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[1152] Muv-Luv [another&after world]
Name: 小清水◆d0f2b604
Date: 2007/08/26 14:38
 
prologue


BETA。正式名称を「Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race」即ち、「人類に敵対的な地球外起源種」。

 一般に知られるだけで60メートルを超える大型種から2メートル程度の小型種までの8種類のまったく異なる異形生命体――実際には生命体ですらないのだが――の集団の総称である。

 1958年 火星探査船「ヴァイキング一号」から送られてきた画像にてその存在が確認され、その9年後の1967年に月面基地にて駐留部隊が同種の生命体と接触・交戦した。
 この時、月面基地には総勢約1万人の軍事関係者や研究者がいたのだが、BETAと接触した後、月面から地球に帰還したのはわずか20名にも満たなかった。

 「月は地獄だ」

 その中の1名、月面基地指令が残したその言葉は世界に衝撃を与え、この「サクロボスコ事件」にて、有史以来初めてとなる地球外生命体との戦争が始まったのである。
 更に後の1973年にBETAはついに地球へ到達。中国ウイグル自治区カシュガルにユニットが落着し、そこから出現したBETAが欧州目指して西進を開始。
 連中はまさに化物であり、未知の生命だった。
 圧倒的な物量の前に地上部隊は瓦解。最初は効果を発揮していた航空機も、落着から2週間後に出現したBETAの2種「重光線級」「光線級」が放つ高出力レーザーの前に尽く爆砕した。

 制空権はあまりにも無力だったのである。

 レーザー属と総称されるその2種のBETAは火力もさることながら、あまりに精密過ぎる対空迎撃能力を持っていた。全高2メートルの光線級は、約380キロ離れた高度1万メートルで飛ぶ飛翔体を的確に捕捉し、30キロ圏内への侵入を許さない。
 それ以上に人類を慄かせたのは全高20メートルの重光線級である。この重光線級は500メートルの超低空飛行を行う航空機ですら、約100キロ手前即ち地球の丸みから頭を覗かせた瞬間に撃ち落とす。
 当然ながら、巡航ミサイルやロケットといった長距離飛行兵器もその迎撃対象に漏れない。
 つまり、実質的に人類は“一切の飛行能力を持たない”BETAによって完全に制空権を掌握されてしまったのである。
 この航空機の無力化によって開発されたのが、地表での立体戦術と即応性を追求された人型兵器…戦術歩行戦闘機だ。
 1976年に米国が開発した世界初の戦術機F-4「ファントム」は一応、それ相応の成果をもたらした。
 何故それ相応だったのかというと、それを投入しても尚、BETAの侵攻を抑えることが出来なかったためである。
 しかし、それまで満足にBETAと戦うことすら叶わなかった人類において、戦場でBETAと対峙出来るようになったことは確かに飛躍的進歩だった。

 そんな戦いが約30年。

 戦線は押されに押され、1998年のBETA日本北九州上陸の時にはユーラシア大陸は完全にBETAによって制圧され、BETAにとって「基地」に当たるようなハイヴという構造物は20個にも増えていた。
 当時、世界人口は約20億人であり、かつては100億を超えると危惧されていた人類は加速度的に滅亡への道を歩き始めていたのである。

 その命運が変わったのは2002年1月1日の桜花作戦。
 これは極東国連軍の機密部隊と、それを助力する帝国陸軍部隊及び斯衛軍部隊がカシュガルのオリジナルハイヴに突入し、最深部の「コア」を破壊することを目的とした大反攻作戦であった。
 前線各国が陽動のため外円部のハイヴに総攻撃を仕掛け、国連軍及び米軍のほぼすべての軌道降下兵力が軌道上から一気にオリジナルハイヴ目掛けて軌道降下を仕掛けるというものであり、この作戦に参加しなかった主要勢力は存在しない。
 その結果、突入部隊はオリジナルハイヴ最深部の「コア」の破壊に成功し、BETAの指揮系統を完全に破壊したのであった。


 世界は今、新しい時代を迎えようとしている。


 2005年2月1日 日本 富士山麓極東国連軍衛士教導訓練校。
 帝国軍富士教導部隊を内包する帝国軍富士山麓基地に隣接するこの基地は桜花作戦以後に建設され、わずか3年間で優秀な衛士を1000人以上送り出した名門。多くの主要基地が訓練校を廃止した現状、この国連軍富士衛士訓練校はまさに国連軍衛士への登竜門なのだ。
 その訓練校のグラウンド。ちょうど講堂から出てすぐのところに、ざっと30名近くの訓練兵制服に身を包んだ国連軍衛士が隊列を組んで並んでいた。皆一様に神妙な面持ちで前に立つ1人の青年を見つめている。
 30名の衛士と向かい合うように直立する青年。長過ぎも短過ぎもしないその清潔感のある黒髪と、凛とした黒い瞳の青年。決してがっしりとしているわけではないその身体はその実、限界まで引き締められた屈強な肉体だ。
その表情は真剣そのもの。
 青年の名は白銀武。最高階級が少尉でしかなく、“衛士としては抜きん出た戦果を持たない”若き訓練兵教官だ。
 武は一度30名の教え子であった衛士を見回し、徐に敬礼をした。
「任官、おめでとうございます! 少尉の皆様の武運長久をお祈りしております!」
 今まで鬼軍曹で通ってきた白銀武も、彼らが任官し、少尉となった今ではしがない下士官だ。それがたとえヒヨッコでも、年下でも上官には敬意を示さなければならない。それが軍というところなのである。
「軍曹の尽力に感謝する! 敬礼!」
 30名の新任少尉の中から、部隊長を務めていた少年が代表して総意を述べる。中には涙を浮かべている者もいた。それを見ると、武も自分が任官した時のことを思い出して懐かしくなってしまう。
「少尉、私は一教官として責務をまっとうしただけであります。そのような御言葉を頂くのは身に過ぎる想いであります」
 少年が敬礼を解いたのを確認してから武も姿勢を崩し、下士官として答えた。
「ですが…!」
 何か言いたそうな少年の言葉はしっかりとした声にはならなかった。言いたいことが出ないのではない。言いたいことが溢れ過ぎて自分自身で整理がつけられないのだ。少年の瞳は潤み始め、やがてそこから雫が流れる。
「………ありがとうございます、少尉。もう結構です。私は言葉以上のものを頂きました。もしそれでも納得出来ないと仰るならば、どうか配属先で私の言葉を少しでも多く思い出して頂ければ幸いであります」
 ふっと微笑み、武は“先任”としてそう告げる。頷くことしか出来ない少年は顔を上げ、涙を拭った。
「209衛士訓練部隊………解散っ!」
「うおおおおおぉぉぉぉぉっ!!!」
 少年のその言葉に、誰もが咆えるように歓喜の怒号を上げ、訓練兵支給の白帽を一斉に宙へ放った。
 ただただ涙を流す者。
 共に切磋琢磨した戦友と肩を組み合う者。
 決意に満ちた表情でゆっくりとグラウンドをあとにする者。
 何度送り出しても、新鮮な光景だと武は思う。衛士たちの歓喜の表現は人それぞれ。しかし、その喜びは皆が共有した苦節から来るものだ。
 武が彼らにしてやれることは最早ここまで。あとは彼らがここまで学んだことを、そしてこれから配属先で学ぶことをどれだけ実戦で活かせるかに懸かっている。
 1人、また1人と衛士たちは武の元を訪れ、感謝の言葉を述べてグラウンドから去っていった。武はそれを見送り、最後までまだ肌寒い富士山麓のこのグラウンドに残る。
 武にとって教官とはかくも偉大な存在であり、自分が今その立場にあることは誉れ高いようでおこがましくもあった。
確かに、若くして前線から退かざるを得なかったことは慙愧の念に耐えない。だが、これもまた胸を張って誇れる仕事だ。
「………神宮司軍曹、伊隅大尉。今年も墓参りには行けないと思いますけど……もし白銀武という名の衛士のことを少しでも案じてくださるなら、どうか今日巣立ってゆく彼らの導となってやって下さい」
 晴れ渡った空を見上げ、武はぽつりと独り言を呟く。
 その時、わずかに砂利を踏み鳴らす音が聞こえて武は振り返った。そこにはこの訓練校の運営に携わる国連軍中尉の姿がある。
「流石であります、白銀軍曹。足音も気配も消していたつもりだったのですが」
「それは中尉殿よりも私の方が訓練に携わる任が多いからですよ。それに、今日は多少なり私も過敏になっていると思います」
 武がここに配属されてから1年半以上付き合いのある士官だ。今更お互いの立場を妙に考えるような間柄ではない。それに、軍という組織に身を置いている時間だけで見れば、武の方が彼よりも長い。
「そうですか。では白銀軍曹、早速講堂に戻りましょう」
 中尉のその言葉に武は思わず眉をひそめてしまった。軍人としての経歴が中尉より長いからこそ何とか罷り通る反応だが、これが正真正銘の先任上官相手だったら立場が危うい。尤も、本当に余裕のない時には確実に反射的な反応を示してしまうのであろうが。
「……あの…確か今日解隊式及び任官式を行う訓練兵部隊は1つだけだった筈ですけど…」
「ええ、訓練兵部隊は、です。これから行われるのは“白銀さん”のものですよ」
 ますます意味が分からない。それに今の言い回しはどういうことだ。あえて白銀軍曹ではなく「白銀さん」と呼ぶ理由はいったい何だ?
「行きましょう。行けば分かります」
 詳しい説明は何も無かった。
それはやんわりとした拒絶。武がいくら問い質そうとも、中尉はそれ以上の返答はしないだろう。だから武は頷き返し、足並みを揃えて講堂へと向かった。
 ギギギギィと、講堂の扉は小さな軋みを上げながらゆっくりと開かれる。こんにちまでにいったいどれだけの衛士がこの扉を潜り、外へ巣立っていったか。そう思うと武は感慨深くなる。
 講堂に入ると、思わず息を呑んだ。本来であれば有り得ないような光景がそこに広がっていたのである。
 先刻の解隊式及び任官式の終わりに一度退室した訓練校長官と数名の運営責任者が戻ってきている上、この訓練校の業務に携わるほぼすべての人員、そして数えるほどしか顔を見たことがない極東国連軍の高官数名に、あまつさえ珠瀬国連事務次官の姿まである。
 ここが極東最大の横浜基地や、帝都の内閣府あるいは国防省ならいざ知らず、この訓練校にこれだけの豪華メンバーが揃うとは余程のことだ。
「長官。白銀軍曹をお連れ致しました」
「うむ、御苦労。貴官も列に加わり給え」
「はっ!」
 列の中心に立つラダビノット長官の言葉に中尉は敬礼を返し、そのまま列の末席に加わってゆく。残された武はどうすれば良いのか分からない。そもそも、何故この状況で自分が呼ばれたのかすら分かっていない。
「白銀軍曹」
「はっ!」
 名を呼ばれ、反射的に敬礼を返した。
 ラダビノット長官は武がかつて所属していた横浜基地の元司令官だ。武の新天地への異動に伴い、後見人として同様に異動してきた軍人で、武にとってはある意味親のような存在だった。
「本来であれば、貴官の教導した若き衛士たちの門出を祝い、貴官にはしばらくの休暇を与えるべき時なのだろう。だが、事情によりこのような形で驚かせることになって本当に申し訳ない」
「お言葉ですが長官。教官である自分にとって訓練兵の教導は成すべき責務であり、お褒めに預かれるようなことではありません。それに、少々の驚かされる事態は自分にはもう慣れっこですから」
 敬礼したまま、武は少しだけ口元を緩めてそう答える。その返答に長官は「そうであったな」と小さく笑いながら返した。
「白銀軍曹。本日をもって貴官をこの国連富士衛士教導訓練校教官の任を解任する。そして同時に貴官には昇進と異動命令を言い渡す」
 一度間を置き、長官は真っ直ぐに武の目を見てそう命じた。
「はっ!」
 迷わず敬礼。これは予想の範囲内。どこへ転属するのか不明だが、これだけの豪華メンバーが集まっているのだから、さぞ良い任地へ赴くことになるのだろう。加えて昇進するということは、是まで通りの教官ではなく、1人の“衛士”として赴けということだ。
「これが貴官の本日からつける階級章だ。それに見合って余りあるほどの活躍を期待する。“白銀中佐”」
「はっ!………はぁっ!?」
 一度は敬礼した武だが、そのあまりにも違和感のある言葉に思わず声を上げてしまった。武の表情はとても下士官とは思えないほど強張ったもので、怪訝そうな眼差しで長官を見つめ返す。
だが、長官はその目による問いかけを気にすることもなく武の軍服に中佐階級を示す階級章をつけていた。
「ちょっ…長官!? 中佐とは何かの間違いでは!? 自分は衛士任官後一度も昇進していない軍人であります! 中尉への特進ならまだ納得のしようがありますが…!」
 武の言い分は尤も。武の今までについた最高階級は少尉。そのまま昇進することなく教官へと着任したために軍曹へと降格していたのだ。ならばそのまま少尉へと戻るか、あるいは本来の少尉階級から昇進して中尉となることが妥当な線であり、間違っても“7階級特進”など有り得ない。
「仕方ないでしょ~。佐官階級じゃないと大隊以上の部隊を率いられないんだから」
 武の問いに答えたのは長官ではなく、背後から聞こえた女性の声だった。その、あまりにも聞き覚えのある、聞き覚えのあり過ぎる声に武はすぐさま振り返る。
「元気そうで何よりだわ、白銀」
「ゆっ…夕呼先生!?」
 国連軍軍服の上に白衣を纏ったその女性 香月夕呼の登場に武は思わずうろたえた。この世界において白銀武の親のような人でもあり、最大の恩人でもある人物。同時にある意味最大の天敵。加えて、極東国連軍においてはその辺りの高官よりも余程権限の強い人物でもある。
「なっ…何で先生がここに!?」
「そりゃ、あんたの転属の手回しをしたのは半分以上があたしだもの。顔くらい見に来ないと申し訳ないでしょ」
 嘘だ。話の前半部はまだ頷けるが、少なくとも申し訳ないと思って来る筈が無い。確実にこの人は自分の驚く顔が見たくてここまでやってきたのだ。
 コンマ数秒の間に武はそう判断した。香月夕呼という人物はそういう人間だと、武はこの世界で誰よりもよく知っている。
 不意に、かつて夕呼が「管制ユニット座席の保護シートを破りたいから」という理由で新規の戦術機を基地に運び込んできたことを思い出してしまう。あの人はそんな、理知的で誰よりも賢い筈なのに、同時にどこまでも子供っぽい人間なのだ。
「長官。あとの説明はあたしからさせて頂きますわ」
「御任せ致します、博士」
 長官の許可を取り、夕呼は武に再度向き合う。その時にはもう真剣な表情に戻っていた。冗談と本気の境目が他人にはまったく分からないことも夕呼の強みである。だからこそ武は彼女の扱いに困ってしまうのだ。
「白銀。あんたには明日からイギリスに向かってもらうわ」
「英国って……欧州国連軍!?」
「そ。甲20号、甲19号を制圧した極東と違って、あっちはまだ海の向こうが完全にBETAの占領下だからね。派兵の要請が各方面の国連軍に来ているのよ。で、極東からはあんたに白羽の矢が立ったってわけ」
 流石に夕呼の話は筋が立っていた。甲~号とは帝国におけるハイヴの呼称であり、甲20号は朝鮮半島の「平壌ハイヴ」、甲19号はそこから更に北の「大慶ハイヴ」のことを指す。その2つが近年、帝国軍を中心とした部隊で制圧され、大陸東端沿岸は何とかBETAから奪還したのだ。その結果、極東には少し前とは比較にならないほどの平穏が訪れ、兵力の分散という選択肢も可能な状態にある。
 相対し、欧州の状況は未だ芳しくない。島国であるイギリスは海の向こう側に甲5号「ミンスクハイヴ」や甲11号「ベオグラードハイヴ」甲12号「トゥールーズハイヴ」に甲8号「オウルハイヴ」などが残っているため、未だにBETA侵攻の脅威に曝され続けている。大陸と海を挟んでいる最前線国家という意味では日本と英国は状況が類似しており、お互いに協力体制を取っているのも確かだ。
「あんたほどの衛士なら即戦力だし、加えて教官としての実績もある。国連上層部はあんたに大隊以上の部隊を任せ、戦力の向上を図ろうって考えているのよ。幸い、教官になる前に指揮官講習は受けているし、仮にも訓練兵とはいえ衛士を100人一手に引き受けていたこともあったでしょ? 国連としてはこれ以上ない人材なわけ」
「それで7階級特進の上に転属……無茶し過ぎですよ、夕呼先生」
 2年振りに会っても香月夕呼は相変わらずだ。尤も、夕呼がする無茶なのだから必要不可欠な無茶なのだろう。
「言っておくけど、そんな無茶苦茶な要望を出したのはあたしじゃなくて向こうの軍人よ」
「はい?」
「欧州国連軍第2師団師団長レナ・ケース・ヴィンセント准将から、新たに部隊を設立するに当たり、その指揮官に白銀武を招きたいと強い要望があったのよ。大隊規模以上の機甲部隊を編成するつもりだからその旨はよろしくって。だから協議の末、あんたを7階級特進させることで落ち着いたわけ。分かる?」
 何だか夕呼の言葉は文句や愚痴の類に近かった。今の話を総合すると、武に白羽の矢を立てたのは夕呼ではなく、欧州国連軍第2師団師団長のレナ・ケース・ヴィンセント准将ということになる。成程、世界には香月夕呼と同じくらい無理難題を言う人間がいたのか。
 遠回しな愚痴を聞かされた武は小さく苦笑してしまう。
「ま、そのヴィンセント准将が向こうでのあんたの後見人になってくれる手筈だから、向こうで何かあればヴィンセント准将を頼りなさい」
「はい。部隊についての詳しい話は分からないんですか?」
「大隊規模以上であることと、機甲部隊であること以外は未決定。ま、あんたが向こうに行くまでには決まってるでしょ」
 軍のくせにやけにアバウトな方針だ。むしろ、武が行くまでに決まっていなければ話にならない。目分量にも程があるだろうに。
「それ以外の詳しい内容についてはあとで文書で伝えるわ。向こうの公用語は英語よ。大丈夫?」
「日常会話程度なら充分。強化装備さえ着けていれば翻訳機を通してくれますし、問題ないんじゃないかと思います」
「そう。じゃ、せいぜい死なないよう頑張んなさい」
 傍目には不吉とも取れる捨て台詞を残して、夕呼はくるりと踵を返す。相変わらずの性格に武は軽く肩をすくませながらも小さく笑った。



[1152] Re:Muv-Luv [another&after world] 第1話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/03/09 22:35
前書き

初めて投稿する小清水と申す者です。

遅めの前書きとなりますが、この作品についての特殊な「前提」を説明させていただきます。

この物語は「another」と銘打った通り、「マブラヴ オルタネイティヴ」の推移を純粋にトレースしていません。

そんな前提を持っていながら「after story」にすることは非常に冒険であり、非常に頭を悩ませながらも投稿を決意しました。

「マブラヴ」を知っている方々までも「おやっ?」としてくだされば本懐です。

この「前提」も順次分かるように物語を展開させてゆくので、これは「ちょっと奇妙なマブラヴ」として読んでいただければ幸いです。




第1話

 荒廃した戦場を疾駆する鋼鉄の巨人。総称を戦術歩行戦闘機あるいは戦術機。人類にとって対BETA戦術兵器の最たるものであり、今や航空機に代わって戦場を掌握している兵器の総称だ。
 戦術機の雛形ともなった米国のF-4の開発から早30年。今や世界は第3世代機の改良から第4世代機の開発へと緩やかに移り変わろうとしていた。


 西暦2005年4月17日。
 人類の猛攻は現在H12「トゥールーズハイヴ」に向けられていた。
『中佐! 4時方向の門より師団規模のBETA群出現中!』
『交戦中の第6戦術機甲大隊が押し込まれています! 後退を開始しました! BETA、尚も増加中!』
『6時方向より大隊規模のBETA群が南下中! 進行目標は……第5支援火器車輌小隊…!』
 戦術機のコックピットには随時恐ろしい程の情報が雪崩れ込んでくる。それが部隊を指揮する者の機体であるなら尚更だ。衛士――即ち戦術機を操縦する者――として戦場に立つ以上それは避けられないことであるし、そもそもその程度の情報量を処理出来なければBETAと戦うことも、部下の命を預かることも出来ない。
「274及び275戦術機甲中隊は4時方向を蹴散らせ! 出現中のBETAにレーザー属がいないか確認を怠るな!」
『了解!』
 白銀武の指示に2人の衛士が応え、各々の中隊を率いて4時方向へ吶喊した。それと同時に10000メートル後方に展開した支援火器車輌部隊の支援砲撃が、出現中のBETA群に降り注ぎ、吹き飛ばす。ロケットの迎撃は無い。レーザー属が存在する可能性は少ないだろう。
「リィル! 6時方向に最も近い中隊は!?」
『272戦術機甲中隊(ストライカーズ)と第188戦術機甲小隊です!』
「272戦術機甲中隊は即時6時方向のBETAの足を押さえろ! リィル! 188戦術機甲小隊に支援要請だ!!」
『了解!』
『りょっ…了解!』
 部隊専門の戦域管制将校であるリィル・ヴァンホーテン少尉の言葉を聞き、武は即座に指示を下す。それに272戦術機甲中隊の中隊長ディラン・アルテミシア大尉と、リィルの2人がそれぞれ了解の旨を答え、回線を閉じた。
「メリッサ! 第5支援火器車輌小隊を即時8000メートル後退させろ! 戦車級に押さえられるぞ!」
『了解! 第5小隊は即時後退! 第5小隊以外も砲撃支援を継続しつつ後退せよ! 急げ!』
 6時方向のBETAが狙っているのは間違いなく第5支援火器車輌小隊だ。
火器車輌は正面だってBETAと戦うことは出来ないが、敵の物量を低減させる最も有効な攻撃能力を持つ部隊でもある。戦場において戦術機を運用する戦術機甲部隊と火器車輌を運用する支援火器車輌部隊は共に重要不可欠な相棒なのである。
「271及び273、276戦術機甲中隊は第6戦術機甲大隊の後退を支援する!」
 武がそう告げた刹那、要撃級BETAが武に強襲した。だが、顔色を変えることなくその前腕による一撃を躱した武はそのまま戦術機用の74式近接戦闘用長刀を一閃させ、一撃の下に断罪する。
「全機、俺に続けっ!!」
『了解!!』
 搭乗する戦術機はラファール。EU連合軍が開発した第3世代機で、欧州には多数配備されている。フランス語で「疾風」を意味する、機動性に富んだ純白の戦術機だ。
武がそれを疾駆させると、まるで怒涛の波のように同型のラファールがそれに続いた。
 前方から迫るのは前面を高硬度の外殻で覆ったBETAだ。総称を突撃級というそのBETAは、戦術機が運用する突撃砲の砲弾ではその外殻を破壊することは出来ず、よって正面からの攻撃は無意味。
 衛士の常識であるそれを当然知っている彼らは戦術機の機動を活かし、即座に突撃級の後方に回り込み、突撃砲の36mm砲弾をその脆い臀部に喰らわせてやった。
「こちらは国連軍第27機甲連隊(クルセイダーズ)隊長の白銀武だ。第6戦術機甲大隊、後退を支援する! 一度後退して、体勢を立て直せ!」
 束となって人間の上半身に四足がついたようなBETA迫る。要撃級と総称されるそのBETA数体が放つ無数の前腕による一撃を尽く回避し、ラファールに持たせた長刀で薙ぎ払いながら武は後退勧告を進言する。
『こちらは第6戦術機甲大隊隊長(クラッカー1)! 第27機甲連隊の支援を感謝する! 全機一度後退し、補給を済ませる! 急げ!』
 機体に取り付こうと波のように押し寄せてくる3メートル程度の小型BETA――総称を戦車級――を跳躍ユニットの噴射による反転で躱し、36mmの掃射で粉砕する武。そのすぐ脇を第6戦術機甲大隊が運用する十数機のF-15Eが駆け抜けていった。
 それを追撃しようとした要撃級に突撃砲の120mm砲弾をお見舞いして黙らせる。
『白銀中佐、前に出過ぎです。吶喊はお控え下さい』
 武の背中を守るように着地したラファールが同様に36mmを掃射してBETAを薙ぎ払う。そのラファールに搭乗する女の言葉に武は口元を緩ませた。
 彼女の名はマリア・シス・シャルティーニ。第27機甲連隊の副長である国連軍少佐だ。
「俺より吶喊の巧い衛士がこの部隊にいたっけか?」
『………おりません』
「良い答えだぞ。それに、背中はお前が守ってくれるんじゃないのか?」
 そう言いながら武は再び跳躍。迫っていた要撃級へ自ら接近し、その頭を長刀の一撃で斬り飛ばす。追随したマリアがその要撃級の胴体に36mmを鱈腹ぶち込んで止めを刺した。
『はああああぁぁぁぁっ!!!』
 マリアが猛々しく咆哮しながらラックの長刀を抜き、薙ぎ払った。それは眼前の要撃級のみならずそれに随伴していた戦車級BETAをも纏めて薙ぎ払う。
「支援砲撃が来るぞ! 各機弾道には注意しろ! 間違っても友軍に誤爆されるなよ!?」
『了解!』
 斬り込んだマリアの援護にと36mmを掃射する武は、CPからの支援砲撃報告を部下に通達した。
 刹那、地表から閃光が弾け、同時に十数基の地対地ロケットが空中で爆砕する。
「レーザー属の3次増援だ! 重金属雲濃度は低いぞ! 高々数十体、平面機動挟撃で一気に平らげろ!」
『はっ!』
 エンプティマークの出た突撃砲を投げ捨て、左手にも長刀を持った武はマリア以下271戦術機甲中隊(セイバーズ)衛士9名を率いてBETA群に突っ込む。
『支援砲撃は休ませるな! 当たらずともレーザー属の注意さえ逸らさせればそれでいい!』
『273戦術機甲中隊(ハンマーズ)は中佐の周囲を固める! 要撃級と戦車級を片っ端に血祭りにあげるわよ!』
『10時方向より出現中のBETAに要塞級を多数確認!』
『276戦術機甲中隊(ランサーズ)は出現中のBETAを叩く! そのまま続け!』
 全高20メートルの重光線級は頭部に巨大な瞳のような照射膜を持っているのが最大の特徴だ。BETAの中で数が多いとはとても言えないが、それを補って余りあるほどその高出力レーザーは脅威だ。重光線級のレーザーは地上戦力の大抵のものは容赦なく蒸発させる。戦艦の分厚い装甲をもってしても十数秒照射を続けられれば致命傷に至る。
 相対し、全高3メートルの光線級は威力こそ重光線級に劣るが、頭数と再照射までの装填時間が比較的短い。この2種は連携することでより強みを発揮するのである。
『砲弾撃墜率80パーセント! 重金属濃度尚も低下中! 中佐、お気をつけ下さい!』
「この重金属雲濃度で砲弾撃墜率が8割か……。重光線級は7、8体、光線級は30体ちょっとってところだな。リィル! 支援砲撃は継続させろ!」
『了解です』
 リィルの報告に武は冷静に状況を分析し、すぐ次の指示を与えた。
 重金属雲は戦場にてレーザー属に対して最も効果的と判断されている現代の戦術兵器である。
通常、BETAの中にレーザー属が確認される場合あるいは高確率で存在が推測される場合において、対レーザー弾(AL弾)及び対レーザーミサイル(ALM)による砲撃が行われる。
 この弾頭はレーザーによって迎撃されることで破砕し、その場に重金属雲を発生させるという特性を持つ。その高濃度の重金属雲が漂う戦域ではレーザーの威力が著しく減退することを基本に、連中の対空迎撃能力を逆手に取った作戦なのだ。
 その結果、通常砲弾や通常ロケットによる面制圧が効果を発揮させることが出来るようになるのである。
 迫る要撃級の群れを盾に武は疾走した。レーザー属は味方誤射をしない。それ即ち、目標と自分の間に同じBETAが存在していた場合、レーザー照射を行わないのだ。戦場においてBETAは衛士の敵であり、同時に最も手頃な盾にもなるのである。
「邪魔だっ!」
 悪態を吐きながら武は手に持った長刀でバカみたいに雁首並べた重光線級を斬り裂く。狙うは照射膜。それさえ潰せばレーザー属は完全に無力化出来る。
 そのまま全力水平噴射。武は射線を開けようとした要撃級を盾に光線級の群れに接近し、その小さな身体に36mm砲弾を山ほど喰らわせてやった。
 同時に振り下ろされる要撃級の前腕はバックステップで躱し、カウンターで放った長刀が袈裟懸けにBETAを下す。
 武が体勢を低くすると同時に、その上を120mmの砲弾が通過してゆく。それを喰らった要撃級は肩部が完全に吹き飛ばされてしまった。
「うおおおおぉぉぉっ!!」
 次は8時方向。重光線級の盾となって迫る要撃級の前腕を付け根からぶった切り、その体に長刀を突いたまま直進した。
 レーザーはない。要撃級の向こう側に隠れた武のラファールを撃つことが出来ないのだ。
 相手が素直に盾になってくれないのならば、強引にでも盾にすれば良い。要撃級などその前腕さえ潰せばほぼ無力化出来るのだから。
 武は要撃級の陰から36mmで確実に重光線級の照射膜を撃ち抜く。それに随伴した2機のラファールは群がろうとする戦車級の駆逐に当たった。
『中佐!』
「っ!!」
 マリアの呼びかけに武は反射的に噴射跳躍で横に飛んだ。同時にラックに装着したままの突撃砲で36mmを掃射する。戦車級と光線級の一団を砲弾は纏めて蹴散らし、一掃した。
 刹那、機体のギリギリを掠めてゆくのは巨大な衝角。
 武を含め3機のラファールが同時に反撃で36mmと120mmを衝角の持ち主に命中させ、その巨体を大地にひれ伏させる。
『12時方向の門より要塞級多数出現! そこから次々にBETAが!!』
 要塞級。地上兵力の中では最大規模の大きさを持つこのBETAは全高60メートルを超える。5対10本の槍状の脚でその巨体を支え、下腹部尾節には巨大な衝角が収まっている。この衝角の硬度はダイヤモンド並であり、加えて先端から強酸性の溶解液を分泌する凶悪さ。戦術機の胸部を打ち抜かれたら確実に中の衛士も即死だ。
「要塞級の数が多い…か。まだ光線級は残っているな」
『はい。恐らくこのまま盾になって光線級の弾除けになるつもりでしょう』
 武が部下を率いて後退すると、その隣に並んだマリアが答える。
 要塞級自体の脅威度は高くない。元よりその耐久力と防御力は折り紙付きだが、反面動きが愚鈍で数も少ないため御しやすいと言えば御しやすい。
連中が一番厄介となるのは、その巨体を活かして他のBETAの壁となったときだ。光線級ならば要塞級の足元を悠々と通過出来る大きさであるため、不用意に接近も出来ない。
「佐渡島を思い出して胸糞悪くなる光景だよ」
『は……? 中佐は彼のH21「佐渡島ハイヴ」制圧作戦に参加していたのですか?』
「一応は元極東国連軍衛士だからさ。リィル! 運用砲弾の換装状況は?」
 マリアの意外そうな表情ににっと笑い返し、武はCPのリィルに問いかけた。
『現在、第27機甲連隊支援火器車輌部隊のAL弾換装率は30パーセントを超えたところです。海上支援艦隊の換装は自動化されていますから全艦換装完了しております』
「充分! 換装済みの支援車輌は全車輌、海上支援艦隊は他の戦域の支援に支障が無い程度に支援させろ。飽和攻撃で重金属雲濃度を回復させる」
『了解! 10秒お待ち下さい!』
 武の命令にリィルは頼もしい返答をして行動に移った。初陣に比べて成長したものだと武はほくそ笑む。
『重金属雲濃度が回復しても、あれでは我々も容易には接近出来ません。如何なさるおつもりです?』
「とーぜん、陽動を兼ねて吶喊する。要塞級が陽動にかかったらお前は271戦術機甲中隊を率いて突破し、光線級を駆逐しろ」
『陽動…!? 中佐がですか!? 無謀です!』
 当然と言えば当然の反応。連隊指揮官が10体以上の要塞級相手に自ら単独斥候で陽動を仕掛けるなど、武とて聞いたことも無い。
だが、戦場では役割というものがある。それは軍において定められた役職とは異なる、自分にしか出来ない役目だ。
「言ったな? マリア。俺は同じことを佐渡島でやって、20体以上の要塞級を単機で捌いたこともある。それに比べれば大した数じゃないだろ?」
 うろたえるマリアを叱責し、武は口元を緩めた。その驚異的な実績にマリアは思わず言葉に詰まる。
 20体はおろか、10体の要塞級を陽動すること自体、単独で成し得るのは連隊広しといえども白銀武のみだ。ならば、彼がやらずして誰がやるというのか。
 再度降り注ぐ砲弾とロケットの雨。先刻と違うのは、それが対レーザー仕様になっているところだ。
 地上に展開したレーザー属がまるでモーションリプレイのように砲弾を尽く撃墜してゆく。
『CPより白銀中佐! 重金属雲濃度上昇! 繰り返す! 重金属雲濃度上昇!』
「セイバー1了解! 一仕事させてもらうぜ! 糞野郎どもっ!!!!!」
 長刀を構え、武は疾駆した。
 四方八方から繰り出される衝角を躱しに躱し、牽制目的で36mmを掃射。
狙いなどいらない。要塞級の巨体を外すわけがないし、そもそもたとえ外したところで無数に折り重なった要撃級と戦車級が喰らってくれるのだ。だから無駄玉にはならない。
「くっ…!」
 次の衝角を躱すと同時に長刀を二閃させる。斬りつけられたBETAは体液を撒き散らせながらその場に崩れ落ち、地面を敷き詰めていた戦車級を何体か押し潰した。
 続いて要撃級の前腕が繰り出されるが、武はそれも噴射跳躍で回避。要塞級の衝角がそのタイミングを狙って放たれるが、要撃級の横っ面を蹴り付けて反転し、それすらも躱し切る。
 BETAが連携をもってして武を落とそうとしても、武はそれ以上の機動をもってして圧倒する。
 半永久的にやり続けろと言われては流石に無理だが、一定時間単機で持ち堪えることは決して不可能な話ではない。特に、異様な挙動制御能力を持つ武には。
『開いた…! 271戦術機甲中隊吶喊! 続け!』
『了解!』
 壁のように迫っていた要塞級がただの塊になったタイミングで、マリアは中隊を率いて匍匐飛行する。
 行く手を阻むように素早く展開した要撃級を後続のラファールが支援突撃砲で撃ち抜く。怯んだ敵を長刀で押し退け、マリアは光線級を強襲した。
 放った36mmは光線級のみならずそれを取り巻く戦車級も粉砕し、大地を紅く染め上げてゆく。
『CPより271戦術機甲中隊! 要塞級が門より尚出現中! 注意してください!』
『271C小隊は中佐の支援だ! まだ光線級が顔を出すかもしれない! 高度を取るときは警戒を払え!』
 展開していた最後の光線級を蹴散らし、マリアは尚も戦闘行動を継続しながら新たな指示を出す。
 着地した武が反転噴射で後退すると同時に271C小隊4機が前に出て要塞級を迎え撃った。武が単独で半分以上沈めたというのに、出現数はそれをも上回る。
「まだ出てきやがる」
『人気者は辛いですねー』
 飽きもせず出現するBETAに武が吐き捨てるように言うと、隣に並んだ273戦術機甲中隊のエレーヌ・ノーデンスが笑いながら応じた。
「ぜんぜん嬉しくねぇ……」
 武は心底嫌そうに呟きながら再び前進。
衝角が動くよりも速く要塞級の背後に回り込むと、手に持った長刀でその巨体を掻っ捌いた。同時に左右へ展開したエレーヌ率いる273A小隊が36mmの一斉射。要塞級は呆気なく蜂の巣だ。
 BETA出現中の門に支援砲撃が降り注ぐ。これは敵の増加を食い止めようというメリッサの采配であった。
 ただし、度重なる砲弾換装のお陰でとても飽和攻撃とは言い難い。
『これで少しでも減ってくれれば……』
 周囲を確認しながら弾着を確認する276戦術機甲中隊のユウイチ・クロサキ。
 彼のその呟きを嘲笑うかのように、弾幕を突き破って多数の突撃級が強襲する。
『――――っ!! 避けろ!』
 充分予想出来た筈なのに、長時間の戦闘による疲労が彼の感覚を鈍らせていた。ユウイチの指示はほんの一瞬遅れる。
『ぐっ…うああああああぁぁぁぁっ!!!!』
 ほとんどのラファールが突撃級の追突を回避した中、1機が半身を捉えられた。それを待ち受けていたように戦車級が群がる。
 ラファールがただの残骸と化すまでほんの十数秒。残るのは無惨な鉄の塊だけだ。
『糞がぁっ!!!』
 両手と両パイロンに装備した総計4挺の突撃砲を噴かせながら1機が前進。怒号を上げて戦車級を薙ぎ払う。
「バカ! 前に出過ぎるなっ!」
 武は反転し、怒りに身を任せて吶喊する部下を制する。“処置”するのは簡単だが、敵に囲まれた状態ではそれで鎮静させても危険度は変わらない。
 後続の要撃級は36mmを掃射するラファールににじり寄る。衛士は怒りが過ぎて置かれた状況を上手く理解していない。
 間に合うか。
進行を阻むBETAを牽制しつつ救援に向かうが、距離としてはギリギリだ。
「いいから…落ち着けっ!」
BETAの動きがにわかに変わったのはその時だった。
誰もが目を疑う。
 悠然とにじり寄ってくるBETAが一斉に動きを止め、驚くべきことに後退を開始したのである。
『しっ…白銀中佐…! これは…!?』
「動揺するな! セイバー1より第27機甲連隊全機、体勢を整えろ! 補給は小隊規模で行い、追撃を開始する!」
 困惑するマリアを一喝し、武は状況を即座に察して指示を下した。
 あのBETAが後退するような理由など、考え付く限り1つしかない。
『CPより第27機甲連隊各機! 突入した第7軌道降下中隊が反応炉の破壊に成功! 繰り返す! 第7軌道降下中隊が反応炉の破壊に成功!』
 武の考えを確信へ変えるリィルからの報告。
 BETAのこのような行動はH20「平壌ハイヴ」やH19「大慶ハイヴ」でも確認されている。自分たちの家を破壊されたことで、BETAは守ることを放棄したのだ。
「……だ、そうだ。マリア、行くぜ!」
『りょっ…了解!!』
 武の呼びかけに、驚きと喜びを混合させてしまったような顔でマリアが応じる。
 血が沸き、肉が躍る。
 戦渦を駆け抜けることは己にとって苦悩であると同時に一種の喜悦。
 武は己の右腕に括り付けた鮮やかな黄色のリボンを見つめた。その瞳は非常に穏やかで優しく、とても今まさに戦場に立ち、数多のBETAと対峙している歴戦の衛士の瞳とは思えない。
 このリボンこそ、この世界で白銀武を「白銀武」たらしめる最も強烈な物証だ。
 武は数多の部下を率いて駆け出した。
 怨敵遍く荒廃した戦場へと、ただそれを殲滅するがために。






 あとがき

 キャラの相関図の見直しのため、ここに記載していたオリキャラ設定は削除させて頂きます。
 誠に勝手な所業ですが、御容赦頂ければ幸いに思います。
 今後もどうか更新をお待ち下さい。
 失礼致しました。
 



[1152] Re[2]:Muv-Luv [another&after world] 第2話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2008/02/29 22:37


  第2話


 2005年4月17日のH12「トゥールーズハイヴ」制圧作戦の終幕から今日で2日。約8時間にも及ぶ苛烈な戦いに、多大な損害を被りながらも人類は勝利を収めた。
 欧州国連軍及びEU連合はようやく欧州を占領するハイヴの1つを制圧し、唯一欧州圏でBETAの支配下になかった英国は今日もまだ歓喜に包まれていた。
 欧州国連軍第2師団所属 第27機甲連隊隊長 白銀武。今回の作戦で活躍を収めた極東出身の若き衛士は今、何をしているか。
 順調に舟を漕いでいた。
「……………」
 傍目には悠然と腰を下ろし、堂々と座っているように見える。しかしその実、先刻から彼の頭はこっくりこっくりと上下しており、すぐ近くで見れば武がどのような状態にあるのか語るまでもない。
 隣に座る色白の女性 マリア・シス・シャルティーニはちらりと武を一瞥し、音にならないよう大きなため息を漏らした後、武へと豪快な肘鉄を喰らわせた。
「―――――っ!! …………」
 声にならない悲鳴を上げ、武は先刻とは違う意味で沈黙する。目立たないように涙目になりながら恨めしげにマリアを横目で睨み付けるが、彼女の方はぷいっと前を向いてしまった。
 今はリバプールの多目的公会堂にて式典の真っ最中。欧州国連軍とEU連合軍のお偉い方々が有り難い演説をしてくれているのだが、武には少々有り難過ぎた。
作戦で散った者たちを慰霊する英霊祭の開催には武も賛成だが、このような高説を聞かされるくらいなら基地に戻って部下共をしごいている方が何百倍もマシだ。
 噛み殺す気もない欠伸をすると隣から本日2発目の肘鉄が繰り出される。その攻撃に大ダメージを喰らい、武は悶絶した。同じ箇所への攻撃を許すとは衛士にとって最大の不覚だった。
「白銀中佐には慎ましさが足りないのでは?」
 長い長い式典の終了後、公会堂から出た武にマリアがかけてきた第一声はそんなものだった。今更何を言うのか、と武は肩をすくめる。
「慎ましさかぁ……それは3年ぐらい前にどこかに置いてきたような気がする。それに、慎ましくして死人が返ってくるなら幾らでも俺だって慎ましくするよ」
「貴方という方は…」
 武の言葉が本気とも冗談とも取れなかったのか、マリアは小さくため息を漏らした。
「マリア。鬼籍に入った同胞に対し、いつも通り誇らしげに見送ってやるのが衛士の流儀だ。遺族にゃ悪いが、俺たちにはしんみりと感傷に浸る暇なんてないんだよ」
 足を止め、振り返った武の言葉とその表情に、マリアは口を噤む。武は至って本気だ。それがようやく理解出来たのだろう。
 マリアだって武が楽観しているわけではないと重々承知している。先日の作戦で武とマリアが率いる第27機甲連隊からも総計13名の同胞が逝った。前線で戦っていたことを考えれば、極めて少ない数字だ。だが、共に戦う者にとっては多いか少ないかの話ではない。
「中佐! 白銀中佐!」
 丁度そこに、武の名を呼びながら外から駆けてくる女性の姿があった。武やマリアと同じ国連軍士官の軍服に身を包み、少尉の階級章をつけた彼女の名はリィル・ヴァンホーテン。第27機甲連隊の戦域管制情報班を総轄する戦域管制将校だ。
「ヴァンホーテン少尉。そのように声高に呼ぶのは控えなさい」
 「白銀」という名に周囲がにわかにざわつき始めたことを察知し、マリアがすぐさまリィルを叱責する。
「構わないよ。リィル、待たせたか?」
「あ、いえ。今到着したばかりです」
 マリアに叱責されてしゅんとなったリィルだったが、武が笑顔で問いかけるとすぐに表情を元に戻した。それにもマリアは「はあ」と大きなため息を漏らす。
「おや? 何やら騒がしいと思えば、国連軍のシロガネタケルじゃないか」
 皮肉や揶揄を含んだ突然の呼びかけに武はちらりと周囲を一瞥する。丁度、人垣を掻き分けてEU連合軍の将校が部下数名を引き連れて近付いてくるところだった。
イギリスに来てから何度かどこかで顔を合わせた記憶のある士官だ。どこぞの貴族だとかEU連合のエリートだとか言われていた気がしたが、正直武にとってはどうでも良い。
マリアは軽く頭を抱えながらまたため息を漏らし、リィルはやや脅えたように武の後ろに身を隠した。
「これは……EU連合軍の大佐殿。御久し振りであります。お変わりありませんか?」
 武は敬礼し、一階級上、一回り以上年上のEU連合軍将校に社交辞令の挨拶を述べる。それが不快だったのか、大佐はふんと面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「貴様は相変わらずだな。随分活躍したようだが…あまり図に乗るなよ。Japanese yellow monkey」
「貴様……! 口を慎め! それが欧州の誇り高き軍人が言う言葉か!?」
「シャルティーニ少佐。しばし黙れ」
 武に対するあからさまな揶揄の言葉に、マリアが先に反論した。彼女は妙なところで短気なのだ。武がそれを制しても何か言いたそうな顔をしたが、睨み付けてやったところ「はっ」と短く応えて後ろに下がった。
「大佐、部下の非は私の非。指導の不行き届き、その寛大な御心で何卒平にご容赦を」
 マリアを下がらせ、武は大佐に深々と頭を下げた。
 本当は腸が煮えくり返っていたが、武もここ数年で堪えるくらいの教養は身につけている。穏便に済むならそれで良いし、これでも済まないなら別の手段を考えるだけであった。
「はん…まあいい。部下の教育には充分注意することだな」
 大佐は分かり易過ぎる捨て台詞を残して踵を返して去ってゆく。武が乗ってこなかったことが面白くなかったのか、あるいは武が頭を下げたことで満足したのか分からないが、とりあえず穏便に済んだと判断して良いらしい。
 それを見送った後、武はマリアに視線を戻す。
「………大丈夫か?」
「申し訳ありません! お役に立てないばかりか…中佐の顔に泥を塗るようなことをしてしまって……!」
「お前に左遷されてしまうとこっちは相当困るんだ。その辺りは重々承知してくれよ~?」
「はい」
 今にも日本の武士の如く切腹してしまいそうな勢いのマリアに苦笑しながら、武は諸注意だけ述べる。尤も、彼女が左遷されてしまうような事態が起きた場合は武が全力で庇う。隊長とはそういう役目だ。
「まあ、そう気にするな。あーいうのは放っておくに限る。乗るだけ損だ」
「私……あのEU連合軍の大佐嫌いです」
 ようやく武の後ろから出てきたリィルは小さく呟くような声でそう言った。少尉が大佐を嫌いなどと公衆の面前で言うのはなかなかの爆弾発言だ。
「珍しいな、リィルが他人を悪く言うのは。あのゴリラみたいな不細工面が嫌か? それとも体臭キツそうなところとか?」
「白銀中佐に酷いことを言うからです」
「だははは! お前可愛いこと言うなあ」
 やや恥ずかしそうなリィルの答えに武は何故か爆笑し、リィルの頭を豪快に撫でる。その珍妙な光景にマリアはため息を吐きながらも表情を緩め、小さく微笑んだ。
「中佐、そろそろ基地へ戻りましょう。午後の執務も残っています」
「リィル、久し振りだし街の中心の方を一回りしてこないか?」
 マリアの言葉を聞き流し、武はリィルに散歩を持ちかけた。無論、気付かなかったわけではない。
「えっと……そのぉ……」
「残念ですが、その時間はありません」
 マリアはそう叱責するよりも早く、右手で武の襟首を引っ掴んだ。
「うおっ?」
「さあ、ヴァンホーテン少尉、行きましょう」
「は…はい」
 そのままリィルを促し、マリアは武を引き摺って歩き始める。軍靴の踵が磨り減るほどにズルズルと引き摺られる武は完全に成す術がなかった。
「分かった。俺が悪かった」
「反省して頂けて何よりです」
 これではどうしようもないと思った武はすぐさま謝罪の言葉を述べる。それにはマリアも穏やかな口調で答え、頷き返す。
 だが、行動はちっとも納得していなかった。
 武はマリアの右手から解放されることはなく、そのままリィルが乗り付けた軍用車へ向かって引き摺られ続ける。
 流石にもう武だって笑うしかなかった。
 時は西暦2005年4月19日。あの歴史的反攻作戦「桜花作戦」の終幕から今年で3年目。BETAに対する人類の巻き返しはようやく本流を下り始め、最大時26もあったハイヴの数は19まで低減。
開戦以後後退に後退を重ねていた前線は緩やかに前進を開始している。
 欧州方面国連軍第2師団所属第27機甲連隊 通称「Crusaders」と謳われる国連軍部隊。
 H12制圧作戦で一度として後退することもなく、突入部隊が反応炉を破壊するまで地上戦力を支え続けたこの連隊は、設立2ヶ月で一躍有名になった。
 その連隊長 白銀武の名も急速に広まり、今回反応炉の破壊に成功した部隊の衛士たちに並んで知られることになるのだが……。
 本人にその自覚はほとんどないようであった。


 イギリス首都リバプール。1984年に首都ロンドンはBETAの襲撃を受け、それを辛くも退けることが出来たが、そこは既に砂礫の大地と化していた。命辛々北へ逃げ延びることができた人々にも、最早ロンドンに戻るなどという選択肢は有り得なかった。
結果、首都はリバプールへと遷都し、今尚イギリスの物流における中心はリバプールが担っている。この地が選ばれた主な理由は2つ。最初から比較的発展した大都市であることと、海に面した港町であること。これは容量の問題と、大型輸送船が複数寄港することが可能であるという前提が求められたからだ。
「そう。ああ、分かった。補充人員についても新たに手を打っておく。ああ…では、また追って連絡する」
 そのリバプールにある欧州方面国連軍 第2師団本部 師団長執務室。
 そこの主である女は電話を切り、ふうと大きくため息をついた。
 鮮やかな長い金髪を後ろ手に結った中年の女。年季の入った軍服は国連軍のもので、その胸元には大小様々な勲章がついており、彼女の存在感をより一層引き立てていた。
 レナ・ケース・ヴィンセント。国連軍欧州方面第2師団を直下に置く彼女の階級は年齢が40代にして既に准将だ。
「いや、お話中に失礼した」
 傍に控える秘書官に子機を手渡したレナは、向かいのソファーに座った小柄な女に頭を下げる。
女は本当に小柄だ。立ち上がっても150センチを超えるか超えないか程度の身長で、実年齢がいくつなのか容易には想像出来ない。
「御気になさらずに。准将の立場を鑑みれば、そちらを優先させて然るべきです」
 今しがたの電話で会話を中断されてしまっていたらしい小柄な女は、それでも気を悪くした様子もなく笑顔で応じる。
「御理解痛み入ります、大佐殿」
 レナはそれでももう一度頭を下げた。この、年齢も階級も下の軍人に対し、心からの謝罪を込めて。
 女も軍人だった。
 ただし、この小柄な女はレナと同じ国連軍兵士ではない。
 一見すると軍服には見えない青い布地の制服を身に纏う華奢な女。容姿は明らかな日系であり、活動的に揃えられていながらその黒髪は非常に艶やかだ。レナに秘書官がついているように、彼女は紅い布地の軍服を着た2人の護衛を後ろに控えさせていた。
「相手は白銀中佐ですか?」
「まさか。白銀は一度もまともに連絡してきませんよ。大抵がシャルティーニです」
 女の問いかけにレナはやれやれと肩をすくませる。彼に連隊を任せてもう2ヶ月になるが、極めて重要な内容以外はすべてマリアが報告書を提出して、武は稀にリバプールの師団本部に顔を出す程度だ。
 今回に至っては式典でリバプールに来ておきながら顔を見せに来てすらいない。
「シャルティーニ少佐は優秀な方なんですね」
 くすくすと可笑しそうに、楽しそうに女は笑う。心の底から笑っていると分かるのに喧しさや粗雑さはまったく感じられず、逆にとても上品にさえ思えた。
「最初はいろいろと渋っていたようですがね、今はすっかり世話女房が板についているようですよ」
「あら、それは大変。香月博士が知られたらさぞ愉快そうになさるでしょうね」
 冗談なのか、それとも本気なのかレナですら読み取れない表情と言い回し。話術において自分は長けている方だとレナは自負しているが、目の前の相手はそれをも上回っている。
 加えてこうして顔を合わせるのは初めてなのだから、慎重に言葉を選ばなければなるまい。
「……それで大佐殿。本日はいったい如何様な御用件で?」
 彼女の笑いが落ち着くのを待って、ゆっくりとレナは切り出した。
 これだけの人物がわざわざ、それも急遽訊ねてくるのだからそれ相応の理由があるのだろう。第2師団を預かる者として深く干渉はしたくないが、無下にすることは更に立場を悪くする。
「難しいことを述べるつもりはありません。准将殿、貴女方が本格的にトゥールーズの調査に乗り出す折には、是非とも我が方も御同行出来るように手を打って頂きたいのです」
「斯衛軍を…ですか? まさか、我々がG元素を占有すると?」
 女の申し出にレナは思わず眉をひそめる。
 G元素とは一定規模を超えたハイヴに生成される、BETA由来の新元素だ。カナダに落着したユニットを調査した際に発見されたもので、その種類は実に多種多様。あの悪名囁かれる米軍の新型爆弾G弾もG元素を使っているように、人類が現在運用する兵器にも利用されている。
 強力な物質。強力な物質であることは確かなのだが、その入手は非常に困難。現在、人類は都合7つのハイヴを制圧しているが、G元素を生成するだけの規模に達しているハイヴはその内の2つ。
 桜花作戦で制圧されたH01「オリジナルハイヴ」。
 2004年6月19日に制圧されたH19「大慶ハイヴ」のみ。
加えて最大の生成施設「アトリエ」を持つH01は未だ周囲をハイヴに囲まれているため、満足に調査も出来ていない。
 唯一の救いは、他のハイヴから運び込まれたものなのかすべてのハイヴに多少なりG元素が存在していること。
前例から鑑みれば、フェイズ4のトゥールーズハイヴにも500から600キロ程度のG元素が残っている筈である。
「三権分立という制度を御存知ですか? まったく疑っていないと言えば嘘になりますが、そこまで深刻に危惧しているわけでもありません」
「しかし……」
「未だに国連軍を米国の下位組織と見なしている勢力は多い。我々が介入しておけば後々波風が立つことも少なくなると思われますが?」
「その認識も含めて…先の大戦前にあのような事件を起こしたのは、貴女の国ではありませんか!」
 声高に反論し、レナはテーブルを掌で打ち付ける。
「だからこそです。我々はあのような悲劇を繰り返したく…繰り返させたくはないのです。調査の際、我々にどのような監視の目がついても構いません。もし欧州国連軍に何の企みもないというのなら、どうか頷いては頂けないでしょうか」
 レナの剣幕に微塵も臆した様子もなく、女はあくまで冷静な口調を崩さなかった。だが、その双眸には静かに燃え盛る気焔が宿り、相対する者を有無も言わさずに圧倒する威力がある。
「調査自体に口を挟むつもりもありません。我々が貴女方を監視し、貴女方が我々を監視する。そして我々と貴女方でEU連合軍を監視すれば何の問題もない筈です」
「それでは、G元素もいらないと?」
「誰かがそれを不当に独占し、秘密裏に使われることがないのならば我が方には必要ありません。貴女方もそう考えている筈なのに理解されない。違いますか?」
 女はあっさりと首を横に振る。地上で今最も交渉力のある材料を惜しげもなく「必要ない」という人物はレナにとって初めてだ。
 いや、日本にはまだH19の存在がある。ここで断わっても交渉の道筋はまだ残っているということだろう。
「………見返りは? ここまで無理を通そうとする以上、それ相応のものを用意しているのではありませんか?」
「ささやかですが、帝国の技術と、有事の際の戦力提供。そうですね…先ほど仰っていた補充人員に関しても我が方から極東国連軍に直接掛け合ってみましょう。良い結果を御報告出来ると思います」
 にっこりと笑い、女はすぐに答える。自国の技術すら差し出そうというのは驚きだ。彼女の国が運用する不知火は改良機も含めて非常にバランスに優れた機体である。彼らの持つ技術を利用すれば、難航している第4世代試作機の開発も大いに進む可能性は高い。
「………何が貴女方をそこまでさせるのです?」
「これは殿下の御意志です。それに、言った筈ですよ。我々はもう、繰り返したくも繰り返させたくもないのです」
 レナの問いに女は真剣な面持ちで即答した。これまでで最も圧倒的な雰囲気を持った表情だった。
「しばらくこちらに留まることになりますので、お返事はその間に頂ければ結構です。これからも国連軍とは良い関係を継続出来れば幸いに思います」
 立ち上がり、またにっこりと笑って女は言った。そして「失礼致しました」と丁寧に会釈し、護衛官を連れ立ってレナの執務室をあとにしてゆく。
「頷かれるおつもりですか? ヴィンセント准将」
「日本には世話になっている。頷かないわけにはゆくまい」
 女を見送り、レナが一息つくと秘書官が徐に訊ねてきた。その問いにはレナもそう答えるしかなかった。
「ですが、彼らに何の思惑があるかも分からないのですよ?」
「まさか。煌武院殿下の名を出してまで明言した以上、そこに無粋な思惑などあるまいよ」
 秘書官の懸念も尤も。だが、女はあの“日本城内省斯衛軍”の士官である上、“青”に該当する人間なのだ。よもや政威大将軍の名を穢すような真似はしないだろう。
「だが、流石は斯衛軍の実力No.2。瞳だけで圧倒されてしまったよ」
 自らの腕を抱き、レナは冗談気味に呟いて身を震わす。
「総司令部には私が直接伝える。貴様はもう下がって良いぞ」
「はっ!」
 やんわりとした“退室命令”に応じ、秘書官は敬礼をした後に書類を持って執務室を出ていった。
 それを見送ったレナは緊張の糸が解けたようにソファーにもたれ込んだ。
 先ほどは冗談っぽく言ったが、その実レナにとっては洒落ではなかった。女の高名はかねがね伺っていたが、まさかあれほどまで“人間離れしている”とは思わなかったのだ。
 これでもレナは軍人として武術の心得があるが、あの女相手では意味を成さないほど付け焼刃に等しい。もし敵対すれば、たとえレナが9mmを構えようとも、引き金を引く前に意識を断たれている筈だ。
「九條侑香か……」
 天井を仰ぎ、ぽつりと女の姓名を呟く。
 自国内に2個のハイヴを抱えていながら何とか持ち堪え切った日本の底力。その真髄を嫌というほど味わった気がした。



[1152] Re[3]:Muv-Luv [another&after world] 第3話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2006/12/09 15:43
  第3話


 英国プレストン。首都リバプールから北へ約30キロいったところにあるイギリスの旧都市の1つだ。前線国であるイギリスでは多くの都市で避難命令が発令され、現在民間人が不自由なく生活出来ているのはリバプールと北のスコットランド圏しかない。だから現在では、このプレストンも一種の要塞化を遂げている。
 そのプレストンの北端に存在する欧州国連軍 第209防衛基地 北部駐屯地。2004年末に建造された、この真新しい駐屯地に駐留する部隊はただ1つ 欧州方面国連軍 第27機甲連隊だけだ。
「……………」
 その連隊長にして駐屯地の暫定責任者の白銀武は自室で泥のように眠っていた。最早寝息を立てているのかすら、分からない。
 心地は良い。つい先日の戦闘での疲れが時間を置いて一気に出てきた感覚。
 それのお陰で武は普段ならもう起床しているような時間になっても微動だにせず眠っていた。
「…………ん」
 ゆさゆさと左右に揺さぶられているような気がして、武はわずかに声を漏らした。それが逆にまた心地良い。
 緩やかに起こされる感覚。
 彼にとってそれは“とても懐かしい”感覚だった。
「…………マジでもう5分寝かせてくれぇ……霞ぃ」
「霞……って誰ですか?」
 不意にかけられたその疑問詞に武はがばっと身体を起こした。ベッド脇にはリィルが立っていて、不思議そうに首を傾げている。
「………俺、何か言ったか?」
「“マジでもう5分寝かせてくれぇ……霞ぃ”と」
「マジで?」
 リィルの返答に武が呆然とする。あまりの懐かしさに寝言まで漏らしてしまっていたらしい。
「はぁ……。あの…その“マジ”って何ですか?」
「あ? ああ、“really”だ。一時期流行らせようと思ったんだけど、見事に玉砕した代物でなぁ」
 多少の脚色はあるが、概ね間違っていない。無論、誰にも通用しないのだから武がこんな奇妙な語彙を使うのは大抵咄嗟に口をついて出てしまった時だけだ。だからリィルが聞き慣れないのも無理はない。
 これがマリア辺りなら問題なかったのだが、日本語も理解出来るリィルだったからこそ齟齬が生じた。
 「流行るわけねえよな」と武は心中で呟く。聞いたこともない言葉を使われるのは外国語を使われることより理解に苦しむ筈だ。
 ふと、昔に「白銀語」などとからかわれたことを思い出して武は苦笑してしまう。
「中佐って時々面白いこと言いますよね」
「……一応褒められていると認識しておこう」
 微妙なリィルの物言いに武は憮然としながら頷く。
 尤も、面白いことを言うという点に関しては日本のあらゆるところからお墨付きを貰ってしまっているため強く否定することも出来ない。
「それで? どうした? リィル」
「あ、はい。白銀中佐がいつもより遅いようなので、様子を見てくる任を預かりました」
 武の問いに敬礼をして答えるリィル。大仰なことを言っているが、実際には途轍もなく大した話ではない。
「要はクジか何かで外れて俺を起こしに来たんだろ? すぐ行くよ」
「えっと……外れたわけじゃないですけど……」
「ん? 何か言ったか?」
「あ、いえ! それでは失礼しました!」
 再度敬礼をし直し、やや慌てた様子で部屋を出てゆくリィル。その様子に武は首を傾げながらも就寝用として使っているタンクトップを脱いだ。
「うおっ…っとっと…」
 その折、はらりと腕から解け落ちそうになるリボンを慌てて受け止める。
 どうにか床には落とさずに済み、安堵した武はふっと柔らかく微笑んだ。そしてそのリボンを握り締めたままゆっくりと瞳を閉じる。
 黙想。
 その心中を他人が読み解くのは容易いことではない。武自身がそれを表面に出さないのだから尚更だ。
 ただ彼はほんの一言だけ呟く。
 「今日を、ありがとう」と。
 それが白銀武の朝の日課だった。


「あれ?」
 すっかり遅れてPXに行くと、当然のことながらもうほとんどの連隊各員は朝食を終えていた。だが、少し珍しい人物が数名PXに残っていたため、武は「おや?」っとする。
 1人は言わずと知れたマリア・シス・シャルティーニ少佐。実に珍しい。
 また1人は274戦術機甲中隊のヘンリー・コンスタンス中尉。これは珍しい。
 他の1人はついさっき起こしにきてくれたリィル・ヴァンホーテン少尉。相当珍しい。
 最後の1人は273戦術機甲中隊のエレーヌ・ノーデンス大尉。これはいつものことだ。
「何でまだ残ってるんだ?」
「ちょっと寝過ごしちゃいましてー」
「いや、お前には訊いてねえっつうの」
 武の問いに真っ先に答えたのはエレーヌだった。一番疑問に思わない人物に答えられ、武は失笑する。
 いや、もしかして答え慣れていらっしゃるのだろうか。
 有り得るなと心の中で呟くが、それ以上考えるのはやめておいた。そしてマリアたちに視線を向ける。
「中佐がいらっしゃるのを待っていました」
 それに対し、他の3人は口を揃えて答える。だが、そのニュアンスが個々人でまったく異なっていることを武は一分も見逃さなかった。
 マリアは実に恨めし気。その青い瞳が何故か異様に冷たさを放っている気がする。
 ヘンリーは暗雲たる面持ち。普段から自信に溢れているとは言い難いが、今日はいつにも増して曇っている。
 リィルは底抜けの笑顔。これは実にいつものこと。彼女が連隊の中で他の誰よりも可愛がられていることを武は知っている。
「よし分かった。とりあえずはリィルの用件から訊いていこう。マリアはまた今度にしてくれ。出来れば永遠に」
 そこはかとなく感じる危険に武は最大限の注意を払いつつ席に着く。まずは最も平和そうなリィルの用件から訊こうと問いかけることにした。
「えーっと……私は実際特に用事があるというわけではないですから、少佐の御用件を優先して差し上げて下さい」
「…………はい」
 あまりにも謙虚で心優しいリィルの言葉に武は頷かざるを得なかった。武の目にはわずかに涙が滲む。それはもう色々な意味で。
「それで何だよ!? 俺は別にお咎めを受けるようなことはしていないので許してください!」
「中佐が無茶苦茶言ってる……」
「白銀中佐…とりあえず怒るのか謝るのかどちらかにして下さい。それと、思い当たることがないのに謝らないで下さい」
 武の剣幕にマリアは大きなため息を漏らした。最早ちゃんとした言葉にすらなっておらず、それにはエレーヌでさえ呆れ返っている。
「私は怒っているわけではありません。ですが御忠告は申し上げます。指揮官たる者、寝坊だけはやめてください」
「それはまるでいつも俺が寝坊しているような言い回しだね、マリア君」
 マリアの忠告に武は突っ伏し、引き攣った笑みを浮かべた。
 彼の名誉のために言えば、何も毎日寝坊しているわけではない。むしろ今日のような日が稀なのだ。
 だから武を注意する前に、常に点呼ギリギリにやってくるエレーヌを叱責した方が余程理に適っているし、何倍も良い。
「そうは言いません。しかし、上に立つ者というのは常に部下に対し示しをつけなければならない者であり、そしてそうあるように自己を研鑽し続けなければならない人間なのです。しかし中佐ときたら――――」
「ごちそーさーん。軍曹、今日も美味かったぞー」
 驚くほどの早食いで朝食を掻き込んだ武はトレーを持って立ち上がり、今日の炊事当番だった衛生班の軍曹に声をかける。
「まだ話は終わっていませんよ」
 そそくさと撤収しようとする武の襟首を引っ掴み、マリアはぐいっと引き寄せた。
「はっはっは~。相変わらずリーチ長いなぁ、マリアは」
 引き寄せられた武は冗談っぽく応対するが、それでマリアを誤魔化せる筈もない。徐々に表情が険しくなってゆくので、流石の武もこれ以上は拙いと感じた。
「いや…割と本気で反省してるし、今日のことは大目に見てもらえると助かるんですが…ダメですか? マリア」
 上官なのに部下に敬語。しかし何故か名前はしっかり呼び捨て。
 そんな武にマリアはしばしじっと瞳を見返していたが、やがて怒る気も失せたらしい。大きなため息を漏らし、武の襟首から手を離した。
「以後お気をつけ下さい。それと、御疲れのようなら無理はなさらないで下さい。よろしいですか?」
「おう。じゃ、またお昼にな」
「はっ!」
 解放された武は快活に頷き、マリアを含め部下たちにそう告げる。それに全員が立ち上がり、足並みを揃えて敬礼した。
 堅苦しいことは無し、というのが武の方針だが、各部署責任者ら運営幹部は部下への示しもあるということでこの挨拶は崩さなかった。こういうことは個人の自由も尊重されて然るべきなので、武もとやかくは言わないでおいている。
 そのままあっさりとPXから退去し、食後のささやかな自由時間を謳歌するために自室へ戻ることにした。
 兵舎の通路を歩きながら武はふと気付く。
 ヘンリーの用件を訊くのをすっかり忘れていた、と。



[1152] Re[4]:Muv-Luv [another&after world] 第4話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2006/12/16 02:21


  第4話


「辛気臭い」
 シミュレーターから降りてきてまずかけられたのはそんな言葉だった。
 ヘンリー・コンスタンスはその一言に思わずびくっと身をすくませる。
「部隊指揮に影響出さないのは流石だけどさ、あからさまに沈んでると部下は戸惑うよ?」
 ヘンリーと同じく強化装備姿のエレーヌが呆れたような物言いでそう言ってくる。
 今の訓練中のことを言われているのだと分かっていたが、ヘンリーはそれに何も言い返せずに視線だけ逸らせた。
 それは成す術を持たない者の反応。反論出来ないことを理解していながら肯定したくないという感情の顕著な表れだ。
「人の話はちゃんと聞く! 聞き流すことと耳を塞ぐことは違うでしょ?」
 やや強く、エレーヌに眉間を小突かれてヘンリーは軽くよろける。
「ほら、ちゃんと構えてないからそうなる」
 ヘンリーをよろけさせた張本人はそう言ってけらけらと笑った。
 その、零れる笑いが癇に障り、ヘンリーはぎりっと歯を軋ませてエレーヌを見返す。彼のその睨みにエレーヌの笑みが不敵なものへと変わる。
「へえー…今日はいつになく何か言いたそうじゃん? その割には黙ってるけど」
 きっと向こうもこちらの瞳が癇に障ったのだろう。
 ヘンリーはそう考えたが、あまり後悔はしなかった。一階級上のエレーヌに対してそのような態度を取ることは重大な過失だが、少なくとも彼女は階級を盾にしてくるような人間ではない。
 よく考えればおかしな話だ。
 ヘンリー自身はエレーヌにカチンときているのに、反面その人間性は信頼しているのだから。
「自分は……ノーデンス大尉のようには笑えませんよ」
「それは大層な褒め言葉ねー」
 再び視線を逸らせてヘンリーが言うと、「くくっ」と可笑しそうに短く笑ったエレーヌが答える。それがまたヘンリーの神経を逆撫でした。
「……………ってるんですか…」
「うん?」
 ヘンリーの呟きが聞き取れず、エレーヌは訊き返す。
 それは正当な行為だった。エレーヌにとってみれば間違いなく言葉を聞き取り損ねたのだが、ヘンリーの方はその反応を“馬鹿にされた”と認識してしまったのだ。
 そして感情の堤防は決壊する。
「何人死んだと思ってるんですか!?」
 声を荒げてヘンリーはエレーヌに詰め寄る。彼にはあまりも珍しい剣幕に、シミュレータールームにいた2個中隊の部下たちは思わずそれを注視する。
 エレーヌが一方的にからかい、ヘンリーは憮然としつつも弁明する。
 普段と同じ行く末を辿るだろうと、半ば自動的に判断していた部下たちにとって、それはあまりに予想外の展開で、誰もそれ以上の行動は起こせないのだ。
 尤も、だ。当事者よりも立場が下である彼らが、たとえ冷静であったとしても2人の仲裁に入ることは出来ないであろう。
「うちの中隊で3人。あんたの中隊は4人」
「――――っ! そんな簡単に…! 人の命を何だと――――」
 何だと思っているのか。ヘンリーがそう問い詰めるよりも先にエレーヌの平手が彼の頬を張っていた。
「これだから米国育ちの甘ちゃんは……。必要ならもう1発いくけど?」
 そう問いかけると同時に2発目の平手が反対の頬を叩く。
 情けない話だが、ヘンリーはこの2発目を喰らうまで何をされたのか理解出来なかった。
「人の命を何だと思ってる? それはこっちの台詞よ」
 エレーヌはヘンリーの胸ぐらを掴んで自分の側へ引き寄せた。すぐ眼前で、いつになく高圧的な威力を放つエレーヌに睨まれ、ヘンリーは口を噤む。
「あんたが白銀中佐から任されてるのは274戦術機甲中隊(アーチャーズ)でしょうが。逝ったヤツらに気を取られて、生きている部下の身も案じれないあんたなんかに人の命を語る資格はないね」
 今度は後ろに押される。
 胸ぐらを掴まれたまま、後ろの壁に叩き付けられたヘンリーは「ぐっ」とわずかに呻いたが、エレーヌを見返す視線は逸らさなかった。
「でも――――」
「あたしだって必死なんだよ! 今回で3人! その前にいた隊なんか桜花作戦で10人以上死んだ! あいつらが犬死にじゃなかったって証明出来るのはあたししかいないんだよ!!」
「あ…………」
 エレーヌの怒声に、ヘンリーの吐き出そうとしていた言葉が消える。飲み込んだなんて生易しいものじゃない。言い返そうとしていた言葉が完全になくなってしまったのだ。
「悲しんで人が守れるなら誰だってそうする。感傷に浸って仲間を守れるなら指揮官なんていらないのよ」
 エレーヌの表情は今にも泣きそうだった。他からは死角になっていて、ヘンリー以外それを確認することは出来なかったが、眉間に皺を寄せて、あたかももう泣いているかのようだった。
「ノーデンス大尉……」
「騒がしいですね。どうしたのですか?」
 ヘンリーがエレーヌの名を呟くのとほぼ同時に、凛とした声が室内に響く。ヘンリーとエレーヌが2人揃って顔を上げると、マリアが近付いてくるところだった。
「あの……これは……」
「連携の確認ですよぉ、シャルティーニ少佐。中隊の指揮が上手く噛み合わなくて」
 言い澱むヘンリーと強引に肩を組み、エレーヌは笑いながら答える。その応対の早さには驚いたが、ヘンリーもただ頷くしかなかった。
「そう? 確か今日は部隊間訓練ではなくて部隊内訓練だと思ったけれど?」
「うぐっ………」
 口元に手を当て、わずかに首を傾げながらマリアが問い返すと饒舌なエレーヌも言葉を詰まらせた。それは実に尤もな疑問だ。それでは中隊同士で連携を組むことはないのだから。
「………273戦術機甲中隊各員、シミュレーターに搭乗! 急げ!」
「了解っ!」
 しばし黙した後、エレーヌは部下にそう命じて脱兎の如く駆け出した。彼女の部下たちも自分に追及の手が伸びるのを避けたいのか、声高に応答して各々がシミュレーターに駆け込んでゆく。
「まったく……。コンスタンス中尉は大丈夫かしら? 随分と手酷くやられていたようだけれど?」
「……見ていたんですか?」
 戦略的撤退中のエレーヌに大きなため息を漏らし、マリアは問いかける相手をヘンリーに変えた。そう問われたヘンリーも思わず問い返してしまう。
「一部始終は。ただ、見ていなくてもそんなに頬を赤くしていては、何をされていたのかくらい想像がつくわ」
「そう……ですよね」
 2発目で張られた左頬を押さえ、ヘンリーは自嘲気味に呟く。情けない中隊長だと自己を嘲笑うしかなかった。
「ノーデンス大尉も同じだったわ。思い悩んで、時には上官に食ってかかったこともあった。私もそうされた1人よ」
「少佐と…ノーデンス大尉が、ですか?」
「ええ。今のコンスタンス中尉と同じよ。ただ違うのは、彼女の方が少しだけ行動的なことね」
 珍しく、優しげに笑ったマリアにヘンリーは返す言葉もない。
 今生きている部下の、仲間の命を蔑ろにしているつもりなど毛頭なかった。鬼籍に入った仲間と同じくらい案じているつもりだった。
 だが、何故かヘンリーはさっきのエレーヌに反論出来なかったのだ。
「自分は……間違っているんですか?」
「それを私に訊かれても困るわ。私の言葉は助言であって“答え”ではないから」
 それは厳しい一言だった。
 マリアが言いたいのは質問への“回答”と問題への“解答”は意味がまったく違うということ。回答では正誤を決定することは出来ないのだという喩えだ。
「“鬼籍に入った同胞に対し、いつも通り誇らしげに見送ってやるのが衛士の流儀だ”」
「え?」
「白銀中佐の受け売りだけれど、敢えて言うならばこれが私は正しいと思う。人は大抵不器用だから、沢山のことを1度に行うのは難しい。だから出来るのは、いつも通りにすることだけ」
 マリアはそう言った後に「これは私の解釈だけれど」とも付け足した。
「さあ、部下が待っているわ。コミュニケーションも指揮官の務めでしょう?」
 ヘンリーの返答を待たずにマリアはそう促す。振り返れば、すこし心配そうな顔をした若い衛士たちが並んでいた。
「………隊長って割に合わない立場ですよね」
「そもそも、割の合う立場にお目にかかったことがないわね」
「ははっ………シャルティーニ少佐、ありがとうございました」
 苦笑し、マリアに一礼したヘンリーは部下たちの下へ駆け出していった。


 北部駐屯地 第3ハンガー。
 第27機甲連隊が運用する都合70機を越えるラファールのうち、275及び 276戦術機甲中隊の機体が格納され、出撃に備えて調整されている。
「稼動チェックは!?」
「606まで完了しています!」
「遅い! 動かせなきゃ意味ねえだろ! 急がせろ!」
「はっ…はい!!」
 物凄い勢いで報告書の束に目を通してゆく男がいた。
 忙しなく働いている整備兵たちはその男の怒号に尻を叩かれ、大慌てで実務のスピードを上げようとしてゆく。
 男はギリギリと歯軋りしながらボールペンで書類の項目にチェックを入れてゆく。
 彼の名はケヴィン・シルヴァンデール。この第27機甲連隊の整備兵及び工兵隊を総轄する少尉だ。
 生粋のイギリス人だが、長らく極東の国連軍基地に在籍していたため、ラファールやEF-2000以外にも日本式の戦術機を多く扱ってきた人間である。
「大将! 部品の在庫チェック終わりました!」
 そんなケヴィンのデスクに、バインダーで束ねられた数枚の書類が更に重ねられる。
 つい一刻ほど前に彼が部下に任せた部品チェックの報告書だ。これがまた大層な分量である上、整備の根幹に関わる重要な仕事なのである。
「遅い!! どこで油売ってた――――って白銀中佐ぁっ!?」
 最早口癖に近い怒号を返し、顔を上げたケヴィンは、目の前に立つ人物を見て仰天した。
 そこには何故かこの連隊の最高指揮官である白銀武がピースサインをして立っている。御機嫌そうな笑顔がそこはかとなく作為的だ。
「何してるんですかい! 白銀中佐!」
「在庫チェック。不足品の補充については手を打っとくけど、これでいいか?」
 声高に問いかけるケヴィンに武はあっけらかんと答える。よく見れば、ケヴィンがチェックを任せた部下は武の後ろで必死に土下座をしていた。
 彼に非はない。これは誰がどう見ても武の勝手だ。
 ケヴィンのその認識は正しかった。
 事実、ハンガーの様子を見にきた武が在庫チェック中の整備兵を見つけて、気まぐれ同然でその仕事を“手伝った”のである。
「は……はぁ……。はい、必要なものはこれで充分でありますが…」
「おう。任せとけ」
 武は快活に頷き、書類を再度受け取る。あとはこれをマリアに渡すか、あるいは武自身の手でレナへ陳情すれば良い。
「それで……中佐はどうしたんです? この時間にハンガーに来るなんて珍しいじゃないですか」
「戦闘の後だしさ、隊長として整備状況の確認は必要だろ~?」
 武は視線を上げ、ハンガーに収まったラファールを見上げる。そのラファールはまだ最終的な稼動チェックが済んでいない機体だった。
「で、実際どう? 何機かけっこう酷い状態だったって報告受けてるけど?」
「はっ! 507、511、604、609、610は損傷が酷く、現在予備機に管制ユニットを換装している最中にあります。その他の機体は損傷部位の交換をほぼ完了しており、順次稼動チェックを行っているところです」
「そっか……厳しいな」
 武はやや渋い顔をして呟く。
 元から予備の戦術機は確保しているが、常に充分あるとは言い難い。加えて先日の作戦で欧州国連軍の消耗だって馬鹿にならない筈だ。ただでさえ高価な戦術機が容易に入ってくるわけがない。
「念のため、予備のF-15EやF-4もチェック入れておいてくれるか? まずは簡単でいいからさ」
「中佐は相変わらず仕事を増やしなさる。了解しました。うちの盆暗共に仕事のペースを上げるよう言っておきましょう」
 ケヴィンは苦笑し、「無論、質は落としませんが」と律儀に付け足した。
「悪い。整備兵の人数を増やせないかどうか上に掛け合ってみるから、それで許してくれよ」
「期待しないでおきます」
 まるで軽い悪戯を咎められた子供のように、片手を挙げて謝罪を示す武。ケヴィンはそれを見て大いに笑う。
「いやいや、ケヴィンたちには感謝してる。それに、悪いとも思ってる」
「バカ言っちゃいけない、中佐。これは整備兵の戦いなんです。衛士が戦場で戦うのと何も変わらない。だから感謝される謂れも、謝って頂く理由もない」
 ケヴィンの返答に武は「そりゃ頼もしい」と苦笑気味に笑った。
 衛士が特別優遇される時代においても尚、武は決して非戦闘要員を蔑ろにしない。実際、武が無理難題を言うのと同じくらいケヴィンたちだって無理を聞いてもらっている。
 そういう上官の下についているからこそ仕事に対して厳しく取り組みたくなるというものなのだ。
「これからもっと忙しくなる。この程度で音を上げちゃいられんでしょう」
「ご尤も。俺たち衛士が忙しくなるのは、整備兵の仕事が増えるのと何ら変わりゃしないしな」
 ケヴィンの言わんとしていることを悟ったのか、武も頷く。
 いつまでもH12を制圧したことで浮かれてはいられない。欧州国連軍が本腰を挙げるのはここからなのだ。今後の激戦は疑うべくもない。
「次はベオグラードかオウルか。どちらにしたって難儀な話だよ」
「くくっ…中佐。上官が強気にならんと部下に示しがつきませんよ」
「分かってる」
 にわかに真剣な面持ちになって即答する武。ケヴィンにとって、本当に自分より年下なのかと考えさせられるほど頼もしい表情だった。
「白銀中佐! こちらにいましたか!」
 ちょうどそのタイミングでハンガーに駆け込んできたのはリィル・ヴァンホーテン。彼女がハンガーに来るのは武以上に珍しい。
 最初は何てことない常務報告か、あるいはいつものように武の後を追いかけてきたのだと思った。
 だが、“戦域管制将校”としてのリィルの顔を確認し、誰もが普段とは違うのだと悟る。
「状況を報告しろ」
 それを逸早く読み取った武はリィルにそう命ずる。
「はっ! 師団本部から緊急通達です!」
 敬礼したリィルは一緒に送られてきたらしい指令書1枚を武へ差し出した。それを受け取った武は読み進める毎に表情を険しくさせてゆく。
「本日1130。H12へ入った国連の先行調査隊が交信を途絶しました」



[1152] Re[5]:Muv-Luv [another&after world] 第5話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2006/12/23 01:23
  第5話


「セイバー1より各リーダー。円壱型陣形(サークル・ワン)で全周警戒。哨戒は小隊規模で行い、各機兵器使用は自由だ」
『了解』
 武は荒廃した大地に立ち、指揮下にある6個中隊すべてに指示を与える。それに各ラファールはそれぞれ小隊長を筆頭に円状に広く展開していった。
 ここはトゥールーズとボルドーのおよそ中間にある。ちょうどアキテーヌ盆地の真っ只中だ。
 つい先日にはここで激しい戦闘が繰り広げられたのだが、今はそれも夢であったかのように静まり返っていた。
『周辺にBETAの反応はないようです』
「振動センサーもフラット……。本当にBETAはいないみたいだな」
 マリアの報告と、センサーの情報を見比べて武は呟く。念のため、メインカメラと赤外線カメラも交互に使い分けてみたが、やはり異常は見受けられなかった。
『最外円の門からまだ離れていますが、ここまで静かなのは逆に恐ろしいですね』
「まったくだ。見ろ。まだ戦術機の残骸もBETAの死骸も残ってやがる」
 武は渋い顔で頷いた。
 ここは確かに荒廃した更地が続いている世界だが、戦争の傷跡は随所に残っている。 その凄惨さにはいつまで経っても慣れることなどなかった。
「全機そのまま哨戒行動を継続。俺とマリアは指揮所に顔を出してくる」
『了解!』
「行くぞ、マリア」
『はっ!』
 部下に再度指示を出し、武はマリアを促す。
 彼の言う指揮所とは、例のH12先行調査隊が拠点にしようとこの盆地に建てた仮設駐屯地のことだ。
 今回、交信を途絶させたのは地下茎構造内に入った部隊のみで、地上に待機していた部隊や学者とは随時情報をやり取りしていたのだと、ついさっき受けた報告で知った。
「待機組の連中はひとまず胸を撫で下ろしているだろうな」
 指揮所の前でラファールから降りた武は、同様に降りてきたマリアに声をかける。
 指揮所の周辺は国連軍所属の別部隊が守備を固めているため、余程のことがなければ易々と奇襲は許さない筈だ。
 無論、襲ってくる敵がいれば、の話だが。
「拠点に残っていたのは2個小隊だけでしたから、少なくとも、我々の到着は心強く思っているでしょう」
「まさかそれだけの戦力で先行調査に乗り出すとは思わなかったけどな」
「激しく同意致します」
 苛立ちを隠せない武の言葉にマリアは短く同意の意を示す。
 巨大なテントで造られた指揮所はまさに仮設と呼ぶに相応しかった。これではまともな整備機材も運び込まれていないのではないだろうか。
 そんなことを考えながら武は入り口を潜る。
「欧州国連軍 第27機甲連隊 白銀武、只今出頭しました」
「同じくマリア・シス・シャルティーニ、只今出頭致しました!」
 テントの中に入ったところで武とマリアは並んで敬礼し、順に名乗る。
「御苦労。急な出撃命令にも関わらず全中隊動員とは流石だな」
 敬礼し、2人を出迎えたのは直属の上官であるレナだった。他にも数名、動員されたらしい士官の姿があり、同様に武たちに敬礼を返す。
「うちは整備兵の腕が優秀ですから」
 純粋に褒めているのか分からないレナの表情。それにふふんと対抗して武も不敵に笑い返す。
 その微妙なやり取りにマリアは声に出さずため息を漏らした。
「……ヴィンセント准将、現状は如何様になっているのですか?」
「すぐに説明する。2人ともこちらに来い」
 階級にも年齢にも大きく差があるのに、何故か張り合っているように見える武とレナ。2人の無言のやり取りが収束したらしい頃合を見計らってマリアはそう問いかけた。
 すると、すぐにレナは表情を引き締め、2人を手招きする。
「報告によれば、先行調査隊はこのN-24-15の門から全部隊が突入し、中階層突破後に別々のルートを通って反応炉跡を目指す予定だったらしい」
 デスクの上に地図を広げ、レナは指差しで突入ポイントを示す。
 まさかこの御時世に紙製の地図でブリーフィングを行うことになるとは思わなかった。武はクシャクシャと軽く頭を掻く。
「N-24-15……反応炉まではかなりの距離になりますね」
「利口なやり方とは思えねえな。この準備状態じゃ、せいぜい第3層くらいまでしか完全な兵站は確保していなかったんだろ」
「御明察。緩み切っていたとしか思えんよ」
 レナは武の言葉に頷き返した。吐き捨てるようなニュアンスが含まれているのは武もレナも変わらない。
「何でこんな状態で調査を?」
「半ば第4師団の独断だ。私は然るべき準備を整えている最中だったのだがな」
 面白くなさそうな表情をしているのはレナも同じだった。
「最初に交信を途絶させたのは第3中隊。最下層に入ったところで完全に沈黙した。続け様に他の中隊が30分以内に交信途絶。それから約8時間が経過しているが、今のところ生還者は0だ」
「何故兵力を分散させたのでしょうか?」
 マリアは問う。いくら緩み切っていたとしても、それぞれが別ルートで最下層の反応炉を目指すことは確かに不自然過ぎる。予め、最短ルートは分かっていた筈だし、もっと反応炉に近い突入口から入ることだって出来たであろう。
「G元素だ」
「なかなか今日の白銀は冴えているな。その通りだ」
 マリアの述べた疑問からほとんど間を置かず、武が険しい顔で言った。その言葉にレナは薄く笑い返す。
「トゥールーズにはまだアトリエがない。だからG元素があるとすれば最下層の反応炉だ。それでも、H20の調査で、最下層全域の横坑には微量ながらG元素が散在していることが分かっているから、狙いはそっちだったんだろ」
「恐らくは、な。掻き集めても高々30キロ程度だろうが、ないよりは良い。どこにあるのか正確な位置が誰にも分からない以上、秘密裏に入手するにはさぞ都合が良かったのだろう」
 成程とマリアは口元に手を当てて呟く。武は更に「軽量なら軽量で持ち運びも楽だ」と付け足しておいた。
 何せ、不当に独占するには怪しまれないように運輸するのが絶対条件だから。
「………うん? ああ、そうか。分かった。通せ。くれぐれも粗相のないようにな」
 不意に、外で待機している部下から通信が入ったらしく、レナが口を開いた。強化装備による通信のようで、武たちに傍受する権利はない。
「どうしたんです?」
「増援の到着だ」
 武が訊ねるとレナは何とも複雑そうな表情をして答えた。憮然とした表情に近い気がするが、それよりも含みがあるように思える。
 だが武も深く訊ねるのは避けて、ただ黙して待つことにした。
 それに、たとえ増援が来たとしてもそれが本当に信頼出来るのかは分からない。当てにするのは前提から間違っている。
 その時、テントの出入り口をすいっと開けて1組の男女が中に踏み入ってきた。
「このような形でH12の調査に来ることになるとは、些か残念ですね」
「同意致しますよ、大佐殿」
 しかしながら、だ。入ってきた人物の片方を見て武は仰天する。
 世界に数えるほどしかない筈の日本式の青い零式衛士強化装備。
 それを纏った小柄な衛士は間違いなく、武の知る斯衛軍の士官だった。
「くっ…九條…大佐…!?」
「御久し振りですね、白銀中佐。最後に会ったのは桜花作戦の時だったかしら?」
 狼狽する武の前まで歩み寄ってきた九條侑香はにこっと笑って、さも当然のように右手を差し出してくる。
「はぁ…御久し振りです。あの…何で九條大佐が?」
 その右手を戸惑いがちに取り、武は問いかける。
 彼女は日本の、それも城内省斯衛軍の中で警護リストにも名を連ねる要人の筈だ。欧州にいるというのはあまりに不可解過ぎる。
「我々に対する日本の気遣いだよ。紹介しよう。向かって右の彼女は九條侑香殿。日本城内省斯衛軍の大佐だ」
「九條侑香です。此度は調査に御同行させて頂けることになり、恐悦至極に存じ上げます」
 どう考えても言葉通りには受け取れないレナの言葉に続き、侑香は恭しく一礼し、改めて挨拶を述べる。
 気品とは背格好のみで左右されるものではないと、武が知る限り彼女は最もよく体現している人だ。
「そしてその隣がEU連合軍のグラム・ガーランド少佐。こちらから進言し、前々から共同で調査を行うことになっていた」
「よろしく。とはいえ、あまり期待には添えられないと思いますよ。こちらで動員出来たのは高々4個中隊程度ですからね」
「安心しろ、ガーランド。私の部隊も似たような状態だ」
 対照的に軍人らしく敬礼したグラムはレナを見返して言った。レナはそれに真剣な面持ちで答える。
 彼女の言葉は恐らく正しい。武たちより先に到着していた士官は何れも第2師団に属する者だが、その人数に比べて外で哨戒待機している機体の数が多分に少ないのだ。
 語るまでもない。H12制圧作戦で被った損害が、双方共にまだ大きく残っているのである。
「そんなこと今はどうだっていいでしょ? 重要なのはこれからどう動くか、です」
 軽く頭を掻き、武は3者を見回してそう告げる。うち2人は武よりも上官なのだが、状況を分かっているだけに気を悪くした様子もなく頷いた。
「BETAの存在は未だ確認されていないのですか?」
「ああ。地上構造周囲10キロ圏内の地表には確認されていない。流石に地下茎構造内までは把握出来ていないが、終始振動センサーがフラットであるということは、大規模で移動していることは考えられないだろう」
 一度落ち着いたのを確認してからマリアがレナに問いかける。現状を見れば聞くまでもない質問だと彼女も理解しているだろうが、正確な状況把握は作戦立案において極めて重要だ。
 無論、レナの返答も予想通りである。
「残党の可能性は? 最下層に入ればあまり有線は役に立っておらんでしょう? そこで奇襲を受ければ1個中隊くらいあっという間に潰滅することも考えられる筈です」
「それは確かに現状で最有力説だ。そもそも、それ以外は考えたくもない」
 グラムの問いにもレナはすぐ答える。だが、そこまできっぱりと答えておきながら彼女の言い回しはどこか歯切れが悪かった気がした。
「何にせよ、私たちがハイヴに入って調査することに変わりはないでしょう。このまま地上で待っていても事は進展しない筈です」
「俺も九條大佐に同意します。BETA相手に受身になってたって埒が明きません」
「無論、最初からそのつもりだ」
 侑香と武の言葉に、レナは不敵に笑いながら答えた。レナは恐らく、真っ先に武と侑香がそう進言してくると予想していたのだろう。
 彼女にとって白銀武と九條侑香という人間はそれぐらい消極策の似合わない人間だと認識されている。
「戦力の分散は避けたい。白銀、貴様の部下を我々に半分預けろ。代わりにEU連合の1個中隊と斯衛軍の1個中隊を貴様の指揮下に回す」
「は? わざわざ部隊を分割するって――――」
 レナの命令に武は一瞬眉をひそめたが、すぐに「そういうことか」と理解した。
 普通に考えれば部隊を分割し、代わりに他の部隊を編入させることなど考えられない。万が一にも連携がズタズタになる可能性があるからだ。
 しかし、この編成が連携よりも重要……そもそも作戦自体の大前提だったとすればどうであろうか。
 武はちらりと侑香とグラムの顔を一瞥する。両者共に何の異論もなく落ち着き払った表情をしていた。
 「これは確実だな」と武は心の中で呟く。
「……了解。マリア、お前は偶数中隊を率いて准将の指揮下に入れ。御老体に無茶させちゃ可哀想だ」
「白銀中佐!?」
「白銀。言っておくが私はまだ現役だ。貴様の部下共を手玉に取るぐらいの腕は残っている」
 マリアが驚愕して声を上げるのと、レナが頬を引き攣らせて反論するのはほぼ同時だった。武はそれににやっと笑い返す。
「無理はしないように、と心配する部下のジョークですよ。俺、いきなり第2師団ごと任されるのは嫌ですからね」
「安心しろ、白銀。私もそんな愚かしい真似は絶対にしない」
 「あははは」と笑う武にレナは「ふふふふ」と笑いながら返す。しかし、その視線が火花を散らせ、両者がゆらゆらと黒い気焔を纏っているのは決して第3者の気のせいではない筈だ。
 事実、その間に挟まれたマリアは今日一番の盛大なため息を漏らしている。
「ふふっ…白銀中佐も強くなりましたね。今なら速瀬中佐にも勝てるのでは?」
「それは絶対に無理です」
 傍観していた侑香が実に可笑しそうに問いかけると、武は即座に、且つ全力で首を横に振った。
 いくら階級が並んでいようとも、前の部隊の隊長には口で勝てる気がしないと一種の刷り込みがある。
 加えて言えば、彼女は武が部下になろうが上官になろうが絶対に扱いを変えない筈だ。
「ヴィンセント准将。これでは白銀中佐側の兵力がやや少ないように感じられますが…」
 侑香の作った好機を逃すまいとグラムが口を挟む。
 彼の懸念は尤もだ。レナの言い回しでは、侑香とグラムもレナと行動を共にする側にあるように思われる。それは戦力比が単純に見積もって6:4…下手をすれば7:3で武側が低いことになってしまう。
「問題あるまい。褒めるのは癪だが、白銀は一騎当千の兵だ。ラファールでも九條大佐と互角に渡り合うだろうな」
「それは流石に……」
 冗談じゃないと武はすぐ異論を唱える。
 武が知る限り、帝国斯衛軍の大隊指揮官は化物揃いだ。その中でも九條侑香は指折りの大化物である。彼女の乗る蒼青の武御雷と、ラファールでやり合うなど正直考えたくもなかった。
「ガーランド少佐。ヴィンセント准将が仰られるとおり、彼は類稀な衛士です。それに、白銀中佐に同行させる我が方の者も腕の立つ衛士であります故、問題はありませんかと存じます」
 武の否定は補完せず、侑香はグラムに向き合ってそう答える。その辺りは本気で言っているのだろうが、あまり褒められると増長してしまうことを自己認識している武にとっては複雑な気分だ。
「そうですか。御二人にここまで評価されるとは、白銀中佐も果報者ですね」
「……ぜんぜん嬉しくないです」
 含みのあるグラムの言葉に武はげんなりとした様子で答えるしかなかった。
「今、白銀中佐に同行させる中隊の指揮官をこちらに向かわせています。改めて紹介しますので、存分にこき使って上げて下さい」
 にこっと満面の笑みで侑香は告げる。
 その表情と言い回しに武は何やらえも言われぬ嫌な予感を覚えた。
 そもそも、誰を“改めて”紹介するというのか。
「失礼致します」
 誰かが外から入ってきたらしく、全身全霊で悩む武の背後で凛とした女の声が響いた。それに武は慌てて振り返る。
 立っていたのは翡翠色の長い髪を後ろ手に結い上げた女性。纏っているのはやはり欧州では滅多にお目にかかれない“紅い”零式衛士強化装備。
 その人物は同じく翡翠色の双眸で武を一瞥した後、さっと敬礼した。
「帝国城内省斯衛軍 第6戦術機甲大隊 臨時補佐 月詠真那少佐、只今馳せ参じ致しました」


 レイド・クラインバーグという男は、前線で叩き上げられてきた古参の衛士だ。
 第27機甲連隊でも年長者の部類に名を連ね、その無骨そうな風貌から時に恐れられ、時に頼られもしている。
 この連隊に配属され、自分より経歴も年齢も少ない上官に使われることを最初は渋っていた。今の275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)を任された時も若干気乗りがしていなかったのも事実である。
 だが、考えを改めさせられる機会はすぐに来た。
 連隊発足直後の親睦を深めるための中隊対抗の模擬戦。
 今考えれば実に無茶苦茶な方法だったと思う。あれは「親睦を深めるため」と掲げていたが、そんな単純な話ではなかったのだと、レイドは後になって気付いた。
 あれは白銀武というまだ若い衛士の実力を、これでもかと見せ付けるための模擬戦だったのである。
 事実、275戦術機甲中隊は武率いる271戦術機甲中隊に敗北した。完敗したと言って良い。
 今でもレイドの脳裏には武の挙動が焼きついている。
 何の支援もない単機で、こちらの2個小隊を翻弄するあの挙動が。

『クライン大尉、そっちどうです?』
 レイドが哨戒行動を継続していると、エレーヌが通信を入れてきた。
「特に異常はないようだ。そちらは……訊くまでもなさそうか」
 念のためもう一度振動センサーとレーダー、そして赤外線カメラで周囲を確認するが、BETAの痕跡は微塵もない。
『やっぱりBETAなんてもういないんじゃないですかねぇ? ここの反応炉、もう止まってるわけですし』
「そう願いたいところであるが……知っているか? ノーデンス」
『何です?』
「“いないこと”を証明することが統計学や論理学上最も面倒臭いそうだ」
 レイドがそう言うとエレーヌは露骨に眉をひそめた。こちらが何を言いたいのかあまり理解出来ていないらしい。
「例えば…白いカラスはいないと思うか?」
『そりゃ、普通に考えればいないですよ』
 レイドの問いにエレーヌは即答した。彼女の言葉は、「突然変異や遺伝子操作ならあり得る」と言いたいのか、それとも「そもそも今じゃカラスなんて欧州では見られない」と言いたいのかは定かでない。
 だが、その疑問はとりあえずどうでもよい。
 カラスは黒いもの、という常識が今は重要なのだ。
「ならば、どう証明する?」
『う~…そりゃ当たり前って答えはナシなんですよね。やっぱり、世界中のカラスを全部調べるしかないんじゃないですか?』
「その通りだ」
 困惑顔のエレーヌの答えにレイドは大きく頷く。
『あ~………つまり、ここにBETAがいないことを証明するためには地下茎構造の中を隅から隅までくまなく調べなきゃいけないってことですね~』
「逆に、途中でBETAを発見出来てしまえば“いること”は証明出来る」
 確かこの話は「ヘンペルのカラス」から派生した理論の中で解釈出来るものだ。「すべてのカラスは黒い」という仮説を立証するためには本当にすべてのカラスを調べるしかないが、それは事実上不可能。
 しかし、黒くない…たとえば白いカラスが一羽でもいることを証明出来れば、少なくとも先に掲げた仮説は否定されてしまうというものだった筈である。
 そこから更に転じて、証明するよりも棄却する方が楽だという話。
 尤も、レイドは学者ではないので委細までは知らないため深く語ることは出来なかった。
 だが、レイドが皆まで言えずともエレーヌは独りで納得したようだ。レイドが補足した後に「確かにそれは面倒ですね」とけらけら笑いながら言っていた。
 その能天気な態度にレイドはため息をついたが、すぐに小さく笑い返す。
『あ、そうそう、見ました?』
「目的語を言え」
 レイドの講義が思いの外面白くなかったのか、一頻り笑った後にエレーヌはすぐ話題を切り替えた。
 否、単純に彼女は喋りたい話題を沢山抱えているだけだろう。
『Type-00ですよ。あたしたちの後から3個中隊でやってきた』
「ああ、日本の斯衛軍か。何機か拝見したな。それがどうした?」
 ようやく合点がいき、レイドは頷く。
 Type-00。日本では「武御雷」という名称で呼ばれている戦術機だ。日本の斯衛軍が運用する特異な機体だとレイドは聞いている。
 話によれば、性能も高く、量産性も悪くないらしい。大半の基本性能はラファールを上回っている筈だ。
『前にカタログで見たんですけど、実物は違いますね。日本の戦術機ってみんなどこか渋い感じで、武士道!みたいな』
「そういえば貴様…白銀中佐が持ち込んだType-94にも興味を持っていたな。確かにあれはディテールに無駄がないが……」
 やや陶酔した様子のエレーヌにレイドは呆れ顔で返す。彼女はどうやら武御雷にも酷く関心をそそられたらしい。
 そもそも、彼女は武士道の意味を理解しているのだろうか。
 ふとレイドは疑問に思ったが、問い返すのはよしておいた。あまり穿り返してエレーヌの機嫌を損ねては、彼女の部下たちが可哀想だ。
 そんなレイドの心境を知る由もないエレーヌは「乗ってみたいな~、Type-00」などと妄言をほざいている。
 無論、レイドも興味がないわけがない。
 欧州でも容易に手に入れられるなら、ラファールよりもType-94「不知火」に乗ってみたいとは常々思っているのだ。
 まあ、これは以前に武が「俺は不知火の方が使い易いな」と語っていたことも大いに影響を及ぼしているわけなのだが。
『まさかこんなとこでType-00を見られるなんて思いませんでしたよ。それも青ですよ? 青』
「青?」
『知らないんですか? Type-00ってカラーリングで衛士の階級とか立場とか表しているらしいですよ。青色は摂家専用機みたいです』
 その説明にレイドは小さく肩をすくませる。
 日本の摂家といえば元枢府を構成する五摂家を指す。米国の大統領府に近い働きを持つ元枢府は即ち、執政の幇助機関だ。
 しかし、摂家の血族は何も政のみを担うわけではない。
 もともとは有力な武家であった摂家は、その本家分家問わず一族の多くが皇帝陛下と政威大将軍の守護を預かる斯衛軍に属するとも聞いている。
「珍しい機体であることは理解したが…所詮は士気高揚のための御飾り機体であろう? 摂家の人間は厳密に言えば軍人とは呼べぬ筈だ」
 レイドは私的な見解を述べる。とはいえ、それもあながち的外れとは言えない筈だと彼は自負している。
 武御雷は基本性能こそ第3世代機の中でも特筆しているが、最大の論点は衛士がそれを引き出し切れるか、ということ。
 正規の訓練を受けている軍人ですらピンキリなのだから、象徴に等しい摂家の者が武御雷を乗りこなしているかどうかは疑わしい。
『どうですかねぇ? 今度白銀中佐に訊いてみますよ~』
 興味があるのはあくまで戦術機の方なのか、エレーヌも斯衛軍と摂家については詳しく知らないようだった。
 それにおいて武に訊いてみるというのはなかなかの名案である。
 彼は衛士の技量もさることながら、戦術機と日本についてなら連隊の中で誰よりも詳しい。
『セイバー1より第27機甲連隊(クルセイダーズ)奇数中隊各機。至急指定ポイントに集合しろ。哨戒は他部隊が引き継ぐ』
 ちょうどそのタイミングで武から次の指示が入った。
 一瞬、会話を傍受されていたのでは?とレイドはドキリとしたが、武からは何の指摘も続かない。どうやらレイドの取り越し苦労だったようだ。
『ハンマー1了解!』
『……ブレイカー1了解』
 即座に応答するエレーヌ。その切り替えの良さには先任のレイドも正直憧れている。
 あれくらい厚顔でいたいものだと常々思っていた。



[1152] Re[6]:Muv-Luv [another&after world] 第6話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/01/07 14:47
  第6話


『ラファールが29機。F-15Eが12機に…我々の武御雷が12機か』
 隊列を組む都合50機にも及ぶ戦術機を見渡していると、武同様にその隊列から外れている月詠真那がそう呟いた。
 独り言なのかと一瞬思ったが、オープンチャンネルで呟いた言葉が純粋な独り言である筈がない。
「ハイヴ突入にしたって大兵力ですね」
 だから武は月詠にそう返していた。
 これから武たちはレナが率いる本隊から分離して、先行調査隊が降りたルートを辿りながら最下層を目指すことになっている。
『元より地下茎構造内部では部隊が密集していても無意味に等しい。3個中隊以上では味方誤射の危険性の方が高いであろう』
「まあ、今回はお互いの監視が第1ですからねぇ。最下層に降りたらある程度は分散させましょうか」
 月詠の返答に頷き、武は仕方がないというニュアンスを含ませて答え返した。
『白銀中佐、ブラボー隊全機突入準備完了しました!』
 その回線に入ってきたエレーヌが、混成部隊を代表して準備が整った旨を武に伝えてくる。それに随伴してきたのは同じ武の部下のレイド・クラインバーグだ。
「了解。お前たちにも紹介しておくよ。彼女が斯衛軍の月詠少佐だ」
『帝国城内省斯衛軍 月詠真那だ。此度は随伴させて頂き、感謝している』
 凛然とした口調と表情で月詠はエレーヌとレイドに名乗る。それに対して、2人は「はっ!」と敬礼して応えた。
 月詠のその表情から、それが本音であるのかどうかは容易に読み取ることは出来ないが、少なくとも裏などはあるまい。人間性ついては月詠は信頼出来るし、その上官である侑香も多分に信頼出来る。
『あの…月詠少佐って、白銀中佐の知り合いなんですか?』
 やや遠慮がちにエレーヌが月詠に訊ねる。画像の向こうで挙手しているその姿は少々滑稽だった。
「また私的な問いかけだな」
『いいじゃないですか、中佐。これもコミュニケーションですよ~』
「止めてくれよ、レイド」
『すみません。ですが、ノーデンスの問いには俺も興味があります』
 良識人のレイドに助けを求めるも、反応は随分と冷たかった。
 そんなに興味の湧く話題か?と武は呆れて開いた口が塞がらなかったが、最早止められそうもないと判断して首を横に振る。
 今度からもう少しマリアに気を遣おう。
 普段のマリアの大変さを改めて噛み締めた武は誰にも告げず、グッとそう決意する。
『白銀中佐と私は以前に共闘したことがある。2001年に我が国で起きたクーデターを知っているか?』
『クーデター?』
『12・5事件のことだ。日本の本土防衛軍の一部が、軍と政府のあり方を是正するべく決起したクーデターだと聞いている』
『ああ! そういえばニュースで見ましたよ!』
 レイドの説明に手を打ち鳴らすエレーヌ。それだけの教養はあったかと武と月詠は同時に胸を撫で下ろす。
『演説した煌武院殿下、美人でしたね~』
 ガクンと脱力したのは武も月詠もレイドも同時だった。
 レイドは何も言うまいと首を横に振り、沈黙を守っている。
 対し月詠は、忠誠を誓う殿下が曲がりなりにも褒められたために、喜ぶべきか怒るべきか悩み、結局ただ呆れ返るしか出来ていない。
 武はそんな月詠に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「……いいからお前らも持ち場に戻れ。あまり話が過ぎると怒るぞ。マリアが」
『アイサー!』
『了解』
 マリアの名を出して叱責すると、エレーヌは笑いながら、レイドは肩を落としながら了解の旨を返して自分の部隊に戻ってゆく。
 それを見送り、武は頭を抱えながら大きなため息を漏らすしかない。
 すると、真那は無言で武を見た後、ふっと口元を緩めた。
 その、明らかに純粋に可笑しくて笑っているのではない笑みに、武は何故か異様な悪寒を覚える。
 月詠真那は武にとって九條侑香以上に関わりの深い人物だ。初めて会ったときは武が訓練兵、月詠が中尉であったために現在でも武にとって彼女は目上の人間になる。
 幸か不幸か階級が逆転した今も向こうはこちらを目上の人間とは見ていないようで、2人の立ち位置は昔とあまり変わっていない。
「………何ですか?」
『いや。貴様も一端の指揮官なのだと再認識しただけだ』
「エスカレーターも吃驚の特進ですけどね」
 どう考えてもからかっている口振りの月詠に武は憮然と返す。それが可笑しかったのか、月詠はまたふっと不敵に笑った。
『尤もだ。だが、なかなか様になっているではないか。土産話としてこれ以上はあるまい』
「誰に語るつもりですか!? やめてくださいよ、そういうの!」
 武はすぐさまに声を上げる。
 このまま月詠を放っておいては、日本に帰られた際にあることないことを実しやかに語られてしまいそうで怖い。
 彼女は良くも悪くも冗談を冗談だけで済まさない人間なのだ。武はそれをよく理解していた。
『元より欧州に赴く際、殿下より貴様の近況も報告するように仰せ付かっている』
 何故?と武は項垂れるしかなかった。
 殿下に身を案じてもらえることは光栄だが、それにしたって極めて局所的な指示だ。いくら勅命といっても、それに頷く月詠も月詠である。
『それと、遅れ馳せながら、昇進おめでとうございます。中佐殿』
「あがっ………どうも」
 凛とした強さを損なわずに微笑んだ月詠。その口から発せられた、武の昇進に対する祝辞はあまりにも不意討ちだった。
 「ありがとう」とも「大したことじゃない」とも返すことの出来なかった自分が正直恥ずかしいと武は俯く。
「つっ…月詠少佐こそ、昇進おめでとうございます」
『世辞ならばいらぬぞ』
 声を上擦らせ、あたふたしながら武はようやく反撃する。だが、最早決した大勢は覆すことは出来なかった。ふっと不敵に笑った月詠はあっさりと皮肉で返してくる。
「…………あれ? そういえば異動したんですか? 確か16大隊所属だった気がしたんですけど……」
 月詠がつい最近まで大尉だったことを考えていて、武は不意に以前に聞いた話を思い出した。
 かつては殿下の勅命によって独立小隊として動いていた彼女だが、正式な所属は斯衛軍第16大隊であり、侑香の第6大隊ではなかった筈だ。
 それとも、また殿下の勅命で侑香についてきただけなのだろうか、と武は脳内で勝手に自己完結してしまう。
『確かに、私は既に第16大隊所属ではない。だが、第6大隊でもない。今回は殿下に命ぜられ、九條大佐の補佐として随伴させて頂いているに過ぎないのだ』
「えっ? じゃあ、今はどこに……?」
『現在は大隊指揮官の末席に名を連ねさせて頂いている』
 月詠の答えに思わず武は「げっ」と唸った。
 近衛軍の大隊指揮官といえば末席とはいえども上等な立場だ。斯衛軍衛士の練度を鑑みれば、生半可な実力では務め上げるどころか任命されることすら難しい。
 尤も、武にとっては月詠も目標としている衛士の1人だ。それに見合うだけの能力があることは疑いようもない。
 ただ、任命されることが武の予想以上に早かっただけの話である。
「それって…どこの隊です?」
『18大隊だ。一線を退いた高坂少将の後任として着任した』
 「そりゃまた大層な」と武は頬を引き攣らせる。
 その高坂少将には会ったことはないが、実に指揮能力に長けた斯衛軍衛士だと武は聞いていた。
 だが、止む無い英断だったのかもしれない。
 かつて大陸で活躍した烈士たちは一線を退き、BETAが地球に襲来してからの歴史しか知らない若者たちが部隊を担う時代に移り変わっている。
 その1人が武であり、また月詠でもあった。
『この立場と、紅の色に泥を塗らぬよう日々精進しているが、私ではまだ程遠いな』
「まあ…人間ってそんなもんじゃないですかね。満足してないから努力するわけであって……満足しちゃってたら面白くないですよ。理想がすぐそこってのも、月詠少佐らしくないですし」
『ふっ…一端に説教を述べるのか? 白銀』
 武の高説がさぞ御気に召したのか、月詠はまた不敵に笑った。それにはもう武も「あははは」と引き攣った笑みを返すしかない。
 いくら武の階級が上になろうとも、月詠は月詠だ。これならばレナの相手をする方が数倍楽だと、本気で考えている自分が実に情けない。
 刷り込みとはかくも恐ろしいものだと武は今日学んだ。
「……もういいです。そろそろ出発しましょう。あんまり猶予はありませんし」
『了解。白銀中佐、僭越ながらお供させて頂きます』
 月詠はふっと笑いながら武に改めて敬礼を返してきた。


 ハイヴの内部は非常に入り組んだ構造を持つ。
 地下茎構造(スタブ)と呼ばれるこの構造は、ハイヴの地上構造(モニュメント)を中心に広大に広がっているものだ。
 基本は縦坑(シャフト)と横坑(ドリフト)、そしてそれら分岐点である広間(ホール)で構成され、最深部には反応炉が、地表との出入り口として門(ゲート)が存在する。
 その地下茎構造内を延々と進軍する混成部隊は、武が指揮するブラボー隊だ。
「Bジュリエット、突出してベクター120の横坑を警戒。部隊通過までの安全を確保しろ」
『了解』
 武の指示に従い、11機の武御雷が移動を開始した。これはすぐ前方にてルートに繋がってくる横坑の警戒をするためだ。
 今でこそBETA出現の可能性は高くないが、通常の突入作戦の場合、振動センサーやレーダーからの情報だけに頼らず、分岐路では常に警戒を払わなければならない。
 無論、ここまでは依然としてまったく戦闘が起きていない。
 しかしながら、誰もが緊張を拭い去ることは出来ていなかった。
 何せ、このハイヴで“何かあった”ことは最早明確なのだから。
『……して、白銀。今回の件、貴様はどう睨む?』
 武に並んで進行を続ける真紅の武御雷。その衛士である月詠真那が不意にそう訊ねてきた。
 唐突な問いかけだったが、その意図を読み取れないほど武も馬鹿ではない。
「さて…今回の件とはどのことですか?」
 武は敢えて惚けてみせた。とはいえ、確かに“今回の件”に該当する事柄は1つだけではない。
 先行調査隊の消息。
 第4師団の先走り。
 ハイヴの状態。
 武も月詠も理解しているとはいえ、このイレギュラーな部隊編成も充分に“今回の件”に含まれる。
『無論、すべてだ』
 月詠の問いかけは最早強要に近かった。
「第4師団の行動については止む無しじゃないですか? 総司令部の顔色も窺いながら行動に出たみたいですし…それに、ヴィンセント准将の進言だけじゃ大した抑止力にはならないでしょう」
『その結果がこの様か』
「まったくです」
 吐き捨てるような月詠の言い方に武は真顔で同意した。
 “この様”とは実に言い得て妙だ。動員された兵がどこまで事情を理解していたのかは定かでないが、第4師団司令部の思惑とは遥かに違う結果になっているだろう。
「…で、その先行調査隊の消息ですけど、BETAの残党にやられたってのがやっぱり有力な線だと思います。むしろ、BETA以外の誰が襲ってくるんだ?って話ですよね」
 そう言って武はからからと乾いた笑い声をあげる。
 無論、それは半分皮肉だ。BETAという脅威を前にしながら派閥の絶えない人類の業を、武はよく知っていた。
 あの12・5事件だって、数多の思惑が交錯した結果引き起こされたものなのだから。
 その言葉の意味を悟っているのか、月詠は敢えて何も言い返してはこなかった。
 武はその間にさっとレーダーと振動センサーを確認する。どちらも警告は発していない。
 同時にH12の地下茎構造マップでどの程度まで進軍してきたのかも確認した。
「……ブラボー隊全機進軍停止。ここにパッシブセンサーを設置する。BエコーC小隊、設置を任せる。その他各隊は哨戒待機だ」
『了解!』
 中階層から最下層に移り変わる直前、武は部隊を停止させ、センサーの設置を命じた。このセンサーがどれだけ役に立つかは武にも分からないが、これは極めて重要な采配だ。
 何故なら、人間相手だろうがBETA相手だろうが、戦いにおいてまず戦況を大きく左右するのは“どれだけ有利な場を作れるか”、だからである。
 よって、センサーで“視界”を確保することは無駄ではない。
「エレーヌ、レイド、前後方に異常はないか?」
『こちらハンマー1。今のところ異常はないです。次の横坑まで先行して、ルートを確保します』
「了解。あまり離れ過ぎるなよ」
『こちらブレイカー1。同じく後方に異常はありません』
「了解。気苦労の絶えないポジションだが、哨戒を続行してくれ」
 前と後ろの状況を確認するが、返答は相変わらずだ。このまま何も起きないに越したことはないが、反面今回の調査について武が指揮するブラボー隊の目的が果たされないことにもなってしまう。
『分岐路にパッシブセンサー……か。慎重だな』
「ダメですかね?」
 月詠の言葉に武はそう問い返す。
『いや、正しいだろう。このような状況であればこそ、その慎重さが明暗を分ける』
「持ち味は思い切りの良さ、なんですけどね」
 神妙な面持ちで月詠はそう答え、進行ルートの先を見つめる。武は同じようにレイドが哨戒している後方を見通す。
『いざという時に積極策を発揮するための布石と考えれば良い。思い切りの良い行動に然るべき根拠があれば敵はあるまい』
 含みのある笑みを浮かべた月詠の言葉に、武は声を立てず苦笑するしかなかった。
 武だってこのセンサーが良い意味で役に立たなければいいと思っている。それでいて更に任務が果たせるならば最高だ。
 この国連軍、EU連合軍、斯衛軍が混成したブラボー隊の目的は、消息不明の先行調査隊の捜索及び最下層エリアの探索である。
 言ってしまえば、この反応炉の停止したハイヴの中でいったい何が起きたのかを調べるわけだが、無論、骨は折れる。
「もう中階層突破目前ですね」
 センサーを設置する小隊を見守りながら、武は月詠に声をかける。
『敵の気配は依然ないな』
「喜ぶべきことなんですけどね」
 月詠の返答に武は苦笑する。
 敵の気配がないのはある種大問題だ。たとえ消息不明の先行調査隊が発見されたとしても、BETAとの戦闘の形跡が見当たらなければ更に謎が深まってしまう。
 ここはむしろBETAにいてもらった方が調査としては良い傾向だろう。
『ならば素直に喜べ。何もなければ良いと思っているのは私も同じだ』
「ははっ……そうします」
 真剣な面持ちで答える月詠に、武は力なく笑う。
 考えていることは同じだ。
 BETAがいなければ戦闘が起きない。
 戦闘が起きなければ仲間に被害も出ない。
 部隊指揮官としてはそちらの方が願ったり叶ったりだ。特に、こんな万全ではない部隊を率いている以上。
 尤も、月詠の懸念はそちらよりも九條侑香の方だろう。彼女に随伴出来ないのはさぞ心配に違いない。
 武としても、ここは1つ、レナに頑張ってもらうしかなかった。
「まあ…准将よりも九條大佐の方が強いから大丈夫か」
『貴様…それは何の根拠があっての安心感だ?』
 前方を目視で確認しながら武が呟くと、傍受していた月詠が物凄い形相で睨み返してきた。その割り込みに武は思わずぎょっと慄く。
「いや……だって本当のことですし」
 随分昔にも曝されたことのある、月詠の鋭い視線。その露骨なまでの敵意から武は口を噤ませる。
 武が言ったのは顕著な一般論で、既にその段階で月詠と考え方が齟齬している。
 要人とはいえ、武にとって九條侑香は第1に腕利きの指揮官であり衛士である。単独で敵中に放り込まれた場合、専用機の武御雷を駆る分、彼女の生還率はラファールを駆る武よりも高いだろう。
 即ち、敵が侑香を優先して狙ってこない限り、彼女が撃墜された段階でアルファ隊は半ば潰滅しているに違いない。
 相対し、月詠は斯衛軍の士官。それも摂家に仕える分家の人間で、今回は殿下の勅命により侑香の警護を務めている。
 月詠にとって確率論などおおよそ無意味。ただ、侑香に接触し得る危険分子は速やかに、そして冷酷に排除することが最大目標。
「………月詠少佐」
『何だ?』
「うちのマリアたちも少しは信頼してやってくれませんかね?」
『こうして貴様の隊に随伴している段階で充分な評価であると思うが?』
 やや憮然として武が抗議すると、月詠は含みのある言い方で即座に言葉を返してくる。
 何となく、武は「暖簾に腕押し」の意味を体験したような気がした。
 月詠には永遠に口では敵いそうもないと、同時に武は自嘲する。
「分かってますよ。言ってみただけです」
 やれやれと肩をすくめながら武は答えるが、実際にはかなり本気だった。
 そもそも、月詠が武たちに随伴しているのは侑香の指示あってのことだ。言い方は悪いが、彼女にしてみれば選択の余地などなかっただろう。
「とりあえず、速やかに任務を遂行しましょう。国連軍と斯衛軍双方にとってはそれが一番都合は良い筈です」
 少し口早に武は告げる。彼の本音を言えばもっと話したいことは沢山あるのだが、武にとっても月詠にとっても各々の責任が大き過ぎる。終始こうやって私的交信を許されるわけではなかった。
「………月詠少佐?」
 だが、月詠からは応答がない。怪訝に思って武が注視すると、月詠が乗る武御雷はやや隊列から外れた場所で停まっていた。
「ブラボー隊全機行動を停止せよ! 各機隊列を維持したまま哨戒!」
 月詠が何を見つけたのかは分からないが、きっとそれは碌なものじゃない。
 武はすぐにそう直感的に判断し、部隊全体の行動を停めさせた。そしてそのまま月詠の元へと駆け寄る。
「どうしました?」
『見ろ、白銀。下だ』
 武御雷の指はすぐ脇の縦坑を指していた。進行ルートから外れた、下に伸びる少し小さめの縦坑だ。
 武は月詠と場所を代わってもらい、身を乗り出して縦坑の底を覗き込んだ。
 底までそう深くはない。せいぜい40メートル程度だろう。
 月詠の言う通り、何か底にあるようだが、生憎と通常状態では確認出来なかった。武は即座にメインカメラの画像をズームに切り替える。
「EF-2000……!」
 縦坑の底に無造作に転がったもの。それは見紛う事無きEF-2000の頭部だった。



