<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

Muv-LuvSS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[33107] 【チラ裏から】 優しい英雄
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2013/10/12 01:03
本作はマヴラブの二次創作です。
作者は無印とオルタしかやっていない惰弱です。基本オリキャラは登場しません。
(話の都合上出てくる場合がありますが、脇ですのでカウントはしません)
設定はよくある三回目ループ
武ちゃんは、天性の才能と経験により化け物状態です。(精神は別)
オリジナル戦術機は出てきますが、能力調整はしたいかと思います。
霞がコナン状態です。こんなの霞じゃない! と思う方は回れ右を。
作者のレベルはスライムです。文章、設定が時々歪みますので、生温かい目で見守ってください。
では少しでも楽しんでいただければ幸いです。

5/15
僅か数話で誤字や、表現の訂正の忠告をいただいています。こちらもより気を配るつもりです。
大きな修正以外は表記せずに行います。基本返答したものは修正しております。ご容赦下さい。


8/16日
調子に乗ってMuv-Luv板に移動
それとFableとメカ本買いました。凄く面白いです。



[33107] 導入
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/05/12 14:02
 混迷する時代には常に『英雄』が求められる。

 絶望的な状況の中から希望を見出すため。死の恐怖さえも振り払い、一心に仲間や守るべき者のために戦うため。

 人々の指針となり、そして光明となる存在。

 そんな意味では、彼は最もふさわしい存在と言えた。

 XM3の開発者。オリジナルハイヴからの唯一の帰還者。地球からのハイヴの一掃と、人類に再び月をもたらした若き少将。
 
 誰もが彼が英雄であるということには異論は挟まないだろう。

 誰もが彼を尊敬し、彼のようになりたいと欲するだろう。

 だが彼自身はそうは思わない。それどころか自分は罪人とさえも考える。

 なぜなら

 脳髄の状態になってまでも自分を求め続けた彼女を裏切り、彼女のいる世界への帰還を拒んだのだから。

 己の命を捧げ、人類に勝利をもたらした仲間の挺身を、これから踏みにじることになるのだから。

 彼は自分の行為の愚かさは分かっていた。

 自分の身勝手さは分かっていた。それでも彼は歩を止めることを拒んだ。

 矛盾を無視し思いを犠牲にしてでも叶えたい、そして達成しなくてはならない願いがあった。

 皆の笑顔が見たい。一人も欠けることなく。

 そんな途方もなく、現実性のない夢。

 だけれども叶えなくてはいけない夢。

 そして夢に向かって彼は歩き出す。理解も同情も栄光も。全てを捨てて彼は進みだす。

 これはそんな独りよがりで優しい英雄と、それを支える少女達のおはなし。
 
 



[33107] 一話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/05/13 12:00
10月22日 横浜基地 正門前 《門兵》

 正門を預かる門兵二人のやる気は、お世辞にも高いとは言えなかった。
 門兵の一人、東洋系の顔をした男は大きな欠伸をしていたし、もう一方の黒人の門兵も、それを諌めようとはしない。
 
 国連軍横浜基地
 
 人類のBETA戦の最前線である日本に位置するも、その立地上BETAが襲来する可能性は今のところ低い。さらに人類が劣勢に立たされているこのご時世に、わざわざ国連軍基地を襲撃するような馬鹿も皆無に等しかった。
 
 最前線であるのに後方。
 
 それがこの基地に所属する、ごく一部を除いた人間達の認識。対BETA戦の急先鋒である衛士達ですらそのような認識なのだから、一介の門兵である彼らのお粗末さも、ある種当然である。
 
 だから、そんな彼らが廃墟の中に一機の戦術機、国連軍仕様のF-15イーグルを見つけてもさして驚かなかった。

「どこの機体だ?」

「知らん。問い合わせてみるか」

 そう言って無線機に手を伸ばしかけた瞬間、耳をつんざく音に、二人とも耳を塞いだ。

 一瞬周りに影ができ、その影はすぐに遠ざかる。

 すると目の前にいたイーグルがいない。

 跳躍ユニットによる跳躍。自分達を飛び越えたのだから、目標はおそらく横浜基地。

 それに気付くまでに数瞬。そして味方がとるはずもない行動に対する驚愕がすぐに彼らを襲った。

「こちら正門前! 戦術機が一機正門を飛び越えた! あれは基地の機体ではないのか!」

 門兵が無線に向かって叫ぶ。

『何を言っている。レーダーにはそんな機影......どうした......何!』

「どうした! なにがあった!」

 門兵は問いかけるが、唐突に無線が切れてしまう。

 いきなりの事態に、門兵はもう一度無線へ問いかけようとする。

 だが次の瞬間には基地中に警音が響き渡った。そして門兵達個人にではなく基地の全ての人間に対しての放送。それは

『防衛基準態勢1発令 ! 防衛基準態勢1発令 ! 当横浜基地に戦術機一機が侵入! あれは友軍ではない! くり返す! あれは友軍ではない! 即応部隊は全機スクランブル!』
 人類による横浜基地襲撃を知らせるものであった。

 
 10月22日 横浜基地 中央作戦司令室 《香月夕呼》

『即応部隊は順次出撃! なお基地内での戦闘であることを考慮し、誘導弾の使用は許可しない!』

 スクランブルから10分で出撃。これは早いと見るべきか、それとも遅いと見るべきかしら。

 緊迫したオペレーター達の声が響き渡るなかで思案する。

 正門前の門兵が、まず問題の機体を視認。そこからの通信を皮切りに、各所で問い合わせの通信が殺到した。

 その時司令室ではレーダーによる機体の確認はできていなかった。原因はレーダー設備の故障。厳密には何者かによる破壊工作。現在監視カメラによる犯人の特定を急いでいる。

 侵入した機体は第1滑走路前で停止。こちらからの呼びかけは全て無視。

 この現状は実に不可解だ。

 レーダー設備を機能停止にまでさせたのだ。あきらかに用意は周到である。

 けれども敵戦力は第2世代の戦術機1機。しかも基地内に侵入して以降、一切の破壊行為は無し。あまりにふざけた戦力と行動だ。

 初めは第5計画の連中の差し金かと思ったが、おそらく違う。彼らならやるなら徹底的に、そうHSSTの一機ぐらい突っ込ませてくるだろう。こんな不毛なことはしない。

 とすればいったいどこが?

 いくら考えても分からない。

 意図を吐かせるため、搭乗者を生かして捕らえるべきだろうか? 

「香月副司令。レーダーの件、犯人の特定が完了しました」

 耳の通信機から、報告を受け取ったのだろう。ピアティフが私に話しかけてきた。そこで一旦広がった考えをたたんで、報告を聞く。

「どこの馬鹿がやったのかしら?」

 そこでピアティフの顔が、やけにしかめていることに気付く。そしてわざわざ私のそばに寄り、周りに聞こえない声で、そっと私に囁いた。

 その名前を聞いたとき、驚愕の気持ちが湧き上がり、そして少々の悲しみも私の胸をうった。もちろんそんなことはおくびも表情に出さないが。

「......これを知っている奴は?」

「確認にあたった者には既に手回しをしてあるので、問題はありません」

「そう......じゃあ一応拘束しといてくれる?」

「はい」

 ピアティフは通信機で作業に移る前、ちらりと心配そうな顔でこちらを見た。

 少し顔に出たかしら。まあいいわ。

 ピアティフの報告ではっきりした。あの機体の衛士はなんとしてでも捕まえて、裏を喋らせなくてはいけない。そう結論に至り、オペレーターから衛士に厳命させる。


 司令室から出された指令は二つ。一つは正式に、もう一つは秘密裏に。

 それは

『所属不明の機体の衛士の殺傷は避けよ』

 と

『 10月22日 AM10:13 付けで社 霞の持つ全ての権限を停止し、これを拘束せよ』


 横浜基地 レーダー設備室 《社 霞》

 レーダーの管制は指令室でできるからか、その部屋には誰もいませんでした。博士からいただいたIDがあるとはいえ、あまりにも杜撰なのではないでしょうか?

 そう思いながらも、操作盤に近づく。

 作動させるのはメンテナンスモード。この整備の際に行われる状態では、一時的に索敵が無効になる。当然ながら、細工もなしに作動させれば司令室に筒抜けとなるので、欺瞞情報を流す細工も怠らない。

 こんなこと、社 霞じゃあ無理だったでしょうね。

 私はそんなことを思いながら、ふと自分の手に目を落とす。

 白くて華奢な手。

 それを眺めると蓋をしていたはずの罪悪感がせり上がってくる。

 この世界の『私』は私を恨んでいるのでしょうか。未来と思い出を丸々奪った私を、憎悪しているのでしょうか。

 そんな気持ちが湧き上がってきた。だがすぐに頭をふり、そんな考えは放棄する。

 そんなことはもう誰にも分からない。分からない以上考えても仕方がないし、それは単に、自分の罪悪感を薄れさせようとしているにすぎない。

 彼についていく。そう決めた日から迷いは捨てたはずなのだ。いまさら、立ち止まることは許されない。彼と、そして散っていった皆さんを裏切らないためにも。

 操作を終了し、設備室から出る。

 監視カメラが設置されている以上、私の行動はもう博士に筒抜けでしょう。だから後は適当に基地をふらつくだけ。意味もなく私は通路を歩き続ける。

「社 霞だな?」

 後ろから呼び止める声。おそらくMPの方でしょう。

「設備破損についての容疑が掛かっている。大人しくついてきてもらおう」

 声がどことなく優しい。たぶん博士が手回しされた方。だから秘密の漏洩は無いと思っていい。

「いいえ。私は社 霞ではありません」

 だからどうせならこの世界では、使うこともなくなる名前を今言っておきたい。

「私は白銀 霞です」



[33107] 二話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/09/03 14:45
  10月22日 横浜基地 第一滑走路前 《ホーク隊 ホーク1》

『所属不明機の衛士殺傷は禁止する! 繰り返す! 衛士殺傷は禁止する!』

『おいおい、優しいねえ。その万分の一でもいいから、俺たちも気遣ってもらいたいよ』

 不明機に向かって急行する途中、ホーク3が不平を言う。

「ホーク3。無駄口がすぎるぞ」

『へいへい。了解』

 まあホーク3の気持ちも分かる。ずかずかと侵入した敵を、わざわざ生捕れと言われれば現場としてはたまらない。こちらがイーグルの4機編成でも、正直つらいところだ。

「ホーク1より各機、コクピットへの射撃を避けろ! 敵は一機だ。距離を保てば問題ない」

『『『了解!』』』

 そして敵機を視認する。国連軍使用のF-15......長刀を持っているから、こちらと同じF-15Jか。

 敵機の発砲。
 
 全機散開して銃弾を避ける。そして各機が敵機に向かい発砲を......

「なにっ!」

 敵機は発砲と同時にブーストジャンプ 。ホーク3に接近しようとしている。

 だがこの速さは

「カミカゼか!」

 明らかに接近戦を試みるために近寄る速度ではない。このままいけば衝突だ。突撃銃では接近する敵の速度は殺せない。よって

「ホーク3!回避だ!」

『ちっ』

 ホーク3はすぐに回避行動に移る。ぎりぎり回避できるかどうかだ。
 だがそこで驚くべき機動を敵機はとった。
 敵機はホーク3のいた位置に着地。突撃砲を廃棄し、短刀に持ち帰る。そして一閃。
 とっさに横に回避したホーク3は、その一刀を避けられない。
 金属同士がぶつかる鈍い音。
 短刀は深々とコクピット部に突き刺さっていた。

『貴様ぁ!』
 ホーク4が突撃砲を構える。だが

『うぁ......』
 
 ホーク3からの通信。彼の生存が確認される。ホーク4は巻き添えを考慮し、発砲を躊躇。
 その隙に敵はホーク3から追加装甲を奪取。これを盾に今度はホーク2に接近する。
 速度は先ほどと一緒。

「全機、後退しながら敵脚部を射撃! 撃ち落せ!」

 計三基の突撃砲が吼える。しかし敵は大部分を追加装甲で防ぎ、残りを変則的な機動で回避。
 なんだこの機動は! 並みの腕ではない。いやそれどころか一流でもこんな機動ができるか?

『ひぃ!』
 
 追い縋られるホーク2から悲鳴が聞こえる。

「びびるな! ホーク2は長刀で応戦! ホーク4と俺は格闘でホーク2を支援!」

『『りょ、了解!』』 
 
 銃弾が回避されるとなれば、遠距離戦は無意味。接近されれば、巻き添えの関係から周りが援護できない。
 ならば最初から3機で接近戦を挑む。突撃砲を相手が放棄している以上、射撃はない。

『うあぁ!』
 接近する敵機に、ホーク2は上段から長刀を振り下ろす。速度からすれば絶妙の一撃。回避は不可能。
 だが敵機は回避ではなく短刀を右上に掲げる。刃をねかし、長刀を受け流した。
 それは剣道でのありふれた型の一つ。だが戦術機でそれを再現するなど、曲芸もいいところだ。
 そしてこちらが援護する暇もなく、敵はがら空きになったホーク2に短刀を突き立てる。狙うはまたしてもコクピット部。
 突き立てられた機体は、操縦を失い硬直する。

 俺とホーク4は突撃するべきなのに、硬直してしまう。

 レベルが違いすぎる。
 訓練を日々こなし、実践を潜り抜けてきた。今ならばルーキーはおろか、並みの衛士なら3,4人手玉にとれる自信はある。
 だがあれは次元が違う。
 才能も経験も錬度も。どう挑んでも絶対に敵わない。

『た、隊長っ!』

 部下からの声で我に返る。敵機が迫り来ることに気付く。右手には短刀。

「くそっ!」
 呆けている間にかなりの間を詰められてしまった。こちらも腹を括り長刀を構える。
 体勢は突きの姿勢。敵の速度を活かし串刺しを目論む。先の操縦を見れば致命傷は無理でも、多少の損傷は望めた。
 
「こんちくしょうっ!」

 タイミングを計り刃を繰り出す。生還が望めないと覚悟したからだろうか、今までで渾身の突きであった。風を切る音と共に、長刀が敵機を穿とうとする。しかし、だがと言うべきか、やはりと言うべきか。

「いない!?」

 目の前にいたはずの敵の消失。それと同時に真後ろに着地音がする。跳躍装置を使った宙返り。ここにきてもはや人間技を超えた敵の機動に、完全に意表をつかれた。

『隊長っ! 後ろですっ!』

 分かってるよ......そう言い返す前に、コクピットにはしる衝撃で、俺は意識を手放した。


 10月22日 横浜基地 第一滑走路前 《???》

 逃亡した最後の一機も無力化し、俺は辺りを見回す。
 どうやら基地からの増援はまだらしい。他の即応部隊は敵わないと判断したのだろうか。来援の気配はない。
 それにしてもこれがあの天下の横浜基地か......

「ずいぶんと弱くなった......いや弱かったなあ」

 スクランブルから10分かかった戦術機群の到着。俺がその気なら、この滑走路は今頃お釈迦だ。腑抜けているにも程がある。香月先生、いや香月副指令がBETAを放ちたくなった気持ちが理解できた。
 だが油断はできないだろう。腐ってもここは第4計画の中枢である。いまだここには100機を越える戦術機と、何より彼女らの部隊がいる。

 とここでレーダーに機影を捉える。数は9。機種はTYPE94 不知火だ。
 帝国軍でさえ配備が遅れている最新鋭の機体を有する部隊は、横浜基地でもただ1部隊。
 
「少し早いな......」

 霞の件で、俺がただの侵入者ではないと判断されているのだろうが、もう少し通常部隊が出張ってきて欲しかった。
 俺が片付けた機体は4。そして搭乗する全ての衛士は生きている。
 おそらく、ここまですれば副指令に意図は気付いてもらえるだろうが、次の戦闘の準備には些か不足している。彼女らは精鋭中の精鋭だ。できればあと5、6体は確保したかった。

 まあしょうがない。ならやり方を変えるだけだ。

 網膜投影で辺りを窺うと、ちょうど俺を半月状に囲うようにして、9機の不知火が着地していた。
 こちらは突撃砲を放棄しているため、見守ることしかできない。
 囲み終わると同時にオープンチャンネルから通信が入る。これはおそらく、

『こちらは横浜基地所属伊隅 みちる大尉だ。所属不明機に告げる。即刻武装解除し投降せよ。指示に従わない場合は撃墜も辞さない」

 やっぱり......年甲斐もなく涙腺が緩むのを感じる。現金なもので、あれ程覚悟を固めていても、つい心が揺り動いてしまった。
 しかしそんな感情は直にしまう。この世界には彼女らと馴れ合うために来たのではない。

 だから、この感情は今はいらない。彼女らと対峙する。ただそれだけに気を集中させる。


「そちらの要求には答えられない。さらにそちらが俺を撃墜できるとも、到底思えない」


10月22日 横浜基地 第一滑走路前 《速瀬 水月》

 男の不遜な言い方に頭にくる。

 陽炎4機をのしたからって、調子に乗るんじゃないわよっ!

『ほう。9機の不知火に対してもそちらが勝つと。ずいぶんな余裕だな』

『事実を述べたまでだ。お喋りをする暇があるなら、早くかかってこい』

 言い捨てると敵機は後方に跳躍。同時に全機の突撃砲で射撃するも、追加装甲で遮られる。

『ヴァルキリー1 より全機! 追撃しろ!』

 相手は第2世代なうえに、重い追加装甲を所持しているため、振り切られる心配はない。
 だがその追加装甲と奴の機動のため、こちらの射撃は通じない。
 本当なら誘導弾や120㎜ で盾ごと葬りたいが、殺傷を禁じられている以上、高火力な武器は使えない。

『ヴァルキリー1より ヴァルキリー2 接近戦に持ち込め!』
「ヴァルキリー2 了解! 奴の盾ごと真っ二つにしてやりますよ!」

 長刀を両手に追いすがる。
 速度では勝っているので簡単に距離を詰め、刃を振り下ろす。
 左腕部をもぎ取る一撃を、敵は半身をそらし回避。だが左腕部に装備された盾は真ん中から両断された。
 敵は盾を諦め残骸を投げつけてくる。
 
「当たるわけないでしょ、そんなもん!」
 
 苦もなく長刀で払いのける。
 だてに突撃前衛 をやっているわけではない。
 払いのける間に敵は地面に落ちた突撃砲(ホーク3の物だ)を拾う。照準警報が鳴る。

『 ヴァルキリー2!』

 即座に意図を察知し上空に跳躍。後衛の強襲前衛 、強襲掃討 が敵機を掃射。私の機体の影に入っていたのだから、完全な不意打ちになったはずだ。
 
「悪いわね。でも卑怯とは言わないわよね」

『もちろんだ』

「なっ!」

 下で掃射を受けたはずの敵は、私に張り付くように上空に飛んでいた。
 意表を突いたのになぜっ!
 そして反応する間もなく右手の短刀で私の機体の左腕を切断。
 同時に敵は機体の頭部を掴み、跳躍装置の出力を最大にする。そして私を盾にしながら部隊中央に落着した。

「ぐぅっ」

 背中を打ち付ける衝撃に口が歪む。機体と強化服では衝撃を吸収しきれなかった。
 敵も同じように衝撃を受けているはずなのに、私の機体を乗り越え、また跳躍。

 どこに向かったのか、とっさに確認できない。
 そしてどこかで何かがぶつかり合う音。おそらくは長刀が戦術機の装甲を断ち切る音。

 機体を音のした方向に向けると、私は息を飲んだ。

 そこには

 装甲部の多くを銃撃され、さらに左腕をもぎ取られた陽炎。
 
 と

 傷はなく、握る長刀で陽炎の左腕を切り落としながらも、コクピット部に短刀を突きつけられたヴァルキリー1、大尉の不知火であった。



[33107] 三話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/09/03 14:49
10月22日 横浜基地 第一滑走路前 《伊隅 みちる》

 コクピット部の装甲に、陽炎が握る短刀が触れている。
 相手衛士が動かせばそれは易々と私の機体を貫くだろう。その事実に唾を飲む。

 あの瞬間

 速瀬との連携で部隊の全員が敵機の制圧を予想していた。だから次の奴の行動に皆が驚愕し、行動が止まってしまった。
 奴はこちらを読んでたかのように、速瀬と共に上空へ。そして速瀬機を無力化する。
 さすがにその時点では部隊は正気を取り戻したが、速瀬を盾にとられ、どうしようもなかった。
 しかしそれだけならこのような不覚は取らなかった。
 わざわざコクピットを狙いながらも衛士を生かした理由。
 銃も持たず、速度で劣る敵が訳もなく後退した理由。
 敵が着地した時、全てが分かった。
 
 撃てない。

 衛士が乗った味方の陽炎が邪魔となり、火器を封じられた味方が発生してしまった。
 偶然とはとても言えない。敵や味方の移動で、すぐさまその状況は解消されるにせよ、数秒間、稼働中の味方の半数以上が発砲できなかったのだから。

 コクピット部を狙ったのは管制ユニットを破損させ、脱出を不可能にするため。
 後退した理由は、中衛、前衛を突出させ、後衛との間に僅かとはいえ空間をつくり、さらにその空間に破壊した陽炎を持ってくるため。

 気付いたときには前衛と中衛、後衛の一部の援護が失われ、瞬間的に擬似的な一対一の図式ができてしまった。
 残った味方の援護を無視し、敵は特攻ともとれる速度で近づいてくる。
 その変態的な機動もさるながら、殺傷を禁じられているため突撃砲による迎撃は断念。
 背中の担架の火薬式ノッカーにより、素早く長刀を振り上げ、迎撃を試みる。
 敵は長刀は抜いていない。短刀のままだ。
 リーチが短い分、懐に潜り込まれれば終わり。長刀の性質と相手の速度を考えれば好機は一撃。
 この状況は明らかに前のホーク隊と同じ状態であった。
 
 誘い込まれたな。
 
 おそらくこれは相手の得意とする場面のはずだ。
 だがなめてもらっては困る。不知火を駆り、A-01の部隊長である以上、遅れは許されない。
 味方の援護の復帰を考えれば、相手はホーク1の時の様な機動での回避はできない。
 正真正銘、ただ一撃。真っ向勝負。
 
 相手の突き。無駄のない直線を描き、短刀が私のコクピットを目指す。
 これを避ければ、こちらの勝利。
 しかし、先の敵の機動を考えれば、横への跳躍は悪手。
 よって半歩右へずれ、相手を右から袈裟切り。左腕と両脚の切断を狙う。

「ふっ!」
 
 長刀な分、振り下ろした剣速はこちらが相手を凌駕していた。
 相手は左腕で長刀の勢いを殺そうとするが無駄だ。
 やれるっ!
 そう確信した瞬間、信じられないことが起きた。

 爆発。

 それほど大きくはないが、敵の左腕で起きたそれは、私の長刀の軌道を僅かに変える。左腕をもぎ取るも、長刀はその後地面を穿った。
 突撃砲の弾倉の暴発。敵機はいつの間にか握っていた弾倉で、私の長刀を受けたのだ。
 左腕は切り落としたが、ただそれだけ。
 敵の短刀を遮ることは、もうできなかった。
 
 


 そして今に至る。

 双方とも身動きが取れない。
 部下は私の指示を待ち、動かない。
 『私にかまわず撃て』と言うのは簡単だが、私は沈黙した。
 別に命は惜しくもないが、ここで死ねばただの犬死だ。攻撃を寸止めしてきたからには、相手は交渉を仕掛けてくるだろう。それを待ってから発砲でも遅くはない。

 事実相手はこちらに通信を入れてきた。
 回線は秘匿回線 から。部下たちには聞かれたくないらしい。

『投降がしたい』
 音声だけの通信だった。

「条件は?」
 最初の警告を蹴った以上、何かしらあるはずだ。

『具 体的には4つ。1つは俺の命の保障。2つ目は投降後、香月 夕呼との面会。そちらも聞きたいことがあるはずだ。内容は第4計画の機密かそれ以上の内容になるので、立ち会う人物の人選は慎重にお願いしたい。3つ目は 香月 夕呼との面会まで他の基地要員に、俺の顔がわれるのを防いでもらいたい。そして最後に、そちらで拘束されている社 霞の生命の保障も要求したい』

 第4計画。社 霞の裏切り。

 それらが耳に入った瞬間、不覚にも表情がこわばる。
 
  この基地を襲撃した以上、 第4計画つながりのことだとは推測していたが、社 霞の裏切りは予想外だった。
 とにかくそんな要求は、一士官の私には答えかねるので、司令室、副司令に判断を仰ごうとする。だがその前に通信が割り込んだ。

『人様の基地襲撃しといて、ずいぶんまあ厚かましい要求ね』
 香月副指令だ。

『いや普段から無茶を為されている、どこかの極東の女狐殿よりは殊勝な要求ですよ』
 男は飄々とした態度で答えた。口調がさっきより幾分か崩されている。

『あら、とんだ人物ねそいつ』

『まあ心がお広い副司令殿には関係ありませんよ。どうですか? 寛大な御心でこちらのささいな要求を呑んでいただきたいのですが』

『そうね、少女たぶらかす様なロリコンの要求はちょっと呑めないわ』

『悪い狐から少女を助け出すのは、猟師でなくとも男がやるべき義務ですよ』  

 なんだろうか。突きつけられている短刀よりも、この会話の方が正直怖ろしい。私を無視して、二人は話を進めていく。

『第4計画、上手くいっていないのでしょう?』

『なんのことかしら』

『半導体150億個 を手のひらサイズ』

『......』

『俺なら、そちらのお悩みを解決できると思いますよ』

『とんだほら吹きね』

『聞くだけなら与太話もただですよ。それに、今社 霞の脱落は痛いでしょう?』

『............』

 沈黙。
 男の要求を吟味しているのだろう。このような場合、声を掛けるのは禁物だ。彼女の思考を妨げれば、噛み付かれるどころの騒ぎではない。
 男も知ってか知らずか、口をつむぐ。幸いにして、直に副司令は動いた。

『伊隅』

「はい」
 
『この男の機体を貴方達のハンガーに収容しなさい。同行するのは貴方一人。他の連中は少し外で待機させて。妙なまねしたら、そいつ蜂の巣にして良いわよ。人払いをさせるから、基本貴方がそいつの見張りね。検査を受けさせて、その後二人で私の部屋まで連れてきなさい』

「了解しました」

『それじゃ、待ってるから』

 一方的に通信が切られる。この流れからすると、男との交渉は成立したようだ。
 どうやら自分の首が繋がるらしいと思うと、どっと息を吐く。命を捨てる覚悟はあるとはいえ、助かることは嬉しい事だ。

 すると男からまた通信が入る。今度はオープン回線から。
 なんだろうと思い、そして直に把握する。
 部下たちはこの状況を知らない。

 その後、仕切り直して男の投降を受け入れたのが馬鹿らしく感じた。



 10月22日 横浜基地 地下通路 《???》

 伊隅大尉を人質にとり、ヴァルキリーズと痛みわけに持っていけたのは、僥倖という他なかった。
 第二世代機でXM3非搭載。極東でも1、2を争う部隊と一戦交えるには、役者不足であった。
 同じ不知火でいくべきかと思ったが、その後の展望を考慮すれば、格下の機体で彼女らを圧倒する必要があった。
 もちろん持ってきたもう一機、『あいつ』ではさらに論外だ。
 それではそもそも戦いにすらならないし、基地の連中にも見せるわけにはいかない。
 
 しかしひどく疲れた。

 ただでさえ長い検査な上に、さらに伊隅大尉の熱い視線付き。
 そして彼女は今も俺から一切目を離さずに監視している。
 敵意の篭った瞳。
 それは戦場でBETAに対して向けるものと同じで、最後に俺を見つめたものと対極にあるもの。
 以前は向けられることの無かった種類の感情に、傷つきながらも安堵する。
 これからすることを考えれば、そちらの方が万倍気楽だ。
 
「さあ、着いたぞ」

 そしてある部屋の前にたどり着く。
 国連軍横浜基地副司令。香月 夕呼の部屋。
 第4計画の主導者で、計画の成功ならどんな非道も成した魔女。
 少女と世界に希望をもたらし、偽者の英雄に付き合ってくれた恩師。
 
 そんな彼女は、俺がドアをくぐると、不機嫌そうな顔でこちらを睨みつけてくる。
「あんた一体何者よ」
 彼女と対峙するために、俺は不敵な笑みを浮かべる。
「白銀 武ですよ 香月博士」


 
「本当にあんたは白銀 武なの?」

 博士の質問に答える前に俺は手で制する。

「その前に社 霞が拘束されているでしょう? 約束どおり拘束を解いて欲しいのですが......」

 伊隅大尉に目線を向ける。さすがというべきか、博士は直に察してくれる。

「そうね、伊隅、ピアティフのところにいってくれる? 話はしてあるから」

「しかし副司令! それでは危険すぎます!」

「殺そうと思ってるなら、わざわざ単機で特攻なんてしてこないわよ」

「ですがっ!」

「いいから」

 手をひらひらとさせて、出てけと博士が促す。
 こうなれば、もう梃子でも動かないと長年の付き合いから分かるのだろう。
 俺を一睨みすると、博士に軽く礼をし退出していった。

 さてここからが交渉の始まりだ。
 こちらの見せ札と切るカードは最小限に、相手から引き出す対価は最大限にしなくてはならない。
 
「話を戻しましょうか。答えはYES。俺が鑑 純夏の待ち人の白銀 武ですよ」

「根拠は?」

「ありませんね」

「ふざけてるの」

 元々不機嫌そうな顔がさらに歪む。霞を抑え、交渉に有利になった代わりに、前回の手法がとれない。通信での会話で計画の内容を仄めかしても、霞と共謀しているのなら知っていて当然だ。

「ここにないだけですよ。少しかさばるものなので、基地外に置いてきたんです」
 
 座標地点を告げる。場所は横浜の廃墟。

「そこになにがあるの?」

「第五世代戦術機」

 息を呑んだ香月博士の顔を見て、少しだけ嬉しくなる。
 16年間付き合ってきて始めて鼻を明かした気分だ。
 あちらの本人に手伝って貰ったので、あまり偉そうなことは言えないが。

「さすがにあれとイーグルを持って、霞と世界を超えるのは大変でしたよ。いや大変だったそうですよ。本来ならば、唯ループするだけの俺を他の世界に飛ばしただけじゃなく、そういった不純物まで一緒にするのは」

「それが本当である可能性は?」

「座標の地点を確認すれば良いでしょう。あとできればこの基地に運び入れて欲しいですね。何にせよ、すぐばれる嘘はついても無駄です。それに因果律量子論。博士が研究しているその理論なら、この事態を説明できるのでは?」

 博士のこちらに対する目つきが変わる。
 敵視する目から好奇心、そしてどれほど利用できるか見定めようとする目。
 上手くいっている。あとはダメ押し。

「俺が来たのはこの世界と限りなく近い世界の、現時間軸から比較すれば15年後。BETAを月から駆逐した世界からです。もちろん博士の理論は完成し、00ユニットも稼動しましたよ」


「私達の利害関係は一致していると言いたいの?」

「未来の情報も、誰も信じなくては意味がありませんからね。まあ技術だけでも、どこかは買うでしょうが、できるなら一番高く評価してくれる相手に売りたいですね」

 ここまですればもう完璧だ。もうあちらから切り出すのを待てばよい。

「......いいわ。そちらの要求は何?」

「では単刀直入に。俺と霞の自由行動の承認。俺を国連軍に編入し、階級は少佐以上。そしてA-01と207訓練部隊の教導をやらせてください。あとは......こちらが流す技術の再現を」

「ずいぶんと大きく出たわね」
 博士が猛禽類をほうふつさせる様な笑いを浮かべる。怒っているというよりは、単純に可笑しいのだろう。

「第4計画の達成に貢献するのならば安いものですよ。それに後半はそちらの利益にもなりますしね。衛士の腕は先ほどのご覧のとおり。技術は後ほど持ち込まれるもので確認してください」

 こちらの計画を考えれば一つもはずせない条件だ。
 しかしはずせない条件があと一つ。
 俺のこのループの目的であり、仲間の全てを侮辱することになるだろう最後の条件を、いつ切り出すべきだろうか。

「まあそうね。でもその前に一つ答えなさい」

「なんでもどうぞ」

「あんたの目的は何?」
 どうやら相手からきたようだ。


10月22日 横浜基地 執務室 《香月 夕呼》

 白銀の要求どおりの手配を終え、私は椅子の背もたれに寄りかかる。
 振ってわいた事態を、ゆっくりと整理する。

 一言で言えば状況は最高に良い。
 白銀の言の言うとおり、示された座標には、どの国の戦術機とも判別つかない機体があった。
 回収し、軽く調べた整備班からは、帝国軍の機体といくつかの類似点があるとのこと。
 これで白銀の話は十中八九正しいと判断できる。
 とすれば後は白銀から理論を聞き出せば、第4計画は完成するはずだ。

 もう順風満帆ね。

 理論は完成しているはずなのに、どうしても問題を解決できない。
 ここしばらくはその思いで悶々していたが、それも一気に吹っ飛んだ。

 久しぶりに秘蔵の日本酒を開けましょうかね。

 閉まっている棚から酒を取り出す途中、ふっとある考えが浮かぶ。

 それはあの白銀のこと。
 おそらくは向こうでも凄腕の衛士だったのだろう。齢に似合わぬ技量は、手駒が少ない私の、良い助けになるはずだ。
 そして私に及ばないまでもあの交渉術。ある程度様子を見てから、その分野を任せてみても良いだろう。まだまだ若造ではあるが、及第点をやれる。

 しかし。

 一つの懸念があった。

 白銀の最後の話。
 その懸念は計画の障害となるかもしれないと考えたからだろうか。
 それともあいつの話を聞いて一種の危うさを感じ、白銀を案じているのだろうか。
 
 
 どちらにせよ、現時点じゃあ様子を見るしかないわね。


 結論をくだし、私は久しぶりに気分よく酒をあおった。
 

10月22日 横浜基地 霞私室 《社 霞》

 
 こうして何の拘束も無いということは、武さんと博士の交渉は上手くいったのでしょう。
 安堵して備え付けられているベットに腰掛ける。

 この時期にはいつも居たシリンダー室は、今晩は追い出されてしまっていた。
 
 さすがに私と純夏さんを、裏切った当日に一緒にいさせるのは、博士も躊躇ったのではないかと思います。
 しばらくはこの部屋で寝起きをすることになりそう。もちろん純夏さんには毎日会いに行きますが。
 これからの行動は、明日にでも武さんと相談しましょう。

 手をそっと胸に当てる。
 溜息
 
 それはかつての伴侶の無事に安堵すると同時に、彼の無茶を心配するものであり、

「胸がちっちゃい.......」

 かつての私の身体を嘆くものだった。



[33107] 四話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/08/16 19:00
  《白銀 武》

 1回目は力が無かった。
 仲間を助けるどころか、足を引っ張った。
 人類の敗北を目にしながら、仲間が1人ずつ欠けていくのを唯眺めていることしかできなかった。
 

 2回目は覚悟が無かった。
 恩師を死に追いやり、逃げてあちらの世界を巻き込んでそれをようやく気付いた。
 世界に光明をもたらしたが、それは仲間の挺身によりできたものだった。
 
 全ては自分の力不足だった。


 ............

