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[19775] 【次回更新は11月!】ナルトが馬鹿みたいに前向きじゃなかったら?(原作再構成) 
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/09/29 14:16
この作品には以下の成分が含まれる予定です。


・ナルトの語尾が「ってばよ」じゃなく、普通です。
・余裕でストーリー改変するかもしれません。
・アンチなどするつもりはありませんが、もしかしたらなっちゃうかもしれません。
・オリジナル技などは出す予定はありませんが、ナルトの使えるようになる忍術が変更になる恐れがあります。
・↑サクラが魔改造によりオリジナル技を使うようになっちゃいましたorz
・ハラワタぶちまけたりの残酷シーンが入ります。
・一番重要なことですが、ナルトの性格が結構変わる予定です。
・ちょこちょこと登場キャラの性格が変わっております。主にシリアス方面に。
・オリジナル設定、オリジナル展開がふんだんに詰め込まれております。
・本作にはBL成分が含まれておりませんのであしからず。



 以上の点を踏まえてお読み下さるようお願いします。

 章ごとにまとめたら余裕で3万文字突破するという恐ろしいことが起こりそう。
 読みづらそうだからまとめません('A`;





※ただいま公募に向けての小説を書いていまして、それが10月末日締切なのでそれまで更新できそうにないです。申し訳ないっす……!



[19775] 1.序
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/06/24 11:04
1.

 ボサボサの金髪に古びたゴーグル、そしてオレンジ色をしたぶかぶかのジャンパーを着ている少年――うずまきナルトは心から欲していた。
 教室の中央。
 大勢の生徒に見られながら、その視界に混じる負の念を感じながら、必ず見返すという決意を胸に、ナルトは試験に挑戦している。
 試験課題は忍術の初歩で分身の術。
 自分と同じ姿の幻影を三つ以上同時に展開すればいいという単純極まりない試験。
 しかし、ナルトはこの試験に既に二回落ちている。 
 二度あることは三度ある。
 周囲の生徒たちの視線は"落ちこぼれ"を見る目であり「できるわけねーよ」と揶揄されている。
 聞こえないフリをして、ナルトは集中する。
 両足を肩幅ほど広げ、指で印を切る。同時に、チャクラを――練り上げる。
 己が身体を引き裂くほどの莫大な力が満たされていき、暴発しそうになるのを綱渡りをしていると錯覚するほどの拙い制御を施す。その程度では制御できない、身体から漏れ出していくチャクラは少年に報復活動を行う。
 激痛。
 視界が赤く染まる。眼球の毛細血管が破裂したのだろう。痛みに気が狂いそうになるが、なるべく不敵に見えるように祈りながら、歯を剥き出しにして笑う。
 痛いのはいつものこと。慣れている。
 何時までたっても慣れないのは馬鹿にされることだ。見下されることだ。自分という存在を認めないクソったれなゴミクズどもだ。
 そいつらを黙らせるために必要なものがある。欲しくて欲しくてたまらない。それを――手に入れる。

(力が――欲しい)

 練り上げたチャクラが皮膚から漏れ出していく。
 クソッ、畜生ッ! 心の底から憤慨する。
 いつだってそうだ。欲しいものは手に入らない。
 今ほしいものは、チャクラを制する技術。分身の術などという初歩の忍術を使えるだけでいい、その程度の集中力。
 祈りは言葉に変えられて「頼むよ」と掠れた声がナルトの口からこぼれていく。
 その声は分身の術を行使したときの音にかき消され、誰の耳にも届くことはない。
 涙が一滴零れ落ちる。
 立派に立つ分身が一つと、出来損ないの潰れたカエルみたいな分身が一つ。合格条件は分身を三つ以上生み出すこと。つまり――

「うずまきナルト。お前は不合格だ」

 崖から落とされるような感覚。
 ナルトは三度目の試験を、落ちた。
 認めたくない事実。自分には才能がないという劣等感。
 何故、どうして、畜生、嘘だろ、クソ野郎、ふざけんな――そんな罵声が口から溢れ出そうになって、止める。
 ぎゅっと唇を引き結び、扉に向かって歩き出し、外へ出る。
 誰も止めてはくれない。
 ナルトを案じるように試験官であり、担任の教師であるうみのイルカは手を伸ばしてきたのが目の端に写るが、関係ない。
 今はただ、ひっそりと泣きたい気分だった。

 ◆

 昼と夜の境目である夕闇の下、今日も今日とて誰もいない家に帰ることなく、公園のブランコを漕いでいる。

「分身の術――練習したんだけどなぁ……」

 暁の空を見上げながら、ぎゅっと拳を握りしめる。
 公園の中にはいろいろな遊具があり、楽しげに遊んでいる子供たちと、子供を温かく見守る母親たちがいる。
 そのうちのいくらかはナルトのことを見ると顔を歪め、いそいそと視線をずらし、子供を連れて帰っていくのだ。
 何か悪いことをしたわけでもないのに、この扱い。ここまで毛嫌いされるといっそ清々しい。
 ナルトは引き攣った笑顔を浮かべて、地面に唾を吐き捨てた。
 昔からこうなのだ。
 物心つく前に両親はいなかった。顔など覚えていない。親戚もいないのだから両親の話も聞けない。
 あれは初めて忍者アカデミーに通い始めたときのことだったか。
 最初は仲良くできた。友達もいた。けれど、次第にナルトの周囲には人は寄りつかなくなったのだ。

「母ちゃんが言ってたぞ。ナルトは化物だって……」

 未だに化物がどういう意味かはナルトは知らない。
 化物という言葉は白眼や写輪眼などを継承する血継限界などの力を所有する日向家やうちは家などに相応しいとナルトは思う。だって、ナルトは分身の術すらまともに扱えないほどの才能すらないのだから。
 努力はしたと思う。
 教科書を何度も何度も読み返し、印を切る順番だって完璧に覚えた。チャクラという概念がいまいちわからないし、説明も教科書には記載されていないので適当にやっている部分はあるが、記載されていない程度の内容なのだろうから重要性は薄いと思う。
 だから、練習できるのは印を切ること。次に分身を完全に再現するための記憶力と集中力だ。
 どちらも自信がある。鏡の前で何時間と立ち、素っ裸の自分を凝視した。最初はまるで自分がナルシストになったみたいで気持ち悪いと思ったが、次第に慣れていき、だんだんと細部を注目するようになった。今では何も見ないでも自分の身体を絵に描けるほどに記憶している。
 実に不思議である。
 記憶力や想像力に関してはナルトは普通よりも上だという自信がある。この修行のおかげで更に磨きがかかったという確信もある。変化の術は格段に上手くなっているのだ。それなのに、分身の術だけ上手くいかない。キィキィと耳障りな音を立てるブランコを支える錆びた鎖を眺めながら、思う。なんでできないのだろう、と。
 理由がわからないから努力する道順が浮かばない。どうすればいいのかわからない。そんなことは長くはないけれど、短くもなかった人生においてよくあることではあったが、試験の合格をするための努力のやり方がわからないなどお話にならない。これも才能の問題なのか。
 知れず、溜め息が漏れる。
 外気に晒された呼気は白い靄となり、空気の中に溶け込んでいく。なんとなくそれが面白くて、何度も何度も息を吐き出して――何となくむかついたので自分の頬を思いっきり殴った。
 自傷癖があるわけではない。ただ、あまり悔しさを感じていない自分が腹立たしかったのだ。
 自分以外は合格した。一度目なのに、合格した。自分は三度目で不合格。才能の違いなのか。努力の違いなのか。環境の違いなのか。それはわからない。
 わかっているのは――見下されているということだけだ。
 教室を出るときに眼に写ったのは自分を心配するイルカの姿だけでなく、蔑みの視線を向けてくる同級生の姿。にやにやと嘲る同級生の姿だった。
 思い出しただけでむかつく。
 立ち上がり、ブランコを思い切り蹴りあげてみる。
 勢いよくブランコは飛んでいき、そのままの勢いでナルトにぶつかった。
 額に直撃したそれはナルトを一メートル近く吹き飛ばし、地面を何度もバウンドして、止まった。

「何やってんだ、俺……馬鹿か?」

 阿呆、と聞こえた気がする。
 聞こえた方向を見上げると数羽の鴉が木の上で群れながら「あほー、あほー」とナルトを見下しながら鳴いている。
 知れず、苦笑する。被害妄想も甚だしい。これはただの鳴き声だ。鴉の鳴き声なんだよ。だから、頬を濡らす体液など流れてなんかいない。
 悔しさがあった。
 考えないようにしていたけれど、今日、思い知った。
 自分には忍術の才能がない。人脈もない。何もない。

(じゃあ、俺には何があるんだろう)

 歪んだ視界に写る自分の小さな拳を見る。
 ぼろぼろの拳骨だ。何度も何度も木偶人形を相手に拳を振り上げ、鍛えぬいた拳。
 立ち上がり、足を見る。
 鍛え上げられた骨太の脛。これも木偶人形に何度叩きつけ、痛みのあまり絶叫した回数など数えきれない。
 取り柄は酷使したこの身体。イジメぬいたこの肉体。
 けれど、それだけじゃ忍者アカデミーを卒業できない。必要なのは忍術を使えるという絶対条件をクリアできること。ナルトは才能に恵まれなかった。

「やぁ、何してるの?」

 夕焼けが沈み、夜に切り替わる一歩手前のとき。
 呆けたまま立ちつくしているナルトに声をかけてきたのは教師であるミズキだった。
 教師らしくない長く伸ばした髪が印象的な、どちらかというと整っている顔立ち。いつだって柔和な笑みを浮かべている。そんなミズキが、ナルトは嫌いだった。

「何の用だよ?」

 険のある、いつもより低く響く声音。
 嫌われているということを自覚しているであろうミズキはそんなことを無視して、笑いながらナルトに近づいていく。
 厭うようにナルトは後ろに飛んで距離を取るが、それを見て、ミズキはより一層笑みを深くする。

「良い話があるんだ。アカデミー、卒業したいだろ?」

 話が聞き終わる頃には、真円の月が夜空を照らしていた。

 



[19775] 2.序
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/02 22:24
2.

 バレないように慎重を期した。
 服は闇に溶け込むために夜色のジャンパーに着替え、靴は靴底がゴム製のものに履き替えた。
 見つかったときのために準備は入念に重ね、里から支給される孤児のためのお金で貯蓄したものを奮発し、忍具も一新した。
 これほどまでの用意をして、火影の住む家へと入り込んだのだが、案外バレないものであり、あっさりと侵入劇は開始される。
 最初は心臓が破裂しそうなほどに脈打ち、呼気も少しばかり荒くなっていたのだが、今は冷静そのもの。夜目を利かせながら目的のものがありそうな部屋を探す。
 それは呆気ないほどに簡単に見つかった。
 書物がたくさん貯蔵されている倉庫のようなところ。忍者アカデミーなどとは違う、古い紙独特の鼻につくような匂いで満たされているそこは、ナルトの知らない奇怪な文字が表紙の巻物が数多く本棚に並べられていた。

(ミズキの言った通りだ。嘘じゃなかったんだな)

 『禁』と大きく書かれたそれは厳重に縄で縛られており、分厚い埃で穢されていることからも、長い年月の間、誰にも読まれていないことがわかる。

『その中にはとても凄い忍術が書かれていてね。それを使えるようになれば、間違いなく卒業できるよ』

 甘い言葉だった。
 その言葉に翻弄されて、ここまで来た。
 だが――『禁』と書かれている意味を考えてしまったの。
 ナルトは不思議に思う。題名からしてこれは封じられているもののはずだ。それほどまでに凄い忍術が記載されているのなら、もっと広く伝えられていてもおかしくないはず。何故なら、強い忍術――便利な忍術と言い換えてもいい――は多くの忍者に浸透させたほうが里の利に繋がるし、禁じられるならばそれ相応の理由があるはずだ。
 馬鹿みたいにはしゃいで巻物を取り出してみたが、中へと仕舞う。
 そして、最もリラックスできる立ち姿をとる。
 手を胸の前に置き、印を切る。
 澱みなく指は動き、試験のときとは違う感触を覚える。
 静かに、静かに、静かに、統一された精神の下、チャクラが自分の中で制御されていることが理解できた。身体中を駆け巡るチャクラは。試験中や今までの練習中では何時だってナルトに激痛を与えてきたが、今は違う。満たされるような――力が溢れてくるような感覚を覚えさせる。
 印を切り終え、目を閉じて、祈る。
 分身が生まれる音が、耳に伝う。
 確かな存在を近くから感じるが、怖くて、目を閉じていて、それでも勇気を出して、目を開いた。 

「ははっ、できちまった」

 そこにあったのは立派な分身だった。
 ナルトと同じポーズをとった、ナルトそっくりの分身が五つ。
 足から力が抜けていって、へたり込む。ぺたん、と床に尻餅をつき、乾いた笑いが漏れ出てくる。
 そんな時――

「使えないな」

 聞き覚えのある声が耳に届き、首筋に鋭い痛みが走り、ナルトは気を失った。
 
 ◆

 夜のこと。
 ベッドに倒れ込むように飛び込んだ後、イルカは虚ろな表情で惰眠を貪っていた。
 眠りを妨げるように出てくる夢は、昔の記憶。最悪という言葉では生ぬるい――父と母との別れの記憶。
 この世の終わりかと思った。
 突如現れた九尾に襲われた木の葉の里が窮地に陥った事件。
 あの時、イルカは無力だった。
 絶対悪である強大な力の根源――九尾の狐に勇敢に立ち向かう父と母の背中。手助けすることが許されない、幼かった無力な自分。全てが全て、忌まわしい。

(けど、それだけじゃない。あれで俺は不幸になった。けれど、もっと不幸になった奴が――)

 夢に沈み込んでいくイルカが考える事は――
 思考を邪魔するように扉がノックされ、イルカは現実へと戻ってきた。
 マナー違反なんていうレベルではないノックの嵐は止むことなく、急いで起き上がると、イルカは扉を開く。そこにいたのは常ならば笑みを浮かべているはずのなのに、随分と切羽詰った表情のミズキである。
 息せき切るように話し出した言葉。
 それは火影からの召集の伝令であり、その次の言葉が信じられないものであった。

「ナルト君がいたずらで封印の書を持ち出したようで……っ!」

 すぐに火影の家へと向かってイルカはミズキと立ち並ぶ家の屋根を飛ぶように移動する。
 そんな馬鹿な――心はそんな思いで満たされている。
 ナルトは馬鹿ではない。勉強熱心で、努力家で、致命的にチャクラコントロールが下手なだけの勤勉な生徒だ。悪戯だってするような性格ではないし、自己主張が下手ではあるが、いつだって愚直なまでに突き進んできた。イルカはそのことをよく知っている。

『俺に大それた夢なんてないけど、いつかさ。イルカ先生みたいな立派な教師になりたいんだ。俺、先生のこと尊敬してるから……』

 ナルトが好きな一楽のラーメンを奢ったとき、イルカが聞いた言葉だ。
 恥ずかし気に、しかし、真摯に語るその言葉に胸を打たれ、涙が零れそうになるのを堪えることに必死だった。
 その後の言葉も、忘れられない。

『自分みたいに友達ができない奴を励まして、俺が友達になってやるんだ。イルカ先生みたいにさっ!』

 堪えることは不可能だと思い知った。
 顔を真っ赤にしてそっぽを向いてくれたナルトのおかげで涙は見られずにすんだ。ラーメンを啜ることすらできず、目元を押さえて嗚咽をもらしてしまったのだ。教師をやってて良かった、と何度も思ったことはあるが、あれ以上に自分の心に突き刺さる言葉はない。
 イルカはナルトを信じていた。
 だが、火影の家の前で巻き起こる騒動は現実としてイルカの考えを否定しに来る。

「悪戯では済まされませんぞ!」
「あんな者を生かしておくから……ッ!」
「火影様ッ! 決断をッ!」

 火影の周囲を囲む多くの忍者たち。
 必死に形相で火影を攻め立てるように言葉を吐く姿がイルカの視線に入ってくる。

「うむ……初代火影様が封印した危険な書物じゃ。使い方によっては恐ろしいことになりかねん……」

 月明かりに照らされた皺だらけの渋面は、辛そうに言葉を吐き出していく。
 違うだろ。そうじゃないだろ。あんたまでナルトを疑うのか? イルカは願うように思うが、その言葉は届かない。一個人よりも優先すべきは里の仲間の連帯。そのためには、時に仮面を被らなければならないときもある。

「書が盗まれて二時間以上経つ。急いでナルトを探すのじゃ」

 非常な言葉とともに、ナルトの捕縛を命じられる。
 まずは自分が探し出し、事情を聞きだす。きっとナルトではないと証明してみせる。
 そばで汚い笑みを浮かべるミズキに気づかず、イルカは夜の森へと飛び込んだ。

 ◆

 目を開いたときに真っ先に視界に飛び込んできたのは満月だ。
 なんで外で寝ていたのか、靄がかかったようにまとまらない思考は答えを出せない。
 何故、月の見える森の中で寝ているのか。何故、縛られて動けないのか。何故、隣に『禁』と書かれた巻物が置かれているのか。全く持って答えが出ない。
 とりあえず、身体の関節を外して縄を抜ける。無理そうだったものはジャンパーの袖の中に仕込んである苦無で切り落とし、自由の身となる。杜撰な縄の縛り方にタメ息すら出る。初心者だろうか。それとも焦っていたのか。それとも自分を侮っていたのか。
 動き出した脳は簡単に答えを弾き出す。
 部屋の中、分身の術が成功し、『禁』の書を持ち帰ることを止めて帰ろうとしたとき、不意打ちを喰らったのだ。聞き覚えのある――ミズキとそっくりな声とともに。
 そこから出る結論は、『自分を侮っていた』からだろう。忍術もろくに使えない生徒に対してそこまで真面目に縄縛りをする気が起こらなかったのかもしれない。推測の域を出ないが、たぶん合っているだろうとナルトはあたりをつける。
 しかし、次に出る疑問は――『禁』の書だ。

「何で俺を利用しようとした? 失敗したから短絡的に強奪か?」

 理由がわからない。そして、何故それが今なのか。利用したのが自分なのか。それらの理由がはっきりとしない。
 いつも悪戯をしている悪ガキなら理解できるが、ナルトはそういう下らない遊びに興じたことは一度もない。自分を高めることにすべての時間を注いできた。忍術の成績はいまいちだったが、それ以外は全て優等生だったと言っていい。授業態度だって間違いなく一番良いはずだ。
 はてと首を傾げる。あまりにも不明点が多すぎる。
 だが、このままここで居座るわけにも行かない。おそらくミズキは自分に対して良からぬことをするつもりなのだろう。身の安全を確保するためにも移動すべきだ。冷静な思考がナルトにそう提示する。確かに、と納得し、ナルトは『禁』の書を背に担ぎ、移動を開始した。ミズキに対してのせめてもの復讐である。書物は渡さない。

「見つけたぞ、コラッ!」

 そんな決意を胸にして動き出そうとしたナルトの前に、突如、人影が舞い降りた。
 木の上から音もなく着地した影はナルトの尊敬する先生――うみのイルカその人である。
 逃げ出そうとした瞬間にイルカと出会えたのは運が良い、とナルトは思う。

「イルカ先生。俺、ちょっと困ったことになってる」

 何故か機嫌が悪そうなイルカが不思議ではあるが、それは無視だ。
 手を見せる。そこにはキツく縛られた縄の痕が見える。鬱血したそれは痛々しくもあり、長時間縛り上げられていた証明にもなる。
 それを見たイルカの表情の変化はわかりやすく、「どうしたんだ」と心配そうに語りかけてくる。
 簡潔に説明するために数秒考え込み、ナルトはこれまでの経緯をかいつまんで説明する。
 ミズキにそそのかされたこと。火影の家へと侵入したこと。結局盗まずに帰ろうとしたら気づかない内に背後にいたミズキに気絶させられたこと。縄を抜けて逃げ出そうとしていたこと。

「……ミズキ――!?」

 信じられない。あいつが? 呆気にとられたイルカは鮮烈な殺気を感じ取り、無意識のうちに身体が反応してしまう。その殺気が向かうはナルトの方であった。考える間なく、イルカはナルトを突き飛ばす。
 雨のように水平に降り注ぐ苦無の群れ。
 入れ替わりのようにナルトの場所に立ったイルカは、すぐさま腕を交差して急所だけは守る体勢をとる。そのおかげで死ぬことだけは免れたが、身体全身に襲い来る膨大な数の苦無を相手に、ダメージがないのはありえない。
 苦無を全身に受けたイルカは踏ん張ることができずに近くにあった小屋に激突する。
 痛みに視界が眩むが、歯を食いしばって耐え抜いて、前を見る。
 そこにいるのは悠然と笑うミズキの姿だった。木の枝からイルカとナルトを睥睨するように見下ろしている。

「よくここがわかったな」
「なるほど……そーいうことか!」

 睨み合う二人をよそに、ナルトは腰に吊るしたホルスターから苦無を取り出すと、いつでも投擲できるように狙いを定めている。しかし、濃厚な殺気を宿したナルトの視線を感じ取りながらも、ミズキは全く緊張する素振りなく、イルカのほうを警戒している。
 ミズキは理解しているのだ。満身創痍のイルカよりもナルトは劣る、と。警戒する意味などないということを。
 悔しさに歯軋りをし、勢いのままナルトは苦無を投げつけた。修練を怠ったことのないソレは正しくミズキに飛来し、苦無を目で追うことなく、ミズキは受け取る。キャッチボールのように危なげなく、だ。

「巻物を渡せ」
「ナルト! 巻物は死んでも渡すなっ!」

 ミズキの言葉を遮るように、イルカは身体を蝕む苦無を引き抜く。
 どろりと粘ついた血液が流れ出てくるが、そんなものは無視だ。

「それは禁じ手の忍術を記して封印した危険な書物だっ! ミズキはそれを手に入れるためにお前を利用したんだっ!」

 吐き出される言葉はナルトの予想通りのものだった。
 背に担ぐ『禁』の書を狙うために、ミズキは自分に近づいたのか。自然と苦無を握る利き手に力が入るが、武器もタダではない。先ほど投擲して無意味に終わったことは記憶に残っている。浪費はあまりよろしくない。
 隙を窺いながら、ナルトはじりじりと後ろ足で後退していく。
 そんなナルトを見下ろしながら、ミズキは何が可笑しいのか。笑い出した。

「くっくっくっ、利用も何もコイツは全く役に立たなかったけどな。何でか知らないが、巻物を収められた部屋で分身の術をして、成功して、勝手に満足して帰ろうとしたんだからなっ! 本当に役立たずだぜ」

 次々と湧き出てくる罵倒に何の感慨も覚えず、ナルトは終始無表情だ。そもそもミズキは嫌いだし、嫌いな相手に何を言われても困らない。
 唯一思うことは、自分の直感を信じずにミズキの甘言に少しでも耳を貸してしまったこと。聞いたとき、それは悪いことだとわかっていたのに、けれどその提案を断ることができなかった。惰弱な自分。そのせいで傷を負ったイルカの姿。
 俺のせいだ、そう思うだけで怒りが湧いてくる。
 そんなとき、ミズキが高笑いを治めたかと思うと、にやにやと不気味に笑いながらナルトを見下ろす。

「そうだ、良い事を教えてやるよ」
「バカ、よせっ!」

 らしくもなく、必死に声を荒げるイルカの姿。何をそんなに焦っているのか、ナルトは首を傾げる。
 ミズキの話などに興味はなく、欲しいものはミズキが慢心して隙を出すことだけ。
 集中しているナルトの姿に気づいているだろうに、ミズキはおしゃべりな口を開く。馬鹿みたいに。顔を歪めながら。

「十二年前……化け狐を封印した事件を知っているな? あの事件以来、里では徹底したある掟が作られた」
「ある掟……だと?」
「しかし、ナルト……お前にだけは絶対に知らされることのない掟だ」
「俺だけ?」

 意味が――わからない。 
 堪えきれなくなったように肩を揺らすミズキに怒りを覚え、手に持つ苦無を投げつけるが、それはあっさりと受け止められる。何個も何個も投げつける。ここから先は聞いてはいけない、と第六感が忠告してくるのだ。
 無意味に終わる。

「気味悪く笑ってんじゃねぇ! うぜぇっ! 黙れっ!」

 ナルトは声を張り上げる。
 森中に聞こえ渡っているのではないかというほどの怒声。それはミズキを喜ばせるだけに終わり、醜く笑いながら――

「……ナルトの正体が化け狐だと口にしない掟だ」

 身体が、硬直する。
「やめろ!」と叫ぶイルカの声も耳に入らず、ミズキの言葉だけが木霊する。

(俺が――化け狐?)

 意味が、わからない。
 意味がわからないが、だが――必死に声を張り上げるイルカの姿が――ミズキの言葉を肯定している。
 胸にぽっかりと空いていた穴があった。
 すとんとその中に真実が落としこまれる。

「つまり、里を壊滅させた九尾の妖狐なんだよっ!! あげくにお前は――」
「やめろぉぉぉ!!」
「イルカの両親を殺した張本人なんだよっ! 笑えるだろっ!? イルカ先生だってよ! 憧れてるんだってよ! おかしいとは思わなかったのか? あんなに里の人間に毛嫌いされて!」

 ミズキは背に担いでいた巨大な手裏剣を取り出して――

「イルカも本当はな! お前が憎いんだよっ!!」
「……なわけねーだろ! 先生は……イルカ先生は……ッ!! あぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 動揺するナルトに投擲した。
 風を切る音。
 旋回しながら空を走るソレはナルトに当たれば――死ぬ。しかし、ナルトは目の前が見えないほどに、混乱していた。

(俺が、先生の両親を――?)

 信じられない。信じたくない。
 けれど、何故だからわからないけれど、化け狐だと納得する自分がいる。それが怖い。確信に近いソレがとても怖い。
 染まる。視界が染まる。頭の中が焼け落ちそうで、今までの人生が否定されたみたいで。
 それに、イルカに嫌われたのなら生きる意味もないのではないか。ナルトはそんなことを思う。
 迫り来る巨大な手裏剣は確実に自分を殺してくれそうで。首元に正確に飛んできて。
 迎え入れるように目を閉じる。
 衝撃が身体を襲う。

「ぐっ……」

 だが、痛くはなく、むしろそれは優しくて。おそるおそる目を開くと、そこにはイルカの姿があって――血を口の端から滴らせながら、笑う。
 憎んでなんかいない。憎まれてなんかいない。その笑顔を見ただけで、ナルトの混乱は治まった。
 だが、少し視線を変えてみると――信じたくない光景が目に入る。

「せん……せい……?」
「……俺なぁ……」

 イルカの背中には、深々と巨大な手裏剣が突き刺さり、背中を大きく抉っていた。









[19775] 3.序
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/02 22:24
3. 
 
 意識の底に沈めている幼き日の思い出。
「ただいま」「おかえり」という何気ない日常から失われてからの日々。
 家に誰もいないという事実は、イルカの幼少時代においてとてつもない傷となった。
  
「両親が死んだからよ……誰も俺を褒めてくれたり、認めてくれる人がいなくなった。寂しくてよぉ……」

 せめて友達には認められたいと思った。

「クラスでよく馬鹿やった。人の気をひきつけたかったからさ。優秀な方で気を引けなかったからよ」

 忍術の修行中、池に飛び込んだりもした。
 そうすれば、そのときだけは自分のことを見てもらえるから。そのときだけは独りじゃないと思えるから。

「全く自分ってものがないよりもマシだから、ずっとずっとバカやってたんだ」

 馬鹿なやつ。
 周囲にはそういう烙印を押されるが、誰にも見てもらえない『空気のような存在』になるよりはマシだと思えたから。
 そういうポジションを手に入れるために、馬鹿を繰り返し、何度も繰り返し――おかげで友達はできた。
 けれど、それは素の自分を認めてもらえたわけではない。
 結局のところ、それは自分を認めてもらっているわけではなく――道化を演じていることに対して、苦笑混じりの認識を覚えられていただけだから。

「苦しかった」

 媚びへつらう日々に対して、大人になったからこそ、イルカは思う。
 間違っていた。ガキっぽい行動だった。気を引くための努力を違う方向に向けるべきだった。
 学校で馬鹿みたいに騒いで、家の中ではしんみりと部屋の隅で座り込んで――涙を流していたんだ。
 甘える相手もおらず、恨める相手もおらず、何もかもがないない尽くし。生産性のない日々を送っていた。
 けれど、ナルトは違う。
 毎日、家にも帰らずに夜遅くまで勉強していたこと、忍具の修練を積み重ねていたこと、苦手な忍術に何度も挑戦していたことも知っている。
 その努力が実らずに、へばって倒れ込んで、少しだけ休んで、また立ち上がって修練を再開していたことも知っている。分身の術だってそうだ。最初は分身を一つすら作れなかった。それなのに、試験では一つではあるが、立派な分身を生みだして見せた。合格条件に達していなかったので「不合格」と言わざるを得なかったが、本当ならば「合格」と言ってやりたかった。
 周囲に疎まれても努力を重ねて、「いつか見返してやるんだ」と笑っていたことが懐かしい。「それは違う。間違ってる」と教えてやれなかった自分の無力が酷く辛い。 
 
「お前は……頑張ってるよ。努力してる。けど、相手にされないんだよな。寂しいよな。苦しかったよなぁ……ごめんなぁ。俺がもっとしっかりしてりゃ、こんな思いさせずにすんだのによぉ……」

 自分だけは認めているから。イルカはそれだけを言いたくて、血の混じる言葉を吐き出した。
 ナルトはイルカの命を奪い続けている巨大な手裏剣を見て、瞳孔が開いた。
 イルカの腕の隙間から抜け出ると、押し倒されたときに飛んで行った巻物を担ぎ上げ、ナルトは潤んだ瞳でイルカの顔を一瞬見つめた後、森の中へ走り出す。その瞳は、揺れていた。

「ナルトォ!!」

 振り返りすらしないナルトに呼び掛けるイルカを嘲笑する。
 そして、断言する。

「クククク、あの目を見たか? 絶望した奴の目だ。あの巻物を利用し、この里に復讐する気だ」
「ナルトは――そんな奴じゃない」
「まっ! そんなのはどうだっていい。ナルトを殺して……あの巻物が手に入ればそれでいい! お前は後だっ!!」

 心底どうでもよさそうにミズキは言い捨てると、イルカのことを放っておいて、ナルトの後を追いかけ始める。
 ナルトがミズキから逃げられるはずもない。自分が動かなければ、ナルトは死ぬ。
 身体に突き刺さった苦無が何だ。背中を穿つ手裏剣が何だ。
 両手を使って、全て引き抜く。
 視界が焼けるほどの苦痛。
 生命の雫が身体を伝って滴り落ちるが関係ない。

(させるか……!)

 すべきことはナルトと巻物の保護。
 そこにイルカの命の保障など、関係ない。
 喉を逆流する血反吐を思い切り飲み込むと、イルカも森の中へ飛び込んだ。 



 イルカは森の中を疾走してた。
 林立する木々の間をすり抜けるように走り抜ける様は熟練の技巧を窺わせる。
 ふと、イルカの表情が変化した。
 月明かりに照らされた闇の中、一際目立つ金髪の髪。
 イルカとは比べるべくもないほどの拙い走りで森の中を駆けている姿を見間違えるはずがない。背中に担いだ『禁』の書も見間違えるはずがない。
 見つけたのは、ナルトの後ろ姿だ。
 更に速度を上げてナルトに近づくと、「ナルトッ!!」と呼ぶ。
 そして、手を差し出しながら叫ぶ。

「早く巻物をこっちによこすんだっ! ミズキが巻物を狙ってるっ!」

 伸ばした手は打ち払われる。
「え?」と困惑するイルカを睨みつけながら、一気に方向転換すると、ナルトはイルカの腹に飛び込んだ。
 鳩尾を抉るような蹴り足。
 鈍い衝撃が腹部に与えられ、小さな身体から生み出されたとは思えないほどの力で吹き飛ばされる。
 受け流すことができず、吹き飛んだ勢いのまま地面に叩きつけられると、信じられないものを見るような目で、ナルトを見た。

「どうしてだ……ナルト」

 震える声は動揺を表しているのか。
 背からぶつかったおかげで汚れた服を払いながら、イルカは立ち上がると――

「どうしてイルカじゃないとわかった!?」

 変化の術がかき消される音ともに、イルカはミズキの姿になった。
 それを見て、ナルトはにへらと笑っていて、余裕の姿。ミズキは不思議に思うが、何てことはない。

「イルカは俺だ」
「なるほど……」

 お互い、不敵に笑う。
 ナルトは少し離れた木の幹の裏から、その様子を緊張した面持ちで覗き見ていた。
 手には開封された『禁』の書がある。
 膝の上に乗せて、目を皿のようにしながら見つめていたのだが、ミズキとイルカが現れたので視線を外したのだ。

「ククク……親の仇に化けてまで、あいつをかばって何になる?」

 聞こえてくる声は、酷く腹立たしい内容を含んでいる。
 真実かどうかはわからない。けれど、もし自分がイルカの親を殺したのなら……どうすればいいのだろうか。どの面さげてイルカに会えばいいのだろうか。
 考えただけで身体が震える。
 まるで体温が下がったみたいに、身体が震えるのだ。
 否定してほしい。心からそう思う。だけど、どこかで認めている自分がいるのだ。「俺が化物なんだ」と。
 だが――

「お前みたいな馬鹿野郎に巻物は渡さない」

 断定するように言いきってくれるイルカは、自分のことを信じてくれているようで。
 少しだけ、勇気が出た。
 震える身体を無理やり押さえこみ、手に持つ『禁』の書に視線を戻す。


「馬鹿はお前だ。ナルトも俺と同じなんだよ」
「……同じ?」
「あの巻物の術を使えば、何だって思いのままだ。あの化け狐が利用しないわけがない。あいつはお前が思っているような……」

 ミズキの言葉に、ナルトは知れず、苦笑が漏れる。

(そうさ。何だって利用してやる。力が欲しい。力がいるんだ。俺は……)

 そのためには、禁忌だって破ってやる。
「あぁ……」と頷いたイルカの声が、酷く心に突き刺さる。ごめん、と思う。自分は化け狐だから。きっとそのせいで、力を欲するのかもしれない。 

「化け狐ならな。けど、ナルトは違う。あいつは……あいつは」

 けれど。

「努力家で、一途で、そのくせ不器用で、おかげで周囲にいらない溝を作って……馬鹿だよな。力をつけて認めさせるんじゃなく、友達になってくれ、の一言で友達なんてできただろうに。あいつは……イイ奴だからできただろうに……それを教えられなかった俺が馬鹿なんだろうけどな」

 涙が、流れる。

「あいつはな。この俺が認めた優秀な生徒――うずまきナルトだ。化け狐なんかと一緒にするなっ!」

 満身創痍の身体に鞭を打ち、腹の底から出された怒声は、ナルトの心に響いた。
 ナルトは今、禁忌を破って書を手にしている。その中にある力を欲している。だけど、イルカはそんなことをしないと断定する。
 ごめん、ごめん、ごめん。謝罪の言葉が溢れてくる。信じてくれるイルカの想いを裏切った。それだけが、それだけが心残りだ。しかし、嫌われてもいい。
 ぎゅっと拳を握りしめる。『禁』の書に封を施す。もう、力はいらない。これだけで、十分。

「めでてー野郎だな。イルカ、お前を後にするっつったが、やめだ。さっさと死ね」
(これまでか……)

 ミズキを倒すには、これだけで十分だ。
 踏み込む。
 力を加える。
 反動で、弾丸と化す。
 飛来した黒色の人影は、ミズキに飛来したかと思うと、思い切り米神にぶつかった。
 米神に与えられたのは全体重を込めたオーバーヘッド気味の蹴り。小さな身体全てをぶつけた、渾身の一撃だ。
 反応できなかったミズキは痛みに眼が眩むのを堪え、必死に現状把握を試みる。
 簡単だ。
 馬鹿なアカデミー劣等生が、教官である自分に、無謀にも特攻してきた。
 イルカを守るように立ち塞がるナルトは、巻物をイルカのほうに放り投げると、ミズキのことを射殺すように睨みつける。

「イルカ先生に手ェ出すな。殺すぞ」

 気炎を吐き出すかのようなナルトに「馬鹿野郎! 何で出てきた!! 早く逃げろ!」とイルカは叫ぶ。だが、ナルトは小揺るぎすらしない。ただ、敵であるミズキだけを見ている。
 その瞳は『必勝』の意志を宿しており、負けることなど一切考えてない。酷くイラつく目つきだった。
 格下の、下忍にすらなれないアカデミー生に、自分が殺される? ありえない。ミズキは即断する。

「ほざくな! てめぇみたいなガキ、一発で殴り殺してやるよ!」

 本気の殺意。
 実戦に参加したことのないようなひよっ子では耐えられないような、濃密な殺気。
 感じただけで死の幻覚を見るであろうそれを感じても、いや、感じていないのか。ナルトは一切反応しない。

「……ぶっつけ本番だ。成功するかどうかはわかんねぇ。けど、俺は優秀な生徒だからな。負けるはずがねぇだろ?」

 ぼそりと呟かれた言葉は何なのか。
 妙にリラックスした体勢で、静かに、流麗に、試験ですらできなかったような複雑な印を澱みなく切っていく。
 見覚えのない印。
 それは――まさかっ!

「な、なんだとぉっ!?」

 組み終えた印ととともに巻き起こった事態は、ミズキの想像を超えていた。
 森の中、木の上や地上、関係なく溢れ返ったナルトの姿。
 その数は数えることすら億劫になるほどの膨大な数。視界全てを埋め尽くすかのようなそれは――アカデミー生が使えていいレベルの忍術ではない。
 くくく、と唇を歪めながら、憎らしいまでにミズキを睨みつけるナルトの姿が――化物に見えた。

「成功するもんだな」
「さすがは俺だな」
「要は分身の術を少し難しくした感じか?」
「チャクラの消費量が異常に多いだけだな」

 簡単に言ってのけるその言葉。
 だが、ミズキ以上にイルカのほうが驚いていた。
 つい先日までは分身の術すらまともに使えないと言っていた生徒が、急に成長している。

(ナルト……お前……)

 よく見ると、ナルトの瞳は縦に裂けていて、金色に染まっている。
 それは――人間と言っていいのだろうか。
 今から獲物を狩るかのように四本脚に近いほどの前傾姿勢になるのは、本当に化け狐ではないと言い切れるのだろうか。

「それじゃあ、行くぜ?」 

 宣言ととに、縦横無尽に埋め尽くされたナルトの分身がミズキに襲いかかる。
 必死に抵抗するも、圧倒的な数の暴力に晒されたミズキは、次第に押され始めて行く。
 おかしい。
 分身が、実体のないはずの分身が、ミズキを殴っている。傷を負わせている。

(俺が時間を稼いでる間に覚えたのか。残像ではなく、実体そのものを生み出す高等忍術"影分身"。こいつ――ひょっとすると……)

 多重影分身。
 禁術指定のそれは、おそらく『禁』の書を読んで覚えたものなのだろう。
 そんなすぐに覚えられるほどの難易度の低いものではない。だが、イルカは何となく納得している。
 ナルトは潜在するチャクラの量が人より多い。とても、多い。そのせいでコントロールが難しいのだ。しかし、影分身のような多くのチャクラを要する術は、コントロールはそこまで難しくない。拙いチャクラコントロールでも、蛇口を開きっぱなしにするようにチャクラを垂れ流せば術は完成する。分身の場合は、注ぎ込むチャクラが多すぎたのだ。
 思考に埋没している間に勝負は終わっていた。
 ボロボロの姿になって倒れ伏すミズキ。
 その様を酷く冷たい目で見下ろすナルト。手に持つ苦無が月に照らされて、鈍く光っているのが印象的だった。

「……まだ、死んでないのか」

 トドメだ、と呟いて首を掻っ切ろうとする。躊躇なく、命を奪い取ろうとする。
 殺させるわけにはいかない。イルカは身体に鞭打って、ナルトを羽交い締めにした。

「やめろっ! ナルトッ!!」
「止めんな! こいつはイルカ先生を殺そうとしたんだぞっ!」
「ダメだ。ミズキはきっちりと尋問にかけなきゃならない。他の里と結びついている可能性があるからな」
「……わかった」

 必死に暴れるナルトだが、理由を聞いて多少気持ちの整理はついたのか。苦無をホルスターに戻すと、思い切り足を振り上げて、ミズキの顔を蹴り飛ばした。
 ミズキの美形といえる整った顔立ちは、見る陰もない。歯すら、残っていない。
 当然の報いなので何も思いはしないが、これをしたのがナルトだと思うと、複雑な気持ちになる。
 だが、どうだろうか。ナルトはイルカが殺されかけたのを見て、キレた。そのために命を懸けた。だから、責めるべきではない。
 少しだけしょぼくれたように地面を蹴るナルトを見て、イルカはにっこりとほほ笑んだ。

「それに、ナルト。ちょっと来い。お前に渡したいものがある!」

 不思議そうにイルカのことを見上げながら、とてとてとナルトは近づいてくる。
「目、閉じてろ」と言うと、素直にナルトは眼を閉じる。何をされるのだろう、と考えているのが見え見えだ。そわそわとした態度が手に取るようにわかる。
 イルカは苦笑しながら、自分の額に手をかける。そして、額につけていたものをナルトの額につけた。

「先生、まだか?」
「もういいぞ」

 違和感。
 いつもあるものがない感触。
 それもそうだろう。イルカが『木の葉の額当て』をつけていないところなど、ナルトは見たことがないのだから。

「卒業……おめでとう」

 笑いながらイルカはそう言う。
 意味がわからず、自分の額に触れてみた。
 再び、違和感。
 いつもつけているゴーグルではない。
 もぞもぞと触れて行くと、凹んでいる部分があった。そこを指でなぞると……それは……。

「今日は卒業祝いだ。ラーメンおごってやる!」
「……ッ!」

 思わず、涙が零れ出た。
 しかし……。

「ごめん。先生――俺は受け取る資格なんかねぇよ。先生の期待を裏切って、『禁』の書の力に頼っちまった……」

 懺悔するように吐き出された言葉――それを聞いてイルカは、笑みを深くする。

「いいさ。状況が状況だ。仕方ない。それに、お前に助けてもらったのも事実だしな。でも、書を読んだのはバレたら大変だから……二人だけの内緒にしよう」

 それなら大丈夫だろ? と笑いながらイルカは言う。
 緩んだ涙腺は決壊し、滂沱の涙が溢れ出てくる。
 擦っても擦っても止まらずに、ナルトは顔を隠すようにナルトはイルカの胸元に飛びついた。
「痛い。痛いって!」冗談混じりに言うイルカに遠慮などせず、抱きついた。離れたら泣いているのがバレるから。

「俺、頑張るから! 絶対、先生みたいになるから! 期待しててくれよっ!」

 嗚咽混じりの声。震える肩。
 全部が全部、イルカにとってはお見通しだ。だが、抱きつかれているのは、ある意味ではイルカにとっても都合が良い。
 優秀な生徒が卒業する。そのせいで涙腺が緩んでいる。それが見られなくて済むから。

「あぁ……あぁ、頑張れ。お前なら俺なんか軽く越えられるさ」
「おうっ!」

 二人の師弟は眼を擦って、お互いの顔を見る。
 目元が真っ赤で、恥ずかしそうににかっと笑う。とてもそっくりだった。
 








[19775] 4.カカシ事変――Ⅰ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/22 20:22
1.

 忍者アカデミーの卒業式の日。
 卒業生に与えられる木の葉の額当てをつけて、堂々と着席しているナルトは、かなり浮いていた。
 気になる。当然、気になっている者もいる。けれど、聞けない。ぴりぴりとした空気を発散しているナルトに気安く声を掛けられるものなどいなかったのだ。机に教本を置いて熟読しているのだ。そこに書かれているのは忍びの在り方について書かれたものだ。“忍はどのような状況においても感情を表に出すべからず。任務を第一とし何ごとにも涙を見せぬ心を持つべし”等の心得が書かれている。
 そんなナルトに熱い視線を向ける少女がいた。
 絹のような烏の濡れ羽色の髪をオカッパにまとめた、優しさを全面に押し出した内気そうな女の子である。着込んだ白いコートの袖をもじもじといじりながら、ナルトのことを盗み見ている。
 ふと、ナルトが女の子の方を見た。女の子は顔を真っ赤にして顔を背けるが、ナルトはじっと見つめている。
 異性が苦手だ。あまり触れ合ったことなどない。それなのに、顔を見つめてくるナルトがいる。ドキドキと心臓が脈動し、顔は沸騰するかのように熱い。ぱたぱたと手で顔を扇いでみてもマシにはならない。恥ずかしい。死にたい。そんなことを思いながら、切なげに笑っていると――ナルトが口を開いた。

「ずっと俺のこと見てたみたいだけど、何か用か?」

 横顔に突き刺さる熱っぽい視線を気にしないように心がけていたが、いつまでもじろじろと見られていると我慢の限界というものが出てくる。
 声をかけるだけで袖から指だけ出している儚げな女の子が、あたふたと首を振る。口をぱくぱくと開閉して、声を出そうとしているのか。緊張しすぎてか呼吸気味になり、出ているのは息だけである。
 落ち着けよ、と呆れたように女の子の肩をぽんと叩くが、ビクゥと女の子は痙攣し、怯えたように慌てて距離を離される。ナルトの繊細な心は少しだけ傷ついた。

「よ、用なんて、別にナルトくんに用があったわけじゃ……っ!」

 ぶんぶんと手を振って思い切り否定する。
 用がないのに何で見ていたのだろう、とナルトは思うが、それよりも気になることがある。

「何で俺の名前を知ってるんだ。初対面だろ?」

 ナルトは女の子のことを知らない。
 これには女の子もびっくりして「えっ!? 同じクラスだったよ……?」と言うが、ナルトは首を傾げるばかりだ。いつも授業中などは先生の話に集中していたし、教室内では居心地が悪かったから、休み時間はいつも外でとっていたのだ。昼食などもそうである。

「ごめん、人の顔と名前って覚えられなくてよ。名前、何?」
「え、えと、ヒナタ。日向ヒナタですっ……」

 ナルトの顔をじっと見つめながら、ヒナタは尻すぼみになりながらも自己紹介をする。ヒナタの視線に応えるように、ナルトも遠慮なくじろじろとヒナタの顔――だけでなく全身を嘗め回すように見つめる。ちょっと、恥ずかしい。
 そんな初心な気持ちはナルトの一言で消えることになるわけだが。

「あぁ日向か。通りで変な目してるわけだ」
「変な目っ!?」

 そんなこと初めて言われたよっ!? とヒナタはかなり傷つく。
 確かに白い目は変だと思う。けど、目の前で変と言うのはいかがなものか。生まれつきだから仕方ないではないか。
 むくむくと怒りや悲しみなどの負の感情が沸きあがってくるが、にこりとナルトが笑っただけでソレも無くなる。この男、悪気はないのだ。笑顔を見ればわかる。

「俺はうずまきナルト。で、何の用だったんだ?」
「……その、試験落ちたのに何でここにいるのかなぁって」

 おずおずと言い出すヒナタは至極申し訳なさそうだ。
 対するナルトはひまわりのような元気いっぱいの笑顔。胸を張り、親指で額当てを指して、自信満々だ。

「いろいろあって合格にしてもらえたんだよ。ほら、この額当てを見ろ。これこそが合格の証だろ?」

 多少どもりながらも「う、うん」とヒナタは頷く。
 沈黙。
 話題が尽きたと言わんばかりにヒナタは黙り込み、もう用はないのかな、とナルトは本に視線を落とす。
 『忍びの心得 大全』――忍びたるものの心構えを説いたものである。これから自分はプロの下忍になるのだから、そういうものはきっちりは覚えておかねばならない。
 集中しながらページをめくっていく。だが、いい加減鬱陶しくなってきた。
 まだ用があるのか、ヒナタは俯き気味にナルトのことをガン見しており、本とナルトの顔を往復している。何をそこまで真剣になれるのかがわからないが、とても鬼気迫った顔で自分のことを見てくるヒナタはナルトにとって未知の存在だ。脅威ですらある。
「……何だよ?」と多少震えた声で聞いたしまったのは仕方がないのかもしれない。未知とは恐ろしいものだ。人間関係が希薄どころか、ほとんど皆無のナルトにとっては経験したことがないのである。それなりに可愛らしい女の子に見つめられるなどということは。

「な、何もっ!?」

 ヒナタはナルトの顔を見ていた顔を真正面に向きなおし、あたふたと礼儀正しく座ろうと試みる。ちらちらと視線だけを向けてくるのは変わりないが。

「まぁいいけどよ。見られて減るモンもねぇし」

 タメ息が出る。
 そのとき、教室の扉が大きく音を立てて開かれた。
 入ってきたのはイルカである。
「静かにー。こっちを見ろー」と多少間延びした声を発しながらイルカは教壇へと登った。ナルトは本を閉じると、机の下に置いてある鞄に詰め込んで、イルカのほうを見る。
「ごほん」と咳払いをするイルカを着席している卒業生たちは緊張した面持ちで見る。当然だ。これから下忍生活が始まる。そのための説明が始まるのだ。もし大事なことを言われて、それを聞き逃したら? ただの馬鹿である。
 イルカは集中した視線を送ってくる卒業生たちを満足そうに見ると、唐突に厳しい表情を浮かべた。

「今日からめでたく君たちは一人前の忍者になったわけだが……しかし、まだまだ新米の下忍! 本当に大変なのはこれからだっ!」

 まだ始まってすらいないのだ。
 アカデミーで習うことは本当に基礎の基礎だけ。
 体術の基本、忍具の基本、忍術の基本、後は植物などの生態系の基本やサバイバル生活の基本などである。先生たちに守られて、大切に大切に育てられてきた。だが、これからは違う。
 もう"一人前"なのだ。
 
「これからの君たちには里から任務が与えられるわけだが、今後は三人一組(スリーマンセル)の班を作り、各班ごとに一人ずつ上忍の先生がつき、その先生の指導のもとで任務をこなしていくことになる班は、力のバランスが均等になるようこっちで決めた」

「えー!!」と多くの卒業生が抗議の声を漏らすが、ナルトだけは「三人一組か。友達なんかいねぇし、誰でもいいや」と小さく呟いた。隣で聞いていたヒナタは悲しげに顔を伏せるが、ナルトは決して気づかない。
 それから生徒たちの名前が呼ばれ、それぞれの班が決まっていく。決まった班のものたちは順番に席を移動する。
 まだかな、と自分の名前が呼ばれないことをナルトは心配し始めるが――

「……じゃぁ、七班。春野サクラ、うずまきナルト、うちはサスケ」

 呼ばれた! 喜んで立ち上がる。
 下では「ナルトかよー!」と悲しむサクラと、「サスケくんだー!」と喜ぶサクラがいた。どちらも同一人物である。
 班の決定で一喜一憂する卒業生たちを笑顔でイルカは見ていて教室を出ようとするが、最後に「午後から上忍の先生たちを紹介するから、それまで解散!」とだけ言って出て行った。
 邪魔者がいなくなった瞬間、教室はがやがやと騒ぎ出す。
 班が決定されて移動した際、ナルトの隣はサクラとサスケになった。

「一緒の班は――うちはの奴か」
「フン、せいぜい足を引っ張るなよ」
「……善処させてもらいますよ」

 桃色の髪を横に分けたデコ丸出しの女の子が春野サクラで、逆立つ黒髪に整った顔立ちのうちはサスケだ。何故かはわからないが、サクラは終始ナルトのことを睨みつけており、ナルトは心底辟易としていた。 

「ナルトー! あんたサスケくんに対して偉そうなのよ!」

 烈火のごとく怒り狂う乙女は恐ろしい。
 思わず本音が出てしまったのも無理はないというもの。
 ナルトは皮肉気に口角を吊り上げながら、顔を近づけて叫んでくるサクラの額を指で突くと、耳元で優しく囁いた。
 
「うるせぇから黙ってろ、デコッパゲ」

 一瞬何を言われたのか理解できず、距離を離したナルトのことを呆けた顔で見てしまった。
 うるせぇから黙ってろ……デコッパゲ。デコ――パゲ。ハゲ。
 ハゲッ!?
 理解したときには怒りが限界を超えて噴き上がる。
 机に拳を叩きつけて、ナルトのジャンパーの襟元へと手を伸ばす。

「デコッパゲ!? 喧嘩売ってんの!?」
「買ってくれるならいくらでも売るぜ? 大安売りのバーゲンセールだ」

 襟元に向かった手は簡単に掴まれて、ぎりぎりと力を加えられていく。
 凄まじい力だ。
 サクラの細い腕は引き千切れそうなほどの苦痛に襲われる。顔を顰め、腰から力が抜けていき、罵声を吐く力も消えていく。
 呻くように息を吐き出しながら、懇願するようにナルトのことを見上げた。恐ろしく、冷たい目だった。敵を見るような、そんな視線。
「つまんねぇの」と吐き捨てると、ナルトはサクラの手を離し、教室の扉へと向かって歩き出す。

「チキンのくせに喧嘩売ってくんなよ。馬鹿が」

 そんな言葉を残して、部屋から出る。
 強引に閉じられた扉は大きな音をたてて、耳障りなそれは気分を害するもの。
 イライラする。
 この気持ちを伝えようと意中の人であるサスケに向き直って――

「何よっ! あいつ……偉そうにっ! サスケくんどう思う!? って、いないー!」

 気づけば教室には一人きりだった。

 ◆

 晴れ渡る空の中、太陽は無駄に元気そうだ。
 さんさんと照りつける陽光が暑い。とても、暑い。だから失敗してしまうのだろう。湯だった頭だから仕方ない。
 そんな言い訳をしながら、ナルトはアカデミーの屋上で身悶えていた。

「馬鹿だろ、俺……喧嘩売ってどうすんだ。これから仲間になるってのによ……」

 友達が欲しかったら相手がして欲しいことを考えろ、とイルカに言われたばかりだ。それなのにナルトはつまらぬ失敗を犯してしまった。
 喧嘩を売られる。あげく買う。女に対して力を行使する。考えうる限りで最悪だと言っていい。
 これからサクラとギスギスとした関係を送らなければならないのかと思うと逃げ出したくなる。もう、一人は嫌だ。誰でもいいから友達がほしい。

「くそっ、墓穴掘ってよ。イルカ先生に言われたろ。『友達になってください』だ」

 呟いた言葉は誰にも届くはずのないものだった。

「何ぼやいてんだ?」

 それなのに何故か返答が来た。
 急いで飛び起きると――

「うちはサスケ!?」
「いきなり人のことフルネームで呼ぶんじゃねぇよ。ウスラトンカチ」

 いきなりウスラトンカチなどと罵倒してくるサスケの姿があった。
 それが激しくナルトをむかつかせた。
 サスケは優等生だ。才能に溢れている。
 それが妬ましい――いや、関係ない。ただ、羨ましいのだ。才能などではなく、常に人に囲まれているという環境が。
 自覚はある。けれども、嫉妬はなくならない。
 制御できない感情が心の防波堤をあっさりと決壊させる。

「んだよ、喧嘩売ってんのか? 俺は非常に虫の居所が悪いんだ。大特価で買い取ってやるよ」
「別に、そんなつもりはねぇよ」

 サスケは手にサンドイッチを持ち、頬張りながら近づいてくる。
 座り込んでいるナルトの隣へ勢いよく座り込むと、サンドイッチを大きく齧った。

「勝手に座るな」
「別にお前の家ってわけでもないのに命令するな」

 事実だ。けれど、神経が逆撫でされたような気分に陥る。
 むかつく。とにかくむかつく。殴りたい。そんな気持ちがふつふつと湧いてくる。
 ちらりとサスケのほうを見た。
 サスケはサンドイッチを食べ終わっており、空を見上げていた。ナルトに関心を示すわけでもなく、ただ空を―― 

「友達、いないのか?」

 唐突に、そんなことを言われる。
 心臓が爆発するかと思った。

「……っ! いきなり核心つくんじゃねーよ! お前はエスパーか!?」
「聞こえたんだよ」

 聞こえたとは何だろう……考える意味もない。
 間違いなく『友達がほしい』発言だろう。屋上で寝転んでいたせいか、それとも陽気にやられたのか、油断していたからこそ漏れ出た本音を、不覚にも聞かれてしまった。しかも、内容が幼稚と来たものだ。
 恥ずかしさがこみ上げてくる。

「……いねぇよ。悪いか!」

 だから、声を張り上げて。
 
「気分悪ぃ。俺は行くぜ」
「あ、おい。そろそろ時間……」

 引き止める声も無視して、ナルトは屋上から飛び降りた。

(時間なんて――知るかっ!)

 とにかくこの場から離れたかったのだ。

 ◆

 アカデミーの広場にあるベンチに座り込みながら、桃色の髪をわしゃわしゃと掻き毟って、乙女は憤慨していた。

「あのクソナルトォォォォッ! 人の気にしてることを――デコッパゲだって!? デコ……ハゲ? ハゲてないわよ! 畜生!!」

 サクラはデコの面積が広いことを気にしている。とても、気にしている。
 思春期真っ盛りのこの年齢では、やはり見た目は気にしてしまうものなのだ。しかも、意中の人であるサスケの目の前での罵倒である。信じられない。ナルトがいくら鈍感だからって、あれほどサスケにアピールしているサクラの姿を見たことがあるはずだ。それなのに、それなのに、それなのに――

「ムキャーーッッ!」

 思い出しただけでもイラつく。
 忍術以外の成績が良いのも知っているし、授業態度だって真面目、他のアカデミー生よりもよほど好感が持てる。格好イイ奴、と思っていた。それなのに、サスケに対してあの口ぶり。嫌味な笑顔を浮かべて、あの言葉遣い。ありえない。サスケくんに対してっ!
 と、いったことでサクラはとてもとても怒っていた。
 ベンチに座って、ダンダンと地団太を踏んでいる。端から見れば、清楚な女とはかけ離れた――百年の恋も冷めるような醜態でしかないのだが……

「――ナルト見なかったか?」

 声変わりの終わりきっていない、耳心地の良い声。
 地団太を踏むのをやめ、苛立った顰めた顔を即座に修正し、笑顔を浮かべる。完璧だ、と考えてから振り向くとそこには王子様がいた。
 切れ長の黒瞳はサクラの心を掴んで話さない。あらゆる授業でトップの――まさにエリートという言葉が相応しい少年、うちはサスケ。ナルトとは比較にならないほどの格好良さだ。心臓が、高鳴る。ナルトのことじゃなければもっと嬉しかったのに……。

「あ、サスケくん……ナルトなら見てないけど」

 ってか、あんなやつ興味ないしー、というのがサクラの本音である。

「そろそろ集合の時間だ。ナルトのヤローを教室に連れていかないと」
「あんな奴、放っておけばいいじゃない! いつも授業の進行遅らせるしさ。忍術なんかてんで使えなくて、本当に迷惑! あげくに、あげくにデコッパゲって! ふざけんなってのよ!」

 苛立っているせいか、腹の中に押し込めた怒りが口から吐き出される。
 そうだ。
 ナルトは忍術の授業のとき、いつも失敗して授業を遅らせた。いっそいなければいいのに、と何度思ったことか数え切れない。態度はでかいし、よくクラスメートと喧嘩していた。なんだかんだで勝っていたが、たまに大勢にやられてボコボコにされていた気もする。
 協調性がないのだ。致命的に。だから、目の敵にされる。それを自覚していないこともわかる。
 つまり――

「やっぱりまともな育ち方してないからよ、アイツ……ホラ、あいつ両親いないじゃない!?」

 常識を教えてくれる厳しい親がいない。なんと羨ましいことか。

「いつも一人でワガママし放題! 私なんかそんなことしたら親に怒られちゃうけどさ。いーわねー、ホラ! 一人ってさ! ガミガミ親に言われることもないしさ! だからあんなふうに人の気にしてることを言うのよ。本当サイアク!!」

 夜中にお菓子を食べても怒られない。
 宿題などをしろと言われないし、風呂の時間を決められたりも、門限などもないのだろう。羨ましいっ!
 そんな奔放な生活をしているから、あんなに思いやりのない子なのだ。
 サクラの舌鋒は止まらない。黙って聞いているサスケが、機嫌が悪くなっていくのにも気付かず、ただただ罵倒を続ける。

「……孤独」

 ぽつり、と吐き出された言葉。
 何を言ったのか聞き取れず「え?」とサクラは聞き返してしまう。

「親に叱られて悲しいなんてレベルじゃねーぞ」

 怒っている。
 サスケは正しく、サクラを睨みつけて、怒っていた。
 何故怒られているのかわからない。何が逆鱗に触れたのか――あぁ、ナルトのことか。そして、サスケも両親がいないことを思い出す。地雷を踏んだ。

「お前、うざいよ」

 好きな人に言われたら、とても傷つく。
 確かにうざかったかもしれない。私が悪かったかもしれない。
 肩を怒らせながら歩いていくサスケの背中を追いながら、サクラは少し反省した。

 ◆

 教室の中、うずまきナルトは目的もなくうろついていた。
 周囲にいる卒業生たちが鬱陶しげにナルトのことを見ているが、気にした素振りもなく、時計と扉を交互に見ながら、深い深いため息をついていた。

「ど、どうしたの?」

 おずおずと聞いてくるヒナタのことなど眼中に入れず、再び溜め息。
 無視された! と悲しみに打ち震えるヒナタは自分の席へと戻って行くと、突っ伏した。後ろに座るポニーテールの金髪の少女――山中イノが「あんた頑張ったわよ」と慰めるも、突っ伏したまま悲しげに肩を震わせている。こりゃだめだ、と周囲の卒業生たちも嘆息した。
 本当のところは、ナルトは考え事をしていて、ヒナタに気付かなかったのだ。
 考えていた内容は稚拙ではあるが、ナルトにとってはとても重要なことであり、経験したことのない無理難題に等しきことである。

(デコッパゲは言いすぎだよな。いやでも、突っかかられたのは俺だし。なんで俺が謝らなきゃいけねーんだ?)

 サクラに悪口を言ったことを、とても後悔しているのだ。
 けれど、自分が悪いとも思わない。悪口を言ったのは確かに悪いが突っかかってきたのはサクラが先だ。それならばサクラから謝るのが筋ではなかろうか。しかし、女性の外見を馬鹿にするのは男としてどうなのだろうか。かなり最低なことではないのだろうか。ナルトが今まで読んだ小説の中でそういうことが書かれていた気がする。
 しかし――プライドが許さない。
 何故、頭を下げねばならない。強要される理由もない。
 それでも、本音は違う。
 ナルトは謝りたい、と思っていた。
 時計の針が集合時間の五分前を指したとき、事態は激変する。
 扉が開く音とともに、サクラとサスケが教室に入ってきたのだ。
 ナルトとサクラの目が合う。サクラは申し訳なさそうに顔を伏せる。これは罪悪感から来る行動であったが、ナルトは"嫌われた"と考えた。
 それからの行動は実に速い。即座に頭を下げる――どころか床に膝をつけ、更には額もつけてしまった。

「ごめん、春野サクラ! さすがに言い過ぎた! 謝る、許せ!!」

 心からの謝罪である。これから仲間になる女の子に嫌われるなど、プライドを捨てるよりも嫌だ。
 その行動にサクラは飛びあがりそうになるほど驚き「ナ、ナルト? なんで土下座?」と呟いてしまう。予想外すぎる。そもそも謝ってくるなどとは思ってなかったし、これから気まずいなぁ、とひそかにサクラは考えていたのだ。それなのに、土下座。誠心誠意の謝罪。どう対応すればいいのかわからず、混乱してしまう。
 サスケも同じのようで、むしろ教室にいる卒業生の大半が同じのようで、みんな目が点になっていた。「ナルトはサクラに何をしたのだろう」と小声で話しあっている。「土下座するほどだし……」と誰かが呟いた瞬間、「とりあえず土下座やめて!」と叫んでしまった。
 しかし、ナルトは首を振る。

「考えてみたんだけど、俺が悪かった。女の子の外見を罵るなんて最低だ。本当に悪かった。ごめんな」
「い、いいわよ。私も言いすぎたし……だから、土下座やめてっ!」
「許してくれるのか?」

 初めて顔を上げたナルトは、懇願するようにサクラのことを見上げている。
 さっきまで怒ったり、罪悪感を感じたりしていたことが馬鹿らしくなる。こいつ、馬鹿だ。馬鹿のことを真面目に考えることほど時間の無駄はない。それに、馬鹿だけどイイ奴だ。
 うん、とサクラは許すことを伝えると、ナルトは飛び起きて、サクラの前に立った。 ひとしきり咳払いをして、深呼吸を始める。何がやりたいのだろう、と教室のみんながナルトを注目するが、その行動は斜め上を行くものだった。

「じゃぁ、ごほん。『友達になってください』」
「……はぁ!?」

 漫才のように見えるこの光景。
 サスケはとうとう吹き出した。

「――プ、ハハ、アハハハハッッ!」
「な、なんで笑ってるのよ、サスケくん!」
「で、どうなんだ」
「わ、わけわかんないんだけど、何で友達?」
「欲しいからに決まってるだろ」

 決まっているのか、とサクラは疑問を持つが――ナルトのアカデミー時代を思い出すと、納得する。

(そういえば、アカデミーで誰かと一緒に笑ってる姿って見たことないわね……)

 ずっと、一人だった。もしかして――

「友達、いないの?」
「……恥ずかしながら、いない」

 胸を張りながら言う言葉ではない。

「仕方ないわね。じゃあ、このサクラちゃんがなってあげるわよっ! サスケくんは?」

「遠慮しとく」と苦笑しながら答えるサスケに「笑うだけ笑って遠慮かよっ!」とナルトはツッコミを入れる。
 いきなり喧嘩もしたけれど、なんとか上手くやっていけそうだ、とサクラは思う。サスケはどうなのか――

「そのうちな」

 笑いながら言うその言葉に、嫌そうな雰囲気はなかった。










[19775] 5.カカシ事変――Ⅱ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/22 20:22
2.

 秒針が時を刻む音が教室にこだまする。それがたまらなくストレスを溜める原因となることを、ナルトはこの日、初めて知った。
 集合時間は午後一時――だったはずなのだが、時計の針が指しているのは三時二十五分。遅れているなんていう生易しいものではなく、もはや放置されているのではないかと疑うほどの遅延ぶりだ。
 いらいらが止まらない。ナルトはいつだってきっちりやることを重んじる。規律を守れない奴が一番嫌いだ。それなのに、それなのに、それなのに!
 机の下で小刻みに震える脚は貧乏ゆすり。不機嫌な顔で脚を揺らすその様は見ていて不愉快だ。サクラは顔を顰めて、ナルトを睨む。

「苛立ってるのはわかるけど、うざいから止めて」

 ぴくりと反応すると、ナルトは申し訳なさそうな顔になって脚を止める。
 再び秒針の音。
 いらいらいらいらいらいらいらいら。
 ナルトの堪忍袋は限界をとうに超えていた。

「あー! いつまで待たせるんだ! 忍者とかなんとかいう以前に! 人として! 時間を守れないのはどういうことなんだ! 最低限のルールだろがっ!?」
「他の班はみんな行っちゃったしね。遅刻かな? 教師ともあろうものが初日から?」

 ガタンと椅子を倒して立ち上がるなり、叫んだ言葉はこれだ。
 サクラとサスケは大きく頷く。そんなことも守れないやつの下に付くことになるのかと思うと心底うんざりしてくる。
「忘れられてるとかないよね……」と怯えるようにサクラは言うが、「フン、黙って待ってろ」とサスケが吐き捨てる。腕を組んで、机に脚を乗せながらのその言葉は多分に怒りを含んでいた。
 こっそりとサスケも貧乏ゆすりをしているのだが、それを指摘するものは誰もいない。

――チクタク、チクタク

 場を沈黙が満たすたびに、耳に入ってくる秒針の雑音。
 後何時間待てばいいのだろう。太陽がそろそろ傾きかけている。本当に忘れ去られているのではないだろうか。
 三人とも妙に焦りながら、時計を極力見ないように、ひたすら机の上を見つめていたとき、扉の開く音が聞こえた。

「いやぁ、ごめんごめん。来る前に腹痛がすごくてねー」

 入ってきたのは白髪の男。黒で統一された忍衣装の上に、迷彩色のジャケットを着た、片目を額当てで隠していて、さらには鼻から下もマスクで覆っていて顔のほとんどが見えない――いかにも怪しげな男だ。
 盛大に遅刻したにも関わらず、全く悪びれた様子はない。あげくに言い訳をしながら入ってくる様は、三人の神経を逆撫でするには十分だ。
 自然と表情が引き攣るというもの。ナルトにいたっては吊り上がった口角がひくひくと痙攣している。 
 しかし、一応先生になる相手に失礼を働くわけにはいかない。三人とも大きく深呼吸をすると、少しだけ嫌味をするだけに留めることを視線で確認しあった。

「先生……凄く健康そうに見えるんですけど」
「顔色はいいな」
「これで本当に上忍か? 頼りなさそうな奴だな」

 小さく呟く。だが、きっちりと相手の耳に届くように計算された小声。
 聞き取った上忍は思い切り良い笑顔を浮かべると――といっても片目しか見えないのだが――とても爽やかな声で言い放った。

「んー……なんて言うのかな。お前らの第一印象は――嫌いだ!」

 こっちの台詞だよ、と思ったのは誰だろう。
 下忍の引き攣った笑みはどんよりと沈んでいく。

 ◆

「そうだな。まずは自己紹介をしてもらおう」

 七班を引き連れてアカデミーの屋上に着いたときに発した怪しげな男の第一声はこれである。
 初対面なのだから自己紹介をするのは当然と言えば当然だが、何を言えばいいのかわからない。
 サクラは手を上げると「うん、桃色の髪の君。質問ならどうぞ」と言われ、怪訝そうな表情を浮かべながら、おずおずと言葉を紡いだ。

「……どんなこと言えばいいの?」
「そりゃあ好きなもの、嫌いなもの。将来の夢とか趣味とか……ま! そんなのだ」

 当たり前のこと聞くなよ、と言った風情の怪しげな男。
 もともと苛立っているナルトは、さらに怒りとなる要素を贈呈されて、抗議をする。

「まずは自分からやるのが筋だろ?」
「そうね。見た目ちょっとあやしいし」
「かなり、だろ……」

 七班は結成されたばかりとは思えないほどのチームワークを持って、怪しげな男の評価を言う。
 顔は見えないし、名前もわからないし、遅刻はしてくるし、はっきり言って評価はかなり最低だ。できるものなら別の上忍に変わってほしいと全員が思っていた。
 その意味を的確に把握しているのか、それともとことんまでに空気が読めないのか。怪しげな男は気分を害した様子はなく、「あぁ、俺か?」と自己紹介を始める。

「俺は"はたけカカシ"って名前だ。好き嫌いをお前らに教える気はない! 将来の夢って言われてもなぁ……ま! 趣味は色々だ」
「ねぇ、結局わかったのって名前だけじゃない……?」

 サクラの言葉に強く頷く二人。はたけカカシは自分を全く紹介していなかった。自分の情報は決して他人に与えない。情報を大事に扱う忍者の鏡だ、とナルトは無理やり納得した。

「じゃ、次はお前らだ。右から順に……」

 座っている順番は右からナルト、サクラ、サスケだ。

「俺か。俺はうずまきナルト。好きなものは――何だろうな。思いつかない。嫌いなもの――というより嫌いなことは見下されること。将来の夢はイルカ先生みたいに立派な教師になることだ」

 特に隠す理由もないので全て正直に答えたところ、サクラとサスケが驚いたふうにナルトのことを見ている。「何かおかしいのかよ」とじろりと見返すが、「へぇ、ナルトって教師になりたいんだ? 意外~」「確かに意外だな」と両名に言われ、不思議に思う。

「そうか? 教え育てるってのは人生において最大の娯楽だと思うぞ」
「へぇ、きっとなれるわよ。頑張りなさいよ」

 へへへ、と恥ずかしそうに照れるナルト。
 何だかんだで生徒に言ったことはなかったので、こういう夢を語るのは初体験である。ちょっと恥ずかしいな、と少し顔を伏せる。

「趣味は――修行かな。できないことをできるようになるってのは楽しい」
「勤勉な奴……」

 カカシの吐いた言葉は意図的に無視して、ナルトは自己紹介を終了した。
 はい次、と指名されたのはサスケ。フン、と鼻息を鳴らすと、表情を隠すように顔の前で手を組んだ。
 
「名はうちはサスケ。嫌いなものならたくさんあるが、好きなものは別にない。それから……夢なんて言葉で終わらす気はないが――野望はある! 一族の復興と……」

 瞳に宿るのは漆黒の焔。

「――ある男を必ず殺すことだ」

 どれほどの憎しみを湛えているのか。堪えきれない憤怒は殺気として発散される。
 先日にミズキの本物の殺気を受けた身であるナルトからすればそよ風のようなものではあるが、それでも、自分と同年代のサスケがそれほどの怒りを孕んでいることに驚きを覚える。
 何を奪われたらここまで恨めるのか、わからない。

「よし。じゃ、最後は女の子」

 気軽なカカシの声に殺気は霧散する。
 すると――

「私は春野サクラ。好きなものはぁ……てゆーかぁ……好きな人は……えーとぉ、将来の夢も言っちゃおうかなぁ。キャー!!」

 終始ちらちらとサスケのことを見るサクラ。ほんのりと頬を染めるサスケが可愛らしい。照れているのか、とナルトは冷静に分析する。ポーカーフェイスを装おうとしているのに、できていないあたりが面白い。
 くつくつと笑うナルトのことをサスケは睨みつけるが、それがより一層笑える。

「嫌いなものは特にないです。あ、強いて言えば空気読めない奴です」

 サクラがちらっと見たのはナルトだ。サスケのことを馬鹿にして笑っていることが許せないのだろう。
「俺?」と少し動揺しているナルトを見て、サスケは少しだけ溜飲が下がったのか……「このウスラトンカチが」と馬鹿にしている。下らないことで張り合っているあたり、精神年齢は同じなのかもしれない。

「趣味はぁ……」

 まだサスケに視線を向け続けるサクラ。いい加減鬱陶しくなってきたのか、サスケはぱたぱたと自分の顔を扇ぎ始める。

(この年齢の女の子は忍術より恋愛だな……)

 呆れたようにカカシはタメ息を吐くと、ぱんぱんと手を叩く。

「よし! 自己紹介はそこまでだ。明日から任務やるぞ」

 『任務』という言葉に、七班の新米たちは敏感に反応した。
 一人は目を光らせて、一人は歪んだ笑みを浮かべて、一人は緊張した面持ちだ。
 その光景を見下ろすカカシは、にやりと笑う。

「まずはこの四人だけである任務をやる。サバイバル演習だ」

 サバイバル演習――要するに森や山などで生き残るための練習だ。
 気配を消すことから始め、敵を見つけるための索敵、または敵から逃げ切る遁術の修練、果てには食べられる植物の学習などいろいろある。それらは全てアカデミーで習うものだが――

「何で任務で演習やんのよ? 演習なら忍者学校でさんざんやったわよ!」

 当然、文句は出る。
 仮にもアカデミーを卒業する実力はあるのだ。それなのに、また授業の復習みたいなことをさせられる。舐められている、侮られている、そう思っても仕方のないこと。
 だが、カカシは淡々と言う。

「相手は俺だが、ただの演習じゃない」
「どんな演習なんだ?」

 ナルトは手を上げて聞くが、カカシは答えない。
 くつくつと笑うだけで、口を開こうとはしない。不気味なことこの上なかった。
 我慢できなくなったのか――サクラが「ちょっと! 何がおかしいのよ、先生」と言うが、笑い声は途切れない。

「いや……ま! ただな、俺がこれ言ったらお前ら絶対引くから」
「引かねーよ。そこらのヘタレと一緒にすんな」

 ナルトの言葉に答えるように、カカシは言う。

「卒業生二十七名中、下忍と認められるのはわずか九名。残り十八名はアカデミーへ戻される。この演習は脱落率六十六パーセントの超難関テストだ」

 驚きのあまり硬直する二人。
 だが、ナルトだけはのほほんと聞いていた。
 それも当然である。この中で二度留年したナルトは、そういう末路を辿った人間を何人も見ている。

「あー、だから卒業したのに離れの教習所で修行してる人が多かったのか。下忍になれなかったわけね」
「……君、引かないね」
「先生! じゃあなんで卒業試験なんかするんですか!?」

 湧き上がる疑問の声に対するは端的な答え。
 曰く、下忍になる可能性のあるものを選抜するだけ。
 ふざけんな! とサクラは思うだけに留めず、叫んでしまうが、カカシはどこ吹く風。

「とにかく、明日は演習場でお前らの合否を判断する。忍び道具一式持って来い。それと朝飯は抜いて来い……吐くぞ」

 七班の鋭い視線を受け流しながら、腰に吊るしたポーチの中からプリントを取り出すと、全員に配っていく。

 ナルトは思う。
 サクラは思う。
 サスケは思う。

(落ちてたまるか)
 
 最後まで飄々とした態度をとるカカシに対しての反発心もある。だが、それ以上に――下忍になると決めた以上、それ以外の道は選べないのだ。
 まぁ、「この試験に落ちたらサスケくんと離れ離れになっちゃう。これは愛の試験だわ!」と考えている女の子は一人いるが――

「詳しいことはプリントに書いておいたから。明日遅れて来ないよーに」
「どの口が言うんだよ」

 こうしてサバイバル演習という課題を与えられた七班は、解散した。
 ナルトはこの日、忍具の手入れに余念がなかったのは言うまでもない。

 ◆

 サバイバル演習場は数多くあるが、集合の場所とされたところは『森』と言う他ない場所であった。
 危険な動物などがあまりいない、基礎的な――初心者用の演習場である。毒物などはあまりなく、食料を判別するのもあまり苦労しないところ。
 そこの入り口の開けた場所で七班に所属するナルト、サスケ、サクラの三人は集合していたのだが、前回と同じく、教師の姿は一向に現れない。
 ナルトはポケットの中で綺麗に折り畳まれたプリントを取り出すと、集合時間を再確認した。
 八時、と書かれている。
 腕時計を確認した。デジタルの数字で表示されるそれは朝のニュース番組に表示される標準時間に合わせたばかりのもの。それなのに、『AM09:48』と表示されている。
 遅刻だ。正しく遅刻だ。
 うんざりとしたようにナルトはタメ息を吐く。残り二人も同様に、深い深いため息を吐いた。
 怒る気力も残っていない。
 人間というのは怒りすぎると無気力になるものなのだ。
 うなだれて座り込むナルトにかけられる言葉はなく、サスケはぼんやりと空を見ていて、サクラは木にもたれ掛かりながら小説を読んでいた。
 朝の陽光が世界を照らし、実に日向ぼっこ日和である。ナルトは地面に生えている草など気にせずに寝転がった。それを嫌そうに見つめるサクラの視線があるが、全く気にしない。
 朝日に眩む目を細めながら、ぼけっとしていた。
 それから数分後――

「やー諸君、おはよう!」

 悪びれることなく、はたけカカシは現れた。

「やっぱり遅刻かよ……」
「早く来るんじゃなかった……」

 ナルトとサクラは嫌味を漏らすが、カカシには届かないようだ。
 にこにこと機嫌が良さそうに片目だけで笑顔を表現しながら、ポーチから目覚まし時計を取り出す。
「よし、十二時セット」と切り株の上に置かれた。意味がわからず、七班の三人は全員疑問符を浮かべる。
 すると、カカシがごそごそとポーチから新たにものを取り出した。それは鈴だ。風に揺られて凛と鳴る音は綺麗なもの。風流ですらある。カカシが持っていなかったとすればその音色に眠気を誘われていたであろう、とナルトはこっそり考えた。

「ここに鈴が二つある。これを俺から昼までに奪い取ることが課題だ。もし昼までに俺から鈴を奪えなかった奴は昼飯抜き! あの丸太に縛り付けた上で、目の前で俺が弁当食うから」

 沈黙。
 このとき、三人は全く同じことを考えていた。

(朝飯食うなってそういうことだったのね……)

 腹が鳴る。
 育ち盛りの年齢であるナルトやサスケ、サクラにとって空腹とは大敵だ。力が、入らなくなる。そんな過酷なことを要求するカカシが鬼のように見えた。胡散臭い鬼、絵にならない。

「鈴は一人一つでいい。二つしかないから――必然的に一人が丸太行きになる」

 カカシはサバイバル演習の説明を続ける。

「で! 鈴を取れない奴は任務失敗ってことで失格だ。つまり、この中で最低でも一人は学校へ戻ってもらうことになるわけだ。手裏剣を使ってもいいぞ。俺を殺すつもりで来ないと取れないからな」
「でも、危ないわよ。先生!」
「仮にも上忍なんだから下忍の手裏剣なんか喰らわないだろ。喰らったらそいつはそこまでのことだったってことだ。そうだろ、先生?」
「その通り! よくわかってるねぇ」

 ナルトの言葉をカカシは肯定する。
 そもそも下忍に殺されるような上忍がいるわけがないのだ。仮にいたとしても、そんな奴に上忍の任務がこなせるはずがない。死んだほうが里のためだ。

「ところで、質問いいか?」

 いいよ、とカカシは言う。
 ナルトはこの時点で不思議に思っていたことがあったのだ。
 スリーマンセルということで組まれた卒業生。それなのに必ず一人は落ちるという。それは、おかしい。上忍と合わせて、木の葉の基本スタイルであるフォーマンセルが組めない。この課題は致命的に矛盾している。
 それに、仲間割れを起こさせるために作られたような課題を疑問に思える。得をすることがないのだ。
 だが、それは保留する。それは試験中に考えればいいこと。まず確認すべきことは一つだ。

「他の班でも同じような課題をしてるとすれば、他の班で合格した奴が新たに七班に加わるってことか?」
「……そうなるね」

 なるほど、とナルトは頷く。
 そして、少しだけ困ったような表情を浮かべる。

「せっかく二人と友達になれたんだ。できれば一緒の班になりたいんだが……」

 素直すぎる言葉にサスケとサクラは少しだけ、笑う。
 ナルトにとって『友達』という言葉はとても大事なものだ。他のなにものにも変えられない。やっと手に入れられたもの。それを手放す気はない。しかし、試験では絶対に引き剥がされる。
 納得できない。
 その言葉を気にいらないのか、カカシは笑う。

「友達失いたくないから任務できないよーってか? けっこうなことで。そんなんじゃ教師にすらなれないだろうな」

 笑うと言っても、それは嘲笑の類だ。
「安い挑発だな」とナルトは言い返すが、拳に力が入っているのがわかる。怒っている。
 お互いに満面の笑顔のやり取り。
 サクラは内心ドキドキしながら経緯を見守っていた。

「アカデミーで習ったのか? その下らない受け答えは。授業を担当した教師の力量が知れるな。随分と、つまらない。程度が知れる」

 ナルトの顔が、鬼のような形相に変わる。
 地雷だ。
 それは恩師であるイルカに対する侮辱。ナルトの目標を穢す言葉。
 看過できるほど――ナルトは大人ではないし、冷めてもいない。
 殺気を撒き散らす。
 太腿につけられたホルスターから苦無を引き抜き、振り上げる。
 一連の動作は無駄のない、流麗そのもの。教本に載ってもおかしくないほどの、日々の鍛錬による賜物。
 だが、肝心の投擲に入ったとき、その動きは止められた。

「そうあわてんなよ。まだスタートは言ってないだろ」
「うそ……! まるで見えなかった」
「これが……上忍か」

 サクラとサスケが驚くのも無理はない。
 目に写らない圧倒的な速度。
 それはまさに――疾風。
 気づけばナルトの後ろに立ち、苦無を握る手を押さえていた。それほどまでの神業。
 だが、驚いていない奴が一人いる。
 ナルトだ。
 口の端を吊り上げながら、好戦的に笑っている。

「悪いな。俺の中ではもうスタートだ」

 このとき、カカシは気づく。苦無の柄に巻きついているものに――

(起爆札ッ……!?)

 耳を劈くほどの轟音。
 近くで爆発した余波でサクラとサスケの視界は白く染まる。
 見えない視界の中では爆煙が巻き起こり、状況がわからない。
 カカシはどうなった。

「ナルト!?」

 サクラは叫ぶ。
 そんなとき、地面を踏みしめる音が確かに聞こえた。

「どうだ。つまらない教師に育てられた補欠合格の卒業生の実力は?」

 吐く言葉は挑発的なもの。不敵な笑み。
 現れたのはナルトだった。
 どうやったのかはわからないが、汚れ一つない綺麗な格好で、草陰から歩き出してくる姿は、サクラの女心をくすぐった。
 かっこいい、と思ってしまった。
 だが――

「もう一度言う。スタートはまだ言ってないだろ?」
「なっ……!?」

 ナルトの後ろには、胡散臭い男が欠伸混じりに立っていた。
 学習能力の低い子供に対し、呆れるように注意する様は、余裕を窺わせる。

「でも、ま! 俺を殺るつもりで来る気になったようだな。やっと俺を認めてくれたかな?」

 さきほどまでのふざけた態度ではない。

「ククク……なんだかな。やっとお前らを好きになれそうだ」

 飄々とした昼行灯の姿から、ようやく本当の姿を出してきた。
 上忍。
 木の葉を支える――選りすぐりのエリート。
 下忍などとは比べることもおこがましいほどの戦力差を保有している。
 サクラは彼我の力の差に怯える。
 サスケは強者に挑戦できる幸運を笑う。

「俺は、嫌いだ。イルカ先生を馬鹿にしたこと、絶対に撤回させてやる……ッ!」

 ナルトは侮辱された恨みをぶつけるため、怒る。

「じゃ、始めるぞ。よーい」

 風が、吹いた。

「スタート!!」

 こうして木の葉の忍は試験に挑む。
 "一人前"と認められるために……。






[19775] 6.カカシ事変――Ⅲ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/22 20:23
3.

 サバイバル演習が始まって十分。
 ナルトは森の中に身を隠した後、分析していた。
 カカシの戦闘能力は未知数。
 わかっていることは、少なくとも真正面から戦ったら負けるということ。
 遠距離戦はどうだろうか。
 忍具の扱いなら多少の自信はある。だが、目に写らない速度で動くことができるカカシに当てることができるか? 答えは『NO』だ。突然カカシの足元で地割れが起こって身動きとれなくなるような状況にでもならない限り当てることはできない。かなり楽観的に見積もっても、それくらいの実力差はある。
 近距離を交えての中距離戦闘によるヒットアンドアウェイ。
 答えはやはり『NO』だ。近距離になった瞬間にあっさりとくたばる自分の姿しか思いつかない。そもそも中距離だとあっさりと距離を詰められる恐れがある。あまりにもリスクが高い。
 反則だ。
 考えれば考えるほどに"一人では"勝ち目がないことがわかる。
 自分には才能がない。忍術に置いても、体術においても、天稟といえるものはない。
 サスケのように体術や忍術に秀でてはいない。
 サクラのように座学などの知識があるわけではない。
 ならば、何がある。
 自分の持ち駒を考える。
 圧倒的優位に立っているものといえば【多重影分身】くらいだ。それと、忍具の扱い。その習熟度。それだけは誰にも負ける気がしない。
 嗤う。
 視線の先にいるのは『イチャイチャバラダイス』などという十八禁指定されている如何わしい冊子を読むカカシの姿。にやにやと口元を緩ませているのであろうマスクの下を想像するだけで吐き気がする。こんな奴に、夢を否定され、イルカを侮辱された。
 許せるものか。

(絶対に、潰してやる)

 そのための戦術は練った。伏線も張った。
 けれど、成功率はかなり低い。だけど、このまま無為に時間を過ごしていても、決定的な隙を見せてくれるとは思えない。あんなナリでもカカシは上忍だ。下忍にすらなれていない自分では、きっと隙を見つけたとしても上手く攻撃を加えることはできないだろう。
 ならば、意外性。
 絶対にしないであろう、と敵に思われるほどの愚策を敢えて使う。

「クソ教師――勝負だ」

 だからこそ、ナルトは隠れていた木の上から飛び降りて、カカシの前に降り立った。

 ◆

「あのさァ。お前ちっとズレとるのぉ」

 その言葉にサスケは激しく同意した。
 少し離れた草むらに隠れながらカカシの動向を観察していたのだが、突然ナルトがカカシに対して勝負を挑んだのだ。
 手には苦無を持ち、さっきと同じように起爆札が巻かれている。
 二度目。通じるはずがない。
 アカデミー内でのナルトの行動を思い出す限り、どうしてもそんな馬鹿なことをするとは思えない。しかし、さきほど怒っていた。イルカを侮辱されて怒っていたのは本気のもの。憎悪に近いものがあった。だからこそ、冷静さを欠いているとも考えられる。
 だが――

(本当に――ただの馬鹿なのか?)

 疑問符がつく。
 そんなとき、背に何かが触れた。
 振り返ると、そこには眼下でカカシに挑んでいるはずの奴がいる。
 何故自分が隠れている場所を察知できたのか、それに何故そいつが複数いるのかがわからないが、小声で話された言葉は承服しかねること。

「俺は、一人でやる」

 そうか、とだけ言うと人影は森の中へ身を隠す。
 どういう原理で複数いるのかわからない。おそらく高等忍術の――サスケの知らない類のものだろう。

「面白くなってきやがった」

 拳に力が入る。
 サスケは心から歓喜していた。
 強敵の出現に、何よりも――未知の忍術を扱う仲間の姿に。
  
 ◆

 風が吹き荒れる。
 対峙するのは長身の男と小柄の少年。
 障害物のない、開けた場所ではお互いに視界を遮るものはなく、ナルトの眼光はカカシをきっちりと捉えていた。

「ズレてるのはお前の体内時計だ。時間すら守れないクソ野郎ッ!」
「ま! 否定はしないけどね。じゃあ、そうだなぁ。忍戦術の心得。体術!! を教えてやる」

 否定しろよ、と苛立ちながらナルトは思う。
 それに、体術――? 他の技術は使わないということだろうか。舐めやがって! 

「ふざけた本を持ったままか?」
「気にすんな。お前らとじゃ本読んでても関係ないから」

 さらにはカカシの右手は如何わしい冊子で塞がっている。それなのに、体術。それだけのハンデを負っていて、体術だけで戦うという。
 ナルトは思った。絶対に使わせてやる、と。
 殺気を込めた視線を送っても、カカシはにやにやとだらしなく笑いながら、ナルトのことを見ようともしない。その事実がナルトを激しく苛立たせた。目で見て警戒する脅威すらないということか。

「後悔するなよ」

 低い声で言い放つと、ナルトは地を這うが如く疾走する。
 苦無を逆手に構えたまま、大きく振りかぶり――懐に潜り込んだ瞬間、薙いだ。
 あっさりとカカシの左手で押さえられたが、これで相手はもう自由になる手はない。苦無を持つカカシに掴まれた右手を基点に跳躍し、カカシの頭上へと飛ぶ。
 そこから繰り出されるのは全体重を乗せた、踵落し。
 衝撃。
 脳天を貫いた踵には十分な手応えがあり、目の前にはふらつくカカシが――なかった。
 あるのは変わり身の術に使われたと推測される丸太。
 舌打ち。
 仮にも上忍なのに、こんなフェイントも何もない安易な攻撃を放った自分に腹が立つ。

「忍者が何度も後ろ取られんな。馬鹿」

 そして、聞こえたのはそんな声。
 首を回して後ろを見れば、しゃがみ込みながら自分のケツに狙いを定めるカカシがいた。
 計算通り。
 カカシの足元の地面から突然、何かが隆起する。
 それは小さな手だった。
 カカシの右足首をがっちりと掴んだそれは、カカシを地中へと誘う。
 
「土遁・心中斬首の術!!」
「なにぃっ!?」

 驚くカカシと入れ替わるように出てきたのはナルトだ。
 影分身を地中で掘り進ませたポイントにカカシを誘導したのだ。
 舌打ちなども全て演技。
 かかった! とナルトは内心狂喜乱舞だ。
 地面から出てきたナルトと、囮のナルトは二人とも足を大きく振りかぶり、首から上しか見えていないカカシの頭を――蹴り飛ばす。

「くたばれ、クソ野郎」

 遠慮も何もないそれはカカシの頭を振りぬいた――わけではなく、空を切る。

「変わり身かっ!?」

 そこにあるのは『ハズレ』と書かれた一枚の紙札。要するに、逃げられた上に馬鹿にされたのだ。

「正解」

 小さく答えた言葉は、もともと地上にいたナルトの後ろから聞こえた。

「気づけ! カカシは後ろだぁっ!」

 焦るように地中から出てきたナルトは声をかける。

「は?」

 だが、遅い。
 既に準備は整っている。
 ナルトの尻を見つめるカカシは、両手を握り、人差し指だけを伸ばしている。
 虎の印。
 火遁に用いられるその印が意味するものは忍術――ではなく。

「木の葉隠れ秘伝体術奥義!! 千年殺し!!」

 浣腸だった。
 しかし、それはただの浣腸ではない。
 上忍の鍛え抜かれた身体で放たれるそれはまさに必殺。肛門を突き破り、ナルトの純潔を奪った。
 苦痛のあまり、ナルトは顔を歪める。
 それを見守るもう一人のナルトも顔を顰める。
 あまりな攻撃に涙が出そうになる――わけもなく、ナルトは二人とも笑っていた。

「ダミーだよ。馬鹿。本体は地中にいた奴だよ。黄泉路へ旅立て!!」」

 笑うナルトの背中からはバチバチと不吉な音が鳴る。
 さきほど味わった嫌な思い出が、カカシの脳裏を過ぎる。

「起爆札か!!」

 予想外。
 地響きが起こるような爆発音がカカシを襲う。
 一気に後方へ跳躍して辛うじて範囲外に逃れられたが、そこには残ったナルトが待ち構えていた。
 手には苦無を持っている。そこには起爆札が貼られていない。それだけはきっちりと確認する。
 無理な回避により体勢は崩れているが、問題ない。所詮は下忍にすらなりきれていない。
 振り上げられる苦無を左手で右手で止める。そこにはもう、本はなかった。
 ナルトは本がないことに気づいたのか、にやりと笑うと、苦無を手放して徒手空拳に切り替える。
 連打。
 拳。蹴足。水面蹴り。裏拳。肘鉄。多彩な連撃がカカシを襲う。
 全て余裕の体で受け止められてしまうのだが。

「くそっ!」

 罵声を上げる。
 そして、何を思ったのか――ナルトは猪のように突撃をした。
 下っ腹を抉るように放たれたそれはカカシの拳で止められたが、やはり、おかしい。カカシは違和感に気づく。
 ナルトは自分に攻撃を加えるためではなく、自分の動きを止めるために体当たりをしてきた。
 何故なら、殴られた頬を首の力で固定して、無理やりカカシの身体に抱きついているのだから。

(また起爆札か!?)

 そう思うのも無理はない。しかし、音はしない。起爆札が爆発する寸前の耳障りな音がしない。
 ならば、狙いは何だ――そう思っているとき、事態は進む。

「土遁・土流槍!!!」

 大地が牙を剥いて、カカシとナルトを襲う。
 勢いよく幾数もの槍のような土の塊が生えてくる。

(馬鹿な!? 下忍にすらなれていない奴が使える術じゃないぞ……っ! それに……どこからっ!?)

 カカシは戦慄する。
 影分身と起爆札ばかり使ってそれしかできないように思わせたナルトの策略に。術を有効に使おうと試みるその姿勢に。何よりも自分は絶対に安全な場所から勝負を窺う戦い方に。
 無駄な思考。
 その間に、勝負は決まる。
 ナルトの影分身と、それに掴まれていたカカシは――土の槍に穿たれる。

「これで終わりだろ。串刺しになって死んでおけ」

 隠れていた術者は顔を出す。
 そこには勝負が決まったことに対する安堵の笑みを浮かべるナルトがいた。
 気づく。土の槍に突き刺さったものの残骸を。
 影分身の姿がないのはいい。当たり前だ。だが、カカシの姿がないのはおかしい。
 勝負はまだ、決まっていなかった。
 激痛。
 下を見ると、足首が屈強な掌に握られていた。

「土遁・心中斬首の術」
「ぬおっ!?」

 先ほどやったことを、やられ返した。
 ナルトは素っ頓狂な悲鳴とともに、カカシに地面へと引きずり込まれた。実に惨めな姿である。

「さりげなく偽情報を掴ませたのは褒めてやる。だが、甘いな。これが忍術の使い方だ」

 首だけ状態になったナルトを、カカシはうんこ座りをして、にこにこと笑いながら見下している。
 褒めてはいるが――明らかに、挑発している。同じ忍術を使うことによる意趣返し。実力差を教えるためには最も適している。
 苛立つナルトは抵抗しようとするが、地中に身体が埋まっているので身体が動かない。動かせるのは口くらいだ。

「体術を教えてくれるんじゃなかったのか? 本もないようだけど……俺を相手するくらいなら読んでいても大丈夫じゃなかったのか?」
「そんなこと言ったっけ? 覚えてないなぁ」

 わざとらしく首を傾げるカカシ。にやにやと笑っているあたり確実に性格が悪い、とナルトは思った。

「記憶力の無い奴だ。あぁ、教えておいてやる」

 ナルトは、言う。

「悪いが、これも"ダミー"だ」
「なっ!?」

 ボンッ、と煙と何かを残してナルトは消えた。
 宙を舞うのは『ハズレ』と書かれた紙札。先ほどカカシが変わり身で使ったものだ。

「最初から本体は出てきてなかったわけね……」

 意趣返し。
 下忍に舐められた行動をとられたことにより、カカシは少し落ち込んだ。

 ◆

(何なの!? あれがナルトなの? 忍術の授業で最低点数だった奴なの!?)

 サクラは森の中を疾走しながら、先ほど眺めていた戦闘を思い出していた。
 自立稼動する実体のある分身。
 それを本体と思わせるための立ち名乗り。
 さらには会話での応酬により相手の油断を誘い、罠へと誘導。そこで出てくる新たな分身。
 それらは全て伏線で、最後には【土遁・土流槍】などという殺傷力の高い忍術の行使。
 結局はカカシに全て回避されたが、ナルトも本体を出していない。
 凄い、と思った。けれども、同時に思う。

(無駄な戦闘。何のためにチャクラを無駄遣いするようなことを……?)

 わからない。
 無理やり思いつくとすれば――時間稼ぎ。もしくは陽動。
 それこそ何のために、だ。

「おい、サクラ」

 聞き覚えのあるボーイソプラノが耳に入り込んだとき、自然と足が止まった。
 声変わり前の少年特有の声。
 サスケのようにキレのある声ではなく、少しだけ尖った声は――友達になったばかりの奴の声。

「あいつには勝てない、と俺はさっきの戦闘をやらかして思ったんだ。お前はどう思う?」

 当たり前のようにそこにいるのはナルトだ。
 あれほどの戦闘をやらかしたのは、このためか。おそらく、サスケと自分にカカシの実力を見せるために戦ったのだろう。
 サクラは納得する。
 そして、答える言葉は一つだけ。

「えぇ、一人では勝ち目はないわ」

 そう、一人では勝ち目がない。
 反則地味た実力を持つカカシに、一対一で勝てるはずがない。直で見て、知った。あれは住む世界が違う。比べることすらアホらしい。
 この課題は――一人では勝てないことを前提に作られた試験なのだ。

「さすがはサクラ。座学で毎回俺の上を行ってただけはある。俺の言いたいことはわかるよな?」
「わかるわ」

 サクラは頷き、ナルトに手を差し出す。

「協力しましょう。けど、悔しい話だけど――私とあんたが協力しても勝ち目はないわ」

 サクラ自身は自分の能力を客観視できる。
 卒業生の中では平凡な実力。少なくとも、ナルトのように立ち回る戦いはできないだろう。まず、あんなに増殖する術をサクラは持っていない。
 その事実をナルトもわかっているのだろう。冷静に頷いてくれる。

「だろうな。サスケの協力もいる。断られたけどな。当然だ。二人しか合格できないなんて言われちゃな……それにあいつは俺より強い。俺が負けたくらいじゃ協力する気にはならんだろ」
「あんたより強い?」

 サスケが弱いとは思えない。
 ナルトが弱いとも思えない。
 サクラの中では二人は同格として扱われ始めていた。
 だが、ナルトはサクラの考えを否定するかのように首を振る。

「正面から戦ったら負けるよ。あいつは別格だ」

 断言する。
 その言葉は裏を返せば『手段を選ばなければ勝てる』とも聞き取れる。
 サクラは正しく理解し、笑った。こいつ自信家だ、と。

「あいつが戦って、負けるのを待つ。勝ったら勝ったでそれでいいしな。それまでは身を隠すぞ」
「その前に教えて。あんたの持ち札を」

 隠れる場所を探すために移動しようとするナルトに聞く。
 返ってきた視線は胡乱げなものだ。
 それも当然と言える。忍からすれば自分の保有する術や道具などを教えるなどというのは自殺行為だ。奥の手は隠しているからこそ奥の手足りうる。それを教えろ、とサクラは言ったのだ。
 ナルトはサクラの目を見つめる。
 揺らがない瞳ははっきりと勝利を欲している。

「いいけど……勝算はあるのか?」

 だからこそ、ナルトは口を開いた。

「ない。けど、それは隠れながら考える。だから、情報をちょうだい」

 はっきりと勝算が無いと告げるサクラ。胸を張りながら堂々と言うその姿が、ナルトには面白かった。
 ないのか、としきりに呟いてしまう。
 決して不機嫌ではなく、機嫌が良さそうに、だ。とても楽しそうに、笑っている。
 その姿にサクラは真摯な瞳を向け続けていた。

「頼りないのか、頼りになるのか。よくわからん答えだな……」

 苦笑混じりのその言葉に、サクラも全面的に同意する。
 私なら教えないかも、と少しだけ思うのだ。しかし、ナルトは違った。
 まぁいいか。
 確かにそう言ったのだ。サクラの耳は仕事をサボらない。

「情報は共有するもんだ。教えるぜ、我が友達」
「馬鹿ね。こういうときは友達じゃないわ」

 チッチッチッ、とサクラは人差し指を振る。少しだけ腰を屈めて、お気に入りの映画の女優が言っていた言葉を紡ぐ。

「仲間よ」

 ◆

 空がよく見える場所に出たとき、後ろに気配を感じた。
 いや、わざと感じさせたと言うべきか。突然に、気配が出現したのだ。
 背筋が凍る。同時に、心臓が高鳴る。
 ドベのナルトですらあれだけの大立ち回りをした。燃えないか、と言われれば嘘だ。
 間違いなくサスケは高揚している。
 手には大粒の汗が滲むが、それすらも娯楽。これから行うのは究極の遊び。絶対上位にいる実力者とのやり取り。
 ここで退けば――男が廃る。

「俺はナルトとは違うぜ?」
「そういうのは鈴を取ってからにしろ、サスケ君」

 振り返ると、そこにはだらしなく笑いながらエロ本を読むカカシがいた。
 頬が痙攣するほどにむかつく光景だが、ナルトは冷静に対処していた。自分が熱くなるわけにはならない。
 冷静になれ。冷静になれ。そして、身体は熱く保て。

「里一番のエリート――うちは一族の力……楽しみだなぁ」

 楽しみにしてるとは思えない不真面目な態度。
 惑わされるな。これはフェイク。
 サスケは腰につけたポーチから両手で手裏剣を取り出すと、左右対称の構えから、一気に投擲した。
 ナルトと比べてもなお早い投擲の動作はカカシに止められることはなく、飛翔する。

「バカ正直に攻撃しても無駄だよ!」

 カカシはあっさりと避ける。
 それこそがサスケの狙い。
 馬鹿みたいに様子見ばかりしていたわけではない。備えあれば憂いなし。
 手裏剣はカカシの後方で方向を変えて飛んでいき、草むらの中に仕込んでいた縄を切った。
 プツン、とという音とともに、多量のナイフがカカシへと向かう。

(トラップか!?)

 基本的な罠。
 敵にわざと回避できる攻撃を放つ。もちろん避ける方向も誘導する。そして、そこへと飛んでいく多量のナイフ。アカデミーで習うサバイバル演習の基本中の基本だ。
 そして、罠に気づいて、ナイフを避けたカカシが飛ぶ場所も予測済み。
 ナイフが木々にぶち当たる音を背景に、サスケはカカシへと直進する。

(なにっ!)

 放つのは、跳躍からの左足による後ろ回し蹴り。身体の関節を余すことなく利用された鞭のような打撃は、カカシがガードに用いた腕を痺れさせるほどのものだ。
 それだけで攻撃は終わらない。
 受け止められた足をそのままに、サスケは思い切り身体を捻って右拳を叩きつける。
 それすらも簡単に受け止められてしまうが、残った右足での蹴足を叩き込む。
 通らない。
 それらの攻撃すらも織り込み済みのこと。ガードされるのが前提の攻撃。
 サスケの狙いはただ一つ。
 相手の両手をガードに使わせて、自分の左手の自由を確保すること。残った手で鈴を奪い取ること。
 掠め取るように動いた左手にカカシは気づき、一気に距離を取られてしまう結果となるが――カカシはサスケのポテンシャルに心底驚いていた。

(こいつ……! 何て奴だ。イチャイチャパラダイスを読む暇がない)

 本は地面に打ち捨てられている。余裕がない。
 ナルトとは違う。
 奇策も用いず、真正面からの体術による突破攻撃。下忍とは思えないほどの身のこなし。
 さすがは木の葉に君臨する最強の一族――うちはの末裔。
 カカシは本を拾い上げると、ポーチの中へと仕舞った。

「ま! あの二人とは違うってのは認めてやるよ」

 当然だ、というようにサスケは鼻を鳴らす。
 そして、印を切る。
 澱みなく切られた印は虎の印で終息し、サスケは大きく息を吸う。
 再び、カカシは戦慄する。
 ナルトもそうだが、サスケも同じだ。
 下忍に使えていい類の忍術ではない!

(火遁! 豪火球の術!!)

 サスケは大きく息を吐き出した。
 それは獄炎というべきもの。
 身の丈を大きく越えた火の塊は、前方にある息の届くもの全てを焼き尽くす灼熱の焔。
 喰らって生きていられる人間などいるはずもなく、間違いなく黒コゲになる代物だ。
 ひとしきり息を吐き終わると、術を終了する。
 炎によって遮られていた視界は鮮明になり、そこには――何もなかった。
 黒コゲ死体はなかったのだ。

(いない! 後方! いや、上か! どこだ!)

