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[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません。05/26 第9話追加)
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/05/26 15:58
 前書き


 この作品は一発ネタ……のはずでしたが、感想での希望者多数により、何とか少しずつ続きを書くことにします。
 但し暇を見ての執筆なので、間が空くのは勘弁してください。
 優先する連載もあったりしますし、某所のナデシコも2年以上止まってますし。

 ∀ガンダムのクロス作品ではありません。

 ∀の由来は、設定上、ある意味すべての並行世界(=あらゆる2次創作)と繋がっているようなものだったりするところからです。
 すべての二次創作を肯定する設定なので、∀だったり。


 ですので、プロローグ部分の設定・ネタは、勝手に引っ張っちゃってかまいません。そうでないと作品の設定に反しますw
 盗作誤解を防ぐため、引用元としてここの名前が書いてあれば十分です。
 あ、一話以降は分岐世界になりますので駄目ですよ。


 以上、ご注意の上お読みください。


 04/06 本文をプロローグに。第1話追加
 04/07 第2話追加、第1話誤字訂正
 04/07 発作的に第3話追加、感想掲示板で指摘された誤字訂正。
 04/09 第4話・第5話追加、細かい誤字・語句修正。指摘ありがとうございました。
 04/12 第6話追加、第5話名前修正。
      指摘に合わせて巌谷中佐の言葉遣いを訂正。指摘ありがとうございました。

 04/17 第7話追加、他話誤字訂正。
 04/26 第8話追加、第6話誤字修正。
 05/26 第9話追加


 誤字や設定上の疑問は遠慮無く感想板で指摘してください。
 こちらの意図したもの以外は次回更新時に修正させていただきます。



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) プロローグ それはうちすてられたすべて
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/12 14:45
 それは、些細な偶然。
 無数に連なる並行世界・多元宇宙・因果地平。
 その中の一つで、ちょっとした誤差……エヴェレット解釈の揺らぎが、世界の運命を変えるほどの暴風となった。
 後に彼は語る。蝶の羽ばたきが、地球を割ることもあるんだなあ、と。
 
 その時彼は、なし得ることを為して、光に包まれていた。これで終わり。自分はあの、平和に満ちあふれた世界へ……本来の居場所へ帰るのだ。
 幾多のこぼれ落ちる記憶と引き替えに。
 そう思ったとき、彼……白銀 武は、今まで過ごした世界が、とても懐かしくなった。
 名残惜しくなった、といってもいい。
 都合二回体験した、戦いの日々。最初は何も出来ず、次は犠牲を出しつつ何とかなった。
 そんな思い出が走馬燈のように浮かび……光の中、彼は振り返った。
 
 
 
 それが、よくなかったようだ。
 
 
 
 何故か彼は、光の中に消えつつ--こけた。
 
 
 
 
 
 
 
  ∀ Muv-Luv  それはうち捨てられたすべて
 
 
 
 「う……」
 武が目をあけると、そこは霧の中であった。起き上がろうとするが、何故か手がつけない。
 まるで宙に浮いているかのようであった。
 と、その霧が急速に晴れはじめる。いや、無数のかたまりに凝集していく。やがてまわりは、宇宙空間を思わせる漆黒の『無』と、そこに浮かぶ無数の人影へと姿を変えていた。
 その人影の姿に、武は見覚えがあった。いや、ありすぎた。
 そこに浮かんでいたのは、無数の……それこそ視界すべてを埋め尽くすほどの『白銀武』だった。
 「お、自意識がある」
 「みたいだな……『観測者』が来たのか?」
 「らしいぞ……ああ、『彼』だ。明らかに因果要素が軽い」
 「おお、そりゃラッキーだ」
 自分以外の『武』は、この事態を理解しているのか、口々に自分と同じ声で話し始める。聞こえる声が操作リプレイなどの時の自分の声と同じだから、間違いあるまい。
 「と、いうわけで、ようこそ。どこかの白銀武。この『因果のゴミ捨て場へ』」
 「おい、せめて墓場と言えよ」
 「い~や、ゴミ捨て場で十分だろ? オーバーフローでこぼれ落ちた、因果要素なんて」
 武は混乱した。無理もあるまい。自分でない自分が無数に集まって、自分のことをあーでもないこーでもないと言い合っているのだ。
 
 「なんなんだよ一体! おまえ達は何なんだ! みんな俺と同じ顔形して、俺の声でしゃべって!」
 
 その様子に、無数の武達は皆一様に「あちゃ~」という表情を浮かべた。
 「混乱するのも無理ないか」
 「でもよ、ということはこいつ、相当『軽く』ないか?」
 「ああ」
 そして武達の中から、とりあえず代表ということなのだろう、一人の『武』が進み出てきた。
 見た目からすると、今の武を6~7歳年上にした感じだろうか。
 彼は開口一番、とんでもないことを武に告げた。
 
 「あ~、俺たちはだな、全部『元・白銀武』だ」
 
 「も、元?」
 
 「ああ、『元』だ。より正確に言えば、『因果の統合の際に容量不足でこぼれ落ちた、白銀武という因子の蓄積』だ。で、『観測者たる白銀武』」
 
 彼はじっと武を見つめると、ゆっくりとした言葉で武に質問をしてきた。
 
 
 
 「おまえ、ここに来る前に『何回』体験した? BETAとの戦いを」
 
 
 
 その言葉が、惑乱していた武の脳髄を冷やした。その一言だけで、ここにいる「武達」が、皆BETAと戦ってきた存在であることを理解する。
 だから武は言った。
 
 「2回、だけど……夕呼先生は、これでもとの世界に戻れるはずだと……」
 
 その瞬間、世界が爆発した、かと武は思った。無数の武達が、一斉に驚愕と歓喜の叫びを上げたのである。
 
 「おい、まっさらだぜ!」
 「嘘だろ、『あの』武なのかよ!」
 「信じられねえ……けど、道理で『軽い』上に『観測者』になれるはずだぜ」
 「おい、てことは、こいつなら」
 「ああ、「もっていける」ぞ!」
 
 少ししてその大騒ぎは収まった。が、武達の視線はすべて自分に向いている。
 
 「なあ……どういうことなんだ?」
 武は、目の前で唯一騒いでいなかった『代表者』の武に話しかけた。
 「ああ、まあおまえには、おまえにだけは、判らんだろうな」
 そういうと彼は、武に向き直ると、今までにない真面目な目で武を見つめてきた。
 「これから俺の説明することを、是非ともおまえに聞いてほしい。そして、どうするかはおまえに決める権限がある。どんな道を選ぶも、おまえの自由だ。ま、たぶん俺たちの予想通りになる気もするが。別人に見えても、ここにいるのは全員おまえだからな」
 そして彼は説明をはじめた。あまりにも予想外の、驚くべき『事実』を。
 
 
 
 「おまえさんは、最初何も出来ず、続いて桜花作戦を多大な犠牲と共に成功させた白銀武、で間違いはないな」
 最初に確認するように問う『代表者』。
 武は黙って頷いた。
 「なら問題ねえな。まず最初に、ここにいる『俺達』が何者か説明しよう。俺達はな、おまえが体験してきた2回の戦いに納得できず……『3回目』以降に突入した白銀武、そのなれの果てみたいなものだ」
 「3回、目?」
 これで終わりだと思っていた武には、予想外の一言になった。
 「お、意外そうだな。だから2回目でここに来るなんて事も出来たんだろうがな。でも事実だ。おまえさんは考えもしなかっただろうけどな、実のところ並行世界って言うのは、それこそ『無数』にあるんだ。おまえの知っている元の世界も、BETAに侵略されている世界も、そんな『無数』のうちの一つでしかない。
 平和な世界も、BETAに侵略されている世界も、それぞれ一つきりじゃない。どっちも『無数』にあるのさ」
 武は考える。そして気がつく。言われてみればその通りだ。並行世界が2つきり、と考える方がむしろおかしい。
 「もちろん、世界は一つ一つ違う。だがな、俺達の知る世界だけでも、平和な方では純夏と結ばれた世界、冥夜と結ばれた世界、ほか委員長やタマや……結ばれた相手の分だけ並行世界が存在している。BETA側でも一緒だ。大筋……BETAとの戦いは同じ流れでも、その間に紡がれた人間関係が違う世界はいくつもある。
 俺達というか、俺、白銀武は、夕呼先生の言う『因果導体』になっていたせいで、そんな並行世界間を結びつけ、時にはループする存在になっているわけだ」
 「ああ、それは一応判る。いろいろあったし……」
 つらそうに言う武を、彼は慰めるようにその肩をなでた。
 「言うな。ここにいる『俺達』はほとんどがその思いを知っている」
 「ああ、そうか……3回目以降って言うことは、俺の辿ってきた道のりは、みんな知っているって言うことか」
 「そうなる。だがな、それは些細なことだ。ここからが本題になる。心して聞いてくれ」
 
 武の心に、何かが灯された。
 
 
 
 「正確に言うと、俺達は『元』と言ったように、白銀武本人じゃない。同じ人格や記憶は有しているものの、こぼれ落ちたものでしかないんだ」
 「どういうことだ?」
 武の問いに、彼は答える。
 「因果導体がループをするというのはな、何も単独の『自意識』が時間を遡航している訳じゃないんだ。実際に行われているのは、呼び出す側である存在……俺達の場合はあのケースの中の純夏だな、あれに呼ばれる際、この無窮の空間……まあとりあえず『因果地平』とでも言っとくが、ここに散らばっている『白銀武』って言う存在に繋がる因果関係をかき集めて、呼び出される存在である白銀武を構成しているんだ。ただその際、すべての因果が統合される訳じゃない。人間としての存在には限りがある。だがな、白銀武って言う因果導体はちょっと特殊でな、因果世界においては事故というか、パイプの水漏れに近いんだ」
 「水漏れ?」
 その表現に疑問を持つ武。
 「ああ、因果導体としてはある意味破格だ。普通の因果導体的存在は、ある程度まとまっているもので、こういう風に並行世界間の間の因果地平に要素がぶちまけられたりはしない。
 いろいろな要因が重なって、純夏の思いがこの時空構造に傷をつけ、そこからこぼれ落ちた因果が『白銀武』って言うわけだ。
 そんなもんだからな、白銀武って言う因果導体の持つ因果要素は、ループによる蓄積もあって、並行世界すべての白銀武という器をかき集めても追いつかないくらいの量になっちまってる。一つの世界で武が呼ばれるたびに、必要な要素がかき集められ、その世界の武にとって不要と思われる要素……死んだときのショックとかな、そういうものはそぎ落とされる。
 そんな、そぎ落とされた要素が互いを補完して、白銀武っぽいところまで集まったのが、ここにいる『俺達』なんだ」
 「ゴミとか、墓場って言うのはそういうことか……」
 思わず頷く武。自分が蓄積し、そしてそこからこぼれ落ちたものから再構成された自分。
 それがこれほどの量になると言うことは、自分は一体、どれほどの時空で、どれほどの間戦ってきたというのだろうか。
 考えるだけでもめまいがしてきた。
 「まあここには時間の概念がないに等しいからな。普段は俺達は、因果の要素として、観測前の状態になっている。意味は判るだろ、エヴェレット解釈」
 「さすがに一応は」
 元の世界に一時的に帰るために、夕呼先生がやっていたあれだろうと思う武。
 「そんなところに、相互補完じゃない、完全体としての『白銀武』の意識を持つおまえが偶然迷い込んできたわけだ。おまえは独立した自意識を持つ個体だから、エヴェレット解釈における『観測者』としての立場になる。つまり俺達は、今おまえが見ているから存在するんだな」
 「そうだったんですか」
 「そう。さらに言うとおまえは『軽い』。正確に言うと、純粋に2回しかループしていない存在なんで、『因果容量』に余裕がある。望むならおまえは、ここから許す限りの『情報』を持ち出すことが出来るんだ」
 「そうなんですか?」
 「ああ。まあ素直に元の世界に帰るのも有りだと思うんだが、今のおまえは、幸運な偶然から、並行世界における無数の「俺達」が蓄積した情報の中から、選りすぐりのものを持って『3回目』に挑戦することも出来るっていう訳だ」
 3回目……その言葉が彼の口から出た瞬間、明らかに武は緊張した。
 そんな武の様子を見て、彼は歪んだ笑みを浮かべる。
 「やっぱりおまえも、『俺達』なんだな。そうだ。ここにいるのは、それに気がついて3回目に挑み……4回、5回と繰り返して朽ち果てた記憶がほとんどだからな。まあ並行世界の方じゃ、そういう負の記憶をうち捨てた無数の『完全体』の俺達が頑張っている最中な訳だが」
 「そっか……ははは、判っちまったよ。みんなが『何』なのか。何であのとき、俺が振り返っちまったのか。そうか……俺は『悔しかった』んだ。やり直してもまだあんなことになったことが。まりもちゃんに生きていてほしかった。A-01のみんなも、207Bのみんなも……委員長にも、彩峰にも、美琴にも、そして……冥夜にも、みんなに生きて、笑っていてほしかったんだ……」
 「言うな。みんな、思いは……一緒だ。思いはただ一つ。今戦っている『武達』の、誰か一人でもいい、誰も死なない、ハッピーエンドを迎えた奴が出てくれってな」
 
 
 
 しばし、武は泣いた。まわりに何人いようと関係ない。思いは同じ、自分なのだから。
 そして武が落ち着いたとき、彼は再び真面目な顔になって、驚天動地の『真実』を告げはじめた。
 「さて……武。ここからは心して聞いてくれ。これは今戦っている、並行世界の武達、その誰も知らない、いや、知ることが出来なかった情報だ」
 「どういうことだ?」
 彼は、まわりを……因果地平と名付けた、この無窮の虚空を見渡していった。
 「その情報は、この時空内でなければ手に入らなかったものなのだ。だがここのことを、並行世界で戦っているものは知ることは出来ない。今こうして、おまえという『事故』が起きるまではな」
 武は理解した。ここにいるのはほかの『武』が武になるために『切り捨てた』部分だ。切り捨てたが故に、ここのことは知り得ない。
 「そこでクイズだ。おまえの戦ってきた世界、そして俺達のオリジナルがいる世界、そうした無数の世界の中、俺達の敵である『BETA』。さて、全時空を合わせたら、その個体数はいくつくらいになると思う?」
 「それは……」
 武は考える。あ号標的規模でも、確か10の38乗ぐらいとか。それが無数の並行世界全体となったら、それこそ意味のないくらい無数に……
 そこまで考えた時点で、とんでもないひらめきが武を貫いた。
 BETAの数がそういう『無数』なら、わざわざクイズにして聞いてくる意味があるのか? そして彼は俺達の知らない情報を知っているといった。だとしたらクイズとして考えるなら、正解はむしろ逆……
 「1、とか」
 武は想像と真逆の答えを言ってみた。はたして、彼は。
 「さすがだな……正解だ」
 「ええええええっ!」
 あまりにも信じられない、その答えを肯定した。
 
 
 
 「信じられないかも知れないがな、この世界……並行世界のすべてまで考えたとき、BETAの個体数は『1』になるんだ」
 「じゃ、じゃあ、俺達の戦ってきた、あの無数のBETAは何なんですか?」
 そう聞く武に、彼はこともなげにいう。
 「なあ、人間の体内に侵入した病原菌には、白血球が対抗するよな。で、その時人間は何人だ?」
 判ってしまった、それだけで。彼はこう言うのだ。
 あれは、自分が戦ってきた突撃級や要塞級は、BETAから見れば、『白血球』に過ぎない、と……
 「まあ、オリジナルハイヴを含めた、地球丸ごとで、BETAからすれば細胞一つ分くらいだ。太陽系全部でも、細胞数個。銀河全部で、やっと臓器一つ分くらいかな。BETAっていうのは、それだけ巨大な存在なんだ」
 「は、はは、何だよ、それ……」
 「まあオルタ4もご愁傷様、って奴だ。人間が考える意味でのBETAの意識は、並行世界間に渡って存在する超次元間存在の上に乗っているものだぞ。俺達から見れば、それは『神』の意識みたいなもんだ。タイムスパンだって全然違うだろ。たぶん銀河の一生が、BETAからすれば瞬きかも知れんぞ」
 「勝てるのかよ、そんな奴らに……」
 うちひしがれる武。だが、彼はそんなたれるに、人の悪いにやりという笑みを浮かべて言った。
 「なあ武。何で人間は、病気であっさり死ぬんだ?」
 「あ」
 とたんに再起動する。そうだ。目に見えない細菌が、人間をあっさり殺してしまうのだ。
 「そういうことだ。で、ここからが最重要。何故BETAが侵略をするのか、その真実を、おまえに託したい」
 そういって彼が虚空を指さすと、そこにスクリーンのようなものが浮かび上がった。
 そこに映っていたのは……
 
 「なんじゃこりゃあっ!」
 
 思わず武も叫んでしまったもの。
 映っていたのは日本の航空写真のようであった。だが、その姿は武の知る者と大きく違っていた。
 日本中央部が、明らかに形が変わっていた。横浜あたりを中心にしてそびえ立つモニュメント。富士山すら霞まんというほどの変化。
 それはハイヴであった。だが、武の知るいかなるものより大きな。
 「それはフェイズ12……明星作戦が起こらず、純夏がとらわれたままになっていた世界で形成される、マーズ・0のフェイズ9を遙かに上回る超大規模ハイヴだ」
 「何でこんな……」
 衝撃を受ける武に、彼は語る。
 「驚くのはまだ早い。BETAの侵略理由……それはただ一つ。鑑純夏……彼女を捕らえるために他ならない」
 
 「なんだってええええっ!」
 
 再び武の絶叫が周辺にとどろいた。
 
 
 
 「正確に言えば、純夏と同じ能力を持つ存在の確保、だな」
 武が落ち着くと、彼は再び説明をはじめた。
 「相対性理論は知っているだろう? 物質は光速を越えられない」
 「ああ……」
 「BETAとて霞ではない。物理的存在である以上、いくら巨大になっても、いや、巨大になればなるほどその制約を受ける。巨大化は情報伝達に阻害を起こすから、必然的にいつかは上限に突き当たる」
 「だよな」
 「だがBETAは、その壁を『因果導体による因果交換』による情報伝達によって打ち破ることに成功した存在なんだ」
 「因果導体? 俺達のことか?」
 「正確に言えばそれを生み出せる個体……俺達の場合でいえば純夏だな。ここで考えてみろ。
 俺達の知る記憶流出、あれは因果のレベルの差違による、俺達が原因で起こった悲劇だったな」
 「ああ」
 頷く武に、彼は話を続ける。
 「だが……ここで思考実験だ。おまえが飛んだのが元の世界ではなく、『夕呼先生が00ユニットを完成させた、別のBETAに侵略された並行世界』だったらどうなったと思う?」
 「? 何か違うのか? やっぱり同じように、記憶の流出が起きるんじゃ……」
 「起こるだろうな。だが、よく考えろ。その世界には、こちらと同じ、『脳髄になって武を呼んだ鑑純夏』と、『呼ばれた白銀武』が存在しているんだぞ」
 「あ」
 武は考える。この場合、双方に脳髄の純夏が存在している。かつての時のように一方的に因果が動いた場合とは条件が変わる。こちらに流れ込むのと同等に、こちらからも因果が……
 「双方に因果の流れを通じた、記憶による通話が成立する!」
 「その通りだ」
 彼は頷く。
 「因果通信……俺達はそう呼んでいる。時空の間から他の存在に呼びかけられるだけの精神力・自我を備えた存在……BETAはそういう存在を通して並行世界間に因果通信網とでもいうものを作り上げている。因果通信は即時通信だ。物理空間を通じてでは果てしない時間が掛かる情報のやり取りも、並行世界による因果通信を使うことによって大幅に短縮が可能になる。
 そしてな……そういう存在は、BETAにとっても自ら作り出すことの出来ないもの……人間でいうなら必須アミノ酸みたいなものなんだ。BETAがハイヴを作り、人間を襲ったのは、まさに純粋な食欲……自らの拡大に必要な栄養素を探し出すことに他ならなかったんだ」
 「そんな……」
 「BETAが純夏を確保し、その心を完全に支配下に置いたとき……純夏は通信端末として完全に取り込まれ、『召喚級(サモナー)』という最悪のBETAになる。召喚級は並行世界とのBETA母群との通信及び物資のやり取りを可能とする。また、あ号標的の代わりにBETAの情報網の頂点に立ち、同時にその高度に進化したBETAの高位知性群がBETAの統率に当たる。
 これが何を意味するか判るか?」
 「BETAが……『軍隊』になるっていうことか」
 「そうだ。それも戦略、通信、兵站、そういう分野において人間を遙かに上回る、な。これが完成した世界は、見ての通り、あっという間にBETAに取り込まれて滅亡した。この情報は、この世界に存在した武からこぼれたものだ。ちなみにまだまだある。コアになった存在も、純夏だけという訳じゃなかったからな。並行世界の中には、ほかのハイヴで純夏と同じになった生存者がいた事もある」
 「運がよかったんだな、ある意味俺達って」
 「ああ。純夏が切り離されたおかげで最悪の事態を逃れると同時に、その時生じた時空の亀裂によって俺達のような存在が生まれた」
 彼は遠くを眺めるようにいった。
 
 
 
 「武。おまえにはほかにもいろいろな情報を託していける。もしその気があるのなら……BETAを、滅ぼしてくれ」
 「そういえば何故『俺』なんだ?」
 「ああ……何度もループを繰り返すと、持っていけなくなるんだ。切り捨てられても、人の心には『思い出』が残る。ループを繰り返すと、自我にこの思い出が、澱のようにこびりついていくんだ。それが負担になって、だんだんと白銀武自体が劣化してしまう。それを修復しようとしたら、ばっさりと心を切り捨てるしかない。俺達の中核自我は、そういう『切り捨てられたもの』なんだよ」
 「わりぃ、嫌なこと聞いた」
 「今更さ。そうそう、ここから持ち出せる情報は、オルタ4に必要なもの……例の数式とかハイヴデータのほか、XM3の完成版とかもあったりする。あとXM4とかな」
 「そんなものもあるのか」
 「もっともそれは現行の戦術機には不要だ。XM4はこれだけある並行世界のうちただ一つ、BETAの真実に気がついた世界由来のものだからな。とりあえず地球圏は冥王星のフェイズ11ハイヴ、イレブン・ゼロを落とせば一段落する」
 「冥王星!」
 「おい、BETAが火星から来たなんて思ってたんじゃないだろうな。BETAは外宇宙から来て、太陽系に漂着したんだぞ。太陽系のコアは冥王星だ。あれを落とせば半径10光年範囲は平気なはずさ。元々BETAは大規模侵攻するときは並行次元間転送を使うからな。
 並行次元への穴を開ける因果端末体を取られない限り、あいつらは知性持たない自動機械だ。あ号標的も、せいぜい出来のいいAIだぞ。冥王星のオメガも00ユニット程度だしな」
 「オメガ?」
 「ああ、馬鹿でかいあ号標的みたいなものさ。それはさておき、実はイレブン0を落とせば、BETAの因果通信網に干渉することが可能になる。そしてな、広大な因果網のどこかに、全次元のBETAを統括する中枢があるはずなんだ。仮称アルティメット・ワンがな」
 「アルティメット・ワン……」
 「それを落とせば、全時空間のBETAすべてが死滅する。人間が死んで腐るかのごとくな」
 
 
 
 
 
 
 
 それはあいとゆうきのおとぎばなし。
 彼らが何を成し、どういう未来を手にしたかは、
 


 ……これから、少しずつ語られていきます。
 
 



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第1話 それはふたたびはじまる、あいとゆうきのおとぎばなし
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/12 14:45
 その手に渡されたのは、見たことのないPDA。
 「データ形式は共通だから、基地のPCでデータは参照できる。どう使うかは、ま、おまえ次第だな。ちなみにデータの本体はそのメモリースティックに入っている。それだけは2001年から見て未来技術になるから、心配なら抜いておけばいい」
 手のひらに収まる棒状のパーツに、込められたデータ量はディスク数万枚にも及ぶ。
 すべてを吸い出すには基地の大型コンピューターを使う必要があるほどだ。
 そして本人に託されたのは力と技。このデータと、この地に存在する無数の武によるマンツーマンの教導。
 いや、マンツーマン『ズ』の教導だ。
 この因果空間は観測者の主観で自在に変化する空間でもあった。観測者たる武が望むなら、およそ出来ないことはない……仮想ではあるが。
 記憶転写も出来る、といわれたが、武はあえてトレーニングによる方式を希望した。
 「ははは、やっぱり記憶だけもらったんじゃ、実感がわかねえか」
 「ええ。仮想とは言え、こういうものは自分で体験して覚えないと、いざというときに出ない気がしますから」
 虚空に生み出された戦術機で訓練をする武。一時的に記憶を複写してもらい、それを元に生み出された仮想戦術機だ。
 XM3搭載型不知火を基本とし、旧OS不知火、両タイプの吹雪に武御雷、そしてラプターやブラックウィドウ、撃震に陽炎、そして第4世代以降の戦術機に至るまで、それこそあらゆる機体を使って対BETA戦から対戦術機に至るまで訓練する。
 元々資質は抜群の武だ。実質時の過ぎないこの空間内での修練は、武の腕前をとことんまで研ぎ澄ましていった。
 「とりあえずこのくらいか。まだまだ上があるのは判るだろうが、やり過ぎるとここの因果にとらわれるからな。実際武御雷以降の戦術機の機動は、たぶんほとんど持ってけないだろうし」
 「存在していない情報故に、またここにこぼれちゃうんですね」
 「ああ、そういうことだ。ま、ここでやっておけば開発後に記憶が流入して、格段に進歩が早くなるはずだ」
 「それに腕が上がないんじゃモチベーションが保てるかどうかちょっと怖いですし」
 「そういうこった。んじゃ、ぼちぼち『行く』のか?」
 「ええ。出来ることならすり切れて、今の俺の自我をここに落とす羽目になる前に目標を達成したいです」
 「……頑張れよ。偶然とはいえ、おまえはここにたどり着いた。これによって並行世界の中に、また一本新たな因果が生まれる。頼んだぞ」
 「はい!」




∀ Muv-Luv それはふたたびはじまる、あいとゆうきのおとぎばなし

          ~しろぎつねとむらさきぎつねのおはなし~



 
 そして武は目をさます。記憶ははっきりしている。因果地平についても覚えている。
 傍らにあるのはPDA。代わりにゲームガイが消えている。元々ゲームガイは元の世界からの流入物。つまり外部から持ち込まれた異物だ。それ故に因果の干渉で、別のものに置き換えることが可能であった。
 今、武はまだこの世界に完全になじんでいるわけではない。部屋がかつての自室……最初の世界のそれに近いことからも間違いはない。この部屋が一種の結界となっているのだ。これを崩し、ここから出た瞬間、この部屋は消え失せ、武の存在がこの世界に固定される。
 服を着替え、PDA内のデータを確認する。メモリースティックから、意図的に幾つかの記録をメインメモリのデータ内に転写しておく。
 メモリースティックはあらかじめ外部に隠しておく予定だ。PDAはどうせ検査に回されるだろう。データには当然鍵を掛ける。実はここにちょっとした工夫がしてあったりする。
 夕呼先生には解けるが、部外者には解けない、そういう質問をされるのだ。
 最終的に夕呼先生の手に渡ったPDAをみて、先生だけは内部のメッセージを読める。
 それを見れば自分の事を理解してもらう手間が大幅に省けるはずだ、と武は踏んでいた。
 
 
 
 ついでに私物の幾つかを部屋から持ち出す。持ったまま部屋を出た瞬間、いいまで居心地のよかった部屋は、廃墟の一室へと様変わりした。まさに一瞬のことで、武の目を持ってしてもその瞬間を捉えきることは出来なかった。
 表を見ればそこにあるのは擱座した撃震。
 (戻ってきたんだ……)
 思いは純夏の元へ飛ぶ。なんとしても彼女を救わなければならない。
 これだけは心の奥に因果地平から刻みつけてきた記憶。
 並行世界の中には、純夏ではなく、武が00ユニットとなった世界もあった。
 その武から分けてもらった、あまりにもおぞましい純夏の体験。
 何重もの意味で、それは壮絶な体験であった。
 自分がばらばらにされていくだけでもとんでもないのに、加えて純夏の……異性の体の感覚、それもすさまじい快感を伴ったそれは、さすがの武でも自我が崩壊しかかった。それに耐え抜いた純夏の思いがなければ、そのまま因果地平に自分が霧散していたかも知れない。
 さすがにそのまま保持していたらいくら武でも持たないので、催眠暗示を利用して封印してある。
 さすが00武とでもいおうか、武自らが望まない限りその思いがよみがえることはないし、並行して掛けられた暗示が武の思考の一部を保護し、あの自我崩壊を起こすほどの体験を感じつつも同時に観察者としての自分を保持してそれを理性的に理解できるようにしてくれた。
 そこまでしてあるとはいえ、思い出したいものではない。何より恐ろしいのは、心がつぶれることではなく、溺れそうになることだ。
 幾多のループの中では様々な女性と結ばれているはずの武だが、今ここにいる自分はいまだチェリーである。というか、あえてその記憶は抜き取ってもらうように頼んだ。
 なぜなら、今の武は知っている。並行世界の中では、純夏だけでなく、207Bの仲間やその他の女性と結ばれた並行世界が存在していたことを。逆に言えば、自分は必ずしも純夏と結ばれるわけではないのだ。より正確に言えば、同等の可能性が存在している、ということなのだ。
 それ故、このループをはじめるにあたり、前回、誰と結ばれたかの記憶は、むしろ邪魔になると武は考えたのだ。今回、彼女たちとどんな関係を築くことになるのかはまだ判らない。だが、それは今回だけのものであるべきだと武は考えた。『前回結ばれていた』という理由で、その人物を特別に見てしまうことを恐れたとも言えるかも知れない。
 故に今この場にいる武の思い出には、最初のループで自分が純夏と冥夜、どちらを選んだのかは判らない。二度目のループで、誰と心を結んだかも判らない。
 だが、それでいい、と武は思っていた。本当に運命で結ばれた相手なら、今回もまた、きっと結ばれるはずだから。
 武は本気でそう思っていた。
 ただ、それ故に、純夏の記憶は恐るべき危険性を伴っていた。
 結果として性体験記憶のない武が、ただの女性ならあっという間に自我をなくすほどの異常な快楽浸けにされるのだ。男性としての本当の満足感すら判らない武から見れば、あれは劇薬だ。ある意味自慰などとは比べものにならない快感。そのままEDとなってもおかしくないほどのもの。最初の記憶体験の後、何とか自我を再構成した時、武は本気で純夏を尊敬し、またある意味恐怖した。
 そして同時に、BETAの求めるものを嫌でも理解していた。
 あれだけの目にあっても折れない自我、次元の間を貫いても劣化しない強靱な自意識。
 武の知る世界では、その犠牲となったのは純夏であった。だが、あの世界で知った知識によれば、それは決して純夏だけではない。
 特にA-01や207メンバー……00ユニットの素体候補となりうる人物は、実は同時にBETAの因果端末となる素質を秘めているという。もちろん、彼女たちが捕まったら即そうなるというわけではない。だが、もし彼女が純夏に匹敵する、大切な『何か』を見いだしているのなら、あのBETAの蹂躙に耐えきり、それ故に返って人類を滅亡させる引き金にもなりかねないのだ。
 実際にそれはあったのだ……桜花作戦の最終局面、あ号標的にとらわれた冥夜を撃てなかった場合が。
 大半の武はそこで死んでいるが、撃てないまま生き延びてしまった武のいるループもあったという。そしてその場合、決死の覚悟を決めていた冥夜の持つ精神力が徒となって冥夜は因果端末となり……あとは言わずもがなの事態になったという。
 それだけはさせない。
 決意と共に、武は歩き始めた。
 始まりの地、横浜基地を目指して。
 
