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[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/06/05 22:51
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

プロローグ1

【2004年12月15日 国連横浜基地】

 白銀武の最愛の女性、御剣冥夜を乗せた恒星間移民船団がバーナード星系に旅立ち、すでに一年近くが過ぎようとしていた。決して会えない、最愛の人。寂しくないと言えば嘘になる。

 だが、愛する者との別れ方としては、最高の部類なのかもしれない。この世界で離別といえば、九割死別を意味するのだから。

 たとえ二度と会えなくても、星空の向こうで愛する者が生き続けている。そう思えば、この絶望的な状況でも、戦う勇気がわいて来るというものだ。

(冥夜、見ていてくれ。俺は生きる。BETAだかなんだか訳の分からないやつに、やられるもんか!)

 そう思い、武はこの一年、強い意志を持って生きてきた。体力作りや戦術機の訓練も繰り返し、戦術機の機動技量ならばすでに、熟練の衛士と比べても遜色ないレベルまで高まっている。
  
 だがしかし、そんなやる気に満ちた白銀武が今やっていることと言えば、毎夜毎夜、訳の分からない白い四角い棺桶の様な物の中で、強制的に眠りにつくことなのであった。




「先生~、こんなことして本当に世界が救えるんですか?」

「いいから黙って寝る。どうせあんたに説明したって、理解できる頭もってないでしょ」

 横浜基地対BETA研究部部長、香月夕呼は冷然とした口調でそういうと、無造作に武を箱の中に押し込み、ハッチを閉じた。周りの声など歯牙にもかけない唯我独尊ぶりは、以前と全く変わらない。

 一年前、武が一番驚いたのがこの香月夕呼が、移民船に乗船していないということだった。

「人類の希望を託す各分野から選ばれたエリート」といううたい文句が正しいのなら、彼女が選ばれない理由はないと思うのだが。

「はん、私はオルタネイティヴ4の最高責任者よ。対立する5推進派が私を選ぶわけがないでしょう」

 という、夕呼の言葉に、一応その時の武は「なるほど」と頷いたが、その後に続く「大体にして、しっぽを巻いて逃げ出すなんて選択肢が、この私の辞書に存在すると思う?」と言う言葉こそが、真実では無いかとも思う。

 送られてきた地球脱出のチケットを握りつぶし、あえてこの地に残ったとしても不思議はない。三年前のクリスマスの夜、泣き崩れる彼女の姿を目の当たりにした武でさえそう思うのだから、横浜基地の大半の人間が、「香月博士は、BETA殲滅の腹案があり、あえてこの地に残ったのだ」と考えているのもある意味当たり前だろう。

 もっとも、そこには、年々規模を縮小される横浜基地に残された人間として、天才香月夕呼に最後の希望を見いだす、という思考があるのも間違いないだろうが。

「なによ、こんなかわいい女の子と一緒に寝るのが仕事なのよ。男なら涙流して喜ぶべきじゃないの? ねえ、社」

「……はい」

 明らかにからかうことを目的とした夕呼の声に、武の左腕にしがみつく小さな少女は平坦な声で返事を返した。

「霞~、お前意味判って返事しているのかぁ~?」

「はい」

 社霞。彼女も結局最後は、この地に残った。
 最後の駆逐艦が打ち上げられる直前、地下19階で脳髄シリンダーにしがみつき、乗船拒否を続ける彼女を武が必死に説得しているところに、夕呼が現れ、「なら、好きにしなさい」と言い放ったのだ。

 香月夕呼と社霞。オルタネイティヴ4の中核を担っていたはずの二人が地上に残り、果たして本当にオルタネイティヴ5は4の成果を引き継いでいるのか、という不安は残るが、武としては嬉しかった。

 そして、今夕呼が行っている『オルタネイティヴ6』。詳しい内容は知らされていないが、この計画では、夕呼、霞と並び、武自身が重要な役割を果たすのだという。

「これがうまくいけば戦況が一気にひっくり返るわ」

 という夕呼の言葉に勢いづき「わかりました。俺、なんでもやります!」と答えた武であったが、その役割というのが「霞と一緒に訳の分からない機械の箱の中で寝ること」というのは、さすがに予想外であった。

 まあ、夕呼の言動が、武の予想の範疇に収まったことの方が少ないのだから、当たり前といえば当たり前だが。

「良いから黙って寝なさい。出来るだけ、元の世界のことを思い出しながら、寝るのよ」

「……白銀さん」

「はあ、判りました」

 機械の蓋を閉じられた武は、そのまま素直に目を閉じた。同じことをすでに半年近く続けているのだ。さすがになれても来る。

 左腕にしがみつく霞の体温にドキマキするのは相変わらずだが、それでもしばらくすると眠りにつく。

「ふう、これでよし」

 機械の操作を終えた夕呼は、スチール製の椅子に腰をかけるとポットからコーヒーをカップに注ぎ、口を付ける。

「……ええと、私は何をやってるんだっっけ……? ……そうそう、オルタネイティヴ6ね。凧の名前が白銀武、糸の名前が社霞」

 ともすると脳裏から薄れそうになる二人の記憶を思い出すように、夕呼は右手の親指と中指で両こめかみを強く押す。

 武と霞が抱き合って入っているその箱は、夕呼が作った「物質を確率の雲の状態に戻す装置」である。

 本来、この世界の住人ではない白銀武を、白銀武としてこの世界に固定しているのは、白銀武を白銀武と認識する周囲の存在と、白銀武自身の意志だ。

 だから、周りの認識が薄れ、本人の意識が希薄になったとき、本来この世界の住人ではない白銀武は、元の世界に引き戻される。研究を進めれば、武を元の世界に返すことも不可能ではない。

 無論、夕呼が今やろうとしていることは、白銀武を元の世界に戻すことではない。それならば、社霞を一緒に入れる必要がない。
 
 そもそも、そう簡単にこの世界から向こうの世界に、人はたどり着けるものなのだろうか?

 いかに、世界に引っぱられるとはいえ、夕呼の唱える因果律量子論が正しければ、この世界は無数の平行世界が連なってできているのだ。この世界と、白銀武が元々居た世界が、隣り合っている保証がどこに有ろう。

 飛行機で北海道から九州に向かう際、本州の上空を通る必要があるように、異なる平行世界の『上』を通っている、と考えることができるのではないだろうか。そう考えたとき、香月夕呼はこの新たなる計画『オルタネイティヴ6』の発動を、日本国政府に打診したのだった。

 たとえて言うなら、無数の平行世界が「空」、武はそこに漂う「凧」、そして霞はその凧をこの世界につなぎ止める「糸」ということだ。「糸」である霞を装置の外に出せば、武は元の世界にまで戻ることが出来る。
 しかし、「糸」である霞を一緒に装置の中に入れることで、「糸」に縛られた武という「凧」は、この世界から飛び立ったは良いが、元の世界にたどり着くことができず、平行世界という「空」を漂い続ける。

 そして、この計画の目的は、その「糸」を通し、他の平行世界に「糸電話」の要領で『声』を伝えることにある。救援を求める『声』を。

(「……私たちの世界は今、宇宙人の侵略に晒され、滅亡の危機に瀕しています。……この声を聞いた人たちにお願いします……私たちを助けて下さい」)

 オルタネイティヴ6。それは平行世界に向けて放つSOS。

 あまりに荒唐無稽で、あまりに他力本願。そして、あまりに運の要素が強い計画だ。

 それは、香月夕呼自身が一番よく知っているだろう。

「運良く、社のプロジェクション能力を受け取る事の出来る力の持ち主がそこにいて、運良く、その持ち主が平行世界を越える手段を持っていて、運良く、そいつらがBETAに対抗できるだけの戦力を有している……一体どれだけの運が必要なのかしらね、この計画の成功には。まったく、天才が聞いてあきれるわ」

 夕呼は自嘲気味に笑う。

 夕呼もこのオルタネイティヴ6に全勢力を傾けているわけではない。むしろ、一度とん挫したオルタネイティヴ4の完遂こそが真の目的だ。

 そのために、危ない橋を渡り、帝国や国連、果てには米国とまで取引をして、この横浜基地の反応炉と『鑑純夏』をその手に取り戻したのだ。とはいえ、現在引っかかっている問題――半導体150億個からなる処理装置の小型化が、一朝一夕で成し遂げられるものではないことは、夕呼も認めざるを得ない。

 だから、オルタネイティヴ6なのだ。運任せの時間稼ぎでもあり、同時に切り札にもなりうる計画。

「これはこれはご謙遜を。いつも自信が服を着て歩いているような香月博士らしくもない」

 無人のはずの自室で、突如背後からかけられた声に、夕呼が驚きの声を上げることはなかった。代わりにため息をつき、振り返る。

「相変わらず、面会の予約もなく。帝国情報省の人間には、礼儀って言葉は存在してないのかしら?」

 嫌み満載の言葉を返し、振り返った先には、つかみ所無く笑う、帝国情報省外務二課課長――鎧衣左近の姿があった。いつも通り、帽子をかぶり、上等そうなスーツの上からロングコートを着込んでいる。

 警報も鳴らさず、この横浜基地最下層まで入ってきたことも、この男の場合、驚くには値しない。

 三年前、夕呼がオルタネイティヴ4の最高責任者だった頃から、この男は近所の公園に出向く様な気楽さで、ここに入ってきていたのだ。すっかり過疎化した、今の横浜基地のセキュリティなど、彼にとっては障子戸も同然だろう。

「違うと? では、まさか服を脱いで歩いているのですか? でしたら、散歩の時間を教えて下さいませんかな。ぜひ、エスコートをさせていただきますので」

「はいはい。低俗な冗談はいいから、本題に入りなさい」

 うんざりとした顔で、夕呼は椅子に腰をかけたまま、ヒラヒラと手を振った。

「わかりました。では、最近四川省の奥地では発見された新種の魚、モケケピロピロの生体について」

「用がないなら帰りなさい。私は忙しいのよ」

 冷たい夕呼の声にもまるで動じず、鎧衣左近はわざとらしく肩をすくめる。

「おや、興味ない? では、全く新しいアスパラガスの食べ方については?」

「忙しいって言ってるでしょ。これ以上下らないことを言うなら、本当につまみ出すわよ」

「近々『竹の花』が咲くようです」

 唐突に切り出した左近の言葉に、夕呼は一瞬で血の気を失い、沈黙した。

「…………」

「どうやら、我が国の軍部ももう後がない事を理解しているようですな」

『竹の花作戦』。

 それは、日本帝国が総力をあげて行う甲21ハイヴ――佐渡島ハイヴの攻略戦。

 ちなみに『竹の花作戦』という名称は、正式名称ではない。この作戦を聞いたとき、とある参謀将校が「この作戦が成功する確率は、竹の花が咲く確率に等しい」と言ったことに由来する。

「我が国にとっては、米軍の甲26ハイヴ攻略が、裏目にでましたな」

「…………」

 左近の言葉に、夕呼は唇を噛んだまま答えない。

 国連軍とは名ばかりの米軍は、G弾を用いての殲滅作戦により、これまで甲26、甲12、甲9の三つのハイヴの攻略に成功していた。無論、シベリア東部、フランス南西部、イラク西部を半永久的な不毛の地とする代償を払った上での成果だ。

 そのあおりを、一番食らったのが日本だった。

 甲26を落とされた残存BETA達の大半は、素直に最寄りの甲25ハイヴへと退却していったのだが、なぜかそのうちの二割ほどが、わざわざ海を渡って、佐渡島ハイヴを目指したのである。

 侵攻してきたBETAは、北海道に上陸した時点で、駐在の帝国軍が殲滅させたが、予期せぬ方向からの進軍は、帝国軍に少なくない被害をもたらした。北海道を放棄し、北の最前線を東北まで引き下げざるを得なくなるほどに。

 そして、縮小した軍事力は、今後の佐渡島ハイヴの間引き作戦にすら影響を与えるほどであった。

 オルタネイティヴ4を主導していた日本は、オルタネイティヴ5が発動した今、国際社会で孤立に近い状況にある。

 一応、国連軍に応援要請はしているのだが、「国連軍は現在重要な作戦の直中にある。誠に遺憾ながら、これ以上援軍に回せる余裕はない。現在、日本に駐在している国連軍は全て、日本の指揮下に組み込むことを了承する」というのが、国連の皮をかぶった米国の返答であった。

 白々しいことこの上ない。現在、日本に駐在している国連軍は、この横浜基地所属の軍のみであり、その大半は、日本帝国軍からの出向部隊なのだ。それは、事実上の「援助はしない」という宣告であった。

 現在も、国連事務次官、珠瀬玄丞斎が尽力しているが、その努力が徒労に終わることは本人も半ば承知の上だろう。

 間引き作戦とは、こちらの戦力の回復量が、ハイヴのBETA生産量を上回らない限り、いずれ破綻するものである。

 そして、現在の帝国軍の状況は、そのデッドラインを踏み越えていた。

 このまま、間引きと防衛を繰り返しても、待っているのは国家の緩やかな死。ならば、乾坤一擲、一か八か、ハイヴ攻略にかける、というわけだ。

 悪い判断ではないが、状況が悪すぎる。状況が悪ければ、最善の手を打っても、最悪の結果にしかならない。

「……正確な日時は?」

「12月20日、830開始とか。ちなみに総司令は紅蓮大将だそうです。やんごとなきお方直々のご命令だそうですな」

「ッ? 斯衛の総大将自ら!? 帝国も本気の本気というわけね」

 オルタネイティヴ5発動で、唯一プラスには働いたのが、将軍の権力強化と内政の安定だ。

 国内のオルタネイティヴ5推進派の中心人物たちが移民船団で旅立ち、残った者たちも大部分が、より安全なアメリカ本国へと亡命していったため、国内の風通しが非常に良くなったのである。

 無論、それでもまだ、私利私欲のために職権を乱用しようとする政治家や高官は絶えないのが現実だが、これ以上を望むのは非現実的というべきだろう。

「おっと、どうやら眠り王子と眠り姫が目を覚ましたようですな。では、私はこれで」

「ッ」

 装置のハッチが開く音に気を取られている隙に、鎧衣左近は姿を消していた。

「ったく、言いたいことだけ言って……あいつの礼儀知らずは一生直らないわね。ほら、白銀、起きた起きた」

「んー……。あれ?」

 夕呼は、まだ呑気に寝ぼけている白銀に、鬱憤をぶつけるようにして、乱暴にたたき起こす。

「はい、今日のあんたの仕事は終わり。ほら、起きたらとっとと帰る」

「ち、ちょっと、先生!?」

 起きたばかりで、まだ足下がふらふらしている武を、夕呼は容赦なく部屋の外に追い出し、ご丁寧に鍵までかけると、装置の中で上半身をもたげている霞に問いかけた。

「どう、社。なにか、手応えはあった?」

 装置が完成してから半年間、毎日のように行っている問いかけ。対する霞の反応もいつも一緒だ。すまなそうにうつむいたまま、小さく首を横に振る。

 だが、半ば確信して反応を待っていた夕呼の前で、霞は首を傾げると答えたのだった。

「……分かりません」

 いつもと違う反応に、夕呼はピクリと眉を跳ね上げる。

「分からない? つまり、何もなかったと断言できないと言うこと? なにか、あったのかも知れないと言うこと?」

 勢い込む夕呼の問いに、霞はゆっくりと思い出しながら、頷き返す。

「はい。なにか、私のSOSプロジェクションに、答える声を、リーディングした……気がします」

 なにせ、半ば夢の世界での話だ。確固たる確信はない。気のせいではないのか、と言われれば否定は出来ない。だが、「何かがあった気がする」のは、今日が初めてだ。
 
 霞の脳裏に浮かぶのは、金髪の女性が優しげに微笑むビジョン。両手を広げるその女性は、どう見ても成人しているはずなのに、なぜか自分より年下な気がした。

「そう。そうだと良いわね」

 珍しく夕呼は気遣うような口調でそう言うと、床に降りた霞の頭にポンと手を乗せる。

「はい」

 頷く霞の頭の動きにあわせ、黒いうさ耳が、ピョコリと揺れた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~プロローグ2
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/11/10 03:38
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

プロローグ2




【新西暦189年より1万2千年後、地球圏宇宙】

「……我は滅びる……! だが、忘れるな、運命の戦士達よ! この宇宙を縛る因果の鎖が断ち切れぬ限り、我はまた現れる! 無限力と共に!」

 霊帝ケイサル・エフェスは、断末魔の言葉を残し、宇宙に散っていった。

 αナンバーズ達の長きに渡る戦いに、今一つの終止符が打たれようとしていた。

「この一帯に満ちていた悪意が消えていく……」

 大破寸前まで破損した赤いモビルスーツ――サザビーの中で、カミーユ・ビダンは呟く。

 ニュータイプの中でも特に、鋭敏な感覚と繊細な心を持つカミーユには、霊帝の放つ悪意のオーラは、毒霧にも等しいものがあったのだろう。水面から顔を出した潜水夫のように、何度も大きく深呼吸する。

 決して長くはないが、激しく、絶望的な戦いだった。

 機界31原種に地底勢力。星間連合軍にゼ・バルマリィ帝国。バッフ・クランに宇宙怪獣。

 圧倒的な勢力を誇る外敵と戦いながら、地球連邦を内部から蝕むブルーコスモスの干渉に悩まされ、暴走するコーディネーター達とも戦火を交えた。

 そう言った全ての困難に撃ち勝ち、今彼らはここにいる。

 だが、霊帝ケイサル・エフェスを倒しても、彼らの戦いはまだ終わったわけではない。

 全ての元凶である、『アカシックレコード』、またの名を『無限力』。

 イデ、ゲッター線、ザ・パワー。様々な姿をとりながら、銀河を終焉へと導いてきた世界の意志。

 その『無限力』があくまでαナンバーズのやってきたことを認めないと言うのなら、彼らの戦いはまだ終わらない。

 全員が固唾をのみ、状況を見守る。そんな中、動きを見せたのは、やはり無限力の代名詞とも言える、赤い巨神であった。

「あっ!」
 
 イデオンが唐突に、動き出だす。最も無限力の影響を色濃く受けている機体の挙動に、αナンバーズの戦士達にも、緊張が走る。

「くそっ! イデめ……何をする気だ!」

 中からコスモが操作を試みるが、全く反応しない。そして、次の瞬間、淡い光を網膜に感じたと思うと、コスモ達イデオンの搭乗員は纏めて、宇宙空間に転移させられていた。

「あっ!?」

「私たちを締め出した?」
 
 燐光が宇宙空間からコスモ達を護ってくれているらしく、すぐに命に関わることはない。コスモは、離ればなれにならないよう、カーシャとデクを抱き寄せながら、自分たちを追い出した赤い巨神を睨み付ける。

「イデ!」

「各機、イデオンを包囲しろ! 何をするかわからんぞ!」

 水色の最新型ヴァルキリー、VF-22S・SボーゲルⅡを駆るマクシミリアン・ジーナスの命に、αナンバーズの戦士達は、即座に反応する。

 七隻の戦艦を中心に、出撃していた機動兵器の全てで、イデオンを半球状に包囲する。戦艦の中では、予備戦力として待機していた戦士達が、あわただしく愛機に乗り込み、いざというときに備えている。

 イデはまるで、その包囲網が完成するのを待っているようだった。

 包囲網が完成した次の瞬間、無人のイデオンが赤い光を纏う。

「イルイ! 何が起こるんだ!?」

「私にもわかりません……。ただ……」

 レーツェル・ファインシュメッカーの問いに、イルイ・ガンエデンは首を横に振る。前銀河文明から存在している彼女の知識にも、このような現象は記録されていない。

 イデオンはゆっくりとイデオンソードを腰の前に構える。星の一つや二つを簡単に消し飛ばす、凶悪な武器を向けられ、歴戦の猛者揃いのαナンバーズにも、緊張が走る。

「くるぞっ!」

 と、叫んだのは誰だったろうか。

 イデオンソードから放たれた白色光が、全戦艦、全機動兵器を飲み込んだ、その時だった。

「え……!?」

 バンプレイオスに乗るリュウセイの脳裏に、一人の少女のイメージが届いたのだった。そのイメージを受け取ったのはリュウセイだけではない。

「誰かが私達を呼んでいる!」

「……いえ、助けを求めている?」

 マイの声に、姉のアヤがそう答える。

「君は一体誰なんだ!?」

 ライディーンに乗るひびき洸にも、そのイメージは届いていた。黒いドレスを着た銀髪の少女が、表情を変えず、だが切実に助けを求めるイメージ。


(「…………亡の危機に瀕しています。……この声を聞いた人たちにお願いします……私たちを助けて下さい」)

 リュウセイ達には漠然とした「イメージ」としてしか受け取れなかったそれを、ガンエデンに乗るイルイは明確な「メッセージ」として読みとる。

「これは……ああ!!」

(「大丈夫、必ず、必ず助けます。私は地球の守護者。たとえそれがどこの地球であろうとも……」)

 イルイは全身全霊の力を使い、少女の声に答える。

 イルイはそのまま糸が切れたように意識を手放したのだった。

 









 αナンバーズの皆が、イデオンの放った光に包まれていたのは、そう長い時間ではなかった。

「ここは……」

 新鋭戦艦アークエンジェルの艦橋で、艦長のマリュー・ラミアス少佐は、頭を振りながらモニターに目をやる。

 モニターに写るのは、見渡す限りの星空のみ。先ほどまで見えていた地球の姿は見えない。どうやら、地球圏から離れたのは間違いないようだ。だが、現状ではそれ以上の事は分からない。




「現状確認、現在地の割り出しを、急いで下さいますかな」

 一方、バトル7のブリッジでは、マックス艦長から艦を預かっているエキセドル参謀が、いつも通りのひょうひょうとした声で、ブリッジクルーに指示を飛ばしていた。

「はいっ!」

 艦長代理の命を受けたクルー達は、すぐさま周囲の星空の画像を取り込み、全天位表と照らし合わせ、現在地の把握に務める。

「……でました! 現在地、太陽系の小惑星帯(アステロイドベルト)! メインモニターの端に写っている赤い星は、火星です!」

「おお、デカルチャー……」

 小惑星帯とは、火星と木星の間に位置する、惑星になりきれなかった微惑星が帯状に広がっている空間のことだ。

 どうやら、思ったほど遠くには飛ばされていないようだ。同じ恒星系の惑星間距離など、広大な宇宙の物差しで測れば、すぐそこといってもいい。

「問題は、ここが「いつ」の太陽系であるか、ということですかな。他の艦と協力して機動兵器を収容。艦長が戻り次第、今後について話し合った方がよいでしょうな」

 エキセドル参謀はそう言うと、すぐにモニター会議を開けるよう、クルー達に指示を出すのだった。










 数時間後、無事にほぼ全ての機動兵器とそのパイロット達を収容したαナンバーズの艦長達は、それぞれの艦のモニターの前に座り、話し合いの場を設けていた。

 エルトリウム、バトル7、大空魔竜、ソロシップ、アークエンジェル、エターナル、そしてラー・カイラム。それぞれの艦長と副官、参謀、アドバイザーなど。そして特別に機動兵器部隊を代表し、アムロ大尉を加えた総勢12名。会議の口火を切ったのはエキセドル参謀ののんびりとした声だった。

「どうやらここが、太陽系小惑星帯であることは間違いないようですな。しかし、イカロス基地が影も形もないところから判断しますに、我々が過ごしていた時代とは、大きくずれていると思うべきでしょうな」

 イカロス基地とは、地球連邦軍が小惑星帯に築いた、外宇宙警戒用の宇宙基地である。そのイカロス基地が、小惑星帯に見あたらないと言うことは、少なくとも彼らが現代に帰ってきた訳ではないことを意味する。

「うむ」

 だが、その事実にも意外なほど動揺の声は挙がらない。元々、一度は1万2千年後に飛ばされた身だ。今更、ジタバタするほどの事もないということなのだろうか。

「よし、分かった。まずは、状況を確認しよう」

 エルトリウム艦長――タシロ・タツミが力強く頷いた。タシロ提督の言葉を受け、副長が、いつもと何ら替わらぬ淡々とした口調のまま、説明を始める。

「ええ、先ほど全機動兵器の収容が終了しました。イデオンは、回収できなかったようですが、ユウキ・コスモ以下、イデオンの搭乗員は、全員無事にソロシップに収容。その他の機動兵器とパイロット達も、ディス・アストラナガンとそのパイロット、クォヴレー・ゴードンをのぞき、全員の収容を確認しています」

 副長のあまりに淡々した口調に、危うく聞き流しそうになる。一瞬遅れてその言葉の意味を理解したラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐は、そのつぶらな眼を最大限に見開き、大声を上げる。

「待て、つまりゴードン少尉は回収できていないのか!?」

「はい。しかし、心配は無用でしょう。どうやら、彼は自らの意志で姿をくらました模様です。姿を消す直前、同小隊のアラド・バランガ、ゼオラ・シュバイツァーの両名と連絡を取っています。「心配は無用だ。俺は何時かお前達のところへ帰る」と」

 副長は「あの機体は色々と特別な機体ですから、単独で次元を渡ることが出来ても不思議はありません」と付け加える。

「……ふう、分かった。今はゴードン少尉のことはおこう。その他の状況は?」

 頭を一つ振り、ブライトは思考を切り替える。クォヴレーのことも心配だが、自分たちも決して先が保証された立場ではないのだ。αナンバーズの指揮官として、優先順位を間違えるわけには行かない。

「はい。我々をどうやらこの世界に呼んだものがいるようです。SRXチームのリュウセイ・ダテ、マイ・コバヤシ、アヤ・コバヤシ、そしてライディーンのパイロット、ひびき洸の4名が、「助けを求める少女のイメージを感じた」、と証言しています」

 リュウセイ、マイ、アヤ、そして洸。4人の共通項は、考えるまでもない。全員『念動力者』ということだ。後1人、SRXチームの隊長であるヴィレッタ・バディムも念動力者だが、その力はリュウセイやマイと比べると一段落ちるらしい。

 彼女だけ受信できなかったとしても、さほど不思議はない。

「なるほど……いや、待て。イルイは何と言っている?」

 もう一人念動力者がいることを、最初に思い出したマックスが、声を上げる。

 イルイ・ガンエデン。地球の守護者を自称する、ナシム・ガンエデンのよりしろたる、サイコドライバー。

 念動力者としては、彼女こそが最強であるはずだ。リュウセイ・ダテが比較的彼女に近いレベルの念動力を有しているらしいが、それでもサイコドライバーたるイルイと比べれば、一段落ちる。

 リュウセイ達が感じ取れたイメージを、彼女が感じ取れないはずがない。

「はっ、イルイは、ガンエデンをエルトリウムに収容した時点ですでに気を失っていました。激しく念動力を使った形跡が有るようなので、もしかすると我々がここに来た一因に、彼女の力が関係してるのかも知れません」

 ちなみに現在イルイは、少女の姿に戻っているらしい。エルトリウムの病室で、アラドとゼオラが看病しているが、命に別状はないということだ。

「なお、マイ・コバヤシの証言によると、少女の救援要請は、かなりせっぱ詰まったものであったそうです。要請に応えるならば、急ぐ必要があるでしょう」

 淡々とした副長の言葉に、艦長達はそろって渋面を作る。自分たちの置かれている立場も定まっていないうちに、他の者の救援に向かうというのは、一言でいってお人好しが過ぎるというものだ。もっとも、そのお人好しを終始貫いてきたのが、彼ら『αナンバーズ』なのだが。

「簡単に言ってくれるが、そう容易い話ではないぞ。バッフ・クラン戦、神一号作戦、そして先ほどの霊帝ケイサル・エフェス戦と、激戦が続いているのだ。機動兵器もパイロット達も、被害は深刻だぞ」

 タシロ提督の言葉に、機動兵器部隊を代表して参加していたアムロが同意を示す。

「ああ、俺のHi-νガンダムも、アストナージに使用禁止と言われたよ。カミーユのサザビー、ウラキ少尉のデンドロビウムも同様だそうだ」

「モビルスーツや、バルキリーも重傷ですが、特機はもっと深刻ですな。真・ゲッター、マジンカイザー、コン・バトラーV、ボルテスⅤなど、霊帝ケイサル・エフェス戦に参加した機体のほぼ全てが、ドックでのオーバーホールを必要としていますな。無事なのは、ATフィールドで護られていた、エヴァンゲリオン三機と、予備パーツを付け替えるだけですむ鋼鉄ジーグくらいでしょうな」

 エキセドル参謀は、淡々とアストナージ達メカニックから届いた報告書を読み上げた。

 つまり、現状でまともに稼働しているのは、最終決戦に出撃しなかった予備機と、エヴァンゲリオン三機、そして鋼鉄ジーグのみ言うことになる。

 いくら、非常識なまでの戦闘力を有するαナンバーズといえども、この状況でもう一戦はかなりきつい。

「そもそも、救援に向かうとしても、私たちはどこへ行けばいいのでしょう?」

 ふと、それまで聞き役に徹していたアークエンジェル艦長、ラミアス少佐はそう発言する。

「念動力者達のイメージを統合しますと、どうやら少女は地球にいるものと思われます」

 副長の声を受けて、提案をしたのは、ラミアス少佐同様、今まで一度も口を開くことの無かったラクス・クラインであった。

「ならば、二手に分かれるのはいかがでしょうか。エルトリウムを中心に半数は小惑星帯に待機し、機体の修復を。現在稼働可能な機体を乗せた艦を、地球に先行させては」

 その際には私のエターナルを地球に向かわせます。とラクスは付け加えた。

「ううむ……しかし、それは」

 ラクスの提案に、タシロ提督は腕を組み考え込む。確かに、ラクスの提案は時間を有効に使うという意味では良いかも知れないが、この全く未知なる宇宙で、二手に分かれるのは不安が残る。

 しかし、タシロ同様、歴戦の艦長であるブライト大佐は、意外にもラクスに賛同の意を示した。

「私も、クライン嬢の提案に賛成です。我々が戻るにせよ、ここで暮らすにせよ、その「救援要請をした少女」とは一度面会する必要があるでしょう。ならば、副長の言うとおり早いに越したことはありません。危機が少女を襲った後では遅い。
 また、少女の救援要請が何らかの罠であった場合を考えても、半数が宇宙に残るのは有効な対処法といえます」

 ブライト大佐の意見は、二手に分かれてもちょっとやそっとの危機ならば、力尽くで突破できる、という自負に裏打ちされている。それは自信であって過信ではない。


「むうう……」

 一同は、考え込むタシロ提督の言葉を待つ。半数以上が民間協力者からなるαナンバーズで、軍の階級は有名無実化しているが、それでも最上位者であるタシロ提督の言葉は重い。

 部隊の最終決定権は事実上、タシロ提督とブライト大佐の二人にゆだねられていると言っても良いだろう。

 つまり、二人の意志が一致すれば、事態はその通りに動くと言うことだ。

 一分近く考え込んだ後、タシロ提督は、きっぱりとした表情で頷いた。

「よし、分かった。それで行こう。先行するのは、ラー・カイラムを旗艦として、アークエンジェル、エターナルの三隻。バトル7、大空魔竜、ソロシップはエルトリウムと共にこの場に待機。
 なお、待機組は資材調達のため、小惑星帯から資源衛星を確保したいので人手を回してもらいたい」

 エルトリウムは、元々恒星艦航行を可能とする、地球脱出計画の旗艦だった戦艦だ。

 その全長は70キロ。最大搭乗員数150万人。並の宇宙コロニーの倍以上あるこの艦は、その気になれば、食料、資源、エネルギー、その他あらゆるものを自給自足しながら星の海を渡っていけるように作られている。

 武器弾薬など補給物資はもちろん、主要な機動兵器であるマシーン兵器や、モビルスーツの製造ラインも設けてある。

 もっとも、マジンガーの超合金ニューZや光子力エンジン、ゲッターのゲッター炉など、特機の中枢フレームはさすがにお手上げだが。あれはそれぞれ一部のスペシャリストにしか手に負えない代物だ。

 だが、今はとりあえず関係ない。出航前に積み込んだ資材を使えば、特機も後一、二回は修繕が可能だ。

「「「「「了解しました」」」」」

 タシロ提督の決定に、艦長達一同はモニターの前で返礼した。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その1
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2009/09/22 23:11
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第一章その1



【2004年12月16日、太陽系小惑星帯】

 イデの意志か、イルイの願いか。αナンバーズが、この世界に転移してきて、およそ24時間が経過しようとしていた。

 激戦を終えたパイロット達が、各々のベッドで休息をとっている間に、各艦の整備員達はがんばってくれたらしく、すでに全機動兵器の修理と補給の見積もりが出されている。

 それを元に、艦長達が意見を交換し、留守番組と先行組にパイロット達を割り振っていった。








 先行組の発表があった後、、先行分艦隊に乗船する者達と、留守を預かる者達は、エルトリウムのブリーフィングルームで、互いに今後の健闘を誓い合っていた。

「フォッカー少佐、後はよろしく頼む」

「おお、任せておけ。アムロ大尉、そっちこそ、気をつけろよ」

 先行組の機動兵器部隊長であるアムロ・レイ大尉と、居残り組の機動兵器部隊長のロイ・フォッカー少佐がガッチリと握手を交わす。歴戦のモビルスーツパイロットと、歴戦のバルキリー乗り。さすがにどちらも一目で分かる、雰囲気を纏っている。

「任せて下さいよ、アムロ大尉。俺達スカル小隊がいる限り、残存分艦隊には指一本ふれさせませんって」

「こら、柿崎。調子に乗るなっ」

 大口を叩く柿崎速雄少尉を、同じスカル小隊の先輩である一条輝中尉がたしなめる。

「そうだぞ、柿崎。あまり下らんことを言ってると、お前にはデストロイド・モンスターで出撃してもらうぞ」

 にんまり意地悪げに笑い、そう言うフォッカー少佐に、柿崎は慌てて、手を振りながら言い返す。

「ちょっ、勘弁して下さいよ、隊長! だいたい、そんなことして、俺のVF-1A・Sは、どうするんですか」

 デストロイド・モンスターとは、ずんぐりむっくりな辛うじて人型をした鈍重な砲戦機である。重装甲、重火力、長距離射程と支援機としてはなかなか優れたものを持っているのだが、高機動を売りとするバルキリー乗りには当然評判が悪い。

「あれは、マックスに乗ってもらう。お前が乗るよりよっぽど戦力になるぞ」

「あいつは、バトル7の艦長でしょ!? そんなヒョコヒョコ前線に出てこれるわけないじゃないですか」

「わからんぞ、なんだかんだ言ってもあいつも、根はバルキリー乗りだからな」

 スカル小隊の三人は、居残り組では数少ない、乗機持ちである。それまで乗っていた最新型バルキリー『VF-19・エクスカリバー』は、大破寸前のダメージを被ったのだが、その前の乗機だった『VF-1・スーパーバルキリー』が三機とも健在だったのだ。

 他に居残り組の乗機持ちは、兜甲児、ゲッターチーム、ジュドー・アーシタ、エルピー・プルの三人と一組だけである。

 それぞれ機体は、マジンガーZ、ゲッタードラゴン、量産型νガンダム、キュベレイMk-Ⅱとなっており、こちらもスカル小隊同様、全員予備機である。彼らがメインで使っていた機体、マジンカイザー、真・ゲッター、フルアーマーZZガンダム、キュベレイといったところは、全て修理中だ。

 そのジュドー・アーシタは、先行分艦隊に参加するカミーユ・ビダンと言葉を交わしていた。

「大丈夫かい、カミーユさん。Zに乗るの、久しぶりだろ?」

「問題ないさ。乗っていた時間なら、サザビーより、Zの方がずっと長い。すぐに勘を取り戻すさ。それを言えばジュドー、お前こそ量産型νは初めて扱う機体だろう?」

「ははっ、何とかするよ。こっちはすぐに戦闘があるわけじゃないしね」

 地球に向かう先行分艦隊とて、戦闘が有ると決まったわけではないのだが、ジュドーもカミーユも、優れたニュータイプだ。「地球に行けば戦わずにはすまない」そう漠然と肌で感じているのかも知れない。和やかに言葉を交わしながらも、二人のニュータイプの瞳には、緊張の色が浮かんでいた。





「ねえ、カガリやっぱり僕が……」

「そうだ、カガリ。考え直せ。なんだったら俺の方からブライト艦長に話を通してもいい」

「駄目だ。大体お前ら、フリーダムもジャスティスも修理中だろ。モビルスーツはどうする気だ?」

「だから、その、僕がストライクルージュで」

「あれは、私の機体だ!」

 一方別なところでは、キラ・ヤマトとカガリ・ユラ・アスハを中心としたグループが、出発を前にしてまだ、なにやらもめていた。

 どうやら、先行分艦隊に乗るカガリを、キラとアスランが心配している様子である。

 キラのフリーダム、アスランのジャスティスは共に、霊帝ケイサル・エフェスとの戦いで大破している。補助兵装のミーティアに至っては、一から作り直したほうが早い、と言われたほどだ。

 対して、カガリのストライクルージュは、万全な状態である。というのも、最終戦近くはいつも、予備戦力として艦内待機をしており、実戦に出ていなかったのだ。オーブからついてきたお付きの三人娘――アサギ、マユラ、ジュリのM1アストレイも同様である。

 だが、それはイコール実戦不足であることを意味する。キラやアスランが心配するのもある意味当たり前だ。もちろんそんな心遣いを有り難がるほど、カガリは人間が練れていない。

「いいから、お前達はゆっくり休んでいろ! 私だってやれば出来ることを見せてやる」

「そうそ。待機命令も命令のうちだぜ、アスラン」

「大体俺達が同行するのだぞ。貴様はそんなに俺達が信用できないのか!」

 金髪色黒の軽そうな少年――ディアッカ・エルスマンが軽口を叩き、それに呼応するように、銀髪色白の神経質そうな少年――イザーク・ジュールが畳み掛ける。

 この二人も、先行組だ。カガリ達同様、神一号作戦でも霊帝戦でも艦内待機だったため、機体を損傷させていない。久しぶりの実戦の機会に、二人とも一目で分かるくらいに高ぶっている。

「ああ、いや、もちろんお前達のことは信用している。カガリを頼む」

「おお、まかせとけって!」

「ふん、当然だ!」

「だから、頼むな! 私は一人で戦えるんだぞ!」

 アスランの言葉に、胸を叩いて請け負うディアッカと胸を張って請け負うイザーク。

 プライドを傷つけられたのか、カガリは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「あはは……」

 取り残された形のキラは苦笑するしかない。そのキラに、後ろから声をかけたのは、エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジだった。

「大丈夫だよ、キラ君。アムロさんや、カミーユさんも一緒なんだから。僕も、少しは力になれると思うし」

「はい、よろしくお願いします。シンジ君」

 頭を下げるキラに、「うん」と小さく笑いながらシンジは請け負う。横でエヴァンゲリオン二号機パイロット、惣流・アスカ・ラングレーが「なによ、バカシンジのくせに生意気」などと言っているのが聞こえるが、キラにはピンとこない。
 
 碇シンジがちょっと前までは、ウジウジと情けない奴だったというのは、アスカ以外の人間も証言しているので、本当なのだとは思うが、いかんせんすっかり落ち着いたシンジしか見たことのないキラには、正直、情けないシンジというのが、想像つかなかった。





「わかってるな、宙!」

「ああ、最後に勝つのは!」

「「勇気ある者だ!!」」

 超進化人類・エヴォリュダー、獅子王凱と、最強のサイボーグ、司馬宙が、ガツンと拳と拳をぶつけ合う。

「勇者ロボたちの復活は、まだ時間が掛かるのか?」

 サイズの問題から、この場には来ていない勇者ロボ達を気遣い、宙は凱にそう訪ねた。


「ああ。氷竜、炎竜と、光竜、闇竜の復帰は比較的すぐだと思うが、ゴルディマーグ、ボルフォッグ、マイクサンダース13世は、ちょっと復帰の目処が立っていない。皆、超AIに損傷はないのが、不幸中の幸いだが……」


 さしもの凱も、少し顔を雲らせる。氷竜達4体が、比較的後方で行動していたのに対し、ゴルディマーグ達3体は、最前線をひた走る凱のジェネシック・ガオガイガーと常に行動を共にしていたのだ。

 撃墜されていないだけでも、称賛に値すると言うべきだろう。

「よし、そろそろ時間だ。先行分艦隊に任命された者は、それぞれの艦に移動しろ」

 時間を確認した、ブライトがよく通る声で皆に命令する。

「「「了解」」」

 名残は尽きないが、こういった分離行動は何度も経験しているαナンバーズである。簡単に別れを済ませ、慣れた足取りで艦と艦をつなぐ連絡通路へと駆け出す。と、その時だった。

「まって、ください」

 ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな声が、ブライトの背中を叩いたのは。


 皆が振り向くとそこには、年輩の看護婦に抱きかかえられたイルイと、彼女を心配そうに見守る、アラド、ゼオラの姿があった。

「イルイ!」

「意識が戻ったのか!」

「ねえ、大丈夫、イルイ?」

「静かにしろ、お前ら!」

 わき返るαナンバーズのメンバーを一括し、ブライトはイルイの元までやってくる。

「もう、大丈夫なのか、イルイ?」

「はい」

 弱々しく笑いながら、頷くイルイを半ば無視し、ブライトは彼女を抱きかかえる看護婦に訪ねる。

「イルイの容態は?」

「ええ。ただの衰弱ですから、もう、ほとんど問題有りません。二、三日安静にしていれば、すぐに治ると思いますよ」

 そう請け負う看護婦の言葉に、皆の間にほっと、安堵の空気が流れた。

「そうか。だが、それならばなおさら、安静にしていなければならないだろう。アラド、ゼオラ、お前達が見ているんじゃなかったのか?」

 ブライトもあからさまに安心の表情を浮かべながら、それでも注意すべき所はする。この辺りは、軍の上官と言うより、学校の先生と家庭の父を足して二で割ったような対応だ。

「す、すいません」

「申し訳有りません、ブライト艦長。イルイがどうしても、と言うので」

 首をすくめて謝るアラドとは対照的に、ゼオラは謝りながらもしっかりと、意志を伝える。

「すみません。どうか、私も地球に連れていって下さい」

 弱々しい声で、だがはっきりとイルイは主張する。見た目は小さいイルイのままだが、その口調とまなざしは、イルイ・ガンエデンの人格を強く感じさせる。

「なぜだ?」

「分かりません。でも、そうしなければいけない気がするんです」

「むう……」

 ブライトは渋い顔で考え込む。

「~な気がする」。普通なら全く歯牙にもかける必要がない話である。しかし、それを口にしたのは、他でもないイルイ・ガンエデンなのだ。

 イルイは汎超能力者とも呼ばれるサイコドライバー。彼女が持つ力の一つに、極当たり前のように「未来予知」も含まれている。無論、全ての未来が見通せるわけでもないし、絶対に間違えないわけでもない。

 だが、まるきり無視する訳にもいかない。

 結局、ブライトはいつも通り、押し切られるのだった。

「ふう……わかった。ただし、医務室で軍医の言葉に従うこと。軍医の許可なく決して医務室から出ないこと。この約束が守れるか?」

「はいっ」

 イルイの顔に、満面の笑みが浮かぶ。

「よかったな、イルイ」

「気をつけるのよ、イルイ」

 笑い返すアラドとゼオラの顔には、笑みと同時に不安の色が滲んでいる。ビルトビルガー、ビルトファルケンが壊れている二人は、当然ながら居残り組だ。

 本人たっての願いとはいえ、小さなイルイの側にいてやれないのが、心苦しい。

 それを見て取ったブライトは深くため息をついた。そして、
 
「アラド、ゼオラ。お前達も乗れ! 今度こそ、ちゃんとイルイを護るんだぞ!」

 そう命じるのだった。

「……へ?」

「あ、あの、ですが私たちの機体は……」

 キョトンとするアラドとゼオラに、ブライトは畳み掛けるようにして声をかぶせる。

「交代制で、アルブレード・カスタムを使え。余った1人は艦内でイルイの護衛だ」

 アルブレード・カスタムは、ビルトビルガー、ビルトファルケンと同じ、マオ社製のパーソナルトルーパーだ。操縦系統に、大きな差違はない。

「どうした、早く乗れ!」

「はい!」

「了解しました! ゼオラ・シュバイツァー曹長、全力で任務に当たります!」

 アラドとゼオラは、日が射し込んだような笑顔で搭乗口へ駆けていくのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その2
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2009/09/22 23:17
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第一章その2



【2004年12月20日朝、石川県能登半島飯田湾】

 12月の朝は遅い。午前の4時を僅かに過ぎた頃、まだ真っ暗に近い能登半島の飯田湾に、日本帝国軍の大規模な艦隊が集結していた。

 帝国連合艦隊の第3戦隊、第4戦隊の戦艦を中心に、戦術機母艦、水中戦術機母艦が、海面に整然とした列を作っている。

 実に、帝国陸海軍の約6割がここに集結していた。

 まさに乾坤一擲、この作戦が失敗に終わるくらいならともかく、ここにいる軍が全滅でもしようものなら、事実上日本という国は、地球上から消えると言ってもいい。海も、陸も、西方防衛戦には辛うじて兵を残しているものの、北からの侵攻は「無いものと想定」して、丸裸にしたのである。

 実際北海道に一番近かった、甲26ハイヴが米軍によって陥落しているのだから、北の驚異は以前と比べれば、遙かに落ちている。とはいえ、人間の常識でBETAの行動を予測するのは、危険極まりないはずだ。

 そのことは、誰もが分かっている。分かった上で、今回の作戦のため、そうせざるを得ないのが、今の日本の現状であった。
 

 やっと東の海から、白々と明かりが漏れだしてきた頃、本作戦の総責任者である、斯衛軍大将、紅蓮醍三郎は、野太くもよく通る声で、演説を始める。

「先ずはこの日この時に、集結してくれた、全兵士に、礼を述べたい。ありがとう…………。皆がこの作戦を影で、『竹の花』作戦と呼んでいると言う話は、聞き及んでいる」

 今回の作戦の不吉な二つ名を総大将の口から聞き、海上の兵士達からも、動揺の声が挙がる。だが、その声を吹き飛ばすように、紅蓮大将は大きな声で続ける。

「なるほど、確かに本作戦の成功率は低い。認めよう。だが、皆に問う! 竹の花が咲く確率とはいかほどだ!? 50年に1度か? 100年に1度か? どちらにせよ、ゼロではない。誰も、電信柱に花が咲くと言っている訳ではないのだ!!」

 静かな海に静寂が戻る。兵士達は、ただ黙って総大将の言葉に、耳を傾ける。

「私はここに今宣言する。本作戦を正式に『竹の花作戦』と命名する。

 思い出せ! BETAが出現してから今日まで、我らに何度、勝算の高い戦いがあった!?
 
 思いだせ! その戦いで我らは常に無力だったのか!?

 思いだせ! その戦いで我らは全て敗れ去ったのか!?

 否、断じて否だ! 

 敗北しかないのならば、我らがなぜ今、ここにいる? ここにいられるのだ!?

 それは、かつて我らと我らの戦友が、身を挺して絶望的な戦いへと赴き、その血と命を代償に、いくつかの勝利を手にしてきたからではないか。ならば、今回もそれが不可能な理由がどこにある!

 勝算はあるのだ! 「竹の花」が咲くほどの勝算があるのだ。ならば、見事咲かせて見ようではないか! 佐渡の島に満開の花を!」

 沈黙は10秒ほども続いたであろうか。最初はまばらに起きた歓声が、やがて大きなうねりとなり、静かな湾内に嵐を巻き起こす。

 紅蓮大将は、その声に答えるように両手をあげながら、本作戦の旗艦・最上の中へ戻っていった。





「お見事でした、紅蓮閣下」

「はは、私の役目はこれで終わりです。では、私は『高尾』に移りますので後はよろしく頼みます、小沢提督」

 紅蓮醍三郎の野太い笑みを受け、重巡航艦『最上』の艦長、小沢は眉をしかめた。

 紅蓮の言う『高尾』とは、戦術機母艦のことだ。つまり、紅蓮は全体の指揮を小沢に託し、自ら戦術機で上陸するつもりなのだ。後方海域で全体の指揮を執る『最上』と、佐渡島に揚陸を仕掛ける『高尾』とでは、危険度があまりに違う。最高責任者の取る行動としては、失格と言っても良い。

「閣下、考え直してはいただけませんか?」

「いや、私の役割はただのまとめ役です。実戦では、一介の戦術機乗りに過ぎませんので」

 そういう紅蓮の言葉は、若干謙遜が過ぎるが、基本的には真実だ。

 紅蓮は斯衛の総大将という立場上、大将の位についているが、陸海の大軍を指揮した経験など無い。斯衛は、少数精鋭をもって尊きお方を護ることに特化した部隊である。その大将である紅蓮の指揮能力は、個人戦闘能力同様、極めて高いものがあるが、影響力を及ぼす範囲は限られている。

 それを承知の上であえて、今回の作戦の総司令に任じられたのは、紅蓮の名による士気の上昇を狙ったのと、史上初の帝国陸軍、海軍、斯衛軍の合同作戦の指揮系統を一本化するために他ならない。

 そんな紅蓮の言葉に一理あることを理解できないほど、小沢の血の巡りは悪くない。

 6年前、佐渡島にハイヴが築かれるとき、最後まで戦った戦艦の一隻を、小沢は率いていた。

(思い起こせば、目の前で佐渡島をBETAに奪われ、はや6年。この日を夢見ない日は一日たりとも無かった)

 そう考えれば本作戦の指揮を執ることができるというのは、まさに本懐である。

「……了解しました。精一杯務めさせいただいます」

 小沢は脇を締め、小さく敬礼した。










 日本の命運をかけた艦隊が、ゆっくりと飯田湾を後に、北東へと進んでいく。

 現在、日本にはまともな宇宙軍が存在していない。

 よって、国連軍の支援を受けられない今作戦の火蓋は、戦艦による艦砲射撃によって切られる。

「佐渡島まで距離40キロ。限界です!」

「よし、全艦停止、戦闘用意」

「はい、全艦停止、戦闘用意」

 水平線の向こうに佐渡島が見えるギリギリで、小沢提督は全艦に停止を命じた。

 その射程も、威力もそら恐ろしい光線級だが、さすがに曲射だけは出来ない。こうして、水平線の向こうから打ち込む限りは、戦艦はBETAの驚異から無縁でいられる。

 輸送艦、戦術機母艦を後ろに控えたまま、戦艦は横一列に並び、全砲門を水平線の向こうの佐渡島へと向ける。

「打ち方はじめ!」

 小沢の声を合図に、八隻の戦艦の全砲門から、対レーザー弾が発射された。そして、次の瞬間、水平線の向こうから伸びてきた無数のレーザー光線が、全ての砲弾を迎撃する。

「怯むな、うち続けろ!」

 もはや、号令もタイミングもない。全戦艦は狂ったように佐渡島に向け、対レーザー弾をうち続ける。

 対レーザー弾の役割は、撃ち落とされることだ。撃ち落とされた対レーザー弾は、重金属雲を発生させる。重金属雲の中では、さしものBETAのレーザーも、威力を減じる。現在、人類が持ちうる唯一の対レーザー防御兵器だ。

 まずは、重金属雲で佐渡島全体を覆い、一時にでもBETAのレーザー攻撃を無力化させないことには、上陸部隊は近づくことさえ許されない。

 最初は、戦艦のすぐ至近距離で迎撃されていた対レーザー弾も、重金属雲が広がるに従って、段々と着弾点を伸ばしていく。そうするうちに、戦艦が浮いている海域から佐渡島に向けて、重金属雲のラインが引かれる。

「よし、今だ。全艦前進、真野湾に侵入」

「はい。全艦前進、真野湾に侵入」

 艦隊は、重金属雲の中から出ないよう、ゆっくりと移動を開始する。徐々に水平線の下から、佐渡島が姿を現す。1998年のBETA侵攻から今日まで、日本帝国に災いをもたらし続けてきた、甲21ハイヴ。

「おお、再びこの海に戻ってくる日が来ようとは……」

 今一時だけ、小沢は今作戦の困難さも忘れ、感動に打ち震えていた。




 その後、無事、真野湾に進入した艦隊は、次の段階へと移行する。

「通常砲弾装填、打ち方用意」

「はい。通常砲弾装填、打ち方用意」

「打ち方、始め!」

 重金属雲が立ちこめる真野湾沖に八隻の戦艦が、砲弾の雨を降らせる。

 一方的な展開、と言っても良いだろう。レーザー種以外に、遠距離攻撃手段を持たないBETA達を、纏めて砲弾の雨がうち倒す。その圧倒的な破壊力を前にすれば、最高硬度を誇る突撃級も、最大体積を誇る要塞級も関係ない。食らえば等しく、粉みじんになるしかない。だが、それも重金属雲が作用している間だけだ。
 
 出来ることならば、重金属雲が効いているうちに、全ての光線級と重光線級を撃ち落としてしまいたいところだ。無論それが出来るくらいなら、人類がこんな劣勢に立たされているはずもないのだが。

 この時点で、すでに艦隊は、対レーザー弾の7割、通常弾の3割を使っている。

「八幡への砲撃を継続、同時に第17戦術機甲戦隊に出撃要請」

「了解、第17戦術機甲戦隊、出撃して下さい」

「了解、第17戦術機甲戦隊、出撃する」

 命令、復唱、受諾。

 小気味よいテンポで、戦局は動いていく。

 第17戦術機甲戦隊とは潜水母艦と、その艦首につけられた水陸両用戦術機『海神』からなる部隊である。

 潜水母艦は静かに海中を進み、真野湾深くに進入する。BETAに取って最大の障害は海だ。BETAは海底を歩くことは出来ても、海中を泳ぐことも海面に浮くこともない。

「全艦全速、海神、全機離艦せよ!」

 小沢提督の命を受け、潜水母艦『嵩潮』艦長、太田の檄が飛ぶ。

「了解! 行くぞ、男海兵の心意気、見せてやれ!」

「「「了解!」」」

 潜水母艦の艦首から離脱した、戦術機『海神』は、フォーメーションを組み、海中を進む。

 最も安全な海中から、最も危険な敵陣への上陸。それを彼らは一瞬の躊躇もなくやってのける。

 上陸地点では、砲撃から生き延びていBETAが、蠢いていた。

「スティングレイ1より、各機へ! 一気に殲滅しろ!」

「「「了解!」」」

 時間をかけている余裕はない。上陸した全ての海神が、惜しげもなく両肩の120ミリ滑空砲を撃ち放ち、上陸地点のBETA達を殲滅する。

 外殻が砕けた突撃級。鋏の折れた要撃級。そして、足を失い這い蹲る、要塞級。いずれも、海神の敵ではない。

 十数分後、

「スティングレイ1より本部へ、橋頭堡は確保した。繰り返す。橋頭堡は確保した」

 海神隊の隊長の声も、僅かに高揚している。

 この時までは、怖いくらいに全てが順調だった。この時までは。













「橋頭堡が確保されました。各機甲師団は上陸を開始して下さい」

「「「了解!」」」

 旗艦『最上』からの指示に、各艦から士気の高い返事が返る。

 海兵隊の獅子奮迅の活躍に、大いに勇気をもらい、戦術機を満載した戦術機母艦と、戦闘車両を乗せた揚陸艦が、一気に接岸を試みる。

 しかし、それを待っていたかのように、BETA達がその姿を現す。

「ポイントG-27-06にBETA出現! し、師団規模! 光線級、重光線級多数!!」

「ッ!」

 反応するまもなく、新たに出現した光線級、重光線級のレーザー照射が、戦術機母艦と揚陸艦を吹き飛ばす。

「阿蘇大破、生駒、鞍馬中破!」

「支援砲撃は、レーザー級を最優先。第2次照射を許すな!」

「はい! 支援砲撃G-27-06に集中して下さい!」

 砲弾とレーザーが飛び交う地獄の島に、次々と戦術機が上陸していく。

 戦術機母艦『雲竜』に乗る、矢神中隊もその1つだ。

「よし、上陸するぞ。矢神中隊、全機匍匐飛行。高度を取りすぎないように注意しろ。新人の嬢ちゃんも大丈夫か?」

「矢神大尉。私は嬢ちゃんではありません」

 半年前、国連軍から横滑りしてきた、眼鏡と三つ編みの女性衛士が、生真面目そうな口調で上官に反論する。

「おっと、これは失礼。榊お嬢様」

「大尉ッ!」

「よーし、その元気だ。その元気を、BETA共にぶつけてやれ。そうすりゃ、死の8分なんてアッという間に過ぎている、いいな」

「あ、はい」

 一連の会話が、自分をリラックスさせるためのものであったことに気づいた榊千鶴は、冷静さを取り戻し、激震のコックピットで大きく1つ、深呼吸をした。

「行くわよ、榊少尉」

 落ち着いた、年輩の女性の声がかけられる。

「はい、巴中尉」

 巴伊織、帝国陸軍中尉。現在、千鶴とエレメントを組んでいる相手である。年の頃は、神宮司まりもと同じくらいだろうか。衛士としての技量は並よりちょっと上程度だが、年齢相応の落ち着きと、周りに対する気遣いにあふれた、人物である。

 元々若干かたくななところのある榊が、転属してすぐに今の部隊に溶け込めたのも、彼女の存在が大きい。

(やってやる。私だって出来るんだから!)

「今よ!」

「はい!」

 肩に日の丸の描かれた二機の激震が、戦術機母艦を飛び立ち、佐渡島の浜辺に上陸する。

 すぐさま、二人の前に4体の要撃級がやってくる。

「榊少尉は右2、私は左っ」

「はい! はあああ!」

 榊の激震が、要撃級に向かい、87式突撃砲のトリガーを引き絞る。

 アフリカ戦線で戦う、彩峰慧少尉、鎧衣美琴中尉に続き、旧207B訓練小隊出身者として、三人目となる榊千鶴の実戦デビューであった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その3
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2009/09/22 23:23
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第一章その3



【2004年12月20日、戦闘開始から154分、佐渡島沖合『最上』】

「ウィスキー部隊、損耗率20パーセントを超えました! 砲撃支援を求めています!」

「第38機甲車両連隊、全機KIA!」

「むう……」

 主力の危機と、その主力を助けるはずの自走砲部隊の殲滅が同時に告げられる。

 上陸作戦が開始してからというもの、小沢提督の元に届くのは、戦況の不利を伝えるものばかりであった。

「これ以上はもたないな。よし、第2戦隊に連絡、最終作戦に移行する」

「はい、第2戦隊、応答願います」




 第2戦隊は、第3、第4戦隊が真野湾で支援砲撃に終始している間も、ずっと佐渡島北東に位置する、栗島沖で待機していた。

「こちら第2戦隊、『信濃』艦長、安倍です。小沢提督、いよいよ我々の出番でしょうか」

 淡々とした第2戦隊の安倍艦長に、小沢は感情を押し殺した声で命令を告げる。

『ああ、その通りだ、安倍君。第2戦隊は、作戦通り、両津港に進入。ハイヴに対し、対レーザー砲撃を仕掛けてくれ』

 両津湾とは、佐渡島の北東側の湾である。現在主戦場となっている真野湾とはちょうど反対側になる。

 この命令は、当初の作戦では、もっと上陸部隊がBETA達を真野湾側に引きつけた後で、発動する予定であった。今の状態で、真野湾に侵入すれば、間違いなく第2戦隊は光線級の攻撃に晒される。

 しかし、これ以上時間をかければ、上陸部隊がBETAの海に溶けてしまう。そのことは、ずっとモニターを見ていた安倍艦長も承知のはずだ。

 安倍は笑顔で頷く。

「了解しました。これより第2戦隊は、最終作戦を実行します」

 飾らない、鮮やかな笑顔。気負いもなく、絶望もなく、ただ現実を直視し、己が責務を理解した者の表情だ。

『安倍君』

「なんでしょう」

『……頼んだぞ』

 小沢は、ギリギリの所で「すまない」と言う言葉を飲み込んだ。それは、間違いなく第2戦隊の皆を侮辱する言葉だ。

「はい、死力を尽くして、任務に当たります」

 安倍は見事な敬礼で、答えた。






 第2戦隊は、主に3隻の戦艦からなっている。本来、戦術機母艦や、水中戦術機母艦も有する複合戦隊なのだが、今回はそう言った艦は纏めて、第3、第4戦隊に組み込まれ、真野湾側に回っている。

「島影、見えてきました!」

「全艦、全速前進。両津湾に入り、甲21ハイヴに砲撃を加えるんだ」

「了解しました。全艦、全速前進。砲撃目標は、甲21ハイヴ」

 第2戦隊が、ハイヴを射程内に納めるまで、こちらに気づく光線級、重光線級がいなかったのは一つの奇跡だろう。

「天佑は我にありだ、全艦、打ち方始め!」

 帝国に残された最後の対レーザー弾。その全てを撃ち尽くすように、第2戦隊は、憎きBETAの巣にめがけ、砲弾の雨を降らせる。

 だが、次の瞬間、青空を切り裂く無数のレーザー光線に、対レーザー弾はその8割が迎撃された。先の第3、第4戦隊の砲撃と、機甲部隊による上陸作戦は何だったのか、と言いたくなるほどの光線の数だ。

 当然、今の砲撃でBETA達は、両津湾にも戦艦がいることに気づく。

「光線級の目がこちらに向いています!」

「怯むな。沈没する前に、全ての対レーザー弾を撃ち尽くせば、役割を果たしたことになる。目標はあくまで、ハイヴだ!」

「り、了解!」

 第二戦隊の戦艦は、対岸から自分に向けられるレーザーへの対処は最小限にとどめ、あくまでも攻撃は、ハイヴに向けていた。







 その後、三隻の戦艦が、大部分の対レーザー弾を撃ち尽くすことが出来たのは、決して偶然ではない。ひとえに、海軍将兵達の高い技術に裏打ちされた、揺るぎない敢闘精神の賜である。だが、その代償として美濃、加賀の両艦は、すでに撃沈され、最後に残った信濃も今、12月の海に沈もうとしている。

「小沢提督、役割は果たしました。後は、よろしくお願いします。……よし、今からなら退艦してもよいぞ」

 甲板の至る所から火を噴く信濃の艦橋で、安倍艦長は晴れ晴れと笑いながら、後ろに控える副官に振り返った。

 先ほどから何度も、退艦を促していた若い副官は、苦笑いをしながら首を横に振る。

「艦長、もうそんな時間はありません」

「うむ、そうか。では、もう一度主砲を撃つのはどうかな?」

「それくらいの時間でしたら、どうにか」

「ではそうしよう。時間は有効に使うべきだからな」

 艦長の軽口に、残った兵士達からどっと笑い声が起こる。今この時、信濃の士気は最高潮に達していた。

「戦艦信濃の最後の一撃だ。外すなよ。打ち方よーい……てー!」

 対レーザー弾は、違うことなくハイヴの真上でレーザー種に迎撃される。

 一分後、戦艦信濃も、冬の日本海に消えていった。







 第2戦隊の捨て身の尽力により、佐渡島ハイヴは再び重金属雲に包まれた。まさに最後のチャンスだ。

「安倍君」

 最上の艦上で小沢は、両津湾の方向を向き、一度敬礼をする。この戦友の挺身を活かせずして、誰が提督を名乗れよう。

「軌道上に待機する降下部隊に告げる。降下開始」

 全機『不知火』からなる帝国軍選りすぐりの、戦術機一個連隊。

 その全てが、反応炉破壊用に高性能爆弾、S-11を搭載している。

 彼らの任務は唯一つ。ハイヴ最下層の反応炉の爆破。自身の生還より、反応炉の破壊が優先される任務。そんなことは先刻承知の上で、志願した者達の集まりだ。

 戦術機はともかく、降下用の再突入殻は、今の帝国にはもう残っていない。

 戦術機を打ち上げるための燃料および機材は全て、国連軍からのレンタルだ。珠瀬国連事務次官が、まさに身を削る思いで交渉をし、得られたものはそれだけだった。だが、それさえも彼の辣腕がなければ、手に入らなかったであろう。

 軍首脳部は、珠瀬事務次官の尽力に感謝することはあっても、落胆することはなかったという。
 
 これが、正真正銘、最後の降下作戦である。

「了解、全機降下、行くぞ!」

「「「了解」」」

 全帝国軍、いや、全帝国民の希望を一身に背負い、108の流星が今、佐渡島ハイヴめがけ降り注いだ。

 希望の流星を撃ち落とさんと、地上から大小二種類のレーザー光線が立ち上る。しかし、第2戦隊の命をとした砲撃のおかげか、その数は予想していたよりも遙かに少ないものだった。





「シューティングスター1より、各小隊長へ。小隊の人員を確認しろ」

「A小隊、全員の無事を確認」

「D小隊、全員無事です」

「J小隊、欠員有りません」

「B小隊、欠員一名」

 次々に入る報告を聞き終え、特別編成降下戦術機連隊『流星連隊』連隊長、脇坂中佐は、心の中で握り拳を突き上げていた。

 全108機中、ハイヴ進入に成功した者が87機。

 21人の部下が空に散っているというのに、不謹慎かも知れないが、これは予定していた中でも最も被害の小さい部類に入る。

「よし、突入するぞ。ここからは、原則大隊単位で行動しろ。第一大隊は主縦坑を降下。第二大隊はハイヴ内に中継ポイント作成。補給コンテナを死守しろ。第三大隊は、横坑の探索、後方の安全確保だ。定期連絡を忘れるなよ」

「「「了解!」」」








「流星連隊、ハイヴ攻略を開始しました。現損耗率20パーセント」

「流星連隊のハイヴ突入に伴い、地表BETAに異変。ハイヴに戻る動きを見せています」

「全部隊に通達。前線を押し上げろ。流星連隊を支援するんだ!」

 小沢の声にも力が入る。勝機だ。今、確かに帝国軍に勝機が舞い込んでいる。

 流星連隊が反応炉まで到達してくれれば、この作戦は成功する。硬く握った拳に血が行かなくなって白くなっている。だが、かまうものか。この作戦が成功するというのなら、手の一つや二つ、惜しくもない。

「現時点でのBETA撃破数及び、確認生存数は?」

「はい。これまでに倒したBETA、約2万。現在地表に確認されるBETAは5万です」

 調査によると、佐渡島ハイヴのBETA総数は約8万。調査結果によほど大きな差違が無ければ、現在ハイヴに残っているBETAは、1万前後。しかもその大半は、小型種のはず。

 地表BETAのハイヴ帰還さえ阻止できれば、行けるかも知れない。

 小沢は、この好機にロイヤルカードを切る決意をした。

「斯衛軍に通達。全軍を持って、流星連隊のハイヴ攻略を支援されたし」








「やっと、出撃か。では行くぞ」

 連絡を受けた斯衛軍総大将、紅蓮醍三郎は、好戦的に笑うと、ゆっくりと前進を開始した。

 赤い武御雷が、圧倒的な存在感を醸し出している。

『不知火』を超える、帝国最強の第三世代戦術機『武御雷』。斯衛隊のみに配備されるその機体は、搭乗者の身分によって色分けされる。

 下から順に、一般衛士は『黒』、武家の者は『白』、譜代武家は『黄』、有力武家は『赤』、そして五摂家のみに許されるのが『青』となっている。さらに、その上に『紫』が有るが、これは将軍の専用機だ。まず、戦場でお目に掛かることはない。 

「月詠、背中は任せる。つっこむぞ」

「はっ!」

 斯衛軍中尉、月詠真那が、紅蓮の武御雷の自機を並べる。こちらも赤い武御雷だ。今回派遣されたうち、赤を纏っているのはこの2機のみ。あとは、皆白か黒で構成されている。

 2個大隊の武御雷。その迫力の前には、BETAすら道をあけるのではないか、と錯覚するほどだ。

 そんな斯衛の進行進路上に要撃級30前後と要塞級5を中心としたBETAの群がその姿を現す。


「光線級は無しか。時間をかけている余裕はない。現フォーメーションのまま、殲滅するぞ」

「はっ!」

 紅蓮の武御雷が、要塞級の腹の下に潜り込む。要塞級はその凶悪な尾節を蜂のように曲げて、腹の下に潜り込んだ戦術機に振り下ろすが、その時にはすでに紅蓮機の姿はそこにはなかった。右手に持つ長刀で、要塞級の右側の足を二本纏めて切り落とし、横に離脱している。

 足二本を失った要塞級は、バランスを崩しその場に横倒れになる。

「ふん!」

 その機を逃さす、紅蓮は要塞級の胴体結合部を、長刀でなぞるように切り裂いた。

 一発も発砲せず、長刀のみで要塞級を撃破、しかもその間に要した時間が10秒にも満たない。

「紅蓮様、こちらも終わりました」

 その間月詠機は、紅蓮が戦いやすいよう、辺りに弾幕を張り、都合5匹の要撃級を屠っていた。

 他の者達も、見事な連携を見せ、次々とBETA達を屠っていく。武御雷の圧倒的な機動力と、斯衛の高い技量が合わさり、損傷を受ける者は皆無だ。 

 接敵から5分。大小あわせ200体近くいたBETAの群は、2個大隊の武御雷により、殲滅されていた。

「よし、総員武器、機体の状況確認。一分で済ませろ。すぐに前進を再開するぞ」

「了解!」







「流星連隊、第一中隊、深度500メートルに到達。現時点で離脱者無し」

「斯衛隊、前線を押し上げています。ハイヴ地上建造物まで2キロの地点まで接近!」

「ハイヴ周辺に特殊艦砲射撃。補給コンテナを散布します」

「補給コンテナの位置確認。全補給コンテナの位置を、登録。各部隊はデータリンクをお願いします」

 指揮艦最上の中に、景気のいい報告が飛び交う。流星連隊のハイヴ突入から、約一時間。被害は甚大なれど、成果は十分に上がっている。ハイヴ侵攻深度が、500ートルを越えてまだ、突入部隊の死傷者は30パーセントに達していない。

 損耗率30パーセント。これがBETA以前の人間同士の戦争ならば「とっとと撤退しろ!」と怒鳴られる損耗率だが、BETA戦以降では「まだまだこれから!」と発破をかけられるレベルだ。

 艦内の空気は一変している。軍全体の情報が集中する分、指揮艦内部の空気は、最も過敏に戦況を表す。報告するオペレーターの声も明るい。

 だが、その戦勝雰囲気は次の瞬間、また一変するのだった。

 高揚する空気を一瞬にして吹き飛ばしたのは、それまで順調にハイヴ攻略を続けていた、流星連隊の連隊長の声だった。

『BETAだ! 下層からBETAの大軍が! 推定……測定不能、最低でも4万以上だ!』

 シューティングスター1、脇坂中佐の悲鳴が届く。

『畜生っ、まだだ! スター9、スター10、一度下がって体勢を立て直す!』

『隊長! 下から戦車級がっ、うわあああ!!』

『スター10!? 今助けてやる、むやみに発砲するな!』

『うわああ! くるな、くるなああ!』

 聞いていられないような悲鳴が響く。悲鳴が聞こえるのは良い。それ以上に恐ろしいのは、その悲鳴の発信元が次々と交信不能になっていっていることだ。

『畜生っ!! 後は頼む!!』

 そして、最後まで残っていたシューティングスター1の反応が、S-11の発動信号を確認された後、消える。

「そんな!? スター1! スター1!? ……流星連隊第一大隊、反応消滅しました……」
 
 流星連隊からの通信を受けたオペレーターが、職務を忘れたように、唇を震わせる。シューティングスター1がS-11による自爆を選択したことで、その若い女性オペレーターもやっと事態の深刻さを理解する。

 流星連隊一個大隊、30機を越える戦術機が破壊され、S-11の発動させたのがスター1一機のみだったという事実。それは、彼らが自爆する余裕もないくらいの奇襲を受けたことを意味する。

「馬鹿な、まだ4万も残っているだと……?」

 小沢提督の口からも、つい非生産的な言葉が漏れる。悲報、訃報は日常茶飯事なはずの帝国軍人すら絶句させるほど、今の報告は予想外、かつ絶望的だった。

 元々、ハイヴ内のBETAが1万と計算して、始めて成功の目が僅かにあったのだ。その大半は、小型種だとしても、4万という数は、絶望しか感じられない。狭いハイヴでは、1匹の要撃級より、5匹の戦車級の方が驚異となる。一体どこにそれだけのBETAが隠れていたというのだろうか?

 だが、今はその絶望の苦みをゆっくりと味わう余裕すら、彼らにはなかった。

「ポイントFー03ー21にて振動感知、地中よりBETA出現します。その数……2万!」

「むう、もうハイヴから出てきたというのか」

「違います、ハイヴ内BETA確認。その数依然4万! 流星連隊08中隊全滅、09中隊、応答有りません!」

「あわせて6万だと!? これでは予測の倍近いではないか!」

 元々8万のBETAを想定し、成功の確率を「竹の花の咲く確率」に例えられていた。それが、合計14万では、もはや本当に「電信柱に花が咲く確率」に等しい。

「流星連隊07中隊の全滅を確認、これで第三大隊も全滅です。残るは補給ポイントを護る第二大隊のみ」

「第二大隊に退却命令を出せ。これ以上は無意味だ」

「……駄目です、有線、無線いずれの通信にも反応がありません!」

「くう……」

 小沢の額に脂汗が滲む。

 どうするべきか。普通ならとっくに退却戦に移行するべき状況だ。だが、ここで引いてどうなるというのだろう。ここで引けば、今後の巻き返しの可能性はゼロだ。ゼロに近い、ではない。完全無欠にゼロだ。

 だからといって、ここで自分たちが全滅してしまってはどうなるか。このままハイヴを落とせなければ、近い将来日本本土がBETAに蹂躙されるのは間違いない。そうなれば当然、国民を海外に脱出させることとなるだろう。だが、ここで自分たちが全滅してしまえば、その際、命を張って時間を稼ぐ者がいなくなる。

(引くべきか、引かざるべきか……)

 小沢は悩む。ここで引くと言うことは、日本という国をあきらめるということだ。

 しかし、ここで引かないと言うことは、どんな馬鹿なギャンブラーでもやらないような僅かな勝算に、全国民の命をチップとして張るということだ。

 総員退却か、総員突撃か。この期に及んで選択肢は、両極の二択。苦渋の決断などと言うかわいらしいものではない。替わってくれるものがいるのなら、喜んでこの場で拳銃をこめかみに当てて、引き金を引いてみせる。

 だが、替わったくれるものなどいない。だから、小沢は、魂を絞るようにして、喉から声を絞り出す。

「総員……」

 その時だった。

「し、司令! 国連軍横浜基地から通信が入っています!」

「なに!? いったいどうやった?」

 小沢の疑問はもっともである。いくら何でも、作戦中の司令部に、他の軍に所属する基地から簡単に連絡が取れるようにはなっていない。作戦中に司令部に「いたずら電話」がかかってきては、司令部が混乱を来す。

「それが、帝国軍本部経由で、最優先指定されています」

「なんだと?」

 なるほど、それならば、確かに連絡は可能だ。しかし、小沢の疑問はなおさら深まる。確かに帝都の本部ならば、こちらに連絡を入れることが出来る。しかし、外部からの通信を許可できるだけの権限を持つ人物となると、数が限られる。制服組のトップである参謀総長か、政治のトップである内閣総理大臣か、さもなくば昨今やっとその立場に相応しい権限を取り戻した政威大将軍殿下か。

 いずれにしても、尋常ではない何かが起きたことは確かだ。

「繋いでくれ」

「はい」

 どうやら、通信は音声のみらしく、画像は来ない。しばし後、通信機から聞こえてきた声は、小沢が予想していたとおり、理知的な若い女の声だった。

『お忙しいところ失礼します、小沢提督』

「用件は手短にお願いします、香月博士」

 香月夕呼。
 
 オルタネイティヴ4失敗の責により、横浜基地副司令の地位と過剰なまでの権限の大半は失っているが、今なお国内外に強い影響力を持っている人物である。

 変わり者ではあるが、掛け値なしの天才であることは疑いない。こんなタイミングで、横浜基地から司令部に連絡を入れてくる人間など、彼女しかいない。

 今の一言でこちらがどれだけ余裕のない状況か悟ったのだろう。夕呼は、率直に話し始める。 

『分かりました。非常時ですので、用件のみをお伝えします。現在そちらに援軍が向かっています。大型の戦艦が二隻、およそ15分から20分ほどでそちらに到着する予定です』

「援軍、ですか?」

 大型の戦艦と言うことは、国連艦隊のアイオワ級戦艦だろうか? しかし、横浜基地所属の海上戦力は随分前にアメリカに撤退していたはずだ。小沢は混乱する頭の中で世界地図を広げるが、いっこうに該当する艦影が思いつかなかった。

 そこまで考えて、小沢は別の事実にも気づく。後15分から20分で到着するというのなら、もうすでにかなり近くまで来ているはずだ。アイオワ級の最高速度は30ノット(時速60キロ弱)、すでにこちらのレーダーの範囲に入っていないとおかしい。

「香月博士、その援軍は北からですか、南からですか?」

 艦船がここ、佐渡島に援軍に来るには、津軽海峡を越えてくる北回りか、九州を迂回する南回りしかない。

 小沢のごくごく常識的な質問に、夕呼は限りなく非常識な返答を返す。

『いえ、『東』からです。その艦は30分前に、松浦湾上空を越えたところです』

「……は?」

 松浦湾。それは、「太平洋」に面する福島県の地名だ。そこから「日本海」に浮かぶこの佐渡島に戦艦がやって来るには、青森と北海道の間の津軽海峡を越えなければならない。どんな快速艇でも半日はかかる。

 追いつめられてさしもの天才・香月夕呼も気が触れたのか? 一瞬、小沢の脳裏にそんな考えが浮かぶ。

 その気配を通信機越しに感じ取ったのだろう。夕呼は僅かに苦笑しながら、

『言ったはずです。松浦湾「上空」を越えた、と。そろそろそちらでも確認できるのでは?』

 そう言ったその時だった。まるで、タイミングを計っていたかのように、オペレーターの一人が甲高い声を上げる。

「ほ、本土よりこちらに向かってくる機影2! 帝国、国連、いずれの識別信号も発していません。大きさは最低でも、戦艦クラス! 進行速度……さ、320ノット? い、いえ、時速600キロオーバー! 海上数十メートルを飛行しています!」

 最初はその大きさから海上を進んでいると勘違いしたオペレーターは、すぐにそう訂正する。

 だが、どちらにせよ、非常識なことには変わらない。戦艦クラスの大きさの物体が、海上数十メートルを一昔前のレシプロ戦闘機並の速度で飛行しているというのだから。

 どう考えても非常識な状況を、オペレーターはけなげに報告し続ける。

「識別不明の飛行戦艦、姫崎上空に到達! 付近よりBETAが集まっています。総数約5000、光線級12、重光線級4!」

 姫崎は、佐渡島の東端である。帝国軍の上陸部隊は南西の真野湾から北上し、旧金北山にあるハイヴを目指したため、そちらの方面に展開している部隊はいない。

「なんだ、いったい何がおきている?」

 呟きながら、小沢は心の奥で、久しくなかった感情のうねりを感じていた。包装されたプレゼントを前にした子供のような高揚感。

 今、なにか劇的なことが起きようとしている。状況はまったく分からないまま、そんな予感だけが胸に膨れていく。そんな小沢の予感は次の瞬間、現実として具現化された。

「ッ!? 姫崎周辺のBETA全滅しました!」

「全滅? 光線級がか?」

「いえ、全BETAです。推定5000のBETAが一瞬で消滅しました……」

 思わずオペレーターは機械の故障ではないかと、何度も確認するがそんなことはなかった。今の一瞬で、姫崎付近にいたBETAは本当に全滅したのだ。

「私は、夢でも見ているのか……?」

 呆然とする小沢の元に、少しノイズの混じった夕呼の声が届く。

『小沢提督。たった今、彼らとの通信の用意が調いました。よろしかったらお繋ぎしますが?』

「う、うむ、頼む」

「分かりました。それでは」

『……ちら、独立遊撃戦隊αナンバーズ所属、ラー・カイラム。『最上』応答願います』

 小沢は、ごくりと一度唾を飲み込むと、通信に出る。

「こちら『最上』、司令の小沢だ」

『自分はラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐です。大まかな話は香月博士より聞いています。細かい話はまた後ほど。我々αナンバーズ先行分艦隊は、これより貴軍を援護します』



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その4
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/06/05 22:53
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第一章その4



【2004年12月20日、地球圏】

 時間は少しさかのぼる。

 12月16日に小惑星帯を出発した、ラー・カイラム以下三隻のαナンバーズ分艦隊は、無事地球圏へとたどり着いていた。

 火星と木星の間の小惑星帯から、地球までわずか4日。これも艦尾につけられた惑星間航行ブースターのおかげだ。

 4日間の航海の間、ゆっくり病室で休息をとったイルイは、念動力こそまだ戻らないものの、それ以外は完全に健康を取り戻していた。

 そして、やっと病室から出ることを許されたイルイは、ラー・カイラムの艦橋で、ブライト艦長と話をしていた。



「では、イルイ。君も、詳しいことは分からないのだな?」

「うん。でも、みんなをこの世界に呼んだのは私です。……ごめんなさい」

 イルイの口調が、イルイ・ガンエデンのものから、小さなイルイのものに近くなっている。そのことに気づいたブライトであったが、特に指摘することなく質問を続ける。

「うむ。では、君の力が戻ったとして、我々を元の世界、元に時代に戻すのは可能なのか?」

「それは、無理です。あのときは、無限力がみんなをどこかに連れていこうとしていたの。私はその力の方向を曲げただけ。私一人の力で、時空間の壁を越えるのは無理です」

「そうか……」

 ある程度は予測していた返答である。問題と言えば大問題だが、差し迫った問題ではない。ブライトは、思考を切り替えて、もっと身近な問題に質問を切り替える。

「では、なぜ我々をこの世界に導いた? リュウセイたちが見たという「助けを求める少女のイメージ」と言うのが、関係しているのか?」

「うん。あのとき、世界の壁を越えて、小さな女の子が助けを求めていたの。地球が、人間が、宇宙人に攻められて滅亡の危機に瀕している、って」

「人類、滅亡か」

 ブライトは呟く。なかなかスケールの大きな話だが、まあ、あり得なくはないだろう。そもそもαナンバーズ自体が、元の世界では多種多様な宇宙人と戦火を交えてきたのだ。星間連合、ゼ・バルマリィ帝国、そしてバッフ・クラン。似たような勢力がこの世界の地球を襲ったとしても、不思議はない。

「その少女は、念動力者なのか? どうやって、少女は我々の存在を知った? 今もイルイは少女の存在は感じられるのか?」

 矢継ぎ早なブライトの質問に、イルイは短く的確に答える。

「念動力者かどうかは分からない。でも、何かの力は持っている。助けは私たちに求めた訳じゃないみたい。誰でも良いから助けて下さい、ッて感じだった。存在はこっちに来てから感じられない」

「うむ……」

 ブライトは顎に手をやって考え込む。今一欲しい情報が入らない。しかし、一つ確実に分かったことがある。それはこの世界の地球が、相当危険な状態にあると言うことだ。

 そうでなければ、特定のターゲットも定めず、次元を越えた世界にSOSを送ったりはしないだろう。どう考えても、非効率的すぎる。この世界は、そんな暗闇の中で闇雲に手を振って命綱を探すような手段をとらなければならないほど、追い込まれていると言うことだ。少なくとも、その少女はそう思っている。

「分かった。では最後に一つ。その少女は地球のどこにいるか、分かるか?」

 最後の質問に、イルイは初めて少し、何かを思いだそうとするように考え込む。

「詳しくは分からないけど……きっと、日本のどこか、だと思う」

「なるほど、やはり日本か」

 半ばその返答を予期していたブライトは、苦笑した。

 元々の世界でも、特殊現象の大部分は日本から始まっていた。

 恐竜帝国に、邪魔大王国。キャンベル星人に、ボアザン星人。いずれも主に暴れたのは日本列島だ。そしてそれらに対抗するために作られた特機、マジンガーZ、ゲッターロボ、ボルテスⅤ、ライディーン等々……。現在、αナンバーズに所属している特機の8割から9割が、日本原産である。 

 この世界でも、日本という地域は、地球の特異点なのだろうか?

「よし、トーレス。地球圏の宙域に何か異変は有るか?」

 突然ブライトに話を振られた管制官は、慌てるでもなく即座に的確な返答を返す。

「ラグランジュポイントや大気圏外周辺にスペースデブリ多数。大気圏外周辺には監視衛星らしきものの姿も確認できます。どうやら、この世界の地球人も、ある程度宇宙に進出しているようですね」

 ブライトは一瞬、こちらから人工衛星や地上に向けて通信を送ることを考えた。だが、すぐにその考えは否定する。

 敵宇宙人の通信技術がこちらを上回っていないという保証はない。下手に傍受でもされようものなら、どんな危機を招くか分からない。安易な行動は避けるべきだ。極端な言い方をすれば、今トーレスが確認した人工衛星だって、敵宇宙人に乗っ取られていないとは限らないのだ。

「となると、連絡を取って問題がないと言えるのは、イルイにメッセージを送った少女がいるという、日本か」

 ブライトは念のためイルイに確かめる。

「イルイ。その少女が、すでに敵宇宙人にとらわれているという可能性は?」

「それは大丈夫、だと思います」

 少女の思念に、我が身に危険が迫っているという意志は感じられなかった。無論、その少女が「自分の命も省みず、ただ世界の救済を祈っていた」という可能性は残っているが、そこまで考えるときりがない。

「そうか……」

 そうなるとやはり、何とかして最初は日本に連絡を入れたい。フォールド通信ならば、ピンポイントで日本に通信を送れるが、この世界の日本にフォールド通信を受信出来る装置があるとは思えない。

 ブライトは腕を組み考え込む。その時だった。

「ッ、大気圏再突入する機影多数。少なくとも100は越えています」

「なに? 地表への戦闘行動か?」

 ブライトは、身を乗り出すようにしてトーレスに確認した。

「そのようです。あっ、地表よりレーザー照射! 何機かが迎撃されました! とんでもない精度と射程です! 再突入機は、高度1万メートル前後で攻撃を受けています!」

 高度1万メートル上空の敵に違わずレーザー照射する。それは敵味方に非常識な連中ばかりを抱えてきた、αナンバーズにとっても、十分に驚異といえる能力だった。

「どこだ! どこが戦場になっている!?」

「今計算しています……出ました。降下予想ポイント、レーザー発生ポイント共に日本です。日本海、佐渡島! そこが今戦場になっています!」

「戦場をモニターできないのか?」

 ブライトの声にトーレスはお手上げを言わんばかりに、両手をあげて肩をすくめる。

「さすがにここからじゃ無理ですよ。ただ、佐渡島全域で高熱反応が何度も確認されていますから、現在も戦闘が継続中なのは間違いないです」

 ラー・カイラムはそれなりに高性能艦ではあるが、この距離から地球の小さな島で行われている戦闘の詳細をモニターできる様な能力はない。

 だが、この艦にはそんな機械よりもっと精密な感覚を有する特殊技能者が何人も乗っているのだった。

「ああ、駄目! すぐに、すぐに助けに行かないと、手遅れになる!」

 突如、艦長席の隣に設けられた予備席に座っていたイルイが、目の色を変えて声を上げる。

「イルイ? どうした!?」

 ブライトがイルイの肩をつかみ、強く揺するが、イルイは瞳を大きく見開きながら、ガタガタ震えるだけだ。椅子の端をつかむ指の先が血の気を失って真っ白になっている。

「分岐点が、すぐそこに。間に合わない! 駄目、助けないと……!」

「予知か? ちぃ。誰か、医務室に連絡を!」

 イルイの体力はまだ戻ったばかりだ。いきなり「力」を使ったせいか、イルイはブライトの腕の中で、気を失った。

 それと同時に、艦橋の入り口の方から軽いエアー音が聞こえる。

 もう救護班が来たのかと思い、ブライトは振り向く。しかし、入ってきたのは救護班ではなく、二人のパイロットだった。

「ブライト、何があった!」

「ブライトさん、人の魂が! 強くて悲しい思いが、どんどんと流れて来るんだ!」

「アムロ、カミーユ。お前達か」

 入ってきたのは、ラー・カイラムが誇る二人のニュータイプだった。アムロはまだ冷静さを保っているが、カミーユに至っては、完全に顔色を失っている。

「お前達も何かを感じたのか?」

 ブライトは小さなイルイの肩を抱いたまま、アムロとカミーユに問いかける。

「ああ、地球の上で人の命が散るのを感じた」

「その命の悲鳴の元を辿るように意識を集中したら、その先でものすごい数の人が死んでるんです! 戦って死んでるんだよ!」

 アムロが言っている「地球の上で散った命」というのは、さきほど撃墜された再突入機のことだろう。カミーユの言う、「元をたどった先」というのはトーレスの言っていた「佐渡島」に違い有るまい。やはり地表では今まさに、相当過酷な戦いが繰り広げられているようだ。

 考えてみれば、今の再突入攻撃自体が、地球人類が劣勢に立たされている証拠ではないか。

 地球を母星とするはずの人類が、大気圏外から奇襲をかけ、宇宙から飛来したはずの宇宙人が地球の地表からそれを迎撃する。どう考えても立場が逆である。地球の大部分が宇宙人に占領されていると考えなければ、辻褄が合わない。

 そして、イルイの今の言葉。予知と思われる言葉。「すぐに助けないと」「手遅れになる」「分岐点」。

 イルイの予知。アムロとカミーユの反応。これだけ条件が重なれば、何の異能力のないブライトでも、いやな予感を覚えるというものだ。

「よし、トーレス。アークエンジェルのラミアス少佐と、エターナルのラクス嬢に連絡! 本艦とアークエンジェルは地球への強行突入を敢行する!」

「了解、降下ポイントは佐渡島ですか?」

 両艦に通信を送りながら、聞き返すトーレスに、ブライトは首を横に振る。

「いや、先ほどのレーザーを纏めて食らえばアークエンジェルはともかく、ラー・カイラムは危ない」

 それなりの重装甲を施されるラー・カイラムが、たとえ大気圏突入時でも、レーザーの1本や2本で落ちるとは思えないが、10本20本となると話は別だ。

 それに比べれば、アークエンジェルはまだ分がいい。アークエンジェルの外部装甲は最新式のラミネート装甲である。これは、本来対ビーム装甲なのだが、そのコンセプトが「ビームエネルギーを熱エネルギーに変換して廃熱する」というものだ。

 光熱線を集中照射するレーザーはまた勝手は違うが、ある程度、熱拡散、廃熱処理による防御が期待できる。

 とはいえ、それでもいきなり先ほどのレーザーが待ち受けている佐渡島への降下は危険が大きすぎることには変わりない。



 そうしている間に、アークエンジェル、エターナルとの三方向通信の準備が整った。

「こちら、アークエンジェル」

「いかがなさいましたか、ブライト様」

 ラミアス、ラクス、両艦長の顔がモニターを二分して浮かぶ。どちらの顔にも、程度の差はあれ、厳しい表情が浮かんでいた。先ほどの大気圏降下部隊とそれを迎撃したレーザーを、彼女たちも確認しているのだろう。

「状況が動いた。本艦とアークエンジェルはすぐに地球への降下を開始する。エターナルはここで待機。いざというときのために、エルトリウムとの連絡をお願いしたい」

「はい、了解しました!」

「はい、お任せ下さいませ」

 ラー・カイラムとアークエンジェルは、どちらもあらゆる状況を想定した万能艦として作られているの対し、エターナルは宇宙で高速機動に特化した作りとなっている。それを念頭に置いた役割分担だ。

 今後地球での戦闘が長引けば、エルトリウムから援軍や補給物資を運搬する必要があるだろう。その際、エルトリウム←→地球圏の運搬をエターナルが担当するということだ。

 無論、ラー・カイラム、アークエンジェルの両艦に万が一のことがあったときの保険の意味もある。

「降下ポイントは、太平洋上日本列島沖370㎞。なお、レーザー照射を危険を考えてアークエンジェルに先行してもらう」

「了解です、ブライト大佐。準備完了次第、降下シーケンスに移行します」

 モニターの向こうでラミアス少佐が敬礼をする。

「ああ、宜しく頼む」

 ブライトは敬礼を返した。










【2004年12月20日12時37分、国連軍横浜基地】


 正午過ぎ、昼食を迎え、いつもは僅かながら活気を取り戻すこの時間になっても、横浜基地の雰囲気は凍り付いたような緊張感に包まれていた。

 まあ、それも無理はあるまい。現在横浜基地に所属している兵士は、ほぼ全員が日本帝国軍から出向してきた人間だ。

 同胞が今まさに、佐渡島で国の命運をかけて戦っていることを知った上で、美味しくご飯を頬張れる胆力の持ち主が、早々いるはずもない。

 そんな暗く静まり返ったPXをよそに、香月夕呼は地下19階の専用研究室で、今日も1人研究に勤しんでいるのだった。



「ふう……やっぱり駄目ね。どうやっても半導体並列回路の小型化がボトルネックになっている。劇的な技術革新が起きない限り、研究はとん挫したまま……か」

 夕呼は、パイプ椅子をギシリといわせ、背もたれにもたれかかった。

 研究は完全に煮詰まっていた。ブレイクスルーを期待して、色々と門外漢な分野にも手を伸ばしてみたが、全てからぶり。オルタネイティヴ4の研究は、はっきりいって3年前のあのときから一歩も進んでいない。後一歩で届くのに、その一歩が絶望的に遠い。

 佐渡島の戦況も気になるが、あちらは夕呼がどうこうできるものではない。ならば、出来る事をやるだけ、と寝食も忘れ研究に没頭する夕呼を呼び出したのは、机に設置されたインターフォンだった。

「ったく、なによ、今更私に」

 舌打ちをしながら、夕呼が受話器を取ると、そこから聞こえてきたのは聞き覚えのあるひょうひょうとした男の声だった。

「いやあ、突然すみません、香月博士。実は、取り急ぎご相談したいことがあるのですが」

「鎧衣? なによ。用があるならいつもみたいに勝手に入ってくればいいでしょ」

 それは、帝国情報部課長、鎧衣左近の声だった。不機嫌を隠さない夕呼の声に、鎧衣は笑いながら、言葉を返す。

「いえ、ですから、急いでいまして。あれは意外と時間がかかるのですよ」

 あれ、とはいつもやっている不法侵入のことだろう。鎧衣は普段、伊達や酔狂で不法侵入を繰り返しているわけではない。職業柄、可能な限り自分の所在を記録に残したくないが故の行動だ。

 その鎧衣左近があえて正式な手順を踏んでまで、時間を惜しんでいる。何かがある、と感じるには十分な材料だ。

「分かったわ。許可は出しておくから、勝手に入ってきなさい」

 夕呼はそれだけを告げると、乱暴にインターフォンを戻した。






 5分後、夕呼は研究室で鎧衣左近と対面していた。

 いつも通りの、帽子とコート。とらえどころのない笑顔を浮かべ、表面的にはいつもとどこも違わないように見える。

「いやあ、すみません。実は、先ほど予想外の出来事が起きましてね」

 だが、この男が何の無駄口も叩かずに、いきなり本題にはいること自体が極めつけの異常事態である。

「なによ、佐渡島に向かった帝国軍が全滅でもした?」

「いえいえ、それならば最悪の事態ではあっても予想の範疇です。佐渡島ハイヴ攻略戦は予想通りに負けています。予想外なのは日本海側ではなく、太平洋側でして」


「太平洋?」

「はい、先ほど大気圏外から所属不明の戦艦が二隻、太平洋上に降下してきまして。帝国が連絡を取ってみたところ、「佐渡島へ救援に向かいたい」とこう言うわけで」

「結構なことじゃないの。今は戦力になるなら、猫の手でも借りたいところでしょ。おおかた、国連軍の兵士が独断で動いたんじゃないの?」

 祖国をBETAに奪われた国出身の兵士達の多くは、アメリカよりも日本に好意を抱いている。まあ、自分の祖国をG弾で人の住めない土地にしようとするアメリカと、あくまで人の手で取り戻そうとする日本を比べれば、当たり前のことだが。

 そんな、彼らが今回の「竹の花作戦」を聞きつけ、独断で行動したとしても不思議はない。

 だが、左近は大げさに顔の前で手を振ってそれを否定する。

「いえいえ、確かにそれが普通の再突入駆逐艦であれば、そうなのですがね。現れた艦というのが、全長400から500メートル近い巨大な艦で、しかもそれが海面上十数メートルの所をバーニアも噴かさず、『浮遊』しているんだそうですよ」

「…………」

 夕呼は不覚にも息をのむ。そんな夕呼の様子に気づいていないはずはないのだが、左近は飄々とした表情を崩さず、話を続ける。

「これはどうにも訳の分からない事態だ、こういう訳の分からない事態は、日頃から訳の分からないことばっかり言っている香月博士の管轄ではないか、とこうなったわけですな。一応、この基地の司令室でその「所属不明艦」と通信が繋がるようにしてあるのですが」
 
 よく聞くとかなり失礼な言い口なのだが、今の夕呼にそれをつっこんでいる余裕はなかった。

「!!」

 夕呼は、パイプ椅子を蹴倒すようにして立ち上がると、すぐに司令室へを駆け出すのだった。






 十分後、基地司令室で香月夕呼は、モニター越しに、所属不明戦艦の艦長と対面を果たしていた。

 司令部にいる人間は現在、夕呼の他に、社霞、鎧衣左近、そして帝国より出向中の中年の基地司令と、その副官だけだ。

 本当ならば、司令と副官も追い出したい所なのだが、今の夕呼の権限ではそこまで力が及ばない。

「ここで聞く話は、一切他言無用」と念を押すのがやっとだった。



「国連軍横浜基地所属、オルタネイティヴ6総責任者、香月夕呼です」

『独立部隊αナンバーズ、ラー・カイラム艦長。ブライト・ノア大佐です』
 夕呼の呼びかけに、モニターの向こうの人物は落ち着いた声で答えた。

「おそらく、「この世界」では私が貴方達の置かれた状況を最もよく理解していると思います。よって、私が窓口となりますが、ご了承下さい」

「この世界」という部分に強いアクセントをつけて夕呼はそう言った。

 どうやら、その意味を正確に感じ取ったらしく、ブライトはピクリと眉を動かす。

『では、貴女が我々を?』

「はい。社、モニターに顔を映して」

「はい」

 無表情のまま、霞がモニターの前に進み出る。

「社霞。彼女が私の指示で、貴方達にSOSを送りました。ここに来て下ったということは、我々に救援の手を差し伸べる意志がある、と考えてよろしいでしょうか?」

 モニターの向こうでブライトは、霞の容姿を確認する。

 青みがかった銀髪。真っ黒なドレス。不思議に透き通った表情。

 おおよそ、イルイやリュウセイ達が言っていた「救援を求める少女」の外形と一致する。どうやら、運良く一番接触したい人物と、一番最初に接触できたらしい。ブライトは小さく安堵の息を吐き、答える。

『そのつもりです。早速ですが、佐渡島で行われている紛争に介入したいと考えています。許可していただけるでしょうか? あ、「佐渡島」で通じますか? 我々はあなた方が今戦場としている小島をそう呼んでいるのですが』

 あまりに当たり前のことを確認するブライトに、夕呼の後ろの司令官と副官が首を傾げる。

 夕呼は口元に笑みを浮かべながら、小さく頷いた。

「ええ、我々もそう呼んでいます。ちなみに私は今「日本」の「横浜基地」にいます。通じますか? 通じるようですね。どうやら、思っていたよりも「近い」所からいらしたようですね」

「佐渡島」「日本」「横浜」。全ての地名に共通の認識がある。どうやら、科学技術その他はともかく、基本的にかなり近い「地球」から彼らは来たようだ。

『そのようですね。それで、我々の参戦は認められるのでしょうか? 失礼ですが、あまり時間がないと思うのですが』

「そうですね……」

 夕呼は顎に手をやり考える。彼らが救援に向かうとして、問題は勝ち目があるかどうかと言うことだ。

 次元の壁を越えてきたり、400メートルを超える戦艦を宙に浮かばせたりと、明らかにこの世界より技術的に進歩した世界からやってきたようだが、それだけで勝てるほどBETAは甘い相手ではない。

「まずは、BETAのデータをそちらに送ります。それを検討しておいて下さい。司令」

「む、何だね?」
 
 突然話を振られた、横浜基地の司令官は、驚いたような顔をしながら返事を返した。

「先ずは彼らの入国を許可していただけないでしょうか。責任は私がとりますので」

 唐突な話に、大佐の階級章をつけた司令は、しばし考え込んだ。

 この謎の飛行戦艦の素性は分からないが、香月夕呼という女についてはある程度理解している。

 決して無条件に善良とは言えないが、その精神は基本的に曲がっていないし、何より聡明な女性であることは間違いない。

「分かりました。入国を許可しましょう」

 しばし考えた後、司令はそう答えた。ちなみに当たり前だが、基地司令で大佐に過ぎない彼に他国の軍艦の「入国許可」を出す権限などない。だが、現実問題として、現在日本の太平洋側の戦力は、彼の貴下にある横浜基地所属軍のみである。

 その彼が現場の判断で「許可」をすれば、物理的に入国を遮るものはなくなる。後は、書類上の手続きを、事後承諾で整えればいいだけだ。

 これは下手をすれば、司令の首が物理的に飛ぶくらいの暴挙だが、彼も帝国の軍人である。今の帝国が必要としているのは、法の順守ではなく、一隻でも多くの援軍であることを理解していた。

 自分の首一つで、佐渡島ハイヴ攻略の可能性が1パーセントでも高まるのなら、本望だ。

「ということですが、ブライト艦長?」

『はい、聞こえました。感謝します』

 ブライトは、モニターの向こうで敬礼をした。不思議とその敬礼の仕方は、帝国式のそれと非常によく似ていた。

「それでは、そのまままっすぐ直線コースで、佐渡島を目指して下さい。ただし、たとえ先についても、日本海にはまだ出ないで下さい。参戦許可を取り付けますので」

『了解しました』

 夕呼の言葉に、ブライトはもう一度敬礼を返した。










【2004年12月20日13時14分、松浦湾上空】

「……以上が、今回の我々の敵、『BETA』のデータだ。全七種類、大まかな特徴は頭に入ったな?」

 日本帝国からの参戦許可が下りる前の時間を使い、ブライトはラー・カイラムのブリーフィングルームで、夕呼から送られてきたデータを元に対策会議を開いていた。

 無論、アークエンジェルに乗っているパイロット達も、モニター越しに参加している。

「厄介なのは、レーザー級と重レーザー級ぐらいのもので、BETA個々の戦力は大したものではない。

 問題はその数だ。これから向かう佐渡島ハイヴだけでも、出現予測総数は8万。おそらく何度も補給をする必要が出てくるだろう。

 出来るだけ機動兵器は、いざというときすぐに戦艦に戻れる距離を維持しておいてくれ」

 この世界の兵器と比べれば、αナンバーズの火力は破格だが、弾切れの危険は常につきまとう。むしろ、補給コンテナを戦場にばらまいている帝国軍の方が、その分野については遙かに優れていると言えるだろう。

「上陸の順番は、最初にエヴァ小隊。お前達が上陸地点の安全を確保した後、後続が続く。重要な任務だぞ」

「はいっ!」

「OK、任せなさい!」

「了解……」

 ブライトの言葉に、シンジ、アスカ、綾波の三名は、三者三様の返答を返す。

「後はいつも通りだ。前方の敵を駆逐しつつ、戦艦と共に前進。攻略目標であるBETAの巣『ハイヴ』をラー・カイラムとアークエンジェルの射程内に納める。ただし、現地にはまだこの世界の日本軍が展開しているから気をつけろ。

 彼らの識別信号はインプットされていないからな」

「念のため、小隊を確認しておく。

 シンジ・エヴァ初号機、アスカ・エヴァ二号機、綾波・エヴァ零号機。以上がエヴァ小隊。

 アムロ・νガンダム、ケーラ・ジェガン。以上がアムロ小隊。

 カミーユ・Zガンダム、フォウ・量産型νガンダム、エマ・リガズィ。以上がカミーユ小隊。

 バニング・ガンダム試作2号機、ベイト・ジムカスタム、モンシア・ジムカスタム、アデル・ジムキャノンⅡ。以上がバニング小隊。

 カガリ・ストライクルージュ、アサギ・M1アストレイ、マユラ・M1アストレイ、ジュリ・M1アストレイ。以上がカガリ小隊。

 ディアッカ・バスターガンダム、イザーク・デュエルガンダム。以上がディアッカ小隊だ」

 皆が頷き、確認する中で、名前を呼ばれなかったファと宙が声を上げる。

「あの、艦長私は……」

「おい、俺の名前が呼ばれなかったぞ!?」

 それに対し、ブライトは分かっていると頷き、

「ああ。ファのメガライダーと、鋼鉄ジーグには特別任務がある。お前達は二人で」

「艦長! 横浜基地、香月博士より入電! 参戦許可がおりました!」

 その言葉を遮るように、ブリッジから速報が入った。

 ブライトは即座に答える。

「よし、本艦及びアークエンジェルは、最低高度を保ったまま、前進! 各機動兵器パイロット達は自機の中で、戦闘待機! あ、宙とファは残れ。今、お前達の任務を説明する」

「「「了解!」」」

 機動兵器パイロット達は、名指しされた宙とファを残し、皆格納庫へと消えていった。










『たった今、貴方達の参戦許可が下りました。そのまま西進して下さい』

「了解しました」

 戦闘艦橋の艦長席に戻ったブライトは、モニター越しに夕呼と言葉を交わす。

『詳しい情報は私の所までは入ってきていませんが、率直に言って戦況はかなり悪いです。最悪、まともに戦えるのは、貴方達だけという可能性も無視できません』

 それでも、救援に向かいますか? 言葉にはせず、眼でそう問いかける夕呼に、ブライトは頷き返した。

「了解しました。かなり厳しい状況ですが、どうにかなるでしょう。貴女から頂いたBETAのデータと予想総数に大きな差違が無い限り、最悪反応炉の破壊ぐらいは成し遂げられると思われます」

 夕呼はパチリと瞬きをする。

『あの……失礼ですが、ちゃんと資料に目を通していただけましたか?』

「ええ、BETA七種類。総数は約8万~10万ですね?」

『……』

「……」

 今度は逆に、ブライトが怪訝そうに首を傾げる。どうやら互いの認識に大きな、ずれがあるようだ。

 ブライトはBETAを知らず、夕呼はαナンバーズを知らない。この場合、より大きくずれているのはどちらだろうか。

『……分かりました。では、私は旗艦『最上』の小沢提督に連絡を入れておきます。一度失礼します』

 そう言って夕呼からの通信はとぎれた。

 その間に、ラー・カイラムのメインモニターに、佐渡島の島影が見えてくる。

 その島は、ここからでも分かるくらいにあちこちから、黒い煙が立ち上っていた。密閉されているはずの戦闘艦橋に、鉄と油の燃える臭いが漂ってきた気さえする。

「艦長、BETAらしき影がこちらの上陸予定ポイントに次々と集まってきています。その数……約5000!」

 ブライトはその報告を受け、すぐさまラー・カイラムの前を進むアークエンジェルに連絡を入れる。

「ラミアス艦長、アークエンジェルをラー・カイラムと併走させてくれ。ラー・カイラムのハイパーメガ粒子砲と、アークエンジェルのローエングリンの並行掃射で上陸地点のBETAを一掃する」

『はっ、了解しました! アークエンジェル微減速、ラー・カイラムに横付けして。同時に、ローエングリン発射準備!』

 真っ白な二隻の戦艦が、横並びになり、佐渡島へと迫る。両艦のモニターには、海岸沿いに集まってきたBETAの醜悪な姿が大写しにされている。

「うわ、なんだありゃ」

「宇宙怪獣や使徒も目じゃないグロテスクぶりだな……」

 両艦の艦橋のあちこちから、嫌悪の声が挙がる。確かに、BETAの外見上のインパクトはすごい。百戦錬磨のαナンバーズでも、ここまで醜悪な敵を相手にするの初めてかも知れない。

 やがて前進する二隻の戦艦は、姫崎全体を主砲の射程内に捉える。

「ハイパーメガ粒子砲……」

『ローエングリン……』

「撃て!」

『てー!』

 二種類の極太の粒子兵器が、佐渡島の一角を舐め尽くす。跡に残ったのは、無惨に地表を捲り上げられた荒野のみ。

「上陸地点のBETA一掃、敵影有りません!」

「よし、ラー・カイラム及びアークエンジェルは海岸線まで前進。同時にエヴァ小隊を上陸させろ!」

「了解!」

『了解しました』

 二隻の戦艦はすぐに海岸線を越え、佐渡島へと上陸する。

『エヴァンゲリオン初号機、行きます!』

『エヴァ二号機突貫しまーす!』

『エヴァンゲリオン零号機、出ます……』

 続いて三機のエヴァンゲリオンが、先行上陸を果たしたとき、再びラー・カイラムのモニターに香月夕呼の姿が映る。

「たびたびすみません、ブライト艦長。帝国軍旗艦『最上』の小沢提督と連絡が付きました。小沢提督はブライト艦長との対話を希望しています。出来ましたらそちらから、通信をおくって欲しいのですが」

「了解しました。トーレス!」

「了解!」

 ブライトはすぐに請け負う。元々αナンバーズの通信機は、バッフ・クランや星間連合といった全く規格の違った異星機器とも双方間通信が可能な代物である。その気になれば、この世界の通信に割り込むのは容易い。

「こちら、独立遊撃戦隊αナンバーズ所属、ラー・カイラム。『最上』、応答願います」

 返答はすぐに帰ってきた。

『こちら『最上』、司令の小沢だ』

 メインモニターの一角に、解像度の荒い画像が映る。真ん中には、威厳深い初老の男が映っている。軍人以外の仕事が想像できないくらいに、軍人前とした男だ。

 ブライトは敬礼を返す。

「自分はラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐です。大まかな話は香月博士より聞いています。細かい話はまた後ほど。我々αナンバーズ先行分艦隊は、これより貴軍を援護します」

 それは、人類による一大反撃の口火を切る、宣言であった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その5
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/06/05 22:55
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第一章その5



【2004年12月20日15時4分、佐渡島、】

 ――エヴァ小隊――

「私がオフェンス、シンジがディフェンス、優等生はバックアップ。いいわね!」

「ちょっと、アスカ!? いつもと違うじゃないか!」

「ごちゃごちゃうるさいっ。ほら、来たわよ! こぉのぉおおっ!」

 抗議の声を上げるシンジを後目に、アスカは弐号機を前進させると、一直線に駆け抜けてくる10数体の突撃級にまとめて、ATフィールドを叩きつける。

 ダイヤモンドを越える硬度を持つ突撃級の外殻だが、赤く透き通った力場の刃の前には、その堅さも無意味だ。

「はん、ざっとこんなもんよ!」

 真っ赤なエヴァ弐号機が腕を一振りした後には、まるで交通事故にでもあったように10数体の突撃級がまとめて宙を舞った。

 だが、その一瞬の隙をつき、遙か遠方から極太の光線が伸びる。

「アスカっ!」

 それを防いだのは、シンジのATフィールドだった。戦艦の装甲でも10秒と持たないはずの重光線級のレーザー照射を、日光を手で遮るくらいの軽さで受け止めている。

 そして、レーザーを照射できるということは、イコールこちらからみても射線が通っているということを意味する。

「そこ」

 初号機の後ろに控えていた綾波レイの零号機は、淡々とした静けさで狙いを定めると、ポジトロンスナイパーライフルのトリガーを引き絞った。

 遠方で血の花が咲く。

 戦術機の120㎜でも、一撃では仕留められないことも多い重光線級が、その一撃で上半身を丸ごと失った。

 まさに鎧袖一触。

「OK、橋頭堡確保! みんな上がってきていいわよ!」

 アスカの赤いエヴァ弐号機は、くるりと後ろを振り向くと、やけに人間味のある動きで手招きをする。

 続けてシンジが冷静な警告を付け加える。

「さっきのラー・カイラムとアークエンジェルの攻撃で、この辺りの重金属雲は吹き飛んでいるみたいです、気を付けて下さい!」

『了解した。機動兵器小隊、レーザー級の狙撃に注意して上陸しろ!』

「「「了解!」」」

 ラー・カイラム艦長ブライト・ノアの声に、パイロット達の諾の返答が返った。
 




 ――バニング小隊――

 バニング小隊、別名『不死身の第四小隊』。モビルスーツ乗りとしては最古参兵といっても過言はない、バニング大尉に率いられたその小隊は、『小隊』としての熟練度でいえば、αナンバーズでも屈指だ。4人全員が生え抜きの軍人という、αナンバーズでは希有な小隊であり、派手さはないが常に堅実な働きが期待できる。

 エヴァ小隊に続き、佐渡島上陸を果たした彼らは、そのまま海岸線に沿い、西進する。

「大尉、前から歯茎サソリがうじゃうじゃきますぜ!」

 真っ先に敵の存在を察知したのは、小隊の前衛右翼を受け持つモンシア中尉だった。

「要撃級だ馬鹿、ちゃんと覚えておけ! ほら、弾幕を張れ、奴らは以外と速いぞ!」

 モンシア中尉の軽口をたしなめながら、バニング大尉は小隊全体に指示を飛ばす。

「「「了解!」」」

 モンシアとベイト、二人のジムカスタムが、並んでジムライフルをフルオートで連射する。

 二機のジムカスタムが放つ90㎜弾の弾幕が、迫る要撃級を纏めて挽肉と化す。

「隊長、後ろから要塞級が一匹来ます!」

 隙無く前面に弾幕を張りながら、ベイト中尉が声を上げる。

「アデル!」

「はい」

 隊長の命を受けた、アデル中尉のジムキャノンⅡは、腰部から状態安定用のアームを地面におろし、両肩のビームキャノンの照準を合わせる。

「よしっ」

 放たれる二筋の桃色の光は、鈍重な要塞級を撃ち貫いた。タフさが最大の売りの要塞級が、それだけで原型を止めないまでに破壊されている。


 最後はバニング大尉自身だった。

「よし、お前ら離れろ。纏めて薙ぎ払う」

 ガンダム試作2号機サイサリス。ガンダムシリーズにしては人相が悪く、重装甲の機体だ。

 バニングの試作2号機は、肩の上に重厚なビームバズーカを構える。

 狙いは、要撃級を中心として、側面からこちらに迫ってくるBETAの集団。その大多数は小型種だが、数にすれば100匹を越える。

「ふんっ」

 放たれる光粒子砲。試作2号機の放つビームバズーカは、要撃級も小型種も、区別無く光の海の中に消し去った。

 しかし、ビームが放たれる前に接近を果たしていた一匹の戦車級が、バニングの試作2号機のシールドにかみつく。

「チィ、なに? シールドが破損しただと!?」

 かみついた戦車級はすぐに頭部バルカンでずたずたに引き裂いたが、その1噛みで試作2号機の重厚なシールドが一部噛みちぎられていた。

「冷却装置は……無事か」

 バニングは、モニターでシールドの破損状況を確認し、胸をなで下ろす。試作2号機のシールドは、大規模な冷却機関を内包している。これが破損すると、試作2号機の最大の特徴ともいえる核バズーカが使用できない。

 むろん、こんなところで使用するつもりはないが、搭載している兵器に制限はつかないほうがいい。

 とりあえずは、ほとんど問題がないレベルの破損であったが、ガンダリウムα製のシールドが、噛みちぎられたという事実は重い。

「お前ら、絶対に戦車級を接近させるな! お前達の装甲ではひとたまりもないぞ!」

 バニングは部下達に警告を飛ばした。

 ジムカスタム、ジムキャノンⅡの外部装甲は、チタン合金とセラミックの複合装甲だ。ガンダリウムαと比べれば、防御力は低い。

 戦車級にたかられれば、この世界の戦術機と大差ない結果となるだろう。

「「「了解!」」」

 モンシア達は、緊張感を取り戻し、次に迫ってくる突撃級に銃口を向けた。






 ――ディアッカ小隊、カガリ小隊――

「よし、いくぞ、お前ら!」

 先陣を切り、カガリのエールストライクルージュが飛び出す。

「カガリ様、あんまり張り切って高度を取ると撃ち落とされますよ」

「そうそう。レーザー種の話、聞いてなかったんですか?」

「カガリ様が張り切ると、大概ろくな事にならないから」

 それをM1アストレイに乗る三人娘がはやし立てる。

「う、五月蠅いな!」

 怒鳴り返しながらも、カガリはエールストライクルージュを地上に降ろした。ひょっとすると本当に、勢いに任せてレーザー種の存在を忘れていたのかも知れない。

 ある意味、今回出撃しているメンバーの中で、最も不安があるのが彼女たち四人だった。パイロットの技量的に他の者と比べると一段劣る。

 とはいえ、乗っている機体は最新鋭機だ。

「よし、来るぞ!」

「このっ!」

「それそれ!」

「私も!」

 エールストライクルージュと、3機のM1アストレイ。4機の主武装はビームライフルだ。

 技量の低さは数で補う、とばかりにカガリ達は横一列になり、迫り来るBETAの群にビームライフルを乱射する。

 一直線に荒野の向こうから駆けてきた30匹近い突撃級の群が、一匹残らず途中で力つきた。

 正面から打ち抜くのは容易ではないとされる、突撃級の外殻もビームライフルならば、当たり所さえよければ一撃だ。

 遅れてやってくる50匹を越える要撃級も、同じくビーム弾の嵐にあい、同じ運命を辿る。

 しかし、くせ者は同時にやってくる小型種だ。

 なにせ、エールストライクルージュや、M1アストレイの全高は18メートル前後ある。

 対する小型種は兵器級で2.3メートル、闘士級で2.5メートル、一番大きな戦車級でも全高はわずか2.8メートルだ。

 わかりやすく戦術機を人間に例えれば、要撃級や突撃級は人間大の大きさ、対して小型種は家猫や小型犬の大きさだ。

 的に当てる、と言う一点に限れば、どちらが難物かは一目瞭然だろう。

 しかもビームライフルは、戦術機の36㎜チェーンガンと比べれば、速射力において格段に劣っている。

 連射速度は低くても高威力のビームライフルは、突撃級や要撃級を相手取るには向いているが、大量の小型種を駆逐するには向いていない。

 弾幕の間を縫い、下を這い、生き残った小型種が続々と押し寄せる。

「このー!」

「いやー!」

「こないでー!」

 焦る三人娘の射撃はなおさら正確さを失う。

「お前ら、もっとちゃんと狙え!」

 唯一、カガリだけは精確な射撃で、戦車級を中心にその数を撃ち減らしているが、数にませて小型種達は、じわじわ距離を詰めてくる。責任感の強さか、好戦性の現れか、カガリは仲間を護るように、一歩前に踏み出した。

「く、こいつら!」

 距離を詰めたカガリのエールストライクルージュは、ビームライフルをあきらめ、ビームサーベルに武器を持ち替えようとする。しかし、それは明らかにタイミングを逸していた。ビームライフルを収納し、ビームサーベルを引き抜いた一瞬、前方から複数の戦車級が飛びついてくる。

「ああ!?」

「「「カガリ様!?」」」

 大きく口を開いた戦車級がエールストライクルージュのメインモニターに大写しにされる。次の瞬間、赤い機体の前面に、十匹近い戦車級がとりつき、その装甲に食らいつく。

「うわああああ!!」

 さしものカガリも魂を絞り出すような悲鳴を上げた。

『馬鹿が、何をやっている!?』

 だが、そんなカガリを叱責する声が通信機から響き、同時に左方から飛んできた5連ミサイルが、カガリのエールストライクルージュを吹き飛ばす。

 直撃したミサイルは、エールストライクルージュに張りついていた戦車級を一掃し、そのまま尻餅を尽かせた。

『馬鹿、とっと立て! お前の機体にも『PS装甲』が施されているのだろうが!』

 口汚くののしりながら、その機体――デュエルガンダムは、尻餅を付いたカガリ機を護るようにその前に立った。

「え? あ……!」

『PS装甲』、やっとその存在を思い出したカガリは、各計器に目をやり機体の状況を確認する。オールグリーン。何一つ問題なし。機体内部の損傷はおろか、装甲にも傷一つ付いていない。

 フェイズシフト装甲、通称PS装甲は特殊な金属に一定の電圧を流すことで相転移させた、装甲のことである。相転移した装甲の対物防御力は、非常識なまでに高まる。対ビーム兵器には効果が薄いこと、攻撃を食らう度に電力を馬鹿食いすることなど、弱点も多々あるが、搭乗者にとって非常に頼りになる守りであることは疑いない。

 少なくともその守りは、戦車級BETAの噛みつきを全面的に無効化出来る程度には、頑強だったようだ。

「カガリ様あ!」

「大丈夫?」

「怪我はないですか?」

「お前ら、わ、私は大丈夫だから持ち場を離れるな。ほら、向こうからも敵が来てるぞ!」

 照れ隠しのように大声を出しながら、カガリは機体を立ち直らせると、側面からやってくるBETAの群をビームサーベルで指し示す。要撃級を中心に、200匹ほどはいようか。中には馬鹿でかい要塞級の姿も2体ほど見える。

 だが、3機のM1アストレイが行動を起こすより速く、後方より放たれた砲撃が迫り来るBETAの群の中心を狙撃した。

 まだかなりの距離があるというのに、その一撃は精確に2体の要塞級を纏めて活動不能にしていた。周りで複数の小型種も巻き沿いを喰っている。

『グゥレイト!』

 会心の一撃だったのか、狙撃を行った機体――緑色のガンダムのパイロットは、こちらに接近しながら歓声を上げた。

『遅いぞ、ディアッカ!』

『わーりぃ、わりぃ。遅れた分はすぐに取り戻させてもらうぜ、イザーク!』

 駆けつけたディアッカ機――バスターガンダムは、長射程狙撃ライフルを二つに分解し、素早く腰の左右のアームに収納する。

 分解された狙撃ライフルはそれぞれ単独でも、実力を発揮する。

 右腰のは350㎜ガンランチャー。左腰のは94㎜高エネルギー収束火線ライフル。

 ディアッカは2種類の火器を巧みに使い分け、迫り来るBETAの群を見る見るうちに殲滅していく。

 確かに重火力型のバスターガンダムは、こういった大多数の敵に弾幕をはるという状況を得手としているが、それ以上にディアッカの腕に寄る部分が大きい。伊達にザフトのエリートの証である「赤服」を着ていないと言うことか。

 そして、イザークも同様だった。いや、乗っている機体がバランス型のデュエルガンダムと言うことを加味すれば、ディアッカ以上の奮闘といえるかも知れない。こちらも、ビームライフルと、右肩に備え付けられた大口径レールガン『シヴァ』を巧みに使い分け、BETAの接近を許さない。

 イザークとディアッカは事実上、二機だけで前方と左方、二方向から来るBETAの群を足止め、殲滅している。

『ここは俺達が引き受ける。お前は一度アークエンジェルに戻れ!』

 相変わらず、棘のあるイザークの言葉に、カガリは案の定反発する。

「ば、馬鹿にするな! 私だってまだ戦える!」

 だが、そこにイザークの罵声と、ディアッカのからかう様な声が浴びせられる。

『馬鹿、エネルギーゲージを確認しろ!』

『そうそ、そっちの3機も、ビームライフルの残弾は大丈夫?』

「え? あ!」

「うそ?」

「あれー?」

「何時の間にこんなに」

 案の定と言うべきか、カガリのエールストライクルージュのエネルギーゲージは半分を切る寸前、アサギ、ジュリ、マユラのM1アストレイのビームライフルに至っては、8割近くを撃ち尽くしていた。

 PS装甲は圧倒的な防御力をもたらしてくれる代わりに、発動した際桁外れに電力を消耗する。あれだけ、全身を戦車級にたかられていたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 M1アストレイの残弾もそうだ。技量の低い兵士ほど、弾の消費は激しいのは戦場の必然である。

『分かったら、とっとと補給に行け!』

『そっちの補給が終わったら俺達と交代ってわけ。OK?』

 ここまで言われて、なお意地を張る理由はない。

「分かった、すぐに補給を済ませて戻ってくる!」

「「「よろしくお願いします!」」」

 カガリ小隊の4機は、素早く後退していった。

 残されたのは、デュエルとバスター、2機のガンダム。

 そして、二方向から迫ってくるBETAの群。

「どうよ、イザーク。こいつはさすがにちょっと厳しいか?」

 言葉とは裏腹に、自信に満ちたディアッカの言葉を、イザークは鼻で笑う。

「はっ、全然足りん! 俺をヤりたければ、この三倍は持ってこい!」

「おうおう、言うねえ!」

 実際、BETAは今のところ、この2機に近づくことさえ出来ていない。だが、彼らは忘れていた。この小さな島には今、10万匹を越えるBETAがひしめき合っているのだという事実を。

「……おい、イザーク」

「……言うな」

「お前が変なこと言うから」

「だから、言うな! 関係ない、俺は関係ないぞ!」

 どうにか300匹のBETAを倒し終えた二人の前に、現れたのは要撃級を中心とした900匹を越えるBETAの群だった。









【2004年12月20日15時38分、佐渡島沖、旗艦『最上』】

「αナンバーズ、加茂湖東岸まで到達!」

「途中、全てのBETAを駆逐しています!」

「各前線のBETA、加茂湖側に引きずられています。前線の各部隊はこちらの指示を求めています」

「よし、前線は一度初期防衛ラインまで後退。戦線を立て直した後に、再度押し上げろ」

「了解、各戦隊は一度初期防衛ラインまで後退。戦線を立て直して下さい」

 オペレーター達が指示を伝えている間に、小沢提督は周りに気取られないよう、小さく息を吐いた。

「まさか、これほどまでとは……」

 小沢は島全体を写すモニターに、目をやる。BETAを示す無数の赤い点が、αナンバーズが上陸した方向に引き寄せられ、次々と消失している。

 ここからモニターで見ている限りでは、まるで熱したナイフをバターの固まりに突き刺すような容易さで、αナンバーズは迫り来るBETAの群を屠っているようにしか見えない。

(これは、本当に今度こそいけるのか……?)

 高揚感が高まると同時に、不安感も増していく。当然と言えば当然だ。これまで何度、期待を裏切られてきたことだろう。今度こそ人類の反撃だ。そう思う度に、BETAはその圧倒的な物量で、希望の目を押しつぶしてきた。

 それでも希望を抱かずにはいられない。それだけのモノを今、αナンバーズは見せてくれている。

「提督、αナンバーズのブライト艦長から通信が入っています!」

「ッ、回してくれ」

「はいっ」

 即座にモニターにブライトの顔が映し出される。

『失礼します、小沢提督。本艦とアークエンジェルは、今から15分後にハイヴ地上構造物を主砲の射程に納める予定となっています。つきましては、主砲の射線上と射線延長線上から避難して頂きたいのですが』

 そう言って、ブライトは最上に予定進行ルートと主砲の被害を受けるであろう区域のデータを送る。

 データに目を通した小沢は、ラー・カイラムとアークエンジェルの予想攻撃範囲の広さに一瞬目を見開いたが、すぐに平静を取り戻した。疑問や驚嘆は全て後回しだ。いちいち彼らのやることに驚いていてはきりがない。

「了解した。貴艦の武運を祈る」

 小沢は、モニターの向こうに敬礼を返した。







『前線を初期防衛ラインまで後退。戦線を再構築せよ』

 その命令は、前線で戦う衛士達にとって、大げさでなく崖っぷちの命を救う言葉であった。

 αナンバーズの方にBETAが引き寄せられつつあると言っても、地上に出ているBETAの半数は、彼らが引き受けているのだ。半数でもおよそ4万。半ば壊滅状態の帝国軍に取っては十分絶望的な圧力である。

 そしてそれは、ここ、桜山の南西に陣を張る矢神中隊にとってもそうであった。

「よし、待望の後退命令だ! まだ生きてる奴は何人いる!?」

 ボロボロになった撃震を駆る、矢神大尉の声にいくつかの声が返る。

『こちら、カッパー2、健在です』

『カッパー3、同じく』

『カッパー7、どうにか生きてます』

 返ってきた返事は3つだけだった。12機からなる戦術機中隊が、矢神自身を4機。1個小隊にまで撃ち減らされたと言うことか。

 もちろん、全滅している部隊の方が多いくらいのこの戦況で、部隊として機能しているというのはそれだけで称賛に値するのだが、そんなことが前線で戦う衛士の慰めになるはずもない。

「畜生、たったの4人かよっ」

 己の非力さを呪うように、矢神大尉は吐き捨てる。しかしその声に、カッパー7が異を唱える。

「いえ、先ほどこの先2キロのポイントで、カッパー11とカッパー12の反応を確認しました。今はモニターできませんが、まだ生きている可能性は高いと思われます」

「なにぃ!? あの新米お嬢様、何特攻してるんだ!」

 矢神大尉は思わず舌打ちをするが、実の所、カッパー11,12――榊千鶴少尉と巴伊織中尉は、別段突出しているわけではない。それどころか、この2機が最も命令に忠実に、初期の前線押し上げ命令を実践していた。ただ、少々現場にあわせた臨機応変さに少々欠けていたのも事実だが。






「カッパー12、フォックス3!」

「カッパー11、フォックス2」

 千鶴は、前線で暴れていた。ここまでの戦果は、突撃級が2匹に、要撃級18匹。小型種は戦車級を含め数知れず。悪くない成績といえるだろう。

 いや、死の8分を越えたばかりの新人が、旧式の撃震であげた戦果としては、破格と言ってもいい。

 それは、エレメントを組んでいる巴中尉が一番よく分かっている。

(ちょっとした才能ね、これは)

 迫り来る要撃級に36㎜弾をたたき込む千鶴の撃震を、120㎜の単射でフォローしながら、巴中尉は心の中でそう呟いた。

 機動、射撃、格闘、全てにおいてそつが無く、なにより非常に視野が広い。単純な技量は、既に自分より上だ。

 巴中尉は、極当たり前のように五歳以上年下の新米少尉の力量をそう認めた。

 だが、そんな風に意識を少し飛ばしていたのが悪かったのだろうか。

 巴中尉の撃震の中に、レッドシグナルが点滅し、けたたましく警告音が鳴り響く。

「ッ、レーザー照射!? しまった!」

 自動回避モードに入った撃震のコックピットの中で、巴中尉は歯を食いしばる。

 一度レーザー照準を向けられた戦術機に出来ることは一つしかない。相棒を信じることだ。

「カッパー12!」

「はいっ!」

 すぐに千鶴は、索敵し、巴中尉を狙う光線級の姿を発見した。大き目の岩に下半身を隠すようにして、こちらにそのギョロリとした双眼だけを覗かせている。一応、ここからでも120㎜なら射程内だ。しかし、一発必中で中てるのは、ずいぶんと狙撃のセンスが必要とされる距離でもある。

(珠瀬なら、楽勝であてるんでしょうけど)

 千鶴の脳裏に一瞬、訓練小隊で一緒だった、桃色の髪の少女が思い浮かぶ。だが、生憎千鶴には、彼女のような神業じみた狙撃センスはない。

「巴中尉、絶対に助けます!」

 千鶴は全速力で光線級との距離を詰める。何としても巴中尉を助ける、その思いに駆られていた千鶴は気付かなかった。右側面の岩影に、一体の要撃級が潜んでいたことに。偶然待ち伏せの形となった要撃級は、不用意に近づく戦術機にその鋭く尖った前腕を叩きつける。

「あっ!?」

 間一髪で機体をひねるが、要撃級の爪が、撃震の右腕をその手に持つ87式突撃砲ごと、切り飛ばした。当然勢いの付いていた千鶴の撃震は、半回転しながら転倒する。

「ああああああ!!」

 千鶴は転倒した撃震のコックピットで声を絞り出す。機体のダメージなど大した問題ではない。腕の一本ぐらいなくなっても、戦術機は動けるように作られている。突撃砲だって一つ失っても後三つも残っている。だが、状況は絶望的だった。絶望的に……時間がなかった。

 一度転倒した常態から、千鶴が機体を立て直し、目の前の要撃級を迂回し、その後ろにいる光線級に36㎜弾をたたき込むのと、既に照準を付けつつあるレーザー級が巴機を撃ち貫くのとでは、どちらが速いか、考えるまでもない。

「中尉ぃぃ!」

 それでも千鶴は必死に機体を立て直す。片腕を失ったバランスの悪さを思えば称賛に値する速さだ。しかし、そこまでだった。無情にも立ち上がったばかりの千鶴の視界を、レーザーが横切る。

「ああ……」

 思わずガクリと力が抜ける。だが、次の瞬間、千鶴の前には予想だにしない現象が次々と起こった。

『いけっ、フィンファンネル!』

 後方から飛来した、コの字型の何かから光のようなモノが放たれたと思うと、奥にいた光線級が一瞬で蒸発する。

「えっ?」

 惚けたように呟く千鶴の視界に、緑色の戦術機が現れる。

『危ないよ、そこのあんた』

 そして、その戦術機は手に持つライフルから光弾を放つと、千鶴の撃震が相対していた要撃級をあっさり仕留めた。

『大丈夫だったか?』

 遅れてこれまた見たことのない、白と黒のモノトーンカラーの戦術機が千鶴の前にやってくる。

「あ、はい。貴方は?」

 少なくても帝国軍のモノではない。混乱しながらも、それだけは確信し、千鶴は目の前の戦術機に声をかける。

 だが、それに対する返答は、目の前のモノトーン戦術機からではなく、後ろからやってきた。

「援軍、だそうよ。榊少尉」

「と、巴中尉!?」

 驚きのあまり千鶴の声が裏返る。

「い、生きていらしたんですか!?」

 あまりに驚きが強すぎて、すぐに喜びが沸いてこない。

「ええ、私も何があったのかよく分からないけど、この人に助けられたみたい」

『間一髪だったが、フィンファンネルが間に合って良かった』

 モノトーンの、戦術機に乗る男――アムロがそう答える。『フィンファンネル』というのは、どうやら先ほどレーザー級を撃破した光線を放つコの字型の板のことのようだ。

 千鶴は、巴の撃震がレーザー照射を受けたポイントに、溶けて拉げた『フィンファンネル』が一枚落ちていることに気が付いた。

(まさか、あれでレーザーを受け止めたの?)

 なるほど、受け止めること事態は不可能ではないだろう。レーザー照射を受けていたのは極短時間だったはずだし、あの金属板がそれくらいの耐熱強度を持っていてもそれ程おかしくはない。

 だが、問題は「どうやってそれで受け止めたのか?」だ。千鶴の知らない新兵器なのだと思うが、少なくともその制御は、乗っている衛士が行っているはずだ。

 つまり、このアムロ大尉とやらは「自動回避運動中の戦術機と、それを狙う光線級のレーザー照射の直線上に、ピンポイントで板きれを滑り込ませた」ということになる。と同時に「もう一枚、別のファンネルを操り、遙か彼方の光線級を仕留めた」と言うわけだ。

 控えめに言っても人間技ではない。

 だが、今の千鶴にそんなことをゆっくりと考えている余裕はなかった。

『アムロ大尉、2時の方向、お客さんです』

 緑色の戦術機の衛士がそう声を上げる。

 そちらを見ると、そこには突撃級だけで形成される30体ほどの群がこちらに向かって突撃してきていた。まるで怒り狂ったイノシシの群を想像させるような光景だが、破壊力はそんなかわいらしいモノではない。

『ケーラ、フォローしてくれ。フィンファンネル!』

『了解です、大尉』

 白い戦術機は、周りにフワフワと浮いていた、5枚の板を突撃級の方向へ飛ばす。

 コの字に曲がったその板から、光線のようなモノが放たれる度、突撃級は一匹、また一匹とその動きを止めていく。

 化け物じみた精度だ。BETAの中でも最高速度と最高硬度を誇るはずの突撃級が、結局一匹もこちらに近づくこともなく討ち取られる。

「嘘、突撃級が近づくこともできないなんて。なに、これ……アメリカの実験機?」

 千鶴は目の前の光景が信じられない。単独で浮遊する細長い板。そこから放たれる光学兵器。そして、それを操る明らかにF-4ともF-15とも系統の違う戦術機。全てが千鶴の常識を越えている。

 呆ける千鶴に、アムロ大尉から通信が入る。

『ここは俺達が引き受ける。君たちは一度後方に下がるんだ』

「え、でも」

 戸惑いながらも持ち前の責任感のせいか、とっさにイエスの返答を返せない千鶴に、巴中尉から声がかかる。

「榊少尉、今矢神大尉からも後退命令が入ったわ。一度下がって戦線を再構築するそうよ」

「わ、分かりました」

 正直状況は全く分からないが、直属の上司からの後退命令ならば従わない理由はない。

「では、この場はお願いします」

『ああ。任せてくれ』

 片腕となった千鶴機は、巴機に先導され後ろに下がっていった。






 一時後退命令。ある意味前線を支える衛士達が最も待ち望んでいた命令だが、全ての衛士が即座にその命令を実行に移すことができたわけではない。後退しようにも退路をふさがれている部隊、ジャンプユニットや脚部をやられて、後退するにも十分な速度を維持できない部隊、そしてそもそも既に全滅してる部隊。そんな部隊が、戦場には大量にあふれている。

 そして、ここでも、1個小隊4機の戦術機が、いかにして後退しようかと、頭を悩ませていた。

「どうだ、クラッカー2、クラッカー4。どうにかベイルアウトできそうか?」

 小隊長であるクラッカー1は、稼働不能になった部下の戦術機にそう声をかける。先の戦闘で、部下2機の戦術機が、BETAの攻撃にあい、稼働不能状態となったのだ。だが、他の部隊を比べれば、彼女たちは比較的幸運な部類といえた。

 部隊が全滅する直前、紅蓮醍三郎大将率いる斯衛の2個大隊が救援に駆けつけてくれた上、なぜかBETA達が何かに引きずれるように、この戦域から去っていってくれたたのだ。おかげでクラッカー2、クラッカー4は機体は失ったモノの、九死に一生を得たのであった。

「駄目です。さっきから何度もやってるんですが」

「こっちもです、隊長。やっぱりこれはコックピットを引き剥がすしかないのでは」

 だが、緊急脱出装置に不具合が生じたらしく、どうやってもベイルアウト出来ない。このまま時間がたてば、折角助かった命をこの場で散らすことになる。そんな馬鹿馬鹿しい結末は認められない。

「チッ、やむを得んか。クラッカー3、お前は見張りをしていろ!」

「了解!」

 クラッカー1は自分以外で唯一機体が無事なクラッカー3に見張りを任せ、65式短剣を慎重にクラッカー4のコックピットブロックに差し込んだ。

「フッ!」

 コックピットの位置を正確に思い浮かべながら、クラッカー1は慎重に差し込んだ短剣をぐいとひねる。

「くそ、硬いな。戦車級の歯ならアッという間にぶち破ってくれるだろうに……」

「隊長~、物騒なこと言わないで下さいよ~」

 部下の情けない声を聞きながら、クラッカー1はどうにかクラッカー4を動かなくなった戦術機のコックピットから、助け出した。黒い強化装備を身に纏った女の衛士は、コックピットから這い出てきて、大きく一つ伸びをする。

「よし、クラッカー4。お前はしばらくそうしていろ。クラッカー2を助けたら私のコックピットに入れてやる」

「了解です。早めにお願いします」

 衛士にとって、戦場で戦術機を降りるというのは、裸で放り出されるに等しい恐怖があるのだが、クラッカー4はどうにか、理性でその恐怖を押さえ込み、隊長の命令に従った。

「よし、待ってろ。すぐに終わらせてやる」

 クラッカー2を助けようと、クラッカー1の撃震がナイフを構えなおしたその時だった。

「隊長! 22時の方向から何か来ます!」

 見張りに立っていたクラッカー3が声を上げる。

「なんだ、BETAか!」

「いえ、BETAではありません! ですが、戦術機でもありません。戦闘機? いや、とにかくよく分からないオレンジ色の機体が、こちらに迫ってきます!」

 それ以上の説明は不要だった。猛烈なスピードで近づくそれは、アッという間にクラッカー小隊の前までやってきて、急停止した。

 こうして間近で見ると一番近いのは、水上バイクであろうか。上に、人を乗せるようなくぼみもある。だが、その大きさは人が跨ることが出来るような大きさではない。ちょうど戦術機が跨るのにちょうどいいような大きさだ。

 そして、そこには戦術機ではない不思議な機体が乗っていた。全長は10メートルほど、大体一般的な戦術機の半分強といった大きさだ。緑と黄色という恐ろしく派手なカラーリングをしているが、新型の強化外骨格なのだろうか。

 子供が無理矢理、リッターバイクしがみついている様な感じで、まるきり大きさが合っていないが、今のクラッカー小隊にその姿を笑うだけの余裕はなかった。

 クラッカー小隊の皆が呆然としている間に、オレンジ色のホバーバイクから外部スピーカーで声が届く。

『こちら、αナンバーズ、特別救助チーム、ファ・ユイリィです。要救助者がいれば、こちらで引き受けます!』

 オレンジ色のホバーバイク――メガライダーからファが、そう呼びかける。

『おう、怪我で動けないんなら手を貸すぜ!』

 緑と黄色の強化外骨格――鋼鉄ジーグが素早くメガライダーから降りると、倒れているクラッカー2の撃震に近づいてくる。

「お、お前達は?」

『救援に来ましたαナンバーズ隊の特別救助チームです!』

『よし、ちょっと揺れるけど、我慢しろよ。オラア!』

「う、うわあ!?」

 クラッカー1とファが話をしている間に、鋼鉄ジーグは稼働不能な撃震に手を伸ばし、アッという間にその装甲を引き剥がして、コックピットに閉じ込められていたクラッカー2を助け出していた。クラッカー2は、クラッカー小隊で唯一の男性衛士だ。

 転がるようにして出てきた黒い強化装備を纏った男に、鋼鉄ジーグは声をかける。

『怪我はないか? 歩けるんなら、あれに乗ってくれ』

 指し示す先では、メガライダーがハッチを開けて待っている。

 メガライダーは、元々その上に1機から2機のモビルスーツを載せて、長距離航行が出来るように作られたオプション兵器だ。その中には、簡易居住空間が設けられており、その気になれば4~5人の人間が、一ヶ月くらいはその中で生活できるようになっている。

 なるほど、戦場での救助任務を受け持つには最適の機体だろう。

「た、隊長?」

「どうしましょう?」

 クラッカー2,クラッカー4が急展開する事態に付いていけず、小隊長に指示を求める。

 クラッカー1とて、事態が全く理解できていないことには変わらないのだが、さすがに小なりとも隊を預かるだけはあり、この場では迅速な決断が求められている事を理解していた。

「よし、二人ともこちらのお世話になれ」

「隊長?」

「い、いいんですか?」

 疑問の声を上げる部下に、クラッカー1は大胆に言ってのける。

「正直私もよく分からんが、彼らが生身の人間であることは間違いないようだ。少なくとも、BETAじゃない。なら、敵じゃないってことだ。ん? どうした、そこの機械化歩兵?」

『い、いや。なんでねえ。乗るなら早く乗ってくれ』

 クラッカー1の言葉に、なにやらビクリと反応した鋼鉄ジーグであったが、それをごまかすように言葉をつむぐ。

 やがて、クラッカー2,クラッカー4の二人は首を傾げながらも、メガライダーの中へと入っていく。

 二人を乗せたところで、メガライダーのハッチがしまり、また鋼鉄ジーグはメガライダーの上に無理矢理跨る。

 去っていく謎の機体と、謎の強化外骨格を、2機の撃震が無音で見送る。

「よし、私たちも後退するぞ。こんな所で死んだら犬死にだからな。ついてこい、クラッカー3!」

「了解!」

 やがて、二機の撃震は忠実に命令を実行し、初期防衛ラインまで後退していった。






 メガライダーの居住空間の中、シートに腰を下ろし、やっと息の整ってきたクラッカー2,クラッカー4の前に、おにぎりとお茶を乗せた盆を持ったゼオラが現れる。

「ええと」

「君は?」

 問われて、ゼオラは左手一本でお盆を支えながら、右手で敬礼する。

「は、私はαナンバーズ所属パイロット、ゼオラ・シュバイツァー曹長であります」

「あ、ああ。俺は、帝国陸軍第133連隊クラッカー小隊所属、クラッカー2西川少尉だ」

「同じく、クラッカー小隊、クラッカー4吉田少尉」

 αナンバーズの中では例外的に階級というモノに厳格なゼオラは、しっかりと背筋を伸ばしたまま、丁寧に対応する。

「私は、ファ・ユイリィです。運転中ですので、このまま失礼します」

 ファは、メガライダーの操縦席で前を見たまま、声だけで挨拶をする。

「よろしかったらどうぞ」

 ゼオラはそう言って、盆を二人の前の台座においた。さすがにお茶はこぼれないように密閉容器にストローがさしてある形だが、おにぎりはプラスチックの皿の上でフワリと湯気を立てている。

 もとより、日本出身者が多いαナンバーズでは、米はパン以上に多くストックしてある。これは、急きょラー・カイラムのキッチン班が用意した炊き出しだ。

「ああ、折角だしもらおうか」

「あ、私も」

 二人はおずおずとお茶に手を伸ばした。ストローを吸うと飲みやすく温めに入れた日本茶が、カラカラに乾いた喉を潤していく。身体が水分を欲していたせいか、それは日頃PXで飲んでいる合成日本茶より数段美味しく感じた。

 なまじ、中途半端に腹にモノを入れてしまうと、忘れていた空腹を意識してしまう。

 本来、強化装備を着たまま、一般の食物を口にするのは、排便の関係上あまり望ましくないのだが、なにかまうモノか。既に戦術機を失い、後方に戻る最中だ。

 万が一、予備の戦術機で再出撃することがあるとしても、トイレを済ませるくらいの余裕はあるはずだ。

 そんないいわけを頭の中で考えながら、二人はおにぎりに手を伸ばす。そしてそれを一口ほおばり、思わず目の色を変える。

「う、嘘だろ……」

「なにこれ、めちゃくちゃ美味しい。まさかこれ、本物のお米?」

 本物の米。それはこの世界で最高の贅沢品と言ってもいい。現時点で食料を自然食料だけでまかなうことが出来る国など、実に数が限られている。アメリカ、オーストラリア、アルゼンチンといったところか。だが、それらの国は、全て小麦を主食とする国ばかりで、米を主食とする国はない。

 つまり、金を出せば購入できるルートがないわけではない天然パンと違い、天然の米は正真正銘幻の食材と化しているのだ。

 呆然と訪ねる、クラッカー4――吉田少尉に、ゼオラは首を傾げながら答える。

「本物って、別に普通のお米だと思いますが?」

「え、そうか?」

「やっぱり、腹が空いてると何でも美味しく感じるのか?」

 当然、この世界の食糧事情など知るはずもないゼオラの回答に、二人は気のせいかと自分を納得させながら、残りのおにぎりを頬張った。

 お茶を飲み、おにぎりを食べ、人心地ついた衛士は、やっと戦況に気を配るだけの余裕が生まれる。

「それで、状況はどうなっているんだ? あんた達、αナンバーズだっけ? 援軍が来たんだろう?」

 クラッカー2の言葉に、ゼオラは誇らしげに大きな胸を張る。

「はい。戦況は順調です。ご覧になりますか?」

 そういって、モニターに外部の様子を映し出す。気を利かせたゼオラは、モニターを操作し、後方のハイヴ地上建造物を大写しにする。

 そこにはちょうど、低空飛行で此処までやってきた、ラー・カイラムとアークエンジェルの姿も映っていた。

「な、なんだ、あれは?」

「航空機、いや、戦艦、か?」

 クラッカー2もクラッカー4も驚きの声をあげる。見たこともない巨大な白い戦艦が二隻、低空を浮遊している。

「我がαナンバーズの母艦、ラー・カイラムとアークエンジェルです」

 ゼオラがにっこり笑って説明したその時だった。

 ラー・カイラムのハイメガ粒子砲とアークエンジェルのローエングリンが、同時にハイヴ地上構造物を襲う。

「「なっ!?」」

 モニターが焼き付くほどの光の奔流に、二人は思わず目を瞑る。

「っくしょう」

「なんだったの、今の……!」

 目尻に涙を浮かべながら、どうにか視力を取り戻した二人の前に映ったのは、

「なんだ、ありゃあ……」

「ハイヴが……吹き飛んでいる……」

 原形を留めないまでに破壊された、甲21号ハイヴの地上構造物跡であった。

 六年前から、ずっと祖国を蝕み続けた、憎きBETAを象徴する建物が、圧倒的な力にひれ伏したように、砕け散っている。

「…………」

「…………」

 二人の若い衛士は息をのむ。しばしの沈黙が続き、そして、

「「ウオオオオオオオ!!」」

「畜生、やった、やりやがった!」「本当に、俺達はやったんだ!」

 獣じみた雄叫びをあげる。それは、6年分の思いのこもった歓喜の雄叫びだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第一章その6
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/06/05 22:59
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第一章その6



【2004年12月20日16時1分、佐渡島ハイヴ上空、ラー・カイラム】

「それでは我が隊は、これより、ハイヴ攻略を開始します。目標は、ハイヴ最下層にある反応炉の確保と、ハイヴ内の全BETAの殲滅。それが不可能な場合は、速やかな反応炉の破壊。作戦の趣旨は、以上で問題ないでしょうか?」

『うむ。問題ない。よろしく頼む』

 モニターに映る小沢提督の目元が、赤く充血している。おそらく、泣いていたのだろう。

 それは、恥じることではない。二筋の閃光が、ハイヴ地上建造物を粉々に砕いたあの瞬間、泣かなかった兵士はいない。叫ばなかった兵士もいない。あのとき、佐渡島で戦う全ての帝国軍兵士が、心を合わせ、泣き、叫び、感情を爆発させていた。

 とはいえ、高揚する精神の高ぶりに任せて戦うのは、末端兵士の特権であって、指揮官には許されない贅沢だ。

 小沢は、歓喜に支配された己を恥じるように、厳めしい顔を作りながら、ブライト艦長との対話を続ける。

『おかげでこちらは、戦線の再構築が可能になった。30分後、再び戦線を押し上げる』

「それは……いえ、了解しました」

 一瞬言葉に詰まったブライトであったが、すぐに了承の意を伝える。確かに、地上戦力のフォローは非常にありがたいが、あまり無理をして欲しくないと言うのが正直なところだ。

 だが、これはあくまで彼らの戦いなのである。たとえ、ハイヴ攻略という一番大事な所をよそ者であるαナンバーズが、担当してしまうとしても、いやだからこそ、彼らが命をとして戦う権利を奪うわけにはいかない。

 小沢は、ブライトの僅かな表情の変化と口調から、何を言おうとしたのか、何を言わずに飲み込んだのか、ほぼ正確に理解した。

 自分と比べればまだ『若造』と言ってもいい、若い艦長の配慮に内心感謝する。

 事実上彼らαナンバーズがハイヴを攻略するのだとしても、それを指をくわえて見ていたのでは、日本という国は死ぬ。

 たとえ形の上だけでも、「αナンバーズと帝国軍が協力してハイヴを攻略した」という事実を残さなければならないのだ。

 我ながら欲張りなことだ、と小沢は内心笑う。

 つい一時間前まで、国体の解体か、全国民の死滅か、と魂がすり減るような二者択一を迫られていたはずの自分が、今は「国のメンツ」を考えて指揮を執っている。

 確かにそれも大事なことではあるが、もしこの場に一時間前の自分がいたら、こんな脳天気なことを考えている今の自分を、力一杯はり倒していることだろう。

『それでは、先ほどハイヴに突入した流星連隊の記録をそちらに送る。虫食いだらけで恐縮だが、一応、地下500メートル付近までの地図だ。少しでも役立ててもらえると幸いだ』

「了解しました。ありがたく使わせて頂きます」

 先ほどハイヴに突入した部隊、帝国軍最精鋭部隊であり、すでにハイヴで全員その命を散らしているという。ブライトは、死んでいった衛士達に敬意を示すように、ただ静かに礼を述べた。

『では、健闘を祈る』

「はっ、全力を尽くします」

 ブライトは見事な敬礼を見せる小沢に、精一杯の敬意を込めて、敬礼を返した。





 機動兵器部隊が、ハイヴ突入を控えた現在、αナンバーズ先行分艦隊で最も忙しいのは、間違いなくラー・カイラム、アークエンジェルそれぞれの整備班であった。

「ジムライフルを交換するんだぞ! なに?違う、そうじゃない! 弾倉の交換じゃなくてライフル自体を予備と交換するんだ! 撃ちすぎで銃身がへたってるんだよ! 

 ビームライフルのエネルギーパックはどうなってる!? 充電がすんだものと全部交換しておけよ!」

 ラー・カイラムの格納庫に、整備主任アストナージの大声が響きわたる。

 そうやって、整備班に指示を送りながらも、アストナージは手を休めず、自らはエヴァンゲリオン3機の動作チェックを行っている。

 モビルスーツの整備が出来る人間は多いが、エヴァンゲリオンのような特機を整備出来る人間は少ない。別段それは、彼らが無能というわけではない。モビルスーツやバルキリーといったある程度規格の定まった機体ならばともかく、マジンガーZ、ゲッターロボと言った特殊エンジンを積んだ特機や、果てには生物兵器に近いエヴァンゲリオンまで1人で整備できるアストナージのほうが、どこかおかしいのだ。

 ある意味、アムロやカミーユのような戦闘部隊のウルトラエース以上に、αナンバーズの特殊性を象徴している人物といえるだろう。

「フィンファンネルはこれで最後か? 最後か。アムロ大尉、フォウ! フィンファンネルの予備が尽きた、次からはちょっと使い方を考えてくれ!」

「分かった、アストナージ!」

「了解、次からは気を付けるわ」

 フィンファンネルを使う機体――νガンダム、量産型νガンダムに乗るアムロとフォウが、格納庫の隅で、水分を補給しながら、手を挙げて答えた。

 フィンファンネルは事実上使い捨ての兵器だ。一度背面フォルダから飛び立てば、二度と戻ってくることはない。もちろん壊れていなければ、後で拾い集めて再利用も可能だが、戦闘中の武器としては、やはり「使い捨て」と呼ぶしかない。

 整備班は、いつもと勝手の違う状況にとまどいを隠せなかった。これまでの各機の損耗率は、予想を遙かに下回る数値と、遙かに上回る数値のどちらかしかない。

 すなわち、装甲板や各部間接パーツなど、機体本体に関するパーツの消耗は極めて低いのに対し、弾薬やエネルギーパックなど、武器に関する消耗品の消費量は目をむくほどに高い。

 それでもビーム系の兵器はほとんど問題ない。ビームライフルのエネルギーパックは、格納庫の充電装置に30分も差し込んでおけば、満タンにたまる。エネルギーパックやビームライフル自体を破損しない限り、補給が途絶えることはないのだ。

 問題は実弾兵器の方である。特に消耗が激しいのが、全てのモビルスーツに備え付けられている、頭部バルカンの実弾、『60㎜弾』もしくは『75㎜弾』だ。

 今までαナンバーズが戦ってきた敵――宇宙怪獣や、バッフ・クランの巨大戦艦相手には、気休めにもならなかったこの武装が、対BETA戦では極めて有効だった。

 こちらの弾幕をかいくぐって、足下まで接近を果たした小型種を掃討するのに、これほど適した武装はそうない。

 事実、補給に戻ってきたモビルスーツのほぼ全てが、頭部バルカンを使い果たしていた。

 例外は、アムロ・レイのνガンダムと、カミーユ・ビダンのZガンダムだけだ。まあ、この二人の場合はそもそも「足下に集られるまでの接近を一度も許さなかった」というのだから、機体がどうこういう話ではない。単純に、搭乗者が人類の規格から若干はみ出していたというだけだ。

 やがて、整備と補給のすんだ機体に、パイロット達が乗り込んでいく。

 パイロット達が全員、各機体に乗り込んだ所で、通信機からオープンチャンネルで指揮官であるブライトの声が響く。

『今より10分後に、ハイヴ攻略を開始する。ハイヴ突入部隊は、エヴァ小隊、アムロ小隊、カミーユ小隊、バニング小隊。

 カガリ小隊とディアッカ小隊は、地上でラー・カイラムとアークエンジェルの護衛だ』

 これはある意味当然の配置といえた。なにせ、ハイヴ内部は補給が効かない。

 核融合エンジンを搭載している通常タイプのモビルスーツや、S2機関などという反則級の永久機関を搭載しているエヴァシリーズと違い、カガリ小隊とディアッカ小隊のモビルスーツは、バッテリーで動いている。充電電力が切れたら動くこともままならない機体を、補給のめどがつかないハイヴに放り込むのはさすがに、危険が大きすぎる。

 それに、現時点でも地上にはまだ、5万を越えるBETAが存在しているのだ。艦の護衛は絶対に必要だ。

『なお、ハイヴ内部では通信が妨害される恐れがあるそうだ。各機、あまり離れるな。念のため、アムロ機とバニング機に、フォールド通信機を搭載しておいた。外部との通信は、二人が担当しろ』

『分かった、ブライト』

『了解』

 空間と空間を直接入れ替えるフォールト通信は、フォールド断層以外で妨害されない。確実に外と連絡が取れる手段があるというのは、突入部隊を精神的に楽にさせてくれる。

『既にデータは各機のコンピュータに送ってあるが、見ての通りハイヴの地図は地下500メートルまでしかない。ハイヴの予想最大深度は1200メートル、後700メートルは地図なしになる。十分に注意して、素早く攻略するんだ』

 あまりと言えばあまりなブライトの言葉に、「おいおい、どっちだよ」とか「ちょっと矛盾してないか、その条件」と言った声が漏れる。

 だが、その声色はあくまで苦笑に彩られたもので、悲壮感のようなモノは欠片もない。まあ、αナンバーズにとって、味方の援護を期待できない敵地に乗り込むというのは、特に目新しいことではない。

 こんな事でいちいち動揺していては、αナンバーズはつとまらない。

「よーし、全機整備完了だ! 思いっきりやってこい!」

 ギリギリまで最終チェックを行っていたアストナージが、作業着の袖で額の汗を拭い、大声を上げる。

『了解、行ってくるよ、アストナージ』

 ケーラがジェガンのコックピットから外部マイクでアストナージにそう答える。女パイロットと整備主任の間柄を知っている周りの若い整備士達から、ヒューヒューと冷やかしの声が挙がった。










【2004年12月20日16時34分、佐渡島ハイヴ深度300メートル】


 αナンバーズがハイヴ内で行っている戦闘、それはこの世界の衛士が見れば、頭を抱えるくらいに非常識なモノだった。

「来るぞ、シンジ!」

「はい、ATフィールド全開!」

 まず、先頭に立つシンジのエヴァ初号機がその強力なATフィールドで狭い通路の前方を完全にふさぐ。

 突撃級、要撃級、その他小型種も纏めて赤い壁を破れずにガチガチと向こう側で足掻いている。

 その隙に、エヴァ初号機の両脇に、2機のモビルスーツがスタンバイする。

 右に、ビームバズーカを構えた、バニング大尉のガンダム試作2号機。

 左に、ハイパーメガランチャーを構えた、カミーユのZガンダム。

「よし、今だ、シンジ!」

「はい! ATフィールド、カット!」

 ATフィールドをぐっと一度奥に押し返し、次の瞬間シンジはATフィールドを消失させる。

 当然遮るものがなくなったBETA達は、堰を切ったように押し寄せようとするが、それより先にバニングと、カミーユがトリガーを絞る。

「落ちろよ!」

「直撃させる!」

 BETAという濁流は、ビーム粒子というもっと強い激流に正面から飲み込まれた。高出力粒子ビームをまともに食らえば、突撃級の外殻も、要撃級の爪も纏めて吹き飛ぶ。だが、さすがにそれだけで全滅とは行かない。他のBETAが上手い具合に盾となり、生き延びたBETAがちらほら見える。

 戦車級が4匹、闘士級が2匹、そして要撃級が一匹。どれも無傷ではないが、そんなことにはお構いなしだ。足を失い、体液を滴らせながら、それでも何の痛痒も感じていないように、まっすぐこちらに向かってくる。

 無論、それを黙って見過ごす理由などどこにもない。

「つっこめ、無駄弾を使うことはない!」

「はい!」

「いくわよ!」

 アムロの号令にあわせ、フォウの量産型νガンダムと、エマのリガズィが、ビームサーベルを構え突撃する。リガズィは日頃、バックウェポンシステムを装備し、戦闘機形態をとっていることが多いが、さすがに今回は、モビルスーツ形態をとっている。蟻の巣のようになっているハイヴ内を、戦闘機形態で飛び回れるほど、エマの腕は卓越していない。

 量産型νガンダムとリガズィは、闘士級を踏みつぶし、戦車級を切り払い、要撃級を滅多切りにした。この程度の数ならば、ビームサーベルでの接近戦でも、モビルスーツが負けることはないだろう。

 帝国軍の衛士と比べれば、αナンバーズのモビルスーツ乗りは、剣の技量では劣る者が多いかも知れない。だが、戦術機のスーパーカーボン製の長刀とビームサーベルとでは、破壊力が違う。

 そうして前方に立ちふさがるBETAの群を完全無欠に駆逐しながら、アムロ達はハイヴの奥へと進んでいく。

 この世界の衛士が見たら、あきれて何も言えないような力尽くの突破だ。
 
 なにせ、ATフィールドという絶対的な防御力を持った壁役がいる上に、機体は全て半永久的に稼働可能な核融合エンジン搭載か、S2機関搭載だ。

 その上、試作2号機のビームバズーカや、Zガンダムのハイパーメガランチャー、νガンダムのビームキャノンと言ったように、機体のジェネレーターをエネルギー源とする兵器がいくつかあるため、部隊単位での完全な弾切れというのが存在しない。

 それ以外の機体にしても、最低限ビームサーベルは有るのだから、丸腰になることはないのだ。

 推進材、燃料電池、武器弾薬、全ての制限を考えながら戦わなければならない、この世界の戦術機とでは、根本的に初期条件が違いすぎる。

「よし、ゆっくりしている理由はない。とっとと進むぞ」

 指揮を執るように、バニング大尉が声を上げる。

 一応、突入部隊の部隊長はアムロ、副隊長がバニングとなっているが、声だしはバニングがやる方が多い。

「「「了解!」」」

 一同は、声をそろえて返事を返すと、前をシンジのエヴァ初号機とアスカのエヴァ弐号機、後ろを綾波のエヴァ零号機に護られながら、斜め下へと伸びるハイヴ横坑を降りていった。





 順当に下へ下へと進む中、最初にその異変に気付いたのは、やはり最もニュータイプ能力の高いカミーユだった。

「ッ、アムロさん!」

「ああ、これはっ」

 一瞬遅れて反応するアムロに、バニング大尉が問いかける。

「どうした?」

 答えたのはカミーユの方だった。

「なんだか、気配を感じたんです。この下から人の気配を」

「馬鹿な? ハイヴの中に人がいるわけがない。先の突入部隊だって、全滅したはずだ」

 バニングはカミーユ達の感覚を否定する言葉を述べる。

 だが、同時にバニングは思い出す。正確には先の突入部隊――流星連隊はどうなったと言っていた?

「主縦坑を攻略していた第一大隊は全滅、横坑の安全確保を担当していた第三大隊も壊滅。そして、補給コンテナを護っていた第二大隊からの連絡もとぎれた」

 確か、そう言っていた。

「? 第二大隊からの『連絡が途切れた』?」

 バニングは、自分たちが勝手な思いこみをしていたことに気付いた。

 状況が状況のため、そう思ってしまうのも無理はないが、「連絡が途切れた」のと「戦死が確認された」のは別なのだ。

「全員、その場に止まれ! 物音を立てるな!」

 バニングは素早く全員にそう命じる。同時に各種センサーの感度を最大にする。

「「「…………」」」

 思わずコックピット中で息まで殺して、皆沈黙を保つ。

 やがて、振動センサーが下方からズンという重い衝撃を拾う。同時に、外部スピーカーに遠くで何かが爆発したような音が届いた。

「これは……?」

「バニング大尉! 確か、この国の機体は自決用に爆弾を積んでると言ってませんでしたか」

 アデルの言葉に、バニングはすぐに反応する。

「総員、降りるぞ! まだ、生き残りがいるかもしれん! カミーユ!」

「分かってます! 先に行きます!」

 カミーユのZガンダムは、その場でウェイブライダーに変形すると、先陣を切り下方に繋がる縦坑へと飛び込んでいく。

 こういったところは、モビルスーツが戦術機に劣っている点だろう。元々、ハイヴ攻略を念頭に置いて作られたわけではないモビルスーツは、飛行能力を有していない機体が多い。垂直に近い縦坑を降りるには、どうしても慎重にならざるを得ない。

 そのため、この中で唯一の可変機、唯一飛行能力を有するZガンダムが、単機で先行するのだった。









「見えた、そこか!」
 
 単機先行したミーユの視界に、その光景が見えてくる。そこは、縦坑と横坑が複数交差する大きな広間だった。

 天井が高く、広さも十分になる。無理をすればウェイブライダーのまま、飛び回れるくらい広さと高さだ。

 その中央に、戦術機――不知火の姿が見える。6機の不知火が、複数の補給コンテナを中心にグルリと輪になって、互いの背中を護っている。

 そして、その周りにはBETAがいた。どこに、と言う問いはこの際無意味だ。全てだ。ウェイブライダーが飛び回れるくらいに広い空間に、一欠片の隙間もなく、ぎっしりとBETAがひしめいている。

 いわば、BETAの海の中央に、不知火6機が小島を築いて、辛うじて溺死を免れているという状態だ。

「おまえ達、やらせるかあ!」

 カミーユは吠えた。上からビームライフルをBETAの海に撃ちおろす。一見すると、頭に血が上って乱射しているようにも見えるが、その光弾は例外なく、要塞級、突撃級といった大物を撃ち貫いている。

 ハイヴ内ではBETAはレーザーを撃ってこない。そのため、こうして宙を舞うウェイブライダーに攻撃可能なのは、壁づたいに天井に上がり落ちてくる小型種と、要塞級の触手ぐらいだ。もちろん、そんなとろくさい攻撃を食らうカミーユではない。

「無駄なんだよ!」

 狭い限定された空間とは思えない機動で巧みに要塞級の触手を回避すると、ビームガンの掃射でその要塞級もうち倒す。

 確かにウェイブライダーは、BETAに対し圧倒的だ。しかし、やはりBETAの数はそれ以上に圧倒的だった。

 カミーユが5匹、10匹と倒しても、広間に繋がる縦坑・横坑から、50匹、100匹とBETAが広間にやってきている。

「畜生、このままじゃ!」

 カミーユはウェイブライダーを天井ギリギリまで急上昇させ、そこでZガンダムに変形させる。当然、機体はまっすぐ下に落ちるが、足と背中のバーニアで落下速度を限界まで殺しながら、ハイパーメガランチャーを構える。

「消えてなくなれえ!」

 ほとばしる琉光の奔流は、BETAの海に僅かな干拓地を築く。カミーユは素早くそこにZガンダムを着地させた。

 無論、それはほんの一瞬のことだ。すぐに全方位からBETAが押し寄せる。爪を振り上げる要撃級、頭からつっこんでくる突撃級、そして足下からはい上がってくる戦車級。

 だが、それでどうにかなるほどカミーユ・ビダンは甘くない。

「近寄るな! お前達は、存在してはいけないんだよ!」

 ビームライフルの銃口から、長大なビーム刀身を発生させ、近寄るBETA達をなで切りにする。

 文字通り、BETAの海を切り裂き進み、カミーユは円陣を築く6機の不知火の側までやってきた。

 不知火に乗る、流星連隊第2大隊の生き残り達からしてみれば、突然乱入してきたZガンダムは全く見覚えのない、とてつもなく不審な存在だったはずだ。

 大きさこそ既存の戦術機とほとんど変わらないが、全く見たことのないフォルムをしており、さらには戦闘機形態に変形も可能で、あまつさえ攻撃は全てビーム兵器。

 いくらこんな状況だからと言っても、「何者だお前?」という思いはあったに違いない。だが、そんな無駄な問いは行わず、弾幕を張り続けた彼らは、選りすぐりの精鋭に相応しい判断力を兼ね備えているといえた。

「大丈夫ですか!」

 問いかけるカミーユの言葉に、不知火に乗る衛士の1人が言葉を返す。

『君は? もしかして、援軍に来てくれたのか!』

 返ってきた言葉の意外性に、カミーユは思わず返答に詰まる。

 この人は今何と言った? 援軍、といったのか? 普通、この状態で出てくる言葉は違うはずだ。10人いれば10人が「救出に来てくれたのか?」と聞くはずだ。

 救出とは自分たちを救いに来てくれる者のことであり、援軍とは自分が達成しようとしている目標に力添えしてくれる存在のことを言う。

 つまり、彼らはこの期に及んでも、脱出しようとしていたのではなく、当初の予定通り目的を達成しようとしていたということだ。

「ハイヴ最下層の反応炉を破壊する」という目標を。

「駄目だ、貴方達はここで死んでいい人たちじゃない!」

 知らずにカミーユは叫んでいた。不知火の輪の中に入り、ビームライフルをうち続ける。

「大丈夫です、今、助けが来ますから! それまで!」

 まるでその言葉を待っていたかのようなタイミングだった。



『はあああ!』

『すみません、カミーユさん。遅れました!』

 戦術機の倍ほどある2体の巨人が、縦坑から飛び降りてくる。

 アスカのエヴァ2号機が、縦坑から飛び降りざま、攻撃的ATフィールドでBETAを纏めて薙ぎ払い、足場を確保し、一瞬遅れて降りてきたシンジの初号機が、防御的ATフィールドで、自分とアスカを護る。

 さすがのコンビネーションで、シンジとアスカは、縦坑の真下に小さな橋頭堡を確保した。

 その小さな空間に、続いてアムロのνガンダムが降りてくる。此処を勝負所の一つと見たのだろう。着地と同時に、6枚しかないフィンファンネルの内、3枚を同時に起動させる。

『そこだ、フィンファンネル!』

 アムロは、3枚のフィンファンネルと、シールドに備え付けられたビームキャノンを巧みに使い、BETAの群に弾幕を張る。アムロ一機で事実上、4機分の弾幕が張れるわけだ。じわりと、BETAの海の干拓地が広がる。

 そこに今度は、エマ中尉のリガズィと、フォウの量産型νガンダムが同時に降りてくる。

『二人とも、弾幕を張ってくれ! フォウ、ファンネルを使うんだ!』

『了解です、アムロ大尉!』

『はい、フィンファンネル!』

 3体のモビルスーツが、3つのビームライフルと、6つのフィンファンネル、あわせて9つの銃口を持ってBETAの群を駆逐していく。

 ぐっと大きく広がったこちらのテリトリーに、さらなる増援が次々と降りてくる。

『よし、一気に行くぜ!』

『あまりで過ぎるな、モンシア』

 バニング大尉率いる、バニング小隊の4人が、同時に降下し、

『どうやら、間に合ったみたいだね』

 続いて、ケーラのジェガンも降りてくる。

 最後に、殿の守りを引き受けていた綾波のエヴァ零号機がやってきた。これで、全員が再び合流したことになる。

『よし、一気に押しつぶすぞ!』

「「「了解!」」」

 バニングの号令に一同は、景気のいい返事を返し、その言葉通り圧倒的な火力で広間のBETA達を駆逐し始めた。









『す、すごい』

『本当に、あれだけいたBETAを全滅させた……』

 30分後、BETAの流入の止まった広場で、流星連隊の生き残り6人は、呆然と立ちつくしていた。

 広間はやけにガランとしていた。BETAの死体が溜まり、射線が遮られるようになる度に、Zガンダムのハイパーメガランチャーと、ガンダム試作2号機のビームバズーカで死体を纏めて吹き飛ばしたからだ。

 これが、戦術機のように実弾兵器だけで相手をしていたら、今頃この広間はBETAの死体で身動きも取れなくなっていたことだろう。

 ほとんど無限とも思えたBETAの群を、一時的にでもこの広間から駆逐した謎の救援部隊の偉容に、流星連隊の生き残り達は、息も忘れて見入っている。

『αナンバーズ、機動兵器部隊隊長アムロ・レイ大尉です。こちらの責任者は?』

 アムロに問われ、一体の不知火が一歩前に踏み出す。

『流星連隊第2大隊所属、ライカ小隊隊長、前島中尉です』

 それはまだ若い男の声だった。

『任務遂行ご苦労様です。俺達は……』

 アムロは簡単に自分たちの事を説明する。無論、異世界から来たことなど、信じさせるのに時間のかかることは全て省き、現状で必要なことだけを伝える。

 自分たちは、救援に来た外部部隊であること。地上の戦況は、五分五分まで持ち直していること。そして、自分たちが流星連隊に替わり、ハイヴ攻略を任されたこと。

『そうでしたか』

 前島中尉は、ほっと一つ息を吐いた。

『君たちはこのまま、地上に戻ってくれ。何人か護衛を付ける』

『いえ、自分たちは大丈夫です。ですから、全力でハイヴ攻略をお願いします』

 それは前島中尉1人の言葉だったが、心は他の五人も全く一緒だった。

 自分たちの命を守るために、ハイヴ攻略の戦力を裂くなど、絶対に許されない暴挙だ。

『駄目だ、危険だ。上の階層も完全にBETAを掃討したわけではないんだぞ』

 それでも首を縦に振らないアムロに、前島中尉は言い募る。

『大丈夫です。幸い、弾薬や推進材は豊富にありますし、帰り道なら地図もあります。地上に帰るだけならば、問題有りません』

 事実上彼ら第2大隊は、一個連隊分(108機)の補給物資を一個大隊弱(約30機)で使っていたのだ。補給には事欠かない。それに不知火はモビルスーツと違い飛行が可能なのだ。

 確かに、下手に守りを付けて足を遅くするよりも、最短距離を最大速度で飛び抜けてしまった方が、かえって危険は少ないのかも知れない。

『わかった。気を付けて帰還してくれ』

 そう考え、アムロも同意する。

『はい! では、反応炉破壊を、日本をよろしくお願いします!』

「「「お願いします!」」」

 6機の不知火から、あわせたようにそろった声が挙がる。

『了解した』

 答えを返したのはアムロだけだったが、その思いはこの場にいるαナンバーズの全員が受け止めていた。










【2004年12月20日18時5分、佐渡島ハイヴ上空、ラー・カイラム】

 冬の18時は、夕方というより夜に近い。ほとんど日が暮れかかった佐渡島は、代わりに無数の軍用ライトで辺りを照らし、BETAとの戦闘を継続していた。

「左舷、弾幕薄いぞ! なにやってんの!?」

 ラー・カイラムもハイヴ上空に陣取ったまま、近寄るBETA達に猛攻撃を加えている。

 低空を飛んでいるラー・カイラムとアークエンジェルにとって、驚異となるのはレーザー級、重レーザー級、そして要塞級の3種類だ。

 もう少し高度を取れば、要塞級の触手など全く届かなくなるのだが、そうなるとどうしてもレーザー級の攻撃を一身に浴びてしまう。

 元々、動きが鈍い要塞級は、護りについているモビルスーツ達から見るとカモのようなものだ。この高度を保っているのが正しいだろう。

 もっとも、この低高度でも図体が大きく、空に浮いているラー・カイラムとアークエンジェルは、レーザー級の熱視線を一身に浴びる存在であることに違いはないのだが。

 また、ドンと爆音が響き、艦全体が小さく揺れる。

「くうう……状況報告!」

「右舷に重レーザー照射を受けました! 内部で誘爆! 隔壁、自動消火装置は正常に作動しています!」

 防御力、ダメージコントロール能力ともに、ラー・カイラムはこの世界の戦艦と一線を画している。これまでにも、何度か、レーザー級、重レーザー級の攻撃は受けているが、今のところ航行に支障をきたすダメージは受けてない。

「重レーザー級の位置を洗い出せ! すぐに、迎撃に向かわせろ!」

「カガリ機が既に向かっています! あっ、重レーザー級の反応消失しました」

「あの、猪突猛進お姫様が……」

 ブライトは思わず苦い顔をした。いくら何でも早すぎる。距離的に考えて、エールストライクルージュは空を飛んでいったとしか思えない。

 危険だから、可能な限り空は飛ぶなと厳命してあるのだが、どうやらオーブのお姫様の頭は熱がたまると、情報の一部を破損させる欠陥があるらしい。

 とはいえ、その無謀とも言える吶喊攻撃のおかげでラー・カイラム、アークエンジェル両艦の負担が激減しているのも確かだ。だからこそ、叱責も難しい。

 なんとも、扱いづらいパイロットである。もっとも、αナンバーズでは、扱いやすいパイロットというのは、数えるほどしかいないのだが。

 それでも戦況は順当に推移しているといえた。

 この状態ならば、地上部隊はまだまだ優位に戦える。とはいえ、いくら機体自体は活動可能でも、動かしているのは生身の人間だ。人間は不眠不休で戦えるようには出来ていない。

 戦艦のクルーはまだしも、機動兵器のパイロット達は相当疲労がたまっていることだろう。

 そう考えれば、朝から今まで10時間以上戦っている帝国兵士達のがんばりには本当に頭が下がる。兵器はともかく、兵士の質はこの世界の方が高いのかも知れない。

「いずれにせよ、今の我々はアムロからの連絡待ちか……」

 ブライトがそう呟き、艦長席のシートに身を埋めたその時だった。

「艦長! アムロからフォールド通信が入っています! そちらに回します!」

 トーレスの声が、艦橋に響きわたる。

「よし、こちらブライトだ。どうした、アムロ?」

『ブライトか。こちらは反応炉にたどり着いた。しかし……』

 つき合いの長いエースパイロットからの苦い報告を聞き、ブライトは眉をしかめる。

「了解した。そっちはお前の判断に任せる』

 アムロからの報告を聞き終え、ブライトは一つため息をつく。戦場では、なかなかこちらの思うとおりにいかないのが定石というものだが、それはこの世界でも当てはまるようだ。

「トーレス、『最上』の小沢提督と通信を繋いでくれ」

「了解!」










 帝国軍の前線総司令部である、旗艦『最上』。暗く静まり返った日本海に浮かぶその艦の中は、海の様子とは裏腹に、明るい報告の連続にわき返っていた。

「再編成した、第33機甲連隊、進軍を再開。順調に前線を押し上げています」

「斯衛大隊、健在。損耗率18パーセント」

「ポイントA-23-303で、アップルジャック中隊が補給を要請しています。周囲10キロに健在な補給コンテナは有りません。特殊砲撃を要請します」

 どれもこれも、始まった当初と比べると、順調な報告ばかりだ。さらに、そんな中でも彼らの志気を一気に最大限まで引き上げる報告が入る。

「ッ!? 流星連隊第2大隊より連絡! ハイヴ攻略をαナンバーズに引き継ぎ、地上に帰還! 前島中尉以下6名が生還!!」

 108人中、たったの6名。だが、生存が絶望視されていたハイヴ突入部隊の生還報告に、艦内は沸き返った。

「生きていたか……戻った6人は後方に下がらせろ! 司令部からの絶対命令だといえ!」

「了解しました!」

 思わず、小沢は大きな声で命令した。ハイヴに突入し、そこで7時間を超える戦闘を経験し、生還した衛士達。これは、国の宝だ。絶対に彼らを失うわけには行かない。彼らの情報、彼らの経験、彼らの魂。全てが、どんなレアメタル、レアアースより貴重な帝国の財産だ。

 そこに、ブライトからの連絡が入る。

「提督! ラー・カイラムから通信が入っています!」

「むっ、回してくれ」

「了解」

 すぐに小沢の前のモニターに、ブライトの顔が映し出される。

「おお、ブライト艦長。どうしたのかね?」

 その顔は、思っていた以上に優れない。今更、何か悪い報告でもあるのだろうか? 平静を装う小沢の鼓動が、緊張で高鳴る。

 モニターの向こうで、ブライトは無念そうに話し始めた。

『はい。先ほど、突入部隊から連絡がありました。彼らはどうにか、ハイヴ最下層の反応炉までたどり着いたのですが・・・・・・』

 まさか、彼らを以てしても駄目だったのか? 一瞬で小沢の顔から血の気が引く。

 だが、その続きは、小沢の予想を遙かに超えるものだった。

『三十分ほど前から、反応炉のある広間でBETA迎撃を続けていたのですが、残弾が危険な域まで達しています。これ以上の戦闘継続は危険と判断し、目標を反応炉の確保から、破壊に切り替えました』

 まことに申し訳有りません、とブライトは己の力不足を噛みしめるようにそう言った。

 小沢はとっさに言葉を返せない。それでもどうにか気を取り戻して、言葉を返す。

「あ、ああ……そうかね。反応炉の破壊は、すぐに実行に移せるのかね?」

『はい。反応炉の破壊ポイントに関するデータは、横浜の香月博士より頂いています。破壊するだけなら、何の問題もありません』

「了解した。では、よろしく頼む」

『はっ、最善を尽くします』

 敬礼をして、ブライトからの通信は切れた。

「……ふう」

 小沢は、ものすごく深いため息を一つ吐く。

 よもや彼らが、本気で反応炉の確保を目指しているとは思わなかった。

「しかも、反応炉の前で、30分以上戦闘を継続していただと?」

 そこは、人類が今まで経験したこと無いような、BETAの圧力があったはずだ。そこで30分。

 本当に彼らは何者なのだ? 戦闘の終結が間近に見えてきたことにより、改めて小沢の頭にその根本的な疑問が浮かぶ。

 アメリカやEUの新兵器、と言う可能性はない。いくら今の帝国が国際社会から孤立しているとはいっても、あんな化け物じみた戦艦や戦術機が開発されていれば、兆候ぐらいは掴んでいる。

 では、香月博士が作った新兵器か? その可能性も薄い。確かに彼女は掛け値なしの天才だが、魔法使いでも錬金術師でもない。あれだけの、兵器を作るだけの資材をどこから調達したというのだ。

「となるとやはり、オルタネイティヴ6か」

 小沢は周りの誰にも聞こえないように、小さな声で呟く。

 日本が命運をかけ、結局廃棄されたオルタネイティヴ4。現在世界を席巻している、オルタネイティヴ5。それに続く、全く新しい計画、オルタネイティヴ6が香月博士の元、始動しているという話は聞き及んでいる。

 しかし、6で香月博士に与えられた予算は4の百分の一、権限は千分の一と程だったと聞いている。いったいそれでどうやって、あんな化け物じみた戦力をそろえたというのだろうか。

「まあ、いい。そういった話はまた明日だ」

 小沢は、被りっぱなしだった帽子を取って、こりをほぐすように首を回す。

 また明日。何と良い言葉だろうか。明日という日がやってくることが前提の言葉。

 それを今は臆面もなく口に出来る。今の日本には明日があるのだ。こんな喜ばしいことはない。



 
 それから十分後、ラー・カイラムのブライト艦長から、反応炉が無事破壊されたとの報告が入った。









【2004年12月20日17時00分、横浜基地地下19階、研究室】

「そうですか。無事に終了したということですね。ありがとう御座います。私からも、この世界を代表してお礼を言わせていただきます。それで、戦艦の停泊場所ですが、当横浜基地の使用許可を取り付けてあります。

 私達の技術ではあまりお力になれないとは思いますが、可能な限りお手伝いをさせて頂きます」

 通信が切れ、無音となった研究室で、香月夕呼はギシリと身体をパイプ椅子の背もたれに預ける。

「反応炉の破壊に成功。αナンバーズに死傷者は無し。大破以上の機体も無し、か。どうやら、とんでもない化け物集団を呼んでしまったみたいね」

 夕呼は、ポットから煮詰まりかかった合成コーヒーをカップに入れ、一口すする。

「さて、色々面倒な話なるでしょうね。帝国への説明、国連への説明。アメリカも黙ってはいないでしょうし……」

 正直、頭の痛いことだ。しばらくは、オルタネイティヴ4の研究に、時間を割けなくなるかもしれない。

 だが、そんな夕呼の思考時間をぶちこわすような騒がしい人間が、研究室に乱入してくる。

「先生、先生、先生!」

 ここに夕呼の許可無く入ってくる人物は3人しかない。さらに、これだけ五月蠅い奴となると、1人だけだ。

「なによ、白銀。あんた、待機中にこんな所にきていいの?」

 騒がしい乱入者――国連軍衛士、白銀武少尉に、夕呼はうんざりしたような声で問う。佐渡島で大規模な戦闘が行われていたのだ。ここ、横浜基地でも戦闘員には即時戦闘に入れるよう、待機命令が出ていた。

 だが、武はそんな夕呼の様子に気付く余裕もなく、必死の形相で言い募る。

「その待機命令がさっき解けたんですよ! ってことは、佐渡島ハイヴの結果が出たって事でしょ!? 先生の所だったら、詳しい情報が入ってませんか?」

 夕呼は一瞬で考える。適当にあしらって、追い返すこともできるが、どうせすぐに報告は入るし、問題のαナンバーズもこの横浜基地に来るのだ。寧ろ、最低限の説明をしておいた方が、後の面倒が無くてすむ。

「ハイヴ攻略は成功よ。佐渡島ハイヴの反応炉は破壊されたわ。残存BETAは地中に撤退。帝国軍も大打撃を受けたけれど、一応健在みたいね」

 あっさりとした夕呼の言葉に、武はぽかんと口を開ける。

「マ、マジですか?」

「マジよ。何遍いってもその白銀語直らないのね。なに、なんか不満? あんたは佐渡島ハイヴが落ちたら拙い理由でもあるわけ?」

「い、いや、そんなことは無いですけど。でも、今回の作戦、滅茶苦茶成功率が低かったんでしょ? そりゃ驚きますよ」

 白銀もこの世界に来て既に3年。今回の『竹の花作戦』がどのくらい無謀な作戦であったか、理解できる程度の知識は身に付いている。

「そうよ。実際、成功率が低いというより、ゼロではないってレベルね」

 夕呼はあっけらかんとした口調で答え、肩をすくめる。

「そ、それがどうして成功したんですか?」

「救援が現れたのよ」

「救援? アメリカですか? もしかして、G弾」

「違うわよ。救援に来たのはあんたのお仲間」

「俺の? ってことは国連軍ですか!」

 察しの悪い武の返答に、夕呼はうんざりしながら、言葉を紡ぐ。

「違うって。だから、あんたのお仲間。あんたはどこから来たの? 3年前、あんたはどこにいた?」

 そこまで言われて、やっと武も夕呼が何を言っているのか、理解した。

「じゃあ、そいつらも俺と同じ平行世界から……?」

「正確には同じ平行世界じゃないわ。最低でも、数百年は科学技術が進歩した世界から、来たみたいね」

 そうしている間に、夕呼のコンピュータにラー・カイラムから今回の簡易戦闘データが届く。

「ああ、丁度そいつらの戦闘画像データが届いたわ。見る?」

「い、いいんですか?」

 あまりにあっさりとした夕呼の態度に、逆に武は不安になって確かめる。

「かまわないわよ。どうせ、明日には本物がここに来るんだし。あんたは全くの無関係とは言えないんだから。ただし、ここで見たものは他言無用よ」

 正確には、無関係どころか、武は彼らをこの世界に呼びだした『オルタネイティヴ6』の中核人物の1人だ。本人には全く自覚がないだろうが。

「は、はい。分かりました」

武が頷くのを確認して、夕呼はモニターの電源を入れた。いきなり、画面一杯に、戦艦アークエンジェルが映し出される。

「うわあ、すげえ! なんですか、これ!?」

「五月蠅い、静かに見なさい」

 夕呼にたしなめられ、武は口を閉ざす。

 戦闘データは次々とαナンバーズの勇姿を映しだしていく。無論映画ではないのだから、揺れはひどいし、必ずしも見たい対象が画面の真ん中に映るとは限らないのだが、生の迫力はそんなものを消し飛ばすものがある。

 ローエングリンで1000を越えるBETAを吹き飛ばす、アークエンジェル。

 重レーザー級の集中照射も全く歯牙にもかけないエヴァシリーズのATフィールド。

 そして、ほとんど全てのモビルスーツに配備されている、突撃級の外殻も正面から打ち抜く、ビームライフル。

 気がつけば、武は叫ぶのも忘れて画面に見入っていた。

「……すげえ」

 武の手前、冷静さを装っているが、実際の所受けた衝撃の大きさで言えば、夕呼の方が上だろう。

 武には「滅茶苦茶すごい兵器」にしか見えないものも、なまじ知識と見識が有るせいで、夕呼にはそれがどれだけとんでもない代物か分かるのだ。

 しばらくして、やっとある程度衝撃が抜けた武は、モニターの前で跳びはねるようにして喜びを露わにする。

「すごい、すごいですよ、夕呼先生! この人達がいたら、BETAなんて楽勝じゃないですか!」

「そこまで話は簡単じゃないわよ」

 どこか不機嫌そうに返す夕呼の様子に、気付くこともなく武は喜色満面、言葉を続ける。

「だって、これ、BETAが全然相手になってませんよ! 実際この人達が、反応炉を破壊したんでしょ!?」

「……まあね」

「すげえ、マジ、すげえ!」

 脳天気な武の喜びように、夕呼の苛立ちは最高潮に達する。

「分かったから。ほら、もう帰りなさい。明日になったら、本人達に会わせてあげるから」

「マジですか? 絶対ですよ!」

「はいはい、マジマジ。だから、出ていく。私は忙しいのよ」

「分かりました。それじゃ、絶対明日、お願いしますよ、先生!」

 よほど嬉しかったのだろう。大して抵抗もしないで、武は夕呼の研究室から出ていった。



 再び静寂が戻った研究室で、夕呼は入り口の鍵をしっかりとかけると、大きくため息をついた。

「ったく、あの脳天気は。まるで状況を理解してないのね。いっそ、羨ましくなるわ」

 白銀武とαナンバーズをさっきはお仲間、と言ったが実際には比較にならないくらい大きな違いがある。

 それは、白銀武が本人の意思とは無関係にこの世界に来てしまったのに対し、αナンバーズは、こちらからSOSを送信したとはいえ、「本人達の意志でやってきた」と言う点だ。

 つまり、彼らにはこの世界にやってくるだけの理由があるということになる。

「あれだけの戦力よ。資金、資材、人材を大量に消費して兵器をつくって、命の危険を冒して戦って、BETAを倒した後「では、これで役割はすんだのでさようなら」なんて言うと思っているのかしら。どこのおとぎ話のヒーローよ、それ。実在するなら、是非お目にかかりたいものね」

 人は目的なくして動くことはない。まして、組織となるとそれは絶対だ。

 確かに無数に広がる平行世界の中には、そんな都合のいい集団がいる可能性もゼロではないのだろうが、それは非現実的なまでに低い可能性だろう。

 一応彼らは、こちらのSOSを受けてやってきたのだ。しかも、いきなり佐渡島ハイヴを攻略してくれている。

「つまり、最低でも当面表層的には、こちらと利害が一致しているというわけね。彼らの目的が新兵器の実践テストとかだったら、いいんだけど」

 それならば、一番利害を一致させやすい。こちらは、彼らの補給を可能な限り支えてやり、適度な戦場を提供してやればいいのだから。

 実際その可能性は、低くないだろう。さっきちょっと見ただけでも、彼らの兵器は、驚くほど粒がそろっていなかった。20機程度の機動兵器で、同じ種類でそろえているのが、せいぜい2,3機程度なのだ。

 新兵器の実践トライアルと言われても、正直納得は行く。

 無論、可能性はそれだけではない。もしかすると、G元素を求めてきているのかも知れないし、何らかの調査が目的なのかも知れない。最悪、彼らこそが異世界からの侵略者という可能性だって否定は出来ない。

 あらゆる可能性を考慮しておく必要がある。そう言う意味では「彼らが全く私心のない、異世界から来た救世主である」という可能性も一応頭から否定するべきではないのかも知れない。

「明日、面会の時、社にリーディングさせようかしら?」

 一瞬、夕呼はそんな誘惑に駆られる。実際それが成功すれば、彼らの本音を暴くには一番簡単な方法だ。

 しかし、忘れてならないのは、彼らは霞のSOSプロジェクションを受信して、この世界にやってきたということだ。

 つまり、最低でも1人はESPか、それに準ずる能力を持った人間がいるはず。万が一、こちらが勝手に心を暴こうとしていたなどとばれたら、最悪の結果を引き起こしかねない。

「やはり、社は同席させるだけにした方が良さそうね」

 幸いと言うべきか、あちらの代表であるブライトという男は、一目で分かるくらいに実直で真面目そうな人物だった。腹芸に長けているタイプには見えない。

 上手くやれば、結構簡単に腹の底が読めるのではないだろうか。

 最悪の可能性から順に、あらゆる可能性を虱潰しにしていく。そうしていけば、少しずつ良い未来が見えてくる。夕呼は実に、現実的かつ論理的に、今の状況を分析していた。

 故に、香月夕呼がαナンバーズの本質を理解するには、まだまだ未来のこととなるのであった。

 早々簡単に理解できるはずがないのだ。αナンバーズという極めて非現実的な、お人好し集団の本質が。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~幕間その1
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/06/05 23:04
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~その1

幕間

【2004年12月20日20時18分、群馬県武尊山上空、ラー・カイラム】

 佐渡島ハイヴ攻略戦を終えた、ラー・カイラムとアークエンジェルは、夜の日本列島を横断し、横浜基地へと向かっていた。

 横浜基地に到着するまでの僅かな時間を使い、ブライトとマリューは、大気圏外に待機するエターナルと、小惑星帯に残してきた残存艦隊に、フォールド通信で連絡を取っていた。


「……というわけで、一応最初の戦闘は無事終了しました。しかし、依然地球上には、ユーラシア大陸を中心に、未だ20を越えるハイヴが存在し、BETAの圧倒的な支配下にあります」

『BETA……それが我々の敵、と言うわけか』

 エルトリウムのブリッジで、タシロ提督は大きく一つ息を吐いた。

「はい。詳しい情報はまた後ほど。今回緊急で連絡を入れたのは、早急に警告をしておく必要があったからです。有る意味、地球に降りた我々より、大気圏外のエターナルや、小惑星帯のエルトリウムの方が危険に近いとも言えますから」

『太陽系におけるBETAの本拠地は火星、月も既にBETAの勢力圏内、ですか』

 バトル7の艦長席で、マックス艦長も大きなため息をついている。有る意味、小惑星帯に残ってきた残存艦隊は、地球にやってきた先行分艦隊よりも、危険な宙域にいたということだ。

 マックスの言葉を受けて、アークエンジェルのラミアス少佐が、警告の言葉を発する。

「はい。ですから、どちらも決して月や火星には近づかないようにお願いします。幸いBETAは、宇宙空間にいるものに積極的な攻勢をかけることはないらしいので」

 確かに、BETAが大気圏外の人工衛星や、ラグランジュポイントで作っていた移民船団に攻撃を仕掛けた事実はない。安易に判断を下すのは危険だが、とりあえずこちらからよほど月や火星に近づかない限り、危険は少ないと言えるだろう。

『承知しました』

 エターナルのラクスはいつも通り、落ち着いた表情でそう答える。

「とくに、エターナルは気を付けてもらいたい。艦自体の戦闘力も一番低い上に、単独で行動しているんだ。万が一の時は、独自の判断で撤退してくれてもかまわん。フラガ大尉、ウラキ少尉、キース少尉。エターナルの護衛をよろしく頼んだぞ」

『ハッ!』

『了解しました!』

『全力を尽くします!』

 ブライト直々の言葉に、エターナルの艦長席の後ろに控える、フラガ、ウラキ、キースの三名は、敬礼を持って答えた。フラガのメビウスゼロ、ウラキのガンダム試作1号機フルバーニアン、キースのジムキャノンⅡ。現在、エターナルに搭載されている機体は、この三機のみである。

 さすがに本格的な戦闘に巻き込まれれば、心許ない戦力だ。

 フラガ達の返答に、ブライトは頷きながら話を転換させた。

「なお、今回の戦闘で予想以上に、物資を消耗しました。ダメージを受けた機体は少ないので、装甲や機体パーツはまだ十分に余裕があるのですが、武器、弾薬が不足しています。今回と同じ規模の戦いをもう一度行えば、実弾系の弾薬は底をつく計算です」

『むう、なんと……』

 ブライトの言葉に、タシロ提督は驚いたように声を上げた。

『一般的な戦闘ならば、五回は可能な物資量だったはずですが』

 タシロ提督の後ろから、副長が端末を操作しながら、淡々と付け加える。

 とはいえ、戦場が激しくなれば、当初の予定量などアッという間に吹き飛ぶことぐらい、この場にいる人間は皆よく知っている。

『了解した。幸い、エルトリウムの艦内工場は順調に活動している。補給物資はすぐに、届けよう。クライン君、使い走りに使って悪いが、エターナルをこちらに戻してくれ』

『承知しました』

 タシロ提督の言葉に、ラクス・クラインはレスポンスよく諾の返答を返した。

 エターナルは、高速航行艦だ。搭載量が少ないのが難点だが、ピストン輸送の中間を担うには、適している。

「現状での報告事項は以上です。BETAやハイヴの詳しい情報は、香月博士から頂いたデータを送っておきますので、それで確認して下さい。それで、そちらの修理状況はどうなっていますか?」

 ブライトの問いに、タシロ提督は「うむ」と一つ頷くと、話し始める。

『まず、資源回収隊が、直径120キロほどの小惑星を発見したため、我々はその近くに移った。資源の切り出しは、順調に進んでいる。

 それに伴い、ガンバスターとシズラー黒の復旧の目処がついた。両機とも数日のうちに実戦配備が可能になる』

 それはかなりの朗報といえた。どちらも極めて強力な機体だ。特にガンバスターは単機で戦局をひっくり返しうるポテンシャルを秘めている。

 この両機の修復が、抜きんでて速く進んだのは有る意味当然である。元々、エルトリウムはガンバスターとシズラーシリーズを運用する前提で作られた艦なのだ。パーツの製造ライン、修理マニュアル、そして整備人員とあらゆる意味で、この2機はダントツで恵まれている。

 量産型であるシズラーシリーズなどは、資材さえ有れば、1から製造することも可能だろう。

『また、ガイキングと翼竜スカイラー、魚竜ネッサー、剣竜バゾラーも近々完全復旧する。大十字博士が尽力して下ったおかげだな』

『いえ、戦闘は門外漢の私では、こんな時ぐらいしかお役に立てませんから』

 大空魔竜の総責任者にして開発者、大十字洋三博士は謙遜するようにそう答えた。実際それは、謙遜でしかない。たった1人とはいえ、特機の開発者である大十字博士がいるということが、どれほど心強いことかは、言うまでもないだろう。
 
 ただ、外部装甲に使うゾルマニウム鋼のストックがほぼ底を尽きてしまったため、今後ガイキングや大空魔竜が大ダメージを受けた場合、深刻な問題が生じるという。

 ガイキングのゾルマニウム鋼や、マジンガーシリーズのジャパニウム鉱石など、特機で使用されている特殊鋼は、エルトリウムの元素転換技術を用いても製造は不可能だ。

 不安は有るが、それでもガイキングの復活も十分な朗報だ。こちらもガンバスターほどの広域破壊能力はないにせよ、一機で戦況を変えることが出来る機体だ。特に、ゾルマニウム鋼の外部装甲は、恐らく戦車級の歯も、重レーザー級のレーザーにも耐えられることが期待できる。

『モビルスーツの修理も大体順調だ。特にヒイロ君達の5体のガンダムは、かなり早い段階で戦線に復帰できると思われる。彼らのスキルは大したものだな』

 元々、ヒイロ・ユイ、デュオ・マクスウェル、トロワ・バートン、カトル・ラバーバ・ウィナー、張五飛の5人は、それぞれ単機での潜入破壊工作を可能とする人材だ。全員が、自機の簡易修理ぐらいは出来るくらいに、機械にも長けている。

 だが、そこでタシロ提督顔色は一変して、渋いものに変わる。

『それ以外の特機は正直厳しいな。コン・バトラーV、ボルテスⅤ、ダイモス。これらは、合体変形機構といい、その動力源といい、門外漢がどうにか出来る機体ではない。現時点では、完全復旧の目処はたっておらん。

 ライディーン、真・ゲッター、マジンカイザーの三機は眠っているそうだ。まあ、この辺りは機体に意志があるからな。なかなかこちらの思うとおりには動いてくれん。

 それと比較すれば、ダンクーガはまだましだが、それでも修理が進んでいるとは言えないな』

 ダンクーガは特機の中では珍しく、軍属の機体である。そのため一応、一通りの製造、修理マニュアルが、軍に提出されている。ただ、軍属とはいっても実際には、葉月博士が独自に開発した機体であり、彼にしか理解できない特殊理論を内包しているという点では、他の特機と変わりない。

「そうですか……」

 ため息をつきながら、ブライトはあまり落胆はしていなかった。元々、その辺りは有る程度覚悟していたことだ。

『バンプレイオス、R-GUNパワード、ビルトビルガー、ビルトファルケン、ダイゼンガー、アウセンザイターは比較的良好だ。何時とは明言できんが、いずれ完全に復活するだろう。

 ガオガイガーや勇者ロボ達は、ディビジョン艦隊の大河長官に一任しているので詳しいことは分からんが、こちらも比較的順調のようだ。

 問題はバルキリーだな。マックス艦長』

『はい』

 話を振られたマックス艦長は、小さく頷くと後に続けて話し始める。

『霊帝戦に出ていたバルキリーは、ほぼ全機が修復不能です。辛うじて、VF-19エクスカリバー3機とYF-19とを、共食い整備でどうにか1機確保できました』

「それは……」

 予想以上のバルキリー隊の被害に、報告を受けるブライトも言葉が出ない。

 元々バルキリーという機体は、見た目ほど華奢な機体ではない。華奢ではないが、それ以上に機動性に富んだ機体である。そのため、限界を超えた機動を行えば、そのダメージが機体に蓄積されていくこととなる。イサム、ガルド、フォッカー、そしてマックス自身に、その妻のミリア。バルキリー乗りは不思議と、機体を限界まで振り回す人間が多い。

『機体はダイソン中尉に使ってもらう事になりました。それ以外の者の機体は、バトル7の製造ラインで、VF-11サンダーボルトを製造する予定です』

 バトル7は全長が1キロを越える巨大戦艦だ。一般的な戦艦と比べれば、搭載能力、修復能力と共に隔絶したものを持っている。その上、1本だけだがバルキリーの製造ラインも用意してある。

 もっとも、バトル7単体でなく、第七船団丸ごとが来ていれば、何の心配もいらなかったのだが。実験艦アインシュタイン、農業艦サニーフラワー、工業艦スリースターなど。第七船団の全船が揃えば、その生産力はエルトリウムに勝るとも劣らない。

『一応、VF-17、VF-19、VF-22の製造データはバトル7のコンピュータにもインプットされています。エルトリウムの艦内工場に余裕があれば、製造ラインを引いてもらいたいところなのですが……』

『無理です。エルトリウムの艦内工場にも限界があります。現状は各特機の修理と、先行分艦隊の補給物資の製造が最優先です。最低でも特機の半数が復帰しない限りは、そのような余裕はありません』

 いっそ冷たいと言っていいくらいのエルトリウムの副長の言葉に、マックスは苦笑する。

『分かっている。私だって現状ぐらいは見えているさ。ガムリン中尉達には、しばらくはVF-11で我慢してもらおう』

 それだって、1本のラインでは月に2機製造が限界だ。すぐに全員分は用意できない。現在機体のないバルキリー乗りは、ダイヤモンドフォースの3人と、ガルドの合計4人いるのだ。さらに言えば、ミリアのVF-1Jは三十年以上前の骨董品だし、保険のためにマックス自身の機体があるとベストだ。

 そうなると必要な数は6機。最低でも全員分がそろうのは、3ヶ月先のこととなる。

 そこまで考えた所で、ふとブライトはまだバルキリー乗りは別にいたことを思い出した。

「そういえば、サウンドフォースの機体は? 彼らの機体はそう簡単に代用機を用意できないと思うのですが」

 サウンドフォース、つまりファイアボンバーの機体は、有る意味特機以上に特殊だ。スピーカーポッドにサウンドブースター、楽器と一体化した操縦システムなど、一般の量産型とでは何もかもが違いすぎる。

 なにより、彼らは『歌う』為に戦場に出るのだ。通常のバルキリーを与えても意味はない。

 だが、マックス艦長は小さく笑い、答える。

『ああ、それなら大丈夫です。彼らの機体は別です。三機とも、修復可能なレベルですので』

 元々、サウンドフォースはあまり前線に出ることが少なかった為、比較的ダメージが少なくてすんだのだという。

『ええ。特にバサラ機は既にオーバーホールが終わっておりますな。後は最終チェックを残すのみでしょうかな』

 マックスは唐突なエキセドル参謀の言葉に、驚きの声を上げる。

『まて。どういうことだ? 私はそんな指示は出していないぞ』

『確かに指示はしておりませんな。ですが、我々司令部にも、整備員達のプライベート時間を拘束する権利は有りませんからな』

『……なるほどな。ファイアボンバーのファンは、我々が思っているよりも多かったというわけか』

『まあ、そういうことですな』

 エキセドル参謀は、飄々とした表情で頷き返した。

 つまり、ファイアボンバーファンの整備士達が、隙間時間を使ってバサラ機の修理を行っていたということだ。現在バトル7で稼働しているバルキリーはスカル小隊の3機のみだ。バトル7の整備士達は比較的身体が空いている。

 マックスは再び、苦笑混じりのため息をついた。

 若干それた話を、元に戻すようにタシロ提督が、口を挟む。

『まあ、こちらはそんなところだ。で、どうするかね、ブライト艦長。ガンバスターやシズラー黒をそちらに回すこともできるが』

 ガンバスターとシズラー黒。どちらも、通常空間を亜光速で移動する能力を持っている。この2機にとって、小惑星帯から地球までの距離など、あって無いようなものだ。修理がすみ次第、単機で地球に送ることが出来る。

 ブライトは少し考えたが、すぐに首を横に振る。

「いえ、それには及びません。元々ガンバスターは有人惑星上での戦闘には不向きな機体ですし、そちらにもいっそう警戒の必要がありますから」

 ブライトがそう答えたところで、管制官のトーレスから「まもなく、横浜基地に到着です」との声がかかる。

「すみません。聞いての通りです。今日の所はこれで失礼します。詳しい情報が入り次第、またフォールド通信で連絡を」

『うむ、気を付けてくれ、ブライト艦長。ああ、それとすまんが、今の時間を教えてくれんか。時計を合わせておきたい』

「はっ、現在、現地時間――日本時間で、2004年12月20日の20時42分18秒、国際標準時間では、11時42分18秒です」

『ほう、西暦か。新西暦の前の年号だな。確か、2010年ぐらいまであったはずだが』

 うろ覚えの、タシロ提督の知識に副長が付け足す。

『はい。我々の元の時代が、新西暦190年ですから、単純に換算しますと、およそ200年前後過去の世界と言うことになります』

『うむ、そうか。副長、艦内の時計の調整を頼む』

『了解しました』

 タシロ提督の言葉を受け、副長はすぐに艦内の時計を修正するよう、指示を出す。
 
「それでは、これで失礼します」

『うむ。何かあったらすぐに連絡をくれ。こちらとしても取れるだけの手段をとる』

「はっ!」

「失礼します!」

 ブライトとマリューは、最後に一つ敬礼をし、通信を切った。










【2004年12月20日20時43分、小惑星帯、エルトリウム】


「BETAか。我々のいく先には必ず困難が待ちかまえているな」

 フォールド通信が切れてブラックアウトしたモニターの前で、タシロ提督は深くため息をついた。

「元々、我々は救援要請を受けてこの時空間に来たのです。困難があるのは必然と言えましょう」

「まあ、それはそうだが、もう少し言い方はないのかね」

「言い方を変えても事実は変わりません」

 副長のデジタルなまでにきっぱりとした言葉に、タシロ提督は苦笑を漏らす。

「それで、提督。この情報はどうしますか?」

 そんな上官の態度にも表情一つ変えず、副長はあくまで事務的に問いかける。タシロ提督はひょいと肩をすくめると、

「隠しておく必要もなかろう。この程度の情報で今更おたおたするヤツなど、αナンバーズにはおらんよ。それよりも、全員に具体的な危険を伝えておく方が遙かに有益だ」

「了解しました。では、1時間後に機動兵器部隊の総員を、エルトリウムのブリーフィングルームに集合するよう通達しておきます。ただし、ジュドー・アーシタとエルピー・プルはこの時間哨戒任務中なので、集合は不可能ですが」

「分かった。そのように頼む。ああ、バトル7、大空魔竜、ディビジョン艦隊とのモニター通信の用意も宜しくたのむぞ」

「了解です」

 短い返答を返した副長は、すぐに準備に取りかかった。






 一時間後、エルトリウムの広大なブリーフィングルームは、100人を越えるαナンバーズの精鋭達が集まっていた。

 中でも異彩を放っているのは、後ろに立っている三体のバーチャロイドだ。

 テムジン747J、アファームド・ザ・ハッター、そしてフェイ・イェン・ザ・ナイト。

 3体の機体が、大きく場所をとっている。それでもまだ十分に広さがあるのは、最大ではここに、氷竜、炎竜ら勇者ロボが集まることも想定しているからだ。

「チーフ! ハッターにフェイも。お前達、直ったのか!」

 足下から見上げ、兜甲児は嬉しそうに声を上げた。甲児はゲッターチームと共に、さっきまで哨戒任務に就いており、今戻ってきたばかりだ。独特の戦闘服姿でマスクを左手に抱えている。

「おおよ! このザ・ハッター様がこれしきのことでっ」

「まだだ。損傷レベル3、活動は可能だが、戦闘教導には多くの支障がある」

 ハッターの元気なはったりを、あっさりチーフが事実を告げて撤回する。

「そうだよー、私も珠のお肌がまだボロボロなの。フェイ・イェンちゃんの華麗なる復活は、またもうちょっと待ってね」

 なるほど、フェイが言うとおり、三機の外部装甲はまだあちこち剥がれている。動くだけならば支障はないが、戦闘を行うのは無謀だろう。

「ええ、でもフェイの場合ちょっとダメージ負っている方が強くなるんじゃないのか?」

 いつの間にか足下にやってきていたリュウセイがフェイ・イェンを見上げながらそう言った。

「えー? そんなことないよ。なんで、そんなこと思ったの?」

「え? だってハイパーモー……」

 フェイの否定の言葉に、リュウセイがさらに言葉を返そうとしたその時だった。

『静粛に!』

 副長を従えてやってきたタシロ提督が、マイクを通して大きな声で皆に語りかける。

「リュウ、何やってるの?」

「っとやべ。悪りぃ、アヤ。すぐいく」

 アヤ・コバヤシ大尉に窘められ、リュウセイは駆け足で、列の前へと戻っていった。




『先ほど、地球に向かった先行分艦隊から連絡が入った。地球に降りた先行分艦隊は、日本に降下。現地で戦闘を行い、これに勝利した。

 敵は、人類に敵対的な地球外起源種――Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race――通称BETAという。副長」

「はっ」

 タシロ提督に促され、副長は後ろの大きなモニターに、先ほどラー・カイラムからフォールド通信で送られてきた、BETAの画像付きデータを映し出す。

 効果はてきめんだった。

「うわっ!?」

「なんだよ、あれ?」

「やだ、気持ち悪い」

 一斉に、驚きと嫌悪の声が挙がる。

 確かに外見のインパクトだけは、BETAは宇宙怪獣や使徒にも勝るだろう。

 だが、副長はそんな声が聞こえていないかのように淡々と説明を続ける。

「BETAは、7種類が確認されています。各種の詳しい能力は後で各自確認して下さい。

 現時点はBETAの目的は不明。地表にハイヴと呼ばれる『巣』を築き、その活動範囲を広げていますが、宇宙怪獣のような人類に圧倒的な敵意を示すわけでもないようです」

 そこで副長は一度言葉を切った。そして、皆に理解が広まった頃合いを見計らい、話を続ける。

「地球に存在するハイヴは26。そのうち、22,26,12,9の四つはこの世界の人類が自力で奪取。そして、この度αナンバーズ先行分艦隊が、甲21ハイヴ、通称佐渡島ハイヴの攻略に成功しました。先行分艦隊に死傷者はありません」

 今度は、「おお!」と歓声とどよめきが上がる。

「流石、アムロ大尉達だな」

「それを言うなら、流石ブライト艦長だろ」

 皆口々に、先行分艦隊の功を讃える。

 いくら、アムロやカミーユ達のことを信頼しているとはいっても、一抹の不安はあったのだ。いかにαナンバーズとはいえ、今回の先行分艦隊は、エヴァンゲリオンと鋼鉄ジーグを除けば、あとは予備機で形成されている。

 絶対に勝てる保証など無い。敵が、宇宙怪獣や霊帝よりも弱い保証などどこにもなかったのだ。

 副長は、皆の歓声とどよめきが収まったのを見計らい、現状の説明を続ける。

 この世界は、西暦2004年、約200年前であること。

 とはいえ、こちらの歴史では200年前にBETAが襲撃したという事実など無いことから、歴史の直接繋がらない平行世界であると思われること。

 現在ユーラシア大陸はほぼ、BETAの勢力下にあること。

 最大時、60億を数えた人口も現在は10数億程度まで減少していること。

 予想以上に深刻な事態に、αナンバーズ達の顔色も次第に暗くなっていった。

「くそっ、イデオンさえあれば、ハイヴなんてイデオンソードで突き刺してやるのに!」

 黙って話を聞いていたコスモが、悔しそうにそう声を上げる。

「馬鹿! そんなことをしたら、地球だってただじゃすまないわよ!」

 だが、すぐにカーシャが甲高い声でコスモの発言を窘めた。

 実際、それはやめた方がいいだろう。例えば今回の佐渡島ハイヴでそんなことをしていたら、翌日ブラジルかアルゼンチン辺りから、遺憾の意が伝えられていたはずだ。

「よせ、コスモ。苛立つ気持ちは分かるが、今我々に出来ることは少ない。タシロ提督の言葉を聞くんだ」

「ッ、分かったよッ」

 ジョーダン・ベスに諭され、コスモは舌打ちをしながらも、前に向き直った。以前のコスモからは想像の付かない態度だ。αナンバーズに入ってから、コスモの攻撃性も多少は軽減している。

 現在、ジョーダン・ベスが艦長を務めていた戦艦、ソロシップは稼働していない。

 イデの発動停止に伴う極端な能力の低下に見舞われたソロシップは、現在エルトリウムの格納庫に収納されている。当然、ベス以下ソロシップの搭乗員達は全員、エルトリウムに移っている。

 戦艦に戦艦を収納するなど、とんでもない話だが、2艦を見比べれば特別変な話ではない。

 ソロシップが全長400メートルに過ぎないのに対し、エルトリウムは全長70キロの超巨大戦艦だ。元々全高200メートルのガンバスターや、全高100メートルのシズラーシリーズを数百機収納可能なエルトリウムにとって、ソロシップ一隻を収納するくらいはどうということもない。

 ソロシップに乗っていた難民達にとっては、幸いだっただろう。エルトリウムの中は、コロニーよりよほど快適な居住空間なのだ。

 そうしている間にも、副長とタシロ提督の説明は続く。

「……というわけで、BETAの太陽系における本拠地は火星と見られています。

 地球に存在する最大のハイヴはフェイズ6。対して火星に存在するハイヴは、一番小さなものでフェイズ6、最大のハイヴ、通称『マーズゼロ』に至っては、フェイズ9です。火星のBETA勢力は、地球の比ではない、と断言できます」

「おいおい、それじゃあ火星にはどれくらいBETAがいるんだ?」

「下手すれば、数だけなら宇宙怪獣クラスかもよ?」

「とにかく、楽な戦いにはならないだろうな……」

「へっ、面白れぇ。燃えてきたぜ!」

「アニマスピリチア!」

「厳しい戦いになりそうね……」

「大丈夫です、お姉さま! 努力と根性さえ忘れなければ、私たちの勝利は揺るぎません!」

 皆、身近な者と率直に言葉を交わす。さすがに、そこには動揺の色が色濃く映し出されている。

 早速、BETAとの戦闘方法について話し合う者。動揺する同僚を励ます者。いきなり、格納庫方向に走っていく、丸いサングラスをかけた男。その後ろを付いてフワフワと飛んでいく長い黒髪と尖った耳を持つ少女等々。

 しばらくの間、ブリーフィングルームは、喧噪に包まれた。

 それでも、歴戦の戦士達はすぐに、平静を取り戻す。静けさが戻ったところで、最後にタシロ提督がもう一度、口を開く。

「今説明したとおり、火星はBETAの一大勢力下にある。ここにいる我々も決して安全とは言い切れん。よって、今後資源切り出し部隊には、必ず機動兵器部隊から護衛を付けることとする。

 作業効率は大幅に落ちるが、やむを得まい。また、現在稼働している機動兵器部隊の皆には、大きな負担を強いることになるが、数日中にはガンバスター、シズラー黒、ガイキングらが戦線に復帰する。それまでの辛抱だ」

「了解しました!」

 皆から不満の声を上がる前に、スカルリーダー、ロイ・フォッカー少佐はそう大きな声で返した。

「うむ。では、最後に今更言うことではないかも知れんが、念を押しておく。何があろうと、絶対に火星には近づいてはならん。ここに改めて厳命しておく!」

 とタシロ提督が、宣言したその時だった。メインブリッジの管制官から、緊急の連絡が入ったのは。

『提督! 第98格納庫が稼働しています。赤いバルキリーと、光の球体に包まれた人型が発進、サウンドフォースのバサラ機と、プロトデビルンのシビルです!』

「な、なんだと?」

「両者の進行方向は?」

 動揺するタシロ提督の横から副長が質問を投げかける。

『進行方向……出ました! 火星です。火星に向かっていると思われます!』

「「「………………」」」

 どうしようもなく、容赦ない沈黙が辺りを支配した。

「だ、だ、だ……誰か、止めろお!!」

 タシロ提督の絶叫が、静まり返ったブリーフィングルームに響きわたる。

 だが、即座に反応を返す者はいない。皆の顔には書いてある。「どうやって?」と。

 止めるには二つの問題がある。

 一つは、速度的な問題だ。バサラが乗っているのはVF-19改バルキリー。αナンバーズの機体の中でも特に高速を誇る機体だ。

 現在稼働可能な機体で、これ以上の速度を誇る機体はない。スーパーパックを装備したVF-1でも、まず追いつけないだろう。

 そして、もう一つの問題はもっと深刻だ。

 彼を誰だと思っているのだ? 熱気バサラだ。

 熱気バサラが何をしにいったと思うのだ? 歌を歌いにいったのだ。

 熱気バサラが、歌を歌いにいったのだ。

 一体誰が止められると言うのだろうか。熱気バサラの歌を。

 αナンバーズの皆はすでに半ばあきらめたように、苦笑を浮かべていた。










 絶叫、騒然とするブリーフィングルームの様子など、知る由もなく、愛機を駆り宇宙に飛び出した熱気バサラは、最高速度で火星に向かっていた。ファイアーボンバーファンの整備士達のおかげで、機体は完全に復活している。

「へっ!」

 ギター型操縦桿を引きならし、バサラは不適に笑う。

「アニマスピリチア!」

 生身のまま、バルキリーと同速度で宇宙を飛ぶシビルも、嬉しそうにバサラに答える。

「いくぜ、BETA共! 穴掘りなんて下らねぇぜ! それよりも、俺の歌を聴けえぇ!!」

 次元を越えた、この世界の宇宙にも、また熱気バサラの歌が響きわたろうとしていた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その1
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/07/19 22:58
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その1

【2004年12月21日7時10分、横浜基地地下19階】

 奇跡の勝利から一夜が開けた、横浜基地の朝。

 基地はまだ、日常を取り戻しているとは言い難い状況にあった。

 日頃ならばとっくに皆、きびきびと仕事に取りかかっている時間だというのに、基地のあちこちで見られる兵士達の動きはどこか、だらしがない。

 歩哨に立っている兵士が、堂々と近くの者と私語をしているし、歩く兵士の何割かは赤ら顔を顰め、頭痛に耐えるように、こめかみを手で押さえている。

 ヨロヨロと頼りない足取りで歩いているかと思えば、突如吐き気を催して、トイレに走っていく者もいる。

 とてもではないが、BETAから人類を守る基地の風景には見えない。まるで、忘年会の翌日に、突如休日出勤を強制された会社のような有様だ。

 とはいえ、この様子を見て「だらしがない」と雷を落とす者はいないだろう。

 昨夜、この日本という国で、浮かれ騒がなかった者など、物心の付いていない赤ん坊くらいしかいなかったのだから。

 佐渡島ハイヴ攻略成功。

 誰もが待ち望み、だが、誰もが心の底では不可能であると諦めかけていた最高の吉報に、昨夜、日本は眠らなかった。たとえ合成アルコールでも、この日の一杯は、今では入手不可能なフランス製最高級ワインにも勝る味だったに違いない。

 そういった状況を考えれば、こうして全ての兵士が、起床時間に起きて行動を起こしているだけでも、さすがに軍人と言うべきなのかも知れない。

 それでも、ほぼ全ての兵士が目を赤く充血させているのは、誰1人として昨晩は一睡もしていない証拠だ。

 だが、そんな、誰もが一睡も「しなかった」喜びの夜に、たった1人一睡も「出来なかった」不幸な人物がいる。

 言うまでもない。横浜基地対BETA研究部部長にして、オルタネイティヴ6総責任者、香月夕呼博士その人である。




「ええ、ですから、そちらの希望は受け入れかねます。いえ、決してないがしろにしてるわけではなく、こちらとしても彼らの意図を計りかねているというのが現状なのです。ええ……いえ、嘘ではありません。とにかく、この件に関しましては、後日こちらからご報告させていただきますので。はい、失礼します」

 通信機を切った夕呼は大きく息を吐き、折り畳み式のパイプ椅子にもたれかかった。

「ああ、もう、どいつもこいつも! 何で私が、一晩中徹夜で電話番しなくちゃならないのよ!」

 夕呼は思わずそう漏らす。

 普通こういう連絡は、基地のオペレーターが処理して、夕呼の様な重要な立場にいる人間の負担を減らすものだ。だが、昨晩夕呼に連絡を入れてきた人間は、オペレーターがあしらっても良い肩書きの人間は1人もいなかった。

 帝国軍参謀総長、国連軍本部長、合衆国駐日大使、統一中華戦線特使および副特使、アフリカ連合代表代行等々……。全員、基地オペレーターはおろか、基地司令でも下手に出て対応しなければならない人間ばかりだったのだ。

 思わずいらいらを抑えられず、「はいはい、貴方はどのようなご用件ですか?」と尖った声をだした相手が、煌武院悠陽殿下であったのは、幸運だったと言うべきか、不幸だったと言うべきか。

「そなたには苦労をかけます。深夜の取り次ぎ、許すがよい」と、笑いを含んだ声で言われたときは、さすがの夕呼も一瞬顔色を失った物である。

 彼らの質問と希望は、判を押したように同じだった。

 すなわち質問は「αナンバーズとは何者なのか?」で、希望は「彼らと直接対話できるよう、便宜を図ってくれ」である。

 答えられるはずがない。「私が平行世界から呼んだ援軍です」などと言っても、「馬鹿にしているのか!」と怒鳴り返されるのがオチだ。理解してくれるのは、最初からオルタネイティヴ6の全容を話していた人物――煌武院悠陽殿下や、榊是親前総理大臣くらいだろう。

 無論、これだけ大々的に姿を現してしまった以上、いずれ、彼らの素性は全世界に公表する事になるだろうが、それはモニター越しに口頭で説明できるような簡単なものではない。

「彼らと直接対話の機会を設ける」などというのは、論外だ。

 そもそも、夕呼自身、αナンバーズのメンタリティを把握していないのだ。何がトリガーとなり、彼らとの交渉に影響を及ぼすか判った物ではない。怒って、元の世界に戻ってしまうくらいならともかく、その銃口がこちらに向けられでもしたら……考えただけで冷や汗が出てくる。

「とはいえ、何時までも拒否できる事ではないわね。多少リスクを負ってでも、私が話を進めるしかないわけか……」

 諸外国はともかく、スポンサーである帝国と、事実上この世界の覇者(BETAは除く)であるアメリカの要請は、そう何時までも拒否し続けることはできないだろう。

 考えれば考えるほど、難題だ。香月夕呼は天才ではあっても、超能力者でも占い師でもない。全く前情報の無い中で、正しい判断を下すことは不可能である。

 夕呼がもう一つ大きくため息を付いたところで、インターフォンが鳴り、若い女の声がかけられる。

『香月博士。ブライト艦長以下、αナンバーズの代表の方々が、会議室でお待ちです』

 夕呼の秘書役を務める技術士官、イリーナ・ピアティフ中尉の声に、夕呼はハッと壁にかけられた丸いアナログ時計に目をやる。

 現在朝の7時15分を少し過ぎたところ。αナンバーズとの情報交換の予定時間は、7時30分だ。

「ッ、もうこんな時間。ピアティフ、ちょっと待ってて!」

 夕呼はドアの向こうのイリーナにそう声をかけながら、あわただしく身支度を整える。着替えたり、シャワーを浴びたりする時間はない。仕方がいないので、夕呼はしわになった白衣を新しい物と取り替え、前を閉じる。こうすればある程度見られるようにはなるだろう。

 続いて夕呼は鏡を覗き込み、自分の顔を確認する。案の定、ひどい有様だ。一寸観察眼のある人間なら一目で分かるくらいに顔色が悪く、目の周りにはくっきりと隈が浮いている。

「こういうとき、女は得よね」

 夕呼はスチール製の机の引き出しから化粧道具を取り出すと、慣れた手つきでメイクを始める。

 別段、社交界に出るわけではないのだ。気張った化粧をする必要はない。求められるのはナチュラルメイクだ。

 夕呼は、ライトブラウンの頬紅と、オレンジのアイシャドウで、顔色の悪さと目の回りの隈を隠す。口紅は引かない方がいいだろう。

 後は表情にさえ気を付けていれば、徹夜明けとは見抜かれない。

「よし」

 手早く化粧を済ませた夕呼は、研究室のドアを開け、通路にでる。

 そこには、国連軍の制服を隙なく着込んだ、ピアティフ中尉がいつも通り静かな表情で待っていた。

 夕呼がそのまま通路を歩き出すと、ピアティフ中尉は当たり前のようにその斜め後ろに続く。

「社は?」

「先に向かっています」

 カツカツと正面を向いたまま歩く夕呼の問いに、随伴するピアティフ中尉はレスポンスよく返事を返す。

「会議室には入れてないでしょうね?」

「はい。隣の部屋に待機しているはずです」

 霞を1人でαナンバーズと会わせるわけにはいかない。元々、特殊な育ちの霞は間違っても対人関係を築くのが上手い人間ではない。下手な受け答えをすれば、あちらの機嫌を損ねるかも知れないし、こちらの情報を一方的に吸い取られる恐れだってある。

 夕呼とピアティフはそのままエレベータへと乗り込む。すっかり過疎化した今の横浜基地では、地上と地下19階を繋ぐ、夕呼専用の直通エレベータと化している。

(「さて。まず最初の正念場ね。鬼が出るか、蛇が出るか。まあ、鬼には鬼なりの、蛇には蛇なりの対応をするだけだけど」)

 夕呼は地上に向かうエレベータの中で、表情を消したままそんなことを考えていた。





 霞と合流した夕呼が、ピアティフ中尉を引き連れてドアを開けると、中の会議室ではαナンバーズの代表が席について待っていた。

 客人を先に通し待たせてしまったのは、最初から一つ失態ではあるが、この時点でもまだ、7時20分になっていない。向こうが早すぎるだけで、こちらのミスではない。夕呼は頭の中で、昨晩電話をよこした各国のお偉いさんに一通りに文句を言いながら、自らにそう言い聞かせた。

「お待たせして申し訳ありません」

 夕呼が入ってくると、椅子に座っていたαナンバーズの代表4人が揃って立ち上がる。

「いえ、香月博士。ご足労いただき、恐縮です」

 短い黒髪の、中年の男が立ち上がりながら、そう答えた。

 その隣に立つのは、栗色の長髪の若い女士官。さらにその隣は、明るい茶髪の男士官。そして、どう見てもまだ十歳になったかならないかくらいの金髪の少女も慌てて、回りのまねをするように立ち上がり、ぺこりと挨拶をする。

『軍の代表』としては、首を傾げる人間が1人混ざっているが、それについてはこちらも人のことは言えない。黒いドレス姿の少女――霞を見て、国連軍の一員と見なすのはかなり難しいはずだ。

 会議室の真ん中には長テーブルが置かれ、二つの陣営が向かい合って話し合うことが出来るように、席が設けられていた。

 夕呼達は既に席に着いているαナンバーズの面々の対面に座る。

 全員が席に着いたところで、夕呼が話を切り出す。

「では、自己紹介をさせて戴きます。私は、香月夕呼。この度皆様をお呼びした計画『オルタネイティヴ6』の総責任者です。隣が私の秘書のイリーナ・ピアティフ中尉」

「ピアティフ中尉です。よろしくお願います」

 未知なる存在にも緊張してないのか、少なくとも表面上はいつも通りの静かな表情で、ピアティフはそう言った。

 続いて、夕呼は霞の紹介にうつる。

「その隣が、社霞。皆様を「呼んだ」本人です」

 言外に霞の能力を匂わせながら、夕呼はそう言った。

「社、霞です……」

 霞は、抑揚のない声でそれだけ言うと、頭のうさ耳ピョコリと揺らし、少し頭を下げた。

 夕呼達の自己紹介を受け、今度はαナンバーズサイドが自己紹介にうつる。

「私は、αナンバーズ先行分艦隊、ラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐です」

 ブライトと夕呼は、先日モニター越しに自己紹介を終えているが、今は他の人間がいることも考慮し、省略せずに自らの名を証す。

「同じく、αナンバーズ先行分艦隊、アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス少佐です」

 栗色の髪の女――ラミアスが、若干緊張した面もちでそう名乗る。

「αナンバーズ、機動兵器部隊隊長、アムロ・レイ大尉です」

 続いて、アムロがそう名乗った。こちらは、いつも通り落ち着いた様子だ。

 夕呼は「機動兵器部隊隊長」という肩書きから、昨日見た戦闘映像を思い出し、アムロがどの機体に乗っていたのか、と考えていた。

(「突出した動きを見せていたのは、モノトーンの機体と、青い可変機体だけど」)

 生憎、戦術に関しては素人に近い夕呼に、昨夜の戦闘映像からどの機体が隊長格なのか割り出すことなど出来ない。

 夕呼が珍しく思考を飛ばしている間に、最後に少女が声を上げる。

「あ、あの。私は、イルイです」

「彼女は、民間協力者です。そちらの、社さんからのSOSを「聞いた」本人ですので、特別にこの場に連れてきました」

 イルイのおどおどした短い自己紹介を、ブライトはすかさずフォローした。正確には霞のSOSを受信したのは、イルイだけではないのだが、今はそこまで詳しく述べる必要もない。

「そうですか、分かりました」

 そう返しながら、夕呼は考える。なるほど、この少女は社のようなESP能力者だと言うことだ。向こうもESP能力者を連れてきていると言うことは、決して油断していないと言うことか。

 だが、その事実からいくつかの事が想像できる。

(「どう見ても軍に不似合いな少女をあえて連れてくる。つまり、彼らにとってもESP能力者は貴重な存在、と言うことなのでしょうね」)

 もし、ありふれた存在なのだとすれば、こんな年端のいかない少女ではなく、成人男性のESP能力者を同行させているはず。

 夕呼はそう、脳裏に新たな情報を刻み込んだ。

 この辺は、警戒するあまり、完全に夕呼が空回りしている。実際に、ブライトはそんな深い考えを持ってイルイを連れてきたわけではない。単に、イルイがSOSを送った少女――霞に会いたい、というから連れてきただけである。別段、イルイのサイコドライバーとしての力に期待しているわけではない。

 簡単に自己紹介を終えた所で、早速夕呼は本題に入る。

「まず、最初にご確認したいのですが、貴方達は「どこ」からいらしたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「はい。我々は、新西暦190年の地球圏より来ました。新西暦とは西暦2010年を元年としますので、およそ200年後の世界と言うことになります」

 特に隠すことでもないので、ブライトはレスポンスよく答えた。無論、それが直接繋がる未来ではないことは、ブライトも夕呼も分かっている。現に、夕呼が資料を送るまでブライト達はBETAの存在を知らなかっただから、異なる歴史を歩んできたに決まっているのだ。

「なるほど、200年ですか。正直羨ましい限りです。我々には『200年後の未来』があるかどうか、正直悲観的な予想しか立ちませんから」

「しかし、そうならないためにこの世界の人間も力を尽くしているのでしょう。我々αナンバーズも、可能な限りお助けしたいと思います」

 少し、大げさに悲観的な言葉を述べる夕呼に、ブライトはあくまで紳士的な態度でそう返す。

「ありがとうございます。非常に心強いお言葉です」

 笑顔で礼を述べながら、夕呼はどう話を切り出そうか、考えていた。だが、結局の所、最初は率直に切り込むしかないのが現状だ。向こうの真意も、メンタリティも、価値観も理解していないのに、腹のさぐり合いなど出来るはずがない。

 夕呼は気付かれないように細く深呼吸をする。

「それは、今後も私たちと共にBETAと戦って下さる、と言うことでしょうか?」

「はい、そのつもりです」

 ブライトの言葉に、マリューとアムロも首肯する。元々地球を脅かす存在と戦うことは、αナンバーズにとって存在意義と言ってもよい。ためらう必要などどこにもない。

「ありがとうございます。しかし、現在困窮する我が国では、貴方達の尽力に正当に報いることが難しく、非常に心苦しく思います」

 いかにも、申し訳なさそうに夕呼は下手にでる。

(「さあ、どう返すかしら?」)

 心臓がいつもの倍くらいの早さで脈打っているのを感じながら、夕呼はブライト達の顔をのぞき見る。いわばキッパリと「報酬は期待するな」と言ったわけだ。どんな反応を示すかで、ある程度相手の価値観が見える。

「そのような心遣いは不要です。正直、今、我々は「いかにしてBETAを駆逐するか」、ということだけを考えるべきかと」
 
 しかし、ブライトの返答はあくまで表面を取り繕った、社交的な物であった。少なくとも夕呼には、そうとしか聞こえなかった。

(「ッ、かわされた」)

 内心夕呼は舌打ちしながら、さらにつっこむ。

「ですが、一方的に頼るだけというのはあまり健全な関係とは言えないと思うのですが」

「むっ、それは……」

 殊勝を装う夕呼の言葉に、ブライトは虚をつかれたように、口ごもった。

 元々、どこでも便利に使い倒される事が多かったαナンバーズとしては、非常に耳になじまない言葉である。なにせ、彼らは、地球圏からの永久追放を申し渡されても、なお全宇宙のために戦い続けてきた、恐るべき非営利団体なのだ。

 αナンバーズにとって、世界を脅かす驚異と戦うのは、極当たり前のことであり、そこに普通は絶対存在する、ギブアンドテイクという概念がない。

 要領を得ない対応に、夕呼はこれ以上つっこんでも無駄だと悟る。

(「以外と狸ね。なかなか尻尾は見せない、か」)

「分かりました。ならば貴方達は今後、どのような立場で戦うつもりなのでしょう?」

 そう話を切り替え、夕呼は簡単にこの世界の軍について説明する。

 軍にはそれぞれの国の国軍と、国連軍があること。この横浜基地は国連軍の基地であり、自分も国連軍所属であること。昨日、佐渡島で戦っていたのが、この国の国軍――帝国軍であること。

 無論、実質この世界の国連軍がアメリカの下部組織であることや、帝国が国際社会で孤立していることは明かさない。そんなことを明かせば、まともな判断力の持ち主なら、すぐに横浜基地を飛び立ち、交渉相手をアメリカに設定し直すだろう。

 その問いに、ブライトは特に考える様子もなく即答する。

「我々は元の世界でも、自治権を許された独立組織でした。ですから、この世界でもそのスタンスを保ちたいと思います」

 本来自治権を有しているのは、この世界には来ていない第七船団なのだが、その第七船団の司令であるマクシミリアン・ジーナス大佐や、シティ7の市長であるミリアがいるのだから、あながち嘘とも言い切れない。

 こればかりは、αナンバーズとしても絶対に譲れない線である。元の世界でもαナンバーズの戦力を、なんとかして徴発しようとする輩が後を絶たなかったのだ。

 αナンバーズはお人好し揃いではあっても、世間知らずの集団ではない。

「自治、ですか? しかし、戦闘集団が自治というのは……」

 対して夕呼は難色を示す。それはそうだろう。政府の管理下にない戦闘集団など、常識的に考えれば危険極まりない。

 だが、αナンバーズの常識は違う。ティターンズやブルーコスモスなど、むしろ政府の不穏な動きを抑制する事も多かったαナンバーズにとって、「政府の命令に無条件で従う」ほうが遙かに危険、という認識になってしまっている。

 とはいえ、自分たちの主張があまり一般的ではない自覚のあるブライトは、

「我々の本隊は、非戦闘員も含め10万人を越えます。単なる戦闘集団ではありません」

 と付け足した。第七船団と離ればなれになっていなければ、もう一桁人数は上だった。

 だが、10万という数字でも、夕呼を驚かせるには十分だった。

「10万人……ですか。確か貴方達は先行分艦隊でしたね。失礼ですが本隊は、何隻ぐらいからなっているのでしょうか?」

 夕呼の脳裏に、一年前バーナード星系に向けて旅だった、移民船団が思い出される。なるほど、あの規模ならば、一つの国と認められるかも知れない。

 旧バチカン市国のような特殊な例を出さなくても、地球上には、10万人以下の国や自治区などいくらでもあるのだ。

「いえ、艦数はそう多くありません。非戦闘員の大半は、旗艦エルトリウムで暮らしています」

 エルトリウムは全長70キロの巨大艦ですから、とブライトが言ったときには、さしもの夕呼も、しばらく言葉が出なかった。

 当たり前だろう。

 ただ70キロと言われてもピンとこないかも知れないが、佐渡島の北端から南端までが、直線距離で70キロに満たない、と言えばその大きさもある程度は想像が付くのではないだろうか。

 つまり、昨日激戦を繰り広げた、全帝国兵士と全BETAをその上に乗せられるだけの大きさがある、ということだ。

 事実だとすれば、驚くしかない。

 夕呼はαナンバーズの力の見積もりを、大きく上方修正する必要性を感じた。背中に冷や汗が流れるのを感じながら、表情は冷静さを取り繕う。

「分かりました。では昨日の戦いは、貴方達αナンバーズは宇宙に拠点を持つ独立自治勢力として、日本帝国に援軍を送った、という形で処理するよう、打診しておきます。

 もっとも私は一介の科学者に過ぎませんので、そう国の上層部に話を通すことしかできませんが」

「かまいません。お手数をおかけします」

 ブライトがそう言うと、ラミアスとアムロも、あわせて小さく頭を下げた。

 無論、今の言葉にも夕呼の思惑が隠れている。昨日の戦いが、日本帝国と独立自治勢力『αナンバーズ』の共闘と言う形に出来れば、今後、帝国とαナンバーズの間に軍事同盟締結という流れになる可能性が大だ。

 帝国が国連という組織を通さずに、直接軍事同盟を結べば、アメリカをはじめとした諸外国からの横やりは最小限にできる。

 ここまで来て、今更、鳶にあぶらげさらわれてたまるか、というのが夕呼の正直な思いだった。

 夕呼自身、所属は未だ国連となっているが、現在オルタネイティヴ4もオルタネイティヴ6も、事実上帝国以外からは、一銭の援助も受けていないのだ。

「それでは、後はそちらから質問があれば、可能な限りお答えしますが」

 これまでの話をいったん打ち切り、夕呼はそう言って、ブライト、マリュー、アムロの順に目を合わせる。

 ブライト達は互いに目を合わせ、頷きあうと今まで通り代表してブライトが口を開く。どうやら、αナンバーズの方でも、質問をいくつか用意してきていたようだ。

「では、お言葉に甘えて、いくつか質問させて戴きます。まずは、BETAの能力についてなのですが」

 世界のことや、国家観のパワーバランスなど、聞きたいことは多々あるが、先ずはもっと間近に迫ったBETAに関することが、最優先だ。

 敵の詳しい能力を知れば、事前に回避できるリスクというのは意外と多くあるものだ。

 そのため、こうして敵の情報を収集し、皆に伝えるのは、先行分艦隊のまとめ役であるブライトの義務といえる。昨日既に一戦を交えたが、あれが敵の全能力とは限らない。

 歴戦の艦長であるブライトに、油断という文字はない。

「はい、なんでしょう」

 にこやかな愛想笑いで答える夕呼に、ブライトは懸念事項として頭にあった質問をぶつける。

「まず、BETAレーザー級、重レーザー級のレーザー照射についてですが」

「はい」

「このレーザーに、「ホーミング機能」はありますか?」

 ブライトの質問が、不覚にも夕呼は最初十数秒間、理解できなかった。

「……あの、レーザーですよ?」

「はい、レーザーです」

 聞き間違いかと思い、もう一度確認するが、ブライトは重々しく頷き返す。

「……」

「……」

 しばし、何とも奇妙な沈黙が続くが、口を開いたは夕呼の方だった。

「……いえ、今のところそのような能力は確認されていません」

 必死に、平静を取り繕う夕呼の苦労も知らず、ブライトはすぐに次の質問をぶつける。

「分かりました。では、BETAの巣であるハイヴが機動、変形し襲いかかってくるというのは、有り得ないでしょうか?」

「…………幸いにも、そのような能力はないようです」

「では、小型種が合体、融合し、大型種になったり、大型種がさらに合体し、超大型種になる可能性は?」

「あなたは一体なにと戦おうとしているのですか?」思わず、喉元からでかかったその言葉を無理矢理飲み込み、夕呼は辛うじて「ありません」とだけ答えた。

 ものすごく疲れた顔をする夕呼とは裏腹に、ブライトは少しホッとした顔をしている。

 当然ブライトは、ふざけたつもりは全くない。ホーミングするレーザー、変形、機動する敵本拠地、合体する敵戦力。どれもこれも、敵味方で極当たり前に目の当たりにしてきた能力だ。

 その中で比較的可能性が高そうで、実際やられたら驚異となる能力について、確認しておいただけに過ぎない。

寧ろ、ブライトは遠慮して、あまり非常識なことは言わないように気を付けていたくらいだ。後に夕呼はその事をとことん思い知ることとなる。

「分かりました。ありがとうございます。後一つ、これは質問ではなく要望なのですが、現在我々がお借りしている基地の一部なのですが……」

「何か、不都合がありましたでしょうか?」

 突然、現実的な話に戻り、ぐったりとしていた夕呼はピクリと反応する。

 ブライトは少しためらいながら、申し訳なさそうに言った。

「いえ、不都合、と言うのではないのですが。許可が頂けましたら、こちらで手を加えたいのです。今後、長期の作戦が想定されますので、モビルスーツや消耗品の製造ラインや、戦艦の補修ドッグを築きたいので」

 当たり前と言えば、当たり前の提案である。いくらαナンバーズの兵器が規格外の性能を有しているとはいっても、無限に戦えるわけではない。

 確かにエルトリウムの艦内工場は十分な製造能力を有しているが、何時までも宇宙と地球で物資の輸送を行うのも効率が悪い。現地に補給物資の製造ラインを築くことが出来れば、それに越したことはない。