[1152] Re[7]:Muv-Luv [another&after world] 第7話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/01/21 13:26
  第7話


 無造作に転がされたEF-2000を睨み付け、武は思わず歯を軋ませる。
「この下は……『広間』か」
 H12の地下茎構造マップを見て、武はこの縦坑の下には『広間』があることを確認する。
 数にして5つの縦坑と横坑が交差する『広間』だ。
「レイド! 下の安全が確保出来るまでこの場で哨戒を継続しろ! 兵器使用は任意で自由だ!」
『了解。白銀中佐、お気をつけください』
「残りのブラボー隊は全機縦坑をくだって下の『広間』に抜ける! 行くぞ!」
『了解!』
 即座に指示を下し、武は先陣を切って縦坑に飛び込んだ。それを追従して月詠が飛び込み、271戦術機甲中隊(セイバーズ)、Bジュリエット、273戦術機甲中隊(ハンマーズ)、Bエコーが追随する。
 複数の縦坑と横坑が接続する『広間』。
 その開けた空間へと降りた武は、着地と同時に両手の突撃砲を構えた。それに続いてきた月詠も武の死角をカバーするように着地して構える。
「敵影は……なしか」
 『広間』にBETAの姿がないことを確認し、両者は同時に構えを解く。
「レイド、哨戒御苦労。こっちの安全は確保した。降りてこい」
『了解』
『白銀中佐、あたしたちは分岐路の警戒に当たりますよ』
 レイドが応答した直後、武が支持を出すよりも早くエレーヌが言った。
 普段はあれだが、彼女はなかなかに優秀な軍人だ。状況に応じた必要行動というものを常によく理解している。
「任せる。だが、エレーヌはこっちに付き合え。レイドも、だ」
『了解!』
 武は部下の2人にそう命じ、ちらりと足元に転がるEF-2000の残骸を一瞥した。
 見るも無惨な状態だ。機体各部は大きく損傷し、特に胸部の装甲は完全に破られて、管制ユニットの中の衛士が生存していないことは見ただけで明らかである。
 何が起きたのか事実は分からないが、状態としては戦車級に群がられた後と似ていた。
 戦術機の装甲を噛み砕く頑強な顎と、BETAの中でもトップクラスに高い対人感知力を備えている戦車級。それに長時間たかられていたとなれば、万が一にも衛士の命はない。
 武は1度周囲を見回した。
 坑内の内壁が放つ蒼白い燐光のおかげで、太陽の光も届かないこの地下の大迷宮でさえ容易に肉眼で見通せるほどである。
 未だかつて武とてハイヴに突入したことは1回しかなかった。今回も“突入”に数えるならば2度目である。
 ハイヴの中は陰湿で気味が悪い。その認識を改めたことは1度もなく、そしてこれからも変わることはあるまい。
 自己の記憶情報を総合すれば、ここは間違いなく“死の象徴”なのだから。
『武者震いか?』
 不意に、月詠がそう訊ねてきた。画像を通してしかお互いを確認出来ない筈なのに、彼女は武の様子を敏感に感じ取っていた。
「どうですかね?」
『誤魔化さないで頂きたい。貴官ほどの衛士がいちいち恐怖で震えることもありますまい』
「買い被り過ぎですよ。それに、俺たちの原動力は常に恐怖心です。何か大切なものを失いたくないから、戦い続けようと思うんですよ」
 武の言葉に月詠はふんと鼻を鳴らした。彼女としては、すべての志を「恐怖心」の一言で片付けられて少し面白くなかったのかもしれない。
『273戦術機甲中隊(ハンマーズ)各小隊、配置につきました』
『同じく275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)各小隊の配置完了』
「了解。Bジュリエット及びBエコー各隊もこのまま哨戒行動を継続してくれ」
『了解』
 斯衛軍のBジュリエットとEU連合のBエコーの各機も全周警戒で待機するために散開してゆく。残ったのは武と月詠、そして召集したエレーヌとレイドのみだ。
「……で、どうだ? 見た限り」
『詳しく解析しないと何とも言えないですけど……残骸の量とパーツから見て、10機前後ぐらいかと』
『それ以上にBETAの死骸が気になる。目視で確認する限り、要撃級が数体と戦車級のみのようであるが…』
 武の問いにエレーヌとレイドがそれぞれの私見を述べる。それに対して武は「成程、よく見ている」とほくそ笑んだ。
『風化の度合いから鑑みれば、先日の制圧作戦のものではありますまい』
 武御雷を屈ませ、要撃級の死骸を検分した月詠はそう言った。確かにこれは決定的だろう。
 戦術機と違って、炭素系物質で構成されたBETAの身体は、生命活動を停止させれば当然腐敗あるいは風化し始める。原形を留めているとはいえ、4日前のH12制圧作戦で倒されたBETAの死骸がこんなに真新しい筈がない。
『でも…10機ですよ? 10機。狭い横坑ならともかく、『広間』でBETAに遭遇しても、簡単にはやられないんじゃないですか?』
『余程の奇襲だったのか、あるいは相当な物量に押されたのか』
 月詠は呟く。
 確かに地下茎構造の内部は戦術機の独壇場と言われているが、決して戦い易い地形というわけでもない。
 最大の運用利点である立体戦術を最大効率で駆使することは、狭い横坑ではほぼ不可能。開けた空間である『広間』でも最大限に活用出来るには程遠い。
 奇襲は状況如何によるが、物量に押された場合は全滅も必至であろう。
『しかし月詠少佐。ノーデンスの言葉を繰り返すようで恐縮ですが、狭い横坑内ならまだしも、『広間』で奇襲を受けるという可能性は少ないかと』
『分岐路がこれだけあるのだ。それは逆ではないのか?』
『他方から敵の接近の可能性が多分に考えられる以上、『広間』で油断していたとは思えないです。まさかそこまで気を緩ませていたわけはないでしょう?』
『……白銀中佐。貴官の部下です。どうにかして頂きたい』
 月詠が言った「奇襲」の言葉にレイドとエレーヌが続けて異論を唱える。月詠もまさかそこまで無意味に物申されるとは思っていなかったのか、やや疲れた様子で武に振ってきた。
 いくら丁寧に言われても半ば強制的な話だ。事実、月詠の目はかなり本気だった。頼みたいのならば威圧しないで欲しいと武は項垂れる。
「……待ち伏せの可能性だって完全に否定は出来ない。それに、もしかしたら“本当にそこまで緩み切っていた”のかもしれないぞ」
 武は苦笑しつつもエレーヌとレイドに答える。とはいえ、結局可能性として限りなく低い点は否めない。
「まあ…そんなものはブラックボックスを回収して、解析すれば少しは分かるだろ。この場に生存者はないようだし、そっちの回収を優先しよう」
 武のその意見は誰もが納得するに充分だった。この場であれこれ議論しても仕方がないことは誰もが分かっているのだ。
 戦術機には基本的に例外なくレコーダが搭載されている。このレコーダはブラックボックスともいい、機体が稼動していた間に起きたことを逐一記録している重要な装置だ。それを回収し、解析すれば調査は一応事足りる筈である。
 尤も、戦場で最大級に激しい戦闘を余儀なくされる戦術機のレコーダが役に立った前例は、驚くほど少ないのだが。
「じゃ、手分けにして回収しちゃいましょう。275C小隊は回収コンテナを持ってこい」
『了解』
 月詠とエレーヌ、レイドにそう指示し、武も足元に転がったEF-2000の残骸に手をかける。
 戦術機の装甲を引き剥がすという行為は気が進まないが、こればかりは避けて通れない。今回のことを調査するには最低限必要なことなのだ。
 不幸中の幸いだが、胸部の装甲が戦車級によって食い破られているため、レコーダを内蔵した管制ユニットを引き摺り出すことはそれほど面倒な作業ではない。
 「すまない」。武はこの死地で果てた衛士に黙祷を捧げながら回収作業を続行した。
「……………?」
 だが、異変にすぐ気付く。
 戦術機の指先でうっかり壊さないよう物自体に触れることは避けたが、戦術機のステータスチェックを通してみる限り、目的のそれはもう壊れているのだ。
「………破損している?」
 偶然か?と武はふと疑問に思う。
 役に立った前例が少ないとはいえ、レコーダは重要な情報記録装置だ。本来であれば機体が大破しても簡単には壊れるように出来ていない。
 勿論、偶然当たり所が悪くて壊れることもあり得る。
 それを判断するために武はすぐ傍に転がる他のEF-2000の装甲を引き剥がし、内部のレコーダをステータスチェックで確認した。
「これも……か」
 愕然と、武は呟く。
 立て続けに2機。確率としてはガクンと下がる。同時に、作為的に壊されたという可能性がにわかに高まる。
 無論、BETAがそのようなことをしたという前例はない。だがそれは、決してないという確信を得られるものでもない。
 脳裏を掠めるのは、あの“12・5事件”。あの事件でも、“特定の機体の管制ユニット”だけが事実上人為的に破壊されていた。
 また米軍が一枚噛んでいるのか、あるいは国連軍の上層部が何かしら仕組んだのか。
 否。まだ結論を出すのは早い。
 武は自己を抑えるように軽くかぶりを振った。そもそも、結論を出すこと自体可能なのか分からないのだから。
『ハンマー1よりセイバー1』
「どうした? エレーヌ」
『こっちで確認した機体……2機とも管制ユニットがぐちゃぐちゃで、レコーダも壊れてます』
 いつになく消沈した様子のエレーヌ。彼女は能天気だが馬鹿ではない。それがいかに異常なことなのか理解しているのだ。
 戦車級は動いている戦術機と生きている人間にしか興味がない。対人感知能力の高い連中が、管制ユニットをぐちゃぐちゃになるまで食い荒らすことなど考えられなかった。
「月詠少佐、そちらは?」
『分かっていて訊いているようですな、白銀中佐』
 一瞬息を呑んだ武が月詠に訊ねると、彼女からは皮肉めいた応答が返ってきた。
『こちらの2機も破損している。私は専門家ではないが、これの復元が不可能だということは理解出来る』
 その言葉はおおよそ武の予感通り。これで都合6機のレコーダが壊れていたことになる。
 ゾクッと武の背中にわずかな悪寒が走った。
『白銀中佐』
「レイド……そっちもか?」
『これを見て下さい』
 レイドから送られてきた画像を見て、武は眉根を寄せる。そこに映っていたのは他と同様に無惨にも転がったEF-2000の残骸だった。
 しかし、その機体には他のEF-2000と明らかに異なる点がある。
「銃創……か? これ」
『恐らく』
 EF-2000の右肩から胸部にかけて広がる、抉られた無数のクレーターを発見し、武が呟く。 
 レイドもおおよそ同じ見解だったようで頷き返してきた。
『36mmだろう。EF-2000の装甲ならば突撃機関砲の連射を3秒でも浴びればその程度の傷がつく』
 同様に画像を検分していたのか、意見を挟んでくる月詠。
 それは武も気付いている。そう何度もお目にかかったことがあるわけではないが、確かにこの状態は戦術機が装備する突撃砲の36mmを喰らった跡に酷似していた。
『味方誤射……ですかね?』
「……平たく言えばそうだろ。戦車級にたかられたことで衛士が発狂して、突撃砲を乱射することだって珍しい話じゃないし」
『BETAなどいないと高を括っていた折に奇襲を受けたのだ。さぞ震え上がったであろうな』
 鼻を鳴らし、面白くなさそうに月詠も武に同意した。
 高々3メートル程度の戦車級でも、機体を埋め尽くすほど群がってきた場合、それを自身で打ち払うのはまず不可能だ。そもそも、仲間がいても絶望的であろう。
 そうなった場合の末路は、胸部の装甲を食い破られ、衛士はそのまま食い殺されるしかあり得ない。
 その時の恐怖はとても生きている者が語れるものではない。
 だが、擁護も出来ないというのが武の私見だ。
「で、ブラックボックスは?」
『この機体はまだ回収が可能ですが……他の機体は駄目です』
『見た限り、それも状態は良質とは言い難いな』
『お言葉を返すようですが月詠少佐。ないよりはマシかと』
 珍しく落胆した顔色を面に出した月詠に、エレーヌが前向きな意見を進言する。
 両者の意見はどちらも是非とは言えない。エレーヌの意見も充分に頷けるが、唯一回収出来そうなレコーダは目視で確認しても、まったくまともな状態とは思えなかった。
「望みがあるのなら回収しましょう。あとは俺たちの管轄外ですよ」
『そうですね』
 憮然としながら頭を掻いた武は、軍人としての模範解答を述べる。それにエレーヌがあっけらかんと頷いた。
 どちらにしたって今この場でレコーダの中身を確認することは出来ないし、そもそも武たちには現状知る権利がない。回収云々に口を出すことなど実に無意味だ。
 管制ユニット以外の不要な部分を取り払い、辛うじてレコーダが無事な機体をレイドが回収コンテナに詰め込む。中に衛士の遺体が残っているのだと思うと、悲しくなる反面、実に胸糞悪い気分だった。
 回収をレイドらに任せ、武は機体の管制ユニットから身を乗り出してその肉眼で惨状を見渡す。
 捥ぎ取られた腕。
 ひしゃげた脚。
 食い破られた装甲と、その間から流れ出た血の跡。
 そのすべてが傷痕。
 この世界ではもう、当たり前になってしまった壮絶な傷痕だ。
『白銀中佐。簡単に機体から出ない下さい。ここはハイヴの中なんですよ?』
 そう叱咤してくるエレーヌの声色は、いつになく真剣なものだった。
 見返せば、エレーヌの機体は武をカバーするように構えている。各小隊がすべての縦坑と横坑を押さえているというのに、だ。
 無論、それで安心出来るほどハイヴの中は甘くないことは武も嫌というほど知っている。
「了解。他の中隊の捜索を続行しよう」
 心配げなエレーヌに頷き返し、武はすぐに管制ユニットのシートに身を戻す。
「……いちいち感傷に浸る暇もない…か。俺も言うようになったもんだな」
 着座情報を再度機体に認識させながら武はそう呟き、自嘲する。
『白銀中佐。1度ヴィンセント准将に連絡を取られてはどうです?』
「そうだな。あー…面倒くさい」
 レイドの進言に頷き返した武は、心底面倒くさそうに頭を掻く。
 厄介なことに、ハイヴ坑内には一部の内壁に、ある種の電波を吸収する素材が使われているのだ。基本的にはハイヴの重要施設…特に反応炉、主縦坑、アトリエの3つには確実に使用されており、有線でも確立していない限り、距離が離れていては交信出来ない。
 現状、お互いを直接有線で繋いでいるわけではないので、反応炉に降りたアルファ隊と交信するには地上のCPを中継しなければならなかった。
『ハイヴ坑内で他と通信出来るだけ有り難いことだ』
 渋る武に月詠の叱責が入った。「確かに」と武は小さく笑う。
 制圧作戦でハイヴに突入する部隊は基本的に孤立無援だ。殊更、軌道降下にて先行突入する部隊は。
 それに比べれば、通信に苦労しないという点は遥かに安心出来ることである。
『でも、白銀中佐って孤立無援の方が強そうですね~』
「そんなヤツいねーよ」
『スタンドアローンは何よりも得意分野でありましょう?』
 呑気なエレーヌの言葉に、武は頬を引き攣らせて言い返す。それに便乗したらしい月詠が不敵に笑いつつ口を挟んだ。
 それには武もげんなりとするしかない。
 そもそも、何の支援もない状態の方が強い人間とはどういう了見であろうか。ないよりもある方が良いに決まっている。
「あー…こちらセイバー1。CP、至急ヴィンセント准将に繋いでくれ」
 もう言い返す気力もない武は無線で地上のCPに繋ぎ、反応炉へ下りたアルファ隊への交信を進言する。
『CP了解。しばしお待ち下さい』
「了解」
『――――――こちらソード1。何かあったか? 白銀』
 通信兵の応答の後、一瞬ノイズが混じったが、即座にレナへと繋がる。とりあえず向こうには何の問題もなかったようで武は胸を撫で下ろした。
「まあ、捜し物の1つは見つかりました」
『何?』
 少し表現を曖昧にした武の言葉に、レナはわずかに眉をぴくつかせる。
「交信途絶していた第3中隊を発見しましたよ」



[1152] Re[8]:Muv-Luv [another&after world] 第8話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/01/28 02:26


  第8話


『交信途絶していた第3中隊を発見しましたよ』
 何とも含みのある言い方で、向こうの武は答える。それに対し、レナはほんの小さく舌打ちのようなものをした気がした。
 同時に2人は秘匿回線へと切り替えたようで、マリアの視覚から外れていった。
 偶数中隊を率いて随伴しているマリアは、レナのすぐわきを固めた状態で哨戒待機を続行する。
『ダメだったみたいっすねえ。向こうは』
「アルテミシア大尉。私語は控えなさい」
 オープンチャンネルで話す武とレナの会話を傍受している青年が、マリアに対して声をかけてきた。
 彼はディラン・アルテミシア。272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の中隊長を任せているマリアの部下だ。
『いいじゃないですか。うちの部下共もそろそろピリピリしてくる頃ですし』
「コンスタンス中尉とクロサキ中尉を見習いなさい」
『ヘンリーは糞真面目なだけだし、ユウイチは単に無口なだけでしょう? 連中だって初めてハイヴに入ってるんだ。随分と緊張していると思いますがねぇ』
 ディランは口が減らない。性質としては極めてエレーヌに似ているが、その退きの悪さはある意味に賞賛に値するだろう。これならば武の方が遥かに扱いは楽である。
『シャルティーニ少佐。短気は損気ですよ。見る限り、アルテミシア大尉も任務に手を抜いているというわけではないようですから』
 ふふっと上品な笑みを浮かべてその会話に入ってきたのは、斯衛軍の九條侑香だった。
 マリアの部下にも何名か軍人らしからぬ者はいるが、侑香の場合はどのベクトルとも異なるタイプだった。
 これが由緒ある日本のエリートが成せる業かと、マリアは素直に感嘆する。
『こりゃありがとうございます。お礼といってはなんですが、この任務が終わったらお茶でもどうですか?』
「やめなさい! アルテミシア大尉!」
『やめろ! アルテミシア!』
 命知らずにも侑香をお茶に誘うディラン。彼のその言葉にマリアとレナがまったく同時に叱責する。
 何故彼はああも馬鹿なのか。露骨ではないといえ、随伴している斯衛中隊の士官が一様にマリアたちを監視しているのだと気付いていないのはおかしい。
 逆に気付いていた上でそんな発言をしたのなら尚悪い。
『こちらではあまり時間の取れない身でありますので、またの機会にさせて頂きます』
 にこりとした表情を崩さず、ディランの申し出をばっさりと断る侑香。
 何故断り方が小慣れているのだろうか。よもやそのような機会が多い人とは思えないが、摂家の次期当主というのは他には分からぬ特殊な苦労があるのだろう。
 マリアはそう結論して、もう深くは考えないようにした。むしろあまり考えたくなかった。
『白銀の方が先行調査隊第3中隊を発見したそうだ』
 武と通信を終えたレナが、まるでため息をつくようにオープンチャンネルで告げた。
「生存者は?」
 聞くだけ無駄だと分かっていたが、マリアは敢えて訊ねた。仮に生存者がいたのならば、武の報告の切り出しはそのことからでなくてはしっくりこない。
 それに、そうであることはレナの表情を見れば瞭然である。
『確認出来なかったとのことだ。悪いことに、BETAとの交戦跡は確認出来たらしい』
「BETA……」
 レナの言葉をマリアは反芻する。
 その意味を考えて、急激に緊張度は高まっていった。
 マリアを含め、アルファ隊に随伴した第27機甲連隊の中隊にハイヴ突入を経験した衛士はいない。
 そのような機会が巡ってこなかったことも事実だが、それ以上にハイヴ突入とはそれほど生還率の低い任務なのである。
 殊、桜花作戦以前の諸作戦では突入部隊のほぼ100パーセントがハイヴ坑内で散っている。それが現実だった。
『BETAがハイヴに残存していた、ということですね』
 口火を切ったのは侑香だった。映像を通してみる彼女の表情はこれまで通りで、口調にも大きな変化は見られない。
 ハイヴ突入経験があるのか、それとも恐ろしく肝が据わっているのか。
 彼女のその落ち着きようは、マリアにはある種異常にも思えた。
『どういうわけか、ですよ。日本がH20を制圧した時にはこのような事態にならなかったでしょう?』
『そのような報告は受けていませんね。H20にしてもH19にしても私の隊は出撃していましたが、制圧後のハイヴにBETAが残留していたという前例は聞いていません』
 レナの問い返しに侑香も神妙な表情で唸る。マリアが見た、初めての渋い表情だった。
『H22…横浜を制圧した時は米軍が残敵と一戦やらかしたって聞いてますけど?』
「アルテミシア大尉……!」
『明星作戦……ですか』
 ディランの何気ない問いで侑香の表情に影が落ちる。その意味を先読みして理解していたマリアは再び彼を叱咤するが、最早落ち度は埋められない。
『あー……すみません。下がります』
 一足遅れて察したのか、ディランは複雑そうな表情をして通信から抜けていった。そのまま指揮下の小隊を率いて哨戒に出てゆく。
『……気を遣わせてしまいましたね。平に御容赦下さい、シャルティーニ少佐』
「……いえ」
 一礼した侑香にマリアは短く返す。
 自己の本音はどうあれ、日本人の前で明星作戦は禁句に近い。殊更今回の相手はあの九條侑香なのだから、マリアでなくとも神経質になる筈なのだ。
 日本は世界で唯一、米軍の開発した新型爆弾G弾の投下された国だ。
 G元素によって造られたG弾は、単純な破壊力なら人類史において語るまでもなく圧倒的だ。事実、かつてH21のあった日本の佐渡島は“都合20発のG弾”によって跡形もなく消失している。
 H22のあった横浜は消失こそしなかったが、2発のG弾で地表は薙ぎ払われ、残った瓦礫の大地は半永久的な重力異常地帯と化してしまっている。
 その重力異常地帯で人間が永住出来る保障はどこにもなく、むしろ人体への悪影響は明らかだった。
 だからこそ、数あるG弾運用反対派の国の中で日本は突出しているのである。
『G弾を容認することは出来ませんが、明星作戦自体には意味があったと私は信じています』
 困ったように笑い、侑香はそう続けた。
 それは真意。本音とも建て前とも取れない筈なのに、明らかに真意と理解出来る言葉。
 人は何かを失った時、そこから生じるストレスを解決するためにある種の防衛行動に出る。
 大別して2つ。
 失ったものの代わりを探すか、あるいは失われたことへの意味を求めるか、そのどちらかだ。
 侑香にとって真に意味があるかないかなど議論ではない。
 明星作戦に、何某かの意味があると信じなければ、彼らはそれに耐えられないのである。
『さあ、我々も責務を果たしましょう』
 顔を上げ、侑香は凛とそう告げる。その黒い瞳はもうマリアに向けられているのではなく、もっと先の大きな何かを見据えていた。
 これが九條侑香。
 世界でも有数の凄腕の衛士。
 映像を通した向こうから漂う圧倒的な雰囲気は、マリアを畏怖させるにはあまりにも充分だった。
『よし。反応炉の調査はもう切り上げよう』
 不意にレナが口を開き、散開させていた部下にそう指示した。マリアはそれに伴い、この広大な空間の中心にそびえる巨大な物体を見上げる。
 それはまるで丸々と幹を肥らせた大樹のよう。薄く蒼白い燐光を放つそれは無数に枝分かれし、末端で床と天井に繋がっていた。
 反応炉。BETAのエネルギー生成機関であり、ハイヴ総轄機関。
 それももうすべての機能を停止させていた。
「もう良いのですか?」
『これでは我々が何日調査したって何も分からんだろう。生憎と我々は専門家でない』
『それに、調査隊がここまで到達していないのは明瞭です』
 予想よりもあっさりと調査を切り上げたことにマリアが驚くと、レナは目元を押さえながら答えた。
 そのレナに同意したのは、調査を終えて戻ってきた276戦術機甲中隊(ランサーズ)のユウイチ・クロサキだ。どこか不機嫌そう表情なのは、本当に不機嫌なのではなく地があの表情だからである。
「何か収穫は?」
『こちらは何も。アルテミシア大尉は?』
『珍しくムダなこと訊くね、ユウイチ』
 ぴくりとも表情を変えずにユウイチが問えば、問われたディランは苦笑いしながら答える。
 ムダなこと。即ち、予定調和。碌なものが見つからないことは最初から分かり切っていた筈だ。
「………見つかるものに碌なものを期待するのが間違い…かしら?」
 マリアが尊敬するあの連隊長ならば何と言うか考えて、ポンと頭の中に浮かんだ言葉を思わず呟く。そんなことをしている自分が可笑しくて、次の瞬間には小さく吹き出していた。
 ああ、そうだ。ここで何かあったのならば、出てくるものは何であれ望ましいような代物ではない。彼ならばきっとそうやって開き直るに違いない。
 だからマリアは可笑しく笑ってしまったのだ。
『…………副長?』
『……………』
 ハッとマリアが我に変えると、ディランとユウイチがまるでお化けでも見たかのような表情をしていた。
 2人が何故そんな表情をしているのか鈍いながらも理解したマリアは、コホンと1つ咳払いし、頬を引き締め直す。
「……………とにかく、ここでの調査が徒労であるならば、すぐにガーランド少佐と合流した方が良いのでは?」
『誤魔化した』
『誤魔化したな』
「黙りなさい。アルテミシア大尉、クロサキ中尉」
 進言に横槍を入れるディランとユウイチを一喝し、マリアはレナの判断を仰ぐ。一喝された2人はそれに肩をすくませるだけで何も異論は申し立てなかった。
『白銀がいなくても手間は変わらんな、シャルティーニ』
 くっくっくと笑うレナの表情は悪徳そのもの。マリアはそれに思わずむっとしてしまった。
 武の名誉のために言えば、彼は任務中においてマリアの手を煩わせるようなことは絶対にしない。それだけ白銀武も優秀な衛士だ。
 それを普段からだらしないように言われては流石にマリアも不愉快である。
『それでは、我々も行くか』
「『は?』」
 一頻り笑った後、レナが言い放った言葉に、誰もが唖然とする。それはマリアもディランもユウイチも同じで、唯一侑香だけが顔色を変えていなかった。
「どこへ行くのですか?」
『ガーランドの部下から秘匿回線で通信があった。面白いものを発見したそうだ。まずはそれを拝見しておく』
 マリアが不思議そうに訊ねると、レナはふふんと鼻を鳴らしながら答えた。面白いものと言っているが、その言い方も表情も実に面白くなさそうである。
 尤も、どうせ見つかるものなどすべて碌でもないものなのだから仕方あるまい。
『我々もブラボー隊と同様に調査隊の捜索に当たる。移動ルートは各自データリンクで確認しろ』
「『了解!』」
 オープンチャンネルで改めてアルファ隊全機にそう呼びかけるレナ。それに各小隊長が代表で敬礼して応じた。
『それではヴィンセント准将。先行は僭越ながら我らAジュリエットに御任せ頂きたい』
 装備した突撃砲の砲口を掲げ、侑香はレナにそう進言する。
『……分かりました。ですが支援をつけます。よろしいですか?』
『構いません。自身の立場は弁えているつもりです』
 客人でありある種部外者の侑香の申し出に、レナは一瞬迷ったようだったがすぐに頷いた。その際に提示された条件も侑香はあっさりと呑む。
『御理解痛み入ります。…シャルティーニ!』
「はっ!」
『貴様がクロサキの隊を率いて九條大佐の支援に回れ』
「了解!」
 レナの指示にマリアは敬礼を返す。
 斯衛軍に対し監視の目を与えるという点において、マリアは適任だった。彼女自身が同格などと自惚れているわけではないにせよ、大佐である侑香と、何とか対等に物事を見られる人物はレナを除けばマリアしかいないのである。
 マリアはそっと侑香の顔色を窺うと、知ってか知らずか侑香の方はマリアににこりと微笑みかけてきた。
 あの笑みは怖い。問答無用でこちらを信用させてしまう危うさを孕んだ微笑みだ。
『………ああ、そうだ。シャルティーニ』
「えっ!? あ…はい?」
 侑香の表情に注視している折、レナから急に声をかけられてマリアは驚いた。その証拠に、誤魔化せないほど声が上擦ってしまっている。
『上擦った』
『上擦ったな』
 再び絶妙なコンビネーションで横槍を入れてくるユウイチとディラン。決して言葉にはしないが、後で覚えていろとマリアはそっと、しかし固く拳を固めた。
「………それで、何でしょうか?」
 引き攣る頬を懸命に押さえ、マリアは2人を無視してレナに訊ね返す。呼び止められたからにはそれ相応の理由がないと困るのだ。
『いや………今更だが……部下の躾はもっとしっかりやれ』
 さしものレナも困ったように笑い、歯切れ悪くマリアにそう警告してくる。
 まさに今更役にも立たないような警告に、マリアは頭を抱えて今日一番の大きな、大きなため息を漏らすしかなかった。


『クレセント3よりクレセント1。ベクター250の横坑に敵影なし。繰り返す。ベクター250の横坑に敵影なし』
 進行方向とは別の横坑に突出した3番機の武御雷が1番機の侑香にそう報告する。
『クレセント1了解。そのまま通過するわ。ついてきて』
『了解!』
 侑香もすぐに新たな指示を出し、進軍を継続した。
 マリアが随伴するAジュリエットの正式なコードは「クレセント」。これは斯衛軍第6大隊の中で、侑香直下にある第1中隊が使用しており、今回もそれを使っているらしい。
「クロサキ中尉。貴方の小隊はAジュリエットCのフォローに回りなさい。276B及びC小隊はこのまま九條大佐の周囲を固める」
『了解』
 当のマリアは276戦術機甲中隊(ランサーズ)の2個小隊を率いて侑香の直援となる。ただし、日本の要人である彼女の場合、すぐ傍らに常に最低2人の部下がべったりとくっ付いているため、マリアたちは実質的な護衛にはなり得ない。
 否。お互いが行動を共にする理由はあくまで監視目的なのだから、そもそもマリアたちが不用意に侑香に近付くこと自体良いこととは言い難い。
 事実、今も九條侑香機の傍らには真紅の武御雷が1機、山吹の武御雷が1機ずつ連携して控え、マリアたちの動向を逐一警戒していた。
『シャルティーニ少佐はハイヴ突入経験が御有りなのですか?』
 次の横坑を通過したところでマリアに対し、侑香がそう声をかけてきた。思いがけないその問いかけにマリアは思わずきょとんとしてしまう。
「…いえ……ハイヴに入るのは今回が初めてですが……何か?」
 その問いかけにいったい何の意図があるのかと、マリアは内心おっかなびっくりとしつつ答える。
『そうなのですか? とても落ち着いていらっしゃるのでてっきり』
 目を丸くして侑香は反応する。
「突入訓練自体は受けております。それに、今回は純粋なハイヴ突入とは言えないでしょうし」
 マリアは手短に事実だけを述べた。謙遜しているつもりも誇張しているつもりもない。今彼女が強く緊張せずにいられるのは、単にここが制圧後のハイヴだからである。
 正直、マリアは制圧作戦の流れでハイヴに突入すれば今のように平静を保っていられるかどうか自信がない。
「九條大佐は、H20の制圧作戦もH19制圧作戦も参加されたということですが…ハイヴ突入へ?」
『いえ。我が隊はどちらも地上陽動部隊の先陣でした。恥ずかしながら、私も未だ機能中のハイヴに突入したことはないのですよ』
 マリアの問い返しに侑香は苦笑気味に首を横に振る。尤も、いくら斯衛軍の大隊指揮官とはいえ彼女は九條家の次期当主だ。ハイヴへ突入させるなど城内省が頷くまい。
 それを考えれば実に当然のことだった。
「仕方ありません。ハイヴに突入し、生還した者の方が少ないですから」
『……そうですね』
 また苦笑し、侑香は答えた。
 桜花作戦以降、現在までに制圧されたハイヴの数は4つ。
 極東のH20とH19。
 近東の旧イラク領内シリア砂漠のH09。
 そして先日制圧されたこのH12の4つである。
 何れの制圧作戦においても反応炉まで到達した部隊は英雄として名を列挙されているほどだ。それほどまでに、今でも尚、ハイヴ突入とは危険な任務なのである。
 あの歴史的大反攻作戦「桜花作戦」は、まさに奇跡だったとマリアは思っている。
 わずか4個小隊で地上最大のハイヴに突入し、「コア」破壊という偉業を成し遂げながらもほぼ全員が生還したという。
 まさに彼らは歴史的な英雄で、生ける伝説だ。たとえ、オリジナルハイヴ突入部隊の名簿が公表されていないとしても、あの死地に身を投じた者たちの勇気と、そして成し遂げた偉業は、初めてハイヴに入るマリアにとって心の支えになっている。
 きっと、同じように少なからずハイヴに突入する衛士は、彼らに勇気付けられているだろう。
 確か、武もハイヴ突入経験はなかった筈だ。彼ほどの傑物ならば、よもや状況に呑まれるなどということはないだろうが、どこまでもイレギュラーなこの状態では、マリアの心配も募る。
 別働中の武を考え、マリアの心音は少し上昇した。
『白銀中佐の方も気がかりです』
「え!?」
『調査隊がBETAと交戦したのだとしても、短時間で全滅まで追い込まれるとは考え難い。余程の奇襲だったのか、あるいは物量に押されたのか』
 心中の悟られたのかと思ってマリアは思わずドキリとしてしまうが、続けて侑香が言った言葉でようやく合点がいった。
 どういうわけか、マリアはほっと胸を撫で下ろす。
 どちらにしたって不可解・不自然な点は否めないのだが、交戦跡があったというならばBETAが原因となっているのは明らかだ。
 恐らく、マリアたちの調査ではほとんど何も分からない。何となく彼女の直感がそう告げていた。
『月詠も国連軍やEU連合の方々と上手くやれているか心配です。彼女は真面目なのですが、どこか融通の利かないところがありますから』
 口調を変え、まるで悩みを相談するかのように侑香は月詠の心配も述べた。月詠とはまったく話す機会などなかったが、マリアとしてはとても他人とは思えないような印象のある女性である。
「白銀中佐と衝突されているかもしれません」
 武の性格を考えるとあり得なくはない。情けなくも、マリアはそう思ってしまった。
『ふふっ。白銀中佐が御相手ならその点は問題ないと思いますよ。月詠も白銀中佐のことはしかと認めておりますから』
 だが侑香の反応は好意的そのもの。どれだけ彼のことを知っているのか、マリアには侑香も武のことを強く信頼しているように見受けられた。
 奇妙な話である。
 いくら武が極東出身でも、彼はあくまで国連軍の一士官であり、それほど重大な立場や経歴を持っているわけではない筈だ。しかし、斯衛軍の、それも九條の姓を冠する大隊指揮官と親しげに話すというのはどういう了見だろうか。
「…あ……あの……九條大佐?」
『はい? 何でしょう?』
 少ししどろもどろになりながらもマリアが呟くように声をかけると、侑香はきょとんとした顔つきで首を傾げる。
 口の中が急速に乾いてゆくのを感じながら、マリアは次の言葉を紡ごうか大いに悩む。だがその葛藤も長くは続かず、意を決し口を開いた。
「白銀中佐とは……どのような御関係で?」
 問われた侑香はしばし唖然とし、その後くすりと可笑しそうに笑ったが、訊ねた本人は最早そんな反応もまったく気にしていないようだった。



[1152] Re[9]:Muv-Luv [another&after world] 第9話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/02/04 02:11


  第9話


 武は内心面白くない。
 何故ならば、任務があまりにも予想通りに推移し過ぎているからである。
 最早調べつくしたEF-2000の残骸を見下ろし、武はギリッと歯を軋ませる。
 先行調査隊の第3中隊を発見してからもう一刻半。ブラボー隊は早くも2つ目の調査隊を発見した。
 無惨なものだ。
 記録上、最後に交信を途絶させた調査隊の第4中隊。それを構成していた12機のEF-2000は、これまた無造作に横坑の途中に転がっていた。
 生存者0。回収されたレコーダの数は2。それもとてもではないが良質とは言い難く、それ以外の機体は管制ユニットがまったくもって原形を留めていなかったので論外だ。
『白銀中佐……怖いです』
『それで眉間の皺が固定してしまおうとも責任は取りかねます』
 沈黙を続ける武に対し、どこか不安を拭い切れない様子のエレーヌと、冗談半分の月詠がそれぞれ声をかけてきた。2人の経験量と実力差が如実に現れている表情と口調だと、武は少しだけ口元を緩める。
「無駄口もいいが、前方警戒も怠るなよ」
『了解! その辺は抜かりありません!』
 武が軽く叱責してやると、エレーヌは「あはは」と笑いながら敬礼を返して回線から外れていった。
 さっきまで不安そうにしていたくせに、現金なヤツだと武は苦笑する。
「レイド、後方はどうだ?」
『現時点で異常は見受けられません。レーダー、熱感・音感センサー共に反応無し。振動センサーもフラット』
「了解。引き続き哨戒行動を継続せよ」
『了解』
 レイドの返答も代わり映えしない。だが、仕方がない。敵の存在がまったく感じられないのだ。
 敵が“いた”ことは明らかであるのに、敵が“いる”かどうかは判断出来ない。そんな状態がずっと続いているのである。
 秘匿回線で、アルファ隊が同じく第1中隊を発見したという報告を受けたのがつい先刻。やはり生存者は無しとのことだ。
『気にかかりますか?』
「気にするな…という方が無理な話ですよ」
 月詠に問われ、武はわざとらしいため息をつきながら答える。
 月詠が言っているのは、調査隊のことではない。一刻前、同じく秘匿回線で連絡を受けた、グラム・ガーランド少佐の“拾い物”の話だ。
 アルファ隊から分離して捜索に当たっていた混成の5個小隊が、反応炉からやや離れた横坑内でBETAの死骸を発見した。
 高々要撃級が2体。死んでいたそのBETA自体は珍しいものではない。
 妙なのは、外傷らしい外傷がなかったこと。つまり、その要撃級を死に至らしめたものは、外的要因ではない可能性が極めて高い。
『反応炉の機能が停止してもう5日。次第によってはBETAが活動エネルギーを失うことも充分に考えられるでしょう』
「分かってます。重要なのは、どうして“そう死ななければならなかったのか”ということですよ」
 苛立ちを隠せない武は、命知らずにも月詠に強く反論していた。だが、その月詠も武の言わんとしていることも理解しているのか、責めるようなことも咎めるようなことも返してこない。
 BETAは反応炉から活動エネルギーを得ているが、桜花作戦以降の調査で反応炉はハイヴ内部ほぼすべての施設の総轄を行っていることが判明した。
 即ち、反応炉の停止はハイヴ自体の死。そうなっては、BETAにとってハイヴはただのガラクタに成り下がる。だから、BETAはそれを放棄せざるを得ない。
 放棄せざるを得ない筈なのだ。
「何故BETAがハイヴに残っていた?」
 武は思わず呟く。
 前例はない。彼の記憶が確かならば、日本と極東国連軍が共闘して制圧したH20もH19も、アフリカ連合軍と米軍が共闘して制圧したH09も、制圧後にBETAが残っていたという記録はない。佐渡島のH21はそもそも根こそぎ消し飛んだので論外。人類が最初に制圧した横浜のH22ではG弾投下後に米軍はBETAの残敵と交戦したが、あれはまだ反応炉が機能していたため条件を満たさない。
『深く考えるだけ無駄だと思いませんかな? 白銀中佐』
「………そうですね。いえ、そうします」
 思案にふける武に、月詠がそう声をかけてくる。それで冷静さを取り戻し、武は軽くかぶりを振った。
 BETAの行動理念は恐らく合理的だ。しかし、意思疎通が出来ない以上、武たち人間には連中の行動の意味を追究することは無意味に等しい。
 何故ならそれは、常に憶測の領域を出ないから。
「でも、月詠少佐こそ、考えなきゃならないことが多くて忙しいんじゃないですか?」
『否定はせん。だが、それは私の責務だ。その点に関しては白銀中佐も同じであると思われますが?』
 口元を緩め、武はちょっとした冗談を口にする。対し、月詠も表情を柔らかくしながら答えてきた。
 そう言われてはなかなかに返す言葉がないと、武は爆笑するしかない。
『ブレイカー1よりセイバー1。応答願います』
「こちらセイバー1。どうした? 何か引っかかったか?」
 武の笑い声が収まるタイミングを見計らったのか、丁度会話の途切れたところでレイドから通信が入ってきた。
 その少しだけ異なった声色に武も表情を変え、即座に応答する。
『いえ。今し方、こちらにガーランド少佐の部隊が到着しました』
「思ったよりも早いな……。了解。こっちも回収作業は完了している。合流してそのまま帰投しよう」
 レイドの言葉に武は顎をさすりながら呟く。
 グラム・ガーランドの部隊は、反応炉に降りてすぐアルファ隊から分離し、武たち同様に最下層の探索に従事していた。
 編成はグラム直下のEU連合1個中隊に、斯衛軍の1個小隊と国連軍の1個小隊で構成されている。武が受けた報告によれば、274戦術機甲中隊(アーチャーズ)のA小隊がそれに当たっていた筈だ。
 武たちブラボー隊と彼らが合流するのは、単純に彼らのいた位置がアルファ隊の現在地よりもブラボー隊のそれに近かったからである。
『宜しいのですか?』
 帰投命令に若干の反意があるのか、月詠がそう問いかけてくる。否。どちらかと言えば単純な確認だろう。武に対して、「このまま何も手がかりが得られずして良いのか」という意味の。
「節約してきたとはいえ、推進剤も消費しています。万が一にもここで船団(フリート)級に出現されたら、正直お手上げですし」
 武はわざとらしく肩をすくめて答えて見せた。
 正直に言えば、彼だって何も分からないまま帰投することは癪なのだが、効率面から見てもこの状況で調査を続行する意味がない。その上に危険なのだから選択の余地などなかった。
『船団級か……。確かに、連中に出てこられるのは甚だ不愉快だ』
 眉間に皺を寄せた月詠が独り言のように呟く。
 船団級とは、近年になってようやく存在が確認された新種のBETAだ。
 実質的には攻撃能力を持たず、大きいものではその直径が200メートル、全長が1キロ以上にも及ぶと言われる蚯蚓状のBETA。両端には掘削機のような無数の“歯”を有しており、予想を裏切らず土壌を掘削しながら地中を進む特性を持つ。
 一説には、地下茎構造を建造しているのは船団級とも言われているが、そちらの真偽の程は現在も定かではない。
 その船団級に対し、月詠の「不愉快だ」という感想は実に良い表現だ。
 連中の最も厄介なところは、その筒状の体の内側に他の種類のBETAを内包することが出来る点である。坑内であろうが地上であろうが、掘削して進行してきた船団級は、予想外のところから姿を現し、無数のBETAを解き放つ。
 この奇襲によって人類が多大な損害を受けたということは、実際のところ決して少なくなかった
「きっと、正規の調査隊が編成されて、再度本格的な調査もされるでしょう。俺が駄々をこねたって方針は変わらないですよ」
『…………成程。了解した』
 妙な沈黙の後、月詠は小さく頷いた。彼女は何も言っていない方向で貫くつもりなのだろうが、今の妙な沈黙の間に「成長したものだ」と呟いていたのを武は聞き逃さない。
 どこまでヒヨッコ扱いされているのかと、武はため息を漏らす。
 武たちが臨時の調査隊であることは明らかだ。それを考えれば、EU連合と斯衛の協力は非常にありがたい。
 たとえ、そこにどんな利害があったとしても。
「まあ、そういうわけです。エレーヌ、そっちは戻ってこい。ガーランド少佐と合流して、最短距離で指揮所に帰投する」
『了解! 273戦術機甲中隊(ハンマーズ)、移動を開始します』
 月詠との会話をやや強引に終わらせ、代わりにエレーヌへ呼びかける。
 彼女のことだから傍受していた可能性も否めないが、どうせ聞かれて困るような会話はしていないし、そもそもオープンチャンネルにしても秘匿回線にしてもレコーダには内容が残る。
 だから通信で内密な話をするなどという馬鹿な真似はする筈もなかった。
『白銀中佐。ノーデンス大尉は斯衛とEU連合で待ちましょう。一足先にガーランド少佐と合流されると良い』
「お言葉に甘えます。271戦術機甲中隊(セイバーズ)は俺に続け。先にガーランド少佐と合流する」
『了解』
 月詠の提言を事も無げに受け入れ、武はすぐ直下の271戦術機甲中隊(セイバーズ)へ指示を与える。そのまま武は月詠との通信を切り、移動を開始する。
 レイドたちを待機させているポイントまではそう離れていない。跳躍ユニットを使用しなくとも移動にそう時間はかからない。
「セイバー1よりリザード1。全機集合しているか?」
 横坑の先にラファールとF-15E、そして武御雷の姿を確認した武は、オープンチャンネルでリザード1…グラム・ガーランドに呼びかける。
『こちらリザード1。哨戒待機に当たらせている1個小隊を除き、全機隊列済みであります。白銀中佐、お待ちしておりました』
 接近し、歩行を停止させた武の前にF-15Eが進み出て、そう応答してきた。武の網膜に映るのは敬礼を返すグラムの姿である。
「了解。月詠少佐もすぐに到着します。それまでは待機を」
『了解』
 ブリーフィングの時の取っ付き易そうな雰囲気とは違い、グラムは神妙な面持ちで武に頷き返す。
 彼のような軍人が部下からよく慕われるのだろう。本当に優秀な軍人というものは公私の線引きが絶妙なものだ。
 その点を鑑みれば、武はその線引きが実にだらしないと自負している。
 「まだまだ若僧ですよ」
 訓練兵時代から親交の厚いとある戦友の言葉を思い出し、武は頬を引き攣らせつつ、頭の中でその戦友に手刀を浴びせかけた。
「…………あ、躱された」
 頭の中のその戦友に、武の一撃はあっさりと回避される。
 イメージの中でさえ何故か勝てない自分に、武は腹立たしいような情けないような微妙な気分になった。
『白銀中佐』
「あ…えーっと…何です?」
 不意にグラムから声をかけられ、武はビクッとしながらも不思議そうに首を傾げる。
『1つ、御報告があります』
 表情は神妙なまま。むしろ、先刻よりも厳しい顔つきをしているような気がする。無論、武だってそれを読み取れないほど無能ではない。
「秘匿回線は必要か?」
『いえ。秘匿にする必要はありません。ここまで移動してくる最中、少し気にかかるものを発見しましたので、御報告申し上げます』
 秘匿回線は不要と言い切るグラム。尤も、どうせ後々上層部から交信記録はチェックされる上、こんなハイヴの奥底ではあらぬところから盗聴される心配も薄い。こんな状態で秘匿回線が役に立つのは、実際には部下に聞かれては拙い機密内容を語るときぐらいだ。
 つまり、グラムが言いたいのは機密でないということだろう。
『このポイントにて、マップに記載されていない横坑を発見しました』
 このポイント、という言葉と同時に、データリンクで正確な位置が送られてくる。
「確かに……公式のマップ上は行き止まりの横坑だな」
 指定されたポイントを確認し、武は眉根を寄せて呟く。
 現在、世界で公式に使用されているハイヴマップは、2001年のH21制圧作戦と桜花作戦にて集積された情報によって構成された。既にその信頼性は“世間的”にも確立されている。
 ただし、根底となっているデータが3年前のものであるため、現在のハイヴ坑内では極僅かながら分岐路が増えているという報告も確認されているのも事実だ。
『どう思われます?』
「どうもこうも……H12のマップは作戦で持ち帰られたデータを元に更新されている筈だろ? 見逃されていたってことか?」
 グラムに問われ、武はますます訝しげな表情になる。確かに、ハイヴ攻略において突入部隊の目的は反応炉破壊であってデータの収集ではない。見逃してしまった可能性は決して低くない。
「調査はしたのか?」
『帰投命令が出ていましたのでそちらを優先しました。現状では白銀中佐に一任します』
 もう1度否定するグラム。武に一任するという言葉には、流石に武も唸るしかない。
 どうやら試されているらしい。
 武がそれに気付くまで時間はかからなかった。
 階級こそ下だが、軍歴は武よりグラムの方が長い。日本と同じように前線国家に名を連ねる英国にて今日という日まで戦ってきた衛士なのだ。
 形式上はともかく、事実上はいちいち武の判断を仰がなければ行動出来ないような人間ではない筈である。
「……一応、どうなっているのかぐらいは調べておこう。ヴィンセント准将には俺の方から弁明しておく」
『了解!』
 武の言葉に、グラムは口元を緩ませながら敬礼を返す。
 帰投命令は既に出ているが、少しくらい寄り道をするのも悪くはない。どちらにしたって後々のためにマップの情報は必要であろうし、万が一にも重要な情報が手に入れば儲けものだ。
 幸運にも、レナはその辺の規律には寛容な人物なので問題も少ない。
『白銀中佐。お待たせ致した。Bジュリエット及びBエコー、273戦術機甲中隊(ハンマーズ)、合流する』
「御苦労様です、月詠少佐。早速移動開始しますが、途中少し寄り道をさせてもらいますよ」
 月詠から通信が入ると同時に、真紅の武御雷が武とグラムの傍に着地した。エレーヌは尚も隊を率いて後方への哨戒を続けているようである。
『寄り道……だと? どういう意味でありますかな? 白銀中佐』
 先刻の武のように眉をひそめる月詠。帰投命令が出ているところでその話なのだから、彼女でなくとも眉をひそめたくはなる。更に、月詠としては一刻も早く侑香の下へ戻りたいところだろう。
「このポイントでガーランド少佐が未確認の横坑を発見したそうなんで、帰りがてら軽く確認しておこうと思っただけですよ。とりあえず存在だけ確認しておいて、後は正規の調査隊に任せたいな、と」
『未確認の横坑……か。了解した。お付き合い致しましょう』
 データリンクでマップを確認し、月詠は渋々ながらも頷く。彼女が、直感的に重大な情報の可能性を見出したのか、あるいは単純に時間はかからないだろうと判断したのかは武の知るところではない。
「じゃあ、問題の場所に向かいましょう。陣形は俺に一任させてもらっていいですか?」
『構いません』
 月詠とグラムは同時にそう答える。尤も、所属組織が異なるとはいえ、階級は武が最も上なのだから、両者には拒否権もない筈なのだが。
 武はそれに頷き返し、移動するために部隊へ新たな指示を下した。




『こちらです』
 先導していたグラムが停止し、手ではなく突撃砲の先端で横坑の先を指し示す。
「うん…あー…あるな。横道が」
 数秒遅れてグラムの横で停止した武は、横坑の先でぽっかりと口を開けた穴を確認して頷いた。念のためもう1度マップで確認するが、やはり公式には行き止まりの横坑である。
『ええ。こっちの横坑を通過する時に部下が発見したのですが、接近しての確認はしていません』
「う~ん……分かった。俺とガーランド少佐、あとレイドの小隊で接近して調べましょう。その他各小隊はこっちの横坑の双方向警戒を任せる。月詠少佐、指揮をお願いします」
『了解!』
『了解した。くれぐれも油断なさらぬように』
 月詠の返答に苦笑気味で武は頷き、意図的に突撃砲の砲口を持ち上げる。そして部下を先行させるわけでもなく、自ら先陣を切って駆け出した。
 近付けば、横坑は驚くほど大きいわけではないが、小さいとも言い難い規模なのだと分かった。
 直径はおよそ40メートル。フェイズ4ハイヴの横坑の平均直径は約80メートルであるから、通常の半分程度しかないということになる。
 横坑の先は深淵の闇で、目視ではまったく見通すことが出来ない状態だ。
 真っ暗?
 ふと、武は違和感を覚える。
『白銀中佐。指揮官自ら先行するのは控えて下さい。俺がシャルティーニ少佐に怒られます』
 グラムと共に小隊を率いて続いてきたレイドが、武の傍らに着地しながら忠告する。最後の方は冗談めいていたが、生憎と武はそれに応じるほど思考がまだ纏まっていなかった。
『前方の目視確認不能。白銀中佐、これは………』
「ああ…完成された横坑じゃない」
 グラムもその違和感の根源に思い当たったのか、顔色を変える。武もそれに同意しながら呟くように答えた。
 ハイヴ坑内はその内壁を構成する特殊物質によって淡い燐光で照らされている。陽光の届かない地下にも関わらず目視で周りが確認出来るのはそのためだ。
 だが、この横坑にはそれがない。まだ内壁が生成されていないのか、ただ穴が口を開いているだけなのだ。
『船団級の痕跡でしょうか?』
「出現しただけならこんな風には残らない。船団級は掘削することは得意だが、土壌の排除はあまり考えていないからな」
『となると、未完の横坑ということになりますか』
「そう考えるのが一番しっくりくるんだけど………向きが面白くない」
 グラムの考察に、武は歯切れ悪く頷く。彼の言う「向き」という言葉に、レイドもグラムも眉をひそめた。
「中に入って進んでみないことには何とも言えないが……これ、外に向かって伸びてるんじゃないのか?」
『外……? まさか……!?』
 武に言われ、グラムは改めて現在地と横坑の開いている方角を確認する。そして、確かにその方角には反応炉はおろか、地下茎構造すら広がっていないことを理解したようだ。
「見た限り、軌道は直線で傾斜約3°で上っている。ということは……このまま“ずっと真っ直ぐ伸びてるとすれば”ここから北東約23kmの地上に出るな」
 戦術機の算出したデータを見ながら武はそれを口にする。こういう分析は三角関数を使って計算出来るらしいが、学生時代に自堕落な生活を送っていた武には正直さっぱりな話だ。それに、機体が勝手に計算してくれるのだから大した問題ではない。
『北東約23km……中心からだと24、5km離れているということですか』
「もちろん、本当に真っ直ぐ伸びていれば、の話ですけど」
 神妙な面持ちのグラムの言葉に、武はあくまで推測の数値だということを強調して返した。
 フェイズ4ハイヴの地下茎構造の半径は約10km。それを考えれば、中心から25kmも離れているのは異常だ。
『どうします? 調べますか?』
「いや、これ以上帰投命令を無視するのはまずい」
 武はグラムの問いに、すぐ首を横に振った。
 そもそも、満足な装備もない状態で、さして大きくもない上に目視で視界が確保出来ない横坑に入るのは分が悪過ぎる。
 しかもこれを本格的に調査するとなると、1時間くらい平気でかかりそうだ。
「それに……そろそろ月詠少佐もお冠でしょうし」
『白銀中佐。寄り道が過ぎるのは如何なものかと思われますが?』
 冗談めかして武が続けると、あたかも計ったかのようなタイミングで月詠から催促の通信が入ってくる。それに武は「ほらな」と言うように肩をすくませて見せた。対し、それを見せられたレイドもグラムも苦笑を漏らすしかない。
『白銀中佐?』
「いえ、了解です。ブラボー隊はこれより地上のCPに帰投する。273戦術機甲中隊(ハンマーズ)及びBジュリエットは先行しろ。しんがりは275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)に一任する」
 訝しげな表情をする月詠に、武は小さく笑い返しながら受け答える。
 そしてそのまま指揮官としての表情に戻り、改めて移動陣形の再編指示を下した。
「跳躍ユニットの巡航出力で移動だ。60分以内に地上に脱出する。行くぞ!」
『了解!』

 武の呼びかけに応じ、疾駆するラファール、武御雷、F-15Eの一団。
 奇妙なものだと、武は誰にも悟られぬようにムッと口を結ぶ。
 何事もなかったのは何よりもの僥倖。しかし、それと同時に実に面白くない現実。
 左手の持った突撃砲の砲弾は1発たりとも欠けることはなく、ラックに背負った長刀は1度として抜かれることはなかった。

 それが、武にとっては何故か無性に不気味でしょうがなかったのだ。



[1152] Re[10]:Muv-Luv [another&after world] 第10話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2008/05/03 23:57

  第10話


 明けて翌朝の4月23日。
 トゥールーズへと引っ張り出されたほぼすべての部隊は撤収し、今回の件の渦中となった第4師団を除く、欧州国連軍全師団から抽出された警備部隊が入れ違いの形でトゥールーズへと派遣された。
 グラム率いるEU連合軍部隊もホームへと撤収し、第27機甲連隊の部隊もその大半がプレストンのホームへと帰還している。
 ただし、武はリバプールへの居残り組だ。
 今回の臨時調査のことでレナとも少し話を合わせなければならないし、その他こちらで済まさなければならない重要な仕事も雑多な仕事も残っている。
「うあぁ~……さすがに眠いな」
 リバプールの欧州国連軍第2師団本部の通路を歩きながら、武は大きな欠伸を漏らす。プレストンを出発してからもう1日以上経過しており、その間一睡もしていなかったのだ。
 しかもあれだけ気の張った任務を継続していたのだから、普通に一睡もしていないのとは疲労感に雲泥の差がある。
「今日はこちらでゆっくりしてください。基地の運営の方は情報班と衛生班で頑張りますから」
「そうする」
 心配そうな面持ちで隣を歩くリィルに、武はまた欠伸をして答える。
 彼女は今回、基地で待機する側だったが、武たちのリバプール到着に合わせて警備1個小隊を引き連れてこちらまで出てきたらしい。
 リィルに余計な手間をかけさせて悪いと思っている反面、武にとっては仕事の負担が減るため喜ばしいことでもある。
 だから感謝の意を込めて、とりあえず武はリィルの頭を撫でてやることにした。それも豪快に。
「…あの…えっと……白銀中佐…?」
 いきなりくしゃくしゃと頭を撫でられたリィルは、戸惑いがちに訊ね返す。
「いや~、いつもリィルには迷惑かけてるなと思って」
 笑いながら武は答える。そこに悪意はない。ただ、何の嘘偽りもなく本音を口にしているだけだ。
「わっ…私の方こそ、白銀中佐やシャルティーニ少佐に御迷惑かけてませんか……?」
「ないない。俺はいつも助けられてるよ」
 不安げなリィルを安心させるため、武は少し大袈裟な身振り手振りで否定する。
 実際、リィルは本当に良くやってくれているというのが武の感想だ。
 元より彼女は正規の軍人ではなく、レナが個人的に目をつけて引っ張り込んだ人間だという。経歴については武も詳しく見ていないが、彼の記憶が確かならばリィルは第27機甲連隊に所属するまでの正式な軍歴はなかった筈だ。
 恐らくは、その情報処理能力と意外にも優秀な指揮官適性を買われての入隊だったのだろうが、正規の訓練を受けていないのだから武としても心配になることはあった。
「今まで軍歴もないのにほんと的確な仕事をするよ、リィルは」
「白銀中佐も凄いじゃないですか。その若さで中佐なんて」
「俺は反則昇進だからなー」
「だったら、私もそうですよ」
 武の言葉にクスクスと可笑しそうに笑うリィル。それにつられて、武も「なら似た者同士だ」と言って笑う。
「それより、こっちでいいのか?」
 お互いに笑い合った後、ほんの少しだけ前を歩くリィルに武はそう問いかけた。
「はい。滞在されている斯衛軍の方々のお部屋はこっちです」
 問われたリィルは頷き、またちょっとだけ困ったような表情をした。
 本当なら部屋の場所さえ教えてもらえれば充分だったのだが、何故かリィルが「案内します」と強く申し出たため、あえて言葉に甘えている。
「でも、良いんですか? 個人的に月詠少佐と会うなんて」
「まあ、少佐とは顔見知りだし、ヴィンセント准将もそれは知っていることだからあんまり問題ないんじゃないか?」
 当の武はあっけらかんと答えるが、リィルの表情は晴れない。これは、武が月詠に会うこと自体を案じているのか、それとも個人的に会うことで国連軍内部から武に対する風当たりが強くならないかと心配しているのか。
「はぁ……白銀中佐がそう言うなら、良いんですけど……お部屋にはすぐ戻った方がいいですよ。シャルティーニ少佐が報告書を持って伺うと思いますから」
 リィルの忠告に武は引き攣った笑いを返すしかない。
 どうして自分の部下はことあるごとにマリアの名を出して武を諌めようとするのか。それで諌めることが出来ると思っているのなら、実に大正解である。
「……分かってるよ。ん…あの部屋でいいんだな?」
「あ、はい」
 通路の先にあるドアの1つを指差し、武が訊ねるとリィルも頷く。
「分かった。ここまでで充分だ。リィルももう仕事に戻っていいぞ」
「はい。あまり遅くならないようにしてくださいね」
 武が頷き、述べた言葉にリィルは気を悪くした様子もなく素直に了承し、一歩退いた。
 彼女は本当に頭の良い少女だ。今の武の言葉が遠回しな退去命令であるということは確実に理解しているだろう。
 加えて、このような武の私的な行動の中で命令されるということに、不快感を表へ出さないことは立派だった。
「あ、そうだ。リィル」
「はい?」
 思い出したように声をかけられ、リィルは首を傾げながら答える。
「悪いけど、片倉准尉に連絡して今日のメシは多めに作るよう言っておいてくれ。先に帰ったバカ共が鱈腹食いそうだ」
「あ、はい。了解しました」
 武の言った冗談にも、律儀に応じるリィル。もとい。あながち今のは冗談でもない。
 第27機甲連隊の衛士、それも各中隊長たちは任務後の食欲が実に旺盛だ。無論、武もその中には含まれるのだが、その折のPXは戦場になる。
 頷いたリィルはそのまま敬礼し、踵を返して足早にもと来た道を戻ってゆく。
 武はそのリィルの姿が見えなくなるまで待ってから、月詠の部屋の前に立った。
 ノックは3回。荒くもなく、弱々しくもないようはっきりとドアを叩く。
「白銀です」
「白銀……中佐?」
 武が名乗ると、室内からは驚いたような、戸惑ったような声が返ってくる。今の反応から察するに、呼び捨てた後に、他に誰かいることを考えて慌てて階級を付けたのだろう。
「はい。少し話したいんですけど、時間は大丈夫ですか?」
 武がそう呼びかけても、室内から返答はなかった。代わりに、まるで音を立てることを避けるかのようにそっとドアが開く。
「………何の用だ?」
 そこから顔を覗かせた月詠は、周りに誰もいないことを確認してからそう訊ねてくる。顔はまったく笑っていない。どうやら半分は脅しらしい。
「だから少しお話を。人気は払ったつもりですけど……月詠少佐が不満なら九條大佐とお話するのでも良いですよ」
「貴様……少し入れ」
 だから武がほんの少し冗談を利かせて答えると、月詠は更に眼を鋭くする。そして武の襟首を引っ掴んで半ば強引に室内へと招き入れた。
「まったく……昔の貴様はもう少し自重していたと思ったのだがな」
 ドアを閉めてからようやく武を解放した月詠は、片手で頭を抱えてため息を漏らすように呟く。
「それは俺にそれだけの権限がなかったからですよ」
「ふっ…公私混同も甚だしいな」
「俺の場合、公務そのものが私用みたいなものですから」
 戦術機のオープンチャンネルの時とは異なる、武の強気の切り返しに月詠は口元を緩め、ふっと可笑しそうに笑った。続けて「開き直りおって」とも付け足す。
「それで、話とは何だ? 人気を払ったからには相応の内容なのだろう?」
「いえ別に。本当にただの世間話ですよ。ただ、俺の場合は世間話自体が機密内容になりそうなんで」
 武がさらりととんでもないことを言うのに、月詠も月詠で目を閉じて「成程」と答えるだけだった。彼女自身も、機密云々については重々承知しているということだろう。
「日本の方はどうです? 冥夜たちも元気にしてますか?」
「さて、何故それを斯衛軍である私に訊かれるのか分かりませんが、心配は無用とだけお答えしておきましょう」
 丁寧ながらもどこか上から見たような口調で月詠が“冗談”を言う。武はそれに軽く肩をすくめて見せ、もう1度視線だけで問いかけた。
「……極東国連軍戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の活躍はわざわざ私に訊くまでもないのではないか?」
「まあ、活躍は。だけどそれだけじゃあいつらがどうかなんて分からないじゃないですか。手紙はよく寄越してきますけど、あいつら揃いも揃って変なところで頑固だから泣き言とか1つも書かないし」
 しばし沈黙した後の月詠の返答に、武は唇を尖らせて反論した。尤も、武だって泣き言を書くかと問われれば絶対に書かないのだが。
「その点に関しては問題あるまい。冥夜様……御剣大尉を始め、彼女たちも皆中隊を任される身だ。お互いにお互いを支え合いながら、上手く隊を纏めている」
「そりゃ良かった」
 武はほっと胸を撫で下ろす。武の知る彼女たちは、誰もが自分を追い詰め過ぎる傾向があるから心配していたのだが、月詠がそう言うのならば安心出来る。
 何故なら、月詠はこういったことで嘘や誤魔化しをするような人間ではないからだ。
「貴様も元気そうで何よりだ。欧州へ向かったことを聞いた時は正直、いつ野垂れ死ぬかと心配していたが」
「それ、もちろん冗談ですよね?」
 洒落にもならない月詠の言葉に、武は失笑する。この御時世、軍人…殊更衛士はどこでだって野垂れ死にする可能性はある。それこそ不要な心配だ。
「少しばかり我は強いが…良い部下に巡り合えたようで何よりだ。部隊としては良く機能している。流石は、元極東国連軍の鬼教官なだけはある」
「公式な衛士実績、ほとんどないですけど」
「オリジナルハイヴから生還した衛士が要らぬ謙遜をするな」
 苦笑する武に、月詠はぴしゃりと言い放つ。また厳しい面持ちに戻った月詠に、武は思わず黙り込んでしまった。
 オリジナルハイヴ。
 人類史においてそこに突入し、生還した部隊は1つしかない。
 桜花作戦コア攻撃部隊。たった4個小隊でオリジナルハイヴを攻略したと謳われるあの英雄部隊だけだ。
 武は軽く頭を押さえ、無言のまま月詠に圧力を与える。
「……どうかしていたな。許せ」
「らしくないですね。何かありました?」
 珍しく失言をした月詠に、武は苦笑しながら訊ね返す。
「九條大佐や斉御司少佐の認めた衛士が、自己を蔑むような言い方をすることが許容出来なかっただけだ」
 目を閉じ、己の未熟さを呪うように月詠は答える。謝っている筈なのに態度が大きいと感じてしまうのは、恐らく武の気のせいではない。
「……まあ、いいですよ。月詠少佐に評価されているってことも分かったんで」
 軽く肩をすくませ、武がなだめると月詠はふっと不敵に笑った。その瞬間、許すのではなかったと武は本気で後悔する。
「それでは、私の方からも少し質問しよう」
「俺が言えることなら何でも答えますよ」
「欧州の次の目標はどこだ?」
 能動的に参加してくる月詠に武は快く頷く。だが、続けて月詠が口にした言葉には、これまで饒舌だった武も言葉を詰まらせた。
「此度のような事件があったとはいえ、あれだけの少ない損害でH12を制圧したのだ。次がないとは言うまい?」
 その指摘は実に的確だった。
 かつては攻略すらままならなかったフェイズ4ハイヴの制圧に成功し、それをきっかけにして大陸奪還に乗り出すのは、極東も欧州も同じということ。
「…さて…その辺には俺も噛んでないですし、むしろ俺の方が訊きたいくらいなんですけどね」
「ならばその予想を聞こう」
 簡単には引き下がらない月詠の態度に、武は参ったと言うようにため息を漏らす。が、すぐに表情は真顔に変わった。
「……次は多分、ベオグラードでしょう」
 無論、これはあくまで武の予想だ。しかし、兵力の輸送の面を考えればベオグラードのH11に攻撃を仕掛けることが最も理に適っていた。
「やはりH11か…。いや…最早欧州はどこを攻撃しても条件はほぼ同じであったな」
「はい。西側にはもう、フェイズ4以下のハイヴは存在しませんから」
 月詠の呟きに武ははっきりとした口調でそう返す。
 ハイヴの規模をレベルで分けた『フェイズ』。現状、地球上で機能しているハイヴはフェイズ4とフェイズ5しかない。余談として挙げれば、先日制圧されたH12はフェイズ4、あの最大難易度のオリジナルハイヴはフェイズ6だった。
 そしてH11「ベオグラードハイヴ」はフェイズ5。この規模まで達したハイヴはアトリエという施設を持ち、急激にBETAの内包量を増加させる。
 フェイズ5ハイヴの攻略難易度は、フェイズ4ハイヴのそれと雲泥の差がある。軍関係者や研究者の中には、まさにフェイズ4とフェイズ5の間がハイヴにおける重大な境界と述べる者もいるほどなのだ。
「白銀――――」
「分かってますよ、月詠少佐。覚悟はとっくの昔に決まってます」
 月詠の言葉を遮り、武ははっきりと告げる。
 それは覚悟。それも、己の命を賭して戦うなどという今更当たり前の覚悟ではない。
 守るためにならば、仲間の屍すらも踏み越えていかなければならないのだという覚悟だ。
「………愚問であったな」
「教官の教えと、任官した時の上官の指導が良かったですから」
 ふっと笑う月詠につられ、武も可笑しそうに笑いながら言った。何だか少しだけ乾いた笑い声が室内に木霊する。
「じゃあ、これで失礼します。俺としては冥夜たちが心配ないか聞けて満足ですから」
 一応目的の世間話を達成し、武は月詠に一礼してくるりと踵を返す。
「本当に訊きたいのはそれだけか?」
 武がドアノブに手をかけようとした時、後ろから不意に月詠がそう訊ねた。それに反応し、武ははたと動きを止める。
「どうなのだ?」
「…………それこそ、月詠少佐に訊ねるのはお門違いじゃないですか」
 左手で右の二の腕を掴みながら武は絞り出すようにそう答えた。振り向くことは出来ず、いったいそれに対して月詠がどんな表情をしているのか武は確認出来ない。
「確かに、私は部外者だな。鑑少尉の容態についても何1つ知りはしない」
「……仕方ないですよ。あいつの“病気”は少し特殊ですから」
 一瞬、ギリッと歯を軋ませ、武は月詠の言葉に答えた。ドアノブに差し出した右手は、それに触れるか触れないかの距離でピタリと止まってしまったまま動かない。
「貴様には貴様なりの考えがあるのだろうが、どうか冥夜様の気持ちを裏切るような真似だけはしてくれるな」
「俺は………」
 いつになく真摯な月詠の言葉に、しばし沈黙した後、ようやくその右手でドアノブを掴むことが出来た。
「俺はまた、純夏に笑ってもらいたいです」
 それだけを告げて、武はその右手でドアノブを回した。




「あー……俺アホか?」
 月詠の部屋を離れ、閑散とした兵舎の通路を武は歩く。
 訓練か任務か、まともに機能している部隊は出払っているので兵舎の中は実に静かである。残留している兵士は大抵が今は仮眠でも取っているところだろう。
 武としても、今は10分でも20分でも眠りたい。ただ、1度眠りに付いたら本当に起きられるのかどうかまったく彼には自信がない。
「俺がまだ戦ってるって知ったら、お前怒りそうだな」
 再び右の二の腕を左手で掴み、武は苦笑気味に呟く。続けて「いや、泣くか?」とも呟いた。
「仕方ないだろ」
 そのまま天井を見上げてまた独り言。独り言の泣き言。独り言でもなければ武には泣き言は言えないのだ。
「……泣き言は全部終わった後、だよな」
 一瞬、視界が滲みそうになったのに気付き、武はわざと声高に言いながら自分の頬を叩く。
 何を考えても仕方がない。武は衛士としてこの世界に立っている。この世界を構成する1つの個体として存在している。ならば、成すべきことなど多くないし、そもそも数え切れないことを成せるほど自分に能力があるとも武は思っていない。
 ただ、衛士は隣で戦う戦友を1秒でも長く生かすことでしか、先に逝った者たちに報いることが出来ないのだから。
「白銀中佐?」
「うおっ!?」
 気合を入れ直したところで後ろから声をかけられ、思わず武は飛び上がった。背後から近付かれていることに気付けないほど、彼は先刻まで心を乱していたのだ。
「な……何だ? ユウイチ」
 振り返ったところに立っていたユウイチ・クロサキに、武は可能な限り平静を装いながら返した。だが、ユウイチの表情は訝しげである。
 そもそも、武は声を上げてしまったのだから最早平静を装うことも無意味なのだが。
「いえ…どういうわけか白銀中佐が通路の真ん中で消沈していたようなので、どうされたのかと」
「事細かに言わんでいいし」
 武の問いかけにユウイチは真顔且つ淡々とした口調で答える。その、露骨に要らないであろう説明文に武は頬を引き攣らせる。
「はっ」
「いや…敬礼もいいや」
 背筋を伸ばし、上官の指示に応じる態度で敬礼したユウイチに武は「もうどうでもいいや」というように肩を落として呟く。とても力の無い呟きだった。
「それで、実際にはどうしたのです?」
 一転して真剣みのある問いかけ。尤も、表情から口調までさっきとまったく変わったようには見えない。
 ノンバーバルの、更に高度なコミュニケーションでも駆使しなければ、そのニュアンスの変化は読み取れないであろう。それを可能にするにはお互いの関係性も極めて重要だ。
「んー…まあ、流石にちょっと疲れただけだよ。まさかあんな形でハイヴ突入することになるとは思わなかったからな」
「そうですね」
 武が苦笑気味に答えると、ユウイチもほんの少しだけ口元を緩めて同意した。
 ユウイチはよく無表情だとか無感情だとか勘違いされることも多いが、彼の場合は単純に表情の変化の振り幅が他人より小さいだけなのだ。だから、しかと闘志は持っているし、ともすれば誰よりも熱血なのかもしれない。
 その辺りはまだ武も計り切れていないところであるが、少なくとも彼を276戦術機甲中隊(ランサーズ)の隊長として起用したことは間違いではなかったと言い切れる自信が武にはある。
 それは276戦術機甲中隊(ランサーズ)がしっかり部隊として機能していることを見れば語るまでもなかった。
「でも、白銀中佐にもハイヴ突入経験がないとは思いませんでした。H20の時は指名されなかったのですか?」
「俺、その時にはもう教官やってたから、朝鮮出兵には参加してないんだよ」
 武は手をひらひらとさせて否定の回答を返す。
 加えて言えば、平壌近郊のH20制圧作戦はH21や桜花作戦の時とは異なり、日本帝国軍が主導となった作戦であるため、国連軍の突入部隊は数えるほどしかなかった筈だ。
「教官から一転して今度は連隊指揮官。中佐も忙しい人です」
「何、訓練兵のケツを叩くのも、正規兵のケツを叩くのもあんまり手間は変わらないさ。お前たちの場合、XM3への順応性は最初から高かったみたいだしな」
 にっと笑って武は答える。ただ、訓練兵と正規兵の大きな違いは、正規兵の方が口で教えるよりも勝手に学んでいる頻度が多いことぐらいだった。
「XM3の再現性には驚かされましたよ。自分で乗った時もそうでしたが、何よりも白銀中佐の挙動を見せられた時には」
 感慨深そうにユウイチは呟く。本音でそう言ってくる彼には、武も苦笑で答えるしかなかった。
 XM3とは、2002年に日本から派生した新型のCPUとOSの複合システムである。
 従来のOSとは一線を画する情報処理能力とフィードバック機能を有したこのXM3は、機体の純粋な即応性と、衛士各々に適化することで挙動制御を簡略化するといった、これまで戦術機では行うことが不可能だった挙動まで再現出来るようにした。
 この欧州にもたらされたのは2003年に入ってからのことで、現在では国連軍、EU連合ともに正規配備されている。
「中佐は何故教官を? 前線兵として活躍してもおかしくなかったのでは?」
「あー…いろいろ理由があるんだが…一番の理由はそのXM3だな。日本でXM3が正規配備された時、とにかくその扱いを教えられる人間が少なくてさぁ」
「確かに、今までのOSのつもりで動かすといろいろと裏切られます」
 ユウイチは武に同意するようにふむと頷く。続いて「もちろん、良い意味で、ですが」とも補足していた。
 XM3が優秀な新型OSであることは先述したが、それがあまりに画期的過ぎたことも問題になった。
 1つはハードとの相性。即ち戦術機本体との適合性である。
 本来であれば、ハードに伴いOSやCPUというものは発展してゆくものだが、今回は後者のみが唐突に大きく発展した。そのためにハードと上手く噛み合うのかどうかは配備時に議論になったらしい。
 しかしこれは、XM3の概念実証実験を日本の不知火や吹雪といった機体を使って行っていたため、第3世代機、特に日本製の戦術機に関しては取り立てて大きな問題にならなかったのも事実である。
 2つ目の問題は、XM3の有用性を1から語れる人間があまりに少なかったこと。
 それが原因となり、使う側も教える側もその本来の威力というものを半分も理解しないまま、XM3が正規配備されるという事態が起きてしまった。
 これは逆に、2001年末から技術がもたらされた日本帝国軍や極東国連軍において最も深刻な問題として残ったのである。
「では、何故白銀中佐にその任務が?」
 続くユウイチの問いかけに武は苦笑した。
 彼の問いかけは簡潔で実に分かり易いが、同時に常に最も核心を突いた疑問を投げかけてくる。
「端的に言えば、あれの概念を提案したのが俺だからだよ」
「………頭打ちました?」
「信じてねーな、この野郎」
 突然のカミングアウトに、普段からとてもにこやかとは言えないユウイチの表情が余計に険しくなる。取り立てて公表されている事実ではないにしても、XM3の発案者が武だというのは別段機密にされているわけでもない。
 むしろ、極東では少し有名な話だ。
 それにも関わらずユウイチのこの反応はどうだろうか。取りようによっては信じていないどころか馬鹿にしているようにすら思える。
「いえ、失礼しました。確かに、白銀中佐の教導は実に理解し易い。真偽はどうあれ、XM3にとても精通された方であるのは疑いようもないです」
「やっぱり信じてねぇんじゃねぇかよ!」
 ユウイチの切り返しに、今度は武もくわっと咆えた。
「オレは感謝していますよ。中佐のおかげで、BETA共を打ち殺せる機会がより得られるようになったのですから」
 武の脅しも物ともせず、表情を変えずにユウイチは拳を握り締めて答える。
 その、並々ならぬ殺意を秘めた言葉に、武は思わず顔をしかめて押し黙った。その願望は復讐か守護か、あるいはその両方なのか武には推し量る術がない。
 だが、単純な自暴自棄者とは違うだろう。
 精神面で、ユウイチが同年代のヘンリーより上をいっているのは明らかだった。
「じゃあ、基地に戻ったらまた血反吐が出るまで鍛えてやるよ」
「俺は構わないですが、アルテミシア大尉とノーデンス大尉が文句を言うのでは?」
「いいよ。黙らせる。お前ら中隊長クラスには、そろそろ一衛士として次のステップに上がってもらわないとならないし」
 少しだけ口元を緩めたユウイチに、武は大袈裟に肩をすくませて答える。
 確かにディランやエレーヌ辺りは文句を述べそうだが、武が本気で睨めば恐らく前言を撤回するだろう。
「次のステップ…ですか?」
「近接格闘技能は今のままで満足されてちゃ困る。挙動についても、ラファールの限界には達していない。同時に、機体に負荷をかけない操縦技能も未熟だ」
 武はまるで文面でも読むかのようにスラスラと問題点を列挙する。この点については彼ら中隊長クラスに限った話ではなく、すべての衛士には相当数当てはまる問題点でもある。
 元来、戦術機にBETAと殴り合いをさせるという戦術概念はあまり一般的ではなかった。
 大戦初期の大陸戦線でも衛士はBETAと正面切って戦ってきたが、大抵の場合、殲滅は最終的に核に頼ってきた。
 また近年になっても、G弾運用を前提としていた米軍あるいは米軍寄りの戦術概念を持つ軍では、ほとんどにおいて近接格闘技能が蔑ろにされてきた点は否めない。
 イギリスがそれに当てはまるとは武も思わないが、彼がつい最近まで在籍していた日本と比較すれば相応に軽視されているのも確かである。
「まあ…ラファールで日本人並に格闘しろとは言わないけどさ」
「……? どういう意味です?」
「日本製の戦術機に乗れば分かる。同じ第3世代機でも、随分と芯の強度が違うらしい」
 やれやれというようにため息を漏らす武。
 この戦術機の設計概念のわずかな差異が、武に「ラファールより不知火の方が乗り易い」と思わせる最大の所以になっていた。
「とにかく、お前には期待しているぞ。個人技能ならマリアより高いくらいなんだからさ」
「はっ」
 たいして身長差のないユウイチの肩をバシバシと叩き、武が冗談っぽく言うと、それに当のユウイチは敬礼こそしなかったが、再び畏まって応じた。
「私が、何でしょうか?」
 しかし、更なる刺客は武のすぐ背後まで迫っていた。
 びくっとして振り返ると、そこには腕組みをしたマリアが立っていた。心なしか瞳がいつもより冷たいと、武は直感的に判断する。
「何故狼狽されるのです? 白銀中佐」
「いや待て。これといってやましい話はしてないぞ」
「ええ、分かっています。失礼ながら、クロサキ中尉との会話は途中から聞こえておりました」
 慌てて弁解する武の言葉にマリアは素直に頷く。
 よく考えれば当然の話だ。この通路はほぼ一本道で別段入り組んだ構造などしていない。武とユウイチが耳を寄せ合って話していたのならば話は別だが、普通の会話が聞かれていないわけがない。
「あれ? ではどうしてお怒りになっていらっしゃる……?」
 微笑むがどういうわけか眼が笑っていないマリアの凄味に、武も思わず妙な敬語になる。
「解散される前に申した筈です。14時頃にお部屋の方にお伺いすると。それが、どうしてお部屋にいらっしゃらないのでしょうか?」
 たいそう爽やかに笑って受け答えるマリア。それに、ようやく思い出した武は「あ…」と極小さな反応を示す。
 この様子だとマリアは既に1度武の部屋を訪問した後のようだ。
 武自身は正確な時刻を確認する術がないが、その実、現時刻は14時30分。彼が月詠に会いに部屋を出たのは13時に差し掛かる頃であったので、完全にマリアを放置していたことになる。
 最悪だ、と武は頭を抱えた。同時に、マリアがいつものように武の首根っこを掴みあげる。
「それでは、白銀中佐、シャルティーニ少佐。オレはこれで失礼します」
 目の前で繰り広げられる連隊長と副長のやり取りに、顔色も変えずユウイチは当の両者に敬礼する。それにマリアの方が「ええ」とだけ短く返した。
 マリアと入れ違いという形で、去り行くユウイチの背中を見送りながら武はふと気付く。
 向かい合って話していたのだから、武の後ろから来るマリアにユウイチが気付かない筈がない。
 一言ぐらい言えよ、と武は心の中で文句を言う。マリアの様子がおかしいのは一目瞭然であっただろうに。
「月詠少佐にお会いしていたそうで」
「喋ったな……リィル」
 やましいことは何一つしていない筈なのに、どうしてか武は情報の発信元に対してそこはかとない怒りを覚える。
 脳裏を過ぎるリィルは、その小さな身体全体で必死に謝っていた。
「白銀中佐が斯衛軍の方々とお知り合いだとは思いませんでした」
「斯衛は言わば摂家の警護部隊だぞ? 極東じゃ共闘することだってある」
 武はややむっとした様子でマリアに異論を並べる。
 意外にも斯衛軍が前線に派遣されることが多いのは事実だ。近年では摂家の縁者や将軍殿下自ら戦場に立つことも少なくなく、その警護として多くの斯衛部隊が戦場に送られている。
 その折に国連軍と共闘することも珍しくはない。
 何せ、斯衛軍にしてみれば国連軍は良くも悪くも目の離せない友軍であろうからだ。
「だから、九條大佐とも親しいと仰るつもりですか?」
「そりゃあ……まあ」
 武も自分の答えが無茶苦茶なのは、百も承知だった。相手が斯衛軍の一士官ならばまだしも、摂家の血族なのは不自然極まりない。たとえ、武が12・5事件に関わっていたとしても、だ。
「……はぁ…。まったく……」
 煮え切らない武の返答に、マリアの方が先に根を上げた。
 普段以上に盛大なため息を漏らしつつ、武の襟首を掴んでいた右手を離す。
「九條大佐からお聞きしましたよ。白銀中佐とどのような関係なのか」
「何っ!?」
 とんでもないマリアの発言に、思わず武の語調が荒くなる。それと同時にドキリと心音が大きく跳ね上がった。
 何せ、武と侑香の関係を深く語ることは、“機密保持に抵触する”可能性を多分に秘めているのだから。
 うろたえる武を他所に、マリアは続けて口を開く。
「盟友だそうですね」
「………………は?」
 その言葉に武は唖然とした。
「XM3の応用技能を教授して頂き、手を取ってBETAと戦おうと誓った友人の1人だと、九條大佐は言っておられました」
「あー……なるほど」
 マリアの言葉に、武はやはり煮え切らない感じで苦笑する。
 成程とは答えたが、実際にはまったく成程とは頷けない話だ。
 よくよく考えずとも、今のマリアの言葉…即ち侑香の返答は、その実何の答えにもなっていないのである。
 本来、マリアが訊きたいのはそんな“事実”ではなく、どうしてそのような親しい関係になったのかという“理由”なのだ。
「まさか……それで納得したんじゃないだろうな?」
「理解はしました」
 武としても都合の良い話ではあったが、どうしてもその辺りは穿り返してみたくなり、思わず彼はそう訊ねていた。対し、マリアは神妙な面持ちで囁くように答える。
「理解したって――――」
「Need to know」
 「そりゃ無理だろう」と言い返そうとした武の言葉を、マリアが遮った。大声というよりはむしろ小声に近い声量だったが、武の言葉を呑み込ませるには充分だ。
 「Need to know」。任務上必要であるならば知ることが出来る権利を指す。
 裏を返せば、必要でなければ知ることの出来ない情報がこの世界には溢れているということ。
 マリアは、侑香との会話でその意図を汲み取ったのだ。
「……納得はしてない…か?」
 1つ息を吐き、気持ちを落ち着かせた武は瞳を閉じてそう問い返す。
「私は軍人です。納得せざるを得ないでしょう」
 それにマリアは苦笑気味に答える。淋しげであり、哀しげでもあるその表情は、あまり普段の彼女からは見られないものだった。
 それは建前論。そんなことは語るまでもなく武は気付いているし、マリアも隠していない。
「それに、白銀中佐はこの第27機甲連隊の指揮官です。そのくらい大物の方でなくては困るというものでしょう」
「どのくらい大物なんだか……」
 少しだけ表情を緩めたマリアの言葉に、武は逆に苦笑させられた。
 いくらマリアが鋭い人間でも、武の経歴を言い当てることはまず出来ない。それほどまでに突拍子もないのが白銀武という存在だ。
「まあ、あんまり俺については深く考えないでくれれば助かる」
「そうですね。私たちとしても、今白銀中佐に外れられるのは損害です。私は今後、一切の詮索をやめましょう」
 我ながら無茶苦茶なことを言っていると武も分かっているが、彼にはそう釘を刺す以外の手段がなかった。この話題がなかったことになるのならばそれに越したことはない。
 意外にも、マリアは難色すら示すことなく武の意見に同意する。
 何の抵抗もなく頷かれた武の方は、願ったり叶ったりの応答であるのに思わず怪訝そうな顔つきになった。こんなにあっさりと頷かれるとは思っていなかったことが大きい。
「こんな不確定な話題で、今更中佐に対する評価を覆すつもりはありません。我々にとっては、この2ヶ月間で充分です」
 清々しさを装ってマリアは言葉を続ける。
 そう、装っているのだ。人間の思考というものがそう単純でないことぐらいは武もよく分かっている。どんな人間だって、任務であっても多少なり私情を反映させる。
 それも、優秀な兵士ほどそれを他人には悟らせないようにするだろう。
「改めて、これからもよろしくお願いします。白銀中佐」
 微笑み、マリアはすっと右手を差し出してきた。
 普段の彼女なら凛然と敬礼をするような場面にて、不意に右手が差し出されたので武はしばし唖然としてしまった。
「……おう。こちらこそよろしく、マリア」
 だが、それも長くは続かず、武は笑い返しながらマリアの右手を握り返す。
 彼女と握手を交わすのは武もこれが初めてだ。知り合った段階で既にお互いが軍人であったため、初見の挨拶も敬礼で済ませた記憶がある。
 尤も、2ヶ月前のマリアに握手を求めたところで快く応じてくれるかどうかは甚だ首を傾げるしかないが。
「はい。それでは、現状までに挙がっている報告書の確認をしましょう。場所は中佐のお部屋でよろしいですか?」
「ん…それでいい。さっさと終わらせて俺たちも休もう」
「白銀中佐がきちんとお部屋にいらっしゃれば良かったのですが」
「それを言うなよー」
 耳の痛いマリアの返答に、わざとらしく泣きつくような反応をしながら武は言い返す。だが、マリアに一切の非はないため反論することは出来ない。
 武が自室に向かって歩き出すと、マリアもそれに続いて歩き出す。まるで武が動くのを待っていたような間の取り方だった。
 こうやって並んで移動する時、マリアは決して武よりは前に出ない。例外は、何らかの理由で武を警護する時のみだろう。
 歩きながら、マリアに気付かれないよう武は小さく肩をすくませる。
 そして、言葉には出さず心中だけでそっと呟いた。
 「お前らももう立派な盟友だよ」と。



[1152] Re[11]:Muv-Luv [another&after world] 第11話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/02/17 00:15


  第11話


 4月24日。
 ようやく帰ってきたプレストンの第209防衛基地 北部駐屯地の第1ハンガーにて、武が自身のラファールから降りると、整列した整備兵たちが同時に敬礼をする。
 武はそれに敬礼を返すが、すぐに仕事を再開するよう表情と片手だけで指示した。
「散開っ!」
 ケヴィンの怒号がハンガー内に響き渡り、敬礼を解いた整備兵は早急に各々の持ち場へと戻ってゆく。
「ケヴィン、整備状況は?」
 整備兵が完全に散開した時を見計らい、武はケヴィンへと問いかける。
「はっ。現在271及び276戦術機甲中隊を除いた各中隊の機体は既に調整済み。いつ出撃命令があっても即応が可能です」
「速いな。まだ帰投から1日しか経ってないだろ?」
「戦闘があったわけじゃないですからね。各関節部への過負荷も確認されなかったので、整備自体は楽なもんでしたよ」
 苦笑するケヴィンの返答に武も「それもそうだな」と応じる。
 出撃前の整備も完全とは言い難かったが、戦闘自体が起きなかったのだから機体の損傷などある方が異常だ。ケヴィンらにしてみれば最早修理の領域にも及んでおるまい。
「271及び276戦術機甲中隊の機体整備は午後に回して構わないぞ。総動員しなくても2時間あれば充分に終わる筈だろ?」
「他の中隊と同じ程度の状態なら問題ないでしょう。むしろ、うちの盆暗共に暇を持て余させないか心配なくらいですよ」
 ケヴィンは頼もしく答える。まさか彼らが実際に暇を持て余すほど怠けるとは思えないが、武としても簡単な休暇ぐらいには認識してもらって構わなかった。
 だから武もそれに大笑いしながら応じる。
「シルヴァンデール少尉。手の空いている者に第4戦術機ハンガーの調整を命じておいて下さい」
「はっ…4番ハンガーですか? 了解しましたが……またどうして?」
 今まで武の斜め後ろに控えて静観していたマリアが、不意にケヴィンに向けて指示を出す。その唐突な命令にケヴィンは訝しげな表情をしながらも頷いた。
 第4戦術機ハンガー。この第1ハンガー…正式には第1戦術機ハンガーと呼称するハンガー同様、戦術機専用の第4格納庫を指す。
 1つのハンガーに2個中隊が収まっているため、現在第27機甲連隊が使用しているのは第3ハンガーまで。第4ハンガーはまだ使用されていない空室である。
「午後になったら陳情していた補給物資が運び込まれてくるんだ。ラファールも新たに12機回されてくるから、とりあえず全部そっちに格納しようと思ってさ」
「12機……予備機格納庫に回さないということは……」
「ええ。新たに補充人員として衛士が12名回されてくるわ」
 武の言葉から察した様子のケヴィン。それを確信に変えるべく、マリアが端的に、そして詳細に説明する。
「そういうことだ。明日の朝には到着するらしいから。その12機もそれまでに使えるよう調整して貰いたい」
「中佐が珍しく温い仕事の指示をなさると思ったら…そういうことでしたか。了解です。今日の夕方までにはそっちの機体も使えるように整備しておきやしょう」
 やれやれというようにため息を漏らしたケヴィンは、嫌な顔1つせず、むしろにやっと少し不揃いな歯を見せて笑いながら応えた。「任せた」と言い、武もそれに笑い返す。
「白銀中佐。失礼ですが、私は1度自室に戻らせて頂きます」
 今伝えるべき指示をすべて述べたマリアは武に対してそう申し出る。
 もう任務自体は終わっており、尚且つここは第27機甲連隊のホームなのだから、そのようにいちいち断わりを入れてもらう必要はない。
 武はそう思ったが、言ったところでマリアは聞き入れてくれそうもないので敢えて口にはしなかった。
「ん…ああ。午後からはいつも通りの仕事だから、午前中くらいはゆっくりしてくれ。ここまでご苦労さん」
「はっ! それでは、失礼します」
 代わりに許可の返答と、労いの言葉をかける。マリアはそれに敬礼で答え、更に律儀にも武に一礼して通路の方へと去っていった。
 その背中を武は無言で見つめるが、すぐに視線を外す。
 残念ながら、疲れているのは彼も同じだった。しばらく雑務からは逃げたいところだが、それをしたところで皺寄せがマリアやリィルに行くだけだ。どちらも武と同じくらい疲労困憊しているのだから、これ以上負担を増やすのは人間として如何なものか。
「しかし…随分と手回しが良いですね。1度に12人も衛士が配属されてくるというのは」
「そうだな。まあ、実際に相当良い手回しがされてたんだろうけど」
 帰還直後の唐突な吉報に戸惑いがちのケヴィンと、失笑気味の武。
「……俺も部屋に戻って着替える。こっちは任せるな、ケヴィン」
「はっ」
 何だかドッと疲れてしまった武はそう告げ、マリアと同じようハンガーをあとにする。見送るケヴィンは敬礼をして応え、すぐに己の仕事に復帰していった。
「何かしらの働きかけがあったのは明らかだな」
 武はそう呟きながら手に持った紙の束を筒状に丸める。意味はない。ただ、もう目を通してしまった文書であるため、無意識のうちに杜撰に扱ってしまっていただけだ。
 それは簡素な紙製の報告書。リバプールを出立する際にレナの秘書官から直接手渡された補充人員に関する資料である。
 武だって受け取った段階ですら「随分と早いな」と思ったが、中身を見て更に唖然とさせられた。
 並んでいる12人の衛士はすべて日本人の名前だった。それもユウイチのような日系英国人ではなく日本国籍の純然たる日本人ばかり。
 欧州でこれはないだろうという人事には、どんな力が働いたのか想像に難くない。
「少なくとも、ヴィンセント准将1人の権限じゃここまで早く手を打つのは無理だろ」
 確かに彼女はかつて名を馳せた衛士であり、そして第2師団を統べる師団長だ。だが、欧州の戦力状況を考えれば、容易に補充人員が確保出来るとは思えない。
 この人員名簿は、その問題に対する1つの対処法であろう。
「十中八九……先生だよな」
 武の脳裏を掠めるのは白衣に身を包んだ極東国連軍の若き研究者。かつてのように軍事機密のみへ神経を注いでいるわけではないが、その権限は事実上失われていない。むしろ、“桜花作戦後に高まった”くらいだ。
 あの人…香月夕呼ならば紙切れ1枚であっさりと10人程人員を送ってきそうである。
 無論、九條侑香の取り計らいという線もあるが、それにしたってあまりにも早過ぎる。
 これは夕呼と侑香のどちらか、あるいは両方が、H12制圧作戦が始まる前から既にある程度手を打っていたに違いない。
 リバプールを離れる際、レナの方がやけに機嫌が悪かったこともこれならば合点がいく。
 こちらの状態など逐一報告するまでもなく、香月夕呼にはお見通しということだ。レナはそれが面白くなかったのだろう。
「ま、人が増えるのは助かるし、良しとしておこうか」
「衛生兵も増えますか?」
「ああ、衛生班には5人ほど………って、何で准尉が横にいるんです?」
 くしゃくしゃになった報告書を見直しながら武は答える。その後にようやく、自分の隣を誰かが並走していることに気付き、頬を引き攣らせた。
「そこの角から出てきたからです」
 すぐ後ろの分岐路を指し、あっけらかんと答えるのは片倉美鈴(みすず)。第27機甲連隊衛生班総轄を務める幹部の一角だ。
 マリアと同い年である彼女は連隊でも年長者に入る部類だが、表情はよく変わる明朗快活な女性。だが、仕事振りは確かで、上官部下問わず頼られてもいる。
 また、武と同じく日本から回されてきた人員で、どういうわけか武が唯一連隊内で一応の敬語を使っている相手でもある。
「……で、何で俺の横に?」
「医務室に戻る途中だったんですけど、白銀中佐がお戻りになったということで御挨拶と、不在中のことを纏めた報告書をと思いまして」
 もう1度問い返すが、やはり返ってくる答えは微妙に的を射ていないものだ。何故武の横を並走する形になったのか、理由がまったく分からない。
「……で、留守中に何かありました?」
 諦めてもっと重要なことを訊ねることにした。意味は不明だったが、無害であったので気にしないでおこうという武の結論だ。
「これといって特殊なことは何も。ただ――――」
「ただ?」
 美鈴が言葉を途切れさせたので、武は怪訝そうに問い返す。その緊張感が伝わったのか、美鈴の表情もにわかに厳しくなったような気がした。
「ただ……いつものように日本から白銀中佐宛にたくさんの恋文が」
「いつものように俺の部屋に放り込んでおいて下さい。後で読みますから」
 グシャッと報告書を握り潰し、武は口早に言い返す。彼女の表情が厳しくなったような気がしたのは、本当に気がしただけだったようだ。
 「俺、相当疲れてるのかな?」と武は心の中で自問する。
 だが、何事もなかったようで胸を撫で下ろしたのも事実だ。尤も、1日2日基地を離れたぐらいで逐一重大なことが起きていたら、たまったものではないのだが。
「そっちの文書が新しい人事についてですか?」
「まあ、はい。さっきも言ったと思いますけど、衛生班には新しく5名回されてきますから」
「もしかして、他の部署にも?」
 改めて武が答えると、美鈴はにこっと笑って応じた。ここにきてようやくまともな会話が成立したような気がすると、武はため息を漏らす。
「ええっと……そうですね。整備兵が11名、通信兵が3名、衛士が12名ですから、結構な人数ですよ」
 目を細めて更にくしゃくしゃになった文書の文面を見ながら武は続けて返答する。
「それは何よりです。どこも頭数が多いに越したことはないですからね。非戦闘要員が回されてくることも助かりますよ」
「人数増えると衛生班の負担も増えますよ?」
「食事は作るものが変わるわけじゃないですから、少しくらい人数増えても手間は変わりませんよ。生活面のほとんどは個々人の管理ですからねぇ」
 不敵に笑う武に対し、美鈴は終始にこやかな笑みだった。
 衛生班は普段、生活面において基地運営の欠かせない仕事を担っている。特に給仕の面においては誰も衛生兵には頭が上がらないのだ。
「食事といえば……昨日荒れませんでした?」
 武がそう問いかけると、初めて美鈴は苦笑いを浮かべた。それだけで最早肯定に近い返答である。
「ええ…まあ。アルテミシア大尉とノーデンス大尉がどういうわけか妙に張り合いましてね。しかも、御二人の挑発にコンスタンス中尉が乗ってしまい、衆人環視の中で喰うか喰われるかの争いでしたねぇ」
「レイドは? 止めなかったんですか?」
「クラインバーグ大尉は1人速やかに食事を終え、すぐ自室に戻られてしまいましたから。恐らく、少しでも長くお休みになりたかったんでしょう」
 何と合理的な行動だろうと武も苦笑する。むしろ驚異的なのは、困憊しているくせに食べ物のことでとことん揉めるディランとエレーヌの2人である。
 今更知った話ではない。
 第27機甲連隊の隊員は、どうもこうも“我が強過ぎる”連中ばかりなのである。
 やはりユウイチにも先に帰ってもらうべきだっただろうか。そう考えて武は即座に自分で否定する。どう考えても、ユウイチの対応もレイドとそう変わらない筈だ。
「改めて白銀中佐とシャルティーニ少佐の偉大さが身に染みた1日でしたよ」
「御疲れ様です」
 褒められているのか、それとも遠回しに「どっちでも良いから早く帰ってきて欲しかった」と責められているのかいまいち分からず、武は労いの言葉をかけるしかない。
「白銀中佐!」
 その時、武の名を呼びながら通路の向こうからヘンリーが駆けてきた。
 武はそれに片手を挙げて、美鈴は敬礼をして応じる。
「御疲れ様です! お待ちしておりました!」
「挨拶はいいから、どうした? すっげぇ慌ててるみたいだけど?」
 敬礼をし、上官の武へ挨拶を述べるヘンリー。
 真面目なのは結構だが、こういう時くらいは力を抜いてもらいたい。そう思っている武は笑いながらヘンリーに次の言葉を促した。
「はっ! それが…アルテミシア大尉とノーデンス大尉が――――」
「あいつら……!!」
 ヘンリーが皆まで言う前に武は舌打ちをして駆け出す。
 そう、皆まで言われる必要がない。つい今し方まで話していたよう、あの2人がセットでやらかすことなど往々にして碌でもないことなのだ。
「ヘンリー! 場所は!?」
 通路を疾走しながら武はすぐ後ろをついてくるヘンリーにそう訊ねる。あの2人がどこにいるのかも確認せずに駆け出してしまうほど、武は今、気を短くしていた。
「PXです!」
「また衆人環視の中ですねぇ」
 後ろから続けて返ってきたのは2つの返事。一方は問いかけたヘンリー。もう一方は何故かついてきている美鈴。
 どうして彼女までついてきているのかは武にも疑問だが、訊ねたところでまた斜め上の返答が返ってくるだけだろう。だから武はもう放っておくことにした。
「あ、白銀中――――」
「悪い! 今急いでる!」
「皆さーん! 白銀中佐が通りますから道を開けてくださーい!」
「見世物ですか! 俺は!」
 挨拶をしようと足を止めた部下の脇を高速ですり抜ける武。すれ違いざまにしっかりと謝罪の言葉は入れておいた。
 美鈴は隊員行き交う通路の真ん中を開けさせようと、声高に武たちの通行を報せている。ただし、そんなことをせずとも基地の通路は充分にすれ違うだけの広さが取られているのだが。




 すれ違う、あるいは追い抜かれる隊員たちは何事かと思うだろう。
 何せ、連隊の最高指揮官が強化装備を着たまま通路を全力疾走。それに追随して274戦術機甲中隊(アーチャーズ)の中隊長と衛生班総轄者が同じく並んで全力疾走しているのだ。
 しかも、そうさせる原因を作っているのも同じく戦術機甲中隊の中隊長。
 この構図を詳しく聞けば、大概にして隊員は唖然とするか納得するかのどちらかである。
 兵舎フロアの一角にあるPXに近付くにつれ、通路を行く兵士の数は多くなってゆく。共同施設なのだからそれは当たり前なのだが、どうにも理由はそれだけではあるまい。
 段々と大きく聞こえてくるディランとエレーヌの声に、武は走りながら思わずため息を漏らした。
「わっかんないヤツだな! F-22Aが上だっての!」
「総合的に上なのはType-00! これだけはアルテミシア大尉にも譲れないね!」
 武がPXに飛び込むと同時に2人が同時に怒鳴り合っていた。その、正直あり得ない内容の口論にさしもの武も一瞬眩暈がする。
「この調子なんですよ」
「子供のケンカか……?」
 参ったように肩をすくませるヘンリーに、武はまったく違った意味合いで肩を震わせた。
 内容は実に下らない。しかし何よりも性質が悪いのは、口論しているのがどちらも大尉階級の幹部だということ。実質、あの2人を止められるのは武かマリアくらいしかいないのである。
「あのステルス仕様と最高水準の出力系をなめるなよ、エレーヌ」
「それが仇となってXM3が搭載出来なかったじゃん? 近接格闘には弱いって専らの噂だけど?」
「そりゃ衛士の腕の問題だろッ!?」
 今にも取っ組み合い、殴り合いでもしそうな雰囲気が漂っている。こんな状況がマリアに知れれば今日1日連隊全体の雰囲気まで悪くのは必至だ。他の隊員のためにもそれだけは回避しなければならない。
「だから――――」
「黙れ! アルテミシア大尉!! ノーデンス大尉!!」
 両者の言葉を遮り、武は怒号を発する。
 武にファミリーネームで呼ばれ、ディランとエレーヌはやはりまったく同時にびくりと身を竦ませた。
「それで部下に示しをつけているつもりか!? 自分の階級と立場をもっと理解しろ!!」
「はっ! 失礼しました!」
 つかつかと早足で歩み寄る武に対し、両者は条件反射的に身を正した敬礼で応える。このような叱責を受けた時、上官への反論が厳罰となることをディランもエレーヌも理解しているのだ。
「アルテミシア大尉、貴様の祖国が米国であり、祖国の機体を推したい気持ちは充分に理解しているつもりだ。だが、今の口論は何だ? 子供のケンカと何が違う?」
「……返す言葉もございません」
 敬礼を解き、神妙な面持ちでディランは答える。
「ノーデンス大尉、貴様もだ。機体の優劣で競っていたようだが、戦術機はあくまで対BETA戦術兵器であることを忘れたわけではあるまい? それとも…貴様は自分の部下にそのような指導をしているのか?」
「はい、いいえ! 中佐殿! 自分は部下に対して1度として戦術機の優劣について曲解を教えたつもりはありません!」
 対し、エレーヌは再度敬礼をし直して声高に答える。
 当たり前だ。戦術機のスペックだけ見て、あれが強くてこれが弱いなどと公式に教えられていては衛士としても指揮官としても困る。
 戦術機という兵器は、ある意味では例外なく“無能”なのだから。
「よし。本来ならばこのような徒な口論、シャルティーニ少佐と思案して厳罰に処するべきなのだが、今回は両名とも腕立て200回にて不問とする。部下の前でこのような恥を曝さぬよう気をつけろ。次はないぞ」
「はっ!!」
 武の言葉に再び同時に敬礼し、ディランとエレーヌは並んで床に臥した。
 2人が腕立て伏せをする体勢になったことを確認した武は、手でヘンリーとレイドの2人を呼び寄せる。
「乗ってやれ」
 2人が何事かと訊ねるより早く、武はディランとエレーヌを指してそう言った。その意味を即座に理解したヘンリーとレイドは1度顔を見合わせたが、すぐに敬礼で応える。
 体重の軽いヘンリーはエレーヌの背中に、重いレイドはディランの背中にそれぞれ腰を下ろした。当の2人は文句も言わず一心に腕立て伏せを続ける。
 歩兵の完全装備でも300回くらい余裕でこなせる2人だ。実際には大した罰でもあるまい。
「……まったく。まさか武御雷とF-22Aのどっちが強いか、で口論してるとは。気持ちは分からなくもないけど、もう少し他にする口論はなかったのか?」
 ため息を漏らし、武は苦笑する。同時に近場の椅子を引き寄せて座り、腕立て伏せをする2人に柔和な口調でそう問いかけた。
「重大な話題ならあらかた論争しましたから」
「なるほど。中隊長としてはどうかと思うけど、背中を預ける戦友同士としては一流だな」
 呼吸も乱さずにディランが答え、武は笑いながらそう述べる。
「白銀中佐は個人的に見てどっちが上だと思います?」
「武御雷とF-22Aか? スペックなら圧倒的にF-22Aだろ。跳躍ユニットの出力に駆動系、レーダー性能にセンサー性能、ステルス仕様なのを考えれば、いくらXM3を搭載してなくても最強の第3世代機の称号はそう揺らがないと思う」
「ですよね」
 あっさりとした武の返答にディランは得意気になる。相対し、エレーヌの方は悔しげに顔を歪ませた。本当に反省しているのか実に疑わしい。
「もちろん、スペックで見れば、の話だ。実際、F-22Aが殴り合いを前提に造られていないのは本当だし、逆に武御雷が近接格闘を最も得意とするのも事実だ。集団連携戦闘ならともかく、一対一じゃF-22Aにとっちゃ武御雷は天敵みたいなものだとも思う」
 そもそも、戦術機同士に天敵等の相性をつけること自体、実にナンセンスなのだが、敢えて語るとすれば武の言葉に偽りはない。
 事実、武は以前、一対一で日本の不知火が米軍のF-22Aを撃墜した状況に遭遇したこともある。追記すれば、その不知火はその直後、同じく一対一で武御雷に撃墜された。
 これは無論、衛士の実力も影響を及ぼしているだろうが、F-22Aの圧倒的な性能を考慮に入れれば、歴戦の兵と平凡な訓練兵並の実力差がないとあり得ない結果だ。
 武の主観で述べれば、確かに日本の戦術機と戦術概念は、米軍のそれにとって相性が悪いのだろう。
「天敵…ですか?」
「そもそも、あの2つは前提とした戦術概念が違い過ぎるから、一概にどっちが上かは決められないってのが模範解答だ。ただ、最近主流になってきたBETA戦術に則るなら武御雷の方が合っているとは思う。米軍が今やF-22Aの配備にあんまり熱意を注いでないのはそれも理由にあるよ」
「白銀中佐、王室騎士団のUK-02はどうなんですか?」
「UK-02か……」
 ヘンリーに問われ、武は頬杖をついて言葉を濁らす。
 王室騎士団の名前が出てきて、にわかに周囲の空気が変わった。ざわざわとしていた兵士たちは次第に声を潜め、ひそひそと話し出す。
 UK-02「ランスロット」は、英国王室騎士団のみが運用する、現在世界最新の第3世代機だ。独立した組織である王室騎士団は言わば日本の斯衛軍に近い働きを持つが、こちらの王室騎士団が前線に送られることなど滅多にない。
 そもそも、厳密には軍でない騎士団の戦術機を土俵に上げることも実に面白くなかった。
 しかしながら、彼らの運用するUK-02がただの御飾りでないことも事実だ。
「……うん…単体なら武御雷よりUK-02の方が確実に上だな」
 自身の知識を総合し、武は結論を下す。
 公式のスペックならばUK-02は大概が武御雷よりも上。出力こそF-22Aに劣るが、XM3と適合したそれには実戦上大きな差とも言えない。
 加えて、騎士のイメージを象徴としたいのかUK-02の設計概念は武御雷のそれに極めて近い。余程衛士の腕が良くなければ一対一の場面では汎用の武御雷に恐らく勝ち目はないだろう。
「だけど、対BETA兵器という範疇において言えばやっぱり武御雷の方が優れてる。俺は日本人だけど、客観的に見てもあれは性能と量産性のバランスが抜きん出ていると思うんだ」
「UK-02の配備数は確かに問題か……」
「3年で40機は話にならん。コスト面だけで見れば何で開発したのかすら疑いたくなるような機体だよ」
 レイドの真剣な呟きに同意し、武も深刻そうに頷く。
 BETA襲来後、EUとして統合された欧州各国。その中で英国王室は主導国家の威信を強調するように、その私兵である王室騎士団のみを独立させた。そのことには各国から様々な議論を呼んだが、今もその形式が続いている。
 桜花作戦後におけるUK-02の開発・配備は、その威信強調の1つであることは間違いなかった。
「まあ、そうだな……敢えて俺から言わせて貰えば、“衛士たる者、どんな機体でも乗りこなす努力を欠かさないこと”、ぐらいなもんだよ」
「はっ」
 ここまで言っておいてなんだが、というような口振りで武が総評を述べると、4人が同時にそう応える。ただし、各々が敬礼を取れる体勢ではないのでそちらは省略していた。
「さあ! 散開! 休養は今日の午前中一杯だからな!」
 パンパンと手を叩き、周囲を取り巻く連隊隊員にそう告げる。その警告には、興味深そうにディランとエレーヌの腕立て伏せ姿を見ていた隊員たちも、やや不満顔ながら散開していった。
「レイドとヘンリーは悪いけどこいつらに付き合ってやってくれ。ついでに200回ちゃんとやるか監視も頼む」
「了解」
「命令や罰則に逆らうほど命知らずじゃありませんってー」
 武の指示に了解の旨を返すレイドとヘンリー。エレーヌの方は腕立て伏せを続けながらもいつもの調子で軽口を言っていた。
「片倉准尉も私用に戻ってくださいよ」
「そうですねぇ…。大尉たちのこんな格好は滅多に見られるものじゃありませんから、僕はもう少しここに残らせて貰います。白銀中佐は少しお休みくださいな」
 美鈴はにこにこと笑いながらディランとエレーヌを見返す。そんな意見に武も苦笑いを浮かべるが、監視役が増えるなら特に問題はないだろうと思って反意は示さないことにする。
 そのまま美鈴の好意に甘えさせて貰い、武は喧騒冷めやらぬPXをあとにすることにした。

「………やっぱ、乗るなら武御雷だよな」
 自室への岐路に着く武が、誰にも聞かれぬようにそっとそんなことを呟いたのは、最優先の機密事項である。



[1152] Re[12]:Muv-Luv [another&after world] 第12話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/02/20 21:25


  第12話


 喜びなさい。あんたは初めて、“シロガネタケル”という個としてこの世界に認められたんだから。




 武が目覚めると、視界に広がるのは毎日のように見上げている簡素な白い天井だった。
「……………」
 寝覚めは最悪。
 どんな夢を見ていたのか、そもそも自分が夢を見ていたのかすら覚えていないが、脳裏に残るのはあまりにも懐かしい言葉だ。
 彼は白銀武。この世界とは“異なる世界”から来訪した、盤上における重要な鍵となる人物。
 彼はシロガネタケル。窮みの一角に数えられる衛士であり、世界に認可された絶対唯一の個。
 どちらも彼であり、彼を表す上では決して外すことの出来ない記号情報である。
 武は、不意に左手で自分の顔を覆い、右手は宙へと伸ばす。それで天井に触れられるわけでもなければ、何かを掴めるわけでもないが、どういうわけか武は伸ばした手を下ろそうとはしなかった。
「その手で何を掴む……か」
 意味もなく右手を開けたり閉じたりしながら、武はぽつりと呟く。
 それは、彼が衛士として任官したその日、駐留していた基地の司令官から言われた言葉だ。
 何を掴み、何を守り、何を拓き、何を倒すのか。
 あの時はまだ、その言葉の重さが理解出来ていなかった。ただ、“終焉を経験した人間”として分かった気になっていたに過ぎなかった。
 否。今もきっと分かった気になっているに過ぎないのだろう。必死に虚勢を張っているに過ぎないのだろう。
 そう思って武は失笑する。
 人類を救いたい。地球を救いたい。
 それは大義名分であり、誰もが心に持つ建前論。武はそれを理解しているし、それ自体が恥ずべきものだとは思っていない。
 だが本当はただ、仲間を、戦友を、そして何よりも愛する人を守りたいだけ。
 戦場に身を置く者は、それが物理的に近ければ近いほど顕著にそう感じる。
「――――――っ!」
 不意に景色が滲んで、武は慌てるように己の右腕を抱いた。右腕にある、一片のリボンを抱き締めた。
「……………純夏」
 気持ちを落ち着かせるように、感情を込めて呟く。ゆっくり、ゆっくりと吐くようにその名前を。
 そうして、武は穏やかに微笑む。誰かが見ているわけもないのに、まるで今にも泣きそうなのを誤魔化すように微笑む。
 再び武は片手で目元を覆った。その状態で長い深呼吸を1度だけ。
 次にその手をどかした時、彼のその表情はもう指揮官としての白銀武のものに戻っていた。
 軍人にとっては共通の簡素なパイプベッドから身を起こし、武は思考を覚醒させるように軽くかぶりを振る。
 時刻はおよそ午前5時前後。時計でわざわざ確認するまでもない。
 この身体に染み付いた経験的感覚がそう判断していた。
 寝装具である黒いタンクトップを脱ぎ捨て、まったく同型のタンクトップに着替える。基本的に武が着用する肌着はこの種類しかない。所詮は軍の支給品なので、特異性を期待する方が間違いというものである。
 着替えはおおよそ20秒で済ませる。こんなことにいちいち時間を取っていては有事の際に即応出来ない。着替えにしたって食事にしたって、兵士は早ければ早いほど良いものだ。
 武が同じく支給品の国連軍士官の上着に袖を通したその時、部屋のドアが控え目にノックされた。
「白銀中佐。シャルティーニです」
「起きてる。ついでに開いてるぞ」
 早朝の訪問者に、武は即座に応対する。出入りが可能なことも告げるが、そもそも兵舎の個室には鍵などという大層なものなどついてはいない。
「はっ。ですが、失礼ながらこのままで御報告申し上げます」
「定期報告には早いようだけど?」
 武の入室許可に対して遠慮の意を示すマリア。続けて発せられた彼女の言葉に武は思わず眉をひそめた。
 定期報告以外で入ってくる報告とは往々にして碌なものではない。出来れば滅多に来ない良い報告であることを武は切に望むことにした。
「本日付で本第27機甲連隊に配属されてくる兵士を乗せた輸送機ですが、到着時間が0700から0530に繰り上がったとのことです」
「90分も繰り上がったのか…。了解した。各署の責任者だけは確実に起きて貰うしかないなぁ」
 参ったと言うように武は頭を掻く。1時間以上繰り上がるのならばせめて向こうを出発する段階で教えてもらいたいものだ。
「0530ともなれば起床していない者の方が稀であると思われますが………ああ、成程。彼女ですか」
 武の呟きにマリアはささやかな異論を唱えるが、すぐに言わんとしていることを察し、また納得した。
 両者お互いにため息を漏らし合う。
 そう、いるのだ。この第27機甲連隊の…それも幹部クラスにはたとえ6時を回っても夢心地の、ある意味相当奇特な人物が。
 その人物の名はエレーヌ・ノーデンス。くどいようだが、階級は大尉の中隊長だ。
「……ノーデンス大尉の方は私に御任せ下さい。白銀中佐は御準備が整い次第、第2滑走路脇へどうぞ」
「他の連中には連絡したのか?」
「現在、通信班の者に報告させていますので、時間までには揃うでしょう」
 武の問いにマリアは用意していたように答える。恐らく実際に用意していたのだろうが、それを考えると彼女は随分早くから対応に出ていたということになる。
 大方、夜間の通信待機をしていた通信兵の誰かがマリアへ優先して報告したに違いない。
「……了解。お前も無理はするなよ」
「はっ。それでは、失礼します」
 やれやれと頭を抱えながら武が気遣いの言葉をかけると、いつものようにマリアは生真面目に受け答え、静かにドアの向こうから去っていった。
 足音が聞こえなくなったのを確認してから武はため息を漏らす。
「………伊隅大尉。俺まだ頼りない上官みたいっす」
 マリアへ先に報告されていたことに軽くへこみつつ、武は遥か東の島国に向けてそう呟きかける。ついでに敬礼ではなく合掌も付け加えておく。
 しかし、脳裏に浮かぶかつての中隊長殿はアドバイスどころか、何故か含みのある不敵な笑みを浮かべただけで、何も武には応えてくれなかった。




