、こんな酷いことが許されるなんて・・うっぅ』

「おいおい、高々この程度の事で一々吐いていたら、この先持たないぜ?
 悲鳴と血のスパイスが効いた最高のショーはまだ始まったばかりだ!!」





蹲る副官に声を掛けた『剣王』であったが、その返事を待つ事はなかった。
惨劇を目撃して崩れる彼女を観察することより、彼は目の前で燃え盛る惨劇の炎に油を注ぐ事を優先したのだ。
心の底からの湧いてくる喜びに震えながら剣を抜き放ち、『剣王』は惨劇の中心地へと駆ける。


無力な副官は宮廷では見た事も無いような、おぞましい光景を目に焼きつけ、
悲鳴と歓声をただ聞き続けることしか出来なかった。



鄙びた村で起きた惨劇は、まだまだ始まったばかりであった・・・





◆◆



「も~う、三日も連続で雨振るなんてどうなってるのよ!
 折角、余裕見て出発したのに、このままじゃ完全に遅刻じゃない」

『愚痴を今更言っても仕方がないですよ。とにかく急ぎましょう』





数日続いた豪雨によって旅の歩みを止められた主従は、何とか結婚式当日には到着を間に合わせようと
あらん限りの速さで駆け、ナサハの村を目指していた。

エリカは親友のリアとレイドの晴れの舞台を絶対祝福したいと思っていた。
そして、アーキスもそんな主の思いが叶うように願っていた。


もっとも、そんな二人の純粋な思いは少し先の空に昇る黒煙によって消し飛ばされてしまうのだが、





「アー君、あれ・・・、あそこの下が私の故郷・・・」

『本当ですか?ふぅ、何とか間に合いそうですね』

「そうじゃないの!あの煙!!」


『煙ですか?彼方此方で焚き火でもしてるか、お昼時だから煙突からの煙でしょうか?』

「バカっ!そんなのがこんな離れた所から見えるわけないでしょっ!
 何十も上がってるなんて、絶対おかしい。アー君、もっと急ぐわよ!」






自分の疑問に間の抜けた返事を返す従者を叱りつけると、
エリカはアーキスの返事も待たずに馬の腹を勢い良く蹴って駆け出した。
胸に次から次へと湧いてくる不安を振り払う為には、
故郷に一刻も早く戻らなければならないと彼女はすぐに理解していた。



一方、良く分からないまま急に怒られてしまったアーキスは、
傲慢な主に文句の一つでも言い返してやろうか?と、
ちょっと思ったりしたのだが、そうこうしている内に既に前へと駆け出したエリカの姿が、
どんどんと小さくなっていたので慌てて馬を走らせて、既に死地と化した主の故郷を目指す。







【従者として・・・】


電光石火とも言える進撃でナサハの村を瞬く間に制圧したルーデルとそれに従う獣達は、
閉じた貝のように硬く扉を閉ざした家々から金目の物や食料といった物資や
そこに怯えながら隠れていた哀れな女子供達を引きずり出す作業に追われていた。

許しを請う声や子供の泣き声は、彼等の被虐心を掻き立てるのに役立つ位で何のプラスの効果もなかった。





◆◆



「しかし、純白の衣装を纏った美しい花嫁が手に入るとは
 今日の俺は運がいいらしい。そうは思わないかアリエル?」

『・・・・』




心底愉快だといった顔をした上官から声を掛けられた副官は
目の前で繰り広げられる非道に怨嗟の叫びをあげ続けながら、既に動かなくなった若者と
喘ぎ声か呻き声ともとれぬ声をあげながら汚され続ける少女から
目を逸らしながら沈黙することしか出来なかった。





「ふん、詰まらん奴だ!コイツもロクな反応もせんし、そろそろ処分かねぇ
 なぁ、どう思う?そこの影でコソコソ隠れて覗いているお二人さんはよぉ?」






突然、『剣王』の鋭い視線と殺気をぶつけられたエリカとアーキスの主従は、
気付かれたという事実以上に目の前で凶行に及び続けた化物から放たれる威圧感で
膝が笑ってしまい立って姿を晒すことも、逃げることも出来そうに無かった。


エリカは恥辱に塗れさせる親友の救出も、無残な死を与えられた親友の復仇をしようと言う気は既に吹き飛ばし、
土地勘を活かして隠れながらこんな死地まで、アーキスを伴って潜入したことを死ぬほど後悔していた。





「どうしたぁ?俺はもう鎧を纏い終えちまったぞ。早く逃げるなら逃げる
 挑むなら挑むと、決断をしなきゃならんだろう?なぁ?なぁっ?どうする!」






虚ろな瞳をした少女を手に持った大剣で突き刺し地べたに縫い付け、
その瞳から永遠に光を奪った化物は新たな獲物に涎を垂らす獣と化していた。



その余りの狂気じみた、人間離れした殺意に押し潰されそうになったエリカは
『コイツは人ではない。人じゃないから勝てなくても殺されても仕方が無い』と、
生ではなく、自らの死を納得させる思考を行い始めていた。




それだけ、目の前に立つケダモノは絶対的な死を感じさせる存在だった・・・










自分は今日死ぬ。騎士として死ぬときが来たことをアーキスは頭ではなく、心で理解した。
いま自分が為すべきは、主を従者として守る・・?
否、震える少女を騎士として、人の男として無事にグレストンまで逃がすことだと
そう思った瞬間、震える手の汗は引き、乱れた呼吸は知らず知らずの内に収まる。
そして、自分に死を与える怪物ですら怖しき存在とは思わなくなっていた。





 この瞬間、アーキス・ネイサーは人だけが持つ勇気によって死を克服していた!!






◆◆




「エリカ様、ここでお別れです。逃げて下さい」

『あっ、アー君・・、なに、なに言ってるの・・?』




振るえる自分の手をその身から優しく引き剥がしたアーキスの言葉を受け容れることを
エリカの理性は許すことができなかった。
だが、本能は生に対して何よりも忠実であり、彼の発言が自身の生存率を高めるものだと
分かるや否や、歓喜の感情を呼び起こす物質を脳内で爆発させていく。




そんな、矛盾した主の理性と本能の鬩ぎ合いなど知ってか知らずか、
アーキスは彼女の行動を決定付ける言葉を紡いだ。





「グレストンにロネール王国の侵略を知らして下さい。アイツは僕が止めます!」




『城塞都市グレストン』にこの非常事態を告げ、侵略の危機からそこに住まう大切な人を守る。
その甘美な言葉がエリカに従者を見殺しにする決断を選択させる。
『早く行ってください!』尚も動こうとしない主に業を煮やした従者の言葉で
エリカは堰を切ったような勢いで、無様に転げるように逃げ出した。





『くっくく、先ずは、坊やが俺の相手をしてくれるってことかい?
 精々、楽しませてくれよぉ?あっさりと坊やが死んじまうと
 ここで転がっている子と同じ目に、あの子もあっちまうからなぁ~』



「下衆がっ!貴様だけはエックハルト騎士団正騎士、アーキス・ネイサーが討つ!!」





自分の足元でうつ伏せになった少女の死体をぞんざいに足で転がして仰向けにし、
無残な表情をこれ見よがしアーキスに見せたルーデルの非道は
エリカの従者を激昂させるのには十分すぎる行いであった。


抜剣したアーキスは最速の一撃をルーデルに躊躇する事無く叩き付ける!!









【人間失格】


淡い恋心を抱いたこともある親友が愛する人の名を叫びながら息絶えるのを・・、
両親が死んで落ち込んだ時、唯だまって抱きしめて慰めてくれた親友が何度も汚され、
無残に殺されるのを物陰で怯えながら見守る事しかできなかった少女はひたすら走っていた。



自分の我侭に付き合ってくれる優しい、いつの間にか大好きになり掛けていた従者を見捨てて、
エリカは自分だけが助かる為に、城塞都市グレストンを目指してひたすら逃げていた。
そこには誇りや尊厳も、人として正しい姿など無く、生への見苦しいほどの執着だけがあった。





◆◆




「シニタクナイ、シニタクナイ・・・、ワタシシニタクナイ!!」





矢を肩に受けながらも、何とか乗馬に辿り着いたエリカは見えない追っ手に怯えながら、
昼夜を問わず、食事も取らずにブツブツとうわ言を呟きながら、北へ向かって馬を走らせ続けた。

止まれば追っ手に追い付かれて殺されると怯えた彼女は馬上で何度も眠り落ち、何度か落馬しかけたが、
手だけはしっかりと馬の鬣を掴んで離さなかったため、寸での所で助かっていた。





「はぁ、誰も追ってきて・・・ない。助かったのかな?
 うぅぅ・・、みんな死んじゃった。レイドもリアも・・」

「きっと、アー君も殺されてるんだ。私は全部見捨てて逃げたんだ!
 それなのに!それなのに今嬉しくてしょうがないよ・・、罪悪感より
 助かった。生きてるって実感して、死ぬのが私じゃなくて良かったって
 そう思ってる。今流してる涙、間違いなく嬉し涙だ!私、人間じゃない!」




疲労と無理やり矢を引き抜いた傷の痛みからか、朦朧とした思考の中、
どうしようもない感情をエリカは独り喋り続ける・・・

そして、血に汚れ、汗で汚れた彼女の姿は自身が言うように人ではなく、
自分の大切な人々をあっという間に奪い去った獣と良く似ていた。






     うあぁぁっぁあぁっ、あぁっぁあがぁっぁああぁっ!!!






草原の中心でエリカはただ狂ったようにひたすら馬上で叫び続ける。
自分が生きていることを確かめるかのように・・・





◆◆


え~とっ、あのそのぉ~、うん、何これ?
正直、無理なんですけど?エリカって聖女で、
城塞都市物語っていうのは、何かキャッキャウフフしている内に
立身出世していく話じゃないの?


無理、ちょっと、これは無理です!
私はどちらかというと、『ぽわ~』とした感じの女性立志伝研究の専門化なんです!
こんな血塗れエリカなんて、私の研究対象じゃない!

もうダメ!打ち切り!城塞都市物語なんかぽいぽい捨てちゃおう。

私はいま『ぽややん公女秘録』の研究で忙しいのだ!
そう、別の研究なんかしてる暇なんかないの!なに、びびってる?

そんなわけないでしょ!私の学術的嗜好にマッチしなかっただけなの!
もう、帰れ!帰れ!何だって?捨てるなら集めた資料をよこせだってぇ?


やるよやる!こんなクソ見たいな本や資料なんか全部タダでやるよ!
とっとと持ってどこへでも行ってしまえ!!