 この提案は夕呼にとっても、帝国にとっても極めて望ましい提案だった。

 あの、超絶兵器の製造ラインが、帝国本土に設置される。うまくいけば、今後の交渉次第では、製造ラインの一本や二本、譲り受けることも可能かも知れない。

 夕呼は目の端に、欲望の光が滲むのを隠しながら、冷静に答えた。

「そう言うことでしたら、了解ですわ。ただ、ここ横浜基地は少々手狭なので、もしかしたら別な所の土地を提供する形になるかも知れませんが」

 もちろん、嘘である。元々極東最大の国連基地である横浜基地が手狭なはずもない。ようは、現在帝国で唯一国連所属である横浜基地より、帝国の主権が全面的に及ぶ土地に彼らの補給基地を築かせたい、と言うわけだ。

 αナンバーズの補給基地をどこに作るか? この提案だけでも、夕呼ならば帝国及び、帝国軍から大きな権限を引き出せるだろう。それくらいに強いカードだ。

 そんな夕呼の内心を知ってか知らずか、ブライトは小さく頭を下げると、

「よろしくお願いします。では、これは我々の兵器の修理補修マニュアルです。参考にして下さい」

 そう言い、プリントアウトした紙を束ねた簡素なマニュアルを無造作に夕呼に手渡した。

「ッ、よろしいのですか?」

 あまりにあっさりと渡された、超極秘資料に、夕呼は思わずそう問い返す。

 無論、それはごくごく基本的なことしかかかれていない。せいぜい、モビルスーツを修理するのにどのくらいの空間が必要だとか、修復に必要な資材はどのような物かとか、製造ラインに求められる総エネルギー量だととか、その程度の物だ。

 さらに言えば、いくつかの情報は意図的に隠してある。

 例えば、鋼鉄ジーグの頭部が、サイボーグ司馬宙の変形した姿であることや、ラー・カイラムやガンダム試作2号機に搭載されている戦術核のことなどは一切記されていない。

 特に、エヴァンゲリオン初号機に関してはほとんど何も書いていないに等しい。正直に「あの機体はまだ完全に制御できておらず、暴走する可能性を秘めています。万が一暴走した場合には、この辺りから帝都まで纏めて瓦礫の山となるでしょう」などとかけるはずもない。

 そんなことを帝都のお偉いさん達が知れば、さすがにちょっと眉を顰めるに違いない。

 ようは、「私たちは補給基地を作るに伴い、これくらいの土地を必要としています」というのを、理由付けで書いてあるだけである。

 とはいえ、夕呼に取ってみれば、これだけで十分強力なカードとなる。

 夕呼は受け取った資料を、ピアティフ中尉に預けず、自らの手でしっかりと確保した。










【2004年12月21日8時49分、横浜基地、港周辺外部通路】

 香月夕呼との対面を済ませたブライト、アムロ、ラミアス、イルイの4人は、ラー・カイラムとアークエンジェルが停泊する港に向かい、歩いていた。

 小さなイルイは、ラミアスに手を引かれ、歩いている。

 こちらに気付いた兵士達が、揃って目を潤ませながら、敬礼をしている。その兵士の6割以上が女性で、どう見ても20歳に満たない若い兵士も、珍しくない。

 それだけで、この国がどれだけ危険な状況に置かれていたか分かる。内心、痛みを感じるブライトと、ラミアスであったが、実のところαナンバーズも人のことは言えない。男女比率はともかく、平均年齢と最年少年齢ならば、明らかに帝国よりもαナンバーズの方が下だ。

 やがて、一般兵士が立ち入り禁止とされている区間まで来たところで、アムロは隣を歩くブライトに声をかける。

「ブライト、正直どう思った? あの香月博士という人物を」

 ブライトは、あからさまな苦笑を返す。

「海千山千の狐、だな。正直、私には荷が重い」

 そういって、ギブアップするように首を横に振る。

 ブライトは確かに、交渉や腹芸を苦手とする一介の現場指揮官だが、人を見る目がないわけではない。

 言葉を交わして数分で、すぐに香月夕呼という人物が、自分の手に負えない人間であることが理解できた。

「二人はどう感じた? ラミアス少佐、アムロ」

 話を振られ、ラミアスはまず、ちょっと考え、

「確かに、香月博士は向こうの事情を全て明かしてくれたわけではないと思います。ただし、それは我々のような異邦人に対してはある意味当たり前の対応ですので、それを以って彼女の人格を推し量るのは難しいかと」

 そう答える。続いてアムロは、

「そうだな。決して悪い人間ではないと思う。非常に頭のいい人間であるのも確かだ。ただ、間違っても善良な人間ではない。とにかく、一言で表すのは難しいな」

 そう言って首を傾げる。アムロは優れたニュータイプであるが、超能力を持っているわけではない。

 ただ、明らかに腹に一物抱いているのが分かるのに、不快な感触を感じなかったのだ。正直、今まで接したことのないタイプの人間である。

 一方、正真正銘の超能力を持つイルイは、ラミアスに手を引かれたまま、ブライトを見上げ、

「いい人だと思います」

 と言った。

「それはなぜかな、イルイ?」

 問い返す、ブライトに、

「あの子が、社さんがすごく、慕ってました。それを感じたから」

 そう言い、少し微笑む。

「うむ、そうか……」

 ブライトは歩きながら考えた。

 イルイとアムロ、特殊な感覚を持つ二人が揃って「悪い人間ではない」、と言うのだから性根はその通りなのだろう。ただ、あのような知性と理性のしっかりとした人間は、自らの言動を唾棄しながらも必要にかられれば、悪辣な真似をやってのけることがある。

 人格の善悪は、行動の善悪の保証となり得ない。

 そこまで考えて、ブライトは一つため息を付いた。

「やはり、私向きの任務ではないな」

 GGGの大河長官辺りに降りてきてもらえないだろうか、今夜のフォールド通信で打診してみよう。ブライトは内心、そんなことを考えていた。











【2004年12月21日8時51分、横浜基地、地下19階】


 同じ頃、多大な成果を手に、研究室に戻った夕呼は、しっかりと入り口を施錠すると、早速ブライトから貰った資料を広げていた。

 正直、恋人との初デートを前にした少女のように胸が高鳴っている自覚がある。それでも、夕呼は出来るだけ自分を落ち着かせ、貴重な資料に目を落とす。

「ふんふん、なるほど。このミノフスキー粒子というのが鍵ね。この統一場粒子のおかげで、小型核融合炉が実現し、粒子兵器が実現可能になり、巨大戦艦が浮遊できるわけね」

 頷きながら、夕呼は資料をめくる。

「こっちは、ああ。あの大きい三機はエヴァンゲリオンと言うのね。あの赤い光の防御フィールドは、ATフィールド。ああ、あれは人の拒絶する心が具現化したものなのか。……へー。確かに、人の心には、それくらい強い力があるものねぇ、うんうん」

 少々、顔を引きつらせながら、夕呼は次のページをめくる。

「緑と黄色の小型機は『鋼鉄ジーグ』か。動力は……マグネットパワー? ……ああ、なるほど。昨日見た戦闘画像に映っていた、『炭素生命体であるBETAを引き寄せて』、絞め殺してたりしてたのは、磁力だったわけだ。道理で、近くの戦術機や搭載コンピュータには何の支障もなかったはずだわ。納得、納得」

「………………」

 一通り読み終えた頃には、すっかり夕呼は無表情になっていた。

「………………」

 夕呼は無言のまま、その資料をスチール製の机の中にしまい鍵を閉める。続いて、部屋の中を冷静な目で眺める。研究施設、研究資料。ゴチャゴチャと置いてあるが、たとえ壊しても取り返しの付かない物はほとんどない。

 だが、念のため、00ユニットに関する資料と、研究データの入った最新のコンピュータの本体だけは、部屋の隅に移動させる。

 それらの準備が整ったところで、夕呼は通信機を手に取り、隣室で待機しているピアティフ中尉に連絡を入れた。

「ああ、ピアティフ? 今からちょっと私の部屋で大きな音や、衝撃が起きるかも知れないけど、一切問題ないから、気にしないでちょうだい」

『……? 分かりました』

 一瞬の沈黙の後、ピアティフ中尉からはそう返答がある。

 よし、これで準備は整った。

 部屋の真ん中に立つ夕呼は、丁度十回大きく深呼吸をすると、両手でぱちんと両頬を叩き、

「ふっざけんじゃないわよ! あんたら、物理法則に喧嘩売るのも大概にしなさいよ! 返せ、昨日までの私の常識を返せえぇえ!」

 精根尽き果てるまで、回りの器具に当たり散らすのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その2
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:503e8bbc
Date: 2010/06/05 23:06
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その2

【2004年12月21日13時10分、横浜基地、αナンバーズ停泊港】

 昼を過ぎた頃、ブライト達先行分艦隊の責任者達は、港に停泊するラー・カイラムとアークエンジェルを眺めながら、整備班の責任者である、アストナージ・メドッソと、コジロー・マードックからの報告を受けていた。

原則、そう問題のない報告ばかりだ。昨日の戦闘で大きな損傷を負った機体はない。どの機体も、ラー・カイラムとアークエンジェルの内部施設で十分に修理可能なレベルである。

 元々ラー・カイラムもアークエンジェルも、モビルスーツを搭載しての長期航海を想定した戦艦だ。バトル7やエルトリウムとは比べるべくもないが、それなりの修理施設は完備してある。

 だから、大部分は問題ない。一両日中には補給も済ませ、元通りになるだろう。

 問題は、ラー・カイラムとアークエンジェルの中で直せない機体だ。つまり、ラー・カイラムとアークエンジェル、そのものである。



「駄目ですね。ラー・カイラムの下面装甲がかなりやられています。あそこは地上では専用のドックが無ければ手が出せません」

 汚れたツナギ姿のアストナージはそう言うと、お手上げとばかりに両手をあげた。

 昨日の対BETA戦において、ラー・カイラムとアークエンジェルは何度もレーザー級、重レーザー級のレーザー照射を受けていた。当然、地表から上空に向けてレーザーが照射されればダメージは戦艦の下面に集中する。

 最新のラミネート装甲が、重レーザーでも単照射ならばなんとか吸収しきれるアークエンジェルは、ダメージが少なかったのだが、単純に装甲厚さで耐えるラー・カイラムはそうもいかなかった。

 大ダメージと言うほどではない。現在もラー・カイラムはその攻撃を食らった下面装甲を海水に浸して、横浜港に浮いているのだし、その気になればこのまま大気圏離脱をはたして、宇宙に出ることも可能だろう。

 だが、それでもダメージを負っているという事実に代わりはない。もし、ピンポイントに同じ所にレーザー照射を受ければ、今度こそ大ダメージとなる可能性も十分にある。

 少なくとも、現状のままで昨日のような大胆な行動はとれない。

「そうか、どうにかならんか?」

 渋い顔で、ブライトがそう確認する。

 アストナージは肩をすくめて、

「無理ですよ。他の部分ならどうにかなりますが、下面装甲ですからね。宇宙空間ならやりようもあるんですが」

 そう言って首を横に振る。

 戦艦の下側を修理するというのは難しい。これが重力のない宇宙空間ならばいくらでもやりようがあるのだが、地球上では専用のドックが無ければ無理だ。

「根性で直らんか?」

 思わずブライトはもう一度そう確認する。

「無理ですって。根性や、ど根性で機体が直るなら、整備士いりませんよ」

 アストナージはきっぱりとそう返した。まあ、道理だ。いくらブライトが全幅の信頼をおいている凄腕整備士と言っても、出来ることと出来ないことがある。

「そうか……そうだな。分かった。とりあえず、修理ドックが完成するか、一度宇宙に上がらない限り、ラーカイラムは前線に出せないと言うことだな。アークエンジェルは問題ないのだな?」

「はい。こっちは大丈夫です。とはいえ、全くの無傷というわけではありませんので、多少は気を付けて貰いたいところですがね」

 アークエンジェルを担当するマードックはそう請け負う。片方でも戦艦が無事であるのは朗報だ。

 とはいえ、なかなかに頭の痛い問題である。

 いかにαナンバーズの機体が一騎当千と入っても、やはり戦場で長時間戦闘を継続するには、母艦に戻っての補給が絶対に必要となる。その母艦の片方が、積極的に前線に出られないのというのは、足かせを付けられて戦うようなものだ。

「修理ドックが完成するまで、戦闘に巻き込まれなければ良いのだがな」

 そう言いながら、ブライト自身そんな甘い願望が叶えられるとは思えなかった。別段、勘だの予感だのといったご大層な物ではない。

 ただの経験則だ。αナンバーズがそんな長い間、戦闘にかり出されずにすむ状況など、想像するのも難しい。彼らは今日までそんな人生を歩んでいた。






 現在、αナンバーズが間借りしている港とその周辺の施設は、一般兵士の立ち入りが禁止となっている。

 機密保持という意味でも、混乱を防ぐという意味でも、極当然の処置だろう。

 現時点で、αナンバーズが平行世界からやってきたと言う情報は、最高レベルの極秘情報である。

 対して、αナンバーズが、先日の佐渡島ハイヴ攻略戦において、空前絶後の戦果を挙げ、奇跡の勝利の要因となったことは、基地中の兵士が聞き及んでいる。

 もし、出入り自由などにしようものなら、堰を切ったように皆、αナンバーズに会いに来るのは疑いない。そうなれば、αナンバーズが異世界の住人であると言う情報を隠し通すことが事実上不可能になる。

 そう言ったわけで、現在この区域に足を踏みれる事が出来るのは、夕呼が特別に許可した、5人のみである。

 すなわち、香月夕呼本人と彼女の直属の部下、社霞、イリーナ・ピアティフ中尉、伊隅みちる大尉、そして白銀武少尉の5人だ。

 そして今、武は夕呼からの伝言を伝えるため、霞を引き連れてαナンバーズが停泊している港へとやってきたのだった。


「うわ、これは圧巻だな、霞」

「はい」

 港についた武は圧倒されるように、辺りをキョロキョロと見渡した。

 αナンバーズ達は、丁度艦内整理のため、全機動兵器を湾岸部に降ろしているところだった。

 無論、仮にも宇宙戦艦なのだから、その気になれば内部だけで整理、整備を終わらせることもできるのだが、こうして一度、全機外に出した方が、遙かに効率がいいのだ。

 湾岸部に一列に並ぶ、多種多様なモビルスーツと、三機のエヴァンゲリオン。そして、バラバラの残骸のように、鋼鉄ジーグの各パーツが並んでいる様は、確かに圧巻である。

 昨晩夕呼の研究室で、この機体がどれだけの戦闘力を有しているか目の当たりにした武にとってはなおさらだ。

「ええと、責任者の人はどこかな。霞は顔を知ってるんだよな」

「はい。ブライト大佐と、ラミアス少佐です」

 こくりと頷くと霞に、武はちょっと怯んだように顔を歪める。

「大佐に少佐かあ……」

 さすがに、3年の軍隊生活で、武もある程度、階級というものの重みを理解してきている。どちらも、一介の少尉に過ぎない武に取ってはほとんど接したことのない階級である。

 今まで直接対話を交わした最高位の軍人は、横浜基地の前司令であったラダビノッド准将だが、あれはクリスマスの夜にほんの少し話をしただけだった。

 それを除けば、現在所属する伊隅ヴァルキリーズの隊長である、伊隅大尉が最高位だ。

 しかし、伊隅ヴァルキリーズも上司である夕呼の影響で、例外的に敬礼や言葉遣いと言った部分に置いて非常に甘い組織となっている。

「厳しい人だったらまずいなあ」

 自分の言葉遣いや態度が、一般的な軍人の常識にはまりきっていない自覚のある武である。

 しかし、そんな武を勇気づけるように、霞は言う。

「大丈夫です。ブライト大佐も、ラミアス少佐も、いい人です」

「そっか、霞がそう言うなら間違いないな」

「はい」

 武はポンと霞の頭を軽く撫でると、モビルスーツの立ち並ぶ湾岸部を歩き進む。

 辺りで作業をしている人間に責任者の所在を聞こうとして、近づいたその時だった。

 こちらの存在に気付いたのか、近くに立つモビルスーツ――ガンダム試作2号機のコックピットが開き、パイロットが降りてくる。

 薄い金髪をオールバックにした、いかにも歴戦といった雰囲気を漂わせている、中年のパイロットだ。浅黒い肌には、年輪のように深いしわが刻まれている。

 パイロットは年を感じさせない軽やかな動作で、地表に降りてくると武達の前までやってくる。

「お前達は、基地の人間か? 確かここは、現地の人間は原則立入禁止になっているはずだが?」

 パイロットの問いかけに、武は直立不動で答える。

「はっ、国連軍横浜基地所属、白銀武少尉です! 自分は、香月博士から特別に許可を戴いております。こちらは、香月博士の助手の社霞です!」

 武の敬礼に返礼を返しながら、中年のパイロットは答える。

「αナンバーズ先行分艦隊、機動兵器部隊副隊長、サウス・バニング大尉だ。何か、身分を証明するものは?」

「はっ、これを」

 バニングにそう言われ、武は夕呼から渡された許可証を提示する。

 ざっと目を通したバニングは、「了解した」といい、許可証を白銀に返却した。

「それで、用件は?」

「はっ、香月博士より、言付けを承っております。ノア大佐にお取り次ぎ願えないでしょうか!」

 キビキビとした武の受け答えに、バニングは元から細い目をさらに細める。

(「うわっ、睨んでる。オレの言葉使いや態度ってやっぱり変か?」)

 思わず不安になる武だったが、バニングの内心はそんな悪いものではなかった。

(「うむ。これが正しく青年士官というものだな」)

 感慨深げに頷いている。

 すっかりαナンバーズの流儀に染まったバニングには、今の武レベルでも十分に、「礼儀正しい軍人」に見えているのである。

 まあ、比較対象が、獣戦機隊の藤原忍中尉や、バルキリー乗りのイサム・ダイソン中尉といった不札付きの問題児なのだから、当たり前と言えば当たり前だが。ましてや、ジュドー・アーシタに代表されるシャングリラチルドレンなどといった、軍人と全く無関係な『柄の悪い子供』のお守りをやってきたのだ。それと比べれば今の白銀武は、「立派な軍人」である。

「わかった。案内しよう、こっちだ」

 武と霞は、先導するバニングの後ろについていく。

 途中武は何度か振り返る。なにか、ガンダム試作2号機に引きつけられるものを感じる。

「冥夜?」

 なぜ、あんなごつい戦術機に愛する恋人の影を感じるのだろうか? 武は首を傾げながら、バニングの後ろについて行った。






 さすがに、武達をラー・カイラムやアークエンジェルの中に入れるわけにはいかない。

 バニングから連絡を受けたブライトは、間借りしている港近くの建物の中で、武と対面を果たしていた。椅子を用意するのも面倒なので、お互い立っての面会である。

「ご苦労。ラーカイラム艦長、ブライト・ノア大佐だ」

「国連軍横浜基地所属、白銀武少尉です」

「……」

 ブライトに対し、緊張気味に敬礼を返す武の後ろで、霞は無言のまま、小さく頭を下げている。

「香月博士から言づてを預かっているそうだが?」

 冷静な声でそう訪ねるブライトに、白銀は、

「はい。香月せ、博士は現在、帝都で帝国首脳部と会談を行っています。その結果を受け、本日、夕方過ぎに、もう一度αナンバーズの皆様と会合を設けたい、とのことです」

「なるほど」

 ブライトは顎に手をやって考える。どうやら、早速積極的に動いているようだ。

 生憎こちらはまだ、この世界の情勢については赤子も同然の知識量だ。しばらくは、香月博士を通して、向こうの出方をうかがった方がいいだろう。

「了解した。時間になったら迎えをよこしてくれ。その時も君が来ることになるのかな?」

 ブライトは、すぐにそう返す。現在、αナンバーズと接触が許されている人間はごく少数であることは、ブライトも聞き及んでいる。

 そう考えれば、この白銀武という若い少尉は、おそらく香月博士の腹心的な立場にいるのだろう。

 ブライトはそう見当を付けた。

「はい、おそらくそうなるかと思われます」

 と返す。ついでもう一つ、白銀は懸念事項を伝える。

「なお、この世界では『平行世界』という概念は、荒唐無稽なものとして扱われています。申し訳ありませんが、そちらでもこの件に関しては、箝口令をしいてもらえないでしょうか」

「そうか、了解した。む? だが、白銀少尉、君は?」

 頷きながら、ブライトは疑問を投げ返す。どうやら彼は、自分たちが平行世界から来たことを知っているようだが、よほど香月博士と近い存在なのだろうか。

 白銀自身、別な平行世界からやってきた存在なのだが、そのことをこの場で告げていいか、白銀には判断が付きかねた。

 夕呼に口止めされたわけではないが、言っていいと許可されたわけでもない。

 少し考えた後、白銀は当たり障りの無い事実だけを返す。

「自分は、当初より『オルタネイティヴ6』に参加していました。そのため事実を知っていますが、現在横浜基地で、その事実を知っているのは、香月博士と自分とこの社、あとはピアティフ中尉のみであります」

 事実だ。もともと、武を次元転移させる装置の製造や、近隣の原子炉から電力を引くのに、ある程度の人員は動員したが、彼らはただの労働力であり、計画については何も知らされていない。実のところ、計画の中枢にいた武でさえ、当時は何も分からず、言われるがまま、次元転移装置で眠りについていただけだったのだ。

 実質、オルタネイティヴ6は香月夕呼、社霞、イリーナ・ピアティフの三名だけで運営されていたと言ってもよい。

 夕呼は、直属の部下である伊隅みちるにすらまだ、αナンバーズの正体については明かしていない。

 まあ、みちるに話していないのは、機密保持を徹底しているというより、あまりに荒唐無稽な話なため、事実をそのまま信じさせるのが難しいからあえて言わない、というのが正直なところなのかもしれない。

「そうか。だが、そうなると口裏を合わせておく必要があるな。我々は正体を聞かれた場合には何と答えればいい?」

「はい。答える必要はありません。「機密のため答えられない」で結構です」

 武はあらかじめ夕呼から伝えられていた言葉を継げる。

「なるほど、確かに下手な嘘を付くよりはいいかもしれんな。言伝は以上か?」

「はい!」

「よし、ならば退出してよし」

「はっ、失礼します!」

 武は踵をあわせて敬礼をすると、キビキビとした足取りで退出していった。

 ぺこりと頭を下げた霞もそれに続く。

 二人が出ていった室内で、ブライトは大きくため息を付きながら、左拳で右肩をとんとんと叩く。

「ふう……どうも軍人らしい対応をすると肩が凝るな。私も、すっかりαナンバーズの流儀に染まっていると言うことか」

 そう言って苦笑を漏らす。日頃は「ブライト大佐」と呼ばれるより「ブライトさん」と呼ばれる方が圧倒的に多いのが現状だ。今更、言葉遣いや態度で目くじらを立てるような、精神状態にはない。

 ドアの外で「ああ、緊張したあ」ともらしている武が聞けば、「オレの苦労は一体何だったんだ」と落ち込みそうな言葉である。

 まあ、無理もないだろう。どこの世界に、香月夕呼直下の伊隅ヴァルキリーズより、礼儀や階級を軽んじている軍隊があると思うだろう。

 武が、αナンバーズの前でいつも通りの言動を取れるようになるには、まだ少しの時間が必要なのであった。










【2004年12月21日14時00分、帝都中央、帝都城】

「馬鹿な、あまりに非常識だ!」

「いくら何でも、そんなことが本当に可能なのか?」

「事実だとすればむしろ、BETAよりもαナンバーズの方が脅威ではないか!?」

 帝都城の一室で、香月夕呼の報告を受けた、政・軍の高官達は、一様に驚きの声を上げていた。

 αナンバーズの正体は、未来に当たる平行世界からやってきた軍勢であること。その彼らが、BETA殲滅のために、今後も協力を申し出ていること。ただし、彼らは自らを宇宙に拠点を置く、独立自治勢力であると宣言していること。そして、地球上での補給基地を築くため、拠点設置の許可を求めていること。

 それらの報告を、当たり前ながら政府高官達は、即座に事実として飲み込むことは出来なかった。

 上座に座る政威大将軍・煌武院悠陽殿下が直々に「香月博士の発言は、私が事前に聞いていた『オルタネイティヴ6』の内容と、なんら矛盾しません」と発言しなければ、「αナンバーズが、異世界の住人である」という事実を納得させるだけで、今日という日が過ぎていたことだろう。

 無論、いかに政威大将軍の言葉とはいえ、それだけで知性も理性も十分に発達した政・軍の高官達が納得したわけではない。とりあえずこの場は政威大将軍殿下の顔を立てて、「αナンバーズは異世界から来た救援部隊」と仮定して、話を進めていくようにしただけだ。

 おそらく全員、会議終了後には各自の情報ルートを駆使して、事実確認を行うに違いない。

 ともあれ、今はその前提のまま、話は進んでいく。

「総勢10万人。全長70キロの宇宙船。それらの話が本当だとするのならば、彼らは一体何が目的で、この世界に来たのだろうな」

 現内閣の内務大臣を務める、初老の男の言葉に、夕呼は務めて事務的に、

「彼らは、この世界をBETAの驚異から救うため、と言っています」

 と答える。

 当然その言葉で納得するものなど、1人もいなかった。言った本人自身が、欠片も信じていない。

「我々が知りたいのは、建前ではない。彼らの本音だよ」

 内務大臣の切り捨てるような言葉に、一同は頷き賛同の意を示す。

 圧倒的戦力を有する異邦人。幸いにも、彼らはBETAと違い意志の疎通が取れ、表向きには友好的ですらある。

 これは、非常に運がよいといえる。たとえ、その腹の底がどうあるにせよ、圧倒的な戦力格差があるにせよ、容易に意志の疎通が取れるのならば、交渉の余地が残されている。

 さらに、昨日から今日までの彼らの行動を見れば、少なくとも彼らの目的が「地球人類の殲滅」と言ったような、妥協の余地のないものでないと思われる。

 αナンバーズがBETAを撃退する。それはいい。それはこちらにとってこれ以上ないメリットだ。問題は、それがどう見ても異邦人であるαナンバーズのメリットに直接繋がらない、と言う点だ。

 一方的にこちらのメリットになるようなうまい話を持ってくる人間というのは、まず間違いなく、別な目的を腹の底に隠しているものだ。

 隠している以上、それはこちらにとってデメリットとなるものだろう。そのデメリットが判明しない以上、どれほどのメリットがあっても、易々と飛びつくわけにはいかないのだ。

 とはいえ、あの圧倒的な戦力で軍事協力してくれる、というメリットの前には、生半可なデメリットなど吹き飛ぶのも確かだ。何より、帝国は昨日の『竹の花作戦』でこれ以上ないくらいに消耗している。

 共に戦ってくれる軍は、喉から手が出るほど欲しい。それも、一軍でフェイズ4ハイヴを攻略可能な軍となればなおさらだ。

 はっきり言えば、今の帝国にとってαナンバーズの提案は渡りに船であり、断るという選択肢を取ることが極めて難しいのである。

「向こうからの好意は受ける。その上で、今後彼らが何かを要求してきたら、そのたびに検討する。空手形は切らない。無論、常時あちらの真意を探る努力は怠らない。

 結局のところ、こうするしかないのではないかね?」

 雑然とする場の空気を纏めるように、そう言ったのは帝国軍参謀総長・旅河正信だった。

 坊主頭に丸眼鏡、年の頃は初老といったところだろうか。この年まで参謀畑一筋の軍人であり、作戦立案能力よりも、人の間に入って調停する能力を買われて今の地位についた人物だ。少なくとも彼が参謀総長に就任して以来、陸海共に軍内部でのいざこざは減少している。

「まあ、身も蓋もない言い方をするとそうなるでしょうな」

 別な高級軍人もそう言って苦笑を漏らした。かなり乱暴な言い方だが、確かに旅河参謀長の言葉は現状を的確に表していると言える。

「それでは、彼らへの返答はいかがしましょう? αナンバーズを自治勢力として承認するか否か、補給基地用の借地を認めるかどうか、ということですが」

 折角落ち着いた、空気を再び夕呼が、かき乱す。夕呼としては、これを機会に再び資金と権限を奪取しなければならないのだ。簡単に話を収束させるわけには行かない。

 現在の夕呼の立場は、非常に弱いと言わざるを得ない。

 資金、権限は以前と比べるべくもないし、直属部隊であったA-01も一時解散され、新たに伊隅ヴァルキリーズとして、組み直された。連隊規模から、中隊にまで一気に縮小されたと言うことだ。無論、その時点で既にA-01の生き残りは、伊隅ヴァルキリーズだけだったので、実質的に人員を減らされたわけではない。

 しかし、それは夕呼の権限が大幅に削減されたことを意味している。旧207B訓練部隊の人員も、結局夕呼の意向で配属を決定できたのは、武ともう1人だけだ。

 オルタネイティヴ6の成果を持ってして、可能な限り資金と権限を引き出さなければ、オルタネイティヴ4の完遂など、夢のまた夢だ。

「それとも、やはり独立自治区『αナンバーズ』としてまず、国連に参加して貰った方がよろしいでしょうか?」

 本来それが正しい筋でしょうし、と夕呼は帝国の上層部を挑発する。

「む……」

「それは……」

 とたんに、政治家も軍人も揃って渋面を作った。明らかな侮蔑の視線を夕呼に向けている。

 新たな独立国が、国連に加盟する。なるほど、確かに表面上はこの上なく筋が通っている。

 だが、オルタネイティヴ5発動以来、国連が実質アメリカの下部組織と化しているのは、誰もが知っている事実だ。

 この牝狐は、この期に及んで帝国とアメリカを両天秤にかけようと言うのか? ギリリと歯ぎしりの音が響く。

 その怒りに満ちた沈黙を破ったのは、上座からの静かな声だった。

「よい。オルタネイティヴ6は我が国が独自に行った計画です。ならば、彼らの希望に添うのは、我らの役割といえましょう。皇帝陛下より全権を委任された政威大将軍として、この煌武院悠陽がその名の下に、彼らを独立自治勢力として認めましょう」

 悠陽は今、あえて強権的に自らの名にかけて『αナンバーズの自治』を認めたのだった。それは、万が一、αナンバーズが国際的に非難されるような事を行ったとき、主な責任は日本国政府ではなく、悠陽個人に向くということだ。

 つまり、最悪の場合、悠陽の首を差し出し、他の五摂家から新たに将軍を立てれば、帝国の傷は最小限に収まる。

「ありがとうございます、殿下。彼らにはそのように伝えます」

 自らの身をも一つの駒として扱う、悠陽の高潔さと政治センスに、夕呼も敬意を表し頭を下げた。

「では、彼らからのもう一つの希望である、補給基地設置のための借地の件に付いても、早急によろしくお願いします」

 頭を下げつつ夕呼はそう付け加える。

「香月博士、無礼ですぞっ!」

 畳み掛けるような夕呼の要望にさすがに耐えられなくなったのか、城内省大臣が顔を紅潮させ、椅子から腰を浮かせる。

 だが、夕呼はそこにさらに畳み掛けるように、

「突撃級を正面から仕留める粒子兵器。その粒子を刃とする粒子長刀。そして、戦術機に搭載可能な超小型核融合炉。補給基地では、それらが量産されるのです。

 量産のあかつきには、借地料としてそれらの現物を帝国に提供していただけるように、話を通して見せますわ」

 そういって、切り札の一枚を切る。ブライトから貰った整備マニュアルの一部のコピーだ。

 提出された資料に目を通した、軍人達は、目の色を変えた。

「馬鹿な!? 戦術機の大きさで、出力は米軍の原子力空母並だと?」

「非常識だ! 非常識にも程があるぞ!」

 しきりに非常識を連発する軍人達に、夕呼は内心、苦々しい思いで睨み付けていた。

(「はん。その程度で非常識? なにあまっちょろいこと言ってるのよ」)

 なにせ、今回渡した資料には、エヴァンゲリオンや鋼鉄ジーグはおろか、モビルスーツに関するものでも、バイオセンサー、サイコフレーム、ファンネルといった理解の難しい部分は全て省いてあるのだ。

 この程度で「非常識」などと驚きの声を上げられては、夕呼の立つ瀬がない。いっそ、こいつらに鋼鉄ジーグの『マグネットパワー』の実体を突きつけてやりたくなる。

 とはいえ、今の夕呼にそんな無駄な労力を割いている時間はない。

「いかがでしょう? 国内に補給基地を一つ認めるだけで、これらが手にはいるのならば、交換条件としては破格だと思いますが」

「うむ……」

「検討の余地はありそうだな」

 陸海軍の大将達は、平静を装いそう言うが、興奮が全く隠せていない。

 釣れた、そう確信した夕呼は、心中でにんまりと笑みを浮かべる。

「私からの報告、提案は以上です。後は特にお話が無いようでしたら、退出してもよろしいでしょうか?」

「待ちたまえ!」

 話を切り上げようとする夕呼を制止したのは、現内閣総理大臣、伊東武則だった。

 現在42歳と、日本の政治家としては非常に若く、すらりとした長身のなかなか見た目の良い男であるが、ある程度裏の事情を知っている人間は、彼のことを『榊是親専用スピーカー』と呼んでいる。

 表向きは国内の不景気と好転しない戦況の責任をとり、裏向きには『オルタネイティヴ4』失敗の責任をとり、総理大臣を辞職した榊是親であるが、その辣腕は今でも健在であり、国内外への影響力はほとんど総理大臣であった時と変わらない。

 夕呼は、伊東ではなくこの場にはいない、榊是親に声をかけるつもりで、「何でしょうか?」と返した。

 夕呼に正面から目を向けられた伊東首相は、ひとつ咳払いをすると、

「彼らを自治勢力と認めるのならば、国交交渉を持たなければならない。政府の人間を彼らの元に送りたい」

 そう言ってのける。なるほど、正論である。αナンバーズが一つの国で、日本という国と『同盟』を結ぶのであれば、その交渉は政府の人間がやるべきだ。少なくとも、国連付きの一研究員に過ぎない夕呼が出しゃばる問題ではない。
 
 もっとも、その真に意味するところは、これ以上夕呼を対αナンバーズ唯一の窓口としておけば、いずれ日本自体が夕呼に頭が上がらなくなる、という危機感だ。

 無論、それを理解できない夕呼ではない。

 夕呼はさも納得したかのように、頷くと、

「了解しました。では、吉田外務大臣にご同行をお願いします」

 そう言ってのけた。

「よ、吉田君かね?」

 思わぬ反撃に伊東首相は言葉を詰まらせる。

「はい。国交交渉ということであれば、妥当かと思いますわ。話は外交なのですから」

 夕呼の返答も正論だ。外交は、外務省の管轄である。だが、白々しいことこの上ない。

 外務大臣である吉田は、現内閣で数少ない、旧オルタネイティヴ5推進派である。中心人物が、移民船団で旅立ち、大部分がアメリカに亡命した、その残りだ。その、対アメリカのパイプの太さを利用するため、外相に添えてはいるが、間違っても信用できる人物ではない。

 彼の首輪には、「アメリカ」という飼い主の名前が彫られている。

 現在、この場にはいない。当然、吉田外相も出席するように要請しようとしたのだが、「たまたま」彼は席を外しており、「なぜか」個人用通信機も通じず、先の予定も詰まっていたため、「やむを得ず」彼のいないまま、会議を始めたのである。

 なぜか、このように吉田外相は「運悪く」重要な会議に参加できないことが多い。

 ここで、吉田外相に話を通されては、せっかくの根回しが水の泡だ。伊東首相はしどろもどろになる。

「い、いや、しかし、いきなり外務大臣が直接出向く必要もないだろう?」

「そうですね。ですが、どのみち外交は外務省の担当ですから、人員を派遣していただけるよう、大臣には話を通すべきかと思いますが」

「う、うむ……」

 先ほどの比ではない、凶悪な視線が左右から夕呼に降り注ぐ。だが、それでも夕呼は全くたじろぐことなく、

「もし、吉田外相と連絡が付かないのでしたら、当面は私の方で話を進めておきますが」

 そう、言ってのける。

「……分かった。しばらくは、香月博士に苦労をかける」

 結局、伊東首相は苦虫をかみつぶした顔で、そう言うしかなかった。

 その言葉を受けて夕呼は満足げに、頷く。

「いえ、元々オルタネイティヴ6は私の責任ですから。では、横浜基地の防衛強化についても、どうかご一考の程、お願いします」

 最後にそう言い残し、退出の許可を求める。

「香月博士。やはり、佐渡島の残存BETAは横浜基地を襲撃するのですか?」

 そこに声をかけたのは、悠陽だった。

 夕呼はしっかりと政威大将軍の視線を受け止め、頷き返す。

「はい。相手はBETAですので、絶対とは言えませんが、まず間違いないと私は考えています」

 過去、反応炉破壊に成功した例は、二例。甲26ハイヴと、甲12ハイヴだ。そのどちらの場合も、反応炉破壊直後、残存BETAは地中に撤退し、その数日後、群をなして最寄りのハイヴへと撤退していっている。

 甲12の時は、3日後に甲11へ。甲26の時は、5日後に甲25と甲21へ。

 タイムラグがあるのは、反応炉破壊により一度寸断された命令系統を再構築し、新たな命令が来るまでの時間ではないか、というのが今の所、専門家達の定説だ。

 その例に倣えば、佐渡島ハイヴの残存BETA3万強は、数日中に最寄りのハイヴへと移動を開始するはず。それが、朝鮮半島の甲20号ハイヴならば、問題はない。だが、もし、まだ反応炉が生きている横浜基地を、BETAが未だハイヴとして認識していたなら……横浜は戦場となる。

「横浜基地の反応炉を破壊するわけには行かないのかね」

「そうだ。幸い、オルタネイティヴ6が十分な成果を上げているのだ。これ以上、オルタネイティヴ4に拘る理由がどこにある!?」

 その場の、政治家、軍人から夕呼にそう、疑問の声がかけられる。それは、夕呼が一番恐れていた声であった。

 あまりに圧倒的なαナンバーズの力。あれを目の当たりにすれば、純粋な攻撃力でBETAを駆逐できると考えるものが出るのも当然だ。

 だが、夕呼にはそこまで楽観視することは出来なかった。いかにαナンバーズといえど、その戦力は有限なのだ。地球上に存在する全てのハイヴを、αナンバーズが力ずくで破壊できるか? と聞かれれば、首を傾げざるを得ない。まあ、あのエヴァンゲリオンシリーズとかいう卑怯な機体や、あれと同レベルの機体がダース単位であるというのなら、話は別だが。

 なにより、αナンバーズはあくまで『この世界の人類に協力する外部自治組織』なのだ。それに頼り切るというのは、リスクが大きすぎる。

「無論、最悪の場合にそなえ、反応炉停止の用意は調えてあります。しかし、αナンバーズの真意が分かっていない現状で、オルタネイティヴ4を止めるべきではないと考えます」

 反応炉と『鑑純夏』は、オルタネイティヴ4成功の鍵なのだ。こんな所で失うわけにはいかない。

「うむ、それは確かにそうだが……」

 軍人達も政治家達も、渋い顔をしながら首を縦に振る。外部戦力に頼り切る危険性は、この場にいる全員が理解していた。

 だが、そのために、近日中に本土でもう一度、大規模な対BETA戦を繰り広げなければならないと言われれば、何とか避けたいと思うのも人間というものだ。

 しかも、今度は攻守が入れ替わり、こちらが守りの側なのだ。推定3万のBETAから横浜基地を守りきる。たとえ、αナンバーズの助力を得られたとしても、相当な被害が出ることは覚悟しなければならないだろう。

 それだけの価値が果たして、反応炉に、鑑純夏に、そしてオルタネイティヴ4にあるのだろうか? 疑問を感じるのは当然である。しかも、横浜基地は帝都の目と鼻の先なのだ。

「艦隊による東京湾からの援護は約束しよう。しかし、帝都の守りを空にはできん。陸上戦力の援軍は、BETAの動きを見極めてからだ」

 旅河総参謀長は、いつになくはっきりとした口調でそう言った。先の佐渡島攻略戦で、帝国の戦力、および砲弾の備蓄は底をつきかけている。これでもかなり譲歩したと言えるだろう。

「分かりました。それでは失礼します」

 夕呼は最後に、いかにも儀礼的な作り笑いを浮かべると、会議室を後にするのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その3
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:a59a7626
Date: 2010/06/05 23:07
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その3

【2004年12月21日16時08分、帝都城、城内通路】

「へーい、そこの彼女。ボクのベンツでドライブしなーい?」

 政・軍の高官達を相手に、肩がこる説明を終えて会議室を出た夕呼を待っていたのは、そんなふざけた言葉だった。

 夕呼は深いため息をつきながら振り向く。そこには予想通り、上等な背広の上からロングのコートを羽織った中年の男が、ひょうひょうとした表情を浮かべながら立っていた。城内だからか、帽子はかぶっていない。

「なんのご用でしょう、鎧課長?」

 嫌みったらしく、慇懃無礼な口調でそう言い、夕呼はギンと睨み付ける。

 中年の男――鎧左近は、わざとらしく後ろにのけぞると、さも驚いたような表情を作り言った。

「おお、これは恐ろしい。香月博士のような美女に睨まれると、私のような小心者は心臓が止まりそうになります」

「くだらない話をするために引き留めたんなら、そこをどいてちょうだい。私は忙しいのよ」

 徹夜明けのうえ、お偉いさんと丁々発止のやりとりをこなしていた夕呼の精神状態は、その目つき以上に尖りきっている。

「おや? 女性をドライブに誘うときは、ああ言うのが、礼儀だと思ったのですが。では、改めまして。

 どうですか、香月博士。横浜基地まで私に送らせていただけませんかな? 私なら、博士を2時間ほどで送り届けて見せますが」

「はあ?」

 夕呼は思わず、眉をしかめる。言うまでもなく、東京の帝都城から横浜基地までの道のりが、車で2時間もかかるはずがない。よほどのハプニングでもない限り、1時間もかからないだろう。

「少なくとも、このまま正門から出るのは止めた方がいいでしょう。『アラスカ』経由で横浜に帰るのは、ちょっと遠回りが過ぎるでしょうな」

「……なるほど、ね。で、裏門は?」

 夕呼は得心がいったように頷いた。それにしても、香月夕呼にしては、察しが悪い。日頃の夕呼ならば、左近が「送る」と言ってきた時点で、状況を理解してもおかしくはない。やはり、徹夜と昨日からの頭の酷使が堪えているのだろうか。

「裏門ですと、『台湾』経由ですな。アラスカより距離は近いですが、時間にすると大差ないのでは?」

『アラスカ』ことソビエト連邦、『台湾』こと中華統一戦線。どちらの勢力もここで香月夕呼の身柄を確保したとすれば、そうたやすく手放すはずがない。「いつ帰れるかわからない」という点で考えれば、確かにどちらも大差ないだろう。

「チッ、思ったより早かったわね……」

 夕呼は軽く唇をかむ。予想していなかった訳ではないが、予想を超えるアクションの早さだ。それだけ、αナンバーズの見せつけたインパクトが大きかったということだろうか。

 この男に借りを作るのはしゃくだが、この場はいうとおりにするしかなさそうだ。

「分かったわ。乗ってあげるから、案内しなさい。ところで、ソ連と中国は分かったけど、肝心のアメリカは?」

 そう問う夕呼に左近は、「では、こちらです」と先導するように歩き出しながら、

「はっはっは、これは異な事を。聡明な香月博士らしくもない。かの国がそんなまどろっこしい手段を執るはずがないでしょう」

 そう、朗らかに笑った。

「どういうこと?」

 先を歩く左近の背中に追いすがりながら、夕呼は問い詰める。オルタネイティヴ6の主導者である自分を拉致するより、直接的手段があるというのだろうか?

 左近は右隣に追いついてきた夕呼に視線を向けると、ヒョイと肩をすくめる。

「今頃、横浜基地には、ニューヨークを出た再突入駆逐艦が到着している頃でしょう」

 左近の言葉に、夕呼はピクリと肩をふるわせる。なるほど、香月夕呼を通さず、直接αナンバーズに面通しに来たという訳か。しかし、現在の横浜基地は国連軍基地とはいっても、正式に帝国の指揮下に入っている。いかなアメリカといえども、横やりを入れるのは容易ではないはずだ。

 そんな夕呼の内心を読みとったのか、左近は口元だけを笑みの形にゆがめながら、

「いやあ、さすがは心優しい、オポク殿ですな。どうしても、奇跡の勝利の立役者達に、直接感謝の言葉をおかけしたいそうで。わざわざ、ホッチキス中将とご一緒に横浜にやってきたそうです。まったく、頭が下がりますな」

 そう言った。想像を超えた大物の名前に、夕呼は一瞬で顔色を失う。

「オポク事務総長と、ホッチキス司令官……ッ」

 ジョーダン・オポク国連事務総長に、ジョナサン・ホッチキス国連本部防衛軍司令官。

 いくら横浜基地の独立性が高いといっても、曲がりなりにも国連に所属している以上は、むげには出来ない名前である。

 はたして、横浜基地の基地司令に、αナンバーズを守りきることが出来るだろうか?

(無理ね……まず間違いなく押し切られる)

 夕呼は沸騰しそうなくらいに頭に血を上らせながらも、判断力は衰えていなかった。今の帝国は国連に対し、援軍要請を断れた代償として、「国内の全国連軍を指揮下に置く」という権限を与えられているのだから、何人であれ国外の干渉を一切合切はねのけることは、不可能ではない。夕呼が基地にいればまず間違いなく、門前払いを食らわせることができるだろう。

 だが、夕呼と同レベルの肝の据わった交渉を、一介の大佐に過ぎない、現横浜基地司令に望むのは酷というものだ。

 おそらくオポク、ホッチキスとαナンバーズの対面は避けられない。

(オポクはたぶん大きな問題は起こさない。問題は、ホッチキスね)

 オポク事務総長は、ガーナ共和国出身、つまりアフリカ連合の人間だ。アフリカ連合は、昨今メキメキと力をつけてきている新興勢力だが、世界を牛耳れるほどの存在ではない。それに、オポク事務総長自体も、穏和な人柄で慕われている人物だ。そう、面倒な事態は起こさないと思われる。

 対して、ジョナサン・ホッチキス司令官は、現役バリバリのアメリカ軍人である。良くも悪くも「アメリカの正義」に基づいた言動の多い人物だ。左近の忠告など聞き流して、まっすぐ横浜基地へ戻りたい衝動にかられる。だが、そうするには、香月夕呼という人物は、理性が強すぎた。

「急ぎなさい。もちろん、私の安全の確保が最優先よ」

 夕呼はそういって、左近をせかすように、歩調を速めるのだった。









【2004年12月21日17時52分、横浜基地、第一会議室】


「で、あるからにして、我が国は、君達を極めて高く評価している。そして、その力を有効に使うことが、地球人類がBETAに勝利する上で必要不可欠なのだと、私は確信しているのだ」

「はっ。過分なお褒めのお言葉、ありがとうございます」

 ジョナサン・ホッチキス中将の青い瞳に見据えられながら、ブライト艦長は、当たり障りのない言葉を返した。

 ここ、横浜基地の貴賓室で、ブライト・ノアは、国際連合事務総長ジョーダン・オポクと、国連本部防衛軍司令官ジョナサン・ホッチキスとの面会を強いられていた。

 オポク事務総長は恰幅のよい初老の黒人で、上品なダークグレイのダブルのスーツをゆったりと着こなしている。柔和な威厳、とても言えばいいのだろうか、決して押しは強くないのに、侮ることのできない雰囲気を持っている。

 一方、ホッチキス中将は、金髪碧眼の典型的な白人である。年の頃は、40代の後半ぐらいだろう。意識的に表情を消した、典型的な「秀才」タイプだ。こちらは、横浜基地でも見慣れた国連軍の制服姿で、胸にはいくつかの勲章がぶら下がっている。

 面会は最初、オポク事務総長による感謝の言葉から始まったのだが、一時間も過ぎると会話の主導権は、護衛役であるはずのホッチキス中将へと移っていた。

 正直、ブライトは全く状況が理解できていない。分かっているのは、横浜基地司令の態度から、彼らが横浜基地にとって歓迎できない客であること、それでありながら決してむげに出来ない重要な立場の人間であるということだけだ。

 それにホッチキス司令はいま、「我が国」と言った。意識しての言葉か否かは分からないが、彼の所属意識が国連という組織より、母国に比重が傾いているのは確かなようだ。

 そう言えば昼間、香月博士も「困窮する『我が国』では、貴方達の尽力に正当に報いることが難しく、非常に心苦しく思います」と言っていた。つまり、今回のαナンバーズの尽力に対して、報酬を払う義務は国連ではなく日本帝国にあると言うことだ。

(なるほど、この世界でも人類は一枚岩でないということか)

 苦々しく感じるブライトだが、それに関してはこちらとしても人のことはいえない。アースノイドとスペースノイド。ナチュラルとコーディネイター。元の世界でも地球人類は、宇宙滅亡の危機を目と鼻の先に迎えたまま、互いに銃口を向け合っていたのだから。

「謙遜かね? どうやら、日本暮らしが長いと、メンタリティまで移るようだ。まあ、いい。とにかく、君達には一度、国連本部に出頭してもらいたい。これは現時点では、ただの口頭要請だが、後日正式に安保理から帝国に書類が回る手はずになっている」

 安保理からの正式要請。そう言われても、ブライトにはその意味が正しく理解できない。

 だが、今の口調から、相当な権限を持つ部署である事は予測でいる。と、同時にブライトは一つの事実に気がついた。

 彼らは自分たちαナンバーズを、日本帝国に属する存在だと勘違いしている。この誤解は解いておくべきだろうか? あまりに情報が少なすぎて、何が最善であるか判断がつかない。

 とはいえ、αナンバーズ・イコール・日本帝国所属という既成事実を作られては、後々まずいことになる可能性は十分にある。

「はっ、了解しました。しかし、中将閣下は誤解していると思われます。我々αナンバーズは、日本帝国に属する者ではありません」

 結局ブライトは素直にそう告げることにした。

 ブライトの言葉に、ホッチキス中将は細い金色の眉毛をピクリと動かす。

「ほう、それは初耳だな。では、君達の所属はどこなのだろうか?」

「はっ、申し訳ありませんが、機密につき申し上げるわけにはいきません」

 ホッチキスの問いに、ブライトはきっぱりとした口調でそう言った。この世界では「平行世界」という概念は荒唐無稽な物である、と武から聞かされている。たとえ心証を害しても、この場で真実を述べるよりはいい。

「所属自体が機密というのか?」

 ホッチキスの青い瞳がスッと細まる。

「はい」

「私はこれでも、上位の機密閲覧権限を持っているつもりなのだが」

 ホッチキスは圧力をかけるように、椅子から前に体を乗り出す。

「申し訳ありません。ですが、閣下が私の所属を聞く権限を有しておられるのならば、すでにその情報を耳にしているはずです」

 ブライトはあくまでそう答え、突っぱねた。嘘ではない。現時点でαナンバーズの正体を明かしても問題がないのは、オルタネイティヴ6の全容を知っている人間だけだ。そして、オルタネイティヴ6について知っていれば、αナンバーズの正体については、聞くまでもなく予想がつくはず。知らない人間は、イコール教えてはいけない人間と言うことだ。

「そうか、それは失礼したな」

 ホッチキスはそう言って、意外なほどあっさりと矛を収めた。実際ホッチキスには、事実上帝国傘下に入っているこの横浜基地の重要機密を聞き出す権限はない。これはいわば、階級と立場を盾に取った脅しのようなものだ。だから、ブライト側が「好意」で明かしてくれるのならば、ともかく、こちらから機密を話すように「命令」することはできない。

「とはいえ、我々はBETAという共通の敵の前に立つ、いわば戦友だ。いずれ貴官らとは、ともに戦う事になるだろう。そのときを楽しみにしている」

 ホッチキスは最後にそう言って、薄い唇を笑みの形にゆがめた。

 言葉だけを聞けば、清々しいが、今のアメリカにとって「共に戦う」と言うことは事実上、自軍の指揮下に組み込む事を意味している。これは「いつまでも逃げ切れると思うな」という宣告に等しい。国連を傀儡としているアメリカは、この地球上に存在する全ての国に、強力無比な影響力を持っている。

 ホッチキスの自負も当たり前と言えば当たり前だ。いくら何でもαナンバーズがそもそも「地球上の勢力ではない」などと予測できるはずがない。この時点でそんな予測ができるとしたら、それは有能な軍人などではなく、ただの予言者である。

「はっ、その際にはよろしくおねがいします」

 ホッチキスの瞳に、不吉な物を感じたブライトであったが、とりあえず、今は無難に答えておくしかなかった。






 結局、夕呼が横浜基地に戻ってきたときはすでに、オポクとホッチキスを乗せた再突入駆逐艦は横浜基地から飛び立っていた。

 規則通り、認識票の提示を求める職務に忠実な門番の鼻先に認識票を突きつけて、ヒールを履いているとは思えない早歩きで建物の中へと入っていく。

 中に入ると、夕呼の帰りの報が入っていたのか、ピアティフ中尉が入り口まで出迎えに出てきていた。

「香月博士、実は」

 珍しく少し興奮しているピアティフ中尉の言葉を遮ると夕呼は、

「大丈夫、状況は理解してるわ。オポク事務総長達の会話の録音記録を私の所に回すように、基地司令に要請しておいて」

 そう言いながら、簡単に靴の汚れを落とすと、横浜基地の廊下を早歩きで進む。

 相手側から特別に拒否されない限り、基地側には基地内でかわされた会話を音声で記録しておく権利がある。無論、軍事機密に類する会話は、その限りではないのだが、今回のオポク事務総長たちの訪問は、あくまで「αナンバーズ激励のため」なのだから、記録拒否を申し出る筋合いはない。

「分かりました。研究室に回しておいておきます」

「ええ、お願い。あと、できるだけ速くαナンバーズの責任者と話をする必要があるわ。場所と時間をセットして」

「了解しました。αナンバーズを呼びに行くのは、白銀少尉にお願いしてもよろしいですか?」

 ピアティフが直接向かうには、αナンバーズが停泊している港は遠い。ピアティフとて、夕呼の三分の一ぐらいは忙しい日々を送っているのだ。時間は惜しい。

「いいわ、好きに使ってちょうだい」

 ピアティフに指示を出しながらも夕呼は今後について考える。

 まず、何はさておいても、オポク、ホッチキスとαナンバーズ代表の会話内容の確認だ。無礼な発言があれば謝罪を、こちらが意図的に隠していた事実(帝国が事実上の孤立状態であると言うことだ)を知られているならば、弁明の言葉を用意しておく必要がある。

 その上で、明日にでも起きるであろう、横浜基地防衛戦に参戦してもらえるように交渉しなければならない。

 非常に気を遣うデリケートな交渉になるだろう。夕呼は一歩一歩歩くたびに、頭の芯がズギンズキンと痛む錯覚に襲われていた。

「まったく、何で私が……」

 思わずこぼれる愚痴を、斜め後ろに付き従うピアティフは、行儀よく聞き流す。

 何一つ差し出す物のないまま、一方的にこちらの都合で防衛戦に巻き込むのだ。普通に考えれば難しいを通り越して、非常識と呼ぶような交渉である。頼みの綱は、あちらの「可能な限り協力する」という言質だけだ。

(彼らの真の目的が何であれ、昨日から今日にかけての言動を見れば、日本がBETAに蹂躙されるのは向こうにとっても利害に合わないはず。その辺が突破口かしらね)

 そう考えながら、夕呼は同時に、最悪の場合は即座に反応炉を停止させ、『鑑純夏』を諦める事も念頭に置いていた。シビアに現実を直視する夕呼の判断力は、流石と言うべきだろう。

 だが、それも結局は全て徒労に終わる。事情を聞かされたブライトの第一声は「分かりました。できる限りの協力をさせていただきます」というものなのだから。果てしなく、交渉のしがいのない相手である。
 
 












【2004年12月21日、日本時間20時41分、小惑星帯】

 火星よりさらに太陽から離れた小惑星帯。この世界の人類がまだ、足を踏み入れたことのないその宇宙空間に、αナンバーズの本隊は現在、駐留していた。

 全長1キロを超える巨大戦艦『バトル7』。巨竜を象った異形の戦艦『大空魔竜』。そして、全長70キロの超巨大戦艦『エルトリウム』。

 食料、エネルギー、そして各種戦闘兵器。それら全てを自給自足できるこれらの艦の存在がなければ、さしものαナンバーズといえども、平行世界宇宙に飛ばされた時点で、恐慌を来す者が出ていたかもしれない。

 そんなαナンバーズ達にとって母艦を超えて、母星とも呼べる艦隊に今、二つの影が飛来していた。

 一つは、真っ赤なバルキリー。もう一つは、光の球体の中に入るようにして、宇宙空間を生身で飛ぶ人型の何か。

 哨戒任務から戻ってきたミリアのVF-1・Jと、プロトデビルンのガビルである。




「おお、見えてきたな。最後まで気を抜くなよ、『熟年美』!」

 赤いバルキリーにそう声をかけ、白い羽をはやした緑の顔のプロトデビルンは先導するように前に出る。

「……」

 その言葉をしっかりと聞き遂げたミリアは無言のまま、ガンポッドの銃口をガビルに向けると、一瞬の躊躇もなくトリガーを引き絞る。

「うおっ!?」

 無論バルキリーの55㎜弾ごとき豆鉄砲で、プロトデビルンであるガビルがダメージを受けるはずもないが、流石に驚いたようだ。

「あら、ごめんなさい。ちょっと、手が滑ったみたいだわ」

 ミリアは、全く悪びれることなく、凄みのきいた笑顔でそう言ってのけた。

 どうやら彼女の中では、けたたましく『フレンドリーファイア』を警告するレッドアラームを切って、照準の真ん中に味方を捉え、きっちり2秒間トリガーを引き絞ることを、「手が滑った」と言うらしい。

 だが、そんなミリアの気迫が伝わったのか、ガビルは気圧されたように、

「おお……なんという、圧倒的威圧美! ここは沈黙美とするが得策か……」

 そう言ってそれ以上、事を荒立たせようとはしなかった。

 ミリアとガビルが哨戒任務を受け持つようになったのは、最近の事である。

 元々、ミリアはそのシティ7市長という立場から、ガビルはプロトデビルンであるという特殊な事情から、戦力には数えられていなかったのだが、資源の切り出し部隊にも護衛部隊をつけることしたため、どうやっても手が足りず、結局彼女たちにもお声がかかったのであった。

 ミリアはそれまで乗っていたVF-22S・Sボーゲルを、ガビルはFBz-99Gザウバーゲランをそれぞれ先の霊帝戦で大破させているが、ミリアには30年前の愛機であるVF-1・Jがあり、プロトデビルンであるガビルは、シビル同様生身での宇宙戦闘が可能だったのである。

「さて、早めに戻らないと、また私を差し置いて艦長会議が始まってしまうわ」

 そう言いながら、ミリアは操縦桿を引き、機体を加速させた。

 この世界にシティ7は来ていないが、ミリア自身はあくまで自分を『シティ7市長』だと思っている。結局ごり押しに近い形で、ミリアは艦長会議に、バトル7のオブザーバーとして参加することを認めさせていた。

「こちら、ミリア機哨戒任務終了。異常なし」

『了解しました。こちら、バトル7ブリッジ。誘導光の指示に従って着艦してください』

「了解」

 バトル7の飛行甲板から宇宙空間に伸びる、二筋のレーザー光に沿うようにバルキリーを飛ばし、ミリアは危なげない動作で着艦した。






「では、ブライト君。説明を頼む」

 フォールド通信による本日の艦長会議は、タシロ提督のその一言から始まった。

 横浜のラー・カイラムやアークエンジェル、小惑星帯のエルトリウムやバトル7はもちろん、惑星間航行中のエターナルも参加している。

『はっ。本日、こちらでは戦闘こそありませんでしたが、多様な事が起こり、多くの事実が判明しました。詳細はデータ転送しましたのでそちらに目を通しておいてください。私の方からは概略を……』

 そういって、ブライトは横浜基地に停泊するラー・カイラムの艦橋から、今日一日であった出来事と、新たに判明した事実を述べていく。

 この世界の地球人類は、基本的に多数の国から成り立っており、そのほぼ全ての国が『国際連合』という組織に所属していること。

 しかし、国同士の結束は弱く、一枚岩ではない印象を受けたこと。

 香月夕呼を通し、「αナンバーズは独立自治組織である」と宣言したこと。

 同時に、補給基地用に帝国内に土地を借りられないか打診したこと。

 その後、国連事務総長と国連本部防衛司令官を名乗る人物と面会したこと。

 そして、現在ブライト達が停泊している横浜基地が、数日中にBETAの襲撃を受ける可能性が大であることなどを、淡々とした口調で告げる。

「「「……!」」」

 最後の「横浜基地襲撃」の可能性を聞かされたときには、参加していた艦長達の顔にも緊張が走る。

「それで、先行分艦隊の戦力で横浜基地を守り切ることは可能なのですか?」

 すぐにそう聞いてきたのは、バトル7の艦長、マックス大佐だった。

 ブライトは苦い表情で答える。

『正直、厳しいと言わざるを得ません。予想されるBETA総数は最小でも3万。対して、防御拠点である横浜基地が広すぎます。しかも、ラー・カイラムは昨日のダメージから積極的に前線に出すには不安がある状態です。

 アークエンジェル一隻と、20機強の機動兵器だけで守りきれると考えるのは楽観的すぎるでしょう』

「まあ、そうでしょうな」

 ブライトの答えに、バトル7のエキセドル参謀はそう言って頷いた。

 元々、典型的な少数精鋭部隊であるαナンバーズは、敵の中枢を強襲するような攻勢任務には異常な強さを発揮する反面、防衛任務には難を残す傾向がある。

 機械31原種の地球降下に対する阻止作戦、ザフトのオペレーションスピッツブレイクに対する防衛戦、地球連邦のオーブ侵攻に対するオーブ防衛戦など、苦杯をなめてきた戦場のほぼ全てが、防衛戦である。

 万の敵に守られた基地を撃ち抜く力と、万の敵から自軍基地を守り抜く力は似て非なる物なのだ。

『もう一日早くそのことを聞いていれば、ウラキ様とキース様を地上に降ろしていたのですが……』

 沈痛な表情でそう言って、ラクス・クラインはエターナルの艦橋で目を伏せた。ウラキのガンダム試作一号機フルバーニアンと、キースのガンキャノンⅡ。たった二機のモビルスーツでも有ると無いとでは大違いだったはずだ。

 だが、地球圏から出航してすでに丸一日以上がたった現在、エターナルはすでに最高速度に達している。ここから急減速をして180度転進しても、まず間違いなく横浜基地防衛戦には間に合うまい。

 むしろ、今から小惑星帯の大空魔竜が全速で地球に向かった方が速いくらいである。

「うむ、横浜基地にBETAがやってくるのはいつ頃か分かっているのかね、ブライト君?」

 タシロ提督の問いに、モニターの向こうのブライトは首を横に振る。

「同様のケースは過去二例あり、それぞれBETAの再行動開始は3日後と、5日後だったそうです。ですが、たったの二例から、予測を立てるのはあまりに難しいというか、危険というのが、実情のようです」

 極端な話、現在すでに佐渡島でBETAが動き出していてもおかしくはないのだ。

「むう、そうか。副長、何とか援軍を捻出できないか?」

 こちらに顔を向けるタシロ提督の言葉に、エルトリウム副長は、にべもなく答えた。

「無理です。元々は8時間勤務の3交代で回していたローテーションを、資源切り出し部隊にも護衛をつけるようになってから、12時間勤務の2交代制にしているのです。それも数日中には、ガンバスター、シズラー黒、ガイキングらが戦線に復帰できることを見越した緊急阻止です。スカル小隊、ゲッターチーム、兜甲児、ジュドー・アーシタ、エルピー・プル。皆、本来ならば48時間以上の休息を必要としているくらいです」

 例外は、昨日からローテーションに加わったミリアとガビルぐらいだろう。とはいえ、彼女たちも貴重な戦力だ。とてもではないが、地球に送るわけにはいかない。

 後方の必要最小限の戦力を前線に送るというのは、もっともやってはいけない悪手の一つである。

「では、修理完了が近い機体は?」

 それでも諦めきれないタシロ提督の言葉に、まず副長が、

「ガンバスターのオーバーホール完了は130時間後、シズラー黒でも120時間後の予定です。無論これは最速での理想値です」

 と、どこまでも理性的な声を返した。

 最速でも復帰は5日後というわけだ。これでは間に合わない可能性が高い。

 続いて、大空魔竜の大文字博士が口を開く。

「こちらはもう少し後になります。ガイキングの修理を最優先にしているのですが、それでも完了までに7日はかかります。翼竜スカイラーなどはそれからさらに数日後になるでしょう」

 そう言って大文字博士はすまなそうに頭を下げた。無論、謝る筋合いではない。元々、特機であるガイキング等は、大文字博士が一人で担当しているようなものなのだ。そう考えれば、むしろ大文字博士の尽力にこそ頭が下がる。

 不景気な報告に、皆の眉間にしわが寄っていく。そんな中、比較的明るい報告を入れたのは、バトル7の艦長であるマックスだった。

「こちらは、VF-19エクスカリバーの共食い整備が、10時間以内に終了する予定になっています。よってVF-19一機のみでしたら、余剰戦力があると言うことになりますが」

 乗るのは以前に言っていたとおり、イサム・ダイソン中尉だという。VF-19ならば、単独での高速惑星間航行も可能だ。燃料が心配ならば、念のためVF-1スーパーバルキリー用のスーパーパックを搭載すればいい。

 とはいえ、問題はある。

『待ってください。ダイソン中尉の援軍はありがたいですが、弾薬の補給はどうするのです?』

 いち早くそのことに気づいたブライトがそう指摘する。

 バルキリー系の武装は、当たり前だがモビルスーツとは規格が合わない。当然、現在地球にいるラー・カイラム、アークエンジェルの両艦には、バルキリー用の補給物資は一切積んでいない。

 これではせっかく援軍に来てもらっても、機体に積んでいる弾を撃ち尽くしたところで、何もできなくなってしまう。

「補給物資か……まさか、大空魔竜を地球に向かわせる訳にはいかんしな」

 タシロ提督は一度開いた眉の間にまたシワを作り、考え込む。無論、エルトリウムやバトル7を向かわせるのは議論以前の話だ。艦内工場での製造や修理は、航行中でも問題ないが、資源の切り出しの問題がある。せっかく見つけた資源衛星から今離れるわけにはいかない。

 皆が考え込むその沈黙を破ったのは、それまでずっと発言せずに傍観に徹していた人物だった。

「それならば、我々にお任せ下さい」

 GGG長官、大河幸太郎である。

「おお、大河君! そうか、ディビジョン艦隊を向けてくれるのか?」

 大河の言葉に、俄然タシロ提督は元気づく。超翼射出司令艦『ツクヨミ』、最撃多元燃導艦『タケハヤ』、そして極輝覚醒複胴艦『ヒルメ』。これら三隻のディビジョン艦は、ともすると『ゴルディオンクラッシャー』としての役割ばかりに目がいくが、いずれも、惑星間航行が可能な高性能宇宙艦なのである。

 しかし、大河長官は首を横に振ると、

「いえ、ディビジョン艦隊はまだ、航行可能なレベルには達していません。可能なのは、彼の艦です」

 そう言って、一人の人間をモニターに映し出す。

 顔の上半分を隠す、猛禽を象ったような兜。その下から長く伸びる、鷲鼻。そして、左腕にはめ込まれた、赤い宝石、その名は、Jジュエル。

 その戦士の名は、

「ソルダートJ。では、ジェイアークが?」

 タシロ提督の声に、男――ソルダートJは、簡潔に頷き返した。彼の機体――ジェイアークは、今は無き赤の星で作られた、超弩級宇宙戦艦だ。その全長は100メートル強。ラーカイラムやアークエンジェルと比べれば、四分の一以下の大きさだが、バルキリー一機分の補給物資を運ぶくらいの搭載能力は十分にある。なにより、ジェイアーク自体の戦闘力が頼もしい。

「ああ。まだ、完全復調したわけではないので、ESウィンドウを開いてES空間に入ることはできんが、惑星間航行に支障はない」

 ESウィンドウとは、簡単に言えば空間を超越した別次元に通じる窓のことである。これが使用できれば、ジェイアークにとって、全宇宙が活動可能範囲となるのだが、それが使えなくても、ジェイアークは通常宇宙空間を、巡航速度にして時速4000万キロ、最大巡航速度にして時速1億キロで移動する能力がある。

 火星、地球間の距離(最接近時5500万キロ、最隔離時9900万キロ)など、機体が万全ならば日帰りが可能だ。

 今は、機体が完全でないため、そこまでの速度は出せないが、それでも現在αナンバーズ達がいるここ、小惑星帯から地球まで、丸一日程度で到着できる。

「しかし、修理が終わっていない機体を出すわけにはいかん」

 慎重論を唱えるマックスの言葉に、ソルダートJは、きっぱりとした口調で答える。

「ジェイアークは光さえあれば、自己修復が可能だ。ここに留まるより、より太陽に近い地球に向かった方が修理も進む」

 ジェイアークの自己修復能力と無限補給能力。機体の修理のみならず、ミサイル等の実弾兵器さえ光があれば製造可能という、この世界の科学者が聞けば、発狂しそうな能力だ。

『分かった。しかし、良いのか、J?』

 頷きながら、ブライトはそうソルダートJに訪ねる。元々、ソルダートJは必ずしも喜んでαナンバーズの指揮系統に従ってきた人間ではない。むしろ、利害の一致のため力を合わせているというスタンスを取っていたイメージがある。

 その彼が率先して、この世界の戦いに参戦する。やはり、戦士の血が戦いに駆り立てるのだろうか?

 だが、赤の星の勇者は、一つ頷くときっぱりと答えるのだった。

「かまわん。空を汚すモノは、私の敵だ」

『了解した。では宜しく頼む、ソルダートJ』

「うむ、たった二機の援軍で心苦しいのだが、ブライト君。地球は頼んだぞ」

 ブライトの言葉に、タシロ提督はそう苦い表情で答える。

『いえ、心強い援軍です。あ、あと、出来れば大河長官にも降りてきてもらいたいのですが。先ほども報告したとおり、政治レベルでの交渉が多発しているのです』

 会議も終わりに近づいたことを察したブライトは、少し慌てた口調でそう進言する。ブライトとしては前線戦力以上に欲しい「援軍」である。

 ブライトの要請を受け、タシロ提督が大河長官に声をかける。

「だそうだが、どうかね、大河君?」

 急な話にも、GGG長官大河幸太郎は全く動じることなく、威厳ある態度で首肯する。

「分かりました。ディビジョン艦隊は火麻参謀に一任し、私は地球に降ります。J、すまないが私も乗せてくれ」

「いいだろう」

 横を向き、そうことわる大河長官にソルダートJは頷いた。ジェイアークに、通常乗っている人間はソルダートJ、戒道幾巳、そしてルネ・カーディフ・獅子王の三人だけである。バルキリー用の物資を積み込んだとしても、余剰人員を乗せる余地はいくらでもある。

 大河長官が来てくれることが決まり、ブライトはあからさまにほっとした表情を浮かべた。言い方は悪いが、これで不慣れな交渉の矢面に立たなくてすむ、という安堵の色が見て取れる。

『それでは、そろそろ時間ですので、今夜の通信はここまでしたいのですが、そちらからの連絡事項は何かありますか?』

 ブライトのその言葉に、タシロ提督等本隊の艦長達は気まずそうに目を合わせる。しばしの沈黙の後、口を開いたのは、バトル7のマックス艦長だった。

「ええ、実は、先日αナンバーズの全隊員に向けて、この世界の置かれている事情を説明したのですが……」

『はあ』

 非常に言いづらそうなマックスの口調と、微妙に視線を合わせようとしないタシロ提督の表情から、なにか良くないことがあったことを察しながら、ブライトは先を促す。

「そこで、BETAの実態を聞いた熱気バサラが……」

 その名前を聞いた瞬間、ブライトにも何が起きたか、すぐに予想できた。確か、バサラのファイアバルキリーは昨日の時点ですでにオーバーホールが完了していると言っていた。

『ああ、なるほど。行きましたか。火星に』

「ええ、シビルと二人で。……申し訳ありません、私の監督不行届です」

 マックスはかぶっている帽子のつばを下げて、謝罪する。

 ブライトとしても苦笑するしかなかった。

『いえ、それはおそらく誰にもどうしようもないでしょう』

 いつの間にか、会議に参加するほぼ全ての人間の顔に苦笑が浮かんでいた。

 不思議と、報告をする方も聞く方も、根本的に「熱気バサラが火星で死ぬ」という可能性を全く考えていない。信頼している、というよりただ単に想像がつかないのだろう。

「まあ、熱気バサラが自発的に、戻ってくるの待つしかないのではないでしょうかな?」

 という、エキセドル参謀の言葉が、結局の所、この問題に対する唯一の正解であるようだった。









【2004年12月22日、日本時間8時45分、小惑星帯】

 昨夜のフォールド通信会議から約12時間後、準備を整えた救援部隊は本隊に残る者達とが、エルトリウムの中で最後の挨拶を交わしていた。

 救援に向かう機体は、ジェイアークと、VF-19バルキリーの2機。

 人員は、ジェイアークの乗組員であるソルダートJ、戒道幾巳、ルネ・カーディフ・獅子王、VF-19のパイロットであるイサム・ダイソン中尉、そして全権特使として派遣される大河幸太郎長官の計5名である。

「J、ルネ、地球を頼んだぞ。大河長官もお気をつけて」

「お前に言われるまでもない」

「ま、出来る限りのことはやるよ。結果は保証しないけどね」

 ソルダートJとルネは、獅子王凱の見送りの言葉に、素っ気なく答える。

「ああ、地球に平穏をもたらすため、私も出来るだけのことはするつもりだ。後は頼んだぞ、勇者凱、火麻参謀」

 一方、大河長官は熱く拳を握りしめ、凱の言葉に応えた。

「はいっ!」

「任せて下さい! 長官が戻ってくる頃には、全勇者ロボが完全復帰してお待ちしていますよ」

 凱の後ろに立つ、緑色のモヒカン頭の巨漢、火麻激GGG参謀が力強く頷いた。現在、GGG所属の勇者ロボは、ジェネシックガオガイカーを始め、全ての機体が大破しており、極輝覚醒複胴艦『ヒルメ』の中で懸命な修理を受けている。

 さらに言えば、そのヒルメ自身も含むディビジョン艦隊も、破損が激しく、十全の力を発揮できていない。

 それを全て知った上で、凱と火麻参謀はあくまで笑顔で、後のことを引き受けた。

 一方、大人達が熱く語り合っている横では、二人の小さな戦友同士が、互いの無事を祈り、言葉を交わしていた。

「戒道、気をつけて!」

「うん、ありがとう。ラティオも、ここだっていつ、BETAがやってくるか分からないのだから」

 緑の星のラティオこと天海護と、赤の星のアルマまたの名を戒道幾巳の二人である。

 どちらもまだ年は幼いが、その身にした不思議な力で、何度となくαナンバーズの勝利に貢献してきた、れっきとしたαナンバーズのメンバーだ。

 敵が機械31原種でも、ソール11遊星主でもない以上、果たしてアルマの力が、この戦いでどれだけ役に立つかは不明であるが、少なくともアルマ自身はジェイアークを降りるつもりはないし、ソルダートJもアルマとは生死を共にする覚悟でいる。






 また、別なところでは、ガルド・ゴア・ボーマンが旅立つイサム・ダイソン中尉を見送っていた。

 本来ならば、スカル小隊の3人も見送りに来たがっていたのだが、彼らは現在数少ない乗機持ちである。半ば強制的に休息時間は睡眠を取らされている。

「ドジを踏むなよ。お前は、俺たちを差し置いてその機体を与えられたことを忘れるな」

 ガルドはいつも通り、きつい言葉で親友を激励する。イサム、ガルド以外にもダイヤモンドフォースの3人と、機体のないバルキリー乗りが複数いる中で、イサムに白羽の矢が立ったのだ。ある意味イサムが「選ばれた」と言っても良い。

 そんなイサムが、親友の言葉に強気の笑いを返す。

「はっ、なんだよ、嫉妬か? 生憎だが、VF-19については俺が一番ベテランなんだよ。マックスもそれを分かってたってことだ」

 イサムの言葉に嘘はない。元々YF-19はVF-19シリーズのプロトタイプであり、イサムはそのYF-19のテストパイロットだったのである。VF-19シリーズにイサムより長く乗っているバルキリー乗りは、どこにも存在しない。

「そうやっていい気になっていると、お前は必ず失敗するんだ。いい加減、自覚しろ」

「んだとぉっ、こら」

 いつも通り、じゃれ合いから険悪な雰囲気になりかけたところで、向こうから大河長官の声がかかる。

「ダイソン中尉! 時間だ、乗ってくれ」

「っ、了解!」

 イサムは、「覚えてろ」とガルドを一にらみすると、駆け足でジェイアークへ駆け寄っていく。

 VF-19でも惑星間航行は可能だが、やはりジェイアークほどの速度は出ない。そのため、VF-19はジェイアークの上にくくりつけられ、地球近くにつくまでは、イサムもジェイアークに乗り込むのである。

 イサムがジェイアークの前まで駆け寄ってきたそのときだった。

「いやあ、ギリギリ間に合った。すみません、長官。僕らも乗せてもらえませんか?」

 今まさにジェイアークに乗り込もうとしている一行の背中に、そんな声がかけられる。

 振り返るとそこには、背の高い黒髪の陽気そうな青年と、スリムな金髪の生真面目そうな青年がこちらに向かって来ていた。

「万丈君、それにアラン君。なぜ、君達が?」

 それは、ダイターン3パイロット、破嵐万丈と、ファイナルダンクーガのオプションマシーンであるブラック・ウィングのパイロット、アラン・イゴールの二人であった。

「おい、まさか、ダイターンやダンクーガが戦えるようになったのか?」

 あり得ないとは思いつつ、足を止めてイサムはそう問いかける。

 それに対して、万丈とアランはそろって首を横に振った。

「いや、ダイターンはまだ大破したままだよ」

「ダンクーガもだ。ブラック・ウィング単体ならばある程度めどは立っているが」

 二人の否定的な言葉に、一同は首をかしげる。ならば、機体もないまま地上に降りて彼らはどうしようというのだろうか?

 大河長官がそのことについて聞こうとした、そのときだった。

「お待たせしました万丈様」

 黒いタキシードをビッと着こなした初老の紳士が、大型トランクを山ほど乗せた運搬台車を押しながら、早足でこちらにやってくる。

「やあ、ご苦労、ギャリソン。中身は注文通りかな?」

 それは、破嵐万丈の万能執事、ギャリソンだった。1人でダイターン3の整備から、万丈の午後の紅茶の世話まで同時にこなす、魔法使いのような老人である。

「はい。エルトリウムの元素転換装置の担当班に無理を言ってそろえていただきました。上から順に、エルビウム、ツリウム、テルビウム、クロム、パラジウム、バナジウム、金、白金となっております」

 すらすらとあげられたそれらは皆、レアアース、レアメタルと呼ばれる鉱物である。

「うん、それだけあれば、どれかは撒き餌として使えるはずだ。よくやった、ギャリソン」

「とんでもございません。お褒めにあずかるような働きではございません」

 満面の笑みを浮かべる波瀾万丈に、ギャリソンは見本にしたくなるくらいに見事な礼をしてみせた。 

 そして万丈は、大河長官の方に向き直ると、

「大河長官、これも一緒に乗せてもらいたいのですが」

 そう言って、自分の首の高さまで積まれたトランクの山をポンと叩く。

 流石に、それで大河長官は万丈が何をしに地上に降りるつもりなのか、想像がついた。万丈は正面戦力として働こうとしているのではない。確かに彼は、過去にもαナンバーズのために、銃弾の代わりに札束と金貨が飛び交う戦場で孤軍奮闘してくれていた。

「ということは、アラン君も?」

 水を向けられて、アランは小さく頷き返す。

「はい。昨晩、ブライト艦長から送られてきた資料を見たのですが、かなり生臭いモノを感じました。BETAばかりを見ていては、後ろから足下をすくわれかねない。私はしばらく情報収集に努めたいと考えています」

 アランは元々、ゲリラ戦とアナログな情報戦の専門家だ。

 大河長官はしばし腕を組み、考えていたが、それもそう長いことではなかった。

「分かった。では、2人にもついてきてもらおう」

 大河長官の言葉に、万丈とアランは力強く頷き返す。

「では、お邪魔するよ、J。ギャリソン、ダイターンの修理は頼んだよ」

 主人の言葉に、万能執事は完璧な礼をしながら、

「お任せ下さい、万丈様。ワックスもかけて、新品同様に仕上げておきます」

 そう、請けおった。

 一方、アランは、前の大河長官と後ろの火麻参謀を同時に見ながら、

「ありがとうございます。あと、可能ならばボルフォッグの修理をある程度優先できませんか? 彼の協力があれば、情報収集は非常にやりやすくなるのですが」

 そう提案する。確かに、ボルフォッグは偵察に適している。ヴィーグル形態がパトカー型なので、少し外装を弄ればすんなりとこの世界の町並みにも溶け込むはずだ。

 しかも、ボルフォッグの超AIは、偵察任務を前提に教育されているため、マシン自体が「考える相棒」となってくれるのである。

 大河長官と火麻参謀は顔をつきあわせて考える。

「どうですかねぇ、長官?」

「ふむ。留守のことは火麻参謀に一任する」

 聞いてくる火麻参謀に、大河長官はきっぱりとそう言いきった。一瞬、虚を突かれたような顔をした火麻であったが、すぐに「わかりました」と頷くと、アランに向かい、

「よし、分かった。全体の進捗を遅らせるような変更はできねぇが、その範囲内でよければボルフォッグの修理を優先しよう。それでどうだ?」

 そう言う。その言葉を受けてアランは、小さく一つ頷いた。

「ありがとう、助かる。それで十分だ」

 元々、アランとしてもダメ元での提案だったのだろう。今の火麻の返答で十分に満足したようだった。

「お前達、乗るのならば早くしろ」

「ほら、もたもたしてると、置いていくよ」

 そうしているうちに、ジェイアークの方からソルダートJとルネが、急かす声をかける。

「おっと、これは申し訳ない」

「すまん。今行く」

 万丈とアランは、先を走る大河長官の背中を追うようにして、駆けだした。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その4
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:1e9121cd
Date: 2010/09/11 22:06
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その4

【2004年12月22日7時45分、横浜基地、ブリーフィングルーム】

「あ、タケルさん!」

 伊隅ヴァルキリーズがいつも使っている小さなブリーフィングルームに武が入ってきたとき、最初に声をかけてきたのは、珠瀬壬姫少尉だった。猫の耳のようになったピンクの髪を揺らしながら両手を広げ、満面の笑顔で武の名前を呼ぶ。

 すでに20歳を超えているはずなのだが、武の胸までしかない小さな体躯と、その体躯に似合った童顔は、出会った頃からほとんど変わっていない。全身のボディラインが完全に浮き彫りになる「99式衛士強化装備」姿だが、正直直視してもドキマキすることはない。無論、三年以上接してきて、武がそれに慣れてきたというのも一因であろうが、やはり彼女の体つきが大人の体からほど遠いというのが主な理由だろう。

 武が所属していた207B訓練分隊からこの伊隅ヴァルキリーズに配属されたのは、彼女と武の二人だけだ。

 そう言う意味では、武にとってこの世界でもっとも長く深いつきあいの人間だといえる。

「よう、たま。早いな」

 武はよってくる壬姫にそう声をかけ、片手をあげる。

 それに答えたのは壬姫ではなく、後方に立っていた青髪をポニーテールにしている女だった。

「珠瀬が早いんじゃなくて、あんたが遅いのよ、白銀。後来ていないのは伊隅大尉だけよ。新入りが最後から二番目だなんて、良い度胸じゃない」

「すみません、速瀬中尉」

 からかいの色を含んだ叱責に、本気ではないことはすぐに分かったが、一応武は神妙に謝っておく。見渡してみると確かに、ブリーフィングルームには、伊隅ヴァルキリーズ全12名中、10人の顔があった。

 速瀬水月中尉。それが、彼女の名前である。武が所属する部隊『伊隅ヴァルキリーズ』の突撃前衛長(ストーム・バンガード・ワン)。戦場で部隊の先陣を切るそのポジションにつくものは、部隊最強衛士を意味する。

 実際彼女の技量は、凄腕揃いの伊隅ヴァルキリーズの中でも頭一つ抜き出ている。部隊長の伊隅みちる大尉は、総合力では彼女より上なのかも知れないが、中隊指揮者という立場上、技量をあまり表に出すことがない。

 少なくとも、武の目には速瀬中尉こそが、この伊隅ヴァルキリーズで一番の凄腕に見える。

「よし、白銀は罰として、今日の訓練終了後、シミュレータ訓練」

 水月はそう言って、ネズミを前にした猫のような笑顔を浮かべた。

「またですかぁ、速瀬中尉」

 武は情けない声を上げる。速瀬水月は何かあるとすぐに武に勝負を挑んでくるのだ。おかげで白銀の数少ない自由時間は、半分が夕呼の雑用、残り半分が水月の相手で消えていた。

「なに情けない声出してるのよ、『天才コンビ』の片割れが」

 情けない声を上げる武を叱責するように、水月はそう言う。

 そんな水月に言葉に声を上げたのは白銀ではなく、『天才コンビ』のもう一人、珠瀬壬姫だった。

「タ、タケルさんはともかく、私は天才なんかじゃないですよぅ」

 大慌てで、小さな両手をばたばた振り、分不相応な称号を否定する。しかし、それはいつものことであり、水月が全く取り合わないのもいつものことであった。

「天才よ、保証してあげる。私も宗像も、実戦経験ゼロのド新人にやられるほど耄碌してないわよ」

 そう言って水月は最後に「その新人がよっぽどの天才じゃない限りね」と付け加える。水月が武と事あるごとに手合わせしようとするのも、これが理由である。



 今から約一年前。武と壬姫が、伊隅ヴァルキリーズに配属されたとき、伊隅ヴァルキリーズの面々は二年ぶりの補充新人を大いに歓迎し、「シミュレータ対戦で新人の腕を見てやろう」と言うことになったのである。

 代表として立ったのは、副長である速瀬中尉とC小隊の小隊長である宗像中尉。流石に中隊長である伊隅大尉は遠慮したが、十分大人げない人選である。だが、的確な人選ともいえる。これが、訓練兵入隊時には壬姫と同期だった涼宮茜少尉や、柏木晴子少尉などが相手であれば、武や壬姫も、どこか「負けられない」という思いもわく。だが、中隊のナンバー2とナンバー3が相手では、「胸を借りる」という気分で挑むことが出来る。

 だが、結果は誰にとっても予想外なことに、新任少尉組の勝利に終わったのだった。

 戦闘はまず最初に、「負けて元々」と考えた武の無謀な突撃から始まった。

 武独特のバルジャーノン仕込みの三次元機動。その全く見覚えのない異質な機動に水月が意識を奪われている僅かな隙に、「いくらなんでもそこから無理だろう」という後方から壬姫が、一撃で水月機のコックピットを撃ち抜いたのである。

 これには流石に、日頃冷静さに定評のある宗像美冴中尉も動揺した。どれほど熟練の衛士でも、1対2でなおかつ動揺していていては、勝てはずもなく、程なくして美冴も武達の餌食となったのである。

 無論、これは全て水月達が武の変則三次元機動と、壬姫の常識外の狙撃能力を知らなかったから起きた現象であり、別段武と壬姫の技量が、総合的に伊隅ヴァルキリーズの先任に勝るというわけではない。

 事実、その後の手合わせでは壬姫はほとんど全敗に近い有様だし、武でも勝率は三割を切っている。

 とはいってもやはり、初対決で新人がチームのエース、突撃前衛長を落としたという事実は重い。

 水月はその後今日まで、この有望な新人を鍛えるためという理由が9割、黒星をつけてくれた生意気な新人に雪辱するという理由が1割の心境で、事あるごとに武を引っ張り回してきたのであった。



「いや、本当勘弁して下さいよ~」
 武は我ながら情けない声を出しているなあ、と自覚しながらもそう言わずにはいられない。せっかくコツコツと積み上げていった自信も、水月に正面からぶちのめされるとまた、一から積み直しになるのだ。武には水月が賽の河原に出没する鬼に見える。

 そうやって武が水月に絡まれていると武の背後に一人の人影が近づいてきた。助けが来たのかと一瞬ほっとした武であったが、目の端に写ったその人物を確認して、すぐにその顔が引きつる。

 髪はまっすぐ赤茶色のショートカット、どこか中性的な美貌、スタイルの良いスレンダーな体つき。

 それは、伊隅ヴァルキリーズC小隊隊長、宗像美冴であった。一見すればクールで凛としたイメージのある彼女だが、人をからかって遊ぶ性質と、話を混ぜっ返す才能に関しては中隊随一と定評のある人物だ。

 案の定、美冴はしれっとした顔のまま、

「まあ、白銀、大変だろうが相手をしてやってくれ。速瀬中尉は欲求不満でな、お前くらいのテクニシャンじゃないと満足できないんだそうだ」

 と、激しく人聞きの悪いことを言うのだった。

「む~な~か~た~!」

 案の定、水月は顔を真っ赤にして顔中で怒りを表現する。しかし、その怒りを向けられている美冴は、わざとらしく武の後ろに隠れると、小首をかしげながら答える。

「え? ですが、中尉は言っていたじゃないですか。「どうせヤるなら、白銀くらいじゃないと満足できない。ほかの奴らじゃ長持ちしてくれないから、かえって欲求不満がたまる」、と」

 美冴の言葉は全面的に事実であった。無論全て、戦術機シミュレーションの話であるが。水月の顔が、怒りプラス羞恥心でいっそう赤くなる。

「あ……あんた、分かっててわざと、そういう言い方してるでしょ!? 白銀も、なに想像して顔赤らめているのよ!」

「ち、違いますよ早瀬中尉、これは!」

 怒りの矛先を向けられて、武は慌てて顔の前で手を振り否定する。

 確かに武の頬は赤らんでいるが、水月の言うような邪なことを想像したわけではない。ただ単に、武の背中に隠れている美冴の吐息が耳の裏を生暖かく擽っているのだ。

 もしこれも意図してやっているのだとしたら、いっそ感心する巧みなイタズラである。

 収拾がつかなくなりそうな状況を見かねたのか、二つの人影が武の方へとやってきた。

「水月、そうやって反応するから、宗像中尉に面白がられるのよ」

「美冴さん、そのくらいにしておかないと。そろそろ時間ですわ」

 水月の後ろに茶色の長髪のおとなしめな女が、美冴の横にはストレートの緑髪を腰のあたりまで伸ばしたお嬢様風の女が、それぞれ水月、美冴の両者をたしなめる。

 前者が、伊隅ヴァルキリーズCP将校の涼宮遙中尉、後者がC小隊の制圧支援を勤める風間梼子少尉である。

 二人の登場に、武はあからさまにほっとした表情を浮かべた。遙と梼子は、癖のある人間が多い伊隅ヴァルキリーズにおいて、数少ない穏やかな常識人だ。

 梼子の言葉に、武が壁に掛けられている四角いアナログ時計に目をやると、時計の針は7時55分を指していた。

 朝のブリーフィング開始は8時を予定している。そろそろ伊隅大尉が来る頃だ。武がそう思い入り口に目をやったそのとき、まるで示し合わせたかのように、入り口のドアが押し開かれ、一人の女性士官が入ってきた。

 癖のある茶色の髪を、首筋にかかるかどうかのショートにまとめているその女性士官は、そのまま軍のPRビデオに使えるのではないかと思うくらいに理想的に背筋を伸ばし、カツカツとこちらに近づいてくる。

 一方、室内で寛いでいた伊隅ヴァルキリーズの面々は、あっという間に整列して、その女性士官を待っていた。

「全体、敬礼!」

 副長である水月の声を合図に、整列した一同はそろった綺麗な敬礼をする。

 部下達の敬礼を受け、その女性士官――伊隅大尉は、生真面目な表情のまま返礼した。

 伊隅みちる大尉。その名が示すとおりこの戦術機甲中隊『伊隅ヴァルキリーズ』の中隊長である。というよりも元々『伊隅ヴァルキリーズ』という名称が、伊隅大尉に率いられた12人の戦乙女、という意味なのだ。

 現在は、武がいるため、全員が女という当初の伝統は破られているが、それでも名称に変更はない。

「よし、楽にしろ」

 みちるがそう言うと、張り詰めていた空気は若干のゆるみを見せた。元々、香月夕呼直属であるこの部隊は、夕呼の影響で軍隊としては異例なほど形式張った部分が取り除かれている。もっとも、それはあくまで「軍隊としては」というレベルであり、αナンバーズのような「敬礼も階級もあってないようなもの」というのとは一緒にはならない。

 みちるは部下達を一通り見渡した後、ゆっくりと口を開く。

「本日の予定は、午前シミュレータによるフォーメーション訓練、午後それを踏まえてのミーティングとなっていた」

 過去形で語るみちるの言葉に、「なにかあった」と確信しながらも、まずは誰も口を挟まない。

「が、それらの予定は全てなしだ。本日7時27分、佐渡島の残存BETAの本土上陸が確認された」

「「「!!」」」

 淡々としたみちるの言葉に、武達は一斉に反応する。しかし、それは半ば「ついに来たか」という思いに彩られた緊張感であった。

 横浜基地にいる人間ならば、誰もが内心では確信していたことだ。反応炉を破壊されたハイヴのBETAは、数日後最寄りのハイヴへと向かうという過去の実例は、一般兵士までが共有する情報となっている。
その上、ここ横浜の地下にはまだ「生きた反応炉」が眠っていると言うのは、座学で習うレベルの情報。

 そして、極めつけがここ数日の訓練内容の変更だ。それまで、ほぼ毎日どこかしらの部隊が行っていた、演習場での実機演習が、佐渡島ハイヴ攻略以後は、全く行われていないのである。

 そのくせ、全く使われていないはずの戦術機を、各格納庫の整備員達は、尻に火がついたような勢いで整備、チェック、消耗品の数量確認をしているとなれば、気がつかない方がおかしい。

 みちるは部下達の反応を見て、満足げに頷くと、

「その様子では皆、予想していたようだな。そうだ、BETAの最終目的地はここ、横浜基地だ。佐渡島ハイヴの反応炉が破壊されたとき、地中へと逃れたBETA達は、そのまま地中深くを進行し、本土へとまっすぐ向かっている。よって、海上の第一次防衛ライン、沿岸の第二次防衛ラインは共に全く機能していない」

 どのみち帝国軍は先の『竹の花作戦』のダメージが深刻であり、九州・中国地方を前線とする西方防衛軍と、帝都東京を護る帝都守備隊以外は、ほとんど張り子の虎と化している。

 もし、BETAが新潟沖から地上上陸を果たしていたとしても、期待するほどの戦果は望めなかっただろう。そもそも砲撃を加えようにも、帝国の砲弾備蓄量の七割弱が『竹の花作戦』につぎ込まれているのだ。

 奇跡的な『竹の花作戦』の成功と、αナンバーズの存在に驚いた各国が、掌を返したように補給物資の「援助」を申し出ているが、最も早いものでも到着は3日後である。今日の役には立たない。せめてもの慰めは、補給のめどが立っているので、心置きなく今ある物資を使い切ることが出来る、ということぐらいか。

「帝国軍は知っての通り、先の佐渡島奪還戦の傷が深い。よって、支援はない。一応帝国海軍が、湾上から砲撃支援を約束してくれているが、それだけだ。この基地は、現在この基地にいる者だけで守る。そう言うことだ、分かったな」

「「「はい!」」」

 武達は反射的に返事を返すが、やはり皆その顔には、深く緊張の色が刻まれていた。

 縮小に縮小を重ねた、現在の横浜基地の総兵力は決して多くない。戦術機は僅か一個連隊(108機)。そこに、伊隅ヴァルキリーズの11機を加えても、119機にしかならない。

 無論、敵殲滅の主役は支援部隊の砲撃だし、基地内部では強化外骨格を纏った機械化歩兵一個連隊が守っている。そのさらに奥には、小銃その他で武装した守備兵もいる。

 しかし、やはり最前線でBETAの圧力を受け止めるのは戦術機なのだ。砲撃支援は前線を戦術機が固めてくれていることが前提の兵器であり、機械化歩兵や通常歩兵は、小型種を相手にするのがやっとなのである。

 基地の外壁や、防御施設をうまく利用したとしても、BETA一万匹も相手取れれば十分奇跡と呼べる。

 だが、みちるは無情にも襲い来るBETAの予想総数を告げる。

「予想ではBETAの出現予測地点は旧前橋市付近。地中の振動音から観測隊が割り出した、BETAの予想総数は最低で3万」

「「「!?」」」

 告げられた絶望的な数に、さしもの伊隅ヴァルキリーズの猛者達も絶句する。BETAの残存総数は聞いていたのだが、ある程度は朝鮮半島の甲20号ハイヴに向かうのではないか、というのが大方の見方だったのだ。よもや、全BETAが横浜基地へと向かってくるとは。

 ものすごい単純計算をすれば、各戦術機が1人当たり約250体倒さなければならない計算だ。いくら何でも、衛士の士気と奮闘でどうにか出来るレベルを超えている。

「BETAの地上出現予想時間は、今から3時間後、横浜基地への到達時間は最短でそこからさらに1時間後と見られる。そろそろ基地全体に防衛基準体勢2が発令されるはずだ」

 当然だろう。幸い最短でも4時間の猶予が残されているが、戦闘準備にはどれだけ時間があっても多すぎると言うことはない。

「今から、防衛作戦の概要を説明する。全員、強化装備の網膜投射ディスプレイをオンにして、情報の共有をかけろ」

 元々、今日の午前中はシミュレータによる戦術機訓練の予定だったのだ。全員、戦術機用の強化装備を身につけている。

 武達は一斉に、網膜投射ディスプレイのスイッチを入れた。次の瞬間、皆の視界に大きく拡大された関東圏の地図が浮かび上がる。

「BETAの地上出現予想地点である旧前橋市。ここは『αナンバーズ』が受け持ってくれることになった。空中戦艦アークエンジェルとその搭載機動兵器、約20機が、まずBETAの群れを迎え撃つ」

「そうか。αナンバーズ!」

「動いてくれるんですか!?」

 ずっと悲壮な決意に彩られていた室内の空気に、初めて明るい色が差し込む。みちるの「この基地にいる者だけで守る」という言葉からつい、横浜基地所属の国連軍しか頭になかったが、今この基地にはあの『αナンバーズ』が停泊しているのだ。

 二隻の空中浮遊戦艦と、20機強の戦術機だけで佐渡島ハイヴを攻略した、謎の精鋭部隊。流石に詳しい情報は彼女たちまで届いていないが、噂の半分が真実だとしても、十分に心強い援軍だ。

「そうだ。第一次防衛ラインはこのαナンバーズの部隊が受け持つ。主なターゲットは、レーザー級、重レーザー級。そして、要塞級と、可能な限り、突撃級も相手取ってくれると言っている。

 だが、その分、要撃級と三種類の小型種は、ほぼ素通しになる。しかも、旧前橋市から横浜基地まで奴らの進路を阻む者は存在しない。帝都防衛軍の予備隊が、近くを通るときは砲撃支援をしてくれることになっているが、まず間違いなく焼け石に水だろう」

 元々、帝国の砲弾備蓄が底をついているのだ。砲弾さえ十分にあれば、いかにBETAが大軍とはいっても、問題はなかった。旧前橋市から横浜市まで直線距離にしても130㎞はある。進行ルートに潤沢な砲弾の雨を降らせれば、横浜基地に到着させることなく、殲滅することも不可能ではなかっただろう。

 まあそこまで理想的な展開は、準備時間から言って不可能だったとしても、横浜基地守備隊の負担を十分の一以下にはしてくれたはずだ、砲弾さえあれば。

 実際にはそんなものは無いため、横浜基地守備隊はαナンバーズが通したBETAを丸ごと受け持つしかない。

「基地の外には、戦術機甲連隊の内、第一、第二の二個大隊が防衛ラインを構築する。我々の任務は基地内部の防衛だ」

 みちるがそう言うと、皆の網膜に映っていた関東圏の地図が一瞬で、横浜基地内部の地図と入れ替わった。


「基地内部の主立った入り口は三つ、Aゲート、Bゲート、そしてメインゲートだ。そのうち我々は、メインゲートの防衛を受け持つ。完全死守が原則だが、最悪の場合小型種のみはゲートを通しても良い。一応内部では、一個連隊の機械化歩兵が守りについているからな。その代わり、それ以外はなにがあっても、討ち取るんだ。小型種以外を一匹でも通した時点で、任務は失敗と思え!」

「「「了解!」」」

 みちるが言うほど簡単な任務ではないことぐらい、皆分かっている。しかし、それでも彼女たちの闘志は揺らいでいない。

「なお、メインゲート防衛に、αナンバーズからも二機増援を送って下さるそうだ。機体名は、エヴァンゲリオン初号機とアルブレード・カスタム。機体データを回しておくので、後で各自確認しておけ。念のため、言っておくがデータの数値はバグでもはったりでもないぞ。私が、何度も確認したのだからな」

 そういって、みちるは今日初めて口元に小さな笑みを浮かべる。だが、その笑みの意味を漠然とでも理解できたのは、αナンバーズの戦闘画像をその目で見たことのある、武ただ1人だった。

「話は以上だ。総員ハンガーに向かい、自機のチェックを済ませろ。30分以内だ!」

「「「了解!」」」

「解散!」

 全員が敬礼をしたところで、水月が最後に解散を宣言する。次の瞬間、伊隅ヴァルキリーズの面々は、すぐにハンガーへ向かうため、全員が出口へと駆けだす。

 そして、まるでその瞬間を待っていたかのように、基地全体に激しいサイレンが鳴り響き、『防衛体制2』が発令されたのであった。








【2004年12月22日9時00分、横浜基地、中央作戦司令室】


 防衛体制2が発令されてから、約一時間。横浜基地の頭脳とも言うべきここ、中央作戦司令室は、各部署から入る情報の濁流に飲まれかけていた。

「支援砲撃部隊、第二滑走路に展開完了。補給用コンテナも展開完了です!」

「第一、第二戦術機甲大隊、第二次防衛ラインに到着。第二次防衛ラインの補給コンテナ展開率未だ20パーセント」

「第三戦術機甲大隊、Aゲート前演習場に展開完了。補給コンテナ展開率60パーセント」

 CP将校達からの連絡を聞きながら、中年の横浜基地司令は、重々しく頷く。

「よし、第二次防衛ラインの展開と支援砲撃部隊のチェックを急がせろ。最優先だ」

 そんな慌ただしい司令室の一角を、香月夕呼が間借りしている。

 伊隅ヴァルキリーズのCP将校、涼宮遙中尉と夕呼の副官であるイリーナ・ピアティフ中尉が隣り合うようにして、通信席に座り、夕呼はその後ろで腕を組んで立っている。

 遙の通信先は当然ながら伊隅ヴァルキリーズ、対してピアティフの通信先は、すでに旧前橋市に到着しているアークエンジェルと、横浜港に停泊中のラー・カイラムであった。

 そのラー・カイラムのブライトから通信が入る。

『香月博士。αナンバーズは全機所定の位置につきました』

 ブライトからの通信に夕呼は意識的に微笑みを浮かべながら、言葉を返す。

「ありがとうございます、ノア大佐」

 すると、一時的に手が空いたのか、基地司令もこちらの様子に気づき、夕呼の隣にやってきた。

「おお、ノア艦長。αナンバーズのご助力、ありがとうございます。しかも、もっとも危険な第一次防衛ラインを引き受けて下さるとは。この田辺、帝国を代表して御礼申し上げる」

 そう言って基地司令――田辺大佐は、最大限の敬意を込めて敬礼をした。元々、帝国陸軍からの出向組である田辺は国連軍に所属している意識が薄い。国連の軍服を着ていても、心は帝国軍人のままなのだろう。

 ブライトはそれに敬礼を返しながら、

『いえ、大したことではありません。せめて、このラー・カイラムを前線に出せれば、もう少しお力になれるのですが……』

 そう言って沈痛な表情を浮かべる。下面装甲の修理のめどが立っていないラー・カイラムは前線には出さないことが決定している。一応、横浜基地までBETAが来れば、搭載ミサイル等で支援を行うことになっているが、事実上この防衛戦には参加できないも当然である。

「とんでもない。ご助力、真に感謝しております。それ以外の機体は本当に大丈夫なのですか?」

 田辺基地司令は、ブライトの言葉に慌てたようにそう言う。

 横浜基地の機体と違い、αナンバーズは二日前の佐渡島奪還戦に参加しているのだ。むしろ、戦艦一隻を除き他の機体が全て参戦できるという方が、田辺の常識からすると信じがたい。

 だが、ブライトはこともなげに頷いた。

『はい、問題有りません。アストナージ達が一晩でやってくれました』

 昨日、夕呼から横浜基地襲撃の可能性を聞かされたブライトは、整備班に可能な限り進捗の前倒しを打診したのである。結果、アストナージ達は、朝までに全ての作業を終わらせてしまっていた。

 元々佐渡島戦で、大ダメージを負った機体がでなかったからこそ出来た事だが、それでもやはりαナンバーズの整備士達の優秀さを物語る事実である。

 しかし、こうして夕呼、田辺司令、ブライトの言動を見比べると、一目で分かるぐらいに落ち着き具合に差がある。

 かなり落ち着いているのが夕呼で、緊張感を漂わせているのが田辺司令、悲壮感すらあるのがブライトだ。

 これは、精神力の違いではなく、三者が内心で定めている『勝利条件』によるものが大きい。

 基本的に取捨選択のはっきりしている夕呼は、最悪『反応炉と鑑純夏が無事ならば問題が無い』と考える。

 それに対し田辺司令はその立場上『最低でも横浜基地が基地としての機能を残すこと』を命題としている。

 では、ブライトはどうかというと、原則『1人でも死人を出したら負けかな』と思っているのだ。

 無論ブライトも、歴戦の指揮官として、戦場で死者が出るのは仕方がないことは理解している。オペレーションスピットブレイクや、オーブ攻防戦では、数多くの戦死を目の当たりにしている。しかし同時に、普通は絵空事に過ぎない「戦死者ゼロの完全勝利」というものを、αナンバーズは今まで数多く経験しているのだ。

 異次元におけるムゲ・ゾルバドス帝国との決戦。バルマー本星でのゼ・バルマリィ帝国との決戦。そして、霊帝ケイサル・エフェスを倒した最終決戦。

 いずれも奇跡の勝利と呼べる大激戦であったが、結果だけを見れば『敵全滅、味方死者ゼロ』の圧勝だったのだ。

 そのため、ブライトに限らずαナンバーズは可能な限り「死者ゼロの完全勝利」を目標とする癖がついている。

 そんなブライトの目から見れば、なるほど今回の横浜基地防衛戦は「絶望的な戦い」と言えよう。

 やがて、ブライトは艦内で何か声をかけられたのか、一度横を向いて何か言った後、モニターに向き直り、

『すみません。昨日お話しした援軍が衛星軌道上に到着したようです。横浜基地への降下を許可していただきたいのですが』

 そう、こちらに告げてくる。

 αナンバーズが本隊から『援軍』をよこしてくれるという話は、昨日の内にブライトから聞いている。夕呼は隣に立つ田辺司令に目を向ける。

「司令?」

「うむ、降下を許可する」

 田辺はそう答えると、一つ頷いた。

『ダイソン中尉、ソルダートJ、聞こえるか。降下許可が下りた!』

 ブライトがモニターの向こうで、衛星軌道上の援軍に指示を出している。



 真っ白な宇宙戦艦と、青い戦闘機が横浜基地へと降下してくるのは、それからおよそ30分後のことだった。






「戦艦と、戦闘機……か?」

 再突入駆逐艦用の離発着場に降りてきた、ジェイアークとVF-19を見た基地司令の第一声はそれであった。

 その声には若干拍子抜けしたような色が感じられる。確かに見た目だけならば、ジェイアークはラー・カイラムの四分の一以下の小型戦艦にしか見えないし、VF-19に至ってはこの世界の戦闘機の延長線上に思える。エヴァンゲリオンなどと比べれば見た目の迫力は無いかも知れない。

 離発着場の様子は、ラー・カイラムからでもモニターできているのだろう。ブライトから、次の指示が下される。

『よし、ジェイアークはVF-19の補給物資とJ以外を降ろした後、第一次防衛ラインに参加。VF-19はそのまま、基地内の防衛に回ってくれ。Aゲート、Bゲート、メインゲートを流動的に守ってもらう』

『了解』

『ちょっと、私もかい?』

 すぐに了承したイサムに対し、ジェイアークの方からは、ルネがブライトに確認の声を返す。ブライトはそれを受けて、

『ああ、そうだ。基地内部での戦闘の可能性がある。君には基地内の防衛を頼みたい』

 ルネ・カーディフ・獅子王。獅子王凱のいとこに当たるこの少女は、以前の凱同様、腕にGストーンを持つサイボーグである。おそらく素手でも、兵士級や闘士級ならば数匹まとめて相手取れるはずだ。そんな彼女を、ただ黙ってジェイアークに乗せておく余裕は、今のブライトにはない。

『了解』

 ルネは一度ため息をついたが、それでも素直にそう答えた。

 やがて、ジェイアークから数人の男女が降りてくる。同時に、脇に待機していたラー・カイラムの整備班達が、補給車両で手早くVF-19の補給物資を降ろしてく。それらの作業が一通りすんだところでジェイアークとVF-19は変形を始めた。

『よし、いくぜ!』

 まず、イサムがレバーを引くと、離発着場に停止していた青い前進翼の戦闘機は、一瞬で人型(バトロイド)に変形する。

「な、なんと!?」

「ふーん、あれも可変機ってわけね」

 素直に驚きの声を上げる田辺司令の横で、夕呼は落ち着いた声を出していた。夕呼はすでにZガンダムという可変機の存在を目の当たりにしている。今更、この程度では驚かない。

 そんな田辺と夕呼の声など聞こえていないブライトは、モニターの向こうでVF-19に乗るイサムに警告を飛ばす。

『ダイソン中尉! BETAには高出力、高精度、超長距離のレーザー攻撃がある。空を飛ぶときは十分に注意しろ!』

『了解!』

 イサムは簡潔にそう答えると、バトロイド形態のVF-19を浮遊させ、一気にメインゲート前まで飛んでいった。

「へー、BETAのレーザー攻撃に、航空戦力は『十分に注意すれば』飛んでいいんだ。良いこと聞いたわ……」

 夕呼の声はどこかやさぐれていた。

 そんな夕呼の内心など知るよしもなく、今度はジェイアークが行動に移る。

『フュージョン!』

 ソルダートJが高らかに叫ぶと、ジェイアークのトップが外れ、それは空中でロボット――ジェイダーへと変形する。

 背中に眩しいくらいに光る、孔雀のような羽根を10本生やし、なぜかポーズを取っている。

 それだけで、田辺司令などは言葉を失っているが、生憎とジェイアークの変形はそれだけではすまないのだった。

『メガ・フュージョン!』

 ジェイダーと残っていた戦艦部分が、複雑に変形、分離しながら、一つにまとまっていく。

 やがて、全長100メートル程度の小型の戦艦は、全高100メートル程度の、ロボットへと変形を遂げたのであった。

『キングジェイダー!』

 戦士の誇りを込めて、ソルダートJは力強くそう叫ぶ。

 その一連の変形を見ていた夕呼は、

「はいはい、フュージョン、フュージョン……」

 冷静な表情で、平坦な声を出していた。それは何か、科学者として大事な物を一つ、二つ諦めた代わりに手に入れた平静さのようであった。









【2004年12月22日10時08分、横浜基地、中央作戦司令室】

 ジェイアークに乗り、やってきた人々。大河幸太郎、破嵐万丈、そしてルネ・カーディフ・獅子王の3人が、一通りのボディチェックを済ませ、横浜基地の中央作戦司令室へと通されたのは、彼らが横浜基地に到着してから40分ほどがたった後であった。

「お初にお目にかかります。私はαナンバーズ全権特使、大河幸太郎です」

 司令室に入ってた大河はまず、そう言うと野太い笑みを浮かべた。

「初めまして、国連軍横浜基地司令、田辺と申します」

 大河の挨拶に、田辺は安心したように、右手を差し出した。直前まで、田辺は迷っていたのだ。

 真ん中を歩く金髪の壮年の男は、間違いなく大物の貫禄を全身から醸し出している。しかし、その右に立つ、黒髪の青年が田辺に迷いを与えていた。彼もまた、場の中心となり得る空気を纏っているのだ。

 すると、黒髪の青年が人を引きつける笑みを浮かべながら自己紹介をする。

「僕は破嵐万丈、αナンバーズの民間協力者なので、階級も役職もありませんがよろしく」

「ああ、よろしく、破嵐君」

「万丈と呼んでください」

 田辺は大河と握手していた手を離し、今度は万丈の右手としっかり握り合わせた。こういう場をあまり得意としていないルネは何も言わずに大河の後ろに従っている。

 田辺も彼女を護衛か何かと見たのか、何も言ってはこなかった。

「早速申し訳ありませんが、通信施設の一角をお借りしても良いでしょうか」

 場合によってはキングジェイダーに指示を出すつもりであった大河はそう、提案する。

 それを受けて田辺司令は、

「分かりました。そちらは3人ですか?」

 と首肯した。幸いと言うべきか、本来この基地司令室は今の倍以上の戦力を指揮する計算で作られている。そのため、空いている通信施設は掃いて捨てるほどある。

 大河は田辺の言葉に首を横に振ると、

「いえ。彼女――ルネ君には基地の防衛に回ってもらうつもりです」

 そう言ってのける。ブライトからその旨を伝えられていたルネは、愛用している大量の銃器を持ち込んでいた。今は、入室前のボディチェックでその大半を預けてあるが、それらを駆使すれば、並の機械化歩兵など歯牙にもかけない働きが出来る。

「だが、しかし……」

 一見すると、兵士と言うより、モデルにしか見えないルネの外見に、田辺は難色を示す。いかに、昨今帝国では兵士の6割が女が占めているとは言っても、流石にBETA相手に肉弾戦を挑む可能性のある歩兵と機械化歩兵だけは、未だに大部分が男なのだ。

 だが、大河はその言葉に重々しく頷くと、

「大丈夫です。彼女ならやってくれます。なぜならば、彼女は、勇者なのですから!」

 そう、宣言した。

「は、はあ……」

 流石に二の句が継げられなくなっている田辺が額の汗を拭いていると、当のルネは、大河の後ろでプイと横を向いたまま、額を抑えてため息をついていた。









【2004年12月22日10時29分、旧所沢市上空、キングジェイダー】

 すでに住民の避難がすんだ無人の大地を、純白の巨人が飛行する。横浜基地をたったキングジェイダーは、そのまままっすぐアークエンジェルが待つ旧前橋市へと向かっていた。

 そのキングジェイダーの中に人影が2人。そのうちの1人がもう1人に声をかける。

「貴様は降りないのか、アラン・イゴール」

 キングジェイダーの主――ソルダートJに問われたアランは口元に小さく笑みを浮かべ答える。

「降りるさ。ただし、この戦闘が終わった直後、混乱のさなかを見計らってな」

「ほう、なるほどな」

 ソルダートJもアランが何のために地球に降りてきたかは聞いている。その言葉で納得したらしく、一つ頷いた。

「大河長官にもブライト艦長にも、俺の存在については誰にも明かさないように言ってある」

 無論、アランも典型的な白人である自分が、この日本で姿をくらませるとは思っていない。最悪、この国の諜報機関に見つかってもいいのだ。アランの目的は、日本帝国ではなく、太平洋を隔てた向こうの大陸にあった。

 アメリカに、何とかして潜り込む。それが彼の目的だ。幸いアメリカは大々的に難民を受け入れているらしいので、海さえ渡れば後はどうにかなるだろう。難民キャンプで戸籍管理を万全に行うのは、それこそ人類がBETAに勝つより難しい。

 難民キャンプに潜り込み、現地の人間の中から信頼できる人間を捜し出し、情報網を構築する。網の目を広げていけば、やがてアメリカ国籍を取得した人間にまで届くだろう。成果が出るまで時間はかかるのが難点だが、成功すれば成果も大きい。

 アランがそう、今後のプランについて考えていた、その時だった。

『ソルダートJ! 旧前橋市にBETAが出現した。予定を変更する。キングジェイダーはその場に待機。そこで単機防衛ラインを引き、BETAの迎撃に当たってくれ!』

 ラー・カイラムのブライトから緊急通信が入る。

「それならばなおのこと、急ぎ前線に向かった方が良いのではないか?」

 ソルダートJはそう確認するが、モニターに映るブライトは首を横に振った。

『いや、予想以上にBETAの取りこぼしが多い。ほとんどのBETAはアークエンジェルやモビルスーツを無視するようにして一直線にこちらに向かっている。最悪すれ違いになる可能性がある』

「いいだろう」

 ブライトの言葉に、ソルダートJは首肯すると通信を切り、キングジェイダーをその場に着地させた。

 すでに、思考を戦闘に傾けているソルダートJの後ろで、アランは1人考え込む。

「一体どういうことだ? 俺が見た資料では、確かにBETAには帰巣本能があるが、近くに戦術機のような高性能の有人機がいる場合はそちらに引きつけられると記されていたのだが……」

 事実、この世界よりはるかに進んだ技術で作られているαナンバーズの機体は、佐渡島でも僅か20機強の数で、全BETAの半分近くを引きつけてしまったという。

 それがなぜ、今になって無視されるというのか?

 だが、アランと違い、そんな些事には興味のないソルダートJは大きな声で、命令を出す。

「ジュエルジェネレーター、出力50パーセント!」

「了解、ジュエルジェネレーター、出力50パーセント」

 ソルダートJの言葉を受け、人格すら有する超高性能生体コンピュータ『トモロ0117』は、ゆっくりとキングジェイダーの出力をあげていくのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その5
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:6059c737
Date: 2010/06/05 23:09
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その5

【2004年12月22日10時25分、旧前橋市】

 時間は、僅かにさかのぼる。 

 キングジェイダーが横浜基地から飛び立った頃、旧前橋市へとやってきていたαナンバーズの面々は、すでに全機所定の位置につき、いつ現れるとも知れないBETAの襲撃に備えていた。

 15機のモビルスーツと1機の支援機(メガライダー)、そして2機のエヴァンゲリオンと母艦アークエンジェル。それがこの場にいる戦力の全てである。

 エヴァンゲリオン初号機とアルブレード・カスタムは横浜基地のメインゲートの守備についているし、鋼鉄ジーグはその小さな体躯を生かし、機械化歩兵と共に、基地内部の防衛についている。

 対して、予想されるBETAの総数はおよそ3万。16対3万。これほどの戦力差は、さしものαナンバーズも今まで両手で数えられるほどしか経験がない。厳しい戦いになることは間違いない。皆、それぞれのコックピットの中でそれなりの緊張感を示している。

 αナンバーズにとって、先の佐渡島ハイヴ攻略戦に続く、二度目の対BETA戦。だが、前回の戦闘経験を生かすことは難しいだろう。あまりに、状況が違いすぎるのだ。

 前回がハイヴ攻略という典型的な攻勢任務だったのに対し、今回は基地防衛という完全な防衛作戦なのである。

 佐渡島では、迫り来るBETAを唯ひたすら倒しながらハイヴを潜っていけば良かったが、今回は自らが盾となり、突破を試みるBETAの侵攻を阻まなければならないのだ。

 どちらがより困難かは一概に言えないが、前者と後者とでは全く異なったスキルが求められるのは間違いない。



 通常、対BETA防衛戦ではまず最初に一つの選択を強いられる。

 それは、『必ず第一波としてやってくる突撃級の群れにどのような対応をするか』、ということである。

 前面をダイヤモンドより硬い甲殻で覆い、最高時速170キロで突進してくる突撃級。対人索敵能力と旋回能力は限りなく低レベルだが、そんなことは何の慰めにもならないくらいに、その突撃の威力はすさまじい。

 この敵に通常の砲撃は効果が薄い。そのため、この突撃級による第一波を無視して、第二波に砲撃を集中させるという手段をとることも珍しくはない。特に、今の帝国軍のような物資が枯渇しかかっている軍なら、そちらの方がセオリーに則っていると言えるくらいだ。

 だが、それは当然ながら前線を守る戦術機部隊に多大な負担をかけることになる。いかに戦術機が、一直線に突っ込んでくる突撃級を回避しながら、その弱点である背面に攻撃を加えることが出来るとはいっても、千も二千も群れをなして突っ込んでくる突撃級の群れを相手にそんな難易度の高い機動を行えば、被害が出ないはずがない。

 効果が薄いことを承知の上で第一波に砲撃を加えるか、第一波の危険を戦術機部隊に丸ごと押しつけて第二波に照準を据えるか。これは、どちらが正解というわけではない。強いて言えばどちらも不正解と言うべきだ。どちらにせよ不完全な回答なのだから。

 かといって第一波、第二波の両方に砲撃を加えるという選択肢はもっと難しい。

 突撃級のみで構成される第一波に降らせる砲弾は通常弾頭、対してレーザー級を含む第二波に使用されるのは当然対レーザー弾頭だ。第一波に通常弾を降らせた後、対レーザー弾に換装していては、絶対に第二波への攻撃が間に合わない。

 どちらを選んでも不完全な二択。まるで今の人類の置かれている状況を象徴するかのような「どちらがよりましか」というマイナスとマイナスの選択。だが、ここに第三の選択を取る者達がいる。

 第三の選択、それは極めて簡単だ。

 突撃級の防御力を歯牙にもかけない大火力で、第一波をなぎ払ってしまえばいいのである。

「ローエングリン、てーっ!」

 かくして、ラミアス少佐の号令と共に、戦艦アークエンジェルから放たれた眩い陽電子砲が、地表に顔を出した約一千の突撃級をまとめて消し飛ばし、ここに横浜基地防衛戦の幕が開いたのだった。




 ――アムロ小隊――
 
 第一波を一掃したからと言って、状況が好転するわけではないのが、圧倒的物量を相手にする厳しさだ。

「第二波来るぞ!」

 νガンダムに乗るアムロの声に呼応するようにして、乾いた荒野を揺らしながらBETAの第二波が地上にその姿を現す。αナンバーズの機動兵器部隊は、BETAの地表到達地点より若干東にずれた地点に陣を張っていた。上空には先ほど第一波を一掃した母艦、アークエンジェルの姿が見える。

 レーダーに映る敵影は、およそ二千。要撃級を中心に、小型種も含めた数であるが、レーザー級、重レーザー級、さらには要塞級などの姿もちらほら見える。

 そのBETAの津波を食い止めるべく、αナンバーズの戦士達は小隊ごとに固まったまま、横一列の陣形を築き待ち構える。

『そこだ、落ちろ!』

 アムロのνガンダムが、BETAの中でもひときわ目立つ要塞級の巨体にハイパー・メガ・ライフルの銃口を向け、無造作に撃ち放つ。

 強力な粒子兵器が、全長60メートルの要塞級を一撃で粉砕し、おまけのようにその斜線上にいた要撃級数匹も塵と化した。

 今回、νガンダムはHWS(ヘビーウェポンシステム)に換装していた。アーマー、シールド、そして武装を強化するHWSは極めて強力なオプションだが、僅かに機体の回避能力を損なわせるという欠点がある。そのためアムロはあえてノーマルモードを選択することが多いのだが、今回ばかりはそうもいっていられない。

 νガンダムのメインウェポンとも言うべきフィンファンネルが、後一枚しか無いのである。この状態で贅沢が言えるわけがない。僅かでも火力を上げる為には、何でも利用するしかないのだ。まして、アムロの技量を持ってすれば、多少の回避力低下など大した問題ではないし、防御力も格段に上がるのだ。ガンダリウムαやチタン・セラミック複合装甲はともかく、ガンダリウムγならば、戦車級の歯にある程度抗しきれるのではないか、という報告も上がっている。これを使わない手はない。

 アムロの攻撃を機に、他の者達も一斉に迫り来るBETAめがけ、攻撃を始める。

『やらせないよっ!』

 ケーラの乗る緑色の量産型モビルスーツ――ジェガンが、ビームライフルを連射し、迫り来るBETAの群れを駆逐する。小さな兵士級や闘士級の大半はビーム光の下を無傷でくぐり抜けるが、この際それは目をつぶるしかない。いかに百戦錬磨のαナンバーズといえども、16対3万で、水も漏らさぬ防衛ラインを引けるはずがない。

『ケーラ! 要撃級に無駄弾を使うな、狙うのはレーザー級と要塞級だ!』

 それどころか、今の攻撃に対しアムロから叱責の声があがる。現戦力では、三種類の小型種はもちろん要撃級さえ相手にしている暇がない。

『了解です、大尉』

 ケーラは短く返答を返すとすぐに辺りを索敵し、要塞級の影に隠れるようにして移動していたレーザー級を発見した。

『逃がさないよ、ほら』

 だが、ジェガンのビームライフルから放たれた光弾は、レーザー級を捉えることなく、その横にいた要撃級をかすめるに留まった。

 それも無理はないだろう。レーザー級の全高は僅か3メートルしかない。全高20メートル弱のモビルスーツから見れば、あまりに小さな的だ。千を超えるBETAがまとめて迫ってくる中、狙って単射で仕留めるにはかなりの技量が必要とされる。

『ッ』

 舌打ちしながら、ケーラが再びレーザー級に銃口を向け直す。しかし、それより速く、隣から放たれたピンク色のビームが、いとも簡単にそのレーザー級を捉えたのだった。防御の貧弱なレーザー級は跡形もなく消え去る。

『!?』

 思わず、ケーラは横を向く。今自分の隣にはアムロ大尉しかいないはず。見るとそれは確かにアムロの仕業だった。

 アムロのνガンダムHWSは、右手のハイパー・メガ・ライフルで右前方の重レーザー級と要塞級をまとめて仕留めながら、左手のシールドに備え付けられたビームガンで、ケーラが撃ち漏らしたレーザー級を仕留めたのだ。

『集中するんだ、ケーラ』

『はい、大尉……』

 再度の叱責に、今度はちょっと反発心を感じながら、ケーラは返答を返す。

(集中を切らせた覚えはないんだけどね……)

 再度繰り返すが、BETAの集団に埋もれたレーザー級を単射で落とすというのは、熟練者でも失敗しておかしくないだけの難事である。ケーラとて、αナンバーズの一員として多くの戦場を生き抜いてきた猛者だ。スキルが低いはずもない。

 そんな彼女が失敗するレベルの技を、片手間に成功させてしまうアムロ。

「だからエース、か」

 改めてそう認識すると、ケーラはコックピットの中で小さく肩をすくめた。





 ――戦艦アークエンジェル――

「エネルギー充填完了、ローエングリン撃てます!」

「機動兵器部隊に通達、機動兵器部隊が射線上から待避完了し次第、ローエングリン発射」

 オペレーターからの報告を受け、艦長席に座るマリュー・ラミアス少佐はキビキビと指示を出す。

「了解、機動兵器部隊に通達。本艦主砲の射線上から待避せよ」

 オペレーターからの指示を受け、モニターに映るαナンバーズのモビルスーツ達は即座に、左右に分かれるようにして、アークエンジェルの射線を確保した。

「全機待避完了!」

「ローエングリン、ってー!」

 再び放たれた、アークエンジェルの主砲が、BETAの第二波をなぎ払う。ただし、今度は第一波のように一撃で全BETAを粉砕という訳にはいかない。

 エネルギーチャージに時間を取っている間も、地表に表れたBETAたちは全速力で移動し続けていたのだ。半分近くはすでにアークエンジェルの下を通り過ぎている。

 今の一撃で倒せたのは300匹ぐらいのものであろうか。

 しかも一掃した次の瞬間には、地下から汚水がしみ出すようにして後続のBETAが現れている。瞬く間にレーダーマップは再び赤い光点で埋め尽くされた。

 ラミアスは、舌打ちしたいのを我慢しながら指示を飛ばす。

「本艦は、現空域に固定。エネルギー充填が完了次第、ローエングリンで地上BETAを掃討。レーザー攻撃には対空、対地ミサイルで時間を稼いで、モビルスーツ部隊で対処!」

 この場で唯一の空中戦力であるアークエンジェルは、レーザー級、重レーザー級の最優先ターゲットとなる。幸い、前回の戦闘でラミネート装甲がある程度レーザーにも有効であることが判明しているが、まともに浴び続ければ長くは持たない。

 ミサイルで的を散らしながら、早急にレーザーの照射元を絶つ必要がある。

 しかし、オペレーターから返ってきた言葉は、あまりに意外なものだった。

「地上にレーザー級、重レーザー級を多数発見。こちらに攻撃してくるそぶりはありません! 他のBETA同様、全速力で東進を続けています!」


「機動兵器部隊からも同様の報告が入っています。BETAからの反撃は皆無、ほとんど無視されています!」

「どういうこと!?」

 ラミアスは、動揺を隠せず震える声を上げた。

 確かに今回のBETAの最終目的は、横浜基地地下にある反応炉だと推測される。だが、それにしても昨日香月博士からもらったデータが正しければ、近くに戦術機や飛行物体があれば、ある程度攻撃的な行動を取ると予測されていた。

 その予測が完全に覆されている現実。

 こちらに被害が出ないという点ではいいかもしれないが、基地防衛という目的から考えれば最悪の行動を取られたと言える。まさか、BETAはあの佐渡島の戦いでこちらの戦力を見抜き、相手にしないという選択を取ったのだろうか?

 思考の底なし沼に落ちかけていたラミアスは、二、三度首を振ると現実を見つめ直した。

「機動兵器部隊はそのまま、レーザー級、重レーザー級、要塞級の撃破を継続。ただし、優先順位は重レーザー級を1、要塞級を2、レーザー級を3に変更。また、たとえ逃したとしても反転、追撃は全面的に禁じます。後続はまだまだ来るわ」

 ラミアスは、張りのある声でそう指示した。元々は、重レーザー級、レーザー級、要塞級の順であった撃破優先順位の2と3をひっくり返したのは、この状況では現実的でないからだ。

 攻撃に転じてくれるのならばともかく、この大群の中の紛れてひたすら突き進むだけのレーザー級を狙い撃つというのは、あまりに難しい。現状それが無理なく可能なのは、アムロ、カミーユの両エースぐらいではないだろうか。

「ラー・カイラムのブライト艦長と連絡をつないで。現状を報告します」

「了解しました!」

 戦場に予想外の事態はつきもの。よく聞く言葉ではあるが、αナンバーズの艦長の中ではエターナルのラクス・クラインに次いで戦歴の浅いマリュー・ラミアスは、まだその言葉を飲み込めるほど、達観していなかった。







 ――カミーユ小隊――

「くそっ、どうなってるんだ、こいつら!?」

 悪態をつきながら、カミーユのZガンダムは、右前方から迫る要塞級をハイパーメガランチャーで吹き飛ばした。その足下にいた要撃級や戦車級数匹も纏めて塵に返る。

 アークエンジェルのラミアス達より先に、カミーユ達機動兵器部隊の人間はBETAがこちらに向かってこないという事実に気がついていた。特に、優れたニュータイプであるカミーユは、敵意や殺意に敏感だ。

「俺たちは路傍の石じゃないんだっ、無視するんじゃないよっ!」

 そう言いながら、カミーユは要塞級の死体の影に隠れていたレーザー級を手首に備え付けられているグレネードランチャーで吹き飛ばした。

「カミーユ、気をつけて。前に出すぎると危険よ」

 Zガンダムの隣に立つ、紺と薄い蒼の二色で彩られたモビルスーツ――量産型νガンダムからがそう声がかけられる。

「分かってる。フォウこそ気をつけてくれ。インコムはファンネルほど思うとおりに動いてくれないからな」

 その量産型νガンダムの前方に、強固な外殻を纏った突撃級が姿を現した。

 第一波の突撃級一千はアークエンジェルがローエングリンで一掃したが、それが突撃級の全てではない。他のBETA種の渋滞に巻き込まれ、前に出られなかった突撃級も多数いる。これもそんな突撃級の一体なのだろう。

「ええ、大丈夫よ、見ていて」

 カミーユの返答を受け、フォウ・ムラサメはそのインコム・ユニットを動かし、正面から突っ込んでくる突撃級の背面にインコムを回りこませ、外殻に覆われていない柔らかい部分をビームで撃ち抜いた。そして、そのまま惰性で突っ込んでくる突撃級を素早く回避する。

 量産型νガンダムの大きな特徴の一つが、このフィンファンネルとインコム・ユニットの換装システムである。

 インコム・ユニットとは、簡単に言えば、有線式のファンネルのようなものだ。有線という制限がある以上、ファンネルと比べれば射程も操作自由度も大きく劣るが、ニュータイプでなくても使えるという大きなメリットがある。

 とはいえ、人工ニュータイプとも言うべき強化人間であるフォウにとって、フィンファンネルよりインコム・ユニットが勝っている点はほとんど無い。

 それではなぜ、あえて今インコム・ユニットを使っているかというと、単純にフィンファンネルがないからだ。アムロのνガンダムはかろうじて1枚だけフィンファンネルを残していたが、こちらは完全無欠に先の佐渡島ハイヴ攻略戦で使い果たしていた。

 絶対運命にさえ勝利したαナンバーズでも、物資の欠乏という物理限界だけは突破できない。

 一匹一匹はモビルスーツの敵ではないBETAも、これだけ津波のように押し寄せれば十分な脅威となる。

「ファ、前の奴らを何とかしろ!」

 ビームライフルの先から延ばしたビームサーベルで近寄るBETAをなぎ払いながらカミーユがそう叫ぶ。

「分かってるわよ、いちいち怒鳴らないで!」

 その声を受けて、ファ・ユイリィの乗るメガライダーは、Zガンダムの横をすり抜け前に出た。そして次の瞬間、その水上バイクのような機体の先端から、眩い粒子砲を撃ち放つ。

 メガライダーの主砲・メガランチャー。流石に戦艦の主砲とは比べものにならないが、通常のモビルスーツのビームライフルなどとは一線を画す射程と、効果範囲を誇っている。

 その一撃で、カミーユ小隊の前に迫っていたBETAの群れは一掃された。おかげで、僅かだが一息入れる時間が生まれる。

「今の内に、体制を整えるわよ。ファは一度下がって、エネルギーチャージが終わるまでは後方に」

 薄緑色のモビルスーツ――リ・ガズィに乗るエマ・シーンがそう呼びかけた。

「はい!」

 ファは素直にメガライダーを操作し、後ろに下がっていく。

 カミーユ小隊の中心が、その名の通りカミーユであるのは間違いないが、小隊に指示を送るのはエマの方が多い。いかにカミーユが卓越したニュータイプで、歴戦のエースパイロットであっても、正規の訓練を受けたことのない民間協力者であることに変わりはない。

 対して、エマは元ティターンズ、エリート部隊に所属していた正規の軍人である。

 そうしている間に、もう次のBETAの群れがカミーユ小隊の前にやってくる。それはまさに、絶え間ない濁流にも似ていた。

「畜生、行かせるか! お前達をここから先に進ませるわけには行かないんだよ!」

 カミーユは、群れの中でひときわ目立つ要塞級をハイパーメガランチャーで狙撃した。









【2004年12月22日10時50分、旧所沢市、キングジェイダー】

 不毛の荒野に白く輝く鋼の巨人が仁王立ちしていた。

 ラー・カイラムのブライトから「その場での待機、単機でのBETA迎撃」との要請を受けてから数十分。

 荒野と化した旧所沢市で、キングジェイダーに乗るソルダートJは、BETAの襲来を待ち構えている。

 ここにはかつて所沢航空記念公園と呼ばれる公園があったのだが、当然ソルダートJがそんなことを知るはずもないし、外見上は唯の荒野にしか見えない。

 それは、国内にハイヴを持つ前線国家では特別珍しい話ではない。むしろ、すでに荒野と化していることはある意味救いとさえ言えるかも知れない。

 なぜなら、今からここは戦場となるのだから。

 押し寄せる万を超えるBETAと、立ちふさがる純白の巨人、キングジェイダーとの。




「敵影発見。すでに射程内」

 押し寄せるBETAの姿をソルダートJに見せながら、キングジェイダーに搭載された生体コンピュータ『トモロ0117』はそう警告する。

 土煙を上げて津波のように押し寄せるBETAの群れ。この世界の人間ならば、誰でも絶望を感じるその光景を、ソルダートJは特に強い感情も示すことなく見つめていた。

「まだだ」

 そう言いながら、ソルダートJはキングジェイダーの両手の指をピンと延ばす。右手の五指、左手の五指、二つの五連メーザー砲が何も分からずに、唯愚直に突進してくるBETAの群れに向けられる。

「さて、奴らはこちらにかまわず直進すると言っていたが」

 ソルダートJは、BETAを挑発するように、ゆっくりとキングジェイダーを浮上させる。

 レーザー種は飛行物体の迎撃を最優先すると言う。だから、これでもなお攻撃が来ないようならば、BETAがαナンバーズを無視しようとしてるという情報に信憑性が出るというものだ。

 その結果はすぐに出た。

「前方に多数の高エネルギー反応」

 トモロ0117の警告に、すぐさまソルダートJは反応する。

「ジェネレイティングアーマー展開!」

 次の瞬間、遙遠方の地表から空に浮かぶキングジェイダーめがけて数本のレーザーが照射されたのだった。だが、その全ては、キングジェイダーの展開する防御フィールド『フィールドジェネレイティングアーマー』に阻まれる。

「なんだ、攻撃してくるではないか」

 ソルダートJは一度首をかしげたが、それ以上考えることはしなかった。素通りせずに敵対してくれるというのならば、それに越したことはない。

「さあ、返してもらうぞ、貴様達が不当に奪った空を。この星の空は、この星の者達が飛ぶために存在するのだ。5連メーザー砲!」

 高い攻撃力と桁外れの精度を持つレーザー級のレーザー照射であるが、それを行う最中は完全に動きを停止しなければならないという弱点を持つ。

 どれほど小さくても、動かない的を撃つのはソルダートJにとってはたやすいことだ。お返しとばかりに、キングジェイダーの両手の指から放たれた十筋の光線が、遠方のレーザー級をその前後の小型種や要撃級を巻き込み、駆逐した。

 レーザー級が足を止めてレーザー照射を仕掛けている間にも、それ以外のBETAは全速力でこちらに近づいてくる。

 詳しく見るとその大部分は、3種類の小型種と要撃級、まれに突撃級が混ざっているくらいで、要塞級の姿は全く見られない。

 レーザー照射をしているのも、全て小さなレーザー級で重レーザー級は一匹もいない。

 どうやら第一次防衛ラインのアムロ達は十分な働きをしているようだ。

 BETA達は、「モビルスーツ部隊やアークエンジェルを無視して進んでいった」という報告が疑わしいくらいに、キングジェイダーの周りに集まってくる。

「全砲門斉射!」

 キングジェイダーは足下にウゾウゾと集まってくるBETAに向かい、全ての火砲を開いた。とはいえ、本来八門有るはずの反中間子砲は五門、ESミサイルは使用不可という状態で、まともに稼働しているのは二つの五連メーザー砲のみなのだが。

 それでもBETAを相手取るには十分な火力だが、駆逐し切るには足りない。

 旧前橋市方面から押し寄せてくるBETAの数と、キングジェイダーが駆逐できるBETAの数。前者の数の方が多いため、キングジェイダーの周りのBETAは時間と共に増えていく。

 とはいえ、そんなものがいくら増えたところで空に浮かぶキングジェイダーの脅威とはならない。足下で要撃級や小型種が自らの体を土台にして山を築いているが、そんな方法でキングジェイダーの足下までたどり着くには、万どころかもう一桁上のBETAが必要だろう。

 問題は、やはりレーザー級だった。

「レーザー照射源18、フィールド限界まで21パーセント」

 トモロ0117が抑揚の無い機械音声で、淡々と現状を告げる。

 確かにキングジェイダーの防御フィールドは十分に強力だが、エヴァシリーズのATフィールドのような問答無用の代物ではない。高威力の集中攻撃を食らえば、撃ち抜かれることは十分にある。

 まして今は、ダメージ修復の関係上、ジュエルジェネレーターが出力50パーセントまでしか出せない状態だ。これ以上の集中照射は危険だ。防御フィールドを撃ち抜かれて、キングジェイダーの単一構造結晶装甲に直接レーザーを浴びれば、多少の傷は覚悟しなければなるまい。いかに、溶岩の熱と圧力をものともしないキングジェイダーの装甲といえども、無敵ではないのだ。

「五連メーザー砲!」

 キングジェイダーは両手の五指を巧みに動かし、レーザー級を優先的に打ち落としていった。










【2004年12月22日13時31分、横浜基地、中央作戦司令室】

 BETAの最終目的地である横浜基地。その防衛の頭脳とも言うべきここ、中央作戦司令室の空気を現すのなら『騒然』と『呆然』そして『熱気』の三言だった。

 横浜基地の現戦力だけで、最低3万からのBETAを相手取り基地防衛を果たす。その絶望的な任務に、当初は皆、悲壮な決意で歯を食いしばっていたのだが、今はそんな暗い空気は欠片もない。

 なにせ、戦闘開始から四時間がたっても未だ、基地内は一匹のBETAも侵入させていないのだから、これで士気が上がらない方がおかしい。

 戦艦アークエンジェルを中心に、αナンバーズの先行分艦隊主力が担当する、旧前橋市の第一次防衛ライン。そして、キングジェイダーが単機で、旧所沢市に引いた第二次防衛ライン。

 その二つを越えてやってくるBETAは、今のところ出現数の五分の一以下なのであった。しかも、レーザー級、重レーザー級、要塞級の三種は完全にシャットアウト。やってくるのは要撃級と3種類の小型種、そしてまれに突撃級。

 無論それでも、数百という数でなんども波状攻撃をかけてくるのだから、楽勝というわけではない。だが、当初考えられていたような勝ち目のない絶望的な戦いではない。

 今のところ戦況は、基地外部に防衛ラインを引く、第一、第二戦術機甲大隊と基地内部からの支援砲撃でどうにか支えられている。

 横浜基地までBETAが押し寄せてからすでに一時間以上が経過しているというのに、未だ外壁すら破られていない。この時点ですでに、『奇跡』といっても過言ではないだろう。

 その奇跡的な状況を演出しているのが、旧所沢市に君臨する白い巨大機であることは、誰の目にも明らかだった。

「香月博士。この状況を説明できるかね?」

 指揮が一段落したところを見計らい、基地司令・田辺大佐は、ボトルに入った合成日本茶で喉を潤しながら、近くに立つ香月夕呼にそう声をかけていた。

 夕呼は一度、前線を映し出すディスプレイに目をやってから、振り返ると首を横に振る。

「不明です。しかし、全ての状況から、あの白い機体――キングジェイダーにBETAが強く引きつけられているのは確かでしょう」

 当初の推定より三十分速くBETAの第一陣が、旧前橋市に現れたという事実。

 第一次防衛ラインで、BETAがαナンバーズの機体を無視して東進したという事実。

 そして、そのBETA達がキングジェイダーの近くまで来ると、まるで吸い寄せられるようにして動きを止め、その白い巨人を取り囲もうとしているという現実。

 そんなことは、天才香月夕呼でなくても、簡単に分かる。

「そうか。確かにBETAにもターゲットに対する優先順位はあるが」

 田辺はそういうと、黒く太い眉をしかめて首をかしげた。

 一般的にBETAはより高性能なコンピュータを搭載している機体を優先的に狙うとされている。そして、コンピュータのレベルが同じならば、無人機より有人機を優先する。

 その法則に則れば、単純な時間比較でも200年進んだ技術で作られているαナンバーズの機体が、最優先ターゲットにされるのは至極もっともな話だ。

 しかし、同じαナンバーズの機体同士だというのに、旧前橋市に10以上いた機体を無視して、まっすぐ遠方のキングジェイダーを狙ってきたのは何故だろうか。それほど特別優秀なコンピュータをあのキングジェイダーという機体は搭載しているのだろうか?

 だが、なんにせよ、この現象はこちらにとって極めて幸いといえる。

 なにせ、レーザー級の集中照射をものともしない防御フィールドを持つ機体に、勝手にBETAが固執してくれているのだ。

 いかにあのキングジェイダーという機体が、桁外れの火力を有しているとは言っても、旧前橋市の第一次防衛ラインのように無視されていたら、ここまで絶大な戦果は上げられなかっただろう。

 おかげで、横浜基地はまだ、こうして基地外部の防衛ラインでBETAを食い止めていられるのだ。

 だが、それも時間の問題だ。いくらαナンバーズが大型種を中心に、敵を大幅に撃ち減らしてくれているとは言っても、元の数が推定3万。αナンバーズがBETAを五分の一まで撃ち減らしてくれるという理想の展開が最後まで続いたとしても、横浜基地防衛軍の受け持ち総数は、六千。

 約120機の戦術機と、支援砲撃、あとは基地内部の機械化歩兵と警備兵だけで、六千のBETAを相手取るのは容易なことではない。

 そうしているうちに、最初の望まれぬ報告が入る。

「第二大隊、アップル4,アップル5大破、アップル8KIA! BETAの圧力に抗しきれません。防衛ライン突破されます!」

 若い女管制官の声に、司令室の空気が一変する。

 わずか七十機強の戦術機で、数百のBETAによる波状攻撃から、基地を守っていたのだ。一気に三機の戦術機が脱落した穴は、簡単には埋められない。

「支援砲撃を集中させろ。その隙に第一、第二大隊は後退。防衛ラインを再構築するんだ」

 田辺は半ば無茶としりながら、そう命令する。一度突破された防衛ラインをそんな僅かな時間で再構築できるはずがない。しかし、第一、第二大隊にがんばってもらわなければ、基地のゲートにBETAが押し寄せてきてしまう。

 だが、そんな田辺の願いもむなしく、数分後さらなる凶報が届く。

「Aゲート前、第三大隊接敵!」

「メインゲート、伊隅ヴァルキリーズもBETAが接敵!」

 ついに基地ゲートを守る最終防衛ラインまで、BETAが押し寄せてきたのだった。









【2004年12月22日14時05分、横浜基地、メインゲート前】

 香月夕呼直属の極秘特殊任務部隊、伊隅ヴァルキリーズ。元はA-01という名の連隊だったのが、夕呼の失脚に伴い、その規模を中隊まで縮小され、当時唯一の残っていた中隊『伊隅ヴァルキリーズ』がそのまま正式な部隊名となったという、過酷な歴史を持つ部隊である。

 夕呼の失脚と権限の縮小。それは、そのまま伊隅ヴァルキリーズにもダイレクトに影響していた。それまでのように、夕呼が強権を行使して戦場に部隊を送り込むことが出来なくなった影響は、大きく分けて二つの結果を伊隅ヴァルキリーズにもたらしていた。

 一つはプラスの影響、もう一つはマイナスの影響。だが、その二つは表裏一体。

 プラスの影響は戦死者がでなくなったこと。なにせ、戦場に部隊を送り込めないのだから、戦死するはずがない。おかげでこの三年間の伊隅ヴァルキリーズの戦死者は文字通りゼロである。それまでの連隊規模(108機)が中隊規模(12機)まですり減らされていた状態が嘘のようだ。

 そして、マイナスの影響というのもまさにそれであった。

 この三年間、伊隅ヴァルキリーズは戦場に出ていないのだ。

 つまり、この三年の間に任官した衛士達、涼宮茜少尉、柏木晴子少尉、築地多恵少尉、高原薫少尉、朝倉舞少尉の旧207A訓練分隊の5人に、珠瀬壬姫少尉と白銀武少尉を加えた実に7人が、事実上この防衛戦が初陣なのである。

 衛士11人中7人が新米。精鋭部隊どころか、普通は可能な限り戦力に数えたくないたぐいの部隊だろう。どれほど訓練で好成績をあげていても、所詮訓練は訓練なのだ。

 新米衛士の平均生存時間を現す『死の八分』という言葉は、ただの脅しではない。

 とはいっても、今の横浜基地に新人だからといって衛士を遊ばせておく余裕などないし、そもそも彼女たちの直属の上司である夕呼はそんなに優しくない。

 結果、武達は本日七人そろって、めでたく『死の八分』の壁に挑戦することになるのであった。

「ふうう……」

 武はコックピット中で何度目になるか分からない深呼吸をする。

 そんな武の緊張状態をバイタルデータで見て取ったのだろう。武の所属するB小隊の小隊長である速瀬水月中尉は、からかうような口調で武に話しかける。

「こーら、何緊張してるのよ。他の新米達はまだ甘く見てやっても良いけど、あんたは駄目だからね。「それ」に乗って無様なまね見せるんじゃないわよ」

「は、はい、分かってます」

 武は強気に返事を返して、初めて自分の声が震えていることに気がついた。無論、それは武者震いなどではない。

 伊隅ヴァルキリーズの戦術機は基本的に皆、国連カラーであるブルーに塗られた『不知火』であるが、武だけは違う。

 武が乗っているのは、漆黒の『武御雷』だ。

 武の最愛の女性、御剣冥夜からあの日、愛刀『皆琉神威』と共に託された機体。三年前は何も分からなかった武も、今では『元は紫色に塗られていた』この武御雷が、帝国においてどのような存在であるか理解している。

 だが、理解してもなお、武にはこの機体に乗らないという選択肢はなかった。冥夜は確かに言ったのだ。「そなたに託したいものがある」と。そして武は答えたのだ。「わかった」と。

 限りなく身元不明の国連軍衛士が武御雷に乗る。

 それがどれくらいとんでもなく異例なことであるかは、本当のところ武は未だ理解していないのかもしれない。

 冥夜に送られたから冥夜の物。その冥夜が武に託したのだから武の物、などと簡単に決着のつく代物ではないのだ。『紫の武御雷』という代物は。

 御剣冥夜に武御雷を送った『いと尊き御方』が、表に裏に尽力してくれなければ、搭乗許可が下りるどころか不敬罪でその身を拘束される寸前まで話が進んでいたことも、武は知らない。

 結局、尊き御方の意志を尊重すると言うことで、どうにか武の武御雷搭乗は認められることになったのだが、そのボディカラーをどうするかでもまた、大論争が起きた。

 最高位である『紫』のまま乗るというのは論外だが、わかりやすくUNブルーにするか、一般斯衛衛士用の黒にするかで意見が割れたのだ。

 これはどちらにしても問題がある。国連ブルーに塗れば、まるで国連軍に武御雷を提供しているように見えるし、かといって黒にすれば武が斯衛に所属しているように見られかねない。

 一部では本当に、白銀武を書類上だけでも斯衛に編入させ、その後国連軍に「出向」させる、という案も出たぐらいだ。

 だが、最終的には今の状態、武は国連軍のまま、機体は黒く塗り、そのまま使うという形で落ち着いた。

 はっきりと決着がついたわけではない。決着のつかないまま、うやむやになっている感がかなり強い。武の所属は国連軍の夕呼の直下だが、武御雷はどこの備品であるかは、未だ明記されていないままなのである。

 おかげで、武はこの横浜基地では、ちょっとした有名人になっていた。武御雷に乗ることを許された新米の国連軍衛士。これが噂にならない方がおかしい。

 そのため武は実機演習のたびに、好奇の視線にさらされていたのだが、今日ばかりは全く視線が集まらなかった。

 アルブレードカスタム、VF-19エクスカリバー、そしてエヴァンゲリオン初号機F型装備。

 好奇の視線は全て、この三体の正体不明な機体に注がれている。

 謎の力でフワフワと宙に浮いている、アルブレードカスタム。

 三段変形が可能で、既存の戦術機を歯牙にもかけない機動性を垣間見せるVF-19。

 そして、平均的な戦術機の倍以上の体躯を誇り、機械と言うよりどこか有機的なフォルムを見せるエヴァンゲリオン初号機。

 これらに比べれば、武の武御雷も「ちょっと珍しい戦術機」にしかならない。武自身、初陣の緊張感に縛られていなければ、好奇心全開の視線を向けていたことだろう。

 武がもう一度、深呼吸をしていると、中央作戦司令室の涼宮遙中尉からオープンチャンネルで通信が入る。

『外部防衛ライン突破されました! メインゲート前にもBETAが押し寄せて来ます。数およそ、100。レーザー属種は認められず。対処して下さい』

「聞いたな? 小一時間も待機させられて、さぞ退屈していたことだろう。そのたまりにたまった鬱憤を、纏めて奴らにぶつけてやれ」

 涼宮遙中尉の報告を受け、伊隅みちる大尉はすぐにそう部隊全員に発破をかける。

「「「了解!」」」

 返ってくるのは、9人の戦乙女と1人の男の諾の声。

 続いてみちるは、この場にいる外部戦力の三人にも声をかけた。

「ダイソン中尉、バランガ曹長、碇。一応ノア大佐からお前達に対する指揮権を預かってはいるが、正直私はお前達の技量も、その機体のポテンシャルもほとんど把握できていない。
 よって、大まかな指示しかだせん。基本的にはそれぞれ独自の判断に任せる」

「了解。期待して下さい。美人のお姉さんの期待には応えるのが、俺の流儀なんでね」

「了解っす」

「はい、分かりました」

 いきなり軽口を叩くイサム、間の抜けた返事を返すアラド、一番まじめな返事を返しているのが軍人でもないシンジだというあたり、ちょっと救いがない。

 前線には前線の流儀とルールがあるとは言うが、伊隅ヴァルキリーズがもう少し規律を重視する部隊ならば、多少の軋轢が生じてもおかしくないくらいの返答だ。

 だが、今の返答だけでイサム達の人間性をある程度見て取ったみちるは、小さくため息をつくだけだった。少なくとも、今はそんな些細な問題にこだわっている場合ではない。もう、BETAは視認できるところまで来ている。

「期待させてもらおう。来るぞ、全機かかれ!」

 中隊長、伊隅みちる大尉の声を合図に、横浜基地メインゲート防衛戦の火ぶたがここに切られたのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その6
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:6af20dc9
Date: 2010/06/05 23:11
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その6


【2004年12月22日14時45分、横浜基地、メインゲート前】

 

「ヴァルキリー2、フォックス3!」

「ヴァルキリー10、フォックス3!」

 要撃級の群れに正面から突っ込み、36㎜弾をばらまく青い不知火の後ろから、漆黒の武御雷が飛び出す。

 素人ならば、まず間違いなく黒い武御雷の動きに目を奪われるだろう。

 不知火の背面からショートジャンプで飛び上がったと思うと、空中で鋭角に軌道を変え、上空で右メインアームに持つ87式突撃砲から36㎜弾の雨を降らせ、地上のBETAを殲滅している。派手で突飛もない空中機動と、多大な成果。思わず目を奪われるのも無理はない。

 だが、ある程度冷静に戦況を見れば分かるだろう。地上を滑るように動きながら、先陣を切っている青い不知火の戦果が、派手に飛び回る黒い武御雷と大差ないということに。

 それだけではない。移動、射撃、移動しながら射撃と連続する挙動の中、必然的に生じる機体の硬直時間中には、周りに敵がいないポジション必ずキープしている。しかも、それは自機だけの話ではない。黒い武御雷が着地するポイントにも、一瞬速く36㎜弾の雨を降らせて、安全を確保してやっている。

 武御雷の衛士もそれに気づいたのだろう。

『すみません、速瀬中尉』

 そう、オープン通信で言う。

『戦闘中にそういうのは無し。ミスはデブリーフィングで嫌っていうほど追求してやるから、今は戦闘に集中しなさい』

 武御雷の衛士――白銀武少尉の言葉に、青い不知火の衛士――速瀬水月中尉はそう返した。

『はいっ!』

 三個小隊で構成される伊隅ヴァルキリーズの中で、水月が小隊長を勤めるB小隊は、突撃前衛の役を担っている。伊隅ヴァルキリーズを一本の刃に例えれば、水月と武のエレメント(2機分隊)はまさにその切っ先に他ならない。なにせ小隊のもう一つエレメントは、高原少尉と朝倉少尉という、新人同士の組み合わせなのだ。必然的に水月にかかる負担は大きい。

 最も鋭く、最も大きく動き、そして最も欠けやすい、切っ先というポジション。

 だが、その切っ先の役割を果たしながら今は、水月にも新米パートナーに気遣いの言葉を投げかけるくらいの余裕があった。なぜか? 答えは極めて簡単だ。

 水月・武のエレメントより前で、縦横無尽に飛び回り、呆れるほどの勢いでBETAの群れを駆逐している2機の存在があったのである。





『おおっと、こっちだぜっ!』

 イサム・ダイソンの操る青いバルキリー、VF-19がBETAの群れの中を飛び回る。戦闘機に手足が生えた、この世界の人間が見れば『奇妙』としか表現できない形態――ガウォーク形態のVF-19は、突っ込んでくる要撃級の群れの頭上を飛び越え、空中で前転の要領で機体を180回転させると、上下逆さまのまま、右手に持つガドリングポッドで頭下のBETAを撃ち払う。

 頭上から降り注ぐ、弾丸の雨に撃たれ、十匹近い要撃級は為す術もなく絶命する。

 戦術機ならばここで一度着地するのがセオリーだ。しかし、イサムはそのまま、ガドリングポッドのトリガーを引き絞ったまま、機体を真横にスライドさせる。

 まるでBETAの群れに点線を引くようにして、着弾ポイントが横にずれていき、面白いようにBETAが倒れていく。

 一時として動きを止めない、常時ホバー飛行戦法。熱核タービンエンジンを搭載しているバルキリーだからこそ可能な戦法だ。

 熱核タービンエンジンでは、大気から取り込んだ圧縮空気を加熱、膨張させたものを推進剤として使用している。そのため、原則大気圏内でのバルキリーには、飛行限界時間というものが存在しない。機体が壊れるまで飛んでいられるというわけだ。

 これだけでも、この世界の戦術機から見れば『卑怯』としか言いようのない特性だろう。

 だが、この場にはある意味それ以上に卑怯な機体があった。

『くらえっ、ブレードトンファー!』

 アラドの操るアルブレード・カスタムが要撃級に正面から右手のブレードトンファーを振り抜く。耳障りな音を立て、ゾル・オリハルコニウム合金製の刃が、要撃級の左の爪を切り飛ばす。無論それだけでBETAが動きを止めるはずがない。片腕を失った要撃級はそんなことお構いなしに残った右の爪を、目の前の青と白の二色で彩られた機体に振るう。

 しかし、その爪がアルブレードを捉えることはなかった。

『っと!』

 アルブレード・カスタムはあり得ないくらいの小さな旋回半径で旋回し要撃級の後ろに回り込むと、今度は左右のブレードトンファーを一度ずつ振るい、その要撃級を完全に仕留めた。

 おおよそ戦術機と同じ大きさの人型兵器が、ヘリコプターでも不可能な小さな旋回半径を、ジェット戦闘機の通常飛行速度並のスピードで旋回する。

 香月夕呼以外のこの世界の科学者が見れば、目を疑う光景だろう。機体性能だの、パイロットの腕だのという以前に、物理的にあり得ない現象である。

 それもそのはず、アルブレード・カスタムはテスラ・ドライブ搭載機だ。テスラ・ドライブは重力と慣性力を条件付きながら制御可能としてる。

 通常通り慣性の法則に従えば、100の力で直進していた機体を100の力でバックさせようとするのならば、逆方向から200の力をかける必要がある。

 だが、テスラ・ドライブの場合は、今まで前に向いていた100の力のベクトル方向だけをそのまま、グルリと180度回転させることが可能なのである。

 しかも、慣性自体を制御しているため、乗っているパイロットへのG負担は桁外れに小さい。

『っし、次!』

 アラドは要撃級の活動停止を確認する間もなく、すぐに次の獲物を見つけアルブレード・カスタムを動かした。

 元々、アルブレード・カスタムは近距離は実弾のリボルバーマグナム、遠距離はビーム兵器のスプリット・ビームキャノン、そして白兵戦はブレード・トンファーとあらゆる距離での戦闘が可能な万能機体である。

 しかし、近接戦闘には目を見張るセンスを見せるのに、遠距離射撃はかなり苦手としているアラドは、ここまでほとんどブレードトンファーだけで対処していた。

 αナンバーズにはこういった、極端に才能の偏った人間も多い。

 しかも、戦術機の使っているスーパーカーボン製の長刀と違い、ゾル・オリハルコニウム合金製のブレードトンファーには、多少の破損は自己修復する機能を有している。そのため、どれだけ使っても切れ味が落ちることがない。

『せいっ!』

『なで切り』という言葉が最も相応しいくらいの勢いで、アラドはBETAの群れを切り裂いていた。






『すげぇ、目が追いつかねえ……』

 VF-19とアルブレード・カスタムの勇姿を目の当たりにした武は、思わず武御雷のコックピットでそう漏らす。

 無論、いかにイサムとアラドといえども、武の動体視力が追いつかない機動を見せているわけではない。宇宙戦ならばともかく、地上でそれは不可能だ。ただ、あまりに不規則でこの世界のセオリーから外れた動きに、武の視線が騙されるのである。

 蜂と蠅では蜂の方が速くても、目で追うのが難しいのは蠅、ということだ。しかも、この場合蜂よりも速い蠅である。

 セオリー外の三次元機動が売りの武でさえ、目で追い続けることが出来ない機動。これでは、伊隅ヴァルキリーズとの連携など出来るはずもない。

 早急に前線をイサムとアラドに任せて、自分たちはその後ろにこぼれてくるBETAの掃討に回った、伊隅みちる大尉の判断は正しかったと言えよう。

 そのおかげで、これが初陣となる伊隅ヴァルキリーズの新人7人は、すでに「8分」を一時間以上オーバーした今もまだ、全員健在だ。

『もっとも、こんなものが戦場だ、などと勘違いされても困るのだがな』

 右翼後衛から、部隊全体を見守りながら、みちるは苦笑混じりにそうこぼした。

 まったくもって、冗談の様な戦場である。

 そもそも押し寄せてくるBETAは、要撃級と小型種がほとんどで、まれに突撃級が混ざっている程度。

 それらもまず、VF-19とアルブレード・カスタムが半分近くを駆逐してくれて、自分たちはその後ろで残敵処理。

 これで、死人を出そうものなら、無能の烙印を押されてしまう。みちるは冗談でも何でもなく、そう考えていた。

 だが、それはあくまで、百戦錬磨の伊隅みちるの感想である。これが初陣となる新人達には当然、この天国のような戦場でも余裕など一欠片もない。

『この、うあっ!』

 見れば、みちるが直接指揮するA小隊の隊員である、築地多恵少尉が気合いの声と悲鳴が入り交じった声を出しながら、迫ってくる戦車級の群れにフルオートで、36㎜弾を浴びせていた。新人にあるまじき軽やかな動きを見せていた築地機であるが、その視野の狭さはやはり、新人だ。

 前方の戦車級を駆逐することに夢中になって、横から回り込んできている要撃級の存在に気づいていない。

 こんな時のために、衛士は常にエレメントで行動することを徹底させているのだが、その教育が常に効果を発揮してれば戦死などそうそう出るはずもない。

 多恵とエレメントを組んでいるはずの珠瀬壬姫少尉は、このとき遠方から迫ってくる要撃級を120㎜弾で仕留めていた。

 こちらもその狙撃能力は、明らかに新人離れしているどころか、人間離れの一歩手前まで達しているが、パートナーのピンチに気づいていないという、状況判断の甘さと優先順位のつけ間違いは、明らかだ。

 無論、それを差し引いても多恵も壬姫も新人としては十分な働きを見せているのだし、このくらいの失態は、みちるのほうで最初から想定している。

 部下には「ミスは絶対に許さん」と教えながら、内心では「部下はどのようなミスをするか?」と常に想定しておくのが、上官の仕事だ。

 幸いにも今は、みちるにも部下をフォローできるだけの余裕がある。

『ヴァルキリー1、フォックス2!』

 みちるの乗る不知火は、右メインアームに持つ87式突撃砲から36㎜弾を放ち、築地機の横に回り込もうとしていた要撃級を穴だらけにした。

『うあっ!』

 だが、今のみちるのフォローにも、多恵は気づく様子はなかった。そのまま、87式突撃砲のトリガーを引き絞ったまま、前を向いている。みちるは眉をしかめながら素早く、隊員達のバイタルデータに目をやる。

 血圧、脳波データなど、全ての数値が築地多恵が極度の興奮状態にあることを示している。珠瀬壬姫もそこまで行かないまでもかなりの高い数値だ。

 場合によっては、こちらから操作して鎮静剤を打つことも考慮にいるべき数値だ。だが、薬物によって無理矢理頭を冷やされた新人衛士が、冷静さを取り戻しすぎた結果、今度は恐怖に駆られたり、無力感に襲われたりすることも珍しいことではない。

 幸い、ここは天国のような戦場だ。そんな無理をさせる必要もない。

『ヴァルキリー7、ヴァルキリー11! 一度、メインゲート直前まで後退しろ。ヴァルキリー7、ヴァルキリー11! ……っ、築地! 珠瀬!』

 みちるは反応のない新人二人を名前で呼ぶ。

『は、はい!?』

『た、大尉!?』

 二人はそろって突然尻を叩かれたような声を上げる。

『やっと、返事をしたか。お前達は一度、メインゲート前に下がって呼吸を整えろ。そのままでは危険だ。ああ、ついでにコンテナで補給も済ませておけ。いいな』

『は、はい。了解しました』

『バルキリー11、了解です』

 有無を言わさぬ中隊長の言葉に、二人の新米衛士はそう返答を返すと、すぐに機体を後退させる。

 必然的に、A小隊の担当分は全てみちるの双肩にのしかかってくる。

『よし、いけ』

 だが、みちるは大した気負いもなくそう言うと、前方の戦車級他小型種を36㎜弾で掃討しながら、左から近づいてくる要撃級を、左メインアームに持ったシールド――92式多目的追加装甲で殴り飛ばしたのだった。

 






 後方とは言っても、元々メインゲートは伊隅ヴァルキリーズ+3機だけで防衛しているのだ。最前線との距離はさほど開いているわけではない。だが、それでもなお、この補給コンテナが多量に集められているメインゲート直前は、絶対の安全圏といえた。

『二人ともご苦労様です。ゆっくり補給を済ませて、呼吸を整えて下さい。ここは僕が守っていますから』

 なぜならばそこは、碇シンジが操るエヴァンゲリオン初号機が、いつでもATフィールドを展開できるように防御に専念して待機しているのだから。

『す、すみません』

『お世話になります』

 多恵と壬姫は、不知火の倍以上あるエヴァンゲリオン初号機の足下に機体を止めると、訓練の手順を思い出しながら、弾薬と推進剤の補給を始めた。

 不知火にはサブアームと呼ばれる補助腕がついており、突撃砲の弾倉交換は自動で行ってくれるようになっている。しかし、その作業には、最低でも数秒の時間を要する。僅か数秒、されど数秒。武器の使えない数秒の時間が、戦場では生死を分けることがあるというのは、戦場に立ったことのない一般人でもある程度想像がつくだろう。

 無論、熟練の衛士ならば残弾と相談しながら的確なタイミングで弾倉交換を行うのだが、新人の場合その弾倉交換中にBETAに襲われ、命を落とすものも珍しくない。

 ましてや、今のように補給コンテナからの補給作業となると、どれだけ長い時間無防備な状態になるかは説明するまでもないだろう。

 そう言った意味でも、こうして戦場に『絶対安全圏』が存在するというのは、この上なくありがたい話である。

 多少ミスをして時間がかかっても問題はない、その安心感が逆にミスを減らし、結果として多恵と壬姫は演習の時とほとんど変わらない時間で補給を完了させた。

『ふう……』

『はうう……』

 一息ついた二人は、思い出したように99式衛士強化装備に内蔵されている飲料水を口に運んだ。水を口に入れて、初めて自分たちの口がからからに渇いていたことを知った二人は、同時に自分たちが異常なまでの興奮状態にあったことを自覚した。

 心臓がバクバクとうるさいくらいに脈動している。訓練でフル装備20キロマラソンをやらされたときでも、ここまで心臓を酷使したことはなかったはずだ。体中もギシギシと節々が痛い。戦術機に乗っている時間はまだせいぜい1時間強。訓練ではこの数倍の長時間連続稼働を経験しているはずなのに、疲労感はその比ではない。なるほど、これが実戦の緊張感、というものだろうか。

 そして、そんな自分たちの状態に、今の今まで気がついていなかったという事実。本当に危険な状態だったのだ。冷静さを失い、視野の狭くなった衛士が生き延びられるほど、戦場というのは普通優しい空間ではない。今日、この戦場を除けば。

 全身の疲労と、脈動する心臓の音に気がつくくらいには冷静さを取り戻した多恵と壬姫は、呼吸を整えながら仲間達の戦っている戦況を見守る。

 こうして最後方から見れば、先任と新人の動きの違いは一目瞭然だ。

 まず、突撃前衛のB小隊。

 この隊は突撃前衛長である、速瀬水月中尉以外の三人が新人という、聞く人が聞けば思わず小隊長に同情したくなる小隊である。

 案の定、水月機は三面六臂の大活躍を余儀なくされていた。

 自分の相方である武機のフォローをしながら、高原・朝倉のエレメントにも常時気を配る。本来は、自ら突撃することを好むはずの水月が、まとめ役とフォローに終始しているのだから、どれだけ大変な状況かは想像がつくだろう。

 それでも突撃前衛という危険な任務を未だ脱落者を出さずに続けられているのは、やはり白銀武の新人離れした機動故だろう。

 他の二人に比べれば、明らかに武は水月のフォローを必要とすることが少ない。伊隅ヴァルキリーズのレベルならばともかく、通常の部隊ならば問題なく、一人前の戦力として見なされるだけの技量を示している。

 飛び上がったり、空中で反転したりしながら戦う黒い武御雷の勇姿に、知らず知らずのうちに壬姫は目を奪われていた。

『流石、たけるさんだなぁ』

 思わず漏らす呟きを、隣の多恵が聞きとがめる。

『あんなの、茜ちゃんの方がすごい』

 対抗心をにじませた口調でそう言う。

『あはは、うん。確かに、茜さんもすごいよね』

 壬姫は内心はともかく、表面上は特に多恵の言葉を否定することなくそう返した。

 この辺り少しややこしい、人間関係がある。

 まず、速瀬水月にあこがれている涼宮茜が、水月に目をかけられていてエレメントパートナーに選ばれた武に強い対抗心を抱き、そんな茜をちょっと危険なくらいに尊敬している多恵は、引きずられるようにして武を意識するようになったのだ。

 武にとっては良い迷惑なのだが、生憎誰も同情してくれない。茜の思いも対抗心であって敵愾心ではないのだから、部隊の先任士官達は皆、微笑ましい目で見守っている。

 確かにここから見ていても、涼宮茜の技量はなかなかのものがあった。

 射撃、機動、白兵戦。総合力で言えば、伊隅ヴァルキリーズの新人の中では一番かも知れない。伊達に、207A訓練分隊の分隊長を任されてはいなかった、ということか。

 茜とエレメントを組む柏木晴子少尉も、悪くない動きを見せている。壬姫と同じ砲撃支援というポジションを勤める彼女だが、視野の広さと、冷静な判断力はすでに先任士官達と比べても、大差ない。

 単純な射撃能力ならば、壬姫の方が二枚も三枚も上だろうが、「戦場で背中を守る相棒」として選ぶのならば、大概の人間は壬姫より晴子を選ぶのではないだろうか。

 最もそれでもなお、同小隊の先任、宗像美冴中尉と風間梼子少尉に所々フォローしてもらっているのが現実だが。

 やはり、新人と先任の差はそう簡単には埋められないらしい。

 我が身を振り返ってみてもそうだ。こちらは、多恵とエレメントを組んでいるというのに、エレメントのいない単機の伊隅大尉に助けられっぱなしだったのだ。

 だが、そんな先任士官達の卓越した技量も、この戦場では大して目立たない。

 謎の特殊部隊、αナンバーズのイサム・ダイソン中尉と、アラド・バランガ曹長。

 伊隅ヴァルキリーズの先任達の活躍が「目を見張る」領域なのに対し、こちらは「目を疑う」レベルだ。

 冗談でも何でもなく、伊隅ヴァルキリーズ11機と彼ら2機のこれまでの撃墜数がほぼ同数というありさまである。それでいてバランガ曹長など、年齢も階級も自分たちより下だというのだから、どうやって接すればいいのか悩む。

『いくらなんでも、あれは反則だと思う……』

『あはは、同感』

 多恵の呆然とした言葉に、壬姫は苦笑を漏らしながら同意した。

 正直、あそこまでレベルが違うと、どこまでが機体性能差でどこからが衛士の実力なのか、理解できない。

 だが、なんにしてもあれは希望だ。「儚い」とか「僅かな」とかいった形容詞を必要としない本物の人類の希望だ。

 あの戦力が広まれば、人類はBETAに勝利できる。そう、確信できる。

『大丈夫だよ、榊さん、彩峰さん、鎧衣さん……御剣さん。ここは、横浜基地は絶対に守り通すから。みんなが戻ってくるまで」

 壬姫は、散り散りになった旧207B訓練分隊の皆を思い浮かべながら、決意の言葉を漏らす。

 帝都に、アフリカ戦線に、そして星々の海の向こうに。その思いが届くことを信じて。





 伊隅ヴァルキリーズの皆に、驚きを通り越して呆れかえるほどの衝撃を与えていたイサムとアラドであったが、同時に彼らも伊隅ヴァルキリーズの技量に、驚きを隠せないでいた。

 機体性能――特に火力の低さと装甲の薄さがあまりに致命的だが、パイロットの技量は皆、αナンバーズに入っても問題なさそうなレベルの人間ばかりだ。特に、隊長クラスはαナンバーズの上位陣とも肩を並べられそうな人間がちらほらいる。

 もっとも、αナンバーズの場合、その「上位陣」が20人とか30人とか言う非常識な数なのだが。かくいうイサム自身、一般のバルキリー部隊に入れば『化け物』、精鋭部隊に入っても『エース』と呼ばれる人間だが、αナンバーズの中ではせいぜい「けっこう凄腕」くらいの評価に落ち着いている。同じバルキリー乗りだけでも、イサムと互角かそれ以上の腕の持ち主が、複数いるのだからそれも仕方がない。

 BETAの襲撃が一段落したこともあり、イサムは久しぶりにガウォークの両足を地上に降ろし、軽口を飛ばす。

『よう、結構やるじゃねえか。流石、バルキリーの名がつくものに外れはないな』

『あったりまえでしょう、天下の伊隅ヴァルキリーズをなめるんじゃないわよ』

 その軽口に答えたのは、負けん気の強さを前面に出す、速瀬水月中尉だった。階級が同じという気安さもあり、すっかり部隊内の人間に対するものと同じ言葉遣いになっている。

『ええと、ダイソン中尉はお、自分たち以外にもヴァルキリーと付く部隊をご存じなのですか?』

 一方武は一階級下ということもあり、出来るだけ丁寧な口調でそう問いかける。

『イサムでいいぜ。普通に話してくれ。αナンバーズでは階級はあって無いようなもんだからな。俺の知っているバルキリーってのは、部隊名じゃねえ。こいつだ。VF-19エクスカリバー。このタイプの機体の総称がバルキリーっていうんだ』

 正確にはバルキリーというのは、可変戦闘機ヴァリアブルファイターの初代量産期VF-1シリーズのペットネームである。だが、いつの間にか、可変戦闘機の全体の総称として使われるようになっていた。

 現に、イサムなども自分たちのことを『バルキリー乗り』と言っている。

『へー、ヴァルキリーですかぁ』

 武は感心したように、まじまじと手足の生えた戦闘機を見た。見た目はちょっとびっくりだが、性能は折り紙付きだ。

 これがあったら、どれくらい戦況が楽になるだろう。思わず、武はそんなことを考える。

 どうやら、そう考えたのは武だけではなかった。

『へー、それヴァルキリーっていうの。面白い偶然じゃない。ねぇ、それ余ってないの?』

 水月はあっけらかんとそう言ってのける。

『は、速瀬中尉!?』

 驚きの声を上げる武を尻目に、イサムは楽しそうに笑いながら、

『生憎こいつは、最新鋭機だからな。量産型のサンダーボルトで我慢してくれないか?』

 そう、とんでもないことを言ってのける。

『ちょっと、ダイソン中尉? いいんですか、そんな勝手なこと言って』

 流石に聞きとがめたのか、泡を食った声でアラドが口を挟んでくる。

『いいんだよ、バルキリーだって、むっつり陰険野郎に乗られるより、美人のねーちゃんに乗ってもらった方が幸せだ』

『……また、ガルドさんと喧嘩したんスか』

 不機嫌そうな声でそう言うイサムの言葉で、おおよその状況を理解したアラドは、アルブレード・カスタムのコックピットでため息をついた。

 イサムとガルドが「仲良く喧嘩する」仲であることは、αナンバーズならば誰もが知っている周知の事実だ。まあ、どうせ本格的にやばくなれば、ブライト艦長辺りが止めるだろう。飛び火はごめんだとばかりに、アラドはそれ以上のくちばしを突っ込むのを自重した。

 無論、いつまでもそんな軽口を叩いていられるほど、戦況は安定していない。

『BETA、メインゲート前に来ます! 要撃級100、小型種300、内戦車級150、突撃級10弱。レーザー属種、要塞級の姿は認められず。対処してください』

 中央作戦司令室のCP将校、涼宮遙中尉から情報が入る。

 見ると、レーダーの上部に再び赤い光点が次々と現れていた。

 だが、幸いにもそれは全て素直に正面からこちらに向かって来ている。

 そのことに気づいたイサムは、みちるがヴァルキリーズに指示を出す前に、オープンチャンネルで呼びかける。

『全機左右に散開してくれ、でかいのがいく。シンジ、ぶちかませ!』

 その言葉でイサムの言わんとしていることを理解したシンジは、

『はい! 全機、エヴァと敵の直線上から待避してください』

 念のため辺りにBETAの潜んでいないことを確認してから、今日初めて防御態勢から攻撃態勢に移行した。

『聞こえたな、ヴァルキリーズ全機、待避!』

『『『了解!』』』

 伊隅ヴァルキリーズの面々も、みちるの号令に従い、素早くよどみのない機動で左右に散開する。

 一応、エヴァンゲリオンのカタログスペックに目を通しているみちるは、なにをやろうとしているのか朧気ながら予測が付いた。

 戦術機が左右に開いた向こう側に、BETAの群れが見えてくる。

『よし』

 しっかりと引きつけ、シンジはLCLの中、左右のコントロールバーを握り直す。

 F型装備を纏った紫の巨人――エヴァンゲリオン初号機は、ぐっと腰を落とし構える。同時に、両腕の付け根のパーツがガチリと開き、間にバチバチと白い火花がはじけ出す。

 この段階で、この場にいる全員が何かとてつもないことが起こることを確信していた。

 そして、次の瞬間、

『いきます、これでっ!』

『総員、対衝撃、耐閃光防御!』

 初号機の両肩から放たれた眩い雷光が、迫り来るBETAの群れを正面から貫いた。

『きゃあ!?』『ぐっ!』『チッ!』

 そして、重光線級のレーザーもかくやという光が収まった後には、一瞬のうちに半減したBETAの群れの姿があった。

 雷光が通ったところが高かったからか、生き残ったのはほとんど全高の低い小型種ばかり。それもほとんどが兵士級、闘士級だ。100や200いたところで、戦術機の脅威とはなり得ない。

『『『…………』』』

 誰もが呆然と、言葉を失っている。それでも即座に動き出しながら、残敵掃討に当たっているのは、厳しい訓練のたまものか。

 そんな中、最初に口を開いたのは、C小隊の小隊長、宗像美冴中尉であった。

『大尉……』

『ん、何だ?』

 美冴はオープンチャンネルに血の気の引いた中性的な美貌を映し出しながら、自隊の中隊長に申し出る。

『そろそろ疲れてきたので、自室に戻って昼寝をしたいのですが』

『ああ、お前の気持ちはよく分かる。おそらくそうしても、戦況にはなんの影響はない気もするが、職場放棄は許さん。義務を果たせ』

 美冴のできの悪い冗談に、みちるはそう真面目な口調の軽口で答えた。

『了解』

 言葉を投げかけた方も、返した方も、わき上がってくる笑いの衝動を抑えきれずにいる。

 愉快だ。この場で、大笑したいような爽やかな笑いの衝動が腹の底からわき上がってきている。こんな愉快な気分になったのは、何年ぶりだろうか。

『よし、お前達。残敵を掃討しろ。これだけ、いたれりつくせりの状況で、機体に傷などつけてみろ。責任を持って自分で修理してもらうからな』

『『『了解!』』』

 みちるの言葉に、伊隅ヴァルキリーズの面々は、高い士気を示す高揚した声でそう答えた。










【2004年12月22日15時12分、横浜基地、中央作戦司令室】

「い、今の一撃でメインゲートに迫っていたBETAの大半が吹き飛びました。残ったのは、小型種のみ。100に満たない数です」

 呆然としながら、それでも優秀なCP将校である涼宮遙は、的確に事実を報告する。

「現状の記録、すべてコピーして取っておいて」

「了解しました」

 冷静で事務的な夕呼の指示に、精神のさざ波を抑える効果があったのか、幾分震えの収まった声で遙はそう返答を返す。

 遙や隣に座るピアティフは、夕呼が今のエヴァンゲリオン初号機の『インパクト・ボルト』の情報をほしがっているのだと、勘違いしているが、実のところ夕呼の狙いはそこではなかった。

 取っておきたいデータはその前の、水月とイサム・ダイソン中尉の会話だ。会話の中で、ダイソン中尉は言った。「量産型のサンダーボルトで我慢してくれないか?」と。

 無論、やくざの因縁付けではあるまいし、こんな言葉尻を捉えて機体の提供を受けられるなどとは、毛ほども思っていない。

 そもそも、万が一機体を提供されても困るのだ。画像に写るコックピットを見ただけでもあの「ヴァルキリー」という機体が、戦術機とは全く違うインターフェイスで動かされていることが分かる。

 あんなもの、一体誰が操縦できるというのだろうか? 戦術機の衛士を再訓練させるにしても、今はそんな人的資源の余裕はない。では、新人を新たに訓練させるか? それも論外だ。一つの国で互換性のない二種類の機体を扱うなど、どれだけその機体の性能が高くても、デメリットが大きすぎる。整備士の負担、衛士の負担、共に馬鹿にならない。

 だからもし、もらえるとしても研究用に一機有れば十分だ。

 だが、この言葉は探り針になる。

 いずれ何らかの機会で、大河全権特使やノア大佐と雑談をするとき、このことを会話に混ぜれば、αナンバーズの反応を伺うことが出来る。その反応から、向こうの腹を探るのだ。

 果たして彼らは、どの程度までのモノをこちらに提供できるのか? 技術協力をする気はあるのか? 機体を直接提供する用意はあるのか? そして、それらの代償として何を欲しているのか?

 僅かな隙や、小さな情報でも貴重な交渉のカードとなる。



 だが、夕呼がそうやって未来について考えていられるほど、圧倒的優位な戦況はメインゲート前だけである。

 Aゲートを守る戦術機甲第三大隊は、すでに八機が大破もしくは衛士が死亡し、戦力外となっている。

 さらに、大問題なのは、Bゲートだ。ここには、守りについている戦術機がない。いるのは、90式戦車で形成される戦車隊一個大隊と、あとは前線を支援している自走砲などからなる支援砲撃部隊だけだ。

 位置的にBETAの侵攻方向に対し後方に位置していることを理由に、Bゲートの守備にはあまり戦力を割いていないのである。無論、その根底には根本的な戦力不足という問題がある。

 元々、戦闘員、非戦闘員併せて総人口一万四千人を収容するこの横浜基地が、縮小に縮小を重ねた現在、八千人を大きく割り込んでいるのだ。

 戦術機に至っては、当初250機強いたのが、現在は120機弱。半分以下だ。手が足りないのは至極当然と言える。

 案の定というべきか、司令室に勤めるCP将校の一人が、今日一番の凶報を届けてきた。

「Bゲート前にBETA出現! 応援を要請しています!」

「くっ!」

 報告を受けた田辺大佐は喉の奥から、苦々しい声を漏らした。応援を要請されたところで、予備戦力など有るはずもない。だが、応援を送らなければ接近を許した戦車と支援砲撃部隊は、あっという間に駆逐されてしまうだろう。

 必死に頭の中で、各地の戦力を考える。だが、田所が答えを出す前に、横浜港に停泊中のラー・カイラムからブライト艦長が声を上げる。

『ダイソン中尉、聞いての通りだ。Bゲートの支援に回ってくれ』

『了解っ! アラド、シンジ。こっちは頼んだぞ!』

 幸い、メインゲートの防衛は極めて順調だ。後は、伊隅ヴァルキリーズと、アラド、シンジに任せてもそうすぐに、悪化することはあるまい。

『了解っ!』

『分かりました!』

 ブライトからの要請を受けたイサムのVF-19はガウォーク形態のまま、即座にメインゲート前から飛び立つと、その桁外れの機動力を生かし、Bゲートへと飛んでいった。










【2004年12月22日15時16分、横浜港、ラー・カイラム艦橋】

「く、何とかダイソン中尉が間に合えばいいのだが」
 ラー・カイラムの艦長席で、ブライトは強く奥歯をかむ。
 基地内へのBETA侵入を許せば、人的被害は加速度的に広がる。それだけはなんとしてでも避けたい。

「鋼鉄ジーグ、ルネ! Bゲートが危ない。万が一に備えてお前達は、内部からBゲート方向に向かってくれ」

『よし、わかった!』

『了解』

 基地内部の守りについている二人のサイボーグ、鋼鉄ジーグとルネから了承の返事がかえる。

 今、地上に降りているαナンバーズの戦力がこれで全部だ。これ以上できることはない。

「フウ……」

 ブライトは無力感をかみしめるようにして、大きく息を吐くと、艦長席の背もたれに体重を預けた。

「あ、あの……」

 そんなブライトに、横から小さな少女がオドオドとした様子で声をかける。

「ん、どうした? イルイ」

 ブライトは少し優しい目をして、胸の前で手を組んでいる金髪の少女と目を合わせる。だが、イルイの次の言葉を聞いた瞬間、その表情も一変するのだった。

「わ、私も守りに……」

「駄目だ」

 にべもないブライトの言葉に、それでもイルイはなお食い下がる。

「で、でも、このままではたくさん、死んでしまいます」

 イルイの心の奥には未だに、ナシムの残滓が巣くっている。地球の守護者の自負が、異星起源生命体に地球人が犯される状況を許さないのだろう。だが、それを理解しても、ブライトに首を縦に振るという選択肢はなかった。

「だいたい『あれ』は、エルトリウムに残してきている。なにで出る気だ」

「あの機体は、私が呼べば来ます」

「それも君の念動力が完全の場合だろう。今の状態で無理をすれば、もう一度倒れる可能性の方が高い」

「…………」

 図星だったのか、イルイは悲しそうにうつむいた。

 そんなイルイの後ろにいつも間にか、近づいてきていたゼオラが少ししゃがむと、後ろからイルイの両肩を両手で抱きしめる。

「大丈夫よ、イルイ。アラドだって、他のみんなだってがんばっているんだから。今は、無理をしないで、ね」

「ゼオラ……」

 イルイは、後ろから抱かれたまま、首を上に向けて、ゼオラと視線を合わせる。

「ねっ」

 念を押すように、ゼオラは頭の上からイルイの瞳をのぞき込み、微笑む。

「……はい」

 イルイは、やがて消え去りそうなくらいに小さな声でそう答えると、こくりと一つ頷いた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その7
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:486f68a0
Date: 2010/06/05 23:12
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その7



【2004年12月22日15時14分、横浜基地、Bゲート前】

 90式戦車。それが、ここ横浜基地Bゲートを守る、戦車大隊の主力機の名称である。

 本来戦車という代物は、極めて強力な兵器だ。桁外れの走破性と、十分な移動速度。強固な装甲と高い火力。

 人間同士の戦争で使われる陸戦兵器としては、間違いなく戦術機より高い評価を受けるだろう。

 正面装甲の厚さは戦術機の比ではないし、火力も全く負けていない。そして、なによりその小さな正面面積。試しに各国の主力戦車と戦術機とで、足を止めたまま正面から的当てゲームをやってみればいい。戦術機の衛士が言葉を失うこと請け合いの結果が待っているはずだ。おそらく戦車と戦術機の正面面積を比べれば、最低でも1:100位の差があるはずだ。

 さらに、極めつけはそのコストパフォーマンス。一般的な第三世代戦術機を一台作るコストで、90式戦車ならば最低でも10台は作れる計算になると言う。

 では、そんな優れた兵器である戦車がなぜ、対BETA戦では脇役に甘んじているのだろうか? その答えが知りたければ、戦車と戦術機をそれぞれクレーンでつり上げて、下から見上げてみるといい。

 そこには今度は、戦車乗りが顔色を失う光景が広がっているはずだ。

 二足歩行の戦術機と、キャラピラで動く戦車。その接地面積は軽く見積もっても10倍以上の差がある。しかも、いざとなれば360度どの方向にも、一瞬で十数メートル飛び退くことの出来る戦術機と比べれば、戦車の急発進は目を覆いたくなる遅さだ。

 人間同士の戦争でならば、考慮する必要もない地中からの奇襲。だが、対BETA戦では、それは極めてありふれた攻撃なのである。





『ヘッドクォーターより第一、第三戦車大隊各車へ! Bゲートに向かう移動震源を察知。推定大隊規模、対処せよ』

 中央作戦司令室のCP将校から、Bゲートを守る戦車兵達に告げられたその言葉は、事実上の死刑宣告に等しかった。ゲート防衛という移動を制限された状態で、どうして戦車が地中から来るBETAの攻撃を避けることが出来よう。

『総員、待避!』

 大隊長の声がむなしく響いた次の瞬間、土中から複数の要撃級がそのサソリを醜悪にデフォルメしたような姿を現す。土中から戦車の下面にそのダイヤモンドより硬い爪を突き立てる。

『う、うわあああ!?』

『ち、畜生ッ!』

 反撃する権利すらない地中からの攻撃に、戦車隊はいきなり5台の戦車を失っていた。

『散開! 陣形を組み直せ!』

 だが、皮肉なことに歴戦の戦車兵にとってこのような悲劇は珍しいことではない。少佐の階級章を下げた戦車大隊の大隊長は、狼狽えることなく部下達に命令を飛ばす。

『了解!』

 各戦車は副砲である12.7㎜機関銃で地中から這い出るBETAを、牽制しながら距離を取ろうとする。戦線のあちこちで、体中に小さな穴を開けられて死んでいく要撃級の姿が見える。

『射線確保!』

『撃て!』

 さらに射線を確保した機体は、主砲である120㎜滑腔砲を地中から頭を出したばかりの要撃級めがけ撃ち放つ。その一撃で、比較的守りの薄い要撃級は肉片と化した。

 元々戦車の火力は、BETAを相手取るにも十分な物がある。120㎜滑腔砲ならば、要撃級はおろか、要塞級や突撃級にも有効だ。しかし、ちょっと走れば要撃級の爪が届くこの至近距離は、間違っても戦車が得意とする距離ではない。土中から一気にこの距離を取られた時点で半ば勝敗は決している。

『う、うわああ!』

『ば、馬鹿野郎、誰が下がれと言った!?』

『ひ、ひぃっ!』

『勝手に撃つな! 味方に当たる!』

 比較的練度の低い車両では、砲手や操縦手が車長の指示を待たずに衝動的な行動に出て、どやしつけられている。もしかすると、これが初陣の戦車兵なのかもしれない。初陣の兵士が死にやすいというのは、何も衛士に限った話ではない。

『下がるな、大丈夫だ。後方からは来ない!』

『ここを、突破されるわけにはいかんのだぞ、しっかりしろ!』

 各小隊長達は大きな声で、自分の部下を叱咤激励する。BETAが出てきた地表の穴に十字砲火を加えるように、素早く陣形を組み直す辺りは流石だが、彼我戦力差は技量と士気で埋められるようなかわいらしいものではない。

 肉片と化した要撃級の足下から、赤い異形の蜘蛛のごとき戦車級がウジャウジャとわき出て、90式戦車めがけて集ってくる。全長10メートル弱の90式戦車と、全長5メートル弱の戦車級BETA。共に『戦車』と名が付く両者を単純比較すれば、火力、防御力共に90式戦車の圧勝であるが、それはあくまで一対一での話、十分な距離を取っての話だ。

 死にゆく味方を盾にするようにして沸いて出るBETAの群れは悪夢の一言だ。

『う、うわあああ!』

 あちこちで、戦車級に張り付かれた戦車兵達の悲鳴が響き渡る。まるで人間のそれをそのまま大きくしたような戦車級の歯が、バリバリと音を立てて90式戦車の装甲を食らい、内部機関を食らい、そして一番柔らかいその中身を食らう。

 手のある戦術機と違い、戦車には張り付いたBETAを引きはがす手段は無いに等しい。バリバリと装甲を食われる音を聞きながら出来ることは、車内に持ち込んだ拳銃の銃口をBETAに向けるか、自分のこめかみにあてがうか、選ぶことぐらいだ。

 BETA達は地中という絶対的に有利な地形効果と圧倒的数を武器に、戦車大隊を文字通り食いつぶしていく。

 さらにBETAという名の濁流はそのまま、戦車隊の守りを押しつぶし、ついに彼らが文字通り体と命を張って守っていたBゲートへと張り付く。一度ゲートに張り付いたBETAには、砲撃を加えるわけことも出来ない。120㎜滑腔砲はもちろん、12.7㎜機銃でも、ゲートを破損させる恐れは十分にある。

『畜生ッ!』

『やらせるな、ここを破られたらおしまいだ!』

『隊長、後は頼みます。操縦手そのまま突っ込め!』

 一台の戦車が、その身を挺してゲートを守ろうとBETAの群れに突っ込んでいったが、そうして稼げた時間もほとんど誤差の範囲に収まる物でしかない。




 イサムの駆るVF-19エクスカリバーが救援にやってきたとき見たものは、すでに20台を切るまで食いつぶされた90式戦車と、小さく穴の穿かれたBゲートの惨状であった。




『ッ、野郎ッ!』

 元々激しやすいイサムが、この状況に何も感じないはずがない。

 イサムはガウォーク形態のVF-19で、地獄と化した戦場の低空を自由自在に飛び回り、断罪の鉄雨をBETAの頭上に降らせる。

『まとめて、吹き飛べ!』

 さらに、イサムは上空でVF-19をバトロイド形態に変形させると、反応弾を除く全ての火器を同時に使用した。

 頭部の対空レーザー機銃、手に持つガドリングポッド、脚部から放たれた複数のミサイルが、一体の機体でよくぞ此処までと感心するくらいの弾幕を張り、BETA侵攻を食い止める。

 それを見た戦車隊の大隊長の判断は素早かった。

『最前線はあの戦術機に任せろ、全車後退! 適切な射撃距離をとれ!』

 空を飛べる戦術機ならば、ゲートに空いた穴を『上』から守ることが出来る。幸いレーザー属種の姿は見受けられない。戦車が無理をして、穴の前に車両をねじ込む必要はない。

『おおよ、任せろ!』

 大隊長の言葉をすぐに理解したイサムは、その役目を果たすべく、小さく穴の穿かれたゲートの上に陣取り、ミサイルとガドリングポッドで迫り来るBETAの群れを駆逐する。

『おらっ!』

 その弾幕を乗り越えて迫ってくるBETAには、急降下でピンポイントバリアを纏った拳をお見舞いする。高い火力と、無制限に空を飛べるという圧倒的アドバンテージ。

 たった一機の援軍が、絶望的だったBゲート前の戦況を一気にプラスへと引き戻す。しかし、それもほんの僅かな時間に過ぎなかった。

 VF-19に積まれているミサイルの数はそう多くはない。いかなイサムのVF-19といえども、ミサイルが尽きれば、ガドリングポッドとピンポイントバリアパンチだけで、全てのBETAからゲートを守りきれるはずもない。

 VF-19の足の下をくぐり抜け、兵士級と闘士級が一匹また一匹とゲートの穴をくぐっていく。

『ッ、畜生。この野郎!』

 思わず激しかけるイサムに、ラー・カイラムのブライトから通信が入ったのはその時だった。

『ダイソン中尉、Bゲート内部には鋼鉄ジーグとルネが守りついた! 無理せず、小型種は通せ! 大型種だけは絶対に死守だ!』

 こちらの様子をモニターしていたのだろう。ブライトからそう、的確な指示が来る。

『了解!』

 イサムは一度舌打ちしながらもそう返すと、完全防衛が出来ない鬱憤をぶつけるように、迫り来る要撃級にピンポイントバリアパンチをたたき込むのだった。










【2004年12月22日15時34分、横浜基地、Bゲート内部】

 ゲート外の主役が戦術機部隊ならば、中の主役は機械化強化歩兵である。

 機械化強化歩兵。それは、移動車両、装甲車などを完備し、戦車隊にも追随可能な機動力を持った歩兵のこと、ではない。それはBETA戦以前の機械化歩兵のことだ。

 今日、機械化強化歩兵と言えば、強化外骨格という名の巨大な動力鎧を纏い、文字通り『機械的に強化された歩兵』のことを指す。

 横浜基地に配備されている機械化強化歩兵は一個連隊。当然その全てが現在、ゲート内部で防衛任務に就いている。元々、第一大隊がメインゲート、第二大隊がAゲート、第三大隊がBゲートと、均等に戦力を割り振っていたのだが、途中から第一大隊もBゲートの守りへと回った。

 それはメインゲート前の攻防を見た基地司令・田辺大佐の判断である。伊隅ヴァルキリーズの奮闘と、なによりエヴァンゲリオン初号機F型装備のばかげた防御力を目の当たりにし、メインゲート陥落の可能性は無視できるくらいに低いと見なしたのだ。

 そのため現在、Bゲート内部の広間には、二個大隊の機械化強化歩兵と、今さっき駆けつけた鋼鉄ジーグがその守りについていた。

 戦術機と比べればその半分強の大きさしかない鋼鉄ジーグだが、こうして強化外骨格を装備した機械化強化歩兵の中に入ると、一回り以上大きい。

 その黄色と緑のど派手な姿は、これまでのαナンバーズの活躍もあり、この場の機械化強化歩兵達にこの上なく頼もしく映る。

「頼りにしてるぜ、兄ちゃん」

 機械化強化歩兵連隊の連隊長が、強化外骨格姿のまま、ゴツンと鋼鉄ジーグの背中を叩きそう言った。

「おう、任せてくれ」

 力強くそう返すと、鋼鉄ジーグは人間くさい動作で一つ頷き返す。すでに鋼鉄ジーグは、佐渡島でBETAと一度対戦している。あの時は、主に救助任務に付いていたため、さほど多くのBETAを倒したわけではないが、要撃級や突撃級も何匹かは倒している。小型種だけならば、鋼鉄ジーグの敵ではない。

 と、その時だった。

『コマンドポストより機械化歩兵各員へ。Bゲート内部にBETA小型種が侵入。状況に対応せよ』

 CP将校の声に、一同に緊張が走る。だが、若い兵士達が緊張感に手足を縛られるより早く、ひげ面の連隊長は強化外骨格の中から胴間声を張り上げる。

「よし、てめえら、覚悟は良いか!」

「「「はいっ!」」」

 兵士達は半ば反射的にそう答えた。

「CPの説明は聞いたな? 敵さんは小型種だけ。ならば、当方に迎撃の準備あり、だ。強化外骨格を与えられておいて、兵士級だの闘士級だのにびびってんじゃねえぞ、こら!」

「「「はいっ!」」」

 そう言う言い方をされるととたんに、小型種BETAなど敵ではない気がしてくる。実際、重機関銃を小銃並の手軽さで持ち運べる機械化歩兵にとっては、兵士級や闘士級はもちろんのこと、戦車級とて一対一ならば、特に恐れることのない相手なのである。

 やがて、ゲートの向こうから、BETAがその醜悪な姿を現す。

「撃てえぇ!」

 広間へと侵入してきた兵士級、闘士級の群れに、強化外骨格部隊は12.7㎜重機関銃の洗礼を浴びせるのだった。






 小さな穴から続々と侵入してくる小型種BETA。

「くらえ、ナックルボンバー!」

 がっちりと腰を落として、胸の前で両手を組んだ鋼鉄ジーグの手が、そのまま勢いよく飛んでいき、戦車級を貫いた。殴り、蹴り、圧巻の戦果を上げている鋼鉄ジーグであったが、その内心はかなりフラストレーションがたまっていた。

 まず、鋼鉄ジーグ専用サポート機であるビッグシューターが近くにいないため、ジーグバズーカやマッハドリルと言った一部の武装がない。さらに、ジーグビームやスピンストームと言ったエネルギー放出型の攻撃も、施設破壊の恐れがあるため使用を自重する必要がある。

「畜生、ミッチーがいれば、よ」

 思わず鋼鉄ジーグの口から愚痴が漏れる。この場での鋼鉄ジーグの攻撃は、事実上殴る、蹴る、引き寄せて抱きしめる、の三つに限定されていた。無論、それでも強化外骨格などとは比較にならないほどの攻撃力なのだが、いかんせん、大量の敵を殲滅するには手が足りない。

 ゲート内の作りがある程度BETAの侵入経路を限定してくれるとは言っても、その通路も完全な一本道ではない。その上、兵士級や闘士級ならばともかく、戦車級は壁を破って移動することも不可能ではない。

 二個大隊の機械化歩兵達も、高い士気を持ってBETAを駆逐し続けているが、やはり水も漏らさぬ鉄壁の防御とはいかない。全体から見ればほんの僅かだが、必然的に取りこぼしが出てくる。

 ほんの僅かな、兵士級と闘士級。

 衛士や戦車兵はもちろん、機械化歩兵から見ても、ほとんど問題の無い敵だ。だが、ここより後ろにいるのは、一般警備兵。武装は小銃のみ。彼らにとっては、一匹、二匹の兵士級、闘士級も命がけの相手なのである。








『B2F第六通路に闘士級発見。警備隊は急行せよ』

『了解』

 CP将校の指示に、警備隊の隊長は短く答えると、部下達に向き直る。

 見渡せば、どの顔も程度の差はあれ、緊張と恐怖で引きつっていた。無理もない。警備兵達の大半は、BETAと直接銃火を交えるのは、これが初めてなのである。考えてみれば当たり前だ。

 軍服に小銃だけを持ち、随伴歩兵と違い小隊内に機銃手すらいない彼らの任務は、ただひたすら基地内部の重要施設の警備である。周りの人間も本来であれば、彼らを対BETA用の戦力とは数えていない。彼らの仕事は基地内部の秩序保全と門番にすぎない。

『前進、駆け足!』

 それでも、部下の前では弱気は見せられないのが隊長の辛さだ。警備隊隊長は、小銃を持つ手よりもむしろ顔面に力を込めて、精一杯平静を装う。

 警備兵達は、隊列を組み、駆け足でCP将校から指示された現場へと向かう。

「ぐ、軍曹……」

 緊張にたまりかねたのか、若い兵士は隣を走る軍曹に声をかける。

「どうした?」

 灰色の目をした軍曹は、少し訛りのある日本語でそう返した。髪は薄い茶色、今の横浜基地では非常に珍しい外国人の兵士だ。

「自分たちは、BETAを倒すことが出来るのでしょうか?」

 口に出してはいけない言葉だと内心分かっていながら、若い兵士は我慢できずにその言葉をはき出してしまう。彼の隣を走るこのスウェーデン人は、警備兵の中では数少ない対BETA戦の経験者である。欧州で最後まで踏ん張り続けたスカンジナビア戦線の生き残りだ。

 気が付けば周りの兵士達も、黙々と足を動かしながら、意識は日本人兵士より頭半分背の高いスウェーデン人軍曹の返答に耳を傾けている。

 前を走る隊長から叱責の声が上がらないところを見ると、隊長も彼の口から何か士気をあげる言葉が発せられるのを望んでいるのだろう。

 スウェーデン人――スタファン・ブローマン軍曹は、薄い唇の両端をあげて不器用に笑うと、

「大丈夫だ。ヴェナトル(兵士級)やバルルス・ナリス(闘士級)はコイツで十分にヤれる。訓練通りやれば問題ない」

 そう言って、手に持つ小銃を掲げて見せた。

「……はいっ!」

 それだけで警備隊員の士気は目に見えて上がる。実戦経験者からの「俺たちは勝てる」というお墨付き。勝算のある戦いならば、命を懸ける価値もある。軍人が最も恐れるのは無意味な死、犬死にだ。

 だが、警備隊員達が血色を取り戻す中、当のブローマン軍曹は内心、全く経験のない状況に心臓を通常の三倍の速度で高鳴らせていた。

 確かに、ブローマン軍曹は、祖国スウェーデンで対BETA戦を経験している。しかし、彼の豊富な実戦経験からすると、基地を襲撃された場合の警備兵の未来は二つしかないはずなのだ。

 一つは、どうにか基地防衛ラインが踏ん張ってくれて、警備兵達は一発の弾丸も放っていないピカピカの小銃を抱きながら、ホッと胸をなで下ろす未来。

 そして、もう一つは、基地へのBETA侵入を許し、あれよあれよという間に基地は陥落。警備兵達は涙と小便にまみれながら狂ったように小銃を乱射し、そのままBETAに食われていくという未来。

 後者の場合、ごく一部に幸運な例外として、基地首脳部の脱出に同行できる警備兵というのが存在し、ブローマン軍曹はその幸運な例外の1人なのである。

(ストックホルム基地はBETAの津波に飲まれた。ヨーテボリ基地もそうだ。なのになぜ、ここは、横浜基地は、この状況になってもまだ、組織だった抵抗が出来る?)

 その疑問の答えは、ブローマン軍曹自身分かっている。今の軍事組織は情報の大部分を末端兵士にまで公開している。それらの情報を見れば答えは一目瞭然、『αナンバーズ』の存在がその答えである。

 第一次防衛ラインで、重光線級と要塞級、突撃級の大半を討ち取ってくれている、空中戦艦アークエンジェルとその搭載機。

 臨時に引かれた第二次防衛ラインで、光線級を中心に全BETAの四分の三以上を一機で受け持っている、キングジェイダー。

 そして、メインゲートを馬鹿げた防御力でがっちりと守っているエヴァンゲリオン初号機と、流動的にA,Bゲートも守ってくれるアルブレード・カスタムと、VF-19エクスカリバー。

 結果、横浜基地の既存戦力の担当は、彼らの撃ち漏らした要撃級と小型種のみだ。数で言っても全出現数の五分の一程度を相手取っているに過ぎない。

 なるほど、これならば確かに、今の横浜基地の戦力でも防衛が可能なのも頷ける。

 だが、ブローマン軍曹は思う。日本帝国にどれだけの底力があったのかは知らないが、あれだけの超兵器が、超技術が、一朝一夕でできあがるはずはない。

 十年前、自分たちがスカンジナビア半島からの撤退命令を、血の涙と共に呑み込んでいたとき、本当にこれらの兵器は、影も形もなかったのだろうか?

 もし、あの時あの場所に、あのエヴァンゲリオンという機体のプロトタイプだけでもあれば、空中戦艦の主砲に使われている広域粒子兵器の雛形があれば、自分は今もまだ、ヨーテボリ基地で、月に一度届く妻と息子の手紙を読みながら、今も祖国防衛の為に戦っていられたのではないか?

 そんな暗い疑惑がわき上がってきてしまう。まあ、αナンバーズが文字通り、「突如やってきた」という事実を知らない人間からすれば、無理もない思いかも知れない。

 だが、ブローマン軍曹は一つ頭を振ると、その暗い思考を振り払った。

(未練だな。それに、俺も人のことは言えん)

 今、自分は何を考えた? 十年前にこの兵器があれば? 十年前とはどういうことだ。十年前ではフランスは救われない。ドイツも潰れている。中東はとっくにBETAの巣だ。中国も半減している。

 結局、自分のことしか考えていないのは、自分も同じだ。日本帝国が、日本の都合だけを考えて技術を出し惜しみしていたとしても、どうしてそれを非難できよう。

 しかし、同時にブローマン軍曹は思う。

(けどな。無事日本を守り切れたら、次は俺たちのために、力を貸してくれるくらいの期待はしても良いよな。スカンジナビアを、ヨーロッパ奪還に力を貸してくれよ、帝国さんよ!)