「おはようございます! 白銀中佐!」
 もうあらかたのメンバーが揃い、新入りを乗せた輸送機の到着も目前というタイミングでエレーヌが駆け込んできた。どういうわけか異様なまでに気合いが入っている。起き抜けの彼女はもっと微妙なテンションの筈だ。
「……おはよう。朝から元気だな」
 いつもとは一味違うエレーヌの様子に武は狼狽しながら挨拶を返す。
「いえ、いつも通りですよ。それでは、隊列につくので失礼します!」
 あからさまにいつも通りではないのだが、本人はそれに気付いていないのだろうか。それとも必死に自分を誤魔化しているだけなのだろうか。
 そうやって武が小首を傾げていると、ようやく落ち着いた雰囲気のマリアがやってきて、何事もなかったかのように武の隣についた。
 もう輸送機は肉眼でも確認出来るほど近くまできている。それに伴ってエンジンが奏でる轟音も少しずつ大きくなってきていた。
「……エレーヌに何したんだ?」
 真っ直ぐ滑走路の方を向いたまま、武は囁くようにマリアに問いかける。
「いえ、特には何も。少し脅かしはしましたが」
 少し?
 同じく前を向いたままのマリアの返答に、武は思わず眉をひそめる。
 あの問題児の双璧に名を連ねるエレーヌが、“少し”脅かされたくらいであそこまでやる気を出すだろうか。あるいは、昨日の武のように上官として本気で叱責したのだろうか。
「申し訳ないのですが、効果は一時的しか期待出来ません」
「いや……充分だろ」
 マリアの言う“効果”が何を指すのか語るまでもなく理解している武は、フォローするわけでもなく本気でそう答えた。
 あのエレーヌの手綱が締められるのならば問題ない。同時に、それがいったい如何なる手段なのかは流石の武も委細知りたくはない。
 そもそも、もう轟音が激しくなっていて、武とマリアの距離でもまともに会話が出来そうになかった。
 もう充分に機体の形状が確認出来るほどまで近付き、輸送機は減速しながら着陸態勢に入る。
 物は実に一般的な輸送機。約30名の兵士と、貨物室には主に生活面での物資が積み込まれているという。所属は国連ではなく日本帝国となっており、日本から理解のある協力があったことは明らかである。
 再突入型でないところを考えれば日本からアメリカを経由してぐるりとイギリスに渡ってきたに違いない。あのタイプの航空機では、一瞬でもレーザー属の射程に入ればお終いなのだから。
「まさか、本当にこんな出鱈目な配属をしてくるとは思わなかったけどさ」
 滑走路に降り立つ輸送機を見ながら武はぽつりと呟く。
 国連軍の兵士を移動させるのに、日本の輸送機を使い、アメリカを経由して来るなど、政治家が聞けば腹を抱えて笑うか、吐き捨てるように失笑するだけだろう。
 基本的に駐留国の物資に頼ることが前提となっている国連軍でも、これだけ大層な援助を受けることは滅多にない。それも、1つの部隊に限定するものなど尚更だ。
「新入り共が降りてきますね」
 輸送機のエンジン音が止まり、喧騒から静寂へと戻った滑走路。
 その輸送機から並んで人が降りてくるのを見て、マリアの斜め後ろのディランが言った。
 武たちの下へ向かってくる彼らの先頭に立つのは、逆立った短髪の利発そうな少年である。そしてその胸元には少尉階級を示す階級章がついていた。
「若いねえ」
「何でも、まだ20歳前らしいですよ」
「そうなると、ヴァンホーテンと同年代くらいか」
「え? 私と同じくらい…ですか?」
「つーか、ユウイチだってリィルと1つ、2つしか違わないじゃん?」
 どういうわけか賑々しい武の背後一帯。もう少し身を弁えてもらいたいものだと、武は軽く頬を引き攣らせる。レイドやヘンリーといった人種は、実に身を弁えて「我関せず」を貫いている。
 「この野郎」と武は心の中だけで呟いておいた。
 衛士を筆頭に、30人余りの兵士は幹部たちに向かい合うように隊列を組む。その代表となって武の前に立つのもやはり先頭の少尉階級にある少年だった。
「柏木章好(あきよし)少尉以下30名、只今をもって着任致します!」
 少年の号令に合わせ、向かいに立つ兵士らは足並みを揃えて敬礼する。それに武を始めとした士官も敬礼で迎え入れた。
「ようこそ、第27機甲連隊へ。我々は貴様等を歓迎する」
「はっ!」
 誰よりも早く敬礼を解いた武は不敵な微笑を浮かべて、半ば恒例となった歓迎の謳い文句を述べる。
 それに続いて31人の新入りたちも敬礼を解き、声高に応えた。
 ほとんどが新任の彼らは実に気合いが入っていると、武は思わず唇の端を吊り上げた。
「どうされますか? すぐに各署責任者と今後について相談させた方が良いと思われますが」
「まずは朝メシでいいだろ。軽く親睦を深める意味でも、丁度いいし」
 配属部署の説明や、今後の動向についてマリアから指示を求められ、武は軽く笑いながら答える。
「白銀中佐の歓迎会ってまずはPXなんですねー」
「一緒にメシを食うってのが一番簡単だろ? 満腹の時の方が交渉とか取引は成功させ易いって話だし」
「何だか、絶妙なのだか微妙なのだか判断し難い話だな」
 食事をしながら親睦を深めるのは実に理に適っているが、あまりにコメントに困る武のたとえ話にレイドも苦笑する。
 新入りの歓迎法については指揮官次第というところもあるが、実際にところ武のように食事をしながら…という方法は多い。訓練校でも行われていることだ。
 談笑する武たち。
 先刻の軍隊めいた雰囲気から一転して和やかになったため、新入りの、特に新任に当たる連中は面食らったように唖然としている。
「いいですよね。俺なんか、任官した時に配属された部隊の歓迎法が完全装備のランニングでしたもん。衛士なのに」
 しみじみと過去を語り出すのはディラン。
 そういえば、指揮官ながら歓迎される側だった自分は彼らとそういう交流を行っていないと、武は気付く。親睦を深めるためとして称して衛士連中とは簡単な模擬戦を組んだ記憶があるが、その程度だ。
「白銀中佐の場合、食事で安心させつつ、その日のうちに嫌になるほどの実戦訓練ですよね」
 不意に、武の脇からひょこっと少女が顔を出し、面白そうに笑いながらそう言った。
 少尉階級の証をつけたその少女は、どうすれば良いか困っている新入りの中で数少ない例外の1人だ。
「お前、ばらすなよ。楽しみがなくなるだろ」
 その、快活そうな黒髪の少女に豪快なヘッドロックを喰らわせながら武は恨めしげに答える。ギリギリと腕に力を込めるあたり、本気であると窺える。
「ぐうぅ―――――っ!」
 苦しげに声ならざる声を上げながら少女は武の腕を全力で叩く。固められている首を必死で動かそうとしているところを見れば、こちらも本気であることは充分に分かるだろう。
「あんまり反省したようには見えないが……許す」
 腕を離し、武は少女をヘッドロックから解放した。崩れ落ちる少女の姿は、どこか海岸に打ち上げられた海藻の類にも似ている。
「あの……白銀中佐。彼女は?」
 新入りたちと同じくらい唖然とする連隊幹部一同。
 マリアが思いの外動揺していて訊ねられないため、代わりにエレーヌが武に問いかけてきた。
「ん? ああ…こいつは――――」
「うぐぐ……教官のヘッドロックも久し振りなのです…。そもそも、ヘッドロックしてくる上官なんて他に会ったこともありません……」
 未だ立ち上がれない少女は肩で息をしながら心中を言葉にする。
 少尉階級の少女が語る経験談など碌に当てには出来ないが、確かに新入りに即日ヘッドロックを喰らわせる上官という者もそういないだろう。
「教官……?」
 訝しそうにそう呟いたのはレイドだった。
「そ。こいつ、俺の教え子。名前は………何だっけ?」
「酷い!」
「冗談だよ。後でちゃんと紹介してやろうと思ったのに、お前がしゃしゃり出てくるから。ほれ、一足先に自己紹介しろって」
 わしわしと乱暴に少女の頭を撫で回し、武は自己紹介するように促す。
「はい! 水城七海(みずしろ ななみ)少尉です! よろしくお願いします!」
 武に促された七海はビシッと敬礼してマリアたちに挨拶を述べる。任官式の時よりもそれが様になっていると感じ、武はふっと微笑む。
「白銀中佐の教え子でしたか。そうであるなら先に教えてくださっても良かったのに」
「まあ、軽いサプライズをだな……っと…教え子ならもう1人いるんだ」
 困ったように笑うマリアに武はそう返す。が、言葉の途中で思い出したように後ろを向き、ちょいちょいと1人の少年を手招きした。
 柏木章好である。
「お久し振りです、白銀中佐。お変わりないようで安心しました」
 呼ばれた章好は武の前まで歩み寄ってきて、苦笑気味の表情で敬礼、そして挨拶を述べる。
「そっちも元気そうで何よりだよ。紹介する、こいつも俺の教え子。今回衛士で新任じゃないのはこの2人だけだ」
 章好に笑い返し、武はやや強引に肩を組みながら部下たちに彼のことも紹介した。章好もやや緊張した面持ちながらしっかりと敬礼で挨拶する。
「あとの衛士10人は全員新任ってことすかぁ?」
 そんな失礼な発言をしたのはディランだ。だが、武が叱責する前にマリアがギロリと睥睨したためすぐに黙り込んでしまう。
「どこだってベテランをほいほいと回してくれるほど余裕ないって。それに、新任の方が鍛え甲斐があっていいだろー?」
 仕方がないので武は冗談めいた口調で注意する。ディランはそれでも不平があるのか、「それがそうなんすけどね……」と歯切れ悪く答えた。
「鍛え……?」
「甲斐……?」
 武の言葉に敏感な反応を示したのは何故か章好と七海だった。その表情はどうにも冗談と受け取っていない節があり、見方によっては脅えているように見えなくもない。
「それに、うちの隊員は若い連中ばっかだからバランスもとれてるしさ、ディランだって自分より年上の部下に生温く慕われたくないだろ?」
「白銀中佐…御自身の立場をお忘れですか?」
 だが当の武は2人の様子の変化に気付いていないのか、そのままディランへの冗談を続ける。その「年上の部下」のフレーズに対してマリアが呆れたように目を覆いながら言い返す。
「あー…そうだ、2人とも」
 やや距離を離そうとした章好と七海を再び強引に引き寄せ、武は今日一番の笑顔で囁きかける。
「万が一にも、訓練兵の時よりも腕が落ちてるなんて洒落はやめてくれよ?」
「もっ……もちろんです」
 まるで泣くように答える章好と七海。
 その武と2人のやり取りを間近で見ているマリアたちに「今のは冗談に見えたか?」と訊ねれば、恐らく全員が全身全霊で首を横に振るだろう。
「アルテミシア大尉…あたし、白銀中佐の訓練に冗談でも異論を唱えるの、金輪際やめにするよ……」
「奇遇だな。俺も今、それを全力で考えてた」
 ほんの一瞬の出来事の間に、武の教官時代のスタンスを垣間見てしまったエレーヌとディランは神妙な面持ちで呟き合う。
「ま、お前らに限ってそんな心配はいらないか。訓練校でも飛び抜けて優秀だったし」
 悪役っぽい笑みから一転、朗らかに武は笑う。
 武も2年間の教官期間で結構な人数を教えてきたが、確かに柏木章好と水城七海の2人は優秀者の部類に入る訓練兵だった。
 それはもちろん、彼らが元から持っている才もあるが、何よりも2人がひた向きな努力を忘れないからである。
 そんな言葉をこのタイミングでかけられても当の2人は困ったように笑い返すしかなかった。
「じゃあ、早速PXに――――」
「白銀中佐。お言葉ですが、まだ給仕の方が間に合っていません。あと3、40分ほどかかると思われます」
 全員にPXへ行くよう促そうとする武に、美鈴が普段より丁寧な口調で告げてきた。そういえば新入りの到着は90分も早まったのだったなと武も思い出し「仕方ないな」と呟く。
「じゃあ、誰かざっとでいいから施設の中を案内してやってもらって………」
「新入り諸君! あたしがこの第27機甲連隊の273戦術機甲中隊(ハンマーズ)中隊長 エレーヌ・ノーデンスだ! 主要施設を教えてあげるからついてきなさい!」
 正式な点呼時間まで、誰かに新入りたちの面倒を見てもらおうと思った武だったが、皆まで言うよりも早く、どういうわけかエレーヌが拳を掲げていた。
 さっきまでこちら側にいたのにいつの間に?と武は絶句する。だが、エレーヌは最早そんなこともお構いなしである。新入りたちへ半ば強引に拳を挙げさせ、己の掛け声に同調させようとしていた。
「ノーデンス大尉はやる気充分のようですが……如何されます?」
「あそこまで変な気合いの入ったエレーヌは見たことないから、任せる。あいつだったら新任の緊張も上手くほぐしてくれるだろ?」
 マリアが隣に立ち、ちらっと視線を送りながら武にそう訊ねる。訊ねられたところで武にだって他に答えようがないのだが、一応判断を仰いでくれたということだろう。
 元々、武は誰かに委任するつもりだったのだが、立候補があるのならそちらを尊重して然るべきである。
「じゃ、ここで解散。新入り連中はエレーヌについて基地の中を見て回るといい。あんまり時間もないから必要最低限ってことになるけどさ」
 武がそう言うと、戸惑っていた新入りたちの不安も和らいだようである。ようやく指揮官から正式な指示を出され、助かったと思っているようだ。
 集められた責任者たちは武の「解散」の言葉に、限りある各々の時間を過ごすために談笑しながら散開していった。
「じゃあ頼むぞ、エレーヌ。章好と水城も先任なんだからちゃんとしろよ」
「了解。朝食には遅れないようにPXに行きます。じゃあ、行くよー」
「はい!」
 エレーヌも先任らしくまともな口調で武にそう伝え、新しい部下たちを促して歩き始める。それに追従して31名の兵士たちが、ようやく第27機甲連隊における第一歩を踏み出した。
「ノーデンス1人では何をやらかすのか心配です。俺も付き合いましょう」
「助かる。悪いけどお目付け役を頼まれてくれよ」
「はっ」
 レイドは武とマリアに敬礼を返し、列の最後尾についていった。中隊長2人に挟まれた新任たちの構図はなかなか異様であるが、殊更、公私共に部下に慕われるという点においてあの2人の右に出る者はいない。
 意外にも、その実エレーヌとレイドはこの手の役回りにも適任なのである。
「エレーヌが名乗り出るとは思わなかったぞ」
 その場に残り、部下たちを見送る武は小さな声で隣のマリアに声をかけた。
「彼女は私の知る中でも随一に面倒見の良い者ですから、率先して新入りの世話を焼きたいのでしょう」
 ふふっと柔らかく笑いながらマリアはそう答える。それに武も「なるほど」と頷く。
 確かに、遠ざかるエレーヌと新入りたちは、まるで元気が取り柄の姉と弟・妹たちの姿に見えなくもない。やや弟・妹たちの数が多いのは御愛嬌だ。
 エレーヌのすぐ後ろでは章好と七海が賑やかに話しているようだった。いったい何を話題にしているのか、時折お互いに肩を揺らして笑っているのも武の位置から確認出来る。
「仲が良いのですね。柏木少尉と水城少尉は」
 同じように章好と七海を見送っていたマリアが呟くように言った。
「同じ訓練分隊所属だったし、そもそも幼馴染みだからな。仲もいいし、それと同じくらいお互いに張り合ってるぞ」
 マリアの言葉に同意に、武は答える。思えば、あの2人は同じ訓練分隊に配属されたときから仲が良かった。両者とも最初から見所はあったが、お互いにライバル視することで自己を研鑽していたのだと武は当時から見抜いている。
「期待致しましょう。個人的にも、白銀中佐の教導された衛士というのには興味があります」
 ふふっと微笑み、マリアは珍しく冗談っぽい口調で言葉を続けた。武も笑いながら「そこは俺に期待するなよ」と言い返す。
「それで、マリア、午前の訓練のことで相談なんだが……」
「はい、何でしょう?」
 不意に武が声色を落としたので、マリアも神妙な面持ちで訊ね返す。
「……朝メシの後、衛士は全員管制ユニットに待機させておいてくれ」
「コックピット待機…ですか? 新参の配置がまだですが……」
 その武の指示には、マリアも眉根を寄せながら意見を述べた。
 彼女の言い分も尤もだ。実機待機の場合、行われるのは往々にして模擬戦であるが、全中隊を動員するケースは少ない。しかも、今はまだ配置も決まっていない新入りが12人もいるのだ。
「構わない」
 きっぱりと武は言い切った。
 今回に限って言えば、完全に武は命令している。簡単な指示でも提案でも要望でもなく、ただ上官としてマリアに対し、方針についての命令を下しているのだ。
「………了解しました。小隊編成は通常のままでよろしいのですか?」
「編成は各中隊長に一任する。人数が余ったり足りなかったりした場合は兼任したり交代したりしても構わない」
「はっ」
 武が述べる明細を聞き、マリアは改めて敬礼で応えた。
 彼女は今の武の命令からおおよそ何をするのか予見している。小隊編成云々の話を切り出してきたことからもそれは充分に窺えた。
 基本的に、実機による模擬戦は小隊規模同士で行う。中隊規模で行うにはこの北部駐屯地の演習場を丸々1つ使わなければならないからだ。
 よって、模擬戦を行うためには事前に小隊の編成を済ませておかなければならない。
 無論、各中隊は3個小隊から構成されているため、通常であればいちいち再編しなくとも即応出来るのだが、生憎今はH12攻略作戦の際に欠けた穴が埋まっておらず、各中隊の戦力が均一化されていない。たとえば、274戦術機甲中隊(アーチャーズ)など酷いもので、実質現在は2個小隊から成っていると言っても過言ではなかった。
「では、私は整備班の方と話をつけて参りますので、白銀中佐はしばしお休みを――――」
「休むのはお前だ。まったく…寝起きから働きやがって……。ハンガーには俺が行く」
 午前の訓練を円滑にするために更に働こうとするマリアを制し、武もようやく重い足を前に進めた。
「は……? いっ…いえ! しかし! 中佐にそのような――――」
「いいから部屋に戻って少しは寛げ。上官命令だ」
 一瞬ポカンとしていたマリアだったが、すぐに反論してくる。だが武はその反論さえも遮り、ダメ押しと言わんばかりに語尾へ“上官命令”と強調して付け足す。
 権限の濫用だが、これくらいしないとマリアは頷かない。だからこそ武は厳しい口調で述べたのだ。
 これは何も武の気遣いだけではない。今後更に激務が約束されるであろうこの連隊において、彼女には今からそこまで根を詰められては困るのだという打算的思惑も多分に働いている。
 マリアの返事も聞かず、武は兵舎に向かって歩き出す。
 足早に進みながら、武の思考はもう別のことを考えていた。
 それは、朝食の後に行う予定の模擬戦について。すべての衛士を参加させて行うこの模擬戦の意図がどこにあるのか、恐らくマリアもまだ気付いていないであろう。
「洗礼はちゃんと受けてもらわないとな」
 武は口元を不敵に緩ませながらそう呟く。
 彼がこの表情をした時は大抵途轍もないことを考えていたりするものだが、残念なことにこの連隊に所属する者のほとんどはその事実を知る由もない。



[1152] Re[13]:Muv-Luv [another&after world] 第13話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/02/27 03:33
  第13話


 レイド・クラインバーグは今、非常に焦っていた。
 この第27機甲連隊に配属されてから2ヶ月、ここまで焦った記憶は彼自身にもない。それほどまでに焦らされていた。
 その理由はこの、大模擬戦大会にある。
 副長のマリアから「各自実機管制ユニット内にて指示あるまで待機」と告げられた時から、どうにも奇妙な予感が働いていたが、期待を裏切らずそれは当たった。
 その後、武の口からされた説明によれば、「今回は各小隊による親善模擬戦を行う」とのこと。また、「新入りは新入りで小隊を組むからこっちは気にするな」とも述べていた。
「こちらブレイカー1。各機状況を報告せよ」
 市街地演習場エリア3。その廃墟の陰に身を潜めながらレイドは部下にそう問いかける。
『ブレイカー4、現在哨戒行動継続中。敵影は捕捉出来ません』
『こちらブレイカー7。同じく敵影捕捉不能。さっきまで派手に交戦してたんですけどね』
『ブレイカー12、音感・熱感・振動センサーに反応はありません。上手く隠れられたようです』
 3人の部下から現状を伝える返答が即座に返ってくるが、どれもこれも嬉しい報告とはとてもではないが言えない。
「ブレイカー1了解。各機、柏木少尉には注意しろ。この距離からフォローに回れる自信は俺にもないぞ」
『了解!』
 跳躍ユニットは使わず、体勢を低くしたまま摺り足でゆっくりと移動しながらレイドはそう告げる。それに部下たちは一斉に了解の言葉で答え、回線を閉じてゆく。
 纏まっていては一網打尽にされかねないので、部下は散開させた。そのためお互いの距離は直援出来ないほどに開いている。
 所謂、火力分散。攻撃に先んじ索敵に重点を置いた布陣である。
 集団突撃戦術を繰り返すBETAに対し、対人戦術が効果を発揮するケースは稀であり、衛士の訓練とは本来それに偏ってはいけない。しかし、今回は全力で対人戦術も駆使して良いと武から許可も出ていた。
 故にレイドは今、相手の出方を窺っている。
 刹那、レイドの乗るラファールが警笛を鳴らした。
 その発信元がどのセンサーなのか確認する暇もなかったが、少なくとも接敵を報せているのだ。
「――――――っ!?」
 出現した敵影を確認しながら機体を反転、跳躍ユニットを噴かせて即座に別の通りへ転がり込む。それを追尾するように破砕した道路や廃墟の壁面など至るところにペイント弾が炸裂した。
「ブレイカー1! エンゲージ・ディフェンシブ!」
 部下に報告と警告を同時に発しながら、崩れた体勢を一瞬で立て直す。そしてそのままの挙動で突撃砲の砲口を通りの先に向けた。
「餓鬼がっ!!」
 荒れ果てたアスファルトの大地を蹴り、レイドは通りに入ってくるラファールに対して36mmをぶっ放す。トリガーを固定して5秒。都合80から100のペイント弾で追跡を牽制しつつレイドはサイドブーストで通りを反対側に抜けた。
 敵ラファールことアルファ1も反応が良く、かなり際どいタイミングで撃ったレイドの砲弾は倒立反転で事も無げに回避される。
 アルファ1…新参の柏木章好(あきよし)の腕はレイドの想像を遥かに上回っていた。たとえ任官してからまだ1年の若輩でも、彼はあの白銀武の教え子なのだ。一瞬でも圧倒出来ると思った自分が間違いだったと、レイドは後悔している。
 敵であるアルファ小隊の数は同じく4機。柏木章好、水城七海の他の上位2名で編成されている、新参側の上位小隊である。
『ブレイカー12、エンゲージ・ディフェンシブ! 2機か…!!』
『ブレイカー12! そのまま持ち堪えろ! 支援する!』
 先刻とは異なり、振動センサーが終始波形を示しているこの状況。姿こそ完全に確認出来ないが、アルファ1がレイドの追跡を諦めていないことは明らかだ。
 相対し、ブレイカー12が交戦しているのはアルファ3とアルファ4。つまり新任の2人であるが、彼らを侮ることも足をすくわれる要因になる。
 彼らに対し、この30分でレイドが下した評価は決して低くない。判断力と詰めの甘さは新任特有だが、機体の挙動制御に関しては欧州における新任の平均を凌駕している。
 これは彼らが特別優秀なのか、それとも極東の新任平均能力が高いのかはレイドの知るところではない。
「ちっ!」
 再度レイドは噴射跳躍。通りからビルの屋上に向かって飛び上がった。
 雨のように降り注ぐペイント弾を躱しに躱し、近接するアルファ1に向けて120mm 1発と36mmを立て続けに掃射する。
 左右にサイドステップを繰り返しながらアルファ1は尚も接近。
 速い。
 だが、それだけだ。
 速ければ速いほど軌道は読み易く、また、この市街地演習場では多数の廃墟が邪魔をしてその機動も最大限に活かせていない筈である。
「ブレイカー7、ブレイカー12。アルファ3とアルファ4を釘付けにしろ。柏木少尉は俺が引き付ける」
『了解!』
「ブレイカー4はこちらのバックアップを任せる」
『了解』
 ラファールの着地の衝撃で倒壊を始めるビル。36mmのトリガーを固定しながら更に後方に飛び退く。
 アルファ1もそれを躱すためほぼ同時に跳躍し、空中で倒立反転しながらレイドから向かって右側に移動。
「近接戦闘じゃ埒があかぬか…。だが、そのポイントはマークしている!」
 レイドはクッと唇の端を上げながら思わず呟く。
 同時に120mmの砲撃音が響く。ただしそれはレイドが撃ったものではない。
 レイドが誘い込んだそのスペースをマークしていた、ブレイカー4による狙撃だ。
 レイドの攻撃と、市街地という特殊な地形、そして乱立する廃屋の耐久性を考慮すれば、アルファ1が着地するポイントはあそこしかない。それを読み切っての狙撃なのだ。普通であれば外す筈がない。

 ただ1つ、レイドが読み違えたものがあるとすれば、それはアルファ1…柏木章好の挙動制御技術だけである。

「なっ――――!?」
 目の前で起きた突拍子もない出来事に、レイドは思わず言葉を失う。
 着地したアルファ1が、コンマ数秒の硬化時間も無しに右の大通りへと転がり込んだのである。
 あの倒立反転からの着地ではいくら機体の性能が高かろうとも、着地してから次の行動に移るまで最大1秒近くの硬化時間があって然るべきである。いくらXM3が衛士個々に適化し、行動の入力を簡略化しても、“そもそも入力されていない行動”を取ることは絶対に不可能であるからだ。
 ならば、どうやって柏木章好は不可能を可能にしたのか。
 その答えは実に単純である。彼はただ、本来衛士が着地の直前あるいは事後に行う入力を、機体が倒立反転している段階で既に行っていた。
 倒立反転という、上下も左右もないような状態で、尚且つ強化装備の上からも締め付けるようなGに耐えながらその入力を行い、彼は着地後の硬化時間をほぼ完全に殺してしまったのだ。
 レイドは歯を軋ませる。
 狙撃は失敗。ならばこのまま近接戦闘を続け、再びその喉元を噛み千切るチャンスを作るしかない。
 だが、レイドはその、あまりにも常識を覆された行動に動じて、アルファ1が逃げ込んだ大通りの先に何があるのか失念していた。
「離脱…!? 拙い! ブレイカー7! ブレイカー12! 即時後退しろ! 挟撃されるぞ!」
 自分から離れてゆくアルファ1を確認し、レイドはようやく敵の狙いを悟る。
 部下に警告を発しながらレイドもアルファ1を追跡すべく、スロットルペダルを大きく踏み込んだ。
 だが、戦況とはそう上手く推移するものではない。目論見とは常に妨害する者がいるものだ。
 速度を上げ、真っ直ぐに大通りを突き抜けようとしていたレイドは、突如反転噴射して強引に後退する。考えるよりも先に、彼の経験からくる直感がそう行動させていた。
 そしてそれを裏付けるように、後退するレイドの足先をペイント弾が掠める。
 あのまま前進していれば容易く撃ち抜かれていたのは想像に難くない。
 そして、あくまでレイドの前進を妨げるつもりなのか大通りに新たなラファールが出現した。
 コール アルファ2。
 柏木章好の次に難敵である水城七海だ。章好ほど格闘型でないのか、水城七海の主兵装はただの突撃砲ではなく、ロングバレルの支援突撃砲である。
 レイドは呼吸するのも忘れて相手を見据えていた。
 スロットルペダルにかけた足は今にも攣りそうなほどに緊張している。彼にとって、模擬戦でここまで緊張感を持たされるのは久し振りのことだ。
 ほんの3、4秒。
 お互いが静寂の中で見つめ合っていたのはその程度。だが、次の瞬間、どちらともなく跳躍ユニットを噴かせながらアスファルトを蹴る。
「ブレイカー4! アルファ1の足止めをしろ! 先任の意地を見せてやれ!」
『やってみます』
 36mmでアルファ2を牽制しながら部下に指示を下す。レイド自身、この状態を即座に脱して柏木章好を足止め出来ると思うほど自惚れてはいない。
 水城七海は実に冷静だ。レイドは36mmと120mmで牽制し、隙あらば今の立ち位置を逆転させようと狙っているのだが、彼女の機動は常に彼を正面に捉えて放さない。
「くっ……場慣れしている…! 極東の衛士は化物か…!?」
 一定以上の距離も取れず、また背後に回り込むこともままならない状況にレイドは思わず本音を露呈させる。
 2個小隊を単機で敵に回し、大立ち回りを演じた武に比べれば人間らしく思えなくもないが、彼があの若さで中佐の階級にあることを考えれば納得せざるを得ない。
 だが、目の前の衛士はまだ任官してからまだ1年に満たない少尉なのだ。それでこの挙動というのならば、最早極東の衛士は尋常でない能力を持っていると思うしかない。
「くそっ……これ以上時間はかけられん」
 残された制限時間を確認し、レイドは唸り声を上げる。
 信じたくはないが、柏木章好の能力は総合的に中隊長随一のユウイチよりわずかに劣る程度。むしろ挙動制御ならば上をいっているだろう。それよりもまた更に劣るが、水城七海の能力もレイドの部下よりは軒並み高い。
 他2名の新任についても、レイドはほとんど接触していないが、レイドの部下に比べて著しく劣っているようには見えなかった。
「いや……異常なのはあの挙動か」
 レイドの呟きは至極当然だ。章好や七海、新任連中を手強くしているのは何よりもあの挙動制御技術である。挙動で劣る限り、一対一ではあまりに分が悪い。
「ブレイカー1より小隊各機。敵を牽制しつつ即時指定するポイントに向かえ。連携で対応する」
 アルファ2の36mmを旋回しながら回避し、レイドは部下にそう伝える。
 遮蔽物を盾にしながらジリジリと距離を詰める。それを分かっているのか、アルファ2もゆっくりと微速後退を続けていた。
 データリンクで部下の状況を確認する。
 ブレイカー7と12は少しずつ敵機との距離を開いており、ほぼ離脱に成功。共にD-25に向かって移動している。生き残る術と地の利に関しては先任に分がある。
 だが、ブレイカー4とアルファ1の距離は目算でもそう離れていない。辛うじてP-27に向かって移動を続けているといったところだ。
 敵が連携戦術を駆使してこないところを見れば、向こうも多分に焦っているのだと分かる。
「いつまでも調子に乗らせるわけにはいかぬな!」
 常にレイドの進撃を阻むポジションに構えるアルファ2は驚嘆に値する。レイドの動きをほぼ完全に読み切っているといっても過言ではない。
 レイドの部下は現在、戦域マップで見て上下に分かれて移動している。K-8で交戦しているレイドから見れば向かって左右に展開しているとも言える。
 敵機の位置はアルファ1がブレイカー4を追って同じくP-27へ。アルファ3と4もブレイカー7と12を追ってD-25へ。アルファ2はレイドの正面…ほぼK軸上の真上にいる。
 レイドは迷わずP-27へ向かって移動を開始した。
 既に位置を把握している遮蔽物を巧みに使い、アルファ2の追撃を躱しながら前進。ブレイカー4との合流を目指す。
 しかし、水城七海は常にレイドとブレイカー4の位置を的確にトレースしており、これまでと変わらず絶対に正面から離脱させない。
 だが、その正確さが今は助かる。
 レイドの行動に準じて動くのであれば、その位置は終始予測し易いからだ。
「より早い入力か……面白い」
 レイドはそう呟いて唇の端を上げる。それとほぼ動じにフルスロットルで急加速前進。
 アルファ2も反転噴射で急加速後退を行い、レイドとの距離を保とうとする。
 刹那、レイドは着地と同時に左へ方向転換。残り2発しかない120mmと半分以上を使い切った36mmでアルファ2を牽制しつつ、完全に向きを“D-25方向”へと変更させた。
 アルファ2は誘い込まれたN-23付近に着地すると同時に、攻撃を躱しながらレイドと同じ方向転換を試みる。
 それが、この大規模な追いかけっこにおける詰みだった。
『あっ――――!!』
 アルファ2のすぐ横には巨大な建造物跡。LM-22・23を占有するほどの高層ビルがそびえ立っている。
 彼女から見れば、ほぼ垂直に飛び上がるかあるいは迂回するかしないと越えることは出来ない遮蔽物だ。
 困惑すること1秒、思案すること2秒弱。
 都合3秒のその空白時間は、レイドにアルファ2を引き離させるには充分だった。
 鮮やかな放物線を描きながら高層ビルを飛び越え、着地。レイドはD-25に向かって猛撃を仕掛ける。
「ブレイカー7! ブレイカー12! 攻撃を緩めるな! 一息に平らげるぞ!!」
『了解!』
 着地時の硬化時間を更に短縮させ、レイドは疾駆する。現状からアルファ2がレイドの前に立ちはだかるのは絶対的に不可能だ。
「ブレイカー4! しばし持ち堪えてくれ!!」
『何とか逃げ回ってみますよ。出来るだけ早く来てください。クライン大尉』
 正面にいる2機の敵影を捕捉しながら、レイドは独り反対側に残されたブレイカー4に問いかける。
 問われた部下の青年は冗談っぽく笑いながら答える。彼の応答には、レイドも「ああ」と短く答えることしか出来なかった。
 レイドに引き離されたことで、アルファ2は目標をレイドからブレイカー4に変更している。つまり、彼は1人で章好と七海の2人を相手にしなければならないということだ。
 レイドは、自身でも成し得るか分からないことを部下に課した己の弱さを悔やむ。
 ぎりっと歯軋りをしながらフルスロットルで全力水平噴射。己の正面にアルファ3の機影を捉え、36mmのトリガーを引いた。
 アルファ3は右から左へフェイントを織り交ぜながらステップするが、何の邪魔も入らないこの状況で間合いから逃がすほどレイドも衰えてはいない。
 ビルの壁面を蹴って強制転換。威嚇として放たれたアルファ3の36mmを鮮やかに回避し、代わりに一瞬にして敵の進行方向に割り込む。
「この至近距離で躱せるものかッ!!」
 アルファ3の持つ突撃砲の砲口が動くよりも早く、レイドは再びトリガーを引いた。
 36mmのペイント弾は確実に敵機の中心を捉え、その白い装甲の機体をオレンジ色に染め上げてゆく。
 挙動制御には長じているが、相手としてはあの2人に比べてかなり楽なものだ。無論、挟撃されているという状況によって移動にはかなりの制限がついていただろうが、恐らく柏木章好ならば今のも躱したであろう。
 アルファ4はブレイカー7と12が展開し、平面機動挟撃で即座に距離を詰める。
 36mmを躱し空中に飛び上がったアルファ4を、ブレイカー7が120mmで狙い澄まして攻撃する。だが新任もすぐさま反転噴射で急降下し、地面に叩きつけられるようながらも凶弾を回避してみせた。
 新任としてあの挙動は及第点だが、結局はそこまでだ。
 着地点を予測したブレイカー12に待ち構えられていたため、そこで詰みとなる。
『こちらブレイカー12。アルファ4撃墜』
「ブレイカー1了解。こちらもアルファ3を落とした」
 部下の報告に答え、レイドも呼吸を整える。
 瞬く間に2機。昨日今日で顔を合わせた新任たち相手には酷だが、連携戦術を駆使すれば容易く撃墜することが出来る。
『これで4対2……』
「いや……3対2だ」
 渋い表情でレイドが答えた直後、戦域マップの上からブレイカー4を示すマーカーが消えた。
 ベテラン衛士にも引けを取らない2人を同時に相手にしていたのだ。彼としても長く耐え切った方だろう。
「アルファ1を引き付ける。2機で連携してアルファ2を撃墜しろ」
『了解。ブレイカー12、そっちは右から被せろ。私は左から行く』
『了解!』
 高速で接近してくるアルファ1を確認しながらレイドは次の指示を下す。
 両者の装備を考慮に入れれば、アルファ2はアルファ1を後方から支援して然るべきである。また、近接戦闘に持ち込んだ場合に弱点が露呈する可能性があるのもアルファ2だ。
 ここは多少強引でもアルファ2を撃墜し、3人ないし2人がかりでアルファ1を無力化する、この模擬戦の詰みとする方法が最も無難である。
「来たか…!」
 向かって右から左へ跳躍。その間にも正面から迫るアルファ1へ36mmを掃射した。だが、同様に向かって左へ躱すアルファ1には当たらず、ペイント弾は無情にも建物の外壁を染め上げる。
 砲弾の残量は侘しい。
 ここまでに牽制で幾度となく使用してしまったため、レイドの手持ちの36mmは都合約300発。120mmにいたってはもう1発しか残っていない。たとえ1機といえども、柏木章好を相手にするには非常に心許ない装備状況だった。
「だが、そう悲観することもない…か」
 放たれる36mmを、建造物の陰に転がり込むことで防御する。今の掃射時間から換算すれば、放たれた砲弾の数はおよそ60発といったところだろう。
 アルファ1の攻撃頻度も明らかに落ちてきている。追跡こそ手は抜いていないが、牽制攻撃が著しく少なくなってきているのだ。

 そして、それはレイドも同じこと。

 建物の陰から飛び退きつつ、わずか3秒の射撃でレイドはアルファ1の接近を打ち払った。アルファ1は追撃を避けるために倒立反転で左から右へ移動してゆく。
 レイドと柏木章好の攻撃パターンが酷似し始めたということは、両者の兵装状況が酷似しているということに他ならない。砲弾残量が減れば減るほどに取り得る選択肢が狭まってゆくのだから。
 スロットルペダルを大きく踏み込み、レイドは敢えてアルファ1へ向かって再接近。倒立反転から着地に転じた相手に向け、再び36mmで射撃を行う。
 だが、柏木章好の反応速度はやはり尋常でない。本来であれば硬化時間を狙い澄まして命中する筈の砲弾が尽く躱され、あまつさえ反撃に36mmを放ってくるのだ。
「たいした餓鬼だ……!」
 舌打ちをしながら大地を蹴って反転、そのまま死角となる通りに無様に転がり込むことでペイント弾を回避する。
 だが、追撃はなかった。
 目を細めて見れば、正面で対峙したアルファ1は無造作に突撃砲を投げ捨てていた。
 相対し、レイドの突撃砲に残された砲弾は36mmがおよそ140発。先刻の攻撃で相当量消費してしまったが、残っているだけで上等だ。
 これが直接戦局を左右するかどうかは甚だ不明だが、根競べはわずかながらレイドに軍配が上がったと言えるだろう。

 さて、どう出る?

 最早ナイフシーケンスに格納された2振りの短刀と、ラックに背負った1振りの長刀しか武器を持たないアルファ1に、レイドは心の中でそう問いかける。
 否。それは己に対する問いだったのかもしれない。
 この状況で、アルファ1を振り切ってアルファ2に攻撃を仕掛けることは最も理想的であり、不可能ではない手段である。
 現状、レイドの部下は押してはいるものの、アルファ2に対してやや攻めあぐねている感がある。そこにレイドが合流すれば事は順調に推移するに違いない。
 これがもし任務で、武から「敵を全滅させろ」と命令されていれば迷わずそうしただろう。
 だが、レイドは今無意識のうちに迷っていた。
 この、レイド・クラインバーグが……。
 白銀武によって275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)を任された中隊長が、自分より年齢も階級も経験も劣る少年に対し、本当にそれで勝ったと言えるのだろうか。
「……手合いの中にこそ学ぶべきこともある…か。白銀中佐…今回は上手く乗せられました」
 レイドは軍人であって、騎士でも武士でもない。
 だが、無性に今は退く気になれなかった。部下を1人礎にした己がそのように考えるのは実に大きな過ちであることは重々に承知しているが、それでも尚、先任として意地でも退くわけにはいかなかった。
 次の瞬間、レイドは疾駆した。
 最早砲弾の危険に曝されることもないため、真正面から接近。適当な間合いに入ってから36mmのトリガーを引く。
 その状態ではどうしようもないのか、アルファ1はペイント弾を躱すためと距離を取るために噴射跳躍で右へ跳ぶ。
 アルファ1は着地と同時に左腕のナイフシースから短刀を抜き、右手に装備した。
 賢明な判断である。市街地戦闘では、多くの障害物が邪魔をして、長刀が扱い難い。ラックに背負ってはいるが、ここでは事実上、飾り物に近い武器である。その点において短刀装備の選択は実に正しい。
 だが、突撃砲に対してそれで応戦するというのは、衛士の実力あるいは機体の性能に雲泥の差がなければ実質不可能に近い。
 最後の120mmで追撃。
 それをアルファ1は更に後ろに跳んで回避するが、立て続けに放った36mmがその右腕を捉える。哀れにも短刀を握ったままその右腕は機能を停止させた。
 同時に、警笛と共にレイドの網膜にエンプティの表示が映る。
「ならば――――」
 空中で倒立反転しながら突撃砲を放り投げ、先刻のアルファ1同様に着地直後にナイフシースから短刀を抜いて右手に装備。
 そのまま水平噴射でアルファ1目掛け疾駆する。
 狙いは胸部。単純にその短刀を突き立てる。
 アルファ1も迎え撃つつもりなのか、その場から動かずにまだ生きている左手を動かした。
 無駄だ。この速度ならば、たとえ彼が短刀を抜こうとも、それを構えられるよりもレイドの方が早く一撃を加えている筈である。
「うおおおおおぉぉぉぉっ!!!!」
 怒号を上げ、レイドは更に速度を上げる。
 この一騎打ちを詰みとする、全身全霊の一撃を賭けて――――――。



[1152] Re[14]:Muv-Luv [another&after world] 第14話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/02/24 23:53


  第14話


「演習終了。272A、ブラボー小隊、ハンガーに戻れ。午前の演習はこれで終わりにするぞ」
 市街地演習場のエリア1、エリア2、エリア3を同時にモニターしていた武は、模擬戦の終了したエリア2の8名に対してそう呼びかける。
『了解ぃ。やっと終わった……』
 応答したディランは実に疲労困憊といった感じで答える。今の模擬戦は結果として272Aの圧勝だったが、経緯としてはかなり切迫した戦闘だっただろう。
 事実、ディランも含め272Aの4名は何れも1度はあわや撃墜という状況まで追い込まれる場面があった。
「午後は全体ブリーフィングの後、いつも通りの訓練だからな。手を抜くなよ?」
『了解』
 何とも気の抜けたディランに武は釘を刺すが、返ってきたのはやはり気の抜けた返答だった。尤も、今回の模擬戦で新任たちにいいようにされたのだから、気を緩ませているというわけではあるまい。どちらかと言えば恐らく呆然としている。
「結局……アルファ小隊に勝てたのは271Aと276Aだけか。レイドのとこも惜しかったんだけどなー」
 結果を出力した紙を見ながら武は「むう」と唸りつつ呟く。
 ユウイチ率いる276Aが勝利したのは武の予想通りだが、271Aの勝利は少し意外だった。今回、武は傍観という形を決め込み、小隊はマリアに任せたのだが、彼女が想像以上に善戦してくれたらしい。
「あの状況で長刀を振り下ろされるとは思わなかったです」
 仮設のモニタールームへと一足先に戻ってきていたレイドは、武の呟きにそう答える。
「常識的に考えれば、市街地戦闘で長刀は不利だからな。まあ、今回のことで“振り下ろすだけ”ならあんまり関係ないって分かっただろ?」
「嫌というほどに」
 武が笑いながら返すと、口をへの字に結んだレイドは唸るように答えた。どうやら、あの状況下で章好に撃墜されたことが相当悔しかったらしい。
 あの時、章好が短刀を選択していれば間違いなくレイドの勝ちだった。
 だが、あろうことか章好はラックの長刀を引き寄せ、瞬く間に縦に一閃させたのである。
 ラファールの場合、ナイフシースから短刀を抜くのも、ラックから長刀を抜くのもタイムラグとしてはそう変わらない。だが、その有用射程は雲泥の差だ。
 柏木章好という少年は、ただレイドが突っ込んでくるタイミングに合わせて長刀を振り下ろしただけ。長刀の切っ先がレイドを捉えた時、彼の短刀は当然の如く章好には届きもしていなかった。
 それが彼らの勝負の結末。
 章好の長刀という選択は、一撃の下に下す自信があったのなら正しい選択だった。
 武の示す通り、市街地という遮蔽物の多い地形にて長刀は“振り回す”には向かないが、一撃のみ“振り下ろす”という点においては別段大きな問題にならないのである。
 加えて、彼らが交戦していたのは大通りであるため、縦方向にはまったく障害物がなく、更に有用性を高める結果となった。
「あの子たち、本当に新任ばかりなんですか? アルファ小隊は強かったし、他の小隊も手強かったですよ?」
 レイドの隣で同じくしょんぼりしているエレーヌも縋るように訊ねてきた。
 彼女の273Aもアルファ小隊には敗北し、ブラボー小隊、チャーリー小隊相手でも相当追い込まれた戦闘を余儀なくされていた。
「10人は新任。ただ、ハンデでお前たちの癖や攻撃パターンは事前のブリーフィングで教えたけどな。やり難かったのはそのせいもあるだろ」
 エレーヌの質問に武はあっさり答えるが、フォローだけは忘れなかった。
 いくらなんでも、昨日今日に顔を合わせたばかりの新任たちがそう簡単に模擬戦で先任を圧倒出来るものではない。今回の推移は、ある程度の下駄を武が履かせた上での結果でもあった。
「それだけではないですね」
「それだけではないでしょう」
 マリアとレイドがほぼ同時に同じ内容の言葉を挟んだ。何かを悟ったような両者の表情に、武は不敵に笑いつつ「へえ……」と応じる。
「彼らを強いと感じたのは、殊更挙動制御技術が尋常でなかったからでしょう。あれさえなければ恐らくほぼすべての小隊は新参に圧勝していた筈です」
「尋常じゃなかったって…具体的に自分たちと比べてどう違うと感じた?」
 マリアの言葉に対し、武は含みのある表情で問い返す。より穿たれた質問に、マリアも困惑したような表情で言葉を詰まらせた。
「行動から次行動へのラグが異様に少ないことがその正体ではないですか?」
 マリアが黙ったのを見てレイドが口を挟む。武はそれに「詳しく話してみろ」と続きを促した。
「はっ。柏木少尉の操縦を見て感じたのですが、行動中に次の行動の入力を行うことで硬化時間を相殺しているのでは?」
「行動中に入力って………あれ? それって有効なんでしたっけ?」
 レイドの意見にエレーヌが反論しようとしたが、すぐに自らで言葉を飲み込んだ。そして他に意見を求めるよう、武や部下たちの顔を見渡す。
「XM3換装の際に多分説明されたんじゃないかと思うけど、印象に残ってないってのが実際らしいな。その中でレイドはよく気付いたよ」
 エレーヌに問われて視線を逸らす部下一同。困ったように苦笑するのは新参衛士たちとレイドだけだ。武も「やっぱり」と言うように頭を掻く。
「今までは基礎能力の向上が最優先だし、不要かと思って座学は省略していたんだけど……ここで改めてXM3の特性について簡単に説明しよう」
「お願いします」
 武の言葉にマリアが代表として頭を下げる。大仰なヤツだと武は苦笑するが、ここは彼らが次にステップアップするために必要な知識であるため、真摯に受け取ってもらわなければならないのも事実だ。
 武はハンガーへ戻っている最中のディランたちにも声をかけ、オープンチャンネルを開いたまま次の言葉を紡ぐ。
「まず、XM3には大別して3つの特徴がある。1つは単純に高い即応性。2つ目はフィードバック機能を最大限に利用した、衛士個々に対する操縦適化。そして3つ目が常に衛士側の入力を監視、対処しているシステムだ」
「監視と対処……ですか?」
 珍しく座学らしい武の講義に、ヘンリーがまるで外国語でも話されたかのような表情で呟いた。
「ああ。1つ目と2つ目については説明するまでもないが、この3番目の特性がなかなか曲者で、具体的にどういった意味があるのか理解してないヤツが多い。多分…欧州でXM3が配備された時に説明した技術士官もよく分かってなかったんじゃないか?」
 頷き、武は続ける。
 1つ目と2つ目の特性は極端な話、乗っていれば考えなくてもよく分かるものだ。即応性が上がったことは体感出来るし、個々に適化する入力の簡略化もフィードバックを積み重ねることで無意識のうちに真価を発揮する。
 だが、3つ目の特性だけはそう簡単にいかない。むしろ、その特性こそが武を腕利きの衛士とたらしめる最大の要因になる。
「簡単に言えば、この3番目の特性によって旧OSでは対応出来なかった先行入力を受け付けるようになったということが最大の特長でしかない」
「つまり、行動中に次の行動コマンドを入力出来るということですね」
「従来受身を取るところでXM3搭載機が強制的に硬化しなくなったのもそれに順ずるわけか…」
「その通り。単純に受身による強制硬化が省略できるだけと認識しているヤツも多いけど、あれは先行入力の副次効果に過ぎない」
 マリアとレイドの納得したような呟きに武は御明察というように返す。若干名ポカンとしている者もいるようだが、まずは中隊長や小隊長レベルに理解してもらえれば良い。
『何で今までそんな便利な機能に気付けなかったんすかね』
「お前らが古参の衛士だからだろ」
 帰投中のディランの疑問に武は即座に答えた。その返答に誰もが眉をひそめ、訝しげな表情をする。
「旧OS搭載機から乗っていた衛士…いや、戦術機に関わるすべての人間には、“次の行動のコマンドの入力は今の行動が終わった後にする”という常識がある。これは当然、旧OSじゃ先行した入力を受け付けないからだ」
 より簡潔に言えば、旧OSでは行動中に入力を行っても意味がないため、誰もその概念を持っていなかったということ。
「この縛られた常識があったからこそ、先行入力するという概念に到達しなかった。しかも、なまじ高い即応性や簡略化が備わっていたため、それだけでも充分に性能向上に貢献している。そもそもそんな概念がない上、切迫してそれを求める人間も少なかったから見過ごされたわけだ」
「あー…確かに、あたし、2つ目までで満足しちゃいますね」
 エレーヌはしみじみ頷く。
 衛士にしてみれば、即応性の向上だけでも有り難い発展だというのに、フィードバック機能を利用したコマンドの簡略化まで付いてくるのならば途轍もない進化だ。誰がそこで不平不満を述べるだろうか。
「……で、そこにいる新参たちが、XM3の特性を“常識”として教育を受けた衛士だ。2つ目までは当然のこと、3つ目の特性も最大限に活用出来るよう訓練されている」
 しばし間を置き、武は自分のかつての教え子と新任たちを指差して言った。古参の視線が彼らに集まる。
「XM3を常識とする衛士が戦場の中心に立つ時代が来るまで5年から10年。だけど、そんな悠長に構えるほど俺たちには余裕もない。だから今回を機にお前たちには今までの常識を捨ててもらおうと思ったわけだ」
「だったら、もっと早く教えてくれても良かったんじゃないですか?」
「俺の挙動見て気付かないお前らが悪い。どうせ半分くらい「あれは白銀中佐だから出来る」みたいな目で見てたんだろ?」
 ヘンリーの批難がましい意見を一蹴し、武は憮然とする。それにはまた誰もが反論出来ずに押し黙ってしまった。
 勿論、武の中で理由はそれだけではない。ただ、この2ヶ月間、それよりも優先して処理しなければならない事柄が多過ぎただけである。更に言えば、毎回衛士の訓練を見られるほど執務が少ないわけでもない。
 また、2ヶ月前の彼らはお世辞にもその挙動を活かせるだけXM3に慣れているとも言い難かった点もある。この2ヶ月の基礎訓練期間は避けて通れない道だったのである。
「それに、新任にあの挙動された方が衝撃も一入だろ? 日本じゃもうこのくらいの衛士は珍しくもないんだぜ? いやー、ほんといいタイミングで章好たちを送ってくれたよ、ヴィンセント准将は」
 厳しい表情から一転して武は可笑しそうに笑う。武が多少下駄を履かせたとはいえ、新任たちにあれだけ追い詰められたのだから、古参の衛士も帯を締め直したところだろう。そういった起爆剤の意味でも彼らは役に立った。
 彼らは今日、XM3の真価を嫌というほど思い知らされたに違いない。
 人間において経験に勝る技能はない。XM3についてマニュアル通りに教えられる人間は数多くいても、感覚的な技術まで事細かに教導出来る者は実に少ない。
 その数少ない教官の1人が武であり、そしてその武の2年の教官生活の成果が今日の模擬戦にあった。
「まあ、アルファ小隊に負けたことはそう気に病むもんじゃない。あの2人は俺が教えた訓練兵の中でも優秀者の部類に入る衛士だし」
「ありがとうございます」
 武の言葉に章好と七海が同時に敬礼して応じた。
 フォローも忘れないが、それでも部下の表情は晴れない。ユウイチあたりも終始無言だったが、視線だけ見れば章好のことを相当意識しているようにも見える。
 彼も極東にいれば章好たちと同じ規範を持つ衛士になり得ただろうが、この欧州ではまだXM3教育が徹底されていない。ほぼ存在しないと言っても過言ではないだろう。それは少し残念な話だ。
「白銀中佐はそう言いますけど……やっぱり悔しいですよー」
「ノーデンス大尉に同意します。同年代の先任としては負けたくありません」
「長刀でつけられたツケは、出来ることならば早急に返したいところです」
 ディランを除き、アルファ小隊に敗北を帰したエレーヌ、ヘンリー、そしてレイドの3人は各々が恨めしげに心中を露呈させる。
 武は笑う。
 そう。彼の部下はこれくらい負けん気が強い。今回の模擬戦の結果を「そうですか」と簡単に納得するような連中ではないのだ。
「じゃ、古参連中へのながーいXM3の講習会はお開きにして、正真正銘の新入り歓迎会でもするか」
「はい?」
 武のその言葉に場の空気が一変する。言葉の意図を理解した者と理解していない者の比率はおよそ半々。そしてそれぞれに属する人間の反応はおよそ2種類のみだ。
 理解していない者のグループは怪訝そうにするか唖然とするか。
 理解している者のグループは喜ぶか項垂れるか。主に項垂れているのは新入りたちである。
「市街地演習場全域を使って模擬戦を行う! 新入りは全員ラファールに搭乗し、所定のポイントにて指示あるまで待機。装備はタイプAに統一だ」
 声高に指示を出すと、「やっぱり」と呟きつつも新入りたちは敬礼で応じ、ラファールへ搭乗しようと踵を返す。
「仮想敵部隊はどこが担当します?」
 ウキウキとした様子のエレーヌが訊ねてくる。まるで自分の中隊を指名してくれと言いたそうだ。
 甘い。白銀武が歓迎会でそんな温い選択を取る筈がない。
「特別編成だ。新入りの仮想敵は俺と各中隊長6名、それと271A小隊も付き合え。10対12だが、種明かしまでしていて負けたらそれこそ承知しないぞ?」
「『サーイエッサー!!』」
 エレーヌとヘンリー、レイドとこの場にいないディランが嬉々とした様子で声高に応える。マリアとユウイチは黙ったまま大きくため息を漏らしたが、一切の異論は唱えない。
 それをうっかり聞き流せなかった新入り衛士12名は、表情暗く足取り重く、項垂れたままハンガーに向かうしかなかった。




「シルヴァンデール少尉、ちょっと不機嫌そうでしたよ」
「ふあ?」
 並んで執務室に向かって歩いていると、不意に隣のリィルが武にそう言った。数種類の書類に視線を落としていた武は思わず奇妙な声を上げる。
「午前の最後の模擬戦で、ラファールをペイント塗れにされたって」
「……ああ、それか」
 唇を尖らせてリィルが言葉を続けると、武も思い出したように苦笑して呟いた。
 章好率いる部隊を武率いる仮想敵部隊が完膚なきまでに叩き潰したのは、つい数時間前の話だ。一応歓迎会ということで、多少派手なことをしてしまったのでは…と武も気になっていたが、リィルの発言で心配が小さな罪悪感に変わる。
「中佐の難題は今に始まったことじゃないと言ってましたけど、出来れば後で謝っておいた方がいいと思います」
「そうだよな…。流石にあれはやり過ぎたよな…」
 珍しくリィルも怒っているようなので、武の申し訳なさも更に強まる。
 別段、模擬戦によるペイントの除去で整備兵が労力を費やすことは特殊な話ではない。
 だが、今回はその例には当てはまるまい。何せ、今回の場合、模擬戦だからという理由では済まされないほど新参者の機体を片っ端からオレンジに染め上げてしまったのだから。
「まあ、いろいろと驚かされたからついうっかり……さ」
「白銀中佐って変なところで子供っぽいですね」
 それでも言い訳染みている武にリィルは追い討ちの一言をかける。
 連隊内でもかなりの若年者であるリィルに「子供っぽい」などと言われては、年上の男としても上官としても衝撃的極まりないだろう。
 これを彼女は冗談のつもりで可笑しそうに言っているのだから、武は実に複雑な気分だった。
 武が驚かされたと言ったのは、何も手合わせした章好たちのことだけを言っているわけではない。1度それに後れを取ったエレーヌやレイドたちが積極的に攻勢に転じていたところも彼は驚いていた。
 ほんの数回のデータ蓄積のみであそこまで対応出来たのならば及第点どころか褒めるところである。
「……で、模擬戦の結果はこれで全部か?」
 いつまでも肩を落としていても仕方がないので、書類を示しながらリィルに訊ねる。それにリィルは「はい」と笑顔で頷いた。
 模擬戦の結果とは、単純に勝敗の結果を示したものではない。戦闘から得られた個々人の得手や不得手はもちろんのこと、開始から終了までの心拍数や呼吸状態、発汗量に至るまでの生体データを纏めた結果が、この書類の中には詰まっている。
 武がこれを吟味し、新入り衛士の正式な配属を決定するわけである。
 尤も、模擬戦をモニターしていた武の中ではおよそ7割方決まっているため、これはあくまで判断材料の1つでしかないのだが。
 その時、武はふと通路先の執務室のドアの前に見知った2人組が立っているのに気付いた。
「よぉ、お疲れさん」
 武が手を挙げて声をかけると、その2人組…柏木章好と水城七海も武たちに気付いて同時に敬礼で応えた。
「どうした? 俺に用事か?」
「いえ、改めてご挨拶に。午前はありがとうございました。また中佐と手合わせ出来て嬉しかったです」
 朗らかに笑う章好。また…というほどに日本にいた頃に手合わせしていたわけもないため、武は思わず苦笑してしまう。少年の中には恐らく、印象的な想い出として刻まれているのだろう。
「中佐のご期待には何とか応えられたと思いますけど……もしかしてダメな感じでした?」
「インパクトとしては充分だったな。今後はもっと大変だと思うけど、とりあえず頑張ってくれ」
 どこか不安げな七海には労いの言葉をかける。彼女の方はどうして武からこんなにも激励されるのか分からず、きょとんとした。章好の方も首を捻っている。
 武はあえて詳しくは教えない。教えたところで避けられる事態ではないし、何よりも面白くないからだ。
「ちょっとお茶にでも付き合ってくれ。コーヒーモドキしか出せないけど」
 不思議そうにする章好と七海を他所に、武は執務室のドアを開けて2人を手招きした。いや、実際にはリィルも含めて3人だ。
「はぁ……?」
「お邪魔します」
「失礼します」
 三者は三様に反応を示しながらも、並んで執務室の入り口を潜る。
「適当に寛いでくれよ。今用意するから」
「あ、私がやります」
 ドアを閉めた武はそう言いながら書類を机の上に置く。対し、リィルは逸早く返事をして、コーヒーモドキの準備を志願したので、「ありがとう」とお礼を言って任せることにした。
「意外に何もないんですね」
「報告書とか書類のチェック以外で使うこともほとんどないからなぁ。いろいろあってもしょうがないじゃん?」
 歯に衣着せぬ七海の物言いに、可笑しそうに笑って武は答えた。実際には、報告書のチェックだって余程重要でない限りはここで行う必要もない。
 ただ、ここは武の自室よりもわずかにセキュリティが高いだけだ。
 章好と七海は戸惑いがちに並んでソファーに腰を下ろし、武もそれと向かい合ったソファーに腰を下ろす。
「それで、どうだ? 姉貴とも連絡取ってるのか?」
 そして開口一番にそう訊ねた。
「このあいだ久し振りに会いましたけど、元気そうでしたよ。アラスカはやっぱり厳しかったのか、休暇中いっぱいはうちでゴロゴロしてたみたいです」
「柏木が? うーん……意外と言うか柏木らしいと言うか……」
 可笑しそうに笑顔で語る章好に、武は吃驚したように呟く。
「ハルちゃん、私たちの異動先が白銀中佐の隊だって聞いたらすっごく驚いてました」
「驚くだろ、普通。教官が俺だったのに、結局任官した後の隊長も俺なんてどんな確率だよ」
 武は大袈裟に肩をすくめながら言った。ここが欧州であることを考えればその確率は天文学的に低い。尤も、それは普通の配属手続きに基づいていれば、の話だが。
「はるちゃん…って…誰ですか?」
 コーヒーモドキの入った4つのカップをテーブルに並べながら、リィルが訊ねる。彼女にすれば完全に蚊帳の外の話だ。
「柏木晴子。章好の姉貴で、俺の前隊の仲間だよ。今は中隊率いてアラスカに派遣されてる……って、もう帰ってきたんだったな」
「はい。榊大尉と鎧衣大尉の方はもう少し任期が長いらしいですけど、それも来月中には日本に戻れるみたいって言ってました」
 章好の言葉で武の脳裏を、御自慢の眼鏡を真っ白に曇らせた女性と極寒の中でもピンピンしている少年のような容姿の女性が過ぎる。北方の大地でご苦労なことだと、武は励ましの言葉だけは心の中で述べておくことにした。
「…だけど、思ったよりも早いな。てっきりH26がどうにかなるまでは向こうに置かれてると思ってたのに」
「それは姉貴本人が一番驚いてましたね。4秒後には「けど、戻ってこれたからラッキー」みたいなこと言ってましたけど」
 それは実に柏木晴子らしい。物事を深く考えることは出来るくせに、表向きには考えることをすぐに放棄する。だからいい加減だと他人から勘違いされるのだ。
「アメリカがまた自国戦力でアラスカの強化をしたんじゃないですか? H26がある限りはおいそれと手薄にも出来ないでしょうし」
 リィルの意見に「それもあり得るか」と呟き、用意して貰ったコーヒーモドキを口に含む。合成品ながら味も香りも一般のコーヒーとそう変わらないものだ。あるいはすっかり飲み慣れたお陰で武がそう感じるようになってしまっただけかもしれない。
 確かに、柏木晴子も、そして名前の出てきた榊千鶴も鎧衣美琴もあくまで特務派遣部隊であってアラスカ方面国連軍の管轄下にあるわけではない。向こうが戦力を別で強化するというのなら、彼女たちは帰国させた方が極東国連軍としては都合が良いだろう。
 ともかく、柏木は相変わらずということ。
 とりあえずの結論はそれだ。何てことない話かもしれないが、武にすれば晴子と顔を合わせたのは彼女がアラスカに派遣される直前だったので、健勝と知れたのは収穫だった。
「ふむ……ところで、もう1つ、2人に訊きたいことあるんだけど、いいか?」
「何ですか?」
 ちらっと机の上の書類を見た武が話題を転換させると、訊ねられた2人は同時に首を捻った。どこまでも仲の良い幼馴染みである。
「最初に比べて後半は2人とも挙動に思い切りが減った印象を受けたんだけど……ラファールの実機に乗ってみてどうだった?」
 その問いには、ハッとして章好と七海はお互いに顔を見合す。その反応を見る限り、武の認識と、当たりをつけたその原因はおおよそ正解だったということだろう。
「……何て言うか、ラファールは第3世代機の中でも華奢な機体ですよね。吹雪や不知火に比べると、軽いけど芯は細めなような」
「ちょっと無茶するとけっこうな過負荷になりそうな感じでした。実際は問題ないのかもしれないですけど」
 しばし視線を交わしていた章好と七海はそれぞれの意見を口にする。内容としてはおおよそ2人とも同じ意見だ。
 それに関してはその実、武も同意見。機体に過負荷をかけない、飛び抜けた操縦技能を持っている衛士ならば気にならないのかもしれないが、挙動制御に飛び抜けた武や章好、七海にしてみれば、芯の細さは心許ないことこの上ない。
 元来、XM3というOSの特色は近接戦闘戦術において最大限に活用される。その点を考慮すれば、日本製の戦術機とラファールを比較すること自体、間違っているのかもしれない。
「……やっぱり、今後のことを考えると不知火の方が適性あるよな……」
「私、戦術機には乗ったことないですけど、そんなに違うものですか?」
 武のため息をつくような呟きに、リィルが不思議そうに質問を投げかける。
「俺たちだって違いが分かるのは日本製と比べた時だけだよ。実際のところ、F-22Aだってラファールと比べても大差ないだろうし」
 武が言いたいのは、より客観的に述べるならば「不知火や吹雪の方が芯は太い」という表現が正しく、特殊なのはむしろ日本製の戦術機の方であるということ。
 ただ、彼らにとって乗り慣れた機体は日本製であるためにそのような感想が生まれただけである。
「F-22Aの方が細いんじゃないんですか? XM3搭載テストで耐久力がパス出来なかったって聞いてます。何でも、脚が捥げたって専らの噂ですよ」
「F-22Aの場合、仇となったのは芯の細さじゃなくて飛び抜けた出力系と駆動系だよ。もし今のラファールにF-22Aと同じ跳躍ユニットや駆動関連のシステムを搭載したら、同じように耐久力をパス出来ない。ちなみに、脚が捥げたって話は噂じゃなくて事実な」
 七海の疑問に武は教官らしく答える。それに彼女は「そうなんですか?」といまいち納得していない表情で首を傾げていた。
 だが、今の話は紛れもない事実。
 桜花作戦でその有用性が実証されたため、米国の国防総省も意気揚々とXM3の配備に尽力したようだが、不幸にもあの戦域掌握制圧戦術機の二つ名を冠する第3世代機には実戦搭載が無期限の見送りを余儀なくされた。
 理由は実に簡単。XM3を搭載した実験機のF-22Aが、尽く長時間戦闘に耐えられなかったのである。
 もともと機動性重視で推し進められてきた第3世代機は、機体の耐久性と機動性のバランスがそれこそ絶妙な位置で保たれていた。そこにXM3などを投下すれば、耐久性にマイナスの影響を及ぼすのはむしろ当然の結果なのだ。
 F-22Aの場合はただ、そのバランスが基準値を割っただけ。不知火にしろ、ラファールにしろ、少なからず耐久性への問題は生じている。
「今、各方面で開発が推進されている第4世代機は、XM3搭載を前提とした設計概念が組み込まれているから……多分、多少なり第3世代機より重くなるんじゃないか?」
「確か、吹雪よりも不知火、不知火よりも武御雷の方が重いですよね? やっぱり適合性もそこに関係があるんですか?」
「ある。関節部を強化したり芯を太くしたりするとどうしても重くなるからな。あとやっぱり殴り合いをするときは重い方が有利だ」
 章好の問いには武も断言で答える。尤も、同時に駆動系の発展や装甲の軽量化もまだ進んでいるところなので、衛士側が実際に重いと体感するほどの差は出てこないであろう。
「ま、今後ラファールを運用し続けるかどうかは俺の方でも検討しておくから、お前たちは古参連中に“本物のXM3の機動”をたっぷり見せ付けてやってくれ。あの分なら、中隊長連中は見てるだけで吸収してくだろ」
 武は午前最後の模擬戦の様子を思い出しながら章好と七海にそう告げる。中隊長たちはあれだけの吸収力があるのに、どうしてこれまで武の挙動を見て自分で気付けなかったのか不思議なくらいだ。
 恐らく、2週間、早ければ1週間の間に章好ら新参者は先任を挙動で圧倒出来なくなる。それだけ武の部下は未だに途轍もない伸び代を秘めているのである。無論、それは逆に未だ衛士として完成に近付いていないということでもあるのだが。
「とにかく、本当にいろいろこれから大変だろうけど、頑張ってくれ」
 再び何故か過剰な激励の言葉。表情は穏やかだが、武の目は可笑しそうに笑っていることに気付いた2人は急激に不安を募らせる。
「あの……部屋に入る前もそんなこと言われましたけど……それって具体的にどういう意味――――」
「白銀中佐! 失礼します!」
 七海の言葉を途中で遮ったのは武ではなく、新たに執務室へと入ってきた人物だった。ノックもせずにここに忙しなく入ってくる人物など、武とてそう多く心当たりがあるわけではない。
「のっ…ノーデンス大尉!?」
 その人物の登場に驚くのは武を除いた3人。武は無言でため息をつき、心を落ち着かせるかのようにコーヒーモドキを口に含んだ。
「ちょっと柏木少尉と水城少尉を借りてきます!」
「くれぐれも無茶させんなよ。今日到着したばっかなんだからな?」
「了解でーす」
 入室していきなり章好と七海の腕を引っ張り、強引に立ち上がらせるエレーヌ。そんな彼女の行動を咎めるどころか容認した武は、やれやれと肩をすくめながら注意だけ述べる。
 渦中の2人は「はい?」とか「え?」とか戸惑うばかりで、状況をまったく呑み込んでいないようだった。
「じゃあ、失礼しまーす!」
 がっしりと章好と七海の腕を掴んだエレーヌは笑顔で応え、嵐のように退室してゆく。結局最後まで状況を把握出来なかった2人は完全にエレーヌが成すがままだ。
「……………」
「……………」
 台風一過の執務室に残された武とリィルは、再び閉ざされたドアを無言で見つめる。
「………何だったんですか? ノーデンス大尉は」
「挙動制御の自主訓練だろ? あいつらは倣う方が得意みたいだから」
「あいつ……ら?」
「ハンガーかシミュレータールームか。今頃、中隊長連中はエレーヌが2人を連れてくるのを今か今かと待ってるだろ」
 まるで章好と七海を連れ去ったのは複数人であるというような武の物言いに、リィルは怪訝そうな顔をした。武はそれにも苦笑気味に答える。
 これからしばらく章好と七海はエレーヌやヘンリーたちの練習台にされ続けるだろう。
 そんな2人には、武も事前からただただ激励の言葉をかけるしかなかったのである。



[1152] Re[15]:Muv-Luv [another&after world] 第15話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2008/02/29 22:39

  第15話


 2005年 4月26日。
 極東方面 日本神奈川県横浜 国連太平洋方面第11軍 横浜基地。
 1999年の明星作戦が決行されるまでH22が存在していたこの丘陵地も、現在は極東最大の規模を誇る国連軍基地としてその名を轟かせている。
 2001年 12月29日には1度、H21の生き残りである数万規模のBETAに襲撃され、基地機能を1割以下にまで低減させる大損害を被ったが、それももう過去の話だ。
 現在の基地指令は新たに招かれたクラウド・フレッド准将。副司令には引き続き香月夕呼博士がついており、総数400機を超える戦術機甲部隊と、総員9000名を超える国連軍兵にて管理されている巨大基地。
 それがこの横浜基地である。

 第2滑走路には帝国軍の運用する小型輸送機。
 そこから滑走路へと降り立ったのは、青い斯衛軍軍服に身を包んだ小柄な女性 九條侑香だった。
 昨日、欧州から帰還した彼女は、数時間も休まぬうちに再び輸送機に乗り込み、そのまま横浜基地へとやってきたのである。
 護衛には欧州にも連れ立った2名の士官。共に真紅の軍服に身を包んでいるが、そこに月詠真那の姿はなかった。
 元より、彼女も大隊指揮官。事実上、侑香の直接の部下でない彼女をこれ以上振り回すのも如何なものかと思い、侑香自ら休養と帝都城の守備を任せたのである。つまり、月詠は帝都の方に置いてきたというわけだ。
「本当は貴方たちも休ませてあげたかったのだけれど、御免なさいね」
 滑走路に立った侑香は、強風で煽られる自分の髪を押さえながら側近の部下に謝罪した。彼女よりも背の高い男女の部下は、その謝罪の言葉に思わずため息を漏らす。
「……九條大佐。本来であればわたくしたちの他に相応の警備歩兵小隊が随伴されてもおかしくはないのですよ? 謝罪して頂く前に御自愛頂けないでしょうか」
「それは伊藤大尉も栢山(かやま)大尉も同じことだわ。むしろ、私よりも自愛するべき点が多いと思うけれど?」
 真紅の軍服を纏った女性の方…伊藤と呼ばれた女性は初めてではない忠告を侑香に申し上げる。それに侑香は不思議そうに首を傾げながら答える。
「九條大佐と我々では立場が違い過ぎます。その……九條大佐の御心遣いは部下として嬉しいのですが……御身が危険に曝されては本末転倒です」
 一方、栢山という名の男の方は困ったように苦笑しながら侑香に進言した。
「ありがとう、栢山大尉。そうね。みんなにも心配をかけないよう、すべきことは早急に終わらせて帰りましょう」
「はっ!」
 侑香がそう告げると、姿勢を正した両名は同時に敬礼で答える。そのまま侑香を先頭に、三者は悠然と兵舎に向かって滑走路を歩き始めた。
 帝国城内省斯衛軍 第6戦術機甲大隊所属 戦術機甲中隊 各中隊長。
 それが彼らの厳密な役職。
 3個戦術機甲中隊から成る第6戦術機甲大隊のそれぞれの中隊長。それが侑香と、伊藤、栢山の2人だった。
 斯衛軍はそもそも、軍としては特殊な位置付けにある。
 斯衛にはまず連隊以上の単位が存在せず、所属する18個戦術機甲大隊はすべて国事全権総代である将軍殿下の指揮下に置かれている。つまり、斯衛軍衛士における最高役職は大隊指揮官であり、月詠のような新しい隊長でも、古くから務める将官クラスの隊長でも便宜上は同じ役職にあるということだ。
 尤も、斯衛軍もそろそろ大々的な世代交代の時期に差しかかっているのだが。
「………にしても、国連の連中は相変わらず喰えないですね。九條大佐の御来訪に歓迎もなしですか」
 侑香の右斜め後ろを歩きながら栢山が苦言を漏らすように呟く。不快感は押し隠しているようだが、言葉の端々から滲み出ていた。
「無理を言っているのは私たちだもの。国連軍の方々の貴重な時間を割いて頂くのも悪いわ」
 振り返らず、優しくもどこか厳しい口調で侑香は彼を叱責した。万が一にも、今の言葉を国連軍兵の前で言っていたならば、侑香も相応の罰則を与えなければならない。それだけは重々覚悟しておいて欲しかった。
「しかし……急なこととはいえ面会の旨は通した筈ですわ。使いの者1人いないというのは如何なる了見でしょうか」
 不快そうなのは左斜め後ろの伊藤も同じだった。香月夕呼ならば本人は来ずとも副官のイリーナ・ピアティフ辺りを向かわせていて然るべき筈だが、生憎、彼女の姿もない。
 客観的に見れば彼らの物言いも充分にどういう了見なのか分からないが、侑香に付き従う彼らにしてみれば止む無い心情だろう。
「あら? お出迎えならもう待っていてくれているわよ?」
 相対し、侑香はふふっと穏やかに笑って伊藤にそう言い返した。「はい?」と怪訝そうな声を上げる従者に、敢えて侑香はそれ以上何も答えない。
 ただ、歩く速度を少し落としながら、笑顔で手を振った。
 彼女の視線の先は足を向けている兵舎。その前に立っている華奢な少女だ。
「ご免なさい、社さん。お待たせしてしまったみたいね」
 相手の前まで辿り着いた侑香は足を止め、改めて笑顔で言葉を紡ぐ。声をかけられ、少女はまるで小動物のように愛らしくぴょこんと反応した。
「………いいえ」
 少し間を置いて答える。初対面の者ならば無愛想だと感じるかもしれないが、その少女にすれば本当に何気ない回答の1つでしかない。
 少女の名は社霞。透き通るような白い肌と淡い青みがかかった長く美しい髪を持つ、ソビエトあるいは北欧系の少女。小柄で華奢ながら、しかと国連軍士官の軍服に身を包んでいる彼女は、立派な軍関係者だ。
「ありがとう。今日はいつもの服ではなくて正規兵の軍服なのね。あら? その階級章……」
 霞の気遣いに微笑み、感謝の意を示す侑香も彼女の胸元についた少尉階級の階級章を見つけ、驚いたように目を丸くした。
「……はい。衛士の教習課程を修了しました」
 侑香の言わんとしていることを察したのか、再びわずかな間を置いて霞は静かに頷く。だが、表情は普段より柔らかく、どこか誇らしげでもあった。
「そう……おめでとう。社少尉」
 少し複雑そうな表情をした後、侑香は笑顔で祝辞を述べる。それには霞も「はい」と短く答えるだけだった。
 本音を言えば、侑香は彼女には衛士になって欲しくなかった。
 衛士とは、矢面に立ってBETAと戦う兵科であり、この世界では最も平等に、且つ理不尽に死の訪れる場所なのだから。
 だが、彼女が…社霞本人が望んだことならば侑香が口を出すべきことではない。
 だから侑香には、感情を押し殺して祝いの言葉を投げかけるしか出来なかったのだ。
「社少尉。我々を待っていたのならばすぐに香月副司令のところへ案内してくれ。いつまでもここでこうしている理由はない筈だ」
 すっと前に歩み出て、霞に対し栢山が強い語調で問いかける。否。どちらかと言えば、問い詰めに近い問答だった。
「栢山大尉! それは先方に失礼だわ!」
「構いません。ご案内します、九條大佐」
 侑香はすぐに栢山を叱責するが、当人たる霞はあまり気にした様子もなくそう告げて踵を返した。その様子にも、栢山はふんと面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「―――――――ッ!?」
 次の瞬間、栢山は声にならない悲鳴を上げる。
 見れば、彼の足の甲には侑香の踵が豪快にめり込んでいた。軍靴の外皮も同じ軍靴の踵による一撃には耐えられない。相手がそれを故意に、人体でも有数に堅い部位を使って行っているのならば尚更だ。
「社少尉。それなら、道中にお話しましょう」
 ツンとした感じで栢山に声もかけず、侑香は先を行く霞を追って駆け出した。とても九條家の次期当主には思えない行動である。
「……社霞に対する九條大佐の猫可愛がりも如何なものかと思いますが…栢山大尉、今の言動は流石にわたくしでも擁護し切れないものがありましたわ」
 片膝をついて残る痛みに耐える栢山。それと侑香の背中を交互に見比べた伊藤はため息を漏らすようにそう告げる。
「……九條大佐のためになら、俺たちは悪役でもいいんだ」
 震えながら栢山は答える。その表情は俯きがちで窺い知ることは出来なかった。
「……呆れましたわ。出来れば、その中にわたくしを加えないで欲しいところですが、意気込みだけは理解します。尤も、九條大佐にも斉御司少佐にも怒られそうですけれど」
 まるで、バカとでも言うように伊藤は呟いたが、彼女とて栢山との付き合いは伊達に短くない。彼がこんなことを言うのも今回が初めてではないので、苦笑混じりながらも反意は示さなかった。
「さあ、行きますわよ。護衛が離れてしまっては殿下にも斉御司中佐にも合わせる顔がありませんわ」
 いつまでも立ち上がらない栢山を尻目に、伊藤もそそくさと早足で歩き始める。
 それを慌てて追いかけようとするが、負傷した右足を庇いながらのため、ひょこひょことした珍妙な歩みになってしまう栢山。
 遠くでは、演習中なのか砲撃音が木霊していた。


「失礼致します」
 先導してくれた霞に続き、侑香は一礼して香月夕呼の執務室へ足を踏み入れた。伊藤も栢山もそれに倣って一礼する。
「御足労いただき、申し訳ありませんわ。九條大佐」
 彼女らを迎えたのは、国連軍関係者の上着の上から更に白衣を纏った女性だった。
 彼女は香月夕呼。この横浜基地の副司令を務め、同時にあの桜花作戦を発令させた事実上の首謀者。夕呼が世界中でどれだけの物事に関わっているのか、すべては城内省も把握出来ていないほどの権力と秘匿性を持つ者だ。
「畏れ入ります、香月博士。しかし、斯様な機会を切望したのは我が方です。我が方から先方の下に赴くのは礼を示す上でも当然のことでありましょう」
 夕呼の挨拶に侑香はもう1度改めて一礼し、丁寧に言葉を紡ぐ。後ろから並々ならぬ気焔を感じるが、侑香は敢えて無視しておくことにした。
「そう仰っていただけると助かりますわ。それで、今回は如何なる御用件で?」
「まずは御礼を。欧州国連軍第2師団 第27機甲連隊への補充人員の要請を最優先で処理して頂いて感謝致します」
 穏やかに微笑み、侑香は夕呼に謝礼を捧げる。
「礼には及びませんわ。こちらとしても、利害が一致しただけですので」
「そういうことに致しましょう」
 憮然とした様子の夕呼に、侑香は含みのある笑みを浮かべて返した。夕呼の表情は更に険しくなる。まるで何か面白くなかったかのような表情だ。
「まさか、それだけの用件でここに来たわけではないでしょう?」
 それに「当然です」と言うように侑香は頷く。そしてゆっくりと笑顔で次の言葉を紡いだ。
「白銀君は元気でしたよ」
 一瞬の沈黙。
 しばらくは珍しく呆気に取られた様子の香月夕呼も肩を震わせ、やがて小さく声を立てて笑い始めた。侑香もふふっと穏やかに笑みを零している。
「聞きましょう」
 一頻り笑った夕呼はソファーに腰を下ろし、傲岸不遜にそう言った。相変わらず彼女らしいと侑香も微笑み、勧められるがままに向かいのソファーに腰を下ろす。
 そしてどういうわけか、霞も侑香の隣に腰を下ろした。否。侑香が腰を下ろさせたという表現の方がそれらしい。
「それで、イギリスで何があったのでしょうか?」
「御理解が早くて助かります。伊藤大尉、例のものを」
「はっ!」
 侑香に指示され、伊藤は夕呼へあるものを差し出す。それを見た夕呼の顔色もにわかに変わり始める。
 それはディスクだった。一般的に使用される普通のデータディスク。もちろん、情報保持のため、閲覧にパスワードを必要とするよう設定されたものではあるだろう。
「我々が同行したH12の調査で得られた情報を纏めたものです。その折に回収された欧州国連軍先行調査隊のレコーダの内容も含まれております」
 訝しそうな夕呼に対し、侑香は続けてディスクの中身について触れる。これは彼女が欧州から離れる際にレナから直接受け取ったものだった。
「ヴィンセント准将からも御許可は頂いておりますので、どうか御受け取り下さい。それと、これは私の気持ちです。借りと受け取ってしまわれては逆に困ります」
 どういうわけか迷っている様子の夕呼に、侑香は更に念を押す。
 どちらにしても、国連軍の中で強い権限と発言力を持っている香月夕呼のところには遅かれ早かれこのデータは伝わる筈だ。故にこんなデータは事実上、交渉材料にはならないのである。
 故に気持ち。
 侑香にとっては些細な気遣いに過ぎない。
 敢えて打算的に捉えたとしても、夕呼にはこのデータを逸早く把握してもらっておいた方が、今後都合が良いかもしれないという程度だ。
「……分かりました。ありがたく頂戴致します」
 1度、ちらりと霞を一瞥した夕呼は、少し思案した後に差し出されたディスクを受け取る。
「ありがとうございます。今後にお役立て下さい」
「何か有益な情報が?」
 侑香の言葉を聞いてか聞かずか、夕呼はすかさずそう訊ねてくる。確かに、今の問いかけならば欧州で何があったのか一時に聞けるというものだ。
「残念ながら、有益と断言するには至らない情報ばかりです。現行で調査・解析を継続している事象が多過ぎますので」
 侑香は首を横に振り、データがそう有益なものでないことを述べる。これもまた、侑香と夕呼の間において、このディスクが交渉材料になり得ない要因の1つだ。
 それをもう分かっているのか、夕呼は「そうですか」とあっさり納得しただけで皮肉1つ返さなかった。
「ですが……少なくとも香月博士にとって無益と断言出来る情報でないことも確かです」
「………どういうことでしょう?」
「回収されたレコーダ……ああ、これは都合4つ回収されたのですが、解析した結果、満足な記録が残っていたのは1つだけでした。そのレコーダの内容を確認して頂ければ、御理解頂けると思います」
 いつものように目を光らせた夕呼は落ち着きながらも、それでいて興味を隠せない声色で問い返してくる。侑香は頬を引き締め、やや堅い表情でそれに答えた。
 それには夕呼もしばし迷ったようだが、ディスクを手に取って「確認しても?」と一応侑香の顔色を窺ってくる。侑香も無言で頷き返した。
「失礼します」
「閲覧のパスは、彼の名前でお願いします」
 侑香に頷かれた夕呼はそう告げ、ディスクを持って己のデスクに歩いてゆく。侑香はそう答えてそれを見送り、ふうと1つため息を漏らした。
「九條大佐」
「うん? 何かしら? 社少尉」
 隣にちょこんと座る霞に声をかけられ、侑香は表情を柔らかくして応える。まるで姉気取りの反応だ。ただ、実際に立っても座っても侑香と霞の背の高さは驚くほど違うわけでもないのだが。
「もうお昼です」
「…………あら?」
 言われた言葉に、しばしポカンとした侑香は改めて時間を確認して驚いたように声を上げた。
 確かに、既に時刻は正午を回っている。昼食をとっていてもおかしくない時間だ。
 侑香はちらりと夕呼の様子を窺う。
「こちらのことはお気になさらずに。九條大佐もご多忙でしょうが、よろしければ昼食を食べていかれてはどうです?」
 夕呼は顔を上げず、ディスプレイをじっと見つめたまま侑香にそう告げる。今のわずかな会話だけで、こちらの訊ねたいことなどほとんど見抜いているようだった。
 あるいは、データに集中したい彼女が体良く執務室から侑香たちを追い出したいのかもしれない。
 無論、侑香にもそれを断わる理由は見当たらなかった。
「そうですね。お言葉に甘えさせて頂きます。社少尉はどうします?」
「……一緒に行きます」
「本当? 嬉しいわ」
 促されるままに侑香が立ち上がり、続いて霞が立ち上がった。彼女のその言葉に、侑香は心から顔をほころばせる。
 その後ろでは、頭を抱えてただただ大きなため息をつく斯衛士官が2人。
 彼らの気苦労を知る者はなかった。


 久し振りに立ち入った横浜基地も相変わらずであった。
 事実上、侑香がここに最後に立ち入ったのは3年と少し前の2001年12月29日。
 桜花作戦が発令される前々日…この横浜基地が3万以上のBETAによって襲撃されたあの日以来だ。
 あの事後は酷いものだった。
 基地に駐留するほぼすべての戦闘部隊が潰滅し、2つある滑走路はどちらも戦術機の残骸と、BETAの死骸と、そして砲撃に曝された後しか残らない。
 基地内部にも侵入を許し、やはり至るところに死体と死骸の山が積み重なっていた。
 地獄。
 大戦初期あるいは本土をBETAの脅威に曝されていない太平洋の向こうの国々の人間から見れば、その言葉は最もそれらしいのかもしれない。
 だが、あれを地獄と呼ぶのならば、たとえこの身朽ち果てて地獄に落ちようとも恐れることは何もないだろう。

 そう………。
 あれは地獄などではない。
 あれこそが今この世界の姿であり、あれこそが人類の直視しなければならない戦場なのだ。

 侑香とて今までのうのうと生きてきたわけではない。
 幾度もBETAと対峙し、その度に仲間を、戦友を、部下を犠牲に生き抜いてきた衛士だ。
 1998年 8月15日。京都が炎上していたあの日も、彼女は戦場に立っていた。
 無力感。守れないものが多過ぎて、己の弱さにただただ打ちひしがれていたあの日。それでも尚、命を差し出すことが“逆に”許されない彼女はそれに耐え忍ぶしかなかった。

「九條大佐」
 名を呼ばれ、侑香は急速に意識を引き戻される。
 見ると、隣を行く霞がやや心配そうな面持ちで侑香の顔を窺っていた。「しまったかな?」と侑香は思わず苦笑いを浮かべるしかない。
「やはり御疲れなのではありませんか?」
 後ろから少し抑えた声色の栢山がそう訊ねてくる。否。どちらかといえば自愛しろという忠告を秘めた暗喩だろう。
「大丈夫。心配はいらないわ」
 侑香は笑顔を浮かべ、心配性の部下たちに振り返る。それでも納得はしていないようだったが、そう言われては何も返せないのか「はっ」と短く応えて身を退いた。
 侑香の返答など予想出来たこと。
 元より彼女の性格もそうだが、何より、社霞と食事がとれるという絶好の機会を侑香がみすみす棒に振るうわけがない。
「だから御剣は単純…。白銀っぽい」
「いや、私があの時突出したのは最優の選択であった。そなたの隊の突撃前衛と渡り合えるほど私の隊の前衛小隊は完成していない」
「モニターしてた私としては、何か御剣も彩峰もどっちもどっちって感じだったけどね」
 侑香が霞と一緒に分岐路に差し掛かった時、見知った顔3つが角を曲がってきた。その見知った3人は、丁度鉢合わせした侑香を見て瞬時に固まる。
 表情も反応も三者三様で見ている側としては面白い。
 失礼ながら侑香はそう感じてしまった。
「くっ…九條大佐ッ!?」
 声高に名前を呼ばれるところはともかく、一瞬どもるところまで同じだったので侑香も可笑しくなる。性格も考え方も異なるのに、まるで示し合わせたかのような3人の反応は見事だった。
「御久し振りです、御剣大尉、彩峰大尉、柏木大尉。御健勝なようで何よりです。柏木大尉は先日アラスカから戻られたばかりだと聞きました。アラスカでの任務遂行、実に敬愛の窮みに存じます」
「はっ! ありがとうございます!」
 呆気に取られる3人に恭しく一礼した侑香が挨拶を述べると、反射的なのかそれとも知らぬ間に意思疎通を成功させたのか、3人は足並みを揃えて即座に敬礼。どうやら、彼らには“示し合わせる”という行為がなくても関係ないらしい。
 その、ピタリと一致した行動に侑香はまた笑う。
「御無沙汰しております、九條大佐。本日は如何なされたのですか?」
 敬礼を解いた3人のうち、群青の長い髪を後ろで1つに束ねた女性 御剣冥夜が侑香へとそう訊ねてくる。
 その疑問は実に尤もだ。この極東最大の国連軍基地に、蒼青の斯衛軍軍服を身に纏った者がいるというのは、とてもではないが正気の沙汰とは思えまい。
「香月博士の下へ私用で伺いました。今は社少尉と御昼食を御一緒しようと思っているところよ」
 霞に微笑みかけながら侑香は冥夜の問いに答える。表情が緩み切ってしまっているのはこの際気にしない方が良いだろう。
「その割に、同行してるのが伊藤大尉と栢山大尉だけ」
 冥夜の後ろでぼそっと呟いた黒髪の女性は彩峰 慧。あまり感情を表面に出さないが、常に彼女の瞳は事物に対して真剣に向き合っており、また冷静で理知的でもある。そのことを桜花作戦の後に知った侑香は、酷く驚いたことを今でも覚えている。

 余談だが、そんな慧の横では柏木晴子が「苦労をお察しします」と言うような表情で侑香の後ろの伊藤と栢山にメッセージを送っていた。
 侑香の後ろの栢山は「分かってくれるか、柏木大尉」という表情で応えるが、当の侑香には知る由もない。

 彼女たち3人は、全員がこの横浜基地をホームとする極東国連軍 戦術特務機甲連隊…通称「イスミ・ヴァルキリーズ」に所属する衛士で、いずれも中隊長を務めている。
 若いが優秀で腕利きの衛士たちだ。
「宜しければ皆さんも如何ですか? お見受けしたところ、まだ御昼食は済まされていないようですが」
 そんな彼女たちに侑香は食事を同席しないかという旨を伝えた。ある意味予想通りのその申し出に、侑香の後ろに並ぶ2人の斯衛軍人はまた大きなため息を漏らす。
「構いませんよ。私はPXに行こうと思ってたところなんで。御剣と彩峰は?」
 即座に頷いたのは晴子。伊藤と栢山の苦労は察するが、それとこれとは話が別と言うような即答振りだった。そしてそのまま他の2人に問いかける。
「もち、行く」
 問われた慧は右手を前に掲げて同行の意を示す。彼女らしい返答に侑香は思わずくすりと微笑んでしまった。
「申し訳ありません。私はこれから隊のデブリーフィングを行うので、遠慮させて頂きます」
「あら? そうなの?」
 続いて答えた冥夜の言葉に侑香は残念そうに呟く。誰でも良いとか、あの人よりもこの人とか順番をつけるつもりはないが、侑香個人として冥夜にも同席してもらいたかった。
「はい。午前の模擬戦について、部下に伝えることもありますので」
「御剣、真面目だね」
「第5中隊(レギンレイヴ)はそれが日課だもんね~。ほんと熱心だよ」
 冥夜の返答には、慧と晴子が各々の率直な感想を並べる。言い方は個々人の性格を反映していたが、言っている内容はほとんど変わらない。
 御剣冥夜という人間が真面目なのは本当のことだ。それも、取っ付き難い堅物の真面目さではなく、まさに熱心という言葉の似合う女性である。
「そうですか…。御剣大尉の中隊長としての務めを邪魔するわけにはまいりませんね。私こそ知らなかったとはいえ、無理を言って申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ。御容赦下さい」
 侑香が頭を下げるのと同時に、冥夜も頭を下げて謝罪の言葉を述べた。両者の態度はとてもではないが軍人には見えない。もし彼女らが軍服を着ておらず、その身の上を知らない者が見れば恐らくはどこの貴族同士の挨拶かと思うだろう。
 尤も、その認識はあながち的外れとも言えないのだが。
「それでは、失礼致します」
「はい。貴女の部下の方々にもよろしくお伝え下さい」
「はっ!」
 今度は彼女も敬礼をした。他の何者でもなく、御剣冥夜という1人の軍人としての応答だった。
 敵わないな、と侑香は笑う。ある意味では彼女ほどに強い人間に会ったことは本当に数える程しかない。記憶を辿っても、ほんの1度か2度程度。
 侑香がそんなことを考えながら、踵を返して歩き始める冥夜を見送っていると、同行の意を示した晴子が不意に口を開く。
「そういえば、九條大佐は欧州に行ってたんですよね? もしかして、白銀に会いました?」
 「白銀」。その単語が出てきた瞬間、割と足早だった冥夜の足がぴたりと止まった。
「ええ。彼も実に御健勝でした。中佐として、連隊長としての責務も問題なくこなしていたようで私も安心致しましたよ」
「あっちゃー…向こうはもう中佐ですもんね……すっかり忘れてた……」
 この場で白銀と呼び捨てたことを失言と感じたのか、晴子は参ったと言うように頭を掻く。
 それくらいは問題ないのでは?と侑香は思う。武もそんなことを気にするどころか、むしろ気にするなと言うに違いない。それに、侑香だって彼らが今までどういう付き合いをしてきたのかも知っている。ここで体裁を気にしても仕方があるまい。
「確か…柏木の弟、白銀の隊に転属になったって聞いたけど?」
「あ、うん。アキはそう言ってた。何か変な感じだろうね、教官だった人が任官した後も上官っての」
 慧に話を振られた晴子は苦笑気味に答えた。その話には侑香も驚かされる。夕呼のお陰で早急に彼の下に人員を送れたことは理解していたが、その中に晴子の弟がいたとは知らなかったのだ。
「私はそこまでは存じませんが、白銀中佐は良き部下に恵まれたと思いますわ。副長を任されているマリア・シス・シャルティーニ少佐も随分と彼のことをお慕いしているようでした」
 侑香が我が事のように嬉しそうに言うと、慧と晴子の眼が微妙に違った意味合いで鋭く光った。侑香もその反応を見て、武を称えたつもりが、どうやら一撃をもってして窮地に叩き込んでしまったのだと気付く。
 どうしたものかと侑香が隣を見れば、何故か霞もどこか不機嫌そうにそっぽを向いている。

 しまった。この娘も白銀君狙いだったか。

 それに気付いて侑香は自分の浅はかさを心底呪う。「ごめんね、白銀君」と侑香は遥か西の空――屋内だが――を見つめて心の中だけで謝罪の言葉を述べる。
「九條大佐……そこの件をもう少し詳しくお願いします」
 ずいっと異様な威圧感をもって詰問してきたのは、背を向けながら足を止めていた冥夜だった。侑香はもう1度だけ「ああ、ごめん」と呟く。
「御剣……デブリーフィングは?」
「うっ……彩峰…そなたはどうしてこのような時ばかり――――」
「中隊長が無断欠席じゃ示しつかないよ」
「―――――――ッ!! 彩峰!!」
 ぼそりと言いながらも破壊性のある慧の言葉に、冥夜は声を詰まらせながらも慧の腕を掴み、通路の端へと強引に連れてゆく。
「……そ…そなたの言葉は尤もだ。私は…デブリーフィングに行く。だから彩峰…今の件で分かったことは後で……その……一言一句違えずに教えてくれぬか?」
「ヤキソバ――――」
「皆まで言うな。分かっている。この交渉において妥協はせぬ」
 本人らはひそひそと話しているようだが内容は筒抜けだ。自分のこの後の穏やかな尋問を確信し、侑香は大きなため息を漏らす。後ろの伊藤と栢山も彼らの行為には害意がないと知っているので、「自業自得です」と言うように無関与を決め込んだ様子である。
 晴子は晴子で冥夜と慧の様子を面白そうに観察している。彼女の場合、どうやらレースの参加者ではなくて観戦者の立ち位置に近いらしい。
 やれやれと肩をすくめながらも、侑香は微笑む。
 彼らは固い絆で結ばれた戦友なのだ。それも、侑香が簡単に語ることなどおこがましいくらいに。
 微笑みながらも、侑香は少しだけ俯く。
 そして、誰にも気取られぬよう心の中だけで呟く。

 どこまでも罪作りな人なのですね、白銀君は……と。



[1152] Re[16]:Muv-Luv [another&after world] 第16話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/03/10 10:18


  第16話


「ふーん……章好と水城を入れた分、273戦術機甲中隊(ハンマーズ)と275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)の結果が一際上がってるな」
 提出された報告書に一通り目を通し、武は最も顕著な結果だけを口にする。
「そうですね。それに、新任の腕が良いため、各隊の結果も概ね良好です。そろそろ難度を上げても良いのではないでしょうか?」
 向かいに座り、無意味にティーカップの中のコーヒーモドキをスプーンで掻き混ぜ続けるマリアも同意。彼女の示す通り、報告書はここ数日における部隊の戦力向上を雄弁に物語っていた。
「そうだな……。明日から午前中をシミュレーター訓練に変更しよう。毎日2個中隊ずつ、組み合わせは朝の点呼で伝達するって形で。ベオグラードの難度Cのクリアがまずは目標だ」
「は。では、そのように調整を命じておきます」
 頷いたマリアは、結局口をつけなかった自分のカップと、空になっている武のカップを持って立ち上がる。それを武は手で制し、眼力で「飲んでから行け」と訴えた。
 マリアはその訴えに根負けしたのか、ため息をついて椅子に座り直す。
 彼女はこのような場面ではあまり飲食をしたがらない傾向がある。特に武と一対一の時は顕著だ。
 ならばマリアの分は淹れなければ良いというのは却下。
 そういうのも、武としてはこのような場面だからこそ談話している感覚で話したいという希望がある。コーヒーブレイクという形ならば実に理想的だ。
 もちろん、マリアが「コーヒーモドキが嫌い」というのなら話は別だが、実際には異なる。
 これが何時しか意地に変わり、その都度このようなやり取りになるのである。尤も、ある意味ではもうただの独り相撲でしかないのだが。
「雰囲気としてはどうだ? 参加もしたんだろ?」
 渋々冷めたコーヒーモドキに口をつけるマリア。いくら合成物とはいえ、食べ物を粗末にすることは良くない。特に、鱈腹物が食える立場の軍人であるならば。
 そのマリアに武はそう訊ねた。
「隊長クラスはともかく、ほとんどの者が緊張を解し切れていないようですね。難度Dとはいえ、フェイズ5の制圧シミュレーションは初めて受ける者も多いでしょうし」
「今からそれじゃ実戦は思いやられるな……」
 マリアの返答に武は苦笑気味で呟く。
 かつてはヴォールク・データのみだったハイヴ制圧シミュレーションも、あの大反攻作戦のおかげで今ではすべてのハイヴの緻密なデータがある。このデータも、ここ数年におけるハイヴ攻略の成功の一因を担っているのだ。
 つまり、確かに以前に比べて臨場感のある、より正確なシミュレーションが行えるようになったわけだが、所詮はシミュレーターであるとも言える。
 この段階で緊張されては、実戦ではとても耐え切れないだろう。
 かといって、シミュレーターに慣れ過ぎて訓練の意味を履き違えられても多分に困る。その辺りの匙加減がなかなかに難しいものだ。
「実戦で場数を踏むのが一番難しい領域です。ここはシミュレーターによる反復訓練しか方法はないかと」
「ハイヴ突入のスペシャリストなんて世界中捜してもいないしなぁ…」
 武は呟きながら、かつて死に物狂いでハイヴ突入訓練を繰り返していたことを思い出す。かつて所属していた中隊で叩き出した最高成績は、難度Sのオリジナルハイヴ制圧成功率だ。
 地上支援、陽動、兵站が一切機能していないという難度Sにおいて成功率95パーセントを超えていたのだから訓練としての出来は秀逸だっただろう。
 ただ、あれについてはそもそも通常の作戦と前提が根本的に違い過ぎるため、参考になるとも言い難いのだが。
 そもそも、ハイヴ内戦闘というものはすべてにおいて地上戦闘とは異なる。比較することも難しいくらいだ。それを考慮すれば、恐らく今の中隊を実戦でハイヴに放り込んでも十中八九全滅するだろう。
「………何か気になる点があるのですか?」
 眉間に皺を寄せて報告書を見つめ続ける武に、コーヒーモドキを飲み終えたマリアは怪訝そうにそう訊ねてきた。概ね向上していると評価した後の表情としては確かに渋過ぎたようである。
「………あると言えば確かにある。あるんだけど……」
「…………?」
 言い澱む武にマリアの表情はますます訝しげになった。
「正直、難度Dの結果じゃ指摘のしようがないんだよなぁ。難度BせめてCあれば傾向がはっきりするから、それだけの結果を出せるようになってから改めて考えるわ」
「はぁ……? 分かりました。白銀中佐がそう仰られるのであれば御任せします」
 最後まで首を傾げていたマリアだったが、武の意向を信頼しているのか更に聞き返すような真似はしない。
「まあ、ハイヴ攻略訓練についてはいいとして、どうだ? 例のもの、手に入りそうか?」
「いえ…H12の調査報告書ですが、まだほとんどが解析過程にあるようで公には挙がっていません。尤も、結果が出ても我々の方まで公開されるかは疑問です」
 例のもの、という言葉からすぐにH12の調査に関するものだと理解したマリアは、やや落胆した様子で答え、首を横に振る。武もそれには「当然か」というようにため息で返した。
「せめてブラックボックスの中身が分かればな。このあいだの調査で実際に当てに出来そうなのはあれくらいだし」
「中佐、無茶を言い過ぎです」
 無茶苦茶なことを言っているのは武も承知している。機密保持を前提とした場においてレコーダの内容を公開するなどあり得ない。それは武やマリアのレベルの軍人に対してでも同じだ。
 こればかりはレナに頼んだところで簡単にどうにかなるものではない。例外は、レナの側から能動的に資料が回されてきた時ぐらいのものだろう。
「無茶も言いたくなる。これじゃあ生殺しだろ?」
 鼻息も荒いが、確かに武の言い分は筋が通っている。
 H12の調査であれだけの惨状を見せられたというのに、収集された情報の解析結果が分からないというのは不愉快な気分にさせられるのもまた事実だ。
「それには私も同意します。ですが、こちらからの働きかけで覆せることでもありません」
「分かってる。当たったみたいで悪かったな」
「いえ。構いません」
 マリアの冷静な応対に武もため息を漏らしながら自身を落ち着かせる。確かに、異論をいくらマリアに唱えたところで彼女を困らせるだけだ。
 それに、同じく当事者であるマリアが武の気持ちを理解していないわけもない。
 その時、武が己の未熟さを嘆いていると、不意に執務室のドアが外からノックされた。
 きっちり3回。この控え目なノックは間違いなくリィルだろう。
「どうぞ」
「リィル・ヴァンホーテンです。失礼します」
「片倉美鈴、入ります」
 武が入室許可を出すと、ドアを開けてリィルと美鈴が入ってきた。その場で1度敬礼してからドアを閉める。
 リィルだけだと武は思っていたが、美鈴も一緒とは意外だった。歳の離れた2人がこうやって連れ立って武のところへ訪ねてくることは滅多にない。
「珍しいタイミングと組み合わせで来たな…。何かあったんですか?」
 何やら小脇に抱えているリィルと美鈴に、武は思わず首を傾げる。定期報告の時間ではないし、別段慌てている様子もなかった。
 もしや、上から無理難題でも吹っかけられたのであろうかと武は心配する。
「えっと……白銀中佐にお手紙が来たんです。いろいろと」
「何だ、そんなことか。そりゃいつものことだろ?」
 何故か戸惑いがちのリィルに、立ち上がった武は笑顔を向けて頭を撫でる。
 本来であれば仕事の最中にわざわざ届けてもらうほどのものではないのだが、リィルが恐らく気を遣ってくれたのだろう。だから武はいつものように感謝の意を示した。
「片倉准尉はどうしたのです?」
「僕はヴァンホーテン少尉のお手伝いですよ」
 一方、美鈴の方はマリアに問われ、リィルを見ながら答えた。一応彼女の方が階級は下だが、まるで妹を見守るかのような優しい瞳である。
 恐らく、美鈴のいう「手伝い」とは、彼女らが持っている大量の紙類を運ぶことだろう。それが単純に片付けなのか、書類をどこかの部署に運んでいるのかは分からない。
「このあいだ日本から来てたんだから、今日はアラスカか? どれ?」
 そう言って武はリィルと美鈴を交互に見た。彼女たちはそれぞれ小脇に紙類を抱えているのだが、そのどちらに武宛の手紙が含まれている筈である。
「あ…それが……ですね」
「これですよ」
 依然、困惑気味のリィルに代わり、美鈴がポンと机の上に“それ”を置いた。一見、バランスが劣悪そうな“それ”も、その実意外と均衡は保たれているのか崩れる様子はなかった。
「………札束?」
 差し出された“それ”を見て武は思わずそう呟く。自分の目を疑いつつも、必死で差し出されたものをどう形容するべきか模索する。
「だから、手紙ですよ。白銀中佐宛の」
「これ全部!?」
 あっけらかんと物を言う美鈴。彼女が机の上に置いたものはざっと数えただけで4、50通はあるような気がする。
「いえ、ヴァンホーテン少尉が持っているものも」
「更に2倍!?」
 美鈴に促され、困ったように苦笑いしながらリィルは小脇に抱えていた武への手紙――らしきもの――を同じように机の上に置く。
 4、50通の封筒が積み上げられた山が2つ。光景としては異様だ。ここは郵便局かどこかだろうか。
「アラスカからもそうですけど、日本からも沢山来てますよ。何かしたんですかぁ?」
 何を知っているのか、口元を押さえて不敵に笑う美鈴。
 どうしてこんな大量の手紙が届いたのか。
 そんなことは武の方が聞きたいくらいだ。
 もちろん、武にだって手紙を送ってきてくれる知り合いは多数いる。かつての仲間に教え子、加えて帝国軍側から送ってくる奇特者もいるのだから、月で数えればけっこうな量になる。
 だが、1日でこれは異常量だ。
「検閲でトラブルでも起きていたんでしょうか……?」
「あるいは白銀中佐への壮大な嫌がらせじゃないですかねぇ?」
「俺よりも検閲への嫌がらせだな、これじゃ」
「一両日中に基地の検閲から苦情が来そうな量ですね」
 重なった札束のような手紙の丘をぐるりと取り囲み、4人は口々に勝手なことを言い合う。しかしながら、これを目の当たりにすればそう考えるしかない。
「まあ……届いたからには読まなきゃ人として拙いだろ。しっかし…これ、何日かかるかな……」
 山の一番上にある封筒を手に取り、武は苦々しく笑いながら呟く。
 本当に嫌がらせならばいざ知らず、善意あっての手紙なのだからすべて読み切るというのが最低限の礼儀だろう。
 返信出来れば最高だが、筆不精を公言する武にはなかなかその甲斐性がない。3回に1回返事を書ければ上出来だ。
「執務に支障が起きなければ構いません。白銀中佐、ご自愛ください」
 労いの言葉をかけながらもどこか刺々しいマリアの言葉。空になった2つのカップを持って立ち上がる彼女はやけにつっけんどんだ。そのままちらりとも武を見ずに「失礼致しました」と執務室を出てゆく。
「………どうしてあいつが不機嫌になるんだ?」
 本人が出ていった後に武は訝しげにそう呟いた。その呟きには、リィルも美鈴も一瞬ギョッとして、すぐに大きなため息を漏らす。
「白銀中佐……たぶん、鈍感って言われたことありますよね?」
「何だ? 藪から棒に。ってか、よく分かったな。もしかして心を読んだか?」
「はぁ……何でもないです。私もお仕事に戻りますね。班長がいつまでも怠けてちゃいけないですから」
 武の冗談が面白くなかったのか、リィルはもう1度ため息を漏らす。

 実際のところ彼女の質問は、まったくもって藪から棒でも何でもないのだが、それを唐突な質問と受け取る辺りが武は実に鈍感な男だと示していた。

 結局、リィルもそのまま「失礼しました」と敬礼して執務室を出ていってしまう。武は無言で美鈴に視線を向けるが、彼女も苦笑を浮かべて軽く肩をすくませるだけだ。
「しかしまた……今回は異常ですねぇ。本当にあっちで何かあったんじゃないんですか?」
「縁起でもない…。そういう冗談は寝言だけにしてくださいよ」
 再び手紙の山に目を向けた美鈴は可笑しそうに笑う。それには一転して武が肩をすくめる番だ。
「いえいえ。中佐も頑張ってくださいな。男にとっては甲斐性に勝る武器はありませんからね」
「分かりました。分かりましたから片倉准尉も仕事に戻ってください。衛生班だって暇じゃないでしょ?」
 明らかに楽しんでいる御様子の美鈴に、さしもの武も退室勧告を仕掛ける。この際だから全員押し出して手紙を読み耽りたいという武の意志だ。
「了解です。シャル少佐も言ってましたが、お身体だけには気をつけてください。僕らの仕事を増やされてもかないませんから」
 依然笑いながらも、美鈴は武を気遣う一言をかける。こういう場合は冗談と受け取れば良いのか、あるいは本音と受け取れば良いのか微妙なところだが、今の武は前者と受け取り、「はいはい」とため息をついて答えた。
 当の美鈴も、やはり冗談だったのかにやにや笑いながらも敬礼し、執務室をあとにしてゆく。
「…………甲斐性に勝る武器はない…ねぇ」
 机に頬杖をついた武は積み重なった手紙の山を一瞥し、とほほと肩を落としてそう呟くしかなかった。




 時を同じくしてPX。
 消灯までのささやかな自由時間を謳歌する者たちが集う場所。
 連隊に属する兵士が、一際親しい仲間と会話に華を咲かせ、普段から多少なり賑々しい雰囲気にある場所なのだが、今日に限って奇妙に静かなものだ。

 ある一角を除いて。

「白銀中佐の教官時代ってどんなだったの?」
 始まりはエレーヌの言ったその一言だった。
 その一言で、まずはその一角に比較的近いテーブルの兵士たちが会話をやめ、一斉に中隊長たちの様子を窺う。
「それは僕も興味があります。白銀中佐の場合、いつも怒鳴ってる姿ってのがイメージ出来なくて……。そういうタイプの教官じゃなかったの?」
 ヘンリーもその問いに同意したことによって、その声が聞こえる範囲にあるテーブルの兵士たち全員が押し黙り、聞き耳を立てるようになった。
「俺、いつも怒鳴られてばっかでしたよ。訓練の時は特に」
「章好は訓練小隊の小隊長もやってたからだよ、きっと。何回か、中佐と手合わせしたんだよねー?」
 ここ最近、中隊長たちに引っ張り回されている柏木章好と水城七海の応答で、聞き耳を立てていた兵士たちがひそひそと小声で囁き始める。
「手合わせ…? 戦術機で、か?」
「それもありましたけど、生身でもやりましたね。格闘訓練ですよ」
「模擬刀や模擬短刀使うヤツだな? けっこうしんどいんだよな、あれ」
 ユウイチの問いに再び章好が回答。ディランも自らの体験を想起しながら会話に加わった。そもそも、衛士訓練の中には歩兵訓練も基本カリキュラムに組み込まれているのだから、大概の衛士は短刀格闘訓練程度を体験している筈である。
 その三者のやり取りによってひそひそとした耳打ちはやがてざわざわとしたものに変わってゆく。
「章好は剣道少年でしたから、模擬刀を使わせたら意外とやりますよ。私じゃ絶対に勝てないです」
「ケンドー? ああ、柏木少尉、剣道やるんだ? だったらけっこういい勝負したんじゃないの? もしかして勝っちゃったとか?」
 知っている日本の武道を話に出されたエレーヌは更に爛々と目を輝かせる。そのまま武との手合わせについて訊ねてくるが、どちらかといえば冗談のような口振りだった。
 しかしながら、聞いている側は単純な冗談と受け取らない。
 ざわざわとしていや兵士たちは再び水を打ったかのように静かになり、章好の返答を待っていた。
「まったく敵わなかったですね。俺が模擬刀で、中佐なんて模擬短刀2つなのに、ですよ? 見事に捻じ伏せられましたもん」
 それが止めだった。
 賑々しいというよりは騒々しい雰囲気は一気に広大なPX全体に波及し、そして波が引くように徐々に静けさを取り戻してゆく。
 だが、ひそひそとした囁き合いは波には攫われず、海岸に残ったままだ。「短刀で長刀に応戦して、圧勝する?」「やっぱり中佐は化物か?」などと、最早当人たちすら置き去りにした会話までもそこには含まれている。
「どうなの? それ……」
「いえ、何でも、「長刀の扱いが俺よりも優れたヤツに長刀で挑んでも勝ち目なんて薄いだろ?」って、後で教えられました」
「だが…模擬刀の間合いの利点を短刀で埋め切れるとは思えん。中佐は余程の奇を衒ったということか……」
 その、長刀と短刀の絶対的な差を先日に嫌というほど体験したレイドは、神妙な面持ちで唸る。武がどんな奇を衒ったのか、にわかには想像出来ないらしかった。
「他言するなって中佐からきつく口止めされてますから、クラインバーグ大尉には申し訳ないんですけど……」
「分かっている。そうだな…俺ももう少し、奇の衒い方を考えてみるとするか」
 これ以上は勘弁してくださいと言いたげな章好に、レイドもにやりと笑って気にするなと答える。彼にとっては、分からないことを考えることが何よりも楽しいようであった。
「……とにかくさ、中佐は戦術機に乗らなくても無茶苦茶だってことだろ? 乗った方が無茶苦茶なのは言うまでもないけど」
「身も蓋もない気がしますが……同感です。欧州ではあまり見かけません」
「アメリカにも滅多にいないよ。白銀中佐みたいな衛士」
 ユウイチの呟きにヘンリーが返す。つまりは、欧州にも米国にもそうそういないタイプの衛士ということでしかない。
 世界には確かに、最強なんじゃないか?と囁かれる衛士はいる。それも、数えられないこともないが、出来ればあまり数えたくない程度の量はいるものだ。
 たとえば、現在北米の実働トップと囁かれるアメリカ合衆国軍のリカルド・アイズ少佐。
 かつて極東で最強と謳われた斯衛軍の紅蓮醍三郎大将。
 彼らの師団長 レナ・ケース・ヴィンセント准将も欧州では極めて名の知れた衛士だった。
 若手ならばそれこそ両手両足の指では足りないほど、有望視されている衛士が世界中にいる。
 その中でも、白銀武の挙動制御技術は頭1つ飛び抜けていた。
「…………白銀中佐って…最強なんじゃないの?」
 今更ながら気付いた、というようにエレーヌが呆然とした様子で呟く。それには古参の衛士たちも、肯定も否定も出来なかった。
 殊、一対一という変則的な戦闘場面では、挙動制御技術が明暗を分ける大きな要因となる。ともあらば、白銀武という若い衛士の実力は、古豪の衛士のそれに非常に肉薄しているのではないだろうか。
 あるいは既に上回っているという結論も、容易に否定出来るものではない。
「訓練校の先輩が、同じことを白銀中佐本人に訊ねたって言ってましたよ」
 その中で口を開いたのは七海だ。
「それってけっこうチャレンジャーだと思うけど……実際に中佐って何て答えたの?」
 七海の発言にエレーヌは珍しく苦笑気味に問い返す。実際に上官へ対して「あなたは最強ですか?」と訊ねる無謀さでも思い浮かべたのだろう。
「自分より強い衛士なんていくらでもいる……って言ったらしいですけど、詳しくは教えてもらえなかったです」
「いくらでもいる……ねぇ…」
 七海はかつて先に任官した訓練校の先輩が言っていた言葉を思い出し、復唱する。その信じられないような発言には、誰しもが「いないだろ、そんなに」と心では思っていながらも敢えて口にはしなかった。
 事実から言えば、白銀武に勝る挙動制御技術を持つ衛士は世界中を捜しても恐らく見つからない。だが、それですべてに勝る世界でもないことも事実だ。
「………衛士の順位を語ることも、戦術機の優劣を語ることと同じくらい無意味なものなのかもしれぬな」
 腕を組んだレイドは、先日、戦術機の優劣について議論していたディランとエレーヌを武が叱責したことを思い出して重々しく呟く。
 戦術機は元来、立体連携戦術を駆使して即応出来ることが最大利点とされている。集団でBETAと戦うことが大前提とされている以上、戦術機には唯一個体としての最強などあってはならないし、あってもさしたる意味がない。
 そうであるならば、それを操る衛士にも個体としての最強を求めるのは誤りであるのかもしれない。
 彼はそう言っている。
 もちろん、一対一で戦うという“ルール”の下で比較すれば個体としての能力差がはっきりするだろうが、それで隊を成す衛士としての優劣が決まるとは限らない筈だ。
 もっと簡潔に喩えよう。
 4番打者でエースピッチャーも1人では野球も出来ないという話。
「でも………」
 不意にユウイチが口を開く。テーブル中の視線が彼に向けられた。
「それでも俺は、誰よりも強くなりたいと願います」
 それは小さな呟きだった。小さな呟きだったが、シンとした静寂に包まれるPXでは実際以上に大きく響くよう錯覚させられる。
 この場にいるほとんどの者が、ユウイチの身の上に何があったのか知らない。だが、その並々ならぬ意志は瞬時に伝播し、誰もが息を呑む。
「ふーん……じゃあ、まずは中佐を越えないと。いきなり目標が大きなことで」
 静寂を打ち破り、普段と同じような冗談めいた口調でそう言いながら、エレーヌがユウイチと強引に肩を組んだ。肩を組まれたユウイチは半ば反射的に身動ぎしながら彼女から顔を背ける。
 嫌悪しているというよりは、動揺が態度に出てしまったような行動だった。
「……自主訓練に行きます。失礼します」
 しばしされるがままだったユウイチもやんわりとエレーヌを引き剥がし、仲間にそう告げて踵を返す。力強く言ったにも関わらず、足早に去るその姿はまるで逃げるかのようだった。
「日課でもないクセに……。待ちなって。あたしも付き合うから」
「放っておいてください」
 困ったように苦笑を浮かべるエレーヌも、ユウイチの意志に同意したのかあるいはユウイチをもう少しからかいたいのかあとを追って駆け出した。ユウイチは制止を振り切って更に歩く速度を速める。
 それを座して見ていたレイドがさっと周囲を見回すと、同じように見回していたディランとヘンリーそれぞれと目が合う。
 意思疎通は一瞬。お互いに目配せして頷き合い、一斉に椅子から立ち上がった。
 遅れることほんの1、2秒。傍観傍聴していた周りの兵士たちも数名が、思い立ったように立ち上がる。
 章好はディランに、七海はレイドに腕を引かれ、まだ状況をよく理解していないながらも席から離れることになるのだった。




 マリアが外の空気を吸おうと、兵舎から外に出たところ、普段とは何か違う空気を肌で感じ取ることが出来た。
 耳を澄ませば夜の静寂の中、歩兵訓練用のトラック・フィールドから何やら人の話し声が流れてくる。
 それも1人や2人ではない。
 目を凝らせば夜の帳の中、いくつかのグループに分かれて訓練に勤しむ部下たちの姿が見える。
 それはまるである種戯れているようでもあった。
 そこでは新任も古参も関係なく、衛士も歩兵も関係なく、子供が遊戯に一心になるように基礎訓練に取り組んでいる。
 珍しいこともあるものね、とマリアは呟きつつも、その表情はどこか嬉しそうに緩んでいた。



[1152] Re[17]:Muv-Luv [another&after world] 第17話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2008/05/04 00:01