 避けられることを予想していなかったサスケは身の回りを見渡す。
 それが仇となった。
 サスケがすべきことは周囲を探ることではなく、逃げることだった。

「土遁・心中斬首の術……」

 だからこそ、地中にいるカカシに気づかない。
 ナルトの分身と同じく、地中へと無理やり潜らされる。晒し首状態だ。

「この術見てただろぉ? ちゃんと対策しなきゃ。ま! お前は早く頭角を現してきたか。それに……ナルトもな」

 ナルトと同じくサスケもにやにやと下卑た笑みを浮かべるカカシに見下ろされることに終わった。
 あいつと同レベルか……と思うと、サスケは少し悲しくなる。一応トップで卒業したはずなのに。
 悔しさで顔が顰めるサスケを見て何が面白いのか、カカシはひとしきりにこやかに微笑むと、その場から立ち去った。

「でも、ま! 出る杭は打たれるっていうしな!」

 そんな言葉を残して。
 くそっ、とサスケが舌打ちしてしまうのも無理からぬことだろう。
 相手との差が、見えない。戦力差が全く掴めないほどの絶望的な差。
 どうすれば勝てる。どうやったら鈴を奪える。
 わからない。
 考えれば考えるほどにわからない。
 地面に埋められて数分。
 身体を動かすことなどできないので、サスケは思考の波を漂っていた。
 そんなとき、近くの草むらを掻き分ける音がする。

「よぉ、サスケ。やっぱお前も負けたか」
「ナルトにサクラか……」

 出てきたのはナルトとサクラだった。
 ナルトはてくてくとサスケの方へ近づいていくと、地面に腰を下ろす。サクラはおどおどとしながらサスケのことを見るばかりだ。わぁ生首だ、と漏らしているのをサスケはきっちりと聞き届けたが、あえて無視する。少なくとも頬を朱に染めながら言う言葉ではないだろ、とも思うが、無視しきった。驚嘆すべき精神力である。

「さっきの話、考え直してくれたか?」

 さっきの話――つまり、サスケに協力を持ちかけたことだ。
 あのときは失敗に終わったが、敗北した今では協力してくれるとナルトは判断していたし、サクラも協力に関しては楽観ししていた。

「フン、断る」

 だが、あっさりと断られることになる。
 拒絶の言葉に反応するかのように立ち上がり、ナルトはごそごそとポーチからあるものを取り出した。

「あっそ、じゃあそこで虫に噛まれてろ」
「お前、手に持ってる奴は何だ」
「飴と蟻」

 怪訝な表情を浮かべるサスケに対して、ナルトは言った。サスケの顔がかなり引き攣る。
 頬の隣で元気に飴の上を歩き回っている蟻を見せ付けられたのだ。もし断ったらどうなるか――考えるまでもない。やられる。屈辱的なことを強要される。
 さすがに見かねたサクラが「ナルト……それは脅しじゃ?」と諌めるが、ナルトは無視。
 計画通りに動かないサスケに対し、悪戯をすることを楽しみにしている悪餓鬼のような笑みを浮かべている――わけではなく、表情は冷静そのものだ。多分に怒りを孕んではいるが……。

「俺は心底むかついてんだ。あいつには一人じゃ勝てない。だからさ」

 紡がれる言葉はナルトの本音。
 一人では勝てない。ならどうする?

「合格度外視で協力しようぜ? このまま負けるのはむかつくだろ」

 簡単な答えだ。協力すればいい。それでも勝てなかった場合はそのとき考えればいい。まずはやれることをやるべきだ。
 対するサスケの答えは、しかめっ面のままに放たれる。

「……まずは助けろ」
「交渉成立だな?」
「あぁ」

 おっけー、と答えるとナルトはサスケを一気に引き上げる。
 地中から助けられたサスケは解放されると同時に、ぺたんと地面に座り込んだ。そして、複雑な視線をナルトに向ける。
 ナルトが差し出している手に疑問を持っているのだ。どういう意味だ、と。
 
「じゃ、頼むぜ。うちはのエリート」
「嫌味だな」
「いやいや、本音だよ。戦闘見てたけど、お前は俺より強い。まぁ成績トップの卒業生に補欠合格の俺が勝てるはずないんだけどな」
「謙遜だな。お前も結構やるじゃねぇか」
「奇策を使っただけだ。お前みたいに正面からあんなに戦えねぇよ……頼りにしてる」

 フン、とサスケは鼻息を鳴らす。照れ隠しだ。
 ナルトはそのままサクラを見ると、にっと笑った。

「サクラのことも頼りにしてるぜ。座学トップさん? 作戦はばっちりなんだろ?」
「不合格確定の作戦でいいのね?」

 確認の合図。
 つまり、ルールを侵した作戦だということ。
 それでもいいのか、とサクラは聞く。そこまでして勝ちたいか、と。

「俺は構わない。サスケは?」
「それは嫌だ。けど、このままやっても勝てる気がしねぇ。とりあえず、サクラ。お前の作戦――勝算はあるのか?」

 同意の言葉。
 この二人、結局は負けず嫌いの男の子でしかない。やられっ放しは気に食わない。
 そんな二人がおかしくて、ちょっとだけ笑いそうになる。
 おかしくなったのかもしれない。
 サバイバル演習などの授業では得られなかった緊張感が、今はたまらなく嬉しい。自分のこれからの人生が決まる大事な試験だというのに、それを楽しみ始めている自分に対し、サクラは驚く。
 それは何故か……一人ではないからだろう。
 だからこそ、サクラは強く頷いた。

「任せてよ。あのクソ――ん、んー、ふざけた教師……ぼっこぼこにしてやるわ。作戦はこうよ……」

 数分に及ぶ作戦概要。
 それは正しく奇策と言うべきものだった。
 しかし、反応は上々。

「……不合格確実だな」
「けど、かなり良い不意打ちだ」

 ナルトは口の端を吊り上げている。
 サスケは何度も頷いている。
 きっと成功する。この二人はそう信じているのだ。

「それにこんな言い訳をすれば合格になるかもしれないわよ? 時間遅れて試験時間短くしたのは先生のせいだし」

 ここまで来たら合格などは関係ない。
 とりあえず、カカシに一泡吹かせてやる。三人の見解は一致していた。
 ナルトはイルカを侮辱されたことを訂正させるために、カカシをぶっ飛ばしたい。
 サスケはカカシに負けた屈辱を晴らしたい。
 サクラはナルトとサスケの役に立ちたい。
 持てる想いは違うが、目指すものは同じ。

「……乗った。俺はやるぜ」
「サスケと同じく。俺もやる」
「じゃあ、決行ね!!」

 こういうものを――仲間と言うのだろう。

「クハハ、こういうの――いいなぁ。できればお前らと七班をやりてぇよ。ここで終わらせたくねぇよ」
「私もよ」
「俺はどうでもいい」

 サスケだけが首を振った。
 だが、少しだけ恥ずかしそうに俯いているのは何故だろうか。
 ナルトとサクラは苦笑し、三人は円陣を組む。
 利き手を三人の中心にかざし、手を重ねていく。
 決意の言葉。

「……勝つぞ!」

 こうして七班のメンバーは初めて、仲間となった。







[19775] 7.カカシ事変――Ⅳ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/22 20:23
4.

 午後十二時――昼真っ盛りだ。
 頭上では太陽が元気そうに輝いており、日陰にいてもなお暑い。
 さらには耳に届く目覚まし時計の不協和音が暑さとあいまって不快感を加速度的に増していく。もう試験の時間は終わり。集合時間だ。
 大樹の幹に寄りかかり、七班の三人は汗ばんだ顔をハンカチで拭いながら、作戦会議をしていた。
 作戦立案はサクラ。
 サスケとナルトは相槌を打ちながら、作戦の穴を指摘し、穴を塞ぐように三人で頭を悩ませながら構築していく。
 既にその過程は終了し、作戦の最終確認をしていたのだ。

「作戦はもう――確認する必要もないわね?」
「大丈夫だ」
「問題ない」

 サクラの言葉に頷く二人。

「要(かなめ)はナルトよ」
「ミスんなよ、ウスラトンカチ」
「……任せとけって。足は引っ張らねぇよ。その代わり、サスケ。お前もしくじんなよ?」
「誰に言ってる?」

 実力に裏打ちされた自信をあますことなく発揮し、サスケは言う。
 男同士のくだらない掛け合い。意地の張り合いとも言う。
 馬鹿だなぁ、とサクラは思うが、それでも――その感覚すら心地良い。
 いざとなれば頼りになるというのは戦闘を見ていてわかっている。
 忍術と忍具を駆使し、相手の裏をとる戦術を好むナルト。真正面から上忍に挑んで、体術で押し切ったサスケ。
 頼もしい。
 ならば、自分には何がある。
 それは簡単だ。
 この二人にはない頭脳。アカデミーで終始トップだった座学の実績。
 誇りはある。自信もある。最後に必要なのは結果だけだ。
 
「行くわよ」
「おう」

 負けるはずがない。
 間違いなく、勝つ。
 必勝の意志を宿し、三人は集合場所へと移動を開始した。

 ◆

 時計が『PM 12:10』を指す時刻。
 七班の三人は集合場所であるサバイバル演習場の入り口にいるカカシの前で座り込んでいた。
 三人とも朝食を抜いているせいで腹の虫が盛んに騒ぎ立てている。サクラにいたっては「ダイエット中だから」という理由で昨晩のご飯も抜いているということで、座ることすら億劫なのか。ほとんど前屈みに項垂れていた。

「おーおー、腹の虫が鳴っとるね。ところで、この演習についてだが……」

 間。
 少しだけ考え込むように、カカシは空を見上げている。
 そして、視線を三人へと戻した。表情はとてもにこやかなものだ。

「ま! お前らは忍者学校に戻る必要もないな」

 合格――つまりはそういうことだろうか。
 呆けたように三人は間抜けな顔になった後、三者三様の歓びを表現する。
 ナルトは「当然だな」と言い捨てて、サスケは「フン」と鼻を鳴らすだけ、サクラは「ってことは、私たち三人とも!?」全員が合格ということを喜んだ。
 だが、世の中そんなに甘くはない。
 カカシは思い切り良い笑顔から一転――

「うん、三人とも……忍者をやめろ」

 冷めた視線で、三人を見下ろした。
 ずっと笑ったままのカカシ――戦闘のときですらどこか飄々といた態度だったカカシが、初めて怒気を見せる。
 冗談を欠片すら含んでいない、本気の声音。

「確かに私たちは三人とも鈴を取れなかったわよ! けど、やめろってのは言いすぎじゃないのっ!?」
「……どいつもこいつも忍者になる資格のないガキだってことだよ」

 サクラの抗議を一蹴する言葉に反応したのはサスケだった。
 残像すら残さずに立ち上がると、突風となり、カカシを襲う。
 会話の間を狙った、絶妙な不意打ち。
 だが――

「サスケ君!」

 サクラがあげた悲鳴は――サスケが踏みつけられるという醜態を見てのもの。
 サスケはカカシに特攻し、太股につけたホルスターから澱みなく苦無を取り出して、斬りつけた。その速さはナルトの斬撃とは比べるまでもないほどの速度。
 それでもなおカカシからすれば止まっていると感じられるほどの遅さなのだろうか。
 気づけば、サスケはカカシに背中を踏みつけられていた。

「だからガキだってんだ」

 ぐりぐりと靴底をサスケの頬に押しつける。
「サスケ君を踏むなんてダメー!!」とサクラは叫ぶが、何の意味もなく、サスケは恥辱に塗れさせられる。
 カカシは心底呆れ果てたような、何も期待していない、色のない視線を七班のメンバーに向けた。

「お前ら忍者舐めてんのかっ!? 何のために班ごとのチームに分けて演習やってると思ってる」
「え? どーゆーこと……?」

 サクラの問いに、カカシは首を振る。
 だから不合格なのだ、と暗に言っているようなものだ。

「つまり、お前らはこの試験の答えをまるで理解していない」
「答えだと?」

 ナルトの言葉にも同様だ。鋭い視線を向けるだけ。

「そうだ。この試験の合否を判断する答えだ」
「だから、さっきからそれが聞きたいんです!」

 抗議。
 合格基準が不鮮明な試験に対する文句のようなもの。
 何故最初から提示しないのか。してくれればその通りに結果を出すのに!
 そう思うのは悪いことなのだろうか。アカデミーではずっとそうだったのに。
 サクラの言葉にはそんな意味が込められていた。
 だからガキなんだ、とカカシは嘆息する。

「それはチームワークだ」

 不可解。

「三人で来れば鈴を取れたかもな」

 確かにそうかもしれない。
 だが、それは不可能なことのように思える。
 何故なら――

「なんで鈴二つしかないのにチームワークなわけェ!? 三人で鈴取ったとして、一人我慢しなきゃならないなんて……チームワークどころか仲間割れよ!」

 仮に、だ。
 報酬は二人にしか払いませんけど、三人じゃないとこなせない任務です。
 そう言われて受ける奴がいるだろうか?
 おそらくはいないだろう。いたとしてもそれは極少数のことだろう。

「当たり前だ! これはわざと仲間割れをするように仕組んだ試験だ」

 それなのに、なお、カカシは怒る。 

「この仕組まれた試験内容の状況下でもなお自分の利害に関係なくチームワークを優先できるものを選抜するのが目的だった」

 これこそがカカシの求める人材だ。

「それなのにお前らと来たら……」

 しかし――三人はカカシの思う通りに動かなかった。

「サクラ! お前はナルトが戦っているにも関わらず、それを見過ごした。最後まで俺に挑むことなく、な」

 助けられる場面はあった。
 何度も何度も見過ごした。それはサクラの失態だ。

「ナルト! お前は一人で独走するだけ」

 仲間に頼らずにカカシに挑んだ。
 感情任せの特攻は無意味に終わる。

「サスケ! お前は二人を足手まといと決め付けて個人プレイ」

 三人の中で最強だという自負があるからこその連携放棄。
 そんなことをするならばそもそも班を組む意味がない。

「任務は班で行う! 確かに忍者にとって卓越した個人技能は必要だ。が、それ以上に重要視されるのは"チームワーク"――これを乱す個人プレイは仲間を危機に落とし入れ、殺すことになる。たとえばだ……」

 カカシは、少し考えたふうに――

「サクラ! ナルトを殺せ。さもないとサスケが死ぬぞ」

 サスケの自由を奪ったまま、首筋に苦無を突き付ける。いわゆる人質というものだ。
「え!?」とサクラは動揺し、ナルトも苦虫を噛み潰したような顔になる。ようやく――カカシの言っている意味を理解し始めた。

「と……こうなる。人質をとられた挙句、無理な二択を迫られ殺される。任務は命がけの仕事ばかりだ」

 カカシはサスケを解放し、入口の近くにある"モノ"へと近づいていく。

「これを見ろ。この石に刻まれている無数の名前。これは全て里で英雄と呼ばれている忍者たちだ」

 磨かれた四角柱の全面に描かれた名前。
 敏いものならこの時点で気付く。
 これは――

「が、ただの英雄じゃない。任務中に殉職した英雄たちだ……これは慰霊碑。この中には俺の親友の名も刻まれている」

 そう、慰霊碑だ。
 任務の果てに死に絶えた忍者たちの末路を記したもの。
 寂しげな色を濃く宿したカカシの瞳に映るものは何なのか。どのような想いが去来しているのか。
 少しだけ黙り込むと、泣きそうに、懺悔するかのように――慰霊碑に触れている。

「へぇ、つまり――カカシ先生。あんたは自分勝手な個人プレイをしたあげくに仲間を死なせるハメになったわけだ? 自分ができなかったからってまだ過ちを犯していないガキにそれを強要する。浅はかだな」
「否定はしないよ」

 ナルトの罵倒をカカシは潔く認める。
 古傷を穿つ言葉は心を抉るが、全て真実。愚かな自分を戒めるための悲劇。
 だからこそ、自分と同じような経験を――子供たちにさせたくないと思うのは押しつけがましいことなのだろうか。自己満足なのだろうか。

「だからって俺たちの可能性を摘み取るわけか?」

 迷惑な自己満足だ、とナルトは断じる。
 沈黙。
 それは言いすぎじゃないの、とサクラは少しだけ焦り始めるが、カカシは違うようだ。

「……いいだろう。最後にもう一度だけチャンスをやる。ただし、昼からはもっと過酷な鈴取り合戦だ。挑戦したい奴だけ飯を食え。ただし、ナルトには食わせるな。上官である俺に敵対した罰だ。もしそいつに食わせたりしたら、そいつをその時点で不合格とする」
「てめぇっ……!」
「ここでは俺がルールだ。分かったな」

 殺気混じりの視線が反逆を許さないことを教えてくる。
 それなのに、サクラは立ち上がり、叫ぶ。

「いいえ、ルールには従いません。ナルト!」

 待ってたぜっ! とナルトは指を口につけ、口笛を鳴らす。
 攻撃の合図。
 地面が盛り上がり、人影が飛び出してきた。

「多重影分身か……地中で待機していただと!?」

 それはナルトの影分身。
 総勢で八人のナルトはカカシに襲いかかる。
 四方八方からの攻めをカカシは難なく受け流していくが、そこへサクラとサスケも加勢する。
 
「サスケェ!」
「おう!」

 ナルトたちの合間を掻い潜って、サスケは踏み込む。
 震脚。
 大地に踏み込んだ足から膝へ、腰へと連動し、肩から放つ正拳突き。
 カカシの片手に受け止められるが、その隙に大勢のナルトが攻め立てる。
 頭への蹴り、膝を狙った下段蹴り、鳩尾を狙った拳、肩の関節を外すために掴みかかる、などなど連携の取れた攻撃。
 だが、カカシは違和感を覚える。

(何かがおかしい。サスケはこんなに弱かったか……?)

 修行の背景が見える。何度も何度も繰り返した型通りの連続攻撃は及第点を与えてもいいものだ。
 だが、サスケ独特の苛烈さがなく、癖も消えている。
 あくまで教本通りの攻撃なので、至極読みやすい。
 違和感が拭いきれない。
 そのとき、サスケが攻撃をしたままに、ナルトたちが一斉に引いた。

「今よっ!」

 サクラの号令の下、一気に苦無が投擲される。カカシと攻防を繰り広げるサスケの安否などお構いなしの攻撃で、やっと理解する。

(これはダミーか!)

 サスケを突き飛ばし、カカシは苦無を全て避けきる。
 身体全身どころか、弾幕攻撃にも近いそれは狙いなどなく、避けるのは難しくなかった。
 難しくはなかったのだが――カカシは舌打ちする。
 何かに絡まって身体が動かない。

「ぬっ、苦無にワイヤーを巻き付けていたか……っ!」

 いや、違う。
 苦無についていたワイヤーは確かに動きを阻害するほどに木々に絡まっているが、何一つとして自分の身体を束縛するものはない。
 身体に巻きついているワイヤーは先程突き飛ばしたサスケに化けた影分身から放たれたもの。
 僅かの間にホルスターから苦無を早撃ちするなどナルトにはできない。つまり、ナルトではないということ。

「サスケは本物だったか! 俺が助けることを前提に……危険なことを!」
「ふん、ウスラトンカチが。ナルトの体術は俺も見ていた。それくらい、真似できる」

 そう、サスケもナルトの戦闘を見ていたのだ。
 だからこそ、ナルトがサスケに化けていると思わせるための演技をすることができる。
 さて、この時点で気付かないだろうか。
 カカシは動けない。
 ナルトはいっぱいいる。
 それなのに、攻撃する為に近づかない。
 それは何故か。実に簡単な解答だ。
 近づけば危ないからだ。
 ワイヤーからは何かが滴っている。ぽとぽとと地面を湿らしていく。それは水ではなく――巷では黒い水と言われるもの。つまり、油だ。
 サスケはにやりと笑う。そして、ナルトがサスケの持つワイヤーに近づいていく。
 手にもつのは火打ち石。
 かつん。

「火遁・龍火の術!!」

 小さな火種は炎となり、ワイヤーを伝ってカカシへと迫り行く。
 【火遁・豪火球】を受けたときとは違う。身動きが取れない状態。

「ぬぅっ!」

 カカシは身体が傷つくのも構わずにワイヤーを無理やりに引っ張る。
 腕の自由が利かないものだから身体で引っ張ることになり、食い込んでくるワイヤーが身体を蝕むが、燃えるよりマシだ。
 力負けし、「くそっ」と吐き捨ててサスケはワイヤーを放り捨てる。このまま握っていたら炎の中に飛び込むことになるから。

「影分身たち――突っ込めぇ!!」

 ナルトの号令とともに影分身たちが炎の中へと飛び込んで行く。
 炎が吹き荒れる。森の木々へ飛び火するのも時間の問題。
 ここまでやるか、とカカシは内心呆れ果てる。
 炎の中で息を止めながらナルトの影分身をあしらい続ける。

(チッ、数が多い。変わり身をするにも丸太とかがないぞ……)

 考える。
 そのとき、目の端に写った光景のせいか、カカシは硬直した。サクラが炎に巻き込まれかけているのだ。

「サクラァッ!」

 サスケがサクラの下へと走るシーン。
 それは鬼気迫るもの。演技とは思えない。
 だが、どうなのだろうか。
 さんざんに裏をかかれている。これも演技かもしれない。
 けれど、このまま炎に飲み込まれれば、サクラは死なないまでも――女の子なのに……重度の火傷を負うかもしれない。

『仲間を守れない奴は屑だ』

 そんな言葉が脳裏に過ぎったとき、ナルトたちを蹴散らして、カカシはサクラの下へと走っていた。
 疾風にすら勝るその速度で、先に走り出していたサスケを追い抜いて、サクラを助ける。
 ほっと一息吐いた。
 そんなとき、サクラがにぃと笑ったのだ。

「残念賞。これもダミーだ」

 ばちばちと耳触りで、なおかつ嫌な思い出が蘇りそうな音が耳に届く。
 予想の内だ。
 カカシはサクラに化けているナルトの影分身を放り捨てて、即座に引いた。
 爆発。
 そう――ここまでは予想通りだった。
 とんとんと背中を誰かに触られるまでは。

「先生、つかまえたー」

 にひひと笑う女の子が、後ろにいた。
 目が合う。
 何をされるかわからん! そう思ってカカシは再び離れようと足に力を加えるが、跳ぼうとしても跳べない。足を強く掴まれている。
 足元を見る。

(忍術の使い方……教えるんじゃなかったなぁ)

 そんなことをカカシは考えてしまう。
 つまり――

「土遁・心中斬首の術!」

 カカシを地面へと誘う手に対抗し、力いっぱい踏ん張る。
 この馬鹿力め! そう叫びたくなるほどにナルトの力は強かった。
 失念する。
 近くにはサクラがいるのだ。
 こっそりと印を組んでいる。
 そして、ナルトのことを注視するカカシの視線の間に入り込んで、笑った。

「幻術・奈落見の術!」

 夢の中へ落ちる。
 こうして勝負は決着を見た。

 ◆

「どうかな。私の作戦通りじゃない?」
「俺の影分身のおかげだな。先生の不意打ち喰らったときの顔と言ったら!」
「フン、俺の演技のおかげだ。ナルトのしょぼい体術をトレースするのは大変だったぜ」

 カカシが目を覚ましたとき、七班の全員は二つしかない弁当を分けあって食べながら、意地の張り合いをしていた。
 身体を動かそうとするが、縄抜けができない特殊な縛り方で自由を封じられており、芋虫のように這いずるしかできない。
 腰を見る。
 そこには鈴はなく、円を作って弁当を突いている七班の真ん中に鈴は転がっていた。
 カカシがもぞもぞと動き出したのをナルトが気づき、続いてサスケとサクラも気づく。にまぁと笑っているのがいやらしい。

「先生。俺たちの勝ちだろ?」
「チームワークばっちりだったんじゃない?」
「このトンカツは俺のだ」
「おい、サスケ! 今は弁当の具の取り合いをしてる場合じゃ……!」
「ずっと狙っていたんだ」
「分けあいの精神ってものが……ッ!」
「ちょ、ナルト! そう言いながらなんで私のトンカツに箸が伸びてるのよ!」
「幻覚だな。幻術を用いたときの副作用じゃないか?」
「アカデミーで習う幻術に副作用なんてあるわけないでしょ……あー、もう! あげるから喧嘩しないでっ!」

 真面目な雰囲気でこっちを見たかと思ったら、弁当の具で喧嘩を始める。
 なんだこいつら、とカカシは思う。

「まぁ、あれだな。トンカツは後だ。とりあえず……カカシのことをぶん殴らないと気がすまない。イルカ先生のことを馬鹿にしてくれた報いを受けろ」
「奇遇だな。俺も一発殴りたいところだったんだ。こいつのおかげで服はどろどろになるわ、あげくに焦げるわ……ろくなことがない」
「焦げたことに関しては自分たちでやったことじゃ……?」
「知るか」

 芋虫状態のカカシにサスケとナルトがにじり寄る。サクラは止めようとするが、男の力に勝てるはずもなく、妨害できていない。
 確実にどつかれる。
 動けないカカシに遠慮をする気はないらしく、ナルトとサスケは大きく足を振り上げた。
 ここから続くのは踵落としだろう。横腹を狙っているそれは凶器そのもの。

「ハハ、殴られたくないなぁ。それに、イルカ先生のは本音じゃないよ。ごめんごめん。許してくれ」

 謝罪の言葉を言うが、カカシは揺らがない。
 もともとナルトはカカシが挑発のためにイルカを侮辱したことに途中で気付いた。だから、怒りはそこまでないのだが――あくまでそこまで。やっぱりどつきたい。
 サスケも同様だ。
 正直なところ、服なんてどうでもいい。体術をあしらわれたときも一撃たりともまともに入れることができなかった。そのストレスを発散したいだけだ。
 まぁその夢は叶わないのだが。
 カカシも七班がさきほど浮かべていたような、いやらしい笑いを浮かべる。

「教えてやるよ。ナルトの言葉を借りるなら……ダミーだ」

 ぼふん、というしょぼい音をたてて、カカシの身体は消え去った。
 そして、木の上からカカシが飛び下りてくる。

「お前らがこっそり集まって作戦会議してるのは聞いてたからね。バレバレだよ」

 実は作戦会議のときからカカシは全て聞いていたのだ。
 こっそりと木の上で七班の作戦の詳細を全て盗み聞きし、影分身を一つ生み出し、そいつにずっと演技させていた。
 作戦が上手く行っていると勘違いさせるために。

「くっ、ふざけんな!」
「まだ終わってねぇ!」
「盗み聞きなんて変態よ!」

 一名だけ何かピントがずれているが、言っていることは似たような意味だ。
 全員が苦無を取り出すと、投擲する体勢に入る。
 掻き消える。
 そう、カカシは上忍。
 勝負にならないほどの隔絶した実力を持っている。それは最初からわかっていたはずなのに……。
 目を見開いていたにもかかわらず、サクラの背後へと移動しているカカシ。
 反応し、ナルトとサスケはサクラを守るように飛び掛かるが、一蹴される。
 気づく。
 協力しても勝てないという事実に。
 恐怖のあまり硬直する。
 絶対上位の存在に牙を剥いた。反逆も許さないと言われた。
 それなのに――悔恨し、サクラは恐怖に目を閉じる。
 だが、サクラの手の上に置かれたものは大きな手。
 ぽふん。

「言っただろ。自分の利益に関係なくチームのために動けるかどうかが判断材料だって、お前らはちゃんと合格基準を満たしてる」

 おそるおそる振り返ると、そこには嬉しそうに笑う上忍がいた。

「仲間想いかどうかはわからないけど、全員で協力して動ける。それだけわかれば十分だ……」

 呟かれた言葉は何を思ってのことか。
 優しさに満ち溢れていた。

「これにて演習終わりィ! 全員合格! よォーしィ! 第七班は明日より任務開始だぁ!」

 しんみりとした声音から一転し、カカシは演習場から去っていく。
 その後ろ姿を見ながら、七班の三人はお互いに視線を向けて、苦笑する。

「……失敗したのに合格ってのは複雑な気分だな」
「作戦が……バレバレ」
「フン」

 かなり悲しい気分だった。
 いくら頭を使っても、結局は負けた。それだけが心残りだ。

「にしても、お前ら凄いよ。俺の試験を突破したのは、お前らが初めてだ。誇っていいよ」

 カカシの慰めには意味はない。
 負けたという事実は心に残る。
 だが、それでも、これは始まり。
 七班が協力して、初めて挑んだ困難はきっと意味あることなのだから。

「当然っ!」

 サクラとサスケの背を思い切り叩き、ナルトはカカシの後を追う。

「痛ってぇな!」
「何すんのよ!」

 サバイバル演習による試験が終了した。
 これから七班がどうなっていくのか、わかる人はいない。
 だが、きっと――

「でりゃぁっ!」
「ぐおっ! サクラ! 女なのにラリアットってのは! サスケ、そのポーズは何だ」
「千年殺しだ」
「ぎゃあああああああっ!」

 それなりに楽しくやるのだろう。
 カカシは楽しげに三人の遊びを見守りながら、そんなことを思った。








[19775] 8.挿入話 『ヒナタの悩み』
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/02 22:25
1.

 昼間は一族の多くが修練に使う木造建築の道場は、広い。日向ヒナタにとっては広すぎた。
 誰もいない真夜中は静謐が落ちる。
 大きく開かれた扉からは下弦の月が視界に写る。自分の姿を暗示しているようで、心がざわついた。

――誰も私を見てくれないの。

 小さな声がどこかから聞こえてくる。
 まとわりつくソレがとても不愉快で、ヒナタはひたすら拳を振るった。
 "柔拳"。
 木の葉最強の一つと謳われる日向一門にのみ伝えられる体術――いや、この表現は正しくないかもしれない。伝えられるではない。日向一門にのみ使える体術と言うべきか。
 何故なら柔拳を使いこなすためには日向の末裔にのみ顕現する白眼という血継限界が必須なのだから。
 白眼。
 名前の通り、白い瞳だ。あらゆるものを見通す特殊な瞳は、人体に流れるチャクラの経穴すらも肉眼で捉えてしまう。己がチャクラを経穴に叩き込み、チャクラの循環を人為的に阻害する。人体の内部を破壊することが極意の――拳術だ。
 選ばれし者のみが習得できる最強の武門。それこそが柔拳。
 だが、ヒナタには才能がなかった。
 汗を滲ませながら振るう拳は――遅い。

――日向の面汚しが!
 
 拳が、止まり、だらりと落ちる。
 板張りの床に雫が落ちていく。力が抜けていくかのようだ。
 しとしと。
 雨が降り始めたのだろう。視界が滲むのはそのせいだ。
 地震が起きたのだろう。立っていられないほどに足が震えるのはそのせいだ。
 突風が吹いたのだろう。両腕で胸を抱きしめてしまうのは寒くなったせいだ。

――人は決して変わりはしない。

 ある人の口癖。
 その言葉が常にヒナタの心を縛っている。
 可能性を決め付けて、限界を知る。それはきっと幸せとは遠いのだろうけど、苦しむことはない。自分の可能性を決め付けるという行為は、才能のないものや心の弱いものにとってはとても優しい。
 進もうとするから傷つく。壁の高さに絶望する。
 いつだって、そうだ。
 努力しようとしたら壁がある。才能という名の巨壁が自分の道を遮っている。
 だけど――

――初対面だろ?

 思い出したいのはこの言葉じゃない。
 けど、思い出すだけで視界が晴れていくのは何故だろうか。
 くすくすと口から零れる陽気な声音は誰のものだろうか。

――通りで変な目してるわけだ。

 違う。違う。違う。
 思い出したいのはこの言葉じゃない。ほんわかと心が温かくなるけれど、こんな言葉じゃない。
 現実に立ち向かって、努力して、倒れて、泣いて、悔しがって、それでも立ち上がって――誰にともなく呟いた台詞。たまたま耳に届いた彼の本音。それを思い出さなきゃいけないんだ。
 あのときはそう――どんなときだったか。思い出せない……。
 よろりとしながら、立ち上がる。
 ふらふらと揺れる四肢は生命力を感じられず、そよ風が吹いただけで倒されそうだ。
 ひた。ひた。ひた。
 冷たい床を素足で踏みしめて、銀の月が照らす世界へと、ヒナタは歩み出た。

「……聞かなきゃ」

 掠れた声は、風へ溶け込んでいく。

 ◆

 木の葉が、風になびいた。ふんわりと漂う柔らかな香りに、サクラは思わず思考を止めていた。
 我ながら細いと思うしなやかな足を抱きとめる人影を見て、ほうと息を吐く。
 柔らかく、それでいて強く――抱きしめられた足は身動きを許さず、まるで月の光に狂わされたかのように身体が、熱い。
 ひやりと冷えた地面に背中をつけて、冷たい双眸に近づくために起き上がっていく。
 震える。
 じんわりと汗が滲み出る。うなじにぴったりと張り付いた自慢の桃色の髪が鬱陶しい。
 息ができないほどの過緊張に蝕まれながら起き上がると、常ならば無愛想な表情ばかりのサスケが、かつてないほどの優しげな微笑みを浮かべている。
 心臓が、高鳴る。

「あ、くぅ――ふぅぅ……も、もうダメ……限界……」

 もう、限界だ。バクバクと鼓動する心臓は、今にも口から逆流してしまいそうで。
 熱さから逃げるために、少しでも冷やすために、サクラは地面へと勢いよく倒れていった。
 もう動かないぞ。
 怠惰な姿を思うさま見せつけるのは乙女という言葉からはほど遠い。
 しかし、可愛い女の子ぶる必要はないのだ。
 薄く鋭い銀月と、街灯で照らされる公園の中、サクラはとうとうブチ切れた。

「無理だって。初日から腹筋五百回とか無理だって!!」
「だってよ。どうする、サスケ」
「まだ頑張れるだろ?」

 頭上ではナルトがににやにやと笑いながら座っており、サスケはサクラの足をがっちりと掴んで放さない。
 もうやだ、頑張れない。ふるふると首を横に振って懸命に意志表示するが男二人は通じないようだ。
 アカデミー内では『気が強い』やら『黙ってたら可愛い』などといろいろ言われたサクラではあるが、この二人にも適用されるとは思っていなかった。仲良くなればなるほど、性格が悪くなっていくように思えるのだ。
 ぶんぶんと手を振り回す。一発でも殴らせろ、という思いでナルトに放った拳は、あっさりと受け止められた。
 この二人、自分よりも強いのだ。性質が悪い。

「元気そうだな。サスケ、足きっちり持ってるか?」

 元気じゃないです、とサクラは言い返すが、その言葉は木の葉が擦れる音に掻き消されているのだろうか、二人は全く反応しない。

「任せろ」

 何を任せると言うのだろうか。即刻足を放してくれるということだろうか。
 もしそうならば、サクラは感激の涙を雨のごとく降らせながら、家へと向かって一目散に走り出す自信がある。体力馬鹿二人に付き合っていられるほど乙女の身体は頑丈にできていないのだ。
 サクラの脳内をきっちりと把握しているのだろう。
 受け止めた拳を握りしめたまま、にぃと口角を吊り上げて、手放した。
 逃げしてくれるのだろうか。
 一瞬でも期待した自分を殴り殺したくなる。そんな奴なわけないではないか。
 ナルトは印を組むと、影分身を一人生み出した。
 ぼそぼそと影分身に話しかけ、「おっけー」ととても良い笑顔を浮かべて、影分身が印を組み始める。
 それはとても見覚えのある印だった。アカデミーで習う初歩中の初歩――変化の術。
 何をする気だろうか。
 じっと見つめてしまった。
 銀月に照らされる金色の髪がよく生えて、流麗に印を組んでいく姿がとても美しい。さきほどまでの悪戯を忘れてしまいそうになるほどの幻想的な光景。
 だが――幻想は泡沫となって消え去ることになる。
 変化の術にともなう煙とともに出てきたのは――サクラのよく見知った虫だった。
 わさわさ、わさわさ。
 多足を動かしながら、びちびちと羽を動かす茶色い物体。
 それを手に掴むと、ナルトはサクラの顔の横に、置いた。
 そして、笑った。白い歯が印象的だったが、今はそんなのどうでもいい。
 問題は――

「じゃあ、腹筋やろうか」
「ひぃぃぃ! ゴキブリやめてぇぇぇ!」

 にじり、にじり、近づいてくる。
 恐怖。
 茶の間で飛び掛かられたトラウマが鮮明に蘇る。
 サクラの動きは実に速く、的確なものだった。
 足が押さえられて逃げられない。ならば、腹筋で起き上がるしかない。
「しゃーんなろー!」と男らしい雄叫びとともに、サクラは腹筋をした! これが四百四十九回目である。ぴくぴくと痙攣する腹筋は煉獄の如き苦しみを与えてくるが、今味わっている恐怖に比べれば随分とマシだ。

「失礼な。ゴキブリじゃない。ゴキブリに変化した俺の影分身だ。ほらほら、地面には俺が待ってるぜ?」

「さっさとやれ」とサスケがサクラの広大な面積を誇るおでこを突く。
 それだけで弱り切ったサクラは地面へと舞い降りていくが――視界の端に写るゴキブリのせいで再び腹筋を繰り返す。

「いやぁぁぁぁ!」
「まだまだ余裕だったみたいだな。はい、後五十回」
「この鬼! 悪魔! 変態!」
「サスケ――サクラの言っている意味がわからない。何て言ってるんだ?」
「腹筋六百回やりたいです、だろ?」
「なるほど」

 じゃあ六百回行こうか、とナルトが呟くのをサクラは確かに聞いた。
 そんなものを望んではいないのに!

「言ってない! 言ってない! 言ってない!」
「はい。黙って腹筋~」
「あぁぁぁあぁぁぁぁっ!」

 七班のメンバーによるサクラ虐待――もとい、修行は順調に進んでいた。
 とある公園の中での、他人から見れば微笑ましい、サクラからすれば地獄のこの光景。
 ほんのりと明るいそこでは人はおらず、七班の三人のみがいただけ。そんな意味不明な修行の景色をヒナタはおろおろとしながら見守っていた。
 こんな夜更けにナルトの家に行くのも常識としてどうかと思ったし、お互いの性別を考えるとさらに常識外れだということを知り、当て所なくヒナタはうろついていたのだ。すると、どこからか聞こえてくる聞き覚えのある悲鳴。いったい誰が何をしているのだろう、と思って来たら、これだ。
 凄く楽しそうにゴキブリをちらつかせているナルトと、泣きそうになりながら腹筋をするサクラ、無表情なのに笑いを抑えているようにしか見えないサスケ――アカデミーで一緒だった、卒業して以来はぱったりと友好のなくなった七班のメンバーだ。ずっと友達のいなかったナルトが誰かと一緒に笑っている姿は嬉しく、同時にとても寂しくもある。
 自分とは違って、上手くやってるんだ。
 置いてきぼりにされたような感覚を覚える。なんだか悔しくて、楽しそうにしてる姿が羨ましくて、ヒナタは意を決する。
 話しかけなきゃ。置き去りにされる前に。
 ぎゅっと拳を握ると、ヒナタはナルトたちのほうへ一歩踏み出した。

「あの、ナルト君……何してるの?」

 木の葉では珍しい、紺碧の瞳がヒナタに向けられる。
 少しだけ考え込むように頭を捻らせて、「あー」とうめく。きっと名前を思い出していたのだろう。

「ん、あ、あー、ヒナタか。これはあれだ。腹筋だ」

 かすかな吐息を漏らしながら腹筋を繰り返すサクラを指差す。

「ナルト――だんだんとサクラが虫の息になってきたぞ」
「あれ? あー、やりすぎたか。じゃあ次は腕立て伏せだな」
「ふざけんなぁぁぁ!」
「おっと、怒ったぞ」
「サスケ君! 信じてたのに! 信じてたのにぃ!」
「フン、ついやっちまっただけだ」
「ついで済まされるものですか……腰がぁぁぁ」

 サクラの大声に驚いたサスケが足を放した隙に、サクラは一気に立ち上がった。
 腹筋を酷使しすぎた反動で腰に激痛が走り、立つことすらままならず、がくりと地面に膝をつくことになってしまったが……。
 そんな醜態を見逃すナルトではない。
 屈託なく笑うと、介抱するかのようにサクラの腰を撫でてやり、サスケのほうを見る。

「背筋もさせなきゃ腰に悪いな。サスケ、うつ伏せにして腰を押さえてやれ」
「そうだな……腰に悪いのはダメだ。サクラ、背筋をやるぞ」

 サクラは気づいた。
 こいつら、楽しんでやがる。
 私が悲鳴をあげながら苦しむ様を見物することで、楽しんでやがる!
 外道にも劣る畜生どもを成敗したくなるが、生憎と身体が動かない。不健康状態だ。
 悪が栄えた試しなし、と誰が言ったのだろうか。目の前で立派に栄えているではないか。
 無力な正義に意味はなく、にへらと笑って懇願することしかできない。

「待って。もう限界だって……」

 自らの残された生命力が如何に残り少ないかを切々と訴えるが――

「お前の身体が心配なんだよ……」

 サスケの一言で陥落した。
 心配、と言われた。
 意中の人に我が身を心配されたのだ。
 何かが致命的に間違っている上に、盛大に勘違いをしているようではあるが、鼻がつきそうなほどに顔を近づけられて、眼を覗かれたとしたら――魅了されるのは無理はないのかもしれない。
 気づけば唇は自分の意志に反して「サスケくん――私、頑張る」と呟いていた。
 恋の魔法。
 それは僅か数秒で解かれることとなる。

「頑張れ」

 にやり。
 愛情に溢れていた憂いは掻き消えて、悪戯が成功した憎たらしい悪ガキのように笑うサスケが、目の前にいた。
 ハメ――られた。
 うわぁぁぁぁん、と抵抗するが、既にうつ伏せになっていて、サスケが腰にのしかかっている。逃げ道は閉ざされた。

「で、どうしたんだ? こんな時間に出歩くなんて危ないぞ」

 背後で行われている阿鼻叫喚の地獄絵図を爽やかにスルーして、ナルトはヒナタに振り返る。

「う、うん。でも、ナルトくんたちこそ何でこんな夜更けに、こんなことを……?」

「あー」とナルトがぼやく。
 ナルトの癖だ。何かを誰かに伝えるときに情報を理論立ててまとめるときの癖。だいたいが考え事をするときに出る。

「任務で誘拐された男の子を助けるためにある屋敷に侵入して――そこでサクラの身体能力が低いせいで危機に陥ったわけだ。サクラを鍛えねば! ということで、任務が終わってすぐに筋トレをしている」
「――足が遅いせいで追っ手に追いつかれたのは謝るわ。けど、腹筋は関係ないでしょ……」
「いつ休んでいいって言った?」
「痛いっ!?」

 サクラが口を挟むが、その間に背筋の動作が止まったせいで頭をはたかれる。
 ほどほどにしとけよー、とナルトは笑いながら言うが、止める気はないようだ。釣られて、ヒナタも笑ってしまう。口元を手で隠して、くすくすと。

「とまぁ、そんなわけで七班のメンバーが集まってサクラに付き合ってるわけだ」
「仲良いんだね……」
「まぁな。初めてできた友達だし」
「ナルトなんか、大嫌い!」
「休むな」
「あうっ」

 漫才でもしているのかと錯覚してしまうほどのやり取りは、失礼だとわかっていても笑ってしまうものだ。
 鬱屈とした日々で忘れ去っていた笑顔を、ナルトと会っただけですぐ取り戻せたことに驚く。
 才能がないことを突き付けられる毎日はヒナタが自分で思っている以上にストレスとなっている。
 そう――

「で、どうかしたのか? 随分と顔色が悪いみたいだけど」

 ナルトが気づく程度には、顔に出ているのだ。
 急に心配されたことによりヒナタは焦る。そんなつもりはなかったのだから。
「え、その……」と煮え切らない態度をとるヒナタに、ナルトはがしがしと髪を掻き毟る。

「場所変えるか? うるさいのもいるし」
「どういう意味よ」

 地獄耳。うるさい奴はちゃんと聞いていた。

「喘ぎながら背筋している人が隣にいると話に集中できないだろ」
「私も話しに……」
「サクラ」

 背筋地獄から逃げ出そうとサクラは画策するが、サスケの一言で硬直する。
 限界まで首を捻って、サスケの顔を覗き見る。
 月に照らされた整った顔立ちは冷めているようで――それでいて、緩んでいた。

「サスケくん――楽しんでない?」
「気のせいだ。さっさとやれ」
「う、うぅぅぅぅぅ!」

 うめき声をあげながら背筋を続けさせられるサクラを、ナルトは優しげに見守っていた。
 その姿が、ヒナタにとって、とても違和感を覚えるのだ。
 アカデミーでは常に切羽詰まったような表情を浮かべて、余裕がなかった。ずっと何かに夢中になり、無駄な時間を徹底的に省く合理主義者だったように思える。
 それなのに、今は――

「ナルトくん――少し、変わった?」

 それとも、変えられたの? 
 心にかげさす嫉妬の情念が浮かんでは消えていく。

「そうか?」
「明るくなったような気がする」

 少しだけ考えるような仕草を見せた後に、ナルトは無邪気に笑った。

「……そうかもな。アカデミーよりも毎日が充実してる。楽しいよ」

 楽しいよ。
 酷く胸を抉る言葉だ。
 きゅっと服の袖を掴んで、瞑目する。
 ヒナタは――

「場所、移動していいかな? 聞きたいことがあるの」
「俺が答えられることなら何なりと」

 ◆ 

 先ほどの場所からは少し離れた、公園の片隅にひっそりと佇むベンチに、ナルトとヒナタは腰を下ろす。
 息を深く吸い、吐く。
 何度繰り返しただろうか。
 聞きたいことがある。けれど、聞いていけないことのような気がする。
 ヒナタは逡巡する。
 ちらりとナルトの横顔を見た。
 目が合うと、口の端を歪めるだけの不器用な笑みを返してくる。
 それだけのことなのに――この人なら怒らないかも、と思ってしまう。

「失礼なのはわかってる。けど、聞かせてほしいの……」

 ぽつり。

「ナルトくんは、何で頑張れたの?」

 聞きたいことは、つまり――

「忍術の授業ではずっと最下位だった。いくら努力しても――どの科目も一位になれてなかった。私から見て、一番努力してるのに……結果が出ないのに何で頑張れたの!?」

 風が、吹く。
 ざわざわと木の葉がざわめき、もがれた葉が空を舞う。
 ひらひら、ひらひら。
 真剣な眼差しを向けて、ナルトに言った言葉のように、宙に浮かぶ。
 いつ、落ちるのだろう。
 ヒナタの瞳をじっと見つめながら、ナルトは黙り込んでいる。
 そして、嘆息した。

「……自分が頑張れないから、俺の頑張る理由を聞いてやる気出そうってか?」

 図星だ。
 妙な罪悪感に蝕まれながら、ヒナタはびくりと身体を震わす。
 再び、溜め息。

「参考にならないと思うぞ。俺が頑張っていた理由なんてチンケなもんだしな」

 それが知りたいの。
 ヒナタは震える眼を意志で抑えつけ、ナルトの瞳を見つめた。
 物好きな奴だな、とナルトは呆れる。

「簡単に言えば、『見下されたくなかった』かな」

 語られるのはナルトの思考。その根源。

「才能がないと言い訳をして、努力を怠る奴がいた。そういう奴は誰からにも期待されない。進もうとしていないんだからな。だけど、それより下もいる。努力をしていても結果を出せない奴――まぁ、俺だな」
「苦しくなかったの?」

 ナルトは、空を見上げる。
 下弦の月が雲に隠れて、暗く妖しく光る星たちだけが在った。

「苦しくなかったって言えば嘘になるな。辛かったし、悔しかった。けど、目標があるから頑張れたし、何より舐められるのが嫌だった。俺の頑張る理由なんてそんなもんだよ。根が単純だからな」

 苦笑混じりに、ナルトは言う。少し恥ずかしそうだ。
 みんなには内緒だぞ、と締めくくる。
 沈黙が落ちる。
 聞き終えた感想は、ある。早く言わなきゃ、と無意味に焦る。
 そんなとき、 

「で、お前は何に挑んでるんだ? ぼろぼろに泣き腫らした顔してさ」

 心の隙間に入り込んでくるような、その台詞。
 見透かされている、と思った。
 涙が出そうになるが、ぐっと堪える。
 目をぐしぐしと手で強く擦り、無理やり笑顔を浮かべる。

「何に、かな。わからない」

 声が、震える。

「お前には才能があるんだから、大丈夫だよ」
「私には、才能なんかない!」

 叫ぶ。
 日頃大人しいヒナタが、柄にもなく大声を張り上げた。
 ナルトは少しだけ驚いたように身を引いている。
 やってしまった、と後悔すると、ヒナタは項垂れる。

「――ごめんなさい。大声なんて出して……」

 自分が悪い。
 悩みを聞いてもらっているのに、逆ギレするなどと……。

「才能がない、ねぇ。木の葉最強と謳われる宗家の娘が、そんなことを言うのか」

 攻め立てるようなその言葉。

「誰もが望んでも手に入れられない才能を持ってるのに。そんなことを言うのか」

 持たざるものの代弁。

「ナルトくん……?」

 何を言われているのか理解できなくて、理解したくなくて。
 ヒナタは怯える。身体を竦めた。

「その目は何だ。才能だろ?」
「けど、私には……」
「柔拳が使えない。体術の才能がないからってか? 宗家の娘は言うことが違う」

 ぎりり、と軋む。
 何かが音を立てて崩壊していく。
 不意に、ナルトがヒナタの手を掴んだ。
「え?」とかすかな声が漏れる。そんなことを気にしないのか、ナルトはまじまじとヒナタの手を見る。

「綺麗な手してるな」

 急に、褒められた。
 顔が真っ赤になっていることが自覚できるほどに、熱くなる。
 勘違いだ。 

「何を照れてるんだ。嫌味だぜ?」

 そう、ただの嫌味。

「努力をしてて、そんなに綺麗な手なものかよ。反吐が出る。やることやってから弱音を吐け」

 身体を鍛えているものならば、手が綺麗などということはない。
 拳骨には切り傷がつくし、手にはタコができては潰れ、分厚い皮が出来上がる。見た目は決して良くはならない。
 お前は努力なんかしていない。
 ナルトはそう言っているのだ。

「私は――努力してる!」
「へぇ? じゃあ見せてみろよ。お前の努力ってやつをよ」

 息せき切って立ち上がり、ヒナタは叫ぶ。
 自分のすべてを否定された。これまでの努力を全て否定されたのだ。
 ナルトも同様に立ち上がり、ヒナタの前に立ち塞がる。

「軽く捻ってやる」

 侮蔑すら混じったその台詞。
 心の支えにしていた人物の胸を抉るような言葉に――ヒナタは我を失った。

「う、うあぁぁぁぁっ!!」

 混乱した頭とは違い、身体は修練の型通りに動く。
 外部を壊す剛拳とは違う、柔らかな足運び。
 関節を連動しての足から拳へと力を集約するものではなく、ただ、身体の運ぶだけ。運体。
 強く踏み込むのではなく、リズムの隙間を掻い潜る歩法は相手の認識をずらし、容易に懐に入り込む。
 そこは柔拳のテリトリー。
 流れるような、力のない動作で拳は運ばれて、ナルトの腹に、触れた。

「良い拳してるじゃねぇか……」
「なんで避けないの……?」

 歯を噛み締めて、ナルトはヒナタの攻撃を受けた。
 ヒナタは動揺する。
 思い切り、殴った。
 柔拳は内部に損傷を与える武術。打撃のときに触れたナルトの――よく絞り込まれた身体を持ってしても、激痛が走るはずだ。内臓は鍛えられないのだから。
 けれど、そんなことは億尾にも出さず、ナルトは歯を剥き出しにして笑うだけ。

「才能あるよ、お前。俺が保証してやる。俺に保証されたからって何の意味もないだろうけど――やるだけやってみろよ」

 言葉が吐き出される口の端からは、かすかに零れる血の雫。

「あ、血が……血が……」
「気にすんなって。そこらのヘタレとは身体の造りが違うんだよ」

 ドン、と胸を叩く。そのせいで咽ているのが何とも言えない。ヒナタを余計に心配させるだけだ。
 ごほごほ、と息を吐きながら、ナルトは何かを思いついたかのよう。

「……あ、そうそう、ヒナタ。躓いたら自分にこう言い聞かせろ」

 それはヒナタがもともと聞きたかった言葉。

「俺は天才だってな! 何度も呟くと自分が天才になったと錯覚できる。気休めだけどな」

 陳腐極まりない『天才』という名詞。
 だけど、わかりやすい。
 自分の可能性を決めつけないためには、それが一番いいんじゃないか、とヒナタに思わせるくらいには――わかりやすかった。
 俯き、震える。

「ちょっと! なんでヒナタが泣いてるの? ナルトォ……?」

 ヒナタの状況を知ってサクラは走って来た。微妙に身体のバランスがおかしい。腰をかばうように走る姿はかなり情けないものがあった。

「何もしてない。ところで背筋はどうした?」
「終わったわよ!」
「次は腕立て伏せだ」

 がしり、とサクラの肩に強く置かれる手はサスケのもの。
 おそるおそる振り返り、サクラは情けない表情を浮かべる。

「サスケくん……? 私、もう、立つのすらキツイんですけど……」
「知らん」
「いやぁぁぁぁ!」

 絶叫しながら引き摺られていくサクラは哀愁漂っている。
 ナルトの視界に入ったサスケから悪魔のような尻尾が伸びているように見えたのは錯覚だろうか。

「――さすがにかわいそうだな。助けてやるか」

 思わず呟いてしまうほどには、ナルトはサクラに同情していた。
 そもそも元の発端は自分なわけだし……。
 サクラたちのほうへ歩き出そうとしたとき、ヒナタのことを思い出す。

(そういえば、泣いてるんだっけ)

 慰めるべきか、と悩みながらヒナタのほうを見ると、

「ナルトくん……ありがとう。ちょっと、元気出た」

 ひまわりのように笑っているヒナタがいた。
 目元が赤く腫れていて、やっぱり泣いていたのだろうけど、悲しみは見えない。
 大丈夫だな、とナルトは思う。

「そうか? それならいいけど……まぁ悩みがあればいつでも来いよ。話相手くらいにはなってやるからさ」
「うん。じゃあ、帰るね」
「帰るのか? これからみんなを誘って一楽に行くつもりなんだけど……」
「修行――したいから」

 視線が交錯する。
 お互いに、はにかむ。

「そっか。応援してる」
「うん! またね!」
「またな」

 そうしてヒナタは帰路へとつく。

「サスケ! サクラ! 一楽行こうぜ。今日は俺の奢りだ」
「あ、サスケくん! ナルト、ナルトが呼んでる!」
「チッ、仕方ねぇな」

 アカデミー時代では考えられないほどのナルトたちの明るい声を聞きながら。










[19775] 9.波の国――Ⅰ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/22 20:23
1.

 任務受付所。
 古風というよりも古びたといったほうが正しいほどの家屋の中、それはあった。
『任務受付はこちらまで』と書かれた幕を下げているカウンターには受付の忍――受付管理忍(かんりにん)が着座しており、受け付けた依頼をA~Dの難易度に振り分けて、任務に適した忍者たちを指名していく。
 管理忍たちの中で、一際目立つ笠を被った老人がおり、ナルトたち七班の任務をどれにしようかと頭を悩ませている。笠のせいで陰となり、顔は見えないが、その手は長い年月を生きてきた大樹のように、年輪が重なっている。細く、薄く、力の感じられない老人は――しかし、頼りなさとは無縁の存在。
 この老人こそ、木の葉の里における最高権力者。現火影の猿飛その人であった。
 火影はパイプを咥えて、煙を吹かし、七班の任務履歴を見ていた。
 
「さて! カカシ隊第七班の次の任務は……と、ふむ、前回からCランク任務につき始めたのか?」

 目に止まったのはソレだ。
 まだ下忍になって間もないというのに、Cランク任務でも危険な部類に入る『敵地への潜入任務』をこなしている。しかも、人質の奪還も同時にこなさなければならない。その任務をほとんど上忍の手を借りずに達成してしまっている。

「えぇ、こいつらDランク任務だと俺がいなくても任務こなしちゃうんで……。Cランクくらいじゃないと俺としてもやることないんですよ」

 アカデミー時代、落ちこぼれと謗られていたナルトが、任務で活躍したと書いている。仲間とも上手くやっているようだ。

「ほらほら、私のこと褒めてるわよ」
「はいはい、さすがはサクラ様だな。我らがリーダー! サクラ様!」
「正面突破で囮を務めたのは俺だ」
「な、何よう!」
「いい加減にしとけ、コラ」
「はーい」

 子供が三人並んで茶化しあう。それを先生に咎められる。
 ありふれた光景ではあるが、ナルトにとってはそんな日常すら手に入れがたいものだったことを、火影は知っている。それなのに――手に入れたのか。
 歳を経たせいか、涙もろくなりつつあることを自覚しつつ、火影は慎重に任務を選ぶ。
 手元にある数多くの中から任務を選ぶのはそれなりに難しい。だが、慣れた手つきで素早く資料を展開し、入念にチェックしていく。
 これだ。
 そう思えるものが目に止まった。

「では、次もCランクの任務をやってもらう……ある人物の護衛任務だ」

 護衛任務。
 潜入任務よりは幾分か楽ではあるが、それでも下忍にとっては難易度の高い任務だ。
 依頼人を四六時中守らなければならない。敵はどこにいるかわからない。極限状態に追い込まれる。
 いつ来るかわからない脅威による圧力に負けない忍耐力と急な騒動に対しても落ち着いて対処できる精神力、判断力が必要になってくる。

「へぇ? 連続でCランク任務か。俺たちついてるな」
「連続でしんどいのについてる?」
「俺たちの実力が認められてるってことだろ? 出世頭じゃねぇか」
「そうなのかなぁ?」

 サクラが疑問を持つが、ナルトは断言する。
 子守や買い物のお使いなどの退屈で死にそうになる任務よりは、いくらか危険のあるCランク任務のほうがマシだ。んー、と微妙な顔をしながら細い首を傾げる。

「で、どんな奴の護衛なんだ?」

 サスケが火影に鋭い視線を向ける。
 そわそわしているのが見て取れる。護衛任務という響きに身体が疼いているのだろう。
 火影はにこやかに笑い、依頼人との仲介を担当する仲介忍を呼び寄せる。

「そう慌てるな。今から紹介する。入って来てもらえ」

 任務受付所の隣にある急な依頼を持ち込んできた人を待たせるための部屋。
 木造の分厚い扉が床と擦れる不愉快な音を立てて、開いた。

「なんだァ? 超ガキばっかじゃねーかよ!」

 出てきたのはうさんくさい爺さんだった。
 すぼめられた双眸は七班を見下ろしており、吐く息はとても、臭い。片手には一升瓶が携えられていて、大きな背嚢を担いでいる。一見して物乞いに見えないこともない。
 ぷっはぁ。
 一息に酒を飲み干すと、思い切りゲップを放つ。下品極まりないその動作に、サクラは思わず顔を顰めてしまう。ナルトやサスケも同様だ。
 これを守らなきゃいけないのか。
 考えるだけで、少し切なくなる少年少女たち。
 そんな態度を見破っているのだろう。爺さんはだんだんと不愉快な感情を顕にしていく。

「とくに……そこの一番ちっこい目つきの悪いクソガキ。お前、それ本当に忍者かぁ!? お前ェ!」

 誰のことだろう、とナルトは一瞬考え込んで、両隣を見る。
 サスケとサクラは少し高い位置からナルトのことを見下ろしていた。
 つまり、

「……あぁ、俺のことか。忍者か? って聞かれてもな。忍者に依頼する場所に普通のガキがいるはずがないだろ?」

 今日は上下ともにお気に入りの迷彩服だ。センスがズレているのかな、とナルトは思案する。
 確かに迷彩服はおかしいのかもしれない。しかし、ウチハの絵をプリントしているサスケよりは幾分かセンスがマシだという自負もあるし、つい先日は「格好いい服着てるわね」とサクラに褒められたばかりなのだ。
 いや、逆にこうは考えられないだろうか。ダサいとかではなく、忍者らしくないということかもしれない。
 ならば、どんな服装が忍者らしいのだろう?
 ナルトの思考は完全に迷走していた。
 そんな困った子を放置して、依頼の話が進んでいく。
 ぶつぶつと呟くナルトを呆れるようにサクラとサスケは見守るが、放っておく。後で説明すればいいことなのだから。

「フン! わしは橋作りの超名人、タズナというもんじゃわい。わしが国に帰って橋を完成させるまでの間、命をかけて超護衛してもらう!」
「すぐに出発するそうだ。荷造りが終わり次第、任務開始だ」

 付け加えるように火影が補足する。

「わかった」

 七班のメンバーは声を揃えて返事をした。

 ◆

 木の葉の里と外界を遮る天高く聳える門扉。
 地響きが起こったかのような大地を揺るがす騒音を立てながら、開かれた。

「これが外か」

 呟き――ナルトは一歩、踏み出した。
 そこには世界がある。
 硬く閉ざされた籠の中ではなく、外。視界いっぱいに広がる道は果てが見えず、林立した木々の数も数えきることができないだろう。
 天を仰ぎ、大きく息を吸う。
 いつだってご機嫌な太陽が、今日は自分を祝福するかのようにいつも以上に輝いているように見えた。
 浮き立つ心は抑えられず、思わず口笛を奏でてしまう。
 日頃からどこか冷めているナルトらしくなく、楽しげに振舞う姿に違和感を覚える。

「珍しく浮ついてるわね」
「外に出るのが初めてだからな。ちょっとだけ楽しみにしてる」

 サクラの言葉に機嫌よく答える姿は、どこか幼さを残しているように見えた。
 大人びた言動が目立つナルトだからこそ、微笑ましく感じる。そう言えばこいつって同い年なのよね、と変なところで納得するサクラがいた。
 にやにやと頬を綻ばせている姿は、少し不気味だ。屈託なく笑いながら、ナルトはサスケににじり寄っていく。

「なぁサスケ。お前何持ってきたんだ?」
「何って?」

 妙に浮かれているナルトの言動の意味をわかりかねて、サスケは問い返す。

「おやつだよ。おやつ。何か持ってきたんだろ?」
「……コアラのマーチだ」
「へぇ、俺はポッキー持ってきたんだ。後で分けようぜ」
「あ、私も入れて。ほら、バナナ。バナナ持ってきたの」

 遠足気分だ。
 小さな背嚢を担いでいる。その中にはお菓子も含まれているのだろう。
 どうしたもんだろう、とカカシは三人を見下ろすが、まぁいっか、と帰結する。無駄に緊張されるより、適度にリラックスしている今のほうが余程良い。
 だが、依頼人のタズナからすれば不安で仕方なくなる。
「おい! 本当にこんなガキで大丈夫なのかよォ!」とつい口が出てしまうのも仕方ないだろう。殺伐とした雰囲気を予想していたのに、和気藹藹とした子供たち。命を狙われる立場としてはもう少しシャキっとしてほしいと願うのはとても普通だ。
 そして、依頼人を宥めるのは年長者の仕事だ。

「ハハ……上忍の私がついています。そう心配いりませんよ」
「そうだぜ。無駄に緊張しても結果がついてくることはない。疲れるだけだ。大きく構えてろよ」
「ガキが生意気なことを言う……」

 ポッキーを齧りながらそんなことを言うナルトを、タズナは睨みつける。
 仮にも命のやり取りをしたことがあるナルトは、一般人の怒気など軽く受け流し、お菓子をつまんでいた。
 浮かれているのはわかるけれど、態度が悪すぎる。おそらくだけど、依頼人に馬鹿にされたことを根に持っているのだろう。
 怒り心頭でイライラとし始めたタズナ。サクラはぎくしゃくとした空気を敏感に察知する。
 ガキね。
 子供っぽいナルトの姿に苦笑しつつ、サクラは空気をやわらげるためにタズナに話を振ることにした。

「ねぇ、タズナさん……タズナさんの国って"波の国"でしょ?」
「それがどうした」

 不機嫌な声色。
 機嫌を治すことは容易ではないことを確認し、サクラはカカシを話に巻き込むことに決めた。目が合った瞬間に、俺は嫌だよ、と言わんばかりに首を振ったことなど無視だ。 

「ねぇ、カカシ先生……その国にも忍者っているの?」
「いや、波の国に忍者はいない。だけど、たいていの他の国には文化や風習こそ違うが、隠れ里が存在し、忍者がいる。その中でも"木の葉"、"霧"、"雲"、"砂"、"岩"は"忍び大国"とも呼ばれてる。
 で、里の長が"影"の名を語れるのもその五カ国だけでね。その"火影"、"水影"、"雷影"、"風影"、"土影"の――いわゆる五影は全世界各国何万の忍者の頂点に君臨する忍者たちだ」

 七班の三人は少しだけ考え込み、疑問を持つ。
 ナルトの口角は引き攣り、サスケは鼻息を鳴らし、サクラは、

(あのショボイジジイがそんなにスゴイのかなぁ……なんか胡散臭いわね)

 などとかなり失礼なことを考えながら、そんなことはおくびにも出さず「へー、火影様ってスゴイんだぁ!」と感嘆してみる。

「……お前ら、火影様のこと疑ったろ?」

 バレバレであった。
 特にサクラは顕著で、びくりと身体を震わせる。愛想笑いに近い作り笑いは凍りついてしまった。
 やっぱりね、とカカシは嘆息する。普段の火影の姿を見ていてそこまで凄いと思えないのはカカシも同感だ。目の前で実力を見たことがないと、あれは信じられないだろう。

「ま……安心しろ! Cランクの任務で忍者対決なんてしやしないよ」
「じゃあ外国の忍者と接触する危険はないんだァ」
「もちろんだよ、アハハハ!」

 カカシとサクラの談笑を聞いているタズナの顔色が、変わった。
 罪悪感の滲む――罪人のような不吉な色。
 ナルトとサスケは気づき、違和感を持つ。だが、とくに追求すべきことはないので、勘違いか、と勝手に結論する。
 何より、もっと気を払わなければならないものが出てきたのだから。
 水溜り。
 延々と続く交易路は整備された土の道なのだから、水溜りがあること自体はおかしくない。
 だが、ここ数日、雨など降っていないのだ。
 七班の三人は笑いながらも視線で確認し合い、頷く。
 水溜りを通り過ぎたときに、それは起こった。
 水たまりから、大きな鉤爪が目立つ、歪な人影が二つ現れたのだ。

「なに!?」

 カカシはその二人の鉤爪を繋ぐ鎖に絡めとられて、身動きがとれなくなる。
 それは一瞬の出来事だった。 

「一匹目」

 斬殺。
 いや、それは正しくないかもしれない。より的確に表現するならば、細切れにされたというべきだろう。
 肉片になるほどに鉤爪で切り裂かれたカカシは、間抜けな表情のまま、地面へと倒れ伏した。
 だからこそ、おかしい。

「サスケくん! ナルト! 卍の陣よ。タズナさんを守るわ!」
「オッケー」
「了解」

 敵から見れば一番手強いと思われる忍者を殺したのに、残るガキどもは焦る様子すらなく、むしろ冷静に事に当たっている。
 タズナを中心に、ナルトたち三人は防御の構えをとる。中央にいる依頼人を敵の攻撃から守る防壁陣。
 関係なく、敵二人は襲い掛かってくるわけだが。
 よく修練をされたことがわかる俊敏な動き。鉤爪からは何かが滴っており、おそらく毒物だろうことも容易に見て取れる。
 そして、狙いは――

「二匹目」

 タズナへ向かう敵が二人、サスケとナルトがが蹴り飛ばす。
 逆方向に蹴り飛ばされた二人は即座に体勢を立て直すが――

「サスケくん! 突っ込まないでっ!」
「……そんなこと言ってられるか」

 サクラの制止も聞かず、サスケは自分が蹴り飛ばした敵へ向かって疾走する。
 敵も速かった。
 しかし、サスケのほうが数段速い。
 鉤爪を振り下ろす――サスケからすれば止まって見えた。
 踏み込み、距離を一瞬で潰す。
 そこからはただの作業だ。
 肩へと苦無を突き刺して、相手の攻撃を妨害。そして、空いている手で再び苦無を取り出して、首を掻っ切る。
 血飛沫。
 鮮烈な紅色で染められる景色は壮観だ。
 敵からすれば仲間の死亡。
 何の感慨も湧かないのか。冷徹なまでに表情を動かさず、敵はタズナへと向かっていく。

「ナルト!」
「全く……サクラ様は人使いが荒い」
「うっさい! さっさとやる!!」

 サクラの命令に、渋々と言ったようにナルトは印を切る。
 敵は印を切るナルトに警戒したのか、逡巡する。全く慌てる素振りのない七班に対し、ここで初めて脅威を抱く。
 それが、穴となる。
 勝負を終えたサスケのことを忘れていたのが敗因だ。

「バーカ、俺は囮だよ」

 そんな声。
 そう、気づけば敵は身体の自由を封じられていた。
 一瞬の迷いを覚えたときに身体が硬直した。その隙を狙ってのサスケの放った苦無に巻き付けられたワイヤーに身体の自由を奪われていたのだ。
 大きく口を、開く。舌を、伸ばす。
 それの意味することは……

「あんたにまで死なれたら聞きたいことも聞けないじゃない。死なれたら困るのよ」

 冷徹に言い放たれる言葉。
 そして、口に入れられた異物。
 それはナルトの拳で。

「幻術・奈落見の術」

 敵は、夢に堕ちた。
 圧倒的な戦力差。
 死に果てた敵と、悪夢にうなされる敵――どちらも共通していることがある。
 霧隠れの忍者がつける額当てをつけていたのだ。
 吐き出された吐息は誰のものか。
 敵の忍者に噛みつかれた唾液塗れの拳をハンカチで拭きながら、ナルトは言葉を漏らす。

「で、忍者と戦闘はないって……誰が言ってたんだ?」
「さぁな。記憶力には自信がなくて、いまいち覚えてない」

 ナルトとサスケのやり取り。
 それは嫌味だ。静観していた――見方によってはサボっていた上忍への当てつけ。

「誰も俺の心配してくれないのね……」

 答えたのはカカシだ。
 肉片のように見えたのは変わり身に使われた丸太の残骸。
 生きていたと知って驚いたのはタズナだけであり、七班のメンバーは顔色一つ変えない。 

「私たちが三人がかりであれだけ罠にかけようとしても引っかからないんだもん。これくらいで死ぬなんて思えないわよ……」
「演技が下手すぎる」
「同感だ」
「……へこむよ?」

 ある意味では信頼とも呼べるものなのだが、カカシは素直に悲しくなった。
 胸に去来するこの想いは何なのだろう……。
 最初はあれだけ可愛かった三人が――あれ? 可愛かった姿を思い出せない。よくよく考えれば最初からこんなものだった。
 夢に見ていた先生生活。それは案外、世知辛いものなのかもしれない。

「で、先生……話が違うみたいだけど。忍者との接触はないって言ってませんでした?」

 現実の厳しさに悟りを開きそうになっていたカカシを現世へ戻したのはサクラだった。
 ぼんやりと空を見上げていたことから一転して、急に真面目な顔へと豹変する。

「それは俺も聞きたくてね。タズナさん」
「何じゃ!」

 間。
 相手の心を読むかのように、カカシはタズナの瞳をじっと見つめて――

「ちょっとお話があります」

 反論は許さない、との意味を込めて、語調を強く、言った。

 ◆

 公道の両端に生い茂る木々に、さきほどの敵の片割れは縛りつけられていた。
 自害する気も失せたのか、項垂れるようにしている姿は哀れを誘う。
 しかし、ナルトたちからすれば命を狙ってきた敵である。同情の余地はない。全員で囲み、万が一にでも逃亡を許さないという意志を持って、尋問を行っていた。

「こいつら霧隠れの中忍ってとこか……いかなる犠牲を払っても戦い続けることで知られる忍だ」
「何故、我々の動きを見切れた?」

 それがわからない。
 完璧に水溜りに変化していたはずだ。見た目でバレたとは思えない。
 だが、それこそが見つかった原因なのだ。

「数日雨も降っていない今日みたいな晴れの日に、水たまりなんてないでしょ」

 うんうん、とナルトやサスケ、サクラも頷く。
 全員に発覚している不意打ちなど不意打ちではない。罠へと飛び込むようなものだ。
 気づいていなかったのはタズナだけ。

「あんた、それ知ってて何でガキにやらせた?」

 タズナの疑問ももっともだ。
 もし、仮に――ナルトたちがあっさりと敵に負けたら? 最終的に被害に合うのは自分の命。守るべき対象を放置して、自分の部下に事を当たらせる。それはとても危険なことであり、依頼人であるタズナからすれば不愉快なことであるには違いない。
 だが、

「私がその気になればこいつらくらい瞬殺できます。ですが、知る必要があったのですよ……この敵のターゲットが誰であるのかをね」
「どういうことだ?」
「狙われているのはあなたなのか。それとも、我々忍のうちの誰かなのか……ということです」

 つまりは、こういうことだ。

「我々はあなたが忍に狙われているなんて話は聞いていない。依頼内容はギャングや盗賊など、ただの武装集団からの護衛だったはず……。
 忍者が襲ってくるとなると、Bランク以上の任務だ。依頼は橋を作るまでとの支援護衛という名目だったはずです。
 敵が忍者であるならば、迷わず高額なBランク任務に設定されたはずです。なにか訳ありみたいですが、依頼で嘘をつかれると困ります。これだと我々の任務外ってことになりますね」

 お前のことは信用できない、とカカシは言っている。
 当然だ。
 情報は命を左右する。それを意図的に隠す。許されることではない。
 そのせいで危険に陥るのは依頼人だけではなく、真実を知らされていなかった忍者も同様だ。

「任務のランクなんかどうでもいい。気にいらないのは依頼人が嘘を吐いているという一点だ」

 ナルトも、カカシと同意見だ。

「あんた……まだ何か嘘ついてるんじゃないだろうな?」

 吐き捨てるような言葉には多量の毒が含まれていた。
 致命的なのは、依頼人との信頼関係が結べないということ。一度でも嘘をつかれたら、自然と思ってしまう。
 まだ何か隠していることがあるんじゃないだろうか?
 そうなると、もうダメだ。命を賭けて守れなくなる。

「そうね。依頼人との信頼関係すらまともに構築できないような任務は危ないわ。サスケくんはどう思う?」
「――他国の忍者との戦闘に興味はある」
「バトルジャンキーかよ」
「お前だって同じのはずだ。見てたぞ」

 サスケは、確かに見ていた。
 わざと囮になるという危険な役を、ナルトは――

「――笑ってただろ?」
「さて、ね」

 言葉を濁す。
 他国の忍者との戦闘に興味がないと言えば嘘になる。
 だが、ナルトにはそれ以上に大切なものがあった。

「……先生さんよ。話したいことがある。依頼の内容についてじゃ」

 三人の会話を黙って見ていたカカシは、タズナに意識を向ける。

「あんたの言う通り、おそらくこの仕事はあんたらの任務外じゃろう。実はわしは超恐ろしい男に命を狙われている」
「超恐ろしい男――誰です?」

 ふてぶてしいという他ないほどに面の皮が篤そうなタズナが、心底怯えた表情を見せる。
 脂汗が滲み出る渋面は、恐ろしい男がしでかしたことでも思い出しているのか。恐怖の色が濃く浮き上がっていた。

「あんたらも名前くらいは聞いたことがあるじゃろう……海運会社の大富豪、ガトーという男だ!」

 その言葉に、聞き覚えはある。

「あのガトーカンパニーの!?  世界有数の大金持ちと言われる……」
「そう……表向きは海運会社として活動しとるが、裏ではギャングや忍を使い、麻薬や禁制品の密売、果ては企業や国の乗っ取りといった悪どい商売を生業としている男じゃ……。
 一年ほど前じゃ……そんな奴が波の国に目をつけたのは……財力と暴力をタテに入り込んできた奴はあっという間に島の全ての海上交通・運搬を牛耳ってしまったのじゃ!
 島国国家の要である交通を独占し、今や富の全てを独占するガトー……そんなガトーが唯一恐れているのがかねてから建設中のあの橋の完成なのじゃ!」
「……なるほど。で、橋を作ってるオジサンが邪魔になったってわけね」
「じゃあ、その忍者たちはガトーの手の者……?」

 サクラとサスケも頷く。
 だが、この時点で不思議に思う事がある。
 ガトーは波の国からすれば害毒だと言ってもいいだろう。ならば大名などの支配層からも忌み嫌われている。
 それならば、お金を出し渋るということが考えられない。ガトーがいるほうがよほどに損をすることになるのだから。

「波の国は超貧しい国での……大名ですら金を持ってない。もちろんワシらにもそんな金はない。高額なBランク以上の依頼をするような……」

 それが、現実。
 出し渋り理由は簡単だった。
 懐に金がない。それ以上に明快な答えはないだろう。
 そして。

「まぁ、お前らが任務をやめればワシは確実に殺されるじゃろう。だが、なーに! お前らが気にすることはない。ワシが死んでも、十歳になるカワイイ孫が一日中泣くだけじゃ!」

 タズナは笑いながら、言った。

「あっ! それにわしの娘も木の葉の忍者を一生恨んで寂しく生きていくだけじゃ! いや、なにお前らのせいじゃない!」

 相手の同情を引くために、あえて軽快に笑ってみせた。
 サクラやサスケ、カカシなどの表情が曇っていく。
 だが、一人だけ絶対零度の如き冷たい視線をタズナに向けている奴がいる。

「あぁ、俺たちのせいじゃないな。お前たちが無力なせいだ。それに、恨むならガトーを恨め。筋違いだ。先生、帰ろうぜ」

 ナルトは静かに怒っていた。
 タズナの言葉は、ナルトの逆鱗に触れていたのだ。
「……ナルト?」と急に機嫌が悪くなったナルトに話しかけるサクラだが、そんなものを相手にせず、タズナを睨みつける。

「なんで俺が命を賭けなきゃいけないんだ? こんな見ず知らずの爺さんのために、なんで命を張らなきゃいけないんだ。あまつさえ見たこともない、聞いたこともない娘や孫に恨まれるなどと言う……何の駆け引きだ? 下らない。虫唾が走る」
「ちょっと! ナルト、言い過ぎよ!」

 サクラの制止も意味はなく、怒りは冷めることはない。
 紺碧の双眸は泣きそうな色を浮かべながら、サクラの姿を捉えている。
 ドキリ、と胸が高鳴ったのは何故だろうか。

「言い過ぎなのか? サクラ、俺たちはこの爺さんのせいで一度死に掛けてるんだぞ? 下手をすれば、さっきの霧隠れに殺されてるんだぞ? それをわかっていて、言っているのか?」
「……それも、そうだけど」

 ナルトの言葉は、正論だ。
 否定することはできない、
 何より――

「俺は、反対だ。こんな胸糞悪い爺さんのために使う命はないし、何より――俺の大切な友人がこんな爺さんのために死ぬかもしれないと思うだけでぞっとする」

 反対する理由は友達を想ってのこと。
 自分の命を使うのも嫌だし、友達の命を使うのも嫌だ。
 その感情を理論武装し、正論を言っている。
 ナルトは怖いのだ。
 自分たちを騙す、信頼できない依頼人のせいで命を危険に晒すのが。晒されるのが。とてつもなく恐いのだ。
 誠意が、感じられない。
 言っている意味を正しく理解できるサクラは――

「サスケくんはどう思ってるの……?」
「俺は自分の力を試したい。そこの爺さんなんてどうでもいい」

 悩む。
 サスケはどちらでもいいと言う。
 しかし、サクラは――助けてやりたいと思ってしまった。

「サクラは、どうなんだ?」
「私は……」

 言葉にできず、言い淀む。
 きゅっと唇を引き結び、視線を泳がせる。
 そのときだ。
 黙って話を聞いていたタズナが、地面に膝を着いた。

「……確かに、わしの態度が悪かった。すまん。訂正させてくれ」

 額を、地に擦りつける。

「わしを……わしの家族を……わしの国を……助けてはくれんか。頼む」

 さきほどまでとは違う。心からの懇願。
 ナルトは唾を吐き捨てる。
 相手が謝罪し、赦しを請うてきた。これ以上責めることはできず、しかし、心の中に怒りは消えることはない。
 どうすればいい。どうしたらいい。わからなくなる。
 むかむかした気持ちは顔に表れ、人相が悪くなっていく。

「ナルト、お前らしくもなく熱くなりすぎだ。頭を冷やせ」

 ぽふん、と大きな手が頭に下ろされた。

「ま! 仕方ないですね。乗りかかった船ですし、国へ帰る間だけでも護衛を続けましょう」

 ぱぁっ、とサクラの表情が明るくなる。サスケは戦いに飛び込めることを喜び、ナルトは舌打ちをする。
 膨れ上がった感情を持っていける場所がない。

「……恩に、着る」

 感謝の言葉。
 反して、ナルトの心はささくれ立っていた。







[19775] 10.波の国――Ⅱ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/22 20:24
2.

 濃霧漂う河川を、船に乗って横断する。
 何かから隠れるように、船についたエンジンを使わずに櫂で漕ぐのはどうしてだろうか、ナルトはふとそんなことを思うが、ここはすでにガトーの領域。波の国の国境線。
 既に、敵地なのだ。
 つまり、敵がいる。いつ難敵が来るとも知れず、普通に考えれば先ほどの中忍よりも更に強い忍者が襲ってくることは容易にわかる。
 それなのに、あえて危険を冒す選択をしたカカシのことが不思議であった。

「よーしィ! わしを家まで無事送り届けてくれよ」

 陸地についたタズナの第一声に「はいはい」と呆れたようにカカシは返す。
 濃霧は抜けて、視界が晴れ渡る。やや湿度が高く感じるのは道の脇に川があるからだろうか。
 さらさらと流れるものは透明度が高く、水底まで目に写る。見ているだけで熱くなっている頭が冷めていくようだ。
 そして。

「……先生」
「ナルト、お前も感じるか」

 サスケとナルトはホルスターに手を当てて、いつでも苦無を取り出せるように身構える。
 不穏な視線を感じたのだ。
 身体中に突き刺す、気持ちの悪いソレはこちらに対して明確な敵意を持っている。

「え、え、ナルト――どうしたの? サスケくんも……」

 サクラはわからないながらも、現状を把握する。
 つまり。

「お出迎えだ」
「だから、嫌だっつったんだよ……」

 道は川と木々に挟まれている。
 視界を遮る草藪から、突如として、巨大な何かが飛来して来たのだ。
 それは回転しながらナルトたちに襲い掛かるが、七班は素早く回避する。タズナはカカシが引っ張って、助けた。
 そのままの勢いで木に突き刺さったそれは、名状しがたい。あえて言うならば、鉄塊だろうか。段平にも見えなくはないが、やはり、鉄の塊のようにしか見えない。
 そして、分厚い幅広の刃の上には痩身の――上半身裸の、怪しげな男がいた。
 筋骨隆々というわけではないが、鍛えこまれた四肢。細く長い身体は力強さとともに、しなやかさを感じさせる。まさに、機能美だ。
 美しき肢体を存分に露出する――変態と形容するしかないその男は顔の下半分を布で隠しており、奇怪さを引き立たせている。
 誰だ、こいつ。
 七班の全員は思ったし、タズナも思った。尋常な輩ではないだろう。

「へーこりゃこりゃ、霧隠れの上忍――桃地再不斬君じゃないですか」

 カカシは、知っていたようだ。
 少しだけ緊張した面持ちから、敵の実力を予測する。
 ナルトは気づく。俺たちが相手にできる敵じゃないな、と。
 サスケとサクラも気づいているのだろう。
 じりじりと後ろ足で退却しながら、タズナを背に守っている。
 カカシは、笑う。
 
「下がってろ、お前ら。こいつはさっきの奴らとは桁が違う……こいつが相手となると……このままじゃあ、ちょっとキツイか……」

 片目を覆っている額当てに手を当てる。

「写輪眼のカカシと見受ける。悪いが、じじいを渡してもらおうか」
「卍の陣だ。タズナさんを守れ。お前たちは戦いに加わるな。それがここでのチームワークだ」

 放たれる言葉はこれだけだ。

「再不斬……まずは、俺と戦え」

 額当ての裏から出てきたのは車輪のような模様が浮かぶ瞳だ。血継限界と呼ばれる特殊な瞳。

「ほー、噂に聞く写輪眼を早速見れるとは……光栄だね」

 写輪眼の特性――それはサスケもよく知ること。

「写輪眼――いわゆる瞳術の使い手は全ての幻・体・忍術を瞬時に見通し、跳ね返してしまう眼力を持つという……
 写輪眼はその瞳術使いが特有に備え持つ瞳の種類の一つだ。しかし、写輪眼の持つ能力はそれだけじゃない」
「クク……ご名答。ただそれだけじゃない。それ以上に怖いのはその目で相手の技を見極め、コピーしてしまうことだ
 俺様が霧隠れの暗殺部隊にいた頃、携帯していた手配帳(ビンゴ・ブック)にお前の情報が載ってたぜ……
 それにはこうも記されてた。千以上の術をコピーした男――写輪眼のカカシ」

 そんなにスゴい忍者だったの!? とサクラは驚いてしまう。
 強い忍者だというのはわかっていたが、いつも『イチャイチャパラダイス』などというエロ本にうつつを抜かしているような男――それがカカシだ。それなのに他の里の忍者にすら広く知れ渡る実力を持つという……。
 まじまじとカカシを見てみた。やっぱり信じられない。サスケも同じく、だ。
 うちはの一部の家系にしか表れないそれは――うちはと名乗らないカカシが持っていていいものではない。
 正統血統であるサスケは疑惑の瞳をカカシに向ける。
 だが、カカシは意図的に無視しているのか、決して視線を合わせようとしない。

「さてと、お話はこれぐらいにしとこーぜ。俺はそこのじいさんを殺んなくちゃなんねぇ」

 再不斬は七班を見下ろした。
 タズナを守るようにナルトとサクラ、サスケが三人で立ち塞がり、カカシが一番前で構えている。
 譲る気は、なさそうだ。

「つっても、カカシ――お前を倒さなきゃならねェーようだがな」

 鉄塊を木から抜き放つと、再不斬は川の上に飛び降りる。
 不思議な現象。
 再不斬は水の中に沈み込むことなく、水の上で平然と立っていた。
 驚く七班のメンバーを置き去りにして、事態は進む。
 次々と切られる印。練り込まれるチャクラは膨大なもの。行使される忍術は――

「忍法・霧隠れの術」

 足元に流れる清流から霧を生みだす忍術――【水遁・霧隠れの術】。
 五感の中で最も比重の高い、視覚。それを遮られる恐怖とはどれほどのものか。
 しかし、それは敵も同じこと……などということはない。

「まずは俺を消しに来るだろうが……桃地再不斬――こいつは霧隠れの暗部で無音殺人術(サイレントキリング)の達人として知られた男だ
 気がついたらあの世だったなんてことになりかねない。俺も写輪眼を全て上手く使いこなせるわけじゃない。お前たちも気を抜くな!」

 無音殺人術。
 かすかな音すら残さずに敵に近づき、急所を狙う――忍者が使うに相応しい技術。その達人。
 位階が違う。

『八か所』

 ぼんやりとした――どこから発されているのわからない声が、耳に届く。

『咽頭・脊柱・頚動脈に鎖骨下動脈・腎臓・心臓……さて、どの急所がいい?』

 くつくつと笑う声がこだまするも、位置を特定することができない。
 位置を気取られずに喋る特別な声帯法だろう。相手に恐怖のみを与える。
 つまり、急所を潰されて殺される姿を想像させるのだ。少しでも隙が出れば恩の字程度の考えの下に行われた駆け引きであるが、効果覿面である。

(ス、スゲェ殺気だ! これならいっそ死んだほうが楽なくらいに……ッ!)

 冷や汗に塗れていることを、サスケは自覚する。
 自分よりも圧倒的に強い。凄惨な殺気だけでそれは理解できる。
 何故なら、死ぬ瞬間を想像してしまった。
 脳内では再不斬の鉄塊で叩き潰される哀れな自分の姿が鮮明に映し出されている。
 恐い。
 身体が震えるほどに、恐い……。

「サスケ、安心しろ。お前たちは俺が死んでも守ってやる」

 響いた言葉は、胸に落ちる。

「俺の仲間は絶対に殺させやしなーいよ」

 にこやかな笑みとともに、安心を与えられる。
 大丈夫だ。
 不思議とそう思わせてくれる、普段は頼りなさの目立つ上忍の姿。

『それはどうかな……?』

 斬撃。
 突如カカシの背後に現れた再不斬は、カカシへと斬りかかり、カカシはあっさりと両断される。
 何かが地面に滴る音。

「終わりだ」

 血。
 いや、それは違う。血は透明ではない。赤いのだ。
 ならば、これは何だ。
 両断されて、跡形もなくなった。水へと変わって地面へと落ちたカカシは何なのだ。
 そして、鉄塊を振り下ろした体勢のまま、再不斬は凍りつく。視線は首元へと置かれる苦無へと向かっている。

「水分身の術……まさかこの霧の中でコピーしたってのか!」

 斬られたカカシは水分身(ニセモノ)だった。
 本物は再不斬の後ろに立ち、悠然と苦無を押しつけている。
 勝った、七班の全員はカカシの強さに戦慄した。

「動くな……終わりだ」
「ククク……終わりだと? 分かってねェーな。サルマネ如きじゃあ……この俺様は倒せない……絶対にな! しかし、やるじゃねェか。あの時、既に俺の【水分身の術】はコピーされてたってわけか」
 分身のほうにいかにもらしい台詞を喋らせることで、俺の注意を完全にそっちに引きつけ、本体は【霧隠れ】で隠れて、俺の動きを窺っていたって寸法か」

 再不斬は吠える。
 現状を認識する理解力を持っていないのか、狂っているのか、それとも――

「けどな……俺もそう甘かねーんだよ」

 再不斬も水となり、消えた。

「そいつも水分身か!」

 背後に感じる死への導き。
 カカシは見ずにしゃがみこむ。
 一瞬の差。
 カカシの頭上を鉄塊が通り抜けた。
 剣閃の後に巻き起こる斬風はすさまじく、カカシの髪をなびかせる。
 そして、地面へと這うように腰を落としたカカシへと襲いかかるものは――再不斬の蹴りだった。
 体勢は崩れていて、対応できない。
 両手を交差させて防御するも、完全に衝撃を殺すことはできず、水の中へと吹き飛んでいく。
 追うように再不斬が地面を踏み締めるが、身に走る激痛。
 痛みの根源である足元を見ると――

「まきびしか……くだらねぇ」

 せめてもの手向けか。カカシの放り投げたまきびしが地面に散らかっていた。
 ちょっとした時間稼ぎ程度にしかならないが、この間に体勢を立て直そうとカカシは、予想外の事態に陥ることになる。

「な、なんだ……この水、やけに重いぞ」
「フン、馬鹿が」

 泳ぐことは得意だ。それなのに、泳げない。
 水に囚われる。
 再不斬は水の上へと立ち、印を組むと、カカシへと手を翳した。

「水牢の術」
「しまった!?」
「ハマったな。脱出不可能の特製牢獄だ……お前に動かれるとやりにくいんでな」

 【水遁・水牢の術】――川の水を球状に固定し、対象のものを束縛する忍術。
 球状の牢獄を固定するために翳した片手の自由を奪われるが、問題はないと判断しているのだろう。
 再不斬からすれば、敵はカカシだけだったのだ。

「カカシ、お前との決着は後回しだ。まずはあいつらを片付けさせてもらうぜ」

 言葉とともに生み出されたのは水分身。
 にやりと嗜虐的に嗤うと、水分身はナルトたちへと向かっていく。

「額当てまでつけて忍者気取りか。だがな……本当の忍者ってのはいくつもの死線を乗り越えたものを言うんだよ。
 つまり、俺様の手配書に載る程度になって初めて忍者と呼べる。お前らみたいなのは忍者とは言わねぇ」

 疾走。
 オリジナルよりも幾分も劣ってなお、速いと言える速度は普通の下忍では対応できないものだろう。
 だが、生憎と――七班は普通ではない。
 他の里で知れ渡るカカシをして『優秀』だと太鼓判を押す、特別な下忍だ。
 再不斬の水分身が大きく振り上げて、緩慢に振り下ろした段平を、ナルトが受け止める。
 真剣白刃取り。
 おせぇよ、と呟いたのは誰に向けてのことか。反応するようにサスケは地面を踏み締めると、飛翔する。
 弾丸の如く飛び出したサスケが向かうは水分身。
 距離を縮めるような瞬間的な加速。
 敵の懐で急停止し、停止したエネルギーを腰の回転で消さずに、身体へ溜め込んで――振り上げた利き足へと体重移動していく。
 流麗な軌道は素早く進み、再不斬の顎へと突きささる。

「誰が遅いって?」
「水分身の動きだよ」

 一瞬で、蹴散らす。
 水分身など相手にならぬ、と結果で示す。
 少しだけ身構える再不斬であるが、ここから続く展開は実に予想外のものだった。

「取引だ」

 放たれる言葉はナルトのもの。

「この爺は渡すから、そこのカカシを返してもらえねぇか?」
「ナルト!?」
「……ククク、アハハハハ!! ガキ! 言ったことは訂正だ。お前は忍者だよ。現実をよくわかってる。だがな――」

 客観的に見て、的確な行動だ。再不斬は心から称賛する。
 驚くカカシを見れば嘘をついているようにも見えず、心からの取引なのだろう。
 しかし、甘い。
 交渉とは立場が同等でこそ成り立つし、何より、相手の人間性というものを掴んでいなければならない。再不斬の性格をよくわかっていなければならない。

「――そんなこと、俺様がすると思うのかよ?」

 つまり、戦闘狂の片鱗を見せる再不斬にそのような交渉が通じるわけがないという現実。
 だが、再不斬も甘かった。
 ナルトが、そのようなこともわからない奴だと判断したことが何よりも誤りだし、何より――敵のブレインを見誤ったことこそが最大の間違い。

「思うわけないでしょ」

 黙っていたサクラが口の端を吊り上げる。
 その表情が物語っている。かかったわね、と。
 瞬間、足に違和感を覚える。
 見ると、水の中には金髪のガキが漂っていて、水面からは小さな手が生えていて……力一杯、再不斬の足首を握りしめていた。
 ようやく、気づく。
 交渉は時間稼ぎだったのだと。

「即興忍術! 水遁・心中斬首の術!!」
「ガキ!!」

 足へと注意を向ける。
 ぎりぎりと握りこまれるそれは馬鹿力という他なく、抵抗しなければ今にも水中へと引き摺りこまれそうだ。
 だが、それは囮。

「どこ見てんだ」

 前を見れば、そこには印を組む生意気そうな黒髪のガキ。
 見覚えのある印は攻撃的なもの。
 背筋に悪寒が走る。

「火遁・豪火球の術!!」
「チィッ!!」

 急遽【水遁・水牢の術】を解き、その場から離脱することを決める。
 足を思い切り引っ張り、水面からナルトを引きずり出す。
 人質代わりにするために、首根っこをつかんで陸地へと移動した。
 だが――耳に聞こえる音は実に不吉なものだ。
 ばちばち、ばちばち。
 見下ろすと、ナルトはにやにやと笑っている。人質になったはずなのに、笑っている。そして、手に持つものは――

(起爆札――バンザイアタックか!?)

 投げ捨てようとする。だが、しがみついて離れない。
 意識が起爆札へととらわれた。
 それが、間違い。

「さて、問題。水に濡れた起爆札は爆発するでしょーか?」

 ぽんっ、と呆気なく煙となり、起爆札ごとナルトは消えた。
 走る激痛。
 腕を見ると、数本の苦無が突き刺さっている。血が流れ、だらりと腕が落ちてしまう。
 突き刺さった角度から見ると、投げたのは――サクラとサスケだ。

「影分身……だと!?」

 ナルトはフェイク。自分が使った水分身と同じことをやり返されたのだ。
 殺してやる……。
 どす黒い殺意が溢れていく。
 だが、再不斬の敵はそれだけではない。
 水牢の術が解けた。つまり……。

「さーて、カカシ先生……頼むぜ?」
「サクラ……作戦見事だったぞ」

 陸地へと、カカシが上がる。
 身震いするように水滴を飛ばしながら、誇らしさを宿す瞳を七班のメンバーに向けていた。

「先生が捕まってどうしようかと思ったわよ。まぁ、ナルトの演技が上手かったってのはあるけどね。けっこう本音入ってそうだったけど……」

 一番無害だと思っていたチビっこい女が考えた作戦。
 不覚をとった。

「……優秀な手駒を持ってるじゃねェか」

 負け惜しみではなく、純粋な好意の言葉だ。
 さすがはカカシの部下ということだろうか。

「自慢の生徒でね。さて、言っておくが、俺に二度同じ術は通じないぞ。どうする?」

 再び両者は水の上へと舞い降りる。
 静寂。
 だが、次々と手は印を結んでいく。
 全く同じ動きをするカカシと再不斬が、印を組み終えるのは同時だった。

「水遁・水龍弾の術!!」

 ある程度距離の離れた両者から放たれた水遁は、水を龍と化すもの。
 数本の首を持つ龍が礫となって、敵を襲う。
 炸裂。
 ぶつかりあった術の威力は同等で、結果は引き分けということだろうか。
 巨大な水流は爆発し、雨となってナルトたちのいる場所へと降り注ぐ。

「あの量の印を数秒で……しかも、それを全て完璧に真似てやがる」
「何なの……これって忍術なの!?」
「さぁな。とりあえず、俺たちとはレベルが違うってことだろ」

 激流に飲み込まれたにも関わらず、カカシと再不斬はそのままの位置で対峙していた。
 再不斬は手を掲げる。カカシも同時に、掲げた。
 不気味だ。
 後に続いてくるのではなく、ほぼ同時。
 もはやこれは真似などではないのではないだろうか。
 嫌な想像が膨らんでいく。再不斬は、平常ではなかった。

(こいつ……俺の動きを完璧に……)
「読み取ってやがる」

 再不斬の思考に、カカシが言葉を合わせる。

(なに? 俺の心を先読みしやがったのか! くそ、こいつ……)
「胸糞悪い目つきしやがって、か?」

 苛立つ。

「フッ、所詮は二番煎じ」
「お前は俺には勝てねーよ。サルやろー!」

 尽く、言葉を遮られて、続けられる。
 極めて不愉快だ。

「てめーのそのサルマネ口、二度と開かねぇようにしてやる!」

 掲げた手を下ろし、印を組む。
 次々と組まれていく印は膨大な量で――しかし、間違うはずもない。身体に染み込んでいる。
 だから、手が少し止まってしまうのは、別の原因だ。

(あ、あれは!)

 カカシの後ろに、自分がいる。
 幻術か? そう思うが――どうなのだろう。
 自分よりも早く印を組んでいく自分の幻を真似るようにカカシは続き、そして。

「水遁・大爆布の術!」

 巻き起こるのは洪水と言うほかないほどの奔流。
 自分が印を組んでいるよりも早く、真似をしていたカカシが術を使う。
 どういうことだ!
 再不斬は目の前を大きく遮る水波よりも、そちらに思考を奪われていた。
 回避の動作が遅れる。
 爆流に飲み込まれた再不斬は、陸地へと運ばれて、大樹にぶつかるまで止まれなかった。
 ずきずきと鈍痛がするのは、背中。木に思い切り打ちつけた背筋だ。

「ぐっ……」

 苦痛の吐息が零れる。

「終わりだ」

 カカシは木の枝から自分を見下ろしている。
 再不斬はカカシを見上げ――

「何故だ。お前には未来が見えるのか」
「あぁ、お前は死ぬ」

 首に棒手裏剣が刺さる。
 カカシが投げたものではない。カカシの苦無はまだ手にある。
 ならば、他の者がやったことになる。
 カカシはナルトたちのほうを見るが、全員が首を振る。つまり、七班のメンバーではない。

「フフ、本当だ。死んじゃった」

 聞こえたのは柔らかな音色。
 言葉とともに現れたのは、白い仮面をつけた少年だった。
 黒い着物を纏ってる身体は小さく、ナルトたちと同年齢のように思える。
 降り立った少年を不気味そうに見る七班を置いて、カカシは再不斬の生死を確かめるために脈拍を測った。
 零。
 つまり、死んでいる。

「ありがとうございました。僕はずっと、確実に再不斬を殺す機会を窺っていたものです」

 顔を隠している少年は、カカシに近づいてそう言う。
 仮面は――カカシの見覚えのあるものだった。

「確かその面――霧隠れの追い忍だな」
「さすが、よく知っていらっしゃる」
「追い忍?」

 サクラが疑問の声を上げる。。

「そう、僕は"抜け忍狩り"を任務とする霧隠れの追い忍部隊です……あなた方の闘いもここで終わりでしょう。僕はこの死体を処理しなければなりません。何かと秘密の多い身体でして……」
「気に食わないな、お前。どうにも辻褄が合わない。一人で勝てない敵を、何で一人で追ってるんだ?」

 しかし、ナルトは抗議する。
 納得できないのだ。少年の言葉は穴だらけ。どこから問い質せばいいのかわからないほどに、矛盾している。
 何よりも不思議なことは――

「それに、死体を持って帰る? ここで燃やせばいいだろう。何なら手伝ってやるぞ。何せ、ここには火遁が得意な奴がいるんだからな」
「確かにその通りね。不可解だわ。何で死体全てを持ち帰るの? 殺した証明にしても、首だけでいいじゃない」

 サクラも同調するが、しかし、カカシが首を振る。
「行かせてやれ」と赦しの言葉を得て、少年は自分よりも頭一つは大きな再不斬を肩に抱え、森の中へと消えて行った。

「行かせてよかったのか? あれはどう考えても敵だぞ。サスケもそう思わないか?」
「敵だろうな。だけど、カカシの現状を考えると……逃がすのは妥当な判断だと思う」
「何でよ?」

 ばたり、と何かが倒れる音がする。
 おそるおそるサクラは後ろを振り返ると、ぴくぴくと痙攣しながら倒れ伏すカカシの姿があった。

「えー!? なんで!?」

 サクラは動揺する。なんで倒れたのかわからない。もしかしたら毒かも!? などと考える。
 ナルトが近づいていって、カカシの身体を調べて、安堵の息を漏らす。
 瞳孔も開いておらず、湿疹もない。浅い知識ではあるが、毒物の類ではないと判断する。

「命に別状はなさそうだ。過度の疲労だろう……俺が背負ってくよ」
「ハハハ! 苦労かけたのぉ! ま! わしの家でゆっくりしていけ!」
「うおお……丁寧に運んでくれ」

 タズナの言葉に全員が頷き、波の国へと歩き出す。
 少しばかり振動がつらいのか、カカシが抗議の声をあげるのが微笑ましい。
 そして。

「先生がお急ぎらしい。走っていくぞ」
「え、先生――揺れのせいで悶絶しかけてるわよ!?」
「急いだほうがいいな。緊急に医者に見せる必要がある」
「サスケくんまで!? ちょっと待ってよー!」

 ナルトとサスケは走り出した。
 サクラも悪ガキ二人を急いで追い掛けるが、カカシを背負っているナルトにすら追いつけない。
 アカデミーでは決して鈍足と言われることはなかったが、すばしっこいクソガキたちからすればとてつもなく遅いのだ。
 ちくしょうううう! と叫びながらサクラはタズナに背を向け走り去る。

「元気じゃのぉ……」

 波の国はもうすぐだ。
 霧が晴れた視界は、とても明るかった。






[19775] 11.波の国――Ⅲ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/22 20:24
3.