熱意ある学者によって失われた『城塞都市物語』は、
何度かその形を取り戻しかけたのだが、その度に研究は中断され、
完全な形での復元は未だに果たされていない。


小さな田舎町から、単身で大都会に乗り込みその名を成したエリカ、
彼女の波乱万丈の人生は残念なことに謎に包まれたままである。


                                 〔  完  〕





[11180] 迷走研究秘話
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:80292f2b
Date: 2009/11/01 20:28
【自由課題】



ほんと、先生には困ったものです!
私が一生懸命集めた資料は全部捨てろとか喚いたかと思えば、
別の人物の研究を新たに始めると言い出す始末ですよ!

まぁ、高校の非常勤講師で食い扶持稼がなきゃ食べていけないような
中途半端な学者先生なんてこんな物なのかもしれないけど・・・


直ぐに途中で投げ出して、なんだかんだで研究対象を一本に絞れない人は
中途半端な成果しか出せないものだよねぇ~
まぁ、私も直ぐに飽きて途中で投げ出したりするから、先生のこと言えないけど。

ふふっ、そう考えると先生と私って、もしかして似た者同士でお似合いって奴ぅ~?
きゃーっ!!もう、テレるってのぉっ!このこのこのぉっー!!



『ネェーちゃん、枕に頭突っ込んで何やってんの?大丈夫か?』


「あ゛? 殺すぞ・・」


『ひぃっ、中島と野球に行く約束してたんで逝って来ま~す』




さてと、この山のようなに集めた資料、どうしよっかな~?
うん、適当に纏めて夏休み自由研究にしちゃおう!やっぱ、時代はリサイクルだよね♪
せっかく労力を無駄にしたら勿体ないわ!




【ナサハのエリカ】


え~っと、エリカ・ルーデンハイム、おっと、当時はまだ平民だから唯のエリカだったわね。
その彼女がフリード公国の南部にあるナサハの村で生まれたのが法暦1360年か、
うわぁ~650年も前に生まれた人なんだ。改めて生年を見ると凄い昔の話だって気がしてくるなぁ。



それで、ロネール王国の国境近くの小さな村ナサハで育ったエリカはというと・・・、
ふむふむ、随分とお転婆さんだった見たいね。何かちょっと親近感湧いちゃうかも?

やっぱり、先生の言う心根清らかな大人しい聖女様なんていう存在すら怪しい娘より、
ちょっと位やんちゃで明るい私みたいな子の方が全然好感度高いよね!
ほんと、先生って女の子に幻想持ちすぎなのよ!
手近な所に私みたいな優良物件が有るなら、普通は即入居するのが男ってもんでしょ?



っと、話が逸れて来たわね。え~と、お転婆なエリカちゃんは14歳で両親と死別した際に
村を出て都会での立身を志すって凄くない?私より二つも年下の子がだよ?
やっぱり、偉人とか英雄とかになる人って若い頃から違うわね。
うん、エリカさんは持ってるわ。


あとは、ナサハでの彼女について記された事だと男友達のレイス達と悪戯をしたとか、
リアっていうかわいい村娘と仲が良かったって位の記述しかないわね。
へぇ~、リアとエリカの文通集なんて資料も残ってるんだ。
離れても二人は親友って、なんかキュンとしちゃうぞ!あとで読んで見よっと♪




【メイドなエリカ】


法暦1375年の春から夏頃に『城塞都市グレストン』に居を移したエリカは、
当時、その地で隆盛を誇っていたエックハルト公爵家でメイドさんとして入り込んだと。

やっぱり、私に似た出来る子は違うわね!
いつの時代でも時の権力者に近づくのが立身出世の最短距離なのよね。
それに、総督家じゃなく、ナンバー2の副総督家のエックハルト家を選ぶ辺りがシブイ!
やっぱり、頂点を極めている家より、それを狙っていく家で上を目指すっていうのに痺れるかな。


それにしても、エリカを採用したシェスタ・バクラムって人は先見の明があったのね。
それに美人で、気立ても良くて家事全般も完璧で仕事も出来るなんて、
エリカがベタ惚れになるのもちょっと分かる気がするかな?

逆に同僚のギュスターク子爵家のミリアちゃんはアホな子なだったけど
『萌え』を感じさせる子だったらしい。
多分、打算的なエリカに取って、裏表なくKYな発言をしてくれるミリアは貴重な存在だったのかな?
腹黒い遣り取りばかりじゃ息詰まっちゃうしね。


そう考えると、サリア、グレアム夫妻は彼女にとって癒しを与えてくれる
血の繋がっていない『家族』だったのかしら?
結構、サリアって人はかわいいもの好きでエリカを困らしたって記述が有るけど、
後にこの夫妻について書かれた彼女の手記を読むと、特にサリアに対する愛情の深さが窺えるから
エリカにとっては困ったおねーさんって感じの存在だったって感じかな?



はぁ、うちの弟も、もうちょっとカワイイかったら良かったのに・・・
まぁ、カッツォも良い所いっぱいあるから良いけどね。




【女騎士エリカ】


レオン・エックハルト准公爵夫妻に従って別邸に移ったエリカは程なくして
騎士見習いとして隻眼のゼスク・ルーデンハイム准伯爵に師事するか、

それにしても、このゼスクって人は凄いの一言に尽きる武人なんです。
法暦1299年に生まれて、1375年に76歳で没するまでに大小48の戦いに参加して
個人としても、指揮官としても卓越した手腕を発揮して武勲をあげたんだって。

中でも、神弓の担い手とも言われた弓翁ニヤードに片目を射られた後に、
その目をもったいないから食べちゃった話は歴史好きの間では凄く有名らしい。
本人曰く、結構プリププリしてて美味しかったらしい。ほんとかな?


それで、そんなとんでも武人に鍛えられたエリカは一気に軍学の知識を身に付けたらしい。
やっぱり、大成する人は頭の回転が速いらしい。
知恵者として知られるレオンもアブさんが七冠した『クレト』っていう盤上遊戯で
エリカに完膚なきまでに叩かれて、国宝『アイスダガー』を巻き上げられたらしい。

もっとも、純粋な棋士として腕はレオンが断然上だったから、
盤外戦でレオンを油断させて勝ち取った勝利らしい。


まぁ、それでも勝ちは勝ちだし、卑怯で結構ってのも別に悪くないと私は思うよ。
勝負の世界じゃ騙された奴がマヌケだよね?






ゼスクが亡くなった後、エリカはルーデンハイムの家名を養女として受継いだらしいけど、
ほんとに円満な継承だったのかな?師事して一二ヶ月で養女になって遺産を相続って怪しくない?

何だか遺産狙いサスペンスの臭いを感じちゃうのは、ちょっと穿ちすぎかな?
まぁ、非常にゼスクとエリカは仲良かったらしいし、
ニヤードにゼスクがエリカの事を頼でいたらしいから、さすがに謀殺は無いか。

ついつい陰謀史観に走りがちなのは私の悪い癖って先生も言ってたし、
うん、多分だけど二人はいいお爺ちゃんと孫娘だったってことにして置こう。
私はちゃんと先生の忠告を聞けるいい弟子なのだ!えっへんえっへん!



そうそう、エリカの初めての部下アーキス・ネイサーについても書いて置かないと、
生年は法暦1359年で主より一歳年長のかわいい顔した今で言う『男の娘』だったらしい。
ちょっと前までエリカちゃんにご執心だった先生が
『ぶっ殺し』って彼の名前を言ってから叫んでたのが、妙に印象に残ちゃってる。


えっと、彼に関する記述だと父親や兄が騎士として総督家に仕えていたってのと、
母親が平民出身だったとかある位で、親族に高位高官の人は居なかったみたいね。
分かり易くいうなら彼は下級貴族だったというわけ。


ここからは私の推測だけど、そんな下級貴族の次男坊だから出世のために
エリカの部下になったと私は考えている。
当時は腹立たしいことに凄い男尊女卑の時代だったらしいから、
何かメリットが無ければ、自ら志願して女騎士の従者になる筈が無いのだ。
事実、見習い騎士という最下層の地位にいた彼は何の武勲も功績も挙げていないのに
正騎士に一気に昇進している。これは、何か裏取引があったと考えた方が自然だと思う。


もっとも、1375年以降に彼の名前が載っている歴史資料は全く残ってないから、
この私の推測が正しいかどうか確かめる術はないのである・・・。なんちゃって、
状況証拠すらない推測は唯の妄想だよね。ここの部分は後で修正しよう。

下手なレポート見せると先生怒っちゃうだもん。自分は妄想全開で論文書いてるクセに。





【似た者師弟】


さて、一気に全部終わらそうと思ったけど、まだ『ナサハの悲劇』にすら行けてない~


もう、いいや!お腹もぐぅぐぅアダモちゃん状態になってるし、これで終わりにしちゃおうっと!
先生の家に愛情タップリの未来の愛妻手料理を振舞ってあげれば、
この中途半端なレポートでもOKにしてくれるよね!


何か文句言ってきたら『先生も投げ出したじゃん。え~ん』って嘘泣きでもすれば良いし♪
よぉ~し!そうと決まれば急いで買い物行って、先生がカップメンにお湯を入れる前に突撃よ!








   このルリカ・ルーデンハイムは狙った獲物を逃がさないんだから!!









『城塞都市物語』の主人公とたまたま同じ姓を持つ少女と、
主人公エリカに一度は心酔し、直ぐに挫折した二流の歴史学者の間に生まれた子供は、
何の因果か、両親と同じように『城塞都市物語』と数奇な縁で結ばれていたのか、
その研究を引き継いでいくことになる。


失われた物語を取り戻すという作業は、
時だけでなく世代すらも重ねて行かなければならない程の難事なのだろうか?







