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[17469] まりもちゃん他
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:45
「この時期に新任!?」
横浜基地副指令、香月夕呼――腐れ縁の友人でもある――から話を聞かされて私は思わず、声を荒げてしまった。
「そ、しかも今時貴重な男よ~。よかったわね」
のほほんとそのようなことをのたまう。
文官の出だからか、はたまた彼女自身の本質によるものなのか、恐らくは後者であろうが、夕呼は大事なことを、さも軽いことであるように話す癖がある。
敬礼をされることを嫌がることから分かるように、夕呼に掛かれば軍規も何もあったものではない。
彼女の奔放な一面を私は良く知っていたが、それでもこの命令は酷いと思う。
「ちょっと、待ってよ。新任なら何も私が受け持たなくてもいいでしょ」
そうだ。私が受け持つ必要はないのだ。
今私が指導している分隊は二度目の総戦技演習に向けて大事な時期なのだ、もう後が無い彼女達は教官の私の贔屓目を抜きにしてもよく頑張っている。
新人が入ったことで隊の不協和が更に育ってしまうようなことがあっては、ならない。
「だ・か・ら、よ。207B分隊だから。……この意味分かるわね」
問いかける口調ではあったが、これ以上の問答は不要とばかり会話を切り捨てた。

207B分隊。
今現在私が受け持っている訓練兵。
先の総合戦闘技術評価演習で早々と合格を決めた207A分隊と落ちたB分隊の間に、隔絶した実力の差というものは存在しない。B分隊の分隊長である榊と命令無視上等の彩峰の不仲は問題ではあるが、それを差し引いても余りある実力をB分隊の面々は持っていた。
いや、個人の実力・才能という点で見たならば、A分隊よりも遥かに優れていると言っても過言ではない。
しかし、B分隊は不合格だった。
背景には彼女達の“複雑な事情”が絡み合っていたことも否定できない。

だから、なのかもしれない。
夕呼は次の総戦技演習で、また彼女達を不合格にするために尤もらしい理由を付けるためにこの時期に新任を押し付けたのかも、と私は考えた。
私は、教え子に生きる術を教えている。それと同時に軍のあり方も。
軍とはそういうところだ、命令は絶対だ、それを教える私が疑問を持つなど彼女達が知ったらどう思うだろうか。
教え子が可愛くない教師などいない、彼女達には合格して欲しいと切に願っている。
なのに、軍が、彼女達の事情が、それを許さない。
そして、私はそれに従うほか無い……情けない、何時までたっても自分の無力さを自覚するたびに自分に腹が立つ。
我知れず、自嘲する様に笑っていた。

「…はぁ。まりも、辛気臭い顔止めてよ。私は今すごく喜んでいるのよ?」
夕呼が人の神経を逆なでするような性格だと知っていても、いや、知っているからこそ私は激昂しかけた。
「ゆうこ!」
問い詰めようとした私を制したのは彼女の笑みだった。
長い付き合いだ、夕呼の表情の種類はよくわかる。
彼女は本当に喜んでいるように見えた。
夕呼は自由奔放な性格で無理難題を平気で言い、科学者らしく効率重視のともすれば非人道的と捉えられかねない程の人間であるが、その根底となる人間の本質まで酷くは無い、慈悲深い一面もあると私は知っている。
伝統や歴史などに重きを置かない彼女の考え方からすれば、優秀な人材をただ訓練兵として遊ばせておくことを時間の無駄と捉えている。
むしろ、積極的にさっさと任官させてしまい彼女達の背景を逆手にとって、現場の衛士の戦意高揚のために彼女達をプロパガンダとして利用しようと考えるはずだ。
なら、今回の人事も裏があっても当然不思議ではない。
「……もう、決定事項なんでしょ?何があったか知らないけど、あなたにとってその新人を入れることがよっぽど重要な人事ってことなのはよぉくわかったわ」
振り上げた拳の下ろし方は心得ている、彼女と接するには必須技術である。
もしも、私の性格が大人しい世界であったならば、彼女と対等に付き合うことはなかっただろう、等と益にもならないことを知り合った当時はよく考えたものだ。
「そうね。白銀が重要かどうかはこれから、と言ったところかしら」
真剣な顔で夕呼が呟いた。
最近、夕呼の研究が行き詰っていることは彼女の振る舞いからそれとなく私も感じていた。
しかし、今の夕呼の目の輝きはどうだ。
まるで待ちに待った遠足の日が、とうとうやって来た時の子供のように希望に満ち満ちている。
「しろがね?それが新しい訓練兵の名前?」
「正式な人事通達は後で行くけど少し教えておきましょうか。名前は白銀武。歳は20前後、さっきも言った通り男。生まれも育ちも……未定ってことにしておくわ」
未定。それは経歴が白紙だという意味なのだろうか。それとも……
どちらにしても、その白銀という男の重要度が窺える。
「それは私には教えられない、ということでいいの?」
「ま、そう考えてもらってもいいわ。そうね、経歴不明。ふふ、謎めいていて素敵じゃない。ねぇ、まりも?」
「どこが素敵なんだか……怪しいだけじゃない。夕呼のセンスは私には理解できないわよ」
「天才だからね~」
「…… ふふ、よく言うわね」
彼女の得意の“天才”と言うお決まり台詞を言わせるように会話を仕向けて、この場はお開きと言うことになった。
これは、私達の一種の確認作業の様なものだ。
厭な空気になった時や、真実をわざと軽く語る時、夕呼に対しての一種の空気清浄装置の働きを期待してのことである。
鋭い夕呼のことだ、それを理解した上でこの茶番を続けてくれているのだと思う。

一通り談笑を終えた後。
「では、失礼いたします香月博士!」
私は服の裾を引っ張り、皺を伸ばして直立不動の姿勢を取った後、ピシッ!と音が聞こえて来そうなほど見事な敬礼を夕呼に捧げ、部屋を後にした。

私の後姿を見て、夕呼はさも言い忘れたとばかりに、
「そうそう、白銀は“特別”だから、ね。それだけ覚えておいて頂戴」
付け加えた。




夕呼が非常に重要な立場にいるのは、彼女の頭脳と研究内容が人類存亡の鍵を握っているからに他ならない。
でなければ、如何に人材不足とはいえこの歳で極東最大の国連軍基地の副指令に収まることなど出来ない。
その夕呼をして特別な人物と言わしめる男に興味を覚えないと言えば嘘になる。
いや、正直に私自身の気持ちを吐露すれば、その白銀という男に大変「興味」が湧いた。
夕呼の言った特別と言う言葉の言外の意味を推察するなら、白銀の行動には目を瞑るようにと私に釘を刺した、もしくは…特別優れた者だから期待していろ、と言うことか。

私は未だ会ったこともない白銀武という男に、何か言い知れぬ期待感を覚えていた。













結論から言おう。私が甘かったと。


なぜ、夕呼の言葉をあれほど素直に信じてしまったのか、あの時の浮かれた私が恨めしい。
ああ、確かに“特別”だった。
白銀は信じられないほど、特別と注意書きが必要な程に無能な男だった。

たった数キロの行軍にも根を上げる、鬼教官と呼ばれた私に対して「まりもちゃん」呼ばわりをする、教官である私に対して平気で意見をぶつけてくる、覚悟も無い、銃の組み立てすら知らない、口調が変、等など数え上げればキリが無いほどのダメ男ぶりを遺憾なく発揮してくれた。

あ、頭が痛くなってきた。
白銀のことを考えれば考えるほど私には理解不能な生物に思えてくる。
おかげで、最近は生理痛と偽って頭痛薬を処方してもらっている。
回数が多いせいで、救護班の女性からは「生理不順なんですか?またフラれたんですか?」等あらぬ疑いを懸けられる始末。
夕呼め、どうでもいいことを吹聴するのはヤメテとあれほど懇願したのにッ!
くそぅ、なんだって天才や特別って奴は常識と言うものがないのだ。
あぁ、そうか。
白銀が誰かに似ていると思っていたら夕呼に似ていたのだ。
ベクトルは違うが、常識を持たないもしくは常識を無視するという点においては同類だ。
夕呼が二人…白銀が二人……私の体持つかな?
ううぅ、泣きたくなってきた、だって女の子だもん。

ふらふらとした足取りで通路を歩いていると、噂の白銀を見つけた。
白銀の方もこちらに気づいたようで、下手糞な――それでも以前と比べれば随分とまとも―――敬礼で私に挨拶した。

「お、おはようございます。まりも…あ、ヤベ、えぇっと教官!」
お、お前と言う奴は~~!!
「白銀~~!!!!」




今日も今日とて横浜基地には私の怒声が飛ぶ。














総合戦闘技術演習の後、白銀の“特別”が発揮されることになるまで、私の頭痛が止むことは無かった、とだけ付け加えておきたい。
私の苦労・労力と白銀の名誉の為に。




[17469] まりもちゃんの憂鬱 その後
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:45
「ねぇ、聞きましたか少佐、噂の天才衛士のお話」
書類仕事で忙しい私に、ニヤニヤとした顔で尋ねたのは、未だ幼さを残したあどけない顔をした少女。
少女と評したように彼女は若い。これは相対的な話ではなく絶対的な意味で若いのである。
それもそのはず私とは一回りも違うのだ。
女性にとって年齢が一回り違うと言うのは大きい。
まず、肌のハリが違う。汗をかいても彼女の汗は珠のようなもので、肌にベッタリと張り付くようなものではない。
体付きも違う。如何に鍛えている軍人だからと言っても彼女と私の体には、想像を絶する隔壁があると知っている。例えば、胸一つとっても違う。
個人差によるものも多少なりともあるだろうが、空に向ってプルンと震えるような彼女のものと私の…いや、私も胸には自信があるのだからこれは参考にならない。
うん。そうだな、では例えば腰のくびれ等はどうだろうか…いや、これも鍛えているので大丈夫。きっとまだまだ私も逝けている (白銀語だとこういう使い方であっているはず)

あぁ、なんだ私もまだまだ若いのではないか。
違いなど微々たる物だ、そう彼女の肉体はなんというか瑞々しい。
なるほど、使い古された言葉であるがこれは言いえて妙である。
古人は実に的を射る表現を作ったものだと感心する。
そう、若い子の体は瑞々しい。

そして忌々しい。

閑話休題。

ゴホン、彼女は若いのだ。
若さというのは得がたい価値を持つと同時に、愚かである。
ある人は言った。老いることは恥ではないと。
……ちなみに今の発言は私を指したものではない、これは私とは一切関係の無いことであるが一応付け足しておきたいと思う。

またまた閑話休題。


………
……


オルタネイティブ5に移行した後、人類は種の生存のためにと言う大義名分の元に、数十万人の人間を宇宙へと旅立たせた。
私からすればこれがメインの計画であるように思われたのだが、掲げられた名目ではこれはサブであるらしい。
実際にはG弾によるハイブ強襲、つまり人類最大の反攻作戦こそが真の目的だとのこと。
勿論そんな言葉遊びを誰も信じてはいないが。
口さがないものは逃げ出すための口上だ、と罵った。
私もその意見を否定するつもりはない。
しかし、どういう名目・真意があったにせよ人類の生存のためと言われては私達、特に軍人はそれに逆らうことは出来なかったのだから同罪と言えば同罪なのかもしれない。
反攻作戦は成功した、とはお世辞にも言えない結末を迎えた。
オリジナルハイブに対してG弾を投下した後、戦術機搭載駆逐艦による降下、そして強襲。
ここまでは、上手く物事は進んでいたのだ。だが、言い換えればここまでしか成功しなかったと言える。

G弾であわやオリジナルハイブを消滅させたか、と考えたのも淡い夢。
ハイブの最下層部が晒される形で大地に現れた、何しろ敵の根城にして本拠地だ。
柔な作りではなかったというわけなのか。
後の発表でG弾だけでは消滅に至らなかった理由をオリジナルハイブは既にフェイズ6を超えていたためだ、と取ってつけた様に言い繕った。
突入した戦術機部隊はハイブに残っていたBETAにより全滅。
そしてG弾の無効化。

絵に描いたような悲劇だ。笑えない。
人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇。そう評した格言もこの結末を知った後では滑稽な名言と落ちぶれてしまう。
もう、ロングショットで見ようとも結末は悲劇しか残されていないのだ。
それも人生ではなく、人類と言う種の生が。
どこで躓いたのだろうか、反攻作戦が遅すぎた?G弾を過信しすぎたせい?第四次計画が失敗したから?
いや、そもそもBETAが人類と接触した時から決まっていたことなのではないだろうか。

はっ、自分のことながら随分と悲観主義になったものである。思わず鼻で笑ってしまう。

人類は真綿で首をジワジワと絞められるように、BETAによる滅びの道しか既に残されてはいなかった。
G 弾という最強の火力を失った人類は、現存する戦力で――無茶で無謀な作戦であるが―――BETAをすり減らしてなんとか明日へと食いつないでいくしかない。
ここに来てアメリカはその威信を失い、皮肉なことに人類は歴史上初めてようやく一丸となることとなった。

人類はただ明日を生きるために今日死ぬ。



と、いつまでも悲観してばかりいたのでは我々の為に挺身した英霊達に申し訳が立たない。

人はいつか死ぬ。
そうは言っても、どうせいつか死ぬのだからと人生を諦観し自らの命を絶つ者は少ない。
それと同様に、いつか人類は、そう遠くない未来滅びる。
しかし、だからと言って今日を捨てる者も少なかった。
誰もが、馬鹿みたいに明るく振舞い、肩を並べた戦友と笑いあう。
今の我々にとって生きる地獄も、死んで天国も変わりない。
だからこそ今を生きるのだ。

今日を精一杯生きるようになったことを悪いことだとは誰も言えない、そして、言わせてなるものか。

軍はその機能を残したまま、しかし何処か優しくなったように思われる。
そう思うのは私が軍というものに対して、どこか嫌悪感を抱いていたからなのか、はたまた実は私が軍という巣に本能的に情を感じていたからか、それは分からない。
ただ、悪いものではない。そう思う。

絶対的な死があるのに、今更恐怖という鞭を持って脅かしたところで効果は薄い。
軍の規律は個人の律するところに多くを依存するようになった。
要するに、だ。
現状では昔の白銀のような人間が増えた、そう考えると理解しやすい。
しかし、人として礼儀は弁えるべきである。
一回りも年下の子に例え公務以外であっても、馴れ馴れしくされると、なんと言うか……悲しいものがある。
私はそんなに威厳がないのだろうか、と。

大体だ、少佐と言えば軍の中ではかなり高位に値する。
少なくとも私が少尉だった頃はそう考えていたし、上位者不足な昨今であってもそれは変わらないはずだ。
だと言うのに……

「ねぇ~聞いていますか少佐~ねぇ~ってば~」

あ、頭が痛い。

白銀がまともになって来たと思えば、今度は中央にも白銀の時と同様のことで悩むことになろうとは考えもしなかった。
まぁ、仮にも正規の軍事教育を受けてきた人間だ、あの頃の白銀よりは幾分マシではある。
しかし、どちらにせよ、酷いことには変わりないのだから慰めにもならない。
というか、その程度のことを慰めにしなければならない状況は如何なものかと私は思う。

もしかすると、最近の若者と言うのはこういうものなのだろうか、と本気で考えてしまう。
……やだやだ、そんな「最近の若い者は…」とぼやく様な歳ではないだろう!
しっかりしろ!神宮司まりも!
ただでさえ、男が減っているのだ。
いい男は若い女に取られてしまう。せめて歳を感じさせないような振る舞いをしなくては。

こんな状況だ。
恋愛の一つ、恋人の一人も作らずに死ねるか!

私は自分を叱責する意味で頬を力強く叩いた。
「痛ッ~!!急に何するんですか少佐!」

……部下の頬を。

「あ、ごめんなさい、若さが憎いというか……あはは、ごめんね。っと、すまん!」
いけない、いけない。
急に取り乱してしまった。
しかし、彼女の頬は想像以上にプルプルと弾力性に満ちていて……
ごめん、やっぱりもう一発いい?
そんなことすら思ってしまった。

慌てて思考を正すために、彼女の話に乗ることにした。
「…ゴホン、で。噂とは?」
頬をサスリ、サスリ「痛いな~もう」と頬を膨らましていた彼女も、私が話題に食いついたことに驚いたのか、喜悦満面にして私に一歩近づいた。
「そう、そうなんですよ。天才衛士。いいな~憧れるな~」
「順序だてて話せ、少尉!」
「はっ!」
一喝すると、背筋を正して直立不動。

……まるでパブロフの犬ね。

「極東方面を中心に活躍しているようなのですが、なんでも今までに類を見ない“特別”な機動をもってして戦術機を動かす者が現れたとのことです」
「… それで天才?」
「はい!加えて新任の少尉にしてはありえない多大な戦功をあげたためにそう呼ばれているらしいです。また理解不能な特殊な言語感覚の持ち主であることも常人には理解できない要素であり、他者とは違うという意味でも“天才”だとのことであります!」
「ふ~ん、なんだか何処かで聞いたような……見たような人の話ね」
「あれ?知りませんでしたか?っかしいなぁ~結構有名な話なんですけどね~」

なにやら当てが外れた、がっかりだ、といったような表情で唇を尖らせ頭をかいていた。

「で、またこれが、結構いい男らしくて……あぁ、その天才って言うのは今時貴重な男らしいんですけど、それが噂に拍車をかけているみたいで…え?本当に聞いたことないですか?」
首を傾げて、「おかしい、あれ?違った?」等と呟く少女を見ていると、あなたの方こそ大丈夫?と聞きたくなる。

「ふむ、それはまぁ、理解した。で、貴様は何が言いたかったのだ?」
忙しい私の時間を奪ってまで、世間話をしようと本気で考えていたのなら、鉄拳制裁も辞さないぞ、と獰猛な笑みで微笑んでやった。
それをどう受け取ったのか、
「まぁ、いいか。少佐は幸せ者ですね」
などと暢気にも言ってのけた。
そうか、鉄拳が好みだとは知らなかったぞ。
ガタリと、私が座るたびに軋むような古い椅子から立ち上がり、拳に息を吹きかけた。

「……白銀武。少佐の教え子でしょ?」
ふわりと羽のように軽やかに微笑んで私の戦意は彼女の言葉によって奪われていた。

え?白銀。それって、あの?
あ、ぁ、どうしよう……うれしい。

ジワリと涙が浮かび上がってくるのを感じたが、それを止め様とは思わなかった。
部下に泣き顔を見られても構わない。
それほどに嬉しかったのだ。

あの、どうしようもなくお荷物で、私に本当に心配ばかりさせた、あの問題児が!
立派に生きていると、闘っているのだ、それを知って本当に本当に喜んだ。
陳腐な言葉しか浮かばないが、ありがとう。
精一杯生きてくれてありがとう、立派になってくれてありがとう。
最後の教え子であった彼は、最初に夕呼が言った意味でも、違う意味でも私にとってはやはり、“特別”な生徒だった。

やだ、もぅ。
「しろが…ね。ぅ、ぅぅ、ありが、とう。ありがとう」
私は何かに感謝するように、ただただ、繰り返すことしか出来なかった。

「ありゃ~、そんなに嬉しかったんですか。やっぱりそうですよね~何せ優良物件ですもんね~」
ニヤニヤと私を見ていた彼女は、
「神宮司少佐!!おめでとうございます!」
急に真面目な顔で敬礼をして部屋を後にした。

私に気を使ってくれたのだとわかったが、今の私にはそんなことを気にする心の余裕もなく、ひたすらこの幸せを噛み締めていた。
問題児ほど可愛いというのは本当だったのだと、この時初めて私は理解した。
















しかし、後に、問題児は問題を起すからこそ問題児であって、問題を起さない問題児は問題児ではないという、非常に貴重な経験もさせてもらった。
そして、私はなぜこの時にただ泣くばかりではなく、彼女の笑みの理由を問いたださなかったのか、後悔することとなった。





「どうだった神宮司は?」
「はい、ボロボロ泣いてありがとうって繰り返していましたよ」
「あぁ~いいな~神宮司。憧れるな~そんな恋愛してみたいな~」
「ですよね。はい、憧れるますよ」
「……でもその天才君のいる、えぇっと曲芸部隊だっけ?のメンバーと神宮司とで女の戦いが始まるんだよね。これは神宮司を応援しなきゃ!!」
「まぁ、天才君が優柔不断だったからこそ、の結果かもしれないですけどね」
「それ、言えてる。部隊のメンバーに誰を選ぶかで責められて、結局『お、俺はまりもちゃんが好みかな』なんてお茶を濁すからだね、男ならハッキリしろ!って私なら言うわ」
「でも、少佐の方も満更でもないみたいだし……いいんじゃないですか?それよりも噂の曲芸部隊との合同訓練についてですけど……本当に少佐に知らせなくていいんですか?大佐殿?」
「え?あぁ、いいのいいの。どこかに攻めるわけじゃないし、部隊内の士気を高めるためとか、いざという時のスムーズな連携の為に交流を持っておきましょうって意味だしね。まぁ、本当は神宮司をからかうのが一番の目的なんだけどね」
「……幸せな人には多少のことは我慢して貰わなくては、と言う事ですね?」
「そゆこと~あぁ。早く来ないかな~噂の天才君」




そんな遣り取りが私の仕事場のすぐ傍で行われていたことを知ったのは、曲芸部隊と呼ばれる元207B分隊プラスαからの極寒の視線攻撃から何とか生き延びた後だった。



[17469] まりもちゃんの憂鬱 過去と太陽
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:45
手持ち無沙汰になった私は、机に無造作に置いてあった辞書を手に取った。
年代物の辞書は、表紙は外に跳ねるように曲がっていて、紙も赤黄色に変色していたし、背表紙は手垢で薄黒く汚れており、お世辞にも綺麗な物ではなかった。
でも、それは人々に愛用された結果なのだ。
そう思うと、暖かい気持ちが沸いてくる。

以前、教育熱心な一面を持つ自分の恩師は、生徒が分からないといった語句を、わからないと言った生徒本人に辞書を引かせて意味を調べさせ、そして皆の前で辞書で引いた箇所を大きな声で朗読させた。
目を瞑り、黙って聞いた後、急にニヤリと大きな唇の端を釣り上げ
『成程。万人にも非常に分かりやすく説明されている。
やはり、辞書とは素晴らしい。これこそ人類の叡智の結晶と呼ばれるべき成果である。
そして、この素晴らしい叡智の集合体を次世代に伝えていくためには教育という分野に重きを置かねばならない』
と厳しい顔を綻ばせながら話していたことを思い出した。
まだ私が精神も体も全てが子供であった、現実を知らないと言うことが幸福であると理解していなかった時代の出来事だ。

夏場に肩口まで服を捲り上げ、そこから見える盛り返った筋肉と剛毛な腕の毛、胸元辺りが汗で濡れた服、無精髭。
彼の全身が、仕草が、どうしようもないほど「男」というものの存在を私に突きつけた。
だが彼は、野生的で獰猛な顔立ちと、それに似合わぬ知性の煌きを兼ね備えていた。
それも彼への憧憬を抱かせる要因となったのだろう。

彼はやがて激化するであろうと予想したBETAとの大戦に備えて、軍へと志願した。

志願理由は壮年期の男子らしく血気盛んなもの、ではなかった。
その動機を私が知ることが出来たのは、彼のために、細やかなお別れ会が生徒一同で開かれた時の一件である。
会の終わり頃、彼を思い止めようと、何人かの生徒が連判状を彼に提出した。
厳しかったが同時に慕われていたことがよく分かる。
戦場に出ると聞き、いてもたってもいられなかったのは私だけではなかったのだと知った。
「教育とは子供の未来を開くためのものであり、そしてこの戦いにも同様の価値があると俺は考えている。なぁに、未来の若人のためであると考えれば、この身もおしくはない」
連判状を見て、彼は豪快に笑った。
何のことはない、彼はただ子供好きだっただけなのだ。
彼にとって一生徒でしかなかった私と彼がその後、出会うことなど無かった。
風の噂によると、彼は幼少の頃の高熱のせいで子供を作ることが出来ない体であったそうだ。子供好きな理由とは彼の善良さだけではなく、その辺りに一因もあるのだろう。

幼かった私のかつての心情を、今の私が慮ってみても、恋心を抱いていなかったとは明言できないが、同時にその反証を挙げる事も出来ない。
かつて、そうやって嘯いてみたものの、それでも、事実は変わらないのだと知った。
「恋に恋した」もしくは「初恋は実らない」と言ったような決まり文句を並べてみても、同様に。私の心の傷――失恋の痛み―――は癒えることはなかった。
ただ、時間だけが私の傷痕を優しく塞ぐ瘡蓋となった。

後に残ったのは、私は彼に憧れて教師を目指したことだけ。
しかし何時しかそれは確かな、私自身の希望として、意志として私の中で芽吹いていった。




次に私が失恋したのは、任官してから直のことである。

訓練兵時代、女だからと言う理由で私を目の仇にしていた男がいた。
ことあるごとに私に絡んできては、「女が戦場に出るな」だ。
恩師の言葉に感銘を受けていた私からすれば、この男は教育とは対極の位置に立っており、粗野で話の通じぬ愚か者と認識していた。
当然反目しあい、結果、二人とも教官から扱かれた。
しかし、男は優秀であった。
当時、そのことが悔しくて悔しくてしかたがなかったが、それをバネに私も成長した。
私が成長すれば男は悔しがり、また男も成長した。
今になって思う。
互いに互いを高めあう関係とは、ああいう間柄を指すのだろうか、と。
反発しあった私達であったが、総合戦闘技術評価演習という私達の将来と、そして生命が懸かった時にようやく、互いに互いを認め合うことが出来る関係へと変われた。
いや、本当は既にどちらも互いの能力については、認め合っていたのだ。
ただ、それが個人を認めるには至らなかっただけなのだ。
関係改善の妥協点というのが、私が“男”だとすることであった。
男は私を“男”として扱い、私は男言葉で話すこととなった。
垣根が取り除かれた取っ掛かりは、つまらないことだった。
どちらかが、一歩だけ相手に歩み寄ればよかっただけなのだ。
私も、男も互いにつまらないプライドがそれを邪魔していた。
しかし、当時の私達にすればそれは重要なことであった。

男が私にいつも絡んできた理由は、女である私が戦場に立つような世界になってしまうと、男が故郷に残してきた恋人もいずれ、戦場に出なくてはならない、と言ったような風潮が生まれる可能性を危惧したからだ。
そのことを聞かされたのが、私の初陣の時であった。
男に「大事な人がいる」と聞かされて、ようやく私は自分が失恋したことに気づいたのだ。

失恋の痛みに打ちひしがれる間もなく、BETAという脅威が私達の部隊を襲った。
BETA によって戦線が瓦解し、指揮系統も分断、私はそこで生まれて初めて人の死に直面し、まともな判断能力を失った。
唯一状況判断が的確であったのは、男であった。
そして、その的確な判断で私を救い、男は死んだ。
人が死ぬと言うことは、実にあっさりとしたものだ。

信じたくはないが、あの時の私が恐怖したのは人の死や、BETAではなく、男が既に私の手の届かない存在となる可能性に恐怖したのではないだろうか。
だとしたら、私は相当に愚か者であり、罪人である。

私は、そのように恐ろしい考えを振り払うべく、狂ったようにBETAを殺せる戦場へと喜び勇んで向っていった。
その後は、ただ点々と移り行く情勢の流れに身を任せるようにして横浜基地にたどり着いた。そして、私は闘う術を教える教師となった。





結局のところ、私は人を愛したことはあっても、愛されたことはないのだ。



暗い気持ちを打ち消すように、手にした古い辞書で思いついたように“天才”と言う言葉を引いた。
―――天性の才能。生まれつき備わった優れた才能。また、そういう才能を持っている人。
そう記されていた。
世の中に、天才と評される者は数多いが、私が実際に接触した天才は二人だけだ。

私の友人にして、発想の天才である香月夕呼。
私の教え子にして、戦術機の天才である白銀武。

性別に年齢、その才の発揮される分野も性格も全く異なる二人であるが、実は一つだけ共通点があることを彼等と間近で接した私は知っている。

人を惹きつけて止まない点だ。

夕呼はその強靭な精神と優れた頭脳により効率的に、強引にまるで北風のように相手を振り向かせる、白銀は常に自然体で相手に接することで、太陽のように自然と人を引き寄せる

天才とは誘蛾灯の光と変わらない。
フラフラと寄ってくるのが、蛾か、人か、その程度の違いでしかない。

だからと言って、私は彼女達を嫉妬したり、自分を卑下したいわけではない。
事実だから、そう思っただけなのだ。
羨ましいと素直に思う。
人に好かれる才とは、望んで手に入れられるものではないからだ。
詮無きことと分かってはいても、彼女達のように人を惹きつけられたならば、私の人生はどのように変わっていたのだろうか、と考えてしまう。
変わっていたのだろうか、それとも今と変わらないのだろうか。

……では、人を惹きつける才を持つ者は変わらないのだろうか?
多くの人に囲まれ、天才衛士と評され、中央にまで名前が届くまでになった白銀はどのような男になったのだろうか。
何者にも囚われず悠然と、ともすれば暢気にしか見えないような性格だった彼は?
今までと同様に私を「まりもちゃん」と呼ぶのだろうか?
それとも「神宮司少佐」と呼び、敬礼をするのだろうか?

前者ならば、変わっていなかったことを喜び、軍人として成長していない事実に落胆し、
後者ならば、軍人として成長したことを喜び、彼の純粋性が失われたことに落胆する。
前者であっても後者であっても、私は喜び落胆するはずだ。
どちらも嬉しい反面、寂しさも感じる。

……なんだ。
どうあっても白銀武という男は私を悩ますのではないか。

――可笑しくて、可笑しくて、笑うほか無い。

白銀のことを考えて頭を悩ませているうちにいつの間にか、先程まで陰鬱な気持ちであったことなど忘れていた。
我ながら現金なものだと思う。
しかし、しょうがないのかもしれない。
何せ、私は今まで“間近”で太陽に接していたのだ。
なのに、太陽から離れてしまえば暗くなるのも、太陽の暖かさが恋しくなるのも道理というものだ。

少尉から白銀の話を聞かされて以来、どうやら私は情緒不安定になってしまったようだ。
急に過去を思い出したり、白銀に会いたくなったり、話をしたくなったりしてしまう。
頭を悩ませていた頃が懐かしくて仕方ないのだ。







離れて、初めて気づいたことがある。
どうやら、私も随分と太陽中毒であるらしい。




[17469] まりもちゃんの憂鬱 建前と本音と意地悪大佐
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:46
基地の人員が総出で見守るなか、空から駆逐艦がゆっくりと降りてくる。
皆他にやることもあるだろうに……それでも上の者達は誰も注意することは無かった。
当然かもしれない。何しろ搭乗しているのは極東地域の有名部隊、それに加えて噂の天才衛士もいるとなれば、娯楽に乏しいご時勢、誰もが興味を持つと言うもの。
そして……どういう因果か、その者達は私の元教え子達だった。



帝国の誘致の元、国連に承認され発動した第四次計画。
そこに携わった者達の能力は例外なく高く、上層部はその貴重な資源を遊ばせることなく、計画が移行した際に多くの人員と技術は共に第五次計画へと異動させた。
私の親友にして、人類が誇る最高級の頭脳の持ち主、第四次計画の最高責任者である香月夕呼もその一人であった。
しかし、彼女の部下であり、サポート役の技術者の多くは彼女と共に第五次計画へと接収されたものの、彼女直轄の特殊部隊「ヴァルキリーズ」だけは例外だった。

ヴァルキリーズ。

それは私が、夕呼の命により育て上げた一流の衛士達である。
その任務の性質上、彼女達は存在を“公然”の秘密部隊として扱われていた、それは他を牽制すると意味合いで。
第四次計画にはこれほど優秀な衛士がおり、それは私の手駒ですと自ら手札を晒すことで己の有用性を示していたのだ、なんとも夕呼らしい部隊運用方法である。
彼女達は、第五次計画へ参加せず部隊は解散し、各々が他部隊へと異動した。
私はこれを考えたのは夕呼本人であると睨んでいる。個々人が高い資質と実力に恵まれたヴァルキリーズの面々を教導役として他部隊へと送ることにより、衛士の実力の底上げを狙ったのではないだろうか。
勿論、現場の衛士一人が出来ることなど、たかが知れている。それは夕呼も重々承知している。それでも、地球に残った人類が一秒でも長く生きられるようにと配慮し、そう思った夕呼なりの優しさではないだろうか。
そう考えてしまうのは、友人の贔屓目という物かも知れないが、私はそう信じたい。

そのように考えると、その元ヴァルキリーズのメンバーが三人も組み込まれた部隊というのは、夕呼が最も生存を望んでいた部隊とは考えられないだろうか?
彼女は、確かに大きな局面に置いて個人的感情を優先させることはなく、人類の救済という目標達成のためには苛烈なまでに公平で、人道に反した手段を取ることはあっても、実は小さな場面では彼女は意外にも優しい女性だった。
面倒見がいい、とでもいうのだろうか。
彼女がもしも衛士だったならば姉御肌として慕われていたことだろう。
ただ、面と向ってそのことを指摘すると、呆れた顔をして否定をすることは間違いない。

第四次計画が潰えた時、彼女は207B分隊に訓練兵に対して過分なほどに情報を与えている。
本来ならば訓練兵如きに基地指令直々にお話をされることなどありえないのだから。
それも、きっと彼女が頼んだことなのだろう。
あれでいて、意外に子煩悩な一面もあるし……ふふ、もしかしたら「いいお母さん」になった可能性もあったのかもしれない。
そして、彼女がその優しさを最大限発揮して接していたのが、207B分隊…いや、白銀武か。
彼女は、何かにつけて彼を目にかけていたように見える。
白銀という人間が彼女の計画に必要だったのは間違いない、しかしそれ以上に彼女は確かに白銀を特別扱いしていた。
そう、白銀が彼女のことを「先生」と呼んでいたように、まるで教師と生徒のような関係で彼に対して接していた。
夕呼は、能力の無い者・興味を抱けない者については殆ど関わることは無かったが、反面に自分が興味を持つ者相手ならば、自分から積極的に小まめに相手を構おうとすることが多かった。
総戦技演習にわざわざ忙しい中、副指令と言う基地の重鎮でありながら付いて来たあたり、彼女がどれほど白銀に執心していたかがよく分かる。
ふふ、夕呼の様に気難しい女を惹きつけるなんて流石“特別”ね。





そんなことを考えていると、ふと先日の大佐との会話が思い出された。

私達の基地に、交流の為という名目の元、極東方面からある部隊が来るのだと聞かされ、それに備えて、大佐と共に書類仕事をしていた。

……軍人にとって戦場も地獄だが、通常業務も大変な地獄であった。

窮屈な作業に飽きてきたのか、大佐は体を椅子の背もたれに預けて、大きく屈伸した。
片手に持っていた、何かの書類を眺めながら、どこかつまらなそうに私に話しかけてきた。
「神宮司……お前のあの特殊な機動は確かある人物を参考にした、と言っていたよな?それは……あれか?噂の天才衛士のことか?」
「そうですね……大佐、手が止まっていますよ?」
天才衛士自らがこの基地に来るのだ、最早隠すようなことでもないだろう。
私は正直に答えることにした。

「ふん、私は日本人のように働き蟻となることをよしとしていないのだ、適度な休息が人生において至福をもたらすと貴様達は知るべきだ……で、年齢を鑑みるに……教官時代に訓練兵の機動を参考にしたと、そういうことになるが?」
どうも、日本人の精神というものは外国の人にとって理解できないところが多いらしい。
まぁ、他所の国の文化などを全て許容できる人間はいないだろう。
だから、正直放っておけと言いたい。

「…仕事好きなのではなく、責任感が強いと言い換えて貰いたいですね……、えぇ大佐が仰るとおりです。私は“訓練兵”から教わりました」
教官が教え子から教わるなど恥ずかしいと考える人間に、成長は望めない。
素晴らしいものは、例えどのような者からでも素直に享受するべきだと私は思う。
加えて、白銀の機動の特別が周知のものとなった今、私にとっても彼から教わったと肯定することに恥じる気持ちは微塵も無い。
大佐は憮然たる表情で空を仰いだ。
「やりきれない、それが素直な感想だな。才能という奴は実に不親切だ。経験を積まずに、それを飛び越えていくか……天才にとって経験とは無駄な時間、まるでその言っているように聞こえてくる。……やりきれないわね、ったく」
白銀に対して負の感情を抱いたのかもしれない、白銀と会う時にどのようなことを彼に対して行うかわかったものではない。極東からわざわざ来る客といざこざを起されたのでは今回の交流が台無しになってしまう。勿論、白銀の身も案じている。
嫉妬という厄介極まりないものに掴まれたか?と大佐を危惧した。
何か、彼の人間性について補足しておこうかと思索にふけっていると、

「あぁ、心配するな。何、長く生きていれば“こういう”心情への対処は心得ている。私だって無駄に歳を取ったわけじゃない。経験の成果とでも言うべきだな」
皮肉を挟みながらではあったが、私に対してフォローを入れた。
確かに大佐の顔から翳りは見て取れなかった。
安堵の息を吐くも、急に大佐は意地の悪い顔をして、さも思いついたように話し出した。

「なぁ、神宮司。面白い話があるんだが聞いてみたくないか?」
大佐の顔を見て、避けられない障害物を目の前にしていることを悟り、ペンを置いた。
「……是非お願いします」
「そうか聞きたいか。では、話してやろう。コインに裏と表があるように、今回の交流戦にも本音と建前が存在する。分かりやすく、言えばこの基地の衛士の技術の底上げを目的として噂の天才率いる曲芸部隊に声をかけたのだ。どれが本音で何が建前なのか……これは人によって異なる。だからこの話では捨て置け、声をかけた事実だけを見ればいい。
で、だ。こちらは最初、天才君“だけ”を教導役として派遣するようにあちらに頼んだ。部隊を寄越すよりも個人だけの方があちらに迷惑はかけないだろう、という配慮の建前で。
しかし、あちらさんはこの申し出を断り、その代わり部隊を派遣するのならば構わないと実に不可思議な代案を提案してきた」
成程、実に複雑怪奇な話である。
部隊を派遣してしまえば、あちらの戦力低下は明らかだ。それでも構わないというのは、どうにも理外の論である。

「これには、いくつかの理由が考えられる。まず、先程のこちらの提案が建前であって、本音の部分にあちらとの交渉に有利になる材料があった可能性……脅した、足元を見た。そういう可能性だ。しかし、これはどうだろうな?上の取引材料など私達には知ることも出来ないから、考えても無駄だろう。そして、無駄なことに時間を費やすことは止めたい。
では、次に考えられる理由は何だ?それは、天才君を奪われることを恐れた可能性だ。言い換えれば、天才君個人はあちらにとってそれほど重要な人物ということになる」

「……続けて下さい」

「…ふふん。さて、ここで私達が頭をフル回転させなくてはならないのは、天才君の価値がどういう価値か、ということだ。天才君が如何に優れた人間であろうと所詮は、現場の一衛士。どれほど高値を見込んでも戦術的価値を見出すのがやっとだ。しかし、天才君にはまだ隠された情報があって、実は個人で戦略的価値があるのかもしれない、BETA相手に生身で勝ち得る超人だ、超能力を持っている、宇宙人、異世界人…ぷ、ははは、まぁこれは冗談だ。ははは、冗談だと言っているだろ?怒るな、怒るな。……つまり、天才君は個人的に部隊を付けるだけの“価値”がある可能性があるってことだ」
そう言われてみれば、白銀の戦術機操縦技術は確かに異質で“特別”と評されてもいいものだったが、夕呼は、白銀が戦術機に乗る前から“特別”と言っていた。
つまり白銀の特別とは戦術機を操ることに長けた点ではない、そういう可能性が出てくる。
迂闊だった、その考えは失念していた。
しかし、彼は…そのあまりいい言い方ではないが、技術関係にはそれほど造詣が深いわけではない。
では、彼の特別とはいったい……

「お、気になる。って顔をしているな。そうだ。それでいい。……ところで話は変わるが、なぜこんなにも白銀武という天才が有名になったか知っているか?言ってしまえば彼は高々少尉風情だ、それにもかかわらず、ここまで有名になった理由は?……さて、また話を変えよう。実は最近帝国のお姫様――貴様達が殿下と呼ぶ姫将軍のことだが、彼女が演説の最中に矢鱈滅多ら“ある男”のことを話題にするらしい」
……なぜだろうか、胸が急にムカムカしてきた。
私は、黙って頷いて話を促した。

「ヤー。ここまで言えば、全てが繋がっただろう?ある男とは、白銀武のことだ。つまり、天才衛士を随分と持ち上げた姫様のせいで白銀武は天才衛士として、その名を轟かす事となった、っつ~わけだ。あぁ、話を途中で止めるのは私の悪癖だった。話を元に戻そうか?
…… 白銀武という天才衛士が個人的に重要視されているのは、兵士の士気向上を目的としたプロパガンダという存在であるからだ」
考えられないことではない、基地後に戻ってきた犬の話などプロパガンダは戦争において必須の存在である。ただ、それが自分の教え子であるというのは…本来なら喜ぶべきことなのかもしれない。しかし私はなぜか、白銀武という人間が穢された気がしてならない。
苛立ちを押さえきれず、それでも仕事は待ってくれず、再び置いていたペンを手にとって書類に目を通すことにした。
何かに没頭することで、振り払おうとしたのだ。


「ぁあそうだ、私の悪癖の為にまた話を戻して付け加えておこうか。姫様はある男の名を出す時に、急に“女”の顔をするらしい。……そう言えば、古来より英雄って奴は、大抵姫様と結ばれることが多いよなぁ?またまた、悪癖に付き合って貰いたいんだが…なぁ?
白銀が重要視される建前と本音はどっちだと思う?」

…… 思わずペンを落としてしまった。

最後にそのようなことを付け加えて、大佐は「仕事、仕事」と言ってわざとらしく椅子にきちんと座り直して仕事に戻った。
大佐の顔はしっかりとニヤけていた。




……厭なことを思い出してしまった。
考えたくもないことだが、殿下すら白銀にまいっているということなのか?
なるほど、確かに白銀は“特別”過ぎる男だ。




無事着艦した駆逐艦からぞろぞろと降りて来る教え子達。
誰も彼も懐かしく、皆が無事に生きていたことを知って思わず目頭が熱くなった。
中でも一際背の高い人間――男――が降りてきた時、辺りから嬌声が湧いた。
やれやれ、そんなに男に餓えていたのか。だらしない。

その男は忙しなく辺りをキョロキョロと見回していたが、こちらに目当てのものを見つけたようで急に大きく手を振りながら、破顔した。



「おぉーーぃ!!まりもちゃん!あ、えぇっと、すみません!ぐんそ、じゃなくて、あぁ!もぅ!まりもちゃん少佐!お久しぶりです!」



…… そうきたか、予想外だったわ。流石特別な男ね。

思わず大きな声で私は笑ってしまった。

やるじゃない、しろがね。




[17469] まりもちゃんの憂鬱 馬鹿は女の敵で師匠は悪人
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:47
一目見ても満足できないのか、一向に野次馬の減らない状況に業を煮やした私は周りに喝を入れ解散させた。残ったのは、私と客人達。

自分でもきちんと自覚しているくらい、酷く事務的にこれからの日程と業務を淡々と挙げ連ねて話していく。軍人として、また大人として、公私の分別くらいはつけるべきだ、と言うのが持論であるからに他ならない。それを夕呼は「堅い」と呼ぶが、当たり前のことをして堅いと評されるのには私も苦いものを感じる。
私にだって感情はある、それを抑える術を持つことが肝要なのだ。
元教え子に会えて嬉しくないわけがない、抑え切れぬ喜びはそのままに、彼等の顔を見ぬように話し、一時的に意識を別の方向性へと手を加えてやることで遣り過ごす。

「……で以上だ。何か質問の方は?……無ければ、これからこの基地の案内に移りたい」

付いて来い、とばかりにさっと身を翻した私に後ろから声をかけられた。
「ちょっ!まりもちゃん!それはいくらなんでもそっけなくないですか、折角久しぶりに会えたっていうのに……もっとこう、感動の再会!涙のわけは!みたいなテロップがついてもいい場面なのに……それはないですよ、ねぇ?」
後ろを振り向かずとも、声と内容で誰が発言したか直に分かる…白銀だ。
先程は確かに変わったようで、それでいて変わりないことに喜んだが、相変わらず意味不明なことをいう奴だとゲンナリした。
私は少佐でお前は少尉。加えて私とお前は所属する部隊も違うのだ。そこを履き違えるな。
いいだろう、貴様がそのつもりなら私は今までのように拳骨の一つでも落としてやるか、僅かに喜色の笑みを浮かべて、振り返ろうとした瞬間。

「~~~ッた!!何するんですか速瀬中尉!」
「五月蝿い!あんたね~相手を見てモノを言いなさい。ったく、向こう見ずなんだから」

どうやら、私の代わりに速瀬が鉄拳制裁を加えたようだ。周りの者は苦笑している。
……そうか。今の遣り取りを聞いて速瀬と白銀や他の奴らの関係をなんとなく理解できた。
白銀が馬鹿なことを言って場を和ませて、速瀬が注意して気を引き締める、日常を演出することで周りの者の心を落ち着けさせるのだ。
戦場ではよく使う手である。
振り上げた拳をむなしく下ろした。
彼等の成長は嬉しくもあり、またどこか寂しいものを感じさせた。私がいなくても、速瀬が立派に白銀の手綱を握っていると言う事実がより一層そのことを痛感させられた。
だから、だろうか。
私は思わず振り向き直して、彼等を真正面から直視した。
「…相変わらずだな、白銀武。成長と言う言葉も、貴様の前では虚しく霧散してしまう」
つい、笑いかけてしまった。
白銀はそれをどういう意味で捉えたのか、だらしなく顔を崩して「うっしゃー!」と雄叫びの様なものを上げて喜び、直に直立不動の姿勢を取り直して見事な敬礼を見せた。
「お久しぶりです!神宮司少佐。少佐の方もお変わりないようで、嬉しく思います」
「…馬鹿者。相変わらず、と言った意味は嫌味だ。喜ぶ奴がいるか」
「はは、そうですね。でも、少佐からお叱りを受けるというのは、やはり感慨深いものがあります。私にとっては大事なことですから、やはり嬉しく感じてしまいます」

良く見てみれば、確かに白銀は変わった。
背も高くなった、肩幅もがっしりとしている。精悍な顔つきをするようになったし、言うなれば、どこか男を感じさせるようになっていた。
時間と人類の置かれた現状が、彼を男の大人へと否応無しに押し上げたのだ。

「成程…白銀は速瀬中尉よりも少佐の方が好みなのか、ふむ、振られましたね速瀬中尉?……いや、振られたのはそれだけかな?」

余計な一言で、一瞬にして場に緊張が走った。
…宗像か。お前も相変わらず懲りない奴だな。何でもない表情で、周りに爆弾を投下していく。全く、成長の無い…いや、私を使ってからかうことが出来るほどに成長したと言うべきか?

「な、何言ってんのよ!別に私は……ねぇ?」
速瀬、その態度は戴けない。それでは公言しているようなものだぞ?
しかし、そうか。速瀬まで白銀の毒手に掛かっていたとは…確かに白銀とはどことなく馬が合いそうな性格をしていたからな、相性は元々良かったのかも知れん。だが、宗像のからかいに素直に反応してしまうお前如きでは白銀の相手は務まらんぞ?真に奴の手綱を握るためには、年齢を重ねた大人の女にしか無理だ。

「おや、そうでしたか。これは失礼いたしました。そうですね、やはり若い年の女の方が男も嬉しいでしょうから、よかったのかもしれません。そうだろ?白銀?」

「何ですって~!!白銀!私はまだ若いわよ!」
速瀬はギンッ!と人を殺しそうな視線で、白銀に迫る。
違うな宗像。それは違うぞ。料理と女は熟成されてこそ味を増すのだ。野菜は生では食べられない、それと同じことだ。「歳を重ねると書いて、魅力を磨く」と読むと知れ!
それと速瀬。
「私“は”若い」の「は」というのはどういう意味か詳しく聞かせて貰いたいな。
私に対する挑戦状と受け取るぞ?