 そのためにも、今は自分が日本を守るために命を懸けるのだ。

 ブローマン軍曹は決意も新たに、小銃を持つ手に力を込めるのだった。






「ッ! 発見!」

「撃てっ!」

 隊長の言葉を合図に、7.62㎜の弾丸が狭い通路を走る兵士級BETAに浴びせられる。兵士級は、こちらに接近するまもなく、動かぬ肉塊と化した。当然、通路の横壁は外れた弾丸でボコボコになっているが、そんなことを気にする者は1人もいない。

「……フウ」

 誰ともなく、安堵のため息が漏れる。

 警備兵と小型種の戦いは、どちらが先に相手を発見できるか、の一点にかかっている。小銃の攻撃で兵士級や闘士級の命は十分に奪える。

 だが、兵士級や闘士級の一撃はそれ以上に簡単に、生身の人間の命を奪えるのだ。しかも、兵士級、闘士級の動きは人間とは比べものにならないくらいに速い。足の速い人間と遅い人間の違いなど、兵士級、闘士級の速度の前には無いに等しい。

 だから、彼らは通路の向こうでそれを見たときは、自分たちの目がおかしくなったのだと思った。

「逃がさないよっ!」

 赤い髪をなびかせたスタイル抜群の美少女が、全力で走る兵士級にあっという間に追いすがり、一蹴りで兵士級の頭上まで飛び上がると、天井を両足で蹴りながら、両手のハンドガンを連射し、真下の兵士級を仕留めるなどという、ふざけた光景は。


「…………」

「ふう……」

 言葉をなくす警備兵達の前で、右腕に緑に輝く大きな宝石をはめ込んだその少女は、大した感慨もなく、自らが仕留めた兵士級の生死を確認している。

「き、君は?」

 震える声で問いかける警備隊長に、少女はくるりと向き直ると、

「司令室の方から話を聞いていないのかい? 私はルネ、αナンバーズの一員さ。基地内警備の手伝いをしている」

 少しきつそうな顔立ちだが、その言葉は意外と丁寧なものだった。

 αナンバーズ。

 その名前を聞いただけで何となく「なるほど」と納得してしまいそうになる。だが、これは話が違う。どれだけ、特殊部隊『αナンバーズ」の機体が並外れていようが、所属しているのはただの人間のはずだ。ただの人間が、兵士級より速く走り、五メートル以上ある天井まで飛び上がれる理由にはならない。

 しかし、今はそんな『些細なこと』を問い詰めている場合ではない。

 警備隊長は慌てたように首を振ると、赤髪の少女を問い詰める。

「君は単独行動なのか?」

 少女――ルネの返答は、あっさりとしたものだった。

「人手不足みたいだからね。小型種なら私は1人でも十分だから」

 確かに、今の人間離れした戦闘力からしても少女の言葉に嘘はないだろうが、何せ見た目はスタイルの良い少女に過ぎない。思わず、警備兵達が心配してしまうのも、無理はない。

「し、しかし」

 警備隊長が説得の言葉を続けようとしたその時だった。

 前の十字路から一体の闘士級が姿を現し、素早くこちらに迫りつつ、その象の鼻の様な触手を延ばしてくる。

「くっ!?」

 とっさに小銃を構えることも出来ない。触手が警備隊長の首に絡みつく寸前、その前に緑の宝石がはめ込まれた金色の腕が差し出された。

 触手は、その腕――ルネの右腕に絡みつく。

「ッ、ルネ君!?」

 警備隊長の目の前で、ルネの体は中高く舞い上がり、闘士級に引き寄せられた。

「クッ……!」

 だが、ルネは舌打ちをしながらも、空中から自由になる左手のハンドガンで、闘士級を狙い撃つ。

 とてもハンドガンとは思えない、大威力の弾丸が三発、ルネが空中にいる間に、闘士級の頭上に降り注ぐ。

「フン」

 ルネが闘士級の目の前に着地したときはすでに、その闘士級は虫の息だった。おまけのように右のハンドガンから弾丸を放ち、闘士級の息の根を止める。

「だ、大丈夫か!」

 駆け寄る警備隊長は、問いかけながら自分の発した言葉に空しさを覚える。

 大丈夫なはずがない。闘士級の触手は、人間の首くらいあっさりもぎ取るだけのパワーがあるのだ。それに腕を絡まれて、思い切り引き寄せられて大丈夫なはずがない。ないのだが……見たところ彼女は特に怪我を負った風はない。

「ああ、ちょっと油断した」

 実際無傷のルネは、渋い表情でそう返した。言葉通り、今のはルネの油断だ。確かに、サイボーグであるルネは、闘士級の触手にも耐えられるくらいの耐久力はある。だが、その体はあくまで少女のものなのだ。機械化された部分により多少体重が増えていたとしても、全高2.5メートル、全長1.7メートルもある闘士級と綱引きが出来るはずがない。よほど愛と勇気を込めれば可能なのかも知れないが、通常は不可能だ。

 下手に絡め取られれば、思わぬ不覚を取る可能性もある。

「油断は禁物、か」

 ルネはそう自らに言い聞かせた。









【2004年12月22日16時07分、横浜基地、中央作戦司令室】

「状況を報告せよ」

「メインゲート未だ健在。伊隅ヴァルキリーズ、脱落者無し!」

「Aゲートも健在です。第三大隊損耗率31パーセント」

「Bゲート、小康状態を保っています。突破を許しているのは小型種のみ」

「内部戦闘も撃ち漏らしはありません。機械化強化歩兵連隊の損耗率は8パーセント。警備隊の損耗率は4パーセント」

 予想以上に順調な報告に、一瞬田辺司令の頬もゆるむ。

 作戦司令室は、明るい熱気にあふれていた。

「問題なさそうね……」

 香月夕呼も無表情ながら、どこかほっとした空気を漂わせている。最悪の場合は、反応炉を停止させることも覚悟していたのだ。ある意味今一番ほっとしているのは、夕呼かも知れない。

 反応炉の停止は『鑑純夏』の死を意味し、『鑑純夏』の死は、オルタネイティヴ4の大幅な後退を意味する。

「ヴァルキリーズも問題ないわね?」

 念を押すように訪ねる夕呼に、ヴァルキリーズのCP将校、涼宮中尉は、モニター前に座ったまま笑顔で答えた。

「はい! 全機健在です。途中休息を取りながらの戦闘ですので、衛士達の体力も問題有りません」

 エヴァンゲリオン初号機という反則機体がそばにいる伊隅ヴァルキリーズは、疲労から集中力を切らした者を一時的に初号機のそばに寄せて、「休息」を取らせていた。

 その甲斐あってか、今のところ伊隅ヴァルキリーズは全機健在である。いかに伊隅ヴァルキリーズの機体が、第三世代機『不知火』だとは言っても、僅か11機でメインゲートを守っているにも関わらず、である。

 現に、Aゲートを守る戦術機甲第三大隊は、36機で守っていたにもかかわらず、すでに10機を超える損害を出している。基地外部で防衛ラインを引いている、第一、第二大隊などは半減しているそうだ。

 ちなみに、今はイサムのVF-19だけでなく、アラドのアルブレード・カスタムも手薄なBゲートの防衛に回っていた。

 VF-19は確かに桁外れの高性能機だが、いかんせん武装のほぼ全てを実弾兵器に頼っている。そのため、どうしても戦闘継続可能時間が短い。しかも、この世界の戦術機のように機体が自分で補給できる作りになっていないため、弾切れのたびに横浜港に停泊しているラー・カイラムへと戻る必要がある。

 それでは事実上、VF-19一機で守っているに等しいBゲートはたまらない。

 そこで、他に比べて格段に余裕があるメインゲートから、アラドのアルブレード・カスタムがBゲートへと救援に向かったのである。

 実際、メインゲートはヴァルキリーズとシンジのエヴァンゲリオン初号機だけで十分だった。

 Bゲートはイサムとアラドの救援で持ち直しているし、Aゲートは第三大隊が多大な損害を出しながらも何とか防衛ラインを保っている。

 これは勝てる。基地全体がそういう雰囲気に満ちている。

 そして、次の瞬間、その雰囲気を決定づける報告を、αナンバーズとの連絡を受け持っていたピアティフ中尉が告げるのだった。

「第一次防衛ラインより報告! BETA流出の停止を確認。地中振動波も計測されず!」

 一瞬の沈黙の後、作戦司令室は沸き返る。

 ついに無限とも思えたBETAの増援が途絶えたのだ。無限にも思えたBETAの物量の底が見えた。

「全軍に通達しろ! 敵の底が見えたぞ!」

「はいっ!」

 田辺司令の言葉に、CP将校は頬を紅潮させた笑い顔で力強く答えた。











【2004年12月22日16時30分、旧前橋市、アークエンジェル】

 BETA流出の停止確認。第一次防衛ラインより伝えられたその報告を、入れたのは当然第一次防衛ラインを守っている戦艦アークエンジェルであった。

 まるで、できの悪い噴水のように、不定期にBETAをはき出し続けていた地表の穴の奥から、振動波が計測されなくなっている。

 画像で見る限りまだ、穴の入り口付近はBETAであふれかえっているが、それが最後の大規模援軍だ。この奥には敵はいない。

「みんな、あと少しよ。気を抜かずに」

『了解です』

 ラミアス少佐の激励の声に、前線で戦う機動兵器部隊の人間から返事が返る。ローテーションを組んでの補給帰還時以外約6時間、ずっと戦い続けてきたαナンバーズの戦士達にも疲労の波は押し寄せているだろう。

 だが、どうにか先が見えてきたことで、彼らの声にも張りが戻ってきた。

 幸いにも、BETAは相変わらずこの場の機体は歯牙にもかけず、はるか東――旧所沢市上空を飛ぶ、キングジェイダーを目指しているため、被害らしい被害は出ていない。

 とはいえ、その進行方向を明らかに遮っている場合などは、流石にその牙を向けてくるので油断は出来ない。

 特に、バニング小隊のジムカスタムに乗る二人、モンシアとベイトはジムライフルの弾も頭部バルカンも補給分も全て撃ちつくし、ビームサーベル一本で戦っている。

 アムロのνガンダムHWSも一枚しなかったフィンファンネルを使いつぶしているし、それ以外の機体も小型種駆逐のため頭部バルカンはほぼ全て撃ちつくしている。

 パイロット達の疲労と集中力の欠如も考えれば、意外と彼らも危険な状態にあると言えた。

『よし、あと一息ね。なんだったら、後は私に任せくれても良いわよ』

 そんな中、景気の良い声を上げたのは、エヴァンゲリオン二号機のアスカだ。

 今のところ、BETAの攻撃でATフィールドを突破できそうな攻撃はないため、アスカとレイはほぼ出ずっぱりにも関わらず、精神的にはあまり疲労していない。

『そうはいくか、私だって出来ることを分からせてやるッ!』

 その言葉に、強く反応を示したのは、エールストライクルージュで上空を飛び回る、カガリだった。

 全てのレーザー属種が、レーザー照射を行わず東進するだけのこの戦場では、PS装甲で守られているストライクルージュも半無敵状態だ。流石にこちらは、要塞級の触手や突撃級の体当たりなどには注意する必要があるが、小型種の攻撃は完全無効化できる。

 いつレーザー属種が優先順位を変えるか分からないので、おつきの三人娘――アサギ、マユラ、ジュリからすると気が気ではないのだが、無論、言ったところでそう簡単に聞き入れてくれるカガリではない。

 そんな中、終わりの見えてきたことに気をよくしたアスカは、

『よし、ファースト。それじゃあ穴にいる奴らを纏めて吹き飛ばすわよ』

 そう言って、攻撃的ATフィールドの用意をする。今までは、下手に穴を塞いでBETAの出現ポイントが分散してしまうのが怖いので、穴への攻撃は禁止していた。しかし、これ以上追加がないのならば、せっかく固まっている穴への攻撃をためらう理由はない。

 それは、アスカとしては自分はATフィールドを攻撃に回すので、守りは任せるという意味だった。

『分かったわ』

 しかしエヴァンゲリオン零号機にのるファーストチルドレン・綾波レイは異なる解釈を示す。

『ファースト!?』

 レイの駆る零号機は、やおらその手に何かを取り出すと、BETAのわき出る穴めがけ、『それ』を投擲したのである。無論それが何であるかは、ずっと一緒の小隊で戦ってきていたアスカには一目で分かった。一瞬で全身の血の気が引く。

『え、ATフィールド全開ッッ!』

『ATフィールド全開』

 泡を食ったアスカの声と、限界まで抑揚を省いたレイの声が重なる。

 二体のエヴァンゲリオンが、しっかりとATフィールドを張った次の瞬間、穴の奥で桁外れの大爆発が起こったのであった。


 三機のエヴァンゲリオンは、基本的に同一の武装を持ちながら、それぞれが独自の武器も携えている。

 シンジの初号機には、巨大な日本刀『マゴロク・Eソード』が。

 アスカの弐号機には、巨大な薙刀『ソニックグレイブ』が。

 そして、レイの零号機には、強力なエネルギー狙撃砲である『ポジトロンスナイパーライフル』ともう一つ、放射能汚染のない核兵器とも言える広域殲滅兵器、『N2地雷』が。

『N2地雷』。その威力は見ての通りである。

 この場にいる機体で、これ以上の広域殲滅兵器は、バニング大尉のガンダム試作二号機の『戦術核』しかない。

 穴の奥から垂直に爆煙が立ち上る。穴に放り込むという使い方が良かったのか、はたまたアスカとレイが体を張って守ったからか、後方への被害はほとんど無かった。穴の中のBETAも見事に全滅している。

 結果だけを見れば、めでたしめでたしだが、それでアスカの怒りが収まるはずもない。

『あんた、何考えてるのよ!?』

 怒り心頭なアスカの声にも、レイは全く動じることはなかった。

『問題ないわ。BETAに人権はないもの』

『BETAには無くても私にはあるのよ、人権も、生存権も! それをたった今、あんたに脅かされたのよ!』

『大丈夫、あなたは死なないわ』

『何でそんなことが言えるのよ!?』

『なんか、しつっこそうだもの』

『よーし、喧嘩ね。喧嘩売ってるのね? やったろうじゃないの!』

 端から見ていると漫才のようだが、当の本人は本気で怒っている。

 しかし、これは全面的にレイが間違っているとも言い切れないだろう。元々、穴からの距離を見れば、二機のエヴァンゲリオン以外はN2地雷の効果範囲から外れていることが分かるはずだ。

 そして、エヴァンゲリオンならばATフィールドを防御に回せば、N2地雷もノーダメージでしのぐことが出来る。

 レイの判断も理にかなっていると言えばかなっている。常識にはあまりかなっていないが。

 とはいえ、穴の中のBETAは吹き飛ばしたと言ってもこの場にBETAはまだ数多く残っている。守りの要のエヴァンゲリオン二機がいつまでも遊んでいる余裕はない。

『あんた……戻ったら覚えておきなさいよ!』

 アスカは舌打ちしながらも、再び意識を戦場に戻すのだった。



 ちなみにこの帝国本土で無断使用された『N2兵器』(帝国側には当初核兵器と誤解された)に対する釈明が、地上に降りてきた大河全権特使のこの世界での最初の仕事となる。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第二章その8
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:17
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第二章その8



【2004年12月22日17時19分、旧前橋市――第一次防衛ライン】

 アークエンジェルが、BETAの増援停止を告げてから約一時間後。慎重に、情勢を見守っていた帝都の帝国軍も、佐渡島から旧前橋市までの直線上とその周囲から、まったく振動波が観測されないという事実に、ようやくこれ以上の増援はないと結論づけたのだった。

 これ以上BETAの増援はない。それはイコール、帝都防衛の為、帝都に貼り付けていた帝国軍に、若干の余裕が生まれたことを意味する。帝都の帝国軍首脳部と政威大将軍・煌武院悠陽が、遅まきながら横浜基地に対する援軍の派遣を決断したのは、必然と言える。

 戦場となっているのは帝国本土なのだ。いくら中身はほぼ丸ごと帝国軍とはいえ、国連軍の名札をぶら下げた横浜基地所属軍だけに重荷を背負わせる訳にはいかない。まして、最前線で戦っているαナンバーズにいたっては、この国はおろか、この世界に縁もゆかりもないのである。

 佐渡島防衛戦に参加した帝国陸軍の内、比較的損耗の少ない部隊から戦術機の一個連隊(108機)を抽出し横浜基地へ、同時に帝都防衛軍帝都守備連隊から最精鋭の一個大隊(36機)を選別し、第一次防衛ライン――旧前橋市へ。

 当初は横浜基地への援軍だけを想定していたのだが、直前に旧前橋市で起きた『核兵器かS-11クラスの強力な爆発』に対する現場検証の意味も含め、第一次防衛ラインへも援軍が急遽盛り込まれたのである。





『全軍に通達、こちらに援軍が向かっているそうです。戦術機甲大隊、三時の方向より到着は約5分後! 同士討ちに気をつけて』

 帝都から援軍の報を受けたマリュー・ラミアスは、戦艦アークエンジェルの艦長席から身を乗り出すようにして、地上に散らばるαナンバーズの機動兵器部隊へと、警告の声を飛ばした。

『『『了解!』』』

 前線から、まだ十分に張りのある声が返る。疲れていないはずはない。戦闘が始まってすでに、七時間以上が過ぎている。弾薬等の補給にアークエンジェルに戻った場合は、ついでに最低30分の休息を取らせているが、それでも機動兵器部隊の疲労は相当たまっているはずだ。こうして艦長席に座ったまま、指示を出しているだけのラミアスでさえ、先ほどからずっとこめかみの辺りに重い鈍痛を感じているくらいなのだから。

 帝都からの援軍が到着したのは、そんなαナンバーズの戦士達が疲労の局地に達していた時だった。





 飛来する、36機の不知火。黒に近い灰色に塗られたその機体は皆、右肩に目にも鮮やかな深紅の日の丸が描かれている。
 
『各中隊、陣形楔壱型、突撃せよ!』

 大隊長の言葉を合図に、匍匐飛行で飛来した帝都防衛軍の戦術機は、三本の鏃と化し、BETAの群れを横から貫いた。

 一糸乱れぬ陣形と、思い切りのよい突撃。

『ヒュー♪』

 それは、見ていたディアッカが思わず口笛で感嘆の意を示すくらいに見事な攻撃だった。無論、そうしている間も、ディアッカは愛機バスターガンダムの左右の腰に備えられた、二種類の火器で突撃してきた『援軍』を的確にフォローしている。

『よそ見をするな、ディアッカ!』

 相方のイザークも、ディアッカをたしなめながら、デュエルガンダムの右肩に備え付けられた大口径レールガン――シヴァを連射し、援軍に攻撃を加えようとしていた要撃級の群れを纏めてなぎ払った。

 ディアッカのバスターガンダムと、イザークのデュエルガンダム。どちらも、物理攻撃の大部分を無効化できる『PS装甲』を持つ機体だ。そのため、無造作と言ってもいいくらいの大胆さでBETAの群れの中を動き、フォローに回ることが出来る。無論、『PS装甲』の発動には膨大なエネルギーを必要とするため、回避するに越したことはないのだが、多少の攻撃ではびくともしないという事実が、彼らに大胆な行動を取らせている。

 αナンバーズの皆が見守る中、36機の不知火達は、36㎜弾と120㎜弾、そしてスーパーカーボン製長刀を巧みに駆使し、BETAを掃討していく。火力自体が低いため、見ていてももどかしく感じる部分は多分にあるが、その組織だった機動は見事なものだ。

 そんな中、一体の突撃級が、死した要塞級の影から突如姿を現し、隊長機とおぼしき不知火めがけ突撃する。

『アブねえっ!』

 とっさに、ディアッカがフォローしようとするが、すでに突撃級は不知火のすぐそこまで迫っていた。近くで見ていた、ディアッカとイザークは思わず奥歯を硬くかみしめる。しかし、二人の心配は杞憂に過ぎなかった。

 すれ違う突撃級と不知火。

 次の瞬間、惰性で駆け抜けていった突撃級がまるでエンジンブローを起こした車のように、急激にその動きを止める。よく見れば突撃級の弱点と言うべき、柔らかい背面に深い裂傷を負っているのが見えるだろう。そして、不知火の左メインアームには、逆さに握られた長刀。

 突撃を食らう直前に、機体一つ分右にずれて突撃を回避し、すれ違い様に逆手に持った長刀を突撃級の背面に突き刺した。

 言葉にすればたったこれだけである。だが、突撃級の最高速度は時速170キロに達するのだ。その攻撃を紙一重でかわし、前を向いたまま、すれ違う突撃級の急所に長刀を突き立てるというのが、尋常ではない技量を必要とするのは、素人でも分かるだろう。はたして同じ真似が出来る者が、この世界の衛士の中に何人いるだろうか。



『アムロ大尉……』

 遠方からその光景を見えいたカミーユが驚きを込めた声で自軍のトップエースに声をかける。

 アムロも、確信を込めた声で頷き返す。

「ああ、間違いない。あれは……『エース』だ」



 やっと周囲のBETAを掃討し、余裕が出来たのか、αナンバーズに援軍から解像度の荒い画像通信が届く。

 映像の中では、無骨な眼鏡をかけた、いかにも実直そうな若い軍人が、濃紺の強化装備姿で、敬礼をしていた。

『自分は、帝国本土防衛軍帝都守備第一戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉であります。政威大将軍殿下の勅命により、貴軍を援護します』

 若い軍人――沙霧尚哉は生真面目な表情の中にも、勅命を受けたことに対する隠しきれない誇らしさをにじませながら、そう宣言するのだった。






 思わぬ援軍のおかげで一息ついたαナンバーズであったが、やはり長時間戦闘による悪影響は、随所に吹き出していた。

 とっくにジムライフルの弾薬の備蓄を使い果たした、モンシア、ベイトのジム・カスタム二機は、ビームサーベルとシールドのみで、BETAを掃討していた。

 幸い、BETAは相変わらず無造作な東進を続けているため、正面に立たない限りBETAから反撃を受ける可能性は極端に低い。とはいえ、その確率は零ではないし、圧倒的な数を誇るBETAを相手に、そもそも『絶対に正面に立たないように立ち回る』こと自体が不可能に近い。

 特に、長時間の戦闘で疲労の極致に達し、集中力、判断力を激しく低下させていればなおさらだ。

 だから、それはある意味起こるべくして起きた事態だった。

『モンシア、左だっ!』

 バニング大尉が叫んだときにはすでに遅かった。

『ぐっ、うわああっ!?』

 疲労でレーダー確認を怠っていたモンシアのジム・カスタムに、ついに一体の戦車級が貼りつく。うぞうぞと足もとから胴体部分へと這い上がってきた戦車級は、バリバリと音を立てて、チタンとセラミックの複合装甲を食い破る。

『モンシア動くなッ! 今、剥がしてやる。ベイト、アデル、フォローしろ! 敵を俺達に近づけるな!』

『了解っ!』『了解ですッ』

 ベイトのジム・カスタムとアデルのジムキャノンⅡに周りを警戒を命じ、バニングのガンダム試作2号機は、戦車級に貼りつかれたモンシアのジム・カスタムに近づく。

『ぐおお、この野郎ッ! 赤蜘蛛の分際でッ! 大尉、早いとこお願いします』

 モンシアは恐怖をにじませた声を発しながらも、機体は動かさずに耐えていた。この辺りは流石と言える。マニュアルで対応をたたき込まれているこの世界の衛士でも、いざ戦車級に貼りつかれると、恐慌をきたし、むやみやたらと武器を振り回し同士討ちを起こす者が耐えないのだ。

 だが、モンシアの命を握るバニング大尉は、この期に及んでやっと気づいたのだった。

 自分たちの武装には、味方に貼りついた敵を引きはがすための武装が存在していないという事実に。

 元々、BETA戦を想定して作られた機体ではないのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 バニングが乗るガンダム試作2号機の武装は、主に四つ。

 一つは、主武装であるビームバズーカ。言うまでもなくこれは論外だ。こんな大火力の武装で、味方機に貼りついた戦車級だけを打ち落とせるはずがない。殺虫剤の代わりに火炎放射器を使うようなものである。

 二つ目は、頭部バルカン。本来であればこれが一番無難なところだが、生憎今は弾を切らしている。それに、弾があったところで頭部バルカンの攻撃力も馬鹿にはならない。その口径は60㎜。戦術機のメインウェポンである36㎜チェーンガンより大口径なのだ。こんな至近距離から放てば、戦車級の柔らかい身体を貫いて、モンシア機にも致命的なダメージを与えてしまう可能性は十分にある。

 三つ目は、ビームサーベル。結局はこれでどうにかするしかないのだろうが、ビームサーベルはコックピットの中からでは、長さも出力も調節できない。これで、モビルスーツを傷つけずに、戦車級だけを倒すというのは、出刃包丁でイワシをさばくようなものだ。

 ちなみに四つ目の武装、戦術核は論外を通り越している。これを使えば確かに問題は「根こそぎ」解決するだろうが……。

 結局、危険でも、ビームサーベルでやるしかない。

『動くなよ』

 もう一度そういうと、バニングは、慎重にピンク色のビームサーベルの腹を戦車級に押し当てる。ジューと肉の焼ける音を立て、どうにかモンシアが食われる前に、バニングは戦車級を葬ることに成功した。

「ふう……」

 さしものバニングも、コックピットの中で安堵のため息を漏らす。恐ろしく神経を使う作業だった。今回はたまたま、貼りついたのが一匹の内に対処できたからどうにかなったものの、複数の戦車級に同時に貼りつかれたら、こんな悠長なやり方では絶対に間に合わない。

 今も、モンシアのジム・カスタムは胸部装甲を大きく食い破られて、コックピットに風が吹き込むようになっている。

『モンシア、ベイト、アデル。一度、帰艦するぞ』

『『『了解』』』

 流石に、この状態で否と言う者はいなかった。

 おそらくモンシアのジム・カスタムはこれでお役ご免となるだろう。

 ジム・カスタムはαナンバーズで使用しているモビルスーツの中でも数少ない、『ムーバブルフレーム』採用以前の機体である。

 ムーバブルフレームとは、簡単に言えばモビルスーツを内側から支える骨のことだ。つまり、Zガンダムやνガンダムが人間のように自重を内側の骨――ムーバブルフレームで支えているの対し、ジム・カスタムやジムキャノンⅡはカブトムシのように外骨格――装甲で直接機体を維持しているのである。

 つまり、ジム・カスタムにとって装甲の破損というのは、防御力の低下のみならず、機体重量を支えるパーツの損傷という、いわば『骨折』を意味するのだ。

 当然、そのまま無理をして動かせば、内部中枢に歪みが広がっていく。しかも、今は空中に浮遊しているアークエンジェルの所まで自力で跳び上がり、着艦しなければならないのだ。跳び上がる衝撃、着艦衝撃。どちらも、『骨折』状態のジム・カスタムには過大な衝撃となることは間違いない。いかな凄腕揃いのαナンバーズの整備士達でも、機体中枢の歪みを修整するのは難しいだろう。

(やはり、予備のモビルスーツが必要だな。確か、エルトリウムにはジェガンの製造ラインがあったか)

 バニングはモンシア機を守るように辺りに気を配りながら、頭の片隅でそんなことを考えていた。もっとも今、エルトリウムの艦内工場ではモビルスーツ、特機併せて、80機近い機体が修理待ちの状態だ。

 しばらくはモンシアは乗機無しとなるだろう。場合によっては、エターナルに配属されている、チャック・キース少尉のジムキャノンⅡや、コウ・ウラキ少尉のガンダム試作1号機フルバーニアンをこちらに回してもらうよう、艦長達に話を通す必要があるかも知れない。

 だが、それ以上に優先的に考えなければならないのが、戦車級BETA対策だ。現状のαナンバーズの装備では、戦車級に集られた場合、有効な救出手段がない。PS装甲のある機体や特機並の馬鹿げた装甲を持っていれば話は別だが、大半のモビルスーツはあれに集られれば数分と持たない。

 対策は急務だ。

 ビームサーベルの長さ調節を出来るようにするか、はたまたこの世界の戦術機のように専用の短剣を装備させるか。もしくは、短射程、低出力、広範囲の特殊ビームガンを作るか。

 技術的にどの程度が可能かは分からないが、対策を取らないままでは遠からず戦車級に食われる者が出る。

 この戦いが終わったら、必ずラミアス少佐やブライト大佐に直接この話をしよう。

 バニングはそう心の中に刻み込むと、高度を落としてきたアークエンジェルに着艦するため、機体の全バーニアを噴かし、空中高く跳び上がるのだった。










【2004年12月22日17時51分、横浜基地、メインゲート前】

 横浜基地の兵士達は、立て続けに入る吉報に沸き返っていた。

 一つ目の吉報はまず、基地内部に侵入した小型種の完全掃討が完了したこと。

 二つ目の吉報は、帝都の安全を確信した帝国軍が、戦術機一個連隊の援軍を送ってくれたこと。

 そして、最後の吉報は、レーザー属種を旧所沢市のキングジェイダーが完全にシャットアウトしているという事実を受け、ついにラ・ーカイラムが横浜港から飛び立ち前線にその姿を現したことだ。

 参戦したラー・カイラムは、早速その主砲『ハイパーメガ粒子砲』で、BETAの群れを駆逐している。

 BETAの増援が途絶えると同時に、こちらには心強い援軍が現れる。これで勝利できなければ嘘だ。

 メインゲートを守る伊隅ヴァルキリーズの面々も、疲労で鈍る全身に活を入れ、勝利のために最後まで戦う決意を固める。

 すでに夕闇を過ぎ、暗闇に近くなったメインゲート前は、複数のサーチライトで辺りを照らし出し、可能な限り戦闘に支障がないように、状況を整えようとしていた。

『いいか、お前たち。あと少しだ、などと考えるなよ。戦場では一瞬の気のゆるみが、生死を分かつのだからな』

『そうよ。基地に帰るまでが戦闘なんだからね、分かってる?』

 みちるの言葉に、水月がいつも通りの明るい口調でそう付け加える。

『『『了解ッ!』』』

 武達はそろって、返事を返した。

 しかし、実のところ今となってはむしろ、武達新人よりも、伊隅みちるを筆頭とした先任達のほうが疲労を蓄積させている。

 武達新人衛士に優先的に、エヴァンゲリオン初号機の周りで休息を取らせていたのに対し、みちる達先任衛士達は、その分余計に戦い続けていたのだ。

 無論、武器弾薬の補給時など、必要最低限の休息は挟んでいるが、それでも新人達とは比べものにならないハードワークをこなしてきたのは間違いない。

 さしものみちるも、不知火のコックピット中で軽く息を弾ませている。汗で濡れた前髪が額に貼りついてむず痒い。集中力が乱れてくると、そんな小さなことも気になって仕方が無くなってくる。

 自分も一度休息を取るべきだろうか? 自己の状態を冷静に見つめるみちるはそう考える。

 だが、その機会は訪れなかった。

『メインゲートにBETA接近中。突撃級7、要撃級300、戦車級500、その他小型種800。大規模な増援がこれが最後よ。みんな、頑張って』

 CP将校、涼宮遙中尉からのオープンチャンネルで接敵情報が入る。

 珍しく、遙は最後に私的な言葉を付け加えていた。それだけ遙も気が高ぶっているのだろう。

『ッ、聞いたな、お前達。これがラストオーダーだ。遠慮はいらん、思う存分食い尽くせ!』

『『『了解!!』』』

 けしかけるような伊隅みちるの声を受け、伊隅ヴァルキリーズの衛士達は、迫り来るBETAの群れを迎え撃つ。

『はっ!』

 先陣を切り最初に飛び出したのは、やはり武の武御雷だった。この半日に及ぶ戦いで、すっかり突撃前衛のポジションが板に付いてきている。

 漆黒の武御雷は、猛スピードでまっすぐ突っ込んでくる突撃級を飛び越えるように飛び出す。

『で、こうっ!』

 さらに武は、脚部スラスターを逆噴射させ、機体を空中で前宙の要領で反転させると、空中で逆立ちをした状態のまま、突撃級の背面に、36㎜弾を大量に浴びせさせた。

 常識にとらわれない三次元機動は、元々武の売りだが、今日一日だけでその奇天烈ぶりに磨きがかかっている。まず間違いなく、VF-19やアルブレード・カスタムを間近で見た影響だろう。

『ったく、滅茶苦茶やって。フォローする身にもなってみなさいよ』

 愚痴をこぼしながらも、水月は巧みに弾幕を張り、武の武御雷の着地点を確保してやる。と同時に同小隊の新人二人――高原、朝倉のエレメントにも気を配る。正直、目があと四つ、頭が二つ欲しいと思うくらいに、水月にかかる負担は大きい。

 その上自分自身も、突撃前衛長として、最前線で銃火を交えているのだから、下手をすると水月にかかっている負担は、中隊長であるみちるにかかっているそれより大きいかも知れない。

 武もその事実に気づいてはいるが、だからといって水月に負担がかからないように戦えるほど熟達はしていない。疲労で頭の働きが鈍り、反射的な機動が増えている。

「っくしょう、なんでこんなに遅いんだよ、なんで硬直するんだよ、なんでコンボが繋がらないんだよっ!」

 最前線を縦横無尽に飛び回りながら、思わず武はそう漏らす。この世界に来て三年、いい加減諦めていた『バルジャーノン』的機動が出来ないことに、今更ながら不満を漏らす。帝国の技術者には絶対に聞かせられない台詞だ。元々は将軍専用機であった武御雷を「遅い」だの「鈍い」だの、命知らずにもほどがある。

 バルジャーノンは所詮ゲーム、現実の戦術機と一緒に考えるのが間違えている。どうにかそう言い聞かせて、自分を納得させていたのだが、明らかにバルジャーノンより滅茶苦茶なVF-19や、アルブレード・カスタムの機動を見せつけられては、押さえていた欲求がわき上がって来てしまう。

 αナンバーズが異世界からやってきた存在であることも、武は知っている。だから、αナンバーズの機体を参考にしてはいけないことは分かるのだが、分かった上でも網膜に焼き付いたVF-19の超高速三次元機動が、忘れられないのだ。

(ダメ元で夕呼先生に相談してみるか)

 そんなことを考えながら、武は左方より迫る要撃級に36㎜弾をたたき込む。

「はああっ!」

 何かが吹っ切れたように、武の武御雷は、縦横無尽に暴れ回るのだった。






 
『ヴァルキリー6、フォックス2』

『ッ? ヴァルキリー5、フォックス3!』

 エレメントを組むパートナーの声に、涼宮茜少尉はハッと集中力を取り戻し、迫り来る戦車級の群れを、左右のメインアームに持つ二丁の87式突撃砲で掃討した。

『茜、気になるのは分かるけど、今の私たちにそんな余裕はないと思うよ』

 いつも通り、飄々とした声で、茜のエレメントパートナー――柏木晴子少尉が、そう言う。青い短い髪が汗で濡れて光っているが、網膜投射モニターに映る表情からは、まったく気負いというものが感じられない。疲労と緊張で、頭に血が上っている自覚のある茜からすると、晴子のそんな様子は、羨ましくもあり、頼もしくもあり、若干腹立たしくもあった。

『わ、分かってるわよ』

 いつの間にか、前線で戦う速瀬・白銀エレメントに目を奪われていた茜は、ばつの悪さを隠すように少し尖った声を返した。

 茜にとって、あこがれの存在であり、目標でもある速瀬中尉。自分よりあとから任官したのに、その速瀬中尉のパートナーを抜擢された白銀武。どちらも、茜にとっては気になる存在であることは間違いない。

 だが、それが戦場でよそ見をして良い理由にはなるはずもない。

 茜はコックピットの中で一度大きく深呼吸をすると、意識を切り替えた。

『ヴァルキリー5,6、十時の方向だ』

 そこに、小隊長である宗像美冴中尉から、指示が飛ぶ。

『了解っ!』『了解です』

 茜と晴子は、指示通り、十時の方向からやってくるBETAの群れに対処する。要撃級が十数匹に、戦車級がその倍くらい。新人衛士二人だけで相手取るには若干ハードルが高いが、見れば同小隊の先輩である宗像中尉・風間少尉のエレメントは、こちらの倍以上を相手取っている。

 出来るだけ自分たちにかかる負担を少なくしてやろうという心遣いが、茜は嬉しくもあり、同時に少し情けなくもある。それは自分たちがまだ、先輩達の庇護を必要としていると見なされている証なのだから。

 だが、だからこそ、与えられた役割は十全に果たさなくてはならない。

『行くわよ、フォローは頼んだわよ、晴子!』

『了解。そんなに肩に力を入れなくても、普通にやれば茜なら問題ないよ。リラックス、リラックス』

 気合いを入れ直す茜とは裏腹に、晴子はいつも通り肩の力の抜けた笑い顔で、答えるのだった。





 伊隅ヴァルキリーズ中隊長・伊隅みちる大尉は、そういった部下達の戦闘の様子を後方から見ていた。

 伊隅ヴァルキリーズで唯1人、エレメントを組まず単独で行動し、中隊全体にも気を配るみちるの負担は、尋常ではない。

 特にA小隊の珠瀬壬姫と築地多恵両名に関しては、みちるの双肩にかかっていると言ってもいい。

 B小隊の新人は水月、C小隊の新人は美冴、梼子といった各小隊の先任士官がある程度面倒を見ているが、A小隊の新人については、みちるが直接手助けするしかないのだ。

『築地、出過ぎるなッ。珠瀬、フォローしろ!』

『は、はいっ!』

『了解ッ!』

 いつの間にか前に出すぎている多恵の不知火を呼び戻すと同時に、壬姫にフォローするように促す。

 技量においては新人離れしたものを見せる伊隅ヴァルキリーズのルーキー達も、こと判断力とペース配分に関しては、不安がある。

 同小隊の新人二人を比較的圧力の少ない方向に向かわせた分、みちるは単機で押し寄せるBETAの重圧を受け止めることとなる。だが、それでも、今までみちるが経験してきた戦場に比べれば、圧倒的に優しい戦場で有ることも確かだ。

 最後方、メインゲートの直前は、エヴァンゲリオン初号機が鉄壁の守りを敷きながら、『マステマ/大型機関砲』でフォローしてくれる。マステマ/大型機関砲は、120㎜滑腔砲の数倍の威力の弾丸を、36㎜チェーンガン並の連射速度ではき出すのだ。

 その威力たるや、この場にいる要撃級や戦車級はもちろん、要塞級や突撃級でも正面から粉砕できるだろう。

 みちるの不知火は、エヴァンゲリオン初号機の射線上に入らないように気を配りながら、迫り来るBETAの群れに立ち向かう。

 右メインアームに持つ87式突撃砲で要撃級数匹を同時に蜂の巣にし、足もとに迫る戦車級を左メインアームに持つ92式多目的追加装甲でなぎ払う。

『チッ』

 振り回した追加装甲に、戦車級が一匹かみついた所で、みちるはためらいなく追加装甲を破棄し、即座に背面の稼働兵装担架から74式近接戦闘長刀を抜き、左手に持つ。そして、即座にその長刀の一降りで、シールドに噛みついていた戦車級を一刀両断にした。

 汗に濡れた栗色の短髪を振り、みちるは呟く。

「このくらいがなんだ。あきらは佐渡島から生還した。……あいつなんて、ハイヴから生きて還ってきたんだ……還ってきてくれたんだぞッ」

 みちるの脳裏に浮かぶのは、二日前の『奇跡の佐渡島戦』から還った妹と、愛する男の顔。

 一人の姉と二人の妹、そして自分を合わせた四姉妹が、一人の男を取り合う、壮絶ながらもどこか楽しかった恋のさや当ての日々。妹と当の男の佐渡島戦出兵が決まったときに、もうあの日々は戻らないかと、半ば諦めかけていた。

 だが、二人は生きて戻ってきた。二人に一人が死んだ戦場から妹は還ってきた。108人中102人の死亡が確認されたBETAの巣から、あいつは還ってきた。

「だから、私がこんな所で死んで良い理由はどこにもないッ!」

 みちるは、魂のそこから絞り出したような声で、そう叫んだ。







 メインゲート前のBETAが殲滅されるのは、約三十分後、基地全体のBETAが殲滅されて司令部より「状況終了」が告げられるのはさらにその三十分後のことである。

 その「勝利宣言」を、伊隅ヴァルキリーズはメインゲート前で、一人の欠員も出すことなく、11人そろって聞くことになる。









【2004年12月22日18時46分、横浜基地、中央作戦司令室】

「第二滑走路、安全確認終了。機械化強化歩兵第三大隊、次の指示を要求しています」

「Bゲート前、作業進捗状況、60パーセント。終了は90分後の予定。予定より10分遅れています」

 戦闘が終了した後も、中央作戦司令室のCP将校達の声は、鳴り止まない。

 兵士級や闘士級と言った小型種の撃ち漏らしが完全になくなったと確認が取れるまで、非戦闘員の待機命令は解除されないのだ。

 特に、Bゲートのような激しい戦闘のあった地区では、瓦礫や大破した車両の撤去作業に慎重をきす必要がある。瓦礫や車両の隙間に挟まり、生きたまま動けなくなっていた小型種が発見されるのは、何ら珍しいことではないのだ。

 とはいえ、そう言った作業も、不要な死傷者を出さないための予防に過ぎず、勝利がすでに確定しているという事実に変わりはない。推定4万弱のBETAを相手に、死傷者は300人弱という、『奇跡的大勝利』に作業に従事する兵士達にも、明るい色が伺える。

 例外は、自隊から多数の死者を出した戦術機甲連隊の衛士と戦車連隊の兵士、そして先ほど横浜港に戻ってきたαナンバーズの面々ぐらいのものだろう。

 司令室の中央では、田辺横浜基地司令が大河幸太郎αナンバーズ全権特使を相手に、朗らかに談笑している。

 隣では、香月夕呼も社交的な笑みを浮かべながら、二人の会話に油断なく耳を傾けている。

「ありがとうございます、大河特使。この勝利はαナンバーズの皆様のご助力によるもの以外の、何物でもありません」

 本当にありがとうございます、と何度目になるか分からない謝礼を言葉述べる田辺大佐に、大河全権特使は魅力的な野太い笑みで答えた。

「いえ。我々としても、この勝利に貢献できたのなら、それに勝る喜びはありません」

 普通の人間が言えば、社交的な印象しか受けないきれい事の言葉も、大河の口から出るとそれが相手の本心を揺さぶる感動を呼び起こす。

「心強い、お言葉です」

(これは、手強いわね)

 表面上は笑みを浮かべたまま相づちを打ちながら、夕呼は内心警戒心を強めていた。交渉術についてはどの程度のものかまだ分からないが、この強いカリスマ性だけでも、交渉相手としては十分な脅威だ。

(ノア大佐が窓口だった間に、もう少し話を進めておくべきだったかしらね)

 そんな後悔の念が心をよぎるが、すぐにそんな考えは振り切る。

 どのみち、αナンバーズが、目的も知れない異次元の集団であるという事実に代わりはないのだ。せめてその目的が判明しない限り、こちらから積極的な手は打てないという状況に変わりはない。そう言った意味では『全権特使』というより権限が強く、多くの情報を持っていると思われる人間と、直接交渉の機会があるという状況は、喜ぶべきだろう。

 そんな夕呼の内心はともかく、表面上は朗らかに進む会話を途切れさせたのは、とあるCP将校からの通信だった。

「司令! 帝都より入電です。その、先の旧前橋市で起きた『核とおぼしき爆発』について、詳細をαナンバーズからお聞きしたい、と」

「むっ……」

 冷や水を浴びせられたように、それまでの和やかな空気が冷え込む。

 無論、田辺司令も、第一次防衛ラインで起きた『核爆発』については、知っている。当然、愉快な気はしなかったが、元々こちらもαナンバーズとの間に、武装制限についてなんら約束を設けていなかったのだから、あえて今は黙殺していたのだ。

 無論、事実確認の後、帝国本土での使用は制限の確約を取り付ける必要はあるが、今あえて引っ張り出す話題には思えなかった。ここで、αナンバーズの機嫌を損ねてどうするつもりなのか? 少なくとも、彼らの存在無くして今回の勝利はなかったのだ。

 田辺大佐は確認する。

「それは、帝都のどこからの要求かね? 軍か、議会か、元枢府か?」

 司令の言葉に、若い女のCP将校はレスポンスよく返答を返す。

「声明は、参謀本部と外務省の連名になっています」

「ッ……」

 その答えに、田辺司令はあからさまな渋面を作った。表情こそ変えないが、夕呼も内心は同じである。いや、むしろ夕呼のほうが感じている焦燥感は大きい。

 参謀本部はいい。ことが軍事なのだから、軍の統括である参謀本部が口を出すのはある意味当然のことだ。

 外務省も本来ならば問題ない。まだ正式発表こそされていないものの、帝国はαナンバーズを『地球外自治勢力』と認めているのだ。正論から言えば、αナンバーズとの交渉は、外務省こそ主導権を握るべきだ。

 だが、今の外務省が『親米派』と言う名の『アメリカの犬』の巣であることは、ある程度の高官にとっては周知の事実だ。末端はともかく、上層部は三人に一人は、親米派だと言われている。

(まずいわね。αナンバーズの情報がダイレクトでアメリカに流れてしまう)

 下手をすれば、夕呼も知らないような情報が、外務省経由でアメリカに渡ってしまう可能性が有る。

 それでもポーカーフェイスを保っている夕呼はともかく、田辺の顔色の変化に気づかないはずはないのだが、大河特使はあくまで神妙な表情で一つ頷くと答えるのだった。

「分かりました。その件に関しては、こちらから直接ご説明させていただきます。そう、お伝え願えますか」









【2004年12月22日22時00分、横浜港、ラー・カイラム アークエンジェル】

 夜、無事に機体の回収と全乗組員の無事の確認を終えたαナンバーズの首脳陣は、予定通りフォールド通信を用いて定例会議を開いていた。

「……といった経緯で、どうにか横浜基地の防衛には成功しました。しかし、基地からは少なくない死傷者も出ています」

 横浜基地防衛戦の概略説明を、ラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐はそう沈痛な表情で締めくくる。

『うむ。そうか。いや、よくやってくれた……』

 エルトリウム艦長、タシロ提督は、ブライトの言葉に静かな声でそう答えると、そのまま無言で目を瞑る。気がつけば他の参加者達も皆、目を瞑り、犠牲者に黙祷を捧げていた。

「「『『『…………』』』」」

 そうして無言の時間は、一分ほども流れただろうか。

 やがて、沈黙を破り、タシロ提督が口を開く。

『……これで、しばらくは大規模な戦闘は起こらない、そう考えてよいのかね、ブライト君?』

「はい。我々が停泊している日本を脅かすBETAは、これで一段落したと言って良いと思われます。もっとも、朝鮮半島の甲20号ハイヴから九州・中国地方への定期的侵攻があるそうなので、予断は許しませんが」

 ブライトはそう冷静な口調で答えた。

 実際の所、大規模な戦闘は、この後も毎日のように頻発するだろう。ただ、その主戦場はあくまでユーラシア大陸であり、現時点で日本帝国としか、正式な交渉を持っていないαナンバーズが無断で立ち入ることが出来ない、というのが実状だ。

 この世界の人類を救うのが目的なのに、この世界の人類の枠組みを無視して勝手気ままに振る舞うことは出来ない。

 続いて、アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス少佐が発言する。

「今回の戦闘で、モンシア中尉のジム・カスタムが大きく破損し、修復も難しい状況です。それを踏まえて、機動兵器部隊の副隊長であるバニング大尉から、ウラキ少尉のガンダム試作1号機か、キース少尉のジムキャノンⅡを地上に下ろせないか、と打診がありました。また、モンシア中尉の機体を破損させた『戦車級BETA』に対する対応策も、早急に検討する必要があると報告されています」

 勝ち戦からでも、問題点は浮かび上がる。しかし、そんなラミアス少佐からの報告を受けたタシロ提督の返答は芳しくないものだった。

『うむ。戦車級BETAに対する対応策に付いては早急に検討しよう。しかし、ウラキ、キース両少尉の地上派遣は難しいな。エターナルの守りをそこまで薄くはできん。幸い、ヒイロ君達五人のガンダムの修理のめどが立ってきている。彼らが復帰するまで、現状の戦力でどうにかならんかね?』

 エターナルは、小惑星帯と地球との間の物資と人員の輸送を受け持っているのだ。万が一のことを考えると、最低限の戦力は保持させておきたい。

 タシロ提督の言いたいことを十分に理解したラミアス少佐は、『分かりました』と答えるに留まった。

「後は、補給物資の問題があります。頭部バルカンも含め、モビルスーツ系の実弾兵器の備蓄は今回の戦闘で完全に尽きました。ダイソン中尉のVF-19の弾薬もかなり不安な状態です。詳細な必要数量は、データで送っておきますので、よろしくお願いします」

『うむ、副長』

 ブライトの言葉に、タシロ提督は横に立つ、副長に話を振る。

『了解しました。手配します』

 副長は、平坦な声で返事を返し、請けおった。予定では24時間以内に、エターナルがエルトリウムと合流を果たすことになっている。それまでに必要な物資を、コンテナパックに詰め込み用意しておけばいい。

『他には何か、問題はないかね?』

 そう促すタシロ提督の言葉に、口を開いたのは、それまでラー・カイラムの艦橋で沈黙を保っていた大河全権特使だった。

「はっ。実は、先の戦闘で使用したN2兵器が核兵器と誤解され、帝国内部で問題視されているようです。明日、私が釈明に向かう予定ですが、話し合いの結果次第では、使用する兵器をある程度絞り込む必要が出てくるかもしれません」

 αナンバーズには、N2兵器より凶悪な兵器も数多く存在する。下手をすればそう言った兵器の大半が、この世界の地球では使用できないかも知れない。だが、現状でも、ラー・カイラムのハイパーメガ粒子砲や、アークエンジェルのローエングリンなどに対しては、抗議の声が上がっていないところを見ると、単に土壌を汚染する核兵器と間違えられたことが、問題なだけという可能性もある。

 全ては明日の会合で判明するだろう。この辺りはとりあえず大河に任せるしかない。そのための全権特使だ。

 とりあえず、これで先行分艦隊側からの情報は、一通り出そろった。変わって今度はブライトが訊ねる。

「こちらは以上です。そちらではなにか、進展はありましたか?」

『うむ。実は、つい先ほど、な。ジーナス艦長』

『はい』

 タシロ提督の視線を受け、マクロス7艦長、マクシミリアン・ジーナス大佐が口を開く。

『熱気バサラとシビルが、帰還しました。やはり、火星に向かっていたようです。現在ファイアーバルキリーのカメラの映像データを解析中です』

 熱気バサラの帰還。それは、ある意味横浜基地防衛戦よりも大きなニュースだ。ブライト達、先行分艦隊側の人間達も思わず腰を浮かしかける。

「二人に怪我は?」

『大丈夫です。バサラもシビルも、ファイアーバルキリーも一切問題有りません』

 ブライト艦長の問いに、マックス艦長は小さく苦笑しながらそう答えた。

 プロトデビルンであるシビルはもちろん、バサラも丸二日の長期航行の影響など無いような顔で、ケロッとしてたらしい。ひょっとして熱気バサラは、歌が歌える間は死なないのではないだろうか? そんな、荒唐無稽なことさえ考えてしまう。

「それで、火星のBETAは、熱気バサラの歌にどんな反応を示したのですか?」

 ラミアスのその問いは、艦長としての義務と言うより、自らの好奇心から発したものに思えた。

 プロトデビルンの心を動かし、霊帝ケイサル・エフェスに対しても大きな力となった『バサラの歌』。それをBETAはどのように捉えたのか、ラミアスならずとも興味がある。

 しかし、マックスは首を横に振り、

『詳しいことはまだ分かりませんが、どうやらBETAは、バサラの歌にこれといった反応を示さなかったようです。ただ、歌エネルギー研究の第一人者、ドクター・千葉に言わせれば、「歌エネルギーは、歌い手のテンションや感情によって大きく変化する」とのことなので、今回の結果だけで、BETAに歌は無効だと結論づけるのは早計らしいですが』

 と答えた。

 さらにマックス話を続ける。

『それよりも気になるのは、シビルの言葉です。彼女はこう言ったそうです。「あいつら、スピリチア、ない」と』

「スピリチアがない?」

 ブライトはピクリと右の眉を跳ね上げる。

 スピリチアがない。そんな生き物が存在するのだろうか? スピリチアとは生物の生きる意志、生命力そのものだ。

 プロトデビルンは、地球人類はもちろん、宇宙人からも動物からも、場合よっては植物からもスピリチアを吸収できる。それこそ、あの宇宙怪獣からもスピリチアを吸収してのけた実績があるのだ。

 そのプロトデビルンであるシビルが、BETAにスピリチアがないと言った。

『つまり、BETAとは宇宙怪獣以上に、我々の常識から外れた生命体である、と言うことですかな?』

 マクロス7のエキセドル参謀が大きな緑色の頭をかしげて、そう言う。確かにここは遠く次元を隔てた異世界だ。スピリチアのない生命が居てもおかしくはないのかも知れないが……。

『提督、そろそろ時間です』

 深刻な話し合いの最中も、しっかりと時間を管理していた、エルトリウムの副長が淡々とした声で、上官にそう告げる。各艦の総責任者が一堂に会し、話し合いの場を設けられる時間は予想以上に短い。特別な状況変化がない限り、時間を厳守を徹底しておかないと、艦の運営に支障を来しかねない。

 タシロ提督は、その言葉に時間を確認すると、

『む、そうか。では、本日の会議はここまでにしておこう。異変があれば即座に連絡をくれ。こちらとしても、可能な限りの手は打つ』

 そう、ブライト達に声をかける。

「はっ、ありがとうございます。そちらもお気をつけて」

『うむ。では、また明日、この時間に』

 αナンバーズの運命を握る各艦の艦長達は、そう言ってほぼ同時にフォールド通信を切るのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~幕間その2
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:19
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

幕間その2



【2004年12月23日13時28分、小惑星帯、バトル7】

 目を覚ました熱気バサラのぼやけた視界に映ったのは、見慣れない低い天井だった。

「…………ああ?」

 左手で目をこすりながら、上体を起こす。そのまま手探りでベッドの脇に置いてある愛用の丸いレンズのサングラスを探り当て、手に取った。

「ああ……そうか」

 サングラスの冷たいフレームの感触が少し目を覚ましてくれたのか、やっと自分がどこにいるか思い出したバサラはそう呟くと、ベッドから降りた。

 ここはバトル7のパイロット用休息室だ。普段バサラが暮らしているエルトリウム艦内都市の自室ではない。昨晩、二日ぶりに火星から戻ってきたバサラは、管制の誘導に従いバトル7の格納庫にファイアーバルキリーを着艦させた後、そのままこの部屋を借りて床についたのだ。

 丸二日間乗り回したバルキリーは、専門家のチェックを必要としていたし、なによりバサラ自身の体力が限界だった。熱気バサラも生身の人間なのである。50時間以上バルキリーを乗り回し、歌い続ければ、睡眠が必要になっても不思議ではない。というか、丸二日間、バルキリーを乗り回し、歌い続けられる方がおかしい。

 生憎と言うべきか、幸いと言うべきか、着替えもせずに眠りに落ちていたので、服装は緑のタンクトップと色落ちしたブルージーンズのままだ。スニーカーをつっかけると、バサラはそのまま通路へと出る。

 バトル7の通路は、通常の戦艦と比べれば遙かに広いのだが、それでも世間一般の基準で言えば狭い。学校や公民館といった地上の公共施設の廊下と比べれば半分くらいしかないだろう。とはいえ、アークエンジェルやラー・カイラムと違い、艦内には人工重力が働いているため、普通に二本の足で歩くことが出来るのは、幸いだ。

 バサラは通路を歩きながら、肩や首を回し、たまに顔をしかめる。50時間以上バルキリーに乗った後、16時間以上寝続けたのだ。身体の節々がガチガチに固まっている。

 そうしてバサラが歩いていると、通路の向こうから、長髪の男が歩いてきた。まだかなり若い。男と言うより少年といった方が良いくらいの年齢だ。バサラに気づいたその少年は、笑顔でヒョイと手を挙げる。

「おう、バサラ。起きとったんかい?」

 怪しげな関西弁もどきでしゃべる男、それはバトルチームの浪速十三だった。愛機はバトルマシンの一台、バトルクラッシャーだが、そう言うより特機コン・バトラーVのサブパイロットと言った方が、通りが良いだろう。五台のバトルマシンが合体して『コン・バトラーV』となるのだが、αナンバーズに所属して以来、コン・バトラーVがばらけて出撃したことは、片手で数えられるくらいしかない。

 現在コン・バトラーVは修理の目安も立たない状態な為か、十三もバトルチームのユニフォーム姿ではなく、ラフな私服姿だ。

「ああ……」

 バサラは目線だけをそちらに向け、気のない返事を返した。

「なんや、えらい元気のない声やなあ。らしくないで、バサラ。それとも、いっぺん通じなかったくらいで、もうBETAに歌を聴かせるの諦めたんかい?」

 熱気バサラの第一回火星ライブが、空振りに終わったという事実は、昨晩の間に聞いている。若干挑発的にそう言う十三の言葉に、バサラは不適な笑みを返すと、

「へっ、んなわけねぇだろ。俺の歌を聴く気がないなら、聴く気になるまで歌い続けてやるまでだ」

 そう言い切った。

「はっ、安心したで。それでこそ、熱気バサラや。けど、BETAに聴かせるのもええけど、たまにはワイらにも、聴かせてくれや。あんたの歌を愉しみにしとるやつは、ぎょうさんおるんやで」

 ワイもその一人や。最後に、十三はそう付け足す。

 十三の言葉は、なんら誇張表現でもない。エルトリウムの艦内施設には、レストラン、映画館、ゲームセンター、各種スポーツ施設など、娯楽を提供するものは多数有るが、流石に生の歌を聴かせてくれる本職の歌手はほとんど乗っていない。幾つかのジャズバーなどに、ピアニスト込みで数人セミプロがいる程度だ。

 本職と言えるのは、バサラ達ファイアーボンバーのメンバーを除けば、エターナル艦長のラクス・クラインくらいのものではないだろうか。皆がバサラの歌を待ち焦がれているのも当然と言える。

「ああ、そのうちな」

「おお、待っとるで。そや、これ食うか?」

 そう言って十三が差し出したのは、透明なラップにくるまれたホットドッグだった。先ほど、バトル7内の購買で買ってきた代物だ。エルトリウムとは比べるべくもないバトル7であるが、それでも全長一キロを超す巨大艦だ。艦内で暮らす人間のために、何カ所か購買が設けられている。

「ん、サンキュ」

 バサラはそう言うと、すぐにラップを剥がしかぶりつく。切れ目を入れたパンに、太いソーセージとへたったレタス、そしてみじん切りにしたタマネギを挟み、ケチャップとマスタードソースで味付けをしただけのチープな代物だが、丸二日水と携帯ハーベストしか口にしていなかったバサラに、文句があるはずがない。

 そうしてごく短時間でバサラの口の中に、冷めたホットドッグがすっかり消え去ったちょうどその時だった。

「ああー、バサラ!? 起きてる!」

 バサラの背後から、甲高い少女の声が響き渡る。振り向いて確認するまでもない。仮にも自分のバンドのベーシスト兼ボーカリストの声を、聞き間違えるはずがない。

 バサラは振り向きもせずに、黙って口の中のホットドッグを咀嚼した。

 やがて、小走りにやってきた少女が、バサラの前にやってくる。小柄で華奢な体躯。腰まであるピンク色の長髪。そして、活力にあふれた大きな緑色の瞳。

 バサラのバンド、ファイアーボンバーのベーシスト兼ボーカリスト、ミレーヌ・フレア・ジーナスであった。見ると、後ろにはバンドリーダーでキーボード担当のレイ・ラブロックと、ドラム担当のビヒーダ・フィーズの姿も見える。

 背も十分に高く、がっちりとした体格のレイであるが、後ろに立つのがビヒーダのため、相対的に小さく見える。レイも百九十近い長身なのだが、ビヒーダは女だてらに二メートルを優に超す巨体なのだ。巨人族であるゼントラーディとはいえ、マイクローン化した場合の身長は、地球人と大差ないはずなのだから、これは単純にビヒーダ個人の特徴なのだろう。

「よう、バサラ。元気そうで何よりだ」

「…………」

 褐色の顔に朗らかな笑みを浮かべるレイの後ろで、ビヒーダは無言のまま両手に持つスティックをコツコツと鳴り合わせている。無口を限界まで極めたような、このゼントラーディの女は、バンドメンバーとしてそれなりの時間を一緒に過ごしてきたバサラでもまだ、片手で数えられるくらいしか肉声を聞いたことがない。

「ああ」

 どこか気の抜けた返事を返すバサラに、怒りを露わにしたのはやはり幼いミレーヌだった。

「なによ、バサラ、その返事は。みんな心配してたんだからねっ!」

 下からキッと睨み付けるミレーヌの様子に、バサラはつい笑みをこぼす。

「そうかい」

「そうかい、じゃないわよっ!」

「まあ、まあ、ミレーヌ。それをここで言ってもしょうがないだろう。で、どうだった、バサラ。火星のBETAの様子は」

 なおも怒りを露わにするミレーヌをあやすように、口を挟んだのはレイだった。一応これでもまだ、30前なのだが、その穏和且つ重厚な存在感は、最低でももう十歳は年上に見える。

 さしものバサラも、レイの言うことはあまり邪険に出来ない。

「駄目だ。あいつら、全然俺の歌を聞きやがらねえ……」

 急に不機嫌に横を向きながらも、そう素直に答える。

 とたんにミレーヌは、それまでの怒りを一転させ、気遣うようにバサラに声を掛ける。

「無理もないわよ、バサラ。私達もあれから資料を読んで知ったんだけど、BETAって耳が無いんだって」

 正確には、これまでの成果では「人間の五感に相当する感覚器官は発見されていない」だ。だが、そんなミレーヌの慰めの言葉をバサラは、

「ばーか。そんな、言い訳ばっかしてるから、いつまでたってもお前は駄目なんだよ」

 と一刀両断に切って捨てる。

「言い訳って、耳が無いんだよ!? 耳がない奴らにどうやって歌を聴かせるのよッ!?」

 至極当然なミレーヌの主張であるが、そんな言葉に「ああ、そうだな」などと熱気バサラが頷くはずもない。

「熱い魂をビートに乗せて叩きつける、それが歌だ!」

 言葉通り熱いバサラの返答であるが、全く答えになっていない。歌の本質がどうであれ、耳がない相手には聞こえない、という根本的且つ致命的な問題には、なんら関係はないのではなかろうか。

 だが、それだけで言いたいことは言い終えたのか、バサラはすたすたと歩き出す。

「ちょっと、バサラ! どこ行くのよ、まだ話は終わっていないわよ! 馬鹿! いい加減! 自分勝手!」

 真っ赤な顔で地団駄を踏むミレーヌを尻目に、バサラはそのまま歩き去っていった。



「もう、バサラっ、知らないっ! ……ねえ、レイ。私、何も間違ったこと言ってないわよね?」

 バサラの背中が曲がり角の向こうに消えたところで、声のトーンを下げたミレーヌは、振り返ると後ろに立つレイを見上げる。

 レイは、困ったように笑いながら、

「まあ、常識で考えて正しいのはミレーヌで間違いないな。ただ、常識をバサラに当てはめるのは、間違っていると思うぞ。何せ、あいつは昔、『歌で山を動かそう』としていた男だからな」

 そう言うのだった。ミレーヌは、大きな瞳をきょとんと丸くする。

「歌で山を動かすって、どういうこと?」

「どういうことって、そのまんまさ」

「歌で?」

「ああ」

「山を?」

「ああ」

「それで……動いたの?」

 そんなことあるはずがない。そう思っていながらも、念のため確認しなければならないところが、熱気バサラという男を現している。

 だが、レイは苦笑しながら首を横に振るのだった。

「いや、動かない。動くはずがないさ。歌で山が動くはずがない。けどな、ミレーヌ。バサラは、そうは考えない。いくら歌っても、事実山はびくともしなくても、そんなことは微塵も考えないんだ。「俺の歌では山が動かない。今の俺の歌に何が足りないんだ」たぶんあいつは、そうとしか考えない」

「そんな、滅茶苦茶よ。絶対おかしい……」

 ぶつぶつ言いながらも、ミレーヌの語尾も段々小さくなっている。滅茶苦茶だ、そう思いながらもどこかで、「それがバサラなんだ。だから今のバサラの歌があるんだ」と納得している自分がいる。

「まあ、ミレーヌちゃんもレイさんも苦労しとるみたいやな」

 笑いながらそう口を挟んだのは、一連のやりとりを今まで黙って見ていた浪速十三だった。

「あ、十三さん」

「やあ、珍しいな、一人か。豹馬はどうした?」

 笑顔をこちらに向ける、ファイアーボンバーの少女ボーカルとバンドリーダーに、十三はヒョイと肩をすくめて答える。

「あいつは今日は、エルトリウムのネルフチームの所や」

 エヴァンゲリオンシリーズを独占的に制作、使用していた国連特務機関、ネルフ。その司令である碇ゲンドウの命を受けて、αナンバーズに参加したのは、碇シンジ等三人のエヴァンゲリオンパイロットだけではない。作戦部長であった葛城ミサトをはじめとした、バックアップスタッフ、技術スタッフも数多く参加しているのだ。

「ああ、まだ問題があるのか?」

「いやいや、ただの定期検診や。あいつが、そんな柔なタマかいな。両腕の代わりに「まごのて」付けたかて、気がつかんようなニブチンや」

 心配そうなミレーヌとレイに、十三はそう笑いながら、顔の前で手を振った。

 バトルチームリーダーにして、コン・バトラーVのメインパイロットである葵豹馬は、以前に一度大事故を起こし、両腕を失っている。その際、その高いクローン再生技術をもって、豹馬の両腕を治してくれたのが、当時のネルフ医療スタッフだ。

 クローン再生手術は、限りなく自己移植に近い、理想的な移植手術である。とはいっても、接合した骨や神経細胞が時間を経て不都合を来すこともあるし、クローン再生された細胞の寿命も未知数な部分がある。定期検診は、必須と言える。

 だが、幸いにも今日まで、豹馬の腕にアクシデントが起きたことはなかった。

「けど、ええなあ。バサラはもちろんやけど、サウンドフォースの機体はみんなもう、オーバーホール終わっとるんやろ? 羨ましいわあ」

 話を切り替え、心底羨ましそうな声でそう言う十三に、レイは、

「そういえば、コン・バトラーVの修理はやはり、難しいのか?」

 そう、尋ね返す。十三は、苦い顔でうなずき返すのだっだ。

「そや。小介が孤軍奮闘してくれとるようやけど、現状ではどこから手を付けたらええかも分からん状態や。ガイキングやスカラーなんかの修理が終了し次第、大十次博士が見てくれる言うとるけど、どうなるんやろな」

 思わず十三の口からため息が漏れる。

 バトルチームの一員である北小介は、まだ小学生高学年と、αナンバーズの中でも最年少に近い人間だが、IQ200を数える天才少年でもある。過去には、南原博士や四ッ谷博士の助手として、コン・バトラーVの強化改造に携わったこともある。間違いなく、この世界に来たメンバーの中では最も、コン・バトラーVという特機に精通している人間だ。

 とはいえ、いくら天才少年でも、簡単に理解ができるほど特機というのは生やさしいものではない。中でも、コン・バトラーVは、五体合体という複雑なメカニズムと、原子力エンジンから発生する超電磁エネルギーという特殊な動力源を持つ、特機の中でもとりわけ扱いの難しい機体なのだ。

 無論それは、コン・バトラーVの兄弟機であるボルテスⅤも同様である。この二機は未だ、復旧の目処も立っていない。

 自分たちの一機や二機が出られないくらいで負けるほど、αナンバーズはヤワではない。それは十分に分かっているが、それでも復旧の目処すら立っていないという現状には、苛立ちと焦燥を感じずにはいられない。自分たちがこうして何も出来ずにいる間にも、地球では多くの兵士が劣悪な装備でBETAと戦い、死んでいっているのだ。

「ああ、あかん! うじうじ考えてると、頭ん中まで腐ってくるわ。射撃場いって身体でも動かしてこよ」

 十三は一度頭を振ると、そう言って走り出す。

「十三さーん! バサラも戻ったことだし、明日エルトリウムでライブをやるつもりなの! 良かったら聴きに来て!」

 両手をメガフォンのように口に当ててそう叫ぶミレーヌに、十三は、

「おお、期待しとるわ!」

 一度振り返ると、大きく手を振るのだった。









【2004年12月23日13時45分、東京、帝都城】

 遙か星の海の彼方、小惑星帯で熱気バサラが目を覚ました頃、ここ帝都東京の帝都城の一室では、大河幸太郎全権特使の釈明がどうにか実を結ぼうとしていた。

「……で、あるからにして、N2兵器とは、長期、超長期的な環境汚染は一切併発しない兵器であり、皆さんのおっしゃるような核兵器やG弾とは全く異なった性質の兵器なのです。大威力のS-11と言うのが一番近い表現となると私は考えます」

 会合が始まってすぐに、帝国サイドが主に気にしているのは、N2地雷の威力ではなく、汚染兵器の疑いであると気づいた大河特使は、持ってきた資料を提示して、N2兵器のクリーンさを主張したのである。

 幸い、爆発の現場近くで戦闘を行った帝都守備第一戦術機甲連隊の戦術機『不知火』に付着していた土からも、一切危険レベルの放射線は検出されなかったという結果が先に出ていたこともあり、会合は大河特使が覚悟していたより遙かにスムーズに進んだのであった。

 無論、何の問題もなかったわけではない。

「分かりました。どうやらこちらの早とちりだったようです。ただ、願わくばいかに無人の地とはいえ、帝国本土であのような大破壊兵器を使用するならば、事前報告が欲しかったというのが正直なところなのですが」

 大河特使から見て左手側に座る、准将の階級章を付けた中年の参謀将官が、そう釘を刺す。

「その点に関しては、謝罪申し上げるしかありません。無論、今後はこのようなことがないよう、お約束します」

 大河特使は、金髪をオールバックにした頭を下げ、丁寧に謝罪した。

 正直、帝国サイドからすると戸惑うくらいの低姿勢である。今回の横浜基地防衛戦も、前回の佐渡島ハイヴ攻略戦も、αナンバーズの活躍無くして勝利が得られなかったのは、疑いない。身も蓋もない言い方をすれば「ガタガタ抜かすなら、俺達は出て行くぞ」というだけで、帝国としては折れるしかない立場なのだ。

 なにせ、今の帝国軍は大げさな比喩ではなく、事実として半死半生の有様だ。αナンバーズの戦力が無ければ、どれほど屈辱的な条件を突きつけられても、アメリカにすがるしかないのが現状なのだ。その現状を思えば、αナンバーズの低姿勢は、ありがたくもあるが、それ以上に不気味この上ない。彼らの真の狙いは何なんだろうか? その疑問が頭の中で渦巻く。

「では、念のための意味も込めて、N2兵器のサンプルを提出していただくというのはどうでしょうか? それをこちらで研究すれば、今回の疑いは完全に晴れると愚考する次第ですが」

 そう言ってきたのは、大河の右手側に座る、銀縁眼鏡を掛けたスーツ姿の男だ。外務省外務次官補佐官というのが、彼の役職だ。

 大河から見て、左手側の席には軍服を着た参謀本部の人間が、右手側にはスーツ姿の外務省の人間が腰を下ろしている。

 明らかに下心が丸見えな外務省からの申し出に、大河はきっぱりと首を横に振る。

「いえ、それはできません。N2兵器は、この世界の科学技術とは大きくかけ離れた技術体系から生まれた兵器です。皆さんの手で解析を行えば、どのような事故が起こるか、全く保証が出来ませんので」

 歯に衣着せぬ言い方をすれば、「お前達の技術レベルで手を出したら自爆する」と言っているわけである。それは、多分に大げさな表現は含んでいても、大筋においては間違っていない。とはいえ、よその星から落ちてきたGストーンを勝手に解析、複製し、自らのテクノロジーとしたGGGの長官である大河がそれを言うのは、いささか自分を棚に上げている部分があると思われるのだが、この場にそのことを指摘出る人物はいない。

「そうですか、残念です」

 大河のきっぱりとした口調に、こちらの意志を感じ取ったのか、補佐官はそう言って引き下がった。






 大河全権特使が、釈明会合に汗を流している部屋とドア一枚を隔てた通路では、大河の護衛として同行した司馬宙と破嵐万丈が、手持ちぶさたに通路の壁に体重を預けていた。ドアの前では、帝都城の護衛兵士が四人、小銃を持って守りについている。

 時折兵士達の視線がこちらに向けられるが、万丈が「やあ」と笑い返しても、反応はない。どうやら、会話を交わす気はなさそうだ。生真面目と言っても良いくらいに職務に忠実な兵士達だ。もっとも、帝都城付きの護衛が、職務に忠実でなければ、困るが。

 だが、その通路にごく自然な足取りでやってきたその男の接近に先に気がついたのは、兵士達ではなく、宙と万丈であった。

「やあ、初めまして」

 上等そうなスーツの上から、ロングのコートを着込んだ中年の男。その男は朗らかに笑いながら、滑るような足取りでこちらに近づいてくる。

「やあ、初めまして。どちら様かな?」

 一歩前に出て対応したのは、万丈だった。殴り合いなら、サイボーグである宙の方が強いかも知れないが、これはそういった手合いではない。

「ふむ、聞かれた以上は名乗らなくてはなりませんな。私は、ただの怪しい男と言う名の紳士です。……いや、紳士と言う名の怪しい男かな?」

「はっはっは、なるほど。その前者と後者は何か違いがあるのかな?」

 ふざけているとしか思えない男の対応に、万丈は朗らかに笑って対応する。

「違いはありますとも。「アメリカ人はヤンキーだが、ヤンキーはアメリカ人ではない」という名言があるではないですか。ちなみにそちらは、αナンバーズで間違いありかせんか?」

「ええ、αナンバーズの破嵐万丈です。隣は、」

「司馬宙だ」

 いっそ清々しいくらいにうさんくさい男に、宙は名乗りだけを済ませると、後は万丈に任せる。これは、どう見ても自分の手に負える相手ではない。

「おお、貴方があの。お噂はかねがね」

 万丈達の名前を聞いた中年の男は、大げさに驚いて見せた。

「おや? この国でも僕はもう、そんなに有名なのかな?」

 外連味のきいた会話を愉しむようにそのままつきあう万丈に、男はさらに大げさに頷いてみせる。

「もちろんですとも。昨日、白い戦艦と共にやってきた援軍のお一人ですね」

「ほう……昨日の今日だというのに、実に耳が早い」

 万丈の目に少し、笑い以外の色がにじむ。それを感じ取ったのか、否かは分からないが、男は顔色一つ変えることなく話を続ける。

「いやあ、お恥ずかしい。それだけが私の取り柄でして。しかし、信じられませんな。あれほど大きな戦艦と、すばらしい戦闘機で乗っていたのは僅か『七人』だったとは」

「『六人』ですよ。安心しました、貴方の早耳も間違えることはあるようだ」

 明らかに人数の所にアクセントを置いた男の言葉に、万丈は同じ人数を強調させたアクセントで訂正する。

「おや、そうでしたか?」

「ええ。大河全権特使、僕、ダイソン中尉、ソルダートJ、ルネ君、戒道君。ほら、六人だ」

「ああ、なるほど、確かに。うむ、どこで勘違いしたのでしょうかな?」

「もしかすると、トモロを一人と数えたのかも知れませんね」

 わざとらしく首をかしげる男に、万丈はそう言う。

「トモロ?」

「ええ、トモロ0117。戦艦ジェイアークの制御を司る高レベル人工知能ですよ」

「あっはっは、なるほど、なるほど。人工知能は一人とは数えませんな」

 何がそんなに楽しいのかと、問い詰めたくなるくらい楽しげに男が笑っているうちに、会議室のドアが開き、大河全権特使がその姿を現す。

「おや、特使が出られたようですね。では、私はこれで」

 男は一瞬目があった大河に笑顔で黙礼すると、そのままその場を後にしようとする。

「大河特使とは、話されなくてよいのですか?」

 引き留める万丈に、男は首を横に振ると言った。

「いえいえ、とんでもない。私は一国の全権特使と面と向かって話が出来るような立場の人間ではありません。所詮は木っ端役人ですから。では失礼」

 そう言って男は、そのまま来たときと同じ滑るような足取りで去っていった。

「ふうん、この国にも面白い男がいるようだね」

 にやりとした笑顔で男の背中を見送った万丈は、出てきた大河のほうへと向き直る。

「万丈君、今のは?」

 一瞬目があっただけで何かを感じたのか、大河は万丈にそう聞いてくる。

 万丈は笑いながら、首を横に振ると答えるのだった。

「ただの怪しい紳士だそうですよ。詳しいお話は、艦に戻ってからゆっくりと」

 艦に戻ってから。その言葉で、この場で話せる内容ではないことを察した大河は「分かった」と頷いた。









【2004年12月23日14時58分、東京、帝都城】

 大河全権特使という、大物の来客がいなくなった後も、帝都城の会議室では、軍人と政府高官による熱い話し合いが交わされていた。

 ただし、メンツは先ほどとまるで違う。平均年齢にして十歳は若い。軍人の大半は佐官であり、役人の役職も先ほどのメンツと比べると、一段階低いものだ。

 俗に言う実務者会談と呼ばれる、ある意味国を動かす本当の勝負所とも言える会談である。

 そんな彼らの話し合っている議題は、ついに現実のものとなった議題「αナンバーズの兵器工場をどこに誘致するか」というものであった。

 四角いテーブルに広げられた大きな日本地図を軍人と役人が囲むようにして座っている。

 話の口火を切ったのは、少佐の階級章を付けた若い軍人であった。

「まず、αナンバーズの兵器工場を作るに当たって、幾つか絶対に外せない条件があります。

 一つは、大きな港に面していること。

 もう一つは、地盤のしっかりとした広い土地が確保できること。

 そして最後の一つは、帝都から十分な距離があることです」

 それはあまりに当たり前の条件な為、軍人達からも役人達からも反対の声は上がらなかった。

 まず一つ目の、港を必要としている理由は簡単だ。この国には鉱物資源というものが無いに等しい。鉄鉱石も、銅も、石油も外国から輸入するしかないのだ。だったら、工場は海に面しているに限る。

 二つ目の理由はもっと簡単だ。今の帝国に、工場建築を地ならしから始める余裕などあるはずもない。すでにある土地を有効活用する以外に道はない。

 最後の三つ目は、もう言うまでもないだろう。そもそも国内に他国の軍事工場を作るだけでも異例な話なのだ。当面、その軍事工場には、護衛の意味もかねてαナンバーズの先行分艦隊が停泊することとなる。それは別な見方をすれば、補給の万全な軍事基地、それも帝国に属さない基地だ。そんな物騒な代物を、将軍殿下がお住まいになる帝都の近隣に作るなど、出来るはずもない。

 せっかく佐渡島ハイヴという脅威が取り除かれたのに、それ以上の脅威をもっと近くに設けては何の意味もない。とはいえ、このαナンバーズという新たなる脅威は、BETAという脅威から帝国を守るために、有効活用する必要があるのだ。機嫌を損ねるわけにも、無碍に追い出すわけにもいかない。実に扱いが難しい。

 そんな中、背広姿の若い男がテーブルの上の一点を指さす。

「それでしたら、私が推薦するのはここです」

 男の指さした地点を見た軍人達は、一斉に渋面を作る。

「駄目だ」

「ああ、言いたいことは分かるが流石にそれは、面目が立たん」

「そもそも、αナンバーズの方々に喧嘩を売っていると取られるぞ」

 男が指さした地点は、中国地方は瀬戸内海に面した港、その名は『岩国』という。

 確かに岩国であれば、先ほどの三つの条件は全て満たす。瀬戸内海という海に面しているし、ここには元々国連軍と帝国海軍の基地が、隣り合うようにして築かれていたのだ。整地された十分な広さの土地がある。そして、岩国のある山口県というのは、本州の最西端だ。帝都東京からは十分に離れていると言えるだろう。

 先に挙げた三つの条件は完全に満たしている。しかし、軍人達が問題にしているのはそんなことではなかった。

「佐渡島ハイヴ攻略がなった今、帝国に最も近いハイヴは朝鮮半島の甲20号ハイヴなのだぞ。岩国など、ほとんど最前線ではないか。非常識も甚だしい」

 そう吐き捨てるように言ったのは、大佐の階級章を付けた恰幅の良い中年士官だった。朝鮮半島からやってくるBETA軍の上陸地点は大体、九州か中国地方である。いかに最初の上陸地点が日本海側とはいえ、瀬戸内海側の岩国も広義の意味では最前線と言っても良い。

 正直、「どうかここに基地を作って下さい」などと言えば、「喧嘩を売っている」と取られてもおかしくはない。

「ならば、ここはどうです」

 すると、別な高官が地図の一点を指さす。その指さした地点を見た軍人達は、今度こそ完全に怒りを露わにした。

「お前達はふざけているのか!?」

 新たに指さされた地点は、九州は長崎県の港、『佐世保』であった。岩国が「ほとんど最前線」だとすれば、佐世保は「完全に最前線」である。

 だが、軍人達の怒りを目の当たりにしても、役人達の態度は揺るがない。

 この場にいる中では一番年かさと見える、初老の男は背広組を代表するように発言する。確か、この男は軍務省の人的資源の管理責任者だ。

「ふざけてはいない。そちらこそ、帝国の現状を理解しているのかね? 先の佐渡島ハイヴ攻略戦で、どれだけの金と命が費やされたか。君達は冷静な目で見て、今の帝国がαナンバーズの全面的な協力を受けずに、南北の防衛ラインを維持できると本当に思っているのかね?」

「むっ……」

 男の冷静な指摘に、制服組も沈黙した。

 言われるまでもなく、先の佐渡島ハイヴ攻略戦のダメージは、彼ら軍人達の方が痛感している。なにせ、血を流したのは軍人達なのだ。比喩でもたとえでもなく、佐渡島に上陸した兵士の二人に一人が戦死したのだ。

「今回の戦死、および戦傷により戦線復帰が不可能もしくは、著しく遅れる兵士の数は合わせて、最低十万人を越えると試算が出ている。ちなみに現在我が国における十五歳の総人口は男女併せて二十万人だ」

 現在帝国では、16歳から男女問わず徴兵されることになっている。しかし、当たり前ながら、全員が軍になだれ込むわけではない。心身の問題で、軍に入っても足手まといにしかならない者。特別な才能があって、進学がすでに決定している者。さらには食料製造工場や軍需産業など、国の骨格とも言うべき仕事に従事する人間を差し引けば、全体の半分も入ってくるわけではない。

 つまり、今年軍を去った兵士の数より、来年軍に入ってくる兵士の数の方が少ないと言うことになる。しかも、死んだのは皆熟練の兵士であり、入ってくるのは十六歳の少年少女達。これで今まで通り防衛戦を維持できる、などと言う高級軍人がいれば、国家の安全のためにも一刻も早くその首を切り落とす必要がある。

 特に戦術機乗り――衛士の補充は深刻だ。佐渡島戦において最も多くの戦死者を出したのは、戦場の常通り衛士であり、また、補充が一番難しいのも衛士なのである。育成カリキュラムの充実に伴い、年々難易度を下げている衛士試験であるが、未だに合格者は希望者の五人に一人という狭き門なのだ。おそらく、衛士に限っていえば、補充は五十パーセントに満たないレベルにしかならないだろう。

 場が、重たい沈黙に支配される。

「だが、まて。確かに、帝国軍の力が大幅に落ちているのは、認めざるを得ないが、それは戦線の後退、縮小で対応可能なのではないか? そのための、北海道撤退のはずだ」

 一人の軍人が、何とか現実に希望を見いだそうと発言する。

 その言葉を受けて、口を開いたのは、唯一人気象庁からこの場に出席している、細面の男だった。

「えー、その点についてですが。ずっと懸念されていた事態が現実のこととなりました。来年一月、早ければ七日、遅くても十八日には、津軽海峡を流氷が覆い尽くします。これは、確定情報と思って下さってけっこうです」

「!?」

 その無情な言葉に、軍人も役人もそろって息をのんだ。

 かねてより懸念されていた、気象変化による流氷の南下。

 かつては北海道の網走沖に流れ着くのが関の山だった流氷が、BETA戦以降の気象の変化により、段々と南下し始めたのは、昨日や今日のことではない。

 まず最初に千島列島の国後島と北海道の野付半島が氷の大地で繋がり、さらに南下した流氷が釧路沖でも発見されるようになり、ついに2000年には、襟裳岬まで達したのだった。

 そして、今年はついに北海道と本州を隔てる津軽海峡を、流氷が埋め尽くすという。

 つまり簡単に言えば、カムチャツカ半島、千島列島、北海道、青森が流氷で陸続きになると言うことである。

 硬い氷の大地は、要塞級のBETAが群れをなして乗り上げても、そう簡単に砕けるものではない。

「それでは、せっかく前線を青森まで引き下げた意味がない……」

 ある軍人は、絞り出すような声でそううめいた。

 対BETA戦において、最も有効な攻撃が砲撃による面制圧であることは、言うまでもない。そして、砲撃に関しては、どうやったところで、地上戦力よりも海上戦力が勝っているのは周知の事実だ。

 津軽海峡を越えようとするBETAを、海上から海軍が砲撃でうち減らし、それでもなお海底を通り青森に上陸するBETAを陸軍が水際で食い止める。そういう、当初考えていた防衛プランが、根底から覆ってしまったのだ。

 氷に閉ざされた海には戦艦は乗り入れられないし、万が一砕氷船などに先導させ、乗り入れることが出来ても、流氷の上をBETAが伝わってくれば、動きの鈍い戦艦など、海に浮かぶ巨大な鉄の棺桶にしかならない。

「し、しかし、甲26号、エヴェンスクハイヴが攻略されたのだ。北からのBETA侵攻は相当弱まることが予想されるのではないか」

 なおも言いつのる少佐に、否定の言葉を投げかけたのは、別の軍人だった。

「そのことだが、ソ連軍から打診があったそうだ。「もしも帝国が北海道から戦線を引き下げるのならば、自分たちが北海道の守備を引き受けても良い」とな」

「……馬鹿なッ」

 あまりに白々しい「善意」である。北海道をBETAから守るためにソ連軍が駐留するとして、後から日本が「ありがとう、もうけっこうだ」と言ったところで、素直に引き下がってくれるはずもない。

 この期に及んでなお、領土拡大を狙うソ連の根性にはいっそ敬服しそうになる。

「ならばいっそ、αナンバーズの基地を北海道に作ったらどうですか?」

「冗談ではない。なぜ我々が、ソ連軍とαナンバーズとの秘密会談の場をセッティングしてやらなければならんのだ。そんな義理はないぞ」

 いっそやけになったような役人の言葉を、軍人が一言で一蹴する。

「おわかりいただけたでしょうか。我々には北の戦線も、南の戦線も縮小するという選択肢は残されていないのです。だが、現状の我が国の国力では二つの戦線を維持することは不可能。ならば、多少危険を冒しても、よそから戦力を持ってくるしかありません」

 初老の役人は、軍人達の顔をグルリと見渡すと、結論づけるようにそう言った。

「うむ……」

「確かに、な……」

「αナンバーズの戦力を計算に入れないと、防衛線自体が維持できないという現状は理解した。だが、それでもやはり、前線に補給工場を造らせるなどと言う不義理は容認できん。大体にして、そんないつ叩かれてもおかしくない所に作られた補給工場など、満足に稼働できんだろう」

「だったら、ある程度後方――神戸港辺りに補給工場を造り、同時に佐世保か岩国にαナンバーズの前線基地を作ればどうだ。そうすれば、向こうの要求もこちらの要望も無理なく条件を満たすことが出来る」

「それが出来れば苦労はない。そもそも、補給工場の提供は、先の佐渡島ハイヴ攻略戦と横浜基地防衛戦の対価としてこちらが提供するものなのだぞ。その対価を渡す条件に、今更「今後も最前線に出てくれ」と追加するのか? それこそ恥知らずにもほどがあるだろう」

 喧々囂々とした話し合いは、いつまでたっても決着が付かない。αナンバーズの本質を知るものが見れば、失笑をこらえられないような話し合いだが、それは別段彼らが悪いわけではない。

 αナンバーズが牙を剥いた場合の安全策。今後、αナンバーズの戦力を前線に組み込むための交渉。どちらか一つでも、常識的に考えれば、不可能に近い難事なのだ。今の帝国軍にαナンバーズに対抗するだけの戦力はないし、今の帝国経済に、αナンバーズに対価を払うだけの余裕もない。

 まさかあれだけの戦闘集団が、牙を剥く可能性など考える必要もない、とか、ただ「ご協力お願いします」といえば、何の見返りも要求せず即座に「了解しました」という返事が返ってくるなどと、予想する方がおかしい。

 その上、彼らにはもう一つ大きな厄介ごとがある。

「では、現在の候補地は、「岩国」「佐世保」「神戸」の三つだな。ただし、神戸の場合は岩国か佐世保に前線基地も用意する。異論がなければこの線で資料を纏め、『横浜』に送ろうと思うのだが」

「うむ……」

 纏めるようにそう言った参謀本部所属の大佐の言葉に、一同は今日一番の渋い顔を作る。

 そう、彼らに出来るのは、帝国サイドの意見を纏めることだけであり、αナンバーズとの直接交渉は、『横浜の牝狐』に一任されているのだ。科学者でありながら異常なほど権謀術数に長けた香月夕呼に、好意的な印象を持っている人間は少ない。

 果たして今回は、一体何を要求してくるのだろうか、あの牝狐は。どうせこちらが怒り心頭になるくらいに無茶な要求で、それでいてギリギリ飲み込める要求で、最終的には飲み込まざるを得ない要求に違いない。

 考えただけで胃がムカムカしてくる。

「はあ……」

 誰がついたもとも知れないため息が、会議室に漏れるのだった。









【2004年12月23日22時00分、小惑星帯、戦艦エルトリウム】

『……というわけで、どうにかN2兵器に関する誤解は解けました。やはり問題視されていたのは、威力の大小と言うよりも、汚染兵器であるか否かという点だったようです。ただ、今後N2兵器以上の威力を誇る兵器を地上で使用する場合には、事前の連絡が必要だと思われます』

 夜のフォールド通信のよる定例会議は、大河幸太郎全権特使による、昼の釈明会合の結果発表から始まった。

「うむ、しかしN2兵器で驚かれるのならば、使用を制限する必要のある兵器が多々出てくるな」

 エルトリウムの艦長席に座るタシロ提督は、顎を撫でながらそう呟いた。

『はい。現状、ガンダム試作二号機とラー・カイラムの核兵器は使用凍結、VF-19の反応弾に関しては交渉次第では使用可能かと思われます』

「うむ、ご苦労だった、大河君。他にもなにか報告することはあるかね?」

 タシロ提督に促され、モニターの向こうの大河は佇まいを正す。

『はい。当初から予想されていたことですが、日本帝国から軍事支援のみならず技術支援、さらには兵器の提供を希望する発言が遠回しに聞かれるようになりました。現時点では、断っておきましたが』

 先の会合におけるN2兵器のサンプル提供もようはそういう意図だし、戻ってからは香月博士から世間話のように笑い混じりに「ダイソン中尉が、自分の部下にVF-11をくれると言っていた」という話をされた。

 さらに、帝国内に築く補給工場の関しては、ストレートに工場で作られる兵器の数パーセントでも、こちらに回してもらえないかと、言ってきたぐらいだ。

 考えてみればごく当たり前の話である。人類滅亡の一歩手前まで追い詰められていた所に、圧倒的技術力を持った援軍が現れたのだ。単に援軍として迎え入れるのではなく、その兵器を我がものとしたいと考えるのは、至極当然の話である。とはいえ、こればかりはいかなαナンバーズといえども、「どうぞどうぞ」というわけにはいかない。

「難しいな。その銃口が、BETAにのみ向けられるのならば何の問題もないが、BETA戦後その銃口を互いに向け合わないという保証がないぞ」

「というよりも、間違いなく向け合うでしょう。この世界の人類の歴史も我々のそれと大差ないようですから」

 オブラートに包んだタシロ提督の言葉を、ずばりダイレクトな言葉に言い換えたのは、隣に立つエルトリウム副長であった。実際彼の言うとおりである。BETAに滅ぼされる寸前までいっても、この世界の人間は裏で足の引っ張り合いをしているのだ。BETAがいなくなれば、間違いなく紛争が勃発する。その際に、αナンバーズの兵器群がこの世界に広まっていたら、戦争は桁外れに凄惨なものになるに違いない。

 とはいえ、それはあくまで、αナンバーズの理屈だ。この世界に生きる人々、特に前線で戦う兵士に言わせれば、「そんな未来のことは良いから、今俺達が生き延びられる兵器をくれ」というのが、本音だろう。

 将来の人間同士の戦争のことを考えて、現在のBETA戦の被害を増大させては元も子もない。

「いっそ、我々の戦力がある程度戻ったところで、一切のしがらみを捨てて、地球上の全ハイヴの攻略をおこなうというのはどうでしょう」

 そう提案したのは、バトル7艦長、マックス大佐だ。だが、その反論はすぐ隣からやってきた。

「確かにそれならば、BETAによる被害は最小限に抑えられる上、我々の技術が流出することないでしょうな。しかし、その後ユーラシア大陸は、各国による草刈り場となるでしょうな」

 エキセドル参謀の言葉に、マックスは一瞬言葉を詰まらせる。BETAが来る前、国境でもめていた国は掃いて捨てるほどあるのだ。イラクとクルド人自治区。中華人民共和国と中華民国(台湾)。ソビエト連邦のロシアと他の衛星国群。北朝鮮と大韓民国。まとまっていたとはとうてい言えないユーゴスラビア四国。

 いきなりユーラシア大陸が大陸が第三者の手で、解放などされようものなら、大混乱が起こることは間違いない。火遊びが大好きな子供達に、火薬庫を解放して「さあ、思う存分遊べ」といっているようなものだ。

「では、BETA大戦前の地図を踏まえ、その国境を守るよう指導するのは? 我々が全てのハイヴを排除すれば、そのくらいの発言力はあると思うのだが」

「その場合には、我々αナンバーズのがこの世界の『支配者』になる覚悟が必要でしょうな。その覚悟さえあるのならば、確かにそれが一番平和な解決方法かも知れませんな」

「う、うむ……」

 重ねて提案するマックスの意見は、やはりエキセドル参謀の淡々とした言葉に力を失うのだった。

 実際マックスの言うとおり、それが一番血は流れない手段と言えるだろう。しかし、それはどう言いつくろった所で、αナンバーズがこの世界の支配者として君臨するという以外の何物でもない。全ての国境を制定する権利を持つなど、支配者以外の何だというのだろうか。

 そんな大それたことが出来るようなら、αナンバーズはこんな異次元まで飛ばされたりはしてない。道義に悖ること、民衆の意志を無視すること、武器を持たないものに銃口を向けること。端から見ればふざけているとしか思えないくらい、それらが出来ないのがαナンバーズなのである。

 別の言い方をすれば、人々のために戦う勇気はあっても、人々の意志を力で押さえ付ける勇気はないとも言える。

 それになにより、彼らは最終的には何とかして元の世界に戻るつもりなのだ。自分たちの存在無くして成り立たないような世界を作るわけにはいかない。

 しかし、そうなると別な問題が浮上する。その点を指摘したのは、ラー・カイラム艦長、ブライト大佐であった。

『ですが、我々はいずれこの世界を去るのだとするのならば、果たして太陽系から全てのBETAを駆逐したところで、この世界の人類を守ったと言えるでしょうか?』

 ブライトの言葉も真実である。αナンバーズとしては、たとえ先に元の世界に戻る手段が見つかったとしても、太陽系からBETAを駆逐するまではこの世界に留まるつもりではいる。しかし、流石にそれ以上留まるつもりはない。そして、BETAが火星発祥の生命体ではないことは、ほぼ間違いない推測とされている。

 太陽系のBETAを全滅させ、αナンバーズが元の世界に戻った後、次なるBETAの恒星間航行着陸ユニットが太陽系にやってこないとは限らない。

 そうなれば、果たして人類に勝ち目はあるだろうか。用心はしているだろう。しかし、現在のこの世界の技術力では地球にやってくる着陸ユニットを大気圏外で撃墜するのが、精一杯のはずだ。

 再び火星にやってくる着陸ユニットを防ぐ手段はないだろう。火星が取られれば次は月だ。もし、月と地球を守れたとしても、先に水星と金星にハイヴを築かれたらどうなるだろうか。

 太陽系の外側と内側から着陸ユニットが飽和爆撃のようにして降下してきたら、果たして人類は地球を守り通すことが出来るだろうか。地上にユニットが落ちるたびに、地上で核攻撃をおこなえば、いずれ地球は人の住めない星になってしまう。

「うーむ……ならば、限定的に幾つかの技術を提供するか。いや、だとしてもさじ加減が難しいな。大河君、すまないがしばらくは彼らの要求をあしらいながら、この世界の技術レベルを探ってくれ。この件に関しては、もう少し情報を集めてから判断を下したい」

『分かりました』

 かなり無理難題に近いことを言われた大河であったが、特に動揺する様子もなくうなずき返した。

「では、続いてこちらからの報告です。現在の各機の修理状況および補給の進捗ですが。まず、エターナルは八時間前にこちらに合流、現在補給物資の積み込み作業を……」

 と、エルトリウム副長がそう言いかけたその時だった。

 エルトリウム、バトル7、大空魔竜、そして合流したばかりのエターナル。小惑星帯に浮かぶ四隻の戦艦に、一斉に緊急警報が鳴り響く。

「どうした、状況を説明しろ!」

 大声を上げるマックス艦長の声に、バトル7のオペレーター、サリー・フォードが答える。

「火星方向より、未確認物体がこちらに接近中! 戦闘可能距離到達は、十分後です」

 火星方向からやってくる何か。それが、BETAと無関係と考える人間は、誰もいないだろう。タシロ提督の判断は素早かった。

「ブライト君、ラミアス君、聞いての通りだ。我々は未確認物体に対処する必要がある。なお、情報共有のため、フォールド通信はこのままにしておく」

『了解しました』『了解ですッ!』

 モニターの向こうで、ラー・カイラムとアークエンジェルの艦長が敬礼したのを見ながら、タシロ提督は矢継ぎ早に命令を下す。

「全戦闘員、第一種戦闘配置。エルトリウムは光子魚雷発射用意! 哨戒任務に出ている機動兵器部隊を呼び戻せ。資源切り出し部隊は即座に作業中止! 未確認物体の特定を急がせろ!」

「了解しました!」

 短い平和な時を過ごしてきた、小惑星帯の分艦隊にも、どうやら戦乱と言う名の嵐に巻き込まれる時が来たようであった。






「データ照合完了しました。未確認物体は、BETA惑星航行着陸ユニットと断定!」

 三分ほどして、入ってきた報告は、タシロ提督達の推測通りのものであった。

「やはりか、なんてこった……」

 予想はしていても、出来れば外れていて欲しかったタシロ提督は、口の中でそう呻く。

「情報によれば、着陸ユニットは核兵器で迎撃が可能です。提督」

「うむ、射線軸確認」

「射線軸確認、軸上に天体はありません!」

「よし、光子魚雷撃て!」

 タシロ提督の命と共に、一発の光子魚雷が放たれる。光子魚雷は狙い違わす、着陸ユニットに命中した。

 無音の宇宙空間が一瞬眩い閃光に満たされ、次の瞬間にはBETA着陸ユニットは、跡形もなく消え去ったのであった。

 当然と言えば当然である。核ミサイルと光子魚雷とでは、ハンドガンと戦艦の主砲くらいに威力が違う。核ミサイルで迎撃できるものが光子魚雷で迎撃できないはずがない。

「目標消滅!」

「警戒を怠るな、第一種戦闘体勢は継続だ!」

「はいっ!」

 しかし、その後三十分以上待っても、第二陣がやってくる様子はなかった。

「よし、総員第三種戦闘態勢に移行。警戒態勢は続けろ」

 そう命令を出しながら、タシロ提督は肩の力を抜き、艦長席の背もたれに身体を預ける。小惑星帯分艦隊の最初の戦闘は、一瞬で終わった。しかし、こちらにめがけ一直線に着陸ユニットがやってきたという事実は無視できない。

「副長」

「はっ」

「どう思うかね?」

 艦長の問いに副長は、銀縁眼鏡に一度手をやると、

「はっ。タイミングを考えますと、可能性としては「熱気バサラとシビルがつけられた」というのが一番、ありえるかと」

「うむ。やはり、それしかないか……」

 今まで一度も、こちらには来たことのない着陸ユニットが、バサラが火星から帰ってきた翌日、突如姿を現したのだ。そう考えるのが自然である。

「だとすれば、我々も単なる後方の補給部隊ではいられなくなるな」

 タシロ提督は状況をかみしめるように、そう呟く。今後このようなことが連続するのならば、黙って守っているだけでは何も解決しない。

 場合によってはこちらから火星に何らかのアプローチをかけることも考えた方が良いかもしれない。幸い、ファイアーバルキリーの画像データから見た火星のBETAは、地球のそれと大きな差異はないようだった。レーザー級、重レーザー級、兵士級の姿は見受けられないが、それ以外のBETAは細かな違いはあれど地球のBETAと同種に分類される。

 火星には、人類もいなければ、人類の建造物もない。αナンバーズが思い切り暴れたとしても、どこからも大きな文句は出ないだろう。まあ、流石に星そのものを砕くのはまずいので、それだけは注意しなければならないだろうが、後は自由にやれる。

「副長、ガンバスターとシズラー黒の修理状況はどうなっている?」

「はい。どちらも順調です。七十五時間後はどちらも、フルオーバーホールが完了します。アイスセカンドも、二機分ならば十分な量が確保できています」

 アイスセカンドとは、ガンバスターやシズラー黒の主機関である縮退炉の燃料のことだ。

「うむ、ならばガンバスター、シズラー黒共に、戦闘レベル設定を2に合わせておいてくれ」

「了解しました」

 戦闘レベル設定とは、一部の特機と戦艦だけに定められた特別な決まり事である。いかんせん、αナンバーズの兵器は、威力多可のものが多い。そのため、戦闘領域に合わせ、おおざっぱに戦闘レベルというものが設定されている。

 有人惑星上戦闘がレベル1。

 無人惑星上(衛星も含む)戦闘がレベル2。

 有人惑星圏内宇宙空間戦闘がレベル3。

 完全宇宙空間がレベル4。

 となっているのだ。そして、ガンバスターがフルパワーで暴れて良いのは、レベル4のみである。具体的に言えば、それぞれのレベルに合わせて、最高速度と最大出力に上限が設けられ、バスターミサイルも、レベル1で通常弾頭、レベル2で核弾頭、レベル3以降からやっと光子魚雷となっている。

 ちなみにコロニー内戦闘などは例外でレベル0とされ、ガンバスターやシズラー黒は原則参戦が禁じられている。

 ここ、小惑星帯のような宙域は通常、レベル3に相当する。しかし、あえてタシロ提督はレベルを2に下げた。

 タシロ提督が何に備えているかは、一目瞭然であった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その1
Name: 山崎ヨシマサ◆75268a93 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:20
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その1



【2004年12月24日08時30分、国連軍横浜基地】



 国連軍横浜基地は、色々と特別なところだ。

 2001年以降、国際社会の主流から外れている日本帝国に現存する唯一の国連軍基地であるという点はもちろんのこと、人類が最初に攻略したハイヴ、甲22号ハイヴ跡に築かれているという点も特別と呼ぶに相応しい。さらにその最下層には、生きている反応炉を抱えているのだ。これまで人類は、先の佐渡島ハイヴも含め、五つのハイヴを攻略しているが、反応炉を破壊せずにハイヴを奪取した例は二つしかない。この事実だけでも、横浜基地が特別であることが分かるだろう。

 そんな特別な横浜基地であるが、もう一つ、些細なことだが特別な点がある。一年に一度、今日と明日だけ現れる横浜基地の特別。それは、日本帝国で唯一ここだけが、クリスマスを祝う風習があるという点である。

 クリスマス。キリスト教における最大の聖者の誕生を祝うその祝祭は、南北アメリカ大陸など、キリスト教圏では最も神聖なる祭日の一つと定められているが、ここ日本では一部の教養人がその存在を知っている程度でしかない。それがなぜか、横浜基地では数年前からクリスマスを祝うようになっていた。きっかけは一人の訓練兵であったとも、当時の副司令であったとも、基地司令だとも言われているが、正確なところは定かではない。

 分かっているのは事実として、横浜基地ではこの数年で、すっかりクリスマスを祝う風習が根付きつつあるということだ。

 当然、今年も例外ではない。一昨日の横浜基地防衛戦の復旧作業はまだ完了にほど遠いが、幸い佐渡島ハイヴという脅威を完全に取り除いた今、横浜は帝国国内で最もBETAの脅威から遠い地の一つである。一日二日、復旧作業が遅れたところでそう大きな問題はあるまい。

 そういったわけで、現在横浜基地は、クリスマスの準備に忙しい。PXでは食堂のおばちゃんこと、京塚曹長を中心とした調理班の人間が、少しでも美味しいものを作ろうと、手間暇を惜しまず腕を振るっているし、手の空いている兵士達は殺風景な基地内を少しでもクリスマス色に染めようと、出来る限りの飾り付けをしている。

 当初は色紙で作った装飾などあまりぱっとしない飾り付けがせいぜいだったらしいが、四回目となる今年はそれなりに準備が整っている。カラフルな電飾を用意する者もいるし、整備兵達が作った真鍮製の星や玉も飾られている。もちろん、クリスマス飾りの主役であるクリスマスツリーも健在だ。

 パーティのメイン会場となるPXの真ん中に、立派な笹竹が立てられ、電飾や金属製の星や玉で目一杯飾られている。そして、その至る所に兵士達が願い事を書いた『短冊』をぶら下げている。

「…………」

 そういった様子を、現横浜基地では数少ない外国人であるスタファン・ブローマン軍曹は、ずっと何か言いたそうに見ていた。

 まあ、スウェーデン人でプロテスタント(ルター派)のブローマン軍曹からすると、この横浜のクリスマスには、色々と言いたいことがあるだろう。とはいえ、ポーランド人で(おそらく)カトリックのイリーナ・ピアティフ中尉でさえ、何も言わずに飾り付けを手伝っているのだ。ここで「正しいクリスマスツリー」について説くのも大人げない気がする。

 結局ブローマン軍曹は、ちょっと悲しそうな表情を浮かべたが、何も言わなかった。

 そんなブローマン軍曹の姿に気づいた若い警備兵が、満面の笑顔で声を掛ける。

「あっ、軍曹! すみません、これ、ツリーに掛けてくれませんか? もう、上の方しか空きが無くて、俺の背じゃ届かないんですよ」

 そういって、若い兵士は少し恥ずかしそうに願い事を書いた短冊を振る。

「ああ……わかった」

 気のいいブローマン軍曹は半笑いを浮かべながら、その日本人の平均より15センチ以上高い長身を生かし、『短冊』を笹竹クリスマスツリーの上の方に掛けてやるのだった。






 もちろん、クリスマスイブだからと言って横浜基地が完全な開店休業となっているわけではない。

 香月夕呼に呼び出された武が、地下十九階にある研究室のドアをノックし、中に入るとそこには予想外の先客が二人ばかりいた。

「あれ、伊隅大尉、速瀬中尉? なんで?」

 伊隅ヴァルキリーズの中隊長である伊隅みちると、副隊長である速瀬水月。常日頃から毎日のように顔を合わせている、直属の上官だが、ここ地下十九階で会ったのは初めてだ。というより、夕呼の研究室に出入りする人間を、武は霞、ピアティフ中尉、鎧衣左近の三名しか知らない。

 だが、冷静に考えてみれば、自分のような新米少尉がいるより、夕呼直属の実働部隊の中核人物である、みちるや水月がいるほうが自然なのかも知れない。

「遅いわよ、白銀」

「とりあえず、ドアを閉めたらどうだ、白銀」

「あ、はい」

 みちるに言われて気づいた武は、研究室に入ると後ろ手にドアを閉める。

「そろったようね、話を始めるわよ」

 武が入ってきたところで、夕呼は椅子に座ったままくるりと椅子を回転させ、こちらに向き直った。

「敬礼ッ!」

(あれ? 夕呼先生の椅子と机が違う?)

 水月の声に慌てて敬礼をしながら、武はふとそのことに気づく。オルタネイティヴ4の停止以降、夕呼の椅子と机は、小さな安物のスチール製机と、折りたたみ式のパイプ椅子になっていたはずだ。それが今は、木製の重厚で広い机と、肘掛のついた中々立派な椅子に変わっている。

 それはαナンバーズの召喚以降、急激に夕呼の自由になる資金と権限が元に戻りつつあることを如実に示している証拠なのだが、そこまで詳しい内情を知るよしもない武は、それ以上そのことに意識を奪われることはなかった。

 夕呼は軍服の上から白衣を羽織ったいつも通りの格好で、胸の前で腕を組み、話し始める。 

「さて、まずは一日遅れだけど、基地防衛戦ご苦労様。良くやってくれたわ」

「はっ、ありがとうございます」

 そう言って再度敬礼するみちるたちに、夕呼はちょっと面倒くさそうに手を振ると、

「はいはい、敬礼はそこまで。うっとうしいから、以後は無しね」

 そう遮って話を続ける。

「今日呼んだのは、全く別件なんだけどね。αナンバーズに帝国が独自の補給基地を提供することが、正式に決定したわ。場所は二,三候補があってまだ絞り切れていないけれど、基地が完成次第、αナンバーズは横浜基地から出てそっちに移ることになる。その際、あんた達にも同行してもらうわ」

 唐突ではあるが、ある意味予想されたことだ。

 詳しい内情を知っているのは武だけだが、みちるや水月でも、αナンバーズと香月夕呼との間に密接な関係があることは見てとれる。

「もちろん、私の直属も残さなければならないから、出向させるのはせいぜい一個小隊、多くて半分の六機までね。どっちが出向してどっちが残るかは、あんた達に任せるわ。任務内容を見て、判断してちょうだい」

 どっちがどっちというのは、言うまでもなくみちると水月のことだ。部隊を二つに分ける以上、必然的に隊長であるみちると、副隊長である水月が、それぞれの分隊を指揮することになる。他の人選はこれから考えることになるだろうが、この二人が片方に偏ることだけはあり得ない。

 その言葉にランランと目を輝かせたのは、水月だった。

「はいっ、私、私がいきます!」

 まるで学級会で発言する小学生のように、手を挙げて元気よくそう言う。

「そう、伊隅もそれでいい?」

「はい、適任かと」

 確認するようにそう問う夕呼に、みちるは簡潔に答え、頷いた。

 一昨日、戦場でαナンバーズの何人かと接したが、どうやら向こうはこちらに輪を掛けて砕けた雰囲気の部隊のようだ。自己制御が過ぎる気のある自分より、明るく人好きのする速瀬の方が溶け込みやすいだろう。無論、軍人として最低限の礼儀と守るべき常識は守った上での話だ。そういった意味でも、速瀬は十分に信用できる。

 明るく、フランクな人間ではあるが、間違っても常識知らずでも、礼儀知らずでもない。

「分かったわ。人員調整はそっちでやってちょうだい。ただし、最低でもこっちに一個小隊は残すこと。輸送手段はこっちで手配する必要があるから、報告は早めに、いいわね」

 理想としては、アークエンジェルやラー・カイラムに同乗させてもらえれば一番手間がかからないのだが、流石にそれは無理だろう。出向するのは、速瀬達実働部隊だけではないのだ。戦術機の整備を受け持つ整備兵など、バックアップ要員に最低四機以上の戦術機も一緒なのだ。

 特に、整備兵がまずい。兵器の専門家である彼らを、機密の中枢とも言える戦艦の格納庫に案内してくれる脳天気がどこの世界にいるというのか。

「了解しました」

「了解です」

 みちると水月から了承の声を聞き出した夕呼は、肘掛けに右肘をつきながら頷いた。

「というわけで、今後あんた達は、αナンバーズと密接に行動を共にすることになるわ。当然、今までのような情報の秘匿は難しい。少なくとも、完全な秘匿は不可能と言っても良いわね」

 夕呼の言わんとしていることを理解したみちると水月は、ゴクリと喉を鳴らす。つまり、今ここで全てが謎の特殊部隊――αナンバーズの正体を明かすと言っているのだ。

「い、いいんですか?」

 思わず同様の声を上げてしまった武に、みちると水月の視線が突き刺さる。

「ほう……」

「白銀、あんた……」

 このタイミングでその物言い。あからさまに「僕はその話の内容をすでに知っています」と言っているに等しい。隊長であるみちるや、副隊長である水月がこれから知らされる秘匿情報をだ。

「あ……」

 みちるや水月の言いたいことを理解した武は、今更ながら右手で口を押さえた。

 だが、みちると水月は、苦笑しながら肩をすくめるだけで、それ以上追求しようとはしなかった。

 白銀武が「特別」だというのは、とうの昔に周知の事実だ。何の後ろ盾もないはずの健康な男が、十八歳まで徴兵されていなかったというのがまずあり得ない話だし、国連軍衛士が何故か武御雷に乗っているのだから。

 そもそも、武がごく普通の新米少尉だとすれば、今現在ここ――地下十九階にいるはずがない。

 そんな武のうかつな様子に、若干さげすみの色の混ざった笑みを浮かべながら、夕呼は話し始める。

「まあ、察しの通り白銀はすでに知っているけれど、これからあんた達はαナンバーズの正体について教えておくわ。この情報は帝国上層部からすでに、国連を通じて加盟各国首脳部に伝わっているし、そう遠くない未来に全世界に対しても発信されるだろうけれど、現時点では一応秘匿情報よ。そのつもりで聞いてちょうだい。ヴァルキリーズのみんなへはあんた達の口から明かすこと。もちろん、それ以外には絶対にばれないように、気をつけて。基地司令にもよ。いいわね。

 じゃあ、結論から言うと、αナンバーズはこの世界の人間ではないわ。彼らは……」






「……というわけ、分かった?」

「…………」

「…………」

「…………」

 長々とした夕呼の説明が終わったとき、室内を満たしているのは、どこか気まずげな沈黙だった。

 みちるも水月もなんと言っていいのか分からない微妙な表情をしている。これが、他の人間から告げられた言葉なら「分かった、今日は休め。そして明日からはちゃんと現実と戦おう」と言ってやれるのだが、生憎それを言っているのは、直属の上司であり、稀代の天才科学者、香月夕呼である。

 唯一人、自らの実体験として夕呼の言葉を事実と理解している武も、上官二人の表情からここは自分が口を挟むべきではないと察し、沈黙を保っている。

「ええと、つまり、その……あの人達は「宇宙人」ということですか?」

 この世界の日本には、小説や映画と言った娯楽のたぐいが極端に少ない。平行世界や確率分岐世界という概念がそもそも頭にない水月は、なんとか自分の中の語彙で一番近いものを引っ張り出した。同時に眉をしかめてしまうが、それも無理はない。この世界の人間にとって宇宙人と言われて連想されるのは、BETAなのだ。

 だが、夕呼は首を横に振りながら、

「違うわね。どちらかというと「未来人」、より正確に言うなら「異世界人」と言うべきでしょうね。まあ、彼らの生活空間は、地球から大きく飛び出していたらしいから、「宇宙人」という表現もあながち外れではないでしょうけど」

 そう言うのだった。

 αナンバーズの半数近くは、スペースコロニー等で生まれ育ったスペースノイドだし、バトル7の搭乗員の何割かは地球から遠く離れた移民船団の生まれだ。さらに、この時点では夕呼もまだ知らないが、ミリアやエキセドル参謀、ソルダートJや戒道、さらにはルリアやバラン・ドバンなど、正真正銘の宇宙人もいるのだ。

 少なくとも「地球人」と表現するよりは「宇宙人」と表現する方が、実態に近いのかも知れない。

「はあ、未来人に異世界人ですか……」

「納得いかないって感じね、速瀬。その顔からすると伊隅も同じ? 正直に言っていいのよ?」

 どこか楽しげに笑う夕呼の視線を受け、みちると水月は目を合わせると、意を決したように口を開いた。

「はい。正直、そんな馬鹿な、いうのか感想です」

「香月博士のお言葉ですので、荒唐無稽と切って捨てるつもりはありませんが、流石に鵜呑みにするには、突飛すぎます」

 夕呼は自分の言を疑う部下の言葉に、怒るどころか満足げに笑う。

 確かにこれは荒唐無稽な馬鹿話だ。因果律量子論を完全に理解して、世界が一つではないことを知った上で「そう言う可能性もある」と答えるならばともかく、素直に「そうだったのか、異世界人すげー!」などという馬鹿や、「上官が白と言えばカラスも白」と言わんばかりにこちらの言うことを鵜呑みにするロボット的軍人よりは、みちるや水月の反応は遙かに好ましい。

「まあ、そうでしょうね。すぐに納得できるとは思っていないわ。だから、理解しなさい。あいつ等の正体がそういったものであると。そして、その前提のもとであいつ等とは接すること。そうじゃないと、色々と面倒なことになるから」

 一応αナンバーズ側にも、異世界から来たということに関しては、箝口令が引かれているが、長らく一緒に過ごせばそんな処置も無意味なものとなるだろう。

 この世界の人間の振りをするには、彼らには決定的に知識が足りていない。ちょうど、来たばかりの武のようなものだ。

 おそらく、彼らの大半は、安保理の常任理事国も知らないだろう。この世界の軍人ならばまずあり得ないことだ。それが武のように一人だけならばまだ、「世間知らずの変なやつ」で片付けられるが、二隻の戦艦にのる何百という人間が全員、そんな常識知らずでは、いくら何でも怪しすぎる。

「分かりました」

「了解しました」

 夕呼の口調から、これは断固とした命令であることを悟った二人は、真剣な表情でそう返した。

 疑念は疑念として持っていてもいいが、命令は命令として呑みこまなければならない。

 二人の返答に、夕呼は頷きながら視線を水月の隣に立つ武に移す。

「白銀、問題があった場合はあんたがフォローするのよ。いいわね」

「え? あ、はい、分かりました」

 一瞬、「なんで俺が?」と思った武だが、すぐにその理由を思いつき、了承の返事を返す。

 伊隅ヴァルキリーズの中で、唯一武だけが「αナンバーズは異世界人」ということを心底から納得しているのだ。こちら側の人間の中では、もっともあちら側のことを理解できる立場にある。間に入るには最適だろう。

「私からの話は以上よ。今日は特別休養日だから、せいぜいクリスマスを愉しんできなさい。ああ、あとあんた達はαナンバーズの区域にも出入りできるようにしたから、夜のパーティはそっちに参加しなさい。今から親交を深めておいた方が、後々便利よ」

「「「了解」」」

 三人は敬礼をして、退出しようとする。と、そこで武はふと思い出した。そういえば、夕呼に駄目で元々で一度頼んでみたかったことがあったことに。αナンバーズがやってきて以来、夕呼は恐ろしく忙しくなっているのだ。機会は逃さない方がいい。

「すみません、夕呼先生。ちょっと、お願いしたいことがあるんですけど!」

「なによ? 長い時間は無理よ」

 夕呼は、出口のドアに手を掛けたまま動きを止めてこちらを振り返るみちると水月に、目線で退出するように促しながら、少し迷惑そうにそう答えるのだった。






「……ふーん。先行入力にキャンセル、そしてコンボね」

 武の要望を聞き終えた夕呼は、それらの要望を裏紙にボールペンで適当にメモしながら、そう呟いた。

「はい、それが出来れば、戦術機でも、ダイソン中尉なんかの機動にかなり近づくことが出来ると思うんです」

 一つの動作を実行中に、すでに次の動作を入力しておく、先行入力。

 入力してある動作を、状況の変化に応じて取り消すことが出来る、キャンセル。

 そして、特に使用頻度の多い連続行動を簡易動作で再現できる、コンボ。

 どれも武がはまっていたゲーム、『バルジャーノン』で基本とも言える操作だ。

「ようは操作の簡略化と機動制御のパターン化ってことね。それも、戦場を選ばない汎用兵器である戦術機の、ありとあらゆる戦場におけるありとあらゆるパターンにおいて。あんたそれがCPUにどれくらいの並列処理速度を求めるか理解してる?」 

 呆れるような、だがどこか少し面白がるような夕呼の声に、武はおそるおそる尋ねる。

「無理、ですか?」

「無理ね。少なくとも現在戦術機に使われているコンピュータでこんなOSを動かしたら、なにかある度にフリーズね」

「じゃ、じゃあもっと高性能のコンピュータを搭載したら……」

 それでも武は食い下がる。

「一応戦術機に搭載されているコンピュータって、このサイズでは最高クラスよ。それより遙かに高性能で、戦術機に搭載可能な大きさのコンピュータなんてあると思う?」

「ない、ですか……」

「あるわよ」

 がっくりと肩を落とす武に、夕呼は完璧に話の流れを無視した結論を、あっさりと言ってのけた。

「は……?」

「だから、あるって。あったら駄目?」

 呆然とする武の顔を見上げながら、夕呼はイタズラが成功したと言わんばかりに会心の笑みを浮かべ、手に持つボールペンでコツコツと机を叩く。

「ああ、あるんですか!? じゃあ今の話の流れはなんだったんですか!」

「嘘は言っていないわよ。戦術機に搭載されているコンピュータが、現行本来最高クラスの性能だったというのは本当。ただね、たまたま私の研究のスピンオフ品で、現行のコンピュータなんか歯牙にも掛けないレベルのものがあるのよ。それを積めば、あんたのいうOSを入れても問題なく稼働するわ」

「それ、お願いできませんか!?」

 まるであつらえたように都合のいい話に、武は身を乗り出すようにして懇願する。本来夕呼にこういった嘆願は愚策である。香月夕呼という人間は、勢いや感情で取引をすることがほとんど無い。

 こういった言葉に対する夕呼の返答は決まっている。「ふーん、それで私のメリットは?」だ。できるだけ理路整然と、必要な労力とそれによって生じるメリットを提示するのが、本来夕呼にモノを頼むとき一番効果的なやり方なのである。

 そのことを思い出した武は、「しまった」と思ったが、夕呼の返答は武にとっていい意味で予想外のモノだった。

「今は忙しいんだけどね……まあ、いいか。大した手間じゃないし、気分転換にはなるか。いいわ、やってあげる」

「本当ですか!」

「ええ。けど、流石にあんたの武御雷は私でも弄れないから、予備の不知火を使うわよ。いいわね」

「はいっ!」

 元は紫色をしていた武の武御雷は、帝国軍の軍事機密の固まりと言ってもよい。通常の整備はともかく、内の内までのぞき込むフルメンテナンスなどは、未だに定期的に帝都から派遣される帝国斯衛軍の整備兵達が担当しているくらいだ。いかな夕呼といえども、この機体を勝手に開いて改造を施すのは危険すぎる。

 ちなみに予備の不知火とは、本来武が搭乗するはずだった機体のことである。武が武御雷に乗ることにより乗り手がなく浮いてしまったのだが、一度手に入れた貴重な第三世代戦術機を夕呼が手放すはずもなく、予備機として確保してあったのだ。

「CPUの換装はすぐに終わるわ。プログラムのα版完成は……まあ、社次第だけど三日と言ったところかしらね。そこから、バグ取り微調整はあんた次第ね。せいぜい頑張りなさい。αナンバーズの基地移転前までに完成させなかったら、あんたは無条件で居残り組よ」

 そういう夕呼に、武は紅潮した顔で頷き返す。

「はい、分かりました! 俺に出来ることなら何でもしますよ。でも、俺が言うのも、なんですけど、本当にいいんですか? 今夕呼先生、滅茶苦茶忙しいんですよね。それに、先生にはほとんどメリットがない気が」

 そう言う武に、夕呼はひらひらと手を振ると、

「ああ、いいのよ。ちょっとした、気晴らしみたいなもんだから。今日まで頑張ってきたご褒美とでも思っておきなさい。分かったらほら、出ていった。あんたの言ったとおり私は忙しいんだから」

 もう話は終わったとばかりに、武に退出を促す。

 なんか、夕呼の態度に不自然なところも感じた武であったが、用件も無事済ませた以上、ここに留まる必要もない。

「はい、わかりました」

 言われたとおり素直に退出しようとする。

 武が、出口のドアノブに手を掛けたその時だった。

「白銀」

「はいっ?」

 突然、背後から夕呼が声を掛ける。首だけひねって後ろを向く武に、夕呼は表情のない顔つきで、

「あんたがこの世界に来てすぐの時、あんたに言ったわよね。『あんたがワケわかんなくたって、事実は変わらない』って」

「え、ええ」

 なぜ、唐突に今その話をするかは分からないが、言葉自体はしっかり覚えている。当時は今の比ではないくらい、甘ったれていた武にとって、冷水を浴びせられるに等しい言葉だったのだから。

「あの言葉自体を訂正する気はないけど、今思えばちょっと無神経な言葉だったわ。世の中、例え事実でも簡単には認められない事実ってのも、あるわよね」

「はあ……」

「それだけ。ほら、とっと出て行きなさい。せっかくのクリスマスを、こんな辛気くさい地下で過ごすつもり?」

「はい、失礼します」

 何を言いたいのか、さっぱり分からないが、すでに夕呼は視線を手元の資料に移している。これ以上説明してくれる気はなさそうだ。結局武は、納得がいかないまま、首をかしげながら夕呼の研究室を後にするのだった。




 「……ふん」

 武が出ていき、自分一人になった研究室で夕呼は不機嫌そうに鼻を鳴らす。夕呼が目を通している資料は、昨日αナンバーズから提出された、ジェイアークとVF-19に関する表層的なデータだ。ペラ紙一枚の簡素な報告。

 だが、そこにはいい加減打たれ強くなった夕呼をも、不機嫌にさせる内容が書かれていた。

 事の起こりは一昨日。戦闘を終えて戻ってきたジェイアークに、基地司令が「あのサイズの機体を収納できる修理ドックはない」と申し訳なさげに言ったことだ。

 それに対するαナンバーズの返答が「お気遣い無用」という言葉と今、夕呼が見ているペラ紙一枚の資料だった。



 ジェイアーク。修理・補給、全自動。原則無限に再生可能。


 要約すれば、そこにはそう書いてある。



 事実、湾岸に停泊しているジェイアークを24時間体制で監視している望遠カメラの画像を早送りすると、まるで朝顔の早送り画像のように、破損していた外部装甲が勝手に直っていく様が見られた。

「『あんたがワケわかんなくたって、事実は変わらない』か。でも……たとえ事実でも、ワケわかんないことも世の中あるわよね」

 何かを一つ悟ったような顔で、夕呼はそう呟くと、その紙を少し乱暴な手つきで、机の引き出しにしまうのだった。









【2004年12月24日07時30分、国連軍横浜基地】

「「「乾杯!」」」

 冬の短い日もとっくに暮れた頃、横浜基地のPXは、歓声と笑い声で満たされていた。

 各テーブルに盛られた大量の料理と、紙コップに注がれた飲み物。

 笑い声と、馬鹿騒ぎ。歌い出す女性士官と、手拍子をしながら、はやし立てる兵士達。

 外見的には、毎年のクリスマスと何ら変わらないが、その内情は全く違うと言ってもいい。例年は、何かを吹っ切るように、死んだ戦友の分も笑う義務があると言わんばかりに、どこか無理のある馬鹿騒ぎであったが、今年の兵士達は皆、心の底から浮かれ、騒ぎ、今このときを愉しんでいる。

 当然だ。

 去年までとは全く状況が違う。

 日々成長を続ける佐渡島ハイヴの間引き作戦もままならず、ハイヴと絶望だけが無限に広がり続けていたのもすでに過去のこと。佐渡島ハイヴはすでに無く、ハイヴを失ったBETAによる横浜基地襲撃も、力尽くで退けた。

 もう、悲観する必要はどこにもない。せっかくの祝い事なのだから、心置きなく愉しめばいい。

「おい、一つもらうぞ」

「あ、てめえ! それいくつ目だ!? 図々しいぞ、こら!」

 味には定評のある京塚曹長の料理だが、今夜の一番人気メニューは、彼女の腕だけによるものではなかった。

 テーブルの中央に燦々と輝くその料理の名は『寿司』。

 しかも、米も魚も天然物だ。今時、帝都のお偉いさん達でも、そうそう口に出来ない超の字がつく贅沢品である。

 無論、一介の国連基地に過ぎない横浜基地にこんな代物があるはずがない。これらは、港に停泊するαナンバーズから提供されたものである。

 弾薬とともに食料の補給も満載したエターナルが無事小惑星帯を出たという報告を受けたこともあり、この世界の食糧事情を知った万丈が、備蓄の米と冷凍魚を放出するよう、ブライトや大河に働きかけたのだ。

 流石にその量は、基地全員の腹を満たすほどはないが、口を楽しませるくらいの量はある。

 大部分の兵士にとっては初めてとなる本物の寿司の芳醇な味わいは、戦勝気分に浮かれるクリスマスパーティに更なる彩りを添えるのだった。





 基地の各PXが例年以上の盛り上がりを見せている中、港近くの特別封鎖区域でもささやかながら、パーティが行われていた。

 PXと違い、元々は倉庫であった建物だ。鉄の梁が剥きだしになった壁や、暗めの照明はいかんともしがたいが、急遽用意されたテーブルに並ぶ料理の質は、どのPXのものも凌駕していると言えるだろう。

 ここは、αナンバーズが主催するパーティ会場、料理は全て例外なく天然素材なのだから。

 そんな中、ゲストともいうべき伊隅ヴァルキリーズの12人に社霞を足した13名は、当初は笑顔に固さやぎこちなさが伺えたものの、小一時間も過ぎた頃にはすっかり打ち解け、あちらこちらで仲良く談笑していた。


「ちょっと、この嘘つき。私にヴァルキリーくれるって話、どうなったのよ!」

 アルコールも飲んでいないはずなのに、水月がイサムにそう言って絡んでいる。

 イサムは、笑い顔を浮かべたまま、少し後ろにのけぞりながら、両手でまあまあ、と水月をなだめる。

「いや、俺もそうしたかったんだけどな。やっぱり駄目だってよ」

 いやあ、あの後えらいブライト艦長に怒られた、とイサムは笑いながら頭をかく。

 モニター越しとはいえ、すでに一度会話を交わしてるだけあり、水月とイサムはとりわけ気安く口をきいている。ほとんど、水月が絡んでイサムがなだめるという流れがずっと続いているだけだが、美人でスタイルも抜群の水月に詰め寄られ、イサムも悪い気はしない。

 それが分かるのか、横で見ている涼宮遙も、親友をたまにたしなめるだけで、オレンジジュースの入ったコップを手に笑ってみている。






「へロー、私はアスカ。惣流・アスカ・ラングレーよ。こっちの無表情女がレイで、向こうの冴えないのが馬鹿シンジ。貴方の名前を教えてもらえるかしら?」

 必要以上に胸を張り、右拳を腰に当てたアスカが、堂々とそう名乗る。

「綾波、レイ」

「碇シンジです、よろしく」

 アスカの酷い紹介のしように、レイはいつも通りの無表情で、シンジは苦笑を漏らしながら、自己紹介を付け加える。

 先行分艦隊の中では最年少組に当たる、三人のエヴァンゲリオンパイロットは、伊隅ヴァルキリーズの中で唯一自分たちと同世代と思われる少女の元に集まっていた。

 声を掛けられたピンク色の髪の少女は、ちょっとびっくりした後、笑顔で答える。

「珠瀬壬姫です」

「壬姫って呼んでいい? 私のこともアスカでいいから」

「うん、よろしく、アスカちゃん」

「よろしく、壬姫」

 壬姫は笑顔でアスカと握手をした。

 実は二十歳を越えている壬姫を自分と同世代と勘違いしているアスカは完全無欠のため口で接するが、元々穏やかな質の壬姫はそれを注意することはしない。



「へえ、じゃあ壬姫はスナイパーなのね。すごいじゃない」

「そ、そんなことないよ。私はそれしか取り柄ないし。この間も、伊隅大尉に迷惑掛けたし。あ、シンジ君にもいっぱい助けてもらったよね。ありがとう」

「うん、どういたしまして、壬姫さん」

「まあ、いくら馬鹿シンジでもエヴァに乗っているんだから、最低味方を守るくらいは出来ないとねッ」

「…………」

 主に話すのは、アスカと壬姫、それにたまにシンジが水を向けられ、レイはほぼ無言のまま、ただ横に突っ立っている。

 そんないびつな会話の輪だが、不思議と居心地は悪くない。

「あはは、そうなんだ」

「そうなのよ、馬鹿シンジは結局馬鹿シンジなんだから」

 普通に会話が弾んでいく。どうやら、壬姫がアスカ達の予想より五歳以上年上であることが判明するのは、まだ随分先のことになりそうだった。






 また別の席では、銀髪にうさ耳をつけた少女と、金髪をツインテールに縛った少女が仲良く向かい合って遊んでいた。

 社霞とイルイである。

「そこを取って、中指を外して、その輪を小指で拾うのです」

「ええと……」

 二人がやっているのは、あやとりだ。霞の指導の下、イルイがその小さな手で一生懸命赤い糸の輪を手に掛け、短い指ですくっている。

「あれ? んん……」

 しかし、イルイの小さな手では、どうやっても垂れ下がった輪に小指が届かない。二度、三度と延ばしてもイルイの短い小指は、中をかくだけだ。

 どうやっても届かない輪に、ふとイルイは眉の間に力を込めて視線を送る。すると輪は不自然に動き精一杯伸ばしたイルイの小指に引っかかった。

 最強の念動力者――サイコドライバーであるイルイにとっては、宙に浮いた糸の輪を念力で動かすのは実にたやすいことだ。限りなく消耗している今の状態でも、これくらいならば問題ない。

 だが、それを見た霞は無表情のまま、間髪入れずに言う。

「ずるは、駄目です」

「ご、ごめんなさい」

 抑揚の無い霞の叱責の言葉に、イルイはしゅんと下を向いた。

 そんなイルイと霞に、向こうから声がかかる。

「イルイ、霞ちゃん。デザートのケーキが来たわ。アラドに全部食べられちゃう前に食べない?」

 ケーキを切り分けながら、そう言うゼオラの言葉に、二人の少女はピクリと反応した。

「あの、霞さん」

「はい、あやとりはまた後でやりましょう」

 イルイは両手にあやとりの糸を掛けたまま、勢いよく椅子からピョンと飛び降りた。大人用の椅子しかないため、イルイが椅子から降りるには、そうして飛び降りる必要がある。

「うんっ、あっ!?」

 しかし、両手にあやとり糸を掛けていたせいか、バランスを崩したイルイはそのまま前につんのめると、コツンといい音を立てて、額をテーブルの端にぶつける。

「っっっ!」

 声も出ないまま、目に涙を滲ませるイルイに、霞はスッと近づくと、

「大丈夫ですか。そう言うときは、「あがー」と言うのだそうです」

 そう、以前に人から教えられたことを、素直に伝授する。

「え?」

 無論、イルイにすれば意味不明なアドバイスである。訳が分からず、キョロキョロするが、そんなイルイに霞はあくまで、

「あがー」

「いや、え……?」

「あがー」 

「あ、あの……」

「あがー」

「…………あ、あがー」

 結局、根負けしたように「あがー」をいうイルイに、霞は無表情中にもどこか満足げな色を滲ませ、こくこくと頷くのだった。









【2004年12月24日10時30分、国連横浜基地】

 兵士達にとっては、ただ楽しいだけのパーティも、ある程度以上の立場になれば、仕事の意味合いが大きくなる。

 αナンバーズの機動兵器部隊と、伊隅ヴァルキリーズの衛士が和気藹々と交流を深めている隣の小部屋では、双方の責任者達がアルコールと料理を挟みながら、談笑という名の情報交換と交渉の下準備をおこなっていた。

「なるほど、立派な心構えだと思います。それでしたら、今後もαナンバーズのお力添えを、期待してもよいのでしょうか?」

「はい。我々としても、この地球を人類の手に取り戻すため、助力は惜しまないつもりです」

「ありがとうございます。心強いお言葉です」

 大河全権特使の言葉に、夕呼は真意を読ませない完璧な笑顔でそう答えた。

 一応この場には、ブライトとラミアスもいるが、ほとんど会話は大河と夕呼の間だけで進んでいる。

 天然物のワインで喉をしめらせながら、夕呼は言葉と言う名の探り針を垂らす。

「そういえば、補給基地の件ですが、どうにか調整が付きそうですわ。候補地はまだ、完全に絞り切れていませんけれども」

「そうですか。ありがとうございます。この件に関しても、香月博士にはお世話になりっぱなしで恐縮しだいです」

「ですが、本当に基地は帝国本土でかまわないのですか? 私も国籍は日本ですが、所属は国連ですので、他国にも全くつてがないわけではありませんが」

 少し、心配げな表情を浮かべ、夕呼はそう問いかける。

 ここで、大河全権特使に「そうですか、ではお願いします」と言われれば、夕呼は帝国を相手にとてつもない不義理を働くことになってしまう。これまでの言動から、まず間違いなくそう言った返答はないと確信しているからこその言葉であるが、それでも心音が耳鳴りのように大きく聞こえ、指先が冷たくなるような緊張を感じずにはいられない。

 しかし、大河の返答は夕呼の予想通りのモノだった。

「いえ、けっこうです。そこまで、博士のお手を煩わせることもありません」

 内心ホッとため息をつきながら、夕呼は目の奥で、知性の色がキラリと光らせる。

(やっぱり。安全な後方国家に興味を示さない。αナンバーズの目的は、前線国家かずばり日本か。もしくはBETAとの戦いそのものか。いずれにせよ、しばらくは日本に腰を据えると考えて良さそうね)

 こうして、少しずつでもαナンバーズの目的を絞り込んでいかなければ、身動きがとれない。相手の欲しているモノが何かを理解せずに交渉をおこなうことなどできないからだ。

 自他共に認める天才・香月夕呼を持ってしても、彼らαナンバーズの真意を探るというのは、極めつけの難問であった。

 それでも、一つの山を越えたと確信する夕呼は、グラスの中で少し香の抜けた天然物のロゼワインに口をつける。

 ワインを傾け、夕呼の喉がゴクリゴクリと二度動いたその時だった。

「おくつろぎの所、失礼します。香月博士」

 入り口のドアがノックされ、夕呼の副官、イリーナ・ピアティフ中尉が姿を現す。その表情には隠しきれない焦りが滲み、一枚の紙を持つ手は必要以上の力が入っているらしく、少し端にしわが寄っている。

「ピアティフ中尉?」

 副官の表情から、なにやら世の中に大きな動きがあったことを悟った夕呼は、すぐに真面目な表情を取り戻す。

「博士、こちらを」

 ピアティフは何も言わずに、持ってきた用紙を夕呼に渡す。

 それは情報省外務二課からの通信であった。さほど長い文章は書かれていない。

「ッ」

 目を通した、夕呼は思わず息をのむ。

「どうしました?」

 夕呼の様子からただ事ではないことを悟った大河特使がそう尋ねる。

 夕呼は一瞬考えた後、すぐに「これをご覧下さい」といい、今副官から渡された用紙を、大河特使に差し出した。

「む、よろしいのですか?」

 少し驚いた表情で、その用紙を受け取る。

「はい、貴方たちαナンバーズに直接関係することですから」

 夕呼にそう促され、大河はその用紙に目を落とした。

「む、これはッ」

 そして、大河もつい声を上げる。そこには、次のように書かれていた。

『安保理は、甲20号ハイヴ攻略戦を決議提案。大韓民国臨時政府と、朝鮮民主主義人民共和国臨時政府はこれを受諾。

 近日中に両国政府による、共同声明が発表される見通し。

 内容は、朝鮮半島における両国の主権回復宣言および、国連軍主導の下、両国の主権を侵害する全勢力の排除宣言』


 今の国連軍とは、事実上もう一つのアメリカ軍と言ってもよい。ハイヴ攻略戦術もアメリカ軍のやり方そのものだ。つまり、かつての甲26、甲12、甲9ハイヴ攻略戦と同様に、G弾の集中投下による殲滅戦を意味する。

 そして、あえて朝鮮半島からBETAを一掃すると表現せずに、「国連軍主導の下、両国の主権を侵害する全勢力を排除する」などという回りくどい表現をした理由は一つしかない。ようは、国連に加盟していない勢力の参戦は認めない、と言っているのだ。裏を返せばそれは、加盟していない勢力に対する「さっさと加盟しろ」という圧力に他ならない。

 国連に加盟していない勢力など、言うまでもなく一つしかない。それは、αナンバーズ。

 大河特使は、目を通し終えた用紙を隣のブライトに手渡しながら、真剣な表情で夕呼に尋ねる。

「香月博士。この作戦の決行はいつ頃だと思われますか?」

「わかりません。ですが、恥ずかしながら、現在我が国のアンテナはあまり高くありません。その我々の耳に入ってきているのですから、遅くても一月以内、速ければ半月以内には」

「くっ」

 思わず大河は歯の間から息を漏らす。

 それではあまりに時間がなさ過ぎる。

 いかに大河が外交努力に回ったとしても、全世界にαナンバーズの存在を認知させ、その力を認識させるだけでも数ヶ月はかかるだろう。

 どうやっても、この(仮称)甲20号作戦には、間に合わない。

 αナンバーズに残された選択肢は多くない。

 一つは、どれだけの犠牲が出ようと、今回は一切手出しをしないこと。

 もう一つは、決議など無視して、勝手に参戦すること。

 最後の一つは、国連に加盟し、安保理決議に従って参戦することだ。

 だが、一つ目は心情的に、二つ目は道理的に、三つ目は現実的に選ぶことの出来ない選択肢だ。

 遅れて用紙の内容を読み終えたブライトとラミアスも、硬い表情で会話に加わる。

「考えましょう、大河特使。我々に出来る最善はなんなのか」

「同感です。朝鮮半島と日本列島は極めて近い位置にあります。最悪、列島南部の守りにつくだけでも、意味はあります」

 ブライトとラミアスの言葉を受け、大河は大きく一度深呼吸すると、力強く頷いた。

「そうだな。半月もしくは一月という時間は、準備には短いが、傍観するには長い時間だ。出来ることは必ずあるはずだ」

 大河の言葉に、今度はブライトとラミアスが強く頷くのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その2
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/07/19 23:00
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その2



【2004年12月31日、日本時間8時25分、小惑星帯、エルトリウム・第一格納庫】

 クリスマスイブから一週間という時間が過ぎた、2004年最後の日。

 小惑星帯に陣を張るαナンバーズ後方本隊は、新たなる作戦行動を開始しようとしていた。

 本来であれば、数百機のシズラーシリーズを搭載可能なエルトリウムの第一格納庫に、現在佇んでいるのは僅か二機のマシーン兵器だけである。

 一機は、ユング・フロイトの乗る量産型バスターマシン、シズラー黒。そして、もう一機は、タカヤ・ノリコとオオタ・カズミの乗る超光速万能大型変形合体マシーン兵器、ガンバスター。

 四日前にやっと、完全復帰したガンバスターとシズラー黒は、この数日偵察任務や資源切り出し部隊の護衛任務を勤め、修復以前と何ら変わらない性能を有していることが確認されていた。

 それらを踏まえ、本日、ノリコたちは火星に対する攻勢作戦の先陣を切る。

『気をつけてくれ、タカヤ君、オオタ君、ユング君。ガンバスターやシズラー黒にとっても、BETAは未知の敵だ。油断は禁物だぞ』

 そんな、ガンバスターとシズラー黒のモニターに、白い口ひげを生やしたエルトリウム艦長、タシロの顔が映る。

「大丈夫です、提督!」

「無理をするつもりはありません」

「問題ありません、ご心配は無用です」

 気合いの入ったノリコの返答、余裕の感じられるカズミの笑み、そして自信に満ちあふれたユングの言葉。

 これからたった二機で、BETAひしめく火星に降下作戦を決行するというのに、彼女たちの表情からは怯えや過度の緊張の色は見て取れない。

 火星ハイヴに対する『ハイヴ間引き作戦』。

 この作戦をタシロ達αナンバーズ首脳部に決意させたのはやはり、熱気バサラの帰還以降、頻繁に飛来するようになった惑星間航行着陸ユニットの存在である。

 バサラが戻ってきたあの日から今日までに、こちらに向かって来た着陸ユニットは合計七つ。九日の間に七つだ。

 もちろんそれらは全て、発見と同時にエルトリウムの光子魚雷や、バトル7のマクロスキャノンの餌食となったのだが、毎日のように緊急警報を聞けば、乗組員にも、ストレスが蔓延し始める。

 幾ら大した攻撃ではないとはいっても、防戦一方では精神衛生上悪い。

 幸いにして、ガンバスターとシズラー黒以外にも、ガイキングと翼竜スカイラーがすでに復帰を果たしており、魚竜ネッサーは明日、剣竜バゾラーは明後日復帰の予定となっている。さらにその二日後の1月4日には、バトル7の艦内工場で生産されているVF-11・サンダーボルトの一機目も完成する手はずになっている。今のαナンバーズには、攻勢に転じるだけの余裕が生まれている。

『うむ、それでは君達の健闘を祈る。くれぐれも無理はするな、危険を感じたらすぐに火星の重力圏から離脱するんだ。いいな』

「了解していますわ、提督。では、ユング・フロイト、シズラー黒、いきますっ!」

 タシロ提督の言葉にそう、自信に満ちた笑みで答えると、ユングはシズラー黒を発進させる。

「わかりました、提督。タカヤ・ノリコ、ガンバスター、出ます!」

 続いて、通信機の最大音量に挑戦するようなノリコの大声が響く。漆黒の巨人ガンバスターはその特徴的な両腕を胸の前で組み、仁王立ちした体勢から、一気に飛び出していった。





 火星の大地は赤い。

 少なくともαナンバーズが元々いた世界の火星はそうだった。入植が始まったと思えば、バーム星人の移民船団がやってきたり、交渉がまとまろうしたやさきに戦争が始まったりと、開発が遅々として進まないこともあり、火星と言えば赤、赤い大地と言えば火星と言っても過言ではないくらい、それは常識的な認識となっている。火星初期入植者であるダイモスのパイロット、竜崎一矢なら間違いなくそう答えるだろう。

 だが、この世界にその常識は通用しないようだった。

「お姉様……これは……」

「ええ。ひどいわね……」

 火星上空にたどり着いた、ノリコ達は思わず言葉を失う。

 地表を拡大し映し出すモニターに見えるのは、火星の大地ではなく、BETAだった。

 我が物顔で這いずり回る、要撃級。大地を削るようにして爆走する突撃級。悠々と歩みを進める要塞級。その足下を埋めるようにまとわりつく、戦車級と闘士級。

 事前に熱気バサラのファイアーバルキリーの画像には目を通していたものの、やはりこうして直接目の当たりにすると迫力が違う。

 以前、宇宙怪獣に覆い尽くされた宇宙を『敵が七分に黒が三分』と言い表した男がいたが、さしずめこれは『BETAが七分に大地が三分』といったところだろうか。

 しかも、宇宙怪獣の場合とは違い、BETAの主力は地表ではなく各ハイヴにこもっていると予想されるのだから、密集具合で言えば、宇宙怪獣をも凌いでいるかもしれない。

 ファイアーバルキリーの画像で確認できただけでも、火星のハイヴは30以上あったのだ。しかもそれらのハイヴは最低でもフェイズ6だというのだから、火星全体ではどのくらいのBETAがいるのか、想像も付かない。

 幾ら無敵のマシーン兵器ガンバスターといえども、この大地に降り立つのはちょっと躊躇われる。

 だが、そんなノリコの内心を読み取ったように声を掛けてきたのは、ユングだった。

「どうしたの、ノリコ? 貴女たちがいかないのなら、私が先陣をきらせてもらうけれどよくって?」

 挑発するような言葉を、いたわるような声色で言ってのける。

 ユング・フロイトという少女の、勝ち気さと優しさを同時に現している一言だ。

 友人の言葉に、ノリコはガンバスターのコックピットで強く頭を振ると、

「ううん、ユング、ここは私たちが先に行かせて貰うわ。お姉様ッ!」

「ええ、ノリコ。縮退炉出力調整ッ」

 パートナーであるカズミの声を受け、ノリコはグッと歯を食いしばる。そして、

「いくわよ、熱風、疾風、ガンバスター!」

 漆黒の巨人は、異星起源生命体に支配された火の星めがけ、一気に降下したのだった。





 元から人が住むには不適応な赤い大地、今は異形の生命体に支配される戦神の名を持つその星の空に、ガンバスターとシズラー黒は、降りてきた。

 モニターに拡大を掛けなくても要塞級ならば視認できるくらいの高度を維持し、ガンバスターとシズラー黒は火星の空を飛び回る。どうやら、火星にはレーザー級、重レーザー級がまだいないというのは事実のようだ。少なくとも、対空迎撃用に改良されたレーザー属種がいないのは間違いない。いれば、とっくに熱烈な大歓迎を受けているはずだ。

 まあ、どのみち、重レーザー級の百や二百でどうにかなるほど、ガンバスターはヤワではないのだが。

「現在地、検索……終了。ノリコ、ユング、ターゲットはあの向こうよ」

 現在地と目的地を索敵していたカズミがそう言って、マップを表示させる。

 今回の作戦の肝は、火星ハイヴの間引きである。地表に出ているBETAは特別相手にする必要もない。

 無人惑星上戦闘ということで、設定はレベルに2に押さえられているが、それでも最高速度はマッハの100や200は出る。

 惑星上の距離などあっという間だ。

 二機は目標であるハイヴ上空にやってくる。

 なるほど、こうしてみるとタシロ提督達がこのハイヴを最初のターゲットに選んだのも分かる。他のハイヴと比べると格段に小さい。

 地上建造物の高さは2000メートルにも満たないだろう。入ってみなければ正確なところは分からないが、最大深度も5000メートルもあれば良い方なのではないだろうか。

 火星の裏側にある最大のハイヴ、通称『マーズゼロ』と比べれば、帝都城と物置ぐらいの違いがある。

 これならば、ガンバスターとシズラー黒だけでもどうにかなりそうだ。

 改めて気合いを入れ直したノリコは、両手でバチンと両頬を叩くと、

「お姉様、あれを使うわ!」

「ええ、よくってよ」

「うわあああああああッ!」

 腹の底から全ての力を振り絞るようにして、叫ぶ。

 同時にガンバスターは背面のバーニアを拭かし急上昇する。これ以上上昇すれば、火星の重力圏から抜けてしまう、そんなギリギリまで上がったところでガンバスターは上昇を止める。そして、片足を伸ばし、片足を折り曲げた体勢で、一気に下降する。延ばした方の足の裏では、棘の生えた二つのローラーが高速で回転している。

「スーパーッ!」

「稲妻ッ!」

「「キーック!!」」

 ガンバスターの必殺技『スーパー稲妻キック』。

 無人惑星上戦闘での制限――レベル2では、ガンバスターに許される速度は、せいぜいマッハ200程度である。宇宙空間で放つ光速の99.9パーセントの速度を持ったスーパー稲妻キックと比べれば、その威力は蟻と象くらい違うが、それでもガンバスターの質量は、9800トンからあるのだ。マッハ200(およそ時速25万キロ)で9800トンの質量がぶつかれば、ハイヴ地上建造物も、ひとたまりもない。

 ねじ曲がった石臼のように歪曲してそびえ立つハイヴ地上建造物は、斜め上から一気に地下まで蹴り抜かれ、ガンバスターの黒い巨体は、ハイヴ地下深くに消えていった。次の瞬間ハイヴ地上建造物は、発破をしかけられたビルのように、そのまま真下に崩れ落ちる。

「まったく、ノリコったら。加減を知らないのだから」

 苦笑と舌打ちを同時にするという、難しい感情表現をこなしながら、残されたユングは、素早く辺りを索敵した。ガンバスターのぶち空けた穴は、今の崩落で完全にふさがってしまっている。

 どうやら、ユングは別ルートで侵入するしかなさそうだ。幸い、ガンバスターにもシズラー黒にもフォールド通信機を搭載してあるので、たとえハイヴの中に入っても連絡を取り合うことは可能だ。

 あいにく、ハイヴ内マップはないため、道に迷うことは決定事項と言っても良いが、問題はない。ハイヴに反応炉は一つしかないのだ。最終的に最奥にある反応炉に到達すれば、必然的に合流できるということだ。

 反応炉に到達できない可能性など、考えるに値しない。

 向こうはノリコとカズミのガンバスターで、こちらはユング・フロイトのシズラー黒だ。

 たかだかBETAの10万や100万で、ガンバスターとシズラー黒を止められると思うのならば、やってみるがいい。ユングは、うぬぼれでもなく、気負いでもなく、ごく自然な自信を持ってそう呟く。

 ユングは、崩落した地上建造物から少し離れた地表の上にシズラー黒を浮遊させると、その右手にシズラーランサーを構える。

 全高130メートルのシズラー黒より遙かに長い、双身の槍の切っ先を、要撃級や戦車級のひしめく火星の大地に向け、

「ジャコビニ流星アターック!」

 ユングは、無限にも見える連続突きで、その上で蠢くBETAごと、火星の大地に大穴を穿つのだった。






『それでは、どちらが先に反応炉に到達するか競争ね』

 無事、ハイヴに侵入を果たしたユングから、フォールド通信でそんな言葉を届けられたノリコとカズミのガンバスターは、順調にハイヴ地下横坑を進んでいた。幸いにしてこの横坑は、全高200メートルのガンバスターでも楽に歩けるくらいの広さがあるが、大部分の横坑がそんなに広いわけではない。

 マップもない上に、通れない道も多いガンバスターにとって、ハイヴ攻略というのは決して簡単な作業ではない。

 さらに、さすがは本場火星のハイヴと言うべきか、地球のハイヴと比べても圧倒的な量のBETAが、ガンバスターの前に立ちふさがる。比喩ではない。文字通り、BETAが重なり合って壁を形成し、こちらの行く手を阻んでいるのだ。その壁が津波のように、こちらに迫ってくる様子は、普通に絶望感を醸し出す光景だ。

 もっともガンバスターの全身を覆うバスター合金の頑健さを考えれば、無理矢理体当たりで突き破っても問題はないのかも知れないが、ここはあえて危険を冒す必要もないだろう。幸い、ハイヴの外壁は通常兵器では破壊が困難なくらいに強固だと聞いている。

 ノリコは、ガンバスターの両手の指をピンとのばし、横坑を塞ぐBETAの壁に向けた。

「バスターミサイル!」

 その指の先から、ミサイルが次々と纏めて放たれる。それは本来のバスターミサイル――光子魚雷ではない。威力ではその百分の一にも満たない、核弾頭ミサイルである。だが、BETAの数千やそこらを吹き飛ばすには十分だ。その認識は間違ってはいなかった。

「ノリコッ!」

 それどころか、BETAを駆逐すると同時に、頑丈なはずのハイヴ外壁まで一緒に崩落している。

「クッ!」

 ノリコはとっさにガンバスターをバックさせ、崩落の衝撃から機体を守った。

 おかしい。頑丈なはずのハイヴの外壁が、バスターミサイル(核弾頭)の二十や三十で簡単に崩落を起こすとは。

 生憎、ハイヴに関する情報は、現時点では帝国からもほとんど入っておらず、先行分艦隊の人間が耳で聞いた情報と、佐渡島ハイヴで経験した僅かな実体験だけが、今のハイヴに関する情報の全てだ。ハイヴ外壁の強度に関する具体的な数値は、全く入手できていない。そんな不確かな情報なのだから、間違っていた可能性は十分になる。

 それに、もしかすると、頑丈なのは地球のハイヴであって、火星のハイヴは脆いのかもしれない。あり得ることだ。火星の重力は地球の約三分の一しかないのだし、ハイヴに使用されている鉱物も異なっている可能性が大だ。地球と火星のハイヴが同じ強度であると想定したのがそもそも間違っていたのかも知れない。これは、慎重な動きが求められるようだ。

「ノリコ、落ち着いて。急ぐ必要はなくってよ」

「はい、お姉様!」

 パートナーの励ましの声を受け、ノリコは一度深呼吸をすると、脆いハイヴ外壁を壊さないように、慎重な操作で再びガンバスターを動かし始めた。





 ガンバスターにとって真の敵は、BETAではなく狭く入り組んだハイヴそのものだったのかも知れない。

 ハイヴ突入から、一時間が過ぎでも、ガンバスターは地下深度4000メートルを僅かに超えた程度だった。

 スーパー稲妻キックだけで、地下3500メートルまで潜っていたのだから、一時間で500メートル――ガンバスターの全高2.5機分しか潜っていないことになる。

 一方ユングのシズラー黒は、ショートカットなしで地表から始めたというのに、すでに深度3000メートルに達しているという。

 一時間で一気に、3500メートルの差が1000メートルまで縮められたというわけだ。別段、本気で競争しているつもりはないが、やはり少し悔しい。

 幸い、戦闘は順調だ。何度か、天井からの落下や偽装横坑からの奇襲などでBETAの接近を許したが、それらも大半はイナーシャルキャンセラーとバスターシールドの守りを貫くことは出来ず、ごくまれにそれらを抜けてきた攻撃も、バスター合金製の装甲に計上するほどのダメージは与えられなかった。

 この分ならば、関節部分などの隙間に戦車級が入り込みでもしない限り、ガンバスターがBETAからダメージを受けることはないだろう。

 ふと、ノリコもカズミもそんなことを考えていた、その時だった。

「ッ、大型振動を察知! ノリコ、何か巨大なものが来るわ!」

「はい、お姉様!」

 カズミに言われるまでもない。ガンバスターの立つ、広い横坑が大きく揺れている。今までのBETAとは全く比較にならない何かが来る。確信にも近い思いで、ノリコは全身を緊張させ、変化を待つ。

 それはすぐに訪れた。

 猛烈な振動と轟音を立てて、横坑の奥から巨大な何かがこちらに向かってくる。一言で言うならばそれは、巨大で尻すぼみなミミズだった。もしくは、とにかく、でかくて長いなにかだ。

「情報照合、該当データ無し! 目標を新種BETAと認定」

 カズミはそのBETAの姿が見えたところで、素早く照合をすませ、そう断言する。

 だが、実際には情報を照合するまでもないだろう。現状確認されている最大のBETAは、要塞級の全高66メートル、全長52メートルだ。

 それに対し、今猛烈な勢いでこちらに迫っている極太ミミズのようなBETAは、直径だけでも170メートル以上ある。実にガンバスターの胸までも達する太さだ。

 全長に至っては、ここからでは見えないが、最低でも1000、もしかすると2000メートル近くあるのではないだろうか。

 ガンバスターの宿敵、宇宙怪獣と比べてもその半分から三分の一くらいには匹敵する巨体だ。

 だが、ノリコは怯まなかった。どのみち、この横坑で避けるという選択肢ははなから存在しない。

「はあああ!」

 ガンバスターはしっかりと腰を下ろすと、両手を広げそれを待ち構える。

 巨大なBETAは、そのまま一切勢いを殺さず、ガンバスターに体当たりをしかけてきた。要撃級の爪や、要塞級の足のように固く尖った部分があるわけではない。それでも、その巨体に十分な速度が加われば、傍若無人な破壊力を持つ。

「このおっ、イナーシャルキャンセラー!」

 しかし、ガンバスターの両手がその巨大なBETAを捕まえると、まるで物理法則をあざ笑うように、巨大BETAの動きはピタリと止まったのだった。ガンバスターの足は最初の位置から一歩も後ろに後退していない。

 そのまま、ガンバスターは両手首に収納されている槍を延ばし、巨大BETAの身体に突き立てる。そして、

「バスターコレダー!」

 その槍から発せられる超高圧の電撃が、巨大BETAを襲う。

 巨大BETAはビクンビクンと、二度大きく脈動すると、その動きを完全に停止させた。少し遅れて巨大BETAの丸い口のような器官が力なく開き、その奥から無数の小型BETAがわき出てくる。

「このBETAは、BETAの大量輸送役なのね」

「今まで地球では確認されていないのかしら、お姉様」

「分からないわ。どちらにせよ、私たちにとっては貴重な情報よ。ノリコ、詳細を伝えたいから出来るだけメインカメラにこのBETAが写るようにして」

「はい、お姉様」

 ノリコとカズミはそんな会話を交わしながら、巨大BETAの中からわき出てくる、闘士級、戦車級、要撃級といった(相対的)小型種を、適当に踏みつぶしていった。






 地図無き道を進むのは、数々の困難があれど、一度主縦坑に到達してしまえば、後はまっすぐ縦に一直線だ。ノリコ達が、地下4000メートルで未確認大型種と遭遇してから約二時間後、それぞれ別なルートから主縦坑にたどり着いた、ガンバスターとシズラー黒は、主縦坑の底で無事、三時間ぶりの再開を果たしていた。

「どうやら、私の勝ちのようね」

「そうね、たまには負けておきましょう、ユング」

「もう、タッチの差じゃない」

 勝ち誇るユングの笑顔に、すまし顔のカズミとちょっとムキになったノリコがそう答える。

 主縦坑の底には無数のBETAがひしめき合っているため、どちらも機体は浮遊させた状態だ。宙に浮いている機体に火星のBETAは有効な攻撃手段を持たない。

「これなら、主縦坑の真上から突入した方が早かったわ」

 ユングは眼下にひしめくBETAの群れを見下ろしながら、そう嘯く。

「それは結果論よ、ユング。あの時点では、火星のハイヴにレーザー属種がいないという確証が無かったのですもの。提督の判断は正しかったわ」

 そんなユングに、カズミがそう反論した。もっともそれは、言っているユング自身も分かっていることだ。

 地球のBETAも、当初は航空機に良いようにやられていたという。それが、戦闘開始から約二週間後、レーザー属種の出現により、その勢力図は一変したのだ。

 無論、地球で確認されたレーザー級や重レーザー級のレーザー照射くらいならば、ガンバスターはもちろんシズラー黒だってほとんど問題なく耐えられる。しかし、その結果を受けて、さらにBETAがより高度な対空迎撃能力を持った新種を生み出さないとも限らない。

 そう考えれば、あえて斜めからの突入を示唆したタシロ提督や、マックス艦長等の判断は決して間違ったものではなかったはずだ。

 現に、そのやり方でもこうしてノリコ達は、反応炉の手前まで無事来ているのだから。

 とはいえ、いつまでもこうして主縦坑の底の上に浮いているわけにもいかない。

「お姉様、ユング、纏めて片付けるわ。ホーミングレーザー!」

 ノリコのかけ声と共に、ガンバスターの両手から、弧を描いて無数のレーザービームが放たれる。

 扇状に広がったレーザービームは、主縦坑底に溜まっていた無数のBETAを一時的に駆逐した。

「今よッ!」

「ええっ!」

 ぼんやりしていたら、また各横坑からBETAが集まってきて底に溜まってしまう。

 この隙に、シズラー黒は、反応炉に繋がると予想される最下層の横坑に素早く侵入する。ホーミングレーザーを放ち終えたガンバスターも少し遅れてそれに続く。






 その横坑の奥には、ノリコ達の期待を裏切らぬものが鎮座していた。

「これが、反応炉……」

 無論、ノリコも、佐渡島ハイヴの反応炉の映像を事前に見ている。だが、たとえそんなものを見ていなかったとしても、この青白い光を放つ巨大で歪な物体が、『反応炉』であることは即座に確信できたであろう。

 こうして見ているだけで、これが特別な存在であり、特別な力を秘めていることが伝わってくる。

 無論そうやっていつまでも、惚けたようにみている余裕はない。ここ、反応炉のある最奥横坑にも、主縦坑底と同じくらい無数のBETAが犇めいているのだ。

 ガンバスターとシズラー黒に有効な攻撃をしかけてくるBETAはいないが、いつまでもここで反応炉見物をしている理由もない。

「ノリコ、カズミ、いっきにやっておしまいなさいッ。シズラービーム!」

 シズラー黒の頭部からまっすぐ放たれた光線で、反応炉周囲のBETAを纏めてなぎ払う。

「ええ、分かっているわ、ノリコッ!」

「はい、お姉様! バスタートマホーク!」

 その隙に、反応炉に隣接を果たしたガンバスターは、二振りの斧を連結させ、一本のトマホークにする。

「ハアア!」

 ようは固くて大きいだけの斧だ。だが、ガンバスターのパワーで大車輪に回されるトマホークの破壊力は、常軌を逸している。

 その一撃で大きく深い裂傷を負わされた反応炉は、消える寸前の蛍光灯のように何度か、光を瞬かせた後、音もなくその機能を停止したのであった。

「やった……?」

 半信半疑なノリコの声とは裏腹に、BETAの反応は劇的だった。ついさっきまで明らかに反応炉を守るように動いていたBETA達が、一斉に離脱をはかる。燻煙式の殺虫剤を焚かれたゴキブリ並の素早さで、BETA達はハイヴという我が家から退散していく。

 どうやら、反応炉破壊に成功したようだ。

 ホッと肩の力を抜くノリコに、カズミが声を掛ける。

「ノリコ。今の内に反応炉のサンプルを採取しましょう」

「はい、お姉様」

 気を取り直したノリコは、ガツガツとバスタートマホークを振るい、停止した反応炉を砕いていった。そのうち、比較的大きな欠片を一つ小脇に抱え込む。

 完全に死んだ状態でも、それなりに貴重なサンプルだ。エルトリウムの研究班が調査すれば、なにか新しい発見があるかも知れない。

「それでは、脱出しましょう。これ以上ここにいる必要はないのではなくって?」

「そうね」

「うん」

 ユングに促され、ノリコとカズミも同意を示す。

 主縦坑の上が最初のスーパー稲妻キックで崩落しているので、少々厄介だが、BETAの待避が始まったハイヴから脱出するなど、ガンバスターとシズラー黒にとってはさほど難しいことでもない。

 災い転じて福となすといえばいいのか、ガンバスターとシズラー黒が別ルートで侵入したおかげもあり、マップも全体の十分の一くらいは埋まっているし、そもそも火星ハイヴの外壁はかなり脆い。いざとなれば、瓦礫をぶち抜いて力尽くで脱出することも可能だろう。

 ガンバスターとシズラー黒は背中のバーニアをふかし、ゆっくりと脱出に向かう。

 こうしてノリコ達三人は、無事当初の予定通り、ハイヴを間引くことに成功したのだった。









【2004年12月31日、日本時間13時05分、日本帝国、帝都、帝都城】

 明日は正月、今日は大晦日という、一年の節目を迎えた日本帝国の帝都、東京。

 街全体は平和なものである。夢にまで見た、ハイヴのない本土で迎える大晦日だ。一般市民や一時休暇を許された兵士達は、明日という日に確かな希望を見いだしている。

 店頭に並ぶ品数はまだ見窄らしいが、それでも店員達は盛んに大声で道行く人々に売り込みを掛け、笑顔の主婦達は、合成食料でいかに美味しいおせち料理を作るか、熱心に話し合っている。

 そんな喧噪の中でも、目立つのはやはり、帝国軍兵士の姿だ。 

 特に、胸に新品の勲章をぶら下げた兵士が街を歩くと、周りの人々は尊敬のまなざしを向け、年配の人の中には90度近い礼をするも者もいる。

『佐渡島戦従軍勲章』

 それが、その勲章の名前だ。生者死者の区別無く、佐渡島奪還戦『竹の花作戦』に参加し、佐渡島の大地を踏んだ人間全員に受賞されたそれは、作戦名にちなみ、銀色の竹の花を模した形をしている。

 地獄から勝利をもぎ取った佐渡島戦を生き抜いた勇者の証だ。

 ちなみに、竹の花と流れ星が重なった勲章『佐渡島戦流星勲章』と呼ばれる代物もあるのだが、こちらを下げている人間はいない。当たり前と言えば当たり前だ。『流星勲章』は佐渡島ハイヴ突入部隊、『シューティングスター連隊』にのみ受領された勲章だ。全部で、108個しか存在せず、生者に渡されたのは6個しかない代物である。

 従軍勲章がただの名誉勲章に過ぎないのに対し、こちらは人一人が慎ましく生きていけるくらいの生涯年給が付く。

 地獄の中の地獄、佐渡島ハイヴに突入し、生きて戻ってきた六人の衛士。

 各方面軍では、彼らの経験を少しでも自軍にフィードバックしようと、新人達の教導役として引っ張り合いが始まっているのだという。陸軍、本土防衛軍はもちろん、今後のハイヴ攻略には関係の薄い海軍や、あのプライドの高い斯衛までが、なりふり構わず彼らの獲得に手を伸ばしているというのだから、その人気ぶりが分かるというものだろう。

 だが、そんな街の明るい賑わいとは裏腹に、帝国の中心帝都城では、パニック一歩手前の混乱が巻き起こっているのだった。





「いったいなにがどうなっている!?」

「あまりに対応がちぐはぐだ」

「アメリカも混乱しているのか?」

 各省庁の役人達は、西に東にかけずり回り、両方の耳が痛くなるまで電話を掛け、喉が枯れるまで議論を戦わせていた。

 原因は言うまでもあるまい。国連から秘密裏に打診された『甲20号ハイヴ攻略戦』である。

 朝鮮半島のほぼ真ん中、鉄源(チョルウォン)に建設された甲20号ハイヴ。

 国連はそれを来年の一月中に攻略しようというのだ。当然、国連加盟国である日本帝国にも、『協力要請』が届いていた。

 その内容が、また彼らを一掃混乱させている。

 一つは帝国領海の航行許可。もう一つは、帝国の軍施設および港の使用許可。

 どちらも当たり前と言えば当たり前の要求である。朝鮮半島に最も近い人類の領土は、日本列島なのだ。日本が後方基地を担当しなければ、作戦は極めて難しくなる。

 帝国の人間を混乱させたのは、彼らの提示した条件である。

 それは『協力要請』とは名ばかりで、命令に近い口調であったが、代償として提示された金額は、帝国が予想していた最大の金額より二割ほど多いものだった。

 しかも、帝国軍は先の佐渡島ハイヴ戦での損害が深いことを考慮し、参加を強制しないという。

 態度は横柄なくせに、話の内容がうますぎる。

 言うまでもなく、朝鮮半島の甲20号ハイヴを取り除かれて一番喜ぶのは南北朝鮮だろうが、次に喜ぶのは日本と、台湾の統一中華戦線だ。

 今までの国際社会の流れからすれば、極東アジアのハイヴは後回しにされるのが当たり前だったはずだ。より攻略が簡単なハイヴから狙うなら、ソ連の甲25ハイヴを狙えばいい。

 国際社会の発言力を考慮するならば、昨今影響力を増しているアフリカ連合に近い甲11ハイヴだってある。

 なぜ、今、甲20号ハイヴなのだ?

 考えられるのは、やはりαナンバーズの存在が、アメリカ他国連諸国に大きなインパクトを与えたとしか思えない。

 しかし、帝国がαナンバーズの大河全権特使との会談の場を設けたいと提案しても、アメリカは全くの梨の礫だ。

 言うならば、帝国を威圧しながら、帝国にすり寄り、αナンバーズの存在を意図的に無視している。そんな、不可思議な対応である。

 そんな大混乱に陥る帝国首脳部に、アメリカの駐日大使から、一つの要望が届く。その内容は、日本帝国とアメリカ合衆国による、軍事技術交流。

「佐渡島ハイヴで、貴国も新たにG元素が『補充』できたことですし、そろそろ新兵器は『独立部隊』αナンバーズだけでなく、帝国軍にも配備されるのではないですか? その後でも結構ですので、その画期的な新技術を世界のために解放していただきたい。無論、横浜の香月博士にも、こちらから話は通すつもりです」

 そう含みのある表情で言うアメリカ大使の言葉に、帝国はとてつもない誤解を受けていることを理解するのだった。









【2004年12月31日、日本時間15時05分、横浜基地、地下十九階、香月夕呼研究室】

「つまりなに? αナンバーズの機体は、全部私が作ったと。あいつ等は、そんな馬鹿なことを考えているわけ?」

 同じ頃、招かれざる客から、同様の情報を聞かされていた香月夕呼は、人生に疲れたような表情でそう問い返していた。

「いえいえ、全員ではありませんよ。ただ、現在かの国で主流となっている勢力の中核に、そう考えている人間がそれなりにいる、というだけです」

 招かれざる客――鎧衣左近は、飄々とした表情でそう答えると、わざとらしく肩をすくめる。

「似たようなものよ……」

 思わず夕呼は、深いため息を漏らした。

 このけたくその悪い男を前にして、感情を隠すこともおっくうになるくらい疲弊している。だが、それも無理もないくらいに、今夕呼は、予想だにしない苦境に立たされていた。

 つまりアメリカは、αナンバーズを「技術提供・香月夕呼」、「スポンサー・日本帝国」の新兵器部隊だと見なしているというのだ。

「いくら何でも無理があるでしょ。戸籍のない軍人数百人をどうやって用意したっていうの。全長400メートル以上ある戦艦をどうやったら極秘に作れるの。そもそも、技術レベルが桁違いでしょうが。人をなんだと思っているのよ」

「それはやはり、『横浜の魔女』でしょうな。ははははは」

 楽しげで朗らかな笑い声が、本気に憎らしい。

「本当に私が魔法を使えるとでも思っているんじゃないでしょうね? 常識で考えなさいよ!」

 ATフィールドやジェネレイティングアーマーは、強力なラザフォードフィールド。ビームサーベルやビームライフルは、小型化に成功した荷電粒子兵器の一種。ラー・カイラムやアークエンジェルが浮遊しているのは、ムアコック・レヒテ機関を搭載しているから。ごく一部であるが本気でそう言っている人間もいるらしい。

 だったら、鋼鉄ジーグのマグネットパワーや、ジェイアークの自動再生能力は一体何を応用すれば出来るのか、是非教えて欲しいものだ。

「いやいや、彼らも常識で考えたのではないですか。常識で考えた結果、αナンバーズは「異世界から助けに来てくれた親切な人たちです」という帝国の声明を、一蹴したのでは」

 夕呼の怒鳴り声に、左近は鬱陶しいくらいの正論で返した。

 確かに、αナンバーズは「異世界からやってきたお助け部隊」という事実と、「香月夕呼と帝国が極秘に作り上げた新兵器部隊」という誤解ならば、どちらかというとまだ、後者の方がまだ、信憑性がある。

 もっとも、かつてオルタネイティヴ4に夕呼の案が採用されたことでも分かるとおり、世界には夕呼の唱える「因果律量子論」に理解を示している科学者も数多くいる。

 彼らは帝国の声明を「因果律量子論に基づいて考えれば、あり得ない可能性ではない」と、言ってくれているが、生憎その声はまだ大きなものではない。

 あまりにも荒唐無稽な誤解であるが、事実はもっと荒唐無稽なのだから、説得するのも難しい。

 本当にこめかみの辺りにズキズキと痛む。

「やはり『ロストG』の存在が未だに祟っていますな」

「そんなもの存在しないって、あれっだけ何度も説明しているのに、あいつらは……」

 夕呼は苦虫を纏めてかみつぶしたような表情で、乱暴にポットからマグカップにコーヒーを注ぐ。

 ロストGとは、「未だ発見されない横浜ハイヴのG元素」のことである。

 カナダはアサバスカに落下した着陸ユニットから、人類が始めて入手した未知なる物質、G元素。

 横浜ハイヴが奪還されたとき、そこにG元素があることを期待したのだが、何故か発見されたG元素は400キロにも満たなかった。

 アサバスカユニットから発見されたG元素が2トンなのだから、いかにも少ない。

 G弾で吹き飛ばされたのだとか、いやアトリエのないハイヴならばこの程度なのだとか、異論諸説が乱れ飛んだものの、当然正解は誰にも分からなかった。

 それが再び問題に上がるようになったのは、甲26ハイヴ――エヴェンスクハイヴが攻略された時である。

 エヴェンスクハイヴから発見されたG元素は約3トン。

 アサバスカユニットよりも多いG元素が発見されたのだ。横浜ハイヴとエヴェンスクハイヴ、どちらも攻略時はフェイズ2である。

 同じフェイズ2のハイヴで、片方は3トン、片方は400キロ。

 この違いに、関係者達は再び疑問の声を上げる。

 ひょっとして、横浜にはまだ、発見されていないG元素が残されているのではないか?

 必ずしも根拠のない話ではない。ハイヴには偽装横坑と呼ばれる隠された通路が設けられていることがあるのだ。そのような見逃しがないように、丹念な調査がおこなわれたのは確かだが、なにせ横浜ハイヴはフェイズ2クラスのくせに、なぜか主縦坑の直径と、最大深度はフェイズ4クラスという、地下に広いハイヴだったのだ。

 見逃しが絶対にないとは言えない。そして、そこに住むのは悪名高き『横浜の魔女』。

 香月夕呼は、人知れず『ロストG』を発見し、極秘研究にそれを流用している。移民船団に乗らず、横浜基地に残ったのがその動かぬ証拠だ。

 そのような悪意ある推測に満ちた意見は、常に流れ続けていた。

 そんな中、αナンバーズが現れたのである。それも、佐渡島ハイヴ攻略戦が絶望的となったまさにその時に。しかも何故か、対αナンバーズの窓口は、香月夕呼が一手に担っている。

 これらの状況を見て、「いやあ、すごい偶然もあるもんですね」などと言うやつが、国際政治の世界にいるはずもない。

 偶然と呼ぶには、あまりにタイミングが良すぎる。

 実際には、「それならなぜ、αナンバーズは最初、地球の外から太平洋に降下してきたんだ?」とか、突っ込みどころは山ほどあるのだが、そこら辺は日頃の行いがものを言う。

「いや、香月夕呼のことだ。なにか、悪辣な意図があるのだろう!」

 そう言われれば、十人中五人くらいは、「ああ、そうかも」と思ってしまう。

「まあ、慰めにもならないかもしれませんが、かの国も混乱していますよ。特に今の大統領府と下院では、与党が異なっていますからな。国内の意思統一に四苦八苦しています」

 相変わらず、慰めているのか、あざ笑っているのか、分からない口調で左近はそう言って笑う。

 夕呼は不機嫌な表情のまま、マグカップのコーヒーをグビリと飲むと、吐き捨てるように言った。

「混乱しているのなら、軍事行動なんて起こすんじゃないわよ。こっちはいい迷惑よ」

 もっともな夕呼の言葉に、しかし左近はもう一度首を横に振る。

「いえいえ、それは違います、香月博士。混乱しているから、急ブレーキを掛けられなかったのですよ」

 予想外の言葉に、夕呼はマグカップを弄ぶ手を止めた。

「どういうこと?」

「いや、恥ずかしながら私もごく最近知ったのですが、元々かの国は帝国を見捨てるつもりなど無かったのですよ。考えてみれば、当たり前ですな。我が国は極東防衛ラインの一角を担っているのですから」

それだけで、左近の言わんとしていることを察した夕呼は、これ以上ないくらいに苦い顔で鼻を鳴らした。

「なるほどね……帝国がBETAにのまれるのは不味い。でも、言うことを聞かない帝国の現政府は邪魔だった、というわけね」

 つまり、国連――アメリカには、日本帝国を救う準備があったのだ。ただし、それはあくまで日本が独自の佐渡島ハイヴ攻略戦『竹の花作戦』に失敗した後での話だ。

 乾坤一擲、文字通り国の命運を賭けた『竹の花作戦」が失敗し、自国防衛も成り立たなくなったところで、持ちかける予定だったのだろう。国連主導、G弾による「佐渡島ハイヴ攻略作戦」を。

 その後に及んでは、帝国にその誘いを断るという選択肢は残されていない。帝国の切なる「要請」を受け、アメリカ主導の元佐渡島ハイヴを攻略し、以後極東防衛の主導権をアメリカが握る。残った帝国軍は、指揮系統の一本化のため、全て国連軍に編入する。おそらくはそんな筋書きを描いていたのではないだろうか。

 しかし、そんな彼らの予定を根底から覆す異常事態が発生してしまった。

 帝国が「αナンバーズ」という予想外の援軍を受け、佐渡島ハイヴ攻略作戦を成功させてしまったのだ。

 彼らの動揺と狼狽は想像に難くない。

 予定になかった勝利。予想もしなかった新兵器の存在。

 ある意味その時の彼らの混乱は、夕呼のそれに数倍するものだっただろう。

 そんな中、意思が統一できないまま、大統領府、上院、下院、各省庁が状況を把握しようと動き回ったのが、今のどこかちぐはぐな動きとなっているのだ。

 あるものは、αナンバーズを帝国の秘匿兵器と断じ、帝国に圧力を掛けることを選んだ。

 あるものは、αナンバーズを帝国の秘匿兵器と断じながら、それに興味を持ち、交渉の場を設けることを選んだ。

 そしてあるものは、帝国の底力に脅威を覚え、極東でのアメリカの影響力を確保するため、甲21号作戦をそのまま、甲20号作戦へとスライドさせたのだ。

 なるほど、状況はある程度理解した。しかし、やはり夕呼はまだ、疑問が残る。

「私は軍事の方は、専門じゃないからよく分からないけれど、佐渡島戦に向ける戦力をそのまま、朝鮮半島に向けて問題ないわけ?」

 夕呼の疑問に、左近は首をかしげると、

「いやあ、香月博士でも分からないことに、私ごときがどうこう言うのも恐縮ですが、おそらくそのまま流用出来るのは、全体の七割くらいでしょう」

 楽しげに笑いながら、そう答えた。

 幸いにして今のアメリカ軍のハイヴ攻略戦は、宇宙戦力とG弾が主力を担っている。

 大気圏外からの対レーザー弾爆撃に始まり、G弾による地上建造物破壊と地上BETA殲滅。その後、地下のBETAをおびき寄せてもう一度G弾を投下。それからやっと、地上戦力による本格的なハイヴ掃討へと移行するのだ。

 宇宙軍とG弾には何の影響もないが、上陸戦力と海上戦力、そして海上輸送能力には大きな違いが出る。

 なにせ、佐渡島ハイヴから海岸線までは、最短で十キロに満たない距離だったのに対し、鉄源ハイヴから海岸線までは、日本海側でも、黄海側でも最低、100キロは離れている。

 つまり、戦艦の艦砲射撃を、鉄源では佐渡島のように有効に活用できないということである。さらに言えば、上陸部隊もハイヴにたどり着くには、直線で100キロの距離を走破しなければならないのだから、補給燃料や戦術機の脚部パーツなども余計に必要となるだろう。支援砲撃部隊を上陸、運行するという問題もある。

 ついでに言えば、上陸してからの距離が長いと言うことは、それだけ地中からBETAの奇襲を受ける可能性が高いということでもある。

 今頃国連アメリカ本部軍の補給担当責任者は、書類の山に埋もれているに違いない。

「……成功するのかしらね」

 半ば興味が失せたように、ため息をつきながら夕呼はそう漏らした。

「さて、どちらにせよ、朝鮮半島の中心部が不毛の荒野となるのは間違いないでしょうな」

 昨今のG弾は改良を受けてさらに威力と有効範囲が増している。しかも、横浜ハイヴで使用されたのは二発だけだが、今は平均四発から五発投下されるようになっている。

「両国政府もよく承認したわね」

 例え一部がG弾で汚染されても、国土全体がBETAに支配されているよりはマシ。そういう理屈は理解できるが、今は佐渡島ハイヴという、G弾によらないハイヴ攻略の成功例が、ここにあるのだ。

 北朝鮮か韓国か、どちらかがαナンバーズ、もしくは彼らも誤解しているなら日本帝国に援軍を打診してきても不思議ではないのだが。

 だが、左近は笑顔を口元に貼り付けたまま、首を横に振るのだった。

「両国、特に南の国は国民の三分の一近くが、国連軍に所属しているか、かの国の難民収容所で暮らしていますから」

「なるほど、ね。寄らば大樹の陰、か」

 もし、朝鮮半島の二国がαナンバーズや日本の力を借りて国土を奪還したのなら、まず間違いなくアメリカは、韓国に対する食糧支援を打ち切るだろう。

 国土奪還がなったのなら、いつまでも支援している余裕はこちらにもない。という正論を押し立てて。

 実際、それは全く偽りない事実である。如何にアメリカが世界に冠たる超大国だとは言っても、その財力にも限りはあるのだ。少しでも自立の兆しのある国から、支援を打ち切りたいのは、アメリカの飾らない本音に違いない。

 だが、アメリカ主導でG弾を使った作戦の場合は、話が異なる。

 アメリカには、その国をG弾で汚染した責任がある。ある程度は、その後も支援を続ける義務がある、という理屈が成り立つ。

「ええ、一方我が帝国には、彼らを養う余裕など逆さに振ってもありません」

 左近は自虐的に笑う。

 なにせ、今の日本は、三度の食事にありついているのは、軍人と一部の富貴層だけという状態なのだ。南北両国を合わせれば、公称1000万人とされる、彼らを養うことなど出来るはずもない。

「αナンバーズも、人口は十万人といっていたから、望みは薄いでしょうね」

 まあ、どのみち、こんなことの為にαナンバーズに対する借りを増やす気はないしね。夕呼は心の中でそう呟く。

 実のところ、夕呼はαナンバーズの食料生産能力をかなり過小評価している。

 確かに現在、αナンバーズに所属する人間は十万人に過ぎないが、旗艦エルトリウムは元々150万人の人間を乗せて宇宙を旅できる船なのだ。

 それも、ただ乗せるだけではない。「快適に」「宇宙コロニーと変わりない」食生活を保持したままでだ。

 よって今の帝国のように、食事を一日二食に限定して、食材も大量生産に向いたものに絞り込めば、最大200万人くらいならば、養っていける力がαナンバーズにはある。

 もっともそれでも1000万人にはまるで届かないので、意味のない仮定ではあるが。

 結局、朝鮮半島の両国は、国民を食わせていくために、アメリカのやり方を支持するしかないのだ。

「どっちにせよ、何とかして頭の固い連中にαナンバーズの正体を理解させないことには、こっちは身動きがとれないわね」

 暗い話から頭を切り換えるようにそう言う夕呼に、左近の顔にもいつもの飄々とした笑みが戻る。

「それについては、各国から面白い提案が二つほど」

「なに、提案?」

「一つは、彼らの兵器のサンプルを提出しろ。その動力がG元素に由来していないことが判明すれば、一つの証拠になる。という提案。どの国からの提案かは言うまでもないと思いますが」

「アメリカ、ね」

 夕呼は呆れたようにため息をつく。左近は一つ頷くと、

「あと、アラスカもですな。もう一つは、独立自治勢力というのならば、大使を送るのが筋だ、という意見です」

 そう言葉を続けた。

 夕呼は眉をしかめ、首をかしげる。

「大使? 大河特使のこと? 彼に会わせろと言っているの?」

 だったら話は簡単なはずだ。大河全権特使は、何度も日本帝国を通して国連各国に、面談の場を設けるよう要請しているはずだ。

 だが、左近の返答は否だった。

「違います。駐日αナンバーズ特使の話ではありません。在αナンバーズの各国大使の話です」

「それってッ」

 夕呼は鋭い目で、左近を睨み上げる。

「ええ、各国の代表が、彼らの本国、戦艦エルトリウムに向かいたい、と言っているのですよ。火星の向こう、小惑星帯に停泊しているというその全長70キロの巨大戦艦の存在が事実だとしたら、流石にどれだけ頭の固い御仁でも、彼らが異世界から来たという説に、多少の信憑性を感じずにはいられないのではないかと」

 楽しげな左近の言葉を聞きながら、夕呼は動揺を表情に出さないだけで必死だ。

 冗談ではない。自分だってまだ行っていない、彼らの旗艦『エルトリウム』に各国の大使が先に乗り込むなど。それはαナンバーズとの交渉における、夕呼のイニシアティブを完全に崩壊させる、一手だ。

 しかし、確かに帝国と夕呼のあらぬ疑惑を晴らすには、一番いい手かも知れない。

 どれだけ陰謀論を唱える妄想家でも、「香月夕呼は極秘裏に、全長70キロの宇宙戦艦を造っていたのだ!」と言ってのける勇気のあるやつはいないだろう。

 驚愕が去り、頭が冷えてくると夕呼はいつもの冷静な判断力が戻ってくる。

(どちらにせよ、全てはαナンバーズがそれを受け入れるというのが大前提の話だわ。その交渉も、現時点では私が当たるわけだから……)

 話の持っていきようによっては、更なるカードが夕呼の手に転がり込んでくるかも知れない。

「いいわ、私の方からその要求は大河特使に伝えてあげる。もっとも、返答までは保証しないけれどね」

 余裕の戻った夕呼は、いつもの尊大な口調でそう言ってのけるのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その3
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:24
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その3



【2005年1月1日、日本時間11時45分、横浜基地、ブリーフィングルーム】

 新たな年を迎える、元旦というその日。元々あまり人口密度の高くない横浜基地は、いつも以上に人影がまばらだった。

 佐渡島ハイヴの脅威を完全に取り除いたことにより、横浜基地は帝国の最後方基地となったのだ。そのため、この間の横浜基地防衛戦の慰労を兼ねる意味もあり、基地全体の二割ほどが帰省している。

 無論、希望者が全員、帰省を許されたわけではない。基地を稼働させるのに最低限必要な人員、基地防衛戦で破損した基地の修理人員、そしてまだ秘匿されている『甲20号作戦』の人員および兵器軍の受け入れ準備要員などは、いつも以上に忙しい日常を過ごしている。

 そして、伊隅みちる大尉を中心とした、香月夕呼直属部隊『伊隅ヴァルキリーズ』も今回は全員、帰省できない多数派に含まれていた。




「ふう、疲れた」

 午前中いっぱい合同シミュレータ訓練をやっていた武は、黒い強化装備姿のまま、大きく一つ伸びをする。

「うん。今までと同じ訓練なのに、全然違うよね、たけるさん」

 武同様、強化装備姿の壬姫は、汗で湿った桃色の髪をタオルで拭きながら、そう答える。

「ま、あんた達もこれでやっと半人前から一人前に一歩近づいたってことよ。少しは、分かったでしょ。実戦前の訓練と、後の訓練の違いが」

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら、そう言うのはヴァルキリーズの副長、速瀬水月中尉だ。

「ええ。まあ」

「はい、すごく実感しました」

 実際その通りなのだから、武も壬姫も頷くしかない。後ろの方では涼宮茜少尉達、他の新人の少尉達も神妙な顔で頷いている。例外は「あははは」と笑ってごまかそうとしている柏木晴子ぐらいのものだ。

 それくらい、今日の新人達の成績は悪かった。今までならば、日によっては先任士官達を上回ることもある、伊隅ヴァルキリーズの新人衛士達が、今日ばかりは綺麗に「ここからが新人、ここからが先任」と線が引けそうなくらいに明確な差をつけられたのだ。

 理由は言われなくても皆自覚している。実戦を経験したからだ。

 それまでシミュレーションとしてのシミュレーションをやっていた武達が、実戦を経験したことで、シミュレーションの中に実戦の空気を感じるようになったのである。

 無論、それは悪いことではない。むしろ、非常に良いことである。実戦を想定したシミュレーションこそ、真に身となるシミュレーションだ。

 だが、当然そうなれば動きは悪くなる。竹刀を竹刀だと思って仕合うのと、竹刀を真剣だと思って仕合うのとでは、後者の方が動きに無駄が出るのは当然だ。

 前までは、紙一重で避けることが出来ていた突撃級の突進を、今日は大げさに避けてしまった。

 前までは、カウンターで長刀を振るえた要撃級の攻撃を、今日は全力で回避することしかできなかった。

 前までは、ほとんど無駄弾無く掃討できた戦車級の群れに、今日は倍以上の無駄弾を浪費してしまった。

 実戦を経験していない衛士など、どれだけ腕が立っても所詮は半人前。

 熟練衛士達が口癖のように言うことその言葉の意味が、今日やっと本当の意味で実感した。以前ならば、二時間程度のシミュレータ訓練など、汗もかかなかったはずなのに、今日は身体の芯にずっしりと来る疲労を覚えている。まあ、それでも実戦の疲労感と比べれば、大したものではないが。

 そう考えれば、今の自分たちと先任士官の違いこそが、正しい実力差なのだろう。新人達が皆汗だくになっているのに対し、一番体力のなさそうな風間梼子少尉でさえ、息も乱さず笑顔を浮かべている。

 武達がそうやって寛いでいると、ブリーフィングルームのドアが開き、人が入ってくる。国連軍の制服の上から、白衣を羽織った女と、それに従う強化装備姿の女衛士。

 香月夕呼博士と伊隅みちる大尉の入室に、一同はすぐさま整列すると、背筋を伸ばし直立不動の体勢で待つ。

「敬礼っ!」

 夕呼の斜め後ろに立ったみちるの言葉に、武達はそろって正面に立つ夕呼に敬礼をした。

 対する夕呼はちょっと顔をしかめて、手を振りながら、

「はいはい、時間がもったいないから、すぐに本題から入るわよ。風間、前に出て」

「はっ」

 夕呼の言葉を受け、風間梼子少尉は、一歩前に進み出る。呼ばれる心当たりはとんとないが、疑念を表情に出したりはしない。

「本日付で、中尉に昇進よ。生憎今はごたついているから、略式だけどね伊隅」

 夕呼はそう言って、斜め後ろに控えるみちるに目を向ける。

「はっ」

 みちるは、梼子の前まで進み出ると、手に持っていた新しい階級章と任命書、そして新しい制服を渡す。

 皆、少し虚を突かれた顔はしているが、特別驚いている者はいない。当然と言えばあまりに当然だからだ。

 軍歴の長さからいっても、技能からいっても、そして今日まで立ててきた功績からいっても、本来梼子はとっくに中尉になっていてしかるべき人間である。それが、今日まで少尉に甘んじていたのは、いわば夕呼の失脚のとばっちりだ。

 後少し軍歴を重ねれば自動的に昇進、というところで夕呼が失脚。伊隅ヴァルキリーズは戦場に出る機会を奪われたまま、三年という月日を無為に過ごしてきたのである。夕呼の失脚の前に一度でも実戦に出る機会があれば、梼子は三年前の時点で中尉になっていただろう。

「受け取れ。今日からお前は、中尉だ」

「はっ、今後も階級章に恥じないよう、全力で任務に当たります」

 一式を受け取った梼子は、お嬢様風の容姿に似合わない固い口調でそう言うと、再度敬礼する。真面目な空気はここまでだった。

「おめでとうございます、風間中尉!」

「う、うわあ、昇進ですか、風間中尉」

「おめでとう、梼子」

「ありがとう、美冴さん、みんな」

 後輩や、エレメントパートナー達からの祝福の声に、梼子は階級章と新しい制服をギュッと胸に抱き、ふわりと微笑む。

「あー、いいなー。私もそろそろ昇進してもおかしくないんだけど」

 わざとらしく羨ましがる水月に、みちるは人の悪い笑みを浮かべ、

「悪かったな、上が詰まっていて」

 自隊の副長を睨め付けた。

「い、いえいえ、大尉。そんなつもりじゃ」

 慌てて水月は顔の前で手を振る。

 だが、実のところ水月が言っていることも、みちるが自称していることも、純然たる事実である。

 水月のこれまでの軍歴を考えれば、大尉に昇進していてもおかしくはないし、それが行われないのはやはり、「上がつっかえている」からに他ならない。

 水月が昇進すれば、一つの中隊の中隊長と副隊長がどちらも大尉で階級が並んでしまう。一応みちるの方が先任大尉になるのだから、上下は付くのだが、組織をわかりやすく運営するには、やはり中隊長とその部下は、歴然と階級が違っている方が望ましい。

 そう言った意味では、現状の階級はとてもわかりやすくなっている。

 白銀武、珠瀬壬姫、涼宮茜、柏木晴子、築地多恵、高原麻里、朝倉舞の新人七人がそろって少尉。

 速瀬水月、涼宮遙、宗像美冴、風間梼子の先任四人が全員中尉。

 そして、中隊長であり、最先任である、伊隅みちる唯1人が大尉。

 非常に明確になっており、命令伝達やいざというとき、誰が誰の代理になるかも一目瞭然だ。

 よって、今後昇進人事があるとするのならば、水月が大尉に昇進するよりも、みちるが少佐に昇進する方が順番として先なのだ。

 しかし、ここに大きな問題がある。中尉から大尉の昇進に比べ、大尉から少佐への昇進は、圧倒的に権限は広がるという点だ。裏を返せば、それだけ責任が重くなるということである。

 そのため、帝国軍法では、大尉から少佐への昇進の際には、三ヶ月近い再教育を受けることが義務づけられている(士官学校卒業生以外)。

 言うまでもないが、今の伊隅ヴァルキリーズに、伊隅みちるが三ヶ月も部隊を離れていられるような余裕は、全くない。

 結果として、現状のままでは伊隅みちるは少佐に昇進できず、それに伴い水月達も大尉に昇進できないのである。まあ、どのみち伊隅ヴァルキリーズは香月夕呼直属の独立部隊だ。他の部隊と連携を取ることも少ないので、階級が上がる意味も本当のところ、給料が上がるくらいしかない。

 水月のぼやきも、みちるの自嘲も、そんな現状を全て理解した上での冗談だ。 

 そんな具合に、わいわいと話が盛りあがっている所で、夕呼が二つパンパンと手を鳴らし、皆の注目を集める。

「ほら、報告はもう一つあるのよ。すぐ済ませるから聞いてちょうだい」

 上司の言葉に、伊隅ヴァルキリーズの面々は、再び姿勢を正した。

 夕呼は、腰に手を当てて胸を張ると、淡々とした口調で話し始める。

「伊隅ヴァルキリーズ、一年ぶりの補充人員よ。入ってきなさい」

 そう言って夕呼は、ブリーフィングルームの入り口に向かって叫ぶ。

 補充人員? すでに聞かされている、みちる以外の全員が目を見開く。横浜基地の専用訓練部隊が、武達の207B分隊を最後に解散されて以来、ヴァルキリーズの人員が増えることはないと、半ば決めつけていた。

 伊隅ヴァルキリーズはその前身のA-01以来、全員が神宮司軍曹の教え子だったのだ。その伝統が破られるのだろうか?

 皆の注目が集まる中、入り口のドアが開き、一人の女衛士がカツカツと几帳面な足取りで入ってきた。

 長い栗色の髪を二本の太い三つ編みにして背中に下げ、顔に大きな丸い眼鏡。眼鏡の奥の緑瞳に、必要以上に力が入っているのは、緊張しているからだけではあるまい。その双眼から生来の生真面目さと、優等生ぶりが滲み出ている。

 武と壬姫、そして茜がポカンと口を開けているのを楽しげに見ながら、夕呼は新人衛士を促した。

「ほら、自己紹介なさい」

「はっ! 本日付で帝国陸軍より国連軍横浜基地、伊隅ヴァルキリーズへ転属となりました、榊千鶴少尉であります! よろしくお願いします!」

 旧207B訓練分隊分隊長、榊千鶴は、胸を張り、精一杯の大声でそう叫ぶのだった。





 初対面の先任達を中心に、自己紹介を済ませた後、場の空気はすぐに打ち解けたものとなった。

「榊さん!」

「千鶴っ!」

「委員長!」

 壬姫、茜、武の三人を中心に、顔見知りの新人衛士達が千鶴のそばに駆け寄ってくる。

「千鶴、貴女帝国軍に転属したんじゃなかったの?」

 かつての親友兼ライバル、涼宮茜の言葉に、千鶴は笑い返す。

「まあ、出戻りって事になるわね。ちょっとみっともないけど」

 二転三転する自分の処遇には、おそらく千鶴の父・榊前首相や香月博士など、お偉いさんの思惑とパワーバランスが複雑に絡み合っているだろうことは理解している。それでもやはり、千鶴としてはここ横浜基地に、訓練分隊時代仲間の元に、そして白銀武のそばに戻ってこられたことには、喜びを感じずにはいられない。

「榊さん、良かった。戻ってきたんだあ」

「委員長、なんだかすっごい久しぶりな気がするな」

「ええ、久しぶりね、珠瀬、白銀」

 正式に任官しても未だに「委員長」なのは気になるが、今になるとこの呼ばれ方も懐かしい。堅物の千鶴にしては珍しく「今日ぐらいは」という気持ちで、そのことを指摘せずに、壬姫と武にも笑いかける。

「千鶴、あなた、その胸の勲章……」

 旧交を温めあう中、茜は千鶴の左胸に飾られた勲章に気づく。

 茜の指摘に、壬姫と武もそれが何であるか気がついた。竹の花を模した金属製の勲章。

「委員長、お前っ」

「参加してたんですか!?」

『佐渡島戦従軍勲章』。驚く武達の前で、千鶴は少し恥ずかしそうに、だが誇らしげに胸を張る。

「ええ、一応ね。初陣だったから、小隊の皆に迷惑を掛けてばっかりだったけれど」

「ふええ……」

 感心したように、声を漏らす壬姫とは裏腹に、茜の瞳には勝ち気そうな負けん気の色が浮かぶ。

「へえ、シミュレータ訓練が楽しみね。佐渡島帰りの腕、見せてもらうから。でも大丈夫? ヴァルキリーズの戦術機は『不知火』よ」

「大丈夫よ。確かに陸軍で使っていたのは『撃震』だけど、訓練小隊の頃乗っていたのは『吹雪』なのだから。すぐに慣れてみせるわ」

 負けずに、千鶴は強気の言葉を返した。

 第一世代戦術機である『撃震』と、第三世代戦術機である『不知火』では、操縦性においてもかなりの違いがある。しかし、高等練習機『吹雪』は、事実上の第三世代戦術機だ。千鶴の言葉もそう根拠のないことではない。

 しかし、そんな千鶴の意気込みを、無にするようなことを夕呼が言ってのける。

「ああ。榊はしばらく、演習はなしね。あんたにはまっさらな状態で、新装備を試して貰いたいから」

「新装備って……」

「たけるさんの……?」

 クリスマス以来、武がちょくちょく夕呼に呼び出され、ヴァルキリーズの訓練を欠席しているのは周知の事実だ。どうやら夜の空き時間は丸ごと、夕呼に拘束されているらしい。

「そうよ。ああ、白銀。あんたは午後からはまた、こっちね」

「はい、分かりましたぁッ!?」

 返事を返す武の語尾が悲鳴に変わる。見ると、後ろから武の首に水月が腕を回していた。

「白銀ぇ、あんた分かっているでしょうね? 絶対に、間に合うように仕上げるのよ! 間に合わなかったら酷いわよ、どれくらい酷いか、ここで言えないくらい酷いからね!」

「わ、分かりました、分かりましたから!」

 強化装備姿の水月に、背中から首に腕を回され、ぐいぐい締め付けられる武は、息苦しさやら、背中の心地よさやら、色々な意味で顔を赤くしながら、あがくような声で返事を返す。

 武が開発に携わっている新装備が、どんなものかはさておいても、水月にしてみればそれがいつ完成するかは、大問題なのであった。

 武が夕呼の元、戦術機の新装備開発をしている旨をみちるに伝えたところ、みちるはごく当たり前のように「そうか。ではそれが、間に合わなかった場合は、私がαナンバーズに出向することになるな」と言ったのである。

 考えて見れば確かにその通りだ。伊隅ヴァルキリーズを『αナンバーズ出向組』と『横浜基地留守番組』に分けるとして、隊長のみちると副長の水月がそれぞれの部隊を率いるのは決定事項。

 その上で、例え小隊をある程度組み直すとしても、最小単位であるエレメント(二機編成)を組み直すのは、今日まで培ってきたコンビネーションの問題からしてもあり得ない。そして、武のエレメントパートナーは水月。

 必然的に、武が横浜基地に残るのならば、水月も横浜基地留守番組となる。

 不本意ながら、水月がαナンバーズ出向組に回れるかどうかは、武の新兵器開発の進捗状況にかかっているのである。

「それじゃあ、私はこれで失礼するわ。白銀、ついてきなさい」

「は、はい」

 夕呼からの命令となると、水月もいつまでも武に絡んではいられない。解放された武は、逃げるようにして夕呼の後について、ブリーフィングルームを出て行った。






「びっくりしましたよ。まさか委員長が戻ってくるなんてっ!」

 夕呼の隣を歩きながら、武は今更ながら興奮したように夕呼に話しかける。

「使える奴は総理大臣の娘だろうが、国連事務次官の娘だろうが、私は使いつぶすまで使うわよ」

 夕呼は素っ気なく答える。よく見ると、目元が赤く充血している。また、物理的に眠れない日々を過ごしているのだろう。帝国との交渉、アメリカへの弁明、αナンバーズへの探り、そして武発案の新型OS開発。常人ならば、頭が三つ、身体が五つぐらい無ければ不可能な仕事量を、夕呼は一人でこなしている。

 今後夕呼の権限が戻れば、直下の実働部隊である伊隅ヴァルキリーズの充実は急務だ。

 夕呼の直下部隊に求められるレベルは非常に高い。高い技量、高い資質、そして何より高い『00ユニット適性』。元々A-01部隊は、00ユニットの被験者という位置づけなのだ。

 00ユニットの最有力候補は未だに、『鏡純夏』で変わらないが、だからといって二番手、三番手候補を妥協する気はない。『00ユニット適正』とは一言でいえば「よりよい未来を選択する力と強い意志」の事だ。

 実働部隊の衛士としても、この数値が高い方が望ましいのは言うまでもない。そして、旧207B訓練分隊の人間は、歴代でも特に高い数値をたたき出している。

 夕呼はこれまでの交渉で、帝国に「旧横浜基地訓練部隊に所属していた人員を全員呼び戻す」ことを認めさせている。直下部隊もかつてのA-01のように、戦術機連隊規模に戻せるよう、予算もふんだくる手はずを着々と整えている。

 だが、問題はあくまで、夕呼が交渉を成立させたのは「帝国」だけだということだ。

 アフリカ・中東戦線で戦っている鎧衣美琴と彩峰慧、そして国連軍アメリカ本部付となっている神宮司まりも。それぞれの現所属部隊との折衝は夕呼が自らやるしかない。

 特に問題はまりもだ。

 伊隅ヴァルキリーズをかつてのA-01のように連隊規模まで増やすには、定期的に新人を補充する訓練部隊の再結成は必須条件だ。しかし、教官として十分に優秀で、人格的に信頼でき、香月夕呼のわがままに振り回されても壊れない頑丈さを有している人間など、そうそういるはずがない。

 事実上、神宮司まりもを取り戻さない限り、訓練部隊は結成不可能と言える。

「白銀、今日はβ版を完成させるまで、仕事は終わらないと思いなさい」

「分かってますよ、大丈夫です。俺もあのOSには凄い手応えを感じてますからっ!」

 夕呼の厳しい言葉に、武は強い言葉で答える。事実、新型OSを積んだ不知火は、限りなく武の望むとおりの機動『バルジャーノン的機動』が可能になっている。これが完成すれば、機動力だけならば、αナンバーズの機体にも引けを取らないのではないかと、錯覚するほどだ。

「そう、なら、榊用の不知火も換装を済ませておくわ」

 夕呼は、白銀と新OSの開発を話し合いながらも、頭の半分では、今後の交渉について思考を巡らせていた。










【2005年1月1日、日本時間20時00分、小惑星帯、エルトリウム】

 新年を迎えた元旦の夜、エルトリウムの艦内都市にある一番大きなコンサートホールでは、空調も意味をなさない熱気に包まれていた。

 派手なスポットライトを浴びながら、舞台の上で演奏を披露しているのは、四人の男女からなるロックバンドだ。

 一番後ろのドラムマシーンの前に長身のゼントラーディ女がどっしりと座り、向かって右側では褐色のがたいのいい男がキーボードを弾いている。

 さらに、向かって左側には象のような形をしたベースを弾きながら、マイクでコーラスを入れている長い桃色の髪の少女がおり、そして部隊の真ん中では、丸いサングラスを掛けた男がギターを奏で、会場の歓声すら押し返すほどの声量で歌っている。

「よーし、次行くぜ、ダイナマイトエクスプロージョン! 俺の歌を聴けぇ!」

 それは、ファイアーボンバーだった。

 バンドリーダー、レイ・ラブロックの提案で行われることになった、年越し・新年ライブの二日目だ。

 当初は、そんな暇があれば火星に行きたいと渋っていたバサラも、ライブが始まれば、すっかりいつものノリを取り戻している。

 昨日と今日とで、もう計八時間以上歌っているというのに、その声量は全く衰えることを知らない。

「よし、ラストだ、行くぜっ!」

「新曲だよ、みんな、聴いてぇえ!」

「パレード!」

 エルトリウムの人々は、異世界で戦い続けるという日々の重圧を、今このときだけは忘れ、浮かれ騒ぐのだった。

 
 





 一方コンサート会場が盛りあがっているさなか、αナンバーズの艦長達は、定例のフォールド通信会議を行っていた。

『やはり、この世界の国際組織『国際連盟』は近々朝鮮半島のハイヴ、甲20号ハイヴを攻略するつもりのようです。正確な日時はまだ判明していませんが』

 今夜の会議は、横浜港に停泊するラー・カイラムの艦橋に立つ、大河全権特使のそんな言葉から始まった。

『国連やアメリカは無論ですが、日本帝国も完全に我々を信頼してくれているわけではないようで、正確な情報の収集には苦慮しています』

 大河特使の率直な言葉に、エルトリウム艦長、タシロはため息をつく。

「うむ、やはり信頼関係を構築するには時間が圧倒的に足りない、か」

 覚悟はしていても、気落ちする感は否めない。それでも、かつてのバッフ・クランのように、問答無用で「敵」と断じられないだけ、まだマシなのだろうか。

 その重い空気を吹き飛ばすように、ラー・カイラム艦長ブライト大佐が口を開く。

『無論我々もただ手をこまねいているわけではありません。来るべき日のために、ソルダートJのジェイアークに、水星軌道上へと向かってもらいました。これで、ジェイアークは数日中に修復が完了する予定です』

 ジェイアークの自動修復力は光の強さに由来する。地球より遙かに太陽に近い、水星軌道上まで行けば、その自動修復力は圧倒的に向上する。

『そちらはどのような状況ですか?』

 言葉を振られたタシロ提督は「うむ」と一つ頷くと、隣に立つ副長に目を向ける。

 エルトリウム副長は、野暮ったい眼鏡を直すと、手元の資料に目を落とし、淡々と報告し始めた。

「現在、修理が最も進んでいるのは、ウィングガンダムゼロ、ガンダムデスサイズヘル、ガンダムヘビーアームズ改、ガンダムサンドロック改、アルトロンガンダムの五機です。これらは、次回エターナルがこちらに戻った際に、詰め込むことが可能と予想されます」

 付け足すように、バトル7艦長、マクシミリアン・ジーナス大佐が口を挟む。

「こちらもその頃には、VF-11の一機目が完成している予定です。一機目のパイロットはガルド・ゴア・ボーマンを想定していますので、五体のガンダムと一緒に地上に降ろしたいと考えています」

 本人達は否定するだろうが、ガルドとイサムは誰もが認める名コンビである。バラバラで使うよりもそろって使う方が効率が良い。

『承知しました。私が責任もって皆さんを地上まで送り届けます』

 輸送役のエターナルに乗る、ラクス・クラインは、いつも通り静かな口調で了承する。

『助かります』

 短い一言であったが、それはブライトの素直な気持ちだった。

 現状で六機の援軍は本当にありがたい。特に、ウィングガンダムゼロを中心としたガンダニュウム合金製のモビルスーツは、現在ブライト達が取ろうとしている作戦には、必要不可欠な機体といえる。

 続いて口を開いたのは、大河長官の留守を預かる、GGGの火麻参謀だった。

「こちらも、勇者ロボ部隊に先駆け、光竜と闇竜の復帰の目処が立ちました。生憎まだ半月近くかかりますので、甲20号作戦に間に合うかどうかはわかりませんが」

『おお、戻ってきたか、勇者達が』

 火麻参謀の報告に、大河全権特使が気色を露わにする。やはり今は、αナンバーズとしてまとまっていても、元々自分の直下にあった勇者ロボ部隊には、特別な思いがあるのだろう。もっとも勇者ロボは、モビルスーツなどと違い、ロボであると同時に自立した人格を有するαナンバーズの一員であるのだから、普通以上に心配するのも当たり前と言えば当たり前だ。

「はい、長官。光竜、闇竜の次は、ボルフォッグの予定です。生憎こっちはまだ、進捗を説明できるほど目処がたってませんがね」

 火麻はそう付け加えた。

 元々、勇者ロボの中で、光竜、闇竜に次いで損傷の少なかったのは、炎竜と氷竜だったのだが、アラン・イゴールの希望もあり、ボルフォッグの修理を優先していたのである。

 幸い、ボルフォッグも最終戦では、ビッグボルフォッグで出撃していたこともあり、ボルフォッグ本体は比較的損傷が軽かった。

 時間がたつにつれて、明るい話題が多くなっていくのは良いことだ。

 続いて、タシロ提督が続ける。

「その他のモビルスーツもやっと修復の目処が立ってきた。やはり、追加アーマーのあった機体は比較的損傷が少ないな。ガンダムZZ、リ・ガズィ二機、ガンダム試作三号機ステイメン、そして、フリーダムガンダムとジャスティスガンダムは、そう遠くないうちに復帰できるだろう」

 ただし、それぞれの追加装備、ガンダムZZの「フルアーマー装備」、リ・ガズィの「バックウェポンシステム(BWS)」、ガンダム試作三号機の「オーキス」、フリーダム、ジャスティスの「ミーティア」は、廃棄処分が決定したらしい。修復可能なのは機体本体だけだ。

 だが、それにしてもそれだけの機体が戦線に戻れば、後方本隊も先行分艦隊も一気に楽になることは間違いない。

「その中でも、最も早く修復が完了すると思われるのが、ガンダムステイメン、逆に最も時間がかかると目されるのが、フリーダムガンダムとジャスティスガンダムです」

 タシロ提督の言葉を受けて、エルトリウム副長がそう付け足した。

 ガンダムステイメンの修理が早くすむのは単純に機体の損傷が小さいからだが、フリーダムとジャスティスの二機に時間がかかるのは、損傷が大きいからではない。

 PS装甲や、ラミネート装甲素材を使ったシールドなど、この両機は、モビルスーツの中では比較的難しい技術が使われている部類に入るからだ。

 とはいえ、所詮はモビルスーツ、「超電磁ってなんだ?」とか「野生の力を引き出す装置ってどんなだ?」とか「意思を持って進化するエネルギーってさわって良いのか?」などという声が常時上がる特機の修理に比べれば、なんということもないのも確かである。なにせ、モビルスーツは特機と違い、最低限『質量保存の法則』は守ってくれる。まあ、『エネルギー保存の法則』は無視しているモビルスーツも、ちらほら見られるが。

 エルトリウム副長は淡々と説明を続ける。

「後は、地上に建設する補給基地の問題ですが、現在稼働していないジェガンの製造ラインをばらし、輸送できる状態にしている最中です。一方弾薬やモビルスーツ用武器の製造ラインは、現在フル稼働中ですので、一度止めない限り、製造ラインを地上に降ろすことが出来ません」

 むしろ、武器弾薬の製造ラインに関しては、ライン自体を新たに築いた方が得策かと思われます、と副長は言葉を締めくくった。

 この辺りもまた、面倒くさい話だ。補給地と前線に距離がありすぎるのは、決して良いことではないのだが、かといって今すぐエルトリウムを地球に向かわせるワケにはいかない。せっかく確保した資源衛星から離れては、物資の補給にも支障を来すし、なにより現在エルトリウムには、火星から毎日のように着陸ユニットが飛来しているのだ。

 ガンバスター、シズラー黒、ガイキング等による火星ハイヴ間引き作戦は順調だが、今のペースでいっても、火星からBETAを駆逐するには、最低でも今年の三月いっぱいまではかかると見られている。今年度中は、エルトリウムは身動きがとれないと思って良いだろう。もどかしいが仕方がない。

「「「…………」」」

 難しい問題に、しばし沈黙が続く。

「分かった。その件に関しては、しばらくは現状維持で行くしか無いだろう。副長、製造部に余力があるようなら、武器、弾薬の製造ラインの複製に取りかからせておいてくれ」

「分かりました」

 タシロ提督と副長の間で一応の決着がつく。

 気を取り直し、タシロ提督はモニターの向こうのブライト達に問いかける。

「そちらからの報告は以上かね?」

 それに対し、ブライトと大河は少し苦い顔で顔を見合わせる。

『いえ、実はもう一つ、厄介な問題が。以前に、香月博士から、「この世界では平行世界という概念が荒唐無稽なものとされている」というお話があったことは覚えているかと思いますが』

「うむ」

『実は、我々が思っていた以上に信じられていなかったようです。どうやら、未だにこの世界に住む人間の大部分は、我々が異世界からやってきたという事実を認められずにいます』

 ブライトの言葉を引き継いで、大河特使は本日昼に、夕呼から聞かされた話を披露する。

 未だに帝国以外の大部分の国は、αナンバーズを日本帝国の極秘特殊部隊だと認識しているということ。

 その誤解を解くために、「αナンバーズの兵器のサンプル提出」もしくは「エルトリウムに各国の大使を受け入れる」という二つの提案がされたこと。

『……というわけで、現状では帝国以外は、我々を「日本帝国の一部隊」と捉えています。この状況を打破しない限り、地球上における対BETA戦の行動は大きく制限されるでしょう』

 話を聞かされた後方本隊の艦長達は、そろって渋面を浮かべていた。

「そうですか。なまじ香月博士の理解が早かった分、そちらの対処が遅れてしまいましたね」

 マックス艦長は、帽子を目深にかぶり、バトル7の艦長席の背もたれに身体を預ける。

「まあ、二十一世紀初頭の科学レベルでは当然の認識、というべきかもしれませんな」

 隣でエキセドル参謀が、まるで人ごとのような口調でそう呟いた。だが、その言葉は正鵠を射ている。αナンバーズから見ればここは二百年近い過去の世界なのだ。次元移動だの、時間移動だのという概言が、現実的な手段として受け入れられる方がおかしい。

「しかし、その提案はどちらも難しいだろう。技術の公開も、大使の受け入れも簡単な話ではないぞ」

 タシロ提督は白い髭の下の唇を、難しそうに尖らせる。

「ですが、現状のまま、帝国の一部隊と誤解されているのは、さらに拙いです。何らかの手段を以ってしてでも、誤解は解いておくべきです」

 タシロ提督の苦悩などお構いなしに、副長は冷徹に事実を突きつける。

「分かっている」

 タシロ提督は、ため息をつきながら一つ頷いた。

 だが、提示された手段はどちらも問題がある。兵器の提出は危険の拡散という問題があるし、大使の受け入れは、輸送の問題がある。

 まさか各国大使を、高速戦闘艦であるエターナルにすし詰めにして連れてくるワケにもいくまい。せめて大空魔竜か、場合によってはバトル7を地球に向かわせることになるかも知れない。

 そして、大使をエルトリウムの中に迎え入れた場合、彼らがαナンバーズに支援を求めてくることが、想定される。戦闘力による支援はむしろこちらとしても望むところだが、技術支援や物的な支援を各国大使から求められたとき、果たしてうまく対応できる人間がいるだろうか?

 順当に行けば対応するのはタシロ等艦長クラスの人間か、もしくはミリア市長になるのだろうが、誰が矢面に立ってもうまくいかない気がしてならない。

「少なくとも、最初から長期滞在の大使として受け入れるのは止めた方が良いでしょうな。まずは、こちらの現状を直接目の当たりにしていただくため、短期滞在の「ゲスト」としてお招きしたらいかがでしょうかな?」

 おおよそ同じようなことを考えたのか、エキセドル参謀がそう提案してきた。確かに、短期滞在ならば難しい交渉に発展する危険は比較的小さい。

「私としてはむしろ、兵器の限定的な提出の方が、良いかと考えます。元々、我々がこの世界を去った後のことを考えれば、ある程度の技術提供は必須のはずです。それを前倒しすると考えれば大きな問題にはならないでしょう」

 一方エルトリウム副長は、別な意見を押す。

 副長の考える提出技術は、「ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉」、つまりモビルスーツに使われている核融合炉だ。

 核融合炉ならば、この世界でも実験レベルでは成功しているようだし、G元素に由来しない技術であることは理解してもらえるだろう。

 もっとも、その燃料であるヘリウム3が地球上にほとんど存在しないうえ、ミノフスキー粒子発生装置がない限り、複製も出来ないので、送られた方の思惑は完全に外れることになりそうだが。

 タシロ提督は、目を瞑りしばし考える。

「……うむ。ではエキセドル参謀の意見と、副長の意見を並行して進めるのはどうだ。大河特使、各国の代表を「ゲスト」として短期にお招きするという線で交渉してもらえるだろうか。サンプル提出についても、否定的ではない方向で話を進めてもらいたい」

 タシロの言う交渉は、かなり玉虫色で難易度の高いものであったが、大河は「分かりました」と首を縦に振る。

『では、話を甲20号攻略戦に戻します。あれからは、大河特使が尽力してくれてはいるのですが、やはり、国連軍主導の作戦は、止められそうにありません』 

 ブライトは、話の区切りが一端ついたところで、再び間近に迫った問題に、会話の中心を戻す。

『はい、今後も交渉は続けていくつもりですが、先ほどの問題――我々が、帝国の一部隊だという誤解がある以上は、成果を上げる可能性は低いと言わざるを得ないでしょう』

 答える大河特使の顔にも、厳しい表情が浮かぶ。

 国連軍によるハイヴ攻略作戦。帝国の人間から聞いた話なので、ある程度悪意が混じっている可能性はあるが、それにしても地球上で行うにはあまりに環境被害が大きな作戦だ。

 後々どのような弊害があるか知れないという、G弾による広域殲滅。そんなものを使わなくても、αナンバーズの参戦を許してもらえれば、現在地球にいる先行分艦隊だけでも十分、フェイズ4ハイヴくらいは落としてみせるのだが、やはり政治の壁は厚い。

 ブライトが、大河の後に続ける。

『私も、先行分艦隊の正面参加を諦めるつもりはありませんが、現状では不可能に近い状況です。しかし、この世界の枠組みを踏みつぶし、我々がハイヴ攻略を強行するというのも、多数の問題が残ります』

 G弾は恐ろしい、危険だ、弊害があるとは聞かされているが、実際具体的にどのようなものかは分からない。

 果たしてそれは、反応弾よりも恐ろしいのか。はたまた、ゴルディオンクラッシャー以上なのか、流石にイデオンガン以上ということはないと思うが、絶対に違うとは言い切れない。

 本当にとんでもないことをしようとしているのならば、法も神も蹴飛ばして強硬手段を執ることも辞さないαナンバーズであるが、基本的には可能な限り事を荒立たせないように振る舞うのもまた、αナンバーズだ。
少なくとも、圧倒的武力をバックに、こちらの意思を無理矢理押し通すという考えは根本的にない。

『ですので、もしG弾による攻略戦が行われた場合、我々になにができるか、ということを考えておきたいと思います。

 今回攻略の対象となるのは、先ほどから何度も言っているとおり、朝鮮半島中部の甲20号ハイヴです。それに対し、日本帝国軍は不慮の事態を想定して、九州から中国地方に掛けて、防衛ラインを構築すると言っています』

 これは当たり前の行動だ。戦場となる朝鮮半島と、日本列島の南側は、海を挟んでいるとはいえ、200㎞も離れていない。

 対岸の火として見物するには距離が近すぎる。

『その日本列島南部防衛ラインに参加が認められれば、我々にも出来ることが生まれます。G弾を以ってしてもハイヴのBETAを殲滅させることは難しいらしく、必ずその後、激しい上陸戦が行われるそうですから』

 それはこの間の佐渡島ハイヴ攻略戦のような、G弾を使わない攻略戦に比べれば楽なものだが、それでも大量の死傷者を出すのだという。

『我々は、Jアークを中心とした海中戦力を日本領海のギリギリに展開。BETAをおびき寄せ、叩き、少しでも朝鮮半島上陸軍の被害を少なくしようと考えています』

 ブライトは、強い決意を込めてそう言い切ったのだった。αナンバーズが一匹でも多くのBETAを引き受ければ、それだけ上陸軍の負担は減る。極めて単純な事実だ。

「では、主戦場は海中ということかね、ブライト君」

 タシロ提督の問いに、ブライトは首肯する。

『はい、海中戦に適さない機体は、対馬に上陸させて第二次防衛ラインとするつもりですが、主戦は海中です』

 これは、ヒイロ達の機体が間に合うことが前提の作戦だ。ガンダムウィングゼロを筆頭とした、ガンダニュウム合金製のモビルスーツは、水中でも機動力や攻撃力があまり落ちないという特色を持っている。

 普通は、朝鮮半島のBETAがわざわざ日本領海までやってくるとは考えづらいが、そのためのジェイアークだ。

 あれから、横浜基地防衛戦後、香月博士から聞かされたのだが、BETAにはより高性能なコンピュータを搭載した機体を優先的に狙う性質があるのだという。

 あの時は、前橋市に上陸したBETAが、アークエンジェル部隊を素通りしてまで、所沢市にいるキングジェイダーに群がっていった。

 それを考えれば、キングジェイダーがジュエルジェネレータの出力を全開にし、その所在をアピールすれば、朝鮮半島のBETAが日本の領海までやってくることもあり得ない話ではない。

 だがもちろん、これはそんなにいい話ではない。

 言ってしまえば本来こっちに来ないBETAを無理矢理引き寄せるのだ。一歩間違えれば、朝鮮半島上陸軍に混乱を巻き起こし、かえって被害を拡大させかねない。

 さらに大きな問題があるのが、対日本だ。

 普通にしていれば、こっちに来ないはずのBETAを無理矢理自国の領海に引き寄せるなど、まともな人間なら了承するはずがない。了承させるならば、「入ってきたBETAは全てαナンバーズが排除する。帝国には人的被害を出さない」というのが、こちらの約束する最低ラインだ。

 まあ、実際には帝国はαナンバーズに多大な借りがある(と思っている)ので、その程度のことならば苦い顔をすることはあっても、断るはずもないのだが、ブライト達には借しを作ったという考えがさらさら無いため、分からない。元々九州、中国地方が現在、対BETA戦の緩衝地帯となっており、民間人は一切住んでいない。

 現状の政治状況では地球におけるαナンバーズは両手両足を縛られているようなものだ。それでも、一人でも死者を少なくできるのならば、出来る限りのことをする。

「分かったブライト君。地上のことは君達に任せよう。こちらからも出来る限りの支援をさせて貰う。副長、本隊の余裕はどの程度あるかね? ゲッターチームを地上に送るだけの余裕は?」

「可能です。ガンバスター、シズラー黒、ガイキングチームが復帰した現在、最低限の防衛人員は足りています。ただし、その場合、火星ハイヴの間引き作戦は大幅に遅れることになりますが」

「うむ。それでいい。光竜・闇竜が戻れば、その遅れはすぐに取り戻せる。ゲッターチームも地上に派遣してやってくれ。頼んだぞ、ブライト君」 

 タシロ提督の言葉に、ありがとうございますと返し、ブライトは最後に締めくくる。思わぬ援軍だ。ゲッターロボは、三段変形ロボット。そのうち、ゲッターポセイドンは、αナンバーズでも数少ない、「水中戦専用機体」だ。今回の作戦の戦力としては、これ以上ないくらいに心強い。

『全力を尽くします』

 後日『オペレーション・ハーメルン』と呼ばれる作戦が、今このときより正式に動き始めたのであった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その4
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:27
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その4



【2005年1月10日、日本時間10時12分、横浜基地、演習場】

 BETAによる自然破壊が進んだこの世界では、冬になれば関東地方でも雪が降るのが当たり前になっている。

 昨晩降った雪がうっすらと積もった横浜基地郊外の演習場では、そのちんけな雪を吹き飛ばすような激しい演習が行われていた。

 廃墟と化した街をそのまま演習場としているため、至る所に崩れかけたビルが乱立している。そんなゴーストタウンの様な演習場を縦横無尽に駆け巡っているのは、国連ブルーで塗装された戦術機、『不知火』だ。合計12機の不知火。それだけで、現在この演習場を使っているのがどの部隊なのか、分かる。

 伊隅ヴァルキリーズだ。日本帝国製、第三世代戦術機『不知火』。量産一機目のお披露目から十年が過ぎた今でも、国連軍で不知火を使っているのは伊隅ヴァルキリーズだけなのだから。

 これが対戦術機戦を想定した訓練であるならば、互いの索敵から始め、心理戦を交えたもっと地味な戦いになるのだろうが、本日の演習の主目的は、換装した新OSの実戦機動チェックである。

 そのため、六対六の二手に分かれた十二機の不知火は、演習と言うよりバルジャーノンの集団プレイのような、ど派手な撃ち合い、斬り合いを展開していた。



『高原ッ、九時方向から宗像中尉ッ!』

『了解っ、うあわあ!?』

『ふふ、甘いよ、朝倉』

『白銀ぇ! 奥は任せたわよ』

『はいっ!』

『うわっ、たけるさんっ!?』

『このっ、茜ちゃんの仇ッ!』

 皆、一般的な不知火の基準からすれば規格外の動きをしているが、その中でも際だって良い動きを見せているのは、やはりヴァルキリー10――白銀武だ。

 ここ最近はずっと武御雷を使っていたとは思えないくらいに、不知火を自由自在に動かしている。

 他の者達がまだどこか、機体の鋭敏すぎる反応に振り回されているところがあるのに対し、白銀機だけはまさに水を得た魚のような、抜群の機動を見せている。鋭角に近い方向転換を繰り返し、そのくせ硬直時間は存在しない。

 今も、ヴァルキリー11こと珠瀬壬姫の狙撃をかわしながら、そのエレメントパートナーである築地多恵機に87式突撃砲の銃口を向け、トリガーを引き絞っている。チカチカと銃口が光った数瞬後、築地機に撃墜の判定が出た。






 一連の演習は、演習場の外れに設けられた仮設指揮所で、全てモニターされていた。

 仮設指揮所と言っても大したものではない。数台の戦闘指揮車両と、大型テントの下に展開された必要最低限の機器に、必要最低限の人員がとりついているだけである。パイプ椅子の数も足りなかったのか、中には縦にした段ボール箱を椅子代わりにしている者すらいる。

 そんな中、この演習の最高責任者である香月夕呼は、軽く腕を組んでモニターを見つめたまま、佇んでいた。

 真冬の外ということで、いつもの白衣ではなく、野暮ったい軍支給のコートを制服の上から羽織り、口元からは白い息を吐いているが、その立ち振る舞いからは寒さに凍えるようなそぶりは欠片も見えない。

 いつも通りの冷静な表情で、CP将校が操作するモニターを後ろからのぞき込む。

「問題なさそうね」

「はい。演習開始から二時間経過。OSの不備は発見されていません」

 ヘッドマイクをつけたまま振り返る、CP将校――涼宮遙中尉の顔にも笑顔が浮かんでいる。

 それだけ、演習は順調に進んでいると言えた。

 武の提案で作られた戦術機用新型OS、仮称XM3。伊隅ヴァルキリーズの戦術機がその新型OSに換装してから、すでに五日が過ぎていた。

 武が行ったシミュレーション実験で劇的な結果を上げたため、即決した夕呼がヴァルキリーズ全体に配布したのである。

 一月二十日に予定されている甲20号ハイヴ攻略戦に参加することを考えれば、この時期にOS換装というのは、無茶を通り越して無謀とも言うべき暴挙のはずだが、結果としては大成功のようだ。

 多少の慣れ不慣れを吹き飛ばすだけの性能が、このOSにはある。

 通常の1.2倍を記録する反応速度に、使用頻度の高い行動を簡易操作で実現するコンボ。そして、そのコンボを含め、いざというときはいかなる行動も途中で中断して、次の行動を入力できるキャンセル。

 正直、コンボとキャンセルに関してはまだ、扱いきれていない者のほうが多いが、反応速度の向上だけでも十分すぎるメリットだ。

 その代わり無茶な機動が多くなり、整備班からは実機演習の度にため息が聞こえるようになっているが。

「ヴァルキリー12の様子はどう?」

 夕呼の問いに、遙はモニターを操作しながら答える。

「良好です。全てのスキルにおいてヴァルキリーズの新人達の平均を上回っていますし、ヴァルキリー1との連携も実戦投入可能なレベルまで上がっています」

 ヴァルキリー12とは、十日前に補充された衛士、榊千鶴少尉のことである。

 元々ヴァルキリーズの衛士は11人だったこともあり、彼女は常識的な判断の元、唯一エレメントパートナーのいなかったヴァルキリー1――伊隅みちる大尉のパートナーとなっていた。

 得手不得手の幅が小さく、視野が広く、指揮官適正が高いといった具合に、元々衛士としてのタイプが似ていることもあり、千鶴とみちるは、対等なパートナーと言うより、師弟に近い関係を構築している。

 夕呼としても歓迎するべき事態だ。

 今後、早い時期に鎧美琴中尉と彩峰慧少尉を呼び戻すつもりだし、神宮司まりも少佐が戻り次第、訓練部隊も再結成するつもりでいる。

 今後のことを考えれば、指揮官適性の高い衛士は幾らでも欲しい。

 現時点で、小隊長を任せられそうな人材は、現役の小隊長・中隊長を除けば、この間昇進したばかりの風間梼子中尉くらいだろう。

 それに続くのが、C小隊の涼宮茜少尉と睨んでいたのだが、榊千鶴少尉の指揮官適正は、茜と同等かもしくはそれ以上だ。

 そうして、夕呼がこの後の展開について思考を巡らせている間に、ヴァルキリーズの訓練は終了していた。

 演習場の各地に散っていた12機の不知火は、中央部の広間に集合し、各自機体の被害状況を報告している。

 どうやら、演習に支障のある損傷を負った機体は無いようだ。

「香月博士。新OSの稼働実験が終了しました。ヴァルキリー1が次の指示を求めています」

「いいわ。プラン通りに進めなさい」

「了解。ヴァルキリーマムより各機へ。OS稼働実験は現時刻をもって終了。以後、新兵器の使用テストに移行して下さい」

『了解! 聞こえたな? 各機は兵装を交換しろ。戦術機の数百倍貴重な兵器だからな。くれぐれも丁重に扱え』

『『『了解!』』』

 みちるの指示にヴァルキリーズの衛士達は息のあった声を返すと、演習場脇の兵器コンテナへと歩行で移動していく。

 荒涼とした演習場の脇に備え付けられた戦術機用兵器コンテナ。その周りには、一個連隊を越える警備兵と、一個大隊の機械化強化歩兵が厳戒態勢で警護にあたっている。

 警備兵だけでなく、強化外骨格を纏った機械化強化歩兵まで警備につけられている兵器コンテナ。尋常ではない警戒がなされているコンテナの中身は当然尋常なものではない。

 その中身は二十五丁の『ビームライフル』と、三十振りの『ビームサーベル』であった。






「流石に緊張するなあ」

 どこかおっかなびっくりとした動作で、ビームライフルを不知火の右メインアームに握らせながら、武は息を吐いた。

 αナンバーズからヴァルキリーズに貸与された、異世界兵器。

 元々モビルスーツのビームライフル、ビームサーベルは、エネルギーチャージさえすめば、あとは外部からのエネルギー入力を必要としない独立した兵器である。極端な話、ビームライフルを大地に固定させ、トリガーに縄を掛けて、数人がかりで引っ張れば、それでビームは発射される。

 そのため、戦術機のメインアームにあわせ、握りやトリガーの形状を少し弄るだけで、それらは簡単に戦術機用の兵装に早変わりしていた。この辺りは、モビルスーツと戦術機の全高が大体同じだという、幸運な偶然に助けられている。

 伊隅ヴァルキリーズの半数は、十日後の甲20号作戦において、αナンバーズと行動を共にする予定になっている。

 ごく当たり前のように、規格外の大兵力を自軍だけで受け持つつもりのαナンバーズに同行すれば、いかな伊隅ヴァルキリーズといえども、複数の戦死者を出す事態は免れない。

 そういった事態を考慮した夕呼が交渉した結果、意外なほどあっさりと、これらのビーム兵器を貸与してもらえたのである。

 αナンバーズの方針としては、今後『αナンバーズ岩国補給基地』が完成次第、それらの兵装の貸与、譲渡を世界的に広めていくつもりらしい。伊隅ヴァルキリーズはそのモデルケースなのだろう。

『よし、まずはビームライフルの射撃訓練だ。射撃、始めッ!』

 ビームライフルを構えた12機の不知火は、予定通りに様々な体勢から、遠近問わずあちこちに立てられた標的を撃っていく。

 片膝を付いた体勢での狙撃。立った状態からの狙撃。動きながらの射撃、動く的に対する射撃。

 ここで問われるのは衛士個々の技量の向上も、射撃プログラムの熟成だ。

 反動も弾道特性も全く違う銃を扱うのだ。普通に撃って当たるはずがない。昨日までソ連製の小銃しか撃ったことのない歩兵に、突如日本製の小銃を使わせても、最初はうまくいかないのと基本的には一緒である。

 これが歩兵の小銃の場合は、兵士個人の感覚の問題なのだから、解決手段は出来るだけたくさん試し撃ちするしかない。また、逆を言えば兵士個人の感覚の問題なのだから、銃にあわせた射撃をする技量があれば、即座に解決する問題とも言える。

 しかし、これが戦術機の武装となるとそうはいかない。戦術機は、レバーとフットペダルの操作という「直接入力」と、ヘッドセットと強化装備を解して測定される脳波・体電流による「間接思考制御」、そしてコンピュータによる「プログラム補正」の三つが合わさり動いている。

 つまり、乗り手である衛士だけが、新たな銃の特性をつかんでも、そのデータが機体側にフィードバックされ、プログラムに反映されない限り、思い通りの射撃は出来ないのだ。

 αナンバーズからビーム兵器の提供を受けて今日で三日目。連日のデータ取りと横浜基地整備班の徹夜の努力のおかげで、かなり命中精度は上がっているが、現時点ではまだ、87式突撃砲などと比べると「扱いづらい」という感覚が残っている。

 それでも、ビームライフルはまだマシな方だ。最悪だったのはビームサーベルである。

 言うまでもないが、ビームサーベルとスーパーカーボン製の74式近接戦闘長刀では、比較にならないくらいに切れ味が違う。

 この場合、切れ味が良ければそれで良い、ということにはならない。

 74式長刀からビームサーベルに持ち替えるというのは、切る対象が大岩から雪の吹きだまりに変わるくらいの劇的な変化なのである。

 大岩を叩き斬る感覚で、雪の吹きだまりに思い切り剣を振り降ろせば、どんな愉快なことになるかは、簡単に想像できるだろう。

 初日、ビームサーベルの試し切りをやって、一度も機体を転倒させなかった者は、一人もいなかった。これはなまじ、長刀の扱いに慣れていれば慣れているだけギャップに苦しむ。事実、初日、最多転倒数を記録したのは、迎撃後衛や砲撃支援の人間ではなく、本来最も長刀の扱いに慣れているはずの、突撃前衛の者だった。

 なにせ、ビームサーベルは長刀と違い、切るのに腰を入れる必要も体重を乗せる必要もないのだ。長刀の感覚で振り降ろした最初の者は、見事に戦術機で「前回り受け身」を決めたほどだ。

『よし、次はビームサーベルだ。各員、武器を持ち替えろ』

『了解ッ!』

 みちるの指示を受け、一同はすぐに、その問題のビームサーベルに持ち替える。

 一際大きな声で返事を返したのは、初日の汚名返上に燃える突撃前衛長だった。






「どう、ピアティフ。実戦に間に合いそう?」

 武達がビーム兵器の完熟に勤しんでいるのを見ながら、夕呼はデータ処理に追われる副官に話を向ける。

「難しいです。このままのペースですと、実戦使用に耐えられるレベルには達すると思いますが、既存の兵器と同レベルまではいきません。完全な完成を見るには、最低一月は時間が欲しいところです」

 形の良い眉を少し歪めながら、ピアティフ中尉は、率直にそう答えた。

「そう。でもまあ、実戦使用に耐えられるのなら、使わない手はないわね」

 こちらもOSの換装と同じ問題だ。

 完熟レベルは既存のものに及ばなくても、新兵装のポテンシャルが圧倒的なのである。

 100の潜在能力を100パーセントを発揮できる武器と、1000の潜在能力の内50パーセントしか発揮できない武器の比較だ。

 結果は100対500で後者の圧倒的勝利となる。無論、実戦にいて兵器の「信頼性」というのは、士気にも影響する最重要パラメータなのだが、この場合はそれを考慮に入れても、新兵器の性能が魅力的すぎる。

「戦術機用ビーム兵器プログラム、開発を急がせてちょうだい。ただし、機密保持が最優先。絶対に外に漏らさないように」

 夕呼は、最後にそう念を押した。

 αナンバーズは、岩国補給基地が完成次第、ビーム兵器を帝国その他、この世界の国に提供するという。

 その際に、この「戦術機用ビーム兵器プログラム」はそれなりの意味を持つ。このプログラムがあれば、現在ヴァルキリーズの面々が行っている労苦をスキップすることが出来るのだ。一ヶ月というプログラム構築に必要とされる時間を短縮するために、それなりの対価を払う国は必ずあるはずだ。

 大して強いカードではないが、それなりに意味を持つカードにはなるだろう。

 それにしても、交渉のカードが手に入るのはいいが、おかげで全くと言っていいほど00ユニットの開発が進まない。元々行き詰まっている研究ではあるが、今はそれ以前に研究に割く時間がない。

 科学者と言うより交渉人に近い我が身を省み、夕呼は内心ため息をついた。










【2005年1月10日、日本時間13時05分、横浜基地、海岸演習場】

 午前の演習兼、実験データ収集を終えた武達は、PXで昼食を済ませ、再び演習場に戻ってきていた。

 ただし、今度はボディラインを剥きだしにした強化服姿ではなく、黒い国連軍の制服姿だ。上には防寒ジャンパーを着込み、足下は滑り止めの付いた冬季用軍靴を履いている。

 その格好から分かる通り、午後は武達の演習があるわけではない。今度は見せる側ではなく、見る側である。

 昨日、小惑星帯のαナンバーズ本隊から地球にやってきたという新戦力が、この横浜基地で演習を行うというのだ。

 一応表向きの名目は、「しばらく離れていた1G下での機動に慣れるため」といっているが、実際には帝国に対する戦力アピールが主目的である。

 十日後に予定されている『甲20号作戦』と平行して行われるαナンバーズの作戦『オペレーション・ハーメルン』。

 あえて、帝国領海にBETAを引き寄せてそれを叩く、という帝国からすると、はた迷惑な作戦を決行する許可を貰うため、αナンバーズはそれを実行できる十分な戦力がある、ということをアピールしたいのだろう。

 もっとも、すでに先の横浜基地防衛戦で、キングジェイダーの気違いじみた殲滅力を目の当たりにしている帝国の首脳部に、「今度はもっと凄い戦力があるから大丈夫です!」などと言っても、わき上がるのは安堵感ではなく、強い警戒心なのだが。

「たけるさん、榊さん。さ、寒いねえ……」

 丸い頬を赤く染めながら、壬姫は支給品の合皮手袋を填めた両手をこすりあわせる。

「ああ。流石にこれはちょっとな」

 武も、雪を踏みしめる軍靴から上がってくる冷気に震えながら、壬姫にそう返した。

「これ、モニターしてるんだろ? 直じゃなくて、中央作戦司令室のモニターで見学するわけにはいかなかったのか?」

「馬鹿ね。司令室に私達一兵卒が入れるわけないでしょ。しかも今は、基地司令や香月博士だけじゃなくて、帝国軍の将官も見学に来ているのよ。そもそもこんな間近で見学が許されたのは、司令室の人間を除けば私達だけなのだから、そんな贅沢言ったら怒られるわよ」

 武の相変わらずどこか軟弱な発言に、千鶴は腰に手を当て、呆れたような声で返す。

 この三年で、随分とたくましくなった武だが、やはりどこか根本的に価値観が違うところがある気がする。一年ぶりに武と再開した千鶴は、特に強くその違いが感じられた。

「あら、みんなそろっているみたいね」

 ヴァルキリーズの面々が身を寄せ合って演習の開始を待っていると、予想外の声が後ろから聞こえてくる。

「ッ!? 敬礼っ!」

「ああ、いいから」

 予定外の上司の来訪に、驚いたみちるが号令を掛けるが、とうの上官――香月夕呼は手でそれを制すると、ゆっくりと歩いて武達の前に出た。

「香月博士。博士は、司令室ではなかったのですか?」

「モニターの画像データは後でも見られるからね。今は、せっかくだから生で見させて貰うわ」

 みちるの言葉にそう返した夕呼の言葉に嘘はないが、夕呼が司令室に向かわなかった理由は、司令室にいる帝国軍の将校や官僚達の存在が大きい。

 どうせ夕呼が入室すれば、モニターもそっちのけで交渉を持ちかけてくるに決まっているのだ。

 それはそれで有益且つ必要なことであることは認めるが、こうも交渉と根回しに終始していると自分の本分を忘れそうになる。

 たまには科学者としての好奇心を優先させても悪くはあるまい。

「さて、今度はどんな機体かしらね……」

 鋼鉄ジーグとキングジェイダーに耐えきった今の自分ならば、大概のものに耐えられる。意味不明な自信を込めた視線で、夕呼は港に停泊する、二隻の白い巨艦を睨み付けた。

 夕呼は挑戦的な視線に誘われたわけではないだろうが、ちょうどそのタイミングで本日の主役は姿を現した。

 港に停泊する戦艦、アークエンジェルのカタパルトデッキが開き、一気に飛び出してくる。

 全長50メートルの巨体。全身真っ赤の派手なカラーリング。そして、意味不明な背中のマント。

 それはゲッタードラゴンであった。

「うおお、すげえ」

 そんな声を上げ、上空を見上げる武の表情にも、以外と余裕がある。まあ、ゲッタードラゴンは大きさで言えばキングジェイダーの半分以下だし、色の派手さで言えば紫、赤、水色のエヴァンゲリオンシリーズほどではない。

 そう言った意味では、ゲッターは確かにインパクトに欠けていた。この時点では。

『いくぞ、ゲッター!』

 何の必要があるのか、わざわざ外部マイクをオンにしたゲッターチームリーダー、流竜馬の声が横浜港の上空に響き渡る。

 次の瞬間、深紅の特機は、空中に飛行機雲で星を描くような勢いで飛び回り始めた。

「す、すっげー!」

 これには改めて武も感嘆の声を上げる。二十度を下回るような鋭角なターンを空中で何度も見せるその様は、あのイサム・ダイソン中尉のVF-19エクスカリバー以上だ。

 思わずウズウズと手を動かしている武に、夕呼は呆れた声色を隠さず声を掛ける。

「真似しようなんて考えるんじゃないわよ」

「えっ?」

 図星を指されてビクッと身体を震わせる武に、夕呼はため息をつきながら諭す。

「あんな動き、『慣性制御』しているに決まっているでしょ。耐G防御が強化装備頼りの戦術機であんな真似したら、あんた口から内蔵はみ出るわよ」

 まあ、その前に機体フレームがGに耐えきれずに、旋回の度に手足を落としていくでしょうけど、と夕呼は付け加えた。

「あ、そうか」

 流石は異世界の技術だ。武の目に憧憬の色が浮かぶ。戦術機にも慣性制御装置が搭載されれば、自分もああいう機動が可能になるのに。

『よし、次だ。隼人、準備は良いか!?』

『おうよ、いつでもオーケーだ、リーダーさんよ』

 熱血リーダー流竜馬の声に、クールな二番手神隼人が答える。

『チェンジ・ライガー! スイッチ、オン!』

 その声を合図に、ゲッタードラゴンは三機の戦闘機に分離した。

 三機のゲットマシンは、縦横無尽に横浜の空を飛び回る。

「………………」

 基地の中も外も、見学者全員が呆然と言葉を失っている間に、三機のゲットマシンは合体を果たす。この世界の戦闘機では絶対に追いつけそうにない速度を全く殺さないまま、ガチャンガチャンと音を立てて戦闘機がくっつくと、それは人の形を取る。

 蒼を基調にしたロボットが、地上に舞い降りる。右手がドリル、左手がアンカーになっている。あのアームでどうやって戦うのだろうか? 海神のような固定武装タイプなのだろうか?

 皆が固まっている間に、夕呼は感嘆の籠もった声を上げる。

「……興味深いわね。あれは、とんでもないレベルのコンピュータよ」

「えっ?」

 思わず声を上げる武に、夕呼は鈍いわね、言わんばかりに一度視線を向け、

「あの高速で合体を成功させる。常識を越えたレベルでコンピュータ制御しているのよ。気温、湿度、気圧、それにおそらく重力といった外的変化要因。さらに、燃料消費や弾薬消費に伴う、質量変化や重心変化といった内的変化要因。それらを全てコンピュータが計算した上で、タイミングや位置がコンマ数秒、コンマ数ミリ狂っただけで衝突事故を起こしかねない、あの高速合体をオートで成功させているのよ」

「な、なるほど……」

 夕呼の説明に納得した武は、ゲットマシンに搭載されているコンピュータの優秀さに感心した。

 夕呼の目にもギラリとした下心の色が滲む。それほどの優秀なコンピュータ。設計概念だけでも教えてもらえれば、00ユニットの開発に役立つかも知れない。まあ、本当に見せて貰いたいコンピュータは、キングジェイダーの『トモロ0117』だが。

 そんなことを考えている夕呼に、武は素朴な疑問をぶつける。

「でも、そもそもあの機体。どんな原理で合体してるんでしょうね?」

「え? ごめん、聞いてなかったわ。何か言った?」

 珍しくキョトンとした顔で聞き返す夕呼に、武はもう一度、同じ言葉を繰り返そうとする。

「いや、だからあの機体の合体原理……」

「ごめん、全然聞こえない。もう一度言ってくれる?」

 武の語尾にかぶせるようにして聞き返す夕呼の表情はいつも通りなのだが、なぜか武は背筋にゾクリと寒いモノを感じた。

「……いえ、何でもないです」

「そう、ならいいわ」

 夕呼の視線が外れると、不思議と悪寒はピタリと止んだ。

 武はホッと安堵の息をついている間に、ゲッターGは次の変形に映る。

『最後はお前だ。ちゃんとやれよ』

『今回の主役は、お前なんだからな、弁慶』

『応、任せておけ! チェンジ・ポセイドン! スイッチ、オン!』

 先ほど同様、三機の戦闘機に分離したゲッターロボGは、再度合体を果たすと、水中戦用機体、ゲッターポセイドンへと変貌を遂げる。

『うおお、いくぜえ!』

 弁慶は雄叫びを上げながら、ゲッターポセイドンを横浜港へとダイブさせる。

 今回の作戦で重要視されるのは水中戦闘能力だ。ここからが本番と言えるのだが、生憎この場からは見えない。

 モニターには、水中カメラの画像が映っているはずだ。

「ッ、失敗したわね。やっぱり司令室でモニターを見ているべきだったかしら」

 夕呼がそう呟いた次の瞬間だった。

『そりゃ、ゲッターサイクロン!』

 突如、穏やかだった横浜の海に、巨大な渦が巻き起こる。

「ふわああ……!」

「な、なにが起きてるの?」

 ヴァルキリーズの面々は、ザワザワと騒ぎ出している。まあ、さっきまで穏やかそのものだった横浜の海に、突如鳴門の大渦を越える異常海流が発生したのだから無理はない。

「…………」

 何となく、今モニターの前にいなくて正解だった気がする夕呼であった。









【2005年1月10日、日本時間14時19分、横浜基地、会議室】

 ゲッターGの演習が終わったところで、横浜基地に来ていた帝国軍将校達は、小さな会議室でαナンバーズの責任者達と会談の場を設けていた。

 今回演習を行ったのはゲッターだけだ。ヒイロ達五人は元々正規兵というよりゲリラに近い性質のため、機体を必要以上に衆目に晒すことを拒絶した。

 ガルドのVF-11サンダーボルトは、先に地上で活躍しているVF-19エクスカリバーより、性能が下だ。今更、パフォーマンスを見せても、インパクトは薄い。

「いやあ、素晴らしい機体ですな。我々としても心強い限りです」

 あからさまなおべんちゃらを使っているこの男は、帝国軍で少将の階級を持つ高級参謀である。

 背が小さく、小太りで、頭頂部のはげ上がった冴えない中年男だが、交渉役としてはそれなりの実績がある。

「は、ありがとうございます」

「ご理解いただけたなら、幸いです」

 対面に座る大河全権特使とブライト大佐は、殊勝な顔でそう言うと、小さく頭を下げた。

 大河達は悪くない感触を得ていた。これならば、『オペレーション・ハーメルン』に帝国からの横やりが入ることはなさそうだ。

 国連主導の甲20号作戦における犠牲者を減らすために、帝国領内にBETAを引き寄せる。それが『オペレーション・ハーメルン』の実態だ。

 現状、国連とはあまり良い関係を築いているとは言えない帝国にとっては、決して面白い話ではないだろう。

 だが、実際には帝国からすると、この提案を蹴るということは最初からあり得ない。
 
 なにせ、帝国はこれまで二度、ハイヴ攻略戦で酷い目に遭っている。

 シベリアの甲26ハイヴが陥落したときには、BETAの一部が佐渡島ハイヴを目指し、北海道に上陸した。

 半月前、佐渡島の甲21号ハイヴが陥落したときには、残った全BETAが横浜基地を目指してやってきた。

 それを考えれば、朝鮮半島の甲20号ハイヴが陥落したときに、残ったBETAの一部、もしくは全部が、また横浜にやってこない保証はない。

 その場合、αナンバーズの協力なしに、対処するのは難しいだろう。

 攻略戦に直接軍は出さないものの、今回の作戦は日本帝国にとって全く他人事ではないのである。

 元々九州、四国、中国地方は対BETA戦の緩衝地帯として、無人のままにしてある。確実にBETAを殲滅してくれるならば、多少の無茶は許容範囲内だ。

 ましてや、αナンバーズが立候補している対馬は、元々防衛ラインにも入っていない完全に切り捨てていた島である。極端な話、島そのものを海に沈めでもしないかぎり、抗議をするつもりはない。

「では、我々の南日本防衛線への参加と、『オペレーション・ハーメルン』の発動を許可していただけるのですね」

 念を押す大河特使に、男は笑いながら、

「ええ、こちらからお願いしたいくらいです。ただし、対馬を海の底に沈めるのだけは勘弁して下さいよ」

 あそこは貴重な我が国の領土ですから。そう冗談を飛ばす太めの参謀に、大河は、

「はい。その点に関しましては、細心の注意を払う所存です」

 神妙な表情で頭を下げた。

 一瞬きょとんとした参謀であったが、大河の返答をウェットに富んだジョークの一種と取り、さも面白そうに笑った。

 ひとしきり笑ったところで、参謀は本題を切り出す。

 帝国の将官がわざわざこの横浜基地まで来たのは、横浜の牝狐経由でとびきりの情報が入ったからだ。しかも、その情報の一部は午前中の間に、この目で確かめている。

 中年男は、わざとらしく数度咳をすると、話し始めた。

「えー、それで午前中にご拝見したのですが、香月博士の直属部隊が、そちらの兵器を使用していたようですが」

「はい。伊隅ヴァルキリーズの皆さんには、十日後の作戦に同行していただくことになりましたので、戦力強化のために貸与しました」

 元々隠す気はない大河特使は、堂々と胸を張って答える。

「それは、今回は特例、ということですかな?」

 日本人の癖と言うべきか、少し遠回りな質問に、大河は「いいえ」と首を振ると、

「現時点では我々も、あまり物資が豊富ではないので伊隅ヴァルキリーズに限らせていただきますが、岩国補給基地が完成した暁には、BETAと戦う国々から希望があれば、同レベルのものを譲渡するつもりです」

 そうきっぱりと言い切る。

 太った少将は動揺を隠しきれず、ガタンとテーブルに手をつく。

「す、全ての国、ですか?」

「はい。原則、全ての国に、です」

 これが、現時点でαナンバーズが出した結論だった。

 日本帝国の口から語られる国連という組織は、はっきり言えばかなり偏見が混ざっている。オルタネイティヴ計画が5に移行してから、国際社会の主流から大きく外れた日本は、どうしても国連及びそのバックのアメリカに良い感情を持っていない。

 だが、その偏見の分を割り引いても、国連という組織が「国際社会の総意」を発するのではなく、アメリカという唯一の超大国の代弁者と化しているのは、事実のようだ。

 国連がその公平性に付いて全く信用できないのであれば、全ての国と、個別に対応していくしかない。ただし、可能な限り公平に。求められたら全ての国に同じ条件で、同じものを提供する。それが日本であろうと、アメリカであろうと、ソ連だろうと、だ。

 無論、このやり方でも多くの問題はある。

 結局は、危険な武器をこの世界にばらまくことには変わらないし、そもそも領土を失った国が50を超えている現状で、どの勢力を『国』と認めるか、と言う問題もある。

 このように予想される問題だけでも山積みだが、それでも国連を一括窓口にするよりはいいという判断なのだろう。

 国連に一任すれば、下手をするとそれらの兵器は、全てアメリカの研究部に納められ、対BETA戦は今まで通りG弾を中心に、ということにもなりかねない。

「もっとも、岩国補給基地の生産力にも限りはありますので、あまり過剰な期待はしないで戴きたいのですか」

 大河は低く静かな声でそう付け加えた。

 ミノフスキー粒子発生装置が無ければ、ビーム兵器も核融合炉もこの世界の技術にはなり得ない。まずは何をおいても、ミノフスキー粒子だ。

 この世界の科学者達にミノフスキー粒子について理解して貰い、将来的でもいいから、この世界の人間の手でミノフスキー粒子発生装置を作れるようになってもらわなければ、それらの技術はこの世界に根付かない。

 自分たちが去った後、BETAがやってくることを考えれば、ある程度の技術の流出は必要だ。

 ブライトのような単純な軍人としては、いっそ難しいことを考えるのは全て放棄して、この宇宙に存在する全てのBETAをαナンバーズで撃ち滅ぼした方が速い気さえしてくる。

「それでは、岩国基地で生産される最初のロットを予約することは可能ですかな?」

「そうですね。しかし、我々にも無から有を生むことは出来ませんので、原材料は提供していただく必要がありますが。無論、その場合には……」

 なおも交渉を続ける帝国将校と大河全権特使を横目で見ながら、ブライトは不慣れな席に腰を下ろす疲労感を顔に出さないよう、表情筋に力を込めるのだった。










【2005年1月10日、日本時間16時03分、帝都東京、帝国技術廠、第壱開発局】

 帝国の兵器技術開発における最高峰の一つに挙げられる、帝国技術廠。

 ちょっとした修理工場が二つ三つは入りそうな大きな工房の片隅で、帝国有数の技術者達は、呼吸音すら押し殺し、モニターの画像に見入っていた。

 それは、先の佐渡島攻略戦における、αナンバーズの活躍を纏めた画像資料である。実機テストのように専用のカメラ部隊が取ったものではなく、実戦参加している戦術機や戦車などのカメラからより集めて編集しただけの代物なので、素人が見れば酔ってもおかしくないくらいに、グチャグチャな映像だ。

 だが、そんな、カメラワークの悪さなど、この場にいる専門家達は欠片も気にしていない。

「…………」

 熟練の技術者達、秀才の異名高い科学者達が、息を呑んで見入る画像の中心に映っているのは、白黒二色――モノトーンカラーに塗られたスマートなモビルスーツ、νガンダムである。

 飛行の能力もないのに、戦術機を遙かに超えた回避力。ほとんど反則としか思えない威力のビームライフル。どう考えてもESP能力者だとしか思えない衛士の技量など、気になる点は多々あるが、明らかにこの映像がメインに添えているのはそれらではなかった。

 衛士の操るとおり単独で空を飛び、そこからビームを放つ、摩訶不思議な白い板きれ。『フィンファンネル』と呼ばれるそれが、どうやらこの画像を持ってきた人間達が、彼らに見せたいものであったようだ。

「…………」

 画像が終わった所で、大佐の階級章をぶら下げた中年の男は、ゆっくりと話し始める。

「見て分かったと思うが、この兵器『フィンファンネル』は、我々から見れば、新技術の宝庫と言える。諸君等に依頼したいのは、このフィンファンネルの技術解明だ」

 そう言って中年の大佐は、左手を大きく広げ、横を指さす。

 そこには見るまでもなく、先ほどモニターに映っていた、全長20メートル近い長大な白い金属板が、十数枚、立てかけられていた。

 帝国軍が、佐渡島から回収したものだ。中には半ばから折れていたり、レーザーを浴びてひしゃげていたりするものもあるが、大半は原形を保っている。

「高速で飛行する無線誘導、この大きさであの飛行時間を確保する高性能エネルギーパック、そしてビーム兵器。どれか一つでも解明できれば、対BETA戦線において、どれだけ劇的な変化をもたらすか言うまでもないだろう。

 時間に制限はつけない。予算も可能な限り融通しよう。諸君等の奮闘に期待する」

 予算も可能な限り、と言ったところで参謀の横に控えていた若い副官が、少し驚いたような表情を浮かべたが、話に聞き入っていた技術者達は全く視界に入れていなかった。

 あまりに急な話だが、この場にいる技術者、科学者は皆軍人であり、目の前の参謀より階級も低い。

 さらには、最初に技術廠の総責任者からの委任状も見せられている。ついでに言えば、全く未知の新技術に触れる機会を逃すような、知的好奇心を死なせた人間が、技術畑にいるはずもない。

「分かりました。全力を尽くします」

 技術者達は、明らかになれていない敬礼で、答えるのだった。





「で、親父さん。どうします、こいつ?」

 満足げに、参謀とその副官が去っていった後、早速技術者達は『フィンファンネル』の一枚をクレーンで持ち上げ、作業台の上に降ろし、調べ始めていた。

 親父さんと呼ばれる、この中でも最古参に近い技術者に皆の注目が集まる。

「まあ、これだけ数があるんだ。まずは一つ、壊れているのを試しにばらしてみるか」

 親父さんは、早速その節くれ立った手に愛用のレンチを握り、解体作業に入ろうとしている。

「了解です。けど、親父さん。何から調べるんですか?」

 参謀が提示した技術だけでも三つある。「特殊無線誘導」「高性能エネルギーパック」そして「ビーム兵器」。どれも、この世界の基準からすればオーバーテクノロジーなのだが、オーバーテクノロジー過ぎて、どこから手をつければいいか分からない。

 だが、親父さんの異名を持つ古参の技術者は、皺深い顔をくしゃくしゃにして笑うと、

「そうだな。まずはこの板きれがどやって空中に浮いているのか調べてみっか。話はそれからだ!」

 端的に、最大の謎に挑む宣言をするのであった。




 一方、工房を出た参謀とその副官は早足で、灰色の空の下を歩いていた。

 参謀の左斜め後ろを歩く若い副官が、少し焦った声を上げる。

「大佐、良いのですか? 予算に付いて釘を刺さなくて」

 元々兵器開発局というのは恐るべき金食い虫な上、技術屋や科学者という人種は金に頓着しない人間が多い。あんな言い方をすれば、どんな明細書を送ってくるか、知れたものではない。

 しかし、参謀は正面を向いて歩き進みながら、答える。

「良いのだ。君は知らないのかね? 昨今、財務省に毎日お客さんが訪れているのを」

「お客さん、ですか」

 尋ね返す副官に、参謀は前を向いたまま、頷く。

「そうだ。一昨日は、ローマンブラザーズの極東支部長。昨日はモーガン・スタンレーのアジア・オセアニア支部長。今日などは、ゴールドラックスの本部副部長がわざわざ、アメリカから日本に来たのだぞ」

 ローマンブラザーズ、モーガン・スタンレー、ゴールドラックス。どれも、世界有数の投資銀行である。そんな奴らが、わざわざ財務省に訪れる理由など一つしかない。

「では……」

「そうだ。皆、口を揃えて聞いてきたよ「今年の帝国国債はいつ発行するのか?」とな」

 ある程度余裕のある連中は皆、未知の超技術を披露したαナンバーズとその母国、日本帝国に貸しを作りたくてしょうがないようだ。

 副官は思わず言葉をなくす。そいつ等が去年までどんな態度でいたか、よく知っているからだ。

「確か去年は」

 怒気の籠もる副官の声に、参謀は苦笑しながら、

「ああ、去年は財務省の事務次官クラスが、土下座行脚に近い真似をして、どうにか国債を買って貰ったのだがな」

 それが、今年は掌を返し、「どうか、国債を売ってくれ」と言ってきている。財務省の試算では、去年の倍発行したとしても、国債は飛ぶように売れるだろうと出ているらしい。

 おかげで今財務省は、今年の方針について大論争が起きている。この機を逃さず国債を売りまくれ、と言う者もいれば、この機会に、借金の泥沼から抜け出す試算を立てるべきだ、と言う者もいる。

 若い副官は完全に立腹しているが、中年の参謀はむしろ感心してる。この、ドライで拘りのない価値観が、アメリカを世界唯一の超大国としているのか、と。

 世界はいずれ気づくだろう。αナンバーズの技術は、帝国のものでも横浜の牝狐のものでもないことに。

 幸い、この異世界の超技術の解明競争において、帝国は一足先にスタートを切ることが出来たのだ。なんとしてでもこのスタートダッシュで他国を引き離さなければ、帝国は永遠にアメリカに組み敷かれたままだ。

 参謀は、冬の灰色の空を見上げながら、国のため己のやるべき事について考えていた。
 

 
 
 
 

 

 










【2005年1月10日、日本時間20時00分、横浜基地、港、ラー・カイラム、アークエンジェル】

『それでは、甲20号作戦は、1月20日で正式決定ということだな?』

 夜のフォールド通信会議は、確認するエルトリウム艦長、タシロ提督の発言から始まった。

「はい。近々、横浜港にも国連軍の部隊がやってくる予定になっています。我々αナンバーズ先行分艦隊は、当日、対馬入りし、南日本防衛線に参加。その後、状況を見て必要とあらば『オペレーション・ハーメルン』を発動します」

 横浜港に停泊する戦艦、ラー・カイラムの艦長席からブライトはそう告げる。

『うむ。帝国からオペレーション・ハーメルン発動の許可が下りたのは何よりだな。しかし、1月20日では、これ以上の戦力増強は出来んな』

『はい。光竜、闇竜共に復帰は1月22日の予定です』

『こちらは、VF-11サンダーボルトの二機目が1月19日に完成する予定ですが、移動時間を考えるとやはり間に合いません』

 タシロ提督の声に応え、GGGの火麻参謀と、バトル7のマックス艦長は淀みなく答える。

『それ以外でしたら、ガンダム・ステイメンは、1月28日にフルオーバーホールが完了する予定になっています。正確な日時が提出されているのはそれで全てです』

 淡々とした口調で、エルトリウム副長がそう付け加えた。

 各機の復旧具合は順調なようだが、やはり1月20日の『甲20号作戦』に間に合う機体はないようだ。これ以上の戦力の増強は望めない。

「分かりました。こちらは現状の戦力で、対処します」

『うむ。すまんが、よろしく頼んだぞ、ブライト君』

 ブライトとタシロはモニター越しに頷きあった。

「それで、そちらの状況はどうなっているでしょうか?」

 話を振られたタシロは、少し顔をほころばせ、話し始める。

『こちらは比較的順調だ。BETAの着陸ユニットは毎日のようにやってくるが、いつも通り迎撃している。エルトリウムの医療班が定期検診をしているが、乗組員でストレス性の心身障害を起こしている者もいない』

 元々一度は地球を追放され、宇宙を放浪する覚悟を決めた人間達だ。連日の警報くらいでおたおたする人間はいないのかも知れない。もちろん、これが今後もずっと続くのなら、また話は別なのだろうが。

『本隊及び、資源回収部隊の警護を優先しているので、ペースは落ちていますが、火星ハイヴ間引き作戦も順調です。火星全体を衛星軌道上から検索した結果、火星のハイヴを46確認。そのうち、火星降下部隊はこれまでに4つのハイヴの攻略に成功しています』

 エルトリウム副長は、タシロ提督の後に続けて、手元のクリップに目を落としながら、説明した。

 12月31日から始まった『火星ハイヴ間引き作戦』。11日で4つというのは、当初予定していたペースより落ち込んではいるが、そう悪くないペースと言えるだろう。

 いかにガンバスターやガイキングが無敵でも、タカヤ・ノリコやツワブキ・サンシローは不死身ではないのだ。

『しかし、問題もある。一昨日ガンバスターとガイキングが火星に向かったところ、最初に落としたハイヴの近くに、新たなハイヴが建設されていた』

 タシロ提督は少し顔をしかめてそう言う。

「やはり、ですか」

 同じく渋い顔をするブライトであったが、それはある程度最初から予測された事態でもある。

 こちらはあくまで、惑星の外から定期的に攻撃をしかけているだけなのだ。火星のBETAが、ハイヴを修復したり、新しいハイヴを建設する余裕は幾らでもある。

 実際、落ちたハイヴを修復されるという予想と比べれば、新たなハイヴを作られるというのは、遙かにマシだ。最悪というのはほど遠い。

 新設されるハイヴなど現時点ではまだフェイズ1。フェイズ6ハイヴを四つ落としている間に、フェイズ1ハイヴが一つできる程度の抵抗ならば、いずれ力で揉みつぶせる。

『もっとも、この世界の人類が経験したBETAの特性からすると、新たな攻撃を受けたBETAが対処法を生み出すまで、19日かかるとなっていますな。火星ハイヴ間引き作戦に問題が生じるとすれば、1月19日以降ということになりますかな』

 楽観論に転がりそうな雰囲気に水を差すように、バトル7のエキセドル参謀はそう発言した。

 確かにそうだ。この世界の地球でも最初のハイヴ攻略戦は航空戦力が有効に働き、圧倒的に人類が押していたのだという。そこに対空迎撃に特化したBETA――レーザー級、重レーザー級が現れ、戦況が一変したのだ。

 火星でも、ガンバスターやガイキングに対抗する新たなBETAが生まれないとは限らない。

『うむ、油断は禁物だな』

 タシロ提督は、己を戒めるように深く頷いた。

『あと、大きな動きとは言えないが、ガイキングその他の修理が完了したことで、大文字博士とサコン君が次の特機の修理に取りかかってくれている』

 タシロ提督の言葉を受け、それまで聞き役に徹していた大空魔竜の総責任者、大文字博士が口を開く。

『はい。所詮私は、ガイキング以外は門外漢ですので、どの程度お力に慣れるかは分かりませんが、まずはサコン君と力を合わせて、ダンクーガの修理に取りかかっています』

 最初にダンクーガを選んだのは、この機体が特機の中では珍しく軍に所属する機体だからだろう。そのため、他の特機と比べれば、データや資料が多く残されている。

 一般整備兵が見てもちんぷんかんぷんな資料も、特機の開発者である大文字博士や、人間コンピュータの異名高い、天才・サコンが見れば、十分修理に役立つ。

 今は修理の前段階で資料の読み込みをやっているというが、将来的には修理できる目安は立ちそうだという。

 一つでも特機の修理の目処が立つのは朗報だ。

『こちらからの報告は以上だ』

 大文字博士の説明が、終了したところで後を引き継ぐようにタシロ提督がそう締めくくる。

「わかりました。では、こちらからの報告ですが、まず、香月博士の直下部隊、伊隅ヴァルキリーズに『ビームライフル』と『ビームサーベル』の予備を譲渡しました」

 タシロ提督の言葉を受け、ブライトは今度は先行分艦隊の状況を説明し始める。

『まあ、『オペレーション・ハーメルン』に同行されるのならば、それくらいの助力は必要でしょうな』

 エキセドル参謀が相づちを打つように、その大きな緑色頭を縦に振る。

『はい。ミノフスキー粒子発生装置は渡していないので、ビームの補充は出来ませんが、どのみち『オペレーション・ハーメルン』では、伊隅ヴァルキリーズの戦術機も、ラー・カイラムかアークエンジェルに搭乗して貰うことになりますので、問題はありません』

 無論、この世界の兵器のように、補給コンテナを戦場にばらまけた方が効率が良いのは確かだが、無いものは仕方がない。

『そして、今後『岩国補給基地』が完成すれば、同レベルの兵器をこの世界の国家に譲渡する、か』

 何か考えることがあるのか、タシロ提督は目を瞑り、身体を艦長席の背もたれに預ける。

 兵器の譲渡や技術の流出には、慎重論も多々出されたのだが、やはりこの世界の人類の生存を考えれば、ある程度は必要不可欠だという結論が出た。

 それに、すでにビームライフルとビームサーベルは、香月夕呼の手に渡してしまっているのだ。

 香月夕呼の評判は、上から下まで色々ある。正直、良くないものの方が多いが、それでも一つだけ、どれだけ夕呼を嫌っている人間でも認めぜるをえない長所がある。それは、香月夕呼が掛け値なしの『天才』だということだ。

『天才』。その言葉で最初に思い出されるのはやはり、「ビアン・ゾルダーク博士」と「シュウ・シラカワ博士」の二人だ。

 香月夕呼が、あの二人に匹敵する才の持ち主だとすれば、ビーム兵器など半年後には量産にこぎ着けていてもおかしくはない。

 そう言う意味では、ここでαナンバーズがビーム兵器とその理論を流出しなかったとしても、技術の流出という問題に関しては、早い遅いかの違いしかない。



 甲20号作戦発動まで、後十日。

 時間はまだあるが、打てる手はどうやらもう無いようだ。

 可能な限りの援軍は地上に降ろしたし、補給物資はラー・カイラム、アークエンジェルの積載限界近くまで補充した。

 各パイロット達も十分にやる気を高めているし、伊隅ヴァルキリーズという現地の援軍も加わることになった。

 人事はつくした。後は天命を待つのみ。もし、天命がろくでもないものであれば、その時改めて力尽くで天命をねじ曲げればいい。滅茶苦茶な考えだが、αナンバーズは今日までずっとそうやってきたのである。

 αナンバーズの艦長達は、最後に互いの健闘を祈り、敬礼を持って通信を終えるのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その5
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:29
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その5



【2005年1月20日、日本時間8時55分、対馬東海上、ラー・カイラム】

 1月20日。極東BETA戦線は、新たなる段階を迎えようとしていた。

 国連主導による甲20号ハイヴ攻略戦。

 朝鮮半島の南側・黄海上には大東亜連合艦隊が、反対の北側・日本海側には国連軍太平洋艦隊が、そして衛星軌道上には国連宇宙軍装甲駆逐艦隊が、準備万端整え、開始の合図を待っている。

 アジア諸国の中で、唯一この作戦に直接軍を出していない日本帝国であるが、それは帝国の平穏を意味するものではない。

 日本から見れば、日本海をはさみ五百キロも離れていない地点が主戦場なのだ。奇跡の佐渡島ハイヴ攻略戦からまだ一月もたっていない帝国にとっては、西日本に防衛網を引くだけでも青息吐息の重負担だ。 

 万が一、甲20号ハイヴのBETAが日本海を渡り、九州・中国地方に上陸するようなことがあれば、それだけで十分致命傷になりうる。

 その場合には、西日本防衛線の最前線に志願したαナンバーズ先行分艦隊に、これまで通りの常軌を逸した活躍を期待するしかないのが、今の帝国の台所事情なのであった。






「アムロ小隊、カミーユ小隊、バニング小隊、カガリ小隊、ディアッカ小隊、エヴァ小隊、ジーグ小隊、イサム小隊、ウイングガンダムゼロ。全て所定に位置につきました」

「ゲッターポセイドン、ガンダムデスサイズヘル、ガンダムサンドロック改、ガンダムヘビーアームズ改、アルトロンガンダム、以上海中部隊も配置完了です」

「Jアーク問題ありません。阿蘇山火口上空で待機」

 BETAをおびき寄せると考えられているJアークは、念のため九州中部の阿蘇山の上空で待機させている。完全復活したJアークの飛行速度は、文字通り常軌を逸している。阿蘇上空から対馬までなど、加減速のロスを考慮しても数秒もかからない。

 キビキビとラー・カイラムの管制官達が艦長席に座るブライトに報告を入れる中、国連軍の黒い制服を着たCP将校が、艦橋の一角に臨時で設けられた管制席に座り、少し緊張した声色でそれに続ける。

「伊隅ヴァルキリーズ。全機、問題なく稼働。機体配置、完了しています」

 それは、伊隅ヴァルキリーズのCP将校、涼宮遙中尉であった。いきなり伊隅ヴァルキリーズの面々を直接αナンバーズの指揮下におくのは不安が残るため、今回の作戦に同行したのだ。

 無論、ラー・カイラムの施設では今まで通りのCP業務は出来ないため、機材一式は横浜基地から持ち込んでいる。

 慣れた機材を使い、相手をするのは慣れたヴァルキリーズ。やることは普段と何ら変わらないのだが、やはり未知なる空中浮遊戦艦に乗っているというだけで、無用な緊張感を強いられる。

 幸い、艦長のブライトを始め、αナンバーズの面々は皆、気安く、友好的な人間ばかりだったが、ここがαナンバーズという異世界人の旗艦であるという事実に変わりはない。

 不可抗力で何らかの機密情報に触れてしまい、身柄を拘束される可能性は常につきまとっている。

 そういった意味では、遙以上に緊張の日々を強いられているのが、格納庫で働いている戦術機の整備兵達だ。なにせ、すぐ隣でαナンバーズの整備兵達が働いているのである。

 目に入るもの、耳に聞こえてくるもの全てが、機密情報の様な気がする。特に倉庫の片隅に放置されている廃棄されたモビルスーツ――ジムカスタムの残骸を目の当たりにしたときは、一同本気で目を疑ったものだ。

 パーツ取りのために使える装甲部品をはぎ取り、機体中枢を剥きだしにしたモビルスーツを、部外者――それも兵器の専門家である整備兵の前にわざわざ放置している理由は何なのだろうか?