[11180] 王公戦役
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:c4b08d6b
Date: 2009/11/01 22:05
【誇り無き敗残者】

身も心も傷つき汚れた無残な姿でエリカは城塞都市グレストンを目指して逃げ続けていた。
この悲惨な旅路を少女は一生忘れることは出来ないだろう。
二人の親友を、守るべき部下を見捨てて、己の命惜しさに逃げたのだ。
そして、その己の行いを嫌悪する以上に、生き長らえた事に対する喜びを感じながら、
彼女は生きる為にひたすら逃げ続けた事実を・・・




ナサハから駆けに駆けて二日ほど経って、ようやく追手に対する恐怖が和らいだエリカは
馬を降りるとテントも張らずに寝袋に包まると深い眠りに直ぐ落ちた。
死に対する恐怖と生に対する渇望が、限界を超えた逃避行を今まで可能としていたのだ。
それが遠のけば少女の疲労しきった身体には、当然、睡魔が襲い掛かる。それに抗うことは不可能である・

こうして、エリカは馬が疲れたら草原の中心で死んだように眠り、
そして、目覚めると再び馬に乗りグレストンを目指すといった行為を繰り返し続け、
ナサハからグレストンまでの辛く孤独な道のりをたった独りで駆け抜けた。
彼女の大切な従者が後を追いかけてくる事は残念ながら無かった




『止まれっ!下馬せず入城することまかりならん!』
『貴様何奴かぁっ!城門突破の打ち首と知っての狼藉かっ!』

「我はエックハルト騎士団騎士長エリカ・ルーデンハイム准子爵
 総督閣下に火急にお伝えしたき儀有り、馬上での入城ご容赦願う!」


まったく速度を緩めることなく城門に近づく人馬一対に門兵達は怒号をあげて下馬するよう促すも、
名乗りを上げたぼろぼろの少女は制止する門兵など無視し、
逆に彼等を蹴散らす勢いで馬の走りを速め、城門を強引に突破する。
アーキスが自分を逃がすために託してくれた任を一刻でも早く果たすために!
その思いに突き動かされる少女の暴走は、門兵の怒声如きでは止まるような物ではなかった。

こうして、永く難攻不落を謳われた城塞都市グレストンは城壁が完成して以後、
一度も不逞な輩や敵軍の突破を許さなかったその歴史に幕を降ろすことになった。
そして、その偉業を成したのが、偉大な雄敵に率いられた軍勢でもなく、
大陸中に名を知られた大盗賊の一味でもない、年端もいかぬたった一人の少女であった。

この俄には信じられぬ驚嘆すべき事実は、新しい歴史の鼓動を充分感じさせる小さくも大きな事件であった。


『追えー!!城門破りだ!』 『騎士を騙る女の賊が侵入したぞ!!』
『いや、あれは山姥だ!妖怪じゃー』 『黄昏より紅き衣を纏いし魔女が世界を終末に導くのだ!』

「誰が山姥よ!せめて山姥ちゃんって呼びなさいよ!」


そして、望むと望まぬと関わらず、そんな歴史的瞬間の生き証人になってしまった
門兵や住民達は大混乱のまま好き放題に喚き、混乱していた。
一方、偉業を成し遂げた少女は聞き捨てなら無い発言にしっかりと反論しながら、
馬を止めることなく、街の中心にある総督府をひたすら目指して駆けていく。

重要な情報は早ければ早いほど、知る者が少ないほど価値を増すと二人の師によって
教え込まれているエリカは、疲労と精神的ショックで正常な判断が出来ないまま、
余計な所で事態を説明する手間を徹底的に省くべきだと安易に考え、
城門破りも已む無し!といた、ぶっとんだ思考に命じられるまま、それを行動に移してしまったのだ。
また、その結果として罪に問われ、首を刎ねられようが構わないとこの時の彼女は半ば本気で考えてもいた。
モタモタしていたら、此処もあいつ等にナサハと同じように蹂躙されるという
強迫観念に取り付かれたエリカは軽挙を軽挙とは思わず、暴挙を成すのも躊躇しなかったのだ。


既に心身限界の限界を超えたこの時のエリカは生に執着する心と、甘美な死を望む自棄の心という
二つの相反する欲望を頭の中でグチャグチャに掻き混ぜたかのような状態に陥っていたようである。




『貴様、総督府に何用だ!』 『此処は貴様のような浮浪者が来る場所では無い!』
『早々に去れ!さもなくは斬る!』

「アウゲン・グレストン大公閣下に至急お目通りを願いたい!事はフリード公国存亡の
 危機に関る事!我が言が下らぬ仕儀であれば、もってこの首を差し出す所存!
 重ね重ねお目通りを願う。ゼスクの娘が火急の報を持って参ったとお伝え頂きたい!」

『合い分かった!我が総督閣下に取り次ぎ致す故、下馬して付いて来るがよい』

『ローウェン隊長!このような怪しげな輩を総督府内に入れるなど!』

『構わん。ゼスク准伯の名を聞いては捨て置けぬ。不穏な動きを少しでも見せれば
 我が責にて斬り捨てる。卿等は心配などせずにそのまま警備の任に当たるがよい』


浮浪者然としたエリカが追手や城門の喧騒を遥彼方に引き離して督府の前に辿り着くと、
総督府詰めの武官達はどこの不埒者が押し入ってきたのかと、
つい先刻の門兵達のようにキャンキャンと騒ぎ出した。
だが、その喧騒を聞いて現われた総督府守護職にあるローウェン侯爵が
ただならぬ様子のエリカの申し出に意外なほどあっさりと応じ、
反対する部下を抑えて府内への立ち入りを許したため、俄かに湧き上がった喧騒は直ぐに収まることとなる。
こうして、自らの望みを聞き入れられた少女は、
自分に対して猜疑の目を向ける周囲の武官達を気にすることなく、
先導するローウェンの後に続いて総督府内へと足を踏み入れた。




【誰がために駆ける】

先導者に対し、簡単に自分が謁見を求める理由を告げたエリカは、
その事態の重さに顔色を一瞬だけ変えたローウェンから
謁見の間に近い控室で待つよう言われた。彼女はその部屋に置かれた長椅子に腰掛けながら、
総督府仕えの侍女に渡された濡れ手拭で顔や首の汚れを一先ず落としながら、謁見の時を待つのだが、
その間にまた少しだけ涙を零し、それが乾くやいなや、
大理石の床に写る自分の酷い姿を見て声も出さずに笑う。
下種に相応しい醜い姿だとエリカ思わずにはいられなかったのだ。
静かな部屋は、再び彼女の心の傷を抉る手助けをしてくれる格好の場になった。

それから程なくして、総督府付きの武官か文官らしい男が控室に現われると、
謁見の間に移るように彼女を促した。
少しよろめきながら立ち上がって、ふらふらと歩き始めるエリカの涙も心も既に乾いていた。

この彼女の酷い有様は男の眉を顰めさせるのに十分なものであったらしい。
彼はその無愛想な顔から想像が付かないくらい人が良いらしく、謁見が終わり次第、
傷の手当や風呂に食事と言った物を用意すると約束してくれたのだが、
そんな好意にエリカは力なく頭を下げて感謝の意を示すことしか出来なかった。
再び強い疲労とどうでも良いという自棄の心が、少女に対して大攻勢をかけ始めているようであった。




『ルーデンハイム准子爵、ロネールが30年に渡る盟を反故にし、
 栄光あるフリード公国にその汚れた足を踏み入れたとは真のことか?』

「御意に御座います閣下。この目にて我が故郷がロネールの輩に焼かれる様を見ました」


今にも欠伸をしそうな顔でエリカに問いかけた五十過ぎの凡庸そうな男が、
この街の実質的な最高権力者にして、
城塞都市グレストン総督の地位にあるアウゲン・グレストン大公であった。

彼はエリカからロネール侵攻が紛れも無い事実であると聞いても、然して驚いた風も見せなかったが、
これは残念ながら、豪胆さの発露というよりも危機意識の欠如の表れと言った方が良さそうであった。
20年以上総督の地位に君臨し続けたアウゲンは、副総督や側に控える腹心のローウェンに
政務や軍務の大半を任せきっており、昨今では何かを決断すること事態も稀になっていたのだ。
エリカは予想と違うアウゲンの反応に驚いて、二の句も継げずに固まることとなったが、
その流れに慣れきったローウェンが、言葉を発することの無い主君に代わって対応者となる事でその問題は解決した。


『ロネールの侵攻は対応に急を要す事態とは言え、悪戯にそれを喧伝するような
 事となれば市中は混乱に包まれましょう。情報の伝達は最小限に止めるべきかと?』


アウゲンが自分の言にいつも通り頷くのを見ると、ローウェンは信頼する近侍を呼び
ロネール侵攻の報をどの地位や役職にある者まで伝達するか等々、
簡単な指示を彼に与えて、後は自分の判断で成せと短く命じて下がらせた。
また、事後であることを謝しながら、すでにフリード公王への急使を送ったことと、
副総督を始めとする一部の高位高官を総督府に招集していることを併せてアウゲンに報告した。
此れに対し、アウゲンはローウェンの独断専横だと激すことも、抜かりない差配を賞賛もしなかった。
彼がしたことはただ退屈そうな顔をしながら頷いただけ、これが彼の仕事のであった。


『また、ルーデンハイム准子爵は城門破りの大罪を図らずも為す事と相成りましたが
 これも一重に秘すべき急報を総督閣下に逸早く届けんとした結果でありましょう
 功に重きを置いた寛大な処置を准子爵に賜わりたく、臣よりもお願い申し上げます』

『ふむ、子爵に叙す。ルーデンハイム子爵、大儀であった』

「へぇ?・・あっいえ、有り難きお言葉!過分な褒章に必ずや報いるため励みまぅう!」


主君の薄い反応を無視したのか、気にも留めなかったのか、
ローウェンは続けて『城門破り』を成したエリカが罪に問われぬように取り成した。
故郷を焼かれ冷静な判断力を失って軽挙に及んだ哀れな少女を罰することを彼は望まなかった。
無論、その少女がかつて世話になった老将の忘れ形見とも言える養女であったという事実も
彼がわざわざエリカの軽挙を取り成す大きな動機にはなっていたが・・・

一方、アウゲンは小娘一人の処遇などどうでもよかったのか、腹心の取り成しに黙って頷き是とし、
また、続けてその行為に功ありとして、エリカを子爵に叙すことを唐突に告げた。
余りの予想外な昇進に混乱したエリカは噛み噛みな謝辞を何とか返したのだが、
アウゲンはそれを詰まらなそうに聞くだけであった。


『直に副総督等が参るなら、もう良かろう。仔細は卿等に任す。下がってよい』


そして、暫しの沈黙の後に自分の仕事が終わった事を宣言し、そのまま奥へとその姿を消してしまう。
彼は若い花を愛でるのに時を惜しまぬが、政に時間を割く事を惜しむ人物であった。
彼が総督に在位する遥か昔から難攻不落を誇るグレストンに座しながら、
無謀な侵攻を仕掛けようとするロネールを怖れるのは時間の無駄だと彼は考えたのだ。
細かい対応は彼の部下達がいつもの通りに行えば良いと、それで万事が上手く運ぶのだから・・・

こうして、ローウェンは平然と、エリカは半ば呆然としながら、総督の退室を平伏しながら見送ることとなる。




謁見が終わるとエリカは控えの間で直ぐに深い眠りに落ちた。
アーキスが自分を逃がすために託してくれた使命だけは絶対に果たすという
緊張感が解けた今、疲労の助けを得た睡魔の大攻勢に抗すことなど不可能であった。
そんな疲れきって寝入った彼女の様子を、目を細めながら見つめたローウェンは、
寝たままの彼女を起き次第風呂に入れ、その後に治療するよう侍女や侍医達に指示した。
これから始まる頭の痛くなる会議の議題となる情報を必死の思いで届けた少女の苦労に
多少なりとも報いてやりたいと総督の腹心は思ったようである。
例え、エリカが政敵のエックハルト公爵の子飼い騎士であっても・・・