「……熟成…いいね」
「そうだ!良い事を言うわ!彩峰!女は熟成させれてこそいい女になるのよ、ふふん、まだまだケツの青い餓鬼には負けないわよ」
うん、速瀬に賛成だ。先程の挑戦状については忘れてやろう。そして、彩峰。貴様の成長嬉しく思うぞ。

「……でも腐った?」
ッ!!
ポツリと余計な一言。訂正、成長していない。これは退化だ。悪化している。
あと、彩峰。貴様に一言だけ言いたい。歳のことについては細心の注意を払うように、でないと……殺すわよ?
「んだと?この糞餓鬼は~~ッ!この部隊には上を敬うって気持ちはないの!!白銀!」
急に名前を呼ばれた白銀は、ビクついたように跳ねて、これからのことを想像して体を震わせた。私も、あくまでも男の一意見として聞きたいものだ。
「あんた、餓鬼がいいの!それとも綺麗なお姉さんがいいの!どっちか言いなさい。今直に。はい、3、2、1。どっち!」
「は、はい。俺は…」
「俺は?何?早く言いなさい。男でしょ?」
なぜか、周りは物音一つ聞こえない。誰もが、白銀の答えを今や遅しと待っていた。

「俺は……お、女ならどっちでもいいかなぁ?っておも…グベシッ!!」

白銀のふざけた応えを言い終わる前に、皆は示し合わせたように、女らしく拳で応えた。
「死ね!この女の敵!」「タマついてんの!?」「武…今の言葉は見逃せん」「最低です白銀さん」等など、皆の不満を思い切り白銀という、獣に対してぶつけ合った後、爽やかな晴れ渡った表情を浮かべて、私の案内の元、基地を巡った。










「……凄まじいな、確かにこれは……天才と言われても仕方ないだろう」
セレモニーとして客である曲芸部隊同士の模擬戦を見て、思わず唸った大佐の率直な意見には私も頷くほか無い。
曲芸部隊と言われる要因は、その誰もが白銀が過去、訓練兵時代に見せた特殊な操縦概念を更に磨き上げた機動を持って戦術機を動かす様が余りにも軽業師のように見えるからである。類稀なる機動を持って戦場を駆ける姿に、誰もが尊敬と畏怖を覚える。何時しかそれが講じて「曲芸部隊」と呼ばれるようになったらしい。
成程、確かに皆素晴らしい機動制御技術だと素直に感心させられる。
長い間、白銀と寝食を共にして、彼の考え方の一端を徹底的に叩き込めたからこその、機動だろう。地上に生きる者は自然と精鋭とならざるをえない。それでも、彼等は指折りの精鋭だ。中でも白銀の動きは郡を抜けている。
如何に女の敵、優柔不断と言えど、それは戦術機操縦には当てはまらないようだ。

跳躍して攻撃を躱したと思えば着地、同時に水平噴射して相手に素早く近づき65式短刀に持ち替えての近接戦闘、相手を撃破。しかし、既に回り込まれて36mmチェーンガンを向けられている。直に短刀を放棄し、撃破した戦術機の武装を奪い、その上その戦術機を踏み台に反転跳躍裏に回りながらの掃射、撃破。

…凄まじいまでの闘争力だ。武器を簡単に捨て、また拾い、敵を切り倒していく。
武器に固執せず、敵に心を捕らわれず、ただひたすら闘う。BETAという物量を相手取った時に、一体の BETA相手に時間を懸けていたのでは後続のBETAの圧力によって圧死させられる。武器を補充している間もないならば、戦場にあるものを使う。それが当然だ。
それは戦場での心構えの一つとして教わるが、こうも体現して見せる者はいない。純粋に機動力に優れた白銀ならではの闘い方なのだろう。動きも滅茶苦茶だが、その動きに裏打ちされた確かな実力を感じさせた、そしてそれは長い間、戦場を経験したことで身に着けた動きなのだろう。彼の生き抜いてきた世も、また地獄だったのだろうと知った。


もしも、彼等がもっと早くこの機動を覚えていたならば……世界は、いや、せめて白銀がもう少し早く生まれていれば、そう思わずにはいられない……。
よそう。過去を振り返っても最早未来は変わることは無いのだ。
今を生きることを忘れてはいけない。



シミュレーターから降りてきた白銀の元には、人だかりが出来ていた。
誰もが彼を讃え、自分にも出来るのか、どうすればいい、そんなことを聞いていた。
困った顔で、しかし嬉しそうに彼は一人一人にしっかりと答えていく。
人集りを掻き分けるように、大佐が白銀に歩み寄った。
それに気づいた白銀が、「すみません」と言うように手を合わせて周りの者に謝り、大佐の方へと向かった。
話が出来る距離にまで近づき、白銀が敬礼をすると、大佐はその手を無理矢理下ろさせて、逆に敬礼を捧げた。誰も口を噤んでしまった。これから何が起こるのか、期待しているのだ。白銀は困惑していたが、かまわず大佐は続けた。
「…ありがとう。素直に貴官に感謝したい。天才衛士の噂を聞いていたが、私はそれを話半分にどこか冷めた思いで聞いていた。済まない。噂は尾ひれがつき大きくなるものだが、君官の場合は噂の方が大人しいのだな。天才君、とは呼べん。紛れもない天才だ。君の存在は人類の宝だろう…惜しむらくは…君がもう少し早く生まれてこなかったことだな」
最高級の賛辞を述べ、もう一度大佐は白銀に敬礼した。
白銀もそれに倣い、敬礼し直した。
一斉に湧き上がる人々、大佐の人柄を知る我々は、大佐の有り得ない程の褒め言葉を聴いて、白銀が真の英雄であるともう一度再認識したのだ。
誰もが、白銀の存在を認めていた。たった一人の少尉が、皆を沸き立たせたのだ。
人類に立ち込めた暗雲は最早消えることは無い、しかし、それでも一筋の光明を見出したことで、失った筈の期待や希望が彼らを包んだ。

「ありがとうございます、過分な言葉身に染み入ります。私も、大佐殿と同じ考えであります。もしも、もう少し早く、せめて先生がいる間にこれだけ動けるようになっていたらOS等を作って貰えていたかもしれない、そう思うと心が痛みます」
OSだと?はは、どこまで常識外れなんだ。
白銀は、今の戦術機に搭載されているOSでは不満だと、そう言っているのだ。
そんなことを考えた衛士は恐らく人類で初めてだろう。最早、戦術機を限界まで操れる白銀くらいにしか言えない言葉だ。
「成程、OSか。よければ、どういうことを考えているのか聞かせてくれないか?」
興味を持ったらしい大佐が尋ねた。
「はい、と言っても、既にこの案は没になりました。OSが出来てもハードの面でそれほどの技術を確保できない、とのことで。ただ、先生なら、出来たかもしれないと」
「そうか、それは大変残念だ。ところで、先程から先生と呼ばれる人物は誰なのだ?それほど貴官が信頼している人物を私も是非知りたい」
「はい、香月夕呼と言う人物です」

白銀の言葉を最後に、大佐はそれまでの穏やかな表情を一変し、激昂した。
しまった!白銀に伝えておかなければならないことを失念していた。
「…香月夕呼、だと?貴様は……あぁ、成程。確かに貴様ほど特別な機動は奴の下でしか生まれんということか、ハッ。最悪だ、全くもって最低の気分だよ。貴様が香月の飼い犬だと知っていれば呼びもしなかったものを、クソッ!人類の現状を悪化させたのは奴だ!奴こそ、人類の悪行の塊だと知れ!」

私のミスだ、白銀には夕呼の名前を出さないように言うことを忘れていた。
第五次計画は大勢に知られることとなったが、第四次計画について知る者は少ない。
第四次計画の失敗により第五次へと移ることになったことを知る者は、更に少数になる。
そして、それを知っている小数に入るのが大佐だった。
上位者である大佐の過去の経歴を知ることは出来ないが、大佐の普段の話しぶりから相当高官であったことが窺えた。同時に第五計画についても否定的な意見を述べていたことから、今の人類が置かれている現状に不満があることも容易に想像できた。
普段はそれを表に出すことは無いが、夕呼の名前だけは別だった。
大佐は、と言うよりも第四次の失敗を知る者の多くは、香月夕呼こそ第五時計画へと移行させた原因・元凶であり、現在の人類が不遇なのは、彼女が責任を全うしなかったからだ
と考えている。だからこそ、香月夕呼の名前はタブーなのだ。
後で、白銀と大佐にそれぞれフォローを入れなくてはいけない。
踵を返し、部屋を後にしようとした大佐の後ろ姿を見てそう思っていた。「待てよ」そう言って唐突に、後ろから声をかけたのは、白銀だった。

「……んだと?先生が悪だと?先生のせいで人類が押されている…そういうのか!ふ、ふざけんなぁぁ!!先生は、先生はあの時泣いていた!ずっと頑張っていた!あの人がいなかったら俺は…… 何も知らない癖に、先生を馬鹿にしてんじゃねぇ!!」

目をカッと見開き、こめかみの血管が浮かび上がるほど、歯を食いしばり、今にも飛び掛りそうな白銀。すぐさま異変を察知した私は白銀を押さえようとしたが、それよりも早く後ろから御剣によって取り押さえられていた。
「武、落ち着くのだ。よせ、もう止めよ。そなたはこんなことをするためにここに来たのではあるまい?目的を思い出すのだ…そなたの機動を世界に広めて、人類を救うのだろう?そう言っていたではないか。ならば、そのためにここで問題を起すのは得策ではなかろう」
暴れる白銀を羽交い絞めにしながらも、必死に白銀を説き伏せていた。
大佐はそれを面白くなさそうに見て、フンと鼻を鳴らして出て行った。周りにいた者達は何が起こったのかわからないようだったが、それでも雰囲気を察して離れていってくれた。


御剣の懸命の説得により、事なきを得た。
だが、大佐と白銀には決定的な亀裂が走ったことは間違いない。
恐らく、白銀達には直に帰還するように命が下るだろう。
何もかも上手く行きそうだったのに、私のミスで全てが台無しになってしまった。
せめて、彼に謝ろう。
そしてなぜあれほど白銀が夕呼のことに過敏に反応して大佐に怒ったのか、聞いてみたい。
私は、白銀の部屋へと足を進めた。




[17469] まりもちゃんの憂鬱 泣き虫男と、男前な女
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:47
白銀の部屋の前まで来たものの、私はそこで立ち竦んでしまった。
深く息を吸った。肺に溜まった空気をゆっくりと時間を懸けて、胸の高鳴りを鎮めるように、吐き出してゆく。指先が、僅かながら震えている。胸の辺りでギュッと抱え込むようにして、「落ち着け」と何度も心の中で繰り返した。

どうにも、困ったことに、可笑しな話であるが……私は緊張しているらしい。


私は、何を戸惑っているのだ?それが私自身理解できなかった。
このような時間に男の部屋を訪ねることだろうか?
馬鹿な、そのようなことは何度も経験している。
……勿論、艶めいた話ではないが。
ならば、今回も私の心情は同様であるはずだ。
業務なのだ、仕事だ、割り切るべきだ。いや、待て私。
割り切る?はは、可笑しなことを考えるじゃないか、割り切る必要などないのだ。
割り切らなくてはいけないような、疚しい事など最初から考えているはずもないのだから。
そうだ、確かに白銀がここに来ると聞いて嬉しかった。それは否定しない。
しかし、だ。そう。この「しかし」という逆接の接続詞こそ大切なのだが、私が喜んだのはあくまで、教え子との久方ぶりの再会を喜んだのであって、白銀個人との再会に歓喜したわけではないのだ。馬鹿らしい。大体、歳が離れすぎている。…いや、歳は…関係ない。
まだ、私は若いのだから。うん。
うん、そうだ、白銀はまだ子供なのだ。子供に対して、そのようなことを考えるなど人として不出来すぎる……でも、体は大人になっていたな……あいつ。


……阿保くさ。
何を悩んでいるのだろう。白銀に今日のことを話しに来たのではないか。
悶々と自問していた私は、意を決して扉を叩こうとした。
だが、私がそれをするよりも早く扉が向こう側から開けられた。
「何しているんですか?まりもちゃん?」
叩くタイミングを外して、一瞬呆けてしまったが、部屋の住人の声で我に返った。
コホン、と咳払いをして白銀に時間はあるかどうか尋ねた。
奇しくも、彼も私を訪ねようとしていたらしく、それならば、と人目のつかない場所に移動することに相成った。





昼ならまだしも、夜ともなれば冷え込む。
外に向う途中、PXに立ち寄り、紙パックに注いだ熱い紅茶を片手に、私達は上着を羽織って夜空を見上げていた。BETAによって人類の数が激減したことにより、夜間に照明を灯す絶対量が減った。そのため、空に浮かぶ煌めく星々を肉眼でも確認することが出来た。
「……さっき部屋で何か書いていたでしょ?仕事?」
どのように話を切り出そうか、やきもきしていた私は、先程、白銀の部屋を覗いた時に机の上にノートを見つけたことを思い出して、当たり障りの無いことから話すことにした。
「…あぁ、あれですか。あれは仕事じゃないです、日記……のようなもんです」
「日記?」
それは、意外な答えだった。私が知っている限り白銀という人間は、そういう根気のいるものと対極にいるような男だったからだ。よく言えば感性で生きている。そんな印象を持っていた。白銀独特の言語、「白銀語」にも代表されるように。
「はは、意外ですか?書き始めた頃なんて散々からかわれましたよ。特に委員長とかボロクソに言い過ぎ、って感じで」
「それは……ふふ、榊の呆れたような顔が容易に想像できるわね」
「えぇ、『どうせ、三日坊主でしょ』なんて言っていましたよ。呆れ顔で」
「いつから書いているの?」
「先生と最後に話した時ですから、結構前ですね」
白銀が先生と呼ぶ人物は、この世に香月夕呼たった一人しかいない。何故白銀が夕呼のことを先生と呼ぶのか、それは定かではない。夕呼が先生に向いているとはとてもではないが思えない。初対面から榊のことを委員長と呼んだり、珠瀬のことをタマと呼ぶ白銀の渾名の付け方は常人には理解できないのだろう。……どうせ呼ぶなら「まりもちゃん」よりも「先生」の方がずっといいのに。
先生――夕呼の名前が出たので丁度いい。私は、今日のことを切り出そうとした。
「… すみませんでした」
出鼻を挫かれたが、白銀は場の空気を察して私に向って頭を下げた。
「大佐の方には俺から謝罪しておきました、今日のこと、滅茶苦茶にしちゃって本当にすみません」
「…そうね。軍という所は上が全てよ。だから自分がどんな考え方を持っていたとしてもそれを貫き通すには自分が上に行くしかない。私はそう教えたはずよね?」
「…はい」
力無く項垂れた白銀の肩をポンと叩き、私は笑いかけた。
「でも、ありがとう。夕呼のこと庇ってくれて。……あなたも、きっと知っていると思うけど、今や夕呼は人類の憎しみを一身に背負わされているわ。人類はきっと負ける。それを理解して、武器を捨てて自ら命を絶つほど人類は弱くない。でも、この現状をもたらした責任を、何か決定的な悪という存在に求めなければ人は立てない、一人で立つことが出来るほど人類は強くないの」

馬鹿みたいに笑いあい、戦友と肩を並べて明日に目を向け、今日を生きる。
その刹那的で享楽的な生き方を人類が得る為には、裏で香月夕呼という“生贄”が必要だった。香月夕呼を知らない大多数の人間は、第四次計画の責任者、という言葉で未知なる人物として香月夕呼のことを指差し、蔑んだ。

私は、彼等の心情も理解できる。

人類の希望の最終防衛ラインとして存在した、第四次計画。
その責任者であった夕呼には、当時信じられない程の権力と、そして天文学的数字の莫大な資金と、人類が誇る優秀な頭脳を持った人材を与えられていた。どれほど彼女に期待が寄せられていたのかよく分かる。
しかし、夕呼は成果を出すことが出来なかった。
仮に、第四次計画の完遂は無理でも、何かしらの成果を出していればこのようなことにならなかったのかもしれない。彼女は天才にありがちな完璧主義者ではなかったが、それでも凡人の私達よりも遥かに高い自意識を持って仕事に臨んでいた。
白銀の言ったような新しいOS等を完成させていたとしたら、第四次計画にはもう少しの猶予を与えられていたのかもしれない。
彼女は戦術機に重きを置いてはいなかったが、白銀が現れてからは戦術機という機械に興味を持つようになっていた。白銀という男は、夕呼がもうどうしようも無くなったために、なりふり構っていられなくなり、用意した最後の駒、だったのではないだろうか。
白銀の特異性に夕呼は最後に賭けた。だからこそ、夕呼は白銀にあれほど懸念していたのだろう。そして、夕呼はその賭けに敗れた。つまり、それこそが人類の敗北となったのだ。

成果を出せなかった夕呼、夕呼の最後の賭けであった白銀、その二人に責任を追及するのは余りにも酷だ。まだ子供であった白銀に頼った大人達にも責任はある、夕呼程の知能を持ちえなかった学者達にもまた、責任はある。そのような、少数に頼り切ってしまった人類にも責任はある。協力し得なかった国々にも勿論ある。
責任の所在を言い出せばきりがない。

軍では、効率と結果が全てなのだ。
教育とは違うのはその点にある。育成に時間を懸けたあげく、結果も出せないようでは意味がないのだ。非人道的な指導であっても、短い時間で結果を出せる者を育て上げることが出来る指導方法を軍は採用する。
その軍の考え方に照らし合わせてみれば、夕呼は怨まれて仕方ないのだ。
夕呼がどれ程、身を削り、心を磨り減らし、それでも研究に打ち込んでいたことを私は誰よりも良く知っている。
しかし、頑張った者・努力した者が、須らく報われる世の中ではないのだ。
そして、夕呼はそれを良く理解していた。
夕呼だって、結果を出せない者を切り捨てて来たのだ、だから夕呼だけ特別に扱われることは夕呼自身望んでいないだろう。
汚く、彼女を罵るならば、自業自得だと。
……そう言う事になる。

ただ、親友として、せめて私だけでも彼女がどれ程真剣に生きていたかを心に仕舞っておくべきだ。そして、彼女のことを白銀が理解“しようと”してくれたことは素直に嬉しく思う。

「……ですね。知っていたんですよ。俺。夕呼先生が今どれ程嫌われているか。知ってました?速瀬中尉や宗像中尉は夕呼先生の直属の部隊にいたんです。でも、そのことを公にしてはいけない。そう耳に蛸が出来るほど聞かされていたんです。俺、馬鹿だから……褒められると増長しちゃって、先生の名前を洩らしちゃったんですよ。……情けねぇー」
口を挟む隙は無く、白銀の心に溜まったものを全て吐き出し、落ち着き終えるまで静かに聴いておこうと、促すように、白銀の顔を見つめた。
白銀は私の視線に気づいて、視線を外すように、それから逃れるように、顔を背けて話を続けた。
「宇宙へ人々が飛び立つ度に“いつも”思います。俺は何をしていたんだ、って。俺になら、俺だから出来ることがあったんじゃないか、そうやって後悔ばかりして……まりもちゃんも知っての通り、俺って元々はおちゃらけた性格なんですよ。でも、何度も経験するたびに……大人になった、そう思うたびに俺は無力だって痛感して……」
宇宙へ人々が飛び立つのを何度も見た?
確かに、数十万人という人々を一度に空へと押し上げることは出来ないために数度に分けて駆逐艦を発したが……そういう意味なのだろうか?
白銀の言い方だと、どうもそういう意味合いではないように聞こえる。
「先生はッ!泣いていた!…いつも!!毎回ッ!!あの傍若無人が服を着て歩いているような、あの夕呼先生が!先生が泣いていたんだ……年下は男じゃない。そう言っていた先生が俺に抱かれてまで……それほど…先生は頑張っていたんだ。でも、俺は全然使えなくて……俺の存在が先生の計画をボロボロにしちゃって…… 怨まれるのは本当は俺なんだ!でも、俺はそんなこと言えない。怖いんです。人から憎まれるのが、死ぬのが、どうしようもなく怖い……」
夕呼が白銀の前で泣いた、その事実に私は驚愕した。
彼女が人前で泣く時は、私の知る限り笑いすぎて涙が出た時だけだった。それを見せられる程に夕呼は白銀を信頼していたのだと、この時初めて知った。
そして夕呼が白銀に抱かれたと聞いてチクリと胸が痛んだ。
「……ねぇ、まりもちゃん。俺今なんていう風に呼ばれているか知ってますか?天才っすよ?はは、あのお荷物だった俺が天才衛士。新進気鋭の英雄だって。皆俺のことを褒め称えるんですよ?笑っちゃいますよね?……そんなんじゃないッ!俺は、そんな上等な存在じゃないんだ!そう言いたい!でも、誰も許してくれない!俺はいつも強気で何が起きても余裕だ、そんな顔をしていなけりゃならない!冥夜も!彩峰も!委員長も!速瀬中尉も!誰もが口を揃えてそう言う!それが俺に課せられた使命だ、義務だ!そう言うんです。こんな世界!来たくも無かった!でも、もう帰る場所も無いんだ!俺は…ッ!!」
「……もうよせ、白銀……」
私は弱弱しい声で、彼に制止を呼びかけた。
それ以上傷つく必要はないと。そういう意味で。
「俺は役立たずだ!ずるい!自分で自分を殺してやりたいほどに腹が立つッ!何が一番むかつくって、こう言えばまりもちゃんならきっと慰めてくれる。そんな打算をしっかりと計算しているところがッ、むかついて、むかついて………はは、情けなさ過ぎますよね」

白銀は自嘲し、手を顔の上に乗せて空を仰いだ。
涙が月光を反射して、目元が僅かに光っていた。
男が泣くな、そう言いたい所だが……私は黙って白銀を引き寄せ胸に抱きしめた。
白銀は直に自分の方へ私を引き寄せるようにしてしがみ付いた。
まるで、母恋しと泣く子の様に。
ジワリと、服に白銀の涙と鼻水が染み込んでくるのを感じた。
始めは、白銀が落ち着くまで抱きしめておいてやろうと思っていたのだが……

みっともなく女にしがみ付いて、服の隙間から嗚咽が漏れる様を見ていると、私はどうしようも無いほど自分の女が疼いているのを自覚した。
白銀に気づかれないように、モジモジと太ももを摺り寄せていたが、どうにも拉致があかない。

なるようになれ!とばかりに白銀の頭の髪を掴んで引き剥がした。

現れたのは、捨てられた子犬のような憐憫の情を誘う表情。
もう片方の手で、白銀の顎をクイッと上げて、私は白銀の唇めがけて吶喊した。
女のように、「んっ…ん…ぅ」と呻くのを聞き、それが更に私を興奮させ、思う様、彼の口内を蹂躙しつくした後、彼を立ち上がらせて、




「ん……プハッ……白銀!部屋に来い!!」




私は実に男らしく、白銀を誘った。












私の横で裸の白銀が、女のように顔を覆いながらシクシクと「穢された」と泣いているのを耳にする頃、私は既に正気を取り戻していた。
初体験が自分よりも一回り年下の男と、それも女である私から誘った上で……
初めての体験、それは女性にとってとても大事な物であって、私にだって、女の子らしい夢も理想もあったのだが現実は……

自分のあまりの男前っぷりに私は泣いた。



[17469] まりもちゃんの憂鬱 アラート、アラート。そしてまた繰り返す。
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:47
人体とは不思議なもので、時に、現在の科学力をもってしても解明できない謎を多く残している。一例であるが、人間の体内時計の一日の周期実は二十四時間ではないらしい、昔読んだ書物にそう書かれていたと私は記憶している。奇妙なことに火星の一日の周期と、地球に住む我々人類の体内時計はピタリと一致するそうだ。書物の作者は、それを理由に「人類は火星人だった」と独自の理論展開を広げて、話を進めていた。まぁ、所謂「滑稽本」の一種だった。話を戻すと、では人間はどうやって地球の一日と体内の時計を見事に符合させるのだろうか、それは朝太陽の光を浴びることで、狂いの生じる時計を無理矢理リセットしている、ということだった。
つまり、私が述べたいことは他でもない。朝から部屋の中に引篭もっていたのでは体に悪い。そう言いたいのだ。

だが……人というのは本当に不思議なもので、悪いこと、背徳というものに非常に弱い。
なぜなら、気持ちいいのだ。悦楽を得る際にワザと人目に付きそうな場所で、行為に及ぶと大変な快楽を得ることが出来ることと同様に。勿論、私はそのような経験はないが。
だから、起きなくてはいけない。頭では分かっていても、中々ベッドから出ることが出来ないのは、そういう人体と精神とが非常に密接に繋がっているために起こる現象なのだ、そう声高に断言したい!

……要するにまだ夢見心地でいたいのだ。





軍人として数ヶ月も過ごせば、早寝早起きが基本となる。
これは、夜間に戦闘活動を行うことが出来なかった昔の軍の名残である。
夜勤もあるにはあるが、基本的には衛士の多くは昼こそ本業の時間であるのだ。
ならば、必然的に日の出ている時間帯こそが活動時間帯となる。
私だって衛士をやって長い。朝日の出と共に起きるぐらい造作もないことなのだ。
しかし、人肌の温もりを感じながらボンヤリとしていると、普段の数倍、いや数百倍ベッドが気持ちよく感じられてしまう。
そんな言い訳をポツリ、ポツリと、まどろむ眼と寝ぼけた頭をそのままに私は白銀に語った。
私の言葉を溜息混じりに聞き流し、「しょうがないなぁ」と苦笑いしながらも、白銀は慈しむ様な眼差しを私に向け、私の髪を弄くっていた。

……年下のくせに……たはー、参っちゃうなぁ。

長く接していれば誰もが気づくことではあるが、白銀は意外にも、堅い人間なのだ。
この年頃の男にしては、ギラついた下心を感じさせず、爽やかであり。
中途入隊した白銀は素人だった、最初から銃の組み立てが上手くいくはずもなく、榊からそのことについて責められていた、それでも白銀は訓練後、一人泣きながら、必死で銃の組み立てを覚えていた。
たった数キロ走っただけで、ヘバッていたが、それでも歯を食いしばり付いて来た。
素人同然でありながら、総合戦闘技術演習に文字通り命懸けで臨んだ。
個々の能力に優れた者が多かった207B分隊に置いて、白銀は人一倍お荷物であったが、それでも彼女達から、能力的にはさて置いても人間的な信頼を得られる程には、白銀は真面目だったのだ。
うん。珠瀬の父である国連事務次官を相手に身分を詐称するわ、天元山の時は訓練兵の分際で、戦術機二機を大破させるし、少尉相手に突っかかったりと、誰かのためならば平気で破天荒なこともするが、本質的には真面目なのだと言ってもいいだろう。
そして、こういうところが彼女達の心を掴んで放さないのだ。

白銀は一途で純粋なのだと思う。
天然女誑しという奴だ。実にけしからん。
こういう男の恋人や妻はきっと苦労はずだ、いや、きっとする。しないわけがない。
だから私は、可愛い教え子達を守るためにも、敢えて白銀の毒牙に掛かったのだ。
身を挺しても教え子達を救おうとする姿勢。実に、教育者の鑑である。

私が頭の中で、如何に自らの挺身の素晴らしさを切々と説いたところで、そのようなことを知る由もない白銀は馬鹿みたいにずっと私の髪で遊んでいた。
最初白銀の好きに髪を弄くらせていたが、どうにも釈然としない。
私の方が年上なのだから、それ相応の敬意というものを払うべきだ。
要約すれば、もちっと初心なところを見せろ!ということになる。
寝返りを打つように見せ掛けて、仰向けの体を反転。髪を弄くっていた白銀の腕を私の乳布団の中へと引っ張り込み、挟んでやった。
白銀は、面白いくらいに顔を真っ赤にして、口を金魚みたいにパクパクさせていた。
うむ、満足。満足。やっぱりこうでなくちゃ。
白銀の腕は、筋肉が盛り返っていて硬さとしなやかさが見事に同居していた。
僅かに生えた腕の毛が、私の肌を刺激する。……ちょっと気持ちよかったりして。
ニヘラ~とだらしなく顔が歪んでしまう。こんな顔は見せられないので、白銀の顔を引っ張り、白銀のパクパク喘ぐ口を、私の口で封じこんだ。
「うー!うー!」と唸っているが、私は気にしない。

彼女達のためにも、白銀の為にも、そして、本当に僅かばかりであるが、自分の為にも、白銀を一生、死ぬまで手放すもんか。
私は、断固たる決意を新たにして、ベッドから飛び起きた。
「さぁ、いつまで呆けているの。いい加減起きないと、起床ラッパに間に合わないわよ?」
「か、勝手すぎる……なんか生き生きしてません?」
若さを吸い取ったとでも言いたいのだろうか、失礼な。
私は床に放り投げてあった服を手に取り、素早く着替えたのだが、白銀はなぜか隅っこの方で、こっそりと着替えだした。
「……なんでそんな端っこで着替えるの?」
そう問いかけると、白銀は「何言ってるの、この人?」みたいな呆れ顔をしていた。
「……恥ずかしいじゃないですか」
恥ずかしいって……昨日散々その恥ずかしい格好で、恥ずかしいことをしたのに?
白銀って、若い女の子みたいなことを言うのね。
軍人をしていたら、そんなこと自然となれるものなのに……やっぱり白銀の考え方は意味不明で、理解不能だった。
しかし、ここで私は猛烈に良いことを考え付いてしまったのだ。逆転の発想。
実に素晴らしい。早速私は白銀に、この素敵に無敵な提案を持ち掛けた。


「………ねぇ、着替えさせてあげようか?」
「結構です」

すぐさま、却下されてしまった。










しかし「諸行無常の響きあり」に評されるように、この平和も、長くは続かなかった……


私達の関係がどこで、漏れたのか、それは定かではない、いつの間にやら、多くの知るところとなってしまったのだ。
それを知った元207B分隊の面々や、速瀬は私に対して酷く冷たい視線を投げかけてきた。
PXで食事を取っていると、これ見よがしに、
「あぁ~。なんかあっさりと餌を掻っ攫っていく動物って酷くないですか?どう思います少佐?あ、サバンナの話ですよ?」
とか!(何時の時代の話よ!?)
「なにやらお疲れのようですが、如何されました神宮司少佐?もう若くないのですから夜は十分な睡眠をとるべきだと私は具申致します」
とか(最近夜は獣になっているせいかしら?)
「そう…そう………あ、目元に小皺……クスッ」
とか!!(気づけばいつの間にか握りこぶしから血が流れていた)

とにかく精神的な攻撃をネチネチと受けていた。
うちの基地の子達や、部下ですら、「少佐って手が早いんですね。吃驚しました」と私をからかってくる。普通、手が早いという言葉は、男である白銀の方に適用されるべきである。
しかし、なぜか皆私の方から手を出したということになっていた。
理不尽すぎる。

分からないでもない。
白銀は元207B分隊の面々にとっては、訓練兵時代からずっと共に過ごした戦友なのだ。
白銀がお荷物であった情けない頃から、英雄視される今日まで間近で彼の成長を目の当たりにしたのだ。不干渉の暗黙のルールを無視し、ドカドカと土足で彼女達の心の中に入っていき、そしていつの間にか彼女達にとってなくてはならない存在となっていて、彼女達の心に居座っていたのだろう。
分からなくもない。多分、私も彼女達と同じ立場であったならきっと素直に白銀に好意を抱いていたと思う。
惚れた男が、久しぶりにあった上官といつのまにか肉体関係を持っていたとすれば……
…… 我が事ながら、酷いと思う。
それでも、そうはわかっていても、私はもう白銀を手放せそうに無いのだ。

そのような私の心情を理解しているのか、彼女達は私をからかうと同時に、また私のよき相談相手でもあった。一度、聞いたことがある。「私が憎くないのか?」と。
彼女達は笑いながら、「ずるいと思う」と答えた。
それが本心なのだろう。
彼女達の度量を、私如き矮小な人間が測ることは出来そうにない。

私は心の中で、彼女達に頭を下げることしか出来なかった。
心の中で、頭を下げ、告げた謝罪の言葉の、舌の根の乾かぬうちに、私はまた白銀と閨を共にしていた。

まるで麻薬だった。
白銀と長く接していると彼に惹き込まれ、体を共にすれば、もう離れられなくなる。
本当に厄介な男だと、つくづく痛感させられた。
だが、それでも私は、この人生最大の幸福を失うことを許容出来そうにも無かったのだ。


認めてしまえ。
神宮司まりもは、確かに白銀武を愛していると。
悦楽と幸福に包まれたまま私は、彼の温もりを離さぬ様に、彼を抱きしめながら眠った。






そして、平和が彼女達のからかいによって破られたように、私の幸福も引き裂かれた。
人類の宿敵を告げる鐘の音と共に。






[17469] まりもちゃんの憂鬱 大佐殿の謀、便乗する男、泣く女。
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:48
人類が歩んできた歴史を紐解けば、それは常に闘争と隣りあわせだった。
太古の時代から、我々は常に「何か」「誰か」「どこか」と闘ってきたのだ。
たとえその戦争に勝とうが負けようが、そこに用いられた技術は総じて高く、それが私達の文化面での引き上げに繋がった。小さく見れば、個人の生死は数え上げられぬ程に関わっていたが、それでも人類という種が滅亡の危機に晒されることは無かったし、後世の人間である私達から見れば、彼等の尊い犠牲は私達の進歩には必要なものであった。
しかし、此度の戦争は今までの物とは意味合いが大きく異なる。
人類同士の戦争ならば――有名な書物である「戦争論」で挙げられているように――殲滅戦争まで発展することはなかったのだ。――WWⅡは例外であるが。
制限戦争、つまり、戦争が政治の一種である外交手段の一つに含まれていたからである。
もうここまで勝てば、もしくは、ここまで負けたのなら、あとは話し合いでなんとか戦闘の停止を望める、譲歩することも、させることも外交によって出来るからである。
そういう思いが少なからず存在したはずだ。
だがそれは、戦争相手と意思疎通が可能であったからに他ならない。
BETAという生物なのかどうかも怪しい敵と、我々との間に意思疎通は出来ない。
いや、仮に出来たとしても最早人類のBETAに対する悪感情からそれは許されないだろう。
私達は失いすぎたのだ。

金も、資源も、人も。

そして奴らによって、友を、恋人を、家族を奪われた。

誰がBETAを許せる?ハッ!誰も許せるはずがない。
如何に聖人君子だろうと、ことここまで人類が追いやられたならばこう言う筈だ。
「殺せ!殺せ!殺せ!」と。
これほどコケにされて、それでもBETAを許せる人間がいたならば、それは頭に問題があるのだろう。当然だ。誰が好き好んで殺されたがる?自殺願望者でさえ、奴らに食い殺される事には躊躇う。奴らを許すと言える人間は、既に生物としての本能すら超越してしまった狂人くらいのものだ。
少なくとも私は、クソッたれBETAに命乞いをしよう等とは思わない。
それは、きっと衛士の、いや、地球に生きる全ての人類共通の思いだろう。

不倶戴天の敵であるBETAと闘うことに躊躇いはない、自らの死は確かに怖い。恐ろしい。だが、それよりも私達にとって真に恐れるべきことは、誰か大切な人間をまた失ってしまうことだ。「BETA憎し」という感情だけでは、闘っていられない。勿論大前提にそれがあることは否定しないが。私達には私達の生活がある。そして、その生活を守るため、私達は奴らを駆逐すべく銃を取るのだ。





BETA襲撃を告げる警報を聞きつけ、私達は直にブリーフィングルームに集まり、大佐から現状の報告を受ける。大佐は手馴れた手筈で、プロジェクターに映し出された基地周辺の地図を元にこれから私達が取る行動について説明を行った。
BETAを間引く作戦ならば、簡単だ。弾を奴らに向かってばら撒いてやればいいのだ。
しかし、奴らからの侵攻を食い止めるのは容易なことではない。
戦略も、戦術も陣形すら考慮せず、ただの物量に物を言わせた力押し。そんな作戦を採用している奴らは、長い間戦争を嗜んできた私達人類にとって原始的な敵である、だが、それが一番怖いのだ。奴らの脅威は其処にある。空の支配権を光線属によって奪われた私達は、地を這うBETAの大群に真正面から挑まなくてはならないからだ。

……いつもの如く、また今回の迎撃作戦で人が死ぬ。

誰もが、笑ってハッピーエンドとはいかないのが、現実なのだ。
軍に属して私も長い。死の最前線で戦う衛士という職業の中では、古参に数えられるかもしれない。身近な者の死は未だに慣れる事はないが、動揺を隠すことが出来るくらいには戦場にも慣れた。私は、大佐の話を聞きながら、これから確実に訪れる凄惨な戦場に心を向けて、ゆっくりと心に温度を冷やしていった。

今回、唯一救いがあるとすれば、白銀が戦場に立たずに済むことだろう。
勿論、彼らも戦場には出ることになっている。今の人類に、衛士を遊ばせておく余裕はないのだ。しかし、それは後方配置からの支援など、比較的に安全な場所で、という前置きが付く。
大佐が、如何に夕呼の元部下である白銀を嫌っていたとしても、彼等はこの基地にとって客なのだ。そのことを理解できないほど、大佐は無能ではない。
無理を言って連れてきた大切な客を、戦場に出して死なせたとあっては、私達の立場からすれば拙い。彼等の所属している所から色々と文句が噴出してくるだろう。これ幸いと無茶な要求をしてきたとしても、おかしくは無いのだ。
実に可笑しな話だが、組織は未だに組織で分かれており、人類ほどには纏まっていないのだ。いつもなら、何を考えているのかと、本当に呆れてしまうような話であるが、今回ばかりは僥倖だ、私にとって白銀が安全であるということは何物にも勝る喜びであるからだ。
初めての戦場で、部下である同期を全員死なせてから、狂ったようにBETAと闘える戦場を求めて彷徨った挙句に、『狂犬』とまで呼ばれた私が、年下の男のことをこれほど心配しているなどと、昔の仲間が知ればなんと言われるやら………

昔の仲間達が言うであろう、からかいの言葉を考えると、つい、笑みが零れた。
私の笑いを、部下達の緊張を解すための演技だと解釈したのか、大佐は人の悪い顔を露にして、ほくそ笑んだ。
「ほぅ、余裕だな、神宮司。昨日の夜のことでも思い出したか?それとも今夜のことがそれほど楽しみで仕方ないのか?どちらにせよ、色惚けも程々にしておけよ?今からその調子では捨てられた時がきついぞ」
大佐の下品極まりない発言が笑いの壺に見事ピタリと嵌ったようで、それを聞いていた者達は声を上げて笑い出した。出撃回数の少ない、大佐の話を聞いて青褪めた顔をしていた新米の衛士達も一様に。そのせいで、緊張が大分解れたように見えるし、恐らく解れたのだろう。私にも経験がある。ワザと軽口を叩くことで、心の張りを緩めるのだ。
どうせ戦場に出れば否が応でも緊張が張り詰める、しかし、ずっと張り詰めたままでは、いつかプツリと途切れてしまう。そのような事態を回避するためにも、心に余裕を持たなければならない、それは経験でしか得ることの出来ない技能である。
まだ、経験の幼い新米達の心の調整は、先任である私達上官がやってやるのだ。

と言っても、からかわれる私からすればたまったものではないのだが………
話題が話題のせいか、私を射す様な視線をいくつも感じる。
彼女達の嫉妬を一身に受け止めてやるのも、上官の務め、と思うことにしよう。

「待ってください!!」

突如、話題に上げられた渦中の人物の片割れである白銀が叫んだ。
どうしたのだろうか?この程度のからかいを受け流せないようでは、これから大変だろうし、今まではどうやって回避してきたのかと心配になった。
しかし、私の不安はどうやら的外れであったようで、白銀の顔には、からかいに対して抗議するために用いるには不適格な表情が浮かんでいた。
「……何か不満でもあるのか天才衛士様は?」
大佐は、空気も読めないのかこの馬鹿!?と目で人が殺せたならば、既に何十回と殺すことが可能な視線を白銀にぶつけた。
それでも白銀は怯むことなく大佐を見据え、
「私達が、後方配置というのは納得できません!……私達の能力は既に大佐殿にも御理解頂けているはずです!その上で、この作戦は人材を無駄にしている、私はそう考え……」
白銀が言い終わらないうちに、大佐の拳が飛んでいた。
まずい、幾らなんでも言い過ぎだ。
大佐を諌めようにも非は明らかに白銀にある。
折角、大佐が空気を整えたのにそれをぶち壊した上での発言は、流石に見逃せない。
「口を慎め!いいか少尉。私は許可していない。貴様が前線に加わることも、本作戦について意見すること、そして上官の権威をないがしろにすることも、私は決して許してはいない。貴様の能力は認めよう、だが、貴様一人で世界が変えられるとでも勘違いしていないか?自惚れが過ぎる。そういう莫迦が人を殺す。貴様の様な人間が、人類を今の窮地へと追いやったのだ!!」
ダメだ!大佐は演技では無く、本当に頭に血が上っている。
元々大佐は『天才』という人種に対して、良い感情を抱いてはいなかった。
それは、夕呼のことだけではなく、きっと過去に色々とあったのだろう。
白銀の発言に加えて、大佐のトラウマを白銀という存在が刺激してしまったのだ。
もう、部下達の緊張云々の話ではない……ッ。
私は臍を噛んだ。

白銀は、殴られて口の中を切ったようで、唇の端から血が漏れていた。血を服の裾で拭いながら立ち上がり、睨むように大佐を見つめた。
「…それって夕呼先生のことを言いたいんですか?だったら、尚更私…俺を前に出すべきです。俺の機動は大佐殿も認めてくださっているんでしょ?夕呼先生の研究の結果生まれたのが俺です!!特別に育てられてのが、俺なんです。俺の機動で BETAを引き付けて、その間に横から叩けば被害を最小限に抑えられます。それが出来るのは俺だけだ」

な、何を言っているの……
私はもう泣きたくなった。無茶苦茶過ぎる。余りに酷すぎる。
白銀が何を考えているのか、何をそんなに焦っているのか分からない。
それでも白銀の稚拙な物言いに……私は悲しくなった、白銀に失望したのかもしれない。
白銀は何を学んでいたのか、私は何故、彼がとる行動を理解できないのか。
辺りを見れば、周りの私の部下も彼に対して冷たい視線を投げかけている。
曲芸部隊の者達も、驚いたように目を見開いて白銀を見つめていた。
速瀬など、苦虫を噛み潰したような表情で、顔を背け俯いている。
白銀の態度は周りからの反感を買うだけだ。それが分からないほど彼は、幼いのだろうか。

「く、はっはは。貴様、頭がイカれたのか?BETAが来ると言う事実に狂ったか?ふふ、ははは、これはいい。噂の天才衛士がここまで阿呆だったとは。はは、はは……」
大佐は狂ったように嗤い出した。
そして、ゆっくりと懐のホルダーから銃を取り出し、白銀に照準を定めた。

「なぁ?おい。一つ聞いておきたいんだが……貴様殺されるわけがないと高を括っているのか?貴様の背後にいるお姫様のことを私が配慮して貴様を殺さないと、そう思っているのか?なぁ。教えてくれないか?貴様ほど、莫迦な奴にはこれから巡り会いそうにないんでな、是非とも聞いておきたいんだが……どうなんだ?」
「悠陽は関係ないですよ。大佐殿が俺達を後方配置にしてくれたのは、俺達が客……だからっていうのは、俺も一応わかっています。それでもッ!俺は!俺が!前に出る方が全体の損害を抑えられる方法だと思っています。俺達をこっちに呼んだ理由は、俺達の機動制御技術を獲得するためなんですよね?それを証明してきますよ、戦場で、BETA相手に」

白銀は、銃を構えた大佐相手に一歩も引かず、言いたい放題言って大佐に判断を仰いだ。
大佐は、白銀の話を聞いて押し黙ってしまった。
室内はなんとも言えない静寂に包まれていた。
誰かが、唾を飲んだ音がハッキリと聞こえた。
それが、合図だったかのように、大佐の重い口が開かれた。

「………始末書を書く手伝いをしろ」
「え?」

間抜けな声が白銀の口から漏れた。

「クソッ!!貴様の様な莫迦は、戦場で合法的に殺してやる!覚悟しろ!!仮に生き残ったとしても、私の始末書を書く手伝いをさせてやる。とんでもない量を書かせてやる!なにせ、こっちは上から貴様の「安全を確保するように」と厳命されていたのを破るのだからな!それも貴様のせいで。貴様が手伝うのが筋と言うもんだ。クソッ。天才と呼ばれる人種は、本当に最悪だッ!くそったれ野郎ばかりだッ!」
大佐はそう言うと、苛立ったように頭を乱暴にかき、銃をしまった。
そして手の甲で壁を叩き、注目するように皆を促した。
「変更点を伝える!!行動開始時刻に変更はない。速瀬中尉!貴様の部下のおかげで、貴様達を特別扱いしてやろう!貴様は自身の部隊を率いて第二防衛ラインまで上がれ!あとは、貴様の裁量で好きに動いて良し。責任はこちらで負う!先程告げた位置よりも全部隊前方に陣取れ!命いらずのクソ莫迦野郎がBETAのクソッタレを足止めして下さるそうだ!奴らが、底抜けの阿呆に気を取られている隙に36mmをお見舞いして、奴らのケツの穴を増やしてやれ!!以上!解散ッ!!」
「「「了解」」」
大佐はそう締めくくって歩き出した。
扉までの道程の途中にいた、白銀の前で立ち止まり、白銀の胸の辺りにコツンと軽く拳を当てて、「整えてやったぞ、精々感謝しろクソ野郎」と薄く笑って、何事もなかったかのように部屋を後にした。


その後は、皆口々に白銀を思う存分罵り、それぞれが、これからの戦いに備えるために部屋から出ていった。

部屋に残されたのは私と白銀の二人だけ。
気まずい沈黙が二人の間に存在したが、私は意を決して彼の名を呼んだ。
そして、私は白銀に何故、あのようなことを言ったのか尋ねた。
答えは、想像もしないものだった。


「…ん~……まりもちゃんなら、いいか。……あれ演技っす」
「は?」







聞けば、初日に揉めた後直に、白銀は大佐の下へ行って話をしたそうだ。
そこでの内容の多くを白銀は語らなかったが、紆余曲折あって和解したらしい。
そして、大佐から一つ「お願い」されたらしい。
「俺の機動は、元々は俺の癖だったんですけど、戦場をいくつも経験しているうちにBETAに対して結構有効な動き方、みたいなもんを覚えていって、結局あっち、あぁ。俺のいた基地じゃ、対BETAの教本として扱われていたんですよ。これ秘密ですけどね?んで、そのことを話したら、大佐がそれを見たいって言い出して……でも、守秘義務があるからシュミレーターじゃみせることは出来ないんですよ。こっちに俺一人だけじゃこれなかったのも、俺を監視する、って意味合いがあるみたいで……まぁ、そういうのって本当に馬鹿みたいだって思うんですけど、俺も上からの命令には逆らえないんで。で、シュミレーターじゃ見せられないですけど、戦場でなら見せてしまっても仕方ないじゃないですか?だから、今度BETAが襲撃してきた時に、俺の機動を見せる。そういう約束したんです。まぁ、大佐の立場上俺達を前に出すことは出来ないんで、俺の方から言う、ってことで。でも、細かい打ち合わせとかしてなかったんで、殴られるとは思わなかったですけどね?」

悪戯っ子のようにカラカラと笑っていた。
白銀が早口にそんな言い訳を口にしたが、私は正直半分も頭に入ってこなかった。
白銀が、なぜあのような暴挙に出て、大佐もそれに応じたように急に配置を換えたことに、キチンと意味があると知って安堵してしまったからだ。

良かった、演技だったんだぁ。

私は、ほぅと息をついて白銀の意外にも分厚い胸に寄りかかった。
安堵したせいか、私の目尻から涙が零れた。
それを見て、白銀は焦ったようで、
「へぁ?ぁ?まりもちゃん?」
私に内緒で心配させた分、これくらい許して貰いたい。
大体、私は未だに白銀と大佐の関係は悪いとばかり思っていたのだから。
「あれ?俺言いませんでしたっけ?ちゃんと大佐と話をしたって言った筈だけどなぁ?ほら、まりもちゃんに初めて襲われ……グホッ……き、気を抜いてる時に鳩尾は卑怯……」

襲ったなんて、人聞きの悪い。
私の様なオトメに対して、何て言い草だろうか。
信じられない、全く女心というものを理解していないのだから。


それから暫く、じゃれ合っていたが、私にはまだ心配事があった。
「…… ねぇ、白銀。大丈夫…なの?」
何が大丈夫なのか、明言を敢えて避けて尋ねる。
白銀は、一瞬黙ってしまった後、急に笑いだした。
「な、何よ!私が、心配したら可笑しいの!?」
「ははは、なんか最近気づいたんですけど、まりもちゃんって意外と可愛いところありますよね?」
し、失礼な。何てことを言うのだろうか、この男は。
私は、少しだけ怒っていた。こっちは、本気で心配していると言うのに、この態度は酷い。
ひとしきり笑った後、白銀は口元を緩めながらこう答えた。

「大丈夫です。俺は、天才ですから」


何気ない風に、そんなことをのたまった。
まるで夕呼が言うように、当たり前だと言う感じで。
その顔を見て、私は、あぁ、白銀は私が知らない間に何時の間にか強くなっていたのだと知った。私の不安は、一瞬にして白銀の言葉で吹き飛んでしまった。

ちょっと、本当に少しだけだけど……かっこよかった。






ただ、もう一つだけ。聞きたいことがある。
「意外」とは、どういう意味なのか、と。




[17469] まりもちゃんの憂鬱 成功と失敗は紙一重
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:49
第一防衛ラインを突破したBETAは、まるで蠢く一つの生命体のように、周りの物全てを飲み込みながら、その速度を落とさぬままに第二防衛ラインへと迫っていた。
第一防衛ラインをBETAが抜けたと言う事実は、落胆するに値しない。
元々、後方から90式戦車と87式高射砲改によって、 BETAの群れの余りを削ぎ、奴らを第二防衛ラインへと誘導する役目だったのだ。そう、白銀のいる方へと。


白銀の搭乗している不知火は、彼の所属している曲芸部隊から離れ、たった一機で、前方のBETAの群れ目掛けて躍り出た。

「サーカス3より全部隊へ。これより、俺が今から人類の可能性を見せてやる!見逃すな!」

進みながら、彼は通信をオープンにして、本作戦に従事している全部隊に通達した。
衛士には血気盛んな者が多い。これは先天的なものでなく、後天的に得た素質である。
闘うと言う行為に、常日頃から晒されているうちに、攻撃的な性格を形成していくためだ。
そのような者が多い中、誰一人、白銀の発言に反応しようとはしなかった。
彼を無視しているのではない、彼が今から行うであろう行為の結末を、誰もが容易に想像できてしまったからだ。戦場。ここに到るに、人は儚い希望も、甘い考えも、全て捨て去っている。なぜなら、練達の衛士も新米衛士も、それらが空中楼閣を描くものと知っているのだから。
誰が好き好んで、人の死を喜ぶ?その対象が他人であっても、同じだ。人が死ぬ場面を見れば、自然と、次に自分が死せる場面が思い浮かんでくる。
人の死は、出来うる限り回避されねばならない。自分の為にも。

―――ッ!何故、速瀬達は白銀を止めない!見殺しにするつもりか!!