 意図の読めない整備兵達は、この作戦が終わっても、自分たちは退艦が許可されない可能性が高いとすら思っている。

 αナンバーズの面々が聞けば、目を丸くして首をかしげそうな話だが、元々星を越えた「寄り集まり所帯」であるαナンバーズの常識を理解しろという方が酷なのかも知れない。





 一方、対馬上陸を果たした伊隅ヴァルキリーズの衛士達は、甲20号作戦の開始を数分後に控え、緊張した面持ちで海の向こうを見つめていた。

 αナンバーズ出向部隊となったのは、C小隊の4人――宗像美冴中尉、風間梼子中尉、涼宮茜少尉、柏木晴子少尉に、B小隊の2人――速瀬水月中尉と白銀武少尉を加えた、合計6名である。

 六機の不知火は、この場では変則一個小隊として扱われている。一個小隊と言うには若干数が多いが、二個小隊と呼ぶには数が足りない。

 六機に不知火は皆、今回が初の実戦使用となるビーム兵器が搭載されている。

 数に限りがあるため、多いものでビームライフルが一つとビームサーベルが二つ程度だが、桁外れの威力を持つ新兵器は、新OS『XM3』同様、十分な力を発揮してくれるはずだ。

 さらに周りを固めるのは、文字通り一騎当千のαナンバーズの猛者達。例えBETAの大軍を相手取ることになっても、何ら問題はないはずだ。

 そうは思っていても、戦闘開始を直前に控えた緊張感がほぐれるものではない。

 まして、これがまだ二度目の実戦である武達に緊張するな、と言う方が酷だ。

「はあ……」

 不知火のコックピット中で、武は何度目になるか分からないため息をついた。

 同時に網膜投射ディスプレイの片隅に表示されるデジタル時計に視線を向ける。

 8:58

 作戦開始まで後2分だ。さっき見たときは、8時56分だった。あれから最低でも10分はたった気がするのに、まだ2分しかたっていない。

 緊張の中、何かを待つ時間というのは、恐ろしくゆっくり流れる。

「ふう……」

 もう一度深呼吸をする。

『白銀ぇ、あんたさっきからなに辛気くさいため息付いてるのよ』

 そんな武の様子を見かねたのか、部隊長であり武のエレメントパートナーでもある水月が声を掛ける。

 網膜ディスプレイの右上に移る上官のあきれ顔に、武は慌てたように言い訳する。

「あ、いや、今のは深呼吸で」

『どっちでも良いわよ、そんなの。本当に大丈夫なんでしょうね? 突撃前衛が、緊張ですっ転ぶなんてみっともない真似はやめてちょうだいよ』

 問題ないのはバイタルデータで水月も確認済みだ。これは、緊張をほぐすための軽口に近い。

『緊張すること無いぜ、武。お前が多少ドジっても俺がフォローしてやるよ』

 軽い口調で割り込んできたのは、ヴァルキリーズの右に陣を張るイサム・ダイソン中尉だった。先の横浜基地防衛線で共同戦線を経験しているイサムは、αナンバーズの中でも特にヴァルキリーズと気安くなっている。

 こちらは音声のみで、画像は繋がらない。

『人のことを言っていられる立場か。調子に乗ってドジを踏むのは、お前の専売特許だろうが』

 そこに辛辣な言葉をかぶせたのは、その隣に立つVF-11サンダーボルトのガルド・ゴア・ボーマンだ。

 イサムのVF-19エクスカリバーも、ガルドのVF-11サンダーボルトも、現状はガウォーク形態を取っている。イサムが前回の戦闘で、BETAの大群を相手取るにはこれが最適と判断したのだ。なんだかんだ言っても、ガルドもイサムのバルキリー乗りとしての能力は認めている。

『んだと、この、むっつり陰険野郎。俺が今まで何回、お前のミスをフォローしてやったと思ってやがる!?』

『俺が貴様をフォローしてやった数より少ないことは確かだな』

『てめえ、勝手に記憶改ざんしてるんじゃねえ!』

 すっかり武を置いてきぼりにして、いつもの喧嘩が始まる。

『あはは。大丈夫ですよ、武さん。僕らはここからあまり動かないようにしますから、危険な状態になったらこっちに避難してきて下さい』

 イサムとガルドのやりとりに、困ったような笑い声を上げながら、そう言ってきたのはヴァルキリーズの左に陣を引く、エヴァ小隊のシンジだった。

「ああ、その時は頼むよ、シンジ」

 自分より遙かに年下の少年に守って貰うというのは若干情けない気もするが、元々乗っている機体の防御力が次元違いなのだ。

 気にする方が間違えている。

 気がつけば、言葉を交わしている間に、緊張はほどよくほぐれていた。会話によるリラックス効果というのも馬鹿に出来ない。

 熟練の隊長クラスには、話術に長けている人間が多いと言うが、なるほどと思う。

 コリをほぐすように一度首を回し、左右の操縦桿を握り直す。

 その時だった。ラー・カイラムの涼宮遙中尉から、ヴァルキリーズ全員に対し通信が入る。

『ヴァルキリーマムより各機へ。甲20号作戦の始動を確認。各員状況に対処せよ』

「っ!」

 次の瞬間、海の向こうにかすんで見える半島の地表から、無数のレーザー光が立ち上るのだった。









【2005年1月20日、日本時間9時00分、朝鮮半島北、日本海、国連太平洋艦隊】

 ハイヴ攻略戦というものは、宇宙から始まる。

 空を奪われ、地中を支配され、地上を蹂躙されている人類にとって、唯一BETAを一方的に攻撃できるのが、大気圏外からの軌道爆撃なのだ。

 それ無しでハイヴ攻略をやろうとした、先の佐渡島ハイヴ攻略戦は、例外中の例外なのである。

 大気圏外を周回し、タイミングを合わせた国連宇宙軍所属の装甲駆逐艦隊が、甲20号ハイヴめがけ、無数の対レーザー弾を投下する。

 投下された対レーザー弾は、多少の誤差はあるにせよ、そのほとんどが狙い違わず大気圏を貫き、朝鮮半島中央部の鉄源ハイヴへと降り注ぐ。

 無論、それをBETAが黙って見過ごすはずもない。レーザー級・重レーザー級のレーザー光が立ち上り、砲弾の大半は大気の塵と化す。だが、それこそが狙いの対レーザー弾だ。

 レーザー照射を受け、蒸発した対レーザー弾は、重金属雲を発生させ鉄源ハイヴを覆う。

 一連の光景を、国連太平洋艦隊は、日本海海上から見ていた。

 旗艦『アイオワ』に設けられた司令部では、CP将校達が次々と入る情報の荒波と格闘している。

「機動爆撃第一波成功! 誤射は5パーセント強」

「重金属雲発生。現在、予定濃度の23パーセント」

「機動爆撃第二波、爆撃ポイント到達まで2分30秒。到達次第爆撃を開始します」

「『G部隊』、大気圏上で待機。変化ありません」

 白い口ひげを蓄えた初老の司令官は、いちいち頷きながら、正面の大型ディスプレイに目を向けている。

 年の割には胸板も厚く、堂々とした体格をしたその男は、軍歴の大半をアメリカ海軍として過ごしてきた生粋のアメリカ人である。国連軍に籍を移して、まだ一年もたっていない。

「機動爆撃第二波、成功しました。重金属雲濃度は71パーセント!」

「第二波、対レーザー弾、迎撃率48パーセント」

 次々と入る順調な報告に、司令官は重々しく頷くと、重厚な声で指示を飛ばす。

「よし、全艦微速前進。南下開始。目標、巨津(コジン)港」

 日本海に面する朝鮮半島の港の名前を読み上げる。

「了解。全艦、巨津港に微速前進」

「大東亜連合艦隊にも北上するよう要請しろ」

 要請とは言っても事実上の命令である。今回の全体指揮権は、国連太平洋艦隊司令官である彼に一任されている。あえて要請と言う言葉を使ったのは、大東亜連合に対する一定の配慮に過ぎない。

 今回の作戦では、日本海側からの侵攻を国連太平洋艦隊が、黄海側からの侵攻を大東亜連合艦隊が担当することになっている。ちなみに国連太平洋艦隊の補給は日本列島の日本帝国が、大東亜連合艦隊の補給は台湾の統一中華戦線が受け持っている。

 鉄源ハイヴは、佐渡島ハイヴとは違う。ハイヴから海岸線まで、最長でも40キロもなかった佐渡島では、艦隊は海岸線から十分距離を取った所から、戦場全体に艦砲射撃を加えることが出来た。

 しかし、鉄源ハイヴは朝鮮半島のちょうど真ん中にあるのだ。北、南どちらも海岸線からハイヴまでの距離は、優に100キロを超えている。危険を冒して接舷するまで接近しても、艦砲射撃は届かない。

 専用のミサイル艇が辛うじて有効な程度だ。それでも、危険を承知で近づかなければ作戦は進まない。

 両艦隊は、ゆっくりと南北から朝鮮半島に接近する。

 水平線の向こうから朝鮮半島の陸地が見えてくる。すでに、海岸線にレーザー属種がいれば、今すぐにでも攻撃を受けかねない距離だ。

「巨津港、周辺。レーザー級、重レーザー級の姿は見えず」

 そう報告する、CP将校の声も緊張で少しうわずっている。

 緊張の時間がゆっくりと過ぎる。

 その間にも、大気圏外の装甲駆逐艦隊は、対レーザー弾の機動爆撃を続けていた。

「第三波、爆撃成功」

「第四波、同じく成功」

「重金属濃度、予定レベルに到達! 第4機動爆撃、迎撃率は12パーセント!」

 それは全ての条件が整ったという報告だった。

 司令官はキッと、目を見開く。

「よし、全ミサイル艇、対レーザー弾頭ミサイル発射。同時に「G部隊」、攻撃開始!」

「了解!」

 日本海から国連太平洋艦隊が、黄海から大東亜連合艦隊が、ありったけの対レーザー弾頭ミサイルを打ち込む。

 重金属雲に覆われているのはあくまでハイヴ上空、朝鮮半島の中央の一部だけだ。当然、半島の南北海上から打ち込まれるミサイルの何割かは、重金属雲の外にいるレーザー属種によって迎撃される。

 だが、それで良いのだ。ミサイルはあくまで囮。

 その隙に、大気圏外から投下された2発のG弾は、狙い違わずハイヴ地上建造物を漆黒の光で包み込むのだった。









【2005年1月20日、日本時間9時58分、朝鮮半島南、黄海、大東亜連合艦隊】

 朝鮮半島中央部に広がる、黒い光の二連ドーム。

 五次元効果弾、通称G弾。その威力は海上からでも十分に感じられる。ハイヴ周辺の地表に出ていたBETAは間違いなく全滅しているだろう。

 その光景を大東連合艦隊の司令は、旗艦の艦橋から複雑な表情で見守っていた。

 司令官は韓国人である。

 年の頃は、中年と初老の間くらいであろうか。元は黒かった髪には白いものが混じり、遠目には灰色に見える。細身で、顔や首には皺が目立つが、背筋はピンと伸びている。

 明文化されているわけではないが、ハイヴ奪還などの攻勢任務においては、それぞれの母国人が最も危険なポジションで命を張ることが不文律と化している。この作戦においてもそれは例外ではない。

 F-18ホーネットに乗る韓国人衛士や、MiG-21バラライカに乗る北朝鮮衛士は、全員例外なく最初のハイヴ突入組だ。

 司令官は、祖国の地に広がる漆黒の二連半球を見て、知らぬうちに下唇を噛んでいた。

 これで祖国奪還に大きく近づいたことは理解している。それでもやはり、祖国の地の一部が、半永久的な不毛の地と化したという暗い思いを、押さえられるはずがない。

 一月前、日本帝国はG弾を使わずにハイヴ攻略に成功しているのだ。非G弾ハイヴ攻略はすでに絵空事ではない。なのになぜ自分たちは……そう言う思いは当然ある。

 それでも彼らがまだ、G弾によるハイヴ攻略に理解を示しているのは、先の佐渡島ハイヴ攻略戦で、日本帝国が負った傷の深さを知っているからだ。

 比喩でも例えでもなく、作戦に参加した帝国兵が『半減』したという事実。

 疲弊しきった前線国家とはいえ、曲がりなりにも独立国として体をなしている帝国があの有様だったのだ。

 自分たちが同じ事をやれば、国土を取り戻した時には国民がいなかった、という事態になりかねない。

 国土の一部か、国民の大半か。どちらかを犠牲にしなければならない二者択一を迫られれば、普通は前者を犠牲に選ぶだろう。

 司令官は、暗い考えを押さえ込むように、右手の人差し指と親指で眉間を押さえた。

 そして、顔を上げると命令を下す。

「全艦前進。G作戦の第二波を援護する」

「了解、全艦前進!」

 ミサイル発射のため、一時停止していた大東亜連合艦隊は、ゆっくりと北上を開始した。





 日本海側から接近する国連太平洋艦隊に比べ、黄海側から接近する大東亜連合艦隊の負担は大きい。

 その理由は、朝鮮半島の地形にある。

 日本海側の海岸線が比較的綺麗な直線的地形となっているのに対し、黄海側は非常に入り組み、周囲には無数の小島が点在しているのだ。

 もし、そうした島々にレーザー級、重レーザー級が上陸していれば、艦隊は半島に近づく前に打ち落とされる恐れがある。

 かといって半島に接舷しなければ、揚陸部隊を上陸させられない。最低でも揚陸艦と戦術機母艦は、ギリギリまで近づける必要がある。

 ひとまず戦艦は、揚陸艦と戦術機母艦を援護するため、足を止め、いつでも沿岸部に砲撃を加えられるよう、準備を整える。

「左方、喬桐島。敵影見えず!」

「右方、席毛島、江華島。共にBETA無し!」

「よし、揚陸艦隊はそのまま進め」

 両艦隊が南北から半島への接近を試みる間も、大気圏外の装甲駆逐艦隊は、ハイヴに対し、再び対レーザー弾爆撃を加えている。

 接近する両艦隊をフォローする意味もあるし、先のG弾で吹き飛んでいる重金属雲を復活させる意味もある。

 しかし、予想に反し、来レーザー弾を迎撃するレーザー照射は放たれなかった。対レーザー弾は、一つも撃墜されることなく、ハイヴ地上建造物跡の、すり鉢地形に多くの小型クレーターを穿つのだった。









【2005年1月20日、日本時間11時04分、朝鮮半島北、巨津港沖、国連太平洋艦隊】

「対レーザー弾、迎撃されず。地表上、BETA反応100以下」

「うむ……」

 CP将校からの報告に、初老の国連太平洋艦隊司令官は少し眉をしかめた。この時点で地表にBETAが出てこないのは、決して良いことではない。

 念のため司令官は、CP将校に確認する。

「これまでの爆撃とG弾で、殲滅できたBETAの総数は?」

「はい。最小で4万、最大で5万と推測されます」

 過去の統計から見ると、フェイズ4ハイヴならば、最低でも8万はいると考えられている。佐渡島ハイヴなどは最終的に15万いたのだ。

 これで、全てのBETAを倒し切れたはずはない。残るBETAはどのような意図があるかは知れないが、あえて地上に出てきていないと考えるのが自然だ。

 いかなG弾といえども、ハイヴ地下深くに潜ったBETAを殲滅することは出来ない。フェイズ4ハイヴでも、最大深度は1200メートルと目されているのだ。そんな奥まで衝撃が届くはずがない。

 今作戦に割り振られたG弾は全部で5発。予定では2発ずつ2回使用することになっており、残る一発は予備だ。

 何とかして、BETA共を地上に引き摺り出さなければ、次のG弾が使用できない。

 BETAを地上に引き摺り出す。それにはやはり、BETAが最も興味を示すものをハイヴに近づかせるしかないだろう。

 司令官は軽く目を瞑ったまま命令を飛ばす。

「『マッドドッグ大隊』に連絡。任務を果たして貰う」

「了解。マッドドッグ大隊に通達。作戦を実行せよ。繰り返す、作戦を実行せよ」

 司令官の言葉を、CP将校はすぐさま復唱し、命令を伝達した。






 マッドドッグ大隊は、国連本部防衛軍所属の戦術機甲部隊である。

 人員、装備に関しては、その大部分を基地の母国が負担するという国連軍の大原則に従い、戦術機は全てアメリカ製であり、所属衛士の大半は、アメリカ国籍を取得した元難民か、今現在アメリカ国籍を取得するため命を張っている現役の難民だ。

 36機の戦術機の内、24機はF-15Eストライク・イーグルであり、残り12機はF-15・ACTVアクティヴ・イーグルである。

 F-15Eは第2,5世代、ACTVは変則的ではあるが第三世代戦術機に分類される。

 アメリカが最強の第三世代戦術機、F-22ラプターを原則国連軍に降ろしていない以上、アメリカ在住国連軍に許される最高の装備を与えられているということになる。

 当然、最高の装備を与えられている衛士達も選りすぐりの精鋭だ。その精鋭『マッドドッグ大隊』を率いるのは、日本帝国に戸籍を置く、明るい茶色の長髪を後ろで一つに纏めた、女衛士だった。

「聞いたとおりだ、お前達。出撃だ」

 戦術機母艦に搭載されたアクティヴ・イーグルのコックピットから、マッドドッグ大隊大隊長――神宮司まりも少佐が声を上げる。

 ヘッドセットと強化服を通して、まりもの声と顔が、大隊の衛士全員に届く。

「「「イエス、メジャー!」」」

「今回の任務は、高々百数十キロ飛んでいき、そのポイントでお客さん(BETA)を発見すれば後は、ケツをまくって逃げれば良いという、涙が出るほどお優しい任務だ。死んだらいい笑いものだぞ!」

「「「イエス、メジャー!」」」

 もちろん実態は、まりもが言うようなお優しい任務ではない。僅か36機の戦術機でBETAの支配地域である朝鮮半島を半ばまで縦断し、その後ハイヴ周辺でBETAの地上進出を確認した後に、戻ってこなければならないのだ。

 BETAはより高性能なコンピュータを搭載した機体に反応する習性がある。しかも近年、無人機より有人機を優先するという習性も確認されている。

 それらの条件を加味すれば、最高レベルのコンピュータを搭載した有人機である戦術機は、BETAの最優先ターゲットといえる。

 つまり、マッドドッグ大隊は「生き餌」だ。

 マッドドッグ大隊に引きずられ、姿を現すBETAに、再度大気圏外から機動爆撃とG弾投下を行うというわけだ。

 当然ながら、この場合、G弾による効果的BETA殲滅は、まりも達マッドドッグ大隊の離脱に優先される。

 流石に、最低限の脱出時間は考慮されているが、それを過ぎれば容赦なく対レーザー弾爆撃と、G弾投下が実行されるだろう。

 僅か36人の衛士のために、ハイヴ攻略という大目標を揺らがすわけにはいかない。

 戦術機母艦の甲板上に、36機の戦術機が立ち並ぶ。

「全機、続けぇ!」

「「「イエス、マム!!」」」

 先陣をきり飛び出す、神宮司まりものアクティヴ・イーグルの後を追うようにして、11機のアクティヴ・イーグルと24機のストライク・イーグルが飛び立っていくのだった。






 36機の戦術機は、無人の荒野と化した朝鮮半島を、匍匐飛行で飛んでいく。

 地表にBETAが確認されていないとはいえ、BETA支配地域を飛行するのは危険きわまりない。

「被照射危険地域警報、第5級。NOE(匍匐飛行)、問題ありません」

 まりものエレメントパートナーである、ミネット・クローデル中尉は、緊張を押さえきれない口調で報告する。

 ミネット・クローデルは、アメリカ在住難民には珍しい、フランス国籍の黒人女性である。

 癖の強い黒髪を背中の半ばまで伸ばし、大きな黒い双眼にはいつも気の強そうな攻撃色を浮かべている。そんなミネットも、上官であるまりもに対しては、形式を越えた敬意を払っている。

「了解だ。このまま一気に飛び抜けるぞ!」

 まりもは揺れない声で、返答を返した。

 海上の戦術機母艦から、鉄源ハイヴまでは直線距離でおよそ130キロ。

 アクティヴ・イーグルの飛行速度ならば十分弱、ストライク・イーグルにあわせても12~3分もあれば十分な距離だ。

 程なくして、まりも達は一度もBETAと遭遇することなく、ハイヴ周辺へとやってきた。

 雪だるまのように、すり鉢状に抉られた地形が二つ連なる新造の窪地の中心付近に、直径200メートル強の深い縦坑が見える。

 あれがハイヴの主縦坑(メインシャフト)だ。

「全機、着陸!」

 まりもは、主縦坑から12キロの地点で一時停止を命じた。36機の戦術機が洗練された動きで、速度と高度を落とし、次々と着陸していく。

 フェイズ4ハイヴの水平到達半径はおおよそ10キロと言われている。

 ここから先は、地表のどこがハイヴ入り口に繋がっていてもおかしくはない。

「円陣を組め。陣形、中隊円陣。第二がトップ、第三が左翼、第一が右翼だ。地中侵攻に注意しろ」

「「「イエス、マム!」」」

 まりもの命令は即座に実行された。

 36機の戦術機は、12機ずつ三つに分かれ、それぞれが円陣を組む。

 まりもの指示通り、先頭は第二中隊、その左斜め後ろに第三中隊、まりもの直下である第一中隊が右斜め後ろにつく。

「…………」

 やがて、三つの円陣を組んだ戦術機大隊は、ゆっくりと歩行で不毛の荒野を進み行く。

「…………」

 ガチャガチャというパーツの鳴る音と、ズシンズシンという戦術機が乾いた荒野を踏みしめる音だけが、響き渡る。

 全く異変がなくても、緊張が解けるはずもない。衛士達は古参も若手も区別なく、皆コックピットで背中に冷や汗が流れるのを感じながら、細心の注意を払い歩み進む。

 変化は唐突であり、また悲劇的であった。

 歩行踏破距離が3キロに達した頃、先頭を歩く第二中隊の一機が忽然と姿を消したのだ。

『うわあ!?』

 ドンと言う落盤の音。続いてガシャンという金属製の重い落下音と共に、衛士の短い悲鳴が鳴り響く。

「どうした?」などとマヌケに聞き返すものはない。誰が見ても状況は明らかだ。

 表面のふさがっていたハイヴ入り口を踏み抜いたのだ。

「ドッグ31! 上がってこい、ブーストを使え!」

「駄目です、下にBETAが! うわああ!?」

 ハイヴに落ちた衛士からの通信が途切れると同時に、海上のCP将校から通信が入る。

『BETAの地上侵攻を確認。推定3000、今だ増加中。現時刻をもってマッドドッグ大隊の任務は完了。作戦は次のシーケンスに移行。マッドドッグ大隊は全速で帰投せよ。繰り返す、全速で帰投せよ!』

 その言葉が示すとおり、まりもの網膜投射ディスプレイに映る地上マップにも、次々とBETAを意味する赤い光点が浮かび上がっていた。周囲のマップは瞬く間に赤く染め上げられていく。

「全機、全速離脱!」

「「「了解っ!」」」

 ハイヴに落ちてKIAになった衛士を悼んでいる余裕もない。

 35機の戦術機は、全速でその場から離脱をはかる。

「少佐ッ、被照射危険地域警報、第3級!」

「ッ、後方上空にALM(対レーザーミサイル)発射。マッドドッグ1、フォックス1!」

「了解、マッドドッグ4、フォックス1!」

 戦術機から打ち出されるミサイルに、遙か後方からレーザー光線が突き刺さる。

 そうして稼げた僅かな時間で、まりも達は一直線に巨津港の艦隊めざし駆け出す。流石に、レーザー属種の存在が確認されているところで、匍匐飛行は出来ない。

『司令部よりマッドドッグ各機へ。装甲駆逐艦隊が対レーザー弾爆撃を再開』

 CP将校の告げるその言葉は、まりも達にとって救いでもあり、死に神でもあった。

 大気圏外より降り注ぐ砲弾を迎撃するため、レーザー属種はその丸い瞳のようなレーザー照射元を一時的にでもまりも達からそらす。しかし、当たり前だが大気圏外から投下する爆撃が、地表を走る戦術機を避けて投下されるはずがない。

 レーザー迎撃を免れた対レーザー弾の一つが、退却するマッドドッグ大隊の近くに落下する。

『うわああっ!?』

 運の悪い一機が、着弾の爆風を横から受け、全速移動中のストライク・イーグルを横転させてしまった。

『ドッグ23!』

「駄目だ、足を止めるな! 貴様も死にたいのか!」

 思わず足を止めかかる同小隊の小隊長を、まりもは怒鳴り飛ばす。

 迫り来るBETA。降り注ぐ対レーザー弾。そして、三分後に投下されるG弾。

 一度でも足を止めたものの命はない。これはそういうデッドレースだ。

 それが分かっているのだろう。取り残されたストライク・イーグルの衛士は機体を立て直した後、180度方向転換し、その場に踏みとどまるのだった。

「すみません、少佐。ドジ踏んじまいました。俺はここで撤退支援をしますんで」

 まりもの網膜投射ディスプレイの片隅に、苦笑いを浮かべるラテン系の男の顔が浮かぶ。

 まだ若い。まりもの脳裏に、その衛士のプロフィールが自然と浮かび上がる。

 ディエゴ・アルヘンソ少尉。21才。スペイン人。難民施設に11才の妹と9才の弟あり。

 決して長いつきあいではないが、名前を聞けば、笑い顔と泣き顔と怒り顔を即座に思い出せるくらいには、気心が知れた間柄だ。

「……アルヘンソ少尉。言い残すことがあれば聞こう」

 まりもはアクティヴ・イーグルを最高速度に保ったまま、平坦な声で脱落の決定した部下に問いかけた。

『言い残すことですか……はは、いざとなると思いつかないものですね』

 通信機にパラパラと36㎜弾を連射する音が聞こえる。どうやら、アルヘンソのストライク・イーグルは最後の一暴れを始めたようだ。

『そうですね。やっぱり、ありきたりですが、妹たちをよろしくお願いします。俺、勤続3年超えてますから、遺族年金出ますよね? それがちゃんとあいつ等の手に渡るように』

 本当なら難民施設から出してやれれば一番いいんですけれど。そう言い、アルヘンソ少尉は苦笑する。

 それが無理なことは分かっている。戦死した兵士の家族にいちいちアメリカ国籍を与えていたら、超大国アメリカといえどもとうにとっくにパンクしているだろう。

「約束しよう」

 まりもはそう返すのがやっとだった。

『ありがとうございます。なんだか、少佐には最初から最後までご迷惑を掛けっぱなしで……』

 どんな言葉を返せばいいのだろうか? そうだな、と笑い飛ばしてやるべきか。そんなことはない、と否定してやるべきか。

『あ、ガッ!?』

 まりもが迷いを見せている間に、通信は唐突に途切れる。

「アルヘンソッ!」

『マッドドッグ23、KIA』

 副官のクローデル中尉が、語尾のかすれた声で、戦友の死を告げた。

「…………」

 そして、二人目の犠牲者の死を悼む間もなく、CP将校から更なる報告が入る。

『司令部より、通達。G弾投下、カウントダウン開始。10,9,8,7……」

「全機、匍匐飛行! 後ろに気を取られるな、全速で飛べ!」

 その五秒後、投下された二発のG弾は、もくろみ通り地上に引き摺り出されていた大部分のBETAを討ち滅ぼしたのだった。









【2005年1月20日、日本時間12時18分、朝鮮半島北、巨津港沖、国連太平洋艦隊】

「G弾投下確認。マッドドッグ大隊、帰投34、KIA2。隊長クラスに死傷者無し」

『アイオワ』の艦橋では、CP将校が淡々と状況を報告していた。

「流石だな」

 司令官は感嘆の声を上げ、一つ頷く。

 生き餌という難しい任務を僅か二機の損失で済ませたマッドドッグ大隊。前評判に偽りのない精鋭部隊のようだ。

 この作戦が成功に終われば、大隊長には国連から勲章が贈られることだろう。

 歴戦の司令官も、思わずそうやって戦勝後に思考を向けてしまうくらいに、現状はうまくいっていた。

 二度目のG弾投下で仕留めたBETAはおよそ3~4万。

 4発のG弾で、7万から9万のBETAを殲滅した計算になる。

 通常、フェイズ4ハイヴに潜むBETAは、8万~10万というのがおおかたの見方だ。

 その計算で言えば、すでに鉄源ハイヴのBETAは底をついているはず。

 ただ、気になるのは先の佐渡島ハイヴの例だ。佐渡島ハイヴ攻略戦は、日本帝国が単独で行ったため詳しい情報が入ってきていないが、最終的に佐渡島ハイヴには15万ものBETAがいたのだという。

 幾ら国連と折り合いの悪い帝国といえども、事BETAに関する情報に虚偽は混ぜまい。

 もし、この鉄源ハイヴにも佐渡島ハイヴと同数のBETAがいるとすれば、まだ半分近くが残っている計算になる。

「やはり、もう五発ぐらいG弾が欲しいところだったな」

 今更ながら司令官は、そう口の中で呟いた。

 現状、国連軍は甲26、甲12、甲9と三つのハイヴ攻略に成功しており、そこにあるG元素を入手している。

 ソ連の甲26、フランスの甲12、そしてイラクの甲9。

 フェイズ2ハイヴであった甲26号ハイヴのG元素はせいぜい3トン前後だったが、甲12号ハイヴと甲9号ハイヴはどちらもG元素製造工場と言うべき「アトリエ」を持つ、フェイズ5ハイヴだ。

 フェイズ5ハイヴで発見されるG元素は50トンを超える。

 しかし、だからといってG元素のストックに余裕があるとは言えない。

 なにせ、G元素は現時点で人類に生成不可能な物質なのである。ハイヴを攻略しない限り、G元素が増えることはない。

 しかも、G元素そのものは大量にあっても、G弾の元となるのは、グレイ・イレブンと呼ばれる物だけなのである。

 それ以外のG元素――負の質量を持つグレイ・シックス、常温超伝導を可能にするグレイ・ナインなども、極めて魅力的な物質であるのは間違いないが、G弾によるハイヴ攻略には意味をなさない。

 簡単に言えば、ハイヴ攻略で得られるグレイ・イレブンの量が、ハイヴ攻略に費やすグレイ・イレブンの量を下回るようでは、いずれこの計画は行き詰まるのだ。

 よって、必然的に、一つのハイヴ攻略に割り当てられるG弾の数には制限が付く。

 足りない分は結局、兵士の血と汗と命で補うしかない。

 司令官がため息を押し殺していると、CP将校の一人が報告を入れてくる。

「司令! 大東亜連合艦隊から上陸作戦開始の提案がされています」

「気の早いことだな」

 思わず老司令官は苦笑を漏らした。

 気持ちは分かる。今までも彼らは複雑な思いで、祖国の地にG弾が振り注ぐ様を見ていたはずだ。

 予想値通りならば、すでに大半のBETAを殲滅できている今、これ以上黙って見ていられないのだろう。

 実際、生き餌役を務めた『マッドドッグ大隊』は現在、補給の真っ最中だし、大気圏外の装甲駆逐艦隊も、爆撃用の対レーザー弾はあと一回分しかない。

 G弾も予備の一発を残すのみだ。

 そろそろ本格的な地上戦に移行するべきなのは確かである。

 司令官は決断した。

「了解した。これより、本作戦は最終段階に移行する。大東亜連合艦隊と歩調を合わせ、揚陸艦隊の上陸を開始せよ」



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その6
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/07/19 23:01
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その6



【2005年1月20日、日本時間12時10分、日本帝国帝都東京、大韓民国大使館】

 時間は少しさかのぼる。

 鉄源ハイヴに二度目のG弾が投下される前、東京の大韓民国大使館では、年若い駐日韓国大使が急な来客の対応に追われていた。

 十把一絡げに大使といってもそこには明確な差がある。実力、年期、国によっては血筋などを考慮し、順位のつけられた大使達は、それぞれ評価の高い順に、より重要度の高い国に送り込まれる。

 一番は言うまでもなくアメリカ合衆国である。これは、完全な別格だ。

 各国とも在米大使には、エース中のエースを送り込んでいる。中東連合の国の中には、首長家の直系を据えている所もあるくらいだ。

 それから遙かに下がった所の二番手が、国連大使。さらに少し下がった所が、アフリカ連合とオーストラリアだろう。その次がEUとソ連といったところだろうが、この辺りになると各国の事情により、優先順位は変動する。だが、確実に言えることはつい一ヶ月前まで、国際社会の中心から大きく外れていた日本帝国に対する重要度は、大体どの国も決して高くないということである。

 必然的に、この駐日韓国大使も、あまり国内で重要視されている人間ではない。とはいえ、大使は大使だ。本国(この場合は、アメリカにある大韓民国臨時政府を意味する)に、直接話を通すことができ、逆に政府の指示も直接受ける立場にある。

 αナンバーズ全権特使、大河幸太郎が目的を果たすには十分な相手であった。





「でありますから、こちらの事情はご理解いただけると思います」

「ええ、それはもう重々に」

 身を乗り出して熱弁を振るう大河幸太郎の迫力に押されるように、ダークグレイのスーツを着た駐日韓国大使は、椅子に座ったまま少しのけぞりながら答えた。

 現在ここ、韓国大使館の接客室には、五人の人間がいる。

 強化ガラス製のテーブルを挟み向こう側に二人、こちら側に三人。

 向こう側の二人は、大使本人とその秘書である。

 対するこちら側の三人は、大河特使と、その護衛という名目で付いてきた破嵐万丈、そして、αナンバーズと駐日韓国大使館の間を取り持った、日本帝国外務省の高級役人だ。大河はもちろん、付き添いの万丈もオーダーメイドの背広を着こなし、この場の雰囲気に見事に溶け込んでいる。

 単純な護衛としての能力だけを考えれば、サイボーグある司馬宙やルネ・カーディフ・獅子王のほうが向いているのだろうが、この場の雰囲気を考慮すればやはり、破嵐万丈という選択肢は正解だったといえる。 

 だが、この場の話は、大使と大河の二人だけで進められており、万丈は外務省役人同様、ただの聞き役に過ぎなかった。

「我々αナンバーズがいかなる存在であるかという議論は、この際脇に置いておかせていただきます。問題は、甲20号作戦の余波がこの日本列島に及ぼす影響とその対処法なのです。現在、帝国軍と我々αナンバーズは、帝国領海に防衛部隊を展開しておりますが、貴国の領内に入る許可をいただければ、戦闘効率は格段にアップするのです」

 大河は、そのゴツゴツとした両手を強化ガラス作りのテーブルにのせ、身を乗り出すようにして熱心に説いていた。

 現在は日本の領海ギリギリに留まっているαナンバーズの先行分艦隊であるが、韓国領に立ち入ることが出きれば戦闘ははるかに効率的になる。

 現状のプランでは、ジェイアークがおびき寄せるBETAを、海中部隊が掃討し、そこから漏れたモノを対馬に上陸しているαナンバーズ地上部隊と伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊が対処、それでもなお取りこぼすモノを九州沿岸の日本帝国軍が水際防御、という形になっている。

 しかし、これが韓国領に入ることが許されれば、αナンバーズは、朝鮮半島を南下してきたBETAが、日本海に入ろうとするその鼻先に、アークエンジェルやジェイアーク、ウイングガンダムゼロなどの大火力をくらわせることが出来るのだ。

 敵が最も密集すると予想される地点に、最大火力を配置する。その効果は言うまでもあるまい。

 それは、αナンバーズの戦力を全く知らない韓国大使にも十分に理解できる理屈であった。

 この世界の常識でも、人類がBETAを相手に最も優位に戦う事が出来るのは、陸上のBETAを海上から攻撃することなのである。

 それは、日本帝国がこの狭い領土内にハイヴを抱えながら、曲がりなりにも国家を維持できていたという事実からも分かるだろう。もし、甲21号ハイヴが、佐渡島という海上の小島に位置していなければ、今頃日本帝国はヨーロッパ諸国同様とっくに国土を放棄せざるを得なくなっていたはずだ。

 よって、大使としても大河の要求は理解できる。しかし、世の中はそこまで単純な話で回っているわけではない。

 帝国軍とαナンバーズは、今回の甲20号作戦には参加していない。G弾によるハイヴ攻略を是とするアメリカは、彼らの勝手な参戦を決して快くは思わないだろう。

 韓国にとってアメリカとは、大家であり最大の援助者であり、事実上の主でもある。顔色を伺わずにいられない。

「お話はよく分かります。しかし、現在、すでに甲20号作戦は始まっているのです。やはり、許可は出来ません。そのような横やりは戦場に混乱をもたらします」

 大河の迫力に押されながらも大使は、きっぱりとした口調で言い切った。無論大河も、それで引き下がるわけはない。

「なにも鉄源まで戦力をあげるとは言っていません。せめて、貴国の領海への侵入と、半島への地上攻撃を許可していただきたいのです」

 時間という制約を背中に感じながら、大河幸太郎は焦燥の思いを一切出さず、粘り強く交渉を続けるのだった。










【2005年1月20日、日本時間12時37分、朝鮮半島中央、鉄源ハイヴ】

 上陸作戦が始まった。

 国連太平洋艦隊、大東亜連合艦隊、両方の戦艦から補給コンテナが打ち出され、無人の荒野にばらまかれる。

 その後を追うようにして、まず臨津江(イムジンガン)の河口に停泊した、大東亜連合艦隊の戦術機母艦から、何百という戦術機が一気に飛び立つ。

 Mig-21、F-18ホーネット、そしてF-18Eスーパーホーネット。

「いくわよっ!」

「俺達が、俺達の手で取り戻すんだ!」

「畜生、BETAの野郎! 目にもの見せてやる!」

 押さえきれない感情を爆発させ、大東亜連合の衛士達は朝鮮半島に上陸を果たした。先頭を切るのは、韓国、北朝鮮国籍の衛士達だ。

 衛士の平均年齢はおおよそ20歳前後。七年前の『光州作戦』では、まだ小・中学生であった世代が中心である。

 あの時は、ただ無力に逃げ惑うしかなかった自分たちが、今は反撃に転じていると思うと、胸に熱いものがこみ上げてくる。

 しかし、同時に荒涼とした無力感も感じずにはいられない。朝鮮半島放棄から七年。

 現在眼下に広がっている荒野は、元々『逍遥山(ソヨサン)』と呼ばれる山並みがあったはずなのだ。確かに元々逍遥山は、標高600メートル弱のあまり大きいとは言えない山であったが、それでもどれだけの力を持ってすれば、僅か十年足らずで山を平地と化すことが出来るのだろうか。 

 すでに半島の動植物は完全に死に絶えており、地形も鉄源ハイヴを中心に、巨大なカンナを掛けられたように凹凸を奪われつつある。

 まだ、辛うじて半島の南北沿岸、つまりは甲20号ハイヴから離れた辺りには裸の山並みが残されているが、このままではそれも時間の問題だったであろう。

 淀んだ臨津江の流れに沿うように、戦術機の群れはまっすぐ鉄源ハイヴを目指す。

 BETAの姿は見えない。

 無人不毛の荒野を、大東亜連合の衛士達は一心不乱に突き進む。

 その時、地中からBETAが姿を現したのは、おそらく誰にとっても予想外のことではなかった。

 地表のあちこちに穴が空き、低空を飛ぶ戦術機の内部では、レーザー警報がうるさいくらい鳴り響く。

「全機着陸! お客さんだ!」

「支援砲撃頼む!」

 戦術機部隊の反応は素早かった。

 数機がレーザー照射を受ける間に、残りの全機が地上に降りる。

 無論地上が安全地帯というわけではない。

 緊急着陸の衝撃を殺しきれずに、硬直状態に陥っていたMig-21が、正面から突撃級にはじき飛ばされ、脱出装置を使う間もなく絶命する。

「野郎ッ!」

 死んだMig-21のエレメントパートナーだったのだろう、別のMig-21が、駆け抜けていった突撃級の背面に小銃を乱射し、かたきを取る。弱点である柔らかな背面に36㎜弾を喰らった突撃級は、走行中にエンストを起こした自動車のように蛇行し、そのまま崩れ落ちた。

 だが、その隙に一体の要撃級が真横から近づき、Mig-21の腹部にその鋭く尖った右の爪を突き立てる。

「グッ、この野郎!」

 コックピットが歪む衝撃を強化服越しに感じながら、衛士は突撃砲の銃口を要撃級の醜い歯を食いしばった口のような尾節に向ける。

「思い知ったか……ガッ!?」

 はき出される36㎜弾が醜悪なサソリのような要撃級の身体を穴だらけにすると同時に、要撃級の左の爪が、Mig-21のコックピットを貫き、衛士の顔面を突き潰した。





 
 静寂の荒野は、あっという間に騒音の戦場に、姿を変える。

 飛行能力を持つ戦術機の後に続いて上陸するのは、自走砲からなる支援砲撃部隊だ。

 千を超えるキャタピラが朝鮮半島の大地を抉り、辺りは瞬間的に震度2近い軽震に包まれる。

「展開急げ!」

「衛士達から、支援砲撃の要請だ。支援砲撃部隊の展開はまだか!?」

「現在、支援砲撃部隊の展開率64パーセント。完了まであと15分!」

「補給コンテナの射出はどうした? 第一陣の推進剤はそろそろ切れる頃だぞ!」

 秩序だった大騒ぎ、といえば良いのだろうか? 混乱が起きているわけではなく、予定通り進んでいるのだが、それでもなお雑然とした喧噪に辺りは包まれている。

 支援砲撃部隊が所定の位置に展開し、その護衛の戦車隊と歩兵が周りを固める。

 現在は、海上の戦艦が支援砲撃を担当しているが、これ以上内陸に進めば戦艦からの支援砲撃は届かなくなる。前線衛士達の命を守るためにも、兵士達は一秒でも速く支援砲撃部隊の上陸、展開を終了させようと死力を尽くすのだった。






「戦術機部隊第一派、ハイヴ東南東50キロに到達!」

「ハイヴよりBETAの地上侵攻を確認。総数およそ2万。内レーザー級108、重レーザー級24!」

「戦術機部隊損耗率12パーセント。前進体勢を維持!」

「地上部隊の展開率78パーセント。後8分で、初期展開を完了します」

 黄海に浮かぶ大東亜連合の旗艦艦橋で、大東亜連合艦隊司令官は軽く目を瞑り、次々と入ってくる報告にいちいち頷き返していた。

「中央部の重金属雲の濃度はどうなっている? 対レーザー弾の支援砲撃が最優先だ! 補給コンテナの射出も忘れるな」

「了解。各艦に通達。対レーザー弾の準備ができ次第、各自の判断で砲撃を開始せよ」

 メインモニターに映る朝鮮半島のマップ中央が、あっという間にBETAを意味する赤い光点で埋め尽くされ、青い光点が次々と消えていく。

 その様子を見て、司令官は少し口元を歪める。

「やはり、まだBETAは戦力を残していたか」

 苦い口調で誰にも聞こえないように呟く。

 予想していたことだ。BETAを相手にしたとき、希望的観測は全て覆されると思った方が良い。いくら4発のG弾投下で、フェイズ4ハイヴの総数に近いBETAを仕留めたからといって、それで制圧がなったと考えるのはあまりに楽観的すぎる。

 だが、それでもあの場面で上陸作戦を提案しないわけにはいかなかった。

 一度目のG弾投下の後、『囮役』を担ったのは国連軍の部隊。ならば、必然的に二度目のG弾投下の後、次の『殴られ役』は大東亜連合軍が担当するのが筋というモノだ。

 もし、あの場で静観という選択肢を選んでいたら、国連軍司令官から大東亜連合軍の上陸を「要請」されていただろう。決して断ることの出来ない「要請」だ。

 それくらいならば、こちらから先に上陸作戦を「提案」した方がよい。アメリカの韓国に対する心証も良くなるだろうし、僅かなりとも戦果を強調できる。

 とはいえ、そのためにダイヤモンドより貴重な祖国の若い命が湯水のように浪費されていく様には、年長者として忸怩たる思いは当然あるが。

「国連軍司令部に連絡。最後のG弾の使用を提案してくれ」

 すでに鉄源ハイヴの周囲は、BETAで埋め尽くされている。ここは一度全軍を引かせて、最後のG弾で地表のBETAを一掃するべきだろう。

「了解」という通信士からの声を聞きながら、司令官は厳めしい顔つきで、赤い光点で埋め尽くされつつある祖国の地図を凝視していた。









【2005年1月20日、日本時間13時01分、巨津港、国連軍太平洋艦隊司令部】

「司令、大東亜連合艦隊から、G弾の投下が提案されました」

「うむ」

 報告を受け、初老の国連軍艦隊司令官は、我が意を得たりと頷いた。

 こちらとしても、ちょうど同じ事を考えていた頃だ。

 どうやら、あちらの艦隊司令と自分は、本作戦にたいして同じような考えをしているようだ。非常にありがたいことである。このような複数の艦隊が同時に動く作戦で、トップ同士の思考が重なり合っているというのは、大きなプラス要素だ。

 予備用G弾を「最後の切り札」的に温存しておくという手もあるのだが、それまでに費やされる人命を考えれば、選びたい選択肢ではない。

 まあ、どのみちこれがBETA側の最後の群でない限り、それらの命は先に失われるか、後で失われるかの違いしかないのだが。

「了解した、と伝えよ。こちらも上陸部隊を上げるぞ。戦術機部隊に続いて、地上部隊を展開。輸送艦は補給輸送車を上陸させ次第、反転後退。堺港で補給を受けさせろ」

「了解しました!」

 司令官の指示を受けて、CP将校達は慌ただしく指示を飛ばす。

 国連軍の補給役を担っている日本帝国は、鳥取県の境港に臨時の補給基地を設け、後方補給という縁の下の力持ちを演じていた。敵と戦火を交えるだけが戦争ではない。数字と物資を相手に格闘するものもまた、一つの戦争だ。

「上陸部隊は、G弾の効果範囲に入らない上で、可能な限り前進。投下誤差を考慮に入れて、安全マージンは多めに取っておけ。G弾投下後の大東亜連合軍の戦術機部隊を支援するのだ」

 おそらく最後のG弾を投下しても、この作戦は終わらないだろう。老司令官は半ばそう確信していた。

 最初地上にいたBETAは5万。その後、マッドドッグ大隊がつり出したBETAが3万。そして、現在地上にいるBETAも2万。

 数が多すぎるのでごまかされがちだが、BETAは明らかに戦力を分散させて逐次地上に上げている。

 司令官は考える。

 甲26号・エヴェンスクハイヴ、甲12号・リヨンハイヴ、そして、甲9号アンバールハイヴ。今まで三つのハイヴを攻略してきたG弾という兵器に、BETAも対処してきたのではないだろうか、と。

 G弾という大規模破壊兵器に対する単純きわまりない対処方法。それが、戦力の分割投入なのではないだろうか?

 戦力の逐次投入というのは、戦術の基本に則れば愚策だが、BETAの圧倒的な数がその常識を覆す。

 2万という数は、BETAにとっては少数でも人類にとっては十分な数だ。まともに地上戦でこれを攻略しようと思えば、相当な人命と物資を消耗させられる。大概の司令官ならばG弾の使用を決断するだろう。

 いわばBETAはその圧倒的な数を、広範囲殲滅力としてではなく、持久力として用い始めたと考えれば、一連の行動が理解できる。

 最後のG弾が投下されればあとは、我慢比べだ。残りのBETAをG弾を用いない通常戦力で如何にして殲滅するか、殲滅できるかに勝敗はかかってくる。物量が武器のBETAを相手に消耗戦を演じる。正直ぞっとしない話である。

「最悪、大東亜連合軍に生きているハイヴの攻略戦をやってもらうことなるかもしれんな……」

 司令官は、最悪の未来を想像し、苦い呟きを漏らした。生憎アメリカ軍は、G弾による殲滅が基本戦術となっているため、戦術機を初めとしたあらゆる装備が、生きたハイヴを攻略する前提で作られていない。






 最後のG弾が投下されたのは、それからおおよそ10分後のことだった。









【2005年1月20日、日本時間13時58分、対馬、αナンバーズ先行分艦隊】

 3度で都合5発のG弾投下。その様をαナンバーズ先行分艦隊と伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、対馬沿岸から眺めていた。無論、直接目視していたという意味ではない。

 直線距離にして、500キロ以上離れた半島中央の様子を見るには、遠視能力だけでなく地球の丸みを貫く透視能力も必要になる。

 彼らが見ているのは、帝国軍の通信施設を介して送られてくる映像だ。

 甲20号作戦の正否によっては、九州・中国地区にBETAが押し寄せてくるかも知れないのだ。国連軍及び大東亜連合軍と帝国は事前に話をつけて、戦況の画像は可能な限りこちらにも流してもらうようにしている。その代わり、こちらの戦闘映像も原則向こうに流すことになっている。

「……あれが、G弾」

 武は、不知火のコックピットの中で、無意識のうちに呟いていた。両手の指先から血の気が引き、冷たくなっている。武は両手を操縦桿から離し、何度も開いたり閉じたりを繰り返し、血の気を戻そうとした。

 初めて目の当たりにしたG弾の威力。半ば凍り付いた思考の中、武は納得していた。

 なるほど、この威力ならば、アメリカを中心とした勢力がG弾を盲信するのも解る。単純に『BETAを殲滅する』という目的を考えれば、この上なく魅力的な力だ。いかな異世界の勢力、αナンバーズでもこれほどの威力の兵器は持ち合わせていないのではないだろうか? 

 間近で見た兵器の中では、エヴァンゲリオン初号機の『インパクトボルト』が最大の代物であるが、G弾の効果範囲と威力はそれすらも圧倒的に上回っている。

 映像で見た、ラー・カイラムやアークエンジェルの主砲でもおそらく及ぶまい。

 だが、だからこそ、日本を中心としたG弾に嫌悪感を示す人間の心情もこの上なく理解できる。

 地上に広がる漆黒の半球ドームは、無条件で生理的嫌悪感を刺激するモノがあった。まして、その威力に晒された大地は、一切植物が根ざさなくなる死の大地になるのだと聞けば、これを祖国で使うことに抵抗のない者などどこにもいないだろう。

 武が、グルグルと思考を巡らせていると、全体通信が開かれ、視界の右上に部隊長である速瀬水月中尉の顔が映る。

『あんた達、見たわね。あれがG弾。このままの流れで行けば、あれが後20回ユーラシア大陸で使われることになるわ』

 日頃は陽気と勝ち気の二色に彩られている水月の青い双眼に、今は押し殺した怒りと憤りの色が見え隠れする。

「『『…………』』」

 武を初め、伊隅ヴァルキリーズの面々は、無言のまま、重い緊張感に包まれた。

『その流れを変えたければ、G弾を使わなくても人間はBETAに勝てることを実地で証明するしかない。幸せなことに、私達は、それが出来る立場にあるわ」

 水月の言葉に、武はハッと思い直す。

 そうだ。ビームライフルに、ビームサーベル。そして、武自身がアイディアを出した、新OS『XM3』。

 自分たちの手には、G弾に頼らずに、ハイヴを攻略しうる可能性が握られているのだ。

『とはいえ、戦場で余計なことを考えるのは禁物。今は忘れなさい。ただ、私達の戦果が世界の流れを変える一要素になりうる、その事を頭の片隅に止めておくこと。いいわね?』

『『『了解ッ!』』』

 伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、気力を取り戻した面持ちで、力強く唱和した。






 その映像は、当然ながら、αナンバーズ先行分艦隊の旗艦、ラー・カイラムでも確認されていた。

「あれがG弾か」

 ラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐は、艦長席に腰を下ろしたまま、顎に手をやり、一連の画像を見つめていた。

「威力、効果範囲共に、反応弾に近いものがあると思われます。レベル1(有人惑星上戦闘)の戦闘兵器としては、破格の部類ですね」

 管制官であるトーレスは、画像データを解析しながら、そうブライトに報告した。

「うむ、重力兵器なのだな?」

「はい、それは間違いありません。重力子の瞬間的な増大が確認されています」

「データを纏めておいてくれ。後でエルトリウムの研究班と、GGGに回す」

 ブライトの指示に、トーレスは了解と返した。

 αナンバーズの世界では、重力はある程度制御可能な代物である。エルトリウムやバトル7は艦内に人工重力を発生させているし、G弾のような重力兵器も存在している。

 調べれば、G弾の何が大地を不毛の地とするのかを、突き止められるかも知れない。

 重力研究の権威であるGGGの平田昭子博士がいれば心強かったのだが、生憎彼女はこちらに来ていない。それでも、エルトリウムやGGGの研究者達は優秀だ。ある程度、期待しても良いだろう。

 ブライトがそんなことを考えている間に、戦況は次の変化を見せていた。

「鉄源ハイヴ周囲にBETAの地上侵攻が確認されたそうです。数はおおよそ2万!」

 トーレスの報告に、ブライトは小さくため息をついた。

「やはり、か」

 これで、確認されたBETAはすでに、12万。最初の予測、8万~10万という数を大きく越えている。これは最低でも佐渡島ハイヴと同じく、15万はいると考えた方が良いだろう。

 すでにG弾を使い果たしている以上、あとは力押しのハイヴ攻略戦となる。それは、先の佐渡島ハイヴ攻略戦を見れば分かるように、死者が多数派で生者が少数派となる凄惨極まる戦いだ。決して、許容できるものではない。

 ブライトは一度大きく、息を吐くと決意を固めた。

「頃合いだな。トーレス、帝国を介して国連軍に話を通達してくれ。我々はこれより『オペレーション・ハーメルン』を決行する。ソルダートJ!」

 ブライトの声に応え、ラー・カイラムのメインモニターに緑の甲冑を纏った、鷲鼻の戦士の姿が映る。

『なんだ?』

 阿蘇山火口上空に待機するジェイアークから、ソルダートJは抑揚の押さえられた声で問いかける。

「出番だ。やってくれ」

 ブライトは端的にそう言う。細かな説明は事前に済ませてある。今更クドクド言うことはない。

 ソルダートJは、気負いの欠片もない様子で一つ頷いた。その赤く輝く宝石――Jジュエルのはまった左手を大きく前に突きだし、宣言する。

「いいだろう。ジュエルジェネレータ出力全開! ジェイアーク、発進!」

「了解、ジュエルジェネレータ出力全開。目標、対馬西海上」

 その数秒後、阿蘇山河口上空にいた純白の戦艦は、対馬の東海上上空に停泊しているラー・カイラムを追い越し、戦場となる対馬西海岸上にその勇姿を現すのだった。


 
 

 









【2005年1月20日、日本時間14時22分、巨津港、国連太平洋艦隊司令部】

「て、鉄源地上の全BETA、南下を開始しました!」

「うむ……」

 驚きに声を震わせるCP将校の報告を聞きながら、国連軍司令官も、内心は同じ思いでメインモニターを見つめていた。

 朝鮮半島中部を埋め尽くす、無数の赤い光点が、まるで誘蛾灯に誘われる羽虫のように、まっすぐ半島を南下している。

 事前に、日本帝国軍から「オペレーション・ハーメルン」という作戦で、「地上のBETAをこちらに引きつける」という報告は入っていたものの、実のところあまり本気にはしていなかった。直線距離にして500キロ近く離れている海上から、BETAを引き寄せるなど、そんな都合の良い技術があると考えるのは、あまりに楽観的すぎる。

「上陸部隊の支援砲撃が届くようならば行え。ただし、深追いは絶対にさせるな」

「了解!」

 返事を返すCP将校の声にも、明るい色が滲んでいる。それも、当然と言えば当然だ。

 G弾を使い果たした後に、2万のBETAが地上に出てきたのだ。これからはG弾の代わりに、兵士の血と命をチップとしてBETA殲滅をはからなければならなかったところで、突然の全BETAの南進。

 あまりに都合が良すぎて、逆に罠を疑いたいところだが、罠でないならば嬉しくないはずがない。

「南進するBETAの最後尾が、ハイヴから百キロ以上離れた時点で地上部隊を前進させろ。大東亜連合軍にも歩調を揃えるように打診しておけ」

「了解!」









【2005年1月20日、日本時間19時48分、対馬沖、日本帝国領海海中】

 オペレーション・ハーメルンの発動から五時間という時間がたっていた。すでに短い冬の日は落ち、海底は闇と静寂に支配されている。

 その間、対馬上空、陸上、そして海中に陣を取るαナンバーズにはこれといった変化はなかった。

 これは予定通りのことである。

 元々BETAのいる鉄源ハイヴから、対馬までは直線距離にして500キロ前後あるのだ。最も足の速い突撃級でも最高時速は170キロ。しかも途中からは地上ではなく海底を移動するのだから、最高速度で来られるはずもない。

 地上のBETAがいなくなった鉄源ハイヴでは、数時間前からついに大東亜連合軍の衛士達が、ハイヴ侵入を開始したらしい。

 すでに、深度600メートルを超えるところまで到達しているが、今のところハイヴ内でBETAとの遭遇は一切ないと言う。

 フェイズ4ハイヴの深度はおおよそ1200メートル。すでにその半分を踏破した大東亜連合の衛士達を守る意味でも、αナンバーズはこの『オペレーション・ハーメルン』を絶対に成功させなければならない。

 もしも、この2万のBETAが生きてハイヴに戻りでもしたら、ハイヴ深く潜っている衛士達は頭上を押さえられてしまう。

 αナンバーズ海中部隊は、じっと息を潜めその時を待った。

 やがて、ラー・カイラムから連絡が入る。

『BETA群、先頭が間もなく戦闘可能領域に到達する。気をつけてくれ』

 待ちに待っていたといえば流石に不謹慎かも知れないが、それが彼らの率直な心情だろう。

「おうよ、任せてくれ!」

 ブライト艦長の言葉に、車弁慶はその分厚い胸板を叩いて、元気よく請けおう。

「頼んだぞ、弁慶!」

「フッ、ミスするなよ。せっかくの数少ないお前の見せ場なんだからな」

 熱血そのものといった流竜馬のハッパと、皮肉げに神隼人のひねくれた声援が、車弁慶に送られる。

「大丈夫だ。水中でこのゲッターポセイドンに勝てるものなどあるものか」

 弁慶がそう力強く返したその時だった。ゲッターポセイドンのモニターに、海底の砂を巻き上げこちらに迫る異形の集団が映る。

「おいでなすったな」

 弁慶が力を込めると、同時にゲッターポセイドンもグッと膝を折り、両肩を迫り来るBETAの群れに向ける。

 海中に舞い上がる砂が極端に視界を制限するため確認が難しいが、先頭はセオリー通り突撃級のようだ。とはいえ、その移動速度は、時速70キロにも満たない。やはり、海中はBETAにとって鬼門のようだ。

 対するこちらは、海中を庭とする特機、ゲッターポセイドンだ。BETAが何匹いようが負ける気はしない。

 まっすぐにBETAの群れはこちらに向かってくる。

「弁慶!」

「まだだ、もっと引きつけて……今だ!」

 じれたのか、声を掛ける竜馬に、弁慶はそう答える。そして、ゲッターポセイドンの首回りのパーツが、ちょうど涎掛けの様な形に外れ、パカリと後ろに上がる。

「喰らえ、ゲッターサイクロン!」

 次の瞬間、巻き上がる海中の竜巻に、百近い突撃級BETAが為す術なく攪拌され、吹き飛ばされるのだった。





 海中部隊の中心はゲッターポセイドンだが、それが全てではない。

 ガンダニュウム合金と呼ばれる特殊な合金で作られたガンダムタイプのモビルスーツが4体。ゲッターポセイドンの周りを固めている彼らも、一瞬遅れて戦闘態勢に入っていた。

「ターゲットロック、攻撃にうつる」

 栗色の長い前髪で片眼を隠したトロワ・バートンは、愛機ガンダムヘビーアームズ改のコックピットでそう呟いた。

 元々ガンダムヘビーアームズ改はその名の通り、モビルスーツには珍しい重装甲、重火力をコンセプトとした機体である。

 僅かに緑がかったブルーの装甲は、その見た目の重厚さを裏切らない強度と、見た目の重厚さを裏切る身軽さを兼ね備えている。

 余人が乗った場合は分からないが、少なくともトロワが乗れば、このヘビーモビルスーツは、地上で前宙三回ひねりを決めてみせるのだ。

 だが、今はそんな曲芸を見せる必要もなかった。

「いくぞ」

 短く抑揚のない声と共に、トロワはいきなりガンダムヘビーアームズ改の全火器を同時に開いた。

 頭部の小口径バルカン、オープンした胸部の四連マシンキャノン、肩、腰に備え付けられた多数のミサイルポッド、そして、両腕に二丁ずつ供えられた合計4丁のガドリングガン。

 この世界の常識はもちろん、αナンバーズの元世界の常識に照らし合わせても、明らかに一機の機動兵器がなしえる弾幕ではない。

 しかも、砂が舞う夜の海中という視界の悪さなど全く問題にしていないかのように、トロワの射撃は正確無比であった。

 黙々と押し寄せる突撃級が、その最大の売りである頑丈なはずの正面装甲を、真正面から大火力で叩きつぶされる。

「……弾切れだ。一時、母艦に帰還する」

 四丁のガドリングガンがカラカラと弾切れを意味する空撃ちの音を響かせるようになった頃には、総数500を越える突撃級の第一波は、残らず海中の歪なオブジェと化していた。






 第一波の突撃級を撃破したとは言っても、それは数にするとBETA全体の40分の一に満たない。

 トロワ・バートンのガンダムヘビーアームズ改が、アークエンジェルに戻る間、次々と押し寄せるBETAを残る3体のガンダムは、ゲッターポセイドンと共に捕殺する。

「間違いない。貴様達は、悪だ!」

 意思の疎通もとれないBETAを相手にしても、張五飛の言動はいつも全く変わらなかった。まあ、元々知的生命体の天敵とも言うべき宇宙怪獣も「悪」の一言で断じたのだから、今更驚くには当たらない。ある意味、五飛の善悪論は、熱気バサラの歌並に、ぶつける相手を選ばない。

 ガンダニュウム合金製ガンダムは、特徴的な機体が多いが、五飛のアルトロンガンダムもその例に漏れない。

 アルトロンガンダムの両手には、竜の頭部を模して作られたギミックが備え付けられている。

「いくぞ、ナタク!」

 次の瞬間、両腕の竜頭――ドラゴンハングは蛇腹上に伸び、鈍い足取りでこちらに近づく要撃級に噛みついた。

「噛み砕け!」

 さして頑丈でもない要撃級の身体は、いとも容易く竜のアギトによってかみ砕かれる。

「消え失せろ、悪の権化が!」

 五飛のアルトロンガンダムは、両腕のドラゴンハングをまるで二本の鞭のように振り回し、近寄るBETA達を駆逐していった。





「いくよ、サンドロック!」

 トロワ・バートンのガンダムヘビーアームズ改、張五飛のアルトロンガンダムと比べると、カトル・ラバーバ・ウィナーのガンダムサンドロック改の働きは、一言で言って地味であった。

 そもそもガンダムサンドロック改の武装は、両腕に供えられた二本のヒートショーテル以外は、頭部バルカンしかない。もちろん、頭部バルカンというのは、大概気休め程度の意味しかないため、事実上武装は接近戦用のヒートショーテルしかないと言ってもいい。装甲の厚さは、ガンダニュウム合金製ガンダムの中でも一番だが、攻撃力においては一段劣ると言わざるを得ない。

 だが、そんなカトルはその事実を十分に理解した上で、巧みな操作でそれらのマイナス要素を補っていた。

「通さない!」

 カトルはサンドロックを海底より数十メートルほど浮遊させ、下を通るBETAに頭上からヒートショーテルを振り降ろす。

 熱せられた歪曲剣の前には、要撃級の爪も、突撃級の外殻も意味をなさない。一振りごとに、BETAが一体ずつ倒されていく。

 カトルが目をつけたのは、BETAが海底を歩くことしかできない、という点である。対するガンダニュウム合金製のモビルスーツは、自由に海中を移動できる。

 それは言うならば、陸戦兵器に対する飛行兵器の持つ優位さに似ている。地上ではレーザー属種によって空を奪われた人類であるが、この海の底では、海中というもう一つの制空権を確保していると言える。

 実際、BETAの水中適応性の低さは、驚くほどである。移動方法は海底を歩くのみで、しかもその速度は陸上の半分から三分の一程度。当然、海水という天然の光防御壁があるため、最大の脅威であるレーザー属種は事実上無力化されている。

 もしこの世界で、ゾックやアッガイのような水中用モビルスーツを量産できれば、とてつもない戦果を上げるのではないだろうか? そんなことを考えてしまう。

 もっともそれは、一面的な事実にしか過ぎない。この世界の人類も、BETAが水中では圧倒的に動きが鈍ることはとっくに理解している。

 それなのになぜ、水中用戦術機の開発がさほど盛んではないのかというと、それが利用される戦場が極めて限定されるからだ。

 ユーラシアに存在する20以上のハイヴの大半は内陸にあり、またBETAの動きが予測できない現状では海中でBETAを待ち構えるのも難しいのである。

 αナンバーズには、ジェイアークというBETAをおびき寄せる存在がいるから、こうしてこちらが戦場を指定することが出来ているに過ぎない。通常、戦場の選択権はBETA側にあるのだ。

 そして、BETA最大の脅威である、物量は海中でも十全に発揮される。

「クッ、手が回らない!」

 悔しげに呻くカトル右後方を、ゆっくりと巨大な要塞級が群れをなして通り過ぎていく。

「デュオ、お願いします!」

 カトルは、自分の下を通る要撃級をヒートショーテルで切り裂きながら、そう仲間に声を掛けるのだった。





「了解、まかせときなっ!」

 カトルの要請を受け、デュオ・マックスウェルは、コックピットの中で不敵に笑う。

 デュオの愛機、ガンダムデスサイズヘルの漆黒のボディが、手に持つビームシザースの黄色いビームの灯りによって照らし出される。

 シザース(ハサミ)という名前を裏切り、その形状は鎌そのものである。

「おらおら、死神様がお相手するぜ!」

 陽気に叫ぶデュオ自身はともかく、漆黒のボディに長大なビームの鎌を持つその姿は、なるほど死に神という異名がよく似合っている。

 そんな、死に神の前に迫るのは、最大級のBETA、要塞級だ。それも一匹ではない。二十匹近い要塞級が何故か身を寄せるようにして、ひとかたまりになって海底を進んでいる。

「なんだあ? 仲良しこよしってか?」

 一瞬首をかしげるデュオであったが、その疑問はすぐに解けた。

 巨体を寄せ合い作られたその輪の中に、不気味な一つ目のBETAが何匹も隠れていたのだ。

 重レーザー級。BETA8種類の中で、最も脅威度の高いいわばBETAにとっての虎の子を、要塞級が護衛している。

 例え一匹でも重レーザー級が上陸すれば、地上の戦況は不本意な変化を強いられるだろう。

 だが、そのこざかしいBETAの動きも、デュオ・マックスウェルの陽気な笑みを消し去ることは出来ない。

「その程度の手が、見抜けないと思ったか?」

 どこか嘲るように笑いながら、デュオは、デスサイズを海底から跳び立たせると、要塞級の巨体を飛び越え、その中心で守られている重レーザー級の頭上で、ちょうど逆立ちの体勢を取る。

「くらえっ!」

 そして、そのまま頭の下にいる重レーザー級にめがけ、ビームシザースを一閃する。

 一撃で重レーザー級はその一つ目のような頭部をごろりと切り落とされた。

 デュオはそのまま機体をコントロールし、再び海底に着地する。

 そんな重レーザー級の敵を取ろうとした訳ではないだろうが、先頭の要塞級が、砂地深くにその細長い黒い杭のような足を突き刺し、デュオのガンダムデスサイズヘルにその巨体をぶつけようと試みる。

 しかし、要塞級が体当たりを敢行するより、要塞級の右最前足をガンダムデスサイズヘルのビームシザースが切り飛ばす方が速かった。

「おおっと、突撃(チャージ)などさせるものか!」

 突撃の直前に軸足を失った要塞級は、無様に水中で前転した。すかさずそこに、デュオはもう一度ビームシザースを振り降ろす。

「死神様をなめるんじゃねえ!」

 怒声と共に振り降ろされた死に神の鎌は、容赦なく要塞級の蜂のような頭部を切り飛ばした。









【2005年1月20日、日本時間20時03分、巨津港、国連太平洋艦隊司令部】

「に、日本領海に達したBETAの反応が次々と消えています。海底で消滅した数、1500を越えました」

 震える声でなされたCP将校の報告に、国連軍司令官は、渋面を作りながら首をかしげた。

「計器の異常か?」

 思わずそう問い返す。

 無理もない問いである。この世界では、海中のBETAを纏めて葬るような兵器はまだ開発されていない。この場合、そう考えるのが一番現実的である。

 しかし、若い男のCP将校は、青ざめた顔色で首を横に振りながら答えるのだった。

「いいえ。異常は見つかっていません。日本帝国軍の海中カメラ映像来ました。メインモニターに回します!」

 己の任務に忠実なCP将校は、そう言うとメインモニターに繋がったばかりの映像を映し出す。

「…………」

「…………」

 そこに映し出されたのは、お世辞にも見やすいとは言えない映像だった。

 海中に設置された水中カメラが捉えた映像が映し出すのは、夜の海底だ。真っ暗な上、砂煙の舞い上がる海底の画像は見づらいことこの上ない。だが、その見づらさはこの場合むしろ救いだった。

 なにせ、そこには通常の戦術機の倍以上ある巨大な人型機動兵器が、大漁のBETAをばかでかい網で纏めてとっつかまえ、グルングルン回している様が映し出されていたのだから。

 痛々しいまでの沈黙が、国連軍太平洋艦隊の作戦司令部を支配する。

「……これは、回線の異常かね?」

 司令官は、その沈黙を破りCP将校に問いかける。平坦すぎる声色が、かえって老司令官の内心の荒波を現しているようだ。

「い、いえ、回線に異常はありません」

 健気にも、若いCP将校は一生懸命職務を果たす。

「………モニターの異常かね?」

「いえ……モニターにも異常はありません……」

「………………では、一体何が異常なのかね?」

「…………」

 ついに、追い詰められたCP将校はしばし言葉を探した。少なくとも「異常なし」という返答だけは許されない空気である。かといってCP将校の誇りに掛けて虚偽の報告だけは出来ない。

 結局、彼は顔から背中まで、全身を冷や汗でびっしょり濡らしながら、こう答えるしかなかった。

「それは、その……現実が異常なのではないか、と」

「うむ……」

 ふざけているとしか思えないCP将校の返答に、老司令官は真剣な表情で何度か頷く。やがて老司令官は、右手の親指と中指で両こめかみをもみほぐすと、深く長いため息をつく。

「まったく、横浜の魔女の考えることは分からんな」

 横浜の香月夕呼が聞けば、もげるまで首を横に振って否定するであろう、不本意極まりない結論に達するのであった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その7
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2009/09/23 13:19
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その7



【2005年1月20日、日本時間20時57分、対馬西海岸、αナンバーズ】

 ゲッターポセイドンを初めとするαナンバーズ海中部隊は、確かに驚異的な戦果を上げていたが、それでも二万というBETAを一機の特機と四機のモビルスーツだけで食い止められるはずがない。

 特に、最大火力を誇るトロワ・バートンのガンダムヘビーアームズ改が、弾薬補給のため一時離脱したあたりでそれは明らかになっていた。

 海中部隊が撃ち漏らしたBETAが海底を埋め尽くす勢いで東進を続ける。

 その様を対馬沿岸上空に浮かぶ白亜の万能戦艦――ジェイアークの艦橋でソルダートJは、腕を組み眺めていた。

「来たか」

 赤く輝く『Jジュエル』を腕に持つ、赤の星の勇者は、低い声で呟く。

 如何に万を越える数とはいえ、深夜の海底を進むBETAの位置を海上から正確に把握するのは、決して容易なことではない。

 しかし、元々星明かり以外の光源が存在しない宇宙空間戦闘を基本とするαナンバーズの機体にとっては、夜闇はさほどのハンディではなかった。まして、ジェイアークはそのなかでも特別だ。重力波探知機から、中間子検知器まで供えているジェイアークの目をかいくぐるのは、限りなく不可能に近い。

「BETAの海中東進を確認」

 ジェイアークの頭脳、生体コンピュータ『トモロ0117』の報告を受け、ソルダートJは、また一つ頷く。

「ES爆雷投下用意!」

「了解、ES爆雷投下用意」

 ソルダートJの指示を受け、空中に浮かぶジェイアーク下面の爆雷投下口が開く。

 BETAはまだ、先だ。少なくともジェイアークの直下までは来ていない。しかし、そのタイミングでソルダートJは叫ぶ。

「ES爆雷、投下!」

「了解、ES爆雷投下」

 投下されたES爆雷は、海面に落ちる前に爆発し、海上に銀色の厚みのない円盤を作り出す。

 ESウィンドウ。

 簡単に言えば、次元に開けた窓のことである。次元と次元とをつなぐ窓をこじ開けることにより、Jアークは恒星間航行も可能としている。だが、今開けたESウィンドウは移動用のモノではない。

 白亜に輝く超弩級戦艦は、開かれたESウィンドウに、途切れなくES爆雷を投下していった。

 ESウィンドウの出口が、海中を進むBETA直上に開く。

 次元の窓を通り、突如頭上に降り注いだ爆撃に、海中のBETAは、為す術もなくやられていく。

 ゴポゴポと沸騰するように泡立つ暗い海面を見下ろしながら、ソルダートJは、口元を小さく笑みの形に歪めていた。

「ふん、面倒なことだ。地上までおびき寄せれば、この程度の軍勢、私だけで全滅させてみせるのだがな」

 圧倒的な戦果を上げながら、なお不満そうなその言葉は、この世界の人間が聞けば耳を疑うだろうが、別段嘘でも誇張でもない。

 先の横浜基地防衛線の時と違い、今のJアークは武装から出力機関まで全て修理がすんでいる。

 4門の二連装反中間子砲。
 両手の五連メーザー砲。
 足に装備されている4門の対地レーザー砲。
 無数のESミサイルとES爆雷。
 そして右腕に備わる必殺の、Jクォース。

 地上でその全火力を解放するれば、万単位のBETAなど敵ではない。

 しかし、そんなソルダートJの言葉に、ジェイアークの統括コンピュータであるトモロ0117は、否定的な言葉を返した。

「それは可能。だがその場合、対馬の地表面積が半減する可能性が6パーセント」

「解っている。厄介なことだがな」

 ソルダートJは、小さく頷いた。

 αナンバーズは事前に帝国から釘を刺されている。「対馬を海中に沈めるような真似は止めてくれ」と。

 ジェイアークの全力を受け止めるには、対馬という小島はあまりに小さすぎる。

 そうしている間にも、ジェイアークが絶え間なく投下するES爆雷の嵐を乗り越え、BETA達は東進を続ける。

「むっ? 全てのBETAがこちらに引き寄せられている訳ではないのか」

 かなりの数のBETAが、ジェイアークの周辺に集まっているが、その下を通り過ぎて対馬を目指しているBETAも相当数に上る。

 横浜基地防衛線の時は、ジェイアークが戦闘を行った所沢市から横浜基地までは、直線距離にして50キロ近く離れていたが、現在ジェイアークが浮遊しているポイントから、対馬沿岸に陣を引くαナンバーズの防衛ラインまでは数キロと離れていない。

 この距離ならば、後ろのアークエンジェルやその他モビルスーツに引き寄せられるBETAがいてもおかしくはないのかもしれない。

「ふん、どのみちES爆雷だけでは、打ち倒せるモノではないな」

 キングジェイダーは撃ち漏らしたBETAが通り過ぎていくのをあっさりと見送り、前から押し寄せるBETAの波にES爆雷を投下するのに専念した。

 後方の心配はしていない。海中部隊と自分とで全BETAの半分近くは打ち倒しているのだ。残りの半分くらいで被害を出すような連中ではないことぐらい、理解している。

 ソルダートJのライバルである獅子王凱こそいないが、あそこには鋼鉄ジーグが、アムロ・レイが、そしてヒイロ・ユイがいるのだ。

 心配などするだけ無駄というものである。赤の星の勇者はそれを確信していた。





『BETA、対馬西岸に到着を確認。三十秒後に上陸を開始。総数およそ3000』

 伊隅ヴァルキリーズ専属CP将校、涼宮遙中尉の澄んだ声が、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊6人の耳に届く。

 すでに、網膜投射ディスプレイに映し出される対馬の西岸マップ上には、赤い光点が津波のように押し寄せる様が映し出されていた。

「ッ!」

 武は、乾いた口内で無理矢理つばを呑みこむと、両手で操縦桿を握り直す。

『聞こえたわね? 長い待ち時間だったけど、ようやく出番よ。みんな、準備はいいわね!』

『『『はいっ!』』』

 速瀬水月中尉の言葉に、武達五人は気合いの声を揃える。

 午前9時の『甲20号作戦』開始からちょうど半日、12時間が経過している。

 もちろん、その間、二時間おきに二人ずつ三交代でラー・カイラムに戻り、三十分の休憩を取ってはいたが、流石にこの待ち時間は長かった。

 美人揃いの伊隅ヴァルキリーズの面々も、正直今はちょっと人前に顔を出しづらい様相となっている。皆、目の下に軽いクマを作り、かさかさに乾いた唇に少しでも潤いを持たせようと、何度も嘗めている。

 水月や梼子のような長髪の衛士などは、その長い髪が汗と油でてかっており、この数時間、何度シャワーを浴びることを夢想したか知れない。

 だが、そんな彼女たちの忍耐の甲斐があったと言うべきか、今まさにBETAの大群が彼女たちの守る対馬へと上陸を果たそうとしていた。

 真っ暗な海面が泡立つようにして、BETAの大群がその姿を現す。本来第一波となるはずの突撃級は、その大半を海中部隊が葬っているため、対馬上陸一番乗りを果たしたのは、要撃級だ。

 暗視カメラが、海岸線に上陸するサソリの化け物の群れを映し出す。

『来るわよ、総員……!』

 水月が緊張感ただよう声でそう言った、次の瞬間だった。

『ターゲット・ロック、排除開始』

 抑揚のない少年の声が、ヘッドセットから聞こえてきたかと思うと、視界の右端から左端に向かい、非常識なくらいに野太い黄色いビーム光が二本、伸びる。

『『『!?』』』

 失明の危険性を感じる光量だ。ビリビリと圧力すら感じる。

 その光は、数秒間は続いたであろうか。

 光が収まった後には、すっきりとBETAの片付いた、平らな浜辺が広がっていた。

 綺麗さっぱり何もない。マップ上の赤い光点を探してみるが、少なくとも第一波のBETAは、今の一撃で纏めて吹き飛んだようだった。

『『『…………』』』

『……たーまやー』

 フリーズ状態の伊隅ヴァルキリーズの中から、そんなふざけた声が発せられる。

『あはは、かーぎやー』

 それに答えるように、別な一人が笑いながらそう続ける。

『宗像、柏木! こんな時に変なボケかまさない!』

 ヴァルキリー3宗像美冴中尉と、ヴァルキリー6柏木晴子少尉の間の抜けた発言にやっと正気を取り戻したのか、水月は声をあげる。

 
『すみません、つい』

『いやー、解ります、宗像中尉。これはもう、笑うしかないですよね』

 言葉のわりには全く反省していない口調の美冴と、これが二度目の実戦とは思えない晴子の図太い反応に、水月はため息を漏らす。と同時にその視線を、たった今千匹近いBETAを一撃の下に葬った青い戦術機(αナンバーズの区分ではモビルスーツと呼ぶらしい)に向ける。

 まるで神話の天使のような、純白の巨大な羽根を背中に四枚生やし、蒼と白の二色に塗られた人型戦術機。確か、αナンバーズの人間が『ガンダム』と呼んでいるタイプの機体だ。

 この一月、αナンバーズの人間と接するうちに、頻繁に耳にするようになった名称である。「仮にもガンダムなんだから」とか、「流石ガンダム」とか、「これだけガンダムを保有しているのは、俺達くらい」とか。

 彼らにとって「ガンダム」というのは特別な意味があることは理解できた。その頃は、「日本にとっての武御雷みたいなものかな?」程度の認識でいたが、どうやら認識を改める必要があるようだ。水月の頭の中で、ガンダムイコールでたらめという等式が成立する。

 そうしている間に、次のBETAの群れが海面から海岸へと上陸を果たしていた。しかし、

『何度でもこい。ゼロ、オレに奴らの終わりを見せろ』

 間髪入れずに放たれたウイングガンダムゼロのツインバスターライフルが、再び上陸したBETAの群れを纏めてなぎ払う。

「すっげ……」

 ひょっとして、自分たちの出番はないのではないだろうか? 思わずそんなことを考える武であったが、流石にそれは考えが甘すぎた。

 突如、後方上空に控えるラー・カイラムからブライト大佐の指示が入る。

『ヒイロ、下島にもBETA上陸の気配がある。お前は、そっちに回ってくれ。イサム小隊もだ』

 対馬は細長い島だ。元々は、上から下まで陸で繋がった一つの島だったのだが、その昔海運の便を良くするために、大船越瀬戸、万関瀬戸という二つの人工海峡を築き、現在は三つの島に分離している。

 BETAをおびき寄せる役目のジェイアークを上島沖におくことにより、BETAを全て上島におびき寄せることをもくろんでいたのだが、どうやらそこまで思い通りには動いてくれないようだ。やはり、BETAの行動を完全に予測することは出来ない。

『任務了解、移動する』

 レーダーで素早く上陸しているレーザー属種がいないことを確認したヒイロは、すぐにウイングガンダムゼロを離陸させた。

『了解。ガルド、遅れないでついてこいよ!』

『ふん、機体の性能を鼻に掛けて偉そうに』

 続いて、イサムのVF-19エクスカリバーと、ガルドのVF-11サンダーボルトが、ファイター形態に変形し、それに続く。

 僅か三機での下島防衛。この世界の兵器を基準に考えれば、無謀極まりないが、あの絶大な火力を見ればあまり心配はなさそうだ。

『ほら、白銀、ぼうっとしない。来るわよ!』

「っ、了解!」

 部隊長である水月の叱責に、武は意識を目の前の海岸線に戻す。

 ウイングガンダムゼロという凶悪な殲滅兵器の抜けた海岸線からは、BETAの第三波が押し寄せてきている。今度こそ本当に、伊隅ヴァルキリーズの出番だ。

『速瀬隊、フォーメーション半弧陣、撃て!』

 部隊長、速瀬水月の声を合図に、6機の不知火は最大火力で上陸してくるBETAを迎え撃つのだった。









【2005年1月20日、日本時間21時13分、朝鮮半島南、臨津江(イムジンガン)河口、大東亜連合軍艦隊司令部】

「まるで、焼けた鉄板にバターの固まりを押しつけているような有様だな」

 それが、αナンバーズがBETAを葬る様子をモニターで見ていた大東亜連合軍司令官の感想だった。

 東進する無数の赤い光点が、対馬という壁を破れずに次々と消えていく様は、頼もしいのを通り越して、恐怖すら覚える。なんだか日本帝国という島国が、人外魔境の異世界に思えてくる。

 とはいえ、そちらの戦線が順調なのは喜ばしいことだ。司令官は一度頭を振ると、視線を祖国の地図を映し出すメインモニターへと戻した。

「ハイヴ攻略部隊はどうなっている?」

「はい。現在、深度1100メートル。今だハイヴ内にBETAの影は発見されず。有線通信、補給コンテナ運搬共に後方支援も順調に展開しています」

 若い女のCP将校の報告に、韓国人の司令官は「うむ」と一つ頷いた。

 ハイヴは地下深くに潜るにつれて、無線通信が通じなくなっていく。そのため、突入する戦術機部隊を孤立させないために、長いケーブルをぶら下げた有線通信機を持った特殊部隊が戦闘部隊の後に続いている。また、補給物資の枯渇を防ぐため、深度500メートルごとに、補給コンテナを配置し、その周りに戦術機部隊を護衛につけている。
 
 それにしても、深度1100メートルまでいっても、まだBETAの襲撃がないというのは司令官にとっても予想外だった。

 まさか本当に残存BETAは全て、『オペレーション・ハーメルン』とやらに引っかかったのか? そんな甘い考えが、一瞬頭の片隅をよぎる。

「地上に展開している戦術機部隊と支援砲撃部隊に、ローテーション通りに小休止を取らせろ。食事もだ」

 司令官はその甘い考えを振り払うように、頭を振ると兵士達に休息を命じた。

「了解。各員はローテーション通り小休止に入れ。警戒は厳に」

 すでに戦闘が開始して、12時間が過ぎている。こうして、後方で指揮を執っている自分でさえ、頭の芯に鈍痛を感じる位なのだから、前線衛士達の疲労は相当なものだろう。

 休めるときに休まなければ、体も心も持たない。疲労による集中力の低下は、熟練兵士を新兵同然の案山子に変える。優れた兵士というものは、力の入れ方だけでなく、力の抜き方も知っているものだ。

 そうして、兵士達に休息を命じてから小一時間がたった頃、司令部に事前に想定していた前提条件を丸ごと覆す報告が入るのだった。

「ハイヴ突入部隊、『1300メートル』地点に到達。BETAの影は見えず。ハイヴの底も見えず……」

「馬鹿な……!」

 司令官という立場に相応しくない非建設的な言葉が、彼の口から漏れる。

 だが、艦橋にいる大東亜連合軍の兵士達は誰も、灰色の髪を振り乱す司令官の言葉に異論はなかった。

 本来、フェイズ4ハイヴの最高深度は1200メートルとされている。そこからさらに100メートル潜ってまだ、全く底が見えてこないという事実。

 これは、鉄源ハイヴが通常のフェイズ4ハイヴの常識から外れていることを意味する。 

「これも……BETAの対G弾戦術の一環か」

 確証はない。だが、司令官にはそうとしか考えられなかった。

 先ほど、国連軍の司令官と連絡を取ったとき、あちらの司令官は「BETAはG弾に対応するため、戦力を小出しにしている」という推測を述べていた。

 2万、3万という数を「小出し」と言われるのは正直納得したくないところだが、BETAの総数から考えれば国連軍司令官の言葉は的を射ているように思える。

 だが、BETAの対G弾戦術は、それだけだという保証はどこにもない。

 戦力の小出しよりもさらに単純きわまりない対策、「G弾でも容易くやられないくらいにハイヴの深度を下げておく」という対処方法をとったのではないか?

 爆撃に備えた穴を深くする。単純すぎるほどに単純な対策だが、効果は抜群だろう。いかなG弾と言えども、地表から地下1000メートルや2000メートルまでえぐり取ることは出来ない。

 これは一度バックアップ体制から見直す必要がある。

 有線通信のケーブルや補給コンテナなど、バックアップ体制は全て、ハイヴの深度が1200メートルの予定で組まれている。無論、ケーブルにしても補給物資にしても、ギリギリ1200メートル分の量しか積んでいないわけではない。十分に余裕を持たせ、最大、深度2000メートルくらいまでは問題の無い計算で組まれている。

 しかし、こうなるとハイヴの深度が2000メートル以上ではない保証もない。

 なにより、潜っている衛士の精神状態が心配だ。

 当初はゴールと思っていた深度を100メートル以上超えても、全く見えてこないハイヴの底。ゴールを見失った衛士達がパニックを起こしてもなんら不思議はない。

 初めて走る田舎の自動車道で、予定してた距離を走破してもなぜか目的地にたどり着かず、見渡す限りガソリンスタンドはおろか、人家自体全く見受けられない上に、携帯電話のアンテナは立たず、極めつけに燃料メーターが危険域を射している状況を想像すれば、ハイヴ突入部隊衛士達の心境が千分の一くらいは理解できるだろうか。

 作戦を洗い直す、そう司令官が言おうとしたその時だった。

『こちら、ハイヴ突入部隊! BETAと遭遇! 総数、測定不能! 至急……』

 ハイヴ突入部隊の隊長から、悲鳴に近い報告が入る。同時に、メインモニターにうつるマップのハイヴ周辺が一瞬真っ赤に染まるほど、赤い光点に埋め尽くされる。

 だが、その報告は最後までこちらに届くことなく唐突に途切れた。同時に、モニターに映る無数の赤い光点も消え失せる。

「こちら艦隊司令部、突入部隊、応答せよ! ッ、応答せよ! ……駄目です。有線通信ケーブルが全て物理的に切断されたものと思われます」

「遅かったか……」

 感情をかみ殺し、そう報告するCP将校の言葉に、老司令官は思わず唇を噛んだ。

 戦術機に搭載されているレーダーは司令部のそれと比べると、かなり能力が落ちるのは確かだが、それでも最大2万は測定出来るはずだ。ならば、あの時、ハイヴ地下には、レーダーの範囲内だけでも2万のBETAがいたということになる。

 突入部隊は全滅したと考えた方が良いだろう。

 もしかすると、有線通信ケーブルが切断されただけで、今なお彼らは戦っているのかもしれないが、それを知るすべはないし、どのみち時間の問題でしかない。彼らが助かる可能性はゼロだ。

 司令官は、少しでもこの不慮の事態における被害を押さえるため、思考を切り替えた。

「補給部隊を地上に撤退させろ! 補給コンテナや有線通信は捨て置いてかまわん。機体と人員だけでいい」

「了解。ハイヴ内部補給部隊に告ぐ。総員、大至急、地上に撤退せよ」

 司令官の言葉を受け、ハイヴ内部に進入していたバックアップ部隊は、即座に撤退を開始した。

 元々、突入部隊の全滅は有線通信を通し、バックアップ部隊の人間も耳にしている。

 蟻の巣状に入り組んだハイヴ内部で、下層からわき上がるBETAを相手に撤退戦。

 一割も生還できれば御の字か、口にも表情にも出さないが、司令官は九分九厘、補給後方部隊も含めた完全な全滅を覚悟していた。しかし、

「補給部隊、全員地上に離脱しました。死傷者はありません。なお、緊急脱出に伴い、推進剤の切れた戦術機を投棄し、同小隊の機体に相乗りした者が数名いるようですので、人命以外の被害はある程度出ているようです」

 CP将校は、信じがたい報告を入れるのだった。

 補給部隊の全員離脱成功、不幸中の幸いとも言うべき結果に、若い女CP将校の声も軽く弾んでいる。

 だが、司令官はその報告に完全に顔色を失う。

「なんだとっ……?」

 信じがたい思いで、司令官は鉄源ハイヴ周辺を移すモニターに目を向ける。

 そこには、自軍を意味する青い光点だけが誇らしげに光っており、BETAを意味する赤い光点は一つとして見られない。

「補給部隊で、BETAと遭遇した者は?」

 血相を変える司令官の言葉に、戸惑いながらCP将校は、手際よく上がってくる報告を簡単に洗い直し、

「はい、少なくとも現状でBETAと遭遇したという報告はいっていません」

 そう、報告した。当たり前と言えば当たり前である。補給部隊は皆有線通信とレーダーが生きている層にいたのであり、もしそこにBETAが上がってきていれば、モニターに赤い光点が映るはずだ。
 
 それが一切レーダーにBETAが引っかからないと言うことは、つまり「突入部隊を全滅させたBETAは、通信の通じない1300メートル以下から上がってきていない」事を意味する。

 そのおかげで、突入部隊の後方補給部隊は全員生還が出来た。それ自体は喜ばしい。

 だが、少し考えればそれは、最低最悪の凶報であることが解るだろう。

「まさか、BETAは守っているのか? ハイヴ下層を、反応炉を」

 司令官は、文字通り絞り出すような声を漏らし、そのままよろめくようにして、司令席に腰を落とした。

 BETAの新戦術。ハイヴ下層への「防衛部隊の配置」。

 もし、司令官の予想が当たっていたとしたら、地下1300メートル以下にいるBETA達は、原則地上に上がって来ることはないだろう。

 これでBETAの見せた新戦術は三つ。

 一つ目は、地上戦力の分割投入。

 二つ目は、ハイヴの地下深度の掘り下げ。

 そして、三つ目は、ハイヴ地下の防衛部隊。

 戦力を分けて地上にあげることで、こちらのG弾一発当たりの戦果を下げ、地下深度を掘り下げることでハイヴ内部への被害を減少させる。その上で、反応炉をやられないように、ある程度の数のBETAを守備用に下層に残しておく。

 全ては、想像でしかないが、こう考えるとBETAの取った戦術が理解できる。

 子供でも考えつくような単純そのものな対応策だが、BETAの圧倒的な数でやられると、恐ろしいくらいに効果を発揮する。

 現に、『甲20号作戦』は、今頓挫しかかっている。

 すでに、G弾は全て使い果たし、後は戦術機でハイヴを攻略するしかないというのに、そのハイヴは想定していたよりも遙かに深く、下層にはぎっしりとBETAが詰まっている。

 つまり、ここからは、最低2万のBETAがいる地下1300メートル以下を戦術機を中心とした突入部隊だけで攻略していかなければならないということだ。

 正直、今までのBETAの稚拙な対応からは考えられないくらいの劇的な変化だ。これは、本当にG弾に対応しただけなのだろうか? 一瞬、司令官はそんなことも考えるが、すぐに首を振ってその思考を振り払った。

 今はそんな裏の事情に頭を使っている余裕はない。なんとかして、ここから甲20号ハイヴを攻略しなければならないのだ。

 このまま撤退などすれば、BETAはその圧倒的な建築力と増殖力で、ハイヴもBETAの総数もすぐに元に戻ってしまうだろう。そうなったら、何のために祖国のど真ん中にG弾を投下することを許可したか解らなくなる。

 自分たちは祖国を奪還に来たのであり、祖国にとどめを刺しに来たのではない。

「むう……」

 司令官は必死に、思考を巡らせる。

 しかし、考えれば考えるほど、現状はすでに詰んでいるとしか思えないのだった。











【2005年1月20日、日本時間22時35分、対馬西岸、αナンバーズ】


 朝鮮半島で、大東亜連合軍と国連軍が「上がってこないBETA」を相手に手をこまねいている頃、αナンバーズと伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、推定2万のBETAを相手に、順調な殲滅戦を繰り広げていた。




「あなた達なんかに負けるもんですか!」

 ゼオラ・シュバイツァーが気合いの声に逢わせ、アルブレード・カスタムは背面に付いている二門スプリット・ビームキャノンを稼働させる。

「くらえっ!」

 両肩の上に降りた二門のビーム砲から、無数の細いビーム光が放たれる。

 その一撃で、二十匹ほどいた要撃級が纏めて肉塊と化した。

「ふう……」

 だが、ゼオラが一瞬気を抜いたその時、アルブレード・カスタムの側面に、遠方から突撃級が襲いかかる。

「クッ?」

 しかし、ゼオラのアルブレード・カスタムが近接戦闘用のブレードトンファーを構えるより速く、その突撃級の背面に、槍を持った半人半馬の影が襲いかかる。

「遅いぜ、ジーグランサー!」

 それは、パーンサロイドの形態の鋼鉄ジーグであった。

 時速170キロで直進する突撃級に、その真後ろから槍を持って突撃を掛けるその様は、まさに現代の騎兵とも言うべき勇壮さだ。BETA最速を誇る突撃級を真後ろから、それに倍する速度で襲いかかる。

 弱点である柔らかい背面にランスチャージを喰らった突撃級は、アルブレード・カスタムに届くことなく絶命した。

「気をつけてくれよ、ゼオラ」

「ありがとう。助かったわ」

 この世界の戦術機と比べて遙かにタフな作りをしているアルブレード・カスタムが、突撃級の突進だけで大破する可能性は低いが、攻撃を喰らわないに越したことはない。

 ゼオラは、鋼鉄ジーグと背中合わせになるように向きを変え、周囲を警戒しながら礼の言葉を返した。

 全高二十メートル強のアルブレード・カスタムと全高十メートル強の鋼鉄ジーグ・パーンサロイド。ほとんど倍近く大きさの違う二体は、その後も互いの死角を補い合うようにして、無難に戦果を上げていった。






「ヴァルキリー6、フォックス2」

「ヴァルキリー5、フォックス3!」

 柏木晴子少尉の不知火が、右メインアームのビームライフルを三度発射し、遠方の突撃級二体を仕留めるのと当時に、涼宮茜少尉の操る不知火が、両メインアームに構えた二丁の87式突撃砲で36㎜弾の弾幕を張り、戦車級を初めとした迫り来る小型種を掃討した。

「うわー、やっぱり凄いね、このビームライフルってのは」

 戦場に似つかわしくないくらい緊張感のない口調で、晴子は感嘆の声を上げる。

 確かに、突撃級の外殻を正面からぶち破れる破壊力は、これまでの戦術機の武装と比べれば、破格の一言に尽きた。

 頑丈な突撃級や、ばかでかい要塞級も、「当てただけで倒せる」というのは、戦場で戦う衛士のストレスを格段に低下させてくれる。要撃級や戦車級など、掠っただけでも戦闘不能になることも珍しくない。

「まあね。でも、それ使い処が難しいわよ」

 だが、茜は、晴子の意見に無条件で賛同はしなかった。

 事実、茜は当初右メインアームにビームライフル、左メインアームに87式突撃砲というスタイルで出撃したのだが、ラー・カイラムに補給に戻った時に、ビームライフルを外し、87式突撃砲二丁に切り替えている。

 確かに、ビームライフルの威力は破格だが、その連射性の低さが致命的だ。

 少なくとも、先ほど茜がやっていたように、戦車級や要撃級の群れを掃討するには、36㎜弾をばらまくことの出来る87式突撃砲のほうが勝っている。

 無論それでも、ビームライフルが戦場の革命とも言える代物であることは疑いない。後は、試行錯誤して有効な運用方法を確立するしかない。

 運営方法の確立がすんでいない状態でいきなり実戦に投入するというのは、本来前線で戦う衛士からすると「勘弁して欲しい」たぐいの事なのだが、香月夕呼の直属部隊ならば、この程度のことはハプニングにも入らない。

「大丈夫。使い方を間違えなければ、凄い使えるから。あ、小型種は茜に任せるからね」

「了解、その代わり突撃級と要塞級はそっちの担当だからね」

 相変わらず、緊張感というものを感じさせない晴子の笑顔に、茜は生真面目な表情を崩さず返事を返した。 
 





「これは、そろそろ底が見えてきたかな?」

「そうですね、でも油断は禁物ですよ、美冴さん」

 一方、ヴァルキリー3宗像美冴中尉と、ヴァルキリー4風間梼子中尉は、息のあった動きで順調にBETAを葬っていた。

 美冴の不知火が87式突撃砲と92式多目的追加装甲、梼子の不知火がビームライフルと92式多目的追加装甲という武装だ。

 こちらも、その武装から想像できるように美冴が要撃級・戦車級の掃討担当で、梼子が突撃級・要塞級の狙撃担当である。

 同時に、視界の端に茜・晴子のエレメントを入れるようにしており、いざというときはフォローしてやるつもりでいる。

 幸いにも、まだ二度目の実戦だというのに、物覚えの早い伊隅ヴァルキリーズの新人達は、ほとんどフォローの必要もないようだったが。

 肩より上で短く切り揃えられた美冴の赤い頭髪が、その中性的なりりしい美貌に汗で張り付く。

「っと、流石にシャワーが恋しくなるね」

 美冴は、両手を操縦桿にかけたまま、一度強く頭を振り、顔に張り付く髪を強引に引きはがした。

「確か、ラー・カイラムにはシャワールームが設置されていると聞きましたけど」

「それじゃ、とっとと残りを片付けて、使わせてもらうとしようか」

 梼子からの情報に美冴は軽く笑うと、岩場を走る要撃級数匹に36㎜弾のシャワーを浴びせる。小回りがきく要撃級であるが、美冴は一見無造作な乱射に見えて、その実相手の動きを先読みし、微妙に銃口をずらしながら、効率的にBETAを葬っている。

「いいですね。私も髪を洗いたかったんです」

 梼子は、ゆっくりと海中から姿を現した要塞級の頭部をビームライフルの一撃で吹き飛ばしながら、汗で湿った緑の長髪を重たげに揺らした。





「ッと、つかまるかよっ!」

 武の操る不知火が、超低空を不規則に飛び回り、砂浜に足を取られる要撃級に突撃砲の36㎜弾を降らせる。

 武考案の新OS『XM3』は、やはり誰よりも武に劇的な効果をもたらしていた。

 ほとんどタイムラグを感じずに動くことができ、先読みを駆使しコンボを組みたて、予定が狂えば即座にキャンセルで動きを止める。

 元々、αナンバーズの活躍で上陸するレーザー属種がほとんどいないせいもあるが、この世界の衛士の常識からすると「命知らず」としか言えないくらい、勝手気ままに空を飛んでいる。
 
「このっ! うわっ、なんかこれ、手応えがなくて逆に不安になるわね」

 一方、武のエレメントパートナーである速瀬水月中尉は、武機に向かって尾節の触手を伸ばそうとしていた要塞級の足を、ビームサーベルの一振りで纏めて二本叩き切っていた。

 手応えらしい手応えもなく、要塞級の足を切り落としたビームサーベルの切れ味に、水月は感嘆の声をあげる。

 さらに、バランスを崩して転倒した要塞級の頭部にビームサーベルを一閃させ、とどめを刺す。

 その頃には、要撃級の群れを掃討した武も、水月の隣に戻ってきていた。

 それに気づいた水月は、武に笑顔で声を掛ける。

「よし、この辺りのBETAは全滅させたようね」

「はい。こちらの受け持ち区分内に、BETAの反応はありません」

 満足げに頷く上官の笑顔に、武は素早くレーダーの表示を確認するとそう返す。

 まだ、周りには戦闘中の機体もあるが、そちらも時間の問題のようだ。これが通常ならば友軍のフォロー、もしくは「獲物の横取り」に向かうところだが、流石の水月もαナンバーズを相手にそれをやる度胸はなかった。

 ハイパーメガランチャーで要塞級を数匹纏めて吹き飛ばしているZガンダムやら、フィンファンネルを駆使し文字通り一騎当千の活躍を見せているνガンダムなどが縦横無尽に暴れているところに、装甲の薄い戦術機で割り込むほど水月は度胸が良くない。

 というより、それは度胸がいいのではなく、自殺願望があるという。

 水月はもう一度頷くと、通信を部隊内オープンに設定し、部下5人に指示を送った。

「伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊は全機集合! 機体に不具合のある奴は報告しなさい」

 予定では、次にラー・カイラムに戻って補給小休止を取るのは、水月と武の予定だが、その辺りは機体のダメージ状況や弾薬の消費量を見ながら、柔軟に対応している。

 そのための確認であったが、ヴァルキリーズの面々が報告を入れる前に、ラー・カイラムの涼宮遙中尉からヴァルキリーズの全員に通信が入る。

『ヴァルキリーマムより各機へ。現時刻をもって対馬上陸BETAの掃討は終了。全機母艦に帰投せよ』

『『『!?』』』

 その報告に、武達は喜びより先に驚きが感じた。例え現状で、対馬周辺のBETAを殲滅できたとしても、『甲20号作戦』が終了しない限り、対馬防衛の必要はあるはずだ。それなのに全機帰投という命令。見れば、αナンバーズの機動兵器部隊にも同様の命令が下されたらしい。

 なにか、情勢に大きな変化があったとしか思えない。

『了解、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊、これより帰投する』

 そんな部下達の不安と迷いを断ち切るように、水月は張りのある声で返事を返す。

「オペレーション・ハーメルン」は、次の段階に移行しようとしていた。











【2005年1月20日、日本時間23時02分、対馬東岸、ラー・カイラム、ブリーフィングルーム】

 1月20日という日も、残すところあと一時間となった深夜、ラー・カイラムのブリーフィングルームには、αナンバーズのパイロット達と、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の衛士達が集まり、ブライト艦長の言葉を待っていた。

 当然この模様は、アークエンジェルのブリーフィングルームとジェイアークの艦橋にも双方間通信で流されている。

 皆の視線が集中する中、ブライト艦長は一つ咳払いをすると話し始めた。

「あー、まず現状の説明から入るが、現在国連軍と大東亜連合軍による『甲20号作戦』は、幾つかの予想外の事態に直面し、膠着状態に陥っている」

 すでに本作戦用に用意されたG弾は、使い果たしていること。

 鉄源ハイヴが予想を超え、1300メートル以上の深度を持っていること。

 ハイヴ下層のBETAがまるでハイヴを守るように下層に留まり、地表に上がってこないことなどを、ブライトは簡潔に説明していく。

「それは、厄介だな」

「引き籠もられたか」

「冗談でしょ……」

 αナンバーズの面々がいまいち自体を理解していないのに対し、速瀬達伊隅ヴァルキリーズは顔色を失っている。

 BETAがここまで劇的な戦術の変化を見せたのは、レーザー属種が対空迎撃に特化した時以来だ。禁断の兵器『G弾』ですら、BETAにとっては「対処可能な障害」でしかないのか。

 一方、武はちょうどαナンバーズと伊隅ヴァルキリーズの真ん中くらいの心境だ。

 学科と夕呼の特別授業でこの世界の歴史は習っているので、今回のBETAの戦術変化が想定外の事態であることは理解できるが、元々生まれつきこの世界にいるわけではないので、どことなく「まあ、そう言う可能性もあるか」ぐらいの反応になる。

「現在、鉄源ハイヴ周辺では一時的に戦闘が中断されている。BETAは地上に出てこないし、国連軍及び大東亜連合軍は、地下1300メートル以下のハイヴを攻略する手段がない」

 元々G弾による殲滅がメインの作戦であり、そのG弾を使い果たした今、後は正面からの力押ししかない。

 確実に万を越えるBETAが犇めくハイヴ下層を、通常戦力で攻略する。それが可能ならば、とっくに人類はユーラシア大陸を取り戻している。

 ブライトの説明は続く。

「その膠着状態に陥った状況を受けて、韓国臨時政府がこちらの提案を一部、のんでくれた。αナンバーズ、正確には日本帝国南部防衛部隊に、韓国領海への進入許可が下りた。

 ただし、進入は北緯35度以南の海上に限られる。半島陸上への攻撃は許可されたが、部隊の上陸は許可されていない」

 それは、大河全権特使の粘り強い交渉が実を結んだ結果とも、状況の変化に韓国政府が折れた結果とも言えた。

 アメリカの意向には逆らいたくないが、国土は何としてでも取り戻したい。そんな、韓国政府がギリギリの妥協点を探った結果がこれなのだろう。

「よって我々はこれより、朝鮮半島の釜山港(プサン港)に移動する。釜山港海上で、再びジェイアークを囮に『オペレーション・ハーメルン』を実行。もし、BETAが引き寄せられるようならば、これを海上から水際で殲滅」

 通常の水際防御とは違い、水上から陸上のBETAを水際で食い止めるというわけだ。

 アークエンジェルのローエングリンに、ウイングガンダムゼロのツインバスターライフル。さらには、キングジェイダーの全門斉射などを加えれば、劇的な戦果を上げられるだろう。

「もし、BETAが引き寄せられなかった場合は、作戦は次の段階に移行する。

 ソルダートJ、一つ確認したい。釜山海上から、鉄源ハイヴ上空にESウィンドウを開くことは出来るか?」

 ブライトはモニターに映る、緑の鎧を纏った鷲鼻の戦士に水を向けた。

 突然話を振られたソルダートJは、慌てることなく、ジェイアークの統括人工知能に確認する。

「トモロ?」

「可能。彼我距離から誤差は最大X,Y,Z軸それぞれ、プラスマイナス10メートル以内と推定」

 ESウィンドウは同じ空間で何度も開くと空間に異常を来すこともあるが、幸いこの世界には元々ESウィンドウを開く技術はない。一度や二度ならば、弊害を気にせずともいいだろう。

 理想に近いトモロの返答に、ブライトは少しホッとしたように息を吐き、頷いた。

「よし、それならば、作戦はこうだ。まず、キングジェイダーがESミサイルでESウィンドウを開き固定。そこに、飛行可能で大火力を持つ機体、具体的にはソルダートJのキングジェイダー、アークエンジェル、ファのメガライダー、ゼオラのアルブレード・カスタム、そしてヒイロのウイングガンダムゼロで連続攻撃をしかける。

 ハイヴ主縦坑に直接火力をたたき込むのだ」

「「「…………」」」

 ブライトの説明に、一同はしばし言葉を失った。流石に少し滅茶苦茶な気がするのだろう。

 確かに、韓国政府は、「北緯35度以南からの朝鮮半島への攻撃」は許可したが、どこの世界に朝鮮半島の最南端とも言える釜山港から、半島の中央部に位置する鉄源ハイヴに、直接攻撃を加えるなどという事態を想像できる人間がいるだろうか?

 作戦を立案したブライトには、全くその気はないのかも知れないが、韓国政府からしてみるとこれはサギに近い。

「なあ、ESウィンドウって?」

 聞き覚えのない単語に、武は近くに立つプラグスーツ姿のシンジを突っつき尋ねた。

 シンジは、顔は正面に向けたまま、視線だけ武の方に向け、

「簡単に言えば空間と空間をつなげる次元の穴です。ワープって解りますか?」

「ワープって! んな事も出来るのかよ?」

 武は思わず目をまん丸に見開く。

「白銀っ!」

 少し声のトーンが上がった武を、背中を向けたまま水月が小さく鋭い声でたしなめる。

 武は小声で「すみません」と謝り口を噤んだが、頭の中では今聞いた「ワープ」という言葉が渦巻いていた。

(ワープってあのワープだよな? ひょっとして、αナンバーズなら恒星間航行も可能なんじゃないのか? だったら、バーナード星系にも……)

 脳裏によみがえる最愛の人の影を、無理矢理振り払い、武はどうにか説明に耳を傾けた。今はまだ作戦行動中なのだ。心の乱れは即、死に繋がる。 

 武が意識を会話に戻すと、ちょうどαナンバーズの機動兵器部隊長であるアムロが手を挙げ質問を投げかけていた。

「ESウィンドウは一方通行ではない。レーザーの集中照射がESウィンドウを通して、こちらに届く可能性があると思うが?」

 主縦坑の底には、無数のレーザー属種がいて主縦坑に上から進入しようとする者をその圧倒的な火力で葬り去るというのは、αナンバーズも事前に聞かされていることだ。

 ブライトは一つ頷くと、

「だから、一撃目はキングジェイダーに頼む。キングジェイダーならば多少の攻撃でやられることはない」

 ジェネレイティングアーマーという防御フィールドと、単一構造結晶装甲に守られたキングジェイダーの防御力は、αナンバーズの特機の中でも上位に入る。

 そのキングジェイダーの全砲門斉射が主縦坑の底に届けば、レーザー属種の大半を葬ることが出来るだろう。

「なお、不測の事態に備え、それ以外の飛行可能な機体はラー・カイラムの護衛、飛行能力のない機体は、母艦で待機だ。伊隅ヴァルキリーズはラー・カイラムの甲板上で待機していてくれ」

「了解しました」

 伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊を代表し、速瀬水月中尉は、敬礼を持って答えた。

 これは、至極当然の処置と言える。

 確かに、伊隅ヴァルキリーズの戦術機『不知火』は飛行能力を有しているが、推進剤の関係上、飛行可能時間は余り長くない。

 αナンバーズの機体のように、制限時間を気にせず飛んでいられる訳ではないのだ。ならば、いつでも飛び立てるよう甲板上に配置しておくのがベストと言える。

 もっとも、αナンバーズの機体と違い、防御の貧弱な戦術機が飛行戦闘をやらされる可能性は正直考えたくないだろうが。

「なにか、質問はあるか? なければ、作戦を開始する。戦闘員は自機に戻り出撃に供えてくれ」

「「「了解っ!」」」

 そろった返事を返したαナンバーズの機動兵器部隊と伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、狭い艦内の廊下を駆け出す。











【2005年1月20日、日本時間23時45分、朝鮮半島釜山港、海上上空】

「ジュエルジェネレータ、出力全開!」

「了解、ジュエルジェネレータ、出力全開」

 予定通り釜山港上空に到着したジェイアークは、ジュエルジェネレータの出力を全開にして、様子を見る。





「どうだ、反応はあったか?」 

 その後方に控えるラー・カイラムの艦長席からブライトが、トーレスに状況を尋ねる。

「駄目ですね。これといった反応はありません」

 トーレスは視線は各種モニターに向けたまま、首を横に振る。

 ラー・カイラムのレーダーでも、帝国軍を介し伝えられる衛星からの画像でも、鉄源ハイヴ周辺にこれといった反応は見受けられない。

「仕方がないな。作戦は第二段階に映る。各機用意してくれ」

『いいだろう。フュージョン!』

 ブライトの声を受け、ソルダートJは、ジェイアークをキングジェイダーにメガフュージョンさせるため、まずフュージョンをして、ジェイダーとなる。

『メガフュージョン!』

 続いてジェイダーはメガフュージョンを済ませ、白亜の巨大ロボット、キングジェイダーへの変形を完了させた。

『こちら、アークエンジェル。ローエングリン、発射準備終了。いつでも撃てます』

 先行分艦隊のもう一つの母艦、アークエンジェルからラミアス艦長が返事を返す。

『任務了解。エネルギー充填完了』

 ウイングガンダムゼロのヒイロからも、いつも通り冷たく平坦な声が変える。

『ファ・ユイリィ、メガライダー。エネルギーチャージ完了』

『ゼオラ・シュバイツァー、アルブレード・カスタム。同じく準備完了です』

 ファとゼオラがそれに続く。

「よし」

 ブライトは、ラー・カイラムの艦長席に腰を下ろしたまま、右こぶしで左手の平を叩いた。

 本来であれば、ラー・カイラムのハイパー・メガ粒子砲もこれに加えたいところであるが、生憎ラー・カイラムは下面装甲の修理が手つかずのままである。

 まず問題はないとは思うが、貴重な母艦を危険に晒さなければならないほど、現状火力に不自由もしていない。

「念のため、大東亜連合軍と国連軍に再度警告だ」

「了解……大丈夫です。両軍ともハイヴ周囲20キロ以内から撤退完了しています」

「よーし、ソルダートJ! 始めてくれ」

『いいだろう。ESミサイル発射!』

 キングジェイダーが撃ち放つ無数のESミサイルが、空間に丸い大きな穴を開ける。全長100メートルのキングジェイダーがすっぽり入りそうな大きな穴だ。

 そして、次の瞬間、その穴から眩いばかりのレーザーが飛び出してきた。

 流石に桁外れに束ねられたレーザーは、キングジェイダーの防御フィールド――ジェネレイティングアーマーを突き破り、キングジェイダーの白い装甲に熱光線を浴びさせる。

 だが、ソルダートJは怯むことなく、攻撃に転じるのだった。

『空を汚す者達が! くらえ、全門斉射!』

4門の二連装反中間子砲が、両手の五連メーザー砲が、足に装備されている4門の対地レーザー砲が、そして無数のESミサイルが、ESウィンドウの向こうへとたたき込まれる。

 それはほんの十秒弱のことであった。ここからでは戦果は分からない。確かにESウィンドウを通ってくるレーザーの数は減っているがそれは、撃破したのか、単に照射時間が終了したのかの判別が付かない。

 全門斉射を終えたキングジェイダーはESウィンドウの正面からその巨体をずらす。

 その後ろから姿を現したのは、αナンバーズ先行分艦隊の母艦の一つ、戦艦アークエンジェルだった。

 今度はアークエンジェルが、レーザー照射の的となる。ESウィンドウ越しでは狙いはつけられないのか、BETAとは思えないほどでたらめなレーザー照射だが、そのうち何本かはアークエンジェルを捉えている。

 一部で「足つき」と呼ばれたその特徴的な両前足の部分が開き、発射準備はすでに整っている。

「ローエングリン、一番、二番、てーっ!」

 戦艦アークエンジェルが誇る最強の武装、陽電子破城砲『ローエングリン』は、違うことなくESウィンドウの中へと吸い込まれていった。

 その結果を見る間もなく、ラミアス少佐は命令を飛ばす。アークエンジェルの守りは、キングジェイダーほど堅いものではない。これ以上レーザー照射を受ければ、いつ不具合が生じてもおかしくない。

「急速旋回、ESウィンドウ前から離脱!」

「了解っ!」

 アークエンジェル操舵手ノイマン少尉は、巧みな操舵を見せ、全長四百メートルの巨大戦艦を高速でESウィンドウの前から離脱させる。

 一時的なものか恒久的なものかは知れないが、ESウィンドウからこちらに向かって放たれるレーザーは途絶えている。

 アークエンジェルの後ろに控えていたのは、一体のモビルスーツと一体の支援兵器、そして一体のバーソナルトルーパーだった。

 ヒイロのウイングガンダムゼロ、ファのメガライダー、そしてゼオラのアルブレード・カスタム。

「いくぞ、ゼロ」

「私だってっ」

「このまま一気にっ」

「……トリア、誤差修整……」

 三機の機動兵器はタイミングを合わせ、トリガーを引き絞る。

 次の瞬間、

「全て排除する」

 ツインバスタービームライフルが、

「そこっ!」

 メガ粒子砲が、

「シュート!」

 スプリット・ビームキャノンが、

「メス・アッシャー、発射!」

 そして、虚空のエネルギー波が、ESウィンドウを通り抜けていった。







「…………え?」

 ゼオラ・シュバイツァーは自らの耳を疑うように、素っ頓狂な声を上げる。

「い、今の声、それに今の攻撃は……?」

 もし、今ESウィンドウの向こうからレーザー攻撃が来れば、ゼオラのアルブレード・カスタムはいとも簡単に落ちていたことだろう。だが、幸いにもESウィンドウからの反撃は来ないまま、次元をこじ開けた窓は閉じられた。

 本来、今最優先ですべきことは、先ほどの攻撃が鉄源ハイヴに有効な打撃となったかの確認である。

 だが、ゼオラを初め、αナンバーズの面々は、完全にそのことを思考の外側に押し出してしまっていた。

 懐かしいというほど、別れてから時間はたっていない。だが、間違いなくこの場にはいないはずの男の声。

 運命と闘ったあの戦いで、唯1人合流できなかった彼の声を、ゼオラが聞き間違えるはずがない。

 誰もが状況を理解できず、沈黙を保っていると、やがてオープンチャンネルで、また聞き覚えのある声が届く。

『……ちら、αナンバーズ所属、クォヴレー・ゴードン少尉だ。この通信を聞いている者がいたら、応答してくれ』

 今度こそ間違いない。感極まったゼオラは、アルブレードのコックピットで、モニターにしがみつくようにして叫ぶ。

「クォヴレー、クォヴレーなの!?」

 すると、マイクの向こうから明らかに驚き、息を呑む気配が感じられる。

『その声はまさか、ゼオラ……か?』

「そうよ、クォヴレーなのね」

 日頃の気の強さとは裏腹に、涙腺の緩いゼオラはすでに、目尻に涙を浮かべている。

『ゴードン少尉か。一体どこで話している?』

 このままではらちがあかないと見たのか、ラー・カイラムの艦橋からブライト艦長が口を挟んでくる。

『その声は、ブライト大佐?』

 さらに驚きを強めるクォヴレーの声に、

『おう、オレもいるぜ、クォヴレー!』

 いつの間にか、艦橋に乱入してきたアラドが、管制官の席に後ろから顔を突っ込んで声を出す。

「アラドっ! イルイの護衛はどうした!?」

 かって極まりないアラドの行動に、ブライトは状況も忘れて雷を落とす。

「あ、大丈夫っす。イルイはモンシア中尉が見てくれていますから」

 アラドは艦長の雷に、首をすくめながら弁明した。
 
 前回の戦闘でモビルスーツを失ったモンシアは、今回は待機している。

「まったく……まあいいだろう。今だけは大目に見てやる。後で思い切り修正してやるがな」

 ブライトも、姿をくらましたクォヴレーともっとも親しかったのが、ゼオラとアラドであったことは十分に理解している。ため息をつきながらも、この場は見逃してやることにした。

「うへっ!」

 修正と言う言葉に、顔をしかめながらアラドは、モニターに向き直る。

『アラドまで。ひょっとして、そこにはみんないるのか?』

 驚きを通り越したのか、少し落ち着いてきたクォヴレーの声に、ゼオラが感極まった声で返す。

「ええ。あなた以外全員いるわ。あなたは今、どこにいるの?」

 通信は音声だけで、しかもやたらと雑音が混じる。

 少し落ち着いたゼオラにも、クォヴレーが「この世界」に来ているわけではないことが理解できた。

 その言葉に、クォヴレーは使命を思い出したように、話し始める。

『すまないが時間がない。その「閉ざされた世界」に干渉するのは、ディス・レヴの力と「因果導体」の協力を持ってしても難しい。『メス・アッシャー』まで使って辛うじて小さな穴を開けただけだ。現状でそちらに送り込めるのは、エネルギーと情報だけだ。それもいつまでもつか解らない。

 悪いが、こちらの用件を優先させてくれ。そこに、「香月夕呼」はいるか?』

 早口で用件を伝えるクォヴレーに言葉にゼオラは、少し戸惑いながら、

「え? 香月博士? 博士は横浜基地だから、この場にはいないけど……え? なんで、クォヴレーが香月博士を!?」

『すまないが本当に時間がないんだ。では、「白銀武」はいるな?』

『……へ?』

 それまで、ラー・カイラムの甲板上に待機する不知火のコックピットの中で、訳の分からない事態を他人事の顔で傍観していた武は、突然の名指しに、マヌケな声を出す。

 その声は、どうやら不知火の通信システムを通し、「向こう」に伝わったようだった。

『武か?』

『あ、ああ。オレは確かに白銀武だけど、なんで、俺のことを、ていうかお前誰?』

 武の名を呼ぶその声は、まるでよく知る知人に向けるような親しみの込められた声だった。全く聞き覚えのない男から、親しげな口調で話しかけられ、武のパニックは一気に高まる。

『お前はクォヴレー・ゴードンを知らないようだが、俺は白銀武を知っている。通信が通じるところを見ると、お前は今、何か機体に乗っているな?』

『な、なんなんだ? だから、お前誰なんだよ?』

 まるきり状況のつかめない武をわざと置いてきぼりにするように、クォヴレーは勝手に話を進めていく。

『今からお前の機体に、データを送る。それをそのまま、香月夕呼に渡せ。それが「世界を救う鍵」らしい。もっとも、皆がいる以上、俺のやっていることも徒労だった可能性が高いがな』

 そこで初めて、クォヴレーの声に若干の笑いの色が混ざった。だが、すぐにその声色は真剣一色のものに戻る。

『だが、本当の意味でその世界を救うことが出来るのは、武、お前だけだ。いいか、データを必ず香月夕呼に渡すんだ。そして、今度こそ、お前の手で『鑑純夏』を救…………』

 通信は唐突に切れた。






『…………』

 武の不知火のハードディスクには、いつの間にか謎のデータがインストールされていた。

『00unit』

 そんな簡潔極まりないタイトルのデータだ。

 武は、本来自動で光量を調節しているはずの網膜投射ディスプレイの光量がオフになったような錯覚に陥っていた。

 強化装備が完全に温度管理をしてくれているはずなのに、震えが止まらず、背中には気持ちの悪い汗をかいている。

「なんだよ。クォヴレーって誰だよ……なんで、ここで純夏の名前が出てくるんだ? なにが、なにがどうなってるんだよ?」

 不知火のコックピットで、武はパニックを起こしながらも、頭の深いところでは何かとてつもないことが起こり、その中心に否応なく自分が据えられていることを、感覚的に理解していた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第三章その8
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:33
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第三章その8



【2005年1月20日、日本時間23時57分、横浜基地、地下19階】

 速瀬水月中尉率いる伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊が、釜山港(プサン港)上空に浮かぶラー・カイラムの甲板で、クォヴレー・ゴードンと名乗る謎の男の声を聞いていた頃、伊隅ヴァルキリーズの隊長である伊隅みちる大尉は、直属の上司である香月夕呼の呼び出しを受け、横浜基地の地下19階に位置する彼女の研究室にいた。

「それじゃあ、伊隅。あんたは、バニング大尉を結構な人物と見たわけね」

 国連軍の制服の上から白衣を羽織った香月夕呼は、肘掛け付きの立派な椅子に座り足を組んだまま、直立不動を保つ部下にそう声を掛ける。

「はっ、十分な経験と、高いスキルを併せ持ち、それでいながら柔軟な思考と判断力を有した人物です。私個人としても見習うべき点は多いかと」

 みちるは、見本にしたくなるくらいピッと背筋の伸びた体勢のまま、よどみのない口調でそう答えた。

「ふうん、なるほどね……ああ、今日はもういいわ。下がりなさい」

 意味深にそう呟いた夕呼は、みちるの言葉に満足したのか、右手をヒラヒラと振り、みちるに退出を促す。

「はっ、失礼しますッ」

 幾ら上司に当たるとはいえ、少々失礼にあたる夕呼の態度にも、顔色一つ変えないまま、みちるはカッと小気味よい音を立て、かかとを合わせると、綺麗な敬礼をし、退出していった。

 ガチャリと音を立ててドアが閉まると、ドアには自動でロックがかかる。

「…………ふう」

 孤独な密室となった研究室で、夕呼は背もたれに体重を預けるように、一度大きく伸びをした。

「特別な情報は無し、か。そろそろ結論づけても良いのかしらね」

 そう呟きながら、夕呼は白衣の胸ポケットからボールペンを取りだし、デスクの上に散らばる用紙をコツコツとペン先で突く。

 先ほど、夕呼がみちるにした質問「バニング大尉をどう思うか?」というのは、実は質問自体には大きな意味はない。

 これまでにも似たような質問を、夕呼は伊隅ヴァルキリーズの面々にぶつけていた。

「アムロ・レイ大尉をどう思うか?」「αナンバーズという部隊にどのような印象を抱いているか?」「αナンバーズで一番気安いのは誰か?」等々。

 夕呼が本当に聞き出したいのは、そういったくだらない質問の答えではない。そう言った質問に答える際に必然的に彼女たちが話す、『αナンバーズと交わした会話の内容』こそが夕呼が真に求めている情報である。

 一つ一つはくだらない物ばかりだ。「カミーユ・ビダンは自分の名前にコンプレックスを抱いている」とか「アラド・バランガがゼオラ・シュバイツァーの胸の大きさについて言及して殴られた」とか「カガリ・ユラ・アスハは、どうやらかなりの家柄の生まれらしい」とか。

 だが、クリスマスから今日までおよそ一ヶ月間、複数の人間からそう言った細々とした情報を集めれば、αナンバーズという存在の外形が、朧気に見えてくる。

 まず、最初に夕呼が出した結論は、『αナンバーズと言う部隊は、軍隊として極めて程度が低い』という身も蓋もないものであった。というか、はっきりいって「戦闘集団」ではあっても「軍隊」とは呼びづらい。

 機動兵器部隊のパイロット達を筆頭に、皆個人スキルにおいては凄腕揃いのため、どうにもごまかされがちだが、まず間違いのない事実だと夕呼は確信している。

 通常軍隊では、上の命令は絶対である。昨今のBETA戦では、より柔軟な戦術変化が求められるという現実から、現場の判断が重要視されるようにはなっているが、それもあくまで大本において上の命令に反しない範囲での話である。

 例えば、「友軍を攻撃しろ」とか「民間人を殺せ」といったような、明らかにおかしな命令が下された場合、前線の軍人はどういった行動を取るだろうか?

 ここで「イエッサー」と答え、何の疑問も持たずに攻撃に移行するのは、駄目な軍人だ。そういった思考の停止したロボット的忠実さの軍人で固められた軍は、ほんの僅かな情報工作で壊滅的なダメージを被る可能性がある。

 通常、このようなおかしな命令を受けた場合、軍人は最低でも一度、命令の内容を確認する。情報工作の可能性を考慮に入れ、可能ならば、直属の上司を飛び越え、一段上の命令系統に命令の正否を確認する事もあり得るだろう。

 だが、そういった確認作業を終えても、なお命令に間違いがなかった場合は、どれだけ眉をしかめながらでも、その命令を実行しなければならない。

 それが、軍人に求められる資質であり、軍という巨大な組織を円滑に回すための約束事なのだ。

 だが、もしαナンバーズにそう言った命令――「友軍を攻撃しろ」や「民間人を殺せ」といった命令が下された場合、彼らはどう答えるだろうか?

 はっきりいって、αナンバーズは最初に上げた例とは全く逆方向に駄目な軍隊なのである。

 率直に「いやだ」くらいの返事は返しそうだ。それどころか最悪、「命令の撤回を求める」と逆に上官に「命令」をかえすくらい、やりそうな連中がゴロゴロしている。

 少なくとも、香月夕呼にはαナンバーズの兵士達はそういった存在に感じられた。

「正直、危なっかしくてしょうがないわね」

 誰もいない研究室で夕呼は深いため息をつく。

 夕呼は一度、二度頭を振ると、デスクの横に備え付けてあるポットからカップにコーヒーを注ぎ、口をつけた。

 合成品の「コーヒーもどき」ではない。正真正銘の『ブルーマウンテン』である。

 予算と権力を急速に取り戻しつつある今の夕呼にとっては、特別贅沢と言うほどの物でもない。

 つくづく自分がコーヒー党で良かったと思う瞬間だ。紅茶だったら、こうはいかない。

 なにせ、コーヒー豆の生産地である中南米、ハワイ島、アフリカ大陸といった地域はまだそのほとんどが健在なのに対し、紅茶の生産地であるインド、中国、スリランカなどはほぼ全てが現在BETAの支配地域なのである。

 無論、南北アメリカ大陸やアフリカ大陸などでも紅茶の栽培は行われているが、紅茶党の人間に言わせればそれは、かつての物とは比べものにならない低品質であり、そのくせ値段は100倍できかないのだそうだ。

 熱いコーヒーで一息ついた夕呼は、コーヒーカップをデスクにおくと、再び考え込む。

「あともう一つ、はっきりと言えることは、そのαナンバーズの末端兵士達は、本気で「この世界の人類を救うために戦っている」つもりだということね」

 これは、夕呼自身もαナンバーズのメンバーと何度か直接会話を交わした上での、現時点での結論だ。

 大河特使やノア大佐といった中枢の人間だけならば、心の奥に真の目的を秘めたまま、表面上だけ取り繕っている可能性もあるだろう。

 しかし、末端兵士まで含めた数百人が、この一月近くの間、誰一人もただの一度のボロも出さないとなると、彼らは心底その表向きの目的「この世界の人類を救う」というお題目を信じている可能性が高い。

 無論、これはあくまでこの世界の常識に当てはめての推論である。例えば、αナンバーズの世界には、思考や感情を書き換えるような超技術があり、それで兵士全員が自分の心を偽っている、などという突飛もない可能性も残されてはいるが、そんな所まで考慮に入れていては、推測は一歩も前に進まない。

 このような、五里霧中の中で推測を進める場合には、小さな可能性は一端脇に避けておいて、行き止まりになるまで一番太い可能性をたどっていくのが良い。

「もし、末端兵士達が本気で「この世界を救うために戦う」と信じているとしたら、彼らの真の目的を果たす方法もかなり限られるわね」

 デスクに肘をついた夕呼は手の甲に顎を乗せながら呟く。

 この一月の情報収集から夕呼が導き出した二つの結論、「αナンバーズの兵士はいざという時、納得できない命令には反する可能性が高い」と「αナンバーズの兵士は、この世界に来た目的を「純粋にただこの世界を救うため」と本気で信じている」の二つが事実だとすれば、ある日突然αナンバーズがこちらに銃口を向けてくる可能性は極めて低い。

 別な言い方をすれば「αナンバーズは裏切らない」と言い換えても良い。

 その場合、αナンバーズがその秘めた真の目的を果たす方法は、二つ思いつく。

 一つは、恩を売る係と恩を取り立てる係が別部隊である可能性だ。

 他者を思い通りに動かすために、飴と鞭を使い分けるというのは常套手段だが、飴と鞭が同じ人間の右手と左手に握られている必要はない。

 αナンバーズがまずこの世界の人類を無償で救い、笑顔で立ち去った後、「αナンバーズの関係者、もしくは上位者」を名乗る何者かが、厳つい顔で取り立てにやってくるという訳だ。

 ご褒美の飴役と、脅しの鞭役は別な役者が演じる、というわけだ。人にはそれぞれ適役というものがある。そういう可能性は否定できない。

「ただし、この場合は、彼らにとって異世界移動というのが容易く実現可能である、というのが大原則なのよね」

 そこまで思考を働かせた夕呼は、ポツリとそう呟いた。

 もし、αナンバーズの技術を持ってしても、異世界への移動が困難なものだとすれば、普通は多少成果を妥協してでも、同じ役者に飴役と鞭役を兼任させるだろう。

 そう考えると、夕呼のこの想像が当たっているとしたら、αナンバーズにとっては次元の壁さえ、さしたる障害にならないということになる。

「その場合は、対抗するのは難しいわね」

 夕呼は決して不可能だ、とは言わない。夕呼は、少しぬるくなったコーヒーカップをもう一度口に近づけた。

 だがもし、αナンバーズにとっても異世界への航行というものがある程度リスクの生じる困難なものだとすれば、ずっと頭の端に押しのけていたもう一つの可能性が真実味を持つ。

 それはあまりに都合が良すぎる可能性。いくら何でも話がうますぎ、現実主義者の夕呼としては、この期に及んでもまだ、可能性の一つとして上げるのも憚られる可能性。それは、

「αナンバーズの真の目的が、「この世界を救う」という表向きの目的と一切矛盾しない可能性」

 そう口にして、夕呼は、甘い考えを振り払うように頭を振った。

「あー、駄目ね。いくら何でも都合が良すぎるわ」

 夕呼の言う通り、確かに作り話でもここまで都合良くは回らないというくらいに、この世界の人類にとって都合の良い話だ。だが、そう考えれば矛盾がないのも事実なのである。

 αナンバーズの末端兵士が、納得いかない命令を拒否するたぐいの人間だとして、そんな彼らが「この世界を救うために戦う」という表向きの目的を本気で信じているとしても、その真の目的が表向きの目的と、一切矛盾しないものであれば、問題は生じない。

 実際、そう言う「真の目的」も思いつかないではないのだ。

 例えば、最初に夕呼が考えたように彼らの真の目的が、「新兵器の実戦テスト」であった場合、末端兵士は表向きの目的だけを信じて戦っても、真の目的は果たされる。

 もしくは、真の目的が「彼らの世界の政府の支持率アップ」などという可能性もある。BETAという異形に滅ぼされつつある異世界の人間を救う。イメージアップにはこれほど向いた戦場もないだろう。

 この世界の過去の歴史においても、王や議会が単純な人気取りのためだけに兵を挙げたと言う例は、数こそ少ないがないわけではない。

「もし、そんなだったら本当に助かるんだけどねぇ……」

 シビアな思考形態を持つ天才・香月夕呼でも思わず信じたくなるくらい、都合の良い可能性が段々と真実味を帯びてきている。しっかりと心を強く持っておかなければ、さしもの夕呼もその「都合の良い可能性」という甘い蜜に引き寄せられてしまいそうだ。

「あーもー、社にリーディングさせることが出来れば、こんな事で頭悩ます事もないのにっ!」

 いらだつ夕呼はドンと音を立てて、コーヒーカップをデスクに降ろす。

 霞によるαナンバーズへのリーディング。決して切ってはならない禁断のカードに手が伸びそうになるくらい、夕呼は思い悩んでいた。









【2005年1月21日、日本時間00時08分、巨津港、国連軍太平洋艦隊司令部】

 横浜で香月夕呼がαナンバーズの目的を探り頭を悩ませているその頃、本来戦闘中のはずの国連軍太平洋艦隊の司令部は、水を打ったように静まり返っていた。

「「「…………」」」

 彼らの視線は、二枚のモニターに注がれている。

 前線のカメラから送られてくる鉄源ハイヴ主縦坑周辺の映像と、監視衛星から送られてくる鉄源ハイヴ主縦坑を真上から写した映像。

 謎の銀盤から放たれた謎の攻撃を十数秒間くらい続けたハイヴ主縦坑は、まるで白旗を掲げるように力なく黒煙をたなびかせていた。

「なんだか、蟻の巣に水を流し込んだような騒ぎだな……」

 老司令官は、子供の頃の悪行が想像できる例えで、その状況を表現した。

 BETAの主力がいると思われるハイヴ最下層に、主縦坑を通し直接攻撃がたたき込まれた今こそ反撃のチャンスなのだが、司令部の人間は、皆例外なく一時的な思考停止状態に陥っている。

 まあ、無理もないだろう。

 不測の事態を想定し、対処するのが、参謀・司令の仕事であることは確かだが、それにしても人間には能力の限界というものがある。

 釜山港(プサン港)から鉄源まで、400キロ弱の距離をワープホールでぶち抜いて、直接攻撃を加える奴らがいる。などと事前に予想している奴がいたら、それは有能な軍人などではない。ただの誇大妄想家だ。

 だが、目の前で起きているのは妄想でも幻想でもなく、れっきとした現実である。全権を預かる司令官として、対処しないわけにはいかない。

 なんとか頭の働きを取り戻そうと、老司令官が二度三度、強く目を閉じたり開いたりしたその時だった。

「だ、大東亜連合軍の戦術機甲部隊、機動! ほぼ全ての戦術機が、最大速度でハイヴ主縦坑を目指しています!」

 若い男のCP将校が、うわずった声でそう報告を入れる。

 国連軍より先に大東亜連合軍がアクションを起こせたのは、能力の差ではない。単純に両者の心理状況の差だ。

 手詰まりになった戦況を、脳裏の片隅に「撤退」の二文字を思い浮かべながら冷静に見ていた国連軍司令官と、不退転の決意を持って血走った目で勝利の道筋を探していた、大東亜連合軍司令官の差だ。

 はっきり言えば、大東亜連合軍の司令官の方が、視野が狭く感情的なっていたのだから、司令官適正としては下に見るべきなのだが、この場合はその視野の狭さがプラスの方向に働いた。

「む、素早いな。よし、こちらも戦術機部隊を先頭に戦線を押し上げろ。ハイヴ突入は大東亜連合軍に任せ、我々はそれに対する砲撃支援と退路の確保を優先するのだ」

「了解っ!」

 老司令官の命令を受け、ようやく息を吹き替えした司令部はすぐさま、その命令を実行すべく全軍に指示を行き渡らせるのだった。





『いくぞっ、全機続けぇッ!』

『うおおおっ!』

 F-18Eスーパーホーネットを駆る衛士の雄叫びにも似た言葉に、後続の衛士隊が雄叫びそのもので応える。

 大多数は、F-18ホーネットやMiG-23チボラシュカ、MiG-27アリゲートルといった第一、第二世代戦術機で占められているが、中には、F-18EスーパーホーネットやSu-37チュルミナートルといった2.5世代戦術機の姿も見受けられる。

 日本の『不知火』、アメリカの『F-22ラプター』、EUの『EF-2000タイフーン』など、第三世代戦術機を各開発国が他国に積極的に流していない現状では、スーパーホーネットやSu-37は大東亜連合軍にとって虎の子と言っても良い。

 その虎の子を全機投入する、乾坤一擲の一撃だ。

 匍匐飛行で不毛の朝鮮半島を直進する大東亜連合軍の戦術機部隊は、やがて地表にぽっかり空いた大穴――鉄源ハイヴ主縦坑に到達する。

 セオリー通りならばここは急停止するべきだ。本来、ハイヴ主縦坑の底には無数のレーザー属種が巣くっており、主縦坑上空を飛ぶ飛行体に容赦なくレーザー照射を喰らわせるのだから。

 だが、今は違う。先ほどの銀盤からハイヴ主縦坑に向かって放たれた謎の攻撃の最中、主縦坑から銀盤に向かって立ち上るレーザー光は次々と消え失せ、最後には一本もなくなっていた。

 それを持って「ハイヴ主縦坑底のレーザー属種は全滅した」と決めつけるのは早計だろう。

 それは分かっている。だが、大東亜連合軍司令部はあえて「ハイヴ主縦坑底のレーザー属種は全滅した」と決めつけ、今回の命令を下したのであった。

 滅茶苦茶な見切り発車だが、命を張る前線衛士達にも否はなかった。

 このままでは祖国の地をG弾で半永久的に汚しただけで、おめおめと引き下がらなければならないところだったのだ。

 鉄源ハイヴを攻略し、朝鮮半島からBETAをたたき出せるというのなら、命の一つや二つ掛けてもいい。

『被害は気にとめるな。反応炉の破壊を最優先に考えろ!』

『『『了解っ!』』』

 ついに、戦術機部隊の先頭がハイヴ主縦坑の上空にさしかかる。

 次の瞬間、穴の底から大空めがけ、眩いレーザー光が立ち上った。

 しかし、その数は僅か三本。重レーザー級と思われる太いレーザーが一本に、レーザー級と思しき細いレーザーが二本。

 そのレーザーは、憎たらしいほどの精度で主縦坑上空に飛来する戦術機を次々と打ち落としていくが、流石に僅か三本のレーザーでは100を遙かに超える数の戦術機を討ち滅ぼすには至らない。

 文字通り、光の中に消えていく戦友達の死を悲しむ間もなく、生き残った衛士達は地上に穿かれた巨大な穴――主縦坑へと飛び込んでいく。

『全機可能な限り壁際によれ!』

 その命令を飛ばした声は、先ほどからずっと指示を出していた壮年の男のものではなかった。それよりもまだ若そうな、女の声だ。

 先のレーザー照射でそれまでの男、連隊長は戦死したのだろう。それでも、部隊の指揮はナンバー2が引き継ぎ、死者など最初から存在しなかったようにハイヴ攻略を継続していく。

 主縦坑に突修した衛士達は、その命令通り主縦坑の内壁ギリギリまで機体を寄せ、一気にハイヴ主縦坑を下降していった。

 BETAの決して味方を誤射しないという性質は、ハイヴそのものにも適応される。

 こうして背後にハイヴの壁を背負えば、レーザー照射を受けることはない。

『いくぞっ!』

『へっ、一番乗りっ!』

『気をつけろ、主縦坑の深度は不明なんだぞ。勢い余って墜落死などしたらいい笑いものだ!』

 ある者は陽気に、ある者は生真面目に声を上げながら、100機を超える戦術機が重力加速度にブーストの加速をプラスさせ、頭からハイヴ主縦坑を垂直に降りていく。

 常人ならば失神もの、訓練された衛士でも心拍数が上がるのは避けられないスリリングな機動だ。

 しかも、ハイヴの常に違わず、主縦坑もある程度深度が深くなると、無線通信が効かなくなっていく。

 さっきまでは軽口をたたき合っていた、網膜投射モニターに映る戦友達の姿が砂嵐に変わる。

 薄闇に灯る互いの戦術機のバーニア炎だけが、自分が孤独ではないと教えてくれる。

 そんなスリルと不安が交錯する、高速落下の時間はそう長いものではなかった。

 如何にハイヴの深度が深いとは言ってもせいぜい、1キロから2キロといった所だ。

 十数秒もしないうちに、ほのかに青い燐光を放つハイヴの底が見えてくる。

『ッ、全機反転! 最大減速だっ!』

 連隊長代理の女衛士は、自らの機体を上下反転させ、急ブレーキを掛けながら、思わず通信がほとんど不能と化していることも忘れ、そう叫んだ。

 無論その声はほとんどの衛士に伝わらない。何機かの戦術機が減速が間に合わず、主縦坑の底に激突し、派手な爆炎を上げる。

 立ち上る爆炎が薄暗いハイヴの底を明るく照らし出す。

 謎の銀盤からの攻撃で、一度完膚無きまでに破壊されたのだろう。核に匹敵するS-11でも容易には破壊できないはずのハイヴの壁が、まるで発破を掛けられた違法建築ビルなみに粉々に破壊され、本来広く平らであったはずの主縦坑底は、壊れた瓦礫と溶けて固まった瓦礫で埋まってる。戦術機を直立させる場所にも困る有様だ。

 そして、そんな瓦礫の影にモゾモゾと蠢く異形の姿。

『チッ!』

 Su-37チュルミナートルを駆る女衛士は、素早く突撃砲から36㎜弾を発射し、その要撃級と思しきBETAを打ち倒した。

『全機、行動開始、反応炉に繋がる横坑を探せ!』

 女衛士は近くに立つ、F-18ホーネットに機体がぶつかるくらいに近づきながら、そう無線を最大出力にして叫ぶと同時に、突撃砲の銃口を斜め上に向け、白く輝く照明弾を撃ちはなった。

『了解……!』

 いかにハイヴ深くでは無線が妨害されるとは言っても、これだけ至近距離ならば、ある程度は通じる。

 雑音混じりながら、通信機から若い男のうわずった声がかえる。

 とはいえ、百機からいる全ての戦術機にこうやっていちいち指示をして回る訳にはいかない。そのための照明弾だ。

 ハイヴ内部では至近距離でしか無線が通じないことは想定の範囲内であったため、ハイヴ攻略のプロセスは事前に全衛士に通達し、すべての戦術機に細かなタイムスケジュールがインプットされている。

 その上で、大ざっぱな進捗を照明弾で通達することになっている。白は任務継続、黄は反応炉発見、赤は全機緊急脱出など、大航海時代の艦隊でももう少し細かく指示を出すだろう、と言いたくなるくらい大ざっぱなものだが、ないよりは良い。

 白い照明弾を見た衛士達は、デコボコした瓦礫の間を縫うようにして散開していった。




 どうやら、謎の銀盤の攻撃は徹底的にハイヴ主縦坑底のBETAを駆逐してくれたようだ。しかし、主縦坑の内壁には、無数の横坑が繋がっている。時間をおけば、難を逃れたBETAが再び主縦坑の底を埋め尽くすことだろう。

 ここからは時間との勝負だ。

 通信が死んでいるため、効率的な集団行動が取れないのがもどかしい。

 それでも衛士達は決死の覚悟で探索を続ける。

「このっ、邪魔をするなっ!」

 ソ連製の第二世代戦術機、MiG-27アリゲートルを駆る若い女衛士が、苛立ちをぶつけるように側面から襲いかかってきた要撃級の攻撃を回避すると、素早くその側面に回り込み、右肩でショルダーチャージをしかけるように突っ込み、その肩部装甲ブロックから飛び出しているスーパーカーボン製ブレードを突き刺す。

「はあっ!」

 そしてそのまま機体をその場で自転させ、要撃級の身体を肩のブレードで切り裂いた。

 全身に備え付けられたブレードは、ソ連製戦術機の特徴だ。

 熟練した衛士はハリネズミのような全身の刃を巧みに使い、迫り来るBETAの集団を機動だけで切り裂いていくという。

 長刀の使用に特化した日本製戦術機とはまた違った意味で、近接戦闘を重視した作りと言える。

 その独特な戦闘方法さえ身につければ、ハイヴ内部でBETAを殲滅するには向いているのかも知れない。

 だが、どちらにせよ今やるべき事はBETAの殲滅ではない。反応炉の発見、破壊が最優先だ。

「どこだっ……」

 女衛士は、血走った目を、グチャグチャに崩れたハイヴ内壁に走らせる。

 ハイヴ内壁が放つほのかな燐光だけが光源だ。無論、戦術機には高度な暗視機能が備えられているが、それでも視界良好とはとても言えない。

 ひょっとして、あの謎の銀盤からの攻撃で、反応炉に繋がる横坑は崩落を起こし、ふさがってしまったのでは?

 十分にあり得る不吉な想像が、衛士の心をよぎる。

「いやっ、そんなことを気にしている場合ではないっ」

 それでも女衛士は、頭を振ると探索を続ける。崩落が起きたのなら掘り返せばいい。掘り返せないのならば、S-11で吹き飛ばすまでだ。今更、後に退くわけにはいかないのだ。

 早速、それを実行に移そうと内壁につもる瓦礫に手を掛けたその時だった。

『ッ!?』

 突然、後ろの方で照明弾が打ち上げられる。とっさに振り向いた女衛士の目に、網膜ディスプレイを通し、その照明弾の光が飛び込む。

『黄色……』

 黄色の照明弾。反応炉発見を意味する黄色の照明弾が、誇らしげにハイヴの底を照らしていた。






 反応炉に続く横坑発見。

 発見された横坑に、予定通り練度の高い衛士が突入し、それ以外の衛士は横坑入り口の周りで三重の半円陣を築き、突入部隊が任務を果たすまで、入り口を守る。防衛部隊はおおよそ90機といったところだ。

「絶対死守」という言葉がこれほどしっくりくるものもない、危険極まりない任務であるが、怖じ気づく者は誰もいなかった。

 大東亜連合軍と一言で言っても国籍は色々だ。南北朝鮮はもちろん、他にもカンボジア、タイ、ベトナムなど、異なる国旗を頭上に掲げる衛士達が肩を並べ、人類共通の敵に銃口を向ける。

「畜生、やらせねえ、やらせねえぞ!」

「この野郎、通すと思うか!」

 時間がたつにつれ、あちこちの横坑から次々とBETAが押し寄せてくる。

 最初は時折思い出したように36㎜弾を放つだけで十分だった防衛線が、今では最外円に陣取る全戦術機がフルオートで弾幕を張りBETAの接近を阻止している状態だ。

 幸い、このハイヴの底でもこの密集陣形の中ならば、無線も通じる。

「畜生、そろそろ弾倉交換だっ!」

『わかった。交代だ!』

 ノイズ混じりの通信から、互いの意図を読み取り、弾切れを起こした衛士は、後ろに控える衛士とポジションを交換する。

 下がった衛士は、その隙に弾倉の交換をすまし、次の交代に控える。

 だが、この場には補給コンテナのような心強い代物は存在しない。

 各戦術機が持ち込んだ弾倉が全てだ。

 弾切れは時間の問題だろう。

 せめてもの慰めは、ハイヴ地下が瓦礫で埋まり、平らな地面がほとんど無いため、突撃級がその破壊力と速度を十全に発揮することが出来ないことだ。

 背後に守るものを控えた防衛陣形では、突撃級の突進も正面から粉砕するしかない。突撃級はその弱点である背面を狙えば、36㎜弾でも容易に倒せるが、正面の外殻は120㎜弾でも弾かれかねない。

 今のところ、120㎜弾の集中砲撃で正面粉砕に成功しているが、120㎜弾の弾薬など、全体戦術機を合わせても、何百発もあるものではない。

「くそっ、まだか、まだなのか!?」

 刻一刻と消費されている弾薬と比例するように、衛士達の焦燥感は募っていた。





 無論、守備隊が奮戦している間、突入部隊は暢気に遊んでいたわけではない。

『なんだこれは!?』

 目の前に広がる光景に、突入部隊の衛士が悲鳴じみた声を上げる。

 その横坑の奥には確かに反応炉があった。まっすぐな横坑の一番奥に鎮座する、青白く輝く巨大な反応炉がここからでも見える。

 問題は、その横坑の地面だ。『足の踏み場もない』という言葉が比喩ではなく、的確な表現と言えるくらいにそこには無数のBETAが犇めいていた。

『落ち着けっ、匍匐飛行で一気に飛び抜けるぞっ!』

 スーパーホーネットに乗る衛士が、悲鳴を上げた衛士の戦術機の肩をつかみ、そう言う。

『あ、そうか。了解っ!』

 この世界の衛士は、BETAの前で戦術機を飛ばす、という発想に中々なれない。それだけ、レーザー属種が脅威が頭に染みついている。

 当然、ハイヴ内部ではレーザー照射は受けないという知識はあるのだが、ハイヴ突入経験もない衛士に、外の戦闘とハイヴ内の戦闘のセオリーを、簡単に切り替えることができるはずもない。

『行くぞ、誰でもいい、反応炉にS-11を取り付けるんだ!』

 おおよそ30機の戦術機が、BETAが敷き詰められた横坑を一気に飛び抜け、反応炉に迫る。

『っ、上だ!』

 一人の衛士がそれに気づき声を上げる。

 まるでトラップのように天井に張り付いていた戦車級が、ボトボトと戦術機の上に落ちてくる。

 いかに横坑が広いとは言っても閉鎖空間には違いない。回避できない何機かは、その赤く醜悪な蜘蛛のような生き物に食いつかれてしまう。

『うわあ!?』

『畜生っ!』

『こ、この野郎!』

 空中でバランスを崩した戦術機達は、そのままびっちりとBETAが敷き詰められた横坑の床へと墜落していった。

 まるで飴玉に集る蟻のように、落ちた戦術機にBETAが群がり、消えていく。

 それでも、20機を超える戦術機が、無事に反応炉の前までやってくる。

『どこでもいい、S-11だ!』

 S-11の破壊力を持ってしても効果的に配置しなければ反応炉の破壊は難しいのだが、この場にいる20機は全て一発ずつ、S-11を搭載している。時間もない今、効率にこだわっている場合ではない。

 衛士達は、戦術機を巧みに操作し、巨大な反応炉にとりつき、S-11の設置作業に取りかかる。

『くっ』

 しかし、反応炉にとりついた戦術機を、BETA達が見逃してくれるはずもない。

 次の瞬間、床に広がっていたBETA達はウゾウゾと反応炉をよじ登ってくる。

『っ! 全機、退避!』

 通じているか分からない無線で、スーパーホーネットを駆る中隊長はそう叫びながら、反応炉から離れる。

 幸いにして、逃げ遅れた者はいなかった。20機強の戦術機がジェット燃料を消費しながら、空中にホバリングし事なきを得る。しかし、その間にBETA達は次々と反応炉にとりつき、僅かな時間で反応炉はその青く光る巨体の大半を醜悪なBETAの身体で覆い尽くされることとなった。

『野郎、嘗めやがって』

 ある衛士が空中から、36㎜弾で反応炉にとりついたBETAの群れを掃射する。

 身動きのとれないBETAは面白いように打ち落とされていくが、流れ弾が当たっても反応炉はびくともしない。しかも、そうしてBETAを反応炉から引きはがしても、すぐに下から這い上がってくるBETAがその隙間を埋めてしまう。

 この状態で、反応炉にとりついてS-11を設置するなど不可能だ。作業途中で、戦術機ごとBETAの腹の中に収まってしまう。

 時間さえあれば数発のS-11で地上のBETAを一掃し、体勢を立て直すことも出来るのだろうが、そんな余裕はどこにもない。この横坑の入り口を守ってくれている守備隊が抜かれれば、この場にいる以上のBETAがここに押し寄せてくることだろう。

 付け加えるなら、戦術機のジェット燃料も心許ない。戦術機は空も飛べるが、原則地上を走るものだ。無限に飛んでいられる訳ではない。

『これは、覚悟を決めるしかないかな……』

 中隊長がそう呟いたとき、近くで通信を聞いていた他の衛士たちも、ごく自然な顔で頷いたのだった。

『了解です』

『仕方がないですね』

『考えるまでもない』

 静かな決意の籠もった了解の返事が返る。

『よし、時計を合わせろ。今から30秒後に全機反応炉にとりつき、同時にS-11を機体内部からの手動爆発で起動させる』

『『『了解!』』』

 この場にいるのは南北朝鮮の衛士だけではない。だが、自らの命で反応炉を砕くことに、不満を申し出るものはいなかった。

『まあ、守備隊の皆には少し悪い気もしますがね』

『彼らだって覚悟は出来ているさ』

 ある女衛士の言葉に、別の衛士がそう応える。

 この場で20発のS-11を爆発させればその爆風はこの横坑だけでなく、その外を守る守備隊の所まで蹂躙することになるだろう。そうなれば、守備隊の大部分も助からない。

 退避勧告をしようにもこの距離では通信も届かないし、万全を期すことを考えれば直前まで入り口を守っていて欲しいのも確かだ。

 20人の犠牲を110人に増やし、その分反応炉破壊の確率が数パーセントでも上がるのならば、悪い取引ではない。そんな冷たい計算を、司令官や参謀だけでなく、最前線で命を張る衛士達もしなければならないのが、この世界の『当たり前』であった。

『よし、全機散開っ!』

 次の瞬間、20機の戦術機が、BETAの固まりと化していた反応炉めがけ、突撃を敢行する。

『うおおおおお!』

『ちょっとどけ、俺もまぜろや』

『ああもう、死ぬ直前に見るのがあんた達(BETA)の顔だなんてねっ!』

 20機の戦術機は、突撃砲を乱射し反応炉に張り付いているBETAを一時的に引きはがすと、その穴が埋もれる前に、自らの機体をそこに滑り込ませる。

 当然、そうして張り付いた戦術機はあっという間に、BETAという漆喰に塗り込まれ、すぐにその姿が見えなくなる。

『畜生、割れろ、割れろ、割れろ!』

 Su-37チュルミナートルに乗る衛士は、機体の全身を戦車級BETAに食い破られながら、右メインアームから伸びたモーターブレードを全力で反応炉に押しつけている。

 チェーンソーのように高速で回転する細かな刃が頑健な反応炉とぶつかり火花を散らす。

 S-11起動前に僅かでも傷がついていれば、それだけ反応炉破壊の可能性が高まる。その衛士は死ぬ直前まで、任務遂行のために全力を尽くしていた。

 無論、中には努力が報われず、絶望の声を上げる衛士もいる。

『うわあ、駄目だ! もう、戦車級がコックピットまできやがっ……!』

 S-11の点火を待たずして、絶命して言う衛士。

『くそっ、S-11の発動装置がやられた、これじゃ犬死にじゃねえか!?』

 肝心のS-11の発動装置をやられ、ただ無力に終わりの時を待つだけの衛士。
 
 だが、それでも二桁を超す衛士が、機体の全身をBETAに食らいつかれながら、無事にその瞬間を迎える。

『今だっ!』

『うおおお!』

『喰らえ、このクソ野郎!』

 衛士達の拳が、ガラスカバーをぶち破り、禁断のボタンに叩きつけられる。

 次の瞬間、鉄源ハイヴの最下層は、光に包まれた。










【2005年1月21日、日本時間1時48分、横浜基地、地下19階】

「……いい加減、あんたの不法侵入にとやかく言う気はないけど、せめて常識的な時間に来るつもりはないの? 普通、誰でも寝ている時間よ?」

「ですが、博士は起きていますな。まあ、結果として問題はなかったので、目をつぶっていただけませんかな、はははは」

 不法侵入者に殺意すら籠もった視線を向ける夕呼であったが、不法侵入者は欠片も臆することなく、朗らかに笑っていた。

 すでに日付が変わって2時間近くが経とうとしているこの時間帯に訪問するなど、例え正式な手順を踏んでいたとしても失礼極まりないだろう。常識に乗っ取って考えれば、夕呼の言葉は全面的に支持されるべきものであった。

 夕呼は、椅子の上で軽く姿勢を直すと、帽子をかぶったロングコート姿の不法侵入者――鎧衣左近に対し、露骨なため息をついてみせる。

「で、こんな時間に何の話? まあ、大体は想像がつくけれど」

『甲20号作戦』が始まってから約17時間。成功にせよ、失敗にせよ、そろそろ結論が出てもおかしくない頃だ。

 しゃくな話だが、今の夕呼の情報網は、目の前の男のそれと比べて格段に劣る。情報源としてだけでも、鎧衣左近という男は十分に利用価値がある。もっとも、その情報でこちらを思い通りに動かそうとすることも多いため、情報の裏取りは必須だが。

 鎧衣左近は、いつも通りのつかみ所のない笑みを浮かべたまま、

「そうですな。では、この間出張で訪れた中東の砂漠で出会ったランプの精の話を」

「くだらない話をするつもりなら、そこの壁時計にでもしてくれる?」

 夕呼が鼻の辺りに皺を寄せて、怒りを露わにするが、左近は意に介さない。

「ひょんな事からランプの精を砂の中から助け出した私は、お礼に木彫りの『アッラー君人形』を頂戴したのですよ」

「……あんた、刺されても知らないわよ」

 夕呼の返答は、さほど大げさなものでもない。

 イスラム教は原則的に、偶像崇拝を禁止している。唯一絶対の存在である「アッラー」を象るなど、ガチガチのイスラム原理主義者に見つかれば、その場で発砲されてもおかしくはない。

「ええ、本当は博士へのお土産に持って来るつもりだったのですが、怖い人たちに睨まれまして。結局、息子にあげてしまいました」

 左近はさも残念そうな顔を作り、わざとらしく肩をすくめた。

「娘、でしょ」

「ああ、そうでした。娘のような息子ですな。いや、息子のような娘かな?」

 鎧衣左近の一人娘であり、旧207B分隊の一員であった鎧衣美琴は、国連軍の衛士として現在は、中東のバグダッド基地に所属してる。同じく旧207B分隊であった彩峰慧も一緒だ。

 夕呼も戦死すればその報が入るくらいにはアンテナを立てているが、何も聞こえてこないところを見ると、今のところはまだ元気にやっているのだろう。

 バグダッド基地はその後ろに、人類が手に奪取した二つ目の生きたハイヴ『甲9号・アンバールハイヴ』を背負っている。

 まさに中東戦線の最前線と呼ぶべき激戦地なのだが、そこで娘に会ってきたというこの男は、せいぜい県外に嫁いだ娘に会ってきた程度の気軽さで語っている。

「はいはい、それで? 話はそれだけ? だったら、お帰りはあちら」

 いい加減うんざりした表情で夕呼はパンパンと手を鳴らし、話を遮る。遮られた左近は特に気を悪くした風もなく、自らの顎に手をやると、首をかしげ、

「おや、興味がない? では、その後、マレー島で見た未だ残るシャーマン信仰の儀式については?」

「お帰りは、あ・ち・ら」

 いい加減限界が来た夕呼は唇が歪み、一見すると笑みを浮かべているように見える。

「『甲20号作戦』。とりあえず、成功したようです」

 人をからかっていいギリギリのラインを見極めているのが、この鎧衣左近という男の一番いやらしいところだ。

 これ以上は危険というまさにギリギリの所で、左近は本題を切り出した。

「ふーん。「とりあえず」、何てつくところを見ると、あまり順調ではなかったみたいね」

「ええ。一度は全てのG弾を使い果たしたところで、手が尽きかけました」

 普通ならあの時点で、作戦失敗ですな、と付け加える左近の言葉に、夕呼はピクリと反応した。

「つまり、普通じゃないことが起こった訳ね」

 ため息をつきたいところを、虚勢を張り、我慢する。普通ではない事を起こす奴ら。もう、この時点でオチは読めた。

「ええ、ご想像の通り、αナンバーズの皆さんがちょっと凄い事をやって、無くなった勝ちの目を無理矢理取り戻したのですよ。詳細をお聞かせしましょうか?」

 ご親切にそう言ってくる情報局課長に、夕呼は力なく首を横に振って答えた。

「いい。一晩寝てから、朝に聞くから……」

 こんなつかれて寝不足なところに、「αナンバーズが起こした非常識な事態の報告」など聞きたくない。常人離れして強靱で柔軟な精神を有している香月夕呼にも限界というものがある。

「まあ、なんにせよ、それならαナンバーズは明日には戻ってくるのね」

 それは夕呼にとって朗報と言えた。αナンバーズに出向させていた伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々から詳しい話を聞き出せば、色々と有益な話が聞けることだろう。その倍くらい、疲れる話を聞かされることにもなりそうだが。

「話はそれだけ?」

 流石に本格的な眠気に襲われ始めた夕呼は、そろそろ話を切り上げようとそう言う。

 それに対して左近はわざとらしい動作で、ポンと一つ手を叩くと、さも今思い出したかのように、

「ああ。そういえば、博士はご存じでしたか? 私も今日初めて知ったのですが、ソビエト連邦というのは、実は国ではないのだそうですよ」

 突如訳の分からない話を始める。

「はあ?」

 意図が読めずに聞き返す夕呼に、左近は、

「いえ。間違いのない事実です。彼らが言うには、ソビエト連邦というのは、「ロシアを盟主とした複数国家による軍事的、経済的統合体」なのだそうです」

「何の話よ、それ」

 睡眠不足で頭が鈍っているのか、新しい情報と古い情報を結びつけられないでいる夕呼に、左近はそのままズバリ、ヒントを出す。

「なんでも、αナンバーズの皆さんは『各国家ごとに一定数ずつ』ビーム兵器を贈与する準備があるのだそうで」

 その言葉に、やっとソビエトの意図を理解した夕呼は、本気で頭痛を感じ、頭に手をやる。

「……そう言うことね。相変わらずあの国は、予想を超える真似をやってのけるわね」

 聞きようによっては褒め言葉にも聞こえるが、絶対に褒めていない。夕呼の表情の半分は、あきれ顔で出来ており、もう半分は軽蔑顔で出来ている。

 まあ、それだけ、どの国もなりふり構っていられないくらいに切羽詰まっているということなのかも知れないが。

 思わず脱力状態におちいった夕呼は、我慢できず小さくあくびをした。

「おっと、これ以上美女の睡眠時間を奪うのは国家的損失ですな。では、私はこれで失礼します」

 今更、どの面下げて言うのかという言葉を残し、左近は滑るような足取りで出口へと向かう。が、ドアノブに手を掛けたところで、左近はもう一度振り向いた。

「ああ、「中華人民共和国」もなにかアクションを起こそうとしているようですよ。なんだか、一気に世界が騒がしくなってきていますな」

 そして、そう言い残し、夕呼の返答も待たずに今度こそ部屋を出て行った。

 残された夕呼は、眠気と戦いながら、今聞いた言葉を頭の中で反芻する。

「「中華人民共和国」? 統一中華戦線じゃなくて?」

 今の中国が領土として保有しているのは台湾島だけだ。中華人民共和国と台湾。もしくは中国共産党と中国国民党。

 二つの政府は表向き、対BETA戦線において共同歩調を取っている。特に領土を全て失い台湾に間借りさせてもらっている「中華人民共和国」は、大家に当たる「台湾」に無断で行動を起こすことはあり得ないはず。

 今まで通りならば。

「また、面倒くさい事が起こる見たいね」

 夕呼は深いため息をつきながら、鈍い動作でゆっくりと椅子から立ち上がった。

 とりあえず、面倒話は纏めて朝になってからだ。今は、シャワーを浴びて一寝入りするのが、全てに優先される。

 夕呼は、今後起こるであろう複雑な問題も、面倒くさい問題も、非常識な問題も、今は一時的に忘れることにするのだった。









【2005年1月21日、日本時間9時05分、帝都東京、帝都城】

『甲20号ハイヴ陥落』

 その報告は、日本帝国にすむ人間にとっても、『甲21号ハイヴ陥落』の半分くらいの歓声を持って迎えるべき、喜ばしいニュースであった。

 いくら、九州・四国・中国地方からの疎開はすんでいるとは言っても、甲20号ハイヴが日本にBETAを送り込み続けていたのは間違いのない事実である。

 これで、日本列島は当面BETAの脅威から無縁となったのだ。嬉しくないはずがない。

 四国・中国・九州から疎開していた人間の中には昨夜の内に政府に「自分たちはいつ故郷に戻れるのか?」と聞いた者もいたという。

 だが、それはあくまで一般市民レベルでの話であり、帝国の中枢であるここ帝都城に勤務する高級役人達の脳裏にはまた、別な現実が広がっている。

 国連軍太平洋艦隊の補給を担当した帝国軍の補給担当者達は、十分及第点をやれるくらいに上手く仕事をこなしてくれたが、それでも国連軍からはいくつもの苦情が届いているし、さらに国連軍は疲れ切った兵士達に帝国で休暇を与えたいと言っている。

 今の帝国に十万を超える国連軍の兵士が放たれたら、下手をすればBETAの侵攻にも等しい混乱が巻き起こるだろう。

 そもそも、国民の大半が食料を配給で受けている今の帝国で、彼らは何を愉しもうというのだろうか。

 さらに、大きな問題が、昨晩ついに全世界の前でその力を披露した『αナンバーズ』の問題だ。

 各省庁は、昨晩からひっきりなしに電話が鳴り続け、中にはノイローゼになりかけている者もいるらしい。

 そんな、大混乱の帝国中枢であったが、ここ帝都城の一室にも疲れ切った官僚が一人、青い顔で革張りの黒いソファーにその身体を埋めていた。

 年の頃は、30代の後半といったところだろうか。ネクタイを緩めているせいか、高そうなスーツもどこかくたびれた印象を受ける。

「あー、畜生。なんで、俺がこんな問題を担当させられるんだよ……」

 ソファーの背もたれに頭を乗せ、顔の上に腕をのせて愚痴をこぼすその男に、別な男が湯気を立てるプラスチックのカップを二つもって、近づいてくる。

「よう、ご苦労さん」

「あー、お前か」

 だらけていた男は、目線だけ声を掛けてきた男に向け、そう返した。どうやら二人は顔見知りのようだ。おそらく、同じ部署で働いているのだろう。年の頃も同じくらいだ。

「で、朝一でやってきた『統一中華戦線』の副特使殿は、何を言ってきたんだ?」

 後から来た男は、合成コーヒーの入ったカップを一つ渡しながら、そう尋ねた。

「おお、ありがたい。けど、お前それは間違いだ」

 だらけていた男は、どうにか座り直し、合成コーヒーを受け取りながら、そう返す。

「間違い?」

 後から来た男は、男に対面に腰をかけながら、首をかげる。確かに、今朝やってきたのは、統一中華戦線の副特使だったはずだが。

 通常、統一中華戦線は『台湾』サイドの正特使と、『中華人民共和国』サイドの副特使が互いを監視し合うようにそろって行動するため、どちらか一人だけがやってくるのは珍しい。それ故、副特使が一人でやってきたのはよく覚えていたので、間違いはないはずだ。

 不審げに首をひねる男に、もう一人の男は力なく笑いながら、

「今日の彼は、『統一中華戦線』の副特使ではなく、『中華人民共和国』の大使なんだそうだ」

 そう答えた。

「グッ……!」

 聞かされた方は、危ういとこで拭きだしかけたコーヒーを無理矢理飲み込む。

「おいおい、穏やかじゃないぞ、それは」

 統一中華戦線の『二つの中国』問題は、色々と繊細な問題をはらんでいる。それ故、両国はあえて「統一中華戦線」という名前で統一し、対外的にはこの問題を凍結していたのだ。

 その一方があえて本来の名前『中華人民共和国』を持ち出してくると言うのは、彼が言うとおり穏やかではない。

「それで?」

 思わず佇まいを直し聞いてくる同僚に、男は口元に人生に疲れたような笑みを浮かべながら、

「中々、笑える提案をされたよ。1982年の米ソ、と言えば分かるか」

 1982年の米ソ――アメリカとソビエトといえば思いつくのは一つしかない。『アラスカ租借条約』の締結だ。

「おい、まさか?」

「そのまさか、だ」

 同僚は血相を変えてソファーから尻を上げる。

「冗談じゃないぞ。帝国はアメリカじゃない! 貸し出すような土地は逆さに振ってもありはしない!」

 だが、激高する同僚を押さえるように男は両手を挙げると、

「落ち着け、勘違いするな。逆だ」

 という。

「逆?」

「ああ。逆だ。土地を借りたいんじゃない。奴さん、「土地を貸したい」と言ってきた。具体的には、湖南省、江西省、浙江省の三省をな」

「な……」

 今度こそ同僚の男は絶句した。思わず、途中まで上がっていた尻がドスンとソファーに落ちる。

「期間は100年、租借料は、三省から上がる税収の10パーセント。まあ、これはほとんどオマケみたいなものだな。というかはっきり言えば、江西省、浙江省自体がオマケみたいなものだろう。狙いは、帝国に「一時的に湖南省を持たせる」ことだ」 

 湖南省。

 中国内陸部のその地は、世界有数の非鉄金属の鉱脈として名高いが、この場合問題となるのはそこではない。

 湖南省のすぐ隣には、中華人民共和国の直轄市、『重慶』があるということだ。

 そう、甲16号・重慶ハイヴがあるのだ。

 中国の意図は明らかだ。

 重慶ハイヴのすぐ近くの湖南省が帝国領となれば、必然的に帝国は中国と協力して重慶ハイヴのBETAに対応しなければならなくなる。

 BETAに対応する一番良い手段は、ハイヴを落とすことだ。幸い帝国にはその力がある。特殊部隊か、同盟を結んだ独立勢力かは知らないが、『αナンバーズ』という不可能を可能にする戦力が。いや、あえて帝国に打診してくるところ見ると、中国は未だαナンバーズを帝国の一部隊と考えているのだろうか?

 どちらにせよ帝国、というかαナンバーズの力を借りて、「国連を通さずに」国内のハイヴを攻略する。それが中国の狙いなのだろう。

 そうすれば、ハイヴ及び、そこにあるG元素を国連(実質的にはアメリカ)に、徴発されることもない。

 その後は中国もαナンバーズと『同盟』を結び、残りの国内のハイヴを攻略できれば言うことはない。なにせ、中国には、地球上で唯一のフェイズ6ハイヴ、甲1号・カシュガルハイヴがあるのだ。

 そこに眠るG元素を考えれば、すでにBETAによって平らにされた三省など惜しくもない。

 どのみち中国の人口は、最盛期の十分の一以下まで衰えている。中国全土を開発するような力は残っていない。

 むしろ、帝国資本で不毛の地と化した三省を再開発してもらえるのなら、美味しいくらいだ。

 はっきり言って短期的に見れば、帝国には苦ばかりがあり、うま味はゼロに近い。

 だが、もう少し目を遠くに向ければ、話は違う。

 湖南省には全世界のタングステンの約5割が眠っていると言われてる。

 山脈が、ことごとくBETAによって削り取られた今、その埋蔵量は半減しているだろうが、それでも全世界の2割以上だ。

 掘り返すことが出来れば、戦術機や戦車、さらには戦艦で使われている通常弾頭を劣化ウラン弾からタングステン弾に切り替えることが出来る。

 タングステンは劣化ウランに比べれば若干軽く、その分威力は落ちるが、製造は劣化ウラン弾より容易だ。

 今後も対BETA戦が続くのだとすれば、弾薬の消費量というのは、国庫に重くのしかかる問題だ。

 現在、帝国は、オーストラリアなどから劣化ウランを買い取り自ら製造するか、もしくは劣化ウラン弾自体を他国から買い取るかして、帝国軍の弾薬をまかなっている。

 だが、このタングステン鉱脈を手に入れることが出来れば、十年後には全ての弾薬を自国でまかない、さらには余剰弾薬を輸出して外貨を稼ぐことも出来るようになるかも知れない。

 もちろん、それは全て、ハイヴ攻略に今後もαナンバーズが協力してくれるという事と、のど元の熱さが過ぎ去った後の中国が約束を反故にしないと言う保証が大前提なのだが。

「……『台湾』はどういっているんだ?」

 今更ながら声を絞り聞いてくる同僚に、男はヒョイと肩をすくめて見せた。

「わからん。だが、何も知らないと言うことはないだろう。副特使と正特使は同じ、統一中華戦線特使館に寝泊まりしているのだからな」

「…………」

 ちなみに台湾とは別名『中華民国』といい、彼らも「自らが中国大陸を統一する唯一の政府である」と言う宣言を取り消してはいない。あくまで、BETA戦の間、諸問題を「凍結」させているだけだ。

 つまり、いかに「中華人民共和国」と「日本帝国」の間に租借条約が締結しても、もう一つの中国は「そんなものは知らない」と後で言ってくるかも知れない、というわけだ。

 はっきりって胡散臭いを通り越している。どう考えても、関われば碌な事にはならなさそうだ。

「おい、かつての満州の二の舞はごめんだぞ」

「ああ、分かっている。とはいえ、俺に出来るのはこの話を上に通す際に、出来るだけ忠告をすることだけだ」

 男は官僚としてはまだ、若造と言われる年齢でしかない。こんな大きな問題に返答を返す権限はない。まして、握りつぶすにも問題が大きすぎる。

 帝国の上層部は、あらゆる組織がそうであるように、切れ者もいれば馬鹿もいる。表面上の美味しい話に飛びつく人間は必ず現れるだろう。

 なんとか、馬鹿よりも切れ者の声が大きいことを祈るのみだ。

 男は、そのまま固形物になりそうなくらいに重いため息をついた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~幕間その3
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:36
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

幕間その3



【2005年1月21日、8時57分、横浜基地、地下19階】

 国連軍・大東亜連合軍による『甲20号作戦』及び、αナンバーズによる『オペレーション・ハーメルン』から一晩が明ける朝、香月夕呼は研究室に備え付けられている外部通信機の機密暗号化レベルを最高に上げた状態で、なにやら馬鹿丁寧な口調で交渉に精を出していた。

「そうですね。そちらの優先順位を帝国に次ぐ二番目とすることは可能ですわ。私の方からそう働きかけてみます。え? いえ、それは無理です、不可能です。すでに帝国との交渉は実務者レベルにまで達しております。そこに、割り込むというのは、決して良い結果を招かないかと。……ええ、そうです。戦術機用のビーム兵器使用プログラムは、無償で公開する準備があります。

 無論、約束を忘れたわけではありません。

 はい……はい。では、そう言うことで、神宮司まりもはこのまま、横浜基地所属に復帰と言うことでよろしいですね? ありがとうございます。いえ、こちらこそ、今後もそちらとは良い関係を築いていきたいと思っていますわ」

 どうやら、納得のいく形で話がすんだのだろう。通信をオフにした夕呼は、深い安堵のため息をつくと、椅子の背もたれに体重を掛け、天井を仰ぎ見た。

「よし、これでまりもは戻ってくる。A-01連隊の再結成にやっと着手できるわね」

 香月夕呼は、多方面にわたる天才である。それは、間違いのない事実だが、同時に所詮は一人の人間に過ぎないというのも確かな事実だ。

 どれほど優れた才覚の持ち主であっても、配下に使える「手駒」がいなければ、出来ることは限られている。

「……よし」

 もう一度深呼吸をした夕呼は、すぐに気を取り直すと、今度は通信機の内線をつなぎ、隣室で控えている副官に指示を飛ばす。

「ああ、ピアティフ? 伊隅を呼んで頂戴。すぐに私の研究室に来るように」

『了解しました』

 愛想も挨拶も何もない、用件だけの夕呼の言葉に、イリーナ・ピアティフ中尉は打てば響くように答えた。






「悪いわね、この忙しいときに呼び出して」

 いつも通り、姿勢正しい生真面目な足取りで入ってきた腹心の部下に、流石の夕呼も少し気づかうようにそう言う。

 今日の午前中には、αナンバーズがこの横浜基地に戻ってくる予定になっているのだ。それはイコールαナンバーズに出向している伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊が戻ってくるということであり、伊隅ヴァルキリーズの長であるみちるのスケジュールはかなりタイトに詰まっているはずである。

 だが、みちるは生真面目な表情のまま、

「いえ、雑事は榊少尉に任せていますから、さほど問題ありません。無論、最終チェックはこちらでやっていますが」

 そう答えるのだった。みちるとエレメントを組むことになった榊千鶴少尉は、実戦や戦術機の訓練のみならず、軍務全体においてみちると行動を共にしている。そのため、書類仕事や訓練で使用した物資のチェックなどといった雑務においても、みちるは可能な限り千鶴にその仕事を任せていた。

 将来的に千鶴が小隊長、中隊長と昇進した場合に供えていることは言うまでもない。

「そう、その様子だと、榊は使えるみたいね。だったらなおのことこっちの話を進めた方が良いわね。伊隅、あんた佐官昇格の再教育を受けに行きなさい」

 夕呼は、座っている椅子の肘掛けに肘をつき、腹の前で手を組んだまま、何でもないことのような淡々とした口調でそう言うのだった。

「再教育、ですか」

 みちるは軽く目を見開いた。短く癖のついた栗色の頭髪が揺れ、はらりとその頬にかかる。

 驚いた顔をするみちるであったが、少し考えてみれば、ごく当たり前の話でもある。

 夕呼が伊隅ヴァルキリーズを、いずれはかつての『A-01』の様な連隊規模まで拡張するつもりでいることは、以前から聞かされている事実だ。

 しかし、連隊には当然、一人の連隊長と複数の大隊長が必要となる。連隊長は大佐か中佐、大隊長は少佐が就任するのが一般的だ。しかも、伊隅ヴァルキリーズの機密性を考えれば、腕の良い佐官をよそから引っ張ってくるという選択肢はない。

 必然的に、現伊隅ヴァルキリーズの古参連中が佐官に昇格するしかないのである。

 その先陣をきるのは当然、伊隅ヴァルキリーズの中隊長である、みちるをおいて他にない。

 その理屈が分からないみちるではないが、それでも確認しておかなければならないことがある。

「では、私の留守中、ヴァルキリーズは速瀬中尉がトップと言うことでしょうか?」

 伊隅ヴァルキリーズのナンバー2、速瀬水月中尉の能力に不安があるわけではない。しかし、今はαナンバーズと言う異邦の客人を迎え、世界が劇的に変動しようとしている時期である。

 平時ならばともかく、この激動の時期に突如中隊長代理を任されるとなると、話は別だ。いかに水月の能力が高いものであったとしても、現時点では中隊を率いたことがないという事実は変わらない。ビギナーの中隊長に今のヴァルキリーズを指揮するのは若干荷が重いのではないだろうか。

 そんなみちるの懸念に、夕呼は椅子に座ったまま少し肩をすくめると、

「いいえ。あんたと入れ替わりにまりもが戻ってくるから、あんたの留守はまりもに任せるつもりよ」

 何でもないことのように、重大な情報を漏らすのだった。

「じ、神宮司教官が!?」

 珍しくみちるが驚きで声を大きくする。

 伊隅ヴァルキリーズの面々は全員例外なく、神宮司まりもの指導を受けているいわば彼女の生徒達だ。みちるも、まりもには単なる恩師を超えた敬愛の念を抱いている。

 確かに、彼女ならば自分に代わりヴァルキリーズを任せて全く問題ない。

「まりもは昨日の『甲20号作戦』に参加していたからね。現在は、境港にいるから、そのままこっちに戻ってきてもらうわ」

「い、いや、流石にそれは……いえ、了解しました」

 あまりに無茶な夕呼の言葉に、一瞬何かを言いかけたみちるであったが、自分の立場を思い出したのか、すぐに言葉を呑みこんだ。

 現在アメリカ駐在国連軍所属である神宮司まりもを、作戦の都合上、現在帝国にいるからといって、そのまま所属を横浜基地に移動させる。

 これは、民間の会社で言えば、「長期出張という名目で派遣されたはずが、本人のあずかり知らぬ所で、現地の支社に移転が決まっていた」ようなものである。

 やられた方は、たまったものではないだろう。

 この場に武がいれば、「世界が変わってもまりもちゃんが夕呼先生に振り回されるのは変わらないんだなあ」と感心するところだ。

「まあ、まりもには、また訓練部隊の教官をやってもらうつもりなんだけどね。どのみち、訓練部隊は春にならないと人員が集まらないから。あんたが戻ってくるまでは現場に回ってもらうわ」

 そう言って夕呼は、不満そうにチッと舌を鳴らした。

 いかに夕呼の権限と自由になる予算が急速に高まっているとはいえ、現在の帝国軍から衛士もしくは衛士候補生を引き抜くというのは、あまりに帝国の神経を逆なでしすぎる。

 先の『竹の花作戦』で、文字通り半壊した帝国軍は、この春に徴兵される予定の新人を計算に入れても、紙の上での人数でさえ、元に戻らない状態なのだ。まして、厳しい適性検査をくぐり抜ける必要がある衛士にいたってはどのような状況か、言うまでもないだろう。

「分かりました。そういった事情でしたら」

 事情を理解したみちるは、ビッと敬礼をして、夕呼の命令を受諾する。

 そんなみちるの様子に、夕呼は会心のイタズラが成功したと言わんばかりの笑みを浮かべ、さも今思い出したように付け加える。

「ちなみに、ここじゃ指導教官がいないから、再教育中は帝国軍の訓練基地に行ってもらうことになるわ」

「はっ、了解です!」

「当然だけど、同輩はみんな、帝国軍の衛士だからね。ああ、そういえば確か中に一人、『流星連隊』の衛士がいたんじゃなかったかしら? 確か、名前は『前島正樹』とか言う奴。相手は『帝国の英雄』様だから粗相の無いようにね」

 流星連隊。すでに帝国では伝説になりかけている存在である。あの地獄の佐渡島戦において、ハイヴへの軌道降下作戦を決行し、生還した6人の英雄達。流星連隊の衛士は生者、死者の区別無く、全員二階級昇進が決定されている。

 戦勝記念式典では大々的に壇上に呼ばれ、新聞やテレビでさんざん紹介されているため、彼らの顔と名前は思い切り帝国中に広まっている。まさに時の人と言うべき存在だ。

 だが、みちるにとって問題なのは、それが『流星連隊』の衛士だからではなく、『前島正樹』だからである。 

「ま、正樹がッ!?」

 予想もしないところで、長年思いを寄せている幼なじみの名前を聞かされたみちるは、極めて珍しいことに勤務時間中に、上官の真ん前で素の大声を上げるのだった。










【2005年1月21日、10時31分、横浜基地、地下19階】

 横浜基地の地下19階に位置する香月夕呼の研究室。しっかりと施錠されたその一室には、今三人の人影があった。

 足を組み、不機嫌そうな顔で座る香月夕呼。

 キリリとした真剣な表情でその横に立つ、速瀬水月。

 そして、その水月の斜め後ろで、四角い弁当箱の倍くらいある金属製の箱を小脇に抱えた直立する、白銀武。見るものがみれば、その箱は戦術機に使用されているハードディスクであることが分かるだろう。

 三人とも、間違っても無口な人間ではないはずなのだが、今は誰も口を開こうとしない。ただ、黙ってたった今持ち込んだ通信記録の再生を待っている。

「…………」

「…………」

「…………」

 夕呼は無言のまま、音声通信機の再生ボタンを押す。






『……ちら、αナンバーズ所属、クォヴレー・ゴードン少尉だ。この通信を聞いている者がいたら、応答してくれ』

『クォヴレー、クォヴレーなの!?』

『その声はまさか、ゼオラ……か?』

『そうよ、クォヴレーなのね』

『ゴードン少尉か。一体どこで話している?』

『その声は、ブライト大佐?』

『おう、オレもいるぜ、クォヴレー!』

『アラドまで。ひょっとして、そこにはみんないるのか?』

『ええ。あなた以外全員いるわ。あなたは今、どこにいるの?』

『すまないが時間がない。その「閉ざされた世界」に干渉するのは、ディス・レヴの力と「因果導体」の協力を持ってしても難しい。『メス・アッシャー』まで使って辛うじて小さな穴を開けただけだ。現状でそちらに送り込めるのは、エネルギーと情報だけだ。それもいつまでもつか解らない。

 悪いが、こちらの用件を優先させてくれ。そこに、「香月夕呼」はいるか?』

『え? 香月博士? 博士は横浜基地だから、この場にはいないけど……え? なんで、クォヴレーが香月博士を!?』

『すまないが本当に時間がないんだ。では、「白銀武」はいるな?』

『……へ?』

『武か?』

『あ、ああ。オレは確かに白銀武だけど、なんで、俺のことを、ていうかお前誰?』

『お前はクォヴレー・ゴードンを知らないようだが、俺は白銀武を知っている。通信が通じるところを見ると、お前は今、何か機体に乗っているな?』

『な、なんなんだ? だから、お前誰なんだよ?』

『今からお前の機体に、データを送る。それをそのまま、香月夕呼に渡せ。それが「世界を救う鍵」らしい。もっとも、皆がいる以上、俺のやっていることも徒労だった可能性が高いがな』

『だが、本当の意味でその世界を救うことが出来るのは、武、お前だけだ。いいか、データを必ず香月夕呼に渡すんだ。そして、今度こそ、お前の手で『鑑純夏』を救…………』





 さして長いものではない音声通信の再生が終わる。

「…………」

「…………」

「…………」

 研究室は静寂が戻る。再生中、夕呼の表情は劇的に変化していた。

『因果導体』という言葉で、無表情という名の仮面にヒビが入り、謎の男が「香月夕呼」と自分の名前を呼んだところで頬がピクリと痙攣した。

 さらに、『鑑純夏』の名前が出たところで、半ば表情を取り繕うことを諦めたように、唇を噛み、眉の間に深い皺を寄せた。

 そんな般若のような表情のまま、夕呼は深い沈黙を破り口を開く。

「この通信を聞いた人間は?」

「はい。あの場にいたαナンバーズ及び、私達ヴァルキリーズ速瀬隊の人間は全員耳にしています」

 すでにその問いは想定していたのであろう。淀みない口調で水月は即答する。

「それは、整備班も含めての話ね?」

「はい。通信自体が艦内放送で流れましたから」

「それ以外には、漏れていないのは確か?」

「絶対とは言い切れませんが、当時釜山港(プサン港)周辺には、αナンバーズ以外の機影はありませんでした。通信自体も指向性のあるものでしたので、まずは大丈夫だと推測します」

 一通り確認を終えた夕呼は、顎に手をやりしばし黙考する。そして、

「……分かったわ。一応、整備班も含めてこちら側の全ての人間に箝口令を敷いておいて頂戴。αナンバーズにも同様の要請を。速瀬、あんたのほうから話を通しておいて」

 どのみち、百人単位で聞いている人間がいるのだから、情報の完全秘匿など出来るはずもないのだが、何もやらないわけにはいかない。

「はっ、了解しました!」

 夕呼の指示に、水月は張りのある声で、返答を返した。

 頭が冷えてきたのか、声色も表情も普段のものを取り戻した夕呼は、一つ頷くと言う。

「それじゃ、速瀬は下がって良いわ。白銀、あんたは残りなさい」

「はっ、失礼します」

「はい」

 水月は敬礼をすると、言いつけ通り退出していった。残されたのは、少なくとも表面上は冷静さを取り戻した夕呼と、明らかに言いたいことと聞きたいことを山ほど抱えた表情の武。

「で、白銀。それが、あんたの不知火のハードディスクね。データの吸い出しじゃなくて物理的に引きはがして持ってきたのは褒めてあげる。ほら、中身を見るから、ここに置きなさい」

 夕呼は椅子に座ったまま、首だけ横に向け、その視線を武が小脇に抱えるハードディスクに向ける。

「夕呼先生っ、これって一体何がどうなって!?」

 水月がいなくなったことで我慢が限界を超えたのか、堰を切ったように詰め寄る武を、夕呼をうんざりとした顔で片手を上げ、制する。

「はいはい。言いたいことは後で聞くから、まずはこっちの言うことをききなさい」

 あの衝撃的且つ謎の通信を受けて、戦闘の疲れすら精神の高ぶりが押しのけたのか、昨晩はほとんど一睡もしてない武であったが、ここで夕呼を相手に押し問答を続けても、生産的な結果にならないと言う程度の判断力はまだ残っていた。

「っ、……はい」

 喉の入り口までこみ上げている言葉を無理矢理嚥下すると、武は小脇に抱えていた戦術機のハードディスクを机の上に置いた。

 その間に夕呼は机の引き出しから、白く長いコードを取り出す。元からパソコンへの接続を想定して作られているのだろう。

 チョンチョンと、一本のコードでパソコンとハードディスクを接続しただけで、作業は完了した。

 夕呼は、中身を見る前に、武に気づかないよう背を向けたまま、軽く目を瞑り何度か深呼吸をする。なにせ、これもαナンバーズがらみの代物だ。しかも、先ほどの通信の内容から推測するに、この世界に来ていないαナンバーズのメンバーが、自分を名指しして送ってきたほどのものだ。

 色々、覚悟を決めておかないと、心に致命的なダメージを負いかねない。 

「それじゃ、見てみましょうか」

 平静を装い、そう言ってこなれた手つきでキーボードを叩き、ハードディスクの中身を検索する。

 それはすぐに見つかった。

『00unit』

 そのフォルダ名を見ただけで、夕呼の覚悟とやらは木っ端微塵に砕け散った。

「ッ☆◇□!?」

 夕呼の喉から形容しがたい奇声が発せられる。

 ガタンと立ち上がり、大きな音をたてて、両手の平で机を叩く。

「ゆ、夕呼先生?」

 驚いた武が後ろから声を掛け、夕呼の肩に手を伸ばすが、夕呼は邪険にそれを振り払った。一瞬で血の気が引き、氷のように冷たくなった両手の指をもどかしげに動かし、そのフォルダを開き中身を見る。

 そこには、夕呼にとって夢のような、そして同時に悪夢のような情報が記されていた。

 オルタネイティヴ4計画の根幹をなす『ゼロゼロユニット』に関する根底理論。それも、夕呼が今日まで研究を重ねていたそれとは根底から異なる、異質な理論だ。

 しかも、それでいてそれが、夕呼のそれより一歩先を行っており、現実に実現可能な目処が立つ代物であることが分かる。

 この理論ならば、ずっとボトルネックになっていた『半導体150億個の並列回路を手の平サイズにする』という問題をスキップできる。手の平サイズにすることが可能になるのではない。そもそもそんなものが必要ではなくなるのだ。

 悔しいが、このアイディアには、自分がこのまま延々と研究を続けていても、たどり着けなかったと思う。だが、それ以外の部分――理論の纏め方や、根底のアイディア以外の部分は、まるで自分がこのデータを作成したのではないかと思うくらいに、自分と思考形態と重なり合っている。 

「これは異世界からのデータ。いえ、送ったのが異世界人なだけで、これは平行世界のデータね。そうでなければ、クォヴレー・ゴードンとやらが、香月夕呼を知っていたことの証明がつかない。つまり、これは私じゃない私の理論? なるほどね、私はたどり着ける可能性があったわけだ。でも、だったらなぜ、この私は私にこれを送ってきたの? 私が自力ではこの理論にたどり着けないと確信していた……?」

 思わず状況も忘れ考え込む夕呼であったが、すぐに今はそんな事より優先するべき事があることを思い出す。大丈夫、もう冷静さは戻っている。

 夕呼は、おもむろにパソコンの隣に設置してあるプリンタの電源を入れると、『00unit』データのプリントアウトを始めた。

 データ容量としてはさほど大きなモノではないが、紙にプリントアウトするとなると、意外と多い。

 それでもレーザープリンタは100枚近い用紙を、ごく短時間でプリントし終える。

「…………」

 夕呼は無言のまま、出てきた用紙を手に取ると、パラパラとめくり、ページの抜けや擦れがないか確認した。

 大丈夫だ。問題が無いことを確認した夕呼は、すぐにその世界一貴重な紙の束を金庫にしまう。

 後ろでは先ほどから何度か武が、夕呼に声を掛けようと試みているが、そのたびに有無を言わさぬ夕呼の視線をくらい、すごすごと引き下がっていた。

 そんな武の様子を全く気に掛けることもなく、夕呼は淡々と作業を続ける。

 紙の束を金庫にしまった夕呼は、今度は無造作にパソコンとハードディスクをつないでいるコードを引き抜いた。

 そして、そのままハードディスクを持ち上げると、何のためらいもなく、思い切りパソコンに叩きつける。

 ガシャンと大きな音を立て、軽金属製のパソコンケースが壊れ、中身が色々と飛び出す。

「ちょっ、先生!?」

 流石に、驚きの声を上げる武をまたも無視し、夕呼は今度はハードディスクが突き刺さったままのパソコンの残骸を持ち上げると、今度はそれをプリンタに叩き降ろす。

 無論、こんな重量を上からぶつけられればプリンタもひとたまりもない。さっきよりさらに大きな音を立て、プリンタもただの残骸と成りはてる。

「…………」

 まるで気でもふれたかのような夕呼の所行に、武が唖然としてる間に、夕呼はパソコンとハードディスクをつないでいたコードを手に持つと、般若の形相で武の方に振り返る。

「え、その、夕呼先生……?」

 何か不吉なものを感じた武が一方後ろに後ずさるが、生憎それは少しばかり遅かった。

 次の瞬間、夕呼は実はかなり運動神経が良いのではないか、と思うほど素早い動きでその長いコードを武の首に巻き付け、その両端をそれぞれ右手と左手でぐいと引いた。

「答えなさい! あんた、このデータ、よそに漏らしていないでしょうね!?」

「ちょっ、夕呼先生、く、苦し……こ、これ」

 辛うじて理性を残しているのか、頸動脈が締まるほどコードを引き絞っているわけではないが、それでもかなり呼吸が困難な武は、必死に両手をバタバタさせながら訴える。しかし、

「あんたが苦しいかどうかなんか聞いてないのよ! どうなの、漏らしたの、漏らしてないの!?」

 このままシメ続けられたら「漏らしそうだ」などと、馬鹿なことを頭の片隅で思いながら、武は必死に、あの時の状況を思い出す。

「だ、大丈夫だと、思います。俺の隣にいた、速瀬中尉の不知火にも、データは届いていませんでしたし、あれ以降、俺の不知火は、誰もさわらせていません。ただ……」

「ただ、なに!?」

「ぐ、先生、ギブ、ギブ! ただ、あの時はラー・カイラムの、甲板上でしたから、ラー・カイラムには」

 どれだけ方向性を絞っても、所詮は無線で送られたデータだ。元々あの『クォヴレー・ゴードン少尉』とやらも、αナンバーズの一員なのだとしたら、あのデータを横からラー・カイラムの通信施設がコピーしていてもおかしくはない。

「なるほどね」

 考え込む夕呼は少し冷静さを取り戻したのか、その表情は般若から、ただの目つきの悪い美女くらいまでグレードが下がる。同時に、夕呼は武の命を握るコードから手を放した。

「ふい……はあ、はあ、はあ」

 危機を脱した武が、右手で喉をもみほぐしながら胸一杯に空気を取り込んでいる間に、夕呼はまた考え込む。

「それは、仕方がないと割り切るべきでしょうね。でも、白銀。本当に、それ以外には漏れていないでしょうね?」

「え、あ。はい。大丈夫です。あの周囲に他の機影はなかったですし、速瀬中尉達の他の戦術機にもデータが入っていないことも確認していますから」

 軽く目におびえの色を浮かべ、そう言ってくる武に、夕呼は素っ気なく「そう」とだけ答えるとまた、思考の海に沈み込む。

 なるほど、ならばこの『00unit』データがαナンバーズ以外に漏れる可能性は、無いと思っても良いだろう。

 だが、これでやること、考えること、調整しなければならないことがまた劇的に増えた。

 まずは、ゼロゼロユニットの完成。これは、夕呼にとっても悲願であり、G弾にBETAが対応し始めた今、この世界の人類が、αナンバーズの手を借りずにBETAに勝ちうる唯一の手札だ。絶対に頓挫させるわけにはいかない。

 だが、同時に、「なぜ、このデータがαナンバーズの人間経由で」平行世界から届けられたか、という点についてはしっかりと考察しておかなければならないだろう。少々自分の研究を過大評価しているかも知れないか、もしかすると彼らの狙いはこの『ゼロゼロユニット』なのかも知れない。そう考えれば、これまで異常なくらいに自分たちに好意的に接してきたαナンバーズの態度にも、一定の説明がつく。

 どちらにせよ、これはまた早急にαナンバーズの責任者と会談を設ける必要があるようだ。

 ただでさえ、世界各国から「ビーム兵器贈与」問題と、「エルトリウム渡航」問題で矢のような催促を受けているのだ。

 思わずため息をつきそうになった夕呼は、まだ何か言いたげな武の視線を感じ、武がここにいることを思い出す。

「ああ、ご苦労様。それじゃ、あんたも帰って良いわよ」

 犬でも追い払うように、夕呼は手をシッシと振るう。

 だが、武はその退出命令を無視するようにして一歩前に踏み出す。そして、

「せ、先生、この世界には、本当に純夏はいないんですよね?」

 何かを探るように、おそるおそるそう尋ねた。

 武は昨晩あれから一晩中、あの会話について考えていた。武も決して馬鹿ではない。

 ゆっくり一晩考えれば「お前はクォヴレー・ゴードンを知らないようだが、俺は白銀武を知っている」という言葉の意味は理解できる。

 おそらく、あのクォヴレー・ゴードンという男はここではない別な世界で、自分ではない『白銀武』と知り合ったのだ。

 だが、「今度こそ、お前の手で『鑑純夏』を救……」という最後の言葉が分からない。この世界には『鑑純夏』はいないはずなのに。次元を貫き、声を届けることが出来るくせに、クォヴレーという男はそれを知らなかったのか、それともこの世界に『鑑純夏』はいない、という夕呼の言葉が嘘なのか。

 武は、夕呼が意味もなく嘘をつく人間だとは思っていない。だが、理由があればどんな嘘でも平気でつく人間であることも知っている。

 夕呼は、体中で緊張を表現する武に、能面のように表情を消した視線を向け、軽く一度肩をすくめた。

「そうね。前に言ったとおり、戸籍上にも、軍のデータベースにも『鑑純夏』という名前は存在してない。それは間違いないわ。「私」が保証してあげる」

「そうですか。そうですよね」

 武は、ホッとしたような、だがどこか少し残念そうな表情でそう言った。『鑑純夏』がこのろくでもない世界にいないというのは、救いではあるが、同時に自分が絶対に純夏と会えないと言う事実も意味する。多少、気落ちするのは当然のことであった。

 それでも武は気を取り直すと、

「あと、他にも色々変なことを言ってましたよね、あいつ。この世界が閉ざされているとか、因果導体がどうとか」

 そう、次の質問をぶつけてくる。夕呼は、それを手で遮るように手を挙げると、首を横に振って拒絶の意思を示す。

「それは私も気にはなるけど、この場で即答できるようなものではないわよ。ある程度調べがついたら教えてあげるから、今日の所はこれくらいにしておきなさい。ああ、あと、αナンバーズに「鑑純夏」について聞かれても知らぬ、存ぜぬで通しなさいよ。知っている、何て言ったら、あんたがこの世界の人間じゃないことまで説明しなきゃならないことになるんだから」

 確かに、この世界に存在しないはずの人間と幼なじみだ、などと言えば、疑問が疑問を呼び、最終的には武がこの世界の人間ではないことまでばれてしまう。

「分かりました」

 武としても、非常に納得しやすい理由だったため、ごく普通にその言葉に肯定の意を返す。

「それじゃ、俺はこれで失礼します」

 最後にそう言うと、素直に夕呼の研究室を後にするのだった。





「……ふう」

 出て行った武がドアを閉めたところで、夕呼は一つ大きく息を吐く。なんだか、最近、ため息の数が異常に増えた気がする。

 ここ数年と比べると、あらゆる状況が劇的に良くなってきているはずなのに、それと反比例するように夕呼の精神状態だけが悪化の一途をたどっているのは何故なのだろうか?

 それでも夕呼は一度頭を振ると、何とか精神の均衡を取り戻す。そして、また隣室に控えるピアティフ中尉に、内線で連絡を入れる。

「ああ。ピアティフ? 壊れた機材を処分したいから、処分施設を手配して頂戴」

 そう言いながら、夕呼の視線はグチャグチャに破壊されたパソコン、ハードディスク、プリンタに注がれていた。

 あれは必ず処分しなければならない。ゼロゼロユニットの根幹理論。この世に香月夕呼以上に『因果律量子論』を理解している存在はいないはずだが、あのデータとG元素があれば、後発でゼロゼロユニットを完成させる連中がでないとは限らない。

 αナンバーズのせいですっかり印象が薄くなっているが、ゼロゼロユニットは使い方によっては世界を席巻しうる超兵器なのだ。その秘匿にやり過ぎという言葉は存在しない。

『了解しました。すぐに手配します』

「あ、あと、午後からαナンバーズの責任者と一席設けたいんだけど、そっちのセッティングもお願い」

『はい、分かりました』

 有能な副官の返答にもう一度「お願い」といい、夕呼は内線を切った。









【2005年1月21日、日本時間20時00分、小惑星帯、エルトリウム】

 その日のフォールド通信会議は、ラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐が語る『オペレーション・ハーメルン』の結果報告から始まった。

『……というわけで、オペレーション・ハーメルンは成功した、と言って良いでしょう。この世界の軍による甲20号ハイヴ攻略は成功、帝国軍の被害はゼロ、それ以外の被害も可能な限り押さえられたと思っています』

「うむ、よくやってくれた、ブライト君」

 その報告を受け、エルトリウムの艦長席に座るタシロ提督は、先行分艦隊の労苦をねぎらうのように何度も頷いた。

『また、今回の作戦で『G弾』の使用を目撃しました。データはそちらに送りましたが、見ての通り重力兵器の一種で、威力・効果範囲と共に反応弾に近いものがあります。帝国などこの兵器を危険視するものが多く存在するのも頷けますが、同時にこの威力・効果範囲で「脅威」と見なされるのならば、地球上では使用に制限を設ける必要のある兵器が幾つかあります』

 ブライトの言葉に、会議に参加している艦長達は皆一様に頷いた。

 確かに、αナンバーズの兵器には、G弾より威力が上のものも幾つか存在する。無論、G弾のように植生が回復しない、などといった弊害はない兵器が大半なのだが、それでもこの世界の人間の心情を考えれば、簡単に使用するべきではないことぐらい理解できる。

 例えば、現在は使用不能になってるがGGGの切り札、ジェネシックガオガイガーのゴルディオンクラッシャーなどは、威力・効果範囲共にG弾の比ではない。

 例え、ジェネシックガオガイガーが戦線に復帰したとしても、ゴルディオンクラッシャーを地上で使用する場合は、細心の注意を払い、そっと振り降ろす必要があるだろう。

「「「…………」」」

 しばし、艦長達は死んでいったこの世界の兵士達に黙祷を捧げた。

 やがて、誰ともなく閉じていた目を開き、再び会議を再開する。

『そして、音声通信データは先ほど送ったので、すでに聞いていることと思いますが、『クォヴレー・ゴードン少尉』と一時的にコンタクトがとれました。ただし、どうやら、ゴードン少尉としては、我々がこの世界にいるのは想定外だったようです』

 それは、通信記録を聞けばすぐに分かることだ。クォヴレーは、アラドやブライトの声を聞いた際、驚きの声を上げている。

「うむ。確かにな。逆に、ゴードン君が名指しにしたのが、この世界の『香月博士』と『白銀少尉』か。それで、香月博士はなんと言っているのかね?」

 タシロ提督の言葉に、ブライトは頷きながら、

『はい。昼に博士と会談の場を設けましたが、そこで聞いたところによると、彼女には一応心当たりはあるようです。ゴードン少尉の言葉にも出てきた単語『因果導体』をいうものを含む、『因果律量子論』というが博士の専門研究テーマらしいのですが、その理論では平行世界の存在が、証明されるそうですので』

 そんなブイトの説明に、バトル7艦長、マクシミリアン・ジーナス大佐は苦笑した。

「平行世界ですか。まあ、今更ですね。我々はこうして、異世界にやってきているのですから」

 そこ言葉に、この場にいる艦長達は皆、同意するように苦笑を漏らした。

 異世界移動に、時間移動。常人の思いつく『とんでも体験』のほとんどをすでにすませているαナンバーズである。

 今更、平行世界がそこに加わって位でオタオタするものはいない。

『なお、ゴードン少尉から白銀少尉に送られた『00unit』というデータは、ラー・カイラムの方でもキャッチしました。そちらに送りますので、内容の吟味をお願いします』

「了解しました。どの程度、お力になれるかは分かりませんが」

「了解です、GGGの研究部でも手を尽くしてみます」

 そう答えたのは、大空魔竜の総責任者である大文字博士と、大河の留守を預かりGGG艦隊の責任者代行を努めている火麻参謀だ。

 エルトリウムにも優秀な科学者、技術者がごまんといるのだが、こういった未知の技術を調べることに関しては、特機の開発者である大文字博士や、GGGの研究班の方が専門である。

「しかし、ゴードン少尉の言葉は気になりますな。「閉ざされた世界」「因果導体」そして、世界を救えるのは「武」だけ、でしたかな?」

 バトル7のエキセドル参謀の言葉に、ラー・カイラムの艦長席の隣にたつ大河は、重々しく頷く。

『ええ。香月博士に問い合わせたところ、「因果導体」というのは、博士が研究している「因果律量子論」を体現する存在であると言うことです。ただ「閉ざされた世界」や「世界を救えるのは武だけ」という言葉の意味は、博士にも分からないそうです』

 そんな大河の言葉を受け、今度はエルトリウムの副長が疑問を投げかける。

「では、『鑑純夏』とは何者なのでしょうか? ゴードン少尉があえて、名指して「救え」と言うくらいですので、なにかキーパーソンとなる存在ではないかと思われますが」

 エルトリウム副長の問いに、大河は小さく頷くと、

『それについては、香月博士も言葉を濁していました。「この世界の記録上、『鑑純夏』という名前は存在しない」と言っていましたが、「詳しい情報は判明次第、報告したい」とも言っていましたので、額面通りに取るわけにはいかないでしょう』

 本当に存在しないのであれば、今後も「詳しい情報」が入るはずがない。

 これは、夕呼がうっかり口を滑らせたのではなく、今後のために予防線を張っておいたのだろう。

 どのみち、今後ゼロゼロユニットが完成すれば、『鑑純夏』などいない、などと言い張ることは出来なくなる。

 無論、そんな夕呼の事情は、現時点での大河達に分かるはずもない。

「わかった。ではご苦労だが、その辺についても今後は、無理のない範囲で探りを入れておいてくれないかね」

『了解しました』

 タシロ提督の指示に、大河は気負いのない態度で頷いた。

『それで、そちらの状況はどうなっているのでしょうか?』

 話が一区切りついたところで、アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス少佐が問いかける。

 その言葉を受け、今度は逆に小惑星帯に残った本隊の艦長達がここ最近の状況説明を始める。

 全体を代表し、話し始めたのは、年齢的にも階級的にもトップであるタシロ提督であった。

「うむ。まず、火星ハイヴ間引き作戦だが、大きな変化があった。ついに、火星にもレーザー属種が出現した」

『『『!!』』』

 爆弾発言とも言えるタシロ提督の報告に、ブライト達は驚きを露わにする。

『それでは、被害はっ?』

 アークエンジェルの艦長席から身体を乗り出すラミアス少佐に、タシロ提督は「うむ」と頷きながら、

「その時、ハイヴ間引き作戦に向かっっていたのはガンバスター、シズラー黒、ガイキングの三機だ。火星大気圏に突入時に、数百のレーザーの集中照射をくらい、危うく目をやられるところだった」

 そう、重々しく告げる。

『目、ですか?』

 ラミアス少佐の言葉に、タシロ提督はもう一度頷き返す。

「そうだ。流石に、あれだけのレーザー照射を同時に長時間喰らえば、閃光防御が間に合わなかったようだ。ガンバスターのタカヤ君も、ガイキングのツワブキ君も、目を閉じても瞼越しに光が届き、しばらく目がチカチカして涙が止まらなかったらしい」

 深刻な顔で、タシロ提督はさも気の毒そうにそう言うのだった。

「パイロットだけの問題でなく、下手をすれば機体の光学モニターが焼き付く可能性もあります」

 さらに、タシロ提督の隣にたつ、エルトリウム副長がそう付け加える。さらに副長は、

「しかも、こちらで調査した結果、火星のレーザー属種は、地球のそれと比べ、レーザーの出力も照射時間も大きく上回っているようです。その分、インターバルも長いようですが」

 と、詳しいデータの説明を始めた。

 つまり、地球上のBETAが最初に中国軍の航空機に対応したように、火星のBETAはαナンバーズのガンバスターやガイキングに対応しようとしたのだろう。

 この世界の航空機ならば、地球のレーザー属種程度でも威力多可なぐらいだが、生憎ガンバスターやガイキングは、その程度では落ちない。

 そのため、火星のレーザー属種は照射のインターバルを長くしてでも、可能な限り威力を向上させたのではないだろうか?

 そういうエルトリウム副長の推測は、的を射ているように思えた。

『それで、被害は?』

 あまり心配はしていないが、一応ブライトはそう問う。そもそも、死者や負傷者が出ているようならば、何はさておいても報告があるはずだし、タシロ提督やマックス艦長が平然としているはずがない。

 そんなブライトの予想は全く外れていなかった。

「とりあえず、大勢に影響はありません。レーザー照射も、ガンバスターやガイキングの装甲を貫き、中枢部にダメージを与えるほどのものではありませんでした」

 つまり、BETAは可能な限りレーザー属種の攻撃力を向上させたが、ガンバスターやガイキングの防御力と比較すれば「誤差の範囲」だったということだ。

 予想はしていたといっても、ホッとしたブライトは小さく息を吐いた。

『そうですか。それは、何よりです』

「しかし、ハイヴ間引き作戦はあまり順調ではありません。こちらはたまに強襲してハイヴを一つ二つ間引くだけですので、いなくなった後、BETAが次のハイヴを作ってしまいます。結局、我々はこれまでに9つのハイヴを攻略していますが、新たに4つのハイヴを作られてしまいました」

 9つ壊す間に、4つ作られる。一応差し引き5つ減らしている計算になるが、壊しても壊しても新たに作られてしまうというのは、中々ストレスが溜まるものである。

「かといってハイヴ間引き作戦の戦力を増強するっていうのも難しいところです。うちの光竜と闇竜が明日、完全復帰するんですが、あいつ等の防御力では火星突入時のレーザー照射に耐えられるとは思えません」

 GGGの火麻参謀が、その浅黒い顔に皺を寄せ、困ったようにそう言う。

 いかに、αナンバーズといえども、ガンバスターやガイキングクラスの防御力を誇る特機は、そういくつもあるものではない。

 現状、本隊にある機体で、火星レーザー属種の集中照射を問題としない機体は、ガンバスター、シズラー黒、ガイキング、マジンガーZの4機のみなのである。

 大河長官は、まずその問題を検討する前に、勇者達の復帰を喜ぶように笑みを浮かべ、

『おう、ついに光竜と闇竜が戻ってきたか。そういえば、他の機体の修復状況はどうなっていますか?』

 少し話を脱線させる。

「副長」

「はっ」

 大河長官の言葉を受け、タシロ提督は隣にたつ副長に、水を向ける。こういった、細かな進捗を説明するのに適しているのは、エルトリウム副長か、バトル7のエキセドル参謀だ。

 副長は手の上で、ファイルを開き、そこに目を落としながら、淡々とした口調で説明を始めた。

「先ほど、火麻参謀の方からお話があったとおり、まず、光竜・闇竜の二機は明日完全に修復が完了する予定です。また、バトル7ではVF-11の二機目が一昨日完成しました。こちらはガムリン・木崎中尉が乗り、すでに護衛任務に就いています。さらに、ガンダム試作3号機ステイメンとガンダムZZの修理も明日完了となっています」

 副長の報告に、ブライト達は「ほう」と声を上げる。

 僅かずつとはいえ、こうして戦力が戻ってくるのは頼もしいものだ。

「あとは、今月の27日にはリ・ガズィ2機が修理完了。さらに来月、2月の初めには、フリーダムガンダム、ジャスティスガンダムも復帰の予定です」

 続々と戻ってくるモビルスーツの中でも、特に大きいのはガンダムZZとフリーダムガンダム、ジャスティスガンダムの3機だろう。

 これらの機体は、αナンバーズのモビルスーツの中でも主力となり得るポテンシャルを秘めた機体である。

 副長は説明を続ける。

「また、ヒイロ・ユイ達のガンダムの修理を手伝っていた技術者達がそのノウハウを使い、トールギスⅢとトーラス2体の修理に取りかかっています。こちらも近いうちに復帰できるでしょう。

 最後に、大文字博士が見て下さっているダンクーガですが、修理の目処が立ったそうです」

 今日一番の朗報に、ブライトも思わず艦長席から腰を浮かし掛ける。ダンクーガは、αナンバーズの特機の中でも上位の攻撃力を持つ機体である。攻防共に反則級のガンバスターやガイキングには一歩譲るかも知れないが、こちらも単機で戦況を覆しうる機体だ。

『本当ですか、博士っ』

 ブライトの様子に、大文字博士は嬉しそうに口ひげの下で口を笑みの形に歪めた。

「はい、まだ復帰の時期は明言できませんが、とりあえず修理が可能なくらいにはあの機体の構造を理解したつもりです。まずは、最初にアラン君の『ブラックウイング』から取りかかろうと考えています」

 ダンクーガは、五体の機体からなる合体ロボットである。しかもその五体の機体は単体でも、獣型、人型、戦車型と三種類の変形モードを持ち、高い戦闘力を有している。

 その中でもアラン・イゴールの乗る『ブラックウイング』を優先したのは、合体時背面に位置するブラックウイングが、最も損傷が少なかったからだ。

 ブラックウイングのパイロットであるアラン・イゴールは現在、アメリカに潜入を試みたまま消息を絶っているが、いずれ彼の手に戻れば心強い戦力となることだろう。もっとも、ブラックウイングは飛行形態が主な上、防御力もあまり高くないため、対BETA戦ではあまり戦力とならないかも知れないが。

『しかし、戦力が戻っても、火星ハイヴの間引きに回すわけにはいかないのが、もどかしいですね』

 復帰する機体のポテンシャルを頭の中で思い出しながら、ラミアス少佐は軽くため息をつく。

 仮にも特機である光竜・闇竜でも厳しいというのだ。モビルスーツを降下させようものなら、あっという間に消し炭になってしまう。

 しかし、そんなラミアス少佐の言葉に、エルトリウム副長は、

「いえ、そのことですが、現在こちらではモビルスーツや、バルキリーを降下させる案も検討していたのです。モビルスーツやバルキリーならば、ガンバスターやシズラー黒が盾となれば、降下も可能ではないか、と」

 そう、予想外の案を提示するのだった。

 なるほど、確かに全高200メートルのガンバスターならば、全高20メートルに満たないモビルスーツやバルキリーをすっぽりと隠すことも可能かも知れない。もちろん、この案ならば、特機でありながら全高が20メートルに満たない光竜や闇竜でも火星に降り立つことが可能だ。

 とはいえ、これはあくまで現状のまま、ガンバスターやシズラー黒を主力して、そのサポートとして戦力をいくつから付随させるという案である。現在、哨戒任務や資源切り出し部隊の護衛についている機体をごっそり引き抜くわけにはいかない。

「そういうわけだ。こちらに回せる戦力はないかね?」

 タシロ提督の言葉に、各艦長達は視線を中に這わせながら考える。

 やがて、最初に口を開いたのは、バトル7のマックス艦長だった。

「そうですね、こちらも順調に戦力が戻ってきているので、バルキリーの1機ぐらいならば、回せると思います。木崎中尉はミリア市長とペアで哨戒任務のローテーションに入っていますので、出すとすればスカル小隊の柿崎少尉になりますが」

 続いて、発言したのは、今日はこれまでこれといった発言をしていなかった、エターナル艦長のラクス・クラインであった。

『現状では宇宙空間での戦闘の可能性は低いようです。現在3機の護衛をつけていただいておりますが、2機でも問題はないのではないと思われます。キース少尉をそちらに回すことは可能です」

 二人の艦長の言葉に、提案したタシロ提督自身もふと思いつく。

 そう言えば、ガンダムZZが復帰するのであれば、ジュドー・アーシタが現在乗っている量産型νガンダムが浮くことになる。あれは、以前は先行分艦隊のケーラ・スゥ中尉が乗っていた機体のはず。あの量産型νガンダムを地上に降ろし、代わりに彼女が現在乗っているジェガンをこちらに戻してもらえば、どうだろうか?

 本隊に残っているモビルスーツの乗りで、最もジェガンに慣れ親しんでいるのは、やはりカツ・コバヤシだろう。

 思いついたタシロ提督は、すぐさまそう提案してみた。

『ええ、確かにその三機であれば、その割り振りが一番適しているでしょう』

 タシロ提督の提案に、ラー・カイラムのブライト艦長も同意を示す。

「そうなると、カツ君のジェガンは自由になる戦力ということだな」

 タシロ提督は満足げに頷く。これで合計、三機のモビルスーツとバルキリーがそろった。

 柿崎中尉のVF-1バルキリー。

 チャック・キース少尉のジムキャノンⅡ。

 そして、カツ・コバヤシのジェガン。

 この三機が、ガンバスターやガイキングと共に地上に降りる。

「…………」

「…………」

「…………」

 艦長達は一斉に、その光景を想像した。そして、次の瞬間、

「やめよう」

『止めましょう』

『私は反対です』

「あたら、若い命を異世界の空で散らせるのは、忍びないですかな」

「このような犬死に任務、彼らに失礼だ」

 声を揃えて、その提案を却下したのであった。

 言い出しっぺのはずのタシロ提督や副長でさえ、反対する気配も見せない。

 この場には、超能力者も念動力者もいないはずなのだが、なぜか全員極めて明確なビジョンとして、「作戦失敗」を思い描いたのであった。

 不思議なものである。確かに今名前の挙がった三名は、αナンバーズの中では比較的下位に位置するパイロット達である。

 だが、それはあくまでαナンバーズの基準であり、皆歴戦の戦士であることは疑いない。柿崎などは、半ば伝説と化しているスカル小隊の一員だ。

 それでも、なぜか、この三人を一緒に特殊任務に向かわせるとなると、惨たらしい結末しか思い描けない。

「では、火星ハイヴ間引き作戦は、これまで通りガンバスター、シズラー黒、ガイキング、マジンガーZの4機でやってもらうということでよいですかな?」

「うむ」

『異議無し』

『それが、現状では最善だと思います』

 エキセドル参謀の言葉に、皆早めにこの話題を切ろうとするかのように、次々と賛同の意を示す。

 その流れに乗るようにして、エルトリウム副長は、別な話題を振る。

「そういえば、最初の火星ハイヴ間引き作戦でガンバスターが確保してきた反応炉を欠片ですが、研究部の一時報告が上がりました」

『ほう、それで何か分かりましたか?』

 ブライトのその声は、決して話題を逸らそうとしているだけではない。この世界でもハイヴ反応炉の研究はほとんど進んでいないのだ。その研究成果には当然、高い価値がある。

「はい。彼らが言うには、反応炉の作りは単なるエネルギー源と考えるには複雑すぎる、とのことです。やはり、この世界の科学者の推測にもあったように、ハイヴ間の『通信施設』としての能力も有しているのではないか、と言っています」

 それは、前から言われていたことでもある。地球上でもBETAは、間違いなく情報のやりとりをしている。一つのハイヴで使用した作戦は、必ず短時間の内に地球上の全てのハイヴで対応されてしまうというのが、何よりの証拠だろう。

 では、BETAはどうやって情報をやりとりしているのか?

 全てのBETAが思念波のようなもので会話を交わしているという説と並び、有力な説とされていたのがこの反応炉が『通信施設』も兼任している、と言う説である。

 エルトリウムの研究部の発表は、その説を裏付けるものであった。

「現状では、はっきりとは言えませんが、その通信手段は、音や光、電磁波といったものではなく、念動力者や超能力者の思念波に近いものではないか、と彼らは言っています」

「では、念動力者、イルイやリュウセイ・ダテなどならば、その通信を盗聴できると?」

 少々気の早いマックス艦長問いに、エルトリウム副長は首を横に振ると、

「流石にそれは、無理でしょう。少なくとも『盗聴』まで可能となると、最低でも十年単位の研究が必要だと思われます。ただし、ハイヴの通信手段が思念波であると分かれば、ハイヴ間の通信の『妨害』は出来るようになるのではないか、と言っています」

 そう、言うのだった。

 無論、それだって一朝一夕で出来るモノではないだろう。もしかすると、反応炉の解析を済ませるより、αナンバーズが太陽系に存在する全てのハイヴを攻略する方が先かもしれない。

 だが、無駄足の可能性があるからといって、役に立つかも知れない研究を途中で止めることはない。

「分かった。そのまま研究を続行させてくれ」

「了解です」

 タシロ提督の指示に、副長が諾の返答を返す。

 この件はこれで、終わった。

 話は次の議題にうつる。

『では、この世界の政府の対応ですが、エルトリウムに代表を招く用意があるという話をしたところ、希望者が殺到しています。現在、香月博士が対応して、人数を絞り込んでくれていますが、どうやっても間違いなく、エターナルに乗りきる数には収まらないでしょう』

 全権特使して、夕呼から話を聞いている大河は少し笑いながら、そう言った。

 現在、横浜基地の夕呼の元には、世界中のあらゆる国家、組織から、エルトリウム行きに同乗させろという話が来ていた。

 アメリカ、日本、オーストラリアといった国々はもちろん、EUの代表が来ることがすでに決まっているのに、EU加盟国のはずのイタリアやフランスは独自の代表を建てようとしているし、イギリスに至ってはイギリス代表の他に、イングランド、スコットランド、ウェールズが別個の人員を送り込もうとしている始末だ。

 もちろんそれは、統一中華戦線やアフリカ連合も例外ではない。

 もし、希望者全てを認めれば、第二次世界大戦以前のオリンピックの出場者より多くなるのでは、と思うほどだ。

「では、やはり、バトル7を向かわせるしかないでしょう」

 他に選択肢がない事を理解しているバトル7のマックス艦長は、静かな声でそう言う。

 全長1キロを超えるバトル7は、戦闘艦のため、大きさほどの収容人数はないが、それでも全長200メートル程度のエターナルと比べれば雲泥だ。

 エルトリウム自体を地球に向かわせるのでない限り、他に選択肢はない。

『しかし、そうなるとエキセドル参謀は』

 そう懸念事項を口にしたのは、ラミアス少佐だ。

 エキセドル参謀は、αナンバーズの中で唯一のマイクローン化していないゼントラーディ(巨人族)である。ゼントラーディの中では特別小柄な部類に入るエキセドル参謀であるが、それでもゆうに7,8メートルはある。いきなりこの世界の人類の前に姿を現すには、少々インパクトが強すぎる。

「確かにまずいですな。では、私はエルトリウムで留守番をしておりましょうかな」

「そうだな、悪いがそうしてくれ」

 いつも通り独特の口調でそう言うエキセドル参謀に、マックス艦長は少しすまなそうに肩をすくめた。

 いずれは、対面しなければならないにしても、タイミングというものがある。エルトリウム内でならば、ゲストがどれだけ大騒ぎしてもこちらで納めることが出来るが、地球上で下手な騒ぎを起こせば、致命的な排斥運動を引き起こしかねない。

『では、あとは地球に作る補給基地の予定ですが』

「はい、ジェガンの製造ラインは完全に分解し、いつでも搬入可能になっています。それ以外の補給物資の製造ラインは、複製の最中で、現在全体の23パーセントが終了しています」

 話を振ったブライトに、エルトリウム副長がそう端的に結論だけ答えた。ジェガンの製造ラインには、ジェガン用のビームサーベル、ビームライフルの製造ラインも含まれている。

 ジェガンの地上製造ラインが完成すれば、補給に関してはかなり楽になるだろう。モビルスーツの武器は、一部の特殊なものを除けば、互換性があるのだ。そう考えて、ふとブライトは昼間、夕呼との会話で出てきた話を思い出した。

『そういえば、我々がこの世界の国々に提供を決定したビーム兵器のことですが、どうやら各国はそれをめぐり、色々と動きを見せているようです』

 そう言うブライトの口調が、少々ため息混じりになるのも仕方がないことだろう。

 ソビエト連邦という国が、「我々は国ではなく複数国家による共同体だ」と主張していると言う話を聞いたときは、ちょっとめまいがしたものだ。

 この程度のへりくつ、強弁は、外交の世界では日常茶飯事なのだが、一介の艦長に過ぎないブライトには魑魅魍魎の騙しあい、腹の探り合いにしか思えない。

 疲れたような表情のブライトを気づかうように大河は笑うと、後の説明を引き受ける。

『岩国基地で製造される初期ロットはすでに、日本帝国に提供することが決まっているのですが、香月博士の方から、その次はアメリカを優先した方が良いのではないか、というアドバイスをいただきました』

 好き嫌いを別にして、この世界ではアメリカが絶対的盟主と言えるくらいの影響力を持っているのは紛れもない事実。つなぎを作っておいて悪いことはない。

 そう言う夕呼の提案は、どこか裏を感じさせるものであったが、言っている内容自体は特におかしなものではない。

 どのみちこの世界の人類にミノフスキー工学に基づく技術を伝えるつもりならば、技術力、生産力共に世界一のアメリカにそれを渡すのは、理にかなっている。

「そうだな。その辺が妥当だろう。そこから後は、どこまでの『自称国家』を国と認め、どのような順で贈与するか、検討しなければならんだろうが」

 頭が痛いことだ、といって眉をしかめるタシロ提督の表情は、実際頭痛を堪えているような渋いものであった。

「他に、なにか議題や報告事項はありますか?」

 そろそろ纏めに入ったのだろう。そう言うエルトリウム副長の言葉を受け、発言許可を求めたのは予想外の人物だった。

『ちょっとよろしいですかね?』

「む、なにかね、バルトフェルド君」

 それは、エターナルの戦闘指揮者である、アンドリュー・バルトフェルドであった。

 エターナルの事実上の艦長とも言うべき、この片眼片腕片足の戦士は、今までこのフォールド通信会議で積極的な発言をしたことがない。

 それは、地球・小惑星帯の物資補給を担当しているエターナルに今日までこれといった問題が生じていなかったからでもある。

 その彼の発言に、他の艦長達は口を閉ざし、注目した。エターナル艦長のラクスも少し驚いた表情で斜め後ろを振る帰っているところをみると、彼女にとってもバルトフェルドの発言は予想外のものだったのだろう。

 バルトフェルドは、居並ぶ艦長達の視線を一心に受けながら、特に緊張するでもなく、飄々とした表情を崩さないまま口を開く。

『エターナルの護衛役を変更することは出来ませんかね? フラガ大尉達も決して口にはしませんが、疲労が溜まっています。一度、地球かエルトリウムでリフレッシュさせてやって欲しいのですが』

 バルトフェルドの提案に、ブライト達は「あっ」と息を呑んだ。

 確かに、地上に降りている先行分艦隊や、エルトリウムの艦内都市でストレス発散の出来る本隊の人間と違い、エターナルの人間は、狭い艦内で一月ちかい時間を過ごしてきたのだ。

 特に、その半分近くを戦闘待機状態で過ごしてきた機動兵器パイロット達の精神的疲労はかなりものだろう。

「そうだな。確かに、このままではエターナルの負担が大きい」

 タシロ提督は、目から鱗が落ちたように、何度も頷いた。

 実のところ、実戦に出る可能性が一番低いのもエターナルなのだが、それはこの場合関係ない。休息時間にストレス解消をする場がないことが問題なのだ。

 ラー・カイラムのブライトもすぐに賛同の意を示す。

「それならば、ウラキ少尉とキース少尉を地上に降ろし、フラガ大尉はエルトリウムに帰還。エターナルには新たにこちらから、ベイト中尉、モンシア中尉、アデル中尉の三名を上げるというのはどうでしょうか」

 ウラキとキースは元々モンシア達と同じく、バニング大尉の部下である。どうせならば、バニングの下に置いた方が彼らも動きやすいだろう。

 ムウ・ラ・フラガ大尉は、モビルスーツの空きがないため、機体は宇宙用モビルアーマーのメビウス・ゼロか、大気圏用戦闘機スカイグラスパーのどちらかしかない。バルキリーのように地上でも行動できるのならばともかく、飛行形態しかとれない機体をレーザー属種のいる地上に降ろすのはあまりに危険だ。

「そうですね。どのみち一度、バトル7が地球に向かうのです。その際、エターナルは一度、本隊と合流し、艦の人員にも休息を取らせてはいかがでしょうか」

 マックス艦長の提案に、エターナルの艦長であるラクスは、涼しげな目元を軽く伏せ、頷くのだった。

『そうですね。お言葉に甘えさせていただきます。バルトフェルド様、貴方も地上に降りて、ブライト様達を助けてあげて下さい。エターナルは私だけでも大丈夫ですから』

 予想外の方向に進む話に、バルトフェルドは一つだけの目を驚きに見開く。

『おやおや、僕は首ですか?』

 そんな茶化すようなバルトフェルドの言葉にも、ラクスは動じることなく、

『倉庫のラゴゥを片腕、片足でも操縦可能なように改造を施していたでしょう?』

 そう言って笑うのだった。

 バルトフェルドは大げさに肩をすくめ、情けない顔をする。

『やれやれ、お見通しでしたか』

 オレンジ色で4本足の獣形をした機体『ラゴゥ』は地上戦、中でも足場の悪い砂漠に特化した機体である。宇宙船に積んでおく意味はあまりない。

『ブライト艦長。と言うわけで、僕も混ぜてもらっていいですかね?』

『大歓迎だ。戦場では、前線指揮官としての活躍を期待させてもらう』

『了解ッ』

 ブライトの返答に、バルトフェルドは一瞬だけ真面目な表情を作り、敬礼した。

 バルトフェルドの話が一段落したところを見計らい、今度はバトル7のマックス艦長が口を開く。

「もう一つ、こちらからも提案があるのですが、サウンドフォースを地球に降ろすわけにはいかないでしょうか?」

 こちらも唐突な提案である。

 だが、エルトリウムのタシロ提督や大空魔竜の大文字博士は、マックス艦長に同情するように苦笑を浮かべている。

 それだけで大体の事情を察したブライトは、一応念のために問い返す。

『また、バサラがなにかやらかしましたか?』

 マックス艦長もまた苦笑を浮かべると、

「ええ。と言っても以前と同じなのですが。熱気バサラがまた火星に歌いに行こうしました。今度は間一髪止めることが出来たのですが、おかげですっかり彼は不機嫌になってしまっています」

 まあ、無理もあるまい。歌を歌いに行くのを止められたのだ。熱気バサラにとってそれは、生命活動を止められたに等しい。

 だが、今度ばかりはマックスとしても折れるわけにはいかない。以前と違い、今の火星にはレーザー属種が存在するのだ。いかにバサラが超人的な腕を持つバルキリー乗りとはいえ、火星降下中にレーザー照射を受ければ、ひとたまりもない。

『なるほど、それならば確かに地球上の方がまだ安心かも知れませんね』

 ブライトは頷きながらも、難しい表情を崩さなかった。

 確かに、惑星降下中に必ずレーザー照射を喰らう今の火星よりは、地球のBETA戦線の方がまだ危険は少ない。

 しかし、問題は地球には火星と違い、この世界の人類がいるのだ。もちろん、バサラはその歌をBETAだけでなく、この世界の人類にも届けることだろう。「戦争なんてくだらねえぜ! 俺の歌を聴け!」と叫びながら。

『…………』

 ちょっと考えただけでも、凄い事になりそうだ。だが、問題は、放っておけばもっと凄い事になりそうな点である。

『了解しました。サウンドフォースはこちらで引き受けます』

「すみません、よろしくお願いします、ブライト艦長」

 諦めたようにそう言うブライトに、マックスは恐縮したように帽子を取り、頭を下げるのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その1
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:38
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その1



【2005年2月1日、日本時間9時02分、小惑星帯、戦艦エルトリウム】

「やだー! ジュドーが行くんなら私も行くっ!」

 戦艦エルトリウムのメインブリッジに近い、パイロット専用食堂にエルピー・プルの我が儘いっぱいの叫び声が響き渡る。

 同じテーブルに座るプルの仲間達――ジュドー・アーシタを筆頭とする通称『シャングリラチルドレン』の面々は、一様に困った顔を浮かべながら、なんとかこの天真爛漫な年少のニュータイプを諫めようとしていた。

『シャングリラチルドレン』とは、その名の通りスペースコロニー『シャングリラ』に住んでいた子供達を中心とした集団である。

 若年層が多いαナンバーズのパイロットの中でも破格に若く、全員が十代の中盤から終盤、最年少のエルピー・プルとプルツーに至っては、まだ十代前盤というちょっと非常識な集団である。

 無論彼らもαナンバーズの例に漏れず、歴戦の戦士であることは間違いない。ジュドー・アーシタ、ビーチャ・オーレグ、モンド・アガケ、イーノ・アッバーブ、エル・ビアンノ、ルー・ルカ、そして、エルピー・プルとプルツー。

 総勢八人の少年少女達は、全員が例外なくニュータイプであり、特に中心人物であるジュドー・アーシタにいたっては、化け物揃いのαナンバーズパイロットの中でもトップエースの一人に数えられている。

 ガンダムZZの専属パイロット『ジュドー・アーシタ』といえば、関係者の間ではちょっとは知られた名前だ。

 ちなみに、モンド・アガケとエル・ビアンノはこの場にいない。両名は数日前に直ったばかりのモビルスーツ、リ・ガズィで現在哨戒任務に就いている。

「やだやだやだー! ジュドーは私と一緒にいるの-!」

 パフェ用の長い銀のスプーンを右手に持ったまま、プルはショートカットの金髪を振り乱し、手足をバタバタさせ全身を使って拒絶の意を示す。

 長テーブルを挟んだ向かいに座るジュドー・アーシタは、プルが誤って倒してしまわないように、中身がまだ半分残っているパフェグラスを左手で押さえながら、妹のようにかわいがっている少女をたしなめる。

「こら、プル。そんな我が儘言わないの。まあ、どうしてもっていうんなら俺のほうからブライトさん達に話してみるけど、その場合はプルのキュベレイMk-Ⅱはこっちに残して、プルツーに使ってもらうことになるぞ」

「私はそれでもいい」

 プルより先にジュドーの言葉にそう素っ気ない口調で答えたのは、プルの右隣に座っているプルと全く同じ外見をした少女――プルツーであった。

 公式にはプルの双子の妹となっているプルツーは、外見上はほとんどプルと見分けがつかない。だが、プルとプルツーを見間違える人間はαナンバーズの関係者には一人もいない。

 いつも天真爛漫に笑ったり怒ったり、コロコロ表情を変える子供そのもののプルに対し、プルツーはほとんど笑わない。ジュドー達と知り合ってから随分と改善されたのだが、それでも非常に取っつきにくく、他者に対し攻撃的な部分を残している。

 ただ、どちらもジュドーのことを兄のように慕っているという点では全く共通している。

「えー? あのキュベレイは私のなのにー」

 ジュドーの妥協案に、プルはプッと頬を膨らませた。

 αナンバーズには『キュベレイ』と名がつくモビルスーツは三機ある。プル専用機である青紫のキュベレイMK-Ⅱ、プルツー専用機の赤いキュベレイMk-Ⅱ、そして白いオリジナルの『キュベレイ』だ。

 そのうち、現在稼働中の機体はプル専用機である青紫のキュベレイMk-Ⅱのみだ。赤いMk-Ⅱと白いオリジナルキュベレイは、先の霊帝ケイサル・エフェス戦で大破しており、復帰の目処は全く立っていない。

「あんたね、我が儘もいい加減にしなさいよ。今はただでさえ動ける機体が少ないんだから、あんたの都合通りに行くわけないでしょう」

 ルー・ルカは呆れようにため息をつき、プルをしかる。まっすぐに伸びた紫色の長髪が印象的な少女――ルーは、ジュドーの仲間達の中では一番大人びて見える。

 それもある意味では当たり前だ。ルーはジュドー達と違い、一定の戦闘訓練を受けた歴とした志願兵である。若干毛色が違うのも当然と言える。

 とはいえ、こうしていつの間にか『シャングリラチルドレン』に溶け込んでいるという事実からも分かるとおり、その実年齢はともかく、精神年齢においては、結局のところジュドー達と大差ない。

「イーッだ。おばさんは黙ってて。これは、私とジュドーの問題なの!」

 目をギュッ瞑り、歯を剥きだしにして「イーッ」と威嚇するプルの態度に、案の定ルーは一瞬にして取り澄ました態度を一変させる。

「だ、誰がおばさんよ! このがきんちょ!」

 ジュドーより三つばかり年上のルーとしては痛いところを突かれたのだろう。三歳という年の差は、ある程度年齢がいったものにとってはどうということはないが、十代にとっては以外と大きい。

 ジュドー達がまだ十代中盤だというのに、ルーだけは来年でついに二十歳を迎えてしまうのだから。

「ま、まあまあ、ルーも落ち着いて。ほら、プルの言うことだから」

 般若のような表情で今にもプルにつかみかかろうとしていたルーを、慌てて隣に座る明るい茶髪の温和しそうな少年――イーノ・アッバーブがルーの腕をつかんだ。

 真面目、温厚、人当たりがよい、と三拍子そろっているイーノは仲間内ではこういった緩衝材的な役割を果たすことが多い。悪ガキ揃いである『シャングリラチルドレン』唯一の良心であり、最も影の薄い人間でもある。

 ジュドーは仲裁に入ってくれたイーノの言葉に乗っかるようにして、慌てて続ける。

「そうだぞ、プル。それにラー・カイラムやアークエンジェルにはパフェはないけど、いいのか?」

 プルと言えばパフェ、パフェと言えばプルというくらいにプルのパフェ好きは有名だ。

 案の定ブルは心外とばかりに大声を上げた。

「えー、うそー!?」

「ほんとだって。それに風呂だって時間制限制なんじゃないか?」

 ジュドー、パフェの次に入浴が好きなプルにとってそれは、決定的とも言える情報であった。

「なんでー? 日本なのにっ」

 思わず、信じられないとばかりにプルが声を上げるのもある意味無理はない。

 この世界の地球の現状を目の当たりにしていないプルにしてみれば、日本と言われて脳裏に思い描くのは元の世界の日本だ。

 あの世界の日本は、異星人、地底人などの襲撃を一身に浴びるある意味不幸なお国柄であったが、同時に世界有数の科学技術研究所や、特殊部隊の基地を複数抱えて問題なく経済が回っているくらいに豊かな地方でもあった。

 機械獣が街で暴れても、戦闘獣がビルを破壊しても、爬虫人が大地を掘り返しても、一週間後には何事もないかのように日常を取り戻している。それが日本という地域だ。

 この世界の日本政府関係者が聞けば「一緒にしないでくれ」と悲鳴を上げそうな感想である。

「どうする、プル? それでもいいなら、一応ブライトさん達に話してみるぜ。ただし、キュベレイMk-Ⅱはプルツーに譲るんだぞ」

「うー……、パフェもお風呂もないのかあ……」

 流石のプルも悩み出す。幾ら大好きなジュドーと一緒にいるためとはいえ、どう考えても生活環境はエルトリウムのほうが遙かに良いのは間違いない。

 どうやらプルの地球行きを断念させることが出来そうだ、とジュドー達が内心胸をなで下ろしていたその時だった。



「やあ、ジュドー達もここだったか。隣、一緒に良いか?」

 思わずジュドーが後ろを振り向く。久しぶりに見る顔に、ジュドーも思わず笑顔を浮かべる。

「ウラキさん。そっか、戻ってたんだ。いいよいいよ、座ってよ」

 それは、三日前エルトリウム内に収納された戦艦エターナル付のパイロット、コウ・ウラキ少尉、チャック・キース少尉、ムウ・ラ・フラガ大尉の三人だった。さらに後ろには、途中で合流したのであろう、キラ・ヤマトとアスラン・ザラの姿も見える。

 コウ、キース、キラの三名は連邦の、アスランはザフトの制服を着込んでいるが、フラガ大尉だけはラフな私服姿だ。

 コウ達五人は、それぞれ手に朝食をのせたトレイを持ったままジュドー達と同じテーブルに座る。

 ここパイロット用食堂は、無料の割りにはメニューが豊富で味も中々な充実した施設だが、流石にウェイターやウェイトレスはいない。原則セルフサービスだ。

「そういえば、ジュドーも地球に降りるんだったよな。エルとモンドはこっちだったか?」

 コウは、強化プラスチック製の器に盛られたコーンサラダの中に角切りのニンジンがポツポツと入っているのを発見し、眉をしかめながらそう話を切り出した。

「ああ。ZZが直ったからね。俺は地球。エルとモンドのリ・ガズィはそのままこっちだね。今も、哨戒任務についている。ウラキさん達は全員、地球だっけ?」

 ジュドーの問いに、首を横に振って答えたのは、ムウ・ラ・フラガ大尉だった。

「いや、俺だけはこっち残りだ。スカイグラスパーで地上に降りるのは危険だそうだからな」

「あー、BETAって確かすげえレーザー撃つんだっけ? それくらいフラガ大尉なら避けられそうな気もするけどなあ」

 以前ブリーフィングで聞いたBETAの情報を思い出しながら、ビーチャ・オーレグは呟いた。

 お調子者で目先の利益に目がないという、ある意味一番わかりやすい「悪ガキ」そのもののビーチャの口調は、間違いなく十歳以上年上の大尉に対する言葉遣いではない。

 とはいえ、この程度で今更αナンバーズの軍人が目くじらを立てるはずもない。

「おいおい、買いかぶりすぎだって。いくら何でもそいつは無理だ。なにせ、BETAは高度1万メートル上空が射程内なんだぜ。アムロ大尉やフォッカー少佐だってたぶん無理だろ」

 そう言ってフラガ大尉は、ベーコンを刺したフォークを右手に持ったまま肩をすくめた。

 BETAの精密きわまるレーザー照射は、通常の遠距離兵器のセオリーである「距離を取った方が被弾率が下がる」という法則が通用しない。逆に、αナンバーズのパイロットならば、至近距離の乱戦であれば対処の方法はある。

 なにせ高度1万メートル上空でいかに神業じみた回避を見せても、地上のレーザー級BETAにとって見れば、それはほんのコンマ数㎜対象の位置が移動しただけに過ぎないのだ。そのコンマ数㎜の微調整の難易度こそが、超長距離攻撃の難しさなのだが、その点をクリアしている光線属種にとっては、遠距離の的ほど当てやすいということになる。

 遙か上空を飛んでいるジェット機に、地上から見上げている人間の「視線を振り切れ」と言っているに等しいと言えば、ある程度この難題が想像できるだろうか。

 いざという時地表に降りられる人型飛行機体や可変機ならばともかく、スカイグラスパーのように空を飛ぶことしかできない機体の使用は危険と言わざるを得ない。

 こればかりは、いかなαナンバーズといえどもどうしようもない。誰にだって出来ることと出来ないことがる。

「まあ、大尉がいれば心強いのは確かだけど、俺達だけでも十分だって。なあ、キラ?」

「え? あ、うん。そうだね。フラガ大尉、僕たちが頑張りますから」

 ジュドーから急に話を振られたキラは、一瞬その茶色の瞳をパチクリとさせた後、口元をほころばせ小さく頷いた。

「そうだな。頼んだぞ。マリューを助けてやってくれ」

 フラガ大尉は全く気負った所のない口調で、戦艦アークエンジェルの女性艦長のファーストネームを口にする。

「うはー、マリューだってっ!」

「ひょっとしてもう、そう言う関係ですか、大尉!」

 ジュドーやビーチャ達がヒューヒューとはやし立てるが、フラガ大尉は照れる様子も見せず、フォークに刺したベーコンを口の中に放り込み、にやりと笑った。

 流石、大人の余裕と言うべきか、場慣れしていると言うべきか、まるではやし立てる声も自分と恋人の関係に対する祝福の音色と言わんばかりの態度だ。

 こうも受け流されるとはやし立ては長く続かない。ジュドーは即座にターゲットをキラの隣に座る、広い額の目立つ黒髪の少年に移す。

「そういえば、向こうにはカガリもいるんだっけ。なあ、アスラン?」

「だ、だからどうしたっ!? これは任務だ。カガリは関係ないだろう」 

 あからさまに慌てるアスランは、危ういとこで拭きだし掛けたコーンポタージュを呑みこみ、スープカップを乱暴にテーブルに戻した。

「ふーん」

「カガリ、かあ」

「あらあら、これはキラと本当の『兄弟』になる日も近いのかしら?」

 真面目でどんな言葉も正面から受け止める不器用者のアスランは、『シャングリラチルドレン』の悪ガキ共から見ればいいおもちゃだ。

「なっ……! なぜ、いきなりそんな話になる!?」

 顔を真っ赤にして、思わず椅子から腰を浮かせかけるアスランを、ジュドー達は楽しそうにニマニマ笑う。

「ア、アスラン、落ち着いて」

 焦ったキラが、横から親友の袖を引き、なんとかアスランの腰を椅子の上に戻した。

「まったく、不謹慎だぞ。これは重要な任務なんだ」

 まるで言い訳するようにそう呟きながら、アスランは顔を耳まで赤く染めながら、視線を自分の朝食トレイに戻す。

 しかし、改めてみるとすでにパンの皿もポタージュのカップもすでに空になっている。

「あはは、悪い悪い。お詫びに飲み物取ってくるよ。ウラキさんもフラガ大尉も、何がいい?」

 流石にからかいすぎたと思ったのか、場の空気をフォローするようにジュドーがそう言って、席を立ったその時だった。

「それでしたら、食後の紅茶などはいかがですかな?」

 いつの間に来ていたのか、黒い燕尾服を隙無く着こなした痩身の老紳士が、左手にティーセットを乗せた盆を持ち、姿勢正しくすぐそばに佇んでいる。

 それは、破嵐万丈の執事、ギャリソン時田だった。

「やった、ギャリソンさんの紅茶だっ」

 ジュドーが笑顔でパチンと指を一つ鳴らす。

 間違ってもグルメと呼ばれる人種ではないジュドーでも、ギャリソンの入れる紅茶が自動販売機で売っている紅茶とは別物であることは分かる。

 まあ、高そうなティーカップや蝶ネクタイを着けた執事にいれてもらうという雰囲気のせいも多少はあるのかも知れないが。

「では、少々お待ちを」

 そう言うと、ギャリソンは熟練の手つきで白い無地のティーカップを人数分並べると、大きなティポットを軽々と片手で持ち、1メートル以上上からカップめがけ湯気の立つ紅い紅茶を注ぐ。

 それだけティーカップとティーポットを離して注いでいるのに、カップの外に一滴の飛沫すら飛ばさないのは見事と言うしかない。

 いつもながらのギャリソンの手際に見とれながら、フラガ大尉は口を開く。

「そう言えば、万丈君は地球だったね。いいんですか、ミスタ・ギャリソンは同行しなくて」

 ギャリソンは、紅茶を注ぐ手を全く止めないまま、綺麗に揃えられた口ひげの下でにっこりと微笑む。

「そうですな。確かに執事としては、主の側に付き従いたいという願望はございますが、生憎万丈様からはダイターン3の修理を最優先で、と念を押されていますから」

 そう、この万能執事は身の回りの世話や対外交渉のみならず、αナンバーズ有数の巨大特機であるダイターン3の整備すら一手に引き受けているのである。それどころか、その気にならば万丈に代わってダイターン3に乗って戦う事も出来るらしい。

 事『万能』という方向性で言えば、αナンバーズの中でも指折りの一人だろう。

「まだ、かかるんですか? ダイターン3の修理は」

 入れ立ての紅茶の入ったティーカップを「ありがとうございます」と言って受け取ったキラは、そうギャリソンに問いながら、内心考える。

 一体自分のどこが『スーパーコーディネーター』なのだろうか、と。

 自分とこの老執事との年齢差は40歳以上あるだろうが、それでも自分は今後40年でこの老人以上のスキルを身につけられる自信はない。

『スーパーコーディネーター』。それは遺伝子操作によって生み出された、肉体・頭脳両面において最高のポテンシャルを持った超人のことだ。

 自分はその計画の唯一の成功例、らしい。

 以前、ラウ・ル・クルーゼと言う男が言っていた。「知れば誰もが望むだろう。君のようになりたい、と。君のようでありたい、と」そんな呪いの言葉が失笑と共に思い出される。

 あの時は戦闘中ということもあり、思わずムキになって反論したが、後で冷静になって考えると、あの男は錯乱して訳が分からなくなっていたのだと思う。

 まるで『スーパーコーディネーター』キラ・ヤマトが人類の頂点であるかのような台詞だ。たかが遺伝子をちょっと弄ったくらいで頂点を極められるほど、人類という種の底は浅くない。

 確かに自分の能力はあらゆる方向で突出しているという自覚はあるが、同時にどの分野においても第一人者ではないという自覚もある。

 モビルスーツパイロットしては、アムロ・レイやカミーユ・ビダンより下だし、下手をすれば今目の前で紅茶を飲んでいる同い年の少年――ジュドー・アーシタにも負ける可能性がある。

 優れた頭脳を持っている自覚はあるが、ガイキングを作製した大文字博士や、ダンクーガ制作者の葉月博士の論文などは、幾ら読んでも完全に理解することは不可能だった。間違っても自分に特機は作れないし直せない。

 身体能力において常人離れしているのは間違いないが、今後どれだけ鍛えたところで噂に聞く『BF団』や『国際警察機構』の『エキスパート』達の領域にたどり着ける気はしない。というか、指パッチンの衝撃波でモビルスーツを真っ二つにするとか、足の裏から放つ衝撃波でモビルスーツより速く移動するとか、ナチュラルだコーディネーターだと言う以前に、彼らは本当に炭素生命体なのだろうか?