『無鉄砲な若き英雄よ。今はゆっくりと眠るがいい。そして、これから始まる
 先程の謁見以上に下らぬ会議を見ぬ幸福を享受しながら、傷と疲れを癒すが良い』


そう、呟きながら部屋を出るローウェンの顔は、先程とは打って変って厳しいものであった。
彼が進む先には下らぬ権力闘争と政敵達が待ち侘びている。
剣を持つ敵に対するに、先ずは弁を持って味方を御せねばならぬ煩わしさに彼は溜息を深く吐いた。




【剣王師団】

ナサハを始めとするフリードとロネール国境付近の村を幾つか焼いた
ルーデル率いる剣王師団はその威勢を駆って電撃作戦とも言うべき急襲を
城塞都市グレストンに仕掛けるようなことはしなかった。
彼等は襲った村々から収奪した戦利品を公平に分配しながら、
村人の死体を念入りに焼くのに精を出すだけで、一向にグレストンに向けて進軍しようとしない。
この様子を見る限り、突然の国境侵犯に狼狽したグレストンを討つという気は
将たるルーデルには無さそうであった。




『なぜ、悪戯にこのような場所で時を費やすのですか?虚を突いた今こそ
 狼狽する敵を討つ好機ではありませんか!このままフリード公国に時を与えれば
 元より堅固なグレストンの守りは益々固まり、それを陥落させる事が困難になるのは
 火を見るよりも明らかです。我々は略奪の為だけにこの地に赴いた訳ではありません!』

「ラムド、この手柄首はお前にやる。確かテメェの娘は病気持ちだったな?
 一応、こいつは正騎士様だったらしい。生きて帰れば薬代の足しにはなるだろ」

『はっ、ありがとう御座います。師団長のお心遣いに感謝してもしきれません』


グズグズと全く動こうとしない指揮官に副官のアリエルは常道とも言える進言をするのだが
ルーデルは完全に無視して、戦利品や手柄に有りつけなかった事情持ちに対する
手柄首や戦利品の分配を黙々とこなしていた。
そんな自分を虚仮にした態度にいきり立つ世間知らずな典型的貴族令嬢のアリエルだったが、
今は穏やかな顔をしているルーデルが戦時の凶暴さをいつ見せるか分からない為、
先ににした諫言を超えるような強い口調で不満を上官にぶつける事は出来なかった。

その上、戦火の中で殺戮の狂気に湧き立つ姿と、部下達に対する優しい心遣いを見せる
ルーデルの姿をどうしても重ねる事が出来ず、彼女は戸惑いどのように接すればいいか計りかねていた。
そんなこんなで黙ってジト目で自分を睨みつけることしかできない甘ちゃんの副官の姿に
やれやれといった仕草を見せながら、ルーデルは彼女の疑問を特別に晴らしてやる。


「神速と拙速は似て非なるもの、グレストンが多少浮き足立った所で
 俺の手勢程度じゃ落とせはせん。今はロネールに対する恐怖心が村々に
 広まるのをゆっくりと待てばいい。難攻不落の城塞都市にさえ逃込めば
 殺されない・・・、そんな噂がフリード南部一帯に広がればどうなるか?
 素人のお嬢ちゃんでも分かるだろう?人の心を攻むるを上と為すってやつよ」

「確かに、その理は分かりますが、あの城塞都市が近隣の村人
 数千人が逃込んだ程度で、兵糧不足に陥るとは到底思えません」


アリエルは予想外に慎重で長期的なルーデルの作戦構想に面食らいつつも、
人口が20万に届く城塞都市がその程度の策で容易に落ちるとは思えなかったため、
彼女は反論せずにはいられなかった。
そもそも、グレストンに続く街道を全て絶つ兵力が自分達に無い状況では、
兵糧攻めなど出来る筈が無いのである。それが分かっているからこそ、
敵の隙を突くなりして、グレストンを攻略するしかないのでは?とアリエルは考えていた。
だが、ルーデルの考えは違った。
グレストンの最大の弱点はその巨大さにこそ有ると彼は考えていた。
国も都市も軍隊も大きくなればなるほど扱いづらくなる。
それ故に、少しのほころびを作ってやれば、それが勝手に広がり大きな打撃を与える事もできるようになるのだと、

人口の5%に満たぬとは言え、生活基盤の全く無い流民達をどうやって食わせる?
彼等の住居はどうする?職はどうするのだ?
それらの問題は確実にグレストンの持つ力をじわじわと奪っていく事になるだろう。
そして、もっとも大きな問題は逃込むことになる村民がほとんど農民であることだ。
彼等が逃げ放棄した農地から収穫される筈だった作物の殆どは、
本来であればグレストンに運び込まれることになる予定の物ばかりである。
それが突然途絶えるのだ。自分の利しか考えぬ小賢しい商人達は、此方が何もしなくても
勝手に相場を吊り上げ、民衆の生活を乱し、彼等の不満を高めてくれる。
そういった種々の要因が重なって、最もグレストンの力が弱まった時こそ攻勢を掛け
難攻不落の要塞を陥落させる唯一の好機であるとルーデルは考えていた。
時間は掛かるかもしれない。だが、力攻めで10年の死線を共に潜り抜けた部下や
目の前で頬を膨らましながら異を唱える少女を始めとする若い兵達を
無駄に死なすような真似をする気はルーデルにはさらさら無かった。




「フリードが焦れて出ればそれを討ち、出なければ順番に村を焼き田畑を荒らす
 やる事は単純だが、こいつはジワジワと効いて来るぜ。いつまで難攻不落が持つか
 見物じゃないか?無論、討って出た奴さん達を全敗させるのはちと骨が折れるがな」

『閣下がそこまでお考えならば、私は何も申す事はありません
 撤退の準備を、いえ、一旦帰還する準備をするように致します』


少しだけ、自分の戦い方を知った副官に満足そうに頷くとルーデルは再びかわいい部下達に声をかけていく。
これから攻めては引き、引いては攻めるという過酷な機動戦を強いる部下達を少しでも労ってやりたかった。




剣王師団と呼ばれるルーデルが率いる師団は常に最前線で戦い続けた。
『南蛮七国の大乱』に参戦した際は、なんども無能な味方に殺されかけた。
そんな過酷な状況下で敵に情けを掛ける余裕など無かった。
彼等は誰よりも勇敢に、そして残虐に戦い続けた。
勝利によって得られる敵を踏みにじる快感こそ、彼等を死地に足を運ばせる活力となった。

そして、彼等は敵を憎悪する代わりに誰よりも隣に立つ戦友を愛した。
戦地で頼りになるのは自分の横で共に敵を殺す戦友だけだった。
また、彼等は誰よりも敗北を恐れた。敗北によって自分達が狩られるだけなら耐えられる。
だが、自分達が敗れれば祖国が焼かれ、残した家族が蹂躙される。
敵にしてきた行いの報いを祖国に残る戦を知らぬ者達に降りかかるのを怖れたのだ。
勝手なものである。人が嫌がることを好んでして置きながら、
自分達や自分の親しい者達がその対象になるのは許容できないのだから・・・








法暦1375年末にフリード公国に侵攻を開始したロネール王国の将軍ゲルト・ルーデルか、
城塞都市物語のエリカ贔屓で記述された数々の内容を見ていくと、
『野獣のような狂気を持ち殺戮と非道の限りを尽くした』とか『敵国の民衆を火焙りにした』等々、
非常に残酷な男であったという描写が散見されている。
もっとも、これはエリカ、フリード公国を主観に置いているが故の記述だと私は思う。
民衆を火焙りにしたというけど、これは死毒による疫病の発生を恐れて火葬を行っただけで、
熱帯気候に近い南蛮七国で散々死毒による被害に苦しまされた彼等にとっては
死体を火葬にするのは普通のことだったが、
埋葬方法として土葬が選択されることが多かったフリード公国では
死体を焼く行為が死者を冒涜する行為に映ったのだろう。
そして、それに侵略者に対する憎悪の感情も手助けをして
ルーデルは生きた人間を火焙りにするという風評が広まったと見るのが妥当な所か?

それにしても、ルーデルという男はこの時代にしては珍しく衛生概念を持ち合わせているだけでなく、
穀倉地帯に対するゲリラ戦を取ることによって、攻略目標の都市の生産力を疲弊させるのと並行して、
無知な民衆を煽動して城塞都市に逃込む流民の数を大幅に増やし、
相手に経済や治安上の負担を強いるなど、
この時代に比して、先端的な戦略知識を有した人物であったと推察する事が出来る。

また、この時期に彼が行ったことを丁寧に紐と解いて行くと
国家対国家における総力戦という物をおぼろげではあるかもしれないが、
実地によって理解していた数少ない人物であったことも分かる。
もっとも、この時代にしては良く分かっているという程度の理解ではあるが、
それすら理解できぬ凡百な人物に利すること大であったろう。
事実、これ以後のフリード公国側は彼との戦いにおいて大いに苦戦を強いられることになる。


父が一時期狂信的に信奉したエリカと比べるのが悪いほどルーデルの資質は彼女に勝っている。
私の個人的な主観が混じっていることを否定しないが、
正直な所、この時期の『城塞都市物語』はゲルト・ルーデルという英雄を
主人公として描いた方が歴史的にも、物語的にも正しいのではないかと私は考えている。


『リリカー!今日は父さんとお出掛けするんじゃなかったのかー?』

「うん、今行くから待っててぇー♪」


やれやれ、年相応の小娘の振りをするのも楽では無いが、これも愛する父のための苦労。
今日は精々あどけない笑顔を振りまいてやろう。
『中途半端な学者』であった父だが、娘の目で見れば愛すべき人のいい父親なのだ。

まったく、エリカは15の時にはとっくに親を失って自立していたというのに、
私は未だに父親離れが出来ない子供だと思うと情けなくなる。
だが、いずれは父の果たせなかった偉業、失われた『城塞都市物語』の復活を成し遂げ、
一人の自立した女として、その・・、父に認めて貰うのだ。


そして、その暁にはパパは私の頭をよしよしと撫でて
ニコニコと愛くるしい笑顔を向けてくれるに違いない!
その時、私は母からパパを奪い取る事に成功するのだ。
うふうふふ・・、うふふふ、うひひひうひゃひゃ・・・




[11180] 城塞会議録
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:c4b08d6b
Date: 2012/01/09 20:51
【踊らぬ会議】

ロネール侵攻の報を受けた副総督以下、グレストンで要職に就く文官と武官達は悉く総督府に参内し、
この危急の事態にどう対応するか協議せんとしていた。
もっとも、周囲を高く堅固な城壁で囲まれた難攻不落を誇るグレストンが陥落するなど
到底ありえないと言うのが彼等の共通認識であったため、そこで行われる協議は過度な緊張感とは無縁であった。
参内した高官達の殆どは勝利がほぼ約束された防衛戦で確実に得られる軍功や利権を
如何にして自分、若しくは自分の陣営に呼び込むかを考えていた。
その結果、繰り広げられる議論は侵攻に対する防衛策についてではなく、
誰が戦の総指揮官となるか、誰が兵站の責任者となるかといった点に集中し、
約束された武功と利権を浅ましく狙う人々の論戦は白熱することなる。