 ペンキが剥がれ落ちた家は、風が吹くたびに耳障りな音が鳴り響く。
 鬱屈とした空気が立ちこめているタズナの住まう町の中では比較的まともな木造建築ではあるが、それでもみすぼらしい。町の現状がよくわかる――如何にガトーに搾取されているのかが手に取るように理解できる。とてつもなく貧乏で、未来の見えない、絶望色に染め上げられた町だった。
 生きながらにして死んでいる。町についたときのナルトの感想だ。
 貧乏は貧乏でも、未来があれば目に光は宿る。光の種類もいろいろあるが、まとめてしまえば野望のようなものだ。絶対に金持ちになってやる、などとわかりやすい反骨心などを持つ輩が少ないながらもいるものだ。しかし、この町にはいない。屍のようなものばかりだ。 

「大丈夫かい? 先生!」

 そんな中、きっちりと希望を持っている女がいた。荒んだ町には似合わないほどに陽気な女性の名前はツナミ。タズナの娘である。
 顔は似ていないようだが、性格はきっちり引継いでいるようで、死人のような町人とは違い、生命力に満ち溢れている。
 彼女はカカシをベッドの中に運びこむと、おかゆを差し出しながら、熱を測った。

「いや……一週間ほど動けないんです」

 倒れ込んだまま申し訳なさそうに答えるのはカカシだ。
 七班の生徒――主にナルトやサスケ――に脇をくすぐられたりなどと執拗な嫌がらせを強靭な精神力で耐え抜きながらおかゆを食べている。少しでも早く回復するためには栄養が必要なのだから、遠慮することはない。
「なぁーによ! 写輪眼ってスゴいけど、体にそんなに負担がかかるなら考えものよね!!」などとサクラもカカシに攻撃する。少しだけ傷ついたように顔を伏せて、「誰も俺に優しくしてくれないんだな」と不貞腐れ始めているが、誰も慰めようとはしない。日頃の意趣返しである。いつも遅刻をしてくるカカシに対してかける恩情など、七班のメンバーは一欠片たりとも持ち合わせてはいなかった。

「でも、ま! 今回あんな強い忍者を倒したんじゃ。おかげでもうしばらく安心じゃろう!」
「それはないだろ……倒したけど、逃がしたしな」
「その通りだ。死体処理班ってのは……ナルト、お前が言ったようにその場で死体を処理するものだ。証拠は首だけでいい。それに――」
「棒手裏剣――千本か。あれは鍼灸術にも使われるとアカデミーで習ったな」
「そうか。仮死状態になるツボね。詳しくは知らないけど、首はそういうツボが多いって話を聞いたことがあるわ」
「最悪だな……」

 ナルトの言葉にサスケとサクラは頷いた。敵だと疑っていたものが確証に繋がる。
「つまり、どういうことなんじゃ!?」とタズナは現状を理解できていない。理解が遅いのではなく、知識が足りていないだけ。つまり、結果だけを教えればいい。

「おそらく、再不斬は生きている」

 小さな家にこだまするのは最悪の現実。
 強敵である再不斬は生きている。なおかつ、仮面を被った仲間がいる。身のこなしからして、タダモノではないことがわかる。最悪に輪をかけて最悪にしたようなものだ。七班のメンバーの顔色が少しだけ悪くなる。冷静に考えれば、どれほど危険な立場に追いやられているのかが理解できるからだ。

「考えすぎじゃないのか?」
「考えて困ることはないし、対策はできるだけするべきだ。何より、カカシがここから動けないんじゃ、俺たちは帰れない。だから、嫌だって言ったんだよ」

 タズナの言葉にナルトは答える。そして――

「その言葉だと……ナルトは付き合うつもりはあるわけだな」

 カカシに心情の変化を見抜かれる。
 激しく舌打ちするが、にこにことカカシは自分を見てくる。それがとてもむかついたので、ナルトはカカシの横腹に親指を突き刺した。体術における『鉄指』という技。効果としては――超痛い。
 がくりと前屈みに倒れ込みそうになるカカシを冷徹に見下ろしている姿はとてつもなく恐ろしい。だが、カカシは怒らない。額に青筋と脂汗を浮かべながら、痛がっていることをなかったことにする。

「……ま! 再不斬が生きてるにせよ、死んでいるにせよ、ガトーの下にさらに強力な忍がいないとも限らん」

 より最悪の事態を想定する。

「先生! つまり、何が言いたいの?」
「お前たちに修行を課す」
「私たちが今ちょっと修行したところでたかが知れてるわよ? 相手は先生が苦戦するほどの忍者なわけだし……」
「サクラ――その苦戦している俺を救ったのは誰だった? お前たちは急成長しているよ」

 カカシの前に並んで座っている三人を見て――サクラのほうをじっと見つめる。

「とくに、サクラ! お前が一番伸びてるよ」

 褒めたつもりだった。しかし、サクラはとても嫌そうにそっぽを向いた。
 照れているわけではなく、心底嫌悪感を剥き出しにしているのだ。それは何故だろうか。
 きっと原因は両脇で笑う少年二人だろう。にやにやと笑いながら「腹筋の効果だな」「いや、背筋だ」などと小声で囁いているのだ。公園で毎日繰り広げられた地獄の筋肉トレーニングを思い出させられ、急に筋肉痛に襲われたかの如く顔を引き攣らせる。口から漏れ出すのは苦悶の呻きだ。

「……嬉しくないです。で、あんたらは笑うな! 鬱陶しい!!」
「どうしたんだ、お前ら?」

 サクラの不機嫌になる原因がわからず、カカシは疑問符を浮かべる。夜な夜な公園にてサクラが泣き顔になりながら筋肉トレーニングを課せられていたなど知るよしもないカカシは、本気でわからない。

「いや、サクラを鍛えていた日々を思い出しただけだ。な、サスケ」
「あれは楽しかったなぁ」
「……どちくしょう!」

 やっぱりわからないが、なんとなくサクラが玩具にされているのだろうことはわかった。仲が良いなぁ、と微笑ましくなる。

「お前らの言っていることはわからんが、仲間内での修行はいいものだ」
「よくない!」

 抗議の声は無視。

「ま! 俺が回復するまでの修行だ。お前らだけじゃ勝てない相手には違いないからな」
「でも、先生。再不斬が生きてるとして、いつまた襲ってくるかもわからないのに修行なんて……」
「その点についてだが、いったん仮死状態になった人間が元通りの体になるまで、かなりの時間がかかることは間違いない」
「その間に修行ってわけか。この任務は嫌だが、修行は大歓迎だ。面白くなってきたぜ」

 任務自体には興味はないが、基本的にナルトは修行などが大好きだ。時間さえ空いていれば全て修行に当ててしまうほどに。だから、修行自体をすることに不満は全くなく、サスケも同様だ。一番嫌そうにしているのはサクラである。
 もし、先に修行を二人がクリアしてしまったらどうなるだろうか。きっと悪魔のような笑みを浮かべながら、自分の修行を喜んで手伝ってくれるだろう。スパルタなどという言葉すらも優しく感じるほどの地獄の特訓メニュー。それらを自分たちは軽くこなしてしまうのだから性質が悪い。体力馬鹿二人は自分にも同じハードルを用意してくれる。死んでしまえ、と心の中で何度祈り、毎日きっちりつけている日記に何度も書いたことがある。死んでくれないのは何故だろう。不思議で仕方ない。祈りは神に届かないのだろうか。
 アンニュイな気分になったせいで溜め息が漏れ出る。
 そんなときだ。小さな子供が家に入り込んで来たのは。

「面白くなんかないよ」

 第一声がそれ。おそらくナルトに対しての言葉なのだろう。
 枯れ果てた、生気の感じられない子供はおそらく六歳前後ということだろうか。とても小さな割には、何かを悟ったかのような、何にも期待していない瞳が酷く印象的だった。

「おお、イナリ! どこへ行ってたんじゃ!」
「お帰り、じいちゃん……」
「イナリ、ちゃんと挨拶なさい! おじいちゃんを護衛してくれた忍者さんたちだよ!」

 ツナミの息子なのだろう。とてもよく似た顔立ちがしている。だからこそ、目に宿る力のなさが対比となって浮き彫りになる。
 うんざりとしたように虚ろな瞳を、イナリはナルトたちへと向けた。実に面倒臭げである。

「母ちゃん、こいつら死ぬよ……ガトーたちに刃向かって勝てるわけがないんだよ」

 達観した口調でのその言葉は、胸にずしりと圧し掛かる。
 何よこのガキ、と内心サクラは思ったりもしたが、大人の余裕で何とか口に出さずに済ませたのだが……

「……目が死んでるな。戦う前から心が折れてる。負け犬の目だ」

 キツイ一言だ。
 町の現状を見たからこそ、イナリの心が折れている理由もなんとなくわかってはいる。それなのに、責め立てる。大人気ない。
「子供相手に何言ってるのよ!?」とサクラはナルトを止めようとするが、肩を掴んだ手を振り払い、ナルトはイナリへと近づいていき、しゃがみこむ。
 視線を同じ高さに合わせ、じっと瞳を見つめた。

「子供とか関係ないだろ。男なのに……やられっ放しで情けなくないのか」

 イナリの瞳が揺れる。
 拳は力を込めて握りしめられて、震えている。
 初めて、瞳に色が宿る。
 怒りだ。自暴自棄な、投げやりな怒り。
 息は荒くなり、空気を暴飲する。叫ぶ前の一歩手前。

「僕が頑張ったら何かが変わるのかよ!?」
「どうせ頑張れない負け犬にその言葉は無意味だな。お前は変われない。進もうともしない奴に未来なんてものは訪れねぇんだよ」
「お前っ……! くそっ……!!!」
「吼えるならガトーにしろ」

 涙を浮かべながら、イナリは二階へと駆け出していく。
 後ろ姿を見届けるナルトの顔は、物憂げなものだった。何かを思い出しているのか、抑えきれなかった感情を吐露したことを恥じるかのように、髪を掻き毟る。

「……言いすぎだ」

 サスケの言葉に舌打で返し、どっかと地面へと座り込んだ。おろおろとしながらサクラはナルトに話しかけようとするが、全て無視。
 どうしようもない奴だな、とサスケは溜め息を吐くと、イナリの後を追う。
 狭い階段は古びていて、登るたびに足元が軋む。耳朶を打つのは階段が軋む音だけではなく……

「父ちゃん……うっ、ぐう……」

 誰かの泣き声。
 失われたものに縋る小さな子供の悲鳴だった。
 遠い過去――忘れ去ろうとしても心から消えない悲劇に想いを馳せる。

「フン」

 サスケはイナリの後を追うのを止めて、一階へと戻った。

 ◆

 次の日、七班のメンバーは今、タズナの家の裏手にある森の中へと場所を移していた。
 カカシが満足に動くことができないので、夜が明けてから修行をすることになったのだ。カカシが松葉杖で移動に時間がかかるというせいもある。

「では、これから修行を開始する」

 修行――自分の力を高めるために行うことだ。
 ナルトは修行が大好きだ。自分が強くなるのは大好きだし、今はみんなで修行をすることがとても楽しい。競い、高め合う関係というものは遠い場所にあったのに、今はすぐ傍にある。実感するたびに、嬉しくなる。決して表に出すことはないが……

「やってもらうことは、木登り――といってもただの木登りじゃない。手を使わないで登る」
「どうやって?」
「ま! 見てろ」

 カカシが近くにある木に、足をつけた。
 勢いもなく、ただ平坦に、木の幹を歩いていく。

「登ってる……」
「足だけで垂直に……」

 異常なことだった。
 重力を完全に無視しているとしか思えない行為は現実としてありえない。だからこそ、驚いてしまう。ありえない、と。

「まぁ、こんな感じだ。チャクラを足の裏に集めて木の幹に吸着させる。チャクラは上手く使えばこんなこともできる」

 あっけらかんとカカシは木の枝にぶら下がりながら、言う。
 ぶら下がると言っても木の枝の裏に足をつけているだけで、まるで枝から生えているかのようだ。
 ナルトたちは思う。スゲェ! と。
 久しぶりに尊敬の眼差しを向けてくる七班の視線を受けて、カカシはこっそりと喜んでいた。あまり尊敬してくれないのである。こういうふうに憧れの視線を送られるとむず痒く思う反面、とてつもなく嬉しい。先生になってよかった! だが、決して表情には出さない。常に浮かべている飄々とした表情のまま、カカシは平静を装っていた。

「ちょっと待って! 木登りを覚えて何で強くなれんのよ!」

 呆気にとられていたが、だんだんと冷静さを取り戻し、サクラはカカシに問いかける。
 木登りはすごい。だが、強くなるとは思えないのだ。まぁ、森で戦う場合などには必須スキルのようにも思えるが……次の敵は森で戦うわけではない。
 何故、このような修行をするのか――目的は何か。そういうことをきっちり説明していないと修行の効果も半減だ。

「この修行の目的は第一にチャクラの調節を身につけることだ。
 練り上げたチャクラを必要な分だけ必要な箇所に……これが術を使うにあたって最も肝心なことなんだ。
 案外、これが熟練の忍者でも難しい……。
 この木登りにおいて練り上げなくてはならないチャクラは極めて微妙……さらに足の裏はチャクラを集めるのに最も困難な部位とされている。
 ま! つまりはこの調節を極めれば、どんな術だって理論上は体得可能になるわけだ!」
「便利なもんだな。もっと早くに教えて欲しかったくらいだ」

 ナルトの一言に少しだけ頬が引き攣るが、マスクの下なので隠れて見えないことが幸いだった。
 ごほんと、咳払いをする。

「……で、第二の目的は足の裏に集めたチャクラを維持する持続力を身につけることだ。
 様々な術に応じてバランスよく調節されたチャクラをそのまま維持することはもっと難しい……。
 その上、忍者がチャクラを練るのは、絶えず動き続けなくてはならない戦闘中がほとんどだ。
 そういう状況下、チャクラの調節と持続はさらに困難を極める。
 だからこそ、木に登りながらチャクラのノウハウを体得する修行をするってワケ!」

 なるほど、と一同が納得する。
 つまり、チャクラコントロールを上手くできるようにして、あらゆる術に対しての適性を高めるとともに、無駄なチャクラ消費を抑えることを目的とした修行だということ。

「とまぁ、俺がごちゃごちゃ言ったところでどーこーなるわけでもないし、身体で直接覚えてもらうしかないんだけどね」

 苦笑し、カカシは苦無を取り出すと、三人の目の前に投擲する。
 地面へと突き刺さった苦無を不思議そうに見る三人。

「今、自分の力で登り切れる高さの印として、その苦無で傷を打て。そうやってだんだんと上へと傷をつける」
「……やってみるか」

 一番最初に挑戦したのはナルトだった。
 地面の苦無を引き抜くと、助走をつけずに木に足をつける。
 吸着。
 すんなりと木へくっついた足を確認すると、一歩一歩上へと登っていく。
 案外簡単じゃねぇか。
 そんなことを思いながら進んで行ったのだが、この時に気付く。チャクラの調節と持続を同時に行うのが如何に難しいかということを。
 だんだんと木への吸着力が失われていき、地面へと落ちる。即座に苦無で木に傷をつけて、自分の今の実力を刻み込む。
 だいたい半分だ。
 後少しじゃないか、と思いながら隣を見ると、サスケも同じような位置に傷をつけてから地面へと落下している。
 だが。

「案外簡単ね」

 サクラは木の枝に座り、ナルトたちを見下ろしていた。
 汗一つかかず、ぶらぶらと足を揺らしてながら、実に楽しそうだ。優越感が身体全身から迸っている。
「サクラ!」とナルトとサスケは驚きの声を放つ。笑みが深くなった。にやぁ、と可愛らしい顔を邪悪な笑みに歪めている。心底楽しいのだろう。

「あっれー? 二人とも腹筋がどーのこーのと言ってたわりには情けないんじゃない? あっ、木登りすら満足にできないの?
 やっだー、そんな程度のレベルなのに私にイジワルしてたわけ? 本当、足手まといは困っちゃうなぁ……」

 意趣返し。
 普段さんざん自分の貧弱さを追求してくる二人に対しての嫌味だ。
 にこにこといっそ爽やかに見えるように、なおかつとてつもなく憎たらしく見えるように、純白の歯を見せつける。
 ナルトとサスケは地面からサクラを見上げていたが、途中で俯いた。苦無を持つ手が震えている。

「……お前、そこで座って待ってろ。すぐ行くからよ」
「同感だ。どうやら腹筋を千回やりたいみたいだからな。とっ捕まえてやる」

 地獄の底から響いてくるようなくぐもった声音。サクラは負け惜しみと判断した。

「やーいやーい、ここまでおいでー」
「うぜぇっ!」

 助走をつけて木に向かって、走る。
 ナルトとサスケはやはり真ん中くらいで再び落下してしまう。そのたびにけらけらと陽気に笑う女の子の声。
 その姿を覗く小さな影があった。
 少し離れた木の幹に隠れて、こっそりと見ている。

「あんなことしても無駄なのに……」

 呟かれた言葉は、どこか悔しげだった。

 ◆

 鮮烈な夕焼けの光を柔らかく受け止めてくる木の葉。木漏れ日として差し込む赤色はサクラの横顔を淡く照らしていた。
 ざわざわと囁く木の葉が擦れる音に隠れて、苦痛の吐息を漏らしている。とても、儚げだった。
 その姿を見守る二人の少年――ナルトとサスケは優しい手つきで足を絡め取っている。
 悔しそうに、心底悲しそうに、束縛された両足を見つめる乙女は今にも泣きそうだ。ごめんなさい、と何度も呟いている。だが、二人の悪魔は決して許すことはないだろう。

「サスケ、後何回だ」
「五百回までは数えていたんだが、それ以上はちょっと……覚えてないなぁ」
「じゃあ後五百回な」

 悪魔の囁きにサクラは硬直する。

「うわぁぁぁ! なんで二人ともすぐに登れちゃうのよぉぉぉ!!!」

 そう、ナルトとサスケはあれから一時間ほどで木を登り切ってしまった。すぐにサクラは撤退しようと試みたが、足の速さでは当然勝てず、数分も経たずに捕まってしまった。
 それからはそう――リベンジタイムである。
 角と尻尾が生えているのではないか、というほどの邪悪な笑みが視界に飛び込んでくる。とても生き生きとしているのが激しくむかつく。

「なんでって……なぁ?」
「やる気を出してくれたサクラのおかげだな。感謝してる。恩返しをさせてほしいんだ」
「嘘だっ! だって笑ってるもん! 腹筋はもう嫌だぁぁぁぁ!」
「姫は腕立て伏せが所望だとよ」
「言ってない! 言ってないから! ちょっと! サスケくん、無駄に良い笑顔浮かべないでよっ!」

 いつもの修行風景を知らなかったカカシは、なんでサクラが嫌そうにしていたのかをようやく理解する。
 こういうことね……そりゃ嫌だわ。
 まぁ挑発したサクラにも責任はあるとカカシは思うので、あえてそこらへんはスルーして、七班のメンバーに問いかける。「お前ら……なんですぐできちゃうの?」と。
 答えはすぐに返って来た。

「あー? チャクラコントロールとかの練習はみんな一緒にけっこうやってたからな。そりゃできるだろ」
「任務終わった後に、全員で集まって勉強会をしていたからな……地獄だったぜ」
「サスケくんって座学苦手だもんね」
「腕立て伏せやるぞ」
「ごめんなさい! 私は筋トレが苦手でしたっ!」

 清々しいまでの明快な答えにカカシは頬が綻ぶのを禁じえない。
 毎日任務の後に修行をするなど、普通はできない。疲れているから。だが、それを当たり前のように行う部下。とても、誇らしいと思う。

「全く……じゃあ、次の段階へと進む。正直ここまで簡単にクリアされるとは思ってなかったけど、そうだな。忘れてたよ。お前らは毎日成長してるんだったな……」
「水の上を歩く修行でもするのか?」
「よくわかったな」
「だって、先生が歩いてたし」

 理解力がある。努力も怠らない。才能もある。
 きっと、自分よりも強くなるだろう、そう考えただけで、カカシは嬉しくなる。

「なるほど、まぁ日も暮れたし今日は戻って休むぞ」

 だが、無理をさせるのは良くない。
 カカシはさりげなくサクラへの助け船を出すとともに、本日の修行終了を告げた。

 ◆

 焼肉。それは戦場だ。
 鉄板の上でじゅうじゅうと美味しそうに焼かれていく牛肉や豚肉たちを、狩人の如き鋭い視線を持って射抜いている。
 焼け終わった。完璧な焼き上がり具合を微妙な音の変化で判断したサスケは即座に肉を取ろうと箸を伸ばすが、それよりも早く、まさに神速と比喩するしかないほどの速度で持って、ナルトに横から奪われてしまった。

「待て。その肉は俺が育てた」
「焼肉に育てたもクソもあるかよ。早いもの勝ちだ」
「ナルト、お前……ッ!」

 交錯する視線。相手を睨みつけるだけで殺せそうなほどの濃密な殺気が込められたそれは、食卓には似合わない。
 毎度のことではあるが、大皿からみんなで取り分けるような食事のとき、二人は争っていた。いい加減慣れっこではあるが、タズナの家。つまりは他人が食卓を囲っている。
 仲間二人のくだらない喧嘩のせいで自分まで同じレベルだと思われるのが我慢できず、サクラはとうとう口を出した。

「あー、もう! 喧嘩しない! 毎回毎回、少しは学びなさいよっ!」

 やいのやいの、と結局は同じレベルで言い争いに発展する。その間にもきっちり肉を掠めとっていくのは流石は忍というべきか。油断も隙もありはしない。

「いやぁー! 超楽しいわい。こんなに大勢で食事をするのは久しぶりじゃな!」

 タズナは笑ってそう言うが、サクラはいい加減恥ずかしさが頂点に達している。
「付き合ってらんないわ……」と嘆息して立ち上がると、部屋の隅へと歩いていく。少し、気になっていたものがあるのだ。
 壁に立て掛けられた写真。イナリが食事中ずっと見ていたもの――それが、気になっていたのだ。

「あの~なんで破れた写真なんか飾ってるんですか? イナリ君、食事中ずっとこれ見てたけど……なんか写ってた誰かを意図的に破ったって感じよね」
「夫よ」

 写っている中に答えたツナミと同年齢の男はいない。つまり、破かれたところに夫がいたのだろう。
 そして―― 

「かつて……町の英雄と言われた男じゃ」

 タズナの言葉に反応するようにイナリはがたりと音を鳴らして席を外れる。
 曇った表情を浮かべたまま、いそいそと部屋から出て行った。まるで、逃げるように……。

「……父さん! イナリの前ではあの人の話はしないでといつも……!」

 ツナミは烈火のごとく、怒る。だが、タズナは全く気にしていない。

「何か訳ありのようですね」
「イナリには血の繋がらない父親がいた。超仲が良く、本当の親子のようじゃった……あの頃のイナリはほんとによく笑う子じゃった……」

 想いを馳せる。
 昔のことを思い出しながら、イナリのことを語る……そして、突然に沈痛な面持ちとなった。

「しかし……イナリは変わってしまったんじゃ。あの事件以来……!」

 イナリの変わる前、変わった瞬間、その話を――タズナはすることに決めた。







[19775] 12.波の国――Ⅳ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/27 10:58
4.

 イナリには父親がいない。
 そのせいか、内気になり――その性格が災いして、虐められていたのだが……しかし、ある男に助けられてから、変わった。

「名をカイザと言い、国外から夢を求めてこの島に来た漁師じゃった……それ以来、イナリはカイザになつくようになった。
 まだ物心のつかないうちに本当の父親を失ったせいもあるんじゃろうが……いっつも金魚のフンみたいにくっついて、まるで本当の親子のように……
 そんなカイザが家族の一員になるのにそう時間はかからなかった」

 タズナは一息吐くために、お茶で喉を潤した。
 瞑目。
 皺がれた瞼の下では何を思うのか。苦渋の表情を浮かべる。

「そして、カイザはこの街にも必要な男じゃった」

 川の堰が開いたときの話だ。
 町は洪水に飲み込まれる一歩手前というほどの危機状態に陥った。
 荒れ狂う河川を宥めるためには、激流の中へと入り込み、ロープを端まで伝わせられることが必要とされた。
 カイザは、命を懸けて、それに挑んだ。
 無謀だと人々は口を揃えて言うが、

「父ちゃんはイナリのいるこの町が大好きだからな」

 そう言って、飛び込んだ。
 結局は町は守られた。
 一人の男の手によって……。

「それからじゃ……国の人々はカイザを英雄と呼び、イナリにとってカイザは胸を張って誇れる父親だったんじゃ。
 しかし、ガトーがこの国に来て……」
「ある事件が起きた」

 そうじゃ、とタズナは重々しく頷く。
 見ると、身体は芯から震えている。
 顔は蒼白になり、歯はかちかちと音を鳴らす。
 怒りと恐怖をない交ぜにした……そんな表情だ。

「カイザはみんなの前で、ガトーに公開処刑されたんじゃ」

 タズナはその光景を思い出しただけで、身震いしてしまう。
 あまりにも残酷な光景だった。

『自分にとって本当に大切なものは――この二本の両腕で守り通すんだ!』

 そう言っていた英雄は二本の腕を切り落とされて、町の人々の前で――イナリの目の前で、殺された。
 今も幼いが、当時はもっと幼かったイナリのことを思うと、タズナは心が張り裂けそうになる。

「それ以来、イナリは変わってしまった……そして、ツナミも、町民も……」

 静寂。
 何を言えばいいのかわからず、七班全員は口ごもる。
 安易な慰めの言葉をかけられるような甘い悲劇ではない。目の前で肉親を奪われるというのは、あまりに衝撃的だ。
 失ったことのないサクラにはわからない。
 そして――

「わからないことがある。何で変わるんだ?」

 ナルトにも、わからない。

「イナリも、町の人も……人に寄りかからなきゃ生きていけないほどに弱いのか? それは他力本願すぎるんじゃないのか?」

 無関係だ、とナルトは断じる。
 カイザがいなくなったから心が折れたのか。それとも、カイザのように殺されたくないから、心が折れたのか。
 似ているようで、意味は全く違う。

「おんぶに抱っこされないと立つことすらできないのか? ただの言い訳じゃねぇのか? 怖いんだろ。殺されるのが。素直に認めろよ。殺されるのが怖いから反抗できませーん! ってよ。そっちのほうがよっぽど潔い」

 恐怖に押し潰されたことに言い訳をして、美談に仕立て上げているようにしか、ナルトには思えなかった。
 肉親が殺されるのは悲しいだろう。悔しいだろう。しかし、そこから立ち上がらない理由とは、また別だ。座り込んでいたら、また失うことになる。だからこそ、立ち上がるべきだ。
 ある意味でナルトの思考は正しい。だが、だからこそ、他者の心を抉ることになる。

「お前、それ本気で言ってんのか?」
「あ? 本気に決まってんだろ」

 俯いたまま、サスケは震えた声音で問いかける。ナルトは平坦な声音で答えた。
 がたりと椅子が地面へと勢いよくぶつかる。

「サスケくん!?」

 多くの皿が並べられた机の上は踏みしだかれて、黒髪の少年が乗りかかっていた。
 振り上げられた拳は、金髪の少年の頬に食らいついている。
 殴った。
 激情に己が身を委ねた結果、サスケはナルトに殴りかかった。
 突き刺さった拳に反抗するかのように、ナルトは首に力を入れて踏ん張って、サスケのことを睨み返している。サスケも、ナルトを睨みつけている。
 うずまく視線にはあらゆる感情が込められており、制御しきれない負の感情は今にも爆発しそうだ。

「見損なったぞ。人の痛みすらわかんねぇのか……お前は!」
「……俺がわかることは――座り込んだままじゃ何も変わらないっていう純然たる事実だけだ」
「表出ろ。ぶっ飛ばしてやる」
「いいぜ。よくわかんねぇけど、売られた喧嘩は買ってやる。鬱々とした悲劇のヒロインの話聞いて、こちとらむしゃくしゃしてんだ」

 皹割れる。
 これまで積み上げてきた絆に、亀裂が走る。
 そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
 サクラはカカシに止めてくれるように目で訴えるが、首を振られるだけだ。

「止めるべきじゃない。大事なことだ」

 何が大事なことなのか……サクラにはわからなかった。

 ◆

 空に浮かぶ星たちは分厚い雲に覆われて、街は灰色に染め上げられていた。
 それは郊外でも同じことで、家から漏れ出る人工の光だけを頼りに対峙していた。
 闇の中でもなお輝く黄金と、闇に溶け込む漆黒。
 光と影は相対する。
 身体を解すように柔軟運動をするナルトは、思い切り膝を伸ばしていて、サスケはそんな姿を見下ろしている。
 屈んだまま見上げたら、そこには冷たい双眸の中に悲しみを宿したサスケがいる。何をそこまで悲嘆しているのか、ナルトには理解できない。
 立ち上がり、見据える。
 紺碧の双玉は揺れていて、しかし、強靭な精神力で押さえ込まれる。
 嘆息する。

「いきなり殴ってきて……何だよ、お前。悲劇のお姫様に恋でもしたのか?」
「お前だってわかるだろうが! 孤独の傷みってやつをよ! 失った傷みをよ! お前だって一人だっただろうが!!」

 サスケの怒りをぶつけられるたびに、ナルトの心は冷めていく。

「そんなに興奮するなよ。孤独の傷みってのは……わからんでもないけどよ。わからないことはある。なんで負けるんだ? 親の死と自分の敗北は無関係だろ?」
「なんでお前はそんなふうに考えられるんだよ!」

 サスケが何に対して怒っているのか。
 同情しているのか。そうとは考えられない。サスケの人間性から考えるに、そんなに熱い奴ではない。
 ならば、何か。
 思考する。
 そして、思い出す。
 木の葉の里で有名な『うちはの悲劇』を。
 得心する。
 つまり。

「あぁ、そっか。そうだな。お前も親を……ってか、家族を失ってるんだよな。イナリと自分を重ねたのか?」

 柳眉を逆立てる。
 冷たく整った顔立ちが朱に染まる。

「わっかんねぇなぁ。お前とあいつは違うだろ? お前は立ち上がってる。あいつは座り込んだままだ。全然違うように思えるけどなぁ」
「黙れっ!」

 開始の合図などなく、サスケはナルトに対して走り出した。
 数歩分はあった距離は一足飛びで潰されて、気づけば懐にいた。
 実に速い。自分ではそこまで速く動けない。清清しいまでに、身のこなしを視認することができなかった。
 体勢を低く。迫り来る拳は避けられない。ならば、避けなければいい。感情任せの攻撃は力強さはあるが、正確性がない。どこを狙ってくるかは理解できていた。体重を乗せて、拳に頭突きを合わせる。
 鈍い音が脳内に響く。 
 苦痛に呻くサスケの顔を覗き込む。

「お前も、イナリと同じように泣いたことがあるわけだ?」
「ぐっ……」
「自分を否定されたみたいで、むかついたのか?」
「黙れっ!」

 再び襲い掛かる拳は、避けられるものだった。しかし、あえてナルトは避けなかった。
 頬を貫く痛みが走る。
 吹き飛ばされるほどの衝撃。だが、地面に足を食い込ませ、穿ちながら……耐え抜いた。
 膝が折れる。しかし、ここで倒れるわけにはいかない。根性のみで両脚を支えて、どす黒く変色した頬に手を当てる。

「なるほど、そうか。お前もイナリと同じだ」

 呟かれる言葉は確信に近い推測。

「うちはを皆殺しにした裏切り者を殺したい。うちはの一族を復興したい。失ったものにしがみついているだけなんだな」

「失うものがないお前に――何がわかる!」とサスケは叫ぶ。
 だが、ナルトは最初から一貫して言葉を紡いでいる。つまり。

「わかんねぇって何度も言ってるだろ……おいそれと自分の感情を他者が理解してくれるなんて、俺は期待したことすらねーよ……。
 自分を無条件で肯定してくれる存在――家族がいなかったからな」

 湿った空気に重く響く言葉は、誰に向けたものなのか。
 ナルトには、家族がいない。だから、失うことすらなかった。最初から無いのだから。

「聞くけどよ。お前に、俺のことがわかるのか? けっこう辛いぜー? イルカ先生と出会うまでは、俺と喋ってくれる奴なんてほとんどいなかったんだぜ?」

 からからと笑うように吐き出される言葉は、心をざわつかせる。
 乾いている。何もかもが、存在していない。最初から他者に対して、希望を持っていない。
 ナルトは、孤独だった。

「アカデミー内でも俺の扱いがどんなのだったか……お前も見てただろ? 誰も助けてくれない。結局、自分を救うのは自分の力だけなんだよ」

 停滞することに意味はない。
 変えたいと願うならば自分が動くしかない。現実はいつだって残酷で、容赦のないものだ。
 だからこそ、ナルトは結論する。

「へこたれて何か得をするのか? 誰かが助けてくれるのか? 少なくとも、俺に救いの手を差し伸べてくれたのはイルカ先生だけだったし、それだって、俺が努力してなけりゃ見向きもしなかっただろうぜ。荒んでどうする? あれは甘えだ。庇護者がいるからこそ出来る余裕の表れなんだよ」

 だからこそ、言う。
 お前ら甘ったれの考えは、俺にはわからんと。
 他者を突き放すようなその言葉はとても冷たく、ある意味では……真理だ。
 ナルトが短いながらも歩んできた人生の中から掴んだもの。それは、重い。

「弱者は変われないと言うのか」

 サスケは俯いたままだ。ナルトと視線を合わせようともしない。

「変われない。変われるのは自分を信じて行動を起こせる奴だけだ」
「いちいち正論だな、お前は……人間、そこまで割り切れるもんじゃねぇんだよ!」
「ぐぅっ……」

 お互いの腹に拳が突き刺さる。殴りかかったサスケに、ナルトがカウンターを合わせたのだ。
 そこからはただの喧嘩。
 修練で覚えた型など度外視した、大振りの殴り合い。
 避けない。
 全部喰らって、その分だけ殴り返す。
 意地の張り合いだった。 
 そして、勝ったのは……
 鳩尾に抉り込まれた拳のせいで、ナルトは膝を着く。
 口から吐瀉物を撒き散らしながら、痛みに悶えながら――それでも、澄んだ目でサスケを見上げていた。
 蹴り飛ばす。

「ナルト!」

 地面へと転がったナルトを、サクラは慌てて寄り起こす。
 非難するようにサスケに目を向けるが、ぼろぼろに汚れたサスケのほうが……

「お前のことを友達だと思ってた俺が馬鹿みたいだ……じゃあな」

 溢れ出す何かを無理やり擦りつけて、サスケは森へと歩き出す。
 拗ねた子供。
 サクラはそんな印象を覚えた。
 そして、自分の腕の中で震えるナルトを見る。
「痛ってぇ……」と漏らしながら顔を腕で覆う姿は、サスケとそっくりだ。

「ナルト、今の言葉は本音なの?」

 カカシが何で止めなかったのか、サクラはようやく理解した。
 だからこそ、言うことにする。

「アカデミーの卒業の日、私とあんたは喧嘩したわよね。あのときね。サスケくんにあんたの陰口言ったの。
 親のいないあんたはろくな育ちができてない馬鹿野郎だって……そのとき、サスケくんは私に何て言ったと思う?」

 知るかよ、と掠れた声が耳に届く。

「孤独はとても辛いんだって。そんなことすらわからない私はうざいんだって、言われたの。だから、私も言うね」

 沈黙。
 少しだけ、間があって……。

「あんた、うざいわ」

 耳朶を打つ言葉は、そんなもの。

「……そうかい」

 ナルトの瞳は水滴で滲んでいた。

 ◆

 朝靄が浮かぶ森の中には、朝焼けが霞んで見えるものだ。
 重くのしかかってくる水滴は身体を蝕み、腐葉土の上で寝転がっているだけで寒くて、震えてくる。
 けど、どの面下げて家へと戻れと言うのか。

「……何てこと言っちまったんだ、俺はっ!!」

 思い出しただけでも死にたくなる。
 サスケは昨日、キレた。ナルトの言葉に堪忍袋の緒が切れたのだ。だから、殴った。本当にそれだけのことだった。
 感情に任せて行動した代償は大きく、サスケは一人の友人を失った。いや、唯一の友人と言ってもいいかもしれない。毎日顔を突き合わせて、笑いながら一緒に修行をした相手など、ナルトくらいだったから。
 最初は勝負をしても相手にならなかった。体術にしても、忍術にしても、真っ向勝負をすればサスケがいつも余裕で勝っていた。
 しかし、悔しさに顔を歪ませながら、次の日は戦い方を変えてきて、自分の体術を真似してきたり、弱点を研究してきたりしてきて、勝率はだんだんと五分五分になりつつある。つまり、ナルトはいつも諦めない姿勢を貫いてきた。
 だからだろう。この町に来てからずっと機嫌が悪いのは……わかっているのだ。ナルトの嫌いな人種ばかりがいる――行動を起こさない奴らばっかりで辟易していて、それで、あんな辛い言葉を吐いていたことも。
 そして、最初から最後までイナリに対して『そのままじゃ何も変わらない』と言っていただけなのだと。要するに『変われよ』と言い続けていただけなのだ。
 冷静になって考えてみれば、不器用な言葉を吐いていただけで、確かに思いやりはあった。それに気づかなかった自分に対して苛立つし、そんな不器用な言葉しか言えないナルトにも腹が立つ。

「……わかりにくいんだよ」

 視界が滲む。ぽとぽとと水滴が落ちて、頬を濡らす。 
 誰に見られるわけでもない。久しぶりに、泣くのもいいかもしれない。
 サスケがそんなことを思ったときだ。 

「どうして泣いているんですか?」

 後ろから声をかけられた。
 仮にも忍であるのに、背後に人が立っているなど……驚きのあまり、サスケは飛び退った。

「テメェ、誰だっ!」

 背後に立っていたのは腰ほどまで伸ばした絹のような黒髪の柔らかな微笑の似合う少年であった。
 困ったように「薬草を取りに来たものですけど」と言いながら、サスケの足元を見ている。サスケも足元を見ると、そこには――

「貴方の足元に押し潰されているものです」

 何だか悪いことをしたみたいな気分になって、サスケは薬草拾いの手伝いを申し出た。
 腰を落としたまま薬草を採取し、少年が持っていた大きな籠に詰め込んでいく。
 緩やかに過ぎていく時間。
 どちらも喋ることはないのに、とても落ち着く。ゆったりとした一時だ。
 
「すみません、手伝わせちゃって……」

 構わねぇよ、とサスケは頭を振る。
 薬草を採取するのは気が紛れたし、何かに没頭すると考えなくてすむ。
 だが。

「友達と喧嘩でもしたんですか?」

 突然言われた言葉は、サスケの思考を酷く乱した。

「……! あんな奴、友達でも何でもねーよ」
「随分と仲が良かったんですね」

 にっこりと笑って言われた言葉は、絶対にサスケの言っていることを聞いていない。
 仲がいいわけがないだろが! 
 切々と如何に仲が悪いか、ナルトがどんな奴かを説明するが。

「目元腫れてますよ。一晩中泣き明かしたんじゃないですか?」

 無駄に終わる。

「話なら聞きますよ。薬草拾いを手伝ってくれた御礼に……」
「心を抉るようなことを言われた。そいつの言うことがいちいち正論でむかついて、だから殴った」
「――わかりやすいですね」
「笑ってんじゃねーよ……」

 不貞腐れたようにサスケは薬草を放り出して、地面へと座り込む。
 くすくすと頬を綻ばす少年の手伝いなどもうしない、と心に決めて地面へと寝転がった。
 朝靄はとっくに消えていて、晴れ渡る空は昨日と違って陽気な気分にさせてくれる……こともなく、サスケの心はどんよりと曇り空だ。隣で笑う奴がいるから、そのせいもあるだろう。

「それくらいの年齢の男の子だと喧嘩で殴りあうくらいはするでしょう。貴方も随分と殴られたようですし」
「俺のほうが殴った! 俺は負けてねぇ!」
「勝ち負けの問題なんですか?」

 立ち上がり、自分の強さを叫ぶが、少年の言葉に罰が悪くなって、拗ねる。
 胡坐をかいてそっぽを向く様は、ただの捻くれた子供だ。

「……違うよ」

 ぽつり、と呟かれた言葉はとても小さい。

「じゃあ、喧嘩したことを後悔してるんですか?」
「……別に」
「わかりやすいですね。顔に書いてますよ。後悔してるって」
「してねーよ!」

 語調が荒い割には、サスケは妙にしかめっ面だ。
 途切れるように終わる言葉にも力はなく、大量の空気を吐き出しているだけのようにも思える。
 後悔、している。
 仲直りもしたい。
 そんなことを考えている自分も認めたくはない。
 見透かしているかのように、少年はサスケの揺れる眼を見つめている。再び、サスケは目を逸らした。くすり、と笑われるのも無視だ。

「謝ればいいじゃないですか。相手の子も悪いんでしょうけど、君も悪いんでしょう? 貴方から殴ったのなら、貴方が謝るべきです」
「謝りたくねぇ」

 当然だ。自分は悪くないのだから、謝りたくない。
 無理やりそう思い込む。

「意地っ張りだなぁ。そのことを後悔する日が来るかもしれませんよ」

 どういう意味だろうか。まるでもう会えなくなるかもしれないような言葉。
 心に、染みこむ。

「君にとって……その人は大切な人ではないんですか?」
「大切な人……?」

 問い返すと、少年は何かを思い出すように空を見上げた。

「いつ、二度と会えなくなるかわからないです。もしかしたらこれで終わりかもしれません。永遠に仲違いしたままかも……ね」

 話しすぎましたね、と舌をぺろっと出して眉を下げる。

「何にせよ、後悔しないように心がけたほうがいいでしょうね」
「後悔……」
「人は本当に大切なものを守りたいときに、強くなれるものなんですから」

 直感する。
 嫌な予感が心に走る。
 だが、それは見て見ぬ振りで……

「……お前、もしかして。いや、何でもない」
「では、お先に失礼しますね。また、どこかで会いましょう」
「あぁ……」

 また会うことになるだろう。おそらくは、敵として。
 何故自分の悩みなどを聞いたのかはわからない。信用させるためかもしれないし、不意打ちするためだったのかもしれない。
 だが、そんなことは脳裏から放り出す。
 今はただ、荒れ狂う悔恨を抑えるために、感情を吐露したかった。







[19775] 13.波の国――Ⅴ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/27 10:58
5.

 タズナが建設中である橋の下にはとても大きな川が流れている。
 その幅は実に三百メートルはあろうか。水深も実に深く、多くの船が行き交っている。木製の船を櫂で漕ぐ人力のものもあれば、帆を立てて風力で動くものもあり、エンジンを積んで機械で滑走するものもある。それらのほとんどはガトーカンパニー製のものであり、流通の要を背負っている。
 そんな中、川の端の方では水遊びに興じているのかと見紛うほどにずぶ濡れになっている三人の少年少女がいた。ナルト、サスケ、サクラである。
 カカシの指導の下、水上歩行の行――つまりは、チャクラを利用して水の上で立つこと――をしているのだが、上手く行かずに水の中へと落ちていくのである。
 こういう修行のとき、会話が尽きないほどに楽しみながら行うのが常なのだが、今日はそうでもないようだ。
 水の上で危なげに揺れながら立っているナルトは、ちらりとサスケの顔を覗き見る。自信に溢れた顔つきはどこへ行ったのか。親に叱られた悪餓鬼のようにしょぼくれている。一歩踏み出そうとして、躊躇して、俯いた。髪をがしがしと掻き毟り、修行へと集中しようとする。しかし、できない。こんなことは初めてだ。
 眼尻はうっすらと赤く腫れていて、微妙に鼻声だ。ずずっ、と鼻水を吸い込んで――チャクラの調節を間違えた。
 ぽしゃん。
 いっそ間抜けな音を立てて、ナルトは水の中へと落ちていく。が、落ちるのは下半身だけで済んだ。何故なら、サスケが一瞬で近づいて、ナルトの手を掴んだからだ。

「大丈夫かよ?」
「お、おう……サンキューな」

 引っ張り上げて、再びナルトは水の上に立つ。
 そのときに気づいたのか。サスケは頬を朱に染めると急いでナルトの手を放し、鼻息を鳴らす。

「勘違いすんなよ。俺はお前を許してねぇからな」
 
 距離を取る。
 許していない、という言葉に目を見開き、口を開く。音にならない声は空気に溶け込み、誰にも届くことはなかった。
 逡巡する。
 少しだけサスケの方へ手を伸ばしてしまうナルトだが、ぐっと堪えている。
 謝りたくない。
 自分は悪くない。
 わかっている。サスケも悪くないのだ。
 誰も、間違っていないのだ。
 強いて言うならば、幼いイナリを厳しい口調で弾劾してしまったことだろうか。サクラの言う通り、大人気なかったと思う。思い出せば、あのときは八つ当たり気味だったというのもあるし、何でそんなことになったのか。それは自分が一番わかっている。
 嫉妬したのだ。
 親がいるという事実が羨ましかった。誇り高い父がいることも妬ましい。失ったことに対しては同情するが、死に様を考えれば誇ることこそあれ、失望する理由がわからない。さらには、あんなふうにヒステリーを起こしていても大事に保護してくれる家族がいる。自分に甘いのに、周りはイナリを守ってくれる。ナルトには手に入れられないものを持っているのに、不満を吐き出すその神経に、ナルトは激しく腹が立ったのだ。
 そのせいだろう……柄にもなくサスケに対して不幸自慢などしてしまったのは。わかってもらえないと理解していることを吐き出すのは、卑怯だとナルトは思う。ナルトは、卑怯な手を使ったのだ。さらにはサスケの過去を暴き、馬鹿にした。感情を制御できなかったというのもあるし、自分と同じだと思っていたサスケが自分と違うということを知ったから、そのせいで――爆発した。
 やり直したいと思う。
 靄がかった視界にサスケを収める。
 そろりそろりと水上を歩いていき、サスケの隣へ行く。
 サスケがナルトを横目で見た。

「何だよ?」
 
 温度のない声が空気を震わせる。
 突き放すかのような、親しさの感じられないソレは、容易くナルトの心を折った。

(俺は……こんなにも弱いのか)

 強くなりたいと願い続けて、そのために自分を高め続けた。
 昔よりは強くなれた――そんなことを考えていたこともある。けれど、現実はそんなもの。友達との仲直りすら満足にできない弱者であることを思い知らされた。

「……なんでもない」

 曇った眼は気づけない。サスケの瞳がかすかに揺れていることに。
 すれ違いは、終わらない。
 
「……先生、なにあれ」

 片足で水面に立ちながら、サクラは不思議そうに呟いた。
 仲直りまだしないのかなーと楽観的に見ていたのだが、全くしない。ナルトなら自分から謝ると思っていたのに。

「男だからな。意地ってものがあるんだよ」

 カカシの言葉は難しく、サクラの心には響かない。
 意地っ張り。ただの馬鹿じゃないの? そんなことを思いながら、修行は続けられていく。
 その間に、何度も同じやり取りがナルトとサスケの間で行われた。
 もどかしい。
 日が暮れるても、互いの距離は埋まらない。


 ◆

 タズナの家の中では、慎ましやかながらも豪勢な食事が振舞われていた。
 それを食すのは川での修行によりどろどろになった七班のメンバーと、タズナの家族だ。
 無言でぱくぱくと食べているのは初日とは全く違い、温度に欠けるもの。無言で、居心地が悪そうにひたすら飯を掻き込んでいる。
 窓から見えるのは下弦の月。
 電灯でうっすらと照らされる食卓は、自然の光が灯される外よりも薄暗く見え、重い空気がのしかかっていた。
 サスケとナルトは隣で座っているにも関わらず、決して目を合わせようとはしない。仲違いしたままだ。
 嘆息しながら見守るのはカカシとサクラ。
 根が深い。
 自分たちが作り上げてきた生き様を真っ向から否定し合った。どちらかが先に折れればすぐ仲直りするのだろうが、それでも、信念を曲げることができない不器用な二人は、決して自分から謝ろうとはしない。
 黙々と食が進んでいく。
 そんなとき、椅子を乱暴に押しのけて叫んだ子供がいた。

「なんでそんなになるまで必死に頑張るんだよ! 修行なんかしたってガトーの手下には勝てないってのに!
 いくら格好いいこと言って努力したって、本当に強い奴の前じゃ弱い奴はやられちゃうんだ!」

 イナリである。
 泥まみれになった不潔な二人に対して――サクラは結局一度も水の中に落ちることはなかった――感情をぶつける。

「負け犬のくせによくわかってるじゃねぇか」

 ぽつりと呟いたのはナルトだ。ぎろりとサスケが睨みつけているが、そんなものは無視している。
 イナリは、怯む。
 静かに怒るナルトの視線を見て、怯えたのだ。深く――底が見えない瞳の中は、イナリにとって恐怖の象徴。
 何を考えているのか、わからない。
 だが、止まれないときもある。
 ナルトたちの努力をする姿は、努力していない自分を無言で責め立ててくるようで、イナリは――

「お前ら見てるとムカツクんだよ! この国のこと何も知らないくせに出しゃばりやがって!
 お前にボクの何がわかるんだ! つらいことなんか何も知らないで、いつも楽しそうにヘラヘラやってるお前とは違うんだよぉ!」
「何言ってるんだ? お前のことなんかわからないし、わかったなんて一言も言ってないだろ。それに、いつ俺がお前を助けるなんて言った? 勘違いも甚だしいな」

 返答は、意外なものだ。
 助けてくれない……? 聞いていない。イナリはそんなもの、聞いていなかった。

「俺以外の奴はどうだか知らないけど、俺はお前を守る気なんかねぇよ」

 ナルトも席を立ち、呆然と立ち尽くすイナリのほうへと歩いていく。

「ナルト! お前……っ!」
「サスケ、少し黙ってろ」

 止めようと立ち上がるサスケの肩に手を置いたのは、カカシだ。
 振り払おうとするが、強靭な力で抑え込まれて、動けない。
 その間にもナルトはイナリの近くへ行き、腰を下ろして視線を合わせている。
 じっと見つめる眼は逃げようとするイナリの姿を捉えて離さない。

「そのままじゃお前……一生変われねぇぞ。ちっとは根性出してみろ」

 涙が浮かび、震えだすイナリのことを、決して逃がしはしない。

「話は聞いた。目の前で父親殺されたんだろ? むかつかねぇのか。やり返したいって思わないのか。勝てない敵には挑まないのか。そりゃ利口な考えだけど、お前のやりたいことは何なんだ?」

 心を引き裂く。
 今までの自分を全否定する言葉は、ことごとくイナリの精神に入り込んでいく。

「俺はお前のことなんかわからないから、これは推測でしかないけどよ。言葉の端々から感じるよ」

 何をだよ、イナリは呟く。
 目を逸らし、ナルトの方を決して見ようとはしない。
 だが、顔を両手で挟まれて、無理やりナルトに目を合わせられた。
 偽りは許さない。

「ガトーの手下に勝ちたいんだろ? 本当に強くなりたいんだろ? それなのになんで行動しないんだ? 少しずつ始めればいい。できることからこつこつ積み重ねていけばいい。何もやらないより随分マシだし、運が良ければ今すぐにでも勝てるかもしれない」

 頭が痛い。
 胸がばくばくと鼓動する。
 お前のやりたいことは何だ。
 反芻する。

「ボク……は……」

 涙は頬を伝って、地面へと落ちる。
 ぽとぽと。ぽとぽと。ぽとぽと。

「本当に大切なものは自分の両腕で守る――良い言葉だな。お前の父親はたぶん、格好良く死んだんだろうよ。で、お前はどうしたいんだ?」

 やりたいことは――

「知らないよっ!!」

 イナリはナルトの手を振り払うと、背を向けて走り出した。
 煌々を夜空を照らす月や星は、いつだって道を照らしはしない。うすぼんやりと照らすだけだ。

「知らないと何も始まらねぇんだよ」
 
 寂れた家の中、木霊する言葉は――穏やかに染みこんで行く。

 ◆

 轟々と風が吹き荒ぶ。
 身体を打ち付ける暴風が今は心地よく、桟橋に座り込んで、サスケは月を見上げていた。
 思い出すのは『うちはの悲劇』と呼ばれる記憶。
 失われた家族を殺した唯一の兄。いつも金魚のフンのように付いて回って、上手く言いくるめられて家へと帰されていた忘却の彼方にある幼き日の思い出。終幕は、血染めで終わったわけだが。
 楽しき日々に塗り潰されて、思い出は消えていく。今は昔ほど、兄を殺したいという感情は失われている。
 殺さなければならない、という確信はある。だが、感情が伴っていないのだ。
 全ては、ナルトのせいであり、サクラのせいだ。
 楽しすぎる日常が自分の憎悪を掻き消していく。それでもいいんじゃないか、と思う自分が怖い。
 そして、もしこのまま仲違いしたままならば、きっと憎悪は戻ってくるんじゃないか、という不確かな希望が胸の内にあるという事実が、たまらなく恐い。
 俺は、どうしたいんだ。それがわからない。わからなければ、先へと進めない。
 皮肉なことに、ナルトの言葉のせいで、サスケの心は乱されていた。 

「くそっ、あいつは何が言いたいんだ……」

 呟いた言葉が、足音と重なる。ぽきりと枯れ木を踏み折った音。
 振り向くと、いつものような曖昧な笑みを浮かべる白髪の男がいた。

「隣いいか」
「カカシ……」

 許可を待たず、カカシは桟橋に座り込む。
 サスケと同じように月を仰いで、ぽりぽりと髪を掻く。弄ぶ。
 何かを、言い澱んでいた。
 沈黙。
 居心地が悪くなる、肩にずっしりと圧し掛かるような静寂は息が詰まりそうになり「何の用だよ」とサスケが言おうとしたときのことだ。

「ナルトのこと……許してやれ。お前だってさっきの話を聞いてわかってるだろ? 最初からあいつの態度は一貫してる。言葉が不器用なだけでな」

 風が、凪いだ。
 衣服が肌蹴そうになるほどの風は止んだのに、それなのに、身体が震えるのは何故だろうか。
 とても、寒い。

「サスケの言葉は聞いてたよ。『失うものがないお前に――何がわかる!』って……それこそ、お前がわかってない証拠だろ?」
「何が言いたいんだ……?」

 わからない。
 カカシの言いたいことを、わかりたくない。

「ナルトの言葉をちゃんと覚えてないのか?」

 意思に反して、サスケの優秀な頭脳はナルトの言葉を思い出す。

『俺の大切な友人がこんな爺さんのために死ぬかもしれないと思うだけでぞっとする』

 任務を必死に断ろうとしていたナルトの言葉を鮮明に思い浮かぶ。
 あれほど他人に対して攻撃的なナルトは久しく見ていなかった。イルカのことを侮辱されたとき以来ではないだろうか。
 結論は、簡単に出た。
 つまり。

「失うものはあるんだ。お前たちの命だ」

 失いたくないから、必死に修行をしている。

「――任務を嫌がった理由も、渋々付き合っている理由も、全部お前らを失わないためなんだよ」
「だけど……」

 わかってはいた。
 実のところ、心のどこかで理解していた。
 けれど、熱を持った脳髄は否定しようと試みる。

「あいつが昨日、泣いてたこと知らないだろ? お前に友達じゃないって言われて、こっそり枕を濡らしてた」

 ナルトが、泣いていた。
 自分も、泣いていた。

「水に落ちかけたとき。お前に助けてもらえて……凄い嬉しそうにしてた」

 知っている。助けた本人なのだから、知っている。
 頬を緩ませてにへらと笑った姿を一番近くで目撃したのはサスケなのだから。

「あいつも後悔してるんだよ。何度も何度も謝ろうとしてたのは、お前だって気づいてるだろ? ずっと、一人だったんだ。お前とサクラは、やっとできた友達なんだ」
「カカシはナルトの味方かよ!」

 ままならない感情は、咆哮となって鳴り響く。

「……俺は七班全員の味方だよ」

 にこやかに微笑むカカシの姿が――
 サスケは鼻息を鳴らすと、家へと戻っていく。
 カカシは一人、桟橋で佇み続けた。

 ◆

 時を同じくして、ナルトは川の上で修行に勤しんでいた。
 衣服は綺麗に畳んで川辺へと置き、トランクス一丁の姿は何故だか哀れを誘う。だが、本人は全く気にしておらず、よく鍛えられた引き締まった肉体を余すことなく外気に晒している。
 月明かりに照らされた黄金の髪と相まって、まるで昔ながらの姫を助ける冒険譚に出てくる騎士のよう――というわけではなく、ただの悪ガキにしか見えない。必死に足掻く姿は、品はない。だが、高潔さはあった。自分に厳しいという高潔さが。
 またもやチャクラの制御を疎かにしてしまって、水の中へと落ちてしまう。だが、救いの手が差し伸べられた。
 腰まで水に浸かっているので見上げることになる。そこにいるのは桃色の髪が似合う、呆れた表情を浮かべるサクラがいた。
 だらしないわね、と呟くとナルトを水から引き上げる。
 違和感。
 何でサクラがここにいるのだろう、と助けられながらナルトは考えた。

「……何か用か?」

 川辺に移動して、座ってから語りかける。
 服着なさいよ、と少しだけ恥ずかしそうに言うサクラに「俺は気にしないぞ」と伝えるが、「私が気になるのよ!」と言われて、渋々と服を着替える。身体を拭かないまま着替えたものだから、ぺっとりと肌に張り付く衣服がひどく鬱陶しかった。

「ちょっと話があって……ね。座りなさいよ」

 反対することを許さない雰囲気。
 仕方なく川辺に座り込むと、サクラも隣に腰を下ろす。
 何だろう、と少しおろおろしながらサクラを見たり、月を見たり、川に浮かぶボートを見たりと、ナルトは珍しく落ち着きのない態度を見せる。
 頭を、鷲づかみにされる。
 何だぁっ! と驚く暇なく、無理やりサクラの顔へと視線を固定された。
 そして。
 

「まずは……ごめん! 昨日は頭に血が昇っちゃって、ひどいこと言ったから」
「はぁ?」
「あんたがうざいって」

 ぴりぴりとした空気を発散していたサクラが、急に謝って来た。
 あまりに予想外の出来事に、ナルトは目を白黒させながら、何も考えずに返答している。ほとんど条件反射に近い。

「あ、あぁ……気にしてねぇよ」
「嘘。今すごい嬉しそうな顔してるわよ?」

 自分の顔を手で触れてみる。すごく、にやけている。
 ちょっとだけ考え込んで、嬉しい理由を考えてみると、すぐに答えに行き着いた。とても簡単なものだ。

「……そうかもな。俺、サクラのこと好きだし。謝られて悪い気分にはならねぇよ」

 静寂。
 頬を朱に染めながら、あたふたと「告白!? で、でも……私はサスケくんのことが……!」などとサクラは慌てている。何をそこまで驚いているのかナルトの理解の外である。

「何で真っ赤になってんだ? 友達なんだから好きに決まってるだろ」

 友達なんだから好きに決まっているだろう。
「そういうことね……変な期待させないでよ」と残念そうに俯くサクラの気持ちがナルトにはわからない。
 この男――こと恋愛感情については全く理解できないのだ。誰かに惚れたことがないのだから、当然ではあるが。
 だからこそ、照れているサクラのことに気づかない。

「……? 声が小さくて聞こえねーよ」
「あんたは言葉の使い方が下手過ぎなのよ! いちいち直球過ぎ! 変なところでは気が回るくせにさ!!」

 思い切りデコピンを喰らって、ナルトの頭は弾け飛ぶ。
 とても痛い。
 目の端から涙を浮かばせながら、潤んだ瞳でサクラを見る。

「イナリくんに期待してるんでしょ? 発破かけてるみたいだし」

 そんなことはない。ナルトはイナリに対して応援したつもりなどなかった。
 思ったこと言っているだけである。

「サスケくんもあんたと同じ気持ちなのよ。サスケくんの方がイナリくんの気持ちのことがわかるでしょうけどね
 ま! 私にはイナリくんの気持ちがわかんないんだけどね! 両親いるし、友達もいるから……想像するしかできないのよ。
 それでも、凄く悲しくなるってことくらいはわかるわ……。
 あんただって、イナリくんの気持ちわかるでしょ?」
「……わかんねぇよ」

 負け犬の気持ちなど、わかるはずがない。
 ナルトの心は折れたことなどないのだから。折れる余裕など与えられなかったのだから。

「わかりたくないだけなんじゃないの? イルカ先生を失ったら、どう思う? 悲しくならない? 心が折れない? 私はあんたたちが死んだら、とても辛くて動けなくなると思うわ」

 失ったことはない。守りきった。イルカのことは、自分の力で守りきった。
 だが、先に守られたのは――

「意地張ってないでさ。謝っちゃおうよ。サスケくんだって、あんたに謝りたがってるんだから。聡いあんたのことだから、気づいているとは思うけどね。
 殴ったのはサスケくんのほうが悪いと思う。けど、心を傷つけたのはあんたが先よ? 無自覚に、だけどね」
「知るかよ」
「私に言えることなんてそれくらいよ。じゃあ、帰るわ。修行もほどほどにね」

 言いたいことだけ言って、サクラは帰っていった。ナルトにはそう思えたのだ。
 何が言いたかったのだろう。
 わからないナルトは再び服を脱ぎ散らかすと、畳みもせずに川へと飛び込んだ。
 水面に片足で立ちながら、考える。
 もし、サスケが死んだらどうだろう。サクラが死んだらどうだろう。イルカが死んだらどうだろう。カカシが死んだらどうだろう……。
 とても悲しいとは思う。殺した奴を殺そうとするかもしれない。泣き塞いだりはしないと思う。けれど、もし殺し終えたら……? 動かなくなるのではないだろうか。動けなくなるのではないだろうか。
 難しい。
 ナルトは考えるのを止めた。

「お前、何でそんなに頑張れるんだよ!」

 集中力を乱されて、また水へと落ちる。
 完璧な不意打ちは思考を止めた瞬間を狙うかのように与えられる。
 川から頭だけ顔を出してみると、川辺には拳を震わせるイナリがいた。頑張れる理由を聞きたいらしい。
 今日は修行を随分と邪魔される日だな、と思いながら、ナルトは川辺へと泳いでいく。

「あー? 頑張ることに理由なんていらないだろ」

 川から揚がり、身震いして水滴を弾き飛ばす。隣にいるイナリも水滴を浴びるが、萎縮することなく、ナルトを見据えている。

「うるさい! 僕が質問してるんだ!」
「藪から棒に……まぁ、いいけどよ」

 ナルトは地面へと尻をつき、隣をとんとんと手で叩く。イナリは座ろうとはしないので、苦笑することに終わるが。

「自分の非力さに涙したことって……あるか?」

 思い出すのはアカデミー時代のこと。
 強ければ迫害されなかった。優秀であれば馬鹿にされることもなかった。協調性があれば輪の外に弾き出されることもなかった。
 ナルトには全部なかった。
 だからこそ、努力して全てを手に入れようと誓ったのだ。

「悔しくてさ。苦しくてさ。辛くてさ。悲しくてさ。そういう経験を糧にして、気づいたんだ。強くなったら、そういう出来事は起こらないって」

 けれど、容易に手に入るものではなく、自分の時間を全て捧げても、才能のある奴には追いつけない。

「――だから、努力する。強いて言うならば、理由なんてこんなもんだ」

 ならば、もっと努力する。もっともっと努力する。そうすればいつかは追いつけると信じて。
 それがナルトの信念であり、生き様だ。
 イナリはどうだろうか。

「……僕は、負け犬なのかな」

 泣きそうな声が耳朶を打つ。 

「さぁな。少なくとも、サスケはそうは思ってないみたいだったぞ。俺の顔を見ろ。お前のことを馬鹿にしたら思いっきり殴られてな。痛いの何のって……それに、サクラにも説教されてさ。ぼこぼこだよ。泣きそうだぜ……」
「サスケって黒髪の兄ちゃんのこと?」
「あぁ、あいつはお前に期待しているみたいだ。俺よりも強いサスケがな」

 おかげで喧嘩に負けた、と笑いながらナルトは言う。
 腫れた頬も、まだ痛む腹も、全部が全部、痛い。イナリのために拳を振るったサスケのせいで、とても痛い。

「僕も、強くなれるのかなぁ……」

 からからと笑うナルトのことを見上げながら、イナリは望む。
 強くなりたい、と涙で濡れる瞳は語っていた。
 じっと見つめても、イナリの眼は逸らされることなく、ナルトの瞳を射抜いている。
 にやりと笑う。

「なれるよ」
「けど、昨日僕は変われないって言ったじゃないか!」
「昨日のお前は変われなかっただろうな。けど、今日のお前は変われるよ」

 強くなりたい、と望むのなら強くなれる。ナルトの持論だ。
 昨日までは不貞腐れていたガキだったが、今は前を見ている。進もうとしている。強くなれないはずがない。

「強くなりたいんだろ? 願って行動すれば、絶対に結果は出る。お前よりは強い俺が保証してやる」
「どうやったら強くなれるの?」

 認められた、と喜んだイナリは自分より強い奴に教えを請う。
 それが間違いだったと気づきはせずに。

「そんなに強くなりたいのか?」
「うん!」
「じゃあ、腕立て伏せ百回だ」

 ナルトは、厳しい。自分にだけではなく、他人にも厳しい。思いやりがないとよく言われる。
 自分ができるのなら、他人にもできる、と決め付けてしまうからだろう。

「え、できないよ……?」
「じゃあ、お前は変われないな」
「や、やる!」

 強くなれないと断言されて、イナリは腕立て伏せを始めた。

「よし、頑張れ! できるまで修行ついでに監視してやる!」

 終わったのはそれから一時間後の話。
 イナリは腕がぱんぱんに腫れあがり、ナルトはイナリの腕立て伏せが終わるまで水面に立ち続けたので、チャクラが枯渇してしまった。
 二人とも、ただの馬鹿である。







[19775] 14.波の国――Ⅵ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:58
6.

 朝の陽光が霧を切り裂き、ぽかぽかと暖かに照らしてくれる。
 タズナの家の外、朝日に目を細めながら、ナルトを除く七班のメンバーとタズナは、仕事道具を持って出かけようとしていた。

「じゃ、ナルトをよろしくお願いします。限界まで体力を使っちゃってるから、もう動けないと思いますんで……」
「にしても、何があったんでしょうね。仲良くイナリ君と二人で寝ているなんて……」
「仲が良くなったんじゃろう……。金髪のガキはずっとイナリを応援するような言葉を言っていたからのぉ」

 年の功というものか。タズナにはおおよその概要はわかっていた。
 イナリとナルトがぼろぼろになって一緒に帰ってきた。しかも、どちらも身体中が筋肉痛だ。何をやっていたかを考えるだけで微笑ましく感じる。
 強くなりたい。
 そんなことを言っているイナリを見たのは初めてであり、ナルトたちの修行をしている風景を見て、考えを改めたのだろう。
 孫は強くなる。
 そう考えるだけでタズナは老体に鞭打つことが楽しくなってきた。

「じゃ! 超行ってくる」
「ハイ!」

 ツナミに手を振りながらみんなが出発してから少しして、ナルトが眠そうに眼をこすりながら寝室から起き出してきた。
 ナイトキャップが微妙にずれているかなり間抜けな状態で、しかも太股にはイナリがしがみついている。「兄ちゃん……ねむい」と言いながらぶらさがっているせいでズボンはだんだんとずれていく。

「何時だ。先生たちは?」
「あ! ナルト君、もう起きたの? 今日はゆっくり休めって先生が……」
「俺を置いていったのか……酷いな」

 今日が再不斬が仮死状態から回復するのにかかるとされた一週間の最後の日である。つまり、今日からいつ襲われてもおかしくないということだ。それならば、戦力は一人でも多いほうがいい。
 イナリを放り出し、身体の調子を確かめる。
 筋肉痛は残っていない。チャクラも満タン。思考も鮮明だ。何も問題はない。
 むすっとしたままイナリはナルトを見上げてくるが、デコピンを喰らわす。弾きとんだ。

「俺は行くから、お前は寝てろ。んじゃ、ツナミさん。行ってきます」
「はい、いってらっしゃい」

 いってぇぇぇ、と泣き叫ぶイナリは無視して、ナルトも急いでサスケたちの後を追った。
 そのことを後で悔いるとも知らずに……

 ◆

 努力すれば報われる。
 そう信じてやってきたのだろう男たちの末路は肉塊だった。
 何も成し遂げられず、後世に思いを伝えることもなく、路傍に倒れて朽ち果てて行くだけ。
 その生に意味はあるのだろうか。その死に意味はあるのだろうか。
 意味を求めることに意味はなく、単純な事実として、男たちは死んだ。存在が消えた。もう立ち上がることはなく、目を開くこともない。
 夢を繋ぐための架け橋。
 タズナたちが命を賭して積み立ててきた命の結晶。
 それさえできれば、それさえあれば、きっと変わる。変われる。日々の変革をもたらしてくれると信じていた希望の象徴。
 穢された。
 血で黒く染め上げられた。肉がぬらめいて混沌としているそれは、とてもではないが希望とは言えない。死は、いつだって絶望の象徴だ。
 不謹慎ながらも、カカシは橋の上で散らばっている元人間だったものを見て『パンドラの箱』の物語を思い出した。
 99%の絶望の中に1%の希望がある。その内の1%こそが絶望なのだ、と。何故なら、希望がなければ絶望に出会うこともないのだから。人々は希望があるからこそ、手を伸ばす。
 伸ばした手は、届かなかったが。 
 タズナの膝が、折れた。
 死した仲間たちを抱え上げては、涙をこぼす。
 わしのせいだ。わしが作ろうなんて言ったから。
 悔恨の言葉が流れては風に消える。別れの時間。だが、現実は無慈悲なものだと相場が決まっている。別れる余裕など、与えてはくれない。
 晴れた視界が曇り始める。
 霧だ。
 
「ね! カカシ先生……これってあいつの霧隠れの術よね」

 サクラの言葉にカカシは頷く。
 ほぼ間違いなく、タズナの仲間を殺した――そして、自分たちを殺そうとする敵がやっていること。
 ぼやけた視界にかすかに写るのは顔の下半分を布で隠した大刀を担ぐ鬼人と、感情を隠すかのように仮面で顔を覆う少年だった。
 鬼人は印を組む。
 何度か見た覚えのある印は――水分身の術。
 十を超える再不斬の分身はサスケたちの周囲を囲む。
 逃げられない。
 サスケは、震えた。身体を突き動かす衝動を抑えられない。
 以前は水分身相手にカカシを除く三人で対処した。
 あの時は、まだ弱かったから。
 だけど、今は――っ!

「久しぶりだな、カカシ。そこの憎たらしいガキも、一丁前に武者震いしてるじゃねぇか。勝てるつもりでいるのか?」
「やれ、サスケ」

 修行の成果を全て、出しきる。
 足の裏にチャクラを溜め込み、解放。
 視界が歪む。
 何もかもがスローモーションに見える。
 再不斬の水分身の動きなど、遅すぎて欠伸が出てきそうだ。いや、欠伸が出ても問題ないほどに、彼我の差は大きかった。
 苦無を取り出す。
 首を掻き切る。
 十を超える水分身を切り裂くのに、3秒もかからなかった。
 ばしゃあっ。
 分身は水となって、地面を濡らす。

「強敵出現ってトコだな、白」
「……そうみたいですね」

 再不斬の言葉に仮面の少年――白は同意する。 

「あのお面の子も再不斬と仲間だってこと隠すつもりはないようね。本当、ふてぶてしい!」
「アイツは俺がやる……下手な芝居しやがって……俺はああいうスカしたガキが一番嫌いだ」
「サスケくん、鏡を見たほうがいいわ。そうすると一番嫌いなガキが写るわよ」
「……どういう意味だ?」
「意味なんてわかんなーい」

 てへっ、と舌を出しながらとぼけるサクラに意地悪をしたい衝動に駆られるが、サスケは強靭な精神力を持って耐え抜いた。そんなことは後でもできる。今は、目の前の敵のほうが大事だ。

「末恐ろしい少年ですね。いくら水分身がオリジナルの十分の一程度の力しかないにしても、あそこまでやれるとはね」
「だが、先手は打った。行け」

 白は、駆け出した。サスケも同時に駆け出す。
 交差する瞬間、サスケは目を見開いた。
 見切る。
 頭を狙う苦無の一突きを首を捻るだけで回避し、体勢を低く、踏み込む。
 懐に入ったところで膝が襲いかかる。速度が乗っている今、回避するのは難しい。だが――生憎とサスケは普通ではない。それに、このパターンでの膝蹴りはナルトとの修行のときに何度もお見舞いされている。そのたびに昏倒しているのだ。馬鹿でも対策を思いつく。
 打ち上げられる膝の横に肘打ちを与えて、軌道を逸らす。

「なっ!?」

 苦無で突いたせいで上体は流れており、膝を上げたせいで片足立ち。いわゆる、死に体。対するサスケは肘打ちをした反動すら利用して、攻撃へと移ることができる。圧倒的優位。
 チャクラで地面へと吸い付く。そして、爆発するかのように跳ね上がる。加速度的に増した速度から打ちだされるのは顎へと向けた掌底。
 下から突き出すように打ちこまれたそれは、白はバク転をする要領で辛うじてかわす。だが、それすらもサスケの予測の範囲。
 避けられるように攻撃をした。
 一歩で距離を潰す。
 そして、着地した右足へ、思い切り振り下ろすようにローキックを放つ。
 自分の体重が乗ったときに、相手の攻撃を合わせる。カウンターの要領だ。
 つまり、ダメージが倍増する。
 白は歯を噛み締める。
 足の激痛は意志の力で抑え込み、再びサスケに苦無で斬りかかる。
 これも、予想内。
 サスケは苦無で受け止めた。
 ぎりぎり、ぎりぎり。
 金属同士が軋み合う不協和音が耳朶を打つ。 

 ◆

「すごい……」

 サクラは戦闘の凄まじさに見とれていた。
 自分ではできない高速戦闘。圧倒するサスケの姿。素直に格好良いと思える。
 ナルトとサスケの修行での演舞は何度も見たことはあるのだが、あれはお互いの手を知り尽くしてるから、ここまで軽快な戦闘にならないのだ。どちらも頭が良いから、騙し合いが占める領域が多くなる。だが、これは純粋な肉弾戦――心が、昂る。
 知らずして、頬は朱に染まり、汗がにじみ出ていて、手を握りしめていた。興奮する。
 だが。

「サクラ! タズナさんを囲んで俺から離れるな! アイツはサスケに任せる」
「うん!」

 今は実戦。気を抜いてはいけない。
 サクラはサスケの戦闘から目を放すと、タズナの護衛へと意識を傾けた。

 ◆

 膠着状態。
 苦無での押し合いをしたまま、サスケと白は睨み合っていた。
 歯が軋むほどに力を込めながらの意地の張り合い。退くことは、ない。
 そんなときだ。

「君を殺したくはないのですが……引き下がってはもらえないのでしょうね」
「アホ言え……」
「僕は貴方のスピードについていけない。けれど、僕は既に二つ先手を打っている」
「二つの先手?」
「一つ目は辺りに撒かれた水……そして、二つ目に僕は君の片手を塞いだ。したがって、君は僕の攻撃をただ防ぐだけ」
「片手で印だと!?」

 片手での印。
 サスケはそんなものをアカデミーで習うことはなかったし、今まで見たことすらない。
 未知の術。
 言葉尻でわかることは、水を利用するという特性だけ。
 用心深く周囲を窺う。足元にある水溜りを注視する。いつでも離脱できるように足にチャクラを込める。

「秘術・千殺水翔!」

 水が宙に浮かび、無数の氷の刃となってサスケに襲い掛かる。
 冷やりとしたのは氷によって急速に気温が下がったからか、それとも恐怖のためか、それとも――自分が熱くなったからか。
 刃がサスケへと向かって、飛びかかる。
 避ける隙間さえ与えない弾幕攻撃に晒されて、サスケは穴だらけになる。
 さて、ここで問題が起こる。
 仮に、印を片手で組むとしよう。その間、力が均衡するはずがない。思い切り力を込めているサスケと、印を集中力を割く白ではどうしても差が出る。
 それなのに、何故か均衡していた。理由は簡単だ。
 敵が術を発動する一瞬、それは発動する。

「水遊びか? 蒸し暑いからちょうど良い感じだな。で、先手が何だって?」

 串刺しに刺されたサスケは、何故だか白の後ろで嗤っていた。
 どきりとする。確実に殺したはずなのに、それなのに生きている。
 からん、と乾いた音がした。
 死んだのはサスケではなく、ただの丸太。変わり身の術。初歩中の初歩。
 気が、抜けた。そんなことも見抜けなかった自分に呆れ果てた。
 隙。
 サスケは決して見逃さない。
 背後からの上段蹴り。頭を狙ったそれは屈むだけで避けられるが、上段蹴りの軌道を無理やり変えて、屈んだ顔へと叩きこむ。いわゆる、変則的な下段蹴り。
 避けたと安心したところへ思い切りぶつけられたそれは白を吹き飛ばす。地面を跳ねるほどの衝撃。数度跳ね、受け身を取り、白はよろりと立ち上がった。

「自信満々で挑んだ相手に一蹴された気分はどうだ?」

 鼻息を鳴らしながら、自分こそが自信満々になっていることに気付かず、サスケは白を挑発する。

「全く……うちのチームを舐めてもらっちゃ困るねぇ。サスケは木の葉の里のナンバーワンルーキーだし、サクラは里一番の切れ者……
 そして、今はいない奴はオールラウンダータイプで……里一番性格が悪い、演技派忍者のナルトだ」
「先生、それ褒めてないと思います」

 少なくともナルトのことを褒めているかは微妙だ。結構な悪戯をされているので、カカシとしてもナルトのことは素直に褒めたくはない。ガキっぽい、とサクラに思われることも気にせずに、堂々と里一番性格が悪いと言いきった。
 笑みを深くしながら、くつくつと笑う再不斬はかなり異様だ。自分の部下が劣勢なのにも関わらず、負けるはずがないと信じ切っている目。

「……白、わかるか。このままじゃ返り討ちだぞ」
「えぇ、残念です」

 白は印を組む。
 先ほどとは違い、両手で。
 何をするのか見極めるためにサスケはじっと見据えていたが、間違いだ。
 印を妨害すべきだった。

「秘術・魔鏡氷晶!!」

 サスケを囲うように氷の鏡が浮き上がる。しかし、その鏡にサスケは写らない。何も、写らない。
 戸惑いながら分析をするサスケを置いて、白が鏡へと触れる。鏡の中へと、入り込む。
 意味が、わからない。
 いくら思い返しても自分の知識にこんな術はなく、同系統の術すら思い浮かばない。そもそも、氷とは何だ。術は五系統しかないはずだ。『火』『風』『水』『土』『雷』しかないはずだ! それなのに、何なのだこれは!

「じゃあ、そろそろ行きますよ」

 言葉とともに、鏡から浮き出てきたのは、先ほどの比べ物にならない数の氷の刃。鏡で囲われているせいで逃げ道もない。
 降りそそぐ。
 逃げ道はなく、せめて急所を外すように避けるしかできない。
 苦無で叩き落とすために、サスケは防御の構えを取った。
 だが。

「土遁・土流壁!!」

 刃は全て、橋から急にせり上がった石の壁の中へと埋もれて、再び橋の中へと消えた。
 周囲全てによく見知った金髪の奴がいて、囲うように地面へと手を翳している。全方位からの攻撃を防ぐために土遁を用いたせいだろう。基本的に土遁は地面へと手を触れなければならない。
 格好良い登場の仕方しやがって、とサスケは呟いてしまい、そいつはサスケを見ると、照れ隠しの笑みを浮かべた。

「よぉ、ちょっと遅れた」
「ナルト……ッ!」

 声が出る。
 喧嘩をしているのに助けられたことで動揺してしまったのか、声が出てしまった。
 ナルトはにっこりと笑って、瞬間、表情を消す。

「とりあえず、こいつ片付けようぜ。その後、仲直りだ」
「あぁ……!」
「にしても、この術は何だ?」
「知るかよ……! というか、何で中に飛び込んできたんだよ!」
「お前がピンチだったんだ。無我夢中で飛び込むに決まってんだろ」

 当然なのか? と疑問を覚える。ナルトはそういうタイプではないことを、サスケは重々承知している。

「戦闘中にお喋りですか。随分と余裕ですね」
「一対二なのに余裕なお前のほうがすげぇよ」
「……行きます」

 今度は印を組む時間すら与えず、連続的に白が攻撃を放つ。
 ナルトとサスケはぎりぎり急所を外しながら全ての攻撃を回避していくが、ところどころに裂傷を負っていく。避けきれない。
 だが、冷静さは失わない。
 分析する。

「氷から氷に飛び移ってるのか?」

 ぽつりと呟くと、攻撃が止んだ。

「この術は僕だけを写す鏡の反射を利用する移動術……僕のスピードからすれば君たちはまるで止まっている……がはっ!!」

 不意打ち。
 わざわざ術の説明をしてくれている白の後ろに潜ませていた影分身による、頭を狙った膝蹴り。
 わかったことが一つ。
 鏡の中にいても、思い切り殴れば吹き飛ばされて出てくるということ。
 急いで捕まえようと二人で試みるが、白のほうが速かった。すぐに鏡の中へと戻ってしまう。

「お前、馬鹿だろ? 俺がいつ本体だなんて言ったよ。ご大層に術の自慢なんてしちゃってまぁ……」

 あえて嘲笑する。挑発とも言う。
 少しでも相手が怒ればいいな、という程度の意味のないものだ。

「くっ! 影分身を使えるんでしたね、貴方は!」
「ご名答。化かしあいは得意でね」

 そして、この会話すらも時間稼ぎと陽動だ。

「火遁・豪火球の術!!」

 これもまた不意打ち。
 白の潜む鏡に打ちつけられるサスケの身長の二倍はあろうかという火の球は轟々と燃え盛る。
 全てを飲み込まんばかりの豪華は――しかし。

「無駄です! そんな火力では氷の鏡は溶けませんよ! そして、後ろからの攻撃も無駄です」
「ぐぅっ!」

 まだ潜ませていた影分身は殴られ消える。
 ナルトは騙せたと思っていたので、思い切り舌打をした。見切られたら悔しいものだ。

「君たちは……強い」

 白の言葉は、唐突だった。
「まぁな」と自信満々に胸を張るサスケに、「当然だ」と吐き捨てるナルト。態度は違うが、言っていることが同じなあたり、似たもの同士なのかもしれない。自信家だ。

「出来るなら君たちを殺したくないし、君たちに僕を殺させたくもない。けれど、君たちが向かってくるなら、僕は刃で心を殺し、忍になりきる。
 この場所はそれぞれの夢へとつながる戦いの場所。僕は僕の夢のために、君たちは君たちの夢のために……。
 恨まないでください。
 僕は大切な人を護りたい。その人のために働き、その人のために戦い、その人の夢を叶えたい。それが僕の夢。
 そのためなら、僕は忍になりきる。貴方たちを殺します」

 訥々と語られた言葉は平坦なのにも関わらず、強い意思が宿っていた。
 負けない、負けてたまるか、という剥き出しの意志が宿っていた。
 そんなものをぶつけられたら、ナルトとサスケも男の子だ。ムキになってしまう。意地になってしまう。お前に負けるか、と強気にならないといけなくなったしまう。
 宣戦布告。
 つまり、そういうこと。
 喧嘩を売られたのなら、買うという旨をわかりやすい形で伝えるのが作法だ。
 ナルトは親指で首を掻っ切るジェスチャーをして、サスケは親指を地面へ指差した。

「今すぐ忍を廃業して詩人になったらどうだ? ファンになっちゃうぜ」
「他人に夢を預けるあたりが感動ものだ」

 喧嘩が、始まる。殺し合いの喧嘩が。

「にしても、お前はむかつくなぁ……誰かのために人を殺す、か。自分のために殺すと言えよ。全部を全部、他人のせいにしてるんじゃねぇ。人を殺すことを美談にしてるんじゃねぇ。だいたいが、汚いことだろう? 夢のため、とか笑っちまう。我欲のために訂正しろ。そっちのほうが相応しい」
「君は――厳しい考え方をしてるね」
「来いよ。潰してやる」

 咆哮する。
 男は苦無を手に持って、未知の敵へとぶつかることを良しとした。

 ◆

 カカシと再不斬が対峙する。
 本気を出した白を眼の端に移しながら、再不斬は嘲笑する。

「お前らみたいな平和ボケした里で本物の忍は育たない。忍の戦いにおいて最も重要な"殺しの経験"を積むことができないからだ」

 それは的外れなものだった。
 ナルトは命の駆け引きを卒業試験のときにやっているし、サスケは家族を失ったことにより、殺される覚悟が身体に染み付いている。もともと素養はあったのだ。
 サクラは――

「生憎と、うちのメンバーは殺しを何度か経験していてね。そこらへんの機微をよく理解している。殺さなければ殺される、という事実をね」

 忍の任務で重要なのは"殺し"の経験。そんなことはカカシだってわかっている。
 だから、潜入任務などという危ない任務を選んだのだ。
 こいつらなら、もう大丈夫だろう、という思いを持って。信じたと言ってもいい。人を殺す罪に潰されない、と。

「ま! あの正体不明の血継限界は怖い。というわけで、一瞬で終わらせてもらうぞ」
「クク……写輪眼……芸のない奴だ」

 額当てで隠す写輪眼を、カカシは見開く。
 恐れのない目で、再不斬は写輪眼を睨みつけた。

「俺は既にお前のその目のくだらないシステムは全て見切ってんだよ。この前の戦い……俺は馬鹿みたいにお前にやられてたわけじゃない。かたわらに潜む白にその戦いの一部始終を観察させていたわけだ」
「それって――負けたことには変わりないんじゃない?」

 空気を読まないサクラの一言で場が凍りつくが、気を取り直して再不斬は口を開く。

「……で、既にお前の写輪眼の対抗策は練り上がってるんだよ」

 対策――それは。

「忍法・霧隠れの術」

 視界を白く染め上げる濃霧。要するに、見られなければいいわけなのだから……。
 なるほど、と呟きながら地形を覚えるためにカカシは周囲を見渡したとき、目に写った光景は……血塗れのナルトを抱えて泣き叫ぶサスケの姿だった。








[19775] 15.波の国――Ⅶ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:58
7.

 氷の刃による弾幕攻撃は、途切れることなくナルトとサスケを撃ち続けていた。執拗なまでに狙い打ちにする刃は、皮膚を削り、血を消耗させ、大怪我はさせないけれども、だんだんと体力を奪い続けている。副次的効果として気温を下げ、身体の動きを阻害する。傷口から流れ続ける血液に体温を奪われ、相乗効果である。
 遅くなり続ける身のこなし。
 おかげでナルトは攻撃に捕われ始めていたが、サスケは関係なく、攻撃を避け始めていた。
 自分に向かう攻撃だけでなく、ナルトに向かう攻撃すらも叩き落とし、庇い、回避させる。動きが、良くなっていく。

「君は、よく動く……仲間をかばいながらだというのに……賛嘆に値します」

 強い。
 サスケが強いことを認めて奥義を使った白であるが、これほどまでに強いとは思っていなかった。今まで自分の奥義を受けて生き延びているものがいなかったから、魔境氷晶に絶対の自信を持っていたのだ。それなのに、対処されている。
 どうやって?
 わからない。
 ならば、攻撃を続けて分析をするしかない。

「次で止めます」

 ナルトは身体のそこらに霜焼けしながら、肩で息をしていた。
 白の宣言とともに放たれる弾幕攻撃。避けられない。
 四方八方からの攻撃に術で対処するか悩む。だが、思考している間に、サスケに横から蹴飛ばされた。
 意味があるのだろうと思い、全く逆らわずに勢いを殺さず飛び退いたら、無傷で済んだ。
 サスケには見えているのだ。目に写らないほどの速度で飛来する氷の刃が。
 ナルトは気づく。
 そして、白の気づく。
 サスケの瞳に車輪のようなものが二つ浮きがっていることに――

「その両眼……まさか、写輪眼!?」

 うちはの正統血統にしか使いこなせない、写輪眼。
 それはあらゆる幻術・忍術・体術を即座に見切る、最高峰の瞳術。
 つまり、凡俗な他者と隔てる才能の象徴。

「そうか。君も血継限界の血を!」

 白は恐ろしさをよく知っている。
 片目のカカシで再不斬に対応してしまったのだ。ならば、両目ともに写輪眼のサスケはどうなるのだろうか。
 予測はつく。

「だとすれば、そう長くは戦えません。僕の術はかなりのチャクラを使うので、術による移動スピードを保つのに限界があります。
 おそらく闘いが長引けば長引くほど、僕の動きは君の"読み"の範疇に入ってしまう。君の眼は僕を捕らえ始めているならば……!」

 時間をかけたら見切られる。
 短期決戦で一撃にかけるしかない。非道な攻撃を加えるしかない。
 サスケは強い。サスケは術を見切り始めている。
 では、ナルトは?

「これでカタをつけます!!」

 サスケに攻撃をせずに、全ての弾幕をナルトに向ける。
 今までとは比較にならないほどの弾幕は、まさに壁。隙間などほとんどなく、特別な目がない限り、避けることはできないだろう。
 何より、自分が直接超速度でナルトに向かって斬りかかっている。
 鏡から鏡へと飛び移るときこそが、白の速度が最高潮になるとき。
 つまり、避けられるものではない。

「何だとっ! ナルトに……! 間に合えっ!!」

 ナルトは棒立ちで。
 避けられる目も持っていなくて。
 写輪眼が未来を教えてくれる。
 ナルトは、このままでは死ぬ。
 チャクラを用いての超速度で、ナルトの前へと立つ。出来る限り、刃を叩き落とす。
 そうすればナルトが生き延びられることも写輪眼が教えてくれる。自分は……死ぬけども、迷うことなど、なかった。
 だが、結末は――呆気ないものだった。
 刃を叩き落とした。
 そして、白がサスケの首に向かって、千本を突きたてようとしている。
 明確な死のイメージ。
 後悔は、ない。

(せめて――仲直りはしたかったなぁ)

 そんなことを考えながら、目を閉じた。
 しかし、痛みは来ない。おそるおそる目を開くと、そこには……血が滴りながら、仁王立ちしているナルトと、地面へと倒れ伏す白がいた。
 おかしい。背にナルトを守って戦ったはずなのに。
 どうして――

「あぁ、勘弁しろよ……俺の演技が完璧すぎるからって……俺、隙を窺ってたのが馬鹿みたいじゃん」
「ナルト、お前……」

 つまり、魔境氷晶の中で戦っていたのは、影分身ということ。
 笑いながら、ナルトはサスケのことを目の端に写している。
 喀血する。

「ぐぅ……ハハハ、気にすんな。俺の影分身が演技派すぎただけだろ……だから、これはお前のせいじゃない」
「お前……何で……?」

 何で、助けた。
 間抜けな自分を放り捨ててたら、間違いなく油断した白を倒せただろうに。
 確率を重視するナルトの行動とは思えない。
 だが。

「……野暮なこと聞くなぁ。助けようとしたのはお前が先だろ。それにさ……」

 死にかけているのに、笑っている。 

「失いたく……なかったんだよ」

 小さな声。だがサスケは正確に言葉を聞き取った。
 自分の吐いた暴言が脳裏を過ぎる。

『失うものがないお前に――何がわかる!』

 わかっていなかったのは自分だった。
 そして、ナルトのためにあっさりと命をかけてしまう事実にも、やっと気付いた。
 涙がこぼれる。
 頬を伝い、地面へと落ちていく。

「……泣くなよ」

 ナルトの膝が、崩れ落ちた。
 橋を穿つ氷の刃の布団の上に倒れ落ちる前に、腕で抱きかかえる。
 とても、冷たい。そして、硬い。

「ぐ、くそ……くそっ!」

 体温が、感じられない。
 笑みのままで硬直してしまったナルトの表情に、生気はない。

「ふふ、すっかり騙されていましたよ。まさか彼が影分身で、本体が魔境氷晶の外にいただなんてね……彼は本当に勇敢な忍でした」

 幽鬼のように立ち上がりながら、白は鏡へと戻っていく。
 ナルトを抱きかかえることを優先して、敵を見逃した。それは致命的なことだ。
 でも、そんなことはどうでもいい。

「仲間の死は初めてですか。これが忍の道ですよ……」
「……初めてじゃねぇ」

 失ったのは初めてじゃない。
 遠い昔、家族を皆殺しにされたことがある。
 あのときは弱くて、何も守れなかった。今は、自分が強くなったと勘違いしていた。自惚れていた。

(俺は……弱い。仲間を守れないほどに、守られてしまうほどに!)

 冷静に対処していれば、白はもう既に倒せていただろう。
 ナルトが影分身だと気づいていれば――いや、サスケが気付けるようにナルトは心がけていた。今になって、わかる。自分の愚鈍さが、戦闘に熱中してしまう性格が、全ての災厄を呼んだ。

「自分の馬鹿さ加減に反吐が出る……そうか、お前の言っていた通りだよ。仲直りを先にしておくべきだった。いや……お前は森の中で殺しておくべきだった!」

 何より、敵だと気付いていた。
 森の中で出会ったとき、白は敵だと気付いていたのだ。それなのに、見逃した。
 代償は仲間の死――あまりに重い。

「後悔――しましたか?」

 悔いることに意味はないことも知っている。
 サスケは穏やかにナルトを地面へと横たえると、涙を拭きとり、白を見た。
 目は、閉じられている。
 家族の死を、ナルトの死を、思い返している。
 ふつふつと湧き上がるこの感情は、実に懐かしいものだ。長い年月をかけて積み重ねたと思い込んでいた、実は風化されていった感情。
 どす黒いそれは、サスケの心を焼き焦がす。

(あぁ、そうか。わかった……久々に思い出した。これが殺意ってやつだな……)

 原点を思い出す。
 自分は家族を皆殺しにした兄を殺す為に、全てを捧げていた。
 何と馬鹿らしいことだったのだろう。おかげで仲間すら守れない体たらく。自分は、弱い。

(力が――欲しい)

 殺意が身体を埋め尽くす。
 冷え切った身体が熱を帯び、白い靄となって身体から発散される。
 熱い。
 熱くて、熱くて、我慢できそうにない。
 灼熱の如き温度を持つのは、目。
 くり抜きたくなるほどの激痛を感じるが、今はそれすら心地良い。
 仲間が死んだ。ならば、この痛みはきっと罰だ。
 目を、見開く。

「昔の復讐なんざ、どうでもいい。今の目的は一つ――お前を殺してやる……!」

 車輪の紋様が二つだった瞳には、三つ目の車輪が浮き上がる。
 今はサスケの知らない瞳術――うちはが最強と謳われる所以。そして、うちはの中でも選ばれたものしか習得できない、伝説に名を残す存在。
 万華鏡写輪眼。
 ナルトの死を代償に、サスケは力を手に入れた。

 ◆

「ナルト!?」

 かすかに見えた悲劇を、サクラはカカシに伝える。

「先生、ナルトが! ナルトが……!!」

 サスケを庇って、わりと満足そうに笑って、横たわってしまった。
 身体中を串刺しにされ、首を穿つ千本も見える。
 間違いなく、死んだ。
 現実を正しく認識しているはずなのに、あまりに唐突な別れのせいか――悲しみは浮かばない。
 どうせ生きてるよね。ナルトだし。またくだらない悪戯だよね。
 動揺しながらも、そう思う。思いたい。思わせて欲しい。
 だが、身体の震えが止まらない。

「再不斬、聞こえるか。お互い忙しい身だ……お前の流儀には反するだろうが、楽しむのはやめにして……」

 カカシも、見た。
 サクラに答えることなく、再不斬に語りかける。
 沸騰しそうなほどに身体が熱を持つが、冷静にしなければならない。
 ナルトが死んだという確証はないし、まだ治療の余地があるかもしれない。ならば、邪魔な敵は葬ろう。

「次で白黒つけるってのはどうだ!」

 巻物を胸のポケットから取り出すと、噛み千切った指先から滴る血で染めて、印を組む。

「フン、面白い。この状況でお前に何ができるのか、カカシ……見せてもらおう」

 再不斬に時間はかけていられない。
 カカシは命を賭して、再不斬を殺す決意をした。

 ◆

 思い出すのは七班を組んでからの日常。
 サスケはずっと一人だった。
 うちはの名はサスケの両肩に重く圧し掛かり、トップでいるのが当たり前。努力してトップになっているとは他人に思ってもらえず、まるで自分が才能のみで結果を出しているように思われているのが癪だった。
 だが、七班になってからはそんな扱いはなくなった。
 体術でナルトを殴り飛ばした。普通の奴ならば、悔しそうにすることもなく「うちはの奴に勝てるはずがねぇよ」と諦め口調で自分を讃えてくる。だが、ナルトは悔しげに地面を殴りつけ、意識が飛ぶまで挑んできた。体術は教本通りのもので、鍛え抜かれた身体は色濃い修練の跡が見える。弱くはない。どちらかと言えば、強いほうだろう。それでも、サスケには及ばない。何度挑まれても、サスケは返り討にした。
 サクラは言う。「あんたじゃサスケくんには勝てないわよ」と。
 懲りずにナルトは自分に挑んで来て、いつからだろうか。冷やりとする場面が多くなってきた。そして、一か月もしない内に、自分は殴られて、勝負に負けた。 後々気付いたのだが、ナルトは自分に殴られながら、全ての攻撃パターンをノートに書きとめて、カカシに相談しながら対処策を考えていたのだという。次第に五分五分になり、油断できない相手になった。
 いつも馬鹿正直に向かってきて、次第に仲良くなっていった。
 一緒にサクラをいじって遊び、体術について語り合い、忍術についても語り合った。たまには、夢なんかも語ったりした。
 ナルトと仲が良くなってからサクラも加わるようになった。そこからは戦術論や、チームワークについての作戦内容。いろいろと語り合った。
 常に一緒に行動していた。
 任務をして、修行をして、寝るとき以外はほとんど一緒だった。
 楽しかった。
 家族を失った悪夢を毎日見ていたのに、次第に夢を見なくなり、次の日を待ちわびるようになっている自分に気付いた時、サスケは苦笑したものだ。自分の野望よりも、友達と遊ぶことを優先するようになった自分の変化に驚いたものだ。 
 これが親友というものなのだろう。
 命をかけて守ってもいいかな、と思える程度には、親友だったのだろう。
 自分にとっては、片割れと言ってもいい。いつも一緒だった日常の象徴だったと言ってもいい。
 失った。
 あっさりと、日常の一欠片は消え去った。
 奪ったのは誰だ。

「何ですか……その眼は写輪眼ですか!?」

 驚きの声をあげる、こいつだ。白だ。
 そして、間抜けな自分だ。

「見える……」

 遅い。鈍い。止まって見える。これから動こうとする映像すら、全てが目に写る。
 白がどういう速度で、どこへ向かって、どういうふうに行動するのか、全てが手に取るようにわかる。

「俺は……」

 弱い。

「こんな奴に……」

 相手にならない。

「この程度の速度に……」

 全てが理解できているのだから、身体が勝手に動く。
 先読み通りに身体を動かす。拳を突き出す。
 正確に、サスケに迫りくる白の頬を、サスケの拳は抉った。

「――翻弄されてたってのか!!」
「がはっ!!」

 衝撃は凄まじい。
 白の速度はとてつもなく速く、それこそ疾風をも超える速度だ。
 そこへ合わせるかのように拳を突き刺す。自分の速度が仇となる。
 受け身をとる余裕すらなく、かつて受けたことのない攻撃のせいか、目が眩む。立つことすらできないほどに、脳が揺さぶられる。

(まずい、次の鏡へ!)

 這いずるように屈みへと向かうが、足首を掴まれた。
 おそるおそる背後を見ると、そこには鬼の形相ということすら生ぬるいほどの、暗い瞳を浮かべるサスケがいた。

「逃がすかよ……」

 振り上げる。白の身体を持ちあげる。
 そのまま、地面へと叩きつける。何度も何度も、叩きつける。

「ぐ……あぁぁぁぁぁぁっ!」

 苦悶の声が途切れ途切れに耳朶を打つが、いっそ清々しいほどに、サスケは嗜虐の笑みを浮かべている。
 次第に悲鳴をあげなくなり、白の身体は微かに痙攣のするだけとなる。
 つまらない。
 地面へと放り投げると、仰向けになるように蹴り転がした。
 虫の息。
 ひゅうひゅう、とかすかな吐息が漏れるだけの哀れな姿。
 まだ、生きてる。それがわかると、サスケの口角が嬉しそうに釣り上がった。
 足を振り上げて、白の腕へと勢いよく下ろす。
 枯れ木が折れるような音を立てて、腕の骨は粉砕された。
 悲鳴はなく、びくんと身体が跳ねあがるだけ。そのとき、白のつけていた仮面が、かたりと音をたてて外れてしまう。
 出てきたのは、森の中で出会った穏やかな顔立ちの少年だった。見る影もなく、苦痛に歪んでいるが。
 怒りが再燃する。

「やっぱり、やっぱりお前か! また会いましょう、だって? ……ふざけやがって!!」

 首を、掴む。
 左手で持ち上げていく。
 悲鳴すらあげられないように、喉を握り潰していく。
 死なない程度に、痛めつけるためだけに、力を加えていく。

「……凄い、殺意ですね」

 呟くような声は白のもの。
 その声が苛立たしくて、まだまだ痛めつけるつもりだったサスケの神経を刺激した。
 こいつにも同じような気持ちを味あわせてやる。
 目を、閉じる。
 剥き出しの殺意が瞳に凝縮されていく感覚。焼け付くような傷み。それらがだんだんと高まっていく。
 燃えそうだ。
 だが、わかる。何故かは理解できないが、力の使い方だけは、わかる。
 不思議な感覚だ。とてつもない全能感。今なら何でも自分の思い通りに運ぶという感覚が身体中を駆け巡っている。
 目を、見開く。
 瞳の模様が変化して、六芒星を描いていた。
 これこそが万華鏡写輪眼――"月読"。対象の五感を奪い、思いのままの苦痛を与える幻術の極み。
 見つめる。
 無垢とすら言える白の瞳は絶望には染まっておらず、それがサスケには気に食わない。自分と同じ目に合わさないと気がすまない。

「お前も仲間を失う痛みを味わえ」

 闇に、堕ちた。

 ◆

 親子三人の暮らしは慎ましやかではあるが、愛情溢れるものであった。
「抱っこして~」と母のもとへ駆け寄り、頭を撫でられながら抱きしめられる。それを父が微笑みながら見守っている。
 ごくごく普通の一般家庭。
 実にもろい、日々の暮らしだった――父が母を殺し、そして、自分を殺そうとするまでは。
 白は霧の国の辺境で暮らしていた。
 絶え間ない内戦を避けるように家族は暮らしていたのだが、それが変わった原因は血継限界を持っているからだ。血継限界は、忌み嫌われる。普通の人間は戦う術を持たないから、血継限界という超常の力を行使する存在を恐れる。

「隠していたんですけど、バレました。だから、父は恐怖に駆られて殺したのでしょう」

 自分の母が目の前で殺される光景を見せ付けられながら、白は独白する。
 映像だ。
 白とサスケが並び立ち、映写機で映し出される映画のようなもので、白の絶望の根源を探している。
 ここはサスケが作り出した世界。一瞬という時間をサスケの万華鏡写輪眼が途方もないほどに引き伸ばし、幻術空間へと閉じ込めている。

「絶望なんて、僕にはないです。希望なんて持っていませんから」

 過去の記憶を探っても、白は絶望しなかった。いくら見せ付けても、絶望しない。
 もどかしい。どうすればいいのか、どうしたらいいのか、サスケには――思いついた。

「お前は必要ないんだよ」

 凍りついた湖面の静けさを思わせる冷ややかな声は、突如白の横に現れた。
 聞き覚えのある声のほうを向くと、まるでゴミを見るかのように自分を見下ろす顔の半分を布で隠した鬼人――再不斬がいた。

「こんな小僧にすら勝てないのか」

 期待を裏切った。

「優秀な駒だと思っていたのに……使えねぇな」

 血継限界を持つ優秀な血族だと知って拾ってくれた再不斬の期待を裏切った。

「何のために拾ったのかわからねぇ」

 敗北する駒は優秀ではなく、役立たず。

「愚図が。消えろ」

 そんなものを再不斬は必要としてくれない。

「あの時、死ねばよかったんだよ。お前なんか誰にも必要とされてねぇんだから」

 幻術――なのだろうか。
 現実味を帯びたその言葉は、白の心を責め立てる。
 戦果を上げられない忍に意味はなく、再不斬の道具として傍においてもらっている白にとっての敗北とは存在意義の消失。

「死ね」

 再不斬の声で言われると、幻だとわかっていても……

「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」

 気が、狂いそうだ。
 生気を失っていく白を満足げに見ているのは、サスケ。
 絶望を見つけた。
 それから【月読】の世界が切れるまで、白は夢を見続ける。
 最も言われたくない言葉を、最も信じている人に言われ続ける、そんな悪夢を。

「殺して……殺してください……」

 吐き出される言葉は、もう、ない。

 ◆

 虚ろな表情で「殺してください……」と途切れ途切れに喋るだけの、生きた死体。
 つまらない。
 反応のなくなった、絶望のあまり壊れてしまった白を、サスケは嗜虐の笑みでとらえていた。
 首を掴んで片手で持ち上げたまま、【月読】を行使したせいか目が眩むし、身体がだるい。痙攣すら起こる。チャクラもほとんど残っていない。だが、白の命を摘み取るくらいのチャクラは残っている。
 空いている右手にチャクラを溜め込んでいく。
 足にチャクラを集中する修練をした。
 水の上ですら走り回れるほどに、修行した。
 その成果が、右手に凝縮されるチャクラとなる。
 ばちばち、ばちばち。
 発行するほどに溜め込まれたチャクラは、小さく音をたてて空気を震わせる。

「死ね」

 心臓を狙うように突き出される貫手は避けられるはずもない。
 名前すらないチャクラを込めた穿突の意味は――必ず殺す。必殺。
 だが。

「白ッ!!」

 必殺を放つはずの腕は、横から襲来した陰により、叩き折られる。
 意味がわからず、攻撃をした相手を見ると――いや、見る前にサスケは蹴り飛ばされた。
 地面をこするように転がっていく。衝撃に目が眩む。脳が揺さぶられる。死ぬほど痛い。
 そんなサスケを見向きもせず、白は――

「大丈夫か?」
「……ぁ、あぁぁぁあぁぁ……」

 救いの主を見た。
 そこにいたのは、自分を守るために駆け付けた――再不斬だった。





[19775] 16.波の国――Ⅷ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:58
8.