 
 
 そして見慣れた門番との会話から4時間後。
 武は再び夕呼先生と対面していた。
 先生のテンションはかなり高い。こう、疑惑と怒りと好奇心がごちゃ混ぜになって、今にもはち切れそうだ。
 「見たわよ、PDA。未来製の本体に、思わせぶりなデータ。ご丁寧に『あたし本人の論文』で、今のあたしの理論を否定までしてくれちゃって」
 「だとすれば、俺の正体ぐらい推測できそうなものですけど」
 内心の動揺を抑えつつ、表向きは平然としてみせる武。実際はいっぱいいっぱいだったりする。
 前回のそれがそよ風に思えんばかりのプレッシャーだ。
 「それにあのデータ、全部『見せ札』でしょ。一体どれだけの札を隠し持っているっていうの?」
 「そう聞いてくるということは、俺のことは疑っていないと思っていいわけですか?」
 「認めざるをえないじゃないの!」
 ほとんど絶叫する夕呼先生。珍しいな、この人がこんなに感情をあらわにするなんて。
 たとえどんな場合でも自分を押し殺して、きっちりと策を進めてくると思ったんだが。
 思わず武はそんなことを考えていたりした。
 「疑わしい、程度ならこんなことにはならないわよ! いくら何でもここまで明確な証拠を突きつけられたら、逆にあたしのプライドと才能に掛けて認めざるをえないのよ! あんたが因果導体だってね!」
 「信じてもらえて何よりです」
 なんか自分でも似合わないな、と思いつつ、武は夕呼をなだめる。
 「でも、夕呼先生がそこまでこちらを信じていただけるのなら、こちらも思い切りましょう」
 「まずどうしてくれるっていうの?」
 腕を前で組み、睨み付けるような上目遣いでこちらを見る夕呼先生。上目遣いといえば萌えの代名詞なのに、萌えるどころかはっきり言って恐ろしい。
 だが、ここで引いたら負けだ。思い切って武は一つ目の爆弾を投下した。
 「まずオルタネイティブ4ですが、さっさと完遂させましょう」
 「完遂?」
 支援とか、協力でなく、完遂。その言葉にぽかんとなる夕呼先生。
 「ええ、完遂です。本来オルタ4は、BETAからの情報収集を目的としていましたね。実は未提供の情報には、オルタ4の完遂を宣言するに値するだけの情報が既にあります」
 「でも情報だけあっても駄目よ。当然のことだけど、それをどうやって入手したかも説明できないと信憑性を説明できないわ」
 武は因果地平で教わった対夕呼先生説得スキルを必死に思い出す。真面目に覚えておかなかったせいか、かなり記憶がこぼれているようだ。
 「もちろんそのための手段となるべき情報……00ユニットにおける問題点の解決法とかも教えます。ですが、それらを実行する前に、幾つか理解しておいてほしいことがあるんです」
 そういった武の表情に、何か思い当たる節があるのか、夕呼は姿勢を正して武に向き直る。
 「あんたのその物言い……オルタネイティブ4に、何か問題がありそうな感じね」
 す、鋭い……と内心思いつつ、武は必死に表情を作る。なんか見抜かれているような気もするが。
 「はい。こちらが情報を提供すれば、00ユニットは完成させることが出来ます。もし純夏を……シリンダーに眠る『あれ』を素体とするなら、その調律も手伝います。前回もやりましたし、『情報源』からのアドバイスもありますから、そう時間は取らせないで何とかなるとは思います」
 「でも、問題が出る、といいたいのね」
 「はい」
 武は素直に頷いた。
 「現行の設計の00ユニットを使って情報収集を行うと、逆にBETA側へ人類に関する情報が流出することになります。これはODLの浄化など00ユニットの維持と表裏一体なので、根本的にやり方を変えない限り防ぐのは難しい問題です」
 それを聞いて夕呼は黙り込んでしまった。
 少しして夕呼は武の方をじろりと睨む。
 「……『前』では、ひょっとしてそれで失敗した?」
 「ええ、半分」
 武は素直に答える。
 「一つだけ打開策があったんです。これは後に提供するデータにも記されていますが、BETAの情報網はオリジナルハイブを頂点とする箒型構造です。ですので流出したデータが伝わりきる前にオリジナルハイブを落としてしまえば、情報の流出は横浜基地だけで抑えられます」
 「……落としたのね」
 「多大な犠牲の下に、です。この時点でA-01は壊滅状態であり、作戦には今の207B訓練小隊のメンバーしか参加できませんでした。一応XG-70とかも投入されましたけど。そして、泥縄な、資源と人材を無駄に消費する形で、何とか甲1号は落ちました。それでもせいぜい30年人類の寿命が延びただけだと、夕呼先生自身が言っていました」
 「それで、あんたはまた舞い戻ってきた、と」
 「ちょっと思わぬ事故を挟んでですが。そのことはやはり未提出のデータにあります」
 未提出、の言葉が出るたびに、夕呼先生の顔がしかめっ面になる。さすがに先生もゆとりがないようだ、と武は判断する。けちらずにオルタ4関連の情報を撒き餌に使った甲斐はあったようだ。
 「全く、あたしともあろうものが、あんたみたいな若造にいいようにされるなんてね。悔しいけどあたしの意地をあんたの握っているデータと引き替えにするわけにはいかなそうだわ。いいなさい。あなたの求める対価は何」
 その問いに、武は瞬時に答えた。
 「A-01と現207B訓練小隊の、任務達成と同時の生存です。あとまりもちゃんも」
 武は口をぽかんと開けて唖然とする夕呼先生という、実にレアな光景を拝むことに成功した。
 「は……なにそれ。あんた、自分の利益はどうでもいいの」
 「いえ、これこそが俺にとって最高の利益です。俺は都合2回、今言ったみんなのおかげで衛士として成長し、最後は桜花作戦……オリジナルハイブ攻略戦で、中枢コアであるあ号標的をこの手でたたきつぶしました……彼女たちの命と引き替えに、です」
 「……」
 「そこに至る過程で、重傷になった3人を除くA-01のみんなも、まりもちゃん……もとい、神宮司軍曹も戦死しました。結局のところ、霞と前線には出なかった夕呼先生を除いて、俺の恩人とも言える人は、みんな死んでしまいました。その心残りが、俺をここに引き戻したんです」
 ですから、と、武は続ける。
 「俺はみんなに生きて、生き抜いてほしい。でもそれはただ生きていてほしい訳じゃない。みんなはいろんなものを背負っている。誇りを持って衛士という任に付いている。それを無視してただ生きていてほしい訳じゃない。死力を尽くして任務にあたれ、生ある限り最善を尽くせ、決して犬死にするな……このヴァルキリーズの隊規を、最後まで全うした上で生き延びてほしいんです」
 「……あなた、それがどういう意味だか判って……いえ、判って言っているみたいね」
 「そうです……BETAを叩きつぶす。とりあえずは近場から……そして最終的には、全並行世界から、BETAを駆逐し尽くすために、俺はここにいるんです」
 「ずいぶん大きく出たわね。佐渡島のハイブにすら苦戦している現状をひっくり返して、おまけに全並行世界? いくら因果導体といえども、ちょっと大言壮語が過ぎるんじゃないの?」
 落胆を浮かべたような夕呼先生を、武は真っ向から見据えていった。
 「いえ、この大言壮語は、願望じゃなく、必然なんです。先生ならこれから提供する情報を見ていただければ、必ずや理解していただけると思います」
 「言い切ったわね。いいわ、見せてみなさい。あなたの情報とやらを」
 「いいですよ。そう言ってくれたのなら、俺は隠し事なんかしないですべての情報を提供するつもりでした」
 「あら、ずいぶん信用してくれるのね」
 「いいえ」
 武は、この時ばかりは不敵に笑った。
 「あの情報の中身を見たら、くだらない陰謀を俺に対してしかけている余裕なんて、吹き飛ぶこと請け合いですかね。それですみませんが、とりあえず今晩寝床を確保できるIDと、今から短時間の外出許可をいただけませんか。さすがにそのデータは、手元に置いていませんので、取ってこないといけませんから」
 「当然ね。じゃ、あんたの待遇とかは、それを見てからでいい?」
 「かまいませんよ。但し、概要を見た時点でお願いします。データそのものは膨大な量になりますから、全部見ていたら先生ほどの天才といえども1週間徹夜になること請け合いです」
 
 
 
 とりあえずスペシャルゲスト扱いのIDが発行され、同時に外出許可も直ちに整えられた。すぐさま退出する武。
 それを見送った夕呼は、彼の持ってくるデータに、実は大変期待していた。
 端から見れば彼のいっていることは誇大妄想狂のそれと大して変わらない。だが、夕呼には彼がひとかけらも嘘をついていないことを確信していた。
 まず、仕掛けがすさまじすぎる。特に『自分で書いていない自分の書いた論文』、あんなものはただの人間には絶対用意できない。彼があのPDAにあれを仕込んでおいたのは正解だった。あれを見せられたら、彼がスパイであるなどという疑念はすべて吹き飛んでしまう。
 ほかの誰が疑っても、夕呼自身だけはその論文に掛けて彼を疑うことが出来なかった。
 そんな彼が何を望むかと思えば、なんと仲間の命。それもただ救うのではなく、任務を果たして生き残ることを望む、と来たものだ。
 彼の目は正気だった。彼はそれが不可能でないと、少なくとも夕呼自身が助力すればそれは不可能でないと確信している目だった。
 だとすればその不可能を可能とする『何か』もまた、その情報にはあるに違いない。
 そして武は、わずか10分ほどで基地に戻ってきた。今度は検査もなく、直通で再び夕呼の元までやってくる武。
 彼は一枚の板のようなものを見せ、それをPDAに差し込むと、夕呼の方を見ていった。
 「すみません。とりあえず最高機密ランクでファイルをコピーできるようにしてください。見た目はこれでも、このメモリーの容量は半端じゃありません。とりあえず概要とテキストだけコピーします」
 「テキストだけ?」
 そう尋ねる夕呼に、武は苦笑いをして答える。
 「実はこの中には、戦術機のOSやら改修プランやら、そういう文字以外のデータも大量に詰まっているんで。そっちは今コピーしても意味がないですから」
 「どういう宝箱よ」
 半ば呆れつつも、夕呼はPDAと室内のPCをつなぎ、武の指示に従って幾つかのファイルをコピーする。
 それだけで10分近くかかった。
 「どれだけの量があるのよ……」
 ぼやきつつも、コピーが終わると早速データの閲覧に入る夕呼。
 
 そしてわずか10分後。
 
 「……なるほどね。あなたが大言壮語するわけだわ。あんた、こんなものに挑む気なの」
 「当然です。そのために俺は、ここにいるんです」
 不敵に笑っているように見えたが、夕呼の目は衝撃にややうちひしがれていた。
 「まあ、何であんたがオルタネイティブ4をさっさと完遂しろって行ったか判ったわ」
 「でしょう。そうそう、オルタ5も、叩きつぶさない方がいいです。もちろん逃げ出されるわけにはいきませんけど、上で造っている船そのものは、絶対に必要になりますから」
 「月、火星、そして冥王星、っていうわけね」
 「そうです。はっきり言って地球のハイブで手こずっていたら手遅れになります。元の世界でも今から2ヶ月で佐渡島を落とし、犠牲を厭わなければオリジナルハイブにまでいけたんです。しかも手探りの、未来の手がかりなんか何も無い状態から」
 「ならば今これだけの情報を提供されて、それに劣るわけにはいかない、というわけね……」
 そういう夕呼の言葉に、いつの間にか炎が灯りはじめていた。
 「俺は幾つかの立場を使い分けたいと思います。あとでシミュレーターでお見せしますが、今の俺の衛士としての実力は、おそらく世界でも上から数えた方が早いレベルだと思います。
 でも所詮は一人。それではBETAの数に対抗するのは無理です。そのためには今のA-01、伊隅ヴァルキリーズを今より遙か上に持って行かないといけません。
 そして207B。彼女たちは、おそらく歴代最高レベルの素質を持つ『奇跡の卵』です。今はまだ芽が出ていませんが、花が咲いたときは、A-01と比べてさえまさに一騎当千、ほんの数ヶ月で近衛の紅蓮大将にすら迫る逸材になります。
 ただ、彼女たちに対してはあまり上から接しても効果が薄いと思います。
 彼女たちには、ある程度身近に接することが出来ないと、その能力を引き出すのは少し難しいかも知れません。どちらかというと心理的な問題で」
 「またずいぶん張るわねえ」
 武の言葉に、おかしなものを感じる夕呼。
 「ですから先生、こちらからのお願いは、オルタネイティブ4の余剰成果として、俺の持ってきた新型OS『XM3』を大至急広める準備をしてください。偽装用に前段階のプロトタイプも準備してありますから、ごまかすのにどうぞ。もっとも欺瞞用のプロトタイプ、XM2ですら、現行機をパワーアップさせられますけどね。
 本来これは政治的にものすごい切り札になるんですけど、あの情報を見た先生になら、その利を切ってでもばらまいてしまった方が得だと理解していただけると思います」
 「まあね。でもさすがに実戦証明を得ていない状態じゃばらまけないから、この高確率未来予測……11月11日のBETA襲撃を利用させてもらうことになりそうね」
 「そうなると思います。搭載さえしていただければ、その日までにA-01をXM3に完熟させるのは任せてください」
 「ふふふ、今までとは別の意味で忙しくなりそうね。こうなった以上、オルタネイティブ4はある程度の成果と共に完了させないといけないわ。そしてその成果をダシに、あたし自身が芯となる対BETA逆襲計画……オルタネイティブ6を立ち上げないとね」
 「期待してます、夕呼先生。その時こそ、このデータが本当に生きるときですから」
 武と夕呼、二人の間に、何か黒い友情のようなものが結ばれた瞬間であった。
 
 
 
 「そういえばあんた、何であたしのことを『夕呼先生』って呼ぶの。あたしは教え子を持った覚えはないんだけど」
 「あ、そういえばその説明していませんでしたね。概要にも参考資料があると思うんですけど、実は俺が生を受けた世界では……」
 
 その後、武が退出した後、何故か夕呼は「まりもが、まりもが……」と大笑いを続け、命令通り武のリーディングをしていた社を不審がらせたりする。
 
 
 
 そしてこの日以後、世界の歴史は辿るべきだった流れから果てしなくねじ曲がっていくことになる。
 しかし、おとぎばなしが終わるまでには、まだまだ長い時がかかるのであった。



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第2話 それはつもっていくおもい
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/09 14:35
 ゆさゆさゆさ。
 
 白銀武の一日は、社霞に起こされることから始まる。
 何だかなと思わなくもないが、これはむしろ霞側にとっての儀式かも知れないと思い、武は律儀につきあっている。
 ただ、人前での「あ~ん」の儀式だけは申し訳ないがパスさせてもらった。全くなしだとあれだろうと、これはシリンダールームでの、純夏とのコミュニケーションで一緒の時だけに限定した。
 もっとも意外な事に、限定したが故にむしろ楽しみが深くなっているようだと思うのは、武の欲目だろうか。
 真相は、社だけが知っている。
 
 
 
 ∀ Muv-Luv それはつもっていくおもい

   ~きつねさんとうさぎさん~
 
 
 
 接触の翌日、一日を掛けて、武と夕呼は持ってきたデータの照会と、これからの方策に頭をひねった。
 武が因果地平から持ち帰った膨大な資料。それにはオルタ4の結果として提出しても遜色ないBETAの行動パターンデータやハイブ内のMAP、それらから求められるシミュレーター用のBETA行動エミュレーションデータ、それ以外にも簡便にまとめられた10/22から1/2までのいろいろな世界での事件発生データなどが含まれていた。
 もっともハイブ内データなどは、出来うることなら改めてリーディングして補正することが望ましい、と注意されていた。シミュレーターデータとしてなら十分だが、作戦行動を立てるためのデータとしては、世界間誤差による弊害が大きいからである。
 逆にBETAの行動データなどは、BETAが並行世界間存在であるが故に、むしろ本来得られるものより精密なデータが収められていた。何しろ並行世界間で共通のデータだ。誤差など出ようはずもない。
 あとは00ユニットによるリーディングの弊害……情報流出を、どうやって防ぐかが問題であった。
 何しろ00ユニットは、維持のためにも反応炉との接触を余儀なくされる。この際に高確率で情報が流出する。
 BETAは反応炉と接触する際に、エネルギー補給と報告と指示受領を同時にこなす。00ユニットもこのシーケンスを利用しているため、現行仕様ではどうしても情報が流出してしまうのである。
 かといって00ユニット無しでBETAの情報は手に入らない。そして00ユニットはG元素とODLを使用しているため、反応炉無しでは使用できない。
 この問題は、並行世界間でも直接解決していたところはなかった。
 もっともさすがは夕呼先生。問題点は即座に見抜いた。
 「要は00ユニットが当初計画のあり方をしているのが問題なんだわ」
 「と、言いますと」
 「ええ。00ユニットがBETA情報のリーディングに必要なのは、一つには処理速度の問題があるわ。BETAの情報を得るのに人間の情報処理速度では足りない。そのために00ユニットが必要とされる。
 あともう一つ。こっちは仮説なんだけど、BETAは人間の呼びかけには反応しないらしいのよ。だから人間以外の知的存在で呼びかけてみる、っていうのがオルタネイティブ4の計画に入ってるの」
 「でもこの資料だと……」
 「既に試した世界の報告だと、BETAは00ユニットを知的存在として認めるらしいわね。でも、だとすると、少し気になることがあるのよ」
 「なんでしょう」
 疑問に思った武に、夕呼は珍しく丁寧に答える。いや、これは答えることによって自分の思考をまとめているだけのようであった。
 「00ユニットは完全に人間の思考をエミュレートしている。だから人間は駄目で00ユニットならいい、ということは、BETAにとって重要なのは、思考速度か構成物質で、思考形態そのものはどうでもいいと言うことになるわ。同じ炭素系であるBETAは認識しているんだから、人間を認識できないと言うことはないはず。つまりBETAは人間という存在を意図的に無視していると言うことになるわ」
 「あ、それについての考察があります。BETAにとって人間は根本的に餌……つまり食料なので会話のような高度知性的行動を意図的に無視するらしいです。我々が豚や牛がしゃべるわけ無いと考えるのと一緒のようですね」
 「それでいて、因果端末? それをより分けるために人間を捕まえてあんなことするのよね」
 「こちらは仮説ですけど、因果端末になる人間はある程度因果を制する力が……要は自分にとって都合のいい未来を導く力が必然的に備わっているそうです。だから兵士級に喰われたり、突撃級に襲われて死ぬような人間は端から資格無しだとか」
 「そりゃよくできた選別ね。自分たちごときに喰われる存在は端から除外対象? なめるんじゃないわよ全く」
 「全くですね」
 夕呼のため息に同意する武。
 「それでいてBETAが捕食する『資源』……初めあなたは普通の意味での資源だと思っていたのよね」
 「ええ、これはもらった情報じゃなく、俺自身の知る範疇になります。まあ、さすがに聞いた時は普通の意味でなんかレアメタルでも掘って、上のいる惑星へ、文字通り送り出しているんだと思ったんですけど」
 「真実はもっと辛辣。資源とは特殊な人間で、送る先の惑星も、並行世界の事をさしていただなんてね」
 判るわけないですよ、あの時点で。とぼやく武。
 そんな武を見て、夕呼は喜び半分、悔しさ半分の様子だ。
 「そして決定的なこの情報。BETA知性は人の手の届くところにあらず。BETAは並行世界すら内包した巨大存在であり、地球にいるのは自立AIで動く端末体に過ぎない……まあ並行世界がらみのところはごまかすにしても、BETAの知性が分析可能なプログラムで、その分析データまでそろっているなんて。最悪これを発表するだけで、オルタネイティブ4はその存在意義をはたしたことになるわ」
 「ですね。なのにごまかさないといけないんですよね」
 「そういえば大分話がずれたわね」
 ここで本題を思い出した夕呼。
 「それで00ユニットだけど、あえて効率を無視すれば、代替システムで当座のごまかしはきくわ。初期段階で『非効率』と言うことで放棄したプランにいいのがあるのよ」
 「そんなのがあったんですか?」
 そう問う武に、夕呼は指を立てて口の前に置き、くすりと笑ってから言った。
 「それこそ「Need to Know」よ。ブレインカプラーって言ってね。遺伝子改造やなんかをしなくても、リーディングやプロジェクションが出来ないかと思って設計してみたのよ。
 まあ当時の技術じゃやたらでかい上に安全性にも問題があって、そのままお蔵入りしていたんだけど、現段階の技術とこのデータ内の情報を合わせれば、大幅な小型化・高性能化・軽量化が図れるわ。
 そしてこのシステムなら、00ユニットは00じゃないから、情報を漏らすことはない。
 もっとも、00ユニットの最大の特徴である、人には及びも付かない超高速での思考が出来ないから、00ユニットとしての価値は半減しちゃうけどね」
 「うーん、駄目だ。さすがにそっちの方は想像も付きません」
 両手を挙げる武。そんな武を見て、夕呼は何故かおかしな、穏やかな気分になり、次いでそんな自分に少し驚いた。
 (何? 今の気分は。落ち着いて、冷静に……記憶を検証……時間が足りないわ。でも考慮しておくべきね)
 「どうかしましたか?」
 「いいえ、なんでもないわ。ちょっとデジャビュみたいなものを感じたから。ほら、普通なら勘違いでも」
 「ああ、そういえば前の世界で夕呼先生が言ってましたね。デジャビュとかは因果量子論的な現象だって」
 「そういう事よ。ちなみにブレインカプラって言うのはね、平たく言えば『拡張脳』。00ユニットの簡易型みたいな奴と、脳波入出力装置? ま、要するにキーボードとかディスプレイを通さずに、直接脳との間で情報をやり取り出来るようにする装置との組み合わせよ」
 「あ、あれか。何となく判りました。昔読んだSF漫画に、そんなのがあったような気がします」
 「読んだことあるって……」
 何故か驚いている夕呼。武は何故夕呼が驚いているのかがさっぱり判らなかった。
 「そりゃ俺は勉強苦手でしたし、本好きでもなかったですけど漫画くらい読みますけど……」
 「あんたの元いた世界、それだけ余裕があったって事なのね」
 「……って、あ、そうか! こっちじゃそういう娯楽に回す余裕なんて、無かったんだ。何しろあっちじゃ、ある意味戦術機の操縦すら娯楽ですからね」
 何しろある意味元の世界より科学が進んでいる面があるのに、遊びと言ったらおはじきかお手玉だもんなあ。と、過去わずかながら207Bのメンバーと遊んだ時のことを思い出す。
 (まあ衛士としては遊んでいる暇なんか無いけど、さすがに休みにすら遊びがまるで無いのは寂しいよなあ。コンピューターゲームは無理だけどせめて大貧民くらい……って、おれこっち来て、トランプ見てないぞ)
 武は思わぬところで世界間のギャップを感じて愕然としていた。それは逆に言えば、対BETA戦が、人類からどれほどの余裕を、資源を搾り取っているかと言うことの証でもあった。
 「あら、今度はあなたが止まっちゃったの?」
 そう夕呼にツッコまれるまで、武は思考の渦にはまっていた。
 「あ、すみません。いえ、今の指摘で、どれだけたくさんのものがBETAのために奪われたんだって事を、意外な方向から実感しちゃいまして。夕呼先生は、トランプって知ってますか?」
 「トランプ? カードゲームの切り札って言う意味だっけ」
 「ってトランプって言う言葉すらないのかよ!」
 思わず叫ぶ武に驚く夕呼。
 ちなみにトランプはプレイングカードの日本における俗称で、一応明治時代あたりから使われている言葉である。が、現代日本でトランプを広めたのは何といっても任天堂の功績が大きい。というか今世界で広く用いられているプラスチック製のトランプを初めて作ったのは任天堂なのだ。マヴラヴ世界においては、おそらくゲームガイを作っている会社が任天堂に当たるものと思われるが、正式名称の設定など無いと思われるのでここではスルーする。
 「こう、1から13までの、1がエースで、11以上はジャック、クイーン、キングって言う……」
 「ああ、あれね。アメリカのカジノとかで使っている奴」
 慌ただしく説明する武の説明を、夕呼は途中で遮った。
 「まあほしいんならたぶん手に入るわよ。ここは国連基地だから持ってる人ぐらいいると思うし。でもそんなものどうする気?」
 「いえ、出来たらで十分です。ちょっと元世界との娯楽の質と量の差を思い知っただけですから」
 「まあ遊んでる暇なんかないでしょうからね。でもいいこと思いついたわ。すべてが終わって、平和に過ごせる時間が来たら、あんたの覚えてる娯楽、世界に広めるといいんじゃない? 退役軍人って、やることなくて困るらしいけど、あんたにはその心配なさそうね」
 夕呼にしてみればただの冗談であったが、それを聞いた武の顔が、何故か夕呼ですらどきりとするほど真剣な影を浮かべていた。
 「……いいですね、それ。終わった時のことなんか、考えても見なかったですけど。そりゃ楽しそうだ。あ、先生、やっぱりトランプ、出来たら手に入れてください。霞に教えてやろう」
 影が笑みに変わる。その光景は、何故か夕呼の心の奥底にまで突き刺さった。
 一瞬の心理的衝撃の後、再起動する夕呼の頭脳は、その衝撃がなんであったかを理性的にはじき出していた。
 (終わり……そう、終わり。なんて事? 私ともあろうものが、今の今まで、この事態が、BETAとの戦いが『終わる』と言うことを全く意識していなかった……生まれた時よりそれと共にあり、死ぬ時までそれと共にある……冗談じゃないわ! 終わるんじゃない。『終わらせる』のよ。この香月夕呼が、この白銀から得た情報と、この天才の頭脳を駆使してね! こいつの持ってきた情報は、あまたの世界の基本と最先端。つまりこれを入手した私は、文字通り『世界の最先端』にいるはず。ならば私がやらずして、誰に出来るというのかしら。BETAとの戦いの、終戦の鐘を鳴らすという事が!)
 そして、武は、先生、といい掛けた言葉を飲み込んでいた。
 何がきっかけになったのか、夕呼は燃えていた。その様子に激しい既視感を覚える武。衝撃を受けたが、よく考えれば、これは過去見たことがある光景だと気がついた。
 そう。元の世界ではそれほど珍しくはない光景であった。一番印象深いのは、両世界に関わる記憶。そう、それはあのときの光景。授業中に突然『あの数式』を持ち出した時の向こうの夕呼。
 天上天下唯我独尊(誤用)を思い出させる、絶対的な自信を持って世間を睥睨する、あの目、あの気魄。
 過去二回の思い出を辿っても、こちらではついぞ見ることの出来なかった姿。
 過去の夕呼先生は、君臨していても、どこか心の片隅に焦りが浮かんでいた。最初の時には、夢破れて崩れたこともあった。二度目といえど、あれは表面的なものでしかなかった。
 今、はっきりと武は理解した。武本人も2回のループで経験を積み、内面的には17歳の子供ではなくなっていたのもあった。
 今、夕呼先生の、香月夕呼の心に、爆炎とも言える炎が燃え上がったことを。
 「白銀」
 ただ一言、そう呼びかける夕呼。
 「はい」
 ただ一言、答える武。
 それだけで十分であった。後は言葉はいらない。
 その後の作業の効率は、劇的に加速していた。
 
 
 
 「現時点では、こんなところかしら」
 「……ですね。俺の記憶と照らし合わせても、問題はないと思います」
 すべての予定をキャンセルして当初の道筋を立て終えた時には、既に夕食の時間すらすぎていた。いや、消灯の時間が迫っていたと言ってもいい。
 二人が大きく深呼吸をした時であった。
 本来自分たちしかあけられないはずのドアが開いた。二人が思わずそちらに注目すると、視界に入ったのは配膳用の小型ワゴンであった。
 「お食事……お持ちしました」
 押していたのはウサギを思わせる少女。言うまでもない、社霞である。
 その姿を見て、さすがに夕呼はばつが悪くなった。資料の検討と武との打ち合わせに熱中しすぎて、社のことがすっかり頭から抜け落ちていたのだ。念のために武のリーディングを命じていたのだが、こうなってしまうとなんの意味もない。今の夕呼にしてみれば、白銀武はまりもに続く二人目の『心から信じられる腹心』であった。
 「さすがに悪かったわね。社、食事はありがたくいただくわ。あなたももう休んでいいわよ」
 と、その時珍しく彼女が躊躇した。いぶかしげに思う夕呼に、彼女はぼそりとした口調で、大変に珍しいことを言った。
 「あの……一緒に食べて、いいですか」
 夕呼は驚いたが、武はある意味うっかり、すんなりと答えてしまった。
 「あ、いいんじゃないか? ほら、ここ片付ければ」
 つい『見知った霞』に対する態度で接してしまう武。その様があまりにも自然なので、夕呼は二度目の唖然とする思いを味わうことになった。
 「ちょっと、あんた……ああ、そうだったわね。白銀にとっては、社は初対面じゃなかったわけね……てか、ちょっと待ちなさい、白銀」
 「あ、なんれふか」
 既に食事をほおばっていた武が慌てて飲み込みながら答える。
 「私もすっかり忘れてたけど、あんた、社のこと知ってるわね」
 「資料にあったとおりですよ。オリジナルハイブの中までつきあってます」
 「別段恋仲だった訳じゃないはずよね……どうしたの、社」
 何故かその白い顔が真っ赤に染まっている。
 「あ……」
 と、武がつぶやくのを見た夕呼は、すかさずその首根っこを掴むと武に耳打ちした。
 「何か心当たりあるの」
 「いえ……俺にそこまでの気はなかったものの、二度目の終わりで、霞、俺に告白してます。今の霞にその気がないのは判りますけど、俺のことリーディングして、『霞が告白した時の俺』のあたりを見ちゃったら、影響されません?」
 「うわ、そりゃあり得るわ」
 思わず顔をしかめる夕呼。
 「まあ気づいていたかも知れないけど、昨日からあんたのことリーディングさせてたから」
 「ああ、そのことは気にしてませんって言うか、その方が話が通じやすいって思っていましたから。リーディングって言っても、あまり具体的な、言葉みたいなものじゃないのも知っていますし」
 「ならこの事はお互い不問にしましょ。今更馬鹿らしいし」
 そこで二人は離れたが、何故か社の様子が先ほどの赤いものから何となくふくれたものになっている。
 夕呼はおやおやと思い、武はおろおろしていた。
 「わ、わりぃ。一緒に食べよう、な」
 「……武さんの思いの中に、こういう時に私としていた何かがあるっぽいです。それ、教えてくれませんか」
 ぎくりとなる武。食事中となれば、思い当たるのはただ一つ。これが二人きりなら、武も恥ずかしいながらもためらいはしなかっただろう。だか今、ここには……こういうことが大好きな悪魔が、しかも絶好調モードで存在しているのだ。
 その目は……この時点で武はあきらめた。
 「判った……霞」
 いきなり名前で社のことを呼ぶ武。思わずどきりとしながらも武を見つめる社。
 武は彼女の皿に載っているおかず……ご丁寧にもそれは合成サバミソであった……それを一口大に箸でちぎり、一切れつまむ。
 「ほれ、あーん」
 「あーん……!」
 あーん、と声を出すと口が開く。そこへすかさず武はつまんだサバミソを投入した。
 思わずそのまま咀嚼する社。夕呼はなんと三度目の唖然を経験し、次の瞬間、さすがに口を押さえて笑い出した。
 「し、白銀、ひょっとしてあんた、『前』でそれ」
 「……PXでやっていましたよ」
 「も、もう駄目……」
 ひいひい笑い転げる夕呼。
 一方社はびっくりどっきりになっていた。突然された「あーん」と、無意識に行っていたリーディングがシンクロし、ちょうどプロジェクションを受けたような状態になってしまった。そして武のこの行為が、自分にとっては初めてでも武にとっては慣れたものであることを、理屈抜きで理解する羽目になってしまった。
 それと同時に、心に灯る『何か』。
 武をリーディングした時に、自分のイメージに付随する、今まで感じたことのない、暖かいもの。
 それが何故か、とても大切に思えて、社は武のサバミソをつまむと、こう言っていた。
 「あーん」
 