速瀬に白銀の行為を止めさせるように言おうと、通信を繋げ様とした時、不意に白銀の顔が思い出された。何気なく、気負わずに、自然と笑いながら「大丈夫ですよ」と言う白銀の顔が。私は思わず、手を止めた。白銀を信じたいという女の思いと、奴の行動は無茶だと言う軍人の私。二つが私の心を板挟みにして、圧迫していく。
白銀は確かに天才だ、認めよう。だが、たった一人で何が出来る?物量作戦の恐ろしさは身をもって知っている。BETAが証明したのだ。その上で、敢えて一人で挑むと言うのか?
一人で戦場を変えられると、確信しているのか?それとも盲信なのか?
時代に逆行せんとする白銀の行為は、無謀だと言わざるを得ない。
白銀が、如何に自分の実力に自信を持っていたとしても、一人と言うのはあまりに拙い。
「サーカス1より、サーカス3!白銀、言い切ったからにはやってやんなさい!」
「サーカス2より、サーカス3。いいところを見せれば、また、新しくて若い女を捕まえられるかもしれないぞ?畳も、戦術機も、女も若い方がいいだろう?」
なのに、白銀の部隊の上官である、速瀬も宗像も軽口を叩き彼を見送った。
白銀機は、BETAの懐に入ってしまっている。もう、私が止めることなど出来ない。
祈るように、私は操縦桿を強く握り締めた。

白銀は、パラパラと適当に36mmを撒き散らし、戦車級を間引きながら奴らの懐へと入り込んでいった。前方に現れた突撃級の背後に回り込み、36mmを掃射。装甲殻を持たない奴らにとって致命傷―――まずは、一掃。反転し、要撃級の顔を目掛けて狙い撃ち。ワラワラと湧いてくる要撃級の頑強な前肢を躱しながら、短距離跳躍。小刻みに、戦術機を左右に揺らし、BETAの狙いを逸らしていく。突撃砲を120mmに換装。跳躍噴射でBETAの薄い位置まで移動―――噴射最中に白銀の少し遠くに位置する要塞級を狙う。――撃破。
また跳躍、撃破した要撃級の位置に移る。跳躍しつつ36mmに換装。近づいてくるBETAへ掃射。凄まじい速度で突進してくる突撃級。突撃級に前方からの 36mmは効果がない、長刀に持ち替えつつ、斜め後方へ逆噴射制動、突進を躱す。躱仕切った途端に反転全力噴射で、突撃級の斜め後ろから一閃。また 36mm換装…………

その機動は、まるでお手本通り、教本のような動き。
地味だが、確実にBETAを屠っていく。
白銀お得意のアクロバットなどなくても、これほど素晴らしい技術を持っているとは思わなかった。……らしくない、白銀らしくはないが、見ていて安心できる。そんな動き。
彼の普段の機動は確かに素晴らしいが、本音を言えば、私は彼の操縦を見ていると不安だったのだ。アクロバットと言えば確かに聞こえはいいが、彼の機動では戦術機に多大な負担を掛ける。戦闘中に戦術機がその負荷に耐え切れず、壊れてしまわないか、心配だったのだ。しかし、どうやら杞憂だったらしい。
彼は、そのようなものに頼らずとも勝ち抜けるだけの技量を得ていたのだから。

だが、私のそんな思いをまるで嘲笑うかのように、白銀の動きは段々と激しくなっていく。
要撃級の同士の間を縫うように、跳躍しながら跳び越し……
突撃級の後部を踏み台にして、宙返りを行いながら斬ったり……
そう、彼が元々行っていた無茶な機動制御で戦場を縦横無尽に駆け出し始めた。

途端に、BETAが白銀を脅威と認識し始めたのか、彼の機動に魅せられたのか、BETAは一斉に白銀の方へと向った。

「サーカス3よりCPへ。現在の光線級の位置を転送してくれ。全部だ!全戦闘地域のものを頼む!サーカス1へ。位置を把握次第『空撃ち』させます!準備しといて下さい!!」
「CP了解。サーカス3へ転送を行う」
「サーカス1了解。サーカス1よりサーカス全機へ!さぁ、聞いたわね。勿論、準備できているわね?」

白銀は、自分の方にBETAが向ってきていることを確認すると、CPと速瀬にそのようなことを告げた。
交信が終わると、白銀は、地図に示された光線級の射線上へ跳躍した。

―――ば、馬鹿!!何をしているの!!

戦慄を覚え、私は思わず叫んでしまった。それほどまでに、白銀がとった行動はあまりにも愚かな行為だったのだ。如何に機動性に優れ、表面にレーザー蒸散塗膜加工を施した不知火と言えど、レーザーの直撃を受けたならば、機体ごと蒸発してしまう。

白銀が射線上に飛び出た瞬間に、白い光線が空を覆った。
全身の毛が総毛立つ。
最悪の未来が、頭を過ぎり、思わず私は目を閉じた。

「白銀ッ!」

私の呼び掛けに答えることは二度とないだろう男の名を、我知れず呼んでいた。
そして私の世界は、色褪せた………



一瞬の、しかし、絶望の静寂を打ち破ったのは、やはり白銀だった。

「サーカス3よりサーカス全機へ。空撃ち成功!今なら喰い放題だ!急げ!」

白銀の声を聞こえたが、私は彼の生存を未だ信じられず、自分の目で確かめるために瞼を急いで開けた。
白銀機は、BETAの群れの中、悠然と母なる大地にしかと立っていた。
しかし、迫り来るBETAを躱しながら、BETAの体液で濡れた長刀を振り回し、BETAを駆逐しつつ、また急ぎ奴等の中へと消えていく。
……白銀が生きていたことに驚いた。まさか、レーザーを躱したとでも言うのか!?
レーザーが放たれてから回避行動をとっていたのでは間に合わない。
では、どうやって………

白銀の通信を受けて、速瀬達は一斉にBETAの群れの奥深くへと突入した。それも、跳躍しながら、BETAの間をすり抜け、縫うように、そして、BETA達を飛び越して……空から、36mmを光線級目掛けて一斉掃射。
通常なら、速瀬達の行動は不可能だ。上空に飛び出るなど、光線級の餌食になりにいくようなものだからだ。しかし、今は違う。光線級が次射を放つにはインターバルを置く必要なのだ。白銀を狙ったレーザーは宙を切り裂き、空振った。そのため、奴等はこの瞬間、無防備にその間抜けな体を晒されることとなった。

「サーカス3よりバスター1へ。大佐!ここの光線級の脅威は去った。今なら、鈍間なBETA共を喰い放題です。こちらへ部隊を寄越してください。俺達は次の光線級の場所へ行きます!」
「バスター1了解。そちらへ部隊を寄越す。……ふはは、レーザーを避ける?……はは、貴様………ははは!どこまでも非常識な奴だ!貴様、本当に人間か?」
「やだなぁ。大佐も言っていたじゃないですか。俺のこと天才だ、って」
「ふふ、そうだったな。天才……か。……そうだ、あぁ、それでいい……行けッ!白銀!光線級さえ潰せば、後は食い放題だ!精々私達の為に牛馬の如く働け!天才なら楽勝だろ?」
「……なんか、大佐って俺の知り合いによく似ていますよ。サーカス3了解!!」

大佐と軽口を叩き合い、白銀は機体を残りの光線級がいる方へ向け、発進した。
光線級を片付けた速瀬達は、白銀に続く形で合流。

そして、また白銀は先程のように、BETAの群れに飛び込んでいった。













合成ビールを手に、天高く突き上げ、横にいる者とグラスをぶつけて、雄叫びが上がる。
興奮したのか、服を脱ぎ出す者、手に持っていた何かを空に投げている者、泣いている者、
様々な人間が、思い思いの方法で、今を喜び合っていた。

基地は、沸いていた。
誰もが白銀の名を口にし、彼と彼の部隊を讃えた。
彼は、それに照れたように、はにかんでいた。人好きのする笑顔だ。
彼が笑うと、つられて周りの者達も、泣いたように笑っていた。
あの捻くれ者の大佐ですら、素直に喜び、歯を剥き出しにして笑っていた。

当然だろう。この日、基地では過去最高の戦果を挙げたのだ。
負傷者、死者、共にゼロ。
まるで、出来の悪い小説のような、そんな結末。
人類が新たな希望を見出した夜だった。



だけど私は、何故か素直に喜べず、そっと部屋を後にした。
白銀とチラリと目が合うと、彼は悲しそうに笑っていた。

屋上に上がって周りを見れば、大地には今日の戦闘の爪痕が見て取れた。
現実だったのだ。問答無用のハッピーエンドは確かに存在した。
では、私はなぜ、喜べない?
答えのない自問自答を繰り返していると、唐突に後ろから声を掛けられた。

「死者、負傷者共にゼロ。ありえない戦果。その立役者は自分の男。いいこと尽くめなのに素直に喜べない……あぁ、今までが不幸続きで、幸福な結末が信じられない、と?あちゃー、それはお気の毒にとしか言いようがありませんね」
この茶化したような、物言い。速瀬か。振り返ってみれば、やはり想像通りの人物が立っていた。肩を竦めながら、ニヤリと笑い、こちらへと向ってきた。

「……相変わらず、ズケズケと物をいう奴だ」
だが、速瀬の言葉は当っていた。ずっとこのような結末を望んでいたはずなのに、いざ実現されて目の前に現れた途端、それが本当に真実なのか不安になってしまったのだ。
いや、本当は分かっている。不安なこともある、だがそれ以上に今白銀と顔を合わせると彼に八つ当たりしそうで怖いのだ。白銀が今日見せたものは、手放しで喜べるものだった。あれこそ、人類の可能性に他ならないからだ。だからこそ、どうしても納得できない。
たった一人で、文字通り全てを変えてしまった白銀。では、私達の今まではなんだったと言うのか?白銀からすれば、私達がしてきたことは愚行だったのではないか?その愚行の為に何人も死んでいるのだ。白銀が、あと少し、もう少し早く生まれていたなら、衛士となっていたなら、世界は、救われていたのではないのか?死ななくて済んだ者も多かったのではないか?そんな理不尽なことを彼に言いそうで怖いのだ。
信じられないほど、醜い考え方だと自分でも思う。でも、どうしようもないのだ。心の奥底から湧き上がってきてしまう。もう、私自身では止められそうにもない

「まぁ、それがあたしなんで……で、どうしたんですか少佐?下のお祭り騒ぎには参加されないんですか?結構美味しい物が出されていますよ?……あいつと話さなくていいんですか?」
「……少し風に当っていたい。貴様こそ、どうした?」
「あ、あたしですか?そうですねぇ~。元教官が心配だった、っていうのはどうです?そういうのってポイント高くないですかね?」
ポイント?何が高いのだろうか?まるで意味が分からない。
どうやら、速瀬も随分と白銀に毒されているようだ。そのことが、白銀と速瀬の距離の近さを如実に現わしているようで、私の胸はチクリと痛んだ。どうやら、自分で思っていた以上に、私の独占欲は貪欲であったようだ。実に身勝手な女だ。

「ふ、白銀語か?」
しかし、教え子にそのような、みっともないところを見せるわけにはいかない。そんなちっぽけなプライドが邪魔をして、つまらないことを尋ねた。
「あちゃ~、あいつほど酷くはないですけど、最近隊の皆から言葉遣いが荒れてきたってよく言われるんですよ。失敗したなぁ~~」
そうは言っているものの、速瀬の顔は満更でもないように見られた。自分と白銀の距離が些細なことでも感じられたからかもしれない。

「…ん~…あぁダメだ!上手く話を持っていけない!あぁ、もう面倒くさいわね!!少佐!白銀は、天才です」
唐突に、頭を掻き毟り、唸った後で、速瀬は真面目な顔をしてそう断言した。それは、私も知っている。どうしたのだろうか?
「今日は驚きましたよね?レーザーをわざと撃たせる、なんてことを思いつく思考にも、それを実行できる技術にも。あんなのを見ると、思い知らされますよね。あぁ、こいつは天才なんだなって。あいつも自分で天才だってよく言います」
速瀬の畳み掛けるような喋りに、私は圧倒されてしまい、相槌を打つことが出来なかった。
そんなことはお構い無しに、速瀬は続けた。

「白銀は言っていました。自分が天才だって公言するのは、香月博士のためだと。博士を知る人間が、博士を貶すのを納得できないからだ、って。だから、証明しようとしているんです。自分から博士の話を出して、元教え子だったって言って。自分が天才なところを見せれば、博士のことを悪く言う人はいなくなるはずだ、そう言って……それだけじゃないです。博士は最後に白銀に言ったそうですよ。
『最期に、教師らしいことしてあげるわ。もし、生き残りたいならあんた自身、英雄と呼ばれる存在になりなさい。そうすれば人は勝手に付いてくる、あんたの意見も通るようになる。あんたが強くなれば、それだけ人類が生き残る可能性も高くなる。ま、決めるのはあんただけどね』って」

それは、初耳だ。夕呼がそんなことを言うということは、夕呼はかなり白銀を買っていたという証明だろう。
私が驚いて目を見開いていると、速瀬は私の胸倉を掴みあげて怒鳴った。

「あ・ん・た・ねぇ!何をいじけているのか知らないけど、どうせしょうもないことでしょ!?白銀の機動技術は人類にとって必要なものだわ。けどね、あんな戦い方していたら、いつかポックリ死ぬわよ?当たり前でしょ?常に生死をかけて空を飛んで、レーザーを躱すなんていう超人的技巧を毎回何度もこなしているのよ?体には信じられないほどGがかかってもうボロボロ。おまけに心をすり減らしながら!!博士の為に!少佐はそれでいいの?それで本当にいいのかって聞いてるの!……私達は、白銀にそんなこと止めろ何て言わないし、言えない。それが人類に必要だってわかっているからよ。あんた、白銀と寝たんでしょ!あいつの女なんでしょ!自分の男が苦しい時に、なに一人で悲劇のヒロイン気取ってんのよ!ムカつくわねぇ。私だったら!私があいつの女だったら、そんなことしない!ずっと傍にいてあげる!あいつは、馬鹿なの!餓鬼なのよ!何かを支えにしてなきゃ一人で立てないほど弱いのよッ!傍にいてやりなさいよ………」


速瀬は、嗚咽を洩らし、私の胸倉を力無く掴み、地面に崩れていった。
彼女の体重によって、伸びた服のせいで、外から冷たい風が私の中を通り過ぎていった。
私は、どうすることも出来ず、ただ、途方にくれて、その場から動けず立ち竦んでいた。



[17469] まりもちゃんの憂鬱 もう一人の教え子と迷える女、晒された真実
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:49
長年の習慣により、毎朝決まった時間に自然と目が覚めてしまう。
寝惚け眼を擦りながら、上半身を起した。
「……っ」
頭が割れそうなくらい痛い。こめかみに強く手を押し当て、痛みを散らす。
辺りを見渡せば、昨夜どれだけ飲んだのか想像もしたくないほどの惨状が広がっている。
…… いくらなんでも飲みすぎだ。24時間何時でも戦場に出られるように、普段からあまり酒を摂取しないようにしていたというのに、これでは衛士失格だ。常在戦場の心得を教えていた私が二日酔いなどと、世も末だな。速瀬にあれだけ言われて、結局私は白銀に会わぬまま自室に篭って酒を浴びるように飲んでいた。情けない。
自嘲する様に笑い、椅子の背もたれに着ていた服を脱いで無造作に掛けた。
冷たい水を頭から浴びて眠気を飛ばし、体に溜まったアルコールを薄めるために、口を開けて清潔とは言いがたいシャワーの水を飲む。
タオルで体を拭き、新しい服を取り出し素早く着替え、部屋から出て目的地も定めぬまま歩き出した。今日の行動は特に言及されていない、恐らく降って沸いた休日だと考えてもいいだろう。

廊下を歩いていると、酒ビンや紙屑が転がっていることに気づいた。
有事の際に、ビンに躓き怪我をしていた、などと愚にも付かぬ事が起きないようにと、廊下に限らず基地内は常に生理整頓されているはずだった。恐らく、昨日の馬鹿騒ぎの残りなのだろう。それほどに基地は今も浮かれているのだと知った。
素直に喜んでいないのは、私くらいのものなのだ。
一人の人間が素晴らしい戦果を出したのだ、それも人類の歴史に燦々と耀くほどの戦功。
打ち立てたのは、速瀬が言うように私の男。白銀武。
喜びこそすれ、苛立つ必要など何も無い。無い筈なのに、私は上手く言葉に出来ない思いを抱いている。
他人の成功を素直に喜べないのは、私が大人であるからだろうか。つまらぬしがらみと、経験を得たために、彼の成功を喜べないのだとすれば、なんたる皮肉。
守る力を得るために大人となったが、大人となるために費やした時間と思いが私の足を引っ張り、思考の泥沼に引きずり込んでいく。
モヤモヤとしたものを吹き飛ばそうと、体を動かす目的でシミュレータールームへ向かうことにした。


BETAに36mmの雨を浴びせ、長刀で奴等の体を切り裂き、血の花火を上げさせ、敵を殺していく。しかし、心の靄は取れない。ふと、あることを思いつき、状況を終了させた。
――状況を変更。光線級が後方に待機している状況を追加。
BETAを先程のように討ちながら、時期を見計らって空へと向って跳躍を試みた。
勿論それだけでは、レーザーの的となってしまう。昨日の白銀の挙動を思い出しながら、光線級の射線上に自機が浮かぶ時間を極力減らすように、跳躍と同時に地面に向って全力反転噴射―――大破、撃墜。
取り付かれたように私はその動作を繰り返した。


どれほど時間が過ぎたのだろうか、気づくと全身が汗で濡れていた。頃合か。
随分と気持ちが軽くなった気がする。体を動かすことで何とか心の安寧を保とうと考えるなど、私も随分と軍に染まったものだ。一息吐き、シュミレーターから出る。
「また随分と長い間シミュレーターに乗っていられましたね。神宮寺少佐」
喉が渇いたので、水でも飲みにPXにでも行こうとした時、声を掛けられた。
声を掛けて来たのは、両の手に紙パックを持った宗像。
いかがですか、と声には出さず、紙パックを軽く持ち上げる動作で私に尋ねた。

「貴様も、随分とタイミングがいいな。……何か用でもあるのか?」
私はパックを受け取り、一気に飲み干し、口元についた水を服の袖で拭った。
彼女は私の問いには答えず、私が先程まで乗っていたシミュレーターの方へと向いた。
「ところで、如何でした?昨日の白銀の機動は出来ましたか?」
「……なぜ私がそれを行っていたと思う?ただ単に乗っていただけかも知れんぞ?」
言い訳だと自分でも気づいていたが、年下の宗像にズバリ言い当てられたことで私は少し反発してみたいような、子供じみた思いに囚われた。
「いえ、経験からそう思ったもので。ま、所謂“勘”ですね」
経験?勘?“どういう”経験で、“何の”勘だと言うのか。
思わず、いぶかしむ様に宗像を見てしまった。

「ふふ、少佐。“私の”経験と“女の”勘ですよ。……戦場での白銀を目の当たりにすれば、大体二つに分かれます。喜びに身を震わせ、希望を見出す者。己の無力さを痛感し、打ちひしがれる者に。前者は、大抵の人間に当てはまりますが、後者は違います。こちらは奴と長くない時間を過ごした者に多く見られます」

……厭な奴だ。昔から鋭いところがあったが、どうやら私の考えと、今私が抱えている思いを見抜いたようだ。思わず宗像の視線から逃れるように、私は顔を伏せていた。

「私も、速瀬中尉も、私達の部隊にいる多くの者は誰だって一度は経験することですよ。まぁ、元207B分隊の連中はどうやら違うようですが。あいつ等は純粋に、白銀に追いつこうと我武者羅に訓練していますからね。そういう意味ではあいつ等は心の方も強いのでしょう」
誰もが経験するだと?知ったようなことを。自分の無力を痛感するということは、それは向上心がある人間だと言える。私は自分の無力さに苛まれる前に、白銀がなぜもっと早く現れなかったのか、白銀を責めるような、そんなことを考えた女だぞ?貴様達とは違うのだ。……もっと自分勝手な人間なんだ。貴様達のような高尚な思いは抱いて…いないのだ。

「……速瀬中尉は酒に弱い癖に、酒が好きで困ります。酒癖が悪く、よく周りの者に絡むので、部隊の者はなるべく酒の入った速瀬中尉には近づこうとしません」
慰めなどいるか、と思っていた私に向って、宗像は唐突にそのようなことを言い出した。
顔を上げ、宗像の顔を見た。私が見たことも無いような、慈しむような表情をしていた。

「あの速瀬中尉だって、初めて白銀と戦場を共にした夜は奴に絡みましたよ。『なんで、今頃現れるのよ!あんたが、もう少し、あと少し早く衛士になっていたらッ!!』とね。自然なことですよ。オルタネィテブ5へ移行した今となってはね。奴がもっと早く現れていたなら人類は、今ほど窮地に立たされることにはならなかったのではないか、そんな身勝手な希望を抱かせてしまうほど。たった一人の力で戦場を変えてしまえるほどに。奴の機動は素晴らしく、飛びぬけています」

速瀬も私と同じ事を考えていたことに驚いた。白銀は?白銀はそんなことを言われてどうしたの?私はそのことが聞きたくて、宗像を急かすように目で懇願した。

「白銀は困ったような、泣きそうな顔でずっと速瀬中尉の文句を黙って聞いていました。ですが、速瀬中尉は直に眠ってしまったので、次の日改めて速瀬中尉の元へ謝罪を入れに行きました」
……当たり前か、そんな風に責められてあの優しい白銀が傷つかないはずが無い。
昨日顔を合わせないでよかった。本当にそう思う。自分の手で、白銀を傷つけたとあってはきっと私は立ち直れそうにないからだ。
「……ふふ、神宮司少佐。ここからが面白いところでしてね。白銀の謝罪を聞いて速瀬中尉は何て言ったと思いますか?」
それは、白銀に責任がないことなのに、無茶な理屈で責めたことを謝ったのではないだろうか。速瀬が白銀に謝るのが普通だろう。

「答えは、『覚えていない』です」

は?ま、まぁ酒に弱いんじゃしょうがないわね。

「昨夜の事を説明し、謝罪しようとする白銀に向って更にこう続けました。
――――『何?あんた?じゃあ、自分が悪くないのに謝るわけ?へ~すごい。私には到底出来そうにないわね、どんな聖人君子よ、アンタ。……いい、白銀。あんたはこれからもっと色んな嫉妬とか理不尽な文句を言われる筈よ。それに一々謝っていたんじゃ、アンタの体が持たないわ。そういう時はね、こう言うの。俺は天才なんだ。ってね。それで一発。五月蝿い輩はこれで黙らしてやりなさい。いつも不敵に俺は天才なんだ、それでそう言ってアンタに付いていこうとする連中を引っ張ってやりなさい。それがアンタの義務よ!わかった?わからないようならもう一発ぶん殴るわよ!?』
……あぁ、ちなみに。速瀬中尉はこの台詞を言う前に白銀に一発入れていましたよ?」

ど、どれだけ理不尽なの?……好き勝手に振舞いすぎでしょ、速瀬?
…… でも、しっかりと上官をやっているのね。速瀬も。白銀にそういうことを言えるってことは、彼女もきっと様々なことを経験してきたのだろう。ちょっと無茶苦茶だけど、きちんとフォローしている。私は少しだけ誇らしい気になった。

「で、少佐。話を元に戻しますが、あいつの機動を真似てみてどうでしたか?」
「……動作自体は難しくないわ。成功率は恐ろしく低いけどね」
そうなのだ。白銀が昨日見せたレーザーを避ける動作は、さほど難しい機動ではない。
同じ動作なら、場数を踏んだ衛士ならば直に真似できるだろう。しかし、タイミングが難しいのだ。切り替えしが速すぎれば、光線級は反応しない。遅ければ機体が蒸発してしまう。コンマ数秒で結果が大きく変わってしまう。そして、何よりも精神が持ちそうにない。
タイミング次第で生死を分ける、そんな動作をシュミレーターであっても100%の成功率を得ることが出来ないのに、どうして戦場でやろうと考えるだろうか?無理だ。シミュレーターで、仮想だと分かっているのに、それでも私は尋常じゃないほどの汗をかいていた。

「でしょうね。今のところ、あれが出来るのは私の知る限りアイツだけです。奴の機動を真似てもタイミングは場面によって異なりますからね。なかなか出来ません。飛び上がってレーザーを躱し、インターバルの最中に殲滅するなどとぶっ飛んだ発想も、それを実現できる技術も、確かに奴は天才と呼ばれるに値します」
確か「空撃ち」だったか?
そんな作戦を考え付いた白銀の発想というものは、確かに突飛だ。夕呼をして特別と評されたのだ、常人とはどこか異なるのだろう。奴にはいつも驚かされる。
「ですが、白銀は人間です。体も、心も、どうしようもないほど人間なのです。昨夜、速瀬中尉も言っておられましたが、あの機動は体に途方も無い負荷が掛かります、奴の体はもうガタが来ています。心の方はもっと酷い。奴の機動は、自殺志願者か冒険者のソレです。
奴がどちらに属しているのかは、知りませんがね。………だから、白銀一人をこちらの基地に寄越さなかった。奴は監視が無ければ、無茶をやりますからね。それを阻止する為の私達です」

白銀達が部隊で派遣された理由。白銀と宗像では異なっている。多分、宗像の方が正しいのだろう。上層部のしがらみがどうとか、等と言って、本当の理由を隠したのだ。何のために?決まっている、私の為だ。白銀は、私を安心させるために嘘をついたのだ。
――――馬鹿だ、私は馬鹿だ。
こんなにも優しい白銀に、頼っていたのだ。白銀がもっと早く現れていたら良かった?馬鹿な、どれだけ理不尽なことを私は考えるのだ。これ以上白銀の重りを増やす気なのか?彼の奇跡の様な機動は、彼が身を削りながら、魂を燃やしながら作り出したモノなのだ。それをッ!何を言っている。どうして白銀を責めることが出来る。有得ない。
―――何が、白銀の為に傍にいる、だ。嘘をつくな。自分の為ではないか。私の傍に、白銀がいて欲しいからではないか。私が、白銀を求めているだけだ。白銀はただ、それに答えてくれただけなのだ。きっと、白銀にとっては誰でもよかったのだ。あの日、白銀の慟哭を聞いたのが偶々私であったからだ。速瀬に言われてから、真面目な白銀は誰にも弱みを見せることが出来なかった、一度だけ、たった一度、白銀の弱みを見たからと言って私は白銀を理解したつもりになっていた。
白銀のほうが、私よりもずっと大人だったのだ。

だが、それを理解しても、私は彼と共にいたいのだ。
彼をどうしようもないほど、愛しているのだから。

「……少佐。速瀬中尉が言ったことは、私達部隊の総意と考えて下さって結構です。奴と少佐の間にどのようなことがあって結ばれたのか、それは知りません。ですが、奴を助けることが出来るのは、今は少佐しか出来ないことです。奴に思いを寄せる者は多い。奴は鈍感ではありません。それに気づいていながら、あなたを選んだのです。他のものではありません。誰にも代役など務まりません」
宗像は、私の目を見据え、そうキッパリと告げた。
目は如実に語っている。白銀の元へ行けと。
宗像は言った、白銀は鈍感ではないと。そうだろう。白銀は人の心の痛みを知ることが出来る人間だ。夕呼のこともそう、207B分隊の時もそうだったではないか。
白銀はそういう男なのだ。その白銀が、私を選んでくれたのだ。私がそれを信じないでどうする。白銀の意志を疑うということは、彼と、彼を愛した女性達への冒涜だ。
あぁ、そうだ、今は自分を責めている時ではない。白銀の傍に居るべき時なのだ。
白銀が、私を必要としているのだと、自分に言い聞かせた。

私の心に蔓延っていた靄は、消えた。もう迷いなどない。
同時に、白銀に無性に会いたくなった。


「……白銀は、戦闘のあった次の日はシミュレーターに篭っています。こちらにいないということは、もう一つのシミュレータールームの方でしょう。急がれた方が、よいのでは?今頃、別の女達に囲まれている頃でしょう。奴は鈍感ではありませんが、馬鹿ですからね。おまけに押しに弱いと来ています。何か相談を受けているうちに、無理矢理押し倒されていた……等と言う事も有得ない話ではありません」

宗像は、ニヤリと私をからかう様に笑った。
……それ、私のこと?
どうして宗像が知っているのか問い詰めたいところだが、それはまた今度にするとしよう。
私は、急ぎ部屋を後にしようとして入り口のところで、ふと気になったことがあったので立ち止まった。

「ところで、宗像。何故、昨夜の速瀬の話を貴様が知っている?」

「あぁ、言ったでしょう。酒が入った速瀬中尉に近づく者はいない、と。他所の基地で暴れられても迷惑ですので、ここは私達を育てて下さった教官にお任せしようと、教官の後をつけて行き、速瀬中尉を屋上に放ったのは、私だからです」

シレっとした顔で、宗像はそうのたまった。
ふふ、どいつもこいつもどうしようも無い奴ばかりだ。
普段なら、怒るところだが、なぜか今の私はそんなことが嬉しくて仕方なかった。

「そうか、速瀬に言っておけ。酒は程々にしろ、それと昨夜は世話になった、と。それと宗像。あまり速瀬や白銀をからかうのは程々にしておけ。どうしてもからかいたくなったら速瀬の方だけ私が許す。白銀をからかうのは私の特権だ。覚えて置くように」

私の言葉を聴き、宗像は目を見開いて驚いた表情になった。
それでも、彼女は直に元の不敵な笑みを浮かべて、直立不動で敬礼した。
私も宗像に敬礼を返した。
クシャと丸めた紙パックを宗像に放り、「捨てておけ」と頼み、廊下を走り、急ぎ白銀のいるであろうシミュレータールームへと向った。


きっと、宗像も憎からず白銀のことを思っていたのだろう。それが、異性としての感情かはさておくも。少なからずの好意を抱いているのは間違いじゃない。
今日は白銀を探すためにシミュレータールームへ来たのだろう。乗っていたのが、私だったことが、彼女にとっての誤算だったのだ。白銀の為に、飲み物を二つ用意していたのだろう。意外に宗像は尽くすタイプなのかもしれない。
昨日の速瀬を見れば、明らかだ。速瀬も白銀に好意を抱いている。
207B分隊の連中は言わずもがな。曲芸部隊のほかの隊員も、多くは彼を思っているのだろう。


ふふふ、本当に白銀は罪作りな男だ。
どうしようもない。
ライバルは数多い、それでも、私はこの戦いに負ける気などサラサラ無い。




[17469] まりもちゃんの憂鬱 女の戦いはこれからだ
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:50

別のシミュレータールームへ、走る私はその速度を落とすことなく廊下の角を曲がり、人を避け白銀の元へと急ぎ駆けた。たかだか基地内の施設の移動。大した距離ではない。
しかし、この一分一秒が私には酷くもどかしいものであったことは間違いではない。
シミュレータールームに近づいてくると、その距離に正比例するように人の数が増えていき、喧騒に包まれており、入り口の辺りは既に多くの人でごった返していた。
私は人ごみを掻き分けて、中へと入っていく。

シミュレータールームの中は、ある種の熱狂が支配していた。
間隔を置いて湧き上がる歓声。
この中から白銀を探すというのは、骨の折れる作業だ。
まず、この騒ぎの原因を突き止め、可能ならば私の権限で、この集まりを解散させよう。
「これは、一体なんの騒ぎだ?」
手近に居た男を捕まえ、そう問い質した。
私が捕まえた者は、最初厭そうな顔をしていたが私の階級が少佐と知り、直に敬礼をした。
それに私も応えるように、敬礼を返す。
「失礼致しました少佐。この騒ぎの原因は、あちらの大画面を見て頂ければお分かりになるかと」
言われた通り、シミュレータールームに設置してある大画面の方へと向いた。
そこには、戦場を縦横無尽に駆け回る一機の戦術機が映し出されている。
短刀一対を両の手に備え、数あるBETAを順々に切り裂いてゆく。大型BETAの下を潜り、左右を抜け、上空へと駆け上がり、短刀という心許無い武装だけを武器に、戦場を己が遊び場の様に振舞う姿は、まさに戦神のようであった。
私が知る限り、このような機動を行う者は一人しか知らない。
「……白銀か」
「は、少佐の仰る通り、白銀少尉であります」
私の呟きを、自分に対しての問いかけと受け取ったらしく、予想通りの答えを私にくれた。
他の者達のように、彼の一挙手一投足に沸きあがらず、ただじっと、食い入るように画面を見つめる私の横で、男は居心地悪そうにしていた。
「……凄まじい挙動ですね」
男は、場の雰囲気を改めようとしたのだろう。そんなわかりきったことを言った。
軽く相槌を打つ以外、私には答える術がなかった。


やがて、シミュレーションが終了すると、機体から白銀が降りてきた。
人々は拳を振り上げ、けたたましい歓声で彼を迎えた。
彼は人々に取り囲まれ、今の彼の機動についての賞賛や、質問などを受けていた。
邪魔をするのも悪いか、とも思いまた時を改めるべく部屋を出ようとすると、白銀の方がこちらに気づき私に向って手を大きく振ってしまったので、手を小さく振って応え彼の方へと向う。白銀が手を振っていた対象が私だと気づくと、周りの者達はまるで十戒に出てくるモーセによって二つに割られた海の如く、さっと人が分かれて白銀までの道が出来上がった。私は一直線にそこを歩き白銀の元へ。
階級が上がれば当たり前であるが、人の前に立つ事を要求されるし、下の者への示しとして上位者が動揺を見せることの無いようにと教育された私にとって、このような注目は苦にならない……というと、違う。大いに違う。確かに白銀と私の関係は周囲の知るところである、しかし、こうも公に、皆に認められていると……正直に言えば、恥ずかしい。
注目を浴びている理由が、「仕事」であるとか、そういう何かキチンとした理由があれば、私だって必要以上に恥ずかしい思いをすることもないだろうが、今は違う。
これは、白銀が私を呼び、私がそれに答えて白銀の元へと向うというのは……
……その…あれだ!学校の帰りに、校門のところで彼氏を待っているのと同じようなものだ。しかも、学校は他校。加えて男子校。ポツリと一人で彼氏を待っていれば、誰もが注目するだろう。なんて苦行。
いや、確かに憧れるシチュエーションであることは認める。
しかし、だ。私は女学生ではない、私は軍人なのだ。
その上、プライベートならいざ知らず、今は一応公務中にあたる。
鬼教官、厳しいことで有名な上官である私が、年下のしかも階級が下の男に呼ばれたために、その男の元へこちらからノコノコ出向いているのだ。
いくら自分の男に呼ばれたからと言って、年上の、階級もこちらの方が上である私が出向くのだ。つまり、それは、歳や階級以外の部分で白銀>私という図式が成り立っていることを示すことにはならないだろうか。この歳や階級以外の部分と言うのが男女の関係に相当する。となれば、普段の主導権は白銀のほうにあると周りが勘違いしてしまうかもしれない。私は歳や階級など関係無しに自分の男に呼ばれたから、という理由で今出向いているのだ、と周りに取られてしまう。これは酷い陵辱行為なのではないだろうか?



しかし、白銀は私のそんな考えなど全く想像もしていないようで、一仕事を終えたせいか清々しい笑顔をしていた。
「まりもちゃんも来ていたんですか?言ってくれればよかったのに」
「……白銀。公私を弁える、ということをいい加減覚えてくれ」
最近は、白銀が私のことを「まりもちゃん」と呼ぶことを概ね認めてはいるものの、流石に、こうも人の多いところで、ちゃん付けは勘弁して欲しいというのが本音だ。
案の定、「まりもちゃん」の辺りで、周囲の人間は吹き出していた。
白銀は、気の抜けたように「はぁ」と返事をしたが、恐らく理解していない。
この程度で理解してくれていたのなら、白銀を教えた時に苦労はしていない。
「ところで白銀。昨日のことで話がある。時間が取れたらでいい、後で私の部屋に来い」
「え?何の話ですか?」
何の話か、と聞かれると返答に窮してしまう。
そう言えば、殊更何かを話す。ということは無いのだった。

――― 昨日会っていなかったから。
ダメだ。こんなことは恥ずかしくて言えやしない。

―――私の方の心の整理がついたから。
ダメだ。わざわざ私の抱えていた問題を白銀に話してしまえば、白銀はきっと傷つく。
……考えてみれば、宗像と話した勢いで白銀に会いに来たものの、特に話題と言う話題はないのだ。さて、どうしたものか。

「ん、いや、何。し、仕事のことで、だな」
気づけば、当たり障りのない答えを返していた。
「わかりました。じゃあ、もう少ししたら向うんで、先に部屋で待ってて貰えますか?」
「あ、あぁ。分かった。私は先に待っている」
部屋で白銀を待っている間に何を話すか考えておこう。







よくよく、落ち着いて考えてみれば、私は白銀に何をしてやればいいのか分からなかった。
昨日の戦闘について褒める?それとも白銀の体のことを考えて止める?
白銀の傍にいて、彼を支えるということは、これからも彼についていくということか?
では、今の部隊はどうする?除隊?転属願いを出す?
いい具合に思考の渦に巻き込まれ、私の頭の回路はショート寸前。
ちょうどその時、私の耳にドアをノックする音が聞こえた。
「白銀です。開けていいですか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ」
思考が纏まらない内に、私は返事をしていた。
部屋に入ってきた白銀は、もうとっくに見慣れた筈の私の部屋で、そわそわと何か心配事でもあるかの様に辺りをキョロキョロと見回し、全く落ち着いてはいなかった。
「それで、まりもちゃん。仕事の話って何のことですか?」
全然こっちを見ずに、手持ち無沙汰な様子で自分の髪を弄ったり、服の裾を引っ張ったりとしながら居心地悪そうにしていた。
「そのことなんだがな……その、あれは嘘だ。ただ、昨日から話していなかったから何か話でもしようかと思って、な。……どうだ?」
私の言った「どうだ」という意味はどういう意味だったのか、私自身わからなかった。とりあえず、言ってみたのだが、……「どうだ?」はないでしょ、私。
まずい。非常にまずい。
もしかしなくても、私は緊張しているらしい。何を今更、と仰るなかれ。人生経験は豊富でも、恋愛経験に関してはド素人も同然なのだ。仕方が無い。

「……そうですね。昨日はまりもちゃんと会えなくて、ちょっと寂しかったですよ」

白銀は、そう言って力無く笑い目を伏せた。白銀の髪は男にしては、細く長いので、顔を伏せると白銀の顔は隠れてしまう。声が弱々しかったせいもあり、どこか儚げな印象を私に抱かせた。
――――ダメだ、ちょっと可愛らしい。正直、白銀のこういう姿は胸に来る。私がしっかりしなくては!私が守ってやらねば!と思ってしまう。私は自分でも意外だったが、どうやら一般の乙女のように「白馬に乗った王子様」を待っているというタイプではなく、「転んで膝を擦り剥いてしまって泣いている王子様」に悪戯したくなるタイプらしい。
良くない事とは知りつつも、いつか短パン、Tシャツ姿の白銀の膝小僧を優しく撫で回したいと妄想してしまった。
―――今度頼んでみようかしら?

白銀のこういう弱い一面を見てしまうと、先程まで悩んでいたことなど、私の頭の中からすっかりと吹き飛んでしまっていた。なるようになれ。正面からぶつかればいいのよ。
というよりも、私らしくすればいいのだ。それが一番白銀にとって救いになる筈……なってほしい!
よし!それでいこう。
私は意を決し、白銀の肩を掴んでこちらを見るように促した。
「白銀!」
「はいッ!!」
軍人の習性が染み付いているため、白銀は自分の名前を呼ばれると、条件反射的に胸を張って直立不動の姿勢を取った。私は大きく息を吸い込み、次の言葉に備えた。




「愛しているぞ!!」
「はっ!………………は、はへ?」



いきなり、愛の告白を叫ばれると思ってもみなかったのだろう。虚を突かれた白銀は、何が起こったのか理解できず、呆然としていた。
「……え?あれ?」
「いいから、落ち着け。そんな『鳩が豆食ってポー』みたいな顔をするな。」
「あ、はい。………いや、それ違う」

いかん。私も動揺しているらしい。
「聞き逃して頂戴……コホン。ところで、白銀。答えはどうした?」
「い、いきなりどうしたんですか?」
「いや、きちんと言ったことはなかったからな。こういうことは互いの思いを確認しておくことが大事だと私は思う。で、答えは?」
「あ、ありがとうございます。嬉しいですよ?そんな風に言ってくれるなんて思ってもみなかったから……」
白銀は、あたふたと手を振りながら、耳まで真っ赤にして照れてしまい、恥ずかしいのか。こちらと視線を合わせないように顔を背けた。
勿論、そんなことを私が許すわけはなく。グイッと顔をこちらに向けさせた。
首の裏まで熱くなっているのが自分でも分かるくらいに、私だって恥ずかしいのだ。

「そうか。……で、答えは?」
「昨日、目が会った時にまりもちゃんが応えてくれなかったから、きっと前の速瀬中尉みたいなこと考えているんだ、そう思って。今日だって、何か怒られるんだって思ってて」
どうやら、白銀は宗像が言っていた速瀬に絡まれたことが余程ショックだったらしく、私からも理不尽なことを言われると考えていたようだ。考えたことは事実だが、それを本人に直接言うほど私は愚かではないし、速瀬にしたって酒が入っていたからであって、口が勝手に裂けでもしない限り口に出すことはなかっただろう。

「……それは貴様の勘違いだ。気にするな。……で、答えは?」
「てっきり振られるんだって思っていました。『何故もっと早く現れなかったのか』って、それで、きっとまりもちゃんは俺に失望したんだろうって……」
「していない。白銀、私はあまり気の長いほうではないんだ。……答えは?」

「それで……」と白銀が言いかけた辺りで、私は白銀の胸倉を掴んでいた。

「いい加減にしなさい!何をウジウジしているの!?」
「自信が無いんですッ!!!自分に」

はい?何を言っているの?
白銀があまりにもハッキリとしない態度を取り続けたために、堪忍袋の緒が自然と寿命のため切れてしまい、私はつい使うまいとしていた女言葉を使って叫んでいた。
白銀の答えは実に、意外なものだった。自分に自信がないとはどういうことか。
戦場へ行く時に天才だと言っていたのは、演技だったということなのか?
いや、彼の機動は十分に自信を持ちえるものであるはずだ。恐らく、天才だと言っていたのは、演技ではなく本心も含まれていた筈。あれはそういう自信を持つに値する類の機動であったのだから。

「……ずっとこの世界で生きていく決心をしたつもりでも、何かあるたびにいつも決意は揺らぐんです。明確な立脚点が見つからないッ!自分の機動には自信はありますよ。それを支えに、自分で『天才だから大丈夫』って言いながら必死に誤魔化しながら、なんとか!!でも、皆は勝手に俺に期待して、俺はその期待に答える義務があるって言う!俺は誰に頼ればいいんですか?誰が俺を支えてくれるんですか?俺は……まりもちゃんに愛されてもそれに答えることが出来ない。俺が頼りにならないことは俺が一番知っている。戦術機以外のことを期待されても俺は……その期待に答えられないんです」

白銀の独白は、私の胸に響いた。
結局は、以前私の前で泣いた時から何も変わってなどいなかったのだ。
ずっと後悔しているのだ、いつも苦悩にまみれていたのだ。
私は白銀と男女の関係になれて浮かれていたが、白銀の中ではそれは重大な事件でもなんでもなかったのだ。ただ、白銀は私に一時の逃避として甘えていただけなのかもしれない。
弱さを人前で見せない程には、彼は成長していたが。
彼はこの難題を自身の力で乗り越えられる程には、大人となれていなかった。
ただ、それだけなのだ。

「……白銀。私はパンをあげたからと言って、パンを頂戴なんて言ってないわよ?」
「……」
「ねぇ、白銀。誰かに甘えるのって格好が悪い?いいじゃない。きっと皆支えてくれるわよ?訓練生の時、あんなに情けなかったじゃない。みんな白銀は超人だ、なんて思っていないはずよ?白銀。あなたが信じていないのは自分じゃない。あなたは、仲間のことを信じていないのよ」
「……そんなことないですよ」
「いいえ、そうよ。速瀬は私にあなたを支えてと言ったわ。白銀が戦闘のあった次の日はいつもシュミレータールームにいると教えてくれたのは宗像よ。戦術機の操縦技術ということを抜きにしても、あなたには不思議な魅力がある。皆はあなたのことを気に掛けているわ。訓練生の時、素人だったあなたの為に座学の進度を変更するように進言してきたのは榊よ?近接戦闘について教えてやりたい、そう言ってきたのは御剣よ。ねぇ。本当に誰もあなたを支えてくれないの?」

白銀は、真面目で優しすぎるのだ。普段は肩の力を抜いているくせに、いざと言う時は自分がやらなくてはいけない、と気張ってしまう。白銀は最初、軍においての規律の重要性と、上の命令の絶対性について疑問を抱いていた。命令があれば死ねるのか?そう聞かれて彼は死ねないとハッキリと答えた。BETAが現れた警報を聞いただけで、彼は気を失ってしまうほどに情けなかった。しかし、それなのに、彼は天元山の時はあっさりと死を覚悟していた。仲間である御剣が、老婆を助けたいと願ったことで、彼は文字通り自分の命を懸けて彼女の願いを叶えようとした。
白銀は仲間のために命を懸けられるが、仲間が自分の為に命を懸けるとなったら反対する筈だ。自分勝手ではあるが、白銀はそういう人間なのだ。だから、光線級のレーザーを空撃ちさせるなどと言うことを思いついて、自らが実行しているのだ。
白銀の機動をずっと間近で見ていた元207B分隊の人間なら、白銀と同じことが出来るかもしれない。しかし、きっと白銀は誰かがそれを行おうとすれば反対するのだろう。それは、仲間の力を信じていないと言うことではなく、ただ、仲間が傷ついてしまうことを恐れているのだ。そして、そういうことを繰り返しているうちに、誰にも甘えられないと考えるようになったのだろう。自業自得と言えばそれまでだが、実に白銀らしい。

「……私を支えてくれなくていい。私があなたを支えてあげる。だから、もう少しだけ素直に周りを見てみなさい。そうすれば、きっとあなたは一人じゃないと分かる筈よ。ね?」

「…… 嫌です」
「え?」

「嫌だ、そう言ったんです。俺だって男です。まりもちゃんくらい支えられます!!」
「……プッ。さっきまで誰も支えてくれない~って泣いていたくせに?」
白銀の言葉があまりにも可笑しかったので思わず吹き出してしまった。
だから、つい白銀をからかうように言ってしまった。
白銀はムッとし、彼の眉間に皺が寄せられた。
「泣いていません」
「今日は、でしょ?前は泣いていたじゃない」
「それは!……否定しませんけど……まりもちゃんて意地悪だったんですね」
「あら?これでも夕呼の親友をしていたのよ?これくらい出来なきゃ彼女の相手は務まらないわ」

夕呼のことを引き合いに出すと、白銀はクスリと微かに笑った。
笑顔が見れて嬉しいと思うもの、夕呼の話題で白銀が微笑むと正直言って嫉妬してしまう。
なんと言っても彼女は、白銀の初めてを奪った女性なのだ。
だから、私はワザと先程の話題を持ち出すことで、白銀をちょっと困らせてやろうと思った。

「で、いい加減答えてくれないかしら?ずっと待っているんだけど?」

私の問いかけを聞いて、白銀は口を開いて何か喋ろうとしたところで、ふと止まり。急にまたその口を閉ざしてしまった。続いて、何やら名案を思いついた悪戯っ子のようにニヤリと唇の端を釣り上げ、夕呼を思わせる笑みを浮かべた。
直に私の手を取り、自分の方へ強引に引き寄せ、乱暴に唇を合わせた。
唇を離し、私の頭を抱き込むようにして、私の耳元で、

「内緒です」

囁くように、そう告げた。



























結局のところ、私達の関係はなんら進展することはなかった。
勿論、後退することもなかったが。

白銀には白銀にしか出来ないことがあり、私には私の戦場があった。
曲芸部隊と共に白銀は自分達の基地へと戻り、教導役として自分の技術を伝えている。
私は今の基地で、皮肉屋の大佐の下、日々書類と世話のかかる部下に追われている。

仕事の合間に出来た時間を使って、私は彼との絆を確認する作業に移った。
今私達を繋いでいるのは、時折届く手紙のみである。
互いに筆無精な私達にしては、頑張って続けている。
この頼りない手紙だけが互いの無事を知る唯一の手段であった。
今日届いた手紙をチェックしていると、やけに上等な便箋が一つあった。
私個人に届く手紙というのは、一つしか心当たりが無かったが、白銀はもっと簡単に、酷い時ならば葉書に「元気です」と書いて送ってくるような人間なのだ。白銀がこのようなものを送ってくるとは考え難い。


一通の手紙を見て私は思わず笑っていた。
急に笑いだした私を不気味に思ったのか、近くで仕事をしていた大佐は椅子から立ち上がり、「娯楽の少ない昨今、私達は協力して娯楽を提供すべきであると考える」
と言って私の手の中にあった手紙を奪って読み始めた。

――― 『謹啓 神宮司まりも様    さてこの度は、我が国、ひいては人類の宝、そして私の良人である白銀武をお返し頂き誠に感謝致しております。白銀がそちらで過ごした際、大変御心遣い戴きまして大変恐縮に存じます。白銀も大層喜んでおりました。ですが、やはり故郷であり、私のいるこの国は白銀にとっても最高であるらしく、こうして筆を取っている私の傍らで、寛いでおります。未熟な二人でありますが、これまでにも増して御厚情を賜りたく、謹んでお願い申し上げます。     
謹白   煌武院悠陽
 
神宮司まりも様                         』



「私はそれほど日本語が堪能だというわけではない。これは、どういう意味だ?」
「要するに私に対する、宣戦布告ですね」
「ほぅ、中々愉快な事態になっているようだな。この最後の煌武院とは、あれか?日本のお姫様ではないのか?」
「私と大佐の目が正常なら、恐らく本人かと」
「ははは。自国のお姫様から宣戦布告を受けたのか。それで、神宮司。貴様はどうする?おめおめと引き下がるのか?それとも貴様達お得意のカミカゼでもやらかすか?」
「……大佐。私の国の先人の教えに『人の恋路の邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ』というものがあります。えぇ、国のトップが知らないはずも無いでしょう」
「くっ!ははは。これはいい。実に楽しみだ。あぁ、最近娯楽がなくてこの手の話に餓えていたのだ。神宮司、あちらの基地に出向くぞ!何、建前ぐらい幾らでも整えてやる。可愛い部下のため、一肌脱ぐのが良い上官というものだ。部下思いの上官に感謝しろよ?」


大佐は心底楽しそうに笑っている。そろそろ大佐とも長い付き合いだ、彼女の性格は良くわかっている。この人は楽しいことへの労力は決して惜しもうとせず、言ったことは必ず実行してしまう。夕呼の判断基準が興味の有無だとすれば、大佐の判断基準は楽しいかどうか、と言ったところだ。
つくづく私は上司に恵まれない運命らしい。

そして、白銀。
どうすれば、ここまで一国のトップを落としてしまえるのだ。
文面から察するに、殿下はどうやら白銀に大層執着しているようだ。
どうせ、私が向こうに行けば殿下と対峙しなくてはならないのだ、もしかすれば恋敵と書いて、強敵と読むような、速瀬や元207B分隊の連中もこの戦いに参戦してくるかもしれない。……いや、きっとしてくる。してこなくても、大佐が焚き付けるだろう。



はぁ、本当に白銀には悩まされる。
傍にいても、離れていても、彼は常に私を困らせてくれるのだ。
ここまでくると、彼はそういう星の下に生まれたのではないかと思える。




なんにせよ、今迄で一番重要な戦いの火蓋は何時の間にか切って落とされていた。
実に、憂鬱だ、と言っておきたい。                      
                            



[17469] 白銀武の溜息
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:51
『主人公の名前:不明(まだ未定、候補は難しい漢字を適当に並べておく)
特殊能力:まだ考えていない(後で適当に考える)
主人公の容姿:紅と黒のオッドアイで、銀髪ロン毛、美形。
主人公の性格:困っている人を見捨てられない、反骨心?とかある(後は、また追加する)

あらすじ:
ザザ~ン、ザザ~ンと波の音から始まって、何かすごい存在?によって異世界に連れてこられた主人公。その世界は宇宙人?からの侵略によって危機に晒されていた。主人公はバルジャーノンみたいな機体に乗り込んで、世界を救う。      みたいな?                      』


「……白銀。頭、大丈夫?」
「……すみません」

俺がレポート用紙に書いてきた小説の設定集を見て、夕呼先生は心底呆れ果てた表情で、苦々しく―――きっと先生が飲んでいるコーヒーのせいだと思いたい―――唇を歪めて、レポート用紙を叩いて、ジトリと俺のことを睨んだ。
あと、先生。ここはファミレスと言って、恋人や友人、はてはご家族でご利用されるお店なので、そんな大きい声で読まないで下さい。

「大体、この『?』って何?私に対しての挑戦?いい度胸ね。」
「……いえ、そんなことは……っていうか、そもそも無理なんですよ!小説を書くなんて」

尚も続くであろう、先生の責めを俺は逆ギレすることで、なんとか躱そうと試みる。
逆ギレというか…… 多分俺の言い分は正当だと思う。
だけど、夕呼先生に対しては正論も空論も、力を発揮することなく虚しく空振ると云うことを俺はよぉく知っていた。
人はどんなことでも学習することが出来るのだ。それがどのように虚しいことでも、だ。
非常に遺憾であるが、夕呼先生への反撃など砂上に打ち建てられた楼閣よりも儚い事を俺は、過去の出来事から学んでいた。
この学習こそ着実に大人への一歩を踏み出している証だと、信じたい。

「ふ~ん、あっそ。そう言う事言うわけ?なら、アンタ。来月までに金を溜めるアテでもあるの?日雇いや短期の仕事だと、あの子達は気づくわよ~?」
「うぅ、それを言われると……」
「他に選択肢があるなら、好きにすれば?あ~あ、折角私が、可愛い元教え子の為に一肌脱いで上げようとしたのに、人の好意を無駄にするなんて、あ~あ」
夕呼先生は実にわざとらしく、溜息をついた。

―――絶対にワザとだ。

しかし、そう分かっていても、死ぬと分かっていても闘わなくてはならない戦場の男のように、俺が夕呼先生の命令に逆らえる筈も無く、俺はまた小説を書くことを了承するほかなかった。

何故あの時、俺は電話を取ってしまったのだろうか?
あぁ、あの時の俺が憎い。
本当に、詮無きこととは分かっているが、それでも人間は後悔してしまう生き物なのだと、しみじみと実感していた。

――――俺が小説などという、俺とは全く程遠い存在に手を出すことになった理由は、一本の電話から始まった。

あれ?もしかしてこの始まりってちょっとカッコイイ?