「再不斬……さん……」

 壊れた人形は意志を取り戻したのか、震えながら立ち上がろうと地面へと手をつくが、折れた右腕では力が入らない。
 ぱしゃんと水で濡れた地面へと突っ伏す。水でべとべとに濡れた衣服が身体に纏わりつき、もともと重く感じる身体の感覚が、さらに薄らいでいく。
 痛む。先程に幻覚で見せられた光景よりも、心が痛む。

「何ですか。どうしたんですか……それは……」

 再不斬の身体はバランスがとれていなかった。あるべき場所にあるはずのものがないということは、とても醜い。歪は姿というものを、人は嫌悪するものだ。

「あぁ? 大したことねぇよ」
「右腕が、もがれてるじゃないですか!」

 損なわれたものは――右腕。再不斬の右肩から先は、もう何もなかった。
 傷口からは何も流れ出ることはなく、よくよく見れば、焼け焦げた跡がある。ぐじゅぐじゅになった外傷からはつんとした臭いが鼻につく。
 もとあるはずはずだった鍛え抜かれた右腕。人の命を容易く奪う凶器そのもの。それが、失われている。
 何があった。

「そこか」

 いつのまにか濃霧が消えていて、薄らいだ靄から飛び出してくる影があった。
 カカシである。
 チッチッチッチッ、と音を立てているのは右手に宿る雷光。
 把握する。
 おそらく、再不斬はカカシの雷光に貫かれたのだと……そして、それは白を守るために飛び出してきたせいなのだろう、と。
 再不斬は舌打ちをするだけで、動かない。後ろに白がいるから。それだけの理由。十分に動かないですむ理由だ。
 このままでは、再不斬は殺される。目の前で、殺される。道具である自分のために、命を捨てることになる。

(――そんなのダメだ)

 折れていない腕に体重をかけて、白は立ち上がろうとする。
 生まれたての鹿のほうがもう少し力強いだろう、と思うほどの頼りなさで、白は立ち上がろうとする。
 その姿を、再不斬は優しげに見下ろしながら――微笑んだのだろうか。

「終わりだ、再不斬」
「……がふっ」

 雷光に、貫かれた。
 カカシの手は無慈悲に心の臓があるべき左胸を貫通する。
 口から赤黒い水を流しながら、再不斬は――

「再不斬……さん?」

 死んだ。

「再不斬さああああああああああああああん!!!」

 カカシは無言で手を引き抜くと、再不斬の死体を放り投げる。
 殺した。
 自分の手で、殺した。
 理由は再不斬を生かしておくと大変なことになるから。
 後はもう一つ。
 再不斬なんかよりも大切なものが、カカシにとって多すぎたからだ。
 晴れ渡った視界で、倒れ伏す金髪を見る。
 迷彩柄のジャンパーは血色に染め上げられていて、生命の余韻を感じさせる。
 殺されたのだ。
 カカシの目の前で泣き崩れる白という少年に、命を奪われたのだ。
 チッチッチッチッチッ――右手は光を纏っている。手を振り下ろせば、白の命を奪うなど実に容易いことだ。

(殺すのか……大切なものを奪われた……ナルトやサスケ、サクラと同年齢だろう子供を……)

 迷いが生じる。
 そんなとき、背後に動く気配を感じた。

「ぐ……くそっ、腕が折れちまった」

 狂気の光を宿した瞳は六芒星の紋様を刻まれている。カカシの写輪眼とは違う、完成された写輪眼。
 大切なものを失ったら手にする強大な力。万華鏡写輪眼を手に入れている。

(それほどまでに……ナルトに心を開いていたか)

 手の隙間から零れ落ちたものはあまりに大きく――七班の心を引き裂いた。
 ナルトを抱き締めて泣きじゃくるサクラ、左手にチャクラを凝縮し、自分の手が火傷を負うことすら構わずに力を込めているサスケ。
 壊れた。
 細心の注意を払って積み上げてきた何かが、音を立てて崩れていく。

「まだ、生きてるのか。良かった、本当に良かった。俺が……殺してやるから、ちょっと待ってろ」

 関節の可動範囲を大幅に超えて曲がっている右手は、折れている。激痛に苛まれて、動けないはずなのに、サスケは精神で痛みをねじ伏せて、一歩一歩、牛歩の歩みで白へと近づいていく。
 ばちばち、ばちばち。
 自分の肌を焼かれるほどに濃縮されたチャクラは、次第に色を帯び始める。
 雷光。
 カカシの手に宿る【千鳥】と呼ばれるものと、酷似している。
 このままではサスケは白を殺した後に、壊れてしまうだろう。復讐に走ってしまうだろう。ナルトやサクラと出会ってから変化してきた精神が、アカデミー時代へと戻ってしまう。
 失う悲しみを、思い出したから。
 サスケに殺させるわけにはいかない、とカカシは結論する。
 【千鳥】のためのチャクラを霧散させ、サスケの後ろへと瞬時に移動する。音もなく、背後を取る。
 首筋へ手刀。意識を奪うためだけの攻撃。 

「な……くそ……」

 断絶する。
 前へと倒れ込むサスケの身体を、カカシは優しく受け止めて、横たえた。
 カカシは白を見る。
 顔面を蒼白にした、生気のない少年を見る。

「で、どうする。そこの少年。まだ、やる?」
「僕は……僕たちは……理想のために戦ってきました」

 かすかな声音は、カカシに届く。
 理想とは――などとは聞かない。無粋な行為だし、今となっては意味のないことだから。

「僕は役立たずのゴミにも劣る存在ですが……諦めるわけにはいきません。僕は、道具です。道具に意志は必要ないんです……」

 ゆらりと立ち上がる。
 限界を超えている。動けば死ぬ。それを本人もよく理解している。
 厄介な、敵だ。死ぬことを望んでいる、哀れな敵だ。

「やるわけね」
「殺し……ますっ!」

 カカシへと向かって、白は駆ける。
 遅い。なんという遅さか。
 目を瞑っていても問題ないほどに弱体化している白は、哀愁すら漂っていた。
 無防備に、カカシへと蹴りを放つ。本当に無防備で、殺して下さいと言っているようだった。

「サスケに何をされたのは知らないけど、そこまでボロボロになって動けるわけないでしょ」

 軌道はでたらめ、力も入っていない、速度もない。驚異の欠片も感じられない上段蹴りを、カカシは避けることすらしなかった。何故なら、その軌道だと当たらないのだから。
 カカシの手前を通り過ぎた蹴足は目標に当たらず、バランスを失った白は、転倒する。
 ぎしり、ぎしり、歯を噛み締める音がする。
 牙も爪も失った獣のようだった。
 
 ◆

 サクラの腕の中では、穏やかな――まるで眠っているような表情で、ナルトが仰向けに倒れていた。
 今にも「よっす、おはよう」と言って起き出しそうなほどではあるが、手から伝わる体温が全てを教えてくれる。
 そんなことは、ないのだと。
 小刻みに震える背中を見下ろすタズナは、かける言葉が見当たらない。最初から最後までずっと任務を嫌がっていたナルトが、死んだ。何という皮肉だろうか。しかも、仲間をかばっての死だという。
 あまりに残酷な結末にタズナの涙腺も緩んでしまう。涙はもう枯れたと思っていたのに。

「こんなに……冷たくなって……"忍はどのような状況においても感情を表に出すべからず"だっけ。テストでいつも出た問題。答えるのは簡単だけど、実践するのは……難しいなぁ……!」

 ぽろぽろと涙を流しながら、サクラは呟く。
 アカデミー時代では決して仲が良いとは言えなかった。サクラにとって、ナルトは空気に等しい存在だった。害もなく、恩恵もない。真面目に授業を受けているただの一般生徒だった。
 印象が変わったのは、アカデミーの卒業式。
 喧嘩をした。たぶん、あれはサクラにとっては喧嘩だったと思う。
 次に会ったときはいきなり土下座をされて、「友達になってください」と言われた。馬鹿みたい、と思う。そんなことをしなくても友達はできるものだろう、と考えるが、ナルトには友達がいないことを思い出して、サクラは友達になってやった。このときの印象は『変な奴』だ。
 次第に変化していく。
 卒業試験でカカシに一杯食わせたことはよく飯時の肴として用いられる。全員で騙して、それでも騙されていただけというオチはなかなかに面白い。どうすれば勝てたんだろう、今なら勝てるだろうか、などと戦術論を交わし合うことも多い。
 サクラにとって、本気で戦術の話をしてついてこられるのはナルトが初めてだった。とても貴重な存在。サスケが隣で意味深に頷きながらも、質問をすれば「わかるか!」と怒鳴り返すこともよくあった。そんなこんなで、七班で楽しく日々を過ごしていたのだ。
 奪ったのは、カカシの前で膝をつく少年。
 憎い。
 素直に憎い。

「こいつがナルトを殺したんですよね?」
「……勝手に、殺すな」

 そう言って立ち上がろうとしたとき、ぴくりと腕の中で動いた。
 おそるおそる見ると、そこには目を見開くナルトがいた。
 ぽろぽろとナルトの身体中から土が落ちていく。サクラの腕は泥まみれになるが、気にしない。
 先ほどとは別の涙が溢れてくる。
 きょろきょろとあたりを見回しながら、弱弱しく腕を差し出してくるナルトの姿を見ると、涙が流れるのを抑えられない。
 何度も何度もナルトの名前を呼んで、そのたびにナルトは頷いて――どんどんと腕を伸ばす。
 むぎゅ。

「……え?」

 一瞬、思考が飛んだ。

「何……これ?」

 わからず、鷲掴みにされている場所を見た。
 胸。
 膨らみ切っていない――いや、年齢にしてはそれなりにあると思われるサクラの乳房が、服の上から見事に揉まれていた。

「硬い表情してるからさ。ほら、笑えよ。笑ったほうがサクラは可愛い」

 にへらと笑いながら堂々と言い切るナルトに、サクラは頭突きを喰らわせたのは言うまでもない。このための面積である。
 喜びの温度は、一気に冷めた。

 ◆

 それからの対応は凄惨を極めた。
 身体中傷だらけのナルトを応急手当てをしたと思うと、サクラはナルトの腕の関節を取った。
 逆十字腕拉ぎ――関節技である。効果は簡単に言うと、超痛い。

「痛い、痛い、痛い、痛い、痛いいいいいいいいいい!!!」

 いつも冷静なナルトがくだらないことをしたので、サクラはナルトの頭がおかしくなったのではないかと本気で心配しているのだ。もしかしたら洗脳されているのかもしれない。だから、激痛を与えて幻覚を解こうとしているのである。それ以外の理由はない。やましい気持ちも全くない。全力でタップするナルトの姿を見て溜飲を下げていることなど断じてないのだ。
 カカシが凄い冷たい目線で見ていることと、ナルトが生きていることを喜ぶタズナのことも無視だ。まずは、痛めつけることが大事だ。

「吐きなさい。なんで死ななかったの?」
「……優しくしてくれたら喋る」
「へぇ、これ以上の優しさを私に求める気?」

 口角を吊り上げるだけの冷たい笑みに、ナルトは悪魔を見た。

「土遁・硬化術です。土の鎧をうっすらと纏っていました」
「なるほど……じゃあ何で死んだフリしてたの?」
「本気で気絶してました」
「なんで?」
「大量出血によるショック症状です」

 戦闘をこなして死ぬ想いをして、何となく茶目っ気を出したらこれである。ナルトとしても泣きたくなる。サクラが恐いのだ。自然と敬語口調になってしまうのも無理はない。

「まぁ、生きてたならいいんだけどね……貸イチよ」
「貸イチ?」
「おっぱい揉んだこと」
「お、おう……」

 揉まなきゃ良かった、と後悔するナルトに現実の刃が襲いかかる。
 サスケが、起きた。
 のそりと起き上がり、目が合った。急いで目を逸らすが、サスケの視線がナルトをとらえて離さない。

「……おい」

 声をかけられても、ナルトとしてはどうすればいいかわからない。
 最初から対策を練って庇ったのだし、生きられるだろうという予測もあった。だけど、仲間は美談として自分の死を信じていたのだ。それなのに、どの面さげて「生きてました」と言えばいいのだろうか。
 震える。
 サクラであれだったのだ。サスケだとどうなるのだろう。腕を折られるのではないだろうか。それは勘弁願いたい。

「……おい」

 声が近づいてくる。
 それでも、ナルトは目を逸らし続けた。
 だが、衝撃が身体を襲う。

「……お前、生きてるのか」

 鼻声になりつつあるサスケの声とともに、肩を掴まれた。
 おそるおそる見ると、サスケは泣いていた。眼を充血させて、ナルトに抱きつく。

「……良かった!」

 生きている白のことも忘れ、サスケは喜んだ。
 六芒星を描いている瞳は車輪が三つの模様に戻り、力が失われていくことを自覚する。でも、どうでもいい。ナルトが生きているのなら、どうでもいい。

「お前、抱きつくなよ! 男同士で気持ち悪いだろ!」
「……良かった! 本当に良かった!」
「こらこら、サスケ。ナルトが悶絶しそうになるくらいに力を入れちゃダメだよ。死んじゃうからね」

 カカシが止めるまで、サスケはナルトから離れなかった。何故だかサクラが「もったいない」と呟いているが、原因は不明のままだ。
 七班は、元通り。
 意識の外に白を追いやって、ナルトの生還を祝った。
 束の間の休息。
 本当に、一瞬だけだった。
 ぞろぞろと大量の足音がこだまする。物騒な足音。時折、地面を擦る奇怪な音が響く。
 そちらに目をやると、そこには――

「おーおー、ハデにやられて……がっかりだよ、再不斬」

 小太りの小さな男がいた。歳は随分ととっているのだろう、顔には深い皺が刻まれており、髪を白くなっている。
 しかい、長い年月は品性を培うためには使われなかったのだろう。醜悪な笑みを浮かべながら、他人を見下す視線は男の程度の低さを知らしめる。
 男の名はガトー――ガトーカンパニーの総帥であり、再不斬たちの雇い主であり、ナルトたちの敵だ。
 多くの手下を連れて、ナルトたちと対峙している。そして、放り捨てられた再不斬の死体を見下ろしながら、腹を抱えて笑っている。

「ハハハッ! お笑い種だな! 鬼人と言われているコイツは実はただの小鬼ちゃんだったわけだ! 計算違いも甚だしいな!」

 蹴り飛ばす。
 命の灯が尽きた再不斬はやられるがままだ。ガトーの鬱憤をぶつけられても反抗することなく、甘んじて暴虐に耐えるだけ。
 がぎん、と何かが砕ける音がした。
 音の発生源は白。口からだらりと血が零れ落ち、砕けた何かを吐きだす。
 それは、歯だ。力を込めすぎて砕けた歯。

「再不斬さんの悪口は……許さない」

 精神の力のみで立ち上がる。
 いつ死んでもおかしくないほどの満身創痍なのにも関わらず、命を賭して――

「おっとぉ? そこのガキは生きてるのか。お前だけなら簡単にブチ殺せそうだなぁ!」

 ガトーの言葉を無視して、白はナルトたちに向き直る。

「すみません……申し訳ないのですが、貴方たちに殺されるわけにはいかなくなりました」
「……ナルトが生きていたのならお前の命に興味はない」
「私も同じよ」

 ナルトは、答えない。
 白は頷くように、小さく礼をすると――駆けだした。
 群れと称してもいいほどの不逞の輩たちへと、突進する。
 残っている片手で印を組み、術を発動。
 【秘術・千殺水翔】――周囲の水を、自分の血を刃に変えて、ガトーたちへと放つ。
 ガトーに届くことはなかったが。
 壁のように並んでいる男たちの命を摘み取るだけに終わる。
 白は崩れ落ちそうになる膝に力を込めて、突進する。
 殴る。
 蹴る。
 投げる。
 数人の男たちまでは倒せた。
 必死の決意で突き進むも、そのたびに傷を負う。
 背中を刀で突き刺され、折れた腕を斬りおとされ、足は蹴り砕かれ――
 白の命はガトーに届かない。

「く……ハハハハ! 弱い! 弱いな! 意味もなく死におったわ!」

 ガトーに、頭を踏みつけられた。
 終わり。
 白の抵抗は空しく潰える。

「さて、残るはお前たちだけだが……取引をしないか」

 血で汚された橋の上で、ガトーは手を掲げる。
 指し示すのはカカシ。見るからにこの場にいる忍者たちの首領だ。
 提案する。

「どうやらお前らは報酬無しで働いているみたいだな? どうだろう。金をくれてやるから退いてはもらえんか?」

 忍者は金で動く。それは常識だ。だから、買収する。これ以上に無駄な戦闘は避けたいから。それは当り前のことであり、相手が頷くことを前提としての交渉だ。
 相手は損をしない。ならば、受けるのが当然だ。
 だが。

「義を見てせざるは勇なきなり。勇将の下に弱卒なし。ま! お前らみたいな下種にはわからん考えだろうがね。金だけで忍が動くと思うなよ」


 カカシは言う。カカシに連れられた下忍たちも、頷く。

「じゃあ、こんなのはどうだ?」

 人の群れから、小さな影が現れた。
 ぱっと見ではわからないほどに膨れ上がった顔。あらゆるところが痣だらけで、本当に誰だかわからない。
 ふうふう、と荒く息をつきながら、その影は地面へと倒れ伏す。
 これは何だ。
 よく見ると、見覚えのある顔立ちで、見覚えのある体格で、見覚えのある服装だ。性格は良いとは言えず、ずっと不貞腐れていた子供を思い出す。

「イナリッ!?」

 タズナは気付く。
 あれは、孫だ。ぼろぼろになるまで殴られた、孫の姿だ。

「どうする。私としてはどちらでもいいのだが……」

 皮肉に笑うガトー。
 震えるタズナ。

「タズナさん……」

 七班のみんなは、怒りに身を焦がすが――何よりも優先すべきはタズナの言葉。

「……夢ってのは、犠牲がつきものなんだろうがのぉ……これはあんまりじゃあ!!」

 戦いはまだ終わらない。






[19775] 17.波の国――Ⅸ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:58
9.

 筋肉痛で軋む身体に顔を歪ませながら、イナリは窓からぼんやりと空を見ていた。
 晴れ渡る青空は昨日までの鬱屈とした自分を変えてくれるかのようだ。太陽のように輝ける人になりたい、と素直に思えた。
 強くなる代償と思うだけで筋肉痛が愛おしく思える。
 変われる。
 自分は変わるんだと強く決意した昨夜から、イナリは少しだけ前向きになりつつあった。
 小さな変化――それが悲劇を呼ぶことになる。
 ナルトが出かけてから少し経ったときのことだ。不貞の輩がタズナの家に押し入ってきたのは。
 悲鳴が聞こえる。
 イナリのよく知る声――母であるツナミの悲鳴が居間から聞こえた。

「母ちゃん!」

 急ぎ居間へと向かうと、そこには見知らぬ男が二人いた。
 腰に刀を差している――侍ではなく、ガトーの用心棒だろう。禿頭の男はゾウリ、長髪の男はワラジという。
 白刃を外気に晒しながら、ぺたぺたとツナミの頬に刃を当てている。ひんやりとした鋼の感触に濃厚な死の匂いを感じ取り、ツナミは足を震わせている。しかし、イナリが居間に駆け付けたら気丈に振舞い、自分の身よりもイナリのことを心配する。

「出てきちゃダメ! 早く逃げなさい!」

 不意の事態に身体が硬直する。
 強くなりたいと願って一日。たったそれだけで身体が一気に成長するわけもなく、イナリはただの無力な子供でしかない。
 ゾウリとワラジは下卑た笑いを浮かべる。

「こいつも連れてくか?」
「人質は一人いればいい」
「じゃあ……クク……殺すか」

 刃を舌舐めずりして、ゾウリはイナリへと近づいてきた。窓から突きささる陽光で頭を輝かせながら近づいてくる様は笑いを誘うが、イナリはとても笑えない。
 殺される。ここで、死ぬ。
 抵抗できない自分の無力さが歯痒くて、そして、自分の心が折れかけていることも自覚できる。
 恐い。怖い。こわい。コワイ。
 足が震えて……股間が濡れる。じんわりと漏れ出すそれは黄色い――小便だ。
 失禁した。
 弱い自分が情けなくて、笑いがこみあげてくる。乾いた笑いが止まらずに、黄色くぬらつく地面へと膝をつく。
 無力だ。

「待ちなさい!」

 ツナミは叫ぶ。

「その子に手を出したら舌を噛み切って死にます。人質が欲しいんでしょう!?」

 本当に舌を噛み切るだろうという確信を持たせるほどの気迫をツナミは放っていた。
 先ほどまで脅えていたツナミとは違う。子を守る母の表情。必死に、形振り構わずに子供を守ろうとする様は美しい。

「フッ、母ちゃんに感謝するんだな……坊主」
「あーあ、なんか斬りてぇなぁ」
「お前はいい加減にしろ。さっき試し切りしたばかりじゃねーか。そんなことより連れてくぞ」

 そのまま出て行く三人を、ぺたりと地面に座り込みながらイナリは眺めていた。
 ほっとした。
 自分が助かるという確証を得て、安堵の吐息を漏らしてしまった。

『そのままじゃお前……一生変われねぇぞ。ちっとは根性出してみろ』

 思い出すのはナルトの言葉。
 根性とは何だろうか。

『あいつはお前に期待しているみたいだ。俺よりも強いサスケがな』

 サスケ――イナリはあまり話したことはないが、期待を裏切ったことになる。
 自分は子供で、まだ弱いのだから仕方ない。

『本当に大切なものは自分の両腕で守るんだ』

 今は亡き義父の言葉。
 勝てない敵に挑み、無様に敗北して死刑された義父の最後を思い出す。
 笑っていた。
 両腕を失い、磔にされて、民衆の前で死刑にされるというその時、集う人々の中にひっそりといたイナリと目が会ったとき、誇り高く笑ったのだ。

(僕も……僕も強くなれるかなぁ……父ちゃん!)

 カイザの息子、イナリ。
 子供は父の背中を見て学ぶものだ。今逃げたら何も変わらない。変えられないということを、ようやく知った。
 べちゃり。
 立ち上がろうとしたとき、水溜りになった地面からそんな音がした。
 思い切り踏みつけると、ばしゃんっと跳ねる。
 そして、駆け出す。
 涙も出した。小便も出した。残っているのは勇気だけ。
 そんなふうに自己暗示をかけながら、イナリはツナミの後を追う。
 すぐに見つかった。
 家の前でツナミに刀を見せつけながらゾウリは笑っていて、それをワラジが諌めている。楽しんでやがる。

「待てェ!」

 激昂し、イナリは飛び掛かった。
 当然、恐い。歯がかちかちと鳴っているし、力を抜けばケツの穴から出てはいけないものが飛び出しそうだ。だが、それらを出すのは勇気を振り絞ってからでいい。

「何だ、さっきのガキか」
「イナリ!?」
「母ちゃんから離れろ!!」

 刀を構えて自分を見下ろすゾウリに対して、地面を這うように走りつける。
 上から白刃のきらめきが襲いかかるが、生憎とイナリのほうが速かった。
 噛みついた。
 思い切り噛みついたところはぶにょっと嫌な感触がし、苦いような酸っぱいような変な味が口内に広がる。
 それは金玉。誰しも鍛えることはできない男の証。
 激痛に身悶えながらゾウリは女のような甲高い声で苦鳴を漏らすが、イナリは決して離れない。
 
「……このガキ!」

 ワラジがイナリの頬を殴りつけても、決して離れようとはしない。
 噛みついたまま、ぎりぎりと歯をこすらせる。ゾウリは痛さの泡を噴きながら、イナリを殴りつける。
 気を失ったのか、目から光が消えて、イナリは糸が切れた操り人形のように力を失った。
 
「イナリッ! イナリィィィ!」

 ツナミはイナリの顔面がぼろぼろになっていくのが耐えられない。
 イナリを殴りつけるゾウリとワラジに縛られた両手は使えないので。体当たりを何度も喰らわせる。

「暴れるんじゃねぇ! このダボがっ!」
「きゃっ!」

 殴られ、吹き飛ぶ。
 無造作に震われた裏拳を喰らっただけなのにこの激痛。イナリはどれほどの痛みに耐えているのだろうか。
 地面へと倒れ伏して、腰がくだけたツナミをゾウリはつまらなさそうに見下ろすと、何かを思いついたかのように手を叩く。

「おい、切るな。気が変わった。死なない程度にこのガキ痛めつけて、人質にするぞ」
「女は殺してもいいのか?」
「このガキも自殺したら困るだろ。だから、徹底的にやれ」
「へへへ、切れないのは残念だけどなぁ……!」

 腹を抉るように蹴り飛ばす。
 飛んでいた意識が戻り、イナリは痛みで再び気を失いそうになる。
 だが、途切れることない暴虐の嵐は気を失うことすら許さず、イナリに地獄のような現実を教えてくれた。

(僕……弱いんだァ……)

 誰も守れない。
 父のように死ぬのか。
 それは嫌だ。
 守れずに死ぬなんて絶対に嫌だ。

「あう……うううううううううぅぅぅ!!」

 痛すぎて痛いという感覚すらなくなってきた身体がビクンと跳ね起きて、ゾウリへと飛び掛かる。

「うぜぇ」

 飛び掛かるも、頬に拳を貫かれて、何かが砕ける音を感じながら――イナリの意識は薄らいでいく。

(変われないままなのかな……強くなりたい……母ちゃんを守れるくらいに……強くなりたいなぁ……!)

 頭から地面へと落ちた。
 身体に力は感じられず、ところどころ折れているであろう骨は不気味に曲がっていて、乱暴な子供に扱われる壊れた人形を思い出させる。
「おいおい、死んでねーだろうな」と呟きながらイナリへとワラジは近づいていき、心音を測り、安堵する。

「よかった。生きてる。おい、連れてくぞ」
「女ァ……斬りてぇなぁ」

 倒れたままぴくりとも動かないツナミに欲情の混じった視線を送りながら、ワラジは呟く。

「後だよ、全部終わった後な」
「へいへい」

 イナリを抱え、二人はこの場を後にする。
 少し経ち――

「イナリッ!? あ、ああっぁぁぁぁぁ」

 血で濡れた地面と、欠けた歯の断片を見て、ツナミは現状を認識する。
 ぼろぼろにされ、連れていかれた。
 母なのに、息子に助けられた。

「助けなきゃ……助けなきゃ……イナリ、待っててね。母ちゃんが必ず助けるから」

 悲嘆に暮れる余裕などなく、ツナミは何度も転倒しながら、そのたびにこけて町へと走る。

「必ず……」

 血の混じる言葉を漏らしながら……。

 ◆

 タズナは心の底から打ちひしがれていた。
 自分の夢のために、家族に迷惑をかけている。孫が原型をとどめないほどに私刑に合わせられている。
 悪いのは誰だ。
 それはガトーだ。考えるまでもなく、それは自然に頭に浮かぶ。
 だが、元凶は誰だと言われれば、それはタズナと言う他ないだろう。タズナが橋を作るなどと言わなければ、とりあえず家族はここまで苦しめられることはなかったのだろうから。
 卑劣だ。
 タズナ本人を狙うだけでなく、家族までも狙うなどと人道に反する。それでも、そんなことはタズナだってよくわかっていたはずなのに……ガトーは正真正銘のクズだと、一番良く知っていたはずなのに、見逃した。
 報いをイナリが受けている。

「ったく、このガキに噛み付かれて痛いのなんのって。殺してもいいんじゃないですかい?」
「殺すな。まだ取引中だ。取引次第では殺すことになるだろうがな」
「へへっ、楽しみだ」

 地面へと放り投げられて打ち捨てられている姿は、ぼろ雑巾よりもなお酷い。
 顔。鼻からは鼻水や鼻血がふんだんに垂れながらされていて、息すらまともにできないのだろう。口から荒々しく息を吸っているが、口も血塗れのせいで息がしづらそうだ。そして、歯がない。欠けた歯、抜けた歯、いろいろあるだろうが、砕かれた顎と相まって、人とは思えぬ顔立ちとなっている。
 肌の色は青や黒、赤で見事に塗装され、尖鋭的な抽象画ですらもう少し見れるものだ。さらには汚物にまみれた股間部からは異臭が漂っていて、服なども擦り切れている。
 満身創痍。半殺し。いや、ほとんど八割は死んでいる。

「……ぅ、あぁぁ」

 腫れぼったい瞼がかすかに動き、くりっとした大きな瞳だったはずのそれは細く薄められている。
 光はおぼろげだ。

「気がつきやがった」
「イナリィ!」
「じいちゃん……? ここ、橋の上……」

 吐息のような聞き取りづらい声は、異様に響く。

「ぐ、くそ……イナリを返してもらえる条件は何じゃ!」

 その声が、タズナの心を叩き折った。
 昨日の夜、楽しそうにナルトと喋りながら帰ってきたときとは一転した虫の羽音にすら劣る声量。
 枯れたと思っていた涙が頬を伝い、滴り落ちる。
 くず折れたタズナを嫌らしい笑みを浮かべて見下ろしながら、ガトーはにんまりと口角を吊り上げる。

「橋を壊すこと……そして、忍に帰ってもらうことだ」
「ここまで、きたのにか……」

 少しだけ、本当に少しだけタズナは未練を見せる。
 ガトーは顎をしゃくる。それだけでゾウリとワラジは察したのか、イナリの腕を踏みつけた。
 激痛に身悶える孫の姿は、これ以上なくタズナを苦しめる。

「イナリィッ!!」
「非道な……」

 痛々しすぎる。
 人質さえいなければ、カカシは迷うことなくガトーの首をへし折っていただろう。
 それほどまでに、怒りが蓄積されている。再不斬にすらこれほどまでの殺意は抱かなかった。
 七班の面々も同じようで、全員が拳を握りしめていて――掌の皮を突き破ったのか。血が流れている。口を引き結び、射殺すようにガトーを睨みつけている。必死に、耐えていた。

「良い悲鳴だなぁっ! ゾウリ、ワラジ……タズナさんがまだお悩みのようだから、もっとわかりやすく現実を教えてやれ」
「へへ、さすが旦那ぁ――交渉のやり方をわかってらっしゃる」
「斬っていいんすかね?」
「痛みで死なれても困る。痛めつけろ」
「残念だなぁ……!」

 笑いながら、ゾウリは足を踏み下ろした。
 イナリのか細い腕が、ぽきん、と軽快な音を立てて折れ曲がる。

「ぐ、ああああああぁぁぁあっっ!!」
「ひゃひゃひゃ! 良い声で鳴く! 人情のないお爺ちゃんを持って幸せだなぁ!」

 楽しそうに――本当に楽しそうに――ゾウリは嗤っている。ガトーも同じく、腹を抱えて「辛抱たまらんわ!」と肩を揺らしながら嘲笑っている。
 このままでは本当にイナリが殺されてしまう。
 脅しではない。
 そのためのポーズだ。

「待て!! お前たちの条件は飲む……だから、わしの孫を返してくれ……」

 タズナの心は折れるだけでなく、木端微塵に吹き飛んだ。
 抵抗する意志は消え失せて、勝ち気な頑固親父だったときの印象も失われ、敗北者のような――負け犬の目に成り下がってしまった。
 そのときだ。
 ひゅうひゅうと小さな声で、苦痛を垂れ流していただけのイナリの声がタズナの耳も届いた。

「僕……僕……母ちゃんを守りたかっただけなんだぁ……弱いから、こんなんなっちゃったけど……守れたのかなぁ……!?」

 その言葉を受けてガトーたちは腹が捩れんばかりに笑い転げてしまう。
 滑稽なガキ。お前には何もできてねぇよ。分際を知れ。まじで笑える。ひゃひゃひゃひゃ!!
 あらゆる罵倒がイナリに向かう。
 悔しくて、それがとても悔しくて、タズナは――

「惨めだな、このガキ。結局足を引っ張ってるだけ……」

 死んでも構わないという決意をしてしまった。
 涙はようやく枯れ果てて、身体中の水分を出し尽くした。
 孫が、守りたかったものが見えた気がして、その粋な心を汲み取ることのほうが大事に思えたのだ。けれど、殺したくはない。死んでほしくない。
 どうすれば――

「イナリを返せっ!!!!」
「悪党がっ!」
「町から出て行け!」


 ガトーたちの背後から、タズナの下から去って行った仲間たちが現れた。
 手には武器というのもおこがましいもの――鍬や包丁、中にはそこらに転がっている鉄パイプなどを構えた町民がいた。先頭にはツナミ。明確な殺意を宿した瞳をガトーに向けている。

「ハハハハ! どうだ、小僧! お前の母ちゃんがお出ましだ! 守りたかった母ちゃんがな!!!! こっちに人質がいるってのに、全く低能な奴らだ! 猿にも劣るなァ!!?」

 ふと、サスケは気付いたようにナルトに目配せした。
 折れた手を庇いながら、声もなく手による言葉だけで気付いたことを伝える。サクラも気付き、二人ともが頷いた。カカシはわからずにクエスチョンマークを浮かべながら見ていたが、何かを察して、いつでも飛びだせるように身構える。

「もう我慢の限界だ……」
「同じく……イナリが死んでもいいんじゃねーか? 代わりにお前ら全員も道連れにしてやるからよ」
「良い案ね。私も乗らせてほしいわ……」

 三人は、すっくと立ち上がる。
 各々の武器を手に持って、いつでも戦える姿勢を取る。
「お前ら!?」とタズナは驚きの声をあげるが――意にも止めない。

「ガキ! 見捨てる気か!?」

 ガトーもナルトたちを見て、信じられないようだ。
 先ほどまで怒りに狂いそうになっていた奴らとは思えない。子供だから短気なのか。交渉の相手にすらならないほどに知能が低いのか。
 だが。

「いや、ただの陽動。足元見なよ。死んだかどうかちゃんと確認しないとダメだぜー?」

 ナルトが嗤う。
 原因は一つだ。

「……秘術・千殺水翔」

 殺したと思っていた奴が生きていた。斬りおとされていない、折れてもいない手で印を組んでいる白が足元にいた。それだけのこと。 

「写輪眼はチャクラの動きも読み取る。白が生きていることなんか最初からわかっていた」
「ざまぁねぇな」
「悪役らしい呆気ない最後ね」

 写輪眼が白のチャクラが尽き、命が失われたことすらも読み取る。
 そして、背後にいたカカシのチャクラが爆発するかのように嘶き、閃光となってイナリを助けたことすらも把握する。
 戦慄。
 不貞の輩たちはあっさりとガトーを殺されて、そちらに気が向いている間に、あっさりと形勢は逆転してしまった。
 もう、人質はいない。
 前には忍者、背後には怒りに燃える町の人々。
 逃げ場などない。

「クソ忍者どもめ! せっかくの金ヅルを殺してくれちゃって!」
「お前らもう死んだよ!」
「こーなったら俺ら的には町を襲って……」
「金目のものを全部いただくしかねーっつーの!」
「そうそう!」

 怒れる獅子を前にしているという自覚もなく、愚者は自分の力を見誤る。

「サスケ、サクラ、やれるか」
「問題ない。片腕が折れて無茶苦茶痛いだけだ」
「私はぴんぴんしてるわよ。あんたこそやばいんじゃないの?」
「イナリよりはマシだ」
「でしょうね」

 苦笑しながらやりとりをする七班を見下ろし、カカシもつられて笑ってしまう。

「担当の教師だからね。本当ならナルトとサスケは体調不良だから止めるべきなんだけど……お前たちの気持ちも痛いほどわかる」

 イナリをタズナに手渡して、カカシも準備万端だ。

「……手加減はいらない。思い切りやれ」

 返事はなく、七班の全員は獅子吼をあげながら特攻した。
 釣られるかのようにガトーの残党もナルトたちに向かうが、背後にいる町民を忘れている。
 挟み撃ち。
 作りかけの橋の上は、人々の血で穢された。






[19775] 18.波の国――Ⅹ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:58
10.

 波の国は多くの代償を支払ったが、穏やかな日常を取り戻すことに成功した。
 外れのほうにある裏山の一角には墓標が並ぶ。
 貧乏ゆえに、墓石は小さなものばかりであり、名を刻まれることもない陳腐なものだ。遺体が下に埋まっているだけマシだろうか。
 そんな中、一際目立つ墓があった。
 鉄塊と呼んでもかまわないような――とてつもなく大きく、分厚く、武骨な剣が突き立てられていた。
 斜陽に金色の髪を染められながら、少年は黙祷する。
 思い出すのは決戦の日のこと。
 多くの人が死んだ。多くのものを失った。多大な消失とともに、平和を手に入れることに成功したわけだが、ハッピーエンドとは言い難い。
 それに、報酬はなしだ。それじゃああんまりだろう?

「死体が持ってるには過ぎたモノだしな」

 ぼろぼろだった身体も二週間を経て万全になるまで回復したが、それは重すぎた。
 【首斬り包丁】と銘打たれたそれは【霧の忍刀七人衆】にのみ受け継がれる選ばれたものしか持つことが許されないほどの業物。扱うには、ナルトにとって重すぎた。
 右手を差し出して、手に取る。
 あらゆる怨念が染み付いているような――不気味な感触が手に伝わる。
 これは道具だ。
 だが、妖刀などといわれる不吉な伝承が付属するものたちは、時に人を狂わせる魔力を放つという。

『お前も――狂わされるかもしれないぜ』

 背後から小さく声が聞こえた気がする。
 振り向いて見ると、再不斬がいた。

『いいのか? 俺みたいな死に様を曝すかもしれねぇ。それでもそれを手に取るか?』

 くつくつと肩を震わせて嗤う再不斬。
 まるで【首斬り包丁】に試されているようだった。

「上等だ。お前みたいな死に様ってことは、仲間を守って死ぬんだろ? 最高じゃねぇか」

 【首斬り包丁】の柄を掴む手に、力を込める。
 二の腕の筋肉が膨れ上がり、一気に――引き抜いた。
 残照に染め上げられた刀身は紅く燃えているかのようで、闘志を宿した――紺碧の瞳とよく似ているような錯覚を覚えさせる。

「じゃあ、もらってくぜ」

 返事はなく、再不斬の姿はもうない。
 幻影だったのか、幻覚だったのかはわからない。
 けれど、ナルトは不思議と良い気分だった。
 刀がずしりと重い。使いこなせるようになるには更なる修練が必要となるだろう。
 もっと強くなれる。
 もっともっと強くなりたい。
 飽くなき闘争心はカカシや再不斬などの自分より上の戦闘能力を見て開花したもの。
 そして――

「もう二度と泣かせねぇから……」

 自分が弱いせいで仲間を悲しませた。
 ならば、強くなればいい。
 それだけのことでしかないのだ。

 ◆

 波止場で座り込みながら、サスケは物憂げに空を仰いでいた。
 昼と夜の中間である紫色に染まった空は、まるで蟲の流したような不気味な色合いで、見ているだけで嫌な思い出を思い出す。
 家族を失った記憶、それを為したのが兄であった記憶――何よりも心を穿つのが、自分を庇ってナルトが死にかけたという記憶だ。
 原因は、自分が弱いから。
 他を寄せ付けないほどに圧倒的な強さがあれば、あのような体たらくはなかった。
 熱くなりすぎる性格ではなく、ナルトのように常に冷やかに状況を分析できたら、あのような勘違いは起こらなかった。
 サクラのように違和感を徹底的に究明できるだけの知能があれば、あのような悲劇は起こらなかった。
 全ては自分の力の無さのせい。
 不甲斐なさは消え去らず、雲間から覗く銀月が垣間見えるだけで浮き彫りになる。
 ざあざあと川から打ちつける波の音も、落ち着かせない理由となるだろう。

「俺には、何もかもが足りない」

 少しだけ満足していたところがあるかもしれない。
 サスケは、強い。
 真正面からの戦闘ならば下忍で相手になるものなどほとんどいないし、今は写輪眼という強力な武器を手に入れた。
 だが、再不斬みたいな敵が再び現れたらどうなるだろうか……答えは簡単に出る。敗北だ。
 弱いから。
 まだまだ上がいる。このままでは仲間を守ることすらできない。
 強くなりたい。

「……俺は、弱い」

 身体も、技も、心も、全てが完成されていない。
 更なる修練を必要とするだろう。
 そのための答えも既に出ている。
 写輪眼を使いこなせるようになること。そして、自分の身体を苛めぬいて鍛え上げることだ。
 右手にチャクラを集中していく。
 ばちばち、ばちばち、ばちばち。
 知らずに編み出したこの技の名は【千鳥】――カカシ唯一のオリジナルである。
 本来のものとは比べ物にならないほどに弱い。
 これも習得する必要があるだろう。

「そろそろ、出発か」

 決戦の日で受けた傷を治すために過ごした日々は穏やかなものだった。
 焦る自分と、ゆるりと流れる安穏とした日常は酷いギャップがありもしたが、それでも、悪くはなかった。
 休憩は終わり。

「……強くなってやる」

 一抹の寂しさを覚えながらも、サスケは七班の集合場所へと移動し始める。

 ◆

 夜の帳が下りる。
 先ほどまで五月蠅いほどに鳴いていた鴉たちも寝静まったのか、耳が痛くなるほどの静寂が落ちる。
 集合場所は地蔵さまが二人ほど並んでいる場所。
 そこに胡坐を書いて座ってみんなを待ちながら、実験途中のチャクラ運用法を開発していた。
 手と手を合わせて、その間にチャクラを練り込んでいく。
 集中する。
 ゆっくりと広がっていく手の間には、無色透明の何かが紡がれていた。
 それは――糸だ。
 サクラは知らないが、【傀儡の糸】と呼ばれるものだ。
 傀儡師たちが使うそれは、糸の繋がった人形や人を操るための道具。
 玉のような汗を流しながら、サクラはひたすらに糸を練り上げる。
 より細く、より薄く、より硬く、より柔らかに――チャクラを引き延ばしていく。
 決戦以来、サクラはずっとこの糸の開発をこなしていた。
 目的がある。
 サクラは弱い。それこそ七班の中で一番弱い。
 身体を鍛えはしたが、二人に体術でかなうことはなく、忍術合戦でも勝てない。頭脳労働と言えば聞こえはいいが、いつの日か役立たずになってしまう。
 いや、再不斬と白と行った戦闘では正しく足手まといと成り果てていた。
 このままでは駄目だ、とサクラは強く思った。
 そのために必要な能力を真剣に考えた結果がこれだ。
 前衛はサスケに任せればいい。オールラウンダーに何でもこなせるナルトは中衛が望ましい。ならば、自分に求められるものは後衛からの補助。つまりは、隙を狙っての敵の動きの阻害。 
 罠を張り巡らせる。敵を騙す。そして、極めて発覚しないもの。
 答えが糸だ。

「……ふぅ」

 一息吐くと、うなじにぴっとりと張り付く髪を鬱陶しそうに振り払う。
 まだまだ習熟度が足りない。動き回りながら、しかも何気ない動作でこれを生みだせるようにしなければ戦いに差し支えることになる。
 課題は山積みだ。
 だが、遠からずこの糸が仲間を救う事になると信じられる。だからこそ、頑張れる。
 再び糸を練り上げようとした――そのときだ。

「墓だろそれ……パクっていいのかよ?」
「死人に口なし。死人に手なし。有効活用してやるのが世の情けってもんだろ?」
「祟られても知らないからな」
「そんときはそんとき。サスケに泣きつく」
「迷惑だ! 来るな!!」
「あっれー、幽霊とか信じるわけか?」
「……信じねぇよ」
「あ、後ろに何かいるぞ」
「えっ、まじで!?」
「嘘だよ。顔真っ青だぞ。恐いんじゃねーの?」
「恐くねーよ!」

 わいわいと仲が良さそうに喋りながら、ナルトとサスケがやって来る。
 左手につけた時計を見ると、もう午後七時を指している。集合時間だ。
 当然の如く、カカシの姿はないわけだが……。
 自然と三人で輪になる。これがいつものポジションだ。
 三人全員で頷くと、カカシを置いて帰ろうとし始める。
 夜も遅く、誰にも見つからないように、ひっそりと旅立とうとしていた。

「兄ちゃんたち!」

 別れが、辛いから。
 だから、こんなふうにイナリに追いかけられるとは予想していなかったのだ。
 サクラはおそるおそる振り返ると、そこには松葉杖をつかなければ歩くことができない、まだ傷の癒えていないイナリがいた。
 涙を浮かべて、震えながらナルトたちを追い掛けている。
 どうしようか、とナルトとサスケのほうを見たら、二人とも微妙に涙目だ。
 だらしのない奴ら、とサクラは苦笑を浮かべる。
 サクラはそのままイナリの近くまで歩いていくと、視線を合わせるために膝を曲げる。

「イナリくん、私たちはもう行くからね」
「……帰っちゃうの?」
「うん、ほら――他にも助けなきゃいけない人たちがいるからね?」
「そっか……」

 しょぼくれて、イナリは項垂れる。
 サクラは困ったように笑うだけで、背後で無愛想なまま立ちつくす男二人を見た。微妙に手が震えている。
 巻き込んでやれ、と思ったのだ。

「ほら、ナルトにサスケくんだって言いたいことあるでしょ?」

 静かな夜に、その言葉はよく響いた。
 びくんと背中を反り返らせて、二人は恨みがましそうにサクラを見る。
 そして、「兄ちゃんたち……」と言いながら涙を流すか弱い少年を見た。
 傷を見るだけで思い出す。
 ガトーの一味に虐げられても母を守りぬいた子供の姿。骨を折られても弱さを見せず、意地を貫きとおした生き様を。
 不貞腐れたガキだったのに、何があったのだろう。強くなった。
 けど、今は弱い。
 自分の下から去っていく、僅かな付き合いの人たちを笑って見送ることすらできないほどに。
 ナルトとサスケは涙をぐっと堪えると、イナリへと近づいて行った。

「これ、やるよ」

 ナルトが目も合わせずぶっきらぼうに手渡したのは苦無。

「俺も、これやるよ」

 同じく、サスケが渡したのは棒手裏剣。
 こんなものを渡してどうしたいのだろう、とサクラは噴き出しそうになる。徹底的に不器用な奴らなのだ。
 ぱぁっと表情を輝かせて「ありがとう!」とイナリは笑う。嬉しいのだろうか。
 サクラとしては不満足な別れなのだが、これもありなのかもしれない。

「じゃ、イナリくん……またね」
「うん、姉ちゃん! またね!!」

 元気に別れの言葉を告げて、ナルトたちは帰路へと着く。
 イナリはナルトたちの姿が見えなくなっても、ずっと手を振り続けていた。

「うーん、若いねぇ」

 その姿を茂みからこっそりと覗き見る影――カカシは涙腺を潤ませていた。
 こうして波の国での戦いは終わり、別れることとなる。

「帰って修行するわよー!」
「付き合うぜ。刀を使った戦闘方法を確立したいしな」
「俺も試したい技がある。写輪眼とかな」

 そんなことを喋りながら、のんびりと歩く七班であった。
 






[19775] 19.挿入話『新必殺技!? 燃えろ、サクラちゃん!!』
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/27 10:59
 轟っ!
 瀑布となった黒刃が大気を切り裂き、水面をも裂く。
 刀身を包むチャクラは淡い色を放ちながら、長大な亀裂を刻み込み、破裂した。
 強い衝撃を与えられた大河は衝撃を飲み込むかわりに大量の水を吐き出した。津波の如き飛沫である。
 水面に悠然と佇むのは、光に祝福されているかのような黄金色の髪と、すべてを冷ややかに見つめる蒼氷の瞳を持つ、小柄な少年であった。
 明るい頭部とは違って、全身黒尽くめの衣服を纏っている。黒いジャンパーに黒いジーンズ、ウェストポーチも太腿につけたホルスターも全て黒。
 中でも最も目を引くのは背丈の倍はあろうかというほどの剣だった。
 いや、これは剣と呼んでもいいのだろうか。確かに、剣のような形状をしている。形そのものはそうなのだが、それはあまりにも大きかった。大きすぎたと言ってもいい。常人が振るうことを前提として作られているとは思えない、奇怪な剣であった。
 銘は【首斬り包丁】――人に実際に当てれば、自重だけでも胴体を切り裂いてしまう、実に謙虚な名前を持つ剣である。
 【首斬り包丁】を肩に担ぐ。
 どれほどの筋力を持っているのか。ほとんど無造作に行われたその行為だけで膂力の凄まじさが窺えるというものだ。
 首を傾けて、ごきりと音を鳴らせる
 そして、ナルトは盛大にタメ息を吐いた。

「どうせ避けたんだろ。出てこいよ」

 言葉に反応したのか、小さな波とともに、水の中から一人の少年が飛び上がってきた。
 黒髪黒目の冷たい顔立ちの少年の名はサスケ。
 群青色のタートルネックのシャツとハーフパンツ――どちらも見事にびしょ濡れであり、肌に纏わりつくのを至極嫌そうに振舞いながらナルトと対峙している。
 顔に浮かぶ表情はまさに悪戯がバレたときの子供のようなもの。隠れているつもりだったのだ。

「上手いタイミングで避けたと思ったんだけどな」
「ばればれなんだよ」
「……じゃ、行くぜ?」

 サスケはナルトの返事を待たず、駆け出しながら印を組む。
 一歩足を踏み出す毎に、水面から水飛沫が舞う。チャクラコントロールが疎かになっている証拠だ。
 ナルトは【首斬り包丁】を腰溜めに構えると、前傾姿勢でサスケを待つ。
 疾走しながらサスケは大きく息を吸うと、吐いた。
 吐息の変わりに顕現したのは背丈の倍はあろうかというほどの灼熱の業火。

「しゃらくせぇぇぇぇっ!!!」

 水の中に刀身の一部を突き刺し、【首斬り包丁】にチャクラを浸透させる。
 通常の武器ならばチャクラ伝導率が極めて低いのだが、【首斬り包丁】は違う。
 仮にも【霧の忍刀七人衆】という名の知れたものたちにのみ受け継がれる武器なのだ。特殊な能力が付随している。
 おかげで、少しのチャクラを込めただけでも多くの恩恵が与えられる。
 それは――

「爆ぜろっ!!」

 水中で解放されたチャクラは、爆発する。
 水の壁。
 そう形容する他ないほどの現象が起こった。
 高波となった濁流は火炎球を飲み込むばかりではなく、サスケをも葬らんと牙を剥く。
 サスケは垂直に跳躍し、おそらく身長の四倍はあろうかという距離を飛翔して回避したが、ひそかに舌打ちをしていることから、このような防衛方法をとられるとは思っていなかったのだろう。悔しそうだ。
 水壁に阻まれてお互いを視認することができない。 
 しかし、このとき――サスケは確かに感じた。圧倒的な暴力が襲い掛かるであろうと。
 漆黒の瞳に車輪の紋様が三つ浮かぶ。
 写輪眼と呼ばれる血継限界は、あらゆる忍・体・幻を見破る瞳のこと。うちはの一族でも極一部しか受け継がれないそれをサスケは使いこなし始めていた。
 視る。
 襲い掛かるであろう威圧の片鱗を確認したとき、悲鳴をあげることだけは何とか防げた。
 視認できたのはチャクラの塊。真空の刃。
 それは水の壁を容易く切り裂くと、サスケへと飛来する。

「ふざけんなッ! 殺す気かよ!」
 
 写輪眼で攻撃の性質を見切り、自分に当たるまでの時間を計測する。
 0.5秒。
 ぎりぎりで間に合う。
 指が縺れそうになるほどのかつてない速度で印を組み上げる。

「火遁・豪火球の術!」

 吐き出された業火の吐息が、大気を断絶する刃を飲み込み、喰らい尽くす。
 それが、仇となった。

「俺の勝ちー!」

 声が聞こえたのは頭上。
 仰ぎ見ると、太陽の光に目が眩み、相手の姿を明確には確認できない。
 だが、わかっていることがある。
 自分は術を使ったせいで無防備であり、挙句の果てに上をとられ、さらには武器を振り上げられている。
 負けた。
 鉄板にもなれるであろう剣の腹で頭を思い切りどつかれて、水面に激突し――衝撃のあまり気を失った。

 ◆

 『終末の谷』と呼ばれるそこは大きな滝を囲むように木が林立する場所であった。
 あらゆる自然環境が揃っているので修行には最適と思い、七班一堂はここでキャンプを取り、修行の日々を送っている。
 ちなみにカカシは食料調達係として連れてこられていた。

「絶対に行かないからな!」

 と頑なに修行への同伴を拒んでいた彼は、「えー、先生のせいで俺死に掛けたのにそんなこと言うんですか?」というナルトの思いやり溢れる温かい言葉に感涙し、喜んで付いて来たのだ。今などは盛大に舌打ちをしながら片手に『イチャイチャパラダイス』を持ち、鉄鍋の中で美味しくできているカレーを温めている。おさんどんのようだった。
 鍋を囲むように座っているのはナルトとサスケとサクラである。
 お互いの戦闘方法の指摘のし合いである。いわゆる反省会だ。
 話題は先ほどのナルトとサスケの戦闘について。

「さっきの真空刃みたいなのは何だったの? 観戦しててびっくりしたんだけど」
「【風遁・大カマイタチ】――剣にチャクラを溜め込んで大気に浸透させて刃と化す。
 使いやすいんだけど、武器にある程度の大きさが求められるからこの剣がないと俺は使えないな」
「へぇ……けど、便利ね」

 サクラは羨ましそうに【首斬り包丁】を見て、ナルトの許しを得て手に取ったが……重すぎて持ち上げられなかった。
 くすくすと笑うナルトの姿が鬱陶しくて、首斬り包丁を手荒く地面に落とした。
 土埃を舞い上げながら、地中へと埋まる【首斬り包丁】。重すぎる。
 ナルトは片手で拾い上げて膝の上に置くと、こびりついた土を払う。

「でも、一度見られてからはサスケに効かなかったわけだけど……写輪眼ずるいぞ」
「凶悪な武器使っててよくそんなことが言えるな……。当たらないとわかってても、耳元を通り過ぎる轟音と剣風だけで背筋が凍るぞ」
「写輪眼があっても怖いのなら、普通ならもっと怖いわけか。何か気になる点とかはなかったか?」
「ある程度使いこなせているとは思うけど……やっぱり遅くなっているかもね。移動するときも疲れるだろうし、その場合の持ち運び方法はどうするの?」
「口寄せの契約をしようと思ってる。これはあくまで奥の手として温存したいからな。振るうたびに腕が軋むから、あまり長時間使えないんだよ」
「なるほどね……」

 【口寄せの術】――本来は獣を従えて、召還するための術なのだが、道具にも転用することができる。
 ナルトはそれを使って【首斬り包丁】を収納するつもりだ。持ち歩くつもりなどさらさらない。しんどいから。
 それからは戦術論の話になり、あの状況でこうすればよかった、などの反省点を交し合っていると、「できたぞ」とのカカシの言葉に反応し、議題は止まる。飯優先だ。
 炊き立ての白米の上にカレーをぶっかける豪快な料理にサラダがついている。
 ナルトとサスケはサラダを嫌そうに見て、こっそりと脇にどけた。嫌いなのだ。
 がつがつと男二人は食を進める中、サクラだけが憂鬱に顔を伏せている。

「それにしても、二人とも凄く強くなっちゃって……総当たり戦で全部負けると流石にへこむわ」

 全員が三回ずつ勝負をする。
 ナルトとサスケは一勝二敗。ナルトとサクラは三勝零敗。サスケとサクラも三勝零敗。
 ボロ負けである。
 理由はわかっている。

「サクラは持ち札が少なすぎるんだ。だから、読みやすい」
「身体も貧弱だしな」

 ナルトとサスケの言葉が突き刺さる。
 術のバリエーションが少なくて、対処がしやすい。そして、体術もこの中では一番弱いので、真正面からでも勝ち目がない。
 つまり、何か秀でているものがないのだ。
 ナルトならばどの距離でもある程度戦えるバランスの良さと、新しく手に入れた近距離用の武器。
 サスケならば圧倒的な速度で動ける点と、近距離における体術の強さ。
 どちらも得意なものがあるのだ。
 だが、サクラだって意地がある。

「うるさいわね!! 一応開発している技があるのよ!」

 息せき切って立ち上がり、思い切り叫んでみるが「どんなの?」というナルトの言葉により少しだけどもる。
「……まだ未完成なんだけど、これよ」と手を合わせ――チャクラを練りこむ。
 波の国の頃とは比べ物にならないほどに洗練されたチャクラの糸が生み出された。

「チャクラの糸? そんなのどう使うんだ?」

 そうなのだ。
 まだ使用法が確立できていないばかりか、これから付随させる特性について思い悩んでいる。
 しかも、戦闘中に糸を操れるほどにチャクラコントロールが上手くできていない。
 七班が終末の谷で演習を積んでいるのは、水上で戦うことにより、チャクラコントロールをしながら動き回ることができるようになるという練習も兼ねている。さらに糸まで加わると酷いことになるのだ。
 小首をかしげて腕を組み、可愛らしく思考に埋没するサクラはとことん悩みつくしている。

「うーん、それが困っててね。どうしようかなぁって」
「フン、何を覚えようとサクラに負けることはなさそうだな」
「サスケくんに勝てる気はしないわ……」

 そのときだ。

「……提案だ」

 サラダを食べていたカカシが突然立ち上がった。
「先生?」とナルトが呼びかけてみるが、反応はない。ただ、サクラのほうをじっと見据えている。

「俺がサクラを鍛える。ま! 自惚れているサスケなんて余裕で倒せるくらいに鍛えられるよ。その糸があればね」
「え?」
「何?」
「先生、何考えてるんだ?」

 瞳には熱い炎が宿っている。
 この男――燃えている!

「サクラったら面白いもの開発しちゃって……俺としても料理係なんて暇で仕方なかったんだよね。ナルト、料理番は任せた」
「いいけどよ……」
「じゃあ、サクラ――ついてこい。お前の【チャクラの糸】の使い方を伝授してやろう!」

 カカシはガッツポーズをしながら、サクラの襟元をむんずと掴み上げる。戸惑うサクラなど無視だ。
「え? え? ちょっと……!」と凄い動揺している。
 ナルトとサスケに向ける視線は打ち捨てられた子犬のような揺れる瞳。
 二人は即座に目を逸らした。
 裏切りの背徳感が二人の背中に圧し掛かる。

「勝ったほうが相手に言うことを何でも聞かせられるってことで! じゃあな! フゥー!!」
「いやあああああああああああああ!!」

 山彦の如くエコーする悲鳴がだんだんと小さくなっていくのを感じながら、二人は決してサクラの後を追うことはなかった。

「……先生、何であんなにテンション高いんだろうな?」
「暇だったんだろ……」

 正直なところ、今のカカシに関わりあいたくないのだ。
 なんか、怖い。
 正直な気持ちである。

「で、本気でサクラのことを弱いと思ってるのか?」
「まぁな。戦闘面に関しては最弱だろ」
「そんなこと言ってたら足元掬われるぜ? お前が思っているほどに写輪眼は万能じゃないからな」
「……わかってる。お前に散々弱点を突かれているからな」

 思い出すのは太陽を利用しての一撃。
 目潰しを喰らえば写輪眼と言えども効果を発揮することはできない。
 頭を思い切りどつかれて、痛みとともに刻み込まれた記憶だ。忘れることなどできない。

「そっか……ならいいんだ。それにしても面白くなってきたな」
「当事者の俺は面白くねーよ」
「まっ! 頑張れ!」
「戦う日取はいつなんだろう?」
「さぁ?」

 それは誰も知らない。

 ◆

 大きな滝が流れ落ちるそこは、大量の水飛沫が巻き起こり、屈折を余儀なくされた陽光によって大きな虹がかかっている。
 終末の谷から少し離れたところ、『終末の滝』と呼ばれるそこに、サクラとカカシはいた。
 いや、サクラがいる場所は少々違う。
 滝の近くにある木に抱きついて、カカシに対して必死に抵抗しているのだ。
 
「登れ」

 確かにそう言われた。
 見上げただけで絶句するほどの激流に、チャクラを利用して登れと言われたのだ。胸が空くような思いになったのは言うまでもない。
 サクラの後ろ襟を掴み、カカシが「登れ」と低い声で囁いてくるのが恐ろしい。

「無理です! 無理ですって! 死にますって!」

 木を登るのとは訳が違う。
 水面に立つのとも訳が違う。
 滝は動いている。激しく流れている。さらには上から下に落ちている。
 死ぬ。
 もし失敗したら死ぬ。
 怖くてできるものか!
 だが、カカシはいっそ清清しいほど爽やかな笑みを浮かべながら、言うのだ。

「俺は……サクラならできる。そう信じているよ」
「やだ! やだ! いやだ!!」

 抵抗は終わらない。
 だが、そのときだ。

「できる! できる! やればできる!」

 カカシの熱い言葉が耳を打つ。
 抵抗する力が少しだけ弱まった。

「何でやろうともしないで諦めるんだよ!! 諦めんなよ!!
 出来ないからやらない? 違うな。お前はな、やればできるんだよ。出来るのにやらないだけなんだよお前は!!」

 サクラの可能性を信じているカカシ。
 できる!
 言い切られたのだ。
 自分はできると確信されているのだ。
 ぺたりと地面に座り込み……視線を落とす。

「で、できるのかな……私でも、できるのかな」
「まずは滝登りだ!」
「はいっ!!」

 それから始まるのは青春の日々。
 昼夜関係なしに、サクラは滝へと挑戦し続ける。
 辛いこともあるだろう。悲しいこともあるだろう。悔しいこともあるだろう。苦しいこともあるだろう。
 だが、カカシの熱い言葉と、心の奥底から湧き上がる無限大のパゥワーにより、サクラは見事修練を続けていた。

「ぐっ……はぁ……ん……」

 最後の一歩。
 あと少しというところでサクラは滝の流れに負けて落ちそうになった……そのときだ。

「立ち止まるのか? お前はそこで終わる人間なのか? 違うだろ!」

 熱い言葉が蘇る。

「がんばれ! がんばれ! できる! できる! 絶対できる! がんばれ! もっとやれるって!!
 やれる! 気持ちの問題だ! がんばれ! がんばれそこだ! そこで諦めんな! 絶対にがんばれ! 積極的にポジティブにがんばれ!
 もっと! 熱くなれよおおおおお!!」
「先生!? わ、私……私!! やりますっ! 熱くなります!!」

 足を激しく動かして、負けじ魂を踏みしめながら、サクラは滝の流れに逆らった。
 あと少し。あとほんの少し。
 ここまで来るのに一週間ほど。
 休むことなく続けられた修練により身体はぼろぼろ、痛くないところなどありえない。睡眠不足で死にそうだ。
 それでも! 魂が折れることはない!

「うわぁぁぁぁっっっ!」

 叫び声を上げながら登っていると、下からカカシの声が聞こえてくる。
 いつ落ちても大丈夫なように、サクラの下で待機してくれているのだ。

「ネバーギブアップ!!」
「はいっ! 私、私……」

 師の恩義に報いるために……

「もっと……」
「――熱くなれよぉぉぉぉぉ!!!!!」

 サクラは咆哮し、最後の一歩を踏み出した。

 ◆

 サクラが旅立って十日目のことだ。
 燦燦と降り注ぐ太陽の下、ナルトとサスケは水面の上で【推手】を行っていた。
 【推手】とはお互いにゆっくりと攻撃と防御を行うものだ。ゆっくり動くからこそ、相手の動きがよく見えて、対応策を考える時間が与えられる。
 だが、実力が伯仲していないと長く続けることはできず、すぐに勝負がついてしまうものだ。
 二人は一時間ほど休まずに動きを確認しながら続けていたのだが――不穏な空気が流れて、中止した。
 むわっとしたむせ返るような獣臭が場を満たしたのだ。

「……待たせたわね」

 獣臭の源はサクラ。
 臭い――というわけではなく、闘気と言えばいいのだろうか。命を賭して闘うもの特有のオーラを発散していた。
 強くなっている。
 一目でわかる事実だが、かつてのサクラとは全く違う。別人のような鋭い視線はまさに百戦錬磨と言えよう。
 だが――

「サクラか……って、何でお前そんなにボロボロなんだ!?」

 身体中傷だらけだ。
 擦り傷、切り傷などの軽傷ばかりだが、全身に至っていることを考えれば戦闘などできるはずもない。
 即座に中止して治療すべきだと考えたナルトはサクラに駆け寄るが……

「私には熱さが足りなかった。そのせいよ」

 意味不明な言葉を吐くサクラが手を翳した。
 それだけのことで、ナルトは自由を奪われる。
 激しく動揺して身悶えするが。

「邪魔よ」
「うおっ!?」

 サクラが何かを投げるように手を動かした。
 すると、ナルトが大きく弧を描いて木に激突したのだ。
 辛うじて受身を取り、足から着地したナルトではあるが、予想外の攻撃に驚く。
 どんな攻撃方法だったのか、全く見えなかった。
 おそらくは【チャクラの糸】を巻きつけたのだろうが、どれほどの修練を行ったらここまで鮮やかに行使できるのだろうか。血の滲むような修行をしたことが容易に見て取れる。

「私は生まれ変わったの。熱く、強く、気高くね」

 湖面に佇むサスケの眼前へと移動し、ほう、と熱いタメ息を吐きながらサクラは呟く。
 サスケは心配そうに「……頭は大丈夫か?」と、とても失礼なことを発言するが、サクラは――

「すっきり爽快。実に晴れやかな気分だわ……今にも空へと飛び立ちそう」
「おい! こいつ完全にラリってるぞ! どうなってるんだ……!?」

 大丈夫じゃなかった。明らかにおかしい。
 そのときだ。

「説明しよう!」

 カカシが突然空から降りてきた。
 かなりハイになっている。
 
「サクラは滝登りの行をこなし、更なる高みへと登ったのだ。もはや俺ですらその力を測ることはできん……」
「カカシもおかしい! 何かおかしいぞ!」
「あ、あぁ……おそらく、これが原因か」
「何だ?」

 ナルトは木の下に生えている何かを手にとって、掲げる。
 それは毒々しいほどに真っ赤なキノコだった……。

「バーニング・ブラッド・マッシュルーム――食したものは果てしなくテンションが上がり、活動限界を迎えるまで全力で突っ走るという……これがサラダの中に入ってたみたいだ」
「俺とナルトはサラダ食べなかったから無事なわけか……」

 つまり、二人とも毒キノコを喰べてしまったせいでこんなことになっているのだ。
 まさに悲劇と言うしかないだろう。
 当事者の一人であるサスケはすでにやる気がなくなっていて、腕をだらりと下ろしたまま、困惑気味にサクラのことを見ている。
 やる気満々だ。サクラは凄くやる気満々だ。
 
「フフ、さぁ――尋常に……勝負ッ!」

 言うなり、サクラの姿が掻き消える。
 肉体の限界を超えたその速度は突風。
 どこに行ったのか肉眼で捉えることすらできない。
 渋々とサスケは写輪眼を浮かべるが……

「これが修行の成果よ!」

 サクラは高速移動を繰り返しながら、迸るチャクラを纏う苦無を投げつけてくる。
 その数は十本。
 バカ正直なまでに真正面から飛来する苦無はまさに神速と言っていいほどの領域に達しているが、サスケには届かない。

「写輪眼の前で真っ正直な攻撃が当たるかよっ!」

 叩き落す。
 しかし、全て叩き落したはずなのに苦無が飛ぶ音がかすかに聞こえる。
 上を向くと――苦無が歪な軌道を走りながらサスケに飛来していた。
 チャクラを足の裏に溜め込み、爆発。
 凄まじい速度で加速するが、多くの苦無がサスケを追いかけ――見ると、苦無からチャクラが伸びていた。
 それは糸。
 糸の先を見ると、それは自分が向かう先に続いており――
 即座に停止し、飛翔する。
 舌打ちが聞こえた。
 音の発信源を見ると、そこには自分の移動する位置を完璧に予測していたサクラが待ち伏せをしていたのだ。

「くそ……トリッキーな攻撃ばっかしやがって!」

 予想外。
 視界の外からの攻撃を繰り返すサクラには、完璧に自分の死角を見切られている。
 分析は終わっていたのだ。

「サスケくん……貴方には、努力根性愛情友情悲哀激情――そして、何より……熱さが足りない!」
「暑苦しいんだよっ!!」

 空を舞うサスケに対する言葉が酷く苛立たしい。
 いつものいじり甲斐のあるサクラはどこへ行ったのか。全然可愛くない。
 気づく。
 攻撃は終わっていなかった。
 目を凝らすと、何やら細長いものが自分の背後に伸びていることに。
 振り向くと、苦無が飛来してきた。

「うおっ!?」

 驚きの声をあげるとともに、サスケは襲い掛かる苦無を辛うじて捌ききる。
 気づかなければ背中に穴が開いていただろう。容赦がなさすぎる。
 そして、くっついた糸の数はまだまだある。
 下を見ると……膨大な数の苦無がこちらを向いていた。
 喰らえば死ぬなぁ、とぼんやりと想う。

「これが私の必殺技――【コズミック・バーニングブレイズストリングス】よ!!」

 サクラは咆哮する。
 だが。

「……サクラ、お前はかつてないほどに熱い。そのせいで俺に負けるんだ」
「え?」

 熱くなりすぎである。
 数からして、ほとんどのチャクラを攻撃に傾けていることは理解できる。
 印を組む。
 その術はナルトが使っていたものをコピーしただけの、本当にそれだけの術。

「風遁・大突破の術」

 口から吐き出された突風が苦無を散り散りに追いやり、サスケはゆったりと地面へと落ちる。
 ぽちゃん。
 自分のチャクラを使い尽くしたサクラは棒立ちしている。
 加速。
 背後に回り、首筋に手刀を落とす。
 それだけの行為で、サクラの意識は闇へと落ちた。

「俺の勝ちだ」
「悲しい勝利だな」

 相槌を打つナルトの言葉が酷く悲しい。
 そして、ナルトの方を見ると、カカシに何をしたのか、気絶しているカカシがいた。
 踏みつけている。

「あぁ……凄く虚しい」

 激しく同意するサスケであった。

 ◆

 木陰。
 ひんやりと涼しい風が吹くそこで、サスケはサクラの頭を膝に乗せながら、ぼんやりと座っていた。ナルトも同じく隣でぼけっとしており、たまに巻物を取り出しては読書をしている。
 暇だ。
 何気なしに「カカシの方はどうなった?」と問いかけると「木に縛り付けておいた」という返事が返ってくる。見ると、カカシは木に思い切り縛り付けられていた。縄抜けするのが非情に困難なそれは嫌がらせの類だろう。
 タメ息が出そうになる。
 そもそもカカシが毒キノコなどをサラダに混入させたせいでこんなことになったのだ。
 解毒薬をナルトが急いで作り上げ――簡単なものでよかったのだ――気絶したサクラに優しく飲ませた。やや睡眠効果のあるそれのせいでサクラはぐっすりと寝付いていたのだ。まぁ、ほとんど眠らずに修行をしていたせいもあるだろうが……疲労困憊すぎた。
 桃色の髪が少しだけ動く。
 視線を下ろすと、サクラの瞳がかすかに開かれていた。

「あれ、私……」
「気がついたみたいだぞ」

 サスケの膝に頭を乗せていることも気づかずに、サクラは起き上がろうとするが……

「……あれ?」

 動かない。

「身体の限界超えて酷使したみたいだからな。あまり動かないほうがいい」

 酷く困惑した表情でナルトとサスケの顔を見上げるが、急に顔が真っ赤になる。茹蛸のようだ。いろいろと恥ずかしいことを思い出しているのだろう。
 あえて触れないようにナルトは話しかける。

「それにしても凄かったな。あの糸使いっぷり。自分で考えたのか?」
「え、えぇ」

 そして、地に落とす。

「で、何したか覚えてるか?」

 無論、覚えている。
 だが、それとこれとが繋がらない。

「……うん、覚えてるけど……何で私は縛られているの?」
「コズミック・バーニングなんだっけ」
「……うるさい!」

 実はサクラの手足も縛られている。
 分厚い注連縄によって束縛され、縄抜けができない特殊な手法で束縛されているのだ。
 動かそうとしても手足が痛むだけで、サクラの自由は完全に奪われている。
 にぃ、と口角を吊り上げて、少年二人は笑った。

「ん、暴れられたら困るから」
「カカシは放置で帰ろうぜ」

 反応し、サクラはあたりを見回した。
 でかいタンコブをこさえたカカシが木に縛られて、項垂れている。生命の息吹は感じられない。
 何があったのか、予測すらさせない非道の仕打ち。
 汗が流れる。
 これから何をされるのだろうかと思うと、サクラは生きた心地がしなかった。
 いや、確かにサクラが悪い。
 わけもわからず攻撃を加えて、苦無を散々投げつけた。しかも、死角から狙って、下手をしたら死ぬような攻撃も加えた。
 けれど、仕方ない。不可抗力だ。全てはキノコのせいなのだ。
 バーニング・ブラッド・マッシュルームを睨みつける。ここは群生地のようで、いっぱい生殖している。
 こいつらのせいで……!
 サクラの怒りは人知れず頂点へと達していた。

「そうだな。よし、サクラ――俺が負ぶってやるからな。安心して背中に乗れ」

 しかし、怒りは露へと消える。
 サスケの言葉が予想外過ぎたからだ。
 負ぶる……? 背負うということだろうか。
 だが、手足を縛られている状況で背負われても、いつ落ちるか怖いだけだ。掴めないのだから。
 だから、言ってやったのだ。

「え、あの……縛られてて乗るも何も」

 当たり前のことを言ったつもりだった。
 とりあえず手足を自由にしろ。自分で歩くから。そう言ったつもりだった。
 ナルトとサスケにはそんなこと関係なかったのだが。

「サスケ、サクラ姫はお姫様抱っこがご所望らしい」
「何? それなら言ってくれないと伝わらないぞ。よし、わかった。お姫様抱っこだ」
「待って!? 何でそうなるわけ!?」

 ひょいと身体を持ち上げられる。
 顔が熱くなるのを抑えられない。
 アカデミー時代から好きだったサスケにお姫様抱っこ。確かに嬉しいが、嬉しいのだが……状況的に素直に喜べない。
 明らかに嫌がらせのつもりでやられているのだから。
 それでも、優しくしているつもりなのか、サスケはサクラに震動がいかないように丁寧に走っている。
 まぁいいか、と思ってしまうのも無理はない。
 油断。
 気を抜いたのが敗因だった。

「そうそう、勝者は敗者に何でも言うことを聞かせられるんだったよな」

 木々の間を縫うように走りながら、思いついたようにサスケは言う。
「知らない。そんなの知らない!」とサクラは思い切り抵抗するが……そんなのはカカシが言い出したことなのだから。
 約束はした覚えがない。
 だが、関係ないのだ。そんなことはどうでもいいのだ。
 そもそも、二人がサクラの意見を取り入れられた試しははほとんどない。

「ナルト――何かいいものはないか?」
「身体はぼろぼろみたいだし、罰ゲームの筋トレはかわいそうだな」
「あんたらのせいで腹筋が薄っすら割れてきてるのよ!? もう筋トレは嫌だから! 金輪際しないから!」
「じゃあさ。今度サクラの家に行かせてもらおうぜ。俺たちの家で勉強してばっかだろ」
「そうだな。それがいいな」
「あの……家には両親がいるんですけど」

 サクラの言葉に沈黙が落ちる。
 そういえば二人とも親がいないので――地雷だ。
 いらないことを言ったか、とサクラはとても落ち込みかけるが……

「何か問題があるのか?」

 ナルトとサスケは同時に言った。
 考え込んでいただけのようだ。
 かくりと首が折れる。

「家に男の子連れていくと家族が盛り上がっちゃって……!」
「何でだ?」
「わからん。俺親いないし」
「……あんたらぁぁぁ!」
「行くか。このまま向かうぞ」
「娘さんが縛られてお姫様抱っこで連れられてくる。どんな顔をするんだろう」
「楽しみだな」
「下手すれば殴られるぞ」
「なるほど。まぁ善は急げだ。全力で走るぞ」
「オッケー」
「待って!! いやぁぁぁぁ!?」

 ナルトとサスケはさらに速度を上げる。
 終末の谷から木の葉の里へはいくら急いでも半日はかかる。
 疲れ切った二人は里に着くなり自分の家へと帰っていったのは別のお話。






[19775] 20.挿入話『戦慄!? 秘められた乙女の心を暴け!!』
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/27 10:59
 苦無などの投擲する的を多く設置された演習場がある。
 忍者アカデミーの裏手にあるそこはちょっとした穴場であり、あまり人が利用されていない。
 七班はそこを突いて、いつものようにこの場所で投擲武器の練習をしようと集まっていたのだが、何故かナルトとサスケしかおらず、紅一点が姿を現さない。
 ジジッと鳴く蝉時雨のおかげで夏の気温が高くなるような錯覚すら覚える。ひどく鬱陶しい。
 いらいら、いらいら。
 ナルトは待ち時間がもったいないということで的に対して苦無を投げつけている。勢いよくぶつかったそれは、チャクラの込めすぎのせいで的を貫通し、林立する木々の一つにめり込んだ。幹の中核まで食い込んだそれはもう回収することはできないだろう。ナルトは「チッ」と舌打ちを鳴らす。

「サスケ、今は何時だ?」
「六時だな。いつも集合時間の十分前には来てるくせに、まだサクラが来ていないのはおかしい」

 少しばかりキツイ口調で問われたそれにサスケは淡々と答える。
 一番最初に来るのはだいたいにしてサクラである。集合時間の二十分前には練習を始めていることが多いのだ。そのサクラが遅刻というのはおかしい。
 あっ、とナルトは拍手を打つ。

「そういえば昨日帰ったときにはぼろぼろだったしな。筋肉痛で動けないんじゃねぇのか?」
「なるほど……どうするか」

 二人とも無自覚ながら、口が弧を描いている。

「見舞いに行こうぜ。筋肉痛で動けないなんて可哀想だし、俺たちだけで修行をするなんて卑怯だろ」
「そうだな。卑怯だ。実に思いやりのない話だな。だけど、俺はサクラの家を知らないぞ」
「さて、ここに地図がある。このマークは何でしょう?」

 見るとそれは木の葉隠れの全体図。そして、マークは「桜」と書かれているものだ。
 もしや――

「……サクラの家か!? なんでそんなものを!!」
「こんなこともあろうかと思ってな。昨日影分身に鳥に変化させて追跡させていたんだ」
「お前……! 大した奴だ……」
「見損なったか?」
「そんなことはない。感動していただけだ」
「行くか」
「あ、そうだ。見舞いの品はどうする?」
「こんなこともあろうかと! ここには林檎がある」

 どれほどまでに用意周到なのか。
 さすがのサスケもげんなりである。先ほどまでイライラしながら苦無を投擲していたのは演技だったのか。そうとしか考えられないほどである。

「正直な話、サクラの部屋がどんなのか興味がある。どうせくっだんねーものがいっぱいあるんだぜ?」

 二人で妄想を繰り広げる。どのような部屋なのだろうか……と。
 イメージとしては簡素な部屋だ。あまり何もなく、あるとしても本などだけ。畳張りの上にひっそりと布団が畳まれている。純和風の部屋――
 
「お堅い本が多そうだよな」
「言えてる、言えてる」

 興味が湧いてくる。
 悪ガキ二人組は基本的にサクラを弄ぶことが大好きだ。嫌がられるほど楽しい。
 気づいているのだろうか。
 基本的に小さな男の子というものは、好きな子をからかって遊ぶ習性があるということを……

「見てのお楽しみか」
「そうだな」

 たぶん、気づいていないのだろう。
 ステップを刻みながらサクラの家へと向かう二人は、凄く楽しそうだった。

 ◆

 六畳ほどの小さな部屋の中、ファンタジーが繰り広げられている。
 色合いとしては淡いピンクの壁紙が張られていて、ふわふわの羽毛ベッドも壁紙に合う色調だ。
 枕元には多くの人形が置かれており、手作りなのか――兎や猫などの人形の中にが、ナルトとサスケに酷似した人形があった。 

「身体が動かない……」

 人形たちに挟まれながら苦悶の声を漏らすのは、部屋の中へも最も際立つ桃色の髪の乙女だった。ブラッシングをしていないせいか、寝癖のついた長髪はぼさぼさであり、蹴飛ばされた布団は地面に落ちているせいで露出されているパジャマから覗く身体は擦り傷だらけだった。包帯や絆創膏などが張られていて痛々しい。そして、窓から射し込む太陽光が祝福するかのようにピンポイントにヘソを照らしている。サクラは痒そうにヘソを掻いた。
 満身創痍である。寝転がるだけでじくじくと背筋が痛い。

「うぅ、ここまで私の身体がダメージを負っているとは……予想外だわ。集合場所に行けない」

 ちらりと目覚まし時計を見ると六時半を指し示している。
 約束の時間は六時。とっくの昔に過ぎている。
 時間通りに行くことが常だったサクラからすれば、約束を放り出すというのはとても胸が苦しくなる。

「ナルトとサスケくん……怒ってるだろうなぁ」

 憂鬱になる。
 ただでさえ前日に醜態を晒したのだ。
 わけのわからない叫び声とともに、新必殺技を披露してしまった。さらには遅刻という話題まで提供してしまうことになる。どう考えてもあの二人が許してくれそうにない。確実にちくちくと嫌がらせをしてくることであろう。
 深い溜め息が漏れ出てしまう。
 二人のことが嫌いなわけではない。どちらかと言えば好きと言えるだろう。初めてできた仲の良い男友達だと言ってもいい。
 だが、自分の今いるポジションには不満がある。何故いじられ役なのだろうか? 考えただけでむかつきが蓄積されていくというものである。
 美少女(自称)たる私に対して、あまりにも失礼な行動をされているのではなかろうか!? と考えてしまうのも無理からぬことであろう。
 自分の可愛らしさアピールを心の中で絶賛放映中だったときに、家のベルが鳴った。ピンポーン、という時代遅れの呼び鈴が大きく木霊する。
 
「サクラー、お友達よー!」

 母の元気な声が聞こえて、激痛迸る身体を無理に起こしながら、サクラはよろりと起き上がった。痛さのあまり太腿が震えているのはご愛嬌というものだろうか。
「……イノかな?」と呟きながら部屋を出て、苺模様がふんだんに描かれたパジャマ姿のまま階段を下りていくサクラ。階段を降りてすぐ脇にある玄関口には見知った顔があった。そこにはナルトとサスケがいたのだ。
 思考が停止した。現状を認識することを脳味噌が放棄したのだ。
「ね、ね、サクラ……どっちが本命なの? 私としてはどっちも格好良いとは思うけど……うーん! 悩むわね。ま! モテるのはいいことよ?」

 母が耳元でこっそりと囁く言葉のおかげでようやくサクラの優れた脳はフル回転をし始めた。

「ちょ、違うって母さん……なんで二人が私の家に来てるのよ。それよりも何で私の家を知ってるの!?」

 最初は小声で、最後は叫ぶように。音楽で言うとクレッツェント(だんだん大きく)である。音楽用語で表現したことにあまり意味はない。趣味だ。
 サクラの咆哮を聞いたナルトは目を点にすると、実に爽やかに笑って答えたものだ。

「先生に聞いたんだ」

 もちろん嘘である。隣でサスケが「お前さらりと嘘つくな」と感心するように呟くほどだ。サクラも「先生が教えたのか」と納得する。
 実はストーキングしたなどとは口が裂けても言えない。

「あ、そうなの……で、何か用? って、母さん――鬱陶しいから奥行ってて!」
「はいはい」

 隣で「本命はどっち? ねぇ!?」と囁き続ける母をリビングへと押し遣る。鬱陶しいことこの上ない。サクラの母はこと恋愛に関してはアカデミー時代の女友達よりも熱心に耳を傾けてくれるのだ。それだけならばいいのだが、口も出してくる。つまり、うざい。
 すごすごと母はリビングへと歩いていき、こっそりとナルトとサスケに手を振ってにこりと笑う。ナルトとサスケの両名も愛想笑いで応対した。気づき、キッとサクラは母を睨みつけると、しょぼくれたようにリビングの中へと消えていく。
 敵は去った。

「いやさ、前の勝負で勝者の命令聞くってあっただろ? だから、見に来たってわけだ」
「それはサスケくんだけでしょ!? なんでナルトも!!」

 サスケの言葉にサクラは反発するが、「俺はダメでサスケはいいのか?」とナルトがしょぼくれ始める。面倒臭い!

「どっちも良くないわよ!?」

 サクラの怒りに、男二人はしょぼくれた。かつてないほどにブルーである。

「サスケ、俺たち嫌われてるな……」
「そうだな……こんなに嫌われてるとは思ってなかった。もういいよ」
「え? え? え? 何でそんなに落ち込むわけ!?」
「あー、残念だなぁ」
「ナルト、この後はどうする?」
「何も考えてなかったなぁ。まさかサクラが修行サボるとは思ってなかったし」

 項垂れながら、時折ちらりとサクラを上目遣いで見る二人の視線は、雨の中に打ち捨てられた子猫のような印象をサクラに与えた。
 断りづらい……! しかも、なんか可愛い……!
 母性本能を異常にくすぐる瞳に根負けして、サクラは仕方なく「……わかったわよ。上がりなさいよ」と吐き捨てた。
 ぱぁっと笑顔になる。

「女の子の部屋に上がるのは初めてだな。ドキドキする」
「ナルトもか。俺もだ」

 わかっていたことだけれど、二人の上目遣いは演技だった。
 やっぱりか――という思いとともに、「女の子の部屋は初めて」という言葉に少しだけ嬉しくなる。そんなことはおくびも出さないが。

「うざいから黙ってて」

 サクラは二人の前を歩きながら、二階にある自室へと案内した。
 扉を開くと――そこには乙女の部屋が広がっていた。

「これは……」
「予想外にもほどがある……」
「どんだけ驚いてんのよ!」

 失礼な話である。
 どのような部屋を思い浮かべていたのか拷問混じりに問い質したいところだ。
 もちろん、そんな時間が与えられるはずもない。男二人の好奇心はとどまることなく、サクラの部屋を蹂躙し始めた。

「おい、ナルト! このベッドふかふかだぞ!」
「おぉ……これが『イチャイチャパラダイス』に載ってたショーツってやつか。こんなもの履いてるのか?」
「見ろ。ベッドの枕元の人形の数を! おぉ、これは俺か。ナルトの人形もあるぞ……普通に上手いな」
「すげえ……! ブラジャーだブラジャー! 初めて見た」

 ベッドのスプリングが壊れんばかりに飛び跳ねたと思うと、人形をいじり始めるサスケ。
 ダンスの引き出しをあけて下着や服などを物色するナルト。
 普通に考えて――やってはいけないこと全てをやろうとしている男二人にサクラの堪忍袋の緒は千切れ去った。

「……落ち着けええええええええええ!!」
「はい」

 サクラの前で正座をしているのはナルトとサスケの二人。頭には大きなタンコブをこさえている。

「なんでそんなに興奮してるの!?」
「ギャップが凄くてさ。こんなファンシーな部屋だとは思ってなかったんだ」
「私も一応女の子なんだけど……」
「わかってるけど、なぁ?」
「うん、わかってるんだけどなぁ」
「二人がどういうふうに私のことを思っているのかわかった気がするわ……」

 二人からの仕打ちを思い返してみれば、サクラは女扱いをされた覚えがない。
 いつも筋トレをやらされて、お姫様だっこや膝枕などもされたけども、あれは嫌がらせの範疇に入るだろう。
 ようやく思い知った。自分がどういうふうに思われていたのかを……。
 筋肉痛で軋む身体と、朽ち果てた精神力のおかげで、サクラはぺたりと床に座り込んだ。なんかもういろいろと疲れたような、老人のような目つきになっている。

「で、本当に何の用だったわけ?」

 まさか部屋を見に来たわけではないだろう、とサクラは信じたかった。

「見舞いにきたんだ」
「そういえば、そんな口実だったな」
「ほれ、筋肉痛が辛いんだろ? 寝てろよ」

 ナルトはへたり込んだサクラを一息で抱かかえると、ベッドの上に優しく下ろす。
 先ほどまでブラジャーやショートで遊んでいた奴とは思えないほどの紳士ぶりに心が打たれ、サクラはらしくもなく「う、うん……」と頷いてしまった。

「サスケ、何か皿ないか?」
「あー、これでどうだ」
「紙皿か。ま、いいだろ」

 すると、手に持っていたビニール袋から林檎を取り出し、宙へと放る。ホルスターの止め具がカチッと音を鳴らして外れ、取り出された苦無が閃光の如く部屋を舞う。紙皿へと落ちた瞬間、ぱかっと割れて兎さん林檎へと進化していた。
 爪楊枝を取り出すと、ぷすっと気の抜けた音とともに林檎へと刺し込まれ、サクラの口元へと運ぶ。

「ほれ、あーん」
「ちょ、え!?」

 恥ずかしいことこの上ない。
 ナルトがサクラに林檎を食べさせようとするのだ。

「あーん」
「……やらなきゃだめなの?」

 抵抗するように苦言を漏らすが、無意味に終わり……。

「あーん」
「……あ、あーん……ん!?」

 かぷっと林檎に可愛らしく噛り付いた瞬間、見てはいけないものに気づいてしまった。
 母である。
 扉の隙間から母の瞳がこちらに向いていることに気づいてしまったのである。
 瞬間、顔は真っ赤に染まり――林檎をほとんど噛まずに飲み込んでしまった。

「噛まないと身体に悪いぞ」

 心配するナルトをよそに、サクラは慌ててベッドから飛び出すと、扉の外へと駆け込んだ。サスケもびっくりするほどの神速の動きである。
 ガチャリを開かれた扉の隙間からするりと外へ身体を出し、ぽかんと呆けるナルトとサスケに一瞬だけ振り向き、

「ちょっと待ってて……」

 と言うなり、扉を閉じた。
 サクラの目の前にはケラケラと楽しそうに笑う母の姿である。異様にむかつく顔だ。ここまで楽しそうに笑う母の姿も久しぶりに見る。自然と頬が綻ぶというものだ。
 だが、笑っている原因は自分。素直に喜べない。

「母さん、何してるの!?」
「……あ、いや、サクラが男の子連れてくるなんて初めてだから動転しちゃってね。しかも二人とも男前じゃない? あーんもしてくれるなんて……本命は金髪の子? あらやだ、名前がわからないわ。自己紹介しなきゃ」
「金髪はナルト。黒髪はサスケくん。わかったでしょ? ほら、一階でゆっくりしててよ!」
「あ、もう……随分と力強くなっちゃって! 母さん、負けちゃうわ」

 思い切り押すと母は諦めたのか――残念そうに階段を降りていく。
 安堵の吐息を漏らすと、サクラは部屋の中へと戻ったのだが、

「ふぅ、何だってのよ、もう……ナルトとサスケくんが来たくらいで興奮しすぎ……って、待てえええい!?」

 扉を開いた瞬間に目に飛び込んできた光景は恐ろしいものだった。
 屈んだナルトがベッドの下にある一冊の本を手に取っているのである。それは乙女の秘密をふんだんに盛り込んだ文庫本であった。

「それは! その本だけは見ちゃらめえええええええええぇぇぇぇ!」
「そんなこと言われたら見たくなるだろ。ほら、サスケ」
「何だ?」

 ナルトへと飛び掛ったサクラではあるが、本を取り返す前にサスケへとパスされてしまう。

「だめ! やめて! それだけは!!」

 羽交い絞めにされたサクラはヘソが見えるのも気にせずに暴れまわるが、力でナルトに勝てるはずもなく、抵抗空しく――サスケに本を見られることとなる。
 沈黙。
 凄く気まずそうに「……その、何だ……ごめん」とサスケは謝る。サクラは硬直して、抵抗する力すら失った。

「凍り付いてどうしたんだよ。だらしねぇな……っと、これは……」

 力尽きたサクラを置いて、ナルトは本を手に取ったのだが――

「ま、まぁ……女の子はこういうジャンル? 興味あるみたいだもんな。仕方ねぇよ」

 こちらもまた凄く申し訳なさそうに本を閉じると、サクラへと手渡した。
 サクラは今日、いろいろなものを失った気がした。
 ナルトとサスケの気遣いの言葉が逆に辛い。いっそなら笑ってくれたほうが楽だ!
 しかし。

「サスケ、帰ろうぜ。俺たちがいたらサクラもゆっくりできないだろうし」
「お、おう……お大事にな」
「またなー」

 二人はそう言うと、部屋から出て行った。
 残ったのは一冊の文庫本と、項垂れたサクラだけである。

「……終わった」

 何が終わったのかは定かではない。







[19775] 21.挿入話『ナルトに嫉妬!? 怒れるキバが牙を剥く!!』前篇
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:59
1.

 木の葉隠れの里の中心地にはショッピングモールがある。
 ここにはありとあらゆるものが流通しており、何でも揃っていることから色んな職種のものが集う。
 もっぱら若者のデートに使われることも多く、服飾品や流行りの料理店なども置かれていることから、雑然とした様相を呈していた。
 ショッピングモールの中でも殊更目立たない、 太陽の光すらまともに浴びれない路地裏にひっそりと佇んでいる店がある。
 ここは忍具専門店。
 多くの忍者が愛用しているここの入り口には黒塗りの看板が立て掛けられており『ニングー!』と白文字で刻まれている。ちょっとお茶目だ。
 ウィンドウケースの中には流行りの苦無や手裏剣、最新型の起爆札などが入れられている。
 店の中には『売れ過ぎランキングー!』というものがあり、「売れ筋ランキングではないのか」と利用客は訝しむが、未だ店長に突っ込んだものはいない。ナルトもその一人である。
 ナルトは本日、忍具専門店へと足を運んでいた。
 手には超大な剣――【首斬り包丁】を持っており、口寄せの術の契約をするために来たのだ。店長から口寄せ専用の巻物を購入すると、お任せコースでそのまま【首斬り包丁】の契約を済ませてもらっている。終わるまで暇なので、のんびりと店内をうろついていたのだが……

「あ、ナルトくん……」

 カランカランと店の扉が開く音ともに入ってきた人影に名前を呼ばれ、振り向いた。
 白いコートで身体を覆って、両手をもじもじとしているオカッパ娘――ヒナタである。相も変わらず、真っ白な瞳が印象的であり、曖昧な笑みを浮かべているところも以前と変わらない。

「奇遇だな。何か買うのか?」

 びくついたまま視線を合わそうとしないヒナタを不思議に思いながら、ナルトは話しかける。
 ことさらびくんと背筋を伸ばし、おどおどと視線を泳がせる。かなり挙動不審だ。ナルトが目を細めてしまうのも仕方ないだろう。

「く、苦無の新調に来たの……」

 一息どころではなく、十息ほどついて返ってきた言葉だ。
 一瞬何を言われているのかわからないナルトであるが、質問したのは自分だったことを思い出す。無視されていたわけではないようだ。
 それにしても、イラつく。言葉のキャッチボールが軽快にできないことはナルトにとって嫌なことだ。サスケやサクラなどは反応がとても良く、常にそういう仲間とつるんでいるからだろう。
 ナルトにとって、ヒナタは未知の人種と言える。それに、まだあまり話したことはないからかもしれない。慣れていないのだ。

「相変わらず変な喋り方だな。ハキハキできねーのか?」
「変な喋り方!?」
「そんなんじゃ男にモテないぞ。やっぱり活発な女の子のほうがモテるしな。まぁヒナタは可愛いからそんな心配いらないか」

 ガシッと肩を掴まれた。
 小動物によく似た動作をするヒナタらしくなく、肉食動物のように俊敏に、ナルトの肩を鷲掴みにしたのだ。
「ど、どうした?」と少し驚いてナルトはヒナタを見るが、獲物を見るかのような攻撃的な視線が返ってくるだけ。
 沈黙。
 口寄せの契約は終わったのか「兄ちゃん、お勘定ー」としわがれた老婆の声が聞こえてくるが、なんとなくヒナタから目を逸らすことが憚られたので、「ちょっと待っててくれ」と大きな声で返事をしてから、じっと見つめ合った。
 その間、実に六十秒。
 無言の睨み合いは確実にナルトの精神を削っていき、「こいつは何がしたいんだろう?」と困惑する。

「私に何て言ったの……?」

 ぷっくらと膨れた形の良い唇が小さく動いた。
 ナルトは聞き逃してしまったので「え?」と答えてみるが……

「何て言ったの!?」

 叫ぶような声が耳朶を打った。
 肩を思い切り引っ張られ、今にも鼻と鼻がぶつかりそうな距離で、ヒナタは顔を真っ赤に染めている。

「か、可愛いって言ったけど?」
「そ、そう……」

 ヒナタはナルトの肩から手を放すと、振り向いて小さく肩を揺らした。こっそりガッツポーズをしたのである。
 ナルトからすればヒナタの行動は完全に理解の外なので、考えることを止めた。

(女の子ってのはときどき変なことをするよなぁ)

 サクラの黒歴史を知ってしまったナルトからすれば、多少変な行動をされたとしても驚くに値しない。ベッド下には魔物が住んでいるのだ。ナルトは身を持って経験している。実に怖い経験であった。
 思い出し泣きをしそうになり、そっと目頭を押さえると、ナルトは自制心で自分というものを取り戻した。

「あ、ところでナルトくんは何を買いにきたのかな?」
「起爆札やら巻物を少々――でかい任務をこなしたから報酬がけっこう出てさ。ストックを買いに来たんだ」

 手提げ鞄に入っている新品の忍具を見せる。
【首斬り包丁】のことは内緒だ。仮に友達だとしても、共同戦線を張る仲間以外に奥の手を見せるほど、ナルトは解放的な性格ではない。
 
「そうなんだ……」
「お、おう」

 話が途切れる。
 黙り込んだままヒナタは忍具を物色し始めるのを目にし、ナルトも奥に行って、店長から口寄せの巻物を購入する。八百両となかなかの出費だが、持ち運びが便利になるので贅沢は言えない。
 巻物をジャンパーの前ポケットにある収納用ポケットに突っ込んで、ナルトは何とはなしにヒナタを見た。時折、視線をこちらに向けてくるヒナタが気になったのだ。
 ふむ、と考え込む。
 ナルトは友達が少ない。致命的に少ない。交友関係がほとんどない。とても狭い世界に生きている。
 友達を増やしてもいいのではないだろうか? と少しだけ思ったのだ。
 思ったら吉日。ナルトは極めて素直なので、思ったことを率直に言う。
 忍具を手に取りながら、ナルトのことを気にしているヒナタに歩み寄り、声をかけた。

「あぁ、そうだ。ヒナタはこれから暇か?」
「うん。今日は任務明けだから……」
「じゃあさ。昼飯食べに行こうぜ。前会ったときは一緒に食べれなかったしさ」
「え……?」

 ヒナタが硬直する。手に持つ苦無を握る力すら失って、足元へ落ちた。ナルトは持ち前の反射神経で地面に落ちる前の苦無を掴み取り、一息吐く。
 店長がぎらついた視線をヒナタに送っているので、自分が変わりに謝って、苦無を商品棚に戻した。商品を手荒に扱われたらそりゃ怒るだろう。

「嫌か? 奢るつもりだけど」
「あ、行く……行くよ!?」

 ヒナタは頷く。
 そんなに強く振ったら折れるのではないかと邪推してしまうほどに細い首をナルトは心配そうに見つめ、何となくヒナタの頭に手を乗せた。
 かぁっとヒナタの頬が朱に染まる。気付かず、ナルトはヒナタの髪を指で遊び――

「じゃあどこへ行こうかな。とりあえずそこらへんをぶらぶらしながら探そうぜ」
「うん!」

 店を出た。
 ちなみにヒナタは苦無を新調するのを忘れている。

 ◆

 今日は祭りでもあるのか、と思わずにはいられないほどにショッピングモールには多くの人が歩いている。
 忍者もいれば職人もおり、家族で来ているものいれば、恋人と一緒に歩いているものもいる。
 私たちは他の人から見ればどういうふうに見えるのかなぁ? とヒナタは妄想に耽ったりしながら、にへらとだらしなく笑う。
 ヒナタは隣を歩く人物にひっそりと恋心を抱いていた。
 太陽の光を浴びて黄金に輝く髪がとても綺麗だし、覇気を感じさせる青空のような双眸も美しい。
 自分にはない心の強さを持つナルトに、ヒナタは心惹かれていた。
 アカデミー時代から、ナルトの反骨心を何度も見てきた。そのたびに募る想いが何なのかはいまいちわかっていなかったが、卒業してから会った日のこと。自分を激励してくれた月夜から、ヒナタは自覚したのだ。ナルトが好きなのだ、と。
 それからは悶々とした夜を過ごしたものだ。
 ナルトがどこで何をしているのかは白眼を使えばすぐにわかる。とても優れた血継限界の前ではプライベートなどあってないようなものだ。
 使いたい。けど、使ってはいけない。凄まじい葛藤だった。自戒するということはこれほどまでに大変なことだったのだと初めて知った。

「そういえばさ。ヒナタっていつもそのコート着てるけど、何か願掛けでもしてるのか?」

 考え事をしているとき、しかもやましい事を考えているときに声をかけられたらだいたいの人は同じ反応をとる。
 気まずそうに曖昧な笑みを浮かべるのだ。
 ヒナタも例に漏れず、びくりと反応する。いつものことだから不審に思われないのは喜んでもいいのか、悲しむべきなのか、複雑なところではある。

「これしかなくて……」
「可愛いんだからさ。色んな服着たほうがいいぞ。主に俺が喜ぶ」
「よ、喜ぶ!?」

 喜ぶとはどういう意味だろうか。
 あらゆる妄想がヒナタの脳裏を駆け巡り、ショート寸前になりつつある。

「あぁ、やっぱり女の子が色々な服を着ているのを見るのは楽しいしな」
「え、えと……その……」

 爆発寸前だ。
 心臓の機能が危うい。
 バクンバクンと大きく鼓動するそれは、いつナルトの耳に届くのかわからないほど。息苦しく、死にたくなる。だけど、この幸せを捨てて死ぬのは嫌だ。
 ヒナタは必死に自分に言い聞かせる。「落ち着け、落ち着け」と何度も何度も……ちなみに効果はなかった。真顔で褒めてくるナルトの言葉は効果が抜群すぎたのだ。
 ナルトはサクラと喋ることが多いので、ある意味では女の子相手に免疫があるからこそできる芸当ではあるのだが――自覚がないだけに恐ろしいものである。

「まぁその服が気にいってるのならいいけどな……っと、あそこの店でいいか? 最近話題の麺料理らしいぜ」

 指差した先にあるのは小洒落た洋風の店であった。

「パスタっていうらしいんだけどよ。サクラが美味しいって絶賛してたから興味あってさ」

 パスタ専門店『カナトゥール』。
 雑誌に取り上げられたりと流行りの店である。
 ヒナタとしても一度食べてはみたいと思ったが、サクラという人名が出た瞬間、表情が翳る。

「あそこでいいか?」
「うん……」

 すぐに笑顔を取り戻し、ちょっとひくつきながらもナルトの後に続いて『カナトゥール』の中へと踏み入れた。
「いらっしゃいませー!」と店員が元気に挨拶をしてくる。実に活気のある店だ。
 繁盛しているようで、ほとんどの席に人が座っている。カウンター席も埋まっており、空いているのは奥まった場所にある小さなテーブル席だけであった。

「奥のテーブル席へどうぞー」

 テーブル席の上にはメニューが広げられており、『当店オススメ!』といくつかがピックアップされているものもあった。
 席に着き、よく冷えた水を呷りながら、ナルトはメニューを見る。ヒナタも同じようにメニューを開いた。
 しばらくメニューと睨めっこをしていると「お決まりですかー?」と先ほどの元気な店員が愛想よく近づいてくる。
 ナルトは面を上げると、ヒナタを見て。

「俺はパスタデラックスとやらにするけど、ヒナタは何にする?」
「あ、私もナルトくんと一緒で……」

「パスタデラックス二つで」と注文し、メニューを店員に手渡した。
 がやがやと騒がしい店の中、しんと静まり返ったナルトの座る席。
 息苦しい。
 俯いたまま、居心地が悪そうに身体をくねらせているヒナタに何を話しかければいいのかわからず、ナルトは逡巡する。
 あっ、と思いつくと、それからは早い。共通の話題を見つけたのだ。
 お互い忍者であることを思い出したのである。

「ヒナタってどんな任務やってるんだ?」
「うぇ!?」

 急に話を振られて、ヒナタは飲んでいた水を吐き出しかける。
 咽るヒナタに「大丈夫か?」と申し訳なさそうにナルトは謝るが、ヒナタは「大丈夫、大丈夫」と大丈夫じゃなさそうな顔色で答える。
 平静を取り戻したヒナタにナルトは再び質問をする。

「他の班はどういう任務やってるのかなぁってさ。やっぱりCランク任務か?」
「ほ、ほとんどDランクかなぁ……まだCランクは受けたことないかも」
「なるほど……そうなのか」
「逃げ出した猫を捕まえたり、家の裏にできた蜂の巣を採ったり……芋堀りとかもやったのかな? 雑用ばっかりだよ」
「大変だなぁ」
「ナルトくんはどんなのをやっているの? あ、迷惑じゃなければいいんだけど、嫌なら教えてくれなくていいから……」
「何でそんな卑屈になるんだよ?」
「あ、あのその……」
「最初の数回だけDランクをやって、それからはずっとCランクだな。サスケとサクラが優秀なおかげで良い経験をさせてもらってる」

「ナルトくんも優秀だよ!?」とヒナタが立ち上がる。ガタンと音を立てて椅子が地面へ激突した。
 店内に静寂が落ちる。
 何をしでかしてしまったのかをヒナタは察し、凄く恥ずかしそうに俯くが「お、おう……ありがとう。とりあえず座れ」というナルトの言葉に自分を取り戻し、椅子を立て直して座り込んだ。今にも爆発しそうなくらいに顔が赤くなっている。

「あー、パスタまだかな」
「そ、そうだね」

 沈黙。

「当店オススメのパスタデラックス二人前になりまーす! 美味しく召し上がれっ!」
「あ、ども」
「ありがとうございます」

 店員が片腕で器用に二つの大皿を持ってきて、ようやく言葉を発することができた。
 大皿に盛り付けられているのは湯がかれた麺――パスタだ。
 その上にチーズやトマト、キノコ類などふんだんに乗せられており、ゴージャスの一言である。
 ナルトはお行儀悪く、「いただきます」と手を合わせてから、初めて使うフォークの感触に戸惑いを覚えつつ、パスタを掻き込み始めた。
 犬のような食べ方をするナルトを見てヒナタは苦笑しながら、行儀良くちまちまとパスタを食べ始める。フォークを使うのは慣れているのか、ナルトと違って上手い。
 喋ることなく食に集中すること数分、二人は食事を終えていた。
 結構な量なのに完食できるあたり、ヒナタもなかなかの大食漢なのか――さすがは肉体労働専門の忍者であると言えよう。

「けっこう腹いっぱいになるもんだな」
「そ、そうだね」

 ナルトは会計をするので、ヒナタは一足先に店を出た。
 すると、そこにはよく見知った顔が三つあった。
 昼時真っ盛りのせいか『カナトゥール』は行列ができており、そこに並んでいたのである。

「ヒナタじゃねェか!! こんなところでどうしたんだ!?」
「あ、キバくん。それにシノくんも……」

 犬塚キバ、キバの頭に乗っている子犬の赤丸、油女シノ――ヒナタの所属する八班の仲間である。
 いつものように大声でヒナタに話しかけているのはキバの方だ。
 大きな声が苦手なヒナタは少し委縮すると、おどおどと視線を泳がせる。

「待たせたな、ヒナタ。じゃ、帰ろうぜ……って、キバとシノか」

 会計を済ませたナルトが店から出てきた。
 キバとシノと鉢合わせになり、キバの形相が歪んでいく。
 この二人、結構仲が悪いのだ。
 真面目に授業を受けていたナルトは、授業をいつもサボっているキバのことが嫌いだった。
 いや、嫌いという言葉は正しくない。軽蔑していたと言ったほうがいいだろう。
 キバも同様に、軽蔑されていることをわかっているのか、ナルトのことを毛嫌いしている。
 まさに犬猿の仲と言えよう。

「ナルト!? 何でこんなところにいるんだよ!! それにヒナタと……!?」
「うっせぇな。少し静かにできないのか」
「んだよ! なんでテメェがヒナタと一緒にいんだよ!?」
「ワン!!」
「友達と一緒に昼飯食べるのがそんなに変か?」

 友達という言葉にがっくりと肩を落とすヒナタ。
「キバ、俺たちは邪魔者だ」とキバの肩に手を置くが、キバは怒りに任せて振り払う。

「邪魔者ってなんだよ!?」

 一触即発の雰囲気に、行列を作りあげている人たちが嫌そうな視線をナルトたちに向ける。喧嘩ならよそでやれよ、ということだろう。
 ナルトは察した。

「あー、用がないなら行くぜ? 俺だって暇じゃねぇんだし……ヒナタ、行こうぜ」
「え? えと……」
「あぁ、そういえばヒナタはそいつらと一緒の班なんだっけ。じゃあここで別れるか?」

 ヒナタは少しだけ考えるように視線を落とすと、「ごめんなさい」と小さく謝ってナルトの背中にぴっとりとくっついた。

「……ナルトくんと一緒に行く」
「おう。じゃあな、お前ら」

 当然、こんなことで治まるはずもない。

「待てや!!」
「なんだよ? 俺に用なんてないだろ?」

 キバが一足飛びでナルトに掴みかかるが、するりと避けた。身体を泳がしたキバのことを冷然と見下ろしている。
 怒りのあまり、キバは烈火の如く顔を豹変させる。キレかけだ。

「前からお前の事は気に食わなかった!!!」
「いきなり嫌いって言われてもなぁ……お前に嫌われても何も思わんぞ」
「うっせーよ! お情けで卒業させてもらっただけの癖によ!!」
「……何て言った?」

 ドスの利いた低い声で、ナルトは囁くように呟いた。
 ナルトの背中を弱弱しく引っ張りながら、ヒナタは「ナ、ナルトくん……キバくんもやめなよ……」と懇願するが。

「分身の術もろくにできねぇくせによ!! 女といちゃいちゃ遊んでんじゃねーや!!」

 キバの声で掻き消される。
 そのとき、ナルトはにやりと嫌らしく笑った。悪魔のような微笑みである。相手の弱みを見つけたときの、邪な笑みだ。

「あー、そういうわけね。なるほど、なるほど……気に食わない理由はわかった。小さい男だな、お前」
「あァ!?」

 キバは動揺し、声を荒げるが……

「はっきりしろよ。拳で喧嘩したいのか? それとも、口で喧嘩したいのか? どっちでもいいぜ、俺はな」
「……プッツンきたぜ」
「キバ、やめておけ。それよりも俺は腹が減っている」

 シノが口を開いた。
 だが、キバを止めるには力が足りない。

「お前のことなんか知るかよ! ナルト、拳で喧嘩だ!!」
「オッケー。じゃあ、場所を変えようぜ。ここでやるわけにはいかんだろ」

 獰猛に笑うナルトはさきほどまで一緒にご飯を食べていたときとは別人のようだ。
 戦闘を楽しみにしている――悪ガキのような笑い方をヒナタは初めて見る。どちらかというと、こちらが本性だったりするのだが。
 ナルトは止められそうにないと確信したヒナタは「キバくん!」と非難の声をあげたが――

「許せ、ヒナタ……男には退けないときがある」
「意味わからないよ!? 喧嘩なんてやめなよ……っ!」

 理解できない言葉が返ってくる。どういう意味だろうか。
 ナルトはにんまりと口元に孤を描く。

「想い人がそう言ってるぜ? 結局どうすんだ?」
「……ぶっ殺してやる」
「知ってるか。小さな犬ほど吼えるんだぜ?」

 場が凍りつく。
 射殺すようにキバはナルトを見据えており、頭の上に乗っている赤丸も体毛を逆立てながらナルトを見下ろしている。

「どういう意味だよ……」
「さァてね。どういう意味だろうな」

 くつくつと笑うナルトは――とても性格が悪そうに見えた。





[19775] 22.挿入話『ナルトに嫉妬!? 怒れるキバが牙を剥く!!』後編
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:59
2.