 
 
 この日、夕呼の食事はひどく時間が掛かったとだけ言っておこう。
 



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第3話 それはいくさおとめたちのほこり
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/09 14:34
 「な、何よあれ……」
 「きゃあああっ!」
 「慌てるな、落ちつけ!」
 
 隊内通信に、阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡る。
 横浜基地の精鋭中の精鋭、伊隅ヴァルキリーズの衛士達が、ただ一機の戦術機--それも自分たちと同じ機体である『不知火』に振り回され、次々と撃破されていくのだから。
 相手の動きは常軌を逸していた。技量的にも、思想的にも、技術的にも。
 その操縦は的確で、隙というものが全く見いだせなかった。
 その行動はこちらの予想をことごとく外し、あまつさえ建物の壁や空さえも我がものとしていた。
 そして必然として生じるはずの動き……着地時の硬直や回避不能状態、そういう機構的な障害が、相手の戦術機には全く存在していなかった。



∀ Muv-Luv 第3話 それはいくさおとめたちのほこり

   ~きつねとわんこといのししおとめ~



 この戦いの中、そのことに気がついたのは隊長の伊隅みちると、戦局を上から眺めていたCP将校の涼宮遙、そしてそれに随伴していた神宮司まりもの3名だけであった。
 「夕呼、これ……この不知火、一体何なの? 衛士の腕前もものすごいけど、それだけじゃ説明付かないわ」
 「さすがねまりも。一見でそこに気がつけるなんて。終わったら教えてあげるわ」
 シミュレーターの管制室で、不敵に笑うのはご存じ香月夕呼。我らが夕呼先生である。
 「ちなみに言っておくけど、基本的に機体は不知火そのままよ。少なくとも主機の出力や装甲・耐久性、そういうものには一切手が加わっていないわ」
 「となると、手を加えたのは制御系ね」
 「ご名答」
 まりもは再びシミュレーターの俯瞰画像を見ながら考える。よく見れば移動時の最高速度などは、確かにいつもの不知火とそう変わりはない。だが、動作の切り替え速度が常軌を逸して速い。索敵、回避、攻撃、そういった動作モードの切り替わりに今まであった隙が恐ろしく少なくなっている。ものによっては完全にゼロになっていたりする。
 そして気になるのが特定の状況に置ける動作の不可解さだ。
 戦術機には一連の動作の中、操縦不可能となる時間がある。短時間とはいえ、跳躍したら着地まではほぼそのままだし、攻撃動作に入ったら攻撃を完了するまでは止まらない。
 なのにこの戦術機は跳躍途中で突然噴進したり、攻撃動作を途中で中断したりしている。
 その上どう考えても全力で操縦に専念しなければならなそうな連続動作の途中でいきなり回避行動をとったりすらしている。
 これでは最優秀の教え子達といえども手に負えないのは当たり前だ。当然の如く染みついている攻撃ポイント……動作の硬直や必然的な隙が意味を成さないのだから。それに気がつけばやりようもあるが、予備情報無しの初見では気づけという方が無理だ。現にそのことに気がつく前に、もはや部隊の大半は落とされている。
 ふと見れば既に生き残っているのは、かろうじて気づくのに間に合った伊隅機だけになっていた。
 この間わずか3分少々。多少の油断はあったとはいえ、信じられない速度である。
 そして一対一になったと思ったら……信じられない技量と信じられない動作で伊隅機の射撃をぬるりと躱し(するりとの誤字ではない)、長刀の一撃で伊隅機を断ち切っていた。
 「状況……終了……です」
 涼宮の声も震えている。
 終わると同時に、シミュレーターから彼女たちが転げるように飛び出してきた。
 「ちょっと、なんなのよあれ!」
 いきり立っているのは速瀬水月。その視線は唯一閉じられたままのシミュレーターに向いている。
 「はいはい落ち着いて」
 そんな彼女に水をぶっかけるのは、彼女たちも大いに苦手としている副司令こと夕呼であった。
 「整列!」
 伊隅よりその声がかかり、まりもを除く全員が夕呼の前に整列する。但し夕呼の方針もあって敬礼は無しだ。
 「さすがにびっくりしたみたいね。とりあえず第一回戦、どう思った?」
 普通の軍隊なら順番に格式張って答えを述べていくところだが、ここはそのへんが実にフリーダムだ。
 「なんですかあの変態は! あんなイカサマ戦術機で何させようっていうんですか!」
 怒鳴り散らす速瀬。
 「なんというか……ちょこまかして捕らえにくかった」
 そう答えたのは宗像美冴。
 「ものすごいとしかいいようのない機動でしたけど、あれ、本当に実機で可能なのですか?」
 疑問を呈するのは風間祷子。
 ほかにも口々に驚きと疑問と怒りの声が入り交じった。
 そんな様子をむしろおもしろそうに眺める夕呼。
 「判ったわ。まあ、予定通り。さすがにみんな気がついたみたいね。
 衛士の腕ももののすごいんだけど、それだけじゃないある仕掛けが、あの不知火にはしてあったのよ」
 「それはどういうことでしょうか」
 皆を代表するように、伊隅が質問する。
 夕呼は実に気持ちよさそうに、その質問に答えた。
 「ちょっとあなたたちの知らない、ま、いわば掛け捨て保険みたいなあるプロジェクトが、とんでもない大当たりを出してね。早速引っ張ってきたのよ……白銀、出てきていいわよ」
 その声に従って、閉じられていたシミュレーターの扉が開く。視線が集中する中、出てきたのはまだどう見ても自分たちより若い、少年の衛士だった。
 「彼は?」
 「名前は白銀武。経歴は……あんた達にすら教えていなかった、とある裏方部隊の人員よ。ここだけの話だけどね、その部隊は、別名『幽霊部隊』。存在しているのに存在していない。何しろ戸籍上は、既に死んだ人間ばかりで構成されている部隊だから」
 伊隅達は押し黙った。その一言で、彼がどんな任務を請け負っていたのかが想像できてしまった。
 A-01から見ても裏に当たる部隊となったら、もはや真っ当なものではない。内部監査や粛正といった、存在することすら明かせないような汚れ仕事をしている部隊に違いない。
 過去数度、A-01でも似たような任務はあった。だが彼は、それを専任としていたような存在だったのだろう。
 「ま、実のところ表向きは帝国軍の一部隊を装って、激戦区を渡り歩くことが多かったんだけどね。最前線じゃ崩壊して現場あわせで再編成とかになる部隊なんてごろごろしてるでしょ。そういうのに紛れ込んで補給を受けたりしていた部隊な訳。任務については……言う必要ないわね」
 慌てて全員が首を縦に振った。まりもまで。
 「ぶっちゃけあんた達にすら頼めないようなヤバい仕事や、ほんの思いつきであんた達に試させるわけにはいかなかったようなこととかをやらせてたわけなんだけど。その中にまあ、新発想の兵器や機構の実戦検証なんていうのもあった訳よ」
 再び視線が白銀に集まる。だとすれば何となくその腕前のほどが想像できる。
 自分たちですら、あの損耗率なのだ。そんな部隊ともなれば、おそらくはほとんど使い捨てであろう。そんな部隊の中で生き延びてきたとなれば、よほど運がいいか……よほどの腕を持つかのどちらかだ。
 まわりを犠牲にする卑怯者、という線もあったが、そういう輩は結果的に長生きしないということを彼女たちは熟知していた。
 「で、この白銀はね。劣悪な環境と無茶な戦いの中で、常識にこだわらない、天衣無縫の発想で戦術機を動かしてきたわ。そんな彼が思いつき、自分なりに磨いた発想を、あたしに対する報告の中で積み上げてきたのよ。
 で、あたしの方もついでにこいつのいうちょっとした工夫を戦術機で実現できるように、制御OSとかにパッチを当ててやるくらいのことはしてきたんだけど、とうとうそれじゃ我慢できなくなってきたらしくてね。まあ戦果は上げていたから、ご褒美代わりに我が儘を聞いてあげてみたの。
 そうしたら……瓢箪から駒が出たわ。こいつ、詳細は明かせないけど、とある戦線で撃震一機でBETA約500体を葬り去ったわ……ほぼ無傷でね。それだって補給が続かなかったのと、敵が全滅したからこの数だっただけで、やろうと思えばさらに上へ行ったでしょうね」
 誰も、異論一つ挟まなかった。いや、既に言葉を発することすら出来なかった。
 「全員、もう一度シミュレーターに搭乗なさい。嘘じゃないことを教えてあげるわ」
 「はいっ!」
 その言葉に、慌ててシミュレーターに収まる一同。武も元のシミュレーターに搭乗した。
 夕呼とまりも、そして遙は再び管制室に戻ると、夕呼がコンソールを操作して、とあるファイルを呼び出した。
 まりもはそのファイルに、最高ランクの機密保持がかかっているのを見て少し驚く。
 やがて再現されたのは、信じられないような映像であった。
 
 
 
 実はこの映像、武が因果地平で仮想訓練をした際のデータをコンバートしたものだったりする。打ち合わせの中には、武の身分や出自をどうごまかすかということも入っていた。並行世界でのごまかし方なども参考に、幾つかの案を検討して出たのが現在の経歴である。
 幽霊部隊の発想は、前の世界でも夕呼が戸籍をごまかしたものの、城内省という、さすがに夕呼でも手の出ないところに武の記録があることから思いついた。死んだことがごまかせないのなら、実は死んでいなかったで押し切れる裏付けを、ということになったのである。
 因果地平内でも、武達からこの問題についてはアイディアをもらっており、その際の補完資料になるかも知れないと、仮想訓練の様子を、戦術機のレコーダーデータの形で収めておいたものだ。
 何しろ因果地平の仮想空間の臨場感は、事実上現実と全く変わらない。観測者理論の応用で実物を作り出していると言っても過言ではないのだから。
 現実と変わらない夢のようなものだ。
 そのためこの記録は、現在の技術レベルでは現場の記録でないことを見抜くのは不可能である。
 厳密には技術ではなく、映っている映像の解析で見破れないこともないが、そういう方面の問題は編集でごまかせる。現に元データを作る際には多少そういう編集が入っていたりもする。
 そして今再生されているのは、舞台設定九州某所、レーザー属種少量を含む500体のBETA混成部隊。
 対して武が使用したのはXM3搭載型撃震であった。
 ちなみにこれは武でも成功率2割を切る超難易度ミッションで、このデータは幸いにもほぼ無傷でクリアできたデータ、つまりちょっと卑怯な代物である。なお、XM3抜きでは武でもクリア不可能であったといっておく。
 
 
 
 再びシミュレーター内からは、姫達の絶叫が上がっていた。
 何しろ撃震とはいえ、武渾身の三次元機動戦闘である。強化装備の補正も働かないシミュレーター内は、絶叫マシンそのものと化していた。
 元々機動の激しい突撃前衛の速瀬などは何とか耐えているようだが、後衛部隊の面々は中身が入っていたら危ないレベルまで追い詰められていた。
 こんな屈辱は適性試験以来であろう。
 涼宮など、眼前で展開される映像だけで酔いそうになっている。
 ただ一人、まりもだけは彼の機動を食い入るように見つめている。
 彼女は富士教導隊上がりだ。撃震に関してはベテラン中のベテランと言っていい。
 そんな彼女には、この映像が撃震の機動であるとはとうてい信じられなかった。一体どんな細工をしたら、撃震が不知火すら上回りかねない運動性を持てるというのか。
 その種がなんであれ、これは戦術機のあり方に革命を起こす。撃震による映像を見たが故に、まりもはそのことをはっきりと認識した。
 「うわ、信じられない。どうやったら光線級のレーザー照射を空中で躱せるんですか!」
 「予備照射を受けた段階で、相手の方へ向けて加速すると同時に急制動で振り切るらしいわね」
 「でも空中機動中にそんな機動は出来ませんよ」
 「それを可能としたのが、手品の種よ」
 夕呼と涼宮の会話が聞こえる中、まりもは、光線級のレーザー警告が鳴り響く中、突然失速したかのように高度を落とし、着地地点近くにいた大型種の攻撃を巧みに回避しながら、その巨体を光線級の盾にする操縦技量に舌を巻いていた。うまい、としかいいようがない。レーザー属種の特性を知り尽くし、その習性を利用できねばこんな機動は出来ない。
 「すごい……」
 こぼれ落ちた言葉だけが、まりもの内心を表現していた。この境地に至るまでに、彼はこの若さで、一体どれほどの死線をくぐり抜けてきたというのだろう。
 それに比べたら、自分の経歴すら恥ずかしくなるまりもであった。



 十数分にわたって続いた激しい戦いの記録は、A-01のメンバーの認識を改めるには十分であった。
 もはや武に敵意を持つものはいない。
 そのことを認識した夕呼は、本来の目的を遂行することにした。
 「さて、いよいよお楽しみの種明かしの時間よ。手品の種の名前は仮称XM3。今あんた達が体験した信じられない機動を可能にする、新発想の詰まった新型OS。制御コンピューターと制御ソフトウェアを交換するだけで、あなたたちの機体は今までとは別物に生まれ変わるわ。さっきの試合で判っていると思うけど、実はシミュレーター内には既にこのデータは導入されているわ。
 実機への搭載も直ちに行われる。
 で、いいこと」
 じろりとA-01メンバーを見渡す夕呼。
 「あなたたちにはこのOS、XM3の、表における実戦検証を担当してもらう。これは別件だけど、あたしの研究の過程で、偶然に近いんだけど、かなりの高確率で、近々BETAが襲ってくるという予測が成されたわ。今回限りの事だけど、使えるものは何でも使う。それにあわせて、あなた達にはこいつの有効性を実証してもらうという訳よ」
 「BETAの行動予測が!」
 思わずそう叫ぶ伊隅を、夕呼は押さえる。
 「残念だけど、偶然に近いのよ。再現性はないと思いなさい。それより本題よ。あなたたちには、この任務のため、この白銀の教導を受けてもらうわ。元々この機動概念は、こいつが編み出したものだけに、こいつに勝る……というか、現時点ではこいつしか教師役がいないの。だけど言い換えれば、初見とはいえあなたたち全員をわずか3分少々で葬り去るあの技を、今度はあなたたちが覚えることが出来るという訳よ。
 あと、それに伴って、この白銀を幽霊から生身に戻すことになる。これだけの成果を上げた以上、影働きにおいておくのはもったいなさ過ぎるからね。まあ、適当な理由をつけて、207Bあたりに放り込むことになるから、まりも、面倒見てあげてね」
 「え、わたし?」
 突然話を振られて、うろたえるまりも。
 「あなたよ。後ね、A-01による実戦検証がうまくいったら……まあ行くと思うんだけど、そうしたらこのOSは研究の成果として表に出ることになる。そして207B分隊が総戦技評価演習を合格した場合、この新OSを基本として教育される衛士のテストケースとなるわ。だからまりも」
 なにやらそういって迫る夕呼に、不吉なものを覚えるまりも。
 「あなたも白銀による教導には、A-01と一緒に参加しなさい。そしていずれ、あなたの教え子達に、XM3を採用した戦術機による新概念機動を、きちんとたたき込めるようになりなさい。まあ最初だけは、表に出て衛士身分を取得する関係で、白銀がいてくれるけどね」
 一瞬混乱し……夕呼の言葉の意味が頭にしみ通ったとたん、別人のような鋭さで、まりもは敬礼していた。
 「判りました! 神宮司まりも、誠心誠意、新OSによる新たな機動概念の取得に努めます!」
 「かたっくるしい挨拶はいいのに……ま、いいわ。頑張りなさいよ」
 
 
 
 やる気に火が付きすぎていたA-01とまりもは、そのままの勢いでXM3搭載不知火のシミュレーター研修に突入した。
 武の説明の中、最初は立ち上がるだけで一苦労な操縦性にとまどったものの、さすがは鍛え抜かれた精鋭中の精鋭。
 その隙のなさに慣れてしまえば、今までより遙かに自由に戦術機を動かせる。特に動きの激しい速瀬などは、酔っぱらっているのではないかというほどの暴走をしていた。
 一方まりもは、XM3搭載型における基礎動作の確認に明け暮れていたりする。さすがは教官と言うべきか。実のところ、反応速度の高速化と遊びの少なさゆえ、そういう基礎動作の難易度がこっそり跳ね上がっていたりする。これは教導をする側がしっかり認識しておかなければならないことだ。
 先行入力とキャンセルという概念だけでも、明らかに彼女たちの動きが変わっていた。
 彼女たちは口々に、これを知ってしまったら以前には戻れないと語っている。
 
 
 
 なお、速瀬中尉は、4対1でなら武に対抗できるものの、1対1では連敗記録を鬼のように積み上げる羽目になったことを言っておこう。
 対白銀単独勝利を、まりもに先を越されたのがまずかったらしい。こういうものはムキになってもうまくいかないものと相場が決まっている。
 もっとも鼻先ににんじんをぶら下げられた彼女は、誰よりもXM3の三次元機動に熟達し、立派な突撃前衛となっていたのだが、それを知らぬは本人ばかりであったとさ。



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第4話 それはよりそいたいはりねずみ
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/09 23:28
 「このたび分隊に、1名新人が加わることになった」
 「白銀武です。よろしくお願いします」
 
 その日、207B分隊所属の乙女4人は、戸惑いを隠すことが出来なかった。



 ∀ Muv-Luv それはよりそいたいはりねずみ



 全く前触れも無しの新人追加。しかも男。おまけに物腰が妙にしっかりしていて、訓練兵というより、基地の衛士達に雰囲気が似ている。
 「教官、この時期に突然の新人参加とは、何か理由があるのでしょうか」
 そう尋ねるのは榊千鶴。この207訓練分隊の分隊長をしている。
 お下げと太眉、大きな眼鏡がチャームポイントの少女だ。
 それに対して、教官こと、神宮司まりも軍曹は、きりりとした表情を作って答えた。
 「もちろん、意味がある。とてつもなく重要な意味がな。
 詳細は軍機にあたるため語ることが出来ないが、白銀は本来訓練兵などをしている人物ではない。もし軍が民間企業の様な自由裁量を持つ組織なら、白銀は本来衛士の頂点に立っていてもおかしくはない」
 「えーっ! 頂点、ですか?」
 驚きの声を上げたのは珠瀬壬姫。小柄で愛らしい顔立ちと子供っぽい体型に神技とも言える狙撃の技とそれを生かせないあがり症を抱えた、今はまだ問題多き少女。
 「見た目、それほど変わらないのに?」
 同じく疑問の声を、ぼそりとも飄々とも取れる彩峰慧。珠瀬とは対照的に、女性らしいメリハリのある体型をした少女。もう数年経てば、美女という形容詞が付くのも間違いはないだろう。
 そのどことなく現実からずれたような雰囲気がなければ、だが。
 「疑問はもっともだ」
 そんな彼女たちの様子を、まりもは気持ちは判る、とでも言いたげな目で見つめる。
 「だが彼はとある理由で、国連軍衛士としての資格を所持していない。いや、正確に言えば軍人としての軍籍すら有していなかった」
 「それは……」
 複雑な思いのこもったその声の主は、残る一人の少女、御剣冥夜。均整の取れた美しい姿の内に、重い定めとたぐいまれなる剣技を秘めた影の姫君。
 「聞くな、御剣」
 改めて彼女たちの疑念を押しとどめると、まりもは説明を続けた。
 「だがこのたび、彼は国連軍の衛士としてその身を正す必要が生じた。そのためには正規の訓練過程を経る必要がある。いいか、これは絶好の機会だと思え」
 「絶好の機会、ですか?」
 不思議そうに聞く千鶴に、まりもはその目を真っ向から見据えて答える。
 「ああ。彼は訓練生としておまえ達と同じ教練を受けるが、中身は有数の現役衛士だ。おまえ達は衛士というものがどういうものかを、訓練兵の身でありながら直に見ることが出来るのだ。ほかにも普通では学べない多くのことを、たくさん学べると思っていおいた方がいいぞ」
 そこで一端息を切り、白銀の方に視線を向ける。
 「だがな、彼は同時に謙虚なたちでな。『学ぶべきことの多くが自分には欠けている。そのへんをきちんと学びたい』とのことで、おまえ達ともあくまでも対等につきあっていきたいらしい。よって白銀を先達として立てる必要はない。分隊長も榊から変更されることはない」
 「了解しました」
 「白銀から何か言うことはあるか?」
 千鶴が納得したところで、まりもが武に話を振ってきた。武は、これだけは言っておかねば、ということを話し始める。
 「これから一緒に訓練をすることになる白銀です。いろいろ複雑な事情を抱えているもので、この訓練もたびたび抜けることになるとは思いますが、よろしく。
 あと、みんなの名前とかは一応資料で見させていただきました。ですのでこの場での自己紹介とかはいりません。私的なものはおいおいわかっていくと思います。
 あと、俺にはどうしても直せない悪癖みたいなものが一つだけあります。公の場ではなるべく我慢するようにはしますが、そうでない場合はこれだけは許してほしい、と思っています」
 「どういうものだ?」
 その言葉に、皆の疑問を代表するように冥夜が尋ねてくる。
 武はじっとみんなの顔を見つめると、おもむろに叫ぶような大声で言った。
 「委員長!」
 その言葉と同時に見つめられた千鶴が思わず息を呑む。
 「たまっ!」
 続いて息を呑んだのは壬姫。
 「彩峰!」
 「よんだ?」と、小さく手を上げる慧。
 「冥夜!」
 最後にいきなり名前を呼ばれて何故かあたふたする冥夜。
 そんなカオスを気にもせず、武は言葉を続けた。
 「これが俺の癖だ。元々訳あってお互い本名を名乗ることが少なかったんだが、どうしても他人を形式張った呼び方で呼べなくて、あだ名というか、第一印象で浮かんだ名前で相手を呼ぶ癖が付いているんだ。
 名字しか浮かばなかった彩峰や名前しか浮かばなかった御剣はまだしも、あだ名しか浮かばなかった榊と珠瀬には悪いと思うんだが、どんなに気を使っても二人のことはそう呼んじまうと思う。出来たら勘弁してほしい。
 その代わり……には全然ならないけど、俺のことも好きに呼んでいい。というか、出来たら武、と名前でで呼んでほしい。任官したら俺達は少尉になるわけだけど、たぶん『白銀少尉』なんて呼ばれても、すぐに反応できないと思うし」
 「随分と変わった癖なのだな」
 いきなり言葉遣いが砕けた武に困惑しつつも、真っ先に立ち直ったのは冥夜であった。
 「だが……『本名を名乗ることが少なかった』などと言うからには、おそらくは言葉に出来ない事情があるのだな。しかたあるまい。当座は名前で私のことを呼ぶのを許そう。だがこの先ずっと許すかどうかは、おまえの態度次第だ、タケル」
 「ちょっと、いいの? 御剣」
 千鶴が驚いて冥夜を見る。冥夜は小さく頷き、小声で言葉を返した。
 「気になる点はこの場で話せることではないと思うから置いておくが、しばらくは許してやってよいと思うぞ。何しろまだお互い、何も知らないのだ。ある程度お互いの距離感がつかめるまではしかたがあるまい」
 「そっか……」
 頷き返す千鶴。だが二人は武がその距離感をぶち壊すために入隊したことなど判るよしもなかった。
 正副の分隊長はそんな相談をしていたが、一方ではそんな空気を気にもしていない人物もいたりする。
 「委員長は傑作……言われてみるとはまりすぎ。でもなんであたしは名字?」
 問うは慧。問われた武は、
 「いや……実のところこういうのは直感みたいなもんなんで、俺自身にも説明は出来ないんだよ。まあ委員長だけは、昔世話になった知り合いが本当に委員長で、ついでに見た目や雰囲気がかなり似ているって言うのもあるんだが」
 「そう……ならいい。で、ついでに聞いていい?」
 「ん、なにをだ。機密に引っかからないことならかまわないけど」
 「教官のことは、なんて呼んでいるの?」
 それは無意識の地雷だった。そして武は、それをためらいもなく踏んだ。
 「ん、まりもちゃんのこと? あ、さすがに今はまずいか」
 ……見事に場が凍った。質問した慧も、次に聞こうと思っていた壬姫も、相談していた千鶴と冥夜も、そしてまりも本人も。
 そして期せずして、4人の少女達の口から、
 「白銀!」
 「白銀……」
 「たける、さん……」
 「タケル!」
 どことなく懐かしい呼びかけが、こぼれ落ちていた。
 そして、まりもは……
 「……白銀訓練兵」
 「は、はひっ」
 ゴゴゴゴゴゴという形容詞が実に似合う雰囲気で、武の事を睨み付けていた。
 「事情は存じておりますが、現在のあなたは、ただの訓練兵なのですよね……くぉらあっ! 貴様、教官に対してなんという呼びかけをするのだっ! 分をわきまえろっ! その場で腕立て100回!」
 「はっ!」
 見事なまでの条件反射で、シャカシャカと腕立てを始める武。怒鳴るまりもの顔が紅潮していたのは、怒りによるものだけだったのか。
 そして千鶴達は、あまりの雰囲気の切り替わりの速さについて行けず、ぽかんとしたままものすごい速さで腕立てをこなす武を、ただ見つめているだけであった。
 
 
 
 「でもおどろいたなあ。さすがと言うかなんというか」
 午前中の教練が終わった後、207B分隊はPXでそろって昼食を取っていた。
 その席上、話題となったのは武の持つ、破格とも言える能力であった。
 「私たちの何倍も重たい荷物を持って、おまけに私たちより長い距離を走っているのに、疲れた様子すらないんですから」
 壬姫が素直な賞賛を浮かべて言う。
 「まあ男女の差というのもあるけどな。この年になれば基礎となる体のつくりからして男の方がタフなのは当たり前さ。けど、これだけは言えるぞ。操縦技術に男女の差はないが、最後にものをいうのはどうしても体力だ。重いものを持てる必要はなくとも、長時間にわたる肉体の負担に耐えきるための体力は、文字通り生死を分ける。体力の消耗は、集中力や反応速度の低下をもたらし、それが戦術機の能力を低下させる。平時ならよけられる敵の攻撃も、戦闘下の重圧と体力の低下が重なれば、あっさりと命中してしまう。そんなもんなんだ」
 それはただのアドバイス。だが、207Bの乙女達には、それが何故かひどく重い言葉に聞こえた。
 「タケル、そなた……」
 何となくいいにくそうに、冥夜が声を掛ける。
 「やはり、その……いや、いい」
 「いっぱいいたぞ」
 撤回した冥夜の質問に、あえて答える武。
 「顔合わせ初日にこんなことを言うのもあれかも知れないけどな。たくさん死んだよ。隣の奴だって何人も。ただ一緒になった奴だったらそれこそ数え切れないくらい」
 遠い目をする武を、食事をすることすら忘れて唾を呑む4人。
 そして武は、そんな彼女たちの方を見て、ぼそりと言った。
 「……死にたく、ないか?」
 ためらわずに頷いたのは慧と壬姫。千鶴はワンテンポ遅れ、冥夜は頷き掛けて、それを押さえたような感じだった。
 「実は死なないように頑張るのは、そんなに難しいことじゃない。意外かも知れないけどな、人間、実は自分の命より、他人の命の方が大事だって知ってるか?」
 「どういうこと?」
 千鶴が不思議そうに聞いてくる。
 「ふつう、自分か他人、どちらかしか助からないっていう状況になったら、たいていの人間は自分が助かる方を選ぶ。特にその相手が知人じゃなかったらな。ところがさ、集団で一つの目標に向かっている時なんかだと、どういう訳だかそれがひっくり返っちゃうことがあるのさ」
 「……それって?」
 興味深そうに聞いてくる慧。
 「仲間意識って言うやつなのかな。そういう状況になると、何故か自分の危険より他人の危険の方がよく見えたりする。岡目八目って言うやつかな。そうするとどういう訳だか、とっさに仲間をかばったりしちゃうんだ。結果自分が危なくなることなんか考えずにな」
 「そういう、ものなのか」
 じっと何かを考える冥夜。
 「そういう部隊は強いぞ。お互いがお互いを助け合い、能力が足し算じゃなく掛け算になる。たとえ2人でも、2倍じゃなく4倍にだってなる。ただな、仲間が倒れた時の衝撃も掛け算だけど」
 「……」
 じっと武を見つめる壬姫。
 「戦場で見ず知らずの人間が倒れても、それはニュースで誰かが死んだって言う程度のことでしかない。でも、戦場で仲間が死ぬっていうのは、そいつに加えて自分も死んじまったような気分になる。特に自分を助けてそいつが死んだりしたらな、俺が死ねばよかったっていう悔いも重なって、とんでもなく重いものになる」
 完全に言葉が消える乙女達。
 「一度でもそんな思いを持っちまうと、そいつの運命はたいてい2つに1つだ。重さに耐えきれなくて自分が死ぬ方に回るか、自分も他人も殺せなくなって、必要以上に強くなるか。どっちにしても、そういう奴にとって見ると、他人の命が自分の命より重くなっちまう」
 彼女たちの視線は、ただ武を見つめていた。
 「つと、わりい。飯時にする話じゃなかったな。冷めちまうぞ」
 「は、はいっ!」
 思わずそう返事してしまう乙女達。一転してはしたないまでの速度で食事をかっ込みはじめる。
 一方武も食事を再開しながら、内心あっちゃあと思っていた。
 (やっべ。調子に乗って重いこと言い過ぎた。いくら何でもこんなこと理解させるには早すぎんだろ。そりゃみんなは優秀だけど、俺の知ってる彼女たちまではいってないんだ。これが判るようになるのは、最低限実戦を体験してからだろうに)