  第17話


 プレストン 北部駐屯地。
 その中にある一室…武の執務室にて、彼がいつものように事務仕事に追われていたその時に、その恐るべき電話はかかってきた。

『このあいだ大量の手紙を送り付けられて、検閲の仕事を増やしたヤツか?』
「それは俺のせいじゃないですし、そんな本名より長い言葉で挙げないでください」
 受話器を取ると、通信の向こうからは何よりも先にそんな言葉が投げかけられてくる。それには武も憮然としながらもきっちりと反撃。何しろ、あの原因が自分だと認めるわけにはいかないからだ。
『一応本人確認だ。どこぞの諜報員に白銀武だと偽られていないか心配でな』
「何の確認にもなってませんよ。いつからそんな冗談を言うようになったんです? 用がないなら切りますよ、ヴィンセント准将」
 電話の向こうで、普段通りの真顔でそんな戯れ言をほざいているレナの姿が容易に想像出来、武は心の中だけで豪快な右ストレートを喰らわせてやる。
 どうせ心の中では何をしても反逆罪に問われる心配などない。
『まあ、待て。こちらで分かったことを少しくらい教えてやろうという私の気遣いを無下にするつもりか?』
 その一言で、武は受話器を耳から離そうとした手を止める。さっきまで疲れた様子だった表情も、一瞬にして神妙なそれに変わっていた。
「……どういう意味です?」
『既に判明していることを話そう。H12で発見された未完の横坑についてだが、貴様の読み通り、北東約30kmの地表に続いていた。出口が渓谷状の入り組んだ地形にあったせいで軌道衛星から見つけるのは困難だったという話だ』
「30km……目算より7kmも増えてるじゃないですか」
『だが方角はあっていただろう?』
 レナの言葉に武は思わず眉根を寄せる。それにレナも返してくるが、方角があっていただけでは読み通りだったのか微妙なところだ。
 そう思った武だが、例の横坑を想起してあながち否定的になる必要もないと思い直した。
「方角があってたってことは……もしかして本当に真っ直ぐ伸びてたんですか?」
『驚くことにな。どうやら傾斜は途中からほとんど水平になっていたようだが、向きは計ったかのように直線で、地上まで続いていた』
 あまりの異様さに息を呑む武。その異常性はレナだって重々理解しているようで、つい先程のように冗談を言うこともなくなる。
 ハイヴの縦坑と横坑は網の目のように入り組んでいる。そのように、さながら蟻の巣のような構造をしていることは正規兵となれば必ず教えられることで、衛士の常識だ。
 だが、H12で発見された例の横坑は、“最下層から地上へ直通”しているのである。
 そのような構造は、今回を除いて未だかつて見られたことはない。
『その後の調査によれば、途中にはBETAの死骸が見つかっている。衰弱死したのか死因は不明だが、周辺に交戦した後も見受けられないため、その可能性は高いだろう』
 BETAの死骸と聞き、H12で見つかった無傷の要撃級の死骸を思い出す。あちらは真新しい死骸だったためすぐに衰弱死と判断された。だが、今回は死骸の損傷も激しかったのか、結論を可能性だけに留めているようである。
「………最下層から直通なんて…まるで非常口ですね」
 しばし考え込んだ武は、結局結論は出せないと踏んでそう軽口を叩く。
 だが、予想外にもレナからは何の応答もなかった。彼女におけるこのような反応は、真面目に受け入れて深く考え込んでいる時しかない。そうでなければ軽口に軽口で返すのがレナ・ケース・ヴィンセントという女だ。
「あの………冗談だったんですけど」
『いや、実際に研究者の中にはそう推測している者もいる。決して多数派ではないがな』
「まさか……BETAがそんな行動を取るなんてあり得ないですよ。前例もないですし、そもそもヤツらの上位存在はもう――――」
『白銀。あり得る、あり得ないの問題ではない。実際にイレギュラーなものがあったのだから仕方なかろう?』
 武の言葉を遮ったレナは、諭すような口調でそう告げる。優しくも厳しいその言葉は、彼女がこれまでの経験で培ってきた意見なのだろう。
 だが、武の反論も間違ってはいない。桜花作戦によってオリジナルハイヴの「コア」が破壊されたことで、BETAは唯一の指揮系統を失っている。
 BETAにはもう、今残っている対処能力しか発揮出来ない筈なのである。
『我々が考えなければならないことは、“あり得ないことが起きたのならば、何故それが起きてしまったのか”だ。たとえ材料が足りなくとも、思考を止めることは最悪な事態に直結する』
「…………失礼しました。肝に銘じておきますよ」
 感情的になりかけた自己を抑制し、頭の中でレナの言葉を反芻しながら武はゆっくりと言葉を紡ぐ。
 BETAの行動はすべて「コア」に起因していたという前提条件に、武は固執し過ぎていた。
 原因がなければ結果は生まれない。ならば、今回のこの不可思議な結果には何かしら原因があるに違いない筈だ。
 そう考えれば、レナの言い分は多分に正しい。
『それと回収されたレコーダだが、結局1つを除いて記録は残っていなかった』
「その1つのレコーダの内容は? 情報価値はないんですか?」
『内容自体に情報価値があるとは言い難いな。実際、ほとんどがノイズで、聞き取れる音声は本当に数えるほどしかない』
 武の問いにもレナは苦言を漏らすように答える。だが、そこには思った以上に落胆の色が含まれていなかった。
「その、聞き取れる音声から読み取れることは案外少なくないんじゃないですか?」
 一時にほぼすべてのことを含む質問を投げかける。
『いや、実際に分かったのは、第3中隊が敵と遭遇し、交戦状態に入ったことと、その戦術機に乗っていた衛士が酷く興奮状態にあったということ程度だ』
「それは………確かに情報価値もなさそうですね」
 苦笑気味に武は呟く。BETAと交戦状態にあったならば、どんな衛士でも多少なり興奮状態になる。それが予期せぬ戦闘であれば尚更だ。
『音声では、衛士は頻繁に“化物”という言葉を口にしていたようだが、詳細は現状不明であるし、今後明らかになるとはとても思えん。敵についても詳細は不明。しかし、状況から鑑みればBETAであることは間違いないだろう』
「まあ、実際に状況から見てBETAと遭遇したのは疑いようもないですからね。基本、化物染みた連中ですし」
 確かに、BETAとの交戦中に“化物”と罵る衛士も決して少なくない。経験の有無のみで問われれば、武も例外ではないくらいだ。
 しかし、レナの言葉に同意しつつも、武の表情は険しい。喩えるなら、“腑に落ちない表情”というものだろうか。
 事実、武はレナの説明にどこか奇妙な違和感を覚えていた。
 だが、武自身すらどこにしっくりこないのかはっきりと認識出来ていない。
『こちらから教えたいことは以上だ。取るに足らない内容だが、貴様もこれが知りたくていろいろと画策していたんだろう?』
「そりゃ、自分が参加した調査ですから。大事な部下たちまで動員されて、それっきりってのは随分な扱いだと思いますけど?」
『くっくっく……違いない。だが、次からは私も巧く使え。上官に巧く使われるだけの駒よりは、上官も巧く使う駒の方が私好みだ』
 酷く可笑しそうに笑ったレナは、そのまま普段の彼女からはあまり想像出来ないようなことを口にする。
「使われることをよしとするなんて、准将らしくないですね」
『“巧く”とは情報を引き出すことを勿論のこと、事前事後の波風まで丸め込む機転まで含む。それだけの能力がある部下のために動いてやれるというのも上官の甲斐性だろう』
「はぁ…勉強になります。じゃあ、勉強ついでに1つ訊ねてもいいですか?」
 大層な持論を持つレナを素直に尊敬し、武は次の言葉を紡ぐ。今の力説の手前、容易には退けないのか、レナは一瞬黙した後に「答えられる質問に限る」と釘を刺しながらも次を促した。
「H11制圧作戦の正式な発令日はいつですか?」
 凛然と武はそう問う。それには通信の向こうのレナもわずかに息を呑むのが分かった。彼女の姿は確認出来ないが、恐らく相当目を細めて虚空を睥睨していることだろう。
 何せ、武の訊ね方はH11制圧作戦が近々発令されることをほぼ確信しているものだからだ。
 通信でなければ、彼女の鷹の目が直接自分に向けられていたかと思うと武も気分はあまり良くなかった。
『正式な日時は決定されていないが……現状では作戦決行の最有力日は5月27日だ。恐らく10日以内に正式な発令がされるだろう』
「5月27日……3週間か……。長くもないけど…短くもないですね」
 今日の日付を確認し、武はため息を漏らすように呟く。
 人類がこれまで戦ってきた歴史や、桜花作戦からH12が制圧されるまでの期間を考えれば疑いようもなく短い。だが最悪、1週間後には部下の調子を整えておかなければならないかもしれないと覚悟していた武にすれば、3週間は決して短いとは言えなかった。
『詳しいことは正式な発令を待て。貴様のところには、これまでどおり私から直接通達する』
「了解」
 普段と同じレナの締めに、武も了解の旨を返す。どちらにしたって武たちは上からの指示がなければ動けない。独自に出来ることは戦場で1分でも長く生き残れるよう鍛錬を積むことだけだ。
『とりあえず、私から伝えることは以上だ。仕事の合間に悪かったな』
「いえ、准将のお気遣いはありがたかったですよ。夕呼先生なんかそういうこと何も教えてくれないですから」
『今回はたまたま上から公開の許可が下りただけで、そもそも軍組織とはそういうところだ。尤も、香月博士が秘匿主義者であることは認めるがな』
 武の軽い愚痴に抑えた笑い声を立てながらレナも同意する。無論、武やレナから見ればそう感じられるかもしれないが、香月夕呼の立場を考えれば秘匿性などいくらあっても充分なことなどないだろう。
『それでは、健勝でやれ』
「はい」
『…………ああ、それとだ。白銀』
 てっきり話が終わったとばかり思い込んでいた武は、耳から離そうとした受話器の向こうから再びレナの声が聞こえ、思わず眉をしかめた。
「……何です?」
『手紙の送り主に2度と送ってくるなと伝えておけ』
「嫌です。文句は自分で言ってください」
 どうでも良い捨て台詞を残そうとするレナに即座に反論し、武はそのまま一方的に電話を叩き切る。
 最早、上官侮辱罪など知ったことではないようだった。




 柏木章好は若手の衛士の中では比較的優秀な部類に入る。
 訓練校で訓練部隊の隊長を務め、任官後には朝鮮半島に駐留する守備隊に配属され、それこそ数回、BETAとの戦闘経験も持ち合わせている。
 加えてXM3世代としては1期生に当たり、最初に配属された部隊では古参の衛士からも即戦力として重宝されたほどだ。
 そんな彼の目標は先日アラスカから日本に帰還したばかりの実姉と、自分に兵士としての伊呂波を叩き込んでくれた教官の2人である。
 その2人に追いつくために任官前も任官後も努力は欠かしたつもりはないし、周りにも少しはそれを認めてもらえていると、ひそかに自信はあった。
 しかしながら、それもつい1、2週間前までの話。
「………………」
「何ていうか……技量は光るものを持ってるけど、体力はないね、柏木少尉」
 大抵の人間がPXあたりへと出払っているのか、妙に閑散とした兵舎の通路を歩く者が2人。
 柏木章好とその上官たるエレーヌ・ノーデンスだ。
 起床時に比べて遥かに重くなった身体を引き摺るように歩く章好に、隣を行くエレーヌが呆れたように呟く。
 その、何のオブラートにも包まれていない一言に、章好の身体はますます重くなる一方だ。
「ノーデンス大尉は……全然疲れた様子もないですね」
「疲れてはいるけどねー。顔に出してもしょうがないし、いつ出撃命令があるか分からないから最低限の調子は整えておかないと」
 章好の問いかけにエレーヌは可笑しそうに笑いながら答える。その表情は疲れを感じさせない一方、確かに嘘をついているようにも見えなかった。
 同じ中隊の章好とエレーヌは、朝起きてから夜眠るまで基本的に同等の訓練をこなす。それにも関わらず両者の体調に明確な違いが表れるのは単に体力の差か、あるいは経験から来る差異なのか簡単に推し量れるものではない。
「やっぱり俺、自信持つには早過ぎますね」
「自信? 持ってたんだ?」
 肩ほどまである質素な茶髪。その前髪をいじりながらエレーヌは答える。
 その、即座に疑問符で返してくる言葉はやはり実にストレートなものだった。本人に悪気はないのかもしれないが、章好にとってはかなり辛辣な一言だ。
 何せ、それは遠回しに「まだ甘い」と言われているようであるから。
「あー…ごめん、言い方悪かったね。あたしには柏木少尉ってその辺り無頓着そうに見えたから、自信に拘るって意外だっただけ」
「え……? それってどういう……」
「ほら、自信って「自分は大丈夫だ」とか「自分になら出来る」とかいう一種の自己暗示みたいなものでしょ? 本当に凄い人は当たり前みたいにこなしちゃうっていうか」
 「あははは」と笑いながらもエレーヌは申し訳なさそうに説明を付け足す。その片手はまだ自身の前髪をいじり続けている。
 成程、そういう解釈も出来るのか、と章好は無言のまま頷いた。
「まー、確かにそういう人の方が少ないよね。その歳でそこまで落ち着いてたら全然可愛げがないし」
「可愛げ………」
 今度は少し違うトーンでエレーヌは笑った。今のはからかわれたらしいと章好が気付いたのは、可愛げと呟いたすぐ後である。
 両方のグリーンを帯びた瞳でエレーヌを見返すと、彼女はほんの少しだけ苦笑を浮かべる。
 彼本人としては、実際に可愛げがあると評価されても複雑な気分になるだけだ。
 万が一にもその話題を姉に知られれば、しばらくは笑いのネタにされる恐れすらあった。
「白銀中佐なんかはきっとそういうタイプなんじゃない? 中佐、超人だし」
「それは違うと思います」
 そのままの調子でエレーヌは続けるが、章好はどうしてか即座に反意を示す。
 軽い冗談のつもりだったのか、反論されたエレーヌは驚いて目を丸くしていた。その表情を見て、章好も自分の言い方があまりにも不自然だったと自覚する。
「あ…すいません。言葉が過ぎました」
「それはいいけど……柏木少尉は何でそー思うのさ?」
 まったく気を悪くした様子もないエレーヌ。彼女としては、部下に反意を示されたという事実よりも、その理由の方が遥かに気になっているようだった。自分で撒いた種だが、それには章好も苦々しく引き攣った笑みを浮かべてしまう。
「……白銀中佐は、自分を強く見せようとしているだけなんです。自分を追い込んで奮い立たせることもあれば、泣くこともあるんですよ」
 しばし沈黙し、思案した後、章好はゆっくりと口を開く。その言葉に、エレーヌの顔色が変わるのがすぐ分かった。
 それは訝しげでもあり、またどこか腹立たしそうでも、そしてわずかに悲しそうなものも混じっている。
 何故それが分かる?
 そう問い詰められているようだ。
「……全部姉貴が言ってたことなんですけどね」
 エレーヌの視線から逃れるよう目を逸らしながら、章好は困ったように笑って白状する。
 これは章好が訓練校に入った時に実姉の柏木晴子が言っていた言葉。自分たちの訓練部隊を担当することになった、非常に若い訓練兵教官について章好が話したとき、いつになく神妙な面持ちで返されたのをよく覚えている。
 ただ、晴子があの表情の時は絶対に本音を言っていると、章好は経験的によく知っていた。
「姉貴って…白銀中佐と同じ隊にいたっていうお姉さん? 何かやけに親しそうだね。もしかして中佐の恋人?」
「それも……ないですね。姉貴本人も否定してました」
「……ってことは、恋人云々に関しても訊いたんだ」
 章好が首を横に振ると、エレーヌはあまりにも鋭過ぎる返答を投げかけてきた。完全な図星である章好は「うっ……」と言葉を詰まらせる。
 確かにその件に関しては章好も晴子に訊ねた。
 先に断わっておくが、章好にシスコンの気はない。
 ただ、姉が軍に入隊してからというもの、晴子の口から交友関係や仲間関係の話をまったくといっていいほど聞かなかったため、興味を惹かれなかったといえば嘘になる。
 しかしながら、今考えれば多分にあり得ない問いかけだったと章好は思った。不意に武のことを義兄と呼ぶ自分を思い浮かべて、即座に否定する。
「そこまで親密な間柄じゃないのにそんなこと断言出来るなんて、柏木少尉のお姉さん、随分と観察眼の優れた人なんだねー」
 感嘆の息を漏らしながらエレーヌは呟く。とはいえ、納得したというよりはむしろ半信半疑に近い物言いだった。確かに、それも疑問に思ったことがある。
 彼の姉の柏木晴子は確かに視野の広い人間だ。殊更、最も助け舟の求められている瞬間を見逃さず、適切な対応をする能力ならば章好が知る限り右に出る者はいない。
 だが、それはあくまで他人としての対応。
 知人であろうが友人であろうが戦友であろうが、そして家族であろうが、晴子自身が線引きした場所より奥へは決して踏み込んでこない筈。
「ふーん……そっか、柏木少尉のお姉さんは中佐の恋人じゃないのね。中佐の浮いた話が聞けると思ったのに………」
「はあ……何か、お役に立てず、すいません」
 眉間に皺を寄せ、妙に残念そうにエレーヌは言った。それに章好も反射的に謝罪の言葉を述べるが、よくよく考えてみれば何一つ彼が謝る理由などない。
 そもそも、エレーヌが訊ねてきたことはそんなことではなかった筈だ。
 だが、当のエレーヌはもう色恋沙汰に注意が逸れたのか、「むう」とやや不機嫌そうに唇を尖らせるだけで、それ以上の詰問はしてこない。
 先程まで前髪をいじっていた彼女の指も、今はその顎をさすっていた。
 不意に、章好は思う。
 彼女は、自分が困っているのを見てわざと話題を逸らせ、話を終わらせてくれたのではないだろうか、と。
「あ、アルテミシア大尉………と、リィル」
 だが、章好がそれを探るより早く、エレーヌは新たな標的を見つけた。彼女の声に反応し、俯き気味だった章好も顔を上げる。
 見れば、通路の先…ディラン・アルテミシアの自室の前で何やらディランとリィルが話し込んでいるようだ。いや、より正確に言えば、ディランが積極的に話しかけ、リィルの方は時折苦笑を浮かべながら相槌を打っている。
 続いてディランがリィルの肩に手を置いたが、対するリィルは片手と笑顔でやんわりとそれを受け流す。そのまま一礼し、章好たちからは遠ざかる方向に歩いていってしまった。
 ショートボブに纏められたリィルの淡い青髪が揺れているその後ろ姿は、どこか追手から逃げるようにも見える。
「リィルもけっこう受け流すの巧くなったねー」
「あれ、何ですか?」
 一部始終を傍観したエレーヌの言葉に、同じく傍観していた章好は怪訝そうに訊ねる。会話内容が聞き取れる距離ではなかっただけに、激しく意味不明だった。
「アルテミシア大尉、女の子からかうの好きなんだよねー。ちょっと色ボケてるっていうか」
「からかうって…そんなの良くないですよ」
「悪意があればね。あと差別意識か。まあ、そういうのは受け手側の価値観にもよるけど、アルテミシア大尉の場合は挨拶みたいなものだし、女性を卑しめるようなことは絶対に言わないから」
 章好の反論にエレーヌもやや表情を引き締めて答える。もしディランが少しでも明らかな女卑の体を見せれば戦友としても容赦はしないと言いたげな表情だ。
 男尊女卑の体は、残念ながら現在も各国の軍に残っている。それは国連軍も例外ではない。もともと軍という組織は男性の比率が圧倒的に大きく、世界どこの国でも「戦うこと=男の仕事」という図式が成り立ってきた。
 しかし、それも実際にはBETA大戦が始まる前までの話。
 確かに大戦初期に発令された徴兵令は男性から先に始まったが、現在は南北アメリカやオーストラリア等の一部の地域を除いて、男女関係なく軍に徴兵されている。
 章好にしても幼馴染みの水城七海にしても、徴兵令で入隊を迫られ、止む無く国連軍に入隊した、という感覚は決して否定出来るものではなかった。
「まあ、2ヶ月もすれば慣れるものか。ね、柏木少尉も今度気が向いたらリィルを口説いてみてよ。きっと耳まで真っ赤にして慌てふためくから」
「何言ってるんですか……ヴァンホーテン少尉に悪いです」
「リィルに? 水城少尉に、の間違いじゃなくて?」
「ぶッ!? なななななッ……何言ってんデスカッ!?」
 いきなり七海の名を出され、章好は豪快に吹き出す。その露骨なまでの動揺振りに、とんでもない発言をしたエレーヌは満足気にニンマリと笑った。
「あん? エレーヌに柏木じゃねぇか。どうしたよ? 2人で」
 章好が大きな声を上げてしまったためか、ディランもこちらに気付いて手を振る。章好は生憎それに応じるほど余裕はなかったが、エレーヌは何食わぬ顔で手を挙げて応えた。
「模擬戦での連携についてデブリーフィングで居残らせてね。その帰り道。そっちは? 何かリィルと話してたみたいだけど」
「手紙だよ。ほら、いつもの」
 未だ再起しない章好を放置し、エレーヌはディランに言葉を返す。その問いに答え、ディランは先刻リィルから受け取ったばかりと思われる質素な封筒を掲げて見せた。
「あー…アメリカのご家族? カレンちゃん、元気?」
「当然。俺の娘が元気じゃないわけないだろう」
 少しくたびれた感じの金色の髪を振りかざすように、ディランは大袈裟な身振りで答える。
 その、ディランの述べる根拠にもならない理由に苦笑しつつも、エレーヌは「それは何より」と相槌を打った。
「アルテミシア大尉……子供いるんですか?」
「いるよー。妻帯者だもん」
「見るか? 俺の家族ぅ」
 さらりと飛び出した、とんでも発言に章好が呆然と問いかけると、エレーヌとディランがほぼ同時に答える。特に、ディランの方はいつにも増して緩み切った表情で豪快に章好の肩を叩き、懐から1枚の写真を取り出した。どうやらいつも持ち歩いているらしい。
 覗き込む…というよりも強引に視界に放り込まれてきたその写真には、小さな子供を抱き上げた栗色の髪の女性が映っていた。
 恐らく、この子供がディランの娘で、抱き上げている栗色の髪の女性がディランの妻ということなのだろう。
「うわぁ…可愛いですね。娘さん、いくつなんですか?」
「今年で4つ。奥さんは26歳だっけ?」
「何でそんなに詳しいんですか? ノーデンス大尉」
 ディランよりも早く答えるエレーヌに、章好は当然の疑問を投げかける。子供の名前や年齢を知っていることはさて置いても、どうしてディランの妻の年齢まで知っているのか。
「最初の1ヶ月で耳にタコが出来るくらい語られたんだよねー。色ボケてるくせに家族愛のインフレ状態。あー、鬱陶しい」
 あたかも飛び交う蚊や蝿の類を手で払うようなジェスチャーのエレーヌ。ディランの娘トークに遭遇するのは章好にとってこれが初めてだが、その鬱陶しさは何故かよく分かった。
「顔立ちはカミさん似なんだけど、目元なんか俺に似てるだろ? な?」
 鬱陶しいと言われていることは聞こえていないのか、あるいは聞かなかったことにしたのか、ディランは完全なる親バカ振りを発揮している。
 彼がこのような人間性だということは完全に章好の想定の範囲外だ。
 章好は限りなく愛想笑いに近い笑みを浮かべ、とにかく相槌を打つしかなかった。
「一応断わっておくが……嫁にはやらないからな」
「いッ…いえ…俺は別に……」
「返すだけ無駄だよ。そうなったアルテミシア大尉、2時間は止まらないから」
「うあッ!?」
 エレーヌが答えるとほぼ同時にディランがガシッと肩を組んでくる。しっかりと半身を固定された章好は、ほぼ自由を奪われてしまった。
「特別に語ってやろう。俺と俺のカミさんの出会いは10年前のニューヨークで――――」
「娘さんの話は!?」
「あーあ……馴れ初めから入るのは3時間コースだね。御愁傷様、柏木少尉」
 助けるつもりは毛頭ないのか、エレーヌはディランの切り出しに苦笑しつつ章好に向かって胸で十字を切る。神に祈るくらいならどうにかディランを引き剥がして欲しいと章好は本気で思ったが、悪いことに軍人としての理性が上官への懇願という行為をギリギリのところで押し留めていた。
「ま、基本的に無害だし、運良く白銀中佐かシャルティーニ少佐が通りかかれば止めてくれるよ…………たぶん」
「うえぇッ!? ちょちょちょッ…ちょっと!! ノーデンス大尉!?」
「それは冬の冷えた夜のことだった――――」
 親指を立てて「頑張れ」というように笑ったエレーヌは、微妙に不安な締めの言葉を残して後退り。
 逃げられる。
 そう章好が察し、呼び止める頃にはもう全力疾走でエレーヌは遠ざかっていた。
 相対し、ディランはそんなことを気にも留めずに奥方との馴れ初めの話を延々と語り続けている。
 兵舎の通路の真ん中でどういうわけか男2人が必要以上に密着しているこの状態。
 もし何の事情も知らない者が見ればどう受け取るだろうか。それが第27機甲連隊に前から所属している者であれば、片割れがディランということもあって一目で事情を察してくれるかもしれない。
 だが、万が一、新任たちあるいは七海にでも見られたらどうなるか。
 その、図らずも決してあり得なくはない未来予想図に、章好の背筋は一瞬で冷たくなった。
 尚も語り続けるディランを完全に無視し、必死に章好はこの事態を回避する策を模索する。
 しかしながら、残念なことに今この状況で柏木章好に出来ることはそれこそ、数えるほどもないのだった。



[1152] Re[18]:Muv-Luv [another&after world] 第18話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/03/23 23:25


  第18話


 5月14日。
 プレストン 北部駐屯地 第2シミュレータールーム。
「……274戦術機甲中隊(アーチャーズ)、反応炉の破壊に成功。H11突入訓練Bを終了します。273戦術機甲中隊(ハンマーズ)及び274戦術機甲中隊(アーチャーズ)はシミュレーターから降下してください」
『ハンマー1了解』
『アーチャー1了解』
 訓練の終了をリィルが呼びかけると、シミュレーター機に搭乗している273戦術機甲中隊の中隊長 エレーヌ・ノーデンスと274戦術機甲中隊の中隊長 ヘンリー・コンスタンスが了解の旨を返す。
「これで274戦術機甲中隊(アーチャーズ)も難度B成功率の許容値を上回りましたね」
 武同様にモニターしていたマリアが、一先ず区切りがついたというように安堵の言葉を述べる。が、武の表情はそれほど晴れやかではなく、むしろかなり渋いものだった。
「結果として悪くはないんだが……正直、良くもないな。リィル、今の訓練の総時間はどのくらいだ?」
「突入開始から反応炉ブロック到達まで188分です」
 リィルは部下に次の指示を出す合間を縫って、武の問いに答える。それを聞いて武の表情は益々険しくなった。
「3時間か……戦死者が両隊併せて9名、うちS-11で自爆したのが7名。最終的な兵装状況は?」
「反応炉ブロックまで到達した15機のうち、砲弾を残していたのは半数以下の6機です。うち2機は強襲掃討装備になります」
「ふむ……よく残したな。そこはヘンリーの指揮能力が巧く活かされたってところか」
 リィルから手元に送られてくるデータに目を通しながら武は呟く。
 中隊を構成する12機の基本装備と兵站維持の限界を総合した場合、従来通りに戦闘を行えば約90分で弾薬は底を尽くというのが一般的な目算。実際にシミュレーターでわざと積極的に攻勢に転じた場合もその程度で予備弾倉まで使い切ってしまうため、その目算は正しい。
 それが3時間維持出来たというのならば、相当な成果だ。
「どうですか? 白銀中佐」
 そこへ、部下を連れ立ってエレーヌとヘンリーの2人がやってくる。難度Bで比較的好成績を収めたとはいえ、反応炉に到達するまでかなりの部下を失ってしまったこともあって複雑そうな面持ちだ。
「他の中隊にも言えることだけど、全体的に時間をかけすぎたな。反応炉ブロックに到達出来たのは度重なるS-11による掃討があったからだろ。まあ、兵站にほとんど頼れなかった状況じゃ仕方ないと言えばそれまでだけど」
 隊列を整えて並ぶ24名の部下に向け、まず武は率直な感想だけ述べた。
 彼らの多くは、「反応炉ブロックに到達出来たことは喜ばしいが、その過程で多数の仲間が犠牲になった」ことを不満に感じているようだが、実際にその認識は誤りである。
 今の訓練では、そもそも「多数の仲間がS-11によって自爆しなければ、反応炉ブロックに到達することなど出来なかった」筈なのだ。
 S-11という高性能爆弾は、ハイヴ突入をする戦術機に必ず搭載される。一応は反応炉破壊用だが、実際に使われる場面の多くは自爆であった。
 しかも、単純に戦術機が吹き飛ぶだけでなく、爆心地から広範囲に渡って根こそぎにする代物。それを地下茎構造という閉鎖された空間で使えば、たった1発でも追撃してくるBETAの群れを潰滅に追い込むことすら不可能ではない。
 彼らの場合、度重なる仲間の自爆によって追撃するBETAを撒き、その果てに反応炉ブロックに到達出来たようなものだ。無論、地上陽動の機能が少しでも悪ければこのような結果にさえ及ばなかっただろうが。
「ヘンリー、ハイヴ突入作戦で衛士にとって最も重要なことは何だ?」
「反応炉の破壊です」
 武が問うと、ヘンリーは即座に凛然と答えた。その若さ溢れる回答には武も頭を掻きながら苦笑する。
「それはハイヴ制圧作戦における大前提だ。俺たちが反応炉破壊に漕ぎ付けるためには何に留意しなきゃならない? エレーヌ」
「時間です。携行弾薬及び兵站、地上陽動の維持を考えれば、反応炉に到達するまでの時間は短ければ短いほど良い」
「おう、正解。基本的に作戦が予定通りに推移することは稀だから、実際には難度Bレベルの訓練がこなせないと話にならない。戦闘は極力避け、可能な限り速やかに進軍することが最善策になる」
 不意に武は言葉を途切れさせ、1度部下たちを見回した。一様にして緊張の面持ち。それには武も内心少し呆れている。
 何故、ここまでの“矛盾”を孕んでいるのに、誰もその難解さを列挙しないのであろうか。
「長年人類を苦しめ続けてきたハイヴ攻略の難しさは、この時間と兵站の関係にある。兵站の維持にも限界がある以上、弾薬も推進剤も温存して進軍しなければならないというのに、また一方では速やかに進軍しろと言う。跳躍ユニットを使わなければ速度を上げられないにも関わらず、推進剤補給の問題からそれの使用が著しく制限されてしまう。この矛盾が衛士を苦しめてきた」
 立ち上がった武は、少し大袈裟な手振りで続ける。
 戦術機にはそれぞれ独立して動力炉が搭載されているため、稼動のためのエネルギー補給はする必要がない。
 一方、跳躍ユニットは推進剤という燃料をもってして初めて機能する装置であるため、推進剤がなければ利用価値もない。ついていてもわざわざ機体を重くするだけだ。
 また、この推進剤という燃料は、巡航速度なら2時間ないし3時間、アフターバーナー全開で飛行を続ければ10分から15分程度で底を尽く。
 加え、最前面で運用される戦術機は補給線が確保されづらいという、飛行を続けるに当たっての大きな障害を持っているし、そもそも飛行に適した形状はしていない。
 故に跳躍。曲がりなりにも戦術機を飛行させるだけの推力を持つこの装置が飛行ユニットとは呼ばれず、跳躍ユニットと総称されるのにはこういった理由がある。
 無論、光線級の存在によって飛行という手段がそもそも有効的でなくなったことも多分に影響を及ぼしてはいた。
「それでも近年はフェイズ4ハイヴにおいて、面制圧の繰り返しと、軌道降下突入による突入口の確保で安定した成果を挙げている。先月のH12じゃ軌道降下兵団が4個中隊も最下層に到達するという快挙を叩き出したくらいだ」
 確かに時間と兵站の制限は何一つ解消されていない。だが、獲得された緻密な地下茎構造マップと度重なる陽動、大規模兵力の力押しによる兵站維持、そしてXM3という新型OSによってその偉業は成されてきた。結果として人類は、この数年で3つのフェイズ4ハイヴを制圧している。
「だけど、フェイズ5ハイヴは勝手が違う。進軍距離も長くて、希望的観測でも、突入部隊が最下層に到達するまで兵站を維持することはほぼ不可能だ」
「中佐、質問いいですか?」
 そこまで武の言葉を黙って聞いていたエレーヌが挙手をしてそう訊ねる。こういう時に進んで口を挟めるのも彼女の性格だろう。
 武は「どうぞ」と答え、質問を促す。
「実際に日本軍と極東国連軍はフェイズ5であるH19を制圧しました。その時にはどんな戦術が使用されたんですか?」
 手を下ろしたエレーヌは続けて質問を述べる。彼女自身の疑問というよりは、未熟な部下にも知識として教えることを兼ねた質問のように思われる内容だった。
「別に変わったことはされなかったはずだ。ただ、H20に投入された兵力よりも遥かに大きかったとは聞いている。結局のところ、物量による力押しで耐え切った感じが強い」
「でも、さっきは兵站の維持は不可能だって――――」
「帝国軍だけじゃ実際に不可能だった。土壇場で後方待機していた帝国斯衛軍の6個大隊が展開し、戦線を維持……その間に後発の突入部隊1個中隊が主縦坑に到達し、一気に反応炉破壊まで漕ぎ付けた…ってのがH19制圧作戦の概要だな。言い方は悪いけど、ありゃ半ば運が良かった」
 不意にその翡翠の瞳を驚いたように丸くしたヘンリーの言葉を、武は遮るように続ける。
 2003年6月20日。先々月に朝鮮半島のH20を順調に制圧した帝国軍は揚々と更に大兵力を率いてH19に進攻を仕掛けた。
 だが、その結果は惨憺たるもの。
 展開した帝国軍及び極東国連軍、都合10個以上に及ぶ機甲師団の兵力は最終的におよそ半数が潰滅。軌道降下から先行突入した10個中隊は全滅。後発の突入部隊である12個中隊も反応炉に到達した1個中隊を除いて全滅。
 もし6個大隊も斯衛軍が出撃していなければ……。
 もし少しでも作戦の推移が異なっていたならば……この作戦は間違いなく失敗していた。
 事実上の大敗。帝国軍も極東国連軍もそれを重々承知しているからこそ、2003年の6月20日以降、極東防衛線は前進をしていない。
 フェイズ5ハイヴに攻撃を仕掛ける意味を嫌というほど思い知らされたからこそ、日本は2003年の6月20日以降、ハイヴ制圧に乗り出していない。
「……で、知っての通り欧州にはもうフェイズ4以下のハイヴは存在しない。ベオグラード、ミンスク、オウル…旧ソビエト領のコトラスまで含めれば西側にはまず4つのフェイズ5ハイヴがある。欧州奪還にはこいつらの排除が重要であることは言うまでもない」
 武のその言葉に、誰かがごくりと息を呑む気配が取れる。
 先日の新入りやヘンリーのようなアメリカ出身者のような極一部を除いて、第27機甲連隊の隊員のほとんどは欧州の祖国を失った者たちだ。
 欧州奪還への想いは武のそれの比ではない。
 だが、BETAを大陸から殲滅するということは人類の悲願であると同時に、そう短期間で成し遂げられるような容易いことでもないのだ。
「加えてフェイズ5ハイヴの規模は半端じゃない。柏木、フェイズ4とフェイズ5の地下茎構造水平到達距離はいくつか覚えているか?」
「はい。フェイズ4ハイヴの場合は半径10km、フェイズ5に達した場合は半径30kmです」
「正解。この一段階の間で半径が3倍にもなっている。ここでいきなり20kmも増えられるのはかなりマズい。実際、H19の制圧じゃ帝国軍は地表構造から15kmの地点までしか戦線を上げられなかった」
 武の最後の言葉に、シミュレータールーム内はにわかにざわつく。
 これは決して非公開のデータというわけではないが、実際に興味を持って調べなければ手に入らない情報だ。武も作戦直後、その被害状況を聞いてすぐさま作戦の推移について調べた記憶がある。
「15km……たった半分ですか…?」
 ヘンリーが愕然とした様子で呟いた。訓練でかいたものか、はたまた心理的な緊張から発汗したものかは分からないが、頬を伝い、彼のその整ったシャープな顎から汗の雫が滴り落ちる。
 彼の心境はよく分かる。15kmしか戦線が上がらなかったということは、15kmまでしか地上の兵站が確保されなかったということだ。
 即ち、突入部隊は残りの半分をほぼ完全に孤立無援状態で進軍しなければならない。
「フェイズ4が10kmだということを考えればよくそこまで上げたって言う方が正しい気がするな」
 ヘンリーの言葉に対し首を横に振り、「認識が甘い」と言うように答える。
「結局のところ、ハイヴ突入においては最初から兵站は当てにするなってことですよね?」
「まあ…そんなところだ。要は、地下茎構造内において衛士には、推進剤を温存しながらも速やかに進軍出来る能力が最も要求される。これには戦闘行動も含め、ハイヴ内での一挙一動すべてが影響を及ぼしてくる。気を抜ける場面なんて数えるほどもないからな」
「了解」
 未だ明確な評価の見えない武の言葉にも、エレーヌとヘンリーを始め、部下は敬礼で答える。だが、数名はどうも訝しんでいる節が感じられた。
 その筆頭はエレーヌ。淡い金色を含んだブラウンの瞳はさっきから忙しなく武の真意を探ろうと必死になっているようだ。
「白銀中佐。そろそろ訓練について明確な評価を」
 見兼ねたマリアが武に対してそう進言してくる。言っていることはすべて重要だが、いい加減話を切り上げてくれと言っているような視線と声色だった。
「……………訓練としては劣悪だな」
 しばし沈黙し、そしてマリアの方は決して振り返らず武はただ一言そう告げる。
「反応炉の破壊に成功したのに、ですか?」
 ヘンリーの翡翠の瞳がまた驚きに染まった。多数の部下を失い、本人も満足していないとはいえ、仮にも反応炉を破壊したのだ。確かに彼の驚きは当然の反応かもしれない。
「確かに、突入作戦において反応炉の破壊はすべてに優先される。実際の任務であればどんな過程を辿ったにしても、反応炉の破壊に成功すれば作戦も成功だ。だけど、俺としてはハイヴ1つ制圧するのに9人も10人も死なれちゃ困るんだよな」
 ヘンリーを見返し、武は心中の本音を並べる。その黒瞳に威圧されたのか、ヘンリーは苦悶の表情で目を伏せた。
「俺たち軍人にとって任務は成功させて当たり前。その上で生き残れるヤツが一流だ」
「じゃあ……自らを犠牲に活路を切り拓いた者は二流以下だって言うんですか…!?」
「ヘンリーッ!」
 武の言葉で堰を切ったヘンリーが、わずかに声を荒げる。
 即発の気を感じ取ったエレーヌはヘンリーの腕を掴み、強引に自分の方へ引き寄せた。マリアもすぐに仲裁に入る準備を整えているが、今はまだことの成り行きを見守っているようだ。
「……どうかな? ヘンリー、お前はどう思う?」
「中佐ッ!! 真面目に答えて――――」
 頭に血が上りかけたヘンリーも、再び見つめ返した武の表情が一片の笑みも零していないことに気付き、言葉を詰まらせる。
 彼はもう、完全に武に呑まれていた。
「………確かに、笑って命を差し出すってのは尊いことだ。それを笑い飛ばせるヤツなんて誰もいないよ。だけど、その行為ってのはどんな人間にも1回しかチャンスがない。1回だけしか許されてないんだ」
 シンと静まり返るシミュレータールームに武の声が響く。
 反射的に言葉を飲み込んだヘンリーは、それを押し黙ったまま聞いていた。
 いや、ヘンリーだけではない。マリアも、エレーヌも、リィルも章好も……誰もが皆一様に口を閉ざしたまま武の言葉を胸に刻んでいる。
「その…自分の死を最大限に活かせる…そうだな、最大効率の死に方ってヤツは俺たち衛士にとって生涯かけての命題なのかもしれない」
「最大効率の死に方……ですか?」
「そ、最大効率の死に方。まあ、今の話はほとんど俺がいた部隊の隊長が言ってたことをそのまま言っただけなんだけどさ」
 まるで雨に打たれて震える子犬のようなヘンリーの呟き。ようやく表情を緩めた武は、今は亡きかつての隊長の言葉を追憶する。

 最大効率か……本当に伊隅大尉らしい言い方だ。

 目の前にいる未熟な中隊長が、少しだけ昔の自分と重なったような気がした。いや、実際には昔の自分なんてヘンリーの足元にも及ばないほど弱かっただろう。
 武はそう思ってほんの少しだけ自嘲する。
「自分は……ノーデンス大尉に2発もぶたれたのに、結局何も成長してなかった…」
「ぶたれた?」
 不意にヘンリーが俯き、頬を押さえながら呟いた言葉に武は怪訝そうな顔つきになり、エレーヌを睨み返す。相対し、髪をなびかせて大袈裟に視線を逸らせたエレーヌ。あれではうそぶいていると言っているようなものだ。
 逆にマリアを見返せば、彼女も彼女で事情を知っているのか、ただ無言で頷き返すだけ。
 総合的に見れば、ヘンリーは以前にも似たような話でエレーヌと口論になり、頬を2発殴られた上で諭された、ということになるのだろう。
 残念ながら武はその場にいなかったためその事実を知る由もない。
「あー…何だ、エレーヌと何があったかは知らないけどさ。そこまで自分を追い詰める必要はないような気もするぞ」
「…そう…でしょうか……?」
「人間の成長には終わりがない。誰だって、その過程で同じことを繰り返してるって思うことはあるはずだ。だけど、自己が確立している人間なら同じことを繰り返しながらでもちゃんと成長してると思う」
 未だ一抹の不安を拭い去れないヘンリーに武は軽く笑う。そう答えた後に「これも上官から言われたことをそのまま言ってるだけだけど」と付け足した。
「少なくとも、俺はお前がまだ自己を確立していないとは思えない。なら、いくらでも悩み苦しめよ。それはいつだってお前の成長の糧になる。それで、どうしても1人じゃ耐えられない出来事に出くわした時は、仲間を頼れ。俺はそれに協力は惜しまないつもりだ」
 その手はヘンリーの肩に置かれているが、武の言葉はこの場にいる者すべてに向けられていた。
 かつての上官の言葉を借りるなら、武はつまり壁なのだ。
 その、内側から越えようとする者の前に立ちはだかり、幾度となく押し返してゆく。
 それと同時に、外側から害をなす何かがやってきた時は、守り切ってくれる存在。
 かつて多くの恩師が武にそうしてくれたように、武も彼らに対してそういう存在であり続けなければならない。
「お前も、部下がそうやって思い悩んでいたら見守ってやれ。それが上に立つ者の務めだ」
 ぐいっと顔を寄せ、武はそうヘンリーに囁いた。また翡翠の瞳が驚きに染まったが、それも長くは続かず、彼はこくりと無言で頷き返す。
「………で」
 ヘンリーから離れた武は次にエレーヌを見た。狼狽した様子のエレーヌは指先で前髪をいじくりながらも、苦笑気味に後退りをする。
「……ご苦労さん」
「へ……? あ…あははは……まあ、先任としての務めってやつですよー」
 叱責されるとでも思っていたのか、武が労いの言葉をかけるとエレーヌはようやく髪をいじるのをやめ、大袈裟な身振り手振りで答える。何とか笑おうとしているが、若干引き攣ったように見えるのは否めなかった。
「ただ、殴るなら次は顔じゃなくて腹にしとけ。目立たないぞ」
「ふえっ!? あー…いやー……はい、善処します…」
 余程恐々としていたのか、武の冗談に冗談で返す余裕もないエレーヌ。彼女にしては珍しいうろたえ振りだ。どうやら以前のPXでの一件が相応の抑止力になっているらしい。

 だが、武の冗談をきちんと冗談と受け取った者が1人だけいた。

「あれ?」
 不意に自分の首根っこが誰かに掴まれたような感覚がして、武は声を上げる。
「冗談も程ほどにしてください。271戦術機甲中隊(セイバーズ)及び275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)の搭乗準備が整いました。本日は参加されるのでしょう?」
 強化装備の襟首を引っ掴んでいる張本人 マリア・シス・シャルティーニはズルズルと武を引き摺ってシミュレーター機の方へ向かう。
 頃合を見計らったマリアの行動は、武本人としてもありがたいものだ。
「当たり前だ。そのために来たんだし」
 後ろから引き摺られながらも肯定の意を述べる武。
 対するマリアも、決してその手は離さないながらもふふっと穏やかに口元を緩ませていた。



[1152] Re[19]:Muv-Luv [another&after world] 第19話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/03/30 21:24


  第19話


 5月14日、日本時間 午前9時。
 極東方面 大日本帝国 東京都 帝都城。
 極東絶対防衛線の一角を担う日本の中心たるこの場所は、日々政務を司る官僚並びに守護を司る斯衛軍高官――主に大隊指揮官に限るが――が出入りしている。

 その帝都城に通ずる石畳の回廊を歩む者があった。

 数にして4人。
 うち3名は何れも白を基調とした斯衛軍士官の軍服に身を包み、若く幼い印象を与えがちな顔立ちながらも凛然とした佇まいを持っていた。
 そしてその3名を連れ立って先頭を行く女は1人。腰ほどまで伸びた鮮やかな翡翠色の髪と、同じく鋭く先を見据えた翡翠色の双眸を持つ女。その燃えるような真紅の軍服は彼女の立場を否応なく知らしめる、まさに誇りと戒めの象徴だ。
 彼女の名を月詠真那。
 帝国城内省斯衛軍 第18戦術機甲大隊 大隊長 少佐の肩書きを持ち、武芸と知性に秀でるその能力は、軍人としても一個人としても煌武院悠陽殿下から信頼を置かれている。
 回廊に揺らめく影はその4つのみ。カツカツと響く4重の足音は、他に誰もいないことも影響してか異様なほど木霊していた。
 不意に月詠は足を止める。それに従い、追従していた3名も足を止めた。
 眼前には頑強な木製の正門。その両端には常時武装状態の警備兵が、招かれざる客の侵入を堅く拒絶していた。
「………神代」
 振り返らず、月詠は部下のうちの1人、神代巽の名を呼ぶ。
「は」
 場に適した、小さく、それでもはっきりとした声調で神代は応えた。
 彼女たちは皆、月詠が率いる第18大隊に属する衛士。その中でも神代は第1中隊の副長として常に月詠と行動を共にする立場にあり、三者のうちでは比較的リーダー格に納まる人物だ。
「ここから先は貴様たちとて許可なく立ち入ることの出来ぬ場だ。巴と戎と共に宿舎へ戻っているが良い」
 やはり月詠は振り返らず、されども強い意志を孕んだ口調で命ずる。
 彼女が立っている場所はまさに帝都城敷地と外界との境界線。この先は、権利を持たぬ者が不用意に足を踏み入れれば、出てくることも容易には叶わぬ世界である。
「……いえ、こちらで待たせて頂きます。月詠少佐よりも先にこの場で背を向けるのは、私たちの理念に反する行為です」
 1度、仲間であり戦友でもある巴雪乃と戎美凪の2人と視線を交わし、神代はそう答えた。明確な意志のあるその返答に、しばし黙った月詠も「そうか」とだけ頷く。
 元より、追従は不要と言ったにも関わらずここまでついてきた3人だ。このような答えが返ってくることはある種の予想通りだったのである。
「ならば好きにしろ」
 続けてそう告げ、最後まで振り返らず月詠は再び歩き出す。先刻と異なるのは、その後ろをついてくる者がいないことだけ。
 月詠の歩みに伴い、正門が重々しくゆっくりと開門される。
 その先は帝都城敷地。限られた者だけが足を踏み入れることの出来る場所。
 赤を賜る月詠は、摂家に次ぐ有力武家の血筋だ。その彼女にとっても尚…いや、だからこそこの場所は厳粛で神聖な空間である。
 そして、こうやって自由に門を潜ることを許されたのもつい最近になってからだ。
 その事実が、並み居る武人をもってして才女といわしめる彼女にすら、大きな緊張を強いていた。
「月詠少佐」
 正門を抜け、しばし真っ直ぐいったところで月詠は彼女と邂逅する。
 目を奪うほど艶やかな蒼青の軍服に身を包む、九條侑香その人だ。帝都城の建物入り口の前で、まるで月詠が来ることを待っていたかのように佇んでいる。
「お早う御座います、九條大佐。先だって御迎えすることが出来ず、誠に申し訳ありません」
 侑香の下まで歩み寄り、彼女の一礼に合わせて月詠も頭を下げる。
「構いません。私も今し方到着したばかりなので。参りましょう。殿下が御待ちです」
「は」
 次の言葉には月詠も敬礼で返す。くるりと向きを変えて歩き始める侑香について、帝都城の中に足を踏み入れる。
 月詠とて、指定された時間に比べて相当早く登城したのだが、それでも既に侑香を待たせていたというのは口惜しい事象だった。
 無論それで、今更月詠の評価を覆す者など斯衛軍の中にはいないのだが、何よりも彼女自身が己の浅慮さを呪っている。それは変えようのない事実だ。
 帝都城内の回廊を進む月詠は、侑香の背中を見つめながら同時に此度の勅命について思考を及ばせる。
 月詠の下に登城の勅命が下ったのはつい一刻ほど前のこと。
 詳細は不明。月詠の他に誰か召集されたのかも分かっていない。
 殿下が如何なる話で彼らを召集したのか未だ不鮮明であるが、それに抗う理由など月詠にはあり得なかった。
 静まり返った回廊を抜ければ、そこにあるのは謁見の間。斯衛軍士官でも人生の間数えるほどしか入れないであろう一室。事実、月詠も正式にここに立ち入るのはまだ2度目だ。

 だが、月詠はそこで戦慄する。
 何故なら、既にそこには斯衛軍に所属している者でもそう頻繁に拝めないであろう顔触れが揃っていたのだから。

「おぉ、侑香殿、それに月詠。よくぞ来られた」
 そこにある顔触れの1人、月詠と同じ真紅の軍服に身を包む、筋骨隆々とした巨漢の男が月詠と侑香の2人に声をかけてきた。
 男のその言葉に並んで敬礼を返す。
 男の名は紅蓮醍三郎。斯衛軍 第1戦術機甲大隊 大隊長 大将。
 帝国史に名を残す武人であり、かつて極東で最強と謳われた衛士。その実力は未だ健在ではあるのだが、彼自身は自己を「老い耄れ」と称し、日頃から衰えを感じているようだ。
「御無沙汰しております、紅蓮大将。それに朝霧中将と白河少将も、斯様な機会でなければ御挨拶に参ることが出来ない私を平に御容赦ください」
 敬礼ではなく、深々と一礼して侑香はそう言葉を紡ぐ。外見だけならば月詠の部下並に若く見える彼女も、その一挙一動は美しく、艶やかであった。
 その侑香の前に、中年女性と中年男性の2人が歩み寄る。
 活動的に纏められた黒髪の女と、長い亜麻色の髪の男だ。
「いいのよ、侑香。気にしないで」
「お顔をお上げください、九條大佐。お久し振りでございます。御隠居様はお元気ですか?」
「はい、朝霧中将、白河少将。先代も健勝でございます」
 朝霧中将との会話はともかく、微妙な力関係を臭わせる白河少将と侑香のやり取り。
 この2人、第2大隊と第3大隊を率いる朝霧叶(あさぎり かなえ)と白河幸翆(しらかわ こうすい)は何れも月詠や紅蓮同様、赤を賜る斯衛軍士官。即ち、九條の姓を冠する侑香とは警護する側とされる側の関係でもあった。
 それを考慮すれば九條侑香という人物がどれほど斯衛軍において複雑な立ち位置にあるのか充分に理解出来よう。
「……ふむ? 月詠、如何した? 貴様が呆けるとは稀有なこともある」
「は……斯様な場所とはいえ、白河少将を始め皆様がおられることに驚きを隠せません」
 朝霧の傍らに佇む白河が、年齢を感じさせない艶やかな髪をなびかせ、やや大袈裟な身振りで訊ねてくる。
 彼、白河幸翆の問いに、月詠は再び頭を下げながら申し訳なさそうに答えるしかない。
 紅蓮、朝霧、白河は揃って一時代を築いた斯衛軍士官だ。今、大隊指揮官を務め上げる者にすら、彼らを師と仰いで慕う者も決して少なくない。
 無論、月詠もその1人である。
「何…貴様の大隊指揮官着任の祝辞をまだ述べていなかった故、丁度良い機会と思って登城したまで。紅蓮大将もわたくしと同じだが、朝霧中将は正式に登城の勅命を賜ったようだ」
「そうなのですか?」
「ええ、貴女と同じよ。侑香」
 白河の言葉を聞いた侑香が、驚きで丸くなったダークブラウンの瞳で朝霧を見つめ返す。それに微笑んで頷いた朝霧は侑香の頭を優しく撫で回した。見た目には親子のようにも見える2人のその光景は実に微笑ましい。
 九條侑香にあのようなことが出来るのは、彼女の師たる朝霧叶くらいなものであろう。
「そういうことだ。月詠、遅れ馳せながら、第18大隊大隊長着任、おめでとう。貴様を育てた者の1人としてこの上なく鼻が高い」
「はっ。ありがたき御言葉。ですが未だ完成されることのない我が身。今後も御指導・御鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます」
「ふむ。この身も未だ完成されることはないが、貴様の学びの糧となるのであらば、いくらでも捧げよう」
「有り難う御座います」
 改めて白河より祝辞を頂き、月詠は深々と頭を下げる。
 白河は頬に皺を寄せて微笑む。若かりし頃はきっと妙齢の女性も恥らうほどの美貌を持っていただろうと、充分に窺える雰囲気を持った気品ある笑みだった。
 月詠にとっては紅蓮に並び師と仰いだ人物であるが、稀に本当に男性なのか疑いたくなることもある。
「む……侑香殿、想い人が参られましたぞ」
「え?」
 誰よりも早く気配を察し、入り口に視線を向けた紅蓮が口を開く。想い人、と言われた侑香は珍しく過敏に反応し、慌てたように振り返った。
 月詠も続いて視線を向ける。
 謁見の間に単独で入ってくるのは、侑香と同じ蒼青の軍服に身を包んだ黒髪の青年。背はさほど高くなく、決して大柄とは言えないが、華奢と呼ぶにはあまりにも屈強な肉体を持った男。
 彼は一歩入ったところで足を止め、毅然と敬礼する。
「斉御司灯夜(とうや)。只今参上致しました。目下の者として、この場に先んじて参ることが出来ず、誠に申し訳ありません。平に御容赦ください」
 そして彼は併せて一礼。月詠としてはその行動には困ってしまう。
 恐らく青年は月詠を含め全員に謝罪の言葉を述べているのだろうが、月詠本人からすればそれは畏れ多いことだ。
「灯夜様!? いつ御戻りになられていたんですか!?」
「九州戦線での任期を終え、今し方帝都に到着したばかりです。侑香様、お元気そうで安心致しました」
 驚きと喜びを隠せない様子で青年に駆け寄る侑香。その侑香に対し再度一礼し、青年は丁寧に返答を述べる。
 彼の名は斉御司灯夜。斉御司家次期当主 斉御司紀月(きづき)の実弟であり、斯衛軍 第4戦術機甲大隊 大隊長 少佐。
 そして、九條侑香の許婚だ。
「斉御司少佐、お帰りなさいませ。御無事で何よりです」
「ありがとうございます、月詠少佐。少佐も御健勝そうで何よりです。そして遅れ馳せながら、御昇進と大隊長任命の事、心よりお慶び申し上げます」
「はっ。ありがとうございます」
 お互いに敬礼で応える月詠と斉御司灯夜。
 彼は侑香とはまったく逆の意味で斯衛軍では極めて特異な存在だ。灯夜は摂家である己よりも軍人である己をより正面に押し出して構えている。
 これが、家督云々に直接関係ないことでそう振る舞っているからなのか、それともそのように教育されてきたからなのかは月詠すら知るところではない。
「灯夜様、此度はしばらく帝都におられるのですか?」
「はい。今回は帝都の守備を仰せ付かりました。新たな任を賜るまでは、帝都に留まることになるでしょう」
 嬉々とした様子で問いかける侑香に、穏やかな黒い瞳を向けて微笑んだ灯夜は丁寧な口調で受け答える。
 その2人の様子を見つめ、月詠も少しだけ口元を綻ばせた。
「灯夜、九州戦線での任、誠に御苦労でありました」

 不意に、謁見の間全体に穏やかながら強い意志の感じられる声が響く。

 その、彼らにとって最大級に尊いその声に反応し、半ば反射的に横一列に整列。そのまま足並みを揃え、片膝をついてその場に跪いた。
 右から紅蓮、朝霧、白河、侑香、灯夜、そして最左翼に月詠の順だ。
 専用の入り口から入ってきて、そのまま彼ら6名の正面に立つのはうら若き女性。
 鮮やかな薄紫の長い髪を後ろで束ね上げた女。その煌びやかな正装は、それだけで彼女が高貴な身分にあるのだと分かる。
 無論、それは一挙一動からも強く滲み出ていた。
「面を上げなさい。紅蓮、全員揃っていますか?」
「は。朝霧中将、九條大佐、斉御司少佐、月詠少佐の4名はこの通り、到着しております。無礼と承知ながら、わしと白河が立ち会うこと、御容赦くだされ」
 女性に問われた紅蓮は跪いたまま顔を上げ、普段よりもずっと堅い口調で言葉を紡ぐ。
 目の前にいる彼女の名は煌武院悠陽。五摂家が1つ、煌武院家の当代当主であり、大日本帝国 国事全権総代の地位にある若き女性だ。
「構いません。ですが、あまり口は出さぬように。そなたは少し短気なところがありますから」
 ふっと柔らかく微笑み、悠陽は紅蓮の言葉に答えた。それには紅蓮も笑いを堪えながら「は」と承知の意を示す。
 単純な落ち着きだけでなく、言いようのない神秘性を漂わせるその双眸は、決して誰もが持っているわけではない。
 月詠が知る限り、三十路を迎える前の女性としてそれだけの気概を宿している人物は、煌武院悠陽を除けば、ここにいる九條侑香くらいなものだろう。
 無論、2人の年齢差を考えれば、どれだけ悠陽が才女であり、また“そうあることを望まれている立場”にあるのか充分に窺える。
「まずは灯夜、本当に九州での任は大儀でした。帝都帰還の後、すぐにこのような場に呼び寄せてしまい、申し訳ありません」
「勿体無き御言葉、恐悦至極に存じ上げます。ですが、それこそが斯衛軍衛士たる私の義務であり、喜びであります」
 1度上げた顔を再び下げ、灯夜は悠陽から賜る労いの言葉を真摯に受け止める。それを聞き、悠陽はどこか憂いも含んだ笑みを浮かべた。
「それでは、早速そなたたちを集めた旨をお話致しましょう」
 だが、その笑みもすぐに消え、悠陽は表情を引き締めて次の言葉を紡ぐ。その切り出しから、月詠も含め誰もがそれ相応の内容を覚悟する。
「先刻、午前7時20分、欧州国連軍並びにEU連合全軍に対し甲11号目標制圧作戦が発令されました。来る5月27日、欧州全軍は甲11号目標に向けて進軍します」
「―――――――ッ!」
 極めて冷静に告げられたその言葉。誰もがそれを冷静に受け止めようとしていたが、滲み出る動揺までは隠せるものではなかった。
 勿論、年内にはあり得ると踏んでいたが、まさかこの短期間でベオグラードハイヴの制圧に乗り出すという先方の決断にも驚いている。
 そして何よりも、どうしてこの顔触れを揃えた上で話すのか。その意図が実に分かり易く、彼らは逆に戸惑いを持ってしまったのだ。
「それが我々4名に先んじて通達されるということは、我々には欧州派遣の御勅命が下ると考えて相違ありませんか?」
「そなたの言う通りです、朝霧。此度、甲11号制圧作戦の発令に伴い、正式に国防省と城内省へ派兵の要望がありました」
 代表して訊ねたのは朝霧。尤も、それは半ば確認に近い言い方だった。悠陽もそれはすぐに肯定し、このような運びになった経緯を粗く説明する。
 国防省と城内省。この2つに別々に呼びかけがあったということは、帝国軍と斯衛軍両方に派兵の要望があったと見て間違いない。
 しかも、紅蓮や朝霧、白河だけならばまだしも若輩の月詠まで登城を命じられた以上、意見を交わすような生温い話にならないことも明白だ。
 つまり、その要望は既に決定事項として処理されており、そしてその面子として彼ら4名…4個大隊が選ばれたということになる。
「イギリスとは開戦後期以降、協力関係にあります故、此度、そなたら4名とその指揮下部隊を欧州に派遣する運びとなりました。灯夜は九州戦線での任期を終えたばかりにこのようなことを任せ、本当に心苦しいのですが……」
 本当に申し訳なさそうに悠陽は灯夜に向かって謝罪の言葉を述べる。
 確かに、本来であれば数日纏まった休みを与えられてもおかしくはない立場なのだ。そこに欧州派遣と来ては、悠陽の心情も複雑だろう。
「ありがとうございます、殿下。しかし、欧州は恐らくフェイズ5ハイヴの制圧作戦に一抹の不安を感じているでしょう。甲19号制圧作戦に参加していた我が隊を向かわせることは、実に理に適っております。あまり御気になさらずに」
 今度は頭を下げず、灯夜はにこやかに笑いながら答える。それには、やはり複雑そうながらも悠陽も微笑み返した。
「侑香も月詠も、再び欧州に向かわせることとなりすみません。本来であれば別の者を立てるべきなのでしょうが、そなたらは国連軍の香月博士並びにヴィンセント准将の名前で指名があり、それに従った形になります」
「勿体無きお言葉です。我が隊も月詠の隊も先月の件もあって欧州の地には明るくなっております。灯夜様の仰る意味とは別の意味で理に適った人選でしょう」
「九條大佐の仰る通りです。香月博士とヴィンセント准将が然様に指名してきたのであれば、それは彼女らにとってある種信頼に足る人物と認められたからでしょう。斯衛として求められたのであらば、殿下の名のためにそれに応えるのが我々の務めであります」
 侑香に続き、理路整然と月詠は言葉を並べる。悠陽から謝罪されることは彼女にとって他にないほど畏れ多いことだ。
 しかしながら、“信頼”という言葉を用いた自分にはほとほと呆れるしかないと、月詠は思う。実際のところ、彼女が国連軍の中で信頼を置いている人物は両手の指で足りるか、あるいはそれよりも少し多いくらいしかいない。
 特に、あの香月夕呼は誰よりも無条件で信頼することの出来ない相手だった。
「朝霧には彼らのことを頼みます。如何に鬼才揃いとはいえ、そなたのような熟練された視野の持ち主も必要でしょう」
「は。存分に我が智勇、揮わせて頂きます。吉報を御届け出来ますよう尽力致しましょう」
 先刻、侑香と話していた時とは打って変わり、朝霧の表情にも口調にも和やかさは微塵もない。その冷静で鋭い眼光は、一向に年齢による衰えを感じさせなかった。
 智将として名高い彼女がお目付け役に選ばれたのは、恐らく悠陽の采配というよりは城内省の最大限の譲渡だろう。
 月詠自身にとっては恥ずかしい限りだが、侑香や灯夜の護衛として随伴するのが月詠だけというのは城内省にとってあまりにも好ましくない筈だ。役人を説得する上で朝霧叶の派遣が決まったと見てまず間違いない。
「作戦の委細は追って通達致します。それまでは各員も通常の執務を遂行なさい」
「御意に」
 再度、足並みを揃えて応える6名。それは軍人の敬礼ではなく、仕える者としての深々とした一礼だった。
「では、散会です。朝霧は私と共に来なさい」
「は」
 悠陽の言葉に従い、彼らは同時に跪いた状態から立ち上がる。随伴を命じられた朝霧は敬礼し、紅蓮や白河、侑香と灯夜、そして月詠に対し会釈。そのまま退室してゆく悠陽について謁見の間を出ていった。
「よもや欧州派遣とは。城内省の役人も随分と交渉の余地を取ったものだ」
 悠陽と朝霧の気配が遠ざかったのを確認し、白河がやや憮然とした様子で呟く。
「ハイヴ攻略という分野において言えば、日本は世界でも抜きん出ているからのう。日本の威信を示す上でも欧州への助力は使えるということに違いあるまい」
 2つに割れた大きな顎を指先でさすりながら、紅蓮は白河に返す。
 紅蓮の言い分は正しい。
 極東は既にハイヴを4つ攻略している。うち、横浜のH22と佐渡島のH21は米軍または国連軍主体の制圧作戦だったが、大陸にあるH20とH19に関しては完全に帝国軍を主体として制圧されたのだ。
 そして、彼のオリジナルハイヴを除き、史上フェイズ5以上のハイヴを攻略した国は世界でもまだ日本しかないのである。
 それを鑑みれば、世界で日本の軍がどれだけ注目されており、またどれだけそれが政治的な武器になるかは語るべくもない。
「どちらにせよ、ハイヴ突入は先方の仕事でしょう。我々が行うのはあくまで戦線の維持と考えるのが妥当かと」
 紅蓮と白河の間に灯夜が割って入る。その冷静な私見も実に尤もな話だった。
 いくら世界が日本の戦力に注目し、またそれに頼ったとしてもハイヴ攻略それ自体は、主体となった現地軍や中立の国連軍の手によるものでなければ意味がない。その手柄すら日本が掠め取っては、それこそ政治的齟齬が生まれてしまう。
「しかも、手前どもに協力を仰いでくるということは、フェイズ5ハイヴに対する有望な奇策があるというわけでもなかろう。甲12号目標の制圧から1ヶ月足らずだというのに、逸ったものだ」
「フェイズ5ハイヴに対する不安は払拭出来ない。だけど士気が高揚している間に次の手を打ちたい。そのようなところではないでしょうか」
 元々彫刻のように鋭い顔立ちをしている白河だが、今の表情は普段のそれ以上に険しかった。彼本人はかなり欧州の思惑に懸念を抱いているようである。
 それに対し、灯夜の言葉はやはり冷静で尤も。何故ならば、その見解に難色を示すことなどこの場にいる者は誰も出来ないからだ。
 ハイヴを制圧したことで兵士たちの士気が高揚し、その勢いがなくならないうちに次の目標に進軍する、という経緯自体はその実、日本も同じだ。
 それは2年前のこと。朝鮮半島の甲20号目標を少ない損害で制圧し、日本はその2ヶ月後、そこから北にある甲19号目標へと軍を進めた。
 結果として作戦は成功したが、そこで甲20号目標に比べて圧倒的に苦戦を強いられることとなる。
 基本となる作戦の概要は同じ。甲20号目標制圧作戦との明確な差異は、敵がフェイズ5であったことと主立った海上支援がなかったことのみ。
 それだけで、投入兵力の半数が潰滅したのだ。
 前時代、人間相手に行っていた戦争の観点から見れば3割の被害で敗北。そこから見れば半数が潰滅したというのは大敗北ととっても相違ない。

 それだけ重いのだ。
 フェイズ5ハイヴに進軍するということは。

「ともかく、作戦まで2週間。遅くとも3日前には現地に入るだろう故、それまでは灯夜殿もゆっくりされると良かろう」
「軽く羽は伸ばさせてもらいます、大将。まあ、うちの者が鈍らないように稽古はつけてやるつもりですが」
 紅蓮の言葉に灯夜は苦笑気味に答える。よくよく考えれば、2週間後に出撃を控えた部隊がそう何日も休んでいるわけにもいかないだろう。
「紀月様にはもうお会いになられましたかな? 斉御司少佐」
「いえ。帝都に到着してすぐにこちらに足を運んだため、まだ兄上には顔を合わせていません。ただ、夕刻には本家に1度顔を出そうと思うので、積もる話はその時にでも、と思っております」
 白河は相変わらず柔らかい物腰で灯夜に問う。対し、斉御司灯夜という青年も同様に腰の低い対応。
 侑香のような気品による丁寧さではなく、己を目下の者と謙るところによる丁寧さを纏った対応だった。
「では灯夜殿、それまではわしと手合わせせんか? 近頃相手をしてくれる者がいなくてのう」
「紅蓮大将の稽古など、余程の手練でなければ相手を出来ないでしょうに」
 渋い顔でむうと唸る紅蓮。それには長年の付き合いの白河も呆れたように呟いた。
 仮にも紅蓮はかつて極東随一と言われた武道家なのだ。故に白河は十二分に尤もなことを言っている。
 また、今から夕方までの時間の長さを考えれば、どう考えても手合わせの程度では済まない。それがあの紅蓮醍三郎と斉御司灯夜の2人ならば尚更である。
「私は別に構いま――――」
「だっ…ダメですッ!!」
 灯夜が答えようとした瞬間、それまで3者の会話を傍観していた侑香が思わず声を上げる。その、慌てて紅蓮と灯夜の間に割り込む彼女は、外見と相まって歳不相応の少女のようだった。
「侑香様…?」
 普段落ち着いた物腰の侑香が取った思わぬ行動に、一方の当事者である灯夜は不思議そうに首を捻る。
 失礼な話だが、その光景は些か滑稽だった。
「……紅蓮大将。若者の逢瀬の邪魔をするのは、先達としてあらぬ行為ではないですかな? 貴様もそうは思わぬか? 月詠」
「不躾ながら申し上げますと、紅蓮大将は馬に蹴られるべきであると存じます」
 くっと声を漏らして笑った白河に同意を求められ、月詠も不敵に笑いながら冗談で答えた。古くから知る2人に責められた紅蓮は思わず「うぬぅ」と唸り声を上げるが、やがて降参したように両手を上げる。
「お心遣い感謝致します。それでは侑香様、参りましょうか」
 ほんの少し遅れて意図を理解した灯夜は、月詠たちに一礼し、そして嬉しそうに微笑んで侑香に呼びかける。
 長らく九州に身を置き、会うことも叶わなかった彼にとって、このわずかな時間は実に貴重なものなのだろう。それこそ、月詠が理解出来ると言うのはおこがましいくらいに。
「あ……はい! 行きましょう、灯夜様」
 一瞬唖然とした侑香だったが、すぐに表情を綻ばせて灯夜の手を引く。彼女の年齢から見れば無邪気なものだ。
 幼少の砌よりお互いに制限された生活を送ってきた彼らにとって、このような好機が訪れることは実に僥倖なのである。
「どちらに行かれます? 何処なりへともお供致しますよ」
 満面の笑みの侑香に灯夜はそう問う。
 場違いとは分かっていながらも、それはまさに恋人たちの逢瀬。両者とも甘酸っぱいと表現するには些か齢を重ねているが、今まで彼らにはその機会が与えられてこなかったのもまた事実。
「そうですね………じゃあ――――」
 胸の前で両手の指を絡め合わせ、侑香は少し迷いがちに口篭った。だが、すぐに何か思いついたのか表情を明るくさせる。
 そして少女のような容姿の武人は言った。

「道場に行きましょう」

 足を踏み出しかけた灯夜が膝から崩れ落ちそうになるのが、月詠にも明らかに分かった。
「御無沙汰しておりましたので、私も灯夜様とお手合わせ致したいです。この1年で少しは腕を上げたと自負していますから」
 ふふっと笑う侑香の言葉はすべてが真意。
 月詠はため息を漏らし、片手で目元を覆う。見れば、紅蓮も同様に顔を覆いながら天を仰いでいた。
 白河は目を瞑り、口を堅く結んでいるが、その頬が引き攣っているのはさしもの彼でも隠しようがない。
 九條侑香。武人としても衛士としても優秀で、政治家としても手腕が期待される九條家の才女。月詠から見ても実に非の打ち所のない人物である。
 人物である筈なのだが。

 恋愛に関しては致命的に常軌を逸していた。

「灯夜様? どうされました?」
「いえ……何でもありません。侑香様がそれでよろしいのでしたら参りましょう。手加減は致しませんよ?」
 首を傾げる侑香に対し、崩れ落ちかけた体勢を持ち直させた灯夜がもう1度笑顔を浮かべて応じる。「負けません」と答える侑香は確かに微笑ましいのだが、最早完全に恋人の逢瀬ではなくなっていた。
 既にすっかりと侑香に応対している灯夜も流石だ。恐らく月詠ならば堪え切れずに片膝をついていただろう。
「………疎いわけではない筈なのだが……九條大佐の嗜好は些か理解に苦しむ面がある」
「同意致します」
 2人が並んで謁見の間を出てゆくのを確認してから、白河は参ったと言うように呟く。その点については月詠も激しく同意出来、深く頷いた。
「御二人とも生粋の武士(もののふ)ということだ。生き様には剣でしか語り合えないものもある」
 腕組みをし、ただ1人どういうわけか、いたく納得した御様子の紅蓮醍三郎。
 もしや先刻の行為は呆れていたからではなく、感動して目頭を押さえていたからなのだろうか。
 直感的にそう思えた月詠だが、罷り間違っても絶対にその疑問を口に出してはならない。もし否であるならば幸いだが、肯であるならば恐らく紅蓮はそんな疑問を持った月詠に対し延々と武士道の素晴らしさを教授してくれるに違いない。
 時と場合によっては、それは非常に有り難い機会。
 しかし、残念ながら今は時も場合も極めてそぐわない状態であった。



[1152] Re[20]:Muv-Luv [another&after world] 第20話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2008/05/04 00:02

  第20話


『前略 姉上様
 風薫る五月がやってまいりました。御方、益々ご健勝のことと存じ上げます。部隊の仲間も皆良い人たちばかりで、何かと面倒を見てくださるため、心配だった欧州での生活にもだいぶ慣れることができました。相変わらず訓練に勤しむ毎日が続いていますが、元気にやっています。
 さて、この度は先月から頼まれていたことをご報告申し上げます。
 正直な話、全然分かりません。
 以上です。
 何か分かったらその都度報告しますが、できればもう頼まないでください。
 末筆とはなりますが、ますますのご清栄、お祈り申し上げます。草々』

 ころんと簡素なデスクの上にボールペンを置き、章好はふうと一息入れる。
 もともと、章好はそう手紙を書く人間ではなかった。そうするほど親しい間柄の知り合いなど、家族を除けば幼馴染みの七海くらいしかいない。その家族も、姉が軍人になるまでは全員が帝都の実家で生活していた。確かに軍人となった姉からはそれなりに手紙が届いていたが、それはあくまで家族宛であり、専ら返信していたのは母であって章好ではなかった。
 それこそ、こうやって畏まった手紙を書くなど初めての経験かもしれない。
「……………」
 もう1度文面を見直して、まったく畏まった文章でないことに気付く。敢えて挙げるとすれば、前半が多少掠っている程度だ。
「書き終わった?」
 いきなりぐいっと覗き込んでくる水城七海。顔を寄せられ、章好は不必要にドギマギしてしまったが、知ってか知らずか七海の方は章好よりも章好の書いた手紙へと視線を向けている。
「うわっ……短い」
「そうかなぁ? 俺としてはけっこう傑作なんだけど」
 呆れたような七海の言葉に、章好は首を捻りながら自ら記した手紙を掲げてみた。他人の書いたものとは比べるべくもないが、1度としてまともな手紙など書いたことのない章好にとっては秀逸の一言に尽きる。
「傑作って……結構無茶苦茶なんだけど……これ何のこと?」
 主に手紙の「頼まれていたこと」以降の文を指して七海は訊ねてくる。確かに事情を知らない者から見れば意味不明な文章であることは否めないだろう。
「これ? 姉貴から頼まれてた白銀中佐の動向調査」
「えぇっ!? あぁ…文面だけじゃなく内容も無茶苦茶だった……。ハルちゃん、そんなこと頼んでたの?」
「頼まれた」
 凄まじく呆れた御様子の七海は、至極尤もな疑問を投げかけてくる。
 そう、それはつい先月の末のこと。章好たちがこの第27機甲連隊に配属されてきて比較的すぐの話だ。
 突然、今まで章好個人宛で送られてきたことのなかった晴子からの手紙が、この駐屯地に届いた。もちろん、リィルからそれを受け取った章好はまず怪訝そうな顔をし、そして中身を見て唖然とさせられたのは言うまでもない。
 手紙の内容を簡潔に、そして適切に表現するならばそれは、白銀武の日常に関する問いかけ。平たく言えば、「普段彼は何をしているのか?」ということだった。
 姉がいったい如何なる意図を持って訊ねているのはさすがに判断しかねるが、この「何を」という言葉で訊ねたい項目がどれなのか分からないほど、章好は空気の読めない弟ではない。
「……で、諦めたんだ」
「ぐっ……だって白銀中佐だぞ? 白銀中佐。具体的なことはどうやって調べろって言うんだよ?」
 何故か異様に蔑まれた気がした章好は、その淡い緑を帯びた瞳に明らかに不満の色を浮かばせる。そもそも、よくこの内容の手紙が検閲を無難に通ったものだと驚いているくらいなのに、それで批難されても困ってしまうだけだ。
「別にありのままを書けばいいんじゃない?」
 その一言には流石に章好も愕然とした。
 普段のことを本当にありのままに書き綴ったとしても、それは十中八九晴子の期待している内容ではない。
 徐にデスクの引き出しの中にしまってあった件の手紙を無言で取り出し、そのままやはり無言で七海に手渡す。彼女もそれを受け取り、無言で中身を読み始めた。
「姉貴が普通のこと訊ねてくるわけないし、だいたいさ、これ、俺宛なのに全然俺に対する気遣いがないよ。依頼書どころか指令書みたい」
「え? あるよ。ほら、『末筆ながら、御方ますますのご清栄をお祈り申し上げます』って」
「ほんとに末筆だし、これは社交辞令の挨拶文でしょ? 気持ちこもってない」
 ほらと指をさして示すが、それで納得出来るほど章好は易い男ではない。そんな挨拶文など彼が書いた返信の手紙にも書いてあるのだから。
「そうかなぁ? ハルちゃんらしくていいと思うけど」
 首を傾げながらやはり納得出来ていない様子の七海。彼女が首を傾げるたびに揺れる黒髪が妙に色っぽく、章好はまた思わずドキリとしてしまう。

 彼女に対しこういう気持ちを持つようになったのはいつの頃からだっただろうか。

 章好がいくら追憶したところで、明確なエピソードは出てこない。ただ、気が付けばそういう想いを持っていた。
 柏木家と水城家は家も近所で、それこそ物心つく前からの付き合いだったと章好も両親から聞いている。1998年のBETA侵攻の際に避難の関係で一時的に顔を合わせなくなったが、明星作戦後にはお互い再び帝都に戻ってきた。
 それから中学を卒業し、国連軍に入隊。富士山麓の衛士訓練校に入校することとなったが、その時も章好と七海は同じ訓練部隊になり、任官するまで苦楽を共にすることとなる。
 それを他人が見れば何というだろうか。
 究極の腐れ縁?
 運命的な絆で結ばれた間柄?
 そんな筈もなく、2人はただの幼馴染みであり戦友である。これまでずっとそうであり、恐らくはこれからもずっとそうであり続けるであろう。

 辛いのは死ぬヤツじゃねぇ。
 残されるヤツだ。

 ふと、最初に配属された守備隊の小隊長が言っていた言葉を章好は思い浮かべる。
 少しアルコールを入れた勢いからか、それとも新任の章好を憂いての言葉だったのか、今となってはもう確認する術もないが、少なくともその言葉に間違いはなかった。
 何せ、その小隊長は図らずも自らの命をもってそれを証明してみせたのだから。
 確かに自分が死ぬのは誰もが恐れること。だが、その恐怖はその実一瞬のことだ。それ以上何も傷つくことはない。
 しかしながら、生き残った人間の苦しみは永らくあるいは一生消えることはないだろう。
 だからやれることは可能な限りやっておけ、という話。
 “自身が志半ばで死した時のため”にではなく、“自分の大切な人が自身の努力及ばぬところで果てた時のため”に。
「……? どうしたの? 章好」
 不意に七海が怪訝そうな顔つきで訊ねてくる。その言葉で我に返り、自分がいったいどんな顔をしていたのかと章好は不安になった。だが、その不安感は表情に出さず「何でもない」とだけ答えておく。
「そう?」
「うん、そう」
 どこか的を射ない感じで頷き合う両者。当人たちは意に介していないが、端から見ればなかなかに異様な光景だろう。
 そしてそのまま沈黙。また不思議そうに首を傾げながらも、章好の雰囲気を感じ取ってか何も問い詰めてはこない七海と、それがありがたいような切ないような複雑な気分で何も言えない章好の2人だった。
 それでも世の中は巧く出来ているもので、まさに捨てる神あれば拾う神あり、である。
「柏木少尉。いる?」
 突然、通路側からやや強めのノックがされ、そんな言葉を投げかけられてきた。声の主は中隊長のエレーヌ・ノーデンスである。
「ノーデンス大尉? 何ですか?」
 新たな風が入り込んでくることは大いに歓迎であったため、章好は立ち上がってドアの向こうのエレーヌに問い返す。
「ブリーフィング。H11制圧作戦の概要が渡されたから話すよ」
 章好がドアを開けると同時に、エレーヌがそう答えた。その言葉でにわかに章好と七海へと緊張が伝播する。加えて、エレーヌの表情が普段以上に真剣そのものだった故、その緊張がすぐに解れることはない。
「あ、水城少尉も一緒だったんだ。275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)も召集されてるから、すぐクライン大尉のところに行った方がいいと思うよ」
 部屋の中を覗いたエレーヌは七海がいることに気付き、それだけ注意を述べる。いつもであればいくらでもからかってきそうなものだが、今日に限ってはそれもなかった。
「了解しました」
「柏木少尉も準備が出来たらブリーフィングルームに向かって。緊急ではないけど、出来る限り急いでね」
「は」
 そう告げるエレーヌに対し、章好と七海は背筋を伸ばして同時に敬礼。エレーヌもそれに敬礼で応じ、「急いでね」ともう1度だけ念を押して去っていった。
 結局、一言たりとも冗談を発しなかったエレーヌの背中を見つめながら、そこから漂う緊張感のある空気を章好は感じ取る。そこから如何なる任務が下されたのか想像に難くなかった。
「……何で放送使わなかったんだろ?」
「緊急じゃないって言ってたし、たぶん、他の班に気を遣ったんじゃないかな?」
 何故中隊長自ら部下の部屋を回っているのか不思議に思った章好が疑問を口にすると、七海がすぐに答えた。それには章好も「そんなものか」とやや納得したように頷く。
 確かに、緊急事態ではないのに各戦術機甲中隊衛士に召集命令が発令されては、他の隊員たちも落ち着かないだろう。武ならそのような配慮もしそうである。
「まあともかく、もう向かうか。七海は準備とか要らないのか?」
「私は別に。あ、でも章好に先に1つ言っておかなきゃ」
 1度頷いた七海が、思い出したようにそう言ったので章好はギョッとする。七海の言葉の意味は理解しているのに、言葉の意図はまったく理解出来ない。理解出来るほど頭が回っていなかった。
「なっ……何だよ?」
 だから章好はドギマギしながらも訊き返す。仮にも自分たちはこれから正式な出撃任務を下される人間なのだ。もしかすればこうやって話す機会も急激に減ってしまうかもしれない。
 そう思い至った段階で章好の心音は更に高まる。
「あのね」
 促され、次の言葉を紡ぐ七海。章好よりも背が低いため、彼を見上げる形でそう口を開く彼女は妙に雰囲気があった。
 ごくりと、章好は喉を鳴らす。

「前略って書いたら時候の挨拶文とか要らないんだよ?」

 一瞬の沈黙。
 また、言葉の意味は理解出来たが、意図はまったく理解出来なかった。が、すぐに何の話をされたのか気付いて、わなわなと肩を震わせる。
「章好?」
「おまっ………お前! 先に言えよ!! そういうことは!!」
「だって書き終わった後に見せられたし」
 両手を振り上げる章好をひらりと躱し、七海は先に部屋を出る。
 残された章好は一瞬どうしたものかと迷い、通路に出た七海と机の上の手紙を交互に見比べる。だが、すぐに「どうでもいい」と判断したのか、やや不平そうに唇を尖らせながらも部屋を出た。
 ブリーフィングから終わったら即行で破り捨て、ゴミ箱につっこもう。
 ブリーフィングに勝るほどのことではないが、その決意は章好にとって重要なものだ。万が一にもあれを処分し忘れ、万が一にも自分の身に何かあった時に、万が一にも遺品として扱われては最悪なのである。
 そんなある意味一兆分の一程度の可能性を恐れる章好の決意は、まさに並々ならぬものだった。




「失礼します」
 執務室のドアを開け、中に入ったマリアはその場で1度敬礼した。ソファーに座ったまま数枚の書類を眺めていた武は、顔を上げてそれに応じてくる。
「271戦術機甲中隊(セイバーズ)のブリーフィングは?」
「そちらは既に済ませてきました。他の中隊はまだ行っているようですが、誰もが予測していた任務であるだけに、滞りはなさそうです」
 武の問いに、マリアは簡潔に状況を説明する。
 全中隊長を集め、武がH11制圧作戦の正式な指令書を手渡したのはつい先刻のこと。先だってそれを確認した彼の部下たちは、半ばその内容を予測していたようだが、それでも衝撃を受けたことに間違いはないようだった。
 もちろん、本来であれば271戦術機甲中隊(セイバーズ)隊員への任務通達は武が行うべき仕事なのだが、いざそれを行う直前で情報班から彼の下へ新たな報告書が届いたのだ。
 武のその確認のために執務室へ残り、彼に代わってマリアが271戦術機甲中隊(セイバーズ)のブリーフィングに向かった。
 元より彼女は271戦術機甲中隊(セイバーズ)の副長である以前に第27機甲連隊の副長。武の代行はおろか、各中隊の中隊長代行も必要とあらばこなせる人間だ。事実、先月のハイヴ調査では271戦術機甲中隊を含まない偶数中隊を率いていた。
「そっか。ご苦労さん。悪かったな、土壇場で」
「いえ、それは構いませんが……。結局、そちらの報告書はどういった内容だったのでしょうか?」
 実際に武の代行も珍しいことではないマリアにとってはブリーフィングも労いの言葉をかけられるほどの仕事ではない。
 むしろ、その原因となった報告書の内容の方がマリアは気がかりだった。
 取次ぎの雰囲気から部隊の任務に直接関係あるようなものにも見えなかったが、本当に無関係である内容ならばこれほど急に報告書が回ってくることもあるまい。それがマリアには疑問として引っかかっていた。
 しかしながら、その疑問をマリアが口にした瞬間、武の顔色が悪くなった。
 気分が悪いというよりは、どこか悔しげな表情でもある。
「白銀中佐?」
「………やられたぜ、マリア」
「は?」
 ソファーに深く座ったまま苦々しく呟いた武は、その蒼穹の瞳を驚きに染め、疑問符を浮かべるマリアに件の報告書を差し出してくる。
 何が何やら分からない状態のマリアは怪訝そうにそれを受け取り、徐に視線を走らせ………。
「ッ――――!?」
 衝撃は一瞬の出来事だった。
 その書類の表題に書かれた言葉を見た瞬間、マリアは息を呑むと同時に自分の疑問の解答と武の表情の意味を一時に理解する。

 H26制圧作戦 概要。

 その言葉は、1枚目の書類の最も目立つ部分に走らされていた。
 H26「マルコボハイヴ」は旧ソビエト領の東端、カムチャッカ半島の北にある、最も新しいハイヴだ。2000年末にBETAの侵攻を許し、そのまま敵の占領下へと落ちた。無論、ソビエトも必死の抵抗を見せたが、結局は後退に後退を重ね、今はアラスカ軍と併合し、ベーリング海峡を挟んでBETAと睨み合っている。
 ここの防衛には殊更アメリカは力を注いでいた。
 そういうのも、BETAの移動手段に理由がある。BETAは元より、海を渡る場合海底を移動するが、その生体構造上、大きな水圧には耐えられる構造をしていない。それは威力という点で近代兵器がBETAに効果を発揮していることを考えれば当然だ。
 現状、主立って海を渡ってきたBETAに上陸を許した国はこのイギリスと日本のみだが、両国ともユーラシア大陸から極めて近い島国だ。海底を通ってきたとはいえども、かつて太古の昔は地続きだった場所であるため、太平洋や大西洋を渡るのと比べれば遥かに楽なものに違いない。
 それを両側に抱えているアメリカは、確かに安全域に最も近いのである。
 しかしながら、アメリカ合衆国…正確には北アメリカ大陸とユーラシア大陸がそれこそ100km単位で接近している場所が1つだけある。
 それが件のベーリング海峡だった。
 アラスカの防衛こそアメリカの最大目的であり、H26の排除こそアメリカの最大目標。いつかはなされることだと思っていたが、マリアにはあまりにも早急に思えた。
「………作戦の発令はいつだったのですか?」
「本当についさっき。H11制圧作戦の発令からきっちり24時間後だった」
 マリアの問いかけを予期していたように、即座に答える武。その表情は実に憮然としたものだった。
「しかも見ろよ。決行日時がこっちと同じ5月27日だ」
「なっ――――!? 1日の間にハイヴ2つを同時攻略するというのですか!?」
「そういうつもりなんだろうな」
 驚くマリアに対し、武はいたく冷静に、それでも実に面白くなさそうに答える。
 H26はまだフェイズ5には達していないハイヴで、こんにちまでのノウハウを活かせば制圧は堅い筈だ。それでも、H11制圧作戦と同日に決行するというのは些か正気とは思えない。
「くそッ……5月中には日本に戻れるってそういうことかよ」
「………? どういうことでしょうか?」
 吐き捨てるように苦言を漏らす武に、マリアは思わず眉をひそめる。彼の今の言葉の意味は彼女の知識の及ぶところではなかった。
「いや、こっちの話だ。つまりは国連の呼びかけに米軍が重い腰を上げたってことだろ?」
「………あるいは、米軍自体が主導権を握っているかもしれません」
 己の雑念を振り払うようにかぶりを振り、武はマリアに答える。だが、その返答にしばし沈黙したマリアは、徐に口を開いた。
 その、米軍が主導権を握っているという言葉には武も怪訝そうに眉根を寄せてマリアを見返す。
 やはり彼は相当困惑しているようだ。普段の武ならこれくらいのことは気付きそうなものだと、マリアも戸惑うが表情には出さなかった。
「桜花作戦以降、米軍は主要作戦に関わっていません。この辺りで一手打っておかなければ今後主権を握るのは難しくなると判断したのではないでしょうか」
「………有り得る。それでH26も排除出来れば一石二鳥か」
「こちらの決行日に被せてきたのもそれが理由かと」
 マリアの言葉にいたく納得した様子の武は、同時に苛立った様子で歯を軋ませる。過敏とも取れる彼のこの反応を見れば、やはり白銀武も日本人なのだと改めて理解出来た。
 彼は恐らく、米軍という組織やアメリカ人という存在ではなく、アメリカの国家体制が気に喰わないのだろう。日本人が最も嫌う、所謂“G弾推進派”こそ主要ではなくなったが、彼の大国が講じるやり方は昔とそう変わっていない。
 尤も、アメリカのようにBETA侵攻の深刻な脅威に曝されていない地域があるからこそ、物資の供給が機能しているのだという事実も否定出来ないのだが。
「H26のことはあまり気になさらない方がいいでしょう。向こうの兵力を鑑みれば、万が一にも仕損じることはないでしょうから」
「………認めるよ。俺たちだって、外のことを気にしてる場合じゃないよな」
 凛然とマリアが告げると、しばし黙り込んだ武はため息を漏らし、まるで自分の醜態を責めるように苦笑を浮かべる。それにマリアは「はい」と頷き、武の向かいへ座った。
「……ハイヴ突入か。後発とはいえ、フェイズ5ハイヴじゃ何の慰めにもならないな」
「珍しく後ろ向きですね。いつもの中佐はどうしたんですか?」
 自分たちに下された命令を復唱し、武は軽く肩をすくませる。
 H11制圧作戦において彼らに下された命令は「地上からハイヴへ突入し、反応炉の破壊を目指せ」というものだ。半ば予想していたからこそ部下にはハイヴ突入訓練を重点的にさせてきたのだが、やはり実際に命令が下されるとその重みは格段に大きくなる。
 その、いつになく弱気な武にマリアは少しだけ軽口を言うように返した。
「地下茎構造でのBETAの出現率は洒落にならないぞ」
「…………そうですか。やはり、実戦はシミュレーターと比較になりませんか?」
 1度他の人間が近くにいないか確認したマリアは、小さく、そして深く頷いて武へ次の言葉を促す。
 武の言葉は一般論というよりもどこか経験談を語っているかのようだった。

 突入した衛士の名前が伏せられている作戦自体、マリアの知る限り1つしかないが、敢えてそれを材料から外して考えてみても奇妙である。

 明言はされなかったが、元々近年におけるハイヴ突入の事例は意外と少ない。生還者が存在するものとあらば更に限定される筈だ。
 最も古いものでは、極東のH21制圧作戦。ただし、あの作戦において突入した国連軍部隊は軌道降下兵団のみで、そちらは全滅したと公式に挙げられている。
 極東のH20制圧作戦もH19制圧作戦も、確かに国連軍は出撃し、ハイヴ突入を行った部隊も存在するが、武の経歴が確かならばその時に彼は訓練兵教官を務めていた筈なのでこちらにも該当しない。
 H09の制圧にも国連軍は噛んでいたが、そちらにはそもそも国連の突入部隊は存在しなかった筈。
 先月のH12制圧作戦でなかったことは言うまでもあるまい。
 彼が教官ではなかった頃、国連軍衛士が突入し、尚且つ生還した作戦。その条件に該当するハイヴ制圧作戦など、詰まるところ1つしかないのだ。

 2002年1月1日。人類最大の大反抗作戦「桜花作戦」のみ。

 無論、これは彼の話、公式に挙げられている報告、そして彼の一部の経歴に偽りがなければ、の話でしかないのだが。
「………知ってるか? マリア」
「………何でしょうか?」
 マリアの問いには答えず、逆に武はマリアに質問を投げかけてくる。その主語も何もない問いかけに異様な威圧感を感じ、マリアは重々しく次の言葉を待った。
「フェイズ4ハイヴ制圧において、実際に船団(フリート)級が出現した例はない。H21では出現したと言われているが、遭遇した可能性のある部隊は残らず全滅しているから、実際に確認が取れたわけじゃない」
「確か、実際に目撃したのは桜花作戦の突入部隊のみでしたね。それ以外の出現例は、振動センサーの波形による判断、とされていましたか」
「あいつらは厄介だぞ。あいつらがいる限り、BETAの出現率なんて実際には当てにならない。横坑の規模さえ確保されてりゃ、平気で要塞級だってピストン輸送してくるからな」
 本当に忌々しげに語る武の言葉は、充分に主観がこもっていて、少し考えれば容易に体験談だと判断されてしまうそうなものだった。
 それにはマリアも1度ため息をつき、軽くかぶりを振ってから武に分かるよう、自身の口元に手を当てる。
「白銀中佐。それ以上は私にとって情報の意味が重過ぎます。お察しください」
「う………悪い。困らせるつもりはなかったんだけど」
「中佐に信頼して頂けているということで善しとしましょう。ですが、この情報も然るべき者が聞けばただの情報では終わらない筈です。今後はご自重して頂けるとありがたいですね」
 声を潜め、少し表情を緩めながらマリアは武に答えた。冗談めいた口調で警告された武は、困ったように苦笑しながら頭を掻く。
「……何か俺、すっげぇ感傷的になってるみたい。マリアの方がよっぽどしっかりしてるよ」
「それは私がハイヴ突入を経験していないからですよ。無智ゆえの平静です」
 ため息を漏らし、まるで己の不甲斐なさを反省するように口を開く武。彼はマリアのことを尊敬するかのように言っているが、彼女からすればそれは真逆だ。
 それだけの死地に踏み込み続けてきた彼は、それこそ想像を絶するほど多くの何かを失ってきた筈だ。それでも尚、戦い続け、邁進し続ける彼こそ尊び、敬われる存在であることは、決してマリアの勘違いではないだろう。
「無智……か。桜花作戦まで経験した衛士が無智なわけないだろ」
 やれやれと呟く武の言葉は至極尤もだ。マリアとて伊達にこの若さで国連軍少佐の地位についているわけではない。過酷な任務を数多く潜り抜けてきたゆえの結果である。
 それは古参の衛士なら誰でもある程度は持っているもの。この連隊ならばマリアやレイドが特にそれに秀でる。
 しかしながら、白銀武が持っている気概はどこかそれとは異なるものだった。
 それが具体的にどのようなものなのかは、残念ながらマリアにも明言出来ない。言葉で表現することが非常に難しかった。

 敢えて言うならば、彼は“失うことの意味を知り過ぎている”のだ。

 マリアたちが当たり前と受け入れ、享受していることを正面から真摯に受け止め、それに押し潰されることなく乗り越えている。多くの人が無理に慣れることで心を守ってきたことを、彼は決して慣れないことで敢えて心に刻み付けている。
 それが白銀武の強さだと、マリアはいつからか気付いていた。
「無智ですよ、私は。そして貴方も」
「俺も?」
「いえ、誰もが、です。無智だと気付いているから知りたくなるのでしょう。自分自身が無智だということすら知らなければ、そもそも無智だと思うこともありませんから」
 不思議そうに首を傾げる武に微笑み返し、マリアは言葉を続ける。逆を言えば、己が無智だと気付くことこそ、躍進するための最大にして不可欠なことなのだ。
「無知の知か? ソクラテスだっけ?」
「はい。何を知らないのかは人それぞれでしょうが、少なくとも優秀な人間に、自分が全知と信ずる者はいないでしょう。皮肉なことかもしれませんが」
 マリアは頷き、苦笑気味に答える。
 向上心を持つ、より優れた者ほど己を無智と信じて疑わないだろう。そこには無論、自信との相互バランスも重要になってくるが、優秀な人間ほど自己を卑下し易い傾向にあるということはある意味では嘆かわしいのかもしれない。
 そう考えれば、マリアの前に座る彼もまた、やはり稀に見る才人になるのだろう。
「どうかな? 心からそう信じているかは分からないけど、自分を全知の如く演じることでことを成している人だっているよ」
「それも理でしょう。責任を持てば持つほど、尊敬されるよう振る舞うことも必要です。もちろん、中佐もその役目はきちんとこなしていると思います」
 だからこそ、マリアは武を見て自分を「無智」と思ってしまう。それは彼がそれだけ役割の意味を無意識のうちにも理解し、成し遂げているということに他ならない。
「ハードル上げるなよな~」
 マリアの言葉に武はもう1度大きなため息をつく。いつもは彼女の方がつかされてばかりなので、マリアにすれば今日は少し不思議な気分であると同時にどこか喜ばしいことでもあった。
 不意に、軽く肩をすくませた武は徐にソファーから立ち上がる。
 どうしたのかとマリアが見上げると、無意識なのか頬を掻きながら武は苦笑を浮かべる。
「………あいつらにハッパかけてくる」
「そうですか。程ほどにお願いします」
 少し表情を引き締めた武に微笑み返し、マリアは答えた。それにまるで「任せておけ」と答えるようにぐっと親指を立てた武は執務室のドアを開け放ち、退室していった。
 それを見送ったマリアは、ようやく一息つき、自分が手にしている書類をテーブルの上に置く。
 ふと、同じようにテーブルの上に置かれている封筒があった。
 日本では一般的なA4版の茶封筒。見た限りでは白銀武宛のプライベートな手紙のようには見えない。恐らくは別件の報告書か何かであろう。
 ついさっきまでは気にならなかったが、手持ち無沙汰となったマリアはしばらくそれを見つめた後、ほぼ無意識にそれに手を伸ばした。
「ありゃ? 副長いたんすか?」
「――――――ッ!?」
 マリアの手がそれに触れそうになったその時、唐突に執務室のドアが開いて、ディランが入ってきた。あっけらかんとした彼の言葉に、マリアは思わずびくりとして手を引っ込める。
「んー……中佐はいないんすか?」
 1度室内をキョロキョロと見回したディランは、参ったと言うように頭を掻いた。そしてその行為によって乱れた、そのくたびれた金髪を手で整え直す。
「白銀中佐ならついさっき出てゆきました。それよりもアルテミシア大尉。入室の際にはノックをしなさい。軍規ではなく、最低限のマナーです」
「あっはっはっは……副長には敵わないっす。こりゃ失礼しました」
 武からならば五月蝿く言われないと踏んでいたのかもしれないが、この場にマリアがいたことは完全にディランの計算外だったに違いない。謝罪の言葉を口にしながらも、彼の表情は軽率さを反省しているよりも、むしろ自分の迂闊さを呪っているように見えるからだ。
「アルテミシア大尉は部下に普段通りに振る舞っているようですね」
 踵を返し、そそくさと退室しようとするディランの背中にマリアは声をかける。その言葉でディランの足が止まった。
「……ま、なるようにしかならないっすよ。ビクビクしてたって作戦日時が延長されるわけでも指令が撤回されるわけでもないですし」
 振り返らず、ディランはそう言って軽く肩をすくめてみせる。確かに正論だが、それでどうにかなるほど心の問題とは簡単ではない。あのエレーヌでさえ急激に口数が減ったほどなのだから。
 このような振る舞いこそが隊長らしさであり、またある意味ではこの世界で生きている者たちの享受している事実なのだろう。
「それに、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)は271戦術機甲中隊(セイバーズ)の随伴部隊ですからね。他の連中に比べりゃ、幾ばくか安全なような気がしますよ」
 今度は首を回して顔だけ振り返り、「ははっ」と笑ってディランは告げる。
 ハイヴ突入に際して第27機甲連隊の戦術機甲中隊は、2個中隊ずつ3グループに分けて別ルートで突入する。これはハイヴ地下茎構造が大部隊を1箇所で展開させられるほど開けていないことに由来する。
 その中でディランが率いる272戦術機甲中隊(ストライカーズ)は武やマリアの271戦術機甲中隊(セイバーズ)と行動を共にするよう計画がなされていた。
 恐らく、271戦術機甲中隊(セイバーズ)……武が行動を共にしてくれるという事実が、ディランに今の台詞を言わせたのだろう。
「じゃ、俺はもう行きます。副長も根を詰め過ぎたりしないでくださいよ」
「分かっています。貴方には期待していますよ、アルテミシア大尉」
「それじゃそれに応えられるよう、頑張ってみます」
 マリアの返答に声高に笑ったディランは、改めてマリアに正面を向け、礼儀正しくビシッとした敬礼をして退室していった。
 まったくもって彼も大物だ。最初、アメリカ出身の国連軍兵と聞いたときはマリアも正直不安だったが、実戦経験の少なさを天性の度胸と直感でカバーしている彼に対しては不要なことだった。
 マリアはもう1度ちらりと例の茶封筒を見る。
 元よりそこまで興味を持って手を伸ばしていたわけではなかったが、今はそれ以上に中身を確認しようという気分ではなくなっていた。
 きちんとさっきまで見ていた書類と共に整え、テーブルの上ではなく武のデスクの上へと置き直す。
「………私も副長としての務めをしなければなりませんね」
 たた一言、ぽつりとそう呟いたマリアは身を翻す。
 その、結い上げられた鮮やかな金髪をなびかせて己が使命をまっとうしようとするその後ろ姿は、まさに兵(つわもの)と呼ぶに相応しきものだった。

 作戦開始まで、あと11日と11時間32分。



[1152] Re[21]:Muv-Luv [another&after world] 第21話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2008/05/08 02:45

  第21話


 5月24日。
 H11制圧作戦まで3日と迫り、イギリス全体が纏う言いようのない緊張感はまさにピークを迎えようとしていた。
 それは最早H12との決戦前とは比較にならない。先月の制圧作戦は言わば前哨戦。今回の作戦こそ、今後の欧州の進退を決することとなるのは誰の目から見ても明白だった。
 出撃部隊を抱える多くの基地には必要物資が運び込まれ、否応無しに戦いが近いと兵士たちの心に警鐘を打ち鳴らす。
 それは無論、第27機甲連隊がホームとするプレストンの北部駐屯地も同じことだ。

 第4戦術機ハンガー。普段は使用されていないこのハンガーに武が足を踏み入れると、既にそこは慌しいほどの喧騒に包まれていた。
 ハンガーを最大の縄張りとする整備兵たちは当然のこと、衛士や歩兵、珍しいことに衛生兵や通信兵も数名、野次馬のように殺到している。
「まるで祭りだな、こりゃ」
「カーニバルですか。言い得て妙ですね」
 その喧騒に呆れ返る武の言葉に、追従するマリアは納得したように深く頷いた。
 日本には「お祭り騒ぎ」という言葉があるが、まさにここはその言葉を当てはめるに相応しい状況である。
「いくら自由時間だからってここに集まらなくてもいいのに」
「やはり珍しいのでしょう」
 人垣を作るハンガーとは縁遠い部下たちを見渡し、武はため息混じりに呟く。マリアはそれに、今眼前に聳え立つ欧州ではあまり一般的ではない機体を見上げながら答えた。
「Type-94………それも、国連軍モデルなどそう見られるものではないですから」
 「だな」と同意した武はマリア同様に、つい今し方ハンガーに収容された戦術機を見上げる。そこにあるのは、日本軍が開発し、運用する第3世代機Type-94「不知火」だった。
 それも、黒に近い灰色の帝国軍モデルではなく、蒼穹の色を持つ国連軍モデルの不知火だ。日本でも頻繁にお目にかかれるような機体ではない。
「はいはーい、どいてください。隊長たちが通りますよー」
 そこに、ハンガーにはあまり似つかわしくない快活な声の主が入ってくる。人垣を掻き分け、レイドやヘンリー、ユウイチを先導してくるのはそれよりも階級の低い片倉美鈴だった。
「凄まじい人だかりだな。片倉の部下までいるぞ」
「彼らは時間外ですし、業務さえきちんとこなしてくれれば僕は文句なんて言いませんよ」
「オレは准尉の人波の縫い方が妙に手慣れていることの方が気になります」
「危うく置いていかれるところだった………」
 周囲の状況を確認した彼らの感想は実に率直。ただし、若年2人に関しては人垣よりも先導してくれた美鈴に置き去りにされそうになったことが何よりも印象的だったようだ。確かに、ここに入ってきた美鈴は人垣を掻き分けるというよりも、わずかに空いているスペースを即座に見つけてそこを縫ってきた感覚に近い。あれでは追いかける側も余程慣れていないと厳しいだろう。
「よお、お前たちも見物か?」
「そんなところです。中佐たちも、ですか?」
 武が声をかけると、誰よりも先にヘンリーが答えた。武もそれに「まあな」と答え、2人一緒に収容された不知火を見上げる。
「本当にType-94の国連軍モデルってこのカラーリングなんですね。自分は、白銀中佐が乗ってた機体が特殊なんだと思ってました」
「不知火の本式は黒だからなぁ。つーか、日本じゃ国連軍機は全部このカラーリングだぞ?」
「あ、じゃあ、単色なんですね」
 武の言葉にヘンリーは「へぇー」と物珍しそうに反応する。彼がこのような反応をするのも、欧州や米国では必ずしも国連軍機のカラーが統一されているわけではないという事情がある。事実、この第27機甲連隊に配備されているラファールも一部のラインを除いてほぼEU連合軍のラファールとカラーリングに差はない。
 これはライセンスや各勢力の関係図など幾つかの事情が多少複雑に絡んでいるらしいが、武のような衛士側からすればカラーリングの違いなど取るに足る内容ではない。色が変わったからといって性能に差が現れるわけでもないのだ。
 ただし、斯衛軍の武御雷は唯一、その認識の範疇にはないのだが。
「責任者まで野次馬とは……彼らを叱咤するわけにはいきませんね」
「仕方ないって言ったのはマリアだろ?」
 中隊長たちまでやってきてしまったことに、人垣を散開させようとしていたマリアは大きなため息を漏らす。それに武は言葉を返すが、マリアには「そこまでは言っていません」とはっきり返されてしまった。
「そう言わないでください、シャルティーニ少佐。俺たちもただの野次馬根性で集まったわけではありませんよ」
 だが、それに反論するようレイドが口を開いたのでマリアは即座に表情を引き締め、その青い瞳を光らせる。
 その、「どういう意味ですか?」という無言の詰問にレイドは苦笑した。
「欧州奪還に協力してくれる日本人に挨拶をするというのは最低限の礼儀でしょう?」
「そうだな」
 ちらりと視線を横に流すレイドに同意し、武は頷く。
 同じように彼が顔を向けると、その向こうからは丁度1個中隊分の衛士が歩いてくるところだった。
 先頭を行くのはややシャギーの入った限りなく黒に近い茶髪の女性。年の頃は武よりも上だがそう離れているわけではない。女性らしい体付きでありながら纏う雰囲気は実に中性的で、この連隊で言えばマリアとエレーヌの中間点という絶妙な位置にいそうな人間である。
 極東国連軍 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第2中隊(ミスト)を率いる若き女衛士。その後ろに続くのは彼女の部下たちだろう。
「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)所属、第2中隊(ミスト)隊長の宗像美冴です。今回は作戦終了までこちらの基地に駐留させていただきます」
 その女性が挨拶と敬礼をしたため、武を含めその場にいる各署責任者も同時に敬礼を返す。
「お久し振りです、宗像少佐。第27機甲連隊を代表して、歓迎しますよ」
「ありがとうございます、白銀中佐」
 1歩進み出て、再度敬礼し直した武がそう言うと、少し唇の端を上げた彼女 宗像美冴も再び敬礼をして謝意を述べた。
「別に今まで通りでいいですよ。今は任務じゃありませんし」
 武が笑いながらそう言うと、美冴は口元を吊り上げながらも面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「……ふん、言うようになったじゃないか、白銀。連隊長の肩書きは伊達じゃないか?」
「まあ、取らなきゃいけない責任も多いですから、口ばっか達者になりますよ。それに、虚勢を張るくらいが丁度いいって教えてくれたのは宗像少佐じゃないですか」
「謙虚さも過ぎると嫌味だ、とも教えたがな。貴様は少なくとも口ばかりの男じゃないだろう?」
 相変わらずの減らず口で返してくる美冴は、武にとって多くのことを教えてくれた先任の1人だ。彼女のその切り返しに、武は声を上げずに笑う。
 かつてとは違って武が上官となった今もほとんど変わらずに接してくれることが武としても嬉しいことだった。
「……それで、彼らが白銀の部下なのか?」
「ああ、はい。右から連隊副長のマリア・シス・シャルティーニ、275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)隊長のレイド・クラインバーグ、274戦術機甲中隊(アーチャーズ)のヘンリー・コンスタンス、276戦術機甲中隊(ランサーズ)のユウイチ・クロサキ。で、一番左が衛生班総轄の片倉美鈴准尉です」
 美冴に問いに武が振り返り、手で指し示して部下たちを紹介する。武の述べる紹介に応じ、マリアたちは足並みを揃えてもう1度敬礼した。
「マリア・シス・シャルティーニです。欧州奪還のための極東のご助力、ありがとうございます、宗像少佐」
「任務ですので。それに、国連軍は世界共通の中立勢力ですよ。各方面の差異は気にする方がおかしいというものでしょう」
 マリアの言葉に美冴が笑顔で応じる。武に対しては目上の態度を取る美冴も、その部下であるマリアに対してはやはり敬語だった。彼女たちは同じ階級であるが、年齢的なものを鑑みれば経歴はマリアの方が確かに上だろう。
 そこから考えれば、武が如何に微妙な立ち位置にあるのか語るまでもない。
「つい最近までお互いに人員の援助もままならない戦況であったことを考えれば、謝意はともかく当然のことのように受け止めることは出来ません。ましてや、日本人である貴女方にとって欧州のことは無関係でしょうし」
 神妙な面持ちでマリアは首を横に振り、再度遠回しな感謝の言葉を述べる。軍人となってからずっと欧州で戦ってきた彼女にすれば、実に感慨深いものなのだろう。
 対し、美冴はやや困ったように笑って、そして小さくため息を漏らす。
「気にし過ぎだとは思いますがね。もし理由が必要と言われるなら、私にも友との約束がある……ということにしておいてください」
「友……ですか?」
「はい。フランスを……ユーラシアを取り戻してくれ、と。まあ、名前も顔も知らぬ駆逐艦乗りの戦友でしたが」
 怪訝そうな顔つきになったマリアに、美冴は珍しく柔らかな笑みを湛えて答える。その返答にはさしものマリアも「そうですか」と頷き返すしかない。H12の制圧によってフランスの奪還は半ば成されたようなものだが、欧州の、ユーラシアの奪還にはまだ長い道のりが残されている。
 美冴の言った「戦友」については武にも覚えがあった。
 桜花作戦にて空中で散った突入艦隊の、1人の艦長の言葉だ。
 彼の作戦にてオリジナルハイヴに部隊を運んだ駆逐艦艦隊は残らず撃墜されている。敵がAL弾を迎撃しなかったため重金属雲が発生せず、レーザーの猛威に曝されたのだ。
 彼らは自らの乗る駆逐艦を盾に、オリジナルハイヴに突入する武たちを敵のレーザーから守り切り、そして散っていった。
 その中には、武たちに「人類を頼む」と残し散っていった日本人もいる。
 ただそれだけ。戦うための大義名分など、そんな戦友との口約束だけでも充分なのだ。

 そんな記憶に想いを馳せていたため、「駆逐艦」という単語が出てきた時のレイドの表情の変化に、武は微塵も気付かなかった。

「宗像少佐、第7中隊(ヒルド)全機収容完了しました」
 どこか言いようのない雰囲気が漂い出したその空間に新しい風を呼びこむが如く、控え目に、されども強い意志を持った言葉が響く。
 声のした方へ誰もが目を向けると、ちょうど1人の黒髪の女が部下らしき衛士たちを引き連れて武たちのところへ歩み寄ってくるところだった。
「了解だ。彩峰、貴様も先方に挨拶しておけ。しばらく世話になるんだからな」
「は。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)第7中隊(ヒルド)隊長 彩峰慧です。部下共々、よろしくお願いします」
 彼女……彩峰慧が美冴に促された通り、敬礼して代表挨拶を述べる。印象に強い彼女のイメージから少し離れていて、武は思わず吹き出しそうになった。
 しかし、武の努力が足りなかったのか、あるいは慧が異様なまでに鋭かったのか、即座にやや不機嫌そうな瞳で睨み返してくる。
「すまん、俺が悪かった」
 元より彼女たち相手では階級も肩書きも盾にはならない。こういう時は妙な言い訳などせず、即座に謝罪することが最大に巧い躱し方だ。
「何を謝っているのです? 白銀中佐」
「ああ、気にしないでくださいよ、シャルティーニ少佐。こいつにはちょっと妄想癖がありましてね」
 一瞬のうちになされた武と慧のやり取りをすぐには理解出来ず、マリアが不思議そうに首を傾げる。対し、付き合いの深い美冴の方は両者の間でどんなコミュニケーションがあったのか即座に読み取り、不敵に笑った。
「少佐の虚言癖も相変わらずですねぇ」
「白銀、相変わらず。まだまだ若僧ですよ」
「お前が言うなッ!!」
 昔と変わらない美冴の軽口に武が言い返すと、非常に冷めた瞳をした慧がぽつりと呟くように言う。歳も同じ、訓練兵時代から親交のある彼女の言葉には、流石の武も怒鳴り返すしかなかった。
「え?」
「――――――ッ!!」
 しかしながら、それも暖簾に腕押し。「何のこと?」と言わんばかりにきょとんとした顔をする慧に、武は声にならない悲鳴を上げて大仰に頭を抱える。
「白銀中佐が遊ばれている……?」
「付き合いの長い相手には階級差など無意味なものだ。そういう意味ではかつての教官にも頭は上がらんな」
 普段からフランクとはいえ、滅多に見ることの出来ない武の様子にユウイチが驚いたような感想を漏らした。レイドも武の意外な一面に笑いを堪えているようだが、感想は実に客観的なもの。恐らく経験談も混じっているのだろう。
 誰しも、兵士の伊呂波を叩き込んでくれる教官と、衛士の伊呂波を叩き込んでくれる任官時の上官、そして苦楽を共にした友人とは他人には推し量れない絆があるということである。
「初めまして、彩峰大尉。第27機甲連隊副長のマリア・シス・シャルティーニです。白銀中佐から名前はよく伺っていますよ」
「………何話したの?」
 敬礼ではなく、微笑みを湛えた表情で慧に挨拶を述べたマリア。彼女から差し出された右手を取りながらも、慧は怪訝そうな顔つきで武に問いかけてくる。
「無茶苦茶強い」
「ぶつよ?」
「何でだよ!? 褒めてんだろ!?」
 だから武は実に簡潔に答えてやった。実際、本日この北部駐屯地に収容されることとなる国連軍部隊都合“4個中隊”の隊長は全員武の知り合いであり、彼女たちについては事前にマリアたちへ少しだけ話しておいた。
 その中で彩峰慧について詳しく話したことは、「殊、近接格闘については俺よりも上」ということのみ。むしろ、武の近接格闘技能は半ば彼女から学んだくらいなのである。
「苦労をかけますね。あいつは衛士の腕こそ一流ですが、隊長となると威厳に欠けているようです」
「それが中佐の魅力でしょう。それに、任務の時の顔つきはまた違いますし」
 マリアの返答が予想外だったのか、一瞬美冴も呆気に取られたような顔をしたが、すぐに普段通りの不敵な笑みを湛えた表情に戻る。その表情を見れば、武はにわかに嫌な予感を覚えるだろうが、残念なことに彼は今、慧の相手で手一杯だった。
「それはいい。私も彩峰も、上官としての白銀の顔はほとんど知らないので、楽しみにさせてもらいますよ」
 その言葉で、互いに笑い合うマリアと美冴。
 年齢こそ異なるが、同じ少佐階級にある者同士、両者の間には急速にある種の連帯感が生まれかけていた。
「ところで白銀、柏木と涼宮はどうした? 先に収容された筈だが?」
「そっちは第5ハンガーに収容させた筈ですよ」
「収容が完了し次第、こちらに案内するよう部下に命じてありますので、しばしお待ちください」
 あわや慧に組み固められ、その末に投げ飛ばされるところだった武は決して気を緩めることなく、美冴の疑問に答える。それに捕捉するようにマリアも言った。
 確かに武とマリアは部下にそのように命じている。
 ただし、その部下があのエレーヌだということは2人にとってそこはかとなく不安なことだった。やはりレイドにすれば良かったかとやや後悔気味ながら、ここは随伴させた章好やリィルの抑止力に期待するしかない。
「白銀」
「おう? 何だ?」
「だったら、もう部下は解散させていい? 長旅でけっこう疲れた」
 また文句でも言うのかと思って武が訊き返すと、いつものようにしれっとした表情ながらも、隊長らしく部下に気を遣った案を進言した。あたかも自分が疲れたかのように言っているが、百戦練磨の彼女がこの程度の移動で疲労感を露わにする筈がない。
「そうだな……大人数をいつまでも拘束している理由もないし、マリアもそれで大丈夫か?」
「はい、構いません。一夜限りですが、既に部屋の方は準備させていますので、部下の方々は案内させましょう」
 変わっていないように見えても、やはり武同様に部下の命を預かる立場としての物の見方を身に付けている。武と同じ部隊で戦っていた頃の彼女は、如何に衛士として優秀とはいえ、あのような気の遣い方はしなかった筈だ。
 武はそう感じながら、マリアに判断を仰いだ。
「それでは、僕がご案内しますね。皆さんの衛生管理はうちの仕事ですから」
「お願いします、片倉准尉。第2中隊(ミスト)の皆さんもよろしければもうお休みになられては如何ですか?」
「そうさせていただきます。私は白銀中佐にもう少しお付き合いする。あとでまた召集するから貴様等は准尉殿について、先に行け」
「は!」
 マリアに問いかけられた美冴はその提案を受け入れ、そのまま後ろにいる自分の部下たちにそう指示する。よく統制の取れている第2中隊(ミスト)はその指示に足並みを揃えて敬礼して答えた。
「それじゃあ、第2中隊(ミスト)と第7中隊(ヒルド)の皆さんは僕についてきてください。宗像少佐と彩峰大尉の案内は中佐がしてくださいね、お知り合いなんですから」
「了解ですよ。片倉准尉こそ、そっちは御任せします」
 そこはかとなく面倒事を押し付けられたように感じつつも、武は美鈴に言い返す。それに美鈴は笑いながら「了解」と答えてくれた。彼女はエレーヌと違って普段の仕事振りに関しては非常に信頼出来ることが数少ない救いだ。
 そのままぞろぞろと極東衛士を引き連れ、ハンガーをあとにしてゆく美鈴を全員で見送る。
 彼女らが出てゆくのとちょうど入れ違いとなる形で4人組の男女が入ってきた。
 全員が武にとっては見知った顔だ。
 先頭を行くのは我らが273戦術機甲中隊(ハンマーズ)隊長 エレーヌ・ノーデンス。どういうわけか妙に晴れやかな顔をしている。
 その後ろで並んでいる2人は極東国連軍 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第6中隊(スルーズ)と第10中隊(フレック)の中隊長を務める涼宮茜と柏木晴子。どちらも武にとっては以前の部隊から付き合いのある戦友だ。
 そして最後尾は異様なまでに疲労感を露わにした様子の柏木章好。この1時間足らずで何故あれほどまでに疲弊しているのか、何となく分からなくもない武はとりあえず「すまん、章好」と心の中だけで謝罪し、合掌しておく。
「涼宮大尉と柏木大尉をお連れしました。ミッションコンプリートです」
「はいはい。ご苦労さん」
「得意気になるのではありません、ノーデンス大尉」
 武たちに敬礼し、意外と大きな胸を張って報告するエレーヌ。そんな彼女に武は労いの言葉を、マリアは叱責の言葉を投げかけた。その、割と適当な労いと、割と厳しい叱責をされてもエレーヌは意に介さない。彼女はそのくらい図太いのだ。
「久し振りだねー、白銀」
 一応敬礼はするが、随分と軽い挨拶を述べる晴子。
 章好と同じ水色の髪を揺らし、翠がかった瞳を嬉しそうに染める彼女は、武の記憶にある柏木晴子とまったく変わらない。
 元より「大仰たる覚悟あれ」というあり方が嫌で帝国軍を蹴った彼女だ。これくらいの方が実に柏木晴子らしい。
「ちょっと晴子。白銀中佐、でしょ? 相手は上官だよ? 2階級も上の」
 晴子を注意しているのか、それとも武をからかっているのか何とも判断し難い表情で言葉を挟むのは涼宮茜。
 晴子とは対照的な、燃えるような赤い髪は彼女の直情的な性格をよく表している。
 彼女らは訓練分隊からの付き合いで、武から見れば一応半期上の先任に当たるのだが、実際の経歴はさほど差がない。
 だから昔から武と彼女たちは同等に扱われてきたし、お互いに同格として接してきた。
「任務時以外はそれ、ナシの方向で。宗像少佐にもそれは釘を刺しといたから」
「ふん。気が済むまでからかってやるから安心しろ」
「白銀、命知らず」
「だからお前に言われたくないわッ!!」
 不敵に笑う美冴に続き、いつものようにぼそりと呟く慧。その、的を射ているが実に聞き捨てならない言葉に武はまた怒鳴り返す。昔と変わらないそのじゃれ合い染みた言い合いには茜も晴子も苦笑を浮かべるしかない。
「柏木少尉。ノーデンスのお目付け役、ご苦労だったな。訊くまでもなさそうだが、疲れただろう?」
「ノーデンス大尉だけならどんなに楽だったか……」
 武が敢えて触れないようにしていた章好に、代わりにレイドが労いの言葉をかける。この連隊に所属してからエレーヌのストッパーを何回も務めてきたレイドにしてみれば、件の少年には気を遣ってあげたいのだろう。
 だが、屍のように力の無い章好の言葉に、レイドの頭上には大きな疑問符が浮かぶ。
「アキってば何言ってんだろうね? ノーデンス大尉、良い人でしょー?」
「はい。良い人です」
 晴子から笑顔で同意を求められ、章好はまるで復唱を命じられた部下のようにその言葉を繰り返す。その、どうしようもない力関係を臭わせるやり取りに、初対面ながらレイドと茜は顔を見合わせて苦笑し合った。
「成程。そちらが柏木大尉ということは、こちらが涼宮大尉か」
「はい。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)第6中隊(スルーズ)の涼宮茜です。短い間ですが、よろしくお願いします、クラインバーグ大尉」
「む……こちらはまだ名乗った覚えはないが……?」
 敬礼付きの挨拶を茜にされ、思わずレイドは唸る。レイドたち第27機甲連隊面々は予め武から彼女たちのことは聞いていたが、向こうがそうであるとは限らない。そもそも、第27機甲連隊内において彼女らの知人は武しかいないのだから、人伝に紹介されている可能性は少ないだろう。
 無論、武も茜らに部下のことを紹介した覚えもなかった。
「あ、ノーデンス大尉が簡単に教えてくれたんです」
「…………どう紹介したのか激しく気にかかるが……ならば改めて自己紹介しよう。275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)の中隊長を務めるレイド・クラインバーグだ。一応年長者の部類に入るが、同じ大尉階級だ。あまり気負わず接してくれ」
 巨漢のレイドに右手を差し出されて茜は一瞬戸惑うが、すぐにその手を握り返した。同じ階級ながら、年齢差も体格差もある2人。茜にしてみればレイドにそのように言われてもなかなか困ってしまうだけである。
「柏木大尉もそれで良かろう?」
「努力はしますけど、実際、クラインバーグ大尉たちの方が先任だからなぁ。どうしたって敬語は口をついて出ちゃいますよ」
 晴子も少し困ったように笑ってレイドに答える。
 軍隊では階級こそすべてだ。よほど稀有な功績をおさめない限り、昇進は経歴に準ずることがほとんどであるため、年長者にはなかなか頭が上がらないことは一般的である。また、同じ階級である場合は、先任を上と取るのも常識だ。
 それを踏まえれば、レイドやエレーヌの方が慧や茜、晴子たちよりも上の立場にあることは言うまでもない。
「あたしたちからすれば、白銀中佐に敬語を使わない時点で2人のことは凄く尊敬するけど」
「それならば彩峰大尉も同じだな。先程から中佐を随分とからかっていたようだ」
 恐々とした様子で呟くエレーヌに、くくっと笑いを堪えながらレイドは同意した。武にすれば彼女たちから敬語を使われることの方が気持ち悪いくらいなのだが、出会った時から武を上官として見てきたエレーヌたちにしてみれば恐ろしいほどの冒険行為に捉えられるらしい。
 だが、そんな第27機甲連隊の衛士の言葉に、件の3人は顔を見合わせて同時にこう答えた。