「総督閣下が居られぬならば、副総督のエックハルト公爵が防衛戦の総指揮官として
 卑劣なロネールの鼠を討ち果たす任に当られるのが、道理というものではなかろうか?」

「いや、そもそも此度の件は総督閣下や副総督閣下が出られるほどの事態ではあるまい
 ロネールの一部隊が侵攻してきた程度で、お二方の名を出すのも憚られるというもの
 ここは僭越ではあるが臣に、対ロネールに関する差配を一任しては頂けないだろうか?」

「ふんっ、戯事を申すな!先の外征で縮み上がって逃げる事しか出来なかった
 青なり瓢箪に誰が任すか!貴公が指揮官になろうものなら、寄せ手の大将が猿でも
 一日も持たずにグレストンは不落の名誉を返上せねばならなくなるのが必定という物」


大きく分けて総督派、副総督派に分かれるグレストン上層部による議論は大方の予想通り盛大に紛糾する。
頭に血が上った者同士が口汚く罵り合いながら。とても貴人とは思えない醜態を晒していた。
そして、そんな状況を苦々しく思いながらも議論の推移を見守る総督派の筆頭と目されるローウェン侯爵は、
エックハルト公爵とその息子の准公爵レオンの発言を黙して待ち続けていた。
小物が幾ら吼えた所で何の決定もされないのは既に分かりきった事実。
それにバカ正直に対応して、肝心な論戦で使うべき気力を失うような愚をおかす気は彼には無かったのだ。


「中々、活発な議論に勇ましい意見も見られ、実に結構であると私も思う
 だが、敵の侵攻に対する方針は定むるのに悪戯に時を費やすのも忌避せねばならぬ」
 
一向に口を挟もうとしないローウェン、最大の政敵を一睨みしてから口を開いたのは、
副総督派の領袖たるエックハルト公爵その人であった。
彼が重々しくゆっくりと言い聞かすような言葉を紡ぎ始めると、喧々としていた場は瞬く間に静まっていく。
そして、これから放たれる公爵の言が議論の結論になるような予感を派閥の違いに左右される事なく出席者達に感じさせていた。


「皆が総督閣下や私が出るほど事を荒立てる必要はないという意見には
 私も同意する点が多々ある。だが、些事と軽んじて大禍を招くようでは
 本末転倒であろう。故にそれなりの地位もあり、経験を積むべき人物に
 ロネールの侵攻に対する防衛戦の指揮を執って貰いたいと私は考えておる」

そう言って周りの者を見渡す公爵に取り巻きの一派が口々に賛同していく、
そして、取り巻きの一人が経験を積ますべき若き英雄はレオン殿以外に居らぬと口火を切ると、
この言に続けと副総督派の人々は大いに盛り上がりを見せる。
彼等はその勢いに乗って自分達の未来の旗頭に有利な形で衆議を決せんとした。
これに対する総督派の人々も大軍師マシューの直弟子にして天才の誉れ高いレオンが推されては、
異を唱える理由を探すのも容易ではなく、歯噛みしながら納得せざるを得ないと観念したのか、
巨大なエックハルト家に睨まれるのを怖れたのか分からぬが、
この提案に異論を唱える『総督派』の貴族は一人も居なかった。
そんな自分の陣営に有利な状況と流れが作られ大いに満足したエックハルト公爵は
その表情に勝ち誇った笑みを早くも浮かび上がらせていた。
そして、沈黙を続ける負け犬のローウェン侯爵に何か意見は無いかと声を掛けようとしたのだが、


「経験を積ませるという名目なら、フィリオ・グレストン公爵こそ適任であろう
 次期総督のグレストン公が陣頭に立たれれば、兵達の指揮も高まると言うもの」
 
彼の叔父にして五星将軍筆頭の『副総督派』の重鎮でもある筈のオーフェル・エックハルト侯爵が
孫娘の婚約者でもある総督の一人息子を推し始めたのだから、場の流れは変わる。
副総督派のNO2が公然と総督派の次期旗頭を持ち上げ始めるものだから、
つい先程まで『レオン!レっちゃん!ホォッア、ホァアァアアッ!!』と腰を浮かすほど興奮していた者達も、
気を削がれて振り上げた拳を下ろして力なく椅子に腰掛けるしかなかった。
このある意味造反ともいえる予想外の流れを前に、力無き者は発言することは叶わない。
会議は沈黙に支配されることになり、一時的な膠着状態に陥る。

この重苦しい膠着状態の中、会議の参加者達はこれを打破した者が
衆議を決することが許されるのだろうと頭ではなく、感覚的なもので理解し始めていた。


「フィリオ殿にレオン殿、両者共に推され期待される得がたき人材であります
 ここは片方に全てを任すのではなく、未来の総督閣下と副総督閣下の両名に
 ロネールの狂犬退治を任せては如何か?無論、万全を期すために経験豊富な
 副総督閣下に五星将軍の方々による補佐が当然、必要であるとは思いますが」

「心配は無用じゃローウェン!俺を含めた五星将軍揃ってフィリオ様の補佐のために
 骨を惜しまぬ事を約束しよう。無論、レオンの面倒も一門としてしっかり見させて貰う」

「戦歴長く経験豊富な両侯爵が二人の前途ある若者を補佐して頂けるならば
 何も心配はあるまい。総督より全権を与えられた副総督として、ここに命じる
 公爵と准公爵の両名は協力して軍を率い、ロネールの攻勢を見事撥ね返して見せよ!」


『はぁ、頑張ります』 『非才の身ではありますが、必ずや勝利を掴んで見せましょう』

最も口数少なく、一番効率的に論議を操ったのはローウェン侯爵。
それに乗ったのか、元々示し合わせていたのか容易には分からぬが、
その存在感をさらに高めることに成功した五星将軍筆頭オーフェル。
年長の叔父と憎き政敵にまんまとしてやられた形の副総督は論議の締めで、
何とか存在感を示して威厳を保つのがやっとであった。

この三者の含みが十分過ぎるほど篭った発言を会議に参加した者達は居心地悪そうに聞き終えた後、
落とし所として大将、副将に選ばれた若き未来の権力者の歓心を少しでも買おうと
薄っぺらな祝辞を次々と代わる代わる掛けて行く。
それに対し、大将に推されたフィリオはどこか頼りない感じでたどたどしく応じ、
レオンの方は対照的に如才なく応じて見せ、早くも持った才覚の違いを周囲の人々に印象付けていた。


こうして、様々な思惑の入り混じった勝利を既定のものと考えて行われた会議は
妥協と微妙なバランスを元にして生まれた結論を出して終わりを迎えた。
敵が強大で苦戦が必死となった際にどうするのか?そういった事態の想定を全くすることなく・・・




【権力者の卵達】

フィリオ・グレストンとレオン・エックハルト、城塞都市グレストンの最高権力者と言ってもよい
高位高官に就く人物を父に持つと言う共通の境遇にある二人は、
会議が終わると纏わり着く取巻きから逃げるように揃って席を立ち総督府を後にしていた。
総督派と副総督派といった両派は殊更に二人の対立を煽ったりもしていたのだが、
当の二人は無駄に争う気など無く、同年という事もあって、お互い良い友人付き合いを続けていた。

フィリオはアウゲンの無気力さを良くも悪くも受け継いでおり、優秀な友人を羨む事はあっても、恐れ憎むことは無かった。
また、レオンも年少の頃から王佐の才、マシューの姿に憧れを強く抱いていたので、
一見して凡庸そうな友人を凌いで己が上に立とうという野心を持つことは無かった。
二人はどちらかを蹴落とし、一方に対して優位に立てという周囲の願望を裏切続けていた。


「やれやれ、あのまま未来のお爺様が余計な事をしなければ、誰に気兼ねする事も無く
 ずっと寝ていられたのだが、中々、世の中というモノは上手く行かない様に出来ている」

「まったく、君は幼少の頃から変わらないね。誰よりも美味しい果実が
 目の前に生っているのにもぎ取ろうともしない。その無欲さは賞賛に値するが、
 時と場合によっては、それが欠点にもなるということをよく覚えておいて欲しい」

レオンは友人の清々しいまでの無欲さに心地よさを感じながらも、それが持つ危うさを忠告せずにはいられなかった。
人は何かを強く求めるとき信じられない力を発揮することを
自分に何度か苦杯を舐めさせた少女のやり様から学び取っていたのだ。
そして、その力によって気の良い友人がいつか窮地に立たされるのではないかと、
ふと根拠の無い不安が彼の明敏な頭脳の中をよぎったが故の忠告だったが・・


「レオンの昔から考えすぎる癖は相変わらずだな。だけど、心配は無用だよ
 私は無欲なんかじゃない。無気力な怠け者だからね。楽が出来るなら
 とことん楽をしたいって薄汚い欲望で心の中はいまもどろどろしているよ
 果実を目の前に何もしないのは、君が取ってくれるのが分かっているからさ」

「ふぅ、どうやら無駄な忠告だったようだね。しかし、ロネールを相手にするより
 これから私に振られる仕事の量をどうにかするのを考える方が厄介になりそうで・・」

「頭が痛くなるかい?天才軍師殿」

「いや、もう馴れたよ。それに、上官が回す厄介毎を何とか成し遂げるのが
 部下の役目だからね。司令官フィリオ様のためなら労力は惜しみませんとも」 

「まぁ、よろしく頼むよ」


二人は下らない会話を暫し楽しみながら街路をゆっくりと歩いていたが、
お互いの屋敷に向かう道が分かれる岐路に辿り着くと、近いうちの再会を約して分かれる。
出来る事なら久しぶりに酒でも酌み交わしながら、積もる話に花を咲かしたいところであったが、
家に妻と婚約者を残した両名は悠長に道草をする余裕など与えられていなかった。
全く性格も素養も違う二人だったが、しっかりと首に紐が付けられているトコだけは同じのようだ。




「おっそい!フィリオが全然帰ってこないから、もうぷんぷんだよ!」

「いや、面目ない。会議が長引いてしまってね」

「言い訳するな!!」


良い感じのボディブローを婚約者に入れたイライザは腰に両手を当てながら、
脇腹を押さえながら蹲るフィリオを見下ろす。
そんなご立腹の少女にこれ以上の言い訳は火に油を注ぐだけと日頃の付き合いで
嫌というほど理解している彼はさっさと頭を下げて彼女を待たせた事を謝した。
その物分かりの良すぎる態度、聞き分けの良すぎる、ある意味諦めた様に見える彼の態度は、
イライザに自分の婚約者は政略結婚という逃れられぬ運命を受入れているだけなのだと勘違いさせ、
彼女の怒りを爆発させる事に繋がっている事に残念ながら気付いていないようであった。
エリカと同い年のオーフェル・エックハルトの孫娘イライザは
目の前の何処か抜けたやさしい青年に既にベタ惚れの心配性な女の子であった。