 そして数分後、全員の食器がからになると同時に、壬姫が立ち上がっていった。
 「お、お茶持ってきますね」
 そして壬姫が戻ってくるまでの数分、その場は奇妙な沈黙が支配していた。
 「ど、どうぞ」
 「お、ありがと」
 そういって武がお茶を一すすりしたところで、ようやく少しだけ空気が軽くなる。
 「あ、あの、聞いていいですか!」
 そんな空気を何とか打破しようとしたのか、壬姫が顔を緊張で赤くして、どもりながら聞いてくる。
 「た、たけるさんは、なんであだ名で呼び合うんですか?」
 空気の読めるほかの三人は内心頭を抱えた。207Bでこういうことをやるのは本来残る一人、鎧衣美琴なのだが、緊張のあまり壬姫の頭の中からそのへんが吹き飛んだようだ。
 もっとも武は気にした様子もなく、あっさりと答え始めた。
 「ああ、それはお互いの壁を低くするためかな」
 ぎくりとする一同。
 「まあ、なんて言うのかな。以前俺が今みたいに後から加わった部隊で、みんな訳ありの事情を抱えまくってて、ものすごくぎくしゃくしていたことがあったんだ」
 ぎくり、がぎくぎく、になる一同。
 「で、そのさらに前にも似たような状況で俺は危ない目にあっててさ、その時は、笑える話だけど、俺があんまりにもだらしなかったせいで、なんというか、雨降って地固まるというか、怪我の功名っていうか……こいつ見てられん、っていう想いでみんなが結束して、それがきっかけで仲間になれたんだ」
 思わずお互いを見つめ合う一同。
 「その……そなたが、だらしない?」
 想像も付かない、という目で武を見つめる冥夜。
 武はそこでちょっと考えをまとめた。
 (おっとっと……調子に乗って前と、前の前のこと思い出しながらしゃべってたけど……一応俺の『設定』にあわせてちょっと脚色しないとまずいよな。設定だと俺は純夏の前で死んだあのとき、実は偶然生き延びて、その後BETAに素手で襲いかかっているところを幽霊部隊に拾われたことになってるんだったよな。BETAに復讐したいか、なら付いてこい、って)
 「ああ。悪いがそのへんの事情はものすごくヤバいところにいっちまうんで具体的には話せないけど、俺だって最初から何でも出来た訳じゃないぞ。ここが廃墟になる前は、ただの一般人だったんだし」
 その何気ない一言は、武が思っていた以上に彼女たちの心を打った。武はそこまで考えていなかったが、その何気ない一言、『ここが廃墟になる前は』の一文は、武の想像以上に多くの意味を含む一言だった。
 (横浜が廃墟になったのは、1998年のBETA侵攻と翌年の明星作戦のせい……)
 (たった3年前……)
 (あの言い方からすると、タケルは以前、この地に住んでいた?……)
 (軍籍無しで衛士の頂点……不正規部隊所属? たった3年でそこまで凄くなるって、一体どんな思いで戦っていたっていうの?……)
 そして4人はそろって想像する。
 おそらくは、BETAの襲撃ですべてを失った少年。
 その隙間を埋める修羅。
 実戦に次ぐ実戦。死線に次ぐ死線。
 そんな彼が、ごく普通に見えるまでに人間性を取り戻す……それは阿修羅の如く、修羅を突き抜けたがゆえの悟り。
 とてもではないが想像しきれるものではなかった。だが、少なくとも彼が、自分たちなど及びも付かない、地獄の修羅場をくぐり抜けてきたことだけは理解してしまった。
 それは乙女達の誤解。だが、あながち誤解とも言い切れないものでもあった。
 過去2回のループと、それ以上の修羅から渡された思いは、武の中に根付いているのだから。
 「ま、いろいろあったわけだけど、一つだけ言えることは、BETAとの戦いは、1人じゃ無理だってこと。絶対的に信頼できる仲間達と力を合わせなきゃ、圧倒的な数で襲いかかってくるBETAに抗することなんかできっこない」
 とどめの一撃が来た。
 ただ言われただけだったら、それは反発心しかもたらさなかっただろう。だが今乙女達は、想像できるタケルの半生を思い、それに比べて自分はと、きわめて内省的な気分になっていた。そこにうすうす感じていた自分たちの悪いところ……お互いのことを考慮すると言いつつ壁を作っていたことを、真正面から弾劾する言葉が投げかけられたのだ。
 今の自分たちを、真上から叩きつぶされた気分だった。
 「まあ、お互いの呼び名を気安くするって言うのは、お互いが打ち解けやすくするための智恵、みたいな面もあったんだ。名前って、意外と重いもんだからさ。とりあえずはお互いの事情を知らないところから初めて、大丈夫だと思えばお互いに荷物を預けたりしてな。誰だって最初っからお互いの奥深くに踏み込める訳じゃないけど、少しでも信じ合えば、ちゃんと判るだろ? 相手がどういうやつだっていうことぐらいはさ」
 ついに最後の壁すらも消し飛ばされた。4人は意識してはいなかったが、そう感じていた。
 自分たちは何をやっていたんだ。嫌でもそう思わざるを得なかった。
 特に千鶴と慧の思いは深かった。お互いに対する反発が、武の思いに比べれば、ひどく矮小な気がしてしょうがなかった。
 恥ずかしかった。消えて無くなりたかった。
 武は命を掛けていたのに、自分たちは死の危険のない訓練でつまずいている。
 4人が互いに互いの目を見ていた。
 見ただけで判った。思いは同じだった。
 無言のまま、4人がそろって立ち上がる。
 そして--
 
 「ありがとうございました!」
 
 打ち合わせてもいないのに、図ったように同じ言葉、同じ動作が成されていた。
 言葉と共に深く一礼した4人は、そのまま食器を持って退出していった。
 行き先を打ち合わせる必要もなかった。残る1人、鎧衣美琴の元へ。
 そして話をするのだ。彼女にも同じ思いを共有してもらうのだ。
 自分たちがいかに情けない存在だったか。いかに時間を無駄にしていたのか。
 そう、無駄な時間はない。
 
 
 
 そして1人取り残された武は、ぽかんとして彼女たちの姿を見送っていた。
 (なんなんだ? なんか思ったより息が合ってるなあ。あのくらい息が合ってりゃ、前回の総戦技演習、失敗なんかしなかっただろうに。でも今回は何とかして、俺抜きでも合格してもらわないとまずいんだよなあ。委員長と彩峰の対立、どうやって解消するか……)
 とっくに解決しているとは思わず、武は先のことであれこれ悩むのであった。 



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第5話 それはきせきのはじまり
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/17 15:22
 その日、武と夕呼は、地下19階にある夕呼の執務室で、2人だけの密談を繰り広げていた。
 「11月11日には間に合いそう?」
 「ええ、みんなものすごい勢いで三次元機動を吸収していますよ。もう少し手間取ると思っていたんですけど」
 これは武にとっても少し意外であった。A-01はなまじ優秀なだけに旧OSにおける機動の癖が染みついており、それを一端捨て去るのにもう少し手間がかかると思っていたのだ。
 だがふたを開けてみれば、それの染みついていない新人だけでなく、古参の者達もしっかり概念の転換に成功している。
 「まあいい方向に意外だったんならいいじゃないの。それならお披露目は大丈夫そうね」
 11月11日のBETA新潟侵攻。これは判りうる限りの並行世界を見渡した上でも、こちらから積極的な干渉をしない限りほぼ100%発生している、きわめて精度の高い未来予測情報であった。
 この事を知っていた並行世界においては、いろいろな試みが成されている。あえて放置、演習にかこつけた事前配置、オルタネイティブ4の限定成果としての予測発表など。
 それらの情報を総合してみる限り、放置は帝国軍の被害が馬鹿にならなかったので干渉することは決定方針になった。
 それはいいのだが、どう介入するかはその先にまで影響する問題である。
 そして今回の場合、並行世界情報はあまり当てにならなかった。
 残念ながらほかの並行世界とは、目標の置き場所が違う。ある意味桜花作戦を終着点としてきた世界の多い中、こちらの目標は遙か先である。また、手元に蓄積された情報量も、文字通り桁が違う。これらの情報を得るために無理する必要がないのだ。
 そして今回立てられた方針は。
 「はい、問題はないとおもいます」
 武と夕呼は、たいていの世界で桜花作戦後であったA-01の機密解除を、XM3のデビューとあわせて、思いっきり前倒しすることにしたのであった。
 
 
 
 ちなみに彼女たちが武の予測を上回って新概念の吸収と理解が出来た理由……それは同時に学習をしていたまりもの存在があったからであった。
 あくまで現場で使うという視点から学んでいたほかのメンバーと違い、彼女はXM3の機動概念を、他者に教えるという目的の下に学んでいた。その視点の違いが、武ですら思ってもいなかった方向から彼の技術を分析することに繋がり、そしてそれはかつての教え子でもあったA-01メンバーを最初の生徒として試されることになった。
 その結果、悪い意味での癖が染みついていた古参メンバーも、まりもという頭の上がらない存在を通じてその癖をうち捨てることに成功し、武の予測を上回る適応を成し遂げるに至っていたのである。
 207B分隊のことを思って打った手が、予想外の部分で花開いていた。
 



 
 
∀ Muv-Luv それはきせきのはじまり
 



 
 
 「帝国軍には悪いけど、明確な干渉は無しね」
 「オルタネイティブ4の成果として、注意を促すだけに止めましょう。そしてこちらで打つ手として、予測の的中時に援軍としてA-01を出動させ、危機に陥っている帝国軍の部隊を助ける、緊急援助隊として活躍させる」
 「あちらはオルタネイティブ4の成果を知り、こちらはよけいな手を汚すことなく、かつ盛大に恩を売れる、と」
 夕呼はこの時期の彼女が浮かべたことのない不敵な笑みを浮かべつつ、新潟付近にマーキングのある地図を眺める。
 「で、実戦証明の済んだXM3をまず帝国に公開し、その後全世界でパテントを取るっていう順番ね」
 「目の前でその存在を見た帝国軍がほしがることは間違いないですからね。でもいいんですか? パテントの名前、俺のなんかで」
 「逆よ。オルタネイティブ4の成果としてXM3を公開すると、所属が国連軍になっちゃうから、パテント料取れないのよ。下手すりゃアメリカにまるまる持ってかれて、帝国軍に導入するのにこっちがパテント料払う羽目になるわ。まあ実装にここの技術を使っているとはいえ、元々の発想はあなたのものだから、あなたの名前で出す事自体は問題ないし。どっちかっていうと、連名にするなら帝国軍との方がいいわ。それなら早急な配備が必要な帝国軍は無駄金使わないで済むし、アメリカからはパテント料ふんだくれるから。
 あたしの方は帝国軍からの依頼で技術協力したってごまかしておけばいいわ。ま、そのへんはとりあえずお披露目の後ね。巌谷中佐だっけ? その人とうまく口裏を合わせるといいんじゃない?」
 情報の中にあった、帝国軍の戦術機開発の第一人者の名前を出す夕呼。
 「ですね。そのへんの工作はお願いします」
 「ふふふ、任せなさい。でも今は楽でいいわね。これだけ手札が豊富なら、ほかの世界で最大の切り札になってたXM3を捨て札に出来るんですもの」
 夕呼は楽しげだ。実際、今の夕呼にとって、12月25日の悪夢は存在していない。手持ちの情報がある限り、負ける方が難しい位なのだ。並行世界情報にあった中でも大きく夕呼の政治力を増大させた切り札、XM3。だが今の彼女には、その札をばらまくだけの余裕がある。
 そしてXM3の早期拡散は、それによって捨てた政治力を上回る利益をもたらすことになる。帝国軍及び周辺諸国軍の、圧倒的な軍事力の増強という形で。
 「それにこっち方面の手札はまだまだあるしね。試行錯誤って大切よね。さすがのあたしだって、こんなこと思いつきはしないわよ」
 そこにあるのはXM3にとどまらない、無数の世界の試行錯誤の集大成。戦術機の武装改良や、無人機の遠隔操作など対BETA戦略におけるいくつもの大胆な発想の数々。
 すべてを採用することなど無謀きわまりないが、打てる手はいくらでもある。
 「それでとりあえず、どのラインで行くつもりですか?」
 武の質問に、夕呼は答えた。
 「興味深い戦略はいっぱいあるけど、小手先の改造で済むもの以外は、逆に使えないわね。
 桜花作戦の完遂までならいいものがいくらでもあるけど、私たちが目指すところまでたどり着こうと思ったら、それじゃ時間が足りないわ。他世界独自の事情に影響されない戦略で、先までたどり着けそうなのは……やっぱりこれね」
 夕呼の指し示したプラン、それは。
 
 
 
 「XM3完全準拠戦術機の導入」、そして「BETA由来技術の積極採用」
 
 
 
 この2つであった。
 「まあ、このプランを使うと、アメリカにもかなり甘い汁を吸わせることになるけど、それは仕方ないわね。干上がらせる手もあるけど、追い詰めるわけにも行かないし」
 XM3搭載のための制御ユニットを大量生産するにはアメリカの工業力を借りる必要がある。さらにたとえパテントで枷を掛けたとしても、アメリカがXM3の存在を前提とした、ラプターに続く戦術機の開発をすることを止めることはできっこないのだ。
 というかXM3を上回る、あるいは同等の性能を持つ特許に抵触しないOSの開発をはじめるに決まっている。あの国はOSというものの持つ存在の大きさをどこよりも判っているのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 時間は瞬く間に過ぎていく。
 207Bの総戦技評価演習が随分と前倒しになったり、白銀抜きで完璧に合格したりといった、白銀にも理由のわからない変化もあったが、そのことは予定の足を引っ張るどころかむしろ加速させる出来事だったので、武も深く考えずにその状況をよしとした。
 さすがに11月11日に出動できるほど早まったりはしなかったが。
 そしてその当日、11月11日早朝。
 ほかの並行世界の例に漏れず、旅団規模のBETAが、佐渡島から侵攻してきた。
 帝国軍の対応は、念には念を入れ程度であったが、警告は無駄ではなく、あらかじめ準備できるほどではなかったが不意打ちを免れるくらいの効果があった。
 そして何とか帝国軍がBETAの駆逐をし終わる頃、彼らの間に一つの噂が流れていた。
 
 --国連軍派遣の天使が、我々の危機を救ってくれた--
 
 幾多の戦線で、危機に陥るたびに、単機の、あるいは4機編隊の国連軍カラーの不知火が現れ、常識外れの機動でたちどころに戦線を立て直し、こちらが持ちこたえられると判ると颯爽と姿を消していくということが至るところであったのだ。
 通信が繋がったことはほとんど無いが、数少ない事例を総合してみると、単機は男性、編隊は女性だったらしい。
 そして全軍を見渡した時、死傷者は平均的な事態の2割足らずという、劇的なまでの犠牲者の少なさを誇っていた。
 損害そのものは決して少なくなかったのだが、彼女たちの救援によって傷ついた衛士達が脱出できる時間が取れたのがきわめて大きかった。戦術機の被撃墜数は変わらずとも、死亡した衛士の数が激減していたのだ。特に新人において。
 さすがに帝国軍もこの事態を無視できず、国連軍に問い合わせが成された。
 その結果返ってきた返答は、彼らをとまどわせた。
 それは確かに国連軍が成したことであるが、詳細はそちらの持つ機密レベルでは明かせない。こちらから然るべき方法を持って情報公開を行うまで、問い合わせは無用のこと、となっていたのだから。
 但し、こちらからも情報公開の意志はあり、あくまでも機密保持及び情報漏洩を用心するゆえの行動であって、そちらの問い合わせを無視するつもりではないという釈明が付いていたため、帝国軍側は不服ではあっても矛を収めた。
 そして、騒動の元である国連横浜基地では--







 「何とかうまくいったわねー」
 「ぎりぎりでしたし、間に合わないところも多々ありましたけど、こちらの損耗0、機体も小破にとどまりました」
 「ふふ、帰ってきての祝勝会、凄かったわね。まあ彼女たちにしても、死者0での帰還は初めてだったわけだし」
 「ですよね。並行世界情報で聞いていなかったら、俺もあの混沌に巻き込まれて、場合によっては誰かを襲っている羽目になったかも知れないわけですし」
 武は、早々に逃げ出した宴会の終焉を思い出してげっそりしながら言った。
 実際あらかじめ並行世界情報で用心していなかったら、今こうして密談をしている余裕など無かったことは間違いない。
 XM3搭載機の効果は目を見張るものであった。今回は帝国軍の戦いに割り込んで、危ないところを救うという役割だったこともあって、変な話、帝国軍の衛士がある程度壁になってくれた面もあり、初実戦の新人達が危機に陥ることは少なかった。新人と古参で4機編隊のエレメントを組んでいたことも大きいだろう。死の8分なんぞ、意識する間もなく通り過ぎてしまうほどの転進転進また転進であった。
 そして武は、特に危険な戦線を単機でひっくり返しまくった。おかげで補給が大変であったが、この事を予測して数日前からこっそり補給コンテナを配置しておいたのが役に立った。
 幾つかは帝国軍に発見されて不審がられたが、発見された場合は例の警告にかこつけた用心だといってごまかした。遠慮無く使ってくれと申し送りしたので、最終的には感謝されたというオチまで付いている。
 そんな彼らが待っているのは、ある人物だ。
 当然来る帝国軍からの問い合わせに答えるのは簡単だ。だが、現時点でオープンに答えると、帝国軍内部に多数存在するスパイに機密情報が渡る危険性が高い。
 帝国軍との裏取引を確立するまでは、うかつな人物に情報を漏らすわけにはいかないのだ。
 そしてこの時点で、夕呼が帝都に対する連絡手段として、絶対的に信用できる方法はただ一つ。
 
 
 
 「お呼びとあらば即参上。珍しいですな。あなたが私を呼び出すとは。それにはじめまして、幽霊君」
 「全く、あなたを頼る日が来るとは予想もしていなかったわ。鎧衣課長」
 
 
 
 そう。諸刃の剣ではあるが、少なくとも絶対的に情報漏れを心配する必要のない人物。そして間違いなく、将軍にまで情報を届けられる人物。
 帝国情報省外務二課課長、鎧衣左近その人であった。
 
 
 
 「鎧衣課長。わざわざあなたを呼んだ理由は簡単よ。あなたにはメッセンジャーになってもらいたいの」
 「おやおや、これはまたひどい話ですな。私を小間使いですか。小間使いといえば、英語ではメイド。メイドといえば……」
 「うんちくは無しにして。用件は簡単よ。ここに記された日時場所で、将軍及び幾人かの人物と、オルタネイティブ4に関する最重要機密に関わる会合を持ちたいの。別段中をのぞき見されても私は困らないけど、覗くかどうかはあんた次第よ」
 そういって書状を差し出す夕呼。それを横目で見つつ、彼は話を続ける。
 「こりゃまた随分と手際がいいですな。私としてはそちらの幽霊君とも話がしたかったんですが」
 武はさすがだな、と思った。自分が戸籍上死んでいることを既に確認済みとは。いや、それ以前に自分の存在を知っている事自体がたいしたものである。
 だが、その程度のことはあらかじめ織り込み済みだ。何しろ……
 「それに関しては、その会合の席でゆっくりとお話ししますよ。何しろあなたも招待客の1人ですから」
 さすがに鎧衣課長の声が一瞬止まった。武は内心笑みを浮かべる。実際この人の思考を止めるのはものすごく難しいのだ。これも因果地平で知ったのだが、鎧衣課長の垂れ流されるうんちくは、オルタネイティブ3で確立したリーディング……ESPによる思考探知に対抗するための技術でもあるからだ。
 当然のことながら帝国情報省はESP能力者の存在を知っている。そのための対抗手段だってこのとおり研究されているのだ。
 「いやはやこれは。となるとこれは長居は無用でしょうな。早速お届けいたします。楽しみにしていますよ」
 そういった次の瞬間にはいつの間にかその姿が消えている。まるで手品だと、武は思った。
 
 
 
 「さて、細工は隆々、仕上げをご覧じろね」
 「でも鎧衣課長、あの招待客を見て、どう思うでしょうね」
 歴史を加速し、帝国軍を強化するには、早急な上層部との共闘が必要なことは判っていた。
 だがその会合は極秘かつ厳選された人物と持つ必要がある。また、幾つかの懸念もある。
 「政威大将軍煌武院悠陽殿下、帝国陸軍技術廠・第壱開発局副部長巌谷榮二、陸軍大将・斯衛軍筆頭紅蓮醍三郎あたりはまあ予想の範囲だと思うけど。だけどあれだけはまだ判らないでしょうね。この時点ではそこまで切羽詰まっていないはずだし」
 リストには今挙げた人物のほか数名の名前と共に、この人物の名が記されていた。
 帝都守備第壱戦術機甲連隊所属大尉 沙霧尚哉。
 そう、かの12.5事件の首謀者である。
 「あんたも思いきったわね。クーデターの首謀者に、全部ばらしちゃうなんて」
 「ええ。実はXM3を早期に公開した場合、このクーデターが洒落にならなくなりますから」
 何しろ沙霧大尉は、旧OSの不知火でラプターを落とす腕前である。そんな彼がXM3に完熟したらある意味手に負えないことになりかねない。少なくともクーデターが歴史通りの展開を迎えないことは明白である。
 「けどあのクーデターは、政威大将軍の復権にはものすごい効果を上げています。並行世界情報でも、そのことを狙ってわざと起こしている場合すらありますし。でも今回の場合は成り行き任せには出来ません。裏にあるアメリカの陰謀も含めて、こっちで利用し尽くさないとひどい裏目に出そうです」
 「戦略研究会は出来ているみたいだから、下地はもうあるのよね」
 「それに彼は純粋すぎたが故にあのクーデターを起こしているんです。そんな彼がより上の大義が存在することを知れば、間違いなく味方になってくれます」
 彼が道を踏み外したのは、彼の知る範囲ではそれこそが正義だったからに他ならない。
 ならば彼が深い事情を知れば。
 どんなに絶望しても、間違いなく彼は立ち上がる。その無垢なる刃のごとき魂故に。
 「ちょっと危険ではありますけど、ひとたび道を見据えれば、あれほど頼りになる人はいないと思います。腕だって保証付きですし」
 「ふふふ。あんたの謀略につきあわされたら、心がキリキリいうでしょうね。でも、それだけにそこから解き放たれた時の顔が見物だわ」
 「ですね」
 武と夕呼は、また少し黒い笑みを浮かべていた。
 
 
 
 
 
 
 
 「ふぇっくしゅん」
 「どうしました、隊長」
 「いや、突然な。誰か噂でもしていたかな」
 「あれじゃないですか、手紙の君」
 「こら駒木! よけいなことをいうな……だったらうれしいんだが」



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第6話 それはきかいじかけのかみさま
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/26 07:07

 「これは……」
 その書状を読んで、将軍--煌武院悠陽は絶句してしまった。
 「ええ、見ての通りです。信じられませんが、これは会わぬ訳には参りますまい」
 鎧衣左近は、当然の如く中身を覗いた。軍人ならともかく、諜報に携わるものとしてはごく当然のことである。
 そうしたらしっかり自分宛のメッセージも同梱されていた。
 当然ですな、と納得しつつ、まず自分宛の分を見る。そこには、本命の書状には、本来将軍しか知らないはずの機密も幾つか書いてあります、不可解な部分があっても一言一句改竄したりしないようにという注がしてあった。
 そんなことはしませんよと思いつつ本命の中身を確認する。
 「……!」
 その文書を目で追ううち、さすがの左近も絶句した。
 会合の場所は塔ヶ島城。箱根に存在する、将軍ゆかりの城である。
 それはまだいい。だが、将軍とその随行員は『地下鉄』で現地に向かうようにと言う指示が書いてあった。
 帝都城と塔ヶ島城を結ぶ地下鉄道は極秘中の極秘情報である。存在くらいは噂されていても、確信を持ってそれがどこに繋がっているかを知っている人物はきわめて少ない。
 しかもそれに付随して、何か暗号のようなものが書かれている。それの意味するところは左近には判らない。だが、おそらくそれは何かのパスワードを暗示するものだと思われた。
 たぶんその意味が判るのは、将軍とその近侍のものだけであろう。
 そして自分は、沙霧尚哉という帝都守備隊所属の大尉と共に、開発局の巌谷中佐を護衛して塔ヶ島城へ向かうようにとの指示が出ている。しかも行き先は周囲に極秘で。そのために会合の日はわざわざ休日が指示されているくらいだ。勤務としての記録にすら残すなという意味だと、左近は取った。
 そして沙霧尚哉。聞いたことはある名前である。若手の凄腕で、きわめて勉強熱心でもある。最近戦略研究会というグループを立ち上げたが、今のところ特に危険思想を持っているという報告もない。組織の方向性からするとそう転ぶ可能性もあるので監視対象にはなっているが、現時点ではまだのはずである。
 総合してみると、どこかちぐはぐな内容であった。機密保持に対する用心は徹底している。まあ、相手が提示するという内容が帝国にとっても最重要機密に属するものであることは左近にも予測が付くので、これは不審ではない。だが、招集された人物がいまいち不可解だ。
 単純に機密保持だというのなら、将軍まわりの人物だけで足りるはずである。開発局の、しかもトップではない人物を巻き込む必然性は少ない。確かに巌谷中佐は多大な影響力を持つ人物ではあるが、ここまでの機密に関わる人物ではないと左近は踏んでいる。これに自分と沙霧大尉を加えたりしたらますます判らなくなる。
 そこで左近は考えを止めた。この事からもたらされる結論は、自分の手札が足りず、補充しても追いつかないということである。ならばここは相手が手札を配ってくれるのを待つしかない。
 だが左近も、まさか相手があそこまで手札を大盤振る舞いするなどということは、予想の遙か斜め上であった。
 
 
 
 ∀ Muv-Luv それはからくりじかけのかみさま
 
 
 