「まあ……白銀だし」

「…………………」
 その身も蓋もない理由にはさしものエレーヌもレイドも返す言葉が見つからないようである。尤も、あまりの答えに黙らされたのは武も同じであったが。
「白銀中佐のスタンスの原因を垣間見た気がします」
「シャルティーニ少佐は鋭い。うちの部隊の基本は「無意味に畏まるな」なんですよ」
 ここまでのやり取りを傍観してきたマリアが、ため息を1つ漏らしてそう呟く。その隣では美冴が不敵な笑みを浮かべたままマリアを称えている。
 確かに、武の大まかなスタンスは前にいた部隊で培われたものだが、元より彼はそのような気質を持っていた。厳密に言えばそれは“原因”ではなく“きっかけ”や“過程”に過ぎない。だが、マリアたちにすればそこまで細かい話などさしたる問題ではなかった。
「成程……衛士の力量はその気概で分かる。確かに大尉殿たちは何れも中佐に並ぶほどの実力を持たれているようだ」
 しばし呆気に取られていたように沈黙していたレイドだが、不意に肩を震わせて笑いを堪えながら口を開く。
「少なくとも、中佐の同期兵にサシで勝つのは、あたしには厳しいっぽい。ユウイチとしてはどう?」
「先だって聞いたお話と、データを見る限り、彩峰大尉と涼宮大尉が相手ではまだオレは話になりませんよ。相性を踏まえれば、柏木大尉なら何とか拮抗させることは可能かもしれませんけど」
 やれやれと肩をすくませたエレーヌの問いかけに、いたく冷静に、尚且つ酷く悔しげにユウイチが答える。意外と負けず嫌いであり、個人技能ならば突出している彼がそこまで言うのは実に珍しい。それはユウイチが慧たちを、武と同じ実力者と認識しているからに他ならない。
「クロサキ中尉にしてはやけに弱腰だけど、それには僕も同意です」
 ヘンリーもユウイチの言葉には同意する。
 適正は違えど、同じ連隊において同年代で同じ役職を担うヘンリーとユウイチはお互いに意識している面も多い。客観的な彼の目から見ても、データから見て取れる慧たちの能力は、ユウイチのそれを大きく上回っているということだろう。
「実物を見ないと分からないよ。データは所詮データだから」
 そう答えるように、何れも彼女らを自分たちよりも格上と判断している武の部下たち。それに反論したのは同じ第27機甲連隊の者ではなく、話題に上っていた1人である彩峰慧だった。
 その、呟くような声量ながら、一点の曇りもないはっきりとした反論に誰もがハッとさせられ、彼女に視線を向ける。
 武の印象に残る彼女は、このように口を挟んでくる人間ではなかった。
 彼女たちも、やはり少しずつ変わっている。
 それが分かり、武は声には出さずに口元をわずかに吊り上げて笑う。
「……彩峰の言う通りだ。だけど、データとしてお前たちがまだ劣っていることも事実だな」
「む……白銀中佐、容赦ないですね」
「それに、今することは限られてる。俺たちは軍人だ。個体としての能力よりも全体としての成果が何より期待される」
 エレーヌが唇を尖らせたことも意に介さず、武は言葉を続ける。実際、今の彼らでは慧たちと模擬戦をしても十中八九勝ち目がない。逆を言えば1、2割は勝ち目があるということであり、それが慧の言う“実物”の部分に他ならないのだが。
 不意に、武はハンガーの入り口の方を指差した。
 その行動の示す意味が分からず、誰もが唖然とする。
「だから行け。明日にはここを出立する。認められたきゃ見事、今回の任務を完遂させてみせろ」
 続く武のその言葉に、今度は誰もが合点がいったようだった。武の部下たちは表情を明るくさせ、お互いに視線を交わした後、きっちりと揃った敬礼と「は!」という応答でそれに応えてみせる。
「それでは中佐、少佐。宗像少佐も、大尉方も。ここで我々は失礼します」
「行くよ、柏木少尉。うちの中隊、すぐにシミュレータールームに集めるから」
「アルテミシア大尉はどうします?」
「今なら1番ハンガーに戻ってる筈だ。オレが行く」
 マリアや美冴たちにも敬礼したレイドたちは、言うが早いがほぼ駆けるような速度で歩み出していた。口々にお互いの中隊をすぐに集められるのかどうか相談を交わしている。
「マリア。271戦術機甲中隊(セイバーズ)も集めて、付き合ってやってくれよ。巧く回して、評価も下してやれれば助かる」
「了解しました。出撃前の最後の調整訓練、少し予定より長めですが、監督致しましょう」
 部下の背中を見送る武も、すぐに視線をマリアに向けてそう言った。そう来ることを予見していたのか、マリアも即座に敬礼してそれに応じる。
「任せる。俺も宗像少佐たちを案内したら合流するから、それまではあいつらのこと、頼むな」
「はい。お待ちしております」
 武の言葉に敬礼ではなく微笑んで頷き、マリアは快く承諾してくれた。
「それでは、私もお先に失礼致します」
 武に応じた彼女はそのまま美冴たちに向き直り、今度は再び軍人としての顔を見せて敬礼の格好を取る。美冴や慧たちがそれに敬礼を返したことを確認し、一礼してマリアもハンガーを退去していった。
「……確かに、随分と優秀な部下に囲まれてるじゃないか」
「軍歴の長さなら半分以上は俺よりも上ですからね。今の能力は置いておいても、まだまだ伸び代はたくさんありそうですよ」
 何が“確かに”なのかは分からないが、美冴の呟きに武は我が事のように得意気になる。
 教官時代に、教え子が褒められた時の感覚に似ている。武はそう感じたが、そこまで具体的な印象までは口にしなかった。
「ねえ、白銀。不知火を搬入する時に滑走路で警備していたのってここの部隊だよね?」
「ああ。警備してたのはうちの272戦術機甲中隊(ストライカーズ)だけど……それが?」
「茜はラファールを珍しがってるんだよ。日本じゃ配備されてないから」
 晴子の説明に武もいたく納得する。つい先刻まで武の部下たちが不知火を物珍しがっていたのと同じ理由ということだ。尤も、武だって初めて欧州に来たときはラファールやEF-2000には酷く興味をそそられたものだが。
 結局のところ、多かれ少なかれ衛士とはそういうものなのだろう。
「でも、涼宮の場合、絶対に不知火の方が乗り心地いいぞ」
「あれ? そうなの? 機動性あるって聞いてるけど?」
「機体が軽い分、耐久性に難有り。ハイヴに突入するなら本当は俺も不知火に乗りたい」
 思わず武が漏らす愚痴にさしもの茜も苦笑するしかない。ただ、ハイヴの中ではまともなバックアップは期待する方が間違いなのだから、耐久性の優秀な機体に乗りたいという考えも尤もな話である。
「機体を選り好みするとは……いよいよ速瀬中佐に似てきたな。白銀」
「あー…もーそれでいいっす」
 不逞の弟子を嘆くかのようにやれやれと肩をすくませる美冴。だがしかし、その表情が実に愉快そうにしていることを確認するまでもなく分かっている武はさらりと受け流した。
「……にしても、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)からも増援が回されてくるとは思わなかった。夕呼先生も気前がいいな」
「伊達に特殊任務部隊じゃないよ。各方面派遣は実際結構多いし」
 まるで他人事のように答える晴子。先月まで実際にアラスカに派遣されていた人間の言葉とはとても思えないが、そこが晴子らしいと言えば確かに晴子らしくもある。
「副司令の場合は各方面に恩を売っておきたいのが本音だと思う」
「どっちかっていうとそれっぽいな」
「こら、彩峰。貴様の口からそういうことを言うな」
 慧の言葉に武が同意すると、すぐに美冴から叱責が飛ぶ。
 彼女ら戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の所属は横浜基地であり、現在の便宜上の上官は基地指令であるクラウド・フレッド准将である。だが、武も所属していた、連隊の前身であるA-01部隊が香月夕呼の直轄であったことから、実質的な戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の指揮権は今も夕呼に委ねられているというのが実情だ。
 その下で任務に従事している彼女らがそのようなことを零すのは確かに拙いのかもしれない。尤も、ほぼ確実にそれは事実なのだが。
「帝国軍も斯衛軍も後方支援に回ってくれるっていうし、地上の方は少佐たちに任せていいんですよね?」
「何とか兵站は維持させてみせよう。ただし、4時間、5時間も当てにするな」
「軌道降下兵団の突入開始から3時間以内にケリをつけてみせます。っていうか、それ以上は突入部隊ももたないですよ」
 武の問いかけに美冴は一転して一切の冗談を含まない真顔になり、やり遂げる意志と忠告を続けて述べる。
 元より、武もそれは承知の上だ。地上の陽動がそう何時間も機能するとは考えていないし、そもそも突入した自分たちがそう何時間も地下茎構造内部で生存していられる保障はどこにもない。
 それでも、信頼出来る戦力が少しでも増えてくれるのは武としても嬉しい限りだ。
「ま、夕呼先生がどう考えてるかはさて置き、4個中隊も回してもらえて助かりましたよ。委員長と美琴はアラスカでしょう? 向こうにもいくらか回されたんじゃないですか?」
 武は本心を述べる。部下を率いる身として初めてハイヴに突入する彼にとって、増援の実力をはっきりと信頼出来るのは嬉しいことだった。
 だが、武の言葉に全員が「おやっ?」という表情をし、すぐにそれを曇らせた。
 その変化に武も戸惑う。自分は何もおかしなことは言っていない筈だと、思わず首を捻らされる。
 H11と同日に攻略されるH26。そこへの進軍にはアラスカに派遣されている同じく戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の榊千鶴――武は彼女のことを委員長と呼んでいる――と鎧衣美琴も恐らく引っ張り出されるだろう。
 全10個戦術機甲中隊から構成される戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)なら彼女たちの支援のためそちらに兵力を回すこともおかしくはない筈だ。
「……いや、アラスカには増援の出撃はない」
「あれ? じゃああとは日本に残るわけですか? 速瀬中佐が離れられないのは分かりますけど、冥夜たちも?」
「御剣と珠瀬も欧州に回されてる」
 武の更なる問いかけに答えたのは、美冴ではなく慧だった。その普段以上にあまり抑揚のない声に、武もにわかに奇妙な空気を感じ取る。
「欧州に……? 他の基地への収容か?」
 その問いに対する次の返答は、言葉ではなく無言の否定。その応答でようやく事を理解した武は、「そういうことか」と、やや苛立ちを含んだ呟きを漏らした。
「つまり、冥夜とたまは作戦当日に日本から出撃……ってことでいいんだな?」
 それは最早問いかけではなく、確認事項だった。おおよそ察した武は同じく抑揚の少ない声調で次の返答を促す。
 それに一瞬、美冴を除いた3人がお互いに顔を見合わせた。まるで“誰が答えるのか”腹の探り合いをしているような光景にも見える。
 それは自分の役割だと判断したのか、あるいは煮え切らない3人に痺れを切らせたのか、しばし間を置いて口を開いたのは、最も階級の高い美冴だった。

「ああ。第5中隊(レギンレイヴ)と第8中隊(ランドグリーズ)は、軌道降下でH11に突入する」



[1152] Re[22]:Muv-Luv [another&after world] 第22話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2008/05/08 02:46

  第22話


「今回の作戦も従来のハイヴ攻略に則って決行される。H12の制圧戦に参加していない新入りもいるが、この辺りの概要は以前に各中隊のブリーフィングで説明された筈だから割愛する」
 集められた全中隊の衛士を前に武は口を開く。
 彼らがいるのはホームであるプレストン北部駐屯地のブリーフィングルームではなく、いくらかの機材が運び込まれた雑多且つ粗末な一室だった。それほど空間が確保されているわけではなく、彼ら第27機甲連隊の衛士約70人が入ったことでほぼ満員状態になっている。
 ここはアルプス山脈に程近い、旧クロアチア領のイーストラ半島。工兵部隊によって建設されたH11制圧作戦における地上総司令部だ。その施設の中には急造の整備施設や兵舎まで存在しており、常に周辺に対して防衛基準態勢3のまま警戒を払っている。
「俺たちは軌道降下兵団に続いて地上から突入する部隊の一陣だ。それまでは地上陽動部隊と連動してレーザー種を中心にBETAの殲滅を行うことになる。その際は全中隊がある程度纏まって動くことになるから注意しろ」
 窮屈そうに整列した部下たちを見回し、武は言葉を続ける。
「ハイヴ突入後は各自予定の経路を使って主縦坑を目指す。これもこれまでの訓練通りだな。敵の出現に応じて適宜経路の変更もあり得ることも忘れるな。その判断は各隊の責任者。俺とエレーヌとレイド、判断の段階で何れかが既に戦線を離脱していた場合はより階級の高い者に一任する」
「はい!」
 それには小隊長格に該当する者まで返答した。これは彼らも責任者という立場にあることも関係あるが、それ以上にシミュレーターでの訓練の結果が影響を与えている。
 訓練時において、最下層までに中隊長格が戦線を離脱するケースも決して少なくなかった。これはもちろん、戦域脱出やベイルアウトという結果ではなかったことは言うまでもない。
 即ち、新たな判断を必要とした状況において武やエレーヌ、レイドが生きているという保証もない、ということ。
「リィルは通信兵を纏めてHQに残留。俺たちが突入後は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の支援をしてくれ。地上の戦線が瓦解したら、突入部隊の命運も決まったようなものだからな」
「了解です。中佐たちもお気をつけて」
 敬礼し、まるで武たちが今すぐにでも出撃するかのような返答を述べるリィル。彼女にすれば第27機甲連隊以外の戦域管制官を務めることは初めてであるため、奇妙な緊張感も持っているのだろう。
「作戦開始まで12時間を切った。各員、明日に向けて充分に身体を休めておけ。以上だ。解散!」
「了解!」
 武が技術や注意することについて教えられることは今日までの訓練で教えてきた。今彼に出来ることは、部下がより堅固に覚悟を固められるようにそのケツを叩くことしかない。
「マリア。お前ももう休め。敵の強襲があれば警報で嫌でも起こされるからな」
 狭いことでお互いに譲り合いながら退室してゆく部下を見送りながら、武は隣のマリアにそう告げた。
 キャンプの周りには今回の作戦でも総司令部警備を務める部隊がぐるりと円形に展開しており、更にその向こうには無線・有線のセンサーが山のように設置されている。それこそ軌道降下兵団よろしく敵が真っ直ぐ落下してこない限り、奇襲される心配も薄かった。
 だからこその休養。実際、出撃部隊の隊員のほとんどはもう明日へ向けて休んでいるところだ。
「そうさせていただきます。白銀中佐もあまり無理はなさらないようにお願いします」
「分かってる。お休み」
「はい」
 あくまで釘を刺す御様子のマリアに頷き返し、苦笑気味に武は答える。それで納得したのかは不明だが、特に何か言うわけでもなくマリアも頷いて退席していった。
 どういう想いを持って彼女がそう言っているのか武には判断しかねるが、彼からすれば普段から無理をしているのはマリアの方だった。
 マリアはつまり、内側に溜め込み過ぎる嫌いがある。なまじ優れた能力を持っているから、凡人が投げ出してしまう量の物事を一時に抱え切ってしまうタイプの人間だ。
 それで悠々と出来るのならば武とて口には出さない。だが、人間とはそこまで万能な生き物ではなく、大抵それは血反吐を吐きながら行われている。
 マリアは、武とは少し違う意味で長生きしない人種なのであった。
 武の“盟友”にも似たような人間が何人かいる。否。今も彼女たちは存命しているが、それでも“いた”と表現する方がそれらしいかもしれないが。
「白銀」
 遠い異国の地にいる友に想いを馳せていた武も、その呼びかけで意識を引き戻した。
 彼の名を呼んだのは野太くもなければ細くもない、繊細ながらも実に強い意志の孕んだ男の声。
 武にもこの戦場に立つ知人は何人かいるが、彼を呼び捨てにする男の知り合いとなると該当者は1人に絞られる。
「……警護リストに名前のある人がうろついてていいんですか?」
 軽くため息を漏らし、武は彼に答えた。
 蒼青の零式強化装備に身を包むその男性は苦笑する。
 帝国城内省斯衛軍 第4戦術機甲大隊 大隊長 斉御司灯夜。階級は少佐。発言権こそ斯衛軍の中ではそう強くないが、衛士としての技能ならば武が知る人間の中でも五指に入る。
 正直なことを述べれば、一対一で戦った場合、武でも勝てるかどうか分からない。
 以前、灯夜本人に武はそう告白したのだが、その時は「お前がそう感じるのはほとんどXM3のおかげだ」とはぐらかされてしまった。
 即ち、XM3への適応力が高いということ。発案者である武や、運用試験を務めた戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長らを除けば、恐らく彼は極東で最もXM3と相性の良い衛士なのである。そこに歴戦の経験が加わるのだから、強くないわけがない。
「うちの部下はその辺りは無頓着故にな。それに、侑香様もいらっしゃるのだ。私の身など二の次にされて然るべきだよ」
「その答え、九條大佐が一番納得しなさそうですね」
「実際になかなか納得して頂けなかった。私が、白銀と話がしたい、と我が侭を言ったところ、渋々ながら了承して下さったが」
 灯夜の言葉に武が率直な感想を述べると、苦笑気味に灯夜も白状した。「俺をダシにするのはやめてくださいよ」と武が言い返すと、今度は可笑しそうに笑う。
 斉御司灯夜は本当に奇妙な人間なのだ。
 青を賜る身でありながら、その在り方は実に赤に近い。
「いや、話がしたいというのは本当だ。桜花作戦以降はこうやって一対一で話す機会も巡ってこなかったわけであるしな」
 その答えには武も苦笑するしかない。
 桜花作戦の折には、確かに彼とはこれでもかというほど言葉を交わした記憶がある。お互いにそれどころではない状況でもあったが、コミュニケーションはコミュニケーションだ。
 尤も、灯夜の人格を深く知るほど武は付き合いが長いわけではないのだが。
「帝国もこっちの動向には注意を払っているみたいですね。探ってるのは国連ですか? それともEU連合? あるいは誰か特定の個人ですかね?」
「何れも該当する。在日国連軍との関係は良好だが、各方面とも同じであるとは限らぬ。EU連合の動向についてはお前たちも同じような感覚だろう?」
 問い返され、武は言葉を詰まらせた。痛いところを突かれた、というようなその表情に、灯夜の方はふっと口元を緩ませる。月詠といい彼といい、斯衛軍の士官は武をからかうのが存外に好きらしい。
「それと注目している個人についてだが、それはお前だ」
「……………それ、絶対良い意味じゃないですよね?」
「さて、それは私も答えかねるが……少なくとも私個人にとってお前は良き友だ。城内省が良い顔をしているかどうかは些か首を傾げるがね」
 くくっと可笑しそうに笑って答える灯夜の顔からは裏表の差が感じられなかった。そういった意味では、武は灯夜のことを斯衛軍の中でも月詠の次に信用している。
 斉御司灯夜という青年はあまり上背がない。あまり体格に恵まれておらず、武と同じか、あるいはそれよりもやや低いくらいである。
 しかしながら、漂わせる雰囲気は相手を圧巻させるに充分なものだ。
 武の知る武人が口を揃えて「斉御司少佐は強い」と述べる理由が、そこからもよく理解出来た。
「……ああ、そういえば、私の他にもお前に会いたがっている方がいらっしゃったな」
「はい? 誰です?」
「御一方は殿下。もう御一方は、先刻から入り口でこちらの様子を窺っているよ」
 くすりと笑い、「ほら」と言うように入り口の方向を指差す灯夜。それに応じて武が視線を向けると、室内を覗き込んでいる1人の女性の姿が映る。
 顔だけ覗かせてキョロキョロと様子を窺うその姿は、恐らくこっそりとしているつもりなのだろうが、かなり不審だった。
 武が視線で「あれは?」と問いかけても、灯夜は「さてな」と同様に不思議そうに肩をすくませるだけ。
「…………朝霧中将?」
 どうやら灯夜には声をかけるという意志がないのだと理解した武は、恐る恐るその人物に呼びかける。
 その、妙齢と呼ぶには少々齢を重ね過ぎたその女性は、それによってびくりと身を竦ませた。
 その人物は斯衛軍 第2戦術機甲大隊 大隊長 朝霧中将。曲がりなりにも斯衛軍の中で2番目に高い発言権を持つ彼女が、何故そのような行動をしているのか武にはまったく理解出来なかった。
「あ………もしかして、武君も灯夜君も気付いてた?」
「斉御司少佐に教えられるまで俺は気付かなかったですけど……動きはコソ泥みたいでしたよ?」
「コソ泥か……言い得て妙だな。朝霧中将ともあろう御方が、私に気取られるとは……」
「あたしは紅蓮大将の愛弟子の目を欺くほど人間辞めてないわよ。そういう肉体労働は若い世代に御任せするわ」
 唇を尖らせ、年甲斐もなく拗ねた御様子で答える朝霧。衛士として如何なものかと思わせるその言い分には、灯夜も絶句するしかないようだ。尤も、何と答えれば良いのか分からないのは武も同じである。
「…………で、実際に何をしにきたんですか?」
「何……何かぁ……そうねぇ……有り体に言えば、武君と世間話かな?」
 長い沈黙の後に武が改めて問いかけると、朝霧は顎に手を当てて唸った。そうやって表情を強張らせたためか、ところどころ皺の寄る頬や額へ更にくっきりと溝が走る。
 無論、武もそんなことは口が裂けても言えないが。
「それであんなコソ泥みたいな真似を?」
「いやはや……来たまではいいけれど、随分久し振りだし、何て声をかければいいのか分からなくてね」
 参ったというように引き攣った笑みを浮かべる朝霧。酸いも甘いも噛み分けた齢40を越える衛士が、武1人にどうやって声をかけるべきか悩んでいたとはかなり滑稽だ。このことをもし、レナ・ケース・ヴィンセントに伝えれば、爆笑を通り越して斯衛軍の今後を憂うに違いない。
「朝霧中将。それでは恋する乙女です」
「乙女だったのは遥か昔の話よね。武君に対してなら、どちらかといえば不肖の弟子を憂う師匠か、将来を案じる先生がいいかな」
 呆れたと言うように肩をすくませる灯夜に、朝霧は分かり易い作り笑いを浮かべた後、大きなため息を吐いて頬に手を当てた。
 何だか、母親が鏡の前で最近増えてきた小皺を気にしている姿と重なって、武は思わず吹き出しそうになってしまう。
 だが、武が実際に吹き出すよりも先に朝霧が続けて口を開き、まるで今日の昼食で食べるものを決めるかのように、さらりととんでもないことを言った。

「あ、そうだ。武君、良かったらあたしの養子にならない?」

 流石の武も灯夜もそれには絶句するしかなかった。
 「いきなり何言ってんの? この人」と武が目で問いかけると、即座に意思疎通を成功させた灯夜が「私が知るか」とつっけんどんに睨み返してくる。
「あの……いまいち言ってることが呑み込めないんですけど」
「だから養子。斯衛軍に転属しろとは流石に言えないけれど、せめて朝霧の跡取りにならないかな? と思って」
 先程とまったく変わらない口調であっけらかんと答える朝霧。どうやら彼女自身はその言葉の重大さを一片も理解していないようだ。
「……斉御司少佐。こういうのってそんなに簡単な話なんですか?」
「摂家に比べれば幾ばくか縛りは緩いだろうが、朝霧中将は赤だぞ? 容易い筈なかろう?」
「あら? こういうのって当人の意志が一番重要じゃないかしら?」
 ふふっと悪戯っぽく笑った朝霧はぬけぬけとそんな発言をする。武の保身のために釘を刺しておくが、朝霧は今の今まで1度として武の意志を汲み取っていない。
「ちなみに、あたしはいつでも大歓迎だから」
「うあッ!?」
「それは確認するまでもないですよ」
 一転して裏表のない満面の笑みを浮かべた朝霧は、そのまま武に熱い抱擁を食らわせる。その思わぬ行動に武は身を捩じらせるが、時既に遅し。完全にがっしりと固められていた。
 一方、灯夜はまったく助ける気もないのか朝霧の発言に対して言及するだけである。

「あの~……白銀中佐、まだこちらにいますか? 彩峰大尉がお訪ねで――――」

 しかも、どういうわけかこういうタイミングに限って新たな来訪者が現れる。
 ついさっき、衛士と共に退室していった筈のリィルが申し訳なさそうに室内を覗き込み、朝霧から熱く抱擁されている武を見て言葉を失った。
「あっ……あああッ!! ししし……しッ…失礼しましたッ!!」
 見てはいけないものを見てしまったと言わんばかりに激しく動揺したリィル。それでも、とりあえず立ち去らなければ、と判断する理性は残っていたようで、大慌てで逃げようとする。
「リィルを止めろ! 彩峰!」
 だがそれよりも早く、咄嗟に武はリィルの隣にいる彩峰慧に呼びかけた。慧は返事をすることもしなければ頷くこともせず、またリィルのことをちらりと確認することなく疾風の如き手捌きでリィルの首根っこを掴み上げる。
「きゃう!? あっ……彩峰大尉!?」
「よくやった! 彩峰! 朝霧中将もそろそろ離してくださいって!」
 不要な誤解が広がる前に弁解をする必要がある。何せ、リィルが何らかの誤解を持った可能性は極めて高いからだ。無論、慧がどういう受け取り方をしたのかは以前判断出来ないが、少なくとも逃げられなければ弁明の余地もある。今はとにかくこの場に引き止めることが先決だった。
「白銀、マダム・キラー?」
「よし、彩峰、ちょっとそこに座れ」
 しっかりとリィルの襟首を掴みながらも、どこか不審そうに、そして実に端的に慧は問いかける。ようやく朝霧の拘束から解放された武だったが、安堵する暇も与えられないほど即座に出現した新たな悩みの種に恐怖し、半ば反射的に慧に「座れ」と命じていた。
「ふるふるふるふる」
「擬態語を口にするな。それと、お前に拒否権はない」
「白銀、横暴」
 ふざけたように首を横に振る慧に対し、武はいつになく強い口調で呼びかける。その、階級差を盾にした命令に渋々ながらも慧はその場に正座した。
「よし。とりあえず、まずは誤解を解いておく。今のは朝霧中将が勝手にやったことで、俺の意志は反映されていない」
「不本意だけれど、武君の言うことは正しいわ」
「どこがどう不本意なのか分かりかねます、朝霧中将。それと白銀、今の言い分ではマダム・キラーは何一つ誤解ではないと思うのだが?」
 自身も慧の正面に座り、とにかく正確な情報を理解してもらおうと端的な説明を述べる武。やや不満げながら朝霧はそれに頷くが、一部始終を見ていた灯夜はかなりの苦笑を浮かべていた。
「斉御司少佐はちょっと黙っててください」
「…………白銀中佐がそう仰られるのならば善処致しましょう」
 厳し過ぎる指摘を入れる灯夜に対し、武は振り返らず、真剣な口調でそう言い返す。その並々ならない意志を受け取ったのか、小さくため息を漏らした灯夜は簡単に敬礼をしてその指示に応じる。
 全身全霊をもって彩峰慧とリィル・ヴァンホーテンを説き伏せる。
 白銀武の一世一代の大勝負は、まだ幕を開けたばかりだった。




 時間はほんの少し遡り、第27機甲連隊衛士たちのブリーフィングが終了した直後のこと。
 273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の中隊長を務めるエレーヌ・ノーデンスは、用意された兵舎の一室には戻らず、屋外で夜空を見上げていた。
 今回の制圧作戦の司令部であり、出撃する兵士たちにとってはキャンプに当たるここでは兵舎といっても、とてもではないが満足に身体を休められる場所ではない。無論、前線基地に該当するこの場において、寝所がホームの仮眠室以下の造りになっていることはエレーヌも承知のことだが、理解しているからといってそこに寛容になれるかはまた別の話である。
 それに、たとえ今横になったとしても気が昂ぶっている自分が簡単に眠りにつけるとは思っていなかった。
 エレーヌにとって今回の戦いは実に意味が大きい。
 それはもちろん、自身がハイヴに突入することも、欧州にとって初のフェイズ5ハイヴへの侵攻戦であることも大いに関係がある。
 だが何より、H11……ベオグラードという土地は彼女にとって因縁めいた場所であった。

 エレーヌにとって、そこは実の父が息絶えた場所。

 軍役につき、特にBETAとの戦争が始まってからは滅多に家族と共にいることのなかった自分の父。
 寡黙で厳格だった自分の父。
 思い返せば、エレーヌにはあまり父との想い出がない。
 彼女自身、決して良い娘ではなかっただろうし、エレーヌにとって父はあまり良い父親のイメージではなかった。記憶の中の父は微笑みを湛えず、また、記憶の中の自分はほとんど笑っていない。
 嫌っていたのではない。冷めていたのではない。ただ、“家族”と呼ぶには少し距離が開き過ぎていただけの話。

 それでも、彼はエレーヌにとって唯一無二の父親だった。

 ミンスクを落とされたことで欧州各国は、来るBETAの侵攻に備えてベルリンからプラハ、ウィーンを通りベオグラードに至るラインに沿って防衛線を構築。そこには多数の戦力が回され、恐々としながらもBETAを迎え撃つ構えを取っていたのだ。
 当時、BETAが次に侵攻するのはベルリンかプラハと推測されていた。
 BETAの思惑は定かでなかったが、もしロンドンやパリといった西欧の主要都市を落とすつもりであるならば、ベルリンかプラハを経由することが合理的であるからだ。
 その結果、戦力がよりそちらに集中していたことが何よりも仇となり、ミンスクからの侵攻を受けたベオグラードは呆気なく陥落。そこに回されていた軍人は、誰一人として帰らぬ人となった。
 無論、エレーヌの父も。
 父の訃報を聞いた時、最初に何を想ったのかはエレーヌ自身も覚えていない。
 ただ、悔しさと悲しさと怒りと、言いようのない無力感が一時に襲いかかってきたような感覚だったとしか説明出来ない。
 そしてようやく彼女は気付いたのだ。

 ああ、父はやはり自分にとって唯一人の“父”だったのだ、と。

「ノーデンス……か。休まないのか?」
 そうやって過去に想いを馳せながら夜空を見上げていると、エレーヌに誰かが声をかけてきた。彼女の身近に、エレーヌのことをファミリーネームで呼び捨てにする人間などおよそ1人しかいない。
「はい。クライン大尉こそ、休んでなくていいんですか?」
 視線を地上に戻し、エレーヌは作り笑いを浮かべながら声の主 レイド・クラインバーグに答える。
「ふむ……どうもまだ休むには早いようでな。横になっても寝付けん」
「あたしも同じです。1人の時は、手の震えが止まらないですし」
 やや自嘲気味に笑いながら、エレーヌは答える。それでも、レイドも同じであると分かったことは彼女にとって少しだけ安心出来ることだった。無論、レイドが気を遣ってそう言った可能性も否定出来ないのだが。
「無理もない話だろうさ。だが、戦闘になれば俺たちの手は、反射的にでもトリガーを引く。そうだろう?」
「はい。あたしには、ヤツらにくれてやる命なんてありませんから」
「同感だ」
 少し大袈裟な手振りでエレーヌが言った言葉に、レイドは意外にも息を殺すように、されども実に強い意志を孕んだ言葉で返してきた。同意されるだろうは思っていたエレーヌも、その、不屈の精神を表しながらも、同時に一抹の死相を浮かばせているような表情には驚きを隠せない。
「…………クライン大尉は、どうして戦うんですか?」
「それは本音のことか?」
「はい」
 不意に、エレーヌはそう訊ねてみたくなった。
 現代は、余程優遇される家柄の人間でなければ、若くして戦場に放り込まれる時代だ。そこでBETAと戦うことは前線各国にとってある種、義務感に近いものがある。
 だが、それは戦う理由にはなり得ない。
 義務で戦場に立ちたい人間なんていないだろうし、漠然と流れに身を任せて兵士になった者など誰もいない筈だ。
 たとえば、エレーヌが父の意志を受け継いで戦っているように。
 その、エレーヌのストレートな問いかけにレイドは一瞬渋い顔をして、困ったように唸り声を上げた。この期に及んで「国のため」などとは言わないだろう。それも理由として弱いとエレーヌは思っているし、エレーヌの問いかける真意がそこにないこともレイドは気付いている。
「………逆に問うが、ノーデンスは何故戦う? 女ならば戦場に立たずとも済む選択肢だってあるだろう?」
「酷い例えですね」
 レイドの問い返しにエレーヌは唇を尖らせた。
 彼が言う「選択肢」とは即ち、「結婚して子をなす」ということである。実際、兵力の補充に日々頭を悩ませている前線各国のほとんどは既婚の女性へは徴兵を免除している。長期に渡って見れば、彼らには次世代を担う子供を作ってもらった方が採算的であるからだ。
 無論、それを女性に対する冒涜だと言う者もいる。
 エレーヌ自身はそこまで思っていないが、肝心の「相手」を持たない彼女にとってレイドの発言は、女性を卑しめているように取れなくもない。
 だが、レイドの方は何故エレーヌが「酷い例え」と言ったのか理解に苦しんでいる様子だ。ジェンダーから来る問題とは社会的な思い込みが原因であると同時に、その認識差異は酷く生得的なものであるとも言えた。
 だからこそ、“雌雄”ではなく“男女”の問題とは、人類にとって恒久的な課題であるに違いない。
「…………あたしはただ、父と同じ道を歩みたいだけですかね」
 その問題に対する思想――そもそも、レイドはその問題すら認識していないのであるが――が平行線に終わると判断したエレーヌは、仕切り直すように沈黙した後にそう答える。
「父親も軍人か。今はどこに?」
「ベオグラードで眠っています。明日、ちゃんと迎えにいってあげようかと思って」
 レイドの無粋な質問に、思考を転換させたエレーヌは小さく笑って答える。
 指先はいつものように前髪をクルクルと巻きつけて遊んでいた。手持ち無沙汰になったり、逆に酷く心を乱してしまったりする度にそんなことをするから、彼女の前髪はよく癖毛になっている。
「そうか。ノーデンスは、良い娘だな」
「そーですよ。あたしは親孝行者ですから。あー…でも、同じくらい親不孝者かもしれないですけどね」
 対し、レイドも顔色1つ変えず、同様に小さく笑って答えた。もしそこで「悪いことを聞いて……」などと頭を下げてきたら、いくらレイドといえどもエレーヌとて我慢ならずに1、2発殴っていただろう。
 それを悪いことだと他人である彼に勝手に思われることも癪であり、また、それで傷付くと思われることもエレーヌには癪であった。
 それを知ってか知らずか、レイドは悪びれた様子もなくエレーヌの軽口に付き合って、軽口を叩き返してきた。
「……で、クライン大尉が戦う理由は何ですか? あたしだけ答えたんじゃフェアじゃないですよ?」
「俺は敵討ちだ」
 更に思考を切り替え、エレーヌは再度レイドに問う。
 だが、すぐに答えた彼の言葉は少し意外なものだった。連隊内で随一に思慮深く、衛士らしい彼がそんなある種ネガティヴな理由を持っているとはエレーヌも予想していなかったのだ。
「昔はもっと高尚な信念を持っていた気がするが、今の俺はそういう気持ちの方が強いな」
 エレーヌが驚いた表情をしていることに気付いたのか、レイドはそう付け足す。彼の言う「高尚な信念」が一体如何なるレベルの話なのかエレーヌにはにわかに判断しかねるが、少なくとも彼自身が今の自己目標を高尚ではないと認識していることは理解出来た。
「それは……誰の仇を?」
「弟だ。同じ軍人の、駆逐艦乗りの弟だった」
 満点の星空を見上げ、哀愁漂う表情でレイドは答える。その瞳が何を見ているのか、エレーヌにもすぐ分かった。
 俗に駆逐艦と呼ばれるのは、ハイヴ制圧において重要な役割を担う軌道艦隊に属する再突入型駆逐艦である。AL弾による軌道爆撃から軌道降下兵団の運搬まで行うその艦が散り得るのは、空しかない。
 そう、レーザー種の攻撃によって爆砕する他、撃墜され得ないのだ。
 レイドの弟もまた、空に散っていったのだろう。
「自分でも矮小なことだと思う。だがな、あいつが衛士適性検査で弾かれた時、そしてあいつの訃報を聞いた時、俺の心は決まっていたのだろう」
 レイドは拳を固める。哀愁は残っているが、悲壮感はない。あるのは力強い決意だけだ。

 ああ、この人は厳密な意味であたしと同じなんだ。

 レイドの横顔を見上げる形となり、エレーヌはふとそう思った。
 彼は自己の目的を敵討ちと明言したが、それは1つの表現の仕方に過ぎない。
 エレーヌにしてもレイドにしても、本当の理由は唯の1つ。
 喪われた家族の成さんとしたことを、代わりに成さんという強い意志のみ。

 エレーヌは同様に空を見上げる。
 瞬く星たちは黒く広大な天蓋を埋め尽くし、見惚れるほど神々しく、また妖艶な輝きを放っていた。
 それは実に皮肉な話だ。
 エレーヌたちがホームとするプレストンはおろか、イギリス中捜しても、これほど見事な星空を見渡せる場所はない。永きに渡って人間が織り成してきた文明の発展で、この空の宝石は緩やかに霞み続けてきたのだ。
 それが、BETAの支配下に置かれたことでここまでの輝きを取り戻している。
 それを皮肉と言わずして何と言うのか、エレーヌには分からなかった。
 人類は同時に、自分たちのあり方を見直さなければならない節目を迎えているのではないだろうか。
 この光景を見せられ、エレーヌはそう感じている。
 無論、それはこの地球上からBETAを殲滅した後に考えるべきことなのだろうが。

「クライン大尉」
「何だ?」
 空を見上げたままエレーヌが言葉を紡ぐと、レイドも同様に空を見上げたまま応える。
「絶対に、生きて帰りましょう」
「当然だ」
 応じるレイドの声は、先刻よりもずっとはっきりとしていて、何の心配もなさそうなほど鋭気に満ち溢れていた。



[1152] Re[23]:Muv-Luv [another&after world] 第23話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/04/27 22:06


  第23話


 荒廃した大地に並ぶ巨人たちの長城。その後方にも鋼の巨人を始め、多種多様の戦闘車輌が幾重にも連なっている。
 その中に、彼女が駆る蒼穹の不知火はあった。
 彼女の名は彩峰慧。極東国連軍 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)第7中隊(ヒルド)の中隊長を務め、同連隊内では指折りの武闘派で知られる衛士だ。
 周辺には彼女が率いる部下の機体が2機連携を基本に陣形を組み、いつでも交戦を開始出来るように構えていた。
『彩峰隊長、全機調整完了。いつでも行けます』
 慧の隣に着地し、通信でそう報告してきたのは副隊長兼左翼小隊の小隊長を務める若き青年である。彼の装備は後衛小隊長機の基本である迎撃後衛装備。最大の特徴は俗に盾と呼ばれる92式多目的追加装甲を装備していることだ。
 相対し、右翼小隊を纏める慧の装備はどういうわけか背部の両ラックに74式近接戦闘長刀を背負った強襲前衛装備であった。これは、多目的追加装甲という兵装が戦術機にとって唯一の防御兵装であり、近接格闘を得意とする慧にとってさほど有能な武装となり得ないからだ。
 そもそも、多目的追加装甲は戦術機の軽量化に伴う反動で開発された兵装であり、慧にとっては役に立つ兵装であるのかどうかすら、首を傾げるものだった。
 だから慧は長刀と突撃砲を装備する強襲前衛装備を好んで使っているし、彼女の部下たちもそれをよく理解している。
「了解。第7中隊(ヒルド)各機、次の指示を待て」
『了解!』
 右手のトリガーに手をかけ、いつでも即応出来るよう構えたまま慧は部下にそう告げた。
 軌道爆撃予定時刻まで時間にしてあと300秒。その後に地上からAL弾及びALMによる飽和攻撃が行われ、重金属雲を発生させる。それで戦域に重金属雲が立ち込めれば、続けて地上火器車輌部隊による徹底的な面制圧が開始されるという算段だ。
 これはすべてのハイヴ制圧作戦に共通して行われる工程であり、こうでもしなければ圧倒的物量を誇るBETAと正面から戦うことが出来ない。まさに先達が考え出した対BETA戦術の根幹なのだ。
『HQより作戦域展開中の全機へ告ぐ。現在、国連軌道爆撃艦隊は所定軌道を周回中。また、アドリア海に展開中の連合艦隊も全艦攻撃準備を完了。作戦の内容に変更はない。繰り返す、作戦の内容に変更はない』
 作戦司令部から通達されるのは戦闘開始前の最終確認に過ぎない。元よりここまで来たのだから、余程不測の事態でも起こらない限りは作戦の中止などあり得なかった。
『アドリア海の連合艦隊……どう思います? 隊長』
「砲弾運搬にしては規模が大きいね。揚陸するにしてもそれは同じこと」
 前衛小隊の小隊長に問われ、慧は冷静な私見を述べた。前衛小隊を任せている女性は、経験こそ左翼の小隊長に劣るが、個人の衛士技能ならば慧に次いで中隊第2位だ。その能力を信頼して慧は彼女に前衛を任せている。
 2人が話しているのは、今回の作戦に参加している海軍艦隊のことだ。ハイヴが沿岸から近い位置にあれば艦砲射撃による支援が出来るが、残念ながらH11は沿岸から距離があり過ぎるため、今回はほぼ物資運搬のみの参加である……筈だ。
 それが国連艦隊とEU連合艦隊のみで構成されているならば多少規模が大きくともあまり疑念は抱かないだろう。だが実際は、その中には彼女たちが故郷とする日本の帝国海軍の戦隊が含まれているのだから奇妙なことこの上ない。
 どうやら帝国側も何かしらの目的を持ってこの作戦を支援しているようだが、同郷の慧とてその委細を知る術はなかった。
「とにかく、向こうのことは向こうに任せるしかない。私たちに出来ることは、戦線を押し上げて1秒でも長く維持することだけ」
『そうですね。それに、遠くのことを気にかけてるほど余裕もなさそうですし』
「うん」
 信頼する部下の言葉に頷き返し、慧は地平線の先を見通す。その先にあるのは、ハイヴが持つ地上構造(モニュメント)。フェイズ5ハイヴでは600メートルから高いものは1000メートル程度にまで達するものだが、慧のいる場所からでは霞がかっていて、辛くも頂上部の輪郭が見える程度でしかない。
 あれがかなり大きく、またはっきりと見える位置まで戦線を前進させなければならないことを考えると、流石の慧とて思わず眉をしかめるしかなかった。
『………ッ! HQより全部隊に通達! 国連軌道爆撃艦隊より突入弾分離を確認! 全砲撃部隊、砲撃準備! 繰り返す! 全砲撃部隊、砲撃準備!』
「――――――――ッ!!」
 突如HQから告げられる“開戦合図”に慧は息を呑み、天空を見上げる。彼女のやや紫がかった瞳は、ちょうど雲を貫いて飛来するAL弾の雨を捉えた。
 それとほぼ同時に、地上から大小2種類の閃光が炸裂する。レーザー属の高出力レーザーだ。
 数多の砲弾の雨は、それに匹敵するだけの数多のレーザーによって尽く撃墜される。砲撃が攻撃目的ならばそれは実に忌々しい事象。だが、今はそれも関係がない。
 何故ならば、AL弾は元より、敵に迎撃されることでその真価を発揮する砲弾であるからだ。
『敵の迎撃を確認! 作戦域上空に重金属雲発生!!』
『第1、第2、第3支援火器車輌大隊、砲撃開始』
 重金属雲が発生すると同時に次は地上の砲撃部隊の砲撃が始まる。未だ充分な濃度に達していない重金属雲を補うため、この砲撃もすべてAL弾ないしALMによるものだ。
『うわぁ……面制圧の前でこの砲撃ですか? ハイヴ制圧って凄まじいですね』
 再び降り注ぐ砲弾の雨と、それを迎え撃つレーザーの圧巻たる光景を見せられ、慧の部下は驚いたように呟いた。優秀な衛士といえども、中隊衛士のほとんどはハイヴ制圧を始め大規模作戦には未だ参加したことのない者ばかり。だから、面制圧と言っても誰も疑わないような初期砲撃に魅せられるのは仕方がないことなのかもしれない。
 見れば、レーザーのAL弾及びALMの迎撃高度がにわかに低くなっているのが分かる。
 重金属雲の濃度は確実に上がっていた。
「無駄口はそこまで。BETAの動きが変わった。来るよ」
『了解』
 続く面制圧が始まる直前、慧はBETAの移動を確認した。BETAから見てほぼ真西。つまり、慧たち作戦部隊が展開する方向へ、だ。
 無論、現在地上に展開するBETAはこの面制圧によってほとんどが死に絶えるだろうが、確実というわけでもない。特に、足が速く強固な外殻を持つ突撃級は現段階では最大の脅威である。
 慧の警告に、彼女が信頼を置く部下は小隊を率いて全面展開。両手に突撃砲と長刀を構え、既に敵襲に備えていた。
「柏木」
 眼前まで迫った戦闘の中、慧はふと同じ戦場で戦う戦友の名を呟く。
 柏木晴子の中隊は、慧や美冴、茜とは別働でハイヴ突入までの間、武たちの部隊の支援に回っている。他にも斯衛軍から1個大隊が支援についているらしいので、武の部隊がどれほどの成果を期待されているのかは最早確認するまでもなかった。
 同じ戦場で戦う友のため。
 日本で彼の帰りを待つ友のため。
 そして何よりも自分自身のため、慧は白銀武だけは守り抜かなければならない。
 そうあることが、彩峰慧個人としての誰にも譲れない信念だった。
「柏木……白銀のこと、任せるよ」
 身勝手ながら、今は苦楽を共にした戦友に己の信念を預け、慧は徐に背部のラックから長刀を引き抜く。その時には既に中隊長を務める衛士の顔。その瞳は最早眼前に立ち塞がる怨敵しか見据えず、その心は何ものにも折ることの出来ない刃金の剣と化した。
「第7中隊(ヒルド)各機、前進開始! 片っ端から殺りまくれ!!」
『了解!!』
 その咆哮に呼応し、12の蒼穹の不知火は大地を激動させながら疾駆した。




 蒼青の武御雷は血統の証であると同時に、鬼神の象徴だ。
 腕の立つ衛士の機体は特殊仕様として改良が施されるという武御雷において、1度失われたとされる将軍専用機である紫紺の武御雷に次ぐ性能を誇る蒼青。
 無論、摂家の血族たる者が搭乗する機体にそれだけの処置が成されることは稀であり、改良が施された機体ならばむしろ紅蓮の武御雷の方が多いだろう。

 斉御司灯夜という青年が駆る機体は、その、数少ない改良を施された蒼青の武御雷だった。

 蒼青の武御雷が放つ斬撃は一刀の下に正面の要撃級を絶命に追い込む。それが1体だけであるならばそう難しいことではないのだが、驚くべきことに彼は四方八方から繰り出される前腕の一撃を尽く躱し、反撃で放った一撃のみで目標を斬殺していた。
 数にして8体。
 瞬く間に要撃級の死骸の山を築き上げた灯夜はそのまま飛び退き、36mmの掃射で後続の戦車級を蹴散らす。同時に彼が率いる中隊の衛士が2人、すれ違う形で突出し、押し寄せるBETAの群れを穿った。
『斉御司少佐! 11時方向から要塞級の侵攻を確認! その後方には……重光線級ですッ!! 目視確認で5、それ以上は不明!!』
 着地点から程近い場所にいた突撃級の臀部を蜂の巣にしたところで、部下から灯夜に報告が入る。その切羽詰った報告には彼も思わず舌打ちをした。
 重光線級で5体ということは、取り巻きに光線級や以下小型種、最悪の場合多数の要撃級がいる可能性も否定出来ない。
「イノセンス1よりHQ! ベクター10より南下中のBETA群に重光線級を確認! 支援砲撃を要請する! 繰り返す! 支援砲撃を要請する!」
『HQ了解。120秒待て』
 灯夜の進言に通信士は冷静な応対をする。その、取りようによっては無機質とも思える返答に回線を切った灯夜は小さく舌打ちをした。
 通信士とは少しくらい冷徹でなければ勤まらない。衛士同様、状況如何によって何を切り捨てるのか、即座に判断しなければならない立場にあるからだ。彼らの判断によって支援砲撃を切られ、窮地に追い込まれていった衛士だってそれこそ数え切れないほど存在する。
『少佐! 120秒も待てません! 連中……西に進路を変えました!!』
「なっ…!? そちらには車輌部隊が展開しているぞ! 糞がッ!! 41及び42中隊は私に続け!!」
『了解!』
 戦車級を打ち払い続ける灯夜の下に新たな報告が入る。ついさっきまで彼らに向かって進行してきていたBETAが、どういうわけか進路を変えたというものだ。しかも厄介なことに、支援火器車輌部隊へ向かって真っ直ぐに、だ。
 戦術機と衛士は戦場においてBETAを叩く剣であると同時に、後方の部隊をBETAから守る盾である。支援砲撃を司る火器車輌とBETAをかち合わせるわけには絶対にいかない。
「関口! この場を任せる!」
『了解! 少佐、御武運を!』
 43中隊を任せる関口という名の女性衛士にここを任せ、灯夜は指揮下2個中隊を率いて侵攻中のBETA群の横っ腹に剣を突き立てる。
『W(ホワイト)イノセンス6、フォックス1!』
『イノセンス10、フォックス1!』
 灯夜を含め、各中隊の前衛小隊が敵中に突撃すると同時に、制圧支援装備の機体が肩に載せたコンテナから自立誘導弾を発射。小型なこの誘導弾は、レーザー種の注意を逸らせるだけでなく、迎撃されることで重金属雲を発生させる立派なALMでもある。
『照射源17! 重光線級10! 光線級7! 後方にまだいます!!』
「イノセンス3! 回り込めるか!?」
『駄目です! 敵の数が多く、光線級まで対処出来ません!!』
「重光線級だけでいい! 足は止めるな! 狙い撃ちにされるぞッ!!」
 そう指示を下しつつ、灯夜自身も要塞級の巨体を盾に旋回し、纏わり付く小型種諸共、光線級を36mmで薙ぎ払う。
 そして反転。
 無意識のうちにBETAの動きから逸早く“それ”を予測した灯夜は、眼前の要撃級の前腕を斬り飛ばし、体勢を低く保つ。
 ほぼ同時に、煌く小さな閃光は6つほど。
 躱し損ねた漆黒の武御雷は、別々の方向から光線級が放つ6のレーザーに貫かれ、爆砕。中の衛士は断末魔を上げる暇もなくその生涯に幕を閉じた。
「――――――ッ!? 支援砲撃が来る!! 全機後退! 繰り返す! 全機後退!!」
 長刀を薙ぎ、灯夜は迫る要撃級の壁に一撃で穴を開ける。そのまま部下に後退命令を出しながら36mmで敵を牽制し、自身も後退を開始した。
 後退する彼らとすれ違う形で上空を通過してゆくのは、砲弾とミサイルの雨だ。それを撃ち落とさんと大小無数のレーザーが炸裂するが、数に差がある上に、今は重金属雲で威力が減衰している。全弾撃墜するなど不可能だった。
「くっ……! 120秒待てとは言われたのは確かだが……せめて適切な勧告程度は頂きたいものだな」
 着弾の衝撃に耐えながら灯夜は悪態をつく。
 砲弾撃墜率はおよそ3割。連続飽和攻撃でない以上、一掃出来たとはとても思えないが、恐らく的の大きい要塞級と脆弱な小型種はそのほとんどが死滅しているだろう。
『振動センサーに感有り。少佐、まだまだ来ますよ』
「ならばそのすべてを屠るのみだ。臆したか? 仙堂」
『御冗談を。この程度で臆していては、少佐の右腕は務まりませんので』
 粉塵漂う戦場で並び立ち、灯夜と42中隊の中隊長たる仙堂という男は不敵に笑い合った。
 刹那、舞い上がる粉塵を貫いて突撃級が強襲した。
 だがそれも彼らには予想の内。ほぼ同時に噴射跳躍で飛び退き、襲い掛かってきた突撃級の後方に回り込んで長刀を振り下ろす。
 両機と連携を組んでいる武御雷が突撃砲の36mmでその周辺を固め、敵の接近は決して許されなかった。
『畜生ッ! 弾幕が邪魔で視界が確保出来ない…! もっと巧くやれないのか!』
『無茶言うな、イノセンス6。支援砲撃がなければ我々の被害は更に拡がっている』
 あまりに派手過ぎる支援砲撃の爪跡に苦言を漏らす衛士たち。モニターで確認する限り、視界零というわけではないが、戦闘を継続するには厳しい。だが、もうもうと舞い上がる粉塵が落ち着くのを待っていては全滅も必至だ。
『くっ…確かに……。だが、この状況では………ぐああああああぁぁぁぁッ!!!!』
「『―――――――ッ!?』」
 尚も苦言を漏らそうとしていた衛士の言葉が、次の瞬間には絶叫に変わっていた。断末魔と捉えても問題ないその絶叫に、全員が顔色を変える。
「何があった!? 応答しろ! イノセンス6! 応答―――――」
『あああああああぁぁぁぁぁッ……熱ぃ…あち……があああああぁぁぁッ!!!!!』
 応答を呼びかける灯夜へ、イノセンス6から返ってきたのは更なる絶叫と、フラット状態というあり得ないバイタルデータだった。まだ辛うじて存命しているというのに強化装備の反応がないということは、“何らかの理由”で強化装備そのものが機能を失ってしまったからに他ならない。
 しかも、彼は確かに『熱い』と告げていた。
 そこから導き出される結論は――――――
『少佐ぁッ!! イノセンス6が要塞級の衝角に!!』
『馬鹿な!? どこから――――――』
『4時方向の門から多数のBETAが出現中! レーザー種は認めず! ですが……数が多い……!! 多過ぎる!!』
 “単独の敵”ではなく“敵軍”の奇襲に、部隊に混乱が生じる。
 その方向に門は存在しなかった筈だ。
 偽装門(スリーパー・ゲート)。
 初期段階では閉じており、地面として偽装している奇襲用とも思しき門。
 それが口を開いたのだと、ようやく思い当たった灯夜はギリッと歯を軋ませる。
 本来であれば振動センサーの波形に注意を払っておけばその奇襲は免れられる筈だ。だが、支援砲撃の衝撃がその認識を阻んだ。BETAがそれを謀ったのかは不明だが、まさにこれ以上ないというタイミングでの奇襲だった。
「第4大隊各機、即時後退! イノセンス8、敵の数は分かるか!?」
 凛然と、この怒号遍く戦場においても尚はっきりと通る声で、灯夜は部下に呼びかける。たったその一言で、混乱しかけていた斯衛軍衛士たちに再び冷静さの火が宿った。
『先頭を行く要塞級は8体……目視確認で要撃級27、突撃級13、戦車級以下小型種は計測不能です』
 攻撃と状況確認を並行して行いながら後退し、イノセンス8はそう答える。
『先頭でその数か……!』
「後続は軽くその3倍はいるだろうな。仙堂、貴様は部隊を率いて左翼から回り込め。周囲に連中以外の敵はいない筈だ」
 本日何度目か分からない舌打ちをし、灯夜は即座に次の手を打つ。既に晴れかけている粉塵の向こうには、もうにじり寄るBETAの影が揺らめいていた。
『Wイノセンス1了解。42中隊は俺に続け! 門より出現中の敵を後方から抉り取るぞ!!』
『了解!!』
 仙堂の指示に呼応し、雄叫びにも似た応答を返す衛士たち。
 42中隊中隊長が駆る漆黒の武御雷に続いて、真紅、山吹、純白、漆黒の4色で構成された42中隊各機が駆け出す。
「41中隊は正面から迎え撃つ! 2機連携を崩すな!」
『了解!!』
 部下に向かって言うが早いが、灯夜は跳躍ユニットの噴射を利用して疾駆する。
 36mmのトリガーを固定したまま先頭の要塞級を強襲。粉塵を突き破り襲い掛かる衝角を躱しに躱し、逆にその巨大な下腹部を付け根から左の長刀でぶった切る。
『少佐!』
「ちッ……!!」
 崩れ落ちる要塞級の下から離脱しようとした時、振り下ろされた要撃級の前腕が肩部の装甲を掠める。幸い、まったくのダメージにはならなかったが、旋回の速度と角度が少しでも外れていたら致命傷だった。
 そのまま後退しつつも120mmでそのおぞましい顔面を抉る。
『レーザー種はいないことは幸運ですが、こうも数が多くては……』
 灯夜と連携を組んでいる衛士は長刀と突撃砲で片っ端から要撃級を駆逐するが、折り重なる死骸の山を越えて尚もBETAは進撃。お互いに後退し、並んで36mmを掃射するが、それよりも雪崩れ込む戦車級の勢いが勝っていた。

 窮地に追い込まれながらも、灯夜の思考は1つの疑問を孕む。

 先刻まで灯夜たちを前にして尚、進路を転換したBETAが、今は一転して自分たちに攻撃を仕掛けてくる。その光景を前にして、BETAが成さんとした思惑がまったく汲み取れなかったのだ。

 それに、支援砲撃の振動に乗じて奇襲を仕掛けるなど、まるで――――――

 刹那、管制ユニットに響く警告音。
 換装勧告。
 構わず撃ち続けた右の突撃砲が弾切れを起こすと同時にそれを放り投げ、長刀一振りを片手に灯夜は再び前進した。
『少佐!?』
「敵を惹き付ける。1度陣形を立て直せ」
 戦車級の群れを飛び越え、その向こうに群がる要撃級を尽く斬殺。倒立反転で先程衝角によって撃墜されたイノセンス6の傍らに着地し、その手から突撃砲を奪い取る。
 既に退路はない。360度、見渡す限りBETAの海。照準など不要で、適当にトリガーを引いても瞬く間に数十体のBETAをただの肉塊に貶めることも可能だろう。
 それは救いようのない窮地であると同時に、極短時間でより多くのBETAを殺すことの出来る好機。
 振り下ろされる前腕、薙ぎ払われる衝角。それをギリギリのところで躱し、灯夜は長刀を一閃させた。
 飛び散る肉片と粘液が疾駆する機体に降りかかり、鮮やかであった蒼青の装甲は下賎なBETAによって穢される。しかしながら灯夜はそれに構わず、要撃級の首を刎ねた。
 迫る要塞級の顔面には36mmと120mmのフルコース。喰らわせるデザートは灯夜が最も得意とする得物 長刀だ。
「愚図がッ!!」
 再び弾切れとなった突撃砲を押し寄せる戦車級の波に投げつけ、尚も長刀1つでBETAを次々と斬殺し続ける。
 その姿を修羅と畏れるか、悪鬼と蔑むかは見る者によるだろう。

 だがしかし、それは1人の指揮官として愚かしい行為には違いなかった。

 次の要塞級の体躯を斬りつけた瞬間、刃は半ばにて真っ二つに折れた。だが、それを既に予見していた灯夜は折れるよりも早く、空いていた左手にラックから新たな長刀を引き寄せ、追撃を与える。
 隙はない。ただ、圧倒的に武器がなかった。
 着地と同時に眼前の要撃級の前腕を斬り飛ばし、その顔面には折れた長刀を突き立てる。
 そのまま1度離脱。存在しない筈の退路を強引に作り出し、群がるBETAを斬り伏せながら縫うようにその隙間を駆け抜ける。

 それでも、BETAは決して甘くはない。

 物量に物を言わせ、彼の後退方向を阻む。単一の敵ならば容易く打ち払える灯夜だが、所詮は単機。押し寄せる波の前には無力で、まるで砂で作られた堤防のように飲まれ、攫われてゆく。
 誘導されている。
 灯夜がそれに気付き、愕然とした時にはもう、すぐ目の前で要撃級が前腕を振り上げたところだった。
「くッ――――――」
 空手の右腕を犠牲にして、反撃に一撃で殺す。
 1秒にも満たぬ間にそう判断した彼だったが、更にそれよりも早く、何かが要撃級の身体を穿った。
 それが支援突撃砲による36mm射撃だと分かったその瞬間には、もう要撃級は穴だらけのただの躯と化していた。
 同時に空中から36mmの雨が降り注ぎ、灯夜の周囲ににじり寄る要撃級、戦車級の群れを一掃する。傍らに着地した、その攻撃の主と思しき機体は山吹と純白の武御雷。
 灯夜の部下ではない。第4大隊には今、ここまで砲弾を惜しげもなく掃射出来るほど装備の整った機体はいないからだ。
『御無事ですか? 斉御司少佐。平穏な九州戦線にて身体が鈍ってしまわれたのでは?』
 更にもう1機、真紅の武御雷が灯夜の前に着地し、その手に持った長刀で憎むべき怨敵を打ち払った。
 同時に、そう声をかけてきたその真紅の武御雷の衛士は灯夜がよく知る人物。
 彼にとって最愛の人 九條侑香の右腕にして第6大隊副長兼62中隊の中隊長だ。
『でも、単機でこれだけの死骸の山を築くとは……流石です』
 冗談めいた口調から一転し、その人物 伊藤は戦場を見回して続ける。この短時間で灯夜が打ち倒したBETAの数は、要塞級で16、要撃級で36、小型種となれば数えるのも馬鹿らしいほどだ。
「伊藤!? 何故お前が此処に――――――」
『栢山大尉もいらっしゃいますわ。防衛線を押し返しているところです』
 灯夜の言葉を遮り、伊藤は答える。その返答に、灯夜は頭を押さえた。
 伊藤と栢山は衛士であると同時に九條侑香付きの護衛だ。一方ならばまだしも、両者が同時に侑香の傍を離れるなどということ、考えられないし、そもそもあってはならない。
 振り返れば、後方から支援突撃砲で無数のBETAを撃ち抜く蒼青の武御雷の姿があった。本日出撃している“青”の武御雷は灯夜を除けば1人しかいない。
『灯夜様、1度後退を。伊藤大尉、栢山大尉、一時この場は御任せするわ』
『了解!』
 灯夜に後退を勧告し、侑香は率いる3個中隊に進撃の命を下した。それに応じ、20機を超える武御雷が一斉にBETAの群れに対して攻撃を仕掛ける。
「侑香様……何故こちらに!?」
 灯夜の驚愕は至極尤も。
 此度の作戦における侑香の派遣は、軍事的意味合いより政治的意味合いの方が大きく、実際に彼女の大隊は最後方展開となっており、戦闘から最も離れていた筈だ。
 だが、彼女は今、第4大隊が展開する戦線まで上がってきている。
『お話は後にしましょう、灯夜様。私も灯夜様に言いたいことが沢山ありますから』
 36mmで大物から的確に撃ち抜いてゆく彼女の笑顔は、灯夜を黙らせるに充分過ぎる迫力があった。
「………御意に。第4大隊各機、1度後退する」
 どちらにしても灯夜には今、戦闘を継続するだけの装備がない。補給と陣形を整えるために後退することは必要なことだった。BETAを殺すことに熱くなり過ぎた己の不肖さを灯夜はつくづく呪う。
『愛あっての怒りなのですから、しっかり受け取ってあげてくださいな』
 直下の小隊と連携してBETAを押し返す伊藤は、ほんの少しだけ悪戯っぽく笑ってそう言った。ふんと鼻を鳴らしながらも、反論の言葉も否定の言葉も持たない灯夜は反転し、すぐに後退する。
「申し訳なかった。ありがとう」
 去り際、灯夜は思い出したようにそう告げる。その言葉は侑香に向けたものなのか、伊藤に向けたものなのか、あるいは他の誰かに向けたものなのかは本人とてはっきりと明言することは出来ない。
 ただ、この窮地において手を差し伸べてくれたことと、この身がまだ健在であることに最大の感謝を込めて。




「この位置でこれだけの出現率だとはな」
 大地に崩れ落ちた要塞級の巨体の上に立ち、蟻のようにわらわらと集まってくる小型種に向かって36mmを掃射しながら武は悪態を漏らした。
『最前線の宗像少佐たちは更に厳しい戦いを強いられているでしょう。苦言を漏らすにはまだ早いですよ、白銀中佐』
 長刀を薙ぎ、最も近い要撃級の首を刎ねたマリアはそのまま武の後ろに着地し、背中合わせで36mmのトリガーを引く。展開していた271戦術機甲中隊(セイバーズ)の衛士たちは1機たりとも欠けることなく、その周辺を固めるように輪を狭めた。
「分かってる。第27機甲連隊各機、被害状況を報告しろ」
 終始振るっていたため、当に耐久値を割っている長刀を投げ捨てながら武は部下にそう呼びかける。
 周辺に展開していたBETAはほぼ殲滅完了。外円の門ということで、ハイヴから出現するBETAの増援もしばらくはやってこないであろう。彼らの更に前方では地上陽動部隊が交戦を続けているのだから尚更だ。
『こちらストライカー1。被害及び欠員無し。戦闘続行に一切の支障はありません』
『ハンマー1、同じく損害及び欠員―――――――』
 武の呼びかけに各中隊の中隊長たちが順じ応じる。優秀なことに一切の損害は見られず、むしろまだまだ物足りないと言っているかのようだ。
「セイバー1了解。275及び276戦術機甲中隊(ブレイカーズ及びランサーズ)から後退して補給を開始。残りは全周警戒で待機だ」
『振動と音紋には気を払いなさい。偽装門(スリーパー・ゲート)からの奇襲は間違っても受けないように』
『了解!』
 武の言葉の後、マリアが捕捉するように注意を述べる。それに応え、連隊衛士たちはそれぞれ今すべきことを成すために行動を開始した。
 偽装門とは、通常の門とは異なり普段は入り口が閉じており、外見はただの大地のように見えるよう偽装されているものを指す。これは2001年に確認されたもので、それ以前から存在が確認されている地下茎構造内の偽装横坑(スリーパー・ドリフト)や偽装縦坑(スリーパー・シャフト)とはそもそも別の理由で造られたものではないかと言われている。
 武が周囲を見渡せば、視覚の範囲内には、既に開いている偽装門だったものが3つほど視認出来る。状況を鑑みて、この範囲内にまだ口を開けていない偽装門が他に3つほどあるのではないかと武はあたりをつけているが、実際にBETAが飛び出すまで確認は取れないものだ。
 そもそもここはまだ地表構造から距離にして50km地点。フェイズ5ハイヴでは門の存在しない領域である。
「どうやらフェイズ6になりかけてたっぽいな」
『広域データリンクで確認したところ、現状この地点が最外円であるのは間違いなさそうです。フェイズ6まで成長されていたらお手上げでしたね』
 マリアの言葉に武は無言で頷き返す。
 フェイズ5ハイヴの攻略も至難だが、フェイズ6は更に脅威だ。地下茎構造の半径は約100km。深度は4000mを超え、BETAの内包量も尋常ではない。
 特攻覚悟で軌道降下突入するならば話は別だが、まともに兵站を設けながら進軍するとなると70km以上は地下茎構造内を進まなければなるまい。
 いくら武とてそれは勘弁願いたかった。
「……マリア、盾は捨てたのか?」
 センサーから決して注意を逸らさず、武はマリアに問いかける。彼女が武と違って多目的追加装甲を装備した迎撃後衛装備で出撃していた筈なのだが、今はもう両手に長刀と突撃砲を構えている状態だった。
『突入まではあくまで後衛組ですから、用途もあまりないでしょう』
「突入後にしたってあんな重いもの持ち歩きたくはないな」
『そうですね。それならば予備弾倉を携帯していった方が建設的だと思います』
 やれやれと肩をすくませる武に同意し、マリアは頷く。彼とて多目的追加装甲が役に立たないと言っているわけではないが、少なくとも武のスタイルには極めてそぐわないものであることは確かだ。
 地下茎構造内では補給線や移動の問題を考慮すれば更に不要な兵装になり易い。
『白銀中佐、今のうちにHQに通信を。周囲は私が警戒します』
「任せる。セイバー1よりHQ。最外円と見られる門周辺を完全確保。砲撃部隊の前進を進言する。繰り返す。砲撃部隊の前進を進言する」
 死角をマリアに委ね、武は司令部へと回線を繋ぐ。BETAの展開範囲が広いことを危惧して砲撃部隊は射程圏内ギリギリまで後退させていたのだが、その状態ではいつまで経っても埒があかない。
 加えて言えば、40kmポイントで戦っている友軍の被害も拡大するだろう。
『HQ了解です。既に砲撃部隊は前進を開始していますので、安心してください。すぐに補給コンテナも多数回される筈です』
 武の進言に答えるリィル・ヴァンホーテン。その対応はあまりに迅速過ぎて驚くどころか、むしろ武は訝しく思うくらいだった。
「早いな。もう報告されてたのか?」
『はい。柏木大尉が、「そろそろ白銀中佐たちが制圧完了している頃だろうから」と。現在はBETA殲滅の確認が取れたので一部を除いた全部隊が前進を開始しています』
「そりゃありがたい。他に何か変わったことは?」
 中隊指揮で手一杯かと思いきや、武たちの戦闘状況もしっかり把握している晴子には、武とて礼を言う他ない。それは追々本人に言うとして、今は作戦の推移をより明確に把握しておくことが先決だった。
『作戦の推移自体は順調です。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の皆さんもまだ欠員は出ていません。それと、アドリア海に展開中の連合艦隊から出撃した日本軍が、H11南東の沿岸部に上陸を開始しています』
「お? ようやく帝国軍も動き出したか」
 リィルからの報告と同時に、武の網膜には帝国軍が沿岸部に上陸地点を確保する映像が映る。BETAが展開している範囲ではないが、警戒の意味を含めて先行していたのは強襲戦闘機の呼び名が高いA-6こと海神だった。それに続いて主にF-4撃震とF-15陽炎で構成された戦術機甲部隊が匍匐飛行で上陸。車輌を艦載した揚陸艦はまだ着岸していなかった。
『はい。試験部隊の進軍開始まで恐らく360秒ほどだと思います』
「6分ねえ……。とりあえず向こうで兵站を確保してくれりゃこっちとしては楽なんだけどなぁ」
 リィルの応答に武はやや冗談めいた口調で答える。一方、そんな言葉を返されたリィルは苦笑を浮かべるが、それについて言及するようなことはしなかった。
『それでは、何か分かりましたらこちらからも連絡します。御武運を』
「そっちは頼んだ。意地でも帰るから安心しろ」
『はい』
 敬礼ではなく、武が笑いながら拳を掲げるとリィルも微笑んで簡単な敬礼で答える。そのままHQとの通信を切り、武は要塞級の死骸の上から飛び降りた。
『試験部隊……とはどういうことでしょうか?』
 大地に足を着けた武の横にマリアがつき、通信でそう訊ねる。大方、今の武とリィルの通信を傍受していたのだろう。尤も、オープンチャンネルで会話していたのだからマリアを責めることなど誰にも出来ないのだが。
「帝国の新型武装……って言っても、2000年台には実戦証明(コンバット・プルーフ)済みだったものなんだけどさ、そいつをこの作戦で試験運用するつもりらしい」
『実戦証明済みなのに、試験運用……ですか?』
 武の言葉にマリアは眉をひそめる。その疑問は実に尤もだ。そもそも実戦証明済というものは“実戦に耐え得る”ということが証明されていることを示し、それは試験運用を潜ってきたことを暗喩する。
 しかし、今の武の言葉ではその順序がまったくの逆なのだ。
「元々は87式突撃砲に並ぶ戦術機の兵装として運用される予定だったんだけど、はっきり言って他の装備との併用は難しかったんだと。“それ”自体に問題があったんじゃなくて、戦術機との折り合いが悪かったって理由で」
『……? つまり、その新型兵器自体は実戦に耐え得るものであったのに、肝心の使いどころがなかった、ということですか?』
「そういうこと。ちょっと前までは戦術機を複雑に系統化して運用するだけの余裕もなかったし、帝国側も一時期、運用計画を見送ってた。H21制圧作戦で使われなかったのが良い証拠だな」
 マリアの言葉に頷き返し、武は説明を続ける。
 その新兵器は今も戦術機用の装備なのだが、それを装備すると著しく行動が制限されてしまうものでもある。
 当然、BETAに追い込まれていた人類にはそんな装備の機体を配備された部隊運営する余裕はなく、その新兵器の実戦配備は永らく見送られていた。
『要約すれば、近年は余裕が出来てきたから戦術機甲部隊にも複雑な系統化を行おうということですね』
「御名答。前衛に戦術機、後衛に戦車の構図に手を加えて、前衛と中衛に役割の異なる戦術機、そして後衛に支援火器車輌の構図にしようとしている。中衛ってのは当然、砲撃支援装備の機体より更に後ろな」
 理解の早いマリアに満足しつつ、武は笑う。
 そもそも、兵器とは万能ではなく専門性に特化すべきものだ。その点において、固定武装ではない戦術機は万能に限りなく近い。しかしそれは、武器を換装することによって即座にあらゆる場面に順応出来るという“専門性”を持っているとも言えた。
 極論で語れば、巨大な砲門を背負った戦術機や、大型のミサイルポッドを背負った戦術機が後衛に存在しても問題ないということである。むしろその方が部隊としての即応性が向上する。

 では、何故そうならないのか。

 答えは実に簡単だ。
 そんな戦術機を1機造るよりも戦車1台造る方が、遥かにコストが低いだけの話。
 故に後衛は今も支援火器車輌が固め、戦術機が前に出ている。
 だが、裏を返せばそのコストを支払えるだけの余裕があるのならば、後衛の一部にも戦術機を使うことは当然のこととも言える。

 今の時代は、まさにその過渡期にもあった。

『成程……。そのご説明で、ようやく日本が本作戦の支援を引き受けた理由が理解出来ました』
 感慨深そうに、深く息を吐いたマリアはそう告げる。その言葉に武はぴくりと眉を動かし、何も言わず不敵に笑った。
『欧州の作戦に便乗すれば、自国の被害を最小限に留めながら実戦データが収集出来る。そういうわけですね?』
「その理解力には脱帽だよ、マリア」
 日本の思惑をほんの一言で外すことなく言い当てて見せたマリアに、武は尊敬の意味を込めて言い返す。
 彼女の言葉はすべてにおいて的を射ていた。
 恐らく、彼女の中では最初から極東国連軍ならまだしも、帝国軍や斯衛軍が支援を引き受けるということがやはり不思議でならなかったのだろう。その点に疑問を持たなければ、今の答えにはそう容易には辿り着かない。
『それで、白銀中佐。肝心のその新兵器とは何でしょうか? これまでの言い方では、中佐はそれが何であるかも把握しているようですが?』
 最初からすべてを把握していた武を責めるわけでも蔑むわけでもなく、マリアは純粋に疑問としてそう訊ねてきた。この割り切りようは、最初からある程度の思惑も見越していた、ということの証明でもあるだろう。

 一応、日本の保身のために釘を刺しておけば、これは日本の一方的な打算ではない。
 欧州国連軍、EU連合双方は最初から、日本がその新兵器の試験運用の機会を捜していると知ったからこそ、今回の作戦の支援を依頼したのだから。

 マリアの問いかけに武はため息を漏らし、軽く肩をすくませる。
 そして徐に口を開き、白衣を身に纏った極東の恩師が密かに教えてくれたことをそのまま復唱する。

「99型120mm電磁投射砲だ」



[1152] Re[24]:Muv-Luv [another&after world] 第24話
Name: 小清水◆ac20dd13
Date: 2007/05/04 20:11


  第24話


 戦闘は果てしない。
 作戦部隊の先頭は当初予定されていた最外円である30km地点をようやく越え、また35km地点までの地上を完全制圧。外側に行けば行くほど地下茎構造の密度は小さくなってゆくので、恐らく真下にいたBETAもほぼ掃討してしまっているだろう。
 また、作戦域全体でBETAの1次増援も完全に殲滅し、現在人類が交戦しているのは中階層より下から上がってきた2次増援のBETAに当たる。
 これを掃討し、第3次増援まで引きずり出すことが出来れば、いよいよハイヴ突入が開始される算段だ。
『セイバー1より第27機甲連隊各機! ベクター60より大隊規模のBETA群侵攻中。小隊規模で大物から片付けろ!』
『ストライカー1、了解』
『ハンマー1、了解!』
『アーチャー1、了解』
『ブレイカー1、了解した』
『ランサー1、了解』
 白銀武の指揮により、5個中隊が広域展開。侵攻中のBETA群にレーザー種がいないことを確認してから、その手に持った武器で要撃級を中心に薙ぎ払う。その手並みは見惚れるほど鮮やかで、部外者である柏木晴子も驚かされていた。
 無論、彼女も攻撃の手は緩めない。
 接近してきた要撃級が振り下ろす前腕を噴射跳躍で横に躱し、無防備になったその身体を長刀で両断する。ほぼ同時に跳躍して、今度はこちらから他の要撃級に接近を仕掛ける。
 晴子の着地点に群がる戦車級は、彼女の着地よりも早く無数の36mmを喰らって残らず炸裂。予定通り着地した晴子はそのまま要撃級の1対の前腕を両方とも付け根から斬り飛ばし、とどめとばかりに36mmで蜂の巣にしてやった。
『大尉。あんまり前に出ないでくださいよ』
「私もそういうのは得意じゃないんだけどね~。支援対象が前に出ちゃってるから仕方ないじゃない?」
 晴子と連携を組んでいる第10中隊(フレック)の衛士が軽口を言うように苦言を呈する。相対し、晴子も軽口を叩くように笑いながら不満を口にした。
『ああ、白銀中佐ですか? 噂には聞いてましたけど、凄まじい人ですね』
 背中を合わせ、尚も群がる戦車級を36mmで薙ぎ払いながら晴子の部下である青年は「参った」というように答えた。抽象的な表現だが、それには武と付き合いの長い晴子も強く同意する。
 隊長でありながら強襲前衛装備であることは彩峰慧と同じだが、突出の頻度が彼女を更に上回っている。あの機体によもや連隊指揮官が搭乗しているとは、軍関係者とてそう思うまい。
『白銀中佐への支援はいいんですか?』
「白銀中佐はどう考えたって一番撃墜され難いだろうからね。まずは第27機甲連隊の頭数が減らないように立ち回るよ! 第10中隊(フレック)全機、私に続け! 敵の右翼から順に薙ぎ払うよ!」
『了解!!』
 晴子は言うが早いが跳躍ユニットを利用して駆け出す。その両翼を前衛小隊の4機が固め、接近するBETAを36mmの掃射で牽制していた。
 後方の砲撃支援装備の部下が正面に構える敵の先頭……要塞級の巨大な頭部に砲弾を撃ち込む。同時に前衛小隊の先頭2機が跳躍し、長刀でその体躯を豪快に斬りつけた。
 晴子はその隙に要塞級の巨体の下に潜り込み、衝角を収めた下腹部を掻っ捌く。長刀を返すと同時に飛び退き、群がってきた戦車級を容赦なく砲弾の雨で炸裂させた。
「次は3時方向の要撃級を殲滅する! 続け!」
『了解!』
 晴子は次の指示を下し、跳躍しながらふと武の方を見る。
 彼は更に無茶苦茶だった。今し方、要塞級に対し晴子たちが中隊単位で行った攻撃を、彼は副官であるマリア・シス・シャルティーニと2機連携で行っていた。
 尤も、マリアが行ったのは後方からの牽制のみであり、その過程のほとんどは武1人で成されたものであるが。
 その光景を見せられれば、10人中9人は武の凄まじさに圧倒されるだろう。だが、10人に1人くらい、恐らく晴子と同じ観点で物を言う人間がいるに違いない。
 晴子が魅せられていたのは、飛び抜けた機動を見せる武ではなく、その彼に対して支援し続けているマリアだった。
「まいったね。流石に」
 “あの”白銀武に対して適切な支援を行い続けるマリアの“目の良さ”はある種異常だ。
 かつてに比べればかなり好転しているが、今の晴子でも今の武に随伴して常に適切な支援を行える自信はない。それをマリアはさも当然のことのように成し遂げている。
 これに驚かずして、いったい何に驚けというのか。
『大尉……? どうしました?』
「……いやね。いるところにはいるものだね、天才って」
『ああ、白銀中佐のことですか? とんでもないですよね、あの機動は』
 やれやれという晴子の呟きに、彼女の部下も実に一般的な思考で答えた。やはり大抵の人間はそう思うのだと、晴子は小さく苦笑するしかない。
 晴子が知る衛士の中で飛び抜けて狙撃技能に優れる珠瀬壬姫でも、マリアのように断続的に武を支援し続けることは恐らく不可能。壬姫は精度で遥かに上回るため1度や2度ならば成し得るだろうが、それ以上は集中力が続かない。それだけの能力と才をマリアは持っていた。
「まさか、前衛後衛陣形(トップ&バック)で白銀に合わせられる衛士がいるなんて思わなかったよ。御剣も彩峰も妬くだろうな~。まあ、一番妬くのはきっと鑑さんだけど」
 まるで新しい玩具を見つけた子供のように、嬉々と頬を緩ませる晴子。ただし、かつて武と前衛小隊で連携していた御剣冥夜と彩峰慧の2人が、晴子と同じようにマリアの凄さに気付くかどうかは分からない。
 尤も、それとはまったく別問題で一悶着ありそうな気がするのは、決して晴子の勘違いではないだろう。
 小さく笑っていた晴子も、再び表情を引き締める。それと同時に近接した要撃級の頭部を左に持った追加装甲で殴りつけ、離脱しながら120mmでその体躯を穿った。
「こっちだって簡単に殺されるつもりはないんでね」
 果てるBETAを一瞥して、珍しく晴子は冷淡な口調で呟く。
 今尚、戦線の前進は緩やか。
 戦いはまだ幕を開けたばかりだった。




 柏木晴子を含め、多くの戦友が後方で確実に兵站を前に進めている中、宗像美冴は更に前線で数多のBETAと対峙していた。
 入り乱れる戦術機は何れも蒼穹の装甲を纏う日本製の戦術機 94式戦術歩行戦闘機 不知火。美冴の他、彩峰慧と涼宮茜の中隊も混じっており、数にして33機。1個中隊が12機編成であるから、この段階で彼らは併せて3機失っていた。
『ヒルド1よりミスト1。ベクター320から出現中のBETA群、本隊を目指して南下中』
 要撃級1体を長刀で斬りつけた美冴は、距離を取って照準も定めずに36mmを放つ。斬撃と砲弾を鱈腹喰らった要撃級は崩れ落ち、その下に集まっていた小型種を纏めて押し潰した。
 その折に、慧から新たな敵軍侵攻の報告を受ける。
「ミスト1了解。彩峰、敵の規模は分かるか?」
『部下の報告では、連隊規模とのことです』
 その返答に美冴は頬を強張らせた。
 門から出現中のBETAでは、初期報告規模など本当は当てにならない。彼女の部下が連隊規模と報告したのならば、その2倍ないし3倍の規模と想像しておいた方が妥当であるし、何より賢明だろう。
「支援砲撃要請は?」
『手は打ちました。ですが、作戦域全体でBETAの出現率がまた上がっているために支援砲撃範囲が拡大し、効果は期待出来ません』
「了解。彩峰は隊を率いてそちらの対処に当たれ。レーザー種の数さえ減らせればそれでいい」
『了解』
 美冴の指示に慧は短く、且つはっきりとした声調で了解の旨を返す。そのまま以下11名の部下を率い、敵中に突撃していった。
 支援砲撃の威力が拡散してしまうのは痛いが、戦域全体でBETAの出現率が増加傾向にあるのは、取りようによっては良い兆候だ。
『第6中隊(スルーズ)陣形再編! ……いよいよお出ましですね、第3次増援が』
 慧が向かった方向とは真逆から後退してきた涼宮茜は部隊に次なる指示を下し、すぐに美冴に対しても声をかけてくる。
「そうだな。涼宮、第6中隊(スルーズ)の状況はどうだ?」
『前衛と左翼を1人ずつ失って3機連携で応戦中です。戦闘続行に支障はありません』
「こっちも前衛を1人喰われた。連中め……まだ殺し足りないらしいぞ」
 茜の報告に、美冴は苛立ちを含んだ表情で答えた。
 武を含め、突入部隊の突入はまだこれからだ。正念場はまだ訪れてもいないというのに、早くも部隊は欠け始めている。
 それが堪らなく彼女には悔しかったが、露骨に表情に出すほど美冴は自制の利かない人間でもない。
「だが、第7中隊(ヒルド)は流石だな。まだ1機も落としていない」
『彩峰なりの努力の結果ですよ、きっと』
 美冴の言わんとすることをすぐに理解した様子の茜は、笑顔を作ってそう答える。その意見には美冴も同意だった。
 彩峰慧という衛士はお世辞にも社交的な人間ではない。それも、決して他人が嫌いなわけでも、孤独を好んでいるというわけではない。
 かつてこそ口数の少なさ故だったが、今では一歩退いた物の見方が出来るようになり、ようやく外面の態度に内面の落ち着きが追いついてきたといったところだ。
 そんな彼女と部下とのコミュニケーションは、その多くが訓練の中で行われてきた。無論、それは第3者である美冴の視点から述べた話ではあるが、あながち的外れとも言えないだろう。
 そんな彼女に引っ張られてか、第7中隊(ヒルド)の衛士はとにかく度胸があり、窮地に滅法強い。
 ふと、美冴の脳裏に、かつて第7中隊(ヒルド)に対して言及していた柏木晴子の言葉が過ぎる。彼女の記憶が正しければ、確か、晴子はあの時こう言っていた。

 「彩峰の部下は無意味に背中で語る」

 それを晴子が冗談で言ったのか、それとも呆れて言ったのかは流石の美冴も知るところではないが、美冴個人の価値観で言えばそれは実に的を射ている表現だった。
 少なくとも、美冴は思う。
 戦場において、第7中隊(ヒルド)ほど頼もしい先駆部隊はいない、と。
「まったく……戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長どもは、白銀に毒されているヤツが多くて困る」
『前衛組にとってもB分隊組にとっても、白銀は大きな目標なんですよ』
「涼宮にとっても、だろう?」
『うっ………』
 声高に笑って同意していた茜だが、不敵に笑った美冴の切り返しに思わず言葉を詰まらせる。
 速瀬水月に憧れていた彼女が、速瀬水月に一目置かれていた白銀武を意識しないわけがない。取りようによっては、茜は誰よりも衛士としての白銀武にライバル心を抱いていた人間とも言える。
「気にするだけ無駄だぞ。今や極東じゃ、あいつを目標にしない衛士の方が少なくなってるかもしれないからな」
『…………そうですね』
 歯痒そうに苦笑する茜。武を意識することにいったい何の問題があるのかと思わず美冴は首を捻る。
 極東での話云々については、半分は冗談だがもう半分は美冴の本音だ。特に、柏木晴子の弟たちに当たる、俗にXM3第1世代と呼ばれる若い衛士には多数見受けられるだろう。
 無論、武はそれだけの能力と人格を持っていると美冴も評価している。だから彼は目標にされるに値する人間なのだ。
『ミスト5よりミスト1! 6時方向より接近中のBETAに重光線級を確認! 目視確認で3体!』
「ミスト1了解。他のBETAを盾に接近してし止める。第6中隊(スルーズ)はカバーに回れ!」
『了解!』
 即座に新たな指示を下した美冴は、自身も小隊を連れ立って36mmを撃ちながらBETAを迎え撃つ。
 戦車級を含めた小型種の相手は後続の左翼小隊に任せ、率いる前衛小隊と共に敵中に身を投じる彼女の姿は、まさに北欧神話に登場する気高き戦乙女のそれに相違ない。
 たとえ、彼女自身がそう思わぬとも、戦場を知る衛士たちにとってその姿が何よりも士気を奮い立たせることに通ずるのだから。
「ふんッ!!」
 長刀を一閃させ、眼前の要撃級を斬殺。その美冴を狙い撃とうと旋回する重光線級よりも速くその半身を翻し、ラックの36mmと120mmで薙ぎ払った。
 隊長自ら切り拓いた活路を、美冴の部下たちは誰一人として見逃すことなく駆け抜け、その先に遍く化物の集団に突撃を仕掛ける。その後方からは支援突撃砲を装備した不知火が36mmを連射し、迫りくるBETAを無差別に蹴散らした。
 美冴は前腕を切断された要撃級の体躯に長刀を突き立て、柄から手を離す。その空手となった右手にラックから突撃砲を引き寄せた。
 突撃砲はラックに背負ったままでも射撃が可能だが、射角が著しく限定される。より広範囲に攻撃したいのならば手に持つ他ない。
『はあああぁぁぁッ!!』
 その美冴の脇を茜は2個小隊率いてすり抜け、衝角を左右に揺らしながら悠然と侵攻してくる要塞級に打撃を仕掛けていった。
『宗像少佐! ここはあたしたちに任せて1度給弾してください!』
「何っ!? 涼宮、この数を貴様の中隊のみで相手にするつもりか!?」
 茜の言葉と同時に第6中隊(スルーズ)の後衛までもが美冴の不知火を追い抜いてゆく。その行動には美冴も驚き、「まさか」と言うように問い返した。
 第7中隊(ヒルド)は別働で戦闘中。だが美冴の第2中隊(ミスト)も最後の給弾からかなりの時間が経過している。
 一方、第6中隊(スルーズ)はついさっき後退して補給を済ませてきたばかりなので、今回の判断に間違いはない。

 ただし、それは敵の規模が対処可能である場合に限ることだ。

 現在、戦域各所で出現しているBETA群は第3次増援に該当されるもので、断続的に出現してくるBETA群に比べて圧倒的に規模が大きく、広範囲に渡っている。
 事実、今彼らが向き合っているのは大地を埋め尽くさんばかりのBETA群。とてもではないが、支援砲撃の密度が低い現状においては1個中隊如きで対処出来る数ではなかった。
『でも、第2中隊(ミスト)はもう残弾がない筈です! だから――――』

『ならば第2中隊(ミスト)が補給のために後退された後、この場は我々が責任を持ちましょう』

「『ッ!?』」
 不意に割り込まれた通信に対し、美冴と茜の表情は同時に驚きのそれに変わる。
 その声の主が誰であるのか美冴が確認するよりも早く、超高速で一陣の風が吹き抜けていった。
 真紅、山吹、純白、漆黒で構成された12機の武御雷。驚くことに何れも強襲前衛装備で統一されていることから、それが1個中隊ではなく、3個中隊の各前衛小隊から成る3個小隊であることが理解出来た。
 陣風は突風にして暴風。
 誰かが突出すれば誰かがそれに追随し、後方から死角をカバーする。2機連携が2つで小隊を成し、それが3個連なることで無尽蔵のコンビネーションを生み出してゆく。
 そこにBETA如きが付け込めるような隙など一分も存在せず、精強な衛士たちは遺憾なくその力を示していた。
『B(ブラック)ドラグーン1よりミスト1。友を犬死にさせたくなければ1度後退し、補給を済まされるが良い。この場は我らが引き受けるッ!!』
 1度美冴の隣で減速した山吹の武御雷の衛士がそう告げ、長刀を構えて同様に敵陣に殴り込む。
 B(ブラック)というコールカラーは斯衛軍において第3中隊の証。そしてドラグーンの部隊コールを持つのは、斯衛軍が誇る三柱が1つ、第2大隊のそれだ。
 それ即ち、朝霧中将直下の戦術機甲大隊。
『ドラグーン6よりドラグーン1。11時方向より新手のBETA群出現中。レーザー種の存在はありません』
『ドラグーン1了解。22左翼小隊、撹乱して支援砲撃までの時間を稼げ。各前衛小隊はそのまま戦闘継続。23両翼小隊はその支援に出なさい』
 支援突撃砲で後続の要塞級を穿つのは真紅の武御雷。コールはドラグーン1……朝霧叶の武御雷だ。
『貴女も急ぎなさい、宗像少佐。時間をかければかけるほど、彩峰大尉も後退を余儀なくされるのではなくて?』
 攻撃の手を緩めることなく、されど冷静に美冴を諭す朝霧の言葉はある種冷たく、またある種温かかった。
 確かに、美冴には迷っている時間はない。第2大隊がフォローはあくまで美冴と茜に対してであって、別働の慧には及んでいない。
 だから朝霧は、早急に補給を済ませ、慧の援護に向かってやれと言っている。
「……第2中隊(ミスト)は1度退く! 急げ!」
『了解!』
 美冴の指示に10機の不知火がほぼ同時に後退を開始。美冴自身はその殿を務めるため、その成り行きをしばし見守る。
『涼宮大尉。第6中隊(スルーズ)はそのまま任務に当たりなさい。22右翼小隊は第6中隊(スルーズ)の援護を』
『W(ホワイト)ドラグーン1よりドラグーン1! ベクター120の門よりBETA群出現中! 構成は要撃級のみですが、悠に30体は超えています!』
『了解。そちらはあたしが参ろう。21両翼小隊、続け』
 言うが早いが朝霧は先陣を切って駆け出した。
 右には長刀、左には突撃砲を構え、BETAとその骸から築き上げられた壕を行く。その彼女に近付こうとするBETAは何れも朝霧自身の手か、あるいはそれに追随する武御雷の手によって尽く排除されていった。
 美冴はさほど朝霧について知らない。無論、一般常識としての知識ならば持ち合わせているが、別段個人としても軍人としても親交があるわけでもない。
 されども、その勇姿は噂に違わず、むしろそれをも上回る。
 美冴たちが神話に登場する半神の類ならば、あの機体を駆る朝霧らは間違いなく、火之迦具土神(ひのかぐつち)の血から生まれ出でた軍神の類だ。
 遠ざかる朝霧に対して、同じように背を向けて美冴も疾駆する。
 その手に握られた圧倒的暴力を持ってして、人類の仇敵を駆逐するために。




 月詠真那がその変化に気付いたのは、丁度眼前の要撃級を一刀の下に下した時だった。
「……BETAの個体数が減退している……?」
 素早く身を翻し、36mmの雨を地上に降り注がせながら月詠は再度周囲を確認する。
 やはり、彼女の認識通りに周辺に展開するBETAの数が、予想を“遥かに”下回っていた。特にこの第3次増援においては重光線級の出現率がそれ以前に比べて著しく低い。
 よもや尽きたというわけではあるまい。HQの計算では、現状までに撃破されたレーザー種の総数はフェイズ5ハイヴの内包量の半分程度。このH11がフェイズ5とフェイズ6の中間にあると考えれば、実際にはまだ半分にも達していないと見るのが妥当だろう。
『月詠少佐! BETAの一部が東に方向転換しました!』
 月詠が立つ位置まで後退してきた純白の武御雷を駆る衛士 戎美凪が驚きを含んだ調子で報告する。彼女率いる183中隊所属の機体も戎と同時に後退しつつ、突撃砲で接近するBETAを散らし続けた。
「東だと……? 完全に反転しているではないか」
 月詠らから見れば逃亡しているようにも見えなくないBETAの反転。戦場に身を置いてきた月詠にとってもこのような光景は驚き、訝しげにする他ないものだ。
 元よりBETAは余程のことがなければ最も近い脅威対象を優先的に排除するだけの存在である。戦術機という最大レベルの脅威を目の前にしてそれを見逃すということは、戦術機を大きく上回る脅威がハイヴに迫っていると判断したということに等しい。
『こちらセイバー1。HQに確認を取った。どうやら連中、進撃中の帝国陸軍に引っ張られているらしいですよ』
 通信で月詠にそう告げる白銀武は、後退する戎と入れ違う形で自らの中隊を率いて敵中に吶喊していった。誰よりも早くそれに随伴するのは副長のマリア・シス・シャルティーニで、271及び272戦術機甲中隊(セイバーズ及びストライカーズ)のあとを12機の不知火が更に追従する。
「巴、戎! 182、183中隊はそれぞれ第27機甲連隊の支援に向かえ!」
『W(ホワイト)ブラッド1了解! 182中隊は273及び274戦術機甲中隊(ハンマーズ及びアーチャーズ)の支援に向かう! 続け!』
『B(ブラック)ブラッド1了解! 私たちは275及び276戦術機甲中隊(ブレイカーズ及びランサーズ)の援護ですわよ!』
 月詠の指示に巴雪乃、戎美凪の両名はそれぞれの中隊を連れ立って武の部下たちの援護に奔走。支援対象が揃いも揃って防御に甘んじないところは実に厄介な話だが、月詠には不思議と苛立ちもなく、むしろ口元が思わず緩んでしまうような事象だった。
 そうでなければ、“面白くない”。
「神代、我らも行くぞ!」
『了解!』
 また、月詠自身も指揮下の中隊を率い、武を追ってBETAに猛撃を仕掛ける。先行するのは前衛小隊も任せている神代巽だ。
「白銀中佐、BETAが帝国陸軍に引っ張られているというのは、つまり電磁投射砲に、ということか?」
『恐らくは。こっちとは逆に向こうはレーザー種の出現率が右肩上がりらしいです。もう30km地点は通過したみたいですね』
 迫る要撃級の壁に36mmを放つ武の背後に着地し、反対方向に向けて月詠も36mmを放つ。その、トリガーを固定した状態で問いかけると、武からは想像通りの回答が返ってきた。
『試験部隊はそれほどまで接近しているということですか?』
「電磁投射砲の威力制圧ならばこの短時間で戦線を押し上げることも不可能ではない」
 驚いた様子のマリアに月詠は返す。
 沿岸部から帝国軍が北上を開始したのは、月詠たちがBETAの第1次増援を粗方殲滅した後の話だ。その段階から既に西側部隊と同じ距離まで戦線を上げているということは、進撃の速度がおよそ倍近かったということに他ならない。
 それを考えればマリアの驚きは致し方ない話である。
『電磁投射砲ってそんなに凄いもんなんすか?』
『同じ120mmでも滑空砲とはレベルが違う。正面から突撃級の外殻も撃ち抜く上、毎分800発の連射性能だ。陣形を組んで前進されたらBETAにとっちゃひとたまりもないさ』
『毎分800発っ!? レールガンの原理はそれとなく知ってましたけど、そんなとんでもない代物だったんすね』
 武の説明に驚愕の声を上げるのは272戦術機甲中隊(ストライカーズ)のディラン・アルテミシアだ。感心したような、呆れたような彼の反応も、詳しく知らぬ者ならば当然のものだろう。
 何せ、突撃級を正面から容易に打倒出来る以上、BETAには電磁投射砲の攻撃を防ぐ術が存在しないのだから。
 それでも尚、そんな会話をしながら両者は一切攻撃の手を緩めなければ、お互いに隙も作らない。その辺りは隊長格として流石だった。
『セイバー1より各機! 戦車級の後方に要塞級3! 先頭の1体が光線級を吐き出してやがる! マリア!』
『セイバー2了解。支援します』
 群がる戦車級を振り払いながら武は先陣を切る。それに続く前衛小隊は36mmで要塞級に続く突破口を形成、加えて自身たちも武を追って要塞級に強襲を仕掛けた。
 それよりも早く後衛のマリアの持つ支援突撃砲が火を吹き、要塞級の頭部を無数に穿つ。数発は吐き出されかけていた光線級の身体ごと炸裂させていた。
「神代! 白銀中佐に続け!」
『ブラッド2了解! ブラッド5は私と共に白銀中佐を援護するぞ! ブラッド7、10は271B小隊を任せる!』
『了解!』
 神代に武のカバーを命じ、月詠もその身を敵中に投じる。
 サイドステップから身を捻り、勢いを乗せたまま長刀を薙ぎ払う。重い一撃は要撃級の首を刎ねるだけに留まらず、その右の前腕を胴体から切り離した。
「遅いッ!!」
 別の要撃級から繰り出される前腕を跳躍で躱し、極低空で身を翻して突撃砲の砲口をおぞましい敵の顔面に突きつける形で引鉄を引く。超至近距離で放たれた120mmは要撃級の顔面を吹き飛ばし、更にその下の戦車級も巻き込んでいった。
 地面を跳躍するのは紅の体躯を持つ戦車級。
 月詠の武御雷が燃え盛るような赤ならば、敵の体躯は沸き立つ血潮の赤に近い。
 機体の装甲に飛びつこうと空中を舞う10体近い戦車級を、如何にして捌くか月詠がコンマ数秒の思案をしようとした瞬間、その半数以上が宙で炸裂した。
 残るのは4体。月詠は思わずくっと唇の端を吊り上げる。

 その程度ならば、片手で事足りる。

 放たれた超高速の斬撃は瞬く間に4体の戦車級を薙ぎ払い、ただの真紅の肉塊に変貌させた。
「………礼を言うべきか? シャルティーニ少佐」
『どうぞ御自由に。私は、月詠少佐に謝礼を頂くために援護したわけではありませんので』
 後退し、共に36mmでBETAの壁を穿ちながら月詠はマリアに問いかける。
 それにマリアは顔色1つ変えず、実に冷静に切り返してきた。
 いったいいつから月詠のことを目で追跡していたのか分からないが、刹那のうちに5体ほどの戦車級を空中で撃ち抜くという技量には、さしもの月詠も感服するほかない。これほどの射撃技能の持ち主ともなれば、月詠とて国連軍随一の狙撃手 珠瀬壬姫か、あるいは他に1人ほどしか知らない。
「ならば言おう。手間が省けて助かった。感謝する」
『こちらこそ、ありがとうございます』
 月詠の礼に対し、マリアも同様に微笑みながら謝意を述べてきた。
 相手がどう捉えるかはまた別の話だが、恐らくマリアは皮肉も冗談も込めずにそう言っている。その意図がどこに向けられているのかは定かでないが、彼女は本気で月詠に礼を言っているのだ。
 信頼出来る。月詠の直感が何の確証もなくそう告げていた。
「私は接近中の要撃級から片付けさせてもらう」
『ならば私はその周囲を固めましょう』
 お互いにそう告げ、次の瞬間には月詠は駆け出していた。すぐ後ろにはマリアがつき、支援突撃砲と突撃砲の36mmで波のように押し寄せるBETAを無差別に大地へ沈めてゆく。その手並みは鮮やかで、それを突破して月詠に攻撃を仕掛けられるBETAはほんの数えるほどしかいなかった。
 マリアの持つ目は“鷹”のそれに近い。
 状況を即座に且つ正確に、そして立体的に把握する能力において彼女は長け過ぎていた。
 機動制御と近接格闘に甘さが目立つ故、一対一で戦えば月詠はおろかその部下の神代たちにも遥かに及ばない。だが、マリアのこなす役目は他の追随を許さないほど精錬されていた。

 思えば、マリア・シス・シャルティーニはその実、月詠真那が初めて無意識的に信頼を置いた日本人以外の衛士だった。

「はああぁぁッ!!」
 剛剣を振り下ろし、要撃級の身体を抉る。その顔面を蹴って跳躍し、反転噴射で次の標的に強襲降下。それを迎え撃たんとする要撃級の顔面には一瞬で無発の砲弾がめり込み、結局は何の反撃を仕掛けることが出来ないまま月詠の一刀で両断される。
 刹那、搭乗する武御雷が警鐘を鳴らした。
 換装勧告でもなければBETA接近でも、レーザー警報でもない。
 ただ、その網膜に映るのは「orbit divers」の文字列。
『セイバー1より各機! 軌道降下兵団のお出ましだ! 間違っても再突入殻の破片なんかで撃墜されるなよ!』
「『了解!』」
 戦闘を継続する月詠たち全員の耳に届くのは武の発した警告だ。
 眼前の要撃級を斬った月詠は36mmを掃射しながら後退。それと同時に、スウェイキャンセラーでも誤魔化し切れない激しい震動が月詠の身体を襲った。

 再突入殻(リエントリー・シェル)。

 軌道降下兵団が軌道降下の際に対レーザー防御のために包まれるコンテナ型の装甲。
 再突入完了後、もしくはレーザーの照射に伴って機体から分離し、その後は先行して降下しながら戦術機の弾除けとなり、また地面に衝突することで主縦坑に近い突入口を多数確保することにも貢献する、対BETA戦術の一翼だ。
 先刻の激震は多数の再突入殻が地面に激突したことが起きた揺れだった。

 攻撃の手は緩めずも、その揺れに身を任せながら月詠は1人の人物に想いを馳せる。
 御剣冥夜。
 今し方、ハイヴに軌道降下突入を仕掛けた極東国連軍衛士であり――――――

 月詠真那が仕えるべき、もう1人の主君である。



[1152] Re[25]:Muv-Luv [another&after world] 第25話
Name: 小清水◆ac20dd13
Date: 2007/05/12 00:29


  第25話


 衛士にとっての戦場が荒廃した大地と閉鎖された地下茎構造内部ならば、通信兵にとっての戦場は随時、飽和量の情報が舞い込んでくる司令部だ。
 ハイヴ制圧戦のような大規模作戦ともなれば総司令部たるHQの他に複数のCPも点在し、広域に渡る戦場から集められる情報の処理に集中している。
 第27機甲連隊が誇る通信兵たちは、総轄者のリィル・ヴァンホーテンを含め出撃した全員がHQに残留していた。
「HQよりヴァイパー1。現在、第117戦術機甲中隊が展開中です。1度その場から後退してください」
『ヴァイパー1了解。ヴァイパーズ全機、後退する』
「ポイントN-25-08より進攻中のBETAに重光線級を確認。第15ロケット大隊は同ポイントに砲撃を」
「第224戦術機甲中隊は後方の第66戦術機甲大隊と合流して進攻中のBETA群を迎撃せよ」
 一時に大量の情報が入ってくる総司令部は常に休まることはない。
 リィルも常時自分の部下たちを指揮しながら、自身も戦域で戦う仲間のために次の手を模索し続ける。
 リィルの権限は第27機甲連隊の中でも特殊な位置づけにある。情報班という、基地運営にも部隊運営にも、また作戦の推移にもすべて大きく関わってくる部署を総轄する彼女の場合、連隊長の武や師団長のレナから下りている閲覧許可の情報レベルが副長のマリアと同程度か、あるいはそれを上回るほどにあるのだ。
 少し例としては相応しくないが、たとえば今回の作戦で日本軍が持ち込んだ電磁投射砲については、HQに駐留することもあってリィルには予め知らされていた。
 対し、異なる戦域で戦うマリアには知らされておらず、その点において知らされる情報のレベルと基準が2人ははっきりと異なっている。
 尤も、リィルとて実戦投入される電磁投射砲を見るのはこれが初めてであるため、驚きの程度はマリアとそう変わらないであろうが。
『こちらミスト1。W-15-16の門から連隊規模のBETA群出現中。支援砲撃を要請する』
「HQ了解。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)各隊は戦闘行動を継続せよ」
 宗像美冴からの支援砲撃要請に、リィルの部下が即座に応じる。
 だが、当のリィルは戦域全体と門の位置関係を見ながらわずかに首を捻った。
 彼女の記憶が正しければ、BETAの出現がさっきから同一方向……具体的に言うならば美冴たちの戦っているポイントを中心に北西方向に偏っている。
 もちろん、人類から見ればBETAの行動様式など知った話ではないが、少なくとも敵の行動理念はじつに合理的。その出現率が偏るのならばそこには何らかの理由が存在する筈だ。
 すぐにリィルは地下茎構造のマップを自分の網膜に映した。現在使われているH11のマップよりも実物は広がっているが、中心部の構造が変わっているわけではなく、また随時入ってくる情報で更新されているために決して当てにならないものでもない。
 行うのは軌道降下兵団の進軍経路と兵站確保部隊の進軍経路、そしてBETA出現率の高い門の関係の検証。
 地下茎構造内のBETAが突入部隊に釣られていれば、進軍経路如何では出現率に大きな偏りがあってもそれほど不思議な話ではない。
 だが、突入部隊の進軍経路とBETAが多数出現している門の方向はまったくの逆だ。
 BETAが突入部隊に釣られているとしても、この出現率の偏りは明らかに異常である。
「―――――――ッ!」
 脳内で弾き出された結論にリィルは一瞬言葉を失う。
 そして、すぐに回線をまず後方の支援火器車輌部隊に繋いだ。
『こちらアーソイド曹長。どうしました? ヴァンホーテン少尉』
 繋いだ先は第27機甲連隊所属の支援火器車輌部隊を率いるアーソイド曹長。先ほどから断続的に支援砲撃を行い続けているため、隠匿しているようでも、疲労感が声からも伝わってきた。
「アーソイド曹長。ポイントW-02-09を中心に広域爆撃の準備をお願いします」
『広域爆撃って………その周辺には白銀中佐の知人の方々が展開中では? 友軍機誤爆の危険性がある限りは難しいですよ?』
「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の方々はこれから後退命令を出します。砲撃指示は再度通告しますので、指定のポイントに定めて待機していてください」
 リィルの語調は極めて強い。
 基本的に、作戦半ばの支援砲撃は半分以上が出現中のBETA、あるいは進攻中のBETAを薙ぎ払う局所的な爆撃だ。広域爆撃と呼ばれる場合は、第1段階で行われる面制圧の概念に近い。
 それは衛士にとっても砲撃兵にとっても実に穏やかではない話なのである。
「取り越し苦労であればそれでもいいんです。ただ、私の想像が正しければ一気に防衛線に穴を開けられかねません」
『……分かりました。なるべく早く、次の指示をお願いします』
 いつになく有無を言わさない雰囲気のリィルに、アーソイドは頷かされたようだった。一瞬あった間が、その半信半疑さを雄弁に物語っている。
 それに応え、リィルは続いて別の回線を開いた。
「こちらHQ、リィル・ヴァンホーテンです。宗像少佐、応答してください」
『こちらミスト1、宗像だ。何かありましたか? ヴァンホーテン少尉』
 厳しい戦いを強いられているのか、通信に応じた美冴の口調はやや粗かった。だが、リィルが想像することもおこがましいほどの戦場に身を置いている彼らだ。そこに苦言を呈するのは通信兵としてあるまじき行為である。
 それを心に留めているリィルは気分を害するわけでもなければ、臆するわけでもない。
「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の皆さんは、すぐにそこから後退してください」
『何……?』
「これは勧告ではありません。警告です。急いでください」
 リィルにとって見れば美冴は3階級も上の士官だ。HQに身を置く通信兵といえども、確かな命令が下されない限り、リィルの口から“命令”という言葉を使うわけにはいかない。
 だが、彼女の懸念が正しければことは一刻を争う。いちいち上官の御伺いを立てていては間に合わない。
 そうなれば、防衛線も補給線も即座に瓦解し得た。
『了解。彩峰! 涼宮! 1度後退しろ!』
 深い事情は訊かず、美冴はリィルの進言に応じる。
 彼女自身が衛士としての嗅覚で異常を察知したのか、それともこの“よく知りもしない通信兵”の言葉を信用してくれたのかはリィルにも定かではない。
 だが今は、彼女たちが後退を開始してくれたことで胸を撫で下ろし、もう1度支援火器車輌部隊に回線を繋げようとする。

「『――――――――ッ!?』」

 その瞬間、美冴たちの不知火が感知した情報をリィルはデータリンクによって同時に知覚した。
『周辺の門から同時にBETAが出現中!! 推定個体数………8000ッ!?』
「宗像少佐! 即時後退を! アーソイド曹長、指定のポイント全域に支援砲撃をお願いします!」
『了解!』
 リィルの言葉に、美冴とアーソイドの両者が同時に了解の旨を返す。状況が状況であるだけに、彼らがそれに反論をする余地も理由もなかった。
『ですが、説明はもらいたいですね、ヴァンホーテン少尉』
 部隊の殿を務め、BETAの進攻を防ぎながらも美冴はリィルにそう訊ねてきた。「何の説明を?」と問い返すほどリィルも馬鹿ではない。
「……先ほどからBETAの出現率が一方向に偏っていました。しかも、その出現数も振動の規模と比較するとわずかに少ない状況が断続的に続いています」
 戦域に降り注ぐ砲弾とロケット、後退を続ける美冴らの姿を確認し、リィルは少し抑え目の声調で答える。まだ続きがあると分かっているらしい美冴は、リィルの次の言葉を待っていた。
「巧く支援砲撃の振動に合わせて誤魔化していますが、BETAの出現率に比べても振動センサーの反応が多過ぎるとも思いませんか? BETAは先ほどから地表近くを移動しているにも関わらず、およそ2、3割が頭を出していなかったんです」
『くっ……!?』
 リィルの告げた事実に美冴は思わず声を漏らしたようだった。表情もどこか悔しげに歪んでいる。
 恐らく今の状況になければ半信半疑で受け取られただろうが、今は反論される余地が少ない。美冴の反応は「信じる他ない」と言っているようだった。
「時間の問題だと思っていましたけど……危なかったです。砲弾撃墜率は10パーセント以下……レーザー種の数はほとんどないようですね。現在後方部隊に支援へ向かってもらっていますので、その場で防衛線を構築して敵の進攻を防いでください」
 美冴たちを取り囲むように出現する筈だったBETA群は、彼女たちの後退によってほぼ正面に集中するという形になっている。広域に渡っているとはいえ、支援砲撃が機能しているため決して状況は悪くない筈だ。
『了解。第2中隊(ミスト)各機、2機連携で応戦しろ!』
 支援砲撃の範囲外まで後退を完了した美冴は、再度部下に対して攻勢に転じるよう指示を出す。それには彼女の部下のみならず第6中隊(スルーズ)と第7中隊(ヒルド)の機体も攻撃を再開し始めた。
『しかし……どれも確証の持てる根拠ではなかったんじゃないのか?』
 支援砲撃を抜けてくる突撃級を捌きながらも、美冴はリィルにそう問いかける。実際にBETAによる強襲があったからか、その口調は責めるようなものではなかったが、先程に比べてかなり砕けた口調に変わっていた。
「推測の域は出ませんでした。ですが、かなり高い確率だったとも思います。先刻1146、戦域で交戦中の日本城内省斯衛軍 第4戦術機甲大隊が支援砲撃の震動に紛れて侵攻してきたBETA群に奇襲を受けました。その情報を鑑みれば、この作戦において敵の奇襲も十二分に注意されるべきではないかと判断します」
 相対し、リィルも冷静に応答する。
 そもそも、いくら電磁投射砲が強力な兵器とはいえども、それに惹き付けられたBETAの数が些か多過ぎるのだ。管制を司るリィルにとって、この出現率の変遷は不自然なものに映っていた。
 加えて、このH11が抱えるBETAの総数も予想を大きく上回っている。それを総合すれば、ここまでの出現率はやや緩やか過ぎるとも言えた。
『支援砲撃の振動に紛れて……だって?』
 リィルの説明を聞いた美冴の表情がにわかに変わる。まるで、「信じられない」とでも言うかのような顔つきだった。その変化に、リィルはやや首を傾げる。
「確か、以前にも日本で前例があったと思うんですけど………」
 国連軍のデータベースから引き出した知識を思い出しながらリィルは問い返した。
 確かに実例は1度きり。2001年末の日本横浜であったBETAの奇襲のみだが、学者の間でもあれは意図的に成されたものだという結論で纏まっている。
 つまり、BETAには戦術に近い概念があるということに他ならない。
 美冴ならば当然知っていておかしくない話であるため、リィルは疑問に感じてしまったのだ。
『………ああ、そうだ。それよりも、第4大隊ということは、斉御司少佐だろう? ご無事なのか?』
「はい。第6大隊が救援し、殲滅に成功しています」
『そうか……九條大佐も出られたのか。了解した』
 しきりに首を傾げながらもリィルが答えると、美冴は半ば自己完結に近い形で了解の旨を返してきた。まるで強引に会話を断ち切ったかのような言い回しだったので、リィルの顔つきは更に怪訝そうなものになる。
「はい。引き続き戦域管制は私が担当します。船団(フリート)級の奇襲には充分に気をつけてください」
『了解。第2中隊(ミスト)、再度前進を開始する』
「え? あっ……はい。200秒以内に500メートル後方まで補給コンテナを回します。配備完了次第、順次補給を行ってください」
『助かる』
 礼というにはやや素っ気無い言い方で答え、美冴は部隊を率いて前進を再開する。
 強襲したBETAは既に9割方殲滅済み。瀬戸際でリィルの警告と、広域に渡る支援砲撃による援護があったとはいえ、終息は早く、そして呆気なかった。
 “強い”というよりは“巧い”。
 武と同じ年齢の彩峰慧や涼宮茜、柏木晴子はもちろんのこと、宗像美冴だって歴戦の衛士と呼ぶには若いきらいがあるが、それでも彼らは生き残ることに優れた戦い方をよく知っている。
 それが“知識として覚えたもの”であるのか“身体に染み付いたもの”であるのかは衛士ではないリィルの知るところではないが、巧いと感じさせる以上、その実力は疑いようもなかった。
 尤も、武と同じ部隊だった彼らが辿ってきた戦歴はそれこそ想像を絶するほど過酷なものだったのだが。
「どうか御無事で」
 既に中階層に到達して、CPとも完全に交信を途絶させた第27機甲連隊各隊の仲間の身を案じ、リィルは祈る。
 生憎と彼女は無宗教者であり、信仰する神などいない。だから宗教に則った礼拝の作法もやり方も知らず、ただ強く祈ることしか出来なかった。

 さて、何に祈ろうか。

 そう考えた時、リィルの脳裏を掠めたのはたった1人の女性。
 リィル・ヴァンホーテンにとって最も近しい他人である中年の女性。
 役立たずであるこの身を1つの悪夢から醒ませてくれた人生最大の恩人。

 その人は母親でも神でも、ましてや聖母でもなかったが、祈りを捧げるには充分な相手だった。




 白銀武が生きたハイヴに突入するのはこれで2度目のことだ。
 1度目は彼の桜花作戦において、地球最大のフェイズ6ハイヴ「オリジナルハイヴ」。そして2度目がこのH11「ベオグラードハイヴ」である。
 H11がフェイズ5とフェイズ6の中間程度の規模であると判断するのならば、武にはつくづくハイヴ運がないとも言えた。
「セイバー1よりストライカー1。前方の様子はどうだ? ディラン」
『こちらストライカー1。進行方向の横坑に敵影はありません。……むしろ静か過ぎて気味が悪いんすけど……』
「悪いことじゃない。もう少し哨戒を継続していてくれ」
『了解』
 武の言葉にディランは了解の旨を返し、哨戒行動に戻ってゆく。
 彼にはそう答えたものの、気味が悪いという感覚は武とて同じだった。
 突入してから中階層に到達するまで、接敵頻度が想像以上に低い。もちろん、まったくBETAに遭遇しなかったわけではないが、2個中隊はおろか1個中隊規模でも悠々と対処出来る程度のものでしかなかった。
 フェイズ5ハイヴはおろか、フェイズ4ハイヴでもそうそうあるようなことではない。
「周辺に敵の存在は見られず……か。このまま何事もなく主縦坑に辿り着ければいいんだけどな」
 戦術機の各種センサー類を確認し、武は大きくため息を漏らす。
 すべての突入部隊は、広大な地下茎構造を下へ向かって進みながら、地表構造真下の主縦坑を目指すことになっている。
 主縦坑は反応炉に直結してはいないが、反応炉フロアのすぐ真上まで一気に降下出来る唯一の経路だ。複雑な地下茎構造を進軍するよりは余程建設的な経路であるのだが、そこに至るまでが実に茨の道。
 地表構造の孔(ベント)から直接主縦坑に強行突入することが自殺行為である以上、再突入殻の衝突でより主縦坑に近い突入口を確保するという戦術は、人類が鎬を削って作り上げた有用な手段だった。
 武にすれば、戦術機に搭乗してのハイヴ突入は初めての経験だ。桜花作戦におけるオリジナルハイヴ突入は極めて特殊な状況であったため、厳密に言えば彼は戦術機に搭乗していなかった。

 何年衛士をやっていても、この巨大地下空間への畏れは薄まることなどない。

「まさか……そんな簡単にはいかないだろうな」
 頭に浮かんだ幻想を即座に武は打ち消す。
 このまま何の問題もなく、ハイヴを制圧出来る可能性など皆無に等しい。経験的にも直感的にもそれを武は知っている。
「CPとの交信が途切れてからもう10分……。マリア、そっちは何か拾ったか?」
 自分たちが兵站の確保されている領域から完全に離脱したことを確信した武は、後方警戒を命じているマリアにそう訊ねる。
『いえ。他部隊との通信も不能です。何れも近くにはいないと考えるべきでしょう』
「せめて隣接している広間か、横坑にでもいてくれれば連携も取れるんだろうけど……ハイヴ攻略はやっぱり孤立無援が当たり前だな」
 マリアの返答に武は頷く。所詮は有線も確保されていない戦域での戦闘だ。部隊間交信が出来ると期待する方が間違っている。
『はい。私たちも速やかに進軍するべきかと』
「分かってる。ディラン! そっちは何か拾えてるか?」
 念のためディランが他部隊との交信を成功させていないかも問いかける。成功させていればそれは願ってもないことだ。

『――――――――――』

 だが、肝心の応答は確認出来なかった。
「ディラン…!? 答えろッ! ストライカー1! 応答しろッ!!」
 正しく言えば、相手が答えないのではなく、通信自体が繋がらない状態だ。音声も画像も途切れ、ノイズが喧しく妨害している。
『白銀中佐!』
「271戦術機甲中隊(セイバーズ)前進! 2機連携は崩すな!」
『了解!』
 武は周囲を固める前衛小隊の部下全員に先行命令を出し、その後にやや緩やかに前進を開始する。その間に追いついてきたマリアが武の隣に並んだ。
「マリア! どうだ!?」
『こちらセイバー2。依然、ストライカーズ全機との通信不能です……!』
 両翼小隊を揃えた武は一気に噴射ユニットで加速。濫用は得策ではないが、今は少しでも早く状況を確認しなければならない。
 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)はそれを率いるディランも含めて非常に安定性の取れた部隊だ。際立った派手さはないにしても、堅実な戦果を挙げられるだけの能力を備えている。
 その272戦術機甲中隊(ストライカーズ)がここまで即座に交信を途絶させる事態などそうそう考えられない。
 だが、ここはハイヴ内部。BETAにとってのホームグラウンドである。

 船団(フリート)級か……?