高校時代。
一番大きな出来事と言えば、人によって様々であるが、恐らく似たり寄ったりだろう。
例えば修学旅行であったり、恋人が出来たことであったり、勿論学生の本分らしく大学受験やクラブ活動など、大体はこんな感じだと思う。
しかし、他人から俺はどうだった?と聞かれれば、言ってやろう。
世界的な財閥のお嬢様が転校してきたことだ!と。
忘れもしない、あれは高校三年生の十月二十二日。
朝、いつもの如く隣に住んでいる純夏のどなり声で目が覚めた。そう、ここまでは今まで通りの日常だったのだ、しかしどこでどう間違ったのか、俺にもまるでさっぱりわからないが、ここから俺の人生は大きく変わってしまうこととなった。
俺が起きると、ベッドには全く見知らぬ美女が二人。それも良く似たような顔。
で、それを見咎めた純夏によって俺はお星様になりかけたり、と紆余曲折あったもの、学校へと登校したのだ。そこで、知った衝撃の事実。
なんと朝の双子の美女二人は転校生だった。しかも、おまけにもう一人ロシアからの留学生も同じクラスに。で、またまた色々あって、気づくと俺の家の近隣は無人の荒野に。双子の美女――天下の御剣財閥の御曹司?あれ?女でも御曹司でいいのか?まぁ、いいや。そのご息女二人は時の総理大臣から「不順異性交遊許可書」なるものを持参の上で、俺の家に。ロシアから来た幼女、霞は純夏の家にホームステイ。
と、それなんてエロゲ?みたいな状況がすっかりと出来上がっていたのだ。

しかし、人の適応能力を舐めてはいけない。
摩訶不思議な世界が俺の目の前に突如として現れたが、いつしか俺もこの状況を受け入れてしまっていた。御剣姉妹の破天荒な、一般庶民とはかけ離れた考えや行動にも、慣れてしまった。まぁ、別の言葉でいうなら諦念と言えなくも無いが。

御剣姉妹の「いつでもカモ~ン。財力!力技!魅惑の肉体!なんでもあり!」の猛攻を潜り、純夏の「たけるちゃん!私を見て!幼馴染から女へ」の攻撃を躱し、霞の「私はいつでも、どこでも見ています。超能力開眼!」さえも避け、俺はなんとか通常の高校生活というものを送ることとなった。
白陵はエスカレーター校なので、進路の心配はないといっても、そこはやはり、高校三年生。色々と思うところはあったのだ。
俺達の関係は有耶無耶のまま、大学へと進学することとなった。
大学に進学して、何が変わったかというと、何も変わることは無かった。
高校生活そのままに、相変わらずの日々を送っていた。

どれくらい今まで通りかというと、例えば。学部が同じ純夏は、俺と授業をすべて被せて大学では俺にベッタリ。学友達からは純夏と俺は恋人同士と認識されている。家に帰ると最近料理を覚えた悠陽のお手製料理。たまに「今日は奮発しました」と悠陽による、悠陽のための(俺も嬉しい)女体盛。風呂に入ると冥夜が「背中でも流そう」と自分の体をスポンジにして俺の体を洗ってくれたり。霞は霞で「怖い夢をみました。眠れません」と俺の博愛精神をピンポイントで刺激するような、物憂げな表情で俺を見つめながら、自然と俺のベッドに侵入してくる。
断る?無理。
俺にはそんな残酷なことは出来ない。
とまあ、概ね、今迄変わらない日々を送っていた。きっと相変わらずと表現しても差し支えないだろうと俺は思う。
あぁ、どこかにいる神に誓ってもいいが、俺はまだ童貞だ。

しかし!!男白銀武。
このままではイカンと、奮起しようかなと思い始めた、丁度最近今日この頃。
そろそろ俺もハッキリとした態度を取らなくてはならない。
女性は贈り物に弱い。どこかの雑誌に書いてあったことを鵜呑みにした素直な俺はとりあえず、便利だからと言う理由で買った携帯電話を片手に、俺は女性にプレゼントする指輪を探しに出かけた。誰に渡すかなどということはまだ考えていない。
買った後、自分の気持ちを確かめようと思う。
まずは、形から入るべきだ、というのが俺の持論である。

そんな折、俺の携帯が突然震えた。
そして鳴り出す携帯。
ナンバーを見なくても分かる。夕呼先生だ。
夕呼先生とは、高校時代の恩師?であるが、彼女が俺に対して幸福な知らせをもたらせたことなど一度も無い。だからこそ、俺は夕呼先生からの連絡は直に分かるように水戸黄門のテーマ曲に設定してある。「人生楽ありゃ、苦もあるさ」という歌詞が、夕呼先生からの連絡を知った時の俺の心境を、幾ばくか慰めてくれるからである。まさしくこれから人生の「苦」を味わうことになるのだから。
俺の携帯は、非情にも夕呼先生からの電話であることを告げる不吉なメロディーを辺りに響かせながら、電話に出るように催促してくる。
全く、なんとも主人を思わない携帯である。まぁ、もともと無機質な奴なのだ、今回ばかりは見逃してやろう。こっちはそれどころではないのだ。
出るべきか?それともこのまま放っておくか?
悩みに悩んだ俺は、思い切って通話を切ってしまった……

俺はやってやったんだ!という達成感。
俺はやってしまったんだ!という絶望感。

この相反する感情が、俺の中で蠢いていた。
葛藤すること実に数秒。
また、電話が鳴った。



心なしか、携帯のバイブレーターはいつもよりも激しく振動していた。
まるで、「早く出ないと殺す!」と俺を脅しているように。

俺は、溜息を吐き、仕方なく、本当に仕方なくであるが、通話ボタンを押してしまった。



これが、後に俺を大きく悩ませる序章であるとは知らずに………はぁ



[17469] 白銀武の溜息 三馬鹿トリオ!結成秘話
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:52
『白銀ぇ~私からの電話に出ないって事がどういうことか忘れちゃった?あら~大変ね。あ、大変なのは言うまでも無いことだと思うけど、アンタのことよ?』

夕呼先生が語尾を延ばすということは、危険が(俺に)迫っているシグナルである。
地の底から響いてくるような、不気味に甲高い声。

「せ、先生。すみません、携帯って操作難しくて、電話に出ようとしたら誤って、ついうっかり切っちゃいました!俺が悪いんじゃないです。こんな複雑な構造にした、そう!携帯会社の陰謀なんです!」
俺は涙声になりつつも、夕呼先生に言い訳してみる。
人の生命とは地球よりも重たいのだ、その尊い生命を守るために俺は必死になって弁護した。でも、一つ気になることがある。例えば、青いタヌキ型ロボットが所有していた地球破壊爆弾なるものによって、地球事態が壊れてしまえば、人類など滅んでしまうわけであって、地球>人間一人の命なのではないだろうか。勿論、ことここに至って、己の破滅を導くような失言はしないが。

「うっかりで、済めば法律も憲法も警察も要らないわよ。でも、そうねぇ~。じゃあ私もついうっかり……しちゃってもOKってわけよね?アンタの言い分だと」
すみません、大事なとこボソボソと呟くのは勘弁してください。碌でもないことだと分かってはいますが、非常に気になります。
「と、ところで先生。どうしたんですか?何か御用でも?」
「ふふ、急に話題を戻しても私は忘れないわよ?とりあえず、貸し一ってことにしておくわ。で、用件の方なんだけど……アンタもそろそろ身を固めよう、なんて思っているんじゃない?」

……アンタはエスパーですか?
しかし、残念!
魔法少女や超能力少女は基本的に幼女~下の毛が生えた辺りまでで定年退職を迎えなければならないのです!つまり!夕呼先生が、そのような能力を持ちえることは無い!
あってはならないのだ!
あ、ちなみにこれ常識だよ?

となると…… 一番確率が高いのは誰かから聞いたということか?
しかし、俺はまだ誰にもそんなこと話してもいないし、そんな振る舞いも見せてはいない。
否!たった一つの可能性を考慮し忘れているぞ!白銀武!
振る舞いを見せてはいない?それは違う。断じて違う。
なぜなら、今この時俺は、指輪を選んでいるではないか!
夕呼先生は俺の今現在の姿を見て、推測したのだ!
辻褄は合う、となれば、先生は

……そこだッッ!!!!

と最近推理ものの漫画に嵌っている俺は、今の状況を推理し、バッ!と勢い良く体ごと後ろへと振り返った。
そこには不敵に笑う、妙齢の美女が一人。
「ふふ、やるじゃない。白銀。腕は衰えていないようね?」
「ふふ、先生こそ。伊達に歳は食っていませんね?」
沈黙。辺りは静寂に包まれたッ!
「………白銀」
「………失礼。お聞き苦しい失言が飛び出してしまいました」
危ない。俺の48のスキルの一つ「うっかり発言」が発動されてしまった。
俺の社会生活での進退から、俺自身の生死に関わることまでこの「うっかり発言」なる余分で不要なスキルはほぼ自発的に発動されてしまうのだ。
夕呼先生と話す際には、細心の注意を払って払いすぎると言うことはない。
気をつけなくては。

「とりあえず……そうね。安っぽいけどあそこでいいわ。場所を変えるわよ」
先生はそう言って、近くにあったファミレスを指差した。
俺も最近は行ってなかったから、何か久しぶりに食べようかな?
食卓にはいつも最高級品の物が並ぶが、それでも松茸だけではなく、たまにはシメジや椎茸が食いたくなるのが人情って奴だ。一年前からは考えられない発言だ。
あの頃は、俺も松茸が食いたくて食いたくて仕方なったなぁ。
と感慨に耽っていると、
「あ、ちなみにアンタのおごりね?」
「学生にたからないで下さいよ。俺は松茸の炊き込みご飯でお願いします」
「松茸なんてアンタいつでも食べられるでしょ?御剣姉妹にお願いしなさい」

うむ、先生の言い分は最もだ。しかし、甘い。
松茸だけは食卓に出ないように、俺はいつも目を光らせているのだ。
以前、松茸が出された時。俺は当然喜んだ。喜びすぎて、ついうっかり悠陽に『今度、何かご馳走するよ』と言ってしまった事があった。比喩ではなく、その発言を聞いた悠陽の目はキラリと、アメジストのような光を放ち耀いた。口元に手を当てて上品に悠陽は微笑み。『ならば、私は武様の松茸を頂戴することに致しましょう』悠陽はそう言うと、素早く机の下に潜り込んだ。そして、咥えた(俺の松茸を!)堪能した(俺の松茸で!)という出来事があって以来。俺は食卓に松茸が出てきそうになったら、すぐさま撤退することにしているのだ。だからこそ、こういう時しか味わえないのだ。

「それはそれ、旨い物は何度食っても飽きないんですよ。ってことでお願いします」
「白銀。私は、今日アンタの後ろでアンタの行動を見ていたわ」
「はぁ、それは分かってますよけど………ハッ!」
気づいてはいけないことに、気づいてしまった。
先生は、俺の一連の行動を目の当たりにしていたのだ。
つまり、俺が先生からの電話を切ったということも、先生は御承知でいらっしゃる。
「そう、良く出来ました。じゃ、アンタの奢り。ってことで、異論は無いわね?」
「異論などございません。俺今日は飯食っていたんでコーヒーだけでいいです……」
晩秋の澄み切った空の下、俺の乾いた笑い声だけが無駄に響いていた。
グッバイ、マイ、松茸。また、いつか会おうぜ。


俺は、希望を総て捨て去らなくては潜れない門を、そうして潜ってしまったのだ。



















「それで、お前は小説を書くことになった。そういうことか?」
後部座席に座っていたヴィンセントは、身を乗り出して助手席に座っていた俺の顔を覗きこむようにして、問いかけた。
ヴィンセントという名前からも、推察できる通りコイツは日本人ではない。
確かアメリカン野郎だったと思う、いや、女好きなところもあるのでイタリアンのナポリ野郎かもしれない、ま、どっちでもいい。
ヴィンセントは霞が利用している、留学制度とやらを使って白陵に来たのだ。
他にも中国やネパール、ロシアから留学してくる人も多いらしい。随分と国際的な学校だ。
「ん?まぁ、他にも色々あるんだが、今は忘れていたい。っとユウヤ、そこの信号左な」
「了解っと」
軽やかに自動車を走らせている、運転席のこの男。
名前はユウヤ・ブリッジス。日本人とアメリカ人のハーフの血を持つ男だ。正直な話し、ハーフなどという設定で、男っていうのは気に入らない。ハーフは須らく女性に与えられてこそ、その真価を発揮するのだ。ユウヤがハーフであるという設定は、正しく「猫に小判」「豚に真珠」などの諺が示すとおり、宝の持ち腐れである。

何故俺が、このような国際色豊かな奴らと友人をしているかというと、あれは忘れもしない大学の入学式の時のことだ。当時、サークルの勧誘を行っていたユウヤにパンフレットを渡された時、俺は外人であるユウヤの顔を見て驚いた。英語はあまり得意ではないからだ。しかし、それでもこれからの国際化の波を思えば、こんなところで躓くわけにはいかないと―――後ろにいた霞にいいところを見せたいという思いも多少はあったが―――俺はユウヤとコミュニケーションをとろうと試みた。
俺は友好的に中指を突っ立て、舌を出しながら「ヤンキーゴーホームッ!!」と言ってやったのだが、ユウヤはなぜかブチ切れ、冥夜と悠陽が止めに入るまで、ただひたすら空中コンボを受ける嵌めになったのだ。
あとになって聞いたところ、ユウヤは日本人の血を半分は引きながら、日本人に対してあまりいい感情を抱いていなかったらしい。複雑な家庭の事情があるらしい。それを聞いて俺は納得した。確かにそういう背景があるのなら、俺の友好的な試みに対してユウヤが怒った理由も頷ける。海よりも広い心の持ち主の俺は、ユウヤを許し、そして何時の間にか仲良くなっていた。拳をつき合わせたらマブダチぜよ!というご都合法則の発動である。
ちなみに、そんな日本人嫌いのユウヤであるが、彼女は日本人であるらしい。
しかも、去年度のミス白陵に選ばれる程の美人さんをコイツはゲットしたのだ。
姫という渾名で呼ばれているユウヤの彼女さんと、コイツの馴れ初めは詳しくは知らないが、付き合うきっかけになった事件は今や伝説として語り継がれている。
なんでも、ミスコンの際、姫は特技を聞かれて「肉じゃがが得意です」と言ったそうだ。
それを聞いた、ユウヤは今が好機!とばかりに壇上に上がって、司会者からマイクを引ったくり「これからもずっとママンの肉じゃがを俺に食わせてくれッ!」と魂の叫びを、思い切り力の限り皆の前でシャウトしたらしい。
で、その言葉のどこが姫の心の琴線に触れたのかは、まるでさっぱり謎に包まれているが、姫は涙を一筋流して、ユウヤの告白?にOKサインを出したらしい。全くもって信じられないことである。
あ、ちなみにそれからユウヤの渾名は「マザコン」「変態」となっているのであしからず。

「でもよぉ。驚いたぜ。武がイキナリ俺の家に押しかけてきて、『小説の書き方を教えてくれ!』って土下座するんだもんなぁ」
そんな嘘八百を並べるのは、ご存知我らがヴィンセント。
とりあえず、俺は土下座などした覚えはない。
ヴィンセントは何でもかんでも、話を大きくして話す傾向にある。
甘いマスクと、スラリとした体系、ちょっと大げさな話振り、そうしてヴィンセントは女性を騙すのだ。ヴィンセント曰く、「面白くて、気持ちよければなんでもいい」とのこと。
いつか、コイツは男に走りそうで怖い。三人で雑魚寝する時でも、俺は決してヴィンセントには尻を向けて寝ないことを誓っている。
「白陵の女誑し」ことヴィンセント。
機械工学なる分野を専攻しているヴィンセントと、経済を専攻している俺とではなかなか学内で会う機会は恵まれない。こいつと知り合ったのは、ユウヤを通じてである。
元々二人は知り合いだったらしく、ユウヤに紹介されたのだ。「面白い奴がいる」と。
その面白いというのは、俺を指してなのか、ヴィンセントを指してのことなのか、いつか追及しようと心に決めている。
ヴィンセントと会った当初、俺は驚いた。外人だったからだ。しかし国際化……以下略。
で、中指を突き立てようとしたところで、ユウヤに後ろから羽交い絞めにされてしまった。
渋々、友好的な挨拶を諦めて、俺はフランクに接することにしたのだ。
外人には、馴れなれしい奴が多いだろ?あっちでは、フランクと訳すらしいぜ?
となれば、さっそく俺は言ってやった。
「始めまして、ヴィンセント」
「お、早速ファーストネームか?じゃあ、俺も武と、そう呼ばせてもらうぜ?」
「ところで、おたくはオタクだろ?」
「……」
「……」

またしても、世界は闇に包まれてしまった。
あぁ、最初に大事なことを言っておきたい。ヴィンセントが機会工学部であり、理系にはオタクが多いからという理由でそんなことを言ったのではない。大体俺は、オタクに対して寛容だ。俺だって名の知れたゲーマー。そんなことに偏見はもっちゃいないぜ?
この発言は。「おたく」(貴方様)「オタク」(特定の分野の専門家)をかけた、アメリカンジョークなのだ。
アメリカ人て奴は、とりあえず笑っていれば、万事解決なんだろ?
こんな面白発言を、笑い上戸の奴らが見逃せる筈も無い。俺は一人、「米笑」と言われる、あの癇に障る「はーはっははあっは」と言う笑い声で、笑っていた。
しかし、どうしたことか、ヴィンセントは無言で拳を振り上げていた。
ユウヤが止めに入るまで、俺はヴィンセントによって立ち上がることを許されない、無限コンボを叩き込まれていた。
後で、良く考えてみると、これは俺の失言だったのだ。
なにせ、相手は理系。文系の俺の、高度なジョークを理解することなど難しかったのだ。
そういうことを失念していたのだ、俺は。ヴィンセントに、思いやりに欠けた発言をしてしまったことを詫び、許してもらい。そして何時の間にか三人でつるむ事になったのだ。
いつも女に囲まれている俺にとって、唯一心安らげる空間となった。
女が嫌いだと言っている訳じゃない、たまには男くさい話がしたいだけなのだ。
まぁ、変態・マザコン・馬鹿・のトリオであるが、それでも楽しい。


余談ではあるが、ヴィンセントは隠れオタクであったと記しておきたい。



で、俺達は今、何をしているかというと、ヴィンセントの提案で郊外の大規模家電量販店へと向っているのだ。
俺は、夕呼先生の命令で小説を書こうとしていたところ、ヴィンセントから電話が入った。
「おい、他店より一円でも安いって謳い文句が本当か確かめに行こうぜ?もうスレ立てしてあるから、後は実況するだけなんだ、協力してくれ!」とのこと。
車の免許をもっていない、または持つ必要も無い俺と、常にグッズを買い漁り貧乏人のヴィンセントが車などと言う高級品を持っているわけも無く、自然と車を持っていて運転も出来るユウヤがアッシーの立場になってしまうのは、自明の理である。
「へへ、他店より一円以上高かったら、クレームつけてやろうぜ」
なんて野郎だ。経済学を専攻している俺からすれば、家電量販店が取っているコスト優位化政策と言う奴は、それはそこで働いている労働者にとっては地獄のような競争戦略なんだと知っている。加熱する値下げ競争を、勝ち抜くために、賃金を絞りに絞っているのだ。
そんな働くお兄さん・お姉さん・お父さん達に対してクレームをつけるなどと……
全くもってDQN野郎な、ヴィンセント。
ん?ところで、DQNってなんだ?
「なぁ、 DQNの語源て何だ?」
「D:どうしようもない。Q:クソ野郎。N:なんだな。の略じゃないのか?」
ユウヤはいつも適当なことを喋る。
思いついたように、後先考えない発言が多いのだ。
変態、マザコン、適当、と三拍子揃った男も珍しい。きっと彼の将来は幸が薄いだろう。
ユウヤの将来が不憫でならない。
「なんだな、ってなんだよ。裸の大将かよ?」
なぁ、ヴィンセント。お前ホントに留学生なのか?
裸の大将を知っているとか、どんだけ日本通なんだよ。
っていうか、何オタクなんだ?
「いいか、DQNっていうのはだな、その昔テレビ番組で、目撃……」
「お?着いた。ヴィンセント。また今度教えてくれ」
ヴィンセントが、コホンと咳をして、意気揚々と説明し始めようとしたところ、ユウヤが目的地に着いたことを教えた。全く教えてほしそうでも無い様子で、ユウヤは適当にヴィンセントにフォローを入れた。

駐車場の空いているスペースを見つけて、そこに止めるため、俺とヴィンセントは一端車から出て、ユウヤにバックを指示する。
「オーライ、オーラ……ストップ!ストップ!」
「さぁ、やってきたぜ○×電気。ここが俺達の戦場だ。腕が鳴るぜ」
真面目に、ユウヤへ指示を出している俺を尻目に、ヴィンセントはそんなアホな子みたいな発言をしていた。
というか、俺達って言うな!

ユウヤは車を止めた後、なぜか携帯をチェックしていた。
恐らく姫から、メールでも入ったのだろう。
しかし、どうも違ったらしく、ユウヤはその携帯を手にとって、慌てて車から飛び出してきた。
「大変だ!」
「どうした?姫さんのアレが来ないって話か?そりゃ災難だな。だからあれほど、俺が…」
ヴィンセントの下世話な話を、拳一発で止めたユウヤは携帯画面を突きつけながら、
「5時からスロットの六確定台開放の抽選があるらしい!」
そんなお宝情報を告げた。
馬鹿な……六確定だと?
そりゃ、行くしかないだろう。
俺と、ユウヤは頷き、もう一度車に急いで乗り込んだ。
それを見て慌てたヴィンセントも乗り込むが、「おいおい。もうスレ立てちまってるんだぜ?どうするよ?」
「釣り宣言でもしとけ!ユウヤ、ここからどのくらいで着く?」
「三分だ!」
「ってことは、三十分以内のところか、今が四時過ぎだから……よし!間に合うな」

そして、俺達を乗せた車は発進した。

夕呼先生からの命令である、小説を書くことを一時ヤメテ。
姫さんからのデートのお誘いを断って。
新しく建てたばかりのスレで、すぐさま釣り発言をして叩かれながらも。

俺達は戦場へと赴いたのだ。



[17469] 白銀武の溜息 俺は反抗期、逆襲するはもう一人の俺
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:52
ファミレスに入った俺と夕呼先生は、コーヒーとケーキのセットを頼んだ。
夕呼先生にコーヒーというのは、確かにマッチしている。
だが、ケーキとは如何なものだろうか?
俺の知っている、もしくはイメージする夕呼先生の人物像とは、酸いも甘いも知っている女性の中の女性。知的で、そつなく仕事をこなすが生徒からは理解されず、上司である校長・教頭の弱みを握り、学校と言う閉鎖空間において絶大な権力を所有しているスーパーエリート。週末はビーチでもアバンチュールで身を焦がし、「夜は書斎で意味不明なトンデモ理論を考証しつつコニャックを楽しむ女性なのだ!
そんな、そんな夕呼先生がケーキだなんて!!
まるで、十代の少女のような注文ではないか!?
いやはや、あなたには失望しましたよ、夕呼先生。
正直、金返せって感じです。はい。
女盛りなんて言っちゃっていますけど、それ、下り坂のことですから!!残念!!
いや、ね?もう、あとは脱ぐしかないじゃないですか?その豊満なボディーを余すところ無く公開することでしか、夕呼先生では人気取れませんよ?な・の・に、ケーキ!?それで可愛いところアピールですか?エロ可愛いいでも目指しているんですか?ハッ!それ、女性雑誌の陰謀ですから!先生は可愛くなんてありませんから!!いや、ほんと……」

「好き勝手言ってくれるじゃない?どしたの白銀?情緒不安定?それとも苛められたくてワザと言っている?いいわよ。ご期待に添いましょうか?」
「…え?あれ?もしかして、途中から口に出していました?」
「えぇ、夜はトンデモ理論って言うところから、バッチリと。……アンタ、高校卒業したからって調子に乗ってる?なんか、今日は棘を感じるわね」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……なんか、もう一人の自分が囁くんです」
「……何を?」
「夕呼先生をギャフンと言わせたい、それだけが心残りだ、って」
「……何それ?」

すみません、自分でも変なことを言っているって自覚しているんで、そんな冷たい目で俺を見ないで下さい。
俺は、ドMじゃないんです。そんな目で、見られたら俺のハードMの血が騒ぐじゃないですか。変な属性を付けないで下さいよ。
ただでさえ最近は、霞が来る時間になると机の上にワザとちょっとエッチな雑誌を置いておいて、霞から冷たい目で見られることに快感を覚えるようになってきちゃったんですから。全く、勘弁して下さいって、本当に。
『白銀さんは……大きいのが好きなんですか?』なんて、ちょっと悲しそうに問いかけられると、俺の中の父性本能もシャカリキ目を覚ましだして、もう少しで「俺がお前の義父になってやる!!一緒に風呂に入ろう、それで洗いっこしよう!今すぐに!」そんな風に言ってしまいそうになるんだから。
大体。男にとって胸が大きかろうが、小さかろうが、問題はない。
どんな男でも、可愛い女の子が傍にいたら、むくむくと欲望が鎌首をもたげてレッドスネークカモンで、一度起きた海綿体は眠らないんですよ?
まぁ、授業中とかにそんな状態に陥って、しかも先生に指名されたりすると、地獄なんだよな。
更に最悪な事態は級友に見つかった時。
きっと悲惨なアダナを付けられるんだぜ?
でも、これはまだましな方だ。
更に最悪なのは、名前自体が卑猥な響きを持っている場合。これ最悪すぎる。思わず、名付け親である両親を巻き込んだ無理心中に発展しても不思議ではない。俺もいつか子供が出来た時は、名前にだけは気をつけたいと切に思う。間違っても「まりも」なんて付けてはいけない。
恐らく、まりもちゃんの学生時代のアダナは「まりもっこり」だったはず。
俺はまりもちゃんのこと好きだよ?でも、それと名前については別さ。

そんな風に、ついうっかりと、実に社会的な問題構造についてまで思いを馳せてしまっていたが、夕呼先生からの追求は思いの他なかった。
あんな、愚にも付かぬ言い訳に呆れたのか、はたまた、夕呼先生の独自の理論展開が頭の中で高速思考しているのか、それは凡人たる俺には想像も付かなかった。
一つ分かっていることは、これからは、もう一人の自分の願いをおいそれと叶えてやるのは止めておいた方が良いという事だけだ。
いつか、俺は自らの発言によって、身を滅ぼしかねない。
今は、助かったこの命を大事にしたい。戦場に散っていった、皆のためにも。俺には為すべきことがあるはずだ!
決して犬死するな!
性ある限り……失礼。生ある限り最善を尽くせ!
それが、俺の戦いだッ!!

「……盛り上がってるとこ悪いんだけど、そろそろいい?」
「…… どうぞ」
先生の無粋な横槍で、俺は急に現実に戻された。強制的に。
男の盛り上がりと言うものを、何時の時代も女は理解できないのだ。
やれやれだぜ………


「で、指輪を見ていたってことは、アンタもそろそろ誰かに的を絞ったってわけ?」
「そうですね。一応は」
「ふ~ん。本命は鑑、対抗は御剣姉妹、大穴で社ってとこ?」

「いえ、全部本命です」
「………」

俺のあまりにも男、もとい、漢らしい言葉を聞いて、流石の夕呼先生も唖然としてしまっていた。あ、やった。期せずして目標達成?喜べ、もう一人の俺。俺はやり遂げたぜ、あまりにも無謀なミッションをコンプリートしてやった。お前も喜んでくれるよな?

「…アンタ、一度くらい死んだ方がいいわね」
「待ってください!俺は皆を愛しているんです!誰か一人を選ぶだなんて……今の俺には出来ないッ!!そんな残酷なことッ!!」
「今って言ったわね?なら、アンタ将来は誰かを選べるって言うの?今出来ないことが、将来出来るなんて安易な考えは捨てなさい。断言してもいいわ。絶対アンタは選べないわよ?」
「それは、つまり俺にハーレムを築き上げろという有難いご指導ですか?すみません。俺、一夫一婦制って奴に憧れているんで、そういうことは、ちょっと……」

ハッ!!これは遠回しに『私を選びなさい!』と言うことなのだろうか?
確かに、冥夜達と出会うまでの夜のお供は「女○○シリーズ」だったことは否定しない。
しかし、あいつ等と出会って俺は変わったんだ。
俺は、射程距離が長いだけの男にはなりたくない、ずっと先を見据えつつも足元に気を配れる人間になりたいのだ!
【意訳:俺は、お姉様属性オンリーはもう止めた、年上もいいよ?それは間違いじゃない、でも俺は幼女もいいかなぁ~なんて思い始めたんだ】

ムチムチとした肉感的で、蟲惑的で扇情的であり、エロティックな魅力は若い女にしか出せないのだと!俺は知った!俺は変わったんだ!
言うなれば、進化!爆誕!真性白銀武となったんだ!
おおっと、真性と聞いてロリを思い浮かべるなんて、あまりにも早漏すぎるぜ?
気をつけろよ?

とまぁ、そういうわけで、歳を取りすぎた夕呼先生は勘弁な?
しかし、そんな直球を先生に投げつけるわけにもいかない。
ご老体に響いちゃうからな。
敬老精神に富んだ俺は、優しく言葉を選びつつも、夕呼先生を諭すべく試みた。
「すみません、俺、若い女性にしか反応しなくて……」
「まずは、黙りなさい。何を考えたのか想像できるけど、まずは、黙る。いい?これが、アンタにとって一番良い選択よ?でないと、いつかアンタを今にも滅びそうな世界に送るわよ?」
「イエス、マム!了解しました……、でも先生がそんな漫画みたいなことを言うなんて、意外ですね。先生って精神年齢若いんじゃないですか?」
「アンタ…とことん喧嘩売ってくるわね。大体、私はそんなの見ないわよ。読むとしたら小説の方が早いじゃない……小説?」

酷いな。俺は褒めたって言うのに。
ヤダヤダ、これだから無駄に歳を取った夕呼先生は。
人を信じられなくなったらおしまいですよ?有名な、あの人も言っているじゃないですか。
何時(なんじ)の隣人を愛せって。
ちなみに「何時」って言うのは、何時如何なる時でも自分の傍にいる人を愛しましょうってことらしいぜ?ヴィンセントが言っていた。まぁ、本場の人間が言うのだからきっと間違いじゃないだろう。アイツは「だから、いつでも女を口説くのは敬虔な教徒だったら当然さ」とナンパの口実にしていたが、きっとそれは間違いだと思う。
これだから、馬鹿コンビ(+ユウヤ)って言われるのだと、アイツは自覚するべきだな。

「……いいわ。それでいきましょう」
それとは何を指すのだろうか。
独り善がりの思考は、やはり夕呼先生が天才であるが故、なのだろうか?
でも、そういうのって結局は自慰行為と同様なんだよな。
余談ではあるが、以前mixyなるものが流行っていた時に、俺はそういうものに興味は無かったんで登録していなかったのだが、ある時大学を歩いている時、
「最近のmixyは女子高生がブログ代わりに使っているから困るよなぁ、あんな、オナニー日記はやめてほしいぜ」という友人(ヴィンセント)の弁を耳にして、速攻で帰って光の速さでmixyに登録したものだ。
結局探してみたが、そんな記事はどこにも存在していなかった。
某有名掲示板で「釣り」行為を多発し、自称「釣り王子」の異名を持つヴィンセントが言ったことを真に受けた俺が愚かだった。
次の日、釣られたことを認めるのも癪に障るので、ヴィンセントには「あれは、いいオナニー」と言っておいた。なぜか、目を丸くしていたが、どういうわけだろうか?
あ、ちなみに「釣り王子」と言うのは、女と掲示板住人を釣り上げる、という二つの意味を掛けているらしい。
そう説明された時、初対面の時は俺のジョークすら理解できなかったが、やはり本場アメリカンは違うな、と感心してしまった。

「白銀、アンタ小説を書きなさい」
「は?」
「印税ガッポガッポよ?それで指輪でも買うといいわ」

全く、先生の気まぐれ振りには毎度毎度頭を悩まさせられる。
しかし、それでも俺には逆らうという道は残されていないのがまたツライ。

こんな先生の気まぐれから始まったことではあるが、後に俺の人生を大きく変えることになろうとは、この時の俺、多分夕呼先生も、そして世界中の誰も知る由は無かった……



[17469] 白銀武の溜息 赤紙届ク、死地ニ突貫セヨ
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:52
「……小説、ですか?」
この時の俺は、傍から見れば随分と間抜けな顔を晒していたに違いない。
夕呼先生は思いつきで行動したり、喋ったりしているように見えて、しかし裏に恐るべき真意があった、と後で気づかされることも多い。
勿論、全く何も裏がないことも多々あるが。
往々にして、天才、つまり、夕呼先生のような人種の真意を推し量るためには、それ相応の人材をあてがわなくてはならないのだ。
ここにいる人材と言えば、平凡な大学生が一人。
結果は分かりきっている。
人生は諦めが肝心と、偉大な先達達も言っているではないか。
若干二十歳にして、既に悟りにも似た境地に至った俺ではあるが、それでも訳くらい聞いても罰はあたらないと思う。
「別に小説を書くって言うのはいいとして、大賞とかそう簡単に取れるわけないじゃないですか、それに、そういうのって審査に時間がかかるでしょ?」
「急いでいるわけでもないでしょうに……でもそうね。アンタの性格を考慮すれば、締め切りを設けないと、時間をチンタラと浪費するわね。いいわ。期間はアンタの誕生日まで、つまり十二月十六日。それでいきましょう。御剣姉妹を選ぶなら、あの子達には誕生日プレゼントって名目で渡せばいいわ。鑑や社なら、自分の誕生日に合わせて告白した、ってことにしてもいいし。ほら、これなら問題ないでしょ?」

成程、理に適っている。
偶然にも、俺と冥夜、悠陽は誕生日が同じ日だ。
霞を相手に選んだ場合であっても、霞から誕生日プレゼントを貰ったお返しとして、その場で思いを告げるなんて、かなりロマンティックな演出だ。
女性と言うのは、総じてそういう演出に弱いものだと、雑誌に書いてあった……気がする。
純夏の誕生日など、そこらの石ころを渡して、「これはダイヤの原石なんだぜ」と戯けたことで切り抜けてきた俺だ。
そんな手の凝った演出をすれば、純夏も大喜びすること間違いなしだ。
ただし、問題がある。純夏がすんなりと、信じてくれるかどうかだ。
幼馴染として、幼い頃からずっと一緒に馬鹿をやってきた間柄だ。
冗談の一種として捉えられるかもしれない。
……いや、ちょっとまてよ。
これって、俺に誰かを選べと、暗に言われている気がするのだが……
「夕呼先生、それって強制ですか?」
「強制ね」
「……そこをなんとか」
「ダメよ。いい?白銀、アンタが思っているより女の子って言うのは、敏感なのよ?いつまでも返事をしないアンタより、自分のことを好きだと言ってくれる方に靡いても不思議じゃないわ。あの子達の容姿なら、簡単にそこいらの男共を釣り上げられるわ。アンタも男なら、いい加減覚悟を決めなさい。決断の出来ない男ほど性質の悪い者はないわ」

『女の子』って言う部分や、『敏感』って言葉に、非常にツッコミを入れたい。
夕呼先生の口から、女の子なんて言葉が出るなんて、とか、敏感とか響きがエロイですね?とか、すっげぇ言いたい所をグッと堪えた。
夕呼先生にしては、珍しく真面目な話をしているからだ。
白銀武、空気の読める紳士である。

しっかし、まぁ、実は意外でもないのかもな。
これで、夕呼先生は意外に面倒見と言うか、姉御肌と言うか、そういうところがある。
高校時代には、進路の相談や、部活のこと、恋愛についてなど、夕呼先生に相談する生徒も多かった。
まりもちゃんは、生来の取っ付き易さに加えて、包容力があり、そのせいで彼女に相談する生徒もいたが、まりもちゃんには相談しにくいような生徒、有り体に言えば、問題児の多くは夕呼先生を頼っていたように見える。
ふざけた答え方をするが、本質をズバリと突くような助言をくれるからだ。
最終的な決断は、その相談を持ちかけてきた生徒本人に委ねるが、決断の材料となるようなことはきちんと話してくれる。
「白陵の飴と鞭」とは、まりもちゃんと夕呼先生のこと。
実に的を射た表現だ。

あれ?
でも、それって俺は、問題児ってことにならないか?

オーケィ。あまり深く考えてはいけない問題だ。
それよりも、俺には考えなくてはならないことがあるだろう?
そう、冥夜達のことだ。
確かに、ふざけたことを言っている俺ではあるが、そういうことを考えなかったわけではない。
夕呼先生が言ったことは、ずっと俺も考えていた。
俺が冥夜達に愛想が尽きるということは無いが、その逆はありうる。
それは、ずっと気掛りであったが、それを認めてしまうと俺の精神に多大な損害が被ってしまう、だから見て見ぬ振りをしていたことなのだ。
ずっと目を背けていたことではあるが、彼女達の好意に真摯に応える為にも、この問題とは真正面から向き合わねばならないことは、俺だって理解している。
どうして、この問題に俺がきちんと向き合えないかと言うことだって理由は判っている。

俺が、自分に自信が持てないからだ。

何故彼女達は俺に好意を寄せてくれるのか、それが理解できない。
天下の御剣財閥の跡取りである御剣姉妹。
まだ幼くとも頭脳明晰・容姿端麗の霞。
俺のことを誰よりも理解してくれる、純夏。

文句の付けようもない程、素晴らしい女性達だと思う。
だからこそ、判らない。
何故、俺に好意を抱いているのか、それがどうしても理解できないのだ。
理解できないと言うことは、恐ろしい。

未知なる物。
先の見えない夜の闇。
感情や思考が無い化物。

人は、自身の理解の範疇を超えた現象や事象、モノに対しては恐怖を覚える。
勿論、冥夜達が全身全霊を持って俺に示してくれる好意が怖いということではない。
それは純粋に嬉しく思う。
ただ、冥夜達が “何”を理由に俺に好意を抱いてくれるのかが、判らないから俺は自分に自信が持てない、自信が持てないからこそ、彼女達の好意に応えられない、俺が応えないから、冥夜達は更に自分達の思いを俺に対して見せてくれる。
悪循環のループに陥っているのだ。
もしも、人の感情がパラメーターで表される世界だったならば、どんなに楽だっただろう。
何をすれば、彼女達が喜び、何をしてしまえば、彼女達が悲しむのか、そして、彼女達が、白銀武という人間のどこに惚れているのか、そんなことが簡単に分かる世界ならばきっと、俺は彼女達を悲しませることはなかったのかもしれない。
だが、現実はそんな世界ではないのだ。
俺が誰を選ぶにせよ、その最終的な決断を下すための最後の一歩がどうしても踏み出せない。

夕呼先生の言葉の何かが、俺の体を貫いていた。
俺は、すっかり冷めてしまったホットコーヒーにストローを刺し、残りを吸い上げた。
カップの中身が空になっても、ストローからはヂュルヂュルと厭な音が鳴っても、俺は止めず、ストローから口を離せなかった。
俺はストローから必死で、“何か”を吸い上げようとしていた。
夕呼先生は腕を組んだまま、椅子に持たれかかる様にして体を預け、ただ黙って俺を見ていた。


























荒野を行く。
等と、表現すれば幾分か格好がつくのかもしれないが荒野なのは、俺達の財布の中のことであって、生憎と俺達はただ、舗装された道を歩いているだけだった。
前を歩くヴィンセントは肩を落とし、哀愁さえ感じさせた。
ユウヤの言葉を信じた俺達は、負けに負けた。
一向に当たりが来ず、それでも、運命の女神はきっと俺達に微笑んでくれると信じて、俺達は紙幣を淡々とコインに換えていく作業をこなした。
もう、本当に淡々と。黙々と。途中からは、苛々と。最後の方は、泣き泣きと。
どうやら、女神様はお留守だったらしく俺達は、結局振られてしまった。
それはいい。いや、本当は全然良くないが、ギャンブルと言う奴は負けることもある、そんなダメ人間発言は置いておいて、負けたことはいいとしよう。百歩譲って。
問題は、だ。
俺達がこうして、男二人で夜道を歩いていることだ。

Q:なぜ、俺達は徒歩なのか
A:車が無いから
Q:なぜ、車が無いのか
A:ユウヤが姫さんからの怒りのメールを頂戴したため、急いで乗って行ってしまったから

ユウヤは俺達の熱い友情よりも、姫さんとの熱い夜を取った、そういうわけだ。
麦が主食のメリケンと、稲が主食の日本人をブレンドした結果、ユウヤはそんな自分勝手な人間になってしまったのだ。
なんでもブレンドすればいいというものではない、という教訓だ。
俺には将来車の免許を取った時、いつかレギュラーとハイオクをブレンドして見ようというちっぽけな夢があったのだが、この今日の教訓を早速生かすべく、その夢を諦めた。
恐らく、レギュラーとハイオクをブレンドしていれば、碌な結果が生まれなかっただろう。
ブレンド、という言葉は恐ろしい。
とりあえず、今度ユウヤと会った時にアイツの額に『混ぜるな危険』と言う張り紙を付けようと、堅くヴィンセントと誓い合った。

「だぁー、あの店絶対にオカシイって。なんで、五万円も投資して当たりが来ないんだよ!」
負けた時、人は必ず何か自分が負けた理由を正当化しようとして言い訳を始める。
スロットやパチンコで負けた時の一番多くの言い訳とは、きっと「オカシイ」だと思う。
ただ、ヴィンセント。お前、突っ込みすぎ。
「……五万円も負けたのかよ」
「いや、八万円だ」
「……」
俺は、生涯ヴィンセントにだけは金を貸さないでおこう。
今日は、いきなり二つの誓いを立てることとなった。
「帰ったら早速掲示板に書き込んでやるぜ!」
「おう、俺も手伝うぜ」
ヴィンセントはまたしても、そんなダメ人間的発言をしたが、俺は帰ったら、直に「≫1負け犬乙」と書いてやろうと心に決めつつ、友情を重んじる俺は、ヴィンセントの言葉に賛同した振りをしておいた。
きっとこういう気遣いが、人間関係を潤滑にするための油なのだろう。
ユウヤにはそれが足りない。
今度あった時は、アイツの靴に油をさしておいてやろう、張り紙に続く第二の誓いである。

そんな風に馬鹿話に華を咲かせながら、俺達は歩いていた。
実は、俺には男友達と言う奴が少ない。
だから、昔はこんな風に男同士で語り合いながら歩くということに、憧れていた。
確かな友情を噛み締めながら、意外に楽しい時間を過ごしていた。
が、そういう時にこそ恐怖はやってくる。
ブルブルと携帯が震えて、メールが届いたことを知らせる着信音。
立ち止まって、携帯を開き、ディスプレイを覗いて見ればそこには、「突撃隊長」と言う名前が映し出されている。
件名は「麻雀を敢行する、直に来るべし」とあった。
赤紙が俺に届いたのだ。


「……ヴィンセント、すまん。用事が入った」
「ん?どうした?お、さては女絡みだな?おい、俺も連れていけよ」
人付き合いの距離を心得ているヴィンセントは、あまり他人に立ち入ろうとせず、適度な距離感を保って人に接している。
だから、これはヴィンセントの一種のポーズであることが分かっていた。
笑いながら言っていることを考えれば、恐らくこれは俺のことをからかうための冗談なのだろう。
「……来るか?」
「お、いいのか?って、冗談だよ。冗談。邪魔なんてしねぇーよ」
「いや、来てもいいぞ。というか来いよ、来てくれ」
「……誰からだ?」
俺の声が、少し涙声だったことに気づいたのだろう。
俺が何か厄介ごとを抱えていると思ったのかもしれない。
ヴィンセントは急に真面目な顔になり、問い詰めるように尋ねた。
意外に友情に熱い男なのだ。
「……速瀬先輩から麻雀のお誘いだ」
「……俺はなんて無力な人間なんだ、すまん。死んで来てくれ」
ヴィンセントは俺の言葉を聞くと、直に顔を背けて、苦々しく言葉を紡いだ。

「てめぇー俺を見捨てる気か!敵前逃亡は死罪だぞ!コラァ!」
「馬鹿野郎!敵戦力を正確に分析した結果だ!軍法会議でも俺の正当性は認められるぞ!」

「付いて来い!」「誰が行くか!」の押し問答。
ヴィンセントは知っているのだ、速瀬先輩から麻雀に誘われると言う意味を。
麻雀とは名ばかりの、「男に対しての愚痴大会」なのだと。
最初はいい。確かに麻雀らしいものをしているのだ。
しかし、酒が入りだすと、もう地獄。
速瀬先輩+他の先輩達(メンバーは様々)で、ひたすら愚痴、愚痴、愚痴。
やれ、あいつは鈍感だ。とか、あいつは優柔不断だなど等。
先輩達の想い人についての愚痴が始まる。
何がつらいって、それについて意見が求められるからだ。
先輩達はその場にいる俺に酒を浴びるように飲ませて―――断れば勿論死刑――その上、的確なアドバイスをしなくてはならないのだ。
朦朧とした意識の中、俺を先輩達の相手に見立ててひたすら愚痴、たまに手が出てくることもある。
以前、身代わりにヴィンセントを連れて行ったことがある。
俺は早々にダウンしたのだが、酒に強いヴィンセントはかなりの間呑まされたらしい。
次の日、俺の携帯には「にどいかない」とヴィンセントからのメールが届いていた。
漢字変換も、助詞が使われていない短文が、前日の凶行の惨劇の有様を雄弁に物語っていた。

結局、俺の制止の声も虚しく、俺を振り切ってヴィンセントは逃げて行ってしまった。
なんて儚い友情なんだ。
近年では、真実の友情・勝利・努力とはきっと週刊誌の中でしか見られないのだろう。
あいつの立てたスレを絶対に荒らしてやる!