 一番得意なのはコンピュータのプログラミングだが、それだってその筋の第一人者、GGGの猿頭寺耕助や犬吠埼実といった人間と比べると、少なくても現時点では一枚劣るのは間違いない。

 まあ、コーディネーター特有の反射神経と思考速度というアドバンテージがあるので、プログラム書き換えの速度やクラッキングの速度を競えば彼らには勝てるかも知れないが、それも所詮は十本の指でキーボードをカチカチ叩くという原始的なものでしかない。

 エヴォリュダー(超進化人類)獅子王凱のようにコンピュータに手をかざして「はあああ!」と気合いの声を発すれば、アクセスできる人間とでは比較にもならない。

 自分と獅子王凱とでクラッキング合戦をやれば、それこそ『日本刀』に『靴べら』で挑むような悲しい結果が待っていることだろう。

 もちろん、だからといって自分を過小評価しているわけではない。

 逆の言い方をすれば自分は、あらゆる分野で並の一流を凌駕する能力を持っていると言うことなのだから。

 とはいえ、その程度の個人の能力など、αナンバーズの中では特別大きな意味は持たないことも間違いない。

 個人の能力を『脅威』と呼びたければ、せめて宇宙の根源である『アカシックレコード』にアクセスできる『サイコドライバー』イルイ・ガンエデンや、単身生身でゼントラーディ(巨人族)の宇宙艦隊一個艦隊に匹敵するという、『プロトデビルン』のシビルやガビルくらいの力は必要だろう。

 まあ、総合して考えれば、このαナンバーズの中にいる間は、自分は「生まれつきちょっと優秀なただの人」だということだ。

 キラがそんなことを考えている間に、全員の紅茶を注ぎ終えたギャリソンは、お盆を小脇に抱えて背筋を伸ばすと、にっこりと笑い先ほどのキラの質問に答える。

「ええ。現在ダイターン3は塗装の二度塗りの真っ最中でして。この後、ワックスの二度がけをすませ、最後にエアーブラシでのクリーニングがございますから、もそっと時間がかかります」

 しばらく考え、ギャリソンの言葉の意味を理解したチャック・キースが手に持つ紅茶の湯気で眼鏡を曇らせながら、素っ頓狂な声を上げる。

「ええと、つまり、機体自体はすでに出られる状態だってことですか?」

 残っている作業が塗装とワックスがけとクリーニングだというのなら、確かにそういうことになる。

 だが、老執事はさも心外そうに首を横に振ると、

「いえいえ、とんでもない。ワックスがけもすんでいないダイターン3を戦場に出すなど。そのような暴挙、例え天が許してもこの万丈様の執事、ギャリソン・時田が許しません」

 そうきっぱりと言い切るのだった。









【2005年2月2日、日本時間8時55分、小惑星帯、戦艦エルトリウム・戦艦バトル7ドッキングエリア】

 翌日、全ての準備を済ませたバトル7は、地球出発を直前に控え、ドッキングエリアで旅立つ者と残る者が最後の別れを惜しんでいた。

 今回地球に降ろすことが決まった戦闘用機動兵器は全部で6機。ガンダムZZ、ガンダム・ステイメン、ジムキャノンⅡ、フリーダムガンダム、ジャスティスガンダム、量産型νガンダムの6機だ。

 パイロットはそれぞれ、ジュドー・アーシタ、コウ・ウラキ少尉、チャック・キース少尉、キラ・ヤマト、アスラン・ザラ、となっており、量産型νガンダムはすでに地上にいるケーラ・スゥ中尉が乗り、代わりに彼女が現在乗っているジェガンをこちらに戻し、カツ・コバヤシが使う算段になっている。

 他にもスカル小隊のVF-1バルキリー3機もバトル7に搭載されているが、こちらはあくまでバトル7の護衛だ。バトル7が戻る際に、一緒に戻る予定となっている。

 しかし、それら通常兵器とは別枠の機体が今回は3機ばかり存在する。

 サウンドフォースの使う三機のバルキリーである。

「ラブロック君。頼んだぞ、くれぐれも頼んだぞ」

「は、はあ。微力を尽くします」

 わざわざこのドッキングエリアまでやってきて、すがりつくようにして自分の手をつかむタシロ提督に、特殊部隊サウンドフォース責任者兼、バンドファイアボンバーのリーダーであるレイ・ラブロックは、その褐色の額に若干の冷や汗を流しながら、曖昧な返答を返すのだった。

 タシロ提督が自分に何を頼んでいるのかは分かる。彼が何を心配しているのかも、痛いほど分かる。しかし、彼の頼みは安請け合いするにはあまりに難易度の高いものだった。

 タシロ提督は、やっとレイの手を離すと、今度はその視線をレイの後ろに立っている丸いサングラスを掛け、右肩からアコースティックギターを掛けた男に向ける。

「バサラ君。今更君にどうこう言うつもりはない」 

「……ああ」

 話を向けられた男――熱気バサラは一応顔はタシロ提督の方に向けながら、あからさまに興味なさそうな口調でそう答える。

「無茶をするなとは言わん。自重しろとも言わん。ただ、その……なんだ。せめて、起こす騒動は、こちらが全身全霊を込めればどうにか納められる範囲に止めてくれると、非常にありがたいのだが……」

「大丈夫だ、俺はどこでも歌うだけだっ」

 不敵な笑みを浮かべるカリスマロックヴォーカリストの返答に、歴戦の提督はその場に膝を落としそうな脱力感にかられた。

 その「どこでも」、が問題なのだ。熱気バサラの「どこでも」と世間一般の「どこでも」の間には埋めがたい深くて広い溝がある。

「とにかく、歌うのはかまわんが、行動はαナンバーズの皆と一緒だぞ、いいな。一人でユーラシア大陸に向かったり、月に上がったりはしないでくれたまえ」

 それでもどうにか力の抜ける両膝を叱咤しながらそう言うタシロ提督の発言に、バサラは何か意表を突かれたように、一瞬惚けた顔をした。そして、次の瞬間、満面の笑みを浮かべると、

「そうか……そうだな。月にもあいつ等はいるんだった。忘れてたぜ、サンキュ!」

 テンションが上がっていたのか、右拳と左掌をバチンと鳴り合わせる。

 悪いことに熱気バサラのVF-19改ファイアバルキリーには、単独での地球重力圏離脱、再突入能力がある。小惑星帯から火星に行くのと比べれば、月と地球の距離などすぐそこ、とすら言えるのだ。

「…………」

 もう、タシロ提督は言葉もないようだった。

「バサラ行く、私も行く。アー」

 そう言って、独特な形をしたえんじ色のタイトなワンピースドレスを着た少女が、地上三〇センチばかりを浮遊し、バサラにすーっと近づいてくる。

「おお、いいぜ、シビル。一緒に歌おうぜ」

「うん、バサラ、歌う。アー♪」

 バサラと並ぶもう一人の問題人物、プロトデビルンであるシビルの登場に、再びタシロ提督は大声を張り上げる。

「シビル君! 空を飛ばないでくれと言っただろう、聞いてなかったのかね!?」

 だが、そんな色々ギリギリなタシロ提督の怒声に、シビルは不思議そうに首をかしげるのだった。

「飛んでない。浮いてるだけ」

「浮くのも駄目だ!」

 どうやら彼女の中では、飛ぶのと浮くのには明確な違いがあるようだった。無論、それは1G下では二足歩行以外の移動手段を持たないタシロ提督にはとうてい理解できる代物ではない。

 長く尖っている耳を隠すため服と色を合わせたえんじ色のニット帽をプレゼントしたところ、結構気に入ったのかニット帽自体は今もかぶっているのだが、生憎耳はピンと帽子の外に出している。

 まあ、どのみち永遠に隠しきれる問題ではないのだから、遅いか早いかだけの違いなのかも知れない。少なくともタシロ提督には、今更のこの場でそのことについて注意するだけの元気は残されていなかった。

(後は、ブライト君達に託そう)

 心の中で今後の責任を先行分艦隊に押しつけて、どうにかタシロ提督が精神の均衡を取り戻している間に、出航の時間は来ていた。

『それでは、タシロ提督。後はよろしくお願いします』

 近くの通信パネルに、バトル7艦長マクシミリアン・ジーナス大佐の顔が映る。

 いつも通り、白い軍帽をかぶり、色の薄いサングラスを掛けた50歳過ぎの優男が敬礼するのに合わせ、タシロ提督も敬礼を返す。

「うむ、そちらも頼んだぞ。どうか、ゲストの方々に粗相の無いようにな」

『はっ。微力を尽くします』

 バトル7が次に戻ってくるときは、この世界の代表団がこちらにやってくるときだ。

 横浜の香月博士が色々と頑張ってくれたようだが、それでも最終的にあちらの代表団は三百人を超える人数となっている。いかに全長1キロの巨大艦とはいえ、バトル7は本来純粋な軍艦だ。

 三百人からのゲストに快適な宇宙の旅を約束するのは不可能に近い。

「健闘を祈る」

 タシロ提督はそう言ってバトル7を地球に送り出すのだった。










【2005年2月2日、時間18時01分、横浜基地、戦術機シミュレータルーム】

 ライトブルーの国連カラーに塗られた戦術機『不知火』が廃ビルの隙間から姿を現す。

「このっ!」

 すかさず武も応戦する。武の機体も同じ『不知火』だ。国連カラーの不知火同士の一騎打ち。

 現実にはありえない、ありえて欲しくない対決が起こるのもシミュレータならではだ。

『同キャラ対決』。頭の片隅でそんな言葉を思い出しながら、武は自機を動かし、廃ビルの間から見える敵影に銃口を向け、トリガーを引き絞る。

 だが、武の不知火が放った36㎜弾は、元からボロボロだった廃ビルに弾痕を刻み込んだだけだった。

 次の瞬間、廃ビルを迂回するようにして、敵機は右メインアームに持つ87式突撃砲からフルオートで36㎜弾をばらまきながら、こちらに突っ込んでくる。

「まずっ!?」

 とっさに武は機体を垂直に上昇させ、敵弾をかわす。この世界のセオリーを無視する、上空への退避。しかし、それと同時に敵機の両肩に備え付けられたミサイルランチャーが起動する。

「げっ、先読み先行入力!?」

 どう考えても、こちらが跳び上がったのを見てから入力していたのではあり得ないタイミングだ。36㎜弾を撃っている間に、ミサイルランチャーの発射を先行入力していたと言うことだ。

 そう言えば先日のシミュレーションで武が似たような戦法を見せた事を脳裏の片隅に思い出す。

「くそっ!」

 間に合うか、半ば思考を放棄して反射神経だけで操作する。動かすのは背面可動式トラックに収納してある予備の87式突撃砲だ。

 武機は空中でオーバーヘッドキックをするように機体を折り曲げながら、背中の銃口を敵機に向け、フルオートで36㎜弾をばらまいた。

 とっさの判断は確かに武自身の功績だが、その結果は明らかにただの偶然だろう。

 『ッ!?』

 めくら撃ちで放たれた36㎜弾の一発が、発射寸前のミサイルランチャーを直撃し、誘爆に巻き込まれた敵機は連鎖する爆発に巻き込まれたのだった。


 状況終了。


「ふぃいい……」

 網膜ディスプレイに移るその文字を見て、辛うじて勝ちを拾ったことを理解した武は、肺の中の空気を全てはき出すようなため息をつくと、シミュレータマシンの中で、突っ伏すのだった。





「ご苦労だったな、白銀少尉。まだ、勝たせてもらえないか」

「あ、神宮司ぐ……少佐。ありがとうございます」

 シミュレータマシンから出てきた武をねぎらいの言葉で迎えたのは、グラマラスなボディラインも露わな漆黒の衛士強化装備姿の神宮司まりも少佐であった。

 両手に一本ずつドリンクの入ったボトルを持ち、右に持つ方を武にさし出す。

 武は、素直にそれを受け取ると、ボトルから飛び出している曲がったストローに口をつけ、柔らかいボトルの腹を握りつぶすようにして一気に中身を飲み干した。

 同時に収まっていた汗が再び全身から吹き出すのが感じられる。首から下の汗は全てその身に纏っている99式衛士強化装備が処理してくれるが、顔や頭皮から吹き出す汗が不快に頬や首筋を伝わる。

 武は犬のように首を振り、顔や髪の汗を飛ばしながら、何故今こうして、三つも階級が上の元教官に『指導する』はめになったのかを思い出していた。




 三日前、佐官用の再教育を受けるため一時的に部隊を離れた伊隅みちる大尉と入れ替わるようにして横浜基地に戻ってきたまりもを、武達ヴァルキリーズの面々が、驚きと喜びをもって迎えたのは今更言うまでもあるまい。

 まりもならば、能力的にも人格的にも何ら問題はない。

 みちるの出向を聞いたとき、今後三ヶ月は自分が部隊を預かるのだと思い、すっかり緊張していた速瀬水月中尉など、まりもの登場にあからさまに喜びすぎ、さっそくまりもの雷を喰らっていたほどだ。

 だが、そんなまりもにも何の問題もないわけではない。

 どれほどまりもが歴戦の衛士だとしても、昨日までアメリカ製の戦術機に乗っていたのだ。

 F-4撃震やF-15J陽炎ならばともかく、現在ヴァルキリーズで使っている『不知火』の搭乗経験は無いに等しい。

 武が開発した新OS『XM3』については、全くの無経験だ。

 最近取り入れはじめたαナンバーズ印の新兵器、ビーム兵装にいたっては存在自体ろくに知らなかった。

 つまり、現状のまま実戦に出すには、まりもは現在のヴァルキリーズの装備に対する熟練度が大幅に足りていないのだ。

 足りないものは補わなければならない。結局、XM3の提案者ということもあり、武がまりもの教導役とあいなったのである。

「しかし、なんだ。シミュレーションとはいえ、こうして「教え子に教わる」と言うのも奇妙に感慨深いものだな」

 まりもは自分もドリンクを飲みながら、薄く笑いそう言う。

「はは、俺もです。でも、流石ですね、神宮司少佐は。まさか三日でここまで覚えるとは思えませんでした。ベテランの人ほどXM3の対応に時間がかかるんですけどね」

 それは、伊隅ヴァルキリーズの面々が使ったときでも明らかだった。みちるや水月のような熟練の衛士より、千鶴や茜のような若輩衛士のほうが、明らかにXM3への対応は早かった。

「ほほう、つまりお前は、年寄りは物覚えが悪い、と言いたいのか?」

 そんな武の言葉を受けて、まりもは珍しく人の悪い笑みを浮かべてそんな追求をしてくる。

「ち、違いますよ、ただ、旧OSに慣れすぎている人は、その癖が抜けないって……」

 慌ててバタバタ両手を振る武に、まりもは拭きだしたように笑うと、

「ははは、すまない。冗談だ。少し、高揚して悪のりが過ぎたようだ。今回は、お前にも勝てそうだったからな」

 そう言って、慰めるように武の肩をポンと叩いた。

「少佐ならすぐですよ」

 ホッとした表情でそう答える武の言葉は嘘ではない。というよりも、現状でも実戦ならばまず間違いなく、まりものほうが自分より上だと思っている。

 この三日、まりもは明らかに『不知火』と『XM3』に慣れる事を優先して機体を動かしていた。

 普通ならばもっと余裕を持って避けられるタイミングをあえて見逃しギリギリで避けたり、まだたどたどしい先行入力やキャンセルを多用したり。そういったことを一切行わず、XM3をただ単に「反応速度の上昇した旧OS」として使っていれば、下手をすれば武は初日から落とされていた可能性すらある。

 そんなことはおくびにも出さず、この時間中は部下であり元生徒でもある武をちゃんと「XM3の扱いにおける先任」として接するところに、神宮司まりもの人格が見て取れる。

「そうだな。少なくとも実戦までに一本取っておかなければ上官として示しがつかん」

 しかも、この後にはビーム兵器使用プログラムの慣熟も待っているのだ。

 現状では、そちらは夕呼の指示の元、水月が中心となって進めているが、出来るだけこちらを早めに終わらせて向こうに合流した方が良いのは言うまでもない。

「…………」

 まりもがそんなことを考えていると、やっと息が整った武が何かを待っているような顔で、ソワソワとこちらの顔色をうかがっている。

 ピンときたまりもはふと網膜ディスプレイの時計に目を向けた。すでに18時半を過ぎている。そろそろ夕食が始まる時間だ。

 この辺が、部下が教官で上司が生徒という関係の難しいところだ。

「そうだな、白銀少尉。今日の訓練は、この辺で終了するのが適当だと思うが」

 まりもは、内心苦笑しながら助け船を出してやる。本来のカリキュラムでは訓練は18時半までなのだが、教官でありながら部下である武にはそれを言い出す権限がない。

「はっ。それでは本日の訓練はこれまでとします。礼っ!」

 案の定武は、敬礼もそこそこにシミュレータ室から飛び出していった。

「まったく、あの子は。礼儀に関しては再教育が必要かしらね」

 飛び出していく教え子の背中を見ながら、緊張の解けたまりもは素の口調でそう苦笑を漏らす。

 その柔らかな視線と暖かみのある口調を武が目の当たりにしていれば言ったことだろう。「神宮司少佐」じゃなくて「まりもちゃん」がここにいる、と。

 最近、αナンバーズが基地の食堂に定期的に嗜好品を降ろすようになってきている。

 天然物のビーフジャーキーやピーナッツ、本物のインスタントコーヒーやティパックの紅茶、さらにはチョコレートやソフトクリームなど。

 当然それらの人気はすさまじく、インスタントコーヒー1瓶と交換で、夜間哨戒任務を代わってやった不届き者まで出て、基地の司令部では問題視されているほどだ。

 確か、武はこの間、あの「社霞」という銀髪の少女に、「今度霞にもソフトクリーム持ってきてやるからな」と言っていたはずだ。

「らしいと言えばらしいのかしらね」

 もう一度笑ったまりもも、その場から歩き出す。生憎まりもの予定はこれで終わりではない。

 すぐに着替えて、地下19階の夕呼のところに行かなければならないのだ。

 数年ぶりにあった親友は、良い意味でも悪い意味でもどこも変わっていなかった。

「今度は、どんな無理難題を言ってくるのやら」

 ため息混じりの口調とは裏腹に、その足取りは軽やかなものだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その2
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:40
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その2



【2005年2月5日、13時02分、国連軍横浜基地】

「バトル7着水。各部異常なし」

「航行機構、大気圏内モードに移行」

「艦内重力制御装置停止させます」

 太平洋と呼ばれる大海原に、バトル7が着水する。

 全長1500メートルという規格外の巨大戦艦が大気圏外から着水したにしては、異常なほど水しぶきが上がらないのは、優れた重力・慣性制御のたまものだ。

「よし、各部損傷を確認。問題がなければこのまま微速前進。横浜基地を目指す」

「了解っ」

 各オペレーターから入る順調な報告聞き、バトル7艦長、マクシミリアン・ジーナス大佐――通称マックスは頷いた。

 重力制御装置がオフになった艦橋に正しく地球の重力が働く。バトル7の艦内重力制御は完璧だ。よって理論的には何ら代わらない1Gのはずなのだが、マックスはそれがどこか特別懐かしいモノに思える。

 異世界とはいえ、久しぶりの地球の重力だ。モニターに映る大海原と青空を見ていると、艦内にも潮の匂いが届くのではないか、とすら思える。
 
 マックスがそうして感慨にふけっている間に、オペレーターから「各部チェック完了。問題なし」の報告が入る。

 マックスは気合いを入れ直すように、かぶっている軍帽を一度丁寧にかぶり直し、命令を下す。

「よし、微速前進、これより本艦は横浜基地に向かう」

「了解。微速前進、目標、日本列島横浜基地」

 艦長の指示を、若い欧米系の女オペレーター、サリー・S・フォードは復唱する。目元の泣き黒子が特徴的な、銀髪をショートカットにした魅力的な女だ。サリーはその理知的な美貌にマッチした落ち着いた声で、淀みなく艦長の指示を艦の各部へと通達する。

 バトル7はゆっくりと海面から浮き上がると、静かに西へ向かい移動を始めるのだった。






 程なくしてバトル7は、横浜港に到着した。

 帝国、国連側にはとうの昔に通達が届いている。港には、バトル7を迎え入れるための準備が完全に整えられている。

 道を作るように向かい合い、二列になって並ぶ戦術機。

 その足下に軍服姿で小銃を担ぎ、整列する兵士達。

 そして、港にはαナンバーズ先行分艦隊の艦、ラー・カイラムやアークエンジェルと共に、帝国海軍の艦艇がその勇姿を並べている。

 中でも一際目を引くのが、艦隊の中心に位置する戦艦『紀伊』だ。超大和級とも呼ばれるその戦艦は、その呼び名通りあの大和級すら上回る巨大戦艦である。その全長実に300メートルオーバー。

 もちろん、全長1500メートルのバトル7とは比べるべくも無いが、こちらは宇宙を旅する恒星間航行艦だ。海上戦艦でしかないことを考えれば、その大きさは十分驚嘆に値する。現にこの世界ではこれ以上の巨艦と言えば、アメリカ海軍の原子力空母くらいしか存在しない。

 その戦艦『紀伊』がバトル7の入港に合わせ、砲塔を上空高くに向け、轟音と共に空砲を撃ち放つ。数秒の時間を空けてもう一発。空砲は、一分以上の時間を掛けて、合計二十一発連続して打ち鳴らされた。




「帝国海軍所属戦艦『紀伊』より、礼砲二十一発を確認しました」

「国連軍横浜基地から田辺司令の名で電報が届いています。『貴艦ノ入港ヲ歓迎スル』との事です」

「艦長、答砲はいかがしましょう?」

 礼砲を受けたバトル7の中で、クルー達は対応に追われる。責任者であるマックス艦長は、しばし目を閉じて黙考する。

「儀礼上、答砲を行わない訳にはいくまい。しかし、当艦の祝砲は誤解を受ける可能性がある。少々変則だが、電報を先に送れ。内容は『歓迎の意、感謝する。これより、答砲を行う。攻撃の意図はない』といった具合に。細部は任せる」

 マックスはそう命令するのだった。この辺りの配慮は流石と言うべきだろう。こちらがどれだけ礼儀に乗っ取ったつもりでも、文化風習の違いは簡単に誤解と言う名の火種を生む。この世界が異世界であることを忘れてはならない。

「了解しました」

 命令を受けたサリーはすぐに文章を頭の中で推敲し、艦長席に送る。

「艦長、この様な形でよろしいでしょうか?」

 送られてきた文章に目を通したマックスは、1度目を通すとすぐに小さく一つ頷いた。

「よし、問題ない。電報の送信後、本艦はトランスフォーメーションを行う」

『トランスフォーメーション』。マックスの言葉に、艦橋に勤めるクルー達に緊張が走る。

「了解っ、トランスフォーメーション開始」

「各ブロック異常なし」

「反応炉エネルギー充填率35パーセント」

 横浜港の海上で、バトル7はガシャンガシャンと大きな音を立て、変形を始める。上空に浮かぶ巨大戦艦から、腕が生え、足が生え、最後には頭が生え、みるみる間に人型ロボットに変形を遂げる。

 全長1500メートルの戦艦が、全高1000メートルほどのロボットへ。そして、その手には、その超巨大ロボの手にもまだ余るほどの巨砲が握られる。

「マクロスキャノン、礼砲モード。発射用意」

「了解。マクロスキャノン、礼砲モード。発射準備整いました」

 マックス艦長の指示に従い、テキパキと「答砲」の準備が整っていく。本来、マクロスキャノンは発射までのエネルギーチャージが必要なのだが、攻撃力ゼロの『礼砲モード』ならば、その必要もない。

「念のため射線は上空に。地上には向けない方が良いだろう」

「了解。マクロスキャノン射線軸修正」

 巨大ロボに変貌を遂げたバトル7は、主砲「マクロスキャノン」の銃口を斜め四十五度くらいに挙げる。同時に、ザバザバと海水をかき分け、その場で90度立ち位置を回転させ、ちょうど横浜港に左肩を見せる体勢をとる。一応この辺りは戦艦や空母でも腹をこすらないように大きく掘り下げられているはずなのだが、着水したバトル7は膝くらいまでしか水に浸かっていない。

 この位置ならばマクロスキャノンを発射しても、その光線は海岸線と平行して放たれることになる。万が一にも内陸に向かうことはない。

 二重三重に注意を払い、やっとバトル7は「礼砲」を放つ準備が整った。

 マックス艦長はマントのように前の閉じた軍服からスッと右手を出すと、

「よし、マクロスキャノン、礼砲モード、撃て」

 よどみのない動作で振り降ろす。

「了解。マクロスキャノン、発射っ!」

 次の瞬間、マクロキャノンが発射された。文字通り「天を貫く」光の柱。この光の前には、重レーザー級のレーザー照射さえ、か細い線香花火にしか思えない。その太さは、重レーザー級のレーザーを百匹集めても足下にも及ぶまい。

 直視が難しい光の柱は、きっちり21秒間、日本領海の上空を貫いた後、何事もなかったかのように消え去るのだった。






 前代未聞の『答砲』が返ってきた横浜基地は、控えめに言ってもパニックを起こしていた。

「な、なんだありゃ?」

「おい、ちょっと待てっ!?」

「ヒャッハー! こいつぁすげえぜ!」

「何の冗談だ、おいっ!」

「ほ、本当に大丈夫なんだろな!?」

 歓迎式典のため港付近に整列していた軍が、一目で分かるくらいに浮き足立つ。

 流石に訓練を受けた軍人らしく、逃げ出す者はいなかったが、歩兵は皆例外なく一歩、二歩後ろにたじろいでおり、戦術機に乗っている衛士の中には、その手に持っているのが儀礼旗であることも忘れ、剣のように振りかぶっている者もいる。

「騒ぐな、私語は慎め!」

「あれは答砲だ! 攻撃ではない!」

 士官クラスが声を枯らして何とか騒動を収めようとしているが、あまり効果は現れていない。まあ、これは彼らを批難するのも酷というものだろう。訓練通りの行動がとれていないというのならばともかく、訓練の想定外の自体については、一般兵士が責任を持つことではない。

 そんな中、もっとも冷静さを保っていたのは、やはりと言うべきか、ダントツでαナンバーズとのつきあいが深い『伊隅ヴァルキリーズ』の面々だった。

『総員、コントロールレバーから手を離せ。あれは礼砲だ!』

 即座に隊長である神宮司まりも少佐がそう鋭い声で指示を飛ばすが、実のところヴァルキリーズの中で一番動揺しているのはまりもだった。

 まあ、配属したばかりで彼女だけαナンバーズと戦場で轡を並べたことがないのだから、無理はない。一応夕呼からこれまでの戦闘画像はさんざん見せられているし、ブライト・ノア大佐やマリュー・ラミアス少佐といったαナンバーズ先行分艦隊の中枢の人間とは面通しも終わっているが、やはり生の迫力は別物だ。

 しかも、機体のサイズと最大火力に関しては、バトル7はこれまでの機体と比べてもさらに一桁違う。

『了解です、少佐』

『うわ、これはこの間の「たーまーやー」が可愛く見えますね』

 現に戦艦アークエンジェルのローエングリンや、ウィングガンダムゼロのツインバスターライフルを間近で目の当たりにしているはずの速瀬水月中尉や宗像美冴中尉達もある程度の驚きは現している。

「相変わらずすげえな。滅茶苦茶って言葉でもまだ足りない感じだ……」

 それは、白銀武も同様だった。不知火のコックピットで網膜投射ディスプレイに映る「バトル7」に魅入り、惚けたように呟く。

 ひょっとしてあれ一機でハイヴを落とせるのではないだろうか? そんな甘い考えさえ、一瞬頭をよぎる。

「いや、むしろあれだけでかいとレーザー属種の良い的かな」

 それでもすぐに巨大兵器の欠点について思考を巡らせるのは、武も成長したと言えるのかも知れない。この世に万能兵器というモノは存在しない。それは分かっている。

 しかし、どうもαナンバーズの機体を見ていると、比較対象がこの世界の兵器ではなく、元の世界で子供の頃見ていたアニメや特撮映像のヒーロー達になってしまう。はっきり言えば現実味を感じられないのだ。ちょうど、この世界に転移してきた初日に、撃震の残骸を見て興奮したり、横浜基地のクルクルアンテナを見て爆笑したりしていたときの感覚に近い。

(そうだよな。アニメや漫画のヒーローでも、大抵弱点の一つや二つは絶対にあるもんな)

 少々不謹慎ながら、武はそう考えることで、どうにか気を引き締めた。

 スー○ーマンにクリプトナイト鉱石、ウル○ラマンにカラータイマー、ゼン○ーマンにウニ。武が子供の頃、夢中になって「ごっこ遊び」をしていたヒーロー達にも、必ず何らかの形で弱点はあったものだ。

「油断は禁物、だよな」

 楽観的な考えに支配されそうになる自らの思考を引き締めるように、武はそう呟くのだった。





「なんと、これは」

「うむ、壮観ですな」

「早々に驚かせて下さいますな」

 一方、野外式場の来賓席で暖を取りながら談笑していた人々の中には、素の驚きを面に現す者は一人もいなかった。

 アメリカ代表、ジョージ・アップルトン外交官。ソ連代表、ツェーザリ・パンキン外交官。EU代表、シャルル・ペリゴール外交官等々。見た目は中年から初老の落ち着いた紳士ばかりだが、中身は全員、長年政治と外交の世界を渡ってきた、海千山千の狐や狸のたぐいである。

 原則彼らの表情は、感情を表すものではない。怒りも笑いも、そして驚きも、周囲の出方を探るためのカードでしかない。この様な公的な場で素の感情をさらけ出すような修行の足りていない人間は一人もいなかった。

 そうしている内に、「答砲」を終えたバトル7は再び戦艦形態に変形をとげ、ゆっくりと横浜港に接舷を果たす。

 同時に、儀礼用に飾られた三機のVF-1バルキリーが、カタパルトから射出され、戦闘機形態のまま、大空高く舞い上がる。白、赤、黄、それぞれ色違いのスモークをたなびかせ、三機のバルキリーは横浜の大空に絵を描く。

 中央の白いスモークを焚いているのが、ロイ・フォッカー少佐、右翼の赤が一条輝中尉、左翼の黄が柿崎速雄少尉である。

「ほほう、これは見事な」

「航空ショーですか。懐かしい」

「いや、まったく。これこそ、日本帝国がBETAの脅威を退けた証と言えましょうな」

 各国の代表は口々にそう褒め称え、誰ともなくパチパチと拍手を始めた。

 確かに、アメリカやオーストラリアの様な後方国家ならばともかく、前線国家ではこの様な航空ショーは絶対に出来ない。どこからレーザー属種のレーザー照射が来るか分からないからだ。

 そもそも、対BETA戦ではレーザー属種を淘汰しない限り、このような航空戦力は投入できないため、資金、資源に乏しい前線国家は、戦術機や戦車に重きを置き、航空戦力は乏しいというのが現実だ。そう言う意味では、こうして戦闘機が空を飛ぶというのは、ある意味「平和の象徴」と言えるのかも知れない。戦闘機の航空ショーが平和の象徴とは、あまりに皮肉が効いているが。

 そうして、スカル小隊のバルキリー三機は、空にスモークで星やハートを描き終えるとバトロイド形態に変形を遂げ、港に降り立った。

 同時にバトル7のハッチが開き、マクシミリアン・ジーナス大佐を中心としたバトル7のクルー達が横浜基地に降り立つ。

 帝国陸軍音楽隊が、高らかに歓迎の曲を奏でる中、国連軍兵士と帝国軍兵士がつくる列の中を、ゆっくりとマックス達が歩いていく。

 誰が言い出すでもなく、来賓席のお偉方もいつの間にか談笑を辞め、真面目な表情で式典に参加している。

 日本帝国だけでなく、世界各国がαナンバーズと公的に認める為の儀式。

 正しく「異世界交流」の第一歩がここに記されようとしていた。










【2005年2月5日、18時48分、国連軍横浜基地、αナンバーズ特別会議室】

 4時間にわたる式典は、恙なく終了した。

 元々この手の式典というのは事前の根回しが9割で、よほどのハプニングがない限り、定められた筋書きをただなぞっていくだけの代物に過ぎない。そう言った意味では、各国代表団のエルトリウム行きに関する最後の詰めは、これからここで始まろうとしていた。

「では、改めて。国連軍横浜基地所属、香月夕呼です」

「αナンバーズ、後方本隊所属、戦艦バトル7艦長、マクシミリアン・ジーナス大佐です」

「αナンバーズ、シティ7市長、ミリア・ファリーナ・ジーナスです」

 夕呼は、マックス、ミリアと改めて挨拶を交わしていた。

 夕呼サイドには、副官のイリーナ・ピアティフ中尉と、護衛役の神宮司まりも少佐が、マックス・ミリアサイドには、先ほど合流した大河幸太郎全権特使と、ロイ・フォッカー少佐を中心としたスカル小隊の面々が、それぞれ後ろに控えている。

 簡単に自己紹介を終えた面々は、テーブルを挟み向かい合うようにして席に着いた。護衛役の者達は席にはつかず、そのまま椅子の後ろに立つ。

「そう言えば、ファミリーネームが同じですが、ジーナス大佐とジーナス市長は?」

 夕呼の問いに、マックスとミリアは1度目を合わせると、

「ええ」

「夫婦です。ややこしいでしょうから、私のことはミリアで結構です。皆もそう呼んでいますので」

 すました顔でそう答える。

「なるほど、ではミリア市長と呼ばせていただきます」

「はい、それで結構です」

「ハンサムでお人柄も良い旦那なんて、羨ましい限りですわ。ねえ、神宮司少佐?」

 と夕呼は、ちょっと人の悪い笑みを口元に浮かべ、後ろに立つ親友に振り返る。

 突然話を向けられたまりもは、吹き出しそうになるのを辛うじて堪えると、

「ちょっ、香月博士! この様な場で……」

 状況も忘れて素になりかけ、辛うじて取り繕う。

「いえいえ、香月博士や神宮司少佐ほどの御器量でしたら、引く手あまたでしょう」

「あら、ありがとうございます。お世辞でも嬉しいですわ。あ、ミリア市長、ご安心なさって下さい。私、どれだけ魅力的な男性でも、年下は射程外ですので」

「い、いや、私は……」

 重要事項を話し合う前の馬鹿話で場の空気がほぐれていく中、マックス達の後ろに控える護衛役の柿崎中尉が、隣に立つフォッカー少佐の袖を引っ張り小声で話しかけていた。

(少佐。マックスを年下って、あの人ああ見えて50歳超えているってことですかね?)

 マクシミリアン・ジーナス。どう見ても二十代にしか見えない若さを保っているが、実年齢は50歳を優に超えており、妻ミリアとの間には、7人の娘を持つ。そのマックスを年下扱いすると言うことは、彼女もそれくらいの年齢だと言うことなのだろうか?

 まあ、普通に考えればあまりに若々しいマックスを見た目通りの20代と見た、と考えるべきなのだろうが、聞かれたフォッカーには部下の疑問を裏付けるとある情報があった。

(うむ。よくは知らんが、あの香月博士という人物も、掛け値なしの「天才」らしい)

 フォッカーの言葉を聞いた柿崎が驚きでその小さな目を大きく見開く。

(じゃあ、やっぱり!)

(ああ。可能性は高いな)

(すごいですね、天才って)

(まったく、あやかりたいものだ)

「天才」マックスは年を取らない。なぜなら、天才だから。理屈もへったくれもない話だが、αナンバーズの中では事実としてまかり通っている話である。ミリアのように戦闘種族ゼントラーディであるとか、イルイのように最強の念動力者・サイコドライバーである、といった老化を防ぐ論理的な説明がマックスにはないのである。それなのにマックスは年を取らない。

 ならば同じ天才である香月夕呼が年を取らなくてもおかしくはない。いや、むしろそれは、必然と言えるのではないだろうか?

 いつの間にか、スカル小隊の中では『天才香月夕呼、実は60歳説』が定着しつつあった。

 夕呼の預かり知らぬ所でとんでもない誤解が広まっている間に、話は本題に入る。

「もう一度念を押しますが、バトル7は軍艦です。大きさこそ大したものですが、戦闘力を重視しているため、居住性は決して良いものではありません。はっきり言えば本来ゲストの方々を迎え入れるような船ではないのです。その点は重々ご理解願いたい」

「もちろんです。その旨は何度も関係者一同に通達してあります。それでも万が一苦情が出るようでしたら、それは全てこちら側、国連軍横浜基地が引き受けますので」

 念を押すマックスに、夕呼は口元に愛想笑いを浮かべて、そう答えた。その言葉はつまり、今回の各国代表のエルトリウム訪問を関して、地球側の窓口は夕呼が一手に引き受けているという事を意味する。

(なるほど。話に聞いた通り、かなりのやり手のようだ)

 マックスは一瞬隣に座るミリアの方に目をやり、この場にミリアをつれてきたのは失敗だったか、と考えた。

 ミリアは長年シティ7の市長を勤めていたと言う事実からも分かるとおり、政治的な能力はむしろマックスより上なくらいだが、そのやり口がどうにも不器用なのだ。大体の場合、正面から正論を攻撃的にぶつけるというやり方を取る。

 ある意味、大河特使などと同じタイプだが彼ほど重厚な迫力は無く、その代わり彼よりも発言の攻撃色が強い。この場で下手にミリアが正論を吐けば、話がこじれる可能性も十分にある。

 そんなマックスの内心を感じ取ってくれたのだろうか、それまでずっと沈黙を保っていた大河特使が小さく手を挙げ、発言する。

「こちらからも一つ確認させて戴きたい。岩国基地建設の問題ですが、そちらの準備はすでに整っていると言うことでよろしいでしょうか?」

 完全な話題の転換であるが、夕呼にとってもそれは好ましい話だったのか、夕呼は簡単に応じる。

「ええ。帝国側の了承はとれています。では、今回のバトル7に?」

 夕呼に話を振られ、マックスも頷き返す。

「はい。岩国補給基地建築の資材一式を乗せてきました。帝国領内を移動する許可が戴けたなら、すぐに本艦は岩国に向かい、基地建設を始めたいと考えています。元々、エルトリウムで稼働してきた製造ラインをばらして地上で組み直すだけですので、半月もあれば完成するでしょう」

 もっともそれはモビルスーツ『ジェガン』とその補給物資に関する製造ラインだけで、ラー・カイラムやアークエンジェル用の戦艦補修ドックなどの完成はもう少し後になる。

 だがいずれにせよ、ついに、地上で異世界兵器が量産体制に入るのだ。それは夕呼にとっても大きな一歩であった。夕呼が、何にもまして力を入れて取り組んでいる『00ユニット』の製作は、せっかくこの間技術的なボトルネックを突破したのに、今度は製造段階で頓挫している。

 理由は極めて簡単で、G元素がないのである。2001年にオルタネイティヴ4が打ち切られ、オルタネイティヴ5が始まった時点で、夕呼の手元にあったG元素の大部分はアメリカに摂取されていた。

 しかし、現在は帝国にもG元素はある。この間攻略された佐渡島ハイヴのG元素だ。

 以前夕呼は、帝都城に呼び出されたとき、「帝国にαナンバーズの補給基地が出来れば、そこで製造される兵器を帝国の提供するよう話を通してみせる」と豪語した。

 その際の取引条件として、夕呼はαナンバーズの兵器が帝国に渡るタイミングで「帝国のG元素を夕呼の研究用に融通する」という密約を取っていたのである。

 無論、これはαナンバーズの全くあずかり知らぬ事であり、この状況を第三者が公平な目で見れば夕呼のやっていることは「人のふんどしで相撲を取る」以外の何ものでもない。

 αナンバーズには「この世界に補給基地が設けられるよう帝国に話を通します」と言って恩を売り、帝国には「αナンバーズの基地が出来ればその物資を帝国に提供させます」という。

 結果、帝国は、香月夕呼の仲介の元αナンバーズに土地を差し出し、αナンバーズからそこで作られる兵器をもらう。

 一方、αナンバーズも香月夕呼の仲介を受けて、兵器の一部を差し出す代わりに補給基地用の土地をもらう。

 そして、夕呼はどこにも何も差し出さずに、αナンバーズからビーム兵器を、帝国からG元素をせしめる。

 横浜の牝狐、面目躍如といったところだ。まあ、仲介者というのは元来そういうものなのだが、帝国から見れば小憎らしいことこの上ないだろう。むしろ、ごく普通に感謝の意を伝えているαナンバーズの対応の方が、夕呼からすると不気味に感じられる。

「分かりました。では、各国の代表団を乗せてバトル7がエルトリウムに向かうのは、それらの作業が終わってから、ということになりますね?」

「はい、こちらの都合でお待たせするのは心苦しいのですが」

 マックスは申し訳ありませんと頭を下げた。確かに、各国代表を運ぶための船を物資輸送に使うというのは少々問題があるが、αナンバーズとしてもせっかくバトル7を地上に降ろすのなら、便利に使いたいと言うのが本音だった。

 モビルスーツの製造ラインを一本宇宙から地上に運ぶには、エターナルでは何度かに分けて往復する必要がある。それが、バトル7ならば一度ですむ。このチャンスを逃す手はない。

「いえ、そう言うことでしたら、各国の代表も理解を示すと思います」

 笑顔でそう答えながら、夕呼は内心渋い思いでいた。各国の人間は間違いなく怒らない。それどころか大喜びするはずだ。

 なにせ、αナンバーズが岩国基地建設予定地に物資を降ろす間、彼らは合法的にこの横浜基地にいられるのだから。現在横浜基地に滞在している部外者は、各国の代表外交官だけではない。各国からエルトリウムに派遣される予定の科学者、技術者、さらにはそれらの護衛としてきている兵士達。もちろん、護衛の兵士達がただの兵士であるはずもない。

 まず間違いなくしばらくの間は、ここ横浜と岩国は、世界で最もスパイの人口密度が高い地域になるだろう。

(言うまでもないことだけど、念のため帝国側にも警告しておいた方が良さそうね)

 夕呼が笑顔で受け答えしながら、頭の中でそんなことを考えていたその時だった。

 突如、会議室の入り口がノックされる。この会議室があるエリアには、αナンバーズの関係者と伊隅ヴァルキリーズのメンバー以外は立ち入り出来ないようになっているはずなのだが。なにか、異変があったのだろうか?

「どうぞ」

 首をかしげながら、夕呼が入り口に向かいそう声を掛ける。

 ガチャリと若干荒い音を立て、入ってきたのは、αナンバーズ先行分艦隊の機動兵器部隊副隊長、サウス・バニング大尉であった。

「失礼しますっ」

 褐色に焼けたその顔に、隠しきれない焦りの色を滲ませている。

「マックス艦長ッ、着任早々申し訳ありませんっ」

 バニング大尉が大河特使ではなく、自分に話を向ける。しかも、明らかに不測の事態が起きたと言わんばかりの焦りを滲ませて。

 それだけで、「誰」が問題を起こしたのかは理解したマックスは、バニング大尉の焦りが伝染したように顔色を変えると、椅子から腰を浮かせ、尋ねるのだった。

「バサラがどうした、まさかっ!?」

 一瞬最悪の予想が頭をよぎるマックスであったが、幸いにしてそれは即座にバニングが否定してくれた。

「いえ、バルキリーは持ち出していません。ご安心を。ただ、バサラがいきなり、PXで「ゲリラライブ」を始めまして」

「なんだ、そんなことか」不謹慎ながら、マックスの今の心境はその一言であった。基地内で歌うぐらいなら、何の問題もない。

 いや、冷静に考えればよその国の基地を間借りしている分際で、基地の施設内で「ゲリラライブ」を行うのが、問題ないはずはないのだが、「いきなりユーラシアに歌いに行く」のや「いきなり月に歌いに行く」のや「いきなり帝都城に歌いに行く」のに比べれば、はっきり言って「異常なし」と言いたいくらい平和な話である。

「状況はどうなっている? 基地の皆さんの反応は?」

 それでもマックスがそう確認したのは、バサラには得意の爆弾は発言があるのだ。「戦争なんてくだらねえぜ! 俺の歌を聴け!」という、G弾級の爆弾発言が。元の世界でもおおいにひんしゅくを買った台詞だが、この世界では文字通りαナンバーズの外交関係を木っ端微塵にしかねない破壊力を持っている。

 だが、幸いにもその悪い予想も今回は、外れたようだった。

「はい、反応は上々です。今のところ苦情のようなものは聞こえてきていません」

「そうか、分かった。基地に対する謝罪はこちらから通す。大尉はそのままPXに戻り、これ以上問題が広がらないように努めてくれ」

「了解しました」

 バニング大尉は、慣れた仕草で敬礼すると、ホッとした表情で出て行った。

 バタンと音を立ててドアが閉まる。

「香月博士。聞いての通りです。申し訳ありません。いきなり、うちのクルーがご迷惑をお掛けてしているようです」

「申し訳ありません」

「ご迷惑をおかけします」

 マックスの言葉に合わせ、左右に座る大河特使とミリア市長も席を立ち、深々と頭を下げる。

 いまいち状況のつかめていない夕呼は、表面上は平静を装いながら、確認するように今聞いたばかりの名前を口にする。

「ええと、そのバサラというのは?」

「はい。熱気バサラ。我がαナンバーズの一員で、サウンドフォースの中心メンバーです。どのような人間かと説明するのはその……非常に難しいのですが、彼は歌うのです」

「歌う?」

 マックスの説明に、夕呼は今度こそ本格的に首をかしげる。対してマックスの表情は非常に疲れたものだった。

「はい、歌うのです。いつでも、どこでも、歌うのです。おそらく、それはここでも変わらないでしょう。まず、間違いなくご迷惑をおかけすることと思いますが、どうか、寛大な心で見てやっていただけるとこちらとしては、非常に助かります」

 日頃からその立場の割に、異常に腰が低いのがαナンバーズの特徴であるが、それにしても彼らがここまで身の置き所がなさそうにしているのは初めて見た。

「申し訳ありません、とにかくバサラは『非常識』に奴でして」

 困ったようにそう言うマックスの言葉に、夕呼の頬がピクリと痙攣する。

「非常識、ですか」

「はい。特別な能力を持った者のサガなのかも知れませんが、彼を一言で言い表すのならばその言葉が最も適切ではないかと」

「…………」

 夕呼は口元に、手を当ててしばし考え込む。そして、自分の恐ろしい考えが当たっているか確認するため、勇気を出して質問を投げかける。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが。ジーナス大佐は、「鋼鉄ジーグ」をご存じでしょうか?」

 唐突な質問の意図が理解できないマックスであったが、それでも素直に質問に答える。

「ええ、それは無論。我がαナンバーズの一員ですから。それが何か?」

「いえ。では、ジェイアークの事はご存じですか?」

「? はい」

「では、ゲッターチームの皆さんのことは?」

「?? 彼らとは、それなりに長い付き合いですが?」

「……なるほど」

 質問を終えた夕呼は、なにか納得がいったように、コクコクと何度も頷いた。

 どうやら、間違いないようだ。

 彼は、鋼鉄ジーグもジェイアークも、ゲッターロボについても十全に知った上で、その「熱気バサラ」という男にだけ「非常識」という言葉を使用した。

 つまり、熱気バサラは、αナンバーズの基準でも「非常識」な男ということか。

(非常識の中では常識が非常識、てオチならいいのだけど。望みは薄そうね……)

 おそらく、その男は「突き抜けて」非常識なのだろう。

「了解しました。正直、事態はあまり把握できていませんが、基地の施設や人員に被害がないようでしたら、こちらからのクレームは無いものと思って下さって結構です。ただ、そのような「非常識」な方が来られるのでしたら、事前のご報告を頂けたらこちらとしても、対処方法があったのではないかとも、思います」

「はっ。申し訳ありません」

 平身低頭に頭を下げるマックスを見ながら、夕呼は内心で(可能な限り、『熱気バサラ』とは距離を取ろう)と、心の中で誓うのだった。







「いくぜ、お前等! ファイアー!」

 その身に纏う緑のタンクトップを、じっとりと汗で濡らした熱気バサラが、あおるように叫ぶ。

「「「ボンバー!」」」

 PXに集まった兵士達は、声を揃えてそう答える。

 PXは即席のライブ会場と化していた。

 アンプ内蔵型のエレキギターを奏でる熱気バサラ。同じく、アンプ内蔵型のベースをつま弾くミレーヌと、苦笑しながらショルダータイプのキーボードを演奏するレイ。

 流石にドラム一式は持ち込めなかったため、ビヒーダは後ろで無表情のまま、テーブルをスティックで叩いている。いつもと全く変わらぬ無言、無表情なのだが、どこか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 事の起こりは言うまでもなく、熱気バサラだった。

 食事時の時間が過ぎても兵士達が屯しているPXを見て、唐突にギターを持って乱入したのである。すでに夕食の時間が終わっていたのは、幸運だったと言うべきか、不幸だったと言うべきか。

 夕食の時間ならば、食事を邪魔された兵士の苦情が正式にαナンバーズへと届けられた可能性もあるが、同時にPXの最高権力者「食堂のおばちゃん」こと京塚志津江曹長が事前に事態を収拾してくれたかも知れない。

 結局現実としては、誰も止める者もなく、バサラはゲリラライブを敢行したのである。

 音を聞きつけたミレーヌがギリギリ間に合ったのは、僥倖以外のなにものでもない。

「戦争なんて「わ、私の歌を聴きなさーい!」

 と、どうにかバサラの危険な台詞を、横から打ち消すことに成功したのだから。だが、言ったことには責任を持たなければならない。

 気がつけば、ミレーヌは見知らぬ兵士達の前で、バサラのギターをバックに、持ち歌「SWEET FANTASY」を歌うはめになるのだった。

 続いて、今度はバサラが「POWER TO THE DREAM」を歌い、苦笑いを浮かべながらミレーヌのベースを持ってきたレイが、自らもキーボードで演奏に参加し、バサラとミレーヌが二人で「突撃ラブハート」を歌い始めた頃には、ファイアーボンバーの周りでは、縦揺れを起こす兵士達の輪が出来ていた。

 それからさらに数曲の演奏を終えた今、会場はすっかりヒートアップしている。

 国営の楽団が未だ維持されているクラシックなどと違い、ロックやポップスといった軽音楽は、ついこの間まで前線国家であった日本にはあまりなじみがない。

「なんだか、なじみのない感じだけど、すげーなこれ」

 それでも最初は戸惑っていた日本人の国連兵士達も、いつの間にか輪を作って拳を振りあげている。

「ああ、ちょっと変わってるけど、これ多分、ロックだぜ」

 数少ない外国人兵士の中には、アメリカでロックを耳にしたことのある者もいる。

「よし、それじゃこれでラストだ。いくぜ「GONG」!」

 そう言ってバサラは、先の霊帝ケイサル・エフェスとの戦いを勝利に導いた曲を演奏し始める。

 勇壮な戦士が戦場に赴くというその歌詞の内容は、軍人達に聞かせるには最適だったようだ。最後の曲で盛り上がりは最高潮に達している。

(そういえば、この曲ってバサラとミンメイさんが創ったのよね?)

 ベースを演奏しながら、ミレーヌはふとこの歌の由来を思い出した。そう考えると不思議な気がする。

 あのもの静かなミンメイと、「戦争なんてくだらねえ」と言い切っているバサラが、こんな勇壮な戦いの歌を作るなんて。これではまるで、戦う事を肯定しているようだ。

 しかし、考えてみれば、それがバサラなのかも知れない。バサラは恋愛ごとに興味を持っているそぶりも見せないが、「突撃ラブハート」のような愛を歌う歌も作る。日頃、傍若無人なまでに身勝手な事ばっかりやっているのに「MY SOUL FOR YOU」のような、人を優しさで包み込むような歌も作る。

(歌作りの才能と、人格は関係ないってことなのかな?)

 色々と考えている間に、歌は最後のクライマックスに入る。

 ミレーヌはそんな疑問を忘れるように、バサラと声を揃え「永遠へ! 永遠へ!」と何度も歌い叫ぶのだった。









【2005年2月5日、21時09分、国連軍横浜基地、地下19階、香月夕呼研究室】

 慌ただしい1日が終わり、夕呼は静かな研究室で、天然物のコーヒーを飲み、一息ついていた。

「とりあえず、大筋においては順調と言って良いわね」

 各国間の調整も、今のところうまくいっている。帝国とは先ほど連絡を取り、岩国補給基地からビーム兵器が届き次第、こちらにG元素を送ってもらうよう確約を取った。

 中華統一戦線の思惑に、帝国上層部が乗せられつつあるのが懸念事項といえば懸念事項だが、それもαナンバーズの助力が得られれば取り返しのつかない事態にはならないはずだ。

 そこまで、考えて、夕呼は眠気を飛ばすように、小さく一、二度頭を振った。

「危ない危ない。αナンバーズは味方じゃない。敵でもないけど、味方でもない」

 そう、自分に言い聞かす。たまにこうして言い聞かせないと、その根本的な事実を忘れそうになる。実際、帝国の上層部にも、これまであまりに都合がよい行動ばかり取るαナンバーズに対し、すっかり警戒心の抜け落ちた者達も多数出てきているという。

 油断したところで横腹を一突き、という事態は避けたいものだ。

 夕呼は改めて、気を引き締め直した。

 と、その時、研究室の入り口がコツコツと小さくノックされる。

「社? 入りなさい」

 夕呼がそう言うと、入ってきたのは確かに社霞であった。別段超能力を使ったわけではない。元々この研究室に向こうからやってくるのは、秘書のイリーナと、最近戻ってきた神宮司まりもと、白銀武と、この社霞の四人しかいないのだ。

 そして、その中で無言のまま小さくノックをするのは、霞一人だ。イリーナとまりもはノックと同時に必ず名乗るし、武のノックはもっと荒々しい。

 入ってきた霞はどこか、いつもと違う様子だった。その証拠に、普段は寝ているヘッドセットの黒いうさ耳が、今はピョコンと立っている。よく見ると、その白磁のような顔にも若干の赤みが差している。

「どうしたの、何かあった?」

 尋ねる夕呼に、霞はこくりと頷くと、衝撃の言葉を口にするのだった。

「はい。さっきほんの僅かですが「純夏さん」の思考に明るい色のハレーションが起きました」

「ッ!?」

 思わず夕呼もガタリと音を立てて、椅子から腰を浮かしかける。オルタネイティヴ4完遂のため、必要不可欠な存在『00ユニット』。そのための重要人物、『鑑純夏』。

 BETAに囚われ、脳髄だけの姿で今も「生きている」彼女には、五感というものが存在しない。そのため、よほどの何かがない限り、「鑑純夏」の反応はないはずなのだ。

「間違いないのね。明るい色のハレーション?」

 夕呼は念を押すように確認する。一概には言えないが、明るい色ということは、どちらかというと正の感情を刺激される何かがあったということだろうか?

「はい。白銀さんがこの世界に来たときと比べればずっと弱くて、本当に短時間でしたけど」

 霞は、はっきりと頷き肯定する。

「それで、他にはなにか読み取れた? 具体的な言葉は?」

「はい。一言だけですけど」

「…………」

 夕呼は緊張した面持ちで、無言のまま霞の言葉を待つ。そして、

「その、「ボンバー」と」

「…………は?」

 非常に珍しい、マヌケな声を上げるのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その3
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:42
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その3



【2005年2月15日、日本時間15時25分、小惑星帯、エルトリウム】

 αナンバーズ後方本隊がこの世界で仮の本拠地と定めている小惑星帯(アステロイドベルト)宙域。そこに現在、少々場違いな艦影が追加されていた。

 つい先ほど、バトル7の格納庫から出てきた、小型の宇宙船である。

 一目見ただけで、それがαナンバーズ由来の機体ではないことが分かるだろう。この世界の地球で作られた『再突入駆逐艦』と呼ばれる宇宙船によく似たシルエットをしている。

 それもそのはず、この宇宙船は国連軍所属の『有人宇宙探査船』である。ベースとなる骨格は『再突入駆逐艦』と共通だ。

 その有人宇宙船の狭い船内では、選りすぐりの国連宇宙軍パイロットと科学者達が、各国から派遣された見届け人役である外交官達が見守る中、現在地の確認作業に力を注いでいた。

 パイロット達はともかく、日頃宇宙船に乗ることなどない科学者達は、無重力空間での体の使い方に四苦八苦しながら、モニターに映る星々の位置を調べ、現在地の特定を急いでいる。

 おそらく、同じ計算を何度も繰り返しただろう。科学者達はもう何度目になるか分からない頷きあいの後、白人の老科学者が代表して外交官達の方に向き直り、口を開く。

「間違いありません。ここは確かに『小惑星帯』です。モニターに写っている特別大きな紅い星が、火星です」

 老科学者の言葉に、背広姿のままシードベルトで座席に身体を固定していた各国の外交官達は、ホッと息を吐いた。

 わざわざこの言葉を聞くためだけに、彼らはαナンバーズと交渉し、この宇宙船をバトル7に搬入させてもらったのだ。

 地上からバトル7で飛び立ち、四日後エルトリウムに乗り換え、「はい、ここはすでに火星と木星の間の小惑星帯です」と言われても簡単に信じられるものではない。正確な位置測定は、αナンバーズの懐から出たところで行わないかぎり、信憑性の欠片も無い、というのが彼らの主張だ。

 それは、間違いなく正しい感覚である。相手側から与えられる情報を鵜呑みにするようでは、子供の使いに等しい。

「やはり、か」

「まあ、バトル7には人工重力も働いていましたし、今更驚くことではないのかも知れませんが」

「それでもやはり驚きでしょう。地球から小惑星帯までが片道僅か4日とは。教授、我々が自力でここにこようと思えば、どれくらいかかりますか?」

 外交官の問いに、老科学者は頭頂部の寂しくなった白髪を振り、少し考えながら答える。

「そうですね。通常の宇宙船では最速でも半年。G元素由来の動力を搭載した特別宇宙船でも、一月やそこらはかかるのではないでしょうか」

 この世界の技術では無人機を火星に送り込むだけでも、数ヶ月の時間を要するのだ。地球・火星間の距離が最接近時で5500万キロ、最隔離時9900万キロ。対して現在彼らがいるこの宙域は、先ほどの計算の結果、地球から最低でも1億キロ以上離れていると出ている。そもそも艦内の慣性制御技術を確立していないこの世界の技術では、どれほど高出力の動力を有した機体でも、人体が絶えられる限界以上の加速はかけられないのだ。

 G元素由来の技術を使わなければ、有人機を送り込むこと自体が難しいレベルの距離である。

『それでは、当艦はこれよりエルトリウムに向かいます。よろしいですか?』

「うむ。やってくれ」

 操縦席に座るパイロットからマイクを通して伝えられる言葉に、外交官の一人が代表してそう答える。

『了解しました。では、出発します。衝撃にご注意下さい』

 宇宙船は、ゆっくりと戦艦エルトリウムに向かい動き出す。

「むっ」

 さほどの加速度ではないのに、椅子に押しつけられるような力を感じるのは、これまで4日間、バトル7の艦内で、重力も慣性も制御された空間に慣れてしまったからだろうか。

「戦艦エルトリウムか。……これを見れば流石に誰も「αナンバーズはミス・コウヅキの作った秘密特殊部隊だ」などと言わなくなるだろうな」

 モニターに映る白い巨艦に目を奪われながら、老科学者がそうポツリと呟いた。

 αナンバーズ旗艦、戦艦『エルトリウム』。全長70キロ、横幅18キロ、全高9キロ強。規格外と言う言葉すら生やさしい巨大な戦艦である。

 地球で見たときは、想像を絶する巨艦に見えた全長1.5キロのバトル7でさえ、エルトリウムと並ぶと緊急脱出用のボートくらいにしか見えない。なるほど、これならば彼らが自らを『戦闘集団』ではなく、独立した一個の『自治組織』だと自称するのも分かる。もやはこれはただの戦艦ではない。宇宙を旅する人工の大地だ。

 幾ら天才香月夕呼といえども、こんな化け物戦艦、秘密裏に作れるはずがない。作れるようなら、最初から香月夕呼を『オルタネイティヴ4』の責任者などにせず、『オルタネイティヴ5』の責任者に任命している。

 やはり、彼らαナンバーズは、香月博士や日本帝国、そして彼ら自身が言うとおり「異世界」からの来訪者なのだろう。少なくとも、常識的理解を超えた超常の存在であることは疑いない。

「異世界からの来訪者……か。外宇宙からの来訪者はこちらの期待を裏切る無法者であったが、果たして彼らはどうなのだろうな……」

 年科学者は、何かを思い出すようにそう呟きながら、目を瞑る。

 今から遡ること47年。1958年のあの日、当時まだ二十歳をちょっと過ぎたばかりの若造だった彼は、今でもあの時の興奮を鮮明に覚えている。

 アメリカの火星探査衛星『ヴァイキング1号』が火星で初めてBETAの影を撮影することに成功したあの時のことを。

 ちょうどパリ第6大学で研究者としての人生をスタートさせたばかりった彼は、大学の研究室で一回り年上の同僚から、その世紀の大ニュースを聞かされたのだった。

 地球外生命体の可能性。しかも調査が進む連れ、それは『知的生命体』の可能性が高いという追加情報が入る。このニュースに好奇心を刺激されない科学者はいないだろう。当然彼も、当断続的に入ってくるニュースに耳を傾けながら、今人類が新たなステージに上がろうとしているのだ、と血が沸き立つような興奮を覚えずにはいられなかった。

 ある意味その予想は当たったと言える。あれ以来人類は確かに、「新たなステージ」に立たされた。「種の存亡を賭けて戦う」という、有史以来立ったことのない「新しいステージ」に。

 当時、若造だった彼の胸を高鳴らせてくれた地球外生命体――BETAは、それから9年後、月面にて地球人類とファーストコンタクトを果たし、そのさらに6年後、月から人類を追い出すのと前後するように、地球にその姿を現したのだ。

 1973年、中国ウィグル地区に最初ハイヴ、『オリジナルハイヴ』が落下。同年、月から人類は撤退し、月面は完全にBETAの手に落ちた。

 それから先のことは、正直あまりはっきりとは思い出せない。あれから三十年、家族も、友人も、故郷も、大事なものを失いすぎた。失うだけの人生だった。

 BETAは、あっという間にユーラシア大陸を席巻していった。

 彼の母校パリ第6大学も、生まれ故郷であるポーの街も、フランスとスペインを隔てていたあの長大な『ピレネー山脈』さえ、もはやこの世のどこにも存在していない。全ては何万何十万というBETAの波にさらされ、砕かれ、すりつぶされていった。

「…………」

 老科学者は、何かを吹っ切るように一つ頭を振ると、興味深げにモニターに映る戦艦『エルトリウム』を見据えた。

 こうやって至近距離から見ると、宇宙船と言うよりただの白い壁としか認識できない。

 BETAは、『G元素』という僅かな例外を除き、人類に死と絶望しかもたらさなかった。

 αナンバーズは、何をもたらすのだろうか? 希望か、それとも更なる絶望か。

「…………」

 老科学者が再び思考の海に沈みかけている間に、宇宙船はエルトリウムの格納庫へと収納されていった。

 しばらくして、シートベルトで座席に固定していた身体が、見えない力で下に引きよせられるのを感じる。

 どうやら、この『エルトリウム』という戦艦も、バトル7同様艦内に人工重力を完備しているようだ。

『着陸しました。シートベルトを外してください』

 スピーカーから、パイロットの声が響き渡る。気づいた者がいなかったのか、「着陸」という言葉の間違いを笑う者はいない。まあ、元々『再突入駆逐艦』のパイロットである彼は、自分が「着艦」作業を行う羽目になるなど、思ってみなかっただろう。

 指示に従いシートベルトを外した老科学者は、すぐには立ち上がらず、座先にその細く枯れた身体を沈めたまま、ゆっくりと何度も深呼吸をする。その後立ち上がろうとして、肘掛けに手を掛け、足に力を入れるが、身体が思うように動かない。

「なんだ?」

 老科学者は思い通りにならない自分の身体に疑問を覚え、右手を顔の前に持って来る。

 最近小さな染みが目立つようになってきたその手は、細かく震えていた。左手も、両足も同様に震えている。しかも、このままでは霜焼けになってしまうのではないかと思うくらい手足の指は血の気が引き、冷たくかじかんでいる。まるで野球のグローブでも填めているかのように指が上手く動かない。

 震える四肢。血の気の引いた末端部位。そして、うるさいくらいに脈動する心臓。

「ああ、なんだ。……そういうことか」

 己の状態を自覚し、老科学者は思わず苦笑する。

 何のことはない。自分は興奮しているのだ。異世界人とコミュニケーションを取り、異世界の技術に触れ、未知なる知識を吸収できるかもしれない、という今の状況に、年甲斐もなく自己制御が効かないほどに興奮して、身体が暴走し始めているのだ。

 何と懐かしい感覚だろう。

「なんだ。私もまだまだ、若いではないか」

 それは、47年前、地球外生命体のニュースを聞いたあの時と同じ反応だ。

 老科学者は晴れやかに笑う。それは、30年ぶりの本当の笑顔だった。









【2005年2月15日、日本時間16時00分、小惑星帯、エルトリウム】

 エルトリウムの艦内都市に、今初めてこの世界の人間が足を降ろしていた。

 お上りさんよろしくキョロキョロと周囲を見渡すその姿からは、4日という長旅の影響はあまり見受けられない。まあ、人工重力が働き、内部慣性も極力制御されたバトル7での移動は、狭いことと不自由なことを覗けば「移動」という認識を持つこと自体難しいのかも知れない。せいぜい「ビジネスホテルに缶詰にされていた」程度の不自由さだったのだろう。

 ついでに言えば、時差も存在しない。αナンバーズ先行分艦隊が地球に降りた際、αナンバーズの時間は、原則この世界の日本に合わせている。横浜基地を出発し、バトル7で移動し、エルトリウムに到着するまでの間、時計を調整する必要は一切なかった。

「凄いな……」

「これが、本当に戦艦の中なのか?」

「完全に街、いや『都市』だ」

 流石に各国の外交官達は、必要以上の驚きを示さないが、同行している科学者や護衛の兵士達はあからさまな驚きを隠せない。

 広い舗装された道と、その左右に立ち並ぶ近代的・未来的な建物。規則正しく植えられている街路樹と、一定区間ごとに設けられている広い芝生の公園。そして、ここまでの高さが必要なのか、疑問に思えるほど高い天井には、目をこらして注視しないと分からないくらい精巧な『青空』が映し出されている。

 その広さは実に650K㎡を超える。この数字にピンと来ないならば、東京二十三区の総面積が620K㎡強だといえば、ある程度感覚がつかめるだろうか?

 土地勘のない者、方向感覚の乏しい者、風の魔装機神操者をやっていて白黒二匹の猫をつれている者などは、あっという間に迷子になること請け合いの広さである。

「それでは、皆様の宿泊施設にご案内します」

 ある程度驚きが収まった頃合いを見て、αナンバーズから派遣されている案内係の兵士が、そう言って一行を促す。予定では彼らは一度、宿泊施設で準備を整え、夕刻からタシロ提督を初めとしたαナンバーズ後方本隊の中枢メンバーと夕食会を兼ねた顔合わせを行う事になっている。

 本格的な交流、交渉は明日以降の予定だが、何らかの形で「抜け駆け」を企んでいる外交官は一人や二人ではあるまい。もっともそう言った「前のめり」の交渉に、不快感を覚える人間も多いのもまた事実なので、あえて慎重に様子を伺うほうが多数派であろうが。

「ありがとう。手間を掛けさせてすまないね」

 だが、好々爺然と笑いながら、案内役の兵士達の労をねぎらう外交官達の様子からは、そんなギラギラした欲望の色は一欠片も見受けられなかった。






「戦艦バトル7、ただいま帰還しました。各国代表団の方々は、すでにエルトリウム艦内都市の宿泊施設に案内してあります」

「うむ、ご苦労だった、ジーナス艦長」

 一方その頃、バトル7艦長、マクシミリアン・ジーナス大佐は、妻のミリア・ファリーナ・ジーナスと共にエルトリウムの艦橋を訪れ、帰還報告をしていた。

 常日頃であれば、バトル7の艦長席から通信で済ませるところだが、今日はエルトリウムで行われる夜の夕食会に出席することになっているのだ。先にこちらに渡っていて悪いことはない。

 代わりに、艦長代理を務めるため、さっきまでエルトリウムで留守番をしていたエキセドル参謀がバトル7に戻っている。

「各国代表団の人員リストは先ほど確認しましたが、香月博士は来られないのですね」

 細かな確認作業は自分の役目とばかりに、エルトリウム副長はいつも通り抑揚のない淡々とした口調でそう問いかける。

「ああ、博士は現在色々と手の放せない職務を抱えているのだそうだ。代わりに名代として香月博士直属部隊である伊隅ヴァルキリーズの速瀬隊が来ている」

 マックスはエルトリウム副長の方に視線をやると、頷きながらそう答えた。

 夕呼が今現在、地獄のように忙しいのは事実だが、あえて代表団に自らを加えなかったのはもちろん、それなり思惑あってのことである。この機会を逃すことで「すでにがっつく必要がないくらい、香月夕呼はαナンバーズとの間に、太いパイプを保持している」と外部にアピールしているのだ。

 もし、これで各国代表団の誰かがαナンバーズ本隊を相手に直接のラインを築いたりすれば、夕呼としては大ダメージだが、今回の滞在期間5日という限られた時間では、まずそれはあり得ないと確信している。

 αナンバーズの交渉術は、一見稚拙なように見えて巧妙だ。「この世界をBETAの脅威から救うため、全面的な協力を申し出る」とう、極めて耳障りの良い表向きの目的を前面に押し出し、うちに秘めた真の目的は決して漏らさない。

 例え彼らの旗艦『エルトリウム』にたどり着いたとしても、その真の目的を僅か5日間に探り当てるのは、不可能に近いだろう。当然、向こうが真に求めているものが判明しない状態で、まともな交渉が成立するはずもない。

「そうでしたか。では、その速瀬隊の方々にも誰か人をつける必要がありますね」

 エルトリウム副長は、確認するように一つ頷くと、そう答えた。

 原則敵対者以外には、昼寝中の座敷犬並に無警戒なαナンバーズであるが、流石にエルトリウム内部で部外者達に全面的な自由行動を許すほど、間は抜けていない。

 各国代表団にはそれぞれ案内役の兵士がついており、兵士の同行無しでは、宿泊施設の外へはでないように通達してある。

「ああ。それならば、速瀬隊は機動兵器部隊の若い連中をつければいいだろう。彼女たちは、思いの外、我々と相性が良いようだ」

 マックスは、横浜基地ですっかり打ち解けて仲良くなっていた伊隅ヴァルキリーズとαナンバーズ機動兵器部隊の面々の事を思い出し、小さく笑った。

「うむ、そうだな。彼女たちも随分若いようだし、年齢的にも近い方がお互いやりやすかろう。副長、手配を頼む」

 うむうむと頷くタシロ提督を見て、副長は内心で若干速瀬隊の面々を気の毒に思いながら、表情には出さずにただ「了解しました」とだけ答えた。

 地球に降りている先行分艦隊とは違い、後方本隊には、今もなお、機体の修繕の目処も立たず暇をもて余している連中が大勢いる。コン・バトラーチームに、ボルテスチーム。グッドサンダーチームにSRXチーム等々。彼らは間違いなく、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々を思いきり歓迎することだろう。

(騒がしくなるだろうな)

 副長は、ごく当たり前のようにそう近い未来を予想したが、特にそれを制止する必要性は感じなかった。









【2005年2月16日、日本時間13時48分、小惑星帯、エルトリウム・特別会議室】

 火星に今もなお数多く存在するハイヴ。

 そのBETAの巣とも基地とも言える建造物内部に、二つの招かれざる物影があった。

 一つは、胸部に大きな金色の髑髏面をあしらった人型ロボット。頭部からはバッファローのよう大きく曲がった二本の角が生えている。特機と呼ばれる機体は、特徴ある外見をしているものが多いが、これはその中でもトップクラスに「目立つ」機体だろう。

 ガイキング。それがこの特機の名前である。

 ゾルマニウム合金で全身を覆われたその防御力は、αナンバーズの機体の中でも上位に位置し、攻撃力も十分高いものを持っている。強いて欠点を上げるとすれば、元々戦艦『大空魔竜』と共に運用されることを前提として作られているため、今のように大空魔竜から離れて戦う任務では使用できない武装が存在することだろうか。

 全高はジャスト50メートル。特機としてはごくごく標準的なサイズである。

 一方、ガイキングの左を歩くもう一機の機体は、その半分にも満たない。モビルスーツやパーソナルトルーパーとほとんど大差ない大きさである。

 だが、この機体は歴とした特機だ。元の世界で、この機体をモビルスーツやパーソナルトルーパーと見間違える者はいないだろう。

 マジンガーZ。

 特機の前に「元祖」の二文字をつけても良い。掛け値なしで最も有名な特機だ。

 特機と言えば『マジンガーZ』。モビルスーツと言えば『ガンダム』。知名度で言えば、この二機が群を抜いている。

 そして、急速な技術の進歩と共に過去の存在と化した初代ガンダムと違い、マジンガーZは、大規模な改造を施されながら、こうして今もなお前線で活躍している。

 鉄の城と呼ばれるそのボディは、かつては超合金Z製で、今は超合金ニューZ製。その頑健さは間違いなく全特機を見渡してもトップクラス。重レーザー級のレーザ照射や戦車級の噛みつき、要塞級の強酸溶解溶液付の触手攻撃などでも傷らしい傷はつかない。

 攻撃手段も豊富である。目から放つ光子力ビーム。マジンガーの代名詞とも言えるロケットパンチ。そして、その胸部の紅い放熱板から放たれる必殺の熱線、ブレストファイヤー。

 流石に、同じマジンガーシリーズの上位機である、グレートマジンガーやマジンカイザーには破壊力において一歩、二歩譲るが、攻防共に十分頼りになる機体だ。

 青白くほのかに光る外壁の燐光だけが光源の、暗いハイヴ横坑を二体の特機はゆっくりと進んでいく。

 無論、ハイヴ内部にBETAがいないはずがない。

「サンシローさんっ!」

「ああ、分かってる、甲児君!」

 マジンガーZパイロット兜甲児の声に、ガイキングパイロットツワブキ・サンシローが即座に返す。

 ハイヴ横坑全体に小さな振動を響かせながら、前方からBETAの一群がこちらに向かってくる。横坑いっぱいに広がって迫ってくるそのBETAの津波を回避することは不可能だ。

 全高50メートルのガイキングと全高18メートルのマジンガーZが横に並んでもまだ十分に余裕があるこのハイヴ横坑に、回避する余地もない無いくらいびっちりと詰まったBETAの群れだ。総数はどれくらいいるか想像もつかない。最低でも数百、下手をすればこれだけで千を越えるかも知れない。

 だが、兜甲児とツワブキ・サンシローの両名に、恐れや戸惑いは一切無かった。

「いくぜっ!」

「おうっ!」

 マジンガーZ、ガイキング、二機の特機が息を合わせてグッと踏ん張りをきかせるように重心を下げる。

 そして、次の瞬間、

「喰らえ、ドリルミサイル!」

 マジンガーZの腕が途中から90度上方向に折れ、そこからドリルのように先がねじれて尖ったミサイルが複数発射され、

「そこだ、ザウゥゥルガイザァァッ!」

 同時に、ガイキングの胸部髑髏の目から放たれる赤・青二色の光線が捻れ、絡み、螺旋を描きながら、押し寄せるBETAの波に大きな風穴を開ける。

 ドリル状のミサイルが戦車級を貫き爆発し、周りの闘士級を巻き込み殲滅し、二色の線が要撃級をダース単位で纏めて貫き、駆逐する。

 この同時攻撃だけで、百を超える数のBETAを葬ったことだろう。しかし、それでも押し寄せるBETAの総数から見ればごく一部だ。

 もっと粘れば、この場にいるBETAぐらいならばマジンガーZとガイキングの二機だけで殲滅することも不可能ではない。だが、このハイヴ内には少なく見積もっても数十万のBETAが生息しているのだ。こんな所で足を止めていたら、次々とBETAが押し寄せてきて、面倒くさい事になってしまう。

「突っ込むぞ、甲児君!」

「了解だ、サンシローさん!」

 ガイキングとマジンガーZは、先ほどの攻撃で生じたBETA津波の穴に、勢いよく飛び込んでいく。全高18メートルほどのマジンガーZはともかく、全高50メートルのガイキングが通り抜けるには少々小さな隙間だが、そこはパワーと勢いで押し切る。

「うおおお、道をあけろ!」

 ガイキングは、まとわりついてくるETA達を半ば体当たりで仕留めるようにして、その場を離脱する。

「甲児君、このまま一気に主縦坑(メインシャフト)まで抜けるぞ!」

「分かった!」

 サンシローは、サブモニターに映るハイヴマップを見ながら、そう叫んだ。

 マップにはこれまで通ってきたルートがオートでマッピングされている。さらにそのマップには、上空から見た時の地上建造物の位置を参考に、主縦坑の位置も簡易予想的に書き込まれている。

 マップに描かれている主縦坑予想位置が間違っていなければ、すでにかなり主縦坑に近いところにまで来ているはず。

 そんなサンシローの期待は、すぐに現実のものなった。

「抜けたっ!?」

 飛び続けるガイキングの前の視界が一気に開ける。主縦坑に出たのだ。

「下だ、サンシローさん!」

「分かってる!」

 主縦坑に出たガイキングとマジンガーZは、そのまま垂直落下に近い勢いで、まっすぐ下へと下っていく。

 反応炉がある広間は、主縦坑の底からダイレクトで繋がっている。こうして主縦坑にさえ出れば、反応炉は戴いたも同然だ。

 ガイキングとマジンガーZは一気に主縦坑底まで降りると、直前でホバリングするように空中停止した。

 主縦坑底には予想通り、足の踏み場もないくらいBETAがひしめき合っている。光線級、重光線級もかなりの割合でいるが、ハイヴ内でレーザー照射をすることはないので、現状特に気にする必要もない。むしろ、厄介なのは要塞級だ。

 要塞級の尾節に収納されている触手は予想以上に長い。こちらの攻撃が届く程度の高度ならば十分に要塞級の触手も届く。無論、要塞級の触手程度で、ガイキングやマジンガーZがそうそうダメージを負うことはないのだが、下手にバランスを崩して、BETA溜まりに落ちれば、流石に少々厄介なことになる。

「よし、これでも喰らえ、ブレストファイヤー!」

 甲児は、攻撃を喰らわないように気をつけながら、マジンガーZにガッツポーズを取らせ、胸の紅いV字の放熱板から熱線を斜め下方向めがけ撃ち放つ。所詮炭素の固まりに過ぎないBETAではひとたまりもない。要撃級、突撃級、重光線級、その他小型種、一切区別無く熱線を浴びたBETAは跡形もなく燃え尽きていく。

 ブレストファイヤーの熱線が明るく主縦坑底を照らし出す短い間に、ガイキングに乗るサンシローは素早く反応炉のある広間に続く入り口を探し当てていた。

 この辺の手順は、中々手慣れている。伊達にこれまで何度も『火星ハイヴ間引き作戦』をやってきたわけではない。甲児とサンシローはこれまでに二人で、5個のハイヴを間引いている。これが6個目のハイヴだ。

「見つけたぞ、こっちだ!」

 そう言うやいなや、ガイキングは勢いよく広間に続く通路入り口に向かい飛び出した。

 通路の入り口は、仮称「門(ゲート)級」と名付けた、特殊なBETAが塞いでいる。ガイキングは空中で急停止すると、胸の髑髏の口から大きな火球をはき出す。

「くらえっ、火の玉魔球だッ!」

 その次の光景は、常識のある人間が見ればポカンと口を馬鹿のように開けることだろう。ガイキングはその燃え盛る火球をあろう事か、右手でむんずとつかんだのである。そして、そのまま野球のピッチャーの様に大きく振りかぶり、手に持つ火球を門級BETAめがけ投げつけた。

「ハイドロブレイザー!」

 火球は違うことなく、門級のど真ん中にぶち当たり、大穴を空けた。

 流石ツワブキ・サンシロー。元プロ野球球団レッド・サンのピッチャー、見事なピッチングだ、と言うべきだろうか? まあ、サンシローは現役時代サウスポーだったのに、ガイキングのハイドロブレイザーは右投げなので、実は何の関係もないのかも知れない。

「続け、甲児君!」

「おうよ、一気に行くぜ!」

 ぶち破った門の穴を、ガイキングとマジンガーZがすり抜けていく。

 反応炉のある大広間は広い。そして、その大広間の床が見えないほど、大量のBETAが重なり合って存在している。この大広間だけで数万を数えるであろう。だが、今更サンシローも甲児もその光景に驚愕したりはしない。これまでに何度も見てきた光景だ。

 いかに広間が広いとは言え、マッハを超える飛行速度を有する特機にとっては一瞬だ。ガイキングとマジンガーZはあっという間に反応炉の前まで飛んでくる。途中、天井から降り注ぐ戦車級が何匹か両機の背中に着地し、一生懸命噛みついていたりするが、今はそれにかまっている場合ではない。どのみちダメージはないのだから、後でゆっくり払えばいい。

 並ぶようにして空中停止した両機は、そろってグッと右拳を握りしめる。ガイキングは弓を引き絞るように右手を後ろ引き、マジンガーZはつきだした右腕の二の腕を、左手でしっかりと抑え、構える。共通しているのは、右拳がまっすぐ反応炉に向けられているということ。

「いくぜっ!」

「このロケットパンチはひと味違うぜっ!」

 次の瞬間、両機の右拳がうなりを上げて、反応炉めがけ飛び出した。

「カウンターパンチ!」

「喰らえっ!」

 肘関節より少し前の部分から分離したガイキングとマジンガーZの鉄拳は、雄々しくジェット炎をたなびかせながら、不気味な冷光を放つ反応炉に叩きつけられる。

 ガイキングの『カウンターパンチ』と、マジンガーZの『強化型ロケットパンチ』。

 たったの二発の鉄拳に、反応炉はひれ伏した。S11の爆発にも、当たり所次第では一発や二発は絶えられるとされているハイヴ反応炉が、まるでハンマーを振り降ろされたガラスの塊のように、粉々に砕けている。

 いつもの事ながら、それからの反応は劇的だった。

 まるで潮が引くように、広間に重なり合って蠢いていた数万のBETA達が、逃亡し始める。

「へっ、ざっとこんなもんだっ!」

「兜甲児様をなめるんじゃねえ!」

 粉々になった反応炉の前で、ツワブキ・サンシローと兜甲児は、勝ちどきを上げるのだった。






『……以上が、一昨日行われた『火星ハイヴ間引き作戦』の顛末です。この後、ガイキング、マジンガーZの両機は自力で火星重力圏を離脱。重力圏外で待機していた戦艦『大空魔竜』が両機を回収、帰還しました。なにかご質問はありますか?』

 大迫力の『火星ハイヴ間引き作戦』の画像が途切れたところで、エルトリウム副長は、会議室に集まった国連高官及び各国代表を見渡し、そう質問を促した。

 ここは戦艦エルトリウム内で一般人員は立ち入りが禁止されている、操艦ブロックにある特別会議室。会議室と言っても、一般的な会社などにあるような小さなモノではない。正面に巨大なスクリーンモニターを配備し、ひな壇のようになった傍聴席を有する巨大な代物である。ちょうど、大きな大学にある大講義室のようなものだ。もしくは、国会議事堂の本会議場の小型版と言った方が良いだろうか。

 議会を進行する側のαナンバーズ中枢メンバーは、皆正面の特大モニターの下に横一列となって座っており、国連の代表団はそれと正対するように、傍聴席に着いている。

 ちょっと見れば座っている位置で各国代表団の力関係が見て取れる。最前列真ん中にアメリカ代表。その左隣に、オーストラリア代表。右隣に、アフリカ連合代表。基本的に最前列に陣取っているのは、経済的に豊かな「大国」と言われる国々ばかりだ。

 例外は、最前列の右端にちょこんと座っている日本帝国代表くらいだ。オルタネイティヴ4を主導していた2001年までならばともかく、オルタネイティヴ計画が5に移行して以降は経済力、軍事力、国際発言力いずれの観点から見ても、ひな壇の真ん中から少し後ろくらいが妥当な立ち位置のはずだ。 

「……………」

 水を打ったような静寂が大会議室を支配する。

 一方、αナンバーズサイドの出席者は、計7名だ、中央に座る、タシロ・タツミ提督。その左にバトル7からマクシミリアン・ジーナス大佐とミリア・ファリーナ・ジーナス市長。大空魔竜から、十文字博士と、エターナルからラクス・クライン。GGG艦隊からは火麻参謀が大河長官の代理として出席している。そして、離れたところでモニターを操作しながら司会進行役を務めているエルトリウム副長。

 タシロ提督達、αナンバーズサイドは、この予想外に長い沈黙に、内心首をかしげていた。向こうサイドの立場に立ってみれば、昨日今日だけで随分と新しい情報が耳に入ったはずだ。正直、質問攻めにされることを覚悟していたのだが。

 無論、今の「火星ハイヴ間引き作戦」の状況を見せられた国連代表団の面々には、聞きたいことは山ほどある。だが、その数倍数十倍の『突っ込みどころ』がある。何を聞けばいいのやら、どこからつっこめばいいやら、海千山千の各国代表をそろって沈黙状態に陥らせたのだから、流石はαナンバーズと言うべきなのかも知れない。

 それでも永遠に沈黙が続くようでは、せっかくこの場を設けた意味がない。

 意を決した一人の男が手元のボタンを押し、発言許可を求める。

『はい、スウェーデン、ヨーン・クリストフ代表』

 エルトリウム副長に名前を呼ばれた男は、その場で椅子から立ち上がると、マイクを手に持ち質問を投げかける。

「えー、先ほどの画像はハイヴ反応炉破壊で終了していましたが、その後どのようにして火星重力圏を脱出したのでしょうか? 画像を拝見したところ、火星にもレーザー属種は存在しているようですが」

 火星の地表は無数のBETAがいるはず。その中には少なくない数のレーザー属種も存在するだろう。そんな中、地表から重力圏を離脱しようとするのは、自殺行為ではないだろうか?

 その質問は特別な判断が必要とされる質問でなかったため、そのままエルトリウム副長が答える。

『その点は問題ありません。ガイキング、マジンガーZ、両機共にその装甲の耐熱強度は、重レーザーの集中照射も問題としないレベルです。無論、装甲が完全に熱伝導を遮断するわけではないので長時間集中照射を受け続ければ、機体内部機関やパイロットの健康に被害が出ますが、重力圏離脱までの短時間ならば何ら問題ありません』

『……そうですか。分かりました』

 スウェーデン代表はちょっと言葉に詰まったような表情で、席に着いた。

 困った。質問をしたら、さらに突っ込みどころが増えてしまった。人類から空を奪ったレーザー属種のレーザー照射がなんだか「紫外線に対する皮膚がん予防対策」と同レベルの話におとしめられている。彼としては断じて「長時間浴びなければ問題ない」たぐいの話をしたつもりはない。

 だが、先陣をきったスウェーデン代表の勇気が場の空気を動かしたのは間違いない。

 続々と後に続き、手元の発言ボタンに手を伸ばす者達が現れる。

『配付された資料では、『火星のハイヴは46。これまで45日の間に19のハイヴを攻略、同時に9のハイヴが新たに新設』とあります。このペースで行けば、今年の4月下旬から5月上旬に火星から全てのハイヴが取り除かれる計算になりますが、その認識でよろしいでしょうか?』

『いえ、これまではフェイズ6の小型ハイヴを優先的に破壊してきたのでこのペースを守れましたが、この先はフェイズ7,フェイズ8のハイヴが相手です。おそらく間引きのペースは大幅に落ちることが予想されます』

 次の質問にも、エルトリウム副長は淀みなく答える。

 現在、火星ハイヴ攻略の戦力となっているのは4機のみ。ガンバスター、シズラー黒、ガイキング、マジンガーZの4機だ。αナンバーズ所属特機の中でも特に防御力に優れるこれらの機体は、原則BETAの攻撃でダメージを負うことはほとんど無いのだが、あくまで有人機であるという枷が存在する。

 機体は燃料が続く限り動き続けることが出来ても、中のパイロットは別だ。そのため、パイロットの安全確保のため、火星に滞在する時間は原則7時間、最大延長でも10時間と、αナンバーズ首脳部は定めている。

 フェイズ6ハイヴならばそれでも問題なかったが、フェイズ7,フェイズ8ハイヴの広さはフェイズ6ハイヴの比ではない。

 時間制限がある以上、今後は一度の探索では、反応炉にたどり着けず、マッピングだけして戻ってくることもありえるだろう。

『分かりました……ありがとうございます』

 質問者は、少し頬をひくつかせながら着席した。まさか、フェイズ6ハイヴを小型と表現されるとは思わなかった。地球でフェイズ6に達しているハイヴは、カシュガルのオリジナルハイヴだけなのだが。

『質問してよろしいでしょうか。拝見しましたところ、そちらの機体の攻撃手段は光学兵器が主で、実弾兵器が従である印象を受けました。これは、光学兵器の方が威力や携帯弾数に優れるという認識でよろしいでしょうか?』

『はい。おおよそその認識で間違いはありません。付け加えるならば、ミサイルなどの実弾兵器は熟練のパイロットにかかれば近接武器で『切り払われる』可能性が非常に高いので信頼性にかける、という問題もあります』

『そう、ですか……興味深いお話です』

 質問者は、自分の耳に深刻な健康被害が生じたのではないか、という不安を抱きながら、そう言って着席した。

『質問します。先ほどの映像では、そちらの機体は長時間無補給で戦闘を行っていましたが、弾薬、燃料はどの程度保つのでしょうか。また、具体的な動力機関、燃料の情報は秘匿情報なのですか?』

 これは少し微妙な問題を含む。提供する予定の技術、情報だけ公開するつもりの技術、一切公開するつもりのない技術とがあるからだ。そのため、副長に代わりタシロ提督が立ち上がり、マイクの前に立つ。

『えー、戦闘継続時間は機体ごとに違いますので、一概には言えません。動力機関、燃料についても同様です。核融合炉・反応炉ならば重水素とヘリウム3、縮退炉ならばアイスセカンド、光子力エンジンならばジャパニウム鉱石、GSライドならば勇気。非常に多岐にわたりますので、この場では細かな説明は控えさせていただきます。詳しい説明は、後日の技術交流会までお待ち下さい』

『……分かりました』

 質問した人間は、狐に化かされたような顔で、腰を落とした。なんだか最後の方でエネルギーの代わりに『ただの精神論』が混ざっていたような気がするが、この場で突っ込む『勇気』はなかった。

「「「…………」」」

 各国から集まった歴戦の外交官達が、目に見えて勢いを失っていく。外交官達は久しぶりに「口を開くのが怖い」という感覚に襲われていた。一つ質問を投げかけると、三つ突っ込みどころが返ってくる。

 当初の意気込みとは裏腹に、最初の全体会議は少々尻すぼみな結果に終わりそうだった。









【2005年2月16日、日本時間15時02分、日本帝国、帝都城】

 遙か宇宙の彼方で、各国代表団がαナンバーズと最初の会合を終えている頃、ここ帝都城でも帝国の首脳部が非公式の会合を開き、頭を悩ませていた。

「昨日光通信が届きました。各国の代表団は問題なく、αナンバーズの旗艦『エルトリウム』にたどり着いたようです」

 口火を切り、初老の政府高官がそう話を切り出す。

 小惑星帯にいるエルトリウムから地球までは、光の速度で十数分ほどの距離にある。よって、光通信ならばリアルな双方間通信は不可能でも、メールのように送りたい情報を送り届けることは不可能ではない。

 無論、どれだけ光に指向性を持たせて出力を上げても、地球全体に届かせるのがやっとのため、各国に傍受されることは最初から覚悟しなければならないが。

 一応、情報は暗号化してあるが、ほとんど気休めのようなものでしかない。大国が人員とコンピュータを大量につぎ込めば、ごく短時間で解読されてしまうだろう。事実、帝国側でもアメリカ代表やソ連代表が送ったと思われるデータの傍受に成功し、現在解読を急がせている。
 
「詳しい情報は分かりませんが、αナンバーズと各国との間に、話し合いの場が持たれているのは間違いないようです」

 初老の高官の言葉に、その場にいる省庁大臣や軍の将官達は、そろって渋い顔をした。

 無理もない。これまで帝国が独占していた「αナンバーズと直接対話をする」というアドバンテージが失われようとしているのだ。もっとも、αナンバーズ先行分艦隊は帝国に停泊したままだし、今週中には岩国に「αナンバーズ補給工場」が完成する予定なっている。しばらくはαナンバーズともっとも関係が深いこの世界の国家は、日本帝国で揺るがないであろうが。

 確かにその話は懸念事項であるが、しばらくは遠い夜空の向こうの話だ。

 今、彼らが話し合う事例は他にある。

 一端頭を切り換えた大臣達は、本日の主題について話し始める。

 話し始めたのは、国連との連絡を主任務としている一人の高官だった。

「えー、先ほど最終確認が終了しました。次の国連決議で、我が日本帝国は対BETA戦線「前線国家」から「後方国家」に国際的立場が変換されます」

「やはり、か……」

 呻くような口調でそう吐き捨てたのは、大蔵大臣である。銀縁眼鏡を掛けたやせぎすで神経質そうな大蔵大臣は、先ほどからしきりに左手で、胃の辺りをさすっている。

「断っておくが、我が国には当面「後方国家」の義務を果たせるような財力はないぞ」

 かみしめる歯の間から漏らす大蔵大臣の言葉に、一同は不本意ながら、頷かざるを得ない。

「前線国家」から「後方国家」になる。言葉だけ聞けば非常に喜ばしい話に聞こえるが、世の中そんなにうまい話はない。

 国連で「後方国家」と定められている国々は、前線国家を支える義務があるのだ。経済援助、軍事物資の安価提供、難民の受け入れなど。どれ一つとっても、未だ国土の半分が焼け野原から回復していない帝国にとっては、実行不可能に近い重荷である。

 そう言う意味では、やはりアメリカ合衆国は大したものだと言わざるを得ない。経済援助、軍事物資援助、難民の受け入れ、どの分野においても、アメリカが果たしている役割の大きさは、飛び抜けている。世界の胃袋と弾薬の半分以上は、アメリカが支えていると言っても過言ではあるまい。
 アメリカが後方を支えていなかったら、とっくに人類は滅びている、という言葉は純然たる事実である。

「そう言った意味でも、中国の提案は、魅力的ですね」

 比較的若い中年くらいの高官がぼそりとそう呟く。

「……うむ」

 中国の提案とは、以前から議題に上がっている「湖南省・江西省・浙江省の租借条約」の件だ。

 中国大陸に一時的にでも日本の領土が出来れば、日本はいまだ「前線国家」だと強弁がはれる。そう言った意味でもこの中国の提案は魅力的と言える。いかにそれが、日本とαナンバーズを大陸の対BETA線という泥沼に引きずり込む為の方便だとしても。

「私は反対だ。我が軍にこれ以上戦争を継続する力は残されていない」

 その案にきっぱりと反対の意を示したのは、陸軍大臣であった。現在の帝国軍は壊滅の一歩手前まで来ている。春になれば、来年度の徴兵が行われるので、人数だけはそろうが、そんな小銃の分解掃除も出来ないような奴ら、BETAの餌にしかならない。

 5年。それが、陸・海・本土防衛、三軍首脳部がはじき出した、帝国軍が最低限の体裁を整えるのに必要とされる時間である。

「だが、実際にそうすると今度は国に金がなくなる。借金で首が回らなくなるぞ」

「首が無くなるよりはマシだろう。もしくは、首以外何もなくなるよりはな」

 どちらも己の主張を譲らない。実際どちらの言うことも間違いではないのだから、無理はない。

「しかし、実際には中国もすぐに大陸奪還に動くつもりはないだろう。彼らの当面の狙いはハイヴとそこにあるG元素だ。それならば、αナンバーズの協力が得られれば、さしたる被害もなく達成できるのではないか?」

 さらに別な人間が、そう楽観的な意見を投げかける。少々、甘い見通しだが大筋においては間違っていない。

 中国政府も、BETA侵攻と核兵器による焦土作戦で荒廃した中国大陸に、すぐさま市民を戻すつもりはあるまい。ならば大陸でやることは、原則ハイヴ攻略戦のみ。彼らの最初の狙いである甲16、重慶ハイヴは随分と内陸に位置するため、攻略が容易ではないことは想像がつくが、それもαナンバーズの助力を得られれば、決して不可能ではない気がする。

 現に、あの横浜基地防衛戦では、5万近いBETAを敵に回し、最終的な死傷者は300人に満たなかった。防衛線とハイヴ攻略戦を同一の視線で語ることは出来ないが、αナンバーズの全面的な協力が得られれば、こちらの被害は許容の範囲内に収まるのではないだろうか。

 その場合大きな問題となるのが、現在エルトリウムで行われている各国とαナンバーズの会合だ。中国がわざわざ租借条約を持ち出してまで、帝国を大陸の対BETA戦に引きずり込もうとしたのは、当時αナンバーズが帝国の秘密特殊部隊だという見方が有力だったからだ。

 だが、現在αナンバーズはその主張通り、異世界からの来訪者で独立した自治組織としての立場を確立しつつある。

 もし、早急に中国とαナンバーズの間に、直接軍事協力条約の様な物が結ばされたりすれば、中国はあっさりと租借条約を引っ込めるだろう。

 そうなると最悪の場合、帝国はαナンバーズと言う戦力を失いながら、「後方国家」としての義務を果たさなければならなくなる。……まず間違いなく、国は破滅だ。少なくとも、向こう1世紀は国際社会で浮かび上がれないダメージを受けることは間違いあるまい。

「やはり、早急に租借条約を締結させるべきなのではないか」

 話が進むにつれてそう言った意見が多くなってくる。条約さえ結ばれれば、例えαナンバーズの立ち位置が変わったとしても、最悪「前線国家」の看板はしばらく残る。

「だがその場合、『台湾』と『アメリカ』の承認を取り付けることが絶対条件だ」

 租借条約を受け入れる方向に話が進んでいく中、内務大臣が釘を刺すようにそう発言する。

『台湾』こと『中国国民党政府』は、未だに自分達が「中国唯一の政府である」という見解を撤回していない。また、アメリカはその歴史上、中華人民共和国こと『中国共産党』よりも『台湾』に比重を置いた立場を取っている。

 一応、1971年の時点で中国の主権政府は国際的に中華民国(中国国民党政府)から中華人民共和国(中国共産党)に移っている。現在、国連で常任理事国として認められているのも、あくまで中華人民共和国の方だ。

 つまり、公式には中華人民共和国が日本と租借条約を結べば、国際社会的にはそれで承認されるはずなのだが、現在の中華人民民共和国は一切の領土を失い、中華民国の『台湾島』に間借りしている立場である。

 今後、中華民国が中国大陸で台頭していることは十分に現実的な予想であり、その場合日本と中華人民共和国の間で取り交わされた条約など、彼らは全く考慮してくれるはずもない。

 幸いと言うべきか、彼らは現在表向き『中華統一戦線』という看板の元、共同歩調を取っている。

「条約を結ぶ相手は、中華人民共和国でも中華民国でもなく、『中華統一戦線』。立会人としてアメリカも巻き込む。この条件ならば、租借条約を受け入れてもいいだろう」

 話は段々と一定の方向でまとまりつつあった。

「…………」

 それまでずっと沈黙を保っていた海軍大臣は何か言いかける。いつの間にか「αナンバーズの協力が無条件で得られる」ことが大前提になっていることに、彼らは気づいているのだろうか?

 おそらく、大半は気づいているだろう。だが、その大前提が無ければこの国はたちいかない所まで来てしまっているのだ。

 ここで、「αナンバーズがこちらの要求を受け入れてくれなければどうする?」などと言ったところで、解決手段は無い。

「……綱渡りだな。まあ、いつものことか」

 結局、海軍大臣は、誰にも聞こえないようにそう呟くに留まった。 



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その4
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:42
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その4



【2005年2月17日、日本時間12時11分、小惑星帯、エルトリウム艦内都市・ゲームセンター】

「畜生、やっぱ経験(やりこみ)の差はそう簡単には埋まらねえか……」

 白銀武は、残り30パーセントを切り、赤く点滅する自機のヒットポイントを見ながら、悪態をこぼしていた。

 バトルステージは、宇宙デブリ宙域。戦艦・機動兵器の残骸や隕石がひしめく、難易度の高いステージである。

 武は、ぼろぼろになった自機――ヒュッケバイン・ボクサーを手頃な隕石の影に隠しながら、メインモニターに移る敵機の姿を確認した。

 黒く塗装されたパーソナルトルーパー、『ゲシュペンスト・タイプS』と言うのがその機体の名前らしい。

 武の機体、ヒュッケバイン・ボクサーと比べれば、一回り小さな機体だが、その割りには高い防御力と高い近接攻撃能力を有しているのだという。

 実際、これまでの戦闘で、武のヒュッケバイン・ボクサーは残りヒットポイントが30パーセントを大きく割り込んでいるのに対し、向こうのゲシュペンスト・タイプSは、まだ40パーセント弱のヒットポイントを残している。

 無論、そこにはパイロットの腕という要素も大きく関係しているだろう。こちらは、ゲーム自体が三年ぶりなのに対し、向こうは本人の言葉を信じれば、このゲームの全国大会優勝者だ。正確には三年前に発売されたこのゲームの前バージョンでの優勝者らしいが、この手のゲームはバージョンアップしても、そう大きく操作性は変わらないはずなので、屈指の実力者であるという事実に変わりはない。

「けどまあ、三年ぶりのゲームだもんな。チキンやってるのももったいないよな」

 覚悟を決めた武は、残弾ゲージに目をやり、最後に一枚残ったファングスラッシャーを起動させた。

「そこだっ、くらえっ!」

 武のヒュッケバイン・ボクサーは、ブースト全開の最高速度で隕石の影から姿を現すと、素早く敵機の位置を確認し、右手に持つ十字手裏剣型の投擲武器を思い切りぶん投げる。

 投げ放たれた十字型のそれは、高速で回転しながら外円部に黄色いギザギザのビームを発生させる。ファングクラッシャーという呼び名の通り、ビームの牙を生やした円盤はホーミング機能を発揮し、スペースデブリを迂回して、その奥に身を潜めていたゲシュペンスト・タイプSに襲いかかる。

 無論、敵が黙ってその牙に身をさらすはずもない。

「来たっ!」

 弾丸のように黒いパーソナルトルーパーが、回避運動を取りながらこちらに向かって飛び出してきたのを見て取った武は、してやったりと喜色を浮かべる。

「スラッシュモード、機動っ!」

 次の瞬間、武のヒュッケバイン・ボクサーはボクサーパーツ――外部追加パーツをパージした。パージされたボクサーパーツは一瞬で組み変わり、先の尖ったサーフィンボードのような形態『Gソード形態』へと変形を遂げる。

「いくぜっ!」

『Gソード形態』のボクサーパーツの上に、文字通りサーファーのような体勢で、武のヒュッケバインが立つ。波乗りのように宇宙を疾走する武のヒュッケバインは、超高速でまっすぐ黒いゲシュペンスト・タイプSめがけ突き進む。

『Gソード・ダイバー』。ヒュッケバイン・ボクサー、最大最強の必殺技である。

 発動までが長い上に、かわされれば隙も大きいが、ダメージは絶大……らしい。武が事前説明で聞いた話が嘘でなければ、一発当たれば一気に逆転KO勝利が可能なはずだ。

「てりゃぁああ!」

 無意識のうちに漏れる武の雄叫びに答えるように、向こうの筐体からスピーカー越しに対戦相手の声が届く。

『へっ、受けて立つぜ。喰らえ、『究極! ゲシュペンストキィィィッック!!』

 黒いパーソナルトルーパーが、思い切り大げさな跳び蹴りのモーションで、正面からこちらに突っ込んでくる。

「うおおお!」

『はあああ!』

 ヒュッケバイン・ボクサーの『Gソード・ダイバー』とゲシュペンスト・タイプSの『究極ゲシュペンストキック』。

 両機の最強の必殺技同士が、真正面からぶつかり合った。





『YOU LOSE』

 スクリーンに映る敗北を告げる文字と、力尽きて崩れ落ちる自機を見て、武は大きく一つため息をついた。

「あー、畜生、負けたかあ!」

 そう大きな声で叫び、両手を伸ばして伸びをしたところで、密閉型筐体は自動的に後ろにスライドしていく。そうして筐体から出てきた武を迎えたのは、短い水色の髪を揺らし、のほほんと笑う女だった。

「お疲れ、武。惜しかったね」

 ねぎらうようにポンと肩を叩いた柏木晴子に、武は苦笑を返す。

「惜しくねえよ、完敗だ」

 実際、間違いなく完敗だった。向こうはあえてこちらより弱い機体を選択してくれて、宇宙空間戦闘でも上下が固定される準イージーモードでプレイして、相手のヒットポイントを半分ちょっとしか削れずに撃墜されたのだ。武の感覚からすると「完敗」以外の何ものでない。

「で、でも、白銀は初めてだったんでしょ? それを考えたら、凄い良くやったと思う」

 何故か必要以上に力を込めて慰めの言葉をかけてくれたのは、涼宮茜だ。両拳をグッと胸の前で握って力説し、トレードマークとも言うべき白いバンダナで止めたショートの赤髪を弾ませている。

「あ、ああ。サンキュ」

 とりあえず礼の言葉を返しながら、武は内心首をかしげる。なぜ、茜はこんなに一生懸命自分を慰めようとするのだろうか? こう言っては何だが、たかがゲームで負けただけだというのに。

「私も挑戦してみようかしら。あ、でも別な機体の操縦の癖がついて、戦術機の操縦に影響したら問題かな……」

 武が降りた「バーニングPT」の筐体側面に書かれている基本操作方法を熱心に読みながら、ブツブツ言っている茜のその言葉を聞き、武はやっと得心がいった。

(ああ、そうか。こいつ、これが「ゲーム」でただの遊びだって認識がないんだ)

 元々コンピューターゲーム自体が存在しない世界の住人である茜の目には、この「バーニングPT」は、パーソナルトルーパーという人型機動兵器を操るための簡易シミュレーターマシンにしか映らないのだろう。

 何と説明すれば良いのだろう? そもそもコンピューターゲーム自体今日初めて見る人間に、この手のリアルなゲームと、軍用シミュレータの違いを説明するのは難しい。 

 それでも武はボリボリと頭をかきながら、一生懸命説明する。

「ああ、なんていうかな。ほら、これは遊びなんだよ、シミュレーターじゃない。分かるか? 別段これで強かったからって実際にこういう機体に乗って強いって事にはならないんだ」

「いや、そんなことないぜ。実際、この「バーニングPT」はかなりの部分、パーソナルトルーパーのコックピットと似せてるんだ」

 そんな武の説明を否定するような声が後ろからかけられる。

 思わず振り向いたそこには、こちらに向かってゆっくりと歩み寄ってくる、茶色い髪の青年の姿があった。

 リュウセイ・ダテ少尉。αナンバーズ所属SRXチームの一員で、特機バンプレイオスのメインパイロットを務めている人物であり、つい先ほど、ゲシュペンスト・タイプSで武のヒュッケバイン・ボクサーを撃墜してくれた張本人でもある。

「リュウセイ、それマジか?」

 武は気安い口調でそう言葉を返す。リュウセイ達αナンバーズ本隊留守番組と対面を果たしたのは今朝の事だが、半日もしない間に、武とリュウセイは、互いを名前で呼び合うくらいに打ち解けていた。

「おう、マジマジ。武くらいの腕があれば、実機でもすぐに動かせるようになるんじゃないか? もっとも武は念動力者じゃないから、実機で『Gソード・ダイバー』は使えないだろうけどな」

 青を基調とした地球連邦軍の制服姿のリュウセイは、笑いながらそう言った。ちなみに武達も全員黒い国連軍の制服姿である。事実上ただの息抜きと顔合わせであっても、形の上では武達はエルトリウム艦内都市の視察という任務中で、リュウセイ達αナンバーズ機動兵器部隊の面々はその案内役兼護衛役ということになっているのだ。制服姿なのは当然である。

 本来ならば、軍服姿の集団がゲームセンターに屯していたら、悪目立ちしそうなものだが、ここではその心配もない。注目を集めようにも、彼ら以外の人影がほとんど見あたらないのだ。

 武は改めて広い店内を見渡し、ポツリと呟く。

「本当に、人が少ないんだな」

 その呟きに、ちょっと笑いながら答えたのは、いつの間にかリュウセイの後ろに立っていた、二十歳前後の女士官だった。

「仕方がないわね。元々エルトリウムの艦内都市は、100万人規模の人口を住まわせる予定で作られたのに、今のエルトリウムの総人口は10万人程度だから。サービス業に裂ける人手は無いに等しいわ」

「あ、コバヤシ大尉」

「アヤでいいわ、白銀少尉。うちでは、階級なんてあってないようなものだから」

 慌てて姿勢を正す武に、SRXチーム所属アヤ・コバヤシ大尉は笑いながら、そう答えた。

「はい、それじゃ、ええと、アヤさん」

 言葉を返しながら、武の視線はアヤの服装に注がれる。アヤの格好を見れば、なるほどαナンバーズがどれくらい規律の緩い軍であるかよく分かる。基本はリュウセイが着ている制服と同じなのだが、一見してそれは軍服とは思えないくらいに改造が施されている。
 本来は長袖であるはずの上着は、ノースリーブどころかショルダー部分すらなく、チューブトップのように胸の凹凸で引っかけているだけだし、下は膝上20センチ以上の超ミニのタイトスカートだ。しかもサイドには結構深い切れ込みが入っている。

 肘まである長い手袋と、膝まである長いブーツをつけているので、全体の肌の露出はさほどでもないが、腕、肩、胸の谷間、太股といった扇情的な部分の露出は異常に激しい。

 衛士の強化装備と良い勝負が出来そうな、大胆な服装だ。

 しかもそのくせ、アヤ本人の言動はむしろ、常識人的な落ち着いたものであるため、武達は最初アヤの格好が「なにかの罰ゲーム」なのかと勘ぐったぐらいだ。

 しかし、午前中の様子を見たところ、この服装は誰かに強制されているわけでもなく、完全に本人の趣味のようだ。人間性と服飾の趣味は必ずしも一致しないということなのだろうか。

「しっかしなぁ、このゲームは色々隠し機体の噂あったんだぜ。「ダイゼンガー」とか「ヒュッケバインMkⅢ・トロンベ」とか。で結局ほとんどガセでよう、隠し機体は「ビルトビルガー」「ビルトファルケン」「ビルトラプター」の三機だけだったんだよなあ」

 期待はずれと言わんばかりにがっくりと肩を降ろすリュウセイの肩をぽんぽんと叩きながら、武が慰める。

「い、いや、でももしかしたらまだ隠れてるのかも知れないぜ。滅茶苦茶出現条件厳しいとか」

 だが、リュウセイはそんな武の慰めに眉をしかめたまま首を横に振る。

「いや、俺もそう思ってよ。前に、キラに頼んでプログラムをバラしてもらったんだ。けど、成果はゼロ。隠し機体はないってよ、ッて、痛てぇ!」

 無念そうにそう言うリュウセイは途中で背後から後頭部に拳骨を落とされ、悲鳴を上げた。

「って、なにすんだよ、ライ!」

 やったのは、リュウセイと同じSRXチームの一員、ライディース・ブランシュタイン少尉である。典型的な欧米系の顔立ちで、長い金髪を靡かせた真面目そうな男だ。

「それはこっちの台詞だ。お前は、キラに何をやらせてるんだ。立派に犯罪だぞ!」

 思い切りどやしつける同僚の言葉に、多少は自覚があったのかリュウセイはちょっと視線を逸らしながら、言い訳をする。

「い、いや、大丈夫だって。やったのはエルトリウム艦内だし、もちろん違法改造なんかはやってないぜ?」

「もう、そう言う問題じゃないでしょ、リュウ。でも、よくあの真面目そうなキラ君がそんな悪巧みに乗ったわね」

 ため息混じりにしかるアヤの言葉に、リュウセイは、

「いや、最初はあいつも渋ってたんだけどさあ。何度も一生懸命頼み込んでいるうちにOKしてくれた。あいつ、良い奴だから」

 そう笑顔で答えるのだった。

 なるほど、人格的には良い奴でも、気が弱くて押しに弱いタイプは、周囲の人間次第で白にも黒にも染まるということなのだろう。

(ようは夕呼先生に無茶に巻き込まれる、まりもちゃんみたいなもんか)

 そんなことを考えながら、リュウセイ達の会話を聞いていた武の腕を、突如何者かが後ろから思い切り引っ張る。

「うわっ!?」

「白銀っ、あんた、カードの残高どのくらい残ってる!?」

 それは、両目にランランと闘志の炎を宿した、武の上官――速瀬水月中尉であった。

「速瀬中尉? え、カードですか? まだ、ゲーム2,3回やっただけだからほとんど残ってますけど……」

「ちょっと貸して!」

 水月は有無を言わさぬ勢いで、ずいと手の平をこちらに差し出してくる。

 武達伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々は、事前にエルトリウム艦内都市で使える電子マネーをチャージしたカードを、一人一枚ずつ配布されている。衣食住に金がかからない5日間の資金とすれば、十分な金額のはずなのだが、悪い予感を感じた武は、水月に問いかける。

「貸してって、まさか速瀬中尉、もう全部使っちゃったんですか!?」

 今日はまだ五日間の二日目、自由行動を許されたという意味では、初日である。

「んなわけないでしょ! この後、遙とブティックで服買う約束してるから無駄使いは出来ないだけよ。でも、何としてでもあれを取らないと私の気が収まらないの。分かった? 分かったら、3,2,1,はいっ!」

 そう言って水月がビシッと指さす先には、大きなぬいぐるみの「UFOキャッチャー」が鎮座していた。

 ああなるほど、と武は頭の隅で納得する。あれは、攻略法を知らない人間にとっては魔物だ。格闘ゲームやシューティングゲームならばどんなへたくそでも、1コインで2,3分は遊べるが、UFOキャッチャーは下手な奴がやると分単位で札が一枚ずつ財布から消えていく。

 それにしても、自分の金は今後の予定上これ以上使えないから、部下に集るというのか。

「む、無駄遣いできないんなら、無駄遣いしないでくださいよ!」

「だから、無駄遣いしないためにあんたにたかってるんじゃない!」

「それ無駄遣いしないっていいませんって!」

「いや、速瀬中尉? 欲しいぬいぐるみがあるんなら俺取りますよ?」

 エキサイトして武の肩をグラグラ揺らす水月の様子を見かねたのか、横からリュウセイが遠慮がちにそう提案した。

「いや、それは無理みたいだぜ、水月ちゃんは自分で取りたいんだと」

「女の我が儘を笑って聞いてあげるのが、いい男の甲斐性ってものよ、武くん」

 リュウセイの提案に笑いながら、そう言ってきたのは、グッドサンダーチームのキリー・ギャグレイとレミー・島田の両名である。

 金髪でどこかアウトローの雰囲気を漂わせたキリーと、同じく金髪でちょっと妖艶な雰囲気を纏った女のレミー。これにリーダーである北条真吾を加えた三人が、特機『ゴーショーグン』を操るグッドサンダーチームの面々だ。

 基本的に子供が大半のαナンバーズの特機乗りには珍しく、グッドサンダーチームの三人は全員成人している。

「大丈夫よ武君。水月だってそんな無茶はしないから、ねえ、水月?」

「え? あ、うん。もちろんよ、レミー。ほら、あとちょっとで取れるのよ。だから、いいでしょ」

 この数時間で打ち解けたのか、互いに名前で呼びある水月とレミーの様子に、武はちょっと考えた後、「分かりました、すぐ返して下さいよ」と言いながら、マネーカードを渡した。

 なんだか水月の言いようが、帰りのガソリン代までパチンコにつぎ込むおっさんのようでかなり不安ではあったが、どのみちこのカードは、エルトリウム艦内都市でしか使えないのだ。5日後には使い道がなくなるあぶく銭と思えば、そう惜しいものでもない。

「あ、でもそれで霞達にお土産買うんですから、使い切らないで下さいよー!」

「分かってる!」

 武からカードを借り受けた水月は、そう手を振って答えながら、猛然とプレイコイン自販機へと突撃していくのだった。









【2005年2月17日、日本時間13時00分、小惑星帯、エルトリウム艦内・特別会議室】

 武達伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々が、αナンバーズ本隊留守番組と共に艦内都市でゆっくり羽を伸ばしていた頃、各国の科学者達とαナンバーズの科学者の間には、かねてから予定されていた『技術交流会』の場を設けられていた。

 αナンバーズサイドからは、各分野から科学者・技術者が合わせて30名ほど。現場の責任者として大空魔竜の十文字博士と、司会進行役としてエルトリウム副長が出席している。

 国連各国からは当然、こちらに来ている科学者全員が出席している。その数は50名ほどになるだろうか。この間の大会議室での初会合ほどではないが、合計80名近い人数での話し合いである。空調が完備されていても、室内には熱気が充満する。

 当初は互いの認識に齟齬がありすぎて、中々前に進まなかった会合も、国連側の代表格である老科学者が「原則、こちらが質問をしてαナンバーズの方々がそれに回答すると言う形を取ってはどうか?」と提案してからは、ある程度有益な話し合いになっていったのであった。

 最初は、大ざっぱにαナンバーズの科学力で可能な事象を、想像の及ぶ範囲で、この世界の科学者達が質問していく。

「核融合炉は実用化されているのか?」

「重力制御は?」

「慣性制御は?」

「空間制御は?」

「時間制御は?」

「テラフォーミング技術は実用レベルにあるのか?」

「元素転換は可能なのか?」

「永久機関は存在するのか?」

「超光速移動は可能なのか?」

「空間跳躍技術は確立しているのか?」

 半分くらいはすでに実在していることが分かった上での確認だが、この世界の常識では、どれも荒唐無稽な夢のような話ばかりである。

 アメリカから派遣されている科学者の一人が、「こんな事を聞くのなら、科学者だけでなく一人くらいはSF作家を混ぜておくべきだった」と苦笑混じりに漏らしたほどだ。

 だが、αナンバーズサイドの返答は、その大半の質問に対し「YES、もしくは限定的ながらYES」というものであった。

 質問がさらに突っ込んだものに移行すると、質問する科学者達の興奮は否応なく高まっていく。

「超合金ニューZという金属は、超高温でも温度変化を起こさないとのことですが、ではどうやってあの形に変形しているのですか? 破損した場合の修理方法は?」

「『超電磁エネルギー』について詳しく教えて下さい。それは磁力とは違うのですか? 原子力エンジンからどうやって『超電磁エネルギー』を取りだしているのですか?」

「『元素転換装置』に必要な技術レベルはどの程度のものなのですか? 『元素転換装置』があるのなら、そちらの世界では、「レアメタル、レアアース」という概念は存在しないのですか?」

「エネルギー自身に聞いてみなければ分からない、というのはどういった意味なのでしょう? まさか、文字通りの意味なのですか? ゲッター線とビムラーについて詳しく!」

 それらの質問の大半は、機密上答えられないものか、大文字博士の知識を持ってしてもそもそも答えようのないものであった。特機のエネルギーは、原則それぞれ専門の天才だけが理解しうる代物だ。あの、シュウ・シラカワ博士やビアン・ゾルダーク博士でも、光子力エネルギーや、ビムラー、ゲッター線といった各特機の中枢に関しては、完全な理解は出来ていないのが現状だ。

 混沌とした熱気にあふれかえる会場を、手を挙げて納めたのは、やはり最初に提案をしたフランス人の老科学者だった。

「落ち着きたまえ、諸君。知的好奇心は、科学者として誇るべき習性だが、今はそれを全開にしている場合ではないと思う。今の我々は、たとえて言うならば「ライトフライヤー1号を完成させる前に、戦術機の匍匐飛行を見てしまったライト兄弟」のようなものだ。こちらの理解を超えた科学技術はかえって、科学の進歩を阻害する恐れがある」

「……まあ、それは」

「確かに……」

 仮にも各国を代表する科学者達だ。その言葉の意味を理解できない者はいない。理性を取り戻した科学者達は、いつの間にか上げていた腰を、ゆっくりと席へと戻す。確かに初めての有人動力飛行機械を完成させる前のライト兄弟に、戦術機の匍匐飛行を見せても、何の助けにもならないどころか、大きな害となる可能性のほうが高いだろう。

 科学者の本能としては、知的好奇心を満たすことを優先したいのだが、今彼らがここに派遣されている理由は、αナンバーズの技術を有益な形で吸収し、今後の対BETA戦線に役立てるためだ。

「では、今度はそちらの世界の兵器、エネルギー源、インフラ設備などについてご説明頂けますか。それを聞けば、何か画期的なアドバイスが出来るかもしれません」

 エルトリウム副長の言葉に、国連各国の科学者達は、互いに頷きあい、それぞれ己の専門分野の科学技術について語り始めるのだった。





 会合はいつの間にか、全体で一つ大きな話をするのではなく、室内にそれぞれ数人から十数人の塊を作り、話し合う形になって言っていた。 

「なるほど、やはりそうなりますと、我々にとって一番実現に近い技術は、『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉』になりますか」

「ええ。「ミノフスキー粒子」という存在以外は、我々が実験室レベルで作っている核融合炉と理論上の違いはありません」

「しかし、このミノフスキー粒子というのはつくづく反則ですな。原則人体に害が無く、自然に立方格子構造を取ることでエネルギーから放射線まで遮断してくれるとは」

「うむ。まるで、このためにあつらえたような都合の良い性質ですな」

 話が進むにつれて、やはり一番最初に現実レベルで注目を浴びることになったのは、ミノフスキー粒子関連の技術だ。

 この世界の科学者達は、ミノフスキー粒子発生装置さえあれば、核融合炉に関してはかなり早い段階で実現可能なのでないか、という感触をつかんでいた。もっとも、そのミノフスキー粒子発生装置がかなり謎の存在のため、完全にミノフスキー粒子関連の技術を我がものとするには、まだ時間が必要なのも間違いない。

 無論、比較的模倣が可能そうで有益な技術はそれだけではない。1G下でも生成可能な幾つかの合金。量産型モビルスーツに多用されている、セラミック装甲。この世界のものより遙かに高性能なソーラー発電パネルなど。

 すぐには無理でも、このαナンバーズに技術指導を受ければ、十年前後で実用化が見込める技術がポロポロある。

 そういった全体的な技術について話し合っている者達がいる一方で、もっと即実的な狭い範囲での話をしている者もいる。

「で、ありますから、我が国に取って水陸両用戦術機の新規開発は必須と言えるのです。聞けば、モビルスーツという機体には水陸両用機も多数存在するとか?」

 そう隅の方で話をしているのは、細身で縁なし眼鏡をかけた神経質そうな中年の白人である。

 彼はイングランド人であり、ここで言う我が国とはイングランド、もしくはイングランドを含むイギリスを指す。

 確かに、海の向こうにBETAの支配地域を持つイギリスにとっては、水陸両用戦術機の存在は大きい。最もグレートブリテン島から近かった甲12号ハイヴ――リヨンハイヴは、数年前にアメリカ主導の国連軍の手によって攻略されているが、それでもヨーロッパ大陸は未だにそのほとんどがBETAの支配地域だ。

 BETAがイギリスを襲ってくるときは必ず海中を通ってくるのだし、こちらからハイヴ攻略戦を行う場合にも、水中からの揚陸作戦は極めて強力な手札となる。水中、水上戦力の重要性は疑いない。

 だが、この世界の水陸両用戦術機は、1977年に配備された『A-6イントルーダー』からほとんど進んでいないのが状況だ。一応5年前の1999年に第三世代戦術機の技術を応用した新型水陸両用戦術機、『A-12アベンジャー』が開発されているが、アメリカ以外での配備はあまり進んでいないのが、現状だ。

 イギリスと同じ島国で、ついこの間まで国内にハイヴを抱えていた日本でも、水陸両用戦術機はA-6イントルーダーの帝国版『海神』が主力だったという事実からもそれは分かる。

 優れた水中用機体の存在は、今後の戦略を一変させる可能性を有している。

 話を向けられたαナンバーズの技術者は、手近なコンピューターを操作し、水中用モビルスーツのカタログスペックをプリントアウトしながら、胸を張って答えた。

「ええ、ありますよ。アッガイを筆頭に、ゾック、ゾゴック、ジュアッグ、アッグガイ等。非常に多種多様に存在しています。カタログスペックデータをお渡ししますので、何かの参考にして下さい」

 そう言う男が名前を上げる水陸両用モビルスーツは、全て旧ジオン公国製のものだ。もしかすると男自身、旧ジオン系の技術者なのかも知れない。

「ありがとうございます。感謝します」

 イングランド人の科学者は、神妙に礼を述べながら、水中用モビルスーツのデータを受け受け取るのだった。









【2005年2月20日、日本時間19時12分、小惑星帯、エルトリウム艦内】

 各国代表団のエルトリウム訪問。その5日に渡る日程が無事に終わろうとしていた。

 この5日間、各国代表にとって収穫は多かったとも少なかったとも言える。

 技術提供や、戦力的な支援についてはかなりの部分で色よい返事を聞き出すことに成功した外交官達であったが、結局誰一人としてαナンバーズの隠された真意を探り当てることは出来なかったのだ。

 今回の結果に、ホッと胸をなで下ろしているのは、日本帝国の関係者だろう。各国代表団は随分と表に裏にαナンバーズに秋波を送ったようだが、αナンバーズは少なくとも当面は、先行分艦隊の駐在地も地球上の補給物資生産基地も、日本から移転するつもりはないと答えたのだから。

 他国からすれば「日本ばかりずるい」と言いたいところだろうが、日本としてはαナンバーズ先行分艦隊の存在は、文字通り「命綱」なのだ。ここで命綱を切られれば、支えを失った日本帝国はズブズブとどこまでも沈んでいくしかない。

 元々、日本にせよそれ以外の国々にせよ、高々5日間の滞在中に、そう大きな進展があると期待していた訳ではない。αナンバーズが本当に異世界の存在であるのかという確認と、その戦力及び科学技術力に対する大ざっぱな評価が出来れば、最低限の目的は果たしたといえる。

 そう言う意味では限定的とはいえ、技術提供と戦力提供について色よい返事をもらえただけ僥倖と言うべきだろう。むしろ、アメリカを初めとした国際社会を主導する大国の間では、αナンバーズの真の目的が判明しないまま、これ以上彼らの戦力を地球上に降ろすことに対し、懸念の声が上がっている。

 国土を失っているユーラシアの各国からすると、「そんな悠長なことを言っている場合ではないだろう」と言いたいところだが、「異星起源生命体を追い払い、代わりに異世界人に地球を支配されたとなれば元も子もない」、という彼らの主張もごくまっとうなものであるため、あまり強いことも言えない。

 結局各国の代表団は、今後技術支援はともかく、戦力を直接借り受ける場合には、国連安保理の承認を得るべきだという方針で、見解の一致を計ったであった。無論、すでにαナンバーズと直接条約を結んでいる日本は例外である。

 そんなルール無用のカードゲームのような、腹の探り合いも今日の午後まで。最後の夜、大広間で催される立食会は、そういった生臭い話、きな臭い話は忘れて純粋に美酒と美味な料理を愉しむ場である。まあ、もちろんそんな表向きのお題目を四面四角に守るような人間が、外交の世界にいるはずもないのだが。






「いや、流石にこの船の食材はどれも一級品ですな。正直、持ち帰って祖国の料理人に思う存分腕を振るわせてやりたいものです」

 EUの代表としてこの場に立つ、フランス人のシャルル・ペリゴール外交官は、あながちお世辞とも思えないほどとろけきった笑みを浮かべながら、マクシミリアン・ジーナス大佐と杯を合わせた。

「ありがとうございます。この世界でも、フランスは美食の文化を誇っているのですか」

 マックスは、50過ぎとは思えない若々しいハンサムな顔に、社交的な笑みを浮かべながらそう返す。

「ほう、そのおっしゃりようですと、そちらの世界でも我が国の料理は名をはせているようですな。いやいや、なんだか我がことのように誇らしくなります」

 実年齢で10歳、外見年齢で40歳くらいマックスより年上に見えるペリゴール外交官は、朗らかに笑う。

 彼の祖国フランスは、現在本領を丸ごとBETAに占領され、アフリカや中南米にある幾つかの領土を残すのみとなっている。数年前に、フランス領にある甲12号ハイヴはG弾の集中投下によって攻略されているが、国土は取り戻せていない。万が一、取り戻すことが出来たとしても、かつてのような葡萄や小麦の栽培や、肉牛の牧畜は不可能だろう。土壌が汚染されているだけならともかく、土地の凹凸を残らず削り取られたのだ。国土の気候が激変している。

 今やフランス人も、よほどの富貴層以外は合成食料しか口に出来ない。まあ、それでも「天然素材のアメリカ料理より、合成素材のフランス料理の方が美味い」と胸を張って言う辺り、フランス人の食に対するプライドが見える。

「我々の世界では、国と言うより地域名というイメージですが、フランス料理と言えば高級料理です。またルーブル美術館に代表されるように、芸術の分野でもフランスは高い名声を残しています」

 マックスがあまり多くない知識を思い出しながら、失礼がないように話を弾ませる。

「ああ、それは良いですな。この世界では、栄光のルーブルももうありません。ですが、そこに納められていた美術品の主要なものは全て、国外に退避させて無事です。良かったら一度、見に来ませんかな。歓迎しますぞ」

「機会があれば」

「おお、お待ちしています」

 マックスとしては少々拍子抜けすることに、ペリゴール外交官は、生臭い話は一際せず、ただ朗らかな世間話だけを済ませて、マックスの元を去っていった。





「ふむ。こんなところか」

 白ワインの入ったグラスをテーブルから拾い、壁際に一度避難したペリゴール外交官は、酷使してきた喉をワインで潤すと、小さな声でそう呟く。

 ペリゴール外交官は、この場で特に焦って話を進めるつもりはなかった。今はまず、出来るだけ多くの人間に顔を売り、可能な限り好印象をすり込むのが先だ。

 ペリゴール外交官は、現状を全く暗いものと捉えていない。

 確かに、αナンバーズは、正面から事を構えるわけにはいかないくらいに隔絶した科学技術と戦力を有する集団で、その真の目的も現時点では皆目見当もつかない。しかし、彼らは明確にBETAとは違う存在だ。なぜなら、彼らは話の通じる相手なのである。

 会談のテーブルに着くことが出来れば、例え立場が天と地ほど離れていても、交渉を成立させる余地はある。

 自慢ではないが、フランスは、歴史上常勝の国ではない。だが、例え戦争で負けてもフランスはその歴史の大部分において、「大国」としての立場を守り抜いてきた。

 かつてあのナポレオンが、『ロシア戦役』で大敗したときも、最後には敗戦国でありながらフランスは、戦勝国であるロシアとほぼ対等な条約を結んで見せた。

 第二次世界大戦でも正直ほとんど良いところはなかったが、最後は戦勝国の側に並び、戦後は国連安保理の常任理事国となった。

「ようは全体を見渡すことだ。自体が動けば隙間は必ず生まれる」

 そのためにも今は目先の利益よりも、αナンバーズの中枢メンバーの人なりを知り、よしみを結ぶことを優先する。

 喉を潤し、一息ついたペリゴール外交官は、再び人好きのする笑顔を浮かべながら、人波の中にその枯れた身体を滑り込ませていった。






 一方、アメリカの代表である、ジョージ・アップルトン外交官は、ペリゴール外交官とは全く正反対の行動を取っていた。αナンバーズ側の本丸とも言うべきタシロ提督の側に張り付き、しきりに自分たちの構想を話し、協力を取り付けようとしていたのである。

「どうでしょうか。月面ハイヴが存在する以上、地球大気圏外でのハイヴ着陸ユニット迎撃の重要性は、ご理解頂けるかと存じます。その上で、あえて率直に申し上げれば、迎撃用の宇宙戦闘艦を地球上から打ち上げるのは非常に重い負担なのです」

「それは、理解できます」

 単刀直入なアップルトン外交官の言葉に、タシロ提督は重々しい仕草で頷き、同意を示す。

 実際、アップルトン外交官の言葉には一切嘘がなかった。この世界の技術で用意出来る宇宙戦力はせいぜい、再突入駆逐艦と小型の静止衛星くらいだ。

 静止衛星で月からやってくる着陸ユニットを監視し、動きがあり次第、再突入駆逐艦を打ち上げ核ミサイルで迎撃する。もしくは、定期的に再突入駆逐艦を宇宙空間に待機させ、防衛網を敷く。

 どちらにせよ、資源、資金、人材、全ての面において莫大な負担がかかる作戦であることは、少し考えただけで理解できるだろう。

 なにせ、全てが有人機だ。万が一にも事故がないように修理は万全にしなければならないし、小さな船内ではパイロットのストレスが溜まるため、あまり長期間宇宙空間に放っておくことも出来ない。必然的に、打ち上げ、再突入を短いサイクルで何度も繰り返すことになる。そうなれば、ローテーションを円滑に回すために、より多くの宇宙船パイロットが必要となるし、機体の整備もよりいっそう厳重に行う必要がでてくる。

 そう考えると、カシュガル、アサバスカ以来、月からの着陸ユニットを全て宇宙空間で迎撃している国連宇宙軍――アメリカは実によくやっていると言えるだろう。賞賛に値する戦果だ。

 だからこそ、各国の代表団はアップルトン外交官の言葉を耳にしても割ってはいることも出来ず、ただ固唾を呑んで状況を見守ることしかできない。

「月と地球の間の『ラグランジュ点』にあなた方の言う「コロニー」というものを建設することは出来ないでしょうか? 最初はそちらの全面的な協力が必要ですが、すぐにその技術を吸収し、そちらの手を煩わせることがないようにするつもりです。無論、必要な物資、資金は全てこちらでご用意します」

 アップルトン外交官の提案は、ラグランジュ点に、補給物資を一時的にストックしておく場所と、パイロットの休憩施設を兼ね備えたコロニーを建設するという提案であった。

「確かに、現状を好転させるには有効な手段だとは思いますが」

 流石にタシロ提督も即答できず、言葉尻を濁す。もし、その要求を受け入れるとすれば、今まで予定していた技術提供や物資提供など吹き飛ぶ規模の支援だ。だが、早急に月面のハイヴを駆逐できないのならば、宇宙空間での着陸ユニットの迎撃は必要不可欠なものであることも事実。

 正直、αナンバーズとしてはそんなことをするより、月近くにエルトリウムを送り込んで、光子魚雷のつるべ打ちで月ハイヴをガリガリ削る方がずっと速いし手間もかからないのだが、悪いことにこの世界の人類は火星と違い、月には一度その足を降ろし、月面基地を作っているという実績がある。

 これは、明確に月面は、この世界の人類の主権が及ぶ地であると言うことを意味する。火星と違い、αナンバーズが無許可で好き勝手暴れるわけにはいかないのだ。

「ええ、もちろんこの場で即答が頂けるとは思っていません。ですが、ご一考いただけないでしょうか」

「分かりました。一度議題に挙げることはお約束します」

「おお、ありがとうございます!」

 タシロ提督の返答に、アップルトン外交官は、いかにもアメリカ人らしいオーバーアクションで感激を現した。

 そして、最後に何気ないように付け加える。

「本来ならば宇宙空間の補給・『修理』基地は必要不可欠なのです。再突入駆逐艦は、着陸ユニット迎撃だけでなく、我々の足としても、地上BETAに対して機動爆撃を行うにしても、重要な役割を果たしていますから」

 その言葉で、この場にいる何人かはアップルトン外交官の狙いの一つに気がついた。

 スペースコロニーの補給・『修理』基地。それは、取りも直さずそのコロニー内に一定レベルの工場を造ることを意味している。

 科学者達の「技術交流会」の報告書で、αナンバーズの技術に、無重力もしくは低重力でのみ製造可能な合金や技術が多数あることがすでに知らされている。

 初代ガンダムの装甲として有名なルナ・チタニウム合金(ガンダリウム合金)を筆頭に、ガンダニュウム合金、各種発砲金属、フェイズシフト装甲など。無論、これらは無重力空間に工場があれば即に再現可能なほど容易い代物ではないが、このコロニーが完成すれば、アメリカだけ無重力合金技術において大きく前進することは間違いない。

 一応形の上ではそのコロニーも「国連宇宙軍」に所属することになるのだろうが、実際にはトップから末端までアメリカ人で固めることだろう。事実、人類が手に入れた二つ目の生きた反応炉を有するハイヴ、甲9号ハイヴ跡のアンバール国連基地は、アメリカが独占している。スペースコロニーもまず間違いなく、同じ処置をとるはずだ。

 何より憎らしいのは、現状ではどの国も、表だってアメリカの提案を妨害できないと言うことだ。なにせ、言っていることは一から十まで正論だし、アメリカ以外ではどの国も「では我が国も」と手を上げることもできない。

 宇宙空間にスペースコロニーを作る。一体どれくらいの資金と資材を必要とするか。ほとんどオルタネイティヴ5の移民船団をもう一度作るくらいの負担がかかるのではないだろうか。とてもではないが、真似は出来ない。アメリカ以外の全国家が一致団結しても不可能かも知れない。

 改めて、この世界の地球の盟主はアメリカで揺るがないのだと、嫌でも認識させられる。

「「「…………」」」

 場の空気が悪くなったのを察したブラジルの代表は、さも今思い出したように手を叩き合わせると、タシロ提督の所に近づき声をかける。

「失礼します、提督。そう言えば、ミス香月の話では、αナンバーズの皆さんは、ミス香月の発したSOSを聞き、この世界にいらしたとか」

「ええ、そうです」

 ラテン系らしい、いかにも明るいキャラクターのブラジル代表の言葉に、濁った空気は一時的に浄化されたかのように思えた。

 ブラジルの外交官は、興味深げな顔で次の質問をタシロ提督に投げかける。

「では、元の世界に戻るタイミングはどう考えているのでしょうか? 図々しい話になりますが、我々としてはやはり太陽系からBETAを駆逐するまではお力添えをお願いしたいところなのですが」

 ストレートな物言いも、ラテン系の特徴なのだろうか。あまりにはっきりとした問いかけに、会場は再び緊張感に包まれる。

 しかし、そんな雰囲気に気づいているのかいないのか、タシロ提督は白い口ひげを歪めるようにちょっと苦笑を漏らした。

「ええ、もちろん最低でも太陽系の安全を確保するまでは、お手伝いさせていただくつもりです。ですが、その後すぐに帰るのか、と聞かれますと……」

 語尾を濁すタシロとブラジルの外交官は、右の眉をピクンと上げ質問を重ねる。

「なにか、事情が?」

「はは、お恥ずかしながら。無論、香月博士のSOSを聞いてきたというのも事実なのですが、それ以外にも幾つか偶発的な要素が重なり、我々はこの世界に来てまして。端的に申し上げると、現状では帰る手段が確立出来ていないのですよ」

 どのみちいつまでも隠しておけるたぐいの話ではないし、場合によってはこの世界の人類に協力を仰ぐ必要もある。そのため、現時点でαナンバーズが「帰れない」のだという情報を明かすことは、数日前の艦長会議で決めていたことである。

 だが、もちろんそれは、αナンバーズサイドでの話であり、地球の各国代表団にとってはまさに、寝耳に水の話である。

「……それは、なんといいますか……大変ですな……」

 最後の最後で暴露された特大の爆弾情報に、真偽も分からないまま各国の代表達は、沈黙を余儀なくされるのだった。









【2005年2月25日、8時17分、横浜基地、地下19階、香月夕呼研究室】

 研究室で香月夕呼は珍しく、テレビを見ていた。

 テレビの中では、国連事務総長ジョーダン・オポクと、αナンバーズ全権特使大河幸太郎が、がっちりと握手を交わしている。

『今、人類の歴史上初めて、地球人類と異世界の人類との間に、友好条約が結ばれました!』

 アナウンサーが興奮した声でしきりに叫んでいる。

 中々に素早い動きである。5日間に渡るエルトリウム滞在を終えた各国の代表団が、戦艦バトル7で地球に戻ってきたのが昨日のこと。昨日の今日でいきなり、αナンバーズの存在を公式に「異世界の友人」と認め、全世界に向かって発表するというのは、ずっと前から事前準備を整えていた以外のなにものでもない。

 これで、αナンバーズは正式に異世界からやってきた独立自治組織と認められたわけだ。

 散々αナンバーズを、「香月夕呼直属の秘密特殊部隊」と勘違いされていた夕呼は、また手札が一枚オープンになったという喪失感と共に、これであほな連中を相手に電話対応しなくてすむ、という安堵感に包まれている。

「ふーん、やっぱりαナンバーズは国連の外に位置することになるか」

 夕呼は椅子の肘掛けに肘を乗せ、頬杖を突いたまま、左手でコーヒーの入ったマグカップをデスクの上から持ち上げ、中身をすする。

「あら? 美味しい」

 それは、数日前、新たにαナンバーズ先行分艦隊に合流した「アンドリュー・バルトフェルド」と名乗る片眼片腕片足の男が、「お近づきの印」と言って持ってきた彼特製のオリジナルブレンドコーヒーだったのだが、随分と夕呼の舌に合ったようだ。

 美味しいコーヒーに少し、気分を良くしながら夕呼は、テレビに映る情報について考える。

 国連の代表と、αナンバーズの代表が対等に握手を交わす。それは、端的に言えば国連とαナンバーズが原則対等であることを意味する。

 つまり、国連の加盟国である各国は、国連を通さずにαナンバーズと直接交渉を持つことが難しくなると言うことだ。

 たとえて言えば、EUとその加盟国の関係で考えればわかりやすい。EUがEU外の国、例えばアメリカに対して何か声明を発表したとして、その後EU加盟国のフランスやイギリスが、EUの発表と矛盾する声明を発表したらどうなるだろうか?

 EUの結束が疑われ、その発表にEU外の国々は重きを置かなくなるだろう。

 国連と加盟国もそれと同じ状況だと思えばいい。

 今後は、国連安保理の承認なしに、各国が勝手にαナンバーズに軍事支援を打診することは、原則出来なくなる。無論、複雑怪奇な国際社会のこと、何らかの抜け穴は存在するだろうが、それはあくまで抜け穴、裏口に過ぎない。

 そう言う意味では、国連とαナンバーズが握手する前に独自に条約を結んだ国は、実に美味いことをやったといえる。

 美味いことをやった国。その国の名前は、日本帝国、そして『統一中華戦線』という。

 エルトリウムに向かった各国代表団が戻ってくる1日前。つまり一昨日、統一中華戦線は、日本帝国と共同声明で「湖南省、江西省、浙江省」の三省の租借条約を発表したのである。まさに滑り込みだ。

 同時に統一中華戦線は、日本帝国及びその「友好国」「同盟国」と力を合わせ、近日中に『甲16号重慶ハイヴ』を攻略することも、宣言した。

 日本帝国と違い、直接αナンバーズと条約を結んだわけではないので、今後はどう判断されるか分からないが、少なくとも国連とαナンバーズの握手が成立する前に発表された『甲16号ハイヴ攻略戦』に関しては、日本帝国の「同盟国」であるαナンバーズの力を借りることが可能だろう。

 どうやら、次の主戦場は、順調にいけばアジア大陸になりそうだ。夕呼はマグカップから立ち上る湯気で顎を濡らしながら、考える。

 そうしている間に、入り口のドアがコツコツと二回ノックされた。夕呼が呼び出していた人間が来たのだろう。

「開いてるから、勝手に入ってきなさい」

 夕呼は椅子に座ったまま、大きな声でドアの向こうに向かってそう言った。

 夕呼の声を受けて、入ってきたのは、白銀武と速瀬水月であった。

 昨日、宇宙から帰ってきたばかりの直属の部下に、夕呼はとりあえずねぎらいの言葉を換える。

「二人ともご苦労様。昨日はよく眠れた?」

「はい」

「ええと、特に問題なく」

 水月と武の返答に、あまり関心を示していない表情で頷き返した夕呼は、早速呼び出した本題に入る。

「すでに聞いているかも知れないけれど、あんた達が宇宙に行っている間に、こっちも結構動きがあったわ。近々、またあんた達の出番があるだろうから、用意を怠らないように」

「「了解!」」

 ピッと敬礼する水月と武に、夕呼はいつも通り鬱陶しそうに手をヒラヒラさせて、やめるよう促す。それを受けて、武が率直に質問を投げかけた。

「用意ってやっぱり、俺達も『甲16号ハイヴ攻略戦』に参加するんですか?」

 その質問に夕呼は一度、怪訝そうに眉をしかめた後、納得が行ったように「ああ」と声を上げた。

「なんだ、あんた達帰ってきてからまだ、まりも達とは情報交換してないのね」

「はい、それはこの後の予定ですが」

 少し首をかしげる水月に、夕呼はさもなんでもないことのように言う。

「次のαナンバーズの出撃には、まりもの分隊を同行させるわ。だからあんた達が行くのは、中国じゃなくて中東」

「中東、ですか?」

 話についていけない武が首をかしげている間に、夕呼は水月に説明を続ける。

「そうよ。まあ、あんた達に関係のない話は省いて、関係のあるところだけを説明すれば、こっちと中東の国連軍の間で取引が成立したのよ。こっちから渡すのは、XM3とビーム兵器使用プログラム。それとXM3の使い方を教える教官役の短期派遣。帰還は一週間くらいだから、一通りXM3の使い方を教え終わったら、すぐに戻ってきなさい。
 帰りは、向こうの提供するものを持って帰るのを忘れないように」

 正確に言えば取引相手は、中東国連軍ではなく、その後ろにいる中東連合とアフリカ連合の面々だ。

「向こうが提供するものって何ですか?」

 何も考えずにそう質問してくる武に、夕呼はにやりと口元に笑みを浮かべながら、

「彩峰と鎧衣よ」

 と驚きの情報を開かす。実のところ、彩峰慧少尉と鎧衣美琴中尉の身柄は手付けのようなものであり、銅鉱石やボーキサイトといった鉱物資源の融通が、主な向こうの提供物なのだが、武や水月にそこまで開かす必要はない。

 それらは、四日前から、ついに稼働を開始した『岩国αナンバーズ補給工場』に送る物資なのだ。どのみち横浜には流れてこない。

 武の反応は当然と言えば当然だが、劇的だった。

「戻ってくるんですか、彩峰と美琴が!?」

 大きな木製のデスクに身を乗り出すようにして、大声を上げる。

「ええ、うかうかしてるんじゃないわよ。あんたや珠瀬と違ってあいつ等二人は、この三年間、最前線のアフリカ・中東戦線で生き抜いてきたんだから。あっという間に追い抜かれるわよ」

 そんな夕呼の言葉も、武の耳には半分も届いていない。彩峰と美琴が帰ってくる。その予期せぬ吉報で頭がいっぱいだ。

 ついこの間までは、自分と珠瀬壬姫しか残っていなかったのに、榊千鶴が戻り、今度彩峰慧と鎧衣美琴が戻れば、後足りないのは、一人だけだ。

 怖いぐらいに順調に自体が進んでいく。

(この調子でいけば、そのうち冥夜だって戻ってくるんじゃないか?)

 思わずそんな荒唐無稽なことすら、武は考えてしまう。確かに、冥夜を乗せた移民船団は、とっくに太陽系を旅立っているが、αナンバーズの協力が得られれば、移民船団と連絡を取ることも可能に思える。

 元々移民船団は、地球の人類が生き残る可能性が低い為に決行された作戦だ。地球から全てのBETAを排除すれば、呼び戻していけない理由もあるまい。

 あまり深く考えない武は、そんな極めて都合の良い夢物語を頭の中で描いていた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その5
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2011/04/17 11:29
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その5



【2005年3月1日、アメリカ・パシフィック時間8時15分、アメリカ西海岸カルフォルニア州、第百三十七難民収容所】

 アメリカ合衆国の各地に乱立する難民収容施設。その総数を把握している人間は、合衆国政府中枢でもごく僅かと言われるくらいに数多く存在し、同時に路傍の石の如く無視されている存在。

 ここはそんなありふれた難民収容所の一つだ。

 アメリカ政府が当初用意したバラック施設だけでは、増え続ける一方の難民を収容しきれなかっただろう。あちこちに、廃材とボロ布で作られた、掘っ立て小屋と呼ぶのも躊躇われるような粗末な建物が乱立している。

 赤土と埃とボロ小屋だけで成り立つその空間は、どれほど立派な仕立て服を着ていても、十分もここにたっていればあっという間にすすけてしまいそうな、強烈な侘びしさが立ちこめている。だが、そんな貧しい閉鎖空間の中でも、人々は逞しく生きている。

 赤土を踏み固めただけの道を多くの人間達が足早に進み、左右に立ち並ぶボロ小屋からは活気のある喧噪が聞こえてくる。ただ、よく気をつけて見てみると、そこにいる人間の性別・年齢層が偏っていることが分かるだろう。

 多く見られるのが、女子供、そして年寄り。少ないのが、壮年の男。希に見かける壮年の男は、大概身体のどこかに大きな傷を負っている。

 なぜ、健常な壮年男性が少ないのか? それは、健常な男は、皆自分のため、もしくは自分の愛する家族のため、アメリカ合衆国の国籍を取得せんと、軍に志願し、戦場に赴いているのだ。

 だから、五体満足にしか見えないその金髪の男は、ここでは非常に珍しい存在なのであった。

「おはよう、ドロテア。手伝おう」

「あら、おはよう、ロス。いつも悪いわね」

 空の荷車を押して、ゲートに向かっていた恰幅のよいイタリア人の中年女は、金髪の男――ロスの声に顔を上げ、笑顔で挨拶を返す。

 ロスは、中年女――ドロテアから受け取った荷車を押しながら、ゲートに向かっていく。

「本当、ロスは働き者で助かるわ。それなのにあいつ等ときたら、なにが「臆病者」よ。あんたも、あんな奴らの言うことなんて、気にすること無いわよ。心の傷ってのは、身体の傷より治りづらいんだからね」

 ドロテアの言う「あいつ等」というのは、この難民収容所にいる男達の一部のことである。ロス以外の男達は皆、五感か五体のどこかに致命的な損傷を負い、志願兵となれなかった者達だ。無論、その大部分はロスの事情を理解し、同情を寄せてくれているが、一部にはロスを「臆病者」とこき下ろし、心ない言葉をぶつけてくる者がいる。

「ああ、ありがとう」

 自分のために憤慨してくれている感情豊かなドロテアに、ロスは小さく笑みを浮かべながら礼の言葉を返した。

 一見して健常者にしか見えないロスが、志願兵とならない理由。それは故郷から脱出する際に植え付けられたBETAに対する「恐怖症」のせいだということになっている。

 実際、BETA恐怖症の人間というのは珍しくない。催眠と薬物で心を補強されている兵士達の中にも、心を砕かれる者が続出しているのだ。精神制御が出来ていない一般人が、BETAに襲われればトラウマとなるのは、必然とさえいえる。もっともロスの場合、夜うなされたり、突然恐怖が反芻されて呼吸を荒くしたりといった「心理的外傷」の分かりやすい症状を、人前で見せた事はないのだが。

 いつも通り、よくしゃべるドロテアの言葉にロスがたまに相づちをうちながら、二人はゲート前までやってきた。

「ああ。毎日ご苦労さまです」

 荒野には似合わない鉄筋コンクリート3階建ての建物の前には、深緑色の合衆国陸軍の制服を着た若い軍人が、フレンドリーな笑顔を浮かべて、手を振っていた。

 本来ならば、軍人は職務として、ロスとドロテアに「止まれ」と命じ、ゲートに近づいてきた理由を問いたださなければならないのだが、そんな堅苦しい手続きは、もう一年以上やっていない。

 ドロテアとは三年、新参者のロスでも三ヶ月以上の付き合いだ。監視する者とされる者の間柄でも、すっかり気心が知れてしまっている。

「そっちこそ、毎日ご苦労さん。ぼんくら共の食い物、もらいに来たよ。ロス」

「ああ」

 ロスは、兵士の足下に積み上げられていた合成食料の入った段ボール箱を一つずつ持ち上げ、荷車の上にのせていく。その間に、ドロテアは、兵士と立ち話を始めていた。

「どうさ、お国の景気は? なんか、おもしろい事あったかい?」

 人見知りという言葉自体知らないのではないかというなれなれしい態度で、ドロテアは兵士に世間話をねだる。若い兵士もすっかり慣れたもので、重い小銃を足下に放り出したまま、のんべんだらりと世間話を始める。

「そうですねえ。最近、起きた事件といえば、やっぱり何はさておいても『αナンバーズ』でしょうねぇ」

 αナンバーズ。その言葉に、それまでこちらを向くことなく、荷車に段ボールを乗せる作業を続けていたロスが、一瞬ピクリと肩をふるわせる。しかし、そんなロスの様子に気づかないドロテアと兵士の話はそのまま続く。

「αナンバーズ? なんだい、それは?」

「それがですね。信じられないかも知れないでしょうけど、彼等はこの世界ではない別な世界から……」

 兵士の口からαナンバーズの正体と、αナンバーズが国連と条約を結んだという現状を聞かされたドロテアは、でっぷりと太った腰に手を当てて、大げさに驚いた。

「へえ、どう聞いても出来の悪い作り話としか思えないけど、国連のお偉いさんの正式発表なら本当なんだろうね。なんだかんだいっても、主は私達を見捨ててなかったということなのかねぇ」

 イタリア人の常に漏れず、カトリックのドロテアは「異世界からやってきた救援部隊」の存在を、神のご加護と表現する。

「ドロテア、こっちは終わったぞ」

「っと、了解。まーた、話し込じまった。それじゃ、腹空かせてる奴らがブーたれる前に、戻って朝飯を作ってやるとするかね」

 身の丈より高く段ボールを積み上げた荷車を押すロスの横につき、ドロテアは年と体重を思わせない軽い足取りで歩き出す。

「それじゃね。またなんか、面白い話があったら聞かせとくれっ」

「了解です、お気をつけて」

 ロスとドロテアは、手を振る若い兵士に見送られながらゲート前から去っていった。





「しっかし、驚いたね。αナンバーズだって。異世界からの救援なんて、正直この目で見ないと信じられないけどねえ」

 帰りの道中、ドロテアの話は案の定、αナンバーズに対する感想で埋め尽くされていた。

 2月24日に正式にその存在が全世界に向かって発表された『異世界の住人達』。彼等は国連と条約を結び、その遙かに進んだ科学技術をもって、地球圏からBETAを駆逐するために協力を約束したのだという。確かに、簡単には信じがたい話である。

 だが、ロスは小さく笑うと、

「確かに突拍子もない話だが、BETAのような宇宙人がいるのだ。異世界人がいてもおかしくはないのかも知れないな」

 そう、答えた。

「あはは、そうだね。悪い宇宙人の後には、良い異世界人が来たって事か」

 ロスの言い方が気に入ったのか、ドロテアはパンパン腹を叩きながら気持ちよく笑い声を上げる。

 ロスは、そんなドロテアを横目で見ながら表情には一切出さないまま、先ほど聞いた情報を整理していた。

(αナンバーズと国連との間に条約が成立、か。予想以上に早く話が進んでいるな)

 ロスと名乗っている金髪の男――αナンバーズ、ダンクーガチーム所属、ブラックウィングパイロット、アラン・イゴールはこの難民収容施設に潜り込んでからの数ヶ月を思い返す。

 予想通り、収容所の管理態勢はいい加減そのもので、潜り込むのは難しくなかったが、その後が大変だった。

 収容所から出る正規の手段は、軍人になるしかないという事実を知り、アランはあえて短期で収容所を出るという考えを捨てた。情報収集のためとはいえ、この世界の軍人になるのは、万が一正体がばれたときのリスクが大きすぎる。

 だから、アランは「BETA恐怖症」という偽りの「心理的外傷」を装い、軍への志願を拒否してきたのだ。幸い、難民収容所には毎月のように国連軍に籍を置く元難民の軍人達が、家族の様子を伺いにやってくる。

 彼、彼女たちの最大の心配は、難民施設に残してきた家族の健康と安全だ。それをすぐに理解したアランは、目立ちすぎない範囲で施設内の安全管理と秩序維持に尽力し、元難民の軍人達の信頼を勝ち得ていた。

 そうやって気心の知れた軍人は、すでに30人を超える。彼等から、不審がられないレベルで情報を集めれば、いずれは悪くない情報網になるだろう。そのためにも、何とかして大手振ってアメリカ大陸を闊歩できる立場になる必要がある。一応、破嵐万丈とは、こういったケースのための対策も話し合っているが、果たしてうまくいくだろうか。

「今は、万丈を信じるしかないな」

「あらあら、もう腹を空かせたろくでなし達が集まってるわ。ロス、悪いけどちょっと急いどくれ!」

 ロスの小さな呟きは、賑やかなドロテアの声にかき消される。

「了解だ」

 ロスと呼ばれたアランは、小さく頷くと、すでに人々が集まっている調理施設のある方向に、早足で荷車を押していくのだった。









【2005年3月2日、日本時間9時00分、帝都東京中央区、東京証券取引所】

 かつてはロンドン証券取引所、ニューヨーク証券取引所と並び、『三市場』とも呼ばれた東京証券取引所であるが、日本帝国の零落にともない、その国際的な存在価値は大きく減じていた。

 しかし、その東京証券取引所が、今日ばかりはあふれかえらんばかりの混雑を見せ、初春の寒さも吹き飛ぶ熱気で満ちあふれている。

 少しその筋に詳しい人間が見れば、この状態の異常さは簡単に分かるだろう。日本帝国はもちろん、諸外国の証券会社も例外なく代表を送り込んでおり、さらには名の知れた個人投資家達も姿も見える。

 世界中の証券会社と投資家を、左前になったはずの極東の島国に引き寄せた要因。それは、本日行われる『ストーム・マテリアル日本支社』の株式公開にあった。





「すごーい、万丈ったら、また一気にお金持ちね」

「ほっほっほっ、この度の会社設立は営利目的ではありませんぞ。それを忘れてはいけませんな」

『ストーム・マテリアル』代表代行という肩書きでこの場に立つ、グラマラスな金髪美女と白髪の老紳士は、衆目の視線を集めながら、いつも通りリラックスした様子で佇んでいた。

『ストーム・マテリアル』は、αナンバーズの一員である破嵐万丈が代表を務める株式会社である。一応本社はαナンバーズの本土である戦艦エルトリウムにあることになっているが、その実体は限りなくペーパーカンパニーに近い。そう言う意味では、この日本支社というのが、実質的な本社となる。

 株のうち、21パーセントはαナンバーズが団体名義で所有し、20パーセントを代表である破嵐万丈が持ち、さらに10パーセントを大河全権特使やミリア市長といったαナンバーズの主要人物が個人所有している。今回、公開されたのは残りの49パーセントだ。

『ストーム・マテリアル』が取り扱うのは、戦艦エルトリウムの『元素転換装置』で作られる物資の数々だ。『元素転換装置』では、金だろうが白金だろうが自由に製造できる。

 そう考えればこの『ストーム・マテリアル』の株券が、投資家にとってはどれほど魅力的な代物か、少しは理解できるだろう。

 なにせ、今までは採掘することしかできなかった金属を、彼等は作ることが出来るのだ。これまでレアメタルの需要と供給の関係には、どれほど需要があっても供給に限界があったが、『ストーム・マテリアル』にはその供給の限界がない。少なくとも、十分な時間をかければ、地球上に存在するほとんどのレアメタル・レアアースを用意することが可能なのだ。

 その気になれば、この世界の経済基盤を根こそぎ破壊することも可能な、強力無比な『打ち出の小槌』である。

 もっとも、破嵐万丈はそういったこの世界の経済基盤への影響を極力抑えるために、わざわざこうしてこの世界のルールに則り株式会社を設立し、物資の提供を行う事を提案したのだが。

「ふむ。問題ないようですな」

 ギャリソンは『ストーム・マテリアル』の株式公開が無事終了することを確信すると、ゆっくりと出口へ向かって歩き出した。

「あら、もう帰るの? それじゃ、バーイ」

 ギュッとウエストの絞られたワインレッドのスーツを着こなしたビューティ・タチバナは、衆目にチュッと投げキスを投げると、ギャリソンの背中を追いかけ、早歩きで歩き出す。

 二人が東京証券取引所から外に出てくると、玄関の周りには各国の記者達が軒の並べていた。警備のため、臨時に派遣された帝国軍人達の輪を外から押しつぶすように身体を寄せながら、レコーダーのマイクをこちらに向け、口々に質問を投げかけてくる。

「ミスタ・ギャリソン、何か一言!」

「本日の株式公開の意図はどこにあったのでしょうか!?」

「破嵐代表は、この度の件について、どうおっしゃってますか?」

 なにせ、地上に降りているαナンバーズの面々は、全員横浜基地か岩国基地に引きこもっており、一般人の前に中々姿を現さない。あの衝撃の『国連・αナンバーズ友好条約』締結から一週間、世界中のマスコミと市民は、αナンバーズに関する新しい情報に飢えている。

 無遠慮なカメラの集中砲火とフラッシュの嵐の中でもギャリソンはにこやかな表情を崩さず、よく通る声で発言する。

「まずは、本日皆様の協力を持ちまして無事、『ストーム・マテリアル日本支社』の株式公開を終えたことを感謝と共に発表させていただきます。また、我が『ストーム・マテリアル』は今後も全世界規模に活動を広げていく予定です。それぞれの国と調整が取れ次第、各国に支社を設けていく所存です」

 ギャリソンの発言に、記者達の間から「おー」という驚きの声が上がる。

「それでは、各国にαナンバーズの皆さんが来られるということですか?」

 記者から出る質問にギャリソンは首肯すると、

「はい。ですが、αナンバーズから派遣するのは各支社の代表など一部です。大部分の人員は、それぞれ現地の方を募集する予定です。また、難民施設からの人員募集も可能になるよう、国連及び各国と現在調整中です」

 再び記者団からどよめきの声が上がった。

「それは、『αナンバーズ国籍』が取得できるということですか!?」

 勢い込んで聞く記者の質問に、ギャリソンは今度は首を横に振った。

「いえ、あくまで現地法人ですから、国籍はそのままです」

 考えて見れば当たり前である。国内にある外資系企業に雇われたからといって、外国の国籍が取得できるはずもない。実際、難民のヘッドハンティングというのは、この世界の企業も結構やっている話である。

 一言で難民といってもその数は多い。中には十分魅力的な特殊技能者・知的技能者も紛れ込んでいる。それらを自社に引き込み、難民施設から出すことを国に許可してもらうのだ。無論、それが可能なのは、国に働きかけ、就労ビザの発酵を促すことが出来るだけの、大企業に限られる。

 もっとも、今の難民施設に魅力的な特殊技能者など残っていないだろうから、これはαナンバーズの難民救済活動と取るべきなのかもしれない。世界中の難民の数を考えれば、救える人数はあまりに微々たるものだろうが、うまくいけばイメージアップにも繋がる。なんだかんだいって、異世界からやってきた強大な軍事組織であるαナンバーズを強く警戒している人間は少なくないのだ。

「それでは、もう時間ですので失礼します」

 ギャリソンはビューティを引き連れて、なおも質問をぶつけている記者団の前から立ち去っていった。









【2005年3月3日、日本時間12時08分、横浜基地】

 3月3日の『ひな祭り』。5月5日の『こどもの日』と並び、日本で古くから祝われてきた伝統ある年中行事である。

 桃の花やひな人形を飾り、雛あられを食べ、白酒を飲む。由緒正しい女の子のためのお祭りだ。ここ数年は、帝国自体が存亡の危機に瀕していたため、ひな祭りを祝う余裕もろくになかっただろうが、今年からは少しずつそういった余裕も戻ってくるはずだ。

 そして、ここ横浜基地でも、お祭り好きなαナンバーズが伊隅ヴァルキリーズの面々と結託し、基地内でひな祭りを開催していた。





「おーすげー」

「結構良くできてるな-」

「あはははは」

 横浜基地の港付近で、αナンバーズの面々は巨大な「お内裏様とおひな様」を見上げ、愉快そうに笑っていた。だが、中には笑っていない者もいる。その代表格であるカガリは、頬を紅潮させながら、「おひな様」を指さし、大声を上げるのだった。

「おい! なんで、私の「ストライクルージュ」があんな格好をさせられているんだ!?」

 確かにそれは、カガリのモビルスーツ、ストライクルージュであった。ただし、身体には赤く染めた大きな布をかけ、頭部に曲げた鉄パイプを金色に着色した冠をつけ、「おひな様」に見えなくもない格好をさせられている。 

「いやあ、フェイ・イェンとかビューナスAとか、いかにも女の子の機体があったらそっちでやったんだけどさ。ほら、今地上に降りてる機体にそういうのないじゃん? そんな中で一番女の子のイメージがあるのがルージュだからさあ」

 全く悪びれずにそう答えたのは、今月になって地上に降りてきたジュドー・アーシタである。本人の言葉通り、この「モビルスーツでひな祭り」作戦の首謀者だ。ちなみに実行者は当然、ラー・カイラム、アークエンジェル両艦の整備班連中である。ここ一ヶ月以上、先行分艦隊側は戦闘に巻き込まれていないので、比較的暇だったらしく、ジュドーの予想以上に、彼等は快く引き受けてくれた。

 確かにジュドーのいうとおり、ストライクルージュは基本的なシルエットはガンダムそのものであるが、全体のカラーリングが薄紅色をしているので、どことなく女性的なイメージがない訳でもない。

「だからといって、私に断りなく勝手なことをするな!」

「あはは、でもカガリ、あれ結構上手くできてるよ」

 激高するカガリをいなすように、キラ・ヤマトがちょっと引きつった笑いを浮かべながら話しかける。

「お前はまさか、それでフォローしているつもりなのか? おい、アスラン、お前もなんかいったらどうだ!?」

「あ、うん。まあ、確かに不本意だが」

 話を振られたアスラン・ザラは、横目でちらりと「お内裏様」を見上げる。こちらは、濃紺に染めた布地をすっぽりとかぶせ、頭部に廃材を削りだして作った烏帽子を被らされている『ジャスティスガンダム』だ。元々全身深紅に近いカラーリングの機体のため、こうして濃紺の布をかぶせられていると、まるでイメージが違う。

「なんだ、その気のない返事は?」

 怒りを露わにするカガリとは対照的に、アスランはため息をつきながらどこか諦めの空気を漂わせていた。というより、ジュドー達シャングリラチルドレンの悪ふざけに対し、感情的に反論してもかえって喜ばせるだけだということを、理解してきているのだろう。

 百歩譲って「おひな様」役はストライクルージュしかなかったとしても、「お内裏様」役はジャスティスガンダム以外にも幾らでもあったはずだ。それなのにあえて、自分のジャスティスガンダムをお内裏様にしたのは、自分とカガリを「お内裏様とおひな様」になぞらえて、からかおうとしている意図が見え見えである。

「諦めるしかないだろう、カガリ。当日まで、ジュドー達の悪巧みに気づけなかった時点で俺達の負けだ」

 アスランは小さく肩をすくめると、もう一度ため息をつくのだった。





 αナンバーズが用意したひな祭りの用意は、ジュドー主催の悪ふざけだけでない。雛あられや白酒、さらにはひな祭りを意識した飾りの多い特別メニューが、ラー・カイラム、アークエンジェル両艦の食堂では振る舞われていた。

 雛あられと白酒は横浜基地のPXにも下ろしたが、流石に特別メニューはそこまで数が用意できないため、両艦の食堂だけだ。

 そのため、横浜基地所属の軍人の中では例外的に両艦への入艦が許可されている伊隅ヴァルキリーズは、ここ、アークエンジェルの食堂で、αナンバーズ機動兵器部隊の面々と肩を並べて食事を取っていた。

 卵やエビでカラフルに飾り立てられた、ちらし寿司をメインとしたひな祭りメニューに、伊隅ヴァルキリーズの女衛士達は喜色満面に箸を進める。

「へー、流石天然物」

「ええ、美味しいですね」

 その中性的な美貌に、感動の色を滲ませながら箸を進める宗像美冴中尉の隣で、一足先にカラにした重箱をテーブルに戻した風間梼子中尉が「ごちそうさま」でしたと、上品に手を合わせている。ちなみに宗像中尉の重箱は、まだ半分近く残っている。

 風間梼子、特技は早食いと言われているのはダテではないようだ。小柄で華奢な体躯と、お嬢様然とした容姿のイメージ通り、見ていてがっついている印象は全くないのに、まるで画像を早送りしているかのように、食事ペースだけが速い。

「あー、こっちも可愛い」

「あ、これは……うーん、ちょっと予算オーバーかな」

「あ、茜ちゃん。茜ちゃんとおそろいのネックレス……」

 一方、高原麻里少尉、朝倉舞少尉、築地多恵少尉の三名は、食事もそっちのけで、コンピュータ端末をのぞき込み、通信販売に熱を上げていた。

 現在伊隅ヴァルキリーズは「神宮司隊」と「速瀬隊」に分かれているが、彼女たちは全員「神宮司隊」である。この間、「エルトリウム艦内都市」で買い物を愉しんできた「速瀬隊」からその話を聞いた「神宮司隊」の面々が、心底羨ましがったのは言うまでもない。

 もちろん、武達「速瀬隊」の人間達は、ちゃんと彼女たちにお土産を買ってきていたが、それとこれとは話が別だ。ショッピングの楽しみというのは、ものを入手することだけではない。自らの目で見て、迷って、選び抜くその過程こそが楽しいのだ。

 その話を聞いた破嵐万丈や大河幸太郎といったαナンバーズの中枢メンバーは、せめてもの慰めになればと、「神宮司隊」の衛士と社霞に、エルトリウム艦内都市で「速瀬隊」に渡したのと同額のマネーカードを渡し、アークエンジェル、ラー・カイラムの端末を利用したネットショッピングを許可したのであった。

 ここで注文した品物は、現在月二回ペースで地球・小惑星帯を往復しているエターナルが補給物資と共に地上に持ってきてくれる。

「ウィンドショッピング」そのものの楽しみと比べれば少々劣るが、これはこれで中々評判がよい。

 ちなみにジャンケンで負けた「神宮司隊」の残り三人、神宮司まりも少佐、榊千鶴少尉、珠瀬壬姫少尉の三名は、多恵達の様子を横目で見ながら、先に食事を愉しんでいる。

「榊、そんなに恨めしそうな目で見るな。後でちゃんとお前の順番も来る」

 興味なさそうな表情を装いながら、何度もチラッチラッと多恵達の方を見ている千鶴に、まりもは苦笑混じりの口調でからかう。

「少佐、わ、私は別に……!」

 反論しかけた千鶴は、途中で語尾を濁す。流石に、視線をコンピュータ端末に向けながらでは説得力が何事に気づいたのだろう。

「珠瀬もだ。そんなに見ると穴が開くぞ」

「えへへ……」

 恥ずかしそうに、その幼い顔を赤らめる壬姫にいたっては、まるきり隠すそぶりもない。先ほどからずっと、「まだかな、まだかな」といわんばかりに、多恵達の方ばかり見ている。

 そんなまりも達の前に、一組の男女がトレイを持ってやってきた。

「正面、よろしいですか?」

 軽くウェーブのかかった濃い栗色の長髪をなびかせた二十代中盤の女士官と、

「お邪魔しますよ、少佐」

 片眼、片腕、片足の一目で分かる歴戦の雰囲気を漂わせる三十代前半の男。

「ッ、ラミアス艦長っ!?」

「わっ!?」

 驚いて腰を浮かしかける千鶴と壬姫に、マリュー・ラミアス少佐は「そのままで」と笑いかけながら、対面の席に腰を下ろした。 

 同様に笑いながら、ラミアスの隣に腰を下ろした男――アンドリュー・バルトフェルドは、

「難しいとは思うけど、階級のことはあまり気にしないでもらえるかな。じゃないと、僕の立場がない」

 そういって、一つしかない目を細めて、人なつっこい笑みを投げかける。

「了解しました。榊少尉、珠瀬少尉、せっかくのお言葉だ。楽にしろ」

 ラミアスとバルトフェルドの言葉を受け、まりもはそう部下二人に声をかけだ。だが、わざわざ「少尉」とつけるあたり、言外に「最低限の礼儀は守れ」と念を押している。

「はっ!」

「はいっ」

 千鶴と壬姫の返事を聞き、ラミアスは少し嬉しそうに微笑みながら、ちらし寿司に箸を延ばす。

 実際、バルトフェルドのいうとおり、『Z.A.F.T』の人間が参加しているαナンバーズに、「階級」を厳密に当てはめることは不可能である。

 コロニーに住むコーディネーター達の自衛義勇軍であり、実体は国軍そのものである『Z.A.F.T』(ザフト)には、そもそも階級というものが存在していない。

 バルトフェルドなど、元は「ザフト北アフリカ駐留軍司令官」という要職に就いていたのだから、この世界の常識に当てはめれば最低でも大佐、おそらくは将官となるはずなのだが、それでも階級は存在しない。

 そんな人間を相手に、この世界の常識に乗っ取って対応することはことは不可能に近い。「原則階級を気にしない」というのが、この場合最善の対応なのだろう。

「それで、何かお話があるのでしょうか?」

 気を取り戻したまりもが、失礼でないくらいに砕けた口調で話しかけると、ラミアスは少し苦笑しながら首を横に振って、口を開く。

「話、と言うほどのではないのですけど。ただ、うちには同世代の同性が少ないので、神宮司少佐とはお話がしたったのです。ご迷惑だったでしょうか?」

「いえ、そんなことはありません。私でよろしければ喜んで」

 考えて見れば、まりもとラミアスは共通点が多い。年齢はまりもが若干上だがほぼ同世代といってもよく、どちらも女で、すでに少佐という年齢不相応に高い階級を勤めている。

 生まれた世界は違えども、話してみれば意外と気が合うところもあるのかも知れない。

「君達は、紅茶とコーヒーではどっちが好き? 紅茶? いや、コーヒーも悪くないよ。どうだい、一度僕の……」

 二人の少佐が、徐々に話を弾ませていく横で、バルトフェルドは得意の軽い話術を駆使し、いつの間にか千鶴と壬姫を自分の会話に巻き込んでいた。





「どうだ、霞。美味しいか?」

「はい。美味しいです」

 一方白銀武は、食堂の隅でモグモグとちらし寿司を食べる霞を見守り、笑みを浮かべていた。限りなく無表情に近いこの黒ウサギ少女だが、それなりに付き合いが長くなってきた武は、ある程度その感情が見て取れる、気がする。

 武の目が確かなら、今の霞の顔は、美味しい物を食べて幸せそうにしている表情だ。

 だが、そんな霞の箸があるモノにふれた所で、ピタリと止まる。

「…………」

「どうした、霞? ああ、それか」 

 霞が箸の先でつまんだそれを見た武は、納得が行くと同時に少し吹き出すようにして笑う。それは、ひな祭りにちなみ「桃の花」の形に切られた生のニンジンだった。


 美味しいご飯の中に、自分の嫌いなモノが混じっている。動きの止まった霞は、今度は一目で分かるくらいに悲しそうな表情を浮かべている。それでも、ニンジンを残そうと考えない辺り、食卓マナーがしっかりしているのだろうか。

「あー、霞。これは、まあ一種のお祭り料理だからな。こんな時くらいは……」

 きらいなモノは残しても良いんじゃないか? 武がそう言おうとしたその時だった。

 配給口に並んだ、黒髪のパイロットが、慣れた口調である台詞を叫ぶ。

「ニンジンいらないよっ!」

 今月になって地上に降りてきた、ガンダム・ステイメンのパイロット、コウ・ウラキ少尉だ。

 ウラキは、相棒のチャック・キース少尉と一緒に武達とは逆の端の席に座り、はつらつと食事を始める。

「!?」

 その言葉を聞いた霞は小さな目をまん丸に見開き、頭に着けている黒いうさ耳ヘアバンドをピンと立てた。

 その手があったか。今まで霞にとって、ニンジンとは「行儀が悪いけど残す」か「我慢してなんとか食べる」の二択しかない、難敵であった。だが、まさか「最初から断る」という選択肢が存在していたとは。

 これこそ、まさにコロンブスの卵というべきだろう。

 その感動の言葉を脳裏に焼き付けるように、霞はコクコクと何度も頷く。

 ちなみにこのことがきっかけとなり、本日の夕食時、PXの最高権力者、食堂のおばちゃんこと京塚志津江曹長が珍しい怒声を上げることになる。





「ニンジン、いりません」

「誰だい!? 霞ちゃんにろくでもない知恵つけたのは!」









【2005年3月3日、日本時間15時41分、横浜基地地下19階、香月夕呼研究室】

 下の人間が一時的な平和や平穏を満喫しているときというのは、上の人間が下に仕事を振ることが出来ないくらいに忙しかったり、仕事がうまくいっていなかったりする場合が多い。

 今の横浜基地もその例に漏れず、ひな祭りを愉しんでいる伊隅ヴァルキリーズの面々とは裏腹に、香月夕呼は今日も難問に頭を悩ませていた。

「αナンバーズには現状元の世界に帰る手段がない、か」

 一週間前に公表されたその爆弾情報が、今の夕呼を悩ませる最大の要因である。

 黒い皮ばりの豪華な椅子に身体を預け、天井を見上げながら夕呼は考えを纏めていく。

「確かに、帰る手段がないのなら、今の行動も整合性がとれるわね」

 今の行動というのは、『(株)ストーム・マテリアル』の設立のことだ。αナンバーズがいずれ帰るかりそめの客でなく、この地に流れ着いた異邦人であるのならば、この世界で経済活動を活発化させようとするのも当たり前だ。

「問題は、完全に帰ることを否定しているのではなく、「現状帰る手段がない」と言っているってことよね」

 夕呼を悩ませているのはその点だ。もし、彼等が開き直ってこの世界の住民になろうとしてるのならば、αナンバーズのこれまで取ってきた行動もある程度納得がいく。

 どれほど卓越した科学技術、戦闘力を持っていても、彼等は総数僅か10万人ちょっとしかいない。この世界の勢力として幅をきかせるには、少々数が足りない。全盛期からは遙かに減っているとはいえ、現在でも地球には10億人前後の人間が住んでいるのだ。

 10万人で10億人を高圧的に「支配」するのは難しい。ならば、あえて友好的な態度で接して、この世界に溶け込もうとするのも納得が出来る。

 だが、彼等の第一目的は、あくまで「地球圏からBETAを駆逐した後、元の世界帰ること」だという。

 もし、その言葉が事実なのだとしたら、夕呼が考えていた「αナンバーズが秘匿している真の目的」に対する二つの推測のうち、一つが完全に無くなることになる。

 すなわちαナンバーズは「恩を売る係」であり「恩を取り立てる係」が後日やってくると言う可能性だ。

 よもや、無事に往復できる保証もないのに、わざわざ「恩の売る係」と「恩を取り立てる係」に部隊を分けるような、非効率的な手段は取らないだろう。

 となると、当初夕呼が立てた推測のうち、残っているモノはただ一つ。

「αナンバーズの真の目的が、「この世界を救う」という表向きのお題目と一切矛盾しない可能性」。

 笑えるくらいに都合の良い可能性だ。だが、今となってはその一番都合の良い可能性が、一番彼等の言動との整合性がとれてしまっている。

「ここまできたら、その可能性も無視できないわね」

 原則シビアなモノの考え方をする夕呼としては抵抗があるが、ここまで条件がそろえばその「甘い可能性」を考慮しないのは、かえって現実的ではないだろう。

「この推測が正しければ、BETAを駆逐するための協力要請をすれば、原則彼等の合意は得られる、ということになるんだけど……」

 難しい顔をして夕呼は、先ほど入れたコーヒーを口元に運ぶ。片眼片腕片足の男が「今度のは意欲作ですよ」といって譲ってくれた特製ブレンドだ。

「…………」

 その黒い液体を口に含んだ夕呼は、

「ッ!? 酸っぱ、酸っぱ苦ッ。 なに、これ。黒いレモン汁?」

 次の瞬間、渋い顔をする。

「なんで? この間のは美味しかったのに」

 信じられない気持ちでコーヒーカップをデスクに戻す夕呼であるが、これは夕呼の勘違いである。夕呼は、バルトフェルドを自分と同じ「コーヒー好き」だと思っているが、その実体は違う。バルトフェルドは「コーヒーマニア」、より正確にいえば「オリジナルブレンドコーヒーマニア」だ。

 美味しいコーヒーが飲めればそれで満足するコーヒー好きと違い、一度美味しくできたコーヒーでも「さらに美味しいコーヒー」を求めてブレンドを変え続けるのが「コーヒーマニア」なのである。

 どうやら今度のは、酸味の強い豆の配合を増やしすぎたのだろう。ほどよい酸味、というのは微調整が難しい。

 さすがにこの「黒いレモン汁」にこれ以上口をつける気にはなれない。

 夕呼は、インターフォンを手に取ると、隣室に控えている副官のイリーナ・ピアティフ中尉に連絡をいれた。

「ああ、ピアティフ? ちょっとこっち来て頂戴。片付けてもらいたいモノがあるの」

『分かりました』

 いつも通り、打てば響くようなレスポンスの良い返事が返ると、しばらくして入り口のドアがノックされ、黒い国連軍の制服を隙無く着こなした、金髪ショートカットの女士官が入ってきた。

「失礼します」

「わるいけど、そのコーヒー、片付けて。豆も一緒に処分して」

「? はい、了解しました」

 豆も一緒にというところで少し首をかしげたピアティフであったが、そこは出来た副官らしく、すぐに上司の指示を実行する。

 脇にコーヒー豆の入った袋を挟み、右手でコーヒーが入ったままのコーヒーカップを持ち上げたところで、ピアティフはふと思い出したように口を開く。

「そう言えば、帝国陸軍の技術廠・第壱開発局から博士にαナンバーズへ仲介を願いしたいと打診がありました。いかがしますか?」

「帝国軍技術廠? 今更何よ。すでに、帝国とαナンバーズとの間には、軍事・技術協力協定が結ばれているでしょう」

 夕呼が怪訝そうな顔をするのも無理はない。2月24日の国連発表以来、αナンバーズの存在は全世界的に『異世界の住人』として認知されており、去年の12月に結ばれた帝国・αナンバーズの友好条約も一般的なモノとなっている。

 今更、夕呼を窓口にしなければならないような事は、ないはずである。

「なんでも、戦術機の次世代突撃砲について、αナンバーズの技術協力を得たいのだそうですが」

「ああ、あれね。思い出したわ」

 そう言われて夕呼は、数日前に目を通した資料の内容を思い出した。

 伊隅ヴァルキリーズが使い、夕呼が作製した「戦術機用ビーム兵器使用プログラム」は、すでに帝国、アメリカ、アフリカに様々な交換条件の下、提供している。そこには、速瀬中尉達が実戦でビームライフルを使用した際に提出させた『使用考察レポート』も含まれている。

 ビームライフルに対する現場の評価は原則極めて高いモノであったが、皆共通してあげた難点が「36㎜弾と比べ携帯弾数が少ない」ということと「36㎜チェーンガンと比べ、連射性に劣る」という点であった。

 それらのレポートを踏まえ、帝国軍の技術屋が提案してきたアイディアは極めて単純なモノで「ならば、ビームライフルと36㎜チェーンガンを組み合わせた、新しい突撃砲を作ったらどうか」というものだったのだ。

 現在、世界的に使われている『87式突撃砲』は『36㎜チェーンガン』と『120㎜滑腔砲』の複合砲だ。

 それを、36㎜チェーンガンはそのままに、120㎜滑腔砲の代わりに、ビームライフルを使用するというのである。

 確かにそれが出来れば、戦術機の戦闘力は飛躍的に上昇する。ビームライフルが連射性能や携帯弾数に難があるというのは、あくまで36㎜チェーンガンの比較しての話だ。

 120㎜滑腔砲との比較ならば、威力、射程、速射性、携帯弾数、あらゆる面で比較にならないくらいに凌駕している。

 小型種や要撃級は36㎜弾で駆逐し、固い突撃級やタフな要塞級はビームライフルで打ち倒す。それが出来れば、戦術レベルで革命が起きるのは間違いない。もっとも現行ビームライフルの製造は、αナンバーズにしか出来ない以上、それが一般的なモノなるのは最低でも十年以上先のことだ。まずは実験レベルで『ビーム突撃砲』を作製し、それが本当に有効なのか、実戦データを収集したいというのが大方彼等の狙いなのではないだろうか。

 新兵器の開発というのは、全世界的な競争だ。早いに越したことはない。

「それで何だって言ってるのよ? ビームライフルの実物は取説付ですでに帝国に渡ってるでしょ」

 岩国のαナンバーズ補給工場が、一応の完成を迎えたは先月の21日のこと。モビルスーツ『ジェガン』自体はまだ一機目の完成をみていないが、オプションパーツであるビームライフル、ビームサーベルは数日前に完成し、早速約束通り帝国軍に提供されていた。

「それが、トリガー部分の発射の仕組みが分からないようで。ビームライフルと36㎜弾のトリガーを共有するのに問題があるのだそうです」

 ピアティフ中尉は、夕呼の質問に極めて簡潔に答えた。

 現在使われている『87式突撃砲』でも120㎜弾と36㎜弾のトリガーは一つだ。それを機械の内部でコントロールしており、戦術機の側から、120㎜弾と36㎜弾、好きなほうを発射できるようにボタン一つで操作できるようになっている。

 トリガーの共有が出来なければ、戦術機の武装としては失格だ。まさか、トリガーを別に二つつけて、戦術機の側でそのたびに別なトリガーに指をかけ直すわけにもいくまい。そんなことをすれば、間違いが生じる元だし、第一一瞬のタイムラグが命取りの戦場で、あまりに大きなタイムロスだ。

「なるほどね。それにしても予想以上に早いアクションね。プライドよりも実利を取るなんて、ちょっと見くびってたかしら」

 夕呼は、少し見直したように感心してみせる。

 技術者にとって「分からないから教えてくれ」というのは、白旗を揚げるに等しい行為だ。それを、ビームライフルの現物を見てから僅か数日間で決断するなど、ベテラン、有能の自覚がある者ほど取りづらい行動のはずである。

 実際には、夕呼の考えは外れている。『帝国陸軍技術廠・第壱開発局』は、1月の初めにνガンダムのフィンファンネルを入手しており、すでに二ヶ月以上、その研究を進めていたのだ。

 その結果、ビームの発射機構については、「お手上げ」「何も分からない」という結論を出しており、今回ビームライフルの改造の話が舞い込んだとき、ちょっと調べてすぐに「これは自分たちの手に負えない」と判断を下すことが出来たのである。

 そう考えればこの二ヶ月の努力も無駄ではなかったと言うことなのかも知れない。その二ヶ月の無駄な努力のおかげで、今回は無駄な努力をせずにすんだのだから。

 そんな事情は知らない夕呼は、しばらく考えた後、ピアティフに対し頷き返すのだった。

「いいわ。私の方から、大河特使に話を通しておく。先方にはそう伝えておいてちょうだい」

「了解しました」

 返事を受けたピアティフは、コーヒー豆とコーヒーカップを持ったまま、小さく頭を下げると夕呼の研究室を出て行った。

「……さて、これでαナンバーズはどう出るかしらね。私の予想が正しければ、比較的すぐに色良い返事が返ってくるはずだけど」

 一人になった研究室で、夕呼は顎に手をやりそう呟く。

 夕呼が今日までに色々の可能性を潰していき、たどり着いた予想。「αナンバーズの真の目的は、「この世界を救う」という表向きのお題目と一切矛盾しない」という予想が、正しければ、この程度の要求には、何の見返りも求めずに応じてくれるはず。

 万が一断ってくることがあっても、この程度の要求ならばさほど心証を害することもないだろう。

 夕呼にとっては、ちょうど良い探り針である。夕呼は、どのタイミングでこの要求を大河特使を打ち明けるか、思案し始めていた。









【2005年3月3日、日本時間21時00分、横浜基地港、ラー・カイラム】

『それではもう一度確認します。先月から今日までに修理・製造が完了した新たな機体は、『ダイターン3』『ボルフォッグ』『ブラックウィング』『トールギスⅢ』『トーラス×2』『VF-11サンダーボルト×2』です』

 エルトリウム副長の説明を、フォールド通信会議に参加している一同は、頷きながら聞いていた。

 ちなみに、そのうち『ダイターン3』『ボルフォッグ』『ブラックウィング』の三機はすでに地球に下ろされており、『ダイターン3』以外の2機は、その存在を首脳部以外には秘匿してある。

 GGGの隠密とも言うべき勇者『ボルフォッグ』と、現在アメリカに潜入中のアラン・イゴールの愛機『ブラックウィング』。この両機は、対BETA戦を想定してない。

『ゼクス・マーキスのトールギスⅢと、ルクレツィア・ノイン特尉のトーラスは、そのままこちらの哨戒任務ローテーションに加わってもらう予定ですが、ヒルデ・シュバイカーのトーラスは、地球に降ろす予定です。また、一昨日完成した5機目のVF-11サンダーボルトの使用方法はまだ未定のままです」

 ゼクス・マーキスが乗るトールギスⅢは、チタニュウム合金製だが、その分厚い装甲と桁外れに高い機体出力、そして最大火力はヒイロ達五人のガンダムに匹敵する。地上に降ろせば心強い戦力となるだろうが、小惑星帯でも火星の攻略作戦が同時に進行している以上、地上ばかりに戦力を偏らせるわけにも行かない。

 幸い、トーラスは、量産型モビルスーツであるが、可変機であり高い機動性となかなかの攻撃力を有している。ヒルデ・シュバイカーは、ヒイロ達の同世代の少女であり、αナンバーズの中であまり高い能力を有しているとはいえないが、それでも十分戦力とはなるだろう。

 問題は、やはり5機目のVF-11サンダーボルトである。これまでの4機は、ガルド・ボーマンとダイヤモンドフォースの3名が使っており、何の問題もない。

 そうなると、現状専用のバルキリーを持っていないバルキリー乗りは、バトル7艦長であるマクシミリアン・ジーナス大佐だけである。

 では、この五機目のVF-11はマックス艦長のモノになるのかというと、話はそう簡単ではない。現在も戦う市長として、哨戒任務に就いているマックスの妻、ミリア・ファリーナ・ジーナスが乗っているVF-1Jは、30年以上も前の骨董品だし、スカル小隊の3名が乗っているVF-1も、ミリアのVF-1Jとまでは行かないが、VF-11より旧式の機体だ。

 乗り換えが可能ならば、乗り換えさせてやりたいところではある。

『それは、私が乗ります。艦長には艦長の業務があるでしょうから』

 誰もが口に出しづらい話を、きっぱりと言い切ったのは、戦艦バトル7から「市民の代表」という立場でこの会議に参加している、当のミリア市長だった。

『ミリア、それを言うなら、君にも市長としての責務があるだろう』

『艦長、公私の区別はつけて下さい。私は、市民の安全を守るのも、市長としての義務であると考えています』

 帽子とサングラスで表情を隠しながら、ため息混じりに窘める夫の言葉を歯牙にもかけず、ミリアは堂々と自分の意見を主張する。

 バルキリーに乗って戦うのを「市長の義務」と言い切るミリアの言葉は暴論だが、言っていることは意外と効率的でもある。

 バトル7の艦長としての業務があるマックスと違い、シティ7がこの世界に来ていないミリアの市長という肩書きは、正直あまり意味がない。そしてミリアの腕が、αナンバーズの中でもトップエースの一人であることは、誰もが認める事実である。

 そうなれば、ミリアには一介のバルキリー乗りとして腕を振るってもらう方が、有効と言えば有効だ。

『了解した。あの機体は、ミリア市長に預けよう。ただし、出撃に際しては、我々首脳部の指示に違うこと。それは理解してくれ』

『了解しましたわ、ジーナス艦長』

 全面的な勝利を得たミリアは、緑色の短い髪を揺らしながら、会心の笑みを浮かべた。

「それでは、その話はそれでよいとして、次に地球での軍事行動について、現状を説明させていただきます」

 話の切れ間を縫い、そう新たな話題に切り替えを計ったのは、ラー・カイラムの甲板に立つ、大河幸太郎全権特使であった。

「現在もっとも差し迫った軍事行動は、統一中華戦線の要請で行われる、『重慶ハイヴ攻略戦』です。まだ正式な打診はありませんが、どうやら、4月の上旬に計画を実行したいと考えているようです」

『それは、予想以上に早いな』

 大河特使の言葉に、戦艦エルトリウムの艦長であるタシロ提督は、少し驚いたように声を上げた。

 確かに、ハイヴ攻略戦という大規模作戦を考えれば、中々早い行動だ。なにせ、日本と統一中華戦線との間に租借条約をキモとする条約が結ばれたのが2月中旬のことだ。

 つまり彼等は、約一ヶ月半でハイヴ攻略の戦力を整えると言うことになる。もっとも、台湾を本拠地とする統一中華戦線は、この間の『甲20号作戦』でも、後方の補給基地としての役割に終始していため、戦力をほとんど消耗していない。そう考えれば、不可能ではないのだろう。

「はい。細かな内訳はまだこれからですが、大ざっぱな戦術は、今まで通りのオーソドックスなやり方に、我々αナンバーズの戦力を加えた形になるようです。

 まず、ハイヴ周辺に戦力を展開し、ハイヴのBETAをおびき寄せ、手薄になったところで大気圏外から対レーザー弾を投下。重金属雲が発生している間に、突入部隊が降下。我々には主に囮部隊でのBETAの駆逐と、そこから戦線を突破しハイヴに痛撃を与えて欲しい、との事です』

 ラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐の口から、『甲16号ハイヴ攻略戦』に対する大まかな説明が伝えられる。

 細かな話が進まない限り断言は出来ないが、これまでの以上にきつい戦いになることは間違いないだろう。

 朝鮮半島の鉄原ハイヴでも、海上からの艦砲射撃は直接ハイヴには届かなかったが、それでも上陸地点からハイヴまでの進路の8割以上は、艦砲射撃の援護が受けられた。

 だが、今度の重慶ハイヴはそうはいかない。

 佐渡島ハイヴは、海岸線から10キロ弱。

 鉄原ハイヴでも、100キロ強。

 しかし、重慶ハイヴは、1500キロ近い距離がある。海上からの援護射撃は絶望的と言ってもよい。

 機動降下以外の方法で、重慶ハイヴまで到達するには、どれほどの戦力がいるか想像もつかない。おそらく、地上からハイヴに到達可能なのは、αナンバーズだけだろう。

 そのαナンバーズにしても不安は残る。αナンバーズと言えども、モビルスーツなどの継続戦闘時間はそう長いものではない。どうやっても、アークエンジェル、ラー・カイラムでの補給は必須だ。

 しかし、この両艦で中国大陸のレーザー級、重レーザー級の集中照射に果たして耐えきれるだろうか。エヴァンゲリオン三機と、ジェイアークは、戦艦の防御に専念させる必要があるかも知れない。

 幸い、三月中旬には岩国補給基地の戦艦修理ドックも完成する予定なので、その頃にはラー・カイラムも完全復活しているはずだ。とはいえ、やはりアークエンジェル、ラー・カイラムでは不安が残る。

『どうでしょう。それならば、私の『大空魔竜』を地上に降ろしては。私は、現在ダンクーガの修理にかかりきりですので、ピート君に全権を委任することになりますが』

 場の空気を読んだのか、そう提案して来たのは、戦艦『大空魔竜』の製造者にして総責任者、大文字博士だった。

 外部装甲が特殊金属、『ゾルマニウム鋼』で出来てる大空魔竜の防御力は、特機ガイキングすら凌駕する。BETAのレーザー照射にも十分耐えうる防御力を有しているのは間違いない。

 とはいえ、大空魔竜は現在、火星ハイヴ間引き作戦の足として活躍している。地上に降ろすとなれば、火星ハイヴ間引き作戦の作業進捗は大幅に遅れることになるだろう。

『分かった。その辺については、今後話がもっと煮詰まってからもう一度検討してみよう』

 これ以上この場で意見を交わしても結論が出ないと見たタシロ提督は、そう言って一端この話題を打ち切った。

『了解です。では、最後に、今後近々復帰が予定されている機体の報告をさせていただきます』

 タシロ提督の言葉を受け、隣に立つエルトリウム副長が、次の話題を初める。

『先ほど、大文字博士からの言葉にもあったとおり、『ダンクーガ』は今月中には復帰する予定となっています。GGGでは、『氷竜』『炎竜』の二機も、復帰の目処が立ってきたそうです。

 また、モビルスーツの修繕も順調です。 『百式』『メタス』『ドーベンウルフ』『メガライダー×2』は、重慶ハイヴ攻略戦には間に合うでしょう』

 続々と上げられる修理完了予定の機体名に、艦長達の表情にも喜色が浮かぶ。

『心強いですね』

 少しホッとしたように、マリュー・ラミアス少佐は、アークエンジェルの艦長席で笑顔を見せる。

『あとは、重慶ハイヴ攻略戦に間に合うかどうかは、微妙なところですが、『ビルトビルガー』『ビルトファルケン』『ダイゼンガー』『アウセンザイター』の修理も順調です。場合によっては、半数程度は、ギリギリ間に合うかも知れません』

 ビルトビルガーとビルトファルケンは、比較的使われている技術に特殊なものが少ない『修理の容易い機体』である。だが、破損レベルがスクラップ寸前だったため、修理がこれまで長引いていた。

 ダイゼンガーとアウセンザイターはその逆だ。どちらもあの天才ビアン・ゾルダーク博士が手塩にかけて作り上げたワンオフ機で、全高も50メートルを超える特機である。だが、乗り手の腕のおかげか、はたまた運が良かったのか、ケイサル・エフェス戦を戦い抜いた機体の中では、比較的破損が少なかったのが幸いした。

 タイプは違えど、いずれも強力な機体であるのは間違いなく、もし間に合えば、非常に心強い戦力となる。

「分かりました。間に合うに越したことはありませんが、こちらでは最悪の状況に備え、現行の戦力だけでも作戦を実行できるように考えておきます」

『うむ。また、負担を強いることになるが、よろしく頼む』

 きっぱりというブライトの言葉に、タシロ提督は少しすまなそうな顔をしながら、頷き返すのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その6
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:45
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その6



【2005年3月25日、日本時間12時45分、横浜基地】

 広い横浜基地の敷地の中でも、一般兵士の立ち入りが禁じられている港よりの区域。

 俗に言う『αナンバーズ区域』内に優雅な音楽が鳴り響いていた。

 演奏しているのは、二人の少年と一人の女だ。

 演奏している楽器は、ヴァイオリンが二つにフルートが一つ。

 αナンバーズのカトル・ラバーバ・ウィナーとトロワ・バートン、そして伊隅ヴァルキリーズの風間梼子の三人である。

 カトルと梼子がヴァイオリンを奏で、トロワがそこにフルートの音色を重ねる。

 春の日差しを思わせる、透明感と暖かさを兼ね備えた旋律が心地よく響き終えた時、その場にいた面々はそろって拍手で迎えた。

「おお、すげー!」

「さっすが!」

「久しぶりに、梼子の演奏を聴いたわ」

「シンジ、あんたも遠慮しないで混ざれば良かったのに。弾けるんでしょ、この曲」

「いや、僕のチェロはもっとお遊びみたいなレベルだから……」

 口々に皆が褒め称える言葉に、梼子ははにかんだように笑いながら、小さく皆に頭を下げる。

「拙い演奏でしたが、喜んでいただけたのなら幸いです」

 顔の前に流れた長い緑の髪を手で背中に戻す梼子の顔には、久しぶりの演奏に、満足した色が伺えた。

「俺としてはこれきりにしてもらいたいものだな。俺の演奏は、人前で披露出来るレベルではない」

 半ばカトルに引きずれるようにして、演奏に加わったトロワは、そう言っていつも通りの無表情のまま、小さく肩をすくめる。

「いいじゃないですか、トロワ。音楽は楽しめればそれが一番ですよ」

 一方、引き込んだ側のカトルは無邪気に笑い、達成感の籠もった息をついている。

 確かに、3人の演奏は、プロのレベルで見れば、大したものではなかっただろう。

 元々、カトルもトロワも、楽器の演奏をたしなんでいるとはいえ、それに人生を注ぎ込んだ訳ではない。

 梼子はもう少し、音楽というものに情熱を傾けているが、それでも今は一国連の衛士だ。ヴァイオリンにかけている時間と労力は、その道のプロと比べれば何分の一という次元だ。

 そんな三人が、今日初めて音を合わせたのだ。正直、ちぐはぐな部分もかなりあった。

 だが、だからこそ、梼子は今の演奏に、ポッと胸の奥が熱くなる思いを感じていた。

(二百年後の異世界にも、今のこの世界で親しまれている曲がそのまま残っている)

 それは、音楽という文化を後世に残すために戦う、という梼子が衛士になった理由と指し示す道に見えた。

 今、三人が演奏したのは、17世紀後半にヴェネツァで生まれた作曲家が作った曲だ。

 その曲を、三百年後の日本人である自分が、五百年後の異世界人と共に演奏する。

 音楽というものには、時代も国境も越えていくだけの力があるのだと実感する。

 梼子の思いは間違っていない。実際、音楽には次元の壁すら越えるだけの力が備わっているのだ。

 その実例である熱気バサラは、先ほどから部屋の隅でスケッチブックのようなものとペンを取り出し、なにやら書き殴っていた。

「あっ、バサラ。それ、新曲? ええと、『name 君の――あ、なにするのよっ!?」

 横からのぞき込んだミレーヌは、鼻先でパタンとスケッチブックを閉じられ、抗議の声を上げている。

「勝手に見てんじゃねーよ」

 閉じたスケッチブックを小脇に抱えたバサラは、鼻先で笑うような口調でそう言うと、その場を歩き去っていった。

「もう、いいじゃない、ちょっとくらい見せてくれたって。私だって、ファイヤーボンバーの一員なんだから!」

 ミレーヌは一瞬、バサラの背中を追いかけようかとしたが、思いとどまり、視線を梼子達の方に移す。

 今はバサラに文句を言うよりも、彼女たちにねぎらいの言葉を捧げたい。

 クラシックとロック。

 ヴァイオリンとエレキベース。

 音楽性も楽器も違うが、同じ音楽をたしなむ者として、ミレーヌも今の演奏には、それなり以上に感じたものがある。その思いを伝えたい。

 そう思ったミレーヌが、梼子達の方に一歩足を踏み出したその時だった。

 基地全体に警報が鳴り、続いてアナウンスが入る。

『1315、横浜港に大気圏外より、αナンバーズ所属大型戦艦『大空魔竜』が着水の予定。担当部署の者は、所定の位置で対処せよ。繰り返す。1325、横浜港に――』

 それは、一週間後に迫った重慶ハイヴ攻略戦『甲16号作戦』に参加する、αナンバーズの増援部隊の到着を知らせる声であった。





 それから約三十分後、横浜港には、また一つ、見たこともない異形の機影が浮かんでいた。

 戦艦『大空魔竜』。

 大きさこそ、全長400メートルと、αナンバーズの宇宙戦艦の中では特筆するほどのものではないが、その独特のフォルムが与えるインパクトは、全長1キロ越えのバトル7にも匹敵するだろう。

 二足歩行する青い機械竜。

 大空魔竜の外形を端的に言い表すのなら、そうなる。

 比喩でも何でもない。

 二本足と、長い尾と、そして背から尾にかけて生えるトゲトゲのヒレはどう見ても、恐竜としか言いようがない。

 本来ならば頭部に、金色の双角を生やした髑髏顔がつくのだが、今はその髑髏顔を胸部とする特機――ガイキングが小惑星帯の本隊に残っているため、見慣れている者には少々物足りない感じになっている。

 やがて、横浜港に接舷を果たした大空魔竜から、数人の人間が降りてきた。

 先頭に立つのは、明るい茶髪が印象的な、生真面目そうな青年士官だ。

 青年士官は、出迎えた帝国の高官と敬礼をかわす。

「αナンバーズ所属、大空魔竜艦長、ピート・リチャードソンです。入国許可を感謝します」

「日本帝国入国管理局、松浦です。貴艦の入国を歓迎します」

 いかにαナンバーズが日本帝国と軍事同盟を結んでいるとはいえ、日本の領海・領空に戦艦を新たに投下するにはれなりの手続きがある。

 ここで入国の手続きを終えた後、大空魔竜は明日には、岩国αナンバーズ補給基地に向かい、そこで『甲16号作戦』に向けての最終調整を済ませる予定になっている。

 岩国αナンバーズ基地は、一応の完成を見ている。

 量産型モビルスーツ『ジェガン』の製造ライン。

 ビームエネルギーパック、ジムマシンガン弾倉、バルカン弾倉など、消耗品の製造ライン。

 そして、戦艦の補修ドックをはじめとした各種修理施設。

 長らく下面装甲を簡易修理でごまかしていた戦艦ラー・カイラムは早速補修ドックで修理を済ませ、今では完全に元の防御力を取り戻している。

 ジェガンはこれまでに三機製造されており、一機は日本帝国、一機はアメリカ、もう一機はついこの間統一中華戦線に譲渡された。

 無論、ビームライフル、ビームサーベルと言った複数のオプション兵器や、予備の核融合炉、それらの整備マニュアルデータと一緒にだ。

 簡単に複製が可能な整備マニュアルデータだけは、実機に先んじて希望する全ての国に配布されたが、無論そんなデータだけで各国が満足するはずがない。

「一刻も早く我が国にもジェガンを」そんな声が、公式、非公式問わずあらゆるルートを通り、αナンバーズ全権特使大河幸太郎の元に、届けられている。

 各国の新兵器解析・開発競争は既に始まっているのだ。データだけで全くの新技術を再現できるはずもない。

 ちなみにより多くのモビルスーツを得ようと、自らを「国家ではなく複数の国家からなる共同体」と称した国――ソビエト連邦の元には、同じ整備マニュアルデータが二十近く届けられ、関係者一同苦虫をかみつぶしたような顔をしたという。

 とりあえずそれは「将来的には二十機弱のジェガンがもらえる約束手形」と考え、アラスカのお偉方は自分たちを納得させたようだ。

 だが現状、αナンバーズ岩国基地のジェガン製造ラインは一本のみ。

 この調子では、希望する全ての国にジェガンを譲渡するのに、三年以上かかる計算になる。さすがにそこまでは、どの国も待っていられない。特にEU各国など、どの国が先んじてジェガンを手に入れるかで、熾烈な水面下の争いが始まっている始末だ。

 イギリスは来月、フランスは来年、ドイツは再来年、などと言うことになれば、EU内の結束を揺るがすことになりかねない。

 各国からせっつかれた(半ば泣きつかれた)αナンバーズは、ジェガン製造ラインの複製計画も検討し始めている。

 ともあれ、大空魔竜の地球降下により、『甲16号作戦』に参加する戦力がより一層増強されたのは間違いない。

 大空魔竜の中には、復帰したばかりの特機やモビルスーツも複数搭載されているのだ。

 青い機械竜を見上げる横浜基地の兵士達は、人類がBETAに対し確固たる反撃に転じているのだという認識を、改めて抱くのだった。









【2005年3月25日、日本時間15時03分、横浜基地】

 唐突に自体が動いたのは、その日の午後の事だった。

 武達伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々が、明日に控えた、中東への『XM3』搭載機の教導に向かう最終準備を整えている最中、会議室に全員集まるよう、通達を受けた。







「中東行きは中止よ。明日からは通常の訓練に戻りなさい。今日の残りは特別休暇ね」

 黒い強化装備姿で整列する、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の前に現れた香月夕呼は、いつも通りの淡々とした口調でそう告げる。

 あまりに急な話に、武はしばらく夕呼の言った意味が理解できなかった。

 中東行きの中止。

 出立の予定日は明日で、教導用のXM3搭載不知火は、既に全機とも戦術機母艦に搭載済みであるこの期に及んで何故?

 元々、中東国連軍へのXM3提供とXM3指導教官の派遣は、夕呼と中東国連軍の間で成立した取引の一つだったはずだ。

 その派遣が中止になったと言うことは、取引自体が直前で不成立になったと言うことなのだろうか。

 ならば、彩峰慧と鎧衣美琴はどうなる?

 自分たちがバグダッド基地でXM3の指導を終えた後、一緒に連れて帰る予定になっていたはずの二人の身柄は。

「それじゃあ、せっかくの半休なんだから有意義に過ごしなさい」

「敬礼っ!」

 武がぼうっとしている間に、報告を得た夕呼は、面倒くさそうに敬礼を受けると、白衣のポケットに片手を突っ込んだまま、会議室から出て行った。

 途端にヴァルキリーズの皆も騒がしく話し始める。

「速瀬中尉、これってどういう事なんでしょう?」

 この急な予定変更はただ事ではないと察した涼宮茜少尉は、不安げな表情で敬愛する上官、速瀬水月中尉に尋ねる。

「さあ、さすがにちょっと分からないわね。けど、なにか大事があったのは確実よ。後で私の方から、神宮司少佐に聞いてみるから、あんた達は下手に騒ぎ立てるんじゃないわよ、いいわね?」

 水月は意識して平静な表情を保ちながら、そう答える。

 理由不明の、唐突な派遣中止。こんな事の真相をかぎ回れば、周りにどんなうわさ話が流れるか分かったものではない。 
 
「はいっ!」

 と返事を返したのは、茜だけではなかった。

 宗像美冴中尉、風間梼子中尉、柏木晴子少尉の三人が、茜と声を揃えて諾の返事を返す。

 そして、唯一人その声に唱和しなかった白銀武は、

「あっ、白銀? どこ行くのよ?!」

「すみません、速瀬中尉! ちょっと急いでますんでっ!」

 矢も楯もたまらず、廊下へと駆けだしていくのだった。






「先生、先生っ!」

「やっぱり来たわね」

 武が地下十九階の香月夕呼の研究室に駆け込むと、既に武の来訪を予見していた夕呼は、ウンザリとした口調でため息をついた。

「先生、派遣が中止ってどういう意味ですか!? 彩峰と美琴はっ」

 武は、後ろ手で入り口のドアを閉めながら、足早に夕呼が座る木製のデスクに近づく。

 夕呼は、

「派遣が中止って言うのは、派遣しないって意味よ。彩峰と鎧衣は、まあ、万が一生き残ったらここに戻ってくるでしょう。転属の手続きはもう済んでいるから」

 そう答えて小さく肩をすくめた。

「万が一生き残るって、あいつ等どうしたんですか!? なにが、どうなってるんですか、先生!」

 武の剣幕に、下手に隠し立てする方が面倒だと理解したのか、夕呼は机の上から通信機の受話器を手に取ると隣室に控える副官のピアティフ中尉に命令する。

「ああ、ピアティフ? 私の部屋にロックをかけて頂戴。外からも「内」からも開けられないように。そう、お願い」

「ッ先生?」

 後ろで今入ってきたドアがガチャリと音を立てるのを聞きながら、武は先ほど剣幕は嘘のように、恐る恐ると言った口調で夕呼に尋ねる。

「いいわ。どのみちあと三十分もしたら、基地全体に知れ渡ることなんだから教えてあげる。

 BETAに動きがあったわ。

 甲2号『マシュハドハイヴ』のBETAが西進を開始。同時に甲3号『ウラリスクハイヴ』からの増援も確認。狙いは、アンバール基地で間違いないでしょう。あそこはここ同様、反応炉が生きているハイヴ跡基地だから。

 BETAの総数は少なく見積もって二十万。中東戦線の防衛は絶望的。よってあんた達の派遣は中止。彩峰と鎧衣は、生きていれば、後で拾い上げる。理解した?

 理解したら、警報が鳴るまでこの部屋で適当に時間を潰していなさい。しばらくすれば警報が鳴るはずだから」

「…………」

 武は顔色を失い、崩れる膝を支えるようにデスクに両手をついた。

 彩峰と美琴がその身を置くバグダッド基地は、アンバール基地の北東に位置する。西進するBETAがアンバール基地を目指しているのだとすれば、通り道以外の何物でもない。

 というよりも、元々バグダッド基地自体が、貴重な生きた反応炉を有するアンバール基地を守るために建設された前線基地なのだ。

「勝算は……」

「二十万よ、あると思う? あんただって座学で習ったでしょ」

 一縷の希望にすがるような武の言葉を、夕呼はにべもなく一刀両断に切り捨てた。

 確かに、あの帝国軍を半減させた『竹の花作戦』の佐渡島ハイヴでも、BETA総数は十五万ほどだったのだ。

 それが二十万。ハイヴ攻略という攻勢任務と、基地防衛という守勢任務を同等に見るわけにはいかないだろうが、この数はそんな些細な違いなど踏みつぶすだけのものがある。

『竹の花作戦』自体、αナンバーズと言う桁外れのイレギュラーがなければ、帝国軍は壊滅していたはずなのだ。そのことを思い出した武は、ハッと顔に喜色を浮かべる。

「あっ、で、でもαナンバーズならっ!」

「生憎、αナンバーズに戦力派遣を要請できるのは安保理だけよ。私にも現地の国連軍にも、αナンバーズに援軍要請を出す権限はないわ。それに、一週間後に『甲16号作戦』を控えている彼等にそんな要請、出来ると思う?」

 事実上、アンバール基地を所有しているアメリカは了承するかも知れないが、一週間後に『甲16号作戦』を控えている中国は、まず間違いなく拒否権を行使するだろう。常任理事国のうち一国でも拒否権を行使すれば、安保理の決議は採択されない。

 武の最後の希望も、夕呼は現実というシビアなナイフで切り裂いた。

『今日アラビア半島で二十万のBETAと戦って、一週間後中国大陸でハイヴ攻略戦の主力を担ってくれ』

 こんな要請を受ければ、αナンバーズも顔をしかめて「しんどいな、それは」くらいのことは言うだろう。 

 元の世界では、一年以内に五十前後の戦場を駆けめぐったαナンバーズでも、さすがに一週間以内にこれほどの大規模な戦場を連続した経験は両手にちょっと余るくらいしかない。

 ましてや、この世界の常識で計れば「喧嘩を売っている」としか取れない話である。

 やはり、これは諦めるしかない。夕呼はすでにそう判断を下していた。

 彩峰慧も、鎧衣美琴も、夕呼としては、出来れば手元に引き戻したい人材ではあるのだが、是が非でも必要な駒というわけでもない。

 むしろ、この大攻勢を五体満足で生き延びるようならば、それは高い『00ユニット適正』を示すものであり、彼女たちの価値も上がるというものだ。そういった意味では『見捨てる』ことも無益ではない。

「そもそも、BETAの先頭がバグダッド基地に来るまであと二時間もないわよ。今からどうやって間に合わせるのよ」

 BETAレーザー属種の脅威が空を支配している今、輸送の主力は海路である。

 ここ横浜基地からアラビア半島まで、戦術機母艦では、どれだけ急いでも一週間以上かかる。

 一方バグダッド基地は、八時間持てば上出来、半日持てば奇跡と呼べるレベルというのが、専門家達の見解である。

 緊急で出航準備を整えたところで、日本の領海を抜ける前に、バグダッド基地は陥落していることだろう。

「でも、だからっ……」

 なおも諦めきれずに、言葉を探している武に、夕呼は少し目を細める。

 例え間に合ったところで夕呼としては、今、『白銀武』をそんな危険な任務に送り込む気はない。

 この間、帝国から提供されたG元素で、やっと『00unit』の作製が、本格的に始まったところなのだ。

 00ユニットの素体である『鑑純夏』の心は、99.9パーセントの「たけるちゃんに会いたい」と0.1パーセントの「ボンバー」で占められている。

 万が一、白銀武を失うようなことがあれば、00ユニットの最終調律は至難を極めるだろう。

 武自身、もう少し精神的にタフになってくれなければ、00ユニットの正体を知ったところで拒絶反応を示しかねないため、基地に閉じ込めておく気はないが、生還率が二割を切っていそうな戦場に送り込む気もない。

「…………」

 言葉を無くした武が、無言のままデスクの前で俯く。

 やっと静かになったか、と夕呼が聞こえないようにため息をついたその時だった。

 デスク上の通話機が音を立てる。夕呼が目をやると、それは隣室からの内線通信の知らせだった。

 夕呼は武に「ちょっと待ってなさい」と断り、受話器を取る。

「ピアティフ? なにかあった?」

『はい、博士。αナンバーズの大河特使が、至急香月博士と会談の場を設けたいと仰っています』

 それは予想通りとも、予想外とも言える知らせだった。

 十中八九間違いなく、彼の話の内容は、BETAのアンバール基地侵攻に関することだろう。

 彼等がその情報を察知していることは予想通りだ。

 今のαナンバーズは岩国基地という独自の本拠地も確保している上、帝国をはじめとした各国とも夕呼を通さない外交ルートを築きつつある。

 非合法の手段も辞さないのならば、この世界の通信を傍受することも彼等の技術ならばさほど難しくないのかも知れない。

 だから、彼等が情報を知っていること自体は予想から外れる話ではない。

 予想外なのは、今、このタイミングで、彼等の方から話し合いの場を設けたいと言いだしたことである。

(今のαナンバーズには、ここで動く理由も、動いて益になること無いはずなのだけど……)

 現在の夕呼は、「αナンバーズの真の目的は、『この世界をBETAから救う』という表向きの目的と矛盾しない」という予想に、かなり確信を持っている。

 だが、今αナンバーズが動く事は『この世界をBETAから救う』という表向きの目的にさえ沿っていない気がするのだ。

 ここでαナンバーズが大々的に動くのは、どうやっても国連と結んだ条約に反する行為だし、もし国際社会の目を盗んで動くのだとすれば、幾らαナンバーズといえども、BETAの侵攻を阻止することは出来ない。

 せいぜい、若干BETAの進行速度を鈍らせて、撤退する兵士の命を多少多く救うのが関の山だろう。

(いくらなんでもそんな「そこに救える命があるのなら、少しでも力になりたいんだ」みたいな、青臭い話ではないだろうし)

 となると、αナンバーズはアラビア半島に何か、是が非でも守りたい、もしくは回収したいものがあるのだろうか?

 いずれにせよ、これは早急に会う必要があるようだ。

「分かったわ。私の部屋のロックを解除して、すぐにお通しして頂戴」

 本来ならばどこか会議室を押さえて、階段の場を設けるのがスジなのだろうが、恐らく今は一刻を争うはずだ。会議室を手配する時間も惜しい。

『了解しました』

 ピアティフ中尉の返答を聞いた後、夕呼は受話器を通信機に戻した。






「突然の訪問、申し訳ございません。貴重なお時間を割いていただき、感謝します」

「とんでもございません、大河特使。お気になさらないで下さい。特使とのお話に優先する業務など、いくつもありませんから」

 夕呼の研究室の片隅で、αナンバーズ全権特使、大河幸太郎と香月夕呼は対面を果たしていた。

 特に退出しろとも言われなかったため、武は夕呼が座る椅子の斜め後ろに立っている。

 大河も一瞬ちらりと武の方に目をやったが、退出を要求することはなかった。

 武は、αナンバーズの素性が秘匿情報だった頃から、夕呼とαナンバーズの間のメッセンジャーを務めたりしていたので、それなりに「特別」だと見なされているのかも知れない。

 大河は挨拶もそこそこに、話を切り出し始めた。

「香月博士も既に聞き及んでいると思いますが、話というのは中東戦線に対するBETAの大規模侵攻に関してです。

 どうにか、我々が援軍に向かうわけには行かないでしょうか?」

 事前にある程度予想しておかなければ、夕呼も驚きで目を見開いていたところだ。実際、後から武が驚きで息を呑む音が聞こえた。

 なぜ、この状況で援軍に向かいたいと言い出すのか、正直さっぱり分からない。

 アラビア半島の戦線の長さは、七百㎞ちかい。

 いかに非常識の塊αナンバーズと言えども、この戦線を二十万のBETAから守り抜くことは不可能なはずだ。行ったところで出来るのは、撤退支援が関の山だ。
 
 夕呼は出来るだけ、平坦な口調で答えた。

「不可能です。ご存じの通り、αナンバーズへの援軍要請には国連安保理の決議が必要です。今からでは、会議場に各国の代表を集めている間に、戦線は崩壊してしまいます」

「正攻法で不可能なのは、我々も理解しています。ですから、なにか方法がないか、知恵をお借りしたいのです」

 夕呼の冷たい返答にもめげず、大河は毅然とした態度で食い下がる。

「そもそも、物理的に救援が可能なのですか? 失礼ですが、専門家の予想では、中東戦線の崩壊まで後10時間前後と見なされていますが」

 戦場は、日本国内ではないのだ。ここからバクダッドは直線距離にしても八千キロ以上ある。まあ、恒星間航行すら可能にしているαナンバーズの基準では、大した距離ではないのかも知れないが。

 大河は、その太い眉をしかめると、少し苦い者を含んで口調で語る。

「むっ、十時間ですか。さすがにそれは少し厳しいですな。現在地球に降りている戦艦は、大気圏内ではせいぜいマッハ3から5程度のですから。しかし、機動兵器の中にはそれより遙かに高速のものも存在します。そういった機体を先行させれば、どうにか」

 今日の午後、地球に降りてきた大空魔竜がマッハ3、アークエンジェルとラー・カイラムもそれとさほど大きくは違わない。

 一方、機動兵器の方ならば、VF-19エクスカリバーがマッハ20オーバー、VF-11サンダーボルトでもマッハ8、特機のキングジェイダーにいたっては、宇宙空間では最高時速1億キロ、地上でも阿蘇山から横浜までの八百㎞以上ある距離を、十秒前後で到着した実績がある。

 間に合うか、間に合わないかという単純な話であれば、十分に間に合う。

 いい加減αナンバーズのスペックには慣れてきてる夕呼は、さほど驚きもせず頷きながら大河の説明を聞いていた。

「なるほど、能力的には不可能ではない、ということですね。しかし、やはり、公式な許可を取るのは不可能です。それに、ここでαナンバーズの皆さんが条約に反する行動を取れば、長期的な目で見ればマイナスに働きます」

「それは、理解しています」

 失礼とも取れる夕呼の言葉に、大河は重々しく頷いただけだった。

 夕呼はこれまでの付き合いで、αナンバーズの首脳部がこう言った率直な意見に対し、臍を曲げることはほとんど無いことを学習していた。

 そして、夕呼の言葉は掛け値無しの事実である。

 αナンバーズは既に国連と条約をかわした公的な存在なのだ。

 そのαナンバーズが、いかに人命救助のためとはいえ条約を破り、勝手な判断で戦闘を行えば、この世界のルールは滅茶苦茶になる。

 そんな掟破りの戦闘集団のことなど、今後どの国も認めてくれなくなるだろう。

 もし、それを認めれば、極端な話、ソ連やイギリスと行った前線国家に勝手にαナンバーズが上がり込み、『いずれやってくるBETAからこの国を守るために来た』と言って、そこに居座る事も出来るのだ。

 BETAを駆逐したαナンバーズが次の侵略者になる。それは、この世界の首脳部達が何よりも危惧している事なのである。

 全権特使として、各国の代表を何度も会談の場を設けている大河は、当然そう言ったこの世界の危惧を理解している。

 理解した上で、なにか少しでも出来ることはないのか、という思考を止めることが出来ない。

 大河はなおも食い下がる。

「たしか、香月博士の部隊は近々、中東に派遣することになっていましたね? 我々はそれの護衛、ということに出来ないでしょうか?」

「それは不可能ではありませんが、それでもαナンバーズの機体が行動可能なのは公海上までです。各国の領海、領土への侵入は許されません」

 その説明は夕呼としては断りの言葉のつもりだった。

 だが、その説明を聞いた大河の眼がキラリと光る。

「公海上までは可能なのですね?」

「お断りしておきますが、朝鮮半島でやったような真似は二度と許可されませんよ」

「む……そう、ですか」

 夕呼の付け足しに、大河は一度燃え上がった瞳の炎を沈下させた。

 朝鮮半島でやった真似、というのは、「上陸は許さないが海上から陸上への攻撃派許可する」と言う韓国臨時政府の言葉を受け、朝鮮半島の南端からESウィンドウを開き、直接鉄原ハイヴに攻撃を叩き込んだ一件のことである。

 確かに条約には触れていないが、あまりに非常識な行動に、各国政府は最大限に警戒を高めた。

 実際、ESウィンドウ越しの攻撃が許されるのならば、地球上でαナンバーズの手の届かない領域はない事になってしまう。

「うむ……」

 なおも考え込む大河の前で、夕呼は表情を動かさないまま、思考を巡らせていた。

 なぜ、αナンバーズがそこまでして中東戦線に向かいたいのかは分からないが、これは夕呼としても悪い話ではない。

 バグダッド基地に最初のBETAが到達するまでまだ二時間前後は時間がある。

 その後も、二,三時間は秩序だった戦線を維持していられるだろう。もしその間に、バグダッド基地に到着できれば、彩峰と鎧衣を比較的少ないリスクで救出できるかも知れない。

 もっとも突然やってきた援軍が、全く戦わないで前線から衛士二人を引き抜けば、味方から撃たれかねないので、現地では命を懸けて戦う必要があるだろうが。

 夕呼は少し考えながら、大河に尋ねた。

「大河特使。もし、戦術機を六機ばかり最速の手段で、バグダッド基地に送るとなりますと、最速でどのくらいの時間がかりますか?」

 突然の質問に大河は少し天井を見上げ、考えながら答える。

「戦術機六機、ですか。それくらいならば、キングジェイダーにくくりつけて運ばせれば、輸送の時間は三十分もかからないと思いますが」

 キングジェイダーは、アークエンジェルやラー・カイラムのように本来、機動兵器を運搬するようには出来ていない。だが、その大きさは百メートル以上、エンジン出力は二億キロワット以上ある。くくりつけることさえ出来れば、戦術機の六機や七機、運ぶのはへでもない。

 二億キロワットという数値にピンと来ないのであれば、日本全体の総発電量が二億キロワット強だと言えば、ある程度はその出力が想像できるだろうか?

 予想以上に速いタイムだ。いける。

 夕呼は内心、ほくそ笑んだ。

 戦術機をキングジェイダーにくくりつける作業に一,二時間費やしても、十分に勝算がある。

「分かりました。そう言うことでしたら、ご希望に添えるかと思います。ただし、重ねてお断りしておきますが、αナンバーズの機体が入れるのは公海上までです。そこから先には、進めませんがそれでかまいませんか?」

 夕呼の説明に、大河は力強く頷き返す。

「はい。それでかまいません。うまくいけば、キングジェイダーが公海上までBETAを引き寄せてくれるでしょう。そうすれば多少は、前線の負担を減らせます」

 なるほど、確かに超高性能コンピュータを搭載するキングジェイダーは、BETAを引き寄せる性質がある。そのおかげで、横浜基地防衛線は随分と助かった。

 しかし、朝鮮半島の鉄原ハイヴ攻略戦では、後半ハイヴ下層に留まっているBETA達は全く引き寄せられなかった。

 確たる目的を持っているBETAは、引き寄せられないのだとすれば、今回の西進するBETA群にもあまり効果は期待できない。

 そこまで考えたところで、夕呼はそれ以上の推測を控えた。

 人員を送ると決めた以上、ここからは時間との勝負だ。時間が遅れる度に、彩峰・美琴の生存確率は下がっていく。

「分かりました。輸送予定の戦術機は、戦術機母艦に搭載してあります。すぐに引き上げますので」

「はい。キングジェイダーへの固定作業は、こちらでやります。では、慌ただしくて恐縮ですが、これで失礼します」

 そう答えた大河は、その言葉通りすぐに席を立つと、大股で部屋を出て行く。

「…………」

 急に二転三転する展開に、すっかり言葉を失っている武に、椅子から立ち上がった夕呼がポンと小突く。

「聞いての通りよ。やっぱりあんた達に行ってもらうことになったわ。すぐに準備に取りかかりなさい」

「先生っ! ありがとうございます!」

 夕呼の言葉を受け、再起動を果たした武は、そう言って腰を九十度近く曲げて礼をする。

「やめなさい。誤解がないように言っておくけど、私は最初から彩峰と鎧衣を見捨てたかった訳じゃないのよ。ただ、さっきまではどうやっても助けられる手段がなかったから見捨てた。

 今は、助けられる手段が見つかったから、助ける。ただそれだけ」

「はいっ!」

 ぶっきらぼうに言う夕呼の言葉は、全面的に本心である。

 それが分かっているのか、満面の笑みを浮かべる武に、夕呼はため息をつきながら忠告した。

「ただし、これから言う二つの条件を呑まない限り、あんたの派遣は認めない。いい?」

「なんですか、条件って?」

 夕呼の声色から冗談ではないことを察した武は、すぐに真面目な表情を取り戻す。

「それはこれから言うわ。で、どうなの? 条件は呑むの? 呑まないの? 私はどっちでも良いのよ。あんた一人いなくたって、速瀬達五人でも任務にはさほど支障はないだろうから」

 その言葉が嘘であることは、武にも分かった。

 六機の戦術機と五機の戦術機では、まるで違う。この場合の一機減少というのは、単純に戦力が六分の五になるだけではすまない。

 隊長である水月のエレメントパートナーが居なくなれば、水月は隊全体の面倒を見ながら自分の背中も自分で守らなければならなくなる。

 だが、夕呼ならばそれでもあえて、武を外すくらいのことはやりかねない。場合によっては、一週間後の『甲16号作戦』に参加予定の伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊から、誰か一人引っ張ってくる可能性もある。

 結局、武には他の選択肢は存在していなかった。

「わ、分かりました」

 武の答えに夕呼は、胸の前で腕を組みながら、「そう」と素っ気なく返す。

「それじゃあ、一つ目の条件よ。もし、彩峰や鎧衣の救出が難しそうな場合、二人は見捨てなさい。少なくとも、二人の身柄を救うために、あんたの命を危険に晒すことは許さない」

 予想外の条件に、武は返答に詰まる。

 当然と言えば当然だろう。救出任務のはずなのに、「危険なようなら見捨てろ」と言われたのだから。

 確かに二次被害の拡大防止は、救出に優先する課題だが、それにしても夕呼の言葉は少々過保護に感じる。

「え? でもそれって」

「ああ、質問は受け付けないわよ。私の研究には、今後生きたあんたが必要なのよ。つまり、私にとってはあんたと彩峰達の命は等価ではないってこと。不満? 不満なら良いわよ。別に、無理に出撃しなくても。その方がありがたいわ」

「いえ、分かりました」

 夕呼は本気だ。

 それを理解した武は、この場は頷くしかなかった。ここで反論をしたら、すぐに夕呼は武の派遣を取りやめるだろう。

 武の返答に一応は満足したのか、夕呼は話を続ける。

「もう一つの条件は、もし彩峰と鎧衣、どちらかしか救えないと言う状況に陥ったら、その場合は必ず鎧衣を助けなさい。彩峰は見捨てなさい。これもさっきと一緒。彩峰と鎧衣二人合わせても、その命はあんた一人分より軽いけど、二人の中でも差はあるって事よ。

 彩峰の命は、鎧衣よりも軽い。少なくとも、現時点で私にとってはね」

「そんな……」

 衝撃的な条件の連続に、武は今度こそ言葉を失った。

 なんだ、そのシビアという言葉すら生ぬるい、命の不等号は。

 顔色を失う武を見下しながら、夕呼は口元に皮肉げな笑みを浮かべる。

「何度も言うけど、嫌なら良いのよ。時間がないのよ、早く決めて」

「で、でも、なんで、そんな……」

「それをあんたに説明する、必要はないわね。私が聞きたいのは返答だけ。イエス? ノー?」

 そう言って夕呼はわざとらしく、壁に掛けられた時計に目をやる。

 いかにも時間がない、と言わんばかりの夕呼と態度に、武は夕呼が望むとおりの返答を返すことしかできない。

「わ、分かりました」

 大丈夫だ。そんな、シビアな状況にならなければ良いだけの話だ。自分も、美琴も、彩峰も、もちろん速瀬中達他の皆も全員生還する。そうすれば、夕呼先生も文句はないはずだ。

 武は、そう自分に言い聞かせる。

「よし、それじゃ、すぐに準備取りかかりなさい。速瀬達にはピアティフの方から連絡を入れさせるから。ほら、いった」

「はい、失礼します」

 パンパンと手を叩く夕呼に追い払われるようにして、武は呆然とした表情のまま、夕呼の研究室から出ていった。

 武の退室を確認したところで、夕呼は再び通信機の受話器を手に取る。

「ああ、ピアティフ。速瀬に私の部屋に来るよう伝えて頂戴。ええ、そう。大至急、最優先でよ」










【2005年3月25日、日本時間15時48分、横浜基地】

 中東戦線に、BETAが大規模攻勢をしかけていた。

 そのニュースが警報と共に横浜基地にも届けられた頃、αナンバーズが間借りしている区域の会議室では、数人の男女が、真剣な表情で緊急ブリーフィングを開いていた。

「以上が現在の状況だ。諸君等には、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊をバグダッド基地へ輸送してもらいたい。なお、ヴァルキリーズの戦術機は、二機のメガライダーに乗せて固定する。ジェイアークはメガライダーを牽引してくれ」

 水上バイクに似た形のオプション兵器、メガライダーは、その上にモビルスーツをのせる作りになっている。幸い、モビルスーツと戦術機の全長はほぼ同じだ。上にのせて固定するだけならば、戦術機にも不可能ではないだろう。

「はい」

「オッケー、任せてよ、ブライトさん」

 本日、大空魔竜と共に地球に降りてきたばかりの、二機のメガライダーのパイロット、ビーチャ・オーレグとイーノ・アッバーブは、そう請けおう。

「ふん。まあ、いいだろう」

 一方、白き箱船を戦闘艦ではなく輸送艦として扱われたソルダートJも、不快げに鼻を一つならしたものの、それ以上は悪態をつくこともなくブライトの要請を受け入れた。

 一番難色を示しそうなソルダートJから了承を取り付けたブライトは、ホッと小さく安堵のため息を漏らす。

「輸送は海上だ。念のため、護衛としてデュオのガンダムデスサイズヘルも同行してくれ」

「りょーかい」

 ブライトの言葉に、デュオ・マクスウェルは長い三つ編みを揺らし、不敵に笑う。

「速瀬隊をバグダッド基地近くまで送り届けた後、ジェイアークは出力を全開にして、BETAのおびき寄せを試してみてくれ。上手くいけば、防衛ラインの負担を多少は軽減できるはずだ。

 ただし、我々には中東各国の領海に進入する権利がない。もし、おびき寄せにBETAが反応しなかった場合は、公海上で、速瀬隊の帰還を待つこと。いいな。

 ジェイアークもデスサイズヘルも、極めて優れたステルス性能を有しているが、間違っても国連軍の目を盗んで戦闘に参加しようなどとは考えるな! 万が一そんなことが発覚した時は、我々首脳部が全面的に責任を取らされるのだからな!」

 珍しく高圧的なブライトの物言いに、しばらく一同は沈黙する。

 やがて、デュオは意味深な笑みを浮かべながら、答えた。

「りょーかい」

「よし、それでは準備に取りかかれ。いいな、くれぐれも馬鹿な真似はするんじゃないぞ」

 念を押すブライトの言葉を聞き流しながら、緊急輸送部隊に選ばれた一同は、退室していった。





「ふん、組織の中で生きる人間というのは、窮屈なものだな」

 廊下に出たところで、ソルダートJはその特徴的な鷲鼻をならし、口元を笑みの形に歪める。

「まあ、ブライトさんが苦労人なのは、昨日今日に始まった事じゃないか」

 そう言ってイタズラっぽく笑うのは、ビーチャだ。

「『最悪の場合、そのステルス性を生かして、極秘に参戦しろ。万が一事態が明るみに出た場合の責任は、俺が取る』って言ってたんだよね?」

 人の良さそうな、地味な顔の少年――イーノは先ほどのブライトの言葉をそう的確に『翻訳』する。

「ま、そうだろうな。そうじゃなけりゃ、キングジェイダーはともかく、俺のデスサイズヘルを派遣する理由がねえよ」

 神父服姿のデュオ・マクスウェルも楽しげにクツクツと笑う。

 日頃は、実直な物言いしかしないブライトの下手な腹芸がよほど面白かったのだろう。

 とはいえ、それが今のαナンバーズに許される最大の助力であることも確かだった。

 元々、キングジェイダーもガンダムデスサイズヘルも、目視以外に発見の方法がないレベルのステルス性能を有している。上陸地点に気をつけて、現地の国連軍と合流しないようにさえすれば、証拠はほとんど残さずにすむはずだ。

 だが、そんな影に隠れるような戦闘参加で、どれだけの戦果を上げられるというのだろうか?