 打撃用の木偶人形が多く設置されている演習場がある。
 剥き出しの土の地面を囲うのは木造の道場で立派な設備なのだが、不思議と利用者がいなかった。
 開けっぱなしの観音開きの扉から垣間見えるところには、サスケとサクラしかおらず、実に閑散とした雰囲気である。
 この二人が何をしているのかというと、体術の訓練。主にサクラを鍛えるために【推手】を行っていた。
 流れるようなチャクラ運用法により、極限まで高められた一手一手を確かめるようにぶつけあう。攻めと受けを交互に繰り返すそれはじわじわと戦局を傾けていき、最後には上段蹴りを捌いたサスケが貫手をサクラの首元で寸止めして、勝負が終わる。
 集中力を酷使する【推手】は実力が低いほうが格段に疲れるものだ。例に漏れず、涼しい顔をしたサスケとは違い、サクラは肩で息をしながら地面へと突っ伏した。「もう限界ー」と情けない声を漏らしながら、立ち上がる元気すらないのだと力一杯アピールする。傍から見ると駄々をこねる子供のようだった。
 サクラの醜態をサスケは冷たく見下ろしている。

「身体硬いな。だから、蹴足がいまいち伸びないんだよ」

 仰向けになりながら肩で息をするサクラを無理やり起き上がらせると、足を大きく広げさせて、背筋を伸ばさせる。
 何をされるのだろう、とサクラはやられるがままにぼんやりとしていたが、突如顔を苦痛に歪ませることとなる。サスケに背中を思い切り押されたのだ。
 身体柔軟法で最も基本となる股割りである。身体が柔らかくない人は死ぬほど苦しむことになるこれを、サスケはサクラに不意打ちでやっているのだ。鬼の所業と言えよう。
 サクラはそこまで身体は硬くない。どちらかといえば柔らかい方か。股割で肘がつく程度には柔軟ではあるのだが、サスケの求める位階には達していない。

「腹がつくまで押すぞ」
「ぬ、ちょ……痛い! サスケくん! 痛いってば!! 股が裂ける! 死んじゃうううう!!!」

 じわじわと背中に体重をかけられ続けていき、サクラは目尻に涙が浮かぶ。
 本気で苦しんでいるときだけは助けてくれるナルトがこの場にいないことを心の底から悔んだ。「ちょっと買い物行ってくる」と言ったきり、二時間は経つにも関わらず、まだ戻って来ない。私を助けろバカナルト!! と心の底で叫んでいても、ヒーローは帰って来ない。
 諦観に心を支配されながら、サクラは激痛に耐え抜いている。日々頑丈になっていく自分の身体が悔しい。もう少し弱かったら優しくしてもらえたのかなぁ、などと考え始めてしまうあたり末期症状だろう。目を閉じて、苦悶の吐息を漏らしながら、サクラは地面へとキスができそうなほどに股を割れるようになり始めていた。
 泣きながらストレッチをする少女――かなりシュールな光景である。

「お前ら何やってんだ……」

 呆れるような声が道場に木霊する。
 サクラは救世主を見た。
 闇に堕ちた哀れな世界の中で、一筋の光明を見た。

「あ、ナルト……ギブギブ! 痛い、痛いってば!!」

 身体中のチャクラを爆発させるかのように放射して、一瞬だけ身体能力を大幅に底上げし、サスケの暴虐の手を振り払った。すぐに立ち上がり、ナルトの後ろへと【瞬身の術】で移動して、ぴっとりと張りつく。「もちろん助けてくれるわよね!?」という光を湛えた視線がナルトを射抜いていた。

「何でそんなに泣きそうになってるんだよ」
「サスケくんが私に無理やり……無理やり……!!」
「俺のいない間に何してたんだ?」
「股割をさせていただけだ」
「……ほどほどにしてやれよ」
「わかってる」

「わかってなさそうだから言ってるんだけどな……」と小さく呟きながら、ナルトはサクラの後ろ襟を引っ掴んで持ち上げると、サスケに手渡す。「ぎゃーす!」と泣き叫ぶ様は乙女と言えるようなものではなく、ほとんどペット扱いだ。「私に人権はないの!?」と必死に叫ぶサクラではあるが、七班の二人は人権を認めていないよう……哀れだった。
 再び股割りをさせ始められるサクラを余所に置きながら、サスケはナルトの後ろに居並ぶ人たちに目を向けた。
  
「で、後ろの奴らはどうしたんだ? 随分と大勢だが」

 キバ、シノ、ヒナタの三人が所在なさげに先ほどまでの問答を見ていたのだ。

「あいつら何やってんだ?」
「虐待だろう」
「ひ、ひどいね……」

 と少し引き気味にこちらを窺っている。どうやらサクラに同情しているようだ。
 ナルトは全く気にせずに、道場の中へと足を踏み入れる。

「ちょっと揉め事があってな。今からキバと喧嘩する」
「弱いもの虐めはよくないってカカシが言ってただろ」
「じゃあ、私に優しくしてよ! 私は弱者よ!!」

「弱いもの虐めってどういう意味だよ!?」と叫ぶキバには誰も反応しない。
 サクラは自分への仕打ちに対して文句を言うが、

「俺はお前に期待しているんだよ……」

 サスケは冷たい光を宿す双眸をサクラに向けながら、耳元で囁いた。顔が朱に染まる。サスケはだんだんサクラの扱いに慣れてきていた。
 だが、サクラにも耐性はできつつあるので「しなくていいから!」と叫び返すが、サスケはとてもイイ笑顔を浮かべながら優しく背中に手を添えて、股割りの手伝いを申し出た。

「いやぁぁぁぁっ!! 痛いっ! 痛いっ! 痛いってぇぇぇっ!!」

 サクラの絶叫が轟き渡る。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
 気まずそうに八班の三人は道場に上がる。サクラを放置していいものか少しばかり悩んでいるのだ。

「……いつもこんな感じなの?」
「だいたいこんな感じだな」

 ぐっぐっとナルトは屈伸し、目の前に移動しているキバを見る。
 キバも腕を伸ばしたりと準備万端だ。

「待たせたな。とりあえず、やろうか」
「ハッ! てめぇなんかすぐにぶっ倒してやるよ!!」

 淡々と言うナルトに対し、キバは吼える。
 赤丸をヒナタに預けているので、一人で戦うつもりなのだろうか。ナルトとしては別にどちらでも構わないところではあるが。

「サスケくん、観戦しよ。ねっ? 観戦しよ!?」
「どうせナルトが勝つってわかってるのに見てどうすんだよ」

 サスケの言葉はキバの耳へと届いた。

「あァ!? どういう意味だ!?」
「言ったままの意味だが?」
「……俺が落ちこぼれのナルトに負けるはずがねぇだろが!?」

 サスケは呆れたように頭を振る。サクラも同様に、笑いを抑えるために必死だ。どちらもナルトが負けるなどとは微塵も思っていない。
 その二人の様子をシノは訝しげに見ていた。
 エリートと言われるサスケと、クラスで座学が常にトップだったサクラが、落ちこぼれだったナルトに対して信頼の視線を向けている。おそらく強くなったのか。それとももともと強かったのか。それはわからない。
 とりあえずわかっていることは、苦戦するだろうな、という程度だ。

「ルールは何でもありでいいか?」
「構わねぇよ! 落ちこぼれのナルトが何を使おうが、俺が負けるはずがねぇ!!」
「あっそ、んじゃま……やりますか。ヒナタ、後ろ行っててくれ」

 ナルトの後ろで困った笑みを浮かべていたヒナタはこくりと頷くと、後ろ髪を引かれるような思いをしながらサスケやサクラ、シノが集まっている壁際へと移動し始めるが、

「もちろん、俺のこと応援してくれるよな?」

 ナルトの言葉に硬直し、「えっ? う、うん……」と自然な動作で頷いてしまった。
 にやけるナルトは勝者の笑みを浮かべながら、キバを見下ろしている。この男、勝負になると途端に性格が悪くなるのだ。相手を動揺させるならば、どんな手段でも行使してみせる。外道である。

「ヒナタは俺の応援するに決まってんだろが!!」
「俺の応援するらしいぜ? 小さく頷いてくれたしな。まぁ、お前みたいな口だけ男にヒナタはもったいないだろ」

 ゴキリと首を鳴らし、冷然と佇む。

「とりあえず、かかってこい。捻り潰してやるから」
「舐めんな!!」

 怒声とともにキバは駆けだした。
 思い切り振り上げた右拳をナルトの頬に向けて放った。
 虚実のないそれは至極見切り易いものであり、体勢を低く踏み込んで、ナルトは避けると同時に懐へと潜り込んだ。
 膝蹴り。
 腰よりも下にあるナルトの顔面へとキバは容赦なく膝を放つが、太股の内側に少し力を加えられただけで軌道を逸らされる。
 顎に衝撃が走る。
 極限まで縮めこまれた身体を解放した力を乗せた掌底を撃ち込んだのだ。
 頭蓋の中で打ちつけられた脳が機能不全を起こす。平衡感覚は狂い、目の前が真っ暗になる。
 致命的な隙だ。
 だが、ナルトは追い打ちをかけることもなく、一歩退いて距離を取っていた。
 がっかりしたような、心底呆れ果てたような――そんな顔つきで、倒れないように必死に踏ん張るキバを見下ろしている。

「力もない。速さもない。技もない。お前の自信の根拠は何なんだ?」

 理解できない。
 これほどまでに弱いのに、何故あれほどまでに威勢よく吼えることができるのか、ナルトにはわからない。弱いのなら敵を作らないように努力すべきだと心の底から思う。
 相手に対して何も期待していない――そんな瞳を向けるナルトの視線はとても醒めていた。雑魚相手に喧嘩を売ったことを後悔しているのだ。意味のない闘争は時間の無駄だ。得るものがない。
 そんなナルトの思考をキバは敏感に感じ取った。
 要するに、舐められている。侮られている。格下だと蔑まれている。
 所詮この程度か、と言葉以上に雄弁に語る表情はキバにとって許せるものではなかった。

「……くそがっ! 擬獣忍法!!」

 犬塚家にのみ伝わる秘伝忍術の一つだ。
 獣になりきることで、獣の強さを手に入れる。さきほどまでのキバとは全く違い身体能力。これでナルトに一泡吹かせられる、ぶっ倒してやる、とキバは意気込んだのだが……

「面白い忍術使うなぁ」

 興味深そうに獣のように四足で戦うキバを見下ろしている。
 余裕の表情だ。
 全ての攻撃を見切り、皮一枚でかわしていることから、実力の差が見て取れる。
 いなし、そらし、かわす。
 アカデミーで習う忍者組手の基礎中の基礎ではあるが、ここまで基本に忠実なまま実行できるものは少ないだろう。

(こいつ――どんだけ修行してやがんだ!?)

 戦慄する。
 ナルトの身のこなしには濃厚な修練の跡が見え隠れしている。
 キバの速度は決して遅くない。むしろかなり速いだろう。正しく人を超えているのだから。実際、ナルトのほうが遅いのだ。それなのに、かわされる。動きに無駄がないから。キバの攻撃を予知しているかのように、あらかじめ行動を起こしているのはどういうことだろうか。
 悔しさが滲みだす。このまま負けたらあまりにも惨め過ぎる。

「ほれ、頑張れ。あと少しだ。かすり傷くらい与えられるかもしんねーぞ?」
「ふざけんなぁぁぁぁ!!」

 何度も空を切る攻撃。そのせいで苛立ち、パターンが単調化していたのもあるのだろう。
 口元を弧に描いたナルトは右足をすっと伸ばすと、キバの足に引っ掛けた。そのまま勢いよく転んでいき、壁にぶつかるまで止まることはない。
 天地逆さまになっているキバを見据えながら、ナルトは両手を腰に添えて苦笑している。

「お前さ。攻撃の軌道が正直過ぎだろ。考えて攻撃してるか? こう攻撃したら敵はこう動くだろう。だから、それに合わせて二の手を合わせる。そういう基本的な思考を持っているか? 初歩中の初歩だろ」

 教師のような口ぶりに、キバの怒りは容易に沸点に達した。

「……ぶっ殺す」

 小さく呟き、ゆらりと立ち上がる。

「赤丸ゥ!!」

 ヒナタの腕の中で大人しくしていた子犬――赤丸は跳躍し、キバの頭上に乗った。ぎらぎらとした視線はナルトに向けられている。ご主人様をしこたま馬鹿にされてこいつも怒っているのだ。

「ワンワン!! (擬人忍法)」
「擬獣忍法!!」

 一人と一匹が同時に叫ぶ。
 キバは獣になりきり、赤丸に至ってはキバに変化して同じ体勢を取っている。

「本当面白い術使うなぁ」

 犬も変化の術が使えるということをナルトは初めて知った。

「本気で行く! ぼこぼこにしてやっからよぉ……!?」
「そりゃ楽しみで」
「ぶっ潰す!!」

 どこまでも馬鹿にしたような笑みを崩さないナルトに、キバは本気で勝負を挑む。


 ◆

 ヒナタは驚いていた。
 正直なところ、ヒナタはキバが勝つと思っていた。何故なら、ナルトのアカデミー時代の実力だと、キバに勝てるはずがないと思っていたから。
 だけど、結果は全然違う。
 全然相手にならない。しかも、赤丸に協力を要請するほどだ。

「キバくんが本気を出しちゃった……」
「ヒナタ、知ってるの?」

 驚くヒナタにサクラは声をかける。
 のんびりとした表情を崩さないサクラは、キバが何をしようともナルトに勝てるはずがないと確信している。
 ただ、興味があるだけだ。どんな攻撃を繰り出すのかを。

「う、うん……二人一組になって、初めてキバくんは本気を出せるの」
「どういった攻撃パターンがあるんだ?」
「それは……」

 ヒナタは桃色の唇を小さく開いた。

 ◆

 形勢は逆転していた。
 二人がかりで圧倒的な手数を打ちこんでくるキバと赤丸の攻撃を、ナルトは避けているだけとなっている。
 鋭く伸びた爪が服を切り裂き、肌に軽傷を刻んでいく。

「こりゃ驚いた。けっこう強いな」

 両脇から同時に攻撃を繰り出す二人に、ナルトは開脚して両足を蹴り込んだ。顔面に撃ち込んだ足を基点にくるりと空中で回転し、両方に踵をぶち込む。そして、同時に掌底を放った。
 攻撃を喰らった両名は鼻血を流しながら後ずさりする。
 その瞳は爛々とした怒りを湛えていた。

「決める……っ!」

 キバと赤丸は獲物に飛びかかろうとする野生の獲物のように、後ろ脚に力を溜め込む。
 そして――

「牙通牙!!」

 弾丸の如く、発射された。
 二方向から繰り出される凶弾はナルトに向かって疾走する。
 キバのとっておきであり、喧嘩で使っていいような術ではない。
 奥義――つまり、人前で見せてはいけない奥の手のようなものだ。
 当たれば確実に勝負は終わる。
 だが。

「土遁・土流壁!!」

 印を組み終えていたナルトは地面へと手をかざす。
 すると、分厚い土の壁が目の前にせり上がった。
 そこへ二つの弾丸は飛来し、撃ち返される。

「ぐぁっ!?」
「く……くそがっ!」
「真っ正直に攻撃したら駄目だろ? そんなの犬でもわかることだ」

「あ、犬じゃわかんねーか?」とケラケラとナルトは笑う。
 挑発。
 効果覿面だった。

「牙通牙!!」
「土遁・土流壁!!」

 さきほどの再現――というわけではない。

「二度同じ手が通じるかよ!!」

 弾丸は軌道を大きく変えると、壁を乗り越えて背後から襲いかかった。
 しかし。

「……いない!?」

 そこには誰もいなかった。
 二人は地面へ着地し、くんくんと鼻を動かして敵の場所を探る。
 ここにいる。間違いない。
 だが、どこへ隠れた? 
 戦闘での思考の停滞は命取り。それをキバはわかっていなかった。
 地面から手が生えて、足首を思い切り掴まれて、ようやく気付いたのだ。

「土遁・心中斬首の術!!」

 キバを地面に生み出した穴へと落し込み、反動でナルトは地上へと戻る。
 捕縛兼拷問用のこの忍術は決して戦闘用ではない。それなのに、まんまとかけられた。
「二度同じ手を使うわけがないだろ?」と首から上だけ覗かせるキバにナルトは笑いかける。とても楽しそうだ。

「ぐ、くそ……赤丸!!」

 キバは、叫ぶ。
 ナルトはくるりと反転すると、威嚇するように唸る赤丸を見据えた。

「後はこいつだけか」
「うぅ……グルルゥ……!!」

 赤丸はナルトに飛びかかる。
 攻撃は全てかわされて、触れることすら叶わない――絶対的な実力差。

「キバより強いんじゃねーのか? スピードだけなら上だな。けど――」

 攻撃のために突き出された右腕を肩に乗せ――

「……所詮犬だ」

 ――投げる。
 忍者組手の投げの基本――【一本背負い】である。
 勢いよく地面へと叩きつけられた赤丸は変化が解けて、小さな子犬の姿へと戻る。

「赤丸ゥ!!」

 キバは完全に伸びてしまった赤丸に声をかけるが、返事はない。気絶しているようだ。
 行動不能のキバと、気絶した赤丸。
 勝者は首から上しか動かせない哀れな敗者を見下ろしていた。

「で、どうする? まだ続けるって言うんなら、気絶するまでぼこぼこに殴ってやるけどよ」
「……俺の負けだ!! だから、離せよ!!」
「なんで離さなきゃいけないんだ? まずは仕返ししなきゃいけないだろ?」
「な、何する気だ……!?」

 にやりと笑いながら、ナルトはウェストポーチの中から何かを取り出した。

「ん、顔に落書き。油性だから安心しろ」

 それはマジックペンである。
 油性と宣言されたからには油性なのだろう。よほど洗わないと落ちないそれは罰ゲームには最適だ。
 キバは抵抗しようと身体を動かす努力をするが、地中に埋まった身体は自由を許さない。
 だから、「何を安心しろって言うんだよ!!」と口だけ動かすのだが、「うるせぇな。これでも噛んで黙っとけ」とナルトに布切れを噛まされる。

「む、むぐぅぅぅ!!」
「ショータイムッ!!」

 ナルトはとても楽しそうだった。


 ◆

 ナルトの完全勝利に終わった。
 結局のところ、【多重影分身】や【首斬り包丁】などを一切使わずにナルトは勝負を終えてしまったのだ。
 そして、悪戯タイム。
 サスケとサクラは嘆息しながら、その光景を眺めていた。

「ああなったらナルトは止まらないぞ……」
「あいつ、悪戯大好きだもんね」
「ナルトくん!?」
「止めるなら覚悟しろよ。実力行使しかないからな……」

 サスケの忠言に強く頷いてヒナタはナルトを止めるために駆け出した。

「それにしても……なんでナルトは本気を出さなかったんだ? 一瞬で勝負をつけられただろうに」
「案外実力の差を見せ付けるためにしたんだと思うわよ? 俺は本気出してないけど、お前は本気出した。ざまぁみろ! ってな具合にね」
「……その可能性は否定できないな」

 手の内を見せたくなかったという可能性も十分に考えられるが、それなら【多重影分身】なら使ってもよかった。
 使う必要すらないと判断したということなのだろう。
 それにしても――

「やめろ! やめてくれぇぇぇぇ!!」
「ギャハハハハ! マジ笑えるな、お前!! もともと間抜け面だったのに、更に輪をかけてよっ!!」

「ナルトくん、やめてっ! やめてよぅ!!」と懇願しながらヒナタはナルトに抱きついているが、止める気配は全くない。むしろ、止められたせいで盛り上がっているのだろうか。やる気満々である。
 ヒナタがあまりにも哀れに見えてきた。マジックペンで弄ばれているキバの姿が、サクラには自分のように見えたのも関係あるだろう。何度かやられたことがあるのだ。額に『肉』と書かれたことが……。

「……私も止めてくるわ。ヒナタだけじゃ手に負えないと思うし」
「俺も手伝うか」

 渋々と二人はナルトを止めるために歩き出す。
 実にゆるりとした歩みはとても遅く、やる気が感じられない。

「やめてええええええええ!」

 キバの絶叫が空気を震わせる。
 それは悲痛な嘆きだった。

「喧嘩売る相手間違えてるよな」
「そうね。ナルトに真正面から喧嘩なんて売りたくないわ」
「何されるかわかったもんじゃねぇ」
「全面的に同意よ……まぁ、助けてあげましょ」
「わかった」

 呆れるように頷き合い、サクラとサスケはナルトを羽交い締めにする。
 ヒナタも加わり、腰に抱きつきながら思い切り引っ張っているのだが……馬鹿力のナルトはびくともしない。

「ざまぁみろ!! 俺は落ちこぼれじゃないんだぞ!!」

 爆笑しながらナルトは言う。
 そして、みんなのどよめきを外から眺めていたシノは――

「ガキだな……」

 とだけ呟いた。
 まったくもって正論である。




[19775] 23.中忍選抜試験・前日
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:59
1.

 さらさらと流れる川のせせらぎを聞きながら、石橋の上でのんびりと佇んでいる者たちがいた。
 金色、漆黒、桃色と色とりどりの髪を持つ七班の少年少女――ナルトにサスケ、サクラの三人だ。
 夏に差し当たってせいか蒸し暑く、断末魔の響きにもよく似た蝉時雨を聞き流しながら、三者三様に暑さから逃れようとしている。
 ナルトは半袖のパーカーを腹ほどまであげて、そこをウチワで扇いでいた。膝丈ほどまでしかないハーフパンツはだらしなくずり落ち、今にもケツが見えそうなほどにだらしない。サスケも同様に、タートルネックのシャツの襟元からウチワで風を入れており、少しでも体温を下げようと必死である。サクラも暑さに負けて、短めのプリーツスカートをパタパタとせわしなく動かしている。男がいるのにパンツが見えても構わないといった堂々たる姿勢だ。ちなみに男二人は全く気にしておらず、ぼんやりと空を眺めているだけだ。

「来ないな」
「来ないわね」

 阿吽の呼吸とも言えるほどに即座に帰ってきた返答は蝉時雨に溶け込んでいく。
 昼まっ下がりの午後である。太陽が最も元気に活動し、ちょうど良い感じに熱せられた地面も暑さを増してくれる。
 さらに、こんな悪環境の中で待ち合わせ場所に三十分以上待機させられた挙句、未だに呼びだした張本人が来ないのだから、いろいろと思うところあるのだろう。サスケに至っては苦無を取り出して、鋭利になるように研ぎ始めていた。何をする気なのか気になるところだが怖くて聞けない。ナルトとサクラは極めて自然に視線を逸らし、見ない振りに徹した。
 それから何十分待ったのだろうか。とてもとても長く感じた時間は、ナルトとサクラの苦無すらも研ぎ始めた。
 ずり、ずり、ずり。
 石橋を利用する人達は、片隅で仲良く苦無を研ぎながら陰気に笑う三人を見ないように気をつけながら歩行している。かなり迷惑な三人である。

「お待たせー!」

 苦無三本が言葉を発した人物に向かって放たれたのは言うまでもない。まぁ、全て簡単に掴まれてしまったのだが、それからの行動は速かった。
 サクラが指を動かすと、現れた人物――カカシは足を掬われる。行動不能に陥ったところにサスケとナルトが飛び掛かり、鳩尾を狙って踵落としを喰らわせる。
 何かが砕けるような、不吉な音が空気を震わせる。
 砕けたのは一本の丸太であった。
 ナルトとサスケの踵は変わり身に使われた丸太を粉砕し、石橋の上を木屑で汚すこととなる。

「お前たち、本当強くなったねぇ……」

 機嫌が最悪な三人は露骨に嫌な顔を浮かべる。死ねばよかったのに、と心から思っている――そんな表情だ。
 しかし、勝てないことはわかっているので大人しくカカシの前に整列すると、顔を見上げながらメンチを切り続ける。上司に対してやっていい態度を明らかに超えているが、もともと遅刻したカカシが悪いので、カカシも背筋に冷や汗を流す。

「いきなりだが、お前たちを中忍選抜試験に推薦しちゃったから」

 少しだけ空気が柔らかくなった。
 悪鬼羅刹のような鋭い眼差しだった下人三人は急に笑顔に転じる。

「……本当にいきなりだな」
「何ですってー!」
「フン」

 三者三様の喜び方に「ガキだねぇ」と苦笑しつつ、カカシはウエストポーチから用紙を取り出し、配る。

「……先生、中忍選抜試験って何をするんですか?」
「ん、試験」
「それはわかるけど……」

 ナルトの質問の意味はわかるが、カカシとしても言いようがない。
 何故なら――

「実際のところは決まってないんだ。試験毎に担当する試験官が変わってな。毎回全く変わることになる。ま! 死ぬほど危険なものもあるってことだけは覚えておけ」

 その程度しかわかっていないのだ。
 担当する試験官によって何を重視するのかが変わるし、合格する基準も大幅に変わる。どんな任務が多く依頼されているのかという時期的なものもあるし、安易なことを教えられない。
 仮に知っていたとしても、自慢の部下であるナルトたちには敢えて教えない可能性も高い。何故なら、どうせ合格するだろうと安直に考えているからだ。

「任務でも死に掛けるんだから、そりゃ試験でも死ぬくらいのリスクはあるよな」
「当然だ」
「私、まだ死にたくないなぁ……」

 あまり恐れている空気は流れていない。
 カカシが特に危険な任務を選んでこなさせてきた奴らだ。命のやり取りには慣れている。精神的にも鍛えているし、自分たちでも自主訓練を欠かしていない。下忍としては及第点を与えられる実力を持つ三人が、試験に不合格になるということを想定できない。

「推薦と言っても強制じゃない。受験するかしないかはお前たちが決めることだ。
 受けたいものだけその志願書にサインして、明日の午後四時までに学校の301号室にくること」

 どうせ全員来るだろうけどね、と思いながら――

「以上!」

 解散となる。
 後に気付くのだが、三人とも遅刻の謝罪をされていないことに……
 必ず復讐をしてやると誓うのはまた別の話。

 ◆

 帰り道のことだ。
 散歩ついでに、ということで少しだけ大回りをしながら、ナルトたちは帰路についていた。
 各々が志願書にある注意事項を見ており、『遺書持参とのこと』という要項については「うへー」とうんざりしている。誰か死ぬことが前提であるらしい。
 それにしても――

「中忍になれば教師の夢にも一歩近づくな」

 教師になる条件は中忍であることと、適正があることだ。
 ナルトとしては「俺はばっちり教師に向いている!」という根拠の全くない確信がある。

「あんた、そういえば教師になりたいんだっけ……?」
「おう」
「似合わないわよ。やめておきなさいよ」
「……そうか?」

 サクラの言葉に整った眉根を寄せる。ナルトとしては否定されたら凹むというものだ。

「包容力が足りないわね。あんたみたいな考え方だと生徒の可能性を潰すわよ」
「……そんなことねぇよ。な! サスケ!?」
「……」
「何で返事しないんだよ!!」

 決して目を合わせようとしないサスケに叫ぶが、反応はない。
「向いてねぇのかなぁ……」と肩をがっくりと落して、これ以上ないほどにアンニュイな溜め息を漏らす。心の底から落胆しているようで、なかなかに根深いものだ。サクラとしてもうろたえるしかない。ここまで精神的に打たれ弱いとは思っていなかったのだ。
 ちなみに教師が向いていないと思ったのはサクラの本音である。

「そんな落ち込まないでよ。まだ私たちの年齢じゃそんなものだと思うわよ?」
「俺は教師になりてぇんだよ」
「まだ無理でしょ? 確かに教師の年齢基準は設けられていないけどさ。みんな二十五歳は越えてるわよ?」

 それもそうか、と呟くとナルトは急に元気になる。
 扱いやすいのか、扱いにくいのか、いまいちわからないキャラクターではあるが、とりあえず機嫌が治ったのならいいやとサクラは安堵する。

「お前らと組むのは楽しいから、当分教師になる気はなかったけどな。もうちょっと歳食ってから考えるか」
「そうすれば? 何か他にやりたいことも出てくるかもよ?」

 十字路を右に曲がったところにナルトの家はある。

「んじゃ、俺こっちだから」
「うん、また明日ね」
「またな」
「おーう! 頑張ろうぜ」

 緊張感のない三人は、悩むこともせずにのんびりと帰っていく。

 ◆

 それから何分か歩き、家の前に着いた。
 古ぼけた小屋のような家はナルトのものであり、木の葉隠れの里から提供されているものだ。
 機能性があるとは言えず、とても狭いそこにはナルトが一人住んでいるだけ。
 つまり、家の前に誰かがいるということはナルトに用があるということで……実に懐かしい顔が家の前で立ちつくしていた。

「イルカ先生か。どうしたんだ?」
「話がしたくてな」

 家の前にいたのは海野イルカ。アカデミー時代にナルトがお世話になった担当教官であり、最も恩義のある人でもある。この人のおかげで、ナルトは教師になるという夢を見つけたのだ。
「立ち話も何だし、上がる?」と家の中に上がるよう勧めるが「いや、いいだろ」と何故か断られる。
 何だか気分が悪そうだ。
 だが、すぐに陰鬱な空気を払拭すると、無理に作りあげたことがわかる笑顔を見せる。

「……最近どうだ?」
「いきなりどうしたんだ?」
「教師ってのはな。教え子の近況報告くらい聞きたいものなんだよ」
「忙しくて連絡してなかったもんなぁ」

 話したいことがあるけど、まだ話すことを決めていない。そんな喋り方だ。
 察しの良いナルトは気付かないフリをするが、何の用なのだろうかと頭を高速回転しつつ答えを弾き出そうと努力することを怠らない。

「任務がか?」
「任務もそうなんだけど、サスケとサクラとずっと修行しててさ。一日中つるんでるんだよ」
「そうか。仲は良いのか?」

 気恥ずかしくなるような問いに少しだけ顔を歪めてしまう。なんだか、とてもむず痒い。
 ナルトははぐらかすように「わっかんねぇ。けど、楽しいぜ」と微妙な答えを返すが、イルカはそれだけで理解できた。仲良くやれているのだろう、と。しかも、とても仲が良いことがわかる。

「あのナルトがなぁ……そうか。友達ができたか」

 ずっと目にかけていた――意地っ張りで頑固なナルトにもようやく友達ができたのあと思うと、素直に嬉しい。
 自分の手元から飛び去ってから上手くやれているのかとずっと心配だったのだが、杞憂に終わったようだ。
 もう歳だな、とイルカは思う。嬉しくて涙腺が緩むなど、歳を食ったせいだ。

「何だよ。何で目潤ませてんだよ」

 ナルトは戸惑うが、

「アカデミー時代はずっと一人だったもんなぁ……!」
「そうでもないよ。イルカ先生がいたしな」
「……お前って奴は!!」

 嬉しいことを恥ずかしげもなく言うナルトを、イルカは抱きしめてしまった。
 愚直なまでに真っすぐだった生徒が、今は立派にやれている。それだけでも嬉しいのに、自分に感謝の言葉を投げかけてくれる。
 大変だった。けど、有意義なことだったと思うだけで報われる。
「抱きつくなって!!」と照れ隠しにナルトは叫び、イルカも離してやる。こんな夏まっ盛りの日に男同士で抱き合うというのもむさ苦しいし、と。
 蝉時雨が五月蠅い。
 ジンジンと空気を震わせるそれは耳朶を打ち、不思議と心をざわつかせるものだ。
 緊張が場を満たしていく。
 本題を話していいものか、と悩むが――そのために来たのだ。
 意を決する。

「……お前、中忍選抜試験受けるのか?」

 唐突な質問を受け、ナルトもようやく合点が行った。
 にやりと笑う。

「当然だろ。何事も挑戦だ」
「危険だぞ? それこそ、死んでもおかしくないほどに……」
「舐めんなよ。俺だってもう忍者だ。死ぬ覚悟はできてる……とは言えないな。死ぬのは怖ぇよ」

 本音だ。ナルトは死ぬのが怖い。まだ死ぬには早いと思っている。
 けど、譲れないものがあった。

「なら何で受けるんだ? 急ぐ理由もないだろうに……」
「たぶんさ。初めてできた友達が受けるんだよ。だからさ。一緒にいれば守れるかもしんねー。理由なんてそんなもんだよ」

 友達と一緒に何かを成し遂げるというのはとても楽しい。連帯感は人に幸福感をもたらしてくれる。
 あまり感じたことないそれはナルトにとっては快感であり、全てを投げ打ってでも手に入れたいものとなった。
「くだんねーだろ?」と苦笑しながら言う姿は、どことなく子供っぽいものだ。
 友達がやるからやる、その程度の理由で命のかかった中忍選抜試験を受ける者は、他にあまりいないだろう。

「……いや、いいだろう。頑張る理由なんて他人が聞けば陳腐なものだったりする。けど、それは立派な理由だと思うぞ」

 イルカにとっては陳腐とは思えない、立派な理由ではあったが。

「お前は自慢の生徒だよ」
「へへ……」

 にへらと笑う癖は変わりなく、ナルトは鼻を痒そうに掻いている。

「今日な。火影様の前でカカシ上忍がお前たちのことを推薦してな。
 普通は一年以上鍛え上げて、万全の体勢を整えてから中忍選抜試験に挑むものなんだ。
 先生びっくりして……抗議したんだ……」
「……うん」
「カカシ上忍に言われたよ」

 あれは吃驚したよ、と呟きながら、

「第七班の下忍は私が認めた優秀な部下です。この程度の試験でくたばるような実力ではありません、ってな」
「気難しいことで有名なカカシ上忍がな……お前たちのことを認めていたよ。
 ……お前は強くなったのか? 強く、なれたのか?」

 俺の手がいらないほどに、という言葉は含めない。

「あぁ、なれたと思う。確証はないけど、俺は強くなっていってると思う」

 顔を赤く染めながら答える表情は自信に満ち溢れており、どこか影の差したアカデミー時代のときとは一変している。
 少年から大人になりつつあった。

「……でかくなったなぁ」
「背は小さいままだけどな!」

 二人は笑う。

「……久しぶりにラーメンでもどうだ? 中忍昇進の前祝だ」
「いいねぇ。たっぷり食わせてもらうよ」
「給料日前だからな。勘弁しろよ?」
「蓄えがねぇから嫁が来ねぇんだよ」
「言ったな。このやろう!」
「痛ぇな!」

 冗談混じりの拳骨を落とした、そのときだ。

「あ、いたいた。ナルトー!」

 別れたばかりのサクラが息を荒く、走りながらナルトたちのほうへと走って来た。

「サクラじゃねぇか。どうかしたのか?」
「サスケくんが修行するから連れてこいって五月蝿いのよ……あ、イルカ先生。お久しぶりです」

 ちょっと疲れたわ、ととんとんと肩を叩いている。
 全力で走ってきたのだろう。身体中から玉のような汗が流れ出していた。

「久しぶりだね。ナルトは今から先生と一緒にラーメンに行くんだけど……」
「えぇー、どうしよ?」
「サスケも呼んでこいよ。イルカ先生のおごりでラーメン食べようってな」
「うーん、そうね。そうするわ! じゃあ呼んで来る!!」
「待ってる」
「はいはーい!」

 待ってなさいよー! と注意してから走り出すサクラはとても元気そうだった。プリーツスカートが捲れるのも気にせずに、全力疾走をし始める。
 後ろからそれを見ていたイルカは「はしたないなぁ」と少しだけ思うが、まぁいいのだろう。

「本当に仲良くやってるんだなぁ……」
「疑ってたのかよ?」
「……うん、良い事だ。良い事だ……ちょっとだけ、寂しいけどな」
「何か言った?」
「何もないさ」

 子供の成長は早い。
 教師生活をしていて十分にわかっていたつもりになっていたが、本当につもりだったんだなぁとイルカは思う。
 これにて日常は終わり、明日からは激戦が待ちうけている。
 その前に、ちょっとだけ一休み。





[19775] 24.中忍選抜試験・開始
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 10:59
2.

 中忍選抜試験は忍者アカデミーの301号室で受付をしている。
 二階では幻術によるデモンストレーションのようなものが行われていて、随分と人だかりができていたのだが、七班の三人は幻術を即座に見破るとそのまま通り過ぎて行ったのだ。だが、見逃してくれるようなものではないらしい。妨害とは付き物なのだろうか。不穏な視線を背中に感じながら、ナルトとサスケは臨戦態勢を整えている。サクラはチャクラ糸を伸ばして周囲を警戒しているだけに留めていた。

「僕の名前はロック・リー。貴方の名前は何でしょうか?」

 暴力的な速度で目の前に現れた少年は唐突に自己紹介を初めて、サクラに名を聞いた。
 気障な登場の仕方だ。さぞかし美しい容姿であろう、と誰しも思ってしまうほどに華麗な登場だった。
 しかし、それは格好イイとは言えない容貌をしていた。
 何と言えばいいのだろうか――濃いのだ。
 太くて硬そうな髪をオカッパにまとめていて、眉毛も比例するかのように太くて分厚く、目にいたってはくりっとしたどんぐりのようなつぶらな瞳。そして、全身タイツ。傍から見れば変態だった。
 そんな変人極まりない容貌の少年にいきなり名を問われたのだ。サクラとしても失礼だとはわかりながらも、多少口の端を引き攣らせてしまうのは無理がなかろう。サクラの美的センスが警鐘を鳴らしていた。

「……春野サクラだけど?」
「――美しい名前だ」
「はぁ、どうも」

 何とも返答し難い言葉に無難な返事を返していると、変人――ロック・リーは歯を剥き出しにして笑って、無駄に粋なポーズを取った。白い歯が少し光った気がするのは気のせいだろう。

「僕とお付き合いしましょう! 死ぬまで貴方を守りますから!!」
「初対面でいきなり告白されても困るので、丁重にお断りさせていただきます」

 考える素振りすら見せない一瞬の出来事であった。
 即座に頭を下げて、断った。告白され慣れているのか。少しだけ罪悪感を浮かべながらも希望を打ち砕く言霊は見事にリーの魂を打ち砕いた。
 隣ではナルトが腹の底から笑いながら、サクラの頭をはたいている。サスケは少しだけ憮然としていた。

「一目惚れか? これのどこがいいんだか」
「これって言うな、これって。私は物か?」
「……馬鹿が」

 そのとき、リーの背後から白い瞳をした少年が現れた。
 ただものではないと一目でわかるほどの静かな闘気を纏っていう。
 日向一門の奴だろうな、とナルトは適当に決めつける。間違いなく白眼だからだ。

「オイ、そこのお前……名乗れ」

 威圧的にサスケのことを睨みつけながら、問うた。

「人に名を聞くときは自分から名乗るもんだぜ?」
「お前ルーキーだな。歳はいくつだ?」
「答える義務はないな」

 サスケも意地になって睨み合っている。
 もともと、うちはと日向は犬猿の仲だ。うちはの源流は日向と言われていることが原因だろう。あくまでうちはは日向の下に着け、という姿勢を崩さない。それがたまらなく嫌なのだろう。
 サスケに関してはそういう意味で意地になっているわけではなく、睨みつけられている現状が苛立たしいだけなのだろうが。
 仕方ないわね、と小さく呟くとサクラはサスケの肩を優しく叩き、

「二人とも、行きましょう。開始時間までそんなに余裕ないわよ」

 おそらく先輩であろう全身タイツの変人と三白眼の攻撃的な変人を無視して受付へと向かおうとしたのだが、

「目つきの悪い君、ちょっと待ってくれ」

 邪魔された。
 全身タイツの変人ロック・リーに後ろから声をかけられたのだ。

「今、ここで僕と勝負しませんか?」

 喧嘩を売られて、ナルトとサスケがぴくりと反応する。
 あっちゃーとサクラは目の前が真っ暗になる思いがした。
 二人ともプライドが高いのだ。喧嘩を売られて逃げるはずがない。

「僕の名はロック・リー――人に名を尋ねるときは自分から名乗るものでしたよね? うちはサスケ君……」
「知ってたのか」
「君と戦いたい」

 うちはと知っていて、喧嘩を売る。それは――

「あの天才忍者と謳われた一族の末裔に僕の技がどこまで通用するのか試したい。それに……

 つまり、うちはという血統に対しての下剋上。自分のほうが上だと証明したのだろう。そして、リーはちらりと視線の方向を変える。向く先にはサクラがおり――人差指と中指を伸ばした手を自分の唇につけて、ちゅぱっという粘着質な音とともにサクラに向けられる。つまり、投げキッス。
 サクラは露骨に顔を顰めて「……熱烈アピールね」とげんなりしていた。

「天使だ、君は!」
「あ、ありがとうございます……」

 褒められても嬉しくないのはどういうことだろう、とサクラは真剣に考え込む。おそらくナルトとサスケに言われたらこれ以上なく喜んだのだろうが、相手が眉毛の濃い人になるといまいち素直に喜べない。
 そもそも、初対面で、さらには喋ってすらいない相手に告白する。つまり、容姿に惚れたということなのだろう。内面を見ることすらしない相手のことをこっそりとサクラは軽蔑していた。

「モテモテだなぁ、サクラ」
「うっさい、黙ってろ」

 ナルトの皮肉にサクラの張り手が返される。ひらりと避けられることになるが、当たるまでやめる気はないのか、サクラは攻撃をひたすら続けていたのだが。

「金髪の君、随分とサクラさんと仲が良いようですね?」

 リーの言葉で攻撃は止まる。

「仲間と仲が悪かったら話にならんだろ……」

 呆れたように言い捨てるナルトに対し、サクラは少しだけ複雑な表情を向けるが、すぐに平静へと戻る。

「それにその身のこなし……凄まじい功夫です。そうですね、まずは貴方と戦いたい」

 そして、リーは片手を腰に添えるというイカしたポーズでサスケを指差した。実のところあまり決まっていないのだが、本人だけが気付いていない。

「うちはサスケ君。次に君とだ」
「俺が負けるのは前提かよ?」
「らしいな」

 サスケが相槌を打つ。なんとなく癪だった。ナルトからすれば、つまり、この全身タイツに舐められているということになる。負ける前提など、これ以上むかつく話など早々ないだろう。
 ぎりりと拳を握りしめて、胸の内で猛る焔を抑えつける。実力で示せばいいことだからだ。
 瞑目し、集中する。
 想うのはこれまでの修行の日々。積み上げてきた努力の結晶。思い返すだけで自信とともに、冷静さが戻ってくる。
 緊張すらも掻き消えた。
 眼を開く。

「まぁ、いいぜ。喧嘩はいつだって高価買取中だ。さっさとやろーぜ?」

 屈伸し、身体を伸ばす。
 無防備にすら見えるその状態であっても、隙などはなかった。リーは警戒しながらナルトを見据えている。
 一歩、踏み出た。
 サクラは溜め息を漏らすとナルトから離れて、勝負に巻き込まれないところへと避難する。サスケも同様だ。

「いきます」

 爆発的な速度でもって、リーはナルトの懐へと飛び込んだ。
 予想外の速度に一瞬驚くが、ナルトはすぐに反応する。
 リーは座り込んでいるのかと錯覚するほどに低く沈んでいる。そこから放たれるのは足を狙った地を這う蹴足。

「木の葉烈風!」

 轟っ!
 突風の如き下段蹴りはナルトの足を破壊しようと牙を剥く。それは的確にナルトの左足を打ち据えた。
 衝撃。
 千切れるかと思うほどの痛撃は、受け流してもなお激痛が走る。
 身体が宙に浮き、地面に手を着いて、腕力だけで飛び起きると、そこには蹴りを放つ体勢を整え終えたリーがいた。
 ナルトは確信する。

(こいつ――強えぇ!!)

 頭を狙うように蹴足が振りあげられる。圧倒的な暴力の予兆。
 こんなの喰らえば死ぬぞ、と思わせるほどのそれは、容赦なくナルトの頭蓋を狙っている。

「木の葉旋風!」

 向かい来る暴力に恐れず、円軌道をする上段蹴りを止めるために、ナルトは一歩踏み込んだ。
 遠心力のついた爪先ではなく、勢いののりきらない膝に対して肘打ちを撃ち込み、攻撃を殺した。
 ぎりぎりの駆け引きである。
 睨み合う。

「大層な技名の割には、随分と陳腐な攻撃だな……?」
「……まだまだ!!」

 無駄のない直線を描く拳突。
 とても見切りにくいそれをリーは反射神経だけで受け止めると、別の軌道を描くもう一方の拳にも気付き、受け止める。
 いとせず手四つになったそれは――ナルトにとってはとても都合が良い。
 押し合い。
 技巧ではなく、単純な力勝負。
 ナルトは腕力にとても自信を持っていた。

「力じゃ負けねぇよ!」
「ぬぬぬぬ……!!」


 両腕で押し合いながらの力比べ。木張りの床が二人の生み出す圧力に耐え切れず、軋み始める。
 強い。
 ナルトは本気で驚いていた。
 同年代であろう相手が自分と力が拮抗している事実に、心の底から驚嘆する。
 骨が軋み、血が逆流する。筋肉が悲鳴を上げている。
 徐々にナルトは押され始めていた。単純な膂力で――敗北を喫しようとしていたのだ。
 歯を食い縛り、身体の慟哭などを無視して、さらに力を捻りだす。だが――

「うおりゃあああああああ!!」
「……まじか!!」

 雄叫びとともに加えられた力に抗することができず、ナルトは無様に地面へと叩きつけられる。
 背筋に走る痛烈な痛みが意識を刈り取ろうと暴威を振るうが、視界に拳を振り上げるリーが見えるのだ。気絶などできない。
 下段突き。
 全体重を込めることができるそれはかなりの威力を誇り――

「うひ、うほっ! やっべ、やっべええってこれ!!」

 ダンゴ虫のようにナルトはひたすらに転がりながら、下段突きを避け続ける。喰らったら超痛いだろうから、必死に逃げるのだ。
 果てには背筋の力だけで飛び起きると、サスケの後ろへと即座に逃げる。

「サスケ、バトンタッチだ。試験前に怪我とかやってらんねぇ」
「……ギブアップということですか?」

 リーは少しだけ軽蔑するようにナルトを睨んでいるが――

「うん。体術でお前に勝てそうにないから棄権する。サスケ、後は頼んだぜ!」

 あっさりと降参する。
 もともと体術に絶対の自信があるわけでもなし、負けるのは少々悔しいが、それ以上に万全の体勢で中忍選抜試験に挑むことのほうが大切だ――と、ナルトはこっそり自分に言い訳をしている。
「調子のイイ奴だな……」とサスケはナルトの内心を察して言うが、ナルトは恥ずかしそうに目を逸らすだけ。サクラもちょっと情けないものを見るようにナルトを見ていた。

「宣言します。君たちは僕に絶対勝てません!
 何故なら、今、僕は木の葉で一番強い下忍ですからね」
「下忍でのランキングなんて興味はない。けど、お前の強さには興味がある……やってやる」
「サスケくん、できるだけ早く終わらせてね。あと三十分もないわよ」

 ナルトとリーの戦いを見て、好戦的な気分になっているサスケに釘を刺すようにサクラは言う。

「五分で終わる」

 凄い自信だな、とナルトは思うが――あながち嘘でもないのだろう、と思う。
 サスケは特別な力があるのだから――

「木の葉旋風!」

 暴風を相手しているのかと錯覚するほどの上段蹴り。
 一瞬で距離を詰めての攻撃は、サスケが一歩退いただけで空振る。

「この攻撃はさっき見た」

 そこから繋ぐ連撃は下段蹴り。
 これもひらりと避けると、さらには上段蹴りへと繋ぐ。
 だが、

「このパターンも見させてもらった」

 リーの蹴足の膝に肘打ちを撃ち込むと、顎を狙って掌底を放つ。
 避けることすら敵わないそれはリーよりも遅いが、攻撃の間を絶妙に捉えた一撃だった。
 つまり、避けられない。
 顎に一撃をぶち込まれたリーは衝撃そのままに後ろへと吹き飛ばされると、こらえるかのように地面に足を打ち据える。
 リーはがくがくと震えていた。
 顎を打たれたせいで脳が揺さぶられたのだ。
 ぐらつく視界でサスケのほうを見る――すると、見てはいけないものに気付いたかのように驚愕に染まる。

「写輪眼!?」
 
 うちはの血統にのみ現れる特殊な瞳術――写輪眼。
 それは幻・忍・体の全てを見通すとされる木の葉最強の一つと言われるもので、うちはを天才たらしめる所以だ。
 開眼している。
 うちはの正統血統たる写輪眼を見ると、心が震える。
 リーは敵の強さを見誤っていた自分の愚かさを戒めるかのように拳を握りしめると、再び突貫した。
 しかし、一蹴される。

「うちはの力、舐めるなよ。お前の速さなんて止まって見える」

 完全に見切られている。
 しかも、ひたすらに体術を極めた自分のスピードに対応できるだけの強さを持っている。
 このままでは勝ち目がない。

「禁を破ることになりそうです、ガイ先生……」
「何言ってやがる?」

 訝しげに呟くサスケはその次の光景を目にしたとき、正気を疑った。
 気付けば、自分は宙を舞っていたのだ。
 じんじんと顎が痛むことから、何かしらの攻撃を受けたことは想像がつくが――おかしい。
 写輪眼をしても敵の動きを捉えられなかった!!

「まさかここまで強いとは思ってませんでした。手加減できそうにありません」
「くっ、影舞踊……!」

 宙に浮かぶ自分の後ろから、声が聞こえる。
 影舞踊と呼ばれるそれは敵の後ろにぴったりとくっついて、攻撃をし始める技術のこと。背後をとられれば敵の姿を見ることはできず、写輪眼を持ってしてもどうしようもない。完璧な写輪眼封じだ。

「たとえ写輪眼で僕の動きが見えていようとも、僕の体術のスピードについてこれなければ意味がない。
 さっきまでのスピードとは違います。僕の本気の速度――努力の結晶を、これからお見せしましょう」
「自分で努力がどうのこうのなんて言うなんて世話ないな」

 ばちばち。ばちばち。
 肉体を活性化させる【千鳥】を発動し、サスケは限界を超える身体能力でもって背後へと攻撃を加える。
 不発に終わり、雷鳴の如き右手はリーに捌かれる。
 残った左手も避けられて、足でリーの身体を蹴り飛ばし、回避した。
 距離を取る。

「逃がしません!」
「逃げる? 勘違いすんな。見せるんだよ!!」

 さらに光は凝縮され、『チッ、チッ、チッ、チッ』と小鳥が鳴くような声が木霊する。
 リーも姿勢を低く、いつでも飛び掛かれるように運体をこなし―― 
 同時に敵に飛び掛かった。

「そこまでだ、リー!」

 突如聞こえた怒声で、決闘は中断される。
 乱入して来たのは――何と言えばいいのだろうか。そのままに表現することが許されるというのならば、それはまさしく亀であった。
 ごつごつした甲羅を背負う亀はまさに亀そのものといった風情であり、首――であっているのだろうか。頭部の根元と言うべきなのだろうか。どちらでもいい。とりあえずそこに木の葉の額当てをぶらさげていた。
 忍なのだろうか?

「リー! 今の技は禁じ手であろうが!?」
「し、しかし……もちろん僕は"裏"の技を使う気はこれっぽっちも!!」
「馬鹿め!」
「す、すみません、つい……」
「そんな言い逃れが通用すると思うか!? 忍が己の技を明かすということはお前もよく知っているはずじゃ……!」
「オ、押忍っ!」

 サスケと相対するのをやめ、リーは必死に亀に対して謝っていた。


 ◆

 その光景はとてもシュールであり、七班はとても微妙な顔つきになっていた。

「にしても、あの亀がいろいろと濃い先輩の師匠なのか? なんか、独特だな……」
「奇人変人ここに極まれりね……」
「俺はそんな奴相手に苦戦したのか……」
「俺なんか負けたんだぞ。気にすんな」

 思うところはあるが、リーは強い。出鱈目に強い。認めるしかないだろう。
 しかし、

「さすがに奥の手を出すのはやりすぎだろ。相手は同郷出身者だぜ?」
「頭に血が昇っちまった……」

 奥義である【千鳥】を使ったサスケにナルトは注意する。負けたくない気持ちはわかるが、いきなり奥の手を披露するのはやりすぎだ。
 実際のところ、火遁を屋内で使うわけにはいかなかったので、サスケとしても仕方なく【千鳥】を選んだわけなのだが……

「それよりも、あの亀何なの? スゴイ偉そうなんだけど……」

 気になるところである。
 ナルトたちは好奇心を光らせながら、リーたちの動向を窺った。


 ◆

「覚悟ができたであろうな?」

 低音が放たれる。
 威圧感の籠ったそれは亀が発しているというだけで不思議と緊張感が薄らぐ。しかし、リーはそうではないようだ。がくがくと身体を震わせながら、冷や汗なのか脂汗なのかわからないものを体中から噴き出しており、心底怯えきっているのがわかる。この亀はどれほど強いのだろうか、と七班の面々に考えさせずにはいられないほどの脅えっぷりだ。

「では、ガイ先生……お願いします!」

 亀の一言とともに、亀の甲羅の上にはいきなり人が現れた。

「まったく! 青春してるなー! お前らーっ!」

 なんというか、濃い男が現れた。
 十年もすればリーはああなるのか、と容易に納得させるような――そんな容姿だ。実に濃い。濃すぎる。残念な男性だった。言っている言葉も意味不明に熱血なので、さらに輪をかけて残念な気持ちにさせられる。

「すげぇな……リー先輩にそっくりじゃねぇか……」
「二つ並ぶと壮観すぎて目が潰れそう……」
「言葉が出ねえよ……」

 ナルト、サクラ、サスケの順に呟いた言葉は本音そのものだ。サクラなどは見たくもないと言わんばかりに目を逸らしている。
「コッ、コラー! 君たち、ガイ先生を馬鹿にするなー!!」とリーは怒るが、そんなものは無視だ。陰口くらい許してほしいと思わせられるほどに美的センス皆無なペアなのである。精神的苦痛を考えればこれくらいの悪口は許されてしかるべきだ。
 だが、ナルトとしても外見の悪口はあまり言わない主義だ。

「馬鹿にしたわけじゃないんだけどよ。気を悪くしたのなら謝る」
「あ、それなら……」

 素直に謝るとリーとしてもそれ以上は何も言えず――

「リー!」
「あ、オッス」
「バカヤロー!」

 背後にいるガイ先生とやらに思い切り殴られた。「ふぐっ!?」と悲鳴をあげながら吹き飛ばされたリーは壁にぶち当たるほどに吹き飛ばされて、受け身すらとれずに崩れ落ちる。
 あまりの惨状に七班の三人は目が点になり、台詞で表すとするならば「!?」であった。いきなりの打撃に何の意味があるのかいまいち理解できない。
 ガイは静かにリーへと歩み寄ると――

「お前って奴ぁ……お前って奴ぁ……」
「せっ、先生……!!」

 男泣きを始めた。リーも同じく泣いている。
 なんというか、むさい。

「先生……僕は、僕は……」
「もういい、リー! 何も言うな!!」
「先生ー!!」
「そう……それこそ青春だ!!」

 暑苦しくなってきたので、サクラは顔を手で扇ぐと、ふと時計を見た。そろそろ時間である。

「行きましょう。これ以上付き合ってられないわ」
「……目に毒だしな。行くぞ、サスケ」
「あ、あぁ……」

 不気味なものを見るように、サスケはガイとリーの青春を見届けてた。

「青春ねぇ……青臭いな。まぁああいうノリは嫌いじゃねぇけどよ」
「そんなことより時間厳守よ。遅刻したら『やっぱりカカシ班だな』って馬鹿にされちゃう」
「それは困る。カカシと一緒にされたくない」

 カカシ班は遅刻常習犯と烙印を押されてはたまらない。遅刻をするのはいつだってカカシだけであり、子供三人は遅刻などしたことがないのだ。実に不名誉な話である。

「急ぐぞ」
「おう」

 青春ストーリーを紡ぐ異物二つを置いて、七班は受付のところへと向かった。



「サスケ君、おっそーい!」
「うおっ」

 受付を終えて、試験場の教室へと足を踏み入れたときのことである。
 サスケは唐突に女子に抱きつかれた。

「私ったら久々にサスケ君に会えると思ってぇ~ワクワクして待ってたんだからぁ~!」

 サスケに抱きつきながら金髪のポニーテールをふりふりと揺らす少女の名前は山中イノ。アカデミーの同級生である。
 イノに抱きつかれて困ったように身体を揺らすサスケを放置しておくのもいいのだが、心底嫌そうにしているので、サクラも助け船を出すことにしてやったのだが、

「サスケくん、嫌がってるじゃない。離してあげなさいよ」
「あ~ら、サクラじゃない。相変わらずのデコリぐあいね、ブサイクー!」
「なんですってー!」

 ブサイクと言われて沸点に達する。
 瞬間湯沸かし機の如く真っ赤になったサクラは今にもイノに飛び掛かりそうになるが、ケタケタと笑うナルトに止められる。

「気にすんなよ。サクラは可愛いって。な、サスケ」
「お、おう……」

 そんなの関係なし。

「そんなこと知ってるわよ! ただ、イノにブサイクって言われたことがむかつくの!!」
「お姫様はお怒りだぞ。どうするよ?」
「怒りが治まるのを祈るしかないだろ……」

 さらりと可愛いと言われたことを嬉しく思いながらも、サクラの怒りは治まらない。そんなサクラを少しだけ羨ましそうにイノは見つめながら、すっとサスケから離れて行く。
 男二人に大事にされていることが今のやり取りで見えてしまったせいで、少しだけ嫉妬してしまったのもあるし、自分の班の男二人を思い返すと少し哀しくなった――わけではないはずである。

「――妙に仲が良いわね。サスケ君ってこんなキャラだったっけ……?」
「こんなキャラに成り下がっちゃったのよ!!」

 ナルトはもっと近づきがたい雰囲気だったはずだし、サスケはもっとツンツンしていたはずである。随分と丸くなったものだ、と少々驚くイノであった。
 やいのやいのとサクラとイノは言い合いに巻き込まれるのを恐れ、ナルトはちゃっかりと場を移動したのだが、ふと見るとチョンマゲ頭のシカマルと、肥満気味のチョウジがいた。

「何だよ。こんなメンドクセー試験、お前らも受けるのかよ?」
「オバカペアか。お前らも相変わらずだな」
「その言い方はやめー!」

 オバカペア。つまり、シカマルとチョウジのことを指す。この二人はアカデミーでも屈指の座学最下位の点数の持ち主であった。

「こ、こんにちは……」
「これはこれは皆さん御揃いでー!!」

 次に現れたのはキバ率いる八班の面々である。
 キバは攻撃的な視線をナルトに向けながら「ナルト、前の借りは絶対返すからな……!」とぼそりと呟く。「いつでも来いよ」と冷然と笑うナルト。お互いの視線に火花が散った。
 間に割り込むようにヒナタはナルトに歩み寄り、じっとナルトの目を見つめている。

「あ、あの……ナルトくん……」
「何だ?」
「あ、いやっ……そのっ……!」
「風邪か? 随分と顔が真っ赤だぞ」

 顔全体を茹蛸のようにしているヒナタの額にナルトは自分の額を当てる。「ひぁっ!?」と可愛らしい悲鳴をあげて、ヒナタは一歩飛び退いた。
 キバは後ろで鋭利な牙をぎりぎりと軋ませているのが印象的である。
 そんなやり取りをサクラとイノは見て取っていた。女二人からすれば実に刺激的な光景であるが――

「こりゃ風邪だな。随分と体温が高い」
「ナルト、あんた天然?」
「何がだよ」
「気づいてないんならいいわ……他人に関することなら聡いのに、自分のことになるとからきしね」

 サクラがついツッコミを入れてしまう。本気で風邪だと思っているのか。
 ちなみにヒナタは飛び退いた先で「わ、わわ、あわわわ」と凄まじい混乱に陥っている。キバが心配そうに声をかけているが反応はない。重傷だ。

「何言ってんだよ……ったく、ヒナタ?」
「あ、あう……」
「おい、キバ! なんかヒナタがやばいことになってんだけど、どうすりゃいい?」
「……知るかよ!!」

 怒声を浴びせられてナルトは疑問符をあげるが、誰も答えを教えてくれない。
 どうすりゃいいんだ、と途方に暮れていると――

「おい、君たち! 少し静かにしたほうがいいな」

 ふと、誰かに注意され――

「あ、ごめんなさい。ナルト、サスケくん、席つくわよ。怒られちゃったじゃない」
「え、あい、おい……君たち……」
「えーと、席順はっと……適当でいいみたいね。空いてるところに座りましょ」
「おう」

 七班の三人は順々に席に着いていく。

「ナチュラルに無視された……」

 後に残されたのは、注意をした――スルーされた木の葉の額当てをつけた下忍と、茫然と見送ったアカデミーの同級生たちである。






[19775] 25.中忍選抜試験・筆記試験
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 11:00
3.

 教壇の上に、煙とともに多くの忍が現れた。
 一人だけ黒っぽい衣を羽織っており、他のものたちは中忍になると支給されるジャケットを着ていることから、中忍なのだろう。おそらくはこの試験のための人員なのであろうが、推測の域を出ない。
 どのような試験になるのだろうか、ナルトはひそかに心を踊らせていた。

「試験官の森乃イビキだ」

 全身黒っぽい衣で包み込み、頭部も帽子を被り、手も手袋で隠している。肌を露出することを禁じているのかと勘ぐるほどだ。
 イカツイ顔立ちが物々しい雰囲気を露呈しており、タダものではないと思わせられる。
 発せられる声は重低音のそれで、小さなものが聞けばそれだけで委縮する類のものだ。
 ナルトの隣に座るサクラは「苦手なのよね、ああいうタイプ……」とぼやいている。しかめっ面からして、本気で嫌がっているようだ。

「では、これから中忍選抜第一の試験を始める。志願書を順に提出して、代わりにこの座席番号の札を受け取り、その指定通りの席に着け。
 その後、筆記試験の用紙を配る」

 筆記試験――思考力や記憶力を比べるためのものだ。
 ナルトとサクラは、サスケのことをちらりと窺う。不安という成分をふんだんに含まれた濃密な視線。

「筆記試験か」
「何で俺を見る?」
「いや、別に……ねぇ?」
「サスケが不合格にならないか心配していたわけじゃないぞ」
「どういう意味だ!?」

 この中で一番勉強のできない子はサスケであった……。

 ◆

 配られた用紙を裏に向けて置いたまま、ナルトは指定の席に着いた。
 サスケは自分よりも前で、サクラは後ろ――都合が悪い席順だが、仕方ない。どうやってサスケに答えを教えるものか、とナルトは頭を悩ませていた。

「ナルト君……」

 緊張気味の声が隣から聞こえてくる。そこにいたのはよく見知った女の子――ヒナタであり、髪を指で弄びながら、ちらちらと盗み見るかのようにナルトに視線をよこしていた。

「あぁ、ヒナタか。隣になったみたいだな」
「お、お互い頑張ろうね……?」
「おう。まぁ、筆記試験なら問題ないだろうけどな。俺そういうの得意だし」
「そ、そうだね……」

 ナルトは座学が得意であることを知るヒナタは同意する。
 皆が席に着くまでの間、至極穏やかな時間が過ぎていた。だが、それも終わる。
 教室の壁側と窓側に中忍たちが座っており、手にはチェックボードが持たれている。
 ただの筆記試験を逸脱している堅牢な防壁。いったいこれは何なのだろうか。
 イビキが教壇の机を手荒に叩くと、硬質な音が響いた。

「テストのルールを説明する。
 採点方式は減点式となっている。そして、合格点数は班全員の合計点数で決まる!
 そして、もっとも重要なルールだが……ククク……『カンニング及びそれに順ずる行為を行った』と判断された場合、その行為一回につき二点ずつ減点させてもらう」

 ナルトは首を傾げた。

(随分と手ぬるいな。不合格にはならないのか。何かおかしいな……)

 ナルトは木の葉隠れの里の外に何度も出たことがあるから知っているが、入試試験などでカンニングをすれば一発不合格になる上に、他の学校の受験資格すら剥奪されるはずだ。それにしてはあまりにも罰が軽すぎる。
 違和感が付き纏う。

「つまり! この試験中に点数を吐き出して退場してもらうものも出るだろう!」
「いつでもチェックしてやるぜ」

 イビキの言葉に反応し、中忍の一人が偉そうに座りながら皮肉に笑う。

「不様なカンニングなど行ったものは自滅していくと心得てもらおう。仮にも中忍を目指す者……忍びなら……立派な忍らしくすることだ。
 そして、最後のルール。この試験終了時までに持ち点を全て失ったもの……および正解数0だったものの所属する班は三名全て道連れ不合格とする!」

 えー! と中忍試験志願者たちは抗議の声をあげるが、イビキの一睨みで沈黙する。
 時計の針が四時半を指した。

「試験時間は一時間だ。始めろ!!」

 一斉に用紙がめくられる音が流れる。
 ナルトもその一人であり、まずは筆記試験の問題の難易度を探るために全問に目を通してみたが――実に困った。

「……半分くらいしかわからん」

 力学や暗号、特殊条件下における最適な行動を論理的に解説する、などなど――アカデミーでは習わないほどの高等問題を見て、溜め息を吐いた。
 後ろの方に座っているサクラにしても、問題を見て、叫び声を上げたくなった。

(こんなのあの二人に解けるわけないじゃない!! ……私は解けるけど)

 前のほうに座るサスケも問題を見た瞬間に、冷たく笑うと、一滴の冷や汗を流した。

(こんなの一問たりともわかんねぇよ……)

 そうなのである。わからないのだ。
 一応勉強に関しては時間を割いてきたつもりではあるが、どちらかというと体術や忍術に偏重していたきらいのある七班である。サクラを除く二人はこの問題に関しては『全問正解は無理』という解答を弾きだしていた。諦めの早い奴らである。
 どうするかな、とサスケは無意識に鉛筆をくるくると回しながら周囲を探る。にやにやと笑う中忍たちが目についた。

(にしても、この念の入り様……俺たちがカンニングするってまるで決め込んでいるようなやり口だな。嫌な奴らだぜ……)

 一方、ナルトは――

「さて、カンニングするか」

 ばれなきゃいいわけだろ? というあっさりとした結論に達し、カンニングすることに決めていた。どうせ解けないのだから考えるだけ無駄である。実に爽やかに笑いながら悪に手を染めることに躊躇しないその姿は、一種の清々しさすら醸し出していた。
 印を組むと、机の上にはゴキブリ二匹が現れる。隣に座るヒナタが「……ゴ、ゴキ!?」と驚いて卒倒しかけているが、無視だ。これはゴキブリではなく、ナルトの影分身が変化の術でゴキブリンになっているだけである。何故ゴキブリなのかは本人にもわかっておらず、ただ、何となくというだけだ。
 ゴキブリを手に取ると、背中に大きく"ナ"と書き、筆記試験の用紙の角の方を小さく千切って、文書をしたためたものを咥えさせる。もう一匹には"サ"と書いておいた。

「サクラのとこに行け」

 ゴキブリ二匹はケツを振って頷くと、ビチビチと茶羽を動かしながら華麗に地面へと着地し、サクラのほうへと滑走していった。なんというか――あまりに精神的によろしくない光景である。ヒナタに至っては未だに目を見開いたままだ。
 ゴキ――ナルトの影分身はサクラの席に辿りつくと、サクラの健脚を伝って上へと登り始める。
 不気味な感触にサクラは視線を下げてみると、ゴキブリが自分に向かって疾走してくるのだ。しかも、物凄い勢いで。よく鍛えられたゴキ――ナルトは容赦なくサクラに襲い掛かる。

「……ん、何よ……ゴキブリィ!?」

 驚愕し、立ち上がってしまう。
 だが、試験官であるイビキに見据えられ「テスト中に私語を許した覚えはないが?」と、注意された。
 謝り、腰を下ろす。

「あ、すみません。ちょっと驚いちゃって……」

 少し冷静さを取り戻し、ゴキブリを凝視しつつ、気付いたことがある。

(背中に大きく『ナ』なんて書いているゴキブリなんていないわよね。ナルトか……何、紙咥えてる?)

 ゴキブリ二匹が元気一杯にテスト用紙の上で暴れ狂うのを気分悪く見つめながら、ゴキブリの唾液がしたたる紙を摘みあげ、中身を読む。

『問題解けそうにない。俺の影分身に糸つけて糸電話みたいな感じに答え教えろ。サスケもどうせわかんねーだろうから、そのためにゴキ……俺を二人用意した。頼んだぞ』

 堂々と問題解けない発言をし、挙句の果てに精神的苦痛になるであろうゴキブリを送ってくるあたり、性格の悪さが窺える。
 サクラはかつてないほどまでに自制心を発揮させて怒りを鎮めようと努力するが、無理そうだった。殺意が込み上げてくる。

(なんでゴキブリなのよぉー! 私にこれに触れってこと……!?)

 糸電話。つまり、不可視であるチャクラの糸を使って意思疎通をしようという発想には拍手を送りたくなるが、しかし、影分身とはわかっていてもゴキブリに触らなければいけないのか。
 きらきらと輝いていると勘違いさせられるほどつぶらな瞳を向けてくるゴキブリがとても鬱陶しい。
 悩む。
 試験合格か、乙女の黒歴史か――悩みに悩んでいるときのことだ。

「あの~これだけ教えて欲しいんですが、いったい上位何チームが合格なんですか?」

 隣に座る少女が立ち上がり、質問をした。

「知ってどうなるわけでもないだろ。それとも、お前……失格にされてーのか?」
「す、すいません!」

 全員の視線はそちらに奪われている。
 まさに、チャンス。
 目を閉じるとチャクラの糸を伸ばし、ゴキブリの背中にくっつける。ぶにょっとした感触が指先に広がった。気持ち悪い!!

(うひー! もうヤケよっ! 今の内に……行けっ!)

 感謝の意を表現しているのか。ゴキブリ二匹は猛烈にケツを振ってサクラのことを見つめているが、苛立つ以外の効果はない。まさに挑発だった。
「後で殺す……っ!!」と小さく呟いた言葉に反応し、ゴキブリたちは反転し、急いでサクラから離れて行った。濃厚な死の気配を感じ取ったのだ。
 サスケはと言うと、問題を解くのを諦めてたところだ。
 一人の中忍がチェックボードに何かを記入しているのを見て取り。

(誰かカンニングをやったな……なるほど、これはカンニングをばれないようにできるかチェックするためのテストか)

 筆記試験の要を掴んでいた。
 カンニングするための対象を探していた――そのとき、机の上にゴキブリが乱入して来た。
 アグレッシブなダンスを披露するゴキブリは何故か異様にテンションが高く、二足歩行をしていた。こけたが。

(用紙の上で暴れるゴキブリなんかいないよな……しかも、背中に"サ"ね。視てみるか)

 写輪眼で確認してみると、ゴキブリの中にはチャクラが渦巻いており、普通のゴキブリではないことが手に取るようにわかる。そして、背中には――

(糸……ね。なるほど)

 糸をもぎ取り、手に取る。
 すると、 

『聞こえる?』

 糸を伝ってサクラの声が聞こえてきた。
 こういう使い方もあるのか、と感心させられる。 

『あぁ、こっちは聞こえてる。サスケにはもう届いたか?』
『オッケーだ。お前らはもう気づいていたわけか』
『当然だろ。こんな難しい問題を解るやつが早々いるはずがねぇ。カンニング推奨だぞ、これは』

 ナルトの言葉に『私はわかるけど……』とサクラは被せる。そのための糸電話だ。『俺たちは幸運だな。運動音痴だけど、勉強だけは出来る奴がいる』とサスケは皮肉を言ってしまった。いつものノリだ。

『そ、それなりに運動もできるようになってきたじゃない!?』
『カンニング扱いにされるぞ。声は小さくしろ』
『う、うざい……しかも、ゴキブリなんか渡して……後で覚えてなさいよ』

 げっ、とナルトは苦しい声を上げるが、スルーすることに決め込んだのか、返答はしない。

『ところで、サスケは問題わかったか?』
『一問もわからん』
『俺は半分は解けそうなんだが、頭疲れるからサクラに丸投げする。後は頼んだ』
『おい、こら! ちょっと待て!!』

 ナルトの言葉にサクラは反論するが、

『サクラはわかるのか?』
『え、うん……一応全部解けるわよ』
『さすがはサクラだな。頼む。俺にはわからん』
『……頑張るわ!!』

 とサスケにあっさり懐柔される。
 サクラは班内であまり褒められることはないので、褒めるとわりと素直に言う事を聞いてくれるという事実があった。やるぞー! と無駄に元気になっているのが微笑ましく、頭は良いのに馬鹿だなぁ、と二人に思われていることに気付いていない。
 くすくすとナルトは笑っていると、

「ナルトくん……さっきからどうしたの?」
「ん、内緒。こればっかりはな」
「そ、そう……」

 ヒナタに声をかけられた。
 心配そうな声音であることから、ナルトがどうにかなったとでも思われたのだろうか。心外である。
 適当に話を逸らすことにする。

「お前は問題解けたのか?」
「う、うん……一応……」
「試験合格するといいな」
「うん!」

 後はサクラから答えを聞いて書き写すだけ。
 だが、気になることはある。
 最後の十問目が、試験終了十五分前に問題を提示すると書いている。
 どういう意味だろう? と考えるが、答えは出てこなかった。


 ◆

 山中イノはアカデミー卒業生である女子の中ではトップの成績だ。
 体術・忍術・座学、全てにおいて好成績を修めていた彼女ではあるが、唯一トップをとれなかった科目がある。座学だ。

「ふふ、どうやらサクラの手が止まったみたいねー! じゃ、そろそろやらせてもらおーっと!」

 筆記試験の問題を見ても、全く解けそうにない。だいたいはわかるが、それでも正解であるという確証が持てないのだ。だからこそ、念には念を入れる。

(サクラ……アンタのデコの広さと頭の良さだけはスッゴーイ! って認めてんのよ……だから、感謝しなさーい)

 らんらんと光る蒼色の双眸はサクラの背中を見据えている。
 問題が解き終わったのだろう。グッと伸びをして緊張を緩めているようだ。
 狙いは今!

「心転身の術!」

 サクラの身体がビクンと大きく揺れる。そして、サクラらしくない、勝気な笑みを浮かべた。
 心転身の術――山中家に伝わる秘伝忍術の一つであり、相手に自分の精神を直接ぶつけ相手の精神を乗っ取る術だ。これは諜報活動などで真価を発揮する。つまり、今のようにカンニングするときなど大活躍だ。
 だが、どんなときでもアクシデントは付き纏うものだ。

『ん、糸が一気に揺れたぞ。サクラ、どうした?』

 何かを伝って聞こえてくる声がある。

(な、何よ。いきなり誰かに喋りかけられてる。声からして、ナルト……?)

 意味がわからず、黙していると、ナルトに疑われるのはわかるが、どうやって返答すればいいのかわからない。
 それに、机の上にある茶色い物体を見つけて背筋が凍った。

「あ、え、ちょ、待って! って、ゴキブリィ!?」

 その声で疑いは確信に変わる。

『サスケ、サクラが誰かに操られてる。電気流しちまえ』
『わかってる』

 チャクラの糸は見えない。そして、イノにはない知識であり、想像することすらできない。
 どうやって解除すればいいのか、どうやってゴキブリを排除すればいいのか、どうやって疑いを晴らせばいいのか――考えることは多々あるが、混乱をしていた一瞬の時間。不意打ち攻撃が食らわせられる。
 不可視の糸を伝う雷の性質に変換されたチャクラが流れてくる。
 ビクン! と身体が跳ねる。

「い、痛だだだだだだだだ!!! やってらんないわよ! なんなのこれ!!」
「騒ぐな! 失格にするぞ!」

 すぐに心転身の術を解くと、サクラの意識が戻る。
 サクラからすれば、意味がわからない。意識を奪われている間の記憶はないのだから。
 何故怒られているのか、そして――

「……へ? 痛でででで!」

 何で拷問の如き電流攻撃を受けているのか、理解できない。

『やめてよっ!! 痛いじゃないの!?』
『サクラが戻ったみたいだ。何かされてたみたいだな』
『危なかった』
『何の話……?』

 最後まで何がどうなってこうなったのかわからないサクラであるが、一番不運なのはイノであろう。

(ど、どうしろってのよ……デコリンめ……いったいどんな術使ってるわけ!?)

 心転身の術は無意味に終わった。

 ◆

 時間が経ち、カンニングがバレて幾人もの受験者が姿を消していっているとき、時計の針が終了十五分前を指した。

「よし! これから第十問目を出題する!」

 全員の目がイビキに向く。
 やっとか、といった表情をしているものと、もうか、と諦めの混じった表情をしているものと様々だが、皆一様に真剣な眼差しをしていた。

「と、その前に一つ最終問題についての……ちょっとしたルールの追加をさせてもらう。
 では、説明しよう。これは絶望的なルールだ」

 どういう意味なのだろう、とサクラは訝しむ。

「まず……お前らにはこの第十問目の試験を"受けるか""受けないか"のどちらかを選んでもらう。
"受けない"を選べばその時点で失格。班員も道連れだ」
「ど、どういうことだ! そんなの"受ける"に決まっているじゃないか!!」

 当然の反応をする受験生の一人を無視し、イビキは説明を続ける。
 その目は「黙って聞け」と雄弁に語っていた。

「そして、もう一つのルールだ。
"受ける"を選んで正解できなかった場合、その者については罰を与える……」
「罰……?」

 誰かが漏らしたその言葉に、イビキはにやりと笑って返す。
 おさえられない狂気を見せつけるかのような、不気味な笑みだ。教室の温度が、何度か下がったような気がする。

「こうなるってことだよ……」

 イビキは右手の手袋を外す。
 背筋が凍る。
 そこには指が切断されていて、無骨な義指の生える手があった。
 付け根にはぐちゃぐちゃにされた跡が見えており、どのようなことがあったのか想像するのは難くない。

「指を切断してもらう。何、生活には困らん。俺だって生きていけてる。楽な罰だろう?」

 無茶苦茶だ。受験生たちは青くなる。

「そ……そんな馬鹿なルールがあるかあ!! いくら何でも……!!」

 立ち上がり、文句を言ったのはキバだ。
 微妙に身体が震えていることから、怯えているのだろう。指が無くなるとは、つまり――忍者生命を終えるということなのだから。
 ささやかな反抗すらも楽しいのか、抑えきれない愉悦がこみあげてきているイビキは腹を抱えて笑っている。幸せそうに、狂った笑みを浮かべている。間違いなくサドだ。嗜虐的な行為に酔い痴れているのがわかる。

「ク……ククク……フ……ハハハッハ!!! 餓鬼の喚き声はいつ聞いてもいいものだ。最高に心地良い……お前ら、運が悪かったんだよ。俺が担当になった時点でこうなることは決まっていた。
 志願書に書いていただろ……? 死ぬ可能性すらあると……指一本を失うだけだ。楽なものだろうが!?」

 そのような注意書きは書かれていた。
 志願者の全員がそれを読み、納得した上で試験を受けているのは暗黙の了解だ。

(確かにそうだな。けど、指を失ったら印を組めなくなる……前線に立つ忍としては生きていけなくなるな)

 ナルトは考える。
 おそらく自分は指が無くなれば戦えないだろう。忍術主体なのだから。
 イビキはさらに話を続ける。

「しかも、引き返す道も与えてるじゃねーか。俺の優しさに涙しろ。最大級の感謝を込めてな!」

 机をしたたかに打ち据えた。
 ビクンと身体を震わせるものは多く、目を閉じて泣いているものもいる。恐怖のあまり、口を開くことすら許されない。

「自信のない奴は大人しく"受けない"を選んで、次の試験では甘い担当官になることを祈ればいい……クク……次も俺じゃなければいいなぁ?」

 沈黙。
 静まり返った教室の中では、立ち上がって反抗する勇気のあるものはもういなかった。
 鬼のような形相で全員を見下すイビキが怖いというのもあるし、実際に指のなくなった手を見せられたのだ。本当にやられる、と確信させるには十分すぎる。

「では、始めよう……この第十問目……"受けない"ものは手を挙げろ」

 一転し、イビキは優しく微笑みながら語りかける。
 すると――

「お、俺は……やめるッ! 受けない!! すまない。源内……イナホ……」
「130番。111番。道連れだ」

 一人の志願者は棄権した。それからは恐怖の連鎖で辞退者が続く。

「ちくしょう……!」
「俺もだ……!」
「わ……私も!」
「す、すまない、みんな!!」

 次々と教室から姿を消していく辞退者たちを、うすら笑いで見送るイビキ。
 突然、教室の床を踏み砕く勢いで足を振り下ろした。

「辞めた奴らは懸命な判断だ! おい、刀を用意しろ!! できるだけ切れ味の悪いものをな!!」
「はっ!!」

 持ってこられたのは刃毀れの酷い、すこぶる切れ味の悪そうな刀であった。
 あれで切られたら神経も細胞もずたずたになり、縫合すら不可能であることは誰にでもわかること。
 イビキは刀をぺろりと舐めると、志願者たちを笑いながら見下ろした。加虐的な笑みだった。

「……久しぶりだなぁ。戦争がなくなって数年……久しく人を斬っていない。あぁ、指か。まぁどちらでもいい。どっちも人間だ。楽しみだなぁ……」

 心の底から楽しみにしているような――感動に打ち震える声音は恐怖心を煽る。

「や、やめます!!」
「俺もやめる!!」
「わ、わたしも……!」

 再び席を立つ辞退者たちに「おいおい、これ以上逃げられたら斬れる相手が減るだろ? やめるなよ、なぁ?」とイビキは語りかけるが、それは辞退者を増やすことになるだけだった。
 そんな中、ナルトたちはまだ席についており、糸で会話をしていた。

『止めまくりだな。俺は受けるけど、お前らはどうする?』

 問いかけは小さく、耳に届く。

『ナルトは受けるのよね……? なんで……?』
『決まってんだろ。サクラはどんな問題でも解ける。仮にサクラが解けない問題なんて出たらさ。ここにいる奴ら全員が不合格だ。ありえないだろ?』
『なるほど、それもそうだな……。俺も、受ける』
『みんな……』

 信頼の言葉が紡がれて、サクラはぎゅっと拳を握りしめる。
 どのような問題を出されても解ける自信はある。だが、万が一もある。
 しかし。

『プレッシャーかもしんねーけど、お前のことは信用してる。俺の指、預けるぜ』
『間違ったら承知しないぞ』

 仲間の二人が自分に命運を賭けるという。ここで逃げたら仲間とは言えない気がする。

『女の子に言う台詞じゃないわよね。けど、ま……やる気出たわ。私も受ける……!!』

 だから、必ず解けると自分に言い聞かせて、受けることを決断した。

「もう、いないかのか? やめるのなら今の内だぞ?」

 イビキの脅迫的な言葉にも心は揺れず、決意に満ちた視線を向けている。来るなら来い。どんな問題でも解いてやる! そんな目だ。

「良い"決意"だ。お前らは指が無くなるのが怖くないわけだな?」

 いよいよ最後の問題だ。ごくりと喉が鳴らしたのは誰だろうか。

「では、ここに残った全員に……"第一の試験"合格を申し渡す……!!」

 よし、解くぞ――! と耳を傾けていた者たちは正気を疑った。
「はぁ!?」である。

 ◆

 この筆記試験の真意をイビキは語る。

「……つまり、このテストはカンニングを前提としていた。
 そのためカンニングのターゲットとして全ての回答を知る中忍を二名ほどあらかじめお前らの中にもぐりこませておいた。
 しかし、気づけない愚かものたちには失格となってもらったがな。何故なら……」

 帽子を脱ぐと、そこには螺子を打ちこまれたような傷跡、焼き鏝で熱せられたような傷跡など、拷問の跡が見えていた。
 つまり――

「情報とはその時々において命よりも重い価値を発し、任務や戦場では常に命がけで奪い合われるものだからだ!
 しかし、この十問目こそが、この第一の試験の本題だったんだよ」

 情報がいかに重要か、ということを目的としたテストだったのだ。
「いったいどういうことですか?」と質問する者がおり、イビキは笑う。先程までとは違う、ごく普通の笑みだった。

「説明しよう。
 言うまでもなく、苦痛を強いられる選択だ。
 "受けない"ものは班員共々失格。"受ける"を選び、答えられなかったものは"指を切る"。つまり、忍者生命を失うといってもいい。
 実に不誠実極まりない問題だ」

 頷く者が多数いて、イビキは苦笑する。

「じゃあ、こんな問題はどうかな?
 任務内容は秘密文書の奪取。敵方の人数・能力・その他一切の軍備の有無一切不明。
 さらには敵の張り巡らした罠という名の落とし穴があるかもしれない。
 さぁ、"受ける"か"受けない"か」

 それは、つまり――

「命が惜しいから……仲間が危険に晒されるから……危険な任務は避けて通るのか?
 答えはNOだ!! どんなに危険な賭けであっても、おりることのできない任務はある。
 ここ一番で仲間に勇気を示し、苦境を突破していく能力。これが中忍という部隊長に求められる資質だ!!
 いざというときに自分の運命を賭けられない者、"来年があるさ"と不確定な未来に心を揺るがせ、チャンスを諦めていく者……
 そんな密度の薄い決意しか持たない愚図に、中忍になどなる資格はないと俺は考える!」

 自分の未来を賭けることすらできないものに、里の財産である忍を指揮する権利はない。
 下忍のときとは違う圧倒的な重圧に耐えられる人材として、この程度の問題で迷う者は必要ない、と断じたのだ。

「"受ける"を選んだ君たちは難解な"第十問"の正解者だと言っていい。
 これから出会うであろう困難にも立ち向かっていけるだろう……入り口は突破した。
『中忍選抜第一の試験』は終了だ。君たちの健闘を祈る!!」

 試験は終了し、緩んだ空気が教室を満たす。
 そのときである。
 鎖帷子の下から桃色の乳首が見え隠れしている破廉恥な姿の、熟れた女性が窓をぶち破り、乱入して来たのだ。付き従う仮面を被った忍たちが第二試験官みたらしアンコ登場という幕を伸ばしている。
 何だこれは? と訝しむ志願者多数だ。

「アンタたち! 喜んでる場合じゃないわよ! 私は第二試験官、みたらしアンコ! 次行くわよ、次ィ! ついてらっしゃい!」

 唐突に叫んだのは第二試験官らしい。

「空気の読めない女が出てきたぞ……」
「あれは嫁の貰い手がなさそうだな」
「……同じ女として否定してあげたいけど、ちょっと無理だわ」

 七班の辛辣な評価は幸運にもアンコの耳に届くことはなかった。

「って……五十七人!? 残りすぎでしょ!」
「今回は優秀な者が多くてな」
「フン! まあいいわ。次の『第二の試験』で半分以下にしてやるわよ。あーゾクゾクする!!」

 アンコとイビキのやり取りから察するに、アンコはイビキ以上にアレなのだろう。
「変態だ……」とナルトは呟き、サスケとサクラも強く頷いた。

「詳しい説明は場所を移してからやるから、ついてらっしゃい!」

 休む間もなく、次の試験へと移ることとなる。
 試験官は空気の読めない変態。どんな熾烈な試験が向かいくるのか……想像しただけでげんなりする七班であった。






[19775] 26.中忍選抜試験・死の森――Ⅰ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/27 11:00
4.

『中忍選抜第二の試験』――要項、その1.各班に与えられた【天の書】もしくは【地の書】を奪い合え。
 二つ揃ったら死の森の中心にある塔へ来られたし。以上!

 ◆

 死の森と呼ばれる所以――あらゆる毒素を持つ巨蟲や動物が生息し、手練の忍であっても死の危険が常に付き纏う。ゆえに、死の森と呼称されることとなった。
 二十メートルを越えるであろう大樹が林立しており、森の中は常に薄暗い。太陽の光がまともに降らないほどに張り巡らされた木の葉は視界を遮り、身を隠すのには優位になるが、索敵は楽とは言えない。つまり、いつ奇襲されてもおかしくないような立地条件の中、砂の忍である三人は腐葉の敷き詰められた大地を疾走していた。
 顔には歌舞伎役者のような化粧をしており、のっぺりとした能面面は表情を読ませない。身体は三人に中で一番大きく漆黒の忍装束を着ている。背中には包帯でぐるぐる巻きにされている大きな何かを担いでいる男の名はカンクロウ。
 彼が先頭に立ち、ほかの二人を引き連れている。

「さっそく天の巻物を手に入れたじゃん。幸先良いじゃん!?」
「このまま塔に向かえば一番乗りだね」

 喜色を浮かべるカンクロウに答えたのは蜂蜜色の髪を後ろで結った少女――テマリ。気の強そうな顔立ちは、それでいて気品がある。身に纏うのは帷子。その上に膝ほどまである真っ白なレザーコートを羽織っている。背中には身の丈を越えるほどの扇を担いでおり、それを難なく持ち運んでいることから身体能力は優れているのだろう。

「……黙れ」

 小さく呻くように吐き捨てたのは、三人の中では頭一つ分小さな少年――我愛羅だ。
 額の端に『愛』を刺青をしているのか。服は漆黒の忍装束で、肩には袈裟を引っさげている。
 何よりも目を引くのが背中に担いでいる瓢箪だろうか。我愛羅の矮躯ではとてもではないが持ち上げられそうにないものを、担いでいる。
 この三人は全員が武器となる何かを背中に担いでいるようで、それだけが唯一の共通点か。

「我愛羅、兄貴に対してその口答えは……!」
「……死にたいのか?」
「カンクロウ、やめなって。我愛羅も、ね!? お姉ちゃんが謝るからさ!!」

 共通点はあった。この三人は兄弟らしい。
 仲はあまり良くないのか、テマリが間から仲を取り持とうとするが、我愛羅は舌打ちを鳴らす。
 雰囲気は険悪。
【天の書】も【地の書】も手に入れたというのに、最大の難関は一番の弟である我愛羅の機嫌を取ることであったらしい。テマリはげんなりとしてタメ息を吐いた。
 そのときだ。
 大地を疾走する傍ら、何かに引っかかったような感触を覚える。
 ぶちっ。
 小さな音だが、確かに耳に届いたそれは――

「ん? 何か千切れる音がしたような……」

 視界の端に不吉な影が見え隠れする。
 数を数えることすら億劫になるほどの瀑布の如き苦無が、全てテマリたちに向かって放たれる。
 罠か!
 叫ぶ暇すらなく、全方位から向かい来る苦無は、小さく固まったテマリたちへと襲い掛かる。
 着弾する音が鳴り響く。
 狙いすましているのかと勘繰りたくなるほどの正確無比な苦無は、余すことなく標的へと突き刺さる。舞い散る土埃がもくもくと湧き上がる。
 木々の隙間から風が吹いた。

「我愛羅の砂がなければ死んでたわね……」

 風が吹き飛ばされた土埃の中から薄っすらと見えてくる輪郭は現実を疑わせるような光景だった。
 三人は、無傷。
 我愛羅の瓢箪から出てきた砂で形成される防御壁により、全ての苦無は無力化されていた。
 カラン、と音を立てて苦無が地面へと落ちる。

「……出て来い」

 ぽつりと呟かれた言葉には力が込められており、拒否を許さぬ王の威風を感じさせるもの。
 だが、生憎と罠を張り巡らせた奴らは「わかりました」と答えるほどに人格形成がされておらず、反抗期真っ盛りの餓鬼であった。
 すると――一陣の風が吹いた。
 その風は肉体活性を施しているサスケであり――最もガタイの良いカンクロウを狙って疾走している。
 腹を抉る一撃を加えるとともに、そのまま引きずって走り去っていく。

「カンクロウ!?」

 驚きの声をあげるテマリであるが――

「アンタの相手は私……よ!!」

 女の子特有の耳心地良い高音とともに、身体の自由が奪われたことを感じる。
 自然と宙に身体が浮き、投げ飛ばされた。

「しくじるんじゃないわよ、ナルト!!」

「へーい」とやる気なさげに答えるのは薄暗い死の森で尚、金色に輝く髪を風になびかせる少年――ナルトであった。
 腕を組み、胡乱な視線を我愛羅に向けている。
 普通に考えれば、我愛羅はとてつもなくピンチだ。これ以上ない危険に晒されている。
 急襲され、仲間から孤立させられて、待ち伏せされていることからも、場のアドバンテージもナルトたちにある。それなのに、余裕の表情のまま、冷や汗一つ滴らせることなく、ナルトと対峙している。
 気に食わなかった。

「残りものには福があるーってか。俺は一番ちっこい奴相手になるわけだな。ってかさ。少しはびびれよ。仲間がいきなり連れさらわれたんだぜ?」
「ク……ククク……ちょうど物足りないと思っていたところなんだよ」

 戦闘狂ね――とナルトは気持ち悪いものを見るような眼差しを放ちながら、吐き捨てる。

「――意思疎通は不可能だな。まぁ、いいや。話し合う気なんてないし。さっさとあの世へ逝ってくれ」

 殺気に満ち溢れた我愛羅に対し、飄々とした態度で――指を鳴らした。
 ずぼっ、と音を立てながら、地面から三人のナルトが出現する。
 全員が手に起爆札を持ち、『ジジジ――』と起爆寸前であることを表す音を奏でさせながら、我愛羅に飛びついた。
 轟音。
 轟音。
 轟音。
 耳を劈き、目が焼けるほどの爆発を起こした起爆札は、地面を抉るほどだ。

「わざわざ相手するのもめんどいし、これで死んだだろ」

 そう思ったのだが、爆風と爆煙が消え去ったところには、砂で覆われた我愛羅がぽつんと立っていた。
 無傷。
 にやりと口角を歪めながら「それだけか?」と挑発してくる。
 完璧に決まったと思ったのに防がれた、挙句馬鹿にされた。
 かちん、と来たのだ。

「なわけねーだろ。たっぷり楽しませてやるよ」
「期待……している」

 準備運動は終わり、いよいよナルトと我愛羅は邂逅する。

「ほんじゃま、殺しあいますか」

 瞬間、ナルトの姿が疾風となった。

 ◆

 木々の間から死角を縫って襲い掛かる苦無に、テマリは辟易としていた。
 術者の姿は見えず、どこから攻撃されるのか、それはどういった手順で繰り出されているのか。分析しようにも、的確に隠蔽されたそれはあまりにも情報が少なすぎた。
 背中に向かって苦無が飛び掛ってくる。

「くっ、鬱陶しい!!」

 身の丈を越える扇を振りかぶると、風を巻き起こす。
【風遁・カマイタチ】――扇から大気にチャクラを浸透させ、カマイタチを巻き起こすそれは苦無を全て振り払う。
 だが、勢いの失った苦無はどこかへと消えていき、また攻撃に加わってくるのだ。カマイタチで刃の欠けたことを確認した苦無も襲ってくるのだから、手に負えない。相手の武器の数が無くなるまでやる、という選択肢は消えた。
 さらには、身体の一部の自由を封じてくる攻撃だ。
 テマリは、おそらくは糸だろうと分析している束縛してくるものは不可視であるが故にやり辛い。どこから糸が放射されているのかが推測できないのだ。
 しかし、わかってきたこともある。
 つまり、術者が隠れる場所を失うほどに周囲を破壊すればいいのだ。
 そうとわかれば話は早い。
 膨大なチャクラ量を扇に詰め込んで、目標を届く範囲すべてを指定。
 放たれるものは――

「風遁・大カマイタチの術!!」

 林立する木々は成人男性が六人ほど腕を広げないと抱え込めないであろう太さを誇る。なのにも関わらず、生み出された風の刃は幾本もの大樹を伐採していく。
 そこに何もいないことを確認すると再び違う木を切り裂き続けている。
 そのときだ。

「またそれ? 馬鹿の一つ覚えね。頭悪そうな顔してるだけあるわ」

 桃色の髪の乙女――サクラは森林伐採を防ぐため、というよりも、まぐれで自分のいる場所を切り裂かれるのを恐れて、テマリの視界に現れた。場所は天高く聳える木の枝の上だ。
 皮肉に笑い、極めて性格が悪そうに見えるように、イノの物真似をしながらの挑発。非常に似通っていた。親友と名乗るだけのことはあるだろう。
「……何?」とテマリは顔を引き攣らせてしまう。いきなり罵声を浴びせられるとは思っていなかったのだ。
 反応に気を良くしたサクラは、胸を張ると、腐葉土に立つテマリを見下ろす。

「あ、気にしてたの? ごっめーん! 私ってつい思ったことを言っちゃうのよね。素直なのも考えものだわ」
「薄い胸だな」

 的確にサクラの胸――ではなく、心を抉る言葉を言うテマリ。「なんですってー!?」とサクラが身を乗り出して怒るのを見て、効果的な挑発をできたことにほくそ笑む。
 だが、

「……クッ!」

 テマリがいた場所に死角から苦無が降り注いだ。その数、七本。
「まぁ、期待してなかったけど、引っかかるわけないわよね」と残念そうに呟くサクラを見て、怒っていたのは演技だと知る。

(何だ、あいつ……のんびりとした木の葉の忍にしてはやけに戦いなれている……?)

 さらに苦無が飛来する音が耳朶を打つ。
 回避しようと横に飛びのくために足に力を込めるが、飛ぼうとしても動かない。足が地面に縫い付けられていた。

「しまっ……!」
「恨みはないし、殺すつもりもないけど、行動不能にはなってもらうわよ」

 冷たい声は、勝利を確信しているものか。
 テマリは渋々といった体で扇を振りかぶると、莫大なチャクラを練りこんだ。

「使わせられることになるとはな……口寄せ・斬り斬り舞!!」

 召喚されたのは妖怪・鎌鼬。飯綱とも呼ばれるそれは小動物のイタチのような格好をしており、唯一違う点を挙げるとすれば、二本の前足が鎌になっていることだろう。
「キ、キキキキ――ッ!」と金属がぶつかったときのような耳障りな鳴き声とともに、二本の鎌は振り払われた。
 糸で操っていた苦無は原型を留めないほどに切り裂かれ、二度と使えない状態になる。修繕できないこともないだろうが、修繕するくらいなら融解して、鋳造し直したほうが早いだろうな、とサクラはのんびり考える。
 苦無――高かったのに。

「やれ……っ!」
 
 鎌鼬はギィンギィンと二本の鎌を擦り合わせながら、空を飛ぶことができるようで、木の枝の上にいるサクラにじりじりと寄ってくる。
 サクラは深く嘆息した。ふんだんに諦念が込められている。

「うん、勝ち目ないわ、これ。あー、人選ミスよねー。私に一対一やらせるってのが間違いなのよ」

 すっと加速した鎌鼬の一閃を回避し、【瞬身の術】で一気に距離を離す。加速に耐え切れない身体が悲鳴を上げるが、無視だ。
 ウェストポーチの中に入っている巻物を一つ取り出すと、親指の先を噛み千切り、血で染める。
 ぽい、と天高く投げられた巻物は口寄せのためのもので――サクラは印を切った。

「口寄せ・大量の水」

 巻物があった場所からは湖を一つそのまま持ってきたかのような滝が流れ落ち――

「水遁・霧隠れの術」

 素早く印を切って、水のほとんどが気化して、霧となる。
 手馴れた作業を思わせるそれを見て、テマリは呆気に取られていた。

「じゃーねー!!」

 潔さすら感じられる退きの早さは感心する部分がある。
 勝てない、とは思っていないだろう。だが、確実に勝てるとも思っていないのだろう。だから、退く。戦略的撤退か。

「手強いな……」

 呆然と見送った後、現状を思い出し、我愛羅たちを探そうとテマリは動き出すが――再び背中から殺気を感じて振り向くと、鎌鼬が雨のような苦無を霧ごと吹き飛ばす姿が見えた。
 舌打ちが聞こえる。

「実に厄介だ……」

 苦手なタイプだ、と呟きながら、今度こそ遠くへと消えていく気配を感じ、テマリを移動をし始めた。

 ◆

 場は荒れに荒れていた。
 地面からは隆起した土の残骸が立ち並んでおり、砂で切り崩された木々も見える。
 だが、そこに立つ二人の少年はどちらも無傷である。
 ナルトは息を乱しながら、光の宿した瞳を我愛羅に向けている。対する我愛羅は、全く息を乱しておらず、淀んだ瞳をナルトに向けていた。

「……お前、強いな」
「そりゃどうも……」

 内心、ナルトは焦っていた。
 どうやら敵には本気を出さなければ傷を与えることすらできないらしい。
 奥の手である【首斬り包丁】はあまり使いたくない。だが、このまま逃げるのもプライドが許さない。一撃くらいは喰らわせたいところである。 
 実際は、何度も攻撃を当てているのだ。ただ、問題がある。

(あの砂の防御壁……やり辛いな)

 おそらくは自動展開されているのであろう砂の防壁は実に優秀である。
 死角からの攻撃にすら対応し、地面からの攻撃も砂ですり潰して防ぐという、羨ましいを通り越して嫉妬してしまいそうなほどに使い勝手の良い術だ。俺にくれよ、と言いたくなる。
 何より、この敵の相手しづらい理由は――

「砂時雨」

 印もなしで、砂を操るという点だ。
 予想すらつかせない不意を打った攻撃は速く、今も、雨のように降り注ぐ砂の群れを腕を動かすだけで操作している。
 ナルトは横に飛びのいて、砂の雨を回避する。もといた場所は地面を穿たれ、絶大な破壊力の爪痕を教えてくれる。
 そして、わかったことがある。
 土も砂の中に取り込まれ、だんだんと操る砂の量が増えていっているのだ。
 ナルトからすれば「勘弁しろよ」である。

「連弾・砂時雨」
「土遁・土流壁ッ!!」

 逃げながら組んでいた印は完成し、地面から壁が突出する。
 砂の塊は壁となった土に阻まれるが、じわじわと周囲を取り囲んできて、ナルトの逃げ道を塞いでいく。
 そして――

「捕まえたぞ……」

 逃げ道を失ったナルトは、小さな砂ではあるが、腕を絡めとられた。そこからは早く、周囲に浮かぶ砂がナルトを捻り潰さんと飛来してくる。
 にぃ、と我愛羅は口元に弧を描いた。

「砂縛柩」
「グッ……!」

 全身を砂に囲まれて苦痛の声を漏らす。

「砂瀑送葬!」

 肉の潰れる音が、砂の中から聞こえた。
 我愛羅は満面の笑みを零すが、しかし、瓢箪へと戻ろうとする砂の中には死体がなかった。
 標的は影分身へと入れ替わっていた。
 ぼんっ、と何かが口寄せされた音が我愛羅の頭上から聞こえる。
 仰ぎ見ると【首斬り包丁】を天高く振り上げたナルトの姿があった。

「……風遁・飛燕ッ!!」

 風の性質を持つチャクラを纏わせて、格段に切れ味を向上された【首斬り包丁】。
 正しく我愛羅の振り下ろされ、それは――砂の壁に止められた。
 ぎりぎりと歯を噛み締めて、ナルトは決して諦めない。
 腕の筋肉を全力で肉体活性をさせて、筋力を底上げする。さらにチャクラを【首斬り包丁】に注ぎ込み、ますます威力を向上させる。
 果たしてそれは、砂の壁を切り裂いた。

「死に果てろ――ッッ!!」

 轟ッ!
 砂の壁は爆散し、風の刃は我愛羅を縦に切り裂いた。
 だが、

「すげぇな……確実に殺したと思ったんだけどよ」

 とんっ、と軽い音を立てて我愛羅は後ろに跳躍する。
 ぱらぱらと剥がれ落ちているのは砂の鎧とでも言えばいいのか。壁だけではなく、身を守る砂の鎧すら完備されているらしい。ナルトとしても「無傷かよ。やってらんねぇな」と愚痴を言いたくなっても仕方ない。それほどに会心の一撃だったのだ。
 にぃと我愛羅は好戦的に笑う。指先でナルトを指す。
 げんなりとした感情に脳髄を刺激されながら、ナルトは【首斬り包丁】を引きずりながら、必死に避け続けた。
 肉体活性のやりすぎで身体の感覚がおかしくなりつつあり、そろそろ限界を迎えるだろう。
 ナルトは奥の手の奥の手を曝け出すことを決めた。心底、嫌そうに。
 向かい来る砂の雨に対峙すると、印を組む。先ほどの術と同じ土遁の印。

「土遁・土流壁!」

 印を組んでいる時点で我愛羅も気づき、壁が隆起すると同時に周囲から砂が襲い掛かる。
 逃げ道などなく――いや、逃げ道はある。

「土遁・土中映魚の術……」

 土流壁に穴を開けて、ナルトは我愛羅の眼前に躍り出た。

――一気に決める!
 