 だが

 それでは3回目はこれで成功するのだろうか。

 力を手にし、覚悟をきめさえすれば、皆を助けられるのだろうか。

 ハイヴを灰燼に帰し、英雄と褒めはやされるほどになれば全員を守れるのだろうか。

 もし

 それでも叶わぬのなら。

 それが、唯の英雄では許されない奇跡だとしたら。

 俺は





10月23日 白銀 武の私室 《白銀 武》

 ゆさっ。

 ゆさゆさっ。

 誰かに揺すられている。
 優しくて、服ごしでも手のひらの温かみが伝わってくる。それはつい最近の様な、とても久しぶりの様な感覚。

「純...夏?」

 バッ

「うおぉ!」
 浮遊感。そしてすぐさま奔る衝撃。どうやら布団をはがされて、そのまま地面に激突したらしい。
 目から火花がでるかと思ったと、なんとも古典的なことを考えていると、頭上から声がかけられる。

「違います」
 
 目を開けると、そこには霞がいた。ずいぶんと小さい...いや15年前の姿なのだから当然だ。
 付き合いが浅い者なら無表情ととるだろうが、俺には少々怒ってることが感じられた。眉間にほんの少し皺がよっている。

「......おはよう、霞」

「......」

 無言。これは少々どころではなく、かなり怒っているのか?
 どうしたんだ? と聞く前に、霞は返事の代わりとばかりに、なんと俺に持ち込んだらしい数冊の本を落としてきた。

「なっ!」

 頭に鈍い痛みが走る。正直さっきの衝撃とは比べ物にならないほどだ。分厚い本の威力は洒落にならない。目に涙が溜まり視界がぼやけていると、さらに自分の上に影ができていることに気付く。
 それはつまりまだ霞が俺を見下ろすように立っているわけで。
 
 追撃かっ。

 とっさに戦場で培った反射神経で、回避を試みようとする。
 だが今回はボフッという音と共に、柔らかく暖かいものが覆いかぶさってきた。
 霞が抱きついてきたのだ。

「......武さん。最低です」

 霞の身体は震えていた。ようやく戻った視界で彼女の顔を覗き込むと、怒った様なこちらを心配する様な表情であった。
 年齢を重ねるごとに感情表現が豊かになっていった霞だが、ここまではっきりと表すのも珍しかった。

「心配......しました」

 失念していた。
 彼女には攪乱を頼んでいたものの、それ以後の計画の詳細を知らせていなかった。
 あちらの世界で時間が無かったこともあるが、これは言い訳にはならないだろう。

 俺が死んでしまうことが怖いのではない。もちろんそれもあるのだろうが、霞が恐怖したことはそれが主ではないだろう。

 なにも知らされずいなくなり、そして死んでしまう。

 待たされる者にとって、それは最低の裏切り行為だ。
 行く者の死を心配しつつも、笑顔で送り出そうとする者への冒涜だ。
 それを図らずとも、前の世界も含めて二回彼女にしてしまった。

 だから謝罪の意を込めてそっと俺は霞を抱きしめる。許して貰うためではなく、少しでも償うために。これからは、ずっとしないと確約できない自分のことを詫びる為に。
 

「だから」

 ん?
 霞のオーラが変わった。なんというか禍々しい。

「だから......お仕置き......です」

 失念していた。
 
 今の霞は昔のあの純真子ウサギではない。
 極東の魔女と謳われた博士の右腕であった存在だ。

「痛くはなるべくしません」

 俺の背中に回っていた霞の腕に、力が入ったのを感じた。








「おはようございます」

 彼女の中では前の出来事は無かったことになったらしい。
 一々俺をもう一度ベットに寝かせて起こすのは、一種のシュールさがあった。
 もちろん突っ込めば、もう一度『寝かされて』起こされるのは明らかなので、ここは黙っていたほうが良い。
 身を起こして俺はベットに座る。霞はじっと俺を見つめている。

 沈黙。

 気まずい。
 
 

 だがそれにしてもあちらの霞と比べると、ウサ耳をつけている今は、何かコスプレしているみたいだな...

「武さん。最低です」

「......すまない」

リーディングで読まれてしまった。縮こまる俺を眺め、霞はため息をつく。
 なんというかその、小さくなっても俺たちの力関係は変わらないようだ。
 どうも霞と接していると地が出てしまう。自分に残った甘えなのか、それとも霞が巧みに俺からそれを引き出しているのかは分からない。

「......いいです。とにかく昨日の博士との話し合いはどうでしたか。話して貰わなくては、私でも
分かりません」

 霞は昨日の話を持ち出してきたので、俺はそれに便乗する。

「ああ。それは順調に終わった。昨日は大体のことを話して、今夜に詳しくもう一度話そうと思ってる」

「そうですか。じゃあ今日私は、純夏さんとお話しています」

 脳髄だけの純夏と、コミニケーションができるのは霞だけだ。一応昨日は部屋で休まされたらしいが、おそらくこれからの日課は昔と変わらないことになるだろう。

「こっちはA-01と207の皆の教導をするつもりだ。A-01とは、今日は大尉と打ち合わせだけになると思う」

 どう転ぼうが部隊の錬度が高いことに不都合は無いので、本格的に動き出すまでは教導に勤しむことを予定していた。


「頑張って下さい。夜の博士との話には私も参加するつもりです。訓練の終わり頃に会いにいきますので」

 言い終わると踵を返して霞は扉へと向かう。
 去り際にこちらを向き

「またね」

「またな」

 軽く笑みを交わして霞は退出していった。
 毎朝していた『これ』は、どうやらこの世界でも継続するらしい。
 
 
 


 時計を確認してみると、起床ラッパの5分前。話の時間を含めて起こしにきたのだとしたら、霞の起こしスキルは驚嘆に値する。
 ちなみに俺にぶつけた本はそのまま床に散乱していた。表紙から見るに学術書だろうか。
 こんなものを普段霞は持ち歩いてはいなかったので、ただ俺に投げるために持ってきたのだろう。


 とにかく気を取り直し、いつもの通りに服を着替えようとして、ふと手が止まる。
 
 俺はこの訓練生の服装以外に服を持っていない。
 手続きは昨日副司令がやっていたから、装備品や階級章と共に届くはずだが、詳細を聞いていなかった。あちらから持ってきた服は強化服のみだったため、今の服装は、検査時に着替えさせられた訓練生のものだけだ。

 以前のループの時は問題なく用意されていたので、嫌がらせなのかもしれない。(わざわざ不要な訓練生の服を渡してきたことも怪しい)
 
  だとすれば待っていてもしょうがない。忘れている可能性も万が一あるかもしれないので、基地の確認と兼ねて博士の部屋に行こう。

 そう思い立ち俺は立ち上がる。

 部屋を出る前の日課だ。
 鏡を覗き込み、ゆっくりと深呼吸。
 顔の筋肉の一筋まで意識をとどかせて、表情を操作する。
 あいつらと会うのだ。気を引き締めなければならない。
 昔とは違う。同輩ではなく上官として、仲間としてではなく戦術機乗りとして、彼女らと接していかなくてはいけない。
 
 よし。
 今ここに立っているのは国連軍佐官『白銀 武』だ。『タケルちゃん』でも『白銀』でも『武』でもない。
 
 部屋の入り口に立ち、もう一度中を振り返る。
 そして思い浮かべる。
 脳裏に浮かぶのは仲間達と、最後まで仲間だと信じてくれた衛士達。

「白銀 武。行って参ります」



10月23日 横浜基地 通路 《神宮司 まりも》

 まったく、夕呼ったら、何考えているのかしら!
 
 憤然としながら私は通路を歩いていく。
 昨日の夜遅くに連絡してきたと思ったら、急に教導に中佐を一人参加させると言ってきた。
 判明しているのは顔写真のみ。他の詳細は一切知らされず、階級章と装備品の支給の時に確認せよとのこと。
 
 別に小間使いの様にされたのを怒っているのではない。
 怒るよりも、私は教え子達が心配なのである。
 ただでさえ複雑な背景を持ったあの子達に、これ以上の負担は避けるべきなのだ。
 表面的には問題が無くとも、部隊内の仲が不安定なものであるのは明白であるし、外部からの圧力も無視できるものでは無かった。
 
 20歳にも満たない中佐。
 その年齢でその階級に至るのなら十中八九、技術士官だろう。そんな畑違いの人間にでしゃばられても困るのだ。さらに言うなら、なぜ今階級章や軍服を支給するのだ?
 会う前からその人物に不信と疑念がつもる。
 だがそれでも上官命令は絶対だ。これは覆し仕様が無い。ならば件の人物を見定め、問題が起これば身を挺してでも彼女らを守らねばならない。

 決意も露に、私は白銀中佐の部屋の前に着く。
 そして軽くノックをする。

「白銀中佐。よろしいでしょうか」

 返事が返ってこなかった。何回か呼びかけたが、やはり反応が無い。失礼だと感じたが、部屋に入ることにする。

「白銀中佐。失礼します」

 ............

 訂正しよう。少しだけこの任務を任されたことに腹が立った。

 誰もいない。




 10月23日 横浜基地 PX 《白銀 武》

 染み付いた癖は抜けないものなのか、自然と俺はPXに訪れていた。
 厨房内できびきびとした動きで、動く中年の女性。
 このPX内の絶対権力者。京塚曹長。
 その名前は文字通りであり、時々訪れる副司令を平気で『夕呼ちゃん』と呼ぶほどだ。
 以前の世界では、偶然ここで食事をとったラダビノッド司令の頭もぺしぺしと叩いていた猛者である。

「むっ」
 そしてテーブル群を見て、発見する。
 それは全員で食事をとる207小隊であった。
 冥夜。榊。珠瀬。彩峰。
 同じテーブルに着き、彼女らは黙々と箸をすすめていた。
 鎧衣が居ないのは、確か検査入院だったろうか。
 
 散っていった仲間がそこにいた。

 だが感動するよりも涙ぐむよりも、俺はつい呟いてしまう。

「危ないな」

 彼女達の関係が。
 何も問題なく一緒に食事をしている様に見えるが、それが問題だ。彼女達の間に何も無い。
 具体的には極端に会話が少ない。
 珠瀬が頻繁に話を仲間に振っているが、それも御剣と榊のどちらかが二、三言返してすぐ終わってしまう。
 空中分解しそうな機体を、部隊という補修剤で辛くも保っている状態。
 おそらくこれが、俺が入隊する前の日常だったのだろう。
 
 このままでは危険だ。不和のある部隊など錬度以前の問題である。
 この世界では俺は教導にまわるので、彼女達の関係の改善が、これでは望めないかもしれない。
 それほど彼女らの抱えているものは深いのだ。俺が入隊して改善したのは、今考えれば奇跡に近かったのかもしれない。

 とすれば気は乗らないが、教導の立場として、ここは一つ荒療治がいるだろう。

 カウンターで食事を受け取り、彼女達に近づく。
 一番最初に気付いたのは冥夜であった。

「そこの方。何か私達に御用ですか?」

「いや今日から207部隊と”共に”することになった者だ。神宮司教官から後ほど紹介があると思うが、その前に君達を見かけて、
親睦を深めたいと思ってね。相席いいかな?」

 返答に詰まっている。もとより拒否させるつもりも無いので、とっとと席に着くことにした。
 榊が顔をしかめる。ずうずうしい奴とでも思ったのか。

「白銀 武だ。よろしく」

「分隊長の榊 千鶴よ」

「......彩峰、彗」

「た、珠瀬 壬姫ですっ」

「御剣 冥夜だ。よろしく頼む」

 さて自己紹介は済んだ。後は全力で地雷を踏み抜く。


「こちらこそ。それにしても榊に彩峰なんて、有名人の苗字と一緒だな。御剣もなんとなくあのお方に似ているし、何か凄いな」

 ピシリ、と空間にひびが入った様な雰囲気になる。
 珠瀬を除いた、三人の顔が険しい。こうもずけずけと言った奴は初めてなのだろう。
 珠瀬は三人を見て慌てふためいている。時折『はわわ~』と声を出して、突如始まった諍いを止めたそうにしているが、何もできない。

 しばらくの沈黙の後、榊が口を開く。

「白銀って言ったかしら」

「ああ」

「それはどういう意味?」

「そのままの意味だが」

 しれっと答える。どう考えても確信犯なのは明らかだが、開き直ればこれ以上追求しようが無い。
 その態度に益々苛立った榊が、俺を睨み付ける。

「......白銀。一つ忠告しておくわ。人間、踏み込んで欲しくないことは一つはあるの。もちろん私達にもそれがある。
私達は互いにそれには触れないようにしているのよ。貴方もここに入った以上は従って貰うわ」

「それは皆の共通認識か?」

 他の皆は答えない。沈黙による肯定というやつだ。
 最初の世界でも榊にそう言われたが、この世界でもそのルールは暗黙の了解なのだろう。

 ふざけた理論だ。
 俺が衛士の何たるかを語る資格も無いが、それでも鼻で笑ってしまうほど『今の』彼女らは軽い。

「一つ質問したい。君達は本当に第207衛士訓練部隊の隊員か?」

「そうよ。当然じゃない」

「失礼ながら俺の目には、ここに衛士訓練生がいるようには見えない。どこかの我侭な女学生達三人なら、目の前にいるが」

 嘲笑をもって彼女らに目を向ける。多少は演技が入っているが、俺の本心からの言葉だ。

 さてここまで挑発すれば、御剣と彩峰黙ってはいまい。事実、御剣は俺にくってかかってくる。
 その表情は怒り。自分と仲間の信念を侮蔑されたことに対する憤りだ。

「白銀、お主は我らを愚弄するか」

「特別待遇で腑抜けている君達の現状を、的確に表している言葉だと思うが」

 瞬間。

「あんたねえっ!」

 榊が俺の襟首を掴みかかろうと腕を伸ばしてくる。
 冷静な榊が始めに行動を起こしてくるとは珍しい。
 しかしよく考えてみれば、手こそは上げてこなかったが、どの世界の榊もよく突っかかってきたから普通なのかもしれない。

 何にせよ、大人しく掴ませるつもりなど毛頭ないが。
 対処しようとこちらも行動を起こそうとする。一本背負いはやり過ぎだろうが、まあ関節の一つはきめさせて貰おう。

「貴様らっ! 何をしているんだ!」

 静止の声が入る。207の皆は直に直立して敬礼した。
 生憎俺の真後ろから声がかかったので、姿は確認できない。しかしそんなことは問題ない。
 何十年経とうがこの声を忘れるなどありえない。俺の恩師であるあの人を。
 振り返り彼女を見る。

「始めましてだな。神宮司軍曹」

 まりもちゃん.......いや神宮司軍曹がそこにいた。



















後書き始めました。(邪魔なら削除します)
二週間かかってこの量とは......
日常部分より戦闘の方が筆が進む気がする(質はどうかとして)
この武ちゃん......霞に起こされてお仕置きされて、よく207の皆にでかい顔できるな。



[33107] 五話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/06/23 15:14
 10月23日 横浜基地 PX 《神宮司 まりも》

「始めましてだな。神宮司軍曹」

 なんなんだこの人はっ。

 支給する装備一式を持ち、中佐を探しているところである知らせを受けた。207の連中がPXでなにやら不穏な雰囲気をかもしているとか。急行してみれば探していた人物もそこにいた。しかもご丁寧に榊の腕を掴んでいるあたり、騒ぎの原因でもあるみたいだ。
 こちらの懸念を予想通りに、いやそれ以上の結果をたたき出すのはある意味夕呼が推薦した人材らしい。もちろん肯定的な意味合いではないのが悲しいところだが。
 


「はっ。中佐が本日から教導なさる207訓練部隊の教官を務めている神宮司 まりも軍曹であります。白銀中佐......このような場所で何をしておいででしょうか」

「いやなに。国連軍基地に女学生が紛れ込んでいたのでエスコートをな。しかし、そいつらが実は俺が教導する訓練生というのだから笑えない」

 笑えないのはこちらだ。
 榊らなど血が上り蒸気さえでそうなほど赤く染まった顔が、私の発言で一気に青ざめてしまっている。服装からして、訓練生と身分を詐称し彼女らを挑発したのだろうが、やられた方はたまったものではない。
 中佐と訓練生など比べるのもおこがましいほどの差だ。それを殴ろうとしたなど......卒倒しないだけましだろうか。
 そんな思考を巡らせていると、中佐は話を進めていく。

「榊分隊長」

「は、はいっ!」

「30分以内に小隊の準備を整えグラウンドに集合。復唱」

 短いが有無を言わさぬ命令。自然と相手の背筋を伸ばさせる声だ。動転していた207小隊は無論、つい教官である私も命令を受領する態勢になってしまう。

「はっ、あのそれは......」

「俺は復唱しろと言った」

「は、はっ! 207小隊、30分以内に準備を整えグラウンドに集合します!」

「よろしい。解散しろ」

 蜘蛛の子を散らす様に207小隊がPXを出て行った。
 時間的余裕があるのだから急ぐ必要は無いが、気の動揺と中佐の声色から教え子達の動きは機敏であった。

 今度は何をする気なのか。

「中佐っ。一体今度はなんですか」

「軍曹。貴様の手に持っているのは俺の装備だろう? 一度俺の部屋まで来い。話は歩きながらしよう」
 
 すると中佐は席を立ち、とっととPXの出口に向かい始めた。こちらを見向きもせず進んでいく。
 いつのまにか周りで見ていた基地要員は、たちまち中佐に道を空けていた。触らぬ神にたたりなしといったところか。正直私も例に習いたいところだがもちろん不可能。直ちに中佐の後を追う。
 
 
 そして歩き出す中、背筋に冷たい汗が流れていくのを感じた。
 この中佐の評価を改めなければなるまい。彼は決して技術士官などではない。
 一連の彼の言動は傲慢ともとれるが、経験に裏打ちされたものだ。
 端的に言えば古参兵のそれ。背中を見る者に安堵を与えるもの。けれどもただの20にも満たない若造が持っているはずがないものだ。
 そしてそれは私に深い懸念を生み出す。最初は夕呼関連で、どこぞの技術者が兵器や技術の実証に乗り出したものと高を括っていた。だが実際蓋を開けてみればまったく違った。
 技術士官ではなく歴戦の兵。教官職に就いた者ならともかく、階級を保ったままの教導など尋常ではない。今の人類には中佐に上り詰めるほどの現役の衛士を、普通の訓練生に割り当てるほどの余力は存在していなかった。

 最早先ほどの行動の真意を問いただすことで終わる事態ではない。教え子たちが、前途ある彼女たちが何かに巻き込まれようとしている。

「中佐。ご説明下さいっ! なにをなさるおつもりですか」
 
 追いつき、白銀中佐に並列した。中佐はこちらを見向きもせず歩き続けている。
 
 一介の軍曹ごときが中佐に噛み付くことなど言語道断なことだが、彼女らの未来がかかっているのだ。ここで退くわけにはいかない。

「中佐...」

「軍曹。この戦局はあと何年保てると思う?」

「は?」

 疑問符が浮かぶが中佐はそれを意に介さず続ける。

「敵の物量は尽きず戦線は上げられない。それどころか、こちらは女子供まで動員してやっと現状を確保している状態だ」

「......」

「真綿で首を絞められるどころかナイフで肉を削ぎ落とされているような中、戦局を打開するために打開策を講じなければならない」

「......それと、彼女達に何の関係があるのですか」

 誤魔化すつもりですか、とは言えなかった。なぜなら横から視界に入った中佐の顔は至極真面目なものであったし、こちらをからかおうとするものではなかった。
 
「副司令お抱えの中佐が訓練生の面倒を見る。状況からすぐに察せると思うがな、軍曹」
 
 中佐の言葉で予測が確証に変わった。
 拳を血が通わないほど握り締めてしまう。
 
 夕呼......

 親友の行為は詳細は分からなくとも察することができた。
 彼女の飄々とした笑顔からも重圧に耐える様子は垣間見えていた。力になってあげたい、これは私の偽らざる気持ちだ。そして軍属である以上、命を惜しむわけにもいかない。
 だが......だが今の教え子達を差し出すことは躊躇われた。
 訓練生とはいえ彼女達も私と同様の立場に存在しているのだと言われればその通りだ。
 207のもう一方の片割れ、柏木や涼宮達の所属が判明していない以上、彼女達が何らかの形で夕呼の計画に参与していることも分かっている。
 それでも私は彼女達をこの中佐、いや夕呼に任せたくは無かった。

 今の彼女達には何も無い。
 命を懸けてでも守りたい仲間や大切なものが無かった。
 代わりにあったのは理念や理想だけ。

 祖国や人類を守りたい。それを笑うつもりなど毛頭無い。それは尊い考えだ。けれどそれだけしかない彼女らはあまりにも鋭く、そして脆すぎる。
 教え子達はこのままでは絶対に生き急いでしまう。一衛士の費用対効果としては十分な結果は残すだろう、彼女達は優秀だから。

 それは、とても許せることではない。
 
「なぜ......なぜ彼女達なのですか」

 これは愚痴に過ぎない。軍において命令に『なぜ』と聞くほど愚かなことはない。あえて言うならば必要だからだ。
 だからこの時中佐は私の問いを適当にあしらうか、『need to know』だとして叱責してくるかのどちらかだと思っていた。なんにせよまともな応対はないと考えていた。
 しかし彼は足を止め、つられて止まった私の顔を見つめきた。表情は完璧に無表情であった。

「なぜ、なぜか。あえて言うなら選択肢が無いがふさわしいな」

「......」

「時間的余裕が、物資や人員の余裕があと少しでもあればなんとかなった。一年、いやあと半年でもあれば彼女達を使う破目にもならなかった。しかし、無い以上は使うしかない」

 ああ、この中佐は。
 この人物の性格の一端を理解できたような気がする。
 この人は本質的には私の親友と同質なのだ。自分の目指すもののためにどのような犠牲も厭わず、己の行為の弁明を一切することが無い人。

「だがな」

 そこでほんの少し、そう同じような人間を親友に持っていた私がかろうじて分かる程度の綻びが一瞬できる。そこから見えたのは形容しがたい激情。それに触れた瞬間、私の思考は止まってしまった。
 ここまでの誰かの感情を感じたのは初めてだった。

「俺はあいつらを死なせる気は微塵も無い。その意味では軍曹の心配は杞憂だろうよ」

 すると中佐は私が手に持っていた装備を取り、添付してあった書類にサインをする。そして私に書類を渡すと私をおいてどこかに行ってしまった。
 私は呆然としてそこに立ち尽くしていた。 呼び止めなければならないと分かっていたけれども、なぜだかできなかった。



 

  10月23日 横浜基地 グラウンド 《榊 千鶴》

 私達分隊は何も言葉を発せずに整列していた。
 普段なら雑談の一つでも起きるはずなのだが、やはりあの男......いや白銀中佐の一件が響いていた。私としても話す気など起きなかったのでありがたかった。
 ふと皆の身体が強張っていることに気付く。そして直にその原因も分かった。白銀中佐だ。中佐の格好は通常の軍服ではなく、私達と同様に動きやすい格好をしていた。
 手にはクリアケースを所持している。何かの書類が入っていた。
 
「分隊、敬礼っ!」

「良い。下げろ」

 私達の目の前に中佐が立つ。
 中佐の人柄は、教官が来てから一変していた。いや、素に戻したというのが正しいのだろう。
 新品の装備品やその柔らかい顔立ちから、軍人というよりは軍服を着た民間人という風情に見えるはずなのだが、目の前の男は私が何度か目にした古参の軍人と遜色がなかった。
 しかし雰囲気が変わったものの変わらないものもあった。それは中佐がこちらを見る目だ。嘲笑していた。お前達は取るに足らない存在だと罵倒していた。
 悔しく歯軋りをするが相手は上官である。逆らうことなどできない。
 御剣と彩峰も同じ気持ちなのだろう。黙ってはいるが中佐を睨んでいた。珠瀬は非難する様な感じだが明確な敵意は示していない。

「さて貴様達の今後について話そう」

 中佐は私達の態度など意に介さずに話を切り出す。そしてさきほどのケースから書類を取り出した。枚数は全部で4枚だ。中佐は字面を私たちに見えるように突き出した。

 何の書類?

 目を細めて確認し

 

 『それ』の正体を理解した瞬間、理性がとびかけた。



「除隊届けだ。本来こんなもので軍を抜けられることなどできないのだが、貴様達は運が良い。徴兵免除対象のお前達ならこれで大丈夫だ」

 何を、言っているのだこの男は。
 
「残念ながら今の軍は女学生を養う余裕はない。各々自分の家で面倒をみてもらうといい」

「ふざけっ」

 瞬間。鈍い音がした。それと同時に何かが倒れる音も。それは反論を言おうとした彩峰のいるところから聞こえ、少し経って中佐が殴ったのだと気付いた。
 目を向ければ殴られた彩峰も事態の把握に時間がかかっているようだった。


「俺は軍人でね。女学生の話す高貴なお言葉は理解できないのだよ。できれば学のない俺に分かる様な話し方で話してくれると嬉しい」

 中佐は何でもなかったかのように殴った手を数度振って引っ込める。
 皆が息を呑み押し黙った。怒りと悔しさでおかしくなりそうだった。意味もなく叫んで目の前の男に飛び掛りたかった。
 それでも心の冷静な所はなんとかしなければと叫んでいた。だが私が動く前に御剣が先に行動する。

「中佐......発言をよろしいでしょうか」

「いいだろう御剣、許可する」

「私達の、私達の何をもってその様に断ずるのですかっ」

 何とか表面上だけを取り繕った言葉であった。その下には業火と表現するに相応しいうねりがある。

「何だ貴様らは理解できないと?」

 だがそれでも中佐にはどこ吹く風だ。
 これは重症だな、と中佐は溜息をつく。しばし考えるような仕草をすると、中佐はこちらに向かって言い放った。

「分かった。それでは理解させるついでにチャンスをやろう」

 ケースを少し離れた地面に置き、両腕を広げて私達に対峙する。

「貴様ら4人と俺で格闘戦といこうじゃないか。時間は無制限。勝敗はそうだな、どちらが『まいった』と言うかにしようか。腑抜けた貴様らだ。こちらの方が早いだろう。ほら、いつでも良いぞ」

 
 ここにきて私は、完全に自分の理性を失ってしまった。上官がどうとか規律がなんだとかを忘れてしまう。ただ目の前の男を沈める。頭の中はそれだけで満たされていた。
 
 だから躊躇ったとかではなく、彩峰が先に飛び出したのは単純な瞬発力の差だった。

「......潰すっ!」

 見切れるかギリギリの右ストレートを彩峰は繰り出す。万が一避けれたとしても、そこから相手を掴み投げ技へ移る彼女の技はこの男を捕らえるものだと確信していた。

 けれどもそんな予測図は容易く打ち崩される。
 気軽ともいえる動作で右へずれ中佐は彩峰の胴体へ右の拳を叩き込んだ。ただそれだけの単純な、いやそれだけに、究極まで研磨されたそれで彩峰は沈み込む。
 
 中佐へ突撃するなかで呆然としてしまう。
 あの彩峰が。独断専行をし部隊内の指揮をいつも掻き乱しながらも、私が接近戦では敵わないと認めた相手がいとも容易く倒された。それは私の自信も粉砕されるに足るものであった。

 そして

「だから女学生だというのだ」

 彩峰を負かした中佐にとっては絶望的というに相応しい隙を生み出してしまっていた。彩峰と同様の一撃が私の腹にめりこんだ。内臓が軋むほどの一撃に膝をつき倒れる。胃から何か逆流する感覚が気持ち悪かった。
 掠れる視界で中佐と御剣が交戦しているのが見える。彼女が抜かれればもう最後だろう。後ろには珠瀬しかいない。珠瀬が中佐に勝てるなど到底思えなかった。
 立ち上がりたかったができなかった。それどころか段々視界がぼやけていく。動きたくて、なんとかしたくて、この理不尽な人を叩きのめしたかったけれども身体がそれを許さない。悔しいのに、嫌なのにどうすることもできなかった。

 視界と連動するように不明瞭になっていく思考の中、この感情が『絶望』なのだと気付いて私は失神した。






あとがき
読み返してもう少し描写を増やしてみようと頑張り、なぜこの楽しくもない欝回にそんなことをしたのかと反省しております。丁寧に丁寧に書こうとすると時間かかりますね。今回の書き方はどうでしょうか。ご意見をいただきたいです。
 今回は暗めな話。早く癒し(黒霞)を投入したい。



[33107] 六話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:3c22942b
Date: 2012/09/03 17:23
10月23日 横浜基地 グラウンド ≪月詠 真那≫

 勝負がついたか。
 背の低い訓練生が腹に蹴りを入れられ、地面に倒れ伏せるのを見届ける。最後の一人となり泣きながら突撃したのだが、やはりあの男の前には無力であった。
正確に言えば冥夜様が御倒れになった時点で彼女らの命運は決まっていた。最後の奴は明らかに後衛であり、前の三人が沈められた時点で勝負ありだ。

『『『……っ』』』

 所持している無線から、グラウンドの四方に散った部下たちの押し殺した声が聞こえる。あいつ達が飛びだしたいのを我慢しているのだろう。
いや声色から察するにいつ介入をするか分からないほどに切羽詰まっていた。

「手をだすなよ。ここで何かすれば斯衛の、いや冥夜様の名誉を傷つけることになるぞ」

『『『了解……』』』

 部下たちを何とか踏みとどまらせる。納得のいかない、不承不承の態度であったが致し方あるまい。
しかし私の今の冷静な態度は何故だ?
 我ながら部下を諌めた今の自分の現状に疑問を持つ。 
冥夜様に訓練とはいえ見ず知らずの、もしかしたら危険な人物が危害を加えたのだ。普段の私なら、褒められたことではないが激昂してあの人物に突貫してもおかしくはないはず。
 
事実部下の三人は私が止めなければ何をしていたか分からない。それだけの不埒なことをあの男はしたはずなのに、なぜか『あれ』が当然だと感じてしまっている。
あの不条理をおかしくないと受け止めてしまっていた。
 いや何故だか理由は分かる。この光景は見慣れた、そして体験したものだからだ。だが何故一体それが目の前で繰り広げられているのだ?