俺は、一人トボトボと死地へと赴くこととなってしまった。



[17469] 白銀武の溜息 邂逅するは死地ばかり
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:53
俺と夕呼先生の間には、妙に居心地が悪く、体がむず痒くなる沈黙が漂っていた。
教師と言う職業柄、夕呼先生はこういう空気に慣れているのかもしれないが、俺には耐性などありはしないわけで、結果、俺の方から折れる形で話を切り出した。
「夕呼先生の言いたいことはわかります、でもそれならバイトとかして金を貯めるっていう手段もあるじゃないですか」
これは、純粋な疑問から来る質問であったのだが、夕呼先生は何を馬鹿なことを言っているのか、と呆れたような表情で、溜息を一つ吐いた。

「あのねぇ、贈り物って言うのは秘密にしておくから効果的なのよ?バイトなんてしたら一発でバレるに決まっているわ。事は迅速に、そして秘密裏に。それが成功の秘訣よ?」
最近は俺にも男友達が出来たし、冥夜達にだって自分の時間と言うものはある。
霞と純夏はよく一緒にいるところを見かけるし、二人だけで遊びに行くことも少なくない。
御剣財閥の跡取りである御剣姉妹は、家の関係で何日かフラッと出かけることもある。
俺だって冥夜達と四六時中一緒にいるわけじゃないのだ。

と、言いたいところであるが、そうもいかないのが人生だ。

なんだかんだと言って、俺の家には誰かかしら居るというのが現状。
御剣姉妹が出かければ、霞と純夏が家に押しかけてきて、普段の御剣姉妹の役割をこなす、また逆もしかり。
プライベートなんてあって無きが如し。
風呂上りにうっかりと、マッパでうろつこうものなら、速攻で捕捉されて物陰に連れ込まれる。
悲しいかな、自分の家でありながら、俺の役割は獲物に他ならないのだ。
ちなみに、そうやって俺を捕まえることが一番多いのは悠陽である。
おっとりした容姿と物腰であるが、中身はハンターそのもの。
高貴な人間というのは、得てして特殊な性癖があるように思われる。
月詠さんのショタ疑惑がいい例だ。
所謂高貴な人間と評される筆頭である悠陽も例外ではなく、彼女は間違いなくドSである、これは断言してもいい。
俺は、未だに魔法使い候補生であるが………悲しいけど処女じゃないのよね。
あまりにも悲しく(終始主導権が握れなかったこと)、そして気持ちがいい(性的な意味で)思い出なので、そのまま心の奥深くに鎮めておきたい出来事の一つだ………


サメザメと心の中で男泣きしている俺を他所に、夕呼先生は「それに」と一言付け加えて、話を続けた。

「小説を書いてお金を得る、そんなことは重要なことじゃないわ。アンタに今足りない物はお金じゃないなくて、自信よ。何か一つのことを自分の力で成し遂げて見なさい。きっとそれはアンタにとって必要な財産となるはずよ」
フフン、といつものように不敵に微笑む夕呼先生は、素敵に無敵で、当社比五割五分増しで格好良く見えた。
ちくしょう!夕呼先生が無駄に綺麗に見えてしまって仕方ない。
悔しいけど、俺の不安をしっかりと見抜いている。
どうやら、未だに俺は夕呼先生にギャフンと言わせるには修行が足りないみたいだ。

「でも、ないよりはあったほうが良いに決まっているわ」
先生は、コーヒーについていたスプーンでソーサーを叩きながら、どこぞの国の元首相のように注意を促した。

「自信のことですか?」
「はぁ?違うわよ、お金のことよ、お金」

……オイオイ、そりゃないでしょ夕呼さん。
ちょっと感動したと思えば、それですか?って感動が台無しなんですけど?
急に即物的なことを言い始め、俺の中での夕呼先生の株は右肩下がりに落ち始めた。

「……はぁ。あのねぇ、白銀。一つのことしか出来ないようじゃ、この先社会に出た時苦労するわよ?出来る人間っていうのはね、一つのことで二つも三つも成果を上げられる人間のことを指すのよ。小説を書いて、自信もお金も手に入れる。ついでに彼女もゲット!どう?これが、出来ないようじゃ、アンタの先もたかがしれているわよ?」
「いや、それが理想かもしれないですけど……もしかして大賞を取れ、そう言っているんですか?」
「別に?時間的に見て、直にお金が入らないことは分かっているわ」
「じゃあ、来年を見越して今から書き始めるってことですか?」
それだと、先生が言っていたように締め切りを設けたとしても、結果が出るのは来年のことになってしまう。
もう一年、よく考えろということなのだろうか。

「いいえ、違うわ。今年の話よ」
「?」


「だから、アンタは小説を書きなさい。出来る限りの力を振り絞って最高傑作を書き上げなさい。私がそれを買い取ってあげるわ。百万円で」
夕呼先生は、最高のジョークを思いついたような、悪戯っ子のような無邪気な笑みを浮かべて笑っていた。


……茫然自失とは、まさに今の俺の心境をピタリと言い表している言葉だろう。
最初、先生の言った意味が理解できなかった。
次に、ようやく頭が落ち着いた頃には俺は笑っていた。

「…… プッ、あはは、それ最高。最高ですよ夕呼先生。はは、やべぇよ先生。ホント、天才ですよ」
「ふふ、知ってるわ」
無茶苦茶だ。笑うしかない。
どこの世界に、素人の書いた物に百万も出す奇特な人間がいるというのか。いるもんか。
いや、いた。それも俺の目の前に。
夕呼先生は有言実行の人だ、たとえどんなに無謀なことでも夕呼先生が言ったからには真実になる、というか実現させてしまうお人だ。
先生の無茶な言動も、行動も、知っているつもりだったが、甘かったらしい。
はは、やべぇよ。流石だ、夕呼先生。
香月夕呼銘柄の株価は高騰しっぱなしだ。
ガキ大将に、金と知恵を持たせてそのまま成長させたらきっと夕呼先生のようになるのかもしれない。夕呼先生がただで俺の書いた作品に金を出すはずは無い。きっとその後には、その小説を使って何か面白いことを起すつもりなのだろう、何をするつもりなのか、俺にはさっぱり見当も付かない。


でも俺は、夕呼先生のこういう子供染みた発想が案外好きだったりする。


「やべぇ、やばすぎですって、あははは」
「まぁ、天才だからね~。で、アンタは乗るの?乗らないの?」
「乗ります、やります、やってみせます。ははは、最高傑作ってやつを書き上げてきますよ」
「ふふふ、期待しているわよ」

敵に回せば恐ろしい相手だが、味方になればこれほど頼もしい人もいないだろう。
夕呼先生が味方についた悪巧み、まるで負ける気がしない。
何と戦っているのかって?そんなこと知るか。
夕呼先生と上手く付き合っていくためには、どんなことにでもノリにノッて笑っていれば、面白くて、漫画に出てくる主人公のような人生を歩めること間違い無し。

俺は、これから起こるであろう出来事を想った。
少しばかりの恐怖感は、怖いもの見たさの好奇心で押さえ。
何をやらかしてくれるのか、という興味で胸を躍らせていた。

夕呼先生は頬杖をつきながらおもむろにカップを差し出してきた、俺は空に掲げられている夕呼先生のカップ目掛けて力強く、自分のカップをぶつけた。
まるでドラマのワンシーン、そしてワザとらしい演技。
俺達は声を揃えて笑いあっていた。





















俺のことを、薄情にも見捨てて逃げ出したヴィンセントと別れた後、俺は大変気が進まないのだが、先輩の命に逆らえるはずも無く、仕方無しに速瀬先輩の住むマンションへと向った。
部屋の前まで来たものの、俺はこれからのことを思うと、とてもじゃないが自分から処刑台に上がるような愚行、つまりは自分で先輩の部屋のチャイムを鳴らすことは出来そうになく、しばらく頭を抱えているのが現状なのだ。


速瀬先輩とは、妙齢の女性で、口さえ閉じていれば大変な美女で鍛え抜かれたセクシィーボディの持ち主であるのだが、口を開いた瞬間から俺の天敵へとはや代わりする女性のことだ。速瀬先輩とは、夕呼先生の姦計により知り合ったのだが、なぜか知り合った瞬間から俺と先輩の間には確かな力関係が生まれてしまっていた。
恐らく前世が関係していると思われる……いや、真面目な話だよ?
……ホント。なぜかあの人にだけは逆らえないというか、宇宙の法則みたいな人智を越えた何かが存在していることは間違いないだろう。先輩と知り合ってから、俺は霊の存在を信じるようになったくらいなのだ。
先輩はことあるごとに、俺を呼び出しては、勝手気ままに振舞っている。
例えば、このマンションを選んだのは俺だ。
急に呼び出されて、というより寝ていたところを拉致されて、一日中マンション選びにつき合わさせられた。引越しの際にも借り出された。
給料?出るわけ無い。出されたものと言えば、速瀬先輩の手料理だけだ。酷くないか?正直、速瀬先輩の手料理なんてもう食べ飽きているって話ですよ。もっといいもの下さいよ、と正直に言うと俺は多分殺されるので、口が裂けようと決して言うことはない。
あぁ、「殺される」とか冗談だと思うだろ?……ははは、それが冗談じゃないから、俺としても冗談じゃないんだよ。


速瀬水月といえば、世界水泳で御馴染みの日本のホープ。女子水泳の現役は短いらしく、速瀬先輩の歳だとかなりの古株らしいのだが、それでも未だに現役で世界と闘っているというのだから……な?どれくらいすごいのか分かるだろ?
正直、下手な男子よりも力が強い。
どうしても蓋が開かないビンがあれば、俺は速瀬先輩に頼むくらいだ。
勿論、その後に俺は怒られる。曰く『私は女なのよ』だとか。理不尽な人だろ?
……いやね、それを理解しているのなら、もう少し言動とか注意してくれませんかね?と俺は声を大にして言ってやりたい。
自分が有名人で、容姿もなかなか……いや、かなりの上物であるとキチンと理解して欲しい。
やれ『暇になった、旅行に行くから付き合いなさい』と言って俺は着の身着のまま沖縄に二泊ほど連行されたり。居酒屋で速瀬先輩と飲んでいた時など、『飲酒運転なんて出来るわけ無いでしょ!車は置いていくわ。はぁ?何言ってんのよ。アンタが私を負ぶって帰ればいいのよ。ま、私も鬼じゃないし~今日は泊めてあげるわよ』と言って結局俺が先輩をマンションまで連れ帰って介抱までさせられたりと、とにかく碌なことしないのだ。
まさに傍若無人、第二の夕呼先生になる可能性を秘めた女傑。
ただ夕呼先生と異なるのは、困ったことに、速瀬先輩は一応有名人なのだ。
俺と速瀬先輩の仲が神に誓っても潔白であるとしても、週刊誌は話題になればなんでもいいと、悪食の本性を発揮して俺達のことを記事にしようと躍起になり、非常に悪質なデマを作り上げようとする危険がある。
それを速瀬先輩はまるで理解してはいないようで、俺を連れまわす時など、俺のことを逃がすものかとばかりにガッシリと腕を組んで、体を密着させてくるのだ。
もうね、そういうのは本当に勘弁して欲しい。こちらは一般人なのだということをキチンと理解して欲しいのだ。

例えば、こういう出来事があった。
ある時、俺と速瀬先輩の朝帰り(飲み歩いていたため) を撮られたことがあった。
スヤスヤと心地好く眠っていた俺は、突如月詠さんに起されてリビングに来るように言われた。行って見ると、そこには般若の冥夜と、能面の悠陽。
ま、空気を読んだ俺はとりあえず正座をして彼女達と向き合った。
すると横から月詠さんがスッと、その写真を取り出して俺に見せて、説明してくれた。
どうやら出来上がった記事が週刊誌に掲載される前に、御剣財閥の諜報機関が察知し、事前に指し止めしてくれたらしい。俺は、とにかく言い訳した。
勿論男らしく―――本当は総ての責任は速瀬先輩にあるのだが―――それを敢えて告げずに、コンコンと今の社会情勢を踏まえた上で、人のプライベートを勝手に激写した記者が悪いのだと、それはもう俺の知識を総動員して、頭をフル回転させて、言い訳をしたのだ。

しかし、どうやら御剣姉妹を説得するには、俺の力は及ばなかったらしく、
悠陽は『武様も立派な殿方、性的な欲求の一つや二つございましょう。申し訳ございません。総ては武様を満足して差し上げることが出来なかった妻たる私の責任。えぇ、今宵と言わず、今からでも早速……真耶さん!閨を始めます!』と言ってパンパンと手を叩いて、月詠さんの従姉妹である真耶さんの方を呼び、体を清めて参りますと言ってどこかに行ってしまった。
……いや、そんな、『手術を始めます!』みたいな言い方可笑しくないですかね?
何やら身の危険を感じたので、俺は逃走を図ったことは言うまでも無い。

ちなみに、冥夜は既にミナルカムイ?とかなんたら言う刀(真剣)を持ち出して、編集部のほうへ討ち入りに出かけていた。

俺は、たまに冥夜のこういう猪突猛進な性格が怖くなる。いつか、俺が斬られそうで怖い。
でも、先に編集部に圧力をかけておいて、冥夜の行動を後から聞いてコロコロ笑いながら、『ほほほ、相変わらずそそっかしい子』とのたまった悠陽が一番怖い。
っていうか悠陽さん、銃刀法違反ですから!犯罪ですから!そそっかしいとか、そんな可愛らしいレベルじゃないですから!!!


と、言うようなことがあった。
速瀬先輩の軽はずみな行動が、如何に俺の精神に負担を強いているかがよく分かる出来事だと思う。




過去のことを思い出していると、泣けてくる。
夜風がやたらと目に染みやがるぜ、へへっ。

しかし、いつまでもこうして外で感傷に耽っている訳にも行かず、俺は意を決して速瀬先輩の部屋のチャイムを押して、合鍵を使って部屋に入っていった。
合鍵?
あぁ。速瀬先輩が早く起きなければならない日は、その前日に、俺に起しに来るように言われることが多いから、いつのまにか合鍵を貰っているだけだ。
まったく、ずぼらな性格の先輩を持つと苦労するだろ?
ただ、意外に寝相はいいらしく、朝とか起こしに来た時なんて、先輩は仰向けでまるで今布団の中に入ったかのような様子で寝ている。
寝癖とかも全然ないし、寝返りを打って布団が乱れた様子も無い。
でも、やっぱりだらしない所も見て取れる。
前日の化粧を落としていないのか、うっすらと化粧をしたまま寝ているし、パジャマとかは乱れまくりで、ノーブラノーパンは当たり前、たまに素っ裸の時もあるのだ。
勿論、紳士で気の利く俺は、先輩の化粧を落としてやり、パジャマの前が開いていたらちゃんとボタンを留めてやり、ノーブラノーパンの時はブラもパンティーも履かせてやり、素っ裸の時は、ブラもパンティーもそしてパジャマもキチンと着せてやるのだ。
これは、鋼の精神を持つ真の紳士にしか出来ない業だ、真似するんじゃないぜ?

そんなわけで、気の利く素晴らしく出来た後輩である俺は、先輩からの信頼も厚く、こうして合鍵を渡されている、とそういうわけだ。
しかし、親しき仲にも礼儀ありと言うように、チャイムを鳴らすのを忘れない俺。
実は……以前はチャイムなしで勝手に入っていたんだけど、前、いつものように勝手に突入した時、気まずい思いをしたことがあって、それからはこうしてチャイムを鳴らすようにしているだけなんだけどな。

いや、気まずいって言ってもアレだぜ?先輩が男とイチャイチャしてた、とかそんなことじゃないぞ?それは、先輩の名誉を守るためにも、言っておきたい。
まぁ、本当に大したことでもないんだけどな。
ドアを開けて部屋に入ったら、先輩は料理の途中だったらしく、キュウリや茄子を水洗いしていたところだったんだ。まぁ、ずぼらな先輩らしく、着替えるのが面倒だったんだろうな。下半身だけ何も履いて無くてさ。
速瀬先輩の裸とか、見慣れている俺からすれば別に?って感じだけど、先輩はやっぱり恥ずかしかったみたいで、『キャッ』と女みたいな声を上げて野菜を後ろ手に隠した。
オイオイ、料理している方が恥ずかしいのかよ、隠すなら下半身の方だろ(笑)と思ったが、きっと女が料理しているところを男に見られるというのは、とてつもなく恥ずかしい事なのかもしれない、と思い直して、そういうことを言うのだけは止めておいた。
まぁ、そのあとしばらくはちょっとギクシャクしていたけど、直にいつも通りの関係に戻った。
な?大した話でもないだろ?

と、そんなことがあってからはこうして一応断りを入れてから入るようにしているのだ。

玄関の扉を開け、おいてある靴をチェックしておく。
これは、俺が靴フェチとかそういうことでは断じてない。
今日のメンバーを確認しているのだ。
麻雀とは誰もが知るとおり、基本的には四人で行う遊びだ。
だから、必然的にこの「愚痴大会」とは俺+先輩達三人という構成になってしまう。
対多はもとより、先輩達が相手では一対一ですら勝ち目が無いというのに、それが三倍なのだ。俺の苦労を、押して図るべし。
だが、先輩達の三人の組み合わせによっては、俺にも助かる道は残されている。
例えば、先輩達の良心である涼宮(姉)先輩は、総ての先輩達の攻撃力を著しく減退してくれるので重宝する。
もしくは、宗像先輩のストッパー役である風間先輩が居れば、最悪宗像先輩の相手は風間先輩に任せておいて、俺は残りの速瀬先輩にだけ対処すればいい。

最悪の組み合わせ?
それは勿論、攻撃に特化した、というよりも攻撃しか出来ない、してこない、速瀬――宗像――伊隅の組み合わせだ。

常に押せ押せで怒涛の責めを繰り出してくる速瀬先輩に、的確に戦況を見極めて確実にアシストしてくる宗像先輩、酒が入るとまるで止まることを知らない伊隅先輩、とこの三人が揃っていた時は死を覚悟すべきだ。

事前にそれを組み合わせを知っていれば、俺の精神もなんとかそれに対処しようと頑張ってくれる。
だからこそ、情報戦というのは非常に重要であり、靴から持ち主を特定しておかなくてはならないのだ。
ちなみに、先に挙げた二人の先輩の靴は、可愛らしい系。
意外かもしれないが、宗像先輩と伊隅先輩の靴は地味系orちょっと派手な色のハイヒール。
で、これを念頭に置いて靴を調べてみると………えぇっと、赤のハイヒールと、黒のブーツ。


………
……

さぁて、ここからが本当の地獄のようだ。



[17469] 白銀武の溜息 先輩トリオとの勝ち目の無い真剣勝負
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:53
真剣勝負独特の緊張感、命を切り取りするこの感覚。
指先まで汗をかき、喉は焼け付いたように、ひりひりとする。
人生はギャンブルであり、ギャンブルは人生の縮図である。
一寸先は闇。何が起こっても不思議ではない。
自らの推測を信じ、自分で決断する。
誰にも頼れず、周りにいる人間は総て敵なのだ。
勝者は常に一人、孤高の頂に立つ。
そこに至るまでに、どれほどの負債を背負おうとも下ろすことなど出来る筈も無い。
失敗しても決して精神を腐らせることなく、飽くなき勝利への執念こそが勝利を呼び込む。

俺は我知れず、唾を飲み込んでいた。

配牌・ツモも悪くない。いや、寧ろ最高だ。
ドラを雀頭に、ピンフ、三色、八萬を引ければイーペーコーもつく。
まだ六巡目。勝負に行ける。
……リーチをかけてしまえばもう勝負から降りられない。
だがッ!裏ドラが乗れば更に点数は跳ね上がる……

どうするッ!どうすればいいッ!

手近にあった缶を引っ手繰り、喉に流し込んだ。
一息入れて、頭を冷やす。

いけッ!ここは勝負する所だ。
ここで、刺すッ!いけっ!いくんだッ!

無造作に最後の点棒を卓に投げて、牌を横にして河に捨て、俺は静かに宣言した。

「……リーチ」

「お、それだ。悪いな白銀。ロン、だ。ん?またトビか?」

やってらんねぇ……




「何よー、またトビ?弱いわねぇ、だからアンタはダメなのよ」
「仕方ありませんよ。まだ若造ですからね」
「ふふふ、そう言ってやるな。今のは、私の読みが冴えていただけだ」

くそぅ、先輩達は好き勝手言いやがる。
だが、俺は言いたい!!俺が弱いんじゃない!と、声高に叫びたい!
違うから!全然違うから!

何が言いたいのか、わからないだって?
……ははは、なら見せてやるよ。もう一局打てば直に分かる。
決して俺が弱いんじゃないということが。


俺達はまたジャラジャラと牌を混ぜて、山を作っていく。
先輩達は一発で十七牌纏めることが出来ないので、二・三牌を少しずつ重ねて山を作る。
さて、この辺で分かったかもしれないが、先輩達は初心者もいいところなのだ。
どういう経緯で、先輩達が麻雀をやろうと言い始めたのかは、俺の知るところではない。
点数計算も出来ないので、一つ役が付くごとに千点という独自ルールを設けている。
ただし、そう決めてはいるものの、これは殆ど活用されず、先輩達は俺に点数を聞いてくる。
これは、俺にとって大変助かるシステムなのだ。
なぜかって?それはね、先輩達は豪運の持ち主ばかりだからさ。
まぁ、見てな。半荘もしないうちに、多分東場で俺は飛ぶからよ。

東一局。
親は伊隅先輩から、俺の配られた牌も悪くない。
伊隅先輩はカチャカチャと牌を整理している。
と、急に手が止まり、牌を指差しながら何かを確かめ出した、そして時々首を傾げる。

……すまん。さっきから悪寒が止まらないんだが………

「んん?これは……」
伊隅先輩はニヤリと笑い、点棒を卓に置いた。
クソッ!いきなりダブルリーチかよ!!

「一発ツモ!ロイヤルストレートフラッシュ!!」

そう言って、牌を総て倒した。
な?意味がわからないだろ?門前ツモで、リー棒を出すとかホント勘弁。
先輩達は麻雀の基本的なルールすら知らないのだ。
で、牌を見てみると……成程確かに、萬子だけで構成されているからポーカーのフラッシュのようである。うん、それはいい。え?萬子だけ?一色?……ちょっと不味い気がする。
あ、あれ?おかしいな?目が疲れているのかな?
………こ、こいつは……ちゅ、九連宝灯!?って!親番一発目ってことは、天和!?
ダブル役満……ありえねぇ……何がヤバイって、これイカサマしてないんだぜ?
どんな強運の持ち主だ、って話だよ。

「あちゃー、私も結構いい牌が来てたのにな~」
「おや?伊隅先輩の牌は随分と綺麗ですね。ロイヤルストレートフラッシュですか、成程。確かに。点数はどうします?一万点くらいですかね?」
「あぁ、それくらいはあると思うが……白銀。これはどのくらいの点数になる?」
「……い、一万二千点くらいです」
「そうか、なら三人で割ると……一人四千だな」

負けず嫌いな速瀬先輩は渋々と点棒を伊隅先輩に差し出し、宗像先輩は何が楽しいのか、いつものようにニコニコ、というかニヤニヤと笑って点棒を渡した。
すみません、伊隅先輩。本当はそれでこの勝負は決着なんです。全員トビます。
でも、そんなこと俺は決して言わない。
俺は、なんとしても勝ちたいのだ。
あ、あと、伊隅先輩。
それは上がったら死ぬと言われている役なんで、当分は気をつけてくださいね?


東一局一本場。
当たり前のこととは言え、流石に伊隅先輩と言えど、二度連続で天和はなかったようで、皆順々に牌を切っていく。
俺の手?とりあえずテンパイです。
でも男は黙ってダマテン、これ基本。
引いた牌は白。今の俺には不必要な牌。とくれば当然ツモ切り。
しかし、それを見た宗像先輩は鼻で笑った。

「ロン。東西南北。全方位!」

なんじゃそりゃ?でも、名前の響きが……すごく……嫌な響きです。
牌を見てみると、確かに東西南北総ての牌が三枚ずつと白が一枚。
なんだ、単騎待ちかよ。……あれ?
ちょ、ちょっと待ってください。え?字牌だけ?え?大四喜!?や、役満!?

「白銀、これもなかなか高いだろう?いくらだ?」
「……い、一万二千点です」
「ほう、先程の伊隅先輩と同じか。悪くないな」

違います。本当は、それ役満です。時々、ダブル役満です。
俺は、もう死んでいます。


東三局。
俺の心は、既に燃えつきかけていた。
役満が連続とか、マジ鬼畜。ありえねぇから。マジッパネェっす。
とか、適当にチャライ最近の都会に住む若者の様な言葉遣いをしたくなるほど、俺の心は壊れかけていた。
俺の親番だと言うのに、全く勝てる気がしない。
絶望感と焦燥感が、俺の全身を纏っていた。
しかし、それでも俺には麻雀を止めると言う選択肢はないのだ。
麻雀で心が折れるわけには、いかないのだ。更なる絶望は、その後にやって来る。
麻雀を終えると言う事は同時に、本格的な『愚痴大会』が始まるということだ。
それだけは……それだけは、阻止しなくてはならない。俺の心と体の安寧のためにも。
心を無にして黙々と自牌を集める。まるで牌が重ならないし並ばない。
さっきから字牌と一とか九しかこない。もう、流しちゃおうかな。
…… ん?字牌?一?九?それだけ?
……こ、国士無双!?し、しかも十三面待ち!?
ヒャッハー!
来たよ、来たね、来た来た。
俺の時代到来!
ここで、こんな配牌がくるとか、俺始まった。
もう、俺イズ神といっても過言ではない。

俺は速攻で余り牌を切った。誰も反応しない。やった!!第一関門突破を突破した。
さあ、次は宗像先輩の番だ。何を切る?正直どれでもいいっす!だって、もう俺の勝ちは見えているんですもん。宗像先輩は、三萬を切った。っち、惜しい。
しかし、落ち込む必要はない。なにせ、まだ始まったばかりなのだ。
それに、今回は俺が上がったなら役満だと言ってやる。ダブル役満、しかも親。
ちゃんと九万六千点を請求してやるぜ!俺がツモれば皆飛びだ!俺の一人勝ち!
さぁ、速瀬先輩!チャッチャと牌を切って下さい!上がってやりますから!
さぁ、さぁ、さぁ!
ハリー!ハリー!ハリー!

速瀬先輩はおもむろに山から牌を引いた。長考。
どこに入るのか、どういう手を作ろうかと考えているのだろう。
ま、はっきり言って無駄ですけどね。

先輩は、ひとしきり考えた後、先程引いてきたツモ牌をゆっくりと倒した。
牌は、東!
駆け巡る脳内物質。大挙する魔物。

……キッターーーーー!!

「ロン!ロン!ロンーーー!!!!国士無双十三面待ち!ダブル役満!九万六千です!ヒャッホー!トビです!ハコです!死にました!はい、先輩今死んだよ!!え?さっき何て言いました?え?俺が弱い?ダメ?ははっは、もう一度言えますか?無理ッすよね?じゃあ、俺が言ってあげますよ!弱ぇー!速瀬先輩弱すぎ!だからダメなんですよ!っぷ。はははは、このダメ女~。今、地球上で最も強いのは誰ですか?俺です。俺以外ゴミで……」

と、俺が気持ちよく喋っていたところ、急に速瀬先輩が卓を叩いた。
……ヤバイ。ちょっと調子に乗りすぎたか?
でも、速瀬先輩。物に八つ当たりするのは、どうかと思いますよ?

「五月蝿い!少しは黙りなさい!」
「はい、黙ります」
「随分と好き勝手言ってくれるわねぇ~、何?上がったのがそんなに嬉しいの?」
「そりゃそうですよ。ずっと負けっぱなしだったし、上がったのは役満ですよ?しかもダブル。嬉しくないわけないじゃないですか」
「ふ~ん。それってそんなに良いんだ?」
「九万六千点です。あ?点数はビタ一文まけませんよ?ちゃんと払ってください。それで速瀬先輩はトビです。ハコです。ゼロです。ダメ人間です」
「……ツモ。国士無双十三面待ち。ダブル役満。九万六千点」
「??そうですよ?さっきから言っているじゃないですか?」
「違うわ。アンタのことじゃないわよ。“私”のことよ」

速瀬先輩は、残りの自分の牌を総て倒した。
字牌と一と九で構成させている。
……はい?え、さっき東を捨てたのって……

「あのねぇ?私達はまだ初心者なのよ?一回で全部の牌を倒せるわけないでしょ。ま、アンタの早合点だったってこと。これが九万六千点もするなんて初めて知ったわ。点数を教えてくれてアリガトね。あ、それとね。早い男は嫌われるわよ~?」

速瀬先輩はニヤニヤと下品なことを言っていたが、この時の俺は上がったと思った役満が実は間違いで、しかも同じ手で上がられていたと知って、既に燃えカスとなっていたので速瀬先輩の声に反応することが出来ず、卓上に突っ伏していた。
結局、子であった速瀬先輩の点数は六万四千だということを教え、俺だけがトんだ。また、俺が最下位。

な?やってられねぇだろ?

そう言えば、いつだったか夕呼先生は言っていた。
俺は恋愛原子核なのだ、と。
夕呼先生のぶっ飛んだ発言には慣れている俺だったが、流石にこの発言には驚いた。
だって、もうトンデモ理論とかそんなチャチなもんじゃねぇ、恐ろしい(ry……。
そして、夕呼先生曰く、先輩達には『最良の未来を手繰り寄せる力』があるらしい。
それを聞いた時は、とうとう夕呼先生の頭もショートしてしまったか、と夕呼先生が哀れに思われたが、どうやら本当かもしれない。
これだけ、馬鹿みたいに役満が連発するのを目の当たりにしてしまえば、夕呼先生のトンデモ理論と言えど頷くほかないだろう。
正直な話、俺も恋愛原子核とかよりも、そういうカッコイイ名前の力が欲しかった。
どこでこの話を聞いたのか、耳聡く聞きつけたヴィンセントやユウヤから俺は一時期、「よ、原子核」「おい、恋愛」「なぁ、平成の種馬」と有り難くもない呼び名で呼ばれていたことがあったからだ。




結果として、豪運の持ち主である先輩達と勝負することの愚かしさを悟った俺は、俺の精神の安全のためにもこれ以上麻雀を続けるわけにもいかず、麻雀はこれにてお開きと相成った。
卓を片して、フローリングの床に皆で座りながら、コンビニで買ってきたおつまみと酒を広げて本格的な飲み会に突入した。
宗像先輩は、正座して酒を一人で愉しんでいる。
宗像先輩は外聞を気にする所があり、自分の想い人の話を俺にするのはいつも皆がいい感じに酔いつぶれてからだった。ただ、多くの場合は先に俺が潰されるので、宗像先輩が俺に話を始めた頃には、俺は殆ど相槌を打つだけで精一杯なのだ。
それでも構わないらしく、どうやら宗像先輩的には愚痴を言うだけで良いらしく、男の意見(俺)などは重要でないようだ。
逆に、伊隅先輩などは「この時を待っていました!」とばかりに、酒が入るとすごい勢いで相談してくる。
前回、悠陽との遣り取りをヒントに「松茸作戦」なるものを提示したのだが、どうやら失敗したようで、相手の男から「痴女」の称号を戴いてしまったらしく、新たな作戦を練るように責められた。
実に理不尽極まりない。

速瀬先輩は、「少し横になるわ。今日はちょっと疲れたのよ。……膝、貸しなさいよね」と言って、胡坐をかいて座っている俺を枕代わりに、太股の辺りに頭を乗せて、ゴロンと寝転がっていた。

……今日は??アンタいつもそう言って俺を枕にするじゃないですか。

以前の冬、「ストーブが壊れた。直に来なさい」と言って俺は呼び出しを食らった。
ストーブを直せということなのかと考えていたが違ったらしい。
毛布を一枚持ってきて、俺を座らせてその上に先輩がこちらを向きながら、俺の首に手を回すようにして乗っかかり、二人で毛布に包まった。
先輩が言うには、これが一番暖かいらしい。
俺は湯たんぽ代わりですか、と呆れて尋ねると、
「馬鹿ねぇ。湯たんぽより良いから呼んだのよ」と先輩は笑っていた。
エアコンをつければいいじゃないか、と提案すれば、
「エアコンは高いでしょ?アンタなら無料だしね」と随分とケチくさいことを言う。
「それに」と前置きを入れて、腰をグリグリと小刻みに動かしながら「アンタも役得なんだから、良いでしょ?」と照れたようにはにかんだ。
役得って言われても、俺は何も貰っていないのだ。
先輩の世話が出来て嬉しいでしょ?と言うことなのだろうか?
いや、いや、俺はそんな無償の奉仕精神は持ち合わせていないんですが?
それと、グリグリと腰を回すの止めてくださいよ。
俺のマグナムが反応しちゃうじゃないですか。
違います。先輩に女を感じたわけじゃないんです。
漢と言うのは、外部から刺激を受けると自然と反応しちゃうんです。
そんな、「ふふ、アンタも男ねぇ~」と母親が息子の部屋でエロ本を見つけた時のようなこと言わないで下さい。
こんなことも、良くあったのだ。
速瀬先輩が俺を枕にするなど、しょっちゅうの事だ。

あと、さっさとストーブを直してくれと言ったが、今年は大丈夫なのだろうか。

速瀬先輩は自慢の長い髪を持ち上げて、時折「うりうり~」と言いながら俺の首の辺りを髪でくすぐってくる。
先輩の悪戯に反応しすぎると先輩は喜んでしまう、しかし、無視を貫き通すと、今度はムキになって頭を揺らして俺のM16に刺激を与えてきたり、下から俺の服に手を入れて来て、俺の体を弄ったりしてくるのだ。
適度に反応し、無視しなくてはならないのだ。
加減が実に難しい。







と、このように三人とも実に扱いに困る先輩達である。
やれやれ……はぁ。




[17469] 白銀武の溜息 熱弁爆発、俺が言わねば誰が言う
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:54
日本は日付変更線を跨いだ。
現在の時刻は、二時手前。
PMではなくAM。
ヴィンセントやユウヤと会っていたのは、昨日と言う事になる。
夜も更けて、多くの常識的な生活を送る者達は既に眠っている時間。
草木も眠る丑三つ時、と言われるように自然界の生き物ですら活動を停止する時間。
しかし、人はどうやら自然の摂理から逸脱しているらしく。

俺は、未だに眠ることすら許されていなかった。
当然、先輩達も起きている。
本音を言わせて貰えるなら、さっさと眠って欲しい、そして眠らせてくれ。
明日、というよりも今日は平日なのだ。
なぁ?先輩達って社会人……なんだよな?
常識って……何?

チビリ、チビリと部屋の隅で静かに飲んでいる宗像先輩であるが、酔っていないということはない。勿論、酔っている。その証拠に。

「……湯豆腐。湯豆腐が食べたくなった。梼子の作った湯豆腐が欲しい。白銀、作ってくれ」
と、壁に向って話している。
宗像先輩、そっちは誰もいませんよ~誰か見えたり、何か聞こえてきますか?
それは『酔っ払い』という、人類史上最悪の病魔です。
そいつは、病院では治せないという兇悪さを持ち合わせており、一度そいつに罹ると眠ることでしか回復しません。時折、次の日に、『二日酔い』という名の、これまた非常に厄介な病も発症する可能性もあるので、安静にしましょうね。
あ、暴れたりなんてしないで下さいよ?
俺は、宗像先輩の前に、そおっと、お湯の沸いてあるポットとインスタント味噌汁の袋を置いてやった。
湯豆腐って、つまりは湯に浸かった豆腐のことだろ?
味噌汁の中に豆腐は入っている。きっとこれも湯豆腐の一種なのだろう……多分。
まぁ、どっちでもいいよ。
湯豆腐が食べたいなら、自分でお湯を注ぎなさい、ってこった。
酒が入ると、比較的、手のかからない宗像先輩には、このくらいの対処で丁度いい。
普段はまともであると、とてもじゃないが言い難く、速瀬先輩と同じくらい俺のことをからかってくる宗像先輩は、酒がある一定以上体内に摂取されると、動きが鈍くなってくるからだ。
ただし、気を抜いてはいけない。
宗像先輩は酔っ払った『振り』をすることもあるからだ。

以前、今と同じメンバーで飲んでいた時のことである。
どういう話から始まったのかは俺も覚えていないが、ゲームに出てくるキャラクターの職業の中でどれが一番自分にハマっているか、という話になったことがある。
速瀬先輩は寝惚け眼で、『私は盗賊ね。……恋泥棒、なんちゃって、てへへ』
と歳も弁えぬ、アホな子発言をして。俺は俺で、
『何が自分に適しているか分からないですけど、なれるなら魔王になりたいです。ぶっちゃけ、魔王って引篭もりニートじゃないですか?しかも金も部下も持っているし、勝ち組ですからね』とつい本音で話をしたりしていた。
宗像先輩は、と言えば、床に突っ伏しながら『梼子カワイイよ梼子、はぁはぁ』と危ない事を言いながら手足をバタつかせるという、奇妙な動きをしていた。
しかし、俺は気づくべきだった。
奇妙な行動を取っていた筈の宗像先輩が、なぜか口元を抑え体が微妙に揺れていたことに。

伊隅先輩は、言った。『私は……そうだな、例えるなら賢者、かな?』
宗像先輩は、吹き出した。『…ッ……ッ!!ブホォッ!』
いや、吹き出したというよりも、奇声を上げたと言う方が適切かもしれない。
正味な話、こんな声を出す人を女性と見られないのは当然だと思う。

「じ、自分で、賢い者呼ばわりですか?成程、プッ、ふふふ、伊隅先輩は確かに大物ですよ。ふふふ、それで、速瀬先輩は恋泥棒ですか?こ、これは参りましたね。降参します。ところで、歳相応。という言葉をご存知でしょうか?……ふっ」
あぁ、言ってはいけないことを。
二人の狼は宗像先輩の発言を聞いて、案の定顔を真っ赤に染め上げていた。
というか、宗像先輩……酔った振りして、話を聞くだけ聞いて笑うとか、本当に鬼畜です。
その後の展開?決まりきっているさ。
二人の狼は、八つ当たりにか弱い子羊を狙うのだ。
子羊は誰だって?オイオイ、二人の俺を呼ぶ怒声が聞こえないわけじゃないだろう?
……なぜか、首根っこを掴まれて二人に引きずられながら、俺の頭の中では「ドナドナ」が悲しくリピートしていた。
と、非常に悪辣な人間なのだ。宗像先輩と言う人は。
騙されてはいけないし、気を抜いてもいけない。
よって、適度な距離を保つことで、俺の安全性を確保しておく必要があるのだ。




真に問題なのは、未だに同じことを何度も繰り返し喋る、壊れたレイディオみたいな伊隅先輩と、俺の太股を枕代わりにして、床に寝転び、時折話題を振って来ては俺の反応によって対処方法を変えてくる速瀬先輩の二人。
普段は、本当にまともで、先輩達の中でもリーダー的な存在である伊隅先輩は、酒が入り、男の話になると、途端に情けなく、急にしおらしくなってしまう。
しかし、それはあくまで見た目の態度であって、本質は一向に変わらない。
豪快にして強引な先輩であることに、なんら変わりは無いのだ。

「…… 白銀。私はきちんとお前に言われた通りに実行したんだ。なのに……正樹は喜んでくれなかった……なぁ、私には女としての魅力はない…のか?」
「いえ、だからさっきから俺は何回も言っていますけど、そんなことはないです。もう、俺だったら速攻でベッドに連れ込んでますってば。って、速瀬先輩、服!服!え?暑い?じゃあ離れてください。ちょっ、痛っ、痛い。脇腹つつくの止めて下さい」
何度も、同じ事を聞かれて、その度に同じ事を繰り返して話さなくてはならない。
そんな苦行を行っている俺の隣りでは、速瀬先輩が急に胸元をパタパタ開けて、「あつい~」と言い、徐々に服の前をはだけていった。
暑いなら、離れればいいじゃん?
とマリーさんばりの意見を出して見たが、速瀬先輩は俺の脇腹を突き、俺の提案は否決された。
尚も、服を脱ごうとする速瀬先輩に構っていると、伊隅先輩は突然「白銀!」と俺の名を呼び、俺の顔を掴んで自分の方に向けさせた。
向いている方向が違うので、無茶苦茶痛い。
だが、伊隅先輩は涙目の俺を無視して、また同じように聞いてくるのだ。


これは、アレか?前世で俺が何かしてしまった、その報い、とでも言うのだろうか。
シッダールタですら、俺ほどの苦行は経験したことはないだろう。
多分、そう遠くないうちに、俺は悟りが開けそうだ。
今なら最短で、な。
でも、俺が死ぬ方が先かもしれん………





「つまり!露骨なエロは燃えないんです。いいですかぁ?男は、パンツだけの女性を見ても嬉しくないのです。それなら、パンツ単体の方が、よっぽど嬉しいんです。勿論、『使用済み』という前提を忘れてはいけませんよ?その方が興奮するんです。これは男性の幼い頃からの環境と深く関係しています。世の多くの男性は、初めて自慰行為(以下漢への道とする)をした時から、常にある悩みと闘っていました。それは、何か。そう、オカズ(以下至高の材料とする)の確保です。至高の材料は、18歳未満ですからそう易々とは調達できない。では、漢への道が開けないではないか!そうです。その通り。至高の材料の確保ができないと言うことは、漢への道が閉ざされてしまうということでもあり、男ならば誰もが一度は経験する深刻な問題です。
しかし!俺達は、めげなかった。至高の材料が手に入らないなら、自分で作り出せばいいではないか!現実では無理でも、せめて心の中で、至高の材料を調達しろ!本能は、俺達にそう語りかけてくれました。この声が聞けた頃、男は始めて本当の男になるのです。俺達は、たった一つ、『妄想』という武器を手に入れました。初めての武器です。ですからこいつへの思い入れ、愛着、というのは女性が考えるよりも遥かに深いものなのです。なにせ、共に漢への道を究めんと、共に闘った戦友なのですから、当然でしょう?
ですが、こいつとの蜜月は、突如終焉を迎えることとなります。なぜなら……」
「……熱弁しているところ悪いが、それは後どれくらい続く?」
「え、まだ始まったばかりですよ?レポート一つは軽く書けますけど?」
「……要点だけ、纏めて話してくれないか?」

ちぇっ、なんだよ~折角俺もノってきた所だって言うのに……

伊隅先輩から、新しい作戦を提示するように言われた俺は、まず、先輩が失敗した状況を話して貰う事から始めた。
情報戦、と言うやつだ。
聞くところによると、先輩は松茸料理を出した後、直に服を脱いで、マッ裸で迫ったらしい。
そりゃ、男の方も萎えるはずだ。
俺は、先輩の話を聞いて、思わず溜息を吐いてしまった。
先輩は、男の心理というものを全く理解していないのだ。
やれやれと、俺は先輩のために男の心理について、男視点からの鋭い考察を述べた。
しかし、先輩はどうやら、結果だけを聞きたいらしく、俺の大変有り難い考察を一蹴したのだ。全く、だからダメなんだ。
男は過程を重要視することを、全く持って理解していない。
それでも、優しく、先輩想いの俺は丁寧に、わかりやすく説明をしてやることにした。

「……はぁ。じゃあ、無知で無理解な先輩のために、分かりやすく言いますね?いいですか?裸エプロンと裸にYシャツ、そして裸にニーソが三種の神器と巷で呼ばれています。とりあえず、これが最強。オーソドックスにして、効果は抜群です、今度はこれで迫れば、確実に落とせます」
「……裸だけじゃダメなのか?そもそも、それは裸は関係ないだろう?」
クキー!!なんで、口答えするかなぁ?この人は。
ちゃんと俺が言った意味を理解して欲しい。

「ダメです。裸なんて意味がないです。いいっすか?裸にプラスアルファが必要なんです。料理でも、最初からメインディッシュとか出してくる店はないでしょ?徐々に、段々と、次の料理を想像させて、焦らすことで、メインが映えるんですよ」
「な、成程。確かに一理あるな。つ、続けてくれ」
やれやれ、あからさまに動揺しちゃったよ、先輩。
俺のさっきの考察を最後まで聞いていれば、確実に男の心理を掴めたと言うのに……伊隅先輩は、人間関係に結果ばかり求めるのは無粋ということを理解すべきだ。

さっきから俺の横で、キチンと正座しながら、熱心にメモを取っている速瀬先輩を見習うべきだと思う。
それにしても……速瀬先輩、すごく熱心だな。
こんな風に熱意を感じると、教える方も熱くなってくるというものだ。
うん、育てる喜びを感じるよ。
これが、教師の達成感という奴か……、意外と俺は教師に向いているかもしれない。

俺は、もう一人の、出来の悪い生徒の方に向き直し、話を続けた。
「そこで、裸にエプロンです。こいつを装備しながら料理を作れば、効果は相乗されて、単純計算しても、そうですね。十倍、は確実にいきますね」
「そ、それほど!?最強じゃないか、裸エプロンは」
「えぇ、だから三種の神器なんですよ」
「恐るべし、三種の神器……それさえあれば、私は……」
「待った!!はやまっちゃいけません!いいですか?素人がよく陥る罠も、そこにあるんです。幾ら最強の装備、裸エプロンを装着しても、先輩自身の戦闘能力が格段に上がるわけじゃないんです。正しい使い方を学ばなければ、また『痴女』と言われますよ?」
「なんだってーーー!では、ど、どうすればいい?」
泣きそうな顔をして、俺に教えてくれるように懇願してくる伊隅先輩の表情には、クルものがある。ヤベェ、ちょっとクラっと来ちまったぜ。
俺の服を引っ張って、前後にガクガクと揺らし、必死の形相の先輩。
柊町のミスター・ダンディを自負している俺は、敢えて余裕綽々の表情で、スタッカートを利かせて「ちっちっち」と先輩の目の前で、人差し指を左右に揺らした。



「…… チラリズム。という言葉を知っていますか?」



俺の素晴らしい議論と、鋭い意見、そして熱意に当てられ、伊隅先輩は被り付く様に、真剣に俺の話を聞いていた。
語るに語って、一通りのことを語りつくし、等々、『当たって砕ける、温泉作戦』という新作戦の概要が決まった。煮詰めるのは、後日ということで、今日の俺の講義は終了した。

宗像先輩は相変わらず一人酒を愉しみ、伊隅先輩は今の話を心の中で反芻しているらしく、ブツブツと独り言を喋っていた。
速瀬先輩は、時折こちらをチラチラと見つめてきて、目が合うと、プイッと逸らされる。
これは、何か言いにくいことを喋ろうとしている時の、速瀬先輩の癖だ。
だが、そろそろ俺も体が限界だと、悲鳴を上げていたこともあり、ワザと無視しておいた。
そうして、誰かが今日の飲み会を終わろう、と言ってくれるのを期待して待っていたのだ。
しばらくして、部屋の中では会話が途切れ、夜の深さも相俟って、なんとも微妙な空間が作り出されていた。
これは、飲み会の終了の雰囲気が近い。
あぁ、やっと終わるのか、最後まで生き残って良かったと感慨深いものを感じていると、速瀬先輩は、「そう言えば」とまるで、今さっき思い出したかのように、白々しく言った。

まだ、続くんですか?
仕方ない、先輩の話を最後にして、帰らせて貰おう。
いや、しんどいから、今日は速瀬先輩の家に泊まろうか。
そんなことを考えながら、最後の力を振り絞って、なんとか先輩の対応をしようと心構えしておいた。

「アンタ。今日すかいてんぷるにいたんだって?年上の女と一緒だったって孝之が言っていたけど……………誰よ?」
あぁ、夕呼先生と会っていた店か。
大空寺先輩に、見られていたらしい。
声ぐらい掛けてくれたらいいのに、あの人も妙なところで気を使うんだから。
そういや、あの人の周りには個性的な人しかいないから、そういう所で揉まれたせいで、自然な気遣いを覚えたのかもしれない。
まったく、あの人も苦労しているんだな。
思わず、大空寺先輩の境遇に同情して、つい笑ってしまった。
俺の笑いをどう受け取ったのか、速瀬先輩は、慌てたように、
「ち、違うわよ!別に気になるわけじゃないわ!あ、あんたの先輩として、良くない人と付き合っていないか、気にしてあげただけよ!!」
誰も聞いていないのに、弁解を始めた。


…… 結局、気にしているんじゃないっすか。


何時の間に正気に戻ったのか、はたまた最初から正気だったのか、宗像先輩は唇の端を釣り上げて挑戦的な表情でニヤニヤと、伊隅先輩は出来の悪い生徒を優しく見守る教師のような顔で微笑みながら、速瀬先輩を眺めていた。
先輩二人の視線に気づいたのか、速瀬先輩は、喋り終えた後、一瞬だけ我に返ったが、また耳の方まで真っ赤に染めて、せわしなく「ま、間違い。今のなし、なしよ」と、あたふたと手を胸の前で動かしながら、俯いてしまった。



ちょっとだけ、本当にちょっとだけ可愛いかもしれないと、思ってしまったのは内緒だ。




白銀武、初めての速瀬先輩への不覚である。



[17469] 白銀武の溜息 撤退は素早く迅速に。「おかし」が基本。
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:54
折角、広い部屋だと言うのに、俺と速瀬先輩は部屋の中央で向き合っていた。
それはもう、あと少し顔を動かせばくっ付いてしまいそうなほど近距離で。
コホンと可愛らしく咳払いをして、速瀬先輩は、更に体を摺り寄せてきた。
「……もう一回、確認するわよ」
「……どうぞ、って何回同じ事言わせるんですか?」
「うっさいわね。私が納得するまでに決まっているでしょ」
やれやれ。流石、次期夕呼先生候補。
こっちの都合なんて、お構い無しですか。
肩を竦めて、ふと速瀬先輩の肩の辺りに視線をずらして見ると、なんと、後ろの方で、宗像先輩が俺のお気に入りのジャッキーカルパスをバクバクと遠慮なしに食べているではないか。
待って欲しい。それは俺の大好物なんだ。
速瀬先輩の部屋に来て、唯一の楽しみと言えば、速瀬先輩が俺のために買い置きしておいてくれるジャッキーを食すことであると言っても過言ではない。
そんな、俺の生命線たるジャッキーを、宗像先輩は次から次へと口に放り込んでいく。
あぁ!二つも、一気に二つも食べやがった!
信じらんねぇ!俺ですら、そんな贅沢な食べ方は年に数回しか出来ないのに!