 「ここが塔ヶ島城……結構いい雰囲気のところね。BETAに襲われたにしては緑も残っているし」
 「かつて斯衛がその誇りに掛けて守り抜いた地です」
 塔ヶ島城をみて感想を漏らす夕呼。ひとつまみの皮肉も忘れない。
 そしてそれに答えたのは月詠真那。はっきり言って彼女にとってこの場にいるのははなはだ不本意であった。
 それは突然のこと。前日夕呼から言い渡された、明日自分につきあいなさいという指令。
 斯衛の方でも了承済みというそれを照会してみたが、彼女のいうとおりであった。
 自分の任務は冥夜様の護衛で、と突っ張ってみようと思ったが、なんと指令はそれを織り込み済みで、当日自分のほかに部下3人と冥夜も香月副司令に同行するよう命令が出ていた。
 そしてその冥夜は。
 「タケル……何故私が同行せねばならなかったのだ?」
 「いやあ、実のところ冥夜はおまけなんだ。本当に必要だったのは月詠さんなんだけど、あの人が冥夜をおいて行くとなったらよほど強力な命令がいるだろ。だとしたら冥夜ごと持ってきた方が早いってね。
 まあ、しばらくはのんびりしていてよ。たぶん、ちょっとした役得もあるからさ」
 「……しかたがない。そなたのいうことだ。副司令も関わっているとなれば、私には語れない事情があるのであろう。役得だと思って自然を満喫させていただくことにする」
 「わりいな。いずれはもう少し事情が明かせるようになるとは思うんだけど、今はまだちょっと早いから」
 と、真那が要注意監視対象としていた白銀となにやら気安い雰囲気を作っていた。
 きわめて腹立たしいが、現在彼は分隊の戦術機訓練において、訓練兵であると同時に教官補佐をするというきわめて微妙な立場に立っている。冥夜当人からもよけいな真似はするなと釘を刺されてしまっていた。
 その訓練も一度だけ見学させてもらったが、正直言って空恐ろしくなってしまった。
 いかなる教導の成果なのか、開始後数日しか経っていないのに、全員が独自機動に入っていた。それは応用も含めた基礎課程を終了しているということになる。普通どんなに速くても一週間はかかる課程を、である。
 しかもその機動と来たら、彼女が想像もしたことのないほど特異なものであった。新人とは思えない切り返しの速さ、宙を飛ぶことを恐れない機動。それは彼女の知る『機動』とは一線を画した何かであった。
 今の横浜基地には、うかがい知れない何かがある。真那はそれを鋭く感じ取っていた。そしてその震源地は、この男、白銀武。
 月詠には隠せないし、私が知っていても問題がないのだからと冥夜から教えてもらった話は、とてもではないが信じられないものであった。
 おそらくは3年前までこの横浜在住であり、今まで死んだものとして戸籍すら抹消されていたこと。機密のため判らないが、おそらくは秘匿どころではない完全な不正規部隊に所属していたらしいこと。そしてそこで生き延びてきたこと。
 残念ながらその不正規部隊に関しては帝国軍ですら把握は不可能であった。そこから推測されるのは彼女が抱えているという秘匿部隊とは違い、いわば臨時雇いのような、連絡だけは付く人間を必要に応じて『部隊』として扱っていたのではないかということ。
 普段は身分を偽って帝国軍などに紛れ込み、特命あるときだけ所属を変える部隊。
 これならば直接その部隊が形成されたところを調べない限り、何一つ証拠は出てこない。
 そしてそれと並行して行われた調査によれば、白銀武は、確かに3年前、横浜侵攻の際死亡したことになっていた。
 だがそのような経歴だといわれてしまえば、死亡していたという事実そのものが誤りとなり、この点をネタにして追求することは出来ない。
 結果不機嫌になりつつも、彼女は現状を受け入れるしかなくなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 一方、塔ヶ島城の内部では。
 「準備は整いました」
 「では、香月殿と白銀殿を中へ」
 悠陽と醍三郎、そして付き人として指定された月詠真耶は、指定された通り、お忍びで地下鉄道を使い、この塔ヶ島城に到着した。
 本来なら使用人が掃除を初めとする準備を万端整えておくのだが、こんな事情では誰1人呼ぶことも出来ない。結果部屋の掃除その他すべてを真耶1人がやる羽目になった。醍三郎も手伝うといったのだが(意外かも知れないが武家は士官ゆえ、身の回りのことはきっちり仕込まれているのだ)、殿方の出番ではないと、きっぱり真耶に言われてしまった。
 その後到着した巌谷中佐と沙霧大尉も、先に準備が出来ていた客間で待機する羽目になった。なお、同行した鎧衣課長はいつの間にか姿を消していたが、気にする人はいなかった。
 そうしている内に夕呼達も到着したのだが、さすがに準備は終わりきらなかったので、しばし待ち時間が生じていた。
 その間に冥夜と白3人衆は周辺の散策に出たりしているのだが、それはさておき。
 夕呼が指定した時間よりやや遅れて、塔ヶ島城は客人を迎え入れることになった。
 「お待ちしておりました」
 斯衛の衣装ではなく、メイド服の真耶が一礼して夕呼達を出迎える。真那は言葉を交わすことなく、ごく自然に真耶の側へ立った。
 そして案内された部屋には、指定した人物が全員そろっていた。
 煌武院悠陽、紅蓮醍三郎、巌谷榮二、沙霧尚哉、いつのまにか鎧衣左近。
 そして夕呼達と一緒に来た月詠真耶、月詠真那。
 手紙には望むなら絶対的に信用のおける、護衛や摂家の者を呼んでもいいと書いてあったが、最低限の人員に押さえたようだ。
 「ご足労をおかけしました」
 さすがの夕呼もきちんと礼をする。その辺はさすがに帝国市民たる夕呼だ。
 タケルもそれに習って礼をする。
 「面を上げよ。また、事情を鑑み、以後、すべて直答を許す、とのお言葉だ」
 真耶が重々しく言う。だが実際は一種の儀式みたいなものであった。
 その言葉が出ると同時に、夕呼とタケルは顔を上げる。
 同時に、悠陽が凜、とした声で問い掛けてきた。
 「香月副司令。こたびの異例とも言える会談、わたくしはよほどの事情があると見ました。それにここを指定する時の指示……これは将軍家の秘事。あなたの手がどれほど長くても、決して入らぬはずのものが含まれていました。
 あなたがこのような会談を取り付けたのは、この事も含めて、決して世には漏らせない何かを掴んだためだと思って間違いはないのでしょうか。今同席している巌谷、沙霧の両名も、それに関わるのだと思いますが」
 「はい。お言葉の通りですわ」
 答える夕呼の顔に笑みが浮かぶ。そしてさらりと言葉を継いだ。
 「殿下。わたくし香月夕呼は、事実上オルタネイティブ4を完遂しました。ついでに申し上げますが、巌谷氏及び沙霧氏は、その先の事情に深く関わります。よってここで本来権限のない機密を明かすことをお許しください。理由はすべての説明を聞き終えれば納得していただけるはずです」
 事情を知る者……悠陽と醍三郎がさすがに硬直した。が、すぐさま悠陽は立ち直り、質問を返してくる。
 「今、事実上、といいましたね。すなわちそれは、オルタネイティブ4の目的を果たしたものの、面だっては公表できないわけが生じた……そう解釈してよろしいのでしょうか」
 「8割ほどの正解です」
 夕呼の様子がますますうれしげになる。そんな夕呼を見て、武はストレスたまってたんだなあ、と思わず感慨していた。
 普段夕呼が上に報告する時は、もっと怒鳴り声と嫌みの応酬になる。相手が夕呼の話をよく判っていないのがありありと判るのだ。対して殿下は打てば響くように要点のみを掴んで聞き返してくる。ある意味講義のしがいのある有望な学生を見つけた教授みたいなものだ。
 「オルタネイティブ4……BETAに関する情報の入手、という面においては実質的にはいつでも完遂することは可能です。より正確に言えば、完遂だけなら、するための手段は確立しました。ですが、そこに至った過程に、BETAの侵略すら霞むほどの異常が生じたのです」
 「! BETAの侵略が、霞むほどの異常?……」
 意外すぎる言葉に、さしもの悠陽も息を呑んだ。だが夕呼は笑みを崩さず、
 「幸い、その異常は我々に害を為すものではありませんでした。いえ、むしろ、機械仕掛けの神が舞台上から下りてきたとでもいいましょうか」
 「機械仕掛けの神……それは、出来の悪い演劇を皮肉る、あの機械仕掛けの神ですか?」
 「その通りです」
 デウス・エクス・マキナ--悠陽と夕呼には通じていたが、通じなかった人物もいたようだった。
 「済まんが、それはどういう意味かな。生来の無骨者ゆえ、演劇などには疎いのだが」
 「ああ、それは私が」
 醍三郎の疑問を、左近が引き取る。
 「外国の芝居で、主役と姫がどうあがいても助からない状況のときに、突然上から神様がおりてきて、神の奇跡で事件を解決してしまうという、観客を馬鹿にしきった展開がありましてね。
 上からからくりの神様が下りてくるので、デウス・エクス・マキナ……機械仕掛けの神、というんですよ」
 「なるほど……とすると、滞りがちだった第四計画が、突然現れた神様のおかげで急転直下解決してしまったというわけですか?」
 醍三郎が笑って言う。もちろん彼は冗談のつもりであった。だが夕呼は。
 「実はその通りですの。機械仕掛けではありませんが、まさに文字通りの神様が降臨したんですわ。この白銀武という」
 「いっ」
 予定通りだったのだが、ちょっとタイミングを見誤った武がぎくっとする。そこに突き刺さる全員の視線。
 「ははは……神様じゃないですけど、夕呼先生から見ればその通りかも知れません。『ここでは』はじめまして、白銀武です」
 「ここでは?」
 その言葉を聞きとがめる悠陽。それを待っていたように、夕呼が実にイイ笑顔を浮かべていた。
 「まずはこちらをご覧ください--白銀」
 「はいっ」
 このために運んできた重い鞄から、人数分の冊子を取り出す。
 それは武が因果地平から持ち帰った、無数の情報、その概要そのものであった。
 
 
 
 しばらくの間、紙のこすれる音だけがその場を支配していた。その時間は小一時間ほどにも及んだであろうか。やがて悠陽が、冊子を閉じると、見上げるような目で夕呼に聞いた。
 「これは……真実、なのですね」
 「うわべだけ見たらとうてい信じられないとは思います。ですが、私的かつ専門的なものなので省きましたが、これらの情報には、私自身の全能力に掛けて疑うことの出来ない情報もありました。ちょうど皆様をこちらに招待する時に使った、将軍家の者のみが知るはずの情報のように」
 「幾多の並行世界で起きたクーデターを通じて、私と殿下は知己となりました。私の体験した事例ではそのまま別れましたが、並行世界によってはこれがきっかけで殿下と深い仲になった世界もあったようです。その情報はその世界からこぼれ落ちたものです」
 必死に言葉を作る武。夕呼は内心笑いをこらえるのに必死であった。
 悠陽はその可能性を思ったのか、少し顔を赤らめつつも、まなじりをきりりと引き締めて言った。
 「ならば、この冊子に書かれていることは」
 「紛れもない真実だと確信していますわ」
 問う悠陽に、断言する夕呼。
 「なるほど、俺がこんな場違いな場所にいる理由もわかるというものだ」
 榮二もぼそりとつぶやいた。
 「さらっとしか書かれていないが、未来技術とも言える新兵器やなんかの情報を、たくさん手に入れたんじゃないですか? こんな真っ当じゃない物を帝国軍で役に立てようとするなら、確かに上じゃ駄目だ。ましてや帝国軍と横浜は、天辺はともかく現場だといまいち仲が悪いからな。そのへんをどうにかしようって言うなら、確かに俺が適任だ」
 「私のような若輩者がこのような恐れ多い場に呼ばれたのも、このクーデターを、いずれ私が起こすと知っていたからですね」
 尚哉も納得がいったという顔で冊子を見つめる。
 「ええ」
 尚哉のつぶやきに答えたのは武であった。
 「あなたが別の世界で成したことは、決して間違っていたわけではなかった。あなたはあなたの正義を信じ、貫いた……俺はそう思います。ですが、残念ながら、あなたの知らないより広い目で見れば、あなたのやったことは間違いであると断罪せざるを得なかったのです」
 「ああ……これを読めば判る。俺が国賊だと思っていた榊首相は、むしろ憂国の士であったことも、俺の思考が、情報を制限されて、米国の陰謀に載せられていたことも……殿下」
 そこで尚哉は悠陽の方に向かって土下座し、魂切るような声で叩きつけるように言った。
 「申し訳ありませんっ! わたくしは、このような深き事情を何も知らず、浅はかな思い込みによって、帝都に乱を巻き起こすつもりでおりましたっ!」
 「よいのです、沙霧大尉」
 対して悠陽は、静かな湖面のように静謐を讃えた声で答えを返した。
 「そなたの知り得ることで世を見渡せば、そなたのような烈士が憤るのは当然のこと。ましてや幸いにも、私たちは互いの思いがすれ違う前にそれを理解できたのです。いわんや、まだ起こってもいないことで、そなたに何らかの裁きを与えるようなこと、出来うるはずがありません」
 そこに武が声を挟んだ。
 「沙霧大尉、殿下の言うとおり、これはほかの世界であった、可能性に過ぎないんです。大事なのはこれらのことを知って何を成すか、です。私があなたをこの場に呼んだのは、あなたが後に悲劇を起こすからではありません。あなたほどの人物なら、目の曇りをはらし、真実の世界を見たのならば、誰より殿下の、いや、天下万民の剣としてその力を振るってくれる、そう思ったからです」
 「私に、出来るのか?」
 「やってもらわないとむしろこっちが困ります。そのためにあなたはここにいるんですから」
 武の視線には、紛れもない信頼があった。
 「ただ、この先しばらく、沙霧大尉には少々……いや、かなりつらいことをやってもらわねばならないかも知れませんけれど」
 一転して申し訳なさそうになる武。
 その武の後を引き継いで、夕呼が再び場を支配するように言った。
 「ここから先は、少し差し出がましい真似をするような物言いが多くなることを、あらかじめいっておきますわ。私たちは……といっても実質この白銀と2人でですが、概要には書かれていないもう少し詳しい情報なども含めて、この先帝国と人類が生き延びるための方策を検討して参りました。
 今お見せした概要、その原本の情報があれば、佐渡島と甲一号……オリジナルハイヴを落とすことは不可能ではありません。そのための手段も5つや6つは上げられます。現在の帝国の生産力で実現可能な方策が、並行世界の幾つかで、実際に行われたわけですから。
 ですが、この世界に真の平穏を取り戻すためには、最低でも月面解放、現実目標として冥王星の基幹ハイヴ、そして究極的には、並行世界を渡り、全次元界BETAの中枢、アルティメット・ワンを撃破せねばならないでしょう。
 そしてその過程で米国が潜在的に持っている野望、世界制覇を実現させるわけにもいきません。彼の国には悪いですが、BETAの脅威は、彼らの想定を遙かに超えているのです。
 地球上のハイヴ攻略のめどが立ったあたりで横道にそれたり、空の彼方に逃げ出されたらたまったもんではありませんし。
 ですが、たとえすべての真実を明かしたとしても、あの国はせいぜい月面攻略後あたりで残る余力を世界制覇に向けるでしょうね。彼らにしてみれば、そこから先は世界を統一してからの方がやりやすいと思うでしょうから。そして現実に、彼らにはそれだけの力がある。
 人類を救うという観点ではむしろその方が効率がいいのかも知れませんけど、さすがにそれを肯定するのは、いささか癪ですわ。一歩間違えば内乱でBETAを駆逐したのに人類滅亡なんていうオチも付きそうですし。
 そういう面も含めて、私と白銀は、偶然の奇跡によって提供された膨大な情報を基本に、新たな対BETA総合戦略……オルタネイティブ6を発動したいと思っています。オルタネイティブ4の目的はあとすこし形式を整え、問題が生じないように注意しながら検証・修正すれば完全に果たされますし、オルタネイティブ5は現時点では結局地球を滅ぼすだけの逃げでしかないことが我々には判ってしまっています。
 そのためには、かつて帝国がオルタネイティブ4を招聘した時のように、オルタネイティブ6の後ろ盾になってほしい、と私は思っております。憚りながら、この計画はほんの少し矛先を変えれば世界征服計画に転用できます。それ故に、この計画の後見を託せるに値する国家は、現時点では帝国しかありません」
 「そのために、ここまでの手札を切ったのですね」
 夕呼の演説を、悠陽は真摯に受け止める。
 そして政威大将軍らしい、すべてを背負うものの力強さで、悠陽は宣言した。
 「ことは私の一存では決められませんし、すぐに何かが出来るわけではありません。ですが、これだけはお約束できると思います。オルタネイティブ6、第六計画に対して、政威大将軍が反対の意を示すことはないでしょう。但し、政府首脳を初めとするほかの方々まで説得できるかは、ある意味あなたたち次第。私としても、強権を持ってそれを通すような真似はいたしかねます」
 「十分ですわ」
 夕呼も自信あふれる笑顔でその返答を受ける。オルタネイティブ6はまだ形になっていないものだ。現時点では十分すぎる信頼を得られたといってよい。
 「ですが、それとはまた少し別に、私たちの我が儘を少し聞いてほしいと思います。もちろん、そちら側にも十分すぎる利益が上がる話ですわ」
 「そこに至る地ならしというわけか」
 醍三郎がじろりと夕呼を睨む。その隣で榮二も、
 「おおかた予想は付きますな。あれでしょう、この間の新潟」
 「ご明察」
 夕呼は不敵に笑う。強面2人の気魄にも、何ら揺らいだ様子はない。
 「新潟で大活躍した国連部隊は、私の直属部隊です。そしてその活躍の原動力となったのが、資料にもありました新型OS、XM3です。この白銀武が、あまたの世界で劣勢の現状をひっくり返し、佐渡島や甲一号を落とすための力の源となった彼独自の機動概念を敷衍するためのOS。
 このOSと機動概念が普及した世界においては衛士の死亡率が半減したという記録が、並行世界記録の中に確固たる統計として存在しています。
 そして私たちには、これを早急に広めようという意志があります。が、そのためには皮肉にも、私と白銀、双方の立場が邪魔をしてしまうのです」
 「と、いわれると?」
 榮二が興味深そうに尋ねてくる。
 「まず白銀は、突然この世界に出現した人物であるため、公式には既に死亡、非公式にもでっち上げた経歴しか持っていないと言うことがあります。
 まあでっち上げの方はある程度はどうとでもなりますが、帝国側に疑問視されて徹底的に調べられたらさすがに破綻します」
 「なるほど、それが私までここにいる理由の一つですな」
 左近がにやりと笑う。
 「ええ。もちろん防諜の重要性を理解していただくために、あえて公開したという面もあります。あなたのような人は、知らないことがあるとそれをかぎつけてしまいますが、知っていることをむやみにさらす人ではありませんから」
 「ははは、これは一本取られましたかな。確かにこんなことを知ってしまったら、私は守りに回らざるを得ません」
 そのやり取りのさなか、控えていた真那が何故か顔を赤くして下を向いていたが、気がついたのは真耶だけであった。
 一方夕呼は、説明を本筋に戻す。
 「そして私はオルタネイティブ4の要員として国連基地に所属しています。そのため、その研究の成果は、ある程度はともかく、最終的には全人類のために国連を通じて役立たせねばならない定めを負っています。現実にはオルタ5推進派との確執のようなものもありますが、この大義を無視するわけには生きません。そしてこの方面から突っ込まれると、なまじXM3が優秀であるが故に、その権益を保持しきれなくなる恐れがあるのです。
 オルタネイティブ4の成果としてXM3を発表するのは、短期的には私の持つ権限と政治力を増大させますが、長期的にはむしろ損失となるのです。並行世界歴史の様に、今年度中にオリジナルハイヴを落とすだけならともかく、その遙か先まで戦い、あまつさえオルタネイティブ6のような計画まで立てるとなるとXM3の権利を国連に取られるのは多大な損失になります」
 「なるほど。本来オルタネイティブ4の目的はBETAの『情報』を得ることであり、この情報は人類にとって看過できない重要なものになるから独占はおろか対価を求めることさえ許されていない。というか、そもそも第四はその過程で利益を生むことが考慮されてない計画だ。だとすると確かにそりゃまずいですな」
 榮二がくつくつと笑う。
 「うっかりそのまま発表したら、確かに最初は香月副司令に頭が上がらなくなるが、役に立つと判った時点で絶対国連、というかアメリカはXM3を国連管理にして、ただでさえきつい国連予算の足しにするのが目に見えている。そんなことになったら丸損のうえ、名分はがっちり整っているから、さすがに副司令でもひっくり返すのはむずかしい。となると」
 榮二はじろりと夕呼を上目遣いに見る。
 「その通り。XM3は帝国で研究され、私はその最終過程、要求される膨大な並列処理能力を持つ制御装置の開発と最終調整に協力しただけという形にしたいのです。そうすればXM3の基本特許は帝国が所有することになり、自軍への導入に余分な予算がかかることはありませんし、国連に取られる心配もありません。特許料の調整は、アメリカに対する政治カードにもなるでしょう。まあどうせ勝手に解析して、改良型と称するパチモンを作って踏み倒すでしょうけど」
 「ははは、まあそれに関してはお互い様です。戦術機の特許と交換出来れば十分ですな」
 戦術機の基礎特許はアメリカが多数所持している。改良型の機体における特許使用料の分配問題は、帝国にとって頭の痛い問題の一つでもある。
 「そうするとこの件は、そちらの進言を受け入れた方がよいのですね」
 悠陽が榮二に確認するように問い掛ける。
 「はい、殿下。新潟の話は聞いていますし、この異世界歴史の資料からしても、これはとてつもない金の卵です。ほかにくれてやることはありません」
 「ならばその方向で話を進めるようにいたしましょう。香月副司令、この問題は、今いうだけの単純なものではないのでしょう?」
 「その通りですわ、殿下。そもそもXM3の発案者は白銀ですから、表向きは軍事機密で隠すにしても、その隠す経歴を整える必要があります。現時点では、私のでっち上げた戸籍上の死亡者による部隊、仮称『幽霊部隊』に所属して3年間を生き延びた人材ということになっていますが」
 「その幽霊を本物にしてしまうというわけか」
 醍三郎がおもしろそうに笑う。
 「元々幽霊だ。最終的にこいつ1人が生き延びたことにすればいいんなら、細工はたいした手間じゃねえな、鎧衣」
 「ですね。元々そういう噂というものは結構あるものです」
 左近も人の悪い笑みを浮かべる。
 「帝国の暗部として、調べれば出てくるというわけですな。まあさらなる表向きに、横浜襲撃の際の衝撃で記憶の混乱を起こし、年齢や名前を勘違いしたまま帝国軍に所属していたことにでもしておきましょうか。そいつのいる部隊は、常にそいつ1人だけが帰ってくる。『死神』なんて言われていたというふうに」
 「あらそれおもしろいわね。実際は幽霊部隊の仕事をしていたんだけど、表向きは普通に出撃していたことになっているから、帰ってくるといつも1人きり。それ故嫌われて、詳しいことを知る人間は誰もいない……なかなかいいじゃない」
 夕呼までおもしろがって脚色を加える。武は頭を抱え、
 「勘弁してくださいよ~」
 と叫ぶが、困ったことに出来すぎていてこれよりうまいストーリーを思いつけない。
 結局、この線に沿って手直しをした上で、武の偽経歴が組まれることになってしまい、後々武はいろいろ困る羽目になるのだが、それは些細な話。
 「技術局の方は殿下のご威光と俺の名前があれば何とか押さえられると思います。ついでに機密保持のネタでもつかえば、まあごまかしきれるでしょう」
 一方榮二は導入の方に話を切り替えた。
 「そうそう、それに関していいものがありますわ。本来欺瞞用として用意したものなのですが、XM3からコンボ機能や状況対応修正機能を省き、先行入力とキャンセルによる操縦の自由度を拡張しただけのOS、XM2。XM3と違い、白銀の機動を再現するには至りませんが、紅蓮閣下のような能力のある衛士が使えば、より優れた機動が可能になります。何よりこれは既存のOSとの差し替えが可能ですので、戦術機本体の改装が一切いりません。撃震にも導入可能です。
 ただ、処理の負担が増すので、きちんと使いこなせなければ返って性能を下げてしまうことになりますが」
 ちなみに撃震は機体設計の関係で、XM3への換装を行うにはそれなりの改造が必要になってしまう。陽炎より後の世代ならば現場あわせが可能なレベルであるのだが。
 というのもXM3の激しい機動は、第3世代機のコンセプトに基づいた設計が成されていないと負担が激しい。攻撃を『耐える』のか『よける』のかの差が如実に表れるのだ。
 第2世代機の陽炎なら何とか負担が追いつくが、それでも機体寿命を確実に縮める。第1世代機の撃震では、そのままでは大幅に機体寿命が縮んでしまう上、整備の負担も大変なことになる。
 欺瞞用プロトタイプ、XM2は単に操縦系の入力機構の改善をしただけだったりするので、負担度は使い方次第である。単なる操作入力の高速化と硬直の解消程度の使い方ならば負担はそれほど変わらない。
 ジャンプキャンセルによる空中でのレーザー回避などをやればXM3並の負担が機体にかかることになるが、そのへんは使い手次第という中途半端なものだったりする。
 「お、それはありがたい。そのへんまとめて試してみることにします。しかし発想っていうのは大事ですな。他でやってる計画にもいい刺激になるかも知れません。99式あたりも、少し考え直した方がいいかもしれませんな」
 「そのへんはお任せしますわ。ですが、XM3の導入も、一時的な全体能力の底上げに過ぎないということは意識しておいてください」
 夕呼は釘を刺す。
 「実は資料によりますと、現時点でXM3の真価をもっとも発揮できる戦術機は斯衛の武御雷です。ですがそれさえも、あくまでも相性が抜群であるに過ぎません」
 「おっと、そこから先はこっちの領分ですよ、副司令」
 榮二が夕呼の言葉を止める。
 「XM3が衛士の死亡数を半減させるOSだというのなら、次に来るのはこいつを完全に使いこなすに値する新型の戦術機になります。ひょっとしてあるんじゃありませんか? 並行世界情報に、いわば第4世代機のコンセプトのようなものが」
 「もちろんありますとも。今回の概要に載せるには早すぎると思ったので省いてありますけれども」
 夕呼も以心伝心とばかりにいう。
 「ですがそれに満足していては勿体ないですわ。次世代以降の、実戦証明さえ成されたすばらしい機体の数々の資料、もちろんそちらに提出させていただきます。さすがにそこまで行くと今の私の権限では処理しきれませんから。ですが、その大半は地球上のハイヴ攻略のための兵器でしかありません。資源と予算には限りがあります。かつて瑞鶴を、そして不知火を生み出した帝国には、いずれは月や火星、そして極寒の冥王星でも戦える戦術機を生み出してもらわないといけません。大気すらない世界でも動ける戦術機を」
 「そいつは豪気ですな」
 榮二も燃え上がるような目をして言う。
 「極端な話、甲一号あたりまでなら、武御雷や、開き直ってラプターやラーストチカあたりにもXM3を搭載すれば、G弾抜きでも何とかなるわけですよね? となるとむしろ新型に必要になるのは環境適応能力のほうだ。エースに渡す先行試作機とか以外は、むしろ月あたりからが本番になりそうだ」
 「ええ。ですがそのへんはもう少し先の話になります。ちょっと話が先走りすぎましたわ」
 夕呼は話の流れを抑え気味にした。
 「と、もうしますと」
 悠陽がそれを受ける。
 「私が皆様を招聘したのは、もう少し大事な目先の話があるからでもあるのです」
 「目先の話、ですか」
 「ええ。白銀」
 そこで武に話を振る夕呼。
 「私も知る未来知識においては、この先横浜基地や帝都を揺るがす事件としては、資料にもありましたがHSST落下事件、12.5クーデターなどがあり、オルタネイティブ計画関連としても12.25の佐渡島ハイヴ攻略、その後の横浜基地襲撃、オリジナルハイヴ攻略といった事件があります。
 ですが、特にハイヴ攻略については、慌てる必要性はほぼ無くなりました」
 そこで一端言葉を切る武。
 「順番に言いますと、HSSTに関しては起こると判っていれば妨害するのは簡単です。現に私の知る歴史でも夕呼先生……失礼、香月副司令の働きかけで十分阻止できました。
 続いてクーデターですが、基本的にはもはや脅威ではありません」
 「ああ。首謀者の私がこうしている以上、白銀殿の知る歴史を辿ることはあるまい」
 武はそれを聞いて頷くが、同時に少し顔をしかめていった。
 「ですが、表向きはクーデターの計画をそのまま続行してほしいのです」
 「……そうか、米国対策だな」
 「その通りです。この陰謀は根が深い。うまく利用して根を掘り起こしておかないと、後々にまで文字通り禍根を残すことになります」
 「ある程度までは計画を続行し、機をみて一気にこの事件を利用して相手の諜報組織や諜報網を根こそぎ一網打尽にする、と」
 「加えてそこに将軍の特命があったことにし、クーデター本来の目的であった、政威大将軍の復権を成し遂げるというわけです。
 あなたのような憂国の烈士に、このような後ろ暗い謀略を担わせるのは大変に心苦しいのですが、これを成し遂げられるのはあなたしかいません」
 「何を言う白銀殿。御国と殿下を救うために己が身を汚すのは、むしろ当然のこと。必ずやり遂げて見せよう」
 尚哉の瞳も、やはり燃えているようであった。武は誤解していたが、彼は己の目的のためになら自己すら殺せる男である。それが、自分が命を掛けて成し遂げようとしていたクーデターが、己の理想と真反対のことに利用されていたと知ったのだ。
 その怒りはどれほどのものになろうか。加えて米国に与したものも、その半数は家族を初めとする大切なものを質に取られての上となれば、そのえげつないやり口に対して彼の正義感は否応もなく燃えさかることになる。
 あれだけの士を巻き込んでクーデターを起こした男が、真に正しき目的に向かって喜怒哀楽のすべてを全開にしたのだ。そこに待つ結論は想像するだに恐ろしいことになる。
 このクーデター騒動は、おそらくとんでもない結末で終わりそうだな、と武も何となく予想できた。
 だが、武からしてみれば、本命はこんなことではない。とりあえず月に至る道を拓くには、成すべきことは山ほどある。
 そして武は、当座やらねばならないことの本命をぶち上げるのであった。
 
 
 
 「さて、国内における懸念は、この程度でいいと思います。歴史は同じ道を辿ると限るわけではありませんし、この先に起こることをいちいち考えていたら動きが取れなくなります。
 そこで我々が目指すべき道筋を、しっかりと見据えたいと思います。
 オルタネイティブ4を打ち切る時間期限、12月25日は、もはや存在しないも同然です。
 ですので、この日までに佐渡島ハイヴを無理に落とす必要性はありません。とはいえ、佐渡島の攻略そのものはなるべく早く行う必要があります。帝国に負担を掛ける原因ですし、周辺諸国にXM3の有効性を見せつけるのにも、佐渡島をG弾抜きで落とすことほど効果的なものはありません。
 それにあたり、準備期間の取れる今回は、ある作戦を提案したいと思います。これは、オルタネイティブ4におけるある副次的問題、その中核とも言える00ユニットを初めとするG元素など、BETA由来の技術にも関わってきます」
 そう言い放つ武は、知らず知らずのうちに、夕呼に匹敵する気魄を孕んでいた。
 「現時点において、この並行世界情報を利用したとしても、純粋に人類だけの力でBETAの膨大な物量に打ち勝つのは難しいと思います。勝つためには、BETAすら利用し尽くすだけの気概が必要になると思います。
 現時点でも、00ユニットやG弾を製作するためには、BETA由来のG元素が必要であり、これを人類だけの力で作るのはまだ不可能です。人類が生き延びるためには、そういったBETAの持つ技術すらも吸収し、利用しなければなりません。
 現時点においてそのための拠点が国連横浜基地です。明星作戦によって手に入れたハイヴを基地とし、その反応炉すら利用する秘匿計画。ですが、それではおそらく足りません。
 G元素の採取ではなく、製造手段を手に入れねば、BETAの物量を押しつぶすだけの質は手に入らないと、私たちは踏んでいます」
 その一言は、あることを予感させるものであった。
 「白銀……おぬしの狙いは」
 醍三郎が驚き半分、感心半分の声でつぶやく。
 「はい。十分な戦力を整え、佐渡島ハイヴを『占領』し、そこに横浜を上回る規模の『佐渡島基地』を建造します。その上で横浜基地の反応炉を除去すれば、帝都周辺の危険性も格段に減少するはずです。あふれたBETAは反応炉を目的とする特性がありますから、佐渡島ハイヴの反応炉を確保できれば、大陸から渡ってくるBETAに対する最高の誘因材となります。
 すなわち、佐渡島の要塞化は、大陸からのBETAに対して、万里の長城を築くに等しい効果が見込めるのです」
 「さらに大陸解放に際して、絶好の策源基地ともなる……成功すれば、その利益は計り知れない、か」
 醍三郎が感慨深げに言う。
 「最悪落とすだけならほぼ確実です。オルタネイティブ4の最終調整が完了すれば、手持ちの情報と合わせてかなり精密な演習も可能となりますから、成功の可能性は十分に見込めると、私は愚考する次第です」
 この時点で何故2人が自分たちを招いたのか、悠陽達ははっきりと理解した。前段階だけなら、ここまでお膳立てを整える必要はない。だが、この佐渡島基地化計画にまで踏み込むとなれば、帝国としても総力を挙げた協力が必要となる。そのためには彼らも最大の手札とも言える、神の情報、並行世界の知識を惜しげもなくばらまく必要があった。そしてそれなくして、こちらを巻き込んだこの目標を達成する見込みは立つわけがなかったのだ。
 決断の時だ、と悠陽は感じていた。政威大将軍として、帝国の未来を背負うものとして、この賭を良しとするか否か。それはおそらく、今後の帝国の命運を変える。
 そして、彼女は……
 
 
 
 「賭けましょう。真に平和な未来を勝ち取るために」
 
 
 
 宿命すらねじ曲げる一言を、その唇に載せたのであった。



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第7話 それはしることのおもさ
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/17 16:40



 沙霧尚哉は、改めて手渡された冊子に目を通していた。
 悠陽の宣言の後、食事を兼ねた休憩を取ろうという事になり、悠陽と醍三郎、そして夕呼と武は一旦席を外した。真耶と真那は食事の準備をしている。もっとも塔ヶ島城は普段誰もいないため、生鮮食料のたぐいは全くないといってよい。合成食材も基本的には生鮮品に近い。現在この城にあるのは、保存の利く穀類と芋類、それと乾燥野菜程度のはずである。
 それでも天然物の食材があるのはさすがと言うべきか。
 尚哉達は気にしないが、問題は殿下と夕呼である。2人がいなければそれこそ軍用糧食で十分なのだが、さすがに賓客や殿下に戦場でもないのにそのような物を出すわけにも行かない。
 もっとも尚哉に出来ることなど何も無いのだが。
 