「あの年齢で」


 そう、あれは私が戦術機に乗る前に、私が今でも尊敬する人々、かつての教官達が見せていた態度だ。暴虐的で理不尽で無慈悲であり、実戦を乗り越えてから初めて理解できる温かみを含むそれ。
 それが記憶の底から浮き上がっているからこそ憤怒などではなく、今私はある種の懐かしさとともに静観できているのだ。

 だが何故あの青年ともいえる男が持っているのかが理解できない。

 これはただ単に衛士としての技量だとか士官としての度量といった単純なものではないのだ。
戦術機の腕が良いというのならば別に特筆することではない。才能や努力さえあれば、容易くとはいかないまでも習得できるものであった。
 上官としての技量もまた同様だ。部下を持ち、実戦を潜り抜けていけば嫌でも身に付く。それができないのならば、化け物どもの腹の中に部下共々入るだけだ。
 
けれども人材育成の要である教官職は違う。
 才能、技量、経験。これらが余すところなく必要であることは言うまでもなく、教官職に就くためには『時間』も要求される。
単純な軍事知識だけではなく、文字通り、人を教え導くにはある程度の人格や人生経験が不可欠であるのだ。

 あの人物がいかに才気溢れる者であり、いくら実戦を体験しようともこの職に求められるものは満たせないはず。これは個人の優秀さでは決して補えるものではない。
そしてなにより彼がとる行動、部下達が激怒し私がどこか納得してしまう今の行為は彼の世代ではとれるはずがない。
 
 しかし実際にそれを成し遂げている者が眼前にいるのだ。
 その疑念に対する憶測が頭の中にいくつか浮かぶも、すぐにその思考を停止させる。私の任務は冥夜様の警護であって、間諜の類ではないのだ。
仇なす人物であるならば排除する。それが私がとるべき行為であり、全てなのである。

これは調査を急かさなくてはならぬやもしれん。

 なにか出てくればもちろん黒、綺麗すぎてもあの男の風体ならそれすらも怪しい。
 ともかくも彼の人物の警戒度は上げねばならないだろう。敵に回せば厄介な存在になるはずだ。

 思案に耽るなか、倒れた冥夜様たちの状態を確認していた男と、ふと私は目が合ったような気がした。


 視点変更《伊隅 みちる》

 グラウンドに赴く私の心情はこの上ないほど荒れていた。
 歩調もその心に影響されてか、目的の人物の元に向かう中でいつのまにか速まっている。
 表情にしても今の自分は見れたものではないと思う。先程通路ですれ違った曹長など最敬礼で私に道を空けていた。
 これでは先日の戦闘で機体を中破し、それを新人連中に当たり散らしていた速瀬といい勝負だ。
 
 しかしそれでも承服しかねることばかりなのだから仕方ないではないか。
 結局社 霞に部屋を割り当ててから部隊のところに行った。ただでさえその時点で私は疲労していたのにそれからがさらに大変だった。
 たかが一機に翻弄されて落ち込むやら激昂している仲間に、さらに事の顛末は機密であるとして一切の説明をしなかったのだ。
 いくら軍規をわきまえている連中でも、これにはひと波乱あった。

 そして今日になってみれば昨日の不審人物は中佐になっている。
 副司令の無理は把握していたつもりであったが、まだまだ私の認識が甘かったと言わざるを得ない。
 大佐階級にいる佐官が副司令一人しかおられないことを鑑みるに、あの白銀『中佐』は今や基地内のNo3にいると言っても良い。これはもはや大盤振る舞いを通り越して冗談か何かにしか聞こえない。

 そしてトドメに中佐側についているだろう社 霞が今副司令となにやら対峙しているらしく、それの仲裁に中佐を呼んできてくれとピアティフ中尉に頼まれ今のこのざまだ。

 いくら事情を知る人物の方が良いとしても大尉を小間使い扱いはないだろう!
 いつもは副司令の無茶ぶりで慣れていることだが、それが良くわからないしかも敵だった上官のせいなら別である。憤慨するぐらい許されてしかるべきだ。
 
 私が歩く周辺は訓練部隊以外はほぼ人がいない場所であることをいいことに、この怒りを隠す努力をやめた。
 思い切り顔をしかめて乱暴な歩きをする。足早にそして腕も大振りになる。
 激情を身体全体で表すと心無しか気分が落ち着く。
 隊長職につく者は多少の場合があるが、部下に見せようと意図する以外の怒りや悲しみといった感情は悟られてはいけない。
 よってある程度は隠すことになるのだが、やってみると案外きついものなのだ。こういった自分の心をまったくもって隠さず表現する事は息抜きになりうる。

 頻度はそうないが人がいない自室で時々やっていたりしていた。
 条件反射からか、しばらく続けていると心も落ち着いてくる。そして少々の余裕も生まれ冷静にもう一度思考し直すことができた。
 自分に対して言い聞かせたとも言っても良い。

 ここであの男にもう一度対面しておくことは必要なことなのだ。
 あそこまで露骨に戦術機の操作技術をこちら側に晒したのだ、あの男がどのような立場に立とうとするかは知らないが戦場には立つはず。
 とすれば副司令子飼いの私達部隊が行動を共にすることになることは必定。部隊の仲間たちに引きあわせる前に私自身が確かめることは有意義なことなのだ。

 そしてここで私は先程までとは違う意味で難しい顔をする。 

 あの男の衞士単体としての能力ならば極上。申し分もない。額面上捉えるなら是非仲間に欲しいと手を上げたい。
 けれどもそれが部隊運用になるならば別である。個の力では部隊の実力は決まらない。飽くまで全体が叩き出せる効用の多寡が問われている。
 軍人であるのならば例え昨日の敵だろうが手を携えなければならないのは当然だ。
 だがその人物が部隊の頂点に突然就任することなぞ、理屈では納得してもどうしても拒否感がでる。
 
 実践経験のない隊員を抱えている今の部隊は非常に不安定だ。精鋭として常に精強さが求められている私たちには致命的とも言っていいかもしれない。
 そんな不安定な中で、あの男の参入が及ぼす効果は正直測りかねる。
 
 私達の部隊にとっての死神にも成り得るし、それこそ今抱える問題を抱える幸運の女神にもなるかもしれない。
 そう考えるならば確かめるということでこの使いも悪くない。

 とここで中佐がいるグラウンドに行き着いたことに気づく。無意識に顔を引き締める。
 近づくに連れ中佐の姿とともに何人かの人影も目に入る。
 地面には見知らぬ訓練兵四人が倒れ伏していた。胸部が上下しているあたり、さしあたっての問題はない。

 訓練兵には悪いがこの光景を目にして私は安堵する。
 教導のできるほどならば私が引いた目は良いものである可能性が高い。

 既に中佐は私に気づいており、その視線を受けてある程度距離を詰めて敬礼する。

「白銀中佐」

「どうした大尉。訓練はまだだが。待ちきれないのか」

 先日の襲撃戦から思ったことだが、この男は年齢を感じさせない喋り方をする。他の佐官階級の士官の受け答えと遜色が無い。

「いえ、実弾を使った訓練ならば今すぐ付き合いたいところですが」

 他の上官にこんな口を利けば物理的な『修正』を受けかねない言葉だが、昨日あれだけ敵意を振りまいた相手だ。今更といったところである。

 そんな言葉も白銀中佐は肩を竦めて受け流す。

「大尉。俺は突撃前衛だ。ウラン弾を後ろから叩きこむ機会なぞいくらでもあるから我慢しろ」
 
 なるほど。中佐という肩書きもらう程度には経験はあるらしい。
 信用するには程遠い相手だが軍事方面の実力だけならば評価しても良い。

「とすれば何だ? 貴様がここにいる以上なにかしらあるのだろう?」

「はっ。中佐に直に副司令の執務室に来て頂きたいと伝えに参りました」

「副司令が? どうせ後で寄る話になっているはずだが」

 不思議そうに中佐は首を傾ける。

「いえ。正確にはピアティフ中尉の要請ですね。『中佐の』社 霞とどうやら何か起こしたらしく、至急来て欲しいそうです」

 どうしたことか、私の発言に直様目の前の男の顔色が変わる。上官としての余裕をかなぐり捨てた態度であった。
 今の皮肉のどこにこの男を揺さぶる要素があるかは理解できなかったが、中佐は非常に動揺している。

「伊隅。その要請はいつ受けた?」

「は? そうですね......30分前ですが」

「了解した。後は任せる」

「えっ。 それは」

 私が言葉を挟む前に、私を置いて基地へと向かっていってしまった。


 無論そこに転がる所属も分からぬ訓練兵たちを置いて(ついでにそこに置かれたクリアケース等も含めて)

 ............

 天を仰ぎしばし黙る。
 喚いたり怒鳴り散らしたりなどはせずに落ち着いて、普段絶対に言うことがない言葉を口にする。

「ちくしょうめ」
 


 横浜基地 執務室 <社 霞>

 博士と私は互いの視線を外すこともなく只々相手の瞳を覗き込んでいました。
 テーブルに置かれていた珈琲からは既に湯気も立たず、視界には博士も含め動くものは一切無い。時間の感覚を失ってしまうかのような空間。
 そこで私は母でもあり、私にとっての断罪者に成りうる彼女と対峙している。

 私がこの部屋に入室した瞬間。彼女が私を見た瞬間に部屋の雰囲気が一変しました。
 その時になって私は理解したのです。
 彼女が私が『入れ替わった』ことに気づいていなかったことを。
 私の顔を見た瞬間にそれを悟ったことを。

 そして今は互いに何も言わず時間が過ぎていくのを待っている。

 この世界の『私』を消したのは私で、それに加担したのはあちらの博士で。
 消されてしまったのはかつての私で、『私』を奪われたのはこちらの博士。

 それが分かっているからこそ目の前の彼女は口を閉ざしている。
 けれども私はそれをしてはいけない。明確な意志で消したのだから、私は逃げてはいけない。
 だからこそ口火を切り出すべきは私なのです。

「拳銃を。懐の拳銃をお使いになるのでしたら、それは正しいことでしょう」

「......」

「けれども私は死ぬ気はありません。抜いたのなら全力で身を守らせて頂きます」

 毅然と率直に彼女に言葉を叩きつける。

「私はこれから計画の利になることもあれば害になることもあります。しかし貴方の心に添うことは恐らくないでしょう」

 昔の社 霞の関係に甘えてはいけない。それはこの世界の『社 霞』のものなのだから。私と彼女。新しい繋がりを作る必要がある。

 博士はそれらの言葉を噛み締めるように聞き、

「そう」

 ただ一言だけ呟いて頷く。おそらくは出したい言葉を呑み込み、今必要とされている言葉だけを紡ぐ。
 それは弱音や恨みつらみを言わない彼女の強さであり、私に対する優しさなのだろう。結局私は博士に頼りっぱなしだ。
 それでも後一言だけ、彼女の強さを頼りに言わなくてはいけない。

 私は頭を下げる。深々と、この世界と今の両方の私の感謝を表すために。

「ありがとうございます。貴方が私を『社 霞』にしてくれた。貴方は私『達』にとっての母親でありました」

「ずるいわね.......その言葉」

 苦笑。それは普段の博士の笑いからは程遠いもので、強さではなく、博士らしからぬ強がりでした。

「ねえ」

「はい」

「貴方の目的聞かせなさいよ」

 博士の問に答える前に私は気づいた。
 私の能力があの人が近づいてくるのを感じる。
 焦っていて急いでいて、軍人として見える顔からは程遠い気持ち。いつまでたっても変わらず、弱い心のクセに全部抱え込もうとする強い人。

 笑っていて欲しいのに勝手に苦しんで。
 逃げて欲しいのに立ち向かっていって。

 そんな人が私を助けようと来てくれることに喜び微笑む。
 そして博士の問に答えようとする。できるだけ誠実にして、彼女に私の気持ちを伝えようとする。
 
 後ろでドアが開く音がした。そして荒い息も聞こえてくる。私はそれに振り返り笑顔で言葉を紡ぐ。

「男ですよ。香月博士」










あとがき

伊隅大尉にデジャブを感じる.......。そしてこの物語のグダり方。おかしいな、プロット立てた時にはこうじゃなかったのにな。



[33107] 七話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:3c22942b
Date: 2012/09/28 19:31
10月23日 執務室 <<香月 夕呼>>

 
 正直に言おう。私は浮かれていた。
 理論が完成しているにも関わらず計画は遅々として進まず、何も知らない外野からの圧力に辟易としていたなかで『白銀 武』という存在の出現は、降ってわいた幸運であった。
 白銀が携えてきたとするものは、私の今の現状を瞬時にひっくり返すものだった。

 正解とされる数式。
 十数年後の技術。
 卓越した戦術機操作。

 どれをとっても今の私にとっては、喉から手が出るほどに欲するものだった。

 だからこそ私は、証拠を示し有用性を証明したあの男を手放しで迎え入れることを決めたのだ。   
 例えその目的に若干の違和感を感じながらも、それを大したものではないと断じたのだ。それどころか白銀 武の身を案じてさえやった。

 霞の件もそこまで深刻に考えていなかった。鑑 純夏 に入れ込んでいたあの子が、その男である白銀 武に絆されたぐらいだと思っていた。

 しかしその判断は一日を経たずして誤りであったと判明する。
 まず白銀が引き渡した機体を精査した整備班から悲鳴さながらの報告が飛び込んできた。いつにおいても冷静さを欠いたことのない連中が、発狂したといっても良い勢いで。
 正式な書類なのだからそのような記述は許されないにも関わらず、整備班の連中はそれを差し出してきた。
 報告書の最初には、整備員達の気持ちを吐露するように汚い字で一言殴り書かれていた。
 
 
 『狂ってやがる』

 提出された資料を眺めて私も目を剥いた。それは感嘆などとは程遠く、そう、はっきりと表現するなら戦慄だ。
 なるほど、確かに第五世代を謳うだけの先進技術が所々に垣間見えていた。材質やCPUなどの、戦術機の根幹を成す基礎技術などにそれが顕著に現れていた。

 だが注目するべきなのはそこではない。
 目を向けるべきは何を目的としてこの機体が作られたかということ。それこそが整備班をして狂気の産物であると呼ばせたのだ。
 狂っていた。戦術機の概念から大きく逸れたそれ。とてもではないが搭乗しようとは思えないもの。
 そしてそれがこの横浜基地に運び込まれたことの意味を私は察する。油断をしていたという気持ちが沸き上がった。
 
 思わず唾を飲んだ。いや喉が乾ききっていたので、実際にはただ喉を鳴らしただけであった。
 手元にあった珈琲を口に含むことさえも忘れて端末に、ある記憶媒体を読みこませる。それは機体のコクピット部に置き去りにされていたものだった。
 こちらが苛つくほどにゆっくりとプロテクトが解除されていく。

 危機感が私の心を急かす。喉元に刃を突きつけられたかもしれない状況下、それが真実であるかを確認する必要があった。
 だから私は焦っていた。冷静さを欠いていた。
 
 扉が突然開き霞が入ってきた時も、小さくも聡い少女に意見を仰ごうとしてしまった。落ち着いて考えてみれば直に分かることだったのに。
 
 霞が本当に『霞』であったのなら、あんな機体やそれを持ち込もうとする男などに協力するわけないのだと。
 白銀 武以外の不純物を他世界に飛ばすことができるのなら、他の人間さえもそれが可能であるはずなのだと。
 
 それを『社 霞』の瞳が、表情が雄弁に私に語っていた。
 事態は私が考えている通りに、いやそれ以上になっていたのだ。

 背もたれに身を預ける。罵声こそ自制心で何とか抑えたが、呻き声は口から発せられていた。
 ぐるぐると意味もない思考に身を埋めていきそうになる。しかし忌まわしいことにこんな時でも理性は頭を冷静にさせた。
 霞の死を横に置き、今はこの女と白銀 武のこれからの展望を聞かなくてはならなかった。

 しかし彼女は部屋に足を踏み入れたきり何も話さない。お互いに口を閉ざしたまま、執務机を挟んで対峙していた。
 途中ピアティフからの通信が入ったが、無下に追い払った。どう言って通信を切ったのかは覚えていない。
 今の私が意識を向けているのは目の前の『社 霞』

 罪悪感を決意で隠し、明確な意志を持ってここに立つ女性であった。
 そして嬉しくも忌々しいことに、そこに立つ人物は社 霞であった。
 成長し、一人の女として私と向かい合っている人であった。

 そんな彼女に向けて何といえばいいのだ?
 責められるわけがない。こんなことができる人物は、私以外にありえないのだから。それを棚に上げて弾劾するなど恥知らずだ。
 祝福なんてできない。彼女は社 霞を殺したのだから。

 言う言葉が見つからない。詰問も罵倒も私の口からは紡げない。

「拳銃を。懐の拳銃をお使いになるのでしたら、それは正しいことでしょう」

 それが理解できるからこそ彼女から告げてくる。

「けれども私は死ぬ気はありません。抜いたのなら全力で身を守らせて頂きます」

 許す必要などないのだと、しかしそれでも断罪を受ける気はないのだと伝えてくる。

「私はこれから計画の利になることもあれば害になることもあります。しかし貴方の心に添うことは恐らくないでしょう」

 はっきりとした決別の言葉。敵とも娘ともとれる彼女からの言葉は、私にとって挑戦状とも娘の巣立ちを知らせるものともとれた。
 もう一度まじまじと『社 霞』の顔を覗きこむ。凛々しく覚悟を決めている表情だ。
 おそらくはここから『社 霞』との新たな結びつきが始まるのだろう。ならば不要な言葉を言ってはならない。悪意も恨み言も全て意味が無い。
 
「そう」

 ゆっくりと、ただその意を肯定するためだけに首肯する。
 許しはしない。されど責めはしない。これからのために必要なことをただ行う。
 たったそれだけの行為が酷く苦痛だった。合理的な判断がこれ程つらいものであると感じたのはこれが初めてだろう。

 だが彼女はそれで終わりにしなかった。すっと頭を下げてくる。

「ありがとうございます。貴方が私を『社 霞』にしてくれた。貴方は私『達』にとっての母親でありました」

 ああ、これは。卑怯だ。ここにきて社 霞を感じさせるその言葉は。新たに『社 霞』としての関係を構築しようとする中で蒸し返そうとする行為は。

 責めることも迎え入れることもできない私はどうすることもできないのに。

「ずるいわね......その言葉」

 だから弱々しく笑うことが今の私にできることであった。
 ここで卓上の端末が記憶媒体の解凍を終了したことを知らせてくる。
 それには目を向けずに私は彼女に質問を投げかける。無粋な問いであるだろうが、今の様な発言をしたのだ。見返りとして求めても良いだろう。

「ねえ」

「はい」

「貴方の目的聞かせなさいよ」

 そこで彼女は黙りこんだ。そして少しだけ背後に気を向けているようであった。端から見れば誤魔化していると思われる行為だが、彼女の能力が近寄る人物を感知しているのだろう。
 無許可でこの部屋に入室できる者で、今彼女が振り返る人物など一人しかいない。

 その間に私はさっと表示されていた情報に目を通す。やはりという確信と、それでも少々の驚きを禁じ得ない代物がそこにある。

 そして目の前の扉が開くとともに、酷く息切れと汗を流した白銀 武が飛び込んできた。

「男ですよ。香月博士」

 あらあら、妬ましいわね。冗談半分に思う。
 笑顔は自然と浮かぶ。お偉方の老人達と渡り合うための演技のものではなく心から出たものだ。
 無論それは好意的なものではない。他者が見ればさぞかし獰猛に映っているだろう。

 端末の電源を切る。それまで映っていた、『他世界における第四計画の成果と詳細』はたちまち黒画面に変わった。

 私がするべきことはもう終わったのだろう。この男が本当に昨夜言ったことが行動理念の全てだったとしても、最良の未来は約束されているはずだ。私が何もしなくても恐らくは問題ない。

 しかし全てを投げ出してはいけない。第一私自身がそれを許容できない。私がこの男を招き入れたのだ。

 白銀に最大限協力してやろう。
 あの画期的なOSのXM3も一刻も早く完成させてやろう。

 私にはこの男を見届ける義務がある。自己の目的のために結果的に人類を救うだろうこの『英雄』を。社 霞を殺したこの憎き男を。
 だからこれからも私の行動は変わらない。文句も罵声も死ぬ間際にでも吐けば良い。

「颯爽とヒロインのピンチに登場するなんて、流石は奇跡を起こそうとする英雄ってところね」

 それに対して白銀は軽く息を整えて返答する。

「お褒め頂き光栄です。けれども俺が起こそうとしている奇跡は随分と歪ですがね」

 そう、と適当に相槌を打つ。今はこんな社交辞令の応酬なぞいらない。

「調度良いから聞かせてもらおうかしら。あんな機体を持ち込んだ理由と、これからのあんたの予定を」

 長い話になりそうだ。



10月23日 PX <<涼宮 茜>>

 どうしようこの状況。いやどうにもならないのは分かっているんだけど。
 行儀が悪いとは思いつつも机に頭から突っ伏している。疲れているから正直力を抜いたこの体勢は気持ちが良いのだ。
 夕食を終え、いつもならば眠気も少々、といったところだが今はそんな気分などではない。
 同席している旧207の皆も程度こそあれ疲労していた。時々隣にいる多恵から

『ああっ! 茜ちゃんっ。そんな格好行儀が悪いよ。でも疲れた顔で項垂れる茜ちゃんの顔も......』

 とか聞こえてくるが、おそらくはそれも疲れから来ているものだろう。いやそうであって欲しい。でないと困る。
 どんよりとした中で、柏木だけが飄々と一人合成玉露を飲んでいる。いつ何時でも自分のペースを失わないのが彼女の良い所だ。
皮肉屋の高原も今はゲンナリとした顔で頬杖をついている。一言言う元気もないのだろうか。あっ......麻倉ごめん。居ることに気が付かなかった。

「何か酷いことを思われた気がする」

「気にするな麻倉。茜が変な妄想の世界に浸っているだけさ」

 失礼な、高原。その緑髪を揺らしながらこちらを蔑む眼でこちらを見ないでよ。

 兎に角も今の部隊の雰囲気の悪さには辟易していた。
 先日の横浜基地襲撃事件。一機の陽炎に対して、イーグル四機と私達不知火九機の大捕物。それで私達は結構洒落にならない失態を犯している。
 第二世代機、しかも単機に良いように振り回されこちらの損害は、速瀬中尉の不知火が中破。さらに隊長の伊隅大尉が人質にまで囚われた。

 それが部隊に与えた影響は無視できない程で、中破され息巻く速瀬中尉はもちろんなんだけれども、宗像中尉さえも眉間に皺が寄って近寄りがたい感じだった。
 そんな中でも全く変わらない風間少尉とお姉ちゃん、は傑物なのかそれ以外の何かなのかは分からない。
 そしてあの襲撃は一体何だったのかもまったく明かされないため、不満がたまるたまる。

 それを抑える伊隅大尉もなんだか今日は疲労困憊の体で

『なぜ、私が.......一応大尉なんだぞ』

 とか呟いてたし。

 そんな中、新入りである私達が元気でいろというのも無理があることで。
 先日の襲撃事件の時の自分の不甲斐なさを悔いるなりして、今の旧207組は意気消沈としていた。

「はあー」

 意味もなく溜息を吐く。
 溜息をすると幸運が逃げるというがそれは嘘だろう。幸運じゃないから溜息が出るわけで。
 そんな私を見かねたのか柏木が茶を啜りながらも私に声をかける。

「茜は少し責任感がありすぎるんだよ。肩の力をさ、少しは抜いた方がいいよ」

「そうそう。そんな顔をしていると結構整った顔が、少々整った顔になってしまう」

 言っていることは良くわかるけど、どうしてもあの時もっと上手くできたのではないかと思ってしまうのだ。自意識過剰かもしれないけれども。

「茜ちゃん。私達三人に先輩たちもついてるんだから」

「私もですけど......」

 周りの皆が口々に慰めてくれている。皆それぞれ思うところがある筈なんだけれども、そう言葉をかけてくれるのは、今の私はよっぽど気落ちしているのだろうか。
 視線を机に落とす。
 
 正直まだ胸のつっかえがとれたわけではないけれども、いつまでもうじうじとして皆の迷惑になるのは良くない。
 無理にでも明るく振る舞うべきだろう。そうと決めればこうやって俯いていても仕様がない。顔を上げ皆の顔を見ようとする。

「そうね。みんな、ごめ......」

「いいところにいたわねぇ。茜」

 突然の地獄から響いてきた怨嗟の様に低い声。こんな声を出せる人物なんて、知り合いには一人しかいない。それは尊敬する人物で、今もっとも近寄りたくない、

「速瀬中尉っ!」

 振り返れば我らが突撃前衛 、速瀬中尉がそこにいた。にんまりと笑う顔は女性的なものではなく、訓練で私達を追い掛け回すときに浮かべるもの。
 私が目指している目標である人で、お酒にはちょっぴりどころか結構弱い人。そして昨日の事件には一番に怒鳴り散らしていた方。
 そんな人が今私に声をかけるとすれば目的なんてのは一つしかないわけで。

「これからシミュレーションに乗るからあんたも付き合いなさい」

「いやっ、夜間の使用許可は」

「もちろんとってあるに決まっているじゃない」

 いくら尊敬している人物からのお誘いだからといっても断りたい。訓練は明日だってあるのだ。疲労困憊している身としては、早くベットにダイブしたいのだ。
 だから身代わりを。できなくても道連れをと思い仲間を引きこもうと画策する。振り返り

「私ではなくても他のみんなならっ」

 誰もいない。
 綺麗に玉露さえも片付けられている。



 ああ、神よ。仲間よ。私を見捨てましたか。
 
 

 今夜は長くなりそうだった。



 あとがき

あれっ。私の日常会話の書き方下手すぎっ(驚愕)
巫山戯てすいません。
ちなみに某所でさらし、アドバイス通りにもう少し先をしっかりと検討しました。結果はどうしようもないです。エターになってたまるかと思うぐらいしか対処法が......



[33107] 八話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/09/28 19:31
10月24日 自室 ≪白銀 武≫


灯りが落とされ、非常灯だけがぼんやりと部屋を照らせている中、俺は一人ベットに腰掛けていた。時間は起床時間少し手前。前の世界ならば二度寝をする時刻だろうか。
この部屋は表層とはいえ地下に位置しているため、時間を感じさせるものは持ち込んだ時計に限られてた。
霞は今日はいい含めてあるので起こしには来ない。
伝えた時はこの十数年である程度豊かになった表情で精一杯に不満を表明していたが、押し切った。今日はどうしてもこの時間を霞なしで過ごしたかったのだ。
軍服はもう身に纏っている。その他全ての準備を整え終えて、俺は一人ベットに腰かけ思考していた。

 
現時点で打てる俺の手は全て行ったつもりだ。

207とA-01の教導も滞り無く推移するだろう。A-01とは襲撃の件があるが、彼女たちは実戦部隊だ。多少のことでは問題なく飲み込む。
XM3は持ち込んだデータがある。ハードさえ揃えば今日明日にでも出来上がるはずだ。
鎧衣もあちらで異常が発見されていない以上、入院させておく必要もない。必要な書類を整えてさっさと退院させるつもりだ。

そして問題の帝国側との接触。
これはあちらの出方次第といったところか。米国側に変にこちらの動きを勘ぐられても困るので、副司令のつてでの動きは控えるべきであった。
そうであるので、ひとまずは月詠中尉の動向、正確にはそれに付随して動くだろう、あの帝国の狸殿の搭乗を待たねばならない。

総括して言えば自分で思いつく限りでは最善の、いや次善と呼べる程の状況であった。
 しかしそれで気分が晴れることはない。それどころか暗雲とした思いは一層立ち込めてきている。
 
結局どのような手を使ったとしても、俺が打てる手では人類の劣勢の挽回は非常に困難なのだ。

先進技術を導入しても。
XM3が全世界の機体に搭載されても。
正確無比な未来予測を手に入れても。
 
それで現有の人類戦力が倍増するわけでもない。例えそうなったとしても、BETAにとってはまったくもって些事であった。
それに先に上げたことがすんなりと実行できるかも分からない。いやできないだろう。
ユーラシアという大地を失ってなお、人類は一つに纏まることができていない。それが悪いとは言わない。ただ単にそれが人類の限界なのだ。

それでもなおこの窮地を脱することを欲するなら、奇跡にでも縋るしかない。自分たちの失態は棚においてそれに頼るしかない。
だからこそ人類は、『彼女』達の起こす奇跡に頼るしかないのだ。彼女ら自身を前線に立たせなくてはいけない。

『最良の未来を掴む能力』

未だ副司令でさえ捉えきれていないものに、人類は身を預けて行かないといけないのである。しかしその能力は不確かだけれども、確かに人類を窮地から救った力だ。
前のループ時のことも考えれば、今の俺ならばそれ以上の結果は出せるだろう。しかしそれは俺の目的達成に直結するものではない。

幸運を掴み取る者の中に彼女たちがいないかもしれない。
最良の未来において彼女たちがいることなど、誰も確約してくれていない。

 だからこそ俺がそれを保証しなくてはならない。
 どれほどの血が流れようとも構わないとは言わない。けれども人類の勝利に必要とされない犠牲を俺は出す。
 誰に言われずとも、明確な俺の意志によって。

『仲間の誰一人の犠牲なしでのBETA大戦の終結』

 その目的のために、俺はこの日も生きていく。
 奇跡は起こしてみせよう。彼女達だけに捧げる奇跡を。

 起床を知らせるラッパが響く。
 俺は立ち上がり出口の扉を開け、一人部屋に向けて敬礼をすると部屋を後にした。






同日 グラウンド ≪御剣 冥夜≫


「何をしているっ珠瀬! 列を乱すな! 団体行動なぞ、そこらの餓鬼だってできるぞ!」

 中佐の怒号におされ、背後で珠瀬のペースが僅かに上がったことを感じる。
 しかし呼吸が一定ではなく、ひゅうひゅうと乾いた吐息からも限界が近いことが振り返るまでもなく嫌でも分かった。
 足音も不安定でなんとかようやくついてきている、という表現が相応しい。

 このままではまた隊形が......