「ちょ、宗像先輩!それ、俺のなんで、あんまり食べないで下さいよ」
俺の切実な叫びが、宗像先輩が俺のジャッキーに向ける、食欲への抑止力になることはなく、むしろ、逆効果だった。
天邪鬼な宗像先輩は、俺の声を聞くと、一瞬目を見開いて、ジャッキーを見て、また俺の方を見て、それを数回繰り返すと、なにやら得心がいったように頷いて、更にジャッキーを口に放り込むペースを上げた。
て、テメェ……それは挑戦と受け取ったぞ!
俺のジャッキーを死守すべく、俺が立ち上がろうとしたが、速瀬先輩に腕を掴まれていて、上手く立ち上がることが出来ず、バランスを崩して床と望まぬ接吻を交わす事になった。

「~~~ッ!!何するんすか!」
「それはこっちの台詞よ、私が話しているの。分かる?わ・た・し、が話しているの。他の女見てんじゃないわよ……」
はぁ?いやいや、待ってくださいよ。他の女って、宗像先輩ですか?
これは……やべぇ、酔ってやがる。
誰だよ!速瀬先輩に酒飲ませた馬鹿は。
俺の知る限り、速瀬先輩は二番目に酒癖が悪いんだぞ?
速瀬先輩は酒が入ると、周りにいる人間に途端に絡んでくる、所謂「絡み酒」の人だ。
二人で飲んだ時なんて、最悪だ。
さっきまで馬鹿なことを言い合っていたのに、急に憂い顔になって『……魅力ないかな?』とか言い出して来るんだぞ?
ホント、勘弁。
そんな甘ったるい雰囲気なんて、マジでノーサンキュー。
何か慰めの言葉を言おうものなら、俺の未来は、ノーフューチャー。
だってさ、例えば、そんなこと無いですよ、って言うとするだろ?
→『じゃあ、なんで手を出してこないのよ!!』
と、俺の首をギュッと絞めてくるわけだ。
頷いてみると、これまた酷い。
→『なんですってーーー!!』

……ギュッ。

な?どっちにしろ、天国コースへご招待。と、なるわけなのだ。
速瀬先輩が酒を飲んだ時は、どうすればいいか。
それは、ただひたすら、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
人間とは実に無力なんだと、己の儚さ、弱さを噛み締めながらジッと耐えるだけだ。
俺は極力、速瀬先輩が酒を飲みそうになると、直に防いでいたと言うのに……
伊隅先輩か、宗像先輩が悪ノリして、俺が目を離した隙に速瀬先輩に飲ませたのだろう。
その証拠に、速瀬先輩の瞳は潤んでいて、頬も朱色に染まっている。
本当に、碌なことをしない先輩達だ。

ちなみに、伊隅先輩も宗像先輩も酒癖が悪い。
元々、人間的にきつい人達ではあるが、酒が入ると倍々で酷さが増していくのだ。
だから、俺はこの三人とは正直飲みたくないのだが、後輩とは何時の世も先輩に逆らうことなど許されないのである。
加えて言えば、勿論酒癖が一番最悪なのは、あの狂犬だ。
高校時代、皆で温泉へ行った時、俺は担任の恐ろしい一面を垣間見てしまった。
夕呼先生の制止の声も振り切り、俺は狂犬に部屋へとお持ち帰りされてしまった。
幸い、狂犬が朝目覚めた時にはすっかり酒も抜けていて、元の優しい愛すべき担任に戻っていたので、俺もあの時のことは文字通り犬に噛まれたと思って忘れて、ノーカウントと言うことにしておきたい。
体の純潔は幾ら散らされようと、俺の心を犯すことは何人たりとも出来ない。
そういうことだ。


さて、そんなこんなで既に酒の入ってしまった速瀬先輩。
俺に残された道は、ただ諾々と酔っ払いの話に頷くだけである。
「すみません。もう見ません。速瀬先輩だけしか見ません」
「……そ、それでいいのよ。う、うん」
常識的に考えてみて、俺が謝る必要性など皆無であるが、酔っ払いに常識は通用しない。
酔っ払いからは逃げられない、ということだ。

「おや?私達もいるというのに、愛しい先輩に愛を囁くとは、やるじゃないか。白銀」
「全く。一人者の私達に対しての、当てつけとしか思えないな。式には呼ぶように」
お二人の意地悪小姑コンビは、ニタリと漫画に出てくるような悪役のように、性根が顔に表れているような、そんな表情で嗤っていた。
そういうことするから、行き遅れるんですよ、とは言わず。
心の奥底に、重りを積めて沈め、大事に施錠しておく。
万が一、うっかりと口を滑らせようものなら、俺は明日の朝日を拝めそうにない。
白銀武、四十八のスキルの一つ、これが、「世渡り」というものだ。

速瀬先輩は、『やぁ、やぁ。どうも、どうも』としきりに二人に頭を下げている。
ノリ過ぎでしょ?いや、俺もノッておくべきか?
実に深刻な問題に頭を悩ませていると、速瀬先輩は思い出した!とばかりに「あぁー」と奇声を上げて、俺の胸倉を掴んだ。
「危うく、はぐらかされるところだったわ。ふふん、でもそうはいかないわよ!さぁ!キッチリと吐きなさい!香月先生と何をしていたのか!」
「だから、偶然会って相談してただけですってば」
「その中身を言いなさい!って言ってんの。何?私には相談できなくて、香月先生になら相談できるってわけ!?」
ガクガクと、俺は揺さぶられる。
言えないわけではないが、小説を書くことになったと説明することが恥かしいのだ。
しかし、このままでは速瀬先輩の機嫌は悪くなる一方で、このままダンマリを決め込めば、どんな仕打ちが待っていることやら、想像したくもない。
仕方なく、俺は小説を書く理由を改変し「趣味」と言うことにして、夕呼先生との会話について話した。
案の定、俺が小説を書くつもりだと告げた時の先輩達の表情は『何言ってんの?アンタが?』と言う風に、随分と小馬鹿にしたものだった。

…… だから、言いたくなかったんだよ。

小説を読むならともかく、書くとなると、俺には似合わないことは俺が一番知っている。
宗像先輩は、露骨に顔を背け、手で口元を覆い、体を震わせているし。
伊隅先輩など、「まぁ落ち着け、な?」と俺の肩を揉みながら、「きっと疲れているだけだ、なに、直によくなるさ」と、どういうつもりなのか分からないが、腫れ物を扱うように俺に接してくる。
ただ、一番分からないのは、速瀬先輩だった。
押し黙って、何かを思案しているように、人差し指で鼻の頭をトントンと叩いていた。

「まぁ、人気が出ると言えば、恋愛系・感動系と言ったところか。お前に書けるかどうかはさておいて、な」
「文学を志すなら、著名な作品くらいは読んでおいた方がいいな。私がオススメなのは夏目や三島だな。文体が流暢で華美だ。読んでおいて損はしない。必要なら貸してやるぞ?」
「あぁ、『長靴を履いた猫』ってやつですね、それは読みました」
「……それを言うなら『我輩は猫である』じゃないのか」
「……続編ですか?」
「……白銀、お前に小説を書くのは……… 思い直した方がいいと思うぞ」

そんな風に、二人の先輩達との心温まる交流を尻目に、じっと黙っていた速瀬先輩であったが、しばしの間を取って、速瀬先輩は大きく息を吐き、何かを決意した顔で俺を見た。
「……白銀、題材は決まったの?」
「え?」
「何を書くか決めたのか、って聞いてんの。どうなの?」
「いやぁ、全く。昨日の今日ですからね、全然ですけど……」
一応、ヴィンセントにネットで有名な小説についてピックアップしておくように頼んだが、実は全く頼りにはしていない。
だから、プロットも、テーマも何も決めていないと言うのが現状なのだ。

「なら、恋愛小説にしなさい。日常をテーマにした恋愛小説がいいわ。そうね、私も協力してあげないこともないわ。う、うん。それなら協力してあげるわよ」
「マジっすか!?うわーすっげー助かりますよ」
協力って、何を?と思ったが、速瀬先輩は意外と乙女チックなところがあるから、以前そういう小説でも書いていたことがあったのかもしれない。
しかし、それを言い出すのが恥かしくて、黙っていたが俺のためを思って、恥かしい過去を告白した……うん、それならば速瀬先輩の奇妙な態度の説明が付く。
夕呼先生には書くと言ったものの、俺には小説の書き方など皆目検討も付いていなかったのだ。経験者がアドバイスしてくれるなら、実に心強い。
持つべきものは、頼りになる先輩だ。
外野である二人の先輩達は、今の俺達の先輩後輩の絆の強さを見て感動したらしく、速瀬先輩に「おぉ!ついに行動に出たな」とか「鈍感ですからね。これからですよ?じっくり慎重に」とアドバイスをしていた。

……感動して助言って、ちょっとおかしくないかな?
まぁ、些細なことは気にしないのが、長生きの秘訣だ。

「で、早速なんですけど。どんなストーリーや登場人物がいいですかね?」
「……そうね。年上の女性に、年下の男の子。今はこれが旬よ」
「おぉ!なんか小説っぽい題材ですね、それでどんな展開ですか?」
「慌てない、慌てない。ま、落ち着きなさい」
速瀬先輩は、両手を何かを抑えるようなジェスチャーをした。

「いい?年下の男、そうね、仮にSとしましょう。Sの周りにはお金持ちの双子の姉妹や、幼馴染の子に、留学生の女の子がいるの。それも、全員がSに好意を持っていて、日夜女の争いが繰り広げられていた。でも、Sはそんな自分を巡って周りの子達が争うことに疲れ果てていた。ある時、偶然知り合った年上の女性、仮にMとするわ」
「ふふふ、SとMですか。安易ですね」
「うっさい!今からがいい所なの、黙りなさい!」
ノリノリで話していた速瀬先輩の言葉を遮るように、宗像先輩が茶々を入れ、速瀬先輩が一喝した。SMで SとMとしたのか……ということは、年上の女性はマゾ?
いや、それより主人公はどこかで聞いたような状況だな。
どこでだったか……あぁ、ヴィンセントに借りたエロゲーに似ているんだ!
そうだよな、現実にありえるわけないよな、そんな羨ましい状況は。

「コホン。続けるわよ?」
「お願いします」
「Mは年上の包容力で、暖かくSを包み込んでくれた。勿論、Sは次第にMに惹かれていったわ。でも、Sは自分から告白することが出来なかった。なぜなら、Mは大人の女性で、自分がMに釣り合うとは思えなかったから。Mも、いつもは強気な性格だったんだけど、恋愛には臆病で中々告白できない。二人は、相思相愛ながらもすれ違いあい、傷つけあい………」
「は、速瀬。それはいささか美化しすぎでは?………」
「いえ、これでいいんです!すみません伊隅先輩、今からが本当にいい所なんで、黙っていてください。それと!宗像!アンタ、何爆笑してんのよ!ゼロレンジ叩き込むわよ!?」
流石の伊隅先輩と言えど、今の速瀬先輩の迫力には勝てなかったようで、スゴスゴと引き下がった。
何がオカシイのだろうか、宗像先輩は腹を抱えて、爆笑し、床を叩きながら、懸命に笑いの苦しみから逃れようとしていた。

「全くもう!白銀!!アンタは真面目に聞いているわね?」
「イエス、マム」
「よろしい。続けるわ。二人は、それでも傍から見ればまるで恋人同士のように見えたけど、最後の一歩が踏み出せなかったの。でもね、ある時、Sが言ったの。『…俺、先輩のこと名前で呼びたい』ってね。Sにとっては精一杯の告白だったわ。Mは総てを理解して、頷いた。『これから、よろしくね』彼女の頬には一筋の涙、それが、OKのサインだった。二人は抱き合い、顔を近づけて、キスをした……問答無用なハッピーエンドよ!どう!」

おぉ!すげーちゃんとしたストーリーになっている。
流石経験者!年の功より亀の甲?
とりあえず、速瀬先輩のアイデアも戴いておこう。
いつか、使えるかもしれん。

こちらを見るは、勝ち誇った顔の速瀬先輩。
普段なら、茶化すところなのだが……真面目な話、俺は感動していた。
話の内容、というよりも、先輩が恋愛について語ったことについて、だ。
うん、うん。速瀬先輩もなんだかんだ言ってやっぱり女性だったんだ。
俺は、それが素直に嬉しかった。
なんと言うか、巣立つ子を見守る、母鳥の心境に似ている。
伊隅先輩は頬を引き攣らせながら、頷き、「い、いい話じゃないか。なぁ?」と宗像先輩に救いを求めたが宗像先輩の方はそれに答えず、息が出来ないくらい笑い転げていた。
俺は素直に先輩に拍手を送った。
俺一人くらい速瀬先輩の味方をしてやろうと思ったからだ。
照れた様に、先輩は頭を掻いて、何かを聞きたそうに、上目遣いでこちらを見ていた。
??何?
「……どう、思った?」
「いや、うれしいですよ?」
あぁ、これで小説のアイデアが手に入ったのだ、嬉しくないはずもない。
俺の言葉で、速瀬先輩の顔は急にパアッと華が咲いた。

「じゃ、じゃあ!これからは……こいび「ありがとうございますッ!!!」え?」
「いや~本当に助かりましたよ。俺一人だったら、恋愛物とか絶対に書けなかったですからね。本当にいいアイデアをありがとうございます!」
礼儀正しい俺は、しっかりと速瀬先輩相手とは言え、礼を述べた。
どうも、俺がお礼を言ったことが意外だったらしく、先輩は呆然としていた。
まったく、失礼な先輩だ。
だが、今日は素晴らしい贈り物をしてくれたのだ、ここは大目に見ておこう。
っと!このアイデアを忘れないうちに書き留めておかなくては……

「じゃあ!今日は本当にありがとうございました!メモしておきたいんで、俺はもう帰りますね!あ、先輩達も酒は程々にしておいた方がいいんじゃないですか?今日も仕事でしょ?じゃ、どうも失礼しま~す!」
俺は、すくっと立ち上がり、これ以上先輩達に止められないうちに、急いで速瀬先輩の部屋を後にした。
今日は、潰されていないので自分の足で帰られる。
僥倖だ。
これで速瀬先輩の家に泊まったとなれば、また悠陽に何を言われるか、何をされるか分かったものではない。
部屋を出る時に見た先輩達は、俺の行動の素早さに虚を突かれたのだろう、呆気に取られた顔をしていた、速瀬先輩など、こちらに向って手が伸びていたくらいだ。
俺のシックスセンスがさっきからビンビンと囁いていたんだ、あのまま部屋に居たならば、俺は食われていたと。どういう意味か、などと野暮なことは聞くもんじゃないぜ?
やれやれ、危なかった。
俺の危機察知能力が人一倍敏感で助かったぜ。



獣が獲物を逃したことを悔やみ、何かを嘆いたような、地の底から聞こえてくる唸り声が聞こえてくるマンションを後にして、俺は携帯の電源を切って、急いで家へ向って駆け出していた。





ところで、Sが誰だか俺にはわからないのだが、Mはもしかしてモデルがいるのだろうか?Mは苗字でなく、名前……とか?

……いや、まさかね。



[17469] 白銀武の嬌声 其の侭に、我侭に
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:55
晩秋の澄み切った空、昼を過ぎると少し肌寒く、太陽の有り難味を実感できる(筈)。
道行く人は、思い思いの防寒対策をして、備えている(筈)。
御多聞に漏れず、俺も外出する時には長袖のシャツに、ジャケットを羽織り、マフラーを口元まで巻いて外気との接触には気を使っている(希望)。

しかし、この時期になるといつも思う。
女性の多くは冷え性らしく、夏場であってもクーラーの冷風にさえ寒さを感じると言うのに、なぜ暦の上でも、気温を考慮しても、紛うことなき冬だと断言できる寒空の下、スカートなる物を着用しているのだろうか、と。
学校からして、女生徒にはスカートの着用が義務付けられている。
どう考えても、スカート等で寒さを遮断出来る筈も無い。
それとも、男性である俺が知らないだけで、女性には何か秘密兵器でもあるのだろうか。
不思議に思った俺は、幼馴染の純夏に聞いてみたことがある。
曰く、「冬服は少しだけ、分厚くなっているんだよ」とのこと。
成程、それは思い付きもしなかった。
人類の創意工夫の成果である。
その成果を、この身で実感すべく、「どれどれ」と、純夏のスカートを徐にたくし上げ、太股に手を当てて純夏の体温と俺の体温を比べてみた。
瞼を閉じ、外界から自然と耳に入ってくる情報に惑わされたりしないように、俺は精神を統一させて、俺の手に伝わってくる純夏の太股の温かさを感じていた。
決して、神に誓ってもいい。俺には疚しい気持ち等、微塵もなかった。
その証拠に、むっちりとした蟲惑的な罪深い太股と、俺達男性の心を鷲掴み放そうとしない逆デルタ地帯を優しく包んでいる布地を目撃しても、俺の可愛い小さな二億匹の子供の素達の住処はピクリとも反応することは無く、平常心を保っていた。
女性の裸を鑑賞するにしても、ビニ本ではなく、美術館で写実主義の画家の絵を眺めるということが、全く違う意味合いを持つのと同じく、俺には下心など一切無かった。
そう、面接の際に趣味は?と聞かれて、AV鑑賞と書いて、芸術鑑賞ですと答えるのは、まったくの誤りであるのと同様に。

だが、狭量な純夏は体をフルフルと震わせて、禁じてであるはずのファントムを繰り出し、俺の意識は断ち切られてしまった。

薄れ逝く意識の中、俺は後悔していた。
こんなことなら、しっかりと純夏のブツを目に焼き付けておくべきだったと。
朦朧とした視界の中、それでも確かに天国は目の前にあったのだ、なのにこの手には何も残ることなく掌から零れ落ちていく、真の紳士はいつも損をするのが世の常なのだ。
俺は、ただ人体の不思議、日常の疑問を解決したかっただけなのだ。
なのに……ッ!!
俺の飽くなき探求心が、女体の神秘について知りたいと叫んでいた。
しかし……もう俺にはどうすることも出来なかった……

意識が戻った頃には、俺は学校に居て、自分の椅子に着席していた。
どうやら、純夏が俺を担いで登校したらしい。
純夏は変な所で、律儀な奴だった。
俺の意識が戻ったことを察すると、少し離れた席から飛び掛るようにして俺の方へと急ぎ、やってきた。しかしどうやら、先程のことについて謝罪するつもりはないらしく、逆に俺に謝罪を要求してきたのだ。………恥知らずな奴め。
男の中の男を目指して邁進し、日々精進に精進を重ねている紳士の卵の俺が、女子供に頭を下げるなどできず、俺は純夏の要求を突っぱねた。
しきりに、『あやまれよぅー』と口を尖らせていた純夏であったが、俺の意志の強さを知ったようで、諦めてすごすごと自分の席に戻っていった。

これにて一件落着……と、させてなるものか。

無実の罪で痛めつけられた俺は、恨みを時と共に風化させないようにしっかりと心の中で抱えて、段々と育んでいた。休み時間、純夏が席を立ったのを見計らって、俺は行動に移った。純夏の鞄を机の上に置いて、中を漁り、弁当箱を取り出す。
蓋を開けてみれば、おばさんが作った彩とりどりの旨そうな……いや、どうやら冷凍食品を解凍しただけのようだ、流石、実の娘にシメジのことを松茸であると教えている肝っ玉母さんだ、と感心しつつも、俺は白米だけを綺麗に食べてやった。
全部食べてしまわないところが、ミソだ。
純夏の弁当を総て食べてしまえば、純夏は学食で昼食を取るだろう、勿論俺の金で。
オカズなら学食に行けば揃えられるが、しかし白米だけは売っていないのだ。
高校生活において、白米ほど貴重な物はないのだ。
つまり、白米だけを食べてしまえば、純夏は午後を冷凍食品のオカズだけで過ごすか、
それとも、オカズ+学食のパンで過ごすか、という究極の二択を迫られるのだ。
オカズだけでは最後まで持たない、授業中に腹が鳴るなどということは女子にとっては耐え難い屈辱であり、精神的な陵辱である、最終痴態教室である。

しかし、腹が一杯にならないからと安易に学食で何かを買ってしまうと、これまた最悪で、食い合わせの悪い昼食を取り、しかも、午後は食べすぎで満足に動くことが出来なくなる。
ふふふ、どちらを選択しても、純夏には不幸な結末しか待っていないのだ。
怨むなら、安易に禁じ手を繰り出すことになった、自分の沸点の低さを呪うがいいわ!!!!
俺は一人、ほくそ笑んだ。


昼休み。
弁当持参組みは、仲のよい友人達でグループを作り、机をあわせて一つの場所に固まる。
純夏は、学校で一番好きな時間は?と聞かれて、高校生にもなって「昼休み!」と真顔で答えるお馬鹿さんで、今日もいつものように、間抜けな顔で、「ひっる!やっすみ~か♪」と壊れたカセットテープのように、同じところを繰り返し歌いながら、俺の机と自分の机を向かい合わせた。
純夏は可愛らしく弁当箱をラッピングしていたハンカチの結びを解き、何が出てくるのかと興味津々で、それでいて楽しそうに自分の弁当箱の蓋を開けた。
数秒ほど、自分の弁当箱の中を見て固まり、何か思いついたように、弁当箱を持ち上げて机の上を見たり―――というか、どんなことを考えればそんなところを覗く気になるのだろうか、俺には皆目検討も付かないが―――と、一通りの奇行を終えた後、ゆっくりと弁当箱の蓋を閉めた。
当初の俺の思惑と違い、純夏の顔は普段と全く変わらず、俺は肩すかしを食らってしまった。仕方なく、種明かしでもするか、と思ったところで、純夏は急に大声を上げて泣き始めた。
それはもう、子供の癇癪というより、この世の総てを憎しみ、総てに絶望したようなそんな声で、泣いた。ひたすらに、泣いた。
純夏の泣き声を聞きつけ、委員長は何事かと、こちらの方へ来て、純夏のたどたどしい涙声混じりの話を辛抱強く聞いて、俺に向き直り、実に爽やかな笑みで、

『没収』

と無慈悲な判決を下されたのだ。
待ってくれ、と言う暇も無く、委員長が指を鳴らすと、どこからともなく現れた彩峰が、背後から俺をガッシリと掴み、その隙に委員長は俺の弁当箱の中から白米だけを取り出して純夏に分け与えたのだ。
そこでようやく純夏は泣き止み、俺は解放された。
しかし、後に残されたのはオカズ(俺の弁当も冷凍食品のみ)だけだった。
奇しくも、純夏に与えた罰が俺に返ってきてしまったのだ。
こういう時だけは、二人は無駄に協力し合うのが、癪である。
わざと無駄に暴れてやり、彩峰のデカ乳をじっくりと背中で堪能してやったが、それでも許せん。
俺は毛が深い女性に対して、性的な意味で興奮してしまうので、非常に残念なことではなるが、いつか、委員長のチャームポイントを絶対に薄くしてやると、密かに決意した。

まぁ、未だにその機会は巡り巡ってこないのだが。






知者は、過去の経験から学び、愚者は己が体験からも学ばない。
俺はどちらか。
恐らく、知者だ。間違いない。
だからこそ、過去の失敗事例から学び、それを教訓として明日へと生かすことが出来る。
では、純夏との昼休みのそんな攻防から学び取ったこととはなんだろうか?
それは、女性に対して(純夏が女性であるかどうかはさておいて、生物学上の雌であることは否定しようがないので、女性という名称を用いる)無駄に逆らっては、いけないということだ。
特に、何かに憤慨している時などは、男はひたすら、平身低頭で女性の憤りが静まるまで、やり過ごさなくてはならないのだ。
悲しいかな、男って、無力なのよね……

世の男女の力関係の真理はさておいて。
学び取ったことを、今、どう生かすか、それが問題だ……


速瀬先輩の家から帰ると、玄関は鍵がかけられていて、俺の侵入を頑なに拒んでいた。
無機質のくせに生意気だぞ~!
俺も程よく酔っていて、どこぞの、ガキ大将のようなことを言ってみるも、一向に開く気配は無い。
合言葉とか、あったっけ?
とりあえず近隣に人は住んでいないので、家に居るであろう御剣姉妹の名と、月詠さん達の名前を大声で呼びながら、玄関の戸を精一杯の力で叩いてみたが、反応無し。
これは……まずい、御剣姉妹が怒っていらっしゃるようだ。
何が不味いって、月詠さんがフォローしに来てくれないことだ。
いつもなら、些細なことで二人の怒りを買っても、月詠さんは必ず俺のフォローをしてくれていた。
だが、今回は月詠さんの救援は望めそうにないことが、一番不味い。
冥夜はいいのだ。
アイツは、猪突猛進で瞬間沸騰するが瞬間冷却もしてくれるからだ。
竹を割ったような性格で、こちらが、誠心誠意謝り倒せば、『……はぁ、全くそなたは……仕方ない、今回だけだぞ?』と言って簡単に許してくれるからだ。
実にチョロイ、もとい、素晴らしい性格の持ち主なのだ。
恐らく、冥夜はダメ男に引っかかる典型的な出来る女の例だと思う。
俺は、冥夜の将来が不安でならない。

悠陽は、冥夜と本当に双子か?と疑いたくなるほど、腹黒く、それでいて、もち米を突いて、突いて、突きまくって出来たような、餅のように粘着質な性格なのだ。
普段はおおらかで、滅多なことで目くじらを立てることもなく、俺の影を踏まないようにして、三歩下がって付いて来る、大和撫子のような女性なのだが、一端怒ると、悠陽ほど、面倒な女はいないだろう。
そろそろ長い付き合いだ、勿論俺にだって、悠陽に対しての切り札の一つや、一つはあるような、ないような……だが、その技を使うということは俺自身の、男の尊厳を著しく傷つけてしまう諸刃の技なので、出来ることなら、一生封じておきたいところである。

既に、眠気もピークに来ていた。
ここに至り、俺の体は体力を回復するために寝たいと必死に訴えていたのだ。
本来ならば、ベッドに入ってぬくぬくと布団に包まって、心行くまで惰眠を貪りたいのだが、こうなっては仕方が無く、俺は自分の家の玄関の戸の前で、野宿することにした。
突き刺さるような夜の寒さに、泣きたくなって、一人男泣きした。
ところが、体は正直で、意外にワイルドな俺は、気づくと深い眠りの世界へとまどろんでいた。


だが、その選択は間違いであると、俺は寝惚けた頭で必死に考え付くべきだった。
朝、心地好い暖を全身で感じていたが、おかしなことに寝返りが打てなかった。
折角の眠りの邪魔をするモノはなんなんだ。
しぶしぶ、瞼を開けてみれば、そこには見知った天井、俺の家のリビングだった。
おぉ!懐かしの我が家じゃないか!
きっと、自分の家の前で野宿していた俺の姿を見て、不憫に思った月詠さんが中に入れてくれたのだろう、彼女には本当にお世話になりっぱなしだ。
大学のテストの時も、彼女に勉強を見て貰わなかったら、前期はヤバかった。
正直、大学舐めてたわ。
いや~流石、義務教育を突破してきた精鋭達が集う戦場なだけあるね、ムズイのなんのって、内部進学生は大学受験と言う戦場を闘うことなしに駆け上がった奴らばっかりだから、考えが甘いのが多いって、教授が言っていたのは本当だった。
本当に、月詠さんには感謝しても、しつくせないよ。

ハッ!!速瀬先輩が言っていた、Mのモデルって、まさか月詠さんのことじゃ!!

いや、そうだとしたら頷くことが出来る部分が多い。
雇い主である御剣シスターズのことを考えれば、俺に対しての想いを言い出せないのは当たり前、月詠さんに包容力があることは、俺が一番良く知っている。
……まいったなぁ~俺モテすぎじゃね?
なんていうか……モテ期到来?人生の七揃いスリーセンブフィーバー?
神聖モテモテ白銀帝国爆誕?

仕方ない、ここは速瀬先輩の助言に従って、早速月詠さんのことを名前で呼んでみるか。
とりあえず、最初から「真那」って言うと生意気に思われるかもしれないから、「マナマナ」が妥当かな?うん。愛らしい中にも……恐怖?を感じそうで……
ダメだ、俺の中の何かが、そのニックネームだけは寄せ!と叫んでいる。
ここは、直感に従うのが吉とみた!

なんて、馬鹿なことを考えていないで、そろそろ起きようとした時、俺はかつて無い異変を感じた。
腕も足も上がらないのだ、まさか、金縛りでは。
恐怖で引き攣った顔のまま、俺は首だけをなんとか起こしてみたところ、どうやら小人に捕まったガリバーよろしく、俺の手足はリビングのテーブルに縛り付けられていた。
更に顔を上げて見ると、どこか影のある微笑を携えた悠陽が一人、こちらを覗いていた。

「ッヒィッッン!!!」

喉が緊張と、これから起こるであろう惨劇に恐怖し、引き攣った声を上げてしまった。
だが、俺は気丈にも、果敢に悠陽と対峙したのだ!
「…あ、あの、もしかして……怒ってる?」
「イエス」
ヤバイぜ、どうやら連日朝帰りしすぎたようだ。
門限は、夜の六時だと云われているのだ。
今迄は遊んだ帰りに、適当に石ころを見つけて、それを「幸運の石を探していたから、遅くなった」と言い訳して、許して貰っていたのだが、どうやら、そろそろ言い訳の消費期限が切れたらしい。

不味い、拙い、マズイ。
これは本格的にまずいって、いや、マジで。
何がまずいって、悠陽が英語で俺の質問に応えたことだ。
日本人ということに誇りを持っている悠陽は、外国語を自由に扱えるバイリンガルであろうとも、多くの場合、非常に綺麗で流暢な日本語を良しとし、日本語で話していたのに、英語だって!?
ちくしょう!これもグローバル社会の弊害かッ!!
英語なんて使う人、非国民です。
賢い人には、それがわからんのですよ。
などと、馬鹿に悠長にテンパっているわけにはいかないッ!!
なぜなら、悠陽の手には、【双頭のバナナ】なるものがしっかりと握られているのが、厭でも俺の視界に入ってきているからだッ!

「……もしかして、お仕置きですか?」
「イエス、イエス」
「……もしかして、ズブズブの計……ですか?」
「イエス、Yes、Yes!!」

実にいい笑顔で、悠陽は微笑んでいた。
無駄に白い歯が、なぜかキラッ☆、と、オノマトペと一緒に光ったように見えた。
あぁ、俺の退路は既に断たれていたのだ。
せめてもの救いは、以前のようにビデオカメラを片手に抱えた月詠さんが傍にいないことかもしれない。

俺は、最後の希望を振り絞って、悠陽に、

「……優しくしてね……」
悲しく、そう告げたのだった。





え?冒頭の外の情景はなんだったのかって?
HAHAHA、あれは、自分の家の中で監禁された、俺の願望で現実逃避の現れさ。
つまり、それほど、俺は追い詰められていると、そういうことだ。








                   白銀武の処女散らす、第二部、完。



[17469] 白銀武の溜息 閑話休題してそのまま終了
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:55


「ぜんっぜん、ダメ!没よ、没」
夕呼先生は顔を左右に振りながら、力強い声で、俺の血と汗と涙が滲んだ設定集の最初のページを読んで全否定し、設定集が書かれたレポート用紙を今にも破らん、とばかりに掴み引き千切ろうとしていた。

「まま、先生。落ち着いて下さい。ね?今のは、掴みの部分です。ほら、物語は導入部分で良し悪しが決まるっていうじゃないですか?初っ端から、いいプロットを出したらつまらないでしょ?」
寸でのところで、夕呼先生を落ち着かせたから良かったものの、危うく、俺の努力の成果を紙屑にされるところだった。
『小説なんて、楽勝だって。任せろよ。俺はこれでもネットじゃ、ちっとは名の知れた文学家なんだぜ?』というヴィンセントの言葉を信じ、奴が言ったまま、ありのままのプロットを俺は首をかしげながらも書いたのだが、夕呼先生の激昂振りから察するに、やはりあまりいいものではなかったらしい。
とりあえず、ヴィンセントを頼った俺が馬鹿だった。
今度ヴィンセントと顔を会わせた時には、「よぉ、文学家(笑)」と呼んでやる事にしよう。

「夕呼先生!!物語と言うのは、徐々に盛り上げていくのが王道。もどかしい様な過程があり、それが最終的に昇華された時に初めてカタルシスを得るんです。いいですか?最初は、ダメな方がいいんです。本当です。所謂一つのギャップと言うやつです。勉強しましたから間違いありません!そう、これこそがイデオロギー」
兎に角、俺が知っている限りの文学への知識を総動員して、夕呼先生を説得しようと試みる。
国語の評論文のテスト問題で、「カタルシス」とか「イデオロギー」等の言葉を目にした時、そういう、カタカナで作られた言葉が使われている文章には、どことなく説得力があるように感じた経験はないだろうか。
俺達学生を苦しめてきたテスト問題を逆手に取った、かなり高度な技である。
これも、学校で学んだ生きる知恵だ。
教師である夕呼先生のこと、元生徒の飛躍的な進歩に涙すること間違いなし。

「言うじゃない。アンタ、イデオロギーの意味言ってみなさいよ。カタルシスを知っているっていうの?いいわよ?存分に語りなさい。聞いていてあげるから」
「…… いや、まぁ、そこは置いておきましょう。ね?俺は日本人なんで……」
だが、先生はどうやら素直じゃないらしく、俺の成長を祝ってはくれず、かわりに極寒のツンドラのような、呆れた面持ちで一瞥をくれた。
どうせなら、亜熱帯気候のように暖かく俺を見守ってくれればいいのに。
大体、俺は生粋の日本人なんだ。
英語だか外国語だか知らないが、そういうものは知らなくても日本語さえ出来れば問題ないのだと、なぜ国の御偉いさん達はわからないのか不思議でしょうがない。
だが、多くの級友や日本人は何故だか英語に魅力を感じるらしく、日常には英語や外来語で溢れている。
勿論、生粋の日本人である俺は、「テレビ?あぁ、箱型映像受信機のことかい?」といった具合に、キチンと正しい日本語を指導してやっている。
好きな肉体鍛錬の要素を含む身体運動【スポーツ】の中では何が好きかと問われれば、相撲。好きな食べ物【フェイバリットフルーツ?】はと聞かれたならば、梅干。
キス?ベロチュー?オイオイ、そんなこと破廉恥なことを言う人は人間として不出来ですよ?ちゃんと、接吻、舌を絡ませ唾液交換を伴った接吻と言うべきです。
これこそ、伝統を重んじる日本人と言うものだ。皆も俺を見習って欲しいくらいだ。
しかし、何も外国から伝わったもの総てを否定しているわけではない、好きな服装はミニスカの浴衣、もしくはバニースーツなのであしからず。
あ、裸にニーソも追加ね。勿論うなじが良く見えるようにポニテで。

夕呼先生の中での、白銀武の信頼を回復すべく、俺は間髪いれずに続けた。
「次!次は、自信作です。古典の題材からヒントを得て、自分なりに、現代風にアレンジした社会的風刺作です。これを読まない手はありませんよ!ささ、どうぞ、どうぞ」
机に身を乗り出して、夕呼先生の手の中にあった右端をクリップで留めたレポート用紙を捲り、該当する文章を指で示した。

「ようするにパクリでしょ?芸がないわねぇ」
悪態をつきながらも、夕呼先生は手元のレポート用紙に視線を落とした。
「まぁいいわ。見るだけ見てあげる。何々、『我輩の名前はミケである、名前はまだ無い』…… 名前あるじゃない」
はぁ、と、これ見よがしに大きく溜息をついて、肩を落とした。
「あの芥川だって古典からパクッてきて作品を作ったんです、俺も過去の名作を参考にして真似てみました。その上、三毛猫とミケという名前を掛けたんですよ、斬新でしょ?」
「……ベクトルが逆向きだという点を考慮すれば、ね」
「さっきのよりは、前進してますよね?」
「どちらかと言えば、さんずいの、漸進ね」
「??」
「皮肉よ、それくらい理解しなさい」
どうやら、俺の高度なジョークはお気に召さなかったようだ。
きっとアレだ、夕呼先生は物理学を専攻しているから、こういう文学的なセンスが無いのだと思う。
しかし、ユウヤの時といい、ヴィンセントの時といい、こうも不発が続くと、もしかして俺のハイセンスな冗談は凡人には理解不能なのではないかと、些か不安になってくる。
何時の世も、天才とは理解されない孤独な人間なんだと、しみじみと感じてしまった。
ということは、俺は夕呼先生の同類か……
それはそれで、あまり歓迎したくない事実だな。
やはり、ユウヤとヴィンセント、そして夕呼先生が特殊なのだということにしておこう。

「次、次こそは、傑作が生み出されそうな予感が、ヒシヒシと感じられる設定ですから」
「次、ね。『トンネルを抜ければ、そこは、またトンネルが続いた』……ねぇ?私もそんなに暇じゃないんだけど?」
「え?ダメですか?ほら、良く見てくださいよ。トンネルが二度来ているんですよ?最高の出だしじゃないですか。そこはかとなく、ノーベル賞を取りそうな匂いが香って来ませんか?」
「はぁ。あのねぇ?面白い作品イコール、ギャグ調だと考えるのは、あまりに短絡的な思考よ?発想が貧困すぎるわ。面白いと言うのは、即ち大多数の人間が興味を持つこと、そういう設定はないの?」
多くの人の興味を誘うようなもの、ねぇ……
要するに、ネットで検索される用語にでも注意を払っておけ、そういうことなのか。
それなら、「女子高生」「裸」「エロ」を文中に散りばめておけば問題ないな。
なにせ俺は童貞(心が綺麗という意味で)。そういう分野に関しての知識は皆無、全く持って自信はない。今から各作品はフランス文庫を参考にしたほうがいいのかもしれない。
いや、まてよ……夕呼先生の今の反応を見る限り、何かを参考にした作品と言うのは、えてして評価が低いようだ、つまり俺自身のオリジナリティーが随所で見て取れて、若人のリビドー溢れる、情熱的な作品こそ求められているのではないだろうか。
これは………参ったぞ。
俺の周りには髪型からして個性的な面々が溢れているが、俺自身は至って平凡、常識的な一般人でしかない。となると、あまりにも没個性、脱個性、平々凡々たる俺には、どう頑張ろうとも書けそうにないということにもなる。
誰かに実技での指導を頼もうかなぁ。
俺が一人悩んでいる中、夕呼先生は、パラパラとレポート用紙を捲っていた。
テーブルに置いたレポート用紙を、片肘をテーブルにつき、そこに頬を乗せて、気だるげに眺めていた、読む態度が、「私は全然期待していません」と雄弁に語っている。
失礼しちゃうぜ。
俺は、肩をすくめて溜息をついた。
『夕呼先生と愉快な先輩達』の一派と知り合ってから、通算何回目になるだろうか全く見当もつかないが、恐らく俺の両手両足の指の数以上であろうことは間違いない。

「…… ん?白銀。これはなかなかいいんじゃない?」
どうやら夕呼先生の御眼鏡に留まることを許された設定があったらしく、夕呼先生にしては珍しく些か上気した様子で、俺の目の前にそのページを突き付けた。
「あぁ、これですか。これは俺のアイデアってわけでもないんですけどね」
「面白ければ何でもいいのよ。というよりも、さっきまでのアンタのアイデアならそこいらを歩いている幼稚園児のほうが数段マシよ」
教師の隅にもおけないような発言。
教師と言う職業に、免許制以外にも情緒面、精神的な成熟を果しているかどうか審査する項目を付け足した方がいいと、俺は真剣に考えてしまう。
そのうち御剣姉妹を焚き付けてみよう、きっと今よりも数段マシな社会になるはずだ。

「でも先生。これって最初の設定とあんまし変わらないように思うんですけど?」
「馬鹿ねぇ、大違いよ。犬と猿ほどに違うわよ。こっちの設定を使って話を作るのなら、理論の方は任せなさい。しっかりとした科学的な根拠も付けてあげるわ、特別にタダで」
動物や哺乳類というカテゴリーに括りつけられるというのに、先生の中では犬と猿はかなり違うらしい、俺には理解しかねるが、先生がいうのならそうなのかもしれない、ここで下手に反論してしまうと先生独自の理論が展開されるというのは目に見えているので、勿論俺は口を噤んでいた。
犬と猿がどうとか言う人の理論と言うのは、実に他者の不安を煽るものだと理解していないところがまた、不安を覚える箇所だ。
しかし予想外にも乗り気な夕呼先生を前にして、「アンタの協力はいらないぜ」と強気に出ることも出来ず、俺は夕呼先生に押し切られる形でこうして作品の題材が決まってしまった。

夕呼先生には言っていなかったのだが、この設定を俺に提案してくれた人物は、もしも俺がこの設定を使って作品を書くなら、その際にはいくつかの約束を守るようにと言っていた。
その一つが、夕呼先生に協力を仰ぐ事だったのだ。
意外な形で、夕呼先生が自発的に協力してくれるという約束を取り付けることが出来たのは僥倖なのかも知れない。

いや。もしかすると、彼女には最初から総てわかっていたのかもしれない。
そんな風に思わせてしまうほど、どこか神秘的で幻想的な一面を彼女は内包していた。

そう考えて、随分とオカルトめいた考えだと思わず苦笑してしまった。
そういえば冥夜や悠陽と初めてあった時も、そんな風に彼女達を幽霊だと思ったことがあったっけ。
俺は、案外ロマンティストなのかもしれない。

口早に独自理論を高速展開させている夕呼先生を尻目に、ふと視線を外へと向けた。
通りに生えている樹木もすっかりと坊主になっており、本格的な冬に入ったことに気付く。
何故だか、この作品を書くに当たっては、適した季節のように思われた。

そうだな。作品の出だしは、日付から入ろう。
俺の人生が大きく変わった運命の転換点、十月二十二日から。





















「ところでさぁ、何か面白い話ない?」
「……面白い話?」
夕食時。いつものように、俺と御剣姉妹に、純夏と霞を加えた五人で食卓を共にしていた。
俺はわざと、さも、今唐突に思い出したかのように問いかけた。
どうやら俺の演技力のステータス値は最底辺らしく、皆は怪訝な顔をして俺の問いかけを自分の中で消化するために繰り返した。
「そう、なんでも良いからさぁ、なんかこう、読み物として面白いような出来事とか知らない?」
「はい、はい、はーい!」
「はい、純夏君」
「タケルちゃん、面白いってどういう意味?」
「よし。お前は当分黙っていろ。元々期待してないから、大丈夫だ。大人しくしていてくれ」
「なんだよーー!」
ったく、どんだけ純夏の頭が季節に関係なく、頭の中だけ恒温で煮立っているとしても、面白いと言う意味を聞かれるとは思わなかったぜ。
いや逆に考えるんだ、純夏自身の日常を題材にすれば、それなりに面白いのではないだろうか?と。

「武様、鑑様の言葉も御尤もですわ。面白い話と言われましても、広義で捉えるべきなのか、もしくは狭義で、ある特別な場合や何かを指しているのか、それが分からないことには……」
「うむ、私もそう思う。そなたの言葉はいつも曖昧すぎる。もう少し肝要な点をしかと見極めた上での発言を心がけるべきだ」
俺の話はどうやら曖昧らしい、御剣姉妹が揃って注意したんだ、恐らくそうなのだろう。
そう言えば、速瀬先輩も言っていたな、「アンタは紛らわしい態度取りすぎなのよ」と。
んー、そんなつもりはないんだけどなぁ。
得てして自分自身のことは、自分が一番分かっていないということなのかもしれない。
御剣姉妹の言葉はどうしてだか、不思議と心に自然と染み入ってくる。
こいつらに怒られると、いつもよりも素直に受け止められる。
これが、帝王学の成果なのか?
しかし、逆にこれが純夏だと、どうしても反発したくなってくる。
これが、幼馴染の結果なのか?
とりあえず、「やーい、怒られてやんのー」と壊れたスピーカーのように繰り返す純夏が五月蝿い。純夏の口を塞ぐため、まず、テレビのスイッチを入れて皆の気を逸らし、その間にテーブルの下から足で純夏の太股をなぞり、純夏がビクッと体を震わせ俺の脚で感じている隙に、素早く純夏の分の料理にタバスコと塩と胡椒に砂糖を塗してやった。
頬が上気し、やたらと荒い息をして、上目遣いでこちらをチラチラと見てくる純夏。
俺は何気ない風を装い、「どうした?飯冷めちまうぞ?」と心持ち、好青年風な笑みを浮かべ、純夏に微笑みかけた。
純夏は、多分、俺の好青年的な微笑の虜となったようで、おずおずと頷きながら、料理に箸を付けた。
しばらくは普通に食べていたが、急に箸を落としたと思うとブルブルと震え出し、口元を押さえながら声にならない声を上げてどこかへと駆け去ってしまった。

「ん?鑑はどうしたというのだ?」
「急に走り出したいお年頃なんだろ?そっとしておいてやろうぜ」

何やら慌しくリビングから駆けて出て行った純夏に気付いた冥夜の疑問に、俺は優しく答えてやった。
「何やら、呻いているような……体調でも崩したのだろうか?」
冥夜は純夏を心配してか、今にも月詠さんを呼び出しそうだった。
だが、月詠さんの手を態々煩わせるのも忍びない。
月詠さんの名を呼びそうな冥夜を手で制し、
「まぁ、待てよ。純夏が奇声を発している場所は恐らくトイレの辺りだ。となれば……な?わかるだろ?管に詰まっているモノが中々出てこなくて苦労しているんだろうぜ。下手に俺達が心配すればきっと純夏も恥ずかしがるからさ、ここはそっとしておいた方がいい。な?それが、優しさと言うものさ。優しさ、と一言で言っても色々あってさ。中々馬鹿にしたもんでもないんだぜ?世間では優しさが半分を占めている薬もあるくらい、民間療法としての地位を確立しているんだ」
「なんと!それは真か?ふーむ、勉強不足であった、許すがよい。それならば、ここは気付かぬ振りを貫き通すべきであろう。うむ」
「あぁ、流石だ冥夜。着々と庶民の生活を吸収しているな」
「ふふふ、そなたのためだ。苦にもならん」
冥夜は髪を掻き揚げ、艶のある笑みを浮かべていた。

「ほほほ、語るに落ちましたね、冥夜。私はすべて最初から理解していたが故、敢えて口には出さなかったのです。何事につけても人に聞く前に、学んでおくが御剣が流儀。やはり、武様と結ばれるのは天命で決まっている私しか……」
「それは聞き捨てなりませんな、姉上」

しかし流石、腹黒姫。
悠陽はきっと何も分かっていない癖に、とりあえず冥夜を論破して自分の優位性を確保しようと試みる、これが悠陽の常套手段である。
ピッチャーで例えるなら、技巧派悠陽に、本格派の冥夜と言ったところだ。
だが最近は冥夜も悠陽の弁に対して噛み付くようになっており、それを成長と見るか、世俗にまみれてしまったと嘆くべきか、俺には最早判断の付けようもない。
ちなみに、悠陽の技巧とは、ただひたすらバッター目掛けての危険球を投げることである。
勿論、その可哀想な打者の名前は言うまでも無い。

そして恒例の姉妹口論勃発。
元々口達者な二人だったが、最近は以前に輪をかけて些細なことで口論を始める。
どこか愉しんでいる様にも見えるので、敢えて口を挟むような野暮な真似はしない。


なに、たまにはこういうパターンも有り、だろ。
いつもいつも、純夏によって成層圏に飛ばされてばかりでは、芸が無いからな。
「……私は全部見ていました」と、霞のどこか責めるような視線を悠々と全身に受け止めながら、俺は再び自分の料理に箸を付けた。

料理は何時の間にか少し冷めていた。



[17469] 白銀武の溜息 理想とは遥か遠き幻想である
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:56
ですから、何度も、何度も申していますように、面白いとは何ぞや?と言うことになるのです。私が切に望む会話と言うのは、『そもさん!』『せっぱ!』のように、打てば響く物なのです。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く、といった薩摩のせごどんのような反応も、勿論、人物評も要りませんし、ただ無心で私が投げた球を受け止めて、もう一度私に向って投げて欲しい、それだけが私の願いなのです。
キャッチボールが……したいです……(会話的な意味で)
阿吽の呼吸を会得した私達ではありますが、悲しいかな会得したのはあくまで呼吸だけ。しかし、私が真に欲するものは、阿吽の呼吸の果てにある答え、でございまして。
ですが、答えを貰うことは叶わず、こうして皆様方のご意見を承りたく存じ上げます。

………
……
と、まぁ、丁寧な言葉に言い変えるならこんな感じで、俺は食卓にいる皆(純夏は省く)の知恵を拝借しようと、懇切丁寧にお願いしたのだ。

「ふむ、つまりタケルが望む『面白い』とは、滑稽な話だけではなく、大衆受けする話を望んでいると言うことであろう?」
「滑稽本・中本のような一部の方にではなく、源氏物語のような広く人気のある話が聞きたいと言うことですわね、武様?」
「そうなんだよ。まさにそう言いたかったんだ、良くわかってくれたな」
先程の意味不明な声明をよく理解したな、二人とも。俺ですら意味がわからんのに……ある意味流石だぜ。まぁ、本当に、二人の言うとおりなのだ。
ピンポイント受けする作品より、ベストセラーとなる話が欲しいのだ。
ただ、最近はどうも不思議現象が多発しているようで、『ボガッ、グチャ、私は死んだ。○○―○(笑)』みたいな話でも人気が出るらしく、中々理解し難いのだ、市場と言うものは。
いえ、変動すると言う意味で、ですよ?深読みしないで下さいね?