 一瞬過ぎった憶測を武はすぐに否定する。
 船団(フリート)級の存在は極めて脅威だが、出現の際には強力な震動を伴う。横浜基地であったように、支援砲撃の揺れに紛れるならば奇襲も可能だが、地下茎構造の内部ならば直前には存在を察知出来る筈だ。
 偽装横坑(スリーパー・ドリフト)の可能性もあるが、確証に足る根拠がない。
 どちらにしても、接敵した場合は武の元に報告の1つでも届く筈である。それすらもないというのはあまりにも奇妙だった。
 孤立無援状態の彼らには広域管制の援助もないため、互いの交信が途切れればマーカーも確認出来なくなる。分かるのは、直前までどこにいたか、という情報だけだ。
「セイバー1より272戦術機甲中隊(ストライカーズ)! 応答せよ!! 繰り返す! 応答せよ!!」
 無事でいてくれと切に願いながら武は再度、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)各機に対して交信を試みる。
 だが、次の瞬間――――――

『何すか? 白銀中佐』

 ストライカー1のコールナンバーを持つ者から、あっけらかんとした応答が返ってきた。それと同時に横坑の向こうから接近してくるラファールの一団が視認出来る。
「ディラン!? 無事か!? 何があったか報告しろ!」
『はい!? 報告って……相変わらずBETAの存在は確認出来ませんけど……』
 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の無事に安堵しつつも、武はディランから返ってくる何とも噛み合っていない返答に思わず眉をしかめた。
『白銀中佐、様子がおかしいです』
「………分かってる。俺が早計だったよ」
 簡潔に、尚も鋭く抉り込んでくるマリアの言葉に武は無意識のうちに頭を掻いて答えた。この様子では、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の方には“何もなかった”と結論するのが妥当だろう。
「……でも、何かしたんだろ? まさか、通信が途絶えたことに気付かなかったなんて言うわけないよな?」
『気付いたから反転したんですって。もう少し先も探ろうかとちょっと前進したら、急に通信が繋がらなくなって焦りましたけどね』
「………待て。前進した、だって? いくら?」
『ほんの100mほどです。データ送ります』
 その言葉と同時にディランから送られてきたデータを見て、武の表情は更に険しくなる。
 確かにディランたちが横坑を前進したのは約100m。武たちから見れば直線距離で1500mも離れていないポイントだ。直接、接続していない横坑ならばまだしも、移動距離すら2000mを超えない以上、普通に考えて無線が繋がらなく可能性は低い。
「了解だ。次からは行動に出る前に報告しろ。通信が出来なくなるのは痛い」
『了解です』
「よし、271及び272戦術機甲中隊(セイバーズ及びストライカーズ)、楔型弐陣(アローヘッド・ツー)で前進再開。先行部隊に追いつくぞ」
『了解!』
 武のその号令に応じ、24機のラファールで構成された一団が再び、広大な地下茎構造の最深部を目指して進軍を開始する。
 軌道降下から突入した部隊は未だすべての突入部隊の尖兵となって、進軍経路を拓きながら自らも反応炉を目指していた。
 故に、武たちの当面の目標は先行突入部隊に追いつくことだ。
 無論、予定の進軍経路は異なるが、そんなものはBETAの動きによっていくらでも変更し得る上、何れの部隊も第一に目指すのは主縦坑。中心に向かえば向かうほど、互いの距離は近付いてゆくのは自明の理である。
 そうであるならば、連携しない手はない。また、連携出来ずともせめて情報交換が出来れば相当なプラスになる。
 広域データリンクから外れるという状況は、それだけ外界に対して脆弱なのだから。
 その中、武は四方八方に注意を払いながら、その上で他の考え事をしていた。

 思案するのは先刻の無線不能について。

 単純な距離や障害物による不能とは考え難い。曲がりくねる横坑とはいえ、同一の横坑の内部なのだからそれは尚更だ。
 考えられるのは電波妨害。だが、それも対人に限った話だ。
 もう1つ考えられるのは、この横坑の内壁に電磁波を吸収する何らかの物質が使われているということ。相手がBETAならばそちらの方が可能性としては高い。
 確かに、反応炉やアトリエといったハイヴの主要施設の内壁にはそのような物質が使用されており、近距離でなければ無線通信が不能になる。これはBETAのエネルギー交換方法に付随する現象と言われているが、詳細は未だ不明というのが現状だ。
 先述したように、その物質自体を通信妨害の意図でBETAは使用していない。即ち、主要施設とは一切関係のない、“中階層の横坑”に使われるような物質ではない。
 もし使われていたとすれば、別の意図で使われているということだろう。
 それこそ、通信妨害の意味で。
 無論、BETAがそのようなことをするという前例はなく、同時にこれからも生まれる筈はない。生まれる筈はないのだ。

 我々が考えなければならないことは、“あり得ないことが起きたのならば、何故それが起きてしまったのか”だ。

 武にとって直属の上官であるレナ・ケース・ヴィンセントが以前、電話口で言っていた言葉が脳裏を掠める。
「………こういうのを、嫌な予感って言うんだろうな」
 チリチリと鈍い痛みが眉間に走っているような感覚がして、武は舌打ちをしてそう呟く。
 彼は自身を先見の明がある方だとも、思慮の深い人間だとも思っていないが、ここ一番の直感は恐ろしい程に信用出来ると思っている。
 殊更、嫌なものについては。
 その瞬間、搭乗するラファールのセンサーが喧しい警鐘を鳴らした。
『ストライカー1よりセイバー1! 前方よりBETA群接近中! 中隊規模です! 先頭は要撃級2!』
 ほぼ同時に先駆するディランからにじり寄る脅威についての報告が入れられる。
 武はキッと前を睥睨し、口を固く結んだ。
 あからさまな戦闘意識。今ある一抹の不安は頭の片隅に置き、ほぼすべての神経を、操縦桿とスロットルペダルにかけた四肢に集中させる。
 今出来ることは逸早く反応炉を破壊し、収集したあらゆる情報を持ち帰ることだけ。
 そのためならばたとえ生き汚くとも、地を這いずり回ることも厭わない気概はある。
 ラックから長刀を引き抜き、己の最大効率の死に様はまだ先の話だと言わんばかりに武は力強く咆哮した。
「戦車級以外の小型種は構うな! 先頭を薙ぎ払い、そのまま突破するッ!!!」
『了解ッ!!!』



[1152] Re[26]:Muv-Luv [another&after world] 第26話
Name: 小清水◆7e60feb0
Date: 2007/11/28 00:14

  第26話


 薙ぎ払った長刀が雁首並べた要撃級の首を一時に刎ねる。
 武は別段、剣の心得などない。剣道を学んでいたわけではなければ、他の武術に長けているわけでもない。
 ただ、衛士として戦場に身を置いてきたことで、効率良く敵を殺す方法と自らが生存する方法をその中から学び取ってきただけに過ぎない。故に、その点においてはその道に通ずる者には絶対的に劣っていた。
「ちっ……!」
 4体目の要撃級の首に刃が喰い込んだその時、ピシっという不吉な音に続いて長刀の切っ先が折れた。
 折れた先端部を首に残したまま、要撃級は武目掛けてその頑強な前腕を振り下ろしてくる。舌打ちをしながらバックステップでそれを躱すと、同時に飛来した36mm砲弾が追撃せんとする要撃級を穿った。
 頭部に3発、身体の中心に5発。確実に有効なダメージを与えられる部位に必中したそれは、後方のマリアが放ったものだ。
『BETA掃討完了。やはり、中階層を突破してから遭遇率が跳ね上がりましたね』
 お互いの死角をカバーし合うため武と背中を合わせるマリアがそう告げる。周囲は同じく271戦術機甲中隊(セイバーズ)のラファールが展開し、更に周辺にはBETAの死骸が散乱していた。
「今の偽装横坑(スリーパー・ドリフト)は手が込んでたな。狙ってやってきたとは思いたくないけど」
 面白くなさそうに武は鼻を鳴らして答える。
 先刻の襲撃は、まず部隊が通過した後に後方で偽装横坑が口を開き、中隊規模のBETAが顔を出した。反転し、陣形を再編してそれに応戦している最中に、2つ目の偽装横坑が部隊の横腹を穿つように開いたのだ。
 対処出来ない数ではなかったが、最も意識が散漫としている折に受けた2度目の奇襲で271戦術機甲中隊(セイバーズ)は2機を失うまでに至った。
『中佐の長刀も最早限界ですか』
「まだ使えないことはないけど……戦闘中に折れられるよりは破棄しておいた方が賢明だな。まあ、代わりに36mmはそっちより残してるさ」
 切っ先を失い、突き刺すことが出来なくなった武の長刀。その形状は、差し詰め罪人の首を刎ねることを目的としたエクスキューショナーズ・ソードのそれに近い。
 尤も、その耐久値は既に信頼を大きく損なうレベルまで低下しているのだが。
『ストライカー1よりセイバー1。こっちも掃討完了しました。進軍経路確保も完了です』
 同時に前方から襲撃してきたBETAと交戦していた272戦術機甲中隊(ストライカーズ)のディランから報告が入る。データリンクで確認したところ、向こうも今の戦闘で1機失ってしまったらしい。
「了解。この先に広間(ホール)がある。そこまで一気に進むぞ」
『了解!』
 既に周辺の構造はおおよそ頭の中に入っている武は、マップを確認するまでもなく次の指示を下した。その言葉通り、確かにここから800mほど先に、4つの横坑と縦坑が交錯する広間がある。
 現在地の深度は約1400m。フェイズ5だったH11の最大深度は2150mであるため、数値としてはまずまずの位置だ。ただし、実際に現在のH11は恐らく深度3000mに肉薄するレベルまで達していると予測されるので、ようやく半分と見る方が正しい。
 武も当然、そう判断していた。
 ここまでと同じ進軍ペースでは反応炉に至るまで装備が保たないが、無論そちらも承知の上である。
 そう…“ここまでと同じ進軍ペース”では拙いのだ。
『主縦坑まで直線距離約2700。ここからが正念場、ですか』
『下に1500下りるよりも、水平に2700進む方が遥かに現実的っすからね。移動距離だともしかして5倍くらい違うんじゃないですか?』
「最短距離計算で5.26倍も違う。あと広間を2つ中継すれば主縦坑に到達だ。全員気は抜くなよ」
 マリアとディランの会話に応じた武の言葉に、部隊の全員が了解の旨を答えた。その間にも目的の広間の入り口が目視で確認出来るようになってくる。
 ハイヴの地下茎構造においては縦坑よりも横坑の総計距離が圧倒的に長い。それはつまり、ハイヴを下に潜るには、それよりもずっと水平方向に歩かなければならないのだ。
 感覚としてはずっと傾斜の緩やかな坂を下り続けているものに近い。
 そんなところを延々と行軍することは、武とて勘弁願いたかった。
「広間突入後は各小隊で分岐横坑及び縦坑を確保。最短ルートが安全と判断でき次第、そのまま進行を再開する。兵器使用は自由だ。広間をBETAに押さえられていた場合は即時奪取を最大目標とする」
『了解』
 武の指示にまず272戦術機甲中隊(ストライカーズ)各小隊が速度を上げ、広間に突入。続いて271A小隊、271C小隊が入り、殿は271B小隊が務めた。

 広間に突入した瞬間、誰かが息を呑むのが武には分かった。

 ここまで行軍してきた彼らすら、初めて見る予想外の光景が広間に広がっていたからだ。
 散乱するのはF-15Eの残骸とBETAの死骸。数としてはどちらも1個中隊規模だろうと推測出来る。
 ここはBETAの巣窟であり、突入した部隊は自分たちだけではないのだから、あり得ない光景などでは決してなかった。
 だが、ここまで同胞の骸に遭遇してこなかった彼らは、無意識的にその選択肢を除外していたのだ。
『先行部隊……ですかね?』
「いや、先行部隊にしては装備が整ってる。多分、後発部隊のトップだろ」
 遠巻きに眺めることしか出来ないディランが呟くように言った言葉に、武は残骸の兵装状況から導き出した結論を述べる。ここまで来てしまえば先発部隊と後発部隊にさして大きな差異があるわけではないが、それでも先行した部隊はここまでまったく補給を行っていない筈だ。
 それを鑑みれば、ただの残骸となった部隊の携行弾薬はやや多い部類に入っていた。
 ガラクタ染みた戦術機の残骸は、原形を留めているものもあれば、そうでないものもある。
 武の眼下に崩れ落ちている機体は、四肢を捥ぎ取られ、食い破られた胸部の装甲の隙間から赤々とした鮮血が滴り落ちている。
 くっと、武は忌々しげに口元を歪めた。だが、すぐに渦巻く感情を抑えつけ、平静を過ぎた無情を装う。感情に流されることが、軍人として、指揮官として愚かしい行為だとよく知っていた上での行動だ。
「……ディラン、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)に分岐路警戒を任せる。271戦術機甲中隊(セイバーズ)は2分以内に戦術機の残骸から予備弾倉を回収するぞ」
『了解。272戦術機甲中隊(ストライカーズ)は小隊単位で各分岐路を巡回するぞ』
 武の指示に応じ、ディラン率いる272戦術機甲中隊(ストライカーズ)が散開し、敵の襲撃に備えるべく巡回を開始した。同時に武は最も近いF-15Eのラックに残る長刀の柄を握り、そこから強引に引き剥がす。
 予備なのか、それとも最初からほとんど使われていなかったのか、その長刀はほとんど新品同様だった。
「マリア、そっちはどうだ?」
 ありがたく拝借させてもらったその長刀を自らのラックに背負い、武は己の相棒にそう呼びかける。生憎と武の傍らの機体にはほとんど弾薬が残っていないようだ。
『ラックの突撃砲から予備弾倉を2つ回収出来ました。これならば反応炉までは保つかと』
「そっか……1人頭、1つくらいは弾倉の補給が出来そうだな」
 マリアからの返答に、武は一息ついて答える。
 向こうが1個中隊なのに対し、武たちは2個中隊だ。その差を考慮しても、弾倉が1つ補充出来るということは実に貴重である。恐らく、この場で果てた部隊も相当の実力を持ち、場数を踏んできたベテラン集団だったのだろう。そうでなければこれほど弾薬を残していたりはしない。
「こういう時、S-11で自爆されてなくて良かったと思っちまうな。身勝手な話だけど」
『そうですね……。彼らのことを考えると、少し自分が嫌になります』
 1機たりとも自決した様子もないこの惨状を、武はその実、本当にありがたく感じてしまっていた。実際にBETAに殺された衛士たちにしてみれば、自決装置で周辺諸共、木端微塵に吹き飛んでしまった方がどんなに楽だっただろうか。
 武とて恐らく、同じような状況に陥れば迷わず自決装置の起動スイッチをカバーガラスごと拳で叩きつけるだろう。
 マリアも武と同様のことを考えていたのか、“彼らが自爆することなく殺されてしまったこと”を貴重と感じている自分に激しい嫌悪感を露わにしていた。

 皮肉な話なのだ。
 友軍部隊が自爆しなかったからこそ、武たちはより長く戦える機会を得ることが出来たのだから。

 刹那、極僅かに振動センサーが波形を生む。
「………BETAの移動振動じゃないな……S-11の爆発……か?」
『恐らくは………。突入してから同型の波形を既に4度記録しています』
「突入部隊の半数近くはもう潰滅していると考えるのが妥当か。むしろ……よく保ってる」
 チッと舌打ちをしながらも、決して悪い状況ではないと武は言う。
 フェイズ5ハイヴ相手に“まだ”半数なのだ。地上でも地下でも友軍は本当によく戦っていると思う。
 だが、自分の部下たちを含め、武の知る人物が属する部隊が他に併せて6個中隊も突入しているのだ。半数が潰滅しているという状況を確率論で見た場合、それは途轍もなく面白くない状況でもあった。
『白銀中佐。S-11はどうされますか?』
 マリアの問いかけに武はちらりとF-15Eの残骸を一瞥する。
 彼らが自爆していないということは、そこにはまだ反応炉破壊用高性能爆弾であるS-11がまだ残っているということに他ならない。
 S-11はハイヴ突入を行う機体に必ず搭載され、反応炉に到達した場合にその威力をもって反応炉を破壊する目的で運用される。
 だが実際の場合、ほとんどが自決用として使われてきた。
 殺される恐怖を取り除き、周辺のBETAを巻き込みながら、地下茎構造に大きな損害を与えるための兵器。
 その二面性を持つ兵器こそ、S-11であった。
「……置いていこう。持ち運ぶには手で抱えるしかないし、何より速度が落ちる。火力は魅力的だけど、デメリットの方が大きいだろ」
『はっ! では、271戦術機甲中隊(セイバーズ)各機、陣形を再編します』
「頼む」
『白銀中佐ッ!!』
 武がマリアに答えるとほぼ同時に、ディランがまるで声を上げるように彼の名を呼んだ。その声調から、何か予期せぬことが起きたのだと武はすぐに理解する。
「どうした!? BETAか!?」
『しっ……振動センサーに感あり! 横坑の向こうから多数のBETA群進行中!』
「方角は……クソッ…! 最短ルートか……!!」
 徐々に大きくなる揺れの中、第27機甲連隊各機は臨戦態勢のまま、武の次の指示を待つ。相対し、判断を委ねられている武はコンソールを拳で叩きつけたくなる衝動を抑えながら、次の手を思案していた。

 迂回するか、突破するか。

 どちらにしても追手のBETAは容易には振り切れないだろう。
 推進剤残量の制限がある彼らと、ここをホームグラウンドとするBETAではその進行速度にはそう大きな差異はないからだ。それが突撃級ならば追いつかれる可能性も決して低くない。
「………ルート再考。各自データリンクで確認しろ!」
 ほんの数秒、かつてないほどに熟考した武は、1つの決断を下す。新たに再考した進行ルートを編成し、すぐに仲間へと提示する。

 その再編されたルートには、誰しもが一瞬言葉を失った。

『白銀中佐……このルートは――――――』
 驚いているのはマリアとて例外ではない。だが、誰よりも経験豊富で冷静沈着な彼女は、驚きの表情は隠さずにそのまま武へと問い返してくる。
「マリア、前言撤回だ。使えるものはありがたく使わせてもらおう」
 やや強張った苦笑いを浮かべながら、マリアが質問を言い終わらないうちに武はそう告げた。




『レギンレイヴ6よりレギンレイヴ1! 先頭に要撃級8! 小型種は既に計測不能です!』
『畜生ッ!! こっちが最大戦速で引き離せないからって……!!』
『進行方向の先からも集まってきています……! 推定総個体数…12000! 御剣大尉っ!!』
 自分の中隊の部下から引っ切り無しに繋がれてくる通信に、彼女 御剣冥夜は思わず「くっ…」と呻き声にも似た声を漏らした。
 最先頭の要撃級を120mmで蹴散らし、尚も後退を継続するが、横坑の先から迫ってくるBETAの数は加速度的に増加している。2個中隊レベルがどんなに応戦しようとも、その増加量を上回るだけの働きなど出来る筈がない。
『御剣さん! BETAに構わず後退を! 第8中隊(ランドグリーズ)が支援します!』
 指揮官ながらも部隊の殿を務め、長刀で鮮やかに複数のBETAを斬殺する冥夜。その彼女ににじり寄る1体の要撃級を一条の砲弾が貫いた。
 放ったのは珠瀬壬姫。冥夜の第5中隊(レギンレイヴ)と共に突入した同じく戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)に属する第8中隊(ランドグリーズ)、その中隊長を務める、幼さの残る小柄な衛士だ。
 彼女は冥夜の部下たちよりも更に後方にいる筈だが、冥夜の刀捌きと同じくらい鮮やかな精度で最も近いBETAを撃ち抜いてゆく。
「珠瀬! 後方の様子はどうなのだ!?」
『BETAの挟撃はありません! こっちは大丈夫ですから!』
 壬姫の援護に助けられながら、冥夜は無数の36mmを同じく無数の戦車級にお見舞いする。砲弾1発で纏めて4、5体し止められるほど密集しているが、そもそも絶対量に差があり過ぎて、彼女の攻撃もその場凌ぎにしかならない。
「くっ……これでは後手に回るしかないか。第5中隊(レギンレイヴ)、第8中隊(ランドグリーズ)各機、即時反転! 最大戦速で広間まで後退し、BETAを振り切るぞ!」
『りょっ…了解!』
 長刀を一閃させ、退路に塞がる要撃級を薙ぎ払った冥夜は、部下を追って戦速後退を開始する。
 都合20機にも及ぶ蒼穹の不知火を駆る彼らは、現在ハイヴ内を行軍中の部隊の中で最も主縦坑に近い部隊だった。
 そんな彼らに、最下層のBETAが多数群がってくることは当然のことであり、そのBETAを惹き付け、打ち払うことこそ尖兵となって突入した彼らの務めである。
『たっ…珠瀬大尉!! 後方から何か来ます!!』
『――――――っ! BETAですか!?』
 壬姫よりも先を行く、第8中隊(ランドグリーズ)の衛士から報告が入った。その“何か来る”という発言に、冥夜を含めこの場にいる全員に戦慄が走る。
『いえっ………これは……ラファールッ!?』
「『―――――――――っ!?』」
 続く言葉に誰しもがハッとする中、追撃してくるBETAの体躯を無数の砲弾が穿った。
 ほぼ同時、壬姫の横をすり抜け、瞬く間に冥夜よりも前に出るのは、欧州軍が運用する第3世代機「ラファール」だった。
 3機のラファールはそのまま冥夜の前に展開し、36mmの一斉射でBETAの先頭を釘付けにする。

『こちら欧州国連軍 第27機甲連隊 連隊長 白銀武だ。冥夜、たま、部隊はまだ戦えそうか?』

「なっ……!?」
『たけるさんっ!?』
 予期せぬ、あまりにも予期せぬ友軍の登場に冥夜も壬姫も思わず声を上げる。
 セイバー1のコールナンバーを持つ武は、1度冥夜の横に立ってそう訊ねたかと思うと、そのまま自らも長刀を構えてBETAの群れに吶喊した。
 振り下ろされる前腕と、飛びつかんとする戦車級を軽やかなサイドステップで尽く躱し、一刀で敵を駆逐する。
 その、無骨で荒々しい一撃は、冥夜の放つ鮮やかな斬撃に比べると実に粗末なものだが、逆に力強さが何よりも際立っていた。
 冥夜とて、彼の部隊が地上からハイヴに突入することは知っていたが、まさかそこで巡り合う機会が訪れるとは、根拠の無い期待こそすれ、叶うなどと思ってもいなかった。
『ッ………!?』
 驚きで呆然とする冥夜は、一瞬その動きを止める。故に、その間合いまで1体の要撃級が入り込んでいたことに気付くのがほんのわずかに遅れた。
 振り下ろされる前腕。それよりも早く冥夜は回避行動に出るが、明らかに躱し切れる打撃ではない。
『―――――――ッ!!』
 その瞬間、冥夜を危険に曝していたその前腕2つが瞬く間に付け根から飛んだ。
 彼女の窮地を救ったのもラファール。右手に持った長刀で要撃級を斬殺したそのラファールは、左手に持った支援突撃砲を撃ちながら武を追従して敵中に突入する。
『第5中隊(レギンレイヴ)、第8中隊(ランドグリーズ)、戦闘は続けられるか?』
 再度、武は問う。今度はやや軍人的な問いかけ方だった。
『第8中隊(ランドグリーズ)なら大丈夫です』
「………第5中隊(レギンレイヴ)も短時間ならば問題ない。だが、そなたは何をするつもりなのだ? タケル」
 壬姫の応答に続き、冥夜も自己の中隊の状態を述べる。
 確かに、事実上戦闘の継続は可能だ。だがそれは、相手がそもそも対処可能な規模であることに限る。
 いくら彼女たちが精強とはいえ、1万に達するBETAを殲滅することなど最初から不可能だ。
『広間から別ルートを使って迂回してもメリットは低い。どうせ目的地は同じなんだから、俺たちに便乗しないか?』
「便乗……? どういう意味だ?」
『今ルート送る』
 その返答に続いて、武から部隊間データリンクを通して彼が導き出した再考ルートの詳細が送られてくる。無論、冥夜や壬姫のみならず各中隊の全機へ同時に、だ。

 その再考されたルートの全貌に、誰しもが顔色を変える。
 つい先刻、武の直属の部下たちですらそんな表情をしていたとは知る由もなく。

「この経路は……そなた、正気か!?」
『これって……正面突破……ですよね』
 冥夜が口を開くのとほぼ同時に、壬姫も驚きを露わにしたまま応じた。どうやら、壬姫の心中も冥夜とさして変わらないらしい。
 それほどまでに提示されたルートは強攻策だった。
 武から提示された新たなルートは、事前に組まれていたルートとほぼ変わらないものだ。途中に、大きく下に伸びる縦坑を挟んで5層ほど下る分、危険度が上がるが、後退して迂回するよりも遥かに移動距離が短い。
 否、当初予定されていた最短距離と比べてもほとんど遜色なかった。
「確かにこの縦坑からはBETAが出現していないが………この距離では最大戦速でなくては引き離せぬぞ」
『引き離せないなら追いつけないようにしてやればいいさ』
『たけるさん、第5中隊(レギンレイヴ)の推進剤は半分を切ってるんです』
 意図の読めない武の言葉に、壬姫がやんわりと否定的な意味を込めて事実を述べる。確かに、冥夜を含め彼女の中隊の不知火は何れも、推進剤の残量が心許ない。この場は凌げたとしても、反応炉に到達するまでに幾度とない戦闘が想定される以上、無謀な行為だけは避けたかった。
『BETAが追撃してこなければいいわけだろ?』
『どういう意味……ですか? まさか……ここでBETAを惹き付けるつもりじゃ………』
 誰が、などとは決して問わない。
 何故ならば、そこにいる男はそんな危険な行為を誰かにやらせるくらいなら自分からやろうとしてしまう人間だからだ。
 加えて言えば、冥夜が知る限りでも最高レベルの操縦技能を持つ彼の生存率が、誰よりも高いということもその決断材料になり得る。
『囮は対BETA戦術の基本だからな』
 更に、1度冥夜たちのところまで後退してきた武もあっけらかんとそう言ってのけた。
『そんな………!』
 壬姫の表情がやや青褪めるのが冥夜から見ても分かった。尤も、彼女の心境は冥夜だって分かる。彼を信頼している反面、出来れば無茶なことはして欲しくないと願っているのは冥夜のみならず、207B分隊一同共通の想いだ。
「良い、珠瀬。私もそなたと同じ気持ちだが、タケルの言うことも至極尤もだ」
『御剣さん!?』
「決まりだな」
 冥夜の言葉に、壬姫は声を上げ、武は何故かしてやったりと言うように口元を吊り上げる。
 だが、そんなふうに不敵に笑いたくなるのはその実、冥夜も同じだった。
「見縊るでないぞ、タケル。そなた、最初から囮を立てる気など毛頭ないのであろう?」

 冥夜は気付いていた。
 珠瀬壬姫は根本的に1つ勘違いをしている。
 今、自分たちの目の前にいるのは、同じ部隊で切磋琢磨してきた“衛士の1人”ではなく、多数の部下と厚い信頼を抱える“ただ1人の衛士”なのだ。
 その彼が、容易に挺身の選択肢を取れる筈がない。
 武は、冥夜や壬姫以上に、部下に対して「死んでくれ」と命じることが出来る立場にあり、同時にそのように命じることの重荷を一身に背負わなければならない人間なのだから。

『何だよ……気付いてたんなら先に言えって』
「そう言うでない。珠瀬を謀った責任、そなたと私で分担出来るぞ」
『了解。それで手打ちだ』
 くっと笑い合い、冥夜と武は同時に地を蹴る。左右対称に長刀を構えたまま敵中に吶喊し、BETAの先頭集団を薙ぎ払った。
『あの……どういうことですか?』
「先程の冗談はともかく、プランの委細はまだ聞いておらぬな。実際にどんな手を使うつもりなのだ? タケル」
 今の今までからかわれていたのだとようやく気付いた壬姫と、気付いていた冥夜がそれぞれ武に問いかける。
『追手をS-11で吹っ飛ばす』
 武から返ってきたのは、そんな簡潔且つ途方もない作戦プランだった。
 確かに、広域に渡る爆破範囲を持つS-11を横坑内部で使えば、1発ないし2発でそれこそ万単位のBETAを打倒し得る。

 だが問題は、その爆発の範囲から自分たちが脱出することが最も難しいということだ。

 S-11の起爆方法は大別して3つある。
 1つは、直接起爆スイッチを叩く方法。これは必然的に自決に用いられる。
 もう1つは、遠隔起爆装置を利用して、遠距離から起爆コードを送り込む方法。この場合は局所破壊に用いるのが一般的だ。
 そして最後の1つがタイマーで起爆させる方法。これも局所破壊に向いている使い方だが、遠隔起爆法には決して真似出来ない使い方も出来る。

 例えば、タイマーを設定し、頃合を見計らって敵中に放り込む、など。

 この時に問題となるのが、その時間だ。
 短過ぎては自分たちが爆発に巻き込まれ、長過ぎてはBETAによって破壊されてしまう。
 横坑内部では上下に空間が少ない以上、爆発の余波は横に大きく広がると見て良い。故にタイマー起爆をする場合は、その設定時間が生存の是非に大きく関わってくるのだ。
 否。むしろ、爆発の余波を免れることはおおよそ不可能に近い。
 それを冥夜自身は、桜花作戦の折に身をもって体験している。
「『………縦坑…!』」
 不意に、そう声を上げたのは冥夜と壬姫、同時だった。
『御名答。S-11の爆破は横坑と縦坑の境界で行う。横坑で起爆させて、俺たちは縦坑に退避だ』
「経路の縦坑をそのまま壕に利用しようというのか。そなた、考えたな」
『そういうこと。ディラン! 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)は先行して起爆ポイントを確保だ!』
『了解!』
 冥夜に頷き返した武はすぐ新たな指示を出す。その言葉に、ディランと呼ばれた武の部下らしき衛士が応答し、即座に行動を開始した。
 疾駆するのは1個中隊規模の集団。恐らく、ディランという男性は武の部下であり、ストライカーズという中隊の中隊長を任されているのだろう、と冥夜は結論する。
「珠瀬! ストライカーズの援護を!」
『了解です! 第8中隊(ランドグリーズ)、全機前進してください!』
 指定された横坑は何の因果か、すぐ目前にある。
 冥夜たちが行軍せんとしていた横坑から分岐した先で、更に地下へ向かってぽっかりと口を開けているのだ。
 距離にして500もない。だが、行く手にはBETAが幾重にも連なった壁となって立ち塞がり、実際以上の距離があるように見えた。
 その敵中に、ディランが率いる中隊は猛然と突入し、それに襲い掛かるBETAは壬姫が率いる第8中隊(ランドグリーズ)の不知火が尽く打ち払う。
『ぼーっとするなよ、冥夜! こっちはもっと派手に立ち回らなきゃいけねえんだぞ!』
「心得ている」
 武の言葉に呼応し、冥夜は自らを更に奮い立たせる。
 武の支援として後方から放たれた砲弾は、怒涛の波のように押し寄せる戦車級の群れに小さな穴を穿った。
 その間に武が周囲の要撃級を斬り伏せたので、冥夜自身は自身の小隊を率いて敵中に突入する。
『無茶すんなよ』
「何、そなたには劣る」
 冥夜に遅れることほんの数秒、武も小隊を引き連れて敵中に身を投じた。彼女も彼も、共に部隊を率いる身だが、後方支援など性には合わない。
 背中を合わせ、物量に圧倒されることなくBETAを斬殺しながら冥夜は武と視線を交わし、笑い合う。
 網膜投影とは実に便利なものだと、こういう時にも感じる。
 丸腰では、背中を合わせながら視線を交わすなどという芸当、出来るものではないから。
『今は時間を稼ぐことに徹しろ! 弾薬の消費は抑え、機動と連携で敵を撹乱してやれ!』
『了解!』
 武の指示に、2機連携を組んだラファールが一斉に散開する。それに釣られ、BETAの注意も大きく散らばった。
 個人技能の実力云々よりも、何よりこの部隊は統率が取れている。
 武の指揮官適正が存外に高かったということか、それとも彼の部下たちが取り分け優秀者揃いなのか、またあるいはその両方か。

 不知火の機体を躍らせ、冥夜は敵陣を翻弄する。
 その手に持つ長刀を薙ぎ、冥夜は敵陣を裂く。
 その瞳に宿る気迫で、冥夜は己の守りたいものを守るために戦い続ける。

 彼女は自嘲した。
 自分は実に現金なものだ、と。
 CPと交信が出来るようになったわけでも、心許ない兵装状況が改善されたわけでもない。
 だというのに、そこに彼がいるというだけで、身体中に力が漲ると感じてしまうのだから。




 上部から降り注ぐ戦車級の群れを躱し、一塊となったその真紅の群れに数十発の36mmをお見舞いする。
 武はそのままバックステップで後退し、後衛の小隊に並んだ。
 BETAは無尽蔵を体現する存在だ。
 正面から物量で対抗すれば、人類は確実に敗走する。しかし、基本的に物量に物を言わせた戦術を取る以外の有効な道は確立されていないこともまた事実。
 だからこその陽動。
 囮こそ対BETA戦術の基本と、先程武は冥夜と壬姫に言ったが、その言葉に一切の誤りはないのだ。
 例えば、支援砲撃は単純な威力制圧の目的だけでなく、レーザー属の脅威から地上戦力を守るためにも用いられる。また、戦術機甲部隊がハイヴに突入する際には、まず地下茎構造内部のBETAを地上に引き摺り出し、注意を散漫とさせたところで突入する。
 このように、BETAを足止めするには複雑な戦略も戦術も必要なく、ただ目標集団の注意を逸らさせてやるだけで充分なのだ。

 故に、武は今、横坑内部という決して条件の良くない状況でも、その能力を遺憾なく発揮して暴れ回っている。

 BETAの注意を惹き付けるには、BETAにより高い脅威対象として認識される必要があるのである。
「ディラン! S-11の設置作業はどうなってる!?」
 怒号にも似た声調で呼びかけながら、武は長刀を構えて再度吶喊する。それに追従し、マリアのラファールが右手に支援突撃砲、左手にナイフという極めて特異な装備状況で敵陣を穿つ。
『あと1基………設置完了です!!』
 計画を開始した時とは異なり、武たちとBETAの立ち位置は完全に反転している。
 先刻まで目標の縦坑はBETAの向こう側だったが、S-11の起爆地点を確保するために吶喊したディランたちに続き、縦坑を背中に構える陣形を取るようになっていた。
 このまま振り切ることも不可能ではないだろうが、地下茎構造の範囲が狭まっているこの先において、この数のBETAに追撃される状況は非常に芳しくない。
「セイバー1了解! ディラン! そのままこっちを支援しろ! 冥夜とたまは先に縦坑を下りてくれ!」
 足は止めることなく身を翻した武は、連続で長刀を二閃させる。初太刀は真横に薙ぐ一撃、続く第2撃は縦に振り下ろす豪快な一撃だ。
『了解!』
『しかし、タケルッ……!』
 武の指示に、中隊を率いて前進するディランと、中隊を率いて後退してきた冥夜が同時にそれぞれの心情を如実に表す反応を見せる。
 中佐である武の指示に少しでも反意を示すなど、冥夜ほど冷静な人物からはあまり想像の出来ない反応だ。加えて聡明な彼女ならば、進んで先だって縦坑を下っても不思議ではない。
 だから武は、「急げ」と言い返そうと口を開きかける。
『レギンレイヴ1、ランドグリーズ1、先行して縦坑下の安全を確保してください。万が一にも挟撃を受ければ全滅します』
 冥夜と入れ違う形で前に出るマリアが、敢えて上官による命令の体を強調した言い方で冥夜と壬姫にそう告げた。
 彼女の言うように、退路の確保も重要な任務だ。
 無論、現状では下方に敵の存在は感知出来ない。だからこそ、装備状況に不安のある冥夜と壬姫の隊を先行して下がらせるのである。
「そういうことだ! 先に行ってくれ!」
『了解です。たけるさん、無茶しないでくださいね』
『……命令とあらば止むを得まい。下で待つぞ、タケル』
「了解。120秒で追いつく」
 ほんの少しだけ、困ったように笑った2人は命令に応じた。それに武はにやっと強気に笑い返し、自身は接近してきた要撃級を一刀の下に打倒する。同時に、総勢20にも及ぶ不知火は、冥夜と壬姫を中心として長く続く縦坑に飛び込んでいった。
「ディラン! タイマーの設定はすべて40秒だ! 271戦術機甲中隊(セイバーズ)は前方300でBETAを惹き付ける! 続け!」
 飛びつく戦車級を噴射跳躍で躱し、反撃として36mmで薙ぎ払う。
 ここまでの、ほんの数分に及ぶ戦いで既に数え切れないほどのBETAを屠ってきた。それでも、押し寄せる波に終わりはない。
 無限大に勝る量数など存在せず、拮抗するのは同じ無限大のみ。
 であるならば、それに対抗する武たちがBETAに打ち勝てる道理はない筈だ。
 それでも辛うじて戦況が一方的に偏らないのは、単純に両者の目的が根本的に異なるからである。

 彼らを殺し尽くそうと迫るBETAと。
 BETAを惹き付けて、時間を稼ごうとする彼らでは。

『距離300……先頭は爆発を免れるかもしれませんね』
「それでも100体は上回らないさ。中ほどから吹っ飛ばす方が効果もあるだろうし」
 珍しく長刀を主体として戦うマリアの、背後から迫る要撃級の首を刎ねた武はそのまま彼女の背後につく。
『退避と同時に、爆発を免れた追手の殲滅……ですか?』
「場合によっては切り捨てる。免れるのは戦車級だけだろうから、100体くらい引き離すのはそこまで難しくない」
『了解!』
 同時に地を蹴り、強襲する要撃級を軽やかに翻弄する武とマリア。押し寄せるBETAの波は、彼らを中心とした渦に変わり、まるで大潮のように蠢いていた。
 足は決して止めない。その場で止まれば、瞬く間に食い尽くされるからだ。
『白銀中佐! タイマーセット完了! カウントを開始します!』
「了解! 271戦術機甲中隊(セイバーズ)即時退避! 縦坑に突入せよ!!」
『了解!!』
 その言葉と同時に、部隊内データリンクで共有され、S-11のカウントダウンが始まる。
 吹き荒れる36mmの嵐は、武たちの後退を支援する272戦術機甲中隊(ストライカーズ)のものだ。
 一時的に荒波と拮抗する嵐。それに伴って前面で交戦を続けていた271戦術機甲中隊(セイバーズ)全機が跳躍ユニットを使って一気に後退を開始した。殿を務め、接近するBETAを打ち払うのは武とマリアの2人である。
『縦坑まで距離250! カウントあと10秒!!』
『中佐! 副長!』
「構うな! 最大戦速で振り切るぞ! マリア!」
『はっ!』
 武とマリアがようやく50m前進したところで、S-11の爆発までタイマーが10秒を切った。そこでようやく攻撃を停止させた両者は、尚も支援を続けるディランのいる場所目掛けて疾駆する。
 刹那のうちに加速。
 第3世代機の中でも極めて優秀な加速性能を持つラファールの本領が発揮される時だ。
「このままの速度で縦坑に進入する! ついてこい! マリア!」
『努力しましょう』
 いちいち縦坑の前で減速をしている余裕はない。進入の瞬間に跳躍ユニットの噴射方向を反転させ、高速転換で頭を下に向ける方法が最善だ。
 その旨を伝える武に対し、既に了承していたのかマリアはふふっと微笑み返して答えた。このような状況で笑えるなど、並大抵の精神力では出来ない。
 271戦術機甲中隊(セイバーズ)も2人を残し退避完了。最後まで支援を継続していたディランも武たちがBETAの群れから脱したことを確認し、先行して縦坑内に進入を果たす。

 距離200 カウント 5秒前。

 スロットルペダルを全力で踏み込みながらも、武の頭は冷静に戦況を分析している。

 距離150 カウント 4秒前。

 この場に集まってきているBETAは確かに莫大な数だが、最下層からすべてが群がってきたにしてはまだ少ない。

 距離100 カウント 3秒前。

 恐らく、武たちが遭遇したのは彼らを目標として上がってきた集団ではなく――――――

 距離50 カウント 2秒前。

 別の意図を持ってして上昇してきたBETA群の、ほんの一部でしかないのだ。

「逆噴射!!」
 距離が零となる直前、武とマリアは同時に跳躍ユニットの噴射方向を上に向け、速度を保ったまま縦坑に進入。
 そしてそのわずか1秒後、すべてを激しく揺るがす巨大な爆発音が地下茎構造内を走り抜けた。



[1152] Re[27]:Muv-Luv [another&after world] 第27話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:c2a2153a
Date: 2007/05/25 19:56


  第27話


 走ったわずかな振動を察知し、彼女は不意に周囲を見回す。
 行軍を続ける横坑はおろか、進行方向の前も後ろも、壁の向こう側にも今はBETAの気配すらない。だが、確かに今し方、振動センサーが一瞬やや大きく振れたと感じた。
 敵の気配がないことで彼女は1度胸を撫で下ろし、顔にかかるその長い黒髪をそっと掻き揚げる。

 彼女 水城七海は、ハイヴ突入はおろか、大規模作戦に参加することも初めてだった。

 幼馴染みの柏木章好と並んで、かつての訓練兵部隊の中では一際優秀者で通っていた七海だが、踏んでいる場数は非常に少ない。それが今現在の彼女における最大の不安要素だった。
 今の上官である白銀武が、教官であった頃言っていた言葉の中にこんなものがある。

 曰く、経験に勝る技能なんて存在しない。

 今までは未熟ながら彼女もその言葉を漠然と、あるいは当然のことのように捉えてきたが、今ここに来て、心境は一変していた。
 経験に勝る技能など存在しない。それを七海は痛感している。
 今だって、彼女は操縦桿を握る手が視認せずとも分かるほどに小刻みに震えているのだから。
『多重爆発だな』
「え……?」
 不意に、自分が所属する275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)の中隊長 レイド・クラインバーグがオープンチャンネルでそう呟く。その言葉の意味がすぐに分からず、七海は驚くしかない。
『さっきから、“らしい振動”は多かったですが、今のは一際大きかったですね』
 レイドの言葉に答えたのは七海本人ではなく、276戦術機甲中隊(ランサーズ)の中隊長を任されているユウイチ・クロサキだった。
 ようやく言葉の意味を理解した七海は、急速に動悸が速くなる。
 ハイヴ坑内で起きる爆発の原因など、S-11以外に考えられない。それがBETAを打倒するために使われたのならば良いのだが、もし自決のためとして使われていたとすれば……。
 そう考えると、七海は不安になった。
『主縦坑まで直線距離2700。ここまでBETAの襲撃が少ないと、逆に嫌な感じです』
『どこかに群がっていると考えるべきか……よもやこれで終いとは言うまい』
 ハイヴに突入すること自体は初めてとはいえ、流石は中隊長を任されるだけある両者だ。現状においても常に冷静さを保っている。
 相対し、七海は自身を奮い立たせるだけで精一杯だった。
 その時、再度ラファールの振動センサーが振れた。しかも、先刻とは異なる種類の反応で。
『ランサー6よりランサー1! 振動センサーに反応あり!』
「っ!!」
『ランサー1了解! どうやら、こっちにも糞野郎どもが来たみたいですよ』
 一瞬戸惑う七海に対し、前衛を固める276戦術機甲中隊(ランサーズ)各機は即座に陣形を展開。横坑の先から進行してくるBETAを迎え撃つ構えを取った。
『正面からやり合うな。大物を排除して、そのまま突破を試みる』
『了解!』
 装備状況もしかと考慮された指示を出すレイドに、2個中隊の衛士はその士気を高揚させたまま声高に応える。
 実戦を含め、この3ヶ月間に渡って白銀武に鍛えられてきた歴戦の烈士たちは、孤立無援のこの状況下においても尚、その気焔を滾らせていた。
 だがそれも、創設時から第27機甲連隊に属する者の話。七海も経験は浅いが、同じくして配属されてきた日本出身の新任少尉たちは更に恐々とした戦いを強いられているだろう。

 それでも、七海も含め彼らの手は反射的にトリガーに指をかける。
 そうあるべくして、訓練を続けてきたが故に。

『水城。深くは考えるな』
 そんな七海の傍らに立ち、レイドがそう言葉をかけてくる。多くを語るわけでも、また何も語らないわけでもなく、ただ戦う前の改まったコミュニケーション。
 彼がその相手に七海を選んだのはきっと偶然ではない。
 ただ敵を殺せと。
 そうすることでしか生き残ることは出来ないのだと。
 レイドのその瞳がそう告げている。
 七海は顔を上げ、それに小さく頷き返した。操縦桿を握り直し、改めてトリガーに指をかける。持ち上げた支援突撃砲の砲口は、彼女の瞳と同じく真っ直ぐに正面を、迫るBETAを見据えていた。
「クロサキ中尉、先頭の要撃級は私が退けますから」
『了解。ランサー1より276戦術機甲中隊(ランサーズ)各機、正面の道はブレイカー9が拓く。ルートを塞ぐ要撃級が倒れ次第、276戦術機甲中隊(ランサーズ)は突破口を抉じ開ける』
『了解!』
 ユウイチの言葉に276戦術機甲中隊(ランサーズ)は左右に陣形を再編し、七海のために射線を確保。その状態でそれぞれが己の得物を構え、いつ吶喊命令が出されようとも遂行してみせるという意志を無言で示していた。

 狙撃体勢を取った瞬間、瞬く間に彼女の思考はクリアになった。

 七海にとっては初めての経験だ。
 照準を定め、目標を撃ち抜かんとするその時において寧ろ冷静になってゆく、というのは。
 異様な緊張感も不安もない。心臓は早鐘を打つどころか、まるで眠っている時と同じかというくらいに緩やかなリズムを刻み、ふわりと身も心も軽くなるような感覚が七海を支配した。
 目標は3体。必中の砲弾を急所に喰らわせ、一瞬で黙らせる。
 そうやって目標を定めた七海の、トリガーにかけた指はもう、震えてはいなかった。




 延々と続く横坑を行軍していれば、やがて大きく開けた空間に出る。広間(ホール)よりもずっと広大な空間を持つ“それ”は、先を見通すことが出来ないほど上下に伸びているものだ。

 主縦坑(メインシャフト)。

 1つのハイヴに1つしかない主要施設の一角。最深部の反応炉ブロックと地上の地表構造の間にある、ハイヴ最大級の縦坑である。
 唯一地上から真っ直ぐに最下層まで伸びるこの縦坑は、ハイヴ攻略に際して突入部隊が最初に目指す場所だ。
「どうだった?」
 先行して主縦坑の状況を確認して戻ってきた壬姫と、主縦坑の警戒を続けている冥夜に対し、武はそう訊ねる。
『初期配置のBETAが地上に出ているのか、思いの外静かだ。降下するなら今しかあるまい』
『そうですね。今なら全機安全に降下出来ると思います』
「鬼のいぬ間に……ってヤツか。やけにあっさりし過ぎてる気もするけどな」
 2人の言葉に、やれやれと頭を掻きながら武は答える。仮にもハイヴの主要施設なのだから、BETAの姿がまったくないというのは奇妙な話だ。
『確かに、決して楽観出来ることではないが、斯様な状況では後先考えることが裏目に出ることもある』
『白銀中佐、私も御剣大尉に同意します。どちらにしても、先に進まないことには始まりません』
 武の傍らに立つマリアが、冥夜の「裏目に出る」という言葉に相槌を打ちながらそう言った。彼女の言う、先に進まなければ始まらない、ということは武も重々理解している。そもそも、ここまで来て躊躇う方がおかしいのだ。
「分かってる。俺にはBETAの考えることなんて予測出来ないから、結局は後手に回るしかないしな」
 少し疲れたようにため息を漏らす武の言葉に、冥夜、壬姫、そしてマリアの3人が同時に頷く。人類にはBETAの行動を事前に予測する術がない以上、相手の出方を見た後に対応の詳細を決定するしかないのだ。

 故に、人類は防衛戦に尽く敗北している。

 敵の行動が読めないことと相手の物量も相俟って、BETAの侵攻を退けることは極めて困難な任務として知られ、多くの資源と人員を磨耗させてきた。
「すぐに降下しよう。うちの272戦術機甲中隊(ストライカーズ)を先行させるから、冥夜はそのままそこで哨戒を続けてくれ」
『了解した』
 応答し、冥夜はしばしの哨戒任務に集中するため通信から外れてゆく。ここまで到達するに第5中隊(レギンレイヴ)も更に2機失ってしまったが、哨戒任務を行う上では問題にはならない筈だ。
 こうして通信が繋がっている限りは。
「ディラン! 聞いてたな? 後方の哨戒はもう良い。先行して主縦坑に向かってくれ」
『了解っす。殿がいなくなるんですから、中佐も気をつけてくださいよ』
「こっちには目の良い2人が揃ってるから大丈夫だって」
 嫌に心配そうなディランの言葉に、武はほんの少しだけ冗談めかして答える。ただし、半分は本気だ。第8中隊(ランドグリーズ)の珠瀬壬姫と言えば極東では名の知れた凄腕の狙撃手。相対し、武の副官たるマリア・シス・シャルティーニは類稀なる空間把握能力を持つ欧州屈指の狙撃手である。
 この面子と長距離で張り合いたいのならば、帝国軍や斯衛軍、ソビエト・アラスカ連合や米軍といった名立たる軍部の名手を連れてこいと言うしかない。
「しっかし……ここに来るまで部隊損耗が3機ってのは………良い推移だな」
 一瞬言葉を続けるか迷った武も、結局は「高評価」を下した。人の命の多いも少ないも、重いも軽いもない。そういう意見が望ましいことも、武は重々承知している。

 だが、軍人の、それも隊長という立場は常に人の命を天秤にかけて生きてゆかなければならなかった。

『戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の方々と併せての平均損耗は4機です。各中隊が1個小隊を失ったレベルでしょうか』
「それでも少ない。4個中隊が集まったことで戦力は上がってるし、すぐに蹴りをつけるべきだろうな」
『そうですね。地上のことも気になりますし』
 むうと眉間に皺を寄せる武に、上で戦う仲間のことを心配している様子の壬姫も強く頷き返す。もし武たちが反応炉の破壊に成功すれば、H11に属するBETA群は他のハイヴに撤退を開始するだろうと、これまでの前例から考えられる。
 結局のところ、ハイヴ内にいる時間は短ければ短いほど良いのだから。
『白銀中佐、これから主縦坑の降下を開始しますよ』
「了解……っと、待て。連続で降下しよう。俺たちもすぐに行く」
 冥夜と合流したディランの通信に、1度は降下許可を出した武だが、すぐに新たな指示を出した。
 本来であれば、安全確保の意味を込めて各中隊が順に降下するべきであり、武もついさっきまでその手段を取ろうと考えていた。
 だが、主縦坑はその辺りの縦坑とは訳が違う。
 推測値でしかないことも事実だが、武たちのいる深度から主縦坑の底まで恐らくおよそ1000mから1500mはある。それだけの距離が離れては、いくら直線とはいえども現在使っている無線では交信不能に陥る危険性が高い。

 そうでなくとも、ここに至る道中の横坑であのようなことがあったのだから、慎重になるのは当然だった。

『了解です。御剣大尉としばらく哨戒に努めます』
「悪いな。先行してもらうことには間違いないから」
『覚悟しておきます』
 笑いながら武の言葉に応じるディラン。今更決める覚悟もないだろうと、武は苦笑しつつも「頼む」とだけ答えた。
『一斉降下ですか?』
「ああ。下の安全が確認出来ないのは痛いけど、通信が困難になるよかよっぽどマシだ」
 壬姫の問いかけに武はすぐに答える。確かに、安全確保は進軍の定石ではあるが、そもそもハイヴ坑内で安全性を期待することが間違っている。
 また、各隊で行動し、結果として互いの交信が途絶してしまうよりも、一丸となって窮地に飛び込む方が意外と幅広い選択肢が取れるものだ。

『………もしかしてたけるさんたちもここに来る途中に……?』

 その瞬間、壬姫が怪訝そうにそう言った。
 皆まで言われずとも、彼女の問いかけたいことに心当たりのある武と、そしてマリアの表情がにわかに変わる。
『珠瀬大尉、こちらでは行軍中の横坑で通信障害が発生しました。それほど離れた距離ではなかったのですが……』
『私たちも同じです。そのあとは第5中隊(レギンレイヴ)と距離をあけないようにしてきたんですけど………』
『索敵範囲はかなり厳しくなりますね』
 ほとんど同じ見解で意見を一致させるマリアと壬姫。共に狙撃を得意とする2人は、データリンクで共有される“視界”が広ければ広いほどその能力が活きてくる。逆に狭ければ狭いほど、その能力は殺されるということだ。
「火力分散も火力集中も地下茎構造の中じゃそれほど関係ないような気もするけどさ、やっぱり普段は戦力がある程度分散していた方が好ましいのは確かだな」
 それに応じる武の言い分も至極尤も。
 元より、見通しの悪いハイヴの中で広域に渡って視界が確保されていたとしても即応は難しい。逆に、空間に限度のある地下茎構造の横坑や縦坑の中で多数の部隊が密集していても大した戦力にはならないことも事実である。
 効率と兵力の意味合いを鑑みれば、恐らく行軍は1個大隊が限界だ。無論、腕利きの指揮官と腕利きの衛士たちで構成されれば2個大隊程度でも効率的に進軍出来るだろうが、それは本命を1つに絞ったことに他ならない。

 そのような戦術は、基本的に司令部がお気に召さない。

 作戦遂行のためにある程度のリスクマネジメントも視野に入れなければならない司令部は、結果に至るまでの道を複数に渡って確保しておくことが最善なのだ。
 もし、エリートのみで構成された最精鋭部隊を本命としてハイヴに突入させ、他の全部隊でBETAを陽動するという作戦を立案したとして、その最精鋭部隊が万が一にも全滅すればそれだけで作戦は頓挫する。
 だから従来のハイヴ攻略では、突入部隊のすべてが本命であり、またすべてが囮なのだ。

 それを考えれば、彼の桜花作戦がどれだけ人類にとって苦汁の選択だったのか語るに及ばない。

「下手な鉄砲何とやら……ってか。あながち外れでもないんだろうな」
 苦笑気味に武はそう呟く。我がごとながら、自分たちのことを“下手な鉄砲”と喩えたことも言い得て妙だった。
『どうしたんですか?』
「ん……何でもない。軌道降下からだいぶ時間経ってるけど、そっちは大丈夫か?」
 武の呟きを聞き取ったのか、あるいはその苦笑の表情を窺ったのか壬姫がふと武に訊ねてくる。それに首を横に振って答えた武は、逆に彼女へ問い返した。もちろん、装備状況ではなく、衛士のコンディションについて、だ。
『大丈夫ですよー。たけるさんが休ませてくれましたから』
 対し、壬姫は己の部下のコンディションも含めて笑顔で答える。その返答には、武も「それは何より」と返すしかない。
 武とて、彼女たちに休むよう明言していたつもりはない。ただ、4個中隊が集まっていることを巧く使い、行軍中も交代で何度か給水を行わせてきた。その采配は特に、ここまで極度の緊張状態を続けてきた第5中隊(レギンレイヴ)や第8中隊(ランドグリーズ)にとってありがたいものだっただろう。
「さて、冥夜、ディラン、状況は?」
 マリアと壬姫の2人と話しながら行軍し、ディランと冥夜が待つ主縦坑の入り口まで到達した武はそう切り出す。
『依然、敵の気配はない』
『異常ないっすね』
 およそ1個大隊規模の戦術機が顔を合わせ、主縦坑進入の算段と準備を行う。後方警戒は武直下の271戦術機甲中隊(セイバーズ)のB、C小隊が務め、主縦坑へ続く前方は272戦術機甲中隊(ストライカーズ)のB小隊が警戒を継続していた。
『いよいよ主縦坑。ここまで到達出来れば反応炉はもういただいたも同然だ……であったな』
「伊隅大尉の座学の話か?」
 不意に冥夜が言った独り言とも取れる言葉に、武はそう問い返す。彼女が言ったその言葉には、武にも聞き覚えがあったからだ。
『最下層まで直通のルートですからね』
 同意して壬姫も頷く。
 かつて武が新任であった頃、戦術機やハイヴ攻略について教授してくれた歴戦の若き女性衛士。彼女が教えてくれたことは戦場の知識だけではなく、幾多の心得をほんのわずかな期間で遺していってくれた。
 武自身は冥夜たち同期とは別で座学を受けたのだが、やはり彼女たちも同じ説明を受けたということなのだろう。
『伊隅大尉とは……どなたでしょうか?』
 それに対し、伊隅大尉という人物を知らぬマリアがそう訊ねてきた。
『私たちが同じ部隊にいた時に中隊長だった人なんですよ』
 武よりも早く、壬姫が答える。彼女たちは初対面であるから、自分が上手く会話を繋ぐ役目を務めようと思っていた武の心配は、その実かなりの杞憂だった。
 欧州と極東、異なる土地に身を置く故に眼前の目標は違えども、そこに至る道を同じとする同志。最前面で戦う衛士にとって、過多な言葉などまったく不要なのだ。
『イスミ……では、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の名称は………』
「そ。その中隊で使っていた愛称から続けて使ってる」
『実際に下について戦ったのは短い間であったが、伊隅大尉は今でも私たちの誇ることの出来る隊長なのです』
 武に続き、冥夜が感慨深そうにそう告げた。
 彼女のその言葉でほんのわずかにマリアの表情が強張り、すぐに元に戻った。それを見逃さなかった武は、「流石だな」と心の中で呟く。
 その対象はまずマリア。彼女は今の冥夜の言葉で何も訊かずにその“伊隅大尉”という人物が既に英霊と称えられる存在であるのだと理解した筈だ。そうでなければ、一瞬でもあの表情は出来ない。
 そして、もう1人の対象は冥夜。そうやってかつての中隊長を誇ることによって、訊ねられるよりも先にマリアに対して「伊隅大尉は故人である」ということを暗喩した。そうすることによって、マリアの訊ねることに対する罪悪感を事前に排除しようとしたのだ。
『………では、我々もその伊隅大尉には感謝しなければなりませんね』
「うん? 何でだよ?」
 仕切り直すようにやや間を置いた後、マリアはそう言った。直接関わりのない彼女のその言葉に、武は思わず首を捻る。

『今の白銀中佐があるのは伊隅大尉のおかげであるというのなら、少なくとも私はその方に感謝しますよ』
 ふっと柔らかく微笑み、臆面もなくマリアはそんなことを言ってくれた。

「そう思ってもらえれば、俺もいつか大尉に顔向け出来るな~」
 くくっと笑い、武は冗談めいた口調でそれに応える。そのあとに、「どうせ俺が逝くのも地獄だからな」とも付け足しておいた。
『その時は是非ご紹介に預かりたいですね』
「お前まで地獄に来ることないだろうに」
 次のその言葉にはさしもの武もため息を漏らす。たとえ軍人とはいえ、彼女は真っ当に衛士をやってきた人間だ。誇ることこそすれども、自分は地獄に堕ちると蔑む必要はない。
 尤も、数多の同胞の死に直面して尚、生き残ってきた者には大なり小なり“生き残ったことへの罪悪感”がある。それは、仲間の死を犬死にとさせまい使命感と対立するものではなく、誰しもが共存させている無意識下の感情だ。

 “武の世界”では誰もが知っている、彼の喜劇王は自身の映画の中でこう言った。
 「1人殺せば殺人者だが、100人殺せば英雄だ」と。
 人間同士の戦争とはそういうもの。過去から英雄や英霊と称えられてきた者たちは、そのほとんどが守るべきもののために、敵対する者を殺して、殺して、殺し尽くしてきた。
 それほどまでに、殺人鬼と英雄は紙一重な存在なのだ。

 そこには自身の手によって殺すか、傍観しか出来ないことでの見殺しかの違いこそあれ、確かに軍人は今も昔も“他人を殺してきた”のだと思う。

 皮肉な話だと、武は嗤う。
 戦う相手が人間であろうがBETAであろうが、軍人は1歩道を違えれば自己の誇りすらきっと保てなくなるのだから。

 それは戦う理由にしても同じだと教えてくれたのも伊隅大尉だった。
 戦う相手が人間であろうがBETAであろうが、傍らで戦う戦友を死なせたくないから兵士は戦うのだ、と彼女は言っていた。

 それが“人間”。戦う相手を変えようが、その本質を変えない、変えられない不便で気難しい存在。

『タケル? どうしたのだ? 大丈夫か?』
 かつての自分からは考えられないほど哲学的に物を考えるようになった彼に対し、冥夜が三連投の疑問符をもってして声をかけてくる。
「いや、何でもない。ただ、伊隅大尉は俺と再会するの嫌がるんじゃないかなと思って」
『地獄の話か? 大尉はそのようなことを言っていたのだな。そうであるなら、確かにそなたが逝っては悲しむかもしれぬ』
「まあ、大尉にしたって軍曹にしたって、会ったら会ったで殴られそうだけど」
 やや感慨深そうに答える冥夜に対し、武は苦笑しながら言葉を返した。
『でも、同じくらい喜んでくれると思います』
 そこまで傍観していた壬姫が、彼女最大の魅力である愛らしい笑顔を浮かべて最も簡潔な己の心中を紡ぐ。それに対し、武と冥夜は笑い合った。
 お互いに想いは同じだ。再会するのは、やれるだけのことをやり遂げた後。その時に、改めてまた笑い合い、そして互いの健闘を称え合おうと。
『今のお話を聞いて、やはり1度でも良いのでお会いしたいと思います』
『シャルティーニ少佐にそう言ってもらえると何だか私も嬉しくなります』
 己の知らぬ者の話題だからマリアはほとんど静観するしかない筈なのだが、彼女はそれでもそう言ってくれる。自分たちの誇るかつての中隊長が「会ってみたい」と言われることが我が事のように嬉しいのか、壬姫はまた表情を綻ばせた。
『………伺っていた通り、本当に良い方なのだな。シャルティーニ少佐は』
「伺ってたって……誰から?」
 ほんの僅かながらもマリアが述べる言葉から、冥夜は不意に呟くようにそう言う。彼女たちに繋がりがあり、マリアを詳しく知る人物がすぐ思い浮かばない武は、反射的にそう訊ねていた。
『九條大佐と月詠少佐だ』
「あー……なるほど」
 目を瞑った状態で即答する冥夜。それには武も頷くしかない。
 御剣冥夜という人物はあまり隠し事が得意ではないと武は思っている。
 彼女がこういう態度で話す時は、大抵が言い難いことを有耶無耶にせず何とか切り出そうとしている時だ。言い難いことを冗談めいた言葉でぼやかす武とは真逆の手段である。
『タケル……私が口を出すことではないと分かってはいるのだが、鑑のためにも中途半端なことだけはしてくれるな』
「どうしてそこで純夏の名前を出すのかよく分かんないだけど………まあ、努力する」
 ため息を漏らすように言葉を紡ぐ冥夜に、武は小首を傾げながらも頷き返す。その言葉でも容易には冥夜の表情は晴れないが、武にはそれ以上の応答は出来なかった。

 何せ、正直なところを言えば、武は“鑑純夏”を泣かせない自信があまりにもないのだから。

「しかし………なぁ」
『何だ?』
「……いや、何でもねぇ」
 武が顎をさすりながら歯切れ悪そうにすると、今度は冥夜が不思議そうな顔をする。自分の思ったことを素直に言うかどうか一瞬躊躇った武は、すぐに首を横に振った。
 案ずる相手が異なるとはいえども、似たようなことをつい最近、月詠からも言われたことはとりあえず伏せておこうと武は結論する。何せ、冥夜は月詠が案じている人物その人だ。武の口からその事実を伝えられることなど、月詠も望んではいないだろう。
 だからその言葉を呑み込んだ武は、そのまま別の言葉を紡ごうと口を開きかけた。

 純夏は今、どうしてる?

 あまりにも自然に、そう訊ねようとしていた自分を武は理性で抑えつける。
 今はまだ作戦の最中だ。私的なことを考えている余裕などあってはならない。どんな話であれ、訊くのは作戦がすべて終わった後だ。
 そう……たとえ、最愛の彼女の話であったとしても。

『案ずるでない。そなたにとって最悪の事態などは起こってはおらぬ』

 だが、当の冥夜は次の瞬間にはそう言っていた。彼自身が一言たりとも訊ねていないのに、その心中を読み解くが如く、冥夜は端的に、的確に武の訊ねたい核心を告げたのだ。
 どうして、などとは流石に武も訊ねなかった。
 最初から分かり切っていたことだ。最良の戦友である御剣冥夜には、端から隠し事など通用しない。
 マリアといい、冥夜といい、どうして自分が相棒とする人間にはこれほど聡明な女性が多いのだろうと、武は苦笑する。
 悪いことではない。寧ろ、そうでなければ武はきっと生き残ってこられなかった。
「ありがとな、冥夜」
『そなたと私はこの程度のことで礼を言うような仲ではない』
「だな」
 素直に感謝を示す武に、冥夜は珍しく少し気取った様子で答えた。小さく笑い、武もそれに同意する。だが、やはり心の中では感謝しても、し足りないくらいだった。
「よし……マリア、ディラン、降下準備だ。272戦術機甲中隊(ストライカーズ)を先頭、271戦術機甲中隊(セイバーズ)を殿にして、第5中隊(レギンレイヴ)及び第8中隊(ランドグリーズ)は中距離カバー。各隊、あまり距離は離すな。主縦坑の底に到達し次第、まずは安全確保を最優先で行う」
『了解!』
 パシッと1度自分の頬を叩いた武は、自身を“指揮官としての白銀武”に戻し、各隊の隊長たちにそう告げる。それに応じる彼らも、戦友としての顔を1度引っ込め、部下として了解の応答を返してきた。
「今更だが、第5中隊(レギンレイヴ)と第8中隊(ランドグリーズ)は作戦終了まで俺の指揮下に編入してもらう。構わないな?」
『うむ』
『はい』
 本当に今更何を言うのだ、という苦笑の表情で冥夜と壬姫は同時に答えた。武も少し困ったように笑い返し、そのまま前を見据える。
「………全機、降下開始! 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)から順に主縦坑に進入せよ!」
『了解!』
 正規の命令が下されると同時に、哨戒のため1人蚊帳の外に置かれていたディランは先陣を切って横坑から巨大な主縦坑へと飛び出してゆく。まるで「待ってました」と叫ぶかのような言動だった。
『私が先に行く。珠瀬、後ろは任せるぞ』
『はい! 御剣さんには前をお任せしますね』
 言葉を交わし、先駆するのは冥夜の第5中隊(レギンレイヴ)だ。先頭は2機に欠けた前衛小隊が務め、両翼も同様に2機。そして冥夜自身は前衛小隊の真後ろにつくという陣形をもって主縦坑に進入する。
『じゃあ、先に行きますね、たけるさん』
「殿はもちろん、降下中のフォローは任せとけ」
『第8中隊(ランドグリーズ)はまず底面に到達することのみを考えてください。敵の奇襲にはこちらで対処します』
『はい!』
 武とマリアに力強く頷き返し、壬姫も自身の中隊を率いて主縦坑に進入を果たす。実に1個小隊規模の仲間を失った彼女の隊も、ほとんど第5中隊(レギンレイヴ)と同じ陣形で降下する。
 彼女たちの隊を中間に配置したのは、何よりも彼女たちの兵装状況を考慮した結果だ。
 長距離降下を行う場合、最も怖いのは前方からの迎撃でも後方からの追撃でもなく、真横からの強襲である。それを受けた時、最も対処し易いポジションは最後尾であり、その位置に己の271戦術機甲中隊(セイバーズ)を配置するという采配は、誰よりも部隊を案じる指揮官として当然のものだった。
『では、我々も参りましょう』
「ああ。先行はC小隊に任せる。最後尾はA、B小隊だ」
『了解!』
 武の指示に即座に呼応し、部隊は陣形を取ったまま仲間たちを追って横坑から主縦坑に飛び出す。
 本来であれば前衛を務める筈のB小隊を下がらせることで後方をより厚く構えたそれは、ギリギリまで敵の追撃と強襲に備える陣形だった。

 主縦坑を降下しながらも武は先刻の冥夜の言葉を脳内で反芻させる。
 彼女は言った。
 白銀武にとって最悪の事態など起こってはいない、と。
 肯定の意味も否定の意味もほとんど含まない、遠回しな経過報告。

 知っていた。
 分かっていた。

 武はギリッと歯を軋ませ、自身を抱くように自分の右腕に今も結わえられた黄色いリボンに触れる。

 鑑純夏が目覚める可能性など、万が一にもない。あったとすればそれは奇跡だ。

 本物であり贋作でもあるこの“寄せ集めのシロガネタケル”という個が、この世界で愛するただ1人の女。
 共に桜花作戦に身を投じ、それでも尚、死地から生還を果たした彼女は深い眠りにつき――――――――――






 この3年間、一度として目を醒ましていない。



[1152] Re[28]:Muv-Luv [another&after world] 第28話
Name: 小清水◆da5ffe37
Date: 2007/06/13 00:36


  第28話


 彼の父は自身の職業を誇る、尊き合衆国軍人だった。
 国連軍所属の彼とは異なるとはいえ、同じ軍人であり、同じ戦術機乗りだった。

 コンスタンスという名は決して世間的に有名な名前ではないが、それでも彼の父は米軍の1個大隊を率いる衛士として、優秀な戦績を収めていた。その下につく者のほとんどは彼の父を慕い、上に立つ者たちも彼の父を重用した。

 その様が一変したのは、1999年のこと。

 彼の父が率いる大隊は、日本のために戦っていた。BETAに関東圏のほとんどを占領された極東の島国を奪還するため、母国から遠く離れた日本で戦っていたのだ。
 そう、それは明星作戦。
 当時、最も新しかった極東のハイヴ H22に進軍した大東亜連合軍と米軍の混成部隊はその大地にて死闘を演じ、ほとんどの兵士は自身の戦いがこの島国を救うのだと、あるいはその第1歩になるのだと誇り、戦った。

 だが、史実はどうだ。

 軍上層部は幾多の同胞を囮に使い、開発されたばかりの新型爆弾を横浜のハイヴ目掛けて投下したのだ。
 その、悪名名高きG弾は今尚、日本人にとって忌むべきアメリカの象徴として記憶されているに違いない。
 しかし、G弾とそれを運用するという独断を下した軍上層部を憎んだ者は何も日本人だけではない。祖国を失いながらも奮闘する者や、その者たちのために助力しようと奮戦した者も同様にG弾を責め立てた。
 決して大多数ではない。寧ろ、アメリカ合衆国においては極少数派の思想である。

 コンスタンスの名を持つ、彼の父は合衆国軍人でありながらその筆頭だった。

 彼の父の大隊は最前線で戦って、そしてその一部が、何の宣告もなしに投下されたG弾爆発の衝撃に巻き込まれて、呆気なく逝ってしまった。
 彼は今でも、帰国を果たした父の表情を覚えている。あれほどまでに嘆き悲しみ、また憤怒していた父はそれまで見たこともなかった。

 英傑の衛士とはいえども、所詮は1人の軍人。いくら憤怒したところで結局は上に握り潰されて終わりだ。上層部を糾弾した結果、逆に軍法会議にかけられ、彼の父は英傑の衛士から非国民の罪人となった。

 そんな父をその時に蔑んだかと問われれば、彼は首を横に振る。
 優しく、厳しく、強かった父を蔑んだことなど、彼には1度たりともなかった。

 だから彼は国連軍に身を置いている。母国を容易には愛することの出来ない彼は、国連軍に身を置いて戦うしかなかった。

 それでも、彼は孤独になった。

 時には祖国の軍人からコンスタンスの名を持つだけで疎まれ、また時には極東の島国で忌むべきアメリカ人として罵られ、どこに身を寄せても少年はスケープゴートとして矢面に立たされてきた。

 いっそ絶望し、憎んでしまえば良かったのかもしれない。
 威信に惑わされた軍部も。
 アメリカ人というだけで冷たい瞳を向けた日本人も。
 正義感に厚過ぎた自分の父でさえも。

 だが、なまじ聡明であったが故に彼は特定の何かを憎むことが出来ず、ただ漠然と理不尽な世界を憎み続けることしか出来なかった。

 そんな折に、少年には異動と昇格の旨が伝えられる。
 少尉から中尉に昇進を果たし、所属はアメリカ本土から欧州の第27機甲連隊へと。
 指揮官の名は白銀武。極東からやってくる若き国連軍衛士。
 最早、歓喜すれば良いのか悲哀に暮れれば良いのか少年には分からなかった。

 最前線に送られ、自分をアメリカ人と罵る日本人の下で戦うことで、自分は死ぬかもしれない。

 それが解放なのか贖罪なのか、若くして磨耗した彼には判断することが出来なかった。

『ヘンリー?』
 不意に名を呼ばれ、少年はハッと我に返る。網膜には同じく中隊長を務める先任 エレーヌ・ノーデンスの顔が映る。不思議そうに、そして心配そうにこちらを見つめていた。
「……何ですか?」
『また殴ろうか?』
 問い返すと、エレーヌはムッとした表情で言い返してくる。だが、流石にヘンリーに反論の余地はなかった。何の理由があって呼びかけてきたのかは分からないが、ハイヴ坑内を行軍するこの状況において、呼びかけに気付かないほど意識を散漫とさせていた自分が圧倒的に悪いのだ。
「基地に帰ったらお願いします。出来れば腹で」
『最近あんた、口が達者になってない? どう思う? 柏木少尉』
『横坑の前衛哨戒に当たらせてる俺に話を振るノーデンス大尉もかなりどうかと思うんですけど………』
 苦笑気味にヘンリーが返すと、エレーヌは頬を引き攣らせた。そのまま話を部下である柏木章好に振るが、残念ながら乗ってもらえないようである。
「柏木少尉、そっちはどう?」
『さっき戦車級と交戦しましたけど、それ以降は静かですよ。どこかで他の部隊が派手に暴れてるのかもしれないですね』
 面白くなさそうなエレーヌを放置し、ヘンリーは自分直属の部下ではない章好に訊ねる。歳もさほど変わらない上、個人技能の大半は章好の方が上だ。そのため、ヘンリー自身はどうしても彼をほとんど対等に見てしまう。敬語を使われるのも少し妙な気分だった。
『案外中佐たちなんじゃない? BETAを惹き付けてるのって』
『かもしれないっすね』
 章好の言葉に呼応し、エレーヌが自分の他の部下と共に冗談を言い合っている。実際問題、あまり冗談にはなっていないのだが、当人たちにはあまり関係なさそうだった。
「主縦坑まで距離1500。どうしますか? ノーデンス大尉」
『本気で訊いてる? 速攻で乗り込むって』
 ヘンリーが問いかけると、エレーヌはあっさりと即答した。その、指先で前髪を弄くる仕草は普段と何も変わらず、とても現在、戦場の只中で任務に従事している軍人とは思えない。
『中佐がBETAを惹き付けてくれてるんだとしたら万々歳だよ。速攻で反応炉潰して、そのまま中佐を助ける』
『あ、それ同感です』
『ここまで来たら、白銀中佐の手を煩わせるのもどうかと思いますしね』
 前髪を弄くるのを止め、グッと親指を立てたエレーヌは得意気に笑った。彼女のその言葉に同意し、273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の衛士たちが声高に笑い合う。その様子を見て274戦術機甲中隊(アーチャーズ)の面々が苦笑するのはいつもの構図だ。
「なら、急ぎましょう。早い方が良いんでしょ?」
『慎重派のあんたにしては珍しい意見ねー。あんたも中佐のこと、心配?』
 おやっと珍しそうに目を見開いたエレーヌだったが、すぐににんまりと意地の悪い笑みを浮かべてそう問い返してくる。

 今の言葉で「自分も本当はものすごく心配している」と表現してしまったことを、彼女は気付いていないのだろうか?

 エレーヌしては珍しいミスだが、それだけ気が焦っているということだろう。よもやそれで致命的なミスを犯すとは思えないが。
「僕は、中佐の下以外で戦うつもりなんてありませんよ」
『随分惚れ込んでるじゃん。まあ、分からなくもないけどね』
 はっきりとしたヘンリーの言葉に、エレーヌはまた笑う。だが今度は可笑しそうというよりは、嬉しそうな柔らかい微笑みだった。
『じゃ、行こうか』
「了解!」
 エレーヌの前進指示に対し、短く呼応したヘンリーは己が中隊を率いて移動を再開する。

 翡翠の瞳で前面を見据え、ヘンリーは自分の感覚を更に研ぎ澄ませる。
 中距離はヘンリーが最も得意とする距離だ。地上においてもハイヴ坑内においてもそれは変わらない。その距離をヘンリーが誰よりも早く制することが、彼の部隊において最大火力を発揮する大前提だった。

 武やエレーヌがそれを知っているからこそ、ヘンリーは終始部隊の中央を任されている。

 この部隊は、自分を必要としてくれている。
 他の誰でもない、ヘンリー・コンスタンスという名の衛士を必要としてくれている。
 孤独に耐えながら戦う日はもう来ない。自分が耐えなければならないのは、心地良い重圧なのだ。

 「よろしく」と、笑顔で差し出された彼の右手を取ったあの日から、ヘンリー・コンスタンスの戦いはようやく幕を開けたのかもしれなかった。




 ザクザクと無骨な足音を立てて、広大な空間へと突入するのはラファールと不知火の混成部隊。白銀武が率いる第27機甲連隊と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)は主縦坑降下後から、さしたる難関もなく反応炉ブロックにまで到達を果たした。
 無論、その道中に敵と遭遇しなかったわけではない。だが、史上最短でフェイズ5ハイヴの最下層に到達したという事実が、彼らの士気を高揚させ、襲いくる怨敵は尽くその手によって退けられた。

 作戦は既に最終局面を迎えている。

 地上で、地下で散っていった数多の同胞の想いに報いる時は、そこまで迫っている。
 彼らが駆るラファールも不知火も、出撃前の美しい外観は見る影もない。ところどころの装甲は削れ、動かすごとに関節は悲鳴を上げ、そして戦闘の際に纏わりついたBETAの体液はまるで迷彩色のように機体を染め上げていた。
 これだけの戦いを、ここまで繰り広げてきた。
 フェイズ5ハイヴを1つ落とすだけで、それだけの戦いを繰り広げてこなければならなかった。
『これが……反応炉』
 広大な空間に足を踏み入れた壬姫は、眼前に広がる異質な光景に魅せられたのか、感嘆したように呟く。
 尤も、それに魅せられているのは誰もが同じ。違うのは武だけだ。
 大樹の幹が丸く肥ったような形状をしている物体。そこにまるで網のように走る無数の筋は、ハイヴ坑内の外壁と同じ物質で成っているが、その内側に納められた反応炉の本体はまったくの別物である。
 直視出来ないほどの強烈な蒼白い閃光を放っており、その物体が特別なものであるということは何も知らない者が見ても明らかだろう。

 それが反応炉。BETAのエネルギー生成施設であり、同時にBETAが情報を送受信するために必要な絶対機関。

 これの破壊こそが、ハイヴ攻略の絶対条件だ。
「271B、C小隊と第5中隊(レギンレイヴ)、第8中隊(ランドグリーズ)は横坑の警戒を頼む。ディラン、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)は爆破の準備だ」
『了解』
 武の指示に従い、同時に4個中隊の各隊が持ち場へと走る。
「ああ、ディラン。そっちから第8中隊(ランドグリーズ)のバックアップに2機回してやってくれ。戦力バランスを整えたい」
『分かりました。ストライカー7、8、お前らは作戦終了まで珠瀬大尉の指揮下に入れ』
『了解です』
 武の言葉に対し、ディランは自分の部下に別で指示を与える。それを受けたストライカー7とストライカー8は272戦術機甲中隊(ストライカーズ)から分離して壬姫の下へいった。
 この反応炉に直結する横坑は合計で3つ。ちょうど4個中隊から成る彼らの場合、各横坑に1個中隊ずつ配置しても1個中隊余る。その残った1個中隊に反応炉破壊の準備を整えさせようという算段だ。
 また、その部隊に272戦術機甲中隊(ストライカーズ)を選んだのは欧州方面の国連軍部隊である方が、後々都合が良いという判断による。
『ようやく……ですね』
「ああ。上の状況も気になるが……これだけBETAとの遭遇率が低いならまだ大丈夫なんだろ」
 今回の作戦において1人を失ってしまった271A小隊は、反応炉に取り付くディランたちを見守りながらそう言葉を交わす。
「だけど、これでようやく人類の勝利ってヤツが現実味を帯びてくるな」
『もうBETAの思い通りにはさせませんよ』
 グッと拳を固める武に同意し、マリアも神妙な面持ちで頷いた。
 大戦初期から後退に後退を重ねてきた人類にとって、こうやってハイヴ攻略を成し遂げることはまさに夢物語に等しいことだった。だから、ハイヴ攻略にて最下層まで到達することは偉業であり、彼の桜花作戦の突入部隊が成した所業は伝説級なのである。
「ラッセルもここまでよく耐えた。あと少し緊張感を保ってくれ」
『はい! 任せてください!』
 武の呼びかけに、第8中隊(ランドグリーズ)に合流した2機のうち、ストライカー7のコールナンバーを持つラッセルという名の少女衛士が気合い充分に応えた。
 彼女は第27機甲連隊に新任で配属されてきた衛士であり、H12の制圧作戦が初陣だったまだ経験の浅い衛士でもある。
 そんな彼女がここまで生き残ってきたのは彼女自身に技能が備わっていたことも当然だが、何よりも幸運だった。実際、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)には彼女より技能の高い同期兵や経験豊富なベテランも数人いたが、半数近くがここに至る過程で戦死している。
 そう、悪運だ。恐らく最終的に生死の是非を決するだろう人智を超えた変え難き要因。
 そういう要因も働いて、今ここまで到達した者は生かされている。それは武とて無関係な話ではないのだ。
「………踏み越えられるか?」
『踏み越えてみせます。それが中佐の教えですから』
 少し間を置き、無表情に近い表情で武が問いかけると彼女は即答する。自信に満ち溢れる返答というよりは、若き鋭気の満ち溢れる返答だった。その言葉に、武は軽く肩をすくませながらも表情を緩める。
「そうか……。まぁ、しばらくはこき使ってやるから安心しろ」
『はい! よろしくお願いします!』
 やはり鋭気に満ちた雰囲気でラッセルは武に敬礼を返す。
 武とて老成していると呼ぶには程遠いが、彼女はそれ以上に若い。若くしてこれだけの死線を潜り抜けたという経験は、平均以上の能力を持つラッセルにとって必ず大きなプラスになると武は信じている。
 教官任務に従事していた武にとって、若い世代の衛士がこうやって順調に経験を重ね、尚且つ生き残っていってくれるということはこの上なく嬉しいことである。
 逆に、将来を期待出来る伸び代を秘めた任官間もない若年者たちが戦場で真っ先に死んでゆく現実というのは、彼にとって悔恨の象徴だった。
「さて、各隊、状況は?」
『こちらレギンレイヴ1。横坑に敵影はない。振動センサーもフラットだ』
『ランドグリーズ1。同じく振動センサーフラットです。BETAの存在は感知出来ません』
『セイバー3、同じく異常ありません。哨戒行動を継続します』
 ラッセルとのやり取りを終え、武は順調に爆破作業を整えるディランたちを見ながら他の中隊にそう呼びかける。それに呼応し、冥夜と壬姫、そして271B小隊の小隊長を務める武の部下がそれぞれ応答を返してきた。
 異常はない。
 その報告に武も頷き返すが、表情はあまり晴れやかなものではなかった。
 ここまで到達するに何度か覚えてきた違和感が今もまだ残っている。
 ここはBETAの巣窟たるハイヴ。

 異常がないこと自体、異常なのだ。

『しかし……フェイズ5ハイヴの反応炉ブロックはこれほどまでに広大なものなのですか』
 反応炉から程近い場所で周囲を見回すマリアは、驚きを隠せない様子でそう呟く。彼女の場合はH11の反応炉を見ている筈だが、それでも感嘆させるほど規模が違うのだろう。
 実際、武が最下層を知る数少ないハイヴ H1も確かに広大な空間を持っていた。尤も、あれの場合は反応炉ではなく、BETAの上位存在たる「あ号標的」が存在するための空間だったが。
「一応はBETAの補給施設だからな。それなりのキャパシティは持ってなきゃ話にならないんだろ。ま、これならS-11使うのに退去する必要もなさそうだ」
 それでも、マリアの驚きは多少なりとも武だって感じている。
 ただ、彼は世界でも数少ない、BETAが反応炉に取り付いてエネルギーを補給している場面を見たことがある人間だ。あの方法が唯一の補給手段であるならば、反応炉ブロックはそれこそ万単位のBETAを内包出来なければ意味がない。
 それだけ巨大な空間を保持しているため、反応炉を破壊するために複数のS-11を爆発させようとも、外壁の際まで下がっていれば深刻な影響を受ける心配もないだろう。
『成程……我々にすればハンガーのようなものですか。確かにそれならば小さくては無意味ですね』
「まぁ……これで本当に充分な規模なのかどうかもよく分からんけどさ」
『そうですね』
 やれやれと肩をすくませる武に対し、表情を緩めて微笑んだマリアが同意する。現実がどうであろうが、BETAの常識など知ったことではない。
 無論、戦うには敵のことを知らなければならないことは兵士の定石だが、流石に連中の食事方法まで理解するのは勘弁願いたいものである。
『和んでいるところ悪いのだが、少し良いか? タケル』
 その折、哨戒待機を命じている冥夜から通信が入ってきた。どこか言葉の端々が棘を持っているようだったが、当の武は気付かない。
「どうした? 冥夜。何か拾ったか?」
『………いや、敵の気配はない。小隊を率いて横坑の中まで哨戒に向かおうと思うのだが、良いか?』
「却下する」
 哨戒範囲を広めたいという冥夜の進言を、武はにべもなく却下した。その即答振りが不満なのか、あるいはもっと別の理由があるのか、冥夜は僅かに表情を強張らせる。
『何故だ? ここに至る横坑は3つのみ。何れも分岐路はない。敵の襲撃に備えるならば哨戒範囲は広域に渡るべきだと思うのだが』
「通信障害の恐れに配慮することは勿論だが、横坑に船団(フリート)級が取り付いたら部隊を分断される可能性が高くなる。俺たちにしても、お前たちにしても、現状装備の1個中隊で敵襲に対応出来るとは思えないだろ? なら、冥夜たちを見す見す危険な状態に追い込むような指示を出すわけにはいかない」
 長々と論じられ、冥夜は言葉を詰まらせる。彼女の意見も尤もなのだが、“BETAは横坑の向こうからやってくる”という固まった思考は状況を悪化させかねない。
 今のように論理的に説明され、尚且つ最後に気を遣われてはさしもの冥夜も頷かないわけにはいかないだろう。
『……了解した。私に配慮が足りなかったようだ。すまぬ、タケル』
「何、お互いに真っ当なハイヴ突入は初めてだ。それに、部隊全体の安全確保を考えてくれたんだろ? 反論こそすれ、責めるわけにはいかないさ」
 冷静さを取り戻すように大きく深呼吸をした冥夜は、少し曇った表情で謝罪の言葉を述べてくる。こういう時において冥夜は重く受け止めがちな性格をしていると知っている武は笑いながら答えた。
『でも、本当に静かですね……。もしかして最下層のBETAはもう全滅したんじゃ……』
『そりゃ流石にないでしょう、珠瀬大尉。俺たちが撒いてきたBETAだっている筈でしょうし。そう考えると、確かに静か過ぎっすね』
 横坑の警戒を続ける壬姫に対し答えるのは爆破作業を継続するディランだ。だが、両者ともにこの静けさに奇妙な感覚を抱いていることに間違いない。
 確かに、その点については武も同じである。
「話は後にしろ。ディラン、さっさと爆破の準備を――――――」

 自分の部下を叱咤しようと振り返った武の言葉はそこで詰まる。

 メインカメラを通して網膜に投影されるその光景に、武の心臓はにわかに早鐘を打ち始める。

 嫌なものを見た。
 見てはならないものを見た。
 あり得ない……そこにあってはならないものを見た。

 反応炉に取り付き、爆破作業を進める272戦術機甲中隊(ストライカーズ)。
 その上部。反応炉と天井との境界で蠢くナニカ。
 揺らめくナニカ。

 彼が“あの日、オリジナルハイヴの最深部で遭遇したもの”によく似たナニカ……。
 そのナニカが鎌首をもたげるように動き――――――――

「272戦術機甲中隊(ストライカーズ)全機散開ッ!! 避けろぉぉぉッ!!」
『ッ!!??』
 反射的に叫ぶ武。そして、それに反応して反射的に飛び退く272戦術機甲中隊(ストライカーズ)各機。
 それとほぼ同時に、彼らがさっきまで立っていた場所の地面を無数の“それ”は鋭く穿った。
『なっ――――――!?』
「セイバー1より各機! 接敵警告! 繰り返す! 接敵警告ッ!!」
 突如襲撃した無数の“それ”……触手と思しきものに、武を除いた誰もが驚愕の声を上げる。そんな部下たちを一喝するために、武は続け様に警告の言葉を告げた。
 BETA接近の意味を指す「コード991」の表示はない。
 当然だった。今彼らが対峙しているのは、彼らが知るBETA種のどれにも該当しない形状をしているのだから。
 目標を外れ、地面に突き刺さった大小8本の触手は、一斉に抜け、再び目標を定めたのか一点を目掛けて疾駆した。
 その切っ先は武が駆るラファール。
「糞がッ!!」

 避けられるか。
 不可能ではない。だが、あの触手すべてが決して軌道を変えないとは誰が言い切れる?
 確かに、ディランたちが避け切れたことを考えれば、たとえ軌道を変えられたとしてもそれほど急激に鋭い変化が出来るわけではないだろう。
 それでも、あの大小8本の触手すべてが武を狙っているのだとすれば、1度避けられても2度、3度と続けられるとは決して思えなかった。

 キッと武は迫りくる触手の切っ先を睥睨し、操縦桿のトリガーを引いた。
 突撃砲から撃ち出される無数の36mm砲弾は数本の触手に着弾し、その切っ先を炸裂させるが、ほとんどがその狙いを外れる。
 そもそも武は精密射撃にも狙撃にも長けてはいない。経験上、止まっている的ならば並以上の成績を出せる自信はあるが、この一瞬のうちに動体に対して高精度で射撃することなどおおよそ不可能に近かった。
 武はトリガーを固定しながらそのまま倒立反転で真横に大きく跳ぶ。
『白銀中佐!!』
『たけるさん!!』
 いくらOSによる補正があるとはいえ、そもそも目標を完全に捉えていない砲弾が当たる道理はない。
 最早、牽制にしかならない射撃を続けながらも武は空手の左でラックの長刀を抜いた。
 その瞬間、目の前で5本の触手が弾ける。
 3つを撃ち抜いたのはマリア。2つを撃ち抜いたのは壬姫だ。
 マリアの場合はその類稀なる動体視力、壬姫の場合は圧倒的な極長距離狙撃技能の高さが顕著に出た結果である。
「上等ッ!!」
 これで迫る触手は残り1本。軌道を変え、再び武を正面に捉えたそれを武は長刀で迎え撃つ。右の突撃砲は一時的に投げ捨て、両手持ちに変えた長刀の刀身が真正面から触手の切っ先と衝突した。
「ぐおっ!?」
 ガタガタと不吉な音を立て、長刀は尚も前進する触手を縦に切り裂く。体液を撒き散らせながら触手は二又に分かれるが、その攻撃の勢いを緩める様子はなかった。
『はああああぁぁぁぁぁッ!!!』
 だが、天もまだ武のことを見放してはいない。
 武がそうやって触手による攻撃を耐え忍んでいる間に接近してきた冥夜が、同じく長刀をもってして真横から触手を切断した。
 触手の攻撃が止まった瞬間、武は即座に身を翻し、一度は破棄した突撃砲を再び回収する。そのままマリアや冥夜を始め、部隊を引き連れて更に大きく後退した。
「助かった、冥夜。たまもマリアもサンキュな」
『構いません。ですが……これは……』
 武の傍らについたマリアも、声調は冷静ながらも困惑は隠し切れないようだった。しかしながら、武とて彼女の疑問の解答も、その困惑を解消させられる言葉も持ち合わせていない。
 先端を撃ち抜かれ、あるいは斬りおとされた触手は未だその活動を停止せず、しゅるしゅるという音でも立てるかのように地面を這いずりながら戻ってゆく。

 この上なく、おぞましい光景だった。

 その触手の戻る先。反応炉の上部からナニカが泰然と下降してくる。
 反応炉に触手を絡ませながら、まるで爬虫類が壁を這いずるようにゆっくりと降りてきた“それ”は、反応炉の傍らで止まり、咆哮する代わりというようにその身体に持った大小無数の触手を猛々しく蠢かせた。
「糞ッ…! 何なんだよ…!? こいつは……ッ!!」
 武の悪態は当然のことだ。このようなBETAは、誰も知らない。否、そもそも誰も知らないのだから、それがBETAであるのかどうかすら判断出来ない。
 その姿形は大樹に似ていた。“それ”には四肢というものが存在せず、下身は移動するためなのか木の根のような複数の触手が蠢き、上身は先程のように攻撃を行うためなのか枝のような複数の触手が宙で揺れている。
『タケル! あれはいったい―――――』
「俺が知るかッ!! ハイヴ内にいるってことはBETAの一種だろッ!!」
『でも――――――』
 驚きを露わにする冥夜の言葉に、まるで怒鳴るように武は返す。その返答に何か言いたそうな表情をした壬姫も、結局は途中で言葉を詰まらせる。
 何が起きているのか。
 眼前の“あれ”は何なのか。
 そんなことは武自身が訊ねたいくらいなのだ。
 彼にしても彼女らにしても、桜花作戦の折にオリジナルハイヴに突入した衛士だ。BETAの上位存在と接触し、それを打ち倒した彼らの思考では、“新種のBETAが現れる”などという事象は除外されている。
 その反動故に、混乱は大きかった。
『――――――ッ!? 第2撃、来ます!!』
 己の優秀な相棒の言葉で武はようやくギリギリの冷静さを取り戻す。
 落ち着いているのはマリアの方だった。軍歴こそ彼女の方が確かに長いが、潜ってきた修羅場の数ならば武や冥夜、壬姫とてマリアに負けていない。
 その冷静さに明確な違いを作っているのは、持ち得る知識の違いだろう。

 この作戦が発令された翌日、マリアは武に言っていた。
 無智ゆえの平静だ、と。
 ここに来てこんな形でその言葉を証明されたくはなかったが、現実は受け止めなくては前に進めない。

 さて、「あなたがワケわかんなくたって、事実は変わらない」と言っていたのは誰だっただろうか。

 何故、このタイミングでその言葉を思い出してしまったのかと武は失笑する。
 そして咆哮した。

「セイバー1より各機! 目標を敵と暫定! 弾薬は使い切っても構わん! ぶち殺せッ!!」
 指揮官としての言葉で、正式な攻撃命令を下す。それとほぼ同時に、再びその化物の体躯から大小無数の触手が飛び出した。
 先刻と違うのは、特定の機体を狙うのではなく、ほぼ無差別に触手が分散していることだ。
『連携は崩すな! 冷静に対処すれば捌けないものではない!』
 自身に迫る触手を瞬く間に長刀で斬りおとした冥夜は、そのまま己の部下のみならずすべての衛士にそう告げる。
『珠瀬大尉! 俺らが前に出ます! 支援を!』
『はっ……はい!』
 武たちとは反応炉を挟んでこの広間の反対側に展開する272戦術機甲中隊(ストライカーズ)と第8中隊(ランドグリーズ)。そちらにも触手は魔の手を伸ばしており、それを迎え撃つためにディランが小隊を率いて前進した。
 同時に壬姫の支援突撃砲が火を吹き、四方八方から伸びる触手を炸裂させる。
「うおおぉぉぉッ!!」
『はああぁぁぁッ!!』
 長刀をメインに使い、互いに死角をカバーして応戦する武とマリア。攻撃が分散したことで1人が対処しなければならない触手の数も減った。その状況は確かに冥夜の述べるとおり、捌けないものでは決してない。

 厄介なのは、防戦に徹することしか出来ないこと。

 要撃級よりも大きく、要塞級よりも小さい“それ”が振り回す触手の数は大小合わせておよそ50。しかも、それは損傷しても高速で再生していってしまう。
 本体への攻撃はおろか、接近すら難しい状況だ。
「糞っ……キリが――――――」
 マリアを真横から強襲しようとした1本の触手を武は同様に真横から一刀で切断する。と、同時に武の背後に回り込んだ触手をマリアの放った36mm砲弾が尽く撃ち落とした。
『―――――――ないですね』
 そのままワンステップで背中を合わせる両者。伊達にこの3ヶ月間、連携を組んできたわけではない。“この世界”において言えば、冥夜や壬姫よりも衛士としてならば長いくらいだ。
 周りでは損傷し、地面に落ちた触手がまるで蛇が蠢くように揺れながら再生してゆく。
 妨害と言わんばかりに武も36mmをお見舞いするが、所詮は時間稼ぎに過ぎない。

『危ないっ!!』

 そう叫んだのは誰であったか。
 元々通信で会話している彼らには互いの声による方向と遠近の確認をする術がない。
 だが気付けば、その叫びに呼応して誰もが同じ方向へと視線を向けていた。

 触手に貫かれたのはラファールの右胸。
 “本来であれば、ディランを背中から穿つ筈だった”それは、咄嗟に割り込んだ彼の部下の機体を貫いた。
『なっ―――――――』
 身を翻し、体勢を整えたディランは己を庇ってくれた部下の救出に向かおうと地を蹴る。
 触手は僅かに管制ユニットを外れている。隊長機である彼や武の下に送られてくる衛士のバイタルデータもまだ生存の波形を刻んでいた。
 だが、そんな彼らを嘲笑うかのように触手は大きく振り上げられ、貫いたラファールの機体ごとその本体へと引き寄せられる。
 まるで糸で吊られた人形のように化物の傍らでだらりとぶら下がるラファール。
『たい……ちょう……』
 それはその機体に搭乗する衛士の呟き。あるいは祈りか。
 それに、ディランは激昂した。

『272A小隊続け! ストライカー7を即時救出する!!』
『了解ッ!!』
 長刀と突撃砲で装備を統一したA小隊3機が同時に疾駆。後方の壬姫たち第8中隊(ランドグリーズ)の支援もあり、迎え撃つ触手を尽く躱す。
 誰もがまだ間に合うと信じていた。
 誰もがまだ助けられると願っていた。
 衛士の生存を証明するバイタルデータを見せられている限りは。

 だが、武の背中には悪寒が走る。
 どうして、衛士が生存し、意識を保っているというのに―――――――――

 あの機体はピクリとも動かないのだ?

「止めろおぉぉッ!! 退けえぇッ!!!」
 武の警告は僅かに早い。だが、人間とはかくも無力なものだ。ほんの一瞬だけ早い警告に、いったい如何なる意味があるというのか。
 次の瞬間、ディランの左を固めていたラファールが爆砕した。

『―――――――――――ッ!!?』

 BETAとの戦闘ではあまり聞き慣れない爆音に反応し、ディランは飛び退く。直後、彼が立っていたその場所を無数の36mmが穿つ。
 放ったのは囚われのストライカー7衛士 ラッセル。否、ストライカー7が右手に持った突撃砲、と表現する方が恐らくは正しい。
 体躯全体は未だだらりと宙吊りのまま、突撃砲を持った右手だけが別の糸で吊り上げられたように持ち上がっている。その指が、36mmのトリガーを引いているのだ。
『何……………でっ…!?』
 ジグザグに動いて射線から外れながら後退しつつ、ディランは愕然とした様子で疑問を口にする。
 “敵”の照準は定められていない。そもそも射角も著しく狭く、加えてほとんど乱射に近い掃射だ。至近距離ならば脅威だが、この広大な空間の中である程度距離を取ってしまえば問題ではないだろう。
「機体の制御を………奪われてやがる……っ!!」
『っ!? まさか、侵蝕され――――――』
 冥夜の言葉を遮り、36mmが彼女の足元を穿つ。冥夜は「くっ」と呻きながら更に後退した。
 拡大すれば、ストライカー7の右腕からはところどころうねる触手が顔を覗かせている。
 冥夜同様に更に距離を開く武の脳裏を掠めるのは桜花作戦の出来事。彼ら突入部隊がオリジナルハイヴ最深部で遭遇した攻撃目標でもある「あ号標的」。

 ヤツもまた、蠢かせた触手で機体を侵蝕し、その制御を奪っていた。

『だけど……まだ生きてます!! 中佐! 救出命令をッ!!』
『それで部隊を危険に曝すつもりですか!? アルテミシア大尉!!』
 武に正式な命令を懇願するディランと、それを叱責するマリア。両者の気持ちは武にも痛いほどよく分かる。
 マリアも言い分は正論だが、武も“助けられなかった”人間だった。だからまだ生きている仲間を見捨てられないというディランの想いは、強く理解出来るのだ。

『中佐ッ!!』

『白銀中佐ッ!!』

『たけるさん!!』

『タケル!!』

 言葉は現実と同じくらい重い。
 救出するか否か。
 呼びかけは沈痛な叫びにも似て、背負わなければならない武の心を締め付ける。
 そう……背負わなければならないのだ。今取るべき行動の決断と、その結果生まれるあらゆる事象に責任を持つことを前提に彼は指揮官にあるのだから。

「………セイバー1より各機」
 敵の攻撃を躱しながら、ゆっくりと武は口を開く。
 悩むまでもない。最初から答えは決まっている。取るべき答えは決まっているが、ただ、武の心が勝手に葛藤していただけだ。

「ストライカー7衛士 ラッセル少尉をKIAと断定し、同機は本時刻をもって敵機と暫定。撃墜せよ……! 繰り返す……。撃墜せよッ!!」

 答えは、否だった。



[1152] Re[29]:Muv-Luv [another&after world] 第29話
Name: 小清水◆2e19c93f
Date: 2007/08/05 23:14


  第29話


 ストライカー7が敵機と暫定されてからも、無数の触手による攻撃によって武たちは常に攻めあぐねる状態に追い込まれていた。
 武たちが距離を開けば開くほど、その攻撃の手は緩まるが、逆に近付けば単機では危ういほどの猛攻に曝される。
 まったくもってBETAらしくはない。
 連中は本来、目の前に脅威対象がいるならば全力をもって排除しようとしてくる筈なのだ。

 だが、あれではまるでこちらを牽制し、時間を稼いでいるように見えなくもない。

 見る限り、“それ”は決して動きが愚鈍なわけではない。寧ろ、根のようにうねる触手を利用すれば機動性も旋回性も要撃級に匹敵する可能性すらある。
 ならば、もう少し動くだけで武たちを窮地に追い込むことなど容易いとも考えられるのだが、そのようにする様子も微塵もなかった。
「くっ……向こうは動く気配がねぇな」
 大きく後退した武は誰に対してと言うわけでもなく呟く。それは恐らく誰もが感じていることだろう。
『どう思われますか?』
「そっちの意見は?」
 武の後退に合わせて部隊を引き連れて前進するのは冥夜。その冥夜の隊に後方から支援するマリアの問いかけに、武は逆に訊ね返した。
『………あの手数にも関わらず攻勢に転じない点は不自然かと』
『反応炉であろう』
 マリアの疑問に答えたのは武ではなく冥夜だった。部隊の先頭に立って触手を薙ぎ払いつつ、意見を述べる。
『反応炉を守っているということですか?』
『いえ………恐らくは、反応炉からの活動エネルギーを再生のために使用しているのではないかと』
「成程な……あそこで戦うことが一番有利に運べるってことか」
 マリアの問い返しに答える冥夜。彼女のその言葉に武も合点がいったと言うように呟く。
 BETAが活動エネルギーを補給するのはこの反応炉からだ。詳細は依然すべて明らかになっているわけではないが、少なくとも直接接触することでそれを供給出来ることは確かである。
 光線級や重光線級などのレーザー属が高出力レーザーを放つ際に使用されるエネルギーも、反応炉から供給されるものであることも既に一般常識だ。
 それだけ、BETAは活動する上で反応炉を必要不可欠としている。
 もし目の前の敵がBETAであり、触手をある程度再生させる機構を持ち合わせているのだとすれば、冥夜の予測も決して馬鹿には出来なかった。
「引き剥がせると思うか? 冥夜、マリア」
『難しいでしょう。元よりそれを前提にして牽制しているのなら、動く理由はないでしょうし、ただでさえこちらは攻めあぐねているのですから』
『シャルティーニ少佐に同意だ。手数で勝っているのならばまだしも、こちらはそれすらも劣っている。あの場から誘き出すことなどまず不可能だ』
「やっぱりか」
 新旧の聡明な相方から同時に首を横に振られ、武は再び鼻を鳴らす。それでも落胆することがなくなったのは、単純に彼が成長したからだ。
「なら、どうにかして接近するしかないな。それに―――――――」
 キッと武は敵の傍らに吊り上げられたラファールの“残骸”を睨み付ける。その眼には敵に対する露骨な怒りが宿っており、そしてまた、この決断を下すしかなかった不甲斐ない自分自身への怒りも宿っていた。
「いい加減、あいつを“解放”してやろう」
『……………』
 その言葉に、誰しもが沈黙の肯定を示した。
 既に完全に制御を奪われたラファール……ストライカー7に搭乗する衛士のバイタルモニターは依然、波形を刻んでいる。
 だが、それは明らかに異常をきたしていた。
 意識を失っているわけでも、致命傷を負っているわけでもなく、しかしながら正常と呼ぶにはあまりに程遠過ぎるバイタルデータ。

 それが、すべての答えだった。

 知っている。
 白銀武は、この波形によく似たバイタルデータを知っている。
 彼の桜花作戦において、彼らを戦渦に残すべく身を投じた尊き斯衛軍士官。
 ある意味、武自身が手にかけた、そして武が救えなかった者の1人。

 貴様に頼むのはお門違いなのかもしれないが……日本の未来の一片を託したいのだ。

 彼女はあ号標的にその四肢を侵されながら、尚も気高く笑った名もなき英傑。
 その笑みが向けられた先は、彼女が仕える煌武院悠陽か、守護を任された斉御司灯夜か、あるいはまったく別の誰かなのか、武には今も分からない。
 だが、彼女は言った。
 今ここで、私ごと撃て、と。

 1人目は己が教官たる神宮司まりも。
 2人目は己が隊長たる伊隅みちる。
 そして3人目である彼女の名は、双海 楓(ふたみ かえで)。
 帝国斯衛軍 第4戦術機甲大隊 第1中隊 副隊長にして赤を賜る斉御司灯夜の右腕。
 そして、斉御司灯夜の身辺警護を務める第4警備小隊の小隊長も任されていた勇士だった。
 それは白銀武が、目の前にいながら救うことが出来なかった、本当はきっと救えた人。
 当時、情勢について疎かった武にとってよく知らない人。
元から一切の縁などなく、何千何万と繰り返してきただろうあの時間において、恐らく初めて出会うこととなった人。
 彼女の挺身があったからこそ、自分たちは生かされたかもしれないと今も武は思っている。
 ならば、それに応えることこそ―――――――――

『行くぞ、タケル』
「冥夜………?」
 不意にそう言われ、武はハッとする。見れば、彼の網膜に映る冥夜は普段以上に凛然とした瞳でこちらを見据えていた。
 その姿はまるで抜き身の日本刀。今はまだ、斬ることしか出来ないただの刃。
『これから我らは、それすら生温いと思わなければならない戦いを続けなければならぬ』
「………それが衛士の弔い、だろ? 分かってる。俺は弱いからな。すべてを救うことなんか出来ねぇ」
『そなたに救えぬ者は私が救おう。我らに救えぬ者は我らが友に託そう。そしてそなたは、そなたにしか救えない者を救えば良い』
 何時の間にか突撃砲を破棄し、長刀の二刀流に切り替えた冥夜は襲いかかる触手による攻撃を次々と捌きながら高らかにそう告げる。その言葉に、武の中で渦巻いていた黒い何かが少しだけ晴れた。
 冥夜は変わった。
 かつては同じように、目に見えないもの、自分1人では決して抱え切れないものまで1人で救おうと研鑽していた彼女。それが限界を迎えた時、彼女は絶望しただろうか。
 武は最初、絶望した。誰とも共有出来ない運命に翻弄され、自身の理想と現実との違いに屈服し、世界の真っ只中で嘆き悲しんだ。
 そして武は気付いたのだ。自分の周りには誰かがいることを。
 何の因果か、その“誰か”は揃いも揃って道は違えどすべて自分で解決しようとする人間ばかりだった。
 それに気付けたことが、“白銀武”のあり方をほんの少しだけ変えたのかもしれない。

 「少しは頼れ」と本気で他の誰かに言えるようになった時、武は本気で他の誰かを頼れるようになったのだから。

『しかし……具体的にどうしますか? このまま触手の相手をしているわけにもいかないでしょう』
 一時後退をする冥夜の支援を続けながら、やや割って入るような印象でマリアが訊ねてくる。それがすぐに決まればここまで攻めあぐねるなどし得ないのだが、彼女の言うことも実に正論だ。
「かなり危険だが、本体を狙う。ちょっとやそっとや崩れないだろうけど、ダメージは与えられる筈だ。っていうか、与えられなかったら絶望的」
 何一つ確証のないこの状況で下せる一手はそれしかない。そもそも、触手以外で攻撃出来る部位など本体しかないのである。もしそこすらも再生してしまうようならば、その時は止むを得ない。
 その時は……武とてコックピット内の赤いスイッチをカバーガラスごと拳で叩きつけることは辞さないだろう。
『あの触手の軍勢を掻い潜るか……。容易くはないな』
『白銀中佐か御剣大尉ならばあるいは……ですが、私ではただの足手纏いになるでしょうね』
 やるしかない、と静かに闘志を燃やす冥夜と、少しだけ悔しそうな表情で冷静に分析するマリア。
 彼女の言う通り、無限に再生するあの触手の群れを掻い潜り、中心点まで潜り込める人間はこの中でも限られる。何せ、触手は1度払えば良い相手ではない。前進し、次の触手を討ち払う間に1度払った触手も再生し、再び襲いかかってくる筈だ。
 例えば、10本の触手を相手にする場合、実際に払わなければならないのはその3倍ないし4倍、あるいは5倍にまで達する可能性もある。
 万全の体調と装備ならばともかく、今この状態でそれを成し得る者となれば、数は更に絞られる筈だ。

 結論から言えば、この場では武か冥夜……否、あるいはその2人でさえも………。

「足手纏い? 笑わせんな。正直、今1人でも欠けたらお手上げかもしれねぇんだぞ?」
 そんな中、武は笑ってみせた。多少引き攣っているように見えるのは御愛嬌だ。
「俺と冥夜で突出して触手を惹き付ける。マリア、お前は第27機甲連隊に残る支援突撃砲装備の機体を率いてこっちの撃ち漏らしを頼むぞ。たまは戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の同装備機体を率いて遠距離から本体を狙え」
『はっ!』
『了解だ』
『了解しました』
 武が出した指示に従い、すぐに各員は責任者に追従して持ち場に向かう。壬姫たちのために射線を確保するならば、可能な限り各員は分散しておいた方が都合は良い。状況如何ではマリアと壬姫と役割をスイッチすることもあり得るだろう。
「………不貞腐れたか? ディラン」
『………そんなことないっすよ』
 すぐ後ろで待機させている、唯一指示を与えなかったディランに武は皮肉混じりで言葉をかける。彼から返ってきたのは、言葉とは裏腹な実に不貞腐れたようなものだった。
「………基地に帰ったら、いくらでも罵ってくれ。だけど今は――――――」
『そんなこと出来るわけないじゃないですか!! 中佐の判断の方が正しいのは間違いない!! 責められるべきは俺の方だ!!』
「何だ? じゃあ、何に不貞腐れてたんだよ? 自分にか?」
 ディランの姿に、まるで“昔の自分”を見ているような錯覚に陥る武は、やや首を傾げる。頭では理解出来ているのに心が納得出来ていない。そんな自分に憤る。そういう雰囲気にも似ているが、それにしたとしても随分とディランの感情は武に向かい過ぎていた。
『だから……始末は隊長である俺に――――――』
「ああ、そういうことか。バカ言え。お前は攻撃の要だぞ? それに言った筈だ。1人でも欠けたらお手上げかもしれないって」
 自分に“あれ”を討たせてほしい。そう懇願しようとするディランの言葉を遮り、武はそう告げる。やはりその言葉を告げる彼の頬は引き攣ったままだ。
「……狙撃で倒せるとは思ってない。あの巨体だ。ちまちま攻撃してても埒は明かない。だから、珠瀬大尉の攻撃はブラフ。お前は部隊を率いて接近し、“あれ”に36mmのフルコースを鱈腹喰らわせてやれ」
 尚も触手をはためかせる“それ”を顎で示し、武は告げる。
 いくら狙撃技能の優秀な者で構成されているとはいえ、砲撃支援装備の機体すべてが精度100パーセントの狙撃を行えるとは武も思っていない。武と冥夜、マリアたちで半数以上の触手を惹き付ける目算だが、それでも軍勢の数はおよそ20。
 それを掻い潜って本体まで届く高精度の魔弾を放てる者など、この場には珠瀬壬姫とマリア・シス・シャルティーニの2人しかいないのだ。
 だからこそのはったり。
 最本命の打撃は、超至近距離で喰らわせる36mmだ。
 それこそがディランと、それに随伴する混成部隊の役割。
「総合すれば軽く4000発。あの図体でも至近距離で喰らえば一溜まりもない筈。殺せなくとも怯ませることが出来れば、あとは集中砲火かS-11で始末するだけだ」
 歯軋りをしつつも武はプランの委細を続ける。彼が明言せずとも、この作戦はすべてにおいて憶測と賭けの上で成り立っていた。それを知っていて尚、マリアたちが反意を示さないのは、それ以外に現状を打開する策が見当たらないためである。
「返事はどうした? アルテミシア大尉」
『ッ! りょっ…了解ッ!!』
 敢えて自身が上官であることを強調し、武はディランに返答を求める。それまで茫然としていた様子のディランも、その呼びかけにハッとしたように慌てて応じた。敬礼付きの返答であったことを見れば、彼が武の言葉をどのように捉えたのかは想像に難くない。
「よし、任せる。ああ、それと、止めるつもりなら、管制ユニットを狙って、一撃で決めてやれ」
『………はい』
 ちらりと最早活動を止めたラファールを一瞥した武は、念のためディランに釘を刺す。再び沈痛そうな面持ちをした彼だったが、先刻とは違って噛み締めるように頷き返してくれた。
 そのまま武は跳躍。後退したことで攻撃の手を緩めた触手と睨み合っている冥夜の隣、10mのポイントに誤差なしで着地する。
『そなたとの連携に不満などある筈もないが……やはりあれを捌くのは少々骨が折れるな』
「骨が折れるくらいで済むなら腕でも脚でも差し出してやるさ。最近の軍事医療は優れてるからすぐ復帰出来るしな」
『相違ない』
 決して積極的に攻撃を加えてくる様子のない触手を見据え、武の冗談に冥夜は口元を緩める。そうして次の瞬間には、お互いに声を上げて笑っていた。
「………冥夜、使えよ」
 一頻り笑った後、武は自身が手に持つ突撃砲を冥夜に向かって投げ渡した。
 彼女が持っていた突撃砲は既に弾薬が尽きて破棄されている。相対し、武はマウントに背負った分も含めて2つ共弾薬を残したままにしていた。そのうちの1つを冥夜に投げ渡したのだ。
 それを受け取った冥夜も「助かる」と短く礼を述べ、武に微笑み返す。
『だが、良いのか?』
「気にすんな。そっちもこっちも実際にはたいして残ってない。それに、うちのバックアップは優秀だし、信頼してる」
 武はマウントの突撃砲を左手に持ち直しながら冥夜に答える。振り向かないが、自分たちの後方に控えるマリアたちに万感の想いを込めて。

 機体は最早、満身創痍。
 左の突撃砲は残すところ約400発。対し、右の長刀は最後まで保つのか怪しいところだ。
 せめてこの一戦が終わるまでは保ってくれと、武はほんの一瞬だけ祈る。

 次の瞬間、彼はキッとその瞳を更に鋭く光らせた。そしてその開いた口で高らかに咆える。
「行くぞッ!! 冥夜!!」
『了解!!』
 それこそが仕切り直しの宣戦布告。
 武は肯定の旨を返した冥夜と並び、同時に疾駆する。吶喊するのは彼のラファールと彼女の不知火。
 それを迎え撃つのは無制限の触手の軍勢。
 彼らと無限の軍勢の再戦は、そうやって幕を開けた。




 深度3000mの地下世界に轟くのは、叫喚にも似た砲撃音。怒りか苦しみか、あるいは嘆き、それともそのすべてか。少なくともその一撃は、決して単一のものではなく、万感が込められていた。
 冥夜は疾駆する。縦だけでも横だけでもなく、この限定された地下空間を文字通り縦横無尽に駆け巡る。
 それを迎え撃つのは同じく縦横無尽であり、同時に無限を体現する魔の軍勢だ。
「はああああぁぁぁぁぁっ!!!」
 冥夜は右手に持った長刀を振るう。決して大振りではないその斬撃は左から右から、そして正面から来る触手の群れを一撃で振り払った。
 距離は中距離。何の障害もなければ突撃砲の36mmで充分に本体まで届く距離である。
 だが、その攻撃もそれ以上の接近も容易ではない。
 冥夜が相手にしている触手の数は15ほどだが、既に彼女が斬りおとした数は40を超えていた。幸いなのは、そのほとんどが小さな触手であり、また適切な支援が後方からなされていること。
 更に言えば、触手の軍勢は確かに驚異的な再生力を有しているが、反面動作はさほど機敏ではない。3次元空間の制圧力の低さを数でカバーしているような状態だ。
 これ以上前進すれば話は別だが、この距離ならば冥夜の能力はそれに肉薄する。
「甘いッ!!」
 両脚の着地を待たず、右脚だけで左に飛び退く。跳躍ユニットの噴射と同時に冥夜は左手の突撃砲を掃射した。密集して回り込もうとしていた都合5本の触手が残らず弾ける。
『何とか半分以上は俺らに興味持ってくれたみたいだな』
 四方八方から迫る触手を長刀で捌きながら武がそう声をかけてくる。ここまで来る間で幾分か武の能力を再確認させられたが、どうやら教官職に着いている間に近接格闘技能も随分と向上したらしい、というのが冥夜の評価だ。
「所詮はBETA、ということであろう。手数の多さは脅威だが、見る限り完全に使いこなせているようにも見えん」
『確かに……フルに使われて退路まで塞がれたら厳しいな』
 冥夜の見解には武も同意しているようだった。
 先述したように、触手による攻撃は実に単純で幼稚だ。いくら冥夜や武の挙動が他とは一線を画するレベルとはいえ、この距離からあの数で押し切れない点は寧ろ稚拙過ぎる。
「シャルティーニ少佐や珠瀬の狙撃を警戒しているとも思えるが……」
『それにしたって緩慢過ぎるだろ。お前の憶測が正しいなら、そもそもあの再生速度に攻撃パターンが対応し切れていないのかもしれない』
「それでは反応炉の傍を離れないという姿勢に矛盾が生じる気がするな。個体の行動パターンが予測不能という点は他のBETAと同じ、か」
 武の言葉に冥夜は曖昧に頷き返す。
 確かに、あの高速再生が常時行えるものではないのなら、あまり手数で押した戦法は取れないだろう。しかし、ここまでの攻撃は慎重というにも何か違うような気が冥夜はしていた。