 チリチリとした焦燥感を感じながらも、こちらとしても決して楽ではない現状に何も打つ手がなかった。
 何もできないまま事態が悪化していくことを苦々しく思う。いつもは不快に感じない汗が、今はこの上なく私を不愉快にしていた。
 汗を吸い身体に張り付いてくる上着も鬱陶しい。完全状態の歩兵装備は文字通り我々の厄介な重荷になっている。

 隣を伺えば彩峰の表情も無表情を装いながらも、苦しげに歪んでいた。後ろ二人も直接は確かめていないが同じような惨状だろう。
 限界は近い。もう何km走っているかも分からないほどになってきた。
空の太陽の位置がだいぶ動いたことを見れば、これまで走ったことのない距離であることだけは明らかであった。

 しかし先は見えない。最初に告げられた距離からして私や彩峰で限界かどうかの長さであった。そして隊形維持の失敗による延長に次ぐ延長。
 それを指示した張本人、白銀中佐は怒声を発しながら私たちを睨んでいらっしゃった。隣には神宮司教官が随伴している。

 正確には中佐殿は私達を見ていない。訓練生の服装で話しかけてきた時から、あの方は一度も私達を見据えたことなどなかった。
 神宮司教官からは常に感じられていた、温もりとでも表現できるものが一切ない。


 先日でもそうであった。

 気絶させられた私達が医務室で目覚めると、待っていたのは罵倒でも慰めの言葉でもなく、伝言を預かった神宮司教官からのお言葉であった。

『明日通常の時間通りにグラウンドに集合』

 只それだけの言葉。
 まだ私達の希望は閉ざされていなかった。先程はこちらを挑発するだけの虚言であったのだ。
しかしこれをどう喜べば良いのだ?
 相手にされていない。決意も覚悟も矜持も努力も。あの白銀中佐はそれを歯牙にもかけていなかった。
 これがそこらの正規兵に言われたのならば憤慨できた。なにくそと反骨精神を示すことさえもできたかもしれなかった。

 しかし分かってしまった。武道を嗜んできた中で、圧倒的上位からこちらを捉える眼。威嚇や力の誇示などせずとも立場を示す。そんなものを中佐は持っておられた。
 そしてなにより格闘戦で受けたあの拳は、中佐と私達の実力がいかに隔絶しているのかを痛いほど私に表してきた。

 
 だからこそその様な人物からのこの評価は、心底心に響いた。自分が築き上げてきたものが全て無駄なのでは、と軽く自己嫌悪さえしてしまった。
 泣くこともできず、さりとて気持ちの整理をする時間も中佐は許してくれなかった。

 前回までの訓練が遊びか何かと錯覚してしまう程の訓練。中佐との出会いがある前ならばもしかしたら達成できたのかもしれない。
 けれども今はできない。体力ではない。心の問題だ。
 自分の無力さを痛感させられてしまった。私達の非力さを思い知らされてしまった。

 救い上げてくれる人などいなく、さりとて自力で起き上がる間さえもない。
 泳ぎも知らずに大海に一人、放り投げられてしまった様なものだった。

 それゆえ心の平静が保てない。普段気にならないものでも心を酷くささくれ立たせた。

 自分の今の現状が。
 自分の後ろで喘いでいる仲間の情けなさが。

 そんな当然なことがこの上なくいらつく。その実力を鍛えるために訓練を行っているのに。
 他の分野では仲間は自分を圧倒できるというのに。

「くっ……」

 疲れで声にもならない悪態をつく。
 訓練はまだまだ続いていく。



 

同日 横浜基地 通路 ≪柏木 晴子≫


「恨むわ。絶対にあんた達を恨むわ」
「恨んでもいいが化けては出ないで欲しいな。その顔からすると本当に死んでしまいそうで、妙にその言葉が怖い」
「分かった。化けて出るとしたら真っ先にあんたの所にいく」
「塩をまく準備はしておこう。存分に出て構わないよ」

 強化装備に身を包み、通路を歩く私達新人組の中の一人である茜は、覇気がないながらも恨み節が非常に籠った声を高原に向けている。

どうも昨夜は速瀬中尉とずいぶん熱い夜を過ごしたらしい。表情が疲れきっていた。
彼女のチャームポイントである一本の目立つ毛も、気持ちへにゃっとしている。(そこから茜の健康状態を判断するのは酷いのかもしれないが)

「まあまあ。憧れの中尉と一夜過ごせるなんて、めったにないじゃない」
「柏木。関係ない振りしているけれど、あんたも同罪なんだからね」
「はいはい」

 昨日見捨てたことをよほど根に持っているようだ。まあ深刻ではないけど、おかずの一品でも進呈するのが良いかも。
 それに今の茜は昨日よりは断然良い。恨みを買うぐらいどうってことがない。

「助けようとはしたんだよ、茜ちゃん。でも速瀬中尉がずんずん迫ってきて間に合わなかったというか」
「しょうがないです。あの場合は被害が拡がらない様に逃げる方が最善でした」
「麻倉、それはあんた達の最善でしょうっ。あと多恵。なんでにやにやしてるのよ」

 私達の空気が昨日のものとは少し変わっていた。目に見えて分かる変化なら多恵がとても嬉しそうだ。彼女の性格的にも思い人が誰なのかも考えれば、それも道理である。
 それに大小を考えないならばここにいる全員がどことなく嬉しそう。

 高原の皮肉の切れも良いし、麻倉の本日の存在感もばっちりだ。かくいう私も表にするほどではないが気分が晴れやかであった。

それも当然と言える。
 A-01に配属になって、尊敬すべき上官である伊隅大尉達が出てきてからも、茜はなんだかんだで今の私達の中心にいた。
 別に依存とかでもなく、彼女の人間性に皆が魅かれた結果だろう。一緒に悩んで頑張って引っ張ってくれる存在。大尉達を頼りになる姉とするならば茜は頼りになる友達。
 だから茜が落ち込むとなんとなく皆の気分も暗くなる。

 ともすれば昨日の雰囲気を粉砕してくれた中尉には感謝してもしきれなかった。
しかもよくよく考えればあの行動も計算した動きだったのかもしれない。

なにごとも抱え込んで深く考えてしまう茜には、早瀬中尉の様に勢いある行動に巻き込んだ方が手っ取り早い。
そして中尉も普段から豪快さを発揮する人であるけれど、あれで繊細さも持ち合わせている方だ。
部下の面倒も見れなくては部隊の次席になんて座れるはずがない。

 まあ本当に何も考えてなかったていうパターンもありそうだけど。

 思いたまらず笑いをこぼすと、茜がむっとした顔でこちらを睨んできた。おっとまずい。私は話をずらすことにする。

「それにしても新たな上官紹介って言われたのに、強化服着てシミュレーション室に集合なんて何でだろうね」

 私の疑問に一同首をひねる。
 普通新隊員の紹介ならば、どのような階級や役回りだろうがブリーフィングルームで行うはずである。事実私達の時だってそうであった。

「強化服着て集合ってことは訓練すると思うんだけど」
「それは当然でしょう多恵」

 ばっさりと切り捨てる高原。項垂れた多恵の代わりに麻倉が意見を述べる。

「速瀬中尉みたく血気盛んな人で。話よりもとにかく腕を見せてみろっていう人なのかも」
「それで聞いた限り男……なんだかすごい人なのかもね」

 自分で相槌を打ち笑いながらも、事実ならば少し笑えないかもしれない。口には出さないが一人で十分だと私は思う。

「そうならなんだか凄くなりそうね」

 皆そう思ったのか、茜の言葉に私以外がうんうんと頷いていた。
 話をしていると時間の感覚も短くなるらしく、いつの間にやらシミュレータールームに着いていた。
 扉が開いてみれば既に風間少尉と宗像中尉がそこで談笑している。涼宮中尉の姿がないが、管制室に光が灯っていることからして何か作業をしているようだ。

 中尉達は昨日とは打って変わっていつもの様子であった。私達が外因がなければ解決できなかったことを、独力でしてしまうのはさすがは、と言えた。

隊の気風からして敬礼などは交わさないが、皆口々に中尉達に挨拶をした。
  ところで速瀬中尉の姿が見られない。大尉はいつも遅れてくるからいないのも分かるが。
 万が一にもありえないが深夜の茜との訓練が響いたのだろうか。
とここで宗像中尉を見ると何やら笑いを堪えている。

「お前たち。後ろを見てみろ」

『後ろ?』

 一同疑問に思いながらも振り返る。

 分かりやすいぐらいに青筋を浮かべた速瀬中尉が立っていた。
 声こそ出ないが私を除いた皆が『げえっ』と表現するに相応しい、顔をしている。

「茜、多恵、高原、麻倉。あんたたちの私の評価が、よーっく分かったわ」

 一人胸を撫で下ろした。不用意にあそこで頷かなかったことが明暗を分けた形であった。
 手をわきわきとしながら近寄ってくる中尉に後ずさる私以外の皆。

 手を合わさずにはいられない様な惨状が繰り広げられるだろう中、それを救ったのは(多少意味が違うのだろうが)我らが部隊長、伊隅大尉であった。
 大尉が入室してきて慌てて一同整列する。ゴングに救われた様相になり、新人の皆は幸運に感謝していた。
 これが終わってからはどうなるかは知らないけど

「敬礼っ」

 速瀬中尉の言葉とともに私達は敬礼をする。大尉も軽く返す。
 ふと違和感に気が付く。大尉の様子が昨日から変わっていない。
 宗像中尉達が立ち直っているのに、私達のトップに位置する大尉だけがその状態であるのは少し、いやとてもおかしなことだった。
 全員がそれを感じ取っているのか、ぎくしゃくした空気が流れる。そんな中、問題の大尉は話を切り出した。

「総員、何も聞かずにシミュレーターに乗り込め」

「でも大尉。新しい隊員は……」

「すまん。何も聞かずに早く乗り込んでくれ」

 速瀬中尉の質問に、堪え難きに堪えっといった表情を浮かべる大尉。怒号ではないが鬼気迫るものを私含め一同感じ、全員が疑問に思いながらも従った。

 搭乗し、一体何が起こるのだろうと考えると、直にシミュレーターが起動する。おそらくは事前に準備(涼宮中尉がしたのだろう)していたらしい。
 全員が乗り込んだことが確認されると、網膜投影装置から今回の演習状況が知らされる。

 そしてたまらず唾をのんだ。
 確認はできないが他の皆もしたと思う。

 場所も状況も装備も。全てが一緒だった。いや相対する相手だけが違う。

 そう網膜に投影されていたのはこの前の基地襲撃とまったく同じ状況。そして陽炎から不知火に変わった敵機だった。













話を続けていくと、なんか矛盾ができていないかびくびくする。
癒しが霞から旧207組になんか移動。次回は戻します。そして話的に寄り道します。



[33107] 実験的幕間劇 黒兎の眠れない夜
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/11/07 02:45
 私はかつてないほどの真摯な眼差しで眼下にあるそれらを見据えていました。
目の前に並ぶのは『武器』。
 ただ目的のために創られ、それを達成させるために究極にまで洗練された形状。飾りとされる部分とさえ機能を果たすための一助となっている。
 殺傷能力を極めた兵器群がある種人を引き付ける様に、方向性が違うも昇華された一つの結晶と言えるべきもの達は同様の魅力を備えていた。
その矛先である男性の劣情を煽るそれら、つまり女性用下着が私のベッドの上に数点鎮座されているのでした。

「むう」

 そんなある側面においては相棒と表現しても良いものの前で私は唸っている。
 官給品である以上一定以上の品質こそ越えられないものの、逆を言えばある程度の水準を保ち綺麗に性能をまとめられたものであるそれ。
 それらに対して私は不満の気持ちを抱いていたのだった。

 私は殊更下着に執着を持っている訳ではない。博士の様に権限を利用して、わざわざこのご時世に珍しい天然素材でなくては嫌だとは思わない。
 戦時下なのであるのだから、衛生的であり、下着としてちゃんとしてくれればそれで構わなかったのですが。
 けれども……けれどもこれらは私の許与範囲を超えている。

「ぬう」

 子供下着であった。
 ブリーフタイプでなかったのが唯一の救いだが、腰の部分と太腿の所にはゴムが通してある。
 
なるほど確かに私の体型は、はっきりと断ずるのならば幼児体型だ。そしてこの頃の私は服装に関しては至って無頓着であった。
 よって『社 霞』の部屋にある下着類が全てこのタイプであるのも納得がいく。
 今私が着用しても、第三者からは何ら違和感なく似合うと言うだろう。(無論、その第三者は夫以外に許すつもりはない)

 しかし今の私は外見上十代の少女に見えるのだろうが、中身は三十手前の女性なのである。
 残念ながら似合うから、はいそうですかと着られる様な精神構造はしていません。
 嬉々としてランドセルを担ぐ大人を想像すれば良いだろうか。傍から見れば狂人以外の何者でもない。
そしてある下着は全て、形どころか色までも同じものしかなく、逃げ場が全くなかった。

 かつての自分を盛大に罵倒してしまいたい気持ちをぐっと堪える。
 兎にも角にも仕方がない。自分自身に文句を言っても何ら解決手段にならないのだから、建設的に考えるべきであった。
 腕を組み、何か打開策がないだろうかと思案に耽る。しかしこれといって良策といったものは思い浮かばない。

 まず考えられる手段としては気にせず着用することだけれども。
 却下。
 精神の平穏を考慮すればこんな常に気疲れしてしまいそうなものは身に纏っていたくはない。
 戸籍上籍は入っているが、そういった情事が起きたことのない武さんに見られたのならば、それだけで恥で死んでしまいかねない。彼ならば気にしないのだろうが。

 淑女としての嗜みです。

 よって当然ながらこの案は却下。
とすればどこからか、この下着の代わりとなるものを調達しなくてはいけない。
 正規の手段を取るとするのならば、博士の秘書的な立場に立っているピアティフ中尉に頼み込むことであった。
 機密に深く関わることが多いうえに、世俗に酷く疎かった私にとって、細やかな身の回りの物の入手は彼女を通していた。

 ふむ。これは一見悪くはないかもしれません。
 博士に近い所に立つ彼女なのだから、全てを話されているとは思わないけれども、当然私の変質の件は耳にしている可能性が高い。
 幼い少女の背伸びと捉えられてもおかしくないこの話も、案外何事もなく受け入れてくれるかもしれない。

 意外と困ることなく解決できそうです。
 何だか簡単にいけそうだなと結論付けようとした瞬間、私は身体を硬直させる。
そして額から薄らと冷や汗が一筋私の頬に垂れてきた。
 忘れていた。大事なことを考えていなかった。

 この状況でそれを言うのか?


完全に博士らと敵対している訳ではないが、今の私と武さんはあちらにとって限りなく黒に近いグレー。
 自由行動を承認しているのだから余程目に余る行動以外は咎められないはずだが、こちらの行動に目を光らすぐらいのことはするはず。
 当然中尉に話したら些末なことだろうが博士のもとに行き着くだろう。

『子供下着のデザインが気に入らないから取り替えてほしい』

そうなっては博士に向かってこう発言しているに等しい。
それを今日あれだけ啖呵を切った相手にそれを言うのか?
例え味方にはなれないかもしれないけれど、もう一度共に歩いていきたいと手を差し出した人に言うのか?
 
そう想像するだけで耳まで熱くなった。なんだかこう、叫んで部屋を走り回りたい気分だ。

「あが~」

 しかし深夜である以上そんな五月蠅いことなんてできない。よって夫直伝の叫び声の元、自分のベッドにダイブする。
 そしてごろごろと布団の上を転がった。並べていた下着類が床に散らばっていくが構わない。
 しばらくそれを続け、落ち着いてきたところで仰向けになって止まった。まだまだ顔が少し赤いがなんとか持ち直す。
 身体中、拡げていた下着まみれであるという、表現するとなんだか倒錯的な姿を今晒している。荒い息を整えていく。

 ああ、恥ずかしかったです。

 実行する前に気付けて良かった。もしやった後であったのならば、次に博士にどんな顔をしていけば良いのか、分かったものではない。
 よってこの案も全力で却下。即座に頭のゴミ箱に放り投げる。

 次の案を考えようとするも頭が回らない。頭が火照るような思いをし、その後シェイクする動きをして回転が落ちていた。
 上がってくる考えも直に欠点が露呈し、早々に没になっていく。そのうちに面倒臭くなって思考を放棄する。ぼんやりと天井の光を眺める。
 夜であることと、先程まで暴れていた疲労感がある種の悲壮感を私にもたらしていった。
 
もういっそのことこのままでも。

 そんな破滅的な考えが出てきた。
先程まで偉そうに大人にランドセルなど狂っているとか言っていたが、実を言えば自分自身その領域に片足を踏み入れていた。
 誠に遺憾で、この上なく不愉快であったが今の私が身に着けているのは、『社 霞』が持っていた下着に他ならない。
 忘れて意識しない様にしてきたけれども、それは動かしがたい事実なのだ。

 一度汚れてしまったのだから、構わないのでは。

 そう諦めてしまいそうになると、頭に浮かびあがったのは一人の男性。他でもない自分の夫である武さんだ。
 思わず深いため息がでる。この下着を拒否するのは私自身の羞恥心も大きな理由だが、もう一つの理由は愛する夫に対する見栄であった。例え見せる機会がなくてもなるべく綺麗な姿をしていたい。
 だからこそこうやって色々考えているのですが……

 思考がネガティブになっているのか色々考えているうちに、だんだんと原因である武さん自身のことを考えていた。
 下着の話から連想をしてしまうのはいくらか悪い気分になるが、止めようとすればするほど逆にそれしか思い浮かばなくなってくる。
 そしていつの間にか彼のことだけに集中してしまった。
 腕で目を隠し蛍光灯の光を遮る。視界が真っ暗になった。
 
武さん。

 私に思い出をくれた人。そして初恋の人で現夫。
 傍に居るだけで幸せな気分になる。その妻になれたことは今でも嬉しいし、間違っていたとは微塵も思わない。
 けれども時々、そうこうやって気分が落ち込んでいるときは、すっと彼に対して思うところが出てくる。
 私と武さんとの関係の間には、かつての仲間の皆さんと純夏さんが遮る様に立っていた。

 御剣さん。
 球瀬さん。
 榊さん。
 彩峰さん。
 鎧衣さん。

 そして純夏さん。

 武さんは今も彼女たちのことを仲間以上に、男と女の関係と言って良いぐらいに想っている。
 別にそれは嫌ではなかった。それどころか私は武さんには皆さんこそが最も相応しいと、今でも思っている。
 もちろんできれば私も見ていて欲しい。

 あの時逃げる様に任務に没頭していた武さんに、なんとか助けになりたいと考えた末に柄にもなく押しかけて結婚を了承させたのも、私を見て欲しいという打算も少なからずあった。
 (今思い出すと赤面ものだし、どう助けになるかまでは当時考えてもいなかった)

 だがそれよりも重要なことは皆さんと武さんとの関係です。

 前の世界では無理であった。皆さんは桜花作戦で命を失ってしまったし、純夏さんもあの時から眠ったままで目覚めることはなかった。
 しかしこの世界には皆さんがいる。まだ誰も欠けることもなく存在している。取り返すことができるのではないかと夢想してしまう。

 それは難しいとは分かっている。前の世界とは武さんの立ち位置はずいぶんと変わっているし、こちらの皆さんは武さんのことを想ってもいない。
 それでも今の武さんを見ているのはつらかった。

 訓練を厳しくするのもヴァルキリーズの皆さんと敵対するのも意味があるとは思います。でもそれが必要不可欠だとは、どうしても思えません。
 避けている。
 それが私が今の武さんを見て感じることです。自分がこれから裏切るから、思いを無駄にするからと、近寄ることを怖がっていました。
 そして彼は未だにシリンダー室に立ち入っていない。純夏さんと会おうとしない。
 
それを見ていて私は非常に辛い。 
 なにより自分が何もできないのが辛い。

 結局私が彼にできることは何にもないことが堪えられなかった。武さんが苦しんでいる時に、支えることができないのが苦しかった。

 彼のために何かしたいのに、その方法が分からない。自分はなんて無力なんだと自己嫌悪してしまう。

 否定が否定を呼び、ずぶずぶと思考が嫌な方向に沈んでいく。

………………

…………
……

「あがー!」

 どうしようもない気分を叫んで吹き飛ばした。立ち上がって頭を左右に振り、先程までの考えを頭から取り除く。
 止めよう。こういう考えは。夜だからかどうも否定的な考えが頭に蔓延してしまう。
 いや違う。悪いのはこの下着だ。こんなものがなければ落ち込むことも悩むこともなかったのに。

 こんな下着なんて全て無くなってしまえば良いのに!

 いやいや、下着が無ければ困ってしまう。狂人は我慢できても変態は勘弁願いたい。
なんだか思考が二転三転してきて、普段ならば絶対に考えないことも平然と受け止めてきてしまっている。
これは早々にこの話に結論をだすべきであった。こんな話題で毎晩転げまわっていては堪らないし、時間の無駄である。代案を早く出そう。

 207とA-1の皆さんの下着の中から、それらしいものを拝借するのはどうでしょうか。
 だめです。体型が合いそうなのは珠瀬さんだけですし、彼女の下着もこっちと同じ気がします。

 いっそのこと基地の備品課に夜襲をかけてこっそり奪う。それこそだめだ。変な動きをして博士に警戒されるなんてもっての外だし。
 そもそもこちらの真意を悟られたらそれこそ死んでも死にきれない。いやそもそもなんで盗む方向に話を進めているのでしょうか。

 ぐるぐるぐるぐると、思考のループが終わらない。頭の中にはなんだかメビウスの輪が浮かんでいる。
 なんだか酔ったような気分になってきた。知恵熱とやらが本当に実在したことに驚く。

 こんなくだらないことで武さんに迷惑をかけては…….

 武さん?

 それだ!

 武さんは今の階級は中佐だ。勿論部隊を預かっていない以上、実権なんて無い様なものであるけれども、その階級には色々と特典が付いてくる。
 PXでは自然と席が確保できるし、書類なども一般兵と比べて審査が甘い。それらは明文化されてはいないが厳然と実在していた。
 そしてその中に嗜好品や消耗品などの優先配布もあったはず。さらに下着類は異性のタイプを選んではいけないとは規則に記されてはいない。
 つまりは彼に頼み込めばすぐさま下着を手に入れることができるのだ。
 
なんでそんな簡単なことに気付けなかったのだろうか。今までの自分を愚かしく思った。しかしそんなことは些細なことだ。
 時計を確認する。まだ消灯までには時間があった。善は急げとすぐさま立ち上がる。目指すは武さんの部屋。頼れる夫の元だ。


青年が十台前半と思われる少女の下着を注文した場合の周りの反応を、その時は失念していた。




 
 そのあと彼の目の前でそれに気付き、咄嗟に話すことを止められて本当に良かった。
 その時の自己嫌悪の表情が、明日起こしにくるなと言われたことに対しての不満の表情だと捉えられたことも幸運であった。



 後日博士からの配慮か、成人女性が着るデザインとはいかないまでも、ずいぶん改善された下着が、ピアティフ中尉から届けられていた。
 恥ずかしさで茹でダコの様になったのは言うまでもない。











一言。霞がかわいい。
ギャグとシリアスの配分を考えるぐらいならば、いっそ分離してしまえと思いこの話ができている。了承していただきたいです。ふざけた話も自重します。
短い話を連続投稿するのもこれから控えるので、今回は見逃してほしい。
 総評。 すんませんでした。



[33107] 九話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/10/23 02:10
『こちらヴァルキリー1より各機へ。これより特別カルキュラムを実施する。内容説明はヴァルキリーマムの通達があるまで待て。……すまない。皆』

A-01の皆、特に新人隊員は把握できない状況に混乱を隠し切れないでいた。何の説明も無しに乗り込めばあの襲撃を彷彿させる様な空間。
紹介されるとする士官の姿もない。唯一可能性があるのならば、あの不知火に乗り込んでいる衛士だが、先程から何ら通信も動きもなかった。
そして苦々しくも申し訳なさそうな上官。何が起きているのかは古参である宗像や風間にも把握できていない。

しかしそんな中である一人の女性は例外であった。いや驚愕はあるのだろうが彼女の心を占めているのは全く別のことである。

青髪の女性、速瀬 水月の身体は小刻みに震えていた。
網膜に映し出されていく光景を眺めながら、彼女の頬が吊り上っていく。
投影された光景は普段の市街地ではなく、開けた滑走路。訓練等で使う特徴が排された場所ではない。見慣れた、彼女達の駐留する基地のそれだ。
そして機能停止しながらも生命反応がある味方機が点々と数機、散りばめられたかのように点在していた。
さらにふてぶてしくこちらに向かい立っている不知火が一機。

考えるまでもない。基地襲撃事件と全く同じ状況がそこにあった。味方機の数も装備も全てが同様。違うのは相手が陽炎から不知火に変わっただけ。
そう、それだけしか変わりがない。搭乗者も同じ。
 
間違いない。あいつだ。
 
瞬間的に彼女は理解した。
戦術機は思考制御が介在する兵器であるので、一挙一動、唯歩行するだけでも僅かな癖が生じる。
一度しか見えていないが、脳裏に焼き付けられていたその動きが敵の判別を可能とさせた。

何故ここにいるのかは分からない。どうしてこうやって訓練に参加しているのかも考えつかなかった。案外襲撃自体が茶番だったのかもしれない。
けれども今はそんなことは彼女には関係なかった。汚名を雪ぐ。これができることが分かっただけで十分であった。

速瀬 水月は思い出す。
大尉のコクピットに短刀が向けられた時は、思わずぞっとしてしまった。何度も経験していたはずである、仲間を失う恐怖をまざまざとあのとき味わったのだ。
新兵がする様に、息を荒くし身を強張らせてしまった。
それは彼女が敬愛する大尉の危機であったからこそなのかもしれないが、それが主たる理由ではないと彼女は断じていた。

原因は慢心だ。そしてそれによって引き起こされた恐怖と、圧倒的な後悔。彼女が初陣の時に感じたものであった。
 
かつての彼女は自分の力に過信してしまっていた。仲間の雄姿に安堵し、根拠も無い自信に満ち溢れていた。
これならば負けるはずがない。例えどのような戦いに身を投じようとも、絶対に生還できると信じていた。
無論それが裏打ちされていないものである以上、引き起こされた事態は悲惨としか言えないものであった。
結果は語るまでもない。同期が死にかけ先任達が彼女たちの代わりに死んだ。あれほど逞しく思えた上官たちがあっけなく逝った。
そして彼女を立ち直らせたのは自身ではなく仲間と先任達。

無様。彼女の衛士としての始まりは無惨極まりないものであった。しかしそれが今の彼女を形作ってもいる。
彼女は何時も突き進む。後ろは向かず辛いのならば歯を食いしばってでも止まらない。努力し研磨し修練し続ける。
仲間の死は残念ながら彼女の手では止めきれなかった。だからこそ誠実に、朋友達の死を無駄にしない様に戦った。それはA-01の副隊長になっても変わらない。
それ故、慢心しあまつさえ大尉を殺しかけたあの時の自分を、彼女は許せなかったのだ。

勿論何時までも引きずることを彼女はしない。それさえも糧に彼女は歩み続ける。自省と後悔は全くの別物だ。
なればこそ、進む道の目の前にかつての不甲斐なさを挽回する機会ができたことに、歓喜の念を覚えるのだ。

自然それを表現する様に彼女の表情は笑みが広がっている。理解の浅い者が評するのならば、通常の野性味溢れる顔と言うだろうが違う。
一本の芯が入り、蒼い瞳には強い意志が湛えられていた。さらに彼女の髪と眼の色により、動のなかにも静の雰囲気が醸し出されている。

「こんどは油断しないわ」

自身の感情を抑えながら、彼女の口から言葉が絞り出された。




強化服越しの通信で聞こえてきた声に、先程まで難しい顔をした伊隅大尉を含めて一同苦笑する。
新人達は何時ものことかという思いであり、それ以外の彼女の事情を知る者は表情に深いものも混じっている。何にせよ部隊内全ての人間の硬さがとれていた。
そうだ何も難しく考える必要は無い。目の前に雪辱を果たす機会が広がっている。衛士にとってそれ程僥倖なことは無いだろう。

速瀬の戦士としての姿勢が仲間達の混乱を解いていった。
軽口の一つでも出そうな程にまでなると、それを待っていたかのように通信による音声が彼女達の耳に届く。
そして彼女等の網膜に見慣れた女性が映し出される。

『ヴァルキリーマムから各機へ、状況説明を開始します』

先程から管制室の中で待機していた涼宮中尉だ。声は凛とし、顔も引き締まっている。管制官を務めるときにいつも浮かべる表情であった。
それは訓練においても例外ではなく、努めて冷静に役目を果たそうとしていた。

『勝利条件は敵勢力の沈黙。しかし衛士殺傷は不可。並びに友軍施設内での戦闘であることを考慮し、火砲は36mmまでとします』

ますますもってあの事件と状況が酷似していく。無論訓練である以上、涼宮中尉は敗北条件も付け加える。


『敗北条件は友軍施設の50%以上の破壊、又は友軍の50%の撃破、もしくはヴァルキリー1の撃破となります』


一機に対しては過分とも言える条件を笑う者はいなかった。辛酸を舐めている彼女等にはそんなことをする気も余裕もない。
集合前の疑問も相対する衛士の素性も忘れ、唯不知火を駆る戦女神として集中する。

『それではカウント30より始めます。…….20…….10……..状況開始!』

瞬間、相対する不知火が跳ねた。





跳躍した後に先程までいた地面が36mm弾で穿かれていくのを、白銀 武はGに耐えながら視認する。何発かは構えている追加装甲に着弾していた。
数は力だ。例え第三世代の機体であろうとも、真正面からの砲撃は避けきれない。それでも陽炎よりは断然に受ける数が違う。
A-01の機体も追随してきた。隊形は楔参型。正面攻撃力と側面防御の両立する、攻守に優れた陣形であった。

「やはり陽炎より不知火の方が性に合うな」

握るレバーを眺めながら白銀 武は独りごちる。
改修機と違い、最初から帝国の設計思想に沿う様に造られた機体である不知火は、第三世代機であること抜きにしても陽炎より扱いやすい。
それに、この機体には思い入れもある。前の世界でも通常型の戦術機に乗る機会がある時は、多少型落ちしていても不知火系列の機体を選んでいた。

濃密な、されどこちらを狙えきれない弾幕を不規則な軌道と追加装甲で防ぐ。
装甲はコクピット部を相手が狙えないことを良いことに、脚部の跳躍ユニットを重点的に守る様に配置している。
空いた右手で突撃砲の斉射を行うもあちら側も装甲で弾いた。そもそも照準を正確にする余裕がないので、一機当たりの弾幕数自体が少なかった。牽制にもならない。
残弾数が凄まじいまでに減っていく。

どちらも有効打が打てない様に見えるが、不利であるのは白銀側であった。
飛行中でしかも変則軌道をとる白銀機が補助腕による給弾はできない。最新技術の結晶たる第三世代機の自動補給も、流石に戦闘軌道には対応できていない。
対してあちらは補給せずともこちらの九倍の弾が撃てる。後は此方が武器弾薬の補充をさせない様に射撃を続ければ完封だ。

作戦も何もない唯数で押し切るという戦術であったが、だからこそ効果的ではあった。
前回の勝ちは突撃砲も持たない第二世代機、と侮ってしまったから起こした失態に過ぎない。
失敗すれば人は省みる。反省を生かし次へと繋げる。それができないほど彼女達は愚かではなかった。
力が無いのならば鍛え、知恵がないのならば学ぶのだ。それこそが人の、人たる所以だろう。
それ故今の光景は彼女達の勤勉さを示していた。

「それでは足りない」

しかし白銀 武の顔が歪む。無自覚になればこそ、それは彼の内面を如実に表していた。
呟く言葉には力が無い。それは幽鬼が発する呪詛に似ていた。
眼には網膜投影用に発せられる光が当たっているはずであるのに、その両眼はどこまでも暗い。
それは社 霞が最も嫌い、十数年という歳月が彼を削り作り出した一種の彫刻であった。

人が失敗をすることに罪など無い。それは極々自然な人としての営みだ。
それでも。

失敗には犠牲が伴う。無論それは場合によっては些細なものだ。幾らでも取り返しがつくものかもしれないし、代えがきくものかもしれない。
それでは。自分よりも大切な、代えもきかない存在が犠牲となればどうする。

それは誰も悪いわけでもない。先程も言う通り、人は失敗するのだ。自分の不甲斐なさであれ、運の悪さが原因であれ誰に責任があるわけでもない。
だとしても、その犠牲を招いた事態が「しょうがない」の一言で終わったとしても。それでどこまでの進歩が得られたとしても。
それで犠牲になった存在が帰ってくるわけではない。犠牲が自身の中で肯定されるわけではない。なればどうするか。真に望む犠牲無き事態をどうやって創りだすか。

死力を尽くせばよいか。
生ある限り最善を尽くせば良いか。
決して犬死しなければ良いか。
いや違う。すべきなのは……

衝撃。コクピット部が激しく揺れる。

白銀は慌てて機体の状態を確認した。見れば左肩部装甲に36mmが数射されていた。
A-01に胴体部が狙えないのだから、脚部や頭部以外で致命傷は受けない。
しかし装甲や武装を保持する腕部には容赦なく弾雨が先程から降り注いでいる。今の被弾もその中の数発であった。
機体バランスを整えながら、白銀は必要のない思案に耽っていたことを反省する。目の前に集中する。

彼女達の成果はもう分かった。二の轍を踏まなかったならば、もうこの状態は維持する必要は無い。継続は緩やかな撃墜にしか繋がらないだろう。
するべきことは意表を突くこと。違う手法で前の様に彼女達の実力が発揮される前に数をへらすこと。
幸いなことに今回は此方も第三世代機。そして仮想空間での擬似的とは言え『あれ』も積んでいる。
フッドペダルを強く踏み込む。目指すは前。押し潰される感覚に耐えながら白銀は向かった。






反転。
急激な減速と加速に機体に少なからぬ負担をかけるのも厭わず、敵機が部隊の編隊に躍り掛かってきた。突飛な動きに各々が一瞬怯むが弾幕は薄くならない。
一機と編隊が交差する僅か数秒の間に、伊隅は空かさず指示を飛ばす。思考ではなく、もはや反射に近い反応であった。

「ヴァルキリー1より各機。速度に騙されるな! 接近時の減速を狙え」

『了解!』

隊の前衛である水月機の鼻先100mまで敵が迫る。既に跳躍ユニットから噴出される青白い炎さえも視認できた。弾を追加装甲に肩に腕に受けながらも減速が確認されない。
もはや突撃砲の間合いではなく長刀や短刀といった近距離兵装の距離だ。けれども相手は武器の変更も減速もせず突っ込んでくる。

「くっ」

「落ちてっ!」

後衛である宗像と柏木の精密射撃も、敵を怯ませるには至らなかった。

「ヴァルキリー2より各機! 敵機に減速の兆候無し!」

このまま通過するのか? そう結論付けようとした水月は、敵の進路を確認して驚愕した。すかさず怒号を放つ。敵の機体が横をすり抜けていくのとほぼ同時。

「ヴァルキリー9、 迎撃しなさい!」

敵はヴァルキリー9、麻倉の元に進路を向けていた。
それは先の戦闘における敵の接近時における軌道と同様であったが、両者ともに速度を出している今は比較にならないほど速度で距離が縮まる。

「…………っ」

麻倉が補助椀を使っての4問斉射を行う。左肩部装甲を破損させるも致命打には鳴り得ない。速度を落ちず、最早回避がどうあっても不可能な距離にまで迫った。
まさか訓練とは言え本当に特攻をするつもりなのか。麻倉は恐怖のあまりトリガーを引きながらも、敵と接触する瞬間目を瞑ってしまう。
鈍い衝撃、数瞬後に爆裂音が鼓膜を劈く様に麻倉には聞こえた。
そして再び目を開ける。麻倉の眼には待機状態にあるシュミレーターが映った。



『ヴァルキリー9、コクピット部に致命的損壊。機能停止します』

両者戦闘軌道の中で、追加装甲のリアクティブアーマーで撃墜狙う?
水月は敵機の常軌を逸した行動に、感嘆を通り越し呆れとも言える感情を抱く。だがそれも後ろからの発砲音ですぐさま打ち消される。

「なっ」

水月が味方の視界を介して見れば、敵はもうこちらを向き、重力で地面へ向かいながら突撃砲を撃っていた。反転しきれていない部隊の背中に容赦なく鉄の雨が降る。
唯でさえ薄い装甲しか持たない不知火の後部装甲など、36mmの前には何ら意味を持たない。各機はすかさず乱数回避を試みている。

まさかあの僅かな間に反転と姿勢制御、さらに弾倉の交換まで済ませたとでも言うのか。
敵機が見せた様な軽やかな動き程ではないにせよ、水月は空中で方向転換。追加装甲を構えながら弾幕を張る。
軽快な音で銃口から発せられる弾丸で、相手に回避運動を強要した。しかし彼女達の盾ともなる火線の数が当初と比べ明らかに少ない。

『ヴァルキリー6、7コクピット部に致命的損壊。機能停止』

視界に捉えれば力無く落下していく不知火が二機。柏木と高原だ。
明らかにこちらの動きが拙い味方から、今ならば後衛と中衛の新人達を狙ってきている。加速し一刻も早く地面を目指す。悔しさと加速から、彼女は歯を食いしばった。