「当然だ。伴侶たる者、如何に言葉が少なくとも察せられる」
「当然ですわ。夫の言葉を理解できなくては、夫婦性活に支障が出てきます。円満な性活のためにはこのくらいのことは妻の責務でありましょう」
「……姉上。タケルは私の伴侶となる者。略奪愛等とは……フッ、確かに姉上らしい」
「……冥夜。そなたは本当にザルのような海馬をお持ちですね。ある意味羨ましい」
バチバチと火花散る美人双子姉妹の攻防。
色々言いたいところだが、まず、お前ら好戦的過ぎ。
どこの戦闘民族野菜人ですか?
あと、冥夜、悠陽に喧嘩を売るのは程ほどにしような?
とばっちりは俺の方にくるんで、マジ勘弁。それに恐らく悠陽さんは略奪愛上等ですよ?
まぁ、悠陽のそういう姿勢と言うのは、ある意味潔いのかもしれないが……なぁ?どうかと思うぜ?
ちなみに、ザルのような海馬とは、
意訳:シット!『この底抜けの馬鹿野郎!!記憶力が皆無じゃないか!』お下劣なおフェラ豚め!
ということなのであしからず。
鉤括弧の部分は、悠陽の言葉を的確に訳したもので、残りは雰囲気に合わせて俺が継ぎ足しておいたけど、意訳なので、これであっていると思う。聖闘士と書いて、セイントと読むのと同様、日本では言った者勝ちみたいな風潮があるからな、大丈夫だ。

「……源氏物語、知っています」
それまで会話に参加していなかった霞が、小さな声で自己主張をした。
声がでかけりゃいいと思っている国の人に見習わせたいね、この謙虚さを。

「おぉ!偉いぞ、勉強熱心なんだな」
女性の頭を撫でるのは、事後だけである!そう堅く決意していた俺であったが、褒められて照れている霞を目の前にしてはそんなもの砂上の楼閣、風の前の塵に同じく、脆くも誓いは崩れ去り、俺はひたすら霞の頭をナデナデした。いや、常にカッコイイを目指している俺が幼稚な言葉を使うわけにもいかんな、俺としたことが失敗した、すまん、言い直すぜ。
俺は霞の頭を、まるで【マロンとチップとデール】を優しく愛撫するかの如く、彼女の頭を撫でた。
あぁっと、今度はちょっとウィットに富みすぎたかな?
すまんね、紳士たる俺はフランス語も使いこなせる上に、ちょっと前のアニメにも詳しかったりするのさ。
ところで、マロンを英語だと思っている人間がいるらしいが……違うらしいぜ?
「アルファベットが使われていたら全部英語だと思っていれば間違いないわよ~だから英語は勉強しましょうね?」と、豪語していた元担任の英語教師。
彼女の発言の信用性は、マロンが英語ではないと知ってからは暴落して紙屑同然まで落ち込んだ。「マロンは英語だろ?」と純夏に言った際、俺は純夏から馬鹿にされてしまった。
純夏から馬鹿にされるなど、マジ屈辱。
勿論、仕返しとして、夕呼先生にあることないこと吹き込んでおいた。
多分、今年の有明は今迄以上に彼女に試練を与えることだろう、しかし、いたいけな男子高校生の心を弄んだ罰として甘んじて受け入れて貰いたい、そして、俺がその露出の激しいコスプレ姿を写真に収めることも許して欲しい。

「はい……勉強しました」
「どんなことを勉強したんだ?」
「光る……源氏です」
「うん。名前はあっているけど、多分ニュアンスは大きく違うと思うぞ」
「?」
源氏が光るとか、ちょっと不気味。蛍なら許せるけどさ。
でも、源氏物語と来て、「ホタル」と聞くとどうしても源氏名と言う言葉が浮かんでくるあたり、もしかすると俺は死んだ方がいいダメ大学生に分類されるのかもしれない。
そして、こんな要らない知識を俺に与えたヴィンセントは確実に駄目大学生の見本だ。

「ほぅ。社は源氏物語を知っているのか、あれは実に趣や風情がある話。日本を学ぶ上で欠かす事の出来ない、最高の教材となるであろう」
「ですが、私の個人的な意見を述べさせて貰えれば、主人公である光源氏の人間性を総て迎合することは出来ませんわ。ただ……殿方というのは何時の世も変わりないということを教えてくれる最高の反面教師であることは間違いありませんわ。ねぇ、武様?」
うん、そこで俺に振るのは何故なんですかね?

「はい……面白いです。……それと、どこか白銀さんに似ています」
「……ぷっ、あははは、確かに、な。社は実に観察眼に優れているようだな」
「…… おほほほ、えぇ、そうですわね。まるで武様のようなお人ですわ」

いや、いや、お待ちください御三方。
光源氏ってアレよ?すっげー鬼畜野郎で、ペドでマザコンの上に人妻でも平気で食っちゃうようなお人だぜ?そんな偉人と俺のような庶民を比べるなんて、あの人に失礼と言うものだろ?男の永遠の夢であるハーレムをナチュラルに築き上げたような、あの人と比べられて俺なんてとても、とても、足元にも及びませんよ。
守備範囲は非常に広く、幼女から、お婆さんまでイけるあの人と違って、俺のストライクゾーンはすごく狭いから!もうピンポイントじゃないと通らないから!本当に勘弁してください。
大体だなぁ、俺の心をピンポイント射撃するような女性はだなぁ、あぁ~、うん、まずは俺を甘やかしてくれることが出来るように年上の、包容力のある人。これは大事。
俺は怠惰な性格だから、無理矢理にでも強引に俺を引っ張っていくことが出来て、それでいて、時々は相手の方も俺に甘えてくるような、可愛らしさも持ち合わせていないと駄目だな。
あ、あとおっぱいは大きくないと駄目。例えるなら、バナナを挟めるくらいの大きさがベストだ。勿論、バナナって言うのは何かの暗喩じゃなくて、そのままの意味だぜ?邪推した人間は心が腐っているから、浄化した方がいい。
な?かなり難しいだろ?そんな理想の女性はなかなか居ないからな。

俺が今迄、皆との関係を発展させなかったのは、これのせいなんだ、決して俺が肉体的に不能だとか、精神的に不能だとか、そういうことはない、女嫌いでもない、むしろ女の方が好きだ。あぁ、女好きだと言ってもいい。
ただ、俺は逆白馬の王子様を待っているタイプなんだ、受動的な人間なんだよ。
そう、傷つきたくない現代っ子?みたいな?
だから理想の女性が現れるまで俺は頑張っているんだ。
難しいけど、やりがいのある仕事だ。
ドモホルンリンク○のように一滴一滴を眺めるように、俺はいつか現れる筈の理想の女性を待っているのさ。
だが、そう簡単に現れることはない、俺の周りにいる多くの女性をみても心当たりなど…
……あれ?心当たりがいそう?
俺の条件を満たすことが出来る女性が、俺の傍にいるのか?

いや、もう誤魔化すのはやめにしよう。
………あぁ、本当はわかっていたんだ。でも認めるのが怖かっただけなんだ。
今の総ての条件をほぼ満たす人は、確かに俺の傍に居るんだ。

そう、夕呼先生だ。

夕呼先生はかなり見事なおっぱいを持っている、白陵高校の裏文化祭で俺の在学中ベストオブtheオッパイの三冠に耀いた、素晴らしいモノを持っている持ち主だ。
これを否定することなど俺には出来ない。

短所を長所に脳内変換する面接の技術を応用すれば、傍若無人で強引な性格も、牽引力のある活動的で活発な性格と訳すことができる。問題ない。

年上だし、包容力は……ないが、その代わりにおっぱいが俺を包んでくれる。
これは、包容力があると訳すことができる。問題ない。

可愛らしい一面などはないが、代わりにそれを補ってあまりあるオッパイがある。
可愛らしさは、オッパイと言う山脈の山頂に存在するサクランボを可愛らしいと訳すことができる。問題ない。

問題は総てクリアー。

な、なんて、こった……
俺の理想の女性は、夕呼先生だとでも言うのか!
あぁ、神は俺になんという試練をお与えになるのだ!
あんな性格ブスに、なんという見事な神器を与えたもうたのだ!


神は死んだ、ニーチェ(笑)


とりあえず、俺の当面の目標は夕呼先生をギャフンと言わせる事である。
でなければ、もう一人の俺が浮かばれない。
だから、非常に残念なことであるが、仕方なく、本当に悲しいのだが、俺の中で夕呼先生を選ぶという選択肢を総て破棄することにした。

いや、本当に残念なことである。



[17469] 白銀武の溜息 嘆息ばかりのこんな世の中じゃ
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:56

「ところで武様。なぜ急にそんなことを?」
「ん?それは俺が面白い話を教えてくれって言ったこと?」
「えぇ、そうですわ」
「あ~それはだなぁ……」

さて、困った。
ここで素直に理由を話していいものか。
夕呼先生あたりだと、内緒にしていた方がいいと言う筈、なぜなら、あの人にとってはその方が面白いからだ。そして夕呼先生にとって面白ければ物事に問題など存在せず、面白いことは正義なのだ。例え、夕呼先生の眼前に聳え立つような険しい山が突如現れたとしても、彼女はフフンと不敵に笑い、山に挑むだろう。挑戦こそ彼女の生き甲斐。
先生は一種の快楽主義者のような一面を持っているため、順風満帆な人生などクソ喰らえ、世は事も無しなら、自分で事を起してやる、調和を乱してこそ、新たな境地に達すると考えている人なのだ。芸術は爆発?みたいな?前衛的な性格と言っても差し支えない。
……まぁ、アレだ。詰まるところ、香月夕呼という傑物にとっては、現代の日本のように平和を謳歌している現状は我慢できないのだろう。乱世に生まれていたなら、さぞかしその無駄にハイスペックな部分を生かして、さぞ高名な人物として後の教科書にデカデカと載っていたことだろう、実に惜しい。
というより、あの人の生き方、考え方は他の人の目に、さぞ面白い物に見えるということに気付いていないところが滑稽だと思う。
夕呼先生は遠くから眺めている分には、無茶な言動、突飛な行動に類稀な容姿も加わって、問題ないというか、むしろ積極的に眺めていたいところであるのだが、問題はその渦中に何故か必ず俺も巻き込まれているという点である。巻き込まれる方は決して面白くも楽しくもないので、そこのところは履き違えないようにして欲しい。

ちなみに、俺にとっての正義とは可愛いこと、ただこれだけである。
それだけが、俺の譲れないジャスティス。

俺としては小説を書くことについて隠す必要など無いのだが、やはり気恥ずかしさが残るし、何より、悠陽達に話すと、
――――『小説を書くために必要な物は何よりも経験です、実体験に基づいた話ならば、自然とストーリーに重厚さや奥行きが加わり、素晴らしいモノとなりますわ。経験の薄い人間によって書かれた物語と言うのは、やはりどこか薄く感じられます。語彙や構成力よりも、何よりも経験こそ必要なのです。では、武様、横になって下さい。……嫌ですわ、武様。これも武様を思えばこそ。御剣の名に誓って邪な想い等抱いてはおりません。よろしいですか、武様?経験と、一口に言ってしまっても様々な種類が存在します。ですからその様々な種類の経験を体験しておくべきだと、私は考えております。えぇ、これも武様のため。私も微力ながら協力させて頂きますわ。私の方はもう準備は出来ております。さ、武様、横に……』――――
と、こんな具合にそのままフランス書院のような展開に持っていかれそうな気がして、恐ろしくて話す気になれないのだ。悠陽なら確実に、こういう展開に持っていく筈。準備なんて既に出来ているのだ。
なにせ、いつでも、どこでも、誰とでも(特に俺)、闘ってみせるのが御剣の理念らしい、以前冥夜が言っていた。
そして何よりも恐ろしいのが、今の口上は実際過去にあった、俺の体験談に基づいているということが一番怖い。
少しばかりニュアンスが違うが、同じような意味のことを俺は悠陽の口から聞いたことがある。


忘れもしない、あれは高校生活最後のテストに備えて勉学に励んでいた時のことだ。
高校生活を締めくくる重要なテスト、当然出題範囲は広く、そして普段は筆記試験をしない科目ですら、「最後のテストだし、ついでにやっておくか」とばかりに教師はこちらの都合などお構い無しに、俺達に試験と言う名の重圧を課したのだ。
まぁ、これはエスカレーター校の宿命なのかもしれない。
なにせ大半の生徒はそのまま大学へと内部進学するのだ、多くの生徒は三年の三学期には既に進学も決まっており、遊び呆けている者も多い。だからこそ教師達もそのような気まぐれを起したのだと思う。
実に傍迷惑極まりない。


主要科目はいつも通りなので問題はないし、それ以外でも家庭科や美術、音楽などはまだいい。教科書を丸暗記すればいいのだ、一夜漬けで十分に対処が可能である。
問題は保健体育。
なにせ、ついうっかりと、高得点をとってしまえば、テスト返却日以降、級友達からは「エロ大臣」もしくは「白陵の種馬」、「ムッツリスケベ」なる実に不名誉な称号を頂戴してしまう。たとえ出題範囲が生殖に関係のない分野であったとしても、これは同様。保健体育で高得点を上げてしまうということは、学生生活において死活問題なのである。
「ラッキースケベ」「ハーレムエース」の愛称でクラスの皆から親しまれ、慕われている俺が、このような屈辱的な渾名で呼ばれることなど耐えられるわけが無い。

最後のテストでいい点数を取るか、はたまた俺のプライドを守るためにわざと手を抜くか、俺は二つの非常に重要な問題に板挟みにされて身動きが取れなくなってしまっていた。
進むも地獄、退くも地獄。まさに、進退ここに窮まれり。
教科書を机の上においたまま、机の前で、崇高な問題に頭を抱えて悩んだ。
悩んで悩んで、悩みぬいていると、深刻な問題を真剣に考えていたためか少し眠気が襲ってきた。
仕方が無い、勉強をしたかったのだが、体が睡眠を欲しているのだ、自然の摂理に逆らい体を壊してしまっては元も子もない。
幸い、部屋の片付けは既にテスト期間に入ってから念入りにしていたため、テスト前の恒例行事、部屋の大掃除は終わっている。後は勉強をするだけだったので、今日くらいは、直に寝ることは可能だった。
体調管理も大切なテスト勉強の一環である。
心の切り替えは生きていく上でも必須技能である、齢十八にして、既にその技能を会得していた俺は、勉強したいという強い思いに後ろ髪を引かれながらも、勉強への未練をスパッと切り捨てて、睡眠を取るためにベッドに潜り込んだ。
さあ、寝るぞ!と意気揚々と布団に包まった瞬間、俺の布団は剥ぎ取られ、俺は外気に晒されてしまった、如何にパジャマを着用しているとは言えど、部屋の中でも冷え込む、俺は寒空の下に捨てられた子犬のように、教会の絵の前で眠ってしまったネロのように、打ちひしがれ、やがて来る恐怖に慄いた。

――――ま、まさか……襲われるッ!

俺はこれから起こるであろう蛮行に、怯えて身を縮こまらせて、枕に顔を埋めて「くかーくかー」と寝たフリをすることで、俺を襲おうとしている犯人に対して、俺の方には抵抗する意思はないことを示した。
無抵抗な人間に対して、まさか悪事を働くほど非人道的な人間等この世には存在していないだろうという、「人類皆良い人」という性善説に基づいた、俺が根本的にはお人よしで優しい人間であるからこそ至った考えによる行動である。

さぁ、俺は寝ているぞ!諦めてくれ!

俺は犯人に対して無抵抗を決め込むことで、抵抗したのだ。
これこそ、現代人類に必要なモノなのではないだろうか。
あぁ。人類が俺のような人間ばかりならば、この世の中に争いごとなど起きる筈も無し。人類よ、俺を見習ってくれ!
特に、俺の布団を剥ぎ取るなど、人間に有るまじき卑劣な行いをした犯人は最優先で見習って欲しい。
俺は切に願った。

だが、やはり寝ている人の布団を剥ぎ取るような行いを平気ですることが出来る犯人は、人の心を持ち合わせていないらしく、そのような人間に俺の必死の無抵抗は通じる事無く
犯人は無情にも俺に語りかけ、俺の体を無遠慮に揺さ振った。
「……はぁ。武様。起きて下さい」
「……現在お呼びになった人間は、もう寝ています。時間をお確かめの上、また起して下さい……」
「まだ八時です。ほら、武様起きて下さいませ。テスト勉強をするから寝ていたら遠慮無く起してくれ、そう仰られたのは武様ですよ。武様、起きて下さい。起きられるまで、ずっと揺すりますよ?」
犯人は無情にも俺の体をずっと揺すると、俺のことを強請り始めた。
そこまで言われては仕方なし。俺は渋々、枕から顔を離し、上半身だけ体を起してベッドに腰掛けながら、悪逆非道な犯人に向き直った。
犯人は、ショタコン疑惑のある、御剣の侍従長、現代に残る最後の侍、我らがメイドの鑑、月詠さん(処女)だった。

「…… もう、武様ったら……やっと起きられましたか?では、机に向って下さい」
「う~ん、なんかやる気が出ないんですよねぇ」
出来ることなら月詠さんには迷惑を掛けたくないのだが、一度布団に入ってしまうと、やる気がごっそりと削がれてしまうのだ、布団の中には魔物が潜んでいるのだ、恐らく甲子園に潜む魔物よりも手強いと思う。なにせ、布団と言うのは人類が編み出した三大発明の一つなのだから、強いと言うのも頷ける。
ちなみに、俺が学生時代に習った記憶を紐解いて見ると、三大発明の残りもう二つは、確か、カラーテレビと洗濯機だったはず。三つ合わせて三Cと言うらしい。どこをどうすれば「C」というアルファベットが出てくると言うのだろう。まぁ、昔の人の考えたことだから現代人の俺が理解できないのも無理無き事。何せ、夜空に浮かぶ星を繋いで星座などと言うものを考えたような人種である、妄想力……もとい想像力は凄まじいものがあるのだ。

「ですが武様。テスト期間の間、一度でも勉強なされましたか?ずっとお部屋を掃除していただけではございませんか。申し訳ございませんが、信頼とは相互の過去の行動によって築かれていくものなのです」
「つまり、俺に対しての信頼は……」
「申し訳ございません。ゼロ、でございますね。まるっきり、さっぱりとありません」
実にきっぱりと断言してくれました。
ここまでスッパリと言われると逆に清々しい気持ちに……なるような、ならないような。
「そうですか」
「えぇ」
「……」
唐突に会話が終わった。打ち切りだ。いや、打ち止めかもしれない。

「……あのですね、月詠さん」
「はい、なんでございましょう?」
「俺も、やる気はあるんですが……体がついてこないというか……」
「よろしいですか武様。やる気など、机に向っていれば自然と湧き上がってくるものでございます。えぇ、ですから武様は何をおいてもまず、机に向うべきなのです。話はそれからでも遅くはございません」
「いえ、でも既に遅きに失するというか……」
「御剣の御令婿となるべき御方が何を仰いますか。この世においては、何を為すにも遅すぎるということは存在しません。在るのは、やるか、やらないか、それだけでございます」
「……でも、早すぎるってことは存在しますよね?例えば、まだ幼い男の子に性的な……」
月詠さんもいつのまにか庶民の暮らしに慣れたのか、はたまた俺の扱いに慣れてきたのか、最近は俺に対してちょっと厳しい。
いや、優しいんだよ?俺の知る限り優しさランキングで上位入賞するくらいには優しいんだけど……なんというか、俺に対しての位置付けが、教育ママ的な人になっているのだ。
だから俺もついつい、勉強をしようと思っていたのに勉強しなさいと母親に言われた時のような感情を抱いてしまい、うっかりと口を滑らせてしまった。
まずい、失言だ、と思った時には既に時遅し。やはり世の中には遅すぎるということはあるのだと俺は悟ることになってしまった。
「武様!あまり駄々をこねられるようでしたら、私にも考えがございます」
「ま、待ってください!すみません。勉強ですね?大丈夫。問題ありません。今から机に向うところです。大丈夫。問題ありません」
月詠さんのお仕置きの怖さを、三馬鹿が叱られているのを傍目で傍観していたので俺はよぉく理解していた、これ以上の時間の引き延ばしの無意味さを悟った。
大事なことを二回繰り返すことを繰り返し、いそいそとベッドから起き上がり机に向う。
素直な俺の行動を見て、月詠さんは数回頷き、俺の背後から覗き込むようにして机の上に広げていた教科書を眺めた。

「本日はどの科目を勉強なさるのですか?」
「あ、その、保健体育とか……です」
どもりながら俺は答えたが、今のやり取りは問題があったのではないだろうか。
『女教師の個人授業』そんな卑猥なタイトルが付いたビデオの一場面のようではないか。
ムッフン、ウッフンなムチムチの年上の女性に、保健体育を勉強していると答えてしまった男子生徒が女教師に「教えてあ・げ・る」と言われてそのまま、十八歳未満お断りの展開に突入する前フリのようではないか!
いかん、いかん、俺にはそんなつもりはないのだ。
下心はゼロ、純粋な知的好奇心で勉強をしようとしているだけなのだ。
でも、さっきから俺の背中に触れている、月詠さんの二つの山の感触が堪らなくて、正直、その二つの山の山頂まで制覇したいという思いに囚われているのは内緒だ。
だがこれは、ある意味仕方のないことなのだ。
ある登山家は言った。「そこに山があるから登るのだと」
俺も言いたい。「そこに山があるから制覇したいのだと」
厭らしい意味ではなく、漢なら当然の心理というものだ。
世の男性諸君にアンケートをとったのなら、九十九%の人間が俺に賛同してくれると思う、残りの1%はアレだ、同性にしか興味の無い人間だけだ。

「保健体育……でございますか……」
月詠さんは、なぜか歯切れが悪く、呟いた。
あぁ、まずい。確実にドン引きされてしまった。
違うんです、俺には疚しい気持ちはこれっぽっちも無いのです。
「申し訳ございません。出来うることならば、私も協力して差し上げようと考えていたのですが……勉強なさるのが保健体育の分野ですと……私如きが出しゃばることは出来ませんので……申し訳ございません」
月詠さんはこちらが恐縮してしまうくらい、本当に申し訳なさそうな顔で、深々と頭を下げた。
どうも月詠さんは、思春期の男子中学生にありがちな短絡的思考をしているらしい。
保健体育と聞いて、生殖系の想像をしてしまったのだろう。
でも、今回のテスト範囲は応急処置とライフワークについての分野なので、月詠さんの御期待に沿うことは出来ないのだ。残念無念、また来世。

「大丈夫ですよ。自分でもテスト勉強くらい出来ますから……」
「いえ、ここで諦めてしまっては御剣の名折れ。お任せ下さい。保健体育ならば冥夜様がお得意の分野でございます。私は協力することは適いませんが、冥夜様でしたら。冥夜様でしたら、必ずや武様のお力となって下さいます」
確実に冥夜の得意な分野でないことは確かだったが、月詠さんは豪語した。
そうまで言われては俺としても断ることも出来ない。
月詠さんの前では腹を晒して前面降伏も已む無し、なのだ。
とりあえず俺は冥夜が来た時のために乱れたベッドを直そうとし、月詠さんが冥夜を呼びに部屋から出て行こうとした時、俺の部屋の扉は勢いよく弾かれたように開かれた。

「お待ちなさい!!」
俺の扉に何か怨みでもあるのか、というくらい力強く扉を開いたのは誰あろう悠陽だった。
「ゆ、悠陽様……」
「話は総て聞かせて貰いました。水臭いですよ真那さん。そういうことでしたら、武様の妻である私が尽力させて頂きますわ」
「ゆ、悠陽様のお手を煩わすことではございませんので……」
「いやですわ真那さん。太陽が東から昇るのと同様、妻が夫の世話をするのは至極当然のこと。武様のお手伝いを致すのに、どんな苦労がございましょうか。ありません。存在しません。仮にあったとしても、瑣末なことに他なりませんわ」
悠陽はにっこりと微笑み、有無を言わさないような強い口調で月詠さんの口撃を封じた。
主人は冥夜であるとは言え、悠陽に逆らうことは出来ず、月詠さんは「む、無念……」と、がっくりと床に手を突いて項垂れてしまった。それを見て悠陽は勝ち誇ったように、「ほほほほ」と口元を手で隠しながら、上品に、まるでどこぞの悪役のように高らかに笑った。
実に役に嵌っている。

俺としては別に手伝ってくれるというのなら、無碍に扱うつもりはない。
ただ、問題は。
悠陽はどこで俺と月詠さんの会話を聞いていたのか、ということだ。
俺にプライベートという上等な言葉も、国家が定めた個人情報保護法等も悠陽の前では無力であるのだと痛感した。
「では武様、まずは湯殿の方へと参りましょう」
「……あ~悠陽さん。今から勉強をするところなんですけど?」
「存じ上げております、ですが男女が睦み合う前には、互いに身を清めておくのが作法」
「うん、多分それは間違いじゃないけど、今は致命的な間違いがあるよね?」
「ハッ!!も、もしや…… 武様は女性の汗に興奮を催す性癖の持ち主なのでは!!これは私としたことが……危うく大変な間違いを致すところでした。では、このまま汗と匂いを落さずに……」
悠陽は、来ていた服を今にも脱ごうと手を掛けた。
俺は光の速さでその手を握り、悠陽の蛮行に待ったを掛けた。

「待て待て待て。うん、俺は確かにワキフェチだ。否定はしない。でも、今俺に必要なのは悠陽の汗と匂いじゃなくて勉強だから。必要なのはステディより、スタディですから。あ!先に言っておくけど保健体育を勉強するっていっても生殖は関係ないからな?今回のテスト範囲は応急処置の分野だからな?」
そろそろ悠陽の性格を把握している俺は、先手を打って悠陽が次に取るであろう攻撃方法を封じた。ライフワークもテスト範囲だと言ってしまうと、確実に『ならば、一度契りを結んでしまえば生涯設計と言うものがどういうものか分かりますわ』婚姻届片手に言われていたことだろう。だから敢えてテスト範囲は応急処置の分野だと指定したのだ。
まぁ、同じクラスなんだから悠陽もテスト範囲を知っているはずなんだけどな。

「存じ上げております。ですが武様。この世に無駄なものなど塵一つとして存在していないのです。学んで無駄、ということはありませんわ。試験の範囲だけを勉強するよりも、必要なことは本当に学ぶということです。そして、机上でただ読み物を読んでいるだけでは本当の知識というものは身に付くことはありません。体で体験し、経験することで初めて己が身の一部となるのです。ですから、武様まずは保健の分野を共に経験致しましょう」
悠陽はそう言って俺の手を振り払い、服を脱ぎ始めた。

「な、なんで服を脱ぐのかな?」
「愛し合う二人には無粋な質問ですわ武様。勿論、無駄な物だからですわ」
あ、あんた、今無駄なモノはないって言ったばかりじゃん……
舌の根も乾かぬうちにとはまさにこのこと。
そして悠陽に逆らえるはずもない、脆弱な俺は……
………
……
ま、ご想像にお任せいたしますよ。




悠陽が疑問系で俺に問うて来た時。
それは言うなれば、公園のベンチにツナギを着た男が座っていた時の絶望感に似ている。
大魔王からは逃げられない。それと同様、未成年お断りの展開に突入した場合、悠陽の魔の手からは逃れられないのだ。
これは自然の摂理、いや、大自然の脅威と言うほうがしっくりくる。
つまり、ここでは、俺自身の危機管理能力が問われるわけだ。
上手く、自然に悠陽には俺が小説を書いていることを悟られないようにしなくてはならない。

俺はカラカラに乾いた喉を潤すために唾を飲み込み、乾燥した唇から言葉を紡いだ。
「大学生になったからには漫画ばかりじゃなくて小説でも読み始めようと思ったんだけどさ、何が良いかわからないから男友達に聞いたんだ。そしたら、そいつは『男なら戦闘、ロボット、SFだろ常考』って言っていたけど、じゃあ女の子はどういうのが面白いと思うのかなぁ、って疑問に思ったから聞いてみただけ、深い意味はないよ」
「そうでしたか。私はやはり恋愛が題材となっている小説が面白いと思いますわ。例えば、『八百屋お七』『伊達娘恋緋鹿子』等ですわね」
悠陽は振袖事件が好きなのか。
ヤンデレですね、わかります。
というか、俺への当て付けか?と疑いたくなるような選択だな。
「流石姉上。捨てられた女性の儚さ、愚かさを題材にした物が好みだとは……自分の未来を投影して感情移入しているからでは?」
「ほほほ」
「ふふふ」
悠陽のチョイスはどうかと思ったが、悠陽の答えにまた油を注ぐ冥夜。
そして再燃する、姉妹喧嘩。
成程、明暦の大火から来ているのか……って、だれがうまいことを言えと……
最近思うのだが、こいつらって実は仲悪くないか?

霞は二人のにらみ合いを止めることも、傍観するでもなく、ぼんやりと何かを考えているようだった。
「ロボ……SF……戦術機……」と時々俺の言葉を反芻していた。

姉妹喧嘩、考え込む霞に、トイレに入ったまま何かを呻いている純夏を尻目に嘆息して、一人料理に箸を付けた。
やれやれ、だ。





[17469] 白銀武の溜息 不思議な天才少女
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:56
夕食を終え、早速小説を書く作業に入った。
原稿用紙は家になかったので、パソコンを起動させ、有名な文章作成ソフトを立ち上げた。パソコンの画面に向って、一心不乱にキーボードを打つ。そんな自分の姿を夢想したものの、過去に何度も実感していると通り、現実はやはり厳しく、俺の前にはまっさらな白紙の画面が映し出されていた。
手が進まないどころではない。
様々な表現の為に必要な語彙力、綿密な物語を演出するための構成力、登場人物の内面を描ききる心理描写、そういった小説を書くに当たって誰しもが躓く場所でコケてしまい、蹲っているのではない。
上手な文章を書き上げる以前の問題……何も思いつかないのだ。

どうやら俺の頭の中にあるアイデアの泉は枯渇しているらしく、俺はアイデアという名のオアシスを求め、一人砂漠を歩き出すべく、足を踏み出した。
知らないことは恥ではない、知ろうとしないことこそ恥じるべきなのだ。
そんなどこぞの誰かさんが言ったような名言を思い出し、今現在に至るまでに俺が体験したこと、または人伝に得た知識を元に、何か小説の題材となるようなものは無いだろうかと、俺の中の海馬に情報をこちらへ引き渡すように求めた。

まずは俺の体験談から……駄目だ、何も無い。
平々凡々な生活を送ってきた凡人の代表たるに相応しい俺が、この短い人生の中で、小説の題材となるような面白く、それでいて人々の興味を誘うような経験など積んだ覚えは無い。劇的な人生を経験していたのなら、俺の今はもっと違ったものになっている筈。
俺の人生体験から特筆抽出すべき項目は存在していなかった。
そして、俺と一緒に成長してきた純夏も同様の理由で省く。

劇的とは意味が異なるかもしれないが、世界に誇る御剣財閥のご息女である御剣姉妹なら何か面白いことを体験している筈……と思ったが、夕食の時に聞いた限りでは特にそんな話も無かった。
御剣姉妹は地球外生命体とコンタクトをとっていても、不思議ではないし、それをあいつ等が興味深いことであると認識しているか甚だ疑問が残る。つまり、あいつ等の基準となる物差し自体が壊れているので、参考にはならないのだ。まあ、御剣シスターズの言葉を信じる限り、そんな特別面白い事態に直面したことはないらしい。

となると、俺の知る限り劇的な人生を送ってきた人物と言えば、やはり速瀬先輩か。
世界水泳とか、オリンピックとかに出場している有名なアスリートである速瀬先輩なら、何か知っているかもしれない。
ただ、問題がある。
あの人は自分のキャラクターを理解していないようで、少し乙女チックな所があるからだ。
小説の参考になれば、と言って速瀬先輩が提示してきた物語の概要は恋愛物であった。
確かに参考にはなったし、協力してくれたことには素直に感謝しているし、速瀬先輩の話を聞いた時は素直に感動したことも否定はしない。
だが正直なところ、速瀬先輩の話を聞いてがっかりしたこともまた、否定できない事実なのだ。
速瀬先輩なら、きっと男同士の血肉沸き踊る戦いとか、泥臭い戦場の話をしてくれるのではないかとちょっぴり期待していたからだ。俺はそういう男臭い話が聞きたかったのに、速瀬先輩はそれとは間逆の恋愛話を披露した。いや、助かったんだよ?俺のために協力してくれたことは本当に嬉しいと思った。でも、恋愛話を切り出したことに僅かながら失望してしまった。
全く、速瀬先輩は自分の個性、キャラクターと言うものをちゃんと理解していて欲しいぜ。
もっと俺が望んでいたものを察して欲しかった。あの人は、可愛い後輩である俺を思い遣る気持ちに欠けていて、その上俺の性格をまるで理解していない。大体、俺が恋愛物を書けると考えている時点で、駄目駄目だ。
やれやれ。そのように浅薄で思慮に欠ける先輩が世間の荒波を越えて生活していくことは、果たして可能なのか心配になってくる。誰か傍で速瀬先輩を見ていてやらなくちゃ、あの人は生活できないのではないだろうか。しょうがないから、当分は俺が面倒を見てやら無くてはならないだろう。情けない先輩を持つと本当に後輩は苦労をさせられる。
いつか俺の功績に報いて欲しいもんだ。
出来れば、形のあるわかりやすい“誠意”で。

……まぁ、速瀬先輩のことは置いておこう。
結論としては、速瀬先輩の話も参考にならなかったということだ。
そう、これだけが大事。

あとは……残りの先輩達か。まぁ、あの人達は論外だな。
面白い人生を経験してきた、というよりもあの人達自体が面白いからだ。
あの人達を物語の主役に収めるなら、先輩達に話を聞くより、密着取材でもしていた方がよっぽど面白い物が書ける筈。そしてそれは夕呼先生にも言えることだ。
というわけで、残りの年増の人々については却下。

こう考えていくと、人生に置いて小説の題材なんて物はそうそう転がっていないことがよくわかる。古今東西知識とは書物から得ていたのだ。俺も先人達に倣って、文章化された本から情報を読み取りたいと思う。本棚から数冊の書物を取り出し、本で蛍光灯の光を遮るようにしてベッドに仰向けに転がった。

今日のチョイスは、現代社会に潜む闇が赤裸々に描き出されている、ウシ面君という闇金融の御話。題名通り、ウシのような顔をした主人公が債務者から金を取り立てていくのだ。
合法、非合法、暴力ありの、超問題作。俺の、「生涯金融会社から借金だけはしない」という誓いは、この本から来ているのだ。
この本は何度読んでも泣ける。まぁ、漫画だけど、な。
さめざめとひとしきり泣いた後、そろそろ寝ようかと俺は電気を消して、布団を捲り、いざ眠ろうかと、ベッドの中に潜り込もうとしたところで、部屋の扉がノックされた。

「誰?」
「……霞です」
「霞?どうかした?鍵掛けてないから、入っていいよ」
家主の了承を得て、霞はおずおずと俺の部屋の扉を開けた。
もう一度電気をつけてみると、霞は純夏のお下がりのパジャマを着て、寝る時に必ず愛用している不気味な兎のぬいぐるみを抱えて、部屋の入り口の辺りで立ち竦んでいた。
抱えていたぬいぐるみに顔を埋め、霞はそこから一歩も動こうとはしなかった。
何か言い難いことでもあるのだろうか、霞の表情からは何も窺えない。
ベッドの上に腰掛けて、手招きしてこちらに来るように促す。
すると、霞は非常に緩慢な歩みであったが、ようやく部屋の中に入ってきた。
霞は机の前にある椅子を引いて座った。

「どうかした?」
もう一度優しく問いかけた。
霞はふるふると首を横に振って、否定する。

「…… そっか」
埒が明かないな。でも、決して無理に理由を聞こうとは思わなかった。
その時々で俺の部屋に来る理由は違っていたが、霞がこうして俺の部屋に訪れることは珍しいことではないからだ。
初めて俺の部屋に来た時は純夏と喧嘩でもしたのかな、と考えて次の日純夏に聞いて見たがそんなことはないらしく。じゃあ純夏の寝相が悪いのか、と思って内緒で純夏の部屋にカメラをセットして次の日にチェックして見たが、布団の中でもぞもぞと動いている以外何も変わったことは無く。なら、純夏のいびきが酷いのかと、と推理してまたまた内緒で今度は録音テープをセットしてみたものの、寝言で「たけるちゃん……たけるちゃぁぁん………ふぅ」という具合に俺の名前を呼んでいるくらいしか変わった事は無く、俺には霞がこの部屋を訪れる理由に、まるで心当たりが無かった。
ただ、霞が俺の部屋に来る時、決まってどこか寂しそうな顔をしているのはいつも共通していた。

「また、一緒に寝るか?」
「……はい」
布団を捲って、俺は二人が寝られるようにベッドの隅っこに移動した。
霞も、椅子から立ち上がり部屋の電気を消して、ベッドに入ってくる。
二人で寝るに、十分な広さを確保しているベッドはこういう時、非常に在り難い。

中学に上がった時、そろそろ新しいベッドを買おうと俺は両親と、そして何故だか純夏と一緒に家具専門店に行った。本当は、それほど大きなベッドは必要なかったのだが、純夏が頑なに、「大きいのがいい!」と主張して譲らないものだから、俺の方が折れて大きなベッドを購入することとなった。
実際に資金を出すことになるのは俺の両親である。しかし奴らは俺達のやりとりを微笑ましく眺めていただけで、安い筈の小さなベッドよりも、随分と値の張る大きなベッドを購入することになってもニヤニヤと笑って純夏の凶行を止め様とはせず、傍観を決め込んでいたというより、「キングベッドの方がいいんじゃないか?」と、むしろ積極的に純夏の行動を煽っていた。
当時はこんなに大きなベッド必要ないと思っていたが、こうして誰かと一緒に寝るようになると、二人が十分に寝られるサイズのベッドの存在は大変貴重で、あの時の純夏と両親に感謝しなくてはならないのだろう。

そんなことを思い出しながら、ゆっくりとまどろみ始めていた。
「……すみません……さん」
霞は呟くように、誰かに謝った。
何に対して謝罪しているのか、まるでわからない。霞と一緒にいる時には、こういうことも時々ある。俺には霞が何を考えているのか全然理解できなかった。なにせ初対面の時に名前を呼んだだけで泣き始めてしまった不思議少女、その上飛び級出来る程の天才児、と来れば、俺如きがその行動を読める筈も無い。わからないものは、わからないのだ。
だが、だからと言って霞を嫌っているわけではない。友達、なのだと思う。いや、何故か戦友と言う言葉がぴったり合う気がするのだが、それは霞のイメージにそぐわないし、なにより、“何と”闘ったのかもわからない。
……あぁ、駄目だ。本格的に寝惚けているらしい。
好奇心は猫を殺すと言う諺があるとおり、何事にでも深入りしないというのが俺の信条。わからないことを追求し、真相を解明する役割はどこぞの研究者達にでも任せておけばいいさ、と半ば思考を放棄して俺はベッドの中深く沈んでいくことを選んだ。


「……怖いですか」
「はへ?」
半分夢の住人になりかけていた俺は、霞の声で強制的に夢の世界の住民権を放棄させられて、現実世界への帰還を見事に遂げた。

「……私は怖いです」
「……信じられなくて……怖いです」
「……毎日が幸せで……怖いです……」
「……誰も知らないことが……怖いです……」
「……あが~」

…… それはあれか?今が幸せの絶頂期、打ち止めの幸福まで到達していて、残りは下がるより他はなく、となればこれから訪れるのは現在よりも幸福な生活ではなく、確実に数段下がった幸せしかありはしない。という現実を見つめて、それが怖いということだろうか。
分かりやすくいえば、パチンコで数十箱出した確立変動が終了し、その後はかなりハマる可能性がある、ということだ。……いや、これじゃあわかりにくいな。
……例えば、人には各々幸福の最大量が決まっていて、それを総て消費してしまうと回復することは無く、人生の終焉まで如何にして幸福を振り分けていくかというゲームがあったとする。幸福を消費していない時は不幸な時間であると考えてもらっていい。長くゲームを愉しむためには、幸福は小出しにしていかなければならない。しかし連続で幸福を消費してしまった後は、当然残るは不幸しか残ってはいない。長い人生のうち幸福と不幸の量は等しく振り分けられないと、苦労するのは自分である。だが、この振り分けは天意によるものであり、人智の及ばぬところにあるというのが、このゲームのミソである。
幸福が連続して発生すると、消去法で残りは不幸が連続する可能性が高いので、幸福があまりに長く続いていると、次に訪れるであろう不幸に怯えてしまうことがある。
そしてその状態に正しく陥っているのが今の霞なのだ。


――――いやいや霞さん。そんなことを言い出したらキリがないですぜ?