 イメージとしては、腕利きの新任。
 恐ろしく驚異的な能力を持っているというのにそれを使いこなせていない、新任特有の幼さと詰めの甘さにも似た隙がある。

『ッ!! たまが撃つ!!』
「―――――――――っ!!」
 武の言葉に反応し、冥夜は大きく身を翻す。それと同時に一際大きく感じられる砲撃音が鳴り響いた。
 瞬く間に10発。何れも珠瀬壬姫の支援突撃砲が撃ち出した36mmだ。
 先頭を行く3発は蠢く触手を炸裂させ、進路を阻む軍勢の壁に1つの穴を拓いた。
 続く3発はその穿たれた穴を埋め尽くさんと割り込んできた別の触手を消し飛ばし、目標へと続く射線を確保。
 先行の6発に守られて茨の壁を突破した次の3発は最後の砦たる堅牢な下身の触手に全弾命中し、ここに鉄壁を打ち崩す一条の道筋を完成させる。
 殿を来た最後の1発は、この極小の穴へとまるで吸い込まれるように走り、今まで無傷を続けてきた目標の巨体に砲弾という名の杭を打ち立てた。

 たった1発。

 冥夜が知る限り、最高位の狙撃手である珠瀬壬姫の技量をもってして鉄壁を突破することが出来たのはたったの1割。
 しかもそれは気まぐれに当たった1発ではない。
 9発を礎として使う、異常なまでの集中力と驚異的な先見の技能を駆使して放たれた、最精鋭たる1発だ。

 だがそれでも、敵に彼女を脅威対象と認識させるに充分な材料。
 何故ならば、ここまでで唯一触手の軍勢を掻い潜った英傑の一撃であるから。

 刹那、“それ”は咆哮するように触手をはためかせ、冥夜や武を抑えていた触手の一部まで動員して珠瀬壬姫が率いる一団に猛撃を仕掛ける。
 攻めるのは無限を体現する触手の軍勢。対し、迎え撃つのは砲撃支援装備の機体を中心に構成された2個小隊にも満たない不知火の集団。迎撃に繰り出される36mmの雨をものともせず、触手は珠瀬壬姫を穿たんと走った。
 壬姫は動かない。回避行動には出ない。

 それは冥夜を信じ、冥夜の意図を理解している故の行動。
 何故、壬姫の射線上にもいない冥夜が、“狙撃に合わせて身を翻したのか”知っている故の行動だ。

「させるかッ!!!!」
 真横から触手の軍勢を強襲した冥夜は、両手に持った長刀と突撃砲で走る触手を片っ端に血祭りにあげる。
 その打撃をすり抜ける触手がいようとも、その程度に落とされる珠瀬壬姫ではない。彼女は、幼い少女のような外見ながらも、幾千の死地を潜り抜けてきた英雄の一角なのだ。
 その間に武が前進。追随するのはマリアが率いる2個小隊程度の一団。冥夜や壬姫から見て丁度“あれ”を挟んで対角から強襲を仕掛けた。
 加速度的に磨耗する触手の壁を掻い潜り、壬姫が放つ砲弾は再び“それ”を捉える。
 彼女を最大脅威と認識したのか、“それ”は半数以上の触手を用いて撃墜せんと進撃する。

 そこに立ち塞がる冥夜を“あれ”はどう捉えただろうか。

 ただの邪魔者か、あるいは最優の守り手か。
 前者にしても後者にしてもさしたる差はない。重要なのは今現在、珠瀬壬姫が“あれ”からどのような存在と認識されているのかということ。

 何せ、本気だと、本命だと認識されることこそがブラフの最大目標なのだから。

『行け!! ディランッ!!!!』
『了解ッ!!』
 蠢く触手の軍勢が大きく二分されたそのタイミングで、武は己の部下に吶喊命令を出す。既にその命令がこのタイミングで下されると予測していたのか、ディランは中隊規模の一団を率いて地を蹴る。
 速度は初速から最速に近い。
 加速性能で勝るラファールの部隊が先頭を行くディランに続き、更にその後ろから不知火が追随。
 それを最初に阻むのは、本体を取り巻く10にも満たない触手だった。
 同時にディランの両翼から2機のラファールが突出し、やや覚束無くも長刀で触手の壁を抉じ開ける。
 ようやく己にとっての最大脅威が誰であるのか悟ったのか、冥夜と相対していた軍勢の半数以上がその切っ先を変えた。だが、指をくわえてそれを見送るほど御剣冥夜は甘くない。
「そなたらの相手はこの私であろう!!」
 完全にトリガーを固定したまま冥夜は咆える。36mmの掃射体勢から更に踏み込み、右腕に装備した長刀でその切っ先を尽く切り落とした。
 触手の再生は“あれ”にとって何よりも優先される。その体躯を一部でも破損すれば、瞬く間に再生しようとすることを、ここまでの戦闘で冥夜は気付いていた。
 そう、瞬く間、だ。時間にして2秒か3秒。大きな損傷を負っていたとしても4秒もあれば触手は完全再生する。

 だが、彼らにとってそれは充分過ぎる時間。

 アフターバーナーも駆使すれば匍匐飛行で時速400kmにも達する戦術機の最大戦闘速度。秒速に直せば、およそ110mだ。
 適当な数と適切な支援、そして並以上の連携さえあれば、ディランたちは即座に“あれ”の本体に取り付くだろう。
「珠瀬! 我らも続くぞ!」
『はい!』
 再生しかけていた一際大きい触手に、残る36mmを全弾掃射し、冥夜は壬姫に呼びかける。そして壬姫の頷きがわずかに早いかというタイミングで蒼穹の不知火は更に前進を仕掛けた。
 ディランの進撃は速い。殿を行く不知火は未だ触手の壁を抜け切ってはいないが、そもそもあの機体は追撃の足止め役。尖兵となるのは先駆するディランを含めたラファールの一団だ。
『各機所定ポイントに近接準備!!』
『了解!!』
『フォローに出る! マリア、行くぞ!!』
『はっ!』
 ディランがついに詰めとしようとしたところで武もマリアを引き連れて加速度的に前進を開始。冥夜自身もまた、中距離より更に前に出て無差別に触手を破壊し尽くしていた。
 冥夜も壬姫も決して隙は見逃さない。
 一瞬でも敵の姿勢が崩れれば、その牙を相手の首筋に突き立ててやろうという気概を滾らせていた。
 爆発的な火力集中により、瞬間的に彼らは触手の軍勢を圧倒する。機体耐久及び弾薬の都合上、それは1度切りしかない好機だ。尤も、冥夜はもうこの戦いが本当の意味で終わりを迎えるのだと分かっていた。




 ディランが跳ぶ。
 空中でも尚、左手に持った長刀で触手の防壁を削ぎ落とし、既に完全に間合いに捉えている“化物”の懐深くへと更に侵入する。
 元より触手は伸縮自在というわけではない。触手の軍勢はここまで入り込まれることを危惧していないのか、ある圏内まで到達するとその広大な間合いが逆に仇となり、急激に攻撃の頻度を落としてしまっていた。
 そのおぞましい体躯には顔面らしきものは一切見当たらない。容姿はまるで子供の頃に読み聞かせられた童話に出てくる樹木のお化けのようだ。
 誰よりも早くその怪物の本体へと取り付いたディランは、右手とガンマウントに装備した2挺の突撃砲を突きつける。
 そして――――――――――

「くたばれ、糞野郎」

 有りっ丈の憎しみと怒りを込めてそう告げた。
 その瞬間、極至近距離で36mmの劣化ウラン弾が炸裂。凶悪な轟音を上げて瞬く間に放たれた無数の砲弾は化物の体躯に巨大なクレーターを作り出した。
 弾け飛ぶのは肉塊、返り血のように飛び散るのは緑と黒のマーブルカラーの体液だ。
 ディランの機体はそれらをこの至近距離で浴び、ここまでの苛烈な戦闘の証明すらも覆い尽くしてゆく。
 それをきっかけに都合10機ほどにも及ぶラファールと不知火の一団が群がるように取り付き、同じように36mmの嵐を吹き荒らした。
 その瞬間を一枚絵としたならば、恐らく誰もが一方的な虐殺と取るだろう。それはまさに圧倒的暴力を駆使した生存競争。

 そして、彼らは確かにその瞬間、その競争に勝利した。

 それに遅れることわずか数秒。力を失ったのか、痙攣するように地面に横たわる触手の軍勢を一蹴し、武とマリア、冥夜と壬姫の率いる一団が急接近する。そしてディランたちの攻撃によって、半ばただの肉塊と化した“それ”に最期の断罪を下した。
 空になった右手の突撃砲を投げ捨てながら武たちの攻撃を躱すようにディランは身を翻す。
 着地点の傍らには横たわるラファール。当初は関節部や装甲の隙間から顔を覗かせるだけだった触手も、今は機体のあらゆる部位の装甲を突き破った状態で痙攣している。
 最も酷いのは管制ユニット。派生した触手で内側を埋め尽くされているのか、歪に歪んだ管制ユニットはその隙間からも触手が湧き出ている。
 それでも尚、中の衛士は事実上、生存していた。

 中がどうなっているのか考えられない。考えたくもない。

 ディランはそんな脆い自分に苛立ち、顔を歪ませる。
 恐らく、意識はもうないだろう。
 それにも関わらず、心拍数は急激な上昇と低下を極短い間に繰り返し続け、バイタルモニターはまるで“ヒトのものとは思えない波形”を刻み続けていた。

 未知の異物の侵入を許した人体は、そこから回復する一切の術を知らないのだ。

「……………」
 無言のまま、彼は徐に左手の長刀の切っ先をその管制ユニットに向ける。
 助けられるかと問われればディランは首を横に振る。彼の部下だった衛士の心拍数は異常なふり幅を見せながらも、ゆっくりとそれを狭め始めている。

 無論、平常値に、ではなく、ゼロに向かって、だ。

 救えるかと問われれば彼は恐らく迷うだろう。その手に力を込めれば救済にはなるのかもしれない。尤もそれは、誰よりもディラン自身のための救済なのだろうが。
 だが、その躊躇いもほんのわずか。
 次の瞬間、ディランの持つ長刀は管制ユニットごとラファールの残骸を貫いた。




 触手の再生が完全に停止したことを確認した武は、とうに撃ち尽くした左手の突撃砲を無造作に投げ捨てた。
 ちらりとその肉塊を一瞥する。
 この化物の正体が何であれ、本体を攻撃すれば倒せると分かったことは収穫だ。ただし、その理由が“本体には再生機構が存在しないから”なのか、“本体のどこかに弱点を抱えているから”なのかは未だ判断のつくことではない。
『厄介なことになったな』
「まったくだぜ。新種のBETAなんて考えたくもない」
 不意にかけられた冥夜からの言葉に、武も苛立ちを隠せずに悪態をつく。しかし冥夜も同意見なのか、肯定のような無言を示した。
「とにかく、今は反応炉の破壊を優先しよう。マリア、271戦術機甲中隊(セイバーズ)のS-11を使うぞ」
『了解。271戦術機甲中隊(セイバーズ)、S-11の設置に入ります。各機、指定のポイントに設置を開始しなさい』
 武の命令に応じ、マリアはすぐに動ける機体へ新たな指示を出す。
 当初は272戦術機甲中隊(ストライカーズ)に任せていた仕事だが、今は武もディランに配慮して271戦術機甲中隊(セイバーズ)に変更した。

 こういうところをきっと香月夕呼に甘いと言われるのだろうと、武は自分に失笑する。

 だが、容易に平穏は訪れなかった。
 最初にそれを察知したのは珠瀬壬姫。続いて数秒と経たないうちに冥夜、武、マリア、ディランがにじり寄る新たな敵の存在に気付く。
『たけるさん!』
「ちっ………!」
 波形を刻む振動センサーに、武は小さく舌打ちをする。時間を喰いすぎたと、自身の先見の甘さに彼は反吐を吐きたくて仕方がない。
 反応炉ブロックに繋がる3つの横坑すべてから、不吉な足音を響かせながら要撃級が進入してくる。先頭にも関わらず数えるのも嫌なくらいの規模だった。
「冥夜……まだ行けるか?」
『機体の方が根を上げそうだが……止むを得まい』
 そう呼びかけると、冥夜はかなり厳しい面持ちながらも頷き返してくる。
 残念ながら、この状態、この状況でBETAと近接格闘で乱戦にもつれ込めるほどの技量を持つ者は武と冥夜ぐらいだった。だからこその確認である。
「俺たちが前に出て抑える。マリア、そっちはすぐに反応炉の破壊を完了しろ」
『すぐにでも』
 長刀を構える武の言葉にマリアが少し辛そうに答える。
 彼女自身も武に追従したいのだろうが、弾薬も残り僅かなマリアでは乱戦を継続出来ない筈だ。マリアもそれを理解しているからこそ了解を示した。
 ここは、敵を殲滅するのではなく逸早く反応炉を破壊して、BETAが撤退してくれる可能性に賭けるしかない。
 キッとBETAの先頭を睥睨し、武は長刀の切っ先を上げる。彼に残された武器はもうこの一振りの長刀とナイフシースに格納された二振りの短刀、そして自決用のS-11だけだ。
 あとはもう、自分自身の意地と気合いのみ。

 だが、その直後、武は自分の悪運の強さを再認識することとなった。

 彼と冥夜が己の駆る機体を走らせるよりも早く、2つの横坑から侵入してくるBETAの一群が唐突に吹き飛ぶ。
 BETAの更に後方。横坑の奥からBETAを片っ端に薙ぎ払いながら突入してくるのは、武やマリアが見慣れた機体の集団だった。
『うおおおおおぉぉぉぉっ!!!』
 示し合わせたかのように猛々しく咆哮し、尖兵となってそれぞれの横坑から突入して要撃級の首を刎ねて回るのは、ランサー1とハンマー8。
 武の誇る部下の中でも抜きん出て格闘技能の高いユウイチ・クロサキと柏木章好の2人だ。
『白銀中佐! ここはあたしたちに任せて早く反応炉を!』
 ユウイチと章好の吶喊と同時に、その後方からも36mmを掃射しながら続々とラファールが続く。そのうちの1人、ハンマー1のコールナンバーを持つエレーヌ・ノーデンスの顔が武の網膜に映り、そう告げた。そしてそのまま今尚BETAの流入が続く残り1つの横坑に、自身の中隊を率いて猛撃を仕掛けてゆく。
「遅い……なんて文句は言えないな。助かったよ、エレーヌ、レイド」
 瞬く間に2つの横坑を制圧し、残る1つに火力を集中させる部下たちを見つめながら、武は苦笑気味にそう呟く。
 その右手から零れ落ちる長刀は、刀身が地面に触れた瞬間、中ほどから真っ二つに折れてしまった。




 振り下ろされた長刀はその一刀で要撃級の首を落とす。
『――――――――っ! 甘いッ!!』
 彼女はその小さな身体からは想像も出来ないほど迫力に満ちた怒号を上げ、粉塵を突き破って急襲してきた突撃級をワンステップで躱し、背後から36mmの大嵐を喰らわせた。
 彼女の半身たる蒼青の武御雷を取り巻くのは、荒れ果てた大地と物言わぬ肉塊と化したBETAの骸のみ。そしてその眼前に広がるのは、砂礫の大地の支配者である無数のBETAとただの鉄屑と化した戦術機の残骸のみ。
『ちぃ……やはり軌道降下突入から2時間も経てば押し負けるか……!』
 向かって侑香の右隣まで後退し、36mmを掃射し続けるのは同じく蒼青の武御雷。それを駆る斉御司灯夜は、迫るBETAの一群を睥睨しながら悪態をついた。
『物量戦術では我々に長期戦の分がありません。止む無いことでしょう』
 折れた長刀を破棄し、ブレードマウントから予備の長刀を引き抜いた真紅の武御雷も、侑香の左隣で着地し、同様に36mmを掃射。その搭乗者たる月詠真那は落ち着きと、BETAに対する怒気を同時に含んだかのような口調で灯夜に返す。

 その3機を統べるように立つのは、圧倒的な存在感を放つ燃え立つ真紅の武御雷だ。

「第6次増援からは完全に攻守が入れ替えられたわね。それでもまだ耐えられているのは、甲19号作戦で蓄積された情報が生きている証拠だわ」
 朝霧叶は口を開いた。それに反論する者は誰もいない。
 世界的に注目される軍力と技術力を誇る日本でさえも、確かにH19制圧作戦の折にはこの段階で既に地上戦力は潰滅していた。だが欧州は、緩やかに後退を続けながらも今尚持ち堪えている。

 ヒトは学ぶ生き物だ。

 知能を有する生物は数あれど、恐らく地上において人間ほど「一を聞いて十を知る」ことの出来る生物はいないだろう。学習心理学における条件づけや慣習、試行錯誤からの学習とは一線を画する能力を秘めている。
 人類の叡智は物にも心にも宿る。
 前者の最たるものは例えば朝霧らが駆る武御雷のようなもの。そして後者は、彼らが滾らせる強き気焔だ。
『しかし……欧州戦線の瓦解も秒読みですね』
『それでも、私たちはこの戦線を守り抜かねばなりません』
「よく言ったわ、侑香。それでこそあたしの愛弟子」
 先刻までは辛うじて1本の線を成していた防衛線も、今ではもうところどころで途切れ、BETAの流入を許している。その光景を見せられれば月詠の言葉も当然であった。
 それに答える侑香からは並々ならぬ覚悟が漂っていた。
 朝霧は口元を緩める。既に個人としての能力なら九條侑香は師である彼女を上回っていた。その事実が朝霧にとってこの上なく喜ばしかったのである。
 連なるのは武御雷の長城。
 誰しもが満身創痍だが、誰一人として心はまだ折れてはいない。
 次の瞬間、彼らは一斉に疾駆した。真正面からぶつかり合うその様相は、まるで戦国時代の合戦のようだ。
 正面から繰り出される要撃級の前腕。左右共に掻い潜り、朝霧はヒュンと長刀を一閃させる。
「疾く、去ね」
 その場に崩れ去る要撃級を一瞥しながら朝霧は冷酷にそう告げた。後続の要撃級には120mmを顔面に抉り込んでやり、抵抗する前に黙らせる。

 だが、その攻防は続かなかった。

 朝霧の手が止まったのではない。
 BETAの進撃が止まったのだ。

「『ッ!?』」
 最大脅威たる戦術機を前にして進撃を止め、あまつさえ踵を返すBETA群。その圧倒的な物量も相まって、蜘蛛の子を散らすように、という言葉がこれ以上ないというほどに相応しいような光景だった。
『………やりやがった』
 斯衛軍の誰かが、驚愕と歓喜を込めてそう呟く。
 誰が何を、などという主語も目的語も今は必要ない。この光景を前にして何が起きたのか理解出来ないほど抜けている人間はこの場にいなかった。
「全部隊追撃! 1体でも多く駆逐しなさいッ!!」
『了解!!』
 撤退を開始するBETAに対し、朝霧は追撃指示を下した。彼女のみならず、先刻まで後退を続けていた欧州勢力も、動ける戦力を総動員して再攻勢に転じている。

 BETAがハイヴを放棄するような行動を取るケースは、反応炉が破壊された時しか知られていない。

『人類の勝利というものが現実味を帯びてきましたね、九條大佐』
『ええ。私たちはやっと………本当の意味で報いることが出来る日が来たのかもしれません』
 月詠の言葉に侑香が少しだけ哀しげな微笑みを作って答える。
 その表情の意味は朝霧にもよく分かる。
 人類最大の反抗作戦である彼の桜花作戦において、朝霧も侑香も共に見送るしか出来ない側だった。どんなに深い位置で関わろうとも、戦いにおいてその一翼を担うことが出来ないという後ろめたさを抱えていた。
 だが、今は違う。
 桜花作戦とは違う。
 この戦場においては、特別な資格も特別な立場も不要。ただ戦う能力があれば良いだけ。
 数多の同胞の骸を踏み越えてきた彼らにも、今ようやく友の犠牲に報いる機会が訪れようとしているのだ。
 一度の幕間を終え、人類の反撃はその速度を上昇させる。
 今回の作戦の成功に、誰しもがそう信じて疑わないであろう。

 だが、大多数の人々はまだ知らない。
 桜花作戦以降続いたこの幕間の終わりが、新たに訪れる迷宮の入り口であることを。



[1152] Re[30]:Muv-Luv [another&after world] 第30話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:da5ffe37
Date: 2007/06/16 18:36


  第30話


「こりゃ酷い」
 ハンガーに収容された武のラファールを見上げたケヴィンの第一声はそれだった。その隣に立ち、自分の愛機を見上げる武も「認める」と敢えて他人事のように言ってみる。
 H11制圧作戦の成功から1日。武たち第27機甲連隊の面々と、この北部駐屯地に収容された戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)、そして第5中隊(レギンレイヴ)と第8中隊(ランドグリーズ)もプレストンのホームへと戻ってきた。
 そうなったのも、整備班を総轄するケヴィン・シルヴァンデールが日本製の戦術機にも触れたことのある欧州では貴重な人材だからだ。
 とどのつまり、不知火の整備を一手に任されたのである。
 幸か不幸か、それぞれの部隊の損耗も激しく、新たに2個中隊が増えたところでハンガーが足りなくなるということはなかったが。
「ハイヴ突入と聞いてから覚悟はしていましたがね、こうも酷いと手の打ちようがありませんよ」
 こめかみを押さえ、大きなため息をついたケヴィンはまるでお手上げと言うようにそう告げる。長年、整備の道で生きてきた玄人ですら匙を投げるような状態ということだ。
「やっぱダメか?」
「大破していない以上、修理することは可能ですがね。まあ単純に、そんなことするよりも機体ごと乗り換えちまった方がよっぽどコスト面でメリットが大きいだけですわ」
 ケヴィンのその言葉に武は「うっ……」と呻く。
 基本的に軍の装備は支給品だ。より強力な兵器、より良質な兵器を有するにはそれ相応の発言権と交渉術が必要なのであって、個人や部隊単位で金が必要になるということではない。
 それにも関わらずケヴィンがコストの話をしたということは、本当に今の武のラファールを修理するよりも、既製品を1つ造ってしまう方が遥かにメリットは高いということだろう。
「………1つ訊くが……俺の機体だけ……だよな?」
 恐る恐る、自分の紡ぐ言葉を確かめるように武はケヴィンに訊ねる。その問いかけにはある種の強い願望が込められていた。
 だが、肝心のケヴィンは無言で「本気で言ってます? それ」とやや責めるような視線を向けてくる。
「………何機だ?」
「ざっと数えても収容機の半数以上は管制ユニットを新品の機体に換装した方が堅実でしょうなぁ」
 首を捻りながらケヴィンは他人事のように答える。否、実際に他人事のつもりなのだろう。
 何せ、満身創痍の武たちの機体を修理するよりも新品の機体に換装した方が整備兵の仕事は遥かに楽なのである。しかも、今現在その決定権は武よりもケヴィンに握られているに近い。
 だから武の苦悩はまったくの他人事なのだ。
「まあ、直せと言うのなら何とかやりくりしてみましょう。中佐の要望に応えられんで、責任者はやってられませんから」
 頭を抱える武を見て、急に無骨な笑みを浮かべたケヴィンは一転して整備班総轄らしい台詞を述べる。部下にここまで啖呵を切られては、武としても逆に無理強いもしたくないという気持ちが強くなった。
「いや……分かった。俺のも含めて、現実的にダメそうな機体は破棄しよう。予備はF-15しかないから……ラファールが確保出来るまではそれで行くしかないな」
「よろしいんですかい?」
「良いも悪いも、衛士にとっちゃ信頼性の低い機体に乗るのが一番嫌なんだよ」
「ご尤も」
 含み笑いのケヴィンに対し、武は頭を掻きながら言い返す。
 今の言葉は無論、整備兵を信頼していないという意味ではない。第27機甲連隊が誇る整備班の腕をもってしても、現状のラファールを万全の状態まで回復させることは至難の業ということだ。だから、たとえ修理したとしても、些か耐久性に信頼が欠けるのである。
「ですが、暫くは出撃もないでしょう。ヴィンセント准将もそこまで厳しい方ではありませんから」
 この3ヶ月間、自分の半身を務めてくれたラファールを見上げる武にそう言葉をかけたのは、隣にいるケヴィンではなく後ろからリィルを連れ立って歩いてくるマリアだった。
「どうかな? トゥールーズのことを考えれば、案外当てに出来ないぞ」
「あの時とは我々の状態も師団本部の状態も違い過ぎます。御自身が動かないのに、それよりも状態の厳しいこちらに任務を振ってくるような方ではありませんよ」
 冗談めいた武の反論に、マリアはくすりと可笑しそうに笑って答える。レナ・ケース・ヴィンセントとの付き合いならば彼女は武より遥かに長いのだ。その辺りのことはよく知っているということだろう。
「あー……確かにその辺はものぐさそうだしなぁ……准将」
「さりげなく白銀中佐、物凄いこと言ってますね」
 いたく納得した武の呟きに、リィルは苦笑気味に返す。しかしながら、彼女も含めマリアやケヴィンの何れもそれを否定しないのは、武の言葉が実に言い得て妙だからだ。
「ま……今回の被害も馬鹿にならないだろうから、欧州全体も暫くは動かないだろ?」
「はい。欧州の各方面も今は物資不足ですし、最低でも半年くらいは充電期間を置くと思います」
 リィルは小さく頷く。いくらH12、H11と立て続けに大勝を収めることが出来たといっても、被害も決してゼロだったわけではない。少なくとも欧州全体で作戦決行前までの稼働率を取り戻さない限りは再び動くこともないだろう。

 疲労とは、ジワジワと蓄積してゆくものが一番怖いのだ。

「今後の動きは、ヴィンセント准将の手腕に期待するしかないか」
「我々は普段から優遇されていますし、無理は言わず信じて待つしかないでしょう」
 自分たちの立場と交渉力ではこの状況を打破することも難しいと分かっている武とマリアは、直属の上官であるレナの動きを見守るしかないという見解で一致し、同時にため息をつく。
「とりあえずどうしましょうか? 不知火の応急処置を先に終わらせた方がいろいろ都合はいいでしょう?」
「そうしておいた方が向こうには喜ばれるだろうな。頼めるか? ケヴィン」
「任されやしょう。中佐の大事な客人の機体ですし、少しでも極東に借りを返さないと」
 腕組みをし、滅多に見せない朗らかな笑顔でケヴィンは武に応えた。
 彼がここまで笑みを湛えているところを見るのは武も初めてだ。何だかんだ言っても、フェイズ5たるH11の制圧に成功した事実が彼を上機嫌にさせているのだろう。彼らにとってベオグラードの奪還はそれほどまでに重要な課題だった。
「それでは、うちの盆暗共に発破をかけてきます」
「頼んだ」
「お願いします、シルヴァンデール少尉」
 武とマリアの言葉に敬礼で応え、ケヴィンは踵を返して歩いてゆく。正規の軍服ではなく整備用の作業服を着た彼の大柄な背中が酷く大きく見えるものだと、武はこうやって出撃から帰ってくる度に思っていた。
「地上部隊も損耗を40パーセント以内に押さえ、突入部隊も30パーセントの生還か。まさに、桜花作戦に匹敵する歴史的勝利ってヤツだな」
 もう1度、自分のラファールを見上げた武はやや哀愁漂う口調で呟く。欧州各国からすれば、国連軍や日本の助力あっての結果なのだから楽観視出来ないだろうが、少なくとも証明は出来たのだと武は思う。

 そう、人類の力を結集すればBETAなどには決して後れを取らないのだと。

「アラスカ方面もH26の制圧に成功しましたし、5月27日は歴史に刻まれる日になるかもしれませんね」
「その歴史を残すために俺たちは戦うんだろ? 救世主とか、英雄とか、偉人とかいう言葉は確かに魅力的だけど、無意味な言葉って言えば無意味な言葉だよな」
「高説ですね」
 小さなガッツポーズを掲げ、深い青の瞳を嬉々と染めて言うリィルに武は苦笑気味に答える。
 歴史に名を残すと言う所業は、そもそもその後の歴史が存在しなくては成立しないものである。
 そう考えれば、「人類を救って、歴史に名を刻む」という行為もそれはそれで破綻しているのかもしれない。
 何故ならば、そこにおいては既に目的と手段が完全に融合しているのだから。

 そんなことを考えた瞬間、自分の恩師の1人が実に好みそうな“屁理屈”だと思ってしまい、武はまた苦笑した。

「うちの連中は?」
「もう皆さん自室で休まれてますよ。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の皆さんも同じです」
 その苦々しい笑顔を抑え、武はリィルにそう訊ねる。
 解散から30分でベッドに直行とは、と武はやや肩をすくませて表情を緩める。残念ながら、今の武の心境では横になっても容易に眠りにつけない。作戦成功に対する興奮も一役買っているが、疲労感よりも底知れぬ不安感の方が大きいのだ。
「中佐もお休みになられてはどうですか?」
「そうするとお前が俺の仕事までやっておきそうだから……やめとく」
 マリアからの勧めに武は即座にそう答える。大した仕事が残っていないことも事実だが、それではまるで自分がマリアに仕事を押し付けたように思えてしまって彼にとっては居心地が悪い。
 尤も、それは武が虚勢を張るための方便に過ぎないのだが。
「そうですか。それでは、少しお茶に付き合っていただけませんか?」
 冗談めいた武の言葉に気を悪くした様子もなく、マリアは少しだけ表情を緩め、続けて妙なことを言ってくる。
「珍しいな。マリアがそんなこと言うのって」
「そんなことないですよ。私やノーデンス大尉はよく誘われてます」
「PXの合成品ですけれどね」
 不思議そうな武に返したのは当人のマリアではなく、その傍らのリィルだった。それを捕捉するようにマリアはくすりと小さく笑うって述べる。
 マリアとリィルならばとにかく、エレーヌまでそこに加わっているとは少し意外だった。女3人揃えば姦しいとはよく言うが、やはり彼女たちもそうなのだろうか。
 そう思った武だったが、その構図を想像してすぐに首を横に振った。おおよそ姦しいのはエレーヌ1人で、ある意味彼女が1人で3人分の働きをしているに違いない。
「まあ……断わる理由もないしな。付き合うよ」
「はい。それでは行きましょう。ヴァンホーテン少尉も」
「ありがとうございます!」
 頷いたマリアに誘われ、リィルは人懐っこい笑顔を浮かべる。胸の前で自分の指を絡める仕草は、控え目な彼女らしい喜びの表現のようだ。
 そんな年齢よりも若干幼い雰囲気を纏うリィルに微笑ましさを感じつつ、武はマリアたちと共にPXに向かおうと歩き始める。マリアも同様に踵を返し、武の斜め後ろについた。
 だがその折、リィルが2人の間をすり抜け、少し手前に出てから振り返る。
「1つ、言い忘れてました」
 思わぬリィルの行動に武とマリアが顔を見合わせると、リィルがにこっと明るい笑顔を浮かべて口を開く。
 そして、パッと両腕を広げて何かを受け止めるようにして次の言葉を紡いだ。

「おかえりなさい、白銀中佐、シャルティーニ少佐」

 改まった迎えの挨拶。
 リィルが言ったその言葉に武とマリアは再び顔を見合わせ、声には出さないが可笑しそうに笑い合う。
 戦地に赴き、数多の同胞の骸を踏み越えてきた彼らにとってその言葉はどれほどの救済になるのか。それは当人たちですら計り知れないことだ。
 だが、その一言で心か温かくなるのを武は感じる。
 この、生まれ育ったわけでもない見知らぬ異国の地でも、少なくとも自分が帰れる場所があるのだと。
「ええ。ただいま帰りましたよ、ヴァンホーテン少尉」
「ただいま、リィル。それにそっちもおかえり」
「はい」
 だから、武もマリアもそれに答える。そう答えることが正しいのかは分からないが、「おかえりなさい」と言われたからには「ただいま」と返したくなるのだ。
 それが、生きて帰ってきた者の務めだと信じているから。




 白銀武の予想を裏切り、PXは奇妙な喧騒に包まれていた。
 マリアとリィルを連れ立って近くまできたときに、彼はおやっと首を傾げる。
 この時間であれば第27機甲連隊の歩兵部隊や砲撃兵部隊は常務である訓練で残らず出払っている筈であり、また整備班は残らずハンガーで任務に従事している。通信班、衛生班ならば基本的にローテーションで働いているため今の時間に休憩している者もいるだろうが、決して大人数ではない。

 ならば、この喧騒は何だというのか。
 衛士の中で何人か心当たりもあるが、彼らはもう休んだのではなかったか。

 以前にも同じような状況でエレーヌとディランを叱責したことを思い出し、武は似たようなことだけはもう勘弁してくれと願いながらPXに足を踏み入れる。

 だが、そんな武の想像を大幅に飛び越えて、そこには異様な光景が広がっていた。
 そこには、軍服のジャケットの代わりに質素なエプロンをつけてPXの厨房に立つ彩峰慧の姿があったのだ。
 しかも何やら食欲をそそられる芳ばしい香りまで漂っている。

「あ……彩峰大尉? いったい何を……」
 開いた口が塞がらない状態の武に代わり、マリアが慧にそう訊ねる。尤も、今回の作戦の協力者で、連隊長たる武の友人とはいえ、基地にとって部外者である慧がそんなことをしていては誰だってそう訊ねたくはなるだろうが。
「ヤキソバ……」
「片倉准尉、これはどういうことですかね?」
 彼女に訊ねても碌な返答が返ってこないとその瞬間に確信した武は、自身を強引に回復させ、慧の隣で成り行きを見守っているPXの主に問いかけた。
「いえ、彩峰大尉が究極の鉄板料理を披露すると仰るので」
 しかしながら、肝心の片倉美鈴から返ってきたのは実に斜め上をいった返答だ。武が彼女に訊ねたいのは、“彩峰慧がどうしてそんなことをしているのか”ではなく、“どうしてそれを容認してしまったのか”である。
「どうどう」
「俺は馬かっ!」
 頬を引きつらせる武を、カウンターの向こうからなだめる慧。その、見るからにやる気のなさそうななだめ方に、当人である武は詰め寄るように身を乗り出し、カウンターを平手で叩く。
 だがその瞬間、半ば強引に口へ何かを押し込まれる。
「っ!?」
 狼狽する武の口内にはふにふにとしたやや弾力のある食感と、芳ばしいソースの風味が広がった。
「おいしい?」
「…………うるせー」
 普段通りのマイペースさで問いかけてくる慧に、最早怒る気力も失せた武は最後の反抗とばかりに小さく悪態をつく。
 そしてそのまま自分の口から突き出たコッペパンを手で掴み、口に入っている部分を噛み千切って咀嚼した。そのコッペパンに縦に入った切れ目に挟まれているのは、日本の鉄板料理の代名詞 ヤキソバだ。
「……せっかくだからご馳走になれ。祝勝と追悼だ」
 軽く肩をすくませた武は振り返って、人垣を作って物珍しそうに眺めている自分の部下たちにそう告げた。この料理が彼らの舌に合うのかは分からないが、慧の気遣いを無下に断わることは彼にとってもっと居心地が悪い。
 武の部下である衛士たちはざっと見回して15、6人ほどであろうか。その中に中隊長を務める者はいない。

 この場にいる彼らはいったいどういう心境なのだろうか。

 昂ぶった気持ちを落ち着けることが出来ず、休めないのだろうか。
 それとも、勝利の余韻に浸りたく、また共闘した友とその喜びを分かち合いたいのか。
 またあるいは、先立った戦友を悼む気持ちを他の誰かと共有したいのか。
 当然のことだが、個人が持つ気持ちの一つ一つを武が知る術はない。またそこに干渉する権利もない。
 だから武は祝勝と追悼という言葉を同時に使った。それも、可能な限り無感情を装った表情で。
「白銀?」
「ちゃんと振る舞えよ、彩峰。お前にヤキソバパンの真髄を教えた人間として、半端なもん出すのは許さねぇからな」
 半分ちょっと残ったヤキソバパンを口に押し込み、咀嚼して呑み込んだ武は怪訝そうな顔をする慧にそう言い返す。
「……もち、任せて」
 しばしジッと武を無言で見つめ返していた慧だが、やがてほんの少しだけ口元を緩め、手を掲げながらそう答えてみせた。それだけで自信を漂わせていると分かる彼女の仕草に武も笑い返し、すっとカウンターから離れる。
 それと入れ違う形で武の部下たち、そして戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の衛士たちがカウンターに集まってゆく。
 欧州と極東。それぞれの圏内で生活する多国籍の集団が同じような行動を取っているその光景に、武の心は少しだけ軽くなった。
「彩峰大尉が作ってるものって何なんですか?」
 PXの出入り口のところまで戻ってきた武に、リィルが不思議そうにそう訊ねる。
「ヤキソバですよ、ヴァンホーテン少尉。正式にはソースヤキソバという食べ物で、小麦由来の麺とキャベツやニンジン等の野菜をウィスターソースに絡めながら鉄板で炒めて作るものです。中国の炒麺を日本人好みに創作したものと言われていますね」
 リィルの問いかけに答えるのは武ではなく、厨房から出てきた片倉美鈴だった。その、嫌に詳しい説明の後、「まぁ、彩峰大尉が使ってるのは全部合成食材ですけど」と苦笑気味に付け足す。
「あ、でも、僕もパンに挟むという食べ方は初めて知りましたねぇ。白銀中佐のオリジナルなんですか?」
「そんなところです。サンドウィッチとか、ホットドッグの親戚みたいなもんですよ」
 しかしながら、自己の知識にはない食べ方に「あれ?」と首を傾げた美鈴に問われ、武は苦笑気味に答える。ただし、その返答は微妙に嘘だった。

 白銀武は生粋の“この世界”の住人ではない。
 その彼が有する“元の世界”の記憶の中では、ヤキソバパンなる食べ物も一般的に食べられていた調理パンである。
 当然、そんなことを一から説明するわけにもいかず、結果としてそう答えるしかなかった。
 武は常に自身の常識と“この世界”の常識との齟齬に悩まされてきたのだが、それももう過去の話に近い。

「へぇ……やっぱりあれは白銀の入れ知恵だったんだ?」
「は……?」
 背後からかけられたそんな言葉と共に、ポンと武の左肩に手が置かれる。
 涼宮茜のそれである。
「何だよ? 入れ知恵って。人聞き悪いな」
「彩峰がね、戦闘が終わる度にこうやってヤキソバを部下に振る舞うんだよねー。まあ、京塚曹長から許可はもらってるみたいだから、悪いことじゃないんだけど」
 どうしてか冷たい目を向ける茜に訊ね返すと、答えたのは武の右肩を叩いた柏木晴子だった。その困ったような表情には武も「……ああ」と頷き返すしかない。
 彩峰慧という人物は、意外と強引なのである。
 恐らく、彼女たちも慧のそれに毎度付き合わされているのだろう。
 尤も、本気で嫌がれば慧だって無理強いはしない筈だ。それでも茜や晴子がそれに付き合っているのは、単純に彼女たちが半分はそれを歓迎しているからに他ならない。
「……きっと、彩峰なりの部下への気遣いなんだろうね」
「同時に多分、彩峰にとっても気を紛らわせる方法なんだよ」
「……………よく分かっていらっしゃる」
 一転し、少しだけ口元を緩めた2人の言葉に、武は大仰に頭を抱える。だが、その表情は同じようにどこか温かみを含んだものだった。
 慰霊とは、先立った者たちを追悼すると同時に、遺された者の痛みを癒すための手段でもある。
 死に対して意味を付加することで、先に逝った者たちの所業を偉業へと昇華させる。その価値を決めるのは鬼籍に入った同胞ではなく、遺された者たち義務であるのだと分かっているから、戦友を英霊と称えることによって意味あるものにしようとする。
 それが追悼の真意。

 かつての中隊長殿は言った。
 決して犬死にするな、と。

 それは目標であり、生き残った者への戒めだと、今の武は考えている。
 何故ならば、死が意味を成すのはまさに死んだ後からだからだ。
 例えば、今ここで武が戦渦に散ったとしても、武自身にはその挺身に意味を付加させることが出来ない。その挺身が無駄であったか否かを決められるのは“まだ”生きている者たちだけなのだから。
 だから、「犬死にするな」という教えは同時に「犬死にさせるな」という教えにも等しかった。

 彩峰慧は戦っている。
 戦友の死を忘れることなく刻みつけ、自身を悲しみではなく気焔で滾らせるために。
 これから一生を賭けて、戦友の挺身に意味付けを行うために。

「……そういや、お前ら休んだんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけどね。何か、彩峰のこれがないとしっくりこなくて」
「涼宮だって充分楽しんでんじゃん」
 鼻の頭を掻きながら言い難そうにそう答えた茜。それにはさしもの武も呆れてため息を漏らすしかない。
「こういうのは楽しまなきゃ損でしょ? あ、アキ! ななちゃん!」
 対し、晴子は面白そうに快活に笑っている。そんな彼女は弟の柏木章好と幼馴染みの水城七海がPXに入ってきたのを発見し、手を振りながら声高に名を呼んで歩いていってしまった。
 その割り切りの良さとある種のマイペースさには、茜に対してとは微妙に違った意味で武もため息をつく。
「………俺は一人っ子だからああいうのは見ててちょっと羨ましいかも」
 晴子の過剰なスキンシップに慌てふためく章好と七海を眺めながら、武は隣の茜を相手にそう告げた。
「私もお姉ちゃんがいるだけだから、男の子の兄弟がいる環境ってちょっとよく分かんないかな。でも、晴子のところはほんと仲良いよ」
「知ってる。柏木のヤツさ、章好が訓練校にいる間、ずっと俺のとこに手紙寄越してたんだぜ?」
「そうなの?」
 武の言葉に茜は目を丸くした。長らく行動を共にしてきた親友の知らない一面に驚かされたのだろう。
「本人に出せばいいのにさ、それはしないで俺の方ばっか。しかも、文の大半は近況報告とか世間話とか、柏木にしちゃお喋りなくらい色々書かれてて、最後に一行だけ、「アキはどう?」って書いてあるんだ。そこだけは1回たりとも変わらなかったな」
「へえ……」
 肩をすくめ、武は続ける。茜の反応は思いの外薄かったが、それが驚き過ぎて反応出来ていないのか、それとも晴子の知らない一面を武が知っていたことが面白くなかったからなのかは容易く読み取れるものではない。
「今はそんなことなくなったけどな。章好が任官してから1年の間に、柏木の中で心境が少し変わったのかもしれない」
 じゃれ合う2人の姉弟を見つめながら、武は笑う。
 章好の上官が武であるという構図は訓練校の頃と変わらないのに、今や晴子はちゃんと章好本人に手紙を出している。章好が武の手から離れて1年間、彼女の中で弟の存在が少し変化したのかもしれないと武は思っていた。
「明日にはお別れだし、姉弟水入らずってのも、悪くはないんじゃないか?」
「そうだね」
 武の言葉に茜はくすくすと笑った。何をしても姉に圧倒される章好の構図を思い浮かべているのかもしれない。そう思った武は、想像したその構図に自らも吹き出してしまった。

 一頻り笑いあった後、武と茜はこつんと握り拳を軽くぶつけ合う。

「俺たちは欧州で」
「私たちは極東で」

 それは戦友との誓いである。
 空は繋がっていると、よく言われる。どんなに遠く離れていようとも、同じ空の下にいるのだと。
 彼らの場合、同じなのは空だけではない。
 彼らは軍人。
 彼らは尖兵。
 彼らは衛士。
 その身を置くのは常に同じ戦場であり、その瞳が見据えるのは常に同じ大敵である。

「白銀中佐! いらっしゃいますか!?」
 そんな折、声高に武を呼ぶ通信兵がPXに入ってくる。ここまで走ってきたのか、肩で息をしているが、恐ろしく鬼気迫った雰囲気でもない。
「どうした?」
「ヴィンセント准将より外線です」
 彼がそう訊ねると、通信兵の彼女はそう言いながら通信機を手渡してきた。
 激しく嫌な予感がする。
 武が知る限り、レナ・ケース・ヴィンセントという上官はそもそも世間話をしたり労いをかけたりするためにわざわざ連絡してくるような人物ではない。連絡があった場合、良くも悪くもそこには何らかの意図がある筈なのだ。
「………もしもし?」
 一瞬、凄まじく嫌悪を露わにした武も、仕方なく通信機を受け取り、戦々恐々としながらも問いかける。
『白銀か?』
「白銀です」
 名前を確認され、簡潔に答える。今回はまともに名前を訊かれたとに安堵してしまった自分に嘆きつつ、武は頭を掻く。とはいえ、決して油断は出来ない。
 彼女が冗談を言わないというのは、それだけ悪いことが起きてしまったという可能性があるからだ。
 武は構える。
 どんな途轍もないことを言われようとも、不要な混乱に陥らないように気構えを持ち、レナの次の言葉を防御体勢のまま待つ。

 しばし沈黙。
 勿体つけるように時間を置いたレナは通信機の向こうで、まるで覚悟を決めたように口を開いた。

『白銀。貴様、日本に帰れ』

 だが、レナの口から飛び出してきたのは、武の予想を遥かに上回るどころか、今し方交わした戦友との誓いすらも覆してしまいそうな言葉だった。



[1152] Re[31]:Muv-Luv [another&after world] 第31話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:bcb46606
Date: 2007/06/23 00:55


  第31話


 現代において、快適な空の旅という言葉は誰にとっても縁遠いものになった。
 航空機という移動媒体は本来、車輌や船舶といった他の移動媒体に比べ、圧倒的に事故の発生率が少ないのである。加えて所要時間も極めて短い。それでも、現代では旅客機と呼ばれる航空機はもうアメリカとオーストラリアでしか見られなくなったものだ。
 無論、軍用機であっても滅多に飛ぶことはない。いつ、どこからBETAが誇るスナイパーに狙われているのか分からないからである。
 だから海上航路の重要度は非常に大きく、弾薬、火薬などの危険物の類は特に船舶を用いた輸送が一般的となっている。
 そんなこの世界で用いられる代表的な航空機は再突入型駆逐艦だ。これは1度、軌道上まで上昇し、レーザー照射危険域を安全に飛び越えてから再び大気圏へと突入して降下する代物である。
 故に航空機と呼ぶよりも宇宙往還機と呼ぶ方がイメージし易い。

 その、国連軍が所有する再突入型駆逐艦のシートに、武は憮然とした表情で腰を下ろしていた。

 これから戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の面々を乗せて日本に帰る予定の艦に、どうして彼が乗っているのか。
 その理由は、つい昨日、直属の上官であるレナ・ケース・ヴィンセントからかかってきた1本の電話にあった。

 曰く、休暇をやるから1度、生まれ故郷に帰ってみてはどうだ、とのこと。

 その旨を伝えるに当たって、第一声が命令形だったことはまったくもって彼女らしい。彼女らしいのだが、武にはどうもそこに何らかの意図があるように思えてならなかった。
 もし、自分がレナの立場にあったならば、仮にも連隊の将である人物を休暇だからという理由だけでホームから離すだろうか。
 答えは否だ。最早、連隊の運営も不可能なほどに潰滅していれば話は別だが、最悪非常事態時には充分な戦力になり得る状態で指揮官を分離するなど、考えられない。
 別働ということも多分にあり得ない話だが、休暇による帰郷に比べれば遥かに真っ当な解釈だろう。
 武だってその辺りもレナに訊ねたが、結果は「休暇だから」の一点張り。上官にそう押し切られては武も頷かざるを得なかった。

 かくして、第27機甲連隊に属する6個戦術機甲中隊の衛士は思いもよらない長期休暇の機会を得られたのである。

「気に病むことではなかろう? この先、いつ日本に帰れるのか分からぬ以上、このような機会があることはそなたにとって悪いことではない」
 どうしても素直に受け取ることが出来ず、武が仏頂面でいると、前の座席から身を乗り出してきた彼女がそう言った。
 御剣冥夜。武にとって207衛士訓練分隊所属の頃から付き合いのある相棒で、共有してきた苦楽も多い。そんな彼女は笑いながら言っているが、何となく瞳が笑っていないように思えるのは決して武の気のせいではないだろう。
「それは確かなんだけど………」
 何故か微妙に機嫌が優れない御様子の冥夜に若干怯みながらも武は受け答え、困惑気味に自分の周囲を見回した。
「………章好と水城たちが同乗しているのはいい」
 しばしの沈黙の後、武が片手で目元を覆いながらゆっくりと口を開く。彼のその切り出しで、隣の同乗者が小首を傾げながら武を見返した。
「どうしてお前たちまで乗っている?」
 敢えて視線は合わさず、武は本来いる筈のない同乗者たちにそう問いかける。ただし、答えが返ってくることは最初から期待していない。
「臨時休暇の旨は全戦術機甲中隊に伝えられています。活動再開まで外出及び自由行動を許可すると言われたのは白銀中佐の筈ですか?」
 武の隣に何故か腰を下ろしているマリアがあたかも自分が乗っていることを当然のことのように答えた。
「つまり……これは自由意志の結果か?」
「自由意志の結果です」
「なら仕方ないな………」
 大仰に頭を抱えながらも武はマリアの言い分に納得するしかない。何故ならば、それを制する権利が彼にはないからだ。
 連隊長・副長のコンビである武とマリアが同時にイギリスを離れるというのは更にあり得ない話だ。しかし、彼女のことだ。レナの許可は取っているだろう。
 寧ろ、武としてはマリアのこの行動すらレナの思惑によるものかもしれないとさえ思っている。
「後ろの連中も自由意志か?」
「搭乗しているということはそうなのでしょう」
「そうなのだろうな」
 今度はマリアだけではなく冥夜も肯定の意を示した。武自身は決して振り向こうとしないが、その実、後部のシートには日本人の他、都合3人の部下が腰を下ろしている。しかも、何れも第27機甲連隊の運営に携わる責任者だ。
 並んで腰を下ろしているのは274戦術機甲中隊(アーチャーズ)のヘンリー・コンスタンスと、276戦術機甲中隊(ランサーズ)のユウイチ・クロサキの2人。年齢も階級も立場も同じ2人だが、お互いに決して話し上手とは言えないためか、ほとんど会話もない。
 少し離れて情報班総轄のリィル・ヴァンホーテン。水城七海と並んで腰を下ろし、こちらは女の子らしく何やら会話に華を咲かせている。衛士ではない彼女が乗り合わせているのは、作戦に出撃していた情報班の通信兵もレナから休暇を与えられているからだ。
「基地のことが心配ですか?」
「エレーヌとディランも離れるし、レイドは残ってるから、その辺りは心配することもないだろ」
 逆にマリアから問いかけられ、武は首を横に振って答える。
 彼にとって野放しにすることが最も怖い部下である件の2人は、共に休暇中は実家に戻るというので、さほど心配にはならない。逆に人格者であるレイドは休暇中も基地に残留するという。
 レナが責任を持ってくれ、片倉美鈴もいるのだから運営面で心配するところは寧ろ少ないぐらいだ。
「しかし、シャルティーニ少佐はよろしいんですか? せっかくの休暇なんですから、ご家族に会われてはどうです?」
 冥夜の隣にひょこっと顔を出し、マリアに丁寧な口調でそう訊ねるのは宗像美冴だ。その問いかけに武も「ふむ」と頷く。
「宗像少佐の言う通り、少しは顔を見せろとか言われないのか?」
 武も便乗し、昨日のエレーヌの言を思い出しながら訊ねた。
 本人の話を聞く限り、エレーヌも本当はこの日本行きの駆逐艦に乗りたかったらしいのだが、母親から「時間が出来たらたまには家に顔を出せ」と言われていたらしく、北アイルランドのベルファストに帰郷することにしたという。
 マリアも生まれはイギリスなので、比較的容易に家族と顔を合わせることが出来る筈なのである。
「お気遣いありがとうございます、白銀中佐、宗像少佐。ですが、私には帰る家はありませんので」
 ふっと微笑み、武と美冴に答えるマリア。その言葉の意味と、また表情とのミスマッチさに武も美冴も、冥夜さえも思わず顔色を変えた。
「母も早くに亡くなりましたから、軍属になる際に姉と相談して、それまで暮らしてきた家を手放したのです。維持費も少なくありませんし、今後使う予定もありませんでしたから」
「……ずっと軍属でいるわけでもないだろうに」
「老後のことを考えられるほど我々には余裕などありませんよ。軍属とあれば尚更でしょう」
 やや苦い表情で武はため息を漏らす。それに言い返すマリアの口調は酷く穏やかだったが、非常に悲壮感も漂うものでもあった。
 確かに、軍に在籍している若い世代では、その大部分が天寿をまっとうしない。殊更、衛士という兵科においては顕著だ。
 だから、彼女は家を手放したのだと言う。
「今、姉がいるようなことを言われていましたが?」
 冥夜の言葉には武が答える。
 彼女の言いたいことは分かる。姉がいるということはマリアにはまだ家族が残っているということだ。いくら相談した上での結論とはいえ、お互いにとって帰る場所の1つである“家”を手放すという行動に違和感を覚えたのだろう。
「同じ衛士ですが、国連軍所属の私よりも姉は後ろ盾がしっかりしていますから、その辺りも問題ないでしょう」
「つまりEU連合軍の――――――」
「騎士だ」
 国連軍所属ではない衛士と言われ、冥夜がEU連合軍側だと納得しかけたところで武と美冴が同時に、それを遮る形で口を開いた。
「英国王室騎士団の中にシャルティーニ姓を持つ騎士がいたような気がする」
「よくご存知ですね」
 続く美冴の言葉にマリアが目を丸くして驚いた。だが、美冴と同時に呟いた武も、マリアの驚きには激しく同意する。
 事実、確かにマリアの姉は王室騎士団に所属している騎士だ。しかしながら、前面に出て戦うことなど実質上あり得ない騎士団の騎士の名前など、一般知名度は極めて低い。興味があって調べなければ分からない筈だ。その辺りは冥夜が知らなかったことを考えれば言うまでもないだろう。
 武は一応、部下の経歴には目を通しているため、事実としては知っている。尤も、彼女に帰る先がないことは流石に初耳だったが。
 対し、美冴がそれを知っているというのはやや不自然である。
「そんな目で見るな、白銀。厳密に言えば、詳しいのは私ではなく速瀬中佐だ」
「何故っ!?」
 目は口ほどに物を言うと言われるが、どうやら今の武の目はその疑問を露骨に示していたようだった。しかし、それに答える美冴の言葉の内容も多分にあり得ない。
 だから武は即座に訊き返す。それと同時に美冴と、意味が分かったのか冥夜が同時にため息を漏らした。
「最近、速瀬中佐は各方面で高い実力を持つ衛士の名前をリストアップし出したんだ。私の記憶が確かなら、その中に騎士 シャルティーニの名前があった」
「何やってんですか……あの人は」
 その言葉に、後れながらも武は冥夜と美冴同様にため息を漏らして、更に頭を抱える。
「第1中隊(スクルド)はその性質上、横浜基地を離れることはほとんどないからな。知らず知らずのうちに速瀬中佐のストレスになっているんだろう」
「確かに……引き篭もりって言葉が一番似合わない人ですしね……。差し詰め、そのリストは速瀬中佐が戦ってみたい衛士リストですか」
「ちなみに、そのリストのトップは貴様だぞ、白銀」
「ぶッ!!」
 一瞬、心1つにため息を吐き合った武と美冴だったが、すぐに美冴がにやっと口元を緩めて更に聞き捨てならない事実を明かしてきた。その、出来れば容認したくはない事実に武も思わず噴き出してしまう。
「白銀中佐、汚いですよ」
「極東にも俺に安息の地はないのか……」
 噴き出した武を叱責するマリアだが、当の武はそんな言葉など聞き入れもせず、これから帰郷することに一抹の……否、激しく不安を感じている。
「その勝負を傍観するのも面白いが……正式な休暇中まで律儀に相手をする必要もないんじゃないか? 何なら、休暇中は横浜基地に近寄らなければいい」
 どうやって速瀬水月の猛撃を凌ぐか頭を悩ませる武に対し、美冴が珍しく苦笑気味に助言を述べてくる。つまり、休暇中なのだから横浜基地には近寄らず、自宅でまったり過ごしていれば良いという話だ。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? 俺も帰る家はないですよ?」
 その、個人的にはまったく役に立たないアドバイスに目を丸くしながら、武はあっけらかんと美冴に言い返す。その発言に今度は武以外の3人が顔色を変えることとなった。
「そう……なのか?」
「ああ。言わなかったっけ? 俺が元々住んでたのは横浜基地の丘陵の麓の町だって」
 愕然とした様子の冥夜に、グッとシートに身を沈めながら武はまるで他人事のように答える。尤も、その言葉はある意味では紛れもない事実であり、またある意味では偽りでもあるのだが。
 極東国連軍の横浜基地が建造された丘陵はH22「横浜ハイヴ」が存在していた場所で、1999年の明星作戦において舞台となった有名な土地だ。
 その戦渦の傷痕は大きい。
 ハイヴが建造されて間もなかったため、周辺地域が砂礫の大地となるまでには至らなかったが、代わりに米軍によって投下された2発のG弾の爆発で広範囲に渡って薙ぎ払われた。
 そこは半永久的な重力異常地帯であり、恐らくは永遠の廃墟の街。

 だから、そこに帰る術はない。
 心こそ拠れど、その身を寄せることは決して叶わない大地だ。

「ご家族は?」
「さあ? BETA侵攻にあたって避難する時に生き別れたよ。公式には死亡扱いだけど、まあ実際に死体が確認されてるわけじゃないし」
 マリアの問いかけには軽く肩をすくませて返す。
 実際のところは確実に死んでいるだろうというのが武の見解だ。保護されていれば死亡扱いにはなっていない筈であるし、もしBETAに殺されていれば死体がないことも不自然ではない。

 ただ、シロガネタケルはそれ以上に確かな確証を持っている。

 “自分自身”がBETAによって捕縛され、その後に殺されているのだ。
 故に両親も同じ末路を辿ったと考えることが最も妥当であった。

「そういうわけで、休暇中の滞在場所は横浜基地になりますよ。ヴィンセント准将が夕呼先生にも話を通しているみたいなんで」
「それは災難だな」
 話を締め括るように武が美冴に答えると、彼女はまた苦笑を浮かべて哀れむように率直な感想を述べてくる。
「ま、どちらにしたって顔出さなきゃ後で何言われるか分からないですし。それに、うちの連中をほったらかしってわけにもいかないですよ」
 そう言って、ようやく武は笑ってみせる。彼らの後ろ盾のことを考えれば、極東においてマリアたちを受け入れる施設は横浜基地以外にないだろう。いくら今回の作戦で彼女たちと冥夜たちが親しくなったとはいえ、異国の地で放っておくというのは少々配慮に欠けるというものだ。
「御迷惑をおかけします」
「ついで、だよ。気にするな」
 申し訳なさそうに頭を下げるマリアに対し、武は苦笑気味に返す。彼女たちがついてこようがこなかろうが、武が帰る場所は横浜基地しか思い浮かばない。
 それに、彼にだって個人的に会っておきたい人物がそこには何人もいるのだ。
 だからマリアたちの同行は、受け入れ先の先方が難色を示す可能性こそあれ、武が迷惑と感じるようなことではあり得なかった。
「では……そなたはしばらく横浜基地に滞在するのだな?」
「お…おう。他に行く当てもないわけだし……」
 どういうわけか身を乗り出し気味で再確認してくる冥夜に、武はやや戸惑いがちに頷き返す。まるで、「どうしてそこまで念入りに確認されるのだろう?」と疑問を表しているような表情だった。
 確かに滞在はするが、四六時中横浜基地にいるわけではない。恐らくは武も時間を作って帝都の方に足を伸ばすことになるだろう。
 だが、冥夜たちは違う。
 横浜基地の司令部次第だが、長期派遣からの帰投ならばまだしも、このような1つの作戦に対する派遣ならば易々と休暇に直結しない。
 だから武の休暇の予定が彼女たちに影響を及ぼすなどあり得ないことである。
 尤も、これが本当に休暇のみによる帰郷ならば、の話だが。
「そ……そうか」
 やや狼狽した様子で、すごすごと前のシートの背もたれの陰に身を潜めてゆく冥夜。やけに様子がおかしいと武が首を傾げつつ、マリアと美冴に視線を向ける。だが、マリアはさっと視線を逸らし、美冴は何も言わずに、にやっと不敵に笑うだけだ。
 武は片手で目元を覆い、やれやれとため息を漏らす。
 そうこうしているうちに、駆逐艦の離陸は始まっていた。

 命日とは違うが、今年はきちんと墓標の前で報告が出来そうだ。

 今まさに欧州を離れ、彼は再び日本に戻ろうとしている。それが束の間の安息になるのか否かはまだ武にも分からないが、それでも高揚感はあった。
 武はそっと右腕の黄色いリボンに触れる。
 このリボンが白銀武にとって何なのか、それを問いかける者は誰もいない。
 一方はその意味するところを知っているが故に。
 もう一方は、武の雰囲気から訊ねることを憚っているが故に。
 それでももし、それを訊ねられていれば、武は恐らくこう答えるだろう。

 御守りみたいなもの、だと。

 彼女にとって小さなウサギの人形がそうであるように、この黄色のリボンは白銀武にとって確固たる存在の証明であり、そして何よりも大切な御守りなのだ。
 武は穏やかに、そして少し淋しげに笑う。
 誰よりも会いたい人にもうすぐ会うことが出来るという事実が、無意識のうちに彼にその表情をさせていた。
 誰にも聞こえないよう、武は小さく、小さく呟く。

 もうすぐ会いにいくからな、純夏。




 極東方面 横浜基地。
 香月夕呼の機嫌は、良いとも悪いとも取れない実に複雑なものだった。
 自身の執務室のデスクに向かい、何をするでもなく頬杖をついているその姿は、普段の彼女からはあまり見られないもの。それが彼女の心境を何よりも顕著に示している。
 ベオグラードのH11とマルコボのH26の制圧が共に成功したという報告を、秘書官であるイリーナ・ピアティフから受けたのは昨日のこと。それからつい先刻までは、彼女も比較的機嫌が良かったと言ってよい。
 では、いったい何が彼女をこうさせたのか。
 最大の原因は、欧州とアラスカ、双方から齎された作戦に関する新たな報告だろう。
 どちらも確かに作戦は成功し、反応炉の破壊を達成している。だが、概要の委細の中にはいくらか見逃すことの出来ない内容が盛り込まれていた。
 尤も、現状手元に届いているのはほとんど文書によるものであるため、夕呼でも結論を出すことはおろか推論の域まで至るにも不充分だ。
 その辺りは、本日中に日本へ戻ってくる筈の“彼”と直接話をしてみれば少しはマシになるだろう。
 夕呼はゆっくりと自分の執務室を見渡す。
 たとえ横浜基地に駐留していようとも、たとえ実質的に夕呼の直下にある戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)に属する衛士であろうとも、パスなしに入室することは出来ないほど高いセキュリティを持つ場所だ。

 彼が最後にここを訪れたのはいつのことだっただろうか。

 ふと夕呼はそんなことを考えた。
 恐らく、3年前、彼が衛士訓練教官になりたいと申し出た時が最後だろう。
 あの時は自分自身も、珍しいという言葉も生易しいくらいに酷く驚いていた記憶がある。

 彼が教官を志したこともさることながら、“未だ彼がこの世界に留まっていること”に。

「00ユニットと観測者の存在」
 不意に呟く。
 可能性としては高い。彼を“因果導体”たらしめていた00ユニットは機能停止状態に陥っていることは確かだが、人間で言えば昏睡状態を続けている状態に近い。つまり、“敢えて生命体”として捉えれば確かに生きている。
 加え、彼をこの世界に定義付ける観測者の存在も決して少なくない。XM3の発案者として、腕利きの衛士として名が知れているのならばそれは尚更だ。

 しかし、彼は“鑑純夏”に辿り着いたことで“因果導体”から解放されたのではなかったか。

 彼が因果導体から解放されており、且つ未だこの世界に留まっている……否、寧ろかつて以上に確かな個体として存在している以上、考えられる可能性は2つしかない。

 彼がこの世界に存在することと、因果導体であることには、直接的に原因と結果の関係性がないということ。
 あるいは、彼を因果導体としているのは“鑑純夏”だけではないということ。

 先述したよう、彼を因果導体へと昇華させていたのは鑑純夏の意志だ。鑑純夏が喪った“白銀武”を強く求めたことによって、並列世界から集められた数多のシロガネタケルの情報が1つとなり、受肉した存在。
 世界に記録されない、継ぎ接ぎだらけの個体。
 紛い物。
 それがこの世界にいるシロガネタケルだ。
 否、正確に述べれば、それがこの世界にいるシロガネタケルの筈だった。

 夕呼の因果律量子論が正しければ、因果情報はより重いものがより高いところから流れ落ちる。だが当然、常にそのような変革が起きているわけではない。
 世界とは喩えるなら、四方八方を壁によって閉鎖された1つの貯水槽のようなものだ。そこには因果情報に当たる水が押し詰められ、空気すら入り込む隙間もない。万が一、それぞれが何かパイプのようなもので繋がっていたとしても、そこまでなみなみと水で満たされているから一定の流動以外で水がそれぞれの間を行き来すること出来ないのだ。
 そこにおいて、因果導体……つまりシロガネタケルという存在は、新たに増設された1つのパイプであると言える。
 彼は最初から存在するパイプとは異なり、空の状態で世界を繋ぐ。その瞬間、完全密閉されていた世界にわずかな綻びが生まれた。
 彼の中に水が流れ込むことで、繋がれた2つの貯水槽は水のやり取りを可能にするまでに至ったのである。

「問題は、そこを通して流された因果情報の重さと意味……ね」

 再び夕呼は呟いた。
 彼が“こちら”と行き来した“あちら”の世界で起きた事象。
 近しい人ほどシロガネタケルのことを忘却し、そして“こちら”で死んでしまった人が同じように“あちら”でも死ぬという悲劇。
 この「死」という因果情報を「重い」とするならば、より高い地点に位置する“この世界”から流れ落ちたということになる。
 しかし、それには大きな空間が必要となる。シロガネタケルというパイプを用いて出来た隙間などその前では微々たるものだ。
 この「死」の代わりに“向こう”から運び出される因果情報がある筈なのである。

「それが、シロガネタケルに関する記憶」

 夕呼の推論は恐らく間違っていない。
 どちらが先でどちらが後などはこの際、どうでも良いことだ。重要なのは、「死」という万人共通に恐れられる事象の重い因果情報の代わりが、「シロガネタケルに関する記憶」という極めて特定の個人に向けられた軽い因果情報であるということ。

 原因は鑑純夏。
 彼女が恐らく、「シロガネタケルに関する記憶」を求め、“あちら”から“こちら”に因果情報を流した張本人。
 1人の人間をこの世界に新たに受肉させるほどの強い想いを持った彼女だ。
 それならば、シロガネタケルにとってより近しい存在、つまりは「シロガネタケルに関する、より強烈な記憶を持っている者」から順に記憶を失くしてゆくことも納得がいく。

「なら、今は?」

 そこでその疑問にぶつかる。
 “白銀武”を目の前で失ったことで彼女がシロガネタケルを求めたというのならば、シロガネタケルと結ばれた今、彼女は「シロガネタケルに関する記憶」を求めているのだろうか。
 断言は出来ないが、答えは恐らく否。
 結果として、既に因果情報のやり取りは行われていないと結論することが妥当である。

 ならば何故、シロガネタケルは飛散しないのか。

 彼は揺らがない。
 鑑純夏に辿り着いてから1度として彼は世界を渡る兆候も、情報として飛散してしまう兆候も見せていない。
 このことによって夕呼は、彼を因果導体としていた要因に変化が生じているのではないかと推論するようになった。

 シロガネタケルをこの世界に留まらせているのは最早特定の誰かではなく、世界そのもの。

 それが今の仮説。
 世界は安定を望む、とかつて彼女は彼に説明したことがあるが、今ここにおける「安定」とは何か。
 変わらないこと?
 それは違う。元々、世界は変わり続けている。それの連なりが歴史なのだ。
 世界が最優先で保持しようとするものは、連綿と語り継がれてきた歴史に他ならない。
 その歴史を保持する上で、シロガネタケルの存在がなくてはならないと世界が判断したその瞬間、彼はこの世界に存在する絶対唯一の個へと更に昇華した。

 世界は、「死んでしまった白銀武が生きている矛盾」よりも「BETA大戦に一石を投じたシロガネタケルが存在しない矛盾」をより大きな問題と認識し、鑑純夏の願望を本物へと昇華させたのだ。

 その矛盾は恐らく、観測者の数が多ければ多いほど大きくなる。
 だから彼はただの情報として飛散せず、逆に確固たる存在として留まっているのではないだろうか。

 それが、香月夕呼が桜花作戦後、最初の1年で導き出した新たな推論。
 この1点において、彼が因果導体であるかはその実、さして重要なファクターではない。この世界が彼の存在を定義付けているのならば、彼はこの世界から消えることもないだろう。
 その状態で因果が流出することも流入することもないのだから、結果として因果を導くという特性は意味を成さなくなるのだ。

 喜びなさい。あんたは初めて、“シロガネタケル”という個としてこの世界に認められたんだから。

 半年間の研修期間の後、教官着任が決まった際に挨拶に来た彼に対し、夕呼が餞別としてくれてやった言葉だ。
 確か、一緒に鑑純夏のリボンの一片も渡した記憶が彼女にはある。
 この餞別を受け取った彼の表情はその実、2年経った今でも忘れていない。

 シロガネタケルは一瞬驚いた後、笑ってみせたのだ。

「最早、あたしの理論だけでどうこう出来る話じゃないわね」
 そう結論付け、夕呼は失笑した。
 何せ相手は世界そのものだ。科学者にとって、最強最大最後の敵に等しい。天才である彼女をもってしても、生涯を賭けて戦わなければならないような相手である。

 自分は万能ではない。そんなことは分かり切っていた筈。
 そうでなければ、きっと親友は死ぬことなどなかっただろうし、A-01を任せていた部下を死なせることもなかっただろう。
 だから、シロガネタケルの存在解明など今は二の次だ。
 友の死に報いるために、BETAを駆逐する策を模索することこそが香月夕呼にとっての最善の一である。

 それに、決してこれは歓迎出来ない話ではない。
 シロガネタケルがこの世界に留まっているという事実は、それだけで利益だ。

 XM3の概念発案者。
 桜花作戦の立役者。
 極東では名の知れた衛士訓練教官。
 凄腕の衛士。
 そしてフェイズ5ハイヴに部下を率いて突入し、その半数以上を生還させた連隊長。

 夕呼にとっても、彼の利用価値はまだ高い。彼を利用することで、米国議会に未だ残っているいけすかない石頭共を黙らせることも不可能ではない。

 夕呼は再び失笑する。
 彼女の成すべきことはまだ多い。
 香月夕呼は衛士でもなければ、正規の軍人でもない。ただ、国連軍に所属するだけの学者である。
 だが、彼女自身もまた、戦火燃え盛るこの世界の最前線で戦う覚悟を決めた人物なのだ。

 その時、デスクに置かれた1台の電話が鳴る。

「何かしら?」
 一瞬顔をしかめた夕呼だが、すぐに受話器を取り、相手が誰であるかも訊ねずにそう問いかけた。
『イギリスに派遣していた戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)が帰投しました。欧州国連軍 第27機甲連隊の白銀中佐も御一緒です』
 通信の相手は彼女の秘書官を務めるイリーナ・ピアティフだった。事務などの雑務から機密性の高い諜報任務までもそつなくこなす、その実、非常に優秀な右腕である。
「そ。すぐに行くわ。場所は第1滑走路ね」
『はい』
 やや素っ気無く応答した夕呼は、ピアティフの言葉を聞くか聞かないかのタイミングで受話器を置き、椅子から立ち上がった。
 国連軍の軍服の上から白衣を纏うのはいつものスタイル。そしてそのままやや足早に執務室をあとにする。
 それは、自分をこの世で唯一「先生」と呼ぶ教え子を柄にもなく出迎えてやろうという、彼女の意志の表れである。



[1152] Re[32]:Muv-Luv [another&after world] 第32話
Name: 小清水◆2e19c93f
Date: 2007/07/28 07:17


  第32話


 機内からタラップへと足を踏み出した瞬間、懐かしい風の香りが身体の中に入ってくるのを武は感じた。
 ここには咽かえるほどの緑の匂いも温かな土の匂いも溢れていないが、それでも武に郷愁の念を抱かせるには充分な場所。
 そう感じていると気付いたその時、もう“この世界”に骨を埋めることを当然のことのように受け入れているのだと武は改めて理解した。
「どうかしましたか? 白銀中佐」
 タラップで足を止めた武に、続いて機内から出てきたマリアが不思議そうに問いかけてくる。武は振り返らず、軽く肩をすくませて「いいや」とだけ答えた。
 眼下では先に降りた横浜基地所属の戦友たちが並び、武の降下を待っている。その向こうでは更に出迎えに出てきてくれた同基地所属の仲間たちが人垣を作り、やはり武が降りてくるのを待っているようだった。
 そして、最も遠い場所に立つのは白衣を身に纏った恩師 香月夕呼だ。その傍らには社霞の姿も見える。
 どうせ、人混みに入るのが面倒だから離れた位置に立っているのだろう。ここまで来いと言っているような表情が武の目からでも視認出来た。
「………行くぞ。任務での駐留じゃないとはいえ、しばらく世話になるんだから先方に挨拶しとかないと」
「はっ!」
 疲れたようにため息をついた武は、振り返って後ろの部下たちにそう告げる。他人行儀だと文句を言われそうな話だが、客人である以上、最低限の礼儀は示すべきだ。事実、いくらここが武にとっての故郷であったとしても、今は部外者なのだから。
 その武の言葉に呼応し、マリア以下、リィル、ユウイチ、ヘンリーの3人も同時に敬礼。柏木章好を始め、同じく帰郷した第27機甲連隊の日本人衛士たちは一足先に下に降りている。残っているのは彼ら、横浜基地駐留組だけだ。
 しかと敬礼を返す彼らを、休暇中なのに律儀な連中だと笑いながら、武はようやくタラップを下る1歩を踏み出した。
 武が行けば人垣の中に道が生まれる。モーゼによって海が割られるように、真っ直ぐと香月夕呼に向かう道筋が作られた。

 この場において、それは確かに適切な対応だろう。

 武にとって顔見知りも多いが、中佐階級にある彼よりも高い立場にいる人間はそう多くない。礼節を重んじているのか、ただ気を遣っているのか、あるいは部下に威厳を示すためにそのような態度を取っているのかはそれぞれだろうが、誰もが武と夕呼の会話をまずは重要視していることに間違いはなかった。
「久し振りね」
 1歩1歩踏みしめるように歩き、夕呼の前で足を止めた武に彼女は最初にそんな言葉をかけてきた。
「高々3ヶ月ですよ。俺が教官をやってる間なんて1年以上顔合わせなかったこともあったじゃないですか」
「そうだったかしら?」
 苦笑し、武が軽口で言い返すと夕呼もまた不敵に笑い、白々しい態度で答える。
 だが、「久し振り」という感覚は武も同じだった。
 思えばこの3ヶ月間は、彼にとって教官をしていた2年半に匹敵するほど長く感じられた。
 最大の要因は幾度となく仲間の死に直面してきたことだろう。ものを教える人間として、部隊を率いる指揮官として決して口外出来ないが、戦友の最期を看取ることと、戦友の訃報を聞くことでは重さが違い過ぎる。
 見知らぬ土地で、前者と常に隣り合わせだったこの3ヶ月間はその実、武にとても大きな負担となって圧し掛かっていた。
 武は表情を引き締め、姿勢を正す。そしてそのまま敬礼の格好を取って口を開いた。
「第27機甲連隊 連隊長 白銀武です。部下4名共々、しばらく当基地に駐留させていただきます」
「他人行儀ねぇ」
「なら後ろの連中にも同じこと言ってやってくださいよ。こんな大仰な歓迎を受けるほど大層な用があってきたわけじゃないんで」
 まったく予想通りの言葉を返してきた夕呼に、武はすかさず反撃する。彼の後ろには今尚、ことの成り行きを見守っている戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の面々もいるのだ。
「歓迎するかしないかは、個人の自由じゃない?」
「礼儀を通すかどうかも俺の自由です」
「不毛ね」
「ええ、不毛です」
 そう言って、武と夕呼は声を上げて笑い合う。何の探り合いもない、純粋に再会を喜ぶような笑みだった。
「霞も久し振り。元気だったか?」
 一頻り笑った後、続けて武は夕呼の隣に立つ霞に声をかける。元々寡黙な少女だが、今までは夕呼に気を遣っていたのか、一言も発していなかった。
「はい。お久し振りです、白銀さん」
「衛士になったんだな」
「はい。正式な所属部隊はまだありませんが、普段は第1中隊(スクルド)の訓練に入れてもらっています」
 表情を綻ばせ、いつもよりほんの少しだけ弾んだ口調で霞は答える。その容姿は出会った頃とほとんど変わらないが、立ち振る舞いは武の記憶に残る彼女よりもずっと大人びていた。
「第1中隊(スクルド)ってことは、速瀬中佐にこってり絞られてるのかぁ」
「そうです」
 かつて同じ中隊に属していた頃のことを思い出し、感慨深そうに武が頷くと霞も一切の否定を述べずに完全肯定する。武としては冗談半分だったのだが、彼女の嘘のつけない性格は相変わらずらしい。
「ご愁傷様」
「し・ろ・が・ねぇ~。聞こえてるわよ?」
 後ろからは絶対に見えないようにこっそりと手を合わせる武の肩が、悲しいことに背後からがっしりと掴まれる。それと同時に、妙に優しくも露骨な怒気を孕んだ言葉が背中に突き刺さる。
 ビクッとした武は少しだけ首を動かし、あとは目だけで後ろの様子を窺った。
 ほぼ真後ろにいた筈のマリアが視界の端に見える。しかも、無言ながらとても申し訳なさそうな表情をしていた。

 その瞬間、悟った。
 欧州でその手腕を発揮してくれる優秀なストッパーも、この横浜基地においてはほとんど活躍の場がないのだ、と。

「速瀬中佐、冗談です。全力で冗談です」
「冗談に全力を込められるほど力が有り余ってるってことね?」
「俺、休暇中ですよ?」
「関係ないわよ。強化装備のデータくらいは持ってきてんでしょ?」
 武は発言に細心の注意を払いながら、すぐ背後まで迫っている難敵との攻防に終始する。
 その難敵 速瀬水月は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)連隊長及び第1中隊(スクルド)中隊長を務める先任士官だ。武にとっては故人である伊隅みちる大尉に次いで多くを学ばせてもらった上官でもある。
 その間柄は両者が同階級になったところで変わるものではない。
 尤も、武とて今更変えられても困ってしまうだけなのだが。
「速瀬、そういうことは明日以降にしてちょうだい。白銀から聞きたいことがいくつかあるから、今日はこっちを優先してもらうわ」
「はっ! 失礼しました!」
 そんな中、防戦一方の武に助け舟を出したのは意外にも夕呼だった。
 無論、結果としてそうなっただけで、夕呼としては本当に自身の用を優先させたかっただけだろう。たとえそれが、今回のように重要な内容であろうがなかろうが、だ。
「そういうわけだから、あとであたしのところに来てちょうだい。あなたのIDで通れるようにしておくから。そうね……他にしたいこともあるでしょうから、1時間後くらいでいいわ」
「分かりました」
 それでもしっかり気を遣ってくれたのか、夕呼は武にしばらくの時間を与えてくれる。元々持ち物は少ないため、その整理に追われる必要はないが、挨拶しておきたい人も多い武にとってはありがたい気遣いだった。
「そ。じゃあ、解散していいわよ。あなたの部下は社に案内させるから」
「はい。霞、頼むな?」
 武の返答も待たず1人で踵を返した夕呼の背中に了解の旨を投げかけ、武はすぐ霞に向き直った。彼女は言葉では答えなかったが、代わりに豊かな笑顔で頷き返す。
「マリア・シス・シャルティーニです。社少尉、お世話になりますね」
 続いて、前に進み出たマリアがそう言いながら右手を差し出す。霞も微笑みながらその手を取り、握手を交わした。
 新鮮と言えば実に新鮮。
 武が出会った頃の両者では、恐らくこのようなコミュニケーションは成立しなかっただろう。笑顔で握手を交わす2人を見て、武は率直にそう思った。
「マリア、こっちが速瀬水月中佐。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の連隊長だ。まあ……どんな人であるかはもう説明するまでもないと思うけど」
「あんた、結構言うわね」
 依然、背後に立ったままの水月を指し、武はマリアにかつての上官を紹介する。その身も蓋もない紹介に、マリアは苦笑を、水月は失笑を返した。
「見ての通り、速瀬中佐は常に肉体を持て余している方なんですよ、シャルティーニ少佐」
「はあ……」
「宗像ッ!! あんたちょっと黙りなさい!!」
 怒号を上げ、ヒュンと掴みかかる水月の手を躱した美冴は、不敵に笑ったまま速くも遅くもないスピードで距離を離してゆく。誰がどう見ても彼女が水月を挑発しているのは明らかだった。
 追いかける水月と逃げる美冴を目で追う彼女の部下たちの表情は、やや苦笑気味。あの2人のこのようなやり取りは今も頻繁に続いているということだろう。
「お疲れ様。あ……白銀中佐だから、お疲れ様です、の方がいいのかな?」
「お久し振りです、白銀中佐」
「前の通りでいいですよ、涼宮少佐。それにお久し振りです、風間大尉」
 水月と美冴の2人と入れ違う形で武のところに近付いてきたのは、どちらも長い髪を持った女性。共に穏やかな雰囲気を纏っているのは水月と美冴とは正反対だ。
 2人の名は涼宮遙と風間祷子。遙は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)に属する通信中隊の責任者を務めており、美冴よりも先任だ。対し、祷子の方は第3中隊(アルヴィト)の中隊長を務める大尉で、同じく武たちよりも先任に当たる。
 その遙が、自身よりも武の階級の方が上であることを再認識したのか少し困ったように首を傾げたので、武は笑いながら応じた。
「白銀中佐、こちらの方々は?」
「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の良心だ。何か困ったことがあったらこの2人を頼っておけば間違いないからな、リィル」
 ひょこっと武の隣に顔を出したリィルの問いに、武は冗談めいた口調で答える。ただし、今の発言は彼の中でも割と本気だった。
 戦場ならばいざ知らず、少なくとも武は日常生活のことを水月や美冴に相談するほど落ちぶれてはいない。
「そちらは白銀中佐の部下の方かしら?」
「あ、はい。リィル・ヴァンホーテンです。第27機甲連隊では情報班総轄を任されています」
 祷子に訊ねられたリィルは姿勢を正し、敬礼して名乗る。未だどこか初々しさの残るリィルの反応に、訊ねた祷子は表情を緩ませる。相変わらず優しく笑う人だな、と武は素直に感銘を受けた。
「情報班ってことは……通信将校?」
「はい!」
「戦域管制も任せてます。腕はけっこういいですよ」
「じゃあ、私と同じだね」
 武の付け加えた説明に笑顔を浮かべるのは遙の方だ。彼女と祷子は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)内で1、2を争うほど人当たりの良い2人である。リィルと並ぶと妙に和やかな光景に見えるのは武だけではあるまい。
 武は頭を掻きながら振り返る。
 視線の先に並ぶのは、かつて共に切磋琢磨し、死線を乗り越えてきたかけがえのない戦友たち。彼らを見渡し、武が笑うと誰もが同じように笑った。
 彼らは誰ともなく口を開く。
 「おかえりなさい」と。




「何で美琴と委員長?」
 知り合いに挨拶して回り、PXでは長年世話になってきた京塚曹長から散々どつき倒された後、武は指定されたとおりに夕呼の執務室に入ったところで開口一番にそう訊ねた。
「アラスカ方面の報告よ。主にH26制圧作戦の、ね」
 その武の問いかけに、既に執務室の中にいた友人2人が「何を今更」と呆れた様子で答えてくる。
 向かって右、大きな2つのお下げと眼鏡をかけている女性は榊千鶴。武や冥夜、慧や壬姫たちが揃って属していた207訓練分隊の分隊長を務めていた人物で、彼らの中では圧倒的に指揮官適性に優れる。今は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第4中隊(フリスト)を率いている。
 対し、向かって左、どんなお世辞を言っても決して体格が良いとはいえない、少年にも見えるほど中性的な雰囲気を持った女性は鎧衣美琴。武にとっては同じく207訓練分隊からの付き合いで、その実、斥候能力においては今や武の上を行くほど操縦技能と直感の冴え渡る人物だ。同連隊では第9中隊(エルルーン)の中隊長を務める。
 両者とも、昨日まで長期派遣任務でアラスカに駐留しており、H26の制圧成功を機に日本に戻ることになったのだという。つまり、夕呼に呼び出された理由は武と同じだ。
「タケルはH11の方でしょ?」
「まあな。そっちはどうだったんだ?」
 美琴に問われ、武は首周りを掻きながら頷き、更に問い返す。
「どう……って言われてもね、特に大きな問題はなかったわよ。作戦の時にこっちは地上陽動部隊の一部だったから」
 それに答えたのは千鶴だ。両手を掲げて軽く肩をすくませるような身振りで、やや呆れたと言うように答える。
「制圧はそっちの方が圧倒的に速かったしな。突入の主力部隊は米軍だろ? フェイズ4とはいえ、よく消耗戦に耐え切ったな」
 武の疑問は尤もだ。今でこそ見直されつつあるが、つい近年まで米軍が取っていた対BETA戦術はG弾運用を前提としたものだった。今回H26で取られた大陽動の末に地下茎構造内に突入し、敵を退けながら反応炉を目指すという戦術は、どちらかと言えば日本やイギリス、ソビエトなどの前線国が前提とする。
「世界の実権を握りたがっている人間とG弾推進派は必ずしも一致しないわよ。米国議会も国防総省も、G弾に批判が集まっていることぐらいは理解しているもの」
「G弾反対派の人たちも自分の国の軍事力は証明したいんじゃないかな?」
「あー……成程、つまり真っ向から対抗しているわけだ。えらく体育会系なことで」
 2人が口々に述べる話に武は納得する。
 近年まで主流だったG弾推進派は、対BETA戦術…殊更ハイヴ攻略におけるG弾の有用性を立証しようとしてきたわけだが、この横浜基地が中心となって推進していた“とある計画”の成功によってその目論見は半ば倒れたといって良いだろう。
 そうなれば、威信を保ちたいアメリカが次に取る手段は実に分かり易い。

 従来の戦術に則ったハイヴ攻略における、自国戦力の有用性の立証。

 もし、極東がフェイズ5たるH19をこれほど早く制圧しなければ、欧州がフェイズ4のH12をあれほど少ない被害で攻略しなければ、このような力押しの手段を講じなかっただろう。
 恐らくはG弾に代わる強力な兵器を新たに開発し、前線各国と衝突することを繰り返していただろう。
 そう考えれば確かに、既にアメリカの動向を危惧する必要はないのかもしれない。
 正面からの意地の張り合いなど、アメリカに限らずどこの国でも行われているのだから。
「体育会系なのはどこの軍だって同じことでしょ?」
 そう答えたのは、複雑そうな顔をしている千鶴でも暢気な表情をしている美琴でもなく、ようやく執務室に戻ってきた香月夕呼だった。
 彼女の登場に、武、千鶴、美琴は揃って敬礼を返す。対し、夕呼は煩わしそうにそれを手で制し、1人でさっさとソファーに腰を下ろしてしまった。
「先生、今のは軍の話じゃなくて国の話ですよ?」
「同じじゃなくても似たようなものでしょ? この御時世じゃ」
 続いて、夕呼の向かいにすとんと腰を下ろした武の言葉に、そんなことはどうでも良いと言うように夕呼は答える。
 確かに軍事力はこの時代、非常に有効な交渉材料になる。だが、前線に立つ兵士のほとんどは政治的駆け引きなど深く考えていないことも事実だ。

 前線兵にとって重要なのは、そこに共に戦う戦友がいるかどうか。それだけの話。

「あなたたちも座ったら?」
「はい。失礼します」
 夕呼が促すと、千鶴と美琴はそう応答する。この辺りは武とは一線を画するところだ。
 武が左に詰めると、すぐに美琴がその隣に座る。続いて千鶴が右端に腰を下ろすが、その瞬間、千鶴の頬がわずかに引き攣ったことには誰も気付かなかった。
「で、どうだったわけ? ハイヴ制圧は?」
「………滞りなく……ってわけにはいかなかったですよ」
 誰ともなく問いかけてくる夕呼の言葉に、一時場が静寂に包まれる。その沈黙に、まず自分が回答を求められているのだと気付いた武は、少し憮然とした様子で答えた。
「何があったか詳しく聞きたいわね」
「先生のところにはもう資料が届いてるんじゃないですか? “うちのヤツ”、もうデータは送ったって言ってましたよ?」
「あら? これでも現場の声は大切にするわよ? あなたの機体から回収された映像記録……あれは何?」
 やや皮肉めいた武の言葉に顔をしかめた夕呼は、まるで睨み付けるような瞳で更に深く詰問してくる。
 本気で狼狽している。そう理解した武は軽くため息を漏らし、次の言葉を紡ぐ。
「俺が聞きたいくらいですよ。大きさとしては要撃級と要塞級の中間くらいですかね。再生力は適当な条件があるのかまだよく分かりませんけど、あの攻撃手段はハイヴ内で遭遇したらちょっと厄介だと思います」
「新種のBETA。そう考えるのが妥当かしら」
 夕呼が狼狽するほどの情報価値のある資料映像など、反応炉ブロックでの遭遇戦以外考えられない。だから武は何の説明もなしにそのまま本題へと話を進めた。
「さあ……? 適例がこれ1つじゃ、断言は出来ませんよ」

「2つよ」

 同意はするが肯定は出来ないと言うように武が言い返すと、不意にそれを訂正するような一言が投げ入れられた。
 それも、夕呼からではなく横に並ぶ千鶴から。
「…………H26か?」
「うん」
「向こうで交流のあった米軍の大隊長から教えてもらえたわ。そこの中隊の1つが、突入部隊の1つでね、見たこともないBETAと交戦したって中隊長から報告があったそうよ」
「いいのか? それ。本当は公式に発表されるまで規制が敷かれる内容だろ?」
 米軍の大隊長から聞いた、という千鶴の発言に武は眉をひそめる。
 確定情報のない、しかも台風の目になりそうな情報だ。普通は混乱を招かないように機密扱いで上に報告することが普通である。事実、武は反応炉で遭遇した“怪物”については部下に他言するなと口止めしている。交戦しなかったエレーヌやレイドたちには、“何があったのか”すら教えていない状態だ。
 同じ軍に所属していてもこのような対応をするというのに、米軍から国連軍所属の千鶴に情報が行くというのは多分にあり得ない話である。
「香月副司令にはもう同じ報告がされていると言われたし、この件については私と鎧衣しか聞いていないから」
 千鶴の返答を聞き、武は夕呼を見返す。彼女はただ肯定する意味で無言の頷きをした。
 つまり、その米軍大隊は香月夕呼にとって“比較的当てに出来る部隊”ということなのだろう。相変わらず彼女は情報源が広い。
「倒せたのか?」
「勿論よ。まあ、先に遭遇した先行部隊は半ば潰滅してしまっていたって話だけどね」
 武の問いに千鶴はそう答える。
 H26での戦闘はハイヴの規模から考えても比較的武たちよりマシだったに違いない。ギリギリで補給線を維持して、物量に物を言わせた戦術で押し勝ったということだろう。
 確かに、補給線さえ確保出来ていれば手数で決して倒せない相手ではない筈だ。
「それに、憶測で言えば3件目もあるわよ。いいえ……厳密に言えば“1件目”かしら」
 しばらく沈黙を置いた後、夕呼はそう告げた。彼女のその言葉に、武たちの視線が夕呼に集中する。
「白銀、あなた憶えてる? H12の探索任務のこと」
「先行調査隊の捜索の話ですか? 忘れろって方が無理な話だと思いますけど?」
 いきなり1ヶ月以上前のトゥールーズの話題を引き合いに出され、武はやや困惑しながら皮肉混じりに答えた。だが夕呼はそんな皮肉すら意に介さず、険しい表情を微塵も崩さない。
「あなたの回収したレコーダの1つ、音声情報が残っていたレコーダの話は?」
「“化物”って言葉のことですか? BETAを化物って罵ることも珍しくないですよ? あっちは映像記録もやられてますし、その憶測は早計過ぎるような気もしますけど………」
 横の2人と夕呼の顔色を窺いながら武は答える。彼女たちには悪いが、武と彼女たちでは保有出来る情報質量が違い過ぎる。この場では受け答えに細心の注意を払う必要があった。
「私の依頼でその音声を解析した音声研究者や心理学者の見解はある一点において完全に一致しているんだけど……何だと思う?」
 やや挑発的に、それでも実に面白くなさそうに夕呼は問いかけを続ける。香月夕呼はこのような言い回しを嫌ってはいないが、それにしたって要領を得ない。
 しばらく悩むように顔をしかめ、呻き声を上げていた武だが、不意に何か思い当たったのか目を見開いた。

 それは、とてもではないが悩みを解消してすっきりした表情ではなく、途轍もない推測に思い当たって思わず愕然としてしまった表情だった。

「恐怖………」
 武より早く、しかし武と同じ結論を呟くのは千鶴も美琴も同じだ。

 普通、人間がBETAを「化物」と罵る場合、その心中にあるのはわずかな畏れと巨大な怒りと憎しみだ。罵るという行為はそもそも相手を貶めようという意識がなければ成立しない。
 だが、相手を「化物」と示す場合、もう1つ大きな分類がある。
 それは純粋な恐怖。
 見たこともない脅威存在や、自身の力では絶対に対抗出来ないような心霊の類に向けて使われる用法だ。

 また、声調とは心理状態を表す代表的なものの1つであり、基礎感情に近ければ近いほど非常に単純に現れる。
 その点において、「恐怖」という極めて原始的な感情は確かに最も読み取り易い感情だろう。素人ならばともかく、それを生業としている研究者や学者がいくら短い音声とはいえ、読み違えるとはとても思えない。

 もし、H12「トゥールーズハイヴ」に先行調査に入り、交信を途絶した部隊の衛士が恐怖に染まった「化物」という呟きを残していたとするならば、彼らが相対したのは恐らくBETAではなかったのだろう。
 少なくとも、その時はまだBETAではない“何か”だったのだ。

「トゥールーズにも“居た”ってことですか?」
「分からないわ。ただ、ただのBETAを相手にしたにしては脅え過ぎているわ。死ぬ直前ならとにかく、敵との遭遇から交戦、そして音声が途切れるまで終始、恐怖感を露わにしている。それも、ベテランの衛士が、よ」
 武の問い返しに、夕呼はやや歯切れ悪く答える。
 死ぬ直前に恐怖を覚えるというのは自然な話だ。武とてそれは否めない。だが、戦闘経験もある筈のベテラン衛士が、敵との遭遇から交戦中に至るまで恐怖に染まるという現象は、意外にも少ない。無論、突発的な遭遇戦であったとしても、だ。
 最初から材料は足りない。確かに断言しろと言う方が無理な話である。
 その辺りはまだ、H11から運び出される“あれ”の死骸から何か新たに判明する可能性も捨て切れないだろう。
「ただ、マルコボにもいた。なら他のハイヴにもいると考える方が妥当である。そういうことでしょうか」
「そう考える方が建設的よ、榊。居なければ居ないに越したことはないわ」
「備えることに無駄はないってことですね」
 夕呼の言葉を心に留めるように美琴は呟き、深く頷く。対し、千鶴は何か考えているように口元に手を当てて黙り込むが、ほぼ完全肯定に近い雰囲気だった。
 もちろん、武もそれには同意する。
 事実、この中で唯一、未知の敵と遭遇し、交戦した彼としては組織として対策を考えてくれるのは非常にありがたい話だ。
「“あれ”についての対策は今後もう少し詰めてみるわ。白銀、あんたの証言は重要なんだから、気付いたことは残らず報告しなさい」
「分かりました。明日中には紙面に書き出したものを提出しますよ。それと、今の話、うちのマリアには話しても大丈夫ですか?」
「シャルティーニ少佐になら構わないわ。あなたもその方が対処し易いでしょ?」
 武の問いかけに夕呼は意外にもあっさりと許諾の言葉を返した。マリア・シス・シャルティーニの信頼性は既にリサーチ済みということだろう。彼女の手回しの早さには武も呆れるが、マリアと話が合わせられるということなので、とやかく言い返すことはしない。
 だが代わりに、何故か纏わりつくような視線を感じて武は右を向く。

 そこには何故か目の据わった2人の戦友がいた。

「…………何だ?」
「別に何でもないわよ」
「別に何でもないよ」
 その視線にうろたえながらも、何故そんな目を向けられなければならないのかと武は短く問いかける。だが、当の2人は嫌に冷めた瞳のまままったく同じ言葉を同時に告げて、ぷいっと顔を逸らせてしまった。
 何故そこまで不満顔なのかと、武も流石に首を傾げる。
「そっちから何か聞きたいことはある?」
 最も聞きたかった内容はもう済んだのか、夕呼は続いて武たちに質問を促してくる。彼女の方から質問を受け付けるというのはなかなか珍しいことだ。それは素直に喜んでいいことだろう。
 よく考えれば、千鶴や美琴がこの部屋に立ち入ることが出来るようになった時点で随分な躍進なのだから。

 鑑純夏のこと。
 日本に“帰らされた”本当の意味。
 今後の動向について。

 武の頭の中にさっと浮かんだのはその辺りの質疑。
 だが、何れの質問も武は口にしなかった。夕呼と一対一ならば話は別だが、今は千鶴と美琴もいるのだ。実際にあまり込み入った話は出来ない。
 武のその雰囲気を悟っているのか、それとも単純に何の質問もないのか千鶴と美琴の2人も夕呼に何か訊ねることはしなかった。また、夕呼も本当に重要な話はこの状況で出来るわけがないと知っているため、改めて質問がないのかと確認してくるようなこともない。
「そう。なら全員退室しなさい」
「はっ!」
 しばし沈黙を享受した後、夕呼は部屋のドアを指差してそう命じる。武たちはそのやや傍若無人な指示に気を悪くした様子もなく、ソファーから立ち上がって敬礼した。
 今の彼女の言葉は、香月夕呼の言葉で「戻ってきたばかりで疲れてるでしょうから、さっさと休みなさい」という気遣いだということを彼らは経験的に悟っているからだ。
「ああ、それと白銀」
「何ですか?」
 退室しようとしたところで夕呼に呼び止められ、武は振り返る。まだ何か必要な話があるのならば最初から居残らせるだろう。彼女のその行動は少し珍しかった。
 だから武が首を傾げていると―――――――
「あんたのIDで鑑の“病室”にも入れるようにしておいたから、会う時は好きにしなさい」
 そんな、彼女には似合わない甘さの目立つことを言ってくれた。
 実に彼女らしくない。そもそも、純夏が再び目覚める可能性を“奇跡”と最初に言ったのは夕呼であった筈なのに、未だ責任を持って“延命処置”を行っていること自体、彼女の行動としては矛盾が大きい気が、武はしていた。
「……ありがとうございます」
 だが武は、そんな疑問も口にせずただ礼の言葉だけを述べた。
 どんな打算が、どんな思惑があるにせよ、鑑純夏の状態を維持させることが出来るだけの権限と知識と技術を有しているのは香月夕呼だけだ。
 だから武は縋るしかない。
 毒を喰らわば皿までと、彼はもう覚悟も決めている。

 ただ、願わくは、純夏が何の気負いもすることなく笑える日が来ますように、と。
 シロガネタケルは、それを強く想っている。



[1152] Re[33]:Muv-Luv [another&after world] 第33話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:6649cfd2
Date: 2007/07/07 00:08


  第33話


 ただ、大切な人の傍にいたかった。
 ただ、大切な人に傍にいてほしかった。
 誰だって抱くようなごく普通の願いを、同じように彼女は持っていた。そしてそれは、いったいどれだけの人が叶えられるのか分からないような夢でもあった。

 私はきっと、まだ微睡みの中にいるのだと思う。

 今、目の前に広がるのは、決して叶うことのなかった願い。かつては日常としてそこにあったのに、あの日を境にして失われてしまった光景。
 緑は豊かで。
 空は澄み切った青さで。
 風は優しく吹いている世界。
 そこで“彼女”と彼は同じように幼馴染みであり、家も隣同士の腐れ縁だった。
 彼女にとっては因縁の地である丘陵には学校が建っていて、“彼女”も彼もそこに通うただの学生。もちろん、クラスも同じだ。
 クラスにはいろいろな人がいる。
 ある日、突然“彼女”の幼馴染みの家に押しかけてきた、曲がったことが大嫌いな大財閥のご令嬢。
 クラスの委員長はとても生真面目で少し口煩いけど、本当は涙脆くてお人好しな人。
 その委員長といつも険悪な女の子は、寡黙で静かな人だけど、“彼女”が羨むくらい行動的で強い人。
 弓道が得意な小柄な女の子はクラスのマスコットのような存在で、争いが嫌いな明るく心優しい少女。
 “彼女”の幼馴染みの親友は、女の子のような容姿の男の子で、少しマイペースが過ぎるけれど、誰よりも友達のことを大切にしていた。
 クラスはそんな個性豊かな友達ばかりで、“彼女”と彼はそんなクラスメイトたちと騒がしくも楽しい日々を過ごしていた。

 でも、それは私じゃない。

 幼馴染みや友達に囲まれて、無邪気に笑っているのは“彼女”であって彼女自身ではない。彼女は、外からそれを眺める傍観者でしかなかった。
 “彼女”たちは、平和の意味を本当に知っているのだろうか。
 生きていることの尊さを、本当に理解しているのだろうか。
 笑顔で過ごせる日常の重さを、本当に噛み締めているのだろうか。
 彼女は、それを羨む。妬む。
 だけどそれはもう、決して取り戻せないもの。
 喪われた命が蘇らないように、過ぎ去りし時間が巻き戻らないように、砕け散ってしまったあの日々を取り戻すことは出来ない。
 鏡の向こうで笑い合っている“彼女”たちすら羨むような日常は、もう2度と、手に入れることなど出来ない。

 ううん……それはきっと許されない。

 彼女は奪われた。理不尽な仕打ちによって、ずっと続く筈だった日常を奪い取られてしまった。
 だが、同時に彼女は奪った。
 ずっと続けられる日常を、彼から奪ってしまった。
 だから、これは応報。
 奪い取られたことで奪い取ってしまった彼女にはもう、欲しがることは許されないのだと、与えられることはあり得ないのだという運命。

 贖罪じゃない。罰なんだ。

 決して手に入れることの出来ないものを持っている人たち。そんな“彼女”たちの日常を見せられ続けることは、罪を贖うためではなく、罪をより大きな足枷とするため。
 悠久無限の時の中、それを見せ続けられる。
 「幸福な世界」という名の檻の中に囚われ、逃げられない。

 どうしたの?

 え…………?

 不意に声をかけられ、彼女は戸惑う。
 彼女は「見せられる存在」であって、「見られる存在」ではない。だから、彼女が望んできた日常世界の中にいながら、永劫の孤独に苛まれなければならない。
 なのに、誰かが彼女の心に触れた。
 そこにいるのは、とても優しそうに笑う1人の女性。結われた薄い茶色の髪は、膝のところまで達するほど長い。

 何か悩み事?

 その人はそう訊ねてくる。
 この人は“彼女”たちのクラス担任の先生だ。綺麗で優しくて、他の先生からは甘いと言われるところもあるけれど、それでも本当にみんなから慕われる教師。
 彼女にとっては、1度として関わり合いのなかった人。
 そんな人が、どうしてか声をかけてくれた。

 あなたは迷子ね?

 迷子………?

 そう言われて、また戸惑う。
 迷子などではない。理由があってここにいる。許されざる罪を犯してここに囚われている。
 そう答えようとしたが、彼女の口はそれ以上の言葉を発さなかった。

 迷子よ。だってここはあなたの居場所じゃないもの。

 その言葉に心が軋む。
 その通りだ。ここは彼女にとって居場所ではない。居場所ではないからこそ、ここに縛り付けられている。
 それは理解していたが、他の誰かから言われることでより重い足枷となった。

 あなたが本当にいるべき場所は、あの子のいるところ。

 あの子?

 眉をひそめて首を傾げると、すぐには答えずその人は虚空を指差した。彼女がその先を視線で追っても、窓の外に空が広がっているだけで他に何もない。

 白銀君はね、まだ戦ってるの。

 そう告げられ、ハッとなる。
 どうして、と。彼はもうあの世界から解放されたのではなかったか、と。

 まだ……私は奪ったまま……なんだ……。

 それは違うわよ。白銀君は、あなたのために戦ってるんだもの。あなたが守ろうとしたものを、一緒に守りたいって願ったから今も戦ってるの。

 彼女が目を伏せると、その人は優しく笑って、諭すような口調でそう答えた。その言葉に、彼女は顔を上げる。

 でも……まだ1人だけ。一緒に戦ってくれる人はたくさんいるけれど、一緒に守ってゆきたいって想った誰かさんはまだここにいるから。

 まるで皮肉みたいな言葉だったが、それでもその人の表情はとても優しく、とても温かかった。
 その言葉に、涙が零れる。
 それが頬を伝うと同時に、何かとても熱いものが彼女の中に芽生えた。

 どうやって帰るのか、分かる?

 表情から感情の変化を読み取ったのか、その人はそう訊ねてきた。それに頷き返し、彼女は踵を返す。
 歩いて帰るとなると、どのくらい時間がかかるのかなと一瞬考えたが、今のこの身体に時間の概念などない。必ず辿り着いてみせると、すぐに決意出来た。

 1度も面識はなかったが、それでも貴様も私の教え子だ。

 いきなり、この世界では聞き慣れない口調で後ろから声をかけられ、彼女は驚いて振り返る。
 そこには、その人しか立っていなかった。
 だけど、その人はさっきまで着ていたタートルネックのセーターとロングスカート姿ではなく、割と見慣れた“どこかの軍服”姿だった。
 表情も柔らかいというよりは凛々しく、女性特有の鋭さを表面に押し出している。
 それでも、持っている温かさはさっきまでとまったく変わらない。

 白銀をよろしくね。

 はい。

 敬礼され、彼女も同じく敬礼を返す。
 その行為は慣れ親しんだものではなかったから、きっと不恰好なものになってしまっただろうなと彼女は思った。
 くっと唇を吊り上げられたので、彼女がむっと頬を膨らませると、ようやくその人は優しく笑う。
 それに笑い返し、再び踵を返して歩き出そうとする。その時、彼女は、確かに誰かが自分の名前を呼んでいる声を聞いた。

 純夏、と。






 今だってあの笑顔を夢に見ることがある。
 この世界にも彼女がいることに気付くまで、それはきっと“元の世界”のあの笑顔だったのだろう。あるいはその後もずっと、あの笑顔を彼女に重ね合わせていただけかもしれない。
 だけど、今は違う。
 思い出すのは、“この世界”で出会い、“この世界”で恋をして、“この世界”で結ばれた彼女の笑顔だけだ。

 クリスマスにプレゼントした、手作りの不恰好なサンタウサギの人形。それを受け取ってくれた時の嬉しそうな笑顔。
 一時の戦いが終わり、お互いの無事を喜び合って交わした安堵の笑顔。
 唇を重ね、身体を重ね、恥ずかしそうに微笑む愛おしい笑顔。

「純夏」
 ベッドに横たわる彼女の手を軽く握り、武はその名を呼んだ。
 鑑純夏は、白銀武の幼馴染みであり、シロガネタケルの最愛の人。
 彼女は静かに眠っているが、生きている。生きていると誰にでも分かるくらい、握った手の平に伝わる感触は柔らかく、体温は温かい。

 だが、その身体は紛い物だった。

 “この世界”で生きてきた鑑純夏は、“この世界”で生きてきた白銀武と共にBETAに捕まり、壊された。
 肉体という器のほとんどは削ぎ落とされ、残ったのは脳髄だけ。
 それでも……人間の技術だけでは確実に死んでしまっているようなそんな状態でも、鑑純夏は確かに生きていた。
 いや……“生かされていた”。
 明星作戦によって横浜ハイヴが制圧されるまで、鑑純夏はまるで実験体のように何も出来ない状態のまま生かされていた。

 人工的な肉体を造り、香月夕呼の手によってその人格を移植された存在が今ここで眠る鑑純夏。
 ヒトによく似た、ヒトにあらざる存在。
 故に00ユニット。生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロの真作にして贋作。
 彼女は量子伝導脳を保護するため、ODLという液体が頭蓋に満たされている。それは量子伝導脳の酷使や肉体の稼動時間経過に伴って劣化し、72時間以内に交換もしくは浄化を施す必要がある。

 桜花作戦の時はまさに時間の問題だった。
 横浜基地まで帰還した時、既に彼女のODL劣化は深刻なレベルまで達しており、身体はほぼ機能停止状態まで追い込まれていた。
 しかも、横浜ハイヴの反応炉を失ったことでODLの浄化作業も難航を極め、武のような素人が見ても絶望的な状況だったことは間違いない。
 幸いだったのは、彼女が完全な休止モードに入っていたこと。
 この状態では00ユニットの稼働率はほぼゼロとなり、体内のささやかな浄化装置によって、辛うじて現状を“維持”することが出来たのだ。
 香月夕呼が言うには、反応炉に依存しないODL浄化装置の理論も技術も完成はしているが、実用性のあるものを造るには少なく見積もっても2年はかかるということだった。
 それから3年。正真正銘の天才である彼女は恐らく、その装置を完成させているだろう。
 尤も、この状態ではODLを完全浄化することと、00ユニットが目覚めることは必ずしも一致しないとも宣告されたが。

 つまり、「手は尽くした。あとは神のみぞ知る」ということだった。

 いつ目覚めてもおかしくはない。ただ、それが明日なのか、それとも100年後あるいは200年後なのかは誰にも分からない。
 だからこその奇跡だと。
 お前が生きているうちに目覚める可能性など、針の先ほどしかないのだと。
 現実はそう言っていた。
「純夏。俺がここにいるって知ったら、お前は何て言うかな?」
 悲しげに苦笑し、武は呟く。
 彼女は桜花作戦の直前、自分自身がこの世界にシロガネタケルを縛り付けているのだと知って苦悩した。
 横浜基地の反応炉が止まれば、自分が“死ぬ”ことも、そうなればシロガネタケルが因果導体ではなくなり、“この世界”から解放されることも気付いていた。
 だから、桜花作戦であれだけの無茶をしてみせたのだ。
 仲間を、人類を、世界を救うために。
 そして何より、シロガネタケルを解放するために。
「泣くよな……きっと」
 今はきっとそうでないとはいえ、彼を“この世界”に呼び込む原因となったことを悔やみ、自分自身を呪って、苦悩する。
 きっと、どうあってもこの存在は彼女を苦しめるのだろう。
「俺さ……お前が泣いてるのは、嫌なんだ」
 囁くように、呟く。
 それが武の葛藤。自己欺瞞。
 彼は同時に、鑑純夏に会うのが怖いのだ。泣かれるのではないか。拒絶されるのではないか。そしてまた、彼女を苦しめるのではないか。
 想い出は美しいというのはきっと間違っていない。
 少なくとも、想い出の中の彼女は武を受け入れてくれる。それが壊れてしまうのが途轍もなく怖い。
 だから、彼女はこのまま目覚めない方が良いのではないか。
 それに、目覚めればきっと、また戦場に送られる。そうならないためにも、このまま安らかなまどろみのうちに残しておいた方が良いのではないか。
 少しでもそう考えてしまう自分が、武は嫌いになる。

 何というエゴ。何を願おうとも自己を護ろうとしてしまう、悲しきエゴイスト。

 瞬間、その頬を雫が伝った。
「だけどさ…………」
 握るその手に力を込める。
 そんな浅ましくも下らない苦悩は、やはり脆かった。
「やっぱり………お前の声が聞きたいよ………純夏……」
 絞り出すように武は己の本音を吐露した。久し振りに彼女の顔を見たら、もうその感情しか溢れてこなかった。
 ここには武と彼女の他、誰もいない。だから弱音が口をついた。

 ああ、駄目だ。俺は無欲なんかじゃいられない。

 純夏を想えばその顔を見たくなり、純夏の顔を見ればその声を聞きたくなる。純夏の声を聞くことが出来れば、次はきっと触れていたくなるのだろう。
 欲望の永久連鎖。
 武は俯き、涙を滴らせながら彼女の名前を呟き続ける。

 その時、純夏の手を握り締める武の右手が握り返された。

「っ!?」
 奇跡のような感触に、武はハッと顔を上げる。
 その顔は涙のせいで無様なものになっているだろうと彼も分かっていたが、そんなことはどうでも良かった。

「タケルちゃんは………優しいね」

 横たわる彼女は薄く開けた瞳で武を見つめ、ほんのわずかに緩ませた口で小さく武の名を呼んだ。

「………っく……すみ……か……純夏ぁ……」

 さっきよりもずっと温かな彼女の手を握り返し、嗚咽を漏らす。
 これが決まっていたことなのか、ただの気まぐれなのか、そんなことに意味はない。
 だが、どちらにせよこれが世界の意志だというのなら、武は今日までこの世界に留まらせていてくれたことを誰よりも感謝したかった。






 誰かが言いました。諦めなければ夢は叶う、と。
 誰かが言いました。努力を続けていれば未来は必ず明るい、と。
 誰かが言いました。希望を持っていれば願いはきっと聞き入れられる、と。

 でも、誰も教えてはくれませんでした。
 夢とは、未来とは、願いとはいったい何なのか、を。


 社霞は目覚めた時、自分の瞳から涙が流れていることに気付いた。
 それ自体はもう溢れていない。眠りながら泣いてしまっていたのだろうかと、霞は急に不安になり、抱き枕のように抱えている大きなウサギの人形をキュッと抱き締めた。

 このような経験はあまりない。

 第6世代の中でも一際強い能力を持っている彼女にとっても、睡眠中は絶対的な安息の時間だ。自身の“読み映す”能力も、眠っている間は外界からの干渉を受け付けない。
 つまり、思考を覗き見てしまう現象は起こり得ない筈である。
 少なくとも、今まではそうだった。
「夢………なんでしょうか?」
 横になったままぽつりと呟く。
 確かに、夢のような曖昧な風景だったけれど、それ以上に夢にしては強烈過ぎるメッセージが込められていた。
 そして、それは決して霞の経験ではない。
 彼女も、他人が推し量るなどおこがましい程の過酷な境遇に置かれてきたが、それでもあのような疑問を持ったことはなかった。いや、持つ暇などなかったと表現する方がより正確だろう。

 何故なら、社霞にとって諦めないことの意味を教えてくれた人たちは、同時に夢や希望の意味を教えてくれた人たちであるから。

 もし誰かの夢だったのだとすれば、それはとても悲しい。今もそうなのか、昔そうであったのかは霞の知るところではないが、悲しいことであることは疑いようもない。
 霞は瞳を閉じた。
 もう1度、その誰かが見た夢を捉えようと心を落ち着ける。一抹の不安と恐れを感じながらも、もう1度捉えられるかどうかも分からないと知りながらも彼女はそれを望んだ。
 人の心を覗けてしまうことは怖いことだ。
 この世界は綺麗なもので出来ているわけではなく、喜びよりもずっと多くの悲しみや怒り、憎しみが当然のように渦巻いている。だからこそ、“笑う”という行為は貴重で尊いものだと霞は思っている。

 こんな能力など持ちたくないと思ったこともあった。
 こんな能力を持つ自分自身をすら呪ってしまうこともあった。
 その気持ちがまったくなくなったと言えばきっと嘘になるだろう。だがそれでも、社霞はただ呪うだけはやめた。

 同じイメージを捉えることは出来ない。やはりあれは本当の意味でただの夢だったのだろうか。
 だがその瞬間、霞の中に強烈且つ極めて明確なイメージの波が押し寄せてきた。

 タケルちゃん………!

「ッ!?」
 霞は瞳を開けるとほぼ同時に飛び起きる。普段の彼女からはあまり想像出来ないほど機敏な動きだった。あまりに勢いがつき過ぎ、抱き枕にしていたウサギのぬいぐるみがベッドから転げ落ちる。
 慌てて床からそれを拾い上げ、丁寧にそっとベッドの上に寝かせてから霞は国連軍正規兵の上着を羽織る。
 かつて着ていた制服に比べ、少しばかり窮屈な感覚があるが、逆に着脱は楽だった。それは迅速な対応が必要とされる衛士とって非常に魅力的な特性である。
 10秒も待たず机の上から愛用の髪留めを取った霞はその淡い青の長い髪を結ばずに、半ば駆けるように早足で自室を飛び出した。
 焦燥。
 懐疑。
 希望。
 喫驚。
 霞の中に渦巻く感情は一色ではない。今し方、自分の中に流れ込んできた強烈な感情に対し、彼女が抱いた想いはそれだけ複雑なものだった。
 ただ、その感情が生む行動は1つに収束する。
 走る。
 走る。
 走る。
 走る。
 生半可なIDでは立ち入ることも出来ないB19のS4レベルフロア。普段から滅多に人気のない通路を、徐々に速度を上げながら霞は駆けた。
 カツカツと、軍靴が床を叩く音が木霊する。
 どうして? などと考える余裕はない。
 確率論も可能性も今の霞には関係ない。
 ただ、今は一刻も早く本当のことを確認しなければならない。

「純夏さんっ!!」

 声を荒げながら、霞はその一室に飛び込む。
 霞もよくこの部屋には訪れる。深い眠りについたままの鑑純夏を見舞うために、毎日のように、だ。
 ここは鑑純夏の処置室。彼女の一身上、ここに立ち入ることが出来るのは社霞の他は香月夕呼とその副官たるイリーナ・ピアティフ、そして今日帰ってきたばかりの白銀武しかいない。

 そこに、彼らはいた。

 そこには、泣きじゃくりながら互いの身体を強く抱き締め合う1組の男女。
 社霞が、この世界で一番大好きな2人。
 白銀武と鑑純夏。

 奇跡が起こった。
 悠久無限の時の中で再び巡り合うことが出来た、抗い難き運命に翻弄され続けたこの2人。
 涙が零れる。
 悲しいわけでもないのに、熱い雫がその瞳から流れ落ちる。
「すみ……か…さん……っ!」
 目の前の景色が滲んでしまうが、その姿は決して放さない。泣きながら顔を綻ばせ、霞はもう1歩、足を踏み出す。
 霞と2人の距離はほんの5、6mほどだが、やっと1歩踏み出しただけの彼女からすれば途方もない距離だ。

「霞ちゃんっ!」

 彼女に気付いた純夏の声が響く。寄り添ったままではあるが、武とは身体を離し、霞とは向かい合う状態になっていた。
 それがきっかけ。
 名前を呼ばれたことで霞の身体は羽根のように軽くなり、気付いた頃にはもう全力で駆け出していた。

 受け止めてくれるその身体はとても温かで、とても優しい。

「純夏さん……! 純夏さんっ!!」
 名前を呼ぶことしか出来ない。いつも、この人が目を醒ましたら最初に何を話そうか考えていた筈なのに、いざ現実となるとただ溢れる想いをその名前に乗せることしか出来なかった。
「霞ちゃん……少し、背伸びたね」
 純夏はそう言って、霞の長い髪をその手ですく。その感触が心地良くて、霞は涙を零しながら身体を委ねた。

 ああ、やっぱり私はこの人が大好きだ。

 こうやって触れ合うと、霞は改めてそう感じる。
 そして、もしこの世界に神様がいるのだとしたら、本当に感謝したいと彼女は思った。



[1152] Re[34]:Muv-Luv [another&after world] 第34話
Name: 小清水◆2e19c93f
Date: 2007/07/28 07:06


  第34話


「鑑、良かったらこれ、使ってちょうだい」
「ふむ、支給品では賄えない日用品もあろう。何か困ったことがあればいつでも相談するが良い」
「そうだね。女の子同士じゃないと分からないこともあるし、タケルだけじゃ頼りないもん」
「私は悩んだんですけど、やっぱりお花にしました。彩峰さんは? その箱、何が入ってるの?」
「これ? 花瓶」

 ベッドから身を起こした純夏を取り囲み、友人たちは姦しく談笑している。
 部屋のドア付近の壁に背を預けた武にとっては、彼女たちが共に軍服姿でなければまるで“元の世界”のワンシーンのようだ。
 純夏が目覚めてから2日。報せを聞いた夕呼がすぐさま身体検査を行ったが、結果として異常は見つからなかったとのこと。生活能力はもちろん、00ユニットとしての機能も一切異常なく稼動しており、本体によるODL浄化も問題なく作動しているらしい。
 目覚めた理由は一切不明。尤も、人間に喩えれば昏睡状態に陥っていたようなものなのだから、具体的な要因を限定することは難しいとも武は説明された。

 多分、きっかけはあなたの存在でしょ?