「まぁ、良いわ。どうせ、会議でも何も言わずに寝入ちゃったかして、
 そのまま誰も起こしてくれなくて、帰りが遅くなったとか何かでしょう?」

「半分当たりで半分はずれだね。最初は気持ちよく寝ていたのだけど
 後半は厄介ごとに巻き込まれてね。君のお祖父さんの御蔭で私は名誉ある
 グレストン防衛の総司令官に祭り上げられてしまったのさ。驚いたかい?」

「何それ、絶対だめ!私が今からお爺様に言って辞めさせてあげるわ
 ナイフやフォークもまともに使えない貴方が剣を持って戦うなんて
 死に行くような物よ!首吊と同じ!そんな危ない事はしちゃだめっ!」

信じられない発言を未来の愛する伴侶から聞かされたイライザは
半ばパニックを起こしたような勢いでフィリオが戦場に立つことに反対する。
女の自分に普段から良いようにやられている気弱な青年が戦場に立つなど、
考えただけでも恐ろしい結果しか思い浮かばず、
そのような暴挙を愛する人が行うのを彼女は黙って許容するなど到底出来そうになかった。


「大丈夫だよ。誰も私の槍働きなど期待してないから。お飾りとして戦場に立つだけさ
 一番後方で何をする訳でもなく、ふんぞり返っているだけの誰にだって出来る無意味で
 安全な役目を果たすだけだよ。どうだい?何も出来ない才なき私に相応しい仕事だろ?」

「嫌い!そんな言い方する時の貴方の目、私は大嫌い・・・
 でも、少しだけ安心した。あんまり危なくないんだよね?」

「あぁ、約束する大事な婚約者を不安がらせることはしないさ
 それに嫌なことを言って済まなかった。どうか許して欲しい」

皮肉な笑みを浮かべる次期総督を約束された男の言葉は少女の激しい拒絶によって、
それ以上、続けられる事は無かった。温室で真っ直ぐ過ぎるほど素直に育った少女には
何も望まず何も期待されぬ者の空虚な光りを放つ瞳は直視するのに耐え難い物であったようだ。
そんな少女の反応に、ついつい大切な人に自分の最も深い部分を不用意に見せてしまっていたことに気が付いたフィリオは
直ぐに、どこか憎めない人懐こい笑みを浮かべながら、婚約者の不安を鎮める為にやさしく抱きしめた。
総督の息子ではなく、『情けないフィリオ』に真っ直ぐな視線をいつも向けてくれる
大事な婚約者には不安そうな顔より、屈託の無い笑顔を見せてほしかった。




「レオン様お帰りなさい。長い会議でお疲れでしょう?
 直ぐにお茶を用意しますから、少し待っていて下さいね」

「あぁ、頼むよ。気を遣わせて済まないね」
「ふふ、気になさらないで、愛しい旦那様のためですから」


柔らかい笑顔をその場に残しながら、お茶の準備のために部屋を出て行く
美しい伴侶を見送ったレオンは大きく息を吐き出しながら椅子に座る。
権力争いを繰り広げる父や伯父に政敵のローウェン侯爵に利権に群がる人々、
彼等の醜悪な姿をまざまざと見せ付けられ、やがて自分も同じようになるのかと思うと、
体に襲いかかる疲労感は一気に増し、立っている気力が失われてしまった。

無欲で全てを諦めたような友人の姿はレオンに尊敬する師の姿を想起させ、
晩年の大軍師マシューがその才と残された時間を自身の栄達のために使うのではなく
自分を含めた後進の育成と諸国放浪の旅に出た理由が何となく分かったような気にさせていた。


シェスタの煎れてくれた紅茶の香りと味を愉しみながら、レオンは重苦しい考えに捕らわれていた。
もっとも、それで周囲の様子に気が回らなくなるほど彼は迂闊ではなかったので、
しきりと、そわそわして何かの話を切り出そうとしている妻の機先を制止、
自分と同じか、それ以上に行き汚い人生を平気で歩みそうな少女の見舞いに行ってやるように促した。


動き始めた歴史の歯車の音を聞きながら、レオンは自分が進むべき道に一人思いを馳せていた。







法暦1300年代以降の城塞都市グレストンは総督家グレストンと
副総督家エックハルト家の対立の歴史と言っても良い。

ただ、強い世襲制の中では従のエックハルト家は主になることはどうしても叶わず、
主を傀儡にして実験を握る事しか出来なかったらしい。
このような状況は他の封建国家の至る所で見られ、まぁ、特筆するほどのことでも無いわね。

実際、エリカが城塞都市を訪れた頃からの総督アウゲン・グレストンは
この頃には政務に全く関心を示さず、副総督ヨハンス・エックハルトの権勢はかなりのものだったらしい。
まぁ、ロネール侵攻に対する会議録を見る限り、
事前に結託していた当時の総督派重鎮、総督府守護職ベルトラム・ローウェンと
彼にとって目の上のたんこぶになりつつあった一門の五星将軍筆頭オーフェル侯爵に言いようにやられたみたいだけど。

まぁ、これはエックハルト公爵を攻めるよりもローウェンの政治手腕を褒めるべきね。
アウゲンではエックハルト公の増長を抑えられないと見切りをつけて、
オーフェルの孫娘を次期総督のフィリオ・グレストンと婚約させて
取り込んだ手腕は鮮やかといって良い物だったらしい。
外見上はエックハルト家がグレストン家に楔を打ち込んだように見えるのに、
実際は、本家のエックハルト公爵と分家のエックハルト侯爵家の間に亀裂を入れたのだから、
きっと、この縁談を聞いた時の断れないヨハンスと受けたくてしょうがないオーフェルの顔は
見事なほど好対照で見物だったと思うわ。



はぁ、それにしてもこの資料、パパの書斎に置いてあったせいか、パパの臭いがする。
あぁ、パパの臭い最高ぉおお!!もう、我慢できないクンカクンカしちゃいますぅう!
あっ、ここの染みってもしかしてパパがページを捲った時についた手垢!!
これは永久保管よっぉ!!いや、この部分を細かく刻んで食すという選択肢も捨てがたい!
もう、リリカどうすればいいのぉっ!?あぁっもう興奮が止まらなぃいいい!!





ふぅっ・・、
それにしても、この当時のエリカは子爵と言っても何の力も持っていなかったようね。
いくら傷を負って治療と疲労のため静養していたとしても、
会議録の欠席者欄に記載すらないのは明らかに不自然だわ。
その他の欠席した子爵以上の貴族の名は悉く記されているのに
エリカ・ルーデンハイムの名だけは抜け落ちている。
ロネール侵攻の一報を届けた功労者であるにも拘らず。
やはり、当時の男性優位の考えは相当根強いものだったようね。


「リリカー!父さんの靴下片方しらないかー?」
「え~、リリカわかんな~い」


やばっ、興奮の余りもう片方を持ってくるのを忘れたのは拙かったわね。
とりあえず、これは鞄に入れて学校に持っていこうっと・・・






[11180] ナルダ戦記
Name: あ◆2cc3b8c7 ID:6c43e165
Date: 2012/05/01 00:46


法暦1375年、ロネール王国とフリード公国は、
フリード公国の首都に次ぐ中核都市である城塞都市グレストン周辺で散発的な軍事衝突を繰り返していた。

寄せ手の大将、ロネール5師団第四師団長の『剣王ルーデル』は凡そ八千の兵を率いて、
公国領南方一帯に広がる穀倉地帯に点在する村落に執拗な攻勢を掛けていた。
本国から途切れがちな兵糧を補うと共に、じわじわとグレストン側の継戦能力を奪う戦法である。

これに対し、村を焼かれて城塞都市グレストンに流れ込む難民の受け入れに四苦八苦することになった守備軍の大将フィリオ・グレストン公は、
『不落の城塞を持って豪敵に当たるべし』という。副将にして軍師のレオン・エックハルト准公爵の献策に従い、討って出るような愚を侵さなかった。

不落によって齎された長い平時、これによって生み出された潤沢な備蓄食料は、直ぐに尽きることは無く、いま暫くの猶予があったのだ。
ただ、日毎に増え続ける難民の数と、高騰し続ける食料の相場に対して、胡坐をかいていられる程の余裕は無かった。





【時の雫は千金に値する】


「糧食については、現地にて調達されたしですってぇ!!」


本国から補給物資では無く、伝令から信じられない命令書を受け取ったルーデルの副官アリエル・ベルモンドは、
普段の淑やかさとは無縁の怒声を思わずあげる。
只でさえ、途切れがちな本国からの補給に対し、疑問と不満を持たざるを得ない状況の中で、
このような荒唐無稽な命令書を受け取るなど、想像していなかったのだから、彼女が激昂してしまっても仕方あるまい。
その上、このような仕打ちに対して、いの一番に怒りを暴力と言った形で発露しても不思議でない上官が、
命令に対し、何一つ異議を挟むことなく、それを目して受け入れた事が腑に落ちず、彼女の苛立ちを一層大きい物にしていた。



「嬢ちゃん、そうキャンキャン吠える。三卑民を中心に構成された俺の師団は
 本国の連中からしたら、さっさと使い捨てにしたい厄介者の集りらしいからな
 今日まで補給が曲がりなりにもあっただけ、先の乱の時よりは随分マシってやつだ」

「そんな、生まれは違えども同じロネールの兵ではありませんか!!」


少女らしい正義感によって生まれた抗議に答えること無く、ルーデルは別の部下にあと何日戦えるかと確認する。
詮無き議論を少女としたところで、時間の無駄だと彼は判断したのだ。

グレストンの兵站に過大な負荷を掛け、相手が溜まらず討って出た所を屠ると言う、
もっとも勝算が高い戦略構想が本国の連中によって破綻させられた今、
彼等は短期決戦による勝利を手にするしか、未来を手に入れる方法が無いのだ。
大将であるルーデルは、より大きな勝利を手にし、より多くの兵を家に帰してやるために、
幾度目か分からぬ厳しい戦いを本国の豚どもによって強いられることになる。




ロネール王国には、一貴三卑という身分制が建国時から布かれており、
支配者階級であるロネール人に対し、農奴階級とも言えるレヌル人やサンク人、
奴隷に近い扱いを受けるスーデ族は三卑と呼ばれ、王国内で非常に弱い立場に立たされていた。