 尚哉の手に渡された冊子は、特にクーデター事件について詳しく説明されていた。
 無数の並行世界で行われていた、あるいはいるという、自分が起こすはずだった事件。
 その中から共通性の特に濃い部分を選別し、それに基づいて事件の背景を分析、並行世界間誤差における事件経過のこまかい違いなどは省き、時間や偶然であまり変化することのない、各自の思想背景や背後組織の目的などが判りやすくまとめられたものであった。
 
 
 
 ∀ Muv-Luv それはしることのおもさ
 
 
 
 沙霧尚哉という人物は、憂国の烈士である。それも盲目的に誰かを信奉するのではなく、むしろ旗頭となるタイプの士だ。
 光州作戦における彩峰中将の進退、そしてクーデターにおける主張。彼は常に自分で考え、自分の言葉で思いを語ってきた。誰かの言葉や思想をなぞるのではなく、創り出すのタイプの人間であった。
 この資料を創った武と夕呼は、沙霧大尉という人物を出来うる限り詳しく分析した。その結果が、今上げたような、自らの判断を持って物事を量る、きわめて揺らがない人物であるという物であった。
 そんな人物であるが故に、ひとたびクーデターを起こしたのなら、もはやまともな説得は不可能、たとえ将軍の命であっても頭ごなしの命令では従わないことは目に見えていた。というか従うようならクーデターなど起こしはしない。
 だが、武は彼について知れば知るほどある違和感が大きくなるのを感じていた。
 彼の性格からすればそう安易にクーデターのような事件を起こすとは思えないのである。
 実際に起きた時の手際を見ても判る。やるからには徹底的にだ。米軍の干渉が無く、純粋に彼の思ったとおりの決起が成されていれば、おそらくクーデターは成功していたはずである。
 そこまで大局的な目と抜群の作戦遂行能力を持つ彼に、昨今の情勢においてクーデターを起こすことによる不利益が判らないはずはないのである。決起の前、最後だと慧に送られた手紙も、彼が悩んでいたことを暗示している。もし彼が絶対の自信と誇りを持ってクーデターを起こす気ならば、あの手紙を書くはずがない。慧に別れを告げるにしても、あのような暗示的な文章にする必要性は全くないのだ。きちんと読めばあの手紙には明確に彼が何かことを起こす気であることが織り込まれている。上手の手からも水がこぼれる、あの手紙が原因でクーデター計画そのものが潰える可能性だって有ったのだ。
 それの意味することは何か……一つしか考えられない。
 もし彼女が、萩閣中将閣下の娘が、自分の起こす事を良しとせず、手紙を元に自らを止めようと動いたのならば、クーデターそのものを過ちとして幕を引くつもりだったとしか思えない。
 つまりあの手紙は自分の迷いを振り切るための最後の審判だったとしか思えないのだ。
 悩みつつも思い切り、そして気づかぬうちに利用され、結果無念の死を遂げる武人……武は必死になって考えた。何故彼がそちらに向かってしまったのかを。そして、自分の記憶と、並行世界資料による周辺事情を照らし合わせ、武は一つの結論を見いだした。
 かれは自らの意志で世界を量る。それこそが彼を追いやったものであると。
 彼のような人物は世論のような物には影響されがたい。だが、そんな彼の目に入った情報が、偏っていたり、歪められていたりしたら。彼の持つすばらしい能力が、思い切り彼の進路を誤らせる。世論に揺らがないというのは、ある意味常識を羅針盤としないということでもある。すなわち、入力される情報に対する検証手段がきわめて少ないのだ。自分では正しいと思って間違った情報を入力してしまえば、コンピューターのように間違えたまま突っ走ってしまう。
 ましてやそこに米国の陰謀が重なったのだ。情報の正誤を判断するための基準そのものを狂わされたら、彼のような人物は破滅に向かって一直線となる。間違ったマップが入力されたGPSのようなものだ。
 判断基準の不足及び錯誤。それが武の最終的に得た、クーデターの原因であった。
 ならばどうすればいいのか。答えは簡単だ。彼にとって絶対的に信用できる、正しい情報を与えてやればいい。
 本来ならあり得ない政威大将軍との同席は、まさにそのための必要条件であった。武手持ちの情報は、単純に尚哉の元へ届けても全く意味がない。荒唐無稽なものとして無視されるのがほとんど、興味を引けたとしても他情報との比較の内にすり切れるのがおちである。
 荒唐無稽の情報を、絶対的に信用されるように渡す……そのための鍵が、政威大将軍であった。
 殿下が真実であると信じた情報を、彼が疑うとは思えない。そしてそれが自分の眼前で成されたのなら、万が一の誤解も消える。先のGPSの例えでいうなら、ただ地図を渡してもそれが正しいかどうかは判らないだろうが、空を飛んで直に下を見下ろせば正確かどうかは一目瞭然である。
 そして尚哉は……武の思ったとおりの行動に出た。
 ただ渡されても信じられない情報。それが同時に殿下の手に渡り、そして殿下自身が真実だと思わざるを得ないという意思を表明した。
 その瞬間、尚哉の心の天秤は、はっきりと逆側に傾いた。
 自分の把握していた世界が、歪められたものであることを認めたのだ。
 そんな尚哉に出来たのは、己を恥じて許しを請うことだけだったのである。
 
 
 
 「沙霧大尉、あなたも大変ですね」
 資料に没頭していた尚哉は、そう話しかけられて顔を上げた。
 「はっ。特別な場合だったとはいえ、自分の至らなさをはっきりと思い知らされました。同時に真実を知る、ということがいかに難しいものかを」
 「まあ今回のは反則だからな。真似できる物ではない。だが、これだけは覚えておいた方がいい。今回君も理解したと思うが、物の見方は人によって違う。すべての真実を知ることなど不可能だ……今回のような奇跡でもない限りはな。だからこそ誤解が生じ、すれ違い、そして最後には戦いになる。
 それを少しでも減らそうとしたら、どうしたらいいと思うかね、大尉」
 同じく部屋に残っていた榮二は、そう尚哉に問い掛けた。
 「はい。今回のことで、少し判った気がします。物の見方は立場によって大きくかわり、同時にすべてを見渡すことは出来ない。物の表と裏を、同時に見ることは出来ないということです。ならば気をつけねばならないことは、相手の視点、他者の物の見え方を意識することです。この資料も、特異な事情があったからこそ出来たとはいえ、基本的には様々な視点から共通する事象を俯瞰することにより、展開図や三面図のように、ものの姿を誤解無く描き出しているものだと思います。
 私は榊首相を、米国に媚び、殿下をないがしろにし、国を滅ぼす無能なる宰相だと判断し、御国のために彼を誅することを決意していました。
 ですがこの資料が正しいのならば、彼は乱れる国会をまとめ、反動勢力が暴走しないように絞めるところは絞め、緩めるところは緩めてそれを維持し、それによる傷を己で引き受けて殿下を守っていらした。私を大いに揺らがした彩峰閣下の処遇も、現場の一士官が知ることの出来ない国際情勢の裏を提示されてみれば、むしろよくぞ閣下を贄にしたとしか言えなくなってしまう。
 個人的には承伏しかねる。だがあの場においては己が汚名を着ることが最善であった……なんのことはありません。私が命を掛けて国賊を廃し、事が成った後はその罰に殉じようとしていたのと何らかわりがありません。
 私には今まで一つだけ、どうしても理解できないことがあったのです。
 私は閣下腹心の部下であったがために、ついに最後まで直接閣下と顔を合わせることが出来ませんでした。ですのでつてを使い、何とか閣下の様子を知ろうとしました。
 ですが私の手元に入る情報において、閣下は誰かを恨むのでもなく、虚無感を漂わせるのでもなく、それどころか完爾として笑っていたというのです。
 そこだけがどうしても判らなかったのですが、ようやく理解が届きました。閣下は判っていたのですね。結果がああなったゆえ、自分のしたことがいかに正しかろうとも、裁かれねばさらに大きく御国を傷つけると。だからこそ、断腸の思いを押して自らを裁いた榊是親を、彼は笑って許した、いや、むしろ讃えたのですね」
 「それどころかいやがる首相に自分を罰しろと、はっぱを掛けていたそうですよ、中将閣下は」
 榮二にそういわれ、尚哉は下を向いた。
 「危なかった……危うく私は、閣下が命に代えて守ろうとしたものを潰えさせるところだった」
 「ああ。全くとんだ神様ですよ。よくまあこんなものが、我々の手元に転がり込んできてくれたものです。本当に非情になりきって人類を救おうとするなら、たぶん一番確実なのは米国と組んで世界を制覇してしまうことでしょうからね」
 「かも知れません……だとしたら、我々は何にこの幸運を感謝したらいいのでしょうか」
 そういう尚哉を見て、榮二は吹き出した。
 「君は変なところで固いな。決まってるじゃないか。何でもいいのだよ。何しろこの日の本は、八百万の神様がいる国だ。何に祈ったって、ちゃんと神様の元に届くさ」
 「さしずめ今回は、白銀大明神というところでしょうか」
 「ははは……うまい冗談だが、将来この機密が解除されたら、冗談じゃなくなるな」
 「そうかもしれませんね」
 笑いながら、尚哉は思った。心の底からこんな風に笑えたのは、いつ以来であろうかと。
 
 
 
 
 
 
 
 一方殿下は、醍三郎、夕呼、武を伴って、外の自然を散策していた。
 武は少し感慨に耽っていた。前の世界で、武が悠陽と出会ったのは、こういう雰囲気の場所であった。だが、明け方の闇の中とさんさんと日差しが差し込む昼とでは、森はその様相をがらりと変える。
 そして武は、夕呼の方をちらりと見た。夕呼も判っているとばかりの笑みを浮かべて返す。
 「あ、殿下、少々憚るところへ」
 そういって武がその場から離れる。
 「あたし達はこの先にいるからね。早く戻ってきなさいよ」
 夕呼がそう返す。この小道を少し行った先に、中庭のように開けた場所がある。
 かつての戦いで出来た場所なのだが、今はその傷も癒え、芝や季節の草花の咲く公園のような風景になっている。
 そこに近づくにつれ、何故か夕呼がほんの少し歩みを遅くした。そのさい醍三郎と目があった隙に合図を送る。
 それに何かを感じた醍三郎は、悠陽のことを見つつもそれに合わせてほんの少し歩みを遅くした。必然的に悠陽が一歩前に出た形で3人は歩いて行くことになる。
 そして悠陽がその広場に到着した時だった。
 誰もいないはずの広場。だが、彼女がそこに足を踏み入れた時、計ったようにちょうど反対の方から誰かが姿を表した。
 「何も……!」
 何者、という声が、急激に吸い込まれた息で途切れた。それは相手も同じようだった。
 誰だ、の「だ」のところで急激に息が吸い込まれておかしな発音になっている。
 そこにいたのは、自分と同じくらいの、髪型だけが違う、自分にあまりにもよく似た少女だった。思わずきびすを返そうとして後ろを向いた時、悠陽はそこにいなければならないはずの人が誰もいないことに気がついた。
 あの紅蓮醍三郎が、こういう場で自分から目を離すことはまずあり得ない。あり得るとすれば……
 彼女は再び前を、反対側にいた少女の方を見た。
 ちょうどその時、反対側の少女もこちらを向いたところだった。
 もう言葉はいらなかった。これは判っていて仕組んでくれたのだと理解できた。
 普通は決して合うことの叶わぬ相手。だが今は、『普通ではない』きわめて特別なお忍びの最中。
 相手も同様なのであろう。
 二人の少女はその場から駆け出し、広場の中央でひしと抱き合っていた。
 
 
 
 そんな彼女たちを眺める瞳が6対12個。
 醍三郎、夕呼、武、そして護衛の白3人組、神代巽、巴雪乃、戎美凪。
 3人は先ほどまで冥夜共々彼女たちを引きずってきたことに文句ありげだったのだが、今はそんなことも忘れて涙目である。醍三郎ですら、目尻に何かがにじんでいるみたいである。
 食事の準備が出来たと真那が皆を探しに来るまで、彼らは誰一人、この場を動こうとしなかった。
 その真那も悠陽と冥夜を見て泣きそうになり、慌てて皆に押さえ込まれたのだがそれは置いておく。
 
 
 
 
 
 
 
 この後品数は少なく、鮮度もいまいちながら、それでも天然ということが大きくものをいった昼食が取られ、今後の表における予定を幾つか調節して、この会合はお開きと成った。
 その帰り道、車を運転する真那は、助手席に座る武に向かって、ぼそりとつぶやくように語りかけた。
 「たいした詐欺師だな、貴様は」
 「今回はまあ済みませんでした」
 武も小声で返す。ちなみに冥夜はいろいろあったせいか後ろの席で眠っていた。
 「私があのような席にわざわざ呼ばれた理由は納得した。確かにあの事情を知らねば私は冥夜様のためにおまえを最大限警戒しただろうし、新OSXM3に関しても一悶着有ったかも知れない。だがそのへんは全部ついでだったな? 私をを引き込めばいろいろ楽になるのは確かだが、それは別に絶対ではない。機密の重要度を考えたらむしろ伏せておくべきはずだ」
 昼食後の打ち合わせで、国連基地に出向している第19独立警護小隊は、斯衛XM3試験部隊を兼ねることになった。持ち込まれた4機の武御雷はOSをXM3に換装し、後にXM3対応教育試験訓練部隊になる予定の207B及びA-01と共に、第1期XM3教導部隊となることを命じられた。
 それに対して武は、
 「そうしようかとも思いましたけど、いろいろ案を練ってみた結果、やっぱり月詠さんは引き込んだ方がいいと判断しました。冥夜のことは、ぶっちゃけついででしたけど、やっぱり寂しいじゃないですか。後燃料投下ですかね。今のままだと、冥夜は切り札になりすぎますから。敵味方いずれにとっても」
 そう小声で答えた。
 現時点ではまだあまりおおっぴらにXM3を表には出せない。殿下と醍三郎、榮二が斯衛及び帝国軍にすることになる根回しが完了するのには少し時間が掛かる。史実のトライアルと比べれば遙かに早いが、それまでは横浜基地から出すわけにはいかない。
 また、A-01部隊の機密解除のタイミングも関わってくる。幸い並行世界情報のおかげでこの後夕呼がA-01を動かして何かをする必要性はほとんど無くなっていた。横浜基地のたるみは問題だが、夕呼は佐渡島基地建設を目標に据えた時点で横浜の人員を心理的にばっさりと切り捨てた。
 佐渡島ハイヴの攻略と同基地建設、これが成功すれば夕呼は横浜基地にこだわる理由がほぼ無くなる。オルタネイティブ4の完遂とオルタネイティブ6の立ち上げをするには、拠点を佐渡島に移した方が圧倒的に大きい力を握ることが出来るようになる。
 実際には佐渡島ハイヴの精密調査が必要になるためそこまで確定しているわけではないが、横浜基地の持っていたきわめて特別な部分が半減するのは明らかである。
 引っ越しの際、いらない荷物は捨てていく。夕呼はそういう気持ちになっていた。
 話を少し戻すと、佐渡島攻略の際には大車輪で動いてもらうことになるであろうA-01であるが、逆に言うとそれまでの間機密性を伴う部隊運用の必要が全くなくなってしまった。かといってA-01ほどの練達部隊を遊ばせておくのはあまりにも勿体ない。先々のことまで考えれば、A-01の最も有効な使い方はXM3の教導部隊である。
 そういった様々な事情が重なり、どうしてもしばらくの間準備期間が必要となった。
 策を実行している人達はその間暇無しであるが、小人閑居して不善を為す、という言葉もある。第19独立警護小隊は、小人ではないが閑居すると不善を為しかねない存在でもあった。もともとオルタネイティブ4関連の連絡役だったこともあり、ならいっそ巻き込んでしまえとあい成ったのである。
 そして武は、ちらりと眠る冥夜の方に視線を向けると、つぶやくように言い始めた。
 「冥夜が最初から公にされていたら、殿下の立場が揺らぐ。それは間違っていないと思います。まあ、実際にはそのへんに関して正解なんて無いとは思いますけど。
 ただ、今の時点になると、冥夜の存在は諸刃の剣になってしまっていると思うんです。
 冥夜には資質があります。もし殿下に万が一のことがあっても、こっそりすり替わってその責務を背負うに足りるだけの。そういう意味において冥夜は立派に育ったんだと思います。
 ただ、強いていうなら、ちょっと優秀すぎたかも知れません。今の冥夜は影として押さえておくことが難しくなってしまったと思います。
 消すには勿体なく、影と成すには扱いづらく。
 そして距離を取らせようと国連軍に送ったせいで、おそらくとんでもない裏目まで出てくることになりました」
 「……? どういうことだ?」
 武の物言いに不穏なものを感じた月詠が武に尋ねる。
 「いいたくはないんですけど、米国の不穏分子が危険になるんです」
 一瞬武の目が冷ややかになる。
 「あんなことを画策する一派が米国には存在しています。それだけで悪く言うのはなんですけど、もし彼らの手がもう少し長かったら、冥夜は間違いなく計画に組み込まれていましたよ。最悪ですと、あの事件に合わせて殿下を殺害、煌武院家を誘導して冥夜を殿下とすり替える方向に持って行く。しかしその冥夜は親米派に洗脳されている……くらいはあったと思います」
 「あり得ない話ではないな」
 言外に私がいる限りあり得ないと語りつつ、真耶は答える。
 武はそんな真耶を見て息を抜き、言葉を続けた。
 「冥夜は優秀です。それこそ殿下の代わりが務まるほどに。ですがそれ故に、敵対するものにとって、本来切り得ない札を切る余地が生じてしまうんです……殿下を無き者にする、という。予備としてあまりにも出来すぎたがために本体を危うくしてしまう。まあある意味優秀な跡継ぎの扱いに困るのに似てますけど、さらにやっかいな面もありますからね。
 この札を使うためには情報の扱いが重要になります。でも、現時点に至ると、秘匿する労力と利益の釣り合いががほぼ臨界に来ていると思います。殿下が実権を回復できた場合、冥夜の秘密は殿下にとって害に転落します」
 「だろうな。だがそれを逆手に取るとは。おまえもたいした策士だ」
 「俺にはそんな智恵はありませんよ。無数の先達から教わっただけです」
 殿下が復権した場合、冥夜は存在そのものが危険と見なされて消される可能性も有る、と焚きつけた。秘密が守られている内はいいかもしれないが、殿下と冥夜の価値が上がったことによって、ばれた時のリスクが格段に上がる、という論調で悠陽の思考をちょっと誘導した。
 秘密の影がいる、というメリットを捨てれば、この問題も解決しますけど、と。
 一見なにをという言い方だが、言い換えれば実権を握った後なら冥夜の存在は公開しちゃった方が問題が少ないよ、ということである。
 ちなみにしっかり悠陽には伝わった。
 「いずれにせよ、だ」
 真那はため息をつくようにいう。
 「白銀殿の事も理解できた。少なくともこれ以上よけいな口は挟まないことにする」
 「そうしていただけるとありがたいです。これから協力しなければなりませんし」
 「確かにな。XM3導入後の訓練は、そなたが直々に付けてくれるとのことだが」
 「実のところ、207Bで教えてみて判ったんですけど、基礎からだとまりもちゃんの方が上手なんですよ。さすがに教官経験が違いすぎました」
 何しろ常識となる基盤が違う。武の三次元機動はこちらでは武にしか思いつけないが、それを教えるのは発案者の武より、それを脇から見て自分たちの基盤とすりあわせ、理解したまりもの方が断然うまかった。
 「ただ月詠さんとか紅蓮大将みたいな実戦経験豊富な実力者なら、俺が教えた方がいいみたいなんです。そういう人達は理屈抜きで理解してくれるんで。後時間の割り振り問題もありますね」
 「そのへんはよろしく頼む」
 そこまで言ったところまでは良かった。だが、突然真那の気配が以前の不審がられていた頃に戻る。思わず武がびくりと震えると、その気を逃さず真那は言った。
 「だが……冥夜様との関係は話が別だ。最後まで添い遂げるというのなら応援するのはやぶさかではない。だがその覚悟がないのならば……」
 武は何も言わずにがくがくと首を縦に振ることしかできなかった。
 そして横浜基地までの道のりは……まだ遠かった。



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第8話 それはきしむせかい
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/04/26 22:52
 まさかこれを作ることになるとはね、とつぶやいた夕呼。
 その眼前にあるのは、頭をすっぽりと覆う、目の前にまで被さるヘルメット。
 太いケーブルがそれに何本も繋がっている。
 武は何となく、ゲーセンにありそうだななどと思っていた。
 見ようによってはヘッドマウンテンディスプレイに見えなくもない。だがそこに秘められているのはそれを遙かに上回るものだ。
 通常の視覚や音声、キー操作といった入出力機構を飛び越え、直接思考レベルでの入出力を可能とするコンピューターシステム。本来の00ユニットから演算部のみを取り出し、その制御系の代わりに人間の思考を、リーディングとプロジェクションの原理を用いて連結する『拡張脳デバイス』。
 完成型00ユニットと、第5世代戦術機の操縦補助デバイスとして採用されていた脳波入出力インターフェイスをベースに組み上げられた、00ユニットの代替品、『ブレインカプラー』。
 残念ながら未来情報にあった汎用型脳波入出力装置は、工作精度と必要な原材料(未入手G元素が必要だった)が足りないため、現時点では使用者に合わせたチューニングが必要となる。そのチューニングも、現時点ではデータがまっさらなため、基準から作らなければならない。
 そうなると、その基準を作るためには、こちらからブレインカプラーに合わせて接続が出来ないといけない。
 結論として、最初の被験者は社霞一択となった。
 
 
 
 ∀ Muv-Luv それはきしむせかい
 
 
 
 この試作機は頭をすっぽりとヘルメットの中に入れなければならないため、霞はいつものうさぎヘアを解いて、オールバックから首の後ろで束ね、ばらつかない髪型にまとめ直していた。
 髪をまとめ終わった霞が同行していた武の方を見ると、戸惑いの感情が強く伝わってきた。
 普段は武の思考もリーディングしない対象に加えられていたが、現在は実験準備のためリーディング能力は解放されている。なるべく思考の色を見ないようにはしていた霞であったが、ここまで強い感情だとどうしても見えてしまう。
 不思議そうに思って武の方を見ていたら、武が慌てたように言った。
 「いや、女の子は髪型で変わるって言うけど、ほんとになんというか……別人に見えるなあ」
 「私は私ですが」
 自分でもよく判らない戸惑いといらだちがあり、やや声が尖っていると、霞は感じていた。
 そんな様子の彼女に、武はますますうろたえる。
 「あ、いや、なんて言うか、いつも俺が見ている霞はあの髪型だったから、見慣れないといか、印象が違うというか……」
 「似合いませんか」
 平坦な口調で霞は言葉を返す。この時霞は、自分でも自分の感情がよく判らなかった。うれしいような、腹立たしいような、正と負の方向性が同時に生じるような矛盾した感情。
 そんな感覚の混乱が平坦な声として出たのだが、それを聞いて何故か武がますます慌てだした。
 「いや、その、似合うというか、印象が違いすぎて比較できないというか」
 「はいはいいちゃつくのはそこまで」
 そんなところに割り込んできたのは、もちろん夕呼であった。
 「白銀、気持ちは判るけど少し落ち着きなさい。社も気にしなくていいのよ。単に見慣れなくてとまどってるだけだろうから」
 そして夕呼はシステムモニターを注視しながら霞に言う。
 「今のところこちらはOK。社、ヘルメットをセットして」
 「はい」
 霞は小さく答えると、用意されたソファのように見える椅子に座り、ヘルメットをかぶる。夕呼がコンソールを操作すると、椅子はリクライニングすると同時に少し変形し、霞の体を優しくホールドするような形になった。
 これは万一の場合に彼女の体が傷つかないようにするための処置である。単に椅子に座ったりしただけだと、不随意の動きで転倒したり、ヘルメット部分が損傷する可能性があるためだ。
 夕呼は霞の姿勢が安定したのを確認すると、バイタルチェック用の端子を手首を初めとする数カ所に取り付け、動作を確認する。
 「問題なしね。それじゃカプラーのスイッチを入れるわ。社はちょっとやりにくいかも知れないけど、周辺をリーディングしようとしてみれば何か反応すると思うの。そのへんはむしろあなた頼みになると思うけど、いろいろ試してみて」
 はい、という小さな声が聞こえたのを確認して、夕呼はスイッチを入れた。
 
 
 
 霞はリーディングをする時のように、意識を集中してみた。と、今まで感じたことのない『揺らぎ』を受けた。言葉にするのは難しいが、見えないところに手をつこうとしたら、そこに何も無くてひっくり返りそうになった感覚、とでも言えばいいのか。
 いつも感じる『色』のあるべき位置に、何かぽっかりと穴が空いているような、そんな感じがしたのだ。
 これかな、と思い、意識をその『穴』に合わせてみる。特定の人物を深くリーディングする時の要領で。
 その瞬間、今度はさっきのそれより遙かに大きな『落下感』を感じた。自分がずるりと吸い込まれるような感覚だった。慌てて穴のまわりに手を掛けて踏ん張る。あくまでも比喩であるが、何とか自分を支える。
 その瞬間突然その感覚が失せ、同時に耳元に怒鳴るような声が聞こえるのを霞は感じた。
 「社、大丈夫!」
 切羽詰まったような夕呼の声。霞は少しぼんやりしつつも、しっかりと答えを返す。
 「はい……大丈夫ですけど、どうかしましたか?」
 「ああよかった」
 夕呼の声に、深い安堵が宿っている。プロテクトが外れているせいか、こちらを心配していた色が見えていない視界に映る。
 「突然脳波がフラットになりかけたから何事かと思ったわ」
 さすがに霞もぞっとした。ひょっとしたら自分は今、死にかけたのだろうか。
 が、冷静に自分のことを思い返して、違う、と結論づける。
 「大丈夫です。先ほどの接触で感覚はつかめました。今度はもう少し慎重に接触してみます」
 「ならいいけど……じゃあもう一度」
 心配そうなまま、それでももう一度電源を入れる夕呼。だがその手はいつでもスイッチを切れるようになっているのが霞には判った。
 そのことに何か暖かいものを感じながら、霞は先ほどの世界に飛び込んだ。
 
 
 
 意識しながら思考の網を広げると、先ほどの『穴』を明確に感じ取ることが出来た。今度はゆっくりと、のぞき込むように穴に近づく。
 うかつに触れようとはせず、穴のあり方に意識を近づけ、穴の中を『視る』。
 やがて穴の中の風景が、だんだんと見えてきた。
 そこは暗く、何も無い、なのに何故か青く、蒼く、碧く感じられた。
 (これは……宇宙?)
 映像資料で視る、宇宙のバックが思考に浮かんだ。何も無いのに何かがある、ただひたすらに広大な空間。
 霞はその空間に、気をつけながらそっと触れてみた。
 
 
 
 その瞬間だった。
 
 
 
 今度は落ちるのではなく、溶け込むような感触を感じた。
 さっきのが暗闇の中落下するようなものなら、今度は水面に顔を付けた時のような感触がした。そして水の中を見ると同時に、霞の中で『何か』が突然広がった感じがした。
 次の瞬間、霞は不思議な物を『視て』いた。すぐ近くで強く感じる、二つの『色のかたまり』。それは今までリーディングで感じていた『感情の色』によく似ていた。だがその色合いは、今までのような単色の物ではなかった。まるで抽象画のように、無数の色が複雑に絡み合った色であった。
 だが、今の霞には、それが『視える』だけでなく、『理解できる』。一見でたらめにみえるその『色』は、人の思考の色だ。繋がった何かを通して、その色が人のどんな感情、どんな意思を表しているのかがかなりの精度で判る。
 それは言葉を介さない会話であった。霞は今『視覚で会話する』という希有な体験をしていた。
 思考は言語で構成される。言語は文字や音などで構成される。その流れはシリアルな、単一の回線である。
 だが今霞は、普通そういうシリアルな時間の流れの上で構成される『思考』を、二次元に拡張された『絵』として認識していた。零次元の文字を連ねた一次元であるはずの『思考』を、二次元のパターンに『色』という無数の次元を加えた『ひとかたまりの物』としてまとめて認識しているのである。
 それは人間の『脳内思考』を丸ごと飲み込むような物だったのかも知れない。
 霞はそれを認識する過程で、あることを『認識した』。
 将棋という遊びがある。
 霞はやったこともなく、詳しいルールも知らないが、何故か今の自分はそのことを『知っている』。
 その将棋において、有段者は盤面を見ただけで瞬時に数千手を読んでしまうという。
 今の自分はそんな状態なのではないか、そう『思った』。
 次の瞬間、霞はそんな自分を不審に思った。自分にそんな知識はない。そんなことは知らないはずだ。なのに何故自分はそのことを『知った』のか。
 そう思った瞬間、その答えが『瞬時に判った』。
 将棋に関することは『白銀武』の、今の自分の状態に対する答えは『香月夕呼』の思考だ。
 眼前の複雑な色のかたまり、それは夕呼と武の思考そのものなのだ。すべてを理解しようとするのはさすがに無理。だが、そのすべてを今の霞は『認識』している。ただ自分自身の『自意識・言語思考』が、認識していることに追いついていないだけだ。
 自分が発した『疑問』に対し、無意識のうちに『視え』ている『思考』の中からそれに合致する物を『リーディング』し、自分の中で言語思考に『変換』して『答え』として認識している。
 ふと思いつき、今までの『思考の流れ』を、夕呼のものと思われる『思考』に対して『プロジェクション』してみた。
 自分の『視覚』には、思考に光を当てたように感じられた。次の瞬間、まさに即時に『夕呼の答え』が返ってきた。
 それは言語ではなかった。『認識』だった。普通耳で声を聞き、脳内でそれを解釈する、その『解釈』がいきなり飛び込んできた。
 それは心による超高速の会話だった。再び『声』を掛けてみたが、返ってきたのは『静止』のイメージだった。
 どうやら人間にはこのやり取りがものすごい負担になるらしい。そう思った瞬間、夕呼の方から『接続を切る』という意識が生じ、同時にいいまで見えていた物が突然切断された。
 その感覚に思わずめまいを感じる霞。立ちくらみや、激しい運動のあとの酔いに似た感覚だった。
 じっとしていると、ヘルメットが外され、本来の目に光が入ってきた。それを眩しく感じると共に、夕呼と武の心の色が、本来の感じで感じられた。
 だが今の霞には、それはまるでぼやけた物にしか感じられなかった。雑音だらけで写りの悪い映像を見ているみたいだった。
 「驚いた……まさかこんな結果が生じるなんて」
 「どうしたんですか、夕呼先生」
 霞の目の前では、武が夕呼を気遣っている。見ると、夕呼は全身にびっしょりと汗をかいていた。まるで全力で運動をしたみたいだった。
 そして夕呼は武の問いには答えず、霞に向かって問い掛けてきた。
 「社、あなたは何ともない?」
 「切断の時に少し酔ったみたいなめまいがしたくらいです。今は問題ありません、ただ」
 「ただ?」
 「突然目が悪くなったみたいです。接続中はくっきりと見渡せた物が、急に見えなくなったので」
 それを聞いて夕呼は安心したのか、傍らの椅子にドサリと崩れるように腰を掛け、深く息を吸い込んだ。
 「報告はいいわ。理解させられたから」
 「させられた?」
 夕呼の物言いを不思議がる武。
 「させられたのよ……ふう」
 夕呼は大きく深呼吸をしながら、武の問いに答える。
 「とんでもないプロジェクションだったわ。言葉とかじゃ表せない『概念』、それを丸ごと飲み込まされたんですもの。おかげで社が接続によって何を感じたのかは、丸ごと理解できたけど。言葉を越えた意思疎通だわ」
 「よく判らないけど……凄そうですね」
 「あんたに判りやすく言うとね、今の社は」
 夕呼はまだちょっとつらそうにしながらも、きりっとした眦で武を見ながら言った。
 「あんた独自の戦術機における三次元機動概念、それを丸ごと別の衛士に転写できるようなものなのよ。普通なら目で見せ、体感させ、そして実戦で磨かなければ身につかない、言葉にしきれない部分まで丸ごと」
 「ちょ! それって……」
 さすがに武も唖然としていた。
 「要するにね、ブレインカプラーが社の持つ能力を拡張する形になったのよ。
 カクテルパーティー効果って知ってる? 人間はざわめきの中で自分の名前を識別できる。これはね、脳が雑多な情報から必要な物を選別していると言うこと。これを逆から見れば、人間の感覚器官は、本来自分が感じているものの数十倍の情報を受け取っているということなのよ。だけどそんな無数の情報をそのまま垂れ流しで受け取っていたら脳がパンクするわ。だから情報の大半を切り捨て、必要な物だけに絞る機能が脳にはある。
 これっていわば火事場のクソ力に似たものなのよ。ほら、人間の筋肉は、本来ものすごい力を出せるけど、体を痛めないためにリミッターがかかっていて、緊急時だけ解放されるって言うあれ。いわばそれの情報版ね。
 ほら、聞いたことない? 腕利きの職人は見ただけで0.1mmの狂いを識別したり、反響音だけで機械の異常を特定したりって。受け取る脳の方を鍛えれば、人間は常識を越えた知覚を得ることが可能になるわ。
 今回の社の場合は、ブレインカプラーによる処理能力の向上が、リーディングやプロジェクションの精度をぐんと引き上げたっていうことかしらね。ちょっと予想外だけど、これはこれでありかも」
 聞いていて武は頭が痛くなってきたが、必死になってその説明を飲み込んだ。
 「ということは、00ユニット抜きで反応炉にリーディングを?」
 「試してみる価値はあるわ。幸い情報を得るためのプロトコルそのものは、あんたの持ってきた情報にこれでもかっていうくらいあったしね」
 「オルタ4の肝でしたからね」
 武は詰め込まれた情報量の多さを思い出しながら言う。
 「まあもう少し調整してみて、出来るならあたしが使えるくらいにはしたいけど、とりあえずは社が使って情報が取れるかどうかね。ハイヴのMAPだけでも取れればあとはあんたの情報と合わせてオルタ4の完遂報告が出来るわ」
 夕呼はそう言うと、再びカプラーの調整とデータ分析に取りかかった。
 