敵が地面に着地する間際、

「全機、発砲!」

伊隅の号令と共に計6機の突撃砲の集中火力が、今正に着地せんとする不知火に躍り掛かる。硬直時間と合わせた完璧な射撃であった。
追加装甲を失い、脚部を剥き出した敵はこれを防ぎようがない。そう、常識的には。
けれども水月は確信する。敵はこれを避け得ると。だが部隊の他の全員が仕留めたと信じている。

事実、敵は機体重量を感じさせない様に片足が着くや否や右に跳躍。銃口がこちらに向けられた。

「全員、避けてっ!」

水月の警告に古参等は揃ってフル加速で地面を目指した。それに遅れて築地の機体が追従するも涼宮機は間に合わず、36mmで胴体部に幾つもの穴が開く。

ここにきて水月は相手の特殊性に気付いた。対峙するは不知火。自分達と同じ機体の筈だ。空中の逃走劇までは腕の良さはあったが目立つ点はなかった。
しかし麻倉に追加装甲で一撃を決めてからは、明確に相手の動きがこちらと一線を書いている。

隙を見つけ出し、手を変え品を変えこちらを攪乱する。相手の技量には素直に賞賛を送りたい。けれどもそれだけではないはずであった。
動きが違う。それは軌道に隙が無いとかの次元では無い。そもそも質自体が違っている、と水月は推察する。

兎に角もあの動きの前にこちらの数の優位性が失われていた。5機いるも1機でも失われれば負けが確定しているのだ。
前衛、中衛が水月と新人である築地、後は後衛しかいない状態では数で勝ろうとも既に勝敗は決している。

しかし水月は笑う。
負けは確かに悔しかった。けれども彼女は全力で立ち向かい、今も向かおうとしている。
全ての力を尽くし、敵に一矢報いようと牙を立てようとしている。立ち止まらず進み続ける。彼女は今現在自分の生き方を全うしているのだ。

不知火の背後の火薬ノッカーが盛大な音を立てて、長刀を彼女の機体の前に弾く。
それを両腕で受け取ると、水月は敵機に向かって突貫した。






後に白銀の顔と年齢、階級を知り、年下に負けたと地団駄を踏んだのは、彼女の性と言えるだろう。
















Sideを止めて、三人称を導入。けれども一人称と混ざっているのはご愛嬌。精進します。




[33107] 十話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2012/11/07 02:48
その場を支配していたのは沈黙であった。誰も喋らない。いや喋ることができない。207の訓練生達は一同口を結んで机を囲んでいた。
本来訓練生の座学にために割り振られた部屋には、彼女達以外の人影はない。退院してきた青緑色の体格が華奢な少女、鎧衣を加えた5人がこの部屋にいる人間の全員である。

『…………』

はち切れそうな緊張感が横たわっている中、互いが互いを横目で伺っている。不満、焦燥、自己嫌悪。そういった感情が彼女達の中で渦巻いていた。
彼女達は別にただ無為に集まっている訳ではない。時計の針は未だ午後を指しているし、事実これも訓練の一環であった。部隊内の情報交換と連携の為と称し、上官である白銀が彼女達に課している時間。毎日といっても良いほどに課された時間。
だからこそ彼女達がすべきことは沈黙を貫くことではなく、活発とした議論を交わすことである。

「……このままでは始まらないわ。訓練を振り返って問題点を洗いなおしましょう」

口火を切ったのは部隊を預かる榊だ。声音は極めて冷静、いや努めて冷静を取り繕おうとしていた。

「と言っても複雑なことなんて一つもない。私達が白銀教官にやらされたのは基礎訓練だけ。ランニング、筋トレ、射撃訓練。連携も何も関係のない様な内容」

そう、彼女達の前に突然現れたやけに階級の高い教官が、課してきた課題は至って簡単で明朗なもの。新兵が初めにやるものであった。

「それで私達がクリアできないのは唯単純に私達の能力不足だわ。遺憾なことにね。体力も技量も、今現状じゃ、全然足りないっ」

苦虫を噛みしめたかの様な表情を浮かべる榊。吐き捨てる言葉に一同は何も言い返せない。なぜならそれをすればこの今の部隊の関係が壊れてしまいそうだから。
皆が皆己の技量の低さに辟易していた。だがそれと同時に全員が心のどこかで自分の仲間達への不満が溜まってもいた。

不甲斐ない自分が走り切れる距離に息をあげてしまう仲間に。
情けない自分が当てられる的を外してしまう仲間に。

それを隠し切れるほど彼女達は人間としては成熟しておらず、腹を割って話し合えるほどに親密な仲を築いてはいなかった。
故に彼女達ができるのは口を閉ざすだけだった。情けなさと申し訳なさで心が潰されない様に。理不尽な怒りが相手に伝わらない様に。
元来快活な性格であるはずの鎧衣は俯き床を見つめ、臆病な珠瀬は小さい身体を縮こませひたすらこの時間が過ぎるのを待っていた。
他の三人は平静を装おうとしながらもできておらず、隠そうとしているからこそ漏れ出る感情の高ぶりが際立っていた。

現状維持。不干渉。それは危機的状況であっても彼女達を縛っている。触れられたくない思いが彼女達の動きを阻害していた。
もしも。彼女達の事情を知らない第三者がいれば、全員を惹きつけて止まない強き者がいればこの様な状況にはならなかったかもしれない。
しかしそれは仮定にすぎず、不安定な場は容易く壊される。

「……これ以上は無駄」

すっと立ち上がり出口に向かおうとする彩峰。

「待ちなさい。どこへ行く気よ」
「……訓練」
「こんな状況で自分勝手な行動は止めて頂戴。少なからず貴方の行動は隊に不和を招いているのよ」

予てから飄々とした態度をとる少女を腹に据えかねていた榊が、ここぞとばかりに彩峰に食ってかかる。そんな榊を彩峰は冷たい視線で貫いた。
この時彩峰は苛ついていた。無頓着、無表情と形容される彼女であったが、人の心の機微を理解できぬ程冷淡ではなかった。
それどころか観察眼に優れた彼女は、普段は他者を真に傷つける言葉は言わない。
だから後の台詞を口に出してしまったのは、彼女が平静を保っていられなかったことと、相手が毛嫌いする榊であったからこそだった。

「何にも決められない隊長に着いて行ったって無駄。何回同じ話をするの?」
「っ!」

憤怒で耳まで真っ赤に顔を染める榊。
発言は正鵠を得ていた。同じ議論を何度も何度も彼女達は繰り返し、そして一度も解へとは至れていなかった。
それを彩峰は突いてきたのだ。隊長が無能だからこそ部隊が先に進めないのだと。それは何より彼女の心を抉る。
しかし榊にとってそれは彩峰という存在にだけは言われたくなかった。部隊の不和を創る者に自分の隊の長としての能力だけは馬鹿にされたくなかった。

貴方さえ協力してくれれば多少はましになるのに。あの時、あの場所で。榊は頻繁にその思いが湧き上がっていた。
何故貴方は私の邪魔ばかりするの? 何で私の覚悟を知りもしないで私の全てを否定するの?
何時もは押しとどめられていた感情は、理性の枷を失い一気に漏れだそうとする。

「その、怒るのは、良くない、です」

怒りというものに人一倍敏感な珠瀬は、声を振り絞りながら榊を静めようと試みる。顔は蒼ざめて声は震えていた。


「御免なさい。珠瀬。少し静かにしていてくれない?」
「でも、あの」
「いいから」
「あ…….」

押し切られ、珠瀬は何を言えば良いか分からず口を閉ざすしかなかった。通常は右往左往しかできない彼女にとっては一世一代の勇気であったのだろう。
だが不幸なことにそれを察する事ができるほどの精神状態を、今の仲間達は持ち合わせていない。自分の小心さを嘆きながら俯く。
けれどもそれは賞賛されて然るべき行為だったのかもしれない。何時も同じ様に言い争いには口を挟めない鎧衣は、何もできずに縮こまることしかできなかったのだから。

「止めろ。そなたら。仲間同士で争う愚をここでしてもしょうがなかろう」
「御剣。けれども勝手な行動は…」
「それは無論承知だ。しかしこんな状況なのだ。いがみ合うことだけは止めてはくれぬか。彩峰も落ち着け。一人訓練をして何とかなることでもなかろう」


疲れた様な声音で御剣は二人を静止した。いつもの覇気はなく、諭す行為も理を説くだけで場を収めることだけに執している。

『…………』

押し黙り席に着く二人。だが不満の火は消されることなく、押しとどめられ燻る形で彼女達の間にあり続けた。そしてまた言葉を発する者が教室内からいなくなる。
座って時間が経過していくのを感じるだけの場になってしまう。

この場に居る誰もが疲弊しきってしまっていた。他人を慮る余力も無いほど心が荒み、口を開けば相手を傷つける言葉を吐く。
彼女達は気付くことはなかったがこの状況は総戦技評価演習と酷く酷似していた。不和という摩擦が起き、直す暇もなく失敗へと進んでいく。
結局彼女達は挫折したあの日から一歩も進歩できていなかった。

本心から仲間を中傷したい者などここには一人もいないのだろう。相手への不満を抱えこそすれど、文字通りの同じ釜の飯を食べた仲間なのだ。
意識していようが無意識だろうが、好意は確かに存在していた。しかし今は相手への負の感情ばかりが増していく。不干渉を貫き続けた彼女達に、今の仲間への接し方を知っている者はだれ一人いない。
だからこそ状況は最初に回帰していく。



時間だけが浪費していく中、それを止めたのは救いの手ではなく、無慈悲な平手に等しい声であった。
それに彼女達は驚かない。何回も繰り返されてきた事態に、力なく眼を向けるだけ。
静かな部屋にやけに響き渡る扉の開閉音とともに入ってきた男。何ら彼女等に興味を示していないかの様で、それにさらに侮蔑も込めたものを顔に張り付けている上官。

「女学生共。午後の訓練を再開する」

白銀 武 中佐は抑揚の無い声で告げた。





軍とは一定の自己完結性を備えた集団であり、如何なる時間、環境化にも即応することを旨としている。軍隊とは常に研ぎ澄まされた刃であり、堅牢な盾なのだ。
しかしその集団とは言え時間とは全くの無縁であるということではない。管制や警備、一部の即応部隊を除き大部分の軍人は夜に寝、朝に起きる。
そして得てしてそういった軍人の夜は短い。よって夜の横浜基地において、消灯までに幾許かの余裕はあれども殆どの兵士、衛士は己の部屋に戻っている。

けれどもそのような時に神宮司と伊隅は机を挟んで座っていた。広い基地内で偶然鉢合わせした彼女等は何時の間にかこの場に集っていた。
両者共に片手にグラスを持っており、濁りの無い透明の液体がそれには注がれていた。二人の頬はほんのりと朱に染まっている。そのことから手に持つそれが酒であるが分かった。
緩やかな雰囲気が流れている中で伊隅は神宮司に語りかけた。

「しかし神宮司教官。貴方が規則を破ってここで私と酒を飲む。普段の教官からはあまり想像はつきませんが……副司令に毒されましたか?」
「……伊隅大尉。私はもう貴方の教官ではありません。階級か、もしくは神宮司と呼び捨てて下さい。それに私とて何時も規則を遵守するべきとは考えておりません。それで副司
令に毒されたなどとは止めてください。分別はついているつもりですよ」
「現在進行形で規則を犯して、ここにいるのは私達二人。教官こそ、その様な敬語は使わないで下さい。嫌ならば大尉権限による命令と取ってもらっても良いですよ。まあ、私は
止めませんが」

酒の助けと他人の眼が無いことから伊隅の表情は、柔らかい。それは恩師と久しぶりに対面した生徒のものであった。
伊隅の様子を見て神宮司は溜息を一つこぼす。ここで肩肘を張る無益さを悟ったのか、すっと顔に籠った力を抜く。
二人が話している場所は秘匿されている伊隅の部隊が使用する部屋の一室であった。本来であれば部外者の神宮司が立ち入れる場所ではなく、最悪MPを呼ばれてもおかしくはない。
しかし秘匿されているとはいえ、同じ基地要員達に丸々一部隊を隠し通せるものでもない。
部隊はある意味公然たる秘密になっていたし、そのトップである女性の気性からして神宮司が罰せられる可能性は皆無に等しかった。

「そうね、伊隅」
「そうですよ。教官」

だからこそ今の二人の間に横たわる空気は軍人としての義務によるものではなく、信頼による柔軟なれど確固としたものであった。
置かれた一升瓶で酒を注ぎ足すわけでもなく、ひたすらその場の雰囲気を二人は楽しんでいる。互い共に上に立つ者として、そして命のやり取りをする軍人として平穏な時間とは何物にも替えがたい。

「酒を嗜まれるのは意外でした。そういった話は聞かなかったもので」
「嗜む程ではないわ。それでもこんな親しい人と語り合うのならお酒の一つでもなくちゃね」
「光栄です」

二人笑いあう。どちらともこの時間が何時までも終わらないことを願っていた。それと同時に軍人としての自分に時間はあまりないことも十分に理解していた。
おそらくは半刻も無いだろう貴重な時間をどう過ごそうかと思案する。今の時間は子供を持つ者同士の愚痴り合いの場であった。
こうして他愛の無い話に花を咲かせるのも一興であったし、ど真ん中直球で愚痴を零すことも良いだろう。
その中で伊隅は尊敬する教官の話を聞いてみたかった。自分の任務は機密性のせいで話を暈す必要がある以上、それに時間を割きたくはない。話を振ることにした。

「ところでどうですか教官の教え子は。確かまだ教導していた部隊の半数はまだ教官が預かっていると聞きましたが。使えますか?」
「そうね……素質でいうなら見てきた子達の中でも上位でしょうね。うん。1、2年乗りきれば目を剥く動きを見せると思うわ」

神宮司は先程までとは違う、弱弱しい微笑みを伊隅に返す。それを伊隅は敢えて見逃した。
任官後、嘗ての教官と出会う少ない機会の中で、数度拝んだことのある表情であり、憂いながらも彼女ではどうしようもなかった感情だ。

「1、 2年ですか」

そう1、2年だ。それは戦術機という兵器体系が出来上がり始めた当初の訓練時間からすれば、最優秀といっても良いほどの短さであった。当時の衛士の訓練期間からすれば十分取れたはずの時間である。
しかしそれは過去の話になって久しい。

「教官の子等ならば生き残るでしょう」
「その前に総合演習を抜けてもらわないと困るのだけれどもね」

6割。それがBETAとの戦争で失われた人類の数だ。生産面では自動化を進め一定を保つ人類であったが、人材に関しては破滅的打撃を被っていた。
現在の兵数だけで見れば大戦初期とは若干劣るがそう悲観するものではなかった。けれどもそれは頭数だけで捉えればだ。
本来兵士になるはずの無い者達を掻き集めて、ようやくそれを維持にしているにすぎない人類軍は、弊害が徐々に顕在化していた。それは新兵に対する教育期間においても当然如実に表れている。

どんな気持ちなのだろうか? 伊隅は思う。
己では納得がいかない状態で戦場に送り出す気持ちは。
そしてそれこそが他に送り出してきた戦場にいる子供達の一番の助けになる状況。心配ない。お前達ならやれると安心させる様に話しかける状況。
きっと想像を絶する程つらいのではないか。

けれども神宮司教官はその行為こそが自分の教え子と、そしてまだ見ぬ子供達のためであるとしっかりと受け止めている。
強い人だ。そんな人に師事してもらったことを伊隅は一人誇りに思う。

「ですがそれでここで私と酒を飲み交わしている訳ではないですよね」
「あら、大切な子供と話すのに理由なんていらないわ」

クスクスと笑う神宮司。それに対し伊隅は酒気以外の理由で頬が赤らむ。
伊隅は確かに教え子である自分達は神宮司の子供であると自負していたが、それでも面と言われれば恥ずかしさの一つも覚えた。

「けれどもそうね。確かに少し困っていることというか、悩んでいることがあるわ」

そこで神宮司は新たに配属された自分の上官の存在を伊隅に伝える。

「それでその上官とそりが合わないと?」
「いいえ、階級差は激しいけれどもこちらを尊重してくれているわ」
「実力は兎も角教導が下手なのですか?」
「寧ろ上手いのでしょうね。制限のある教育プログラムの中で最大限あの子達を扱いている。私が伊隅にしたこと並にはあるはずだわ」

それでは何が? 伊隅の眼が問う様に神宮司に向かうと、なにやら神宮司自身、整理しかねる様に言葉を選びながら発言した。

「私が懸念しているのは、そう……その上官である彼自身についてなのでしょうね。懸念、いや老婆心とも言える不安かしら」

神宮司は続ける。
成程確かに年齢に見合わずの階級と実力を備えていた。
教え子の能力を受け持ってきた彼女が驚くほどに深く把握し、受け持ってきた彼女が思わず嫉妬してしまう程。
人手不足ではなかったが素直に今回の増派はうれしかったと。
けれども。

「昔の私を見ている様なのよね」

神宮司は持っていたグラスを机に置く。両手の肘を机に乗せ、組んだ両手の甲に自分の顎を任せる。
そして目線は伊隅には向いていない。どこか遠く、神宮司自身にも分からないどこかを見つめていた。

「ちゃんと表現するのなら違う。彼には何か目的があるようだったし、決して自暴自棄になっている訳では無い。それでも似ていると思うのは余裕が無いからなのでしょうね。まるで張りつめた糸みたいに」

それに。
そこで神宮司は言いよどむ。果たして彼女にあの日の彼が見せた業火に似た思いを話して良いものかと迷う。
白銀という少年が、彼女達に簡単には言い表せない激情を抱いているのは明白だった。そして普段から何気ない動作から彼女達を遠ざけているのも分かっていた。
あそこまでの教導官としての実力を示した彼が、私情を挟む程の感情とは何なのか。神宮司には思いつかない。

「それでは面倒をみる子供が増えたと?」
「ええ……そうね」

結局伊隅の冗談に適当に相槌を打つことで、神宮司は話を終わらせてしまった。
すると伊隅は昔を思い返しながら笑い、少々茶目っ気のある笑いを浮かべて神宮司に言葉を投げかける。

「しかし私達と同じレベルの扱きですか。新しい子供の心配も良いですが、ちゃんと元の子供達も気にかけなければ潰れてしまうかもしれませんよ?」

その言葉に対して神宮司は笑う。それは伊隅も含めて全員が見た感想が一致するような笑顔。即ち自分の子供を自慢する親の顔だ。

「あら、大丈夫よ。なんせ私の子供達ですもの」

神宮司の言葉に一切の迷いはなかった。





無人のグラウンドで御剣 冥夜は、規則正しい呼吸と共に走っていた。
前髪は汗に濡れ額に張り付き、纏う黒色の上着も汗によって彼女の肢体を浮き彫りにさせている。その二点だけ見れば実に艶やかな姿を今の彼女はしていた。
しかし御剣の表情はその印象を打ち砕く。無心を貫こうとしている者のそれに似ていたが、じっと彼女を観察する者がいたのならそれが間違いだとすぐに気付いただろう表情。
疾走する彼女の顔には時折苦悶の感情が映り、そしてすぐさま掻き消える。少女はずっとそれを繰り返していた。

一人で走ることはこれ程寂しいものであったのか。少しも寒いとさえ感じたこともなかった10月の夜の空気がやけに痛かった。
端的に言えば御剣は現在逃げていた。具体的に何かとは彼女は言えなかったが、研鑽を積むはずの自己鍛錬は逃走に変わっている。停止することは今の彼女にとって酷く恐ろしい。
昼間の仲間達とのやり取りを思い出すだけで彼女は心を痛めた。

それは総合演習でも感じたはずのものではあったが、彼女には耐えられなかった。
前回の御剣には確固たる意志と、積み上げてきた成果による誇りがあった。当時の彼女はそれを支えに仲間の不和を乗り越えている。なし崩し的な和解に等しかったが確かに彼女はその危機を克服はしていた。
されども現状の彼女には何も無い。中心たる芯が揺れ動いている御剣に、もう一つの重要な支えの崩壊は破滅的であった。

御剣は助けを欲していた。彼女も気付かぬ程無意識に、だからこそ本人も信じられないほど救いを渇望している。しかし現在の御剣の周りには、人がいなかった。彼女は憔悴しきっていた。
徐々に息が荒くなっていく。暗い感情を振り切る様に少女は加速していった。遂には全速力で駆けている。時間にして数分彼女は走っていた。
しかし当然ながら体力は直に枯渇する。苦しい顔を浮かべて彼女は立ち止まった。

何をしているのか私は。
彼女は吐き出す息の音を煩わしく感じながら自嘲する。両膝に手を突き、肩で呼吸していた。苦しい呼吸は一層御剣の思考を暗くする。
明日も早いのだ。いつまでも走っている訳にもいかない。目標の距離を達成したかも気に掛けることもなく自室に戻ろうと彼女は思った。
今の彼女は精細さに欠けていた。よって簡単に気付かぬ間にとある人物の接近を許すことになった。彼女が近寄る者の存在に気付いたのは足音によってであった。

上げた頭で確認してみれば接近していた者は年端もいかぬ少女であった。様々な人種がいる横浜基地においても珍しい銀髪のロシア系の、しかも徴兵年齢に達していないはずの女子。
それだけで十分人目を引くに足る彼女であったが、それ以上に特徴的なのは頭についた兎耳のアクセサリー。とてもではないがどこかの部隊に所属している者には思えなかった。
なぜここに、そして御剣に近づいてきたのかを彼女は分からなかった。少女は静かにその双眸で御剣を見つめていた。

その時御剣がすべきことはその銀髪の少女に対しての詰問であったのだろう。害意は感じられないが不審人物をのさばらせる訳にはいかない。
そこまで堅く考えないにしても、夜遅くに少女の一人歩きは保安上まずい。基地内とはいっても保護するべきであった。けれども御剣の口からは咄嗟に言葉が出ない。

驚くことに彼女は知らぬ間にその少女に救いを求めていた。いや自分の胸の内をさらけ出す相手と少女に見出していた。全くの見知らぬ自身よりも年下の少女にだ。
それは常識に照らし合わせればおかしなことかもしれなかったが、何の繋がりも持たない少女は逆に御剣とはしがらみが一切存在していないとも言えた。
誰にも頼ることができなかった御剣にとっては、正に溺れる者にとっての一本の藁に等しかった。
およそ普段の彼女ならば問題なく抑えられた衝動も、今は彼女を縛り止めている。その欲求は御剣の心にとっては甘露にも思えた。

馬鹿な。常軌を逸した考えだ。
それでもそんな理性を欲求という熱が溶かしていく。熱病で浮かされたように感じられた。だがそれでも御剣は言葉を紡がない。
最後に彼女を止めているのは理性ではなく恐怖であった。人に真に心を開くという行為自体が御剣には怖かった。

否定されたのならばどうする。交わる中で相手を傷つけてしまえばどうなる。207の仲間達に対して感じた思いが御剣にせりあがっていた。
その感情は今回の事件が発端となり生じた感情でもあったが、もっと深く207の面々を捉えてきたものであった。
理解されたいという欲求。傷つけられたくないという願望。傷つけたくないという思い。それは御剣を含めた部隊の全員の根底に沈んでいるもの。

「けれどどんなことを考えても、言葉に出さなければ相手は理解してくれませんよ」
「なっ」

突然の少女の発言に御剣は心の臓を握られた様な感覚に捕らわれた。

「普通の人間には相手の心の内を覗くことなんてできないのですから」

何故、何故、何故、何故?
まるで心が読まれたかの様な少女の言葉に御剣は混乱する。眼は限界まで見開き、口は意味もなく開閉させてしまう。喉は乾き息は短い。

「そして話すべきなのは私ではないはずです」

しかしそんな超常じみた少女の言動とは別に、紡がれる言葉の内容自体に彼女の心は揺さぶられる。自身の中で渦巻いていた熱を引きずり出されたかの様に錯覚した。
そしてここにきて彼女の自制心は完全にその熱に溶かされつくした。理屈もなく理論も持ち合わせず、御剣は言葉を吐き出す。

「なれど、なれど、なれど」

呂律が回らず言葉が滑る。

「否定されればどういたす。相手を傷つけたのならば如何すればよい!」

何時の間にか御剣は涙ぐんでいた。まるで駄々っ子のように少女に言葉をぶつける。

「そしたらまた話し合うしかありません。ひたすら理解してくれるまで。相手を傷つけてしまっても、謝り次はしない様に自分を戒めて」

なんてそれはつらいのだろうか。なんてそれは恐ろしいのだろうか。身を強張らせ御剣は恐怖した。視界が暗くなる。
しかしそんな御剣の身体を何か温かい物が包む。とても安心させる温かみは人肌の温もりであった。視線を下げると少女は抱きつき両の腕を御剣の背中に回していた。
決してその容姿からだせるとは思えないほどの穏やかで優しい声で、その少女は御剣にそっと囁く。

「それでも貴方が進むことを望むなら、仲間を失いたくないのならばしなければならないのです。大丈夫。私の知っている冥夜さんは強い」

すると御剣の中に形容できない温かいもの、優しい感情とも言えるものが流れ込んできた。それは未知の感覚ながらも何ら怖さは無かった。
そして何故だか瞼が重くなる。それすら不愉快さを催すものではない。

「そなたこそ強かろう」

自然と御剣の口からこぼれる。緩やかに眠りに落ちていく中でも、彼女は少女の言葉をしっかりと聞き取っていた。

「最愛の人ともそれができない私に言う言葉ではありませんよ。冥夜さん」







数分後、意識を取り戻した御剣の前に少女はいなかった。












三人称と一人称の文法ってなにそれおいしいの?
いろいろと書き方を模索中。
なんか描写にむらがあったり、場面のつぎはぎ感の半端なさがあるが、今の自分にはどうしようもないのでこれからの課題。そしてこっそりと文章量を増やしてみたり。



[33107] 十一話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:3c22942b
Date: 2012/12/30 19:08
社 霞は白銀の眠る寝台に腰かけていた。時間は太陽も登らぬ早朝。
彼女の白肌の右手はそっと白銀の頬をなぞり、首筋へと落ちていく。むず痒そうな顔をする白銀に気付かれぬよう、ゆっくりと弱弱しく。
そして変化していく白銀の顔を社は眺める。
彼女にとって無防備で作った表情を浮かべない夫の顔を堪能するのは、誰にも言えない密やかな楽しみとなっていた。
だから彼女の日課は起床時間前に起きて白銀の部屋にそっと潜り込むことだった。幾らか時が経ちそれらを味わい終えると、手を身体から離し、じっと白銀を見つめる。

「武さん」

社 霞にとって白銀 武とは自身にとっての何か? と問われたら、若干の恥じらいを持ちながら夫であると答えるだろう。あるいは隣に並び立ちたい人か。
それでは白銀 武にとって社 霞とは一体どんな存在かと言われた場合、彼女は明確な回答は持ち合わせていなかった。
以前の世界では戸籍上では確かに『夫婦』ではあった。しかし籍を入れる前後で二人の関係に変化はない。押しかけ結婚に等しかったそれは、白銀にとってどのように受け止められているかは社には謎だった。
彼にとっての帰る場所に、精神的な支えとなろうとはしていたが、白銀から暗い影が取れることは終ぞなかった。ともすれば白銀にとっての自分の立ち位置は何なのかとは霞にとってずっと抱え込む悩みであった。
ついていく決心はした。しかしそれは彼の背中を追うだけで、彼にとっては何の助けにもなっていないのではないか?
霞は白銀が幸せになって欲しいと願っていた。いや彼一人だけではない。周りの、かつて白銀を囲んでいた人物達と『一緒』にだ。
彼女の望みからすると今の白銀の行動は霞にとって受け入れがたいものが多々ある。

「貴方は何を考えているのでしょうね」

先程の声よりも強く、けれども起こさぬ程の声量。それは霞の問いただしたい気持ちと、躊躇わせる心が競り合って出た中途半端なものであった。
昨夜自分が何を言っていたのかを思い出し、霞はここで苦笑する。
ある程度以上の親しみを持つ者への能力行使を止めた社にとって、白銀の考えを知るには問いかけるしかない。それを理解しながらしなかった。これでよくぞ説教をしたものかと霞は笑うしかない。
霞は決めなくてはいけないと感じていた。聞き出すことだけではなく、これからのことを全てだ。目指す方向は決めてある。
しかしその行動がもしその握った手を払いのけることに繋がったら。そう考えるだけでも霞には身の凍る思いが沸き立つ。
自分を犠牲にし、他者を切り捨ててでもそれだけは堪え難かった。例え最終的に白銀の隣に立つ者が霞ではなくとも、白銀との関係を切ること、彼に切られることは許せなかった。
だからこそ今彼女に必要とされていることは対話だ。握りしめた愛しい手を離さないために彼との距離を縮めることを求められている。
もし摺合せに失敗したならば、決裂に繋がる可能性もあった。
そして自分が提案しようとする案の実現性。その白銀がしようとしていることからすれば、笑ってしまう程それは低い。だが彼の案では確実に彼は皆とは共に歩めない。

だからこそ霞は白銀に言いたかった。『もう一度皆さんと共に歩みませんか』と。

利己的で自己中心的な主張であることは百も承知だ。
BETA大戦勝利を掲げながら、幾人もの衛士、兵士を摩耗させた自分達が何をほざくのだと周りは罵倒するだろう。
けれどもかつての207の皆さんは人類のために、白銀さんのために全てを捧げたのだ。
彼はその思いを受け止め悩み、今も十数年もがいているのだ。誰がその願いを否定できようか。
もしそれが責められるべきものならば、その罪は選択肢の無かった彼らではなく、自分の意志で手助けする自分こそが最も責められるべきであった。
理性と感情が彼女を止めている。それと並行して理性と感情が動くべきだとも告げている。
その葛藤が昨夜の行動に繋がる。励ますとともに、いつでも引き返せるはずと念じて仕掛けた仕掛け。それが芽吹くかどうかはこれからの霞の行動次第であった。
どうするか。悩む。だが答えは出ない。彼女を満足させるものは何一つとして出てこない。心のどこかで先延ばしを望んでいる自分がいた。

「う、む」

気付けば白銀に触れる手に力が込められている。慌てて掌を彼から遠ざけた。
再び規則的な呼吸に戻る白銀に安堵すると、そっと霞は立ち上がる。また起こしかけても叶わない。時刻は起床時刻までには余裕がある。少し周りを歩こうと思い立つ。
静かに足音を立てずに立ち去ろうとする。

しかし一歩踏み出した時。
久しく感じたことの無い感情の流入を感じ取った。

「えあぅ」

思わず言葉が口から漏れで、踏み込んだ足から伝わる地面の感覚がこの上なく頼りない。姿勢を保てず片膝をついてしまった。
気持ちが悪い。喉からせりあがる物こそないが、吐いてしまいたい気分。
頭の中身を直接殴りつけられてかのような不快さ。断続的にじくじくと霞の脳内を痛みが暴れまわる。
通常の人では考えられないほどの純粋な感情が自身に向けられている。
これほどの捉えきれない量は、霞は純夏の時にしか感じたことが無かった。
しかし何故感じ取れているのか? 彼女は能力は使ってもいない。もし無意識の行使でもここまで強力に暴走したことなどなかった。
伝わってくる感情は鮮明ではなく、けれどもそれは自分に向けられたものであるとは分かった。そしてそれは決して柔らかいものでもなく明らかな負の感情。

「誰、なんです……かっ!」 

呼吸さえも苦しくなる中で、霞は虚空を睨む。
相手の素性も距離も分からない。くぐもった声をだすも無論返答はない。そこで突然の誰とも分からぬ敵意に霞は反抗を試みる。
悪意を向けてくる人間を野放しにするには、今は状況が悪すぎていたし、何よりこの事態は相手が彼女の能力を把握している可能性が高い。
位置を突き止め必要なら何かしらの処置が必要だ。
奥歯を強く噛みしめた。痛みに抵抗しようと身体に力をいれる。気を強く持ち、思考を明瞭にする様に努めた。
そしてこの感情の持ち主が誰かと、能力を使おうと意識を集中させようとする。だが

いなくなった?