 足の裏に溜め込んだチャクラを解放し、爆発的な速度をもって我愛羅へと迫る。
 そして、飛翔。

「……俺のありったけだ!!」

 我愛羅は反応することすらできず、呆然とナルトを見上げている。
【首斬り包丁】にどんどんとチャクラが込められていき、暴風がむりやり詰め込まれていくような――暴圧的な威圧を周囲に与える。
 轟々と吹き荒ぶ嵐を一点に集約するこの術は、ナルトの奥義。仲間にすら教えていない本当の奥の手だ。
 身体が重力にしたがって落ち始める。
 狙いは一つ。
 我愛羅の眉間。

「喰らえっ! 風遁・水乱烈風ッ!!」

 暴風が凝縮された剣で断ち切る。
 砂の壁も、砂の鎧も、もろともに切り裂いたと思われたそれは、実際はそこまでダメージはいっていないようだ。
 ぱらぱらと剥がれ落ちていく砂の鎧の隙間から見えるのは、軽傷としかいえないような浅い切り傷。

「……たまんねぇな」

 一応は奥の手である【風遁・水乱烈風】を披露したにも関わらず、戦果は上々とは言えない。
 正直なところ、勝ち目が浮かばない。
 どうやって逃げるかなー、とナルトは我愛羅を警戒しながら、頭の片隅で仲間との合流方法を模索し始めていた。

「血だ。俺の……血……う……」

 低く響く声は我愛羅のものか。
 怨念のこびりついたようなそれは、聞くものに悪寒を走らせるものがある。ナルトは平然としているが。

「たかが切り傷くらいでわめくなよ。それでも忍者か、お前」

 馬鹿か、と吐き捨てると、我愛羅は――

「うがあああああああああ!!」

 慟哭をあげながら、濃密は殺気を撒き散らす。
 操っていた砂が我愛羅の身体を覆い隠し――だんだんと変異していくものが見えた。
 太く、大きく、変異していくそれは人とは言えず。小さなときの絵物語などで見た地獄に住まう鬼のように見えた。

「……マジ?」

 そんな術をナルトは知らず、見るからにチャクラの量が増大しているそれは【変化の術】のような見てくれだけを変化させるようなものではないらしい。
 しかも、本能が囁いてくる。相手したら死ぬぞ、と実にわかりやすく、だ。親切にもほどがある。我が本能。

「ナルト! 勝負は終わって……ないようね」

 ナルトの隣に飛び降りてきたサクラも現実を疑いたくなるような光景を見て、理解した。
 ふぅ、とナルトは嘆息して、目の端でサクラの姿を確認する。

「サスケはどっちだ」
「糸はあっちに繋がってる!!」
「全速力だ。ついていくぞ……っと、その前に……」

 七班はサクラの生み出した糸で繋がっている。糸を見れないナルトだけが場所を把握できないという実に不便な仕様だ。
 サクラの後をついて走り出そうとするが――振り向く。
【首斬り包丁】にチャクラを流し込み、思い切り振りかぶる。

「風遁・大カマイタチィ!!」

 おそらくは木々を一気に伐採するであろう威力を込めた真空の刃は、元・我愛羅。現在は鬼としかいえない容貌のそれにあっさりと弾かれた。邪魔なものが飛んできたから腕を振った。まさに鬱陶しい蚊を叩き落したような仕草だ。ナルトの自信は地に堕ちる。

「うん、無理」
「無理ね」
「逃げるぞ!」
「う、うんっ!!」

 二人はそうして逃げ出した。勝ち目がないと見るや、七班は即座に逃げる。
 あまりプライドを重視しない奴らであった。

 ◆

 闇色の染められた森の中、二つの影が交じり合う。
 跳躍からの踵落し。下段払い蹴り。上段蹴りへと繋ぎ、体勢が崩れたところで鳩尾に拳を減り込ませる。
 急所に対する連撃は休む間すら与えず、カンクロウに襲い掛かるが――

「こいつ……やるじゃん!」

 息つく暇すら与えていない。その程度の確信はある。それなのに、あまりダメージを与えられていないようだ。
 肉体活性を施したサスケの身体能力は優に下忍を超えており、中忍での武闘派にすら負けない自信がある。
 違和感。
 肉に拳を埋めるたびに、歪な感触がこびりつく。
 硬く、乾いた音が響くのだ。肉を殴ったときの粘着質な音がせず、異様に軽い。
 もしかして――サスケは思考の果てに結論を得た。

「でも、そんなの関係なく、俺の勝ちじゃん!?」

 能面ような顔は正しく生気を失うと、人ではありえないほどに口を大きく開いた。
 本来なら口蓋垂がある場所が見え、そこから放たれるのは――凶悪な鋭さを持つ一本の針。
 違和感を感じ取ってから発動している写輪眼で軌道を見切ると、肌一枚だけの距離を離して回避し、人間を辞めているソレの腹を思い切り蹴り飛ばす。俗に言うヤクザキックだ。十六文キックとも言う。
 すたっと着地すると木の葉が舞い散る。
 背中に抱えていた包帯がするすると脱げていき、そこからは術者であるカンクロウが姿を現した。

「やはり、傀儡師か。自分で戦うことを恐れる臆病者だ」
「……けっこう言うじゃん? 臆病者の強さ、見せてやるじゃんよ」

 人間のフリをしていた傀儡はカタカタと関節を鳴らすと、人ならざる動きでサスケに忍び寄る。先読みのし辛い動き。そして、口からは粘液を垂らしている。

「歯に毒……か」

 呟き、息を吐く。
 だらりと腕を下げているサスケに傀儡は噛み付こうと突進し、サスケの身体を羽交い絞めにした。

「もらったじゃんよ!」

 噛み付く。
 だが、

「何をだ?」

 不気味なその動きは常人ならば戸惑うだろう。だが、写輪眼を持つサスケからすれば意味はない。止まって見える。
 そして、写輪眼の持つ特性の一つ――催眠眼からすれば、カンクロウにちょっとした幻覚を見せることなど容易い。だからこそ、これほどまで簡単に背後へと移動できたのだ。

(幻覚じゃん……!?)

 驚愕は即座に打ち消し、背後に佇むサスケに対し、腕に仕込んだ隠し刃で振り向きざまになぎ払う。結果としては、するりと回避され、頭蓋を砕かんばかりの上段蹴りをカウンターでもらうことになるが。 

「チンケだな」

 地面へと叩きつけられたカンクロウの腕に、踵を踏み下ろす。
 だが、それは飛び掛ってきた傀儡によって防がれるが、ばちばちと明滅する右手によって傀儡の右腕を弾き飛ばされ、次いで、身体を引き裂かれていた。
 嘲笑。

「こんなものか」

 蔑むように笑うサスケは、カンクロウの勘に障る。ただでは返さない、と硬く決意すると、カンクロウは離れた場所で、巻物を掲げる。

「舐めてるじゃん? お前、俺のこと舐めてるじゃん……!?」
「舐めてるんじゃない。実力の差を正確に把握しているだけだ。お前は弱い。俺よりもな。潔く巻物を渡せば生かしておいてやる」
「俺は持ってないじゃん!」

 事実、カンクロウは持っていなかった。
 へぇ、とサスケは興味なさそうに呟くと。

「じゃあ、誰が持っているんだ?」
「教えるわけないじゃんよ?」
「……死ぬ覚悟はできているみたいだな」

 明滅する右手を見せ付ける。
 頑丈にできた傀儡をあっさりと引き裂いたそれはまさに必殺と言えるほどの威力を秘めている。
 仮に自分が喰らえば、死ぬだろうな。
 カンクロウは冷静に分析するが、それでも、意地がある。
 親指の先を引き千切り、開いた巻物に血を垂らす。それは口寄せの巻物だった。

「お前こそできてるじゃん? この戦術人形【カラス】に殺される覚悟を!!」

 印を組んだ後に出てきたのは先ほどとは一味違う、カンクロウが本気を出すときに使う傀儡【カラス】である。
 パカリと右腕の関節を外すと、何かを発射するための装置が見える。
 そこから――大きな弾丸が撃ち出された。
 直線の軌道を描くそれは至極読みやすく、サスケは一歩動くだけで回避するが、自分に当たる前にそれは爆発した。
 薄紫の煙を撒き散らすそれは質の悪いチャクラが込められていて、写輪眼が成分を正しく教えてくれる。

(毒煙か? 厄介だな)

 無呼吸を維持しながら周囲を探るが、煙のせいでいまいち把握できない。
 感心する。

(で、術者は身を隠す……と。わかりやすいが理に適っている。ナルトが好みそうな戦術だ)

 このまま煙から抜け出すか、それとも、敵の攻撃を待ち伏せるか。
 考える間もなく、【カラス】はカタカタと駆動音を響かせながら攻撃してきた。
 背後からの攻撃に一瞬反応が遅れるが、すかさず前に飛び込んで回避して、回転しながら立ち上がる。
 攻撃をしてきたのは手から伸びる爪。
 こんなところで傷口を作れば、そこから毒が染みこんでいくだろう。一撃たりとも喰らうことができないし、息が切れれば負けは確定。
 ぞくぞくする。
 遊びはいつだって楽しいものだ。危険であればあるほどいい。そして、最後に自分が勝つとわかっているのなら尚更だ。
 口元が弧を描く。
 勝利に行き着くまでの戦術は構築した。後は、実行するだけ。

(奥の手は残しておくべき、ね。けど、見た奴を殺せばいいわけだろ?)

【カラス】が再び迫り来る。
 サスケからすれば遅い攻撃ではあるが、動けば動くほどに体力が消耗することから、ひたすらに攻撃をしてくるのはある意味では正解だ。
 攻める相手が写輪眼を持っていなければの話だが。
 写輪眼はチャクラを視る。
 つまり、術者と傀儡を繋ぐ【傀儡の糸】はサスケからすれば丸見えであり、カンクロウの居場所など簡単にわかってしまう。
【傀儡の糸】を掴んだ。
 肉体活性に使っているチャクラを右手に集約し、雷の性質へと変化させる。
 放電。
 ぎゃっ! と情けない声が耳に届き、【カラス】も糸が切れた人形のようにくずおれる。いや、糸が切れた人形なので、比喩するのは間違いか。

「もう一度だけチャンスをやる。このまま死ぬか、潔く巻物の場所を教えるか。選べ」

 サスケは高圧電流を流されたせいで痺れた体が動かなくなっているカンクロウに一足飛びで近づく。
 手には苦無を持ち、サスケは不様に這い蹲るカンクロウを冷たく見下ろしていた。
 個の実力でサスケに勝てる下忍などほとんどおらず、カンクロウも例に漏れず、サスケの足元で這い蹲るしか出来ない。
 勝負は詰み、ここから変化する要素はない。
 勝ちだ。

「教えるわけないじゃん……?」

 震えながらカンクロウはサスケを見上げて、唾を吐き捨てる。

「なら、死んでおけ」

 そして、苦無を振り上げたとき――

「……お前、油断したじゃん?」

【カラス】はサスケに背後に迫っており、腹を大きく開いていた。
 がぶり、とサスケの身体に噛み付くと、胴体の中で収納する。腹の中には毒が詰まっており、後は時間が経つだけで死ぬ。
 笑いが止まらない。カンクロウは勝ちを確信した。
 だが。
『チッチッチッチッ』とまるで千の鳥が鳴いているのかと思うような囀り声が【カラス】の体内から漏れ出てきて、雷色の指先が、するりと突き出された。

「――油断なんてするわけないだろ?」

 引き裂く。
【千鳥】を纏った右手は【カラス】を塵となるまで焼き尽くすと、中から漆黒の髪を揺らす少年が現れた。

「人形共々、死んでいけ」

 バヂィッ! と一際甲高い音が鳴り、サスケの手が振り上げられる。
 それは死神の鎌のようにも見えた。

「サスケェ!! 逃げるぞ!! そんな奴放っておけ!!」
「そうよ! 早く逃げるわよ!!」
「あァ?」

 振り下ろされることなく、事態は終息することになるわけだが。

 ◆

 サスケも合流した瞬間、追ってくるソレを見て、すぐに逃げることに同意した。
 カンクロウの息の根を止めずに、チャクラに足を込めて逃げ続ける七班は、本当に必死だ。木の枝を飛び移りながら、周囲の索敵を最低限だけ行いつつ逃走劇を続ける。

「何だよ! おい、ナルトッ!! 後ろのでかい奴は何だよ!!」
「知るか。俺に聞くな。いきなり変化――ってか、変身したんだよ!!」

 サスケは露骨に顔を顰めると、

「責任取ってお前が一人でやれ!!」
「俺に死ねと言うのか!?」

 やいのやいのと言い合いをしながら、ちゃっかりと助け合いつつ逃げ続ける二人を見て、サクラは苦笑する。
 手に持つ苦無に起爆札を結びつけて、我愛羅に貼り付けた糸を収縮させて、反動を利用して投擲する。手首のスナップだけで投げられるよりも威力の高いそれは我愛羅の身体に突き刺さると、爆発する。
 だが、無傷のようだ。

「ねぇ、全く効かないんだけど……」
「化物だな」
「怪物だな」

 答えは一致する。
 つまり、闘いたくない。

「――どうしよ? なんか相手がどんどん近づいて来てるんだけど……」
「俺に期待するなよ。手持ちの術で最大威力のものですらかすり傷で終わったんだからな」
「千鳥撃てってのか? 嫌だぞ。俺はあんなの相手にしたくない」

 でかい図体のくせに七班より速度の速いそれは追いつくと、即座にナルトに飛び掛る。
【首斬り包丁】を振りかぶり、分厚い腹で受け止めるが――ナルトは踏ん張りの利かない枝の上だったせいか、衝撃を吸収しきれずに吹き飛ばされる。

「チィッ!!」

 サスケはナルトが大丈夫なことを確認すると、印を組んで【千鳥】を発動する。逃げ道はないらししと腹を決めたのだ。
 目配せし、サクラも頷くと、収縮性を無視した、頑丈さだけが取柄のチャクラの糸を編み出すと我愛羅の身体に巻きつける。
『チッチッチッチッ』と鳴り響く右腕をサスケは――

「……どうだっ!!」

 突き刺した――と思われたが、それは我愛羅に受け止められていた。
 絶望色に染まる瞳は、しかし、写輪眼の特性のおかげで追撃を読みきり、空いた左手にチャクラを集約し、右腕を掴んでいるそれを切り払うが、飛びのこうと足に力を込めた一瞬をついて、我愛羅は尻尾でサスケを貫こうと攻撃する。
 だが、

「まじで効いたぁ……!」

 痛みに顔を歪めながら、ナルトは尻尾の一撃を薙ぎ払っていた。
 膠着状態。
 我愛羅は多少は七班の実力を認めたのか、距離を離す。

「千鳥は後一回が限度だぞ……」
「私の手持ちの術じゃ攻撃に参加しても意味がないわ……」
「どうしろってんだよ」

 実際、勝ち目が薄い。
 そんなときだ。森の木々を引き倒しながら、「冗談だろ?」と笑いたくなるような大きさの蛇が横から現れたのだ。
 七班一堂、冷や汗が止まらない。中忍選抜試験を甘く見ていたと思い知る。

「どうしろってんだよ……」
「知らないわよ!!」

 三竦み。
 いよいよもって、ナルトたちは動けなくなった。





[19775] 27.中忍選抜試験・死の森――Ⅱ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/27 11:00
5.

 鬼となった我愛羅はナルトをじっと睨みつけており、じりじりと距離を詰めてきている。
 巨大な蛇も同様に、我愛羅には見向きもせず、七班のほうへとにじり寄る。
 ナルトはウェストポーチから兵糧丸を取り出すと、咀嚼する。少し回復したチャクラで【首斬り包丁】を強化して、我愛羅のことを見据えている。

「どうやら、こいつらは狙いは俺たちらしいな。とことんまでに最悪だ」

 サスケとサクラは頷いた。
 三竦みではなく、現実は敵が増えただけ。残酷すぎる展開に笑いすらこみ上げてくる。

「散開しろ。異形は俺が相手する」

 瞬間、我愛羅は風となってナルトに襲い掛かった。
【首斬り包丁】の腹で受け止めて、枝の上で踏ん張るが、耐え切れるものではない。
 チャクラで吸着している枝の皮が剥がれていき――

「――グゥッ……どらぁぁぁぁっ!!」

 踏ん張り、【風遁・大カマイタチ】を我愛羅の身体に叩きつける。
 真空刃に運ばれていく我愛羅を追いかけようとナルトは足を踏み込み、少し考える素振りをして――

「上手く逃げろよ」

 呟くと、走り出した。
 一番の強敵を受け持ち、帰り道を考えていないような素振りを見せる。サスケはナルトのその態度がとても気に食わなかった。
「良い格好するんじゃねぇよ……」と苛立ちまぎれにこぼすと、背後から殺気を感じて振り向く。

「サスケくん、後ろっ!」
「わかってるっ!!」

 大蛇が大口を開いて、おそらくは毒であろう粘液を口内に滴らせながら、サスケに情欲的な光を向けてくる。
 跳躍し、口を閉じさせるために鼻っ面に全体重を込めた蹴りを叩きつける。
 悲鳴を上げながら、蛇は後ろへとよろめいた。

「サクラはナルトを追え。この蛇は俺が殺る。蛇なんかよりあっちのほうがやべぇ!」
「でも……」
「心配すんな。俺を誰だと思ってる。七班で一番強い、うちはサスケだぞ?」

 口寄せの巻物を取り出すと、大振りの手裏剣――風魔手裏剣を呼び出す。
 投擲姿勢に入り――

「早く行けっ!!」
「う、うん……死なないでよっ! それと、何かあったら糸を伝って連絡ちょうだいっ!」
「わかってるっ!」

 投げつけた。
 風を切り裂きながら大蛇へと向かに、首の根元を抉って止まる。

――ギィヤァァァァッ!!

「じゃあ、後で!!」

 悲鳴を合図に、サクラはナルトと繋がった糸を辿り始めた。

 ◆

 交わされるのは矛のような腕と剣というにはおこがましいほどの巨大な鉄塊。それは下忍の放つ攻撃の質量と速度を遙かに凌駕していた。
 通常は、筋繊維や腱の損傷を防ぐために、脳がリミッターをかけているものだ。鬼と対峙するために、ナルトは人であることを止めているのか、【首斬り包丁】での一撃を放つたびに、筋肉、もしくは骨が軋む音が体内に木霊する。
 我愛羅の攻撃は手荒なもので、わずかな隙が発生する。そこへ身体を潜り込ませるように、斬撃を放つ。重く、速い、残酷なまでに正確無比な攻撃は我愛羅の身体に纏わせている砂を削り取っていく。我愛羅の血肉には届かない。
 このままではダメージを与えれないと判断したナルトは、大地に穴が開くほどに軸足で踏み込み、左足を伸ばす。我愛羅の大きな懐の中、縮められた身体に内在するチャクラを【首斬り包丁】に浸透させ、小さな暴風となった巨大な刃が、水平に薙ぎ払われた。
 突き出された顎を狙ったそれは――しかし、我愛羅の犬歯で噛み止められる。
 一瞬の膠着。

「貴様は孤独を知る目をしている……」

 両者が振るう矛と刃が至近距離で交じり合う。
 砂色の爪と漆黒のたちは火花を巻き起こし、弾幕の如く空気を荒らす。
 どこまで続くのかと思われるほどの乱舞ではあるが、劣勢なのはナルトであった。

「くっ!」

 苦鳴を漏らし、防御へと転じていく。
 暴風の如き砂の腕は容赦なく、ナルトの骨身を削っていく。
 一撃を防ぐたびに【首斬り包丁】から伝わる衝撃で目が眩み、足が折れる。腕は悲鳴を上げ、毛細血管は破裂している。剥き出しの腕は青黒く染まっていた。
 それでも、ナルトは諦めない。
 歯を食いしばり、絶望的な状況であろうとも、常に生きる道を模索する。
 我愛羅の憎悪に燃えた瞳に、はじめて憎悪以外の淡い感情が広がった。 

「なのに、何故そんな輝いた瞳をしている!?」
「知るか……よっ!!」

 ナルトの刃は、水平に放たれた我愛羅の腕に弾き飛ばされた。
 握力の限界か、握り締める力は既に失われていたのだ。
 牙を剥き出しにして、我愛羅は笑う。凄惨な笑みは威嚇のものか、喜悦のものか、どちらにしても、ナルトからすれば気味の悪いものでしかない。攻撃をしようと腕を突き出してくるのだから尚更だ。

「土遁・土流壁ッ!!」

 隆起した土の壁は、我愛羅の矛に容易く突破される。
 鋭い爪はナルトの右肩に食い込み、「げひひ」と下卑た声とともに、振り払われる。
 勢いよく空を舞うナルトは、受身すら取れずに木の幹に強かに打ち付けられ、ずるずると地面へとへたり込んだ。

「かっ……はっ……つぅ……」

 虫の息。
 骨という骨は折れ、右肩は付け根から千切れており、無邪気な子供に遊ばれつくした壊れかけの人形を連想させる。
 逃げる力すらないナルトに、我愛羅はゆっくりと歩み寄る。そして、大きく広げられた掌で、ナルトを優しく包み込んだ。

「名前を教えろ」

 我愛羅の口からは、詰問の形を取っているが、迷子のような震えた感情を感じさせるものだった。
 
「……隠す理由もないな。うずまきナルトだ。お前は?」
「我愛羅だ」
「変な名前だな」

 嘲りを含んだナルトの返答が気に食わないのか、砂がじりじりと締め付け始める。
 外気に露出された右肩の切れ口が特に傷む。脳が焼けるほどの激痛は、ナルトに苦痛の声を漏らさせかけたが、自尊心のみで食い縛る。
 どんな状況であったとしても、弱味は見せられない。

「俺は生まれたときから一人だった。まわりに仲間はいなかった」
「――よくある話だ。わざわざ他人に聞かせるものでもないだろ」

 唐突にどうしたのか。疑念に思う。

「……お前には家族がいたのか?」
「生憎と、親の顔どころか名前すら知らん」

 話を続けながら、生き延びる手段を模索する。
 答えはあっさりと出てしまった。
 死ぬ。
 せめて苦しまないように死にたいところだ、と自嘲する。

「そうか……」
「で、そんな話と嬲られて殺される俺の今の状況は関係あるのか? カワイソーな悲劇の王子様?」
「……死ねっ!」

 握りつぶそうと万力の如く締め付け始めた砂の手は、ナルトに苦痛をもたらした。
 視界が真っ白に染まる。痛すぎて声も出ず、震える身体はだんだんと縮められていく。
 死ぬのって痛いなぁ、といっそ気軽に考えていた。

「死なさないってのっ!!」

 甲高い金属音。無数の漆黒の切っ先が我愛羅の背中を抉りつける。
 ナルトから警戒を外し、のそりと我愛羅は切っ先の担い手を振り返る。
 そのとき――『ジジジッ』と不吉な音が鳴り響いた。
 強力な火炎が、森の中に吹き荒れる。猛火は我愛羅の背中を一瞬で包み込み、業火となって焼き尽くす。
 爆熱に取り込まれた我愛羅はナルトを縛り付ける力が緩み、その隙をついて、ナルトは命の恩人――サクラの隣へと跳躍した。

「……へへへ、ナイスタイミングだな」
「ぼろぼろじゃないっ! 腕は!? あんたの腕は!?」
「命があっただけで見っけモンだろ……っと、サスケは?」
「一人で応戦するって。急いで向かわなきゃ」

 それもそうだ、とナルトは納得するが――

「……にしても、なぁ」

 猛火から飛び出す炎の塊。火炎に包まれた我愛羅は焼け焦げた砂の中から、脱皮するかのように新たな砂が現れる。無傷だ。ありったけの起爆札を詰め込んだ攻撃であっても、我愛羅の本体には届かない。
 人間――なのだろうか。
 ナルトの【風遁・水乱烈風】の直撃を受けても死なず、サクラの起爆札による猛攻をもっても傷すらつかない。
 サクラの揺れる瞳がナルトに向けられた。ナルトは静かに首を振る。

「我愛羅! おい、カンクロウ。我愛羅がいたぞ!」
「……見つけたじゃんっ! 何で副作用が出てるじゃんよ!?」

 どこからか聞こえた声は、我愛羅の隣に着地する。
「……近づくな」と、告げる我愛羅には困惑の色が浮かび、震える身体が異変を知らせている。しかし、テマリとカンクロウは気づかない。

「そっちの事情なんか知らないけど、私たちに戦闘の意思はもうないわ。それに、もう揃ってるんでしょう? 見逃してもらえないかしら……」

 ナルトの右肩に包帯を巻きながら、サクラは提案する。
 なんならここで巻物も、武器も、食料も、全て受け渡していいとすら考えている。死ぬよりはマシだ。

「どうした! この俺が怖いのかっ! さっきまでの威勢はどこへ行った!?」

 我愛羅は咆哮する。
 猛る心を表すように、身体を覆う砂が肥大化していく。
 どんどんと――人を辞めていく姿は恐怖を誘う。

「我愛羅、もうやめなよ。ね? やりすぎだから」
「どけっ!」

 一閃。
 容赦なく振るわれた腕はテマリを打ちつける。弾き飛ばされたテマリの姿は、視認できないほど遠くへ吹き飛ばされた。

「テマリ! おい、我愛羅、お前――っ!」
「どけと言ったぞ……っ!」

 我愛羅に睨みつけられ、カンクロウは萎縮すると、テマリが吹き飛ばされた方角へと飛び出していく。
 ナルトとサクラは副作用という言葉と、我愛羅の残酷な行動を計りかねていた。薬でも服用してドーピングでもしているのか。砂隠れの里はそこまで技術が発達しているのだろうか。中忍選抜試験を実験に使っているのか。
 あらゆる要素を含んで思考し、サクラの明晰な頭脳は暫定的に結論をはじき出す。情報が足りない。何より、重要なことはそんなことではない。今大事なことで、わかっていることは――

「仲間すら殴る相手に、見逃してもらえるはずがないわね……」
「そうだな……こうなったら……」

 ナルトは喉から出かけた言葉を飲み込んだ。サクラの冷めた視線がナルトの言動を封じたのだ。
 現状を考えれば、ナルトが囮になって、サクラが逃げる。それがベストの選択だ。しかし、サクラは安易な自己犠牲を見捨てないし、仲間の死を妥協できるほどに人間ができていない。
 全員で生き残る。
 らんらんと輝く青色の瞳は、ナルトの死を許さない。

「そうか。貴様は今、孤独ではないようだ」

 鬼の双眸に地獄の業火が燃え盛る。

「すぐに、追い込んでやる」

 宣言とともに、我愛羅が一歩踏み出した。
 退路はなく、あるのは勝ち目のない戦力を保有する強敵と、腕の千切れた哀れな自分、そして、守るべき仲間だ。
 残った左手を掲げる。
 すると、どこからか風を切り裂きながら、ソレはナルトの手の内に収まった。
 
「さすがは相棒――【首斬り包丁】。どこからでも飛んで来てくれるなんて便利なもんだぜ」

 片手で振り上げ、サクラと視線を合わせ、頷きあう。
 ナルトが向い来る我愛羅に攻撃を受け止め、サクラは口寄せのために印を切る。
 片腕だけでは食い止められないのは承知している。片手で【首斬り包丁】を固定し、骨が剥き出しの肩で攻撃を支える。目の前が真っ白になるほどの激痛でのた打ち回りたい衝動に駆られるが、少しでも怯めば、後ろで自分を信頼してくれているサクラに矛が行く。止めなければならない。

「口寄せ・とりあえず水っ!!」

 我愛羅の上に放り上げられた口寄せの巻物から水が落ちる。
 空間を埋め尽くすほどの濁流がナルトと我愛羅を襲う。戸惑いの色を浮かべる我愛羅を置き去りにし、ナルトは飛び退いた。
 そして、サクラは再び印を切る。

「水遁・水牢の術っ!!」

 ばしゃんっ! と落下する水は土へと溶け込んでいくが、サクラの翳した手からは水滴が零れない。
 中空に浮かぶ水製の牢獄の中には、我愛羅が囚われていた。
 カカシですら自力で突破することができなかった【水遁・水牢の術】。学んでいて良かった、とサクラは心の底から安堵する。ナルトも、後は我愛羅を溺死させるだけだ、と安易に考えていた。
 我愛羅の右手が伸び、水面に触れた。力で押すことは敵わず、波紋が広がるだけ。忌まわしき外郭を、憎悪を込めて殴りつける。だが、球体はそこにあるがままに浮遊し、我愛羅を束縛し続けている。
 奥歯を噛み締める音とともに、水泡がごぼっと吐き出される。我愛羅の身体が爆発的に膨らみ続けた。
 ぱしゃんっ。
 内側からの軋轢に耐え切れず、水牢はあっさりと破裂した。風船のように、いとも容易く――
 そして――

「え……?」

 ぐちゅり、と湿った音がナルトの耳に届いた。
 目を見開く。
 我愛羅の爪が、サクラの背中から生えていたのだ。
 ににゃり、ねちゃり、と粘着質な音が響くたび、サクラの顔が歪み、唇から赤い何かが滴り落ちる。
 ぽたり。ぽたり。ぽたり。
 それは残酷なまでに現実で「嘘だろ……?」と冗談めかして呟いても、偽りにはならない。
 すとん、と倒れた。
 抉られた何かがはみ出しており、サクラの身体から何かが零れていく。
 それは――

「どうだ。これで、孤独だ」

 内臓と、血。弾けとんだ肉。肌。何もかもが新鮮で、鼻につく鉄臭が漂っている。
【首斬り包丁】は音を立てて、地面に転がった。からん、と乾いた音とともに地面に落ち、埋められる。
 酔っ払いのような頼りない足取りで、ナルトはサクラへと近づいていく。心の内はざわつきすぎて、思考が一つに纏まらない。何がどうなっているのか、理解できない。理解したくない。何もかもを放り捨てて、今すぐ逃げ出したい。
 だけど、ナルトの優れた脳はいつだって冷めていて、ナルトに現実を囁き続ける。

『サクラは――』
 
 呆気ない最後だと呟く自分の思考を殴りつける。
 うつ伏せに倒れるサクラの隣に膝をつき、仰向けにする。
 紅かった。

「……あ、あぁぁぁっ!! サクラァァァァッ!」

 唇からは血を滴らせ、身体からは腸がはみ出していて、口寄せされた大量の水の中に、サクラの血が染み込んで行く。
 行くな! 行くな! 嘆きながら、ナルトは臓物をサクラの身体に詰め込んで、服を脱ぎ捨て、サクラの血がこれ以上出ないように無理やり巻きつける。
 蘇るはずもないのに。
 死んだ。殺された。表現はどちらでもよく、サクラが二度と起き上がらない。それだけが重要なことであり――

「輝きは失せた。淀んだ瞳には殺意のみが宿る。それが、修羅だ」

 殺したのは誰か、ということもとても重要であることを思い出す。
 見下ろす鬼の形相は愉悦に歪み、サクラの死を悼んでいるのではなく、見下しているように見えた。
 
――解放しろ。

 どこからか声が聞こえてくる。

――感情のままに暴れ狂え。

 どす黒く響くそれは、邪悪なものだ。とらわれてはいけない。魅入られてはいけない。けれど――

――お前は弱い。だから、取りこぼす。

 強くなって守るって、そんなことを誰かに言った気がする。

――心を売り払え。さすれば、力を与えよう。

 弱い。弱い。弱い。
 あまりに脆弱な身と心はぼろぼろで、ナルトは縋る思いで声を聞く。
 心を売り払う。それだけで力が手に入るのか。
 とても、魅力的な選択だ。

「全部、やる。だから、サクラを助けてくれ……」

――心得た。

 紺碧の瞳は黄金に染まり、縦に裂ける。
 失われた腕の先にはチャクラが凝縮され、見る見る内に再構築されていく。元通りになった腕の指先から伸びる爪は鋭利な光を宿す。
 吹き荒れるチャクラは膨大そのもので、見えざるはずのチャクラは具現化し、ナルトの身体を覆い隠す。
 無形のチャクラは死の森を覆い隠し、虫たちがざわめき始める。
 小動物も、肉食の大型の動物も関係なく、虫すらもが群れを為して死の森から逃げ出そうと試みる。
 柵で覆われた死の森。柵には多くの生物が群がり、死相を浮かべて懇願する。
 死にたくない。
 それは我愛羅も同様か。
 目の前にいるナルトだった何かに目を奪われる。
 噴出すチャクラが沈静し、九つの尾に変化する。
 苦しみに染められた顔は喜色に塗れ、絶叫しそうなほどに歪んでいる。
 
「ク……ククク……ハハハッ! ようやく外か! クソ餓鬼が! よくもワシを長年閉じ込めてくれたなっ!」

 胸を張り、手を広げ、咆哮した。
 声に含まれたチャクラだけで吹き飛びそうなほどの威圧。
 妖魔を統べる王の威風。

「自由。自由か。素晴らしい。最高にイイ気分だ。これが――外か」
 
 黄金の瞳が睥睨する。
 くずおれたサクラの身体を蹴り飛ばし、ゴミのように放り捨てる。

「助けるか。憎き仇である息子の願い、誰が聞き届けようものかっ!」

 豹変したナルトは――既に、人ではないのだろうか。
 心を失い、閉じ込めていた何かに身体を掌握されている。
 冷えた笑みを浮かべることの多いナルトとは思えないほどに、感情を顕にするそれは、一体なにものなのだろうか。

「さて、とりあえずは自由を取り戻した。一時のことであろうが、遊び相手が欲しくてたまらん」

 地面に落ちた【首斬り包丁】を無造作に拾い上げると「ふむ……」と興味深そうに観察している。
 口元に弧を描くと、肩に担ぎ、チャクラを込め始める。すると、【首斬り包丁】が沸騰しているのかと思うほどにぼこぼこと形を変えていき、果てには多い尽くされたチャクラが濃密すぎて、刀身が見えなくなったしまった。赤黒い刀身は静かに明滅し、絶対死を連想させる。
 我愛羅は生まれて初めて恐怖した。
 眼前に佇んでいる何かは殺気を全く放っていない。ちょっとした興味を【首斬り包丁】に向けているだけの、本当に何気ない仕草しかしていない童のようなものだ。

「のぉ、守鶴を宿したクソ餓鬼よ。少し遊ばんか?」

 その視線が我愛羅に向けられたとき、背筋が震えた。
 秘めている異形を一目で看破され、しかも、遊ぼうと誘ってくる。
 妖魔でも高位である一尾・守鶴を前に、全く怯えもせず、むしろ、見下している。
 濃密な死の気配を纏うもの――我愛羅は聞いたことがあった。木の葉隠れの里を襲った九尾の妖狐は、幼児の腹の中に封印されたのだと。もしや、とも思う。確率論を考えて、その可能性はあまりに低いと思われる。
 けれど、そうとしか考えられない。

「じっくりねっぷり痛めつけて殺してやる故、安心せい」

 眼前におわすは九尾の妖狐を宿した人柱力。
 我愛羅は自分と同じ境遇のものを初めて知り、そして――戦わなければならない運命を嗤った。






[19775] 28.中忍選抜試験・死の森――Ⅲ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5a173f50
Date: 2010/07/27 11:00
6.

 邪悪に微笑みながら、【首斬り包丁】の切っ先を向ける。腐葉土の地面には、侵食されたチャクラが漏れ始めていた。
 我愛羅は恐怖を感じながら、目線を向ける。原因となった金色の少年は、禍々しいチャクラに包み込まれており、どす黒い何かを孕んでいた。赤黒く明滅する【首斬り包丁】は必殺の意思を感じさせる。
 吊り上がった唇から、唸り声があがる。
 死を幻視させられるほどの殺気が込められた威圧的な声音だけで、我愛羅が纏う砂が崩れ落ちそうになる。苦痛の表情を浮かべて、ことさらに力を込めなければ立つことすらできない。
 いくら我愛羅と同じ人柱力といえども、存在の大きさが完全に違う。同じ系列に並べることすらおこがましいほどの絶対悪。それは強いという次元を越えていた。

「どうした? さきほどまでの威勢はどこへ行った? 臆したのか? 所詮は狸。九尾の妖狐に挑む気概はないということか?」

 知れず、我愛羅は一歩後退していた。緊張のあまり硬直した手を開くだけの行為が難易度の高いことに思える。
 生存本能が警鐘を鳴らす。早く逃げろ、と腹の内に住まう守鶴が騒ぎ出し、背筋に戦慄が走った。
 しかし、我愛羅は逃げたくない。意地があった。
 我こそは修羅なり。
 かつて味わったことのない戦いがここにある。
 自分は強いのか、弱いのか。確かめるためのに相応しい絶対強者が眼前にいる。
 挑め。
 戦え。
 そして、殺せ。
 さすれば己が正を見出させる。

「……ぐるぅあああああああっ!!!」

 叫びに応じ、砂が細く長い鞭を形成していく。触手のようなそれをナルトの【首斬り包丁】が火花を発して迎撃した。
 衝撃でナルトの踏みしめる地面に靴裏が食い込む。刃を切り返し、砂の鞭を赤黒く明滅した刀身が切り払い、砂は宙へと霧散する。
 切断された砂は再び鞭を形成し、その細く長く、数を増やしていく。砂塵を巻き上げながら、鞭は音速の壁を叩き壊す衝撃波を撒き散らしながら、九尾に幾度も襲い掛かる。
 鞭というものは先端を見切ることが不可能に近い。そういうふうにできている。
 だが、ナルトは薄く笑いながら全ての攻撃を無造作に振るう【首斬り包丁】で受け止めていた。

「そうだ。頑張れ。ほら、そこだ。おっと、後少しだったぞ。惜しい、惜しい」

 死の弾幕を切り払いながら、九尾はくぐもった笑いを抑えきれずに漏れ出している。
 耳を聾する爆音と、降り注ぐ鞭の雨の中、九尾はゆるりと歩みを進める。鍛え抜かれた右腕で【首斬り包丁】を垂直に振り上げて、跳躍した。
 血色の刃は長さを増し、剣というよりも槍のような形状へと変化していく。空中で姿勢を整え、迎え撃つように飛来してくる鞭の弾丸を身のこなしだけでするりと隙間を抜けていく。剣を頭上へと振りかぶり、瀑布の如き一刀を降らせた。
 轟っ!!
 禍々しい鮮血の刀身が、一気に我愛羅の殻を切り砕いた。【砂の壁】や【砂の鎧】などよりも硬質であろう砂の身体は豆腐のように切断され、一気になかほどまで刃が到達した。剥がれ落ちる流砂の中から垣間見える我愛羅の身体には深い傷が刻み込まれ、粘性の液体が身に纏う忍装束を濡らしていく。

「あぁぁぁぁっ!!」

 悲痛な叫びがあがる。
 
「つまらん。所詮は脆弱な人間か。守鶴を出せ。お主ではワシの遊び相手はつとまらぬ故」

 氷の声で言い放った九尾が、刃を首筋に当てて命令する。
 首に触れている刃に、徐々に力が込められる。残酷に輝く【首斬り包丁】が、絶叫する我愛羅の首にめり込んでいく。愉悦を刻み込んだ悪辣な黄金の瞳に亀裂が走った。

「あ……ぐぅ……」
 
 苦痛に呻き始めた九尾はチャクラが無産した漆黒の鉄塊を地面に取り落とし、もがき始める。
 荒れ狂うチャクラが暴風となり、我愛羅の身体を吹き飛ばす。木の葉のように宙を舞う我愛羅は、突如現れたしなやかな腕に抱きとめられた。

「……大丈夫か、我愛羅?」
「逃げるじゃんよっ!」

 兄弟であるテマリとカンクロウが、我愛羅を助けた。
 手酷い仕打ちを与えたというのに、返されたのは救いの手というのは我愛羅には理解しがたいものであり、過去のトラウマから、他人のことを素直に信じられずにいた。
 目を見開き、弾き飛ばそうと努力するが、チャクラを使い切ったおかげで身体が言うことを聞かない。
 その間にも、苦しみもがく九尾からは膨大なチャクラの風が溢れ出し、周囲の木々を薙ぎ倒していく。まるで小さな台風のようだ。

「何じゃんよ。あれは何じゃんよ……?」
「今のうちに逃げよう。ね!? 我愛羅!」
「黙れ……俺は……っ!!」

 血を吐き出すような思いで我愛羅は抵抗しようとするが――

「やばいじゃんよ。うめき声が消え始めている」

 九尾の暴走が沈静化していった。
 しかし、苦痛のうめきは途切れることなく、それを背後にしながら暴れようとする我愛羅を無理やり押さえつけ、テマリとカンクロウはこの場を後にした。
 残るは頭を抑えてのたうち回る九尾と、近くに転がるサクラの遺骸。
 九尾がちらりとサクラの遺骸を目に留めると、さらに苦しみが増していく。

――約束を違えたな……っ!

 腹の中から響き渡る言葉。
 臓物を引き裂かれるような、脳髄を焼き尽くされるような、形容しがたい劫火が暴れ狂う。
 宿主が覚醒し、怒りに染まって自分の身体を傷つけているのだ。

「くそ……せっかくの自由を邪魔する気か……憎き仇の息子よぉぉぉっ!!」

――サクラの命を救えと言った! それに、俺には親などいねぇっ!

「……助ける。助けるから――頭が割れそうだ……っ!」

――中から見させてもらっていた。お前は俺の仲間を蹴り飛ばした。

 九尾の意思に反して、右腕が【首斬り包丁】の柄を硬く握り締めた。
 血でぬらついた刀身が不気味に輝く。

――俺の中で生きる脆弱な妖魔よ。俺が死んだらどうなるんだろうな……?
 
 脅しの言葉が木霊する。
 九尾からすれば気紛れに殺せる程度の力しかない人間に脆弱と罵られ、見下される。
 許せるものではなかったし、それに、人が痛がりだというのも知っている。

「やってみろ、小僧がっ!」

 その言葉が仇となった。
 瞬間、刀身が左腕に突き刺さる。
 千切れはしていないが、半ば貫通したそれは視界が焼かれるほどの熱を発する。再び振り上げられた【首斬り包丁】がさらにぬめり気を帯び、鮮血で染められていた。

――腕を抉りつけた。次は心臓だ……!

「ぐ……本気かっ!」
 
 ナルトの本気を感じ、九尾は退いた。
 大人しく封印の中に潜り込み「いつか喰ろうてやるぞ、小僧」と怨念の篭る捨て台詞を吐く。
 身体の指揮権はナルトの手元に戻ってきた。
 がくり、と身体が倒れそうになる。
 千切れかけの左腕は身体に残る九尾のチャクラで治り始めているが、完治はしていないおかげで、目が眩む。血が足りない。九尾に酷使されたか身体が悲鳴を上げる。

「――くそ……サクラは……そこか」

 倒れ伏すサクラは泥に塗れ、穢されている。
 巻きつけたジャケットからも血が溢れ出し、生命の存在は感じない。
 ぎりり、と歯が鳴る。

「やり方なんざわかんねー。失敗したら、ごめんな」

 九尾のチャクラが身体に残っている。普段のチャクラとは違う、圧倒的な力を掌に込め、サクラの腹へと流し込んでいく。
 その量は莫大なものだった。身に余るチャクラは掌から注ぎ込む作業は神経を焼き尽くすほどの痛みを代償とし、徐々にサクラの頬に朱がさしていく。
 呆気ないほどに上手くいくことに嬉しさがこみ上げていくが、油断はできない。
 傷口が塞がっていき、腸が身体の中に押し込まれていくのを確認して――途切れかけの意識の中、確かに見た。目を開き、「――あれ……ナルト……?」とぼんやりとした眼で見つめるサクラの姿を。

「おう、おはよう……」

 無意識に答え、ナルトはサクラの身体の上に前のめりに倒れ伏した。

「ナルト!?」

 サクラはナルトを抱きとめたが、冷ややかな体温が伝えてくる。
 ナルトが、危ない。
 状況は不明だが、助かったことだけを確認し、ナルトを背負うと、サクラは傷む身体を根性で奮い起こして立ち上がった。

 ◆

 サスケが太腿にはめ込んだホルスターから二振りの苦無を引き抜きながら、高速の投擲を打ち放った。二条の刃を大蛇の鼻の穴に滑り込むように入り、突き刺さる。悲鳴があがった。
 巨体をうねらせて周囲の木々を長大な尻尾で薙ぎ倒す。
 怯んだ隙を衝き、サスケは木の幹に吸着して空に向かって走り抜けると、大蛇の顔面の近くへと移動し、跳躍した。大蛇の苦痛に呻く開かれた大口へと飛び込んでいく。
 気づいた大蛇は口を閉じようとするが、サスケが中に入ったほうが早く、頭頂部と足だけで口の中に空間を生み出す。空いた両手は印を組み――

「……つあぁぁぁっ! 火遁・豪火球の術ッ!!」

 軋む身体に無理を通して、口腔から劫火が吐き出された。口内を侵略する猛火は上下問わず焼き尽くし、穴という穴から空気を求めて逃げ惑う。それは眼球を侵し、体内を侵し、小さな脳すら焼き尽くした。
 身の内を侵略する灼熱に耐え切れず、大蛇は悲鳴をあげる余裕すらなく、苦痛に悶えて倒れ伏す。

「腹の中焼かれたらさすがに効くだろ」

 肉が焼かれる汚臭に鼻を曲げながら、サスケは横たえた大蛇の口内から現れた。
 煤けた服はところどころ燃え尽きており、自分も無傷ではないのだろう。軽い火傷を負っていた。
 破けた服の切れ端を引き千切りながら、サスケは周囲を窺い、吐き捨てる。

「――そこに隠れてる奴、出てこい。そんなに殺気出してたら猿でも気づくぞ」
「ク、ククク、気づいていたのね。うちはサスケくん」

 現れたのは長身痩躯の男だった。笠で隠れて顔はあまり見えないが――関係なく、底の見えない男である。
 目に見えた瞬間、死を幻視した。頭をかち割られ、殺される惨殺の映像が脳内で映写される。
 感じた彼我の力量差は推し量られないほどに隔たれているようで、サスケは息すらできないほどに圧迫される。

「……か、ぐぅ……くっ!」

 強者と相対したときの心得を思い出す。
 カカシが言っていた言葉――

(腹に力を込めろ。死に魅入られるな。俺は強い。俺は強い。俺は強い。俺は死なないっ!)

 折れかけの心は力を取り戻し、丹田に気が充実する。
 男は驚いたようで、笑いながら拍手をしてきた。

「へぇ、耐え切るのね。さすがは天才忍者の末裔と言ったところかしら?」

 何故自分の名前を知られているのかは思考から除外する。
 落ち着いた思考はひたすらに現状認識に傾けられていた。

(相手の戦闘能力は未知数。殺気からして格上だと判断する。逃げ道はない。仲間の支援もない。絶望的な戦況だ……)

 選択肢は『降参』か『反逆』の二つのみ。
 前者は性に合わない――残るは一つ。

「……けど、やるっきゃねぇよな」

 呟きとともに浮き上がる写輪眼の紋様を見届けた男はにやりと笑うと、超高速の抜き打ちで苦無を投擲する。
 軌道が写る写輪眼の前で投擲など意味はなく、投げられた苦無を指先で反転させ、勢いそのままに男に返す。神業といってもいいそれを見て、男は驚きのあまり目を見開いた。

「へぇ、凄まじいわね。その歳でここまで写輪眼を使いこなすとはね……」

 速度が落ちることなく戻ってきた苦無を受け止めて、そのときにこそ男の顔は驚愕に染まる。
『ジジジッ』と点火する札が、苦無の柄に巻きついていたのだ。

「起爆札……いつのまにっ!?」
「爆死しろっ!」

 爆裂の刃が激発し、男の身体を吹き飛ばす。
 爆裂寸前に男が飛翔した事実を、サスケの写輪眼が見逃すはずもなく、既に着地地点へと疾走していた。
 木の幹に水平に男は着地する。待ち受けていたサスケは関節を全て連動した、踏み込んだ地盤が踏み砕かれるほどの激烈な拳を放つ。軌道上に舞い散っていた木の葉は破裂し、そのまま男に向かっていくが――受け止められた。無造作に優しく掴み込まれた拳の威力は完全に殺されて、衝撃は生み出されない。

「ふ……ふふふ、予想以上の逸材だわ! 天才なんて言葉が悲しく思えるほどの才能! 素晴らしい……素晴らしいわっ!!」

 男は感嘆し、絶叫する。
 男は左腕を振り下ろし、サスケの右頬へと撃ち込まれる。
 自分から首を捻り、反転した身体の勢いのまま、サスケは左足での後ろ回し蹴りを繰り出した。頭を伏せて男は回避するが、蹴りの軌道が変化し、踵を落とす。
 男は左手でサスケの左踵を掴む。サスケが肉体活性で身体を強化し、身体を捻った。左足を相手に掴まれた状態で、旋風となった右足の回し蹴りを放つ。
 首を引いて、男が高速の蹴りを回避するが、その間にサスケが後退し、距離を取る。
 どちらも攻撃を当てることができず、無傷に終わった交差は――何が楽しかったのか。男はくつくつと背中を曲げて笑い始めた。

「先読みをしているのね? 私の攻撃を先読みしているのね!?」

 歓喜溢れる声音が響き渡る。
 折れ曲がった背中が伸ばされて、男はサスケを睥睨する。
 瞬間、サスケは男の目に魅入られた。

(金縛りっ!?)

【金縛りの術】――まるで見えない鋼の糸で相手を縛りつけるような身体拘束術である。身体の動きを封じられ、竦んだように動かなくなる。

「ふふ、これで君は動けない……」

 余裕の表情で男は言うが――サスケは裂帛の気合を込めた雄叫びとともに、拘束に抗う。
 じわじわと自由を取り戻していく様を、男は呆然と見守っていた。
 金属が打ち鳴らすような硬質の音が、森の中に木霊する。【金縛りの術】が破られた。

「写輪眼はすべての術を見破る。金縛りなんていう低劣な術に伏すると思うなっ!」
「やっぱり兄弟だわね。あのイタチ以上の能力を秘めた目をしてる」

 知った名を聞き、サスケの柳眉が歪む。

「イタチ……だと? 何故それを知っている。お前は何者だ?」
「熱くならないのね。冷静だわ。金縛りを無理やり破った反動が治まるまで会話で時間を稼ごうとするなんて……君、忍の資質はとても高いわよ」

 図星だった。サスケは術の反動で身体の自由がきかず、万全の体勢ではなかった。

「でも、そうね。会話に付き合ってあげようかしら。どうせ、君が万全の状態であっても敗北する私ではないし……
 私の名は大蛇丸。目的は君の身体……うちはの血を色濃く継いだ、君の肉体よ」
「カマを掘られる趣味はないんだがな……」
「ふふ、強がりを言うのね。可愛らしいわ。けどね。君は私から逃げられない」

 どうしたことか。
 男――大蛇丸の首が轆轤のように伸びると、サスケに向かって突き進んでくる。
 気持ち悪い光景にサスケは一瞬言葉を失うが、迎撃するために両手で印を組む。

「火遁・鳳仙火の術ッ!」

 複数の火球を生み出し、勢いそのままに攻めてくる大蛇丸を迎撃する。
 大蛇丸も印を組み、風を巻き起こしてかき消そうとするが――

「こんなもの……」

 消え去った炎の中から風を切り裂いて疾走する手裏剣が大蛇丸に襲い掛かる。
 伸びた首を引っ込めて回避すると、手にもった苦無で全てを叩き落した。

「……なるほどね」

 手裏剣へと注意を逸らした刹那、大蛇丸の懐に潜り込んだサスケは『チッチッチッチッ』と独特のリズムを刻む雷光の右手を突き出していた。
 大蛇丸は身体をそらしただけで回避し、左脇の下を通り過ぎた【千鳥】で防護されていない二の腕を掴み取る。苦笑混じりに、少しだけ警戒を顕にしながら、サスケのことを見下ろしていた。

「油断も隙もないわね。なんで君はまだ下忍なの? 理解に苦しむわ……」
「くそっ、離せっ!」
「離すわけないでしょうに……」

 もがくサスケに呆れたように言うが――

「そりゃ助かる」

 とのサスケの呟きで、気づく。【千鳥】の鳴き声に紛れて聞こえづらいが、確かに不吉な音が――

「起爆札!?」

 サスケの【千鳥】の中で隠れていた起爆札が大蛇丸の背後で発火する。
 束ねられた起爆札は連鎖を起こし、爆轟がサスケと大蛇丸を破砕する。
 地獄の業火は全てを嘗め尽くし、爆発で吹き飛ばされたサスケから見えた光景は壮観なものだった。
 爆発に次ぐ爆発。止むことのない爆音は耳を聾し、視界を焼く。これで決まらなければどうしようもないという確信を得て、重度の火傷を負った右手に水を浴びせて、苦痛に顔を顰めていたのだが――

「言葉も出ないわ。私を格上だと想定し、捨て身の攻撃すら厭わないその姿勢。感嘆するばかりだわ……」

 無傷のまま、大蛇丸は爆発した場所とは全く違う草陰から現れた。
 驚愕し、水筒を取りこぼす。ばしゃん、と中に詰まった清水は地面へと染み渡っていく。

「欲しい。君が欲しくてたまらない。君のような優秀な忍は木の葉隠れで腐るべきじゃないわ」
「黙れっ! 木の葉隠れは仲間のいる大事な里だ! 誰であっても、卑下することは許さねぇ……っ!」
「気を悪くしたのなら謝るわ。けど、そうね。謝罪ついでにこんなのはどうかしら」

 ぼんっ、と煙を立てて、眼前に立っていた大蛇丸は消える。
 影分身。
 そして、背後に気配を感じた。

「な……!?」
「君に力を上げる。代償は――もちろんあるけどね」

 かぷり、と間抜けな音が耳朶を打つ。首筋に――齧り付かれた。
 処女を奪われた少女のように、サスケは苦痛の悲鳴をあげる。耳を劈く慟哭を聞き、大蛇丸はうっとりと呟いた。

「可愛い悲鳴ね。食べちゃいたい」

 抱きしめながら、撫で回すように背中に手を添えるが、そのとき、明確な敵意を感じて大蛇丸は一歩退いた。

「ちょっと、あんた! サスケくんに何したの!?」

 現れたのは背中に金髪の少年を担ぐ桃色の髪の少女――サクラ。
 服は血で染まり、顔面にも血痕がこびり付いている。青色吐息な状態で、肩を大きく揺らしながら、それでも強い眼差しを大蛇丸に向けていた。

「あら、確か……君はサスケくんの班員ね。それに――九尾の人柱力ね……悪意すら感じる班構成だわ」
「何言ってんのよ……?」

 意味のわからない敵の言葉にサクラは眉を吊り上げる。

「ふふ、まぁいいわ。用事はもう終わったし、私は帰らせてもらうとしましょうか」

 大蛇丸は反転し、興味が失せたかのようにサスケのことを手放した。
 うずくまり、白目を剥いてのた打ち回るサスケに駆け寄りたい衝動を抑え、サクラは静かに大蛇丸の背中を睨み続けている。

「だから、そんなに身構えなくてもいいわよ? 実力の差がわからないほどの愚者なら相手してあげてもいいんだけど……そうでもないみたいだし」
「クッ……」
「じゃあね。また会いましょう」

 木の葉が舞い、視界が埋め尽くされたと思ったら、大蛇丸の姿が掻き消えた。
 見逃された――そういうことなのだろう。
 満身創痍の仲間二人の姿を確認し、サクラはほっと安堵の吐息を漏らす。どちらも、生きている。

「――最悪の事態ね。まずは、隠れなきゃ」

 両肩に仲間を一人ずつ担ぎ、初めて身体を鍛えていたことに感謝した。担いでもなお、余裕がある。

「私が守るから。絶対に――」

 隠れる場所を探すため、サクラは森の中を駆け出した。





[19775] 29.中忍選抜試験・死の森――Ⅳ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 11:00
7.

 七班は大樹の根の張った隙間に巧妙に隠れていたのだが、それを見下ろす三人の影があった。
 腕が六本ある異形とも言える髷を結わえた黒髪の少年と、帽子を深く被った真紅の髪の少女と、全体的に色素の薄い冷やかな顔立ちをした少年だった。全員が白い衣に黒塗りの膝丈ほどまでしかないズボンを履いている。首には音忍を示す額当てが引っ提げていた。

「ターゲットはどいつぜよ?」

 腕二本だけで疑問符を表す少年は、困ったようにサクラたちを観察していた。
「ゲスチンヤロー、少しは大蛇丸様の話を聞いておきやがれ!」と罵詈雑言とも言える言葉を少女に吐きかけられ、気分が悪そうに嘆息する。

「長い話は苦手ぜよ……」
「ったく、いいかぁ? つまりだ。えーと……」

「あれだ。つまりは、こういうことであれな感じなんだよ!」と小声で叫ぶという器用なことをしながら、ちらちらと美貌の少年へと視線を流していた。

「僕が説明するよ……狙いはうちはの末裔と、九尾の人柱力。女は殺してもいいそうだ」

 人柱力――一尾から九尾と言われる高位の妖魔を宿している者のことを言う。人柱ということから、生贄であることが窺い知れる。実に皮肉に満ちた名詞である。 

「へっへ、燃えてくるぜよっ! 生かさず殺さずってのは一番難易度が高いって相場が決まっているもんぜよ!」
「盛り上がるのは勝手だけどね。失敗は許されない。全ては大蛇丸様のために……」

 闘志を燃やす腕の多い少年に、冷やかに注意を促す。
 油断も余裕もここにはいらない。常に全力で事にかかれ、と言われているようだった。

「チッ、わかってンよ」
「君麻呂はいつもそれぜよ……」

 純白の髪を風に遊ばれながら、少年――君麻呂は形の良い唇を優雅に歪める。

「多由也、鬼童丸――わかってるだろうけど、くれぐれも……」
「油断はしない」
「ゲームは詰めが肝心ぜよ」

 口の悪い少女の名は多由也、腕の多い少年の名は鬼童丸。
【音の五人衆】と呼ばれる彼らは大蛇丸の側近であり、最も信頼を置かれている者たち。そして、最も深い忠誠を誓っている者たちだ。
 彼らが刺客となり、七班へと襲いかかる。

「……なら、いい。行くよ」

「応ッ!」と答えて、【音の五人衆】の三人は、静かに接近を開始した。

 ◆

 ひんやりとした葉の敷き詰められた布団の上で、ナルトとサスケは横たわっていた。
 血の気の引いた蒼白の顔に、少しずつではあるが朱色が混じり始め、浅く、荒かった呼吸も平常になり始めている。
 口寄せで取り寄せた水の入った桶に布切れを浸し、ナルトとサスケの額に乗せた、もう温くなった布切れと取り換える。
 地道な作業ではあるが、一時たりとも気が抜けず、うとうととしてしまう自分を叱咤激励しながら、サクラは甲斐甲斐しく看護に勤しんでいた。

(熱は下がってきたわね……)

 今にも死にそうなほどの断末魔をあげていた二人が落ち着きの兆しを見せ始め、少しだけ緊張が緩んだ。死の気配が遠ざかり、心の底から安心してしまった。
 ぴくり。
 周囲に張り巡らせた糸が震え、千切れた。切れた糸がどこに設置したものかを記憶の底から引っ張り出し、おおよその方角を決める。相手の出方による対応策も瞬時に練りだして、設置した罠の中で使えるものをピックアップしていく。
 万全のはずだ。心を奮い立たせる。

「誰? 長期戦でじわじわやるってのは好みじゃないんだけど……」

 できれば逃げてくれないかな、と思いながらサクラは問いかける。
 罠を使って闘うよりも、無用な戦闘は避けたいというのが本音だった。いくらなんでも二人を庇いながら戦闘を行えるほどにサクラは圧倒的な強さもないし、真正面から戦うことに優れた能力があるわけではない。自分はあくまで援護タイプ、とサクラは自覚していた。

「気づかれていたか。どうやって、って聞くのは野暮かな?」

 しかし、現実は非情なものである。
 警告は意味を為さず、冷然とした少年を筆頭に、草陰から三人の音忍が顔を出した。
 佇まいからして強者の雰囲気を醸し出している彼らに勝つ方法を模索するが――あまり良い案は浮かばない。

「教えてもいいんだけど……その代わりに退いてもらえないかしら? 何なら【天の書】もオマケに上げるわ」

 こんな交渉したって知ったらナルトはともかく、サスケは怒るだろうな――と思いながらサクラは提案した。一番の安全策であり、ナルトとサスケが行動できるようになれば、巻物二つくらいすぐに揃うだろうという算段である。
 もしさっきまでのような奴らしかいないのなら、サクラは二度と中忍選抜試験を受けないと心の中で誓っていた。

「そんなのいらないよ。さっさと後ろにいるうちはサスケ……だっけか? その黒髪のツンツン頭を起こしなっ!」
「そうすりゃお前は見逃してやるぜよ」

 予想通りと言うべきか、どうやら交渉決裂らしい。
 リーダーの風格を持つ先頭に立つ少年――君麻呂も無表情ながらも同じ意見のようだ。どうやら見逃してはもらえないらしい。さらに、自分だけは見逃すと言う言葉まで付け加えている。聞き逃せるような言葉ではない。
 サクラは今もなお眠る仲間二人に「私に任せて……」と断固たる決意を秘めた瞳を向けて、立ち上がった。

「私が仲間を見捨てるような馬鹿女に見えるっての? 屈辱だわ……」

 ホルスターから一本の苦無を抜き放つと、鈍色の切っ先を君麻呂に向ける。
 相手はそのような威嚇行為で動じるほどに矮小な存在ではなく――

「君たちの事情も、君の意見もどうでもいい。とりあえず、うちはを出してもらえないかな? こっちとしても暇ではないんだよ」

 と凍りついた湖面の静けさを感じさせる声で呟いた。
 サクラは「べー!」とアッカンベーと舌をぺろりと出すと、構えた。戦意剥き出しである。

「僕がやる」
「負けンなよ」
「誰に向かって言ってるんだ……?」

「俺がやりたいぜよ」と漏らす鬼童丸を無視して、君麻呂が一歩踏み出た。
 悠然と歩く姿に警戒はなく、サクラは見下されているような印象を受ける。
 舐められている。侮られている。とても都合が良いことだ。

(一対一……ね。いつ参戦されるのかもわからないし、サスケくんたちから離れるわけにはいかない。最低のシチュエーションね)

 思考をおくびにも出さず、露骨に顔を顰める素振りを見せる。

「ふん、あんたが相手ってわけ? 上等ォ……」

 君麻呂が無造作に腕を振る。
 いつ引き抜かれたのかわからないほどの速さで投擲された手裏剣が五条の閃光となってサクラに向かって疾走する。
 苦無で叩き落とせるほどの身体能力のないサクラは苦々しく思いながら両手の指全てから糸を生みだし、手裏剣を全て絡め取る。避けれないこともなかったのだが、避けたら軌道の先にはナルトとサスケがいた。それすら狙って投げたとすれば、なかなかに嫌らしい奴だと言えよう。
 サクラの不可視の糸による絡め取られた手裏剣を見て、君麻呂たちはぴくりと眉を動かせた。鬼童丸の反応は特に顕著であり、今にも拍手を送りそうな様相だ。

「不思議な術を使うね?」
「どうでしょうね」

 誤魔化すサクラに対し、君麻呂は困ったように首を傾げる。

「ふむ、これを殺したら大蛇丸様にお叱りを受けそう……かな?」
「何を言って……」
「さて、どんな風に無力化しよう?」

 考える素振りを見せながら、君麻呂は独特の歩法で距離を詰めてくる。
 かかった! 確信し、サクラは手元に手繰り寄せた束となっている糸を操作し、全ての糸を君麻呂の身体に吸着させた。不可視のそれはサクラの手元に残る一本の糸を切るだけで発動する。
 苦無で、罠の軌道のための糸を断つ。
 すると、糸に繋がれた無数の苦無は四方八方から大気を裂きながら、糸の終着点である君麻呂に対して飛来する。
 伸縮性の強い性質に変化させた糸のせいで、ぐんぐんと速度は増し、手首のスナップで投げる苦無の速度とは比較にならないほどの速度で向かうそれは、間違いなく君麻呂に全て突き立った。
 硬質な炸裂音がサクラの耳を聾する。その音は金属と金属がぶつかったような不協和音によく似ていた。
 小さな的に当てた膨大な数の苦無がぶつかりあっているのだろう、と考えたサクラは、それが間違いであることを知る。
 身体中から苦無を生やしている君麻呂を見て、多由也と鬼童丸は一切顔色を変えておらず、そして――カラン、と全ての苦無は何色にも染められずに、地面へと落ちた。

「応用性のある便利な術だ」

 あれだけの猛威を受けながら、服が千切れているだけで――君麻呂は無傷。

(苦無が刺さらない? 何なのよ。中忍選抜試験受けに来るような奴には苦無は意味ないわけっ!?)

 二度と中忍選抜試験を受けるものか! とサクラは心の中で憤慨しながら、カカシのことを脳内で三回ほど撲殺し、現状を打開する策を考え始める。
 何故効かなかったのか、幻術ではないらしい、服が千切れていることから確かに当たっている、疑問が浮かんでは解消されることなく思考の外に放り捨てる。

「じゃあ、こんなのはどうよ!?」

 刺突が効かないのなら――君麻呂に吸着させた【チャクラの糸】を操作し、縛り上げる。
 縛り上げるように力を込めて引っ張り上げる。目的は、縊り殺すこと。
 急に自由を封じられた君麻呂は驚きの表情を浮かべながら「金縛りとは違うみたいだね」とぼやいている。余裕の表情。

「んぐ……ぐぎぎぎぎっ!!」

 顔が真っ赤になるほど引っ張るが――

「ふむ、細い糸で切り裂こうとしてるのかな。けど、僕には効かないよ」

 力に耐えられず、糸が千切れた。

「そういう体質だから」

 鋼線のような性質を与えた糸が、人の肌すら切り裂けずに、千切れた。

「……嘘?」

 サクラは呆然自失となる。
 糸が効かない体質。どんな体質なのだろうか。特別肌が硬いのだろうか。かといって、見るからに綺麗な肌をしていることから、岩肌とも考えられない。
 このような敵は初めてで、サクラの思考は混乱する。
 どうすれば――こんな馬鹿げた敵に勝てるのか。

「気持ちはわかるけど、嘘じゃない。これは現実さ」

 呆けたサクラに対し君麻呂は接近して、拳を振り上げた。
 しかし、それは振り下ろされることはなかった。
 疾風の如く突如現れた全身緑色のタイツを着ている少年が乱入し、君麻呂を蹴り飛ばしたのだ。
 残心を見せながら、その少年はサクラの前に立ちはだかる。
 正義に燃えるその姿は、見覚えのある――夢に出そうなほどに濃い少年であり、初対面でサクラに告白して来た奴だ。

「違います。これは浪漫です! 可憐な少女が、美しい少年に守られる。まさに青春ですっ!」
「……誰、かな?」

 冷めた美貌を顰めながら、君麻呂は問う。

「木の葉の美しき碧い野獣――ロック・リーだっ!」

 対するそいつはエヘン、と胸を張ると咆哮した。
 格好良いと思っているのだろう、古臭さを感じさせるイカしたポーズを決めながら、実にイカした叫びだった。
「何であんたがここに……?」とサクラが聞くと、それは野暮なことであるかのように「チッチッチッ」と指を振る。前時代的な仕草に、サクラは場の雰囲気を忘れて噴き出しそうになる。こらえるために数秒のときを要した。
 だが、

「僕は……貴方がピンチのときはいつでも現れますよ」
「それだったら遅くない? 私さっきもピンチだったんだけど……」

 真顔で言われたその言葉に、心臓が高鳴る。殺し文句にもなりうるそれに頬を染めて、そっぽを向いた。

「そ、それはすみません。遅れました!!」
「でも、ありがと。心強いわ」

 本音である。
 リーは心の中でこっそりとガッツポーズを決めた。「ガイ先生、僕、青春してますっ!」とできるだけナウい言葉を紡ぐために思考するが、心の中でナイスなポーズを決めている濃い眉が印象的なマイト・ガイ熱血先生は「思ったことを素直に言うんだ! 心がこもっていれば、絶対に届く!」と激熱な拳とともに言葉を投げかけてくれた。「オスッ!」と返事をして、ドキドキと鼓動する心臓をうるさく感じながら、リーは言った。

「前に一度言ったでしょ。死ぬまで貴方を守るって」
「困ったな。惚れちゃいそう……」
「構いませんよ。いくらでも惚れてやってくださいっ!!」

 サクラの言葉に心臓が爆発しそうなほどに脈打つ。生まれて良かった! と見たこともない神に感謝した。どこからか「応援してるぞー」と間延びした声が聞こえた気がする。

「はは、嬉しがってくれるのはありがたいんだけど、とにかくこの状況どうにかしない?」
「そうですねっ!」

 リーの体術の凄まじさを思い出したサクラは、後ろから援護に徹することに決める。もともとそっちのほうが得意だ。
 相対する君麻呂たちは――

「手伝うぜよ?」
「いらない。僕一人で構わない」
「相変わらずの自信っぷりだな……胸糞悪くなる」

 仲間の援護を断り、一人で戦うことを宣言する。
 どこまで信じていいものかはわからないが、すぐに加わってくるということもないだろう、とサクラは考える。
 すると、リーがサクラのことを心配そうに見つめてきた。自分の服を見ると、サクラは苦笑する。腹のところに大きな穴が空いているというセクシーな格好で、しかも、血でぱりぱりに乾いているのだ。普通は心配する。

「戦うわ。私の服からして手酷い傷を受けてるように見えると思う。けど、なんでか無傷なのよね」

 ちらりとナルトを見た。
 サクラは間違いなく、一度腸をぶちまけられた。間違いなく即死していたであろう。もしくは気絶していたのか、サクラの意識がない間に何があったのかはわからない。
 けれど、自分とは違う何かを身体の中に感じる。それは何故か、とても温かいもので、時折見せるナルトの優しさに似ていた。
 勘違いだろうけど、とサクラは思う。
 いらないことを考えた。思考のスイッチを入れ替えて、戦闘用に切り替える。

「そうですか。では……」
「――行くわよっ!」

 リーが疾風となり、君麻呂に飛び掛かった。
 低く跳躍したリーは迎撃しようと膝を突き出す君麻呂の攻撃を掻い潜り、地面すれすれを這うように足を回転させる。

「木の葉旋風っ!」

 体重全てを乗せているかのような水面蹴り。
 大きな円軌道を描くそれは容赦なく君麻呂の軸足を薙ぎ払う。君麻呂は衝撃に負け、刈られとられた足を絡まされ、宙を舞う。そこにサクラの糸で操作された棒手裏剣が牙を剥く。狙われたのは人体急所である鳩尾や脇の下、上腕骨の隙間や金的などだ。全て一撃必殺となりうる箇所であり、過つことなく、サクラの苦無は的確に急所を捉えた。
 しかし、硬質な音を立てて弾かれる。

(……なぜ、弾かれるの?)

 攻撃を一時中断し、サクラはリーと君麻呂の戦闘を見ながら分析を始めた。

「木の葉大旋風!」

 先ほどの水面蹴りよりもさらに勢いのある水面蹴りを君麻呂は跳躍して回避する。待ち伏せていたかのように、リーは一回転して勢いを増した後ろ回し蹴りを繰り出した。
 腕を固めて君麻呂は受け止めるが、衝撃に負けて吹き飛びかけるが、足を伸ばして地面を踏み砕き、耐え抜いた。
 しかし、リーの連続攻撃は止まることなく、上段蹴り、中段蹴り、首を狙った足刀から、振り上げた足の踵を君麻呂の頭蓋に叩き落とした。
 たたらを踏む。
 よろめいた君麻呂の足に糸が絡みつき、動きが阻害されたところへ、リーが突進して肩からのブチカマシを与えた。
 勢いそのままの体当たりを受け流すことすらできず、君麻呂は木の幹へと強かに打ち付けられる。大樹は震え、木の葉が大量に舞い落ちる。
 
「驚くほど柔軟……それに独特な動きをしますね」
「お前は直線的過ぎるな。後ろからの援護で、随分と隙が消えているが」

 構えを解かず、リーは警戒を露わにしている。
 何度も会心の一撃ともいえる打撃を与えたのだが、そのたびに鈍い――人体を殴っているとは思えない感触が拳に広がっていくのだ。おそらく、何らかの方法でダメージを軽減されているのだろう。ゆるやかに立ち上がる君麻呂からは、未だに余裕が窺えた。 

「君麻呂、やばいのならウチが片方受け持とうか?」
「いや、いい。少しだけ本気を出す」

 多由也の援護を拒否すると、君麻呂は白い衣を肌蹴させた。
 しなやかな身体はそこはかとなく妖艶な印象を与え、サクラは目を見開いた。大好物である。けれど、戦闘中であることを思い出し、自らを戒めた。見たいのならナルトとサスケが川辺で遊んでいるときにじっくりとガン見すればいいのだ。よくやることである。新鮮な記憶を脳内から引っ張り出して目の保養を思い出すと、落ち着いた視線を君麻呂に向けた。
 肌蹴られた肩口に君麻呂は手を添えると、肩の骨が突き出てきた。信じられない光景に、先ほどとは違う意味で目を見開く。肩から突き出た骨を君麻呂は握りしめると、一気に引き抜いた。
 突き出た傷口はふさがり、骨がなくなったはずなのに、腕は普通に動いている。ありえない。普通の術ではない。
 サクラの明晰な頭脳は、それだけのおおよその答えを弾きだした。

「なるほど……骨を操る血継限界? たぶん、そのせいで刃が通らなかったわけね」
「教える義理はない」

 それもそうね、とサクラは頷く。敵に技を教えるメリットがない。
 リーはふるふると震えながら、闘志を燃やしていた。

「血継限界。また才能――ですか。けど、努力の前では才能などという脆いものはあっさりと瓦解しますっ! 青春は全てを凌駕するっ!!」
「それ、いいわね。一口乗らせてもらうわよ」
「フン……」

 そこからの戦闘は熾烈を極めた。
 骨の剣を自在に操る君麻呂の攻撃をリーが対処し、後ろからサクラが糸を駆使して君麻呂の行動を阻害する。隙を見つければ苦無による刺突、拳による打撃、蹴りによる薙ぎ払い、などなどあらゆる攻撃をしていたのだが、いまいち効果がない。
 乱れ狂った舞は危うい均衡を保っていた。
 そのときだ。
 剣を掻い潜り、軸足で君麻呂の足の甲を砕かんばかりに靴裏で踏みつけて、肋骨を折る勢いでリーは鋭利な肘を突き出したのだが――

「唐松の舞……」

 君麻呂の全身から剣のように鋭く輝く骨が突き出された。
 驚愕の声をあげながら、優れた動体視力でリーはなんとか直撃を避けるが、ダメージは避けられない。肘には大きな裂傷が走り、腹や頬などにも浅い切り傷が浮かび上がっている。
 打つ手なしか――とサクラは諦めかけるが、骨で守られていない急所を探る。

(骨で受け止められる。苦無は刃が刺さらない。私の手札ではどうしようもない……いや、目? そうと決まれば……)

 狙いは定めた。
 後はリーが注意を逸らしてくれるだけでいい。

「どうやら、僕も出し惜しみしていられるような甘い敵ではないことはわかりました。全身全霊で行かせてもらいます」

 下忍ではサスケもかなり速いほうではあるが、それを更に上回る速度で、リーは君麻呂に対して突進した。
 君麻呂が反応すらできないほどの超高速の運体により、君麻呂の懐でリーは一気に屈みこみ、顎を蹴り砕かんと上空に向かって足を突き出した。
 堪えることすらできず、君麻呂は宙空に放り投げられるが、リーは何かに縛られて追撃を許されない。

(……今っ!)

 しかし、上空で体勢を整えられていない君麻呂に対し、サクラの追撃が行く。眼を狙った幾条もの棒手裏剣。当たれば眼球を通りこして脳髄すら破壊するだろうそれは、何かに絡め取られて失速した。
 君麻呂はそのまあ綺麗に着地すると、恨めし気に鬼童丸を睨みつける。

「自分でどうにかできた」
「強がるんじゃないぜよ。そのままだとオカッパの奴にぼこぼこにされるか、目、潰れてたぜよ」

 鬼童丸が作り出した縄のような太さの白い糸がリーを束縛し、苦無を絡め取っていたのだ。サクラは知れず、舌打をする。絶好のチャンスを潰された。
 糸をどうにかしようと足掻くリーに多由也がゆるりと近づき、蹴り飛ばした。

「――ぐぅっ!!」

 地面を転がるように蹴りつけられたリーをサクラは受け止める。
 万事休すだ。
 冷や汗が止まらず、敵が本気になってしまったことに諦念すら覚える。

「どうせ勝てるんだし、さっさと終わらせちまおうよ。ウチ、めんどくなってきた」
「俺もだぜよ」
「仕方ないな……」

 戦力差に嫌気が差す。
 戦術を練り上げようと思考するが、罠ももうないし、人数が多いことから、【水遁・水牢の術】も役には立たない。敵の糸の性質も未知数。情報が足りない。こちらの戦力が足りない。
 敗北。
 不吉な二文字が脳裏にちらついた。
 だが、諦めてないやつがサクラの腕の中で立ち上がろうとしている。

「……先生、立派な忍になるのは無理かもしれません」

 ぽつりと呟いた言葉の意味は理解できないが、リーも何かを諦めたようだ。
 よろりと立ち上がると、腕と脚につけた何かを地面へ落とす。
 地響きが起きたのかと思うほどの轟音が鳴り響いた。

(重り……? こんなのつけて戦ってたわけ!?)

 だが、それでも勝てないだろうな、とサクラは思う。重りを外すということは打撃の威力が下がるということなのだから。
 逃げるのかな? きっとリーなら逃げ切れるだろう、とサクラはかなり失礼なことを考えている。そんなことを考えているはずがないのに。
 リーは思いだしていた。
 
『リー、凄いぞ! やはり、お前だけが習得したか……だが、これは"禁術"とする』

 これから使う術は身体に甚大なダメージを被るもの。簡単に使っていいものではない、まさに秘奥とも言うべきものだ。
 絶対に使うな、と敬愛すべき師匠にきつく言われているが、使っても良い条件が一つだけあった。

『使っていいのは――大事な人を守るべきときだけだ』

 まさにそれが今なのではないだろうか。
 ちらりとサクラのことを見た。
 諦めたような光のない瞳はリーに逃げろと言っている。惚れた女の前で良い格好すらできない自分が情けない。
 だから、格好良い自分を見せるために、リーは無茶をする。

(好きな人のために命を賭ける。これこそ究極の青春ではないでしょうか……?)

 思い込みなのはわかっている。けれど、リーのよく知るマイト・ガイ先生ならきっと笑ってこう言ってくれると思うのだ。

『仲間を守るためなら、命すら投げ捨てろ』

 間違いないな、と苦笑する。
 それが好きな人であるなら尚更だ。
 女を守れない男に価値はない、とリーは考える。

「【裏蓮華】――使います」

 故に、リーは命を燃やしつくす熱血の極みを使うことを決意した。 





[19775] 30.中忍選抜試験・死の森――Ⅴ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 11:00
8.

「お前は俺には勝てない」

 腕から、胸から、腹から、脚から、鋭利な骨が突き出している人とは思えない異形の姿になった君麻呂が言い切った。
 決められた事実であるかのように紡がれた言葉に強がりはなく、絶対に負けないという確信があった。勝って当たり前、負けるなど論外、実力に裏打ちされた言葉に、サクラは少しだけ怯む。どうやってあんな化物に勝てばいいのか、案がさっぱり浮かばない。眼前に聳え立つ壁は高すぎて、天井が見えないほどだ。
 しかし、リーは動じることはなく、悠然と立っている。君麻呂の言葉に惑わされることはなかった。

「まずは信じることから始めるんです。やれると思わないと、絶対にやれないものなんです。心が折れてしまいますから」

 誰に聞かせるものではないのだろう。自分に問いかけるように、弛緩させた身体に力を込め始めていく。
 ぎゅっと握りしめられた拳からはみしりと音が鳴り、筋肉の収縮音が空気を震わせる。

「だから、敢えて断言します」

 キッと鋭い視線を君麻呂に向ける。

「貴方は僕に倒される」

 軽くなった腕を持ちあげて、隙のない構えをとる。  
「リーさんっ!」と助太刀をしようとするサクラではあるが、深紅の髪をたなびかせた少女――多由也に引き止められる。
 距離を詰めようとしたところに腹に向かって拳を突き出され、なんとか肘でかすかに防御したけれど、衝撃のあまり地面に足を擦らせながら吹き飛ばされた。見た目に反して威力のある攻撃に背筋が凍る。

「おっと、邪魔はさせないよ。お前の相手はウチだ」
「俺はどうするぜよ?」
「そこらでクソでもやってなっ!」

 相手はまだ侮ってくれている。
 いや、君麻呂一人で十分なところに二人も来ているのだからそれはまた違うのだろうけど。

「……あんまりぜよ」

 誰か助けてくれないかな、とか妄想しつつ、リーを見る。

「行きますっ!」

 リーは地を蹴って矢の如く――弾けた。

 ◆

 その攻防は熾烈を極めた。

「開門……開ッ!」

 枷を外されただけではなく、潜在能力全てを引き出す【裏蓮華】による爆発的な身体強化も合わさって、リーの速度は目に写らぬものとなった。
 高密度の骨を生みだし、君麻呂も耐えてはいるが……棒立ちに等しい。

「休門――開ッ!!」

 拳を振るう。蹴足を繰り出す。それはただの体術でしかない。
 しかし、これまでとは次元が違った。

「生門――開ッ!!!」

 拳を振るうだけで空気が悲鳴を上げる。
 蹴りが君麻呂を穿つと、爆風が巻き起こり、衝撃波が吹き荒れる。
 大地が地鳴りの如く鳴動し、木々が戦慄の木霊を響かせる。

「傷門――開っ!!」

 一挙動するたび、君麻呂の身体がくの字に折れる。そして、攻撃している側のリーの身体からも何かが破裂するような音が鳴り響く。
 自己の限界を超える【裏蓮華】の代償は多大なものだ。捨て身とも言えるそれは軽い覚悟で会得できるものでもなく、使用できるものでもない。
 再び、リーの膝が君麻呂の額を叩き割った。分厚い骨が割け、背が反り返る。そして、割れた額に向かって、リーは両拳を叩きつけた。
 骨が砕ける音が響き渡る。
 それはどちらのものなのだろうか。

「が……ッ!」

【八門遁甲】と呼ばれるものがある。これは開門から死門と呼ばれる八つのリミッターのことを言うのだが、【裏蓮華】はリミッターに対して己がチャクラを叩き込み、自分の力を全て引き出すというものだ。
 リミッターというものは無意味に存在するものではなく、当然、人の身体では耐えきれないほどの力を発揮しないようにと課せられているものなのだが、それを外すと、莫大な力を手に入れられることとなる。
 一説では、全ての門を開くと一瞬ではあるが、火影を超える力が手に入れられるという……

「ぐ……ハァァァァッッ!!」

 リーの肌の色が赤く変質する。穴という穴から血が噴出す。
 制御し切れない莫大なチャクラが暴走を始め、リー自身に牙を剥き始めたのだ。
 しかし、代わりに得たものは人を越えた神速。
 全ての骨を防御特化にしても、リーの拳は容易に骨の盾を貫き、砕く。
 初めての経験に君麻呂は苦笑を浮かべた。

「お前は人間か……?」
「――君に言われたくはありませんっ!」
「それもそうか……」

 人ならざるものと迫害されていた君麻呂の異形の一族。確かにそんなことを言う資格はないだろう。
 だが、どうなのだろうか。
 自分の身体を投げ捨てて、全身全霊で勝負に命を賭ける姿は、君麻呂の一族の姿を彷彿とさせる。

『我らが生を実感できるのは戦場のみッ!』

 似たようなものではないだろうか。
 血管を破裂させながら、筋肉を引き千切りながら、それでもなお、狂笑を浮かべて暴力を実行するリーは、果たして人間なのだろうか。
 下段蹴りで足を砕かれた。
 肘打ちで肩を抉られた。
 裏拳で頬を殴られた。
 膝蹴りで腹を刺され、潰され、壊され、貫かれた。
 蹴り上げで顎を粉砕され、浮き上がった身体に頭突きが入り、最も分厚い骨である額が陥没した。
 衝撃のあまり地面に叩きつけられ、身動きがとれないところへ踵落としが追撃する。背骨が折れた。
 荒い息とともに、何度も背骨を踏み砕かれ、中身の内臓はぐちゃぐちゃだ。
 だが、

「……早蕨の舞」

 瞬間的に危機を察知したリーは即座に飛びのき、絶大な跳躍力をもって回避したそれは――骨の樹海と言うべきか。
 地面から鋭利な骨の木々が咲き乱れ、あるもの全てを貫いていた。
 近くにいた仲間も関係なしのそれは「君麻呂、何しやがんだテメェ!」「危ないぜよっ!?」などと批判をもらうほど。
 懲りた表情すらなく、君麻呂は骨を生成しながら傷を癒し、余裕のない表情で頭上にいるリーを見上げた。

「……お前は特別だ」

 本音なのだろう。偽りの感じられないその言葉には真摯な色が宿っていた。
 異変が起こる。
 君麻呂の身体に黒い斑点が浮かび上がり、身体の黒く染め上げていった。
 禍々しいチャクラの奔流を感じ、感覚が鋭敏化されているリーも冷や汗を掻く。
 仕留め切れていない現状だけでも厳しいのに、さらに、敵は本気を出していなかったようだ。
 変異が終わったそこには、全身刺青をしたかのような風体の君麻呂がいた。
 咲き乱れる骨はどこぞへと引っ込み、一本の剣へと変質している。
 身の丈を超すそれは剣というよりも槍のようで――
 しかし、リーは委縮することなく、弾丸と化して君麻呂へと飛び掛かる。

「これで……どうだっ!」
「だけど、僕の方が特別だっ!」

 骨の剣と鉄の拳が交錯する。
 轟音ッ!
 衝撃のあまり大地が窪み、吹き荒れる暴風に木々が揺れる。
 どちらも退かず、骨の剣は皹が入り、鉄の拳も砕ける音が轟き渡る。

「特別だとか、そんなものは関係ありません。君は倒すっ。今、ここで、僕が打ち倒すっ!!」
「僕は負けない。ここで負ければ、目的が達成できないんだッ!」

 骨が砕け散り、砕けた拳も腕に亀裂が走り、だらりと下がる。
 何も言わず、二人は至近距離で向かい合い――拳を突き出した。
 単純な殴り合い。
 一歩も退かぬ意地の張り合いは、まるでどちらのほうが強いかという単純な力比べのように見えた。
 君麻呂は血継限界と黒い模様も失い、リーは【裏蓮華】も使い尽した二人は、ままならぬ身体に気力を込めて、さきほどと比べるとあまりの遅さに同情を禁じ得ないほどの攻撃で、殴り合った。
 根性だけで、気力だけで、二人は身体を動かしている。
 踏み込み、

「これで……最後ですっ!」
「これで……トドメだっ!」

 両者の拳が頬を穿ち――

「あ……ァ……」
「ぐぅ……ぁ……」

 膝が折れる。
 睨み合う。
 身体のあちこちの骨が折れ曲がり、砕け、内臓も無事ではない状態で、先に倒れることを拒否するようにして――二人は同時に前のめりに倒れた。
 
「君麻呂、生きてるぜよか?」

 鬼童丸は腕六本をあわあわと動かしながら、おそるおそる君麻呂に近づいて行った。
 すると――

「――あぁぁぁっ!!」

 君麻呂の身体に再び漆黒の斑点が浮かび上がる。
 それだけでは留まらず、ぼこぼこと隆起する身体は人の身体を飲み込まんばかりに浸蝕していき、肌が褐色へと変化していった。
 角が生え、身体が一回り大きくなっていく。
 その光景を、一時休戦していた多由也とともに、サクラは見ていた。

「呪印ぜよっ!?」

 呪印――?
 それは何なのだろうか。

「……ぐ、ふぅ、はぁぁぁ――くっ……っ!」
「多由也っ! やばいぜよ……!」
「わかってるっ!」

 もがき苦しむ君麻呂を見て、鬼童丸は慌てて生み出した蜘蛛のような糸で君麻呂を縛りつける。
 多由也もサクラを一気に蹴り飛ばし、急いで君麻呂の隣へと移動した。

「逃げるってのっ!?」
「お前らは逃げたほうがいいよ。君麻呂がこうなったら手がつけられない」

 忠告すると、多由也は腰に差した笛を取り出す。
 心底嫌そうに顔を歪めていることから、これは予定外のことだろう。
 それにしても、逃げたほうがいいとはどういうことだろうか。まるで、彼らは自分たちを殺す気がないようではないか。 
 思考するサクラは、しかし、リーの惨状を見てすぐに駆け寄る。
 酷い傷だ。応急処置ではどうにもならないほどの姿に、どうしようかと考えかけるが、危機は去っていないことを思い出す。
 君麻呂の咆哮が轟く。

「予想外の敵に痛手を負ったせいで、覚醒しかけてるぜよ……状態2だけはやばいぜよっ!」
「ちっ、抑えるよ。大見得切ってこれとか手に負えない。だから、ウチは来たくなかったんだ。家に帰りたい」

 鬼童丸と多由也は印を切る。
 それは封印術と呼ばれる高位のものだった。
 二人による結界は君麻呂を覆い隠す。
 仲間に対して何をしているのかとサクラは疑問に思うが――

「殺す……っ! 殺す、殺す、殺すぅぅぅっ!!」

 結界は一瞬で壊された。
 太く長く黒光りする骨の鉾を振り回し、君麻呂は異形と化した身体で暴れ狂う。
 仲間のことを仲間と認識できないのか、猛威は身近にいる鬼童丸と多由也にすら及び、二人は顔を顰めた。

「殺人衝動ぜよっ! 多由也、退くぜよっ!!」
「お、おうさっ!!」

 迷うことなく、二人はこの場を後にした。

「何なの……あれ」
「わ、わかりません……」

 凶暴な光を宿す異形の瞳を見て、サクラはげんなりと溜め息を吐いた。
 状況は最悪。
 なんだか最悪な状況ばかりが続いて耐性がついたのか、サクラは乾いた笑いを浮かべている。

「はは……ふふふ……はは……はぁ……。なんかもう、変身するやつばっかね。嫌になっちゃう」
「サクラさん?」

 何故だかすっきりとしたように微笑むサクラを見て、リーは心がざわついた。
 見てはいけないものを見てしまった、と思ったのだ。

「私のほうが元気みたいだから、頑張るわ」

 リーを抱えていたサクラが、リーを横たえて立ち上がる。
「僕が……」とリーも立ち上がろうとするが、苦痛にうめいて立ち上がることすらできない。
 にこり、とサクラが笑った気がした。それは声をかけることを拒絶する類のものだった。
 
「来なさいよ、化物っ!」

 声に反応した化物――君麻呂は理性の失った瞳でサクラを見ると、口元に弧を描いた。嗜虐的な笑みは、冷然としていた君麻呂のものとは思えない。
 異形は無造作にサクラに近づいていく。
 サクラの投げる苦無は全て弾かれ、起爆札は意味を為さず、糸を絡めても骨で断ちきられ、為す術なし。
 それでも、自己を犠牲にしてまで戦うリーを、背後に守る仲間二人を助けることを諦めることはできない。
 骨の剣がサクラの身体を削っていく。
 刻み込まれるものはわざと外したもので、完璧に遊んでいる。
 わかっていても、なお――

「……まだまだぁっ!!」

 サクラは突貫し、頭突きを見舞った。

 ◆

 サスケは真っ黒な空間に座り込み、映像を見ていた。
 大好きだったし、大嫌いだった兄の夢を。
 少し歳の離れた兄は何でもできた。
 暗器も凄かった。体術も凄かった。忍術も凄かった。幻術も凄かった。写輪眼も使いこなしていた。
 兄のことはとても大好きで、大嫌いで、そして――誇りにすら感じていた。

「今日はお前に構ってる暇はない」

 構って欲しくて、理由をつけては喋りかけたのだが、そのたびにこう言われた。
 それでも、サスケはイタチに構って欲しくて、兄のようになりたくて、過剰な努力を己に課した。
 アカデミーでは常に一位。
 しかし、誰にも褒められず、同期の奴らには「うちはだから」の一言で済ませられる。
 心は荒む。
 そんなときだ。
 アカデミーで何度目か忘れたほどの一位という優秀な成績を受取り、家に帰りついたときのこと――
 死体があった。
 見覚えのあるものだった。
 父の死骸。
 母の死骸。
 親戚の死骸。
 何があったのか。どうしてこうなったのか。何もわからず、サスケは発狂しそうなほどに熱くなった頭を落ちつけるために、思い切り自分の頬を殴りつけた。
 夢ではないようで、何度も何度も殴りつけ、一刻ほどの時を要し、現実だと理解した。

「愚かなる弟よ」
 
 そんな声が、背後から聞こえたのだ。
 振り向き、目が合うと――兄の変質した写輪眼に魅せられ、幻を見る。

「イタチ、やめろ、やめてくれぇぇっ!」

 それは父の断末魔。

「どうして、どうしてこんな――っ!」

 それは母の慟哭。

「助けて、助けてください……」

 それは親戚の懇願。

「俺たちが何したってんだっ!」

 濃密な死の光景を見せつけられ、サスケは膝をつく。
 喘息のように息が荒れ、いくら息を深く吸っても落ち着かない。
 ただ、目で訴えた。

――何で殺したの?

「己の器を量るためだ」

――それだけのためにみんなを殺したっていうの?

「それが重要なのだ」

 何が重要なのか、今でもわからない。
 その後は殴りかかり、ぼこぼこに殴られ、サスケは自分が弱いと知った。
 場面は切り替わる。

「失いたく……なかったんだよ」

 波の国で、自分を庇って瀕死の重傷を負ったナルトの姿。
 首からぽたぽたと血を流し、身体中から針ネズミのように千本を生やしている姿は、今でも夢に見る。
 悪夢だ。

『何で親は殺されたのかしら? ナルトくんは殺されかけたのかしら?』

 弾劾するような――気持ち悪い声が胸の内に響く。
 認めたくはない、けれど――

――全て、俺に力がなかったから。

 更に場面は移り変わり、眠っているはずなのに周囲の情報が入り込む。
 リーがサクラを守るために身体を酷使し、血継限界を扱う強敵と戦う姿を。
 そして、ぼろぼろになったリーと自分たちを守るために、サクラが一人で異形の敵に抵抗している姿を。
 ぼろぼろになっていた。
 裂傷が走り、出血多量で顔は蒼白になり、無残なまでに服は千切れている。
 浅く、荒い息で空気をむさぼるが、腹を蹴り飛ばされて、肺の中に残るかすかな空気が血の混じった呻きとともに吐き出してしまう。

『何でこの子はいじめられているのかしら?』

――俺が弱いから。

 弱いから、傷つく。
 弱いから、守れない。
 力が欲しい。力が欲しい。力が欲しい。
 何ものにも負けない圧倒的な力が欲しい。
 仲間を害する敵を殺す為の力が欲しい。
 圧倒的な暴力を成し遂げるだけの強さが欲しい。
 弱い自分と決別したい。
 弱りきった心は、容易く誘惑にとらわれるものだ。
 ぽつんと座って、涙を流すサスケの肩に誰かの手が触れた。

『さぁ、手を伸ばしなさい。力をあげる』

 振り向いた先には――

 ◆

 息も絶え絶えに、サクラは木の根元にもたれかかっていた。
 意識は朦朧とし、身体が痛すぎて、どこが痛いのかすらわからない。身体を動かそうとしても激痛が帰ってくるだけで、何も行動を起こすことができない。

(ここで、終わるのかなぁ……)

 嫌だなぁ、とぼんやりと呟きながら、死神の鎌を振り下ろそうとする君麻呂を見て――諦めたように息を吐いた。
 その鉾の威力はよくわかっている。
 そして、逃げられないこともわかっている。
 終わりだなぁ、と目を閉じると――風が吹いた。
 死ぬ前に清涼な風で癒しがあるのか、と皮肉気に考える。
 まだかまだかと死を待ちながら――しかし、いつまで経っても死は訪れない。
 目を開くと、そこには――

「……殺してやる」

 鎌を受け止めて、黒い斑点を浮かびあがるサスケがいて――

「サスケ……くん?」

 酷く、澱んだ空気が落ちた。





[19775] 31.中忍選抜試験・死の森――Ⅵ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 11:00
9.

 愕然とした面持ちで、サクラは腰が砕け、へたりこんだ。
 死すら覚悟していたのに、颯爽と現れ、自分の窮地を救ってくれた――まるで救世主のように見える仲間を見る。
 鴉の濡れ羽色の髪を逆立てて、敵である君麻呂と対峙している姿は――違和感があった。
 黒い斑点。
 露出した肌には何かの疫病にかかったかのような斑模様が浮かびあがり、決して大丈夫なようには見えず、サクラはおずおずと手を差し出したが、傲慢さすら窺える。
 
「殺すっ!」
「俺は殺されない。殺されるのはお前だ」

 君麻呂の胸から骨剣が突き出て、サスケを襲う。
 目を見開いて驚くが、すぐに冷静さを取り戻し、するりと隙間を縫うように掻い潜り、懐に潜り込んだ。
 瞳に浮かび上がるのは車輪の紋様――写輪眼。

「骨……。血継限界か。だが、俺の瞳術の前では無意味だ」

 輝きを増す右手が、残像すら見せずに撃ち放つ。
 その一撃は、容易に骨を砕き、貫いた。
 連撃。
 全身を雷で包んだサスケは、意識のない暴走した君麻呂の身体を削っていく。
 邪魔な骨は砕き、潰して攻撃を加えて、幾重にも閃光となった拳を叩き込んでいく。

「うぜえよ」

 ばぢぃ! 
 一際甲高い音が鳴り響き、雷光を纏う拳が君麻呂の頬を捉えた。
 鈍い音とともに君麻呂は地面に足を食いこませながら吹き飛ぶが――

「……効かないのか」

 にやりと歪められた口元から、ダメージを推察することができない。
 厄介な相手だな、と思いつつも、サスケは何故だか心が湧き立つような感覚がある。

(――俺は、楽しんでいるのか?)

 サクラが見えた。
 濃い顔立ちのリーも見えた。
 どちらも満身創痍で、それを行ったであろう君麻呂に対して憎悪もある。
 それ以上に、快楽があるだけの話だ。

「殺す!」

 君麻呂は右足で蹴りあげると、槍のような形状ほ角張った骨を突き出した。槍の先端が三叉になっており、避けることが非常に困難である。
 だが、写輪眼は攻撃の軌道を正しく読みとっていた。
 映し出された軌道に合わせるように左足で踏み込み、反転。くるりと回転して三叉の矛を皮一枚切らせるだけで回避し、勢いのついた裏拳を右頬に突き刺した。
 歪な感触。
 鉄の塊を殴ったような衝撃が拳先に広がり、破砕音が聞こえる。

「――っ痛ぅ……っ!」

 壊れたのはサスケの繰り出した拳だった。
 凄絶な笑みを浮かべる君麻呂は、カウンターすら織り込み済みで攻撃をしかけてきたのだ。
 単純な罠。
 骨を攻撃に使えるとわかっていたのに、硬質化させて防御ができるということを分析できなかったサスケの失態。
 怯んだ隙を狙って君麻呂は槍の長距離による突きを放つ。
 苦痛に耐えながらも、歯を剥き出しにしていた。
 サクラには、そんなサスケが君麻呂と同種に見えた。
 黒く侵されていく肌の下から覗く黒い瞳は、雨の空よりも暗く冷酷に写る。
 清流のような無駄のない動きで、君麻呂の嵐のような突き出しを全て回避し、それはまるで舞のような美しさを秘めている。
 だが、それ以上に――

「く……ハハハッ! もっと攻撃して来いよ! 殺すんじゃなかったのか!? なぁ、早く、速く、ハヤク、俺を殺してみろよ! 骨野郎ッ!!」

 狂気の混じる声。
 どす黒く濁り始めた瞳は妖しい光を湛えている。
 避ける。避ける。避ける。避ける。避ける。避ける。
 みしみしと不気味な音を立てながら、サスケは君麻呂を翻弄していた。
 強すぎる。いつものサスケではない。それも全て、この黒い斑点のせいなのだろうか。
 ふと、サスケの足が引き攣った。
 回復し切ってない身体を酷使した代償か、筋肉が千切れた右足は青黒く染まり――君麻呂の骨が正しくサスケの胴体を貫いた。

「サスケくんっ!」

――かのように見えたが、身体を半身に逸らして、致命傷だけは避けていた。
 割れた腹筋には一条の赤い線が浮かび上がる。
 ぎりり、と歯の噛み締める音がこだました。

「……いいぜ。使ってやる」

 殺気。
 免疫のない一般人ならこの殺気を浴びただけで自害するだろう。それほどまでに濃密な殺気を放つ。
 危機を感じたのか。君麻呂は一歩退くと、槍を構えなおした。
 硬直状態。
 そして、目を疑うような光景が、サクラの視界に飛び込んでくる。
 鉄板を無理やりひしゃげたら鳴るような、耳障りな音を響かせながら、サスケの右腕が歪んでいく。太く、大きく、どす黒い雷光を纏わせながら、『ヂッヂッヂッヂィィ!!』と【千鳥】が慟哭をあげる。
 致命的におかしなその光景は、正気を疑うものだ。
 夢なら醒めてほしい。今すぐ起き上がって、太陽を見上げながらぐっと背伸びをしたい。
 おかしいのだ。
 中忍選抜試験を受けて、死の森に来てからというもの――下忍とは思えないような敵ばかり。勝ち目のない戦に挑み続けなければならない現状は「何の冗談?」と担当上忍に聞きたくなるほどだ。いや、答えなくてもいい。助けてくれるか、もしくは死んでくれればそれでいい。ベストは助けた後で死ぬことだ。墓標には『イチャイチャパラダイス、ここに眠る』と刻んでやろう、とほどよく現実逃避する間、実に0.3秒――サクラは現実は非情なものであるということを悟っていた。
 骨の槍を持つ異形と、雷を纏う異形の右手のサスケが交錯する。

「あぁぁぁぁっ!」
「殺すっ! 死ねっ! 殺すっ! 死ねっ!」

 だが、どちらも飛び出した姿勢そのままに、何かに絡め取られて宙空と無様にもがいていた。目を凝らすと、蜘蛛の張り巡らした巣のようなものにくっつき、動けなくなっているのだ。
 そして、四つの影が蜘蛛の巣の下にやれやれといった表情を隠さずに出てきた。
 先ほどまでいた鬼童丸と多由也、そして、新たに来たのは肥満気味の少年と、軽い空気を纏う少年だった。

「殺すのが目的じゃないだろ? あんたらしくもない」
「殺したら大蛇丸さまがお怒りになる」
「さっさと封じちまおうよ」
「抑えるのも限度があるぜよ……早くっ!」
「わかった」

 いきなり現れた四人に対し、サクラは警戒を解かずにいると、「何もしねーから安心しろ、デコ女」と多由也に罵られる。
 それからの展開は早かった。
 サクラの心配を余所に、鬼童丸たちは陣を組むと、印を切り始めた。
 それは見たこともない、教科書にも載らないような高等忍術だった。
 複数の優秀な忍による封印術――原理はわからないが、結界のような球体に君麻呂は閉じ込められると、そのまま肥満気味の少年が担いでいた樽の中に詰め込まれた。
 がたがたと揺れる樽の中からは叫び声が聞こえ、君麻呂が抵抗しているのだろう。ちょっと同情しちゃったのはサクラの人の良さを表すものなのだろうか。けど、ざまぁみろという気持ちのほうが強かったので何とも言えない。
 樽の蓋に強力な力を感じさせる呪符を張りつけると、途端に叫び声は消えた。

「終わりっと」
「――うちはのほうも暴走してるぜよ?」
「放っておいても治るだろ。ウチ、もう仕事したくない」
「そうだな……」

 サスケを置いて、何の説明もなく鬼童丸たちはその場を後にしようとするが――

「逃がすかぁぁぁっ!」

 火遁で糸を焼き切ったサスケは、四人に向かって疾走する。
 異形の右手には黒い雷光を纏わせている。【千鳥】だ。
 はぁ、と鬼童丸たちは呆れたようにタメ息を吐くと、

「ドレミファ奏でさせんぞ、コラ」

 軟派な雰囲気の少年が振り返りざまに拳を放つ。
 サスケが懐に踏み込む動作で回避されるが、しかし、避けたはずの拳をサスケは諸に受けていた。

「……くそがっ!」

 意味がわからず、混乱するが、攻め手を緩めないために踏ん張ると、再び【千鳥】を撃つが――身体が動かない。
 強靭な糸で身体を束縛されていた。
 どうするこれ? と言ったように、多由也と鬼童丸は視線をかわす。
 そんなとき、サクラがサスケの前に震えながら立ちはだかった。

「そ、それ以上はさせないから……っ!」

 だが、

「あァ? 何勘違いしてんだ?」
「俺たちはもう戦う気はないぜよ」
「ウチらの目的はもう達してるしなー」
「んじゃ、帰ろう」
「おうさ」

 これ以上ないくらいにあっさりと、四人は姿を消した。
 目的もわからず、得たものは何もない。
 惨敗。
 そして――

「……ぐ、あぁぁぁぁっ!!」

 咆哮をあげたサスケが苦痛にうめくように蹲り、介抱しようと膝をつけたサクラを、

「えっ?」

 殴り飛ばした。
 荒々しい息を吐くサスケの瞳に、理性の光を見つけ出すことはできなかった。

「サクラさんっ!?」


 ◆

 草むらからサスケたちを見ているのは木の葉隠れの下忍――第十班の山中いの・秋道チョウジ・奈良シカマルの三人である。
 下忍離れした戦闘を見せつけられながら、ひたすらに七班の動向を見守っていたことには理由がある。
 山中いのと春野サクラは親友だった。
 過去形である理由としては、実に単純明快な答えが用意されている。
 両者ともサスケが好きだった。だから、喧嘩をした。本当に些細なことでしかない。
 チョウジとシカマルは孤軍奮闘するサクラと仲良くなかったので命懸けで助ける義理もなかったし、リーとの面識もなかったので至極どうでもよかったのだが、「どうしても……」といのが言うので仕方なく様子を窺っていたのだ。

「あいつら逃げちゃったよ?」
「ナルトは気絶したままみたいだな……」

 今は敵も姿を消して、どうにか大丈夫なったかな、といのがひそかに安堵していたところなのだが――

「って、え!?」

 目を疑った。
 いきなり苦しみ始めたサスケを心配して寄り添ったサクラが、殴りつけられたのだ。
 意味がわからない。
 誰も助けられる人はおらず、サクラは倒れ伏したまま、茫然としている。
 リーも義憤に燃えて立ち上がろうともがくが、力の入らない身体のままならなさに悔し涙を流しているだけだ。
 助けられるのは自分たちだけ。

「サスケのやつがサクラに……!?」

 歯が砕けるほどに噛み締めるリーと、暴力を振るうサスケに戸惑いながらも、必死に逃げ惑うサクラ。
 あんまりだ、と思う。
 おそらくは敵の幻術による攻撃、もしくは身体に浮かぶ斑点から推測するに何かの毒物だろう、といのは判断する。

「……なぁ、どうすんだよ!」
「決まってんでしょ……っ!」

 男らしく笑う紅一点の見て、シカマルとチョウジは諦める。
 草陰から飛び出して、サスケとサクラの中間になるように三人は飛び出した。 

 ◆

 突然現れたのは『元・親友と愉快な仲間たち』。
 なんだか泣きたくなる。
 サクラはいつもいのの後ろをくっついていたのだけど、いつからか反目し合っていた。
 お互いに罵り合い、そんな関係に慣れてしまったことを悲しく思っていたのだが、

「いの……」

 助けてくれた。
 仲が悪くなったと思っていたのだけれど、自分は案外嫌われていないらしい。
 いのはサクラの方を向き、にっと口の端を吊り上げる。

「あんた、サスケくんに嫌われるようなことでもしたわけ?」

 茶化すようなその言葉はいつもの嫌味。
 あぁ、こんなんだなぁ、と日常を思い返して、少しだけ和む。

「……心当たりが多すぎて特定できないわね」
「何したのっ!?」

 具体的には視姦や妄想、セクハラなどか。
 犯行に及んだ回数は多すぎて数え切れないが、そのぶん嫌がらせ的な筋肉トレーニングを課せられていたのでお互いさまのはずだ。しかも、ベッド下の秘密まで見られた。確実にお互いさまだ、とサクラは断じる。

「遊んでいる暇はないよ、いのっ!」

 鼻息を鳴らし、殺意に満ちた視線を向け、突進した。
 警戒していたシカマルが印を切り――

「忍法・影真似の術」

 不気味に伸びた影がサスケの影に絡みつく。
 途端に身体の自由を奪われたサスケは、じりじりと抵抗しながら、凄艶さすら感じさせる美貌を歪ませた。

「……わざわざ殺されに来たのか? 馬鹿な奴らだ」

【忍法・影真似の術】――影が捕まえた対象を強制的に自分と同じ体勢にさせる。
 変なポーズをとるシカマルのせいでサスケもそのポーズをとらされて、場の雰囲気がぶち壊しになるが、シカマルだけが現状を正しく認識していた。
 チャクラ量の差、力の差、いろいろあるが――とにかく、サスケの抵抗は存外に激しく――

「ぐ……長時間止められないぞっ! チョージ!」
「わかってるっ!」

 チョウジも印を切る。

「忍法・部分倍加の術――ラリアットォォォッ!!」

 もともと太ましい腕が更に大きくなり、その腕で思い切りサスケを叩きつけた。
 だが――

「フン……」

 拘束は解かれ、チョウジのラリアットは左手一本で止められている。
 異形の右腕を翳し、再び雷光を纏う。怨念すら感じられる禍々しいチャクラは耳を聾する甲高い絶叫を放つ。
 チョウジは逃げようともがくが、腕を掴まれて逃げられない。
 そのとき、いのが印を組み終わり、チョウジを守るために術を放つ。

「心転身の術!!」
「写輪眼の前でそんな術が通るわけがないだろ」
「ぐぅっ!」

 強制的に意識を奪い取る秘術も、写輪眼の一睨みで掻き消される。
 圧倒的な強さだった。
 三人同時にかかっても、おそらくは勝てないであろうと確信させられるほどの力量。これが同じ下忍なのか、と絶望すら感じる。
「雑魚が――全員殺してやる」と口元を歪ませて、チョウジを殴りつけた。ゴムボールのように激しくバウンドしながら、チョウジはあたりの木々にぶつかり、悲鳴をあげる。弾力性のあるチョウジだからこそ生きていられるが、他の奴は一発喰らえば死ぬだろう。
 ぞっとする光景に冷や汗が噴き出す。

「何があったってのよ……」
「わ、わかんないわ。まぁ、助けてくれたのは嬉しいけど、あんたたちは逃げて。関係ないから」
「関係ないですって!?」

 うん、とサクラは頷き、震える足を強靭な意志で抑えつけ、よろりと立ち上がる。ふらつく身体を支えるようにいのは抱きかかえるが、拒絶する。

「なんか、七班の問題みたいだし……ね。く……だから、逃げてよ」
「あんた、もう立てないでしょ?」
「それでも、やらなくちゃ……」

 悠然と進むサスケは腕を振り上げ――

「いの、逃げろっ!!」

 シカマルの絶叫が響き渡る。

「終わりだ!」

 一条の光が、躊躇なく少女二人の命を奪おうと疾走する。
 暗い光を輝かせながら、異形の右手はいのの腹を貫こうとするとき――それは、寸前で止められた。

「よぉ、俺が寝てる間に随分と奇抜なファッションになってんな。黒染めか? 肌も髪も黒いだなんてダサいぞ」

 金色の髪をなびかせながら、いつものように泰然とした態度で、異形の腕を捕まえていた。
 鼻がくっつきそうなほどの距離。眼光で火花を散らせている。
 舌打をし、サスケは後ろへと跳躍した。
 無機質な瞳をサスケに向け、ナルトはがりがりと髪を掻き毟る。

「ナルト……っ!」

 サクラの呼びかけ。切実な色を湛えたそれはに、ナルトは笑って応じた。 

「よっくわかんねーけど、なんか凄いことなってるな」
「どけ、邪魔だっ!」
「――どくわけねーだろ。幻術でも喰らってるのか? 目がイッてるぞ」

 どけぇぇぇっ! 咆哮し、サスケは一直線にナルトに対して突進した。
 直線的な特攻は軌道を読みやすく、写輪眼の持ち主とは思えないほどの単純な行動。
 どういうことだ、とサスケを窺うと、写輪眼が消えていた。よく見ると、異形の腕も元通りになりつつあり、肉体活性の雷も随分と大人しくなっている。
 チャクラの枯渇。
 対するナルトは、不思議と力が漲っていた。
 かつてないほど身体の調子が良く、チャクラの切れたサスケの動きなど止まって見える。 
 サスケは右足で踏み込み、大振りの拳を放つ。ナルトは掌で受け止める。

「落ち着けって言ってんだろっ!」

 戦意を剥き出しにするサスケは懲りずに、もう片方の拳を放つ。それも受け止めて、力の比べ合いになった。

「喧嘩ならいくらでも買ってやるけど、今のお前は情けないぞ。何でそんなにぎらぎらしてんだ?」
「うるせぇっ! 俺は、敵を殺すために、力がいるんだっ!」
「お前の敵はどこにいるんだ?」
「黙れぇっ!」

 お互いに背を反らし、頭突き。
 頭蓋同士がぶつかる痛々しい破壊音が鳴り響き――

「忍法・影真似の術」

 再び影がサスケを絡め取った。
「ナイス、シカマル」とナルトは小さく呟くと――

「いっぺん気絶して、正気になれっ!」

 強く踏み込み、全体重を乗せた無慈悲な一撃を与えた。
 悲鳴すらあげられず、サスケはその場に崩れ落ちる。身体を覆う斑点も失われ、異形の腕も通常に戻り、ばたん、と前のめりに倒れ伏した。

(何だ、今の――?)