 
 
 
 
 
 
 月日は流れる。
 夕呼がカプラーの改良を進めている間に、周辺の状況も加速したかのように動いていた。
 新OSXM3とそのダウングレード版XM2は帝国のものとして発表された。横浜基地はあくまでも助力者としての立場を貫いた。その割には教導部隊が横浜基地所属だったりしたが、そこは夕呼の悪名を逆に利用した。
 つまり、帝国が最後の詰めでさじを投げかけていたものを、ちゃっかり先にいただいてしまったのだと。
 そのせいで一部から反発が出たりもしたが、巌谷中佐の「横浜の助力がなければ画餅に終わっていた」という意見と、夕呼が表向き言った「そっちの気持ちは判るけど、こっちでも試してみないとまずいでしょ。何しろ世間に二つと無い新型のCPUを使ったんですもの。CPUのせいで死人が出たなんて難癖を付けられたらこちらが迷惑よ」というふてぶてしい言い訳が、腹立たしいながらも一理あったこと、加えて最終的に帝国に戻ってきたOSが常軌を逸した性能をたたき出したことが最終的には反発を抑え込む形になった。
 そして帝国軍、斯衛、横浜基地合同で行われた発表会において、XM3はそれを見に来た周辺諸国に対してとてつもない衝撃を与えることになった。
 シミュレーターによる対BETA戦映像、そして実機による模擬戦闘、それらにおいてXM3搭載機と、その機動概念を使いこなした衛士は常軌を逸した成果を上げて見せたのである。
 特に衝撃的だったのは、何といっても207B訓練兵達の戦果であろう。
 いまだ任官していない訓練兵が、主機出力の弱い練習機で、現役の精兵を完全にたたきのめしてしまったのである。6対6では無傷の完全勝利、6対12というある意味卑怯なバランスですら、彼らは互角に戦ったのである。
 そしてシミュレーターの対BETA演習においても、今まで全世界で不可能と言われていたヴォールクデータのクリアを成し遂げたのである。
 当然の如く帝国に対して導入希望が殺到した。アメリカなどは無償公開せよという圧力を掛けてきたりもしたが、さすがにそれに対してはならばアメリカも戦術機のライセンスを人類全体のために解放せよと切り返されて沈黙した。
 もっともXM3導入には新型の高性能CPUユニットが必要で、それを量産できるのは帝国とアメリカくらいだと言うことが伝わるとアメリカの態度は手のひらを返したものになった。残念ながら欧州の国々では現時点において高性能CPUを作るための工業リソースが戦術機の製造に喰われて不足気味だったのである。製造そのものはともかく、大量供給となると最初から持っている帝国とゆとりのあるアメリカに頼らざるを得なかったのである。
 ついでに言えば、XM2に関してはフリーソフトとして公開したため、儲けにはならなかった。というか、ソフトのインストールだけで使用可能になるXM2は、有償公開しても結局は不正コピーが蔓延して、金を取る意味が無くなると判断されたからであった。
 もっともただ導入するだけではXM2はシステムの負担を増すだけで終わる。一応そのへんのノウハウも公開はしたが、使いこなすのにはやはりそれなりの努力がいる。
 帝国は武を起点とした教導役がいたため、XM2もXM3の予習といまだ現役である撃震の戦力底上げに使われ、きちんとその役を果たしていたが、周辺諸国にはそのへんで失敗して帝国に泣きつく羽目になった国もあった。
 その某国との間でちょっと揉め事があったりもしたが、おおむねOSの革新による戦力アップは、じわじわとではあったがその成果を上げつつあった。
 
 
 
 「今のところは順調ね」
 「はい。このペースなら来年の春くらいには佐渡島に挑めるかも知れません」
 
 もともと前の世界における佐渡島攻略戦、及び桜花作戦は無理に無理を重ねた戦いだった。
 桜花作戦の成功で一時的にBETAの圧力とハイヴの増設は止まったが、もし止まってくれなかったら帝国はかなり危ないところまで来ていたのだ。
 弾薬はただではない。特に戦術機の弾丸は劣化ウラン弾だ。劣化とはいえ、資源としては汎用性が低い。言い換えればコストが高い。おまけに日本ではほとんど産出しない。
 まあ帝国はほとんどの資源を輸入しているので今更といえば今更だが、弾薬に限らず、各種装備や整備維持にはものすごいコストがかかる。
 そして前世界において、帝国は一週間という短い期間に続けて行われた大作戦のため、手持ちの武器弾薬を大量に消費し、殆ど空にしてしまったのだ。
 武はそのあとすぐ世界移動してしまったのでその結果がどうなったかは知らないが、並行世界情報によれば、幸いにも補充が間に合うまでBETAの大規模侵攻がなかったため、弾薬不足で帝国が滅ぶことはなかったらしい。
 
 「XM3のお披露目も何とか無事にいったし、A-01も機密解除されて今じゃXM3国連教導隊、『ヴァルキリーズ』として公認エンブレムまで出来たしね」
 「ただあれは予想外でしたけど」
 
 彼女たちは今のところ帝国軍相手の教導に飛び回っている。ある程度したら今度は世界中の国連軍の教導に取りかかることになる。もっともいちいち外部に出していたら手が足りないので、国連軍の教導は横浜基地で行われることになる。
 ちなみに機密解除で一番予想外というか失念していたことが、伊隅ヴァルキリーズは妙齢の美女揃いであったということだった。
 機密解除によって彼女たちの顔写真等がうかつにも流出し、A-01はあっという間に帝国中のアイドル戦隊と化してしまったのだ。まさに『それなんてハミングバード?』である。
 幸いこちらの帝国ではアイドルに対するミーハー的人種は殆ど存在していなかったので、古き良きスターというか、筒井康隆の小説というか、純粋に『あこがれの存在』としてのアイドルであったので、私生活に影響が出るようなものではなかった。が、それでも横浜基地に全国から『応援のお手紙』が届くくらいの影響はあった。
 夕呼と武は、この成り行きに思いっきり頭を痛めることになった。A-01はまだいい。ちょっと身の回りが騒がしくはなったものの、あくまでもそこで止まっている。
 問題は207Bであった。何しろ彼女たちは冥夜を筆頭としてとんでもないVIPチームである。これがA-01のようにアイドル扱いされたらとんでもないことになる。
 そのせいで帝国側と打ち合わせすることになり、夕呼の機嫌がすさまじく悪化した。この対策のため、せっかく前倒しされていた207Bの任官が結局元世界の時期までずれ込む羽目になったのである。
 予定では元の歴史に合わせて12月5日に発動予定の大茶番クーデターに間に合わせる予定だったのだが、やむを得ず出番があったとしても彼女は訓練生のままでということになった。
 
 「本当にね……まあ今更何言ってもしょうがないけど、消耗品の増産も順調だし、このペースなら今年のクリスマスプレゼントはオルタネイティブ4の完遂になりそうね」
 
 これは夕呼一流の皮肉であった。並行世界でオルタネイティブ4が打ち切られた日、12月25日。その日をオルタネイティブ4完遂の日に定めたのである。まさに並行世界への意趣返しであった。
 そのための準備は整っている。ブレインカプラーが思ったより役に立つものであるのが大きかった。現在使えるのは霞と夕呼のみであるが、それでもその効果は絶大であった。
 霞はカプラーを使用することにより、リーディング能力を絶大なまでに増大させることに成功した。時間さえ掛ければ、人間の思考を丸裸にすることも不可能ではない。そして何よりそれを『記録』出来るようになったことが大きかった。あまりにも馬鹿馬鹿しいほどの記憶装置が必要になるので無駄に取れるものではないが、夕呼と武の『思考概念』は既に保存済みである。霞は最悪の場合、この記録から二人の知識を言語化できない『発想・概念』ごと取り出すことが可能である。二人に何かあるような事態になったら霞も安全とは言いがたいが、それでも万一の保険にはなる。対反応炉リーディングも、予備接触実験は成功し、今のところ情報が流出した懸念はない。この実験結果によって、霞がカプラーを使用すれば、ある程度まとまった情報を『引き出す』事は可能になる。但し、00ユニット使用時のように『対話』レベルでの意思疎通は出来ない。先に説明した夕呼や武の思考概念と同じく、情報を塊のまま取り出して保管するまでが限界である。その情報の解析は、改めて時間を掛けて行わなければならない。
 幸いこちらの作業は、調整が済んだ夕呼が手伝うことが可能である。夕呼がカプラーを使用した場合、リーディングやプロジェクションは出来ないものの、夕呼の持つ思考能力が格段に加速された。といってもこれは別に超能力的なものではない。研究の手順として計算式をプログラミングしたり、結果をまとめて整理したりという、純粋な思索ではない作業部分がカプラーとの結合によって大幅に削減されたのである。結合状態の夕呼は大規模な計算をほぼ瞬時に終え、必要とされる外部資料を瞬時に検索すると同時にその内容を理解し、まとめ終わった概念を執筆するまでもなく文書化することが可能であった。
 これが夕呼の研究を劇的に加速することになるのはおわかりになると思う。もしカプラーの使用に制限がなかったら、夕呼は生涯結合したまま過ごしていたかも知れない。
 実際には一日6時間程度の使用で限界が来るため、現在もっとも効率のよい使用と休息のパターンを模索中である。
 それでもこれによって夕呼も落ち着いて睡眠が取れるようになり(というか睡眠を十分に取らないと返って能率が落ちる事になってしまった)、いろいろな意味で充実した日々を過ごしていた。
 
 「本当です。さしあたっては明日の本攻略……霞のリーディングがうまくいけば本当の意味でオルタネイティブ4は完遂になりますね」
 「そうね。これでうまくいけば良し、最悪でも鑑を00ユニット化するための準備も整っている。もっともその場合、なるべくよけいな情報を入れないようにしながらリーディングしなければならないけれどね」
 
 カプラーによるリーディングがうまくいかない場合に備えて、純夏を00ユニット化するための量子脳と義体は既に用意が出来ている。但しこの場合、情報流出覚悟の事となる。
 一応対策として「純夏によけいな情報を与えない」という泥縄な手段は取る予定であるが、どこまで当てになるかは判らない。
 また、並行世界情報に、BETAの持つBETA製造プラントを押さえることが出来れば、脳髄だけにされた人間を逆に人間に戻すことが可能であるというものがあった。
 いまだ成功した世界はなく、あくまでも可能性だけであるが、論理的にいって不可能ではないはずであった。そしてそれは純夏に加えられた陵辱の記憶を持つ武には十分可能だと確信できる事柄であった。あのおぞましい陵辱は、逆に言えば人間の肉体くらい自在に弄れなければ不可能だからだ。
 もし佐渡島ハイヴを占領できれば、それに関する情報を得ることが可能かも知れない。人間に対する情報収集を行っていたのは横浜ハイヴだけである世界も多かったが、無数の並行世界において横浜同様の人間の発見されたハイヴは決して零ではなかった。
 佐渡島占領作戦には、可能なら純夏を00ユニットではなく、人間に戻してやりたいという想いもあった。00ユニット化は人間としての純夏を殺して転生させるようなものである。
 記憶の流入などによって実質純夏本人といっても差し支えない存在になるとはいえ、完全とは言えないのだ。やらずに済めばそれに越したことはない。
 
 「まあそのへんは明日の結果次第です」
 「そうね」
 
 
 
 そして翌日、師走を目前にしてオルタネイティブ4の命運を握る挑戦が行われた。
 横浜基地の最深部、反応炉を前にした霞は、改良が進み、今や自在に結合が可能となったブレインカプラーとリンク、そして反応炉に対して今までの予備実験とは違う全力のリーディングを開始した。
 今までの実験で『突っ込むべきポイント』は見極めている。成功するかどうかは『どれだけの情報を引き出せるか』と、『引き出せた情報を解析できるか』の2点にかかっている。
 00ユニットで接触した場合は、読み取りと解析を同時にこなすことが可能であり、必要な情報を選別して記録することが可能であった。
 だがそれは00ユニットの持つ超高速並列演算能力に依存している。カプラーでは読み取りは可能でも同時に解析することは出来ない。読み取りと同時に解析できるのは霞が本来自前の脳髄だけで解読できる分だけである。多少はカプラーの修正がかかるので純粋なものよりはややましだが、せいぜい誤差程度である。
 それでも霞は予備実験の成果、及び並行世界情報による予習を最大限に利用して反応炉を流れる膨大な情報から必要だと思われる情報をサルベージしていく。
 (……?)
 幸い今のところその作業はうまくいっていた。大容量の記憶システムが瞬く間に満杯になっていく。一連の作業の中、霞の拡大されたリーディング能力がとあるデータ群に対して奇妙な感覚を感じた。作業の余剰リソース、隙間の部分が読み取った情報の一部が、その情報に対して何か引っかかるものを感じさせたのだった。
 霞はそれを忘れなかった。何とか取り得るかぎりのデータの回収に成功し、疲労困憊した霞は、最後の力を振り絞ってそのデータを最優先で解析してみた。
 カプラーの能力を解析に回した瞬間、ぼんやりしていたデータの様相が『視え』た。
 その瞬間、そこに見えたあまりにも予想外のものに、一瞬霞の心拍数が急上昇した。急激なバイタルデータの変化によって、カプラーの安全装置が作動し、接続が切られる。
 「駄目よ社、無理をして倒れられるわけにはいかないんだから」
 夕呼の鋭い声が部屋中に響き渡る。響きは冷徹そのものだったが、タイミングと全身の震えが隠しきれない夕呼の本心を覗かせていた。
 だが霞はそんな夕呼の心配を引きちぎるように叫んだ。
 「予想外の事態です!」
 夕呼と武は心底驚いた。社霞が絶叫する。それはあまりにもそぐわない光景だった。
 夕呼も思わず落ち着くために唾を飲み込み、一度深く息をしてからゆっくりと霞に尋ねた。
 「どうしたの、社」
 霞は落ちたシステムを再起動すると、再びカプラーを結合した。それと同時に、傍らのディスプレイに、4つの映像が映った。ちょうどディスプレイを4分割するように映ったその映像をのぞき込んだ夕呼と武は、その瞬間冗談抜きに息をすることを忘れた。
 映っていたのはハイヴのものと思われる構造データが2枚。一つは広域で、もう一つはピンポイントのものであった。ぱっと見た感じ、どうやらそれは点検命令……『アトリエ』のような、ハイヴ内施設の現状をモニターするためのもののようであった。ハイヴの中に監視カメラはない。そのためハイヴ内に兵士級のBETAを巡回させ、その視覚情報を持ち帰らせる、そういうものであったらしい。
 そしてそこに映っていたものは。
 
 
 
 1つはある意味有名な光景……明星作戦の際に記録され、現在も機密になっている光景。
 
 シリンダーの内部に保存されている脳髄たち。
 
 
 
 幾多の並行世界で、佐渡島ハイヴからシリンダーが発見されたことは殆ど無い。確率からするとコンマ以下だ。だがどうやら武は世界移動の際に『大当たり』を引いてしまったらしい。
 だが、そんなモノは問題ではなかった。問題はもう一枚、おそらくはハイヴ中枢、反応炉のものだと思われる映像。
 それは武の知る佐渡島ハイヴに無いものがあった。反応炉に隣接するように、見たことのないユニットが増設されている。一見するとそれは超大型のシリンダーのように見えた。違いはぶら下がるように縦方向に長い脳髄入りのシリンダーとは違い、それは横に寝かせる形で置かれていた点である。
 そしてその中に、奇妙な肉塊のようなものが映っていた。
 脳ではない。だがそれは人間のある部位を思わせるような形をしていた。
 T字型を基本とした、三角をした袋状の部位。Tの下部から、さらに筒状の肉筒が伸びている。そして肉筒の末端は……口にするのが少々憚られる形状をしていた。ぶっちゃければ女性の陰部にきわめてよく似た形をしていたのだ。
 全体をみれば、それは女性の肉体から膣と子宮だけを取り出したものにしか見えなかった。
 その大きさを計算に入れなければ。
 佐渡島ハイヴはフェイズ4。資料の反応炉と比較すれば、そのシリンダーは全長約50mくらいと推測される。
 そんな巨大な女性器など存在するはずがなかった。
 
 そう、これは女性器ではなかった。
 
 
 
 「まさか……」
 「手遅れ、なのか……」
 
 
 
 夕呼と武の声にそれまで無かった絶望が混じる。
 女性器を思わせる謎の物体。それは並行世界資料の中で、
 
 『召喚級』
 
 と称されるものの形なのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 「いいえ」
 
 
 
 その絶望を引きぢったのは、霞の声であった。切れ切れに、苦しい息づかいであったが、霞ははっきりと語った。
 
 「それはまだ『素体』に過ぎません。完成した召喚級の全長は1㎞に及び、同時に反応炉と完全に融合します」
 「そうか!」
 
 武の声に生気が戻る。
 「とらわれている脳の中に、純夏と同じ因果端末になり得る人がいる……だがまだBETAはその人を『落として』いない」
 「そうね。たしか完成している召喚級は、いわゆる陰核部分が、まるで船首像みたいに生体端末の生前の姿を象るというし。けれど見たところ映像にそういう形跡はない」
 夕呼も嫌悪感もあらわに映像を睨み付ける。
 「社」
 「はい」
 「あと一つだけ解析して。あとどのくらい『持ちそう』なの?」
 一転して鋭くなった呼びかけに、霞も歯を食いしばって答える。

 「解析済み……です。推定猶予は……約1ヶ月。今年いっぱいは素体の生育が間に合わず、端末の融合が出来ないでしょう。ですが……それを過ぎたら、あとは『いつ落ちるか』の問題です」
 「……参ったわね。佐渡島で桜花作戦をやる羽目になるとは」
 「無理かも知れませんね、佐渡島基地」
 「いいえ」
 期日までに佐渡島ハイヴを落とすだけなら不可能ではない。だが占領しようとするには無理がある。武は計画の変更もやむなし、と思ったが、何故か夕呼がそれを否定した。
 「でも先生」
 「白銀、逆に考えなさい」
 なおも言いつのろうとする武を、珍しく夕呼が諭す。
 「あんたは良くも悪くも『大当たり』を引いているわ。伊達にとんでもない大風呂敷を広げている訳じゃなかったのね。いいこと、『ここ』の佐渡島ハイヴには、横浜と同じ設備がある。つまり」
 そういわれて、さすがに武も気がついた。
 「占領できれば……純夏を救える!」
 「そう。となればあとは時間との勝負よ。幸い今回の佐渡島攻略には、あなたの知る以上の物量と戦力を注げる。十分に作戦を練り、準備を整えれば占領は不可能ではないわ。私たちにも、帝国にも、周辺国にも、賭けるだけの価値がある。邪魔したいのはオルタ5の過激派くらいよ」
 「判りました。出来るだけやってみましょう」
 「今こそあの子達の言葉を借りる時ね」
 夕呼はそう言うと、疲れと憂鬱を吹き飛ばすように大きな声でその言葉を口にした。
 
 
 
 「死力を尽くして任務にあたれ!」
 
 
 
 それに続くように武も叫ぶ。
 
 
 
 「生ある限り最善を尽くせ!」
 
 
 
 そして、霞が。
 
 
 
 「決して……死なないでください」
 
 
 
 それは新たに為された誓い。
 この世界における、第一の試練の始まりであった。



[7817] ∀ Muv-Luv(∀ガンダムクロスではありません) 第9話 それはおおいなるだいいっぽ
Name: ゴールドアーム◆63deb57b ID:199692cd
Date: 2009/05/26 15:56
 「やっとここまで来たのね……」
 夕呼は、遠くに見える海を眺めながらつぶやいた。
 基地の屋上は見晴らしがよい。ここから見える景色は、夕呼の激務による疲れを十分に癒すだけのものがある。
 しばらくそのまま海を眺めていた夕呼だが、時間が押しているのか、少し名残惜しそうに向きを変えた。
 「でも本番はこれから……ここにいるのも、あとどのくらいかしら」
 そして夕呼は、今度は真上……遙かなる上を向いていった。
 
 
 
 ∀ Muv-Luv それはおおいなるだいいっぽ
 
 
 
 召喚級の存在。これの完成は人類の滅亡に直結する。
 直ちに対策が必要であったが、ただ知らせても全く意味がない。この件に関して、夕呼は事実上最高権力者であり、同時に責任者であった。放っておけば人類を滅亡させるものが見つかったといえ、ただそれを知らせればよいというものではない。
 そのための対策を見いだし、情報を精査分析し、人類を救うための道筋を付ける。そこまでが夕呼の責任範囲である。これが出来ねば、夕呼はただいたずらに世間を混乱させるだけの存在に成り下がる。
 もちろんプライドの高い夕呼にそんな真似が出来るはずもない。
 自分はおろか、霞と武まで限界までこき使い、対策立案に没頭した。
 故障に備えたバックアップのはずのカプラー3号機を武用に調整してまで処理能力を底上げし、上司である基地司令に対してさえ『時間がない』の一言ですべての雑用をシャットアウト。
 普通なら通らないが、何せ夕呼の状態そのものが尋常じゃなかった。鬼気迫る美女に押し切られ、パウル・ラダビノッド基地司令も口をつぐまざるを得なかった。
 彼には判ってしまったのである。今の彼女を邪魔したら、自分が終わると。
 それは正しかった。終わるのは自分だけではなく、人類すべてであったが。
 
 その甲斐はあった。12月5日、奇しくもかつてクーデターがあったその日に、3人は実質20日前後の準備期間で佐渡島を占領するためのプランを組み上げたのである。
 もちろんそれは穴だらけであった。犠牲もかなり出ることが予想された。
 それをぎりぎりとはいえ可能にしたのは、皮肉にも『召喚級』の存在そのものであった。
 並行世界情報でも、『召喚級』に関して詳しいことは判っていない。何しろ存在=滅亡に直結するものである。ハイヴに潜って召喚級と対峙した白銀武は全並行世界を見てもただ一人として存在していない。正確には因果地平内のメモリーにそれは存在していない。
 可能性としては今ここにいる武同様、因果に流出していない並行世界でまさに今戦闘中というあたりであろう。
 
 「まさか召喚級を潰すのが、反応炉の破壊と同じ結果になるとは、俺にだって予想できませんでしたよ」
 「元々融合するものだしね。あり得ない話ではないわ」
 「そうでなかったら、占領作戦は放棄せざるを得ませんでした」
 
 そもそも武達が準備に時間を掛けていたのは、佐渡島占領に必要な物資を準備するためであった。かつて前の世界で武が確立したハイヴ攻略法は、元々BETAとの無駄な戦闘を省き、反応炉の破壊によってBETAを撤退させることが前提となっている。
 というかハイヴ内のBETAを殲滅しようと思ったら膨大な時間と手間、そして物資がいる。過去のハイヴ攻略が失敗し続けたのも、それだけの物量を維持できなかったからとも言える。
 反応炉の消滅によって他ハイヴへの撤退を開始したBETAを後ろから掃き出すことで、何とかなるというのが前の世界での現状であった。
 だが今回の占領作戦においては反応炉の奪取が目的となるため、反応炉の破壊は出来ず、ハイヴに籠もるBETAを全滅させる必要があった。おまけにハイヴ内施設も確保しなければならないため、ハイヴ自体に対する攻撃も控えねばならなかった。
 成し遂げるには精密なハイヴ内地図と状況を再現したシミュレーション訓練、そして膨大な物資が必要なのは明らかであった。
 そんなことは時間制限のある今となっては無理である。武にはああ言ったものの、夕呼も今回は無理かもと思っていたのだった。
 だが、読み取ったBETA情報の解析が進むと、本来なら最大の恐怖の源泉である召喚級が、逆に最大の希望の光となっていた。
 一つには召喚級の創造には、ハイヴ内の全力が必要らしいと言うこと。BETAの思考プログラムにおいて、召喚級の創造は最優先命令になっている。
 そのため本来ならBETAの増産に回るはずの物資がすべて召喚級に回っている。そのため佐渡島の戦力は他の並行世界平均の半分程度しか存在していなかった。
 加えて、召喚級素体は現時点で反応炉と同等、もしくはそれ以上の存在と見なされていること。
 何が言いたいのかというと、現時点で召喚級素体が破壊された場合、BETAは反応炉が現存していても撤退行動を取るのだ。
 これは実に大きい。召喚級のこの特性を突けば、武お得意のハイヴ攻略が使える。
 持ちうる兵力で出来るかぎり効率的に地上のBETAを削り、相手が防衛のために籠もったところでハイヴ攻略を開始、反応炉ではなく、その隣の素体を破壊することで撤退行動を引き出し、後に掃討。これが取るべき戦略になった。
 
 「ただ怖いのはこれですね」
 
 それだけの重要施設だ。当然BETAの側も手をこまねいているわけではない。
 不完全ではあったが、解析されたデータに、BETAの護衛行動基準があった。それによると召喚級を守るためにはBETAは自殺を厭わなくなるらしい。幸いハイヴ内なので光線級はいないだろうが、もしいた場合、光線級はためらうことなく仲間ごとこちらを攻撃するようになると言うことだ。
 この行動のスイッチは、召喚級が攻撃された時に発動するらしいが、問題はそれが適用されるようになるBETAが『どこにいるものまで』なのかがはっきりとしなかった点だ。
 推測では認識可能な同一空間内と思われるが、もし他の場所にいるBETAにまで適用されたりしたら大変なことになる。この辺については見切り発車的ではあるが、ここまで来ると『やってみなければ判らない』のレベルになる。
 いずれにせよ、ここまでが限界だったのである。
 そして、とりまとめられた計画は。
 
 
 
 
 
 
 
 「すなわち、これを看過することは人類の存続そのものを危うくすることとなります。はっきり言って事今回の件に関するかぎり、人間同士で戦っている場合ではありません。ここで全世界が一致協力できねば、間違いなく人類が負けることになります。その点を踏まえて、協力をお願いいたします」
 