 いかに一騎当千のαナンバーズといえでも、参戦できなければ戦果を上げることは不可能だ。

「さしもの死神さまも、鎌の届くところまで近づかねえと、どうにもできねぇよ」

 それまでの陽気な笑みが消えたデュオの表情は、これから向かう戦場の過酷さを物語っているかのようだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その7
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/07/16 22:14
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その7



【2005年3月25日、バグダッド時間12時48分、バグダッド基地】

 甲2号ハイヴのBETA西進が確認されてから、約四時間。

 BETA群の前衛を担う、突撃級の群れが今まさにバグダッド基地を蹂躙しようとしていた。

 BETA全体における突撃級の割合は、およそ7パーセントと言われている。BETAの総数が十万としても七千匹、二十万ならば一万四千匹、三十万ならば二万一千匹の突撃級がいる計算だ。

 無論、効率的な戦術など存在しないに等しいBETAが、そんなにきちっと動くはずもなく、かなりの数の突撃級が後方で他のBETAの渋滞に巻き込まれているようだが、それでもその前衛部隊の総数は、一万を超える。

 最大速度で迫り来る、一万匹の突撃級BETA。

 地平線の彼方から立ち上る土煙は、ソニックブームを彷彿させる。

 その先頭が視認できる距離に近づいた頃には、基地内で固唾を呑む兵士達は、足の裏がむず痒くなるような振動を地面から感じ取っていた。

 そのまま一万匹のBETAが突っ込んでくれば、バグダッド基地はものの数準文で、無人の更地と化すことだろう。

 だが、BETAが基地を蹂躙するより先に、先頭を走る突撃級の真下が爆発を起こす。

 埋設しておいた地雷原を踏み抜いたのだ。直接被害を被った突撃級はもちろん、その後続の突撃級も仲間の残骸にぶつかり、一時的に足が止まる。

『BETA群、地雷原到達を確認』

 観測班からの報告を聞いた、初老のインド人司令官は即座に命令を下した。

『支援砲撃部隊、撃て!』

 バグダッド基地の内懐に守られた支援砲撃部隊が、一斉に火を噴く。

 豪雨のように降り注ぐ砲弾が大地を揺らし、迫り来る突撃級を駆逐していく。

 この防衛戦で唯一人類側に幸いしたのは、甲2号ハイヴからここまでの距離が十分に開いていいたことだ。おかげでBETAの前衛と後衛が大きく離れている。

 厄介なレーザー級、重レーザー級はまだ地平線の向こう側。

 しばらくは、レーザー属種に迎撃されることなく、砲撃を加えられる。

 何千という突撃級BETAが突進し、無数の砲弾が降り注ぐ。

 アラビア半島の大地が揺れ、立ち上がる土煙が視界を隠す。

 土煙の中では、突撃級BETAが次々と息絶えている事だろう。

 それでも、一万匹の突撃級を全滅させるには至らない。

 土煙の壁の中から、難を逃れた突撃級が疎らにその姿を現す。

 その前に立ちふさがるのは、バグダッド基地所属戦術機部隊の面々だった。

『来るぞ! ロック1より各機へ! 二機編成(エレメント)単位で対処しろ!』

 国連ブルーに塗装された第二世代戦術機、F-16Aファイティングファルコンを駆るロック中隊の中隊長は、中隊各員にそう命ずると、自らも突進してくる突撃級の背面を取ろうと、機体を急稼働させた。

『ロック2! フォローしろ!』

『了解っ!』

 ロック1の駆るファイティングファルコンは、正面から突っ込んでくる突撃級を右サイドステップで回避すると、その場でクルリと百八十度反転し、右メインアームに持つ『AMWS-21』突撃銃から、36㎜弾を撃ち放つ。

 放たれた数発の36㎜弾は、突撃級の弱点である柔らかい背面を貫いた。

 撃たれた突撃級の撃破確認をするより先に、エレメントパートナーである若いアラブ系衛士の鋭い声が、中隊長の耳に届く。

『ロック1! 回避、右!』

『ッ!』

 戦場でエレメントパートナーの声は、命をつなぐ蜘蛛の糸だ。

 ロック1は、思考すら放棄して、反射的に機体を最大速度で右にずらした。

 次の瞬間、ロック1の機体の左腕をかすめるようにして、新たな突撃級が駆け抜けていく。

『ロック2、フォックス3!』

 その突撃級に、ロック2の駆るファイティングファルコンが36㎜弾を放ち、仕留める。

 味方機が十メートルも離れていない所にいるBETAに、ためらいなく銃弾を振らせるその瞬時の決断力と、抜き打ちで味方機に弾丸を掠らせもしない技量は大したものだ。

『助かった。この調子でいくぞ』

 ロック1も自分より十歳以上若いエレメントパートナーに、賞賛の声を惜しまない。

『はいっ!』

 若いアラブ人衛士は、まだ髭も生えそろわない幼い容姿に似合わない、歴戦の戦士の笑みを浮かべ、中隊長の期待にこたえるのだった。





 支援砲撃と地雷原が有効に働いたおかげもあり、バグダッド基地は突撃級一万から基地を守りきることには成功した。

 もちろん、一万匹の突撃級を余すことなく討ち滅ぼしたわけではない。倒したのは半分にも満たない。

 地雷原と支援砲撃、そして三個連隊(324機)の戦術機が死力を尽くしたとしても、一万匹の突撃級を駆逐しえるはずもない。

 そのため、バグダッド基地司令官は、アンバール基地からの『現状維持に努めよ』という命令を若干曲解し、基地の左右を駆け抜ける突撃級は無視し、基地正面に突撃してくる突撃級のみにターゲットを絞ったのである。

 その判断は、間違えていなかったといえるだろう。

 もし、バグダッド基地の戦力で、一万匹のBETAを一匹も後ろにと押さない気概を持って当たれば、この前哨戦だけでバグダッド基地はすりつぶされていたはずだ。

 そんな事態に陥るくらいならば、ある程度は後ろに押しつけてしまった方が良い。

 アンバール基地には、バグダッド基地の倍以上の戦力がそろっているのだ。十分対処できる。

「横を抜けた突撃級群は、現在後百三十キロ地点に到達。反転してくる様子はありません」

「BETA本隊、交戦可能地点に到達!」

「地雷再埋設作業、進捗は五パーセントです!」

「支援砲撃部隊、補給完了!」

「第一戦術機連隊、補給完了です!」

「第二、第三戦術機連隊も、補給は完了しています。前線補給ポイントの補給コンテナ散布状況も問題なし!」

 バグダッド基地司令室内が、情報の濁流であふれかえる。 

 浅黒い肌と、真っ白な髪を持つ、初老の司令官――パウル・ラダビノッド少将は、しばし目を瞑り、無数の情報を頭の中で整理する。

 何もかもが思い通りとはいかないものの、ここまでは予想以上に順調だ。

 カッとつぶらな眼を開いたラダビノッドは、矢継ぎ早に指示を出す。

「地雷埋設作業は中止、工兵隊は後方に退避。

 第一、第二戦術機連隊は前線で防衛網を構築。第三戦戦術機連隊は予備選力として後方に待機。指示があるまで、戦闘には参加させるな。

 支援砲撃部隊は、対レーザー弾頭に換装後、命令を待たずに各自砲撃支援を開始」

「了解っ! 工兵隊に通達。現時刻をもって……」

「了解。第一、第二戦術機連隊は、防衛ラインを構築を構築。第三戦術機連隊は後方にて……」

「了解です。支援砲撃部隊に告ぐ。全砲座は対レーザー弾頭に換装。その後……」

 司令官の命令を、各CP将校達が前線の兵士達に伝達する。

 CP将校達は、熱の籠もった様子で己の業務に打ち込んでいた。

 少なくとも、命令を通達している間は、西側半分が、BETAを意味する真っ赤な光点で塗りつぶされた戦術マップから、眼を逸らしていられる。そうでもしなければ、精神の均衡が保てない。

 だが、責任者であるラダビノッドは、例え一瞬でもその絶望的な現実から眼を逸らすわけにはいかない。

「アンバール基地からの返答に変更はないか?」

 ラダビノッドは、戦術マップを見据えたまま、隣に立つ副官だけに聞こえるよう小さな声で、既に何度目になるか分からない言葉を投げかけた。

 年若い東アジア系の女士官は、少し眼を伏せながら、こちらも変わらぬ答えを返す。

「はい、相変わらず『現状維持に務めよ』とだけ」

「くっ……」

 ラダビノッドは口元が憤りに歪みかけるのを、意思の力で必死に堪えた。

 ラダビノッドは、これまでも再三アンバール基地に『バグダッド基地の放棄・撤退』許可を求め、打診していた。

 押し寄せるBETAの数は、数十万という数なのだ。

 バグダッド基地の戦力で防衛可能な限界ラインを遙かに超えている。それどころか、その後ろのアンバール基地とて、防衛に成功するには奇跡がダース単位で必要だろう。

 故に、ラダビノッドはバグダッド基地の役割を『アンバール基地駐留軍の撤退が終了するまでの時間稼ぎ』だと考えていたのだ。

 しかし、実際にはBETA西進が確認されてから五時間が過ぎた今も、アンバール基地は撤退を始めるそぶりを見せていない。となると当然、アンバール基地を守る盾の役割に担うここ、バグダッド基地も現状位置を余儀なくされる。 

「アンバール基地の司令官は、話の分からない人物ではないはずなのだが……やはりもっと上の問題か?」

 ラダビノッドは隣に立つ副官にも聞こえないよう、口の中だけでそう呟く。

 実際、ラダビノッドの予想は的中していた。

 アンバール基地は、国連軍とは名ばかりで、実際にはアメリカ軍の傘下にある。

 アンバール基地駐留軍はトップから末端まで全員、アメリカ軍からの横滑り組なのだ。

 バグダッド基地は、すぐにでも撤退戦に移りたいが、後方のアンバール基地が撤退を始めるまで撤退出来ない。

 アンバール基地も本当は即座に撤退したいのだが、貴重な反応炉を惜しむアメリカ本国が撤退を許可しない。

 反応炉を死守したいアメリカは、安保理にαナンバーズの派遣を打診しているが、一週間後に甲16号作戦を控えた統一中華戦線はこれに反対し、拒否権を行使するかまえだ。

 結果、事態は何一つ動かない。

 このままでは、アメリカ政府が折れて、アンバール基地に撤退許可を出すまで自分たちはただ無意味に死地に留まり続けるしかない。

 勝算が一欠片もなく、そのくせ撤退も許可されない戦場で、はたして兵士達はどれくらい士気を保っていられるだろうか?

(最悪、私が泥を被る覚悟が必要か……)

 ラダビノッドは、もしこのままの状況が続くようならば、越権行為を行う覚悟を、密かに固めていた。








【2005年3月25日、バグダッド時間15時25分、バグダッド基地】

 BETA本隊とバグダッド基地軍が交戦状態に入り、既に二時間が経過していた。

 今のところ、バグダッド基地に目立った被害は出ていない。

 最前線では、二個連隊――二百機を超える戦術機が防衛ラインを築き、死守命令に文字通り命を懸けている。

 だが、最初は綺麗に整っていた陣形も、時間の経過と共に、歪み始める。

『ロック8、一度後方に下がって補給を受けろ! ロック7、ロック8を連れ戻せ!』

 ロック中隊の中隊長は、血の気が多い部下を通信で窘める。

 注意を受けたのは、F-4Eファントムを駆る、黒髪の若い女衛士だった。

 女衛士の駆るF-4Eは、要撃級BETAが集まっている小集団に正面から距離を詰め、36㎜弾を掃射しながら、銃口を横にスライドさせ、五匹の要撃級を纏めて屠る。

 また、36㎜弾の弾倉が一つカラになり、サブアームが自動で最後の弾倉と交換を始める。

 だが、そうして足を止めた隙に、小さな戦車級BETAがロック8の周囲に集まっていた。

『ッ!?』

『慧さん、動かないでっ!』

 気づいたロック8が対処しようとするより早く、彼女のエレメントパートナーであるロック7の声が届く。ちょっと聞いただけでは、少年とも少女とも判別できない中性的な声だ。

 そして、次の瞬間、ロック7の操るF-4Eファントムは、ロック8の乗るF-4Eファントムに取り付こうとしていた戦車級BETAを、36㎜弾の雨で纏めて蜂の巣にする。

『ありがと、鎧衣』

『いいよ、気にしないで。でも、慧さん、一度下がった方がいいよ』

『駄目。今私達が抜けたら、前線が支えられなくなる』

 ロック7――彩峰慧少尉は、心配げに話しかける鎧衣美琴中尉に素っ気ない口調で言葉を返すと、更に機体を前に押し出そうとする。

『彩峰少尉、下がれと言っているだろう! 無茶をしすぎだ! 補給を受けてこい!』

 彩峰の網膜ディスプレイに、アラブ系の中年男の怒り顔が大きく映し出される。

 彩峰は、直属の上司の怒声にも全く動じることなく、無表情のまま抗弁した。

『今私が下がったら前線に穴が空く』

 明らかに上官に対する口の利き方ではないが、中年の中隊長は今更そんな些細なことを注意する気もなく、ただ無謀な部下の行動を諭す。

『そうやって無理をして貴様が死んだら、もっと大きな穴が空くんだ。大体その有様で、出しゃばられても迷惑なだけだ。何ならこの場で貴様のバイタルデータを見せてやろうか?』

『…………』

 彩峰は中隊長の的確な指摘に、返す言葉を失い、コックピットの中で唇を噛んだ。

 中隊長の言うとおり、彩峰の豊かな胸元は、先ほどから荒い呼吸に従い激しく上下していた。

 バイタルデータを見せられるまでもなく、彩峰自身も息が上がっているのを自覚している。

 まだ戦闘開始から三時間も経っていないのに、歴戦の衛士である彩峰が息を切らせているところに、この戦場の非常識なまでの過酷さが分かる。

 一方、縦横無尽に大暴れする彩峰のフォロー役に終始していた美琴は、まだ軽く息を弾ませている程度だ。

 中隊長は一回り年下の女衛士を諭すように、言葉をかけ続ける。 

『どうした。俺も命令が聞けないか? 俺もお前の言う、命令を無視してもいい『無能な上官』か?』

 彩峰は悔しそうに唇を噛んだまま、汗で湿った頭を振り、一つ大きく息を吐き答えた。

『……了解。ロック8、一時後方に下がります』

『ロック7、同じく。補給してきます』

『よーし、せっかくだから、水と食い物も腹に入れておけ。どれくらい長丁場になるか分からんからな!』

 中隊長の声に尻を叩かれるようにして、二機のF-4Eファントムは後方へと一時下がっていくのだった。






 後方は、前線とはまた違った意味で地獄だった。

 前線と後方と言っても距離にして一キロも離れているわけではない。

 こうして後ろに下がると、全周囲からBETAが津波のように押し寄せている様がよく分かる。

 最前線に立つ戦術機部隊は、いわばその津波を身体で止める生きた防波堤だ。

 そうして津波を食い止めている隙に、後方から自走砲部隊が砲撃を加え、BETAの群れを纏めて屠る。

 そうすることで、戦術機部隊にかかる圧力が弱まり、戦術機部隊も辛うじて生きながらえている。

 前線と後方、お互いがお互いをフォローし合い、辛うじて今のところは現状を保っている。

 だが、もし一カ所でも堤防が決壊すれば、バグダッド基地はその瞬間BETAの波に呑まれることだろう。

『すぐに、戻らなきゃ』

『うん、そうだね、慧さん』

 本来のセオリーであれば、後方に下がった衛士は一時休息を取ることが望ましいとされているのだが、そんな状況ではないことが一目で分かる。

 彩峰と美琴は、戦車隊と機械化歩兵隊に守られた補給コンテナに近づくと、手慣れた様子で武器、弾薬、燃料を補充していく。

 前線の戦術機部隊が止めきれない小型種が、防衛網を超えてこの辺りまでその醜悪な姿を見せるが、それらは戦車と機械化歩兵が相手をする。

 彩峰は、強化装備に備え付けられている水と非常食を腹に詰めこむと、何度も深呼吸をしてはやる心を抑えた。

 まだだ。せっかく無理をして後方に戻ったのだから、補給を完全に済ませなければならない。

『でも、このままどれくらい持つのかな……』

 鎧衣は、このままでは全滅以外の選択肢がない戦場を見渡しながら、通信機の全周波数をオープンにして情報を拾う。

 分厚く戦場を覆う重金属雲の影響で、無線を拾える範囲は極めて狭いが、それでもフルオープンにした通信機からは、怒濤のように怒号と雄叫びと悲鳴が、聞こえてきた。

『ハイヤトゥン4,5,11,12、戦死! 一時撤退許可を!』

『こちらサウル1、前方に支援砲撃を! このままじゃ、もたない!』

『こちら支援砲撃部隊。自走砲の砲身がいずれも活動限界を超えています! 換えの砲身の補給はまだですか!?』

 耳を塞ぎたくなるような凶報ばかりが聞こえてくる。

 本来であれば、交代要員として後方に待機していた第三戦術機連隊の百八機も、すでに各前線に『穴埋め要員』として駆り出されてしまっている。

 補給状況に眼を向けながら、情報収集に勤しむ美琴の耳に、更なる凶報が届く。

『こちら、ロック2。ロック1が戦死されました。以後、ロック中隊の指揮は私が引き継ぎます』

「ッ!? ……隊長っ」

 それは先ほど、彩峰を諭して、自分たちを後ろに下げてくれた中隊長の死を告げる知らせだった。

 それでも、悲しみより先に「まずい事態になった」と考えてしまったのは、美琴の感情がこの地獄のような戦場で麻痺しているからだろうか。

 少なくとも、美琴のエレメントパートナーの反応は、もっと激情的なものであった。

『ッッ!!』

「慧さんっ!?」

 補給を済ませたばかりの彩峰機が、鎧衣にことわりもなしに突如駆け出す。

「駄目だよ、落ち着いて! 前線復帰は指示を受けてからっ」

『駄目。一刻も早く戻らないと、中隊が崩壊する』

 その答えに美琴は、彩峰がただ激情にかられているわけではないことを理解した。

 元々、彩峰の技量はロック中隊でもトップだ。

 生憎、指揮官適正が果てしなく低空飛行なことと、上官への暴言や命令無視で昇格と降格を二度ずつ繰り返したせいで未だ少尉に留まっているという問題から、小隊長や副官と言った役職には就いていないが、彩峰がエースとして部隊をひっぱているのは紛れもない事実である。

 エースである彩峰と、準エースである美琴が抜けている間に、中隊長が戦死した中隊。

 確かに、士気が崩壊していてもおかしくない。

『分かった。ボクがフォローするからっ!』

『お願いっ!』

 二機のF-4Eファントムが前後に並び、全速力で前線に戻る。

『中隊のみんなは……』

 一応持ち場は決まっているのだが、この絶望的に劣勢な戦力では、誰も彼も臨機応変な戦術変化を余儀なくされている。

 元の部隊に復帰するだけでも一苦労だ。

『くっ、もう、こんな所までっ!』

 美琴は最前線を抜けてきた戦車級BETAを36㎜弾で駆逐しながら、通信機をフルに使い、ロック中隊の居場所を探る。

 美琴がその通信を受信したのと、彩峰がその機影を発見したのは、ほぼ同じタイミングだった。

『ロック2より各機へ! 戦線を再構築します。一度集合して下さい!』

 BETAの体液と煤で赤黒く汚れたF-16Aファイティングファルコンが、こちらに背を向けて戦場に仁王立ちしているのを発見する。

 その緊張で裏返りかかった若い声は、間違いなくロック2のものだ。

『よかった。どうにか、間に合った……』

 ホッと口元をほころばせた彩峰が自分と美琴の戦線復帰を告げようとしたそのときだった。

 ロック2のファイティングファルコンの右手側のBETAが、海が割れるようにしてまっすぐ道を開く。

『だっ!?』

 その動きが何を意味するか、分からない衛士はいない。

 突如開いた道の向こうには、大きな単眼が印象的な重レーザー級BETAの姿があった。

 ロック2は重レーザー級と『眼が合う』のを感じた。

『しまったっ!』

 ロック2のコックピット内にけたたましくレーザー照射警報が鳴り響き、機体は自動的にランダム回避モードに移行する。

 ランダム回避モードで、ロックされるまでの時間をほんの僅かだけ引き延ばし、その僅かな時間でエレメントパートナーがレーザー照射源であるレーザー属種を倒す。

 レーザー属種に狙われた戦術機が生き残る可能性は、原則これだけだ。

 そして、ロック2のエレメントパートナーは、既に死んでいる。

『カリミッ!』

 彩峰が悲痛な声でロック2の名前を呼び、重レーザー級を打ち倒しに向かおうとするが、それを横から美琴が制する。

『駄目だよ、慧さんッ、もう間に合わない!』

 彩峰機は、ロック2機より後方にいるのだ。今から突貫しても、彩峰機が重レーザー級を射程内に収る前に、ロック2のファイティングファルコンは、レーザー照射を浴びて、跡形もなく蒸発していることだろう。

 その場合、残されるのは帰り道をふさがれて、BETAの群れの中で孤立する彩峰機だ。

『グッ!』

 一瞬でそういった状況判断が出来てしまったのだろう。彩峰が一瞬、足を止めたときは既に結果は出ていた。

 彩峰の目の前を、眩い『ピンク色』の光が駆け抜ける。

『うわああ! アッラー・アクバル!』

 死を覚悟したロック2が最期の言葉を叫ぶ。

『…………あれ?』

 だが、予想に反していつまで経ってもロック2の魂は、神の御許へ旅立たない。

 ロック2が恐る恐る眼を開けてみると、そこには理解が及ばない光景が広がっていた。

 蒸発していたのは、自分ではなく重レーザー級BETAのほうであった。遙か遠方で、頭部を消し飛ばされた重レーザー級の下半身が、バランスを崩して崩れ落ちる様が見える。

『な、何が起きたのですか?』

 年の割には落ち着いていると表されるロック2が、自分の置かれている状況を確認するより早く、ロック7の声が聞こえる。

『ち、ちょっと、中隊長代理、慧さん。後ろ!』

 マイペースが服を着ているような美琴が、聞いたこともない震えた声でそう言う。

『後ろ?』

『後ろに何が……?』

 後方に視界を向けると、いつの間に、どこから現れたのか。国連ブルーに塗られた見覚えのない六機の戦術機が立っていた。

 いや、見覚えがないのは、ロック2だけだ。彩峰と美琴はその戦術機をよく知っている。

 縁がなく、乗った経験はまだないが、母国製の戦術機を知らないはずがない。

 少し遅れて、コンピュータが自動検索を済ませ、その戦術機の素性をロック2に知らせてくれる。

『あれは……日本帝国製第三世代戦術機、不知火?』

 状況がつかめずに呆然としているうちに、不知火と通信が繋がる。

 ロック2の網膜投射ディスプレイに映し出されたのは、藍色の長髪をポニーテールに纏めた、東アジア系の美女だった。

『こちら、極東国連軍横浜基地所属、伊隅ヴァルキリーズ、速瀬隊。自分は隊長の速瀬水月中尉です。これより貴軍を援護します』

 一時間三十分という時間をかけて、横浜港からインド洋を横断し、アラビア半島までやってきた速瀬水月は、力強い笑みを浮かべ、鮮やかに敬礼をして見せるただった。









【2005年3月25日、バグダッド時間16時40分、バグダッド基地】

「彩峰! 美琴! よかった、間に合ったみたいだな!」

『うそ……白銀?』

『うわあ、タケル? 本物? 偽物? まあ、どっちでもいいや。凄い久しぶりだねー』

 記憶にある通りの二人の顔と声。特に、美琴などはそのつかみ所のないしゃべりも昔のままだ。

 タケルは、目尻に涙がにじむのが堪えられない。

『美琴、お前、偽物はないだろ、偽物は。正真正銘本物だよ』

『確かに、この間の抜けた顔は、紛れもない白銀』

『彩峰、三年ぶりに再会して最初の一言がそれかっ!』

 いきなりの酷評に白銀はブーたれるが、軽口を叩いている彩峰と美琴は、自分たちの口から出た言葉に、自分で驚いていた。

 さっきまで、部隊の中隊長を失い、絶望的な戦況に心を凍らせかけていた自分たちが、タケルの顔を見て声を聞いただけで、三年前に戻ってしまった。

 やはりこの男は、天性のムードメーカーだ。

 しらずに、二人の頬がほころぶ。

『こーら、白銀。旧交を温めるのは後にしなさい』

 そこに、速瀬中尉が割り込む。

「はい、すみません、速瀬中尉」

『話は付いたわ。鎧衣美琴中尉。彩峰慧少尉。二人とも横浜基地への転属辞令は、ずっと前に受け取っているわね? というわけで、この作戦が終了次第、私達と一緒に横浜基地に直行してもらうことになるから、そのつもりでいて』

『ええと、この作戦終了後、ですか?』

 含みのある美琴の返答に、何を言いたいのか理解した速瀬は、にやりと笑い返す。

『そう、作戦終了後。大丈夫よ、ラダビノッド司令官が自分の部隊を黙って全滅させるわけないでしょ。それに、香月博士も動いてくれる手はずになっているから』

 前線に向かう途中、バグダッド基地司令官のラダビノッドとは連絡を付けている。

『副司令が?』

 三年前の時点で横浜基地の情報が途切れている彩峰にとって、夕呼は『副司令』という印象が強いのだろう。彩峰は、つい昔の役職で夕呼を呼んでしまった。

『そう。と言うわけで、しばらくしたら、基地放棄・撤退の命令がでるはずよ。それまでの辛抱だから、気張って生き残りなさい。あんた達もいいわね。横浜基地のメンツにかけて、無様なところを見せるんじゃないわよっ!』

『『『了解っ!』』』

 隊長である水月の言葉を合図に、ビーム兵器で武装を固めた、六機の不知火は本格的にバグダッド基地防衛戦線に参加するのだった。





『白銀っ、動きが遅い! なにやってるの!』

 迫り来る要撃級を、近くの戦車級ごとビームサーベルでなで切りにしながら、水月は動きの悪いエレメントパートナーをどやしつける。

「は、はい、すみませんっ!」

 武は、背中にびっしょりと気持ちの悪い汗を掻きながら、それでも何とか強張る手で操縦桿を操作し、ビームライフルで、巨大な要塞級を仕留めた。

「畜生、なんなんだよ、これはっ」

 水月に言われるまでもなく、武自身も自分の動きの悪さは自覚していた。

 理由は、精神的なものだ。

 BETAが怖い。死の恐怖が、心臓を鷲づかみにしている。

 なぜだ? 確かに、BETAの総数は今まで経験してきた、二つの戦いと比べても圧倒的だが、目の前で対処する量自体は大差ない。

 味方の戦術機の数だって、随分うち減らされたようだが、それでもまだ二百機以上残っているのだから、孤立しているわけではない。

 それなのに、武の心臓は初陣の時のように高鳴り、身体も異常に強張っていた。

「くそっ、みっともねえ。こんなの、αナンバーズのみんなには見せられねえ」

 武はこの数ヶ月で仲良くなったαナンバーズの碇シンジや、イサム・ダイソン、アラド・バルンガといったメンツの顔を思い出す。

「……αナンバーズ?」

 その名前を口にしたことで、武はハッと思いつく。

「そうか、俺は初めてなんだ……いや、俺だけじゃない。速瀬中尉、涼宮と柏木はっ!?」

『なに、涼宮と柏木がどうしたっていうの? 宗像?』

 武の真剣な声に、事情も分からないまま速瀬は、部隊の副隊長格である宗像美冴中尉に通信をつなぐ。

 風間梼子中尉と連携して、順調にBETAを屠っていた美冴は、突然の通信にも取り乱すことなく、返答を返す。

『そう言われると、確かにちょっと、おかしいですね。二人とも、いつもの調子じゃないです。なんだか、初陣の時に近い緊張状態で』

『やっぱり』

 美冴の言葉に武は、悪い想像があたったことを確信した。

『やっぱりって、なによ、白銀?』

 問いかける水月に、武は一瞬言いよどんだが、思い切って言葉を続けた。

「宗像中尉の言うとおりなんです。俺達、初めてなんですよ。その……αナンバーズがいない戦場で戦うのは」

『はっ?』

『なるほど、そういうことか』

 武の言葉に、水月は意表を突かれたような声を出し、美冴は即座に納得がいったかのように頷いて見せた。

 そう、武達三人は形の上ではこれが三度目の実践だが、過去の二戦は常にαナンバーズとの共同戦線だった。

 特に大きな違いは、すぐ近くに、ATフィールドを準備したエヴァンゲリオンがスタンバイしていた、ということだ。

 エヴァンゲリオンの有無が衛士の心理にどれほど大きな違いをもたらすかは、簡単に想像がつくだろう。

 なにせ、エヴァンゲリオンが側にいるということは、すぐ側に絶対安全圏が存在すると言うことなのだ。ATフィールドの内側に入れば、いかなる攻撃も恐れることはない。

 無論、違いはそれだけではない。

 αナンバーズが参加する対BETA戦は、こちらの戦力が上回っている、いわば『勝ち戦』だ。

 絶望と敗北で彩られるこの世界の標準的な対BETA戦を、武達ヴァルキリーズの新人は、今初めて経験しているのだ。

『竹の花作戦』に、帝国軍人として参加した榊千鶴は例外だが。

『なるほどね。泣き言抜かすのは、マイナスだけど、恥ずかしい自己分析を自己申告した勇気は褒めてあげる。いいわ、白銀はしばらく私がフォローする』

 武の言う内容を理解した水月はすぐさま、そう対応する。

 一瞬みっともないと思った武であったが、その瞬間夕呼と交わした『約束』が脳裏をよぎる。

「彩峰と鎧衣、二人の身柄を救うために、あんたの命を危険に晒すことは許さない」

 と言い切った、夕呼の言葉。あの言葉は疑う余地もなく本気だった。

「り、了解。すみません、中尉。ご迷惑をおかけします」

 武は虚勢を呑みこんで頭を下げた。

『白銀、右っ!』

「ッ!」

 水月の警告を受けた武は、視界の隅に映った突撃級にビームライフルの銃口を向けて、反射的にトリガーを引き絞る。

 放たれたピンク色の光弾は、違うことなく突撃級を撃ち抜いた。

『よし、上出来。その調子よ』

「はいっ! 大丈夫だ。やれる。俺の動きは通用する。俺の攻撃はBETAを倒せる……」

 武は、自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 武が、戦場に意識を戻している間に、水月は他の部下達にも指示を飛ばす。

『というわけだから宗像・風間は、涼宮・柏木から眼を離さないで』

『了解です』

『分かりました』

 水月の指示に、美冴と梼子は落ち着いた様子で返事を返した。

『わ、私なら、大丈夫です、速瀬中尉ッ!』

『茜、落ち着こう。中尉は私達のバイタルデータを見た上で判断してるんだよ。虚勢を張っても事態は好転しないよ』

 一方、尊敬する水月に足手まといされたと感じた涼宮茜少尉は、勝ち気な声を上げるが、それを横からエレメントパートナーの晴子が諭す。しかし、晴子の声も、言葉ほど冷静なものではない。

 戦場に対する恐怖、ふがいない自分に対する怒り、先輩に負担をかける羞恥。色々な負の感情がない交ぜになり、いつもはひょうひょうとしている晴子の声色に、隠しきれないビブラートがかかっている。

 それでも、同じ立場にある晴子の言葉は、茜に冷静さを取り戻させるだけの効果があったようだ。

『分かりました……すみません、宗像中尉、風間中尉。よろしくお願いします。で、でも、すぐに、調子を取り戻しますから』

 それでも、強気に早期の復調を宣言する辺りは、気が強い茜らしい。

『ああ、期待している』

 美冴は、その中性的な美貌を笑みの形に歪めて答えるのだった。





 武達新人三人が、ギクシャクしていると言っても、それはあくまで内側の評価であり、外から見た者にはまた別の感想がある。

『なんだ……あれは……?』

 ロック中隊の中隊長代理、ロック2は自らも愛機を駆り、BETAの津波を押し返しながら、呆然とした様子でそう言葉を漏らす。

 実際、ロック2の眼に映る伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の戦闘力は非常識と言うしかない。

 最初期機とはいえ、第三世代戦術機である不知火のスピードとパワー。

 XM3搭載による、硬直時間が発生しない操作性。

 そして、一発で要撃級BETA数匹を纏めて撃ち抜くビームライフルと、突撃級の外殻すら紙のように切り裂く、ビームサーベル。

『すごーい。なんだろあれ、香月副司令の発明品? それとも、噂のαナンバーズの技術?』

 美琴も驚きで大きな瞳をまん丸に見開いき、声を上げる。

『分からない。でも、これで、希望が見えてきた』

 答える彩峰は、口元に笑みを浮かべ美琴の問いに答えた。

 彩峰の言う希望とは、この戦場の話ではない。

 いかに、ビーム兵器とXM3搭載機が非常識な威力を見せるとはいえ、それで戦況が好転しているのはこの周囲だけの話である。

 前線の大部分は今もなお、破断限界ギリギリの圧力に死力を振り絞って耐えている状況だ。

 彩美の言う希望とはもっと大きな意味、この世界の人類がBETAに勝つという希望だ。

 香月夕呼の技術か、異世界の技術かは知らないが、あのビーム兵器が量産され、全ての戦術機に搭載される時代が来れば、間違いなく戦況は変わる。

 今までは噂レベルでしか知らなかった、『極東で人類の反撃が始まっている』という話は間違いのない事実であると、今は確信できる。

『死ねない理由ができた』

 勝ちの目があるのに、こんな所で死んでいられない。

 彩峰は、久しぶりに身体の奥の方から生きる気力がわき上がってくるのを自覚した。

『そうだねー。あ、横浜基地はまだ、京塚さんいるのかなー。おばちゃんの料理食べたいな」

 美琴も、迫りくる戦車級に36㎜弾を浴びせながら、懐かしむようにそう声を上げるのだった。









【2005年3月25日、バグダッド時間18時03分、バグダッド基地】

 夕陽が、地平線の彼方に沈みかける中、バグダッド基地は全周囲を軍用設置ライトで照らしながら、夜間戦闘へと突入していた。

 戦術機はもちろん、戦車は自走砲にも夜間戦闘用の装備が備わっているが、昼夜の区別のないBETAを相手に、暗闇がマイナス要素であることは間違いない。

 ぬかりなく午前中のうちに、ありったけのライトを用意しておいたラダビノッド少将の行為は褒められても良いだろう。

 多数の外部ライトに基地の貴重な発電機を回した分、他の補給部隊に不自由を強いていたので、マイナスに転ぶ危険性もあったのだから。

 BETA西進の報を受けたから、八時間。

 凶報と訃報を裁き続けてきたラダビノッドの顔色は、目に見えて悪化していた。

 この八時間で、吉報呼べるのは、横浜基地からきた六機の戦術機の活躍ぐらいだ。

 元々ラダビノッドは香月夕呼と近しい立場にあったこともあり、彼女の直下部隊であるヴァルキリーズの顔も、ある程度は見知っている。

 懐かしい顔に、顔をほころばせたのもほんの一瞬。次の瞬間には、この地の部下の訃報が舞い込み、額の皺を深くさせる。 

 そんな、絶望の中で最善を模索していたラダビノッドの元に、待ち望んだ吉報が飛び込んできたのは、ラダビノッドが無意識のうちに痛み出した胃の辺りをさするようになった時のことだった。

「司令、アンバール基地からの通達です。『現時刻をもってアンバール基地は基地放棄を決定。同時刻、バグダッド基地の防衛任務終了を通達』、以上です!」

 アンバール基地の撤退の決断に伴う、バグダッド基地の撤退許可。

 半日以上待ち望んでいた命令に、さしものラダビノッドも大きな安堵の息をつくのが押さえられなかった。

 一瞬このタイミングでの命令変更に、裏の事情を勘ぐりかけるが、今はそんなことに頭を回しているときではない。

「よし、これより防衛線から撤退戦に移行する。司令部付き戦術機大隊は、撤退戦のタイムスケジュールを前線衛士に届けろ!」

 司令官の言葉に、それまで檻のように沈殿していた司令部の空気は生き返った。

 ちなみに、司令部付き戦術機大隊とは、名前だけは勇ましいが、その実体は三十六機全てがスクラップ寸前のF-4ファントムからなる、貧弱極まりない部隊である。

 同じF-4系列でも、アビオニクスから装甲素材まで全面的に改装し、第二世代機に準じる力を持つ、F-4Eとでは鳶と鷹ぐらい性能が違う。

 そんな動くスクラップのような機体をあえて、司令部付きとして残したのは、今この時のためだ。

 重金属雲の影響と戦闘による有線通信の切断で、前線との連絡が難しくなったこの状況で、迅速な『伝令兵』の役割を果たしてもらうのだ。
 
「了解っ、司令部付き戦術機大隊に次ぐ。これより撤退戦に移行する。各員は前線にこの情報と撤退戦のタイムスケジュールを……」

 CP将校達は、忙しそうに撤退戦開始の情報を各部署に通達していく。

 撤退戦の手順は、事前に各部署の責任者に通達してある。ただし、撤退戦というのは、防衛戦より難しいものだ。

 全体の状況認識に齟齬があれば、一瞬で部隊が全滅してもおかしくはない。

 一言で基地の兵士といっても、その兵種は様々だ。

 ただ、闇雲の撤退を許可しても、ほとんどの兵士は逃げられない。

 当たり前だ。一般兵士の足は、輸送用の大型トラックが主なのだ。

 兵士を満載した大型トラックの最高速度は、明らかに突撃級BETAの最高時速よりも遅い。

 装甲車や戦車などは、地形次第では要撃級にだって追いつかれてしまうだろう。

 故に、殿を十分な移動速度と機動力を持つ戦術機部隊が引き受けてくれなければ、撤退戦の成功はあり得ない。

 だが、それは戦術機部隊にとって悪夢を意味する。

 後方の兵士が先に撤退すると言うことは、CP将校からの情報が入らなくなるということだ。後方支援部隊からの砲撃支援が途絶えるこということだ。

 現状でも、十分に一人が死ぬ戦況で後方支援が途絶えたら、衛士の死亡率は加速度的に跳ね上がることあろう。

 無論、脱出の際には自走砲その他は自動砲撃モードにして、投棄していくことになっているが、同じ所に砲弾を振らせるだけの砲撃など、前線衛士にとってはさほどありがたいものでもない。

 せいぜい、「無いよりはマシ」と言った程度のものだ。

 後方支援部隊が先に逃げれば、戦術機部隊が持たなくなる。

 戦術機部隊が先に逃げれば、後方支援部隊に脱出のチャンスがない。

 そして、言うまでもないが司令部が率先して逃げたりすれば、部隊の士気は一気に崩壊し、全滅の一途をたどるだろう。

 ここからは、綱渡りの連続だ。一歩間違えれば、一気に奈落の底に真っ逆さまの道のり。

 だが、この綱の先には脱出口があるのだ。

 今の、逃げ場のない崖っぷちにつま先立ちしている状況よりは遙かにマシだろう。

 実際、『撤退戦に移行する』という命令を聞いた兵士達は皆、落ちかけていた士気を取り戻している。

「……よし。脱出車両の再点検と人員配置図の見直しを進めろ。ドライバーの人数が車両ごとに偏らないよう、気を配るんだ」

 ラダビノッドは今一度大きく、深呼吸をすると、改めて撤退戦の指揮を取るのだった。









【2005年3月25日、バグダッド時間18時33分、アラビア海海上】


 バグダッド基地が撤退戦に移行し始めた頃、アラビア半島の南、アラビア海の海上には、一隻の白い戦艦が、二機のオレンジ色の戦闘オプション兵器と共に漂っていた。

 αナンバーズ所属、ジェイアークと、二機のメガライダーである。

 本来であれば、よりバグダッド基地に近いペルシア湾まで侵入したいところであるが、あそこはすべて中東諸国の領海だ。αナンバーズの機体が無断で侵入することは許されない。

 武達、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の不知火を、バグダッド基地に送り届ける際には、勢い余って一度侵入してしまった気もするが、恐らく気のせいだろう。

 その証拠に、どこからも抗議の声は上がっていない。

「始まったようだな」

 ジェイアークの艦橋で、バグダッド基地の様子をつぶさに観察していたソルダートJは、腕を組んだまま、そうポツリと呟いた。

『おっと。そんじゃ、俺達の出番かな』

 モニターに映るデュオ・マクスウェルが、その幼い顔に似合わない不敵な笑みを浮かべている。デュオは、愛機ガンダムデスサイズヘルに乗ったまま、ジェイアークの上に掴まっている。

「ああ。バグダッド基地の基地司令はかなりの人物のようだが、この調子では全体の一割も撤退できまい」

 さしものαナンバーズも、この公式に戦力を送り込めない状態で、勝利を手に出来るとは思っていない。

 αナンバーズが望んでいるのは、この撤退戦で一人でも死者を減らすことだ。

「ジェイアーク出るぞ。準備はいいか?」

『オーケー、大丈夫だ。やってくれ』

 ジェイアークの上に乗っているデュオのデスサイズは、改めてしっかりと甲板に掴まると、そう返事を返す。

『ビーチャ、イーノ。武達が戻ってくる可能性があるから、気を配っていてくれな』

 デュオは、アラビア海に残る二機のメガライダーにそう声をかける。

『任せておけって!』

『こっちは大丈夫、デュオこそ気をつけて!』

 ビーチャとイーノは、明るい声で返事を返す。

 メガライダーは元々その上に複数のモビルスーツを乗せ、超長距離を移動することを前提に作られた機体だ。

 輸送速度を気にしないのならば、メガライダーはジェイアークに牽引されなくても、速瀬隊を乗せて横浜基地に帰還するだけの能力がある。

「よし、行くぞ。ジェイアーク、発進!」

「了解、ジェイアーク、発進」

 ソルダートJの声を受け、ジェイアークの統括コンピュータ・トモロは、その白亜の戦艦を急速発進させた。










【2005年3月25日、バグダッド時間18時37分、バグダッド基地】

 防衛線から撤退戦に移行したバグダッド基地は、今まで地獄が可愛く思えるくらいの地獄を、アラビア半島に作り出していた。

『畜生、来るな、来るなぁ! 俺は生きて帰るんだ!』

『支援砲撃は、支援砲撃はもうないのか!? 畜生、あいつ等だけ先に逃げやがって!』

『馬鹿、そっちに退避するな、そこは自動砲撃の着弾地点だ!』

 現状、生き残っている百機弱の衛士達は、皆口々に腹の中にため込んでいる思いをぶちまけながら、全周囲から迫り来るBETAに銃弾を叩き込み続ける。

 すでに、後方部隊の人間はほぼ全員が、車両に乗り込み順次撤退を始めている。

 殿を務める戦術機部隊は、今や一切の支援がない状態で戦っている。

 それでも、実のところ、兵士運搬用トラックで脱出している一般兵士より、戦術機に乗っている衛士達のほうが、恵まれていると言える。

 時速二百キロも出ないトラックでの脱出は、どれだけ楽観的に見積もってもBETAから逃げ切れる可能性のほうが低い。

 一方戦術機ならば、いざとなれば時速五百キロ以上の速度で飛行することが可能だ。

 重金属雲濃度が十分に高いうちに撤退すれば、トラックでの撤退よりは生存確率が高いだろう。

 衛士達は、狂ったように戦いながら、しきりに網膜ディスプレイの端に映る時計を気にしていた。

 つい先ほど、最後まで残っていたラダビノッド少将達司令部も撤退を開始したのだ。

 もう、これ以上命令が下されることはない。後はタイムスケジュールに従い、ここで予定時刻まで粘った後、この地獄から脱出するだけだ。

 予定時刻まで後数分。

 だが、支援砲撃のやんだ戦場は、BETAの圧力が圧倒的に増し、重金属雲濃度は徐々に下がってきている。

 この調子では、撤退許可時間まで果たして何人生き残っているだろうか?

 その思いは、ビーム兵器とXM3で武装した、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々も同様だった。

『全員まだ生きてるわね? そろそろ時間よ。準備をしておきなさい!』

 ビーム兵器の威力は反則的に高いが、それでも高々六機の戦術機に、数十万のBETAからなる大侵攻を食い止める力はない。

 武達は、周囲のBETAを一方的に駆逐しながら、己の無力さをかみしめていた。

『畜生、何でだよ! こんなの、こんなのってありかよっ!』

 奥歯が熱く熱を持つくらいに硬くかみしめながら、武は得意の三次元機動を駆使して、ビームサーベルを振るう。

 ひっきりなしに聞こえる、衛士達の断末魔の声。

 三割以下と予想される撤退部隊の生存率。

 それは、今日まで武が一度も目の当たりにしていなかった、『この世界』の現実があった。

 いつの間にか、武は戦場に対する恐怖も忘れて戦っていた。

 今の武にとって、もはやBETAは敵ではない。ほとんど的に近い存在だ。エネルギーCAPが切れるか、推進剤が切れるか、集中力が切れるか。とにかく、なにかが切れるまで、このままの活躍を続けられるだろう。

 だが、武や速瀬隊の皆が獅子奮迅の働きを見せても、周囲から聞こえてくる凶報は全く止まない。

 まるで津波に立ち向かっているようなものだ。

 自分自身は、津波の中ビクともしないだけの足腰を持っているからといって、津波そのものを止められるわけではない。

 自分が津波の真ん中に突っ立っている間に、周囲の人間達は次々と津波に浚われ息絶えていく。そんな無力感に武は襲われていた。

 だが、そんな贅沢な無力感を感じていられるのも、XM3搭載不知火に乗っている武達だけだ。

 バグダッド基地の衛士達は、もっと純粋な無力感と絶望感にかられていた。

 全周囲からBETAが押し寄せてくるこの状況は、個人の技量で生存確率を上げられる次元を超えている。

 それは、F-4Eファントムという、準第二世代戦術機に乗っている、彩峰と美琴にも当てはまることだった。

『ッ、右腕がイかれた……』

 既に全弾撃ち尽くし、短刀だけで戦っている彩峰のF-4Eファントムであったが、ついにその過負荷に耐えかねた右メインアームが馬鹿になってしまった。

 それでなお、左腕に短刀を持ち直して戦闘を続行しようとする彩峰機を見た水月は、決断する。

 どのみち、F-4Eの飛行能力では脱出のさい、足手まといになる。機体を彩峰と鎧衣は機体を捨てさせた方が良いだろう。

『彩峰、鎧衣。二人とも機体を破棄しなさい。彩峰は白銀機に、鎧衣は柏木機に同乗。他は白彩峰達の乗り換えが澄むまで、両機を護衛。急いでっ!』

『了解っ!』

 有無を言わさぬ水月の口調に、反論をするものはいなかった。

 この地獄のまっただ中で、機体の乗り換えるのはかなり危険な行為なのだが、そんな事をいっている場合ではない。

『彩峰っ!』

 武はスクラップ寸前の彩峰機の前に自機を止めると、コックピットブロックを解放し、大声で彩峰に声をかける。

「んっ」

 直立したままの戦術機から戦術機に飛び移るという行為は、決して簡単な技ではないのだが、身体能力に関しては旧207B訓練小隊でも頭一つ抜けていた彩峰だ。

 八時間にわたる戦闘の疲労も見せない軽やかな身のこなしで、あっという間に武機のコックピットに滑り込む。

「ヤッホー」

 武の膝の上に腰をかけた彩峰が、ヒョイと手を挙げて武に挨拶する。

「やっほーって、お前。ほんと変わってないな」

 武は一瞬、ここが戦場であることも忘れて呆れた声を上げる。

 少し遅れて、美琴も無事晴子機に乗り移ったようだ。

 武がコックピットハッチを閉じている間に、彩峰は予備のハーネスを締め、コックピット内に身体を固定した。

「…………」

「……白銀の視線を胸元に感じる」

「ブッ!」

 沈黙を破った彩峰の逆セクハラ発言に、武は思わず拭きだした。

「お、おま、何いってんだよ。ていうか、網膜ディスプレイ使ってるんだぞ、んなの全く意識してなかったって!」

「そう? でも、今は意識してるでしょ」

 彩峰は、ボディラインが露わな強化装備姿を見せつけるように胸を張り、ニヤリと笑った。

「お、お前ッ!」

「すけべ」

「どっちがだっ!」

 泡を食った武が、猛抗議をしようとしたところで、網膜ディスプレイに水月の顔を映る。

『はい、夫婦漫才はそこまでよ』

「す、すみません。って、夫婦じゃないですよ、速瀬中尉っ!」

「浮気漫才?」

「彩峰は黙ってろって! ああ、すみません。それで、ご用件は?」

 ディスプレイに映る水月は一度、呆れたようにため息をつくと話し始めた。

『まあいいわ。時間よ。タイミングを見計らって脱出するわ』

「り、了解っ!」

 水月の告げる内容に、さしもの彩峰も軽口を挟まず真剣な表情で口を紡ぐ。

 と同時に、バグダッド基地所属の戦術機達は、皆匍匐飛行で撤退を始めたのが、見えた。

『ハイヤトゥン1よりヴァルキリーズへ、支援感謝する!』

『サウル3より、ヴァルキリーズへ。貴官らの勇戦は忘れないっ!』

『ロック2より、ロック7,8へ。無事を祈ります』

 少しでも重金属雲濃度が高いうちに、と考えているのだろう。口々に、感謝の言葉を残し、戦術機は我先に飛び立っていく。

 今のところ、レーザー光が立ち上る様子はない。だが、飛びながらポタポタオイルを垂らしている機体や、黒い煙を立ち上らせている機体、飛行速度がそもそも時速百キロにも満たない機体も珍しくない。

 果たしてあのうち何機が、無事脱出に成功するのだろうか。

「さよなら……」

 彩峰がポツリと呟いた言葉はあまりに小さく、同じコックピット内の武の耳にもどかなかった。

 最後に残った速瀬隊の面々も、撤退許可を求め声を上げる。もはやここに留まる理由はない。

『速瀬中尉っ!』

「まだよっ!」

 だが、水月ははやる隊員達を制止し、時を待つ。

 まだだ。千載一遇のチャンスはこの後にある。

 バグダッド基地の皆には告げられなかったチャンス。

 公式には、存在しないチャンス。

 後日、追求されてもしらを切り通さなければならないチャンス。

 一秒が一分にも感じる長い時間を、水月はビームサーベルでBETAをなで切りにしながら、待つ。

 そして、そのチャンスはやってきた。

 ドン、と地響きが聞こえたかと思うと、次の瞬間、マップ北西の赤い光点が纏めてごっそり消え失せる。その情報が正しければ、総数にして数千のBETAが一瞬にして消え失せたことになる。


『ええ!? なに? 何が起きたの?』

『んー、計器の故障じゃないかな』

 驚きの声を上げる美琴の言葉に、晴子が白々しくごまかしているのが聞こえる。

『今よ、全機匍匐飛行、撤退開始!』

『『『了解っ!』』』

 速瀬水月中尉の声を合図に、八人の衛士を乗せた六機の戦術機は、まだ重金属の立ちこめるアラビア半島の空に舞い上がった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第四章その8
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/07/26 17:38
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第四章その8



【2005年3月25日、バグダッド時間20時02分、バグダッド基地北北東120キロ地点】

 バグダッド基地の全面撤退開始から約二時間。

 すでに撤退中の兵士の姿はどこにもなかった。撤退戦の結果は既に出ていると言ってもよい。撤退に成功した兵士と失敗した兵士。生還者と戦死者。比率としては前者が三割強、後者が七割弱といったところか。

 撤退に成功したと言うにはあまりに後者の比率が高いが、それでもパウル・ラダビノッド少将ら、バグダッド基地首脳部が想定していた数値と比べれば、一割以上よい数字である。

 その生者を増やすために影で一役買った二機の機体、ガンダムデスサイズヘルとキングジェイダーは、BETAが敷き詰められた中東の大地で孤軍奮闘しながら、今は自らの撤退のタイミングを見計らっていた。





「ったく、本当にきりがないぜ。小さい分、ある意味宇宙怪獣以上にやっかいだぞ、こいつ等」

 ガンダムデスサイズヘルのパイロット、デュオ・マックスウェルは鼻の上に皺を寄せながら、迫り来るBETAの群れをビームシザーズでなぎ払った。

 大きな鎌の形をしたビームの刃が横薙ぎに振られる度に、五匹、十匹とBETAが纏めて葬られる。

 そこに、BETAの種類による違いはない。柔らかい戦車級も、硬い爪が厄介な要撃級も、強固な外骨格で覆われた突撃級も、死神の鎌にかかれば、ただ切り裂かれるのみだ。

 だが、それは必ずしもBETAが容易い敵であることを意味していない。

 デュオが言っているとおり、敵の小ささと数が問題なのだ。αナンバーズが以前に相手取った敵――宇宙怪獣は、BETA以上に圧倒的な数を有していたが、『兵隊型』と呼ばれる種以外は非常にサイズが大きかった。

『上陸艇型』で五百メートル強、『高速型』『混合型』『合体型』は三千メートル強、ごく一部であるが『母艦クラス』と呼ばれる代物に至っては、全長百万メートル(千キロ)近い物さえ存在した。

 そんな巨大な敵を、全長二十メートルに満たないモビルスーツで相手取ればどうなるだろうか?

「そもそも相手取れるわけがないだろう、貴様は正気か?」という常識的な回答はαナンバーズには言っても無駄なため無視するとして、結論を言えば、その巨体が災いして「瞬間の戦闘は常に一対一」という状況になる。

 ちょっと想像すれば分かるだろう。

 全長二十メートル弱のガンダムデスサイズヘルが、全長三千メートルの宇宙怪獣を近接戦闘の射程に収めたとして、それ以外の宇宙怪獣がデスサイズヘルにちょっかいをかける隙間が存在するはずがないのだ。

 分かりやすく三千メートル級宇宙怪獣を人間サイズまで縮小すると、二十メートル弱のモビルスーツは三ミリ前後にしかならない。ハエやカだって一センチ前後はあるのだ。一体のモビルスーツに複数の宇宙怪獣が襲いかかるというケースがどれだけまれか分かるだろう。

 必然的に、戦闘は「連続する一対一」という状態が多くなる。

 だが、BETAは違う。主力の要撃級で十九メートル、最大数を誇る戦車級に至ってはほんの四メートル強だ。

 必然的に状況は常に、「多対一」になる。

 後方に回り込む要撃級、側面から突撃をしかけてくる突撃級、隙あらば取り付いてこようと全周囲から迫ってくる戦車級。

 そして、遙か彼方からレーザー照射を浴びせてくるレーザー級と重レーザー級。

 常に戦場全体を把握していないと、いつどこから予想外の攻撃を喰らうか分からない。

 もっとも、「準特機級」と呼ばれる強固な装甲、ガンダニュウム合金製のガンダムデスサイズヘルの場合、戦車級の噛みつきや、要撃級の爪程度ではそう大したダメージにはならないので、口で言うほど深刻な状況でもないことも確かなのだが。

「しっかし、俺のデスサイズに全く問題なく集まってくるって事は、こいつらやっぱり周囲の認識手段は、視認なのか?」

 半ば作業的にビームシザーズを振りながら、デュオはそう疑問を口にした。

 ガンダムデスサイズヘルは、αナンバーズの中でも屈指のステルス機だ。

 その機影を捉える方法は、肉眼による目視以外にはほとんど存在していない。

 だが、BETAは全くデスサイズヘルの姿を見失うことなく群がって来ている。

『さあな、それは私達の考えることではないだろう。どうやら、既に撤退が可能な者は全て撤退したようだ。そろそろこちらも離脱するぞ』

 デュオの独り言にそう答えを返したのは、キングジェイダーに乗るソルダートJだった。

 全長百メートルの巨大ロボットキングジェイダーは、足下に押し寄せるBETAをミサイルで纏めて駆逐しながら、遠方から照射されるレーザーの照射源に両手を向け、十連メーザー砲で逆に狙撃している。

 時折狙撃が間に合わず、レーザー照射を浴びたりもしているが、今のところキングジェイダーの防御フィールド『ジェネレイティングアーマー』を突き破り、キングジェイダーの装甲に致命的なダメージを与える猛者はいない。

 だが、同時にそれは、もはやキングジェイダーを持ってしても単機では、この戦況を覆し兼ねるという現実も意味していた。

 キングジェイダーが、百匹、二百匹とちまちま倒しても、BETAは千匹、万匹という単位で押し寄せてきているのだ。

 アラビア半島を南下するBETAの群れを押しとどめる役目は、ほとんど果たせていないに等しい。

 これ以上粘っても、バグダッド基地の撤退戦には、良くも悪くも影響はないだろう。

『そろそろ潮時だ。離脱するぞ』

 ソルダートJの冷静でありながら、どこか悔しさを滲ませたその言葉に、デュオは素直に首肯する。

「了解っ。変形したら一度高度を下げてくれ。取り付く』

『良いだろう。ハッ!』

 ソルダートJはメガフュージョンを解き、巨大ロボットキングジェイダーは、巨大戦艦ジェイアークへと変貌を遂げる。

「よしっ、そこだっ!」

 素早く高度を下げたジェイアークの甲板上に、バーニアを拭かして跳び上がったガンダムデスサイズヘルが四つん這いになり取り付く。

『しっかり掴まっていろ! このまま、海上に出る、トモロ!』

『了解、ジェイアーク、発進』

 次の瞬間、白亜の巨大戦艦は、レーザー級BETAの照射も振り切るほどの速度で中東の戦場を離脱していった。










【2005年3月27日、日本時間5時02分、国連軍横浜基地】

 海上でメガライダー二機に乗る六機の不知火と合流を果たした、キングジェイダーとガンダムデスサイズヘルが横浜港に無事戻ってきたのは、それから丸一日以上がたってからのことだった。

 この辺りは香月夕呼の入れ知恵である。

 今回の彩峰慧少尉、鎧衣美琴中尉両名の救出劇は、書類の上では「XM3教導部隊が出港した後に、BETAの侵攻が確認されたため、引き返すことが出来ず、やむを得ず現地で合流した後、共に横浜に帰還した」という筋書きになっている。

 その筋書きに説得力を持たせるためにも、横浜・バグダッド間の航行時間は丸一日以上はかかってくれたほうが、望ましいというわけだ。

 幸いにして二機のメガライダーは、元々複数のモビルスーツを乗せて超長距離を行くことを前提とした支援兵器だ。

 大きさの割りには、内部の居住性はそれなりに整っている。武達速瀬隊の六人に、彩峰、鎧衣、そしてメガライダーのパイロットである、ビーチャとイーノを加えた総勢十人でも、丸一日くらいならどうにか我慢くらいのスペースがあった。

 朝靄が立ちこめる横浜港に入港を果たした武達一港は、丸一日ぶりに外気にふれ、思い思いに身体を伸ばす。

「くー! やっとついた!」

 横浜港に降り立った武は、冷たい朝の浜風を胸一杯に吸い込みながら、両手を組んで思い切り伸びをした。

「こーら、白銀。まだ気を抜かない。報告を終えるまでが任務よ。もうちょっとしゃきっとしてなさい」

 いつの間にか武の背後に降り立った速瀬水月中尉が、コツンと武の後頭部を軽く拳骨で小突きながらそう窘める。

  
「あ、はい。すみません」

 武は頭を押さえて、照れたように笑った。

 口では殊勝な事を言いながら、窘めた方も窘められた方も、その顔からはすっかり緊張感が抜け落ちている。まあ、戦術機六機で数十万のBETAが押し寄せる味方基地を救援し、そこから二人の仲間を救出してくるという、難易度の高い任務を終えたばかりなのだから、緊張感が溶けてしまうのも無理はない。

「なあ、何はともあれ、まずは香月博士に報告しなきゃね。彩峰、鎧衣。あんた達の着任許可もそこで降りるはずだから、一緒に来るのよ」

「了解」

「はい、分かりました」

 丸一日にわたるメガライダー内での生活で、それなりに打ち解けてきた彩峰と美琴は、素直に水月の言葉に頷く。

 水月は、部下達が全員無事に横浜港に上陸したことを確認した後、その横に立つ薄緑の鎧を身につけた鷲鼻の男に笑いかける。

「それじゃあ、私達はこのまま香月博士の所に向かうから。本当にどうもありがとう」

「礼を言われるようなことはない。私はただ、戦士を戦場まで運んだだけだ」

 水月の言葉に、ソルダートJは口元を僅かに笑みの形に歪めて、そう言葉を返した。

「そうそう。俺達は、ただあんた達を輸送しただけ。戦場には足一本踏み入れてないし、戦果は一つもあげていない。オーケー?」

 後ろからソルダートJの肩に手を乗せたデュオ・マクスウェルが顔を出し、そう言って意味深に笑う。

 水月も思わず釣られて笑った。

「オーケー。そうだったわね。輸送任務、お疲れ様。おかげで助かったわ。後これはあなた達とは関係ないけど、あのバグダッド基地北東部での『謎の大量BETA消失』がなければ、私達もこうして、全員無事に帰還することは出来なかったかも知れない。
 貴方達にお礼を言うのは筋違いなんだろうけど、他に適切な相手もいないことだし、ついでにその件についてもお礼を言っておくわ。
 ありがとう、本当に助かった」

 代表して礼を言う水月の後ろで、武達も神妙な顔で頷いた。

 この話は、ここで終わらせなければならない話だ。下手に広げれば、かえってαナンバーズに迷惑をかけてしまう。

 だからこそ、この機会にしっかりと感謝の意を伝えておく。

 だが、そんな神妙な雰囲気を吹き飛ばすように、メガライダーのパイロットの一人、ビーチャ・オーレグは、鼻の下を擦りながら、おどけた口調で言う。

「いいって、いいって。こっちは役得でイイモノ見れたしっ! ムグッ!?」

「ビーチャ! まずいって!」

 不謹慎な友人の言葉に、もう一人のメガライダーパイロット、イーノ・アッバーブは慌てて後ろから口を塞いだ。

 イイモノとは他でもない。速瀬水月を筆頭とする伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊のプラス、彩峰、鎧衣の着替えである。

 水月達は、戦術機のコックピットからメガライダーの居住スペースに戻った後、そこで全員強化装備を脱ぎ、国連の制服に着替えを済ませていた。

 無論、着替える際にはそれ以外のメンバーがついたてなって男性陣から目隠しはしたが、長年の軍隊生活が祟り、その精神的な防御壁はかなり脆くなっている。

 操縦席からその着替えを除くのは、そう難しいことでなかったようだ。

「こんの、エロガキ……」

「まあ……」

 涼宮茜や風間梼子が少し顔を赤らめているのと反対に、柏木晴子、宗像美冴、彩峰慧といった連中は、目元にしたたかな笑みを浮かべている。

「おやおや、さすがにタダ見はいけないなー」

「そういえば、この間『エルトリウム通信販売』で中々良い、アクセサリを見つけてね」

「天然物の焼きそばパン、一生分、確保……」

 ビーチャと、いつの間にか巻き込まれたイーノは、しばらくの間速瀬隊の面々に色々奢らされる事になりそうだった。









【2005年3月27日、日本時間5時30分、横浜基地、αナンバーズ特別区画】

 伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々と別れた、デュオ達輸送任務隊の一行は、そのままの足で、ラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐の元へと報告に向かっていた。

「てなわけで、バグダッド基地は大体全体の三割ちょっとが撤退に成功したみたいだ。彩峰慧・鎧衣美琴の両名は無事横浜に到着。基地司令のパウル・ラダビノッド少将は無事撤退したと思うけど、さすがにそこまで詳しい情報はわからねえ」

 代表して報告するデュオの言葉に、いちいち頷きながら聞き入っていたブライトは、最後まで無言で聞き終えた後、重々しく言葉を返す。

「ラダビノッド少将の生存は、こちらで確認している。少将は、無事地中海から海上に抜け、現在はアフリカ大陸に向かっているそうだ。

 なにはともあれ、ご苦労だった。よくやってくれた」

 生存者三割。

 αナンバーズの基準で言えば、「完敗」に等しい結果だが、それでもこれはデュオとソルダートJが、最善を越える努力のうえで掴んだ最高の結果であることは、ブライトも承知している。

 胸にこみ上げる苦いモノを呑みこみ、ブライトは年若い仲間達にねぎらいの言葉を投げかける。

「それほど大したことはしてない」

「ま、そーだな。ただの輸送任務だもんな」

 何でもないことのように肩をすくめるソルダートJとデュオ・マクスウェルの様子に、ブライトは一瞬詳しい情報を問いただしたい欲求に駆られたが、それをグッと押さえる。

 少なくとも、公式には絶対に問いただせない。

 公式に「お前達は本当に参戦しなかったのか?」と問えば、デュオ達は嘘を付かなければならなくなる。

 嘘をつき、上官を騙した時点で、責任の何割かはデュオ達現場の人間に渡ってしまう。

 この権の責任を丸ごとブライトが抱えるためには、あくまでこの件は「全面的に彼等を信じて、特に問いただすこともしなかった」という形にしておかなければ、いざ事が発覚した時、責任追及がブライトの所で止まらなくなってしまう。

 気持ちを切り替えたブライトは、話を今後の予定に移す。

「『甲16号作戦』がすでに五日後に迫っているが、どうだ? お前達は休養が必要ならば、パスしても良いが」

 ブライトの言葉に、デュオ達は虚を突かれたように顔と顔を突き合わせ、拭きだしたように笑った。

「じょーだんなしだって、ブライトさん。五日後なんて普通のスケジュールでしょ」

「うん、まあ、普通とは言えないけど。今まで経験してきた中では、特に厳しいスケジュールじゃないよね」

 ビーチャとイーノはそう言って笑いあい、

「けどまあ、留守番の必要があるなら、俺はデスサイズと岩国に残るけど? どうする?」

 デュオはそう言って、逆にブライトの問いかけた。

 デュオの問いに、ブライトは即座に首を横に振り、答える。

「いや、それならば、全員作戦に参加してもらう。基地防衛の必要はない」

「いいのかい? 岩国は、各国のスパイ銀座になっているらしいけど?」

「かまわん、岩国の防衛は帝国に一任してある」

 ブライトの返答に、デュオは少し皮肉げな笑みを浮かべた。

「信用して大丈夫なのかね、それは」

「大丈夫だろう。少なくとも帝国も、他国に出し抜かれることをよしとはしないはずだ。逆に、帝国が不義理を働こうとすれば、各国のスパイがこちらに密告をしてくる。

 よしんば、有力各国が全て協定を結んで技術を奪取するのならば、それはそれでいいというのが、艦長会議での結論だ。元々岩国にある技術は、最終的には譲渡する予定の技術だけだし、それが各国に分散して渡る分には、大きな問題とはなり得ない、そうだ」

 そう言うブライトの口調はどこか、用意しておいた用紙を読み上げるような、身についていないものだった。

 恐らく、ブライトの意見と言うより、大河全権特使やバトル7のエキセドル参謀、もしくはエルトリウムの副長辺りの意見なのだろう。

 元々、ブライトは政治や諜報が絡む話にはあまり強くない。

「なるほどね、りょーかい」

「アストナージ達に言って、機体の修復を急がせる。あと、ビーチャとイーノには、ドーベンウルフと百式も地上に降ろしてあるから、好きなほうを使え」

「やりぃ! ドーベンウルフならジュドーにだって負けねーぞ!」

「無茶はだめだよ、ビーチャ。ジュドーと張り合ったって意味ないからさ」

 浮かれてガッツポーズを取るビーチャを、横からイーノがそう言ってなだめる。

「ジェイアークには、こちらとしても特に出来ることはないが、香月博士に言って基地内で一番日当たりの良い空間を確保してもらうつもりだ」

「それで問題ない。現時点でも、ジェイアークは万全だ」

 鉢植えの花でも育てるようなことを言うブライトに、ソルダートJは満足げに頷き返した。

「『甲16号作戦』は地球における、我々αナンバーズが主力を担う最初のハイヴ攻略戦だ。今更言うまでもないだろうが、よろしく頼むぞ」

 確かに言われてみれば『甲21号』佐渡島ハイヴ戦は途中参戦だし、『甲20号』鉄原ハイヴ戦では海上からの支援しか許可されなかった。

 最初から主力として参戦すると言うことでは、今回の『甲16号』重慶ハイヴ戦が初めてなのだ。

「りょーかい」

「へっ、まかせとけって、ブライトさん」

「分かりました」

「ああ。目に物見せてくれる」

 ブライトの言葉に、デュオ達は、そろって力みのないリラックスした言葉を返すのだった。









【2005年3月27日、日本時間6時01分、横浜基地、ブリーフィングルーム】

 デュオ達が、ブライトを相手に状況報告をしている頃、武達伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々も、別室で香月夕呼に結果報告を上げていた。

『敬礼ッ!』

 宗像美冴中尉の号令を合図に、武達八人の衛士が踵を揃えて、香月夕呼に敬礼をする。

「はいはい、そこまで。楽にしなさい」

 夕呼は、ヒラヒラ手を振り敬礼を止めるよう促した。

 足を横に半歩広げて、安めの体勢を取った武達を一瞥した夕呼は、前置きを置かずに即座に用件から話し始める。

「彩峰、鎧衣。前に」

「はい」

「はいっ!」

 一歩前に進み出た二人の前に歩み寄った夕呼は、辞令書を手渡しながら、素っ気ない口調で言う。

「本日付で横浜基地への着任を許可するわ。しばらくは、速瀬の指示に従いなさい。最終的な割り振りはあとでまりもと相談して、そっちで決めなさい。いいわね、速瀬?」

「ハッ!」

 水月の返答に、表情を変えないまま頷いた夕呼は、視線を美琴のほうに向ける。

「とこで、鎧衣。あんた、お父さんからなにか預かってない?」

 急に水を向けられた美琴は一瞬、首を傾げたが、すぐに何かを思い出したのか、

「え? あ、はい。確か、父さ、父が、香月博士にお土産って……」

「普通に話して良いわよ」

 とっさのことでしどろもどろになっているのか、元から敬語があまり得意ではないのか、要領を得ない美琴の返答に、夕呼はため息をつきながらそう言って、発言を許した。

 美琴は制服のポケットをゴソゴソやると、なにやら手に平に収まるくらいの小さな細長い物体を取り出す。

「はい、これですよね。『アッラー君人形』。酷いんですよ、父さんったら。「これは大変御利益のあるご神体だが、安易に手放せば、アッラーの呪いがお前に襲いかかる」なんて言って。怖いから、戦術機に乗るときもいっつもこれ、持ち込んでたんですよ。
 でも、こんなもの部隊のイスラム教徒の人に見つかったら、怒られるじゃすまないし、とにかく大変だったんですよー」

 そう言う美琴の表情は、夕呼の目を持ってしても、今の表情が演技なのか素なのか、読みとることが出来なかった。

(流石はあの男の娘、と言うべきかしらね)

 内心そんなことを呟きながら、夕呼は美琴の手からその『アッラー君人形』を取り上げる。

「これ、記念にもらうわよ」

「え? でも、呪い……」

「大丈夫よ。人にあげるのは、「安易に手放したこと」にはならないから」

 ポカンとしている美琴に適当な言い訳をして、夕呼はその人形を、白衣のポケットにしまった。

「それじゃあ、あとは自由にしなさい。任務を終えたばかりだから、今日と明日は休暇に当てておくから」

 そう言い残し、勝手にブリーフィングルームから出て行ってしまう。

「ッ、敬礼!」

 美冴がかけた号令の声に、武達が敬礼をしたときは、夕呼の背中はちょうど閉まるドアの向こうに消えるところだった。





 相変わらず、傍若無人というか、勝手気ままに夕呼が去ると、残された速瀬隊の面々の間には、緊張の糸が消えたように弛緩した空気が漂い始めた。

「休みか。って言っても、昨日も事実上、メガライダーの中で寝ていただけだからな。身体の疲労は取れているんだけど。ん? なんだ、彩峰?」

 今日の予定について考える武の袖が、後ろから引かれる。

 振り向くと、武の袖を引っ張っていたのは、彩峰慧だった。無表情のまま目だけランランと輝かせた彩峰が、ぼとりとした口調で話しかける。

「白銀、焼きそばパン。天然物」

 日本語を覚えたての外国人のようなぶつ切りの言葉だが、それだけで彩峰の言いたいことを伝わる。

 武は、そう言えば、メガライダーの中で「横浜基地では、最近αナンバーズから流れてくる天然食料が手に入る」という話をしたことを思い出した。

「ああ、うん。多分手に入るんじゃないか? 以前、アラドとかと話したとき『焼きそばパン』て言ったら言葉通じたし」

「案内して」

 有無を言わさぬ彩峰の口調に、武は慌てて胸の前で両手を振る。

「いやいや、お前、時間を考えろよ。せめて昼食の時間まで待てって!」

 今はまだ、朝の六時ちょっと過ぎだ。ラー・カイラムの購買部もまだ開いていないだろう。

「私の焼きそばへの愛は、そんな言葉では止まらない」

「止まれ! そこは、一時停止しておけ!」

 武が暴走する彩峰を説得していると、先ほど夕呼が出て行った出入り口が再び開く。

「やはりここだったか」

 ガチャリという音に、期せずして全員の視線が詰まる中、黒い国連軍の制服を着こなした、壮年の女が、堂々とした足取りで入って来る。

「ッ、神宮司教官っ!?」

 入ってきたのは、伊隅ヴァルキリーズ現隊長代理、神宮司まりも少佐だった。武は予想外の、来客に思わず、素っ頓狂な声を上げた。

「白銀少尉、今の私は少佐で中隊長代理だ。教官ではない。何度言えば分かるのだ? まあいい。お前達も入れ」

 相変わらず間違える白銀に突っ込みを入れながら、入室してきたまりもが、後ろにそう促すと続いて、伊隅ヴァルキリーズ神宮司分隊の面々が入って来る。

 榊千鶴少尉。珠瀬壬姫少尉。築地多恵少尉。高原麻里少尉。朝倉舞少尉。

 黒い国連軍の軍服を着た、五人の女衛士がまりもの後に続いて、ブリーフィングルームに入ってくる。

「あ、あの、神宮司少佐。これは?」

 水月にも話が通っていなかったのか、戸惑う声を上げる水月に、まりもは力強い笑顔を向けると、

「ああ。こっちも、五日後の出撃を前に、クールダウンに入っているからな。比較的時間に余裕があるんだ。せっかく三年ぶりの対面なんだ。全員そろったほうがいいだろう」

「ハッ、お心遣い、ありがとうございます」

「それでは、昼までこいつ等を預ける。よろしく頼んだぞ」

「はっ!」

「敬礼!」

 夕呼と違い、真面目なまりもはしっかりと皆の敬礼に返礼を返したあと、静かに一人でブリーフィングルームを出ていった。

 かつての教官であり、今の上官でもある自分がこの場にいては、砕けた空気なれないだろうという、心遣いだ。

 まりもが出て行くと、一同は自分たちが軍人であることを一時忘れように、はしゃいだ声を上げた。

「鎧衣さん、久しぶり」

「うわあ、壬姫さん? 変わらないね-」

「あはは、それは鎧衣さんもだよ」

 二十歳を過ぎても少女のような女と、二十歳を過ぎても少年のような女は、手と手を合わせて互いの無事を喜び合う。

「確かに、タマも美琴も三年前と全然変わってねーな」

 横から会話に加わった武はそう言って笑い声を上げた。

 三年前から変わっていないことを言えば、他の皆もそうなのだが、壬姫と美琴は元の容姿が幼い分、その変化の無さが際だつ。

 今の壬姫と美琴を見て、「二十歳を超えた女二人」だと見抜ける人間はごく少数派だろう。

「もう、武の言い方はなんだか悪意を感じるよ-」

「いや、深い意味はないんだぜ、うん」

 和やかな笑いに包まれる再開の横では、がまの油が取れそうな無言のにらみ合いを続けている二人もいる。

「…………」

「…………」

 旧207B訓練分隊中、最高の犬猿の仲として知られていた、榊千鶴と彩峰慧だ。

 一度は、武の尽力で和解したはずの二人であるが、やはり根本的な相性の悪さはぬぐえないのか、三年ぶりの再開は、緊張感のある無言空間から始まっている。

「……ひ、久しぶりね」

 長い無言空間を破ったのは、千鶴のほうだった。

 わざとらしく丸い大きな眼鏡を直しながら、そう三年ぶりに会った天敵に声をかける。

「うん、久しぶり」

「い、生きてたのね」

「駄目? 生きてちゃ?」

「だ、誰もそんなこと言ってないでしょっ!?」

 早速、千鶴が声を荒らげた。

 ヌラリヌラリと、からかうような発言ばかり続ける彩峰と、不真面目な人間を注意せずにはいられない性分の千鶴。

 互いを認めるとか何とか言う前に、そもそも根本的な相性が悪すぎる。

「あはは、変わってないね-、千鶴さんも。駄目だよ、二人とも。出遭ってすぐに喧嘩しちゃ」

「彩峰さんも榊さんも落ち着いてください」

 二人の空気の険悪さを見て取ったのか、美琴と壬姫が会話を中断して間に入る。

 さすがに、ここでいきなり喧嘩をおっぱじめるのも拙いと感じたのか、慌てて千鶴も、すぐに態度を改めた。

「え、ええ。そうね、ごめんなさい。鎧衣もお帰りなさい」

「うん、ただいま。千鶴さんも横浜に戻ってたんだね」

「ええ、私も去年までは帝国軍にいたんだけどね。まだ、戻ってきて三ヶ月弱ってところ。あ、そういえば、鎧衣は中尉なのよね。これからは普段は口の利き方に気をつけないといけないわね」

「そう言いながら、何でこっちを見るんだ、委員長?」

 ギロリと眼鏡の奥から睨まれた武は、不本意そうにそう声を上げた。

「あなたが一番危険だからに決まってるでしょ。いい、白銀。鎧衣は私達の仲間でも、対外的には一階級上の上官なんだから、それなりの言動を取るのよ」

「分かってるよ、俺だって昔の俺じゃないんだから」

「本当かしら? 私には、何年経っても白銀は白銀にしか見えないけど」

 胡乱げな視線を武に浴びせる千鶴の横で、彩峰は無意味に胸を張りながら、偉そうに口を挟む。

「そうそう、白銀はちゃんと私達に敬意を払わないといけないよ」

「分かってるって、ていうか、美琴はともかく彩峰は階級同じだろうが!」

「そうよ、そもそも何であんた、まだ少尉なのよ!? 最前線で三年間過ごしたんでしょ?」

 千鶴の突っ込みももっともだ。

 対BETA戦の死傷率は極端に高いため、前線衛士の階級は、ある一定期間生き延びただけで、自動的に大尉まで上がると言われている。

 ずっと横浜基地で飼い殺しにされていた武やタマ、『竹の花作戦』までは帝国軍で事実上父の庇護下にいた千鶴と違い、彩峰は美琴と共に、最前線で一度も後方転属することもなく生き延びてきたのだ。

 最低でも、美琴と同じく中尉ぐらいになっていなければおかしい。

「ぷい」

 それは都合の悪い追求だったのか、彩峰はあからさまに首を横に向けて、視線を逸らした。

 だが、それで追求を止める千鶴ではない。本人の口から聞けないのならば、と彩峰とこの三年間共に過ごした人間にターゲットを移す。

「鎧衣?」

 水を向けられた美琴は、全く空気を読まずに、素直にペラペラ話し始めた。

「うん。慧さんも本当は何度も中尉になってるんだよ。確か三回、だったかな? でも、そのたびに問題をおして降格しちゃうんだ。「無能な上官の指示に従って命を無駄にするほど馬鹿じゃない」とか「上司が無能の場合耳を貸す必要はない」とか言ってさー」

 美琴の発言に、武達はそろって呆れたようにため息をついた。

「お前、本当に全く変わらなかったのな」

「あなたよくそれで、前線衛士が務まったわね」

 それでも許されたのは、前線には衛士を独房に入れておくほどの余裕がなかったということ、どうせ死刑にするくらいなら戦場で役立たせたほうがいいという認識が皆にあったということ、そして何より彩峰がそれらの言動をとってもなお『凄腕の衛士』と認められるだけの技量を持っていたことが原因だろう。

 実際、上官に向ける言葉ではないが、内心ほかの衛士達も賛成したくなる状況で発せられた言葉が多いというのも、見逃せない。

 だが、どう言いつくろったにせよ、彩峰がとびきりの問題児であったことは間違いない。

 全てを暴露されて開き直ったのか、彩峰は堂々と言った。

「そう。だから私は本来降格さえなければ、今頃は……少佐?」

「そんなわけないでしょう。本当あなた、ここでちゃんとやっていけるんでしょうね?」

「大丈夫。上官がよほどの無能じゃない限り、命令には従う」

「どこが大丈夫なのよっ、大体あなたっ!」

 なおもあっさり問題発言を続ける彩峰に、再び激した千鶴が怒声をぶつけようとするが、それよし早く後ろから、藍色の髪をポニーテールに纏めた女が、千鶴と武の首に両手を絡ませるようにして、会話に割り込んできた。

「おーと。それなら、まずは上官がどれくらい有能なのか見せておいたほうが良さそうね」

「は、速瀬中尉っ! い、いえ、別に彩峰の発言は」

 とっさに彩峰をフォローしようとする榊の首をギュッと締めながら、水月は猫科の肉食獣のような笑みを浮かべる。

「いいわよ、別に。気にしなくても。ま、前線帰りならそれくらい鼻っ柱が強いほうが頼もしいし。で、どう? 彩峰? 有能の条件は操縦技術だけじゃないでしょうけど、とりあえず腕だけでも見てみない? 今日、午前中はシミュレータ、空いてるわよ」

 無論、例え相手が上官であっても、これだけあからさまな挑発を受け流す彩峰ではない。

「はい、よろしくお願いします」

 真正面から、水月の瞳を見返し、彩峰は堂々とそう言った。

 水月は会心の笑みを浮かべ、パチンと指を鳴らす。

「よっし、決まりね。どうせならエレメントでやりましょう。鎧衣、あんたずっと彩峰と組んでたんでしょ。せっかくだから纏めて面倒見てあげる。白銀、ほらぼうっとしてないで、あんたも参加するのよっ」

「は、はい。って、速瀬中尉、本気ですか? うちのシミュレータ既に全部XM3対応ですよ」

「ふふーん、それだけじゃないわよ。一昨日前からαナンバーズの協力を得て、ビーム兵装も選択できるようになっているわ」

「だったらなおさらですよ! そんな条件、ぶっつけ本番で、彩峰や美琴が、中尉と俺に勝てるわけないでしょう!」

 それは武からしてみれば、心底彩峰と美琴を思っての言葉だったが、それは三年間地獄の最前線で生き延びてきた衛士には、決して聞き流すことの出来ないレベルの挑発にしか聞こえなかった。

「分かった、白銀。その喧嘩、買った」

「酷いよ、武。そこまで言うなら手加減しないからね」

 ギロリとこちらを睨む彩峰と、プクッと頬を膨らませている美琴。

「あ、あれ?」

 いつの間にか地雷を踏んだことに、武は遅まきながら気がついた。

「あら、全員異論はないみたいね。それじゃ、シミュレータルームに行きましょう。あ、もちろんちゃんと強化装備に着替えてから来るのよ」

 いつの間にか、二対二のシミュレータ戦をやることは決まっていた。

「了解。絶対負けない」

「了解。武、見ててよ。前線返りがダテじゃないとこ、見せてあげるから」

「……了解」

 ランランと闘志を燃やす二人に、これ以上の抵抗は無駄だと悟った武は、ため息混じりにそう言うのだった。










【2005年3月27日、日本時間7時01分、横浜基地、地下十九階香月夕呼研究室】

 武達がシミュレータルームに移動し始めている頃、研究室に戻った夕呼は、副官のピアティフ中尉に頼んだモノが来るのを待っていた。

「ふん、出来の悪い人形ね。それに出来の悪いジョーク」

 夕呼は机の上に転がした『アッラー君人形』を指先で突く。

 元々は鎧衣左近が夕呼に渡すつもりだったが、仕方なく娘に渡したというその人形。

『アッラー君人形』は、無残にも首からねじ切られ、その頭部を前後二つに割れていた。

 よく見ればその頭部に、小さな円柱型の何かを収納できるスペースがあることが見て取れる。

 そこに収まっていたモノは今、夕呼の手の中にある。

 小さな筒状に丸められたマイクロフィルムだ。

『博士、投影機をお持ちしました』

 ドアフォンから聞こえる副官の声に、夕呼は視線を机の上から逸らす。

「ご苦労様。中まで持ってきてセットして頂戴」

『はい。失礼します』

 ガチャリとドアが開く音がして、大きな投影機を両手で押したイリーナ・ピアティフ中尉が夕呼の研究室に入ってくる。

 一礼したピアティフは何も言わずに、投影機を壁に画面を映し出せる位置に置き、電源をつなぐとすぐに出て行く。

「失礼しました」

「ご苦労様」

 夕呼は、忠実な副官にねぎらいの言葉をくれるもそこそこに、投影機にマイクロフィルムをセットする。

 久しぶりに弄る機械のため、中々要領がつかめないが、しばらく弄っているうちに使い方も分かってくる。元々そう複雑な機械ではない。

 夕呼は念のため、部屋の照明を落とすと、マイクロフィルムの画像を部屋の壁に投射した。

 壁一面に、画像がうちし出される。

「なるほどねえ……」

 夕呼は口元を笑みの形に歪めながら、フィルムを操作し、次の画像、また次の画像と矢継ぎ早に画像を確認する。

「あの男は、あの人形を『砂漠で助けたランプの精』にもらったって言ってたわね。さしずめ、ランプの精の国籍は『ソ連』かしら? それとも『EU』か『アフリカ』? もしかしたら内部分裂の可能性もあるか。あの国は今、上院と下院で与党が違うから。いずれにせよ、これは大きな弱みよね」

 マイクロフィルムに納められた画像。そこには、無傷の『アトリエ』が映し出されていた。

 それも、ほのかに燐光を放ち、あからさまに『生きて』いる。さすがに『稼働』はしてないらしく、G元素を排出している様子は映っていないが。

 G元素製造工場、通称『アトリエ』が存在するハイヴはフェイズ5以上のハイヴのみ。

 人類がこれまで攻略に成功したハイヴは、これまで六つ。

 そのうち、フェイズ5以上のハイヴは僅かに二つ。そして、そのうちの一つであるヨーロッパにハイヴ、『甲12号』リヨンハイヴは、攻略の際、反応炉もアトリエも再起不能なまでに破壊してしまった様子が、全世界に公開されている。

 ならば、このフィルムに映っているのはただ一つの可能性に絞られる。

『甲9号』アンバールハイヴ。

 ここ横浜に続き、二つめの『反応炉』を生かしたまま、攻略に成功したハイヴ。ただし、アトリエは跡形もなく吹き飛んでいた、と攻略戦を主導したアメリカ軍は発表していた。

 その後もずっと国連軍の皮を被ったアメリカ軍が独占していたのだが、どうやら予想以上に大きく、あからさまな秘密が隠されていたようだ。

「鎧衣美琴はこれの正体を知っていたのかしら? まあ、それはどっちでもいいか」

 さしもの鎧衣左近も、これほどの代物を国外に持ち出すのは不可能だったのだろう。そこで、比較的ボディチェックが甘い、同国内の最前線で戦う自分の娘に『お土産』としてこれを託した。

 万が一、中身が発覚すれば持ち主の命も確実に失われる事ぐらい誰よりも承知しているだろうに、相変わらず、目的のためならば周りを巻き込むことに躊躇のない男だ。

「惜しむらくは、せっかくの秘密もタッチの差で大きく価値が落ちてしまったという事ね」

 夕呼はそう呟いて、眉をしかめる。

 昨日のうちに夕呼の所にも、『アンバール基地』放棄、陥落の報告は入っている。

 今にして思えば、どう考えても抗しきれるはずのない大侵攻前にしても、『バグダッド基地』の撤退がギリギリまで許可されなかったのも分かる。

 アメリカは、最後の瞬間までこの『生きたアトリエ』を手放せなかったのだろう。

 それでもギリギリの所でへたな希望にすがらす、現実的な対応が取れるところが、逆にあの大国の恐ろしさか。

 どちらにせよ、アンバールハイヴの反応炉とアトリエは、昨日からその主人を再びBETAに戻している。

 現状ではこのフィルムも、「アメリカが全世界を謀っていた」という証拠にしかならない。

 それはそれで大きな手札なのだが、やはり夕呼としてはアンバールハイヴが、アメリカの手にある間に、このフィルムが欲しかった。

 そうすれば、それこそ「私ならば、アトリエを起動させられるかも知れない」くらいのはったりをかまして、密かにアトリエに招かれるくらいのことはできただろうに。

 返す返すも悔やまれる。

「まあ。あんまり、欲張っても良いことないか。これは、アメリカの要求をはねつけるときの手札と割り切りましょう」

 そう言って夕呼が、投影機の電源を落とし、部屋の照明を付け直した。

 明るくなった室内に目をならすため、夕呼は数度パチパチと瞬きをする。

「いずれにせよ、これはしばらくはふれる必要のない情報ね。今、差し迫っているのは中東・アフリカじゃなくて、アジア大陸だから」

 夕呼はそう自分に言い聞かせ、思考の切り替えをはかった。

 中東BETAの南下という予想外の事態により、アンバール基地が陥落するという大きなハプニングに見舞われたが、世界はなお、予定通り『甲16号』重慶ハイヴ攻略のため、動き続けている。

 形の上では作戦を主導する統一中華戦線の全戦力は今すぐにも、動きだせるよう各港と、打ち上げ基地に集結しているし、真の主力であるαナンバーズも、後は岩国基地で最終チェックを済ませるだけの状態だ。

 同盟のため、ごく一部の戦力を中国大陸に上げることとなった日本帝国は、夕呼に少数量産を依頼したブラックボックスを搭載した、九丁の『99式電磁投射砲』と予備機を含めた四十機不知火壱型丙が、戦術機母艦に搭載されて、いつでも出航できる体勢だ。

 いずれにせよ、今変化の中心は中東ではなく、極東と東アジアにこそある。

 統一中華戦線命名『万鄂王作戦』の開始まで、すでに百二十時間を切っていた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~幕間その4
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/08/13 11:43
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

幕間その4



【2005年3月28日、アメリカ・パシフィック標準時間15時13分、カルフォルニア州、ロサンゼルス中心街】

 アメリカ西海岸でも、もっとも大きな都市、ロサンゼルス。

 その中心部にあるオフィス街で、つい最近一つの会社が開業し、ちょっとした話題になっている。

 開業それ自体はそう珍しいことではない。ロサンゼルスは、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市だ。起業を志す者は毎年現れるし、ここに居を構えようとしている多国籍企業は、それこそ数えきれないくらいにある。

 珍しいのはその企業の国籍だ。

 αナンバーズ系企業『ストーム・マテリアル』ロサンゼルス支社。

 それがその企業の正式名称である。ついこの間、国連と条約を結んだ、異世界からの来訪者達が作った新企業。その支社がアメリカ西海岸に出来たのだ。話題にならないはずがない。

『ストーム・マテリアル』ロサンゼルス支社の社屋は、ビル一つである。

 ロサンゼルスオフィス街でも、それなりの大きさを誇る二十階建てのビルを丸ごと買い取ったのだ。

 初期の募集社員が百人に満たなかったのと比較すると、少々箱が大きすぎる気がするのだが、そこはこれからも随時増員の予定があるのか、はたまた代表である破嵐万丈の派手好きな性格が表に現れた結果か。

 いずれにせよ、現時点ではその二十階建てのビルには、百人弱の現地採用社員と、契約を交わした現地の警備会社の警備員が十数人いるだけだ。

 肝心のαナンバーズの面々は常勤していない。

 代表である破嵐万丈にしても、代表代行であるギャリソン時田にしても、ロサンゼルス支社以外の仕事が多数ある身だ。特に今は、甲16号作戦を直前に控えたとき。

 万丈もギャリソンも、ダイターン3のデビューを前に準備に余念がない。

 とはいえ、作ったばかりの支社をまるきりほったらかしにも出来ない。

 本日、初日以来となる出社を果たした破嵐万丈は、社長室に各部門のチーフを順番に呼び、作業進捗状況を聞き出していた。







「なるほど。この国で起業する以上、成果主義の導入は必須条件だと君は言いたいのだね?」

 マボガニー製の机と、黒い本革張りの椅子。

 まるで映画のセットのような、典型的な『社長の椅子』に腰をかけた破嵐万丈は、中年の白人男性の意見を聞き、そう結論づけた。

 中年の男は大きく頷くと、よく通る声で熱弁を振るう。

「はい。難民出身者が六割を占める我が社ですが、残る四割は合衆国国民です。また、難民出身者も現在は就労ビザで暮らしていますが、帰る母国がない者が大半です。いずれ、合衆国に永住することを考えれば、この国のやり方に合わせておいた方が良いと、考えます」

「なるほど、非常に参考になった。ありがとう。ミスタ・ホッチキス。僕が聞きたかったことは以上だ。通常の業務に戻ってくれ」

「はい、失礼します」

 男は、一礼すると真新しい社長室から出て行った。

「ふう。僕は幸せ者だね、ギャリソン。できたてほやほやの会社だというのに、社員は皆、弁の立つ有能な者ばかりだ」

 万丈は社長の椅子に座ったまま、大きく伸びをすると、斜め後ろに立つ万能執事にそう笑いかける。

 ギャリソンは、白く整った口ひげの下で小さく笑いながら答えた。

「たしかに。特にチーフの方々は四人とも非常に有能ですな。とてもついこの間まで職にあぶれていたとは思えません」

「まったくだ。神様の贈り物かね」

 正直ここまで、各国があからさまな態度に出るとは少々予想外だった。

 αナンバーズが起業し、社員を現地から雇うと言えば、スパイを送り込もうとするのは予想の範囲内だったが、それにしてもあからさま過ぎるくらいに優秀な人材が多い。

 正直「お前等身元隠す気ないだろう?」という連中がゴロゴロしている。

「ジョセフ・ホッチキス。コロンビア大学卒業。兄は、現国連本部防衛軍司令官、ジョナサン・ホッチキス。合衆国政府とは無関係と言われても、正直対応に困りますな」

 執事の言葉に、万丈は大げさに肩をすくめる。

「でもまあ、本名を名乗っているだけ、彼はまだマシなほうだよ。他三人なんて、全員あからさまな偽名じゃないか。中国系アメリカ人、王大人(わん・たーれん)、ロシア系アメリカ人、イワン・イヴァノーフ、唯一の女性はナンシー・ブラウンだ。なんだか僕は、ジュニアハイスクール向けの英語の教科書に迷い込んだ気分だよ。

 彼等は本当にスパイなのかね。ここまであからさまだと、かえって疑わしくなる」

「実際、違うのかも知れません。スパイにしては、チーフ四人は目立ちすぎです。彼らはあくまで各国が友好のために送り込んだ人材であり、一種のアピールを行っているという可能性もございますな。無論、その影では本命のスパイが活動していることでしょうが」

「なるほどね。その本命のスパイの割り出しは?」

 主の問いに、執事は少し無念そうな表情で首を横に振った。

「正直、いつになるか。向こうもプロですし、この世界では我々は完全な異邦人です。諜報合戦に関しては、少々分が悪いと言わざるを得ません」

「そうか。そうなると、彼との話はより一層重要になってくるね。ギャリソン、そろそろ最後のチーフを呼んでくれないかな」

「はい。少々お待ち下さい」

 万丈の言葉を受けた執事は、インターフォンを手に取り、待機している五人目のチーフを社長室に呼び出した。





 しばらくして、『ストーム・マテリアル』ロサンゼルス支社、五人目の部門チーフが社長室にその姿を現した。

 四つボタンのダークスーツを隙無く着こなしたその金髪の青年は、五人のチーフの中で唯一人、難民キャンプ出身だ。

 難民キャンプ出身者と言うことは、その身元を証明するものがほとんどないと言うことだが 彼だけは絶対にスパイではないと断言できる。いや、むしろ逆に彼は完全無欠にスパイだと言い切れると言うべきか。

「失礼します」

 礼儀正しくドアを閉めて挨拶をする青年に、大股で近寄った万丈は朗らかに笑いかける。

「やあ、久しぶりだね。ここの盗聴対策は完全だ。いつも通りにいこうじゃないか」

 万丈の言葉に、男は小さく笑い、気安い口調で答えた。

「了解だ。三ヶ月ぶりだな。元気そうで何よりだ、万丈」

「君こそ。獣戦機隊の皆も心配していたよ。お帰り、と言うべきかな、アラン」

 この世界では、ロス・ブラックホークと名乗る男。

 αナンバーズ獣戦機隊所属、ブラック・ウィング、パイロット、アラン・イゴールは三ヶ月ぶりに再開した仲間と、固く握手を交わすのだった。





「申し訳ないが、怪しまれる行動は可能な限り避けたいんでね。君との面会だけ時間を延ばすわけにいかないんだ。手短に話を進めようか」

「ああ、それでかまわない」

 向かい合うようにして椅子に腰を下ろした二人は、ギャリソンが入れてくれた紅茶で喉を潤しながら、情報交換を始める。

「まず、難民施設の雰囲気から教えてもらえるかな。彼等の、アメリカに対する心情はどんな感じだい?」

「一言では言えないな。全体で定まった一つの方向性があるわけではない。憧れ、嫉妬、感謝、妬み。あらゆる感情が渦巻いている状態だ」

「それはそうか」

 万丈は納得したように一つ肩をすくめた。

 確かに、人間の感情というのは単純そうで複雑だ。

 アメリカによって養われているのだから、感謝している者がいてもおかしくない反面、故郷を追われた自分たちの横で、昔通りの繁栄を極めている人間がいるのだから、嫉妬や逆恨みの感情を持つのも、ある意味当然と言える。

 一言で難民と言っても立場は違うし、同じ立場の人間でも感じ方は違う。更に言えば、同じ人間でも、その日の気分でもののとらえ方が違うことだってあり得るのだ。

「なるほどね、キャンプ全体が負の感情に支配されていないって事は、アメリカの難民対策はそれなりにうまくいっていると言うことかな。それでは、アメリカ軍のG弾によるユーラシア攻略についてはどういう感想を持っているのかな?」

「そちらも一概には言えないな。無論、歓迎している者は少ないが、理解を示している者はそれなりにいる。母国にハイヴを作られていない者の中には、例えG弾を使用してでもユーラシアからBETAを駆逐するのが先だ、と言っている者もいるな」

「そうか。では、僕達αナンバーズの評判はどうかな? 正直、これが一番気になるんだか」

「それは、率直に言って、まだまだ「眉唾な話」として受け取っている者が大半だな。難民キャンプは情報が届きづらいという問題もあるのだろうが、それ以上に我々のやったことがちょっと想像を超えていたようだ。「本当にそんなことが可能なのか?」という意見がよく聞かれる。

 逆に、信じている者の中には、αナンバーズを『神の使い』か何かと勘違いしている奴もいる。『ピレネー山脈を元に戻してくれ』とか『死んだ家族を生き返らせてくれ』などと頼もうとしている奴もいたぞ。無論、ごくごく一部だが」

「おやまあ。どこの世界でも、情報が末端に広がると、正確さを失っていくようだね」

 その後も、万丈は細々とした情報をアランの口から聞き出していった。

 その大半は、これと言って使い道のない情報だが、こうした「この世界の一般人目線」の情報は、非常に得がたいものだ。これだけでも、アランの努力の成果はあったといえる。

 そろそろ、時間が迫ってきたところで、万丈はアランに確認する。

「それで、今後も情報入手については期待していいのかい?」

 アランは自信を持って、頷いた。

「ああ。月に一度は難民キャンプに顔を出すことになっているからな。また、国連軍に所属している難民キャンプ出身者とも定期的に情報交換をすることになっている。そちらの情報もやがて入るだろう。ただし、どちらも一月に一度だから、情報の鮮度には少々問題がある」

「いや、十分だよ。その調子でよろしく頼む。ただし、無理は禁物だよ。こんな事を君に言うのは、釈迦に説法だろうがね」

「承知している。それでは、そろそろ俺は戻る」

 時計を確認したアランはそう言うと、紅茶の残りを飲み干し、立ち上がった。

 社長室を後にしようとするアランに、万丈はふと思い出したような表情で声をかけた。

「ああ、そうだ、忘れていた。チーフクラスには特別ボーナスとして、こちらから自家用車を一台進呈することになっているんだ。もちろん、合衆国に申請してちゃんとナンバーを取ったものをね。せっかくだから、この国の運転免許を取得してくれないか?なに、金銭的な負担はこちらでする」

 足を止めたアランは少々怪訝そうな顔で振り向く。

「それは、かまわないが、良いのか? 進呈する車というのは、我々の世界の車なのだろう?」

 当たり前だが、戦艦エルトリウム内部の艦内都市では、大量の自動車が運用されている。

 チーフ達に進呈する四台の車というのは、そういった代物だ。

 艦内都市という閉鎖空間で使用されるため、排気ガスを排出するエンジンは使用できない。全て、電動式のモーター車だ。αナンバーズの世界では、そうとうに枯れた技術だが、こちらの世界の人間からすれば、未知の技術の塊だろう。

 だが、万丈はニヤリと笑い、答えるのだった。

「かまわないよ。念のため『勝手に売り払ったり、解体したりしたら、罰金十万ドル』と言ってある」

 それは裏を返せば、十万ドル(日本円にして約一千万円)払えば、好きにしても良いということでもある。

「なるほどな」

 万丈の意図を察した、アランは納得したように頷いた。

 これも、万丈から差し出した一種の探り針なのだろう。各国が、ここで十万ドルの罰金を払って、勝手に解析するようならば、その国はαナンバーズとの友好関係より、より直接的な新技術を欲していると言うことになる。

 この一件だけで、各国の態度を決めつけるのは早計だが、それでも一つの判断材料にはなる。

 なにより、最高に話がうまく進めば、アランの正体を知らない各国の諜報員がアランに「交渉」を持ちかけてくるかも知れない。

 そうなればしめたものだ。アランは一種の二重スパイの役割が果たせる。

 もっとも、例えどのようなことがあったとしても、アランの車だけは売ることも、解体することも出来ないのだが。

「それじゃ、君の車は地下の役員専用ガレージに止めてあるよ。後で『挨拶』しておくといい」

「ほう、俺の車は『彼』か。無事、復帰を果たしたのだな。了解だ、これからは随分世話になるのだし、今日中に声くらいはかけておこう」

 アランに送られる車、その名を『ボルフォッグ』という。

 αナンバーズ、GGGに所属する超AI搭載勇者ロボの一人。

 本来ならば、ボルフォッグの車両形態はパトカーの形をしているのだが、さすがにそれは目立つので、今は一般的なスポーツカーに見えるように、改造が施される。

 無論、いざとなれば全高十メートル超のロボット形態に変形して、戦う事も可能だ。

 この三ヶ月、単身情報収集のためアメリカに潜入していたアランにとって、それは非常に心強い援軍であった。









【2005年3月28日、日本時間11時29分、横浜基地、地下十九階香月夕呼研究室】

「やっと完成した、か。後は、中身をダウンロードするだけね」

 大きな仕事を一つ終わらせた香月夕呼は、研究室の椅子に座り、大きく息を吐いていた。

 長らく頓挫していた、00ユニットの制作。それが、つい先ほど完了したのだ。

 帝国から『佐渡島ハイヴ』のG元素をせしめたのは良かったのだが、その際の交渉で、99式電磁投射砲のコアユニットの少数量産を優先的に依頼されたため、今まで00ユニットの作成は後回しにせざるを得なかった。

 さらに言えば、現時点で完了したのはその器だけである。誰がどこから見ても『鑑純夏』にしか見えないその人形には、まだ情報が入っていない。

 その頭部にある量子電動脳に、『鑑純夏』の脳髄から全情報をダウンロードして、初めて00ユニットは完成を迎える。

 本来であれば、すぐにでもダウンロードを始めたいのだが、今は少し不確定要素が発生している。

 夕呼は眉の間に皺を寄せ、不機嫌そうに呟く。

「なによ、ボンバーって。あんたのタケルちゃんをボンバーしろっていうの? そうすればあんたは満足するわけ?」

 最近になって時折訳の分からない言葉を発するようになった『鑑純夏』に、夕呼は態度を決めかねていた。

『ボンバー』と言うときは、小さいながらも明るいハレーションを起こしているので、悪い変化ではないのだが、変化は変化だ。

 その変化が、ダウンロードになにか予想外の結果をもたらす可能性は、ゼロではない。

「だいたい、『鑑純夏』は脳髄だけなのよ? 耳、無いのよ? それがなんで、歌に反応するわけ? モノが聞こえるっていう物理的現象に付いて、一度とことん説明してやろうかしら。あの丸めがねギター野郎に」

 最初に『鑑純夏』が『ボンバー』といってから、今日までに同様の反応が、すでに十回以上確認されている。それだけのモデルケースがあれば、状況から原因を探り与えることは、そう難しくない。

『鑑純夏』が『ボンバー』もしくは『ファイヤー』というときには、必ず同時間、横浜基地内で熱気バサラが歌を歌っていたことを、夕呼は簡単に突き止めたのだった。

 歌に反応する、脳髄だけの少女。この場合、特殊なのは、歌か少女か。

 まあ、考えるまでもなく歌だ。

 その事実が判明してから、一度さりげなく大河全権特使に、熱気バサラの歌について聞いてみたところ『歌エネルギー』などという、非常に不吉な言葉が返ってきた。

 大河全権特使は、ご親切にも「詳しく知りたいのでしたら、歌エネルギー研究の第一人者であるドクター・千葉をお呼びしますが?」と言ってくれたので、出来るだけ丁寧に、だが断固として断っておいた。

 これ以上、謎現象を増やされては、夕呼が危うい。

「ま、なんにせよ、とりあえず『甲16号作戦』が終わるまでは、アクションを起こさない方が良いでしょうね」

 一度頭を振って、変な方向に向かっていた思考を元に戻した夕呼は、そう呟いた。

 00ユニットのダウンロードは、そう簡単なモノではない。間違っても、作業途中に「他の重要な仕事」が舞い込むようなことがあってはならないのだ。

「正式名称は『甲16号作戦』ではなく、『万鄂王作戦』というそうですよ。命名は台湾がされたようですが」

 無人のはずの研究室で、突如聞こえてきた他者の声。

 だが、いい加減その声の持ち主の乱入に慣れていた夕呼は、平然と話を合わせる。

「相変わらず、あの国は派手な呼称が好きね」

「おや、あまり驚いてくれませんな」

 鎧衣左近は、少し残念そうな声でそう言うと、物影からその姿を現した。

 相変わらず、ロングコートとスーツ姿で、室内にもかかわらず帽子を被って、表情の読めない笑みを浮かべている。

「はいはい。それで、用件は? とっとと本題に入って欲しいんだけど」

 夕呼は、戯れ言にかかわっている暇はないと言わんばかりに、ヒラヒラと手を振った。

「ご存じですかな? 今回の作戦名は、中華統一戦線のお歴々が、出陣する軍を前に行った演説で「敵BETA百万あれど、ここに万を超える鄂王(昔の中国の英雄、岳飛のこと)がいる。我々は勝利を確信している」と言ったことから命名されたそうですよ」

「余所の国の演説なんか興味はないわよ。いいから、本題に入りなさい」

 さも面白そうに話を脱線させる左近に、夕呼は冷たい視線を浴びせ、本題に入るように圧力をかける。

 だが、鎧衣左近がその程度で殊勝な態度を取るはずもない。

「アラスカは、色々予想外の事態が発覚しているようですな。やはり、ロシア以外の国々にジェガンのデータが送られたのが、拙かったようです。なんとかその技術開発でロシアを出し抜き、独立の足がかりにしようとしている勢力が蠢いています。

 さしずめロシアは『β派』、それ以外のソ連各国は『α派』ですかな」

「『α派』と『β派』? なによそれ?」

 左近の脱線話につきあうのはシャクだが、それ以上に好奇心を刺激された夕呼はそう尋ねる。

「おや、ご存じない? 最近、世界各国で使われるようになった呼称ですよ。αナンバーズ由来の技術を重視する者を『α派』、BETA由来の技術、端的に言えばG元素を使った技術を重視する者を『β派』と呼ぶのですよ」

「なるほどね、α(あるふぁ)とBETA(べーた)というわけか……」

 夕呼は納得がいったように、そう呟いた。

 無論、『α派』と『β派』といっても、言うほどきっぱりと二手に分かれているわけではない。

『α派』と呼ばれる者の主張でも、その内容は「世界の未来はαナンバーズの技術にあり、限りある資源に頼るG元素由来の技術からは、可能な限り早く脱却するべきだ」というモノであり、一方『β派』の主張というものも、「将来的にはαナンバーズの技術が必要だが、当面は、既に確立されたG元素由来の技術こそ、重視するべきである」という程度のものなのである。

 よく聞けば、前者と後者が本質的には同じ事を言っていることが分かるだろう。

「今はG元素技術、将来はαナンバーズ技術」という点では両者の主張は一致を見ている。

 ただ、少しでも早くαナンバーズ技術を会得することを優先するのが『α派』で、可能な限りG元素技術を延命させようとしているのが、『β派』というだけだ。

「かの国も現政権が主に『β派』、二大政党のもう一つが『α派』と意見を違えておりますな。日々あちこちで、興味深い意見が交換されているとか」

「まったく、ちょっと余裕が出てくると、どいつもこいつも陰謀の虫が疼きだして」

 吐き捨てるような夕呼の言葉に、左近はわざとらしく笑い、

「はっはっは。そう言った意味では我が国も負けておりませんぞ。官僚と軍の強硬派がこの度、共同で意見書を提出したそうです。その内容は「帝国とαナンバーズによる月攻略作戦」だとか。なんでも彼等に言わせれば、月は『二十一世紀の中東』なのだそうです」

 月を中東に例えるのは、中々的確な例えである。

 月面のハイヴは地球のそれより遙かに発達している。そこに眠っているG元素は地上のそれを越える量があるだろう。

 また、月面の砂は大量のヘリウム3を含んでいる。ヘリウム3は言うまでもなく、αナンバーズ技術の中枢、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の燃料だ。

 ヘリウム3は、地球上にはほとんど存在していない物質である。

 G元素由来の技術だけでなく、αナンバーズ由来の技術の方向から考えても、将来的には月は重要な意味を持つ可能性が大だ。

 まあ、三十年前後BETAの支配下に置かれた月に、どの程度ヘリウム3が残っているかは未知の話だが、もし十分な量が残っていれば、それは確かに次世代の大油田地域と言っても良い価値があるだろう。

 だが、どちらにせよ、それはαナンバーズの戦闘力を全面的に当てにした話である。
 
「止めてよね……そいつら、αナンバーズをいつの間にか帝国の戦力だと勘違いしてない?」

 さしもの夕呼もその言葉には、天を仰いだ。

 夕呼の「αナンバーズの真の目的は、表向きのお題目と表裏一体である」という仮説が正しければ、αナンバーズはBETA殲滅に関しては、全面的に協力してくれるはずだが、それにしてもそこまで何でもこちらの言うとおりに動いてくれる保証はない。

 まして、末端の構成員は、良くも悪くも純粋で正義感の強い人間が多いのだ。

 欲の皮の突っ張った提案をすれば、それこそ逆鱗に触れる可能性もある。

 そこまで考えた夕呼は、いつの間にか左近の戯れ言にすっかり巻き込まれている事に気がついた。

「……で、いい加減本題に入って欲しいんだけど?」

「ははは、これは怖い」

 夕呼の声のトーンが一段低くなったのを敏感に聞き分けたのか、左近はそう言って帽子を被り直す。

 帽子で表情を隠したたま、左近は口を開いた。

「この度BETAに奪還された甲9号・アンバールハイヴに、また動きがありました」

「アンバールハイヴが? まさか、まだ動きが止まっていないわけ!?」

 予想外の報告に、さしも夕呼も表情を取り繕えず、僅かに声を荒らげる。

 まさか、アンバールハイヴを奪還しただけに留まらず、そのままスエズ運河を越えて、アフリカ大陸まで南下して来たというのか?

 もしそうならば、今からでも『甲16号作戦』を停止し、αナンバーズにアフリカ防衛に回ってもらうよう、要請する必要がある。まさに、非常事態だ。

 だが、夕呼の最悪の予想は、すぐに否定された。

「いえ、確かにアンバールハイヴに入ったBETAの動きは止まっていないのですが、進行方向は、逆です。アンバールハイヴに一度入ったBETAが、なぜかそろって甲2号ハイヴに戻っていっているのです」

「……なによ、それ?」

 左近からもたらされた情報は、最悪のものではなかったが、最悪の予想よりまだこちらの予想を超える代物だった。

 数十万という大群を持って、わざわざ奪還したアンバールハイヴから、僅か数日で撤退したというのか。

 BETAの行動原理は元々よく分からないが、それにしてこれは極めつけだ。

「地上構造物(モニュメント)は?」

「作られていません」

「本当に全てのBETAが撤退したわけ?」

「衛星からの情報ではそのようです。少なくともハイヴに入ったBETAの数と出て行ったBETAの数はおおよそ一致しているとか。詳しい情報は、今後の偵察次第でしょうが」

「…………」

 夕呼は思わず考え込んだ。だが、すぐにその思考を停止される。

 今は考えるべきではない。あまりに、状況が突飛すぎ、情報が少なすぎる。

 だが、ひょっとするとあのマイクロフィルムは、また大きく価値を上げることになるのではないだろうか?

 夕呼は無言のまま、一度ゆっくり唇を舐めた。

「分かったわ。詳しい情報が入ったら、教えて頂戴。この件に関してはこちらも、それなりに協力するわ」

 BETAの動きは確かにとても不可解だが、それは人類にとって即座に脅威となる動きではない。

 ならば、この情報が入っても中華統一戦線は『甲16号作戦』を取りやめたりはしないだろう。

 やはり、しばらくは主戦場は東アジアだ。中東ではない。

「分かりました。それでは私はこれで」

 最後まで表情を見せなかった左近は、そう言うと入ってきたときとは裏腹に、礼儀正しく一礼をして部屋から出て行った。









【2005年3月28日、日本時間21時00分、岩国基地、戦艦ラー・カイラム】

「この件に関する報告は以上です。理由は不明ですが、アンバールハイヴを奪還したBETAが全面的に撤退したのは事実のようです」

 その夜の艦長会議では、早速大河長官が、アンバールハイヴからBETAが撤退したという情報を報告していた。

 これほど大規模なBETAの動きが、世界中に知られないはずがない。

 夕呼が左近から情報を聞いた数時間後には、この不可解な情報は、ほとんど世界中の人間が共有する情報となっていた。

『さすがに、思考パターンが全く読めませんな』

『確かに。思考があるという報告が、疑わしくなるくらいに訳の分からない行動だ』

 小惑星帯に停泊中のバトル7から、エキセドル参謀とマックス艦長がそう言ってそろって頷く。

 奪還したばかりのハイヴから、突如撤退したBETA。

 その動きは、さしものαナンバーズを持ってしても理解の外にあったようだ。

 艦長達の表情にも戸惑いの色が見て取れる。

 だが、いつまでもこだわるたぐいの情報でないことも確かだ。

 不可解な動きは不気味だが、それによって人類に何か不利益が生じたわけではないのだ。油断は禁物だし、予想もある程度は立てるべきだろうが、その動きに縛られるワケにはいかない。

『よし、この件に関しては、追加情報が入るまで置いておこう。誰か、他に報告事項はある者はいるかね?』

 エルトリウム艦長、タシロ提督はそう言って、停滞した会議を動かし始める。

 その言葉受けて、口を開いたのは、タシロ提督の横に立つ、エルトリウム副長だった。

『それでは私の方から。以前、『クォヴレー・ゴードン』から送られてきたデータの解析が一通り終了しました。結論から申し上げますと、あのデータは人間の脳と同等の働きを機械にさせるための基本設計図のようなものです』

「どういうことですか、それは?」

 なにやら、穏やかではない言葉に、ラー・カイラム艦長ブライト・ノア大佐は、驚きの声で聞き返す。

 エルトリウム副長は、いつも通りの淡々とした口調で説明を続けた。

『はい。分かりやすく言えば、『ブレイン・モーションキャプチャー』と言いますか、人の脳の働きを読みとり、機械その動きをトレースさせるというコンセプトだと思われます。

 無論、機械を完全に人間の脳と同じにするメリットはありませんので、最終的に目指すところは、機械と人間の脳のいいとこ取りのスーパーコンピュータを作ることが目的なのではないか、とこちらの解析班は予測をしました。

 しかし、懸念事項としては、この技術を使えば、機械に人の心を持たせることも出来るのではないか、という推測も上がっているという点です」

『それは、GGGの勇者ロボのようなものが出来ると言うことですか?』

 戦艦アークエンジェルの艦長席で、驚きに目を見開いたマリュー・ラミアス少佐はそう声を上げる。

 だが、エルトリウム副長は首を横に振り、否定した。

『いいえ、違います。もっとダイレクトに、人の頭の中身もしくは心までをダウンロードして機械に宿らせることが出来るかもしれないのです。いわば、脳髄まで含めた一切の生身を捨て去った、スーパーサイボーグが作れる可能性があると言うことです』

 エルトリウム副長の言葉に、艦長会議に参加している一同は、押し黙った。

 それほどの超技術は、αナンバーズの世界にも存在しない。

 クォヴレー・ゴードンはそのデータを香月夕呼に渡せと言ったのだ。

 それはつまり、香月夕呼ならばこのデータを形にできるということなのだろう。

『香月博士。天才の異名に偽りなし、か』

 タシロ提督は、思わず感嘆の息を漏らした。

『ええ。もしかすると、香月博士ならば、未だ復旧がなっていない特機の復活に力になってくれるかも知れません』

 今は地球に降りている、大空魔竜の責任者にして生みの親である、大文字博士はそう提案した。

『検討の余地はありますな』

 バトル7のエキセドル参謀もそう言って同意を示す。

 当初と比べれば随分と戦力の戻ってきたαナンバーズであるが、やはり特機の回復は遅れている。

 孤軍奮闘する大文字博士は、ついこの間ダンクーガを復活させたし、今はグレートマジンガーも手がけてくれている。大空魔竜にも光子力エンジンが使われていると言うこともあり、ある程度共通項のあるマジンガー系は、大文字博士の手に負えそうだが、それにしても彼一人では順番待ちをしている特機の数が多すぎる。

 進化するエネルギー、ビムラーで動くロボット、ゴーショーグン。

 超電磁力をエネルギー源とする、合体変形ロボ、コン・バトラーVとボルテスⅤ。

 光の高エネルギー結晶体、ダイモライトを動力源とする、変形ロボット、闘将ダイモス。

 古代ムー大陸の守護者であり、神秘の超エネルギー、ムートロンを動力源とする、勇者ライディーン。

 そして、ゲッター線の申し子、真・ゲッターと、意思を持つ魔神、マジンカイザー。

 未だ手つかずの修理待ち特機は、数多くあるのだ。

『そうですね。駄目で元々ですから、一度纏めて香月博士に見てもらうと良いかも知れません』

 夕呼が聞けば、腰を抜かしたまま四つん這いになって逃げ出しそうな方向で、話がまとまりかけた、その時だった。

「ちょっとお待ち下さい。実は、私からも報告することがあります。それが、もしかすると先ほどの話と関係するのではないかと思うのですが」

 決まりかけた話の腰を折り、ブライトが発言する。

『うむ? なにかあったのかね?』

 モニターの向こうからそう問いかけてくるタシロ提督にブライトは、「はい」と答え頷くと、

「実は、最近になってイルイの『力』がかなり戻ってきたのだそうです。それに伴い、イルイが気づいたらしいのですが、どうやら横浜基地の最下層には何者かが、常にいるのだそうです」

『む? それが何か問題なのかね?』

 今一言っている意味を理解していないタシロ提督に、ブライトは言葉を重ねて説明を続ける。

「はい。本当にいつも全く同じ空間にいるのです。特に熱気バサラが歌を歌うときに、その者は強い反応を示すそうなのですが、それでもその位置は全くずれないのだとか」

『それは、確かにおかしいですな』

『ええ。そこまで行くと、動かないのではなく、動けない状態なのだと考えた方が自然です』

 エキセドル参謀の言葉に、エルトリウム副長もそう言って同意を示した。

 もし自由の身なのだとすれば、一度くらいは地上まで上がってきているはずだし、何らかの理由で地下に閉じ込められているとしても、音楽に反応を示した時は多少は身体を上下させるはずだ。

 それすらないと言うことは、その者は身体を揺らすことも出来ない、極めて不自由な状態に置かれていると推測できる。

「また、イルイは何度かその思念を読みとろうとしたらしいのですが、かなり心が壊れた状態で、意味のある言葉はほとんど聞き取れないとも言っていました。辛うじて聞き取れた言葉は三つ、一つは『ボンバー』、もう一つは『ファイヤー』。そして、最後に一つは『タケルちゃんに会いたい』だそうです」

「……鑑純夏」

 ブライトの横に立つ大河長官がぼそりとその名前を口にする。

 クォヴレー・ゴードンが白銀武にあのデータを送った際、言った言葉。

「今度こそお前の手で、鑑純夏を救……」

 あの後、香月博士と白銀武に鑑純夏という人間について聞いたが、どちらともあからさまにごまかした返答が返ってきていた。

 クォヴレーが名指しで、白銀武に「救え」と言った存在。

 そして、横浜基地の最下層で『タケルちゃんに会いたい』という思念を飛ばし続けている、身動きの取れない誰か。

 少々短絡的かも知れないが、状況は符合する。

「クォヴレーが白銀少尉に救えといった『鑑純夏』。

 何故かその存在について言葉を濁す、香月博士と、白銀少尉。

 横浜基地の最下層で『タケルちゃんに会いたい』という思念波を飛ばし続ける何者か。

 そして、クォヴレー・ゴードン少尉が白銀少尉経由で、香月博士に送ったデータは、人をコンピュータにダウンロードしうる設計図だった。一連の流れは、繋がっていると考えた方が、自然ですね」

 改め、大河長官がそう、一連の流れを纏める。そう言われると、確かに、何か香月博士のやろうとしていることが見えてくる気がした。

『決めつけるのは危険だが、確かに一度香月博士と腹を割って話をする必要があるようだな。大河君』

「はい」

『早めに場を設けて、何とか事の真相を聞き出してくれ。香月博士のやろうとしていることが、ゴードン君のいうような『鑑純夏を救う』ための事ならば、我々としても最大限の援助をしたい』

「分かりました。今は、甲16号作戦』を控えているため、まとまった時間が取れませんが、作戦が終了次第、早急に対処します」

『うむ。よろしく頼む』

 タシロ提督のその言葉を持って、その話題は一度打ち切りになった。

 後は、四日後に迫った『甲16号作戦』に関する最終打ち合わせがある。

「最終確認ですが、地上の戦力は四月一日まで現状のままですね?」

『はい。現在修復中の機体で、当日までに地上に降ろせるものはありません』

 ブライトの言葉に、エルトリウム副長は手元の資料に目を通しながら、答えた。

 先に地上に降りていたパイロット達、全員分の機体が既に地上に降ろされている。獣戦機隊のブラック・ウィングさえ下ろされているのだ。ブラック・ウィングのパイロットであるアラン・イゴールは極秘潜入に就いているため、愛機に乗る機会はしばらく無いはずだが。 

 エルトリウム副長の答えを受けて、ブライトは話し始める。 

「了解しました。それでは、『甲16号作戦』における我々αナンバーズの役割をご説明します。

 甲16号ハイヴはこれまでのハイヴと違い、大陸内陸部にあるため、現地戦力では補給部隊を奥深くまで送り込むことが難しくなっています。

 そのため、日本海側から侵攻予定のラー・カイラムとアークエンジェルは、ほぼαナンバーズ単独での作戦となります」

 空中浮遊母艦に戦力と補給物資を全て積み込んでいるαナンバーズと違い、この世界の軍隊が甲16・重慶ハイヴまで戦力を送り込もうとすれば、BETAの支配地域である中国太陸を千キロ以上も補給輸送車を守りながら、走破する必要がある。

 さすがにそれはあまりに非効率的なため、今回中華統一戦線の地上部隊は、湾岸地域での陽動に徹する手はずとなっていた。

 中華統一戦線の地上軍が陽動をしかけている間に、ラー・カイラムとアークエンジェルは中国大陸を突き進み、可能な限り重慶ハイヴに近づく。

 それから、頃合いを見て中華統一戦線の宇宙軍が、ハイヴに対レーザー弾を投下。重金属雲が十分に発生したところで、地上降下部隊を投入。

 その際に、中華統一戦線の降下部隊に先んじて軌道降下をおこなうのが、αナンバーズの戦艦・大空魔竜だ。

 全体を超金属ゾルマニウム鋼で覆われた大空魔竜は、例え重金属雲がなかったとしても、レーザーの集中照射もへでもないくらいの防御力を有している。

「大空魔竜に乗る機体はハイヴ攻略部隊です。こちらは中華統一戦線の戦術機部隊も参加することになっているますが、最終的には我々が主力を担うことになると思われます」

 形の上では、今回の重慶ハイヴ攻略戦は「中華統一戦線が、日本帝国とαナンバーズの援助を受けて攻略する」という形になっているため、中華統一戦線の戦術機が重慶ハイヴに突っ込むのは、最初からの決定事項だ。

「最終的には、ラー・カイラム、アークエンジェルの搭載部隊も重慶ハイヴまで肉薄し、場合によってはハイヴ攻略に参加する事も想定していますが、理想としてはその前に大空魔竜隊と中華統一戦線の機動降下部隊だけで、ハイヴ攻略を成し遂げたいと考えています」

 無論、何もかもがそう予定通りに進むほど、戦場という空間は甘くない。

 歴戦の艦長であるブライトも、それはよく分かっている。

 だが、今回は今までとは比較にならないくらい、戦力が充実しているのだ。

 ブラック・ウィングを除いた獣戦機隊、ダンクーガ。

 光竜と闇竜。 

 アンドリュー・バルトフェルドのラゴゥ。

 キラ・ヤマトのフリーダムガンダムと、アスラン・ザラのジャスティスガンダム。

 ジュドー・アーシタのガンダムZZに、ビーチャ・オーレグのドーベンウルフと、イーノ・アッバーブの百式。

 バニング大尉の部下であった、モンシア、ベイト、アデルの三人は宇宙に上がってしまったが、代わりに、コウ・ウラキのガンダム・ステイメンとチャック・キースのジムキャノンⅡが地上に降りている。

 そして、αナンバーズでも屈指のエースコンビ、ゼンガー・ゾンボルト少佐のダイゼンガーと、レーツェル・ファインシュメッカーのアウセンザイターが、ギリギリで駆け込むように、今回の作戦に間に合ったのだ。

 並大抵のハプニングならば、力尽くで突破できるだけの戦力だ。

『分かった。よろしく頼んだぞ、ブライト君、ラミアス君、ピート君』

「はっ、微力を尽くします」

『はい、最善を尽くします』

『はっ、全力を挙げて』

 タシロ提督の言葉に、地上に降りた三艦の艦長達は、引き締まった表情で敬礼を返すのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その1
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:11651338
Date: 2010/10/24 02:33
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第五章その1



【2005年4月1日、日本標準時間08時25分、岩国αナンバーズ基地】

 中国大陸内陸部深くに存在するハイヴ、甲16号重慶ハイヴ攻略を目的とした一大作戦、『万鄂王作戦』決行当日。

 作戦の中核をなすαナンバーズの面々は、岩国基地海上に浮かぶ三隻の戦艦、ラー・カイラム、アークエンジェル、大空魔竜の中で、最後のブリーフィングを行っていた。

 αナンバーズのパイロット達はそれぞれ三艦のブリーフィングルームの中で、通信用のモニターに注目している。例外は、アークエンジェルの格納庫にいる光竜と闇竜だけだ。さすがに、勇者ロボが入れるような大規模なブリーフィングルームがあるのは、旗艦エルトリウムだけである。

 皆の注目が集まる中、最初に口を開いたのは、ラー・カイラム艦長ブライト・ノア大佐だった。

「それでは、作戦決行前に最終確認を行う。本作戦において我々は、大きく三つのチームに分かれる。アークエンジェルを旗艦とするAチーム、ラー・カイラムを旗艦とするBチーム、大空魔竜を旗艦とするCチームだ。

 Cチームは大気圏外から直接ハイヴに降下し、ハイヴ攻略を担当するため、全くの別行動を取るが、A・B両チームは原則、共に行動する。ただし、同時に戦闘にはでない。Aチームが戦闘中はBチームが休息。Bチームが戦闘中はAチームが休息といった具合に、交代制で行く。

 日本海沿岸から中国大陸内部の重慶ハイヴまでは、1500キロ近い道のりだ。作戦開始から終了までは、三十時間を想定しているからな。休息無しではとてもではないが、身体が持たん」

「え? そうなのか? 三十時間くらいなら、どうにかならないか?」

 ブライトの言葉に、そう疑問の声を上げたのは、鋼鉄ジーグこと司馬宙だ。

 ブライトは宙の発言に、ばつが悪そうに一つ咳払いをすると、

「あー、鋼鉄ジーグ。君の感覚で計らないでくれ。生身の人間に三十時間戦闘は酷だ」

 そう答えた。宙は元々本人の意図しない所で戦闘用サイボーグに改造された人間だ。既にその機械の身体とは折り合いを付けてはいるものの、他人がそれを指摘するのは少々憚られる。

 だが、そう言われた宙はブライトの言葉に、特に気を悪くしたふうもなく、

「いや、もちろん俺が例外なのは分かっているけどよ。他の人たちも大丈夫そうじゃないか? なあ、万丈さん」

 そう言って自分の隣に立つ、長身の男に疑問を投げかける。

 破嵐万丈は、苦笑しながら頷き返す。

「うーん、まあ、確かに僕もそれくらいならどうにか、がんばれそうだけどね」

「俺は無理だな。そんなにゲッターに乗ってたら腹が空いちまう。あ、でもそれなら弁当を持ち込めばいいのか」

「フッ、コックピットで弁当をひっくり返さないようにな」

 ゲッターチームの車弁慶と、神隼人がそんな会話を交わしている。

 ブライトは、頭痛を堪えるような表情で、大きくため息をつくと、強引に会話に割り込んだ。

「一部の特殊な人間を基準に作戦を立てるわけにはいかんだろうが。うちにだって普通の常識的な人間もいるんだ。とにかく、地上は2チーム交代制で行く。これは決定事項だ。いいなっ!」

 ブライトのきっぱりとした言葉に、パイロット達はそれ以上異論を上げなかった。

 もう一度、大きく息を吐いたブライトは、気を取り直して言葉を続ける。

「戦闘部隊は原則として6時間で交代だ。休息中の行動は自由だが、食事と最低三時間の睡眠は取るように。また、戦艦のクルーは二交代制にするだけの人数がいないため、パイロットより少し無理をしてもらうことになる。

 その辺も考慮して、休息中の母艦は戦闘中の母艦より後方に下がり、必要最低限の自衛に努める形になるだろう」

 ようは、戦艦も二交代制ということだ。積極的に戦闘に出るのは、一つの戦闘チームと一隻の戦艦と言うことになる。

 ちなみに、この作戦でもっとも大変なのは言うまでもなく、両艦の艦長であるブライト自身と、マリュー・ラミアス少佐だ。

 戦闘部隊は二交代制、その他のクルーも状況次第で休息が許されるが、全体の最高意思決定者であるブライトとラミアスは、三十時間艦長席から離れられないと思った方が良い。

 よくて、合間を見ながら、艦長席に座ったまま、十数分の仮眠を取る程度だろう。もちろん、命を懸けて機動兵器を操るパイロット達と比べれば、身体の負担は低いだろうが、三十時間の戦闘指揮というも、十分なハードワークであることは間違いない。

 だが、ブライトはそんなことはおくびにも出さずに、話を続けた。

「各員は既にそれぞれ所定の戦艦に乗り込んでいると思うが、念のため今一度、チーム編成を確認しておく。ラミアス少佐」

「はい」

 ブライトに話を向けられた、アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス少佐は、小さく頷くと、自らが担当する乗っているAチームの名前を読み上げる。

「Aチーム。
 アンドリュー・バルトフェルド、ラゴゥ。イザーク・ジュール、デュエルガンダム。ディアッカ・エルスマン、バスターガンダム。
 キラ・ヤマト、フリーダムガンダム。アスラン・ザラ、ジャスティスガンダム。
 カミーユ・ビダン、Zガンダム。フォウ・ムラサメ、量産型νガンダム。エマ・シーン、リ・ガズィ。ファ・ユイリィ、メガライダー。
 カガリ・ユラ・アスハ、ストライクルージュ。アサギ・コードウェル、M1アストレイ。マユラ・ラバッツ、M1アストレイ。ジュリ・ウー・ニェン、M1アストレイ。
 碇シンジ、エヴァンゲリオン初号機。
 イサム・ダイソン、VF-19エクスカリバー。ガルド・ボーマン、VF-11サンダーボルト。
 ソルダートJ、ルナ・カーディフ・獅子王、トモロ0117、Jアーク。
 光竜。闇竜。
 流竜馬、神隼人、車弁慶、ゲッターG。

 以上、24名、20機です。なお、現場の指揮は、バルトフェルドさんにお願いします」

「了解。ご期待にそえるよう、努力しましょう」

 Aチームの戦闘部隊長に任命されたバルトフェルドは、その片眼が潰れている顔に、人なつっこい笑顔を浮かべ、軽い口調でそう答えた。

 続いて、ブライトが口を開く。

「ラー・カイラムはBチームだ。
 サウス・バニング大尉、ガンダム試作2号機。コウ・ウラキ少尉、ガンダム・ステイメン。チャック・キース少尉、ジムキャノンⅡ。
 鋼鉄ジーグ。アラド・バランガ曹長、ゼオラ・シュバイツァー曹長、アルブレード・カスタム。
 惣流・アスカ・ラングレー、エヴァンゲリオン二号機。
 破嵐万丈、ダイターン3。
 藤原忍少尉、イーグルファイター。結城沙羅少尉、ランドクーガー。式部雅人少尉、ランドライガー。司馬亮少尉、ビッグモス。
 神宮司まりも少佐、不知火。榊千鶴少尉、不知火。珠瀬壬姫少尉、不知火。築地多恵少尉、不知火。高原麻里少尉、不知火。朝倉舞少尉、不知火。
 ゼンガー・ゾンボルト少佐、ダイゼンガー。エ……、レーツェル・ファインシュメッカー、アウセンザイター。

 以上、20名、19機の編成となる。
 部隊長は、バニング大尉だ。神宮司少佐、結果として階級を無視する形になるが、ご了承願いたい」

 話を向けられた神宮司まりも少佐は、黒い国連軍の制服姿で、綺麗な敬礼を返すと、

「いえ、自分の立場はわきまえているつもりです。お気遣いなく。むしろ、それでしたら、ゾンボルト少佐が……」

 そう言って、視線をブリーフィングルームの端に立つ、腰に日本刀を下げた銀髪の男に向ける。

 銀髪の男は、厳つい顔を少しまりものほうに向けると、小さく首を横に振った。

「問題ない。バニング大尉が適任だ」

「ゼンガー少佐と私は特機乗りだ。特機は単独行動が多く、部隊指揮には向かないケースが多い。αナンバーズの流儀は色々と、一般の軍隊の常識とはかけ離れたところがあって、神宮司少佐も戸惑うことだろうが、おいおい理解していってもらいたい」

 言葉足らずなゼンガーの言葉を、隣に立つレーツェル・ファインシュメッカーがそう付け足した。

「は、はあ……」

 まりもは、ど派手なゴーグルで顔を隠したαナンバーズの中でも屈指の怪しい男に、予想外に紳士的な説明を受け、何と答えて良いか分からず言葉を濁した。

 そもそも、相手が戦闘部隊に所属しているにもかかわらず、階級がないため、上として接すればいいのか、下として接すればいいのかすら分からない。

 そんなもの気にしない、というのが正解だというのことは、この数ヶ月である程度理解しているのだが、軍人気質がしっかり染みついているまりもには、なかなかの難題なのであった。

 まりもが戸惑っている間に、最後のCチームを担当する、大空魔竜の艦長であるピート・リチャードソンが発表を始める。

「最後に、ハイヴ突入部隊であるCチームだ。

 アムロ・レイ大尉。νガンダム。ケーラ・スゥ中尉、量産型νガンダム。
 ジュドー・アーシタ、ガンダムZZ、ビーチャ・オーレグ、ドーベンウルフ。イーノ・アッバーブ、百式。
 ヒイロ・ユイ、ウイングガンダムゼロ。デュオ・マクスウェル、ガンダムデスサイズヘル。ヒルデ・シュバイカー、トーラス。
 カトル・ラバーバウィナー、ガンダムサンドロック改。トロワ・バートン、ガンダムヘビーアームズ改。張五飛、アルトロンガンダム。
 綾波レイ、エヴァンゲリオン零号機。

 以上、12名、12機だ。

 隊長は、アムロ・レイ大尉。なお、長時間の無補給戦闘に不安が残るトロワ・バートンのガンダムヘビーアームズ改は、本艦の直衛として地上に残ってもらう」

「了解っ」

「了解した」

 ピートから名指しされたアムロとトロワは、それぞれ了承の声を返す。

 後を引き付くように、再びブライトが口を開く。

「なお、熱気バサラ、ミレーヌ・ジーナス、レイ・ラブロック、ビヒーダ・フィーズ、シビルの5名は、ラー・カイラムに搭乗してもらうが、原則どのチームにも属さない。

 どうせ、言うだけ無……サウンドフォースという特殊な能力を発揮するには、本人達の感覚とテンションを重視した方がよい結果がでると、ドクター千葉から助言を頂いている。

 ただし、休息は必ず取ってもらう。こちらが、下がれといった場合は即座に……いや、そのとき歌っている歌を最後まで歌い終わった時点で、必ず帰還してくれ。いいな」

 これ以上ないくらい厳めしい顔でそういうブライトの言葉に、熱気バサラは、不敵な笑みで鼻の下を一度擦ると、

「へっ! 三十時間耐久ライブか、燃えてきたぜ!」

 そう、嬉しくて今にも飛び出していきそうな、無駄にエネルギーあふれる声を上げた。

「……レイ・ラブロック。頼む」

「はあ、まあ、最善は尽くしますが」

 悲痛な声で頼むブライトの願いを無碍にも出来ず、ファイアボンバーのリーダーであるレイラブロックは、苦笑を浮かべながら、そう請けおった。

 どうやら、熱気バサラの暴走は、最初から覚悟しておいた方がよさそうだ。そもそも、あの熱気バサラが地球に降りてきてから今日まで、約二ヶ月。一度も、BETA支配地域に無断出撃していないのが、奇跡なのだ。

 多少の暴走は、許容範囲だ。

 ブライトは胃の辺りを押さえながらそう自分に言い聞かせて、なんとか自分を騙した。

「海岸線から重慶ハイヴまでの道のりは、大ざっぱに見て1500キロほどだ。

 作戦上はこの距離を、400キロずつ4つの区域に分けて考える。

 第一段階で6時間以内に400キロ地点に到達。第二段階で12時間以内に400キロ地点に到達といった具合に進み、第四段階で24時間以内の重慶ハイヴ到着を目指す。

 その後、ハイヴ地上建造物及び周囲のBETA、特に光線属種を優先的に排除した後、Cチーム――大空魔竜と、中華統一戦線の機動降下部隊がハイヴに突入。六時間でハイヴ攻略という手はずになってる」

 24時間で、BETA百万匹とも言われる中国大陸を1500キロ踏破し、その後6時間でハイヴ攻略を済ませる。

 αナンバーズの実力は十分に理解している、日本帝国や中華統一戦線の軍首脳部も、最初にこの作戦を聞いたときは、さすがに少々懐疑的な眼を向けたものだ。

 まあ、無理もあるまい。2隻の戦艦と、四40前後の起動兵器でだけで、BETA支配地域を1500キロ踏破するというのは、常識で考えれば、無謀を通り越している。

 だが、αナンバーズにとっては、この作戦も特筆するほど困難なものではないのか、緊張を露わにしているのは、まりも以下、伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊の6名だけだった。

「第1段階から第4段階までの作戦は、いかに時間内に母艦が予定区域に到達するか、というものになる。アークエンジェルとラー・カイラムの護衛をしつつ、両艦の進路を確保してくれ。いいな」

 一定時間内に、母艦を目標ポイントまで無事に到達させる。

 この手の勝利条件は、これまでにもαナンバーズは何度か経験している。

 皆が頷く中、カガリ・ユラ・アスハが笑顔でポンと手を叩く。

「ああ、分かった。あれだろ。ようは、制限時間内にレーダーに映る敵を全滅させろ、っていうやつだ」

「…………」

 ひまわりのように朗らかな笑顔を見せるオーブのお姫様に、ブライトは右手の中指と親指で両こめかみをもみほぐしながら答える。

「……全滅させる必要はない。母艦の進路さえ確保できればいいんだ」

 だが、そんなブライトの答えに、カガリは不思議そうに首を傾げて、言葉を返す。

「え? でも、そういう時って今までもだいたい、敵を全滅させていたじゃないか? それじゃ、駄目なのか?」

「いや、駄目ではないが……」

 カガリの疑問に、周りのパイロットは笑い声をかみ殺していた。

 確かにカガリの言うとおりである。

「一定時間内に、母艦を所定の位置まで導け」とか、「一定時間内にこの宙域を抜けろ」と言った作戦に対し、αナンバーズのパイロット達はいつも、「最大速で、母艦が所定のポイントに到達可能な時間を差し引いた残りの時間内に、周囲の敵を全滅させる」という行動を取ってきたのだ。

 本来ならば、ゆっくりと母艦を前進させつつ、周囲や前方の敵を起動兵器部隊が駆逐する方が、正攻法なのであるが、αナンバーズの面々は、たいがい「殲滅戦法」ばかり選択していた。

 そう言った意味では、カガリの言っていることは全面的に正しい。

「分かった。もちろん、全滅させられるのならばそれでもいい。ただし、不可能だと感じたら、母艦を護衛しつつ、先を進むという選択肢もあることを忘れないでくれ」

 形勢が悪いと見たブライトは、妥協するようにそう言うのだった。









【2005年4月1日、日本標準時間9時49分、中国大陸、福建省湾岸、東シナ海海上】

『万鄂王作戦』は、中華統一戦線が主導する作戦と言うことになっており、αナンバーズと日本帝国軍はあくまで協力者という立場である。

 とはいえ、実際には作戦の主力を担うのはαナンバーズであり、αナンバーズの各艦は、原則日本標準時を基準としている。当然ながら、日本帝国軍もだ。

 台湾標準時は日本標準時とちょうど一時間違いなのだが、時計の統一は、共同作戦における必須事項だ。

 そういった事情により、『万鄂王作戦』の間は、参加する軍の時間は全て日本標準時に合わせてある。

『万鄂王作戦』の開始を十分後に控え、ラー・カイラムとアークエンジェルの両艦は、中国福建省の省都、福州市の沿岸で、作戦開始のその時を待っていた。

 有視界範囲内に、中華統一戦線や日本帝国の戦力は見あたらない。通常であれば上陸部隊を援護するため、最低でも海上戦力による支援砲撃くらいは行われるものだが、この場合は下手なことをすると弊害のほうが多い。

 αナンバーズが想定している最初の攻撃は、ラー・カイラムのハイパーメガ粒子砲と、アークエンジェルのローエングリンの平行掃射だ。

 強固な外殻で守れている突撃級BETAの群れも纏めて一掃できるこの広域粒子兵器の使用を前提とすれば、敵はむしろ固まってくれていた方がありがたい。

 下手に、援護部隊が近くにいればBETAが拡散する可能性が高まる。

 そういった理由により、中華統一戦線軍と日本帝国軍は、αナンバーズの上陸地点よりそれぞれ南北に最低百キロ以上離れた海上に待機している。

 αナンバーズの福州市上陸を確認後、中華統一戦線軍と日本帝国軍は上陸を始める算段となっている。

 作戦開始まで1分を切った今、アークエンジェルの艦橋内はさすがに張り詰めた緊張感に満たされていた。

「作戦開始30秒前、上陸予定ポイントの周囲にBETAの姿は確認できませんっ!」

 アークエンジェルのオペレーター、ミリアリア・ハウがよく通る高い声で報告する。

 ミリアリアは、元々キラ・ヤマトなどと同じ、オーブ首長国のコロニー『ヘリオポリス』の学生だ。それが、紆余曲折を歴てαナンバーズに参加し、今ではオペレーターとしてそれなりの仕事をこなすようになっている。

「意外だな。もっとBETAがひしめき合っているのかと思ったぜ」

「んなわけないだろ。BETAの大半はハイヴの中にいるんだぜ。それに幾らBETAが何百万匹もいたとしても、ユーラシア大陸は広いんだ。湾岸地域までBETAがいなくても不思議はないさ」

「そうか。朝鮮半島の甲20号ハイヴもすでにないんだもんな」

 艦橋に勤めるクルー達は、小声でそんな会話を交わしている。

 少々意外な展開ではあったが、確かに彼等が言うとおりである。ユーラシア大陸には現在、20のハイヴと数百万のBETAが存在しているが、ユーラシア大陸の表面積は、約5500平方㎞もあるのだ。

 冷静に考えてみれば分かるだろう。中国だけに限っても、BETA侵攻前は10億人を越える人間が生活していたのだ。だが、中国国内に人間が住んでいない地など幾らでもあった。
 そう考えればいかにBETAが人間よりずっと大きいとはいっても、高々数百万匹程度で、ユーラシアの大地を覆い尽くせるはずがないことが分かる。

 とはいえ、上陸地点に全くBETAがいう状況が想定外であったことも事実である。

「しっかし、そうなると火星にはどれくらいのBETAがいるんだよ?」

「ああ、映像で見ただけだけど、あそこは洒落抜きで露出している地表面積よりBETAの方が多いような有様だったからな」

「あ、でも、最近はかなり数が減ってきてるらしいぜ。本隊のハイヴ間引き作戦が結構順調に進んでるらしいから」

 クルー達の少し脱線した雑談を聞き流しながら、艦長席に座るマリュー・ラミアス少佐はラー・カイラムのブライトに通信を入れる。 

「ブライト艦長、どうしますか?」

 現時点は、アークエンジェルを旗艦とするAチームが戦闘を担当する時間帯なのだから、ラミアスが判断を下しても問題はないのだが、階級でも実績でも圧倒的に勝るブライトを差し置いて全体の指揮を執ることには、やはり抵抗がある。

 そんなラミアスの内心を知ってか知らずか、ブライトは打てば響くように、即決で答える。

『うむ。確かに、予想外だ。だが、好都合でもある。敵影が見えないのならばこのまま上陸を果たし、Aチームの戦闘部隊を展開してしまおう。その後、予想される突撃級BETAの集団突撃に遭遇した場合は、当初の予定通り両艦の広域粒子砲で片付ける。これで、どうかな?』

「はっ、了解しました」

 通信を終えたラミアスは、すぐさま艦全体に指令を飛ばす。

「本艦はこのまま上陸を敢行する。上陸後、機動兵器部隊を展開。敵影発見まで、機動兵器部隊は本艦とラー・カイラムの護衛に付け」

「了解っ!」

 戦艦アークエンジェルの操舵手、アーノルド・ノイマン少尉はそう言うと、アークエンジェルを巡航速度で前進させた。

 僅かに遅れてその隣を、ラー・カイラムが併走する。

「…………」

 海上上空から陸上上空へ。

 レーダーで周囲に敵がいない事は分かっていても、緊張の一瞬だ。しかし、幸いにしてBETAの奇襲を受けるようなこともなく、両艦は無事に福州市跡上空へとやってくる。

「よし、アークエンジェル一時停止。機動兵器部隊、出撃せよ。機動兵器部隊全機出撃後、本艦は、巡航速度で進行を再開する」

「了解、アークエンジェル停止」

「ブリッジより、機動兵器部隊へ! 全機出撃して下さい。繰り返します、機動兵器部隊、全機出撃」

 低空で停止したアークエンジェルから、機動兵器部隊Aチームの機体が次々と、不毛の荒野と化した中国大陸に降り立っていく。

「パイロットはノーマルスーツの着用を推奨。着用しない者は可能な限り、コックピットの外に出ないようにお願いします」

 オペレーターのミリアリアがそうパイロット達に注意を促す。

 中国大陸は、かつて核を用いた大規模な焦土作戦を決行した地である。その後ろくな調査もされていないこともあり、どこがどれくらい汚染されているか、分かったものではない。

 ごく短い時間でAチームに属する機動兵器、20機が大地に降り立った。

 中心に立つのは、黄色い四つ足の獣のような姿をした特徴的なモビルスーツ、ラゴゥである。

 Aチームの隊長に任命されたアンドリュー・バルトフェルドはラゴゥのコックピットから、いつも通りの陽気な声を上げる。

「さあ、みんな。リラックスしていこうか。先は長いんだ。今から緊張していては、先が思いやられるぞ」

 そう言いながら、バルトフェルドは、左手と左足を動かして、義手・義足の感触を確かめる。

 αナンバーズの技術で作られたその義手と義足は、ほとんど生身と遜色なくバルトフェルドの意に沿った動きを見せる。実に、出来が良い。その手足が偽物であることを忘れてしまうほどだ。

 だからこそ、今の今までバルトフェルドは、その義手・義足を付けることを躊躇っていた。

 とても人には言えない感傷的な理由だが、そうして手足を取り戻してしまうと、『半身』とも言うべき女を失ったことも、忘れてしまいそうな気がするのだ。

 既に一人乗り用に改造されているラゴゥの副座席を残しているのも、同じ理由だ。

「おっと、アークエンジェルが動き出した。みんな、遅れるなよ」

 バルトフェルドは、片眼の潰れた顔に人付きのする笑顔を浮かべると、チーム全体にそう声をかけ、ラゴゥを発進させる。

「行くぞ、アイシャ」

 通信を切った後に呟いた一言は、誰の耳にも入ることなく、孤独な副座のコックピット中だけに響きわたった。






 レーダーが敵影を捉えたのは、それから30分ほど時間が経ってからのことだった。

「レーダーに敵影有り。前方から高速で接近してきます。数は約300、速度は……時速120キロ?」

 報告を入れたアークエンジェルのオペレーター、サイ・アーガイルが少し驚いたような声で、報告を入れる。

 サイの疑問ももっともだ。通常、BETA群の先陣をきるのは、突撃級と相場が決まっている。突撃級の最高時速は、170キロである。元々防御力と直線移動能力だけに特化している突撃級が、このだだっ広い荒野で速度を50キロも絞っている理由が見つからない。

「本当に突撃級なの? モニターの画像は?」

「駄目です、まだ地平線の向こうです」

「そう」

 ラミアスは顎に手をやり、少し考えた。ラミアス自身の対BETA戦の戦闘経験は大したものではないが、日本帝国や香月夕呼から、この世界の対BETA戦のデータは十分に受け取り、目を通している。

 そのデータに間違いがなければ、BETAの攻撃パターンというのは、ここ30年近くほとんど変化がなかったはずだ。

 それが例え、速度の鈍化という些細なものであれ、変化があるというのは不気味である。

「いずれにせよ、軽はずみな行動は取れないわね。停止して、この場で敵を迎え撃ちます。ローエングリン発射用意!」

「了解っ、ローエングリン発射用意!」

 モニターに映る地平線にモウモウと土煙が立ち上る。突撃級の群れが来る前兆だ。やはり、突撃級か。ならば、なぜ、この平地で50キロも最高時速を落とす必要があるのか?

 敵の戦闘が地平線から顔を出した時点でローエングリンを発射するべきか、当初の予定通りもう少し引きつけて、一撃で一網打尽を狙うべきか。

 ラミアスが判断に迷ったその時だった。

『ブライトさん! マリューさん! 避けろ!』

 Zガンダムに乗るカミーユ・ビダンの絶叫が、オープンチャンネルで響き渡る。

「えっ?」

 状況が分からず、ラミアスはほんの1秒にも満たない時間、惚けてしまう。

『急速下降! 激突しても構わん! 高度を下げろ!」

 一方、ブライトの操るラー・カイラムは、一瞬のタイムラグもなく、地表に墜落する勢いで急速下降を始めた。

 二人の艦長の違いは、年期の違いと、なにより優れたニュータイプの直感に対する理解度の違いだ。

 その違いが両艦の運命を分けた。

 次の瞬間、土煙の中から伸びてきた無数のレーザー光が、大天使の名を持つ白亜の空中戦艦に突き立てられた。









【2005年4月1日、日本標準時間10時44分、中国大陸、福建省、福州市跡】

 完全な奇襲のタイミングで放たれた、BETAのレーザー攻撃。

 回避に失敗したアークエンジェルであったが、そこからのラミアスの判断は迅速であった。

「ローエングリン、てーっ!」

 圧倒的な光量に全モニターがホワイトアウトする中、ラミアス艦長は緊急回避ではなく、反撃を命ずる。

 今から急速降下で回避するより、反撃でレーザー照射源を駆逐した方が被害が少ない。

 無数のレーザー光を押す返すように、左右2門の陽電子破壊砲が野太い光を放つ。

 破壊の力を秘めた光が、地平線の彼方から迫りくるレーザー光発生源の大半を駆逐するとほぼ同時に、アークエンジェルは力尽きたように、落下し初めた。

「ッ、駄目です、制御不能っ。落ちますっ!」

「総員、耐衝撃用意っ!」

 ガツンと衝撃が走り、アークエンジェルは大地に墜落する。

「ッ! 状況、報告!」

 ラミアス少佐は衝撃で朦朧とする頭を振りながら、精一杯の大声を張り上げる。

「主機関、緊急停止中。復旧班を向かわせますっ!」

「防御装置、ラミネート装甲の廃熱限界を超えた模様です。機能不全に陥っています。なお、前方下面装甲の一部ラミネート装甲は物理的に破損」

 墜落のショックもまだ抜けないまま、アークエンジェルのクルー達は、それぞれ己の責務を十全に果たす。

「モニター回復しました。画像、来ますっ!」

 しばらくして、レーザー照射と墜落のショックでホワイトアウトしていたモニターが正常に戻り、外の情景を映し出す。

「…………」

 モニターに映し出される敵影を見たクルー達は、しばし言葉を失った。

「なに、あれ……?」

「ちょっと、反則じゃねえの?」

「いや、発想自体は凄く単純なんだけどな」

 そこに映る画像は、何も知らない者が見れば、思わず吹き出すくらいにコミカルなものだった。
 だが、少しでもBETAという存在について理解している者が見れば、全身の震えが止まらない恐怖に襲われることだろう。

「光線級が、突撃級の背中に乗ってやがる……」

 そこには突撃級の上に、足を広げて乗馬のように跨る光線級の姿があった。

 確かに、突撃級の全長は18メートルもあるのに対し、光線級の全高は3メートルほどしかない。光線級が、突撃級の背中に乗ることは、物理的にはなんの問題もない。

 まあ、人間のような二本の足しかない光線級が突撃級の背中に乗るのはかなり不安定なのは間違いない。だからこそ、突撃級は光線級を振り落とさないように、速度を時速120キロまで落としたのだと思われる。

BETAの上にBETAが乗るという状況は、地上ではともかく狭いハイヴないでは頻繁に見受けられる現象だし、要塞級が重光線級を取り囲んでまもるような、互いの特色を生かした戦術らしき行動を取ったこともある。

 そう考えれば、これは予想してしかるべき行動だったのかも知れない。ラミアス少佐は、混乱する頭の片隅でそんなことを考えていた。

 だが、今はそんなBETAの行動について詳しい考察を働かせている場合ではない。

 突撃級の速度と、光線級の射程を合わせた先発隊が、こちらに牙を剥いているのだ。

 上空から落ちたことで一時的に地平線の影に隠れているが、時速120キロで迫る突撃級+光線級BETAは、すぐにもこちらをレーザーの射程内に収めることだろう。

「アークエンジェル各員は復旧作業を続行! 機動兵器部隊は、アークエンジェルの護衛を最優先に、BETAを殲滅! 急いで!」

 ラミアスは頭を一つ振ると、大声で命令を飛ばした。




 無論、戦場に出ている機動兵器部隊Aチームの面々は、言われるまでもなく、敵殲滅とアークエンジェル護衛のために動き出していた。

「エヴァ初号機はアークエンジェル、キングジェイダーはラー・カイラムのそれぞれ前で防御態勢。攻撃は一切考えなくて良い」

「はいっ!」

「ふん、私を盾がわりにする気か。まあ、良いだろう」

 この期に及んでもなお、余裕を失わないアンドリュー・バルトフェルドの指示に、エヴァンゲリオン初号機に乗る碇シンジと、キングジェイダーを駆るソルダートJはすぐさま行動に移った。

 遙か遠方から伸びるレーザー光を、エヴァンゲリオンのATフィールドと、キングジェイダーのジェネレイティングアーマーが断固として遮る。

「よし、今のうちに背中の上に乗っているにくい奴を打ち落とすとしようか。総員、その場から攻撃。届かないからと言って無理に前に出ないように。頼むよ」

「了解っ!」

「やらせないよっ!」

 十数機のモビルスーツと二機のバルキリーが、迫り来る突撃級と光線級の群れにその銃口を向ける。

「畜生、お前達なんか、いなくなればいいんだよっ!」

 カミーユ・ビダンの操るZガンダムが、長大なハイパーメガランチャーから太く長いビーム光を撃ち放つ。

 野太いビーム光は固い外殻に覆われた突撃級もその上に乗る小さな光線級も区別なく消し飛ばす。

「そこっ!」

 更にカミーユはその卓越した感覚で、発射中のハイパーメガランチャーの銃口を横にスライドさせ、纏めて十数匹の突撃級と光線級を消し飛ばす。

「こいつは俺向きの仕事だな。いくぜぇ!」

 バスターガンダムに乗るディアッカは、長距離狙撃ライフルで突撃級を光線級ごと纏めて狙撃していく。

 その精密さと距離を考えれば、十分に驚異的と言える速さで、ディアッカは連続して狙撃を成功させる。

 だが、もっとも効率的に攻撃を繰り出していたのは、やはりキラ・ヤマトのフリーダムガンダムだろう。

「ターゲットロック……いけぇ!」

 フリーダムガンダムの丸いレーダーディスプレイに映る、無数の赤い光点をキラは桁外れのスピードでロックしていき、フリーダムガンダムの全火器を次々と放っていく。

 背面から伸びる2門のプラズマ収束ビームライフル。両腰に設置された2門のレール砲。そして右手に持つ主武器であるルプス・ビームライフル。

 五つの砲門を自在に操り、高速でロック・射撃を繰り返す。

 赤、緑、黄色。鮮やかな火線が荒野に光線を描く度に、BETAは一匹また一匹とその姿を消していった。

 無論、他のパイロット達も、ただ座して見ているわけではない。

「くそ、そこだ、当たれ!」

「カガリ様、前に出ちゃ駄目です!」

「でも、これ本当に当たらないっ!」

「ちょっと距離がありすぎるわね」

 カガリのストライクルージュと、オーブ3人娘のM1アストレイ3機が、横一列になりビームライフルを掃射し、

「いけ、フィンファンネルっ!」

「カミーユ、援護するわ」

「そこっ、当たって!」

 カミーユ小隊のフォウ、エマ、ファがそれぞれの機体の最大火力をBETAにぶつける。

「畜生、まどろっこしい。こっちから突っ込めば、あの程度俺一人で全滅させてやるのによっ!」

「貴様の馬鹿は、いつまで経ってもなおらんな。アークエンジェルの防衛が最優先という指示をもう忘れたのか」

「んだと、こらっ! 誰が馬鹿だって、もういっぺん言って見ろ!」

 相も変わらず喧嘩を続ける、イサム・ダイソン中尉とガルド・ボーマンのバルキリー乗りコンビは、バトロイド形態のVF-19エクスカリバーとVF-11サンダーボルトで、並んでガドリングガンポッドを撃っている。

 だが、当然ながらBETAもただ黙ってやられているわけではない。

 突撃級の上から、光線級がこちらに向かいレーザー光を照射してくる。

 これまでの攻撃で200匹以上の光線級を倒しているが、まだ100匹弱残っているのだ。

「チィッ、各員防御態勢っ、闇竜!」

「はいっ」

 バルトフェルドの声を受け、一歩前に進み出たのは、漆黒に塗られた女形の勇者ロボだった。

「邪魔をしないでください、シェルブールの雨っ!」

 黒い女勇者ロボ――闇竜は、背面のミサイルコンテナを起動させると、何十というミサイルを同時に撃ち放つ。

 当然放たれたミサイルは、レーザー照射を受けてその大半が撃墜されてしまい、BETAに届いたのは片手で数えられるだけだが、それで目的は達せられた。

 闇竜のミサイル掃射の目的は、攻撃ではない。一時的にでも、レーザー光の狙いをこちらから外させることにある。

 その隙に各部隊は皆、エヴァンゲリオンやキングジェイダー、ゲッターGと言ったレーザー照射に耐えられる機体の近くより、いざという時その背中に隠れられるようにした。

 
「よーし、あたしも負けないからねー。それッ! フルパワー、プライムローズの月!」

 続いて、闇竜の双子の姉に当たるもう一体の女勇者ロボ、光竜がそのピンク色のボディを誇らしげに光らせながら、闇竜の隣に進み出ると、背面アームを起動させ、メーザー砲を最大出力で撃ちはなつ。

 その一撃で、また十匹を越える光線級が、その下の突撃級もろとも消し飛んだ。





 アークエンジェルが墜落し、戦闘部隊Aチームが奮闘している頃、もう一隻の戦艦ラー・カイラムもまた、状況の確認に追われていた。

 アークエンジェルと違い、こちらは攻撃回避のため自主的に降下したのだが、その乱暴極まりない降下はほとんど墜落と大差ない。大事に至るダメージがなかったのは、艦や乗組員達の優秀さも多少はあるだろうが、大半は運によるものだろう。

 再浮上しても問題ない状態であることを確認したブライトであったが、すぐに艦の浮上を命じたりはせず、まずはアークエンジェル艦長とAチームの隊長であるバルトフェルドと通信をつないだ。

「ラミアス艦長、無事なようで何よりだ。そちらの被害状況は?」

 モニターに映ったラミアスに怪我がなかったことを確認したブライトは、そう話を切り出す。

『はっ、報告します。前方下面のラミネート装甲が小破。ラミネート装甲の廃熱機構が一時的にオーバーフロー。主機関が一時的な停止状態。主立った被害は以上です』

 すでに各部からの報告を纏めていたラミアスは、キビキビとした口調でそう答えた。

「む、つまり現在アークエンジェルは再浮上不能ということか。主機関の回復の目処は?」

 少し眉をしかめたブライトの問いに、ラミアスは先ほど同様、素早く答える。

「はい、現在主機関の再起動を最優先で行っています。復旧に向かった部隊からの報告では、復旧の目処は既に立っているとのことです。最低限、浮遊可能になるまでの時間は最短で30分、最長で1時間だそうです」

「了解した。それならば、1時間の予定で考えておこう。バルトフェルド隊長、機動兵器部隊にはこれより1時間、身動きの取れないアークエンジェルの護衛を頼みたい。援軍は必要かね?」

 即座に方針を固めたブライトは、そう言って話をラゴゥに乗るバルトフェルドに振る。

 バルトフェルドはラゴゥの背中に背負った二連ビームキャノンで光線級BETAを屠りながら、自信ありげな口調で答えた。

『いえ、大丈夫ですよ。このくらいで、予定変更の必要は感じませんな』

 ブライトの言う「援軍」とは、交代要員であるBチームの機動兵器部隊のことである。ここで彼等の手を借りるようであれば、開始僅か1時間でで万鄂王作戦』は大幅な計画修正を強いられることになる。

 アンドリュー・バルトフェルドは、無意味な強がりで部下の命を危険に晒す男ではない。それを理解してるブライトは、バルトフェルドの言葉は信じた。

「了解した。それでは、いきなり予想外の事態で申し訳ないが、この場はそのままAチームに委ねる。1時間アークエンジェルを守り抜き、その後300キロ地点到達まで護衛を頼む」

『了解しました。ちゃんと予定通り、400キロ地点までエスコートして見せますよ』

 ノルマを100キロ削ったブライトに、バルトフェルドは強気な笑顔でそう返した。

 元々、この作戦では6時間で400キロの移動作戦を4回繰り返すことで、1500キロの道のりを踏破する予定になっている。400かける4は1600。100キロ分の安全マージンがある計算になる。

 その、安全マージンをここで使っていいとブライト言い、バルトフェルドは使わなくてもいいと答えたのだ。

 バルトフェルドは戦闘を行いながら、なおも強気に言葉を続ける。

『なに、少々驚かされましたが、所詮こいつは奇襲のたぐいです。ネタが割れれば脅威とはなりません。むしろ、今後BETAがこの様な作戦をとってくれるのであれば、好都合なくらいです』

「うむ、確かに、な」

 ブライトは、すぐにバルトフェルドの言わんとしていることを理解した。

 確かに今回は、光線級を乗せた突撃級にアークエンジェルを落とされたが、最初から突撃級の上に光線級が乗っていると分かれば、対処の仕方は幾らでもある。

 時速120キロで移動し、超長距離レーザーを飛ばしてくると言えば脅威に感じるが、実はこの攻撃は、突撃級のメリットも光線級のメリットも削り合っているのだ。

 突撃級のメリットは言うまでもなくその速度である。本来は170キロを誇る突撃級が50キロも速度を落としてくれれば、砲撃を当てるのも遙かに容易くなるだろう。

 そして砲弾を迎撃するはずの光線級であるが、突撃級の背中に乗った光線級のレーザー照射は明らかに、地上で停止した状態のそれと比べると精度が落ちていた。

 良い証拠が先ほどの闇竜の『シェルブールの雨』だ。闇竜の『シェルブールの雨』は確かに単体としてはかなりの量のミサイルだが、それでもあの時点で光線級は50匹以上いたのだ。

 本来であれば、ミサイルは全て撃墜されていなければおかしい。それが、数発とはいえ撃ち漏らすとは、光線級BETA本来の能力からは、あり得ない話である。

 だが、そこでバルトフェルドは少し表情を曇らせる。

『もっとも、奇襲としては極めて有効であったことは確かです。ここからでは確認できませんが、友軍が同様の攻撃に晒されているとすれば、一抹の不安はぬぐえませんね』

 バルトフェルドの言葉に、ブライトは初めてその可能性に気がついた。

 確かに、この奇襲を中華統一戦線軍や日本帝国軍が受けているのだとすれば、とんでもない騒ぎになっていてもおかしくはない。

「トーレス! 友軍と連絡を取れ!」

 ブライトは大声でラー・カイラムの管制官の名前を呼ぶ。

「はいっ……陽動部隊に被害大! 向こうも混乱していて詳しい情報は入ってきませんが、予想外の事態があった模様です!」

「ちぃっ!」

 ブライトは、かみしめた歯の間から、呻き声を漏らした。

 まず間違いなく、こちらと同じ奇襲を受けたのだろう。

 実のところ、この攻撃の一番厄介なところは、突撃級の移動速度と光線級の超長距離攻撃力が組み合わさったことにあるのではない。

 光線級がBETA群の先陣をきること、そのものにあるのだ。

 BETAは決して味方を誤射しない。その性質があるからこそ、乱戦時には戦術機でも光線級BETAと渡り合うことが出来る。だが、敵の第一陣が光線級と言うことは、周囲にBETAという身を隠す盾がないということを意味する。

 もし最初の支援砲撃で光線級を全滅させることが出来なければ、光線級BETAは一切身を隠すことの出来ない人類軍に、遠方から思う存分レーザーを浴びせることが出来る。

「拙いぞ、下手をすれば全滅もあり得る」

 ブライトが固く拳を握る。

 その時、トーレスが再び大きな声を上げた。

「艦長! 中華統一戦線軍司令部より入電です! 読み上げます。『現在我が軍は陽動の任務を順調に遂行中。貴軍は貴軍の任務を遂行すべし』以上です」

 それは端的に言えば「お前達はこっちに構わず先に進め」という言葉だった。

 考えて見れば、当たり前の反応なのかもしれない。ブライト達αナンバーズにとってはこの作戦は、まだ20以上残るハイヴの一つを攻略するものに過ぎないし、中華統一戦線のお歴々の狙いはG元素と、国際的な地位向上にあるのだろう。
 
 だが、現場で働く中華統一戦線の軍人達にとっては、これは紛れもない「祖国奪還作戦」なのである。

 自分たちの命を心配するより、速やかな作戦の成功を願うのも不思議はない。

 ブライトは一度大きく深呼吸をして、精神を無理矢理落ち着かせる。

「……了解した。トーレス、返信をしてくれ。『了解。貴軍の武運を祈る』と」

 そう言うブライトの表情に、迷いの色は浮かんでいなかった。






 そちらの話が一段落したところで、まだ通信を切っていなかったバルトフェルドが、ブライトに話しかける。

「ブライト艦長。確認しますが、ラー・カイラムに被害は軽微と考えてよろしいんでね?」

「ああ、幸いこちらは特別これと言った被害を出していない」

「それでしたら、こちらが辺りの光線級を全滅させ次第、ラー・カイラムを浮上させて、いつでもハイパーメガ粒子砲を撃てるようにスタンバイをお願いできますか」

 ブライトの返答を聞いたバルトフェルドは、そう提案してくる。

 ブライトは少し首を傾げながら、尋ねた。

「それは、アークエンジェルの代わりと言うことか?」

 本来であれば、この時間帯は戦艦アークエンジェルが矢面に立つ時間であるが、今アークエンジェルは戦力になる状態ではない。

 ブライトの問いにバルトフェルドは首肯した。

「ええ。僕の杞憂であればいいですが、現状のまま敵の第一波を受ければ、ちょっとしゃれにならない被害が出そうですので」

 ますます分からないバルトフェルドの言葉に、ブライトは質問を続ける。

「第一波? 第一波は今対処しているのではないか?」

「いいえ。こいつらは、言うならば第零波で、本当の第一波この後に来まのではないか、と考えてまして。おかしいとは思いませんか。ここはBETAの支配地域だというのに、第一波の突撃級が僅か300匹前後だったというのが」

 ブライトもようやくバルトフェルドの言わんとしていることが理解できた。

 確かに、300という数は、突撃級の数としてはあまりに少ない。BETA群全体に対する突撃級の割合は、おおよそ7パーセントと言われている。

 もし300という数が突撃級の総数だとすれば、このBETA群は全体でも4000匹強しかいない計算になる。これは確かに、BETAの支配地域であるユーラシアのBETA群としては少ない。

 だが、この300という数が光線級の数に合わせたものであるとすれば、話は違う。光線級の割合は全体の約1パーセントだ。ここから導き出されるBETA群の総数は、3万。

 3万のBETAに含まれる突撃級の数は単純計算で2100。後、1800匹の突撃級BETAが残っている計算になる。

「なるほど、先ほどの突撃級はあくまで、新戦術である光線級の足がわりだったということか。了解した。残りの突撃級の攻撃があると想定して用意しておこう」

 物わかりの良い上官の答えに、バルトフェルドはにやりと笑い、言葉を返した。

『ご理解いただきありがとうございます。ついでに、もう一つ。BETA本隊を相手取る際、撃破優先順位を変更して、『要塞級』を1位にしてもよろしいですかね?』

 これまた、唐突なバルトフェルドの提案に、ブライトはもう一度首を傾げる。

 本来要塞級の撃破優先順位は、重光線級、光線級に継ぐ3位である。

 確かにその60メートルを超す巨体と、溶解液を発する長い触手はなかなかの脅威だが、レーザー属種と比べれば、遙かに組みやすい相手だ。

 だが、ブライトはバルトフェルドの次の言葉を聞き、その認識を一変させるのだった。

『いえ、こいつは僕の杞憂に過ぎない可能性が高いんですけどね。BETAの新戦術の組み合わせが、光線級と突撃級だけに限定されていればいいですが。万が一、要塞級の上に光線級が乗って、レーザー攻撃を加えられたら、さすがにちょっとしゃれにならないのではないか、と思いました』

「ッ!」

 バルトフェルドの言葉に、ブライトは思わず息を呑む。

 乱戦において、光線級がさしたる脅威とならないのは、他のBETAが邪魔をしてレーザー照射を行うチャンスが中々ないからだ。

 しかし、もし光線級BETAが全高60メートルの要塞級の上に乗り、そこからレーザー攻撃を行えば。

 αナンバーズの機体は、モビルスーツで、20メートル弱、特機ならば50メートル近くある。対して、BETAの本隊の主力である要撃級の全高は12メートル。戦車級の全高は僅か2,8メートルしかない。

 60メートルの高所から20メートルの目標を撃つのに、12メートルや2,8メートルの障害は、ほとんど障害の役割を果たすまい。

「了解した。その辺りは、現場の判断に任せる。トーレス、念のため、中華統一戦線と日本帝国軍にも今の情報を送れ。懸念が当たれば、向こうにも大被害が生じるぞっ!」

 戦術機の全高は、モビルスーツとほぼ変わらない。条件は、αナンバーズと同じと考えて良い。

「了解しましたっ!」

 事の重大性を理解したトーレスは、慌てて友軍に通信を送るのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その2
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2010/11/10 03:37
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第五章その2



【2005年4月1日、日本標準時間11時30分(万鄂王作戦第一段階)、踏破距離50キロ地点(残り1450キロ)】

「ッ、敵影捉えました。八時の方向より、数……約2万5000。接敵まで20分」

 オペレーターからの報告に、戦艦ラー・カイラムの艦長席に座るブライト・ノア大佐は、舌打ちを堪えて、戦艦アークエンジェルの艦長、マリュー・ラミアスに通信をつなぐ。

「ラミアス艦長、そちらの状況は?」

『駄目です。再浮上まで、30分はかかります』

 モニターに映る栗色の髪の美女は、焦りを押し殺した声でそう言葉を返す。接敵まで20分なのに再浮上までは30分。つまり、最低でも10分間、戦艦アークエンジェルは浮遊不可能な状態で、BETAの攻撃に曝されるということだ。

 ブライトは、今度は舌打ちを堪えきれなかった。

「ちぃっ、そうそうこちらの思うとおりには進まんか。やむを得ん、鋼鉄ジーグとルネ・カーディフ・獅子王は至急アークエンジェルに移り、艦最下層域で防衛に当たってくれ。

 同時にゲッターGはゲッターライガーに変形し、アークエンジェル直下の地中に待機。地中侵攻に備えろ。それ以外のAチームの機体はバルトフェルドの指揮下で、アークエンジェルを防御しろ」

『了解っ!』

 即決したブライトの命に、各機から矢継ぎ早に諾の返答が返る。

 迫り来るBETA主力部隊。未だ動けない戦艦アークエンジェル。アークエンジェルの護衛に回る、ルネと鋼鉄ジーグ。

 戦況は大きく動き出そうとしていた。





 戦艦ラー・カイラムの前で防御姿勢を取っていたキングジェイダーは、メガフュージョンを一時的に解き、超弩級戦艦ジェイアークへと変貌を遂げると、小さな地響きを立ててゆっくりと着陸した。

「行くのか。油断するなよ」

「はっ、誰に言ってるんだい」

 気遣うように声をかけるソルダートJに、ルネは強気な声で言葉を返す。

「ああ、そうだな」

 強気な相棒の答えに、赤の星のサイボーグ戦士は、鷲鼻の下の口を笑みの形に歪め、左腕を顔の前に掲げる。

 それに答えるように、ルネも軽く拳を握った右腕を掲げる。

 赤い宝石――Jジュエルが埋め込まれたソルダートJの左腕と、緑の石――Gストーンが埋め込まれたルネの右腕が、カツンと音を立てて軽くぶつかり合う。

「行ってこい」

「ああ、そっちも油断するんじゃないよ」

 ソルダートJに見送られ、艦を降りたルネは、土煙を上げながらアークエンジェルへと向かうのだった。





「よし、それじゃ行くとするか」

 同じ頃、ラー・カイラムの格納庫では、急きょ要請を受けた司馬宙がハッチが開くタイミングを見計らっていた。

 本来Bチームである宙にとってはこれは予定外の出撃命令だが、問題はない。サイボーグである宙の体は生身の人間より無理がきくし、この状況で自分とルネに声がかかる理由は十分に理解している。

 不時着したままのアークエンジェルがBETA本隊の接敵を許せば、怖いのが小型種の艦内侵入だ。無論、アークエンジェル内部にもそれなりの保安部隊はいるが、それはあくまで対人戦を想定したものでしかない。

 兵士級や闘士級、ましてや戦車級BETAを相手取るには力不足と言わざるを得ない。

 戦艦内部で戦えるサイズで、BETA小型種くらいはものともしないだけの戦闘力を有する者。その条件を満たす者は、この場には二人のサイボーグしかいない。

「ハッチを開けるぞ、鋼鉄ジーグ」

「おう、頼む」

 整備員の声に宙は元気よく返事を返す。次の瞬間、カタパルトデッキに繋がるハッチが開き、暗い格納庫に乾いた風が吹き込む。

 宙はその強い風に負けず、しっかりと踏ん張りながらグローブを填めた両拳を胸の前でガツンとぶつけ合い、叫んだ。

「チェンジ、ジーグヘッド!」

 一瞬にしてサイボーグ司馬宇宙は、鋼鉄ジーグへと変貌を遂げる。ただし、頭部だけだ。

 どうせ今求められているのは、アークエンジェル内部で戦えるサイボーグとしての体だ。鋼鉄ジーグのボディは邪魔なだけである。

「うおお、行くぜぇ!」

 頭部だけの鋼鉄ジーグは、フヨフヨとカタパルトデッキから飛び立っていった。





「いくぞ、隼人。オープンゲット!」

「おうっ、チェンジ、ゲッターライガー!」

 深紅のゲッタードラゴンが、三機のゲットマシンに分離を果たしたかと思うと、青を基調としたスマートなロボット――ゲッターライガーに変貌を遂げる。

 空のゲッタードラゴン、海のゲッターポセイドンに対し、ゲッターライガーは陸を主戦場とする。火力においてゲッタードラゴンに一歩も二歩も劣るため、今一出番が少ないライガーであるが、そのポテンシャルは決して低い物ではない。

 特機には珍しくゲッターライガーは回避力が高く、特機であるため防御力もそれなりに高い。

 故に、ゲッターライガーはαナンバーズの機体の中でも有数の「落ちにくい」機体である。
 だが、それ以上に特筆すべき特徴は、その移動速度だろう。ゲッターライガーの最高速度は実にマッハ3を記録する。陸を主戦場とするゲッターライガーなのだから、当然それは『飛行速度』ではない。『走行速度』、地上を走る速度である。

 音の三倍の速度で地上を走る、全高50メートルの二足歩行ロボ。果たして開発者はこのロボのポテンシャルを、何処で発揮させるつもりだったのだろか? 考えると色々恐ろしくなる。少なくとも、市街地防衛戦では間違っても全力を発揮してもらいたくない。

「いくぜ、ライガー!」

 ゲッターライガーのメインパイロット、神隼人はライガーの左腕のドリルアームを地面に向けると、盛大な土煙を上げて土中侵攻を開始した。

 土埃が収まった後にはすでに、ゲッターライガーの姿はない。

 土中に潜ったゲッターライガーは、地上を走るのと大差ない速度で土中を進み、あっという間にアークエンジェルの真下までやってくる。

「さあこい、BETA共。相手をしてやる」

 ゲッターライガーのパイロット、神隼人は孤立無援の土中で不敵な笑みを浮かべるのだった。









【2005年4月1日、日本標準時間11時50分(万鄂王作戦第一段階)、踏破距離50キロ地点(残り1450キロ)】

 BETA主力部隊との交戦が始まった。

 推定2万5000のBETA。数だけを聞くととてつもないが、全体の45パーセントが戦車級、30パーセントが兵士級と闘士級である。

 戦車級はともかく、兵士級と闘士級は、特機はもちろんのことモビルスーツやバルキリーにも有効な攻撃手段を持たない、本来ならば無視しても良い存在だ。

 しかし、今この時ばかりは、全高3メートルにも満たない、非力な兵士級と闘士級が十分な脅威となっていた。

 戦艦アークエンジェルが不時着しているのだ。もし、一匹でも内部への侵入を許せば、最悪アークエンジェルが機能不全を起こしかねない。

 アークエンジェルとラー・カイラム。この二隻の戦艦は、αナンバーズのパイロット達にとっても生命線だ。補給物資を満載した移動基地とも言うべきこの両艦の存在がなければ、さしものαナンバーズも長時間戦闘は難しい。

 戦艦アークエンジェルが再浮上可能になるまで後十数分。
 決して長い時間ではないが、2万5000匹のBETAから動けない戦艦を守るという任務の過酷さを考えれば、短いとも言えない。

 部隊長のアンドリュー・バルトフェルドが、レーダーマップ上でAチーム全体の動きを把握しながら、命令を下す。

「来るぞ、各員小隊単位で敵殲滅にあたれ。ただし、エヴァ初号機とキングジェイダーはこれまで通り、アークエンジェル、ラー・カイラムの前で防御態勢を崩すな」

『了解っ』

 本格的な戦闘が始まった。




――バルトフェルド小隊――

「重レーザー級に気をつけろ。ヤバイと思ったらすぐにエヴァ初号機のATフィールド圏内に避難するんだ」

 常時警告の声を飛ばしながら、バルトフェルドは自らは積極的な攻撃には打って出ず、全体のフォローに徹していた。幸いにして、直属の部下であるバルトフェルド小隊のメンバーは、イザーク・ジュールが操るデュエルガンダムと、ディアッカ・エルスマンの駆るバスターガンダムである。

 どちらも高い火力と、PS装甲という心強い特殊防御能力を有した非常に頼りになる機体である。

 特に、PS装甲の存在は大きい。エネルギーを大幅に消費するため過信は禁物だが、PS装甲は実弾系の攻撃をほぼ無効化する。さすがに要塞級の踏みつけや、突撃級の突進まで完全に無効化出来るわけではないが、PS装甲持ちの機体に致命傷を与えうるBETAの攻撃は、レーザー照射のみと言い切っても過言ではない。

「おおっと、いかせねえぜっ!」

「ふん、この程度っ!」

 ディアッカのバスターガンダムが、腰の左右に装備した350㎜ガンランチャーと94㎜高エネルギー収束火線ライフルで分厚い弾幕を張り、イザークのデュエルガンダムが、弾幕をかいくぐったBETAを右手のビームライフルと、肩の115㎜レールガン『シヴァ』で駆逐する。

 それもかいくぐる小型種はいっそ接近するに任せて、近づいたところを無造作に踏みつぶしていく。

 特機と比べてモビルスーツは小さいとは言っても、それでも全高20メートル弱はあるのだ。全高3メートルに満たない兵士級や闘士級、全高3メートル弱、全長にしても5メートルに満たない戦車級程度ならば、蹴ったり踏んだりするだけで十分に仕留めることが出来る。

 無論、こんな乱暴な対処方法が取れるのも、両機がPS装甲で守られているからだ。戦車級の噛みつきをエネルギーが続く限り無視できるPS装甲の存在は、極めて大きい。

「その調子だ、お二人さん」

『ふん、当然だっ!』

『へっ、俺達だって伊達に『赤服』を着てないですからねっ!』

 バルトフェルドのお褒めの言葉に、イザークとディアッカは余裕のある声で返事を返すのだった。





――キラ小隊――

 PS装甲で守れていると言えば、ここにさらに反則の機体が2機ある。

 キラ・ヤマトのフリーダムガンダムと、アスラン・ザラのジャスティスガンダムだ。この2機の動力源は核エンジンだ。その発電量と稼働時間は、消費に対し供給多可とも言えるほどの代物であり、実際この2機は全身を戦車級に集られようが、理論上は一切ダメージを受けることがない。

 その利点を生かすべく、キラはフリーダムガンダムを仁王立ちさせたまま、ひたすらマルチロックと同時砲撃を繰り返していた。

「ターゲットロック、いけっ」


 コックピットに座るキラの目は、先ほどから全く動いていない。まるで、焦点が合っていないようなぼうっとした目で、レーダーと有視界映像を同時に捉え、平行する二つの情報を脳内で瞬時に整理し、最適の砲撃を繰り返す。

 本来フリーダムガンダムは、重火力と同時に高速起動を誇る機体なのだが、重レーザー級が点在するこの戦場に、モビルスーツ程度の防御力で飛び回るのは自殺行為だ。同じモビルスーツでも、ヒイロ・ユイのウィングガンダムゼロのようなガンダニュウム合金製モビルスーツならば、多少の無理も利くだろうが、こと光学兵器に対する防御力に関しては、αナンバーズの基準ではフリーダムガンダムもそう高い物ではない。

「やらせない」

 キラの両手がピアニストのように踊り、ロック、射撃を繰り返す。僅かな間に、レーダーに映る光点は劇的に減少していく。

 キラが主に狙っているのは、重レーザー級と要塞級だ。

 フリーダムガンダムのビーム兵装ならば、例えターゲットが多少他のBETAの影に隠れていても前のBETAごとターゲットを駆逐できる。

 しかも、BETAのレーザー属種は射線上に他のBETAがいる状態では絶対にレーザー照射を行わないので、こちらとしては実に気が楽である。

 フリーダムガンダムに碌なダメージを与えられず、フリーダムガンダムの攻撃に対しては有効な盾にも慣れず、そのくせ重レーザー級のレーザー照射の妨げとなる他のBETA達。

 はっきり言って、フリーダムガンダムと重レーザー級の関係だけに限って言えば、他のBETAの存在は全面的にフリーダムガンダムに味方している。

 とはいえ、今のキラ達に求められているのは、重レーザー級や要塞級だけでなく、全面的なBETAのシャットアウトである。

 キラが遠距離の大物食いに終始している分、迫り来るそれ以外のBETAの対処はパートナーであるアスラン・ザラの双肩にかかっていた。

『その調子だ、キラ。周りは俺に任せろ』

 アスランのジャスティスガンダムは防衛担当地域を縦横無尽に駆け回り、迫り来るBETAを次々と屠る。

 その際に、有効に使用されるのがMS支援空中機動飛翔体、通称『ファトゥム-00』だ。

 普段はジャスティスガンダムの背面に収納されているこの装置は、大型のフライトユニットであり、本隊から切り離して遠隔操作が可能な兵装である。

 分離型オプションとしては極めて高い機関出力と砲撃能力を有しており、この『ファトゥム-00』を有効に活用することによって、アスランは1人で事実上2人分の防衛を担当できる。

『通すか、くらえっ!』

 ジャスティスガンダムはその両肩に収納されたビームブーメラン『バッセル』を起動し、勢いよく投擲する。

 ピンク色のビーム刃で彩られたブーメランは、高速で回転しながら、弧を描きBETAの群れを纏めて切り裂いた。





――カガリ隊――

 カガリ小隊は、カガリ・ユラ・アスハの乗るエールストライクルージュとオーブ3人娘の駆る3機のM1アストレイからなっている。

 4機のガンダムタイプモビルスーツは、横一列の陣形を築き、迫り来るBETAの群れをビームライフルの掃射で食い止めていた。

『あー、このっ!』

『うわあ、そこっ!』

『やだ、全然減らない』

 アサギ、マユラ、ジュリのオーブ3人娘は悲鳴じみた声を上げる。

 連続して放たれる桃色のビーム光は、BETAの大群を圧倒的な破壊力で駆逐し、その侵攻を押し止める。しかし、アサギ達の技量は、キラやカミーユ等と比べれば数段劣る物でしかない。小型種の撃ち漏らしが出るのは必然とも言うべきで事であった。

 というよりも、総勢2万5000のBETAを相手に、20機前後の機動兵器で「水も漏らさぬ防衛ラインを築け」と命令する方がおかしいし、実際その命令を実行できているαナンバーズパイロットの大多数の方がおかしい。

「落ち着け、お前達。近寄る小型種はイーゲルシュテルンで対応しろっ!」

 部下達に比べればまだ腕の立つカガリは、自らもビームライフルでBETAを駆逐しながら、そう指示を飛ばす。

『は、はい、カガリ様ッ』

 3機のM1アストレイは、75㎜頭部バルカン『イーゲルシュテルン』で足下に群がる小型種を駆逐する。特に気をつけなければならないが、戦車級BETAだ。ストライクルージュと違い、PS装甲が施されていないM1アストレイにとって、戦車級に集られることは死を意味する。

 小隊内で唯一PS装甲持ちの機体に乗っているカガリは、他の3機より一歩前に出て積極的に近づく小型種を駆逐する。

「このっ、私だってッ!」

 しかし、やはりどうやっても小型種の撃ち漏らしは出る。小隊員のM1アストレイにとって脅威となる戦車級を優先して狙う分、それ以外の小型種――闘士級、兵士級への対処がおろそかになる。

『無理はするな、アークエンジェルの中にはルネと鋼鉄ジーグがいるんだ。もう少し気を楽に持て』

 カガリの精神的な不安定さを見て取ったバルトフェルドが、そう通信を入れるがカガリの耳には届かない。

「ああ、クソ、この野郎!」

 カガリは、ストライクルージュの横を抜けて行った闘士級を逃すまいと、その場で機体を反転させる。

「いかせるかっ!」

 ストライクルージュのビームライフルは、防衛ラインを抜けようとしていた闘士級をかすめただけで欠片も残さず消滅させた。

 そして、そのタイミングに合わせたように、反転したカガリの目の前で、戦艦アークエンジェルがゆっくりと浮上を始める。

 どうやら、もっとも辛い時間帯は終わったようだ。

「よしっ、やったぞ!」

 思わずカガリはストライクルージュの中で操縦桿から手を離し、グッと拳を握りしめる。機体を反転させたまま、つまりBETAの大群に背中を向けたままで。

『危ない!』『カガリ様!』『避けて!』

「えっ?」

 小隊員達の悲鳴に、カガリが後方に意識を向けたときには既に遅かった。いつの間に接近されたのか、カガリの乗るストライクルージュのすぐ真後ろに、要撃級BETAが迫っている。

「しまっ……!」

 慌てて振り向くカガリがシールドを掲げるが、それより一瞬早く鋭く尖った要撃級の右爪が、ストライクルージュの腹部に叩き込まれる。

「グッ……」

 強い衝撃にコックピットが揺さぶれ、一瞬カガリはグッと歯を食いしばる。

「こいつ、よくもやったなっ!」

 お返しとばかりにカガリのストライクルージュが要撃級に銃口を向けるが、その銃口からビーム光が放たれるより早く、横から飛んできた黄色の二連ビームが要撃級を一撃で屠る。

「えっ、あれ?」

 拍子抜けしたカガリがモニターに目をやると、そこにはAチームの隊長であるアンドリュー・バルトフェルドの狩るオレンジ色の四つ足モビルスーツ、ラゴゥの姿があった。

「す、すまん、助かった」

 フォローされたことに気づいたカガリは、通信機のモニターに映る片眼の男に礼を述べる。

 同時に計器を確認するが、機体ダメージはないに等しい。要撃級の前腕攻撃くらいでは、PS装甲を抜くことは出来なかったようだ。

『説教は後だ』

「ぐっ……」

 苦笑混じりのバルトフェルドの言葉に、カガリはとっさに出そうになった文句を呑みこむ。横を抜けた敵に執着し、不用意に反転したという行為は、確かに説教に値する。それが理解できないカガリではない。

 その表情からカガリが反省していることを理解したのか、バルトフェルドはそれ以上カガリには何も言わず、オープンチャンネルでチーム全体に指示を飛ばす。

『よーし、防衛任務はいったん停止だ。以後、小隊単位で敵殲滅にあたれ。ああ、後撃破優先順位を再度変更だ。優先順位1位が重レーザー級、2位が要塞級だ。あまり、ゲッターチームに負担をかけないようにな』

 アークエンジェルの浮上の後、アークエンジェル直下の地中で守りについていたゲッターライガーはすぐに地上にその姿を現していた。そして今は、空中戦用のゲッタードラゴンに変形を遂げ、アークエンジェルの盾を務めている。

 本来もっとも盾役に相応しいのは、碇シンジの乗るエヴァンゲリオン初号機であるのだが、生憎エヴァは空が飛べない。浮遊するアークエンジェルの盾役は難しい。

 ゲッタードラゴンは特機の例に漏れず、十分に強力な防御力を有した機体であるが、エヴァシリーズの『ATフィールド』や、キングジェイダーの『ジェネレイティングアーマー』のような防御フィールドで守られているわけではない。過信は禁物だ。

 幸いにして、バルトフェルドが懸念していた『要塞級の上にレーザー級が乗る』という戦術は今のところ確認されていない。まあ、このBETA群にそもそもレーザー級が含まれていないので、そのバルトフェルドが警戒している戦術がBETAに存在しないとはまだ言い切れないのだが、当面の所は意識から外して良いだろう。

 Aチームの各小隊は、バルトフェルドの指示を受け、即座に攻勢に転じる。アークエンジェルの防衛という枷さえなくなれば、αナンバーズにとってこの戦場は死地と呼ぶような代物ではない。





――碇シンジ・エヴァンゲリオン初号機F型装備――

「十一時方向のBETA群を纏めて吹き飛ばします。距離を取ってくださいっ!」

 一時的に盾役から解放されたシンジは、オープンチャンネルでそう通達すると、エヴァンゲリオン初号機の手に持つ全領域兵器『マステマ』を、BETAがもっとも密集している方向に向ける。

『マステマ』は全領域兵器の名の通り、複数の機能を有した複合兵器だ。

 遠距離の敵は『大型機関砲』で打ち倒し、近距離の敵には高振動粒子の刃、『プログレッシブ・ソード』でなぎ倒す。

 だが、今シンジが放とうとしているのはそのどちらでもない。全領域兵器『マステマ』の切り札とも言うべき攻撃。N2ミサイルが今放たれる。

「そこっ!」

 高速で放たれたN2ミサイルは、BETA群の真ん中に着弾し、十字架型の爆炎を巻き上げる。

「よしっ!」

 シンジは、思わず声を上げた。予想以上の大戦果だ。今の一撃で滅したBETAの数は、1000匹は下らないだろう。

 だが、珍しく興奮気味の声を上げるシンジの元に、少し顔を引きつらせたバルトフェルドが通信を入れる。

『シンジ君、今のミサイル。途中で迎撃されたらどうなってたのかな?』

「……あっ!」

 バルトフェルドの言葉に、シンジは自分が行った行為の軽率さを理解する。

 主にキラ・ヤマトとカミーユ・ビダンの活躍により、重レーザー級の大半は仕留められているが、完全殲滅宣言はまだされていない。

 無論、N2ミサイルは大昔の爆弾ではない。途中で迎撃されたからといって、必ずしも至近距離でその爆発が十全に威力を発揮する訳ではないのだが、危険な行為であったことは間違いない。

 率直に言えば、さしものバルトフェルドも少々肝を冷やした。 

「す、すみませんっ!」

『後で、オーブのお姫様と纏めて説教だな』

「……はい」

 すっかり反省したシンジの様子に、バルトフェルドはいったん言葉を切る。ここはまだ戦場で、シンジのエヴァンゲリオン初号機は守りの要と言うべき存在だ。あまり、落ち込まれても困る。

『さあ、油断せずに行こう』

 バルトフェルドはシンジの緊張をほぐすように、ことさら朗らかな口調でそう言うのだった。










【2005年4月1日、日本標準時間12時11分(万鄂王作戦第一段階)、踏破距離50キロ地点(残り1450キロ)】

 Aチームの努力により、アークエンジェルが無事再浮上を果たした頃、戦艦ラー・カイラムの食堂では、戦闘部隊Bチームに所属するパイロット、衛士達が軽食を取っていた。

「あまり大したものは出来なかったが、まあ今のうちに腹に入れておいてくれ」

 そういってテーブルに料理を並べるのは、色つきゴーグルで顔を隠した金髪の男、レーツェル・ファインシュメッカーだ。

 レーツェルは手慣れた様子で、作りたての料理をテーブルに並べていく。

 大皿に盛られたおにぎり。プラスチックの容器に入ったサンドウィッチ。深皿に入れられたパニ。そして、卵立てに立てられたバロット。

 レーツェルの言うとおり、比較的手間のかからない簡単な料理ばかりだが、それらは全て天然食である。この世界の基準で言えば、十分『贅沢』と言えるだろう。

「うむ、もらおうか」

 早速レーツェルのパートナーであるゼンガー・ゾンボルト少佐は、深皿から乾燥したパニを数匹纏めて取り、口に入れる。

 それを合図に、他のパイロット達も次々と料理に手を伸ばす。

「やった、レーツェルさんの料理だっ!」

「こら、アラド! 何一人で、三つも持ってるのよっ! 行儀悪いマネは止めなさい!」

「よし、俺も食っとくか。腹が減っては戦は出来ぬってね」

「フッ、食い過ぎて腹を壊すなよ、忍」

「うるせえな。お前はいちいち一言多いんだよ、亮」

 αナンバーズの面々が遠慮なく料理に手を伸ばしている間も、まだ場馴れしていないのか、神宮司まりも少佐を筆頭とした伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊の面々は、気後れしたように料理ののったテーブルを遠巻きにしていた。

 その様子に気づいたBチーム隊長、サウス・バニング大尉はまりものそばまでやってきて声をかける。

「少佐。どうぞ、大したものはありませんが、遠慮なく召し上がってください」

 きっちり踵と踵をくっつけて、直立したままそう言うバニング大尉の言葉に、まりもはいつの間にか部下達が全員こちらの見ていることに気がついた。

 まりも一度わざとらしく咳払いをすると、

「ありがとう、大尉。お前等、せっかくご厚意だ。頂いておけ」

 そう言ってまず、まりもは自分がテーブルに歩み寄り、卵立てごとバロットを手に取る。

「はいっ」

「いただきます!」

 上官の許可を貰った千鶴や壬姫達は、早足でテーブルに駆け寄り、おにぎりやサンドウィッチに手を伸ばす。

 最近はαナンバーズのおかげで横浜基地でも嗜好品はそれなりに美味しい物にありつけるようになっているが、さすがに日常PXで振る舞われる米やパンは全て合成品だ。

 こうして天然食にありつける機会は素直に嬉しい。

「あー、お前等。食べるのかまわんが、私達は今から4時間後に6時間の戦闘を行うのだぞ。強化装備の限界を忘れるな」

 念のため、まりもは千鶴達にそう警告した。

 食事中と言うことを考慮し、言葉はぼかしたがまりもが言ったのは、「トイレの問題」である。 

 まりも達は既に強化装備姿を着込んでいる。この衛士強化装備という代物は、非常に優秀ではあるが、幾つか弱点がある。その一つが、『排便機能の限界容量が小さい」という点だ。

 そのため、本来衛士が戦闘時に食べる合成食品には、排便量を抑える薬剤が添加されている。しかし、今まりも達が食べているαナンバーズの食べ物にはそのような薬剤が入ってない。

 もっとも、これは4時間もあれば一度強化装備を脱いでトレイに行くことも出来るし、その後の戦闘時間も6時間程度ならば、そう深刻な事態にはならないだろう。

「は、はいっ」

「うわっ、そうだった」

 それでも万が一の事を考えてしまったのか、千鶴達の食べるペースは若干遅くなった。

 意外とリラックスしている部下達の様子に、まりもは少し笑みをこぼす。

「喜んでいただけたようで幸いです、神宮司少佐」

「騒がしい部下達で申し訳ない、バニング大尉」

 まりもは、バニング大尉の言葉に苦笑しながら返事を返す。

「いえ、この状況で食事が喉を通るというのは、強い精神力の現れでしょう。見事なものです」

 そういうバニング大尉の言葉は、嘘ではない。戦艦の中とはいえ、ここはすでにBETAの支配地域で、外では仲間達が今も戦闘を繰り広げてる真っ最中なのだ。

 ヤワな者ならば、緊張で飲食物が喉を通らなくなっていてもおかしくはない。

「はは、あまりおだてないでやってくれ。増長されても困る。しかし、それにしてもいきなりのハプニングにも大事がなかったようでよかった」

 まりもはそう言って、バニング大尉に笑いかけた。

 まりも達Bチームはつい数十分前までは、全員格納庫で待機状態だったのだ。食堂に来たのは、アークエンジェルが再浮上に成功した後のことである。

「ええ。アンドリュー・バルトフェルドは自分などより遙かに優れた指揮官ですし、Aチームのパイロット達も凄腕揃いです。あれくらいのハプニングは許容範囲内でしょう」

 バニング大尉は「もっともこちら同様、問題児ぞろいではありますが」と付け加えて苦笑した。

「そうか、信頼しているのだな」

 まりもは卵の殻を割り、小さなフォークですくったバロットを口に運びながら、そう言う。

「はい」

 ここは謙遜すべきではないと感じたバニング大尉は、胸を張ってまりもの言葉を肯定する。

「大丈夫です、神宮司少佐。我々αナンバーズの損耗率は機動兵器パイロットだけで計算しても、年1パーセントを切っています」

 バニングはそう言って、今日初めて共同作戦をとる1階級上の戦友を勇気づけた。

「そ、そうか、それは心強いな」

 バニング大尉の言葉に、まりもは内心の驚愕を押し殺し、笑顔を浮かべて頷き返す。

 実際の所は心強いなどというものではない。年間損耗率1パーセント未満というのは、一年間の間に戦死や戦傷で戦線離脱する人間が100人に1人もいないということだ。

 一度の戦闘で、衛士損耗率が2割越えが当たり前、5割越えも珍しくない過酷なBETA戦を生き延びてきたまりもの感性では理解しがたい。

 だが、バニング大尉の言葉が事実であるのならば、それは歓迎すべき事だ。

 これ以上部下を失わずにすむのならば、それに勝る喜びはない。まして、この神宮司隊の面々は、全員まりもが直接指導した教え子達なのだ。

「だれも死なせたくないものだ……」

「はい、同感です」

 誰にも聞こえないように口の中だけで呟いたつもりだったが、隣のバニング大尉から肯定の返答が返る。

「…………」

「…………」

 その後、2人の部隊長は軽食を腹に収めながら、心地よい無言の空間を共有するのだった。










【2005年4月1日、日本標準時間13時21分、横浜基地地下19階、香月夕呼研究室】

「まずいわね。なにがまずいって、なにがまずいか判断が付かない状況がまずいわ」

 中国大陸で甲16号・重慶ハイヴ攻略戦が繰り広げられている頃、香月夕呼は横浜基地の自室で近々持ち上がるであろう問題に、頭を悩ませていた。

 悩みの種を持ってきたのは他でもない、αナンバーズ全権特使大河幸太郎である。

 昨日、大河が「後日、『00unit data』について話し合いの場を設けたい」と言ってきたのだ。

『00unit』と言う名称が知られている以上、あの時『クォヴレー・ゴードン』とやらが送ってきたデータは、αナンバーズにも傍受されていたと考えるべきだろう。

 だが、相変わらずαナンバーズの出方が解らない。

 あのデータから、夕呼の計画をどこまで正確に予想しているのか?

 そして、彼等はどのような方向に干渉しようとしているのか?

 大河幸太郎は「人の命がかかわっているのならば、我々としても協力は惜しみません」と言っていたが、その言葉もどこまで信じて良いか解らない。

 これがαナンバーズ以外の組織人の口から出た言葉ならば「全く信用がならない」と決めつけられるのでいっそ楽なのだが、αナンバーズの場合はそれなりに高い確率で本気で言っているという可能性がある。

 今日までの付き合いと分析の結果、夕呼はαナンバーズという組織をそう理解している。

 だが、だからこそこの問題は厄介なのだ。αナンバーズの言動に裏があれば、まだ話は転がしやすい。打算と欲望にまみれた人間と交渉するのは、そう難しいものではない。

 問題は、αナンバーズの『善意』が本物であった場合だ。

 夕呼が『鑑純夏』に行おうとしていることは、どうひいき目に見ても人道的な行為ではない。むしろ、「人類救済のため」という免罪符がなければ、大半の人間に罵倒されてもおかしくはない行為である。

 なにせ、例え脳髄だけとはいえ現状生きている人間の全人格を量子伝導脳にダウンロードするのだ。端的にいえば殺人である。

 その行為を果たしてαナンバーズは許容するだろうか。何より、最悪の可能性はαナンバーズに「脳髄だけになった人間を元通りにする技術が存在する」場合である。

 その場合、彼等の「善意」が本物であれば、αナンバーズは『鑑純夏』を救おうとするだろう。

「鑑純夏」を00unitに使用としている夕呼。「鑑純夏」を人間として救おうとするαナンバーズ。

 夕呼の「利害」とαナンバーズの「善意」は正面からかち合うことになる。その場合、夕呼はどうするべきなのだろうか? 最悪、『オルタネイティヴ4』そのものの凍結も選択肢の一つに入れておくべきだろうか。

 夕呼の究極的な目的は、この世界の人類の救済だ。αナンバーズが人類の敵ではなく、BETAの脅威を取り除いてくれるという保証があるのならば、オルタネイティヴ4に固執する必要はない。

 もっとも科学者の常として、その場合も恐らく自分は『00unit』の研究・開発は、別なアプローチで続けるだろうが。

「はあ、駄目ね。現状で幾ら考えても答えは出ないわ」

 夕呼は諦めたようにそう言うと、椅子に座ったまま背もたれに背中を預けて天井を仰ぎ見た、その時だった。

「失礼します、着任の挨拶に参りました」

 入り口のドアがノックされ、若い張りのある女の声が扉越しに聞こえてくる。

 その声に聞き覚えのある夕呼は、だらしなく背もたれに預けていた体を起こし、壁に掛けられた時計に目をやった。

 現在、13時30分。

「あら、もうこんな時間。本当、最近時間が経つのが早いわね。いいわよ、入ってきなさい」

 その人物が本日の午後、横浜基地に戻ってくることを事前に知らされていた夕呼はそう言って、入室を許可する。

「はっ、失礼します」

 その声の主は几帳面な口調でそう言うと、入り口のドアを開け、研究室へと入ってきた。

 今から約二ヶ月前、再教育のため帝国軍基地へと送り出した腹心の部下の変わらぬ姿を目の当たりにて、夕呼は少し口元をほころばせる。

 姿勢の良い佇まい。ショートカットに纏められた栗色の癖毛。強い意志を感じさせる赤茶色の瞳。相変わらず、黒い国連軍の軍服が実によく似合っている。

 唯一二ヶ月前と異なっているのは、その軍服の襟にかざされた階級章が、大尉のものから少佐のものへと変貌を遂げている点だけだ。

 椅子に座る夕呼の前までやってきたその女衛士は、綺麗な敬礼を見せる。

「伊隅みちる少佐。現時刻をもって、原隊に復帰しますっ!」

「ご苦労様、伊隅。どう、再訓練は有意義に過ごせたかしら?」

 夕呼の言葉に女衛士――伊隅みちるは固い口調で答える。

「はっ、公私ともに有意義な時間でした」

「そ。よかったじゃない」

 口調の割りに砕けたみちるの物言いに、夕呼は楽しげに笑った。

 みちるはこの二ヶ月間、左官昇進のため、帝国軍基地で再教育を受けていたのだ。再教育を受けていた人間の中には、みちるの思い人である前島正樹の名前もあった。

 二ヶ月も思い人と同じ屋根の下で暮らしてきたのだ。再教育は辛くとも、確かにそれは有意義な時間だったことだろう。

「はっ、もっともおかげで、妹たちに会うのが少々怖いのですが」

 そういってみちるは笑い返す。みちるには一人の姉と二人の妹がいるが、みちるを含めた四人全員、前島正樹に心を寄せている。

 結果的に「抜け駆け」になった今回の再教育が、妹たちの耳に入れば穏やかではすまないだろう。

 中々面白そうな話ではあるが、今はヴァルキリーズの人事に関する通達事項を伝えなければならい。

 夕呼は少し真面目な表情で、話を切り出す。

「それじゃあ、伊隅には今まで通りヴァルキリーズを率いて貰うわ。まりもは入れ違いでまた訓練部隊の教官に戻って貰うから」

「了解です」

 今日から4月だ。新たに徴兵された若者達が、近日中に配備されることになる。交渉の結果、まりもの横浜基地訓練部隊にも、5人の衛士候補生が来ることになっている。

 かなり物足りない人数ではあるが、現在の帝国に取って衛士適性試験をパスした衛士候補生は、同じ重さの黄金より貴重な存在である。確保できただけでも御の字と言うべきだろう。

「新人の訓練が終了次第、ヴァルキリーズはA-01に名称を戻して、形式上は部隊単位も大隊になるわ。当然あんたが大隊長ね。まあ、今は促成栽培はやらない方針だから新人の卒業は早くても半年後だけどね。一応その辺を念頭に置いて、部隊の人事を考えておきなさい」

「はっ、了解しました」

 現在伊隅ヴァルキリーズは全員で14人。そこに新人5人が1人も脱落せずに加わったとしても19人。

 戦術機大隊の規定人数である36人には大幅に足りない。だが中隊の規定人数である12人よりは随分と多い。

 19人いれば、小隊が5個作られる計算だ。

 現在、小隊長をやっているのは、中隊長を兼任していた自分、速瀬水月中尉、宗像美冴中尉の三名。最低でも後二名、誰かを小隊長に任命することになる。

 四面四角に考えれば、風間梼子中尉、鎧衣美琴中尉の二人で決定だ。それ以外は全員まだ少尉なのだから、ごく当然の結論である。

 だが、そうなると当然ながら、風間梼子は長年エレメントを組んでいた宗像美冴中尉と別の小隊ということになる。

 宗像・風間のエレメントは、部隊のバランサーとして極めて有効な働きを示してくれている。エレメント解消は正直惜しい。

(一度、速瀬や涼宮の意見も聞いてみるか)

 戻ってきたばかりのみちるは、半年後の部隊編成のため、今から頭を悩まし始めていた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その3
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2011/01/22 22:44
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第五章その3



【2005年4月1日、日本標準時間16時00分(万鄂王作戦第二段階)、踏破距離380キロ地点(重慶ハイヴまで1120キロ)】

 万鄂王作戦開始からちょうど6時間。重慶ハイヴ攻略を目指すαナンバーズのA・B両チームは、踏破距離380キロ地点で一時停止していた。

 低空に空中停止する二隻の戦艦、ラー・カイラムとアークエンジェルを守るように、アンドリュー・バルトフェルドの乗るラゴゥを中心としたAチームの機体が円陣築き、周囲の警戒に当たっている。

『すみませんね、口ほどにもなくて。あと20キロ押し込めませんでした』

「いや、十分だ。よくやってくれた、バルトフェルド隊長」

 ラー・カイラムの艦長席に座るブライト・ノア大佐は、そう言ってモニターの向こうで苦笑混じりに謝罪する片眼の男を労う。

 実際、バルトフェルド達Aチームの面々はよくやっていた。

 BETAの奇襲作戦。その攻撃をもろに受けた母艦・アークエンジェルの不時着というトラブルに見舞われながら、あと20キロの所まで挽回したのだ。思ったよりBETAの襲撃が少なかったという幸運に助けられたのも事実だが、それでもこの結果は、バルトフェルド達Aチームの奮戦があったからこそだ。

『いえ、予想よりBETAの襲撃が少なかったですからね、これくらいは。ユーラシア全体のBETA総数がこちらの見積もりより少ないのならばいいですが、単にまだ外周だから少なかったのだとすれば、後半にツケを残しただけになりますね』

 この6時間でBETAの大規模襲撃は4回。BETA総数は、小型種まで含めて15万から16万。確かに、ちょっと拍子抜けする数だ。なにか裏がありそうで不気味ですらある。

 だが、ブライトは一度大きく息を吐くと、首を左右に振り、答える。

「確かに、色々と懸念事項もあるが、それはこちらで考えておく。そちらは帰還まで油断せずに、周囲の警戒に専念してくれ」

『了解しましたっ』

 バルトフェルドは、野太い笑みで答えた。






「レーダーに敵影無し」

「有視界モニター、敵影確認できず」

「Aチーム戦闘班からの報告もありません」

 オペレータからの報告を聞いたブライト艦長が指示を出す。

「よし、Bチーム各機、出撃」

「了解、ブリッジより格納庫へ告ぐ。Bチーム各機、出撃せよ。繰り返す、Bチーム各機、出撃」

 ラー・カイラムのカタパルトデッキが開き、Bチームの出撃が始まる。

 いくらレーダーで周囲に敵影がないとは分かっていても、万が一の事を考えれば緊張の瞬間だ。

「Bチーム各機はカタパルトから射出後、即座に地表に降りろ。どこにレーザー属種が潜んでいるか分からんぞ」

 ブライトが警告の声を発する最中、フライング気味に飛び出したのは、特徴的な前進翼をもつ、深紅の戦闘機――ファイアーバルキリーだった。

『へっ、待ちくたびれたぜっ。行くぜ、BETAッ! 俺の歌を聴けぇぇ!』

 ジャランとギターをかき鳴らす音が、荒野と化した中国大陸の大地に響き渡る。

『アーーーー♪』

「熱気バサラッ! 飛ぶなっ! 降りろ! ガウォーク形態に変形しろっ、死にたいのか!」

『過激にファイヤー!』

「聞いてるのかっ、おいっ!?」

 αナンバーズ機動兵器部隊Bチームはいつも通りの様子で、順調に次々とラー・カイラムのカタパルトデッキから飛び出していくのだった。





『Bチーム、全機所定位置に到着。バルトフェルド隊長、これより防衛任務は我々Bチームが引き継ぎます』

『了解、バニング大尉。では、Aチームは全機、アークエンジェルに帰還する。後はお任せします』

 A・B両チームの隊長は短く言葉を交わすと、すぐに行動に移る。

『警戒を怠るな。有視界モニター、レーダー、自分の感覚、全部に平行して気を配れッ!』

『慌てる必要はないぞ。決められた順番通りに行こう。帰るまでが任務だぞっ』

 バニング大尉達Bチームが周囲の警戒に当たる中、バルトフェルドの指示に従い、Aチームの機体はアークエンジェルのカタパルトデッキの上に飛び乗っていく。

『キラ・ヤマト、フリーダムガンダム。帰還します』

『アスラン・ザラ。ジャスティスガンダム、着艦するッ!』

 飛行可能な機体はそのまま素早く飛び上がり、

『カミーユ・ビダン。ウェイブライダー、帰還します』

 変形することで飛行可能な機体は、変形して低空を飛び、アークエンジェルのカタパルトデッキに着艦する。

『ふえぇ、体中砂だらけ。かえったら、整備の人達に水洗浄してもらいたいなー』

『光竜、少し静かにしていてください。今、集中しているのですからッ』

 一方、単独での飛行能力を持たない、光竜、闇竜はジャンプとバーニア噴射を併用し、どうにか無事に着艦する。いつも通り、光竜は足から、闇竜は頭から。

『ふめぎゃっ!』

『大丈夫、闇竜? なんで闇竜、着地が上手くならないんだろうね?』

『……知りません。炎竜お兄様に聞いてください……』

 幸いなことにBETAの奇襲はなく、Aチームの面々は全員問題なくアークエンジェルへと帰還を果たしたのだった。










【2005年4月1日、日本標準時間16時32分(万鄂王作戦第二段階)、踏破距離430キロ地点(重慶ハイヴまで1070キロ)】

 無事、護衛チームの交代を終えたαナンバーズは巡航速度での西進を再開する。

 巡航速度で飛行を続ける戦艦アークエンジェルの中では、6時間ぶりに帰還したAチームの面々が次の出撃ため、心身の疲労回復に努めていた。

 狭い艦内でできる疲労回復手段は大きく分けて三つ。風呂、飯、寝る、である。

 身も蓋もないが話だが、事実だ。アークエンジェルは月単位の単独航行を前提とした艦であるため、乗組員のストレス対策についてはかなり発達しているが、それでも所詮は全長350メートルほどの閉鎖空間でしかない。まして、休息時間が6時間と限られている以上、やれることは限られている。

 その三つの中でもっとも混雑するのは言うまでもなく、風呂――シャワーだ。

 食事は食堂に行けば誰でも好きなだけ取れるし、自室のベッドで睡眠を貪ることを邪魔する者はいない。だが、シャワールームの数は限られている。流石に、Aチーム機動兵器部隊全員が同時に浴びられるほどの数はない。

 そういった事情を考慮してか、男連中は先に食堂で食事を済ませ、一番風呂は女パイロット達に譲っていた。

「ふう……」

「ああ、気持ちいい……」

「あまりシャワーの温度を上げ過ぎちゃダメよ。体温が急上昇する恐れがあるから」

「はい」

「分かりました、エマ中尉」

 フォウ・ムラサメ、ファ・ユイリィ、エマ・シーンの3名はシャワーを浴びて髪と体の汚れを洗い流し、気持ちよさそうに眼を細めていた。

「はあ……」

 フォウ・ムラサメの短く切り揃えられたエメラルド色の頭髪が、暖かなシャワーを浴びてしっとりと濡れる。

「ん……」

 フォウはシャワーを浴びながら、裸の体を支給品の白い浴用タオルで擦り、汗と汚れを落としてく。首筋、胸元、腰回り、そして手足。温かなシャワーとタオルの摩擦で、真っ白なフォウの肌は、ほんのりと桜色に染まっていく。

「はあ、これでシャンプーやボディソープが使えれば、最高なのに」

 薄い壁越しに聞こえるファ・ユイリィの言葉にフォウは内心同意しながら、否定の言葉を返す。

「ダメよ、戦闘中はお湯だけ。そういう規則でしょ」

「それは分かっているんだけど」

 言われるまでもなく、ファもそれは理解している。

 戦闘中の入浴にソープの使用が禁止されている理由は、三つある。

 まず一つめは、もっとも単純な理由で、ソープを使うと一人当たりのシャワーの使用時間と水の使用量が跳ね上がるからだ。

 現に今も、男連中は食堂で先に食事を済ませながら、順番待ちをしている状況だ。手早く済ませなければ、全員がシャワーを浴びる時間が作れない。

 水の使用量も大きな問題である。ソープを使えばその分、その泡を流すためより多くの水を必要とする。当然ながら、アークエンジェル艦内の水の量は限られている。アークエンジェルには汚水の浄化再利用装置があり、シャワーで使用した水は再利用が可能だが、汚水の濾過・浄化にはそれなりの時間がかかる。

 短時間に複数の人間が大量に水を使うと、浄化が間に合わなくなる。

 もう一つは、戦闘直後の体というのは本人が思っている以上に疲労し、弱っていることがある、という点だ。しかも、戦闘直後の兵士は皆例外なく脱水症状気味になっている。

 そんな体にシャンプーやボディーソープを使ってしまうと、頭髪や皮膚からソープを体内に吸収していまい、皮膚に思わぬ健康被害を生じる可能性がある。たかが皮膚とはいえない。肌荒れの痛みが原因で、戦闘に集中できなければ十分にそれは命にかかわる問題である。

「贅沢言うのは止めておきましょう。戦闘中の戦艦で、シャワーを浴びられるだけでも贅沢という物よ」

 もうファの隣のシャワールームから、エマ中尉が笑いを含んだ口調でそうファを窘める。

「もちろん、それは分かってるんですけど。でも、汚れた髪を水洗いしただけだと、ギシギシいって」

「あはは、分かる分かる。指を通すとギッていうのよね」

「ええ、そうなの。それに、体も水洗いだけじゃさっぱりした気がしないし」

 裸のまま壁越しに談笑するフォウとファの姿は、年相応の少女のものだった。

 一人少し年上のエマ中尉は、苦笑混じりに会話に加わる。

「そういえば、アークエンジェルにも湯船を張った大浴場を作る計画があるそうよ。それが実現すれば、制限も多少は緩和されるのじゃないかしら」

「えっ、本当ですか、エマ中尉?」

「大浴場って、宇宙ではどうするの?」

「さあ。訓練施設のような、遠心力を使った疑似重力室にでも作るのかしら」

「へえ」

「驚きねぇ」

 エマからの予想もしない情報に、フォウとファはそろって驚きの声を上げた、ちょうどその時だった。

 グッと、船体が揺れたような感覚が三人を襲う。

「ッ、対ショック防御! どこかに掴まって!」

「きゃっ!」

「はいっ! くうっ!」

 次の瞬間、アークエンジェルがグラリと大きく揺れた。

 狭いシャワールームの中で、フォウ達はとっさに保護棒に掴まり、どうにか揺れにたえる。幸い揺れは大したものではなかった。

「ッ。今の揺れからすると、ローエングリンを使ったのかしら。二人とも、怪我はない?」

「はい、大丈夫です」

「私も、少し肘を壁にぶつけただけです」

 フォウとファの報告に、エマ中尉はホッと裸の胸をなで下ろす。

 これが戦闘中、ソープを使用してはいけない理由の三つ目である。

 もしソープを使っていたら、この程度の揺れでもまず間違いなく、三人とも転倒していたことだろう。

 無論、そのような事態を想定し、全ての壁や床に弾力のあるウレタンのような素材を使っているが、それでもこのせまいシャワールームの中で転べば、手足の関節をおかしくする可能性がある。

 エマは頭を振って髪の水滴を飛ばすと、シャワールームのカーテンを開き外に出る。

「どうやら、外では戦闘が始まったみたいね。まだ入っているつもりなら、二人とも気をつけなさい。あと、制限時間にもね。カミーユ達を待たせると悪いわ」

 そう言いながら、エマは棚からオレンジ色のバスタオルを二枚取ると、一枚を体に巻き、もう一枚で頭髪の水滴を拭き取る。

「はい、私も今出ます」

「ええ、十分です」

 程なくして、フォウとファも少し慌てた様子で、シャワールームから出てくるのだった。





 その頃、戦艦の外では、新たに押し寄せてきたBETAの群れを相手に戦闘を開始していた。

 口火を切ったのは、ラー・カイラム、アークエンジェル両艦の広域殲滅粒子兵器、ハイパーメガ粒子砲とローエングリンである。

 二艦の広域粒子砲は、上に光線級を乗せた突撃級の群れに何もさせないまま殲滅していた。

 なにせ、光線級を上にのせた突撃級の移動速度はせいぜい110キロ程度で、方向転換や加減速もほとんど行わないのだ。地平線の上から姿を現す瞬間に攻撃を重ねるのはそう難しくない。

 どうやらBETAは、突撃級の上に光線級をのせるという戦術を完全に一般化させてたようだ。幸いなことに、バルトフェルドが懸念していた「要塞級の上に光線級をのせる」戦術はまだ取ってきていないようだが。

『BETA先発隊全滅を確認。続いてBETA本隊来ます。接敵は10分後』

『来るぞ、各小隊陣形を保ち、互いのフォローを忘れるな!』

 ラー・カイラムからの管制を受け、ガンダム試作二号機に乗るサウス・バニング大尉がBチーム全体に檄を飛ばす。

『はん、やってやろうじゃないのっ!』

『承知……ッ』

『へっ、やってやるぜっ!』

『うおおっ、行くぜ、BETA、俺の歌を聴けッ『NEW FRONTIER』!」

 各小隊長達が威勢の良い返事を返す中、伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊の隊長である神宮司まりも少佐も少し遅れて部下達を叱咤していた。

『聞こえたな、お前達。来るぞ。各員、戦闘用意。エレメントを崩すなよッ!』

『了解っ!』

 部下達の手前、毅然とした面持ちを崩さないまりもであったが、視線は先ほどからチラチラと何度も友軍の機体に向けられていた。

 ある程度話には聞いていたが、彼等の機体は一体どうなっているのだろうか?

 全高20メートルほどのマンモス型機動兵器。全高10メートルほどの豹型機動兵器と獅子型機動兵器。

 それらの前に立つ6~7メートルほどの極めて小さな人型機動兵器は、鷹を模した飛行形態に変形することもあるのだという。

 事前に目を通した資料によれば、彼等『獣戦機隊』の機体はそれぞれ、ノーマルモード(戦車型)、アグレッシブモード(獣型)、ヒューマノイドモード(人型)の三形態に変形し、その上四機が合体することにより、超獣機神ダンクーガとなるらしい。

 まりもは機械の専門家ではないが、三つの変形モードと一つの合体モードを一つの機体に押し込むというのが、どれくらい滅茶苦茶な話であるかは理解できる。信じがたい超技術を信じがたい無駄な方向に発揮しているように見えて仕方がない。

 ほかにもドでかいスピーカーを背負ったロボだの、全長50メートルを超える武者鎧ロボだの、二丁の長銃身のライフルを持ちマントをはためかせたロボだの、製作者の正気を疑いたくなるデザインの機体がテンコ盛りだ。

 それでも部下の前では、厳しくも頼れる上官としての顔しか見せないあたり、まりもはよくできた軍人だった。

『来るぞっ、ヴァルキリー12。私から離れるなっ』

『はいっ!』

 まりもの凛とした声に、エレメントパートナーである榊千鶴少尉は緊張を隠せない声で答える。千鶴にとってこの戦いは、『竹の花作戦』に続く二度目の実戦である。実戦慣れなどしているはずもない。

 とはいえ、「新人だから」と甘えたことも言うわけにも行かない。神宮司隊の残りの面々、珠瀬壬姫少尉、築地多恵少尉、高原麻里少尉、朝倉舞少尉の4名も、実戦は先の「横浜基地防衛戦」しか経験しておらず、実戦経験という意味では千鶴とどっこいどっこいである。

「大丈夫、私は出来る。こんな所で躓いてたら、白銀や茜に笑われるわっ!」

 千鶴はこの場にいない伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の仲間達の顔を思い出し、気合いを入れ直すのだった。










【2005年4月1日、日本標準時間18時47分。帝都東京、帝都城城内】

 αナンバーズが順調に順調に重慶ハイヴへと侵攻を続けている頃、とっぷりと日が暮れた帝都城では、官民の技術者達と、技術部門の責任者達が集まり、特殊な会合を開いていた。

 長テーブルを箱型に設置した会議室内で、各社の責任者と技術者達が座り、帝国陸軍の軍服を着た中年の佐官が議事進行役を担っている。

「では、この計画は三社合同で行うと言うことでよろしいかな?」

「はい」

「了解です」

「それで構いません」

 中年の軍人の言葉に、日本が誇る戦術機メーカー三社――河崎重工、富嶽重工、光菱重工の責任者達は、そろって首を縦に振った。

 彼等が話し合っているのは、αナンバーズより譲渡された兵器『モビルスーツ・ジェガン』に用いられている技術の調査及び、技術習得の計画であった。

 特に肝となっているのが、モビルスーツ全ての動力源となっている核融合炉、『ミノフスキー・イヨネスコ型核反応炉』の技術解明だ。

 河崎、富嶽、光菱の三社は、初の国産戦術機『不知火』開発の際にも、共同開発という形で歩調を合わせた経験がある。

 無論、利権を求めての鍔競り合いや、各社が抱える固有技術の守秘条件など、調整しなければならない点は山ほどあるが、とりあえず全体の流れとして、足並みを揃えることに否はない。

 なにせ対象となる兵器は、彼等から見ると200年も進んだ未来技術の塊なのだ。単独で技術開発可能だとは、どの会社の人間も思っていない。

 議事進行役の軍人の目配せを受け、上座に座っていた中将の階級章をつけた初老の軍人が、コホンと一つ咳払いをして口を開く。

「では、よろしく頼む。ミノフスキー粒子の研究。ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の制作。そして、熱核反応炉を主機関に用いた戦術機の開発。三つの開発段階を平行進行して貰うことになる。

 かなり無理のある計画であることは分かっているが、すでに各国は動き出している。皆の尽力をお願いしたい」

「はい」

「全力を尽くします」

「朗報をお届けできるよう、全力を尽くす所存です」

 三社の代表達の言葉に、軍サイドは表情を動かずに頷き返した。

 それにしても、初老の中将が言うとおり滅茶苦茶な計画である。

『ミノフスキー粒子』の研究、製造方法の確立は問題ない。

 問題は、ミノフスキー粒子を自国で量産できる目算も立っていないのに、ミノフスキー粒子が無ければ成り立たない『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉』の製造に着手し、あまつさえ、その『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉』を主機関にそえた戦術機の開発も同時に進行させようという点だ。正直暴挙と言うよりほかない。

『ミノフスキー粒子』がなければ、『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉』は作れない。

『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉』がなければ、『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉を搭載した戦術機』など作りようがない。

 それなのに『ミノフスキー粒子』『熱核反応炉』『戦術機』の製造を同時進行しようとしている。

 これは、例えて言えば、ガソリンエンジンの強度に耐えられるだけの製鉄技術もない国が、一足飛ばしに国産自動車の開発に着手しようとしているようなものだ。

 しかし、その無茶を承知でやらなければならない状況が今の世界情勢であった。

 αナンバーズは原則として、『公開する技術に関しては、この世界の国、組織から特許料を取る意図はない』と明言している。

 それは、原則として歓迎すべき話であるが、同時に極めて危険な要素を孕んでいた。

 すなわち、αナンバーズの技術を最初に取得した国・組織は、その技術の国際特許を取得できる、可能性が出来てしまったのだ。

 無論、そのような事態はαナンバーズとして不本意であるらしく、『αナンバーズが公開した技術の特許は原則αナンバーズにあるが、その技術を各国・各員が独自に会得、使用する場合、αナンバーズに対し特許料も特別な届け出も必要としない』、という形に納めようとしているらしいが、現状はまだ予断を許さない。

 万が一の可能性を考えれば、ここで研究の手を緩めるという選択肢はない。

 各国は既に動き出している。

 ブラジル政府は超硬スチール合金の研究を精力的に始めているし、ドイツ政府はジムマシンガンの機構を研究し、次世代突撃砲のスタンダードを模索しているという。

 イギリスは、両腕に2本ずつヒートロッドを搭載した水中型戦術機の開発に着手したという噂があるし、アメリカにいたっては全く隠す気もなく、堂々とスペースコロニー建造のため、猛烈な勢いで多方面に渉って動き出している。

 例え、特許取得・独占という流れにならなかったとしても、このスタートダッシュでの遅れは国際競争社会において致命的なロスとなりかねない。

「何か質問は?」

 議事進行役の言葉に、各社の技術者達がパラパラと手を挙げる。最初に指名された痩せぎすで分厚い眼鏡をかけた技術者は、その場で起立すると質問を投げかけた。

「こちらの資料では、三社合同の研究施設は帝国が用意するとなっていますが、その施設にこちらで必要な資材、機材を持ち込んでも良いのでしょうか?」

「原則駄目だ。必要な資材・機材は書面で要求してくれればこちらで用意する。ただし、緊急性を要する場合、特殊な機材で自社でしか用意が難しい場合などは、特例として許可することもある」

 議事進行役の軍人がそう答えると、質問をした技術者は納得したのか「分かりました」と返事を返し、席に着いた。

「他には?」

 その声を待っていたように、さっきより勢いよく技術者達は手を挙げる。

「質問です。その研究施設には『ジェガン』や、そのオプションパーツが搬入されているのですね? それは、我々が自由にバラしても良いのですか?」

「ダメだ。非分解系のデータ取りは自由にやっても構わないが、分解は軍の立ち会いの下、三社の現場責任者がそろった場合に限ってくれ。二機目のジェガンの搬入は早くても一年後なんだ」

「それは、オプションパーツもですか?」

「いや、そっちは比較的融通してもらえる。ビームライフル、ビームサーベル、エネルギーcapカートリッジ、チタン合金と特殊セラミックの複合装甲など。その当たりはある程度そちらの好きにしてもらっても構わない」

「は、反応炉はどうなのですか?」

「反応炉の予備は二つしかない。一つは分解しても良いが、もう一つは動かしてデータを取るのに使ってくれ。なお、反応炉を分解する際の注意事項がマニュアル化されてαナンバーズから送られてきている。絶対にその指示から外れないように。
 
 当然、ジェガン本体に搭載されている反応炉は、原則手出し不可だ」

 好奇心剥きだしの技術者達の質問に、中年の佐官は逐一答えていく。

 いい年をした男達が目をきらめかせている様は少々鬱陶しいが、彼等の好奇心と探求心に帝国の未来がかかっているのだ。あまり水を差すわけにも行かない。

 ある程度、技術者達からの質問が出そろった所で、今度は軍人達が率直に質問を投げかける。

「それで、仮にキミ達の考える人員で予算の縛りがないとして、この三つの研究はどれくらいで目処が出ると考えるかね?」

「………」

 その問いに、それまでずっと威勢良く口を開いていた技術者達は一斉に口を閉ざした。

「………」

 互いに目配せをしあう、気持ちの悪い沈黙がしばし続く。

 その沈黙をため息で破り、立ち上がったのは中年から初老に差し掛かった年頃の技術者だった。

「ミノフスキー粒子その物に関しては、率直に申し上げて分かりません。あまりにも未知の存在ですから、大ざっぱなタイムスケジュールさえ明言するのは難しいです。

 逆に、「ミノフスキー粒子」さえあるのならば、反応炉の試作は比較的早い段階に完成するのではないかと思われます。『ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉』の原理は、原則我々が実験室レベルで作っていた物とそう大きく違いませんから。

 機動兵器に搭載できるほどの信頼性と小型化を両立させるのは難しいでしょうが、現在国内で稼働している原子炉の代用として、備え付けの大型『核反応型発電機』と言う形であれば、早くて5年くらいで試作第一号をお見せできるかと。

 無論、実験用の「ミノフスキー粒子」が潤沢に入手できることが大前提ですが」

 希望を見いだして良いのか、絶望した方が良いのか、何とも微妙な目算に軍部の人間はどういう表情を浮かべればよいのか、戸惑った顔で首を傾げる。

 それでも気を取り戻した初老の中将は質問を重ねる。

「そうか。では、戦術機は?」

 素人目には一番短期の成果が出そうに思えるのが、この分野だ。

 なにせモビルスーツと戦術機の大きさはほとんど同じで、形も同じ人型、その上主動力はどちらも電力なのである。乱暴な言い方をすれば、主機関だけをチョンチョンと載せ替えて調整すれば動くだけは動きそうな気さえする。

 その考えはある意味あたっていたのか、技術者は明るい表情で胸を張って答える。

「はい、そちらも比較的明るい見通しが立っています。出来るだけ現行の戦術機製造方法から逸脱せず、変更点を絶対必要な部分に限った形で作っていけば、5年以内に試作1号に火を入れて、8年、いや7年以内には実戦投入可能なレベルの試作機をご覧に入れます」

 おう、それは凄い。という反応を待っていた技術者であったが、軍部からの返答は予想外の物であった。

「そんなに……かかるのかね?」

「もう少しどうにかならんのかね?」

「7年か。うーむ、それでは」

 予想外の反応に、代表して答えていた技術者は慌てる。

「ちょ、ちょっと待ってください。これは、凄いペースなのですよ。全く未知の動力を搭載した機体を5年で動かしてみせると言っているのです!」

 5年、7年という数字も、はっきり言って可能な限りタイトにタイムスケジュールを組んだ場合に話なのだ。彼が頭の中で考えているタイムスケジュールを部下や同僚に見せれば「鬼」「悪魔」「魔王」「冥王」「デスマーチ指揮者」など、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられるだろう。そんな決死のタイムスケジュールをそのように言われては、立つ瀬がない。

(ひょっとすると彼等は、αナンバーズの非常識と目の当たりにしすぎたせいで、自覚がないうちに感覚が麻痺し始めているのではないだろうか?)

 技術者はふと、そんな事をも思いつく。

 あり得ることだ。特に自分の専門分野以外だと、その傾向が強い。

 現に自分がそうだった。ついこの間まで祖国滅亡がリアルに迫っていたはずなのに、この間会社の同僚が、「日本列島の危機を完全に取り除くためにも、最低でも甲25,甲19ハイヴは早急に攻略すべきだ」などと言った際、自分も「まあ、理性的に判断すればそうするべきなんだろうな」などと、同意を返してた。

 現在の帝国軍の実情を知る高級軍人が聞けば「寝言は寝てほざけ」と言いたくなる意見だろう。

 どうしてもαナンバーズの破竹の連続勝利を見てしまった所為で、対BETA戦に対する感覚が麻痺してしまっているのだ。

 それと同じ事が、この軍人達にも起きているのかもしれない。下手に、間近でαナンバーズの超技術を見てしまったせいで、技術開発という物がどれくらい大変な物であるか、物差しが狂って正確に測れなくなっているのではないだろうか。

「とにかく、5年というのは駆け引き抜きでこちらが提示する最速ラインです。かつてF-15のライセンス生産を始めてから、『不知火』を完成させるまでにかかった年月を考えて見て下さい」

 帝国がF-15Jイーグルのライセンス生産に踏み切ったのが、1985年。一方、初の国産戦術機『不知火』が誕生したのは1994年である。

 第二世代戦術機の製造ノウハウを吸収し、第三世代戦術機を作るだけでも9年の月日を要したのだ。

 それと比較すればなるほど、ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉を搭載した戦術機の実戦試作機完成が7年というのは、普通ならばはったりと取られてもおかしくないくらい、短い期間なのかも知れない。

「いいですか、中佐。どうか、ご理解いただきたい。我々はαナンバーズではないのです。我々には我々の常識がある」

 技術者は言葉を重ね、軍の人間達の理解を求めた。
 
 









【2005年4月1日、日本標準時間20時02分。万鄂王作戦第二段階)。踏破距離620キロ地点(重慶ハイヴまで880キロ)】  

 αナンバーズBチームは、数万のBETA本体を相手取り、奮戦していた。

「世のため人のため……って、この口上もタンク状態じゃちょっとしまらないね」

 あくまで陽気な口調を崩さずに、破嵐万丈はダイタンクを操り、二門のキャノン砲をBETAの中へ無造作に打ち込んでいく。

 無論、無数ともいえるBETA達は仲間が消し飛ぶ中も前進を止めず、津波のようにダイタンクに押しよせて来るが、万丈は気にもとめない。

「その程度で、このダイタンクを止められると思ったかいっ?」

 ダイタンクは、αナンバーズでも指折りの巨大ロボ、ダイターン3の戦車形態である。その全長は実に80メートル。総重量は800トン。闘士級や戦車級と言った小型種はもちろん、要撃級でもそのキャラピラの下になればただぺしゃんこになるだけだ。

 走行の邪魔になりそうなのは、全高60メートルを誇る要塞級ぐらいのものだが、その数は少ない。

「おおっと、そこかッ、ダイターンキャノン!」

 動きの遅い要塞級は特大のキャノン砲を喰らい、木っ端微塵に吹き飛ぶ。

「よーし、次行ってみようか」

 陽気な快男児の進軍は、止まりそうもなかった。





 しかし、いかにダイタンクのキャラピラが凶悪とはいっても、押し寄せる全ての小型種を踏みつぶせるわけではない。

 グチャグチャのミンチと化した仲間の死体をかき分けて、何匹かの戦車級BETAはダイタンクの上へとよじ登ることに成功する。

「おっと、こいつは少し拙いかな」

 レッドシグナルがなるコックピットの中で、万丈が少し眉をしかめる。

 この辺りが、超大型特機を運用する難しさだ。小型の敵機に張り付かれては反撃の手段が極端に少なくなる。

 これが、エヴァンゲリオンシリーズやキングジェイダーならばそもそも敵を寄せ付けない防御フィールドを持っているし、マジンガーシリーズやガイキングならば戦車級の噛みつきさえ気にする必要がないだけの装甲強度を誇っているが、生憎ダイターン3はそうではない。

 無論特機の例に漏れず、モビルスーツやバルキリーなどとは一線を画する防御力を持っているが、戦車級の噛みつきにも傷一つ付かない、と言い切れるほどのものではない。こうしていつまでも集られているれば、いずれ装甲を食い破られてもおかしくはない。

 しかし、万丈がアクションを起こすより先に、全体の状況を見ていたバニング大尉が声を上げた。

『ウラキ、キース! ダイタンクのフォローに入れ!』

『はいっ!』

『了解ですっ!』

 バニング大尉の命を受け、コウ・ウラキ少尉の乗るガンダム・ステイメンとチャック・キース少尉の乗るジムキャノンⅡがダイタンクに近づいていく。

『よし、こいつをくらえっ』

『万丈さん、機体に異常があったらすぐに言ってください』

 そして、二機のモビルスーツは、手に持つ小さなビームライフルの銃口をダイタンクに向けると引き金を引き絞ったのだった。

 二つの銃口から、桃色のビーム光が撃ち出される。だが、そのビームの形状は通常想像するようなまっすぐのものではない。まるで霧吹きのように大きく広がる円錐状のものだ。

 効果はすぐに現れた。大きく拡散されて放たれたビームを喰らった戦車級BETAは、まるで殺虫剤を吹き付けられた虫のように簡単に息絶えて地上に落ちてくる。

『万丈さん?』

「大丈夫。計器に異常はない。がんがんやってくれたまえっ!」

『了解、すぐにすませますっ!』

 万丈からの報告を聞いたウラキはガンダム・ステイメンの脚部バーニアを拭かし、ダイタンクの上に飛び乗ると手に持つビームスプレーガンで、ダイタンクにへばりつくBETA小型種を次々と葬っていた。

 これが、αナンバーズが対BETA小型種用に開発した新兵器、ビームスプレーガンである。

 新兵器といっても、特別なことは何もしてない。単に通常のビームライフルを少し弄っただけだ。『短射程』『広範囲』『低威力』になるように。

 これは、以前に戦車級BETAにたかられて危ういはめに陥った、バニング小隊の面々が提出したレポートを元に作られてた代物である。 

 もともとBETA小型種の防御力や生命力は弱い。無論、生身の人間と比べれば十分に高いのだが、戦場の兵器と考えれば、極端なソフトスキンと言えるだろう。

 なにせ、小型種の中では一番防御力の高い戦車級でも、12.7㎜機銃の掃射で駆逐できるのだ。

 言うまでもないが、12.7㎜程度の火力では、特機はもちろんモビルスーツやバルキリーの装甲だってびくともしない。

 ということは、乱暴な言い方をすれば、12.7㎜機銃ならば小型種に集られた機体に心置きなく銃弾を浴びせても良い、と言うことになる。

 このビームスプレーガンという兵器はそういった思想を作られていた。

 戦車級BETAの防御力以上で、量産型モビルスーツの防御力以下の威力のビーム兵器。それもできるだけまとめて複数の小型種を巻き込めるように、範囲を広くし、閉鎖空間でも使用できるように射程をわざと短くして。

 これは初の実戦テストだったのだが、結果は良好だった。

『よーし、思った以上に使えるようだな。お前達はそうやって特機のフォローに回れ。緊急時以外は、モビルスーツには向けるなよ。そこまで威力の切り下げが出来ていないからな。原則、モビルスーツに取り付いた小型種は、ビームダガーで対応しろ』

 新兵器の効果に少し頬を緩めたバニング大尉が、厳しい声を作って直属の部下二人に指示を飛ばす。

『了解っ!』

『了解です』

 ビームスプレーガンの威力は一応理論値では、ジムキャノンⅡやジェガンの装甲にもほとんどダメージを与えないようになっているのだが、戦場には常に不確定要素がある。

 ビーム光が間接部に潜り込んだ場合や、既に食いちぎられた傷跡にビーム光が差し込んだ場合などは絶対安全と言い切れない。現状、モビルスーツに取り付いた小型種は、ビーム光を極端に短くしたビームサーベルのモーション、通称『ビームダガー』で丁寧にはぎ取ることが推奨されている。

『よし、こっちはこれで全滅だ』

『コウ! 向こうで、獣戦機隊が小型種に取りつかれたみたいだっ!』

『分かった、すぐに向かうっ!』

 ウラキとキースは、これまでずっと物資輸送任務に就いている戦艦『エターナル』の護衛任務に就いていたため、これが始めての対BETA戦である。

 しかし、なんだかんだ行ってもウラキもキースも、長らくαナンバーズに籍を置く歴戦のパイロットである。

 モビルスーツを駆り、乾いた戦場を駆けめぐるその動きには、戸惑いや困惑の色はカケラも感じ取れなかった。





 BETAとの初遭遇と言えば、熱気バサラを除くファイアーボンバーの残り三人もBETAと遭遇するのはこれが初である。

 だが、意外なことにと言うべきか、当然ながらと言うべきか、レイ・ラブロックも、ビヒーダ・フィーズも、そしてミレーヌ・ジーナスも、大地を埋め尽くす異形の群を前にしても、これといった反応は示していなかった。というよりも、BETAに反応するだけの余裕がなかったと言った方が正しい。

『いくぜっ! 次の曲だッ『HOLY LONELY LIGHT』!』

『ちょっと、バサラ! 危ないじゃない、いくらガウォーク形態でもそんな跳び上がったら、光線級に狙われるわよっ!』

『♪♪♪!』

『バサラ!』

 熱気バサラは、ガウォーク形態のファイアーバルキリーで、BETA犇めく大地を縦横無尽に駆け回り、傍若無人に歌声を響き渡らせていた。途中何度か、群の中にいる重光線級がその巨大な目玉をバサラのファイアーバルキリーに向けたこともあるが、バサラはその度に警報が鳴るより早くBETAの群れの中に自機を沈み込ませ、レーザー照射から逃れていた。

『ああ、もう、知らないッ! 私の歌も聴きなさーい!』

 結局いつも通り、どうやっても熱気バサラの歌は止まらないと悟ったミレーヌは、やけになったように操縦桿と一体になったベースをかき鳴らし、自らも声を張り上げてコーラスを入れるのだった。





『レーダー範囲内より、光線属種の全排除を確認。繰り返す、レーダー範囲内より光線級属種の全排除を確認』

 戦場で戦うパイロット達に、ラー・カイラムの環境から明るい報告が入る。

 その報告を待っていた、神宮司まりも少佐は素早く網膜ディスプレイに部下達の機体の状況を映し出すと、即座に命令するのだった。

『よし、聞いたな。ヴァルキリー8、ヴァルキリー9。今の内に戦艦に戻って補給を済ませてこい』

 命令を受けた、ヴァルキリー8とヴァルキリー9、高原少尉と朝倉少尉はそろって目を丸くして、思わず反論する。

『えっ? わ、私の機体はまだ補給の必要はないようですけど』

『こちらもです。まだ、弾薬も推進剤も半分近く残っています』

 若い二人の言葉に、まりもは目を怒らせて、低い声を発する。

『ばかもん、推進剤が半分を切ってたら十分だ。私達の機体は推進剤切れを起こせば、自力で帰還も叶わないのだぞっ!』

 この世界の戦術機は推進剤切れを起こすと、全く飛べなくなってしまう。電力さえ残っていれば歩行は可能だが、それではいくら低空とはいえ、空中で停止中の戦艦ラー・カイラムの甲板まで跳び上がるのは不可能だ。

 自力で帰還が叶わなくなるという最悪の事態を想定すれば、大げさなくらいこまめに燃料補給に向かせるというまりもの判断は決して間違っていない。

『わ、分かりましたっ!』

『了解ッ。ヴァルキリー9、これより一時、母艦に帰還します』

 そんな理屈を思い出したと言うより、上官の低い声色に押された雰囲気で、高原少尉と朝倉少尉の不知火はその場から跳び上がると、まっすぐラー・カイラムへと戻っていった。

『ついでに顔を拭いて、水と食い物を腹に入れてこいっ! 先は長いぞっ!』

『はいっ!』

『了解っ!』

 まりもは、部下二人の不知火が無事ラー・カイラムのカタパルトデッキから中へと収納されるのを横目で確認し、ホッと安堵の息をついた。

「しかし、映像では見てたけど、この人達本当、滅茶苦茶ね……」

 全ての通信がオフになっていることを確認したまりもは思わずそう素直な感想を漏らす。

 BETAを千匹単位で纏めて吹き飛ばす、空中戦艦。

 BETAを踏みつぶして走る、全長80メートルの戦車。

 化け物じみた機動でBETAの攻撃を避け続け、なぜか延々歌を歌い続けている手足の生えた戦闘機のような機体。

 そして、今向こうの方では「忍、合体だ」「おうっ、やぁってやるぜっ!」等という声が聞こえ、不思議な光を放たれたかと思うと、四機のアニマル機体が合体して、30メートル強の大きなロボットに変貌を遂げている。

『うおお、みんな纏めて吹き飛ばしてやるぜっ。断空砲フォーメーションだっ!』

 そのロボットが攻撃をするとBETAの群れが、また千匹くらい纏めて消し飛んだようだ。

 なんだか、真面目に一匹ずつ倒している自分が馬鹿に思えてくる。

 さらに、別な方向でには両手に一丁ずつ長銃身ライフルを持ち、マントをなびかせた機体と、馬鹿げてでかい剣一本を持った武者鎧のような機体が、冗談の様な破壊力でBETAを駆逐している。

 どちらも全長50メートルを超える戦術機の倍以上ある巨体だが、その軽快な動きからは全く鈍重さは感じられない。

 まりもの気のせいでなければ、あの武者鎧型の機体はさっきから一度も火器を放っていない。まさか、武器はあのあほのように大きな剣一本だけだというのだろうか?