 顎をかすめて意識を刈り取るための拳は、何故かサスケの腹を抉っていた。
 自分の意思に反するかのような一撃は、必要以上にチャクラが強化されていて――ナルトは首を傾げる。
 そして、ぶっ倒れているチョウジを抱き起こすと、シカマルといのにも礼を言う。
 助けてくれてありがとう。
 十班の三人は何だかむず痒い表情を浮かべていた。

「サスケくんっ!? あんたやりすぎでしょ!」
「知るか。……って、なんで泣いてんだ?」
「……はれ? な、泣いてなんかないわよっ!」
「まぁ、いいけど」

 溢れ出る雫を無理やり拭いさり、充血した双眸をナルトに向ける。射殺さんばかりの威圧感に、仰々しく天を仰ぐ。

「で、何があったんだ?」

 実際のところ何もわかっていないナルトは説明を求めた。
 





[19775] 32.中忍選抜試験・死の森――Ⅶ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 11:01
10.

 サクラは自分が理解している限りのことを説明した。
 ナルトが気絶し、サスケのところへ行ったらサスケも気絶していたので、隠れやすそうな場所へ連れてきたこと。
 しかし、あっさりと見つかって、音忍の三人に襲われたこと。そのときにリーが助けてくれたこと。
 音忍は自分たちを殺すのが目的ではなく、推測ではあるが、サスケと戦うことが目的らしいこと。
 最後に、サスケに黒い斑点が浮き上がって、暴走し始めたこと。
 うんうんと頷きながら、ナルトはひとまずは話を聞くことに集中していた。
 隣ではいのが「へー」と興味深そうに聞いている。シカマルとチョウジは興味がないらしく、気絶しているサスケを木の枝でつんつんとつついていた。

「大変だったんだな」

 聞き終わると、ナルトは開口一番こう言った。
 サクラの額には青筋が浮かび、「あんたはっ! なんで、そう! 微妙に他人事なのよっ!!」とナルトのジャンパーの襟元を引っ掴み、がくがくと前後に揺らす。
 ひとしきり揺らされるとナルトは据わった目してサクラを見る。
「なによぅ……」とサクラは微妙に怯むが、はん、と鼻息をつかれて怒りが増す。とことんまで人をおちょくってくれるわね……とサクラは苛立つ。

「寝てたんだからいまいちピンとこないんだよ。にしても、なんかキナ臭いな……この中忍選抜試験。さすがに周囲が強すぎるだろ」

 砂の忍の三人――その中でも異形に変異する我愛羅は特に強敵だった。
 ナルトは知らないが、サスケと戦った大蛇丸にしてもそう、サクラの戦った君麻呂にしてもそうだ。
 強すぎる。
 毎年このような強さの者が溢れかえっているのなら、木の葉の中忍はもっと強くて然るべきだ。
 しかし、実際にはそこまで圧倒的な強さを感じるものはいない。
 首を傾げながら、ナルトは独り考える。

「お前らの運が悪すぎなんだよ」
「僕たちそんな強い相手に当たらなかったもんね」

 シカマルとチョウジの言葉で思考を中断すると、ちらりとそちらを見た。
 あまり汚れた服装をしていないことから、激しい戦闘を行ったとは思えない。
 彼らの忍術を思い出すと、勝つなら圧勝だろうし、負けるなら惨敗だろう。怪我がないということから、圧勝、もしくは戦闘をしていないのだと考える。

「あぁ、そうだ。お前らは巻物揃ったのか?」

「もちろん!」とチョウジはにっこりと笑う。ナルトも負けず劣らず透明な笑顔を浮かべる。どことなく暗い感情が見え隠れしているのは気のせいだろうか。

「……そうか。よし、サクラ」
「やらないわよ?」

 何を考えているのか一瞬で理解したサクラは、まずもって拒否しておくことにした。

「まだ何も言ってないが?」
「言わなくてもわかるわよ……。絶対ダメだからねっ!」

 ちぇー、とナルトは不貞腐れて寝転がる。
 何をしようとしていたのかなど容易にわかる。
 つまり、ナルトはシカマルたちの巻物を奪おうとしていたのだ。
 仮にも命の恩人なのに、「それはそれ、これはこれ」とあっさりと割り切ってしまうあたり、未だにサクラはナルトのことを理解し切れていない。なんでそんなふうに極端なのだろうか。
 いじけて横になりながら地面に"の"の字を書いているナルトを見て自然と苦笑してしまう。ガキだ。

「あんた、けっこう大変そうじゃない?」
「まーね」

 いのの言葉に深く頷いてしまう。とても大変だった。

「にしても、先輩もこんなになるまで戦ってくれたのか。お前、愛されてんなぁ」

 芋虫のように這いずりながら移動し、ナルトはリーをつんつんと突いていた。
 どれほどの戦闘を行えばここまで怪我ができるのか、というほどに決壊している身体は、しかし、重要な器官は無事のようだ。ただの大怪我なのだろう。なんて頑丈な奴なんだ、と呆れるように感心していると――

「え、えぇ……また告白されたわ」

 ぴくり、とナルトの身体が震えた。
 のろのろと起き上がると、リーの首に小刻みに震える腕が伸ばされる。

「受ける気はないだろうな?」
「……? とりあえず、なんでリーさんの首絞めてんの?」
「あ、いや……何でもない」

 腕を引く。
 何をしていたんだ、俺は! とナルトは自分の行動を反問している。
 そんなナルトをにやけながら見る第十班がいた。
 木陰で涼みながら、にやにやと笑っている。

「なぁ、いの……ナルトの奴、もしかして……?」
「でしょうね。面白くなってきたじゃない?」
「どういうこと?」
「見ててわかんねーのかよ。つまりな」

 チョウジの疑問に答えるようにシカマルが口を開くと――

「おい、そこ。聞こえてんぞっ!」
「やべっ! 逃げろ、チョウジッ!!」
「う、うんっ!」

 ナルトが走り出し、逃げるようにシカマルとチョウジも姿を消した。
「しょうがない奴ね……」とぼやきながら、リーの身体に応急処置を施している。
 適当な木の棒を添え木にし、折れた腕を固定する。身体全身の切り傷は、手持ちの軟膏などを塗りつける。
 本当に応急処置でしかない。こんなことしかできない自分を罵りながら、できるだけのことをやろうととても優しい目線でリーの血で汚れた服などを濡れた布切れで拭っている。
 その姿をいのは見ていた。
 何だか変わったな、という印象を受ける。
 アカデミー時代はもっと張りつめた空気を発していたし、何だかんだで男の子に触ることなどを躊躇していたような気がする。
 仰向けに倒れているサスケと、シカマルとチョウジを追い回すナルトを見る。
 たぶん、あいつらに変えられたのだろうなぁ、などと思ってしまう自分に少しだけ寂しさを感じてみたり。

「サクラ」
「何よ?」
「上手くやってるみたいね……」

 うん? とサクラは小首を傾げる。

「まぁね……っと、できた」

 リーの顔にこびりついた血痕を拭き取り、包帯なども巻きつけて、だいたいの処置を終えると、満足げにサクラは微笑んだ。

「リー、見つけたわっ!」

 そんなとき、上から女の子が降ってきた。
 団子が二個乗ったような髪型のその子は、東洋風の服を身に纏っている、ややつり上がった瞳が特徴的な少女だ。
 おそらくはサクラたちよりも年上なのだろうその子は、どことなく――特に胸――大人の雰囲気を帯びている。
 すたすたと横たわるリーに近づくと、引っ掴んで無理やり身体を起こさせて、ビンタを繰り出した。
「起きなさい。起きなさいよっ!」と言いながらの乱暴な起こし方を呆然としながらサクラといのは見守っていたのだが――

「……テンテン」

 頑丈だけが取り柄なのか。
 意識を取り戻したリーはかなりの激痛に襲われているはずなのに、わりと血色の良い顔をテンテンに向けていた。

「何でそんなぼろぼろになってるんだ? お前ともあろうものが……」
「面目ない……」
「ホント、あんたってバカねっ!」
「ハハ……言い返す言葉もないっス」

 突如、旋風とともに白眼の少年が現れる。
 日向ネジ――中忍選抜試験の開始の前に会っただけだ。
 どうやらリーとネジ、テンテンは同じ班らしい。

「負ぶってあげるから来なさい」
「で、でも……」
「いいからっ!」
「はいっ!」

 無理やり背負われて、テンテンの背中に遠慮がちに手を置いている。「振り落とすわよ、もっとしっかり!」と言われ、「はいっ!」と強く抱きしめた。
 なんか情けない、といのは思うが、空気を読んで言わないことにする。

「あ、あの……リーさん」

 ふと、サクラは立ち上がり、リーの前に立っていた。

「どうしました?」
「貴方のおかげで命拾いしました。本当に感謝しています。ありがとうございます」
「そ、そんな……僕は守りきれなかったわけですから」
「いえ、私一人では諦めてましたから」

 にこり、と笑う。
 混じり気のない好意を受取り、しかし、そこには男に対する恋心がないことも同時に悟る。
 いろいろな感情がない交ぜになった複雑な表情を浮かべ、リーはサクラを見た。

「僕はまだまだ努力が足りなかったみたいです。木の葉の蓮華は二度咲きます。次に会うときは、もっと強い男になっていることを誓います」
「私も、強くなっていると思います」
「お互い努力不足だったみたいですね。頑張りましょう」
「はいっ!」

 そして、リーたちは姿を消した。
 彼らもおそらくは巻物を揃えているのだろう。塔へ向かって走り出して行った。

「さくらー! 薬塗ったげるからこっち来なさいよ」
「ん、お願い」

 いのの好意に甘え、ふらつく身体を動かす。
 ぽてん、と地面の上にだらしなく腰を下ろすと、深い深いため息をついた。
 疲れが多く含まれた吐息から、サクラが心底疲れきっていることが窺える。
 あれだけの戦闘をしたのだ。無理もない。
 いのはサクラの汚れきった髪を手持ちの櫛で梳かしながら、慣れた手付きで汚れをとっていった。

「小汚くなってるわねー」
「もとがいいから、汚くなってようやく普通なのよ」
「……ところでさ。あんた、サスケくんとナルト、どっち狙ってんの?」
「えっ?」

 空気が凍りつく。

「いや、ちょっと気になって……ね」
「へぇ? でも、あいつらのどこがいいの? ガキよ、ガキ」
「前までサスケくんにお熱だったのに何があったの?」

 何があった――そんなことを聞かれても、サクラは多すぎて答えられない。
 一番大きな問題はあれだろうか。部屋の中でさんざん好き勝手やってくれたことだろうか。後は筋肉トレーニングをさせるときの幸せそうな笑顔。
 ガキだ。

「いろいろあったのよ……。知りたくなかったことをいっぱい知っちゃってね。クールに見えてたサスケくんも、蓋を開ければ、ただの悪餓鬼だったのよ」
「そ、そう……それはそれで面白そうー」
「どうだか」

 久しく会った気を許せる友人との会話を楽しみながら、サクラは死の森で初めて緊張を緩ませた。

 ◆

 いのたちと別れて時が過ぎ、試験が始まって二度目の夜が明けた。
 潜伏している場所は近くに川のある木の根元。ナルトの土遁で穴を開け、地中の浅いところに隠れる場所を作った。
 そこにはサクラとサスケがいた。
 小さな穴の中、浅い息を繰り返すサスケの額に濡れた手ぬぐいを置き、寝ることなく看病をしている。
 単調な時間。
 敵が来るかもしれないことを警戒しながら、サクラはじっと耐えていた。

「ん……あぁ……?」

 呻くような声。
 周囲を窺っていた視線を下ろすと、サスケは薄らと目を開いていた。

「サスケくん?」
「サクラ……? 俺は……痛ぅっ!!」

 起き上がろうとし、首筋を手で押さえる。
 そこは車輪のような変な模様が刻み込まれた場所であり、黒い斑点がなくなっても、そこだけはなくならなかったものだ。

「大丈夫っ!?」

 苦痛に耐えるように、声を殺しながら、サスケは背を丸めて嘔吐する。
 どうしようかとサクラがおろおろしていたときだ。ふと、頭上から誰かが降りてきた。
 すとん、と綺麗に着地したそれは金色の髪を痒そうに掻き、手にはいろいろなものを持っていた。

「たっだいまーっと。薬草やら食い物調達してきたぞ。やっぱ腹いっぱい食わんと傷治らないしな」
「ナルト……?」

 仕留めた動物の血抜きした新鮮な肉。香草や、傷に塗るとよく効く薬草。毒消しの類のものなど、本当にいろいろと持っていた。
 一時間もしないうちにここまで手に入れてくる生活力に感心するが、しかし、今はサスケのほうが重要だ。
「サスケくんが……!」とサクラが声にならない声で訴えていると、

「起きたのか。大丈夫か?」

 ナルトは膝をつき、サスケの様子を窺う。

「俺は……俺は……っ!」

 顔を歪めて、自分を責めるような口ぶりで、サスケは罪を思い出す。
 仲間を攻撃したこと。
 そんなことやりたくなかったのに、止められなかった自分の意思の弱さ。
 全部が全部、許せないことだった。

「気にしないで。ね、サスケくんっ! きっと悪い夢だったんだよ」とサクラは言うが、サスケは自分が信じられない。
 変異した、今は元通りの右腕を見る。
 身体全身が変異するようになるのかもしれない。
 そうなったら――どうなるのだろう。最悪の状況を想定し、ぞっとする。
 もしかしたら、殺してしまうのかもしれない。
 地面に拳を叩きつける。
 痛みが消えない。死にたくなる。サクラを殴ったという事実はどうあっても消えない。
 サクラは「気にしないで」と何度も言うが、意味はなく――

「たぶんだけど、首筋に浮かぶ紋様? のせいだろうな」

 ぽつり、とナルトが呟いた言葉が耳朶を打った。
 サスケは思いだす。
 おそらく、大蛇丸と名乗る奴に噛まれたせいで、こんなことになったのだ。

「何か悪い夢でも見なかったか? トラウマほじくられるようなやつ」
「見た。嫌な夢だった……」

 最悪なものだった。
 見たくないものを見せつけられる、最悪な夢。悪夢の類。
 心の傷を強制的に見せつけられ、そして、後ろには――

「あっ、もしかして――」
「あぁ、たぶん呪いの類だよ、それ。専門家に見せて封印なり、治療なり、何かしらの手を打つ必要があるな」
「そうね。けど、試験中だし、棄権する方法もわからないし……」
「というわけで、だ。さっさと合格しちまおう。塔付近で待ち伏せする」

 もともと、最初から塔付近で待ち伏せしていたのだ。
 運悪く、砂の忍のかち会ったせいでここまで苦戦することになったが、本当ならこの三人は合格していたはずなのだ。
 実力はある。カカシが認めるほどに。
 だけど、あまりにも強敵とばかり出会いすぎた。そのせいでこんなことになったわけだが……

「なるほどね。既に待ち伏せしてる奴を狙う、もしくは巻物を揃えて塔に来る人を狙うってわけね」
「そうだ」

 ナルトは頷く。
 おそらく、強い奴はもう合格しているだろう。余りものには福がある。あると祈りたい。ナルトの心境はそんなものだった。

「サスケ、いけるか?」
「……身体の調子は悪くない」
「じゃあ、飯食ってから動くぞ」

 火を興し、肉を焼く。
 鼻を擽る匂いのせいで自然と涎が口内に溜まっていく。
 無言で肉が焼ける様を見守り――こんがりと焼き上がったものを平等に切り分けて、

「ここまでされて不合格で終われるかよ」
「同感……」
「絶対に、合格する」

 決意を新たに、ナルトとサスケ、サクラは再び試験に挑む。





[19775] 33.中忍選抜試験・死の森――Ⅷ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/27 11:01
11.

 塔の周辺で隠れていた雨隠れの下忍が潜伏していた。
 罠を張り巡らせた場所は幻術結界により迷いの森と化しており、通常のやり方では見抜くことすらできないものになっているのだが、気付けば、自分たちが幻術にかけられていた。

「なんで、なんでこんな……!」

 戦慄する。
 自分たちが狩人だったはずだ。
 大樹から伸びた骨太の枝から隠れて見下ろしていた獲物たちは、馬鹿みたいに同じところをぐるぐると回っていたはずなのだ。無様を晒す木の葉の額当てをつけた下忍たちを馬鹿にしながら、のんびりと見下ろして、距離を一定に保っていた。
 油断はなかったはずだ。
【幻術・狐狸心中の術】――幻術結界の名称だ。
 同じところをぐるぐると回ることになるこの忍術は、単純ゆえに強力だ。
 雨隠れの下忍の三人がかりの幻術であり、よほど幻術に精通していない限り、安易に解術することはできないはずなのだが――それどころか、幻術返しをされたのだ。
 気付けば、彼ら三人は、幻術の基点となっている巨大ムカデの前で立ちつくしていた。

「どうなってんだ!?」
「アンラッキー! こんなの聞いていない!」
「くそっ! 今年の中忍試験は化物ばかりか……っ! ろくなやつがいねぇっ!」

 森がざわつく。
 狩る立場から、狩られる立場へと変化していた。
 空気を裂く音が耳に届く。

「うおっ!」

 頬を掠めた一条の光は苦無。
 地面に突き立った黒塗りの刃の先端には赤い液体がついており、被っていたマスクの切れ端も繋がっている。

「……警戒しろ、強敵だ」
「わかってるけど……けどよぉ!」

 暴風雨の如く吹き荒れる苦無の弾幕。
 数も軌道も出鱈目なそれを回避するだけで体力が削られていく。精神力が凄まじい勢いで減っていき、かすり傷から流れ出る血液もかなりの量になる。
 ときおり目にも止まらない速度で苦無の群れの中を疾駆する金と黒の影。
 その影は的確に急所を狙って一撃を繰り出すと、苦無の餌食にならないようにすっと身を引く。
 実力が違いすぎた。

「やめて……やめてくれぇっ!」
「降参する! 助けてくれっ!」

 ぴたり、と攻撃が止み、草陰から三つの人影が現れる。
 金と黒の桃の髪をした、先ほどまで雨隠れの三人が追っていた木の葉の下忍たちだ。
 談笑しながら近づいてくる三人に対し、雨隠れの下忍は苛立ちが募る。
 見れば十三歳程度のガキだ。アカデミーを卒業したばかりの奴らなのだろう。こんな奴らに負けたなど、恥だ。
 忍者は、勝てばいい。
 ぎりりと歯を噛み締めながら、巧妙に隠した暗器を手に、隙を窺う。

「巻物を出せ」

 金色の髪の下忍が無造作に近づき、手を伸ばしてきた。
 今だ! 確信し、雨隠れの一人が千本を手に突き刺して――煙となって消えた。
 後ろにいた木の葉の二人も苦笑すると、煙となって消えた。

「幻術……?」

 意味がわからない。
 まだ幻にとらわれたままなのだろうか。
 だが。

「知らないのか? 分身の術って言うんだぞ」

 上から降ってきた衝撃に、三人は思い切り前のめりに倒れた。
 首を捻って背後に圧し掛かる奴らを見ると、それは木の葉の下忍――ナルト、サスケ、サクラだった。

「こんな奴ら、わざわざ引っ掛ける必要もなかっただろ」
「念のためだよ。死の森に入ってから俺たちの運気は最悪だしな。また次も化物だったら、いつでも逃げられるように距離をとっておくのは当たり前だろ」

 ナルトの言葉にサスケは渋々頷いた。
 死の森には嫌な思い出が多すぎる。
 その間に「ぐぇっ」と蛙の潰れたような悲鳴をあげて、誰かが倒れた。誰だろうとナルトとサスケが振り返ると、一番後ろでサクラが雨隠れの下忍の首を絞めあげて気絶させていたのだ。ごそごそと所持品を漁り、そして――

「ん、あったわ。天の書よ。はぁ、最後の最後で合格ね……」

 サクラはほっと胸を撫で下ろす。

「サクラ、こいつらはどうする。殺すのか?」

 一応のリーダーであるサクラにサスケは問う。「た、助けてくれ」と涙混じりに懇願する雨隠れの下忍たちではあるが、ナルトもサスケも「お前らの生死なんてどうでもいい」といった無慈悲な眼光を向けている。本当に興味がないのだろう。首元に突き付けた苦無をいつ動かしてもおかしくないほどに、何の感情も浮かんでいなかった。
 決定権を握るサクラに雨隠れの意識がある二人は必死に目で訴える。

「んー、無駄な殺生は良くないって誰かが言っていたわ」

 同情したわけではなく、殺す理由が見つからなかっただけだ。
 心底安堵したのか。雨隠れの二人はほっと息を吐くが――

「んじゃま、身包み引っ剥がすか。起爆札とか手裏剣とか、いろいろあるだろ。あ、服も破れてるから新しいの欲しかったんだよな」

 ナルトの言葉に硬直した。
 こんな森の中で素っ裸にされたら生きていけるはずがない。毒虫に刺されまくって死んでしまう。

「強盗じゃないんだから、置いておきましょ。んじゃ、そいつらの視線こっちに固定して」

 サクラは呆れたように笑う。
 そして、顔を思い切り固定されて、サクラはそいつらの視線を合わせる。

「幻術・奈落見の術」
 
 雨隠れの三人は、夢の中へ堕ちていった。

 ◆

「呆気ないほどに弱かったな……」

 塔の内部に入り込んだサスケの第一声がこれだった。
 中忍選抜試験に参加してから遭遇した忍たちの実力と、塔付近での待ち伏せしていた雨隠れとの差があまりにもありすぎたのだ。
 サクラも「そうね……正直、びっくりしたわ」と呟くほどである。

「まぁ、楽なほうがいいんじゃないか? 散々ひどい目にあったしさ」

 ナルトが締めくくり、周囲を見回した。
 中忍選抜試験の死の森での終着点はここだったはずだ。それにしては随分と殺風景な造りであり、人っ子一人いないのも気になるところだ。
 奥には壁があり、そこには何か字が記されていた。

「ねぇ、アレ見て」

 サクラも気付いたのか、それに注意を向ける。

「"天"無くば――ね。"地"とかも書いてるし……」
「字が抜けているところがあやしいな」
「多分、巻物のことよ。さっさと開いちゃいましょ」

 誰が考えても巻物の中に答えが開かれているであろうことは容易にわかる。

「サスケ、いっせーので開くぞ」
「お、おう……」

 こくりと頷き合うと、二人は巻物を手にとって――せーの! で一気に巻物を開いた。

「人?」

 巻物の中には何かの術式と、"人"と大きく書かれているだけ。
 何だろう、とナルトが首を傾げていると、

「……口寄せの術式? ナルト、放せッ!」
「わかった!」

 サスケの注意を受け、巻物を一気に放り投げる。
 そこからは煙とともに何かが出てきた。

「……!?」
「あんたは……!」

 見慣れた人影。
 アカデミーを卒業するまでは毎日顔を会わせていたそいつは――

「よっ! 久しぶりだな」

 海野イルカだった。
 どうやら巻物を開くとイルカが来るようになっていたらしい。
 しかし、ナルトたち三人の興味はイルカに向けられることはなかった。

「なるほど。人も口寄せで呼べるのか?」
「これは応用できるわね。先生、やり方教えてください」
「担任なんだし、当然教えてくれるはずだ」

 口寄せで人を呼べる。その事実はとても大きい。
 何故なら、侵入任務が仮にあったとする。その場合に、ナルトの影分身に目的地まで行かせて、そこで口寄せをさせたほうが効率がいいからだ。まぁ、敵に巻物を奪われた場合のリスクを考えると多用できるものではないが……。
 そんな三人を見て、イルカは苦笑する。相も変わらずこの三人はマイペースなようだ。良い事なのか、悪い事なのか、どちらとも言えないイルカであった。

「……お前ら、けっこう余裕だね。なんで出てきたのかとか聞かないのか?」
「合否判定のための伝令役でしょ? さすがにわかるわよ」

 気楽に笑っている三人の内、サクラがにこりと微笑んだ。

「……ま! 聡い奴らならわかるんだけどね。そうだ。三人とも、試験突破おめでとう!」

 反応なし。

「で、さ。先生、その口寄せの方法教えてくれよっ!」
「えぇ、そっちのほうが気になるわ」
「……あんまり喜ばないんだね」
「この塔に入ったら合格決定なんだから、今更だろ……」

 サスケの言葉に「なるほど」とイルカは納得する。それもそうだ。
 そして、「だから、俺たちが塔に入るまでに巻物を開いてたらどうなってたのかってのは説明はいらない」との言葉に困惑の色を濃くする。三人とも笑ったままだが、全員気付いているようだ。
 
「はぁ……筒抜けか」

 イルカは溜め息を漏らす。気を使われているのは自分だったようだ。

「で、お前らはあそこに書いている壁に文章に興味はないのか?」

「別にないな」とサスケが呟き、他のものも深く頷く。よほど興味がないらしい。

「うん、正直……ね。そんなことより医者だわ、医者。サスケくんが危ないの!」
「そこまでひどくない。ちょっ! 持ち上げるな!!」
「んじゃ、先生。俺ら急いでっからー!」
「またねーっ!」

 ナルトとサクラがサスケをひょいと持ち上げると、凄まじい速度で駆け出した。随分と元気なようだ。死の森を越えてきたばかりとは思えない。

「落ち着きのない奴らだな……」

 知らない内に随分とタフになった元教え子たちを見て、一人ごちる。

 ◆

 闘技場。
 そう形容する他ない造りの――まさにコロッセオというような建物の中、死の森を突破した下忍たちはざわざわとお喋りをしながら待機していた。
 ここにいるのは、木の葉の新人が全員、リーのいる班、砂の忍の三人、そして、ナルトたちとぶつかった音の忍たちだ。
 当然合格するよなぁと内心ナルトたちは思いながら、しかし、サスケは一人疑問に思っていることがあった。

(あいつはいないのか……?)

 大蛇丸と名乗った男。
 サスケが全力で戦い、捨て身の攻撃をしてもなお、傷一つ与えられなかったほどの強者。
 それが試験会場に合格者としていないということがおかしいと思う。
 だが、そんなことを考えても仕方ないので、思考の隅に放り捨てた。

「治療は話が終わるまで受けれない……ね。なんであんな干乾びた爺の話聞かなきゃいけないんだよ」
「こら、ナルト。聞こえたらどうするの」
「……知らん振りしてやるよ」

 ぷい、とそっぽを向くナルトに対し、サクラは肩を竦める。

「もう、サスケくんも言ってやってよ」
「どうでもいい」
「協調性がないっ!」

 男二人がどちらも味方をしてくれない現状を嘆いていると「そこ、うるさいっ!」と教官の一人から注意が来た。
「す、すみません……」とがっくりと項垂れ、サクラは世の理不尽さについて思索していた。将来は山の中に引き籠って哲学者になってやる、などという意味のわからない思考が迷走する。

「ばーか」
「ウスラトンカチ」

 と前後から聞こえた暴言のせいで、広大な面積を誇るサクラの額に青筋が浮かぶ。
 乙女の怒りを察した男二人はさっと目を背けると、下手な口笛を吹きながら、全身全霊をかけて場を濁そうと努力していた。

「……後で覚えてなさいよ」

 びくり、と震える。
 サクラが本気になったら、座学の時間で恐ろしいほどの鬼教官と化して、応用問題を解かせようとしてくるのだ。
 ナルトはそれなりに問題を解けるからまだいいが、サスケはほとんど全部解けない。地獄のレッスンが始まることに恐怖を覚えながら、サスケは首筋に浮かぶ紋様をさすっていた。
 時間が過ぎ、次第に教官の顔ぶれも増えてくる。ナルトたちの担当教官であるカカシも、ナルトたちににこりと微笑んで手を振ってきていた。当のナルトたちから返ってくるのは本気の殺意を込めた鋭い眼光なので、カカシとしても首を傾げざるを得ない。何か悪い事やったかな? という感じだ。実際はただの八つ当たりなのであるが。

「それでは、これから火影様より"第三の試験"の説明がある! 心して聞くように!」

 合格した下忍たちを見下ろせる闘技場の観客席から、火影が顔を出した。
 目深に笠を被ったご老体。
 こいつは本当に強いのか? と疑問を持ってしまうほどに好々爺然としているが、間違いなく木の葉でも最強と名乗れるほどの実力を持っている。だから、火影と名乗れているのだろう。

「では、火影様――お願いします!」

 ごほん、と一つ咳を吐くと、火影はじっくりと時間をかけて、合格者たちの顔ぶれを確認していく。

「では、"第三の試験"を始める前に、お前たちにはっきりと告げておきたいことがある。この試験の真の目的についてじゃ……」

 何を話しだすんだ、と下忍たちの間にざわめきが走る。

「この試験は同盟国家間の戦争の縮図じゃ!
 成績優秀な者を持つ国は依頼が増え、逆に成績が低いものばかりの国は依頼は減る!
 その判断をするのは"第三の試験"に招く有力な君主などの来賓たちだ。
 つまり、これは政治的圧力をかけることにも繋がる」

 要するに、仕事の奪い合いのためだけに下忍たちは命を賭けて戦っていた、ということになる。
 異論があると言わんばかりにキバは手をあげると「だからって何で! 命がけで戦う必要があんだよ!」と問う。そんなことのために俺たちは闘わされていたのか!? と。
 だが、

「国の力は里の力。里の力は忍の力。
 そして忍の本当の力とは、命がけの戦いの中でしか生まれてこぬ!」

 ふむ、とナルトは自分なりの解釈をしていた。

(つまり、これはゲームだ。いくらでも取り換えのきく下忍を使って、里の上位者である火の国に「私たちはこんなに優秀なんですよ。仕事ください。お金ください」と言ったアピールをするためのものか)

 そして、ついでに思う。

「……情報収集や潜伏が得意な奴はどうなるんだろうな? 忍術開発の研究者なんか命がけの戦いする必要ないだろ」

 知れず、口から漏れていたのか――「ナルト、また怒られるわよっ!」と小声でサクラに注意をされる。どちらかというとサクラの声のほうが大きかったりする。

「ごほん!」

 と咳払いをしながら、火影は怒気の混じった視線をサクラに向けていた。

「うわっ、見られてるわ」
「俺のせいじゃないからな」
「ウスラトンカチどもが……」

 サスケはげんなりとしながら吐き捨てた。

「では、これより"第三の試験"の説明をする。その前に……」
「この中からくじ引いてね」

 下忍たちの前に第二の試験の担当官であったアンコが進み出て、手に持った箱からくじを引かせていく。
 何のことだろうか、と思いながら下忍たちは素直にくじを引いていき――

「では、イビキ……組み合わせを前へ」

 イビキがくじを確認していき、ホワイトボードへ書き連ねていった。

『サスケvs君麻呂』
『ネジvsヒナタ』
『テンテンvsテマリ』
『カンクロウvsキバ』
『ナルトvs我愛羅』
『サクラvsリー』
『シノvsチョウジ』
『鬼童丸vsイノ』
『シカマルvs多由也』

 第三の試験は勝ち上がり形式のトーナメントだ。
 組み合わせを見て、ナルトたち三人は露骨に顔を顰めた。

「いきなりアイツかよ。勘弁してくれ……」
「君麻呂って名前だったのか……にしても、いきなりか」
「あ、あぁ……もっと弱い人いないのー!?」

 砂を自由自在に操る我愛羅、骨の血継限界を持つ君麻呂、下忍を越えているとしか思えない体術の極みであるリー。
 七班は戦う予定の敵のことを思い浮かべると、がっくりと肩を落として項垂れた。勝ち目がない。

「では、それぞれ対策を練るなり、休むなり、自由にするがよい。
 これで解散にするが、質問があるものはいるか?」
「あ、じゃあちょっといいっすか?」

 シカマルが火影の言葉に手をあげる。

「トーナメントってことは優勝者は一人だけってことでしょう? そいつだけが中忍になれるんスか?
 シード扱いもいるみたいだから、不公平だと思うんスけど……」
「いや! これは別に基準みたいなものがあっての……審査員といて幾人かがいるので、わしも含め、そやつらが採点することとなる。
 例え一回戦負けでも中忍になることができる」

 ふぅん、とシカマルは微妙な顔を浮かべながら納得する。

「これでいいかのぉ?」
「わかりました」

 他に質問はあるか、と火影は下忍たちを見回すが、どうやらいないらしい。
 ごほん、と咳払いをすると。

「では、ご苦労じゃった! 一月後まで解散じゃっ!」

 第二の試験は終了した。






[19775] 34.ナルトと自来也――Ⅰ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/28 12:34
1.

 静謐の間。
 螺旋軌道に規則的に配置された無機質な柱が聳え立つそこは、別名では【封印の間】とも呼ばれる。名は体を表すというが、まさしくそれである。ここは封印の術式を増幅する効果のある専門的な部屋であった。
 観音開きの入口の扉は堅く閉ざされているそこにははたけカカシと半裸のうちはサスケがいた。
 サスケを中心に血文字で書かれた封印の術式のための陣があり――

「封邪法印!」

 一喝の声とともに、カカシによって練り込まれたチャクラを血文字を経由してサスケの身体に埋め込んでいく。
 血文字で描かれた方陣が凝縮され、サスケの首筋に埋め込まれている呪印へと凝縮されていく。
 その間、視界が焼けるほどの苦痛にサスケは晒されるが、これ以上このような不気味なものに自由を許すわけにはいかない。サスケは歯を食い縛って耐え抜いた。

「く……はっ……」

 封印が終わり、苦痛も消える。
 深く息を吐く。
 サスケが落ち着くのを待って、カカシは口を開いた。

「呪印……か。誰にやられた?」
「……大蛇丸と名乗っていた」

「厄介な奴が来たもんだ」と一人ごちる。
 このまま試験を続けていいのか、とも思うが、カカシに決定権はない。そして――

「……試験を中止――するわけにもいかんしのぉ」

 気配もなく静謐の間に姿を現した火影に驚くことはなく、カカシは答える。

「そうですね。たかが抜け忍の一人が来たくらいで試験を中止しているようでは、里の威信に関わります」

 実際は『たかが抜け忍の一人』と言えるほど弱い相手ではない。
 だが、数ある大名はそうは見てくれない。
 天下の木の葉隠れの里ともあろうものが『たかが抜け忍の一人』相手に憶するのか、と取られてしまうのだ。
 火影もカカシもそれは痛いほどわかっているがゆえに。

「じゃが、あまりに危険」
「はい……」
「おい、大蛇丸ってのは誰なんだよ?」

 ここでサスケが口を挟む。
 そういえば説明していなかったね、とカカシが苦笑を浮かべると、

「伝説の三忍――聞いたことくらいあるでしょ?」

「綱出、自来也、大蛇丸……?」と指折り数えて答えていく。
 火影をも超えるといわれている生きた伝説たちだ。

「その内の一人だよ」

 サスケは硬直する。
 背筋が凍りつくような威圧感は伝説の三忍と謳われるほどの実力者だったからだ。

「何だってそんな奴が中忍試験を受けてんだよ! 危うく死に掛けて……ナルトも、サクラも! 殺されかけたんだぞっ!」

 あまりに早すぎた遭遇に戦慄する。そして、自分が今生きているのは相手の気紛れでしかなかったことを知る。
 無力は罪だ。
 守るための力がないから、何でも奪われてしまう。
 細い糸の上で必死にバランスをとって歩いてたいただけの道化。

「それについてはすまなかった。しかし、なんで大蛇丸が試験を受けれたんでしょうねぇ? 内部に手助けをしているものがいるとしか思えない」
「みたらしアンコ……か」

 火影の言葉にカカシは頷く。

「えぇ、試験の情報を故意に隠蔽しているとしか思えません」
「暗部に調べさせるとするか……カカシよ。おぬしに頼みたいところだが……」
「……私も今はただの教師でしてね。教え子を鍛えて中忍にしてやりたい、と思ってます。しかし、里の危機ともなると……」
「いや、大丈夫じゃ。いざというときのためにあやつを呼び出しておる」
「あやつ――とは?」
「隠れているのはわかっているぞ。出てこんか」

 カカシは皺を深くして笑う火影を訝しむ。
 気配など感じない。扉が開いた音もしない。
 それなのに、だ。

「気づかれておったのぉ……」

 柱の陰から、突如として何かが現れた。
「あなたは――!?」

 にやりと口角を歪めて笑う人影はカカシのよく見知ったもの。
 油の一文字が刻まれた額当てをつけており、服装は能をしているものが着る華美な着物。そして何よりも目につくのが、ふざけているような態度とは随分と乖離している隙のない眼光か。

「あいやしばらく! よく聞いた! 妙木山蝦蟇の精霊仙素道人、通称・ガマ仙人と見知りおけ!」

「ガマ仙人……?」とサスケは呆然と呟いた。見たことも聞いたこともない。そして、こんな白髪の長髪のふざけた男が火影が切り札にするほどの強い男には見えなかった。

「自来也様――あまり私の生徒をからかわないでください」
「うぅむ、徹夜で考えた前口上はあまり受けがよろしくないのぉ」

 カカシがおっさん――自来也に対して敬語を使っている。
 態度からも『自分よりも上位の相手』だと感じられる。つまり、カカシが尊敬の念を抱く程度には強いのだろう。
 こんな飄々とした男が? 疑問を感じずにはいられない。
 自来也は疑念を含んだ漆黒の双眸をちらりと見ると、疑われているな、と苦笑する。わざとこのような態度をとっているのだから当たり前ではあるが。
 
「ところで、猿飛先生――ワシに何の用なのかのぉ?」
「大蛇丸の件じゃ。おぬしが大蛇丸について調べていたことはわかっておる」

 自来也も実のところは抜け忍のようなものだ。
 伝説の三忍で木の葉隠れの里に居座る者はいない。

「……筒抜けか。で、何が聞きたいんだのぉ?」
「大蛇丸擁する勢力の規模。おそらくは誰かと協力しているであろう、そいつらの名称と規模。そして、何が目的なのか……」

 ふむ、と首を縦に振ると――「……いいのかのぉ?」と自来也はサスケを見下ろした。
 おそらくはこれから話される内容は一介の下忍でしかない自分が聞いていいようなものではないのだろう、と察すると「出たほうがいいか?」とカカシに確認する。
 微笑みながらカカシは首を振る。

「サスケなら大丈夫です。こいつは私の信頼する部下ですから」

 火影は肩を竦め、自来也に話の続きを促す。

「ふむ、ならいいがのぉ……大蛇丸がどれほどの部下を連れてきているのかはわからんが、音の里は大蛇丸の里だ。そして、砂の里と音の里は協力している」
「本当ですか!?」
「嘘をついてどうするんだのぉ……で、目的は――木の葉崩し」
「待て、自来也や」
「何でしょうのぉ?」

 話が進まんな、と自来也は鼻息を鳴らす。

「木の葉崩しは何が目的じゃ? あやつは恨みなどで動くほどの小さな人間ではなかったはずじゃ」
「九尾、写輪眼――これでわかるだろうのぉ」
「力……か。あやつ、まだそのようなことに執着しておったか」

「どういうことでしょうか?」とカカシはわからず問いかける。
 そもそも、カカシが伝説の三忍の中で面識があるのは自来也だけであり、どうして疎遠になったのか、里から抜け出したのか、などというエピソードを知らないのだ。
 火影は「ふむ」と考え込み、引き結び――自来也と目を合わせた。自来也は気まずそうに視線を逸らす。

「……音の里にはあらゆる里で迫害されている血継限界の末裔を集めておる。そこで血の配合などをして、新たに血継限界を生み出そうとしておるのぉ」
「……そんなことがっ!」
「できるわけないと思うだろう? だが、実際に大蛇丸はいくつもの血継限界を生み出している実績がある……」

 膨大な数に及ぶ人体実験。
 他の里や己の里など関係なしに、大蛇丸は研究材料として血継限界を受け継ぐ忍者たちをその手にかけた。
 いや、それは正しくないかもしれない。
 血継限界のせいで身寄りのない子供たちを引きとり、引きとる代償として、最も元気のない子供を差しださせていたというべきか……。どちらにしても悪魔の所業といえる行為である。
 だからこそ、有力な血継限界を有する写輪眼や白眼の末裔を研究材料として手に入れることはできなかったのだ。彼らは迫害されるほどに弱くはなかったし、自里の中できっちりと地位を確立していたのだから。

「待てよ。俺が狙われているって話を頭上でされてたら気味が悪い」
「うちはの末裔か?」
「そうだが」
「確か九尾のガキもおぬしと同じくらいの年齢だのぉ……うずまきナルトと言ったか」
「俺の仲間だが?」

 自来也は呆けたように目を点にする。
 そして、息を大きく吸いこんだかと思うと、火影の胸倉を掴んだ。カカシが止める間もなく、火影が抵抗する間もない神業的な速度で。

「……フ、フフフ、ハハハハハ! 悪意すら感じる班構成だのぉ! のぉ、猿飛先生!? 写輪眼に九尾か! 新たに戦争でも起こす気か!?」

 がくがくと火影の胸倉を揺さぶりながら、殺意すら混じる双眸を向けている。

「ワシにはワシの考えがある」
「どういうことだのぉ……?」
「答える義務はない」

 火影から手を離し、自来也は毒の混じる眼光を火影から向けると、強かに地面を踏み締めた。
 石造りの床が、窪む。
 ふぅ、と落ち着くために息吹をすると、自来也は気を取り直したのか。

「ふん、九尾のガキはどこだのぉ?」

 いや、怒りは消えていない。
 憤怒の形相のままに、カカシに拒絶を許さぬ圧迫感を放って、問う。
 偽りは許さないと言外に語るその様はまさに鬼神。
 サスケは恐怖のあまり、身体が動かない。
 硬直した身体は鳥肌が立ち、死を何度も幻視させられる。
 納得した。
 こいつは大蛇丸と同類だ。
 冷や汗を流し、身体を震わせるサスケの背に手を当てながら、カカシは怯まずに自来也と視線を交錯させる。

「試験場の入り口でサスケを待っているはずですが……」

 ふん、と鼻息荒く、

「九尾はワシが貰う。お前らの手には余るしのぉ」

 瞬間、自来也は身を翻す。
 サスケは自来也のことを信用できずにいた。
 だから、立ち上がり、恐怖に打ち勝つために自分の頬を拳で抉る。
 痛みで恐怖を掻き消して、自来也の歩く道を塞ぐように【瞬身の術】で先回りをした。

「んだと、テメェ……! ぐっ……」

 だが、未だに封印の術式の余韻が残る身体である。
 すぐに膝をつくと、しかし、意思では負けないというかのように、サスケは鋭い視線を自来也に向けていた。
 自来也はふっと笑う。
 初めて見せた笑みは優しさが含まれていた。

「おっと、勘違いするな。九尾のガキをワシが育てるというだけじゃのぉ。次の試験は?」
「一ヵ月後じゃ」
「それまでには連れて行こう。悪いことにはならん……。いいだろう、のぉ? はたけカカシ?」
「……私よりもあなたのほうがナルトと相性はいいでしょうね」

 体術に偏重気味のカカシと、忍術を多用して相手を騙すことに主眼を置くナルトでは戦い方が違う。
 その点、自来也とは相性がいいだろう……。よく似ている。
 にやりと自来也は口元に弧を描いて頷くと、思いだしたかのように呟く。

「話は決まった。あぁ、そうそうこれは極秘情報じゃが……木の葉崩しは最終試験中に行われる。おそらくは大名たちへの熱烈なアピールのためじゃろうのぉ」

 火影は既にわかっていると頷き、だろうのぉ、と自来也も悪戯っ子の笑みを浮かべた。
 扉は重々しい音を立てて開かれ、そこから自来也は出ていく。
 そして、火影も「……では、わしも行く。うちはサスケの処遇はカカシに一任するぞ」とだけ言うと、部屋から出て行った。
 残るはサスケとカカシだけ。
 何か言いたそうな複雑な表情を浮かべるサスケの頭にカカシはぽんと頭を乗せる。

「さて、修行しようか。お前にはこれから地獄の特訓をやってもらう。サクラと一緒にな」
「ナルトは?」
「あの人の修行は死ぬ一歩手前だからな。強くなるよ、絶対にね」

 強くはなるだろう。
 問題は、

「……生きていればだけど」

 これに尽きる。

 ◆

 斜陽の光で金色に輝く髪をヘアピンで留めて、ナルトはベンチに腰を下ろしていた。
 闘技場の入り口付近にあるそこは日当たりがよく、ぽかぽかとした陽光に照らされて、今すぐにでも眠ってしまいそうなほどにまどろんでいた。
 緊張感のない姿。
 しかし、異様な空気を感じ取ったナルトはすぐに意識を覚醒させると、こっそりと手に苦無を忍ばせる。
 周囲とさりげなく探ると、土煙をあげながら近づいてくる見知らぬ人影があった。
 強者の佇まい。
 隠しきれない力が発散されている。
 白髪を伸ばした歌舞伎役者ののような化粧をした、巨躯の男は、ベンチに腰掛けたままのナルトを見下ろすと、ふいに声をかけてきた。

「おぬしがうずまきナルトか?」

 寝たふりをするには遅く、ナルトは仕方なく返事をすると、
 
「ふむ……随分と生意気そうな目をしているのぉ」
「油一文字のダサイ額当てをしてる見るからに怪しげなおっさんに言われたくねぇな」
「見た目通りに性格は悪そうだのぉ?」
「見た目はよく褒められるんだがな」

 いきなり剣呑な雰囲気になった。

「まぁいい。カカシの奴に頼まれて、ワシはおぬしに喧嘩のやり方を教えに来たんだが、素直についてくる気はあるか?」
「悪いな。見知らぬ人についていってはいけないって父母の言いつけでね」
「おぬしに両親はおらんだろうのぉ?」
「……なんで知ってんだ?」

 もしかして知り合いか? とも思うが、それはない。
 ナルトは知り合いなどほとんどいないし、友達もいない。親戚なんてゼロだ。
 そういえば、腹の中にいる九尾の狐が親に関する大事な情報を言っていた気もするが……思い出せない。

「痛ぅ……っ!」

 頭痛が襲いかかる。
 何だろう、この感じは。
 思い出さなければならないことがあるような……
 そんなときだ。
 遠くのほうから元気いっぱいに桃色の髪を揺らしながら走って来るサクラの姿が見えた。手にはペットボトルを二つ持っており、そんな姿を見ただけで、和む。
 頭痛が消えた。
 
「ナルト、お待たせー。ポカリでいいんだっけ?」
「あぁ、ありがとう」

 ナルトにポカリスウェットと銘打たれたそれをナルトに渡すと「で、そこの人、誰?」とナルトの耳に口を近づけて、小声で問う。
 それは聞こえていたのか、白髪の男はえへんと胸を張ると、珍妙なポーズで答えた。

「妙木山蝦蟇の精霊仙素道人、通称・ガマ仙人と見知りおけ!」

 つまり、誰? それが二人の正直な感想である。

「人はワシのことを自来也と呼ぶのぉ」

 目を点にしたまま呆然と自分を見る二人に「やっぱり受けがよくないのぉ」としょんぼりと肩を落としながら自来也は呟くと、素直に自己紹介をすることにした。

「あの伝説の三忍の?」
「騙ってるだけじゃねぇのか?」

 疑われている。
 サクラもナルトも露骨に顔を顰めながら、細められた視線を投げかけてくるのだ。
 自来也としてもこれは当然予測していたことだ。ここですんなり信じるほうがおかしい。

「どうすれば信じるんじゃのぉ?」
「実力で示せよ」
「ふん、じゃあついてこい」
「わかった」

 あっさりと話がつくと、死の森に向かって歩き出した自来也の後をナルトが追う。
「ナルト……?」とサクラは声をかけるが、「任せとけって!」と意味不明な返事が返ってくる。何を任せればいいのだろうか。

「小娘、お前はそこで待ってるんだのぉ。そろそろカカシとうちはのガキが来るからのぉ」
「え……?」

 なんでそんなこと知ってるの? とサクラは問いかけようとするが、既に自来也とナルトの姿は見えなくなっており、

「なんだってのよ。もう!」

 とにかくサクラは叫ぶ。
 山彦のように声が反射してきたのが、何だか鬱陶しかった。



【アトガキ】
とりあえずこれから進む物語の説明を自来也にさせました。
アンコが裏切り者ってのが面白そうだったんで使ってみることに。
裏切りってなんだか甘美な響きですよね



[19775] 35.ナルトと自来也――Ⅱ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/29 14:57
2.

 木の葉が擦れる音は心をざわつかせる。夜色に染められた腐葉土の隙間に潜む虫たちが、りんりん、と騒がしい音色を奏でているのも鬱陶しい。
 空が見えないほどに伸びる大樹の下に仰向けに倒れながら、肩で息をするナルトは眉間に皺を寄せ、呪詛の混じった光を自来也に向けていた。恨みがましい視線を受けても、自来也は飄々と受け流し、のびやかに背筋を伸ばして、ごきりと骨を鳴らしている。大きく口を開いて欠伸をしている様は余裕を感じさせた。
 何か言いたそうに口をもごもごと動かすが、不貞腐れたように目元を隠す為に腕をあげる。
 ナルトがこのような体たらくを晒しているのは、瞬く間もなく倒されたからだ。
 瞬殺。
 勝負が始まって一瞬の出来事だった。
【多重・影分身】で様子を窺おうとして隠れていた。地中に姿を隠していたはずのナルトは、どういう原理でかはわからないが、とにかく引きずり出された。口元に弧を描く自来也が鼻がくっつきそうなほどに目の前にいて、油一文字の鉄の額当てで思い切り頭突きをされ、気を失ったのだ。
 思い出しただけで羞恥に染まる。

「弱いのぉ」

 追い討ちの言葉。

「そんなに弱かったら何も守れはせん。弱いということを悪いとは言わんが、何かを失ったときに嘆くことになるのぉ」

 強ければ、何かを守れる。
 弱ければ、何かを失う。
 それだけのこと。ナルトだってよくわかっている事実を突き付けられ、身体が震えた。
 もし、この男が本気になれば、ナルトの命など容易く奪ってしまえるだろう。言うなれば、ナルトは自来也に"生かされている"に等しい。自分に力で生きているのではない。見逃されているだけだという谷底が見えない崖っぷちに立ちつくさせられるような不安定な状況。
 どこからか、かちかち、と音が耳奥に這いずり込む。ナルトの歯がぶつかる音だ。
 起き上がり、拳を握りしめながら、キッと睨みつけてくるナルトを視線の端に捉えながら、自来也は何気なく呟く。 

「桃色の髪の少女――名は何と言う?」

 疑問の混じる表情を浮かべながら、「サクラだ」とナルトは躊躇なく答えた。少しだけ、声が震えていた。

「可愛らしかったのぉ。だが、お前じゃ守れん」

 自来也はペットボトルを持って元気に走っていた女の子の姿を思い出す。
 服はぼろぼろで血に塗れ、腹には何かが貫いたような傷跡があり、髪の毛も汗や油、血が混じってぐしゃぐしゃになっていた。見ただけで同情が湧きあがるような、そんな有様。
 何故、そんなことになったのか、と考えると、自来也は鼻を鳴らす。

「あんなに傷だらけになって、きっと苦労したんじゃろうのぉ……仲間が弱いせいで」

 弱い仲間を持つと苦労する。

「否定はしない。だから、またあんなことにならないために……!」

 退くことをしらない愚直な光が自来也に突き刺さる。
 不退転の心を宿している身体は、苦痛など知らないかというように、身体の悲鳴を押さえこみ、強靭な意志で立ち上がっていた。
 水月を抉って、のたうち回るような激痛を与えてもなお立ち上がる根性に、自来也はひそかに感心する。
 だが、根性があるからといって成功するわけではない。
 ナルトは特別な人間だ。特別であるということは、同時にその身に余る過負荷の責任が圧し掛かる。

「腹の中に住まう狐も御することができんガキには何もできやせん。何もかもを諦めて、今から余生を過ごしたほうが身の為じゃのぉ」

 普通の下忍ならば、負けることがあっても許される。
 しかし、ナルトに敗北は許されない。
 戦略兵器として扱うこともできる【九尾の妖狐】を宿している限りは、あらゆる手段を駆使しても絶対に勝たなければならない。
 負けたら、力の根源を奪われるかもしれないから。
 奪われた力は強大なもの。もし、ナルトと違って【九尾の妖狐】を完全に操れる輩に奪われたとしたら? そいつが戦闘狂だったら? いや、仮に平和主義者だったとしても、ひとたび力を持てば人間の脆い信念など簡単に崩れ去り、あっさりと悪の手に染まってしまうかもしれない。魔性ともいえるほどの強大な力は、何もかもを狂わせるだけの魅力がある。
 如何に自分が重大な立ち位置にいるのかも自覚していないガキ――その考えがどうしても自来也は払拭できなかった。
 
「決めつけんな! 俺は何だってこの手でもぎ取ってきた! 嗤われようと、殴られようと、絶対に仲間を守りきる。絶対に、だ!」
「何でも自分の力でやれると考えているのは、弱いという証拠だのぉ」
「九尾の力を使えばいいんだよな……? いいぜ、見せてやる……っ!」

 吹っ切れた。
 いっそ清々しいまでに邪念のこもった莫大なチャクラが、ナルトの右腕から噴き出した。
 五月蠅いほどに鳴いていた鳥や虫たちの気配が掻き消える。風が吹くたびに合唱団の如く歌い狂う木の葉のさざめきも消え去っていく。耳をくすぐる自然の音色は失われ、完全無音な世界が構築されていく。
 まさに結界だった。
 意思を持っているのかと思うほどに肌にまとわりつく粘性のあるチャクラが森を侵し、生命を暴虐していくかのようで、自来也は身の毛がよだつ感覚を覚えた。
 王者の如く君臨する、小さな絶対者は九尾の力の片鱗を見せるナルト。右目は金色に染まり、瞳孔は縦に割けている。ジャンパーは右の肩口から破れていて、露出されている右腕は、まるで血のような深紅に染まる膜に覆われていた。
 ゆらり、とナルトの姿が揺れ、消えた。
 残像すら見えない神速の動きに、混じり気のない生粋の勘のみで対応した結果、衝撃が走る。
 両腕を交差させて受け止めた暴力の塊に抗うことができず、自来也は弾丸の如く大樹へとぶつかる。
 肺の中にある空気が、焼き切れた喉から漏れ出した血痕とともに吐き出される。とにかく酸素を欲して、ぎゅごぉぉぉ、と壊れた機械が鳴らす不協和音にもよく似た呼吸をするが、ナルトはそれを許さない。
 追撃。
 息のできないままに、自来也はひたすらにナルトの攻撃を耐え忍んだ。
 赤々としたチャクラの渦をぶつけられるたびに、背後に聳え立つ大樹に背中を打ちつけられる。地面に根を生やしているかの如くの力強い両足は簡単に撥ね退けられ、宙に浮いたまま、為す術なく、暴力の権化に晒される。

「ぐ、おぉぉあぁぁぁっ!」

 次第に背中が大樹にめり込み、幹が砕ける。耳を劈くほどの轟音とともに大樹は倒れるが、ナルトは片手で無造作に弾き飛ばす。
 その隙を見逃す自来也ではなく、五臓六腑無事なところがない身体を酷使して、するりと隙間を縫うかのように移動した。高等武術を修めた運体法を会得しているからこそできる技法である。

「禍々しいチャクラを右腕から感じてはいたが……やはり、喰われていたか」

 距離をとり、自来也は息を吐く。
 チャクラで爆発的に増幅させた身体能力を駆使した暴力。力の乗せ方が全くなっておらず、まさに宝の持ち腐れといえるものだが……しかし、振るう力が自来也とは桁違いだった。
 単純に、身のこなしが見えないのだ。攻撃の軌道は読めるのだが、避けられないのだ。速過ぎて。故に受け止めることを余儀なくされるのだが、衝撃を受け流そうが関係ない。もとの力が強すぎて、触れただけで吹っ飛んでしまうのだから。
 性能に差が有り過ぎる。
 もし、この力を自在に操れるようになったのなら、どれほどの戦力になるのだろうか、そう思うだけで自来也は苦笑が込み上げてくる。それはたぶん、ナルトの父は望まないことであろうが、しかし、九尾を宿す人柱力で有る限り、避けることはできない運命だ。

(見る限り、ナルトは九尾の力を操ることができていないようだが……)

 安堵する。
 もし操る才能が少しでもあったとすれば、きっと利用されてしまうだろうから。
 だが、そんな希望は無残に消え果てることとなる。

「土遁・土流槍……」

 天をも貫かんというほどの規模の土の槍が隆起する。
 範囲内にある木々を縦に切り裂き、根こそぎ生命を刈り取っていくそれは、本来の【土遁・土流槍】とは桁が違った。印を見切って即座に回避した自来也でも、あまりに規格外な能力に、思考が一瞬停止してしまうほどだ。

(……意思の光が戻ってきている?)

 忍術。
 それは妖魔と人とを分つ絶対的な壁だ。
 力のある妖魔はチャクラを有効活用しようとはしない。当然だ。腕を振るだけで炎が出たり、大地が隆起したりするのだから。そこにはかなりの無駄遣いがある。無駄遣いをしても大丈夫なだけの容量があるのだから。
 人間は違う。僅かなチャクラを有効に活用する為に印を切り、術を使うために適した回路を構築していく。修練をこなし、チャクラの運用法を身体に刻んでいく。無駄に使えるだけのチャクラがないのだから。
 つまり、妖魔には【術】という概念がないのだ。それは息を吸うのと同じくらいに当たり前のことであり、意識せずとも起こってしまう現象でしかない。
 仮に、膨大なチャクラを持つ、【術】を使う生物がいた場合――どうなるのだろうか。

「厄介じゃのぉ……」

 尽きることないチャクラ。
 生み出される暴力の爪痕。
 森は破壊の嵐に巻き込まれ、正しく【死の森】として機能し始めていた。ただし、死ぬのは【死の森】の先住民であるが。
 大地が鳴動し、風が荒れ狂う。
 その中心には猫背気味になった、両方の目をぎらぎらと金色に輝かせる少年だ。くつくつとくぐもった笑いを漏らしており、次第に笑い声は大きくなっていった。
 哄笑。
 その身に纏う赤黒いチャクラも肥大化し、内側に潜むナルトの身体を傷つけ始めていた。
 当然だろう。育ち切っていない身体をチャクラで無理やり強化して酷使し続け、さらにはチャクラを流す経穴が焼き切れてもおかしくないほどの量のチャクラを常時流しているのだから。小さなコップに湖の水を全てぶちこむくらいに馬鹿げたことだ。絶対に、飲み込めない。
 このまま戦闘を続ければ、ナルトは間違いなく壊れてしまうだろうことを危惧した自来也は、勝負を決する覚悟を固める。
 右手を掲げ、チャクラで螺旋の渦を生み出す。超高等忍術【螺旋丸】と呼ばれるそれはチャクラを極限まで圧縮した極小の台風。触れたものを木端微塵に粉砕するほどの威力を秘めている。
 対するナルトは【螺旋丸】を見た瞬間に顔色を変えると、にぃと口角をつりあげた。ウエストポーチから巻物を取り出すと、印を切り、手になじむ相棒【首斬り包丁】を呼びだし、チャクラを込め始める。
 鉄塊は禍々しいチャクラに飲み込まれていき、黒刃はどす黒い血色に変じていく。ぎいい、と断末魔の響きは【首斬り包丁】から聞こえるものか。震える刃は許容量を遥かに超えるチャクラを詰め込まれ、悲鳴をあげているのだ。
 互いに一歩、踏み出す。
 赤いチャクラに触れただけで腐葉土は色あせ、消えていく。その様を目に焼きつけながら、自来也は――妖しい光を内包する【首斬り包丁】に【螺旋丸】をぶつけた。

「ぐるぁぁぁぁっ!!」
「ぬおぉぉぉぉっ!!」

【死の森】が泣き叫ぶ。
 周囲の木々は二つの力がぶつかりあった余波のみで軒並み薙ぎ払われ、虫や動物は木の幹に引っ掴まっている。
 ぎいい、ぎいい、と悲哀の混じった悲鳴がそこかしこから耳に届く。助けてくれ、と命乞いをしているのではないかと錯覚するほどの悲しみに満ちた歌声は、生み出される暴力の渦に巻き込まれ、消え去った。
 地面が、抉れる。
 さきほどの闘技場ならば数個は入るだろう大穴ができていて、両端に人影が弾き飛ばされていた。
 土塊が覆いかぶさっているのを鬱陶しそうに自来也は跳ねのけると、血の混じった咳をする。痛みに顔が歪むが、ここで負けるわけにはいかなかった。
 虚勢だけで、笑う。

「本気を出さなければならんか。久しいのぉ……っ!」

 穴の中に対極には、ナルトが無造作に【首斬り包丁】を振るう姿が見えた。ぴんぴんしている。
 忍術を駆使し、武器を使う。それはまさに人の戦い方であり、完全に【九尾の妖狐】に意識を奪われたものの戦い方ではない。 
 こちらをちらりと見ると、背後から何かが襲いかかって来る。
 振り向き、殴り飛ばすと煙と消えるそれは【影分身】――つまり、騙し打ち。
 これから来る攻撃と言えば――地面から飛び出してくるナルトの姿を見て、苦笑を漏らす。まさに人間の戦い方だ。

「……やはり、あやつの子か。天性の素質がある」

 嬉しくもあり、悲しくもある。
 宿命は変えられないものなのか、と嘆きたい気持ちをぐっとこらえ……【首斬り包丁】を避けることもせずに、自来也は相打ち覚悟で【封印の術式】を刻んだ腕をナルトの腹にぶち込んだ。


 ◆

 白い世界の中心には、馬鹿げた大きさの牢獄がぽつんと佇んでいた。
 またここか、とナルトは苦笑すると、牢獄の中に居座る一匹の獣の前へと進み出る。
 化物。怪物。災厄。最悪。魔獣。妖魔。妖怪。
 いろいろと言い表す言葉はあるが、ふさふさと金毛を上機嫌に揺らしながら寝そべっている狐の姿は、なかなかに愛嬌のあるものだった。九本の尻尾を口元に置き、一本一本丁寧に毛づくろいをしている。
 ナルトが目の前に立ったと気付いた瞬間、【九尾の妖狐】はいっそう尻尾を振りまくり、毛づくろいに支障が出るほどになってしまって、少しだけ顔を顰めている。

「よぉ、また会ったな。随分と尻尾を振ってご機嫌のようだが」

 狐の笑い方など詳しくは知らないが、不思議と【九尾の妖狐】が嗤ったことだけはわかる。こちらを嘲るような見下した微笑みは実に慣れ親しんだものだ。アカデミーでは、よくあったこと。

「喜ばずしていられるか。憎き仇の息子よ。おんしの右腕を喰ろうた甲斐があるというもの」
「勝手に俺の腕を操作したのはお前だったわけか」
「くはは! ようやく理解したか!」

 サスケを殴るとき、右腕が勝手に動いた。どうやらそれは【九尾の妖狐】の仕業らしい。誰かが死んだわけではないので、怒る気もしないが。
 それに――

「……身体はもともとやるつもりだったんだ。お前がサクラを助けていたらな」
「ふん、人間如きの命令に従うくらいなら死を選んでやるわ」

 サクラを助けてくれていたら、きっとナルトは喜んで身体を差しだしていただろう。ある意味では【九尾の妖狐】は馬鹿なことをしたものである。プライドを優先して、わざわざ苦労する道を選んでしまったのだから。
 しかし、事実としてこいつのおかげでサクラの生命が助かったという側面もあるが故に、不思議と悪感情は湧いてこなかった。本当に結果としてだが、【九尾の妖狐】のチャクラを利用したおかげで、サクラは助かったのだから。
 そんなことは決して言わないが……口から出るのはからかうだけの軽口。

「死ぬのを怖がってなかったか?」
「そんな日もある」
「難儀なことだ」

 ふん、と【九尾の妖狐】は鼻息を鳴らした。尻尾は元気がなくなったのか、じんわりと項垂れて地面に横たわっている。

「ところで、俺の親がお前を封印したみたいだが、もしかして……?」
「答えてもいいが、おんしは何を捧げる?」
「じゃあ、いいや。そこまで興味があるわけでもなし」

 予想はつくけど、それでもそれが真実だとは信じたくない、という思いがナルトにはあった。
 幾千、幾万ものあらゆる感情が内包された表情は複雑に歪んでいて、泣き笑いのような中途半端な顔を【九尾の妖狐】は見下ろしつつ、嗤った。

「覚えておけ。おんしのことは、必ず喰ろうてやる」
「忘れるよ」

 即答。ぴくりと狐の額に青筋が浮かんだ。

「ついでに、もう一つ」
「何だ?」
「力が欲しければいつでも言え。魂を削る代わりに、我が力を貸し与えてやろう」
「いらないなぁ」

 魂が削れてまで、力が欲しいとは思わない。

「予言しよう」

 ふふん、と【九尾の妖狐】は確信に満ちた視線をナルトに向けてくる。

「おんしは我が力を十全に使いこなし、その身は妖狐へと堕落する」
「ならねーよ」

 ふと、ナルトは空を見上げた。
 真っ白の世界に階段ができて、そこから自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
 じゃあな、と呟くと、ナルトは階段を登り始めて――

「なる。必ずな……」

【九尾の妖狐】の言葉は、ナルトに届くことはなかった。

 ◆

「起きたか、ガキ」
「ん、あぁ……?」

 横たわったナルトはぼんやりとした意識のまま自来也を見上げると「へんな顔」と呟いた。自来也は微妙に頬を引き攣らせるが、大人の対応を見せつけるために我慢する。
 次第にナルトの意識は戻ってきて、腹筋だけで勢いよく起き上がる。
 周囲を見渡すと、ぼろぼろに潰された【死の森】。
 木々はなぎ倒され、もといた動物たちはひしゃげた肉塊へと変じている。
 これを自分がやったのか、と思うが、確かに記憶にある。

「これだけ暴れたんだしのぉ。わしの力を信じる気にもなったか?」

 刻印の刻まれた包帯を右腕にぐるぐると巻き付けられている。そのせいか、右腕が重い。
 しかし、不吉な力を感じることはなく、思い通りに動くのはある意味で助かる。

「四象封印をかけた。九尾に乗っ取られてるようだからのぉ。そのままでは危険だ」
「だろうね」
「で、だ」

 自来也は問う。

「お前はわしの教えを受ける気はあるかのぉ?」
「……俺は強くなれんのか?」
「お前次第だ、と言いたいところだがのぉ。強くさせる。強くなれなかったときは死ぬときだけだのぉ」
「そりゃわかりやすくていいや」

 あっさりと返答し、ナルトはばたりと地面に倒れた。
「とりあえず、寝る」とだけ言いきって、すやすやと眠りにつく。小生意気な顔立ちも、寝ているときだけは可愛らしく、朱の差した頬など触りたくなるほどだ。
 そんなナルトを見て、自来也は引き攣った笑みを浮かべながら、嫌な思い出が脳裏をよぎっていた。

「マイペースで、ふてぶてしくて……誰に似たのかのぉ」

 たぶん、親なのだろう。




【アトガキ】
わかりづらかったかもしんないので一応説明をば。
ナルトは一度右腕が千切れてます。それを九尾が再構築して治療しますが、それは九尾のチャクラなので、九尾の身体の一部という扱いになります。そこに封印をかけたんですね。という伏線でした。
そして新たに伏線を設置。けっこう重要だったり



[19775] 36.ナルトと自来也――Ⅲ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/29 16:00
3.

 明くる日のこと、うららかな陽光が世界を優しく照らしているのを尻目に、ナルトと自来也は鬱々とした雰囲気の漂う【死の森】にいた。
 川のせせらぎの聞こえるそこは目を開きさえしなければ穏やかさすら感じられる場所ではあるが、倒壊した木々に押し潰され、その下から見え隠れする死屍累々のナマモノが流れているせいで三途の川のようだった。命の雫である鮮血が浮かび上がっている。目に毒だ。
 数分の歩みの後、水底が見える透明度を誇る上流についた。随分と綺麗だな、とナルトは思いながら、血や汗や涎で汚れて微かに痒い顔を清潔にするために、両手で水を掬って顔面に浸す。
 目が醒める冷たさだった。
 犬が水を弾くために身体を震わせるかの如く、ナルトは頭を振る。実にすっきりとした笑顔を見せた。

「で、修行ってのは何をするんだ?」
「とても簡単なことだのぉ」

 自来也はナルトの頭を引っ掴む。「何しやがる!」とナルトは両手で抵抗するが、片手で上手く受け流されてしまう。そして、自来也は残る片腕で印を切り、チャクラを練り込んでいく。ナルトの髪が逆立つほどの莫大なチャクラを何気なしに引き出す実力に戦慄する。

(九尾の力も撥ね退けたんだよな……こいつ)

 負けるはずがないと確信できるほどの無限に等しいチャクラ――【九尾の妖狐】の力を借りたとしても、負けたのだ。素の状態で抗えるはずもなく――

「大人しくしておるんだのぉ……むんっ!」

 気合の声とともに使われたのは未知の忍術。
 世界が切り替わる。
 途方もない広さを誇るドーム状の造りの場所へと放り出された。壁や地面は妙に柔らかく、まるで生きているかのように脈動している。
 見知らぬ場所に不信感を露わにするナルトを自来也は苦笑しながら見下ろすと、ぽんと頭を叩く。正拳突きでの激しい返答が返ってきたが、軌道を予知していたかのように拳は自来也の手のあるところへと納まる。
 ナルトは苛立ち紛れに激しく舌打をした。

「ここは結界・蝦蟇瓢牢――蝦蟇の胃の中だ」

 ふん、とナルトは鼻息を鳴らす。突き出した腕を引っ込めると、胡乱気な視線を這わせていくが、何かを諦めた賢者のように深く溜め息を放つと、敵意の混じる視線を自来也に向ける。

「あんたの言ってることが本当かどうかは置いておいて、ここで何をさせようって言うんだ?」

「嘘はついてないんじゃがのぉ」と困ったように笑うと、自来也は指先の皮膚を噛み千切り、印を組んだ。
 口寄せの術式。
 練り込まれたチャクラは先ほどよりも少ないものではあるが、戦慄すべき量である。
 術式の方陣を指から滴る血で瞬時に描き上げると、練り上げたチャクラを叩き込む。すると、そこから煙がもくもくと噴き上がり、巨大な何かが躍り出た。
 風すらないここでは煙はただ上に昇っていくだけで、足元からだんだんと輪郭が理解できるようになっていた。目を凝らし、ナルトは注意深くそれを見る

(……蛙?)

 一見、蛙っぽい何かに見えるそれはとても大きかった。ナルトの背丈の三倍はあり、横幅などは十倍を超えるだろう。牛を五頭並べてもなおそれよりも大きいだろう。
 背中には黒塗りの大皿を背負っており、前足――いや、手でいいのだろうか。手には刺又――先端にU字の刃がついている長柄の武器――を持っていた。尋常の蛙ではないのだろう。
 突如現れた巨大な蛙に目を奪われ、ナルトの思考は一瞬ではあるが、停止した。

「……なんですかい、自来也さん」

 喋った。
 驚きの現実に脳の処理が追い付かず、ナルトはあんぐりと口を開いて硬直した。

「久しぶりじゃのぉ、ガマケン。ちょいと頼みたいことがあってのぉ……」
「へい、自来也さんの言うことですし、やれることならなんでもやらせてもらいまっさ!」
「この生意気そうなガキを試してくれんかのぉ。もし認めることができたなら、力になってやってくれ」
「はぁ……このガキんちょでっか?」

 大きくつぶらな眼で見下ろしてくる蛙――ガマケンにナルトは少しだけ、本当に少しだけ怯みながら、つつと自来也の背に移動する。背中をちょんちょんと突き、小さな声で「なぁ、自来也」と呼びかけた。

「ガキィ! 自来也さんを呼び捨てとは……口のきき方がわかっとらんのかっ! いてこますぞ、ゴラァッ!!」

 だが、これはガマケンの怒りを買ったようだ。ナルトの頭が三個は入りそうなほどの額に、とてつもなく掘りの深い皺を寄せて、吠えた。
 びくりとナルトの身体は竦む。意味不明な生物にいきなり怒鳴られたのだ。自来也の服の裾を微妙に掴んでいる。こいつ可愛いのぉ、などと自来也は思った。そのまま上目遣いで自来也のことを見上げ、困ったようにはにかむ。

「……えーと、何て呼べばいいんだ?」
「無難に師匠とでも呼んでおけ」
「じゃあ、師匠……つまりだ。この蛙をぶっ倒せばいいのか?」

 ちらちらと脅えの混じる視線を向けながら、心底嫌そうにナルトは言う。
 自来也は、うむ、と頷く。

「倒せるのならそれが理想だが、認めさせるだけでも構わん。
 ガマケン、殺さないようにやれるかのぉ?」
「努力しますが、自分不器用ですから……このガキんちょが弱すぎると、うっかり息の根を止めてしまうやもしれまへん」

 自来也の後ろで怯えるような小物が強いとは思えず、ガマケンは蔑視をナルトに向けていた。
 地雷である。
 ナルトは急に元気になると、自来也の背中から飛び出して、ガマケンの眼前に躍り出た。眼にはふんだんに怒気が詰め込まれており、舐められたという事実に対して憤っている。自分の先ほどまでとっていた情けない行動は記憶の底に放り捨てて、ガンを飛ばす。
 ガマケンは、ほぉ、と感嘆の吐息を漏らした。男の表情ができるのか、と。
 そんなときだ。

「ナルト。ちょっと来い」

 言うなり、ナルトの背中を引っ張ると、自来也は印を組み上げる。それもまた未知のものであり、ナルトはよくわからないままに呆然とそれを見守っていた。
 すると――

「幻術・黒暗行の術!」

 光が失われた。

「視力を奪った。お前にはそのままで戦ってもらうからのぉ」

 五感の一つである視覚を完全に奪われて、うろたえる。地に足がついているのかもわからない。何処を向いているのかもわからない。途方もない不安感。
 これで戦えと――? ありえない、と叫び出したくなる衝動を抑える努力をするが、無理だった。

「おい、待てよっ! こんなんで戦えるはずが……っ!」

 だが、自来也はあっさりとナルトを手放すと「ガマケン。頼んだぞ」と言うなり気配が消えた。
 ガマケンも、酷いことしよるなぁ、と自来也の行動に思うところもありはしたが「任されやした」と答えるだけだ。

「ふざけんな! おいっ!」

 わからないままに、叫ぶ。返事は腹が捩れるほどの衝撃だった。

「ぬ……ぐぁっ!!」

 子供に投げられた小さなボールのように勢いよく地面をバウンドしながら、ナルトは吹き飛ばされていく。
 肩が千切れそうなほどに痛いし、封印が刻み込まれた右腕が妙に疼く。暴走しかけの熱を持った右腕を抑えて、無理に姿勢を変えて地面へと足をつけた。がりがりと柔らかな肉を削っていく感触が靴裏から伝わってきて、気持ち悪い。数歩分の距離を引き摺られ、ようやく止まった。

「ガキんちょ! 手加減せぇへんからなぁ。血祭りにしてやるよって……往生せいやっ!」

 咆哮は真正面から聞こえ、同時に何かが弾ける轟音も聞こえる。強靭な足で地面を踏み締め、跳躍したのだろう。
 ナルトは闘争心剥き出しの獣によく似た嗤いを浮かべると、「殺す気満々じゃねぇか。……上等だ」呟き、瞬時に印を組み上げ、胸が膨れるほどに空気を暴飲する。繰り出すのは。

「風遁・大突破ァァッ!」

 放射状に放たれる強風。

「……ぬぅっ!」

 飛翔したガマケンはこらえることはできず、跳んだ勢いを全て風に殺されて、大地が震えるほどの着地音とともに、地面へ舞い降りた。
 着地音の大きさで距離と方向をおおまかに察知し、ナルトは駆ける。 

「豚のような悲鳴をあげさせてやる!」

 疾風の如く、寸分の躊躇もなく、黒で塗り尽くされた視界を気にすることなく、ナルトは地面に這うかのように姿勢を低く保ち、ガマケンの懐へと飛び込んだ。
 ガマケンは飛び込ませまいと刺又を上から下へと突き出すが、殺気を敏感に察知したナルトはさらに沈み込むように踏み込み、

「喰らえッ!」

 疾走の勢いと前体重を乗せた全身全霊の拳をガマケンの身体に突き刺した。
 だが、拳先はぶにょっとした柔らかい何かに包み込まれるようにして衝撃を拡散される。
 脂肪だ。

「うおっ!?」

 腹の中に埋もれるかのように腕が埋没していく感触を覚え、ナルトは勢いよく腕を引っこ抜いた。
 あまりにも勢いをつけすぎたせいでナルトは後頭部から地面に倒れ込むが、柔らかい地面が優しく受け止めてくれる。そのまま眠りたい衝動に駆られるが、突き刺さるような殺気を感じ、片腕で地面を押すだけで跳躍する。
 刺又が地面を突き刺す音がさきほどまで自分がいた場所から聞こえ、ナルトは安堵の吐息を漏らす。やはり手加減する気はないようだ。

「わての分厚い筋肉を、ガキんちょの細腕で貫けると思うなっ!」
「ただの脂肪だろうがっ!」

 軽口の応酬をしながら、その実、ナルトは必死に刺又による刺突を避けていた。
 次第に高まってきた集中力は、ガマケンの攻撃を的確に予知していた。腕に来る。足に来る。次は頭だ。胴体だ。などと、予想した場所から攻撃による風圧が流れてくるのだ。
 目が見えないからこそ研ぎ澄まされる感覚もあるということか、とナルトは独りごちる。
 しかし、それは確実に正解するはずもなく、見えない攻撃はナルトの薄皮を剥いでいく。流れ出した赤色が地面へと染み込んでいく。柔らかな何かが脈動した気がした。
 瞬間、攻撃が止んだ。
 しかし、殺気がなくなることはなく、だんだんと高まってくる。

(渾身の一撃が来るな……。おそらく、腹狙い)

 爆発しそうなほどに高まった殺意が、弾けた。
 襲い掛かる暴風は物理的な圧力となってナルトに襲い掛かる。
 それの狙いは過たず、ナルトの腹を狙っていて――

「何やとぉっ!?」

 跳躍し、ナルトは刃の上へと着地する。
 驚愕するガマケンは口を開き、伸ばした舌を鞭のしならせてナルトに向かって放つが、後方に跳躍して回避した。
 全てが全てぎりぎりのタイミングであり、ナルトの精神はかなり追いつめられていた。身体中からは冷たい汗が流れ出し、明確な死の予感が背筋をはいずりのぼってくるかのようだ。視覚がないのはこれほどに辛いものなのか、と改めて知る。
 しかし、何のための修行かはいまいち理解できない。本当に、何のために?
 対するガマケンはナルトに向ける視線の色が変わっていた。
 最初は雑魚だと思っていたが、思っていたよりもよくやる。眼が見えないのに恐怖で足が竦むこともない。勇気もある。

「ちょこまかとよく避けるもんや……目も見えんのに……」
「はっ! 生憎といつも殴りあいっこしてたやつは肉眼でとらえられないくらいに速かったんでね!」
「見えんでも一緒と言いたいわけじゃないやろな?」
「必要なハンデだ……ろ!」

 足音が聞こえなかったのでガマケンの立つ場所は同じだと判断し、ナルトは足に爆発的なチャクラを溜め込み、爆ぜた。
 視界がおぼつかなくなるほどの超高速の世界。
 しかし、もともと目が見えないのだから関係ない。

(研究中の忍術――いくぜ……!)

 後ろ手に構えた左掌にチャクラを溜め込む。操れるだけのぎりぎりの量を練り上げて、性質変化を加えていく。
 刹那、感じる殺気。
 残る右手を差し出して、迫り来る何かの軌道を力づくで変更させる。
 にやり、と笑いが零れた。
 チャクラの籠った左手をガマケンの腹に押し込んで――

「風遁・獣破掌っ!」

 身の丈を越えるほどの風の刃が、ガマケンの肉体を蹂躙する。
 耳を聾するほどの爆音が世界を満たし、衝撃に抗えず、ナルトの身体も吹き飛ばされる。
 遠距離用に考案した忍術を近距離で爆発させた。これで倒せなかったら、正直どうしようもない。眼が見えないのに【首斬り包丁】を使いこなす自信もないし、これがナルトの精いっぱいだ。
 どすん、と何か重いものが地面に落ちる音が耳に届く。
 これでいい加減やっただろ、と思うが――

「心地良いそよ風や……」

 むくりと起き上がるガマケンは、あっさりと答えた。
 無傷。
 分厚い脂肪は風の刃すら通さないほどに頑健だった。それだけのことだ。

「豚蛙が……確かに手ごたえはあったってのによ」

 舌打ちとともに、ナルトは吐き捨てる。
 そんなナルトを遠くから見下ろすガマケンは――

「ガキんちょ、お前は面白いやないか。特別やで? 真面目にやったる」
「そりゃどーも」

 真面目にやる。ナルトの視力がないことを徹底的に衝いた戦法をとってきた。
 つまり、遠距離からによる刺突攻撃。
 舌で刺又を持ち、変幻自在の軌道を放つそれを、ナルトはかわしきれない。
 どれほどの時間責め立てられていたのだろうか。
 命からがらといった風体でもナルトは立ち上がり、よろめきながらも刺又の攻撃を、本当に辛うじてかわしていく。
 しかし、膝からくず折れた。

「――くそ……!」

 地面に手をつき、罵声を吐く。
 震える身体を意志でねじ伏せ、立ち上がろうと試みる。
 だが、

「寝ろや」

 刺又の長柄で思い切り頭を殴り飛ばされ、気絶した。
 ナルト、惨敗。
 結局のところ、ガマケンに怪我一つ与えることもできずに、ナルトは倒れ伏した。

「思ったよりも持ったほうだのぉ」

 どこからか自来也は姿を現すと、前のめりに倒れ込んでいるナルトを仰向けにし、傷に軟膏のようなものを塗りつけていく。見る見る内に傷跡が修復されていく。

(これも九尾の恩恵か……)

 自来也は複雑な表情を浮かべると、何とも言えないように歯を噛み締めた。
 その間に、ガマケンは自来也の方向へと歩み寄り、問う。

「自来也さん、こんなもんでいいでっしゃろか?」
「うむ……これからも稽古をつけてやってくれ」
「にしても、こんなにえぐい特訓させる必要あるんでっか? こいつ放っておいても勝手に強くなるタイプでっせ」

 こういう反骨心の強い奴は、一度ぼこぼこにすると勝手に努力して強くなる。必要以上に痛めつける意味がないのだ。普通ならば、の話だが。
 生憎とナルトには時間がない。弱いということが許される立場にもないのだ。

「強くさせる必要があるんだのぉ……」
「そりゃまたなんで? いや、喋る必要がないと判断されるんでしたら深くは聞きまへんけど……」
「こいつは九尾を飼っておる」
「……なるほど、四代目の子供ですかいな。因果なもんですなぁ」

 ガマケンは露骨に顔を顰めて、盛大に溜め息を吐いた。いつの世も利用されるのは力のあるものだ。

「狙われるものには選択肢は三つしかない。自分の身は自分で守るか、強者の庇護下に置かれるか、狙われているものを手放すか……」
「戦ってわかりましたで。こいつは迷わず一番目を選ぶタイプや」

 そのための力がないにも関わらず、意地という名の信念で、ナルトは自分の力で守ろうとするだろう。そして、自滅する。最悪な結末だ。

「だろうのぉ……どこぞの座敷牢に幽閉するのが一番安全なんじゃがのぉ」
「こいつ、逃げ出せるくらいの実力はありまっせ」

 ナルトはある程度強い。
【九尾の妖狐】の力も僅かながら使えるようで、もし利用されたら、どのような結界の中に閉じ込めようとも這い出てくるだろう。それだけの力があるのだから。

「それが厄介な理由なんだ……」

 中途半端に力があることこそが、ある意味では一番の不幸なんかもしれない……。
 すやすやと気持ち良さそうに眠るナルトの額にデコピンを喰らわすと、自来也は再び姿を消した。

 ◆

 木の葉隠れの里の一角にある団子屋にて、サクラはみたらし団子を口いっぱいに詰め込んで、リスのように頬を膨らませていた。とても幸せそうにもぐもぐと食べている姿は、店員の頬を綻ばせるほどだ。良い食いっぷりだねぇ、とサービスで三本のみたらし団子を差し出され、サクラは輝かんばかりの笑顔になる。
 そんなときだ。リーが団子屋の前を通りかかり、サクラと視線が合った瞬間に気まずそうに目を逸らすといそいそとこの場から立ち去ろうとしたのだ。
 サクラは指先をリーの足元に向けると、リーはつんのめってこけた。

「あっ……!」

 見事な反射神経と褒めるべきか。両腕で身体を支えたリーは、腕の力のみで跳躍し、両足で着地し、不器用な愛想笑いを浮かべながらサクラの様子を窺っていた。
 サクラはちょいちょいと指で「こっち来なさい」と指示すると、リーは渋々とサクラの隣に腰を下ろす。みたらし団子を一本、渡された。
 喋らないサクラのことを横目でちらちらと見ながら「いただきます」と団子を頬張る。実に美味しいそれを一口で平らげると、店員に差しだされた緑茶を一気に飲み干した。

「人の顔見た瞬間逃げ出すなんて失礼じゃないの?」

 不意に言われた言葉に、どきりと心臓が脈打つ。

「……ですが、僕たちは敵です」
「それ以前に同郷の仲間でしょ?」
「そうですけど……」

 そうと割り切れるほどリーは器用な性格ではない。
 サクラに絶対に勝てるという確信があるならばもう少し余裕も持てるだろうが、油断ができるほどにサクラは弱くはないし、自分は強くない。そして、自分が殴るであろう好きな女の子にどういう態度をとればいいのかもわからない。
 リーは混乱の極致にいた。
 凍りついたように固まると、隣に座るサクラは仰々しく手を広げる。

「サクラ、何をしているんだ?」
「あ、サスケくん。リーさんと会ったから話でもしようかな、って」

 どこからか歩いてきたサスケがちらりとリーを見る。

「ふん……? 次の敵か」
「もう! サスケくんもそんなこと言う!」

 サスケは鼻を鳴らすと、リーへの興味は失ったかのようだ。

「行くぞ。もうカカシが来てる」
「え? まだ集合時間から一時間しか過ぎてないわよ?」
「いつもいつも遅れてくるほうがおかしいんだよ!」
「ま、まぁそうだけど……」

 サスケはサクラを待たずに歩きだす。
 おろおろとサクラは戸惑うが、とりあえず店員を呼んで会計を済ませると、リーに向かってにへらと笑った。

「えーと……じゃあ、リーさん! 次に会うのは戦う時になるのかな? お互い、ベストを尽くしましょ」
「は、はい」

 小さな声でリーは返事をし、

「置いていくぞ」
「待ってよー!」

 走り出すサクラを見送った。
 後ろ姿が見えるまでじっと見つめ続けると、今まで悩んでいたことが実に小さかったかを思い知る。
 サクラを殴らなければならないのか、と鬱屈としていた。
 しかし、ただの力比べと思えばいいのだ。テンテンとだって何度も殴り合ったことがあるし、ネジなどは言わずもがなだ。サクラにだけ遠慮すると言うのは筋が通らないし、何よりも青春ではない。青春とは全力でぶつかりあってこそ生まれるのだ、とリーが敬愛するマイト・ガイ先生が言っていた。

「……僕も頑張らなくちゃ」

 ぐっとガッツポーズをとると、リーも修行するために駆け出す。

「まずは縄跳び一万本だ!」







【アトガキ】
サクラとかのところはオマケ。
で、ナルトの修行法公開です。かなりソフトな段階です。口寄せでおたまじゃくし呼びだしてるくらいソフト。
だんだんきつくなっていきます。
ちなみにガマケンの喋り方はいまいちわからなかったので大阪弁にしました。ヤクザっぽく!



[19775] 37.ナルトと自来也――Ⅳ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/30 23:12
4.

【結界・蝦蟇瓢牢】の中に閉じ込められてどれほどの時が経っただろうか。視界が見えないせいで光も確認できはしない。数える目安とすれば食事の回数と、トイレの回数だろうか。おおよそで算出する限りでは「五日くらいかな」とナルトは適当に計算した。ちなみに、食事は口寄せの兵糧丸で賄い、トイレの時間もガマケンは待ってくれる。さすがにそこまで鬼畜な修行をするわけではないらしい。
 そして、五日も修行をしていて気付いたことがある。視覚を閉ざしているせいで他の五感が鋭敏になっているのだ。
 嗅覚、触覚、聴覚の三つが特に顕著であり、おそらくは蝦蟇の胃の中のせいだろう。酸性の鼻につく臭いの中に、僅かではあるが油の混じった体臭が鼻につく。ガマケンのものだ。そして、触覚は僅かに流れる風すらも知覚し、聴覚に至っては自分の体内で動く内臓の音や、ガマケンの呼吸音すら聞こえてくる。
 しかし、それだけではない。最も変化して来たことと言えば――暗闇の中にぼんやりと浮かぶ光があるのだ。ガマケンの輪郭を象る白光と、自分の身体の輪郭を象る朱金の光、腹の中に潜む何の光も移さない暗く澱んだ光――最初は何かはわからなかったが、だんだんと理解して来た。これはチャクラだ。鋭敏になった五感がチャクラすらも感知できるようになってしまったのか。
 
「つまるところ、これはチャクラ感知能力を向上させるための修行。そして……」

『印を組み上げる』システムの意味を、アカデミー時代で習った『術を発動させるための儀式』的なものだと覚えていたのだが、どうやら違ったらしい。
 経絡系を規則的に循環するチャクラは印を組み始めると変化が起こる。術に適したチャクラの性質になるように組み上げられていき、増幅、もしくは圧縮されていく。それらのチャクラは理想的な形へと変換され、忍術として行使されることとなる。
 理解すれば、早い。
 どうやら今は戦闘中ではないらしい。暗闇の中でぼんやりと浮かぶガマケンの白光は座り込んだままこちらをじっと凝視しているだけであり、邪魔をする気はなさそうだ。
 印を組み上げて、術を構築していく。行使したい忍術の性質は風。攻撃ではなく、索敵用。結界のように周囲を包み込むものが望ましい。忍術の蔵書で読み込んだ膨大な情報が頭の中で交錯し、ナルトは忍術を使うために、全ての情報を分解・統合・再構築をしていく。それにつれてチャクラの性質も変化していき――

「風遁・旋風陣」

 微弱な風が【結界・蝦蟇瓢牢】を満たす。そよ風のような柔らかな風は攻撃性を持つものではなく、ただそこに在るだけ。ガマケンからすれば何も変化はないようには見えるが、鋭敏な感覚を持つナルトには、この忍術はとても素晴らしいものに思えた。
【風遁・孔雀旋風陣】――本来は自分の身体を中心とし、爆風で障壁を生みだす防御用忍術として使われるその忍術を改良した。普通の人間ならば使っても意味のないだろうそれ。
 しかし、今のナルトにとってはこの忍術ほど役に立つものはないだろう。何せ、目の代わりになるのだから。
 清涼な風が髪をなびかせるのを感じ、ナルトは満足げに頷いた。成功だ。

「展開した風で周囲を探り、いかに情報を多く取り込むかというものか……そやけど、それだけじゃワテには勝たれへんで?」

 ガマケンは余裕を見せたまま立ち上がると、刺又を構えた。
 目が見えなくても、見えるようになった。所詮はその程度のことだ。ナルトはガマケンの分厚い脂肪を貫く武器を持っていない。
――そう、今までは。
 目が見えないからこそ使えなかったものがある。ナルトはウェストポーチから巻物を取り出すと、無造作に上に放り投げて、口寄せの術式を組み上げた。

「見えるなら問題ない。使わせてもらう」

 ぽんっ、と間の抜けた音を巻物が放ち、そこからどでかい何かが落ちてきて、ナルトの掲げた右手にすっぽりと収まった。
 それは剣と言うにはあまりにも大きすぎた。大きく、ぶ厚く重く、そして大雑把すぎた。それはまさに鉄塊だった。
 封印の術式を刻まれた包帯に覆い尽された右腕から赤黒い妖気が噴き出し、漆黒の刃を鮮血色に染め上げていく。粘性の妖気が混じり合った漆黒の刃は、ところどころ欠けたところから怨念によく似たチャクラが噴き出し、修復されていく。

「九尾の力か……」

 ナルトの右目の瞳孔が縦に割け、金色が滲み出す。犬歯が伸び、頬には三本線の傷跡がが刻まれていく。封印の包帯は慟哭し、耳障りな甲高い音が蝦蟇の胃の中で暴れ狂う。
 ガマケンは恐怖を感じた。
 きっちりと封印されているはずの九尾が、ナルトの身体を汚染している。融合と言い換えてもいい。人の姿からかけ離れていくそれは、歪な気配を漂わせる。
 半妖――とでも呼べばいいのだろうか。それは小さな【九尾の妖狐】のようだ。一度解放されてからというもの、九尾の片鱗はひょっこりと顔を出すようになった。ナルトの身体に結びついてからというもの、それはもうナルト自身の力となっていく……。

「……なんだか、とても調子がいいな」

 ナルトは知覚する。
 朱金の光と漆黒の光が混じり合い、赤黒い光が生み出されていくということを。おそらくは九尾の力と自分の力が混ざり合っているのだろう、ということも理解できる。
 操れている、と思った。
 冷静な自分が「人に扱い切れる力ではない」と忠告をしてくるが、ただ力を使ってみたいという単純明快な欲求に天の秤は堕ちた。

「切り刻んでやる」

 暴力の魔性にとらわれた醜悪な微笑みを浮かべ、ナルトは無造作に【首斬り包丁】を振り上げたのだが――

「――合格や」

 ガマケンの言葉に拍子抜けし、蓄えていたチャクラが霧散した。
 眼の色は紺碧に戻り、頬に浮かんでいた三本線の傷跡も消え去って、暴れ出しそうなほどに疼いていた右腕も静まった。当然のように【首斬り包丁】もただの鉄塊に戻り、振り下ろされた鉄塊は地面へと突き立った。何かが悲鳴をあげ、地震のような揺れが起こった。
 立っていることすらできないほどに鳴動する地面に【首斬り包丁】を深く刺し込み、なんとか身体を固定する。揺れが酷くなったが、次第に鎮静化していく。どすん、と巨大な何かが倒れる音がした。

「あんさん、酷いことするなぁ。さぞかし痛かったやろな……」

 何のことだ? とナルトは首を傾げる。 

「ま、ええやろ。とりあえず、あんさんは合格や。たぶん自来也さんの目的も達成してるやろしな」
「適当だな」
「自来也さん、いるんやろ?」

 ガマケンが呼ぶと「……何だ?」と答えながら、どこからか自来也が現れた。
 ナルトの鋭敏化している五感ですら知覚できないほどに完璧に隠れていたのだろうか。三忍の実力の片鱗を垣間見たナルトはひそかに慄いた。
 そんなナルトを余所に、ガマケンは自来也と対峙する。十分に巨躯といえるだろう自来也ですらガマケンの前では小人に見える。それほどの偉容で胸を張りながら、ガマケンは堂々と告げた。

「わて、こいつに付くことにしましたわ」
「そうか」

 意味がわからないままにナルトは状況に流されていると、いきなり視覚が戻ってきた。
 場所も【死の森】になっており、どうやら【結界・蝦蟇瓢牢】【幻術・黒暗行の術】が解かれたようだ。久々の光は朝陽らしく、鮮やかな陽光が眼を焼くかのように注ぎこまれてくる。たまらず、ナルトは目を細めた。
 近くに流れる川のせせらぎを聞くと、ナルトは真っ先に移動し、顔を洗った。次第に目に光が馴染んでいき、ようやく目を開けるくらいになる。

「次の段階に進む。ナルト、この巻物に血で名前を書け」
「……? あぁ」

 川辺に【首斬り包丁】を突き刺してナルトは一人で勝手に休憩していると、自来也は巻物を差し出した。
 口寄せの契約――そのための巻物。
 何をさせる気だろうかと訝しみながら、ナルトは指先を噛み切って、血文字で自分の名前を書いた。達筆過ぎて読みづらい字を自来也は呆れたように見下ろしている。

「口寄せのやり方はわかるな?」
「そりゃ、まぁ……」
「でっかい剣を呼びだしてるしのぉ。さすがにわかるか。では、思い切りチャクラを込めろ。右腕のチャクラをな」
「……わかったよ」

【九尾の妖狐】に与えられた右腕のチャクラを循環させる。身体が焼けつきそうなほどの莫大な量のチャクラは経絡系を蝕み、苦痛をもたらす。

「ぐ、ぎぎぎ、あぁぁぁああぁぁぁっ!」

 目は見開き、歯が折れそうなほどに噛み締めて、ナルトはチャクラを練り上げた。
 経絡系の中で自分のチャクラと混ぜ合わせ、漆黒から鮮血へ――練られ練られたチャクラは手に持つ巻物に収束され、禍々しい暗褐色の光を放つ。
 口寄せ。
 完了した瞬間、生命力を根こそぎ持って行かれたと感じるほどの疲労感に襲われる。呼びだしたものを見たとき、その疲労感は加速度的に高まった。
 ガマケンのときもナルトは結構驚いた。未知の生物が喋る。それだけでかなり恐怖したものだが、今回は格が違った。桁が違った。あまりに凄過ぎて言葉すら出ず、身体の自由すら奪われた

「なんじゃ、クソガキィ」

 こちらを見下ろしながら話しかける声は、大きすぎて耳を塞ぎたくなる。
 なんだこれは、ナルトは素直にそう思った。
 山のような大きさの蝦蟇蛙。手には巨大過ぎて馬鹿らしくなるほどのドスを持っている。圧倒的過ぎる巨漢。この蝦蟇蛙からすれば人など蟻のように等しい存在だろう。踏み潰しても気付かないほどに。
 冷静になれ、とナルトは自分に言い聞かせる。
 こんな変なものを呼びだしたのは自分だ。何でこんなのが出てきたのかは甚だ不明ではあるが、きっと意味があるに違いない。
 嫌な予感をひしひしを感じながら、ナルトは自来也を見た。

「――自来也……いや、師匠。この巨大な蛙っぽい生物は何だ」
「ガマブン太――蝦蟇一族の首領じゃのぉ。次はこいつと戦うんだのぉ」

 言葉を失った。自来也の正気を半ば本気で疑ってしまった。
 知れず、「冗談だろ?」と口から零れ出てしまうのも無理はないだろう。
 しかし、

「ワシは冗談は嫌いでのぉ。おい、ブン太ァ!」
「おぉ、自来也か。ワシを呼んだのは久しぶりやないか?」
「このガキ、いじめてくれんかのぉ?」
「アホぬかすな。なんでワシがこんな雑魚を……」
「お前を呼んだのはこのガキじゃしのぉ。それに、ガマケンも認めとる」
「ほぉ……?」

 悲しい事に冗談ではなかったらしい。
 巨大過ぎて顔を見るためには、空を見るように真上を向く必要があるほどの巨大な蛙――ガマブン太にナルトは見下ろされる。蛙に睨まれる人のようだった。いや、蛇に睨まれる蛙のよう……か。
 脂汗を流しながら引き攣った笑いを浮かべ、背伸びをして自来也の耳元に口を寄せる。

「おい、待て、やめろ、さすがにこんな規格外の奴と戦う気はしないぞ」

 答えは実に無慈悲なものだった。

「言い訳はきかん。やれっ!」

 ガマブン太は巨体を揺らすと、思い切り足を振り上げて――

「うっそだろぉ!?」

――勢いよく振り下ろした。
 自来也はするりと被爆地帯から抜け出して、大樹の天辺に跳躍し、戦況を見守っている。

(随分と気に入られたんだのぉ……)

 踏み潰された場所から少し離れたところ、ナルトはガマケンに背負われて回避していた。あやうく死にかけるところだったのを、ガマケンに救われたのだ。

「何やっとんじゃ!」
「ガマケン?」

 恐怖で霞む視界の中、怒鳴る蛙がいた。

「ワテはあんさんのこと認めた。だから助太刀くらいしたる」

 逃げるのを止め、方向転換をする。
 向かう先にいるのはガマブン太。圧倒的な巨体を揺さぶりながら、ゆるやかな歩みでナルトたちへと近づいてくる。そのせいで木々がなぎ倒されていくが、そんなものはお構いなしだ。まるで台風に直撃したかのような様相の【死の森】は、ガマブン太によって致命的な被害を被っている。もともとナルトに伐採されまくっていたので、実のところ最初から手遅れなくらいにぼろぼろだったのだが。
 腰が引けたままガマケンの背中に居座るナルトはかなりやる気がない。目が死んでいた。 

「そういや自己紹介してなかったな。俺の名前はうずまきナルト。さん付けで呼ばせてやる」
「偉そうやないか、ナルトォ! オジキは強いでっ!」
「マジでやんの?」
「逃げんのんか? 臆病者やなぁ」

 瞳に焔が灯される。
 臆病者と呼ばれることをナルトは心底嫌う。たとえ相手が山のような蛙であったとしても、臆病者と罵られたら覚悟を決めるしかない。
 腕を振ると、遠く彼方にあった【首斬り包丁】が主であるナルトの手に向かって飛来する。慣れ親しんだ手に馴染む感覚を覚えながら、ナルトは嗤う。どのみち今までまともな敵と戦ったことはほとんどないのだ。今までと変わらない。勝ち目が見えない戦いというのは……悔しいけどいつものことだ。
 つくづく不幸だなぁ、とナルトは微妙にしょんぼりして、負け癖のついた意識を振り払い、咆哮する。

「いいぜ。やってやる。その代わり、死ぬ時はお前も道連れだっ!」
「付き合ったるっ!」

 一人と一匹の新たに結ばれた主従は敵を射るように見つめる。

「話は終わったんか?」
「これから拳で語り合うんだよ。お前となぁ!」

 一人と一匹は、猛威を振るう巨体に向かって疾走した。


 ◆

『終末の谷』にはナルトを除く七班が勢揃いしていた。
 時刻は既に夕刻だ。赤く染まった夕焼けが世界を赤々と照らしている。鳥たちも飛ぶのに疲れたのか、途切れ途切れに鳴きながら、終末の谷の近くに鬱蒼としげる木々へと足を下ろす。嘴に咥えられた餌を巣に残っていた雛鳥たちにあげている。微笑ましい光景だ。
 しかし、七班はそんなものを余裕を持って見ることができずにいた。飄々とした、不真面目の代名詞であるはたけカカシが凛とした表情でサスケとサクラのことを見下ろしているのだ。常にはない緊張感を感じ、二人は珍しくきびきびと行動している。今は『気を付け』の状態だ。足を広げ、後ろで手を組んでいる。
 二人の態度にカカシは満足気に頷くと、重々しく口を開いた。

「では、これより修行内容を説明するっ!」

 サスケは楽しそうに笑い、サクラは目を逸らす。

「サスケは水上で常に写輪眼を使って俺と戦い、俺の体術をコピーしてもらうよ。で、サクラだけど……」
「お、おすっ!」

 何故か男らしい返事をしてしまうサクラ。過緊張気味だった。
 筋肉が硬直してるサクラの肩を揉み解しながら、カカシは実にいやらしく笑っている。

「なんでそんな緊張してるの? ほら、リラックス、リラックス」

 にっこりと笑うカカシ。それがたまらなくサクラの不安を増幅させてくれる。

「だって先生……何で滝のほうをじっと見てるんですか?」
「おい、カカシ――お前、まさか……」

 バレた? と可愛らしくもない顔立ちで、てへ、と言うカカシが凄く気持ち悪くて、サクラはげんなりとして舌を出した。「うへぇ」と露骨に顔を顰めているサクラと同様に、サスケも見てはいけないものを見てしまったかのように顔を歪めている。眉間に皺を寄せ、腐った眼球を癒す為に夕焼け空を見て目の保養をしていた。
 カカシは顔には出さないが、ひそかに心に傷跡を残すと、修行方針を語り出す。

「サクラには前みたいに滝を登ってもらうよ。助けはなしだから、絶対に落ちないようにね」

 サクラは明晰な頭脳でカカシの緩んだ言葉を日本語に訳す。「落ちたら死ぬけど、頑張ってね」という結論が出た。
 顔が青ざめる。心臓が不規則に脈打つ。血が冷たくなったかのようだ。身体がだるい。滝を見る。たまらなくトラウマが蘇る。あそこから何度落ちたか、数えたくもない。それを一度で登れと言う。しかも、あのキノコなしでだ。

「死んじゃうよ!? 私、死んじゃうよっ!?」

 サクラは震えた声音で訴える。かなり必死だ。サスケも目頭を押さえながら、首を振りつつカカシの動向を窺っている。少しだけ楽しそうなのは見間違いだろうか。口元を手で覆って隠してはいるが、微かに見える口元は僅かに吊りあがっているように見えた。

「人間ってね。命が危険になるくらいが一番集中できるらしいよ?」
「知らない! そんなの知りたくない!」
「あ、そうそう……サクラとサスケにプレゼント」

 ぶんぶんと頭を振って地団太を踏み、そっぽを向くサクラはひとまず放置して、カカシはあるものを地面に落とした。
 どすんっ、と豪快な音を立てて地中に埋まったそれは――

「リーくんがつけてた重りと同じものをガイにもらったんだ。良かったな! これで飛躍的にパワーアップ!」

 そう、重りだ。
 サスケが背を曲げて拾い上げるが、あまりの重さに顔が引き攣っている。
 左右の手足全てに装着すると、身体の自由が奪われそうだ。「重……ッ!」とくぐもった声を出すサスケは今すぐにでも外したい衝動に駆られるが――

「ちなみに、リーくんがつけてる重りはそれの倍だから」
「軽い。軽いな。重くなんてなかった」

 筋肉を思い切り膨張させながら、肉体活性を全身全霊で行い、ポーカーフェイスで乗り切った。負けず嫌いなのである。

(本当はリーくんが使ってるのより重いんだけどね……)

 カカシはそんなことを考えながら、内心ほくそ笑んでいる。サスケは何気に扱いやすいなぁ、とも思ってしまった。
 そんなときである。サクラは重りをつけたまま座り込み、決して立たないぞ、と明快にアピールしながら、カカシに話しかけた。

「あのー、先生」
「何?」
「これつけて滝を登るんですか?」
「うん、そうだよ」
「私に死ねと言ってるんですか?」

 カカシは頷きかけ、途中で止めた。その動作をきっちりと見届けたサクラは――カカシに対して糸を巻きつけようとする。しかし、【瞬身の術】であっさりと避けたカカシは、終末の谷にある湖面に立っていた。つまり、逃げられた。

「サスケ、サクラ、修行しようか」
「わかった」
「やだ。私死にたくないし」

 相反する答えにカカシの笑みは深くなる。
 ジャケットの胸元に収納されている口寄せの巻物を手に取ると、忠実な忍犬の一匹である小型のパグのパックンを呼びだした。

「パックン、サクラの見張りお願いね」

 パックンは深く頷くと、サクラの方へとてとてと歩いていく。短い尻尾がふりふりと揺れるのがとても愛くるしい。
 だが、

「こら、小娘。さっさとやるぞ!」
「痛っ! 引っ掻かないでよ! 何よこのブッサイクな犬!」
「キュートだろうが、ボケ!」

 とても凶暴だった。
 サクラに飛び掛かって柔肌を引っ掻かかれ、重りのせいで自由の効かない身体を引き摺るように動かしながら、サクラは必死に逃げた。終末の滝へと追い立てられることも気付かずに……パックンは獲物を追い掛けることのできるプロの忍犬だった。決して獲物を見逃さない!