 珠瀬事務次官が、国連会議で熱弁を振るっていた。
 夕呼もネットワークを介してであるが参加している。本来ならこの場にいなければならないのだが、今の彼女にとって時間は限りなく貴重であった。そのためカプラーに接続状態のまま、会議と仕事をマルチタスクでこなすなどと言う非常識な真似をしていたりする。
 なお、扱う情報の関係で、会議は非公開であった。
 この会議は、帝国の要請で緊急に招集されたものだった。欧州の参加国などはいささか不満もあったようであったが、報告の内容が理解されるにつれて顔色が変わっていった。
 オルタネイティブ4の成功と成果発表、その結果判った、まさに崖っぷちの人類。
 珠瀬事務次官だけでなく、政威大将軍まで出馬してきた帝国の態度に、疑う余地はなかった。
 本来ならここで米国が盛大に難癖を付けてきたところであっただろう。だがここにいたって武が情報をぶっちゃけたことが効いていた。
 現在米国は、その影響力を世界的に減じているのだ。すべては12月5日、帝国で起こった『茶番クーデター』、『米国陰謀大暴露事件』のせいであった。
 武から情報をもたらされた帝国は、大車輪で活動をしていた。といっても表向きは平穏そのもの、動いていたのは鎧衣課長を初めとする、諜報関連と軍であった。
 やっていたのは証拠固めである。今回ばかりは米国側がかわいそうであった。いくら日本が諜報面で遅れを取っているとはいえ、最初から敵の計画の全容とターゲット・関係者すべてが判っているという攻略本付きの状況である。失敗するわけがない。それどころかそれに関連して見落とされていたスパイを大量に発見できたくらいである。
 そして満を持して12月5日、沙霧大尉を首魁としたクーデターは、発生後一時間にして、その様相を変えていたのである。決起したはずの軍人達は、たちどころに仲間であったはずの人間を拘束した。首相官邸に押し入った部隊は、首相を誅するのではなく、その側近数名を拘束した。そして今回のクーデター計画を利用して米国が帝国に対する内政干渉を行ったことが、政威大将軍の名において国際社会で大々的に暴露されたのである。
 普通ならこの手の声明は当事者の国からは否定されるのが当然である。拉致問題を否定し続けた某国をみても判るとおりである。
 だが今回は2つの点において事情が違った。
 1つはこの告発が『米国』ではなく、『米国政府内の一部人員及び諜報機関』に対して行われたということ。もう1つは陰謀の証拠が完璧なまでに揃えられていたことである。
 さすがに米国の機密文書までは行かなかったが、法廷において有罪を宣告できる程度のものは十分にそろっていた。
 何よりもこの暴露は、真っ先に米国内において、米国国民に向けて行われたというところが最高にいやらしかった。その際政威大将軍煌武院悠陽は、声明文の中で『この陰謀は、米国に存在する一部の人間が政府の権力を利用して行なったものであり、米国政府本来の意志にしてはいささかおかしく、ましてや正義を愛する米国国民の総意とはとうてい思えない』とぶち上げたのである。
 そして発表された事実の中で、米国移民の弱い立場を諜報機関が利用したという点が米国に多数存在していた移民系市民の怒りに火を付けた。
 米国政府がこの件を帝国による陰謀だと決めつけようにも、提示された証拠と、合わせて知らされた他国からの非難、そして国内で巻き起こった政府に対する不信が足枷となってしまった。
 結果、米国大統領が辞任し、上下院の議員が多数失脚するという、現実のウォーターゲート事件に匹敵する米国最大のスキャンダルとなったのである。
 そして帝国国内においては、クーデターを察知し、それを鎮圧どころかその裏に潜むものまで見抜いて逆利用し、守られるべき名誉は守り、悪しき陰謀を企んだものは罰せられるという、まさに快刀乱麻の大活躍をした政威大将軍の人気が沸騰、事件に関わった米国派議員がその立場を失った中、将軍の権威は瞬く間に復興したのであった。
 なお、国内にわき上がった反米世論を押さえたのも将軍の声明である。米国での暴露時に言ったのと同様、『この事件はあくまでも米国内に存在する一部過激勢力によって行われたものであり、米国政府全体の意向とはとうてい思えず、ましてや米国国民の意向であるということは絶対にあり得ない』と語って、国民の怒りを抑えることに奔走していた。
 問題があるとすれば、いささかうまくいきすぎてしまって、議会や首相の立場が弱くなりすぎるのを押さえるのが大変だったという笑うに笑えない点であった。
 なお、関係者に関してはおとがめ無し、沙霧大尉はクーデターを計画したことは大逆に当たるが、そこに至る経緯において意図的に誤った誘導が為されており、また決起以前に改心し、実際の行動においてはむしろ帝国に忠誠を尽くしたことを持って罪を相殺。ただ、帝都守備隊に置くのは問題がありとして、功罪双方を顧みて斯衛への移籍になった。
 なお、この処置に対して紅蓮醍三郎は、『こういう殿下に対して忠義のありすぎる男は市井に置いておくには危険すぎる。斯衛で引き取って鍛え直す』と語っている。
 
 
 
 そんなわけで、米国内のオルタ5推進派のうちの過激勢力がものの見事に全滅、また今会議においてオルタ4の成功が発表されたため、オルタ4に対する妨害計画ももはや無意味なものになった。
 
 「今回のオルタネイティブ4の成果によって、佐渡島ハイヴを攻略することは人類にとって必須のことであることは理解できたと思われます。佐渡島は現在帝国の領土でありますから、帝国がこれを攻略することは当然であり、そのための計画も現在策定中であります。
 ただ、現時点では時間と物量が足りません。帝国が持てる力を総動員しても、必要とされる物資の量を満たせるかどうかはかなり危ない領域なのです。これに関して、香月博士よりのメッセージがあります」
 
 事務次官の言葉に対して、夕呼は語った。現時点では多数の命と引き替えでなければ佐渡島の攻略は成し遂げられないこと。但し、幾つかのものがあれば、それを大幅に押さえられること。
 
 「特に米国の保有するXG-70、その現物があれば期日までにそれを改修するためのプランはあります。運用に必要なG元素を含め、その提供を国連軍は希望します」
 
 米国代表は真っ赤になったがこれは拒絶できない。何せ今の米国は帝国に対して強く出られない。
 
 「そうそう、それに加えてそちらに伝えるべき重要な情報があります。G弾は対BETA、特にハイヴ攻撃に対して大きな威力を持つと考えられておりますが、オルタネイティブ4によって明らかになったBETA情報によれば、G弾を有効に使えるのは、おそらくあと一度だけです。それ以降はBETA側が対G弾戦略を完成させ、本来の威力を発揮させることは出来なくなると思われます」
 「なん……!」
 
 一転して青くなる米国代表。G弾推進派である現代表にとってはまさに寝耳に水であろう。
 
 「G弾の威力は、副作用が大きいものの否定は出来ません。但し、それはBETAにとっても同じであると言うことです。かつて航空機による爆撃が大変有効だったものの、光線属種の出現によってそれが無効化されたことは皆様ご存じのことと思います。そう、BETAには真の意味での知性がないとはいえ、こういった対応策をとるだけの能力は十分に備えているのです。
 G弾もこの対策リストに上がっていることが、今回の結果によって判っています。現時点では情報不足のためあと一度は有効でしょうが、注目されている以上、あと一度使用したら情報は解析され、以後は最優先で撃破されるか、何らかの対応手段が生まれることは間違いありません。ですので今回米国には最後の切り札として控えていてほしいのです。帝国の防衛計画が不測の事態によって失敗した時、すべてを吹き飛ばすための最終手段として。
 さすがに私も、今回の攻略を失敗させることは出来ませんから、そのくらいの保険は必要だと理解しています。
 ただ、出来うるなら今回は使わずに済ませたいですわ。どうせ使うのなら、その目標はオリジナルハイヴにしたいものです。他のハイヴに対して使ってしまえば間違いなく対策されてしまいますが、オリジナルハイヴに使われたのなら、その有効性が残る可能性があります。
 ハイヴの情報構造はオリジナルハイヴを頂点とした箒型ですので、トップを潰せば末端には情報が回りませんので」
 
 米国代表が再び赤くなっていた。G弾による干渉を、見事な理由付けで否定されてしまったのである。こう言われては干渉することも、ましてや帝国の攻略を失敗させてG弾の威力を見せつけることも出来ない。
 なお、今の話は半分は夕呼のハッタリであった。BETAが対G弾対応をするのは並行世界情報にあったが、そのレベルは世界ごとにまちまちである。あっという間に対策をした世界もあれば、いくつものハイヴがG弾で潰された世界もある。
 要はどれだけBETAがG弾を知ることが出来たかに比例するらしい。
 そんな中夕呼は自分にとってもっとも都合のいい話をでっち上げた。ああいわれたら米国側は現在の世界情勢もあってよけいな手出しが出来ない。
 
 「ああ、もちろん、通常の物資援助や、帝国の指揮下に入るという条件の下での義勇兵に関しては大歓迎しますわ。参加してくださるならXM3ユニットの提供と基地所属の教導も時間の許すかぎりおつけいたします。無事に生きて帰れれば、ハイヴ攻略とXM3の機動における第一人者になることは間違いありませんわね。
 もちろん、そんな貴重な人材を見殺しにするようなことはしないと確約しますわ。帝国の兵を守るためにすりつぶされるなんて考えたとしたら本末転倒です。今後の世界を守るためには、むしろ世界中にXM3機動やハイヴ攻略の経験を持つ衛士が拡散した方が人類のためですもの。言葉の問題とかもあって、帝国のヴァルキリーたちだけではとうてい手が足りませんから」
 
 さらに駄目押しが来た。実戦経験がほしければ兵を出せ、と夕呼は言っているのだ。
 悔しい話だが、ここで得られることになる経験はまさに珠玉である。いち早くXM3というあのOSを使いこなすことの出来る概念を学ぶには、まさに最強の環境である。
 米国に限らず、あのトライアルを知る各国は自国から義勇兵を出すことを真剣に検討した。
 この結果は佐渡島攻略部隊に、何故か外人部隊の一団があったことからも判るであろう。
 
 
 
 
 
 
 
 こうして『オペレーション2002』、佐渡島攻略作戦は極東国連軍、帝国軍の総力を挙げて決行された。夕呼はリーディングで得られた最新の佐渡島及び周辺ハイヴの構造とBETAの行動パターン資料を惜しみなく公開、全世界に配布された新型のシミュレータープログラムが、世界中の軍事基地でうなりを上げることになった。
 横浜基地においても伊隅ヴァルキリーズは教導官として基地内の衛士を初めとして帝国中に出張三昧。あまりの忙しさに、夕呼は武から聞いたあちらの世界でのインターネットを本格的に構築することを考えた。元々インターネットは軍事技術だし、こちらの技術水準からすればたいした手間ではない。ただひたすら時間が掛かるだけである。
 民間開放を視野に入れれば、予算を手当てすることも出来るだろう。
 インターネット技術を応用して地方に散らばるシミュレーター間の通信を可能にすれば、教導の手間が大きく減る。もっとも一歩間違うと軍事技術の垂れ流しになるため、そのへんは勘案する必要があるが。
 それはさておき、武は主に207Bをまりもと一緒に鍛え上げていた。クーデターでの出動がなかった207Bは今回の佐渡島が初陣となる。なお、さすがにいくら才能があるとはいえ、彼女たちを最前線には出せない。今回ハイヴ攻略の中核を担うのはA-01と、斯衛の選抜部隊である。
 武は207Bを訓練すると同時に、頻繁に斯衛に顔を出して紅蓮を初めとする斯衛の勇士達にXM3によるハイヴ攻略機動概念をたたき込んでいた。これは悠陽の英断による。
 
 『今回の戦いには、帝国はあらゆる戦力をつぎ込む必要があります。それは斯衛といえども例外ではありません。もし斯衛が私の身を守ることを一義とするという理由においてそれを拒むならば、私は自らハイヴ攻略部隊へ参戦することになるでしょう』
 
 こんな脅しを掛けられたら、斯衛といえども嫌とは言えない。もし断ったら、本気でこの将軍はハイヴに吶喊する。そのことは理解している斯衛であった。
 現に悠陽は、佐渡島攻略の際、さすがに戦闘こそしなかったものの紫の将軍専用武御雷で戦場に立っている。最後方であるとはいえ、この効果は大きかった。
 
 
 
 そしてすべての準備が整った2001年12月31日、帝国史上空前の大部隊が佐渡島に結集していた。そこには帝国軍以外の姿も見える。国連軍所属という名目で出動してきた、欧州各国に米国、ソ連、アジア諸国に至るまで多数の国の精鋭が参加を希望してきたのだ。
 もちろんその裏の意図くらいお互い了承済みだ。そして武は一切の出し惜しみをしなかった。各国代表の精鋭達を容赦なくしごき上げ、三次元機動の概念を文字通り血反吐を吐かせるほどにたたき込んだ。
 それは見学していた207Bの乙女達の顔が蒼白になるほどにすさまじい教導だったという。彼女たちは自分たちがまだまだ手加減されていたと言うことを嫌というほど理解することになった。そして自分たちがまだまだヒヨコであるという事実も。
 XM3に対する理解は自分たちの方が上かも知れない。武の導きがあったとはいえ、発表会で上げた成果は間違いなく自分たちの実力だ。だが実戦で鍛え上げた精鋭達には、自分たちにないものがある。そのことがはっきりと伝わってきた。
 そして武が、間違いなくそういう地獄の実戦をくぐり抜けてきた、自分たちとは隔絶した衛士であることを、未来の英雄となる乙女達はその心に焼き付けるのであった。
 
 そんな彼女たちに与えられたのは、この日のために鍛え上げられた特殊兵器『XG-70i 凄乃皇玖型』の護衛任務。
 戦術機の数倍の大きさを持つ、まるで動く要塞とも言える特殊仕様戦術機。通称『特機』。
 その正体は、並行世界情報にある凄乃皇の中から一番今回使えそうなものをパチった代物である。大きさは四型ほど大きくはない70m前後。主砲に荷電粒子砲を腕部に一門ずつ、計二門備え、大型電磁速射砲などを副砲として装備、そして何よりすさまじいのは近接においてラザフォード場の防御を攻撃に転ずる『グラビティ・プレッシャー・フィールド』、略称GP場を備えている点にある。
 初期の問題点であった重力偏重を制御して攻撃兵器に転じた必殺兵器である。半径六〇m以内のあらゆるものを完膚無きまでに破壊するその威力は文字通り必殺、現在存在するBETAに、これに耐えられる者はいない。全身が効果範囲内にあれば要塞級ですら瞬殺される。
 もっとも、これを使うと一時的にラザフォード場の防御効果が消えるため、これを使うには周辺に光線属種がいないことが条件となる。殲滅直後に周辺のBETAを潰したことで射線が通ってしまうため、有効射程内に光線級がいるとほぼ最優先で狙われるからだ。
 おまけにこれを使用した直後は浮遊移動が不可能になるのでよけいにだ。207Bの乙女達に与えられた任務はまさにこれと言える。鉄壁の盾と最強の矛を備えた凄乃皇の弱点を突ける光線属種を、その前進に合わせて刈り取るのがその役目。
 三次元機動に熟達した彼女たちには、過酷であるがまさにうってつけの任務と言える。なお、もちろんこの任務は彼女たちだけというわけではない。護衛中隊36機の中に組み込まれている。ちなみに彼女たちの所属する小隊は207B5名+第19独立警護小隊4名+その他3名だったりする。小隊長はもちろん月読真那だ。
 なお、今回の作戦において凄乃皇はハイヴには突入しない。一つには凄乃皇の破壊力ではハイヴ施設を破壊してしまう恐れがあること。そしてもう一つは……凄乃皇の操縦者が、社霞と香月夕呼の2名であることであった。
 
 ある意味すさまじい無茶であったが、ML機関とラザフォード場を持つ凄乃皇を00ユニット抜きで制御するには、ブレインカプラーを全力で使用する必要があった。これが出来る人材は、時間の不足により社霞、白銀武、香月夕呼の3名のみ。このうち武はハイヴ攻略部隊の最前衛として立たねばならない。1人ではまともな運用は不可。結果香月博士の出陣という、とんでもないことになってしまった。
 幸い特機である凄乃皇は戦術機のような個人的才能を必要としない。ML機関搭載のためBETAの標的にこそなるが、並行世界で改良に次ぐ改良が為されている凄乃皇シリーズは、普通のBETAごとき敵ではない。この玖式ではまだそこまで行かないが、並行世界データ内には単機で3万のBETAを屠った拾参式などという化け物もあった。
 さすがに大量のG元素と熟達した専任衛士を必要とするため今回は見送られたが。
 今回の作戦における凄乃皇の役割は囮と地上における大規模掃討である。大量の広範囲殲滅兵器を持つ凄乃皇で、地上のBETAをなるべく効率よく排除することが目的だ。
 ぶっちゃけていえば弾薬の節約が最大の目的だったりする。凄乃皇を投入しないと、諸国の援助込みでもBETAを刈り尽くすだけの弾薬が確保できないことが、シミュレーション演習で判別したのだ。
 そうでなければ夕呼だってのこのこ最前線には出たくない。 
 
 
 
 作戦が開始され、ある程度は予想通り、ある意味では予想通りに予想外の被害を出しつつも、ハイヴ突入部隊は猛然とその歩みを進めていた。
 その最先端、武とA-01、そして斯衛の最精鋭部隊(そこには紅蓮醍三郎の他、沙霧尚哉の名もあった)は、遂にハイヴの最下層、G元素貯蔵部・『アトリエ』を初めとするBETA施設のある領域に突入した。
 そして、反応炉直前、かつて横浜にも存在したシリンダールームにおいて、思わぬ出来事が発生した。
 そこまで的確な指示を発してこの精鋭部隊を弾薬切れにすることなくここまで導いてきた武が、突然狂乱したのだ。
 
 
 
 「うがあああああああっ!」
 
 データリンクを通じて響き渡る、武の絶叫。
 それはとてもではないが、正気の人間の声とは思えなかった。
 それと同時に、弾かれたように飛びたす武の不知火弐型。今回の作戦に合わせて米国より供出され、横浜基地で改修された白銀専用機ともいえるその機体が、すさまじい勢いでシリンダールームを飛び出すと、反応炉に向かって突撃していったのだ。
 「待てっ! どうした白銀!」
 醍三郎が止めたが止まりもしない。やむを得ず後を追った彼らは、そこで信じられない事態を見ることになった。
 反応炉の間をふさぐ、巨大な隔壁。並行世界ではオリジナルハイヴにのみ存在していた生体隔壁・門級。
 リーディング情報により、召喚級の形成と共にこの門級がハイヴ内に存在することは判明していた。ここまではその大半を時には力尽くで、時には欺瞞情報を使って突破してきた。
 だが、さすがに事前情報でここを突破するための情報は得られず、ここは力尽くで破壊して抜けることになっていた。
 だが。
 今突入部隊の眼前で、信じられない奇跡が起ころうとしていた。
 
 「あけろおおおっ!」
 
 武は今回指揮を執る関係で、突入部隊全員に対して最優先でデータリンクが情報を伝達するようになっている。そのため武の叫びは、突入部隊すべてに中継されていた。
 そして今。武の絶叫に呼応したかのように、
 
 門級のゲートが、ゆっくりとその口を開きはじめていた。
 
 
 
 「一体何が……」
 「どうなってるのよ、これ……」
 伊隅と速瀬のつぶやきが、データリンクを通じてこぼれるように流れる。
 それを聞いた紅蓮醍三郎は、全員に響き渡るように叫んだ。
 「今は事情の詮索は無しだ! この先は反応炉、そして目標である召喚級素体を守るべく、無数のBETAどもが自殺上等でひしめいている! 今白銀には何か異常が起こっているが、おそらくすぐには止められん! いいか、覚悟を決めて、最終決戦に挑むぞ!」
 「おおっ!」「了解!」
 醍三郎の檄に、突入隊は、自分たちが今どこまで来たのかを思い出し、気持ちを引き締めた。
 そして門が戦術機が通れる大きさに開くと同時に、すさまじい勢いで武がその穴に特攻した。
 リンクを介して武機の外部カメラ映像が内部の様子を写す。
 そこはBETAの海であった。地面一面、隙間無くBETAに埋め尽くされ、床や外壁など見えもしない。そして間断なく降ってくる無数のBETA。まるでBETAの豪雨だ。
 だが武の機体は惜しげもなく推進剤を使い、その雨をくぐり抜けている。
 その間にも門は広がり続けている。彼らは慌てて門へと向かった。
 
 
 
 そしてそれから10分後。
 反応炉のすぐそばにあった巨大なBETAの塊のようなオブジェ。その奥に埋もれていた超巨大シリンダーに、武はこのためにのみ用意された一度かぎりの武器、01式振動破砕長剣を叩きつけた。それは自身と共に、ものの見事にS-11の爆発に耐えうると思われたシリンダー外壁を破砕。ODLに似た液体があふれ出す中、武の弐式はその割れ目からシリンダー内部に突入。
 最後に残った長剣を、眼前の肉塊に突き立て、乱雑に振り回した。
 
 「くたばれぇぇぇぇっ!、純夏の、そして、俺の敵いいいっ!」
 
 謎の言葉と共に操縦桿をめちゃめちゃに動かしている武。一見無茶に見えるその操作は、すさまじい速さで先行入力とキャンセルを組み合わせ、長剣を縦横無尽に振るわせていた。
 その怒濤のごとき振りに肉塊はその傷を広げていく。それが一定レベルに達した時、内部にうごめいていたBETAの動きが変化した。
 攻撃から、撤退へ。
 この瞬間、人類側の勝利が確定した。
 
 
 
 2002年元旦未明。人類は第一の危機を脱した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 上を向いていた夕呼が視線を戻すと、そこにはいつの間にか誰かがいた。
 
 「ここにいたんですか、夕呼先生」
 「あらごめんなさい。もうそんな時間?」
 
 夕呼が振り返ると、そこには二人の人物がいた。
 一人は見知った顔。もう一人も別の意味で見慣れた顔。
 精悍な印象がとみに増してきた男と、それに寄り添う、赤みがかった胡桃色の髪をした、大きなリボンの少女。
 白銀武と、鑑純夏だった。
 
 「いえ、時間はまだあるから大丈夫です。実は俺達もここの景色を見に来たんで」
 「あらそう、それじゃお邪魔かしら。それとも霞も呼んでくる?」
 「霞ちゃんの了解は取ってますよ~」
 
 ちょっと意地悪そうな夕呼の物言いにそれは既に対策済みとばかりに答える純夏。
 
 「おもしろくないわね……最近はずいぶん落ち着いちゃって」
 「それはまあ……いろいろありましたし」
 「そうね。あれからもう1年も経つのよね」
 
 夕呼は眼下の基地を見渡す。
 佐渡島基地。国連・帝国共用の対BETA要塞。そして、遂に発動する対BETA掃討計画、オルタネイティブ6の基幹拠点。
 それは軍事基地と研究機関を併せ持つ、人類のBETAに対する反撃ののろしを上げる場所であった。
 今ではかつてのハイヴ部分も基地化され、その最深部には今でも反応炉が眠っている。
 フェイズ4のハイヴ占領に成功したことで、並行世界情報にもなかった新事実をいくつも得ることが出来た。その中でも夕呼の立場を完全なものにしたものが2つある。
 一つはBETAの持つ生体操作技術。自在に、とまでは行かないものの、欠損臓器及び四肢の再生や遺伝障害の修復などはある程度可能となった。
 倫理的問題を多く含むため、夕呼はこの情報を全面公開し、医療特許などによってその有効利用が妨げられないようにした。
 結果衛士の生存率がかなり向上した。元衛士の復帰も可能となり、戦力の増強も可能となった。
 外科方面に関しては、長足の進歩を遂げたと言っていいたであろう。
 現在こちらの技術に関しては夕呼の手を離れ、国連医療倫理協会が技術の管理と研究をしている。
 そしてもう一つがG元素の精製に関連した技術である。
 佐渡島ハイヴには、『アトリエ』は存在し、かなりのG元素が採取できたものの、それを製造するための施設のようなものは全く発見できなかった。
 これに関しては隠匿を疑った国連の派遣した調査団も、存在しないことを確認している。
 夕呼はこの秘密を解くことに邁進した。これを解かないことには、オルタネイティブ6の発動が不可能だと判っていたからだ。
 現在の技術レベルでは、宙間戦闘、真空環境において有効に活動できる戦術機を作るのは不可能である。現時点ではどうしても必要とされる酸素や推進剤を確保することが出来ない。
 シミュレーションしてみた結果、フェイズ9でも酸素と推進剤の不足によって攻略が不可能であると判明している。
 この問題の解決には、無呼吸で活動できる有機体……BETAの持つ秘密の一端を解き明かすことが必要であった。
 そしてその回答の鍵は、意外な方向から得られた。
 夕呼と白銀が、並行世界情報によって雑談していた時、まりもの死についての話題になった。
 もちろん、こちらの世界ではまりもは最高の教官として活躍中である。優秀すぎて管理職においておけないくらいの。
 そこで夕呼がある矛盾に気がついた。BETAは呼吸をしていない。有機体の燃焼のために酸素を取り込む必要がないのだ。そのエネルギーは反応炉から受け取っていると今ではほぼ確定している。
 ならば何故BETAは人を、様々なものを『喰らう』能力があるのか。
 そして出た結論は……まさに『トンデモ』であった。
 G元素の正体……それはBETAの体内で生成された『老廃物』、要はう○こだったのだ。
 ハイヴ内に限らずあらゆるBETAが活動中に生成する廃棄物の蓄積こそがG元素に他ならなかった。
 そして死体からは判らなかったが、生体のBETAはそのエネルギー源として『次元転換炉』を所持していたのである。
 それはBETAの活動エネルギーに関する最大の秘密といえた。BETAは体内に、物質を反物質に転換することが可能な『クラインの壺』に当たる器官を備えていたのだ。反応炉のエネルギーによって『励起』され、以後は体内に取り込んだ物質の一部を反物質化し、対消滅現象によって莫大なエネルギーとする。それは完全ではなく、転換の際に次元のねじれによって生じた次元異性体元素がロスとして積み重なり、やがては励起状態を維持できなくなる。
 そのためBETAは定期的に反応炉と接触して転換炉の再起動と老廃物の除去をしなければならない。そしてその時除去された老廃物の集積こそが、G元素だったのである。
 これらの情報をリーディングデータの解析から得た夕呼は大荒れに荒れたという。
 
 『BETAを作った連中は何考えているのよ!』
 
 と。なお、これに関しては霞が、「BETAの創造主は珪素系生命体なので、炭素系素材が私たちから見た『半導体』のような工業素材だったのではないでしょうか」という意見を述べている。
 
 そして夕呼は反応炉の正体が『反物質転換炉』であるとの仮説の元、地球の工業力による転換炉の作成を目指した。これが成功すれば、オルタネイティブ6--地球外BETAの掃討が可能となる。
 そしてわずか1年という時間で、夕呼はそれを成し遂げたのだ。
 
 
 
 「博士、時間です」
 
 そうしていると、今度は霞がここにやってきた。その姿は幾分大人び、女性らしさが増している。
 
 「あら、もうそんな時間かしら」
 「はい。急がないと式典の開始に間に合いません」

 今日この後、大事な式典があった。もはや秘密ではなくなった、オルタネイティブ6の発動、それの記念式典である。
 オルタネイティブ4の成功により、BETAの実体と限界、そしてその脅威が改めて認識され、全人類が力を合わせればBETAの駆逐は可能であることが明らかにされた。
 そして召喚級の脅威は、並行世界の事を外部宇宙に置き換え、因果律量子論による並行世界間移動を超光速移動としてごまかし、最終的にワープ航法のような外宇宙進出手段への道を匂わせ(詐欺ともいう)、オルタネイティブ6への道へと繋げた。
 目標は地球上のBETAの根絶、そして月や火星のBETAの撃滅である。
 夕呼が生み出した反物質転換炉は地球のエネルギー事情を激変させた。
 もともとBETAの侵略によりエネルギー資源も大被害を受けていたので、平和な時期なら存在したであろうエネルギーメジャーとの確執なども問題にすらならなかった。
 開発成功後の復興率がそれを証明している。
 いまだ始まったばかりだが、G元素の製造も可能となった今、地球は大々的な反撃をはじめる。
 残る問題は。
 
 
 
 「それでもう平気なのね、白銀」
 「ええ。長いこと迷惑を掛けました」
 「全くよ。おかげで地上のハイヴ掃討、被害甚大だったんだから」
 
 武は佐渡島攻略の後、召喚級の撃破と共に植物人間状態になった。
 脳死と判断されなかったのは、目こそさまさないものの脳波はむしろ激しいくらいであり、霞のリーディングでも彼が生きていることは確定していたからであった。
 その原因は。
 
 「今では大分統合が進みましたから」
 「『力』の方は?」
 「素では無理ですけど、カプラを介せばある程度は」
 「でもまさかだったわよね、あんたがあそこまでの『超大当たり』を引いていたなんて」
 「いくら何でも予想できなかったですって……召喚級建造のための素体が『俺』だったなんて」
 
 そう。佐渡島内部に存在していたシリンダールーム。
 それは横浜から移動された『素質ある素体』だった。
 運命の日、この世界の武は、純夏共々BETAの贄となり、純夏同様のあのおぞましい快楽拷問を受けていたのだった。
 純夏が素体とならなかったのは、どうやら武が一緒にとらわれていたかららしい。武の脳が近くにある状況では、純夏は武を呼ぶ必要がなかったためその意思力は眠っていた。
 ところが明星作戦の開始と共に、素質のある素体が近隣の佐渡島へと移動され、武の存在を感じていた純夏は武が引き離されたことを察知して急速に目覚めた。BETA側もそれに気づいたようであったが、純夏の素体が移動される前にハイヴは反応炉破壊の危機にさらされた。反応炉の破壊は貴重な素体の消滅に繋がるため、BETAは反応炉を生かしたまま撤退した。
 これが横浜ハイヴ攻略成功の秘密であった。
 そしてこの世界の武も純夏に匹敵する執念でその価値をBETAに認識され、召喚級の因果端末として取り込まれるところだった。
 そこに因果導体である武が近づいたため、こちらの世界の武の因果が一気に流入を開始し、あの狂乱に繋がった。
 その記憶を受け継いだ武によると、後一歩だったそうである。相手が自分の深層意識に眠る純夏のイメージの取り出しに成功していたら、召喚級を純夏であると認識して、間違いなく取り込まれていたという。
 武自身も、純夏の記憶を因果地平で追体験した際の暗示がなければ、間違いなく狂乱したままになって、あの場で朽ち果てていたことは間違いなかった。
 下手をするとそのまま召喚級に取り込まれて、一気に召喚級が完成していたらしい。
 まさに後一歩のところだった。
 それでもさすがに武にとっても負担が大きすぎ、約10ヶ月……ご丁寧に10月22日、あの運命の日まで武は眠ったままになっていたのだった。
 今の武は、ようやくリハビリが終わったポンコツである。そしてそれを助けたのが、今武の脇に立つ純夏であり、霞だった。
 ちなみにこの純夏は、生体の再構成によって脳だけから復活した、正真正銘生身の純夏である。
 但し、名目もあってほんの少しだけ本来とは違っている。禁断の実験……BETA技術による生体強化、それが今の純夏には施されている。それは純夏の望みでもあった。武の力になりたい……だが、単純に再生しただけではとうてい追いつけない。そこであえて禁断の技術の実験体として名乗りを上げた。
 結果は成功。但しそれは劇的なものではなく、鍛練を積めば普通の人間でもたどり着ける程度のものであった。それも一から組み直してのこと。普通の人に対して施せるのは、せいぜい戦術機適正を少し底上げする程度のこと。それとて幼少の頃から慣れていれば武並みになると証明されてしまい、結局この技術は医療用に限定されることになった。
 そんな純夏と霞は、密かに武の恋人の座を巡って争っていたりする。武からすればほぼ純夏一択そうだが、むしろ純夏が少し遠慮しているようだ。自分が脳だけになっている間霞と心で繋がっていたためか、切って捨てることが出来ないらしい。
 だがそのへんは、また未来に語られることである。
 
 
 
 「さ、さすがにこれ以上のんびりしてはいられないわね。行くわ」
 
 そして4人は階下へと降りていく。
 後には佐渡島全域を要塞化した広大な基地が、日本海の輝きを受けて静かに佇んでいた。


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