突然現れ突然消えた。身体の疲れも忘れて霞は混乱する。遠ざかったわけでも、向ける感情を抑えたわけでもなく、文字通り消えた。
死んだのか? それも違うはず。ならば死ぬ時の感覚もこちらに伝わるはずだ。
霞の冷や汗をかいた背中に衣服が張り付いている。彼女の額にも数粒の汗が垂れていた。
そしていつまでもこのままではいけないことに気付く。
呼吸を整えながら思考を滑らかにするようにする。そして今度こそしっかりと立ち上がり、足早に白銀の部屋を飛び出す。目指すはおそらくこの基地で最も安全な場所である博士の執務室。
気が引けるが博士にこのことを報告し助けを仰がなくてはいけない。霞と武の存在を知る者が少ない以上、それを知る者は必然的に相手は相当厄介な人間になる。
放っておくわけにもできず、独力での解決なんて論外だ。
廊下を早足で駆けながら、白銀に声をかけなかったことを霞は今さらながら悔いた。それでも白銀なら大丈夫だと霞は思っていた。
そして執務室に向かう中で霞の心は何時の間にか鬱屈としたものになっていた。
なぜだが報告に行く自分の行動を、取り返しのつかないことをしに行くように感じていた。









乾いた音がグラウンドに木霊する。それに重量のあるものが地面を転がる物音も付随した。
転がっているのは彩峰であった。彼女の頬は腫れ、目元も内出血から普段の切れの良い眼つきが台無しになっていた。
身体中は土埃だらけで、息遣いは肩での呼吸を通り越し最早弱弱しい。その彼女の周りには同じ様な無残な格好の207の各々がいる。
もぞもぞと立ち上がろうとするも力が入らないようであり、上手く立ち上がれていない。満身創痍。今の彼女等の状態を表すとすれば、それが最も適した言葉であった。
それでも彼女達は諦めない。腹に力を籠め、自分の二本の足で立ち上がり、模造刃や刃の無いナイフを力一杯握りしめて『目標』へと全力で駆け出し向かう。
先頭は彩峰で、それに御剣と、少し後ろに榊が続く。しかし傷ついて体力の切れかけた彼女達の動きは平常時の半分にも過ぎない。そして珠瀬、鎧衣は未だ身を起こせていなかった。


「最初から変わらず馬鹿の一つ覚えの突貫。変化があると言えば貴様たちの手に武器があるということだけ。兵士でも衛士でもない貴様たちに戦術的行動は微塵すら期待していなかったが、何らかの工夫すらないとは嗤いを通り越して同情すらするぞ。
元来学生の本業は学習のはずなのだがな」

彼女達を向かい撃つ形で言葉を投げかけたのは、片手に模造刃を持った白銀であった。彼は横に一閃すると、刀の切っ先を地面へと突き刺す。
目立った怪我は皆無で、あるとすれば掠り傷程度。服の汚れも少なからずあるが、彼女達のものが移ったにすぎなかった。

「経験を生かすこともできずに時間を無為に過ごす。成すべきことを理解できずにひたすら物資を食いつぶす。もう一度言うがここは学生のための教育機関ではない」

淡々と、至極淡々と白銀は告げていく。 鈍っているとはいえ十分な速度を維持する彼女達を前にしても構えすらとらない。それに対し彩峰は咆哮ともとれる声を上げながら右手を振りぬき、白銀に殴りかかる。

「ああああぁ!」
「兵士は戦場へ。学生は学校へ。子供は家庭へだ。さて貴様達は学校と家庭どちらかな」

決して俊敏ではない、むしろ緩慢ともとれる速度で白銀は彩峰の右腕を掴み自分の方向へたぐり寄せる。そして速度ののった状態で来る彩峰の胴体部、鳩尾の部分に膝を持ってきた。結果、自らの速度で彩峰は急所に重い一撃を受けることになった。

「うぐぅっ」

腹の中身がひっくり返りそうな一撃で顔を歪める彩峰を白銀の右方へ蹴り倒す。右方からは榊が走り寄って来ているところだった。そして咄嗟に目の前に出てきた仲間にぶつかるまいと速度を緩める榊。白銀はそれを右拳で胴体を殴り飛ばす。そしてそれを御剣の前にと、同じ手法で三人を打ち倒した。

「だが少なくとも兵士ではない貴様達がここにいる道理などない。帰れ、貴様達の家に。がたがた震えている内に全てが終わってるだろうさ。別にそれが悪いと言うわけではない。なにせ貴様達は保護されるべき子供だ。ましてや徴兵免除を受けた貴様達だ。誰がそれを責める?」

見下ろしながら言う白銀の言葉はいっそ優しげでさえあった。しかしだからこそそれは207の彼女達を訓練生として見ていない証左でもある。
対して彼女等の反応がすぐさま示された。先程と同様にそれぞれがまた身体に鞭を打つ。筋肉が軋むのならばそれを叱咤し、意識が遠のくのであれば口の内側を噛みちぎってでも踏みとどまる。
端から眺めれば反骨心のある訓練生の微笑ましい、まさにあるべき姿と評するだろう。そびえ立つ壁を今は超えられずとも、いつかは超えてみせると意気込む若い衞士見習いの姿だ。
この光景に彼女達の明るい未来さえ垣間見る者さえいるかもしれない。だが彼女等当人からすれば全くもって違った。今の光景は絶望であり地獄であり自分達の絶対的な分岐点なのだ。次などない。

「まあ貴様達がそれを受け止められる知能が存在していないことなど、さすがの俺も把握している。そして10日にさえ満たない日数ではあるが引率した身として貴様達、
餓鬼共にある程度は愛着も出た。最後ぐらい気の済むまで付き合ってやろうと思えるぐらいには俺は寛大だ。だから安心して『悪足掻き』しろ」

そう次など彼女等には存在していなかった。








幾度顔が地に付いたのか、彩峰は地に附しながら考えこむ。視界は意識とは打って変わって鮮明であった。今も殴られ、そして蹴り飛ばされていく仲間が認識できていたし、彩峰が憎むあの男の足も見えていた。
立ち上がらなくては。立ち上がりあの上官に一撃を加えなければ。そうしなければ私達の未来が終わってしまう。彩峰は自分を叱り飛ばし身体を持ち上げる。
彼女達207部隊には今朝に突然通達されていた。上官である白銀は彼女達を一目見ると言ったのだ。

『さて無能な諸君。考えてみたがこれ以上貴様達に付き合うのは時間の浪費で意味が無い。学生のお遊びに付き合うのはやはり意味が無いようだ。全く、少しでも貴様達に期待した俺を笑い給え』

『しかし末期の老人の様に可能性の無い貴様達に期待させてしまった俺も悪い。よって試験をしよう。貴様達の無価値さを貴様達に刻み込めることで俺の行いの謝罪とする』

『試験は最初に貴様達がしたあの遊びだ。だが時間は一日。しかも俺に一撃加えれば合格だ。起点に立ち戻ることでこのくだらない関係を終わりにしようじゃないか』

あの最悪の出会いを思い出し、それを狂言であると笑う者はいなかった。白銀の後ろには神妙な顔つきの神宮司が控えており、彼女が立会人となることを彼女達に述べたのだ。
神宮司は厳しくも実直な教官として彼女達に知られており、その教官が携わるということは前回とは明らかに違うことを示していた。つまり本当に白銀は彼女達を除隊させようとしているのだ。
だから今自分の身体がどうなっていようが彩峰は動き続ける。次がないのだから身体の心配はしなかった。
その覚悟とは裏腹に身体に致命的な傷は無い。打撲や打ち身、地面を転がることによる掠り傷は数え切れないが骨折や多量の出血はしていなかった。
痛みはすれど身体は一応は動いた。問題があるとすれば疲労とこのぼんやりとした思考であった。
それは忌まわしいことに白銀という男の実力を何よりも表している。訓練兵とはいえ、5人に囲まれていても手加減をする余裕があるのだ。その実力は彩峰を軽く凌駕していた。
けれども彩峰は思う。

この男が有能であるはずがないと。

無能な者が上に立てば下の者を殺す。それは彩峰という女を動かす一番の行動原理となっていた。それは彼女の精神に刻みつけられているものであった。
無学な上官が無謀な作戦を立て前線の部下を殺し、実力もない蛮勇な上官が隣に付きそう部下を殺し、臆病で逃げる上官が捨て駒にする部下を殺すのだ。
だからこそ上に立つものは有能であるべきだ。勤勉で実力があり果敢な者こそが上に立つべきである。それは彩峰の中で絶対であった。
悲惨な結果を招く上官はいち早く取り除かれなければいけなかったし、結果を特に求められる軍事方面では特にそうだと受け止めていた。
そうでなければ彼女は納得ができなかった。したくなかったとも言い換えても良いかもしれない。
彼女の父親が貶められたのは無能であったからだとしか彼女には思えなかった。命令を無視し、仲間を半壊に追い込んだ無能であったからこそ彩峰中将は貶められたのだと。
諸外国からは味方殺しと罵られ、身内の帝国軍からは敵前逃亡と吐き捨てられ、最後は絞首刑になった彼女の父親は無能だったからこそ悪であったのだと。
例え強面であっても優しげに笑顔を彼女に浮かべた父であろうが、無骨で大きな手で彩峰を撫でた父であろうが、無能であるならば唾棄すべき上官なのだ。彼女の良い父でも無能だったのだ。
上半身を起き上がらせようとする。さっきまでよりも鋭い痛みが走った。

「あぐぅっ」

彩峰は白銀を有能だとは認めない。
中将という地位に上り詰め、朝鮮の大地で敗北するまでは成果を示した父が無能で、目の前でただ腕っ節と技能を見せただけの男を有能であるとは断じて認められなかった。
だからこそ自分の未来を切り開くためという目的と同時にあの男に一発入れないことには、彩峰は気がすまなかった。自分は衞士であり、白銀の判断は間違いであると知らしめて、白銀の節穴を、無能さを示さなければならなかった。
彼女が辺りを見渡せば同じ様に仲間が転がっていた。彼女達が起き上がれるかは定かではなかったが、構わないと思った。例え一人でもあの男の無能を暴くと。

「ああああぁ!」

ふらつく身体に活を入れ白銀に突撃する。右手で顔面を狙い、それが駄目ならばいつでも掴みかかって捻じ伏せてやらんとする。突進する中で白銀が何事かを言ったが耳には入らなかった。
一撃を、あいつに一撃を食らわすのだ。彼女の頭の中はそれで満たされていた。しかし一撃は届かない。

「うぐぅっ」

馬鹿にしたような緩い動きで容易く彼女の攻撃は流され、お返しとばかりに鳩尾に一撃を食らわされて地面に転がされる。
戦闘行動をとるには死に体とも言える身体に入った強烈な衝撃であった。ただでさえぼやけた意識が、完全に失われるところであった。もはや痛みすら感じないほどまで追い込まれている。
しかしぼやけていようと彼女の思考は回っていた。どうするかと考える。ナイフが折れたのならば殴り、腕の骨が折れたのならば噛み付けば良いとまで思える気概はあったが、それでもあの上官は倒せないだろう。
現状を考察すれば彼女ではどうすることもできないと導き出せるだろう。それでも彩峰はやらなければならなかった。自分の価値と、男の無能さを表さなければならない。
だが答えは出なかった。ならばと彼女はもう一度立ち上がろうとする。一回で駄目ならば百回。それでも駄目ならばできるまで。そう思い立つ。


そして駆け出そうとする中、不思議に後ろにいた御剣の声が届いた。



[33107] 十二話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:3c22942b
Date: 2013/02/22 17:30
御剣の視界は揺れていた。膝は笑い、腹部は微弱に痙攣していた。左程遠く離れていない白銀の顔が曇って見えるのは、彼女達が巻き上げた土埃のせいだけではあるまい。しかしぼろ布もかくやという惨状だというのに御剣は不快さを感じていなかった。
むしろ今の彼女の表情は久方ぶりに纏わりつく暗さが晴れている。普段の覇気は無くも背負う影もない。ある種自然体に近い状態で彼女は立っていた。その様相は追詰められた者の開き直った姿であったのだが、付随する悲壮感が存在しないためそれは本来のものから一線をかくものになっていた。
そして彼女の表情が笑みになるとともに口から笑い声が漏れ出た。それは段々と大きくなり、辺り一帯に響き渡る。傷付いた仲間が驚いた顔で御剣に振り返ったり凝視したりするが、彼女は気にしなかった。可笑しくて嬉しくて腹ただしくて。そういった感情が御剣に膨れ上がっていた。
昨夜のあの出来事まで、御剣は自身が何をすべきかが全く分からなかった。鍛えても力は足らない。彼女の仲間の力でもそれは変わらない。どうすることもできず、行動してもひたすら深みに沈み続けていた。
しかしそれは兎耳を付けた奇妙な銀髪の少女との会合で一変した。話し合い。示された道はあまりにも恐ろしく、そしてあまりに魅力的であった。そしてそれこそが今の彼女達の活路になると彼女は察した。
悪足掻き、御剣は血の味を口内でじんわりと感じながらゆっくりと白銀の言葉を反芻する。遅まきながらも自身の行動を振り返って理解していた。今までの行動は全て悪足掻きであったと。

「本当に意味が無いな」


いくら鍛錬しようが御剣や仲間達が彼女達の教官に勝てるわけがなかった。年季が違うのだ。よしんば才能が彼女達の方が勝っていようが圧倒的に経験が違う。そして教導で教官を超えることは目標ではない。御剣は周りを見渡す。動きを止めてこちらをみる仲間達がいた。
私一人で勝つ必要などなかった。御剣は自嘲した。全くもって難しい解答ではなかった。これでは学生と呼ばれてもしょうがないと。
ただ教官の横暴さと技量に不平不満を仲間に吐き、『皆』でそれに怒ってその怒りを自分らの教官にぶつければ良かったのだ。自分の力の無さに弱音を吐き、『皆』でそれを共有しながら一致団結して頑張れば良かったのだ。
それは弱さでも何でもない。一人で無理なら二人で、それでも無理ならもっと。幼児でも考えられる案だ。だが御剣達はできなかった。
これは白銀が彼女達を煽ったことも原因であろう。冷静に考えさせず単騎で突撃させ潰す。無理難題を押し付け部隊に不和を生じさせ連携という言葉を忘れさせる。それらは彼女達に仲間という概念を奪っていた。
しかしそれはさして重要な要素ではない。結局、自身等は上辺だけの付き合いの、仲間でも何でもなかったのだろうと御剣は断じた。力を合わせるべきところで合わせられなければ、仲間でも何でもない。平時だけで上手くいくだけの関係など、無意味な関係だ。
そして薄々気づきながらも解決しなかった。やるべきことをやらずに良しとしていた。責任を持たずにただ過ごす。それこそが白銀が御剣達を学生と言い切った理由であったのだろう。

「本当に可笑しくて、嬉しくて、腹ただしい」

自分達を困らせていたことが実に簡単なものであったことが可笑しく、それに気付けたことが御剣は嬉しかった。気付けたのは見ず知らずの少女のおかげであり、気付けなかった自分の不甲斐なさが彼女は腹ただしかった。そしてなにより自身を許せないことは。
実行しようと最後の後押しになったことが、彼女自身ではなく、追い詰められているこの状況と、それを造りだした白銀であったことだ。指摘されたのが昨夜だとて関係は無い。何かしら無ければ御剣は悶々としながらも、そのまま何もできなかっただろうことは自覚していた。
御剣は未熟であった。今回は徹頭徹尾自身では何もできなかった。しかしそれでも今彼女は満足感を感じている。
初めて彼女の教官が御剣を見たのだ。朝一番に一秒にも満たない間だろうが確かに白銀は視界に御剣を入れていた。御剣訓練生という存在を認めたのだ。褒められたわけでもなく、やっと試す価値ができたと思われた程度に過ぎなかったが彼女は嬉しかった。
これは試金石なのだ。御剣訓練生としての、正確には207訓練部隊への。初めて彼女達の価値を問うてきてくれるのだ。貴様達は訓練生なのかと。ならば全力でお答えするしかあるまい。御剣は思った。
もう一度仲間を見つめる。御剣は怖かった。当然だ。後ろへ下がる道は最早無く、腹を据えたところで怖いものは怖い。今に至るまで御剣には真に同年代の友や仲間と言える存在はいない。方法も分からず生まれて初めてそれをつくる方法を模索するしかない。

「私では白銀教官には勝てぬ。彩峰でも榊でも珠瀬でも鎧衣でも。誰もその方には勝てぬ」

だから私達が仲間となり共に戦えば良い。
紡ぐ言葉は諦めの言葉。けれども彼女が目指すのは未来だ。




先程までの戦闘が嘘のようにその場で動く者がいきなりその足を止める。
笑い声から始まる御剣の奇行に一人を除いた207部隊は御剣に唖然として注目していた。どうしてしまったのか? そういった疑問がありありと彼女達の顔に浮かぶ。
彩峰が白銀から御剣へと向き直る。しかし207の大部分が抱える疑問を彩峰は口にしない。御剣の行動がおかしかったとすれば、彩峰の今持つ感情も他の207の彼女達には不可解なものであった。
足取りはふらつくもその眼には怒気が孕んでおり御剣に突き刺さっていた。彩峰は明らかな敵意を仲間である御剣に向けていた。仲間としての嫌悪感ではなく、敵としての害意をもって御剣を迎えていた。

「何……で意味が無い。何で、私じゃあいつに勝てないと決めつける。何でお前が勝手に私を否定するの」

低音で抑揚を感じさせない声。
湧き出る感情を彩峰はそのまま御剣にぶつける。そしてゆっくりと御剣に近づいていき、彩峰と御剣との距離は軽く踏み出せば互いに手がとどく所までいく。
今の彩峰にとっては御剣は正しく敵であった。御剣が諦めようが知ったことではなかったが、自信を無能と決めつけた彼女を彩峰は到底許せなかった。
射抜く視線を、けれども御剣は慌てた様子一つも見せずに冷静に受け止める。彩峰の眼をしっかりと見返す。


「それを言うのならば何故彩峰がそこまで怒りを感じているのかが、私には分からぬ」
「ふざけるな」
「ふざけてなどおらぬ」

会話はどちらも譲らない交わらない平行線であった。以前であれば喧嘩別れで終わり、時と共に有耶無耶で終わらせていただろう険悪さ。そもそもが部隊長である榊が止めに入る状態を、御剣は先日までの日常のように処理することを許さなかった。
御剣はぶちまけた。挑発ではないが、明らかにこの場を暴発させる言葉を吐く。

「そなたの怒りはそなたの御父上と関係があるのか」
「ッ!」

瞬間。パンッ、と軽快な音が響いた。赤く腫れた頬に、少し俯く形になった御剣がいた。口の中を軽く切ったのか少量の血が口元から垣間見えた。そして怒りに肩を震わせる彩峰が御剣を睨む。
ここにきて状況の確認どころではないと悟った周りは二人の間に割って入る。そして代表として榊が叫んだ。

「貴方達何してるのよっ!こんな時に仲間で争っている場合じゃないでしょう!」
「仲間ではない」
「なにを」
「私とお主等は仲間などではなかった」

口を拭いながら御剣は榊の仲裁を拒絶する。
何を言っているのか、と言い返す前に榊は御剣の眼によって黙らされた。覚悟を決めた眼。腹を据えた者だけが発するものにただ場を収めようとした榊は飲まれてしまったのだ。
誰に言うのでもなく、あえて表現するならば自身を含めた全員に御剣は言う。

「独断専行を犯す彩峰に、自分の策を押し通す榊。諍いに右往左往するだけの珠瀬に、そもそも不穏な空気でここぞの時には押し黙る鎧衣。そして仲裁する振りをしてただ副隊長の職務を遂行したと思っているだけの私。そして何より互いにびくびくして
気を遣い距離をとり、纏まりには部隊という枷が無ければできない始末」


ほら、仲間などではないではないか。自嘲気に笑う御剣に彼女等は絶句する。歯に衣着せぬ物言いは臆面なく一同の内面を抉り取った。
榊は苦り切った顔で俯き、珠瀬は眼元に涙をたたえ、鎧衣は蒼ざめるとともに、怒り切った彩峰でさえ僅かに表情を曇らせる。それでも御剣は言葉を止めない。

「今だって白銀教官にかかろうという意見が出なかったではないか? 一人二人がもし潰れようが、五人もいる我等ならば最終的に勝てたろうに。それができなかった。そもそも話し合いという機会がもてなかった。部隊という枠組みでさえ機能しない我等が仲間であるはずがなかろう」
「皆で、挑戦した、じゃないですか」
「目標が一つなのだから連携が取れなくとも一纏めに挑むことになるのは当然であろう。結果としてそうなっただけであるし、波状的に向かってしまって結局意味がなかった」

珠瀬の言葉を容赦なく切り捨てる。事実を突きつけているにすぎないが、だからこそ限りなく正論であるそれは207の面々にはきつかった。自身の惰性と失態を指摘されて平気な者などいるはずがない。
今まで彼女達は努力した。これは覆せることではない。それは胸を張り言えることだ。それと同時に彼女達が逃げてきたこともまた事実だ。それももしかすれば逃げに入っていたからこそ訓練に身を入れてきたとも言えるほど徹底的に避けてきた。
珠瀬と鎧衣は呼吸音さえ聞こえない程静まった。いや誰もが押し黙った。言った御剣も眉間に皺を寄せた状態で何も言わない。御剣の言葉は彼女自身でさえ反論できない程正しかった。
それでも榊はその中で絞り出すように呟く。

「なんで、今なのよっ!」

御剣の言は全て正しい。否定できる部分は少なくとも榊には思い浮かべられなかった。それでも榊は御剣をなじる。責めるではなく。

「今じゃなくてもいいじゃない……」


問題はなぜ今なのかだ。彼女達は間違っていた。それは正すべきことだ。それは当然なことだろう。けれどもなぜよりによって今なのか。
直せるものならば直しているのだ。手を取り合えるのならば取り合っているのだ。だがそれは榊にとっても、この場の全員にとってもできなかった。だから先送りをした。
だができないからとそれに執着し、いつまでも立ち止まることが良いと言えるのか。妥協してでも前に進むことがそんなに非難されることなのか。自分達の夢が潰えようとしている時に言わなくても良いではないか。皆で教官に一斉に掛かることだけ言って、それは後でゆっくりと話せば良い。
そんな軽い逆恨みに近い感情を榊は零す。理不尽だろうがそれは御剣以外の面々の気持ちの一面でもあった。

「仲間になりたいからだ」

はっとする様に彼女達は御剣を見た。泣きこそしないが縋る子供の様な顔をしている。

「今でしか、言えぬのだ。これを逃せばもしかしたらこの関門は突破できるかもしれん。上辺だけでも合わせることができたのならば衛士にもなれるかもしれぬ。けれども絶対にお主等と仲間になることはできぬ。しなくてはいけない状況を造りだされた今しかできないのだ。
これを逃せば絶対に私は踏み出せぬ」

面々は御剣の顔に目を向けた後に握り拳をつくる彼女の手に目が行った。その両の手は震えていた。そしてついに御剣の声音は先程の批判時にみせた鋭利さとは打って変わって弱弱しくなっていく。

「脈略も無く話を切り出したことは理解している。先の言も皆をどこまで傷つけたのか、そしてどういった感情を向けてくるのか分からず恐ろしい。でも、それでもだ。お主等を理解したい。私を知ってもらいたい。そして」

お主等と仲間になりたいのだ。最後の彼女の言葉は蚊の鳴くような声にも関わらず榊達の心には強く響き渡った。御剣がここまで弱気になっている顔は彼女等は見たことが無かった。今の御剣は本音で、何もかも包み隠さず心に想う言葉を語りかけているのだと気付く。

「御剣......」

榊が言葉を詰まらす。全員が御剣に対してどう触れ合えば良いか分からずいた。御剣がここまで自分達の領域を軽々しく踏み荒らしたことは無い。そして御剣がここまで仲間に歩み寄ったことも初めてだ。
ぶたれてその後に撫でられた気分。それでいてした当の本人は泣きそうな顔でこちらを伺っている。当惑するしかない。だがそれでも一つの希望の片鱗が彼女達を魅了した。
仲間。理解し理解され合う者達。それは今まで自分達が求めてたものではないか。それが手に入るのならば、今こそ踏み出すべきではないのか、彼女達は悩む。だがそれは結局否定へと繋がる苦悩に過ぎなかった。
振り子の様に揺れながら、結果的に元の位置に戻ってしまう。
もし御剣の求める行為がより上手いものであったのならば、警戒心を抱かせずに済ませられたかもしれない。けれども本人自身が恐怖しているように、それは207の彼女達も同時に恐怖させてしまっていた。
彼女達の過去が背景が血統が。彼女達が望むものから遠ざけてしまっていた。
だからこそ話はここで終わるはずではあったが終わらない。御剣はそんなことは理解している。自分のやり方では相手を引かせてしまうことなど承知している。これ以外に方法を思いつけないことも分かっていた。

「私は」

よって御剣は自分なりの方法を押し通すしか無い。

「私はあの御方と同じ腹から、生まれた」

言った瞬間、御剣の足は腕は身体は、熱にうなされるように震えた。顔から血の気が完全に消え去り絹もかくやとも言えるほど白に染まる。
他人の全てを晒せと言うのだから自身も全てを晒すということは当然のことだ。だが認めてはならぬこと、彼女の心に一生秘めていなければならないことを出した。それは想像を絶するほど、全身を引き裂かれるような痛みが伴った。
言わねば良かった。だがもう言ってしまった。どうする? どうしようもなかろう。御剣の思考はぐちゃぐちゃになっていく。
あの方への申し訳なさで前が暗くなった。言ってから後悔してしまう不甲斐なさに腹が立った。このあと皆がもしかしたら離れていくことを想像してしまうと悲しくなった。だがそれでも御剣は

「皆とっ! 仲間になりたいのだ!」

その心からくる絶叫を御剣は最後まで言い切れなかった。胸元にぶつかってくる衝撃にそれは中断させられた。そして汗とは別に何か温かい液体がシャツに広がるのが御剣には分かった。
恐る恐る、御剣は下を向き確認する。
珠瀬が泣きながら抱きついている。先程までの言葉の返しは何もなく、何が悲しいのかは御剣には理解できなかったが、兎に角も珠瀬は胸元で泣いていた。
御剣は珠瀬を見て、何故だが泣きたくなった。それでもそれは、悲しいからではないのが不思議だった。







結局の所、これからも彼女達は幾度となく傷つけあうだろうし、一時的に嫌悪し合ったりするだろうが、
全員が『仲間』という存在を欲していたのである。







神宮司は予め用意していた湿布を自分の上官へと持っていく。

「お疲れ様です白銀中佐」
「いらん」

差し出された湿布を声だけで断る白銀の右頬は、何者かの殴打が入ったかのように赤く腫れている。それをたいして気にもかけることもせず、白銀は無線で転がる訓練生を運ぶための人員を手配していた。
訓練生達は見かけ上は今後の訓練も危ぶまれるほどの様子ではあったが、全員が差こそあれど満足気な顔で気絶している。
無線を切り手配を終えた白銀に対し、神宮司は問いかける。

「どうでしたか、彼女達は」
「不器用だな。それに要らぬ秘密をこちらにも漏らして。軍曹、一応言っておくが喋れば物理的に首がとぶぞ」
「まあ、軍に長く席を置いてれば慣れっこですよ。それに、彼女達の歳で一人で抱え込むには大きすぎるものでしょう」

別に自分の全てを見せなければ仲間になれないというわけではない。誰もが脛に傷を持っているし、話せなくとも成立した友好関係などいくらでも存在する。
だがそんな『上手い』付き合い方を彼女達に求めるのは歳からして無理であるし、抱え込む問題からも余計にいえるだろう。それを鑑みれば御剣のとった行動は賢くもないが、良い手の一つではないかと、神宮司は判断している。
ふと神宮司が眼を向けると白銀が妙な顔をしている。訓練生の成長への喜びを素直に顔にだす性格ではないと、短い付き合いからも察していたが、白銀の表情はいつもの努めて出している無表情とは違っていた。
考えこむような、なにか引っかかりを覚えている顔である。

「中佐、どうしましたか?」
「いや」

神宮司の質問に白銀はいつも通りの表情に戻る。

「なんでもない。軍曹、後は任せる。報告書は俺が書いておこう」
「はっ」

そう言うと白銀は悠然と基地施設の方へと向かっていった。
白銀の後ろ姿を視界に捉えながら神宮司はため息をつく。表情は何かを心配する顔。それが誰に向けれれたものかまでは分からない。



[33107] 十三話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2013/04/05 02:10
白銀は悩んでいた。
白銀が己の願望を是としたのがいつからであったか。それは彼自身にもはっきりとしない。そもそもがこの人々が必死に生きる世界に投げ出されてから白銀は自分を省みること自体ができなかった。この世界を受け入れられずに子供のように足掻いて数年。それからは人類のために必死に戦い続けて数年。無自覚にループした年月を含めればどれだけの月日が経ったことか。
その中で自然と認めてしまったのが正直なところだろう。だからこそこれといった時を覚えているはずもない。しかしそれを認識した瞬間は今でも覚えている。いや突きつけられたと言うべきだ。それは今の仲間達に唾を吐く行為に繋がるわけだが白銀は気付かせてくれた人物に感謝の念を覚える。
もし無ければ無自覚か意識があるかは分からないがどれだけこの世界を繰り返してしまっていたか分からない。花もない桜並木で、この世界に残れたことを喜んだ自分を顔面蒼白になり諌めた恩師。どこまでいっても彼女には頭が上がらない。
ふと白銀は計画に邁進し始めた時から思う時がある。もし自分の望みが『叶えなければならない』ものではなく、自分がこの世界にただ残っただけならばどうしていたのだろうかと。すぐに思いつくのはこんなことはするはずがないという否定だ。もし自由に生きられるのならば衛士として生き、衛士として死んでいったはずであると。だがそれは白銀自身が嘲笑する。
この願いを必要不可欠にしたのは他ならず自分である。自作自演に等しいだろう。それに白銀は行動していく中で罪悪感は感じていたがそれと同時にはっきりと喜びを感じていた。偽善者ぶりもよいところであった。死んでいく周りに心が押し潰されそうになるたびに、確かにかつての仲間を助けられる道のりをしっかりと歩んでいる自分がいた。
しかし始まりはどうであれ今の白銀にとってこれ等は歴然とした事実として必要であった。よって実行に迷いはない。被害者面するつもりはまるでない。問題は別にあった。

『仲間全員が生きたままBETA大戦終結』

普通に行えば夢物語にも等しい望みだ。全滅という言葉が文字通りの意味を示すこの世界の中では、一回の戦闘で死傷者無しならば祝杯もの。連続でゼロに抑えられたならば噂でもちきりだ。何十億もの人間を殺したこの戦争はそんなに優しくは無い。犠牲無しで、一人も死なずに済むような楽園などではない。
だからこそ達成するためにはどうするか。簡単だ。犠牲が必要なのならば積み上げるしかない。血が必要ならば仲間のものが取られる前に自分で捧げれば良いのだ。自分の血を捧げ、足りないならば他人から啜り取ってでもだ。それをして出来上がった象徴こそが白銀が前の世界から持ち込んだ戦術機だ。人類の希望の刃が人の生血ででき、作り上げたのが一人の男の妄念であるとは笑い話にもならないだろう。
そんな悪夢ともいえる結果は今確実に花開こうとしている。それは仲間が生き残れるという白銀がひたすらに望み続けてきた希望であった。種は蒔き、後は大事に水をやり続ければ花を咲かすことだろう。

「浅ましいな」

だが、だ。それは本当に自分が心の底から望んだことなのか。白銀 武を好いてくれた少女達が死んだあの日。彼が望んだことは仲間の生だけであった。それを解決できれば白銀 武という存在は確かにこの世界から解放されるだろう。問題なのはあの瞬間に祈ったことだけなのだから。
しかし人間というものは状況が改善すれば欲が出る。今脳髄になって横浜の地の底に眠る少女が一人の男にそれを発かれたように。いけないと感じようが願ってしまうものだ。
仲間の輪に自分も入れないかと。
計画を達成するというだけならば無駄どころか害悪であった。あのまだ世界を救うと息巻いていた時の様に一人の衛士として仲間を支え生きていく。魅力的で我も忘れて飛びつきたくもなる代物だ。けれどもそれを願うことのなんと邪悪であることか。
それは白銀 武が犯したことを全て無視して逃げ出す最低な行為だ。他人の屍で築き上げたものを突き崩す愚かな行いだ。仲間だと思わせ殺した衛士と、最後に残ったちっぽけでなけなしの自分の誇りを台無しにする暴挙だ。可能性で語れば前の世界で彼女達が起こした奇跡よりは高い。それでもそれは奇跡に違いなかった。そんな恥知らずで無謀なことを今の白銀は許容できない。
よって白銀はそれを一瞬夢想することはあれど絶対に実行するつもりはなかった。悩むことすら許されないだろう。

「霞」

御剣の様子を見た白銀はそこに霞の介入を感じ取っていた。その当時は彼女達の心情など(好意などが良い例だ)を把握できていなかったが、経験を積み、今の207を見て昔の記憶と摺合せをした結果、今の白銀は彼女達の現状は概ね把握しているつもりであった。そもそも教導とは下手をすれば一年も満たない時間で訓練生を見ていくのだ。彼らの心を把握できない教導官などやっていけない。
けれどもつい先日御剣が見せた雄姿は明らかに異常だ。まるで彼女の『心』に劇的な変化が起きたかのように。それは誰かに相談したり吹っ切れたりすればできるものではない。そんなことでできれば教導官に今ほどの経験が求められるはずがない。それに御剣のあの姿は白銀にとって
彼と過ごした中、彼女が成長していく中で見せた姿に酷似していた。
同じ人物が成長すれば同じ姿をするようになるのかもしれない。だがそれでも白銀にはどうしても霞のことがちらついてしまった。
霞。白銀が情けなくも心の拠り所にし続け、彼女から言い出したとはいえ、こちらまで付き合わせてしまった女性。あちらでも完全に計画に携わったのは博士だけであり、霞は計画の内容しか聞かせていない。本来であるならば連れてくるつもりはなかった。それを彼女も分かっていたのだろうか、霞はここにくる直前に自分を説き伏せてこちらに来た。それを武は心のどこかにまだ霞を求めていたからこそ許可したのだ。
彼女はあちらでは何も問い詰めず自分を支え続けてきてくれた。しかし彼女はもしかすればこの計画に反対だったのかもしれない。それともこちらにきて思い直したのだろうか。霞は白銀が傷付くたびに悲しい顔をしていたことを思い出す。
無論霞が裏切った可能性が高い訳ではない。そもそも御剣にしたことも、もしかすれば彼女の仕業ではないかもしれないし、違う意図で行った事なのかもしれない。しかしもし彼女が計画に反対するならば。おそらく今の白銀と霞の関係は終わりを告げるだろう。それが今の白銀が悩むところだ。だがそれよりも。
霞の件で先程否定した願望を考えだしてしまう自分が情けなかった。
白銀は奥歯を強く噛みしめた。そして胸元にしまいこんだ機器が震えだす。白銀が待っていた帝国の狸の侵入を示すものであった。
彼は今までの考えを打ち消すように立ち上がる。