 近接戦を特に重視する日本帝国でも、そこまで極端なコンセプトを持った機体は存在しないのだが。

「よもや、マネをする馬鹿は出ないだろうな……」

 一瞬、まりもは此処が戦場であることも忘れ、戦後この戦闘画像を見た者が受ける影響を心配してしまう。

『一刀両断! 我が名はゼンガー、ゼンガー・ゾンボルト! 悪を絶つ剣なり!』

 気のせいだろうか。巨大剣を構えて大見得を切るその機体の後ろに、とっくに暮れたはずの夕陽が見えた気がした。









【2005年4月1日、日本標準時間23時01分。横浜基地地下19階。香月夕呼研究室】

 日もとっぷりと暮れて、今日という日があと一時間に満たなくなった時間になっても、香月夕呼は研究室のデスクの前で、忙しなく資料に目を通していた。

「あー、だるっ」

 夕呼は熱いコーヒーを一口すすると、肩のこりをほぐすようにグルグルと首を回す。

 夕呼にとって本道とも言うべき00ユニットに関する仕事は現在一時的に凍結状態だが、それでも夕呼の仕事量は睡眠時間を圧迫するくらいある。

 αナンバーズとの交渉、帝国との取引、国連と帝国の仲介。さらには、刻一刻と変化する国際情勢やBETAの動向に対する情報の収集と分析も怠るわけにはいかない。

「ふーん、αナンバーズは22時の時点で850キロ地点に到達ね。最初はトラブルが会ったみたいだけど、結局問題はなさそうね。ってあいつ等の心配何てするだけ無駄か」

 夕呼が今手に取った用紙は、監視衛星からの情報だ。衛星軌道から見た画像情報だから詳しい事は分からないが、予定踏破距離を突破しているのだから、大勢に影響はないのだろう。

 夕呼はその紙を無造作に、横に置くと次の用紙を手に取る。

「これは……ああ、帝国から技術提携の要望書か。なに、αナンバーズのレールガンに使われている技術を99式電磁投射砲に応用? G元素に頼らない電磁投射砲の可能性ねえ」

 夕呼は少し考えた後、その用紙を要検討と書かれた箱の中に入れた。

 そうやって夕呼は、ブツブツ悪態をつきながら書類を片付けていく。大半は目を通す価値もないゴミ情報のたぐいだ。そう言った代物は、適当に斜め読みしただけで屑籠に放り込む。

「ったく、貴重な森林資源の無駄遣いよね。こう言う下らない情報なら電子データで十分でしょうに」

 けだるそうな夕呼の表情が変化したのは、そう言う夕呼が次の用紙を手に取り、何気なく目を通したその時だった。

「アンバールハイヴ跡に国連軍の工兵部隊が到着? へえ、随分急ね。BETAが謎の撤退をしてからまだ4日しかたっていないのに」

 これは何かあったと考えるべきだろうか?

 夕呼は少し姿勢を正し、少し真剣に資料に向き直った。

 そこに印されているのは、世間一般に公表されている情報だ。秘匿情報の様な物ではない。

 アンバール基地に送り込まれた工兵の数。彼等が持ち込んだ武器や車両の数。アンバール基地再建のために輸送された資材の見積もりなど。

 やけに行動が早いのが気になるが、基本的におかしな所はない。しかし、注意深く資料を見ていた夕呼の目には、どうしても見過ごせないおかしなポイントが見つけられた。

「輸送船からアンバールハイヴ跡に資材を運んだ輸送用トラックのタイムスケジュールか妙ね」

 アンバールハイヴはアラビア半島付け根のほぼ真ん中に位置する。補給物資を運んできた船が停泊する地中海沖からアンバールハイヴ跡までは、トラックでの輸送となる。

 その動きが、妙なのだ。気のせいと言えばそれまでの小さな事なのだが、トラックの移動時間が、行きより帰りの方が時間がかかっていのである。

 普通は帰りの方が若干速いものだ。当然だろう。何せ行きは荷台に資材を満載させているのに対し、帰りの荷台は原則カラなのだ。多少乱暴な運転をしても、物資を破損させる心配もないし、車体自体も軽くなっている。

 それなのに、このトラック部隊は行きより帰りに時間をかけている。まるで、帰りの方が「より慎重に運ばなければならない物資」を積んでいるかのように。

 それは何か。思いつく物は一つしかない。

 反応炉とアトリエがまだ生きているはずのハイヴ跡から運び出される「貴重品」など。

「まさか、G元素? アトリエが活動を再開させたと言うこと? それが事実なら、この間のBETAのアンバール基地襲撃の目的はこれ? アトリエの再起動?」

 夕呼は、緊張で乾いた唇を一度舐めて、また考える。

(もしそうだとすると、なぜBETAはわざわざ再起動させてアトリエを放棄したの? いえ、放棄したのではなく、人間の手に『稼働中のアトリエ』を転がり込ませることが目的と考えれば……)

 まるで何かに導かれるように、夕呼は推測を深めていく。

 BETAは人間が稼働しているアトリエを持つことを望んでいる。それはイコール人間が、定期的にG元素を手に入れることを望んでいるということだ。

 人類の手にG元素があれば、どのようなことが起こるか。

「まさか……だとしたら、まるで蜜蜂みたいね」

 その可能性に気づいたとき、夕呼の顔は血の気が引いて紙のように白くなっていた。

 震える手でコーヒーカップを掴み、まだ暖かいその中身を一気に飲み干す。

 その熱くて苦い飲み物の刺激で少し冷静を取り戻した夕呼は、すぐに机の上のインターフォンを取ると、隣室に控えている副官のピアティフ中尉に連絡を入れる。

「ああ、ピアティフ? 悪いけど、国連の珠瀬事務次官とαナンバーズの大河全権特使と連絡をって頂戴。直接面談の機会を設けたいの。ええ、出来るだけ早く。お願い」

 受話器を戻した夕呼は、大きくため息をつくと、体の震えを止めようと何度も深呼吸を繰り返した。

「仮定に仮定を重ねた、推測と言うよりほとんど妄想に近い想像だけど。万が一にもこの予想が当たってたら、しゃれにならないわ。打てる手を打っておかないと」

 どうにか気を取り直した夕呼は、それでもまだ苛立ちを隠せない表情で強く唇を噛むのだった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その4
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2011/02/26 03:01
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第五章その4



【2005年4月2日、日本標準時間8時17分、横浜基地グランド】

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」

 暖かな春の日差しの差し込む横浜基地のグランドを、白銀武は走っていた。

 ブルーのBDU(戦闘服)を着込み、足元はよく足になじんだ愛用のコンバットブーツ。額に滲む汗から推測するに、相当長い間走り続けているはずなのだが、そのわりには足取りにも呼吸にも乱れはない。

 流石は現役の衛士、大した体力だ。しかし、白銀自身は僅かながら自分の体力が衰えているのを実感していた。

(たはー、やっぱ鈍ってるか。ここんとこ、実戦と演習の連続で体力作りを怠っていたからなあ)

 戦場で最後に物をいうのは、体力と持続性の集中力だというのは、一度でも実戦を経験した軍人ならば誰もが実感するであろう事実だ。

 しかし、衛士に限らず、戦車兵、航空機パイロット、戦闘ヘリパイロットなど、何かに乗って戦う兵士は、そのための訓練だけに時間を割けば、むしろ体が衰えていくという、理不尽に満ちた現実と遭遇する。

 それはシミュレータ訓練に限らない。実機演習でもだ。

 戦術機に乗って長時間演習を行えば、汗をかくし、呼吸も乱れる。腹は減るし、喉も渇く。

 それなのに、実機演習だけにかまけていると、体は鍛えられるどころか、徐々に衰えていく。

 実際、演習ばかりに精を出し、空腹に任せてどか食いをした衛士が、みるみる間に肥え太っていったというのも、意外とよく聞かれる話なのである。

 そうならない為に、衛士は定期的に走り込みやウェイトトレーニングを行い、体力作り、体作りに汗を流す。

 ゆえに、こうして自主的に走りこみを行っている武が、特別勤勉というわけではない。ある程度、危機感のある衛士ならば、誰もがやっていることだ。

 その証拠に、今も走っている武の後ろから、複数の呼吸が聞こえてくる。

「はっ、はっ、はっ……」

 右斜め後方から一つ。

「フッ、フッ、フッ……」

 左斜め後方から、もう一つ。

 二つの人影は速度を上げ、武の両隣に並ぶ。

「白銀、一人で秘密の特訓? ずるい」

 右に並んだのは、長めの黒髪をなびかせた、表情の読みづらい女だ。武と同じ、比較的体のラインを隠すブルーの戦闘服を着込んでいるというのに、その胸元は高く盛りあがり、強烈に自己主張している。

「武、速いねー」

 左に並んだのは、明るい青色の短髪を汗で湿らせた、小柄でボーイッシュな女だ。こちらも同じく戦闘服姿なのだが、一見すれば少年と見間違えそうなくらい、その体つきは女らしい凹凸に乏しい。

 武は左右に目を走らせ、苦笑を浮かべた。

「秘密の特訓じゃなくて、ただの走り込みだって。ちょっと体力落ちてるみたいだからさ」

「じー……」

「な、なんだよ」

 併走しながら、ジトリとこちらを見る彩峰の視線に、武はたじろいだように小さく身をよじる。

 彩峰は、気まぐれな猫のようにプイと横を向いた。

「別に……次は負けない」

「あ、ああ。そう言うことか」

 その一言で武は、彩峰の言いたいことを理解した。

 彩峰は数日前のシミュレーション演習で、武を初め、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の面々と対決し、大幅に負け越したことを言っているのだ。

 それは、逆隣を走る鎧衣美琴も同様なのだが、こちらは父親譲りの奇異な言動のせいで内心が読めない。もっとも、こうして休養日に、自主的に走り込みをしているところを見ると、彩峰ほどではなくても、内心思うところがあったのかもしれない。

「お前なあ、あれはむしろ俺達が驚いたんだぞ。初めて尽くしだったはずなのに、後半は押し負ける奴が出たんだからな」

「……ツーン」

 武の褒め言葉にも、彩峰は喜ぶことなく、口とがらせる。

 だが、武の言っていることは全面的な事実である。

 初めて乗る第三世代戦術機『不知火』。初めて動かす新機軸OS『XM3』。そして、初めて扱うビーム兵装『ビームライフルとビームサーベル』。

 彩峰・鎧衣はあの日、機体も、OSも、兵装も、初めて触れるものばかりだったのだ。

 これで、彩峰や美琴に負けるようでは、むしろ武達の沽券にかかわる。

 とはいえ、彩峰の心情も分からないではない。

 速瀬中尉や宗像中尉と言った古参メンバーはともかく、武や珠瀬壬姫といった新人達は、まだ二度しか実戦を経験していない、ペーペーである。

 そんな連中に、三年間中東の最前線で戦い続けてきた人間が後れを取るというのは、例え原因を頭で理解しても、心情的に納得しづらいものがある。

「ふう……それじゃ、俺はこれで上がるわ」

「うん、じゃあね。僕達はもう少し走ってくよ」

「じゃね……」

 まだ走り続ける美琴と彩峰に一言断り、武は一足先にグランドを後にした。

「ええと、確かこの辺に……」

 武がグランド脇で、事前に用意しておいたはずの水のボトルとタオルをキョロキョロと探していると、不意に後ろから声がかけられる。

「探しているのかこれか、白銀」

「ッ、宗像中尉?」

 振り向くとそこには、伊隅ヴァルキリーズ速瀬隊の宗像美冴中尉が、その手に白いタオルとドリンクボトルを持って立っていた。

 美冴は、黒を基調とした国連軍軍服姿だ。スラリとしたスタイルの良い長身で、中性的な美貌の美冴には、よく似合っている。

「ほら」

「あっ、ありがとうございます」

 武は、反射的に美冴がほうり投げたボトルとタオルを受け取り、礼の言葉を返す。

 何故こんな所に宗像中尉が? という疑問は当然あったが、取り合えず武は喉の渇きを癒し、汗で汚れた顔と頭をタオルで拭うことを優先する。

「速瀬中尉が探していたぞ。シミュレータ使用許可は取ってあるそうだ」

 美冴の予想外の言葉に、武はタオルで顔を覆ったままずっこけそうになる。

「げっ、マジですか!?」

 元々は圧倒的に水月の白星が先行していた速瀬水月VS白銀武の対戦成績だが、XM3導入後は、一気に五分五分より若干武が分が悪いくらいまで、星を持ち直していた。

 通算で見れば、まだまだ水月の勝ち越しの状態なのだが、『XM3』という水を得た白銀武という魚が、自分のすぐ後ろまで迫っていることを理解しているのだろう。

 武を鍛えるのと自分の鍛錬の一挙両得を狙い、水月は事あるごとに武をシミュレータ訓練に誘っていた。

「あー、マジだ」

 美冴は薄く笑うとごく自然な動作で武に近づき、武の首にその腕を回す。

「む、宗像中尉?」

 突然美人の上官の脇に顔を埋めさせられた武が、戸惑いの声を上げる。

 焦る武は、美冴が素早く周囲に視線を走らせ、人がいないことを確認したことに気づかない。

 美冴は少し行き過ぎた悪ふざけに見えるよう、武の頭を右腕で抱えこんだ体勢のまま、武の耳元に口を近づけ、息を吹き付けるように囁く。

「白銀ー? お前、その白銀語、あまり、広めるなよ。すっかり、『αナンバーズ』の皆さんにうつってしまっているじゃないか」

「あっ……」

 美冴の言葉に、武は思わずピクリと体を戦慄かせた。

 美冴は、武の反応に気づかなかったかのように、ガッチリと抱えたまま、言葉を続ける。

「ダイソン中尉やバランガ曹長だけじゃなく、この間地上に降りたばかりの、藤原少尉やビーチャ・オーレグまで使っていたぞ? とんでもない感染力だな、ん?」

「む、宗像中尉?」

 ガッチリと脇に抱えられているため、武からは美冴の顔は見えないが、その口調はふざけているように聞こえて、どこか深刻な色を帯びているようにも聞こえる。 

「そういえば、話は変わるが、お前は随分頭が良いんだな。以前、エルトリウムの艦内都市で、ダテ少尉が「ゲーセン」と言ったとき、お前はすぐにそれが何であるか、理解していたよな? 電子遊具を集めた空間、「ゲームセンター」で通称「ゲーセン」か。あの一瞬で、凄い理解力だな。

 流石、香月博士に『特別扱い』されるだけはある」

 グイグイと武の顔を締め付ける力が強まる。

「む……宗像中尉……」

 苦痛からか、羞じらいからか、武が顔を紅潮させる中、美冴は最後に一段低い声で忠告した。

「もう少し、言葉遣いに気をつけた方が良いぞ。『知らされない情報は、知る必要のない情報』というのは、軍人の常識だが、全ての軍人が常識を遵守する模範的な軍人なわけじゃない。

 あまり、不用意な発言を続けると『痛くもない腹』を探られるぞ」

 そこまで言って美冴は、唐突に武から手を離した。

「宗像中尉……」

 拘束を解かれた武は首をさすりながら、美冴の顔を見る。しかし、そこから美冴の意図を読みとることは出来ない。相変わらず、飄々とした表情で口元に小さく笑みを浮かべている。

 何と言えばいいのか、この人は何処まで自分の事情を察しているのか? 武が言葉に詰まっている間に、美冴は何でもないようにあっさりと話をずらす。

「どうした? あまり待たせると、また速瀬中尉が欲求不満を越して爆発するぞ?」

 明らかにはぐらかすための言葉であったが、実際遅れると速瀬水月の機嫌が悪くなるのも、純然たる事実である。

「あー……はい。分かりました。失礼します!」

 結局武は、それ以上美冴と言葉を交わすことを諦め、足早に基地施設へと消えていった。

「……ふう」

 残された美冴は、肩の荷が下りたと言わんばかりに、一つ大きく息を吐く。

「まったく、迂闊な奴だな。見えている方がハラハラする」

 美冴は肩をすくめて苦笑いを浮かべた。

 詳細は知らないが、『αナンバーズ』を異世界から呼んだのは、香月夕呼博士であることは、公然の秘密というやつになっている。そんな中、『αナンバーズ』に先んじること五年前突如姿を現した、『白銀武』という存在。

 珠瀬壬姫や榊千鶴と言った訓練部隊時代から親交のある人間にそれとなく聞いたところ、出会った当初の白銀武は、今以上に非常識の塊のような男であったという。

 18歳を越える男でありながら徴兵経験が無く、日本人ならば誰でも知っているはずの『政威大将軍』煌武院夕陽殿下の事すら知らない。

 ならば、外国で生まれ育ったのかと思うが、言語は日本語しか使えず、しかもその日本語もどこかおかしい。

 どこで生まれ育てば、こんな人間が育つのか。不思議と言うしかない。

 だが、『αナンバーズ』は香月夕呼が異世界から呼んだ集団だと知ったとき、宗像美冴はおぼろげながら、白銀武という人間の正体を掴んだ気がした。

「10万人からなる大部隊を異世界から呼ぶ一大計画。事前に、もっと少ない人数で一度実験を行っていたと考えた方が、自然だな」

 美冴が呟いたその予想は、大筋においてほとんど外れていたが、白銀武がどこから来たのか、という根底問題についてだけ、ある意味正鵠を射ていた。









【2005年4月2日、日本標準時間8時25分(万鄂王作戦第四段階)、重慶ハイヴ直近】

 万鄂王作戦開始から二十二時間。ラー・カイラム、アークエンジェルの二艦を母艦とするαナンバーズ、A・B両チームは、攻略目標である重慶ハイヴを射程内に収めていた。

「ハイパーメガ粒子砲……」

『ローエングリン……』

「撃て!」

『てー!』

 すでにおなじみとなった、ラー・カイラムの『ハイパーメガ粒子砲』と、アークエンジェルの『ローエングリン』の同時砲撃が、全高600メートルを誇る重慶ハイヴの地上構造物(モニュメント)を、一瞬にして打ち砕く。

 この世界の常識ではG弾投下以外の方法ではほとんど不可能とされていた、ハイヴ地上構造物破壊をいとも簡単に成し遂げたαナンバーズの両戦艦は、ゆっくりと砕けたハイヴへと近づいていく。

 しかし、問題はこれからだ。

 地上構造物を破壊されたハイヴから、ウジャウジャとBETA達が這い出てくる。

 瞬く間に、レーダーは敵影を意味する赤い光点で塗りつぶされた。

「BETA地表到達を確認。総数……約10万ッ!」

「よし、Bチーム各員、対処しろ! 光線級、重光線級を優先的に落とせ!」

 オペレーターの報告を受けたラー・カイラム艦長、ブライト・ノア大佐は、即座に現在外に出ている機動兵器部隊Bチームに指示を飛ばした。

 こうしている間にも前方から大小2種類のレーザー光線が、ラー・カイラム、アークエンジェルの両艦めがけ照射される。

「ソルダートJ、アスカ!」

『了解だ』

『ああ、もうっ! 仕方ないわね。私の弐号機にこんな地味な役割割り振ってくれてッ!』

 ブライト艦長の指示を受け、ソルダートJの乗る白亜の戦艦『ジェイアーク』と、惣流・アスカ・ラングレーの操るエヴァンゲリオン二号機がそれぞれ、アークエンジェル、ラー・カイラムの前に回り込み、身を呈してレーザー照射から母艦を守る。

 空を飛べないエヴァンゲリオン弐号機を盾とするため、ラー・カイラムは地上落下ギリギリまで高度を下げる。

 ここまで高度を下げると、要塞級の触手の有効範囲に入ってしまうが、レーザーの集中照射を受けるよりはマシだ。

 ソルダートJのジェイアークは、本来Aチームの所属なので現時刻は休息中なのだが、生憎代わりを務められる機体がない。

 幸いと言っては語弊があるが、ソルダートJはサイボーグだ。生身の人間と違い、12時間程度の連続戦闘は、十分に許容範囲だ。

 いずれにしてもハイヴ周辺に這い出てきたBETA光線属種を駆逐しない限り、万鄂王作戦は最終段階に移行できない。

 大気圏外はるか上空で既にスタンバイしている戦艦『大空魔竜』を母艦とするハイヴ攻略部隊――Cチームを迎え入れるため、サウス・バニング大尉を隊長としたBチームの面々は最後の詰めに全力を尽くしていた。





 伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊隊長、神宮司まりも少佐は、ハイヴ攻略を間近に控えた興奮を抑え、若い部下達を叱咤激励しながら、自らも戦術機『不知火』を駆り、中国大陸の大地を埋め尽くすBETAを相手に奮闘を続けていた。

 万鄂王作戦第二段階で、六時間の戦闘を経験していたまりもであるが、その後第三段階の六時間の間、艦内で食事、入浴、睡眠を取り一度心身をリフレッシュさせている。

 よって、まりも自身はまだまだ体も頭もクリアーな状態だが、神宮司隊の部下全員が同じくベストコンディションというわけではない。

 食事と入浴はともかく、BETA支配地域を飛行中の戦艦内で睡眠を取るのは、相当図太い神経が必要とされる。

 歴戦の衛士である神宮司まりもと同レベルの精神的タフさを、榊千鶴少尉や珠瀬壬姫少尉のような経験の少ない衛士に求める方が酷というものだ。

 まりもはレーザーマップに気を配り、部下達の位置を常に頭に置きながら、声を上げる。

「十時方向のBETA群内に、光線級の反応14ッ。要警戒っ、あいつ等は飛行する目標を……!」

 と、警告を飛ばすまりもの視界内を、小さな『人間サイズ』の何かが高速で飛んでいく。

 当然ながら、光線級BETAはその飛翔体にレーザーを集中照射させる。その結果、

『眩シイ、オ前達邪魔、アー!』

 人間サイズの飛翔体――プロトデビルンのシビルは、まぶしさに目をしかめながら、不機嫌そうに衝撃波を放ち、近くにいた重光線級をミンチにした。

 すると、すかさず赤いバルキリーに乗った熱気バサラが声を上げる。

『馬鹿野郎、シビル! お前もサウンドフォースの一員なら、攻撃なんてくだらねぇことやってんじゃねえ! そんな暇があるんなら歌え!』

「ゴメン、バサラ。分カッタ、歌ウ。アー♪」

『よし、そうだ。行くぜ! TRY AGAIN!』

 流石の熱気バサラもこの戦場で跳び上がるほど無謀ではないらしく、地上をガウォーク形態で軽快に駆け回りながら、ギターを奏で歌を歌い続ける。

 一方、シビルは、好き勝手に空を飛び回っているため、散々レーザーの集中照射を喰らっているが、元々シビル達プロトデビルンという生き物は、通常兵器が極めて利きづらいという特性を持っているため、これといったダメージを受けた風もない。

「あー……あいつ等は飛行する目標を優先的に狙うから、こちらが的にされる可能性は薄いみたいだが、油断はするなよ」

 途中で言葉を切ったまりもが最初の勢いを失った口調でそう言った次の瞬間だった。

 二千匹を超えるBETAの群れがひとかたまりになってこちらに迫ってくる様が、レーダーの端に映る。

「来るぞ、二時の方向だ! BETA総数二千……!」

『うおお、やってやるぜ! くらえ、断空砲フォーメーションだ!』

 レーダーに映った赤い光点の塊は、数秒後、溶けたよう消え失せた。

「……総数二千のBETAがさっきまでそこにいたぞ。油断するなよ、うん……」

 段々まりもの声に張りがなくなっていく。それでも、なお周囲の索敵を怠らず、部下達への配慮を忘れないあたり、神宮司まりもの生真面目さがよく現れている。

 やがて、まりもは地下振動計が不可解な数値を示しているのに気がついた。

「振動計に感あり。震源は……地下二百メートル? 馬鹿な、その深さでは、要塞級がダース単位でいても、地上にこれほど大きな振動が届くはずがない……」

 と、そこまで言ったところで勤勉なまりもは気がついた。

 BETAには、全高60メートルの要塞級すら歯牙にも掛けない破格の大型種が存在していることを。現時点で確認されたのは、火星ハイヴのみだが、αナンバーズが取ってきたその映像は、まりもも目にしている。

「まさか……」

 と呟いた次の瞬間、まりもの予想は現実のものとなった。

『キャッ!?』

『な、なに!?』

『く、土煙がッ』

 地上に大穴を空け、それは地上に姿を現した。

 BETA大量輸送用BETA。通称『母艦級』。

 長虫のような外見をしたそのBETAの直径は180メートル弱。全長に至っては脅威の1800メートルだ。約2キロ弱という破格の化け物の地上侵攻に、辺りはモウモウと土煙が立ち登り、激しい揺れに襲われる。

「母艦級だ! 総員後退っ、気をつけろ……!」

 まりもは声をからし、部下達に退避命令を飛ばす。地球上で初めて観測された『母艦級』BETA。当然ながら、対処方法のノウハウは存在しない。

 だが、部下達からの返事が届く前に、まりもの通信機には、オープンチャンネルで、凄味のある男二人の会話が聞こえてくる。

『友よ、今こそ我等の力を見せるとき』

『承知!』

『吠えろ、ダイゼンガー! 武神の如く!』

『駆けろ、トロンベ! その名の如く!』

『喰らえ! 必殺、竜巻斬艦刀・逸騎刀閃!』

『ふ、我等に』

『絶てぬものなし!』

 土煙がはれると、そこには黒い馬型ロボに跨った、大剣を持った武者鎧姿の大型ロボットと、綺麗に二枚に下ろされた、母艦級BETAの姿があった。

「あー、その、なんだ。気をつけろよ。蹄にかけられないような。巻き込まれたらバカらしいぞ、うん……」

 神宮司まりもは、やけに平坦な声でそう言うと、母艦級の死体の中から這い出ていた要撃級をピスピスとビームライフルで撃ち殺すのだった。





 一見順調進んでいるように見える重慶ハイヴ攻略戦であるが、全く問題が無いわけではない。

 戦艦ラー・カイラムの艦長席では、艦長であるブライト・ノア大佐が渋い顔で腕を組んでいた。

「現在の進捗は?」

「はい。戦闘経過は予定より進んでいますが、重慶ハイヴより出没したBETA総数が予想を上回っています。この調子では、第五段階への以降は、予定時刻を三十分以上割り込む計算になります」

 予想通りの報告に、ブライトは渋面のシワをさらに深める。

「やはりか。何もかも予定意通りとはいかん、か」

 最後の最後に来ての進捗の遅れ。個々からの挽回は、容易ではない。

 大気圏外で待機しているガイキング達Cチームには悪いが、ハイヴへの降下・攻略作戦はしばらく待って貰うしかなさそうだ。

 ブライトがそう決意した、その時だった。

「艦長ッ、アークエンジェルのバルトフェルド隊長から通信が入っています!」

 オペレーターの一人がそう声を上げる。

「バルトフェルド隊長が? つないでくれ」

「了解っ」

 現在休息中のはずである、機動兵器部隊Aチームの隊長からの通信を、ブライトは少々いぶかしみながら受ける。

 モニターに映った浅黒い肌をした片眼の男は、いつも通りの人好きのする笑顔で一言挨拶を述べると、率直に本題に入る。

「やあ、ブライト艦長。戦闘中すみません。見たところ、若干の遅れがあるようですか、どうでしょう? 我々Aチームの出撃を許可していただけませんか?」

 それは、ブライトにとっても予想外の提案というわけではなかった。

 現状、遅れを取り戻すには、それしか方法がない。

 だが、ブライトは少し考えた後でゆっくりと首を横に振る。

「ダメだ。無理はさせられん」

 疲労は一流のエースを凡百のパイロットに貶める。ブライトの返答は模範的なものであった。

 しかし、バルトフェルドもブライトの答えを予期していたのか、引き下がらずに説得の言葉を続ける。

「既に全員食事とシャワーは済ませています。疲労は問題ないだけ抜けていますよ」

 バルトフェルドの言に信をおかないわけではないが、ブライトはやはり首を横に振る。

「ダメだ。こう言ってはなんだが、バルトフェルド隊長。貴方はコーディネーターだ。判断の基準にはならない」

 遺伝子改造を受けているコーディネーターは一般的に、頭脳、運動神経、そして体力、全ての分野においてナチュラルに勝るとされている。コーディネーターの体力を基準に、平均的なナチュラルの兵士を働かせれば、致命的な間違いを犯しかねない。

 だが、バルトフェルドはその返答にも、すぐに反論の言葉を見つける。

「ゲッターチームの三人は、僕より元気そうにしていますが?」

「……ゲッターチームは、ナチュラルの中でも特別に選抜された体力自慢達だ。やはり、基準にはならない」

「現に帰還命令を無視して20時間以上、戦場を跳び回って歌い続けている奴もいますが?」

「…………あれはバサラだ。間違っても基準にするな」

 あれは例外、これも例外と言い続けるブライトに、バルトフェルドは困ったように肩をすくめると尋ねる。

「失礼ですが、ブライト艦長。では、我々の中で一体誰が『無理はさせられない一般人』なのですか?」

「む……」

 その切り返しに、ブライトはしばし言葉に詰まり、頭の中でAチームの面々を思い浮かべる。

「…………」

「…………」

 しばらく黙考した後、ブライトは己の間違いを認めるように言うのだった。

「……カガリ・ユラ・アスハ以下、カガリ小隊4名の出撃は認められない。碇シンジの出撃の是非は、そちらで直接彼の疲労状況を見て決めてくれ。なお、カミーユ小隊のファ・ユイリィもメガライダーで別任務に就いてもらうので除外だ。

 それ以外のカミーユ小隊の面々も、もし疲労が溜まっているようなら、すぐに下げる」

「了解。大丈夫、無理はしないし、させませんよ」

「ああ、頼む」

 自信を込めた笑みを浮かべるバルトフェルドに、ブライト艦長は大きくため息をつき言葉を返した。




 それから二時間後。戦艦ラー・カイラムのオペレーターの一人が喜色を滲ませた声を上げる。

「艦長! ラー・カイラムのレーダーマップ上から全ての光線属種BETAの排除を確認しました」

 それは、本作戦が最終段階に入る準備が整った事を意味する。本日最高の吉報に、ブライトも少し張りを取り戻した声を上げる。

「よし、大空魔竜のピート・リチャードソン艦長にフォールド通信を入れろ。『受け入れ準備完了』とな」

「了解ッ!」

 重慶ハイヴ攻略作戦『万鄂王作戦』は、最終段階に移行しようとしていた。









【2005年4月2日、日本標準時間9時39分(万鄂王作戦第五段階開始直前)、重慶ハイヴ上空高々度】

 重慶ハイヴの上空、空と宇宙の境界線にほど近いその空間に、複数の機影があった。

 中心に位置する青い恐竜型の宇宙船は言うまでもなく、αナンバーズCチームの旗艦『大空魔竜』であり、その周囲に浮かんでいるのは、統一中華戦線宇宙軍の所有する再突入駆逐艦だ。

『大空魔竜』の艦内に控えるαナンバーズ機動兵器部隊Cチームの総数は、12機。一方、統一中華戦線の軌道降下部隊の総数は二個大隊(72機)。

 数の上では圧倒的少数派であるαナンバーズが、このハイヴ攻略部隊における中枢戦力であることは、今更言うまでもない。

 アムロ・レイのνガンダム。ジュドー・アーシタのガンダムZZ。ヒイロ・ユイのウイングガンダムゼロなど、地上で戦うA・Bチームと比べても数は少ないがエース級がそろっている。

 特に、特機に準じる装甲強度とモビルスーツの機動性を併せ持つ、ガンダニュウム合金製モビルスーツ――ウイングガンダムゼロ、ガンダムデスサイズヘル、ガンダムヘビーアームズ改、ガンダムサンドロック改、アルトロンガンダムの5機の存在は心強い。

 高レベルの回避力と防御力を併せ持つ上に、トロワ・バートンのガンダムヘビーアームズ改以外の4機は長時間戦闘を継続する能力にも長けている。武装の大半が消耗の少ない近接武器か、ジェネレータ出力のエネルギー兵器だからだ。

 一方、統一中華戦線の戦術機はその大部分が、『殲撃(ジャンジ)11型』と『経国(チンクォ)』からなっている。

 殲撃11型はソビエト製戦術機Su-27ジュラーブリクのライセンス生産機であり、経国はアメリカ製戦術機F-18ホーネットのライセンス生産機である。

 どちらも比較的小型の第二世代戦術機であり、殲撃11型は高い運動性と近接格闘能力、経国は活動時間と航行距離の長さをセールスポイントとしている。

 共にハイヴ攻略に適した特徴を有している機体だが、東西両陣営のボスであるソ連・アメリカ両国の機体を同時にライセンス生産しているとあたり、統一中華戦線という組織の複雑な成り立ちを現している。

 だが、今まさに生死をかけた軌道降下作戦を行おうとしている若い衛士達に取って、今の心境は特別複雑なものではなかった。

 命をかけて、ハイヴを攻略し、祖国の大地から憎きBETAを叩き出す。突き詰めれば、それだけだ。面倒な話は、取り合えず今は念頭にない。

『戦艦・大空魔竜より入電。地上部隊は、降下ポイントの光線属種排除に成功。定刻通り、『万鄂王作戦』は最終第五段階に移行する。繰り返す。定刻通り、本作戦は最終段階に移行する』

 CP将校の努めて平静を装った声に、72人の衛士達は身動きの取れないコックピットの中で色めき立ち、網膜投射ディスプレイに映る時計に目を向けた。

 現在、日本標準時間にして4月2日の9時50分。

 本当にあのαナンバーズという連中は、わずか24時間で、海岸線から遙か内陸の重慶までBETA支配地域1500キロを踏破し、ハイヴ周辺の光線属種を片付けたというのか。

「資料に目は通していたから、ある程度分かったつもりでいたけど……いやはや、ホント滅茶苦茶な人達だね」

 少佐の階級章をつけた30歳前後の男の衛士は、口元に引きつった笑みを浮かべながら、網膜投射ディスレイの端に映る、『大空魔竜』に目をやる。

「ふざけた外見だが、あれも中身も『化け物』なのかね?」

 聞いた話では、あの青い怪獣戦艦は、重レーザー級の集中照射を受けてもびくともしないだけの耐熱強度を誇っているという。話半分だとしても、大したものだ。

 そろそろ降下の時間だ。

 少佐はオープンチャンネルで部隊全体に通信を開くと、努めて軽い口調で口を開く。

「さて、そろそろ時間だ。覚悟はいいかな?」

 即座に、あちこちから反応が返る。

『はいっ!』

『いつでもっ!』

『覚悟完了です』

『お、俺、この作戦から生きて帰ってきたら、『私に惚れても良い』って、指導教官に言われてるんだ!』

『ずっと待ってたんだ。もう、待ちきれませんよ……』

『帰ってきた。記憶にもない故郷だけど、私は帰ってきたんだ……!』

 堰を切ったように、衛士達は思いの丈を言葉にする。

 第一大隊の大隊長と二個大隊全体の総責任者を兼任する少佐は、穏やかな笑みを浮かべたまま、部下達の言葉が静まるのを静かに待った。

 そして、自然に全員沈黙を取り戻したところで言う。

「どうやら、いいようだね。それじゃ、行こうか。大丈夫、最初にαナンバーズの戦艦が先に降下するからね。レーザー属種が残っていたとしても、攻撃はそっちに集中するよ。私達は、恵まれている」

 少佐がそう言っている間に、戦艦『大空魔竜』が大気圏再突入を開始する。

 大空魔竜の高度が下がるにつれて、地上から二本ばかりレーザー光が伸びてくるが、それもごく短時間であった。

 恐らく、αナンバーズの地上部隊が対処したのであろう。数秒もしないうちにレーザー光は消え失せる。

 これならば、ひょっとすると彼等統一中華戦線の機動降下部隊も、1人の犠牲者も出さずに無事降下出来るかも知れない。

 都合の良い希望を胸に抱いた少佐は、網膜投射ディスプレイの片隅映る時計に目をやる。

 10時00分38秒。

『万鄂王作戦』第五段階開始が10時ちょうど。機動降下部隊は、大空魔竜に遅れること1分後に降下をする予定になっている。

 やがて、再突入駆逐艦に乗る若い女のCP将校が最終カウントダウンを開始する。

『機動降下部隊、全機降下10秒前。9,8,7,6,5,4,3,2,1,降下ッ』

「よし、行くぞ!」

『了解ッ!』

『行くぜッ!』

『教官ッッ!』

 青い巨竜型戦艦の後を追うように、72個の流星が重慶ハイヴめがけ舞い降りた。









【2005年4月2日、日本標準時間11時00分(万鄂王作戦第五段階、ハイヴ攻略中)、横浜基地、会議室】

 重慶ハイヴ攻略開始。

 世界が固唾を飲んで見守るその一大作戦の動向にも気を配る余裕もなく、香月夕呼は珍しく固い表情で、国連事務次官・珠瀬玄丞斎との面談に時間を割いていた。

 オールバックに纏められた髪と豊かに生やした口ひげが特徴的な珠瀬事務次官は、いつも通り濃紺のスーツ姿で、夕呼の正面のソファーに腰を掛けている。

 現在、この小さな会議室には、夕呼と珠瀬事務次官しかいない。

 夕呼の副官であるイリーナ・ピアティフ中尉も、珠瀬事務次官のボディガード達も全員室外に待機して貰っている。

 そこまでした上で、極めつけが香月夕呼のこの固い表情だ。

 尋常ではない何かがあった。

 そう悟るのは、特別聡い者でなくともそう難しいことではないだろう。

 まして、珠瀬玄丞斎は外交畑一筋に生きてきた、世界でも名の通った交渉人である。

 内心の驚きを押し殺し、努めて平静を保ち、横浜の魔女と相対する。

「性急克つ強引な呼び出し、申し訳ありません。まずは謝罪させていただきますわ」

 海千山千の交渉人同士の会話は、魔女の謝罪から始まった。

「いえ、お気になさらず。確かに私もそれなりに忙しい身ですし、今回の呼び出しに応じた所為で仕事に小さくない影響が出ることは、確かですが、『香月博士は私の置かれている状況を十分に理解している』ことを、私は理解しています」

 少々回りくどい言葉で、珠瀬事務次官はそう言って現状に対する理解度を語る。

 珠瀬事務次官がどれだけ忙しく、その予定を狂わせることが大きな弊害を生むか、香月夕呼は理解している。その上であえて、強引にこの会談の場を設けたということは、その弊害すら無視できるほどの大事について話があるということだ。

 珠瀬事務次官は『自分が呼び出された』という状況から、その事実を読みとっていた。

 極めて聞き分けの良い事務次官の言葉に、夕呼は少し苦笑を浮かべながら、返事を返す。

「ありがとうございます。しかし、そうまで言われると正直、少し気が重くなります。なぜなら、これから私は話すことは、仮定の上にいくつもの仮定を重ねた、何の証拠もない信憑性のない話なのです。率直な話『ただの妄想』と言われれば、反論もできません」

「……これはこれは。いよいよもって大事のようだ」

 珠瀬事務次官は、自嘲的な夕呼の言葉に怒りや戸惑いを見せるどころか、より一層緊張感を高めて、表情を強張らせる。

 つまり、今から香月夕呼は話す内容は「証拠も信憑性もゼロに等しいが、万が一あたっていた場合を考えると、早急に手を打たざるを得ない」そんな、とてつもない爆弾だと言うことだ。

 香月夕呼という女の聡明さも、狡猾さも、そして大胆さも十分に理解している珠瀬事務次官は、現時点で既に、軽く握った手の中がじっとりと汗で湿りつつあることを自覚する。

「お聞きしましょう」

「分かりました。かなり前置きの長い話になりますが、しばらくご静聴お願いします」

「ええ」

 珠瀬事務次官が頷いたのを確認して、夕呼は一つ咳払いをして、話し始める。

「私はいくつかの状況証拠から、BETAの次の取り得る行動の予測を立てました。

 これからその予測を順序立てて説明しますが、さっきも言ったとおり、いくつもの仮定を前提としています。そのつもりで聞いて下さい。

 まず最初に大前提として、今日まで行われていたBETAの集団行動には、全体として一つの大きな目的があると仮定します。これがないと、そもそも「BETAの思考、行動を推測する」ということが不可能になりますので」

「確かに、それはそうですな」

 夕呼の言葉に、珠瀬事務次官は表情を変えないまま首を縦に振り、同意を示した。

 集団行動に全体として統一した目的がある。こんな前段階から『仮定』しなければならないあたり、BETAという存在がどれだけ理解不能な存在であるか、分かる。

「では、以後『BETAの集団行動には、統一された一定の目的がある』という仮定に基づき、話を進めます。

 BETAに目的があるのだとすれば、その目的は何か? この疑問はBETAと接触してから今日までずっと私達科学者を悩ませてきました。歴代のオルタネイティヴ計画も、この疑問の答えを出すことに、かなりの比重を裂いてきたと言っても過言ではありません」

 夕呼の言葉に、珠瀬事務次官は頷きながら黙って聞き入る。

「オルタネイティヴ1開始から約40年。未だに明確な答えは出ていませんが、これまでの事例から奴らの目的を、僅かながら絞り込むことは可能です。

 まず一つ。BETAの目的に『地球上の動植物は邪魔な存在である』ということ。これはBETAの支配地域であるユーラシア大陸が不毛の地と化しているという事実から、明らかです」

「なるほど、BETAが目的遂行の邪魔となる動植物を意図的に排除しているというのですか。しかし、そう断言するのはいささか早計では? 絶滅させる意図はなく、ただ無造作に目的を遂行する過程で結果動植物を死滅させているという可能性もあるのではないですか?」

 例えて言うならば、環境に配慮していなかった頃の人類が、石油採掘の際、周囲の動植物を心ならずとも、多量に死滅させてしまったように。

 そう言う珠瀬事務次官の反論を、夕呼は首を横に振って否定する。

「いいえ、その可能性はまずありません。ご存じでしょうが、BETA支配地域といえども、そこはG弾被爆地とは違い、永久不毛の土地と化しているわけではありません。

 つまり、BETAが動植物の存在に無関心であれば、ユーラシア大陸の湾岸部の植生が全く復活しないと言うもおかしな話なります。日本列島、台湾、マレー諸島などから、風散布植物の種子が風に乗って大陸運ばれているはずなのです。それなのに、BETA支配地域には僅かばかりの植物も存在しない。

 私はそこにBETAの意思があると考えます」

 なるほど。確かに、BETAが蹂躙して不毛の地と化した大地でも、人類が奪還した地方の植生は復活し、BETA支配地域の植生は一切復活していないとなると、確かにBETAが意図的に植物が生えるのを邪魔していると考えたほうが、筋は通る。

 一応は納得した珠瀬事務次官であるが、ふと疑問が思い浮かび、即座に質問を投げかける。

「香月博士、逆の可能性はありませんか? つまり、BETAの目的が地上の動植物そのものであるという可能性は。いわば、BETAは星間規模の『イナゴの群れ』の様な物だと考えれば」

 しかし、夕呼は今度の疑問にもきっぱりと首を横に振る。

「ありえません。それならば、BETAが行動が、火星や月でも全く代わらないことの説明がつかなくなります」

「なるほど……動植物が狙いならば、BETAは月面や火星で繁殖する理由がない、か」

 珠瀬事務次官は何度かその立派な口ひげを撫で、自分を納得させるように頷いた。

「ご理解頂けたのでしたら、説明を続けます。

 これらの状況証拠から、私は「BETAの目的に、地上の動植物は邪魔になる」と仮定しました。

 しかし、単にBETAが蹂躙しただけの大地は、G弾汚染地域と違い、永久に植物が根ざさないわけではない。

 この仮定が正しいとすれば、どうでしょう。BETAの立場で考えて見て下さい。一度使用すれば、半永久的に植生が復活しない広域破壊兵器『G弾』。

 これは『BETAにとって』とても魅力的な兵器だとは思いませんか?

 むだ毛処理を頑張っている世の女性や、雑草の除去に労力を費やしている庭師の人達ならば、BETAにとってG弾という兵器が、とても魅力的であることが理解できるのでは?」

 ガタンと大きな物音が鳴り、珠瀬事務次官は驚いて周囲を見渡した。

 しかし、当たりに何かが倒れた形跡はない。そして、ソファーの前のテーブルを見て気づく。今の物音は、自分が無意識のうちにテーブルに手の平を付いて身を乗り出した音だったことに。

「……失礼」

 珠瀬事務次官は、擦れる声で辛うじてそう言葉を返すと、深く座り直し、首を天井に向け、大きく一度深呼吸をする。

「大丈夫ですか、事務次官。一度、休息を入れましょうか?」

 話し続ける夕呼も、こちらと大差ないくらいに顔色を失っている。さしもの天才香月夕呼も、この悪夢のような可能性を言葉にして紡ぐのは、心身に大きな負担がかかるのだろう。 

「いえ。大丈夫です、博士。ご心配には及びません。話を続けて下さい」

 ここで音を上げている場合ではない。知性と感覚の両面からそれを理解した珠瀬事務次官は、気丈にもそう言って説明を続けるよう、夕呼を促した。

「分かりました。気分が悪くなったら遠慮無く仰って下さい」

 そうことわってから、夕呼は真っ白な顔のまま、説明を続ける。

「G弾は、人類以上にBETAにとって魅力的な兵器である可能性がある。そう考えたとき、私はふと連想しました。これはまるで『蜜蜂』のようだ、と」

「蜜蜂、ですか?」

 顔色を失ったまま首をひねる珠瀬事務次官に、夕呼は「はい」と短く返事を返す。

「そう考えれば、甲9号・アンバールハイヴを巡るBETAの不可解な行動にも、一定の説明が付きます。

 事務次官はご存じでしたか? アンバールハイヴの『アトリエ』は、稼働こそしていませんでたが、無傷のままだったのですよ」

「……そのような噂が流れていたことは、知っています。しかし、国連の公式発表はアンバールハイヴの『アトリエ』は、ハイヴ攻略戦のおり、修復不能なまでに破壊された、です」

 珠瀬事務次官は眉の間に皺を寄せ、渋面を作り、そう答えた。自分でも白々しいことを言っている自覚があるのだろうが、国連事務次官という立場上、珠瀬玄丞斎はそう答えるしかない。

 その言葉を受けた夕呼は何も言わずにソファーから立ち上がると、部屋の隅にある映写機に近づくと、ポケットから取りだしたマイクロフィルムをセットし、おもむろに電源をオンにした。

 会議室の白い壁に、マイクロフィルムの写真が大きく映し出される。

「これは……」

 それは鎧衣美琴の手を仲介し、鎧衣左近から香月夕呼に渡されたあのマイクロフィルム、アンバールハイヴのアトリエを写したマイクロフィルムだった。

 壁一面に、無傷のアトリエの画像が映し出される。

 堂々と映し出された動かぬ証拠を目の当たりにして、珠瀬玄丞斎は言葉を失う。

 その様子に夕呼は特に勝ち誇るでもなく、すぐに電源を落とし、マイクロフィルムを白衣のポケットにしまうと、ソファーに戻ってきて、何事もなかったかのように話を続ける。

「ご理解いただけたと思いますが、アンバールハイヴの『アトリエ』は生きていました。そこから私は、一度目のアンバールハイヴ攻略の段階からBETAの思惑が動いていたのではないかと推測します。つまり……」

 長い夕呼の説明を纏めるとおおよそ、以下のようになる。




・かつて人類はG弾の集中投下作戦でアンバールハイヴを攻略したが、その際反応炉とアトリエは無傷だった。

・だが、それは実は、人類にG弾を量産させたいBETAの意図するところだった。

・しかし、せっかく手に入れたアトリエは停止状態で、人類の科学力では再起動させることも出来なかった。

・その状況に業を煮やしたBETAは、20万の大群を持ってアンバールハイヴを再度奪取。アトリエを再起動させた後、人類の手に渡すために、すぐに撤退した。

・そして今、稼働中のアトリエを持つアンバールハイヴからG元素が定期的にアメリカ本国へと輸送されている。G弾を量産するために。




 話を聞き終えた珠瀬玄丞斎は、すっかり乾いてしまった唇を唾で湿らせ、何とか口を開く。

「馬鹿な……いくら何でもそれは、考えすぎだ。そもそも、本当にBETAがG弾を欲しているのならば、何故奴らは自分で作らないのですか? 元々G弾は彼等由来の物質、G元素から作られるのですよ?」

 藁にもすがるようにして発せられた珠瀬事務次官の反論を、夕呼は簡単に一蹴する。

「ですから、『まるで蜜蜂』だと言ったのです。ご存じですか? 人類は未だにハチミツと全く同じものを人工的に作ることができないのです。

 だから、ハチミツを必要とする人間は、蜜蜂にハチミツを集めさせます。そのために、巣箱を作り、蜜の豊富な花畑まで巣箱を運んでやり、蜂が喜んでハチミツを集めたところで、そのハチミツを横からかっさらうのです。

 BETAも同じなのではないでしょうか? BETAはハイヴを作り、アトリエを築き、G元素を量産することは出来ても、G元素からG弾を作る能力がないのでは?

 だから、G弾を手に入れるために、アトリエ付きのハイヴを人類に譲渡し、そのアトリエが停止状態だと知るとわざわざ再起動にやっていてくれた。

 そして、そのG元素を元に十分な量のG弾が出来たところで、横からかっさらう。

 どうです、よく似ていると思いませんか?」

「で、では、香月博士。博士が先ほど仰った『まるで蜜蜂のようだ』と言ったのは、BETAのことではなく……」

 額にびっしょりと汗を浮かべる珠瀬事務次官に、夕呼は表情を消した顔で深く首肯した。

「はい。私達人間のことです」

「…………」

 珠瀬事務次官は、今度こそ完全に言葉を失った。

 なるほど、これは確かに、緊急の用件だ。

 現状では一個の証拠もない、まさに香月夕呼の妄想としか言いようのない話だが、たちの悪いことに、全体として筋は通っている。そして、万が一にもこの仮説が正しいのだとすれば、大げさな話ではなく人類の未来はない。

 何もかもが拙い。

 奪い取ったG弾でユーラシアを不毛の地にされれば、祖国再建の芽を摘まれたユーラシア出身の難民達が自暴自棄な行動に出てもおかしくはないし、そもそもG弾を奪われると言うことは、BETAの群れがアメリカ本土にやってくると言うことだ。

 色々問題点もあるが、アメリカという国はこの世界最大の工場地帯であり、食料生産地帯であり、一大消費地でもある。

 そのアメリカが前線になれば、例え直接の死傷者は少なくとも、人心の被害から連鎖する社会ダメージは、想像もつかないレベルに達するだろう。

 工場の所有者がより安全な南米に拠点を移そうとするかもしれない。農場で働く者が恐怖に駆られ、食料生産力が落ちるかも知れない。そして、国民全体に対BETA戦争危機感が広まれば、消費活動が冷え込み、世界経済が混乱を来すかも知れない。

 そのどれか一つが現実になっただけでも、国際社会の力は大幅に衰えることだろう。

 少々大げさな話だが、そうなってもおかしくないくらいにアメリカという国は、この世界で重要な位置を占めているのだ。

 工業も農業も、そして消費活動も、全世界の半分はアメリカに依存していると言っても過言ではないのだ。アメリカの低迷は世界の低迷、アメリカの破滅はイコール世界の破滅を意味する。

「…………」

 しばらくの間、珠瀬玄丞斎は無言のまま何度も深呼吸を繰り返していた。まるで、活動停止状態に陥った脳に無理矢理酸素を送り込もうとしているかのような深呼吸を、ちょうど十回繰り返したところで、珠瀬事務次官は、力の戻った目で香月夕呼を見据え、口を開く。

「話の大筋は理解しました。確かに、万が一の可能性でもこれは放っておいてよい話ではありませんな。それで、博士はこの私に何をしろと言うのですか?」

 珠瀬事務次官の問いに、夕呼は用意していた言葉を返す。

「この最悪の予想に対し、取り得る対策は大きく分けて二つしかありません。

 一つは、一刻も早く世界中のG弾を廃棄すること。

 もう一つは、G弾を奪いに来るBETAの群れがG弾の保管所に達する前に全滅させること。

 しかし、現在の世界情勢を鑑みればアメリカ政府にG弾の全面廃棄を認めさせるのは、現実的ではありません。従って取るべき対策は、後者の水際防御になります」

「そちらも、実現可能とはとうてい思えませんが?」

 珠瀬事務次官の言葉に、夕呼は素直に首肯した。

「はい。実行にはいくつもの大きな問題があります。

 まず、第一に戦力の問題です。G弾を奪いにやってくるBETAの群れがどの程度の規模かは分かりませんが、これを確実に殲滅できる戦力はやはり『αナンバーズ』しかいないでしょう。しかし、αナンバーズに救援要請が出来るのは、安保理の決議が通った場合のみです。

 ですから、事務次官にはアメリカを初めとした、常任理事国への根回しをお願いしたいのです。いざ事が起きたとき、アメリカがスムーズにαナンバーズへ救援要請を出せるように」

「それは……正直無理難題に近いですね」

 香月夕呼の要請に、珠瀬事務次官はうなるような声を上げた。

 現時点では、夕呼の推測とも言いづらい『妄想』のみが根拠の説なのだ。それを元に、各国の首脳部を説得するなど、いかに珠瀬事務次官が凄腕のネゴシエーターであっても、流石に無理がある。

 それが当然、夕呼も理解している。

「ええ。ですから、同時に私は00ユニットの完成を急ぎます。00ユニットの役目は、BETAに対するスパイです。00ユニットが上手い具合にBETAの活動予定を聞き出す事が出来れば……」

「なるほど。それは有力な証拠となるでしょうな」

 元々00ユニットは世界が認めたオルタネイティヴ4の根幹を担う存在だったのだ。完成した00ユニットが入手したデータとあれば、世界各国の首脳陣も無視はできまい。

 無論、情報に信憑性を持たせるため、00ユニットにはそれ以外の情報――ハイヴの地形図やハイヴ内のBETA分布図など――も入手する必要があるだろうが。

「しかし、肝心の00ユニットはいつ完成するのです? 失礼ですが、その目処が立たなかったことが、オルタネイティヴ計画が4から5に移行した直接の原因であったはずですが」

 率直な手厳しい指摘に、夕呼は苦笑を浮かべながらも胸を張って答える。

「その気になれば明日中にでも完成しますわ。ただし、実用可能な状態まで『調律』するには、最低1週間ほど時間を頂きたいところですね」

「……ほう」

 一呼吸開けて、感嘆の声を漏らした珠瀬事務士官はスッと眼を細め、艶然と笑う女科学者を見据えた。流石は横浜の魔女。いつの間にか、00ユニット完成にこぎ着けていたのか。

 やはり、彼女は油断ならない。

 珠瀬事務次官が、こちらに対する警戒心を強めたのを理解したうえで、夕呼は今まで通りの口調で説明を続ける。

「そして、最後にもう一つ。αナンバーズにこの話の全容を明らかにして、協力を仰ぐつもりです」

 夕呼のその言葉に、珠瀬事務次官の双眼はより一層鋭く細められる。

「αナンバーズに全容を打ち明ける、と。それは、必然的に00ユニットの性能及び成り立ち、『製造方法』にもふれることになると思いますが?」

「ええ、おそらくはそうなるでしょう」

 夕呼は、努めて表情を消し、平坦な声でそう答えた。

 αナンバーズは、最低でも表面上は、恐ろしく善良な価値観で動いている。

 そんな彼等に00ユニット全容が知れたら、果たして彼等は今まで通り、協力してくれるだろうか?

 もし、彼等の怒りや義憤がこちらに向いたら……。考えるだけで恐ろしい。
 
 しかし、現実問題として、夕呼の最悪の予想が当たっていた場合、世界を滅亡から救うにはαナンバーズの全面的な協力が必要不可欠なのだ。

 だから、夕呼は内心、もっと大胆なことを考えていた。

(00ユニットの全容を打ち明けるだけじゃない。最悪、法の整備が間に合わなかった場合、『法を無視して』BETAの殲滅の為出撃してくれるように、要請してみる)

 それは、国際社会の常識から言えば、恥知らずなまでに身勝手な要請。もっと言えば要請と言うより子供の我が儘に近い。

 常識的に考えれば、受け入れられる可能性はゼロに近い。しかし、もしαナンバーズがこの要請を受け入れるようなことがあれば。

(その時は流石に信じても良いかも知れないわね。あいつ等には、表も裏もない。全員、本気で純粋に、『この世界の人類をBETAの脅威から救う』、ただそのためだけに戦っているって)

 香月夕呼は、珠瀬玄丞斎と今後の細かな日程を詰めながら、頭の片隅でそんなことを考えていた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その5
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2011/04/17 11:28
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第五章その5



【2005年4月2日、日本標準時11時05分(万鄂王作戦第五段階、ハイヴ攻略中)、重慶ハイヴ周囲】

 万鄂王作戦の最終段階、軌道降下部隊のハイヴ突入から既に一時間。戦艦『大空魔竜』を旗艦とするαナンバーズ機動兵器部隊Cチームと、統一中華戦線の戦術機二個大隊は、既に重慶ハイヴ地下深くに侵入を果たしていた。

 ただ1機、トロワ・バートンの駆る『ガンダムヘビーアームズ改』だけを直衛に残した戦艦大空魔竜は、重慶ハイヴ上空に空中停止したまま、地上に残るBETAを相手取っている。

 戦艦大空魔竜の攻撃力は、同じ戦艦のラー・カイラムやアークエンジェルと比べればそう大したものではない。正確に言えば、攻撃力自体は高いのだが、腹の下から伸びる巨大な刃『ジャイアントカッター』やら、腹部から生える二本角で対象を串刺しにする『ビッグホーン』など、宇宙戦艦にはあるまじき事に『近接格闘用兵装』に偏っているのである。

 無論、腹部から放たれる二連のレーザー砲や、頭部パーツ跡から発射される『ヴォーグアイ』、さらにはクルクル回転するカッターで相手を切り裂く『ドラゴンカッター』など、遠距離攻撃手段もそれなりには有しているが、ラー・カイラムの『ハイパーメガ粒子砲』や、アークエンジェルの『ローエングリン』に匹敵するような、広域殲滅兵器がない。

 ゆえにBETAのような圧倒的多数を敵に回す場合の攻撃力に関しては、ラー・カイラム、アームエンジェルの両艦に劣っていると言わざるを得ない。だが、大空魔竜にはその攻撃力不足を補ってあまりある長所がある。それは、圧倒的という言葉も控えめな表現に聞こえる、馬鹿げた防御力だ。

 特機ガイキングをも上回る、その分厚い『ゾルマニウム鋼』の装甲に、BETAは原則有効な攻撃手段を持たない。

 時折思い出したように立ち上る、光線級・重光線級の大小2種類のレーザー照射を浴びながら、戦艦大空魔竜は小揺るぎ一つすることなく、ハイヴ直上に留まり続けていた。

「7時の方向より、レーザー照射。重光線級です。熱量は艦の廃熱限界の許容範囲内」

 重光線級のレーザー照射を受けた大空魔竜の艦橋で、オペレーターのフジヤマ・ミドリが落ち着いた声で、報告を入れる。

 報告を受けた大空魔竜の艦長、ピート・リチャードソンは生真面目そのものの表情で一つ頷くと、地上から大空魔竜の護衛を担当しているガンダムヘビーアームズ改に通信を入れる。

「こちら大空魔竜。現在7時の方角よりレーザー攻撃を受けている。トロワ、そこから照射源を排除することは可能か?」

 通信を受けたガンダムヘビーアームズ改のパイロット、トロワ・バートンは年齢にそぐわない落ち着いた声で返答する。

『了解した。問題ない』

 そう言うと、トロワ・バートンの操る青い重装甲のガンダムは、重光線級がいる方向へと向き直る。

 既にレーザー照射は止まっているため、目標の正確な位置は把握しづらくなっているが、トロワのヘビーアームズ改にはあまり関係ない。

『これより敵を、殲滅する』

 無感情な声と共にトリガーが引き絞られ、両腕に二丁ずつ持たれた、計四丁のガトリングガンが火を噴く。

 ヘビーアームズと重光線級の間には、多数の要撃級や戦車級が陣を取っているがトロワは全く意に介さない。

 圧倒的な威力を有する馬鹿げた厚みの弾幕が、要撃級・戦車級の壁をズタズタに切り裂き、アッという間に重光線級まで続く道を切り開く。

 そして、弾幕はそのまま重光線級も押しつぶした。

『ターゲット破壊確認。残弾が二割を切っている。一時帰艦を要請する』

「了解だ。現在周囲に光線級はいない。今の内に帰艦しろ」

『了解』

 大空魔竜から帰艦許可を得たトロワのガンダムヘビーアームズ改は、グッと膝を曲げて屈み込むと、次の瞬間、膝が伸びる勢いに合わせ、脚部、背部全てのバーニアを拭かし、中高く舞い上がった。

 さながらトランポリンの選手のような、後方伸身宙返り五回ひねりを決めたガンダムヘビーアームズ改は、見事上空に浮遊する大空魔竜の機体入出口に着地したのだった。





 Cチームと統一中華戦線の軌道降下部隊がハイヴ攻略に全力を尽くしている間、ラー・カイラム、アークエンジェルを母艦とする機動兵器部隊A・B両チームは、ハイヴ内へ戻ろうとするBETAの群れを相手に、死闘を繰り広げていた。

『気を抜くな。こいつ等をハイヴに戻せば、ハイヴ攻略部隊が上下から挟み撃ちにあうんだぞ!』

 Bチームの隊長である、サウス・バニング大尉は、気迫のこもった声で部下達を叱咤激励しながら、自らも自機ガンダム試作2号機を操り、迫り来るBETAの群れを攻撃する。

『ふんっ!』

 ガンダム試作2号機が肩に担いだビーム・バズーカを撃ち放つ。

 野太い黄色のビーム光は、迫り来るBETAの群れを撃ち貫き、一撃で十匹近い要撃級と十数匹の戦車級を葬り去った。

 その撃ち漏らしを片付けるのは、バニング大尉の直属であるバニング小隊の若手二人の仕事だ。

『ウラキ、キース!』

『はいっ!』

『掃討します!』

 バニング大尉の命を受けたコウ・ウラキの乗るガンダム・ステイメンとチャック・キースの駆るジムキャノンⅡが、ビームライフルでバニング大尉が撃ち漏らしたBETAを駆逐する。

 程なくして、バニング小隊に迫りつつあったBETAの群れは、無事駆逐された。

 だが、その事実にホッと安堵の息を漏らしている暇もない。

『次は向こうだ! 2時の方向のBETA群が軌道降下部隊がぶち抜いた穴から下に降りようとしているぞ!』

『はいっ!』

『ウラキ少尉、突貫します!』

 バニング小隊の3機は、一息つく間もなくBETA群を駆逐せんと全速で移動を開始するのだった。







 戦況的にもっとも厳しい部門を受け持っているのは、ハイヴ突入という王手を任されたCチームであるが、掛かっている負担という意味では、地上に残ったA・B両チームのそれも馬鹿にはならない。

 継続戦闘時間が7時間を超えるBチームも、本来6時間の休息を3時間で切り上げて戦場に戻ってきたAチームも、可能ならば休息を取らせたい状態であるのだが、今はそれどころではない。

 地表から地下へと戻ろうとしているBETAは、小型種も入れれば10万の大台に乗る。

 この大群に「上」から襲いかかられれば、αナンバーズCチームはともかく、統一中華戦線の戦術機部隊はひとたまりもないだろう。

 いかなαナンバーズと言えども、10万を超えるBETAを一匹残らず倒しきることは不可能だが、自分たちの頑張りがハイヴ攻略部隊の生死に直結するとなると、多少無理をしてでも頑張らざるを得ない。

 カミーユ・ビダンもZガンダムのコックピットの中で、疲労性の頭痛に悩まされながら、BETA駆逐に全力を尽くしていた。

『畜生ッ、なんなんだよ、お前達は!?』

 カミーユの操るZガンダムは、右手に持つビームライフルを乱射し、複数の要撃級を的確に打ち落としながら、左手首からグレネード・ランチャーを放ち、近寄る小型種を纏めて駆逐する。

 流石はαナンバーズのモビルスーツ乗りの中でも、アムロ・レイと並ぶトップエースと言うべきか。その素早く正確な射撃は、さながらZガンダムの周囲に見えない結界があるかのように、近寄るBETAを駆逐していく。

 しかし、カミーユ・ビダンは最高クラスのニュータイプで、トップクラスの技量を持つパイロットであっても、その体は正規の軍人教育も受けたことのない、生身の人間である。

『はあ、はあ、はあ……こいつら、どれだけいるんだ?』

 疲労は如実にカミーユの心身を蝕む。

『カミーユ、1人で前に出過ぎよ!』

『無理はやめて、カミーユ。危なくなったらラー・カイラムに一時帰艦しましょう』

 量産型νガンダムに乗るフォウ・ムラサメと、ガンダムMkⅡを駆るエマ・シーン中尉が敏感にカミーユの疲労状態を察して声をかける。

 もっともそう声を上げるフォウとエマ自身も、疲労で息を弾ませている。

 フォウは、ニュータイプ研究所で調整を受けた人工ニュータイプとでも言うべき『強化人間』、エマは軍のエリート部隊である『元ティターンズ』出身と言うこともあり、民間人出身のカミーユよりは幾分マシだが、αナンバーズの区分では『一般人』に分類される。

 遺伝子レベルで調整を受けているコーディネーターや、ゲッターチームと比べれば、体力はないと言っても良いだろう。せいぜい「よく鍛えられた現役軍人」程度だ。

 カミーユ自身、体力の限界を感じていたのか、無駄に突っ張ることなかった。

『分かった。一度補給に戻る。でも、まずはあいつ等を倒してからだっ!』

 そう言ってカミーユは、Zガンダムが胸の前で構える長銃身の大型ビーム兵器『ハイパー・メガ・ランチャー』の銃口を、遠方より迫り来るBETAの群れに向ける。

 レーダーマップの一角を真っ赤に染め上げるそのBETAの群は、総数にして300ほどだろうか。

 半数は要撃級、残り半数は戦車級を中心とした小型種で、厄介な光線属種や要塞級の姿は見受けられない。

 これならば、カミーユ達3人だけも問題なく殲滅できるだろう。だが、そんな彼我戦力差も理解できないのか、BETAは一瞬の停滞もなくまっすぐこちらに突っ込んでくる。

『畜生、お前達はそんなに戦争がしたいのかよっ!?』

 言っても無駄だとは分かっているが、カミーユは叫ばずにはいられない。

 繊細なニュータイプであるカミーユにとって、BETAは異常なくらいに無機質で、不愉快な存在だ。

 BETAと比べればあの宇宙怪獣でさえもう少し、『意思』のようなものが感じられた。しかし、このただ黙々と突っ込んでくる異形の群にはそれが全くと言って良いほど感じられない。

 この感覚はむしろ、『モビルドール』や『ゴースト』のような人工知能搭載の無人機と相対したときに近い。

 カミーユは頬を伝わる汗を振り切るように、コックピット中で一度激しく首を振ると、なにか吹っ切れたように叫ぶ。

『いいだろう。ならば、戦争だ!』

 ハイパー・メガ・ランチャーの野太いビーム光が、BETAの群れの真ん中を貫き、纏めて数十匹のBETAを消し飛ばす。

『うおおお! 消えてなくなれぇ!』

 さらに、カミーユはハイパー・メガ・ランチャーの銃口を微妙にずらしながら、第2射、第3射を連続して放つ。

 BETAの群れは、気迫のこもったカミーユと、それをフォローするフォウ・エマの攻撃を前に、接近する事も叶わず、塵と化すのだった。










【2005年4月2日、日本標準時13時05分(万鄂王作戦第五段階、ハイヴ攻略中)、重慶ハイヴ地下1000メートル地点】

 αナンバーズ機動兵器部隊Cチーム及び、統一中華戦線軌道降下部隊2個大隊がハイヴ攻略を開始して約3時間。

 νガンダムに乗るアムロ・レイ大尉を隊長とするCチーム12機は、1機の脱落もなく深度1000メートル地点まで侵入を果たしていた。

『このぉ、やらせるかっ!』

『おっと、ジュドーだけにいいかっこさせてたまるかっての』

 ジュドー・アーシタのZZガンダムがダブルビームライフルで、要撃級数匹を纏めて葬り、競うようにして前に出たビーチャ・オーレグのドーベン・ウルフが、腹部に接続したメガ・ランチャーで残るBETAを駆逐する。

『ちょっと、ビーチャ。出過ぎだってば』

 数匹の戦車級が奇跡的にその凶悪なビーム光から生き延び、接近しようとするが、そこに立ちはだかったのは、ビームサーベルを構える金色のモビルスーツ――イーノ・アッバーブの駆る百式だった。

『このっ』

 しゃがみ加減の百式が、足元を薙ぐように2,3度ビーム-サーベルと振るうと、戦車級はいとも容易く切り裂かれ、屍をさらす。

『ふー』

『サンキュ、イーノ』

 無事前方の敵を駆逐し終えて一息つくジュドー達に、アムロが指示を出す。

『よし、ジュドー隊は一度後方に下がって、エネルギー回復に努めろ。変わりの前衛は、ヒイロ隊だ』

『任務了解……』

『おっと、死神様の出番かッ』

『わ、分かりました』

 後方に下がるZZガンダム、ドーベンウルフ、百式と入れ替わるように、ウイングガンダムゼロ、ガンダムデスサイズヘル、トーラスの3機が最前線に立つ。

 ZZガンダムとドーベンウルフは、モビルスーツの中では珍しい重装甲、高火力をコンセプトとした機体だ。

 瞬間の殲滅力には定評があるが、その火力を長時間持続することは難しい。しかし、ZZガンダムの頭部から放つ広域殲滅粒子兵器『ハイ・メガ・キャノン』や、ドーベンウルフのビームライフルを腹部に直結して放つ『メガ・ランチャー』などは、機体のジェネレータをエネルギー源とする兵器であるため、時間さえたてばいずれ再攻撃が可能になる。

 この様な長時間補給に戻れない状況には適した兵装と言えよう。無論、エネルギー回復時の交代要員が十分にいることが絶対条件だが。

 代わりに前線に立った、ヒイロ小隊の3機は、ヒイロ・ユイのウイングガンダムゼロを中心に、ゆっくりと前進する。

『…………』

『さぁて、そんじゃま、行きますか』

『はあ、はあ……』

 無言のまま周囲を警戒するヒイロ、軽口を叩きつつも油断なく索敵を続けるデュオに比べ、可変型モビルスーツ・トーラスに乗る黒髪の少女、ヒルデ・シュバイカーはあからさまに緊張し、荒い息をついていた。

 まあ、無理もあるまい。ヒルデ・シュバイカーのパイロットとしての技量や体力は、αナンバーズの中では最下層に近い。その上、彼女の乗るモビルスーツ『トーラス』の防御力は、要撃級の前腕攻撃や、戦車級の噛みつきが十分に有効なレベルの代物だ。

 つまりヒルデにとってハイヴ攻略戦は、命の危険を感じる戦いなのだ。と言っても、同じ小隊に所属するパイロットが、ウイングガンダムゼロのヒイロと、ガンダムデスサイズヘルのデュオでは、明確な命の危機を感じる前に危機の原因が排除されているのが、現実なのだが。

『おおっと、ここからは『下』か』

『いやまて。前に続いている』

 そうしているうちに、先頭を歩くヒイロ小隊は、下へと続く細い縦坑と、横に伸びる太めの横坑を同時に発見した。

『どうする、ヒイロ?』

『考えるまでもない。俺が下で、お前が前だ』

『へっ、了解っ』

 その言葉通り、ヒイロ達が立ち止まっていた時間はごく僅かだった。

 白い4枚の翼を背中に生やした青いガンダムが、縦坑に飛び込むと同時に、黄色に光るビーム光の鎌を構えた漆黒のガンダムが滑るような足取りで横坑へと足を進める。

 二人の反応は対照的だった。

『あちゃ、こっちは外れか』

 と横坑の向こうからデュオが気の抜けた声を上げると同時に、

『ターゲット発見。殲滅する』

 縦坑の下から、ヒイロがいつも通りの抑揚のない口調で敵殲滅宣言をする。

 ヒイロが飛び込んだ縦坑の先は、中規模の広間だった。中規模と言ってもフェイズ5ハイヴの基準での話だ。広さは直径にして数百メートル、高さも百メートルは有にある。

 そして、その床一面に要撃級を主体としたBETA群がびっちりと敷きつめられている。その総数は、軽く千匹を超えているだろう。しかも、どのような脚部の構造をしているか全く謎だが、BETAは天井にへばりついており、床も天井も足の踏み場がない。

 しかし、その程度の状況で、ヒイロ・ユイが驚くはずもない。

 ヒイロの操るウイングガンダムゼロは、縦坑を滑るようにしてに降りてくると、巧みな操作に床に足を下ろすことなくホバリングし、広間の中心部へとやってくる。

 そして、ウイングガンダムゼロは、日頃は束ねて持っているツインバスタービームライフルの連結を外し、左右の手に一本ずつ持つと、右手の銃口を床、左手の銃口を天井に向けた。

『ターゲットロック。排除開始』

 短い撃滅宣言と共に、二つのバスタービームライフルから眩いビーム光が放たれる。

『全て、破壊する』

 という言葉通り、ヒイロはビームを打ちっ放し状態のまま、銃口をクルクルと動かし、二本のビーム光で床と天井を舐めるように丁寧に掃除していく。

 ビーム光が収まった後には、広間にはさっきまでそこに1000匹を超えるBETAがいたという形跡は一欠片も残っていなかった。

『排除完了』

 敵殲滅を確認したヒイロは、ゆっくりと機体を床に下ろす。

 ジュッと炭化した熱い炭を踏みつぶす音が広間に響き渡るが、床そのものが砕けるようなことはない。どうやら、先ほどのツインバスタービームライフルの一撃は、十分に加減をしてあったようだ。

 ウイングガンダムゼロのツインバスタービームライフルをフル出力で放てば、いかに頑健で知られるハイヴの構造物でも、崩落の一つや二つを起こすはずだ。

 もっともウイングガンダムゼロは、モビルスーツの中でも異常なほどに重量が軽いことで知られる、『ガンダニュウム合金製』だ。

 ヒイロは念のため、ガツガツと踵で床を乱暴に蹴って強度を確かめた。

 ウイングガンダムゼロの重量は、僅か『8トン』しかない。ウイングガンダムゼロの重さに耐えられたからと言って、後続の機体の重さに耐えられる保証にはならない。

 νガンダム、Zガンダムの総重量が『60トン』強、ZZガンダムが『70トン』弱と言えば、ガンダニュウム合金の常識を越えた軽さが理解できるだろう。 

 そのくせ装甲強度は特機のそれに準ずるほどの性能を示し、しかも電波を吸収する性質があるためステルス製も抜群というのだから、もう存在自体が反則のようなものだ。

 まあ装甲素材というモノは軽ければ良いとも限らないのだが、『ガンダニュウム合金』の存在をこの世界の科学者が聞けば、まず間違いなく自分の正気を疑うことだろう。

 念入りに床の状態を確かめて、さらに周囲からBETAが集まってくる様子もないことを確認したヒイロは、縦坑の向こうで待っているであろう仲間達に通信を送る。

『任務完了、敵は全て排除した』

 その通信を受けたアムロ達が広間まで降りてきたのは、その10分後の事だった。





 ヒイロの通信を受けてから十数分。すでに、Cチームの大半は縦坑を降り終えていた。上に残っているのは、カトルのガンダムサンドロック改と、綾波レイのエヴァンゲリオン零号機だけだ。

『よし、良いぞ。次は、カトルの番だ。ワイヤーを切らないように慎重に頼む』

『はいっ!』

 広間から縦坑を見上げてそう支持を出すアムロに、まだ上に残っているカトル・ラバーバウィナーは行儀の良い返事を返すと、縦坑の壁にヒートショーテルを突き立てるようにして、慎重に降りてくる。

 その機体の腰の後ろには、クルクルと回る糸巻きのようなものがくっついている。

 有線通信機のコードだ。ハイヴ内部は通常の無線通信が通じづらくなっているため、こうした準備が必要になる。無論、αナンバーズには『フォールド通信』という空間を飛び越える通信手段があるので本来不必要なのだが、今回は統一中華戦の戦術機部隊との共同作戦である。

 後続部隊である彼等との通信手段を確保しなければならない。

 当初は、部隊長クラスの機体だけでも『フォールド通信機』を設置使用かという意見もあったが、技術的な問題と、政治的な問題からそれは却下された。

 緊急脱出用の強化外骨格を兼ねる戦術機にコックピットに、後付けで未知の技術を使用した通信機を備え付けるのは中々に難しい。

 その上、統一中華戦線だけが特殊な通信手段を手に入れると言うことに、各国が黙っているはずもない。日本帝国からやんわりと、EU諸国からしっかりと、アメリカ、ソ連からがっつりと釘を刺され、結局『フォールド通信機』の貸与はお流れとなった。

 中継ポイント設置して、コードを踏み抜かないように横壁にくっつけて設置を終えたカトルは、有線通信機を使用し、後続部隊と連絡を取る。

『αナンバーズより楊連隊へ。聞こえますか?』

 返事はすぐに来た。

『こちら楊01。通信感度は良好。レーダーにもそちらの位置が映っていますよ』

 統一中華戦線の戦術機部隊の連隊長を務める三十代の少佐が、落ち着いた声で返答を返す。

 通信は音声のみの為、どのような顔をしているかは分からないが、その声色から判断するに、疲労やストレスの影響もまだ出ていないようだ。

『一応周囲のBETAは殲滅しつつ前進していますが、完全掃討の確認までは出来ていません。お気をつけて』

『ご忠告痛み入ります。了解しました、では』

 プツリと耳障りな音を残し、有線通信は切れた。

 通信が切れたところでカトルは、部隊長であるアムロに連絡を入れる。

『アムロ大尉。統一中華戦線の皆さんも順調なようです』

『了解だ。後続の安全確保のためにも、可能な限り広範囲のBETAを殲滅しつつ下層領域を目指すぞ』

『了解ッ』

 明らかに、この世界のハイヴ攻略のセオリーと、正反対の方針を宣言するアムロに、αナンバーズCチームのパイロット達は、声を揃えて諾の返答を返す。

 αナンバーズCチームは12機。統一中華戦線のハイヴ攻略部隊は、二個大隊の72機。

 下手に足並みを揃えたらかえって混乱を来す、という当初に下した判断は正しかったのか、今のところハイヴ攻略は順調に進んでいる。

 無論、αナンバーズはともかく、統一中華戦線の戦術機は最後まで損害ゼロとは行かないだろう。

 いかにαナンバーズが先に『掃除』をしてくれているとは言っても、ハイヴのBETA全てを殺し尽くせるわけではない。鉄原ハイヴの例を見ても分かるように、ハイヴの予想深度やハイヴ内のBETA総数が、想定を超えている可能性も十分にある。

 その上、統一中華戦線の戦術機は、何機か大きな葛籠のような『補給コンテナ』を背負い、何故か分からないが『反応炉』ではなく『アトリエ』をしきりに気にしている者も混じっているのだ。

 相応の被害が出るのは間違いない。

 その被害を抑えるために今できることは、ハイヴ内のBETAを一匹でも多く屠る以外にない。

『ヒイロ、ウイングゼロのエネルギーはまだ回復しきっていないか? それならば交代だ。ケーラ、五飛。俺と一緒に前線を担当だ。ヒイロ小隊は、中衛でエネルギー回復。

 ジュドー小隊は、ZZとドーベンウルフのエネルギーが回復したら報告してくれ』

『了解』

『ふん、いいだろう』

 量産型νガンダムに乗るケーラ・スゥ中尉と、アルトロンガンダムに乗る張五飛が、アムロのνガンダムの左右を固めるように前に出る。

 その後ろにジュドー小隊の3機、さらにその後ろにヒイロ小隊の3機。そして最後尾は、今まで通り有線通信機のコードを延ばしながら進むカトルのガンダムサンドロック改と、後ろの防御を受け持つ綾波レイのエヴァンゲリオン零号機が固める。

 αナンバーズCチームは、順調にBETAを殲滅しながら、ハイヴ奥深くへと潜っていくのだった。











【2005年4月2日、日本標準時18時54分、地球低空軌道400㎞、軌道ステーション、駆逐艦】

 地上400キロ上空に築かれた軌道ステーション。

 そこは国連が管理する、軌道爆撃用の対レーザー弾頭の備蓄基地である。

 地上で生産される対レーザー弾頭の大半は、装甲駆逐艦に乗せて打ち上げられ、この大気圏外に築かれた軌道ステーションに備蓄される。

 当然、その対レーザー弾頭を使用する国連軍軌道爆撃艦隊の装甲駆逐艦も、大半は常にこの軌道ステーション周囲に待機している。

 軌道爆撃部隊の主な出撃機会は、ハイヴ攻略戦だ。ハイヴ上空から対レーザー弾頭を雨霰のように降らせ、重金属雲を発生させ、戦術機による軌道降下作戦を助ける。それが、軌道爆撃部隊の主立った役割である。

 そして今はまさに、重慶ハイヴ攻略戦『万鄂王作戦』の最終段階。本来であれば、軌道爆撃部隊の檜舞台のはずなのだが、今のところ、軌道爆撃艦隊の出撃要請は一度だけ。一番最初に戦術機を降下させ、同時にハイヴ周辺に、戦術機用の補給コンテナを投下しただけだ。

『αナンバーズが絡む戦闘は、今までのセオリーが通用しない』という噂は、どうやら本当だったようだ。経験にない長い待機状態を過ごす、国連機動爆撃艦隊の兵士達は、状況を理解しつつあった。

 



「中尉、暇っすねぇ……」

 戦闘待機命令が解かれていない装甲駆逐艦のシートの上で、ジョニー・アンダーヒル少尉は、もう何度目になるか分からない愚痴をこぼす。

「ああ……」

 隣に座る厳つい髭面の中尉が、目を瞑ったままそう短く答える。臨戦態勢中の軍人にはあるまじき、弛緩した雰囲気だが、まあそれも無理はない。

 戦闘待機中の装甲駆逐艦の乗組員ほど、暇を持て余す人種もそうはいない。

 上空400キロに浮か装甲駆逐艦は、地上との相対距離を一定に保つため、時速3万キロという高速で地球の周りを飛び続けている。

 たかだか400キロ程度では、地球の重力を振り切るには全く足りないが、時速3万キロで飛ぶ遠心力が『上』方向に掛かるため、『下』方向の重力と互いの力を打ち消しあい、中は無重力状態に近い、低重力状態となる。

 そのため、戦闘待機中の装甲駆逐艦の乗り組員達は全員、体をガチガチにシートベルトでシートに固定される。尻の位置を変えることさえままならない。許されている自由は、呼吸と瞬きとおしゃべりだけだ。

 普通はこの様な待機状態はそう長くは続かず、すぐに出撃命令が下り、軌道爆撃へと移行するのだが、今回は勝手が違う。

 地上侵攻部隊であるαナンバーズが、「原則軌道爆撃は不要」と通達してきていたのだ。

 この世界の常識で計れば正気を疑いたくなる発言だが、αナンバーズの立場で見れば『軌道爆撃不要』という意見も分からないではない。

 軌道爆撃は、投下の瞬間でも地上100キロまでしか高度を下げない。その高々度から降り注ぐ弾頭の威力は絶大だが、『精密』という言葉からはほど遠い攻撃になるのも事実だ。

 いかにナンバーズの機動兵器が規格外だといっても、100キロ上空から投下される爆撃を受ければ、平然とはしていられない。まあ、一部の特機は例外だが。

 となると、元々重金属雲なしでもBETAの大群に対処できる能力のあるαナンバーズにとっては、ある程度正確な狙いがつけられる艦砲射撃や自走砲の対レーザー弾ならばともかく、狙いが不正確な上に威力だけは高い軌道爆撃は、弊害の方が大きいということになる。

「しっかし、機動爆撃無しのハイヴ攻略って、本当に成功するんすかね?」

「事実、甲21号では成功している」

 若いアンダーヒル少尉の言葉に、ひげ面の中尉はむっつりとした口調ながら律儀に言葉を返す。いちいち部下の軽口に付き合ってやっているあたり、厳つい見た目とは裏腹に、面倒見の良いタイプなのかも知れない。

「えー、でも甲21号ハイヴと、甲16号ハイヴじゃ立地条件もハイヴの規模も全然違うじゃないすか」

「……ああ」

「それじゃ、保証にならないじゃないですか。やっぱ、最初に軌道爆撃やっとくべきだったんじゃないすかね?」

「兵器が変われば戦術も変わる。一概にはいえん」

「えー、でも……」

 若い少尉とひげ面の中尉が無駄話に花を咲かせていたその時、艦全体にオペレーターからの通信が響き渡る。

『万鄂王作戦は無事終了した。現時刻をもって戦闘待機状態を解除する。機動爆撃艦隊各艦は、待機宙域に帰還せよ。繰り返す。万鄂王作戦は無事終了した。現時刻をもって……』

「…………」

 オペレーターが作戦完了を告げる中、アンダーヒル少尉は拍子抜けしたような顔で首を傾げる。

「作戦終了って、まさかもうハイヴ攻略が終わった事ですかね? もしかして、俺達出番は無し?」

「ああ。そう言うことだろうな」

 心なしか、ぶっきらぼうに答える髭の中尉の声にも、張りがない。

 まあ、無理もあるまい。2人の仕事は、軌道爆撃の際の投下シーケンス管理だ。

 駆逐艦の機動を担当していた艦長や操舵手達はともかく、攻撃担当のアンダーヒル少尉達は、実質「何もしないでただ椅子に固定されていた」だけだ。

 供えること、待機することも軍人の仕事、とは理解しているものの、脱力感は否めない。

「くーっ! 体中が固まってる」

 離席許可こそ下りないものの、上半身を固定を外す許可の下りたアンダーヒル少尉は、早速上半身のシートベルトを外し、シートの上で伸びをする。

「あー、もう。ステーションに戻ったら、遊泳室の使用許可貰って体動かすぞ。絶対にっ!」

 グルグル首を回しながら、アンダーヒル少尉はグッと拳を突き上げて宣言する。

 アンダーヒル少尉が所属する軌道爆撃艦隊は、輸送任務に就いている一部の艦を除き、常時機動ステーション周辺宙域に待機することになっている。

 当然、乗組員達はストレスの溜まる閉鎖空間での生活を強いられることになる。そのため、起動ステーションには、ストレス解消のための施設も、多少は設けられているのだ。

 無重力空間での運動は、慣れないと思うとおりに動けない上にすぐに酔うため、毛嫌いしている人間も多いが、アンダーヒル少尉はそれを何よりも楽しみにしていた。

 なにせ、アンダーヒル少尉は、アメリカ合衆国の『有人コロニー構想』を聞いたとき、間髪入れずに「俺がその人工都市の最初の市民になるっ!」と宣言したほどだ。

 BETA戦以降、この世界ではほとんど見なくなった宇宙への憧れを未だに抱き続けている男である。

「ところで、中尉は戻ったら何するんですか?」

 ふと思いついたようなアンダーヒル少尉の問いに、厳ついひげ面の中尉は小さく肩をすくめて答える。

「まずは地上帰還のための手続きだな。俺もそろそろ宇宙に上がって半年だ」

 当たり前の用に返す上官の答えに、アンダーヒル少尉は一瞬キョトンと首を傾げた後、あっと驚き声を上げた。

「へ……? あっ、ああ! そうだ、そうだった! 中尉が地上帰還ってことは、俺もじゃん! うわー、すっかり忘れてた! 畜生、なんで、半年ってこんなに短いんだよ!」

 アンダーヒル少尉はバンバンとシートの手すりを叩いて悔しがる。

 しかし、どれだけ本人が望んでも、宇宙軍では無重力状態の勤務はどれだけ長くでも半年と定めている。これは、単純に効率の問題だ。

 無重力状態で一月以上過ごした人間の骨、筋肉、内蔵は驚くほど急速に衰える。よく言えば無重力状態に『適応』してしまうのだ。

 そのため、無重力勤務を終えて戻ってきた兵士は、必ず1ヶ月ほど軍の施設でリハビリと食事療法を受け、地上に適応する体に作り直す。

 もし、ここで半年を超える時間、例えば一年以上無重力空間にいれば、地上適応訓練が1月ではすまなくなる。無論個人差もあるが、最悪の場合、体が衰えきって、地上帰還後何週間も寝たきりに近い状態になってもおかしくない。そうなれば、復帰までにどれだけの時間を有するか、分かったものでない。

 貴重な人材に、2ヶ月も3ヶ月もリハビリをさせておくほど、今この世界に余裕はない。

 そう言った過去のデータから、無重力空間勤務は最長で半年と定められている。

 もっとも大部分の再突入駆逐艦乗りは、地上勤務を熱望し、無重力勤務が終わる日を指折り数えるものであり、アンダーヒル少尉のような人間は、例外中の例外である。

「あー、αナンバーズの人間ならこう言う制限もないんでしょ。ずりーよなー、あいつ等」

 アンダーヒル少尉はそう言って、まだ幼さの残るその顔をプッを膨らませる。

「正真正銘の異世界人と比べてどうする。向こうとは根本的に常識が違うんだ」

「それはそうですけどー……」

 髭の下の口元を珍しく苦笑の形に歪める中尉の言葉に同意を示しながらも、アンダーヒル少尉はまだ納得がいかないと言わんばかりに、不機嫌そうな表情を崩さなかった。

 実際、アンダーヒル少尉が言うとおり、αナンバーズには先ほど言ったような『無重力勤務の常識』が通用しない。

 彼等は、エルトリウムやマクロス7の様な人工重力の備わっている艦ならばともかく、ラー・カイラムやアークエンジェルのような人工重力のない艦で長期間宇宙に滞在した後でも、地球に降りてきてすぐその日から何事もないかのように活動が可能なのだという。

 αナンバーズの世界は、人類が宇宙に進出してすでに100年以上が経過している世界だ。世代を重ねるに従って、人類という種そのものが重力空間と無重力空間を行き来することに適応していったのだろうか。

 そう考えれば、たとえアースノイドの一般人でも、αナンバーズ世界の人間と、この世界の人間では、若干異なった存在なのかも知れない。

「あー、羨ましい。俺も自由に宇宙にいける体が欲しい-!」

 宇宙に憧れる若い少尉は、そう言って子供のようにグッと両拳を突き上げるのだった。









【2005年4月2日、日本標準時19時04分、横浜基地】

 甲16号・重慶ハイヴ攻略。その吉報は、すぐに全世界に知れ渡った。

 ここ横浜基地でも、重慶ハイヴ攻略を祝い当直以外の兵士には半休が告げられ、PXではαナンバーズ経由で届けられた天然食品や、嗜好品が数量限定で振る舞われている。

 朝鮮半島のど真ん中にあった甲20号・鉄原ハイヴと違い、重慶ハイヴの存在はそれほどそれほどの日本に影響を及ぼすものではなかったが、ハイヴ陥落がめでたい事に変わりはない。

「乾ぱーい!」

「人類の勝利に!」

「勝利を勝ち取った兵士達に!」

「相変わらず滅茶苦茶なαナンバーズにっ!」

 流石に酒類は解禁されていないため、ドリンクは水やお茶だが、勝利の報告はアルコール以上に兵士の精神を心地よく酔わせてくれる。

 取り合えず現状ではハイヴ陥落の報告こそ入ったものの、αナンバーズを初めとしたハイヴ攻略部隊の面々はまだ、中国大陸上空だ。

 いかに重慶ハイヴが落ちたとは言っても、中国大陸にはまだハイヴが複数存在するため、この時点では攻略部隊が無事帰還するという保証はないのだが、まあ問題はあるまい。

 BETAがひしめく往路を、駆逐しながら損耗ゼロでぶち抜いたαナンバーズが、今更復路で損害を出すとは考えづらい。

 ハイヴ攻略の情報が入ってこないとなると、PXに集まった兵士達の中には、あちこちで己の武勇伝を語る者が現れる。

 彼等にとっては幸いなことに、今の横浜基地は4月にこの基地配属されたばかりの新人という、実に格好の『聞き役』がいる。

 20歳前後の若い日本人兵士は、今年度徴兵されたばかりの幼い兵士達を前に大演説をぶる。

「とにかくその時は、焦ったさ。まあ、それが俺にとっては事実上の初陣だったんだから当たり前だけどな。だってそうだろ? 俺達は、戦術機に乗る衛士様じゃない。戦車兵や機械化兵でもない。小銃だけが頼りの警備兵だぜ。

 いくら兵士級と闘士級だけとはいっても、警備兵にBETAを相手取れなんて、無茶な話さ。

 とは言っても、実際問題BETAは基地内部まで侵入してきている。今更逃げる事も出来やしねえ。結局やるしかない訳よ。

 隊長の命令に従って、小銃担いで恐る恐る基地内部を回って、曲がり角であの象ッ鼻の闘士級と鉢合わせたとき俺の心境は、いまだに何と表現すればいいか分からんね。

 びびったかって? そりゃ、びびったさ。俺は石像でもαナンバーズでもねえんだ。BETAと直でご対面してびびらねえ、はずもねえ。

 白状すればびびったどころか、ちびってたね。

 あんなにびっくりしたのは、ガキ頃、公衆便所のドアをノックしたら、中から野太い声で「どうぞ」と返ってきたとき以来だ。

 とにかく俺はびびった。しかし、やっぱり訓練ってのは馬鹿にできねえのな。

 後ろから隊長に、「構え、撃て!」と言われたら、自然と俺は銃口をBETAの野郎に向けて……」

 若い警備兵の「武勇伝」を、幼い兵士達は意外な事にそれなりに目を輝かせて聞いている。

 まあ、考えて見ればBETAと生身で相対し、生きて還ってきた兵士というのは、それだけで十分に大したものだ。

 特に、同じ警備部隊に配属された新人兵士達から見れば、『横浜基地防衛戦』という実戦を経験している先輩達は、実に頼もしい存在に映るのだろう。

 話す方が話したがり、聞く方が聞きたがるという、需要と供給のマッチしたそこのテーブルは盛りあがっていた。

 さらに、定番通り他人の色恋沙汰を魚に盛りあがっているテーブルもある。

 アイツがアイツに告白した。誰々が誰それに夜這いをかけて、股間を蹴り上げられたなど、何時の時代も、恋愛関係の話というのはもっとも盛りあがる話題の一つである。

「そういえば、あいつはどうしたんだ、ほら、あの五分刈りの……」

「佐藤ですか?」

「そうそう、佐藤だ。あいつ、彼女が出来たって浮かれてたじゃねーか」

「あ、あいつ振られたみたいですよ」

「なに? 本当か!?」

「はい。この間便所で「こんなに面倒くさいなら、こんなに金がかかるなら、愛などいらぬわっ!」って涙声で叫んでましたから」

「……いや、この男が希少で女あまりのご時世に、どうやったらそこまでろくでもない女に引っかかることができるんだよ……」

 中には必ずしも明るい話題ではない話もあるが、ハイヴ攻略という絶対的勝利の前には、そういった身近な悲話も笑い話に出来るだけの力がある。

「よーし、しょうがねえ。あの馬鹿慰めに行くぞ。付いてこい、お前等」

「了解っ!」

 夜の横浜基地は、明るい笑い声と歌声に満ちていた。





 重慶ハイヴ攻略の吉報に基地全体が浮かれる中、香月夕呼は地下19階の自室で、運命の分岐点とも言うべき、αナンバーズとの会談の最終調整に勤しんでいた。

「時間は、最速で3日後か。仕方がないわね、向こうにも都合があるだろうし、こっちがごり押しできる立場でもないし」

 αナンバーズの交渉窓口である大河幸太郎全権特使は、現在岩国基地にいる。

 αナンバーズが国連と正式に条約を結んで以降、大河全権特使はこの世界でもっとも忙しい人間の一人となっている。

 普段は、司馬宙やルネ・カーディフ・獅子王などをボディーガードに引き連れて、世界中を跳び回り、信頼できるボディガードが側を離れている今のようなときは、岩国基地で各国の大使を相手に、数多の交渉を同時進行させているのだという。

 そんな人物との緊急会談が、こんな短時間で決まったのだから、これ以上何か言うのは贅沢というものだろう。

「向こうが帝都で用事を済ませた後、こっちに拠ってくれるらしいから、こっちから出向く手間は省けるわね。こっちは、私と社は絶対として。後は白銀は……」

 夕呼は思わず考え込む。00ユニットの『鑑純夏』の最終調整を考えれば、白銀武にはいずれ全てを打ち明ける必要があるのだが、正直αナンバーズと一緒にその場で真実を告げるというのは、爆弾が大きすぎる。

「やっぱり、白銀は後回しね。こっちは私と、社だけ。向こうは確か……」

 夕呼はパソコンを操作して、先ほど届いた電子メールに目を通す。

 三日後にやってくるαナンバーズの交渉役。そこには、いつも通り全権特使の大河幸太郎の名前と共に、ボディーガード役の『司馬宙』と、ボディーガード兼サブの交渉役である『破嵐万丈』の名前が印されていた。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第五章その6
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2011/05/24 00:31
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第五章その6



【2005年4月4日、日本標準時10時03分、横浜基地地下19階、香月夕呼研究室】

 αナンバーズが『万鄂王作戦』を無事成功に導いてから二日たった今日。ここ、横浜基地の地下19階に位置する香月夕呼研究室には、部屋の主である香月夕呼と、伊隅ヴァルキリーズの隊長代理である神宮司まりも少佐の姿があった。

 伊隅ヴァルキリーズ神宮司隊を率いて、『万鄂王作戦』に参加していたまりもが、横浜基地に帰還したのは、昨日の午後である。

 そのまりもが提出した『万鄂王作戦』の報告書が現時点で既に夕呼の手にあると言うことは、まりもはその報告書を昨日一日で書き上げたということになる。

 重慶ハイヴからの復路にBETAが出没しなかったため、まりもたち機動兵器部隊の面々は丸一日艦内で休みが取れた。そのおかげで、ある程度疲労が抜けていたから出来たスピード提出なのだろうが、それにしても神宮司まりもという軍人の生真面目さと勤勉さをを端的に示すエピソードである。

 そして、朝一でその報告書に目を通した香月夕呼は、早速神宮司まりも少佐を自室に呼びつけたのであった。




 十年以上の付き合いであるまりもでも、ちょっと見たことのないくらいに不機嫌な顔で、夕呼は報告書を丸めて右手に持ち、それでパンパンと左手の平を叩く。

「……一応聞いておくけど、この報告書に嘘はないわね?」

 夕呼のその言葉に、まりもはとっさに提出した報告書の内容を頭の中で反芻する。しかし、そこに香月夕呼が不機嫌になるようなことを書いた覚えはない。もちろん、報告書に嘘の記載をするようなマネは、まりもは考えたこともない。

 故にまりもは、いぶかしみながらも、

「はいっ、ありませんっ!」

 と、答えるしかなかった。

 その答えを聞いた夕呼は眉の間に刻まれたシワを一段と深めて、再度確認する。

「ねえ、まりも。この報告書の最後は『特筆すべき異常は見あたらず』と結ばれているのだけれど、本当に、異常は、なかった、のね?」

 一言一言言葉を切りながら夕呼はそう言うが、やはり心当たりのないまりもは、同じ返答しか返せない。

「はい、異常ありません」

「そう……」

 その返答を聞いた夕呼は、しばし黙りこくった。

「…………」

 直立不動の体勢を保ったまま微動だにしないまりもに「楽にしなさい」とも言わず、黙って机の上の受話器を取ると、隣室に控える副官に連絡を入れる。

「ああ、ピアティフ? 悪いけどコーヒー二人分お願い。ええ、そう、αナンバーズから頂いた奴。袋にマジックで○て書いてあるから、すぐ分かると思うわ。×って書いてある方と間違えないでね。それじゃ、お願い」

「……香月博士?」

 直立不動のまま、いぶかしむように声を上げるまりもを、夕呼はきっぱりと無視する。

「失礼します。コーヒーをお持ちしました」

「ありがとう、そこに置いて」

「はい。失礼します」

 夕呼の副官、イリーナ・ピアティフ中尉は、まりもに視線で向けて小さく頭を下げた後、テキパキと二つのコーヒーカップを夕呼の机の上に置き、丁寧に一礼して退室していった。

 パタンと軽い音を立てて、出て行ったピアティフがドアを閉める。

 再び研究室は夕呼とまりもの二人だけになる。夕呼は湯気を立てる白いコーヒーカップの片方を手に取ると、少し眼を細めてその黒い液体をすする。

 それは、αナンバーズのアンドリュー・バルトフェルドから毎週のように送られる、彼特製のオリジナルブレンドコーヒーである。より正確に言えば、送られてくる中の数少ない『当たり』の一つと言うべきか。

「ほら、あんたも飲みなさい。まりも」

 自ら率先してコーヒーをすすりつつ、夕呼はそう言って直立の姿勢を崩さない親友兼部下を促す。

「いえ、勤務時間中ですから」

「別に酒を勧めている訳じゃないのよ。いいから、飲みなさい。それ飲めば少しは、頭がすっきするから」

 というか、これが酒だったら、たとえ勤務時間外でも間違ってもまりもに勧めたりしない。この人の良い親友の唯一の欠点は、その桁外れなまでの酒癖の悪さだ。

「は、はあ……。では、頂きます」

 予想以上に強い口調で進める夕呼に、まりもは押し負けるようにして、コーヒーカップを手に取った。そして、その中身を一口すする。

 美味しい。

 最近は、αナンバーズのおかげで嗜好品のたぐいを口にする機会も随分と増えたが、こうして天然物のコーヒーを口にする機会というのはそうあるものではない。

 ほどよく熱く、香り高く、そしてほのかに苦い液体を嚥下する。まりもの身体が胃からぽかぽかと温まるのを実感した。同時に、一晩の睡眠だけでは溶けきらなかった瞳の奥の疲労が少し和らいだのも感じられる。

 表情にもそれが現れたのだろう。

「少し落ち着いたみたいね、まりも。それじゃあ、改めてもう一度聞くわよ。この報告書の最後に「異常なし」と書いてあるけど、これは本当?」

 コーヒーカップを手に持って椅子に座ったまま、夕呼はまりもを見上げ、三度確認した。

「ええと……」

 これだけしつこく何度も繰り返されれば、ここで「はい、異常ありません」と答えていけないのは分かる。

 実際、少しクリアーになったまりもの脳内では『異常なし』と言う言葉に僅かな引っかかりを感じる。

(おかしいわね。どこがおかしいのかしら?)

 まりもは、提出した『万鄂王作戦』の報告書の中身を思い返す。

 予定通りの時刻に始まり、予定時刻内に目標を達成し、予定時刻内に帰還した。

 本作戦における神宮司隊の人的被害はゼロ。物的被害は、振り回しすぎで戦術機を再起不能にした者が数名出ただけ。

 対BETA戦、それも内陸部のハイヴ攻略戦と考えれば、できすぎという言葉すら通り越している結果である。やはり、ざっと思い返しただけでは『異常』は見あたらない。

 そうしてまりもが頭をひねっている間に、香月夕呼はついに痺れを切らし、椅子から立ち上がった。

 夕呼はドンと音を立てて乱暴にコーヒーカップをデスクに戻すと、両手でがっしりとまりもの両肩を掴み、力一杯揺さぶる。

「しっかりして頂戴、まりも! BETAが突撃級の上に光線級が乗るという新戦術を取ってきたのでしょ? 地球で初めて『母艦級』BETAが確認されたんでしょ? あんたの報告書にちゃんと書いてあるじゃないの。それなのに何で締めの言葉が『異常なし』になるのよ!?」

「……あ」

 そこまで言われて、まりもは初めて気がついた。

 そうだ。なにが「異常なし」だ。異常だらけではないか。新戦術に新型BETA。どちらも、通常ならば作戦部隊に壊滅的なダメージを与え、作戦続行不可能に陥らせるに十分な脅威だったはずだ。

 ただ、新戦術は一時的に戦艦アークエンジェルを不時着させるという戦果を上げたものの、その被害もその後のαナンバーズに機動兵器機部隊の頑張りでリカバーされてしまったし、全長1.8キロの新型BETAは、出たと思ったら次の瞬間、鎧騎馬武者ロボの巨大剣で二枚に下ろされてしまったため、ついいつの間にか「特筆するほど大した異常ではない」と考えてしまっていた。

 まりもは呆然とする。帰還したばかりで、心身の疲労が抜けきっていないというのは、言い訳にならない。いったい、いつの間に自分の物差しは、これほど狂ってしまったのだろう。

 そんなまりもの表情に気づいたのだろう。夕呼はまりもの両肩に両手をかけたまま、少しうつむき加減で低い声をあげる。

「気をつけなさい、まりも。油断してると……あんたも『落ちる』わよ」

「お、落ちるって、どこに……?」

 動揺するまりもは、無意識のうちに軍人然とした口調から、平素の親友に対する口調に戻ってしまっている。

 しかし、日頃から礼儀や形式を軽視している夕呼がその程度のことを気にするはずもない。

 夕呼は、下から睨み上げるようにして視線を合わせ、きっぱりと言うのだった。

「決まってるでしょう。『常識の向こう側』に、よ」





 その後、平静を取り戻したまりもと冷静を取り戻した夕呼は、実務レベルの話をすり合わせ、一息つく。

「それじゃ、本日付で正式にあんたは伊隅ヴァルキリーズの中隊長代理を解任、同時に衛士訓練学校の教官に就任してもらうわ。ああ、面倒だけど階級も軍曹に降格げね」

「はっ、了解しましたッ!」

 まりもは見本にしたくなるくらい、綺麗な敬礼をして辞令を受け取る。

 少佐から軍曹への降格など、懲罰人事でも中々ない暴虐な仕打ちだが、訓練学校の教官は最高で軍曹と決まっている以上、仕方がない。

 この一見奇妙に見える取り決めも、もちろん全く意味もなくされているわけではない。

 まず第一に、こういった制限を設けることで現役バリバリの衛士が、教官につくことを制限するという狙いがある。

 少し考えて見れば当たり前だが、訓練学校の教官という職は、衛士にとって『もっとも死ににくい』役職の一つだ。階級が下がるといったデメリットでもなければ、心ない希望者が殺到してもおかしくはない。無論、そんな奴に大切な次代の人材を預ける教官という職務は任せられないが、そうなると今度は、教官を希望したがなれなかった人間が、教官になった人間を妬む者が現れる。

 それにもう一つ、こちらはオマケのようなものだが、教官が軍曹であることは、新人衛士に軍隊にとって階級というものがどれだけ絶対的なものであるか、理解させる役にたつ。

 昨日までは自分の事を、バカだの、マヌケだの、包茎だの、早漏だの、好き勝手に怒鳴り散らしていた鬼教官が、無事卒業を迎えて『少尉』の階級章を首に着けただけで、自分に対置し直立不動で「サー、イエッサー!」と言うようになる。

 この時、初めて、軍における階級の重さを実感したと語る衛士も少なくない。

 いわば、身をもって教える、教官からの最後の教えと言うわけだ。

 そういった状況を鑑みれば、この場合、取り決めがおかしいと言うよりも、心身ともに充実した、まりものような現役トップ衛士を、専属教官に使用とする夕呼の人材の使い方が、贅沢すぎるのかもしれない。

 いずれにせよ、元々まりもが訓練部隊の教官に就任することは、まりもを連れ戻した時から既に決まっていたことだ。

 しかし、そこで夕呼は少しイタズラっぽく笑うと、

「それにしても、あんたほど階級が上下する軍人も珍しいわね。一度は大尉までいって、そこから軍曹まで下って、また少佐まで上がって、また軍曹か」

 そう他人事のように言う。

 昇格はともかく、降格はどちらも夕呼がまりもを教官役に押し込んだから起きたことなのだが、その口調からは全く罪悪感のようなものは感じられない。

 実際、長い付き合いで、反論の無意味さを知っているまりもは、あくまで軍人口調を崩さずに、模範的な回答を返す。

「はっ、自分は与えられた職務を全うするのみですッ!」

 その回答が面白くなかったのだろう。夕呼は少し、口元を歪め、なおも言い募る。

「そう。さすがまりもね。そう言ってもらえると私の心労も少し軽くなるわ。いやー、私の権限もかなりのところ戻ったのだけど、人事に関しては以前ほど自由が利かなくてね。降格は出来ても、昇格は難しいのよ。って訳で、もう元の階級には戻れないと思うけど、良いわよね?」

「……はっ、問題ありません」

 一瞬、頬をひくつかせただけで、まりもはそう答える。しかし、

「当然、給与も軍曹相当に下がるけど、問題ないわよね?」

「ッ!?」

 と言う次の言葉で、まりもは驚愕の声を上げそうになった。

 いかに軍人は金を使う暇がない職業だと言っても、大幅な減額に何も感じないほど、まりもの価値観は俗世離れしていない。

 その表情を見て、ある程度満足したのか、夕呼はそれ以上イタズラを引きずらずに種を明かす。

「まあ教官の特別手当も出るし、それでも足りない差額分は、αナンバーズの電子マネーで補充してもらえるように、あっちと交渉しておいたから、有効に使って頂戴」

 そう言ってにやにや笑う親友の顔を、まりもは思わずにらみ返しそうになり、全力で表情筋に力を込めて、顔を引き締めた。

「……り、了解です」

 αナンバーズの電子マネーというのは、エルトリウムの艦内都市で流通している物資を購入するのに利用できる通貨だ。

 地球に来ている戦艦、アークエンジェルや、ラー・カイラムのコンピュータを使わせてもらって、通販という形で物資を取り寄せるのだが、当然その品揃えは戦時下の日本とは比べものにならないくらいに豊富である。

 日常生活を過ごすのに必要最低限の円があるのならば、それ以外の金はむしろ『α電子マネー』のほうが使い道は多い。冷静に考えてみれば、まりもにとってもいい話である。

 一通り、生真面目な親友をからかい終えた夕呼は、笑いを納めると小さく肩をすくめて、告げる。

「話は以上、退室して良いわよ」

「……はっ、失礼します」

 まだ何か言いたげな表情のまま、まりもは敬礼をして、カツカツと出入り口へと歩いていく。

 まりもの手が、ドアノブに触れたその時、まりもの背中に夕呼は何気ない口調を装い、声をかける。

「あんたの階級は、もう元に戻らないってのは嘘じゃないわよ。今の状況なら、地球からBETAを駆逐するのも、何年も先の話じゃないわ。恐らくあんたが前線に戻るようなハメになる前に、決着が付いている。

 そうしたら、あんたも第二の人生……ううん、本来迎えるはずだった、第一の人生に立ち戻っても良いじゃないかしら。

 地球上からBETAが一掃されれば、帝国だって軍縮に向かう可能性が大だし、恐らく、徴兵年齢や徴兵条件の引き上げも起こるわ。

 つまり、世の中から若い兵士が減り、その分年相応の学生が増えるということ。そうなったら、軍の教官なんかより、学校教師の方が世の中には必要とされるのではないかしら?」

 夕呼は、まりもが本来教師を夢見ていた事を知っている。だが、16歳以上の人材が根こそぎ軍に持って行かれる様な現状では、教師という職に就ける者など、極限られている。

 だったら、自分が軍人になってこの戦争を終わらせ、子供達が普通に学校に通える世の中にする。そんな、ある意味あの白銀武よりまだ、夢を見ているような思いから、まりもは軍に志願したのだ。

 当時はまだ、女は徴兵の対象ではなかった時代に。

 そんなまりもの思いを、親友である香月夕呼は、誰よりもよく理解している。

 親友の口から発せられた、珍しく真摯な言葉に、一瞬動きを止めたまりもであったが、その場で振り返ることはなかった。

「……お心遣い、ありがとうございます。少し考えてみます」

 そう、背中を向けたまま返答し、神宮司まりもはそのまま退室していった。





「……ふう」

 廊下にて出た神宮司まりもは、研究室のドアを閉め、ホッと溜息を漏らす。

「私の将来、退役後のビジョン、か……」

 まりもは廊下の壁に背中を預け、天井を見上げながら、そうポツリと呟いた。

 正直、考えたこともなかった。この戦争に戦後があるなど。まして、自分が戦死もせずに五体満足で戦後を迎え、第二の人生を歩む可能性など。

 だが、確かに今の戦況ならば、地球からBETAを駆逐するのもそう遠い未来の話ではないのだ。

 まさか、自分が生きている間に『戦後』の身の振り方について考える時代が来ようとは。

 天井を見上げたまま、まりもはふと夕呼のセリフを思い出し、クスリと笑う。

「まりもが前線に戻るようなハメになる前に、決着が付いている」という夕呼の言葉。

 夕呼は気づいているだろうか? 自分が言ったその言葉の意味に。

 まりもが前線に戻るような状況にならないと言うことは、今後伊隅ヴァルキリーズに致命的な損耗が乗じる可能性はない、と言っているようなものだ。

 かつては、僅か数年で連隊規模(108機)から中隊規模(12機)まで人員をすり減らした、香月夕呼の直属部隊。

 その部隊の今後の損耗を、香月夕呼は無意識のうちに限りなくゼロに近い数値に見積もっている。

「なんだ、夕呼も人のこと言えないじゃない。貴女も落ちかけてるわよ、『常識の向こう側』に」

 夕呼が聞けば半狂乱になって否定するような言葉を残し、神宮司まりも少佐はゆっくりと廊下を歩き出した。









【2005年4月4日、日本標準時11時17分、横浜基地】

 同じ頃、横浜基地のある一室では、αナンバーズの面々と伊隅ヴァルキリーズの面々が、それぞれ思い思いの方法で交流を深めていた。

 αナンバーズ機動兵器部隊の方は、この場にいるのは全体の約半分程度だが、伊隅ヴァルキリーズは、留守番をしていた速瀬隊も、今回の作戦に同行していた神宮司隊も、ほぼ全員がこの場にいる。

 いないのは、夕呼に呼びされた神宮司まりも少佐ぐらいで、数日前に原隊復帰を果たしたばかりの伊隅みちる少佐も、隅の方でアムロ・レイ大尉やケーラ・スゥ中尉といった年配組と、穏やかに談笑している。

 とはいえ、静かに交流している人間は全体で見ればむしろ少数派だ。

 部屋の中央部では、実年齢や精神年齢の低い組が、派手な笑い声と歓声を上げている。

「じゃーん、これが今日の秘密兵器、『けん玉』だっ!」

 そう言って輪の中心で、手に持つけん玉を高らかに掲げているのは、鎧衣美琴だ。

 中東のバクダッド基地から横浜基地に戻ってきてから、まだ十日ほどしかたっていない美琴であるが、持ち前の明るさと、悪く言えば空気を読まない、よく言えば物怖じしない態度で、
すでにαナンバーズ機動兵器部隊の面々と、忌憚なく会話をかわすまでの仲になっていた。

「おー、懐かしい!」

「俺は、ホンモノ見たのは初めてだぜ」

「ねえ、ちょっとやってみてよ」

 ジュドー・アーシタを中心としたシャングリラチルドレンの面々が、コンコンとけん玉をやってみせる美琴を中心に、やいのやいのと騒ぎ立てる。

「よし、次俺、俺にやらせてくれ!」

「はい、あっ、ダメだよ、そっちは小皿。いきなり小皿は難易度高いって」

 ビーチャ・オーレグが美琴からけん玉を受け取り、やってみるが中々成功しない。

 失敗しまくるビーチャに笑ってアドバイスをしながら、美琴はふと思いついたように尋ねる。

「そういえば、そっちの世界には、こう言うおもちゃってもうないの?」

 ジュドー・アーシタは焦げ茶色の頭髪を掻きながら答えた。

「あー、どうだろ? 俺達はコロニー出身だから分かんないけど、もしかしたら地球にはあったのかもしれないなー。コンバトラーのヨーヨーとか、ボルテスの独楽なんかもあるんだし」

「へー、ヨーヨーや独楽はやる人いるんだ。その人上手いの?」

「ああ、豹馬や健一の手に掛かれば、要撃級BETAなんて一撃さッ。もしかしたら、要塞級だって倒せるかも知れない」

「??? ゴメン、言ってる意味が分からない」

 胸を張って答えるジュドーの言葉に、当たり前だが、美琴は不思議そうに首を傾げた。

 そうしているうちに、美琴のけん玉は手から手に渡り、何人もの人間によって試されている。

 けん玉は、よほどセンスがある人間でない限り、正しい持ち方も知らない素人がいきなり自由自在に操れる代物ではない。皆、一番簡単な大皿に球を乗せるのが精々で、美琴が最初に見せたような世界一周のようなマネは出来るはずもない。

「次は俺、次は俺」と失敗する人間の手から、次の挑戦者の手に美琴のけん玉は移っていく。

「もうだらしないわね。ほら、ちょっと貸しなさいッ」

 そう言って次に、けん玉を手に取ったのは、エヴァンゲリオン二号機パイロット、惣流・アスカ・ラングレーである。

「とどのつまり、こんなのはバランスと力の加減の問題なのよ、見てなさい」

 自信満々にそう言いきり、アスカはけん玉を持った手をヒョイと動かす。

 しかし、大皿に乗りかけた球は、コンとバカにしたような音を立てて、皿の上から滑り落ちる。

「……まあ、いきなりは成功しないわよね。もう一回」

 再び、コツンと音を立て、球は皿からこぼれ落ちる。

「このっ」

 こぼれ落ちる。

「このっ!」

 やはり、こぼれ落ちる。

 力や気合いを込めれば込めるほど、うまくいかないのがこの手の遊具である。

「ああ、もう! こおのぉっ!」

 苛立ちもあらわに、ブンと振りあげたけん玉の球が勢いよく跳ね上がり、上からのぞき込むようにしていたアスカの高い鼻を痛打する。

「フガッ!?」

 少々聞き苦しい悲鳴を上げて、アスカは顔を押さえて蹲った。

 その様子を後ろから見ていたエヴァンゲリオン零号機パイロット、綾波レイはさっと顔を横に向ける。

 その様子を、顔を押さえる指の間から見咎めたアスカは、地獄のそこから響くような低い声をかけた。

「ちょっと、優等生……? なに、耳まで真っ赤に染めながら、うつむき気味に視線を逸らしているのよ……?」

「…………」

「優等生? こっち向きなさいッ!」

 しかし、綾波は横を向いたまま、肩をピクピク振るわせながら、辛うじて聞こえるくらいの小さな声で答える。

「ごめんなさい……私、こういうとき……どういう顔をすればいいか、分からないの……」

 明らかに、何かを堪えているがもろばれの態度である。そんな綾波に、エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジが苦笑を浮かべ、アドバイスを送る。
 
「わ、笑っても、いいんじゃないかな?」

 シンジのその言葉が引き金となった。

「…………プッ」

 綾波の漏らした笑い声はごくごく小さなモノであったが、アスカの逆鱗を刺激するには十分だったようだ。

「殺す、この女、ぶっ飛ばす! ええい、止めるな!」

 ものすごい形相でけん玉を振りかざすアスカを、周りの人間が慌てて止める。

 実はなにげに、綾波よりシンジの方が酷いことを言っているのだが、アスカの怒りは純粋に綾波だけに向いているようだ。

「ちょっと、アスカ、落ちついてっ!」

 怒りに燃えるアスカを取り押さえようと、周りはドタバタと大騒ぎを始めた。





 部屋の中央部で、美琴を中心にしたグループが大騒ぎを起こしている頃、白銀武はそこから外れた隅の方で、椅子に座り、なにやら一人で考え込んでいた。

 非常に珍しいことである。

 この様な場で武が中心にいない事も、大騒ぎに巻き込まれないことも、そして、真面目な顔で考え込んでいることも。

 背もたれのあるパイプ椅子に逆向きに腰掛け、背もたれに顎を乗せた体勢で、武は考える。

『万鄂王作戦』には、神宮司隊が同行し、武の所属する速瀬隊は横浜基地待機だったため、ここしばらくは比較的ゆっくり考える時間があった。

(ワープか。ようは瞬間移動の事だよな。αナンバーズにはその移動手段があるんだ)

 武が思い返すのは、朝鮮半島の『鉄原ハイヴ攻略戦』に参加したときに見た光景だ。

 キングジェイダーと呼ばれている白亜の巨大ロボが開いた『ESウインドウ』と呼ばれる空間の穴。

 あの穴は、直接鉄源ハイヴ上空に繋がっていたという。距離と言う壁を絶対的な壁を、一瞬でゼロにする技術。それが、αナンバーズにはあるのだ。

 永遠の別離のつもりだった。それでも、この思いを胸に生きていくと誓った。だが、あえないと覚悟したはずの最愛の人に、もう一度会うことが出来るかも知れない。

 そう考えただけで、白銀は心臓の鼓動が無駄に高鳴るのを自覚する。しかし、あの時の光景を思い出すと、同時に思い起こされるのが、『クォヴレー・ゴードン』の伝言である。

「今度こそ、お前の手で『鑑純夏』を救…………」

 途中で切れたその言葉。クォヴレーは間違いなく、『鑑純夏』と言った。鑑純夏を救えと言いたかったのだろう。

 だが、香月夕呼は、そんな人間はいない、と言った。「戸籍上にも、軍のデータベースにも『鑑純夏』という名前は存在しない」と。

 ならば、クォヴレーという男が間違えたのだろうか? 世界の壁をぶち破ってまで作った貴重な時間に、間違った情報を伝えたというのか?

 分からない。武は呟く。

「冥夜、純夏……」

 どちらも、もう二度と会うことはかなわないと、あきらめていた大切な人。そのどちらもが、ほんの僅かであるがあえる可能性が生まれた。

 星の海の向こうに、たどり着く手段があるのかもしれない。

 この世界に、いないはずのその人がいるのかも知れない。

 ごく時間期間愛し合った恋人と、人生の大半において隣にいた幼なじみ。

 どちらか一人に会えるだけで、どれほど武の心は救われることだろう。

 もし、万が一にも両方にまたあえるようなら、その時は……。

「その時は……あれ……?」

 武は、そこで首を傾げる。そう言えば、その可能性は考えていなかった。

 万に一つの幸運と、万に一つの幸運が同時に叶う可能性など、どのみち限りなくゼロに近い。だから、考えるのも馬鹿馬鹿しいが、この二つの幸運が同時に叶うのは、ひょっとして全面的に「喜ばしい」ことばかりではない、のではなかろうか?

 武ももう二十歳を超える年だ。鑑純夏の自分に向けている感情が、どのようなモノであったか理解している。そして、当時、自分が彼女に抱いていた潜在的な感情が、同様のモノであったことも。

 もちろん、御剣冥夜との関係は、歴とした『恋人同士』だ。

 恋人である御剣冥夜と、互いの感情に気づかずに過ごしてきた潜在的な恋人である鑑純夏。

 もし、二人に再開するという奇跡が重なったら、その時は。

「あれ、あれ、あれ?」

 その一つ一つは奇跡のような幸運だが、二つ重なったそれは、果たして純粋に幸運と呼んで良い代物なのだろうか?

 そこまで考えて武は苦笑を浮かべ、首を横に振る。

 考えすぎだ。万に一つの幸運が、二つ重なる可能性を勝手に考えて心配するなど、明日空が落ちてきたらと心配するようなモノだ。

「考えすぎ、考えすぎだな、うんッ! おーい、お前等、なにやってんだ!?」

 武は、おかしな考えを振り切るように椅子から立ち上がると、気分転換とばかりに、まだ元気に騒いでいる鎧衣美琴たちのグループの所に混ざっていった。









【2005年4月5日、日本標準時08時00分、横浜基地、第七会議室】

 翌日、横浜基地の会議室の一室で、香月夕呼は今日までの人生で最高といっても良いくらいの緊張感に包まれていた。

 隣に座るのは、黒いロングドレス型の国連軍服に身を包んだ社霞。机を挟んだ対面に座るのは、αナンバーズの全権特使である大河幸太郎。その両隣には、アドバイザー兼ボディガードの破嵐万丈と、ボディガードである司馬宙が座っている。

 彼等とも、もうそれなりに長い付き合いだ。この三人が悪人ではないことも、原則紳士的な言動を取る人間であることも理解している。それでも、今日打ち明ける内容を考えれば、緊張を表に出さずにいるのは難しい。

「本日は、お忙しい中ご足労頂き、ありがとうございます」

「いえ、博士との会談は、我々にとっても重要な意味を持ちますから」

「それに、美人の誘いを断るほど、野暮ではありませんからね、僕達は」

 神妙に切り出した夕呼の言葉に、大河全権特使は朗らかに笑い、破嵐万丈は冗談を交えた言葉を返す。

 相変わらず彼等は友好的だ。探って探っても腹の底の真意が見えないくらいに。

 現実的で、判断に希望的観測を交えない事では定評のある香月夕呼を持ってしても、いい加減疑うのが面倒に思えてくる。

 だが、そんな真意を疑い続ける日々も今日で最後だ。

 この会合が成功に終われば、夕呼はもう疑うのは止めると決めている。成功に終わらなければ、その時は夕呼の身も無事ではないだろうし、近い将来地球の人類自体が無事では済まなくなるだろう。

 だから、どのみち決着は付く。良くも悪くも。

 そう考えれば、覚悟も決まるというものだ。別の言い方をすれば、破れかぶれとも言う。

 兎にも角にもどうにか緊張を押さえ込んだ夕呼は、ゆっくりを口を開く。

「それでは、まずはしばらく私の話をお聞き下さい。これから話す内容は、仮定の上に仮定を重ねた、物的証拠などなにもない、極めて信憑性に乏しい話です。ただの妄想と言われても、反論が難しい、そんな話です。その前提で聞いて下さい。

 まず、事の起こりはこの間の甲9号・アンバールハイヴにおけるBETAの不可解な撤退から始まります。アンバールハイヴでは……」

 その話の切り出し方は、三日前ここで国連事務次官・珠瀬玄丞斎に話したときとほとんど同じものだった。





「…………」

「…………」

「…………」

 夕呼の『推測』を聞き終えた大河達は、流石に厳しい顔で、しばし沈黙を保っていた。

 未だ、G元素を生産し続けているアンバールハイヴの『アトリエ』。そのG元素によって量産されるG弾。

 だが、それは全てBETAの意図するところであり、十分な量のG弾が製造された時点で、BETAがG弾を奪取し、それを使用するつもりなのではないか。

 纏めれば、夕呼の説明は、そんなところだ。事実確認が取れているのは前半の部分だけで、後半部分は全て夕呼の推測だというが、もしその推測が当たっていれば、洒落にならない大事であることは、大河達にも分かる。

「もし、それだけの量のG弾がBETAの手に渡れば。いえ、そのためにBETA達が北アメリカ大陸深くに侵攻を果たしただけでも、私達の世界は致命的なダメージを受けるのです。

 アメリカは世界の工場であり、食料生産庫であり、世界経済を支える一大消費地であるのですから」

 夕呼の言葉に、大河は重々しく頷き、口を開く。

「状況はおおむね理解しました。確かに、そうなれば、我々の手にも余る事態です」

 大河は率直にそう認める。αナンバーズの技術がどれほど隔絶していると言っても、所詮その数は十万人を僅かに超える程度でしかない。エルトリウムの食料生産能力をフル回転させたとしても、まかなえるのは二百万人が限界だ。

 つまり、αナンバーズはアメリカを超越する戦闘力は持っていても、アメリカの代わりを務めるだけの、各種生産能力は持っていないと言うことだ。アメリカにαナンバーズの変わりは務まらないのと同様に、αナンバーズにもアメリカの代わりは務まらない。

 共通の理解が得られたと感じた夕呼は、一つ頷くと、大河全権特使の目を正面から見据え、切り出す。

「はい。ですから、そうなる前に、そうならない為に、皆様のお力を貸していただきたいのです」

 夕呼の言葉を聞いた大河は、深く頷き、答える。

「なるほど。つまり、博士はこう言いたいのですな? BETAが北米のG弾の奪取に成功する前に……」

「はい」

 大河としっかり目を会わせた夕呼は、真剣な面持ちで頷き返そうとして、

「成功する前に……我々αナンバーズの総戦力を持って、残り19のハイヴを全て破壊しろ、と」

 ガクッと椅子の上でこけた。

「そ、その発想はなかった……」

 机の顔を突っ伏すようにして呟いた夕呼の言葉は、大河達には聞き取れなかったようだ。

「はっ? 香月博士、今何か仰いましたか?」

「い、いえ、ただの独り言です……」

 流石は、αナンバーズである。どれだけ心構えをしていても、常にその一回り上の非常識を披露してくれる。

 どうにか体勢を立て直した夕呼は、コホンとわざとらしい咳をして答える。

「違います。それも実現するのなら非常に魅力的なお話ですが、私が要請したいのは、G弾奪取に侵攻してくるBETAの水際防御です」

「ああ、なるほど。その手がありましたか。しかし、我々はご存じの通り、決して数は多くありません。数十万単位のBETAに地上、地下二面からの浸透作戦をとられれば、完全防衛は難しいと考えますが」

 元々αナンバーズは少数精鋭というその性質から、戦線が横に伸びる大規模な守勢任務を苦手としている。

「はい。しかし、それが一番現実的な防衛手段です。本当ならば、米国がG弾の製造を中止し、現存するG弾の全て破棄するか、軌道ステーションに収納してくれるとベストなのですが、物的証拠が何もない現状では、彼等にG弾という有効な兵器を手放させることは不可能でしょう」

「で、しょうな」

 その辺りは、大河も理解を示す。政治の世界に生きる人間としては、この上ないくらいに理想主義者の大河幸太郎であるが、現実的な視野も併せ持っている。

「問題は、国連との取り決めで、皆様がその武力を行使するには国連決議の採択が必要があるということです。ですが、会議と呼ばれるものの常として、この手の決議が採択されるまでには、驚くほど時間が掛かります。

 まして、物的証拠が一切ないこのような『懸念事項』の為に、αナンバーズと言う最強の戦力を振るう許可が下りるか。正直、難しいというのが、私が国連の代表から聞いた返答です」

「それでは、我々にどうしろと?」

 尋ね返す大河を前にして、夕呼はゴクリと唾を飲み込む。今から、夕呼はこれまでαナンバーズにしてきた、厚かましい要請が可愛く見えるほど、図々しいお願いをするのだ。

 流石に、掌と背中にびっしょりと汗が滲み出る。

 だが、もし、このお願いに彼等が首を縦に振ってくれたなら。

(その時は、もう認めましょう。彼等に裏など、真の目的などなかった、と)

 覚悟を決めた夕呼は口を開く。

「はい、ですから、その場合は、国連決議の採択を待たずして、人道に基づき、人命を守るために、皆様のお力をお借りできないでしょうか?」

 そして、そう一気に言い切った。

「…………」

 再び、室内は沈黙に包まれる。

 長い沈黙だ。少なくとも夕呼には恐ろしく長く感じられた。

 隣に座る霞が、心配そうに夕呼の白衣の裾を引っ張るが、それに気づく余裕もない。

 夕呼はただ、まっすぐに大河全権特使の目を見て、その口が開くのを待つ。

 やがて、大河幸太郎は、真剣な表情を緩め、口元に人好きのする笑みを浮かべるというのだった。

「明確な返答は、出来かねます。調印を結んだ決議の遵守は、組織同士の関係を円滑に必要不可欠なものですから。

 しかし、法や約束事というのは、人々の生活や生命を守るためにあるのであり、約束事を守るために、救える命を座視して見殺しにするのは本末転倒であるとも、考えています」

 流石に、今の状況で面と向かって「分かりました。国連決議なんて気にしないで思い切り戦います」とは言えなかったらしく、大河にしては随分と回りくどい言い方になっている。

 しかし、その内容をちょっと聞けば「イエス」と言っているのと同じであることが分かる。

 夕呼はテーブルの下でずっと握りしめていた拳を開き、全身を弛緩させた。

 もう、ここまで来れば、裏を探る方が難しい。もし、ここまで愚直に貧乏くじを引いてまで、彼等が真の目的を隠しているのだとすれば、それはもう夕呼の能力を持ってしても、その真意を探り当てることは不可能だ。

(結局、脳天気な白銀の意見が正しかったって訳か)

 なんだか、色々な意味で笑えてきた。これは反則だろう。なぜ、こんな恐ろしく都合の良い存在がこの世に存在するのだ?

 しかし、ここで脱力しているわけにはいかない。

 この時点で、夕呼は大河全権特使を呼び出した目的を、まだ半分しか果たしていないのだ。

 夕呼は背筋を延ばしして、座り直すと言うのだった。

「ありがとうございます。皆様のご尽力には心から感謝を。しかし、私もただ皆様のお力にすがるだけでいるつもりはありません。幸い、私がかねてから開発を続けてきた、装置。対BETA偵察要兵器『00ユニット』。それを上手く運用すれば、BETAが本当にG弾奪取を考えているかの裏付けが取れます」

「ほう、そのようなモノが」

 00ユニットという言葉に、大河はピクリとその太い眉を跳ねあげた。それが、『クォヴレー・ゴードン』が次元を超えて送ってきたデータと同じ名前であることに、大河は気づく。

「はい、今からご説明します」

 この、持ちうる戦力、有する技術力とはアンバランスとしか言いようがないくらい、善良な価値観で動いている彼等は、自分が00ユニット開発のために今日まで行ってきた所業を告げたら、一体どういう反応を返すだろうか?

 それでも、ここまで来たら隠し事をする意味はない。と言うより、隠し事をしたまま、00ユニットについて説明をすることは不可能である。

(さて、懺悔の時間ね)

 今日まで一度もオープンにしたことのない手札を全てさらけ出す行為に、夕呼はある種の爽快感すら感じていた。





 しかし、そんな爽快感を感じていられたのも、ごく僅かな間だけだった。

 00ユニットとは何か。その作成のために、今まで夕呼がどれだけの志願者を犠牲にしてきたのか。そう言った説明を一つする度に、部屋の温度が一度ずつ下がっていく様な錯覚に襲われる。

 その原因は一人の男にある。

 大河幸太郎ではない。大河は夕呼の非人道的な研究に眉をしかめてはいるが、そこまでの殺気は放っていない。

 司馬宙でもない。宙も、隠すことなく不快感をあらわにしているが、同時にどこか夕呼にどうにかして、理解を示そうと努力している様子が見受けられる。

 残るは一人。そう、破嵐万丈である。

 日頃の気さも、人懐っこさもすっかり影を潜め、万丈は見たこともないくらいに憎しみを込めた視線で、夕呼を睨み付けている。

 よもやここまで怒りをあらわにするとは。少し予想外ではあったが、ここで説明を止めるわけにはいかない。夕呼は覚悟を決めて最後まで、説明を続ける。

「……その脳髄だけの生存者こそ、『鑑純夏』。私の手元にいるもっとも00ユニットに適した被献体です。既に、00ユニットの外形は完成してます。後は、彼女の全データを素体にダウンロードし、調律を行えば、00ユニットは起動することでしょう」

 と、夕呼が言葉を結んだその時だった。

 バン! という、馬鹿でかい音立て、破嵐万丈はスチール製のテーブルに手を突き、立ち上がる。

「万丈君?」

「ば、万丈さん!?」

 驚きの声を上げる大河と宙に返事を返すこともなく、万丈は険しい表情のまま出口へと歩いていく。

 そして、ドアノブに手を掛けた体勢で言ったのだった。

「……失礼。この件に関しては、僕は何も言いません。全て、大河長官の決定に従います。ですから、僕に意見を求めないで下さい。もし、一欠片でも僕の意見を反映させるのならば、αナンバーズと香月夕呼の間に、決定的な亀裂が生じることになる……!」

 固くかみしめた奥歯の歯ぎしりの音がまざった聞き苦しい声で、万丈はそう言い残し、会議室を出て行った。

「失礼しました、香月博士。彼には少々特別な事情がありまして、彼の態度にはこちらから謝罪させていただきます。宙」

「分かってるッ!」

 今の万丈を、一人にしておくのは危険だ。大河の意図を察した宙は、すぐに万丈を追いかけて、会議室から出て行った。

「いえ、彼の反応こそ、正しい反応と言えると思いますわ。私も、自分のやってきたことが世間の常識と良識に照らし合わせれば、どう取られるか、自覚はありますから」

「ご理解いただき、ありがとうございます。率直な感想を申し上げれば、私も正直平静ではいられない感情を、博士に対して抱いています」

「……はい」

 大河の鋭い視線と鋭い言葉に、夕呼は小さく息をつき、視線を下げた。

 無駄に人命を弄んだつもりはない。人類に生存の道しるべを残すため、全力を尽くしてきたという自負もある。

 しかし、いくつもの命を、研究のために摘み取ってきたのは紛れもない事実だ。

 そして、『鑑純夏』を00ユニットにするという行為も、言ってしまえば脳髄だけの状態とはいえ、生きている少女を殺して、その少女と同じ思考パターンを持った機械を作るということだ。

 全てが明るみに出れば、自分が世間からどのような評価を受けるか、それは十分に自覚している。

 夕呼を見据えた大河が再び口を開く。

「香月博士。その、鑑純夏という少女を、00ユニットにダウンロードする作業はいつ開始するのですか?」

「いつ、とは決めていませんが、先ほども申し上げたとおり、私の推測が当たっていれば、あまり時間はありません。状況が整い次第明日にでも、開始するつもりです」

 夕呼の答えに、大河は何かを堪えるように奥歯をかみしめた。

「明日、ですか……せめて三日、いや、一日でも良いですから猶予を頂けませんか?」

「それは、一日くらいでしたら、不可能ではありませんが。何故でしょうか?」

 夕呼の問いに、大河はきっぱりと答える。

「一度、我々の技術部に話を通してみたいのです。もしその少女を助けるすべがあるのならば、助けたい。こうして話を聞いてしまった以上、彼女が00ユニットになるより明るい未来を提供できるのならば、その可能性を無視したくないのです」

 もっとも、その可能性はさしものαナンバーズと言えども、限りなくゼロに等しい。実際、αナンバーズがいた異世界の地球では、かつてエンジェル・ハイロゥという装置に組み込まれた、脳髄だけにされた三万人の人間を救えなかったという、悪い実績がある。

 ましてや、鑑純夏は、全く未知の存在であるBETAの技術で現状生きながらえているのだ。助けるつもりがとどめを刺すことになってもおかしくはない。

 そんな大河の返答に、夕呼は思わず苦笑を漏らす。

 ああ、そうだった。この人達は、そう言う価値観で動いているのだった。

 加害者である自分を非難することよりも、被害者である『鑑純夏』を救うことの方が、遙かに優先順位が高いのだ。

 つい先ほど認めたばかりのαナンバーズの『本質』に、まだ頭が適応し切れていない。

「しかし、鑑純夏が00ユニットにならなければ、国連やアメリカを納得させる証拠が入手できないと言うことになりますが?」

 半ば返答を予測しながら夕呼が放った問いに、大河は夕呼の予想と全く違わない返答を返す。

「はい。その場合は、責任を持って我々の力で、BETAの侵攻を食い止めましょう。たとえ、どんな状況になっても」

 たかが一人の少女を救うために、条約破りの汚名すら怖れないと、大河幸太郎は断言する。

 全くの生身に戻すことは不可能でも、もう少し自由の利く身体を用意することは出来るかも知れない。

 GGGのサイボーグ技術と、Gストーン。ネルフのクローニング技術。そして、ゼントラーディのマイクローン装置。

 有望な技術はいくつもある。あきらめたくはない。

 少女の未来も、地球の未来も。

 そうとなれば、すぐにでも緊急のフォールド通信会議を開き、皆の意見を聞いてみるべきだ。

「それでは、私はこれで失礼します。こちらの結果は、まず一度明日にでも報告を入れようと思うのですが」

「分かりました。時間はこっちで合わせますので、遠慮なくいつでもいらして下さい」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 そう言い残し、大河幸太郎は席を立つと、足早に会議室を去っていった。

 この世界と一人の少女の命運を左右する大切な情報を一刻も早く、皆で共有するために。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~幕間その5
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2011/07/09 21:06
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

幕間その5



【2005年4月5日、10時23分、横浜基地通路】

 時間は僅かに遡る。

 会議室を飛び出した破嵐万丈は、カツカツと大きな音を立てて、横浜基地の廊下を足早に進んでいた。

 今のところまだ、誰ともすれ違っていないのは、幸いと言える。今の万丈の顔を見れば、どんな鈍い人間でも「何かあった」と悟ることだろう。そうした風評が広がるのは、αナンバーズにとっても、横浜基地にとっても良いとはない。

 常人の駆け足にも匹敵するほどの早歩きで、万丈が角を曲がろうとしたその時だった。 

「万丈さん、待ってくれ!」

 駆け寄る足音と共に、聞き覚えのある男の声が背中から聞こえてくる。

 反射的に足を止めた万丈の前に、その声の主はあっという間に回り込んだ。

「ふう、良かった。どうにか、間に合った」

「宙君……」

 万丈は目の前の男――司馬宙を、複雑な感情を乗せた眼で見つめる。

「大河長官の護衛はいいのかい?」

 本来ならば自分も護衛役である万丈が、思わず自分の事を棚に上げてそう言う。

 宙は苦笑しながら答えた。

「その大河長官の指示だよ。っていうか、どう見ても、いま一人にしておいたらヤバイのは大河長官じゃなくてあんただ、万丈さん」

「……すまない」

 らしくない殊勝さを見せ、万丈は視線を逸らし謝罪の言葉を口にした。

 破嵐万丈が今回のような問題行動を起こすのは、非常に珍しい。元々破嵐万丈は、問題児がスタンダードタイプと言われるαナンバーズの中では、数少ない大人な思考能力と、広い視野を併せ持つ、まとめ役の一人なのである。

「まあ、しかたねぇよ。俺も邪魔大王国関連の敵が出たら、自分を抑えられる自信ねぇし。そういう奴はうちにいくらでもいるぜ。って、俺の場合、邪魔大王国に限らねえけどな、ハハッ」

 万丈を慰めるように、宙はそう言って苦笑する。

 司馬宙の言うとおり、αナンバーズの特機乗りには、『不倶戴天の敵』を持つ者が多い。

 鋼鉄ジーグには、女王ヒミカ率いる『邪魔大王国』。

 ガイキングには、ダリウス大帝率いる『暗黒ホラー軍団』。

 ゲッターロボには、帝王ゴール率いる『恐竜帝国』など。

 そして、ダイターン3を操る破嵐万丈にとって不倶戴天の敵とは、ドン・ザウサーとコロス率いるサイボーグ軍団『メガノイド』の事を指す。

 メガノイドとは、破嵐万丈の父、破嵐創造博士の手によって生み出されたサイボーグのことだ。

 元々、人類の宇宙進出のために開発されたサイボーグ・メガノイドは、結局失敗に終わり、その後独自の進化を遂げたメガノイドは、人類に反旗を翻し、地球圏に争乱の種をまき散らした。

 しかも、破嵐創造博士はメガノイド開発の途中、息子と妻――万丈にとっては兄と母――を人体実験の犠牲にしている。

 その時感じた、父とメガノイドに対する憎しみと怒りは、いまだにかけらも減じることなく万丈の腹の底でグツグツと煮えたぎっている。

 そんな万丈に、メガノイドを連想させる人体改造に「偏見を持つな」と言うのは、土台不可能な話だ。

「すまないね、あんな態度、君だっていい気はしないだろうに」

 それでも、十把一絡げに『サイボーグ』全体を嫌悪する自分の態度が、目の前のサイボーグ・司馬宙を侮辱する態度であると思いついた万丈は、ばつが悪そうにそう年若い戦友にわびる。

「いいよ、万丈さん。あんたの立場で、感情を抑えろってほうが無茶だ」

「……分かっているのだがね。君やルネ君、ソルダートJや以前の凱のように、心を失わないサイボーグが存在することは。それに凱などは、獅子王麗雄博士がサイボーグ手術を施さなければ、死ぬしかなった身なのだからね」

 サイボーグイコール悪でもないし、サイボーグ化手術イコール悪でもない。それは、理解できる。理解は出来るが、感情は収まらない。

 そんな万丈を元気づけるように頷き返し、宙は同意を返す。

「ああ、俺だって、親父に勝手にサイボーグにされちまって、最初は反発したさ。けど、邪魔大王国の野望を挫くには、鋼鉄ジーグの力がどうしても必要なのであって、親父だって好きで俺をこんな身体にしたわけじゃねぇんだ……多分。だから、香月博士もそんな感じ何じゃねえかな。俺達が来るまで、この世界の人間は全滅する寸前、って感じだったんだろ?」

 そう言う宙から、万丈はスッと眼を逸らした。

「う、うん。司馬遷次郎博士とは、生前お会いする機会が無くて正解だったかな……?」

 司馬宙の父、遷次郎博士は本人に断りなく、実の息子である宙を勝手にサイボーグに改造し、鋼鉄ジーグとして邪魔大王国と戦うよう強要したという、香月夕呼もびっくりな人物である。

 司馬宙は、獅子王凱のように、事故にあってサイボーグ化しなければ助からない状態だったというわけでもない。すこぶる健康に過ごしてた息子を、勝手にサイボーグにして「さあ、戦え」と言ってのけたのだ。

 万丈が知る限り、万丈の父である破嵐創造博士ともっとも似通った前科の持ち主だ。生前に司馬遷次郎博士と会っていれば、万丈は、ダイターン3で全力パンチを叩き込んでいたかも知れない。

 しかし、考えて見ればその技術はすさまじい。サイボーグ化された宙は、自分が生身の人間ではないと、かなりの長い期間、気づかずに普通の日常を過ごしたのだ。

 最低でも、食事、排便、睡眠は生身と同じように出来るのだろう。この三つに支障があれば、どんな鈍い人間でも一週間も過ごせば、自分の身体がおかしいこと気づく。

 いつの間にか、とりとめもなく思考が脱線していっていることに気づいた万丈は、目頭を押させ、二,三度強く頭を振る。

「ふう。ダメだね。しばらく僕はここには来ない方が良いみたいだ。感情に振り回されて、考えがまるでまとまらない。

 宙君、悪いけど大河長官に伝言を頼んでいいかい。僕はアメリカのストーム・マテリアル、ロサンゼルス支社に行ってるよ」

 00ユニットの話はさておいても、香月夕呼の予想通り、G弾奪取にBETAが北米大陸にやってきたら事だ。

 既に香月夕呼は、珠瀬事務次官を通して国連にその懸念を伝えている言う。国連を通し話がアメリカに伝わるのは、時間の問題だろう。その際、あの国がどのような対応に出るか?

 アラン・イゴールが築いた情報網はまだまだ脆弱なものだが、なにか判断材料の一つとなるような情報くらい入っているかも知れない。最悪の場合は、アランとボルフォッグに、少々乱暴な情報収集を頼むことも念頭に置いておいた方が良い。

 そう決断した万丈は、再び歩き出す。

「分かった。大河長官の護衛は、俺とヒイロ達でやっておくから、任せてくれ」

 ヒイロ・ユイや、デュオ・マクスウェルは、年こそ若いがモビルスーツ戦に限らない戦闘全般におけるスペシャリストだ。護衛任務ぐらいは問題なくこなす。

「悪いね」

 小さく言葉を返して歩み進む万丈は、やがて基地施設から外へと出る。

 春の穏やかな日差しは、万丈の身体を暖かく包み込み、ささくれだった精神を優しく解きほぐしてくれる。

「ふう。外の空気に当たると、頭が冷えるね」

 日頃の冷静さを取り戻した万丈は、素早く周囲を見渡し、『十分な広さ』があることを確認すると、後ろを振り返り、司馬宙に言うのだった。

「それじゃ、後は頼んだよ。何かあったら、ストーム・マテリアルのロサンゼルス支社に連絡を入れてくれ」

「ああ、分かった。そっちも気をつけてくれよな、万丈さん」

 そういって、手を差し出す宙と握手を交わし、再び基地入り口前の空きスペースに向き直った万丈は、首に提げているペンダントを空高くかざし、声高に叫ぶ。

「ダイターン、カムヒア!」

「ば、万丈さん!? こ、ここで呼ぶのか!?」

 岩国αナンバーズ基地からマッハ20の快速を飛ばした飛来した、全長100メートルの巨大飛行戦闘機『ダイファイター』の着陸音が、宙の驚愕の声を完全にかき消す。

「ちょっと、万丈さん!?」

「大丈夫、基地への乗り入れ許可は貰っているよ」

「いや、そう言う問題じゃなくって!」

 軽やかにダイファイターに乗り込んだ万丈は、すぐさま離陸する。

「…………」

 宙は呆然と見守る中、破嵐万丈を乗せたダイファイターは東の空の彼方へと消えてく。どうやら本当に真っ直ぐアメリカに向かう気らしい。

 どうやら、破嵐万丈の精神状態は、まだまだ平静にはほど遠い状態のようであった。










【2005年4月5日、21時00分、岩国αナンバーズ基地、戦艦ラー・カイラム】

 香月夕呼から衝撃の告白を受けたその日の夜、岩国基地に停泊中の戦艦ラー・カイラム、アークエンジェルの両艦は、小惑星帯の旗艦エルトリウム、戦艦マクロス7、GGG艦隊、さらには地球・火星間を航行中の大空魔竜、エターナルも交え、フォールド通信会議を行っていた。

 最初の議題は当然、BETAによるG弾奪取の可能性と、00ユニットの正体及。そして、その被験者である『鑑純夏』の救済方法である。

「本日午前、香月博士からお聞きした情報は、昼のうちにデータ化して転送したので、目を通して頂けたかと思います。

 まずは最初に、BETAがG弾を奪取するため、北米大陸に侵攻する可能性についてですが」

 そう話を切り出したのは、戦艦ラー・カイラムの艦長席の隣に立つ、大河幸太郎全権特使である。

『うむ、事実だとすれば由々しき事だな』

『事実である可能性は、決して否定できませんな』

『証拠はなにもありませんが、話の筋は通っています』

 サングラスと帽子で顔を隠してもなお、暗い表情を隠しきれないバトル7艦長マクシミリアン・ジーナス大佐の言葉に、バトル7の参謀であるエキセドルと、エルトリウムの副長がそろって冷静な声で、同意を示す。

『最悪の場合は、国連の承認を得ずに武力介入する、か。覚悟を決めておく必要はあるな』

 戦艦エルトリウムの艦長である、タシロ提督はその言葉通り、覚悟を決めた表情でそう呟いた。

 モニターを見渡せば、出席している全員が今のタシロ提督の言葉に同意を示している。

 条約違反は無論大問題だが、条約を遵守するため世界の危機を見て見ぬふりをするほど、αナンバーズの価値観は硬直化していない。

 タシロ提督の言葉を引き継ぐように、エルトリウム副長は四角い眼鏡を指で押し上げながら発言する。

『では、この問題については、『最悪の場合は、独自の判断で武力介入も辞さない』ということでよろしいですか? よろしいようですね』

 念を押す副長の言葉に、『否』と返す者は誰もいなかった。各国の中枢にいる人間が見れば、間違いなく顔色を失う、とんでもない結論である。

 なにせ、世界を丸ごと敵に回しても問題なく勝利できる戦闘集団が、『いざという時は条約の遵守よりも、己の良心に従うことを優先する』と断言しているのだ。

 武力では止めようがない絶対的な存在が、いざという時は法の鎖を引きちぎる意思があると分かれば、心穏やかではいられないのは、当たり前のことである。

『良心に基づいた行動』などと言う代物は、どんな侵略戦争にでもあとからこじつけられるものだ。まさか、本当にαナンバーズの行動指針が、世間一般で言うところの『良心』であるなどとは、誰も思うまい。

 いずれにせよ、この問題に対するαナンバーズの対応は、決定した。

 議題は次の問題、『00ユニット』の正体と『鑑純夏』の救済方法へと移る。

「では次に、00ユニットの正体と、鑑純夏の救済方法についてですが……」

『はい。昼のうちに大まかなデータを、技術部、医療班に回して検討して貰ったのですが、正直厳しいです。なにより、恐らく存在するであろう、いつか分からないタイムリミットがやっかいです』

 エルトリウム副長は、相変わらず無表情のまま、手に持ったファイルに目を通しながら、そう言う。

 BETAの手により脳髄だけにされた『鑑純夏』は、どうにか生きながらえているが、その状態がいつまで続くか、保証はない。

『鑑純夏』以外の同じ状態にされた人間は、全員横浜ハイヴ奪還時に全て死んでいたことを考えれば、むしろ今日『鑑純夏』が生きていることの方が奇跡とも言える。

『『マイクローン装置』で肉体を再構成するという案もありましたが、率直に言って賭の要素が大きすぎますな。我々ゼントラーディも『マイクローン装置』の能力を全て把握しているわけではありませんからな』

 エルトリウム副長の後引き継ぎ、エキセドル参謀はそういつも通りののんびりとした口調で発言した。

『マイクローン装置』とは、巨人種族であるゼントラーディの保有していた、生体の複製・再構成装置である。この装置を使えば、巨人であるゼントラーディを人間サイズに縮めることも、逆に人間をゼントラーディサイズに巨大化させることも、一瞬で出来る。

 また、かつてゼントラーディは男女の生殖行動ではなく、この装置による複製で数を維持していたという事実からも分かるとおり、マイクローン装置は生体クローン装置としての能力も併せ持つ。

 扱い方次第では、人の身体を意図的に強化したり、特定の臓器を増やしたりも出来るのだから、理論上、脳髄だけの人間を五体満足な状態に再構成することも不可能ではないのかも知れないが、生憎そうするための正しい操作方法を知っている者がいない。

 元々マイクローン装置は、謎の宇宙文明『プロトカルチャー』が作ったものであり、ゼントラーディや地球人にその全容を知る者はいないのだ。

 マイクローン装置の研究は日々進んでいるので、将来的には可能になるのだとしても、『鑑純夏』にそれを待つだけの時間が残されている保証は、どこにもない。

 続いて、GGG技術部のレポートを手に声を上げたのは、大河長官の留守を預かる火麻参謀だった。

『GGG技術部からの報告は、俺がさせて頂きます。GGGのサイボーグ技術ならば、脳以外全て機械化したサイボーグの身体を作成することは可能だそうです。ただ、問題はいかにして現在BETAが作ったシリンダーの中で生きている『鑑純夏』の脳髄を殺さずに取りだすのか、という問題で止まっています。

 また、サイボーグボディを作成にも一定の時間は必要ですので、その間『鑑純夏』の命が尽きないのか? という疑問を上がってます』

『『「…………」』』

 静まり返る中、サラに追い打ちを掛けるように口を開いたのは、特別にエルトリウムの艦橋に招かれていた、ネルフの責任者葛城ミサト三佐だった。

『我々ネルフでは、ネルフ独自のクローン技術を用いて状況の打破を思案してみましたが、やはり苦しいです。生きた細胞さえあれば、『鑑純夏』をクローニングすることは可能です。ネルフの技術で作成するクローン体には、原則『魂』が宿りませんので、その身体に『鑑純夏』の脳を移植できれば、彼女を生身の身体を戻すことが可能なのでしょうが、第一の問題は、クローニングをしようにも、元となる『鑑純夏』の細胞が、シリンダーの中の『脳細胞』と『神経細胞』しか存在していないという点です。

 脳細胞から万能細胞を培養し、そこから全身を生成する。それ自体は不可能ではないらしいですが、そのためにはシリンダーを割り、脳細胞にメスを入れる必要があります。

 それから、クローン培養が完了するまで、月単位の時間、シリンダーから出た『鑑純夏』を生き長らえさせる手段が、現状見つかりません』

 どこまでも否定的な意見が続く。さらに、エルトリウム副長がとどめを刺すように言う。

『ゼ・バルマリィ帝国ならば、人体のクローン技術も人を脳髄だけで生かし続ける技術も存在しているのですが、生憎我々の元にいるゼ・バルマリィ帝国人は、バラン・ドバン、ルリア・カイツの両名だけです。バラン・ドバンは生粋の武人ですし、ルリア・カイツは幅広い教養はあっても、流石に専門医学的な知識はないようです』

 結局、どこからも明確な『鑑純夏』の救済方法は提案されなかった。

 暗く静まり帰った雰囲気に負けないよう、大河長官はあえて胸を張り毅然と問いかける。

「つまり、我々には打つ手がない、と?」

 その言葉に反発するように、反射的に大声を上げたのは、大河の直属の部下である火麻参謀だった。

『いえ! んなこたぁ、ありませんぜ。少なくとも、GGGでは鑑純夏ちゃんのために、Gストーンを使った、特製サイボーグボディを用意する準備があります。

 まあ、動力源以外の部分に関しては、横浜の香月博士が作られた物の方が、より生身に近いみたいですから、香月博士と技術のすりあわせをしながら作成することになるかと思いますがね』

 そう言って火麻参謀は、人差し指で鼻の下を擦った。

 聞けば、00ユニットの頭脳である量子伝導脳はODLという反応炉から取れる液体を、冷却装置として用いているのだという。そして、そのODLは時間と共に劣化するため、最低でも72時間に一度、反応炉で数時間に亘るODLの浄化処理が必要であるらしい。

 72時間――3日に一度、数時間に亘る処理。つまり、鑑純夏は今のままでは、反応炉がある横浜から長時間離れることも出来ないということだ。

 それに対して、GGGの誇る奇跡のエネルギー結晶Gストーンは、無限情報集積回路であり、超超高速度の情報処理システムであり、人の感情――勇気を糧とする天井知らずのエネルギー発生装置でもある。

 よって、Gストーンを組み込んだボディならば、鑑純夏を72時間のくびきから解き放ってやることは可能かも知れない。ほとんど生身の身体と変わらない、香月夕呼製のボディにGストーンを組み込めば、鑑純夏は今後機械の身体であることを意識せずに生きていくことが出来るかも知れない。

 無論、そのためには獅子王雷牙を筆頭としたGGGの技術スタッフと、香月博士との技術のすりあわせが必須である。完成には、通常は年単位、非常識なまでの発展進化速度を誇るαナンバーズの技術陣や、天才香月夕呼をも持ってしても、最低月単位の時間が必要だろう。

 少しは明るい情報が出たところで、さらにネルフの葛城ミサトが続けて発言する。

『こちらでも、多分に希望的観測含んだアプローチではありますが、一つ提案があります。

 鑑純夏を香月博士の手によって00ユニットにしたと後での話ですが、全ての情報を抜き取られて、量子伝導脳にダウンロードされた鑑純夏の脳髄は死を迎えます。しかし、脳としての機能は死んでいても、この時点で全ての脳細胞が死滅している訳ではないはずです。

 ですから、00ユニットへのダウンロード作業が終了した直後、鑑純夏の脳髄から生きた脳細胞を確保、培養し、鑑純夏のクローンボディを作成することは可能であると、判断します』

 ミサトの意見に、それまで黙って話を聞いていた戦艦ラー・カイラムの艦長ブライト・ノア大佐は、首を傾げて口を挟む。

「む? しかし、その段階でクローンを作成して何か意味があるのか? すでに、鑑純夏は00ユニットになっているのだし、脳移植をしようにも脳は死んでいるのだろう?」

 そんなブライトの疑問に、ミサトは一つ頷くと、

『はい。ですから、ここから先はかなり希望的観測含んだ話になります。

 この時点で存在するのは00ユニットになった『鑑純夏』と、クローン培養された魂の入っていない生きた『鑑純夏の肉体』です。我々にはこの時点で手の施しようがありません。

 しかし、脳髄から00ユニットに全情報をダウンロード可能であった香月博士ならば、逆に00ユニットからクローン体への再ダウンロードも可能なのではないでしょうか?』

「むう、それは……」

 ブライトは、難しい顔で顎に手をやる。

 正直かなり滅茶苦茶な話だ。銃口から発射された弾丸を拾って投げれば、再び銃口に収まると言ってるような乱暴な理論である。しかし、得てしてこの手の超技術というのは、その乱暴な理論がまかり通り世界である。

 空中合体を成功させるには、千分の一秒単位でペダルを踏むタイミングを合わせればいい。コンバインをOKにしたければ、五人の脳波を合わせればいい。成功の確率が低いのならば、勇気で補えばいい。

 少なくとも、試しても見ないで「無理」と切って捨てるには、魅力的な提案である。

「了解した。早速、GGGの新サイボーグボディ案と合わせて、明日にでも香月博士に提案しよう」

「ええ、なんとか説得しましょう。この問題に関しては、香月博士の協力が必要不可欠だ」

 ブライトの言葉に、隣に立つ大河長官も頷き同意を示す。

 これで、00ユニットと鑑純夏に関する話は一時的に終了した。最善の結果が出ても、鑑純夏が一時的に00ユニットになるのは避けられないようだ。

 やはり、脳髄だけの鑑純夏がいつまで生きられるのか、全く保証がないのが痛い。00ユニットにすることを拒否して、最善の救済方法を模索している間に、脳髄が死んでしまっては元も子もない。

 どうしても、取るべき手段は、長期プランの最善ではなく、短期プラン次善になる。

 一人の少女の救命も、重大な問題ではあるが、それだけにかまけていられないのが、今のαナンバーズの立場である。

 会議の議題は次へ移る。

『では続いて、火星ハイヴ間引き作戦の経過ですが、やはり間引き対象が大規模ハイヴになってから、ペースが大幅に落ちています。以前は、一度の出撃で必ず一個のハイヴを間引くことに成功していましたが、最近は、ハイヴの間引きに成功するのは二回に一回か、よくて三回に二回といったところです。

 2005年4月5日の現時点をもって、攻略したハイヴは27。当初の火星ハイヴは全部で46でしたから、残りは19になる計算ですが、我々が火星ハイヴ間引き作戦を決行したのちに新設されたハイヴが17に上ります。よって、現在の火星の総ハイヴ数は36。

 火星ハイヴ間引き作戦の開始から今日で95日になりますが、全体の数だけで言えば、46あったものが36――10しか減らせていません。特に、攻略対象がフェイズ7以上のものとなった2月15日以降の攻略ペースは、BETAがハイヴを新設するペースとほぼ同じです。このままでは』

『イタチごっこ、か』

 長々と説明を続けていた副長は、タシロ提督の言葉に『はい』と短く肯定の言葉を返した。

 確かに、ハイヴを攻略するスピードと、新設されるスピードが釣り合っていては、永遠にハイヴの間引きは終了しない。

 もっとも、破壊しているハイヴはフェイズ7か8で、新設されるハイヴはすべてフェイズ1なのだから、『イタチごっこ』というのは言い過ぎである。以下に数の上では同じ1個でも、フェイズ8のハイヴとフェイズ1のハイヴでは規模がまるで違う。

 いずれ、当初存在していたハイヴを全て攻略すれば、その後新設されたハイヴの攻略は数倍の速度で終了することだろう。だから、イタチごっこなのは紙の上の数字だけの話であり、火星ハイヴの間引きは十分に前進していると言える。

 とはいえ、壊すはしから新設されるという状況は、少々気が滅入るのも確かだ。

 その状況を打破すべく、声を上げたのは大空魔竜の艦長であるピート・リチャードソンだった。

『それならば、今後は我々大空魔竜も火星ハイヴ間引き作戦に参加してはどうでしょうか? 幸いにしてこの度の『万鄂王作戦』で、大空魔竜はレーザー属種の集中砲火にも耐えうるという実戦証明が出来ています。

 大空魔竜が火星地表までの輸送を担当すれば、火星ハイヴ間引き作戦に参加可能になる機体は現状より遙かに増えるはずです』

 ピートの提案に、一同はなるほどと、考え込んだ。

 確かにその通りである。火星ハイヴ間引き作戦における最大の問題は、火星着陸時と離脱時に受けるレーザー属種の集中レーザー照射だ。

 これを歯牙にも掛けないだけの防御力を有する機体は、流石のαナンバーズといえどもそう多くない。そのため、火星に向かわせられる機体に限りがあり、ハイヴ攻略が中々進まなかったのだが、着陸・離脱のリスクを大空魔竜が肩代わりしてくれるのならば、本体に残っている他の機体も十分、火星ハイヴ攻略の戦力となる。

 そうなれば、ハイヴ攻略スピードは上がるだろう。問題は、毎回レーザーの集中照射を受ける戦艦・大空魔竜のメンテナンスだが、全長400メートルの大空魔竜は、無理をすればどうにかエルトリウムの格納庫に収納が可能だ。点検・修理はそう難しい話ではない。

 そこで、ふと思いついたように声を上げたのは、戦艦アークエンジェルの艦長、マリュー・ラミアス少佐だった。

「賛成です。そのためにも、今後復帰する機体は、今までのように私達先行分艦隊にばかり配備するのではなく、後方本隊にもある程度戦力を割り当てべきかと」

 これまでは地球のハイヴ攻略戦を支援する関係上、戦力の割り振りは先行分艦隊にかなりの比重を裂いてきた。しかし、火星の攻略にも力を入れるのならば、本隊にもある程度戦力を割り振る必要がある。もっとも、地球でもBETAの北米大陸侵攻の懸念がある以上、全てを戦力を後方本隊に割り振るわけにはいかないが。

「そういえば、復帰予定の報告はまだ聞いていませんでしたね。現状はどうなっていますか?」

 ブライトとの問いに、モニターの向こうでエルトリウム副長が、手に持ったファイルをペラリとめくり、淡々と答える。

『はい。現在、グレートマジンガー、ビルトビルガー、ビルファルケン、ストライクガンダムの四機が修理完了。氷竜、炎竜、Hi-νガンダム、サザビーの四機が近々修理完了の見通しで、さらに、バンプレイオスとR-GUNパワードの両機も、五月上旬には復帰する予定です』

『ほう……!』

 副長の報告に、会議に出席している面々は、喜びに満ちた驚きの声を上げた。

 それだけ戻れば、αナンバーズの戦力は半分方戻ったことになる。

 特に、バンプレイオスとR-GUNパワードの存在は大きい。この二機の合体必殺技である『天上天下一撃必殺砲・改』は、威力多可で知られるαナンバーズの中でも、トップクラスの破壊力を秘めている。

 地球に送るか、火星攻略に回すか、どちらにしても大きな戦力になるはずだ。

 さらに、その後を受け継ぎ、GGGの火麻参謀が口を開く。

『勇者ロボ達はそれ以外も、全て復旧の目処が立っています。五月中旬には、ジェネシックガオガイガーが、六月の上旬には、ゴルディマーグとマイクサウンダース13世も復帰できるでしょう。まあ、それ以外のマイクサウンダース部隊の復帰は、ちょっと何時になるか分かりませんがね』

 その報告に、GGGの長官である大河幸太郎は、喜びを一切隠さずに大きな歓声を上げる。

「そうか! 勇者達が完全復活か!」

『はい。それで、先ほどの『鑑純夏』ちゃんが絡む話になるんですが、勇者ロボ達は全員、地球行きにさせてもらえませんかね? Gストーンを使った00ユニットの素体を作るには、うちの研究班と香月博士が、長期間角突き合わせる必要があります』

「ああ、なるほど、確かに。多忙な香月博士を、小惑星帯までお呼びするわけにはいかない、か」

 そうなれば、現在はまだGGG艦隊内で修復中の勇者ロボ達は、全員一度地球に降りることになる。それならば、最初から勇者ロボは先行分艦隊所属にしておいた方が、移動のロスが少なくてすむ。

『はい。となると、こっちが横浜に出向くしかないでしょう』

「GGG艦隊、三隻丸ごとか。分かった。帝国及び横浜基地の許可はこっちで取っておこう」

 香月博士との共同研究と言うことになると、GGG艦隊の降下ポイントは岩国αナンバーズ基地ではなく、横浜国連基地だ。

『お願いします、大河長官』

 火麻参謀は、そう言ってモニターの向こうの上司に頭を下げた。

 GGG艦隊は現状、三隻の特殊宇宙戦艦で構成されている。すなわち、超翼射出司令艦『ツクヨミ』、最撃多元燃導艦『タケハヤ』、極輝覚醒複胴艦『ヒルメ』の三艦だ。

 名前から各艦の役割を推測するのは少々難しいが、大ざっぱに言えば、ツクヨミは勇者ロボ達の空母、タケハヤはセンサーと情報解析に特化した電子艦、ヒルメは勇者ロボや各種ツールの整備、補修を担当する工場艦である。

 GGGの勇者ロボ達の復帰が、他の特機と比べて早いのは、このGGG艦隊とそれに搭乗する何百という専用のバックアップスタッフのおかげである。

 GGGの動向が決定したところで、バトル7のエキセドル参謀が口を開く。

『他の報告事項としては、持ち帰った反応炉の欠片の調査が一段落しましたな。まだ、実験レベルのプロトタイプですが、反応炉の通信妨害装置も作成中。また、反応炉の固有振動数の割り出しも順調ですな。

 これらの研究が実を結べば、戦況を優位にしてくれるのではないですかな』

 研究班は研究班で、後方の闘いを続けている。その成果は、戦闘班のように常時目に見えるものではないが、成果が実ったときには劇的な一手となりうる。

「そうですか。順調のようで、一安心です。それ以外の特機の修復状況はどうなっていますか? また、かなり急ピッチで修繕が進んでいますが、資源は足りているのでしょうか?」

 ブライトの問いに答えたのは、エルトリウムの艦橋から通信に参加していた、大空魔竜の責任者、大文字博士だった。

『グレートマジンガーの修理が終了した現在、ダイアナンAとビューナスAの修理を手がけています。あ、後ついでにボスボロットもですね。それが終了したとは、コンバトラーとボルテスの修理に取りかかります。コンバトラーチームの小介君が可能な限り資料を纏めてくれてますので、意外と早く実際の修理作業に取りかかることが出来そうです。

 それ以外の特機は、正直まだ目処が立っていませんね。マジンカイザー、真・ゲッター、ライディーンなどは、眠ったままです。いつ目覚めるのかは、本人にしか分からないでしょう』

 ここでいう、『本人』とは、パイロットのことではない。機体その物の事である。この手の意思のある機体は、いざという時は頼もしいのだが、中々こちらの都合に合わせてくれないのが、玉に瑕だ。

 話し終えた大文字博士の後をつぎ、タシロ提督が口を開く。

『資源の方も問題ない。確保した資源衛星の切り出しも、元素転換装置による資源の生成も滞りなく行われているようだ』

 そうだな? と確認を取るタシロ提督に、副長は無表情のまま頷き返すと、

『はい、問題ありません。ただ、問題というわけではないのですが、一つ提案があります』

『む? なにかな?』

『はい、そろそろエルトリウムも大規模なメンテナンスを行う時期に差し掛かっています。そこで、資源切り出しに使っている衛星の中央部をくりぬいて、エルトリウム用の簡易ドックとすることを提案します』

 エルトリウム副長の提案に、バトル7のマックス艦長は首を傾げる。

『む? エルトリウムは宇宙空間でも自己フルメンテナンスが可能だと、記憶しているが?』

 戦艦エルトリウムは、恒星間の超長距離を単独で航行する前提で作られた艦である。宇宙空間での自己メンテナンスは当然可能なはずだ。

 マックス艦長の言葉に、エルトリウム副長は無表情のまま頷き返し、

『はい、その通りです。しかし、その場合は外部装甲のチェックや付着物の除去など、船外活動では、常時複数の命綱を着けた不自由な作業を強いられることになります。

 おおよその概算ですが、小惑星を簡易ドックに改良する手間と時間を加味しても、簡易ドックを使用した方が効率的だと思われます』

 戦艦エルトリウムの外部装甲は、人工素粒子『ヱルトリウム製』であり、理論上は破損も状態変化もしないことになっている。しかし、理論はあくまで理論だ。世の中には既存の理論を覆す奴はいくらでもいるし、例え破損はしなくても外部装甲に、航行に有害な付着物がへばりつく可能性は十分にある。

 そのため、定期的に外部装甲の点検が必要になるのだが、この作業ばかりは船外活動になる。さらに、本当に細かな作業になると、作業用ロボットや船外活動の乗り物から降りて、ノーマルスーツ姿の人間が、直接手を出さなければならない状況も想定される。

 宇宙での船外活動で、一番恐ろしいのは言うまでもなく、勢い余って宇宙へと飛び出してしまうことだ。無論、万が一の為に作業員達は全員通信機と発信器を常備しているのだが、宇宙放り出された一人の人間を無事に保護するというのは、決して簡単なことではない。

 宇宙に放り出された人間は、決して止まることなく、等速直線運動的にどこまでも飛んでいく。

 宇宙の広さ間は文字通り無限大であり、そこに放り出された人間を捜し当てるというのは、初動が遅れれば遅れるほど、絶望的になる。

 そのため、そういった事故を防ぐために、宇宙空間での船外活動では、二重三重の命綱で身につけ、万が一にも人員が宇宙に放り出されないように、万全を期すことになっている。

 しかし、命綱の存在は、作業の効率化・高速化には大きくマイナスに働く。

 よって、エルトリウム副長に言うとおり、ただの小惑星をくりぬいただけの簡易ドックと呼ぶにもはばかれるような代物でも、あれば作業は劇的に効率化するのである。

『さらに余裕があれば、作業中だけでも簡易ドック内部を人間が生存可能な気圧、気温、成分の気体で満たすことが出来れば言うことはありません。幸い、圧縮空気の製造も順調ですので、一考の価値はあるのではないでしょうか』

『むう、内部を呼吸可能な気体で満たすというのは少々勿体ない気もするが、簡易ドックは確かに魅力的だな。作業員の心身にかかる負担が大幅に減る』

 副長の提案に、エルトリウムの艦長であるタシロ提督はそう言って、同意を示した。

 どのみちエルトリウムのメンテナンスに船外活動が必要不可欠なのであれば、小惑星を簡易ドックにするのは、悪い提案ではない。

 αナンバーズが、現在資源衛星として確保している衛星の直径は、おおよそ120キロ。一方、エルトリウムの全長は70キロで、幅は18キロ、高さは9キロ強と言った所だ。

 小惑星の真ん中に、直径30キロから50キロ程度の円柱型の穴を貫通させれば、エルトリウム用簡易ドックのできあがりだ。鰻の寝床並みの狭さだが、入り口から入って出口から出て行くようにすれば、出入りはそう難しくない。

 副長が言うように内部を人間が生存可能な空気で満たそうと思えば、出入り口のシャッターやドックの内壁も、十分な機密性を持たせなければならないが、中の作業員が宇宙に放り出されるのを防ぐだけならば、かなり乱雑なものでもよい。

 その辺は、時間や手間と相談だ。

『私は賛成だ。皆はどうかね?』

「賛成です」

「私も、異論はありません」

『よいのでは、ないでしょうか』

 賛否を問うタシロ提督の声に、一同はそろって賛同の声を上げる。

 そんな中、少し考えた後、少々毛色の違った発言をしたのは、バトル7のエキセドル参謀だった。

「私も基本的には賛成ですかな。しかし、一つ確認をしたいのですが、エルトリウムのメンテナンスを終えた後、その簡易ドックをどうするのですか、もう決まっているのですかな?」

 エキセドル参謀の質問に、珍しくちょっと虚を突かれた表情を浮かべたエルトリウム副長は、一度眼鏡に手をやってから、答える。

『そうですね。明確なプランはありませんが、今後の事を考えれば、そのまま残しておくつもりでした。いずれ元の世界に戻るつもりではいますが、それが何時になるか分かりません。

 資源切り出し用の物資は、くりぬいた中央部分の破片だけも当面は持ちますし、それで足りなくなれば、また小惑星帯から適当な大きさの物を引っ張ってくれば良いだけですから』

 エルトリウムのメンテナンスは、一度やればそれで終わりではない。副長の言うとおり、今後何年も元の世界に帰還が叶わない事態になれば、一年か二年後にはまたメンテナンスの必要が出てくる。

『む……そうですな。再度使う可能性があるのでしたな……』

『エキセドル参謀? なにか、問題があるのか?』

 考え込むエキセドル参謀に、隣の艦長席に座るマックス艦長が首をエキセドル参謀の方に向け、声を掛ける。

 エキセドル参謀は、小さく肩をすくめて答えた。

『いえ、問題はありませんな。ただ、その小惑星をどうにか、地球と火星の間に設置することを提案したかったのですな。いずれ、我々が帰還した後、この世界の人類が太陽系の防衛を自力で行うのには、地球と火星の間に中継基地となりうる存在が必要なのではないかと、考えたわけですな』

『なるほど、我々が帰還した後の話か……』

 エルトリウムの艦長席に座る、腕を組んで神妙に考え込んだ。

 以前にも何度か、この艦長会議の議題に上がったが、αナンバーズは将来的には元の世界に戻るつもりである。無論、地球、月、火星のハイヴが全て排除されるまでは、無責任にこの世界を去るつもりはないが、その後帰還の手段が見つかれば、速やかに帰還する予定でいる。

 しかし、BETAは太陽系の外から来た可能性が高い。つまり、地球、月、火星、果てには木星や土星の衛星まで含めて、太陽系全体からBETAを駆逐したとしても、銀河系のどこかにはBETAはまだ存在していると考えられる。

 そうであれば、一度馳駆しても、再度BETAが太陽系に侵攻してくる可能性は否定できない。

 その際、現状の宇宙防衛レベルでは、火星はまた無抵抗のまま、BETAの支配地となってしまうだろう。

 この世界の科学力では、無人機を火星に送り込むのにも、片道半年以上の時間を必要とするのだ。とてもではないが、火星に防衛部隊や、開拓団を送りこむのは現実的ではない。

 しかし、火星と地球の間に、地球の公転と同期するように公転し続ける小惑星を置けばどうだろうか。

 地球から小惑星まで、三ヶ月。小惑星から火星までも三ヶ月だ。地球・小惑星間に補給艦を行き来させ、小惑星に水、圧縮空気、食料、燃料などをため込めば、今よりはずっと現実的に、人類は火星に人を送りこむことが出来るのではないだろうか。

『一考の価値はあります。しかし、懸念事項も幾つか』

 エルトリウム副長の言葉に、提案者であるエキセドル参謀は、重々しく頷き返す。

『そうですな。まず、小惑星を移動させるための大型核パルスエンジンの制作に、時間と資源を取られることになりますな。その労力のせいで、現行のハイヴ攻略が遅れれば、本末転倒、ですかな』

『はい。それと、そのような重要なポイントに補給基地となりうる小惑星を残せば、我々が去った後の『小惑星の所有権』が問題です。下手をすれば、ただ火種を残すだけになる可能性もあるでしょう』

 エルトリウム副長と、エキセドル参謀。αナンバーズ首脳陣の中でも、指折りの現実主義者二名の推測に、他の者達は神妙に耳を傾けている。

『『『…………』』』

 しばし続いた沈黙を破り、口を開いたのは、エルトリウムの艦長であるタシロ提督だった。

『よし、分かった。エキセドル参謀の提案も念頭には置いておこう。副長、技術班から人を選抜して、あの小惑星を移動可能な核パルスエンジンの設計と、その完成に必要な物資・労働力の見積もり及び、タイムスケージュール表を提出させてくれ。それを見てから、もう一度議題に挙げよう』

『了解しました』

 タシロ提督の決定に、副長は素直に頷き返した。

 確かにこれは、特別急ぐ案件ではない。

 現状、それより優先しなければならない懸念事項が多数存在する。

 BETAが北米大陸に侵攻する可能性に対する、対応。

 00ユニットの完成と、鑑純夏の救済。

 未だ修理待ちの状態である、多くの特機。

 そして、先ほど戦力増加を決定したばかりの、火星ハイヴ間引き作戦。

 小惑星を惑星間航行用の補給基地として移動させるプランの検討は、それらより遙かに優先順位が低い。

『それでは、他に議題がなければ、今日はこの辺で閉会としたいのですが、よろしいですか?』

 そう言ったエルトリウム副長はしばし間を置いたが、新たな議題を上げる人間はいない。

『うむ。無いようだな。では、これで失礼する』

『はっ!』

『長官、次は地球で会いましょう』

「うむ。光竜、闇竜と待っているぞ!」

 こうして、数多くの情報が入り乱れ、多くの方針が決定された、2005年4月5日のフォールド通信会議は、幕を閉じたのであった。



[4039] Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~第六章その1(最新話)
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2011/07/09 21:50
Muv-Luv Unlimited ~終焉の銀河から~

第六章その1



【2005年4月6日、8時03分、帝都東京郊外、帝国軍共同演習場】

 帝都東京の郊外に設けられた、帝国軍の野外演習場。
 
 東の空から朝日が差し込む、黄土が剥きだしになった演習場は、多くの人間がいるにもかかわらず、静まりかえっていた。

 演習場に集まっている人間は大きく二種類に大別される。

 一つは、帝国陸軍の軍服を着た、年若い兵士達。年の頃は十代の中盤から後半、一番年かさの者でも二十歳を超えている者はいなさそうだ。

 一方、もう一つは、紋付き袴に草鞋履きといった、武家の正装に身を固めた老人達である。こちらは、若くても六十代、一番年上の者は九十歳近い者すらいるのではないだろうか。

 そんな孫と祖父ほども年が違う彼等に、唯一共通することは、全員が腰に太刀か木刀を下げているということだ。

 さらに、この演習場をよく見れば、ボロボロになるまで打ち据えられた、太い木の杭が何本も立っているのが見える。

 木刀で立ち木を何度も打ち据える、『立ち木打ち』と呼ばれる、剣術修練の跡だ。

 そう考えれば、ここに集まっている老人と若者が、どのような集団であるかも想像がつく。

 剣術家なのだ。和装で身を固める老人達は師、軍服の若者達はその弟子なのだろう。もっとも、若者達は軍人である以上、剣術一筋に生きているのではなく、武芸百般の一つとして身に納めているだけなのかも知れないが。

 実戦を想定するのならば、軍人が剣術の修練に時間を割くのは、『無駄』のそしりを受けてもおかしくはない。

 人型兵器である戦術機を駆る『衛士』ならば、剣術を習得しておくことも決して無意味ではないが、免許皆伝まで長い年月を必要とする剣術に比重を置くくらいならば、最初から戦術機の操作になれるため、実機演習やシミュレータ演習に時間を割いた方が効率的、と言うのが世間一般の考えだ。

 しかし、現実はそこまで効率一辺倒で生きていないのが、人間という生き物だ。

 生死がかかった戦場で何を甘いことを、と言う人間もいるだろうが、その尚武の気骨に支えられた『士気』というのも、戦場では無視できない『現実的プラス要素』なのである。

 そのため、帝国軍では、二十一世紀になった今でも、軍人が武術にのめり込むことは、よほどのことがない限り奨励されていた。

「…………」

「…………」

 老いた剣士達と、若い軍人達が見守る中、αナンバーズに所属する特機乗り、ゼンガー・ゾンボルト少佐は、赤地に黒の襟が付いた、コートの用に長い軍服姿で、静かに佇んでいた。

「…………」

 全周囲から向けられる老若二種類の視線に微動だすることなく、目を瞑ったまま見事な立ち姿を見せていたゼンガーは、やがて静かに目を開けると、よどみのないゆっくりとした動作で、腰に下げている太刀を引き抜く。

 そして、両手で持つ握りの部分が顔の右横に来るように、刀身を地面に垂直に立て構える。

『蜻蛉』と呼ばれる、独特の構えだ。

 この構えは、一般的に『受けに良くなく』、『避けに良くなく』、『攻めに良し』と言われるほど、攻撃一辺倒の構えである。

「スー……ハー……」

 ゼンガーは、蜻蛉の構えを取ったまま、静かに呼吸を整え、目の前の斬るべき対象に意識を集中させる。

 ゼンガーの前に立つのは、成人した男の胸くらいまである『石灯籠』だ。通常であれば、剣で切る類の代物ではない。

 下手に斬りかかって失敗すれば、剣が曲がるし、衝撃で手首を挫いたり、刃を滑らせて自分の足を切る可能性もある。しかし、そのような失敗への懸念は、雑念となる。

「切る」

 ただ、その一転に心を研ぎ澄ませ、ゼンガーは、気を込める。

「ハアア!」

 一足一刀の間合い、と言う言葉がある。剣士が一呼吸の間に詰めて、太刀を切り下ろすことができる、実践的な意味での『間合い』の事だ。

 当然、踏み込みの分だけ腕と太刀を足した『リーチ』より『一足一刀の間合い』というのは遙かに長いものであるが、それにしても、現在ゼンガーが立っている位置と、石灯籠との間には少々距離がありすぎるように見える。軽く見積もっても四メートル以上、もしかすると五メートル近くあるかも知れない。

 しかし、それは間違いなくゼンガー・ゾンボルトの『一足一刀の間合い』の中であった。

「キィエエエ!」

 怪鳥のごとき気合いと共に、まるで瞬間移動のように距離を詰めたゼンガーは、全身全霊を力を込めて、『蜻蛉』の構えから、石灯籠に太刀を振り降ろした……のだろう。恐らく。

 生憎その、太刀筋をしっかりその目に焼き付けることができたものは、皆無に等しかった。

 そもそも、ゼンガーの発した『気』に当てられた幼い軍人の大半は、ゼンガーを正面から見据えること自体が出来ず、辛うじて意識を逸らさずにすんだ者達も、その瞬間移動にも等しい、運足を見切ることは出来なかった。

 さらに、そこから振り降ろされる太刀は、『雲耀』の太刀である。

 雲耀とは、速度を現す独特の名称だ。

 人の脈拍が四回半打つ時間を『分』という。

 その『分』の八分の一を『秒』といい、『秒』の十分の一を『糸』、『糸』の十分一を『忽』。そして、忽』のさらに十分一が『雲耀』である。

 一般的に健康な成人男性の平均脈拍数が、一分に約60~80回だとされている。間を取って、脈拍を一分に70回と想定するば、脈拍一回に要する時間は約0.85秒。

 それに当てはめれば『分』は、約3.93秒となり、『雲耀』はその八千分の一、おおよそ『0.0005秒』となる。

 0.0005秒だ。一秒の二千分の一だ。

 そんな、ゲッターロボの合体タイミングでも『誤差』として無視されてしまうような僅かな間に、振り降ろされるその一撃は、固い石灯籠をたたき割るに十分な威力を、太刀に宿らせる。

 ガラガラと音を立てて、真っ二つに切り裂かれた石灯籠が崩れ落ちるのを目の当たりにした、剣士達は、ドッと感嘆の声を上げるのだった。





「いやあ、見事。実に美事な剣を見せて頂いた。ゾンボルト少佐、儂等の我が儘を聞いて頂き、厚く礼を言う。ありがとうございました」

 太刀を納めたゼンガーの元に、一番年かさの老剣士が一同を代表するように、そう礼の言葉を述べる。

『ありがとうございました!』

 その言葉に呼応するように、元気な声を上げる幼い軍人達に、目線と首だけで返礼をしたゼンガーは、相変わらずの無表情で謙遜の言葉を口にする。

「いえ、自分もまだ修行中の身。不出来な業をお見せして、恥ずかしい限りです」

 それは、特機乗りとしてはともかく、剣士としては未だ未だ師に及ばないゼンガーの本心から出た言葉であるが、帝国の老剣士達は、穏やかな笑みを浮かべ、首を横に振る。

「確かに、ゾンボルト少佐もまだお若い。自分の剣を模索している最中でしょう。ご自分では納得のいかない部分も多いのでしょう。しかし、それは我々にとっては、些細なことなのです。

 口幅ったいことを申すようですが、口先で「もっと、ああしろ、こうしろ」と助言することは、我々にも出来ます。我々も伊達に半世紀以上の時間を、剣術に注ぎ込んできた訳ではありませぬからな。

 しかし、我々では、次代の若者に『生きた示現流』を見せてやることが出来ないのです。

 ゾンボルト少佐はそれをやって下さった。もう一同言います。本当にありがとうございました」

 老剣士達――薩摩示現流の流れをくむ年老いた剣士達は、揃ってもう一度ゼンガーに頭を下げた。

 そこまで言われれば、ゼンガーもかたくなに謙遜するものではない。

「はっ、自分程度の剣でも、何か得るものがあったのだとすれば、恐悦です」

 そう言葉を返し、丁寧にその頭を下げる。

 後継者はいるが、現役世代がいない「示現流」の現状を語るには、まず1998年のBETA日本上陸まで話が遡る。

 夏の嵐に紛れて朝鮮半島から日本列島に侵攻してきた、BETAが最初に上陸を果たしたが、九州であった。

 結果は言うまでもない、帝国の惨敗。僅か一週間で、九州、四国、中国地方を席巻し尽くしたBETAは、3600万人の日本人をその腹の中に納めたのである。

 一般に、徴兵された兵士の割り振りというのは、その兵士の故郷に割り振られる事が多い。同じ国内とはいえ、地方による文化風習の違いというものあるし、少々えげつない発想だが『国を護る』という漠然とした思いより、『生まれ育った故郷を護る』という明確な目標を持った兵士の方が士気が高いという、理由もある。

 そのため、九州で徴兵された兵士の大半は、そのまま九州方面軍に配置されていたのである。

 軍隊用語ではなく、文字通りの意味での『全滅』を経験した九州方面軍に。

 当然そこには、『示現流』の剣を納めた若者達もいた。ある者は衛士として戦術機でその剣を振るい、ある者は一般兵士として剣椀を生かすことなく小銃を持って戦い、そして誰一人返ってくることはなかった。

 生き残ったのは、事前に関西、関東へ疎開を済ませていた、一部の老人と幼い子供達だけ。
 
 たかが、一地方に伝わる剣術の流派が滅びたところで、大勢に影響はないだろう。

 そんなカビの生えた伝統芸能を護る余裕があるのならば、若い兵士達に効率的なスタミナの付け方や、戦術のイロハを叩き込んだ方がずっと有効的だ、という意見は間違いなく正しい。

 しかし、正しい、正しくないとは全く別の次元で、先祖代々受け継いできたものを、次代に残したいと考えるのは、人間の本能にも近い欲求である。

 だが、若い薩摩隼人達にどれだけ気概があっても、年老いた老剣士達が口先で剣の振り方を解いても、お手本となる『現役の剣士』がいない事には、正しく導いてやることは困難だ。

 そこに、現れたのが、二百年未来の異世界からやってきた示現流の剣士、ゼンガー・ゾンボルトである。

 年も二十代の後半。剣士としてもっとも脂がのっている時期だ。

 銀髪の白人が日本刀を振るう様に、若干違和感を感じた者もいたが、大した問題ではない。元々、時代も、世界も違う人間なのだ。髪の色や、肌の色にこだわるなどバカらしい。

 実際、腰に日本刀を下げて立つ、ゼンガーの佇まいは、無骨で実直なもののふそのものではないか。

 期待以上の物を見せて貰った示現流の老人達は、気安い口調でゼンガーと言葉を交わす。

「しかし、見事な気組、美事な太刀筋でしたな。ゾンボルト少佐はいったいどのような方にその剣を習われたのですかな?」

「はっ、リシュウ・トウゴウ。それが、我が師の名前です」

 ゼンガーの答えに、老人は驚きと喜びの声を上げる。

「ほう!? トウゴウですか。ひょっとして、その方の名字は『東郷』という字でしょうか?」

 薩摩藩における示現流の開祖は『東郷重位』という。トウゴウという名字に、思わず興奮した老人の一人は、落ちている棒を拾い、土の上に『東郷』と漢字を記す。

 一言に示現流と言っても、その分派は多種に亘る。ゼンガーの太刀が本家本元、『東郷』の流れをくむ可能性があるとしった老人は、喜色も表すのもある意味当然と言えた。異世界とはいえ、二百年後にも自分の流派が残っており、しかもそれが本流かも知れないのだ。

 しかし、ゼンガーは首を横に振り、答える。

「申し訳ありません。あいにく、字までは」

 老人は、一瞬落胆の表情を見せたものの、すぐに笑顔を取り戻すと、

「そうですか。いや、例えゾンボルト少佐の師が、『東郷』であれ、別な『トウゴウ』であれ、その剣が『示現流』であることは、間違いのない事実。これは、下らないことをお聞きしました」

 そう言って、小さく頭を下げた。

 実際、ゼンガーの師、リシュウ・トウゴウの漢字表記は『利秋・稲郷』と書くのだが、そのことはゼンガーも知らない。

 若い薩摩隼人が憧れの視線を向ける中、ゼンガーと老剣士は少しずつ打ち解けた口調で話を弾ませる。

「しかし、αナンバーズの皆さんを見ていると、そちらの世界は恐ろしく兵器が発達している様子ですのに、それでも生身の剣術が残っているのですな」

「はい。優れた剣士の剣は、決して侮れない、戦力です。私などはまだ未熟ですが、我が師ならば、ゾル・オリハルコニウム製の太刀で、フルオートの小銃の弾を切り裂き、複数の敵兵をなぎ倒すことも、容易くやってのけます」

 予想を大きく超えるゼンガーの返答に、老人は一瞬戸惑った表情の後、下手な愛想笑いを浮かべ再度問い返す。

「ほ、ほう……? それは、何かの比喩、ですかな?」

「いえ、言葉通りです」

「……ああ、なるほど! 暴徒鎮圧用の硬質ゴム弾を」

「いいえ、実弾です」

 なにやら雲行きが怪しくなってきた話に、老剣士は必死に自分の常識を当てはめようと、色々なケースを考える。

「…………ひょっとして、その方は未来の超技術で、身体を機械化しているとか、遺伝子レベルで超人化してらっしゃるとか……?」

「いいえ、生身のナチュラルです。恐らく、師ならば、サイボーグや戦闘用コーディネーターでも、刀一本で葬り去るのではないでしょうか。鍛えた剣椀は、戦闘用コーディネーター、戦闘用サイボーグも超越する。そう言うことなのでしょう」

 無表情の中にも誇らしげな色を見せるゼンガーに、示現流の老剣士は恐る恐るもう一度尋ねる。

「…………あの、失礼ですが、少佐とその師匠の流派をもう一度教えて頂けますかな?」

「? 示現流ですが?」

「本当に?」

「はい」

「間違いなく?」

「はい、間違いありません」

「ちなみに『無現鬼道流』という名に聞き覚えは?」

「ありません、初めて耳にしました」

「そう、ですか……」

 フルオートの銃弾を切り裂く自信のない示現流の老剣士は、段々と声を小さくしていくのだった。









【2005年4月6日、11時12分、横浜基地地上部、ブリーフィングルーム】


 昨夜のフォールド通信会議の決定を受け、αナンバーズ全権特使大河幸太郎は、朝早くから香月夕呼と会談の場に出席していた。

「それでは、00ユニット――鑑純夏に関しては、このままこちらの予定通り進めてもよろしいのですね?」

 念を押す夕呼に、大河は無念さを滲ませた表情で、首肯する。

「はい。こちらの技術部に話を通したのですが、高確率ですぐに、鏡純夏さんを救う手段はありませんでした。時間をかけて研究を重ねれば、可能なのではないか、という方法は幾つかあったのですが、現在脳髄だけの状態で未知の技術によって生かされている純夏さんのタイムリミットが明確に分からない以上、あまり時間を掛けるわけにはいかない、というのが我々の出した結論です」

「彼女のために、そこまで尽力していただき、ありがとうございます。お礼申し上げます」

 結局は、鑑純夏を救う手段は無かったようだが、そのための手段を模索するために首脳陣から技術部まで総出で検討してくれたαナンバーズに、夕呼は自然に頭を下げた。

 少し前の夕呼ならば「なに、甘いことを言っている」といった感想しか抱かなかっただろう。鑑純夏を00ユニットにしないというのならば、00ユニットより確実にこの世界を救う手段を提示して見せろ、と言ったかも知れない。

 しかし、αナンバーズと長い時間接するようになって、夕呼の理性的すぎる判断基準も若干緩んだようだ。今の夕呼は、「助けられる命なら、助けたほうがいいに決まっている」と公言する位には、なっていた。

 元々、夕呼は見えすぎる目と、強すぎる理性のせいで、非常な決断を下してきたのであって、いたずらに悲劇をまき散らして喜ぶような趣味はないのだ。

 もっとも、「確率の低い最善を目指すために、確率の高い最悪が待ち構えている可能性を選択するほど馬鹿ではない」と言い切っている辺り、αナンバーズ的価値観とは相容れぬものがあるのも確かだが。

 そんな夕呼に、大河幸太郎は、沈痛な顔つきから一転、覇気の籠もった表情で言い募る。

「しかし! 我々もただ手をこまねいているだけではありません! 現状から一気に最善へと導く道のりこそ閉ざされましたが、次の段階から次善を模索する用意はあります。ただ、それに関しては香月博士のご協力が必要不可欠になるのですが」

「私が、ですか?」

 この流れから自分に協力要請がくるとは思っていなかった夕呼は、首をひねる。

「はい。我々には、現状の鑑さんを救う手段はありません。しかし、00ユニット化した後、そこから少しでも鑑さんの人生が幸多いものになるよう、力をお貸しすることは出来ます。

 そのために、香月博士と我々αナンバーズの技術陣との間で、技術交流を図って貰いたいのです」

「αナンバーズの皆さんと、技術交流……ですか?」

 常識の危機を告げる要請に、夕呼はあからさまに顔を引きつらせた。





 一通り、大河の口からαナンバーズの思惑を聞かされた夕呼は、強張った固い表情で何度も唇を舐めた。

 これは冗談ごとですまされる話ではない。夕呼は禁漁で強張った表情で、口を開く。

「なるほど。纏めるとこう言うわけですね。

 一つは、無限情報サーキット『Gストーン』を用いたサイボーグ技術とのハイブリッドボディを要する案。

 もう一つは、特殊なクローン技術によって、『人格の宿らない生きた身体』を用意する案、ですか」

「はい。どちらも、我々にはボディを用意する技術はあっても、そこに鑑さんの人格をダウンロードするノウハウはありません。さらに、サイボーグボディに関して言えば、『生身の人体と遜色ない』形状を有するという点に関しては、そちらの技術が遙かに上をいっています。

 ですから、この計画を実施するには博士のご協力が必要不可欠なのです」

「…………」

 熱心に説く大河全権特使の前で、夕呼は背筋に固い表情で無言を貫いてた。

 こちらの技術を褒めてくれるのは非常にありがたいが、それにしてもとてつもない爆弾発言をしてくれたものだ。彼等は、自分の言っている意味が分かっているのだろうか?

(どうする? いっそ適当な言葉で煙を撒く? いえ、駄目ね。この間、αナンバーズ相手には、全面的に胸襟を開いた方が有効と判断を下したばかりなのだから)

 夕呼は、一つ大きく深呼吸をすると、睨んで見えるほど目に力を込め、話し始める。

「そちらの意図するところは理解しました。その上でこちらの返答ですが、原則『全面的のお断り』です。率直に申し上げて、手放しで受け入れられる限界を大幅に超えています」

「なんと……!?」

 想像していなかった、きっぱりとした拒絶の言葉に、大河全権特使は驚きで目を丸く見開いた。

 予想だにしていなかった、と言わんばかりに驚く大河全権特使の様子に、夕呼は自分の予想が全面的に当たっていたことを確信し、嘆息する。

(やっぱり、この提案も純粋に『鑑純夏』の人生を、少しでも良いモノするためだけの提案だったみたいね。本気で頭痛いわ)

 夕呼は、言葉を失っている大河全権特使に、ストレートな言葉を持って説明する。

「まず最初にご理解頂きたいのは、αナンバーズの皆さんにとってはともかく、この世界では00ユニットの演算、クラッキング、電子制御能力は、比肩するモノが存在しないくらいに、卓越したものだということです。

 元々、BETAによって滅びる寸前であったからこそ、開発が許可されたのであり、平時ならば間違いなくお蔵入りする類の技術でしょう。

 なにせ、やりようによっては00ユニット一体で、一国を揺らがす事も不可能ではないのですから」

「それは、そうですな……」

 夕呼の説明に、大河は少し沈んだ表情で頷いた。

 大河の脳裏に浮かぶのは、あの『シャロン・アップル事件』だ。無人戦闘兵器の開発プランとリンクして製造された電脳アイドル『シャロン・アップル』が制作者の制御を離れ、人に牙を剥いたあの時、αナンバーズの対応が一歩遅れていたら、間違いなく大惨事になっていた。

 圧倒的なクラッキング能力を持つ、独自の判断力を有する存在というのは、それだけで世界を揺らがす諸刃の剣であるのだ。

「おわかり頂けたでしょうか。00ユニットの72時間に1度、ODLを浄化しなければならないという現状は、技術的限界であると同時に、だからこそ00ユニットが存在を許された、『おあつらえ向きな枷』でもあるのです」

 00ユニットの量子伝導脳の冷却液であるODLは、72時間に一度、反応炉で数時間に亘る浄化作業を受けなければならない。裏を返せば、00ユニットが人類に反旗を翻しても、最悪人類の手にある反応炉を全て爆破すれば、72時間後には00ユニットを活動停止に追い込めるということである。

「枷、ですか。しかし、鑑さんは人格を持った一人の人間だ。その危険性を制御するというのであれば、命を盾に取るよりも、対話によって彼女が人類に敵対しないよう説くことが、本筋ではないでしょうか」

 正論と言えば正論でもある大河の言葉に、夕呼はにべもなくこたえる。

「それは、いざという時、00ユニットの暴走を力尽くで抑えることができる、貴方達だけに許される答えです。

 例え、その人格がどれだけ善良であっても、いざという時制御も出来なければ、対抗も出来ない超兵器を、この世界は決して受け入れないでしょう」

 00ユニットを鑑純夏といういち少女ではなく、少女の人格を有した一つの超兵器という視点からの説明に、大河全権特使は黙りこくった。

 感情的には全く受け入れられない返答だが、夕呼の言わんとしていることは分かる。もし、この界がそこまで00ユニットを危険視するのであれば、72時間のくびきから解き放ってやっても、鑑純夏の人生にそれがプラスに働くとは限らない。

「では、クローニングした身体に人格をダウンロードする案はいかがですか? こちらならば、能力が危険視される恐れは無いはずですが」

「そちらに関しても、完全に『論外』と申し上げざるをえません」

 食い下がる大河を、夕呼はきっぱりと切って捨てる。

「それは、技術的な問題でしょうか。だとすれば……」

「無論、技術も問題です。脳から量子伝導脳にダウンロードできるからと言って、量子伝導脳から脳に逆ダウンロードも可能であると言うほど、簡単な問題ではありませんから。しかし、理論上付加逆な現象ではない以上、そちらはいずれ突破可能な問題です。

 より大きな問題は、この技術がもたらす、世界全体への悪影響です」

「悪影響、ですか?」

 目を瞬かせる大河全権特使を、夕呼は真正面から見据えて丁寧に説く。

「はい。まず、確認のためにおたずねしますが、クローニングに成功した場合、その身体の年齢はいくつになるのですか? 鑑純夏が脳だけとなったのは推定15歳。現在まで生きた年齢ですと、21か22歳になるのですが」

 夕呼の問いに、大河は何の気なしに答える。

「それは、技術部に聞いてみなければ分かりませんが、20歳前後になるのではないでしょうか」

 大河の答えに、悪い予感があった夕呼は、人前であるにもかかわらず、深い溜息を付く。

「つまり、ある程度クローン体の年齢は制御出来るのですね。大河特使。それでは、00ユニットを利用した一種の若返り、寿命を超えた延命装置として利用が出来てしまいます。

 そのような存在が表沙汰になれば、他人を犠牲にしてでも、その恩恵にあずかりたいと思う人間が続出するでしょう。

 正直に申し上げれば私自身、遠い将来自分の身体が老化して、頭脳の働きに明確な支障を来した場合、誘惑にかられないとは断言できかねます」

 生身の身体から00ユニットに意識をダウンロードする。それだけならば構わない。人間であることを捨てて、全身を機械化することに魅力を感じるものは少数派だろう。まして、00ユニットの人格は、果たして被検体の人格その物なのか、はたまた被検体と全く同じ記憶を有しただけの機械に過ぎないのか、結論は出てていないのだ。

 前者であればともかく、後者であれば、それは自分とそっくりの機会を生み出しただけの、自殺にしかならない。

 しかし、00ユニットからクローニングした身体に再ダウンロードが可能であるとすれば?

 しかも、クローニングした身体の年齢が、本来の身体より若返らせることも可能だとすれば?