そんなもんはオカルト理論、夕呼先生のお得意のトンデモ理論だよ。
ずっと不幸な人間だっているし、ずっと幸福な人生を送る人だっている。
大体、霞は今が最高に幸福だと思っているようだが、もしかすると霞が知らないだけで、今以上の幸福が訪れないとは限らない。逆に、こうしている間にも世界は未知の病原体に汚染されているかもしれないし、隕石が落ちてくる可能性だってある。可能性を論じればキリが無い。生きている限り可能性はゼロじゃないのだ。
確率論なんてもんは、気の持ちようでどうとでもなるもんなんだ。

というようなことを、俺は懇切丁寧に霞に説明してやりたかったが、既に俺の眠気は限界に来ていたので、とりあえず、「気にすんな」とだけ言っておいた。
霞よ、すまん。
霞がどれだけ魅力溢れる女性であっても、俺は睡眠を選ぶのだ。
花より団子。情緒よりも食欲。
霞よりも布団。性欲よりも睡眠欲。
そう俺は、実際の性交よりもセルフバーニングの方が好きな、実に典型的な日本人男性なのだから!
というわけで、俺はもう寝るな?
俺は心の中で、霞に先に寝ることに対して謝罪を入れて、ゆっくりと夢の国のパスポートを再発行すべく、まどろんでいった。
あぁ、今なら速攻で徐波睡眠飛ばして、パラ睡眠余裕です。



既に半分瞼が閉じかけている上に、意識が朦朧としていた俺には、霞が俺の答えに満足してくれたのかどうか、わからなかった。

「……白銀さんは……やっぱり白銀さんです……」
上半身を起して、霞はこちらを見つめていた。
だが、窓から差し込む、薄く儚げな月光が丁度逆光となり、霞を遠慮がちに照らしていたため、霞の表情を窺い知ることは出来なかった。
ただ、口元が優しく綻んでいたような気がする。

霞が笑っていくれたのは、俺の言葉の意味を理解してくれたのだとして、俺は一人で納得し、少しだけ満足気に意識を手放した。






次の日の朝、いつものように霞に起された。
今までは純夏の仕事だったが、最近では霞も混ぜてローテーションで起してくれる。
おはよう、と挨拶して朝食を取るために部屋を後にしようとしたところ、霞が俺の服の裾を引っ張り、行かせまいとしていた。
また昨日の夜の続きでもあるのだろうか、今はすっきり目が覚めているので、昨夜とは違う。おざなりではない答えを返してやろうと心構えを構築していた。

「……小説を書くのなら、いいお話……知ってます」
しかし、霞は意外なことを口走った。
ほぉ~。これは意外な人物からの助け舟が出されたもんだ。
まさか霞が面白い話を知っていると、自分から言うとは想像すらしていなかった。
御剣姉妹達とは違った意味で、霞はどこか浮世離れしていた。
それはまるでこの世界の住人ではなく、御伽噺に出てくる妖精のような、そんな印象を俺は霞に対して抱いていたので、小説と言う俗世の娯楽と霞のイメージがどうしても重なり合わなかった。
だが、くれるというのなら、貰うのがこの厳しい資本主義社会を生き抜く上での正解である。
「教えてくれるか?」
「……はい。でもこの話を書くのなら……約束してください」
「約束?」
「……はい。……三つの約束です」
勿体振るじゃないか、霞ちゃん。
しかし、そんなことは構わずに、俺は一にも二にも頷いた。
俺の答えに満足したらしく、霞は嬉しそうにはにかんでいた。

「ところで、どんな話なんだ?」
霞の口から語られる面白い小説の題材に俺は興味深々だった。
なぜなら、一度として俺自身の口から“小説を書く”と言っていないのに、俺が小説を書くことを知っていた不思議ちゃんで天才の霞が、どんな内容を話すのか、俺には全く想像も付かないからだ。

胸を少し反らし、背筋を正し、ニッコリと微笑み。
若干寂しげに、それでいてどこか誇らしげに。

「…… あいとゆうきの……おとぎばなしです」

ゆっくりと、壮大なスケールの話が霞の口から紡がれた。



[17469] 白銀武の溜息 最後まで締まらないから、そこがいい。
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 01:57
何度こなしても慣れない仕事というのはあるもので、俺にとっては人前に出て喋るテレビの仕事はそれに当たる。だと言うのにこれから俺は、レフ板で光を集められ、音声を拾うために数個のマイクを突き出され、何十台ものカメラを向けられる。
そんな場所に赴かなくてはならないのだ。

…… あぁ、想像しただけで、胃液が逆流して口の中には酸っぱい胃液が広がっていく。
自ら進んでアナウンサーを志望する人間の頭の中はどうなっているのだろうか。きっと奴らは露出狂だ。そうでなければ説明が出来ない。露出において特異とも呼べる才を持たず、そんな性癖には興味がない俺からすれば、人前に堂々と立てる人間と言うのはそれだけで尊敬の念を抱く地点を通り越して、三百九十度くらい周って呆れ返ってしまう。

―――頼むから、あまり視聴者の期待を煽るようなことを言わないで下さい。
とにかく俺は、切実に祈っていた。

「――――以上今週の小説売れ筋ランキング十位から四位までの紹介でした。では次にベスト3の発表……といきたいところなのですが、ベスト3については皆さんも既に予想がついているのではないでしょうか?ですので、今回は趣向を凝らし。なんと!ベスト3総てを独占したあの作者をスタジオにお招きいたしました!」

だが、俺の祈りは天にもスタジオの司会者にも通じることは無かった。

……うわぁ。期待させるようなことを全国に向って発信しやがったよ……

だがここまで来てはもう引き下がれない。いや、本当は今にも逃げ出したいのは山々なんだけど、御剣が誇る屈強なSPが俺の横にピッタリと張り付いていて、それを許してくれそうにない。SPは本来、依頼主の安全を守るために存在するのだが、俺の横にいる人達は依頼主から俺に勝手な行動を取らせないようにと命じられているのだ。謂わば、首に縄を掛けられた状態で売られていく、可愛い子牛。まさにドナドナ。
「受けて見ろ!俺の狼牙風々拳!」「おとーさん!おとーさん!後ろに魔王が……」「犯人がいる中で寝られるか!俺は部屋に戻るぞ!」そんな、死亡フラグが見えそうだ。


「では、お呼び致しましょう!世界中で爆発的な人気を博す、『マジラブシリーズ』の作者、白銀武さんです!!」
リードエア!と思わず叫びたくなるほど、そういう能力が全く皆無な司会者に呼ばれてしまい、逃げる道も無い俺は覚悟を決め、拍手の鳴り響く戦場へと溜息交じりに重い腰をあげ、聞き分けの無い足を叱り付けながら、戦地へと足を踏み入れた。





マジラブシリーズとは三部作からなる、長編小説。
普通の生活をしていた主人公が、現在とは違った歴史を歩んできたもう一つの平行世界に紛れ込んでしまうところから始まる。その世界は主人公のいた世界での住人達が存在していたものの、現代とは全く異なり、少女までが戦場に送り出される社会だった。なぜなら、人類は未知の地球外生命体により絶滅の危機に瀕していたからだ。
大まかな流れとしては、主人公が今まで生活してきた現代の世界と、紛れ込んでしまった世界の現実のギャップに苦しみながらも成長し、やがては外敵である地球外生命体を駆逐していく主人公の活躍を描いた物語である。
ここまではよくある話であるのだが、綿密に作られた世界観、容赦なく人が死んでいく殺伐とした戦場、科学的な考証、かなり高度な物理・システム理論、恋愛要素、等身大の主人公が成長し活躍する英雄譚的な要素が盛り込まれていて、どの分野の人にも親しまれる作品として日本のみならず、世界中で訳され、絶大な人気を博している。

だがなんと言っても、話題性に事欠かないことがマジラブシリーズの人気の秘訣かもしれない。というのも、書上げた小説を夕呼先生に見せたところ、夕呼先生はすぐさま御剣姉妹に連絡し、御剣財閥との協力関係を取り付けて、大々的にメディアを通じて宣伝したのだ。流石世界に誇る御剣、日本だけではなく、世界中にこのマジラブを発信した。
まず、流行の最先端を行く中高生の男女を中心に、悲劇的な要素と熱い戦闘が受け入れられ。次に若い社会人達に、練りこまれた設定と成長していく主人公がウケ、そして最後に文学好きな人達には説明役として登場している「博士」のシニカルなウンチクが受けた。
夕呼先生は専門的な知識が必要となる分野に協力してくれて、主人公が何故別の世界に来たのかということについては夕呼先生が唱えた理論が採用されている。この夕呼先生の提唱した新しい理論は、学会で議論されるほど画期的なものであったらしく、そうした分野からもマジラブは注目されていた。

さて、このマジラブであるが、霞が話してくれた御伽噺に多くを依存しているものの、決して霞が俺のゴーストライターと言うわけではない。
霞が最初に話してくれたのは、小説の根幹となる世界観のみ。
主人公の行動は俺自身で考えなくてはならないと言うのが、霞が出した条件の一つだった。
ではどうやって小説を書いたのかというと、まず俺が主人公に為りきってどういう行動を取るのか話す、すると霞は俺が話した行動の結果どういう事態が引き起こるか、ということを話してくれるのだ。そしてまた俺がそれについてどういう行動を取るのか考えて、霞に話していく、これを繰り返すことで小説の形にしていくのだ。
最初このやり方を聞いた時は、ややこしいと思ったのだが、やって見ると案外難しくは無く、俺も霞も、スラスラと詰まることなく進んだ。
それはまるで、実際に“過去”に体験したことがあることを思い出していくかのように、記憶と記録を整理する作業だったようにも思えた。
しかし、作業と言っても俺は霞と話しているうちに主人公に大分感情移入していたらしく、何度も本気で怒りを覚え、自分の無力さも痛感し、死んでいく仲間達に涙した。

……今思い出しても恥ずかしい。まさか小説を作る側の俺が小説を作りながら泣くなんて思いもよらなかった。だが、俺が泣いていても霞は笑うことが無かった、むしろ俺が泣いたことに霞は安堵した……ようにも見えた。や、真実なんて霞にしかわからないけどな。



拍手で迎え入れられ、司会者はパネルを使ってマジラブについての簡単な説明を加える。
頭の中が真っ白になった俺は、只管愛想笑いを振りまいて、なんとか場をやり過ごそうと試みた。とにかく、こちらに話題を振らずに終わってくれと、必死に念じた。
しかし、司会者にリーディング能力はあるはずもなく、時折こちらに話題を振ってくる。
そりゃそうだ。俺が話さなくて済むなら、俺がここにいる意味はないのだ。ここに俺がいるのに話題を振らない手はない。……こうして泥沼に嵌っていくのか、俺は不意に漫画で読んだ消費者金融の恐ろしさを思い出していた。全く関係のないことを思い浮かべているあたり、どうやら俺は本格的に混乱しているらしい。

「―――というわけですが、如何でしょう?白銀さん」
「は、はい!」
何がというわけなのか、全く聞いていなかったが、名前を呼ばれたのなら答えないわけにもいかず、脊髄で反射的に返事をしていた。
「マジラブに登場する人物達は非常に個性的で、魅力に溢れています。モデルはいるのでしょうか?」
流石ベテラン司会者。俺がテンパっていたことを見抜き、苦笑交じりであるが、もう一度質問を繰り返してくれたらしい。伊達にテレビに出ているわけではない。テレビに出てくる素人への対処はバッチリだ。テレビに出て話すだけで給料が貰える司会者の仕事というものは、給料泥棒だと考えていた昔の俺に反省させておきますね?


「え、っと。そうですね。モデルとなった人はいます」
「成程。例えば、マジラブの主人公は白銀さんと同姓同名ですが、主人公のモデルは白銀さん御本人なのでしょうか?」
「そ、そうですね。一応」
そう、マジラブの主人公の名前はなんと白銀武と言うのだ。
しかも、冥夜に純夏、霞に、夕呼先生、まりもちゃん、クラスメイトと同じ名前の登場人物は存在する。これを「同姓同名、ただの偶然です」と簡単に一蹴してしまうことは出来ない。というか、そうなるように名前を付けたのは俺自身。偶然ではなく必然なのだ。
オイオイ、主人公に自分の名前を付けるとか、お前どんだけナルシストなんだよ!
主人公に自己投影しちゃうとか、痛い人じゃね?という疑問・質問その他諸々言いたいことはあるだろうが、俺にも言い訳させて欲しい。

登場するキャラクターは総て実際に俺の間近にいる人間から選ばなくては為らない、これは、霞との約束その二、なのだ。
なぜそんなことを霞が言い出したのか、それは俺にはわからない。
ただ小説を書く俺の意見としては、これは非常に有り難かった。
なぜなら、実際にモデルが間近にいるからだ。
彼女達の性格をそのまま話に反映さえ、彼女達が取るであろう行動を予測して書き出せばいいのだ。一々登場するキャラクター達の細かい設定を作っておかなくても、参考資料には事欠かない。これは大変役立つ。
俺の周りにいるのは、どいつもこいつも“個性的”な人間だ。小説に登場するキャラクターとして悪くはないし、しかも登場人物達一人一人が実際にいる人間をそのまま書いているのでキャラクターの掘り下げも出来ている。こうして魅力的な登場人物が出来上がる。
そして、この実際にいる人間を小説に登場させると言う手法もまた、マジラブの人気に一役買っている。
読者達は、それぞれどのキャラクターが好きかを論じ、自分が推すキャラクターを崇拝する同志が集い、巨大な派閥が出来ているほど、登場人物一人一人が人気なのだ。
マニアックなところだと、散り様がいいということで、伍長達やウォーケン先生。
キャラクターの濃さでは他の追随を許さない、ラダビノット校長。
一番人気は、武士少女の冥夜。二番手に鬼軍曹のまりもちゃん。三番手は不思議巨乳の彩峰である。ちなみに、俺のお気に入りは、主人公が正規配属された部隊の戦闘狂の先任中尉だ。いや、別に深い意味とかねぇよ?


「おぉ~!ということは、ですよ?もしかして、マジラブに登場している『御剣』と言うのはあの御剣財閥の……?」
「そ、それも。はい。そうです」
「おぉぉぉ~!!ということは。ということは、ですよ?まさか今噂になっているアレは真実ということなのでしょうか?」
「アレ?」
「おや?ご存知無い?」
「はぁ、すみません」
「実は……マジラブは作者である白銀さんが、意中の女性に告白するために書いた小説なのではないか、という噂が飛び交っているのですが、それは事実なのでしょうか?」

「ブフォ!」
今この瞬間全国放送で、お茶の間の皆さんの前には、俺の吹き出した顔が流されたが、そんなことを気にしてはいられない。
……え?マジでそんなこと言われているの?はぃ?
ギャグじゃなくて?……これ、ドッキリですか?
「ちょ、っちょっと待ってください。なんですかそれ!?」
「初耳でしたか?」
「いや、初耳も初耳ですって!え……マジ?」
「えぇ。残念ながら……えらくマジ、です」


…… 嘘だろ、俺全然知らなかったんだけど……
いや待てよ。
そう言えば……マジラブの第一部が発売された当初。純夏から皆が登場しているのに自分がいないのはどういうことだ!と詰問されたことがあった。純夏は人類側の最終兵器幼馴染という非常に難しい役だったので登場が遅れてしまい、第二部終盤くらいになるまで活躍の機会に恵まれず、第二部が出版されるまで随分と厳しい顔で俺を睨んできていた。しかし、純夏が作中で登場してからは今までの態度は一変し、「なんだよぉー。タケルちゃんも素直じゃないなぁーこのこのぉ」と終始ニヤニヤと間抜け面のままクネクネと体を揺らせ、肘で俺の脇腹を突いていた。また、ある時は、「……今日は家に、誰もいないよ」俺の耳元で、こっそりと内緒話でもするように、純夏は声をひそめて話してきたりと、理解不能な言動を繰り出すようになっていた。いやいや、家に誰もいないのに、行くわけないだろ?相変わらず馬鹿だなぁ、純夏は。勿論放っておいたけどな。

…… 待てよ、変わったのは純夏だけじゃなかった筈。思い出してみると、二月の十四日。彩峰から「……やるよ……」とヤキソバパンを渡され、「……発案者だもん……ね。……クスッ」と意味深なことを言われた。更に三月十四日。町を歩いていると、急に背後から誰かに襲われ、裏路地に連れ込まれ……いや、まぁ流れで分かると思うけど、犯人は彩峰で。
「まだ何も返していないんだぁ………返さないとね……」と平坦な声で、しかしどこか凄みのある雰囲気を醸し出しながら、俺は迫られた。言われた俺の方には勿論心当たりなんてありはしない。彩峰が俺から何を返して欲しかったのか、それがわからなかったので、とりあえずNOと言える日本人代表の俺は、「無理!」ときっぱり断ってやった。しかし敵もさることながら、「……返さないんだ」と更に迫ってくる。
「無理!」「……泥棒?」
「違う!」「……ヤリ逃げ?」
「違う!」「……体でいいよ」
そんなやり取りを繰り返していたが、俺の四十八のスキルが一つ、『玉虫色の答弁』を使いなんとか逃げ出すことに成功した。まぁ、最後の彩峰の発言には心惹かれるものがあったことは認めよう。だが、未だに童貞貴族を守り通している俺の強靭な精神力と自制心を、彩峰のキョウイ(脅威・驚異・胸囲)のバストと言えど打ち崩すことは出来ず、この苦難を俺は切り抜けたのだ。

あれ?待てよ。
思い出してみると、そう言えば殿下、いや、もとい悠陽も変じゃなかったっけ?
第三部が発売した後、「武様。続きは何時発売されるのでしょうか?」と尋ねられたことがあった。第三部の最後、主人公が元の世界に帰還して俺としてはマジラブそれで終わったつもりだった。だが、続編を望む声も確かに多かったので、悠陽もそう言うつもりで言っているのだろうと考えていたのだが、話してみるとどうも意見が噛み合わない。出版業者の偉いさんが揃って、「頼むから続編をお願いします」と頭を下げられた俺としては、マジラブの世界観を流用したスピンオフ的な作品を書くつもりはあった。そう言う意味で続編はあると言ったのだが、悠陽はどうやら主人公のこの後を描いた作品はないのか、という意味で尋ねていたらしい。いやいや、これで終わりですよ?と答えたところ、悠陽は力強く断言した、「いいえ、これで終わるのは不自然です」と。
「日本は世界的に英雄となった主人公、英雄と言う存在は外交上・士気を高める上でも非常に有用です、つまり武様を手放す筈はございませんわ。あらゆる手練手管に策を弄して、武様を日本に残すように努める筈。古今東西英雄と一国の姫が結ばれた物語は多く存在しております。そう、例えば、政威大将軍と武様の間に婚姻関係を結ぶ等ということも十分に考えられます。いえ!それ以外の選択肢は存在しませんわ。ハッ!もしやこれは遠回しな私への求婚なのでは!いいえ、そうに違いありません。私としたことが武様の真意を見抜くことが出来ないとは、申し訳ございません。直にでも準備に取り掛かりますわ。……真耶さん!閨の準備を!」
また、パンパンと手を鳴らし、月詠さんの従姉妹の真耶さんを呼び寄せようとしていた。
だが、甘い。一度見た行動は、俺には通じない。悠陽が夢中で熱弁していた時、既に俺は部屋からフェードアウトしていたのだ!フフフ、白銀武。危機察知能力なら他の追随を許しませんことよ?

とまぁ、このように、思い当たる附しがチラホラと……あるような気がしないでもないような、そうでもないこともないかもしれないような……
俺が人生の苦悩を味わい、さてこれからどうしようかと思案していたところ、司会者はマイク片手に詰め寄ってきた。
「白銀さん。そこのところ詳しくお聞かせ下さい。日本中、いえ、もう既に世界中の人々がこの話題を知っていますし、気にしているのではないでしょうか。白銀さんが誰と結ばれるか、これは世界規模の大問題ですよ。どうです?この際番組で、白銀さんが意中の女性に告白すると言うのは……」
いやいやいや、何言ってんすか!?そんなこと出来るわけないでしょ?
司会者さん。マジ空気読んで下さいよ。
「漢は度胸。どうです?白銀さん。さぁ、思いの丈を番組内で打ち明けて見ませんか?」
しかしどうやら、空気を読むのは俺の方だと言わんばかりに、スタジオには俺が登場した時よりも更に大きな拍手の嵐が巻き起きていた。

「さぁ!白銀さん!」
マイクを持っていない方の手をカメラの方に向けて、俺にここで告白すように促してくる司会者。期待に満ちた目でこちらを見るスタッフ。
ちくしょう!だからテレビに出るような人間は信用できないんだ!
騙された!司会者はやっぱり給料泥棒だぜ!
手で額を押さえ、空を仰ぎ、苦虫を噛み潰したような顔つきで、俺はゆっくりと口を開いた。
「お、俺は……」
「はい!俺は?」
司会者がぐいと近づいてきた。
「お、俺は……その……」
「さぁ!どうぞ!」
更に促してくる司会者。
固唾を呑んで見守るスタッフ。


――― えぇい!もうどうなってもかまうもんか!

意を決して、正面のカメラを見据え、

「俺は!男が好きなんです!!」

力の限り、叫んだ。

俺の突然のカミングアウトに、スタジオにいる人間は皆仰天していた。
しかし、俺は攻撃の手を休めることなく、更に畳み掛けた。

「いやね、もうなんていうか、アレに弱くて、おっぱい?邪道ですよ。大胸筋最高!ムチムチボディ?糞喰らえ!俺が欲しいのはガチムチなんです!鎖骨最高!筋肉万歳!」
続いた俺の半ばヤケクソになっていた発言に皆は、一驚していた。
だが、まだまだ俺のターン!

「おぉっと!もうこんな時間じゃないですか!すみません!日課のハッテン場巡りに行くので、失礼させて貰いますね!じゃ!」
シュタッと手を挙げ、俺はダッシュでスタジオから逃げた。
誰もが呆気にとられていたので、俺を止める人間はいなかった。
『後悔先に立たず』と言う言葉通り、今更悔やんでも、もう後の祭りである。
俺はこれから街を歩くたびに、きっと「男好きの白銀」と呼ばれることになるだろう。
へへへ。目からやけにしょっぱい汗が流れてきやがる。

俺は目的地に向って走りながら、俺は一人泣いた。















だが、泣いてばかりもいられない。
なぜなら、俺の痴態が全国に流れる前に、俺にはすべきことが残されているからだ。
勿論、俺はホモセクシャルではなく正真正銘の女好きである。いや、そういうと語弊があるな。ヘテロセクシャルである、くらいの表現が妥当か。
そう、きちんと女性を愛せるのだ。
だが勘違いするなよ?女性“も”ということではないぞ?女性“しか”だからな?
早合点は美徳にはならないぜ?
じゃあ、なぜあんなことを言ったのか。
それは、霞との最後の約束を守るためだ。
霞は言った。
「……白銀さんは弱虫です……誤魔化すのは……止めて下さい。小説が出来たら……」と。
霞は相手に自分の意思を伝えるのが苦手だ。今回も非常に曖昧な言葉だった。
ところが、今回ばかりは如何に俺と言えど、いや、俺だからこそ霞が何を言いたいのか理解できた。何故だか、今回だけは霞の言葉をスンナリと理解できてしまっていた。
霞は俺にキチンとしろと言いたかったのだ。それはつまり、俺が誰に対して好意を抱いているのかということを霞が知っているからに他ならない。

――― 知っていたよ、最初から。

霞に不思議な力があるのも、皆が俺に対して好意を抱いていることも、そして俺自身の気持ちも、全部俺はわかっていた。理解していたのだ。
わかった上で、俺は自分の気持ちに向き合おうともせず、自分の気持ちを誤魔化しながら、今のぬるま湯の状態が気持ちよくて、「そろそろ答えを出さなきゃな」なんて言いながら結局は問題を先送りにしていた。
認めるよ……あぁ、だって認めるしかないだろ?
年下の女の子にここまで言われて、それで動かないなんて、俺じゃない。
今動かなきゃ、俺なんかに好意を抱いてくれた皆に対して、顔向けできない。
テレビであんなことを言ったのは、そんな自分に対しての戒めだった。

勿論、テレビの無神経さに腹が立って、つい好き勝手に口走ってしまったということも無きにしも非ず。だが、それでもやはり告白と言うのはちゃんと相手と向き合ってするべきだと俺は考えていたから、ああいう場所で大々的に告白することに躊躇いがあったことも事実だ。まぁ、とにかく、あそこまで言ってしまったんだ。もう俺には前に進むという選択肢しか残されていない。ここに来てやっと俺の覚悟は決まった。


携帯を操作して、アドレス帳の『先輩』グループの中から一人に電話を掛ける。
「あ、先輩ですか?ちょっと話しあるんで、出てきてもらえませんか?今日って休みでしたよね?えぇ。いや、今先輩のマンションの前です。はい。じゃあ、待ってますね」
通話ボタンを押して、携帯を閉じた。
その時初めて、俺の指が震えていることに気づいた。緊張しているらしい。
……そうだよな。自分の想いを誰かに告げるのってかなり勇気がいる行動なんだよな。
……そっか、今迄先輩もきっとこんな風に勇気を振り絞っていたんだ。
なのに、俺は必死で気付かないフリをしちゃってさ。
やっぱり冷静になって考えて見るとかなり酷いことしてたんだよなぁ……
今更ながら、俺は自分の愚かしさに気づいて舌打ちをした。

だが、後悔してばかりではいられない。
もう、呼び出してしまったのだ。反省して、謝るのは後にしよう。
とにかく今は、俺が今までずっと抱いていた感情をぶつけよう。
告白の言葉は、既に決まっていた。
なにせ、相手が望んだ言葉で想いを告げるのだ。
これ以上の告白はないだろう。


待ち時間と言うのは不思議なもので、永遠とも刹那とも思えた。
だが、何事にも終焉はある。
マンションの前に立っていた俺の視界に、先輩の姿が飛び込んできた。
俺の電話を受けて、慌てて出てきたのだろう、先輩は自慢の長く美しい髪をしきりに気にして、数回自分の手で梳かしていた。先輩がどこか期待したような表情を浮かべているように見えたのは、俺の気のせいだろうか。いや、きっと気のせいじゃないさ。
些か上気した頬を冷ますように、俺は大きく深呼吸をした。
ゆっくりと、一言一句間違わぬように、言葉を噛み締めながら、言葉を紡いだ。




『――――俺、先輩のこと名前で呼びたい』














きっと幸せにする。一緒に、幸せになろう。
そんなことを決意しながら、俺は泣き崩れてしまった先輩にそっと口付けを交わした。




あ!忘れていたけど、あのテレビが放送されたらどうしよう……
付き合って速攻で、自分の男が全国に向けて男が好きですと告白していたと知ったら……
先輩は確実に怒るな。太陽が東から昇るというくらい確実に。幸せにするどころか、気付いたら、俺が昇天していたとか洒落にならん。なんと言って誤魔化すべきか……
やべぇ、いきなり俺の決意が揺らぎそうだ……

……まぁ、いいか。

色々問題はあるだろうけど、先輩が横にいるなら、きっとなんとかなるさ。



[17469] 前書きは恥ずかしいので、後出しの注意書き
Name: 征史◆409cbc01 ID:e41a2f05
Date: 2010/03/22 02:16
以前こちらで掲載させて頂いた拙作、「まりもちゃんの憂鬱」「白銀武の溜息」「社霞の退屈」は私の不手際で削除してしまったのですが、なんとかデータを見つけ出し、もう一度皆様方に見ていただきたい欲求抑えることは難しく、性懲りも無く再度アップしてしまいました。
ただ、「退屈」に関しましては、バックアップが少なく、泣く泣く削除いたしました。
精神学と脳医学の学術書を片手に書き上げていただけに、残念でなりません。
その気持ちをバネに、そしてそろそろ新しい小ネタも溜まってきたので、鬱憤を晴らす意味でも、またネタを吐き出す意味でも、新しいお話をいつか掲載出来れば!……いいなぁと思っております。

長々と弁解をしてしまいましたが、結局何が言いたいのかと問われますと。
ここまでご照覧下さいましたこと、誠に有難く思います。



[17469] 亡霊追憶記
Name: 征史◆409cbc01 ID:1f65ca3f
Date: 2010/10/27 01:58


呆けたように空を眺める青年が一人。
少々冷え込む季節。
暖を取ろうと、買っておいたホットの缶コーヒーのタブをとり、口に含む。
じんわりと口内に広がる缶コーヒー独特の苦みと、嘘っぽい甘味。
青年は口内を洗浄しようと口をだらしなく広げたまま、また空を向きつぶやいた。
「冬だなぁ」




「卒業論文のテーマがまだ決まってないって聞いたんだけど……あんた正気?」
頭の中が元から空なのか、はたまらワザと頭の中を空にしていたのか、それは定かではないが、突如掛ってきた電話によって青年は無理矢理、現実に引き戻された。
またか、うんざりした気分で今日こそ勝ってみせると意気込み電話を開く。
電話の主は、青年もよく知る少女。
いや、年の頃から言えば少女とは最早言えないのかもしれない。
ただ、青年の意識の中では、体は幾ら発達しようと、女性と言うよりもなぜか少女の方がしっくりと来るのだった。まあ、その体すら発達していないのだから彼の意識の方が正しいのかもしれないが。

少女の声は、呆れたと言外に含んでいた。
電話越しであったが、少女のいつもの冷めた眼がありありと脳裏に浮かぶ。
「……まぁ、ね」
言葉に詰まりながら、バツが悪そうに頭を掻く。

「な~にが、『まぁ、ね』よ。かっこつけてるつもりぃ?」
「いや、そうじゃないけどさ。……相変わらず口悪いよね。みー」
「語尾に私の名前置くのやめてくれない?なんか鳴き声みたいで気持ち悪い」
「次から気をつけるよ。みー」
「あ・ん・た・わぁ~~~」
プルプルと小刻みに震えるみーと呼ばれる少女の姿が、電話越しからでも見て取れて青年は少し溜飲が下がった気がした。いつもの会話に飽きが来ていたからだ。


「で、誤魔化されないわよ。私は」
みーは、こういうところが侮れないところだよな。青年はいつもそう感じる。
疾うに二十歳は越えているというに、しかし外見は中学生のようにしか見て取れない。
しばしば小学生に間違われることすらある。
生来の口の悪さも相まって、みーと呼ばれる少女と少しばかりの交流を持った者は須らく、彼女をおしゃまな女の子と言った印象を受ける。
だが、長い付き合いである青年からすれば、外見や口舌に惑わされなければ、彼女の煌めくような知性の眩い輝きを簡単に感じられるものを、なぜ世の多くの男性は感じないのだろうか、と不思議に思うのだった。
出来ればそれを感じ、可及的速やかに彼女を引き取ってもらいたいと真摯に願っている。
男性から敬遠されるのは、多分に彼女の気質が関係しているだろうとも推察していたが。


「テーマも決まっているし、資料も大体揃っているよ」
青年は弁解を口にした。
勿論、隙だらけの弁解と呼ぶには余りに幼稚な、言い訳にすらならないと自覚している。
「提出しない理由は?まだ書きあがっていないって言うなら、私も手伝うわよ」
それじゃあ困るでしょ?
ふふん、と鼻をならし、そう続け、強気の姿勢を崩さない。

いっそ両手を挙げてやろうか、青年は乱暴に思ったが、そんな思考を霧散させるように頭を振った。どうせ納得するまでみーが攻撃の手を緩めないことは先刻承知だった。

「僕はどうやらロマンチストだったらしい」
「夢想家って言いなさいよ。言葉は正しく使いなさい」

「卒業すれば働かなくちゃならない」
「そうね」

「だったら今しかないよね?」
「論文なしじゃ、うちは卒業できないわよ」

「だから、ダミー用の論文は用意しているさ」
「ダミー用のテーマと揃えた資料を提出してから、改めて時間を作るっていう手もあるわ」

「でも、出来れば証明したい」
「……自己顕示欲の強いこと」
少女は押し黙った。
青年はじっと辛抱強く少女の重たい口が開くのを待った。
だが、なかなか天岩戸は開かない。
八百万の神よろしく、アメノウズメでも連れてこなくてはならないか。
少女にとってのアメノウズメと言えば、青年の中で思い当たる節が一つだけあった。
「一月の提出日まで間に合わなかったら、ダミー用を提出する。もう少しだけ見逃して欲しいんだ。頼むよ、姉さん」
意を持って言葉を紡ぐ。
自分よりも遥かに年下に見える少女に、電話越しとは言え「姉」と呼ぶのは抵抗があった。
無論、過去のいざこざも含めてのことである。

「ふ~~」
何かを振り払うように、青年の姉は息を吐いた。

「……あんたの亡霊好きにはほとほと頭が下がるわ」
青年はそれを同意と受け取った。
「昔からの夢だからね」
感謝の言葉を述べるのは、照れ臭かったので、青年は強がった。
「よっく言うわね~名前が同じだけって理由で、実在したかもわからないような眉唾物の伝説を追いかけようなんて、正気じゃないわ。負けよ、負け。いいわ。約束通り十万円貸してあげる。行ってきなさい。弟が大学生活を捧げた研究よ、あんたの根性に負けて大盤振る舞いしてあげるわ」
「ここ数日は同じ問答だったからね、子供の頃からの夢はやっぱり強いさ」
「苛立っていたくせに?」
「どんなことでも飽きは来るさ」
「夢だって飽きればよかったのに」
「それはそれ、これはこれ」

「で、いつ頃出発する予定?」
「ん~明日から丁度冬休みだし、明日くらいかな?」
「どうせなら、あんたの好きな桜花の亡霊にちなんで、桜花作戦のあった日に出たら?」
少女はからかうように、けれどどこか引き留めるように青年を誘った。
ここ数日繰り返された問答は結局のところ、過保護な姉が弟の一人旅を承認できなかっただけなのだ。しかし、折角許しを出した舌の根の乾かぬ内に引き留める素振りを見せるのは如何なものか、青年は思わず苦笑した。
とうの昔に姉の身長を抜き去ったというのに、姉の中では青年は昔の貧相な体の弱虫で苛められっ子のままなのだろう。いい加減に姉の頭の中にいる自分の時間を進めてもらいたいものだ、そう思ったが、自分の中の姉も昔のまま進んでいないのだから、似た者姉弟なのかもしれない。


「今日くらいは家でゆっくりしていきなさい、お金もその時に渡すわ。いいわね、武」
「お金が貰えるなら、今日は家でゆっくりするよ、みー」

武と呼ばれた青年は、姉の怒った声を遮るように携帯を折りたたんだ。
未だに自分の中で姉はヒーローだった。
弱虫で、泣き虫で、苛められっ子の自分を颯爽と助けに来てくれた姉には頭が上がらない。
そんな姉と話してどっと疲れが噴き出たのか、肩が凝った気がした。
が、同時にそんな姉を説き伏せられたことで肩の荷が軽くなったような気がした。
今回のこと、これだけは譲れなかった。
何せ、幼い武に道を示してくれたのは自分と同じ名前の、偶像のような英雄。
だが、彼に出会わせてくれたのは他ならぬ姉だからだ。


『ほら、こいつはあんたと同じ名前よ。だからきっとあんたもこいつみたいになれるのよ』


いつか言った姉の台詞は今も鮮明に心に残っている。

だから、だからこそ、自分と同じ名前の英雄の行方を知りたくなったのだ。
社会の荒波に船をこぎ出す前に、現代よりも比べるのもおこがましい位、遥かに過酷なBETA大戦という人類の存亡を賭けた戦場を、刹那に駆けた自分と同じ名を持つ幻の英雄、今ではその存在を疑われ、映画や小説の中だけしか登場しない、『桜花の亡霊』と呼ばれる『白銀武』のことを知りたいのだ。


彼が実在したか、そんなことはどうでもよかった。
いや、実在してくれた方がよいのだが、仮に実在していなかったとしても、何か、ほんの欠片でも彼の存在を感じる何かを掴みたかった。



すっかり冷え切った缶コーヒーを口に含み、また呆けたように空を仰いだ。
「あ~~冬だなぁ」


桜花作戦決行日、白銀武はこんな寒空の下何を思ったのだろうか。
ふと、武はそんなことが気にかかった。



[17469] 亡霊追憶記2
Name: 征史◆7da5bca7 ID:797c6f7b
Date: 2016/09/23 02:18
「もう一度確認したい。女史はこの荒唐無稽な夢想に等しいまるで御伽噺を綴った物を正式な報告だと、これに誤りはないと。言い切れるのかね?」

射さすような鋭い眼光を持って、コーカロイドの壮年の紳士然とした男は問う。
精神疾患の患者が抱く特有の空想現実を前に、地獄のような現実の厳しさを教えることは滝を遡るが如くの難行であり、それを実行せねばならない者には同情の余地がある。
男は自身がその難行に挑む偉大なチャレンジャーであり、そのような任務に割り当てられた己が身を嘆いていた。

「はぁ、全くどれだけ頭が固いのか。いい加減にして欲しいわね。何度も言うように、そこに記載された物は間違いないわ。事実、桜花作戦以後のBETAの散漫な行動様式を見れば理解できるでしょう?あ号標的の撃破によりBETAの指揮系統は破壊され、組織立った侵攻は減少傾向。同時にハイブの防衛行動ですら穴が見えているでしょう?ハイブ攻略が至上命題だったのは昔の話。現在、何個のハイブが落ちたのか数えてみたらぁ?」

女は、長い髪を掻き揚げながらうんざりとした様子で男に応えた。
女からすれば、難行に挑んでいるのは自身の方であった。

「桜花作戦突入部隊が任官一月足らずのひよっこ共。別世界から来た男がXM3の開発に多大な寄与をしたのみならず、あまつさえ、あ号標的の撃破を為した人物であり、今は元の世界に帰ってしまい誰の記憶にも残っていない……こんな妄想を信じろというのかね!、しかもだ!莫大な資金を投入し作成した00ユニットがもう作成できないだと!情報の隠蔽ではないのかね香月女史!こんな物を上に提出すれば突き上げは避けられないぞ!」

香月夕呼はある意味感心していた。
人はここまで激怒できるのか、と。
憤死という言葉があるが、怒りすぎたことが死因など実に噴飯物の眉唾な話であると思っていたからだ。
極度の興奮により血管の収縮に起因し、繊細な脳の血管が切れることで死に至ると因果関係は理解できなくもない。
ただ、ほんの少しでも考える力があれば、人は自制するものである。
だからこそ、自制を忘れて死に至るほど怒るという無意味である種の情熱的な行いはそれこそ男が言うような荒唐無稽な例え話の一種であると推測していた。
だがどうやらそれを目の前で見ることはそう難しくはないのかもしれないと、珍妙な生き物を観察する科学者としての好奇心が頭をもたげた。
「だからぁ、何度も言っている通り、00ユニットの作成は可能よ。ただその使用にはBETAの技術流用が不可欠で、第二の00ユニットを作成した場合、BETAに全ての情報が流出する恐れがある……いえ、100%流出するわ。そうなったが最後、第二のあ号標的が送り込まれてくる可能性どころか、現存するハイブの頭脳級が第二のあ号標的となりかねない。……ありのままの報告と将来の警笛まで鳴らしてあげた素晴らしい報告書じゃない。どこに不満があるのよ」

「全てだ!いいかね、虚偽報告は重罪であり、最悪銃殺刑までありえるのだぞ。混乱の最中にあった当時ならともかく、人類優勢の現状では女史の必要性は低下している。既に超法規的な特権が君の手からこぼれて久しい。この状況で、冗談が通じるかどうかに君は命を懸けるとでも言うのかね!」

男は机を叩き、激怒した。
ありえるはずがない。
常識的に考えれば、ありえないのだ。
男は香月夕呼から提出された報告書を虚偽報告であると判断した。
無論、全てが欺瞞に満ちた物だとは考えていない。
しかし、全てが真実でないことは明々白々である。
桜花作戦の中枢を担う突入部隊は、当時極東国連軍横浜基地の副指令にあった香月夕呼直属の特殊部隊――通称ヴァルキリーズ――がその重責に当てられた。
ヴァルキリーズは当初より、対BETA戦のみならず、香月夕呼が提唱する理論の助成を目的とした作戦群に従事するのを目的とし編成された文字通りの特殊な部隊である。
桜花作戦こそがBETA戦争の転換、節目であると一般的にみなされているが、情報を握る者達にとってはそれはあくまで一面だけでしかなかった。
軍略的な意義は大である、しかしそれ以上に政争面で桜花作戦は多大な意義を有していた。
当時の情勢下は大きく二大派閥に分かたれていた。
第四計画派と第五計画派である。
国家の、個人の思惑・思想・主義は多々あれど、権力闘争の一環としてこの二つの派閥に分かれたのである。
極端な物言いをすれば、第四計画派はBETAの直接の打破を題目に掲げ、第五計画派は一部の人類を地球から逃がしその間にBETAへの対抗策を練るというものである。
第四計画派は実に果断で、男根主義的な思想が見て取れるが、正しくはBETAの情報収集する術を模索し、手段を確立、それにより対BETA戦を優位に進めるという物であった。
確立されることのない技術が計画の根幹にあるのだ、不安に思う人間も多い。
だからこそ同時に第五計画が推進された。
第五計画は地球以外の星に一部の人類を逃がし、同時にG弾でもって一斉攻勢をかけるという作戦が中枢にある。
大事な戦力を派手に使いそれを目くらましに人類を逃がすというのがなんともまた、米国的な作戦であるというのが一部の識者の見方であった。
加えて、第五計画に記された一部の人類とは、計画を主導する米国、もしくはそれに関係する一部の特権階級のみを指していた。
そして香月夕呼は第四計画派に属していた、いや、ただ属するだけではなく第四計画の中枢に陣取っていた。
それはひとえに、彼女の天才的な頭脳、才覚によるものである。
物理学のみではない、専攻分野以外でも多大な功績を残すばかりか、派閥力学といった経験が物を言う世界であっても彼女は天才の名をほしいままにし、その姿はまさに怪物という形容がふさわしく、彼女は20代という若さで権力の世界を駆け上がった。
そんな才女が自信をもって編成した部隊こそがヴァルキリーズであり、急遽決まった桜花作戦という人類未曾有の大攻勢において、突入部隊に彼女のヴァルキリーズが当たることに小さな横槍はあったものの、国連で承認されたのはそれまでの彼女の功績が如何に大きかったかを如実に物語っている。
だからこそ、男は受け入れられることが出来なかった。
00ユニットが作成不可というのはまだ納得できた。
情報の逆流出の事実が明らかになったからこその、桜花作戦は緊急承認されたのである。
しかし、ヴァルキリーズの人員の殆どが訓練兵上がりのひよっこ共で構成されていたなどと。
香月夕呼の名を不動の物にした、XM3の開発がそのひよっこの中の一人であり、あまつさえ訓練兵時代に考案したものであること等という戯言は到底納得できなかった。
並行世界とは一体どんな御伽噺だ。
男はふぅっと大きく、息を吐いた。
気持ちを落ち着けるために。
改めて香月夕呼に向き直り、猫なで声で語り始めた。

「いいかね、女史?私は君の敵ではない。近日中には予定されていた通り、君に対しての査問会が開かれる。だからこそ、君を助けるために私は派遣されたのだよ。愚かしいことだが派閥闘争だ。君という才能が埋もれていくのが我慢できない者は大勢いる。そして同じくらい多くの人間が君という傑物に表舞台から去ってもらいたいのだ。だからこそ、知って貰いたい私が味方であると。そして協力して貰いたい、味方の私に」
男は如何に自分が味方であるかを語った。
そして滔々と、昨今の情勢下を語り始める。
「そもそもだ、桜花作戦が国連主導であったことが問題に……」
香月夕呼は心中で大きく嘆息し、すでに彼女は今日の夕食に思いを馳せたていた。









世間はクリスマス一色に染まっていた。
そこらを眺めれば、白と赤のオブジェで溢れている。
日本帝国には元々クリスマス等といった習慣はなかったが、BETA戦後――正しくは現在進行形――急速に日本で広まっていった。
キリストの生誕を祝う日であるというが、帝国の人々の多くは仏教徒もしくは神道を信仰していたし、大体が宗教観念自体薄い国民性である。
結局は何かに託けて騒ぎたいだけのお祭りの日として市民には認識されていた。
帝国で爆発的にクリスマスという概念が増えたのは、ひとえに多大な権力を有する国連という組織の中でキリスト系の信仰者が多かったかららしい。
らしいという伝聞形態なのは、ただ単にそういった事情に武が疎いからである。
武はクリスマスというお祭りにとんと興味を抱くことはなかった。
なぜなら、クリスマスの後には年末年始という一大イベントが控えていたからである。
年の節目というのはやはり大きな行事事であるが、武にとっては他の人とは意味合いが大きく異なっていた。
祖母は歴史の教科書に載ってしまうような偉人であり、彼女の為した功績の節目の日がこの年末年始に重なっているのである。
そのためか、武の家では彼自身も知らないような人が列をなし、祖母に挨拶にやってくる。
両親は大勢の来客の対応に当たり、武と姉であるみちるは挨拶だけでなく話のネタにとこれまた対応を迫られた。
親族の襲来の大きなバージョンである、と武がやっと思えるようになったのはつい最近のことであった。
幼い頃は自分の祖母が称えられるのを素直に凄いと感心し、どこか誇らしい気持ちでいた。
だが、大きくなるにつれ、そんな祖母と比較されることがたまらなく重荷になっていった。
出来の良い姉がいるのも、それに拍車をかけた。
救いは、祖母が成績といった事柄に無関心であったことである。
武は祖母が好きだった、頭がよく、人を振り回す性格であるが、厭味たらしいことは言わず事実をありのまま受け入れ、人に何かを強制したりしない。
かといって愛情がないわけではない、確かな愛情を武は感じていた。
両親も不思議がるぐらい、祖母は武を構った。
駄々甘な孫馬鹿とはちょっと違う、何か遠くを、武を通じて誰かを見ているようなそんな可愛がり方であった。
だから武は祖母と会うこと自体に忌避はない、ただ他の多くの有象無象の知らない人に晒されるのが我慢ならず、ありていに言えば彼は論文に託けて行事から逃げたのである。
無論、姉に語ったことに嘘はない。
桜花の亡霊と呼ばれる、存在が不確かな白銀武という存在にずっと憧れていた。
だから、祖母や姉とは違い物理や化学といった理系分野に進まず、人気のない史学科に入ったのである。
大学の学部を決めるのに、何度も家族会議が開かれたものだ。
曰く、「つぶしがきかない」「将来どうするんだ」「趣味でやれ」と。
自分を心配してくれているのが武は痛いほどわかっており、だからこそ強く突っぱねることができず、ずるずると会議という名の説得が行われた。
それを終結に導いてくれたのは、偉大な祖母の一言である。
埒があかなくなり、両親は祖母に泣きついた。
しぶしぶといった体で祖母は説得のメンバーに加わり、いつもと同じように家族皆から武は責められた。
それをじっと聞いていた祖母が口を開いて武に尋ねた。
「あんたは将来なりたいものでもあるわけ?」と。
武は答えに窮した。
将来の職の希望はあった、だがそれを言えば更に責められるのは火を見るより明らかだったからだ。
じっと答えを待つ武に、
「別にあんた一人くらいなら、私の遺産で十分食っていけるから、何になってもいいんだけどね」
と、人が聞けばなんと投げやりで愛情の無い発言なのかと非難されそうなことを事も無げに祖母は言った。
それは、武にとって救いの言葉に等しかった。
祖母の言葉に噛み付きそうな両親を制して、武は口を開いた。
「軍人になりたい」
武の答えにあんぐりと口をあけた両親と、額に手を当て空を仰いだ姉、彼等の心境は仕草が雄弁に語っていた。
「なら、好きになさい」
ただ、祖母だけは挑戦的な笑みを浮かべ、武を肯定した。
変わり者と言われる祖母だが、なぜか武は自分だけは祖母の気持ちがわかるような気がした。
十分すぎる愛情だけが人を正しく成長させるのではない、ある種の見捨てるような切捨てこそが人を成長させるのではないか。
大体、祖母は見捨てても、自分に興味が無いわけでもない。
その証拠に食べさせていくと宣言しているではないか。
これほどの愛情は中々ない。
愛情を通り越した何かかもしれないが。
武は祖母と深いところで理解し合えているという認識を持っており、そしてこれは彼の密かな自慢でもあった。
こうして武は史学科に入学することができたのである。
そして彼は近代の歴史を専攻した。
言うまでも無く、BETA大戦が主軸であり、それは桜花の亡霊に繋がっているからだ。




桜花の亡霊の名がささやかれ始めたのは、BETA大戦後期から終盤にかけてである。
BETAとは現在進行形で攻防があるが、歴史学上のBETA大戦とは地球からのハイブ根絶をもってこれを終結としていた。
今を歴史学上で分類するなら、第二次BETA大戦となる。
BETA大戦を大別すれば初期・中期・後期と分けられる。
初期はBETAの襲来から始まり戦術機の開発によって終わり中期へと移行する。
そして後期は桜花作戦の開始をもって始まりハイブの根絶にまで繋がるのだ。
桜花の亡霊とは桜花作戦時に登場するのだから、ささやかれ始めるのが後期だというのは、当たり前の話である。
ただ、桜花作戦時には白銀武の名前は一切出てこない。
その時は一兵士、一衛士であるのだからこれも当然である。
では、何をもって白銀武の名は世に現れたのか、そして亡霊とされる理由は何か。
これこそが、世間を騒がせた最大の要因である。
桜花作戦の根幹を担うハイブ突入部隊、これは秘匿されていた。
軍の性質上、秘密保持は世の中のどの企業よりも厳重である。
だが、大戦終盤にこれが暴かれることとなった。
BETAの地球からの駆除が現実味を帯びてくると人々は戦後を見据えるようになる。
それは、将来に展望を抱く幸福の妄想だけではない。
現実として降りかかってくる人類の覇権争いの始まりを意味していた。
当時最大の戦力を保有していた米国は強く、問題が起きなければその強大な軍事力を背景に覇権国家となりえた。
いや、それが一番現実味のある将来であった。
各国は互いに己が国の国力増強を図っていった。
武力衝突こそ無かったものの、既に水面下での攻防は戦の様相を帯びていた。
しかし、BETAに国を蹂躙され、必死の思いで失地を回復したばかりの国々は国力増強を謳ったところでたかがしれていた。
だからこそ、人々は権力確保のため桜花作戦の名を上げ、情報の開示を求めたのである。
人類の一大反抗作戦、この成功こそがBETA大戦の大転換期であるからだ。
各国は等しく全力でこの作戦に己が領域で持って従事した。
桜花作戦の功績を比べることは難しい、だが一つ比べることが出来る部分があった。
未だに存在が明かされていないモノがある。
それこそが当時の国連軍から選ばれた突入部隊の素性であった。
つまり、突入部隊の情報開示を求め、それによって自国の功績が大であると語りたいのだ。
今を生きる武からすれば、意味がわからないが当時の各国上層部はそれだけ必死だったのだろう、それだけ縋らねばならないほど米国が脅威だったのだろう。
当時に出された興味深い論文の一つに、米国脅威論というものがある。
BETA大戦時の米国の動きを批判と共に、米国こそが人類の潜在的な脅威であると告げた非常にセンセーショナルな論文である。
そんなものが沸くほどに、当時の情勢下での米軍は異常な軍事力を有していたのである。
国連軍は文字通り国を超えた連合体である。
一カ国の意見には左右されないが、何カ国もの要請には応えざるを得ない。
そして突入部隊が公表されることになり、世間の話題を浚ったのだ。
この情報により、世界は沸きに沸いた。
あまりにも信じがたい情報であったからだ。
何より、各国の重鎮の肩を落とさせたのはその突入部隊がほぼ全て帝国の人間で占めていたことである。
そして彼女らの素性が徹底的に世間に晒された時、一つの疑問が噴出した。
『白銀武』とは誰だ、と。
彼だけはいくら調べようと、痕跡の一つも出てこなかったのである。
いや、正しくは白銀武なる人物の存在は確認された。
しかし、既に死亡していたことになっていたのである。
各国はこの一人の男に注目することとなる。
どこを浚っても、訓練兵時代の記録も、彼が所属していたはずの横浜軍基地の人々の記憶にもまるで残っていないのだ。
桜花作戦時に急に振って沸いたのが、白銀武という人間の全てであった。
各国は躍起になった。
素性が無いのをよいことに、実は我が国の人間であったと、彼のカバーストーリーを作り上げ、それを世界に撒き散らした。
こうして『白銀武』という人間は既に死んだ身、つまりは亡霊でありながら世界に現れたのである。


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