ルーデルの出自も妾腹であるだけで無く、母親がスーデ族の出であったため、
爵位持ちでありながら、不当な扱いを受けることが少なく無かった。


今回の遠征で目立つ武勲を立てなければ、貴族達は卑族の血が混じったルーデルを公然と排除するだろう。
貴族が貴族で居続けるためには、下と混じった者が成りあがる事を許してはならない。
下は上の糧として犠牲になるために生きることしか許されないのだ。


勝利によって存在価値を示し続けなければ、彼等はロネール人によって搾取され、
蹂躙され続ける悲惨な生活を送ることしか許されなくなる。
敗北し、敗残者となれば彼等は全てを失う事になる。
あらゆる物を奪い尽くし、貪欲に勝利を欲するようになるのは、彼等に取って当然の事であった。




【老兵と女騎士】


ロネール侵攻の急報を伝え、その功によって子爵に叙せられたエリカ・ルーデンハイムは、
養父に変る師にして、弓翁と呼ばれたニヤード・ニヤック従者に従え、ロネール迎撃部隊への参加を表明していた。
故郷であるナサハを焼かれ、親友と初めての従者を無慈悲に奪い去ったロネールに対する憎しみが、
未だ傷の癒えぬ体を動かし、血生臭い戦いの中にその細身を置かんとさせていた。


「肩の矢傷は化膿しておらぬとは言え、浅くは無い傷じゃ
 無理に戦場に赴き死地に自ら近づく愚を冒すこともなかろう」

「ロネールの糞虫を皆殺しにする戦いに参加しないなんて選択肢は残念だけど、
 私には無いわ。あの男を殺す為なら無理の一つや二つ位、へっちゃらだしね」

「憎しみで剣を抜くか、それも良かろう。戦う、殺す理由に貴賎など本来有りはせぬ
 己が思うままに戦い、戦場で生きるか、散るかは、そのものの才覚次第じゃからな」


怒りと憎しみに染まった目を隠そうともしない少女の固い決意に説得を諦めた老人は、
戦場の苦楽を共にした相棒の手入れをしにエックハルト家別邸に与えられた自室へと戻る。
少女が剣を抜く決意を固めたならば、その手助けをするのが亡き友との約束である。

神弓の使い手と世に知られたニヤード・ニヤックは、戦人として再び戦場の中心へと戻る。





グレストン防衛戦に際して、エリカ・ルーデンハイムは、
ロネール侵攻という危機を命懸けで報せた英雄、『紅き戦乙女』として喧伝され、
城兵達の士気をあげる格好の材料として祭り上げられていた。

迎撃部隊への参陣表明に対して、彼女の怪我を心配したのか、何らかの含み故か
副将のレオン・エックハルト准公爵は難色を示したのだが、英雄不在の戦いは有り得ないとして、
最後方ではあるが、彼女と従者ニヤックの参陣はあっさりと認められる。


この二人の主従によって、王公戦役の1ページより血生臭く華やかな物になるとは、
それを認めた者も、退けようとした者も思いもしていなかった。

城塞都市物語に新たな1ページが加えられる日が、刻一刻と迫っていた。




【惨劇の幕開け】


「討ってでるだと?どういうことだ!不落のグレストンを持って
 敵と当たることは、先の軍議で既に決まった事ではありませんか!」


グレストン総督府から陣所に齎された荒唐無稽にしか思えない命令に、
副将にして軍師を務めるレオン・エックハルトは声を荒げる。
堅牢な城壁を持つグレストンに籠もって戦うと言う最も王道で確実な戦法を執ることは、
既定の事実と成っていたのだ。
精強と暴虐を持って知られる『剣王』と正面から当たるなど、愚の骨頂としか思えなかった。


「レオン、父上はこれ以上難民が増えることを嫌っているらしい
 蓄えに蓄えた富が目減りする様は、愚鈍な父上であっても応えるらしい」

「公爵閣下!!幾ら御子息であっても口が過ぎますぞ」

「構わないさ。無用な死地へ立たされる兵の身を思えば、
 これ位の放言は許されるだろう?レオン悪いが新たな策を立ててくれ」


珍しく発言に毒がこもったフィリオ・グレストン公爵は、自分の父に対する発言を窘める部下の言葉を遮り、
親友にして、軍師として自分を補佐するレオンに新たな策を立案するように頼み、頭を下げる。

フィリオの一連の立ち振る舞いに、普段のどこか頼りなさ気な印象は全く無く、
一軍を指揮するのに相応しい将としての風格すら感じられた。
レオンは、親友のその姿に覚悟を決め、迎撃部隊一万二千を城外へと動かし、ルーデルとの決戦へと挑む。



◆◆


「御大将!グレストンの兵が動きました!!奴等は城外で我等に決戦を挑む気です」

「ほう、地獄の王は我等の来訪を遠慮したいようだな。勝機が転がり込んできた
 早急に陣払いの準備をしろ!!馬に水と餌をたっぷりとやるのを忘れるなよ!!」

「最短で二日後の朝に接敵となります。敵の兵数は我等の五割増しですが…」

「一人が二人を殺せば、余裕の勝利だな」


僥倖とも言える報せを聞いたルーデルは、兵力差を不安視するアリエルの発言を笑い飛ばし、着々と決戦の準備を始める。
これまでに2倍、3倍の敵を倒して来た彼等に取って、多少の兵力差など大した問題では無い。
不落の城塞都市を攻めるのと比べれば、余程マシな戦力差である。
また、野戦で大勝すれば、祖国へ帰還しても十分な理由となる戦果にもなり、この機を逃す理由は無かった。


法暦1375年11月7日、城塞都市グレストンから少し離れた、ナルダ湿原において
フリード公国グレストン軍一万二千とロネール王国第四師団八千は、
己の生存権を賭けた、激戦を繰り広げることとなる。





【王公戦役第一章ナルダの戦い】


ロネール迎撃部隊、通称グレストン軍は、ナルダ湿原に到着すると軍を左翼、右翼、本陣と三つに割り、
騎兵を中心に中央突破を狙ってくるだろう敵を両翼で反包囲する陣形を布く。
また、中央の本陣周りに城塞都市での防衛戦用に用意した馬防柵や大型の矢盾を荷駄で運び設置し、
湿地故の柔らかい地盤を利した土塁を掘ることで、簡易な陣城の様な物を形成していた。
城塞都市での籠城と比せば粗末な防御陣であったが、
野戦で陣城を築く観念自体が稀な当時に置いては、非常に画期的な戦術と言え、
レオンの才が机上だけではない実践に即した物であることを示した良い一例として、後に語れることになる。



僅かな時間で、この重厚な防御陣を布いたのを見たルーデルは、敵将の確かな手腕を称賛し、
『戦歴の浅い弱兵の集団と侮るな』と、戦場の風に昂揚し始めた部下を戒める。
また、軍を敵と同じく三陣に分けるが、前陣に本陣、後陣と縦に軍を割り、
中央突破を狙う最も彼等が得意とする『剣の陣』を布いて、必勝の体勢を整える。

乾季とは言え湿原ということもあって、地盤が緩く騎兵の突撃を最大の長所とする彼等に取って、
些か不利な戦場ではあったが、付け焼刃な別の戦法を採るより、
慣れた戦いをする方がより勝算が高いとルーデルは判断したようである。


動かぬグレストン軍に対し、にじり寄る『剣王軍』、
縮まる距離に比して、高まる両軍の緊張…、戦いの火蓋は、ついに切って落とされる。




◆◆



『殺せ!!殺しつくせ!!』「敵は戦歴無しの小僧だ!!遅れをとるなよっ!!」

「まだだ、焦るな!狙いをつけて射殺せ!無駄な矢を放つなよ!!」
「左翼と右翼が絞るまでの辛抱だ!防御陣を崩すな!」
『数はこっちが上だ!押し返す気で当たれ!槍の穂先を下げるな!!
 的の方から突っ込んでくるぞ!!馬防柵と土塁で騎馬の恐さは半減しっているぞ!』


グレストン軍に剣王師団の前陣が突撃を始めて一時間、レオンの布いた防御陣は上手く機能し、
激しい攻勢を効率的に捌く事に成功していた。左翼と右翼から雨のように降り注ぐ矢によって、
確実に敵の兵力は削られ、もう少しばかり耐えれば左右の陣を絞り、敵を反包囲の網で絞め殺すことが叶いそうであった。



「レオン、さすがだな。湿原という地の利で、騎兵の長所を抑え
 本陣という餌の前に、固い防御陣を築き群がる敵兵の命を次々に
 刈り取るとは…、君が敵でなく味方で良かったと、心の底から思うよ」

「まぁ、攻城戦に比べれば野戦の方がマシと考える敵軍が決戦を挑んで来るのは
 火を見るよりも明らかだったからね。敵が向かってくる事が分かっていれば
 後は自軍に最も優位な状況を準備して迎え撃つだけだからね。難しいことじゃない」


親友でもあり、総大将のフィリオからの賛辞に対し、若き俊英は満更でもない顔をしながら謙遜する。
そんなレオンの子供っぽい仕草に少し笑みを見せながらも、フィリオは開戦から消えぬ漠然とした不安に襲われていた。
『剣王』と称されるほどの敵将が、このまま終わるとは、どうしても思えなかったのだ。


そして、この彼の不安は悪い事に的中することになる。




◆◆


「前陣のロレンツも苦労しているようだな。このまま削られてもジリ貧だ
 そろそろ本腰を入れて敵を殺す事にしよう。ムルド、エレント!着いて来い!!」

『御意!騎兵200は閣下に続け!』『野郎ども御大将に遅れるなよ!!』


本陣の三千から抜かれた200騎を率いたルーデルは、
前陣と敵本陣が入り乱れる最前線を縫うように進み、固く閉ざされた防御陣を無理やり抉じ開けて行く。

土塁に埋まった馬と死骸を踏み場にし、馬防柵を飛び越え、矢盾をなぎ倒す。
彼の勇戦に猛り狂った前陣は左右から降り注ぐ矢を忘れ、手がちぎれ体を貫かれようとも前進を止めない。

その悪夢のような進撃は、グレストン軍を恐慌状態に陥れ、一人二人と兵は持ち場を離れて行く。
つい先刻まで完璧に機能していた防御陣は、波が広がるようにルーデル率いる戦闘集団に浸食され、
槍の穂先で敵を餌食にしていた兵達は、逃げまどい後退して行く中、背中を次々と貫かれて、不名誉な死に様を見せていた。