 その『若返り手段』を手に入れようとする人間は、悲しいくらいに大量発生するだろう。

 まして、現状はαナンバーズのせいで、対BETA戦の勝利が見えてきている状況だ。

 BETAとの戦いそっちのけで、00ユニットとクローニング技術を手に入れるため、辛うじて保たれている国際協調の流れを踏みにじる人間が現れてもおかしくはない。

「どう見ても、今の我々には、手に余る技術です。鑑純夏一人の幸せのために、世界に不和の種を撒くことに、同意は出来かねます」

「そう、ですか……」

 大河は、想像以上に思い夕呼の予想に、意気消沈したように視線を下げた。

 言われてみれば、確かにその通りだ。不覚にも、大河は技術が表に出ることによる弊害について、あまり深刻に考えていなかった。

 これは、大河やαナンバーズの面々が考え無しだというわけでもない。

 元々αナンバーズは、サイボーグや宇宙人、戦闘用巨人族や、果てにはサイコドライバーの力で年齢を固定しているイルイ・ガンエデンのような存在と同居しているのだ。

 どうしても、種族や生まれによって寿命や能力が極端に違うことを、ある程度「当たり前のこと」として受け止めてしまう土壌がある。

 反省しきりの大河全権特使を見て、夕呼は少し言いすぎたかと内心反省しながら、付け加えるように今までの言を翻す言葉を口にする。

「ですから。それでもなお、鑑純夏を救うために力をお貸し頂けると言うのでしたら、それらの技術はあくまでαナンバーズ固有の物であり、決して一般には公開しない物であると明言をお願いします。

 そして、サイボーグボディであれば、権利上位者の許可がなければ、鑑純夏の能力は一般的な少女の域を出ないように調整が可能であれば、対外的な説得はこちらでお引き受けします。いかがでしょうか?」

「香月博士……感謝します」

 前言を翻す夕呼の言葉に大河は、立場から考えると全く必要ない、感謝の言葉を返したのだった。





「……ふう」

 大河幸太郎との会談を終えた夕呼は、一人小さな会議室で溜息をつく。

 相変わらず、αナンバーズを相手の会談は疲れる。

 一切の隠し事を辞めた分楽になるかと思ったのだが、そんなことはない。むしろ、率直に物を言い合う方が、余計な厄介ごとは増すようだ。

 ここまで技術と意識に格差がある相手と、隠し事なしで交渉をすると、受ける衝撃はカルチャーショックという言葉だけでは言い表せない。

 特にαナンバーズの場合、原則悪意がないから尚更だ。向こうがよかれと思ってやったことが、むしろこちらの混乱を引き起こすことケースはいくらでも考えられる。

 せめてもの慰めは、αナンバーズ自身、ある程度その事は自覚しており、断りなく善意を行動に移すことは滅多にない事だ。

「αナンバーズとの共同研究……か。事が終わったと、私の身の安全も確保しておく必要があるわね」

 夕呼はパイプ椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げた体勢でポツリと呟く。

 近く、横浜港に『GGG艦隊』と呼ばれる補修・研究施設を搭載した三隻の特殊戦艦が降下してくるのだという。そこで、夕呼はαナンバーズの技術者と特殊サイボーグの研究のため、技術交流を行うのだ。

 正直夕呼自身、αナンバーズの技術を習得できる自信はないが、世間はまずそうは取るまい。

 夕呼は音に聞こえた『天才』科学者であり、今回のケースは、αナンバーズ側から要請された技術交流なのだ。

 この情報を入手すれば、各国は香月夕呼がαナンバーズの何らかの技術を、秘密裏に伝授されたと取ることだろう。

「まあ、いざという時、各国との交渉材料にするためにも、空手で返ってくるわけにはいかないわね。そもそも、教えてもらいました、分かりませんでした、天才の名が廃るわ」

 気合いを入れ直した夕呼は、反動を着けて勢いよく椅子から立ち上がる。

 夕呼が会議室から廊下に出ると、そこにはいつも通り黒いドレス型の国連軍服を着て、うさ耳型の髪飾りを着けた社霞が、行儀良くお腹の前で手を組み、夕呼を待っていた。

「社。今日中にダウンロードを終えるわよ。準備しなさい」

 足を止めず、すれ違いざまそう言う夕呼に、霞は一瞬ピクリと身体を震わせるが、すぐに「はい」と素直な答えを返す。

(今日中にダウンロードを済ませて、明日から社と白銀で『調律』を初めて。なんとか、使い物になったら即、情報収集ね。ここ横浜の反応炉から情報を抜けたらいいんだけど、無理だったらどこか適当なハイヴに突入させて、直接情報を取ってくる必要があるか)

 場合によっては、早急にハイヴ攻略作戦をでっち上げる必要があるかも知れない。

 いかに香月夕呼の交渉能力が卓越しているとは言っても、それは相当の難事だ。

(ああ、白銀の説得も結構手こずるかも知れないわね。あいつには『鑑純夏は存在しない』と言ってたし。かといって、白銀の協力なしじゃ、調律の効率は桁違い落ちるでしょうから、なんとかなだめるか、言いくるめるか。ちょっと面倒ね……)

 めまぐるしく今後の予定を立てながら歩く夕呼は、目の前の廊下ではないもっと未来にその視線を向けていたのだった。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~プロローグ
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:47
Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~

プロローグ



【新西暦189年より1万2千年後、地球圏宇宙】

 「……我は滅びる……! だが、忘れるな、運命の戦士達よ! この宇宙を縛る因果の鎖が断ち切れぬ限り、我はまた現れる! 無限力と共に!」

 最後のあがきとばかりに呪いの言葉を残し、『霊帝』ケイサル・エフェスが消滅する。
 今ここに、一つの戦いが終わろうとしていた。全宇宙の命運をかけた戦いだった。

(そして、俺にとっては始まりでもある。『平行世界の番人』として俺の)

 クォヴレー・ゴードンは、当事者でありながら、どこか他人事のように現状を眺めていた。
 霊帝ケイサル・エフェスを倒しても、全てが終わったわけではない。αナンバーズのこれまでの戦いを、宇宙の意思『アカシックレコード』がどう判断するか。それ次第では、宇宙意思を相手に次なる戦いを挑む覚悟を決めている。
 だが、クォヴレーは不思議と心配していなかった。自分はもう旅立たなければならないが、残される彼らに不安はない。例えどのような困難が立ちはだかろうと、どれほどの強敵が立ちふさがろうと、αナンバーズはその全てに打ち勝つだけの力と意思を兼ね備えている。
 だから、クォヴレーは、突然赤い巨神――イデオンが搭乗者の意思に反して動き出したときも、コスモ達イデオンのパイロット達が謎の力で宇宙に放り出されたときも、それを追って全機動兵器、全戦艦が動き出したときも驚くことはなかった。
 イデはαナンバーズをどうしようとしているか。元の時代――1万2千年前に返すつもりなのか、もっと別の次元に吹き飛ばすのか、それともあくまで宇宙の意思を乱す存在として断罪するつもりなのか。
 皆がどこに向かうのかは分からない。分かるのは、自分がそれに同行するのは不可能だと言うことだ。
 イデの意思がイデオンガンから放つ白色光で、クォヴレー以外の全員を「どこか」に送り込むのと同時に、クォヴレーの乗る機体『ディス・アストラナガン』も、クォヴレーを平行世界へと旅立たせようとしている。
 αナンバーズが向かう「どこか」とクォヴレーが向かう「どこか」が一致する可能性は果てしなくゼロに近い。だから、クォヴレーは別れの言葉を残す。

(すまないが、お別れのようだ)

「クォヴレー!?」

「おい、どうしたんだよ、クォヴレー!?」

 大破寸前のパーソナルトルーパー、『ビルトファルケン』と『ビルトビルガー』に乗ったゼオラ・シュバイツァーとアラド・バランガは突然の別れの言葉に、驚きを隠せない。
 こちらに向けられたイデオンガンが、眩い白色光を今にもうち放そうとしている最中、ゼオラとアラドは唐突に別れの言葉を継げた仲間の言葉に意識の全てを傾ける。

(俺は、俺に全てを託した男から受け継いだ使命を果たさなければならない。もう、俺がお前達と同じ世界に戻ってくることはないだろう)

 無限に存在する平行世界を監視し、因果律の歪みを修整する『平行世界の番人」という役割に、明確な終わりは存在しない。旅立ちは永遠の別離とイコールである。
 だが、そんな言葉で納得するほど、ゼオラとアラドは聞き分けの良い人間ではない。

「な、何言ってるのよ、クォヴレー!」

「そうだぜ。どんな使命か知らねえけど、んなもん、とっとと済ませて戻ってこいよっ!」

 二人の言葉に、クォヴレーはディス・アストラナガンのコックピットで笑みをこぼす。
 ああ、そうだった。こんな言葉で、彼女たちが、αナンバーズの人間が諦めてくれるはずがないではないか。「不可能」とか「絶望」とかいう言葉など、この世のどこにも存在しない。愛と勇気と魂を込めた一撃で、どんな理不尽もぶち抜けると本気で信じている。そういう人種なのだ、αナンバーズは。
 クォヴレーは観念したように少し笑うと、言った。

(そうか……そうだな。分かった)

「クォヴレー!」

「クォヴレー!」

 その言葉に、ゼオラとアラドの表情にも笑みが戻る。
 そうだ、なにを勝手に悲壮な覚悟を決めていたのだ。平行世界の番人、因果律の番人としての役割には確かに終わりがないが、一時の休息も存在しないわけではあるまい。一段落したところで彼らの元に帰り、また使命を果たすべく平行世界へと旅立っていく。それを繰り返せば良いだけの話ではないか。

「クォヴレー、待ってるわ。私達、ずっと待っているから!」

「おう、あんまり待たせんなよっ!」

(心配は無用だ。俺は何時かお前達のところへ帰る)

 急に180度方針を変更した言葉のはずなのに、なぜかその言葉はスッと胸の奥から出てきた。
 そして、次の瞬間、ディス・アストラナガンの心臓『ディス・レヴ』が臨界に達し、この世界からクォヴレー・ゴードンを乗せたディス・アストラナガンは姿を消す。
 それは、αナンバーズ一同が、イデオンガンから放たれる光に導かれ、時空間転移するほんの一瞬前のことであった。










【西暦2001年、日本時間12月13日、地球圏宇宙】

「ついたか、ここは……」

 三半規管を無秩序に揺らされるような不快感が過ぎ去った後、クォヴレーは「転移」した世界を見渡した。「どこ」であるかはすぐに判明する。ディスプレイの端に、大きく青い水の星が映し出されている。
 地球だ。向こうには月も見える。ここが地球にほど近い宇宙空間であることは間違いない。それは、多少意外ではあっても予想外と言うほどではない。もともと、クォヴレーは『因果律の番人』としての役割を果たすために、平行世界を渡ったのだ。
 ならば転移先は、もっとも因果律を乱す要因となりうる存在、すなわち『知的生命体』がいる星の近くである可能性が高い。

「問題ははたしてここが、いつの地球か、だな」

 クォヴレーは周囲の星空や太陽、地球、月の映像を取り込み、ディス・アストラナガンのコンピューターに分析させる。元々、次元、時間を旅することが前提のディス・アストラナガンには、時代を含めた「現在地」を分析させるだけの能力が備わっている。もっとも、あまりに本来の歴史からずれすぎた平行世界の場合は、エラーが表示されるが。
 程なくして、コンピューターは分析結果をはじき出した。

「西暦2001年12月。誤差、±3パーセント、か。約200年時を遡っているという訳か。……これは少々厄介だな」

 はじき出された結果を見たクォヴレーは、思わず舌打ちをする。
 200年も過去では、どうやってもこのディス・アストラナガンは『異質』な代物である。かといって、国家や科学技術全般はある程度すでに成熟してきているので、現地人の目をかいくぐるのも一苦労だろう。

「この世界の、科学技術レベルは……少なくとも、初期レベルの宇宙進出は果たしているという訳か。ならば、レーダーもあまりなめてかかるわけには行かないな」

 軽くカメラを向けただけでも、地球の静止衛星軌道上には複数の人工衛星が発見できる。
 元々、ゼ・バルマリィ帝国製の人工生命体であり、記憶喪失にもなっているクォヴレーに詳しい地球史の知識などあるはずもないが、これだけでもこの時代の地球が、ある程度の科学技術レベルを有していることは、分かる。無造作に地球に降下すれば、どんなパニックを引き起こすか分からない。
 だが、同時にこれだけ長い時間、こうしてディス・アストラナガンが地球近くの宙域に留まってるのに、どこからも警告や威嚇射撃が飛んでこないところを見ると、宇宙防衛網のレベルはそう大したものではないようだ。

「ならば、ステルス機能を最大限に働かせ、洋上に降下すれば発見されずにすむ可能性が高い、か」

 細い顎に指を当てて、クォヴレーがそう呟いたその時だった。

「ッ、なんだっ! 警報っ? これは……因果地平に穴が空いた!?」

 突如、ディス・アストラナガンが、レッドシグナルを灯し最大音量で警告する。どうやら、クォヴレーをこの世界の導いた要因、因果律の乱れが本格的に発生したようだ。
 クォヴレーは計器を操作し、状況の把握に努める。

「このままでは、この世界と別な世界が因果律を共有してしまうぞ。穴はどこだ。……日本、横浜……。だめだ、ここからではこれが限界か」

 ここから先は、地球に降りるしかない。しかし、最悪なことに日本の関東地区というのは、世界でも指折りの人口密集地帯だ。直接ディス・アストラナガンで降りれば、大パニック間違いなしだ。やはり、最初の予定通り洋上に降下し、人目やレーダーをかいくぐって上陸するのが一番だろう。

「直接空間転移できれば、面倒がないのだがな」

 クォヴレーはそう愚痴をこぼしながら、地球降下の用意を始める。
 平行世界を渡るディス・アストラナガンには、ごく当たり前のように空間転移、いわば瞬間移動の能力が備わっている。
 だが、クォヴレーはまだまともに空間転移を試したことがないし、なにより宇宙空間から地表への空間転移はリスクが伴う。ましてや、地表の状況もろくに知れない、訪れたばかりの平行世界でいきなり行うべきではないだろう。

「いくぞ、アストラナガン」

 やがて、クォヴレーは太平洋の公海上を目指し、降下を開始するのだった。









【西暦2001年、日本時間12月13日20時48分、横浜市】

「この街で間違いないはずだが、ここからは手がかりがないな」

 夜遅く、街灯の明かりが照らす町並みを、クォヴレー・ゴードンは歩いていた。
 あれから約半日。洋上に降下したクォヴレーは、時に海中に潜り、時に海上を飛び、この世界の人間の目やレーダーをかいくぐりながら、どうにか発見されることなく、こうして目的地である日本の横浜市へと上陸することに成功したのである。
 現状、ディス・アストラナガンは海岸線の海中に隠してある。いつまでも、隠し通せるとは思えないが、当面は問題あるまい。
 それよりも差し迫った問題は、服装だ。現在、クォヴレーは、全身にフィットする青と白のパイロットスーツを着込んでいる。
 胸や肩、股間など重要な箇所はプラスチックやセラミックで保護されている以外は、ほとんどレオタードのような全身のボディラインが露わになる薄い作りの代物だ。
 2001年の日本を歩くには、少々場違いな服装である。ごく一部の電気街を除き、この格好で街を歩いていれば、無駄に注目を集めるのは間違いない。しかも、クォヴレー自身、控えめに言っても銀髪の美青年なのだから、これで目立たないというのは、不可能に近い。
 そう言った意味では、ここが夜の住宅街だというのは、幸いだった。おかげでまだほとんど現地の人間とすれ違っていない。
 まれに、残業上がりのサラリーマンとすれ違い、ギョッとされたりもしているが。

「今は闇雲に歩き回るか、何かが起きるまで待つしかないか」

 ディス・アストラナガンでも、これ以上細かな絞り込みは難しい。ならば、あとは直接この街を歩き回って異変を探すしかない。因果律が乱れていれば、必ず何らかなの影響がでるはずだ。それを見逃さないことが、今のクォヴレーに出来る最大にして唯一の取り得る手段である。
 それまでに出来ることと言えば、長期戦を想定し、この世界に溶け込む努力をするくらいか。元々ゼ・バルマリィ帝国から、地球に送り込まれたスパイであるクォヴレーに、現地の溶け込むスキルは無いとは言わないが、流石にろくに知識のない200年前の世界というのは少々荷が重い。

「先のことを考えれば、目立つのは拙いな」

 呟く言葉とは裏腹に、200年後のパイロットスーツ姿で銀色の髪を隠すそぶりも見せず、堂々と夜の住宅街を歩く。
 そんなクォヴレーの耳に、異変が届いたのは次の瞬間だった。

「ッ、なんだっ!?」

 キャーと言う女の悲鳴。それも、ふざけ半分の代物ではない。重大な危機に瀕した、切羽詰まった代物だ。

「こっちかっ!」

 次の瞬間、クォヴレーはアスファルトを蹴り、駆け出した。何らかの異変、これが因果律を乱す要因の手がかりになる、などと言うことはこの瞬間は考えていない。悲鳴を聞いた瞬間、何も考えずに「全速で助けに向かう」という選択肢をごく当たり前に選択していた。
 所属していた期間は短くても、クォヴレーもすっかりαナンバーズの流儀に染まっているのだろう。
 人型機動兵器パイロットだけでなく、兵士として一通りのスキルを身につけているクォヴレーの身体能力は十分に高い。
 飛ぶようにして夜道を駆け抜けたクォヴレーは、あっという間にその現場に到着した。

「貴様っ、何をしている!?」

 仰向けに倒れる若い女と、興奮して息を荒らげながらその前に立つ中年の男。女は気絶しているのか、すでに事切れているのか、ぴくりとも動かない。血走った目で女を見下ろす男の右手には、ギラリと光る刃物が握られている。

「なんだ、お前はっ! 邪魔をする気か!?」

 予期せぬ乱入者――クォヴレーの登場に、男は半狂乱になって刃物を振り回して、威嚇する。一目で分かる素人の動きだ。その正気の吹き飛んだ様子から、話し合いの余地がないことが一目で見て取れる。
 そう判断したクォヴレーの動きは素早かった。

「フッ!」

 短い気合いの声と共に、一気に男の正面に踏み込んだクォヴレーは、間髪入れずに下から男の顎に掌底を叩き込む。

「なっ、ぶっ!?」

 顎を痛打された男は、そのまま真後ろに転がった。
 アスファルトの上に倒れたまま、何が起きたか分からずパニックを起こしている男を、クォヴレーは構えを解かないまま黙って睨み付ける。元々、クォヴレーは顔立ちこそ綺麗に整っているものの、目つきがよいとは言えない。そのため、こうして睨み付ければ結構な迫力になる。

「…………」

「ひ、ひぃっ!」

 少なくとも、この暴漢を追い払うくらいの迫力はあったようだ。
 男は手に持っていた刃物を放り投げ、転がるようにして去っていった。
 一瞬、追いかけて掴まえるかと考えたクォヴレーであるが、今はそれより女の様態を見るのが先だと思い立つ。

「大丈夫かっ」

「…………」

 傍らにしゃがみ込み、クォヴレーはこの時初めて女のまじまじと見た。
 年の頃は二十代の中盤くらいだろうか。くすんだ黄色のセーターに、茶色のロングスカートというよく言えば清楚、悪く言えば地味な服装で、茶色の髪は腰くらいまで長く伸ばしてある。
 スタイルの良さでは定評のある、αナンバーズの女性陣と比べても引けを取らないくらい豊かに膨らんだ胸元は、ゆっくりと上下している。
 どうやら、女は単に気を失っているだけのようだ。街灯の薄明かりを頼りに見ると、セーターの左腕の辺りが切り裂かれており、腕にも浅い裂傷を負っている。おそらく男に襲われて、とっさに腕で身体を庇いながら後ろに倒れた拍子に、頭を打ったのだろう。
 ホッと安堵の息を吐いたクォヴレーであるが、問題はここからである。
 本来であれば、現地の警察か病院と連絡を取るべきなのだろうが、不法入国者の自覚のあるクォヴレーとしてはどちらもあまりお近づきになりたくない代物だ。
 かといって、このまま捨て置くわけにはいかないし、頭を打っているのだとすれば、揺すって起こすのも拙い気がする。

「とりあえず、どこかベンチにでも寝かすか」

 そう言ってクォヴレーは、両腕を仰向けに寝そべる女の脇の下と膝の下に差し込んだ、その時だった。
 ヒュンと唐突に突風が上空を吹き抜けると、クォヴレーの頭上に「何か」が落ちてくる。

「くっ!?」

 クォヴレーはとっさに女を抱き上げると、半ば本能だけで体をかわす。
 その一瞬後、さっきまで女の頭があったところに大きな植木鉢が落ちてきたのだった。
 ガシャンと大きな音を立て、植木鉢が粉々に砕け、黒い土とゴムの木(鑑賞木)がアスファルトの上にぶちまけられる。
 間一髪だった。後一瞬遅かったら、女の頭部はグシャグシャに砕けていたことだろう。
 近くの家の二階のベランダに飾られていた植木鉢が突風にあおられ、道路まで落ちてきた。絶対にあり得ないとは言わないが、偶然の一言ですませるには少々度が過ぎている。だが、二階のベランダに人影が見えないのも確かだ。人為的なものでないことは間違いない。

「偶然、か?」

 驚きと安堵のない交ぜになった息を吐くクォヴレーであったが、どうやらゆっくりとしている余裕はなさそうだった。
 今の植木鉢が砕ける音を聞きつけたのだろう。周りの住宅から人が玄関に出てくる気配が感じられる。

「くっ!」

 この現状はあまりに拙い。
 腕を切られて、気を失っている女。そこに転がっている血のついた刃物。そして、その女を抱きかかえている、200年後のパイロットスーツ姿の自分。
 誰がどこからどう見ても、立派な不審者である。

「ちっ、この場は逃げるしかないか!」

 クォヴレーは、女を肩に担ぐと全速力で走り出した。
 せっかくこの世界の住民が出てきてくれるのだから、彼らに女を任せれば良いのだが、先ほどの「植木鉢の落下」が偶然ではなく、クォヴレーの悪い予想が当たっているとすれば、ここに放っておくのは見殺し以外のなにものでもない。

「くそっ、予想以上に重いっ!」

 本人に聞こえれば、引っぱたかれても文句の言えない愚痴をこぼしながら、クォヴレーは女を右肩の上に担ぎ上げたまま、全速力でその場を離脱する。
 幸いにして、付近の住民が出てくる前に十分現場から離れることが出来た。フッと、速度を揺るめて息を整えようとしたクォヴレーは、ゾクリと首筋を逆なでされたような悪寒を背中に感じる。

「ッ!」

 本能に従い速度を上げた次の瞬間、クォヴレーの背後に上から看板が落ちてきた。
 あのまま速度を落としていたら、ちょうど肩に担いでいる女の頭部を、金属製の看板が、ギロチンのようにぶち抜いてくれたことだろう。
 留め金が錆びてゆるんだ看板が、偶然頭上に振ってくる。非常に運の悪い偶然である。
 先ほどの植木鉢と、今度の看板。どちらか片方だけならば「偶然」かもしれないが、二つ重なれば、もう「偶然」では済ませられない。
 クォヴレーは、確信した。

「この女、『死の因果』にのまれかかっている!」

 世界に空いた「穴」から、因果律の流出入が起こっている。
 異なる世界で死んだ人間の『死の因果』が、この世界に流れ込み、この女を同じ運命へと導こうとしているのだ。おそらくその人間は「頭部に致命傷」を負い、死んだのだと思われる。今になってみれば、植木鉢や看板だけでなく、あの暴漢もこの女を死の因果に導くための要素だったのだろう。
 このままではこの女は、まとわりつく「死の因果」に常に抗い続けなければならない。襲い来る一つ一つの事故や通り魔を回避し続けてもじり貧だ。

「だが、アストラナガンなら、ディス・レヴならばっ!」

 クォヴレーは女にまとわりつく死の因果を振り払うべく、愛機ディス・アストラナガンを隠した海岸へと全力で走るのだった。





「よし、目覚めろ。アストラナガン」

 全身汗だくで、呼吸もろくに整わないまま、クォヴレーはディス・アストラナガンを夜の横浜へと上陸させる。
 浜辺には、ここまでどうにかあらゆる事故を回避しながら、無事連れてきた女が寝かせてある。
 幾らこの辺りはほとんど人が来ないとはいえ、本来であればこうして堂々とアストラナガンを上陸させるのは遠慮したいところなのだが、今はそんなことをいっている場合ではない。文字通り一分一秒を争う事態なのだ。

「いくぞ」

 ザバリと海水をしたたらせながら上陸を果たしたディス・アストラナガンは、海岸に降り立つとその主機関――『ディス・レヴ』を回し始める。

「吠えろ『ディス・レヴ』。喰らいつくせ。死霊を、悪霊を、死の因果をっ」

 ディス・アストラナガンの主機関――ディス・レヴは、死霊・悪霊を初めとした『負の無限力』を糧としている。ならば、死そのものに限りなく近い「死の因果」も吸収できるのではないか。
 推測と言うより願望に近い思考からの行動であったが、どうやら功を奏したようだった。

「…………」

 いざという時とっさにかばえるように、ディス・アストラナガンのコックピットで緊張状態を保ったまま、クォヴレーは女とその周囲の様子を伺う。

 1分、2分、3分……10分たっても女の頭部に「不運な偶然」が襲いかかる様子はない。それでもう5分、クォヴレーは緊張を解かずに、女を見守り続ける。やはり何の異変も起こらない。

「……ふう」

 ここに来てやっと女にまとわりついていた「死の因果」を引きはがしたことを確信したクォヴレー・ゴードンは、長く深い息を吐きながら、ディス・アストラナガンのコックピットにぐったりと身体を預けるのだった。









【西暦2001年、日本時間12月13日23時14分、横浜市海岸付近】

「……ん……あ……?」

 朦朧とする意識の混濁状態から這い上がってきた神宮司まりもが最初に感じたのは、身体の節々の痛みと、全身に感じる肌寒さだった。
 なぜだろうか? 確かに今の季節は冬だが、それにしても寒すぎる。私の部屋はここまで寒くないはずだ。ひょっとしてまた、しこたま酒を飲んであまりよろしくない寝方をしてしまったのだろうか? それになぜ、こんなに潮の匂いが濃いのだ?
 そんなことを考えながら、重い瞼を持ち上げる。

「気がついたか」

 ぼうっと目を開くと、最初に視界に飛び込んできたのは、真上からこちらの顔をのぞき込む、銀髪の青年だった。それとも少年と言うべきだろうか? 年の頃は自分が担当している学校の生徒達と同じくらいか、ちょっと上くらいに見える。ぞくに東洋系は幼く見えて、西洋系は年上に見えるというから、この明らかに西洋系の彼ももしかしたら見た目より年下なのかも知れない。
 いずれにせよ、初めて見る顔だ。やけに目つきが鋭いが、その分を差し引いてもちょっと見ないくらいの美形である。女であれば、長い付き合いの悪友や、受け持ちの生徒などで綺麗どころを随分と見てきたが、男でこれだけの美形にはちょっと心当たりがない。

(鎧衣君は格好いいというより可愛いんだし、白銀君も悪くない顔してるけどもうちょっと間が抜けているものね)

 まだ、頭の大半が覚醒していないのか、とりとめのない考えばかり頭をよぎる。
 銀髪の青年は、無表情の中にもどこか心配げな色を滲ませ、問いかけてくる。

「現状は理解できているか? 自分の名前は言えるか?」

「名前……神宮司まりも……」

「よし、職業は?」

「白陵柊学園教職員……」

「今日は何年の何月何日だ?」

「2001年12月13日……あ、14日かしら」

 答えながら、まりもは途中で訂正する。今は何時頃だろう? 深夜0時を過ぎているのならば、すでに14日のはずだ。それにしても自分はいつ寝たのだろう?
 まりもは覚醒しつつある意識の片隅で、昨日のことを思い出す。昨日は色々あった。朝のホームルームでは突然受け持ちクラスの生徒、白銀武が泣き出し、心配だから放課後にレストランで彼と個人面談をして、送っていくという彼の申し出を断って一人で帰る途中…………。

「あああっ!? わ、私っ……!!」

 恐怖と共に意識が覚醒し、一気に記憶がよみがえる。反射的に上体を持ち上げようとするまりもを銀髪の青年――クォヴレーは、グッと両手で支えながら、落ち着かせるように声をかける。

「思い出したか。大丈夫だ。お前は気を失っていただけだ。もう安全だ、暴漢は撃退した」

「あ……ああ……あ……!」

 まりもは、まるでそれが絶対に手放してはいけない命綱だと言わんばかりに、クォヴレーの二の腕をギュッと強く握りしめる。

「大丈夫だ、問題ない」

 クォヴレーはその手を払うことなく、まりもの背中をさすりながら、ただ彼女が落ち着くのを待つ。

「…………」

「……落ち着いたか?」

「はい。ありがとうございます、貴方が助けてくれたのですか?」

 やっと会話が出来るくらいにまりもが自分を取り戻したところで、クォヴレーはまりもから離れた。
 視界が開けたまりもは、自分が港に面した公園のベンチにいることに気づく。
 繁華街のレストランから住宅街の自宅に帰る途中襲われたはずなのに、なぜ今自分は港近くの公園にいるのか、という当たり前の疑問が思い当たらないところを見ると、まだ完全に頭が働いているわけではないのだろう。

「偶然だ。たまたま、お前の悲鳴が聞こえる所にいた」

 クォヴレーは抑揚のない口調でそう答える。

「落ち着いたら家まで送っていこう。その前に、一つ聞きたいのだが、いいか?」

「あ、はい。何でしょう?」

 まりもは、ちょっと不意を突かれたように驚いた表情で自分の前に立つ青年を見上げながら、丁寧な口調で言葉を返す。一見すると、受け持ちの生徒と同世代くらいに見えるが、正確な年齢は分からないし、第一彼は自分にとって命の恩人だ。敬語で話すのが適当だろう。

「嫌な記憶を思い出させて悪いが、お前は今日のような目にある事に、なにか心当たりはあるか?」

 その言葉通り恐怖の記憶を思い出さされたまりもは、ビクッと身体を痙攣させながら、必死に首を左右に振る。

「いえ……ありません。顔もよく見てないですけど、あんなことをされる心当たりなんて……」

「あ、いや。そう言うことではない。お前は「死の因果」に囚われかかっていた。何かお前の身の回りで、超常現象的なおかしな出来事があった心当たりはないか?」

 200年前の世界の一般人に、いきなり「死の因果」などと言っても意味は通じないだろうが、クォヴレーはあえて直接的な言葉でそう問いかける。元々この世界に知り合いはいないし、手がかりと呼べる物もないのだ。で、あれば「被害者」という形であれ、この因果律の乱れの当事者となってしまったこの女を中心に、話を進めていくくらいしか当面、手がかりはない。
 無論、この女が「死の因果」に囚われたのは、ただの偶然という可能性もあるが、そんなことまで考えていてはいつまでたっても身動き一つとれない。

「死の因果って、因果? あの、ひょっとして貴方、夕呼の知り合い?」

 因果、と言う言葉の響きに長い付き合いの悪友を連想したまりもはそう言葉を返す。

「ユウコ?」

「ええ。香月夕呼。確か彼女が「因果律量子論」だかなんだか、怪しげな理論の話を最近よくしていたけど」

「『因果律量子論』か」

 クォヴレーは顎に手を当てて考える。聞き覚えのない理論だが、少々名前が符合する。因果の流入による第一被害者の知り合いが、『因果律量子論』という理論を研究していた。これは無関係であると考える方が不自然だ。

「鍵はその女か」

 考え込むクォヴレーをベンチの上から見上げながら、まりもはまだ回転の鈍い頭を振りながら、少し自分の言動が軽率だったと反省していた。
 自分にとっては命の恩人でも、見るからに怪しい格好をした謎の外国人に友人の名前を打ち明けるとは。頭がまだぼうっとしているというのは言い訳になるまい。
 しかし、それにしてもおかしな格好だ。こんな格好をしている人間など、まりもは今日まで、夕呼に無理矢理連れて行かれる年2回の特殊なイベント会場以外で、お目にかかったことがない。
 そう考えるとなおさら、夕呼の知り合いという線が有力になるのだが、この様子からするとどうもそうではないようだ。
 まあ、あの香月夕呼が、ちょっとやそっとのことでピンチなったりはしないだろうが、だからといって不義理を働いて良いと言うことにもならない。

「なるほどな。ああ、では、家まで送ろう。立てるか?」

「あ、はい」

 自然に差し出されたクォヴレーの手を取り、まりもは立ち上がる。目の前の男に対する不信感はあるが、流石にあんな事があった後に、送るという申し出を断る気にはなれない。
 夜道の一人歩きに対する恐怖の方が、目の前のことに対する不信感より遙かに強い。 
 立ち上がってみると、以外と足はしっかりしていた。この分ならば家まで歩いて帰るのに問題はなさそうだ。

「それでは、お願いします。ええと……あ、そう言えば、名前聞いてませんでしたね。あの、貴方の名前は?」

 青年の名前を呼ぼうとして、まだ名前を聞いていなかったことを思い出したまりもは、そう言って青年の名前を尋ねる。

「ああ、そうだな。クォヴレー。クォヴレー・ゴードンだ」

 まりもに気づかれないくらいの短い時間、考えたクォヴレーはそのあとすぐにそう素直に自らの名前を名乗る。この世界であまり自分の存在を吹聴しない方が良いのは間違いないが、この神宮司まりもという女は、現在唯一の手がかりであり、さらに有力な手がかりである『香月夕呼』に繋がる鍵でもある。
 多少のリスクを負ってでも、こちらの存在を売り込んでおいた方が良い。
 クォヴレーは、口元に小さく笑みを浮かべながら、そう名乗った。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~第一章
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:49
Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~

第一章

【西暦2001年、日本時間12月14日6時55分、横浜市白銀家】

 何でも出来る気がしていた。最低でもなにか出来ると思っていた。だが、現実は何も出来なかった。
 武が考案した戦術機の新型OS――『XM3』のトライアル中に、突如現れたBETAの群。
 何の心構えも出来ていないまま巻き込まれた実戦に、白銀武の精神はいとも容易くはじけ飛んだ。
 恐怖を抑えるために投与された後催眠暗示と興奮剤の影響をもろに受け、後退の命令を無視してBETAに向かい、自機に装填されているのがペイント弾であることも忘れ乱射し、戦術機を破壊され、動かなくなった機体の中、死の恐怖に泣き叫んだ。
『何も出来ず、ただ一方的にやられ、間一髪の所を救援に駆けつけた戦術機に助けられた』。簡単に言えば、それが白銀武の初陣だった。
 そして、残骸と化した戦術機の前にしゃがみ込み、己の無力感に絶望していた時、後ろから声をかけてくれたのが神宮司教官――まりもちゃんだった。
 感情の制御もきかないまま、攻撃的で情けない言葉ばかりを吐く自分に粘り強く、慰めの言葉と励ましの言葉を投げかけ続けてくれた。初陣で部下を全員死なせてしまったという、自らの心の傷をさらけ出してまで自分を立ち直らせようとしてくれた。

「自分の失敗を笑ってはなせるようになる頃には、白銀が失ってしまったものも、また見つかっているはずよ」

 そんなまりもちゃんの言葉に、少し自分を取り戻した武は、時間をかければ立ち直れるかも知れないという、小さな光明を見いだした。
 だから、

「……ありがとう……まりもちゃん」

 とまりもに背中を向けたままお礼の言葉を投げかけて、それから「神宮司軍曹」をまた「まりもちゃん」と呼んでしまったことに気づいて、「しまった、振り向きづれぇ」なんて思いながら、でもなんだか後ろから「ピチャピチャ」という水音がするから、「なんだ?」と思って振り向いたら……まりもちゃんが、頭から、BETAに……食べられていた。







「――うわああぁっ!」

 自らの悲鳴で目を覚ました武は、ベッドの上で上半身だけを起こしたまま、ゼイゼイと荒い息をついていた。カーテンの隙間からは、細く陽光が差し込んでいる。

「あ……? ここは?」

 身体を起こした武は、キョロキョロと室内を見渡す。
 しばしの間、自分のおかれている状況が理解できない。そこは、慣れ親しんだ国連軍横浜基地の自室ではない。
 薄緑の壁紙が貼られた室内。黒い机と椅子のセット。カラーボックスの上に鎮座している見覚えのあるラジカセ。
 それらを眺めているうちに、ここがどこであるか、武は思い出した。

「ああ、そうだ。帰ってきたんだよな、俺」

 そう、武は昨日帰ってきたのだ。BETAに侵略され、人類滅亡の危機に瀕している世界から、BETAのBの字も存在しない平和なこの世界へ。

「大丈夫だ。あれは全部向こうでの話しだ。忘れるんだ。ここにはBETAなんかいない。まりもちゃんだって生きてる……」

 まだ鳴り止まない心臓を左手で抑えながら、武は自分にそう言い聞かせると、ゆっくりベッドから立ち上がる。神宮司まりもがBETAに食い殺されたのは、「あっち」の話。「こっち」のまりもはちゃんと生きている。昨晩、情緒不安定になっている武のために、わざわざ放課後ファミリーレストランで、相談に乗ってくれたではないか。
 お人好しすぎるくらいに優しい人。それは「あっち」の神宮司教官も「こっち」のまりもちゃんも変わらない。
 駄目だ。何もしないでいるとすぐに「あっち」の事を考えてしまう。

「くそっ!」

 強制的に思い出される記憶を振り払うように頭を振った武は、その拍子に全身にびっしょりと気持ちの悪い汗を掻いていることに気がついた。

「うわっ、気持ち悪りぃ。シャワーでも浴びるか」

 少しわざとらしく、そんな言葉を呟きながら武は、自室のドアに手をかける。
 同時に少しこちらの感覚を取り戻している気がして、笑みがこぼれる。汗を掻いて気持ちが悪いから、寝起きにシャワーを浴びる。「あっち」の世界では、とうていかなわない贅沢だ。
 汗で湿った寝間着姿のまま、武が茶の間に降りてくると、すでに柊学園の制服に着替えた御剣冥夜と、いつも通りメイド服姿の月詠真那が、真剣な表情でなにやら話をしていた。

「おっす、冥夜、月詠さん、おはよう」

「ああ、おはよう武」

「おはようございます、武様」

 階段を下りながら挨拶をする武に、冥夜と真那は話を途中で中断し、そろってこちらに顔を向ける。

「ちょうど良かった、武。そなたにも知らせておこうと思っていたのだ」

「あ、悪りぃ。俺、これからシャワー浴びたいんだけど」

 やけに真剣な表情の冥夜に、少し戸惑いながら武はそう返し、浴室に向かおうとする。

「昨晩、神宮司教諭が暴漢に襲われた」

 通りすぎようとする武に、冥夜は単刀直入にそう告げる。

「ッ、まりもちゃんが!? だ、大丈夫だったのか!」

 あの夢の目覚めから、朝一で聞かされた神宮司まりもに関する凶報。最悪の想像を働かせるのに十分な知らせに、一瞬で武は顔色を失う。だが、幸いなことに冥夜の後を引き継いだ月詠真那の言葉は、その最悪の予想を裏切るものだった。

「はい、幸い悲鳴を聞きつけて駆けつけた方が暴漢を撃退して下さったらしく、神宮司教諭は左腕に浅い裂傷を負っただけですみました」

「そうか、良かった……。それで、犯人は?」

 真那の報告にホッと胸をなで下ろした武は、少し落ち着いた口調でそう尋ねる。

「はい、早朝のうちに御剣財閥の手の者で身柄を拘束し、警察に引き渡しました。そのような不逞の輩を、冥夜様がおられるこの街で野放しにしておくわけにはまいりません」

 きっぱりと言い切る真那の口調が武には頼もしい。一見穏やかそうなメイドさんにしか見えないが、やはり彼女はあの日本帝国斯衛軍所属、「月詠真那中尉」と同じ人間なのだ。

「そういうわけで、武。この一件が解決するまで、お前も私と一緒に鷹嘴(たかはし)の車で通学するのだ」

 鷹嘴とは、冥夜お抱えの運転手の名前である。60mリムジンを手足のように乗りこなす、超一流ドライバーだ。
 すでに決定事項のようにそう言ってくる冥夜の言葉に、武は戸惑った様子で言葉を返す。

「あ、いや。でも、すでに、犯人はつかまっているんだろ? それに、純夏もいるし」

 そう言えば、そろそろあの賑やかな幼なじみが襲撃してきてもおかしくない頃だ。ちらっと玄関の方を目をやる武に、冥夜が首を横に振る。

「無論、鑑もだ。確かに犯人は捕まったが、まだ事情聴取は終わっていない。単独犯である確約が取れるまで、安全が確保されたとは言えない」

 そう言いながら冥夜は一度視線を真那に向ける。にっこり笑いながら首を横に振る真那と、どこか恨めしげな目で渋々ながら頷く冥夜の様子から見るに、「徒歩通学禁止」を言いだしたのは、冥夜ではなく真那なのだろう。
 御剣財閥に仕える真那の立場からすると、次期党首である冥夜の安全を守るために万全を期すのは当たり前のことである。元々物わかりがよく、自分の立場を理解している冥夜は、こういう場合我が儘を言わない。
 冥夜と真那の無言のやりとりから、何となく事の次第を察した武は、素直に冥夜の提案を受け入れることにした。

「わかったよ。しばらくの間、よろしく頼むわ。登校が車なら、シャワーもゆっくり浴びられるしな」

 武のその言葉に、冥夜は武のパジャマが汗で濡れている事に気づく。冥夜は心配そうに、

「そういえば、武。随分と汗を掻いているな。体調でも悪いのか?」

 と言ってくる。慌てて武は否定する。下手な答えを返すと、三十秒後には世界一の名医がドクターヘリで白銀家にやってくることになりかねない。

「いやいや、ちょっと夢見が悪かっただけだ。心配すんなって。って訳で朝飯はシャワー浴びてから食べるから」

「承知しました、武様。そのようにご用意しておきます」

 まだ心配そうにこちらを見つめる冥夜と、ペコリと頭を下げる真那に見送られるようにして、武は今度こそ本当に浴室へと消えていった。









【西暦2001年、日本時間12月14日8時35分、白陵大付属柊学園3年B組教室】

「というわけで、まりもは今日学校に来ないわ。英語の時間は自習、朝と帰りのホームルームは榊、あんたのほうで適当にやっておきなさい。なにか問題があるようなら、私の所に来るように。いいわね?」

 ほとんどブラジャーにしか見えない黒いレースの上着の上から白衣を着た女――香月夕呼が教卓の上から、そう3年B組の学級委員長に言葉をかけた。その大胆と言うよりちょっとおかしい服装といい、抜群スタイルと派手な美貌といい、どう見ても学舎にいるより夜の繁華街にいるほうがマッチしているのだが、香月夕呼はこれでも歴としたここ、柊学園の物理教師である。

「はい、分かりました」

 二本の三つ編みに大きな眼鏡という、今時珍しい「委員長の見本」の様な少女――榊千鶴がいかにも生真面目そうな面持ちで返事を返す。
 唐突に告げられたクラス担任の欠勤であるが、とりあえず3年B組の面々に、特筆すべき反応を示した者はいなかった。
 元々、まりもの欠勤理由について夕呼の口からは「まりもの私的な都合」としか語られておらず、まりもが昨晩暴漢に襲われたという事実は、今のところ武と冥夜、後は通学途中の車内で武達から話を聞かされた純夏の3人しか知らない。
 死者も出ていないただの暴漢事件では、テレビのニュースになることもない。一応、刑事事件ではあるので、いずれ何らかの形で、皆の耳に入ることもありえるが、あえて大々的に宣告する必要もないだろう。
 ただでさえ、妙齢の女が暴漢に襲われたとなると、噂に無駄な枝葉がつくものだ。隠し通せるのならば、それに越したことはない。

「それじゃ、私はこれで。ああ、白銀。あんたはちょっと来なさい」

 いつも通り、軽い口調で朝のホームルーム終了を告げた夕呼は、帰り間際何でもないことのようにそう付け加えると、ちょいちょいと武に手招きして見せた。

「あ、はい。冥夜、一時限目の先生に言っといてくれ」

 そう言って武は、隣の冥夜に事情説明を頼むと素早く席を立つ。

「了解だ」

「武ちゃん、また何かやったの?」

「なにもやってねーよっ」

 当たり前のように自分に濡れ衣を着せてくる純夏の頭頂部に軽くチョップ入れて、武は教室の前の入り口で待っている夕呼の元に小走りで向かった。

「あ痛ー、武ちゃん暴力反対!」 

 幼なじみの抗議の声を背中で聞きながら、武は夕呼の後を追い、教室から廊下へと出て行く。

「夕呼先生、話って」

「物理準備室で話すわ」

 駆け寄る武の方を見ず、まっすぐ顔を前に向けたままそう答える夕呼の顔は、教室にいたときとは打って変わって、唇を強く結んだ、見たこともないくらいに険しいものだった。






 物理準備室に着いた夕呼は、武を突き飛ばすようにして部屋の中に押し込むと、ピシャリと入り口の戸を閉め、施錠した。

「あの、夕呼先生?」

 廊下に出たときの表情からただ事ではないことは察していた武であったが、どうやらいよいよもってただ事ではないようだ。
「こっち」の夕呼が、ここまで血相を変えているところは初めて見る。

「あんた、昨晩のまりもの身に起きたことについては、御剣から聞いているわね?」

 いらだたしげにドスンと備え置きの椅子に腰を下ろしながら、夕呼が話を切り出す。

「あ、はい。確か、俺とファミレスで別れた後、帰り道で暴漢に襲われたって」

「それで? 他には?」

 矢継ぎ早に夕呼が促すが、武は首をかしげるだけだ。

「いえ、俺が今朝冥夜と月詠さんから聞かされたのはそれだけですけど」

「そう、それじゃあ詳しいいきさつは知らないのね。なら、まずは聞きなさい。昨晩まりもはね……」

 夕呼は理路整然と、昨晩神宮司まりもの身に起きた事件について話し始めた。
 武と分かれてからの帰り道、住宅街で暴漢に襲われたこと。
 暴漢の凶刃をかわそうとして足を滑らせ、頭を打ち、気を失ったこと。
 気がついたら、なぜが港近くの公園のベンチで、奇妙な格好をした銀髪の青年に介抱されていたこと。
 そして、暴漢を撃退してくれたその青年――クォヴレー・ゴードンに「お前は死の因果に囚われかかっていた。何か心当たりは無いか?」と、尋ねられたこと。
 そこまで話が進んだところで、武は一気に顔色を失った。

「死の因果、って……」

 まりもが死の因果に囚われている。そこの言葉に、武は半ば反射的に「あっち」のまりもの最期が思い出された。背中を向けたまま、「ありがとう」と言ったのに、帰ってこない返事。何故か唐突に聞こえてくる、ピチャリピチャリという水音。そして、振り返った先に見た、頭を丸かじりにされたまりもちゃん。

「そんな、じゃあ……まりもちゃんはっ」

 唇が紫に変色するほど顔から血の気の引いた武をなだめるように、夕呼はため息をつきながら言葉を続ける。

「落ち着きなさい、白銀。大丈夫よ。少なくとも、現時点でまりもの身に危険は及んでいないわ。その様子を見ると聞くまでもない気もするけど、一応確認を取るわ。「あっち」のまりもは死んだのね?」

 平行世界での出来事とはいえ、親友の死を口にするのはさしもの夕呼にも酷だったのか、少し躊躇いの色を見せながら、そう言った。

「は、はい。俺がいた基地にBETAが現れて……お、俺何も出来なくて、落ち込んでいたところをまりもちゃんが慰めてくれて……ありがとうって振り向いたら、振り向いたら、ま、まりもちゃんがっ……」

「そこまでよっ! あんたの記憶がトリガーになっている可能性もまだあるんだから、それ以上思い出しちゃ駄目!」

 まるで自分の意思に反するように、あの時の情景を話し始める武を、夕呼は血相を変えて制止させる。素直に武が口を閉ざした見た夕呼はホッとため息をつくと、椅子から乗り出していた身体を背もたれに戻す。

「どうやら間違いないみたいね。白銀を通して、「あっち」の世界の因果が「こっち」の世界に流れ込んできている。あんた、「あっち」の私に『因果導体』って存在について詳しく聞いている?」

「……いいえ」

「そう。まあ、簡単に言えば、因果情報を導く存在。世界から世界に因果を導き、異なる世界に同じ結果をもたらすモノのことね。たぶん、今のあんた、その『因果導体』になっているわ」

 真っ白に近い武の頭に、夕呼の言葉がジワリジワリと毒のようにしみこんでいく。つまり、武という「因果導体」を通して「あっち」世界でまりもが死んだという因果が、「こっち」の世界に流れ込み、「こっち」の世界のまりもに同じ結果、すなわち死へと導こうとしたと言うことか。

「そんな……」

 それは、「お前が来たせいで、まりもは死にかけている」と言われているに等しい。

「しっかりしなさい、白銀! おそらくまだ、取り返しはつくわ。まりもを助けたクォヴレーという男は「お前は死の因果に囚われかかっていた」と言ったのよ。いい? 「囚われかかっていた」。「囚われている」じゃなく、「囚われかかっていた」。この違いが分かる?」

「それって……」

「囚われかかっていた」。素直にその意味を取れば、「囚われていたのは過去のことであり、今はそうではない」ということになる。
 それは、武にとって真っ暗闇に差し込む一筋の光明にも感じられる言葉だった。
 僅かに頬に赤みが指した武の顔を椅子の上から見上げ、夕呼は一つ頷く。

「そう。そのクォヴレーという男の言葉が正しければ、今のまりもは死の因果に囚われていない可能性が高いわ。実際、まりもは昨晩意識を取り戻してからは、命の危機に瀕するような目に遭っていないみたいだし、おそらくその言葉に嘘はないでしょう」

 夕呼の保証に、武はその場でへたり込みそうになるくらいの安堵感を覚えた。

「そうか……よかった」

 だが、夕呼は厳しい表情を崩さないまま、武への追求を緩めない。

「まりもに関しては、ね。でも、このままなら、同じ事が他の人間にも起こらないとは限らないわ。あんた、「こっち」の知り合いで「あっち」で死んだ人間は他にはいない?」

 少し考えてから、武は一つ首を縦に振った。

「大丈夫、だと思います。世界全体では何十億人も死んでるとか、日本だけでも3600万人が死んだとか、話では色々聞いてますけど、直接俺が見たのは、その、まりもちゃんだけですから」

「そう……」

 短く言葉を返しながら、夕呼は手を顎にやりながら考えていた。拙い。あくまで最悪の可能性だが、武の知識に「あっち」で数十億人が死んでいるという事実がある以上、いずれこちらにその数十億人分の「死の因果」が流れ込まないという保証はない。
 冗談ではなく、本当に世界の危機だ。
 一方、まりもの死という最悪の可能性が遠ざかった事を理解した武は、少し思考がクリアになる。その多少は回転速度を取り戻した頭で、先ほどの情報を思い出してみた武は、巨大な疑問点が放置されたままになっていることに気がついた。

「あの、それで、そのクォヴレーって人、何者なんですか? どう考えてもただ者とは思えないですけど」

 単にまりもを暴漢から救っただけならば、「通りすがりの正義感が強い人」だろうが、その後「死の因果」などと言う話をした以上、単なる通りすがりという可能性は無い。それに、なぜ「死の因果」に囚われたはずのまりもが助かったのだ? まりもの死が「因果律」によって導かれるものであるならば、尋常な手段ではその運命は曲げられないはずだ。まさか、それもクォヴレーという男が何かやったのだろうか?
 その武の問いに、夕呼は当てが外れたと言わんばかりに一つため息をつく。

「それはむしろ私からあんたに聞きたい事だったんだけどね。その様子だと、あんたも知らないのね? 見た目は、銀髪の西洋系。年はあんたと同じくらいかちょっと上くらい。服装は、白と青の全身レオタードにみたいな感じだそうよ。心当たりは無い?」

「はい、ありません」

 武は考えるまでもなく即答した。そんな目立つ外見の男、見知っていれば絶対に忘れるはずがない。強いて言えば「青と白の全身レオタード」というのが、衛士強化装備を連想させるが、それだけで「あっち」の世界関係者と考えるのはあまりに安直だろう。ただのレオタードで夜の街を練り歩くのが趣味の一般人、と言う可能性だってある。

「そう、あんたに心当たりがないとなると、本格的に謎ね。後は本人に直接聞くしかないか」

「直接って、どこにいるか分かっているんですか?」

「いいえ、現時点では不明よ。だから、御剣に頼んで御剣財閥の力で探してもらっているわ」

 幸い、クォヴレーは神宮司まりもの命の恩人だ。「ぜひ、直接礼を言いたい」という表面上の理由だけで十分な説得力がある。
 義理堅い上に、金銭感覚が常人と違う冥夜は、快く引き受けてくれた。現在すでに、御剣財閥の人間が町中に散らばり、クォヴレー・ゴードンの探索に回っているのだという。

「とにかく、あんたが『因果導体』であるのならば、今後も因果の流出入が起きる可能性は高いわ。はっきりって何が起こるかは、全く予測が付かない。だから、いい? 何か異変があったらすぐに私に知らせなさい。私も『クォヴレー』と連絡がついたらあんたも呼ぶから、すぐに連絡がつくところにいるのよ」

「わ、分かりました」

 事態の深刻さは十分に理解しているのだろう。武がゴクリとつばを飲み込むと、素直に首肯するのだった。









【西暦2001年、日本時間12月14日12時58分、横浜市海岸付近、ディス・アストラナガン、コックピット内】

 特機、ディス・アストラナガンとパイロット、クォヴレー・ゴードン。
 この世界ではもちろん、元の世界でもあまり知名度がなかったこの組み合わせだが、実のところその戦闘力は、反則的に高い。
 世間の基準で反則級が平均値と言われるαナンバーズの特機の中でも、ディス・アストラナガンは間違いなく最上位グループに区分される。
 主機関、負の無限力を糧とする『ディス・レヴ』の出力には理論上上限はなく、稼働限界時間も存在しない。
 常時張り巡らされる防御フィールド――ディフレクト・フィールドは、あらゆる攻撃に対し有効であり、生半可の攻撃ではこのフィールドを貫くことはできない。また、ディフレクトフィールドを抜けたとしても、ディス・アストラナガンの装甲は特機の平均と比べても十分に強固で、有効なダメージを与えることは難しい。
 さらに、ディス・アストラナガンには自己修復機能もあるため、時間が立てばそのダメージも簡単に回復してしまうという反則さだ。
 攻撃力も、近接戦闘用の鎌『Z・Oサイズ』、遠隔誘導兵器『ガン・スレイヴ』、強力なエネルギー砲『メス・アッシャー』と隙無くそろっており、さらに最強の必殺技である『アイン・ソフ・オウル』に至っては、敵対象を強制的に時間逆行させることにより、存在そのものを抹消するという防御不能の殲滅技だ。
 さらに、それを操るクォヴレー・ゴードン自身もただ者ではない。
 元は地球と敵対する宇宙の巨大勢力『ゼ・バルマリィ帝国』で作られた人口クローン生命体であるクォヴレーは、地球連邦に対する潜入工作員として、広い分野において高いスキルを有している。
 さらに、先代の「平行世界の番人」であるイングラム・プリスケンをその身に取り込んだことにより、彼の知識・スキルを断片的にではあるが己のモノとしており、その力量は奇人変人の巣窟であるαナンバーズのパイロット達の中でも、十分にエースと呼ばれるに相応しいだけのものとなっている。
 圧倒的な超兵器と、その力を十全に発揮しうる高レベルなパイロット。その力は、まさに脅威の一言だろう。冗談でなく、一機で世界の勢力図を一変させうるだけのポテンシャルがあるのだ。

 だが、当然であるが、ディス・アストラナガンは完全無欠というわけではなく、クォヴレー・ゴードンも全知全能にはほど遠い。たとえ、常人の数十倍、数百倍出来ることがあったところで、出来ないことの方が圧倒的に多いのが現実だ。
 そして、「平行世界の番人」として、最初の仕事を果たすべく昨日、この世界に降り立ったばかりのクォヴレーの前に、早速ディス・アストラナガンの力を持ってしても解決できない、極めて強大な問題が立ちはだかったのであった。
「平行世界の番人」とか「機動兵器パイロット」としての問題以前の問題。1人の人間が文明社会の中で生きていく上で、必然的に生じる最初の問題。
 平たく言えば、「この世界の金が無い」という致命的な事実に、今更ながらクォヴレー・ゴードンは気がついたのであった。





「参ったな。携帯食料は、一週間分か。切り詰めれば十日は持つか? 水は公園で調達できるようだからどうにかなるが、やはり一週間や十日で因果律の歪みを修整できると考えるのは、楽観的すぎるだろうな」

 ディス・アストラナガンのあまり広くないコックピット中で、ありったけの物資を並べ立てたクォヴレー・ゴードンは、右手で頭を掻きながら、深いため息をついた。なにせ、『霊帝ケイサル・エフェス』との最終決戦直後、まっすぐ転移してきたのだから、用意らしい用意は何もない。現在のクォヴレーの持ち物は、ディス・アストラナガンを除けば、僅かな携帯食料と無重力用のドリンクボトル。後はハンドガンが一丁に幾つかの修理・工作道具くらいのものである。
 当面の生活を支えるのに役立ちそうなものは少ない。

「そうなると、やはり働くしかないか。問題は、この国は戸籍管理がしっかりしていると言う点だな」

 2000年代の日本で、戸籍のない見るからに外国人であるクォヴレーの働き口はないと言っても過言ではない。
 ある意味、クォヴレーにとっては最悪の時代と言えよう。もう少し前の時代であれば、戸籍管理ももっといい加減であっただろうし、もっと後の時代であれば、戸籍管理が完全電子化されていたはずだ。
 元々、平行世界を飛び回り、星の位置から時代と場所を特定できるディス・アストラナガンのコンピューターは、200年後の基準で見ても、かなりのハイスペックを誇っている。電子化された戸籍であれば、クラッキングで偽造も可能だっただろうが、生憎この世界の戸籍管理は未だに紙である。素人に偽造は難しい。
 しかし、それを理解した上でも、クォヴレーにはまだ、十分な勝算があった。
 確かに、戸籍を入手出来るのが最善であるが、仕事さえ見つかれば当面戸籍は無くても問題ないのだ。

「どれほどの管理社会でも、必ず非合法の世界というは存在するはずだ」

 そう呟きながら、クォヴレーはディス・アストラナガンのコンピューターを操作し、この世界のネットワークにアクセスした。一体どのような経路を通ってこの世界のネットワークにアクセスしているかは、正直なところクォヴレー自身理解していないが、問題はない。
 どのみち、どんな経路でも「不法アクセス」であることには間違いないのだし、かといってアクセスを止めるという選択肢も存在しないのだ。「平行世界の平和」を守るためならば、多少の違法行為は黙認されるべきだろう。
 最初は、勝手の違うこの世界のインターネットに苦戦していたクォヴレーであったが、やがて目的としていた情報を入手することに成功する。

「やはりな」

 薄い唇の端を歪め、クォヴレーはにやりと微笑む。もくろみ通り、この世界にも戸籍を必要としない仕事の求人は存在していた。
 まず、クォヴレーは慌てず、一般的なネット販売のホームページを開き、この世界の平均的な物価を確かめる。
 そうやってこの世界の情報を入手すると共に、求人情報を絞り込んでいったクォヴレーは、最終的に三つまで候補を絞る事に成功したのだった。



『アルバイト募集中!
 職種:電話対応。
 経験は問いません。こちらの指示通りに電話をかけて対応するだけの簡単な仕事です。
    
 ※多少の演技力が必要とされますが、演技指導の用意もございます』

 このバイトは、料金と拘束時間の兼ね合いでは一番魅力的に見えた仕事だ。問題は『多少の演技力が必要』とされるという点だろうか。元潜入工作員としては情けない話だが、クォヴレーは演技力にはあまり自信がない。



『綺麗な女性に囲まれて、働いてみませんか?
 当店では、常時男性接客員を募集しています。容姿、スタイル、話術に自信のある男の方。貴方のその才能を当店でお金に換える気はありませんか? 当店では、お客様を厳選しておりますので、客先とのトラブルには万全のアフターサービス態勢を取っています』

 こちらは時給の高さが魅力だ。問題は拘束時間が不規則で、時間延長(残業というやつだろう)が多く存在するという点だ。延長時間も時給は発生するらしいので、金銭的には良いのだが、そのために肝心の「因果律の乱れ」調査に支障を来しては本末転倒である。



『出演者募集中。
 ローズダイヤモンド映像では、キャスト・エキストラを募集しています。映像に興味のある方、お金が必要な方、歓迎。
 あなたもこれを機会に、思い切って新たな世界に飛び込んでみませんか?』

 最後のこれは、拘束時間の短さが魅力だ。男はエキストラ出演しか募集していないので金銭的には安いが、その場で支給されるというのがありがたい。問題があるとすれば映像出演という形で自分の姿が記録されてしまうという危険だが、要相談の欄に希望する者は『目にモザイク』を入れる事も可能、となっているので一考の価値はあるだろう。



「さて、どれにするか。いずれにせよ早く決めなければならんな」

 クォヴレーは、真剣な面持ちで腕を組み、『振り込め詐欺』『無許可出張ホスト』『裏ビデオ出演』の三択問題に頭を悩ませていた。





 それから30分ほどたった頃だろうか。
 どうにか、三択問題に答えを出したクォヴレーは、海中にディス・アストラナガンを隠すと、昼の横浜市内を歩いていた。生憎ディス・アストラナガンのコンピューターにプリントアウト機能はないので、これから向かう先の道のりは頭の中に叩き込んできた。
 元々、兵士として訓練を受けているクォヴレーは、短時間でマップを記憶する能力も身につけている。幸い、目指す先は同じ横浜市内の繁華街だ。徒歩でも、一時間以内でたどり着けることだろう。
 念のため、ドリンクボトルと一日分の携帯食料を腰のポーチにしまったまま、クォヴレーは真昼の横浜市内を堂々と歩いていた。
 青と白のパイロットスーツ姿の自分が、この世界ではかなり目立つ存在であるという自覚はあるが、着替えも着替えを買う資金もないクォヴレーに選択肢はない。むしろ、こういうときはへたにこそこそするほうが拙いのだと考えたクォヴレーは、まるっきり自分の格好に疑問を持っていないような足取りで、悠然と赤い煉瓦の敷き詰められた遊歩道を進む。

「とはいえ、やはり目立つな。なんとか頼み込んで、給料を前借りして着替えを買うべきか。それが無理ならば、今日から働かせてもらうしかないな」

「平行世界の番人」とは思えないくらい、貧乏くさい切実な悩みを口にしながら、クォヴレーは歩み進む。
 徒歩で一時間弱と言う距離は、軍人として鍛えられたクォヴレーにとっては大した距離ではない。

「しかし、イングラムはこういった問題をどうやって解決していたのだ? やはり、何らかの形で現地の協力者を得ていたのだろうか。それとも今の俺のように、最初はしばらくアルバイトで糊口を凌いでいたのだろうか」

 歩きながら、クォヴレーは青い長髪を靡かせた自分の前任、先代平行世界の番人、イングラム・プリスケンについて考える。
 もし、訪れる平行世界の先々で上手いことやるコツのようなものがあるのなら、教えて欲しいものだ。切実にそんなことを考えながら、歩いていたクォヴレーの耳に、なにやら異様なエンジン音が聞こえてきたのはその時だった。

「ッ!」

 反射的に身構えるクォヴレーの前で、黒塗りの高級車が前の十字路を左折してこちらに向かって来た。

「馬鹿な、空間歪曲技術だと!?」

 その動きを見たクォヴレーは、思わず驚きの声を上げる。200年も前のこの世界に、空間歪曲技術が実用化されていたとは。信じがたいが、今目の前で起きた現象は、そうとしか考えられない。
 なにせ、クィヴレーの横に止まったこの黒塗りの車は、見積もっても軽く全長50mを超えているというのに、今さっきこの車は、二車線しかない車道で、十字路を普通に直角に曲がってきたのだ。

「ッ、例え200年前でも日本ということか」

 軽く握る拳の中に、ジンワリと汗を掻きながら、クォヴレーはそううめき声を漏らした。
 以前、αナンバーズの皆から聞かされていた『特異技術のデパート日本』の異名を思い出しながら、薄い唇を噛むクォヴレーの前で、長大な高級車の助手席側のドアが開かれ、1人の女が姿を現す。
 赤いメイド服に白にエプロン。長い緑の髪を頭頂部でお団子にして纏めている、若い女だ。
 一見すると、ただの美人メイドにしか見えないが、その足運びには隙がない。逃げるべきか、様子を見るべきか。クォヴレーが決断できないでいるうちに、女はしずしずとした足取りでクォヴレーの前までやってくると、穏やかな笑みを浮かべながら口を開く。

「クォヴレー・ゴードン様ですね? 昨晩は神宮司様をお助けいただきありがとうございました。その件に関しまして、直接お礼を言いたいというものがいるのですが、ご同行願えないでしょうか」

 緑の髪のメイド――月詠真那は淀みない口調でそう言うと、警戒心を露わにしているクォヴレーに対し、ゆっくりと頭を下げるのだった。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~第二章
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/05 23:51
Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~

第二章

【西暦2001年、日本時間12月14日16時14分、白陵大付属柊学園物理準備室】

「初めまして、香月夕呼よ。まずは表向きの用件から済ませましょう。昨日はまりもを助けてくれてありがとう」

「そうか、お前が。名前は昨晩、神宮司まりもから聞いている。クォヴレー・ゴードンだ。大したことをしたつもりはないが、大切な者の命を救われた心情は理解できる。礼の言葉は素直に受け取っておこう」

 後ろの窓から赤い夕陽の光が差し込む物理準備室で、香月夕呼とクォヴレー・ゴードンは若干緊張感を漂わせた対面を果たしていた。
 夕呼が進めるまま、クォヴレーは折りたたみ式のパイプ椅子に腰を下ろす。

「…………」

「…………」 

 椅子に座り向かい合った二人は、しばし沈黙の時を共有していたが、それはそう長いことではなかった。
 思い切るように一度咳払いをした夕呼が、胸の谷間を強調するように腕を組み直すと、話を切り出す。

「単刀直入に聞くわ。あんた、何者?」

 聞かれたクォヴレーは、少し目をつぶり考え後、素直に答える。

「クォヴレー・ゴードン。所属は地球連邦軍特殊独立部隊αナンバーズ。階級は少尉。現在の役割は「因果地平の番人」だ。俺からも聞かせてもらう。『因果律量子論』とはなんだ? この世界の因果の乱れに、神宮司まりもが死の因果に囚われかかっていたのに、お前は関係しているのか?」

 予想以上にダイレクト且つ荒唐無稽な返球が返ってきたことに内心少し驚きながら、夕呼は赤いルージュを引いた唇を一度嘗めると聞かれたことに素直に答える。

「『因果律量子論』は、私が独自に研究している平行世界の証明と、世界同士の因果関係を立証する理論よ。ちなみにまりもの『死の因果』に私の研究が関与しているか、という点については、イエスともノーとも言えるわ。私の研究を立証する人間が絡んでいるから、無関係とは言えないし、かといって私が意図してまりもをあの状態にしたわけではないから」

 さしもの夕呼もまりもの死の因果について語るときは少し顔を引きつらせたが、クォヴレーは特にそのことについて突っ込むことはなかった。

「そうか。その人物とは? 詳しい話を聞きたいのだが」

「ところで『平行世界の番人』と言う役割について、詳しく教えてもらえるかしら? まあ、名前から大体想像はつくけれど」

 質問と質問がぶつかり合う。互いに聞きたい事が多すぎる。
 なにせ、クォヴレーにとっても夕呼にとっても目の前の相手は、現状を打破するための情報を持った唯一の存在なのだ。

「…………」

「…………」

「……了解、それじゃ交互に質問と返答を行いましょう。今はまず、情報の交換が最優先みたいね」

 大きく息を吐いて、そう言う夕呼に、クォヴレーも特に抵抗なく首を縦に振る。

「ああ、それでいい」

 夕呼とクォヴレーは、時間をかけて互いの質問に答えていくのだった。





「なるほど、文字通り平行世界の番人というわけね。それなら、今この世界にあんたが来たのも分かるわ」

「ああ。ディス・アストラナガンが察知した『因果地平の穴』は、因果導体――白銀武で間違いないようだな」

 情報交換を終えた夕呼とクォヴレーは、そろって小さくため息をついた。
 互いの事情、互いの目的を話し合った結果、二人は共通の認識を持つに至る。
 すなわち、現状のままにしておけば、この世界そのものが危険だと言うこと。そして、それを解決する鍵となるのが因果導体、白銀武であるこうこと。
 当面、香月夕呼とクォヴレー・ゴードンはこの世界の因果歪みを正すために協力することに、異存はなかった。お互い、あまりに荒唐無稽な話をしている感はあるが、よく聞けば内容の筋は通っている。

「それにしても、それならあんた、昨晩は何をやっていたの? 昨晩のうちのまりもから私の事は聞いていたのでしょう?」

 ふと、思いついたように夕呼はそうクォヴレーに尋ねる。クォヴレーにとっては神宮司まりもとその口から出た「因果律量子論」を唱える「香月夕呼」という存在が、使命を果たす上で唯一の手がかりだったはずだ。それなのに、丸1日近く、向こうから接触してくる様子がなかったのは腑に落ちない。まりもは『柊学園教諭』と名乗っていたのだから、こちら居場所は簡単に調べられたはずだ。
 その質問にクォヴレーは少しばつが悪そうに、肩をすくめると答えるのだった。

「ああ、就職活動をしていた。何せ急な転移だったため、この世界に生活基盤がないのものでな」

「なるほど……そういう問題があるか」

 即物的で切実なクォヴレーの返答に、夕呼は虚を突かれたように顔で頷き返す。
 ちょっと考えれば当たり前の問題なのに、遭遇している事態が巨大すぎて、あまりに身近なその問題に気がつかなかった。
 とはいえ、平行世界の番人とはいえ、生身の人間である以上確実につきまとう問題である。

「それで、成果は? もう、どこかに決まったの?」

 少し面白がるようにそう聞く夕呼に、クォヴレーは首を横に振ると、

「いや、2,3当たりをつけて飛び込みの面接に向かおうとしたところで、お前達に声をかけられたのだ」

 そう答えた。

「あら、それは悪いことをしたわね。それじゃ、お詫びに白銀が来るまで、面接試験の予行練習をやってあげましょうか?」

 クォヴレーの答えに、夕呼はちらっと壁掛け時計に目をやり、人の悪い笑みを浮かべる。

「それはありがたいが、出来るのか?」

「まあ、私もこれで一応学園教師だからね。生憎うちは進学校な上に大半がエスカレーターに乗って白陵大に進学するから、就職面接指導はやったことないけど、進学の面接指導は何度かやっているわ。少なくとも、まねごとくらいは出来るわよ」

 香月夕呼の面接指導。柊学園の生徒が聞けば、思わず逃走経路を探すような提案だが今日初めて会ったクォヴレーにそんな事が分かるはずがない。

「ぜひ頼む。この世界の常識に疎い自覚はあるからな」

 クォヴレーは、ごくごく真面目な表情で、頷き返すのだった。





「えー、それではまず、当社を希望した動機から教えて下さい」

 内心はともかく、表情だけは真面目に取り繕い、夕呼は面接官のようにクォヴレー・ゴードンに問いかけた。
 パイプ椅子の上でピンと背筋を伸ばし、軽く握った両拳を太股の上に置いた綺麗な姿勢を保ったまま、クィヴレーは日頃あまり使わない丁寧な口調でこたえる。

「はい。まず、御社の応募要項に、「履歴書」という項目がなかったので、これならば戸籍も就労ビザもない自分も採用されるのではないかと考え、希望しました」

「はい、ストップ。ちょっと待って」

 淀みないクォヴレーの返答に、素に帰った夕呼は右手の平をクォヴレーの顔の前に突きだし、タイムを要求した。

「なんだ?」

 真面目な顔で首を傾げるクォヴレーに、夕呼は若干の疲労感を感じながら、

「うん、私の受け持ちの生徒に、頼めば戸籍とかビザとかどうにかしてくれる子いるから。そこら辺はクリアしてるという前提で話を進めしょう。というか、あんたが想定しているような履歴書も要らない仕事先は、こんな真面目な面接あんまりやらないから」

 そう言って、一つため息をついた。どうやら、異世界との交流は予想以上に常識のギャップが激しいようである。

「む、そうか。了解した」

 クォヴレーとしては否はない。身分証明という問題がクリアできるのならば、それに越したことはない。非常に就職活動が楽になる。そうなれば、水と非常食が尽きる前に、初任給を手にすることも夢物語ではなくなる。
 無表情のまま、どこか嬉しそうにコクコク頷くクォヴレーの前で、夕呼は小さくため息をつきながら、面接ごっこを再開する。

「じゃ、気を取り直して。えー、では、貴方が学生時代、一番力を入れて取り組んでいたことについて教えて下さい」

「学生時代……ですか」

 その言葉に、クォヴレーは困ったように首を傾げながら、沈黙した。そして、しばらくしてから、澄まなそうに素の口調で、告げる。

「ああ、すまん。俺は少し特殊な事情があって、学生時代というのを経験していない。学生時代について聞かれるのは、定番なのか?」

 クォヴレー・ゴードンは、元々『ゼ・バルマリィ帝国』が作った、人造生命体である。戦闘用クローン人間と言いかえても良い。そのため、世間一般で言う学生生活などとは無縁であり、そもそも見た目は十代の後半から二十代の前半に見えるが、正しくそれだけの期間生きてきたわけではないのである。

「そうね、日本の企業に日本人が就職する際には、かなりの確率で聞かれるんじゃないかしら? なにか込み入った事情があるのなら、いっそ国籍はどこか適当な外国にして置いて、就労ビザを発行してもらった方が良いかも知れないわね。日本国籍にするんなら、適当に学生時代をでっち上げておいた方が良いと思うわ。何だったら後で、平均的な学生生活というものを伝授してあげる」

「了解だ、頼む」

 どうやら、込み入った事情がありそうだと理解した夕呼は、あえてなんでもないことのようにクォヴレーの主張を聞き流すと、何食わぬ顔で面接を続ける。

「それでは、趣味・特技などをふまえて、自己アピールをお願いします」

 これも定番の質問である。
 クォヴレーはやっと、自信をもってこたえられる質問が来たと胸を張り、はっきりとした口調で返答する。

「はい、特技は、『機動兵器』の操縦です」

「……『機動兵器』ですか」

 微妙に間が開いた後、目をパチパチさせる夕呼の様子に気づいていないのか、クォヴレーはそのままの調子で続ける。

「はい。『モビルスーツ』『パーソナルトルーパー』といった、『人型機動兵器』を一番得手としていますが、車両型、航空機型の機動兵器も操縦は可能です」

 クォヴレーの返答に、夕呼は少し頭痛を感じながら、半ばヤケになったようにそのまま面接ごっこを続行する。

「……その『機動兵器』の操縦は、我が社で働く上で、どういった場合役に立つと考えますか?」

「はい。『宇宙人』『地底人』『爬虫人』などの奇襲を受けた際、御社の社屋や社員を守り、守備隊が到着するまでの時間稼ぎが出来ると思います」

「…………」

「…………」

 またしばし、沈黙の時間が流れる。
やがて、三百六十度回って冷静さを取り戻した夕呼は、パチンと手を合わせて、宣言する。

「はい、オッケー。うん、ここまでにしましょう。悪いこと言わないわ。あんた、この世界にいる間は、最低限衣食住の面倒くらい見てあげるから、黙って素直にヒモやってなさい」

 容赦なく、夕呼は結論を叩きつけた。

「むう……どこか拙かったか?」

 少し不満そうに、口元を歪めながら首を傾げるクォヴレーに、夕呼は容赦なくだめ出しを続ける。

「ええ。そもそも、今の発言をしておいて「どこが拙かった?」という疑問が出る時点で改善不能レベルに致命的だから、あんた」

「心外だな」

「論外よ」

 どうやら、世界の常識非常識というのは、夕呼が思っている以上に幅があるようだ。
 しきりに首を傾げているこの男に、この世界の常識を叩き込んで、就職活動が出来るまで仕込むくらいなら、生活費を貢いでやって、その分の労力を平行世界の平和のために注いでもらった方が、誰にとっても有益だ。

「すみません、夕呼先生! 大至急来いって、なんか進展があったんですかっ!?」

 息を切らせた白銀武が飛び込んできたのは、ちょうどそんな、ちょっと気まずい空気が漂い始めた頃だった。





 この一件の中核とも言うべき人物、『因果導体』白銀武が到着したところで、クォヴレーと夕呼はグダグダになりつつあった『面接ごっこ』を途中終了させ、再度情報交換を行った。

「『平行世界の番人』か。すげえな、本当にそんなのいるんだ」

 部屋の隅に立てかけてあった予備の折りたたみ椅子を広げ、クォヴレーの隣に座った武は、感心したように声を上げながら、『平行世界の番人』を自称する銀髪の青年を見る。
 普通の人間が聞けば正気を疑うたぐいの話だが、武自身、すでに複数の世界を渡り歩いている身だ。『平行世界』が実在することは、身に染みて理解している。無論、証拠はないが、このタイミングで見ず知らずの人間はそんな馬鹿な嘘をつく理由もない。明確な嘘の証拠が見つかるまで、事実だという前提で行動しても問題はあるまい。

「あ、あと、ありがとうな。まりもちゃん助けてくれて」

 ふと思いだした武は、今更ながらクォヴレーに礼を言い、頭を下げる。
 この男がいなければ、神宮司まりもは昨晩のうちにこの世を去っていたはずだ。『因果導体』白銀武のせいで。
 何も知らずに、自分がもう1人のまりもちゃんまで殺すところだった。それを防いでくれた人間には、どれだけ礼の言葉を並べても、多すぎると言うことはないだろう。

「それで、まりもちゃんはもう大丈夫なんだよな? あと、その、ひょっとして俺の『因果導体』ってのもどうにかできるとか?」

 思わずそう聞いてくる武の態度は、少々他人に頼りすぎている感もあるが、今の武の心理状態を考えれば仕方がないとも言える。『向こう』の世界で武は敗北し、挫折し、師である神宮司まりもを死なせ、心が折れてこの世界に逃げてきたのだ。物事に立ち向かう気力そのものが萎えている。
 そこに現れた『死の因果』から、この世界の神宮司まりもを救ってくれた存在に、思わず全ての解決を委ねたくなるのも無理はない。
 だが、クォヴレーの返答は、武の希望にそうものではなかった。

「ああ、神宮司まりもはもう問題ない。しかし、お前の『因果導体』とやらは、俺にもまだ皆目見当もつかん。ただ、この世界の因果を乱す要因はその『因果導体』であることは、間違いないようだからな。一刻も早い問題解決のために、全力は尽くす」

「そうか……ありがとうな」

 失望の色は隠せないものの、真摯なクォヴレーのこたえに、武は間を開けてから、礼の言葉を返した。
 期待を裏切られても、以外と冷静な反応を返せたのは、今のところ、この世界に来て『因果導体』とやらになった弊害が出たのは、まりもを死の危険に晒したことだけだからだろう。それを偶然とはいえ回避できたため、武はまだいまいち『因果導体』であることが、どれほど自分やその周りの人生を狂わせるのか、実感となっていない。
 ある意味、こうして複数の世界を渡り歩いていることそのものが、因果導体となった弊害そのものとも言えるが、その辺りもこの世界に逃げてきた時点で、無意識のうちに意識の奥に押し込めてしまっている。

「ああ、そう言えば、あんたがどうやってまりもの『死の因果』を引きはがしたのか聞いてなかったわね。因果導体はどうにか出来ないって言うところを見ると、限定的な因果律操作、もしくは因果律修復が可能なのかしら?」

 思い出したようにそう言ってくる夕呼の問いにも、クォヴレーは首を横に振ると、

「いや、そんな上等なモノではない。俺がやったのは、ディス・レヴに『死の因果』を食わせただけだ」

 そう、端的にこたえる。

「ディス・レヴ?」

「ああ、俺がこの世界に乗ってきた機体『ディス・アストラナガン』の心臓部――動力機関だ。こいつは、「死霊」「悪霊」に代表される「負の無限力」を吸収している。だから、限りなく「死」そのものに近い「死の因果」も吸収できるのではないかと考えてな。試してみたところ、うまくいったというわけだ」

 クォヴレーにしても、確信があったわけではない。そう考えれば、まりもが助かったのは非常に運が良かったといえる。

「なんだか、ちょっと聞いた感じじゃ、滅茶苦茶邪悪な機体に聞こえるな、それ」

「死霊」「悪霊」に「負の無限力」。不吉な単語のオンパレードに、武はぼそっと呟いた。
 確かに、ディス・アストラナガンはその動力源といい、機械仕掛けの悪魔を思わせる外形といい、正義の味方とは言い難い印象を与える機体だ。


「ああ。さっき言っていた機体の事ね。それ、どこに隠しているの? 悪いけど早めに白銀を、その機体のところに案内してくれないかしら。白銀を通して流れ込んでくる『死の因果』は、まりものものだけとは限らないから」

「夕呼先生、それって!?」

 驚きの声を上げる武に、夕呼は一つため息をつくと、

「まあ、こうして対処療法とはいえ解決手段が見つかったから言うけど、このままじゃ向こうの世界で死んだ人間全員分の死の因果が流れ込んできても不思議はないのよ。杞憂かも知れないけれど、万が一のことを考えてたら早いほうがいいわ」

 午前中に話したときには伝えられなかった懸念事項を、武に告げる。
 解決手段がないまま、不安だけをあおっても意味がないため、今まで黙っていたがこうして曲がりなりにも解決手段が見つかった以上、放っておく理由はない。
 最悪の場合、全世界で億単位の死人がでるかもしれないのだ。

「は、はい。分かりました」

 夕呼の言っている内容を理解するにつれて顔色を失っていった武は、震える声でそう返し、水打ち鳥のように何度も頷いた。

 話を聞きながら、クォヴレーも真剣な面持ちで頷く。本来であれば会って1日目の人間を、ディス・アストラナガンにあまり近づかせたくはないのだが、億単位の命がかかっていると言われれば、ある程度の妥協は仕方がない。

 
「いいだろう。アストラナガンは、海岸沿いの海中に隠してある。目立たないよう、せめて夜まで待ちたいところなのだが、そういう事情ならばそうも言ってられんだろうからな」

 そう言ってクォヴレーは、やおらその場で起ちあがった。いつどれくらいの死の因果が流れ込んでくるのか、皆目見当もつかないのだ。リスクを恐れて躊躇している場合ではない。

「海中ね。大きいの?」

 夕呼の質問に、クォヴレーは頷く。

「ああ。全長20メートル強だ。この世界ではいささか目立つ」

 この世界に来てからまだ1日しか経っていないが、クォヴレーは人型機動兵器を見ていない。
 まあ、空間歪曲技術を応用した特殊車両が街を走っている位なのだから、特機の一機や二機は存在しているのだろうが、それでも見ず知らずの人型機動兵器が人目に触れれば、大騒ぎになることは請け合いだ。
 夕呼は右手を口元に当ててしばし考えた。

「それはまずいわね。今この街でそんな大きなモノを動かしたら、間違いなく御剣財閥に見咎められるわ。もしかすると、すでに見つかっているかも知れない」

 今、この街には御剣財閥の次期党首である御剣冥夜がいる上に、昨晩の通り魔騒動のせいで、厳戒態勢が取られているのだ。例え人気のない浜辺でも、20メートルオーバーの人型機動兵器などという突飛もない代物を地上にさらせば、気づかれないはずがない。


「御剣、それは俺をここにつれてきた連中か?」

「ええ。この国の影の政府とも言われる、世界有数の大財閥よ。どうせいつまでも隠し通せるとは思えないし、ある程度の事情を話して抱き込んでしまった方がいいんじゃないかしら」

「事情を話す、か。あまり取りたい手段ではないな」

 夕呼の提案に、クォヴレーはあからさまに眉の間に皺を寄せた。この世界の組織に、ディス・アストラナガンを公開するなど、危険極まりない話だ。おいそれと了承できるはずもない。せめて、もう少しこの世界の事情を理解し、その『御剣財閥』とやらがどの程度信用がおけるのか見定めた後でなければ、とてもではないが、そのような危険な真似は出来ない。
 ディス・アストラナガンは単機で世界の軍事バランスを崩すポテンシャルを秘めているのだ。
 そんなクォヴレーの心情が理解できないほど、夕呼は頭の悪い人間ではない。

「分かったわ。それじゃ、今日の所は止めておきましょう。私が車を出すわ。ただし、まず確実にディス・アストラナガンの存在は、御剣の連中に目に触れることになるから、その点は覚悟しておいて頂戴」

「了解だ」

「車って、先生のあの車に3人で乗るんですか?」

 夕呼の愛車が、2シートのスポーツタイプであることを知っている武は、ちょっと怯んだ声を出す。あの助手席に、男2人で座るのは正直遠慮したいところだ。もっとも、今はそんな些細なことで文句を言っている場合ではないことは理解しているので、それ以上は言わない。

「それしかないでしょ。少しぐらい我慢しなさい。ああ、後言ったとおりちゃんと着替え、持ってきたでしょうね?」

「あ、はい。シャツとズボン、あと未使用の下着を適当に突っ込んできただけですけど」

 夕呼に話を振られた武は、持ってきたスポーツバックを床から持ち上げ、掲げてみせる。

「オッケー、それじゃゴードン。あんたは至急白銀が持ってきた服に着替えて頂戴。流石にいつまでもその格好じゃ目立つわ」

「了解だ。色々迷惑を掛ける」

 青と白のパイロットスーツ姿のクォヴレーは、武からスポーツバックを受け取ると、やおらその場で着替え始めるのだった。









【西暦2001年、日本時間12月14日17時24分、横浜市海岸付近】

「うわあ、すっげえ悪役面……」

 近くの自然公園まで、夕呼の愛車でやってきた、夕呼、武、クォヴレーの三名は、人気のない海岸付近で陸揚げされたディス・アストラナガンを見上げていた。

 時刻はすでに夕方の5時を過ぎている。冬のこの時間ではかなり暗いが、そんな暗い海をバックに、膝立ち状態で砂浜の上にしゃがむディス・アストラナガンは、武の言うとおり「世界の敵」と言わんばかりの、凶悪な迫力があった。
 黒を基調とした細身のフォルム。コウモリのような大きな翼。そして、血のように赤い双眼を有するその頭部。予備知識無く見れば、大概の人間が思わず恐怖で息を呑むような迫力がある。
 一見すれば平静を装っている夕呼も、内心では強い衝撃を受けている。戦術機という、人型機動兵器に慣れ親しんでいる武より、ある意味夕呼の感じている衝撃の方が大きいのかも知れない。

『それでは、始めるぞ』

 そんな武と夕呼の内心を知ってか知らずか、ディス・アストラナガンに乗ったクォヴレーは外部スピーカーでそう告げると、早速武の前で、その主動力機関『ディス・レヴ』を回し始める。

「うわっ……」

 目の前で唸りを上げる、ディス・アストラナガンの迫力に、武は思わず一歩後ろに後ずさる。
 危険はないと言われていても、対逃げ腰になってしまう迫力だ。

「…………」

 どれほどの時間、そうしていただろうか? やがて、作業を終えたクォヴレーは、ディス・アストラナガンのコックピットから地上に降りてくる。ブルージーンズに、チェックのワイシャツというラフな姿だが、持ち主の武より若干細身のため、ジーンズもシャツも若干余っており、海風でバタバタと音を立てている。

「ご苦労様。で、成果は?」

 問いかける夕呼と、真剣な面持ちでこちらの返答を待ち受ける武に、クォヴレーは一つ頷き返す。

「ああ。はっきりとは言えんが、成果はあったと思う。単に自然発生するだけの死者の念や、怨霊だけを吸収したにしては、最初のエネルギーの上がり方がおかしかった」

 そう答える。
 クォヴレーの返答に、武は脱力するような安堵感を覚えると同時に、背筋が凍るような恐怖を味わった。
 死の因果を吸収できたと言うことは、死者が出るのを防げたと言うこと。だが、同時に死の因果を吸収できたと言うことは、今もなお、武という因果導体を通してこの世界に死の因果が流入し続けている事を意味している。

「白銀が直接目の当たりにした死であるまりもが特に発現が早かっただけで、死の因果自体はすでにこの世界に流れ込んでいたのかも知れないわね。白銀、あんたが見たその「トライアル中のBETA奇襲」って奴では、それなりに死者も出たんでしょう?」

 何か考察するように、考えながら話す夕呼の問いに、武は思い出したくない記憶を思い出しながらこたえる。

「あ、はい。少なくとも、衛士の人が何人も死んだのは間違いないです……」

 あの場で死んだ横浜基地の兵士達。彼等の死の因果か、この世界の彼等に襲いかかってもおかしくはない。
 そう思うと、武はこのディス・アストラナガンという機体から離れるのが急に怖くなってきた。
 もう大丈夫、とこの場から離れた次の瞬間、どこかで誰かが死の因果に囚われ、死んでいるのかも知れない。その十分に現実となりうる恐怖の想像に、武は心臓を濡れてで鷲づかみにされたような感覚を覚える。

「そう、当分は、定期的にこの作業をやり続けるしかないわね」

「はい……」

「うむ、今は一時的にディス・レヴのパワーゲージの上がり方が収まったから、死の因果の流入も収まった思うのだがな。明確な基準がないため、はっきりとはいえん」

 この世界の日本でも、常に人は死に続け、怨霊は生まれ続けているのだ。クォヴレーには、ディス・レヴが吸収したモノが死者の念なのか、怨霊なのか、はたまた『死の因果』なのか、見分けるすべは今のところない。

 俯く武の横の前まで歩いてきたクォヴレーが、そう抑揚のない声で告げる。それからふとクォヴレーは何かに気づいたように、夕呼の方に振り向くと、疑問の言葉を投げかけた。

「そういえば、そっちの世界から流れ込む因果は『死の因果』だけなのか?」

 質問の意図がいまいち分からない夕呼は首を傾げながら、それでも素直にこたえる。

「分からないわ。ただ因果というのは、多種多様にあるから、『死の因果』に近い重さの因果は、流れ込んでいる可能性が高いわね」

 夕呼のこたえに、クォヴレーは「やはり」と言わんばかりに頷いた。

「そうか。それでは、死に近いほど程度の重い「怪我」や「病気」の因果も流れ込んでいるかも知れないというわけだな」

「そうね。恐らく、そうなるわ。もしかして、そういった因果もどうにか出来るの?」

「ああ、『ディス・レヴ』の吸収条件をもう少し広げれば、そういったモノも吸収できるかもしれん。それらも広義には「負の無限力」に属するものの可能性が高いからな。ただし、その場合は逆に死の因果を取りこぼす可能性も出てくるが」

 たとえて言うならば、それは網の目の細かさと大きさの問題だ。
 網の目を細かくすれば、その分だけ多種多様な代物が網にかかるが、その分網が狭くなり、本来取るべきモノを取りそびれる可能性が出てくる。
 一方網の目を大きくすれば、本来取るべき者を取り損なう可能性は低くなるが、網が粗い分、小さな因果はすり抜けることを覚悟しなければならない。

 最善を目指してリスクを負うか、最悪を回避するためある程度の被害は目を瞑るか。どちらにせよ、全く被害が出ない可能性もあるし、想像以上の被害が出る可能性もある。
そもそも、ディス・レヴが死の因果を吸収できること自体が、想定外の僥倖なのだ。あまり多くは望むべきではないのかも知れない。

「危険ね。やっぱり死者の少なくすることを最優先に考えたようが良いと思うわ」

「うむ……」

 夕呼のこたえに、クォヴレーは即答せず考え込む。死者も負傷者も出さないのが最善なのは間違いないが、負傷者が出ることを恐れて死者を出しては本末転倒だ。だが、救えるのならば負傷者も全て救いたい。分からない前提条件が多すぎて、考えがまとまらない。

(これが、αナンバーズの皆なら何と言っただろうか?)

「決まってるじゃねえか。そんなの、全員救うんだよ。やりもしないで出来ないなんて言ってんじゃねえ!」

 そんな言葉が聞こえてきそうで、クォヴレーは少し微笑んだ。実際、αナンバーズのパイロット、科学者、技術者全員がこの場にいれば、そんな無茶苦茶も不可能ではなかったかも知れない。
 だが、この場にいるのは自分一人、機体は『ディス・アストラナガン』一機があるのみだ。
 全てを救うという気概を忘れず、だが、全てが救えないという現実から目をそらない。
 軍隊とは思えないほど、甘い理想主義者の集まりであったαナンバーズも、最低限そのバランス感覚はあった。そうでなければ、銀河中心部の有人惑星数十を犠牲にして(人は避難させたとはいえ)、BM3(宇宙規模の超大型ブラックホール爆弾)で宇宙怪獣を吹き飛ばす、などという作戦を実行できるはずがない。
 現実を理由に理想を諦めてはいけない。理想を理由に現実を無視してもいけない。いずれにせよ、判断材料が少なすぎる。
 クォヴレーはふと視線を俯いたままの武に向けると、冷静な声で問いかける。

「白銀武。お前の意見が聞きたい。お前はどうするべきだと思う?」

「え? お、俺?」

 急に水を向けられて、戸惑う武に、クォヴレーは頷き返す。

「ああ。向こうの世界を直接知っているのはお前だけだ。そのお前の意見が聞きたい」

 クォヴレーと夕呼の真剣なまなざしに、武は恐怖で回転の鈍くなった頭を精一杯使い考える。
 あっちの世界の死が流れ込む。そう言われて武が思い起こすのは、あのトライアル中に起きたBETAの奇襲だ。
 あの死が、恐怖がこの世界に流れ込む。すでに、まりもはその犠牲になる寸前だった。圧倒的な死の迫力に、武は狂ったように首を左右にふる。

「駄目だっ。あんなのは、駄目だ! 死んだらどうしようもないじゃないかっ!」

 武の判断は、多分に感情的なモノを含んでいる。向こうで死者は目の当たりにしたが、本当に深い戦傷者とはあっていないという経験に基づく部分が大きい。だが、冷静に第三者の視線から見ても、死者を出さないためにある程度の負傷者は許容するというのは、道理にかなった判断でもある。
 クォヴレーは一つ頷くと、決断を下す。

「そうだな。分かった。当面は、死の因果を取りそびれないことに重点を置き、それより軽い因果には目を瞑ろう」

「そうね。それが良いと思うわ。もしかしたら、最善ではないのかも知れないけれど、最善を求めて最悪に近づくわけにはいかないから」

「あ、ああ」

 夕呼の冷静な肯定の声にも助けられ、武はホッと安堵の息を漏らす。
 
(そうだ、怪我なら後で治るかも知れない。治らなくても、少なくとも死ぬよりはマシだ)

 そう考えれば、これは仕方のないことだ。正しい判断であるはずだ。
 白銀武は、そう思った。
 このときは、本当に、そう思った……。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~第三章
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/06/29 20:22
Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~

第三章

【西暦2001年、日本時間12月15日15時30分、白陵大付属柊学園3年B組教室】

 昨日に続いて担任の神宮司まりもが休みを取った3年B組の教室は、帰りのホームルールの時間、教壇には代役のクラス委員長・榊千鶴が立っていた。

「ほら、うるさくしないでっ、すぐ終わらせるから。って、彩峰さん! 何一人で先に帰ろうとしてるのよ!」

 黒板の前に立つ千鶴は二本の太い三つ編みを揺らし、神経質な怒鳴り声を上げている。
 怒鳴られたのは、制服越しにもそのスタイルのよさが分かるグラマラスな肢体を持つ、黒髪の少女だ。
 鞄を右手に持ち肩にかけて、今まさに教室を出ようとしていた少女――彩峰慧は、どこか焦点の合ってないぼうっとした視線を千鶴に向けると、空いている左手をヒラヒラ振りながら、棒読み口調で答える。

「気にしない、気にしない」

「気にしない、じゃないでしょ! まだ、帰りの号令がすんでないんだから、ちゃんと席について!」

「一休み、一休み」

 千鶴の怒鳴り声など歯牙にもかけず、彩峰は人を食った言葉を吐きながら、とっと一人で教室から出て行ってしまう。
 まあ、その時の気分次第で授業もサボる彩峰慧が、担任教師もいない帰りのホームルームを真面目にこなすと期待する方が、おかしいのかも知れない。
 出来ればこのまま追いかけて、彩峰の襟首をひっつかんで引き戻したい千鶴であったが、クラスメイト達の視線が「早く終われ」と圧力をかけてきている。

「ああ、もうっ。起立、礼!」

 特に通達事項もないこの日の帰りのホームルームは、苛立った千鶴の声を合図に終わりを告げるのだった。







「なにかあったら、すぐ連絡しろって夕呼先生は言っていたけど、今のところは何もないよな」

 昨日からの騒ぎから、緊張感を持って一日を過ごしていた武は、少し気が抜けた声でそう呟き、席を立った。
 何もなかったとしても、放課後は必ず一度物理準備室に顔を出すよう、夕呼から言われている。無論武としても否はない。昨日は、自分のせいでこっちの世界の神宮司まりもまで危うく死なせるところだったのだ。
 因果導体による因果の流出入問題が解決するまで、自分に安らかな夜は訪れないだろうことは、武も自覚していた。
 椅子にかけていた鞄を手に持ち、武が教室を出て行こうとしたその時だった。 

「武、すこしよいか?」

 武の背中に一人の少女が声をかける。

「ん? なんだ、冥夜」

 席を立とうとした武に後ろから声をかけてきたのは、御剣冥夜だった。
 長い藍色の髪をアップに纏め、凛とした表情で小気味よく背筋を伸ばして立っているその姿は、相変わらず人目を引きつける、非凡な何かを醸し出している。
 武は、クルリと後ろに向き直る。

「うむ。そなた、明日時間は取れるか?」

 武と正面から眼を合わせたまま、冥夜はいつも通りの凛とした表情で、明確に質問を投げかける。

「明日?」

 唐突な申し出に、武は少し考えた。
 明日は日曜日だ。せっかくの休日だが、今の武には何にも優先してしなければならないことがある。自分が『因果導体』となった問題を一刻も早く解決しなければならない。
 今のところは、クォヴレー・ゴードンとディス・アストラナガンの協力で事なきを得ているが、彼等がやっているは、流入してくる死の因果がこの世界の人間を襲う前に吸収するという対処治療。
 根本的な解決手段ではない。

「ああ、明日はちょっと夕呼先生に呼ばれてるんだ」

 武の返答に、冥夜は少し眉をしかめる。

「む、そうか。それは残念だな。全く時間が取れないのか?」

「あ、どうだろ? 全くだめってことはないと思うけど」

 至極残念そうな顔をする冥夜に、武が思わず反射的にそう答えていた。
 とはいえ、言った言葉自体は嘘ではない。明日も夕呼とクォヴレーと会い、今後の対策について話し合わなければならないが、何か劇的な変化でもない限りは、休日が丸々潰れるという事態にはならないだろう。
 武は少し楽観的にそう考える。

「そうか、ならば用事が済んだ後でよいから、私の部屋に来てはくれぬか。明日はそなたの誕生日であろう。贈り物は直接手渡しにしたい」

 冥夜はそう言って、邪気のない笑みを浮かべた。

「あっ」

 言われて武は初めて気がついた。

(そうか、こっちの世界では今日が12月16日なんだよな)

 向こうの世界の12月10日から、こっちの世界の12月13日へ飛んでいるため、若干日付感覚が狂っているうえ、向こうでは自分の誕生日を祝うような余裕など、どこにもなかったため、すっかり忘れていた。

(この場合、俺は一歳年を取るのか? ていうか、そもそも俺は今何歳だ?)

 2001年12月16日の誕生日を、自分は何度迎えているのだろう?
 最初の世界で一度。BETAの居る世界で一度。そして今。
 三度も同じ歳の誕生日を迎えた経験のある人間など、自分くらいのものではないだろうか。
 考えたら武は少しおかしくなった。

「武? そなた何を笑っているのだ?」

「いや、なんでもねえよ。分かった。ちょっと遅れるかも知れないけど、絶対行くぜ。あ、そう言えば、俺が誕生日って事は冥夜も誕生日なんだよな? プレゼントの希望はあるか。予算はその……乏しいけど」

 ポリポリ鼻の頭を書きながらそう言う武の言葉に、冥夜は花がほころんだように笑顔を浮かべる。

「なんと、武からのプレゼントか。なんでもよいぞ。強いて言えば、常に身に付けてられるものがよい。そうすれば常にそなたを身近に感じられる」

 常に身につけてられる物。とっさに指輪やネックレスといったアクセサリーのたぐいを連想した武であったが、すぐにその身の程知らずな考えを振り切った。
 御剣財閥の次期党首に贈るアクセサリーなど、最低ラインでもサラリーマンの生涯年俸が吹き飛ぶのではないだろうか。
 武は開き直って考え直す。

(んー、確か駅前で時たま、手作りアクセサリーの露天広げてる外人がいたよな。もしいなかったらゲーセンの景品でもイイか)

 武の感覚で言う、「安物」と「奮発した高級品」など、冥夜の感覚ではどちらも「びっくりするほどの安物」に違いはないだろう。ならば値段にこだわる意味はない。
 武が真剣に選んだ物ならば、冥夜は喜んで受け取ってくれるだろう。

「わかった。身につけられる物な。探してみるわ。しかし、今年の年末は忙しいな。明日が俺とお前の誕生日で、その後は温泉旅行だろ。そこから帰ってきたらクリスマスだもんだ」

 武は、『因果導体』関連の問題を今だけでも忘れようと、わざと明るい口調でそう冥夜に話しかける。
 だが、対する冥夜の反応は武の予想とは大きくズレものだった。

「温泉? そなたは温泉に行くのか? 誰というのだ、ま、まさか鑑とか?」

「……え?」

 全く聞き覚えがない、と言わんばかりの冥夜の反応に、武は一瞬惚けた。

(どういうことだ? あ、ひょっとしてこっちの世界では、温泉旅行の話は出ていないのか?)

 考えて見れば、あり得ることだ。
 たしか「向こう」の世界の夕呼は言っていた。

『これから送り込む世界は、あんたの言う元の世界から分岐した別の世界だ』と。

 この世界は、一見すると武が生まれ育った『元の世界』そのものに思えるが、実際には『分岐した別の世界』なのだから、細部に多少の違いはあるのかも知れない。

「ああ、いや、なんでもねえよ。俺の勘違いだった。すまんすまん、じゃあな!」

 これ以上話していると更にぼろが出るかもしれない。
 
「あっ、武?」

 冥夜を振り切り教室を出て行く武は、改めてこの世界が本来自分の世界ではないことを、自覚するのだった。 









【西暦2001年、日本時間12月15日15時42分、白陵大付属柊学園物理準備室】

「すみません、遅くなりました」

 武が物理準備室に入ると、夕呼はいつも通り、黒いレースのチューブトップの上から白衣を羽織った扇情的な格好で、パイプ椅子に腰をかけて待っていた。

「ああ、やっと来た。それで、なにか変化はあった?」

 武の緊張感のない表情から、返答を半ば予測しながらも、夕呼はそう問いかける。

「いえ、特にこれと言ったことは何も」

 武は部屋の隅に立てかけてあるパイプ椅子を持ち出して、夕呼の前に座りながら、そう答えた。

「そう、小康状態ってことかしらね」

「あの、そっちは、何か判明しましたか?」

 昨晩、ディス・アストラナガンによる死の因果吸収を済ませた後、武は一人自宅に戻ったが、クォヴレーと夕呼はその後も行動を共にしていたはずだ。
 それ故の武の質問であったが、夕呼は面白くなさそうに首を横に振る。

「ダメね。これといった進展はないわ。まあ、個人的な収穫はあったけれどね」

 因果地平の番人であるクォヴレーの話は、因果律量子論を研究する夕呼にとっては、それなりに有意義な知識もあったが、残念ながら当面の問題――因果律の流出入への対策には役立たなかった。
 日頃は自分の好奇心と知識欲を最優先に行動する夕呼だが、今はなにを最優先にすべきかは理解している。

「そうですか……」

「まあ、いいわ。とにかく、後でまた海岸に行くわよ。念のため、毎日死の因果を吸収してもらわないと」

「あ、は、はい」

 夕呼の言葉に武は、改めて緊張感を取り戻した表情で神妙に頷く。
 ディス・アストラナガンの主機関『ディス・レヴ』ならば、例え武の自宅と海岸くらいの距離は無視して死の因果を吸収できる可能性が高いそうだが、一応距離をつめておくに越したことはない。
 夕呼が机の上から愛車の鍵を手に取り、立ち上がる。
 武も慌ててその後を追おうとしたその時、武はふと教室での冥夜との会話を思い出した。

「あ、そうだ、夕呼先生。後でいいからこの世界の俺の行動を、分かる範囲で教えてくれませんか? どうやら、俺の元いた世界と若干違っているところがあるみたいで」

 先ほどの温泉発言は強引にごまかしたが、あんな力業を何度も繰り返していては、不信感を招くだろう。

「ああ、なるほどね。よく似た平行世界の些細な違いって奴ね。で、何が違ってたのよ」

 夕呼も指先でクルクル鍵を回しながら、いつも通りの口調で聞き返す。だが、そんな夕呼の表情が武の次の発言で一変するのだった。

「いやあ、それが俺の世界ではこの時期、夕呼先生の発案で有志一同の温泉旅行があったんですけど、うっかり冥夜にその話をしたら、全然知らないって反応で……って、先生? どうしたんですか?」

 気がつくと、夕呼は怖いくらいに真剣な表情で武の方を見ていた。

「詳しく話しなさい」

 夕呼は、乱暴に愛車の鍵を机の上に戻すと、再びパイプ椅子に腰を下ろすのだった。






 根掘り葉掘り、冥夜の発言を聞き出した夕呼は、メモ用紙にその内容をメモしながら、奥歯をかみしめるように一度、口元を歪めた。

「なるほどね……。まず結論から言うわ。その温泉旅行に関する話は、こっちの世界でも、あんたの記憶と全く同じ流れのはずよ。少なくとも私は、白銀に参加者を集めるように命令したし、白銀もついこの間、御剣達が参加すると私に報告して来ていたわ」

「……え?」

 武にはしばし、夕呼の言っている意味が分からなかった。

「それじゃあ、冥夜のど忘れってことですか?」

 夕呼は、こちらを睨み付けるような真剣な面持ちのまま否定する。

「あり得ないわね。あの御剣があんたと一緒の温泉旅行を『忘れる』なんて」

 確かにその通りだ。
 うぬぼれるわけではないが、この世界の冥夜は、全ての事象を白銀武中心に考えて動いている。
 その冥夜が、よりによって武が参加する温泉旅行の話を忘れるなど、考えられない。

「そ、それじゃあ……」

「これも因果導体の影響、と考えるべきでしょうね」

「そ、そんな……」

 武は眼に見えて、顔色を失った。

「『向こう』から『こっち』に流れ込んできたのが死の因果。一方、『こっち』から『向こう』に流れ出るのが、記憶の因子ってところかしら」

 夕呼は、冷静な表情を保っているが、先ほどからずっと貧乏揺すりが止まらない。
 だが、夕呼以上に冷静を失っている武は、夕呼の動揺に気づかなかった。

「白銀」

「はいっ」

「酷なことを言うようだけど、出来るだけあんた、知り合いと接触しないようにしなさい。まりもの事件も、冥夜の記憶喪失も、あんたとの接触がトリガーになっている可能性が高いわ」

 死の因果の流入は、クォヴレーがどうにか食い止めてくれているが、記憶の流出の方は今のところ対策手段がない。

「わ、分かりました……」

 一目で分かるくらいに顔色を失ったまま、武は力なく頷いた。

「そ、それで、いつまで避けてればいいんですか?」

「…………」

 武の質問に夕呼は、口を閉じたまま答えない。

「先生っ!」

「分からないわ」

「えっ?」

「分かるはずないでしょ。私も今あんたから話を聞いたばかりなのよ。私だって全知全能じゃないのっ」

 感情を剥きだしにして怒鳴りつける夕呼の様子に、武は恐縮して頭を下げた。

「す、すみません」

 そのため、気がつかなかった。
 夕呼の視線がさっきから何度も、部屋の片隅に積み上げられている、前回武がこの世界に来たときにコピーを取らされた、五万枚近いコピー用紙の方に向いているのも。
 口の中で何度も、憎々しげに「やってくれるじゃない、向こうの世界の『私』」と呟いているのも。

「まあ、いいわ。気休め程度だけど、こっちでも対策は考えておくから。とにかく、まずはディス・アストラナガンの所に行くわよ。記憶の流出も深刻だけど、死の流入はそれ以上に深刻なんだから」

「はい、分かってます……」

 気を取り直したように、声を抑えて再び立ち上がる夕呼の背中に、武も力ない足取りで続くのだった。









【西暦2001年、日本時間12月15日16時22分、横浜海岸】


「そうか、記憶がな」

 夕闇の浜辺で、ディス・アストラナガンによる死の因果吸収を終えたクォヴレーは、武と夕呼から事情を聞き、その細い眉をしかめていた。

「ああ……その、何とかならないか?」

 まずは死の因果の吸収が先決、と夕呼に言われていた武は、今まで我慢していた疑問をクォヴレーに投げかけた。
 記憶の流出も因果律の乱れが原因であるのだとすれば、この自称『因果律の番人』は何か解決手段を持っているかも知れない。現に、死の因果の流入という大問題を対処療法的にとはいえ、食い止めてくれているのだから、武がすがってしまうのも無理はあるまい。
 だが、クォヴレーは無情にも、その銀色の頭髪を揺らし、首を横に振るのだった。

「いや、すまないが、俺にもすぐには解決手段は思いつかないな」

「そうか……いや、俺が無理を言った」

 赤い夕陽の下でも分かるくらいに顔色を悪くしている武の様子に、クォヴレーは黙っていられず、励ましの言葉を口にする。

「諦める事はないぞ、武。この世の中、不可能なことと言うのは、お前が思っているより遙かに少ないものだ。解決手段は必ずある」

 それは、クォヴレーの本心からの言葉だった。
 そう、確かにこの世には、どうあがいても不可能なことも存在する。
 だが、それは世間の常識で『不可能』とされている中のほんの一部に過ぎないのだ。
 サイボーグとして死ぬはずだった人間が、超進化人類として復活することもある。
 生物の生体エネルギーを無限に吸収する化け物を、歌で改心させた歌手もいる。
 αナンバーズの一員であるクォヴレー・ゴードンは知ってる。
 この世界の『絶望』と呼ばれる状況の八割は覆しようがあり、『不可能』と呼ばれるものの九割は、可能であることを。


「そうか、そうだよな。ただ忘れてるだけだもんだ。ありがとう、クォヴレー。ちょっと気が楽になった」

 クォヴレーの言葉に虚がないことが分かったのか、武は顔色はまだ悪いものの笑顔を浮かべて、礼の言葉を返した。

「そうだ、武。失われた物は取り戻せばいい。単純な話だ。俺も出来る限り協力しよう。それで、記憶の流出というのは、どの程度起きているのだ?」

 途中でクォヴレーは、視線を武からその後ろに立つ夕呼に移す。
 夕呼は白衣の腰に左拳を当てたまま、肩をすくめて答えた。

「現状は、一人の記憶がごく一部失われているだけ。今後どこまで進行するかは、分からないわ。最悪の予想としては、白銀武の親しい知り合いが、『ごく一部』を除いて白銀武に関する全ての記憶を失う可能性がある、と言ったところかしら」

「…………」

 この世界で全ての人間が、自分の記憶を失う。
 夕呼の語るあまりに暗い未来に、武はまた言葉を失った。

「そうか……ん? 親しい知り合い? ならば、香月お前は……」

 何かに気づいたように、クォヴレーが言いかけるが、武の後ろで夕呼が口元にピンと立てた人差し指を当てているのを見て、言葉と途中で呑みこんだ。

「クォヴレー? どうかしたか?」

「いや、なんでもない。それで、武はこの後どうする、帰るのか? 近所にはその御剣冥夜、鑑純夏という女が住んでいるのだろう」

「あ、そうか。先生?」

 クォヴレーの指摘で改めて問題に気づいた武は、夕呼に助言を求める。
 夕呼は少し考えた後に答えた。

「普通に帰った方が良いでしょうね。下手におかしな行動を起こすと、御剣や鑑が騒ぎ出すわ。かえって面倒なことになりかねないし」

 現状、何が記憶流出のトリガーなのか、はっきりとは分からないのだ。五里霧中のままで下手な動きはやめておいた方が良い。

「分かりました。あ、そう言えば、向こうの世界にはなぜか純夏だけいないんです。それでも、純夏も記憶喪失になるんですか?」

「そうね……それが本当で、私の仮説が正しければ、鑑はあらゆる意味で一番安全な人間、といえるでしょう。向こうに自分が存在しない以上、死の因果が流れ込むこともないし、向こうに受取手がいないのだから記憶の流出が、起きることもないわ」

「そうですか」

 武はこの日、この場に来てから一番ホッとした表情を浮かべた。
 たった一人でも、鑑純夏だけでも、自分のことを覚えていてくれる。それだけで、武の心は随分と救われる気がした。

「それじゃ、俺帰ります」

「ああ、気を落とさないようにな。俺も可能な限り力になる。解決手段は必ずあるはずだ」

「気をつけて帰りなさい。さっきの仮説はあくまで仮説に過ぎないんだから、鑑だからって必要以上に近づくんじゃないわよ」

「分かってます、それじゃあ」

 そう言うと武は、一足先に帰っていった。

「…………」

「…………」

 残されたクォヴレーと夕呼はしばし、無言のままゆっくり去っていく武の背中を見送る。
 その沈黙を破ったのは、クォヴレーの方だった。

「それで、先ほど止められた質問を今一度、させてもらうぞ。白銀武の親しい者から白銀武に関する記憶が流出するというのなら、香月夕呼もその例外ではないのではないか?」

 先ほど、夕呼に無言のまま途中制止された質問を今一度繰り返す。
 夕呼は、夕日で赤く染まる顔をあくまで無表情に固定したまま、小さく肩をすくめて答えた。

「いいえ、私は例外の一人よ。私は対策を取っているから」

「対策?」

「ええ。コピー用紙四万枚に渡る白銀武の情報。私はそれを毎日読んで、白銀の情報を補充しているわ。だから、多少記憶が流出しても大丈夫」

「……用意周到だな。この結果を予想していたのか?」

 それにしては、白銀武に何も忠告していなかったのは何故だろうか?
 若干の不信感を抱きながら、クォヴレーは夕呼を問い詰める。
 夕呼は、嫌悪感で顔を歪めると吐き捨ているようにして答えた。

「ええ、私じゃなくて、『向こうの私』がね。まったく、さすが私だわ。他人を自分の都合で振り回すことに長けているわね」

 自嘲と言うには苦いものが混ざりすぎている夕呼の言葉に、クォヴレーは一瞬言葉を失った。
 昨晩のうちに、BETAという異星起源生命体に襲われる別世界の話は全て聞いているクォヴレーはただ、「そうか」と相づちをうつだけだった。

「ならば当面、武と接触して問題がないのは、俺とお前だけということか」

 クォヴレー自身は平行世界、因果地平の番人だ。因果律の支配から外れたところに位置しているし、そもそも『向こうの世界』とやらに、クォヴレー・ゴードンは存在しない。
 クォヴレーの言葉に夕呼は首を横に振る。

「いいえ、最低でも確実なのが一人、ほぼ確実なところで後二人いるわ」

「どういうことだ?」

 予想に反する夕呼の言葉に、クォヴレーは頭を悩ませる。
 夕呼は、クォヴレーが答えを出すより早く、その疑問に答えた。

「さっきも言ったでしょう。『向こう』に受取手がいない者の記憶は流れない可能性が高いって。鑑純夏が向こうに最初から存在しない、って言うのは向こうの私の言葉らしいから、正直全く信用できないけど、今現在は確実に向こうに存在していない人間がいるわ」

 そこまで言われればクォヴレーも、さすがにピンと来た。

「そうか、神宮司まりも」

「ええ。まりもの死の因果は既にあんたが取り払ってくれたから、まりもは死なない。でも向こうのまりもは死んでいるから、記憶の流出も起きない。だから、逆に厄介なんだけどね」

「厄介? 何故だ。それは武にとってはせめてもの救いになるのではないか?」

 当然と言えば当然なクォヴレーの疑問に、夕呼はもう一度首を横に振る。

「厄介よ。考えて見て。まりもは白銀の担任なのよ。
 ある日突然、クラスの皆が、ある一人の生徒を最初からいないように扱う。全員がそう扱えば、むしろ問題は起きないわ。当事者である白銀が、原因を理解しているから。
 でも、逆にそこで担任の教師だけが、その『いない扱いの生徒』の存在を忘れなかったら? しかも、神宮司まりもという教師は、事なかれ主義のダメ教師じゃなくて、生徒のために全力を尽くす、お人好しで模範的な教師なのよ」

「それは……」

 確かに大問題だ。一見すれば、極めて陰湿ないじめにしか見えない。
 通常の説明で、神宮司まりもを説得することは不可能だろう。神宮司まりもは、全力で白銀武の味方をし、事をどこまでも大きくしてしまう可能性が高い。

「まあ、一応は当面ごまかせるように、対策は練ってあるわ。どれくらいの間、通じるかは分からないけどね」

 その間に、この問題を根本的に解決するしかないのだ。
 ある種、タイムリミットが存在すると考えた方が良い。

「なるほどな……それで、ほぼ確実なもう二人、とは誰だ? 先ほどの話の流れからすると、それも向こうでは既に死んでいる人間のようだが」

「ああ、それは白銀のご両親よ」

 クォヴレーの質問に、夕呼は今度は何でもないことのように肩をヒョイとすくめて答えた。

「両親? 武の両親は向こうの世界では死んでいるのか?」

「恐らく、ね。はっきりと聞いた訳じゃないけど、向こうの世界ではこの街はBETAの襲撃に遭い、一度全滅しているらしいわ。向こうの白銀はその際に死んでいるみたいね。白銀はその当時まだ学生。となると、一緒に暮らしていた両親も死んでいると考えた方が、自然でしょう。
 だから、こっちの世界のご両親は、死の因果に囚われて死ぬ可能性はあっても、白銀武の記憶を失うことはないと思うわ」

「……分かった。絶対に、死の因果を逃がしはしない」

 夕呼の言葉に、クォヴレーは改めて自分の果たしている役割の重さを自覚し、強く宣言した。
 自分が、白銀の両親の死の因果を吸収できれば、最低でも武は両親という最も近い理解者だけは失わずにすむのだ。
 もちろん、クォヴレー完全無欠な抜本的解決を目指しているが、万が一そこにたどり着けなった場合を考えれば、最悪の中にも一つでも救いを残しておきたい。

「……頼むわ」

 視線を合わせずそう言う夕呼の声は、とても小さなものであったが、不思議とクォヴレーの耳に良く響いた。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~第四章
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/07/19 22:52
Muv-Luv Extra’~終焉の銀河から~

第四章

【西暦2001年、日本時間12月16日11時03分、横浜市白銀家】

 
「ふわあ……うわ、もうこんな時間か。二度寝したとはいえ、これだけ遅く眼を醒ましたのは久しぶりだな」

 日曜日、昼近くまでベッドでゴロゴロしてた武は目を醒ますと、差し込む日差しに目を細めながら、呟いた。
 ベッドから身体を起こすと同時に、昨晩のうちに用意しておいた着替えに手を伸ばす。
 着替えが異常に早いのは、軍隊生活で身についたスキルだ。
 臙脂色のセーターと色の褪せたジーンズに着替え終えた武は、大きく一度深呼吸をしてから両手でバチンと顔を叩く。

「ふう……いつまでも、引きこもってはいられねえよな」

 意を決したように、武はそう呟いた。
 実際のところ、武は朝早くに一度目を醒ましていた。
 そこで起床せず、あえて二度寝したのは、単純に部屋から出て、人と会うのが怖かったからだ。
 親しい人が、自分の事を忘れる。
 最悪、自分の事を覚えている人が一人もいなくなるかも知れない。
 夕呼に告げられたその予測は、時間が経つにつれれ、ジワリジワリと武の心を冷たく蝕んでいた。
 この家には、月詠真那がいる。三馬鹿がいる。そして、御剣冥夜がいる。
 冥夜の記憶は大丈夫だろうか? 結局昨日はクォヴレー達と分かれてから、ゲームセンターで冥夜に贈る携帯ストラップを取ったりしていたせいで、帰りが遅くなり、冥夜とはほとんど顔を合わせなかった。
 夜、寝る前に挨拶をした感触では、特におかしな所はなかったのだが。

「っと、忘れるところだった」

 武は、机の上に置いてあった細長い手の平サイズの紙箱を手に取った。
 昨晩、ゲームセンターで取ってきた携帯ストラップだ。
 透明な硬質プラスチック製の猫の飾りを、カラフルなヒモで結んだだけのいかにもゲームのオマケといった安物全開の代物だが、冥夜にとってはかえって珍しいのではないだろうか。

「まあ、冥夜なら喜んで受け取ってくれると思うけどな」

 もっともそれも、冥夜が自分のことを忘れていなければ、の話だ。

「……よしっ」

 意を決した武は、携帯ストラップの箱を左手に持ったまま、自室から外へと足を踏み出した。






「ああ、おはよう、武。今朝は随分とのんびりしていたのだな」

 強張った表情で自室を出た武を迎えたのは、御剣冥夜のそんな拍子抜けする言葉だった。

「あ、ああ、おはよう。冥夜」

 あまりに普通な冥夜の対応に、武は少しどもりながら返事を返す。

「む? どうした。そう言えば、昨晩も帰りは随分と遅かったな。夜更かしは感心せぬぞ。起床時間にも支障をきたす」

 向こうの冥夜ほどではないが、やはり冥夜は気持ちいいくらいにまっすぐだ。
 予想に反した冥夜の普通の対応に、武は肩の力を抜き、笑いかける。

「ああ、そうだな。気をつけるよ。そういえば、月詠さん達は?」

「月詠達は、私の部屋だ。誕生日パーティの準備をしている」

 冥夜の『部屋』とは、この辺り一帯を纏めて買い占めて建てた巨大な屋敷のことである。
 あの巨大建築物を『部屋』と言い切る冥夜の価値観は、四つの世界を渡った武にも未だ理解できない。

「御剣家の誕生日パーティか、なんだか、凄すぎて想像もつかないな。あ、俺も一応プレゼント用意したからさ」

 言いながら、武は細長い箱を持った左手をそっと背中の後ろに隠す。

「武からのプレゼントか。楽しみにしているぞ」

「ああ。せっかく誕生日が同じなんだからな。後でプレゼント交換しようぜ」

 ゲームセンターで取ってきた携帯ストラップと、冥夜からのプレゼントではとんでもない不平等交換な気がする武は、苦笑でその思いをごまかした。
 だが、武のその言葉に、冥夜は心底驚いたようにそのつり上がり気味の青い瞳を大きく見開く。

「なんと! 武も今日が誕生日だったのか!? そうと知っていればもっとちゃんと用意をしたものを。すまぬ武、しばし待ってくれ。月詠! 月詠はおるか!」

「…………え?」

 大騒ぎを始める冥夜に、武は声も出せずにただ立ち尽くしていた。
 一瞬で口の中がカラカラに乾いており、つばが飲み込めない。両手の指先から血の気が引き、ジンジンと痛む。

「ま、待てよ、冥夜。何言ってるんだよ。昨日、お前の方から言ってきたんだろ、明日は俺の誕生日だって!」

 もしも記憶を失っている者と直面しても、問いかけてはいけない。武との接触が更なる記憶の流出の要因となる可能性が高いのだから。
 昨晩夕呼から聞かされたそんな警告も、今の武の脳裏には残っていなかった。 

「む……?」

 突然の武の剣幕に、冥夜は戸惑ったような表情で記憶を探る。
『白銀武に関する記憶』を思い出そうと、目を瞑り真剣に記憶を探る。
 そして、冥夜は一度頭を振ると、きっぱりとした口調で答えるのだった。

「いや、やはり初耳だ。武の誕生日が私と一緒だったとは、やはりそなたと私は運命によって結ばれているのだな」

 晴れやかな冥夜の笑顔が、武には怖い。

「冥夜……」

「武? どうしたのだ? 顔色が悪いぞ………」

 血の気が引いた武の顔を心配そうに見上げた冥夜は、その途中で、急に視力を失ったように目の焦点をぼやけさせた。

「…………」

 日頃はキリッと結ばれている口元をだらしなく半開きにさせ、白昼夢を見ているような表情で突如冥夜は黙り込む。

「冥夜? おい、どうしたんだよ、冥夜!?」

 次の瞬間、冥夜は我に返ったようにいつもの表情を取り戻し、そして呟いたのだった。

「ここはどこだ? なぜ、私はこのような所に……」

「おい……冥夜……?」

「うむ。状況はよく分からぬが、そなたにはご迷惑をおかけしたようだ。かけた迷惑に対する保証は、御剣の名において必ずや保証するので、ご容赦頂きたい」

 いつものキリリとした表情。だが、武に向けるその目は「見ず知らずの他人」を見る目だった。

「めい……や……」

「それでは失礼する。月詠! 月詠はおるか!? 月詠!」

 冥夜はクルリと身体の向きを変えると、よどみのない足取りでカツカツと玄関から出て行った。
 残された武は、力尽きたようにガクリとその場で膝を折る。
 硬いフローリングの床に両膝を痛打したのだが、その痛みも今の武にはほとんど感じられなかった。

「あ、はは、ははは……こういうことか。これが、記憶の流出ってやつなのか」

 やっと武は、周りの人間が自分の記憶を失うという現象のおぞましさを実感していた。
 あの冥夜に、他人を見るような目で見られた感触。思い出すだけで、生きる気力を削られる。

「しかも、これ、冥夜だけじゃないんだろ? 委員長とか、彩峰とか、タマとか、尊人とか……」

 彼女たちにも「他人を見る目」を向けられて、自分ははたして壊れずにいられるだろうか?
 大丈夫なのは、『向こうの世界』に存在しない鑑純夏だけ。
 その純夏だって、絶対に大丈夫ではないのだと夕呼先生は言っていた。

「そ、そうだ。先生に、夕呼先生に知らせないと。知らせて、対策を練って……」

 夕呼の存在を思いだした武は、フラフラと頼りない足取りで玄関に向かう。
 半ば無意識のうちに靴を履いた武が玄関のドアを開けると、赤いメイド服をきっちりと着こなした月詠真那と鉢合わせた。
 十二月の透明な日差しの下、月詠真那は、怜悧な表情でこちらを見ている。

「あ……」

 もしかして月詠さんも。そんな思いで固まる武に、月詠はいつも通りの丁寧な仕草で一礼をする。

「申し訳ありません、武様。冥夜様からなにか失礼な事を言われたのではありませんか?」

「え? 月詠さん?」

 この人はまだ、俺の記憶を失っていないのか?
 武がホッとしている間に、月詠は困ったように苦笑しながら、手に持っていた一枚のコピー用紙を武に見せる。

「その様子ですと武様ご自身は、知らされていないようですね。実は先ほど、郵便受けにこのようなチラシが入ってまして。恐らく、冥夜様もこれを見たのではないか、と」

 そう言って、月詠はその紙を武に見せた。

「なんですか、これ」

 武は何の気なしに渡された用紙に目を通す。





『白銀武誕生日記念、【白銀武? 誰それ? ゲーム】開催のお知らせ。

 主催:香月夕呼。

 期間:本日から一週間。

 「白銀武? 誰それ? ゲーム」を開催します。

 ルールは至って簡単。一定の期間中、「白銀武を知らないふりをする」だけ。

 白銀武を知っているという言動を発してしまった者はアウト。

 ゲームをクリアした者にはもれなく【白銀武と丸一日デート権】をプレゼント!

 さあ、冷たい態度と、強固な理性で、甘い一日を勝ち取ろう。

 ※なお、全員が時間内に失格となった場合は、白銀武に豪華賞品が贈られることになっておりますので、白銀武からの妨害が予想されます。ご注意下さい。』






「なんじゃ、こりゃ!?」

「おそらく、冥夜様はそのゲームに参加されているのだと思われます。ですので、冥夜様がどのような対応を為されたのかは知りませんが、それは決して冥夜様の本意ではなく、武様を思うが故の……」

 月詠真那がなにやら一生懸命主のために弁明の言葉を重ねているが、武の耳にはほとんど入っていない。
 これは間違いなく夕呼の仕業だ。主催、香月夕呼とわざわざ書いてあるし、例え書いてなくてもこんなくだらないはた迷惑なことをやらかすのは、夕呼しかいないだろう。
 だが、今この時期、因果情報の流出は始まったこの時に、ただの悪ふざけでこんな悪趣味なことをやったとは思えない。

「すみません、月詠さんっ。俺ちょっと出かけてきます。あ、これ、俺から冥夜への誕生部プレゼントです。渡しておいて下さい!」

「あ、武様っ!?」

 武は、紙箱に入ったままの携帯ストラップを月詠に押しつけると、全速力で駆け出した。









【西暦2001年、日本時間12月16日12時58分、高級マンション、香月夕呼部屋】

『せ、先生! 冥夜が、俺のことを忘れて、でもこんなチラシがあって! これって先生のせいですよね? どうなってるんですか!?』

 けたたましくなされたインターフォンを取った夕呼の耳にこれ以上ないくらいに動揺した武の声が響く。
 思わず顔をしかめた夕呼であったが、どうやら予想通り最悪の方向に事態が動いていることを悟り、すぐに返事を返す。

「分かったから落ち着きなさい。今、ロックを開けるから、入ってきなさい。私の部屋は、508号室よ。表札は出てないから、間違えないように」

『は、はいっ!』

 インターフォンを切った夕呼は、パネルを操作して、マンション入り口のロックを解除した。
 俗に言うオートロックという奴だ。こうして内部から操作してもらえば、玄関の鍵は一度だけ開閉可能な状態になる。

「一日も持たなかったか。早めに手を打っておいたけど、果たしてどの程度有効かしらね」

「どうした? 何かあったのか?」

 顎に手をやり、ブツブツと呟いている夕呼に、後ろから若い男の声がかけられる。
 一昨日から夕呼の部屋に間借りしている、クォヴレー・ゴードンだ。
 クォヴレーは、白のスリムジーンズとブルーのTシャツというラフな格好で、頭をバスタオルで拭いている。シャワーでも浴びていたのだろう。

「なにかあったのは確かね。今、白銀が来るわ。あの様子だと、良い報告はなさそうね。覚悟しておいて頂戴」

「分かった」

 夕呼の言葉に、クォヴレーはソファーに腰を下ろしたまま姿勢を正し、表情を引き締めた。





 三分後、白銀武を室内に招いた夕呼とクォヴレーは、武から一連の情報を聞いていた。

「なるほどね。御剣から白銀武に関する記憶は完全に消え失せたか。あ、一応断っておくけど、演技の可能性はないわよ。朝一であったときは普通に挨拶したんでしょ? もし、『ゲーム』に参加する気なら、最初から知らんぷりしているはずだから」

 渋い表情を浮かべながら、冷静な声でそう言った夕呼は、先ほど自分で入れたコーヒーカップを手に取り、その中身を一口すすった。

「わ、分かってます。でも、あのチラシは何なんですか?」

 武は震える手で、自分の前のコーヒーカップに角砂糖を落としながら、夕呼に尋ねる。

「ああ、『白銀武? 誰それ? ゲーム』のことね。あれは、私の苦肉の策。というか、当てにならない保険と言った所ね。
 あのチラシは昨晩のうちに、私とゴードンとで、あんたのクラス全員の所にばらまいておいてわ。あれを見れば、御剣のような「白銀武を忘れた人間」の態度を、「白銀武を忘れていない人間」が見ても、しばらくは『香月夕呼の悪ふざけ』のせいと取るでしょう」

「ええ、まあ、多分……」

 かなりたちの悪いイタズラだが、香月夕呼ならばやりかねない。それくらいの悪名を、夕呼は校内にとどろかせている。
 あのチラシを見れば、武の記憶を失った人間を、武の記憶を失っていない人間は「ゲームの参加者」だと取るだろう。

「それに、いずれ記憶が戻ることを考えれば、少しでも揺り返しの波を小さくしておくに越したことはないわ」

「え? それはどういう意味ですか?」

 夕呼の不意の言葉に、武は思わず問い返す。
 夕呼は、手に持っていたコーヒーカップをテーブルに戻しながら説明した。

「前にも言ったかも知れないけど、世界っていうのは安定を望むのよ。でも、安定というのは必ずしも無変化を意味する訳じゃない。一度変化して安定してしまった場合は、今度は現状維持を優先して、元に戻らないように反発するの。分かる?」

「ええと、すみません。よく分かりません」

「まあ、ものすごく安直に例えると風船細工のようなモノを想像するといいわ。ほら、あるでしょ、あの細長い風船をねじ曲げて馬やら猫やら作るやつ」

「はあ」

「あれって最初にまっすぐの風船をねじ曲げようとすると、元に戻ろうと反発するでしょ? でも、一度形を作っていまうと今度はその形で安定してしまって、元のまっすぐの状態に戻すときに逆の反発力を生じる。世界もちょうどそんな感じなのよ」

「なるほど」

 なんとなく、おぼろげにだが武にも夕呼の言わんとしてることは分かった。
 ようは、世界は外部からの変化を好まないが、一度その変化が定着してしまうと、今度はその変化した部分を元に戻すことに反発するということなのだろう。

「今、この世界からあんたの記憶が流出している。問題は、例えこの問題を解決できたところで、御剣達の白銀武のことを忘れていた時間というのは、消え去るわけではない、ということなの。
 世界は矛盾を好まない。だから、何の理由もなく圧倒的大多数が白銀武の記憶を失っているようなら、世界は白銀武がいない状態を自然な状態ととり、最悪あんたをこの世界から追放してしまうかも知れない」

「なっ!?」

 予想外に深刻な夕呼の言葉に武は思わずソファーから腰を浮かしかけた。
 夕呼は、武のほうに手の平を向けて、

「落ち着きなさい。そうならないように手を打ったんだから。そこでこのゲームが生きてくるのよ。このゲームの参加者は「白銀武を知らんぷりしている」必要がある。
 だから、記憶の流出がとまり、この世界の御剣達が白銀のことを思い出したとき、記憶を失っていた期間の情報を、「ゲーム参加して知らんぷりしていた」という状態に置き換えて、矛盾を解決できるわ」

 そう、元気づけるように言う。

「ええと……」

 いまいち分かっていないような武に、夕呼の横に座っていたクォヴレーが、状況を確認するように口を開いた。

「つまり、こういうことか?
 本来ならば、武の知り合いは、武の記憶を失う。
 もし、後日その問題を解決して記憶を取り戻すことが出来たとしても、記憶を失っている人間の数があまりに多すぎた場合、武を忘れていた数日間を、矛盾無く理由づけることが難しくなる。
 結果、武がいない状態の方が自然だと世界が判断し、武を世界から放逐してしまうかもれない」

「そうね、その認識で間違いないわ。もっともあくまで最悪の可能性だけど」

 夕呼の言葉を受けて、その後に続き今度は武自身が、天井に目を這わせながらゆっくり考えながら口を開いた。

「でもこの「白銀武? 誰それ? ゲーム」のおかげで、この期間俺のことを意図的に無視していた、という理由付けが出来る。
 結果、冥夜達の記憶を戻すことが出来れば、冥夜達の『俺のことを忘れていた時の記憶』は、ゲーム参加中でわざと俺のことを無視していたと改ざんされて、世界は俺の存在を認めるって事ですか」

「あら、やるじゃない、白銀。あんた思ったより頭良いわね。そうよ、そう言うこと」

 夕呼は、予想以上に聡明なところを見せた生徒に笑みを返した。
 もっとも、それは過程に過程を重ねた上での話だ。実際に役に立つかどうかは、全く分からない。
 だが、もう一つの効果『白銀武の記憶を失わない人間に、白銀武の記憶を失った人間の態度を納得させる』のには、十分役に立つだろう。
 恐らく、明日学校に行けば神宮司まりもに、思い切り怒られるだろうが、それくらいは許容範囲内だ。
 そうして、武が一部の人間に無視されている状況を、「夕呼の悪ふざけの犠牲」と取ってくれている間に、なんとか抜本的な解決手段を見つけるのだ。

「白銀、あんたも今日からしばらくはここに泊まりなさい。問題が起きた場合即座に対応したいから。いいわね?」

「は、はい。分かりました」

 怖いくらいに真剣な夕呼の表情に押されるようにして、武は頷くのだった。









【西暦2001年、日本時間12月16日07時32分、横浜】

 香月夕呼のマンションで、クォヴレーと共にゲスト用ベッドで一夜を明かした武は、翌朝夕呼の運転する愛車――ストラトスの助手席に収まっていた。
 向かう先は学校ではなく、武の家だ。制服を家に置いてきた事を、今朝になるまで忘れていたのである。
 急いで家に戻り、着替えないと遅刻してしまう。
 急ぐ理由があるのに安全運転をする夕呼ではない。
 朝の住宅街を、黄色いスポーツカーが危険なスピードでかっ飛んでいく。

「戦術機の方がよっぽど速いんだろうけど、体感速度的にはこっちの方がクルなあ……」

 衛士である武に、冷や汗混じりの苦笑を浮かべさせる位なのだから、夕呼の運転がどれくらい荒っぽいかが分かる。

「なに、ブツクサ言っているの。いい、家に戻ったらすぐに着替えて戻ってくるのよ。御剣はもちろん、他の奴らとの接触も極力避けること。いいわね」

「はい、分かってます」

 武は、助手席のシードに身体を深く埋め、唇を噛んだ。
 自分との接触が、因果情報の流出入を促す可能性が高いのだ。
 死の因果の流入をクォヴレーが押さえてくれている今、目立った被害は記憶の流出しか起きていないが、今後どのような因果が出入りするか、分かったものではない。

(なんだか、まるきり俺って疫病神だよな……)

 落ち込みかけた武は、昨晩就寝間際、ベッドの上で交わしたクォヴレーとの会話を思い出す。

(大丈夫だ、武。まだ、取り返しの付かない事態には何一つなっていない。ここからだ。俺とお前の努力次第では、事態はいくらでも良い方向に持って行ける)

 クォヴレーの言葉の内容は、まるで中身のない気休めのようなものであったが、その声に籠もる意思の強さと熱さは、彼が間違いなくその言葉を本気で言っていることを物語っていた。

 その後も武は、眠れない夜をクォヴレーと言葉を交わすことで気を紛らせた。
 最初は、クォヴレーの話すあまりに桁外れの内容に圧倒されていた武だったが、やがて勢いが付いたのか、向こうの世界で味わった多くの苦難と一握りの喜びについて、ごく自然に語っていた。

 少なくとも、クォヴレーと夕呼はこの事態の無事解決させることを全く諦めていない。
 ならば、当事者であり現況とも言える自分が勝手に諦めるわけにはいかないだろう。
 武が改めて気合いを入れ直している間に、車は武の家の前に着く。

「ほら、着いたわよ」

「はい、それじゃすぐ着替えてきます!」

 車から降りた武は、一日ぶりにやってきた我が家の玄関の前に立った。

「鍵は、空いている。あれ? 俺そう言えば鍵占めないで出たっけ」

 まあ、どのみちこの辺り一帯は冥夜が買い占めてしまっているのだ。泥棒が入ってくる可能性はゼロに近い。

「ただいまあ」

 恐らく誰もいないだろうと思いながら、武は恐る恐る自宅のドアを開けた。

「お帰りなさいませ、武様。昨晩はどちらへ?」

 だが、武の予想とは裏腹に、玄関の向こうでは月詠真那がいつもと変わらぬ礼儀正しい笑顔で、武を迎えていた。

「え? あれ? ただいま、月詠さん。あ、ああ、昨日はほら、夕呼先生の所に泊まって」

「ああ、なるほど。ゲームの打ち合わせでしょうか」

 白いエプロンの前で手を組み、穏やかに笑う月詠の様子からは、今のところ何の異変も感じられない。

「あ、うん、そんな感じ。冥夜は?」

 だが、武のその質問に、その穏やかな空間は一瞬にして崩れ去った。
 月詠は、形の良い眉の間に皺を寄せて答える。

「それが……冥夜様は、突然ここを出て行く、と。それどころか、武様の家のお隣に建てた部屋も取り壊し、本宅に戻るとまで言い出しまして。あの「ゲーム」の為にそこまでする必要はないと思うのですが……」

 まずい。武の背筋に冷たいものがはしった。
 元々鋭い上に、日頃誰よりも冥夜の言動に気を配っている月詠は、冥夜の態度が「白銀武? 誰それ? ゲーム」に参加しているにしてもおかしい、と感づき始めている。

「あ、ああ。冥夜ってほら、凄く生真面目で妥協しないところがあるからなあ。そこまで、やる必要はないと思うよ。って俺が冥夜に話しかけたら、冥夜がゲームオーバーになっちゃうか。それじゃ」

「あ、武様、朝食はっ」

 武はごまかしながら靴を脱ぐと、月詠の声を振り切り、二階へと上がっていった。





 軍人ならではの早さで制服に着替えた武は、月詠の朝食を断りそのまま玄関を出た。

 そして、歩道に片車輪を上げて停車する夕呼の愛車の元へと駆け寄っていく。

「遅いわねえ、何かあった?」

「すみません、夕呼先生。ちょっと月詠さんと話をしてたもんですから。でも、特に何もないです」

「そう、それじゃ出るわよ。早く乗りなさい」

「はい」

 武がそう言って助手席のドアに手をかけたその時だった。

「あれ? 香月先生、おはようございます。どうしてここに?」

 タイミング悪く、向かいの家から出てきた、柊学園女子の制服に身を包んだ赤い髪の少女が、大きな眼をパチクリさせてこちらを見ている。

「す、純夏……」

 予期せぬ幼なじみの登場に、武はグルグルと思考を巡らせる。

(しまった。あ、でも、純夏は大丈夫だったのか? あ、でも、純夏は本気で「ゲーム」に参加している可能性があるな。一応挨拶だけしてみるか)

「あ、おはよう、純夏」

「うん、おはよう、『白銀君』」

 武の言葉に、鑑純夏は、ごく自然に極めて不自然な挨拶を返す。
『白銀君』。
 物心ついたときから、十数年来、『タケルちゃん』としか呼ばれたことのない声で、まるでただのクラスメートにかけるような声色で『白銀君』と呼ばれた。

「お、お前、純夏……」

「ん? どうしたの、白銀君?」

 幼なじみは、不思議そうに首を傾げている。
 自分の事を知らんぷりするのならばいい。純夏が本気で『ゲーム』に参加していると言う可能性がある。だが、他人行儀に「白銀君」と呼ばなければならない理由はどこにもない。

「白銀、急ぐわよ。乗りなさい!」

 アスファルトの上にへたり込みそうになった武を叱責するように、鋭い声をぶつけてきたのは、愛車の運転席に座る夕呼だった。

「あ、せ、先生」

「白銀! 早く!」

「あ。は、はい」

「うん。それじゃ、白銀君。また、学校で会おうね」

 無邪気に手を振る幼なじの姿を歪む視界の端に見ながら、武は潰れるようにして助手席に腰を下ろした。
 夕呼は、すぐさまアクセルを踏み、愛車を急発進させる。

「…………」

 猛スピードで外の景色が流れる様、実感なく眺めていた武に、夕呼が正面を睨んだまま声をかける。

「予想外の事態ね」

「……はい」

 心理的な意味における武の最終防衛ラインであった、純夏の記憶の流出。
 武は、視界がブラックアウトする寸前の心境のまま、ただ首を縦に振る。

「これってどういう事なんですか?」

「端的に言えば、私の推測がどこか間違っていた、と言う事ね」

「間違っていた、ってそんな……」

 あっさりとした夕呼の物言いに、一瞬武がくってかかりそうになったが、血が出る寸前まで唇を噛んでいる夕呼の表情を見て、その激情は一瞬で収まった。
 災厄を呼び込んだのは自分だ。自分が怒るのは筋が違う。

「とはいえ、鑑の一件以外は、ほとんど私の推測通りに事が動いているの。昨日の晩、何人かに電話をしてみたんだけどね。予想通りの反応が返ってきたわ。
 榊、彩峰、珠瀬、鎧衣は白銀の事を忘れていた。
 一方、まりもは全く忘れていなかった。
 おかげであの『ゲーム』のことで、すごい怒られたわ。「夕呼! これ一歩間違えたら、教師公認のいじめよ!」って」

 その時のことを思い出したのか、夕呼は赤いルージュの塗られた口元を、笑みの形に歪める。

「そうですか。あ、でも、委員長達が本気で『ゲーム』に参加しているって可能性は?」

「まずないわね。私も何度か誘導尋問をしかけてみたから。彩峰辺りならともかく、珠瀬や榊に私の誘導尋問をかいくぐるようなスキルがあるとは思えないわ」

 確かに、見た目通り精神年齢も低そうな珠瀬壬姫や、頭は良いが実直すぎて融通の利かない榊千鶴に、悪辣きわまる夕呼の誘導尋問を回避できるとは思えない。

「ましてや、鎧衣もなのよ。あんた、まさか鎧衣が『ゲーム』に参加する可能性があると思っているわけ?」

「それは、ないですね」

 言われて武も思い出した。
 この世界の鎧衣は、美琴ではなく尊人、男なのだ。
 鎧衣尊人が『白銀武との丸一日デート権』を望み、『ゲーム』に参加する。
 さすがにそれはちょっと、なんというか、嫌である。

「というわけで、私の仮説――あんたと親しくしていて、克つ向こうの世界でも現時点で存在している人間の記憶が流出しているという説が、間違っているとは考えづらいのよ」

 実のところ、夕呼は御剣財閥に仲介してもらい、海外旅行中の武の両親とも連絡を取っている。
 夕呼予想通り、武の両親もごく普通に武のことを覚えていた。
 だが、このことを告げるということは、武に「お前は後一歩でこの世界の両親も殺すところだったのだ」と宣告するに等しい。
 今の武の精神状態を危険と見た夕呼は、その情報は胸にしまったまま、話を続けた。

「でも、それじゃ、なんで純夏は……?」

「そう、そこがおかしい。だから、私は間違っているのは私の仮説じゃなくて、前提条件、あんたの情報の方だと思っているわ」

「前提条件?」

「ええ。向こうの世界に今現在存在していない人間の記憶は流出しない。と言う説が正しいのなら、向こうの世界に鑑純夏は存在しない、という前提条件が間違っていると言うことになる」

 いい加減驚きすぎて麻痺しかけていた武の心をも、その言葉は強烈に揺さぶった。

「そんなっ……!? で、でも、向こうの夕呼先生は確かに!」

「あんた、まだ信用してるの? あっちの私を。断っておくけど、あっちの私は、あんたの今の状況を、ほぼ正確に予測していたわよ」

「なっ……!」

 絶句する武を横目で見ながら、夕呼はハンドルを握り、唇を噛んだ。
 白銀武が、最初にこちらの世界に来たとき持っていた、『香月夕呼』から香月夕呼に当てられた包み。
 あの中身は、因果律量子論に関する数式の要求だけではなかった。
 むしろ、それはごく一部で、それ以外はこちらの世界に白銀武に対する対処方法が、いくつものケースに場合分けされて書かれていたのだ。
 そして、その中には今のケース――武が使命を放棄して、こちらの世界に逃げてた場合についても書かれていた。

(踊らされている。香月夕呼ともあろう者が、たかが香月夕呼ごときに踊らされている)

 夕呼は屈辱で視界が赤く染まる錯覚に陥っていた。
 向こうの夕呼は、白銀武をもう一度向こうの世界へ送り返すための方法と、それに使う装置の設計図まで記していた。
 白銀武は因果導体。
 その存在によって因果がねじ曲がったこの世界を抜本的に救うには、白銀武を因果導体という運命から解放するしかない。そして、白銀武を因果導体とした要員は恐らく向こうの世界にある。

(だから、もう一度白銀を送り返せ、ってあっちの私は言いたいんでしょうけど……)

 そこまで、なにもかも向こうの夕呼の思惑通りに動いてやるつもりはない。
 向こうの香月夕呼がどれだけ知恵を巡らせようが、完全無欠に予測できていない要素がこちらには一つある。
 因果地平の番人、クォヴレー・ゴードンとその愛機、ディス・アストラナガンの存在だ。
 げんに、ディス・アストラナガンのおかげで、この世界は死の因果の流入による死者はまだ一人も出していない。

(見ていなさい。あんたの思惑なんて越えてやるから)

「だから、向こうにも鑑は存在しているはず。でも、その存在を向こうの私はあんたに明かさなかった。間違いなく、なにか深い理由があるはずね」

「純夏が、向こうの世界に、純夏が……」

 武は呆然とした表情で、壊れたスピーカーのように、何度も幼なじみの名前を呼んでいた。
 無理もあるまいと夕呼は思う。
 恋愛原子核などと夕呼に呼ばれるほど、周囲を女に囲まれている武だが、それでも鑑純夏は比較対象もいないくらいに特別な存在なのだ。
 他の女達、御剣冥夜や榊千鶴が、側にいないと寂しさを感じる大切な人間なのだとすれば、鑑純夏は側にいるのが当たり前の、大切であることさえ認識していない我が身にも等しい存在だ。

「どうするの白銀。あんたはどうしたい? 一応言っておくけれど、私もあれから色々調べて、ある程度この状況をどうにか出来る目安がついてきたわ。でも、この問題の中心はあくまであんた。
 あんたがどうしたいかで、全ては変わる」

「俺次第。でも、俺は……」

 武はその後を続けられなかった。
 現状を認められないのは確かだ。だが、本質的に自分がどうしたい、どうなりたいのかと言われると、簡単には答えが出ない。
 自分はこの世界に逃げてきたのだという、引け目もある。

「まあ、今すぐ答えを出す必要はないわ。でも、もうあまり時間がないことは覚えておきなさい。ほら、着いたわよ」

「はい、分かりました……え?」

 停止した車から降りようとしてドアに手をかけた武は、やっと周囲の景色が思っていたのと違うことに気づき、そのまま固まった。

「せ、先生? なんで、先生のマンションに戻ってきてるんですか?」

「やっぱり、全く周りが見えていなかったわね」

 ハンドルから手を離した夕呼は、呆れたようにため息をつきながら答える。

「当たり前でしょう。鑑の記憶流出という不測の事態があったのよ。私もあんたも暢気に学校に通っている場合じゃないわ。今日は臨時休校で、即座に対策を練るわよ」

「あ、そうか。そうですね、分かりました」

 確かに言われてみれば、今更暢気に学校生活でもないだろう。少なくとも、この問題が解決するまでは、こちらの問題を優先するべきだ。
 これが、何の手がかりもなく五里霧中だというのならばともかく、先ほど夕呼先生は「ある程度どうにかできる目安がついた」と言っていたではないか。
 学校には、全てが解決してからゆっくりと通えばいい。

「分かったら、すぐに私の部屋で、ゴードン交えて作戦会議よ。私は今日休むことを学校に伝えておくわ。あんたも一応学校に欠席の連絡は入れておきなさいよ」

「はい、わかりました」

 決意を固めた武は、車から降りると夕呼の後ろに続いて、マンションへと戻っていく。





 そんな武達の元に、「体育の授業中、バスケットボールのゴールが落下し、下にいた女学生――鑑純夏が意識不明の重傷を負った」という報告が入ったのは、それから三時間ほど時間がたったときのことだった。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~第五章
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/08/13 05:14
Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~

第五章

【西暦2001年、日本時間12月17日11時33分、高級マンション、香月夕呼部屋】




「先生、先生! 純夏は、純夏は大丈夫なんですか!?」

 リビングルームで病院に電話をかけていた香月夕呼が受話器を下ろすやいなや、側で固唾を呑んでいた白銀武は、くってかかるようにして尋ねた。
 夕呼は、真っ白な顔で青く変色した唇を噛みながら、あえてストレートに答える。

「意識不明の重体よ。緊急手術で一命は取り留めたらしいけど、予断は許さないわ。回復の見込みはほぼゼロ。命は助かっても、このままじゃ、一生ベッド上での生活ね」

「う……うう……うわああああ!!」

 報告を聞き終えた武は、冷たいフローリングの上に崩れ落ちると、堰が切れたように泣きだした。

「武……」

 後ろに立つクォヴレーが心配そうに声をかけるが、その声も武の耳には入らない。

「畜生、なんで、何でなんだ! なんで、純夏がぁ! 純夏だけが、こんなぁ!」

 武は、怒りと悲しみを抑えきれず、何度も何度も硬いフローリングの床に拳を叩きつける。

「やめろ、武。手を痛めるぞ」

「ぐあああ……!」

 とっさにクォヴレーは、後ろから武の手を押さえ込んだ。
 この場に、クォヴレーがいたのは幸いだった。
 軍人としての教育を受け、身体を作っている武を、並の人間では押さえ込むことは出来ない。
 同じく、軍人として訓練を受けているクォヴレーだからこそ、出来た事だ。

「クォヴレー、純夏が、俺の純夏がぁ……もう、助からないって……!」

「気をしっかり持て、武。俺の世界の技術なら、もしかしたら助けられるかもしれん。だから絶望するな!」
 
 クォヴレーは武の両肩を両手でしっかりと掴むと、強く揺さぶった。
 クォヴレーの励ましの言葉に、それまで墨を垂らしたように濁っていた武の瞳に、急速に光が戻る。

「ほ、本当か、クォヴレー!」

 振り向いた武は、すがりつくようにクォヴレーの腕を掴む。

「ああ。絶対とは言えんが、可能性は十分にある。だから、絶望するな、武」

 クォヴレーはあざが着くほど強く自分の腕を掴む武に痛い顔一つ見せず、そう言って励まし続けた。
 もちろん、クォヴレーは適当な虚言を吐いているわけではない。
 クォヴレーが元々所属していた組織、ゼ・バルマリィ帝国では、人体のクローニングの技術が非常に発達していた。
 その上、人を脳髄だけで生かしておく技術も存在していたのだ。
 よって、よほどの怪我でない限り、クローンの生体移植で怪我は修復可能なはずだ。
 もっとも、ゼ・バルマリィ帝国自体、地球との戦争と、滅びの宇宙意思の具現化『アポカリュプシス』によって母星を失うという大ダメージを被っているうえ、現在因果律の番人をやっているクォヴレーは、簡単に故郷に帰ることも出来ないため、確約は難しいのも確かだが。

「どちらにせよ、それもまずは今の問題を解決してからよ。これで、ディス・アストラナガンが怪我の因果を取りこぼしていることが、実証されたわ。このままなら、鑑と同程度の負傷者がこの世界に続出することになるのよ」

「あ……」

 それまで、純夏のことしか頭になかった武が、その言葉でやっと思いついた。
 向こうの世界は、BETAと戦い続けている地獄のような世界だ。死者もいるが、当然負傷者もたくさんいるだろう。
 それらの情報がこちらの世界に流れ込む。

「……だ。俺の、俺のせいだ……俺が、あの時、死ぬよりはマシだなんて言ったから」

 真っ黒な後悔と共に思い出されるのは、三日前、ディス・アストラナガンの前でクォヴレーと交わしたあの会話だ。
 死の因果を取り逃さない事を優先し、それ以外の因果の流入に目を瞑るか。それとも、死の因果をある程度取り逃すことを前提の上で、それ以外の因果も積極的に吸収するか。
 二択を迫られた武は、安易に前者を選択してしまった。
 もちろん、あの時は十分に悩んだ上での選択だったつもりだが、今のこのあふれ出す黒い感情と比べれば、あまりに軽い決断だ。
 自分は、あの時、今のこの状況を全く想定していなかった。

「もう、もう嫌だ。なんで、俺は、俺が、俺のせいで、純夏が。なんで、俺じゃなくて純夏がぁぁぁ……!」

 フローリングの上に、涙の小さな水たまりを作っている武に、夕呼は上から言葉をかける。

「白銀。私はこれから鑑の家に行って、入院に必要なものを病院に持っていくよう、学校から指示を受けたわ。どうする? あんたも来る?」

「……え?」

 惚けたような表情で、床の上からすぐ前に立つ夕呼を見上げながら、武は頭の片隅で「そういえば、今純夏の両親も、うちの親と一緒で海外旅行中だっけ」と鑑家の状況について思い出していた。

「鑑の両親には既に連絡が行っているわ。今、御剣が用意したチャーター便で緊急帰国中よ。それで、どうするの、白銀? 無理にとは言わないけど」

「わかり、ました……俺も行きます……」

「そう、だったら準備しなさい」

 それだけ言うと、夕呼は武に背を向けると、さっさと歩き出した。
 武も緩慢な動作で床の上から立ち上がる。

「武」

「ありがとう、クォヴレー。大丈夫だ」

 クォヴレーの手を借りて立ち上がった武は、弱々しくクォヴレーに笑い返すと、夢遊病者のような頼りない足取りで、夕呼の背中を追いかけて出て行った。
 バタンと音を立て、夕呼と武が玄関から出て行く。

「…………」

 一人残されたクォヴレーは、さっきまでの武を気遣っていた優しげな表情を一変させ、憤怒の表情で右拳を左の手に平に思い切りぶつける。

「何が、因果律の番人だ! 俺は、何も出来ていない! 一人の女も、一人の男の心も救えずに、俺は何をやっている!」

 自分がこの世界にやってこなければ、死の因果の流入によって多数の死者が出ていたはず。だから、何も出来ていないわけではない。
 それは、頭では分かっている。かつての自分ならば、鑑純夏の怪我ぐらい「必要最小限の犠牲」と言ってのけただろう。
 だが、αナンバーズと共に戦い、彼等の価値観に染まった今のクォヴレーには、どれほど僅かな犠牲でも割り切ることが出来なくなっていた。

「イングラム・プリスケン。お前は、こういった思いを何度も繰り返してきたのか?」

 クォヴレーは、前任の因果律の番人に問いかける。もちろん答えは返ってこない。イングラム・ブリスケンは、クォヴレー・ゴードンにその全てを託し、この世界から消え去っている。

「ゼオラ、アラド、みんな。俺は、どうしたらいい。俺は、一人でもお前達のように戦えるのか……?」

 クォヴレーは、あらゆる困難をねじ伏せ、不可能を可能に書き換えてきた、かつての仲間達にすがるように呟くのだった。










【西暦2001年、日本時間12月17日12時02分、鑑純夏宅、純夏部屋】

 夕呼と武が上がり込んだ、純夏の部屋。
 そこには、無数の日記帳が散乱してた。
 何十、何百冊という数の日記帳。

「…………」

 武はその一冊を手に取り、中を見る。


『12月24日(ゆき)

 たけるちゃんがプレゼントくれなかった。
 やくそく、わすれちゃったのかな?
 サンタさん、やっぱりこないんだ……』

「これは……何年前から書いてるんだよ、純夏の奴……」

 武の記憶が正しければ、これは自分たちがまだ小学校に上がる前の話のはずだ。

 武は呆然としたまま、別の日記帳も手に取る。

『7月7日(絶対晴れ!)

 今日は私の誕生日。
 タケルちゃんよりちょっぴりお姉さんなんだ』


『6月10日(雨)

 大変なことをしちゃったよ。
 アンモナイトの化石を壊しちゃった。
 そしたらタケルちゃんが……』



『2月28日(はれ)

 今日学校で将来の夢の話をしたら、タケルちゃんが……』





『4月8日(くもり)

 今日から中学生。やったー、タケルちゃんと同じクラスだっ!』



 どの日記帳のどのページにも武が出てくる。というか、武のことしか書かれていない。

「なんだよこれ……純夏の奴。これじゃ、日記帳じゃなくて俺の観察日記だろう。はは、あの馬鹿……」

 タケルは視界が潤み、鼻の奥が熱くなるのを感じた。それを無視するように、わざと笑う。
 純夏のマヌケな行為を笑う。それが、白銀武と鑑純夏の正しい付き合いというものだと信じているように。

「実際そうだったんでしょ。鑑にとって毎日の記録は、そのままあんたとの生活の記録だったのよ。あんた達、ほとんど毎日一緒だったんじゃない? 少なくとも、今の学校に来てからはそう見えたわ」

「それは……」

 言われるまでもない。武が思い返しても、自分の日常には必ずと言って良いほど、純夏の姿が思い浮かぶ。
 赤い触角のように跳ねた髪を、ピンと立てて怒っている純夏。
 野良犬に武のハンバーガーをやって、笑っている純夏。
 冥夜が来てから、学校生活は一変したが、自分の隣には純夏がいるという景色だけは変わらなかった。

「これ、読んでみなさい」

「これは?」

「一番新しい日記帳よ」

 武は夕呼に促されるままに、その日記帳を読んだ。
 そこには、この数日の武の行動がつぶさに記されていた。
 武がこちらの世界に逃げてきた初日、まりもちゃんにあって号泣したこと。
 それからなにか武がいまいち元気がないこと。
 そして、一昨日のページ。



『12月16日(はれ)

 今日はタケルちゃんの誕生日。いつもならタケルちゃん家で誕生日パーティだけど、今年は御剣さんの家が会場なのだ。リッチさが違うね。

 御剣さんはタケルちゃんの誕生日が一緒なんてちょっと羨ましい。
 でも、結局誕生日パーティはなかった。昼になって突然、御剣さんも、パーティに来るはずだった榊さん達も、タケルちゃんのことを知らないって言いだした。
 なんで?って思ったら郵便受けに変なチラシが。
 香月先生! 『白銀武? 誰それ? ゲーム』てなにー?
 せっかくの誕生日にこんなの、タケルちゃんがかわいそーだよー!
 でも、タケルちゃんとの丸一日デート権か……。いやいや、駄目だよ、私だけでもタケルちゃんの誕生日を祝ってあげるのだ。





 って、思ってたのに、買い物にで戻ってきたら、いつの間にか忘れちゃっていた。タケルちゃんのこと。
 なんで? もしかして、みんなもゲームのせいじゃなくて本当にタケルちゃんのこと忘れるの? 明日、学校に行ったらみんなにも聞いてみないと。
 いやだよ、そんなの。タケルちゃんのことを忘れるなんて、そんなのは絶対に駄目!
 こうやって、日記帳を見直すと、タケルちゃんのことを思い出せるみたい。
 だから、明日からは毎日いつもより1時間早く起きて、日記帳を見てから学校に行こうと思います。
 早起きは辛いけど、タケルちゃんのことを忘れるのはもっともっと辛いもんね。

 頑張れ、私!』






「純夏、お前、相変わらず馬鹿だな。それだって結局俺の記憶だろ? 日記を見返すって記憶自体忘れちまうんだから、意味ないじゃないか……馬鹿、馬鹿純夏……」

 ポタリポタリ、武の両眼から涙がこぼれ、純夏の日記帳の文字が滲んだ。

「これで得心がいったわ。ちょっと引っかかっていたのよ。なんで、鑑だけ記憶を失うのが一日以上遅れたのか。鑑は偶然私と同じ方法で、対策を取っていたのね」

 夕呼の呟きが、武の耳の届く。

「対策?」

「そう。不思議に思わなかった? あんたに近い人間ほどあんたの記憶を失うのに、私だけあんたの事を忘れないってことに」

「そういえば……」

 言われてみれば不自然だ。まりもと違い、『向こう』の夕呼は間違いなく生きている。記憶の流出が起きていなければおかしい。ただ、何となく最初から「香月夕呼は特別」と思い、深く考えてなかった。

「ほら、あんたがこっち世界に来た最初の時プリントアウトさせたでしょ、五万枚ほど。あのうち、向こうの私に渡した数式は百枚程度だったじゃない。じゃあ、残りはなにかっていうと、あれ私の知る限りの白銀の情報が書いてあったのよ」

「俺の?」

「そう。私は毎日定期的にそれを読むことで、流出する記憶を補充してたってわけ。鑑はこの日記帳を使って、偶然私と同じ事をやっていたのね。だから、鑑だけ白銀の記憶を失うのが遅れたんだわ」

「純夏……あっ、でもそれじゃあ、いずれ先生も俺のことを忘れてちゃうってことですか?」

「ええ。いずれはね。けど、安心しなさい、それはずっと先の事よ」

「え? 何でですか?」

 武の問いに、夕呼は小さく笑いながら答えた。

「これも私の仮説だけど、白銀の記憶を失うのは、あんたの好意を寄せている人間ほど早いからよ。対策を取っていた鑑は例外とすると、最初に記憶を失ったのが、御剣。その次が、榊、彩峰、珠瀬。男の鎧衣は少し後だったわ。
 私があんたに寄せている好意なんてのは、鑑のそれと比べれば塵芥のようなものよ」

「そうですね」

 確かに夕呼が自分に好意を寄せてくれているとしても、それはあくまでちょっと見所のある教え子に対するものでしかない。
 こんな、全身全霊をかけて愛するような純夏の好意とは、比べものにならない。
 白銀が日記を読んでいる間に、夕呼は保険証や着替え、バスタオルといった入院に必要なものをいつの間にか揃えていた。

「それじゃあ、病院に向かうわ。悪いけどあんたは」

「分かってます。車で待ってます」

 夕呼の言いたいことを理解した武はそう答えた。
 因果導体である自分が、純夏に近づけばこれ以上に悪い結果をもたらしかねないし、なにより病院には冥夜や千鶴達がいる可能性がある。
 病院で彼女たちと鉢合わせをして「誰だそなたは?」などと言われれば、大騒ぎだ。
 この期に及んでまだ、そのくだらない『ゲーム』を続けるのか、と記憶を失っていない人間は怒り狂うことだろう。

「ええ、そうして頂戴」

 夕呼は抑揚のない声でそう答えた。





 程なくして、武と夕呼を乗せた車は、純夏の入院している病院へと着いた。

「それじゃ、手早く済ませてくるから」

 運転席から足を地面におろした夕呼は、そのままの体勢で武に話しかける。

「はい」

 武の短い返答を背中で聞きながら、夕呼はもう一度武に言葉を浴びせた。

「白銀、あんた覚えてる? 昨日私が言ったこと。あんたはどうしたい? この問題をどう解決したいの? あんたの中の優先順位はどうなっているの?」

 そう言えば、確か昨日、夕呼先生はそんなことを言っていたなあ、と武は遠い昔のことのように思い出した。

「俺は、今は、ただ純夏が助かれば、純夏が治ればそれで良いです……。あとは、これ以上俺のせいで被害者でなければ、俺はどうなってもいいです」

「……そう分かったわ。帰ったら話し合いましょう」

 武の言葉に、何かを決意したように表情を固めた夕呼はそう言うと、病院の方に向かい早足で歩き去っていった。





「お待たせ」

「いえ、思ったよりずった早かったですね」

 武の言うとおり、さほど時間を置かず、夕呼は駐車場に戻ってきた。

「ああ、向こうはまりもがついてるから。私は荷物を渡しただけよ」

「そうか、まりもちゃんが……」

 考えて見れば当たり前だ。純夏の担任は、夕呼ではなくまりもである。こうした場合、一番側で世話を焼くのは、まりものほうだ。

「出すわよ」

「はい」

 手早く運転席に戻った夕呼はそう言うと、アクセルを踏み込み、車を発進させる。
 長い直線道路に入ったところで、夕呼はハンドルを握ったまま、話し始めた。

「結論から言うと、鑑を元の状態戻すのは、この世界医療技術じゃ不可能よ」

「そうですか。それならやっぱり、クォヴレーに頼んで……」

「その結論はまだ早いわ。白銀。一つ聞くけど、あんた、自分がこの世界に残って鑑はそのまま。でもそれ以外のみんなの記憶は元に戻るのと、あんたは向こうの世界に戻ってしまうけど、鑑は無傷、みんなの記憶も戻るっての、どっちがいい?」

 唐突なたとえ話であったが、武は一瞬の迷いも見せなかった。

「そんなの、後の方が良いに決まってるじゃないですか! ていうか、そうなればそれ以上の結果なんてないですよ。元々俺がこの世界に来たのが、全ての原因なんだから!」

 実際、武はネガティブな意味だけでなく、夕呼の言ったその後者の例を望んでいた。
 今この状態でも、向こうの世界にも未練は十分に残っているのだ。
 結局、こちらの世界逃げてきてしまったが、出来ることならば自分の手であの世界の皆も救いたいという思いに偽りはない。
 だが、そんなことはただの夢物語だ。割れた卵は直らない。こぼれたミルクも戻らない。
 そんな、武の内心を知ってか知らずか、夕呼は口元に不敵な笑みを浮かべると、何でもないことのように言い放つのだった。

「分かったわ。それなら、後者の方向で行きましょう。忙しくなるわよ、白銀。あんたにもやってもらうことは山ほどあるから、覚悟しなさい」

「え? そんな、まさか、本当に出来るんですか、そんなこと!」

「後は部屋に戻ってからよ」

 今にもつかみかかりそうな武に、夕呼は心強い笑みを返しただけで、それ以上は何も答えないのだった。









【西暦2001年、日本時間12月17日13時14分、高級マンション、香月夕呼部屋】

 夕呼の自宅に戻った武と夕呼は、留守番をしていたクォヴレーを交え、デリバリーのピザとペットボトルのウーロン茶で遅めの昼食を取りながら、この世界を救うための計画を話し合っていた。

「それじゃ、まず状況を確認するわよ。白銀、あんたにとって少しと言わず、耳が痛い話が続くけど、覚悟はいいわね?」

 八分の一にカットされたピザの先を啄みながら夕呼はそう話を切り出す。

「はい。大丈夫です」

 武は強化ガラス製のテーブルの上に、ウーロン茶を注いだカップを置き、神妙な表情で頷いた。

「オーケー、始めましょう。まず、この世界では今、因果の流出入という問題が起きている。現在確認されているのは、死や怪我といった因果の流入と、記憶という因果の流出。
 何故死や怪我が流れ込んで、記憶が流れ出るのかは、因果の重さに関係があると私は睨んでいるんだけど、それは今は置いてきましょう。

 さて、白銀。最初の質問よ。なぜ、この世界はこんな状態になったのかしら?」

 最初から重い質問に、武は頭を押さえられたように一度項垂れたが、すぐに顔を上げると答えた。

「それは、俺が、因果導体がこの世界にやってからです」

 武の答えに夕呼は満足したように、一度頷く。

「そうね。この場合の因果律は、『白銀武がこの世界に来た』が原因で、『因果の流出入が始まった』が結果。因果律というのは全てこの様な『原因』と『結果』から出来ているわ」

「うむ、そうだな。それが因果律というものだ」

 因果律の番人であるクォヴレーは、ピザの端っこの硬いところをよく噛んで呑みこんだあと、そう合いの手を入れた。

「ええ。では次の質問。なぜ、白銀武はこの世界に来たの?」

 本当に武にとっては、辛い質問ばかりだ。
 自分の弱さ愚かさを全てここでさらけ出されるのだろうか。
 武は、半ば懺悔のつもりで素直に答えた。

「それは、俺が向こうの世界の現実に耐えられなかったから……逃げたから」

「違うわ」

 だが、その答えに夕呼は首を横に振った。

「え? でも」

「ええ。それも一つの事実なのでしょう。でも、今私が追いたい因果律はそこじゃない。いい、白銀。あんたがこの世界に逃げてきた理由は、「あんたがこの世界に逃げて来ることが出来たかから」よ」

「は?」

 武は、夕呼の言葉が理解できず、間の抜けた言葉を返す。

「あんたは、その前に一度この世界に来ている。そのため向こうの世界には、こっちの世界に渡る装置があり、それを使えば、この世界に逃げてくることが出来ることを知っていた。だから、逃げてきた。
 もし、そんな装置が無いか、あってもその存在を知らなければ、あんたは向こうでどれだけ辛い目にあっても、この世界には逃げてこなかった。違うかしら?」

「そ、そう言えば、そうですけど。さすがにそれは滅茶苦茶じゃ」

「いいのよ。私が今やろうとしていることは、その滅茶苦茶なんだから。話を続けるわ」

 武の突っ込みを軽く受け流した夕呼は、別なシーフードピザの箱を開けながら、目線は武からずらさず、話し続ける。

「ではなぜ、白銀は以前にこの世界にやってきたのか? それは、向こうの世界の私が、『向こう』の世界には存在しないある『数式』を欲していたから」

 夕呼の目がランランと輝く。

「はい。そうです」

 あまりに当たり前な話の連続だが、夕呼の様子からすると何か大事なことなのだろう。
 武は話の腰を折らずに、素直に相槌を打つ。

「よろしい。ここで一度、話を別な方向に向けましょう。白銀。あんた、因果導体って、どういう存在か分かっている?」

 本当に唐突に変わった話に武は、戸惑いながらも答える。

「ええと、因果情報の流出入を起きさせる存在なんですよね。因果律を乱す要因で」

「そう。因果導体は、因果律を乱す。で、因果律の番人さん? 因果律の正しい状態とはどういうモノかしら?」

「原因があって結果がある。川の流れのように一定方向に因果が流れ、逆流や停滞、氾濫が起きない状態が理想だ」

 突然話を振られたクォヴレーであったが、最初から答えを用意していたように淀みなく答えた。
 それは、期待通りの言葉だったらしく、夕呼は笑みを深めた。

「そう、因果律というのは本来そういうもの。原因があって結果がある。一度出てしまった結果はどうやっても変えられない。でも、因果導体は因果を乱す要員。その例外。一度出てしまった結果を、覆すことができる」

「ええ!?」

「まて、香月! それはお前が意図的に因果律を歪めると言うことか!?」

 驚きの声を上げる武以上に、驚愕と警戒を露わにしたのは、クォヴレーだった。無理もない。今の夕呼の言葉をそのままの意味で取れば、とうてい因果律の番人が見逃すことの出来ない類の発言だ。
 だが、夕呼はクォヴレーの剣幕に怯む様子もなく、

「大丈夫よ。本質的には私がやろうとしていることも、因果律の流れを正すことだから。ただ、その際にちょっとおこぼれに預かろうって話。
 白銀。あんた、今大げさに驚いていたけど、あんたは既に経験してるでしょう。
 あんたは確か、一度目の向こうの世界で、オルタネイティヴ4とかいう計画が失敗したのを見たんでしょう?」

「はい」

 忘れられない、サンタの格好をして酒に逃げた香月夕呼の姿を思い出し、武は頷いた。
 そうあれは忘れられない。せっかくあんなセクシーなミニスカサンタの格好をしておきながら、鼻眼鏡を付けていたせいで、色気も減ったくれもなかった。
 鼻眼鏡さえなければ、眼福モノの格好だっただろうに。と、武がとりとめもなく思い返したその時だった。

(っ、なんだ!?)

 唐突に武の脳裏に、記憶にない記憶がよみがえる。
 ヤケを起こした夕呼に誘われ、そのまま押し倒された自分。泣きじゃくる夕呼を抱き、その裸身を貪る自分。
 夕呼の肌の感触すら、一緒によみがえる。

(そんな、俺は、夕呼先生となんかしてない! なんだ、この記憶は!?)

 あまりに驚きすぎて、逆に表情が動かなかったのだろう。夕呼は武の様子に気づくことなく話を続ける。

「で、あんたは二度目の向こうの世界で、一度目の失敗を教訓として、私に話した。結果、あんたはこの世界に来て、数式を手に入れ、向こうの私に渡した。ほら、結果が変わっているじゃない。これが因果導体が、因果律を歪めることが出来る証明よ。って、なによ、白銀変な顔をして?」

 ようやく武の様子がおかしいことに気づいた夕呼は、怪訝そうな顔でそう言う。
 唐突に沸いてきた、記憶にない記憶。これも夕呼先生に相談した方が良さそうだ。だが、今は話の腰を折るべきではない。

「あ。いえ、ちょっと俺の方からも、先生に相談したいことがあったのを『思い出して』。俺のは後で良いですから」

「そう?」

 夕呼はまだ少し怪訝そうな顔をしたが、武に隠す意図はない様子を見て、この場は流した。

「まあ、というわけで白銀という因果導体を使えば、限定的とはいえ、因果律を歪めて結果を改ざんすることが出来る訳よ。ある意味、この世界も白銀が来たせいで本来たどるべき結果から歪んだのだと言えるしね」

「……はい」

 さすがに今の話題には、武も元気よく返事を返すことが出来ず、俯いて相槌を打つのが精一杯だった。

「とまあ、ここまではいいかしら。ポイントは二つ。
 一つ、元々向こうの世界の私が数式を欲しなければ、この世界は干渉を受けることはなかった。
 二つ、因果導体である白銀武は、因果律を歪めて結果を改ざんすることが出来る。
 この二つを合わせれば、私のやりたいことはすぐに分かるでしょう。
 つまり、向こうの世界の過去に白銀を通して干渉し、最初から向こうの世界に必要な数式が存在する状態にしてしまう。
 そうすれば、白銀がこの世界にくると言う『原因』が生まれず、この世界の因果律が歪むという『結果』もなくなるわ」

「…………」

「…………」

 あまりに壮大で無茶苦茶な話に、武とクォヴレーはそろって馬鹿のように口を開いていた。

「ええと、つまり先生は俺を、向こうの世界の過去に戻すって言うんですか?」

「馬鹿な、同一世界軸の過去への干渉など不可能だ。それこそ因果律が崩壊して、世界が終わるぞ。もしうまくいったとしても、それはよく似た異なる別の平行世界を生み出すだけだ」

 武の疑問と、クォヴレーの反論を夕呼は頷きながら聞いていた。

「ええ、ゴードンの言うとおり。だから、違うわ。干渉するのは過去じゃない。もう一つの別の世界よ。具体的には、白銀が転移した最初の世界。オルタネイティヴ4とやらが途中で頓挫して、終わってしまったというその世界に干渉して、数式の情報を送り込む」

「? それでどうなるんですか?」

 そうすれば、最初の世界はもしかすると救われるかも知れない。しかし、それがなんだというのだろうか? 今の状況を打破する手段になるとは思えない。
 首を傾げる武に夕呼は、不敵な笑みを返すと説明を続けた。

「鈍いわね。分からない? その世界には白銀武がいるわけでしょう。今後、向こうの世界に二度目の転移をする予定の白銀武が。その白銀武が、一度目の転移世界の段階で、数式を知っていたらどうなるかしら。
 二度目の転移世界、『向こう』の世界には白銀武が転移した10月22日の段階で、数式が存在することになる。
 結果、『向こう』の私は、こっちに白銀武を転移させる必要はなくなる。
 因果導体となった白銀武が来なければ、こっちの世界は因果の流出入を受けてない自然な状態に戻る」

「…………」

「…………」

 文字通り、世界の認識そのものを書き換えようというのだ。
 夕呼のあまりに大それた発言に、武とクォヴレーは、再び言葉を失った。

「ほ、本当にそんなこと出来るんですか?」

 自分がこの世界にやってきたという結果自体を消去できるのなら、この世界にとってはそれ以上良いことはないだろう。
 だが、夕呼は少し真剣な表情を作ると、首を横に振った。

「このままでは無理ね。何度も言うようだけど、世界は矛盾を嫌うから。現在白銀はここにいるでしょう? 向こうの世界にはいない。つまり、数式を持って来るはずの張本人がいないままでは、例え一つめの世界に干渉しても、二つめの世界はその矛盾を嫌って、10月22日時点から数式が存在していたという可能性を消去してしまうわ。
 だから、あんたには、向こうの世界に戻ってもらう。これが大前提」

「はい」

 一度は逃げ出した、あの世界に戻れ。
 その言葉に、武は全く躊躇も恐怖も感じなかった。
 純夏を救うためならば、自分が消えても良いとさえ思った武だ。
 向こうの世界で汚名返上が出来るならば、願ったりかなったりだ。

「良い返事ね。プラス、あんたにはその数式を一文字も間違えず暗記してもらう」

 だが、夕呼の続く言葉に、武はたじろいだようにソファーに座ったまま少し身体を後ろに下げた。

「ええと、あの数式ってあれですよね。俺が、向こうの世界の夕呼先生に渡した……」

「そうよ、せいぜいコピー用紙で百枚程度の代物だから。三日もあれば覚えられるでしょ」

「三日って、先生と一緒にしないで下さいよ。だいたいなんでそんなこと、しないといけないんですか?」

 記憶術は、衛士のようなある程度以上の高級軍人には必須のスキルだ。そのため学生時代とはレベルが違う記憶力を有している武であったが、それでもコピー用紙百枚分の数式を記憶しろ、というのはかなり難易度が高い。
 夕呼は、当たり前ような顔で説明する。

「少しでも世界の矛盾を小さくして、過去の改ざんを成功させる為よ。いい?
 元々あんたは向こうの世界で、二度目の世界移動を経験した。本来なら、その時あんたは数式を知らない。だから、あんたはこの世界に来た。数式を知っている私から数式を受け取るために。
 そのあんたがこの世界に来たという過去を、根本的に消去するのが今回の目的なのよ。
 そのために、一度目の転移世界に数式を流し、二度目の転移世界の白銀が最初から数式を知っている可能性がありうる状態にする。その状態で、ここにいるあんたが、その数式を頭に詰め込んで、向こうの世界に帰ったらどう?
 最初から白銀が数式を知っているという可能性が存在し、なおかつそこに数式を頭に詰め込んだ白銀が再転移してくれば、向こうの世界は、『最初から白銀が数式を知っていた』という時間軸を矛盾無く選択できるわ」

「なんだか……言葉遊びでごまかされているような気分なんですけど……」

 考えすぎて頭の芯がかゆくなってきたのか、武はしきりに頭を掻きながら、まだ納得がいかない様子で呟く。
 言っている意味は分かるが、あまりに荒唐無稽克つ都合が良すぎて、そんなことが本当に可能なのか疑わしく思える。

「まあ、あまり難しく考える必要はないわ。ようは、因果導体であるあんたは本来の因果律から切り離されているため、世界の時間軸の影響をあまり受けない状態なのよ。
 だから逆に世界は、ある程度あんたの現在の状態に合わせて、もっとも矛盾がない過去を選ぶわけ。 世界があんたに影響を及ぼせないから、代わりに世界のほうがある程度あんたに合わせてくれるってことね。
 まあ、どうやっても解消できない大きな矛盾を生じさせてしまったら、今度はあんたが世界からはじき飛ばされることになるから、あまり多用は禁物の手なんだけどね」

 夕呼としては分かりやすく説明しているつもりなのだろうが、やはり武には今一理解しきれなかった。
 だが、これだけは分かる。
 夕呼の言っていることが正しければ、一つめの転移世界にあの数式を送り込み、自分があの数式を覚えて向こうの世界に帰れば、この世界は武が来なかった本来の状態に戻るのだということ。

 つまり、死や怪我の因果は流れてこないし、記憶が流れ出ることもない。
 冥夜達は武を忘れず、純夏の怪我も無かったことになる。
 良いことずくめではないか。

「あ、でも、一つめの世界に数式を送るとか、俺を向こうの世界に送り返すのとか本当に出来るんですか?」

 ふと武は向こうの夕呼が言っていたことを思い出した。
 世界転移のタイムリミットは二十四時間。それを越えれば、戻ってこれないと夕呼は言っていたはず。
 武はこっちの世界に来て、すでに四日目を迎えている。タイムリミットはとっくに過ぎている。

「ああ、二十四時間って言うのは、向こうの私が向こうからあんたを引き寄せるタイムリミットね。こっちから、送り込む分には問題ないわ。ある程度の電力が確保できれば、転移は可能よ」

 そう言えば、あっちの世界では最初このために基地が一時的な停電に陥ったのだと言っていた。あの大きな横浜基地が停電になるほどの電力をこの世界で確保することが出来るのだろうか?

「あの、先生。それで、電力の当ては……」

「問題ないわ。ゴードン、ディス・アストラナガンの出力をかりるわよ」

 恐る恐る聞いた武の質問に、夕呼はあっさりとそう答えた。既に話が通っているのか、クォヴレーも平然と頷き返す。

「ああ。良いだろう」
 
「ディス・アストラナガンの出力ってあれそんなに凄いのか?」

 まさか、あれ一機で横浜基地の総電力以上のパワーがあるとでも言うのだろうか。確かに、昨晩クォヴレーから聞いたαナンバーズの戦いというのは、話半分に聞いてもすさまじいモノだったが。

「ああ。ディス・アストラナガンは、αナンバーズの中でも指折りの高出力機だ。よほどのモノではない限り、支えきれる」

 武の疑問にクォヴレーは自信を持ってそう答えた。
 ディス・アストラナガンの主機関ディス・レヴは負の無限力を糧とする一種の無限動力である。その出力は文字通り無限大。
 単純な出力に関しても、真・ゲッターやマジンカイザー、ジェネシック・ガオガイガーと言った辺りと肩を並べる。
 ちなみにジェネシック・ガオガイガーの良きライバルであるキングジェイダーの最大出力が、約二億四千万KWだ。
 この世界の日本の、総電力が二億KWに満たないと言えば、αナンバーズの特機がどれくらい非常識な出力を有しているか、ある程度分かるのではないだろうか。

「ふん、ディス・アストラナガンがなければこんな無謀な計画立てないわよ」

 向こうの世界の夕呼にとって、唯一の誤算がこのディス・アストラナガンの存在だろう。
 これがなければこっちの夕呼に出来ることは、武を向こうの世界に返すことだけだった。それも、どこかの原子力発電所に潜り込んでやっとどうにか出来るかと言ったところだ。
 だが、一機で日本の総電力を軽く上回るディス・アストラナガンの力を使えば、武を向こうの世界に送り返すどころか、それよりもはるかに難しい一つめの転移世界に干渉することも不可能ではない。

「以上が、私立てたプランよ。どうかしら、因果律の番人さん?」

「…………」

 クォヴレー・ゴードンは目を瞑ったまましばらく考え込んでいた。
 なるほど、香月夕呼の言うとおりに事が進めば、結果として因果律の乱れは減少する。
 今いるこの世界は因果律の流出入が完全になくなり、『向こう』の世界とやらも、この世界に干渉しない分、因果律の乱れは減少するだろう。
 問題は、武の一度目の転移世界とやらに僅かとはいえ干渉してしまうことだが、それでも差し引きで考えれば、全体では因果律の乱れは減少傾向にある。
 因果律の番人としても、クォヴレー・ゴードン個人の感情としても、反対する理由はなさそうだ。

「いいだろう、協力しよう。ただし、計画の実行まではまだ日にちがあるな? 念のため、お前の話に穴がないか、確認はさせてもらうぞ」

「ええ、望むところよ。私も、下手に干渉したせいで状況を悪化させるような事態は避けたいからね」

 夕呼は、笑顔でそう答えた。

「うむ。だが、俺の役割はそれだけでは終わらないな。俺はこの世界の守護者ではなく、因果律全ての番人だ。武が、因果導体の運命から解き放たれない限り、この世界での俺のやることは終わらん」

 クォヴレーの返答に、今度は夕呼が手を口元に当てて考え込んだ。

「そうね。確かに、私のやろうとしていることでは、この世界は救われるけど、白銀が因果導体であるという根本的な問題は解決しないわ。それじゃあ、クォヴレー。白銀が『向こう』に向かうのを追いかけて、あんたも『向こう』に行くってことかしら?」

「ああ。ディス・アストラナガンの世界移動は俺の意思ではなく、因果の乱れを察知したアストラナガンがオートで行うからな。絶対とは言い切れないが、この世界の因果の乱れが無くなり、なおかつ武が、因果導体のままと言うことになれば、必然的に俺も『向こう』の世界とやらに引っ張られる可能性が大だ」

「クォヴレーも来てくれるのか!?」

 武は予想外の吉報に、信じられない思いで心臓を高鳴らせた。
 ディス・アストラナガンの戦闘力がどの程度のものかははっきりとは分からないが、昨日の晩聞いた話の十分の一でも事実ならば、とても心強い援軍だ。

「ああ、お前が因果導体でなくなるまではつきあうことになるだろう」

 クォヴレーはその薄い唇の両端を僅かに持ち上げ、笑う。

「あ、ありがとう、クォヴレー」

「礼を言われるようなことではない。これは俺の使命でもある。こっちこそ、『向こう』ではよろしく頼むぞ。俺はこちら同様、向こうでも異邦人なのだからな」

「ああ、俺に出来る限りのことはするよっ!」

 次々と明るい見通しが立っていく中、武は久しぶりに笑顔を取り戻した。
 夕呼はパンパンと手を叩くと、武とクォヴレーの会話に割ってはいる。

「はいはい、男同士の友情はその辺にして。話を続けましょう。白銀、今の話は聞いていたわね。私がやろうとしていることが成功しても、それはあくまでこの世界が救われるだけ。あんたが、因果導体であるという運命に何ら変わりはないわ。
 だから、あんたは『向こう』の世界で、あんたを因果導体にした要因を探すのよ」

「はいっ!」

「まずは『向こう』の鑑純夏を探しなさい。今回の一件で分かるとおり、向こうにも鑑はいるはずよ。『向こう』の私は、それを知らなかったのか。それとも知っていてあえて、ごまかしたのか。
 前者なら問題ないけれど、後者なら鑑は向こうの世界の謎を解く大きな鍵となる可能性があるわ」

「純夏が……先生。本当に、『向こう』にも純夏がいるんでしょうか?」

 まだ、信じられないといった風の武に、夕呼はきっぱりと言い切る。

「いるわ。それも恐らく、こちらの鑑と同様に、『ベッドで寝たきり』に近い状態にあるはず。自分で言うのも何だけど、『私』が無意味なことをするとは考えづらいわ。
 鑑には、その存在を隠さなければならない何かがあるのよ」

「わ、分かりました。『向こう』に戻ったら問い詰めてみます」

「頑張ってね。我ながら手強いと思うけど」

「はいっ」

 武は精一杯の力を込めて、頷いた。
 やることがたくさんある。それは確かに大変だが、裏を返せばやれることがたくさんあるということでもある。
 まだ何も終わっていない。ほとんどの事象は取り返しが付くのだ。
 武は、気合いを入れ直すと、少し冷めたシーフードピザを一つ手に取り、それを頬張った。
 こっち来てからすでに数日過ごしているが、やはり天然食材は美味しい。こんな、デリバリーの安物のピザでさえ、向こうの合成食と比べれば、雲泥の差だ。

「さてと、今のところ私からの話はこれくらいね。それじゃあ、白銀の話を聞きましょうか」

 武が、ピザをじっくりと味わっていると、夕呼が一度パンと手を叩き、そう言ってくる。

「俺の話?」

 武は眼をパチクリさせて、首を傾げた。

「なによ、あんたさっき言ったでしょう。私に相談したいことを思い出したって」

「あ……」

 言われて武は思い出した。先ほど、唐突に脳裏に浮かんだ、夕呼との情事の記憶。
 無視するにはあまりに鮮明すぎる記憶だ。打ち明ける必要があるのは確かだが、この場にはクォヴレーもいる。堂々と口にするには少々勇気がいる。

「あー、それは、その。この場では言いづらいっていうか……なあ、クォヴレー。ちょっと席外してくれないか」

「何を言うんだ、武? 情報は出来るだけ俺達三人で共有すべきだろう。それとも、俺が聞いたら拙いような情報なのか?」

「ああ、いや。拙いというか、恥ずいというか……」

 武の様子に、このままではらちがあかないと見た夕呼は、一つため息をつくと言った。

「いいわ。ゴードンは悪いけど、隣室に控えていて。ただし、私が聞いてゴードンに隠す明確な理由がないと判断したら、後で一切包み隠さずゴードンにも教えるわ。白銀もそれで良いわね」

「はい。先生がいいなら」

「分かった。終わったら呼んでくれ」

 一応納得したクォヴレーは、ウーロン茶の入ったコップと、ピザをのっけた皿を手に持ったまま、隣を部屋へと消えてった。

「ほら、これで言えるでしょう。で、なによ、今更あんたが口ごもるような話って」

 夕呼に促され、武は羞恥で顔を真っ赤にしながら眼をキョロキョロさせる。だが、いつまでも恥ずかしがっていては、話が進まない。

「実は、なんだか身に覚えのないおかしな記憶が頭をよぎったんですよ。それが、その……」

 武は一度大きく深呼吸をすると意を決して話し始めた。






「なるほどね。やけ酒で酔っぱらった私とセックスをした記憶か……。白銀、あんた本当に身に覚えはないのね?」

 日頃言っている「年下は、性別認識圏外」というのは本当なのか、自分とセックスをした記憶がよみがえったという武の発言を、夕呼は単純な興味以外のモノは示さずに受け止めていた。

「はい。っていうか、一つめの世界の記憶は正直かなり曖昧で。あ、でも確かクリスマスの日は、部隊のみんなとクリスマスパーティをやって、その後プレゼント交換をしたんです。
 それで、俺にプレゼントをくれた奴と俺は確か結ばれたはずだから、夕呼先生とシたってことは無いはずです」
 
 恋人と結ばれておきながら、別な女と身体の関係を持つほど自分は、だらしない人間ではない。
 一生懸命思い出しながら答える武を、夕呼は鋭い目で見つめながら、更に問い詰めていく。

「それは誰?」

「誰って……すみません。思い出せません」

 正直にそう答える武であったが、夕呼はまだ何か考えがあるのか、その質問を続ける。

「もしかして、それは御剣だったんじゃないの? あんたは、御剣からプレゼントをもらい、御剣と結ばれた、どう? 思い出さない?」

「……え?」

 そこの言葉に、武の脳内でスイッチが入ったように、記憶があふれ出す。
 プレゼント交換で武の手に渡ったのは、冥夜の愛刀『皆琉神威』の鍔。
 驚いて返しに行く武と、受け取って欲しいという冥夜。
 やがて、冥夜から告白をされ、武も愛していると打ち明ける。
 そのまま結ばれる、武と冥夜。

(そうか、俺が一つめの世界で結ばれた相手は、冥夜だったのか)

 ストンと、納得しそうになったその時、夕呼はさらに不可解なことを言ってきた。

「いえ、違うわね。その相手は、きっと珠瀬ね。あんたは珠瀬のプレゼントをもらって、珠瀬と結ばれたのよ」

「あ……?」

 すると今度は、夕呼の言うとおり、珠瀬壬姫と結ばれた記憶がよみがえってきた。
 プレゼントでもらった鉢植えの『セントポーリア』。
 そこからの流れは冥夜の時とほとんど同じだ。互いに心の内を打ち明けあい、身体を重ね結ばれた。

「なっ、なんで、同じ日に冥夜と結ばれた記憶と、タマと結ばれた記憶が両方……?」

 混乱している武の言葉に、夕呼は何か納得がいったのか、小さく頷きながら、なおも言葉を続けた。

「でも、ひょとすると相手は、榊だったのかも知れないわね。あるいは、彩峰? ああ、そっちでは鎧衣も女なんだっけ。だったら鎧衣の可能性もあるか。私とシたくらいだから、まりもだって可能性はあるんじゃない?」

「う……あ……なんで、なんでこんな記憶が……!?」

 夕呼が口にする名前が呼び水となったように、次々と記憶が呼び覚まされる。
 委員長と、彩峰と、タマと、そして尊人と。それぞれと愛を交わし、身体を重ねた記憶が武の頭に次々と浮かんでは消えていった。


「その様子からすると、色々『思い出した』みたいね」

「お、おかしいですよ、先生! なんで、同じ日の別な記憶がこんなにたくさんっ!」

「落ち着きなさい。誰もあんたが五股、六股かましたなんて言ってないから。恐らくそれは全部別な世界の記憶よ」

「……は?」

 武はわけが分からず、思考が停止する。
 停止状態の武の脳みそに、しみこませるように、夕呼が説明する。

「いい? 私の因果律量子論の理論で考えれば、この世界は無数の平行世界で出来るの。これは、既に四つの世界を経験しているあんたは、肌に沁みて理解しているわね」

「は、はい」

「例えば、この世界はあんたが最初にいた世界とほとんど同じよね? でも、あんたという不確定要素が加わった事で、元との世界とは異なり、枝分かれした世界になっている。
 あんたの記憶もそれと同じよ」

「全部別の世界の記憶、って事ですか?」

「そう。あんたが、御剣を選んだ世界。榊を選んだ世界。彩峰を選んだ世界。可能性の数だけ、平行世界が存在するって事よ。
 因果導体となったあんたは、それら異なる平行世界の記憶を、引き込んでしまったのかも知れないわ」

「はあ……」

 そう言われても実感がわかない。つまり、数ある平行世界の中に、自分がタマや美琴と結ばれた世界もあるのだということか。

「じゃあ、これは俺じゃない俺の記憶って事ですか? それなら、俺の本当の記憶は一体……?」

「さあ。それは、私には分からないわね」

 夕呼をお手上げと言わんばかりに、小さく肩をすくめた。

「まあ、なんにせよ、わざわざゴードンに隠すような内容でもないわね。後であいつにも伝えておくわ」

 武に複数の世界の記憶がある。それは、今のところ大事な情報ではないが、無意味な情報でもない。少なくとも、あえて隠匿するたぐいの情報ではない。

「うっ、分かりました」

「話はそれだけね。それじゃ、それを食べ終わったら、早速数式の丸暗記を初めてもらうわよ。脅すようで悪いけど、ここからは時間の勝負よ。時間が経てば立つほど、この世界で白銀の記憶を失う者が増えて、因果律の修正は難しくなるわ。早ければ早いほど、この作戦は成功の可能性が高いんだから。よろしく頼んだわよ」

「はいっ!」

 夕呼の言葉に、武は己のやるべき事を思い出し、力強い返事を返すのだった。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~第六章
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:71b6a62b
Date: 2010/09/11 01:12
Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~

第六章

【西暦2001年、日本時間12月21日21時45分、横浜市海岸付近】

 

 真夜中の海岸線に、三つの人影と、一つの大きな物影があった。
 人影は、白銀武、香月夕呼、クォヴレー・ゴードンの三名、物影は砂浜に片膝をついてしゃがむ人型機動兵器、ディス・アストラナガンである。
 武は白い白陵学園の制服姿、夕呼はいつもの扇情的な白衣姿の上からコートを羽織り、クォヴレーは数日ぶりに、銀と青のパイロットスーツを着込んでいる。
 鑑純夏が意識不明の重傷を負ったあの日から四日、どうにか全ての用意を終えた武達は、最後の締めくくりを行うため、こうして夜の浜辺にやってきたのだ。

 この四日間、もっとも大変な時間を過ごしていたのは間違いなく夕呼だろう。
 純夏の事故で大騒ぎを続ける学校での仕事をこなしながら、白銀武の記憶を失った者と失っていない者の会話の齟齬を適当にごまかし、家では次元転移装置の改良に勤しんだのだ。文字通り目が回るような忙しさだったに違いない。
 その努力に報いるため、武も必死になって自分の役目に打ち込んだ。
 コピー用紙百枚分の数式を、その頭に叩き込むという難事。必死の努力が実り、夕呼が言った「三日」という期日には間に合わなかったものの、一日遅れの四日でどうにか数式をその頭の中に納め終えたのは、大したものと言うべきだろう。
 実のところ、まだ細部はポロポロと歯抜けの部分や、記憶違いを起こしている部分も多量にあるが、夕呼はあっさりとオーケーを出した。

「あんたにはその数式を一文字も間違えず暗記してもらう」

 という当初の夕呼の台詞は、どうやらただの脅しだったようだ。
 考えて見れば当たり前である。余人ならばともかく、武が数式を渡す相手は、天才『香月夕呼』だ。多少の間違いや歯抜けがあったところで、骨格となる部分さえしっかりしていれば、自ら正しい答えを導き出してみせるくらいの能力はある。
 無論、万が一の危険を考えれば「一文字の間違いもなく完璧に覚える」に越したことはない。それをあえて、完璧ではない状態で作戦実行の決断を下したのは、タイムリミットが迫っているからだ。
 これ以上、武のことを忘れた者が増えれば、世界が白銀武がいない状態を正常と判断し、武をこの世界から放逐してしまう。
 多少不安はあっても、今やるしかないのだ。

「さて、白銀。これでこの世界とはお別れよ。覚悟はいい?」

「はい、先生」

 真剣な面持ちのまま、軽い口調でそう言う夕呼に、武は緊張で強張った声でこたえた。
 暗い浜辺では表情もろくに見えないはずだが、声だけで武の決意を感じ取ったのか、夕呼は満足げに頷く。

「よし、それなら手早く済ませるわよ。ゴードン! 上げて頂戴!」

『了解だ。乗ってくれ』

 夕呼の声を受けて、クォヴレーの操るディス・アストラナガンは砂地に片膝を着いた体勢のまま、武と夕呼の前に左手の平を下ろした。
 開きっぱなしになったディス・アストラナガンのコックピットから漏れる光だけを頼りに、武と夕呼は砂浜に下ろされたディス・アストラナガンの手の平によじ登る。

『乗ったな。動かすぞ』

 クォヴレーは、武と夕呼がしっかり手の平の上に乗ったのを確認してから、ゆっくりとディス・アストラナガンの腕を動かし、コックピットの前まで持って来る。

「大丈夫です、夕呼先生。俺が後ろから支えてますから」

「こっちだ、手を延ばせ」

「さすがにこれはちょっと、度胸がいるわね。あんた達、ちゃんと支えてなさいよ」

 夕呼が、クォヴレーに手を引かれ、武に後ろを支えられながら、手の平の上からコックピットへと乗り込む。続いて武が、軽い身のこなしで、空いている隙間に滑り込んだ。

「うわっ、狭いっ」

「我慢してくれ。本来は一人乗りだ」

「白銀、あんたそこどきなさい。機械の接続が出来ないでしょ」

「は、はい。痛ッ!」

 狭いコックピットの中、無理矢理武をどかせた夕呼は、持ち込んだ次元転送装置をディス・アストラナガンの出力機関に接続する。
 見た目は壊れたTVゲームに秋葉原で買ってきた基板をデタラメにつなぎ合わせたような代物だが、天才『香月夕呼』渾身の一品だ。
 さらに夕呼は、一緒に持参した三冊の大学ノートと三本のボールペンを、一冊一本ずつ武とクォヴレーに渡す。

「異世界に接続中の会話は筆談でしなさい。声を出して良いのはクォヴレーだけ。特に白銀、あんたは絶対に駄目だからね。例え声だけでも『因果導体』同士が情報交換をしたら、なにが起きてもおかしくはないんだから」

「は、はい、分かりました。喋りません」

 それは、夕呼自身も同様である。因果導体である武ほど深刻ではないだろうが、向こうの世界にも「香月夕呼」は存在するのだ。香月夕呼と香月夕呼の間で、因果情報の流出入が起こる可能性がある以上、下手な行動は慎んだほうがいい。

「これでいいわ。それじゃあ、始めるわよ」

 接続を終えた夕呼は首をひねり、コックピット席に座るクォヴレーと、その横の隙間に身体をねじ込んだ武に、最後の確認をする。

「ああ」

「はいっ、先生!」

 クォヴレーは静かに、武は空回り寸前まで気合いの入った様子で、それぞれ返答を返す。

「クォヴレー、ディス・アストラナガンの出力を上げていって。白銀は、「一番最初の転移世界」の事を思い出して。間違っても「二番目の転移世界」のことを考えるんじゃないわよっ」

 ここでいきなり「二つめの転移世界」と繋がってしまえば、一気に武が向こうに転移してしまい計画がご破算となってしまう。
 夕呼が、鋭い声で武に警告するも無理はなかった。

「了解だ。吠えろ、ディス・レヴ……」

「はい、先生。最初の転移世界……クリスマスの後……」

 武は固く目を瞑り、必死に最初の転移世界のことを思い出した。
 二つめの転移世界と間違えない方法は簡単だ。二つめの転移世界ではまだ経験していない時間軸の事を思い出せばいい。
 二つめの転移世界では、2001年の12月11日までしか過ごしていないが、一つめの転移世界ではその後も数年過ごしているのだ。

「…………」

 武が一つめの転移世界に意識を向けている間に、クォヴレーはディス・レヴの出力を上げていった。

「っ、ディス・レヴ、フルドライブ。現状ではこれがマックスだ。まだか!?」

「まだよ、予想以上に世界が『遠い』、いえ、『固い』んだわ。なんらかの要素が、世界を閉ざしている」

「世界が閉ざしている? どういうことだ?」

「分からないわ。でも、そうとしか考えられない。外部干渉を排除しようとするのは世界本来の防衛機能だけど、ここまで強力なのはおかしいわ。なにか別の要素が加わっているとしか思えないわねっ」

 いきなりの障害に、夕呼の表情にも焦りの色が浮かぶ。
 ディス・アストラナガンの化け物じみた出力を持ってしても、本来接触できないはずの世界への干渉はなお、難しいというのか。

「チッ、やむを得んッ」

 クォヴレーは素早く操作し、コックピットを閉じて、ディス・アストラナガンを直立させる。

「ちょっと、何をするつもり?」

「『メス・アッシャー』を使う。攻撃に出力を回す分だけ、瞬間的に『ディス・レヴ』の出力上限が上がるからな。これで駄目ならば、ディス・レヴをオーバードライブさせるしかない」

 夕呼の問いに答えながら、クォヴレーは『メス・アッシャー』発射の準備を進めた。
 ディス・アストラナガン背面の羽根の一部に見えたパーツがグルリと胸の前に回り込み、長大な銃身に変貌を遂げる。

「少し揺れるぞ、しがみついてろ」

 そう断ると、クォヴレーは、ディス・アストラナガンをブリッジをさせるように腰をそらせ、胸部から生えた長い銃口を、まっすぐ夜空へと向ける。

「うわっ!?」

「ちょっと、あんた、もう少し早く言っときなさいよ、こういうことするときはっ!」

「すまん、次からは考慮する」

 クォヴレーは、あまり誠意の感じられない謝罪を口にしながら、『メス・アッシャー』発射の手順を進めた。

「ゲマトリア、誤差修整」

 夜空に向けられた銃口の先から、虚空のエネルギー波が漏れ出す。
 同時に、夕呼の前で『次元転移装置』が強く反応する。

 いける。
 夕呼はとっさに上げそうになった声を呑みこみ、状況を見守る。

「メス・アッシャー、発射!」

 クォヴレーがそう叫んだ次の瞬間、ディス・アストラナガンが放った虚空のエネルギー波は、夜空へと立ち上らず、「どこか」へと吸い込まれていった。

「えっ?」

 きょとんとした顔で、疑問を口にしようとする武に、夕呼は足を延ばして蹴りを食らわせ、大学ノートにボールペンで書き殴った。

『しゃべるな。すでに次元がつながってる!』

 よほど焦っていたのだろう。ほとんど漢字を使っていない夕呼の言葉を見た武は、慌て自らも、大学ノートに言葉を書いた。

『すみません』

『わかったら、静かに。油断するんじゃないわよ』

『はい』

 武が夕呼に、筆談で怒られている間も、クォヴレーはこじ開けた次元の向こう側と連絡を取るべく、全周波数を使い呼びかける。無論、こちらの世界に通信が漏れないように、指向性は高めてある。

『こちら、αナンバーズ所属、クォヴレー・ゴードン少尉だ。この通信を聞いている者がいたら、応答してくれ』

「…………」

「…………」

 武と夕呼は、固唾を呑んでその様子を見守っていた。
 夕呼の予想が正しければ、次元の穴は『向こうの白銀武』の側に開いているはずだ。白銀武は因果導体という因果地平の特異点とも言える存在。その周囲がもっと次元がほころびやすくなっているはず。
 向こうの武は軍人だ。基地にいるにせよ、出撃しているにせよ、どちらにしても近くに通信システムとなるものがある可能性は高い。問題は、その場の責任者が誰かと言うことだ。
 横浜基地の副司令である香月夕呼がいれば、話は早いのだが、武の記憶が正しければ、2001年の12月24日以降の香月夕呼は、すでに失脚しているという。
 情報がうまく、武や夕呼の所に届く可能性は、正直あまり高くない。
 果たして、どのような人物が返答を寄越すか。
 何があっても驚かないように身構えていたクォヴレーだったが、通信機に届いたノイズ混じりの声は、そんなクォヴレーの心構えなどあざ笑うような驚愕の声だった。

『クォヴレー、クォヴレーなの!?』

 それは年若い女の、驚きに満ちた声だった。
 クォヴレーは、驚きに目を見開いた。
 クォヴレーにとってはあまりに耳になじみのある声。向こうの世界にいるはずのない人間の声。だが、ついこの間まで、もっとも側で聞いていたその声を聞き間違えるはずがない。

「その声はまさか、ゼオラ……か?」

 信じられない思いのまま、クォヴレーは喉の奥から絞り出すような声で、その人物に問いかけた。

『そうよ、クォヴレーなのね』

 少し涙で湿った声で、肯定の返事が返る。

 予想外の事態に、クォヴレーの左右では、武と夕呼が顔を見合わせて、筆談を行っていた。

『ゼオラって誰? あんた、知ってる?』

『知りません。ぜんぜん』

 そんな武と夕呼の様子に、「これは後で説明しなければならないな」と頭の隅で考えたクォヴレーであったが、今は驚きが先に立ちすぎて武達へのフォローまで気が回らない。
 こちらが驚きと不理解で固まっている間に、次元の向こうから今度は落ち着いた男の声が届く。

『ゴードン少尉か。一体どこで話している?』

「その声はブライト大佐?」

 今度の驚きはある意味、ゼオラの声を聞いたとき以上のものだった。
 一パイロットであるゼオラ・シュバイツァーだけならばともかく、αナンバーズの中核をなす戦艦ラー・カイラムの艦長であるブライト・ノア大佐まで向こうにいるとなると、これはただ事ではない。
クォヴレーがふと通信モニターの記録を見ると、ゼオラの通信はパーソナルトルーパー『アルブレード・カスタム』、ブライトの通信は戦艦『ラー・カイラム』が発信元となっている。
 間違いない。『向こうの世界』に戦艦『ラー・カイラム』が来ているのだ。

『おう、オレもいるぜ、クォヴレー!』

 驚いているクォヴレーの耳に、さらに聞き覚えのある若い男の声が届く。
 アラド・バランガ。
 ゼオラ・シュバイツァーのパートナーであり、クォヴレーはこの二人と小隊を組んでいた。αナンバーズの中でももっとも親しかった人間の一人だ。

「アラドまで。ひょっとして、そこにはみんないるのか?」

 戦艦『ラー・カイラム』がいる以上、その可能性が高い。クォヴレーの予想はすぐに肯定された。

『ええ。あなた以外全員いるわ。あなたは今、どこにいるの?』

 懐かしい声にクォヴレーが口元をほころばせて言葉を返そうとするが、その時横から夕呼がクォヴレーの脇腹を突く。

(なんだ?)

 反射的にクォヴレーが横を向くと、そこには鬼のような形相で大学ノートをこちらに突きつける夕呼の姿があった。

『時間がない、ほんだいに入れ!』

 殴り書きされたその言葉を見たクォヴレーは、この状態が長続きしないことを思い出した。
 クォヴレーは正面に向き直ると、早口で話し始める。

「すまないが時間がない。その「閉ざされた世界」に干渉するのは、ディス・レヴの力と「因果導体」の協力を持ってしても難しい。『メス・アッシャー』まで使って辛うじて小さな穴を開けただけだ。現状でそちらに送り込めるのは、エネルギーと情報だけだ。それもいつまでもつか解らない。

 悪いが、こちらの用件を優先させてくれ。そこに、「香月夕呼」はいるか?」

『え? 香月博士? 博士は横浜基地だから、この場にはいないけど……え? なんで、クォヴレーが香月博士を!?』

 ゼオラの驚いた様子の返答に、クォヴレーは少し緊張を緩めた。
 その場には、香月夕呼はいないようだが、ゼオラの言葉から推測するに、αナンバーズは既に向こうで香月夕呼と知り合っているようだ。これならば、最悪『00unit data』は、αナンバーズに渡してしまえばいい。そうすれば、香月夕呼の手に届くことだろう。
 クォヴレー・ゴードンにとって、人格的にも能力的にも、αナンバーズ以上に信頼できる相手というのはいない。

「すまないが本当に時間がないんだ。では、「白銀武」はいるな?」

 今更ながら、時間が限られていることを実感したクォヴレーは、早口でそう確認する。

『……へ?』

 若い男の発した間の抜けた声が次元の穴を通りこちらに届く。
 それは、非常に短い声だったが、それだけでその声の主が誰であるか判別することは可能だった。なにせ、同じ声の持ち主がすぐ隣にいるのだから。

「武か?」

『あ、ああ。オレは確かに白銀武だけど、なんで、俺のことを、ていうかお前誰?』

 クォヴレーの問いに「向こう」の白銀武は、パニック寸前の声で答える。
 一方こちらの白銀武は、クォヴレーの横で、苛立ちと羞恥のない交ぜになった表情で明後日の方を向いている。
 自分の間の抜けた声をリアルタイムで聞かされるというのは、中々に居心地の悪いもののようだ。
 クォヴレーはこちらの白銀武の様子にかまわず、向こうの白銀武と話を続けた。

「お前はクォヴレー・ゴードンを知らないようだが、俺は白銀武を知っている。通信が通じるところを見ると、お前は今、何か機体に乗っているな?」

『な、なんなんだ? だから、お前誰なんだよ?』

「今からお前の機体に、データを送る。それをそのまま、香月夕呼に渡せ。それが「世界を救う鍵」らしい。もっとも、皆がいる以上、俺のやっていることも徒労だった可能性が高いがな」

 クィヴレーは『00unit data』を転送しながら、口元をほころばせた。
 よもや向こうの世界にαナンバーズの皆がいるとは思わなかった。
 彼等がいるのならば、向こうの世界は心配ない。少なくとも自分しかいないこちらの世界よりは、よほど恵まれている。とはいえ、このデータ転送の真の狙いは、向こうの世界を救うことではなく、この世界の歪んだ因果を修整するための一手なのだから、徒労という表現は当てはまらない。
 なにより、夕呼の予測が当たっていれば、武が気づいていないだけで、向こうの世界にも『鑑純夏』がいる可能性が高いのだ。
 クォヴレーは、『鑑純夏』の事故を聞かされたときの武の取り乱しようを思い出す。
 因果導体という思い枷を背負わされた白銀武。
 その武の幼なじみであり、一連の鍵を握ると目される鑑純夏。
 鑑純夏という少女とは一面識もないが、クォヴレーは最後に付け加えずにはいられなかった。

「だが、本当の意味でその世界を救うことが出来るのは、武、お前だけだ。いいか、データを必ず香月夕呼に渡すんだ。そして、今度こそ、お前の手で『鑑純夏』を救うんだッ!」

 いつの間にか、クォヴレーはこちらの白銀武と向こうの白銀武を混同してしまったように、そう叫んでいた。

「武? 聞こえているか、武!」

「もう切れてるわよ、ゴードン」

「む、そうか……」

 夕呼の言葉で我に返ったクォヴレーは、いつの間にかシートから前に乗り出していた身体を元にも戻す。

「心配しなくても大丈夫よ。会話のほとんどは届いたはずだから。もちろんデータもね」

「そうか、ならばひとまずは成功だな」

 向こうにαナンバーズがいる以上、対BETA戦の勝利は疑いないが、それがイコール白銀武の『因果導体』からの解放や、鑑純夏を救うことに繋がるとは限らない。
 だが、今送ったデータと先ほどの会話を聞けば、αナンバーズならば必ず事態解決に動いてくれるはずだ。
 シートの背もたれに体重を預けたクォヴレーの口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。
 なにやら満足げにしているクォヴレーに、おずおずと声をかけたのは、何がなにやらさっぱり分からなくなっていた武だった。

「あー、クォヴレー。満足そうにしているところ悪いんだけど、説明頼めるか? 正直何がなにやら。さっきのゼオラとかブライトとって人、お前の知り合い?」

「あ、そうだな。すまん、今から説明する」

 武と夕呼を置いてけぼりにして話を進めてていた事に今更ながら気づいたクォヴレーは、改めてαナンバーズについて説明を始めるのだった。





「へー、あいつ等がクォヴレーが前に言ってた仲間だったのか。すごい偶然もあるもんだな」

 クォヴレーから、αナンバーズに関する説明を聞き終えた武は、驚きの声を上げる。

「恐らく、単純な偶然ではないでしょう。次元転移装置の方向性を定めたのは白銀の記憶だけど、エネルギー源となるディス・アストラナガンを操っていたのはゴードンだからね。ゴードンの記憶に引きずられたと考えた方が自然だわ」

「なるほどな。あいつ等が『向こうの世界』にいたのは偶然だが、数ある平行世界の中から、あいつ等がいる世界にアクセスしたこと自体は偶然ではない、ということか」

「そう言う事ね」

 狭いコックピットのシートに腰を下ろしたまま、クォヴレーは納得したように頷いた。

「何はともあれ、あいつらがいるというのは朗報だ。向こうの世界の人類が滅びることは無いと言えるだろう」

 あまりにきっぱりと言い切るクォヴレーに、武は少し驚いたように声をかける。

「なあ、そのαナンバーズってそんなに強いのか? 数はどれくらいいるんだ?」

「旗艦『エルトリウム』が来ているのならば、総人数は十万人強だな。そのうち、機動兵器兵器のパイロットは百人前後だが」

 クォヴレーの答えに武は少し当てが外れたといった風に、表情を曇らせた。

「百人って。どれくらい強いのか知らないけど、BETAはものすごい数がいるんだ。地球にいるやるだけも何百万もいるんだ。それだけじゃ、きつくないか」

 だが、クォヴレーは武の言葉にたじろぐことなくこたえる。

「そうか、手強そうだな。だが、やはりあいつ等が負けるところは想像がつかん」

 仮にも向こうの世界の人類を滅亡寸前まで追いこんでいるのだから、BETAとやらが手強いのは間違いないだろう。だが、手強いと言うことで言うならば、クォヴレーが元所属していたゼ・バルマリィ帝国も手強かった。ソール11遊星主は事実上の不死身だった。宇宙怪獣など、一匹一匹が数キロメートルの大きさを誇る上に、何十億という数がいたのだ。

 その全てに、αナンバーズは勝利してきた。無論、αナンバーズ単独で勝利したわけではなく、その後ろには地球連邦を中心とした所属国家のバックアップや、連邦軍全体の活躍があって勝利だが、αナンバーズが常にその中心的役割を担ってきたのも間違いのない事実だ。

「大丈夫だ。αナンバーズは負けない」

 確信を込めたクォヴレーの言葉は、BETAの脅威をついこの間肌で感じたかばかりの武の心にも届く。

「そうか。勝てるのか」

 一つめの転移世界はすでに武にとって無関係と言ってもよい世界だが、改めてあの世界が救われると聞くと、喜びが胸にわき上がる。
 一つめの転移世界の記憶は、かなりおぼろげではっきりとしない。だが、そんなあやふやな記憶の中でも、確信を持って言えるのは、オルタネイティヴ5では人類は救われず、地球の人類は滅亡したという事実だ。
 例え自分とは既に無関係となった世界でも、滅びの運命を回避できるのであれば、こんな喜ばしいことはない。
 そう考えた武はふと、思いついた。

「あれ? でもちょっと待って下さい、先生。もし、クォヴレーが言うとおり、向こうの世界が救われてしまったら、俺の二度目の転移が起こらないことになりませんか? そうなると、この計画失敗するんじゃ」

 一つめの転移世界が救われるのは喜ばしいが、この計画の目的は、『二つめの転移世界』の過去を改ざんし、その流れでこの世界の因果律を正すことなのだ。
 一つめの転移世界で事態が完結してしまっては、本末転倒である。
 だが、そんな武の少し焦った声に夕呼は、ため息をつきながら答えるのだった。

「なんだ、そんなこと。それなら、言っちゃ悪いけど、心配は無用よ。あんた、何か勘違いしているみたいだけど、人類の滅亡とあんたが因果導体であることに直接の関係はないのよ。たとえ世界がBETAの脅威から救われたとしても、あんたが因果導体である原因を取り除かなければ、二度目の転移は起こる可能性が高いわ」

「あ、そうか。でも、さっきクォヴレーが純夏の名前を口にしてましたよね? 確か、先生の推測じゃ、純夏は因果導体の鍵の可能性があるって。もし、純夏について調べられたら、向こうの世界の俺が因果導体じゃなくなる可能性があるんじゃあ」

 あまりに希望に満ちあふれた武の予想を、夕呼はわざと冷たい声で反論する。

「それもまずないわね。世界全体を見れば、BETAの駆除が最優先でしょ。さっきゴードンが話しただけの情報では、向こうの私が力になってくれる可能性は低いでしょうし、αナンバーズという連中も十万単位の戦闘集団なんでしょ? 向こうの白銀が、αナンバーズとどれくらい親密な関係か知らないけど、現地の一兵士や、正体不明の少女一人を救うために、そいつ等が力を貸してくれると思う?」

「あ……」

 夕呼の冷たい声色に、武は『向こうの世界』で夕呼に言われた言葉を思い出した。

「それで、私のメリットは?」

 武が何か提案する度に返されたその言葉は、とりわけ夕呼ががめついというわけではない。組織の動かすということは、そういうことなのだ。メリット、デメリットを無視して感情で動いては、組織は立ちゆかなくなる。
 夕呼はとどめを刺すつもりで、クォヴレーに話を向けた。

「どう、ゴードン? 『一人の兵士や一人の少女を救うために、無償で力を貸してくれ』と言われて首を縦に振るような人間、αナンバーズの中枢に何人いる?」

 だが、夕呼の期待に反し、返ってきた答えは全く予想外のものだった。

「全員だ」

 間髪入れずに返ってきたクォヴレーの返答に、夕呼は間の抜けた声を発する。

「……は?」

「だから、全員だと言っている。そのような状況になれば、αナンバーズの人間は一人の例外もなく、武と鑑純夏を救うために、協力することを約束するだろう。間違いない」

 夕呼は信じられない思いで、もう一度確認する。

「……ええと。そいつら、軍隊なのよね?」

「ああ、地球連邦軍所属独立部隊、αナンバーズ。民間施設からの出向組も多いが、基本は軍隊だ」

「それなのに、現場が勝手な判断で、無償で手を貸してくれるわけ?」

「そうだ。αナンバーズに、人を救うために手を差し伸べるのを躊躇うような人間はいない」

 誇らしげに胸を張るクォヴレーの返答に、夕呼は困ってしまった。
 ひょっとして、クォヴレーのいた元の世界というのは、こことは根本的に異なった世界なのだろうか? 規律や国益より、現場の良心を優先して動く軍隊など、この世界の常識で考えれば、恐ろしくて仕方がないのだが。

 クォヴレーにはある程度、夕呼の戸惑いが、理解できた。
 クォヴレー自身も、αナンバーズに参加した当初は、軍隊の常識とはかけ慣れた彼等の行動原理に、戸惑いを覚えた人間だからだ。あまり理想を追いすぎ、人命を重視しすぎるαナンバーズの思考パターンは、一般的な軍隊や営利組織の常識を知っている者ほど、信じがたい。

「そんなやり方では遠くない未来、致命的な失敗をする」

 常識的な人間が口を揃えてそう言う方針をαナンバーズは頑として曲げず、最後には宇宙そのものを救うまでになった。
 その力も、行動原理も非常識なαナンバーズを、口頭説明だけで理解してもらうのは不可能に近いだろう。それが分かっているクォヴレーは、ここで言葉を重ねて夕呼を説得することはしなかった。
 どうにか気を取り戻した夕呼は、無理に抑えた声で話を進める。
 
「なるほど、ゴードンがそこまで言うなら、そうだと仮定して。あとは、そいつ等にこの問題を解決する能力があるかどうかね。戦闘力や科学技術はずいぶんなレベルみたいだけど、因果導体となったものをそのくびきから解き放つというのは、また別な力が必要となるわ」

「確かにそれは問題だな。だが、あいつ等は、負の無限力を我がものとした悪霊の王を払い、アカシックレコードに記されていた銀河滅亡の絶対運命すら、ねじ曲げて見せたんだ。因果導体の解放も、やってやれないことはないと思う」

「…………」

 今度こそ夕呼は、完全に沈黙した。

「先生。よく分からないけど、やっぱりまずんじゃないですか?」

 話の内容は今一理解しきれないが、どうやら夕呼の予想とは大幅にずれていることを察した武は夕呼の服を引っ張り、不安げにそう言う。

「…………」

「先生、先生。聞こえてますか?」

 返事のない夕呼に、再度武が問いかける。
 
「…………」

「先生っ!」

「ッ!? いえ、大丈夫。問題はないわ」

 耳元で声を出された夕呼は、数度首を揺ると大きく一つ深呼吸した。
 
「え? マジですか? 問題ないんですか?」

 武の問いに、夕呼はいつもの自信満々の表情を取り戻し、答える。

「ええ。前にも言ったでしょう。世界は無数の平行世界から成り立っているの。一言で「一度目の転移世界」といってもそれは一つじゃないわ。最低でも白銀がこました女の数だけ平行世界が存在しているのよ」

「こましたって、先生。そんな人聞きの悪い……」

 武の抗議の声を右から左に聞き流し、夕呼は説明を続ける。

「つまり、「一度目の転移世界」は一つじゃない。それなら、今の調子でほかの「一度目の転移世界」に情報と『00unit data』を送れば、一切問題なしという訳よ。幸い今ので、平行世界とアクセスできることは証明されたわけだから、後は同じ事の繰り返しね。念ため、2,3回はやっておいた方がいいわね。
 さあ、というわけで次行くわよ、次。白銀、今度から具体的に誰と結ばれた世界か意識しなさい」

「ええと……」

 武は夕呼の勢いに押されながら、今夕呼が言ったことの意味を考える。

(ようは、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる式にやるってことだよな? 昨日までいっていた予定と違ってるぞ。てことはやっぱり、さっきのは駄目だったってことじゃねーか!)

「先生、認めましょうよ、間違いを!」

 思わず上げてしまった武の突っ込みに、夕呼はフンと鼻を鳴らしててそっぽを向く。

「うるさいわね。万全を期するだけよ。さあ、時間がないんだから、くだらないこと言ってないで、次、次」

「ひっでー、ごまかし通す気だ、この人!」

「よく分からんが、要は今と同じ作業をもう何回か繰り返すのだな?」

「ええ、そうよ、ゴードン。あ、あんたは出来るだけ何も考えないようにして頂戴。あんたの思考引きずられたら、また同じ世界にアクセスしちゃうから」

「了解だ」

「先生、間違いを認めることは恥じゃないですよ、先生!」

「うるさい、うるさい。時間がないのよ。はい、はい、次!」

 結局、武達はその後も同じ要領で、複数の平行世界に『00unit data』を送る事になるのだった。









【西暦2001年、日本時間12月21日22時51分、横浜市海岸付近】

 色々と予想外のハプニングに見舞われながらも、どうにか「一つめの転移世界」にデータを送るという作業を終えた武達は、最後の作業を前に今一度打ち合わせを行っていた。
 もう『メス・アッシャー』を使う必要もないため、ディス・アストラナガンは再びコックピットを開き、砂浜に片膝を着いた体勢でとっている。

「あー、空気が美味い」

「確かに、狭っ苦しかったのは確かね」

「この機体は宇宙戦闘も可能なのだぞ。コックピット内の空調に問題はなかったはずだが?」

 一時間ぶりに外気に触れた夕呼と武が、十二月の夜風に眼を細めている横で、クォヴレーは不思議そうに首をひねっている。

「あー、確かに息苦しいとか、暑いとかはなかったけどな」

「気分の問題よ」

 苦笑する武に、何度も深呼吸をしていた夕呼も同意を示す。

「そういうものか」

 二人の言うことはよく分からないが、とりあえずはクォヴレーも納得しておくことにした。
 元々、戦闘用クローンであるクォヴレーは、情緒面においてそうとう疎いという自覚がある。

「とにかく、これで全ての作業が終わったというわけね。後は白銀が「向こうの世界」に帰るだけよ。白銀、準備はいい?」

「一つめの転移世界」と比べれば武がこれから帰還する「二つめの転移世界」はすぐ隣のようなものだ。武の意志さえしっかりしていれば、こちらはまず失敗しない。

「はい、大丈夫です」

 武はそう答えると開けっ放しになったコックピットから出て行く。コックピットの前にはディス・アストラナガンが手の平をまっすぐに伸ばして添えてある。
 その上に立った武は、長い間狭いところに押し込まれていた身体を伸ばした後、パンパンと身体を払い、制服のシワを伸ばす。

「それじゃ、始めるわよ。クォヴレー」

「了解。ディス・レヴ、出力上昇」

 クォヴレーがディス・レヴの出力を上げるに従い、次元転送装置が唸りを上げる。

「白銀、イメージしなさい。向こうの世界に戻った自分を。間違えるんじゃないわよ、今度は『二つめの転移世界』だからね。ただつなげるだけじゃなくて、あんた自身が向こうに帰るのよ」

「はい、先生」

 ディス・アストラナガンの手の平の上でまっすぐ立つ武は、スッと目を瞑る。
 これから、武は一度逃げ出したあの世界に戻るのだ。
 恐怖や躊躇が全くないとは言わないが、今回の一件で自分が因果導体である以上、逃げても事態を悪化させるだけであることは学んだ。
 まずは、向こうの世界に帰り、BETA戦の情勢を一段落させた後、自分を因果導体とした要因を探さなければならない。
 その鍵となるのは、『鑑純夏』だ。
 向こうの香月夕呼が「そんな人間はいない」と断言し、こちらの香月夕呼が「いる」断言した存在。

(純夏。お前は本当にいるのか?)

 朱い髪をポニーテールにして、一房だけ触角のようにピンと伸ばし、いつもクルクルと表情を変えていた、大切な幼なじみ。こうして目を瞑ると、今でもその姿が鮮明に思い出される。
 この世界の鑑純夏を救うためにも、武はこの世界からいなくならなくてはならない。
 
(けど、向こうの世界はどうなるのかな? 「最初から俺があの数式を覚えていた世界」になるって先生は言っていたけど)

 最初から武が、あの数式を知っていたとなると、変化するのは武の転移だけではないだろう。
 武の知っているあの世界では、武が夕呼に数式の話をする11月28日の段階まで、『オルタネイティヴ4』は頓挫していたはずだ。
 それが、10月22日の段階から香月夕呼が正しい数式を知るとなると、単純に考えれば『オルタネイティヴ4』の進捗状況が一ヶ月以上前倒しになる。
 当然、夕呼の精神状態にも余裕が生まれ、武が頼んだXM3の開発などにも影響がでると考えられる。
 基本的には良い変化のはずだが、その反動がマイナスの方向に向かう可能性も十分になる。
 なにせ『オルタネイティヴ4』は、世界の命運をかけた一大計画だ。その影響は計り知れない。
 BETAの行動にはさすがに影響はないだろうから、11月11日の佐渡島ハイヴからのBETA侵攻は動かないだろうが、それ以外のスケジュールはまったく当てにならない。



 11月28日の珠瀬事務次官の来訪と、再突入駆逐艦(HSST)落下未遂事件。

 12月5日のクーデター。

 そして忘れもしない、12月10日のXM3トライアルと、捕獲BETAの脱走事件。



 いずれも香月夕呼、もしくは『オルタネイティヴ4』と何らかの関係がある事件だ。
 事務次官という国連の高官が横浜基地にわざわざやってきたのは、『オルタネイティヴ4』の進捗状況を確認に来たという要素が間違いなくあるはずだし、爆薬を満載した再突入駆逐艦を横浜基地に落下させようとしたのは、反オルタネイティヴ4勢力の仕業だ。

 クーデターとは直接のつながりはないが、そもそも武が知っている「一度目の転移世界」ではクーデターなど起きなかった。何かの弾みで、その時期がずれることは十分に考えられるし、もしかするとこっちの世界でもクーデターが起きないという可能性もある。

 XM3のトライアルに関しては言うまでもないだろう。XM3の制作者が香月夕呼なのだ。本命である『00ユニット』が先に完成すれば、その分XM3のお披露目が前倒しになるというのはごく自然な流れだ。場合によっては『00ユニット』が先に完成し、XM3と『00ユニット』の完成の順番が、前後することも考えられる。
 いずれにせよ、何があっても驚かないくらいの心づもりをしていた方が良さそうだ。

「…………」

 武は目を瞑ったまま、汗ばむ手の平をギュッと握った。
 ディス・アストラナガンの手の平の上で直立する武に、夕呼が話しかける。

「そろそろお別れね、白銀。最後に言っておくわ。これから、あんたは過去を改ざんした世界に行くことになる。もしかしたら、そこであんたは「こんなはずじゃなかった」という事態に遭遇するかも知れない」

「はい」

 武は、目を開きコックピットからこちらを見る夕呼に頷き返した。
 その覚悟は出来ている。武はこっちの世界の歪みを修整するため、向こうの世界の過去を改ざんすることを選んだのだ。そのことで予想外の影響が及んでいたとしても、それは正面から受け止める覚悟を決めている。

「まあ、今のあんたなら、悪い影響が出ていても受け止めるだけの根性はあるでしょう。だから私が心配しているのは、良い影響があった場合」

「え? 先生、それってどういう?」

 別れ間際に予想外の言葉を聞かされて、武はパチパチと目を瞬いた。

「過去を良い方向に改ざんする。本来起こりえた悲劇を後から回避する。これは人間なら誰もが、一度は望むこと。もし、それが為されてしまったら、白銀。あんたはその魅力に取り付かれてしまうかもしれない」

「先生……」

 武は漠然とだが、夕呼の心配を理解した。
 一度、過去の改ざんに成功してしまえば、何か悲劇に出くわす度に、二度目三度目の改ざんを望んでしまう。心が強い弱いの問題ではない。人の心とは、本来そういったものだ。

「だから、はっきりと言っておくわ。今回のは、たった一度の例外よ。もう一度同じ事をしようとすれば、次はあんたが世界の異物と見なされ、世界から放逐されてしまう。覚えておきなさい。これはたった一度の奇跡。二度と繰り返されない偶然。後悔が先に立つのはこれ一回きり」

「はい、分かりました。先生」

 武は強く頷いた。
 そうだ。一度奇跡に遭遇しただけでも、身に余る幸運なのだ。奇跡も幸運も通り過ぎれば、後に残るのはただの現実のみ。
 向こうの世界では現実とは限りなく地獄に近い意味を持つ。
 だが、武はその地獄で生きる決意をした。地獄で抗うと覚悟を決めた。地獄を終わらせる心に誓った。
 やがて、武の身体を眩い光が包み込む。

「パラポジトロニウム光よ、転移が始まるわっ!」

「それじゃ、先生。行ってきます。お世話になりましたっ!」

 光の中、武は夕呼に敬礼する。

「武、しばしのお別れだ。俺も必ず後から行く」

「ああ、待ってるぜ、クォヴレー。お前とディス・アストラナガンの力、あてにさせてもらうからなっ」

「ああ、任せておけ」

 武とクォヴレーが、笑顔で再開の約束を交わし合う。
 その次の瞬間だった。

「くるっ!」

 一際強く光った後、白銀武は「向こうの世界」へと帰っていた。

「…………」

「…………」

 残されたのは、コックピットに座るクォヴレー・ゴードンと、その横で中腰になっている香月夕呼。そして、意識を失ったようにディス・アストラナガンの手の平の上で崩れ落ちる『白銀武』。

「武?!」

 驚くクォヴレーを尻目に、ホッと胸をなで下ろした夕呼は、弾んだ声を上げながら、手の平の上へと、這い出していく。

「良かった。間に合ったんだわ。大丈夫よ、ゴードン。あんたの知っている白銀は今ので間違いなく、向こうの世界に転移したわ。これは、こちらの世界の白銀武よ」

 夕呼の最大の懸念事項もこれで払拭された。どうやら、まだこの世界は「白銀武」を異物とは見なしていなかったようだ。最悪、このタイミングで白銀武がこの世界から放逐される可能性も小さくはなかった。

「『白銀武、誰それ?ゲーム』も、少しは役に立ったのかしらね」

 夕呼は、崩れ落ちた武の顔の前に手をやり、呼吸を確かめるとそう言って笑った。

「なるほどな。それは、この世界の白銀武か。よし、下ろすぞ」

「ええ、お願い」

 クォヴレーはゆっくりとディス・アストラナガンを動かし、夕呼と武を乗せた左手の平を砂浜へと下ろしていった。





 武と夕呼を砂浜に下ろした後も、クォヴレーはディス・アストラナガンのコックピットから出て来なかった。クォヴレーは、コックピットのハッチを閉めると、ディス・アストラナガンをその場で直立させる。

「もしかして、あんたもそのまま向かうの?」

 まだ意識を取り戻さない武に膝枕をしながら、夕呼はディス・アストラナガンを見上げて問いかける。

『ああ。どうやら、そうなりそうだ。ディス・アストラナガンが俺を導こうとしている』

 クォヴレーは音量を絞った外部マイクでそう返答する。

「そう。向こうの白銀を、よろしく頼むわね」

『ああ。BETAとやらがどの程度のものかは知らんが、あいつを死なせはしない」

「まあ、そっちの方は心配していないわ。話半分だとしても、その機体の性能は桁外れみたいだし。ああ、あとあんたは働くのには向いてないんだから、向こうでも馬鹿なことは止めておきなさいよ」

『むっ……』

 笑いを含んだ夕呼の忠告に、クォヴレーは少しむっとしたような声を上げるが、すぐにそれに言葉を続けた。

『分かった。向こうにも香月夕呼はいるらしいからな。向こうでもお前のヒモをやる事にしよう』

「あははは、それ、良いわ! それ、最高!」

 ツボにはまったのか、夕呼は武の頭を膝に乗せたまま、腹を抱えて笑い出した。
 ある日突然異世界から転移してくる人型機動兵器。そのパイロットは若い銀髪の美青年。

「あなた何者?」と問う夕呼。

「俺は、クォヴレー・ゴードン。香月夕呼のヒモだ」と堂々と答えるクォヴレー。

 その答えを聞いた向こうの香月夕呼は、どんな顔をするだろうか?
 正直、金を払ってでもみたいだけの見物だ。

『どうやら、こっちも時間のようだ。それでは、世話になったな』

「まあ、食費や光熱費はそれなりにかかったけど。それだけで世界を救ってもらったと思えば安いものよ。ああ、服はそのまま使って頂戴」

 夕呼がこの数日でクォヴレーに買い与えた服は、スポーツバッグに詰めてディス・アストラナガンのコックピットに押し込めてある。

『ああ、ありがたく使わせてもらう』

 クォヴレーがそう言葉を返した数秒後のことだった。
 シュンという古いラジオの電源を切ったときのような音がしたかと思うと、次の瞬間には浜辺からディス・アストラナガンの姿は消え失せていた。
 まるで、そんなもの最初からなかったのではないかと思うほど、唐突な消え去り方だ。
 だが、それが幻ではなかった証拠に、浜辺には大きな足跡が残っている。
 残された夕呼は、暢気に寝息を立てている武の頭を抱いたまま呟く。

「頼んだわよ、ゴードン。私の教え子を」

 滅多に聞けない香月夕呼の真剣は言葉は、誰の耳にも届くことなく、夜風にまかれて消えていった。








【西暦2001年、日本時間12月21日23時04分、横浜市海岸付近】

 白銀武は、奇妙な肌寒さを感じて目を醒ました。

「あれ……?」

 目を開けたはずなのに、なぜか灯りが見えない。ぼやけて見えるのは、澄んだ冬の星空だけだ。

「……は? 星空?」

 武はガバッと上体を起こす。

「あら。やっと起きた」

 起きがけに、聞こえるはずのない声を聞き、武のパニックは更に高まる。

「ゆ、夕呼先生? なんで、ここに? っていうか、ここどこだよ、おい?」

 この段階になってやっと、武は自分が浜辺で夕呼に膝枕をされて寝ていたことに気づく。

「先生、これってなにがどうなってるんですか?」

 この寒空の下で寝ていたため、身体が強張っているのか、フラフラ頼りない足取りの武は、元凶と思しき女に問いかけた。

「なによ、あんた覚えてないの?」

 すっとぼけた夕呼の返答に、武は言葉に詰まり、まだぼうっとする頭を無理矢理回転させて記憶を掘り起こす。
 だが、その成果は芳しくなかった。

「ええと、俺は今日も先生の実験につきあわされて学校を休んで。夜には……駄目だ。なんで、俺はここにいるんだ?」

 どうやら白銀は、本当に今晩の記憶がないらしい。

「なるほどね。下手に記憶があると整合性を取るのが難しい部分は、いっそ真っ白の状態なのか」

 武の様子を見た夕呼は、砂浜から立ち上がりながら、口の中でそう呟いた。

「え? なんか言いましたか。夕呼先生?」

「なんでもないわ。「あんたの記憶がないのなら、私の実験は成功ね」って言ったのよ」

 パンパンと尻に付いた砂を払いながらそう言う夕呼の言葉に、武は大げさに顔を引きつらせる。

「な、なんなんですか、その滅茶苦茶怪しい実験結果は!?」

 ついにこの人、人体実験まで始めたのか! と叫ぶ武に、夕呼は無言のまま近づく。

「あの、先生?」

「動かないで」

 腰が引ける武を制し、夕呼は左手でがっちりと武の右肩を掴んだ。そして、

「ふんっ」

 次の瞬間、なんのことわりもなく、固く握った右拳を武の下腹部突き立てた。
 グニャリと柔らかい感触が夕呼の拳に返る。

「げふっ!」

「あら、やわやわ。間違いなく、『白銀』のようね」

 あっちの白銀武の六つに割れた鉄板腹とは大違いだ。
 無論、夕呼の意図が分かるはずもない武は、腹を押さえてくの字になったまま抗議の声を上げる。

「そ、それ以外の誰に見えるっていうんですか。先生、もしかして紙一重を越えて、馬鹿になったとか?」

「へー、言うじゃない、白銀。それは、今後も私の遊びにつきあってくれるという、宣言かしら?」

「い、いえ。違います! ただの冗談です、冗談!」

 襲いかかる理不尽な運命から、なんとか逃れようと武が手をバタバタ振っていると、制服のポケットから音楽が鳴り出す。

「あ、携帯が鳴ってる。先生、ちょっと失礼します」

 これ幸いと、電話を取った武は夕呼に背を向けると、二つ折りの携帯を開き、ディスプレイに表示されている名前を見てチッと舌打ちをした。

「なんだ、純夏か。なんだってんだ? こんな夜に?」

「ッ!」

 後ろで夕呼が息をのんだのに気づくこともなく、武は無造作に電話に出る。

「はい、何だ純夏、こんな時間に」

『もしもし、タケルちゃん? もータケルちゃんだけだよ-。うちのクラスで、私のお見舞いに来てくれていないの。タケルちゃんの薄情者ー!』

 大きな声が、携帯から漏れ、夕呼の耳にも聞こえる。
 それは間違いなく、本来まだ意識不明の重体のはずの鑑純夏の声だった。

「鑑が、治っている?」

 いや、お見舞いと言っているのだから、事故そのものがなかったことになっているわけではないのか。夕呼は耳をそばだてて、常用把握に努める。

「あ-、お前今入院中なんだろ? 携帯使って大丈夫なのか?」

『大丈夫だよ、ここ御剣さんが取ってくれた個室だし。私の怪我なんて、右足が折れただけなんだから。手術だってもうとっくに終わってるよ』

「まあ、お前も大概悪運強いよなー。落下するバスケットゴールの真下にいて、足折っただけって」

 聞き耳を立てていた夕呼は、なるほどと納得した。
 どうやらこの世界の過去の改ざんが成功したのは間違いないようだ。ただし、全く何もなかったことにするには大きすぎる出来事は、ある程度元の形を残しているのだろう。世界は、大きな変化を嫌う。
 それで、鑑純夏の事故は、『奇跡的な軽傷』というレベルになったのだろう。
 そう考えると同時に、夕呼の頭の中にはもう一つの記憶がわき上がってくる。
 因果導体となった白銀武が来なかった、今のこの世界の『正しい』記憶だ。

(記憶がダブっているっていうのは、なんだか奇妙なものね)

 意識していないと、二つの記憶を混合してしまいそうだ。
 しばらくは、周りの状況を見ながら、慎重に言葉を選ぶ必要があるだろう。
 夕呼がそんなことを考えている間にも、武は携帯電話で純夏と話し続ける。

『だから、なんでタケルちゃんはお見舞いに来てくれないのー?』

「なんでって、お前。『白銀武、誰それ?ゲーム』はいいのか? ってこの電話をしてる時点でお前は失格だけどよ」

『私はあのゲーム、最初から参加してないよー! タケルちゃんのばかー!』

「あれ、そうだっけ?」

 形勢が不利になったのか、少し慌てる武を純夏が更に追い詰める。

『タケルちゃんの薄情者、浮気者、歌舞伎者-!』

「なんだそりゃ、俺がいつ歌舞いた? 適当ばっか言ってんじゃねーぞ、馬鹿純夏」

『馬鹿はタケルちゃんだー、薄情馬鹿!』

「分かった、明日行ってやるから」

『ホント?』

「ああ、本当だ。俺が嘘付いたことあるか?」

『そんなの、数え切れないよ』

「ぐっ。と、とにかく、明日だ、明日」

『分かった。じゃあ遅れた罰として、お見舞いはメロンね』

「ちょ、待て、おい! 今の時期メロンって、幾らすると思ってるんだ!? おい? ……切りやがった」

 一方的に約束を突きつけられて、電話を切られた武は、ツーツーとむなしい音を立てる携帯を手に持ったまま、呆然と立ち尽くす。
 何とも平和な光景に、夕呼はクスリと笑いをこぼした。

「さて、それじゃあ戻るとしますか。ほら、白銀。ぼうっとしたら置いてくわよ」

 そう言って夕呼は勝手にスタスタと歩き出す。

「あ、待って下さいよ、先生っ!」

 慌てて武は夕呼の背中を追う。
 こんな夜更けに、こんな人気のない海岸線に置き去りにされれば、うちに帰るまで何時間かかるか分かったものではない。
 夕呼は、真夜中の砂浜を歩きながら考える。
 明日には、学校に顔を出し、『白銀武、誰それ?ゲーム』の終了を告げて、勝者を発表する必要があるだろう。恐らくまりもはまだカンカンに怒っているだろうから、何とか言いくるめなければならない。
 いや、たまには素直に怒られるのもいいか。この世界の過去で見れば、まりもの怒りは正当である。
 まあ、いずれにせよ、大した問題ではない。
 もう、死の因果や怪我の因果が流入してくることもないし、忘れられる者もいない。

「先生、待って下さいよ!」

「ふん、平和ねえ」

 夕呼は、武の悲鳴を背中で聞きながら、冬の夜空を見上げた。



[4039] Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~エピローグ
Name: 山崎ヨシマサ◆0dd49e47 ID:121e3e5e
Date: 2010/12/06 08:17
Muv-Luv Extra’ ~終焉の銀河から~

エピローグ

【西暦2001年、日本時間12月17日8時15分、横浜市白銀宅】

「う……」

 眩いパラポジトロニウム光と、三半規管を揺らされる不快感に目を閉じた武が、再び目を醒ますと、視界に飛び込んできたのは見覚えのなる屋内だった。

「ここは……俺の部屋?」

 キョロキョロと周囲を見渡した武は、戸惑いを隠せない声でそう呟く。
 武の言うとおり、そこは白銀武の部屋だった。横浜基地の自室ではない。ポスターの貼られた壁。カラーボックスの上のCDラジカセ。そして、柔らかな寝具を乗せた黒のパイプベッド。
 武が子供の頃から慣れ親しんだ、自分の家の自分の部屋だ。

「まさか、転移に失敗したのか?」

 不安にかられた武は、慌てて窓から外を見る。
 するとそこには、期待通りと言っては少々語弊があるが、廃墟と化した町並みと、向かいの家を押しつぶす戦術機の残骸の姿があった。しかも、日の射す角度から見て、まだ朝早い時間帯のようだ。
 向こうの世界で転移を試みたのは、夜の11時過ぎ。
 少なくとも、世界と時間を飛び越えたのは間違いないらしい。
 だが、それにしてはこの部屋が廃屋と化していないのはどういう事だろうか?
 この部屋が武が10月22日に転移してきたその時だけこの姿で、その後はどのような力が働いたのか、周りと同じただの廃墟になってしまったはずなのだが。

「ひょっとして、また10月22日に戻っちまったのか?」

 一瞬、武がそう考えてしまったのも無理はあるまい。周囲は廃墟のまま、武の家の中だけが全くの無傷のままという状況は、これまでに二度経験した『10月22日、最初の転移』と酷似している。いずれにせよ、このままここにいても何も進展しない。ここがどこなのか? 今がいつなのか? それを知るためにも、まずはここを出るしかない。

「……よしっ!」

 両手でピシャリと両頬を張り、気合いを入れ直した武は覚悟を決めると、自室のドアに手をかけるのだった。







「見た感じはどこも変わってないよな」

 横浜基地に向かった歩みを進めながら、武は周囲を見渡しそう呟く。
 見たところ、周囲の風景に、武の記憶と大きく違うところは見あたらない。少なくとも、十年も二十年も時間がずれたという可能性はないと思っていいだろう。
 もっとも武はこの世界に二ヶ月近い間滞在していたが、その大半は横浜基地の中で過ごしていた。率直に言ってあまり頼りにならない記憶である。
 だから、横浜基地の正門にたどり着いた武は、そこで見覚えのある二人の門兵の顔を見たとき、心底安堵のため息をついたのだった。

「おい、ちょっと、アレを見ろ」

「ん? なんだか、凄く見覚えのある光景だな」

 一人は東洋人でもう一人は黒人。武の存在気づいた門兵達が、こちらを見ながらそんなことを言っているのが聞こえる。よかった。あの門兵達がこちらの顔を覚えているということは、ここが武が帰るべき世界、一度逃げ出した世界のごく近い未来のようだ。

「ははっ、お疲れ様です。すみません、通してもらえますか?」

 少し肩の力が抜けた武が、人なつっこい笑顔を浮かべて門兵に近づく。
 この世界に転移してきた最初の時は、この二人に銃口を向けられて取り押さえられたのだが、今は二人とも武が横浜基地の人間であることを理解しているらしく、笑顔を返してくれる。

「はっ、また外出ですか、少尉殿」

「一応規則ですので、外出許可証と認識票を提示してもらえますか?」

 どうやら武が衛士として正式に任官していることも知っているらしく、門兵達の口調は丁寧なものだ。それは今が、武達207B訓練分隊の解散式後――12月9日以後であることも意味している。
 無論それは、武が行った『過去の改ざん』が、武達の正式任官に何の影響も与えていなかったとしての話だが。
 いずれにせよ、今の武は外出許可証はおろか、認識票も持ち合わせていない。
 武はごまかすように頭を掻きながら答える。

「それが、その……今回も、そういったものは持っていないんだ」

 また、一悶着起きるか? 最初にこの世界に来たときのように、最悪牢屋に閉じ込められることも覚悟しての武の言葉だったが、意外なことに門兵の反応は警戒や敵意ではなく、深い同情だった。

「そうですか、その若さで大変ですね」

「身分証明になるものを一切所持できない任務だなんて、過酷にもほどがある……」

 門兵達の言葉に武はしばしあっけにとられるが、よく考えてみると、彼等の誤解は至極当然のものだと解る。

(そうか。この人達は前のやり取りで、俺が夕呼先生の直属みたいなものだって知っているもんな。今更、スパイや不穏分子と見られる事はないのか)

 そして、武が怪しい者でないという前提に立てば、外出許可用も認識票も持たずに基地の外に出ている武は、『一切身の証が立てられない極秘任務に付いているとしか思えないわけだ。同情を寄せるのもある意味当たり前といえる。

「しかし、規則は規則ですから、このままお通しするわけにはいきません」

「今、副司令に連絡を入れますから許可が下りるまで、ここでお待ちください」

 例え顔見知りであっても、規則は歪めない。門兵としては、正しい判断である。

「こちら正門です。香月副司令につないでください。現在正門前に、以前白銀武と名乗った……」

 早速、東洋人の門兵が門の横に備え付けられている通信機で、基地内にいる夕呼を連絡を取る。

「分かった。それじゃ、ここで待たせて貰うよ」

 どうやらスムーズに話が進みそうだ。武は、内心安堵のため息を漏らす。

「遅れましたが白銀少尉。正規衛士として任官、おめでとうございます」

 待っている間、武を退屈させまいという心遣いなのか、黒人の門兵が穏やかな笑みを浮かべて武に話しかけてくる。

「あ、ありがとう」

 衛士となったと言っても、武は訓練部隊解散式の翌々日には、異世界に逃亡していた身だ。まだ、正規衛士という意識が薄い。この門兵のような自分より一回り年上の下士官に、敬語で話しかけられると戸惑いを覚えてしまう。
 一応、この世界に転移する前の世界――1度目の転移世界では、正規の軍人として数年過ごしたはずなのだが、その記憶はおぼろげなものでしかない。

「少尉。厚かましい言葉であると承知していますが、言わせてください。
 どうか頑張ってください。我々のような者は、衛士である少尉達に希望を託すことしかできないのです」

 そう言って笑う黒人の門兵の顔には、憧憬の色を滲ませた笑みが浮かんでいる。
 門兵の言葉から、事情を察した武は、

「ああ。ひょっとして、その、伍長は」

 と語尾を濁す。それだけで、武の言いたいことを察した黒人の門兵は、軽く頷いた。

「はい。自分もアイツも、衛士適正試験に落ちた身です。亡国出身の国連軍人は、大半がそうでしょう」

「そうか……」

 なんと答えて言い分からない武は、門兵から視線を外し、小さく息を吐いた。
 衛士適性試験に落ちた人間。その実例を目の当たりにして、武は初めて『ただの衛士』という立場すら、特別なモノであることを、頭ではなく感覚で理解した。
 衛士適性試験に合格する者は、全体の五分の一とも、十分の一とも言われている。
 自分たちが戦術機を駆る影に、この門兵達のような者達が五倍以上存在しているのだ。
 BETAに祖国を滅ぼされ、復讐を誓いながら、そのための機会すら与えられなかった者達が。

「ありがとうございます、俺、頑張りますよ、皆さんの分も」

 気がつくと、武はそう言葉を返していた。
 少尉が伍長に向ける言葉としては、とても不適当な言葉遣いであったが、黒人の門兵はこの場でその事を指摘するほど野暮ではなく、笑みを深めて白い歯を見せる。

「期待してますよ、少尉」

「ああ、期待にこたえて見せます、今度こそ……」

 託す者と受け取る者。武と黒人の門兵は、互いの目をまっすぐに見合う。

「オーケーです、白銀少尉。許可が出ました。まっすぐ、香月副司令の所に向かってください」

 そうしている間に、許可を取り付けた東洋人の門兵が、大きな声でそう言ってきた。

「あ、ああ。ありがとう、世話になった伍長」

 門兵達からまた一つ、決意の源を貰った武は、確固たる足取りで横浜基地の門をくぐるのだった。









【西暦2001年、日本時間12月17日9時19分、横浜基地地下19階副司令室】

 武の感覚では十日ぶりの横浜基地。何度も深呼吸を繰り返した武は、決意を固めると固く握った拳で、副司令室のドアをノックする。

「失礼します。白銀です」

「開いてるわ、入りなさい」

 武がドアを開けると、いつも通り黒い国連軍の軍服の上から白衣を羽織った香月夕呼が、入り口近くで腕を組み、こちらを睨んでいた。
 怒っている。
 一度は全てを捨てて、この世界から逃げ出した身だ。きつい対応をされる覚悟はしていたが、あの香月夕呼がここまであからさまな感情を表情に現すとは、少し予想外だった。
 香月夕呼のことだから、皮肉げな笑みを浮かべながら「あら? お帰りなさい。意外と早かったね」くらいの嫌みを言ってくるのかと思ってのだが。

「あ、あの、夕呼先生。俺……」

「…………」

 何と切り出して良いのか、言葉に詰まる武を夕呼はしばし無言で睨み付ける。そして、やおら一つ大きなため息をつくと言うのだった。

「……とりあえず、座りなさい。どうせ、いやというほど長い話になるでしょうから」

「は、はいっ」

 武は、慌てて夕呼の背中に付いていった。




 
「なるほどね。10月22日以降の記憶がダブっているから、何らかのハプニングがあって平行世界と融合したのかと思っていたけど、まさか意図的に過去の改ざんをやらかしてくれていたとはね……」

 武のあまり上手くない説明を聞き終えた夕呼は、黒い革張りの椅子の背もたれにもたれかかり、頭痛を堪えるように頭に手をやった。

「やっぱり、過去が変わっているんですか? というか、そもそも今日は何月何日なんですか?」

 これまでずっと説明する一方だった武が、ここぞとばかりに自分の聞きたい事を聞く。

「今日は2001年の12月17日よ。過去は、かなり変わっているわね。と言っても、改ざんされる前の記憶があるのは、私と社くらいのものだけど」

「17日か。今度は3日逆行しているのか。でも、なんで先生と霞だけ?」

「3日ぐらいは誤差の範囲でしょ。私と社は、あんたの事を忘れないように対策を取っていたから、その影響でしょう。普通は、過去の改ざんが行われれば、改ざん前の記憶が無くなるものなのよ。現に私も、実感が伴う記憶は「改ざん後の記憶」の方だからね」

「はあ、そうなんですか」

 と、言われても武はピンと来ない。武には改ざん前の記憶しかないのだ。
 武の表情から、武がまだ状況の厄介さを理解していないと見て取った夕呼は、ため息をつきつつ説明する。

「あんたね、自分がどれだけ危険な橋を渡ったのか気がついている? 一歩間違ったらあんた、この世界から異物として排除されるところだったのよ?」

 それに近いことは、向こうの夕呼にも忠告されていた。「これは一度きりの手段。もう一度同じ事をやれば、今度は白銀武が世界の異物として放逐される」と。
 だが、それを承知で過去の改ざんという手段を選んだのは武である。

「分かっています。けど、後悔はしていません。これ以外に「向こうの世界」を救う手段はありませんでしたから」

 睨み付けるような武の視線に、武が以前のような『気楽な救世主ごっこ』気分で今回のことを行ったわけではないことを察した。

「そう。あんたがいいなら、それで良いんだけどね。実際、こちらとしても総合的なプラスマイナスで見れば、改ざん後の世界の方が、大分よくなっていることだし」

 夕呼が武を睨んでいたのは、実利的な不利益を被ったからではない。自分の意図しないところで自分の行動をねじ曲げられたという、感情的な不快感からくる怒りだ。
 してやられた。自分のやろうとしていることの上を行かれた。

(香月夕呼が、香月夕呼ごどきに出し抜かれた……!)

 今頃、平行世界の香月夕呼は「してやったり」と人の悪い笑みを浮かべているに違いない。
 それでも夕呼は、ここの内にわき上がる怒りや屈辱を一時的に凍結させ、なんとか冷静な判断力を取り戻そうと努力する。
 自分の世界の過去を余所の世界の人間にねじ曲げられたという事実は、不愉快極まるが、その『過去の改ざん』結果が、こちらにとっても極めて良い方向に向いていることは、認めざるを得ない。この奇貨を、一個人の感情で投げ捨てるほど、香月夕呼は馬鹿ではない。

「すみません。まず、この世界の過去を教えてもらえますか?」

 武は、色々な感情を呑みこみ、出来るだけ感情の籠もらない声でそう答えた。
 武からも夕呼にぶつけたい感情は、正・負どちらも山ほどある。
 神宮司教官を死なせてしまったあの時、逃げ出してしまった事に対する謝罪。
 死の因果が流れ込むことを知った上で、自分を平行世界に転移させた事に対する怒り。
 どのみち自分がこの世界に戻って来るであろうと予想して、今状況を作り上げたことに対する憤り。
 だが、そんな感情を吐き出すためだけの安っぽい言葉を費やしている場合ではない。武は、まっすぐ夕呼の目を見据え、言葉を続ける。

「俺がやるべき事、やらなきゃいけないこと、その判断もこのままじゃ付かないんです。まずは教えて下さい。改ざんされたこの世界は、俺の知っている世界とどれくらい違っているんですか?」

「……ふーん」

 武の言葉に、夕呼は面白そうに鼻を鳴らした。
 実際夕呼は今の武の反応を「面白い」と感じていた。
 色々吐き出したい感情はあるだろうに、それを呑みこんで可能な限り実用的な話を進めようとしている辺り、稚拙ながらも確かに明確な変化が見られる。
 本当ならばまだ色々聞きたいことがあるのだが、ここはひとまずこちらのカードも切ってやっても良い。夕呼にそう思わせるくらいには、武の態度は合格だった。

「そうね。まず、あんたの記憶では多分、

 10月22日、白銀武が転移。

 11月11日、佐渡島ハイヴから新潟沖にBETA上陸。

 11月24日、XM3開発開始。

 11月28日、珠瀬事務士官、横浜基地来訪。HTTS落下未遂事件。

 11月29日、XM3実装試験開始。

 12月5日、クーデター勃発。

 12月9日、平行世界から『数式』を入手。同日、207B訓練分隊解散式。

 12月10日、XM3トライアル。同日、捕獲BETA脱走事件勃発。

 といった所だと思うけど、間違いないかしら」

「ええと……はい。多分、そんな感じだったと思います」

 武は、視線を天井に向けて思い出しながら、頷いた。
 いずれも、印象的なインパクトのある出来事ばかりだが、はっきりと日付まで覚えているものは意外と少ない。だが、大体の時間軸は間違っていないようだ。
 少なくとも、10月22日の転移、12月5日のクーデター、そして12月10日のXM3トライアルとそこで起きた捕獲BETA脱走事件の日付は確かだ。
 武の中でも、その三つの日付は、忘れられない記憶として残っている。

「そう、それじゃ簡潔に説明するわね。

 まず10月22日。白銀武が『数式』を持って転移」

「…………」

 武は思わずパイプ椅子の上から体を前に乗り出す。
 ほとんどクラウチングスタートに近いくらい身を乗り出す武を見た夕呼は、口元に小さな笑みを浮かべ、淡々とした口調で事務的に『過去』を説明する。

「11月1日、00ユニット完成。以後、調律作業。

 11月2日、XM3開発開始。

 11月7日、XM3実装試験開始。

 11月11日、佐渡島ハイヴから新潟沖にBETA上陸。

 11月28日、珠瀬事務次官来訪に合わせて、XM3トライアル実施。同日、HTTS落下未遂……」

「ち、ちょっと待って下さい! 11月28日にXM3トライアル!?」

 それまで神妙に聞いていた武であったが、流石にそこは黙って入れずに声を上げる。
 だが、その反応を予想していた夕呼は、ニヤリと笑うと「良いから黙って最後まで聞きなさい」と流し、説明を続ける。

「ええと、どこまで言ったかしら? そうそう、11月28日までね。

 11月28日、珠瀬事務次官来訪に合わせて、XM3トライアル実施。同日、HTTS落下未遂事件。

 12月5日、クーデター勃発。

 12月9日、207B訓練分隊解散式。

 以上よ」

「な、なんだそれ?」

 武はしばらく呆然として、言葉が出なかった。
 ある程度は予想していたが、予想を遙かに上回る改ざんぶりである。蝶の羽ばたきが嵐を巻き起こす可能性すらあるとまで言われる、『連鎖する時間軸への干渉』がどれほど危険なものであるか、この期に及んでやっと理解した。

 冷静に考えてみれば、00ユニットとやらの完成に必要な数式が、一ヶ月半前倒しになって夕呼の手に渡ったのだから、全体の進捗が前倒しになるのは当たり前である。

「俺達の任官が12月9日なのに、XM3のトライアルが11月28日って、それじゃトライアルに俺達は……」

「当然、出てないわよ。あんた達には、珠瀬事務次官の世話係をやってもらったから。トライアルの主役は、旧207A訓練分隊の連中にやってもらったわ」

「207A?」

 そう言えば、以前に千鶴が言っていた。元々、207訓練部隊にはA,B二つの分隊があったのだが、A分隊は、千鶴達B分隊が落ちた前回の試験に合格して、一足先に正式任官したのだと。

(確か、涼宮茜が分隊長だって言ってたよな)

 涼宮茜と言えば、武が元いた世界でも3年D組の委員長で、B組の委員長である榊千鶴とは良い意味でライバルであった。
 ひょっとすると、207A分隊の面々は元の世界のD組の人間で構成されているのかも知れない。
 元世界とこの世界とは、色々と共通項が多い。あり得る話だ。
 武が一人でそう納得していると、いつの間にか口元の笑みを引っ込めた夕呼が、真剣な表情で武に鋭い視線を向けていた。

「私からの説明はまずはこんな所ね。で、次はあんたの番よ」

「え? 俺? 俺の事情はさっき……」

「ええ、あんたが向こうの世界でやったことは聞いたわ。私が聞きたいのはこれからのこと。あんたは何をしに戻ってきたの? あんたは私に何をして欲しいの? その対価として、何が差し出せるのかしら?」

 予想された言葉、香月夕呼ならばこう言うであろうという、予想通りの言葉。その冷徹なまでに理とだけを追求する言葉に、武は一度唇を噛んだ。
 だが、すぐに挑戦的な視線を返すと、口を開く。

「俺は、全ての決着をつけるために戻ってきました。俺は、俺のかかわった全ての世界を救わなければならない。俺という因果導体のせいで狂ってしまった世界を。そして、俺の一番大切な人、『鑑純夏』を救わなければならなんですッ! そのためだったら、俺は何でもします。何が出来るかは分からないけど、何でも」

『鏡純夏』。その名前が出たとき、夕呼はピクリとほんの一瞬だけ反応を示した。
 僅かに、眉の片方を跳ね上げただけだが、それだけで武は「向こうの夕呼」の予想が当たっていたことを確信する。

(やっぱり、こっちの世界にも純夏はいる。そのことを、先生は知っているッ!)

 ここで追求するべきか? 武が迷っている間に、夕呼が先に口を開く。

「『何が出来るか分からないけど、出来ることは何でも』、ね。随分と都合のいい話ね。そんな言葉で私を納得させられると本気で思ってる?」

 挑発的な夕呼の言葉は、武の弱い所をいちいち的確に抉ってくる。
 今までの武ならば、返す言葉に詰まるところだろう。しかし、武はこの世界に来る直前『向こうの夕呼』が言っていた言葉を思い出す。

『向こうの夕呼』は言っていた。こっちの夕呼はいつでも武を引き戻せるように準備をしていた、と。
 幸い、向こうでは『クォヴレー・ゴードン』と『ディス・アストラナガン』という反則級の存在の協力が得られたため、こっちの夕呼の準備は無駄骨に終わったが、この夕呼が意味もなく、ただの善意でそんなマネをするはずがない。
 だから、武は自信を持って答えた。

「はい、思っています。先生は、俺が向こうの世界からこっちの世界に戻ってくれるように手を打っていたんですよね? それはつまり、先生にとって俺はまだ、利用価値があるってことなんじゃないですか?」

 武の返答に、夕呼は口元を三日月型に歪め、笑った。まるで、期待していない劣等生が合格点を取った時のように、皮肉で楽しげな笑い顔だ。

「へえ、あんたにしちゃ、頭働かせたじゃないの。よく気がついたわね、確かにそれはその通り。じゃあ、あんたはまた私の思惑に乗って、私の言うとおりに動いてくれるって事かしら?」

「はい、そうすることが、俺の目的に沿うのであれば」

 ついこの間まで、馬鹿な犬のように自分の言葉を盲信していた若者が、自分と交渉しようとしている。しかもいっちょ前に、この期に及んでもなお、手札を伏せている。
 白銀武は、『向こうの世界』で、何をやったのかは白状したが、それがどうして可能であったのか、その部分については一切ふれてない。

(過去白銀がいた『一つめの転移世界』に00ユニットのデータを送り込んだ? 何をどうやれば、そんなふざけた真似が出来るわけ?)

 少なくとも夕呼が『向こうの夕呼』に送った時点転移装置の設計図通りに作ったのでは、絶対に不可能だ。あの設計図で作る転移装置でそんなマネをしようと思えば、世界中の電力を一つの束ねるくらいのエネルギー量が必要とされる。
 一介の物理教師に過ぎない『向こうの夕呼』にそんな莫大なエネルギーが用意できるはずはない。

(ということは、多分向こうの私はあの設計図を改良したんだわ。もっと省エネルギーで、次元世界にアクセスできるようにしたのか、はたまな何か裏技的なやり方を思いついたのか)

 そして、武はこの世界の過去を改ざんするために、『00ユニット』に必要な数式をその出来の悪い頭に叩き込んできた。ならばついでに、その改良型次元転送装置の設計図も頭に詰め込んできている可能性がある。

(後で社と問い詰めてやりましょう)

 夕呼は論理的に筋道の通った勘違いをしたまま、そんな思いはおくびにも出さずに、恩着せがましく武との話を続ける。 

「いいわ。あんたの目的に、この世界をBETAから救うって項目は当然入っているんでしょ? だったらまず、そこまでは協力態勢を取りましょう」

「……はい」

 ここで純夏のことや、因果導体の問題について畳みかけてもかわされそうだ。そう感じた武は、ひとまず頷いた。対BETA戦を最優先にするべきと言う、夕呼の意見が確かに正論なのも確かである。 武の答えに、夕呼は満足げに頷く。

「そう。これでまたしばらくは、良い関係が築けそうね。それじゃ早速あんたには、00ユニットの『調律』を担当して貰いたいんだけど、いいかしら」

「00ユニットの『調律』ですか?」

 夕呼の言葉に武は、首をひねる。

「そう。おかしいと思わなかった? この世界では、11月1日の時点で00ユニットが完成しているのに、その後、一月以上『オルタネイティヴ4』に進展がないのに」

 言われてみれば、確かに少しおかしい。00ユニットの完成こそが『オルタネイティヴ4』の目的であり成果であるのならば、それが完成した11月初頭の時点で、この世界の歴史はもっとダイナミックに変革されているのが自然のはず。
 そこにつけて『調律』という言葉。

「ひょとして、その『00ユニット』ってまだ、実戦投入できる状態になっていないんですか?」

 武の予想があたっていたのか、夕呼は頷いた。

「ええ、おおよそ正解。完成したと言えば完成しているんだけどね。今のままでは使い物ならないの。使い物になるようにするために『調律』をしているんだけど、かなり手間取っているのよ」

「それを俺にやれと? 俺、あんまり機械に強くないんですけど」

「大丈夫よ、必要なのは専門的な知識ではないから」

 それならば、何が必要なのだろうか? 武が考えているうちに夕呼はインターフォンを手に取り、隣室に連絡を入れる。

「ああ、社? 話は聞いていたわね。00ユニットをこっちに連れてきて頂戴」

 それから程なくしてドアが開き、隣の部屋から黒いドレス型の国連軍服を着た銀髪の少女が入って来る。

「霞……」

「…………」

 少女の名を呼ぶ武に、少女――社霞は無言のまま、ペコリとうさ耳をつけた頭を下げて挨拶を返した。
 霞は夕呼同様、『改ざん前』の記憶を有しているのだという。ならば、あの時、武が全てを捨ててこの世界から逃げようとしたとき交わした言葉も、覚えているのだろうか。
「よわむし」。霞にぶつけられたその言葉が、まだ武の心の奥に棘のように突き刺さっている。
 何か言葉をかけるべきだろうか。だが、そうして躊躇している間に、その機は逸した。
 霞の後ろからもう一人、人影が姿を現す。
 黒い国連軍の軍服を着た『それ』は、年若い少女の姿をしていた
 赤い長い髪を黄色い大きなリボンで縛り、髪の一部が触角のようにピンと伸びている。見覚えのある、この世の誰よりも見覚えのあるその顔を見た武は、驚愕に身体を震わせながら「それ」の名前を口にするのだった。

「……す……み……か……?」

 鑑純夏。

 武の幼なじみにして最愛の人。そして、「向こうの夕呼」が絶対にいるといい、「こちらの夕呼」がいないといった少女。
 あまりに唐突な再開に、武の思考能力はゼロに等しいところまで落ち込む。

「す、純夏? 純夏、なのか……?」

 武は目の前の少女の名前を呼びながら、一歩前に踏み出す。

「……てやる」

「えっ?」

 すると、それまで人形のようにただ立ち尽くすだけだった少女の口から、言葉が漏れる。

「殺す、殺すッ、殺してやる……皆殺し……復讐……下らない。それより……歌……」

 意味不明な言葉を呟いたかと思うと、少女はまた唐突に言葉を紡ぐことを止めた。

「どう?」

 それまで、武と少女の対面を黙って見守っていた夕呼が、そう少女の隣に控える霞に問いかける。

 問われた霞は首を横に振り、答えた。

「駄目です」

「そう。少し当てが外れたわね。白銀に会わせれば、なにか反応があると思ったのだけど」

 夕呼は研究者の顔つきで、顎に指をやり首をひねる。
 そんな夕呼の冷静極まりない態度に、感情を逆撫でされたのか、武は思わず叫ぶ。

「先生っ! これは一体どういう事なんですか!」

「どうって、そのままの意味よ。あんたに会わせれば、なにか反応があるんじゃないかって」

「そんなことを聞いてるんじゃないですよ! これは、この人はいったい誰なんですか!」

 この世界に鑑純夏はいない。そう言った夕呼が何故、鑑純夏そっくりの少女を連れてくる? 武は真っ白になった頭を必死に振って、少しでも冷静さを取りもどそうとする。だが、だめだ。最大の目的であったはずの『鑑純夏』とこの様な形で対面して、冷静でいられるはずがない。
 夕呼は取り乱す武を面白そうに見つめると、少女の側に近づき後ろからその肩に手をかける。

「そうね。正式に紹介しておきましょうか。

 オルタネイティヴ4、最大の目的にして成果。人類逆転の切り札」

 そこで夕呼は一度言葉を切り、ためた後誇らしげに肩を抱く少女の名称を告げるのだった。

「――00ユニットよ」

「…………は?」

 武はしばし、夕呼の言っている言葉の意味が理解できなかった。

「ゼロゼロユニット? これ、が? なんの冗談ですか? なんで、わざわざ純夏の姿を……」

「あら、冗談のつもりはないのだけれど?」

 この期に及んでもなお、からかうような口調を変えない夕呼の様子に、武は頭に血が上るのを自覚する。だが、駄目だ。感情のままに怒鳴り散らしても、香月夕呼を相手に事態が好転することはない。
 武は、ゆっくり何度も何度も深呼吸を繰り返し、精一杯理性を働かせる。
 怒鳴り散らさない武の態度に、少し感心したのか、夕呼は眼を細めると言葉を続けた。

「これこそがBETA殲滅の鍵となる存在。あんたの持ち込んだ数式を元に完成させた私の最高傑作……」

 と夕呼が蕩蕩と語り出したその時だった。
 夕呼の『BETA」という言葉に強い反応を示した少女――00ユニットがカッと目を見開き、また叫ぶ。

「BETA? 敵だ! 倒す、倒す、全て倒す……!」

 00ユニットは狂ったように叫び続ける。

「あら、また始まった」

 夕呼はいつものことと言わんばかりに肩をすくめる。

「お、おい大丈夫か?」

 目の前にいるのが『純夏』なのか、『00ユニット』なのかは分からないが、純夏そっくりな何かが苦しんでいるのを、見過ごせるはずがない。気遣うように武が声をかける。

「……大丈夫……私は、勇者……BETA、倒す、倒す! 全部、倒す……!」

『00ユニット』は叫ぶだけ叫ぶと、ヒューズが飛んだように意識を失い、その場に崩れ落ちた。

「おい、大丈夫か、おいっ!?」

 訳が分からないまま、床に崩れ落ちそうになった00ユニットを武がその腕で抱きとめる。抱きとめた腕に伝わる感触は柔らかく、暖かい。その感触は、人間の少女そのものの感触だ。とても機械とは思えない。
 武は壊れ物を扱うように、少女を胸に抱いたままその場にしゃがみ込む。
 そんな武と『00ユニット』の様子をを見下ろしていた夕呼の表情に、また何か新しい発見をした科学者としての表情が映る。

「あら、これは新しい反応ね。やっぱり、『鑑純夏』にとって『白銀武』は特別なのかしら?」

 わざとらしい言葉であったが、それでも香月夕呼の口から『鑑純夏』という名前が出たことに、武は反応せずにはいられない。

(やっぱりこいつは純夏なのか? けど、先生はこいつを『00ユニット』だって言ったよな? 00ユニットって事は機械だろ? 純夏そっくりの機械? 何のためにそんなものを? 駄目だ。訳がわかんねえ)

 いくら一人で考えていてもらちがあかない。
 武は活動停止状態の『00ユニット』をその腕に抱いたまま、夕呼の方に振り向いた。

「先生」

「なによ、そんな怖い顔しなくても、教えてあげるわよ。なに? 聞きたい事は、00ユニット? それとも、鑑純夏?」

 まだ、こちらを試すようなことを言う夕呼に武は即座に返事を返す。

「両方、いや、全部です。オルタネイティヴ4って何なんですかっ!?」

「…………」

「…………」

「……いいでしょう。長い話になるわよ」

 夕呼は小さく肩をすくめると、鬼気迫る表情でこちらを見上げる武にそう答えるのだった。


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