横浜基地は軍事基地という性質だけではなく、その規模の大きさからして決して灯りが絶えることは無い。哨戒する部隊、行き来する物資の関係上、横浜基地の一定の施設は常に蘭蘭と灯りが見える。
だがそれも中枢に限られた話だ。そこから離れれば離れるほど比例的に光は失われていく。重要施設のない管区に至っては外灯さえ整備されていない所も存在していた。
勿論外敵の侵入を防ぐ警備部隊は重要管区だけではなく、そういった管区も廻っている。けれども何事にも漏れは存在するものであった。横浜基地の広大な敷地内には夜中はおろか、日中でさえ人が訪れることがない場所が確かに存在していた。
そしてそれにつけ込み暗躍する者が出てくるのもまた、至極当然であった。
そういった人の気配がしない地区、訓練の為にわざわざ植林された林の近くには一人の女性がいた。服装は国連軍の軍服ではなく帝国斯衛軍、しかも高位である紅色である。名は月詠 真耶。
彼女は両眼を閉じ、静かに佇んでいる。風でゆれる翡翠色の長髪が、月光を度々反射する様は綺麗とも言えた。
そして林の方から声が彼女にかけられる。

「今の貴方を月下美人と呼ぶのでしょうか? とすれば言うべき言葉は『月が綺麗ですね』ですかな。しかし私は世帯持ち。痴情のもつれは勘弁して貰いたいものです」
「相変わらずだな、その減らず口は」
「口は一つですから減ってしまっては、月詠中尉の様な淑女を褒め称えることもできませんので困ってしまいますよ」

木々にひっそりと溶けこんでいたかのように突然と男が現れる。表情は一切崩れることのない微笑。季節感が欠落したロングコートに身を包んでいる。一言で言えば胡散臭い男。鎧衣 左近。帝国情報省に務め、帝国の影で動く人物達の一人だ。
本来であれば治外法権である国連軍基地に居るはずのないこの男は、そんなことを感じさせないほど自然体で基地の敷地内に入り込んでいた。それを国連軍に籍を置かないまでも、横浜基地に正式に滞在する月詠が責める気配がない。
むしろ憎まれ口を叩きながらも口を交わす様は知古の仲ととれた。そして月詠が男の側にいるのだということを示していた。

「久しいな、鎧衣。貴公と顔を合わせるのは冥夜様がここに移る時以来だったか」
「そうでしたかな? いや中尉の様な方としばらく見えないだけで心あらずになり、もっと長い期間だと思っていましたが」
「気持ちの悪い世辞はいらん。それで白銀 武についての情報は手に入ったのか?」
「私としてはまずはパプア島の首切り族についての話をしたいのですが」
「興味が無い。必要なことだけ話して頂きたい。そちらもいつまでもここに居るのはまずいのだろう?」
「こちらの博士にある程度は道を造って頂いているので、そうでもありませんよ。間男のための配慮はさすが淑女の嗜みと言ったところですかな」

冷やかす鎧衣の言葉を月詠は睨み一つで黙らせる。それを軽く受け流しながら懐から書類が入っていると思われる封筒を取り出す。この男にしては幾分率直な話の入り方である。

「しかし中尉が私を動かしてまで調べるような男ですかな? 彼は」
「殿下と冥夜様に関する諜報の大部分は貴公が携わるようにしているのだ。今回も当然であろう」
「そういう意味ではないのですがね」

肩を竦める鎧衣を月詠は怪訝そうに眺める。月詠は最初は範囲外の仕事を任せられたことの愚痴を零したのだと考えたが、それは月詠の勘違いであったらしい。鎧衣は面白げに書類を渡しながら告げる。

「結果は中尉が睨んでいたとおり真っ黒でした。しかしこうも完全に真っ黒だと困惑するしかないですな」
「何?」

鎧衣の言葉の真意が分からず月詠は首を傾げる。だが彼女は渡された封筒を開き書類を確認すると、納得と共に驚きを感じた。
内容は白銀 武についての調査書だ。年齢、家族構成、出身地。そして白銀という男がBETAの東進により死亡したことが推察されることが記されていた。これについては問題ない。調査を依頼した以上男について記されてあるのは至って普通だ。
だが異常があった。こうも徹底的に怪しすぎるという点だ。今現在白銀 武は国連軍に籍を置いている。潜り込ませ、公人として登録している以上、表向きは体裁が整えられているはずだ。
よって月詠が期待していたことは残されている漏れや改竄痕であったのだが、書類には一切記されていない。鎧衣や情報省の実力を疑う前に、そもそも矛盾がそのまま残されていたことが報告に書かれている。
行方不明後の行方も潜り込ませた後もなく、国連のデータベースでは白銀 武に関する書類は機密扱いともなっている。同姓同名も偶然残されていた白銀 武の顔写真から見るに、可能性は限りなく低いことが示唆されていた。
つまりは彼を潜り込ませた人間は疑われても、『だから?』と居直りを決め込んでいる。こうもはっきりと証拠が残されていては調べる方も混乱するのも頷けた。

「これは一体どういうことだ......」

月詠としては副司令付きで配属された者では、その情報隠蔽から自分では調査できないと考え最初から鎧衣に依頼したが、想像を斜め上を行く結果であった。常識外も甚だしい。
百歩譲って表に出さない裏の存在として使うのであれば各種工作はいらないだろうが、在日国連軍の一大拠点である横浜基地で教導をし、その相手が政治的には爆弾にも等しい存在である。
本来ならばしっかりと『処理』した人間でも近づけさせることを避けてしかるべきであった。

「これでは誘蛾灯ですな」

怪しい。最早一周回って怪しませる為にそのままにしているのではないかと勘ぐりたくなるほど露骨だ。

「この者の最近の経歴は?」
「ありませんな。それこそ死人が墓場から蘇ったとしたほうが余程納得ができる程真っ白です」

やれやれと鎧衣は両手を上げている。
正体を突き止める。そしてもし月詠が仕える方々に害を成す者であれば何としてでも排除する。それが月詠の考えであったがこれではどうしようもない。信頼性であれば限りなく零。しかし目的が分からない。
いくら主のためならば命を捨てることを厭わない月詠だろうが、下手に動いて横浜の雌狐の尾を踏む愚は犯したくなかった。もし白銀が違う目的で配置された者だとすれば、排除は必要ないどころか帝国と国連との間で不和を呼びかねない。情報を得られないのでは対策はおろかそもそも危険かどうかさえも分からなかった。

「そこまで悩むことでしょうか? 月詠中尉」
「何だと?」

返事をしてから、月詠は鎧衣の声音が半音落ちていることに気がつく。鎧衣の顔の微笑は崩れない。だが眼光は別であった。決して彼女を安心させるものではない。

「彼女等をすぐに後方へ下げれば良いのではありませんか」
「............」

自然と眉間に皺がよることを月詠は感じた。眼をそらすことはしないが瞼を閉じ、鎧衣を見ようとはしていなかった。
今の207に所属する彼女達は単純に衞士の卵ではない。政治的において非常に微妙なもの、端的に言えば人質であった。帝国と国連との間を支える存在、重要度で言えばそこらの新米衞士とは比較にもならない。
彼女達には自由はない。進む先も終わり方も、全ては他の誰かがきめてしまうだろう。それを月詠は必要性を認めてはいるが苦々しく感じている。自らが仕える人物を籠に入れるものを疎ましく思うのは至極当然であろう。
けれどもその枷は命綱と同義でもある。人質として価値がある内は人形の様に大切に扱われる。少なくとも国連という組織はそう動く。
207の周りには月詠達を含め、幾人かが常に隠れ護衛している中、もし不貞の輩が彼女達を害しようとするのならば訓練の事故に見せかけて殺すか、それとも訓練生を戦場に連れ出す口実を作りそこで殺すかぐらいしかない。
よって白銀がどのような人物であるかが分からなかったとしても、どこか後方の部署にまとめて飛ばし、周りを囲ってしまえばすむ問題であった。実際、上では何度か出てきている話だ。
それは月詠にとって、そして帝都にいる女性にとっては躊躇われるものだ。御剣にとって、彼女達全員にとって今を生きる目標は衞士となることだ。それを奪い、ただ生かされている状態にすることは許されることではないと彼女は考えていた。
勿論、衞士として華々しく活躍し、結果散っていくことを良しとすることもできない。矛盾するが生きていなければ全くもって意味が無いのだから。
しかしこのまま行っても207が衞士になることは絶対にない。このままにしていたとしても、それは彼女達に幻の夢を見せているだけにすぎなかった。だからこそ鎧衣の言葉こそが正しい。だが感情とは時に道理に逆らうものだ。月詠には今肯定も否定もできない。
それを鎧衣も理解しているのだろう。ふっと息を吐く。見逃された形となり、月詠は自身の曖昧さに不甲斐なさを覚えた。

「まあ、今はそんなことを言っても仕方がないことでしょう。が......」

不意に鎧衣の言葉が詰まる。流暢に、流れるように話すこの男にとって珍しいことであった。月詠は鎧衣の顔に眼を向ける。
彼は何故だかこちらには眼を向けず、その顔に浮かべる笑みを一層深めて自身が出てきた森に目線を投げていた。どこを見ている? 彼女がそう話しかける前に鎧衣は幾分大きな声を森にかける。誰も居ないはずの森に向けてだ。

「おびき寄せる誘蛾灯ではなく、喰らいつく番犬だったか」

彼女が鎧衣の真意を理解すると同時に人の腰の高さまであった草木が揺れる。つまりはこの二人だけの会談に闖入者がいたのだ。月詠は腰を落とし臨戦態勢をとる。だが緊張していた顔は先程書類を見た以上の驚愕に塗りつぶされた。
姿を現したのが他ならぬ渦中の人、白銀 武であったからだ。手には国連軍採用の拳銃が握りしめられている。

「狸がかかったんだ。その時点で相手をするのは猟師か猟犬に決っているだろう」
「おやおや。一応私は先輩の間男なんだ。ある程度は敬意を表してほしいねシロガネタケル中佐」








月詠がそこで叫び声をあげなかったのは、常日頃から鍛えられていた胆力のおかげであった。
このような密会を他の者に見られていただけで大惨事だ。自身の拘禁。その後に帝国と国連で深刻な国際問題にまで発展する可能性さえある。そして現れた人物が当の本人では気の弱いものならば腰を抜かしてもおかしくはない。
しかし月詠はそのような無様な醜態は晒さずにすかさず状況を理解する。軍人としての経験が危機的状況だからこそ自身を冷静にさせていた。自分達を捕まえるのならばさっさとMPで周囲を固めてしまえば良いのだ。それをしないのならば即ち相手は交渉を望んでいるのだろう。そして交渉の相手はタイミング的に鎧衣。
それを察したからこそ鎧衣は冷静を保ち、月詠は一歩引き様子を確かめることにした。現れた男、白銀は銃を下すことなく月詠と鎧衣の間に割って入る。

「敷地内の無断侵入。それに際しての一部施設破損。中尉は共謀罪か? その書類を検めればもう二三増えるか」
「夜の男女二人の交わりに物騒なものを持ち込んで仕事の話かなシロガネタケル。そう怒っては上手くいくものもいかないな。それとも何か嫌なことでもあったか」
「待ち人があんたみたいな狸だったら誰でも嫌にもなるさ。それに知らない不審人物にいきなり名前を呼ばれたら、怖気が走って鉛玉の一発や二発撃ちこみたくなるな」
「はっはっは、短気は損気だ。シロガネ タケル。私は君に鎧衣と言われてもフランクに対応できるぞ」

白銀は嫌悪ともとれる苛立ちを隠さず鎧衣にぶつけ、ぶつけられる張本人は暖簾に腕押しとばかりにそれをかわしていた。どちらも本気ではない。互いの人物像を確かめようとしているのだろう。
そして彼女も二人が話す中で静かに白銀を観察していた。表情、佇まい、雰囲気から白銀という男を見極めようとした。その中で彼女は違和感を覚えていた。それは決して歓迎できるものではなかった。
最初資料と遠目から白銀を窺った時はその年齢では決して体現できない技量と風格を身につけた奇妙な男であった。彼女は彼の経歴を疑い今まで動いてきた。だからこそ鎧衣を動かしてまで素性を確かめようとし、結果的に白銀に対して疑念を深めたのだ。だがそれは裏を返せば白銀を評価もしている。
敵に回れば脅威になりえる程優秀と捉えたからこそ月詠は警戒したのだ。彼女は軍人として白銀を一流どころと判断していた。だが今の目の前の男はどうだ。いや月詠の眼には白銀は未だ歳に見合わぬ軍人に映っている。しかしそれだけではなかった。何かは分からない。だがこれは明らかに彼女の主君である二人に近づけて良いものとは思えなかった。

「で、中佐殿が私に何か用かね?」
「これを開けて読め」

すると白銀は足元に忍ばせてあったのか、一個のアタッシュケースを鎧衣に投げてよこす。鎧衣は何気なく開けて読んでいたが、月詠には決して良いものだと思えなかった。中には数枚の紙と記憶媒体らしきものがあった。案の定、鎧衣の表情から笑みが消え失せる。それは月詠にとって初めて見たものだ。この男はたとえ帝都が陥落した数日後でさえその笑みを絶やさなかった。

「これは一体どういうことかな? シロガネタケル。遠い海の向こうに友人でもできたか」
「下衆な勘ぐりをするのは止めろ。それはこちら側の長年の成果だ」

鎧衣の声音は幾分かトーンが落ちていた。意識せずに彼の調子が変わってしまったことは、彼が受けた衝撃の大きさを伺わせる。まじまじと白銀の顔面を見、少しでも情報を得ようとする。交渉において相手の意図が分からなければ話しようもないからだ。
しかし鎧衣は待てない。十分に相手を観察する前に最低限の振る舞いを除いて白銀に突っかかり挑発した。月詠の不安は最高潮に達する。

「ほう、博士の研究には我が国の内政や軍の調査や、G弾の新規開発も含まれておりましたか」



月詠は服に忍ばせていた拳銃を抜き取ると白銀に発砲しようとして向け――



[33107] 十四話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2013/06/06 01:43
「俺を殺すつもりか? 月詠中尉」
「……」

月詠が銃口を白銀に合わせようとする前に、白銀は既に銃の狙いを彼女の額に定めていた。いくら予め抜いていたとしても不意を突いたはずなのに寸分の隙もなかった。撃つ前に殺す。男の眼がそう語っている。月詠はそれを悟り、白銀に返答もせずただ睨みつけた。
彼の後ろの鎧衣が肝を冷やしていることが彼女には察しられた。交渉が帝国にとって利益、不利益になるかどうかも分からない状態で相手に銃を向けるなど論外も良い所なのだろう。
だとしても月詠はどうしてもこの男にこれ以上話を続けさせたくはなかった。その思いは白銀とこうして対峙してさらに強まっている。

「白銀 武。お前を……いや貴殿を帝国に、冥夜様と殿下に関わらせてはおけない」

彼女は既に背景に控えているであろうここの女主人よりも、目の前に居るこの男自体に最大限の警戒と恐怖を感じていた。男の持つ権力や武力などではなくより根本的なもの、人間白銀 武にだ。何が怖いのかは分からない。論理的に説明できるものでは決してなかった。だがそれと同じものを過去彼女は味わっていた。
死線の中で生還も期待できなくなり、ただひたすらBETAを屠り続けて死んでいった衛士達。生きるのに必死なのではなく殺そうとする妄念に憑りつかれていた仲間達。同胞である月詠でさえ一歩退かせてしまったものを、白銀は持っていた。そして死ぬ前に死んでしまった者達とは一線を画いている。
彼らは手負いの狂った獣だ。その狂気で敵も味方も戦慄させ最後に己さえ殺すのが彼らだ。恐れたところですぐさま死んでいく獣達が人間に与える害など程度が知れている。けれどもこの男は違う。激情だけで動いては自分の望みは叶わないとしっかりと分かっている。そしてその身体にはとびっきりの牙と爪がついていた。第四計画と渡してきた資料というとびっきりの牙と爪だ。
この男は周りに最大限に災害を振りまいた後に望みを叶えて無惨に死んでいくことだろう。それに彼女の主君を巻き込ませることなど言語道断であった。
白銀は月詠の気迫に押されることなく言葉を吐く。

「月詠中尉。貴方に聞いておきたいことがある」
「何だ?」
「貴方の守りたいものは何だ」
「先程も言った。帝国と冥夜様、殿下の御両人だ」
「それでは帝国のためならば二人を切るか? 殿下の御身のためならば御剣も殺すか?」

戯言を。月詠はそう切り捨てようとするが白銀の表情がそれを止めさせる。下らない例え話ではない。真剣に彼は月詠に問いかけていた。

「彼女達のためならば自分の誇りは捨てるか? 彼女達の誇りのためならば彼女達自身の命は失われても良いか? そしてその逆の場合は?」

ここでふと月詠は合点がいった。白銀はしっかりと知性を持った獣だ。事実彼の周りの者達が彼女が持つような警戒心を抱いてはいなかった。それでは月詠は何故この夜にそれに気付けたのだろうか? 簡単だ。白銀がわざと月詠に自身の姿をさらけ出したのだ。そしてそれはこの問いをするためだということだ。
だがなぜ月詠にこのような問いを投げかけているのか。いや彼女の薄々なれども白銀の考えを把握はしていた。彼の執着するもの、望みこそが原因だ。そしてそれは

「貴殿は……どうなのだ。貴殿が守りたいものはなんだ」
「御剣訓練兵の生命の保障だ。それだけではない。俺が望む人達全員の生命だ。そしてなにがあろうと諦めたりするつもりはない。どうあっても、必ず守ってみせる」

それは月詠が守りたいものと同じ。白銀から受ける恐怖が一層増す。純粋な感情の吐露。だがそれは純粋すぎるゆえ得体のしれぬ未知への恐れを抱かせてしまう。
白銀は彼女に牙を見せている。お前は自分の味方に成りえるのかと聞いてきている。しかしもし違うのならば容赦はしない。最早それは宣戦布告に近い。白銀は御剣に対して敵意を抱いてはいない。そう告げられても月詠は安堵することなどできなかった。
何度も言うがこの男が正気ではない。なるほど御剣には害をおよばさないかもしれない。だが彼の目的のため、白銀が執着する人物以外にはどんなことをするかは分からない。必要ならば帝国さえ焼くかもしれない。

「答えてくれ。中尉はどうする? 御剣の誇りの為ならば彼女の生命が失われるのも止むなしとするか? 殿下と帝国の為ならば彼女を死地へ送れるのか? 仮定ではない。断言するぞ。何もしなければこの先必ず御剣は死ぬ。絶対だ」

月詠は主君を守護する武家だ。奉仕するべきは主君。公式には一人、心には二人。生命や誇りさえ投げ捨て尽くすことこそが武家の誉だ。けれども彼女は人間でもあるのだ。主君の為ならば民一人の命でも捧げても良い。咎ならば己で背負ってみせよう。だが千や万ならばどうするか。彼女等のためならば国でさえ崩すか。
無理だろう。そうなれば主君を裏切ってでも帝国を守るのだろう。月詠は人間だ。仰ぐべき方だろうが天秤の反対に乗せられた重みに怖気づくはずだ。それが普通の人間であろう。どこかで折り合いをつけなければならない。だが白銀は容赦なく御剣と他の者の生命をとるはずだ。

「私は……」

彼女は何と答えればよいかしばし迷う。彼は必ず御剣がこのままでは死ぬと確信している。しかもそれは通常では避けがたい事態だと少なくともこの男は思っているのだろう。だが証拠は無い。正気を失ったことからくる狂言とすることが妥当である。
しかし御剣がいかに危うい立場に立たされているかは月詠は嫌でも理解していた。明るい未来が望めぬ程彼女のもう一人の主君の行先は暗い。そして月詠が御剣にしてやれることなど無いにも等しいに近かった。
月詠は白銀に対して僅かばかりの嫉妬を覚えてしまう。何が白銀を突き動かしているかは知らない。どうして白銀が御剣にそのような思いを抱いているのかも分からない。だが彼が思うその感情は本物であり、それを遂行することに躊躇がすることはない。
彼の行動は危険だろう。道理に反する事さえ軽々と行ってしまうはずだ。それを真似して良いはずがない。それでも御剣に対し彼女は何もしてやれず、白銀がそれをできるのは事実だ。倫理さえ超越し助けられることに一瞬の全貌を抱いてしまう。
だが、それでも月詠は人間だ。

「私は日本帝国の衛士、月詠 真那だ」

答えは拒絶だ。

「そうか」

大した感慨も見せずに白銀は頷く。

「で、もう一度聞くが俺を殺す気か? 月詠中尉」
「殺されてくれるのか?」
「無理だな」

白銀は危険な男だ。月詠は言葉を交わした後でもそう判断する。一刻も早く殺すべきだとすら考えている。だが今拳銃のトリガーを引こうとするのならば、その前に月詠の脳漿は弾けることだろう。そして彼女はただの衛士にすぎない。謀殺や暗殺はできないし、男がさせないはずだ。
彼女は今できることは何もない。極めつけに白銀の目的は彼女の主君と帝国に敵対したり危害を加えることではないのだ。もし今可能性も無いのに排斥に動けば、少なくとも帝国はこの男と事を構えることになるだろう。忌々しい。忌々しいが退くべきであると状況が示している。
だから月詠は向けた銃口を下に向ける。
できるだけこれからも月詠は白銀を監視していかなくてはならないだろう。帝国と自らの主君の幸運を月詠は祈る。そして心の中で、ほんの少し、彼女自身が意識できぬ程僅かながら、彼女が助けることができない主君に執着する哀れな獣に幸あらんと願う。





鎧衣は白銀が晒した人間性に驚嘆しつつもそれ以上に渡されたものに驚き、恐怖心と混乱で一杯であった。
手元にある資料を食い入るように見る。そこには信じられない文字が羅列している。情報はおそらく添えられていた記憶媒体に保存されているのだろう。よって今手元にある資料は収められているものの表紙となるもの。それには何ら情報は記されていない。

『ML型抗重力機関搭載型第五世代型戦術機:桜花』、『第四世代型戦術機:梅花』、『12・5クーデター事件』、『2001、2002年BETAの動向』

その内容は鎧衣は何かの冗談だと笑いたくなる。荒唐無稽、笑止千万。実在しない戦術機にキナ臭い事件名。挙句にはBETAの未来行動さえ記されるその言葉は信じるに値しない。本来ならばだ。
恐るべきことに全てが帝国の公式資料なのだ。紙面にはでかでかと帝国印が押されている。しかも戦術機の資料に至っては何と米国と思われるものさえ添えられてあり、それには米国国防省を記す印があった。額面通りに受け取るのならば書かれている内容は全て真実ということになる。
鎧衣は微かに震える手で月光に紙を透かす。手元の暗がりでは分からなかった微細な『空かし』の紋様が浮かび上がり、より見やすくなった帝国印は寸分の狂いも無かった。少なくとも彼にはこれが本物であると感じられた。
そしてこの公文書はそこらの省庁が扱うものとは次元が違う。帝国政府が一括管理し門外不出と定めているものだ。空かしからも分かる通り紙面それ自体が偽造防止として役立ち、内容が書かれておらずとも紙自身が機密だ。これらの偽造は不可能とは言わないが時間も金も膨大にかかるだろう。だからこそ今まで鎧衣はその公文書が示された場合、偽物かどうかなど考えたこともなかった。それでは手に持つこんな非現実的なものがこれは全て真実なのか。
ふと見れば月詠は既に銃口を下していた。ここにきて初めて鎧衣は紙片に没入していたことを恥じた。状況を少しとはいえ把握できなくなるとは諜報員の面目が丸つぶれだ。だがそんなことよりもまず鎧衣は白銀に問いたださなくてはいけなかった。

「シロガネ タケル。これはどういうこと――いや、これは何だ。どこから手に入れた」
「先程も言っただろう。それは我々の成果であり、全て本物だ」

銃口を向けられていたというのに一切気負うことなく白銀は答える。それが鎧衣にはうすら寒く感じた。どのような時でさえ絶やすことのなかった微笑が既に消えかけていた。しかも彼の領域である交渉時においてだ。

「答えになっていない」
「帝国側のあんたに話す必要があるか?」

白銀という男の存在と意図を彼は全く理解できていなかった。素性も分からない。白銀の立ち位置も分からない。渡されたものの出所も分からず、何を考えて出され彼に何を期待しているかも分からなかった。けれども薄々と一つのことについては鎧衣は感じ取っていた。
彼は対面する男をまじまじと見やる。眼が顔つきが佇まいが、打算も利益も自己保身も無く、ある一つのものだけを追い続けている。それは先程白銀が言った様に彼が気に掛ける人物の安否。それ以外は眼中にも無いのだろう。だからこそこの男には命が危うくなろうが、他人の理解が得ることもできなかろうが些事なことなのだ。
厄介だ。この上なくやりにくい。そして薄気味悪かった。冷静に狂っていると形容すればよいのか。ここの副司令もそうした気があるが、そこいらの若者が醸し出すとそのちぐはぐさで一層増すものがある。


「それではこちら側を動かすことができる程のものなのだろうな?」

こういった男が目的遂行のための努力までも惜しむはずがない。説明さえ無いということは、つまりはこの資料はそんな手間さえも必要としない程の劇薬なのだ。

「文字通り、額面上そのままの内容だ。何に役立つかはそれが本物ならば答えるまでもないだろう? そしてそんなありえないものを持っていることも無視できないはずだ」

未来の情報。そんなものがあるか、鎧衣は出かかった言葉を飲み込む。第四計画、微かなれども可能性があることがすぐさまの否定を止めさせる。そしてだからこそ白銀が強硬に出てこれるとも取れた。もし本当ならば確かにこちらに交渉の利を説くまでもなく要求できるだろう。
ここにきて鎧衣は考えを止める。真偽が分からず白銀の重要度が理解できない今は要求を呑むことはできない。だが逆に突っぱねることもできないのだ。上客のように接し、今日のところは早く退散するべきであると思いつく。どちらにしろ鎧衣は伝令役であり、よくて折衝することしかできない。
気が動転してしまい相手に主導権を握られていることもあり、鎧衣は簡潔に会話をたたもうとする。

「そちらの要求は?」

ちらりと白銀が月詠に視線を移す。何故か鎧衣は嫌な予感に捉われる。要求は要求に過ぎないのだから何を言おうが余程のことが無い限り問題ない。笑って皮肉の一つでも言いながら拒否すれば良いのだ。
だが鎧衣には白銀に出会ってしまった時点で、否白銀がこの帝国内部にいる時点で既に手遅れであると感じてしまっていた。

「殿下に拝謁したい」









香月 夕呼の顔には常に身に纏っていた覇気というものが全くもって消え失せていた。執務室で机に向かいながら、一切手を止めることなどなく仕事を続けながらもどこか眼の焦点が合わない。
疲れからくるものではない。事実彼女の仕事環境は依然とは比べ物にならない程改善していた。理論が完成し、行動方針を白銀が決定する様になってからは、副司令の雑務以外は白銀の補佐しかない。周りの横槍も今は全て気にする必要が無い。
ポーカーで例えればこちらは全ての手をロイヤルストレートフラッシュで決められるのだ。戦略を練るのでさえ不要だ。ひたすら限界値でベットしていれば良いのだ。
現在彼女は持ち込まれたXM3のシステムの最終確認を行っていた。完成されているとはいえ確認もせずそのままロールアウトはできない。しばらく画面をスクロールさせていき、そして画面から目をそらし背もたれに身を預ける。柔らかく沈み込む感覚が気持ちよかった。

「情けないわね」

第四計画が成就されることが確定した以上、香月の使命は別次元ともいうべき自分が送り出した白銀の行く末を見守ることだ。それに最大限協力することこそが彼女が進むべき道なのだ。だが彼女の『娘』だった者との会合から十数日が過ぎ、彼女の頑強な精神にも少しの綻びができていた。
今朝の娘の来襲が原因だ。あの会合から全く会っていなかった少女に会った時、香月の心に一瞬消えてしまった娘、社 霞のことが浮かんでしまったのだ。何かを怖がり年相応に表面に出た幼さ。限りなく似ているが決して同じものではない。しかしそれが彼女の心を強く打った。
何故自分はこうして娘を殺した者達積極的に協力しているのだ? 最低限手助けすればあの男は成功するだろう。もしかすれば失敗して人類が滅びるかもしれないが、その時は男の絶望の顔が見れるではないか。
普段ならば絶対に考えないであろう感情論が彼女の心の一部を占めていた。理性では非道をつくしてきた己が言えたことではないし、文字通りの自業自得、そして失敗は万が一許されない以上協力すべきだということは分かっていた。だが、それを実行しないことと考えないこととは別物だ。
普段通りの香月 夕呼ならば仕事に忙殺されることで日々を過ごし、心の整理を済ませるだろう。しかし皮肉にも改善された仕事環境が彼女を無駄な思考に陥れていた。無論香月 夕呼は強い人間だ。一週間もしないうちにとっとと自己完結するだろう。だが今少しはできない。
彼女以外がいない部屋の中、時計の秒針の音だけが響いていく。秒針が二回りしたころだろうか、彼女は身を起こし作業に戻る。とにかく仕事に溺れるしか今は手がないだろう。

(ん?)

それから数十分が過ぎ、香月は画面に表示されるプログラムの中に不思議なものを見つけ出す。幾度も確認した中で記憶にもないファイルが紛れている。それはどこのシステムからも独立しており、まるで突如発生したようであった。いや、いくら気の抜けた彼女であろうとも仕事が疎かにはならない。
文字通りこれは降ってわいたものなのだろう。なんだろうか。疑問と共に彼女はそのファイルを吟味する。容量は見る限り非常に少ない。それこそ文章に直せば1文か2文にしかならない。プロテクトが掛かっているらしく普通に精査するだけでは開けなかった。
渡されていたXM3自体にはなんらそうした措置が無いにも関わらず、こんな極小のファイルにプロテクトが掛かっていることは不審でならなかった。だがさらに調べていく内にあることに気付く。それは香月自身がいつもファイルにかけるものと全く同じものであったのだ。
香月の胸は高鳴った。子供が何か宝物を発見したような、説明もできない高揚感だ。彼女はいつもの手法でプロテクトをはずす。そして中身を見る。それはどこにでもあるテキストファイル。だが

「!」

それは香月を奮い立たせた。先程までの失意がどこにいったのか、そこにいたのは極東の雌狐と呼ばれる一人の女傑だ。

「…………えげつないわね。やる意味なんてないでしょうに。いやでもこんなことで挫折するならば私じゃないって言いたいのかしらね」

傲岸不遜。凡百を歯牙にかけない不敵な笑みを浮かべた彼女は、誰とも分からぬ人物に毒を吐く。今の彼女ならば米国の大統領でさえも叩き潰す気概に溢れていた。

「私が柄にもなく落ち込む時期に巧妙に時限式のプログラムを入れるなんて何とも最低ね『私』。でもこれが作動したということは……」

その時彼女の目の前の自動扉が開く。入ってきた人物を目に入れ、にんまりと、いつもの彼女が浮かべる嫌な笑みが顔にでる。

「いいわ。白銀。全身全霊で手伝ってやろうじゃない。でも私のやり方でね」

その夜。この世界の香月 夕呼の戦いが本当に始まった。



[33107] 十五話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2013/06/06 01:41
合計6機の不知火がビル群の隙間を縫う様に飛び交う。詳しく観察してみれば5機が固まる様に動き、1機だけが単独で行動していることが見て取れるだろう。
全ての機体が一瞬たりとも足を止めることなく、敵の射線に立たない様に努めている。機動力を重点においた戦術機の特性を生かした、極めて模範的な機動と言えた。だが一般の衛士が見たのならば、その異様さに瞠目するはずだ。
単騎の不知火が固まる不知火らの36mm弾を回避しながら撃ち返し、5機の不知火は着地した瞬間に跳躍ユニットを吹かすことで機体に当たる筈だった弾丸を回避した。その所作は一切止まることなく次の行動に繋がっていく。それは本来戦術機にはとることのできない動きだ。
機体の処理上、どうしても幾許かの間ができるはずなのだ。修羅場を潜り抜けてきた一握りの精鋭が鍛錬の果てにそれを限りなく零にすることはできるが、無くすことは決してできない。だからこそ模範的とも言える6機の機動は、常識破りのものだ。
そしてその常識外の中の1機、5機に立ち向かう不知火のそれは群を抜いている。跳躍ユニットと脚部ユニットにより機体が地面に縫いとめられていることは時間はほぼ存在しない。合計5にもなる射線を嘲笑うかのようにひらりと交わし続けていく。
5機は相手の火力不足から、1機は自身の軌道から互いに落ちることなく射撃戦が続いていった。だが先に5機の集中力が切れたのか、段々とその精細さを欠いてく。そして完璧な機動を崩さない1機はその気を逃さないとばかりに5機に立ち向かった。





「あーっもうなんで勝てないのよ! あのクソガキの鼻っ面をへし折ってやりたいわ!」

新人達の後ろの席で、速瀬がそれこそ口から火でも吐きかねない程の剣幕で同僚の涼宮に喚いているのを、高原は合成玉露をすすりながら横目で見やる。涼宮はその天然さでのらりくらりと宥めていることを鑑みると、やはり良いコンビなのだなと高原は実感した。
そこで今度は自身の同僚、涼宮 茜に視線を移すと溜息が出かけてしまった。同性の高原でさえ整っていると感じられる彼女の顔は、現在眉間にうっすらと皺が寄っている。高原と柏木にしか分からない程薄らとだが。
午前に行われた新人と白銀中佐との演習においてもあったそれに、高原の精神力はごりごりと削り取られている。


「茜ちゃん……。この合成竜田あげの甘酢あんかけ、すごくまずいよ。でも私頑張って食べるから!」
「わあっ。それを私に一々言う必要はないでしょうが! というかなんでひっつくのよ」
「普通においしいと思うのですが」
「えー。麻倉ちゃんすごい!」
「麻倉がすごいってよりも、単純に好き嫌いの問題だと思うけどね」

わいわいと4人の仲間は無駄話に花を咲かす。この馬鹿騒ぎで悩みも吹き飛んでくれれば高原も嬉しいのだが、そうはいかないのが涼宮だ。強い責任感と絶え間ない努力によって高原達新人の牽引力になっている彼女。皮肉屋であると自負している彼女でさえ手放しで褒め称えてやりたい人材だ。
けれども何でもかんでも一人で抱え込む癖がある上に、何ともならないことも、ひたすらうんうんと唸り続ける悪癖がある。

(悩んでもしょうがないだろうに。あの良く分からんXM3とやらも中佐の発案だ。本家に簡単に勝てるはずもない。それでいてあの年齢で中佐。正にスーパーマンだ。まあ、涼宮が意識するのも仕方がないと言えば仕方がない。年齢もほぼ一緒であるだろうし、聞けば中佐のポジションは
突撃前衛。目標をいきなりかっさわられた感じかな?)