「ひーん!」

 泣き声をあげながら必死に逃げるサクラ。追いかけるパグ。
 何だか哀れな光景で、サスケは何だか悲しい気持ちになった。

「……あいつ、大丈夫なのか?」
「サクラはやればできる子だよ。たぶん……」

 それは誰にもわからない。



【アトガキ】
長々と修行書くのもあれなので、5日間の描写はなしにしました。
そしてサクラの修行風景。何気にスパルタ。まずは身体を鍛えるのが基本ッスよねー!



[19775] 38.ナルトと自来也――Ⅴ
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/08/02 21:54
5.

 圧倒的な巨体は死の森全てを陰で覆わんばかりだった。
 ナルトとガマケンは巨大な蛙――ガマブン太と相対することを嫌い、猛烈なスピードで森を駆け巡る。しかし、一歩一歩の距離があまりにも違いすぎて、一瞬で追い詰められてしまうのだ。
 こなくそ、とナルトは小さく吐き捨てると、【首斬り包丁】にチャクラを伝達、増幅させていく。
 九尾と混じり合いつつあるナルトのチャクラは暗褐色の色を帯び始め、澱んだ妖気を孕ませている。それを飲み込む【首斬り包丁】も漆黒の刃も見るもの全てを殺めるような、不気味な様相を呈している。妖刀――という言葉が相応しい。

「ぬ……おぉぉぉぉぉっっ!! でぃやぁぁぁぁっ!!」

 急停止。反転し、ナルトは赤黒い暴風を内包する黒刃を思い切り放った。
 生き残っていた木々は真空の刃で切り裂かれ、重低音を響かせながら地面へとのたうつ。巻き込まれた大樹も根元から折れ、屍となって横たわるこことなる。
 壊滅的な被害をもたらす暴風を一太刀に凝縮した風の刃は、しかし、ブン太の皮膚を切り裂くことすらできはしない。「かゆいのぉ」と舌舐めずりをしながら、余裕の表情で見下ろしてくる。ぎりりとナルトは歯を噛み締めるが、すぐに背を向けて駆け出した。
 一歩踏み出すたびに靴裏のしたでチャクラを爆ぜさせ、勢いをつけて疾走する。
 修行――これが? あまりに難易度の高い修練に唾を吐きかけたくなる。
 蟻vs象。
 それくらいの戦闘能力の差があるように思えて仕方なかった。

「あかん! 効いてへんでぇっ!」

 隣でそんなことを言うガマケンを細めた目で睨みながら、苦渋の表情を浮かべていた。何だか自分の攻撃が効かない敵ばかりなので苛々しているのだ。

「お前もその刺又で頑張れよ!」
「これで攻撃しても蚊に刺されたようなもんやで……」
「じゃあ、どうしろってんだ!」
「さっきみたいに九尾の力使えやっ!」

 日光が遮られ、上から巨大な何かが降ってくるのが視界の端に見えた。
 それは木の葉隠れの里で一番大きな建築物であるアカデミーの校舎を軽く超える面積を越える足の裏。
 激しく舌打し、肉体活性を最大限まで高め、ナルトは一足飛びで危機から離脱した。
 大地が割ける。
 まるで空から太陽が落ちてきたかのような衝撃に足が竦み、恐怖が湧きあがる。
 あんなのを受ければ、死んでいた。
 容赦なく殺す気で攻撃を仕掛けてくるブン太に恐怖し、そんなものをけしかけてくる自来也に激怒し、ちゃっかり攻撃を回避して隣でのんびりしてるガマケンに苛立つ。
 ふざけやがって。
 右腕が疼く。
 腕の中に心臓があるかのように脈動するそれはだんだんと位置を変え、【首斬り包丁】に伝達されていく。
 意識しない内に勝手に力が使われているようだ。常にないほどのスムーズなチャクラ操作。莫大な量を扱っているにも拘らず、一切の澱みなくできてしまう事実。戦うための身体に作り替えられているような不気味な感覚に襲われる。気持ち悪い。
 躊躇する。
 我愛羅、自来也、ガマケン、計三回ほどナルトは【九尾の妖狐】の力を用いた。黒く染まっていく己の魂を知覚できる。力を振るう時、何もかもを壊したくなる破壊衝動が渦巻いてしまう。
 落ち着いている今だからこそ言える。「あれは人の持つべき力ではない」と。
 それなのに――

「どのみちあんさんは使いこなさなあかんのんや! 恐れてどうすんねん!?」
「使いこなさなきゃいけない……?」
「力があるものは尋常ではないほどの重圧が圧し掛かるもんや。みんなの期待も膨らむもんや。あんさんはな。絶対に普通の生き方はでけへん!」
「俺は教師になるんだよ! 中忍になったら教員課程に進むんだよ!」

 怒声で返すも、ガマケンは更なる咆哮で応じる。

「絶対に無理や!」

 夢を全否定されるということは、生きる目的を馬鹿にされたということ。
 ナルトの夢は、自分のように阻害されるであろう存在を守り導くこと。自分を守ってくれたイルカのように、ナルトは自分と同じ境遇の子供を救いたいと思っていた。
 あっさりと、思考する素振りすら見せず、断定口調で否定されたわけだが。

「何でだよっ!?」

 お前に俺の何がわかる! と暗に込めて、

「あんさんには力がある。その力を里のために振るう義務があるんやっ! それが宿命ってもんやで!」
「ふざけんなっ! 俺の道は俺が作る。誰の言いなりにもなるつもりはないっ!」
「あんさん、人柱力やろ? わかってるんとちゃうんか?」

 五日も同じところに詰め込まれ、戦闘をし、昼夜問わずに戦闘したいたからこそ、ガマケンはナルトのことをある程度理解していた。こいつは頭が良く、意志も強く、頑固な男だと。だから、どこかでガマケンの言っていることを納得している自分がいるはずだ。
 そうでないと、ここまで怒りを露わにして叫ぶ理由にならない。ナルトは興味のないことに感情を剥き出しにしたりしないのだから。
 故にガマケンは反抗するナルトに、諭すような口調で囁いた。

「逃げ道なんてないで。選ぶ道も二つしかないで」

 二つって何だよ、とナルトは唾とともに吐き捨てる。
 決して目を合わせようとしない幼い仕草は、まるで拗ねた子供のようだ。
 ガマケンは嘆息し、呟く。

「逃げるか、戦うかや。まぁ、あんさんの選ぶものくらいなんとなくわかるけどな」

 何から逃げる、何と戦う。漠然とした答えを胸の中で反芻する。
 宿命――誰かに押しつけられたものをそう言うのか。力があるせいで重責を負わされるなら、そんなものはいらない……ナルトは生憎とそんな思考を持っていない。
 力はあればあるほどいい。力がなくて涙するよりも、力があって高笑いするほうがいいに決まっている。そして、自分の中には【九尾の妖狐】の力が宿されている。比肩し得るものがないほどの"最強"と言うに相応しい絶大な力が眠っている。そんなものを持っているのなら、使えるようになったほうがいいこともわかる。
 しかし――

「これで終わりじゃけぇのぉ!」

 落雷が落ちたかのような衝撃。
 抵抗する猶予もなく、ナルトとガマケンは、ガマブン太に踏み潰された。
 象に抵抗できる蟻がいるはずもなく……

 ◆

 遠くから見守っていた自来也は少しだけ残念な表情を浮かべた。

「死んだか……」

 獅子は千尋の谷に我が息子を突き落とすという。 
 決して自分の息子ではないが、自来也の心境は獅子と同じ気持ちだった。
 愛すべき弟子の血を引いている。
 ただそれだけのことなのに、愛情を感じてしまう自分がいる。
 けれど、甘い感情はいらない。ナルトにこれから襲い掛かる宿命は、ナルトの弱さを許さない。
 強くて当たり前。迫り来る敵は最高峰のものばかり。このままでは一瞬で死んでしまうだろう。だからこそ、できるだけ厳しい修行を課したつもりだったのだが――

「この程度の修行もこなせないようでは、死んだほうが幸せだったのかもしれんのぉ……」

 零れ出そうになる涙を押しとどめながら、自来也は冷然と言い切った。
 しかし、異変が起こる。
 それは三忍と呼ばれる自来也ですらも、ナルトの持つ器の大きさを見せつけられるものであった。

 ◆

――力が欲しければいつでも言え。

 脳髄の奥深くから聞こえてくる、身体の芯から蕩けそうになるほどの魅惑的な声。

――魂を削る代わりに、

 身を包み込むのは優しい包容。

――我が力を貸し与えてやろう。

 耳元に吹きかけられる熱い吐息。
 誘惑は引力のようで、抗えるものではないらしい。

(力が欲しい。
 何ものにも負けない力が欲しい。
 自由に生きていけるだけの力が欲しい。
 大切なものが零れ落ちないように、守れるだけの力が欲しい。
 何よりも――)

 ◆

 ガマブン太は戦慄する。
 乗れる体重計がないのでわからないが、ガマブン太の体重を思い切り乗せた踏み潰し攻撃を受けて生き延びた人間は、未だかつて存在しない。
 つまり、ナルトは第一号ということになるのだろうか。

「ぐぎ……ぎぎぎっ!!」

 足の裏に両腕を伸ばして、血管が千切れそうなほどに浮き上がらせながら、ナルトはガマブン太の足を押し返している。
 変貌していた。
 黄金の双眸は縦に割け、頬には三本線の傷跡が浮かび、犬歯は鋭く尖っていた。
 瞳に宿るのは人が持ち得る感情を越えているとしか思えないほどの激しい怒り。見るもの全てを焼き尽くすかのような紅蓮の業火が浮かび上がっている。
 がちがちと歯は噛み鳴らしながら、大地を踏みしめ、天高く腕を振り上げようと試みる。

「ガキがぁっ!!」

 更なる重みが加えられる。
 ナルトの両足が折れかけるが、それを助けたのはガマケンだった。

「わて――生きてる。生きてるのなら手伝うでぇ!」

 一緒に踏み潰されて、それでいて生き延びたガマケンも脅威へと立ち向かう。
 額に青筋を浮かばせながら、力を全て振り絞る。
 震える足など関係ない。
 千切れそうなほどに軋む背骨なども関係ない。
 血管がぶち切れて、鮮血を噴き出す両腕も関係ない。
 必要なのは意志。
 でかいだけが取り柄の蛙に負けてたまるかというド根性。
 鬼もかくやというほどの形相を浮かべ、ナルトは――

「どりゃあああああああっっ!!」
「ぬおぉぉっ!?」

 ガマブン太を放り投げた。
 美しい軌道を描いて飛んでいくガマブン太を、息を乱してはいるものの、実に爽やかな表情でナルトは見送っていた。
 激震。
【死の森】はただしく死んだ。
 ガマブン太の落下した場所は窪み、そこを基点にして土砂崩れが起こる。
 木々は流され、動物たちも悲鳴をあげながら飲み込まれていく。
 土石流に巻き込まれないように、ナルトは軋む身体を騙しながら、何とか被害の少ない場所へと移動した。ガマケンも同様だ。
 お互いに肩で息をつく。青色吐息といった風体で、しかし、晴れやかな表情だ。

「や、やればできるやないか」
「ッハ! 負けるのは嫌いなもんでね」

 不意に、心の増が収縮したかのような抗い難い激痛が襲い掛かる。
 視界が焼けるほどの苦痛。
 息ができない。
 胸を掻き毟りたい衝動に襲われるが、指一本たりとも自由にできない。ただ、のた打ち回る。 

『おんしは我が力を十全に使いこなし、その身は妖狐へと堕落する』

 脳裏に浮かんだのはそんな言葉。【九尾の妖狐】がとても楽しそうに哄笑している姿が刻み込まれる。
 魂が削れていく感覚。右腕の違和感が広がっていく。自分が自分じゃなくなっていくのが理解できる。

(俺は、どうなるんだ?)

 迷走し始めた意識は「大丈夫かいな?」というガマケンの心配で元に戻る。
 痛みはいつの間にか消えていた。

「あ、あぁ……」

 ふと、地鳴りが聞こえる。
 下ろしていた視線をあげると、引き攣った笑みを浮かべるガマブン太がいた。 

「ガキィ! よくも土つけてくれたのぉ!?」

 烈火の如く怒るガマブン太。
 しかし、不思議とそこまで恐怖を覚えなかった。
 脳裏に何かが流れ込む。
 形容しがたいものは、しかし、ナルトの中で再構築されていき、情報として統合される。
 プランが浮かぶ。
 ガマブン太を屠るための戦略が浮かんだのだ。

「ガマケン」
「何じゃい?」
「チャクラ全部を攻撃に費やす。お前は俺の足になれ」

 一瞬、ガマケンは沈黙する。
 瞑目した後、目を開くと、じっとナルトの瞳を見つめた。

「……わてに馬になれって言ってるのんか?」

 威圧の混じる眼光に退くことなく、ナルトはこくりと頷いた。
 ガマケンも思うところはあるのだろうが――

「……いいやろ。あんさんに乗られるのも悪くない。悪くないでっ!」

 すっと背を向ける。乗れ、ということだ。

「行くぞっ!」
「応よっ!」

 ガマケンの背に根を生やしたかのようにナルトは直立する。
 何重にも掛けられた封印の隙間から漏れ出す【九尾の妖狐】のチャクラ――それはナルトの手によって引き出されていく。奥深くに沈殿していたであろう暗い昏いそれは、ナルトの毛穴全てから流れ出していくかのようだった。
 皮膚の表面に纏わりつくチャクラは【九尾の妖狐】の性質が強く、それはまるで妖気のようだった。
 妖気は【首斬り包丁】へと纏わりついていく。赤く、黒く、朱金の混じるその色合いは複雑怪奇にして見るもの全てを不安にさせる色彩だ。それらの妖気は――炎へと変じていく。
 狐火。
 妖気の籠った邪炎はその身を焦がす破壊衝動の塊だ。漆黒の気配が刃を満たし――

「ガキがぁっ!!」

 放たれる巨大な鉄槌が傍を通り抜けて、暴風に打ち付けられる。
 しかし、ナルトは瞬き一つせず、その身を全てガマケンに委ねていた。
 ガマケンのことを信じているわけではない。ただ、この攻撃は当たらないだろうという奇妙な確信だけがあった。
 わかるのだ。
 自分が経験したことはないはずなのに、流れ込んでくる何かが「大丈夫だ」と囁きかけてくるのだ。それが誰かはわからないし、知りたいとも思わない。興味がないと言えば嘘になるが、今は重要ではない。
 襲い掛かる恐怖はなく、妙な安心感だけがある。
 まるで誰かに守られているかのような、今まで味わったことのない感覚。
 とても不思議だ。

「いけるのんかぁ!?」
「……任せろ」

 身を守る抱擁の快楽を振り払い、【首斬り包丁】に意識を向ける。
 朱金の混じる漆黒の焔が敵はまだかと言わんばかりに燃え上っている。それは死を幻視させる切っ先だ。
 集中する。
 瞬間、焔が高まり、咆哮する。
 ガマケンはナルトの息を合わせ、跳躍した。
 向かい来る攻撃は全て間一髪で避け、そして――世界を焼き尽くすほどの業炎が【首斬り包丁】から放たれた。
 砂漠を想わせるほどに広大な眉間に漆黒の炎は襲い掛かり、暴れ狂う。
 黒に染まる。
 甲高い悲鳴をあげながら、巨体はのたうち回っている。

「どうだ……っ!」
「さすがのオジキもこれは効いたやろ……?」

 勝ちを確信した。
 悶え苦しむ姿に戦意は感じられず、これはもう終わりだろう、と思わせたのだが――ガマブン太は地面に思い切り頭突きをすると、ごりごりと擦って炎を無理やりかき消した。
 口をあんぐりと開き、ナルトは絶望の吐息を漏らす。

「効いたど……むかつくくらいにのぉ!!」

 怒りの滲み出る言葉は純粋に恐怖を与えてきた。
 さきほどまでの万能感はもうなく、【九尾の妖狐】の力もなりを潜めている。今はだたのうずまきナルトで、実にちっぽけな存在だ。

「オジキッ!」

 身動きのとれないナルトをかばうようにガマケンは前に出る。仮にも自分が認めた男を殺されるのは、ガマケンとしても納得がいかないし、それに、だ。
 がくがくと身体が震えて、血反吐を吐いて、蹲っている。無限にも思えた莫大なチャクラは完全に枯渇しており、全く力を感じさせない――弱者。弱いもの虐めはガマケンが最も嫌うところだ。

「死ねやっ!」

 ガマブン太は前足――拳をナルトのいるところへと振り下ろす。躊躇はなく、必殺の意思すら感じられる。
 しかし、 

「……ブン太ァッ! 熱くなりすぎじゃのぉ!」

 自来也がガマケンの前に立ち塞がり、ガマブン太を止めたのだ。
 興が殺がれたのか、ガマブン太は鼻息を鳴らす。それだけでナルトは吹っ飛びそうになるが、ガマケンに服を掴まれて何とかこらえることができた。

「……わしゃあ帰るけんのぉ。ほんに痛かったで……! 詫びでも用意しとけやっ!」
「わかってる」

 吐き捨てると、ガマブン太は煙とともに姿を消した。
 詫びには何がいいかのぉ、と自来也は少しだけ考えるが、後にしようと思い、ガマケンを見た。
 瞳の奥に潜む感情を察したガマケンは「では」と言うなり消えた。
 残るのは腕を押さえて苦しむナルトと、それを見下ろす自来也のみ。

「右腕が痛むか?」
「……あァ? こんなの痛くも何とも」

 不意を突かれ、自来也にぎゅっと右腕を掴まれた。
 びくんと身体が跳ねる。

「痛ででででででっっ! 痛えだろ!」

 思い切り振り解くと、発火しそうなほどの熱を持つ右腕を忌々しげに見下ろしている。激痛の原因をわかっている、そんな表情を浮かべていて――自来也は嫌な予感がした。

「お前……まさか……九尾と会ったのか?」
「二度ほどな」

 自来也は目の前が真っ暗になる思いがした。

(それほどまでに封印が弱っておるのか? それとも……ナルトと九尾の周波数が合っているということなのか?)

 最悪の予想が過ぎる。
 いや、まさか、そんなはずは――否定の言葉を紡ごうと努力するが、どうしても希望的観測ができない。絶望的なまでに現実主義な自来也は、冷徹な頭脳を持って、現状を客観的に認識してしまい――深く深く溜め息を漏らした。

「何だよ。はっきり言えよ」

 気味が悪がってナルトは突っかかるが、自来也はナルトの両肩を握り締めると、視線を合わせた。

「九尾に何と言われた?」
「はァ?」

 言う必要があるのか? という馬鹿にした返答。肩を握り手に力が加えられる。

「会ったときに何と言われたのだ!」
「……俺は九尾の力を使いこなして、新たな九尾になるんだってよ。笑えるだろ?」
「それは本当のことか!?」
「あ、あぁ……嘘ついてどうするんだよ」

 最悪だ。
 どうやら自分の予想が当たったらしいことを自来也は察する。
 せめてもの救いはまだ手遅れではないということくらいか……可能性としては雀の涙にすら劣るほどの分量だが。

「……いや、あいつなら……しかし、今ここを離れて大蛇丸の警戒を怠るのも……」
「いったい何なんだよ?」

 吐き捨てるナルトを、自来也はキッと睨みつける。ひくり、とナルトの口角が吊りあがった。
 男同士で間近で見つめ合う趣味は、ナルトにはない。

「いいか、ナルト。九尾の力は制御できるまでしか使ってはならん。意識が飛ぶほどの力を引き出してはならんぞっ! たとえどんなことがあってもだ」
「もともとそのつもりだが……」
「取り返しのつかないことになるからのぉ」
「取り返しのつかないこと?」

 オウム返しに聞いたことを、ナルトは後悔する。

「ナルトという存在は死に、九尾という妖魔に生まれ変わる」

【九尾の妖狐】にも言われたこと。
 自分は九尾に生まれ変わってしまうらしいことを確信し、げんなりとした。
 
「だから、絶対に九尾を完全開放してはならんぞ?」
「心得ておくよ」

 本音はどこまでお奥底に。
 使わない、とは言ってはいない。
 たぶん、使う時が来るのだろう――ふと、ナルトはそんなことを考えた。
 嫌な予感は、必ず的中するものである。

――予言しよう。

 当たらなければいいな、とナルトは思った。




【アトガキ】
押すなよ。絶対に押すなよ! フリじゃないからな!! 押すなよ!!!!
とまぁ、とりあえず伏線張るだけ張って修行編終了です。
次はサスケとサクラの修行風景かな?



[19775] 39.挿入話『砂と音』
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/08/05 14:02
1.

 星屑を散りばめた夜空には真円の月が鎮座している。
 宝石のような輝きを放つ宙を見上げているのは我愛羅だ。
 中忍選抜の第二の試験を通過したものに宛がわれる宿舎の屋根で目元にくっきりと浮かぶ隅を鬱陶しそうに揉みながら、苛立ち紛れに舌打を鳴らし、新たに現れた人影に殺意の混じる視線を向けた。

「……何の用だ?」
「そう睨み付けないでくれないか。一応、僕たちは仲間なわけだろう?」

 何の感慨も込められていない軽薄な言葉を放ちながら、君麻呂は我愛羅の方へと歩み寄る。
 我愛羅の剥き出しの殺気を感じていないかのような足取りに恐怖はなく、無表情な美貌はまるで人形のように温度がなかった。

「満月には……あいつの血が騒ぐ」

 対する我愛羅の顔には激情が浮かぶ。
 烈火の如く猛る闘志は静謐な夜には似つかわしくない。そこだけ他の場所から切り取られているのか、戦場の空気で満たされていた。
 だが、君麻呂は向けられる戦意を肩で竦めるだけで受け流すと、

「さすがは年中寝不足の一尾の人柱力。自分の力すらコントロールできないらしい」

 呆れたように呟いた。

「随分な歓迎だけど、僕は君に指令を伝えるために来ただけなんだ。矛を収めてくれないかな?」
「修羅は血を好む」
「悪鬼羅刹に堕するには、君はまだまだ若すぎる」

 君麻呂の言葉を聞かず、我愛羅はぐっと手を伸ばした。
 砂は闇の隙間を縫うように君麻呂へと忍び寄り、

「砂縛柩」

 無数の手となって、君麻呂の身体を束縛する。
 万力で絞めあげられるような感触を覚えながら、それでも君麻呂は無表情を保っていた。つまらない、と言いたげに嘆息すらしている。その仕草が我愛羅にとってはとても不愉快で、「いっそ殺してしまおうか」と騒ぐ血潮が囁いてくる。
 我愛羅は悪魔の誘惑に身を委ねた。
 ぐっと拳を握りしめ、

「砂瀑送葬ッ!」

 砂の掌握が君麻呂の身体を包み込み、逃げ道を奪った後、押し潰す。
 これを受けて生きていたものはおらず、人であるならば確実に死ぬだろう必殺の技。
 たとえ岩であっても削り喰らう。
 しかし、どういうことだろうか。
 球体になるまで圧縮した砂から、鋭利な白骨が突き出てくる。
 切り裂かれた砂の端々からは中身が見え、そこには――

「生憎とそういう技は効かない体質でね」

 無傷の君麻呂がいた。
 弾かれた砂は我愛羅の瓢箪の中に戻っていく。その様を無感動に君麻呂は見つめていた。
 死なないという確信があったから、あえて避けなかった。当たり前のことが当たり前の結果を出した。君麻呂からすればそれだけの話だ。
 こほん、と咳を鳴らすと、

「さて、君に伝えなきゃいけないことがある」

 いよいよ持って、我愛羅と視線が交錯する。
 侮りがたい敵を前にして舌舐めずりしている我愛羅が話を聞いてくれるかどうかという懸念はあったが、君麻呂の目的は伝言だ。まずは話を聞いてもらわないと意味がない。理解させるのはその次だ。

「うずまきナルトとの戦闘――もしも一尾が目覚めそうになったら、棄権してくれないかな? 木の葉崩しを優先してほしい」

 しかし、そんな言葉を聞いてもらえるはずがなく――

「消えろ……」
「上からの命令だよ?」

 我愛羅は鼻息を鳴らすと、屋根から飛び降り、姿を消した。

 ◆

 我愛羅と君麻呂の邂逅を対岸に覗く二つの影があった。
 月光を遮る木々の下には砂の忍の額当てをつけた如何にも強者といった風体の男――バキと、木の葉の忍びの額当てをつけた柔和とすら言える優男――薬師カブトである。

「凄いですね。あれが彼の実力ですか……」
「そちらの手駒も優秀なようだな」
「君麻呂は特別ですから」

 どちらも笑ってはいるが、それは感情の籠らない冷めた笑みだった。腹の探り合いで如何に相手から有益な情報を得るかという心理戦。どちらも面の皮が非常に厚いようで、均衡を保っているままだが。
 ところで、とバキは疑問符を浮かべる。

「しかし、いいのか? サスケとかいうやつの当て駒に使うと考えていたのだが、あれでは実力の差がありすぎるだろう?」

 写輪眼の正統血統の唯一の生き残り――うちはサスケ。
 バキの部下であるカンクロウが【死の森】で戦った話を聞く限り、確かに下忍離れをした強さを持っているのだろうが、我愛羅に勝てるとは思えない。故に、我愛羅の一撃で手傷すら負わない君麻呂に勝てるとも思えない。
 実力を試すどころではなく、殺してしまうのではないだろうか。
 そんな二人の会合を、月光ハヤテは物陰から盗み聞きしていた。

(薬師カブト……何故、彼が砂と?)

 薬師カブトは【死の森】を通過することができなかった木の葉の下忍。
 任務成績は極めて平凡。可もなく不可もなくといったものだ。
 それなのに、砂の担当上忍であるバキと"対等"に会話している。砂の忍は実力主義であることから、雑魚にタメ口を許すとは思えない。
 いや、何よりも――何故、木の葉の下忍である彼が親しげに砂の忍などと会話をしているのだ? 目的は何だ? 不穏な推測が泡沫のように浮かんでは消える。
 ハヤテの心情はよそに、二人の会談は続く。

「そんなこともないみたいでね。うちはの血統も特別ですから」
「写輪眼……ね。これほどの危険を冒してまで手に入れる必要があるのかどうか……疑問が残るところだ」
「ふふ、そこらはうちの首領の趣味でしょうね。コレクターなものですから」
「俺たちに被害が来ないのならどうでもいいがな。命令には従うだけだ」

「面倒な趣味なんですよ。苦労するのはいつだって下っ端です」と苦笑紛れにカブトは呟く。
 優しさを前面に押し出したかのような朗らかな笑みを浮かべるカブトを胡散臭いものを見るかのようにバキは見つめると、声をトーンを下げて、問うた。

「木の葉崩し――ぬかりはないんだろうな?」

 カブトの目が細まる。
 優しさは消え、醜悪さすら覗く好戦的な笑みはバキの背筋をぞくりと震わせる程度には威圧感のあるものであり、嫌悪感を催すものであった。

(大蛇丸の部下……か)

 口には出さないが、所詮は似たもの同士だな、と思う。性格が悪く、腹黒く、目的のためには手段を選ばないであろう思考は実にそっくりだ。忍らしい、とも言えるが……。
 バキの感情など興味の外なのか、カウトはぎらぎらとした眼光をバキに向ける。

「えぇ、後はそちらの我愛羅くんの暴れっぷりに期待するだけですね。他に穴はありません」

 お前のところこそ大丈夫なのか? と揶揄されたことにバキは一抹の不快感を覚える。
 部下の三人は、いろいろと性格や嗜好に問題はあるが、バキの自慢の教え子だ。
 ゆえに、自信ありげに深く頷いた。

「侮るな。砂の忍は任務を貫徹することを重んじる。例外はない」

 ふっ、とカブトは嗤うと、ウェストポーチから巻物を取り出し、バキに差しだした。
 
「これが音側の決行計画書です。頼みますよ」
「あぁ……」
「では、私はこれで……」

 言うなり、カブトは踵を返す。
 その姿をハヤテはこっそりと覗きながら、しかし、内心に余裕は全くなかった。

(同盟国の砂隠れが……既に音と繋がっていただなんて! とにかく、早くこのことを火影様に……)

 木の葉崩し――要するに、木の葉隠れへの里の急襲だろう。わざわざ中忍選抜試験を選んでのことなのだから、周囲の大名などが集まる第三次試験に事が起こるに違いない。早急に対策を立てる必要がある。
 ハヤテは音もなくその場を去ろうと試みたが、背中を何かで抉られたかのような感覚を覚えた。
 おそるおそる触れてみても、傷はない。
 つまり、

「ああ、あと……雑草は私が処理しておきます。どの程度の奴が動いているのか気になっていたところですしね」
「作戦がバレているのか?」
「いえ、内訳は漏れていませんよ。けど、三忍の自来也が動いていますからね。どこまで尻尾を掴まれているか……」
「初耳だが?」
「おっと、それはすいませんね」

 射るような視線がハヤテに向けられていた。
 蛇に睨まれた蛙の如く、足が竦む。
 下忍でしかないカブトに睨まれた程度で身動きできないようになるはずがないとハヤテは思うが、もしかしたら、そう――カブトは実力を隠していたのかもしれない。
 早期からのスパイ。内情は筒抜けだと考えてもいいだろう。
 里を守らなければならないという使命感がハヤテの心を満たし、一歩歩くことを許した。
 そこからは早く、疾風の如き速度で駆ける。

「まぁいい……では、ここは私がやっておこう。砂としても同志のために人肌脱ぐくらいせんとな。それに……鼠はたった一匹。軽いもんだ」

 だが、一瞬で回り込まれた。
 開けた場所でバキが前に立ち塞がり、後ろにはカブトが佇んでいる。
 前門の虎、後門の狼と言ったところか。

「これはこれは……試験官様。お一人でどうされました?」

 わざとらしい問いは憎たらしいものだ。
 ハヤテは嘆息し、腰に差した刀を抜き放ち、覚悟を決めた。

「やるしかないようですね」

 目にも止まらぬ速度で印を組む。
【影分身の術】を行使し、ハヤテは二人の肉体ある分身を二つ生み出し、バキに向かって駆け出した。
 散開し、右と左から斬りを放ち、残った一人は跳躍する。
 ほう、とバキは感心したように口笛を吹くが、二つの斬撃はあっさりと指にはさみ込まれて受け止められた。
 夜空に浮かぶ月光を浴びた太刀が、跳躍したハヤテによって斬り下ろされる。
 会心のタイミング。両手はふさがっていて、確実な一撃だ。
 ハヤテは剣技に絶対の自信を持っている。一太刀で人間を縦に切り裂くことくらい容易にこなすほどの絶技は、しかし――

「同志のために人肌脱がなくちゃいけないんだっけ!?」
「えぇ、その通りですね」

 刀は蛇に絡め取られ、バキの肌に触れるぎりぎりのところで止められた。
 首元には指先から伸ばされたチャクラのメスを突き付けられ、身動き一つ許されない。
 蛇がどんどんと伸びてきて、ハヤテの腕に巻きつく、骨が軋み、砕けるほどの圧力を加える。
 ハヤテは激痛に顔を引き攣らせると、刀を手放した。からん、と硬質な音が地面と刀で奏でられる。
 痛みで歪む視界の中、ハヤテにとっては信じたくない光景が目に飛び込んできた。

「アンコさん……!?」
「あら、さん付けだなんて悲しいわ。アンコって愛を込めて呼んでくれてもいいのよ?」

 いつものようにからからと笑う姿はみたらしアンコそのものだ。
 しかし、腕から伸びる蛇は確かにハヤテの腕を粉砕したし、アンコが出てきたことをハヤテとバキが驚く素振りすら見せない。

「そうすれば冥土の土産にキスの一つでもしてあげるわ?」

 月明かりの夜に妖しげに浮かぶ朱色の唇を舌舐めずりする。劣情を催すほどに魅惑的な動作だが、ハヤテは何の感慨も湧かない。

「あなたも裏切っていたんですか……」

 つまり、仲間ということか……。
 仲間に裏切られるという耐えがたい苦痛で萎える心を更に抉りとるかのように、アンコはハヤテの頭を思い切り笑いながらぽんぽんと叩くと、不意に冷たい視線をよこした。

「ノンノン、裏切ったわけじゃないわ。私は最初からスパイだったわけよ。そう、大蛇丸様の下で下忍を過ごした頃からね」
「……あなたって人は!」
「おっと、大きな声は出さないでください」

 チャクラのメスが肉体を傷つけず、ハヤテの喉だけを切り裂いた。
 勢いよく内出血するせいで、ハヤテは息をすることすらできず、咳込む。吐息は血に塗れていた。
 そんな様をバキは呆れたように見下ろし、次にアンコを見た。

「余計なことをしないでほしいものだ」

 放っておいてくれても勝つ自信があった。バキからすれば玩具をとられたような感覚だ。

「ごめんなさいね? ほら、私だって頑張らなきゃいけないじゃない? 実際、まだ何もやってないわけだしさー。あー、かたっくるしい試験官とかやるもんじゃないわ」

 しかし、アンコは悪びれることなく言いきる。
 ここまではっきりと言われると、バキの毒気も抜かれるというものだ。こいつには何を言っても無駄なのだろう、という諦観でしかないが。

「アンコさんは試験官って柄じゃないですもんね」
「本当その通りよ。だから、これは憂さ晴らし兼口封じ」
「ばいばい、天国で会えたらキスしてあげる」

 酸欠で唇が紫色になり、顔中血塗れでのたうち回っていたハヤテの頭を鷲掴みにし、

「……!」

 思い切り地面に叩きつけた。
 頭蓋の砕ける耳障りな音が響き、バキは顔を顰めるが、アンコは恍惚とした表情を浮かべ、股ぐらに手を添えている。はぁ、と熱い吐息を漏らすのは性癖なのだろうか……。
 くそったれな奴らだ、とバキは思う。こんな奴らと組まなければならない自分がとてつもなく嫌で、こんな奴らに頼らなければならない砂隠れの現状を考えると涙すら出そうになる。選択肢は他にはなかった。

「じゃあ、同志? 仲良く木の葉を潰しましょ?」
「あぁ……」

 選ぶ道はこれしかないのだ。
 自分に言い聞かせるように、バキは何度も何度も反芻する。

 ◆

 宿舎の中、バキの話を聞いた砂の下忍の三人は沈鬱とした空気を放っていた。特に酷いのはテマリで、露骨に顔を顰めたまま、バキが出て行った扉をじっと見つめている。納得できていないことがわかる。心情的には「絶対に嫌」と言いたいところなのだろうが、立場がそれを許さない。それに、【木の葉崩し】をしなければ砂隠れの忍の仕事が少ないままで、いつか潰れてしまうことだろうことを予測できる。雁字搦めな自分がたまらなく惨めだった。
 項垂れると、布団にもたれ掛って呟いた。

「また……戦争か。犠牲の上に成り立つ平和は実に脆いものだ。本当に、脆い」

 カンクロウも諦めたような口調で「けど、上が決めたことじゃんよ……」と呟く。明晰な頭脳が、己の思考を押し潰す。やらなければならないという事実を突き付けてくる。
 正義という言葉は、場所によってころころと変わるものだ。里の正義は二人の正義よりも重い。遥かに、重い。
 はぁ、とテマリは深く吐息を漏らした。

「忍が道具だということはわかってる。名前すら知らない人を何人も殺したよ。けど、気持ちの良いものじゃないな」

 今回だってそうだ。何人殺さなければならないのだろう、と考えるだけで鬱屈とする。スイッチを切り替えればこんな感情もすぐに消えて無くなるが、今はどうしても切り替える気にならなかった。忍になりきれていなかった。

「次はどれほど死ぬんだろう」

 誰にともなく言った言葉。返事があった。

「死ぬわけではない。殺すんだ」

 愉悦の滲み出る表情を浮かべながら、我愛羅は突き出している手を、握った。
 押し潰されたのは蚊。
 掌に血痕が残る。

「……我愛羅、お前は殺人が楽しいのか?」

 そんな我愛羅を、テマリは悲しげに見つめる。

「生を実感できる唯一の行為だ」

 返答は実に冷たいもので、テマリは顔を伏せた。

「俺たちと一緒にいるだけじゃ、生きている実感は湧かないか」
「乾くんだ……渇きは血でしか癒せない!! 守鶴が殺せと、もっと殺せと囁く。だから、俺は殺す! 殺さないと、俺は夜も眠れない」
「我愛羅……」

 小さな叫びが部屋を木霊する。
 亀裂の入った絆は、修復の余地はないのだろうか。
 そう言えば、我愛羅に「兄」と呼ばれたことがないな、とカンクロウは思う。これからもないのだろうか。そう考えるだけで、とても虚しい気持ちになった。

「……せめて、生きて帰ろうね。みんな無事にね」
「自分の命に興味はない。皆殺しにすることこそに意味がある」

 何かを睨みつけるかのように顔を歪ませ、我愛羅は窓から外へ出た。
 か細い声で言い捨てた言葉は、まるで助けを求めるかのようだ。

「代償行為……なんだろうね」

 生きる実感がないから、何かを奪う。そんな人生を弟に歩ませたくない、とテマリとカンクロウは心から思えた。
 だが、救うには力が足りず、何もできない。
 無力は、罪だ。




【アトガキ】
ぬおお、会社が決算時期なので毎日投稿が厳しい。
だが、待ってほしい。それは再来週までのことなんだ。
まぁ税務署は敵。



[19775] 40.挿入話『滝と模倣』
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/08/10 10:26
 サクラは瀑布が織りなす水壁を一歩一歩踏みしめながら、着実に登っていくが、重度の負荷をかけられた肉体が悲鳴をあげる。
 両手首と両足首に装着された枷の重量は実にサクラの体重を越えている。足を上に動かすたびに太股の筋肉が軋む。滝と直角に立つサクラは重力を諸に受け、それを支えているのは腹筋だ。腹の中にマグマがぶち込まれたような気だるい灼熱感が圧し掛かる。身に覚えのありすぎるこの感覚は、ナルトとサスケに腹筋を強要されていたときのことを思い出させる。あれはあれで役に立っていたのか、と思うと何だか遣る瀬無い気持ちになるが。やはり、感謝できない。憎らしい。
 チャクラが揺らぐ。
 精密なコントロールを要される【滝登りの行】は、少しでも集中力を欠くとすぐに地面へと落下してしまう。当然命綱などなく、落ちたらただでは済まない。
 飛沫で身体中濡らしながら、ついでに冷や汗を流して、下をちらりと見た。地面が遠く、少なく見積もっても火影の顔が刻み込まれた岩壁よりもなお高いだろう。落ちたらどうなるのかなど想像しただけでも超怖い。おそらくはトマトがひしゃげて潰れたような感じに出来上がるのだろう。食欲が減退する光景だ。
 絶対に落ちないぞ。何度も自分にそう言い聞かせながら、震える身体を気力で奮い立たせて、再び滝を登り始める。
 針の穴に糸を通すような神経を削る作業。たった一歩踏み出すだけで精神力が根こそぎ奪われるなど理不尽極まりないことではあるが、サクラは決して遥か彼方にある水面にダイブなどしたくないので、チャクラコントロールに全身全霊を捧げていた。
 しかし、とうとう集中力が切れたのか、滝の中に足が喰い込んだ。

「あ……?」

 身の毛がよだつほどの恐怖がサクラを襲う。
 風が下から吹きつけてくる感覚。自分が尋常ではない速度で湖へと向かって落下しているせいで、強風がサクラに纏わりつく。
 このままでは死ぬ。
 何もしなければ死ぬのはわかりきっていること。サクラは足掻くことを決めた。

(滝に糸は無理。湿ってない岩盤を狙う……)

 ありったけのチャクラを糸に込めて、性質を全て吸着力と伸縮性に回す。ひたすら太く、頑丈に。
 生成された糸は視認できるほどに張りつめられたものであり、それは凄まじい速度でもって岩盤を貫いた。
 貫いたのだ。

「うっそーっ!!」

 吸着させるつもりが破壊してしまい、急いで糸の性質を変化させる。
 太くしすぎた糸を枝分かれさせ、岩盤を削って速度を減らしていくが、それでも止まらない。サクラが重すぎるのだ。いや、この言い方は正しくない。サクラのつけている重りがあまりに重すぎるのだ。
 糸を縮こませ、サクラは何とか岩壁に足が触れる。
 しかし、あまりにも勢いよく岩壁に激突したせいで、身体が凍りつきそうなほどの痛みが走る。しかし、死ぬよりはマシだ。歯を食い縛って岩を削りながら速度を落としていく。

「ぐぐぐぐ……っ!」

 全てのチャクラを糸と足に回す。
 肉体活性をするほどの余裕がないせいで、耐久力は極めて低い。自重に耐えられる筋力もなく、筋繊維が千切れていく激痛がサクラを蝕む。
 痛い痛い痛い痛い、と小さく呟いている。水滴か汗か涙かが区別がつかないほどに濡れた顔は引き攣り、愛らしい顔立ちのはずなのに、今は修羅のようであった。背筋をくの字に曲げ、糸と足で岩を削りながら減速する姿は、決して可愛らしいとは言えないであろう。
 次第に足が震え出し、糸を握りしめる握力が失われてきた。
 一際競り出した岩があり、それに気付かず――

「がっ……!」

 思い切り尻が当たり、そのまま宙へと投げ出された。
 じんじんと痛むケツを擦りたい衝動に駆られるが、手足が言う事を聞かない。 

「ぐぅっ!」

 背中から湖面に突っ込み、肺の中にある空気を全て吐き出すほどの衝撃に見舞われる。残酷なまでの激痛。
 身体に穴があいたのではないかと錯覚するほどの苦痛は、水中で冷えた身体にはとてもきつい。腹の底からかじかむ冷たさから逃れるように水上へと上がろうとするが、重りが邪魔をする。
 死んだかなぁ……、とサクラは考えたが、死にたくないという思いのほうが強かった。
 最後のチャクラで細い糸を生成し、地面のあるだろうところへ投げつける。
 もしなかったら死ぬ。糸が切れても死ぬ。なんかもう考えるだけでげんなりとしてしまうが、どうやら最後の一本は身を結んだらしい。
 のろりのろりと糸を手繰り、じんわりと地面へと近づいていき……

「ぷはぁっ!!」

 湖から出た瞬間、うなじにぴったりと纏わりつく鬱陶しい髪を振り払い、サクラは空気を暴飲する。
 空気ってこんなに美味しいのか! とちょっと感動していたりしてのだが、隣でパックンがげらげらと笑っている。ブス犬がぁ! とサクラの怒りが沸点に達するが、身体を動かす気力もなく、べちゃりと地面へと倒れ込んだ。
 うつ伏せに寝そべって惰眠を貪りかけていたのだが、しかし、一瞬で目が覚めた。

 ◆

「……まだまだぁっ!」

 身体中の関節がギシギシと悲鳴をあげる音を無視しながら、サスケは写輪眼を駆使してカカシの動きを完全に模倣していた。
 理に叶った、自分の扱う体術とは住む位階が違う洗練された技術だ。まだ完全には出来上がっていないサスケの身体で使うのは厳しいものがある。しかし、サスケはどうしてもこの力が欲しいと思った。
 手枷と足枷がサスケの体力を根こそぎ奪っていく。水の上で戦うせいか、重りのせいでチャクラコントロールが上手くいかない。時折、水の中に足が突っ込むこともあるが、すぐに姿勢を立て直す。
 これは生まれもったサスケの天性の才だ。
 どんな体勢からでも攻撃を繰り出すことができる足腰の強さ、それを為せるだけのバランス感覚、ひたすらに攻撃を繰り返すことのできる体力――そして、根っからの負けず嫌い故に、攻め手を緩めない精神性。これがサスケの強さの根源であった。
 とはいっても、サスケはあくまで下忍。しかも、自分の体重よりも重い枷をつけられているせいか、体術に躍動感がなく、手足に振り回されているようだ。
 致命的な隙。
 そのたびに急所を狙ったカカシの一撃がサスケを襲う。

「がッ……!」

 水月を狙って右拳――それがサスケを穿った。
 腹の中にたまった酸素を全て絞り出すかのような一撃は絶妙な力加減でサスケを貫き、根こそぎ気力を奪った。
 萎える気力をあらわすかのようにサスケの写輪眼が薄らいでいき、普通の目へと戻っていく。写輪眼にチャクラを回すだけの余裕がないのだ。
 膝が折れる。

「どうした。終わりかー?」

 間延びした声に緊張感はない。だが、のんびりとした表情から放たれる言葉はサスケの心を抉る。

「そんなんじゃナルトに勝てないよ。何せ自来也様は四代目火影の師匠だからねー。どれほど強くなって帰って来るか……」
「終わりじゃない……ッ!」

 生まれたての小鹿のように震える足を強靭な精神力でねじ伏せ、気炎を吐き出しながらサスケは立ち上がる。
 ナルト――アカデミーでは見向きもしなかった存在であったが、次第に自分の背に追いついてきた。修行で組手をしたとき、何度も組み伏せて土をつけているのにも関わらず、決して折れずに立ち向かって来た。
 今なら言える。『好敵手』であると。
 そのナルトが今よりももっと強くなって帰って来るのに、サスケが強くなっていなかったら会わせる顔がない。
 サスケにとってナルトは、絶対に負けたくない相手なのだ。
 電流のように身体を駆け巡る苦痛をねじ伏せると、サスケは勢いよくカカシのほうへと飛び出した。
 目に浮かぶのは写輪眼。
 ふんだんに詰め込まれた意志は負けん気だけ。気力だけで無理やり身体を動かし、カカシの動きを真似する。だが、洗練された身のこなしを阻害するのは手足に嵌められた重り。舌打を鳴らしそうになる自分を抑え、サスケはカカシに拳を放つ。
 爪先から腰、腰から肩、肩から拳へと余すことなく伝えられた力は途中途中で増幅され、無駄のない動きでカカシへと突き出される。
 激突。
 耳を劈く硬質な音が鳴り響く。
 打撃の応酬。
 目にもとまらぬ速度で交錯する拳と拳。それは拮抗しているように見える。しかし、実のところはサスケの放った白打は全てカカシの拳によって叩き落とされているだけに過ぎない。
 硬い拳をぶつけられ、サスケは苦痛に顔を歪め、一瞬だけではあるが、痛みに怯んで攻撃の手を緩めてしまった。
 その隙を見逃すカカシではない。拳を押さえて唸るサスケに対し、蹴足を放つ。狙いは米神。人体急所の一つを狙い打ち無慈悲な追撃。喰らえば失神するであろうことは間違いないそれをサスケは屈んで避けた――わけではなく、偶然膝が折れて避けただけだ。
 霞む視界。
 おぼろげにしか思考できない。
 だが、確かにサスケは蹴りを避けられたせいで死に体を晒すカカシを見た。
 闘争本能に火がつく。 
 流麗とすら言えるほどの性質変化。右手には雷を帯び、まるで千の鳥が囀るかのようなけたたましい鳴き声が耳に届く。
 瞬間、サスケはチャクラを爆発的に高めていく。
 己が身が焼け焦げるほどの電熱は必殺の威力を持つ。
 身体は弓で、思い切りしならせ――

「あぁぁぁぁぁっ!!」

 咆哮とともに、右手の矢を放つ。
 雷光の如く。それはまさに地面に水平に落ちる神鳴だった。
 人の身で防ぐこと敵わず、人知を超えた速度を持って、サスケの右手に纏う轟雷はカカシに襲い掛かるが――二の腕を掴まれ、寸でのところで受け止められた。

「今のは良い攻撃だった。けど、甘いね」

 カカシもサスケと同様に、写輪眼を持っている。
 凡人とは一線を画す血継限界。力の流れを見切ってしまう写輪眼からすれば、一直線の攻撃を見切るなど造作もないこと。

「くそ……」

 雷鳴は止み、発光していた右手には焼け焦げた皮膚だけが残る。
 諦めたように項垂れ、そして、顎を思い切り蹴りあげられた。
 宙で弧を描き、サスケは滝壺へと舞い落ちる。

「サスケくんっ!?」

 遠くで観戦していたサクラが悲鳴をあげる。
 空高く飛んでいったサスケは水飛沫をあげて湖の中に落ち、重りのせいで浮かぶことなく水底へと沈んでいく。
 サクラは絶叫をあげながら糸を紡ぎ、ドザエモンとなったサスケは命からがら引き揚げた。

 ◆

 陽の光を遮るほどの色濃く茂る緑葉樹の下、サスケを横たわらせたサクラは放心状態となっていた。残り少なかったチャクラと体力を極限まで酷使した結果、疲れきって動けないのだ。まるで身体が鉛になったかのように重く、鈍い。
 もう動けない。水に濡れたせいで冷えた身体を震わせながら、サクラは膝を抱えて座り込んだ。
 だが、悪魔は決して見逃さない。無垢なる羊に牙を剥くことこそが本業なのだから。

「サスケは寝ちゃったし、サクラのほうでも見ようかな」

 サクラは呆然としたままカカシを見上げると、「え、えへへへ」と乾いた笑いをあげる。壊れた人形もかくやというほどに不気味な笑い声だった。
 そんなサクラを見下ろすカカシも同様ににっこりと笑う。ひくり、とサクラの笑みが引き攣った。

「なんでそんなに嬉しそうに笑ってるんだい?」
「嬉しそうに見えますか」
「ま! そこは気にしちゃダメだよね!」

 気にしてよ、とこっそりと思ったが言いはしない。

「……先生、なんでいきなりこんなに厳しい修行を課し始めたんですか? サスケくんが死んじゃう」

 私も死んじゃう、とアピールしたかったけど、サクラはそんな無粋な真似をしない。

「事情があってね。じゃあ、登ろうか」

 登ろうか。
 その言葉に反応し、のろのろと滝を見上げた。
 頂上が見えないほどの絶壁から流れ落ちる滝は恐ろしさすら感じるほどの威容を誇っている。人の身など軽く捻り潰すことができるだろう圧倒的な大自然に勝てる道理などあるはずもなく、サクラは折れた自分の心を必死に自己弁護していた。
 だって、痛いの嫌だし。というより、死ぬのが嫌だし。
 何度か落ちてわかったことであるが、重りのせいで湖に落ちると普通に死ねるのだ。人間の身体は水に浮くのようにできているものなのだが、おそらくは金属であろう高質量の枷は水に浮かない。沈むだけ。しかも、落ちたら落ちたで枷のせいで身体が動かしにくく、死ぬ確率が鰻登りである。
 軽く死ねる厭らしい修行。サクラは【滝登りの行】をそんなふうに評価していた。

「返事は?」

 キレのある命令にサクラは条件反射で「はいっ!」と勢いよく返事をしてしまう。しまったぁ! と凄い後悔したが、後の祭り。
 まさに恐怖政治というべきなのだろうか。サクラとサスケはカカシの過度なまでに高密度な修行のせいで、カカシに逆らえなくなってしまった。正しく調教である。
 前門の滝、後門のカカシ――どちらも勝ち目がなさそうではあるが、まだ滝のほうが救いがある。重りがなしのときではあるが、一度はクリアしたことのある課題なのだ。問題ない。私はやれる。サクラちゃんならきっとやれちゃうんだぞっ! と己を鼓舞しながら雄叫びをあげて滝へと突進した。

「こら」

 勢いに乗った瞬間のことである。
 サクラはカカシに襟元を掴まれ、「むぎゅっ」と可愛らしい悲鳴をあげて、気管が絞まったせいで咽んだ。げほげほと苦しそうに咳込みながら、恨めし気にカカシを睨みつけている。「いきなり何してくれんのよ、このクソカカシ!」と掴みかかりそうな形相だ。
 だが、サクラは賢い。勝ち目のない戦をしない主義だ。
 自分を落ち着かせるために深く深く呼吸をすると、頭に昇った血を下げていく。そして、キッと鋭い視線をカカシに向けた。

「いきなり首が絞まるようなことしないでくださいっ!」
「誰が走っていいって言ったのかな?」
「へ?」

 意外な言葉に硬直する。
 いや、まさか、そんな、ありえないと願いたい。けれど、この後に続くカカシの言葉を何となくサクラは察してしまった。

「歩いて登りなさい」
「あ、歩いて……?」

 湖面に叩きつけられる瀑布から飛び散る水飛沫で描かれる虹から、滝を見上げる。虹がかかるほどの滝壺を見て、泣きそうな顔でカカシを見つめる。
 こくりと頷かれた。

「そ、そんなのできるわけ……!」
「サスケはずっと俺と殴り合いしてるわけだけど、一度も弱音を吐いていないなぁ……」

 ちらちらと限界まで修行をこなし、倒れてしまったサスケを見やる。
 交互にサクラとサスケに視線を移すカカシから与えられるプレッシャーに耐え切れず、サクラは嫌々叫んだ。

「や、やればいいんでしょっ! やればっ!」
「うんうん、その意気だよ」

 滝の麓まで歩き、サクラはげんなりと溜め息を吐いた。

(あ、歩いて登るわけ……?)

 凄まじい勢いで降りそそぐ滝に足を添えたところ、潰された。
 湖の中に放り出され、がぼがぼと気泡を吐き出しながら、カカシに対して脳裏でありったけの語彙を駆使した罵詈雑言を吐き出しまくる。主に「クソ野郎」「ウンコ野郎」などといった貧弱な語彙で、だ。悪口はあまり言わないほうなので、かなり貧弱な語彙力しかなかったりする。
 浮かびあがる体力もなく、何だか絶望に襲われてきて、サクラは静かに目を閉じた。
 そんなとき、誰かに服を掴まれた。
 水底にたゆたうサクラに手を差し伸べたのはカカシ。今回の『弟子に湖へ投身自殺させた主犯』である。サクラの中ではカカシはそうなっている。
 流麗な動きで水をかき分け、カカシは水上に出ると、サクラを地面へと放り投げた。
 受け身すらとれず、サクラは――

「きゅ~」

 ――気絶した。

 ◆

 少し時間が経ち、空が夕暮れ色に染まってきたときのことだ。
 はっと目が覚めると、未だに眠り続けるサスケと、一人黙々と修行をこなすカカシの姿があった。
 鮮烈な赤光で照らしだされるカカシの横顔は、今まで見た中で一番美しく見えたのは、おそらく覆面を外していたからだろう。鼻から下を覆っていたそれは今はなく、カカシの美貌をあますことなくさらけ出していた。それが物憂げな表情と相まって、とても格好良く見える。
 片腕で倒立腕立て伏せをしていたカカシはサクラに気付くと身軽に跳躍し、両足で着地した。そして、にこりと笑う。
 口元が見えるだけで今までの胡散臭さは消え去っているのだから不思議なものだ、とサクラは思った。

「まぁ、サスケと違って何を目的にこの修行をしてるのかわからないだろうから、やる気も出ないだろうね」

 不意に、カカシが口を開いた。

「サクラ、糸を出してみろ」
「? はい」
「あの木に巻きつけてみるんだ」

 サクラは言われた通りに糸を木に巻きつけた。

「切り裂けるか?」
「できないですけど……」

 その木はサクラが両腕を広げても抱え込めないであろう太さである。切り裂けるはずもない。そもそも、この糸はそのような使い方を考慮していないのだから。

「できるようになれば、その糸は必殺の武器になる。そのためにはサクラのチャクラコントロールの技術では足りない」

 それなのに、「やれるようになれ」とカカシは暗に示している。
 疑問符を浮かべるサクラにカカシは苦笑を零すと、そうだなぁ、と髪を弄りながら考えて――何か思い浮かんだようだ。ぴんと人差指をサクラの目の前で伸ばすと、胸を張って語り出す。

「性質変化――知ってる?」
「はい、チャクラの性質を変えるんですよね」
「そう、木登りなどでも教えたと思うけど、チャクラの性質を変化させて、木に吸着させるんだ。同様に、だ。サスケのようにチャクラを炎に性質変化させて吐き出したり、ナルトのように土を操るための性質に変化させたりと、実に多種多様だ」

 基本中の基本だ。それくらいサクラでも知っている。
 しかし、話はこれだけでは終わらない。

「吸着。糸でもやってるでしょ? 対象の身体に吸着させて、苦無にも吸着させて、一気に縮ませて攻撃したりとかね」
「よくやりますけど……」
「どれもこれも練度が低い」

 少しだけむっとする。
 自分が弱いという自覚があっても「お前は弱い」と言われれば、誰しも腹を立てるというもの。それに、チャクラコントロールに関してはサクラが七班で一番秀でている。つまり、自信があったのだ。それを否定されれば気分が良いはずもない。

「例えばだ。滝の中にある岩盤に吸着させたりはできないでしょ?」
「はい……」
「もしそれができるようになれば何でもくっつけられる」
「そりゃ……まぁ……」

 無理に決まっているだろう、とサクラは思う。
 だが、カカシはそうは思わない。
 そして、

「一番足りないのが切れ味だ」

 切れ味。糸による斬撃。
 もしこれが可能になれば、サクラは飛躍的に強くなるだろう。
 可能か不可能か、現時点ではそれすらもわかっていないわけだが。

「サクラには攻撃の手札が少なすぎる。援護に徹している姿勢はわかるけど、今回のように一対一の勝負では決め手に欠ける。
 負けることはないかもしれないけど、勝つこともできないだろうね。せっかく良い技を持っているのに……。
 言っておくけど、チャクラで糸を作るなんて誰でもできるような簡単なものではない。それは才能だ。強みは徹底的に伸ばしたほうがいい」

 落とされ上げられ、何だかよくわからない気分になる。
 つまり、カカシはこう言いたいのだ。仲間に頼りきった戦いは止め、自分一人でも戦えるだけの力をつけろ、と。そうしなければ、次の試験で戦うリーに勝てるはずがない。
 いや、糸の能力を上げたとしても勝てるかどうかわからないほどの強者だ。わかっていることは、今の強さでは確実に倒されるということくらいか。

「……そのための滝ですか?」

 納得はした。けれど、滝だ。

「工夫しろ。俺は走るな、とは言ったけど、糸を使うなとは言ってない。工夫に工夫を重ねて挑戦するんだ。絶対にできるから」
「やってみます」
「あぁ、頑張れ」

 強くなれる。
 強くなる道筋さえわかれば、多少はやる気が出るというもの。

「はいっ!」

 元気印の返事をすると、サクラは滝へと向かっていく。




【アトガキ】
サクラ強化イベント!
思うに、私の書く二次創作ではサクラが一番チート化してると思うんだ。もう既にかなり強いんだぜ……

ところで、原作ではナルトが人柱力の強さを使い始めましたね。あれ強すぎるだろ……!とは思いますが、敵のスペックを考えるとあれでも足りないのかもしれない。
原作が面白くなってきたあああああああああああ!

そしてさりげなく40話突破。
褒めてもいい。


さて、次は試験に行くか……それとも大蛇丸のベールを剥がすか……悩みどころです。
でも、そろそろ大蛇丸の正義を主張しなきゃいけないし、大蛇丸書こうかな。



[19775] 41.中忍選抜・最終試験――Ⅰ
Name: ビビ◆88c1dc4a ID:5a173f50
Date: 2010/09/10 11:16
1.

 ドーム状の闘技場に似た形式の試験会場は随分と模様替えされていた。
 以前ここで火影が中忍試験の説明を行ったときは土の地面だけで障害物は一切なかったのだが、今は大振の木が幾本か植えられている。
 その中心にナルトたち中忍試験を受けている下忍たちが勢ぞろいしていた。
 眼を閉じて瞑想しているもの。身体を動かして解しているもの。座り込んでブツブツと何事かを呟いているもの。忍具を入念に手入れしているもの。それぞれが緊張した面持ちで試験に対する集中力を高めている中、ナルトは久しく会っていなかった仲間を見つけて手を振っていた。

「おう。サスケにサクラじゃねーか。久しぶりだな」
「あぁ……」
「ひっさしぶりー!」

 快活な声に反応したのはくぐもった声と元気溌剌とした声だった。
 サスケは敵になる君麻呂を睨みつけるように見据えていたが、嘆息してナルトのほうに向き直る。
 何故だか差し出されているナルトの手に応じて握手をすると、どちらも精一杯力を込めた。

「……成長したのかよ?」
「まあな」

 青筋が入るほどに力を込める二人は痛みを堪えて震えている。
 意地の張り合い。
「ばっかみたい」とサクラは呟くと、二人の手を無理やり引き剥がした。男のことはよくはわからないが、不毛であることだけはサクラにでも理解できる。少し赤くなった手をぶらぶらと揺らす二人がたまらなく情けなかった。

「それにしても、なんてーか……気分悪いな。これじゃまるで見世物だ」

 土の絨毯のリングから見上げると、周囲は観客席だった。
 見覚えのある顔は有力な大名たち。中には他里の忍たちもいて、ここでも情報収集を行っているのだろうか。
 里同士の戦争の縮図。要するに力を示すための絶好の場。如何に自分たちが若い原石を持っているかを見せつけ、それを育てているものたちの有能さを見せ付けるための場なのか。

(……必要なことなんだろうけどな。気に食わないと思ってしまうのは俺がガキだからか)

 口元に弧を描き、ナルトは自嘲する。
 自分たちの力を他人に披露するというのはどうしても気に食わないものだとナルトは思う。相手が知らない技を使って奇襲する。それこそが正しいあり方だと考えるし、技というものは知られているだけで効果が半減する。

(いや、これは如何に自分の手の札を見せずして勝利するか、というものでもあるのか……?)

 ふと、サクラが返答する。 

「見世物の意味合いが強いんじゃない? 観客として来てる大名たちに力を見せ付けるためのイベントでもあるみたいだし」
「命がけの遊戯か。たまんねぇな」

 死ぬものも出てくるかもしれない。
 そう考えると何か無性に腹立たしかった。
 そんなときだ。

「ナルト……」

 ふいにサスケが声をかけてきて、ナルトは「ん?」と反応する。
 サスケは決してナルトと目を合わせず、しかし、決意を持って――相対した。
 秘められた決意は断固たるもので。少しだけ気恥ずかしさが混じっているようにも思えたが、それでも、茶化せるような雰囲気ではなかった。
 もごもごと口を動かしているサスケをじっくりと待つ。
 そして、

「俺はお前と戦いたい」

 吐き出された気持ちはこれ。
 ナルトも急に恥ずかしくなって「……おう」とかすかな声で答える。

「負けんなよ」
「お前こそな」

 グッと拳を突き出して、

「砂野郎に負けるなよ」
「違いない」

 ゴツン、と硬質な音が鳴る。

「決勝で会おうぜ」
「あぁっ!」

 どちらも負けるつもりはなく、自分が勝つと信じきっている。
 それでも、ライバルであることに変わりはなく、自分以外の誰かに倒される姿を見たくはない。

『俺がお前を倒してやる』

 ガキっぽい笑みで紡がれる言葉は、本当に子供らしいものだったが、端から見れば可愛らしいものだ。
 サクラはにこやかに微笑を浮かべながら「あれ、私はー?」と言ってみるが、二人は気まずそうに顔を逸らした。

「整列ッ!」

 ちょうど時間になったのか。
 担当の試験官が空から舞い降りてくると、怒声に近い叫び声でそう言った。
 下忍たちはきびきびとした動きで横一列に並ぶと、試験官へ視線を注ぐ。
 うむ、と試験官は満足そうに頷いた。

「いいか、てめーら。これが最後の試験だ。
 ルールは一切無し、どちらか一方が死ぬか負けを認めるまでだ。ただし、俺が勝負がついたと判断したらそこで試合は止める。分かったな」

 禁じ手はなく、時間制限もない。
 これは正しく殺し合い。
 周囲の観客たちにどこまで力を見せていいのかを各々で判断しながら、メリット・デメリットを考えて戦う、制約のある戦い。
 その最初の戦いは――

「じゃあ一回戦。君麻呂vsうちはサスケ」

 音の里の下忍の中でもエリートである君麻呂と、木の葉の里の下忍の中でもエリートであるうちはサスケ。
 ある意味では注目のカードであり、初っ端から楽しめそうな好勝負を想像させる二人に観客たちは息を飲む。

「その二人だけ残して、他は会場外の控え室まで下がれ!」

 リングに残るのはサスケと君麻呂の二人のみ。
 こうして中忍選抜・最終試験は始まった。

 ◆

 思い出すだけで腸が煮えくり返りそうなほどになる腹立たしい記憶がある。
 呪印によって暴走したサスケはサクラを嬲り、そして、君麻呂に襲い掛かり、結局は勝てなかった。
 引き分け――と言い張ることもできるだろうが、あのまま戦えばサスケは殺されていたという自覚もある。
 だが、負けたのはあのときだけであり、鍛えた今は負けないという思いもある。
 今こそ、それを証明する。
 そう意気込んでいたのだが、君麻呂は実に涼しげな表情だ。まるでサスケを脅威と見なしていないかのように、無価値なものを――いや、路傍の石を見るかのように無感動。ただそこにサスケがある。本当にそれだけの視線を向けてきた。
 敵として認識されていない。
 それはサスケにとってとてつもなく屈辱だった。

(俺という存在を脳裏に刻み込んでやるッ!)

 力を示す。それだけで君麻呂は自分を見るだろう。
 開始の合図はなされておらず、まだ攻めることもできないわけだが。

「よぉ、あのときは世話になったな」
「君か」

 平坦な声がたまらなく不愉快で、引き攣りそうになる頬を手で解す。

(殴り飛ばしたい――)

 胸の奥底に滾る情念を抑え込み、落ち着くように念じているのだが――

「……修行はしてきた。負けるはずがないという確信もある。だから、お前は確実にぶっ殺す」
「負け犬の遠吠えにならないように努力したほうがいいよ。言うだけ言って倒れるのはあまりにも惨めだから……」
「そうさせてもらおうかっ!」

 ここで開始の合図はなされる。

「では、一回戦――始めっ!」

 こらえるのは無理だった。
 何も考えずに最速で突貫し、君麻呂に対して苛烈な連続攻撃をこなす。
 カカシに身体に覚えさせられた体術。それは力を鍛えるものではなく、全身のバネを使って速度を増し、相対的に威力も増すものだった。
 つまりは身体が出来上がっていない子供や、体重の軽い女が使う種類のもの。
 もともと下忍離れしていた速度は更に増し、体術が得意ではない下忍では遠目でも視認することができないほどの速度だ。
 それを君麻呂は無理に防御することなく、まるで柳のようにしなやかに攻撃をいなしていく。

「柳の舞……」

 君麻呂の体術は、サスケが強くなったからこそわかる。これは完成されている、と。
 洗練されているそれは武術というよりも舞踊のようで、嵐のように怒涛の攻撃をするサスケとは対極に位置するかのように思われた。
 たまに君麻呂の身体にサスケの拳が突き刺さることもあるが、しかし、硬質な骨の手応えは異様に硬かった。

(骨を操作する血継限界。あれを貫くにはやはり千鳥しかない。けど、あまり千鳥に頼りすぎるのも良くない……か)

 下段蹴りで君麻呂の足を払い、そこから側頭部へと足を振り上げる。
 後ろ回し上段蹴り。 
 美しい弧を描いて速度を増し、威力が高まったそれは――君麻呂の腕に阻まれる。
 普通は勢いの乗った蹴足を腕で受け止めるなんてしたら骨が折れるのだが、君麻呂の骨は普通の耐久度ではない。

(体術で戦うことができるが、普通にやっては致命傷を与えることは不可能)

 そう判断したサスケは後ろに跳躍して距離をとる。

(じゃあ、骨がないところはどうだ)

 次は最速ではなく、ゆるりとした動きで近づいていく。
 その動きは君麻呂の動きと酷似していた。 
 写輪眼の恩恵。
 サスケは君麻呂の動きをトレースし、ほとんど誤差のない体術で君麻呂に立ち向かう。

「柳の舞……これは便利な技だな」

 舞踏会のようだった。
 かろやかに動く二人は戦っているようには見えず、突き出す拳はリードしているだけのようにも見えたし、その拳をいなしている姿は、遠慮がちに差し出された手を跳ね除けているだけのよう。
 しかし、多少は体術を修めているものにならばわかる。
 全ての攻撃に殺意が乗り、サスケの攻撃がだんだんと苛烈さを増しているということに。君麻呂が受けに回っていき始めているということに。

「へぇ……随分と強くなっている」

 君麻呂は感心するかのように呟くが、それはサスケの神経を逆なでする。
 その台詞は――見下ろされているようだった。高みから言われているような気がして、とても癪に障ったのだ。
 苛立ちそのままにサスケはフェイクも何もない渾身の体当たりをぶちかます。
 肩から突っ込んだそれは君麻呂はかわすことができず、防御する。
 硬質な腕に全ての衝撃は受け止められ――

(硬すぎる。致命傷には程遠い。ならば――)

 死角から突き出す首への貫手。
 全身のバネを使って打ち出されたそれは、かすかに肉を抉った。

「っ!?」

 息を乱し、君麻呂が急に距離を離す。
 つまり――

(逃げたということは骨は万能ではないということ!)

 確信を得たサスケはにやりと笑うと、ウェストポーチに入っている巻物を取り出した。
 印を省略して術式を完了すると、君麻呂に向かって獰猛な笑みを浮かべる。

「口寄せ・風魔手裏剣」

 出てきたのはとても巨大な手裏剣だった。
 それを思い切り振りかぶり、投擲する。
 避けることもできるが、避ければ隙ができると判断した君麻呂は、風魔手裏剣を右拳で弾いた。

「影風車」

 しかし、風魔手裏剣に隠れるようにもう一本の風魔手裏剣が迫り来る。
 それも左拳で弾くと、拳はどちらも塞がった。

「なっ!?」

 風魔手裏剣に隠れるようにして放たれていた苦無が拳に突き刺さり、さらにはワイヤーが両腕を縛り付けていて――

「写輪眼・操風車三ノ太刀ッ!」

 三つ目の風魔手裏剣が君麻呂の喉を狙って投擲された。
 腕がワイヤーで縛られているせいで思うように動くこともできず、君麻呂は――

「ふんっ!」

 頭突きで風魔手裏剣を叩き落した。

「残念だ。首には当たらなかったか」

「出鱈目すぎるっ!」とサスケは驚愕するが、しかしこれも予想の範囲内。
 これで決まればいいな、と正直サスケは思っていたが、君麻呂の予想外の強さすらも全て計算の範囲内である。

「首が弱点と……いきなり見破られるとはね。しかも、このワイヤーは実に鬱陶しい――油っ!?」

 だろうな、とサスケは思う。そのワイヤーに塗られている油こそが布石なのだから。
 全てはこのために。
 印を切る。
 それはうちは一族が好む火遁のものであり、サスケが得意な術である。

「火遁・龍火の術ッ!」

 ワイヤーを伝うように炎は走り、君麻呂の身体を焼き尽くさんと襲い掛かる。
 普通の人間ならば炭化してもおかしくないほどの熱量を込めたそれは簡単に防げるようなものでもなく、腕の自由を奪って印を切ることすら許さない状況にしたのだから、ある程度のダメージは与えれるだろうとサスケは思っていたのだが――
 炎が消えた中から出てきたのは、骨の盾に守られた君麻呂の姿だった。
 ワイヤーは腕から突き出た骨の刃で切り裂かれ、君麻呂の着ていた衣も上半身は突き出た骨で肌蹴てしまっている。
 血継限界・屍骨脈。
 それはかぐや一族の末裔である君麻呂にのみ許された攻守一体の戦闘術だ。
 観客たちはどよめいた。驚きは当然のものだろう。
 かぐや一族は既に絶滅したと思われていたのだから……。

「……羨ましいくらいの能力だ」
「写輪眼を持つ君にだけは言われたくないところだね」
「お互い様ってことか」

 くくく、とお互いに笑う。

「正直、あまり見せたくはなかったんだけどね。まぁいいか」

 屍骨脈があからさまに露出するような技を君麻呂は使う気がなかった。観客たちに見せる気はなかったのだが、思わず使ってしまったのだ。
 サスケが強くなっていたから。

「椿の舞」

 君麻呂は骨の形を槍へと変じていくと、独特の構えでサスケに向き直る。
 ここで初めて、君麻呂はサスケのことを敵として認めた。全力をもって叩き潰しても構わない程度の力を持った敵だと認識したのだ。

「次はこちらから――行かせてもらうよっ!」

 爆ぜるように、君麻呂はサスケへと肉迫する。
 




お待たせしますた!



[19775] 42.中忍選抜・最終試験――Ⅱ
Name: ビビ◆12746f9b ID:8e33bb3e
Date: 2010/09/10 14:30
2.

 槍が割けて、一対の小太刀となった。
 清流の如く、そう言いたくなる舞踊は美しさすら感じられるが、サスケにとっては恐怖以外のなにものでもない。

(――俺よりも遅い。けど、何でだ。こいつの攻撃は避け辛いっ!)

 避けて終わり、というわけではない。君麻呂の攻撃は全てが全て繋がっていた。横薙ぎに振るわれる剣閃を屈んで回避したとしても、その頭を狙って膝蹴りが飛んでくる。それをさらに防御したとしても首の後ろを狙って肘が落とされてきて――終わることなき連続攻撃はサスケに纏わりついて離れない。

(……これが君麻呂の"武"か)

 サスケの体術と君麻呂の体術の違いを言うとすれば、"実"と"虚"だろうか。
 "実"とは攻撃のことで"虚"とはフェイントのことである。だいたいは虚実どちらも使うのだが、性質としてはどちらかに傾くものだ。
 サスケの"実"は『わかっていても避けられない攻撃』。つまり、相手の反応速度すら越えて叩きこむ"一撃必殺"を指す。下忍離れした卓越した速度と、相手の虚実全てを見切る写輪眼の恩恵があるからこそ可能なものだ。
 君麻呂の"虚"は『避けられたとしても隙を与えずに攻撃をし続ける』。つまり、相手に虚実を全く感じさせない流れるような"連続攻撃"を指す。二刀流を使いこなす技術と、相手の攻撃を受けても致命傷にはならないという自負があるからこそ可能なもの。
 真逆の二人。
 しかし、心の奥底に宿るものは似たようなものではないだろうか……。

「お前如きに負けたら……あいつに会わせる顔がないっ!」
「あの御方の下僕たる僕に――敗北は許されないっ!」

 骨の小太刀とサスケの苦無が交錯する。
 耳障りな甲高い音が闘技場内に激しく響き渡り、幾音も重なり合う。
 下忍――それはつまり、忍者見習いということだ。まともな仕事を回してもらえない、一種丁稚のようなものでしかないのだが――、見るもの全てに感嘆のため息を強要する武術を扱うこの二人を下忍の枠に嵌めたままでいいのだろうか……、観客たちはそう考える。
 ここにもそう考える男がいた。

「なかなかの試合ですな、火影殿」

 観客席の奥のほうにある特別席。重要人物だけが座れるそこに現れたのは大きく『風』と書かれた笠を被った男。不健康な――血色の悪い顔立ちは不気味な空気を漂わせていた。
 その男に声を掛けられた火影と呼ばれた男――老人は皺が深く、若さを感じられない。しかし、生気漲る双眸は老いを感じさせることはない。その歳でありながらも木の葉隠れの里で最強の証明である火影に君臨していることを感じさせるものだった。
 
「おぉ、風影殿ですか」

 鋭い視線を試合に向けていた火影は好々爺のような朗らかな笑みを浮かべると、風影に相対した。
 隣はよろしいか、と問う風影に柔らかく頷くと、風影は火影の隣に座る。

「いやはや、我が里の未熟な姿を見せるのは恥ずかしいものですよ」
「ご謙遜を。あれほどの下忍が育つ木の葉隠れの里――恐怖すら感じられます」
「……あれは特別な部類。今風の言葉で言うとサラブレット、ですかな? 将来は我が里の支柱になれる逸材、と思いたいところです」

 ふいに火影の表情は陰を帯びる。まるでなれないことを前提に語るその姿は一種異様だった。
 風影も不思議に思って「潰れる可能性もある、と?」と問いかけるが、

「忍は甘くありません。風影殿もよく御存知なことなのでは?」
「はて……、ね」

 腹の探り合い。
 はぐらかすようにお互いに薄っぺらい笑みを浮かべる。

「さて、火影殿。お話の途中悪いですが、どうやら試合が動きそうですよ」
「……ほう?」

 両者の視線は試合に戻る。
 闘技場の中央でサスケと君麻呂が距離をとって睨み合っていた。
 お互いにほとんど無傷のままで、体術のみでは傷を与えることはできなかったのか。肩で息をすることもなく、いたって平静なままだ。今まではあくまで小手調べだということがわかる。どちらも力を振り絞って戦っていたわけではなく、相手の実力を探っていただけなのだ。

「……力を温存、なんてできるほど易しい相手ではないことはわかっていた」

 ふん、とサスケは鼻息を鳴らすと、自嘲気味に呟く。
 君麻呂は気分を害したのか、ぴくりと米神を引き攣らせる。

「手加減していたとでも?」

 威圧の空気が混じるその言葉にサスケは首を横に振る。

「一応は本気だった。手は抜いていない。ただ、全力を出していなかっただけ」

 つまり、それは――

「見せてくれるんだろう?」
「……見せてやる。まだ、使いこなせていないんだがな」

 サスケは再びポーチから巻物を取り出すと、口寄せの術を組む。
 出てきたのは一振りの刀。
 観客席からサクラとナルトと一緒に並んで試合観戦していたカカシの目が見開く。

(……使うのか)

 それはカカシが与えたものだ。いや、父から受け継いだ――結局、自分は使わずに封印していたものだったのだが……
 
「普通のチャクラ刀だね」

 その通り、とカカシは頷く。
 はたけサクモと――【木の葉の白い牙】と呼ばれていたカカシの父が使っていた、それだけの刀である。せいぜいがチャクラを増幅する程度の機能しかない、最新のチャクラ刀よりも性能の落ちるそれ。実のところ大して珍しいものではなく、むしろ、忍具専門店でもっと良いモノが買えるだろう。
 だが、サスケはこれにこだわった。
 
『格好良い死に様だ。俺も、そんなふうに生きたい。――できれば、死にたくないけど、死ぬのならそんな感じが……いいな』

 修行中にうっかり口を滑らして語ってしまったカカシの過去。
 それを聞いたサスケに刀を奪われ、どうせ使わないものなのだからと自分に言い聞かせ、カカシはそれを手放した。

「俺が持つよりは、相応しいんだろうか」

 仲間を助けるために任務を中止し、結果――自害したカカシの父であるはたけサクモ。
 それを軽蔑していたはたけカカシ。
 そんな自分を敬ってくれるうちはサスケ。

(――ま! そんなのもいいのかもしれないけどね)
 
 去来する想いを振り払い、試合の進展を眺めることにした。
 そこには笑っているサスケがいて――

「これは普通じゃない。仲間を助けるために未来を失った――、馬鹿な男が残した刀らしい。いわくつきってやつなんだろうな」
「材質が特別だとでも? そうじゃない限り、どんな伝説が付随しようとも、武器はただの武器だよ」

 君麻呂の言うことはあくまで常識であり、サスケの言うことはあくまで非常識。

「強くなれる気がする。そうは思わないか?」
「思い込みだね」

 だが、サスケにとっては唯一の真実。
 命を捨てて守ろうとしてきたナルトを思い出し、はたけサクモをそれに重ねる。

(……この試合とは関係ないんだろうな。仲間の死がかかっているわけでもない)

 負けたからといって誰も死なない。だけど、

(こんな試合に負けてるような小さな男じゃ、この手に何も残らない)

 ぐっと刀を握り締めるのは無銘の一振り。名をつけるとすれば、【英雄の遺刀】と言ったところだろうか。
 サスケはくつくつと笑う。それはまるで、自分が英雄になれるみたいではないか。

「いいさ。言葉では伝えられないものってあると思うし、だから、力で示してやる」

 刀を逆手に構え、チャクラを流す。
 うちはサクモが【木の葉の白い牙】と呼ばれていた由来をサスケは知らない。
 それを知る観客たちは息を呑むが、試合に集中しているサスケは気付かない。
 サスケが持つチャクラ刀は白い光を帯び、清浄な光を放っているのは単に雷の性質のチャクラを流されているから、というだけのことなのだが――人はそうは思わない。
 天才忍者の再来。
 誰しもが予感する。こいつは大きくなる、と。

「さっきも言ったけど、もう一度言わせてもらう」

 今はまだ小さなナリで、それでも大きな意思を抱いて、サスケはマグマのように熱い双眸を君麻呂に向ける。

「お前は確実にぶっ殺す」

 対する君麻呂は既に絶滅していたと思われた血継限界【屍骨脈】を継承するかぐや一族の生き残り。
 骨を一対の小太刀に形成することができるほどに自分の力を使いこなし、体術も通常の下忍とは一線を画す。

「じゃあ、僕も改めて言わせてもらうよ」

 観客の大名たちは息を呑む。
 これは最高の娯楽だ、と。

「負け犬の遠吠えにならないように努力したほうがいいよ。言うだけ言って倒れるのはあまりにも惨めだから……」

 英雄の再来と死した一族。
 将来はどちらも天才と言われるだろう二人の戦いは、とてつもなく価値のあるものであり、意地を張り合いなどは見ていて手に汗握る。
 サスケの姿が風に消えた。否、速過ぎて肉眼で捉えることができないのだ。
 そして、再び硬質な音が耳を侵す。

「――決めるつもりだったんだがな」

 白く輝くチャクラ刀は君麻呂の首を断絶しようと一閃していたのだが、君麻呂は小太刀二刀を交差させて受け止めていた。
 だが、

「クッ……」

 苦痛の吐息を漏らし、君麻呂の膝が地面につく。
 何故かはわからず、ただただ君麻呂は疑問符を浮かべる。
 そんな君麻呂を冷たく見下ろすのは一対の写輪眼。刀を掲げるうちはサスケ。

「倒れ伏せろ」

 今度こそ、断ち切る。
 サスケは刀を思い切り振り下ろすが、しかし、それは布石。

「……唐松の舞」

 突如、君麻呂の身体全身から骨が突き出た。
 唐松――縦横無尽に咲き誇る竹のようであり、尖った切っ先はサスケを襲う。
 硬質な骨は刀を絡め取り、全身に電流が流れようとも、苦痛に耐えて君麻呂は骨を操作し続ける。
 写輪眼で全てを読み取れるサスケは無傷で回避したが、刀は手放すことを強要される――かのように思われた。

「口寄せ・チャクラ刀」

 刀は再びサスケの手に戻る。
 絡め取ったときに負ったダメージは無駄に終わったが、君麻呂は楽しそうに口を歪めていた。

「……厄介だね。完全に君を見くびっていたようだ。ここでの戦闘はケリをつけることは――無理かな」
「何?」

 言葉の意味がわからず、サスケは問うが、君麻呂が応えることはなかった。

「審判、僕は棄権する」

 わかった、とだけ困惑顔で担当の忍は言うが――サスケは納得できない。

「逃げるのかっ!?」
「ふふ……そういうわけじゃないけどね」

 君麻呂は後悔の色を感じさせず、するりとリングから抜け出た。
 観客席にいた音の忍たちのところへ行くと、呆気にとられたサスケを見下ろす。

「また後で遊ぼう」

 怒りがこみ上げる。
 まるで勝利を渡されたかのような不快感。自分をないがしろにされた、舐められているという感触。
 とても、むかつく。

『勝者、うちはサスケッ!!』

 勝利したのに嬉しくない。
 サスケは敗者のように肩を落として、ナルトたちのほうへと歩いて行った。



[19775] 43.中忍選抜・最終試験――Ⅲ
Name: ビビ◆12746f9b ID:8e33bb3e
Date: 2010/09/16 11:25
3.

 勝敗の見えている戦いほどつまらないものはない。
 ナルトは常々そう思っているし、ナルトと同様に暇そうに試合を観戦しているサスケもそうだろう。サクラははらはらとしながら戦闘を見守っているが、それは知り合いが怪我をすることを心配しているだけだ。
 日向ネジと日向ヒナタの柔拳による同門対決。お互いに相手の技を知り尽くしている戦闘は技の習熟度で決まってしまう。
 技量に関して言うとすれば『比べることも愚かなほどの隔絶した差がある』と言う他ないだろう。
 動きの一つ一つに明確な技量の差が浮き彫りになる。
 ネジと比べたらヒナタの動きは鈍重極まりなく、無駄が多い。それに身体の性能の差もあるだろう。それほどに男と女の力は違うし、敏捷性も男のほうが勝る。
 幾度もヒナタの身体に拳を突き刺し、チャクラの通り道である経絡系に直接チャクラを流し込み、チャクラの流れを阻害していく。
 封鎖に次ぐ封鎖でヒナタの身体は著しくチャクラの巡りが悪くなり、どんどんと顔色が青ざめていく。
 だが、ヒナタは諦めることを知らないのか、ただただ愚直にネジへと向かっていく。

「……実力差はもうわかったでしょう?」

 ヒナタの力のない突進。虚ろな眼光。
 ネジはヒナタの懐に潜り込むと同時に鳩尾に肘を抉るように撃ち込むと同時にヒナタの右腕を肩に乗せ、勢いそのままに地面へ落とすように投げ飛ばした。
 強烈な衝撃が全身を襲い、ヒナタは咳込む。吐き出される息の中には血が混じっていた。
 無様な姿を晒すヒナタに憐憫の眼差しを落とすのはネジだ。何故諦めないのか理解できず、このままだらだらとした戦闘を続けることに忌避感を覚えているよう。

「ヒナタ様……そろそろ棄権してはくれませんか?」
「……嫌、です」

 呆れた、と言わんばかりに力の抜ける嘆息を漏らしたのはネジ。
 腰ほどまで伸びた黒髪を面倒くさそうに掻き毟り、「宗家を守るのが分家の俺の役目なんですけどね。それに、弱い者イジメは好きじゃない」と、わがままな子供に対して言うような声音で話す。
 お前なんか相手にならないんだ、つまりそう言っているわけだ。
 日向宗家のヒナタ、日向分家のネジ。分家は宗家のために生きねばならないし、宗家は分家を上手く使うことと日向の血を絶やさないために子を為していくのがそれぞれの義務。このままヒナタを痛めつけ、万が一にも子供が産めない身体になってもらっては正直言って困るし、ネジの立場も悪くなる。
 だからネジはこれ以上戦いたくなかったのだが……

「……私は、私は……弱くなんかないっ!」

 血の混じる叫びとともに、ヒナタは勢いよく立ち上がる。

「人にはそれぞれ持って生まれた義務というものがある。それが俺の考えです。
 ヒナタ様――正直申し上げさせていただきますが、貴方の武の才能はない……相手の身を思いやる精神はときに美徳と言われますが、実戦においては邪魔な感情でしかない。
 割り切れない貴方のことを軽蔑する気はありませんが、同門の先輩として言わせてもらいますとね……優しすぎるんだ。甘いと言ってもいい」
「……そんなことっ!」

 ネジの言葉を遮るようにヒナタは声を荒げるが、対するネジは静謐な色を湛える白い双眸をヒナタに向ける。

「貴方は人を殺めたことがありますか? 身近な人が死んだことはありますか?」

 ぴくん、とヒナタの瞳孔が開く。
 悲しみすら感じられるネジの眼に魅入られ、動けなくなってしまった。

「先に言っておきますが、どちらもないに越したことはありません。殺すのも死ぬのも、どちらも経験しないほうがいいに決まっている。
 けど、忍の世界では違うんですよ。
 すぐ隣に死という現実は転がっていますし、殺さなければ死ぬという事実も目の当たりにすることでしょう」

 何かを思い出すようにネジは目を閉じて、独白する。
 戦闘中にあるまじき行為だが、ヒナタは金縛りにあったかのように動けず、ひたすらにネジの言葉を噛み締める。

「下忍の間ならヌルイ任務ばかりです。甘っちょろい思想でも生きていけることでしょう。
 しかし、中忍になるということは部下を持つということ。他人の命を責任を持たなければいけないということ。
 貴方にそれができますか? 部下の命を背負うことができますか? 任務と命を天秤にかけて、平静のまま取捨選択することができますか?
 ココロが壊れずに、逃げ出すこともせずに、冷酷極まりない無慈悲で理不尽な現実に……貴方は正面から立ち向かえますか?」
「……ッ!」

 脅しではない。淡々と放たれる台詞はヒナタの胸を抉り続けるが、ネジに敵意はない。自分の知った現実をヒナタに伝えているだけだ。
 覚悟もないのに中忍になるな、迷惑だ、そのようにも聞こえるし、わざわざ向いていない道を進むことはない、と諭しているようにも見える。

「正直なところ、俺だってそんな覚悟はありません。できるかどうかだってわからないです。そんな俺だからはっきりと言わせてもらいます。
 貴方は忍の道を諦めて、良き旦那を見つけるほうが幸せに繋がる。きっとヒナタ様は、忍になりきることはできないと思います。
 次の日向に血を繋げる。これだって大事な……俺のような分家ではできない大事な使命です。
 中忍試験――考え直してもらえませんか」

 日向宗家の女に自由恋愛などというものはない。
 血を薄めないために日向の血を継ぐ同門の男と結婚するのが習わしだ。
 おそらく結婚するだろう相手は好きな人ではなく……そんな考えを振り払うようにヒナタは拳を突き出し、柔拳独特の腹部を守り易い構えをとる。
 戦闘の意思を弱めないヒナタに対し、ネジは天を仰ぐ。
 そんなネジにヒナタは答える。

「ネジ兄さんの言っていることはいちいちもっともだと思います」

 深く頷きながら喋るが、端々から感じられる力強さは諦めないという意思を明確に教えてくれるものだった。

「私は他人の命を背負えるほどの強さはないと思います。恥ずかしながら、そんな覚悟は今はないと断言できます。
 それでも諦めることだけはできないんです。
 こんな私でも好きな人がいますし、その人に私の諦める姿だけは見せたくないから……」
「想い人は会場にいる――つまり、そういうことですか?」

 ヒナタは恥ずかしそうに頬を朱に染めるが、瞳は決して逸らさない。
 ネジの白眼は相手の思考すら読み取れる。どうも嘘は言っていないようだし、そもそもヒナタが嘘をつくのが苦手だと知っている。
 本音なのだろうな、と呆れるように吐息を漏らすが、その吐息には少しだけ嬉しさが滲んでいた。

「……はい。女の子でも……意地ってものがあるんですよ。格好悪いところ――見せたくないじゃないですか」
「それなら、まぁ……変な理屈をこねられるよりも分かりやすくていいですね」

 誰を好きになったのかは少々気になるところではあるが、戦う理由がある以上、人とは退かないものだとネジは知っている。
 ネジと同じ班にはロック・リーという奴がいて、そいつが本当にくだらない理由で馬鹿みたいに努力をする。その理由が本当に、ネジにとっては本当にくだらない理由だったのだ。

『忍術が使えなくても、立派な忍者になれることを証明したいっ!』
『ネジッ! 僕は絶対に君を倒せる忍者になる! 絶対に、ですっ!』

 などど息せき切っていつも己に苦行の如き修練を課している。
 ネジからすればどうにも理解し難い人種だが、その程度の理由で頑張れる奴もいるのだ。好きな人に格好つけたい――そんな理由で頑張れる奴だってそりゃいるだろう、ともネジは思う。
 まさかそれが対戦相手、しかも同門で、挙句の果てには自分の上の立場に当たる宗家のヒナタになるとは思っていなかったわけだが……。

(……自信がなくて、いつも人から逃げるように動いていたヒナタ様がなぁ)

 感慨深いものがある。
 ヒナタは十分に挫折を味わってきていると思うが、本当の挫折を味わったことはないだろう。
 今までは逃げてばっかりだったのに対し、今は立ち向かおうとしているのだから。
 ここで倒すのはあまりに酷だということはわかっているが、甘い顔をするわけにはいかない。
 淡い想いを心の奥に沈め、できるだけ無表情にし、ヒナタのことを睨みつける。

「つまり、ぼろ雑巾になる覚悟はできているということですよね?」
「……えぇ」
「わかりました。では――」

 すう、とネジは空気を暴飲し――

「宗家――日向ヒザシ様! ここにいるのはわかっていますっ!
 俺はこれから全身全霊をかけて宗家の直系である日向ヒナタ様を打ちのめします!
 構いませんかっ!?」

 ネジはここにいるだろう宗家に叫んだ。
 観客席に座っていた日向ヒザシは驚きに眼を見開くが、にやりと口を歪めると――

「これは公式の場での決闘だ。そこに私情は含んではならんし、宗家と分家の垣根もいらん。故に、一向に構わんっ!」

 そう叫び返した。
 赦しを得たネジはこくりと頷くと、ヒナタと全く同じ構えをとる。

「再起不能にならない程度にぼこぼこにしてさしあげます。恨まないでくださいね」
「……負けませんからっ!」

 ネジは楽しげに笑う。
 自分の守るべき対象が自分に牙を剥く。
 これはこれで楽しいし、反抗的な女の子とはだいたいにして虐めたくなってくるというものだ。
 心が折れたらどんな表情を浮かべるのだろう、という嗜虐心がもたげるが、ネジは何とか自制する。
 どす黒い情念が芽生えてくると、抑えてきた辛い過去が起因して、取り返しのつかないことになりそうだから。

「吼えますね。まぁ、戦闘なんだからそれくらいは必要です」

 自分の本音が出てくるまでに、ヒナタをさっさと倒してしまおう。

「覆りませんけどね」

 そう考え、ネジはできるだけ素早く倒すために本気を出すことにした。
 勝負が終わるまでに要した時間は八秒弱であり、ヒナタはあっさりと地に倒れ伏した。

 ◆

 ヒナタが目を覚ましたとき、そこは知らない場所だった。
「……ここは?」と誰にともなく呟いた言葉には、しかし、返答があった。

「病院だ」

 聞き覚えのある、少しだけ騒々しい声は犬塚キバのものだった。
 ヒナタは身体を動かそうとしたが、指先に少し力を入れただけで全身に痺れるような激痛が走る。
 何故こんな状態になったのか、自分がベッドで寝ているのか、無機質な白い個室にいるのか――ふと、思い当たることがあった。

「あ、そうか……私、負けたんだ」

 自然とこぼれた言葉と、頬を伝う雫。
 生温かいそれは涙と呼ばれるものだった。

「にしても、日向ネジは強いな! 勝てないのも無理はねーよ!!」
「キバ」

 ベッドの隣に座るキバは慌ててヒナタを慰めようとするが、個室の端で壁にもたれて立つシノがキバに呼び掛ける。
 キバがそちらに視線を向けると、シノは時計を渡してきた。

「あ? わかってるって! そろそろ俺の試合だもんな!!」

 テンテンとテマリの戦闘が終われば次はキバの試合だ。

「……あ、応援行かなきゃね」
「無理すんなって! お前は寝とけよ!!」
「……うん」

 顔を歪ませて立ち上がろうとするヒナタをキバは抑えつけ――

「キバ、そろそろ……」
「うっせーな! 空気読めよ!!」
「お前にそれを言われることになるとはな……」
「チッ、まぁいいや。おら、行くぞ!」

 そのまま個室から出て行くために扉を開いたが、気付いたようにヒナタに振り向く。
 優しい表情を浮かべたそれは、正しくヒナタを想いやっていた。

「ヒナタ、安静にしてろよな!」
「うん。キバくんも頑張ってね……」
「おう!!」

 扉が閉じると同時に、ヒナタは拳を握りしめる。
 とても痛い。
 だけど、それよりも痛いものがあった。

「……う、ぐぅ……負けたの、かぁ……」

 負けることはわかっていたけど、ここまであっさりと瞬殺されるほどに自分が弱いとは思っていなかった。
 ヒナタは自分なりに厳しい修練を積んだつもりだったし、才能がないなりにひたすらに技を鍛えていたのだ。
 しかし、八秒。
 結果はいつだって残酷なものであり、努力すれば結果が出るとはいっても、その結果がこれではあんまりだ、とヒナタは思う。
 弱い。
 自分の弱さに涙が滲み、泣いてしまう自分を嫌悪してしまう。

(……向いてない、のかな)

 他人を殴ることは嫌いだし、殴られるのも嫌い。
 暴力沙汰に関してはヒナタはとても苦手だったが、忍者になるということはそれを許容しなければならない。
 しかし――

「見舞いにはやっぱ林檎だろ?」
「いいや、バナナだ。バナナのほうが美味しい」
「お前の趣味なんか聞いてねぇよ……」
「あんたたちはいまいちわかってないわね。やっぱり必要なのはメロンなのよ」
「俺はメロン嫌いだなぁ」
「どっちでもいい」
「えぇー」

 物思いに耽っていたせいで、ヒナタは扉の外から聞こえる元気な声に気付かなかった。
 豪快な音を立てて扉が開いたときに初めて誰かが自分のところに来たという事実を認識し――

「っと、見舞いにきたぞー」
「……うぇ?」

 見舞客はナルトとサスケとサクラのヒナタと同期の七班だった。
 その七班のメンバーは部屋に入った瞬間に気まずそうに顔を合わせる。
 何故なら、嗚咽を漏らしながら涙を流すヒナタがベッドにいるのである。いづらいなんてものではなく、ただただ沈黙するしかない。

「おい、邪魔したみたいだ。退散しようぜ」
「ナルト、引っ張るな」
「お元気でー」

 お呼びではない、と思ったナルトはサスケの手を思い切り引っ張ると部屋から出て行き――

「あ、いや……ちがっ!」

 慌てて呼びかけるヒナタは、サクラと二人っきりになってしまった。
 扉が閉まる音が虚しく部屋をこだまする。
 果物がたくさん入った籠を持っているサクラはてくてくとヒナタに近づいていくと、椅子に座り、棚の上に果物を置いた。
 無難に林檎を手に取ると、苦無を取り出して切り分け始め、紙皿の上に皮を剥いたうさぎさん林檎が置かれていく。
 無言でそんなことをするサクラから変な重圧を感じ、ヒナタは掛け布団で顔半分を隠して、ちらちらとサクラの方をうかがった。

「……ねぇ、ヒナタ」
「え、え、えっ!?」

 ふと問いかけられた言葉に反応することができず、ヒナタはひたすらにどもる。
 林檎を差し出されるが、ヒナタは食べることはせず、サクラが喋るのを待つ。
 どれほどの時が流れたのか、果てしない重圧は消えることなく、ヒナタの精神力を削っていたのだが、とうとうサクラが口を開いた。

「あの鈍感な金髪男のどこがいいの? 私には理解できそうにないんだけど……」
「あ、いや、え……?」

 自分の想い人がばれているという事実は更なる痛撃をヒナタに与えた。

(……もしかしたらナルトくんも気付いてる!?)

 恐ろしい妄想が頭の中に浮かんでは消え、ふるふると首を振る。

「ちなみにナルトは気付いてないわよ。まぁ頑張りなさい……」
「……はい」

 がっくりと項垂れ、ヒナタはしょんぼりとした。
 そして「私も試合会場に戻るね」とサクラは言い残すと、部屋から出ていく。
 本当の一人。しかし、さっきのように涙が出ることはなかった。

「……もっと、頑張らなきゃ」

 修行も恋も、どちらとも。
 どちらに重点を置くかを悩み始め、ヒナタはまた思考の渦に没頭していく。



[19775] 設定資料集……ってほどのことでもないかも。ネタバレ注意
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/07/12 10:53
原作との変更点だけを羅列します。


【多重影分身について】
経験を蓄積するという設定はなしです。いわゆるNARUTOの一部設定のままです。
理由は二つあります。

1.都合良すぎ。ナルトの強さがえらいことになるから。
2.もし経験が蓄積されるのならば痛みなどの経験も蓄積されないとおかしい。もしそうなら影分身の受けたダメージも全て身体に刻まなきゃいけないので使うメリットがなくなる。

の二つです。
まぁ主に理由は1です。安易に最強化してしまう主人公は書いててつまらないですしね。
あと、泥臭い戦いや知略を尽くした心理戦などが好きなので、一気に強くしたくないのです。これが一番の理由だったり。



【ナルトの使用する術の変更点について】
そもそも原作ナルトは影分身と螺旋丸しか使ってないですし、それだと戦闘のバリエーションが凄く限定されてしまうので土遁を覚えさせました。
土遁書いてて楽しいんですよ。攻撃に使えるし、隠れるのにも使えるし、防御にも使えるし、騙し技にも使えるし、実に便利です。地味なのが問題ですけどね! まぁ忍者は忍ぶものですから地味なほうがいいはず。



【首斬り包丁について】
鮫肌があまりにもチートすぎるので魔改造しました。

1.チャクラ伝導率が極めて高い。
2.チャクラコントロールの補助的な役割をする。

の二つです。
ナルトが使うことに決めてから、あのままじゃ使い道ないだろ……ということで上記の魔改造を加えました。そこまでチートってわけでもないのでおそらく暴力的なまでの活躍をする予定はありません。
でも、日本には『予定は未定』という素晴らしい言葉がありまして……(ァッー!




とりあえずこんなところですかね。
わからないところがあれば質問お願いします。答える必要があって、なおかつネタバレにならないことなら返答させていただきますので。


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