『どうした!!最初の威勢はどこにいった!!逃げる兵を殺しても詰らんぞ!!』
『おうおう!!手柄首にもならん弱卒しかいないのかっ!!』

「ゼルドス、フリザスク、イエール!!無駄口を叩いてないでもっと殺せ!皆殺しだ!」


好き放題に放言するルーデルの兵達に立ち向かう者も無く、逃げまどう兵達は右往左往し、
左右両翼のグレストン軍も混ざりあう中央の両軍を前に、同志討ちを恐れて矢を放つことも出来なくなっていた。
戦術に勝るグレストン軍を、個の技量によって打破するゲルト・ルーデルとその部下達は、局地戦のスペシャリストであった。
戦況が混迷を極めれば極めるほど、強襲とゲリラ戦を何度も繰り広げて来た彼等の経験が生き、敵兵を次々と屠って行く。

事前に作った防御陣で何とか持っているものの、ルーデルの突出から僅か数時間で
グレストン軍の本陣が崩され、全軍が崩壊する寸前まで追い込まれていた。




『本陣!第六陣まで敵軍によって突破されました。敵がここまで来るのも時間の問題かと』


「くっ、私の作戦は確かに上手く行っていた筈なのに、あの男は化物か…!?
 このままでは本陣が崩れる。一旦兵を下げて左翼と合流し、右翼と挟撃する陣に…」


「レオン、それは無理だ。ここで退けば全軍崩れることは君も分かっている筈だろう?」
「ならば、どうしようと言うんだ!」

「前に出よう。大将が勇を見せるのは、この機をおいて他には無い
 君が私の身を案じてくれるのは嬉しいが、その位の覚悟はしているよ」


『陣幕を上げろ!!公爵閣下が進まれる。その姿を全軍にお見せするぞっ!!』


グレストン軍総大将フィリオ・グレストンは、馬上にあって悠然と前線に向かって進む。
その姿によって、彼は勝敗が未だ定まっていないことを兵卒に知らしめたのだ。

死は逃げる者を追い、死は向かう者を避ける…
王公戦役第一章ナルダの戦いにおけるフィリオ・グレストンの勇気を示す為に
『死追死向』と呼ばれる言葉が初めて記されることになる。

また、本来なすべき者が為さず、代わりの者が大事を為すと言う意味の
『軍師狼狽して将鎮まる』という故事が生まれたのも、この戦いの最中であった。


多くの歴史が記されて行く中、ようやく戦いは最終局面を迎えることになる。



【剣王の咆哮】


『槍に双竜の旗印、グレストン総督家の家紋!!総大将の御出ましかと』

「折角出てきてくれたんだ。挨拶がてら首を貰い受けなきゃ失礼ってもんだ!!」


ようやく掌中に乗った敵の総大将を討ち果たさんと、ルーデルとつき従う30騎は、
目の前の敵を薙ぎ払いながら、本陣奥深くに更に進む。
横を走る戦友が一騎、まった一騎と減ろうとも、一顧だにせず前へと進む。
討つか討たれるか、最早、相手を討ち果たすことでしか終わりを見出すことは出来ない。
勝利か、死か…、シンプルで分かり易い勝敗の行く末を定めようと男達は馬を駆る。






「まったく、城を出無ければもう少し楽だった筈なのに、中々、上手く行かないね」

「運が無かったな小僧!!俺の前に立った事を、あの世でたっぷり後悔するんだなっ!!」

群がる本陣の直衛を悉く払い除け、フィリオの前に辿り付いた…
たった一騎、ルーデルは
諦めたような言葉を漏らしながら、首を傾げる哀れな男の首を刎ねようと
その手にした大剣を躊躇なく、己の最速の動きで振り下ろす。
激戦によって多くの犠牲者を生んだナルダの戦いの勝敗は、その刹那とも言える瞬間に決する。



「貴様、狙ってやがったのか、エゲつ…ねぇ、ヤロ…だ!」

「タイミング次第で私の方が死でいた。狙ってはいたが、運も大きかったと思うよ」


傾けた首の直ぐ横を正確に走った矢は、ゲルト・ルーデルの右目とその奥の脳まで貫き、
剣王と称された英雄の命脈を無慈悲に絶った。

愛馬から崩れ落ちながら、剣王が最後にみた者は自分を嵌めた若造でも、自分を射殺した老人でも無く、
その横で真っ直ぐな憎悪を向ける一人の少女だった。
その姿を見て殺し損ねた小娘によって、自分が殺されたと何故か悟った男は、
それも悪く無いと思ったのか、不敵な笑みを顔に張り付かせたまま冥府へと旅立つ。




◆◆


アウゲンの妄言により出陣が決まり、レオンの陣城による迎撃策が定まった夜更けにフィリオの下を訪れたのは…


「ルーデンハイム准子爵、いや子爵だったか、こんな夜更けに何か用かい?」

「公爵閣下にお願いしたい儀があって、夜分に無礼とは知りつつ参上致しました」

「まぁ、殆どの差配はレオンがしてくれて、私はする事の無い暇人だ
 暇つぶしに小さな英雄様の願いの一つや二つ、叶えてみるのも悪く無いね」

「では、公爵閣下の命を、この私に預けて下さい。勝利と『あの男』を殺す為に…」



野獣のように猛り狂ったルーデルとその部下達の暴虐な強さをその目で見て、感じたエリカは、
防御陣に籠もって迎え撃つレオンの策では勝利に届かないと、経験と直感で悟っていた。
そして、彼女の大きな目的、『ルーデルを殺す』為には、大胆な罠が必要だと考えていた。
その罠を完成させる為の重要な餌が、フィリオの命だった。

彼女は自分の従者に神弓の遣い手と呼ばれた弓翁ニヤード・ニヤードが居る事を含めて話し、
ルーデルを嵌める釣餌になって欲しいとフィリオに頼み込んだのだ。
無論、レオンの策が破綻を来たし、防御陣が崩れて敗色が濃厚になった場合で構わないと、
この罠が、飽く迄も起死回生の策であると説明した上である。


「万全の策を立てたとしても、相手がそれを上回れば、こちらが負ける
 念には念の策を用意して置くのも悪く無いね。私はとても臆病で
 保険は多めに掛けておく主義だからね。まぁ、楽に勝てるのが一番だが」

「フィリオ様、ありがとう御座います。もし、私の策が必要になった時は
 出来るだけ失敗しない様に気をつけるので、それなりに安心していて下さい」



茶目っけタップリに笑う少女に、乾いた笑いを返した若き英雄は、
目の前で横たわり動かなくなった英雄を見つめながら、数日前の事を少し思い出していた。

総大将を失ったロネール第四師団は統制を失い、勢いを盛り返したグレストン軍に押し返され、
組織だった動きを採れず、散発的な反撃しか出来ないまま、その命を次々と刈り取られていく。
勝者と敗者がハッキリと別れ、戦いは急速に終息へと向かっていた。


グレストンが勝ち、ロネールが負けたのだ。





【戦いの終わりと、新たな始まり】




「フィリオ!無事か!!」

「レオン、見てのとおり無事で、私は怪我ひとつ無いよ」


本陣で全軍の指揮を総大将に代わって執り続けたレオンが、
フィリオの下に辿り付いたのは、ルーデルが討たれて暫くした後だった。
大将を失って乱れた敵軍を押し返し、左翼と右翼に反包囲を完成するのに幾許かの時を要したのだ。
現在は、それも終わり、逃げ遅れた残兵の掃討戦に入ったので、フィリオの下に馳せ参じることが出来たのだ。



「何とか難敵を相手に勝利を手にする事が出来て良かったよ
 君の所のエリカ君には感謝しないとね。まさに勝利の女神だ」

「いつの間にあんな罠を考えていたんだ。まったく結果として良い方向へ転がったが
 肝を冷やしたよ。それに、言えた義理ではないが、君が『保険』を掛けていたとはね」

「レオン、気を悪くしないでくれ。私が臆病なのは知っているだろう?
 君の策を信頼していなかった訳じゃない。現に、この勝利を生んだ功績の多くは
 君にあると私は考えているよ。ただ、足りないピースの一つを彼女が埋めただけさ」



勝利に浮かれつつも、天敵とも言えるエリカに出し抜かれた形になって
少し拗ねた顔を見せる天才軍師様(笑)の機嫌を取りながら、フィリオは再び戦場だった場所へ目を向ける。
その視線の先にある死骸の山は敵味方が混じり合い、手にした勝利の代償が小さくない事を教えてくれる。

そして、命を奪う決断を下した視線の先に居る少女が、どのような道を歩むのか、
未来を手にした英雄は、勝利の余韻に浸りながら、先に広がった世界へと想いを馳せていた。








法暦1375年に始まったロネール王国とフリード公国の衝突を記した戦記『王公戦役』によると、
フィリオ・グレストン公爵は、物静かで知性に溢れた温和の人物として描かれるだけでなく、
天才軍師と称されたレオン・エックハルトを超える神算鬼謀の持ち主として描かれるみたい。
温和なところはパパにそっくりね!パパって凄~い優しいし、
ちょっと抜けてるとこがあるけど、そこがカワイイっていうか、なんかキュンキュンしちゃうんだよね~えへへ♪
って、話が逸れて来ちゃってるし、修正修正っと

ナルダの戦いでもルーデルとの正面決戦に関する策の大半をレオンに任せつつ、
エリカの献策も容れて、必勝に必勝の体勢を整えたうえで戦いに挑んだみたいだし、
勝った後の敗残兵の掃討も相当エゲツなかったみたいだよ。

城塞都市グレストンの居残り組の将軍や貴族達に、武勲を分け与えるって名目で、
ロネールの敗残兵が本国への帰還するために通るルートを何パターンか事前に教えて、
待ち伏せや奇襲を仕掛けられる手筈を整えていたみたい。

必死の思いでレオンの構築した反包囲から逃れた残兵の悉くが、
フィリオによって仕組まれた国境沿いの網取りに引っ掛かって命を散らしたみたい。
なんか怖いな~。頭が良すぎるってのも考えものだよね。
効率的に敵を殺すってのが名将の条件かもしれないけど、ここまでするかって思っちゃうな。

まぁ、私もパパの使用済みのお茶碗や湯飲みをナメナメするためには手段を選ばないんだけど…

でもでも、パパの唾液がついてる食器が洗われるのを座して待つなんて
リリカ、そんなの我慢できないよう~
だって、パパの、パパの粘液を舐めにて舐めて、ハッピーになりたいと思うのは、
当然の事なんだもん!!


「リリカー、お父さんの湯飲みどこいったか知らないかー?」

「えっ、えっと知らな~い!リリカ全然知らないよ~」


危ない危ない、後5回舐め回したら、食器洗浄機に戻して置かないと
でも、洗い終わった食器洗浄機にこの湯飲みを戻せば…

うふふ、私の唾液がたっぷりベトベトについた湯飲みでパパは、ごっくんしちゃうんだよね!
キャーっ!!もう、完全に間接ディープキスだよね!!や~ん、もうレロレロだよ~


とりあえず、お茶碗の方は、お風呂上りに二回は舐めてから返そうっと♪


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