あのOSが発表された演習以降、涼宮が突然に現れた新しい上官、白銀 武に強い意識、端的に言えば対抗心を抱いていることを高原は感じ取っていた。
冷静に分析していると茜と高原の視線が交錯する。

「何よ、高原。あんたもその魚が嫌いなの?」
「いや何。ただ考え事をしていただけだよ」
「どうせ皮肉の一つや二つ考えていただけでしょ」

考えていたのはお前のことだよ、とは口が裂けても言えなかった。適当に相槌打つと、魚の身をほぐして口に入れる。美味しくもまずくもなく、酢特有の酸味が口の中に広がった。そして今回は重傷だなと高原はぼんやりと思考する。
前回の様に単純に項垂れてくれれば慰めの仕様があるが、今の涼宮のように隠されてしまってはどうしようもない。問いかけようがだんまりを決め込むのがいつもの常だ。前と今回の衝撃で、相当涼宮の中に負の感情が根を張っていた。自己解決すれば良し。だが溜めこんだ末に壊れてしまうことを高原は危惧していた。素直に相談して欲しい。この感情は仲間の輪を乱すことへの懸念ではなく、純粋な涼宮個人を心配してのことであった。
今度は柏木と目が合った。周りの仲間達に気付かれない様にこっそりと柏木は苦笑いした。処置なし。しばらくは安静に観察するほかなし。表情がそう語る。無理なものは無理と割り切り、今に集中できるのが高原に無い柏木の美点であった。確かに押しても引いても涼宮は今はどうしようもない。ならば注意深く観察し何か起こればいち早く対処するしかあるまい。一人納得すると高原は食事を終える。
対症療法を施すのは当然だけれどもね。高原は独りごちるとテーブルの上にある食器類を素早く片付け立ち上がる。柏木はさすがというか既に食器を返却し立ち去ろうとしている。麻倉は何時の間にかだが存在が消失していた。何時もの通り凄まじい隠密性だった。
そして涼宮と築地は絡み合っているため仲間達が立ち上がっていることに気付かない。後ろで喧しかった速瀬中尉の叫び声が小さくなりだしたことにも気付けない。
そっと高原も食器を返しPXを後にする。数十秒後だろうか。高原の仲間2人の叫び声がPXから廊下に響き渡った。

「私がいつも皮肉ばかり考えているはずがないだろうが、茜。まあお前が本当にピンチの時はしっかりと助けてやるさ」

翡翠色のポニーテールが揺れる。










それは見事な光景であった。シンメトリー、左右対称であることはそれだけでどこか人の琴線に触れるところがある。そしてそれは完成が困難であればあるほど引き付ける魅力というものが増す。古代や中世の建造物たちがそれを証明してきた。
つまりは体格や筋力、性格までも違う彩峰と榊の拳が、腕が互いに交差しながら相手の顔面にのめり込む様は一種の優美ささえ醸し出していた。無様な両者の呻き声は余計であったが。ぜえぜえとお互い睨みやる。

「だから言ってるでしょうが! 教官を相手取るなら囲んで時間を掛けて攻撃する方が安全策だわ」
「違う。あいつの一撃は強力。やられる前に一気にいくべき」
「それは単に何も考えずに突撃しているだけじゃない!」
「……頭でっかちに言われたくない」
『っ!』

見えぬゴングが叩かれたかのように再び二人は取っ組み合いを始める。そして二人に集まる視線が3つ。呆れながら苦笑する御剣。心配そうにする珠瀬。眺めながらも全く別のことを考えに耽っている鎧衣。PXのテーブルに3人は座っていた。彼女達の周りの基地員達は呆れながら、そして興味なさげにちらちらと見ている。そもそも夕食後であり、PX内の人数はひどくまばらであった。
あの決闘まがいの勝負に勝利して以来、彼女達の関係には左程の変化はない。むしろ拳を交える乱闘が加わり見かけ上は悪化さえしている。しかしそのかわり彼女達個人が張っていた障壁の様な拒否感は、緩やかに取り払われ始めていた。御剣の身を挺しての暴露がその引き金となった。
隠さなくても良い。触れて傷付いたのならば謝り許しを乞えば良い。それはゆっくりとだが彼女達が仲間に触れ合うことを促していた。その発露こそが榊と彩峰の殴り合いだろう。近づいたからこそ、歩み寄ったからこそぶつかるのだ。
彼女達は幼い。特殊な出がそれに拍車をかけている。言葉だけで軋轢のあった相手と打ち解けるには未だ経験が足りなかった。それでも拙い歩みだろうが前に踏み出しているのは成長だ。後は時間が解決してくれるだろう。確執の一番の象徴であった彩峰と榊の仲も解決され始めている。


「にしても午後は中佐がいなかったけれどもなんでだろうねー」

鎧衣が間延びした声で皆に話しかける。

「そ、そうですね。いつも座学の後に私達と訓練なのに」
「佐官ともなれば役目も多い。むしろ今まで私達にかかりきりという状況こそおかしかろう」

現在207の訓練は座学を中心として組まれており、日頃課されている基礎訓練を除けば、白銀との組手以外は無かった。

「……でも、総戦技、評価演習が、中止とは驚いたわ……」
「あいつの顔にいつか絶対一発入れる……」

何時の間にか取っ組み合いを終え、テーブルにうつ伏せになっている榊が息も絶え絶えに話に加わる。彩峰は肩で息をしているが勝ち誇った顔をしていた。ちなみに御剣の見立てでは榊の方が数発多くくらい、話し合いでは榊の意見で二人合点がいったようであった。

「中止になったってことは私達が認められたのでしょうか?」

珠瀬が疑問の声を上げた。白銀が提案した結果彼女達が行う訓練内容が前倒しになっている。具体的には戦術機課程に至るまでの道のりをほぼ全て省かれていた。よって今彼女達が学ぶ座学は戦術機に関するものだ。確かに白銀が彼女達の実力を認めていると考えてもおかしくない。
けれども御剣は苦い顔でそれを否定する。

「いや……そうではなかろう」
「御剣、またその話? 中佐が私達を見ていないとか」
「微妙に分からない話ではないけど」

同年代の彼女達が共有する話題は意外なほどに少ない。趣向や好きな食べ物一つをとってもばらばらだ。よって彼女達の話題は自然と普段一緒に受ける訓練、そして最近新しく来た白銀に集まる。

「どういうこと鎧衣?」
「うーんとね。中佐はなんかこう僕達から視線をはずす時が多い気がするんだよね」
「そんな細かいことに気付くなんてすごい。私なんて怖くて全然見れなくて」
「違う、そんな具体的なことではなくてだな」

御剣は腕組みをする。白銀の態度はあの日以来改善した。訓練さえ受けさせてもらえない立場から、ようやく訓練生として認めさせることができた。けれども御剣にはどこかしこりが残っている。未だ一人前の兵士であると認めさせることができないからではない。もっと根本的なことだ。
訓練で悪い点があれば白銀はしっかりと指摘をする。彼女等個人の特徴を的確に掴んだアドバイスも適宜入れている。それでも御剣はやるせなさを感じているのだ。しっかりと御剣達を見据えていない。まるで自分達の向こう側の誰かに向かって話しかけているように。
だから御剣は漫然とした不満を募らせる。上官である白銀にそんなことをおいそれと聞くことはできない。

「私には武の考えていることが分からぬ」
『うえぇっ』

御剣以外の4人全員がすっとんきょうな声を上げる。表情は驚きと畏怖。それこそ神に反逆する人間に向けるものだ。

「御剣、あんたいくら不満が溜まっているからって」
「す、凄いです!」
「尊敬する…..」
「僕にはとても言えないよっ」
「どうしたのだ、そなたらそんな驚いて」
「だって御剣今教官のことを『タケル』って」
「何っ!」

指摘されて御剣は周りの4人以上に驚いた。彼女は決して目上の人物を呼び捨てになどしない。例えいくら一時悪感情を抱いていたとはいえ、白銀の意図を理解した御剣が彼を貶めようと思うはずがないのだ。むしろ彼女が武と言った時の感情はまったくもって逆。親愛に近い感情の筈であった。
何故自分は失礼にも上官を呼び捨てにしてしまったのか。御剣は反省する。けれども御剣は口にしたとき全く疑問や違和感を感じてはいなかった。それこそ何年もそう呼んできたような気やすささえ存在していた。
とにかくも気を付けよう。御剣はそう自分に戒めるとともに、仲間達に弁解した。














「どう? 部隊の調子は?」

執務室の机を挟みながら、香月は伊隅に質問していた。手には数枚の資料が携えており、視線が伊隅とその資料に行き来する。伊隅は部隊長らしく風格を保ちながら、されど疲労の色を見せながら答えた。

「は。持ち込まれたXM3への慣熟は比較的順調です。私達ベテラン組は少々手こずっていますが、それでも現有のOSよりは段違いの機動ができています」
「いますが、って所かしら」
「は……」

香月は面白そうに伊隅に言葉を投げると、伊隅は目を瞑り言葉を濁す。素直に言って良いものかと躊躇っている。それを香月は顎で続きを催促した。

「正直に申し上げれば白銀中佐のOSにより総合戦力は大幅な増強が望めるでしょう。中佐が部隊に編入されたこともプラスになることは断言できます。ですが彼の意志がどうしても気になります。拒否とまでは言いません。それでもなにかしらの私達に想うところがあるのでしょう。
連携は上手くいっていますが、それも経験で無理やり回しているのが実情です」
「ふーん。訓練生のも加味すれば、必要だから見ている、でも感情はそれとは別ってところかしら」
「それはどういうことですか?」

香月は右手を顎に当て考えるそぶりをしている。いつも彼女が悪巧みする時の姿勢だ。こうなってしまえばしばらくは外部から話しかけても反応は無い。時には笑い、時には無表情と香月の表情は変化していく。そして思考が終わったのか伊隅に眼を移す。

「あいつはあんた達と行動を共にする気はないってことよ」
「ですが中佐は部隊の最高位者です」
「でも指揮系統は全然いじってないでしょ? つまりはそういうことよ。あいつが欲しいのはあんた達の指揮権だけ」

伊隅は眼を見開く。それはつまりは副司令の懐刀を奪取しようとしているだけではないか。

「……副司令。命令であれば私達は従います。死地に行けと言えば犠牲を最小限にし、戦果を最大限にしてみましょう。軍人とは死ぬのも仕事の内ですから。ですが部下を無駄死にだけはさせられません。
白銀中佐を上に置き部下を無駄死にさせようというのであれば、どうか御再考をお願いいたします」
「そう考えているから白銀は指揮権をとってあんたたちを鍛えているのでしょうね」

香月は手に持った資料を机に投げ出す。紙がぱさりと落ちる音が二人の間に響く。

「あんたがどう考えようが白銀はあのまま据えるわ。これは命令。それに一応聞いておくけど、白銀があんたらになんか殺意や悪意を見せたりした?」
「いえ……」
「そう、ならそれが答えよ。あいつはあんたらを絶対に害さない。絶対よ。それこそ私の貴重な頭脳をかけてもいいわ」
「了解しました」

伊隅は反論を全て飲み込んで了承する。その時彼女が香月の嫌う敬礼の姿勢を見せたのは、香月に対するささやかな批判を込めたからか、それとも気配りができぬ程注意力が散漫となったからか。

「ならこの話は以上。後近々あんた達に出てもらいわよ。具体的には10日以内に」
「はっ」

伊隅の顔からは不満が一切消える。久方ぶりの出撃だ。彼女は自身の部隊の状態を再確認しながら、出撃までの準備を脳裏に描いていく。話は終わりとばかりに香月は椅子を回転させ彼女に背を向けてしまう。伊隅は立ち去ろうとし、ふと気になったことを香月に聞く。

「そういえば白銀中佐はどちらに」
「彼なら帝都よ」


平穏が終わり、戦いが彼女達に再び近づこうとしている。



[33107] 十六話
Name: ナナシ◆5731e3d3 ID:e64705e1
Date: 2013/10/17 18:12
その空間は荘厳と表現するに相応しい空間であった。敷き詰められている畳や、流れる様に墨絵が描かれている襖達がここを形作っているだけではない。この建物内にいる全ての人間がここの空間を特別なものとしている。
事実ここは比喩抜きで帝国においての聖域だ。帝国の政治を動かす帝国議事堂よりも侵すことのできない場所。つまりは将軍の住まう場所。
その聖域のなかの一室、将軍が謁見する際に使用する部屋で、蒼い国連の軍服に身を包んだ青年と、妙な兎耳を形どった様なものを頭にあしらった少女が正座をしてここの主を待っていた。二人は互いに眼を配らすことなく佇む。
そしてこの場の二人がそろそろかと思われる頃。部屋の外から襖の間に指が差し込まれると、すっとそのまま開け放たれる。翡翠色の髪をした無表情の女性が隙間からちらりと座った姿勢で二人に姿を見せた。彼女は座礼をする。
すると一人の女性が、いや少女が入室する。二人は部屋の外の人物のように深々と座礼した。入室した少女はそのままこの部屋の最高位者の席、最も上座に当たる所に座る。遅れて先程の女性も傍に控えた。
長い黒髪が似合い、凛々しいながらもどこか柔和さも兼ね備えた少女だ。けれども少女の特徴はそれではない。着ている和服やなにより佇まい表情、少女を構成する一つ一つが、この場の者よりも高位であると誰の目にも明らかにさせる気を発している。

「礼はもう良いです。表をあげなさい。国連の使者殿」

彼女こそがこの建物、この帝国の主である煌武院 悠陽である。

白銀が帝国に流した資料は帝国中枢部の一部を震撼させていた。書かれている先進的な技術に度肝を抜かされたのではない。技術など道具にすぎない。帝都に蠢く陰を己ら自身よりも把握されていたからではない。それは相手が相対的に上手であっただけだ。
未来予知。もしも渡された資料が全て正しいものであるならば、横浜の魔女はついに魔法にでも手を出したのかと真面目に考えてしまう程のそれら。しかもそれらは唯のほら吹きに収まらず上等な情報によって綺麗に包装されているのだ。
こんな馬鹿みたいな嘘のために魔女は山積みの金貨よりも価値のあるものを使うのか。それとも俄かに信じがたいが、あの狡猾な女がこれを信じるに足る『何か』でも見出したのか。普段の彼女の奇行により彼らは全くもって判別できなかった。
さらに接触した斯衛によれば女の折衝役を務めた男は魔女の伝令役に収まらず、下手をすれば彼女よりも上位の意思決定を下せることを仄めかしたという。
国連が見せた未知なるカードと突然変わった状況。だからこそ中枢部は直接に問い詰めることを決定する。
聞くところによれば男の要求は征夷大将軍との謁見だと言う。なれば都合が良いとばかりに、何故か謁見を頑なに否定していたその斯衛の意見を無視し、帝国は名目上の元首に急遽男と対面させることにした。



白銀 武は顔を上げながら誰にも気づかれることなく一人で安堵した。悠陽の顔が白銀の眼に入る。似ている。だが彼女は双子の妹とは違う人物であった。それが白銀を何よりも安心させた。
白銀は今静かに揺れていた。揺れ幅は大きくは無いがそれは日増しに大きくなり、彼がたびたび気を引き締めることで毎回修正していた。それが彼のここのところの日課になってしまっていたのだ。発端は御剣 冥夜だ。より正鵠を射るならば彼女に何かをした霞の仕業。
白銀は決して弱い人物ではない。だがかの横浜の魔女ほどの度量を兼ね備えてはいなかった。彼は御剣が度々見せる態度に狼狽していた。初め彼女が見せたのは無礼な発言をする自分への憤怒。そしてすぐに理不尽な暴力と恐怖をもたらす上官に対する恐れに変わっていった。
それらは御剣が前においては白銀には一回も見せたことが無いものであった。敵に対するもの。害意に近いものである。だからこそ白銀は今まで安心しきっていた。冷静に冷徹に。最後まで彼女達と部下と上官の関係で入れると考えていた。
けれども今は違う。冥夜は時より何か言いたげな表情でこちらを眺める。彼女達は元の世界の『彼女達』とは違うのだと意識しようとすれば何故か悲しげな、もどかしさを感じているような眼を向ける。昔の彼女の眼に似ていた。
白銀の望みは変わらない。彼女達のためならばなんだってする。確実な方法で、絶対の手段で百に等しい確率を目指そうとする。それは絶対なのだ。よってこの湧き上がる感情は害以外のなにものでもない。
彼は僅かに後ろに控える霞に意識を向ける。彼女はおそらくだが白銀のやり方に反対なのだろう。素晴らしくも、今まで殺した死者を踏みにじるおぞましい奇跡に頼ることを進めようとしているのだ。
止めろとは言いたくない。霞は今まで白銀の拠り所であり続けた。泣き言も零す彼を静かに宥め、気が触れ彼女に罵倒を飛ばしても彼女は彼から決して離れようとはしなかった。だから突き放すのではなく理解してほしい。これが白銀にできる精一杯の我儘であった。
彼はそれをここではっきりと宣言するのだ。技術を使い情報を駆使し。G弾で脅し帝国兵を犠牲にし。彼女達に枷を嵌め鬼畜と罵られようが絶対に確実に目的を遂げると。
そうすることで白銀は霞に諦めて欲しかった。もう後戻りはできないのだと。そしてそれを自身に戒めたかった。




「拝謁に賜りこれ以上ない喜びでございます。殿下。白銀 武と申します。小官は末席なれども佐官を賜っておりますが、未熟者ゆえ御不快にさせることがあるやもしれぬことを、先に詫びさせて頂きたく存じます」
「構いません。そなたは武官の身。本領を発揮するのは戦場でありましょう」

悠陽はどこか冷めた気持ちで白銀の言を聞き流す。常ならば感じることがない自分の身の窮屈さに苛立ちを覚えていた。
彼女はこの帝国の主権の代行者であり、皇帝に代わり国の末端まで本来ならば彼女の力が及ばないところはない。しかし現状はその逆に等しく、彼女に残ったものはその威光だけであり、影響力は中堅の政治家と比べて僅かに勝つかどうかだろう。
大戦後将軍は、時代と共に権力を奪われていった。悠陽はそれ自体は疎ましくは思っていなかった。既に君主制は時代にそぐわないものだろう。
榊首相を始め、幾人かの政治家たちは彼女のことを尊重してこそ政治を代行していた。君主制は極論全知全能の人物が求められる。平時ならば無能でもなんとでもなろうが、戦時にまだ二十歳にもならぬ小娘が負えるものではない。

「畏まらず、臆さず話しなさい。私は本日はそなたの真意を聞きたいのです」
「は」

だからこうして使い走りの様な真似をさせられても彼女には別段怒りは浮かんでこない。だが途方もない無力感があった。彼女は月詠が帝国政府への報告とは別に直接情報をやり取りしていた。
曰く白銀が持つ価値は測り知ること叶わず、その危険性もまた同様である。齢に似合わぬ軍人であるが、気性、きわめて不可解。帝国に害を齎すこと躊躇うことなし。御剣以下特定の者にたいし異常なる執着心を確認。
結論、接触は帝国に多大な恩恵を与える可能性は大であるが、それは毒杯を仰ぐこととも等しいと。
帝国に、己の妹に何かが迫っている。悠陽は敏感にそれを感じ取っていた。けれども彼女は何もできない。それのなんともどかしいことか。

「単刀直入に言いましょう。私と帝国はそなたの渡した物に多大な関心と警戒を抱きました。あれは何なのです」

尊大な有無を言わせぬ問い。けれどもそれは何も意味が無かった。今の彼女は悠陽ではなく征夷大将軍だ。パフォーマンスに過ぎなかった。
このまま将軍としてこの国連軍中佐と帝国政府の仲介を務めるのだろう。

「国連は一体何を考えているのです」

これこそが彼女ができる最善手である。彼女が考えも無しに動けばその影響は計り知れない。しかもそのつけは彼女ではなく臣下である国民達に向かうのだ。
よって彼女は動かない。象徴として君臨する。己を最大限に使うことができる者達に委ね、彼女は国民が窮乏しようがBETAに蹂躙されようがそれを見続け、実の妹ですら他の者にその運命を任せなければならない。
だから心の底でどれだけ身が焼き切れる思いをしようがそれは悠陽を動かさない。彼女が重んじる将軍の責務はそんなことでは揺るがしてはならない。

「僭越ながら殿下。あれは国連ではありません。私達の、いえ私、白銀 武個人の成果であり、これからお話ししたい私の考えの根拠と手段であります」

だが白銀の言葉がそれを止めた。彼は既定路線で事を進めようなど微塵も考えていなかった。そして目の前の人物をただの傍観者として終わらせる気もなかった。
彼女が口を挟む前に白銀は腕についている階級章を外して畳の上に置く。場を包む空気が彼の一見些細な行為によって変わる。彼女は息をのんだ。
躊躇いも無く階級章を外してこの発言。帝都の中枢で階級章を外す行為がどのようなことを齎すか知らない者などいない。国連軍中佐という階級は帝国から警戒と敵意を受ける物であるとともに、逆に自身の身の安全を保障する盾でもあるのだ。
それを下手をすれば帝国に弓を引いたと取られてもおかしくは無い言葉を平気で言ってのけた上でする。これが月詠をして獣と表現せしめる者。この男には心意を隠すつもりが微塵もない。確かにこの存在は害悪と成りうる。それも最大級の。

「……」

不意に後ろで凛とした金属音が響く。彼女の侍従がその腰に差された刀に手を掛けたのだ。本来であれば唯の儀礼用のものである。だがそれとその使い手は決して贋物ではない。ここの主が許せばすぐさま目の前の男を両断するに足りていた。
主はそれを許さなかった。従者に一瞥しそれを止めさせる。勘のようなものがこのまま喋らせるべきだと告げていた。白銀の態度は飽くまで慇懃なものだ。礼儀作法は武官であるから粗さが残るが、本来であれば謁見に臨む武官の模範的姿だ。
しかし違う。その下に月詠を恐れさせたものが蠢いており、それが今正に出かかっているのだ。それを確かめなければならない。将軍としての責務ではなく国を想う悠陽という人間として、妹を想う姉としてせめて見なければならない。
先程までの凍った意志に火が灯った。身体に力がこもりながら質問した。

「それではそなたの考えとは一体何か」
「先日の斯衛の者にも話した通り、私の考えは最終的に特定人物の生命と安全のためが全てでございます。今まで提出した資料全てがそのための物です」
「つまりそなたは帝国にその者達を守れと要求しているのですか」
「違います」

白銀は一息置いた。

「その者達に対し帝国の全てを捧げて頂きたいのです」

絶句した。咄嗟に彼女は自身の言語能力に難が生じたのかと疑ったほどだ。

「今……なんと」
「彼女達のため帝国を使わせて頂きたいのです。主には軍でございますが、必要に応じて全てのことに無条件で協力して頂きたいのです」

言葉にならない。話にならなかった。ある程度の援助ならば帝国も融通が利く。遠回しに国連軍に人事で口を入れ前線から遠ざけたり、帝国側の人間ならより簡単に周りを囲うことが可能だろう。
それは妹や他の者達の矜持を侵すものとなろうが、政治的に言えば何ら問題は無い。だが白銀はそうした思惑を軽々と飛び越えた。彼の伝え聞いた人間性からするに文字通りのまま、帝国の全てを要求しているのだろう。

「具体的にそなたは帝国にどうしろと」
「様々あります。前線で戦う彼女達が死なぬよう護衛として、いざとなれば死兵となる部隊も頂きたい。磨り潰させて頂くので唯の正規部隊を、とまでいきませんが。そして後で彼女達を前線から引きずり落とす協力。それをするための政治体制の変更。上げればきりがありませぬ。
まとめれば私が指定する人物のために要求される全てを頂きたい」
「それを帝国が呑むとでも思いますか」
「呑んで頂きます」

白銀と目線が合う。さらけ出されたものに彼女は慄いた。この者は理を説かない。全てにおいてある感情の元に動いていた。狂言としてではなく至極真面としてやれと、他の者では妄言と一蹴されることを平然と言ってのける。


「帝国が否とお答えするのであれば、なんとしてでも応とおっしゃって頂きます。武力をもって恫喝も致しましょう。利をもたらし説きましょう。私は呑んで頂けるためのあらゆる手段を準備してきました。満足のゆくものを差し出せましょう。決してそちらの損には致しませぬ。
ですが殿下、はっきりと申し上げます。絶対に否とは答えさせませぬ」

力の無い幼子の地団駄は軽く笑われるだけだろう。しかし十分に知性と力を兼ね備えた者ならばどうか。その答えが目の前にいる白銀だ。
止められはするだろう。なんならば今この場で首を刎ねよと命令をすれば九分九厘この男の頭と胴体は泣き別れするはずだ。だがそんなこと帝国が不利になるだけだ。そういうことを白銀は理解している。
最終的には彼は自身に協力すれば帝国に有利になるように計うつもりなのだろう。帝国政府に突き付けられたレポートから判断するにそれは間違いない。帝国は納得して男に協力することになる。それは一見すればおかしくないことだ。お互いに利益を受ける正当な形だ。しかし彼女は危惧した。
それではこの男を止められないことと同義ではないかと。同意しようが結局彼の行動を変えられていないのだ。彼がいう者達のため帝国を犠牲にし、対価を得たところで意味が無い。臣民を焼き払い得た財貨に如何程の価値があろうか。
そして白銀はそれを要求することに躊躇いもなく対価も十分に持っているはずだ。彼女の身体は身震いした。






彼女の感情は従者であった月詠も感じたものであった。月詠は白銀の読み切れない力と御剣達の執着心から恐怖を感じた。彼女には彼は同じ理を介さない異物に思えたのだ。
それは白銀が意図したものだ。長年生きてきた中での無意識な彼なりの自衛の策であった。
彼は桜花作戦の後BETA、人類を問わず様々な敵と見えてきたが、仲間といることは酷く少なかった。かつての仲間は戦死し続け、新しくできた同僚は、彼らを利用している白銀には仲間とは思えなかった。だから彼は仲間と対峙した経験は意外に少ない。
最初から相対する相手を敵として相手した方がやりやすかった。だからこそ彼のする行動は、軍人としての彼は次第に過激になっていた。


兎に角も悠陽にとっても白銀は警戒する相手として認識されるはずであった。だが彼女がそう判断しきる瞬間、正面の白銀から逃げる様に視線を逸らすと、彼女の眼にあるものが飛び込んできた。
男の後ろに控える小さな少女であった。悠陽も風格を備えたとしてもまだまだ少女の域をでなかったが、それ以上に華奢な人物であった。そしてその少女は震えていた。ただでも青白い肌から一層血の気が失せていた。
最初は場に呑まれているだけだと彼女は考えた。国家元首である悠陽でさえ身が凍える様な空間だ。一介の少女には荷が重すぎたのだと思った。だが違った。少女は恐怖で縮こまっていたのではない。少女は心配していたのだ。
少女の眼はじっと悠陽と相手取る白銀に注がれていた。届かないものに歯噛みしながら一心に男を見続けていた。帝国と敵対するかもしれない中、しかもその中枢ともいえる場所に居て少女は自身の身ではなく男を案じていた。
それが彼女を踏み留まらせた。疑念とあって欲しいという願望が湧き上がった。

「白銀」
「は。何でありましょうか」
「なぜそなたはその特定人物達の保護に拘るのですか?」

月詠は白銀の危険性を知り警戒して遠ざけた。だが悠陽は遠ざけるのではなく一歩踏み込んだ。

「殿下、申し上げておきますが理由をお知りになられたところで、対案は存在しませぬ」
「そうではありません。そなたがその者達に何を期待しているか知らなければ不都合が起こるでしょう? 例えばそなたはその者達が生きていれば四肢が捥がれようが良いのですか」

その発言を悠陽がした時、白銀の片眉が僅かに上がったことを彼女は見逃さなかった。

「……場合によってはそれも仕方がありませぬ」

白銀は力を兼ね備えた狂人である。これは確かだ。だが彼が本当に気が狂いきった獣だとは悠陽には思えなかった。白銀の後ろの少女。彼女は白銀を見続けている。ひたすらに男に寄り添いその身を案じ続けているように見える。
それが何の意味があろうか、悠陽自身も疑念はある。男が狂う前に何らかの縁があり、そのため男を憐れんでいるだけかもしれないではないかと。

「それではその者達に二度と会えない場合は大丈夫でしょうか」
「質問の意図が見えませぬ殿下」

しかし彼女はこうも思うのだ。もしこの少女がこの男の身を真にまだ案じているのならば、白銀という男は引き返しうるのではないかと。少なくとも少女はこの男のことを理解もできない化け物ではなく、寄り添う同胞として見ているのだから。
だからこうして彼女は今手を差し伸べようとしている。これは帝国が最早避けようがない人物の危険性を少しでも和らげようとした打算かもしれない。しかしそうした将軍としての悠陽だけがそれを成したわけではなかった。
生まれは同一なれども育ちは全く違う彼女の妹がそうした様に、彼女は手の差し伸べられる位置にいる人間を見捨てられはしなかった。

「白銀、正直に言います。帝国はおそらくはそなたの要求を呑むしかないでしょう。氏素性を確かめようとしても、そなたが拒否すれば問い詰めることも難しいでしょう。其れほどまでそなたの差し出してきたものは力があります」
「ならば先程の質問は何故なさったのです。殿下、私も正直に申し上げましょう。私は本日ここに参上したのは殿下にお動きになって頂きたいからこそです。確かに認識の齟齬がもたらす害は承知しておりますが、ここでは私の目的の内容の議論を
しに来たのではありませぬ」
「だとしてもです白銀」

その時初めて悠陽は場の主導権を握った。泰然と、白銀が執着する一人の少女の姉として彼女は白銀に質問を投げつけた。

「だとしてももう一度問いましょう。何故そなたはその者達を守りたい?」
「……」
「義か恩か憐憫か? それは私にも分かりませんがはっきりと言いましょう。そなたが執着する人物の少なくとも一人は私は知っております。それこそ片割れのように。だからこそ言えます。其の者がそなたの行為を喜ぶことは絶対にありません」

悠陽の脳裏には決して肉親とは呼んではならない少女が映し出されていた。

「私にはそなたが狂人に見える。だがそなたがその者達を守ろうと拘るのは、明らかに己ではなく他の者のことを考えている行為ではないか」

白銀は応えない。

「その行為は明らかにその者達を、他の者達を傷つけている。これでは誰も得になることなどありません。白銀。私は今この場において言葉を交わせている。だからこそ私はまだそなたを説くことができるやもしれぬと考えております」

悠陽の眼がはっきりと白銀を捉える。それはかつての、そして今はまだ誕生していない英雄である衛士のものと同様であった。

「今日そなたが私と会ったのは私を利用しようと思ったからでありましょう? 代替となる者がいるやもしれませぬが来るほどには価値があったはずです。ならば私を説き伏せてみなさい。今宵のこの一時の語らいに幾らの労力も要らぬはずです。
そうでなければ例え将軍としてそなたの案に乗ろうとも、一人の人間、煌武院 悠陽としては絶対に協力はできませぬ」

言葉が部屋に響き渡る。
そして白銀は確かに揺れた。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.029406070709229