 最後にはそんな本気とも冗談とも取れないような発言を夕呼は喰らわせてくれたが、原因もきっかけもよく分からないというのは彼女自身が一番苛立っているようである。その証拠に、その後すぐに武は執務室から叩き出されてしまったのだから。

「あ……ありがとう、みんな」
 5人もの人間に囲まれて、やや戸惑い気味ながらも当人の純夏はそう言って微笑む。
 それを見せられては、武には理由などもうどうでもいいことである。

 もう1度巡り会え、もう1度言葉を交し合えるのだから、それ以上望むものなど何もなかった。

 1人離れたところから、純夏たちの様子を眺めている武は軽く肩をすくませ、口元を緩める。この顔触れで過ごした時間は、長いように思えて実は驚くほど短い。もう見ることは叶わないと思っていた光景に、武は感慨深いものを感じていた。
 その時、純夏の部屋のドアが外からノックされる。目で訊ねると純夏も頷いたので、武はノックに応えてそのままドアを開けた。
「失礼しまーす」
「鑑、身体の具合どう? 調子いい?」
 そう言って顔を覗かせるのは、彼ら全員と歳の同じ柏木晴子と涼宮茜の2人。これからすぐに訓練に入るのか、両者とも既に強化装備を着用していた。
「うん。柏木さんと涼宮さんは訓練の途中?」
 ぴょこんと1本だけ飛び出た頭上の髪を動かし、純夏は答える。相も変わらず変幻自在なその触角に、武は苦笑を浮かべる。
「まあね。今日は第6中隊(スルーズ)と模擬戦でさ~、今から演習場に行くところ」
「千鶴たちも時間は守りなさいよ。隊長が遅刻じゃ示しがつかないんだからね」
「分かってるわよ」
 茜の忠告に対し、当然でしょうと言うように千鶴が呆れた表情で応じた。流石にそうなるほど彼女たちに責任感がない筈がないだろうし、そうするほど彼女たちと純夏との間に付き合いもなかっただろう。
「訓練行く途中に寄ったのか?」
「うん。やっぱり気になるし。あとでお姉ちゃんもお見舞いに来るって」
 武の問いかけには茜が頷く。遙が来るということは、一緒に水月も来る可能性が高い。2人とも立場上、それほど暇を持て余しているわけでもないので、本当にありがたい話だ。
「ええ!? そんな……涼宮少佐、忙しいのに悪いよ……」
「大丈夫だよ。それじゃ、私たちもう行くね」
 目上の人に時間を割いてもらうということに気負いをしているのか、急に純夏が狼狽し始めた。そんなことを気にするのはキャラじゃないだろうに、と武は苦笑しながら肩をすくませる。
 そんな純夏の反応を可笑しそうに笑いながら、茜は手を振って退室。晴子は何も言わなかったが、同じように笑顔を浮かべてお気楽な敬礼ポーズを決め、茜を追って退室していった。
 あの2人があれだけ急いで出ていったことを考えるに、本当に訓練前のわずかに空いた時間を使って寄っていってくれたのだろう。本当に人が良い。

 同時に、武としては本当に嬉しかった。
 他の仲間たちと比べて、圧倒的に交流の少なかった純夏を彼女たちが友として迎え入れてくれたことが。

「失礼します」
 その時、茜たちとは入れ違う形で室内に霞が入ってくる。入ってきたところで足を止め、丁寧に会釈をしたが、入る際にノックしなかった辺りは年季の入り方が違った。
「霞ちゃん、おはよう」
「おはようございます、純夏さん」
 笑顔と挨拶を交わす2人。ほとんど言葉もいらない2人のコミュニケーションは、微笑ましくもあり、武にとっては少しだけ羨ましいものでもある。
 武は軽くかぶりを振る。

 どうかしている。霞に嫉妬するなんて。

 純夏と霞が、望んでその力を手にしたわけではないとよく知っている筈なのに、そんな浅ましいことを思ってしまった。
 だが、そんな武と視線を合わせた霞は何も言わずに微笑む。何となくバツが悪くなり、武は無理に笑った後に目を伏せる。
 バッフワイト素子の織り込まれたリボンを持つ純夏と違い、霞は自身のリーディング能力に制限がかけられていない。この至近距離では霞に対して感情を偽ることなど出来ないだろう。
「それじゃあ、鑑のことは社に任せて、私たちも訓練に行きましょう」
「そうだね。さすがに部隊長が最後に到着ってのは格好つかないだろうし」
「鑑、そなたはまだ目覚めたばかりなのだ。あまり無理はせぬようにな」
 冥夜が告げる注意に、持ってきた花を持ってきた花瓶に生け終えた壬姫と慧がうんうんと強調するように頷く。それに対し、控え目に、されども明るく笑った純夏は「うん」と頷き返した。
「霞、うちのリィルが来るって言ってたから、何か手伝わせてやってくれよ」
「はい」
「タケルはどうするの?」
 霞がこくりと首を縦に振るのとほぼ同時に、美琴がそう訊ねてくる。どうやら、武の口振りから何か用事があるのだと気付いたようだ。
「夕呼先生に呼ばれてる」
「鑑の身体のこと?」
「いや、マリアたちも連れて来いって言われたからたぶん違う。やっぱり俺、ただの休暇じゃないっぽいな」
 首を傾げる慧に答え、武もため息を漏らす。本音を言えば純夏と一緒にいたいのだが、彼とて欧州に戻れば数百にも及ぶ部下を従える連隊の将だ。任務に支障をきたすようでは、先立った伊隅大尉に顔向け出来ない。
「じゃ、俺も行くわ。冥夜も言ってたけど、無理はすんなよ」
「タケルちゃんこそ、シャルティーニ少佐に迷惑かけちゃダメだよ?」
「うっさい」
 純夏の鋭過ぎる返答に武は思わず頬を引き攣らせる。本当ならばきちんとした反論を行いたかったのだが、生憎とマリアに迷惑ばかりかけている自覚のある武には反論材料などありはしなかった。
 そのまま手を振り、1人だけ先に純夏の部屋をあとにする。どちらにせよ冥夜たちとは向かう場所が違うのだから、そこに合わせる理由はない。
「…………お前も入ってくりゃいいのに」
 部屋の外の通路で武を待つように立っていたマリアに、武は呆れたというような口調で言葉をかける。
「鑑少尉は発作を抱えていると聞いています。私のような見ず知らずの人間が立ち入っては目覚めたばかりの身体にも少なからず負担になるでしょう」
「見ず知らずの人間……ってのは言い過ぎな気もするけどな。お前のこと話したら話がしてみたいって言ってたし」
「話したのですか……? 私のことを?」
 武の応答に、どういうわけか「信じられない」と言うような表情で愕然とするマリア。だが、すぐに表情を崩して、一際大きなため息を漏らす。
「何だ?」
「鑑少尉の苦労を察します」
「何で?」
「中佐がそう疑問に思われる時点で、ご説明しても無駄だと思うので割愛します」
 異様に刺々しく、異様に冷たいマリア。尤も、一連のやり取りを総合して見れば武をからかっているようにも思えなくもない。
 武本人としても、彼女からきっぱり「無駄」と言われては立つ瀬も反論の余地もなく、「そうですか……」ととりあえず納得しておくしかなかった。
「それでは行きましょう。香月副司令をお待たせしては失礼です」
「了解。礼儀はとにかく、時間厳守には賛成だ」
 マリアに促され、武は歩き始める。
 香月夕呼に対して礼儀など構うことはない。最低限のマナーさえ守れていれば、彼女は気にも留めないだろう。だが、自己保身のために時間厳守を心がけることは絶対だった。
 待たされれば待たされるほど苛々が募るのは当然だが、夕呼の場合、それが時間と比例しているなどというレベルではない。
 敢えて関数で喩えれば、二次関数のレベルだ。0から時間がプラスされる度に二乗効果で苛々が増加する。ほんの数分後には最早挽回不能なほど不機嫌になっているだろう。
 彼女の小言で貴重な時間を割かれたくないと心の底から願っている武は、マリアを連れ立ってやや足早に夕呼の待つ所定のブリーフィングルームを目指した。




「クアラルンプール……ですか?」
「ええ。正確には、帝国がクアラルンプールに有する保養施設、ですが」
 再度確認の意味を込めてマリアが問いかけると、香月夕呼はさも当然のことのように答えた。その応答にマリアは益々眉をひそめる。
 マリア、ヘンリー、ユウイチと共に夕呼に呼び出されたブリーフィングルームで武が彼女から言われたのは、「クアラルンプールに行け」とのことだった。
 日本に帰れやら、クアラルンプールに行けやら、自分の上官はどうしてこう無茶な振りをいきなり命令形で言ってくるのかと、武は少し泣きたくなっていた。
「クアラルンプールといえば、最も近いH17から地続きでしょう? そんなところに保養施設があるのですか?」
 項垂れる武の横で、マリアと同じように顔をしかめたユウイチが夕呼にそう問い返す。
 その疑問は尤もなことである。
 H17は旧ビルマ領に建造されたハイヴだ。BETAにとっては東南アジア侵攻の要所であり、BETAの東進が本格的に開始されるまで、人類はマレー半島でBETAと死闘を繰り広げた。
 現在も北緯10°線を境界に防衛戦を繰り返しているが、BETA南進の全盛期に比べれば遥かに戦闘は減少したと言われている。
 対し、クアラルンプールはマレーシアの首都であり、現在も一般市民の居住が認められている大都市。それでも、そこに保養施設というのは少々、警戒が緩過ぎるのではないだろうか。そういう疑問である。
「正式には軍需用工場施設及び防衛基地よ。気候柄、保養施設のように利用されることもあるだけ」
「クアラルンプールに日本軍施設……。あそこは第二次世界大戦時に1度、日本の統治下に置かれましたが……その関係上でしょうか?」
「その通りですわ、シャルティーニ少佐。終戦によってそちらの国にお返ししましたが、一部に施設は残したままになっていました。今はそこをBETA大戦における生産ラインの1つに使っている状態です」
 やや皮肉混じりの夕呼の言葉に、マリアは「そうですか」とただ納得したように冷静な返答をした。こういうところで感情を表面に出さないところは何といっても彼女の強みだろうと、武は尊敬している。
「まあ……ちょっと前まで西日本は完全戦線、東北・北海道はどちらかと言えば第一次産業の色が強かったからな。東南アジアに兵器の生産ラインを確保しておくことは賢明な処置だよ」
 今更自分の立ち位置に嘆いても仕方がないと、ようやく立ち直った武は数年前までの日本の状況を簡潔に述べた。ただ、合成技術の発展で、殊更軍内部においての食糧事情はさほど深刻なものではない。第一次産業に生活を支えられているのは、主に一般市民の方だ。
「しかし、何故クアラルンプールに我々が?」
「でも、その帝国の軍需用工場が俺たちにどう関係あるんですか?」
 ほぼ同時に、マリアと武の2人は夕呼にそう切り返す。その様子に両端のユウイチとヘンリーも同時に小さく苦笑いをした。
「そこにあるのよ、あなたたちの機体が」
「…………はい?」
 さも当然のことというような夕呼の言葉に、次は4人全員の声が重なった。話の意図が読めず、武も含めて4人は一斉にしかめ面になる。
「H11での戦闘で第27機甲連隊の機体のほとんどがスクラップになった話は聞いてるわ。本当はそっちで準備するのが筋でしょうけど、欧州にそんな余裕ないでしょ? 安心しなさい。ヴィンセント准将と話はついてるから」
「いや……あの、先生?」
「白銀は必ず現地に向かってちょうだい。シャルティーニ少佐以下、あなたの部下は個人の自由で構わないわ」
「じゃなくて! 何で帝国軍からうちに戦術機が提供されるんですか!?」
 構わず説明を続行しようとする夕呼を遮り、武はやや強い口調で問い詰める。
 帝国から極東国連軍へ、ならばまだ理解は出来るが、帝国から欧州国連軍所属である彼らに物資、それも高価な戦術機が“無条件”で提供されることなどあり得ない。そもそもH12制圧作戦後に行われた極東国連軍からの人員補充だって決してままある話ではないのだ。
「条件はいろいろあるわよ。欧州国連軍からは欧州方面における戦闘記録データの提供。ヴィンセント准将からは提供機体の実働データの収集・解析及び報告」
 つまりは情報で戦術機を買ったということ。しかし、それでもやはりおかしい。何せ、条件にあるデータは“今後”提供されるデータでしかないのだ。より正確に言えば、後払いで戦術機を買ったというべきだろう。
 そんな、ハイリスクな交渉に応じるなど考えられない。
「…………夕呼先生は何を提供したんですか?」
「何であたしが提供しなきゃいけないのよ」
「欧州全体もヴィンセント准将も正直、ネタ切れでしょうし、仮に先生が関わってないとしたらわざわざ日本を経由させて現地に向かわせる意味が分かりませんよ」
 武がややトーンを落として即座に切り返すと、ようやく夕呼は不敵に笑った。彼女がこうやって笑ったということは即ち、何か“仕出かした”ということだ。

「心配は不要だ、白銀。お前にかかる負担など微々たるものだからな」

 だが、武の予想を大幅に飛び越え、答えが返ってきたのは背後からだった。驚いて振り返ると、ブリーフィングルームの入り口のところに1人の青年が立っている。
 国連軍のものではない、蒼青の軍服に身を包んだ男。
 斉御司家の次兄 斉御司灯夜その人だ。
「斉御司……少佐……?」
「香月副司令。約束通り、今日一日、白銀をお借り致します」
「御自由に」
 愕然とする武たちを置き去りに、夕呼と灯夜は何故か2人だけであたかも承諾済みのような会話を繰り広げる。当人の意志などまるで無視だ。
「何なんですか!? あんたら!!」
 場の雰囲気から「売られた」と判断した武は即座に夕呼と灯夜に猛抗議を仕掛ける。夕呼には最初から礼儀などあってないようなものであるし、灯夜も決して話の通じない相手ではない。加えて、ここは極東最大の国連軍基地。即ち、治外法権である。
 だが、両者は武を一瞥し、同時にため息を漏らすだけだ。
「………では行くか、白銀。ああ、拒否も抵抗も無駄だぞ? 関口、白銀中佐を“お連れ”しろ」
「了解」
 灯夜の命令に、山吹の軍服に身を包んだ、燃えるような長い赤髪の女性斯衛士官が武の右腕を固める。同時に更にその部下らしき純白の軍服を纏う士官がもう1人、武の左を固めた。
 連れてゆく、という意味では語弊はないが、「お連れする」というよりは「連行する」に等しい待遇である。
「あの………関口大尉、放してください」
「申し訳ありません、白銀中佐。この関口、第4警備小隊の将として、斉御司少佐及び煌武院悠陽殿下のもの以外、如何なる上位命令も現在は頷きかねます」
 武の懇願に答える斯衛軍 43中隊の中隊長殿。言い回しは本当に申し訳なさそうだったが、表情は本当に楽しそうである。そこから、この人も自分の敵だと武は判断を下した。
「斉御司少佐。連れ歩くのは構いませんが、定刻までには帰らせるようにお願いします」
「分かっております」
 夕呼の注意に、灯夜は本当に理解しているのかいまいち信用出来ないほど言葉少なに答える。流石に無茶なことはされないだろうが、武にとって不安感は拭い去れない。
「斉御司少佐、無礼とは思いますがこれは少々、礼に失するのでは?」
「何、些細な問題ですよ、シャルティーニ少佐。この件については香月副司令、欧州国連軍総司令部及びヴィンセント准将、そして帝国城内省及び国防省の合意の下、動いている。白銀個人の意志など、反映されたとしても僅かなものです」
「いつの間にそんな話が!?」
 冷静ながらもそこはかとない怒気を孕んだ口調でマリアが初めて抗議の言葉を紡ぐ。対し、軽く肩をすくませた灯夜は、この案件がどの程度の規模で進んでいるのか端的に、されども嫌というほど分かるほどに答えた。
「喚くな、白銀。行くぞ」
 まるで取りつく島もなく、灯夜は身を翻してブリーフィングルームを出てゆく。その背中を見てから武が自分を拘束している関口を見返すと、彼女は一瞬きょとんとした後に、にっこりと笑う。
 その瞬間、武はもう一切の抗う術がないのだと理解した。
 有無も言わさず、武の身体を引っ張って灯夜のあとを追う彼の従者たち。
 連れてゆかれる武の姿はさながら、売られてゆく仔牛のようだった。




 基地の敷地内に停められたやや無骨な車輌の1台に乗せられたところで、武はようやく身体の自由を約束された。
 無論、車内に限定された話ではあるが。
「………連れ出すにしたってもう少しやりようはなかったんですか?」
 城内省が所有する乗用車であるその車の後部座席に座り、武はため息を漏らしながら口を開く。責めているというよりは呆れているという言い方に近いものだ。
「申し訳ありません。白銀中佐は只今、正式な休暇中とのことでしたので、多少強引な手段を使わなければ頷いていただけないと思いました」
 それに丁寧に応じるのは隣に座る斉御司灯夜ではなく、運転席に座る関口の方だった。それでも、バックミラー越しに見る彼女の顔は非常に楽しそうである。
「そこまで自分本位の人間じゃないですよ、俺は。それと、敬語じゃなくていいです」
「………だ、そうだ。幸い、ここには私たちだけだ。関口、不要な気遣いはするな」
「了解です。それにしても……もう中佐かぁ。君の同期もみんな大尉やし、国連軍は昇進速いねぇ」
 あまり良い整備のされていない公道を走らせながら、関口は急に語尾上がりの口調に切り替えて、フランクな態度でそう言ってきた。その言葉には武も苦笑を返すしかない。
 武たちの昇進が速いのは単に夕呼の力の強さと、国連軍の衛士に死傷者が多いことに由来する。ほとんどが日本の帝都、それも帝都城の守備に当たる斯衛軍と、世界中を主戦場としている国連軍では兵士の回転に雲泥の差がある。
 加え、斯衛軍の衛士は予備人員まで含めても800人に満たないため、より昇進の機会は限定されるだろう。
 事実、現在の斯衛軍大隊指揮官に九條侑香や斉御司灯夜、そして月詠真那のような若い世代が多いのは、1998年の京都防衛戦による損害と、2000年の軍拡に由来するところが大きい。

 それは関口とて承知のことだろう。
 何故ならば、彼女もまたそれによって若くして中隊長の立場に納まっている人間なのだから。

 それにも関わらず、関口があんな冗談を言うというのは、ある意味この世界の常識を顕著に示しているのかもしれない。
「………それで、斉御司少佐。そろそろ機体提供の条件を言ってください」
「気にかかるのか? 実際、本当にお前の負担など微々たるものでしかないのだがな」
 車に揺られながら訊ねる武に、灯夜はあっけらかんとそう答える。だが、武が瞳で強要するとやれやれというようにかぶりを振った。
「何、1つ、お前に訓練部隊の評価を任せたいだけだよ」
「どういう意味ですか?」
「お前がクアラルンプールに向かう日程と同様の日程で、帝国軍前橋衛士訓練校の訓練兵部隊が同じくクアラルンプールに留まって演習を行う予定になっている」
 問い返すと、灯夜は更にそんな詳細を語る。訓練兵において俗に言われる「南の島でのバカンス」というものだ。
 即ち、総合戦闘技術評価演習。訓練兵が戦術機の訓練機に搭乗する段階に進むために必要な演習試験のことである。
「一応は指定任務の完遂が合否基準だが、致命的なミスを犯した上でクリアするという者もいるだろう。その辺りの評価を厳しい目で言及してもらえると助かる」
「それだけでいいんですか? 戦術機70機と比べると、帝国にとって相当割に合わないですよ?」
 そもそも、それは担当教官の役目ではないだろうか。武はそう思って首を捻るが、その辺りは恐らく第3者の目が欲しいのだろう、ということで適当に納得しておくことにする。
「資金の面では、な」
 灯夜はそう呟き、感慨深げに頷いた。その、やや影のある言い方に武は奇妙な違和感を覚える。
「戦術機は確かに高価や。子供1人、成人まで育て上げるのにかかる最低限の費用なんて比較にならんほどにな。逆に資金と資材さえあれば1機造るのにさしたる時間はかからんよ?」
「だが、衛士は違う。生まれたばかりの赤子を優秀な衛士に育て上げるには、最低でも15年はかかる。こればかりは、いくら金を積もうと覆らない話だ」
 前を向いたままハンドルを切る関口の言葉に続き、灯夜も述べる。両者とも、落ち着いた口調だったが、どこか重苦しいものを帯びていた。
「頼む、白銀。戦場で、1秒でも長く生きられる衛士を選別してくれ。少なくとも、無抵抗のまま鬼籍に入る同胞が出ないようにしてくれ」
 灯夜のその懇願を受け、武はずっと昔にある人から聞いた話を思い出す。

 軍隊ではな、命ですらコストで量られるんだ。

 あの時は、武も複雑な気持ちで仕方がなかったが、今の話を聞いてそれを思い出すと満更悪い話でもない。
 コストとは絶対的で、それ以上でもそれ以下でもない。確かな証明さえ得られれば、如何なる感情論も屁理屈も入る隙間などないのである。
 だから武は証明しなければならない。
 衛士という人材が、何よりも貴重な資源となり得ることを。

 1人でも多くの衛士を、1秒でも長生きさせるために、その経験を生かす。

 その人はそんなことも言っていた。武にとっては、誰にも替え難い1人の恩師だ。

「……分かりました。たいしたことは出来ないと思いますけどね。出来れば、演習に参加する訓練兵のデータを見せてもらいたいんですけど」
 あまり気乗りはしないながらも、武は了承の旨を伝える。そもそも、総合戦闘技術評価演習はわずか数日の間に行われる演習でしかない。その間に、訓練兵の特性を見極めて評価するなど、実際には雲を掴むような話だ。
 もちろん、武自身、自分がそこまで他人の能力を測れるような人間だとは思っていない。
「既に準備してある」
「早いですね……」
 灯夜の用意の周到さに呆れつつも、差し出された書類の束に武はざっと目を通す。人数としてはおよそ歩兵1個小隊……数字にして30名ほどだ。
「………能力は優秀な連中ばっかですか。正直、羨ましいです」
「実戦でそれを発揮出来なければ無意味だ」
 その1点においては武も激しく同意する。現在の衛士育成カリキュラムが生成されるまで、初陣の衛士が生き残る確率は1割ないし2割程度だった。

 平均生存時間は8分。8分で、初陣の衛士のほとんどは戦渦に散っていったのだ。
 それが「死の8分」。何千、何万という衛士が越えられなかった壁。それを越えられた衛士だけが、次の戦場へと身を投じることが出来る。

「帝国軍のカリキュラムは、極東国連軍と同じですよね?」
「極東国連軍が、帝国軍のカリキュラムを踏襲しているのだ。教官の個人差はあれど、大差はない」
「じゃあ、演習内容、俺が決めていいですか?」
「……………頼んだ手前、断わるわけにはいかぬ、か。分かった、その話はこちらから通しておこう。代わりに、それ相応の成果は期待するぞ」
 先ほどまで渋々といった感じだった武の突然の申し出に、灯夜は一瞬言葉を詰まらせたがすぐに了承してくれた。武としても乗りかかった船である。それに、今の所属は違えどもヴァルキリーズの方針は「やるなら徹底的に」だと武は思っている。
 ならば、遠慮する理由は1つもなかった。
「必要なものがあれば現地で用意させるが、何かあるか?」
「あります」
 優秀という言葉にやや厳しい意見を述べながらも、灯夜は武に対して特別必要なものがあるかどうか訊ねてくる。
 だから、武はそう即答した。
「腕の良い歩兵を1個小隊ほど。出来ればゲリラ戦に優れた者がいいですね」
「そんなものでいいのか? いや……そんなものを使って何をするつもりだ?」
 何か大掛かりな演習を想像していたのか、灯夜は武の要求したものを聞いて表情を変える。その思惑がはっきりと読み取れない、というような顔だった。
「斯衛軍士官にはなかなか分からない盲点ですよ。まあ、これだけの訓練成績を収めてる連中ですし、8割方はものにしてみせます」
「途轍もない数字だな……。尤も、各方面で活躍するお前の教え子の能力を見れば、ただの強がりやはったりではない……か」
 武の発言に驚かされ続けている様子の灯夜も、現実に挙がってきているデータの存在から1人で勝手に納得した。
 武としても別段、どんな目的で何をするのか隠すつもりなどなく、もう1度訊ねられれば答えようと思っていたのだが、彼が勝手に納得したのならばそれはそれでいいだろう、と生温かく見守ることにする。

 実際、斯衛軍からすれば恐らくさほど珍しいことではない筈だ。
 武個人としては、斯衛軍衛士のあの精強さは、単に“それ”が理由なのではないかと推測してすらいる。

「ところで………この車、どこに向かってるんですか?」
 結局、強引に連れ出されたことに変わりはない武は、灯夜と関口、両方に向けた形でそう問いかける。ただ話をするためならば、わざわざ車を走らせたりはしないだろう。
「帝都城だ」
「はあ? 公務に戻るなら俺を基地に戻してからにしてくださいよ」
 明らかに帝都の中で屈指の機密性を誇る施設に向かっているということに、武はさっさと解放して欲しいと懇願の意味も込めて言い返す。今日は、純夏の調子が良いようなら、軽い散歩に行こうと思っていたのだ。
 しかし、肝心の灯夜は眉をひそめ「何?」というような顔をした。
「………何ですか? その顔は」
「妙なことを言う。お前にとって重要なのは、これからだぞ?」
「はい?」
 即ち、白銀武が今、帝都城に連れてゆかれているのには別件の理由があるということ。
 今し方までしていた話が重要な取引だったのではなかったのかと、そこはかとなく嫌な予感を覚える武。そもそも、斯衛軍士官ですら自由に出入りすることの出来ない帝都城に、どうして国連軍士官である武が連れてこられなければならないのか。
 武の登城を許可出来る人間など、それこそ片手で事足りる程度の数しかいないだろうに。

「さあ、急ぐぞ。殿下がお待ちだ」
 普段の表情からは滅多に見られないような“良い笑顔”を浮かべた斉御司灯夜は、狼狽する武のことなどお構いなしに、そんな爆弾発言を投下してくれた。




 鬼籍に入った多くの衛士には、3つの墓標がある。
 1つは実際に散っていった戦場。多くの場合、彼らの棺桶である戦術機は、時と共に残骸も風化し、何も残らなくなってしまうが、確かにそこで彼らの肉体は朽ち果てたのだ。そういった想いを、殊更共に戦場で戦った者は大事にする。
 2つ目は、慰霊碑。戦争で逝った者たちを祀るその碑石は、社会的に彼らのことを刻み付けるという役割を持つ。斯衛軍や帝国軍の兵の場合は、九段の靖国に祀られることになるだろう。
 3つ目は、最も墓標としては小さな、されども最も墓標に相応しい、墓石。その一族の魂を鎮め、同じように祀る代々の墓は、その家族にとって非常に意味の深いものになるのだろう。また、ただ1人を偲ぶ場合も、大抵の場合は墓石を前に供養することになる。

 彼女 月詠真那は今まさにその状態だった。

 普段から着用する軍服のまま、手に持った菊の花を墓前に捧げ、ゆらゆらと煙を上げる線香の前で手を合わせる。
 そこは霊園ではあったが、あまり規模は大きくなく、それでもしっかり管理の行き届いた敷地だ。
「………命日でもないのに、こうしてお前の墓前で手を合わせるというのは不思議な感覚だな、楓」
 閉じていた目を開け、感慨深そうに月詠は呟く。
 この墓石に最も新しく名前の刻まれた者の名は双海楓。桜花作戦において唯一、オリジナルハイヴから生還出来なかった斯衛軍衛士。
 そして、月詠真那にとっては幼少の砌から親交の深い、数少ない親友でもあった。
「まったく……私に生き急ぎ過ぎだ、と叱責を浴びせた人間が先に逝くとは。あの時は敢えて何も反論はしなかったのだが、本音を言えばお前にだけは言われたくはなかったな」
 淋しげに苦笑し、月詠は一昔前のことを追憶して墓前で呟く。彼女から見れば、無二の親友の双海楓こそ誰よりも生き急いでいた。
 されども、彼女の仕える上官はあの九條侑香と斉御司灯夜。
 だから、どこか安心していた部分もあったのかもしれない。

 あの方たちの部下でいる限り、万が一のことなどない、と。

 それだけの能力を侑香と灯夜は有しており、またそれだけの才覚を双海楓という女は持っていた。
 もし彼女が生きていれば、恐らく第18大隊の将は彼女へ預けられたのではないかとさえ、月詠は思っている。
「ふふっ……また冷血女と蔑むか? 私だってこれでも人の子だ。お前の軽口にも少し傷付いていたのだが……そうだな、捻くれ者と言い返したのだから御相子か」
 正規兵となる以前から親しかった彼女とは、それこそ数え切れないほど笑い合ったし、また、罵り合った。お互いの気心が知れているからこそ、言いたいことを片っ端から言い合えていたのだろう。
 唯一無二の親友。月詠真那が何の飾りも取り繕いもなく、“月詠真那”として接してこられた数少ない相手。
 3年前に、月詠はそれを喪った。
「………どうして私ではなく、お前だったのだろうな」
 そう呟き、急に吹き抜けた突風になびく髪を押さえる。その表情は、確かな感情を表しているというよりも、どこか所在なさそうなものだった。
 今の言葉が誰よりも同胞に対する冒涜でしかないことを月詠も理解している。理解しているが、人の思考と感情はそこまで単純なものではない。どんなに強い者だとしても、出来るのは精々、取り繕うことのみだ。
「嗤うか? 楓。沙霧を斬った私が、お前に対し斯様な感情を抱くことを。幾千もの戦友の屍を踏み越えてきた筈の私が、冥夜様を戦地へと送り出すことを黙認してしまっている私が、お前の死に対して今も弱いままでいることを」
 墓石から目を逸らさず、そして澱みのない言葉で月詠は死者に問う。否、それは自問自答だった。
 自分自身が、本当に親友の死を受け入れているのかという問答。そこには回答などない。己しか知らぬことを己で悩んでいるのだから、堂々巡りを繰り返すだけだ。

 かつて彼女は、生き様と死に様について親友と対立したことがあった。
 生きていればそれで良いというものではない。人は生まれを選ぶことは出来ないが、少なくとも死に様は選ぶことが出来る、と。
 これは月詠の弁。摂家に仕える者として、帝国に従事する者として、そして何より1人の武士として、死に様が如何に重要なものか理解している。
 だが、それを聞いたただ1人の親友は、一瞬月詠の胸ぐらへ手を伸ばしかけた後、悲しげに、そして悔しげに口を結んで押し黙ってしまった。
 あの時、月詠には訳が分からなかった。
 同じ赤を纏う者同士、同じ志を貫いているのだと思っていたからこそ、彼女の反応に困惑してしまった。

 だが、今ならば分かる。

 12・5事件の決起部隊をこの手で斬り、佐渡島で散り逝く数多の同胞の姿を刻み、横浜基地がBETAに蹂躙されるのをただ必死に先延ばしすることしか出来なかった自分。
 対し、双海楓は京都の悲劇を眼前で目の当たりにした人物の1人。
 京都が燃えていたあの日、要人警護のために京都を離れていた月詠よりも早く、その地獄に遭遇した彼女は気付いていたのだ。

 この世界に、いったいどれだけの人間が死に様を選び取ることが出来ているのだろう。

 知らず知らずのうちに自分は自惚れていたのかもしれない。
 自分は、当然のことのように死に様を選び取ることが出来るのだと。
 だが、それは壊れた。
 親友がしかと、満足のゆく死に様を選び取れたのかどうかと憂いた時、堅固だった己の思想にわずかな綻びが生まれたのだ。

 無論、それが誤りだったと思っているわけではない。
 少なくとも、死に様を選ぶことが出来るのは確かなのだ。選択の自由があることと、選択の機会があることは厳密に言えば意味が異なるというだけの話。
 愚かだったのは自分自身。鬼籍に入る大半の人間が、自身の死に様を選ぶ余裕もなく散ってゆくのだという事実を失念していた己が何よりも愚かなのだ。
 死に様を選ぶなどという弁は、今を生きている者にしか言えない詭弁でしかない。
 必要なのは不言実行。この思想は誰かに諭すためにあるのではなく、自身を律するためにある。それを分からず、偉そうに物を言った自分が愚かだったのだ。

「どうしてあの時、私の胸ぐらを掴みあげなかった? 普段のお前なら、口と手が同時に出ていてもおかしくはないだろうに」
 そう言って、月詠は自嘲する。
「許せ。口が過ぎた。お前も私と同じように考えていたからこそ、そこで苦悩していたのだろう。それに気付けなかった私が幼かったのだ」
 表情を引き締めた月詠はそう告げ、墓前にて背筋を伸ばして敬礼を捧げる。弔うためではなく、ここに誓うために。
「お前が死に様を選び取れたのならば、私は逆に生きて生き抜こう。名もなき英霊となるのも厭わず、されども不屈の刃として、もう少しばかり生を謳歌してみせるさ」
 そう告げた後、口元を吊り上げて「私はこれでも負けず嫌いだからな」と月詠は付け足す。尤も、彼女がそうであることを知っている人物など、それこそ眼前で眠る双海楓ぐらいなものだったが。
「それでは、私は帰ろう。機会があればまた顔を見せにくる」
 月詠はここで初めて穏やかに微笑み、称えられることのない英霊たる親友にそう言葉を捧げた。そして1度青空を仰いだ後、墓前からおもむろに踵を返す。

「ふん、2度と来るなよ、真那。私はお前の顔など向こう30年は見たくないからな」

 ほんの2、3歩ほど歩いたところで、背後からそんな声がかけられた気がして、月詠は慌てて振り返る。
 当然のことながら、そこには誰もいない。平日の昼間とあってか、そもそもこの霊園には今、月詠しかいない筈なのだ。他の誰かがいることなどないし、たとえあったとしてもさして広くないこの霊園で月詠が気付かないわけがない。

 だが、不可思議なことに墓前に捧げた菊の花のうち、たった1輪だけが深々とお辞儀をしていた。

 謝辞か労いか、はたまた敬遠か、頭を垂れたその1輪が何を表現しているのか月詠の知るところではない。
 だが、今のがただの空耳ではないとすれば月詠が取る行動は1つしかなかった。

「ふっ……暇さえあれば来てやろう。覚悟しておけ、楓」

 記憶の中で不敵に笑っている親友に対し、同じように不敵に笑い返し、月詠はそんな捨て台詞を残して帰路につく。
 双海楓が「2度と来るな」と言うのならば、少なくとも月に1回くらいは顔を出してやろうと月詠は心に決める。

 何故ならば、月詠真那という女は双海楓という女に負けることが最も嫌いだから、だ。



[1152] Re[35]:Muv-Luv [another&after world] 第35話
Name: 小清水◆2e19c93f
Date: 2007/08/05 23:17


  第35話


「きちんとお話しするのはこれが初めてですね、白銀中佐。わたくしは62中隊の中隊長を任されております伊藤です。ここからはわたくしたちも一緒にご案内致しますわ」
 帝都城の門扉を潜ったところで待っていた、艶やかな長い黒髪の女性がそう言って頭を下げた。纏っているのは見紛う事無き真紅の軍服だが、丁寧に会釈するその態度はまるで摂家に仕える女中のようである。
 挨拶が敬礼ではないのは彼女の人柄か、あるいは軍人として見られていないのか判断に迷うところだ。
「九條大佐の警備小隊長ですよね?」
「お察しの通りでございます。わたくしは同時に第6警備小隊の将も任されておりますので、以後、お見知り置きを」
 武が問い返すと、伊藤はやはり柔らかい物腰で頷き返す。それでも尚、付け入る隙を感じさせない雰囲気は、流石九條侑香付きの警護兵であるといったところか。
「白銀は、神代とは顔見知りであったな?」
「はい」
「存じ上げています」
 斉御司灯夜に問われ、武ともう1人、伊藤の傍らに立つ小柄な士官が答えた。
 純白の軍服を纏うその人物は神代巽。言わずと知れた第18大隊の副長だ。ある意味では武にとってこの中で最も気心の知れた相手である。
 そう、ある意味では。
「私はこの後、私用で本家まで戻るゆえな、殿下の下までは関口らに案内させる。帝都城内は魔窟ゆえ、はぐれると迷うぞ」
「ちゅっ……注意します」
 灯夜の本気とも冗談とも取れない言葉に武はやや狼狽しながら頷き返す。だが、よくよく考えてみれば彼が日常を過ごす横浜基地も、外来から見れば充分過ぎるほどに魔窟だろう。
「それでは関口、伊藤、後のことは任せる。神代もまだ城内を闊歩するのは不慣れであろうが、気張らず楽にこなすと良い」
「はい。ありがとうございます」
 灯夜の言葉に神代は再び敬礼。それに笑顔を返し、彼は武に視線を戻す。
「ではな、白銀。お互い、世間話は次の機会としよう」
「その時は食事でも酒でも付き合いますよ」
 彼の言葉に武がそう返すと、灯夜はふっと可笑しそうに笑った。
 そしてそのまま踵を返し、来た道を引き返してゆく。本当に彼は武を帝都城に送り届けるためだけに来たのだと理解し、武は驚きを通り越してやや呆れてしまった。
「……つーか、関口大尉、送らなくていいんですか?」
 灯夜の背中を見送りながら、武は1つ気になったことを訊ねる。灯夜が外出するというのに、その警備小隊を率いる関口が傍を離れるというのは不自然だった。
「警備小隊はあくまで大隊指揮官の公務執行時における警護を司ることが本意であって、私用まで随伴する権利も義務もあらへんよ。それに、その辺りは斉御司の私兵の出番やろ?」
 軽く肩をすくませ、関口は困ったように笑いながら答える。加え、「あたしゃ、所詮は橙だからねぇ」と言ってため息も漏らした。
 その言葉の意味は理解出来るが、武としては少し腑に落ちない。
 斯衛軍の軍服及び武御雷の配色は、冠位十二階の色に従って決められていることはあまりに有名な話だ。

 将軍にのみ許された紫紺。
 摂家にのみ許された蒼青。
 摂家から枝分かれした分家に与えられる真紅。
 かつて巨大な領土を支配していた大名、あるいは有力武家が纏う山吹。
 主に小大名や、あるいは小規模の武家の血筋が着ることの出来る純白。
 そして一般家庭出身者が纏うことの許される唯一の色、漆黒。

 どんなに実力が拮抗しようと、社会的に真紅と山吹の間には越えようのない壁があった。
 だが、斯衛が軍である以上、階級は蔑ろには出来ない。警備小隊が斯衛軍に付属するものである以上、単純に“色”の差異で配役を決めるわけにはいかない。
 つまり極論だが逆に、真紅以上に関口がその権限を余すところなく行使出来るのは軍内部あるいはそこから命じられた任務の折のみとも言える。
「伊藤大尉は九條大佐と一緒じゃなくていいんですか?」
「そちらには栢山がついておりますし、それに、大佐は只今、斉御司本家の邸宅におられますから、心配は不要でございましょう」
「そんなもんですか」
「そんなものです」
 やや腑に落ちない表情で武が相槌を打つと、伊藤はふふっと優しく笑って頷き返す。
 流石は第6大隊の名将、九條侑香の右腕。笑みを絶やさないことで、表情から心中を悟られないようにするところは侑香とよく似ている。その点において言えば、伊藤というこの女はその実、月詠真那とは比較にならないほど狸だ。
「九條大佐も斉御司少佐も煩わしいのが一番嫌いなんや。まあ、あたしらも少しは自重して欲しいって思うこともあるんやけどね」
 対し、素の口調でやや困ったように笑うのは関口の方である。月詠や伊藤に比べればかなり無頓着そうな彼女も、灯夜の向こう見ず加減にはやや振り回されているようだ。気苦労が絶えなそうなところは、腐っても斯衛軍といったところだろう。
「伊藤大尉、既に殿下はお部屋でお待ちです。すぐに向かいましょう」
 いつまでも会話を続ける武たちを見兼ねたのか、神代がそう提言する。かつては武もその生真面目さが煩わしく感じていたが、今は寧ろ助かるくらいだ。斯衛軍といっても所属部隊や個人によって随分と人柄が違うようである。

 それでも変わらないのは、彼らが一様に一騎当千の兵であるということ。

 彼らは常時800人にも満たない、帝国軍の最精鋭なのだ。個体の戦闘力ならば、国連軍人のそれとは比較にもならない。
「そうですね。斯衛士官として殿下に対し礼を失するのは大罪です。早急に責務を果たすと致しましょう」
 ほんの少しだけ表情を引き締めた伊藤が神代に頷き返し、武を見返す。決して無表情というわけではないのに、表現のふり幅が異様に小さかった。
 それを見て彼も再認識する。
 武では腹の探り合いなど彼女の相手にもならないだろう、と。
「それではわたくしが先導致します。関口大尉と神代大尉は殿をお願いしますね。白銀中佐がはぐれてしまわないよう、しっかりと見張っていてくださいませ」
「子供ですか、俺は」
 再び口元を緩め、可笑しそうに笑う伊藤の言葉に武は軽く肩をすくませる。思わず関口と神代の2人に視線を向けると、前者はきょとんと不思議そうな顔をし、後者は困ったように表情を曇らせながら武と同じように肩をすくませた。

 その瞬間、初めて武は神代がいてくれて良かったと思った。
 彼女がいなければ、武はたった1人でこの2人の相手をしながら、この魔窟を行軍しなければならないのだから。

 歩き出す伊藤の背中を見つめながら、武が考えることはただ1つ。
 平穏無事に横浜基地に帰れますように。
 それだけである。




 武が招かれた一室は、帝都城の比較的高い階層にあるやや広めの部屋だった。そこには家具らしい家具はほとんど置いてなく、唯一室内にあるのは白いテーブルと、それを囲む白い椅子のみ。
 開け放たれた窓からは柔らかな風が吹き込み、今日の麗らかな陽射しが室内に差し込んでいる。大理石で出来ているのかどうか武の知るところではないが、光沢のある床はその光を反射させて淡く輝いていた。

 透明な世界。そう表現するのが最もそれらしい場所だった。

 そして、その向こう。淡い陽光差し込む窓辺に置かれた洋風の白い1つのテーブルと2つの椅子。その椅子に腰掛け、彼女は待っていた。
「お待たせ致しました、殿下。白銀中佐をお連れ致しました」
 彼女 煌武院悠陽が顔を上げるよりも早く、彼らを代表してやや前に進み出た伊藤が悠陽に対してそう報告する。凛然と敬礼するその姿は、ここまで武を案内してくれた物腰柔らかな女性と同一人物とはとても思えない。
「御苦労様です、伊藤。それに関口と神代も。今日はもう下がって、ゆるりと休息すると良いでしょう」
「勿体無き御言葉でございます。ですが、我々は殿下の警護も仰せ付かっております。無礼ながら、御傍に控えさせていただきます」
 伊藤の言葉は実に武の予想通りのものだった。少なくとも武の知る斯衛軍人には、悠陽からそんな言葉を賜っても素直に頷く者はいない筈だ。当然だろう。身内ならばともかく、国連軍人である武と悠陽を2人きりにさせるなど、部外者である武の目から見ても、正気の沙汰ではない。
 だから普通ならば社交辞令。悠陽は彼らが首を縦に振らないと分かっていながらも、自分の言葉でしかと労いと気遣いの言葉をかけるのである。

 かける筈なのだが、どういうわけか今回に限って悠陽はほんの少しだけ困ったように笑ってため息をついた。

「どうしても、ですか?」
「どうしても、でございます」
 確認し直すように訊ねる悠陽に対し、伊藤は姿勢を正したまま即答する。それに悠陽はやや眉をしかめるが、更に問い返すようなことはしなかった。
 どちらにしても平行線。聡明な悠陽が、伊藤たちが務めを果たすことを無下に出来る筈もなく、また同時にどうしても譲渡する気分になれていないようだ。
「殿下」
 そこで武は状況を打開するために手を挙げた。彼のその行動には、声をかけられた悠陽だけではなく、状況の推移を静観していた関口や神代も驚いたような視線を武に向ける。
「申し訳ありません、白銀。見苦しいところをお見せしましたね」
 悠陽はそれが何か抗議の意味だと判断したらしく、椅子から立ち上がり、謝罪の言葉と共に武に対して頭を下げる。そんな言動を取られたことで、武も慌てて次の言葉を紡いだ。
「いえ、今の話のことですけど、関口大尉は一応、俺の警護もついでにやっててくれてるんで、殿下に拒否されてしまうと俺も無防備になっちゃうんですよ」
「そっ……そうなのですか?」
「はい。斉御司少佐より、帝都城内は勿論のこと、帰りは丁重に横浜基地までお送りするように仰せ付かっています。警備小隊を丸々動かすことは出来ませんので、可能であれば伊藤大尉と神代大尉にも手を貸していただけると助かります」
 困惑気味に関口に訊ね返す悠陽に、関口も半分は武に合わせた形で答える。実のところ、彼女はそこまで厳密な命令は受けていないのだが、恐らく話の流れから頷いておいた方がいろいろと都合が良いと判断したのだろう。

 尤も、そうでなくては武の気遣いも報われない。

「……分かりました。当方まで出向いて頂いた以上、白銀の安全に配慮することは然るべきことです。関口、そなたの任を果たしなさい」
「はっ!」
 一転し、充分に理解したというような雰囲気で関口に警護の指示を出す悠陽。彼女の性格から言えば、頷かざるを得ない話だろう。
 ちらりと武が他の2人に視線を向けると、神代は悠陽が納得してくれたことに胸を撫で下ろしていた。対して、伊藤の方はそもそも武がそう口を出すことを待っていた節があり、顔色1つ変えず、武に会釈を返す。
「じゃあ、中の警備は神代大尉に御任せするよ。あたしと伊藤大尉で外をするから」
「え?」
 安堵したのも束の間、関口が言い放つ言葉に神代は目を丸くして唖然とする。ここまで一方的に狼狽させられている彼女を見るのは、武としては少し新鮮な感覚だった。
「妙案ですわね。神代大尉、御二人の警護をしかと御頼み致しますよ」
「いっ…伊藤大尉!? 私よりも、御二人のどちらかが殿下の御傍に控えるべきでは!?」
 にっこりと笑って関口の提言に乗る伊藤。まさか自分にそのような話が振られるとは思っていなかったのか、神代は更に狼狽する。
 神代は色こそ白で、3人の中では最も階位が低いが、関口や伊藤と同じ大尉階級にある士官だ。だが、あの2人はどちらも神代の上官である月詠と同期。
 だから、神代が2人に対して強く出られないことは当然のことである。

 武は、面白そうだからこの件についてはとりあえず静観を続けることに決めた。

「何で? 外で守る方が重要やん? ま、安心せえや、神代大尉」
「そういうことです。御安心ください、殿下。周辺は我々がしかと固めますので、何かお申し付けの際は神代大尉に御願い致します」
「分かりました。神代、お願いします」
 そう告げられながら両肩を関口と伊藤にそれぞれ叩かれ、悠陽からは微笑みかけられては、神代にも退路はないようだった。武はそんな彼女の姿に、どういうわけか途轍もない親近感を覚える。
 決して助け舟は出さないが。
「ぎょっ……御意。神代巽、煌武院悠陽殿下………と白銀中佐の御傍付きに着任します」
 一瞬、複雑そうに武を一瞥した神代は、やや長い間を置いて悠陽の隣に武の名前を並べる。嫌ならば特に言わなければ良いのに、と武は肩をすくませた。
 尤も、それが斯衛軍人らしい律儀さだろう。恐らく、彼女の上官である月詠ならば寧ろ皮肉のように並べてくれるに違いない。
 そう考えれば、神代を前に押し出している例の2人は少々緩過ぎるというものである。
「白銀中佐。神代大尉共々、殿下のことをよろしく御願い申しあげます」
「努力はします」
 伊藤の言葉に武は苦笑気味に答えた。彼女のその“御願い”はそもそも、前提から間違っている。
 彼女たちが議論していたのは、“悠陽が武と話すに当たって護衛をどうするか”、だ。つまり、悠陽の安全確保が最優先目標である彼女らにとって、副次目標は有り体に言って武の監視である。
 そんな監視対象に対して“御願い”されては、当人である武はそう答えるしかなかった。
「それでは殿下、それに白銀中佐。我々はここで失礼致します。外から入り口を固めますので、万が一何かあれば大声を出してください」

 関口のその言葉に順じ、2人は同時に会釈をして退室。そうなったことで、急に室内に静けさが戻った。

「腰掛けなさい、白銀。遠慮せずとも良いですよ」
 不意に、柔らかく笑った悠陽が武に着席を勧めてくる。普段からここまで無防備な筈はないだろうな、と思いながらも武は笑い返し、勧められた椅子に腰を下ろした。
 神代の立ち位置は、テーブルから少し離れた壁際。この部屋にあるただ1つの窓の横であり、彼女の身体能力ならば2秒も待たずして武に飛びかかれる距離だろう。
 無論、警護の観点から言えば2秒弱の遅れは致命的だが、それも敵が何らかの凶器を有している場合に限る。
 少なくとも、この帝都城に入る際に身体検査をされた武が“もし”悠陽に危害を加えるとしたら、手法は身体一つで羽交い締めにする他ない。それでは、殺害に至る前に逆に殺されているだろう。
 また、神代の立っている場所は控え目に見えて実に合理的だ。ただ1つしかない窓を押さえることで、武の脱出経路を完全に断っている。
「どうしました?」
 1度室内をぐるりを見回した武を不思議に思ったのか、悠陽がそう訊ねてくる。
「いえ、ちょっと珍しがってるだけです」
 対し、武は苦笑して答えた。斯衛である彼女らが行っているのは、あくまで抑止効果しかなく、根本的な原因の排除には至っていない。もし武がテロリストで、自爆テロも厭わない人間であれば彼女たちの対応では極めて不充分だろう。
 だがそれでも、彼女らは斯衛軍人。正式な客人とあって、武のことを友好的に歓迎してくれる傍ら、城内に入ってから監視の目は確かに厳しかった。
 ここまで案内される道中、伊藤はあくまで“武がはぐれないように”という名目で関口と神代を殿につけたが、あれも実際には武の監視が最大の目的である。
「本日は申し訳ありません。呼び出すような形になってしまって……」
「こうやって殿下に呼び出されるなら、そりゃある意味じゃ光栄な話でしょう。気になさらないで結構ですよ」
 向き合うと同時に、まず謝罪の言葉を述べる悠陽に、武は軽くかぶりを振りながら応じる。この国には、こうやって悠陽と向かい合って話したがる人物は多いだろう。その機会が自分に回ってきたと考えれば確かに貴重なことだ。
「それに、お礼を言うのはこっちです。甲11号目標のことも、うちに配される新しい機体のことも、帝国にはお世話になりっ放しですし」
「それによってBETA大戦に終止符が打たれるのならば、当方にとって不利益にはなりません。それに白銀、そなたの活躍は少なからず帝国軍人の士気向上にも繋がっていますので、これは正当な取引ですよ」
 逆に武が頭を下げると、悠陽もかぶりを振って微笑んだ。そう言ってもらえれば、武の心配も少しは和らぐ。尤も、それに従って重圧も増してゆくというものだが。
「甲11号目標の攻略作戦の話は朝霧より伺いました。設立から3ヶ月でこれだけの偉業を成せたことも、そなたの努力の賜物なのでしょう」
 悠陽はそう言いながら、ティーポットから空のカップに紅茶を注ぎ、武に差し出す。今自分は途轍もなく畏れ多い体験をしているのだろうな、と武は思ったが、何も言わずにそれを受け取った。
「俺の……というか、部下の努力の賜物ですね。俺がやったのは精々、後ろからハッパをかけることぐらいですから」
「同時にそなたは前に立ち、人々を先導するのでしょう。それを両立させることが如何に困難なことか、そなたほどの者が気付いていない筈はないと思いますが?」
 即座にそう窘められ、武は「むう」と唸り声を上げる。
 高々、というのはやや自分の部下たちに対しても失礼だが、1個連隊の将と一国の国事全権総代では背負うものの意味が違い過ぎる。だから、彼女からそう言われることは武にとって誇れることであり、同時に自分が本当にそれほどの人物なのか疑わしいことでもあった。
「納得が出来ないというのならば、それも良いでしょう。自己評価とはその実、己で下すものではなく、他者から下されるものです。しかし、そなたが評価されるということは、ひいてはそなたの部隊、そなたの部下が評価されていることに繋がるのだということも、ゆめゆめ忘れぬように」
「……はぁ……殿下には敵わないです。そうですね、もう少し考えてみることにします」
「よしなに」
 参ったというように1つ、大きなため息を漏らして武が頷くと、悠陽は満足したのか口元を綻ばせて頷き返す。
 自分だけの話ならばまだしも、仲間の、殊更部下のことまで引き合いに出されては武も納得せざるを得なかった。無論、悠陽の言い分が間違っていると感じているわけでもない。
「……それで、殿下。本日はいったい如何なるご用件で?」
 少し間を置き、わざとらしく気取った態度で武はそう訊ねる。不敵そうな表情は、彼にとってのせめてもの反撃だった。
「親しき友と久方振りに会うことに理由が必要でしょうか?」
「それは必要ないですね」
 一転し、唇を尖らせてやや不機嫌そうな顔をする悠陽に、武は可笑しそうに笑いながら答える。あのような連行のされ方で、正式な謁見だと言われたら流石の武も城内省の運営方針を疑うところだった。

 否、実際のところ、彼は既に若干疑っている。

「向こうでの生活は如何様ですか? 生活面でもこちらで何か力になれれば良いのですが……」
「心配は無用ですよ。順応性には自信ありますし、何せもう3ヶ月も向こうで暮らしてますからね」
 気遣いを見せる悠陽の言葉に武は苦笑気味に切り返す。彼女の心配はありがたいのだが、その立場を考えれば武個人に何か施すということなど叶わない。
 無論、武本人としてもそんなことをされては困ってしまう部分も多いだろう。

 それにしても、彼女は意外と面倒見が良いのだろうか。

 やけに心配そうな面持ちの悠陽に武はふとそんな疑問を持つ。彼女の役職は、心配性では務まるものではないと思うが、その辺りは公私の使い分けなのだろう。
 流石は冥夜の“姉”といったところ。
 他人の変化の機微には敏感である。

「俺としては、向こうにいる間、こっちのことが心配でしたけど、日本も変わりないみたいで安心しました」
 武はそう言葉を続ける。
 帝都城に至る道中に見た帝都の喧騒は、自分の知るそれと変わらず、寧ろ更に賑わいでいるようにすら思えた。それを確認出来たことは本当に嬉しいことである。
 ただ、武にとってそこに至るまでの過程は甚だ不本意なものだったが。
「大陸東岸の制圧から久しいですからね。今は九州も含め、各地方都市でも復興の兆しが見え始めています。本土防衛軍の一部も復興支援に回していますから、近い将来、国内の機能はBETA上陸以前のものに戻るでしょう」
 悠陽も心から嬉しそうに笑い、言葉を紡ぐ。彼女にしては珍しく、まるで子供がプレゼントを貰ったかのような無邪気な笑みだ。

 彼女が将軍の地位についたのは、京都防衛戦の折に煌武院家の先代が鬼籍に入ってからだ。斯衛を率い、最期までBETAと戦い続けた彼は当時の当主衆の中では唯一の戦死者だった。

 いくら極めて低いとはいえ、五摂家の当主衆で唯一戦場に立つ可能性のある将軍とはそういうものである。

 悠陽がそこで煌武院の家督を継ぎ、そのまま政威大将軍へ推挙された。意外にも、彼女を推したのは将軍職につく権利を持つ他の当主衆である。
 勿論、そこに何一つ後ろめたい思惑がなかったとは言えないだろうが、客観的に見ても彼女の着任は比較的、理に適った人選であったことも間違いはないだろう。

 1つ、煌武院悠陽は若輩ながら政の才に優れていた。
 “いつかは着任することになるのだから、今のうちから経験を積ませるべき。慣れぬうちは我ら老兵が手を貸してやればよかろう。そのための枢密院じゃ”
 これは斉御司家当代の弁。

 1つ、当時、他の当主衆に適齢者がいなかった。
 政務の経験という点において言えば枢密院の長老たる当代斉御司や、先代崇宰に並ぶ者などいなかったが、政威大将軍は国事全権総代であると同時に斯衛軍の頂点である。
 既に武御雷のプロトタイプが設計されていた当時、彼ら老兵が入る余地など微塵もなかった。

 そこには、京都防衛戦における斯衛軍の被害の甚大さも一役買っている。
 当時、京都守護全般を司っていた斯衛軍は当然、BETA侵攻に際して京都を出撃。旧舞鶴自動車道に沿って防衛線を展開したが、敵の物量の前に敢え無く潰滅。帝国軍の残存兵力と併合して京都でBETAを迎え撃ったが、結局それも敗走に終わった。
 結果として当時、主戦力を担っていた20代後半から30代にかけてのベテラン兵はほぼ全滅し、残ったのは極一部の老兵と鬼才の士官、そして経験乏しい若輩者たちだけ。
 そこから城内省が斯衛軍の機能を復旧させるために取った手段は、武家以外の者からの広い登用と、才溢れる若者の一斉昇進だ。
 これによって斉御司家や斑鳩家、崇宰家は家督相続を先送りにすることを余儀なくされ、悠陽の将軍職着任はより濃厚なものとなったのである。

 煌武院悠陽は四季に映える京都の美しい景色を知りながら、それを失った代の日本を纏めなければならない。
 だから彼女にとって、日本がかつての姿を取り戻すことは何よりもの悲願なのだ。
「………俺も見たいですね。かつての風景を」
 ほんの少しだけ淋しげに笑った武は、それでもそれに同意する。
 “かつて”とは如何なる意味なのか。それは武本人にもよく分からなかった。
 この世界における“かつて”なのか、それとも白銀武にとっての“かつて”なのか。
 またあるいは、シロガネタケルという存在にとっての“かつて”なのか。
 叶うものならばすべてが見たい。だけどそれは少なくとも同時に成立し得ない事象でもある。

 なら、自分は選べるならばいったいどれを選ぶのだろう。

「ま、機体も提供してもらえたことですし、その日が1日でも早く来るように努力させていただきます」
 そんな心中を悟られないように表情を取り繕った武は、くっと拳を軽く掲げて決意を示す。彼の持つこの悩みは、誰とも分かち合うことは出来ない。“かつて”と呼べるものが多過ぎる彼にとっては仕方のないことだ。
「感謝致します。ですが、くれぐれも無理はなさらぬように。そなたに何かあれば悲しむ者が数多くいます」
「なかなか難しいことを仰る。まあ、でも、俺は自堕落な人間なんで心配要りませんよ」
「戦場でも同じことが言えますか?」
 簡単な冗談で切り替えした武に、悠陽は鋭い一言を打ち込む。彼女のその言葉で武は口を閉ざし、代わりにその紫の瞳を真っ直ぐ見返す。彼がいつか向けられたものと同じような、すべてを見透かされているような錯覚を覚えさせられる瞳だ。
 痛いところを突かれた、とは武も思ってはいない。
 元より彼は最前線で戦うことを求められる存在だ。そこでは安全など何一つ約束されていない。だから、心配要らないなどという言葉はこれ以上ない詭弁でしかないのだ。
「今の問いには答えかねます。というか、殿下、今の言葉は衛士に対する侮辱です」
「承知しています。ですが、そなたは誰よりも存在感を放つと同時に、誰よりも儚い。そのような気がするのです」
 目を伏せ、それでも悠陽は確信を持った口振りで答える。

 他人が儚いと言うのならば、きっと自分は儚いのだろう。

 武はそう思う。先ほど彼女が言ったように、評価とは己で下すものではなく他人から下されるものだから、だ。
 だが、それを簡単に容認するほど武は物分りのいい人間でもなかった。
「………俺は元々、そんな出来のいい人間じゃなかったんですよ」
 不意に武がそう語り始めたので、悠陽は小首を傾げる。それにも構わず武は続け、「今だって碌な人間じゃないんですけどね」と自嘲気味に付け加えた。
「そんな俺に教授してくれた人もたくさんいます。一番の恩師は多分、神宮司軍曹だと思いますけど、本当に、数え切れないほどのことを、数え切れないほどの人たちから教えられてきました」
 一つ一つ言葉を選び、確かめるように武は紡ぐ。悠陽は武の意図が読めないようだったが、それでも紡がれる言葉の続きを黙って待っている。
「……それぞれの立場に立って、ものを見ることが出来れば、各々が拠り所とする正しさも見えてきましょう。そして……悲しいことですが、それら全ての者たちの望みを満たす道が、常に前に有るとは限りません」
 その言葉に、悠陽の顔色が変わった。傍目にも明らかに分かるぐらい、何か途轍もない不意討ちを受けたような表情だった。
「俺が多分、自分のあり方に一番悩んでいた時に支えられた助言だと思います。生意気かもしれませんけど、俺はこれでも今日まで切り捨てなきゃいけないものを切り捨ててきました。たとえそれが、人の命でも」
 悠陽の表情が変わったことにもまた構わず、武は更に言葉を続ける。感慨深いものだったが、彼はその感慨深さを一切表情には出さず、敢えて無表情を装い続けた。
「もし、俺のために泣いてくれる、そして俺にとって大切な人を守るためにこの命が必要だと言うなら、きっと俺は挺身するんだと思います。どんなに泣かれようが、どんな雑言を浴びせられようが、それは厭いません」
 悠陽は尚も無言だった。だから武は一方的に言葉を投げかける。
 それは彼女に対する回答なのか、自分に対する自答なのかは彼自身にもよく区別出来ていない。それでも、武はそう明言することが出来た。

 ただ、世界を救うと。ただBETAを討ち滅ぼすと誓いを掲げていた頃の幼稚な自分とは違う。漠然と終わりを経験したつもりになっていた青二才の頃とは違う。
 いつかきっと訪れる己の最期に、武は明確な覚悟と意志を持つことが出来ている。

「上等じゃないですか。俺のために泣いてくれるような人を生き残らせることが出来るなんて」
 最後にもう1度笑って、武は言葉を締め括る。
 戦渦に身を投じた衛士として、これ以上の散り様はない。
 勿論、何の犠牲もなく、ずっとみんなで笑い合える日々が続くのならば最高だ。だが、数ある未来の中で、その結末に辿り着く道順はたった1つしかない。
 それを目指すのは構わない。しかし、それに縋るのは間違いだ。
「まあ、本当に最後まで守り抜くには、添い遂げるくらいの覚悟が必要なんですけどね」
「……そなたにそれだけのことを言わせる人物……。それは恋人ですか?」
「ええ、まあ……幼馴染みで恋人です」
 彼女のそう問われ、武は照れ臭そうに鼻の頭を掻きながらも頷く。それに悠陽は1度目を伏せた後、ほんの少しだけ困ったように笑った。
「まったく……よもやあの時の言葉をそのまま返されるとは思いませんでした。少々腑には落ちませんが、そなたがその言葉を覚えていてくれたことで善しとしましょう」
「昔よりは頭も回るようになりましたよ。これでも、物を教える立場にありますから」
 肩をすくませ、とりあえずは納得してくれた様子の悠陽に武は笑い返す。それでようやく、彼らはお互いに声を立てて可笑しそうに笑った。
「殿下」
「どうしました?」
 その時、部屋の外にいる関口から声がかかった。悠陽もすぐにそれに応答し、何かあったのかと問いかける。
「紅蓮大将と朝霧中将がいらっしゃっています。どうやら、耳聡くも白銀中佐の登城の話をどこからか聞きつけたものと」
「関口、とりあえず後であたしと話そうか?」
「冗談です、すみません、許して下さい」
「何故怒る? 朝霧。耳聡く聞きつけてきたことは事実――――――ぐあっ!?」
「つまらないこと言うと殴りますよ? 紅蓮大将」
「中将、既に殴られておりますが……」
 ドアの向こうでは関口と伊藤に加え、訪問者である紅蓮と朝霧が賑々しく言葉を交わしている。壁一枚隔てているが、聞こえてくる会話から彼らのやり取りの光景が目に浮かぶようで、武と悠陽は1度目を見合わせた後に、ぷっと吹き出す。
 それにしても、朝霧は少々茶目っ気があり過ぎる、と武は再認識した。年齢は武の直属の上官であるレナ・ケース・ヴィンセントとほとんど変わらないだろうが、朝霧の方がずっと妙なところで子供っぽい。
 ただ、頼れるか否かはさて置いて、後者の方が武としても取っ付き易いため、より好きな部類の人間である。
「神代」
「は」
 くすくすと小さく笑いながら、悠陽は神代の名を呼ぶだけで指示を与える。意図を理解した神代はすぐに応答し、ドアまで歩み寄ってそれを開け放った。
「殿下、白銀中佐、御歓談のところ誠に申し訳ありませんが、失礼致します」
 神代によってドアが開けられると、誰よりも早く入ってきた朝霧が恭しく一礼し、まるで先ほどまでの外でのやり取りが嘘のように丁寧な口調でそう言う。
 その後ろでは一騎当千の武士 紅蓮醍三郎が、背中を丸めて無言で左脇腹をさすっていた。
 つまり、朝霧は顔面ではなく緩んでいた脇腹に肘鉄を喰らわせた、ということだろう。恐ろしい人だ。
「お久し振りです、紅蓮大将。朝霧中将もわざわざすみません」
 武は立ち上がり、敬礼をしながら2人に挨拶をする。いくら休暇中といっても、いくら私用でここを訪れたとしても、軍人である武にとって入ってきた2人は上官だ。この対応を蔑ろにするわけにはいかない。
「XM3の件で会った以来だな。だが、そう気張らずとも良かろう。今日の御主は殿下の正式な客人であろう?」
「紅蓮大将の言う通りよ。国連軍人が登城なんてまたとない機会なんだから、武君は今日ぐらいもっと堂々としていないさいな」
 同じように敬礼を返しながらも、紅蓮は武に対し気遣いの言葉をかける。それに続いて朝霧もにっこりと笑って、やや冗談めいた口調でそう告げた。
 しかしながら、紅蓮と朝霧は尊敬すべき先達だ。軍人という立場を差し引いても、武と彼らの関係が覆ることなど有り得ない。
 だから、武はそれに苦笑だけ返して椅子に座り直した。それが彼の最大限の譲渡である。
「白河少将もお元気ですか?」
「奴は今、戦線視察で沖縄に飛んでおるよ。甲16号から近いというわけではないが、往々にして島は守り難い故のう。観測体制を中心に、逐一監査を入れねばならんのだ」
 武の問いかけに、2つに割れたその大きな顎をさすりながら紅蓮は渋い表情で唸る。
 中国の旧重慶に建造されたH16は現在、唯一極東絶対防衛線に接するハイヴである。ここを落とせば、人類は大戦史以来初めて大陸東岸の完全奪還を達成する。
 同時に、ここから東進するBETAは日本にとって最大脅威でもある。
 尤も、BETAがここを出立して日本に侵攻するためにはまず、台湾を通過しなければならない。極東防衛線を構成する彼の地域を陥落させるのは、今のBETAでは難しい筈だ。
「次の帝国の目標は甲16号ですかね?」
「さてのう。客人に漏らすには些か物騒な話題じゃとわしは思うのだが?」
 武に紅蓮は言葉でははぐらかすが、片目を瞑って不適に笑うその姿は、まるで肯定している態度のようにも見えた。
 いくらH16が沿岸部ではないとはいえ、制圧済みの朝鮮半島から行軍というのは実に現実的ではない。台湾との共闘も加味すれば、台湾海峡を渡って上陸し、野営を行いながら重慶に進軍を仕掛けることが最も妥当だ。
 それを総合的に考えれば、出撃部隊は最終的に沖縄に集結させることが前提になる。
 寧ろ、それくらいのことでなければ、白河幸翆ほどの大物が査察に向かう意味が少ないだろう。

 無論、単純な監査という目的で向かうことに意味がないとも言えない。
 目の前の紅蓮も、かつて……ちょうど12・5事件と呼ばれる政変が起きた時期には九州戦線の査察で帝都を離れていた。
 しかしながら、帝国にとってH16と、朝鮮半島にあったH20の警戒基準が異なっていたこともまた事実。

 だから、今回の白河の査察にはもう1つ別の、例えば“何らかの大きな作戦”に準ずる目的も含まれているのではないかと武は推察していた。
 それも結果として、紅蓮の表情と口振りから確信へ変わるのだが。

「白銀、紅蓮、本日はそのような話をするために呼んだのではありませんよ」
 武と紅蓮がお互いの表情を読み合っていると、向かいに座った悠陽からやや批難がましい言葉がかかる。彼女の表情もどことなく拗ねたようなものだ。
「あっと……すいません、殿下」
「失礼しました、殿下」
 彼女に睨まれるような形となり、武と紅蓮は同時に頭を下げる。流石に満足気、というわけにはいかないが、それには悠陽も納得したように頷いた。
「武君も大変ね。こっちに戻ってきたと思ったら、近いうちにマレーシアに飛ぶんでしょ?」
「まあ、せっかく機体が貰えるんですから、先方に挨拶するのは礼儀でしょうし。それに、あちこち駆け回るのは国連軍の十八番ですから」
 続いて朝霧が頬に手を当て、まるで我が事のようにため息を漏らしてくれる。彼女は基本的に人情家なのだ。付き合いがそう長いわけではないが、これまでの言動を見てきてそれは武にも充分に分かった。

 いや、初めて言葉を交わした時から、武は直感的に悟っていた。
 何か、絶対的な温かさを持っている人なのだ、と。

「でも向こうは甲17号から地続きだし、気候もこっちとは違うからいろいろ心配だわ。体調管理はしっかりしてね、武君」
「どこまで俺は子供扱いされなきゃならないんですか?」
「白銀、朝霧は普段、私のことも子供扱いするのですよ」
 初めて子供を1人で買い物に行かせる母親のような心配をする朝霧。そんな彼女に呆れたように武が言い返すと、悠陽から意外な言葉が返ってきた。
 一国の国事全権総代を子供扱いなど、そうそう出来ることではない。
「まあ、殿下のことは幼少の頃より存じ上げておりますので。無礼とは思いますが少しは年長者らしい態度も取らせていただいております」
「良い。少なくとも、それを煩わしいと思ったことはありません。朝霧、これからも御願いしますよ」
「御意に」
 悠陽の言葉に朝霧は深々と一礼する。武のような第3者の手前、どこまで取り繕っているのか判断し難いが、恐らく本当に公式な場以外では柔軟に接しているのだろう。
「さてと、それじゃあ、武君の顔も見られたことだし、そろそろおいとましましょうか」
 1度悠陽と目を合わせ、微笑んだ朝霧は手を打ってそう言った。
「何じゃ? あれだけ強引に登城した割には、殊の外あっさりと―――――――」
「つまらないこと言うと捻りますよ? 紅蓮大将」
 言うが早いが、即座に朝霧は紅蓮の豪腕を取り、その細腕でくいっと捻り上げる。紅蓮が苦悶の表情をするのに対し、朝霧は実に涼しげな顔をしているのが印象的だ。
「………もう捻ってますよ、朝霧中将」
 その驚愕の光景に、武は引き攣った笑みを浮かべながらも辛うじて言葉を返す。
 かつて、彼女は「紅蓮大将の弟子を欺くほど人間はやめていない」と言っていたが、これを見せられてはその言葉を否定せざるを得ない。

 少なくとも、あっさりと紅蓮を捻り上げる朝霧も充分に人間をやめていた。

「それでは殿下、白銀中佐、失礼致しました。我々は公務に戻りますので」
「失礼しました」
 武と悠陽にドアの前で一礼し、朝霧は半ば強引に紅蓮を引き摺る形で退室してゆく。台風一過とはまさにこのことであると、武はこの魔窟にて体験した。
「白銀。お茶が冷めています。新しいのを淹れましょう」
「あ……はい、お願いします」
 何一つ気にした様子もなく、武に新しい茶を勧めてくる悠陽。呆けていた武はやや生返事気味にそれに応じる。

 今まで悠陽の落ち着きは生まれと性格的なものだと漠然と思っていたが、もしかしてこの人外魔境に慣れ切ってしまっているからなのだろうか。

 ティーポットにお湯を注ぐ悠陽の姿を見ながら、武はそんな下らないことを考えていた。



[1152] Re[36]:Muv-Luv [another&after world] 第36話
Name: 小清水◆2e19c93f
Date: 2007/07/28 07:02


  第36話


 マリア・シス・シャルティーニはその日、朝からほんの少しだけ機嫌が悪かった。
 原因に該当しそうな項目は複数個、存在する。その中には、自分の上官である白銀武が、斯衛軍の斉御司少佐によって強引に連れ出されていってしまったことも勿論含まれている。

 それでも、人間とは現金なもので、腹が満たされれば幾ばくか気持ちも満たされる。

 横浜基地のPXで少し遅めの昼食を終え、食後のお茶を飲みながらマリアは一息ついた。彼女の中にあるモヤモヤとした何かは未だ晴れることはないが、落ちかけていた雷はどうやら収まったようである。
 彼女が飲んでいるのは慣れ親しんだ紅茶ではなく、日本茶の一種であるほうじ茶だ。無論、この場においては「合成」という言葉は否が応でもつくのだが。
「……宇治茶とはまったく違った味わい……日本茶にもこれほどの種類があるとは。これで紅茶やコーヒーの浸透度も高いというのは驚きですね」
 取っ手のないティーカップ――日本ではこれを湯飲みという――を置き、マリアは小さくそんな独り言を呟いた。
 武や衛生班総轄の片倉美鈴の手前、プレストンのホームにも日本茶は常備されているが、マリアが知る限り日の目を見た回数は片手で事足りるほどしかない。それほど欧州において日本茶とは知られていない飲み物だ。
 対し、この横浜基地のPXには、日本茶は勿論のこと、世界で飲まれるメジャーな飲み物は大抵が準備されている。
 無論、この基地の特色に応じている部分もあるだろうが、これほどの種類と味わいを持つ自国の飲み物を持ちながら、紅茶やコーヒーも当たり前に飲むという日本人の懐の深さにはさしものマリアも驚きを隠せない。

 マリアにとって、日本に来て受けた最大の衝撃は食事についての文化だった。

 和食という味付けは当然、初めての経験であったがそれほど嫌いなものではなく、寧ろ彼女としては好ましい部類に入っている。
 最大の敵は、食器だ。
 特に、箸と椀には初見で挫かれている。
 ナイフ、フォーク、スプーンの3つを主立って使う洋食と異なり、日本の食事ではたった2本の細い棒のみでほぼ全ての要求を満たす。唯一、“すくう”という行為が箸では行えないために、スープの入れられる食器は直接口がつけられるように、やや深めの半球型の形状をしている。
 それが椀だ。
 箸と椀。日本食における最重要ポイント。この2つを完全攻略することが、この国の食事を楽しむ上での近道になるだろう。

「どうだい? 少しは日本に慣れたかい?」

 ようやく慣れ始めた特殊な食器をじっと見つめ、マリアが沈黙しているとすぐ横からそんな声がかかった。
 驚いて顔を向けると、そこには割烹着姿の恰幅の良い中年女性が立っている。
「曹長……。はい、少しずつですが。今日もご馳走様でした」
 その人物 京塚志津絵曹長に会釈し、マリアはそう答える。京塚はこの横浜基地において給仕全般を管理している臨時曹長だ。正規の軍人ではなく、元々はこの横浜で大衆食堂を営んでいたところを引き入れられ、曹長という階級を与えられたのだとマリアは聞いている。
「いいんだよ。ご飯を美味しそうに食べてもらうのはあたしの生き甲斐だからね」
 快活な笑みを浮かべ、京塚はマリアの背中をバシバシと叩く。曹長である彼女が、少佐であるマリアの背中を豪快に叩くなど、見るものによっては命知らずな行動だ。
 実際、ここを訪れた初日、京塚が武のことをどつき回しているのを見たときは、何て失礼な人なのだろうとマリアは思った。
 だけど、当の武は困ったようにしながらも、どこか嬉しそうに顔を綻ばせてそれを受け入れており、また彼と親しい友人たちも、その光景を笑いながら見ていた。
 そこまで見比べて、ここではこの光景が当たり前なのだ、とマリアはようやく理解したのである。
「でもいいのかい? 洋食だって用意はしてあるし、使い易い食器を選んだって構わないんだよ? あたしは美味しく食べてもらえりゃ充分なんだからね」
「どうやら私にとって日本食は割と好みなようです。それに、郷に入れば郷に従え、というのは曹長の国の言葉でしょう?」
 もう一口、日本茶を口に含んでマリアは京塚にそう答える。その返答には、普段から口喧しい彼女も驚いたようで、口を開けてポカンとしていた。
 だが、それもほんの一瞬のこと。
 次の瞬間には豪快な笑い声を上げながら、一際強い力でマリアの背中を平手で打ちつける。
 それにもすっかり慣れ切ってしまったマリアは、叩かれるよりも前にカップをテーブルに置き直し、衝撃でお茶を零してしまわないように配慮していた。
「シャルティーニ少佐、ご一緒、よろしいですか?」
 やけに上機嫌な京塚に一頻り叩かれた後、マリアの前に新たに2人の人物が現れる。
 そのうちの一方、宗像美冴はそう訊ねる傍ら、既に食事の載ったトレーをテーブルの上に置いていた。拒否させるつもりなど毛頭ない、という意志の表れだろうか。
「すみません、シャルティーニ少佐。宗像少佐は少し、強引な方なので」
 美冴の隣に立ち、丁寧な物腰でそうフォローしながらも、ちゃっかりマリアが答えるよりも早くトレーをテーブルに置く人物も1人。マリアの記憶が正しければ、彼女は確か風間祷子という名前だった筈だ。
「いえ、私は丁度食事を終えたところなのでお気になさらずに。ただ、歓談が目的なら、あまりご期待には添えないかもしれませんが」
 再びお茶を口に含む。そうした後にマリアが答えると、美冴と祷子は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「そういえば、白銀のヤツはどうしました?」
「鑑少尉とも一緒ではありませんでしたね」
 マリアの許可をもらい、腰を下ろした美冴は箸を持つと同時にそう訊ねてきた。それに続いて、祷子も疑問を口にする。今の状況では、武が鑑純夏と一緒にいないことの方が彼らにとっては奇妙なのだろう。
「先ほどまで香月副司令に呼び出されていました。私もそちらには同行したのですが」
「香月副司令?」
 ため息をつくようにマリアが口を開くと、そこから飛び出した名前に美冴と祷子の動きが思わず止まる。その名前だけで、只事でないことが起きたのだと彼女たちは悟ったに違いない。
 何せ、マリアでさえ無茶苦茶だと思う香月夕呼の性格を、長年その下で戦ってきた彼女たちが理解していない筈もないのだから。
「香月副司令から何か言われたのでしょうか?」
「無理難題を吹っかけられるのは白銀の専売特許だからな」
「斉御司少佐によって連れていかれました」
 今回はいったいどんな無理難題を夕呼から命じられたのだろうと、美冴と祷子が思案し始めるが、それを遮るようにマリアは次の事実を紡いだ。
「斉御司少佐?」
 再び声を重ねる2人。だが表情は、先程よりも更に怪訝そうなものだ。
 マリアだって日本軍の体制にそこまで詳しいわけではないが、斯衛の、それも摂家の血筋である斉御司灯夜が国連軍基地を来訪するなど、滅多にあるものではないということぐらいは理解出来る。
 だから、驚きを隠せない美冴と祷子の心中も半分以上は理解しているつもりだ。
「斉御司少佐が白銀をどこに連れてったっていうんだ?」
「分かりません。ですが、基地の外であることは間違いないでしょう」
 眉をひそめる美冴にマリアはそう言い返す。警備兵の話では城内省の公用車が数台出ていったということなので、恐らくはそれに乗せられて一緒に基地の外に連れ出されたと見るのが妥当だ。
「帝都方面の基地でしょうか? 帝都城とは思えないのですが……」
「だが、少佐なら、斉御司の本家ぐらいには招きそうだな」
 それぞれ思案顔で斉御司灯夜の思惑を予想する美冴と祷子。マリアは敢えてそこに口は挟まなかった。
 帝都城の可能性が低いことはマリアも理解している。聞く限り、あの場は城内省にとって執政の中心であり、軍事の中心ではない。故に、余程の権限を持つ軍人でない限り、自由に出入りすることは難しいのだ。
 ましてや、武のような外部の者を中に招き入れることが出来る者はそれこそ片手で数えられるほどしかいないのである。それは摂家の血族である斉御司灯夜とて単独では不可能な話だ。
 無論、摂家の本宅がそこよりも警備の薄い場所だと思っているわけでもない。ただ、連れ出した灯夜個人の意志を反映させられる場所は後者であって前者ではないという話だった。
「日本から我々の隊に機体提供がされるという話でしたので、その件に関することではないでしょうか?」
「帝国から!?」
 しばし間をおいてマリアが放った言葉に、美冴と祷子は本日3度目の重なりを披露する。初めて聞けば驚くような話だろう。事実、マリアだってついさっきまで驚いていたのだ。
 それでもこの短時間で落ち着きを取り戻しているのは、単に武に感化されてしまったからである。
「はい。香月副司令の話では、我が隊のラファールに変わって日本軍が運用する機体が配備されることになるようです」
「日本軍機……不知火か。撃震や陽炎であるわけはないだろうしな」
「撃震と陽炎とは、確かF-4とF-15の日本呼称でしたね」
「はい。正確には、帝国軍がライセンス生産したF-4とF-15の名称、です」
 マリアの問い返しに答えてくれたのは祷子の方だ。美冴はまだ微妙に納得出来ていないのか、何やらぶつぶつと呟いている。
「我々の隊にも予備機としてF-4とF-15はありますから、恐らくはType-94でしょう。そちらのデータを拝見する限り、Type-94ほどハイヴ突入に適した機体はそうありませんので」
「似たようなことを白銀も言っていたな」
 マリアの意見に合わせ、美冴がふむと相槌を打つ。彼女たちは恐らく、ずっと実戦で不知火を使い続けてきたのだろう。そうでなくとも、欧州軍が運用するラファールと比較するなど、2人にとって容易なことではない。

 無論、不知火に搭乗したことのないマリアが述べる意見も所詮は武の受け売りでしかないのだが。

「ですが、そうなるとますます斉御司少佐の個人的な用件というわけではなさそうですね。国防省か、あるいは本当に城内省まで連れていかれてしまったのかも……」
「………ああ、確かに。斉御司少佐も、両省同意の下で動いていると言っていましたし」
 祷子の言葉に、マリアは彼の青年が言っていた言葉を思い出しながら答える。ただ、個人的な用件で部下を連れ立って横浜基地まで訪問する、というのもよく考えれば甚だ首を傾げるしかないことである。
「あいつも忙しないヤツだ。日本に帰ってきたと思えば斉御司少佐に連れ回されるとは……」
 やれやれというように肩をすくませる美冴に対して、マリアは苦笑気味の表情で答えるしかない。近々、クアラルンプールに向かうことになっている、という話は、この状況では話さない方が良いだろうというマリアの独断だった。
「武が忙しないのはいつものことじゃないかい。美冴ちゃんだって一役買ってるんだろ?」
「私のはコミュニケーションの1つですよ、京塚曹長」
 呆れたように言葉を挟む京塚に、にやりと不敵に笑った美冴は何一つ悪びれた様子もなく言い返す。その言葉が実に部下であるエレーヌ・ノーデンスも主張しそうな弁で、マリアは可笑しくなって思わずくすりと口元を緩めてしまった。
「あまりからかっては可哀想ですわ、宗像少佐」
「愛情だ、愛情」
「そうですね。中佐は人が良いですし、宗像少佐のお気持ちを察しているから付き合っているのでしょう」
 ふふっと笑い、祷子にではなく美冴に同意するマリア。その言葉に、その場にいる誰もが少しだけ困ったように優しく笑った。
 彼はこの場にいる誰よりも高い階級と、高い衛士技能を持っている。武がその気になれば、美冴の軽口すら黙らせることも可能なのだ。

 彼がそれをしないのは、どこかでその“日常”を楽しんでいるからに他ならないのだろう。
 それが結果として、他人に「人が良い」と言わしめているのだ。
 もしかしたら、自分たちは彼の利己的な行動が及ぼす影響に、無意識のうちの甘えているのかもしれない。
 日常でも戦場でも、白銀武という名の青年の背中にしがみ付いたまま離れようとしていないのかもしれない。

「まったく!」
「っ!?」
 マリアがやや目を伏せると、怒気を孕んだ声を上げて京塚がその背中に1発、豪快に平手を打つ。背中に手形が残ってしまいそうなその一撃にビクッと身動ぎしたマリアは驚き、顔を上げた。
 そこに立つ京塚志津絵は腕を組み、眉を寄せた不満顔でマリアを見下ろしている。
「曹長……? 何か?」
「マリアちゃんは武の副官なんだろ? 副隊長がそんな顔してちゃダメじゃないかい」
 マリアが問い返すのを遮り、京塚は強い声調でそう続ける。元々、喧騒を通る声というわけでもないが、非常に強い力を持ったその声によって、PXにいる数名の兵士が振り返った。
 だが、京塚はそんなことも構わず、ただ子供を叱る母親のような瞳でマリアをじっと見つめる。

「………口が過ぎますよ、曹長」
 目を閉じ、驚きを落ち着かせたマリアは反論するようにやや低い声でそう応じた。
 その瞬間、聞き耳を立てていた横浜基地の兵士たちにざわめきが走る。マリアの向かいに座る美冴と祷子の2人も思わず身構えたようで、厳しい面持ちでマリアと京塚を見つめる。

「私が、それを分からないほど無能な人間だとでも?」
 だが、マリアは不意に表情を緩め、くすりと笑ってそう言葉を続けた。京塚を見上げる形となった彼女の青い瞳は、不思議と大きな自信を湛えている。
「私は第27機甲連隊の副長を任された身です。たとえ転んでも、ただでは起き上がらないように努めているつもりですので、御心配には及びません」
 呆気に取られた様子の京塚と、それを見守る衆人にそう告げたマリアは、空となった食器の載るトレーを持ち上げ、席を立つ。

 そう、自分は生憎と衛士適性値はさほど高くない。
 視野が広いことと、それに準じて伸ばしてきた狙撃技能には強い自信があるが、それを除けば並の衛士とほとんど変わらない能力しか持っていない。
 それを卑下したことも決して少なくない。そんな中、武はまさに“衛士とはそういうものなのだ”ということを最もはっきりと気付かせてくれた存在だ。

 戦術機は固定武装でないからこそ、衛士各々の特色を最大限に発揮出来る。

 少なくとも、衛士としての自分の視野の広さと狙撃技能は、彼が好む前衛攻撃の効果を数倍にも高めることが出来る筈なのである。

 それを誇れなければ、自分は第27機甲連隊の副長でいる資格はないと、マリアは考えていた。

「ですが曹長、ありがとうございます。曹長の言う通り、自信はもう少し態度に表してみようと思います。それでは、失礼致します」
 にこりと京塚に微笑みかけ、また食事を始めたばかりの美冴と祷子にもそう告げる。本当であればきちんと敬礼するべきなのだが、トレーを持ってしまって両手は塞がっていたので、マリアは丁寧にお辞儀することで挨拶とした。
 そのまま食器を返却口へと返したマリアは、ややゆっくりとした足取りでPXをあとにしてゆく。


「いい相方を引き当てたもんだねぇ、武も。冥夜ちゃんたちのことも考えると、相当ついてるんだろうね」
 マリアの背中を見送る京塚は、とりあえず満足気にうんうんと頷く。相対し、そこまでの一部始終を見守っていた美冴と祷子も含めた衆人は、大事にならなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
 如何せん、京塚志津絵がいくらこの横浜基地PX最強の存在でも、外来の国連軍少佐に対してあの接し方では、見ている方の肝が潰れる。事実、彼らの中にはすぐにでも割って入ろうと中腰になっていた人間もおり、また、比較的マリアと親しいだろう戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長に仲介してもらおうと、PXの入り口で構えていた者もいた。
 だから、それを知ってか知らずか、マリアが穏便に事を済ませてくれたことに安堵していたのである。

「やれやれ……鑑の前に、もう1つ関門が出来たみたいだぞ、彩峰」

 すっかり食欲が失せてしまったのか、鯖の味噌煮をツンツンと箸先で突きながら、美冴は最も親しい間柄の207B分隊組の1人に向けて聞こえもしない助言を呟いた。




 午後の昼下がり、2人は特に予定もしたいこともなく、並んで横浜基地施設の屋上で空を見上げていた。
 6月は日本において雨期に当たるらしいが、今日は朝からずっと雲一つない青空が広がっている。それを好機と思ったのか、施設の屋上には洗濯されたシーツや衣服の類が所狭しと干されている。
 だから、2人がいるのは屋上の隅にあるわずかなスペースだった。
「クアラルンプールだって。どうする? クロサキ中尉」
 彼にしては珍しく、纏った軍服が汚れることも厭わずにゴロンと横になってそう訊ねるのはヘンリー・コンスタンス。どうしても祖国に帰るつもりにはなれず、武にくっ付いて来日した1人だ。
「香月副司令は行くのは自由だと言っていたからな。オレはこっちに残ろうと思う」
 対し、貯水タンクの載っている台地の壁に寄りかかってヘンリーと同じように青空を見上げた格好のまま答えるのは、ヘンリーにとって最も近しい同僚と言えるユウイチ・クロサキだ。
「何かしたいことがあるの?」
「日本観光」
「…………本気?」
 即答するユウイチの言葉に、ヘンリーは思わず眉をひそめる。彼の方も見ず、空を見上げたままいつも通りの口調で言ったユウイチの口振りからは、とても冗談とは思えない。
 だが反面、彼の口からそんな答えが返ってくるとは到底思えなかったため、ヘンリーは戸惑いを覚える。
「ああ。外出許可証が発行されたら、帝都の方まで足を伸ばそうと思う。多分、機体が手に入れば比較的すぐに向こうに戻ることになるだろうから、今のうちに、な」
 彼はもっと、無駄を嫌う合理的な人間だとヘンリーは思っていたが、今回に限っては何か違う。いつもと同じ表情、いつもと同じ声調で答えるユウイチからは、決して道楽思考は感じられなかった。
「何か目的でもあるわけ?」
「ここはうちの爺様の故郷だしな。自由に見て回れる機会なんてもう来ないだろうから」
「ふーん……」
 ユウイチの返答にヘンリーは生返事を返す。彼の気持ちも分からなくはない。いくら欧州軍人とはいえ、彼の名前は明らかな東洋系だ。その名前を見れば、ユウイチの比較的近しい親族に日本人がいることは誰だって予想出来る。
 そんな環境にあって欧州で育ってきた彼が、日本に興味を抱く可能性は少なくないだろう。
「お前は……コンスタンスはどうするつもりだ?」
「僕は……どうしようかなぁ」
 逆に問い返され、ヘンリーはやや迷った。
 武は必ずクアラルンプールに行かなければならない。彼が行くのならば確実にマリアも行くだろう。リィル辺りはどうするか微妙なところだが、やはり同行する確率の方が高そうだった。
 それを鑑みれば、日本に残るというのは些か精神的に宜しくない。いくら親切な人ばかりだとはいえ、所詮はほとんど見ず知らずの間柄でしかないのだから。
「コンスタンスも日本は初めてか?」
「任務以外で……ってことなら。まあ、それでもほとんど1日、2日の短期任務だけだけどさ」
 更に訊ねられ、ヘンリーは頬を掻きながら答える。
 ヘンリーはこの第27機甲連隊に配属されるまで、アメリカ本土の基地に所属しており、何度か護衛任務などで日本を訪れたことがあった。
 その度に、アメリカ人であるということだけで冷たい目を浴びせられていたため、あまり良い想い出などはない。
 それでも、この横浜基地には多種多様の人種が混在しており、また、その違いによって露骨な扱いの差異が生まれているわけでもないため、ここは比較的居心地が良い。
 ただ、そこから外に踏み出すのには本当に大きな勇気がいる。

「そうか。なら、お前も残って、帝都巡りに付き合わないか?」

 だから、その、ユウイチらしからぬ次の言葉にはヘンリーも呆気に取られ、反応が一瞬遅れる。ここに来て、2人は初めて視線を合わせた。
「ぼっ……僕も?」
「ああ。流石に1人では不安だ。お前がいてくれればだいぶ違う」
 狼狽するヘンリーにも構わず、ユウイチははっきりとした物言いで答える。恥ずかしがられても迷惑だが、あたかも今日の夕食を決めるかのように何の躊躇いもなく言われるのも相当、奇妙な気分だった。
「別に悪くはないけど……柏木少尉にでも打診したら? 彼の実家は帝都の方にあるんだし、いろいろ案内してくれるんじゃない?」
「ふむ……それは妙案だが……それはお前が同行しない理由にはならないだろう」
 ヘンリーは正直に言えば、まったく乗り気ではない。ユウイチもそのくらいのことは気付いていそうなものなのだが、どういうわけかここにおいて彼は退く気など毛頭ないようだ。
「無理強いをするつもりはない。だが、お前がいてくれた方が幾らか気は楽だ」
「柏木少尉じゃ駄目なの?」
「言い方は悪いが、柏木は結局、この国の人間だ。オレたちとは違う」
 ヘンリーの問い返しにユウイチは軽く肩をすくめて、呟くように答えた。

 ああ、成程。共有相手が欲しいんだ。

 そうやって再び空を見上げるユウイチの横顔に、ヘンリーははたと気付く。
 この国の美しさ。この国の汚さ。この国の在り方。
 外部の者が、初めて中に立ってみて見えるものもあるだろう。
 そういった、良いところも悪いところも含めたすべての側面を見て、芽生えた感情を分かち合う友人が彼は欲しいのだ。それは確かに、生まれてから今日までこの国で生活してきた柏木章好とは分かち合えない感情かもしれない。
「ヴァンホーテン少尉じゃ駄目なの?」
「それは遠慮する」
「………………」
 その、にべもない返答にはヘンリーは何も答えられなかった。何が彼にそう断言させるのかは判断出来ないが、ユウイチにはユウイチの妙な葛藤があるらしい。
 確かに、ヘンリーだって自ら進んでリィルと2人で出かけるかと問われれば甚だ首を傾げるしかない。
 リィルと2人並んで市街を闊歩しようものなら、見た者の半数はそういう関係だと誤解するだろうし、また残った半数の更に半数くらいはどういう関係なのかと詮索するかもしれない。
 いくらリィルが年齢よりも幼い容姿をしているとはいえ、外見的特徴から兄妹と取られる可能性もごくごく僅かだ。
 尤も、そうだとしてもそんな心配は自意識過剰としか言えず、即答で拒否する理由としては非常に弱い。ヘンリーだって“進んでしない”だけであって“したくない”わけではないのだから。
 その点において言えば、ユウイチの拒否の仕方はかなり不審だった。

 どうやら、ユウイチ・クロサキという男は殊更、“そういう方面”に苦手意識があるらしい。

 あるいは、“リィル・ヴァンホーテン限定”での意識かもしれないが。

「ねえ、クロサキ中尉。もしかして―――――――」
 ヘンリーがふと気になったことを訊ねようと口を開き、言葉を紡ごうとした時、屋上の扉がギィと軋む音を立てながら開く。ユウイチと揃って驚き、顔を向けると、両手でゆっくりとその重い扉を押し開けている渦中の人がいた。
「あ、ここにいたんですね。コンスタンス中尉とクロサキ中尉」
 屋上へと進入してきた人物 件のリィル・ヴァンホーテンは、並んで腰を下ろしているヘンリーとユウイチを見るや否や、笑顔を浮かべて声をかけてくる。
「捜していたのか?」
「ヴァンホーテン少尉は鑑少尉のお見舞いじゃなかったの?」
 ユウイチが問いかけるのとほぼ同時に、ヘンリーもリィルに訊ねる。
 彼の記憶が正しければ、リィルは今日、武の恋人でもある鑑純夏のお見舞いに行くつもりだった筈だ。勿論、彼女と鑑純夏の間には接点などないが、武から簡単な紹介を受けた後、彼女は話がしてみたいと志願したのである。
「お部屋の整理とかまでは手伝いましたけど、さすがにお身体のことまでは詳しくありませんので、あとは社少尉にお任せして、涼宮少佐とおいとましてきました」
 少し残念そうに答えるリィルの表情は、ヘンリーから見て少し意外なものだった。
 彼女は人懐っこさがある反面、初対面の相手にはやや警戒心の強い嫌いがある。事実、ヘンリーだって第27機甲連隊配属後の顔合わせの時から、日常で直接会話を交わすようになるまでざっと4、5日かかっていた。それも、武やマリアのフォローが実った上で、だ。

 それが、事実上の1日。

 リィルが純夏という存在を知ってから、そのような言動を取るに至るまでの時間はたったそれだけである。
 慣れてきたのかな、とヘンリーは思う。
 彼女の人付き合いの不器用さが、性格的な人見知りからではなく、単純に“経験の少なさ”からだとすれば頷けない話でもない。
 尤も、多少の個人差はどうあれ、軍人が極度の人見知りでは話にならないのだが。
「それで、代わりに涼宮少佐から戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第1中隊(スクルド)の午後の訓練を見学しないか勧められたんですけど、中尉たちも一緒にどうですか?」
「へえ……」
「ほう……」
 続くリィルの言葉に、ヘンリーとユウイチは揃って肯定の意味も否定の意味も含まない微妙な相槌を返す。

 第1中隊(スクルド)。
 あれほどの戦闘力を誇る戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の筆頭を務める中隊だ。確かに、その訓練が気にならないというのは嘘になる。

「生憎、実機がフルメンテナンス中だからシミュレーター訓練になるけどね。白銀の部下なら歓迎するわよ」
 ヘンリーがどうしようかと思案していると、いきなりリィルの後ろからひょいと顔を出した青髪の女性が、明朗快活に笑いながらそう告げる。

 例の第1中隊(スクルド)の将 速瀬水月だ。

 その顔を確認した瞬間、ヘンリーとユウイチは反射的に立ち上がり、背筋を伸ばして敬礼する。何せ、顔を覗かせた人物は3階級も上の中佐であり、自分たちの直属の上官にとっても恩師に当たるような先任なのだ。
 軍人としても、個人としても敬意を表さなければならない。
「そんな堅っ苦しくしなくていいわよ。白銀のヤツ、まさかそんなこと強要してるんじゃないでしょうね?」
「いえ、白銀中佐からも同様のことを言われております」
「ですが、中隊を任される者として、部下に示しをつける上でもこの応対は譲るわけにはまいりません」
 2人の反応に眉をひそめ、そして水月はまるで愚痴でも言うかのようにブツブツと呟く。それを独り言ととっても良かったのだが、耳にした以上は答える方が無難と判断したヘンリーとユウイチは続けてそう答えた。
「そっか。そういう信念なら文句は言えないわね。ってことは、うちよりはまだ厳しくやってるみたいじゃない」
「それは……答えかねますね」
 意地の悪い水月の言葉に、ヘンリーは苦笑いを浮かべる。
 果たして中隊を統べる者同士が基地のPXで、「Type-00とF-22A、どちらが強いか」で取っ組み合いのケンカをするような部隊を厳しいと表現して良いかどうか、ヘンリーも甚だ首を傾げるしかない。
「ま、さっきも言った通り、白銀の部下なら大歓迎よ。特にクロサキ! あんた、白銀の部下の中で個人じゃ一番強いんでしょ? あたしの相手になれるかどうか、期待してるわよ」
「白銀中佐に比べれば並のレベルですけどね。もしかすれば、オレよりも柏木少尉の方が上かもしれませんよ」
「柏木の弟レベルなら相手にとって不足はないわ」
「………というか、何時の間にか趣旨が見学から参加に変わってる気がするんですけど」
 どう考えても見学だけでは終わらない……否、そもそも見学には至らない雰囲気を帯びる水月の言い回しに、ヘンリーは申し訳程度に言葉を返す。
「………それで?」
 しかし、彼女のあの白銀武の元上官。
 そのような控え目な反論など届く筈もなく、にべもなく笑顔で一蹴される。どうやらヘンリーとユウイチの2人が第1中隊(スクルド)の訓練に飛び入り参加することは最早、決定事項のようだった。
 「どうする?」とヘンリーが目で問いかけると、ユウイチは軽く肩をすくませて「オレは別の構わない」と言うように小さく頷いた。
 ヘンリーとは異なり、彼は元より直情的に武を目指している衛士だ。だから、水月に対する興味は恐らくヘンリーよりも高いだろう。
「……あ、でも、強化装備はどうしましょう?」
 そこで、ヘンリーは素朴な疑問を口にする。
 衛士個人の戦闘データは常に強化装備側に記録されている。これによっていざ機体を乗り換えることになっても、それまでの操縦適化効果を即座に反映させることが出来るのだ。
 無論、一言で強化装備といっても、あのスーツそのものがその機能を果たしているわけではなく、より正確に言えば、情報は衛士強化装備に接続するカートリッジに集積され、記録される。着脱の可能なそれは、何らかの理由で強化装備を交換せざるを得ない事態にも即応出来るような設計を成されているのだ。
 欧州より自分たち個人のカートリッジを持ち込んでいる彼らは確かに、サイズに合う強化装備と搭乗する機体さえあれば、今すぐにでも出撃可能だった。
「今、うちの部下に準備させてるわよ。ヴァンホーテン少尉からサイズも聞いておいたから」
 だが、ヘンリーの質問に返されたのは、実に抜け目のない答え。それ即ち、リィルは最初から2人が参加させられることを半ば予想出来ていたということだ。
 ヘンリーとユウイチが並んでジッとリィルを見つめ返すと、肯定の意味なのか、彼女はほんの少しだけ申し訳なさそうに苦笑して頭を下げる。
「…………ヴァンホーテン」
「はっ……はい、何でしょう」
 ユウイチの呼びかけに、声量が尻すぼみになりながらもリィルは受け答える。決して彼は睨み付けているわけではないが、元からやや目付きが悪いことと、両者の身長差が災いしてか、かなり凶悪に見て取れた。
 付き合いのあるヘンリーでそう見えるのだ。部外者などが見ればそれこそ新入りをいびる上官に見えなくもない。
「一蓮托生だ。お前はオレたちの管制をやれ」
 不意に、リィルの頭を手の平でポンと叩き、ユウイチは彼女とすれ違う形でその横を通り過ぎる。その様子を傍観していた水月の隣で1度足を止め、会釈するが、無言のまま屋上をあとにしてゆく。

 仲良いじゃん。

 呆れ返りながら、ヘンリーは心の中でそう呟く。
 リィルのことを肯定的に捉えているにせよ、否定的に捉えているにせよ、今のユウイチの接し方は避けている者の取る行動ではない。
 それと、彼は前言撤回する。

 外見的特徴こそ大きく違えども、兄妹という捉え方はあながち馬鹿に出来るものではない。

 今のそのやり取りだけを見せられれば、そう錯覚させられる要因は充分に孕んでいたとヘンリーは思う。
「あ……あの……コンスタンス中尉?」
「うん? ああ、うん。僕も参加させてもらうよ。クロサキ中尉との連携に不安があるわけじゃないけど、管制は出来れば慣れた人にやってもらいたいかな」
 まるであわあわと擬態語が聞こえてきそうなほど困惑した様子のリィルにそう声をかけ、ヘンリーは水月に向き直る。
「そういうことで、ヘンリー・コンスタンス、及びユウイチ・クロサキの両名、第1中隊(スクルド)の訓練に参加させていただきます」
「了解。強化装備は部屋に届けさせるわよ。その時にシミュレータールームの場所も伝えさせるわ」
「はい。それでは、失礼します」
 先に退去したユウイチの分も敬礼を返し、ヘンリーも屋上をあとにする。それを見送る水月の表情が、ほんの少し苦笑を浮かべていたとは知る由もなく。


「それじゃあ、私も訓練の方、管制として参加させてもらいますね」
 ユウイチ・クロサキとヘンリー・コンスタンスが水月の前から去った後、その場に残っていた第27機甲連隊の戦域管制部隊の長も水月に敬礼と共にそう告げ、小走りで立ち去っていった。

 そうして、燦々と陽光降り注ぐ屋上に1人残された水月は、やれやれというように肩を揺らす。

「あー……そうねぇ。白銀、やっぱ、間違いなくあんたの部下だわ」
 ポニーテールに結われた自身の髪の毛を軽く弄りながら、水月は白い布で覆い尽くされた屋上を見回し、まるでため息をつくようにそう呟くのだった。




 夕暮れに佇む街の中を、数台の車輌が走る。
 黒い車体と、スモークフィルムで覆われた訳有り気な硝子はあまりに忍ぶ様子もない。だからこそ、数台の車輌が連なるのだ。
 その中の1台に彼、白銀武は乗せられていた。座っているのは、帝都城に連れていかれる折に乗った時と同様、後部座席の右側だ。ただし、行きにおいて隣に座っていた少し年上の青年の姿はなく、代わりに二周り近く年上の筋骨隆々とした巨漢のおっさんが座っていた。

 その名 紅蓮醍三郎。

 帝国城内省 斯衛軍 第1戦術機甲大隊 隊長 大将。
 かつて帝国最強と謳われた衛士であり武人である。
「しかし、紅蓮大将は宜しいんですか? 白銀中佐のことは我々に任せていただき、お帰りになられても構わないんですよ?」
 運転手は往路同様に関口が務めている。その関口はちらっとバックミラーで後部座席の様子を窺いながら紅蓮にそう訊ねた。
「わしが同行すれば必然的に白銀の警護に第1警備小隊も付けられる。その方がお主たちにとって悪いことではあるまい?」
 終始腕組みをしている紅蓮は、問い返す形で関口に答える。そう言われては彼女に返す言葉などないだろうし、そもそも実際にここまで来た以上、その話題自体が無意味だ。
 余談だが、武たちが乗っている車以外の車輌には伊藤と神代、そして紅蓮直下の第1警備小隊の衛士たちが同乗している。
「いやぁ……紅蓮大将にそこまでしてもらうのは正直、申し訳ないんですけど……」
「客人をお送りするのに安全確保が杜撰とあっては斯衛軍の名に傷がつく。お主が気に病む様子はないぞ」
「あー……あははは………はあ」
 即答する紅蓮には流石に武も苦笑し、そしてため息を漏らすしかない。
 納得出来るかどうかは別として、悠陽の客人である武を送るのに護衛を付けることは当人である彼とて理解出来る。しかしそれは、関口や伊藤、そして神代だけでも相当に充分な筈だ。

 何せ、状況如何とはいえ、武に対するその警護態勢は蒼青あるいは真紅のそれに匹敵するのだから。

 そこに更に警備小隊を1つ加えるために大隊指揮官が同行するというのも、まあ百歩ほど譲れば理解出来よう。“本音”を成し得るためには、場合によって“建て前”も必要なのだ。
 しかし、それならばせめて、月詠のような階級的に武と同等あるいは下の大隊指揮官を同行させなければ意味がない。

 紅蓮では、そもそも警護態勢レベルが武のそれを上回ってしまっているのだから、その実、笑えないほどに本末転倒である。

「それで、どうだ? お主の近況は」
「まあ、ぼちぼちやってます。うちの部下たちも3ヶ月で何とか物になりましたよ。中隊長連中なら経験はともかく、持っている能力なら何れも国連軍で大隊クラスを任せてもいいレベルまでは引き上げられましたしね」
 紅蓮の問いに「最近どこに行っても聞かれるような質問だな」と、さっきとは違った意味で苦笑しながら武は答える。その言葉に、紅蓮も「ほう」と興味深そうに相槌を打った。
「実戦でふるいにかけられるってのは、やっぱり嫌な話ですけど……」
「止むを得まい。戦闘経験は実戦でしか培えぬものだ。大半の衛士は無意識のうちに訓練という言葉に甘えるからな」
 紅蓮は武の方は見ずに、そう続ける。だから、実戦で大半の衛士は打ちのめされる。

 自分のすぐ隣では常に死神が嘲笑っているのだということを知って。
 そしてそれが、何ら特別なことではないのだと知って。

「それに、初陣を生き残ることが出来る衛士を、1人でも多く育成するのはお主にとって大きな目標の1つだろう? それは、状況如何に左右されず、十を救う為に一を切り捨てなければならぬ茨の道だ。卑下するな。誇れ。お主はそれを成す行程を辿っておる」
 その言葉に、武は何も答えられなかった。
 紅蓮の言葉も表情も厳しい。そして、嫌になるくらいの正論だ。だから武は、それに答えるだけの自信が湧かなかった。
 誰もが持ち、そして本来は秘めていなければならない1つの葛藤が、彼のうちにもある。

 もし、その“一”が純夏だったとしたら、自分は切り捨てることが出来るのか、と。

「言いたいことは分かるがのう。わし個人の気持ちとしては、お主が後悔しなければ良いとは思う。そうだな……ならばこう考えるが良い」
 答えられない武の心中を察したのか、紅蓮は少し口調を和らげて更に言葉を続ける。

「十を切り捨てて一を救ったのなら、その一と共に生涯を賭けて百を救って見せる」

「綺麗事……ですね」
 俯きがちに武はそう呟く。
 紅蓮の紡いだ言葉は重かったが、同時に恐ろしく理想論で現実的ではなかった。しかし、紅蓮もそんなことは百も承知なのか、その呟きにふんと荒く鼻を鳴らす。
「綺麗事じゃよ。白銀、人は綺麗事だけでは生きてゆけぬ。だがな、綺麗事を言えねば同じように生きてゆけぬのだ」
「そう……でしょうか」
「わしは学がないからな。殊更、合理主義・現実主義者の理想など面白味を感じられぬのだ。そんな奴よりは、阿呆でも頑なに人類を救うと豪語している奴の方が余程好きじゃよ」
 くっと口元を吊り上げてそう答える紅蓮に、武も釣られて口元を緩めてしまった。尤も、ついさっきまで暗雲たる面持ちをしていたがために、その笑顔は酷く不恰好なものになっただろうが。
「結局のところ、掲げた者勝ちじゃ。元より、たった1人で成そうとしているわけでもあるまい。これも誇るが良い、白銀。お主の能力と人脈は、絵に描いた餅を実物にすることも不可能ではないとわしは思っとる。お主はどうじゃ? 関口」
「あたしも理想論は大歓迎です。斉御司少佐も理想論者が軍服着て歩いているみたいな人ですし」
 話を振られた関口の返答に、両者は声を上げて豪快に笑い合った。数にして6階級も差のある2人が体裁もなくゲラゲラと笑い合っている姿は、見ようによっては異常である。
 だが武にとって、その光景は心に届くものだ。

 ただの綺麗事にはきっと意味などない。だが、京都の惨劇を目にしたこの2人が掲げる綺麗事だからこそ、大きな意味を孕んでいるのだと武は思う。

 武は少しだけ表情を緩めながら、頬杖をついて外の景色を眺める。
 目の前を駆け抜けてゆく帝都の姿と、それを照らし上げる夕陽の赤。横浜基地周辺では滅多に見ることの出来ないその景色は、京都陥落から7年間、彼らが守り抜いてきたものだ。

 だが、それは恐らく本当の意味で彼ら個人が守りたかったものではない。

 家族、友人、恋人……。
 そういった、酷く個人的な、されども実に人間的とも言える守りたい何かを、彼らは今日まで守り抜けてきたのだろうか。

 軍人である以上、それを越えて戦わなければならないこともある。それを切り捨ててでも戦い続けなければならないこともある。
 だが武はまだ、それだけの虚勢を張る自信がない。
 勿論、悠陽に語ったように、今までも、そしてこれからも大を救うために切り捨てなければならない小を切り捨ててゆくのだろう。
 だが、そこにあるものが一番大切なものだった時、自分の命すら投げ出してでも守りたいと思っている“彼女”であった時、自分は本当に切り捨てることが出来るのだろうか。

 それは、武が今まで考えないようにしてきた、そして純夏が目醒めたことで否応にも考えなければならなくなったこと。

 あの時とは違うのだ。
 人類を救うため、オルタネイティヴ第4計画を完遂するためにも、鑑純夏を……00ユニットを守り通さなければならなかった時代とは。

「白銀中佐、お顔をお上げください」
 再び俯きがちになっていた武を、運転席に座る関口がたしなめる。
「中佐は「すべてを救ってみせる」くらいの気概を持っていた方が“らしい”と思いますよ。紅蓮大将も言われた通り、白銀中佐にはそれだけの能力と人徳があるんですから」
 その赤髪を揺らしながらふふっと笑い、関口は丁寧な標準語でそう告げる。その言葉に武はふと、「すべてを救う」などと大っぴらに語っていたのは何時の頃だっただろうかと苦笑する。
「納得出来ませんか?」
「………難しいですね」
 武がそう答えると、関口はむっと一瞬眉をひそめた。だが、その次の瞬間には快活に笑ってみせる。
「それでは、これはあたしからの身勝手な注文として受け取ってください」
「はい?」
「すべてを救ってください。貴方が守れるものを守れるだけ。そして誰よりも貴方が満足ゆく結果を残せるように」
 彼女のその言葉に、武は唖然とさせられてしまった。隣では同様に紅蓮がしばしポカンとしていたが、やがて肩を震わせ、堪え切れなくなったように笑い声を漏らし始める。
「本当に欲しかったのはこの言葉やろ? 悩みの答えじゃなくて、ちゃんと選んでいいよっていう許諾の言葉。どんな選択を白銀君がしたって、誰も君を軽蔑したりはしないよっていう優しい言葉。違う?」
「あぐ…………」
 すべてを見透かしたように笑い、素の口調に戻って告げる関口に武は言葉を詰まらせる。

 いざ言われてみて、それは彼にとって激しい図星だった。
 結局のところ、武が求めていたのはどちらが正しいのかという答えでもなければ、どちらかを選び取ることの出来る強さでもない。
 ただ利己的に浅ましくも、自分が進みたい道を選び取る我が侭を、誰かに容認してもらいたかっただけなのだ。

「君は極端に我が侭で利己的な人間じゃないやろ? だから死ぬ直前までそういう感情はひた隠しにすると思う。せやったら、その時くらいは少しだけ我が侭言って、君個人としての願いを捧げたかて、誰も文句は言えへんよ」
 そう言って関口は声を立てて笑った。生憎、今度の彼女は真っ直ぐに前を向いていたから、武にその表情を詳しく読み取ることは出来ない。
 だが、初めてそんなことを言われたにも関わらず、武には不思議と聞き覚えのある言葉にも感じられた。
「………………あ」
 その疑問を抱いたのもほんの僅かな時間。
 武はすぐに思い出した。確かに、他人から今の言葉をかけられたことは初めてだ。それでも聞き覚えがあるというのならば、理由は1つしかない。

 かつて、同じような言葉を自分自身で言っていたのだ。

 最後の数分に……心の中で家族や恋人のことを考えるのは――――そんなに悪いことですか!?

 自分がまだまだ危なっかしいヒヨッコであった頃、これから死にゆく隊長に向けて言った言葉。
 最後の任務を果たそうとしている彼女が、自分の身の回りのことしか考えられないと己を嘆いていた時に告げた言葉。
 彼女の行いを称え、尊敬し、そして訪れる永い別れを嘆き悲しんだ時、口をついて出た言葉。

 何の因果か、その言葉は武に巡ってきたのだ。

「表情が晴れたところで、はよ横浜基地に戻ろうか。待ってる人もたくさんいるやろうからね」
 武が涙ぐみそうになっていると、仕切り直すように関口がそう言う。彼が顔を上げれば、今度はちゃんとバックミラーで武の顔を窺う関口がいた。どこか可笑しそうに笑うその姿は、彼女なりの気遣いなのかもしれない。
「そうじゃな。関口、少し速度を上げるか」
「了解!」
「すみません。帰る前にちょっと寄ってもらいたいところがあるんですけど」
 紅蓮からも言われ、あわや関口がアクセルを踏み込もうかというタイミングで武は提言する。その言葉で出鼻を挫かれた御様子の関口はいきなり不機嫌そうな瞳で武を見返してくる。
「あんまり時間あらへんよ?」
「時間はかからないです。せっかく帝都まで出てきたんだから、お土産でも買っていこうかと思いまして」
 やはり不機嫌そうな関口に武は笑いながら答える。
 横浜基地から帝都まで足を伸ばすなどというのは、かなり時間に余裕がなければ出来るものではない。恐らく、冥夜たちにとってもなかなか行く機会はないだろう。
 特に、純夏はしばらく自由に動けないのだから、何か土産を持って帰ってやりたいという想いは強かった。
「どこ?」
「えっと……どこの店でもいいんですけど――――――」
 ハンドルを握る関口に対し、武は一番の目的商品の名称を告げた。



[1152] Re[37]:Muv-Luv [another&after world] 第37話
Name: 小清水◆2e19c93f
Date: 2007/08/15 09:06


  第37話


 2005年6月5日 日曜日 朝から雨。
 今日から日記を付け始めることにした。帝都まで行ってきたからお土産だってタケルちゃんが日記帳をくれたんだ。
 しばらくあんまり動けないんだから、日記でも付けて暇潰せ! だって……。
 日記って暇潰しでするものなのかな?
 あ、それと、今日から5日間、タケルちゃんはクアラルンプールに行っちゃった。まだ歩くのはたいへんだから、滑走路までお見送りには行けなかったけど、代わりにタケルちゃんが来てくれたから良かったよぉ。
 淋しがっちゃダメだね。タケルちゃんだって任務なんだし……。
 よし! 私も早く自由に動けるように頑張ろう!
 でも……………
 この歳の女の子へのプレゼントが絵日記帳ってのはどうなの??


 ペンを置き、彼女……鑑純夏は思わず顔をしかめる。
 まるで紙の上で蚯蚓が張っているみたい、と思って純夏はそのまま大きなため息を漏らした。こうやって改まって文字を書くのも久し振りだから、自分でも想像以上に歪な字になってしまったと、激しく後悔している。
 そういう意味では、これもリハビリに効果的なのかもしれない。
 いくら真っ当な人間とは根本的に違う身体の純夏でも、肉体を構成しているものの大半は軍事医療でも使われている疑似生体だ。だから、血液は流れているし、筋肉だって鍛えることが出来たり、逆に衰えてしまったりもする。

 3年という歳月は、彼女から基本的な感覚を奪うのに充分過ぎる期間だった。

 また、更に言えば、文字と絵には描き方に違いがあるため、指先の感覚を鍛える上で絵日記というのは極めて合理的なのだろう。武がそこまで考えてくれたのかどうかは、純夏とて憶測の範疇を出ないが、あれだけ成長していた彼だから、本当に深い意味があるのかもしれない。
「うー……でも…さすがに……」
 唸り声を上げる。
 この歳になって絵日記はやはり恥ずかしい、というのが純夏の本音だった。
 もちろん、一時期は続けていたこともあるが“諸事情”によって継続は不可能になり、また、そんな状況ではなかったことも確かだ。
「でも………これが私の記録、になるのかな?」
 表情を曇らせた純夏は、元より誰もいない室内で、それでも誰にも聞こえないように呟く。
 自分は、厳密に言えばこの世界の“鑑純夏”とも違い、シロガネタケルのよく知る“鑑純夏”とも異なる。
 だから、今日から付け始める日記が、いつ果てるとも分からない自分の、ささやかな存在の証明になるのかもしれないと純夏は感じた。

 きっと、武はそんなことを許さないだろうが。

「鑑さん」
 その時、コンコンという控え目なノックと共に、同じくらい控え目な呼びかけがドアの向こうからかけられる。それで、沈みかけていた純夏の気持ちはふっとわずかに浮き上がる。
「その声は……珠瀬さん?」
「はい」
 聞き覚えのある声の主に純夏が問いかけると、ドアの向こうからはすぐに肯定の旨が返ってくる。
「開いてるよ。どうぞ」
「失礼します」
 手早く日記帳を閉じ、ベッドのすぐ隣にある机の引き出しにしまい込んだ純夏は快く訪問者を迎えるべく、そう返した。本当ならば、純夏自身がドアを開けて迎え入れるべきなのだが、それでは時間がかかってしまうし、何より彼女たちに更に気を遣われてしまう。
 ここは、素直に病人らしく振る舞っていた方が賢明だった。
 純夏の返答に応じて入室してくるのは、彼女の知り合いの中でも一際小柄な少女。心優しく、されども強い意志を持った、一見非力そうな同い年の女の子。

 そして同時に、極東最高精度の命中率を誇る凄腕の狙撃手でもある。

 名前は珠瀬壬姫。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第8中隊(ランドグリーズ)を率いる若き大尉だ。
「今、大丈夫ですか?」
 パタンとドアを閉め、やや不安げにそう問いかけてくる壬姫の姿は、純夏としても申し訳ないがあまり同い年には見えない。何も知らない状態で「社霞と同い年」と誰かに教えられても、純夏は決して疑わないだろう。
「うん。珠瀬さんはどうしたの? 今って訓練の時間じゃないの?」
「本当はそうなんですけど……私たちの中隊、今日は1日お休みになったんです」
 純夏の問いに壬姫は困ったように笑いながら答える。その表情をされては、さしもの純夏も「どうして?」と訊ねるのは躊躇われた。多分、彼女もどうして訓練が休みになったのか詳しい理由を聞かされていないのではないだろうか。
 確か、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の機体は昨日から中隊単位でフルメンテナンスを行うことになっていた筈なので、その関係かもしれないと純夏は勝手に納得しておくことにする。
「でも、何で私のところに?」
 純夏はきょとんとした顔で首を傾げる。
 普段から訓練漬けの日常を送っている彼女たちにとって、今日のような休日は非常に貴重な筈だ。当然、壬姫だって個人的にやりたいこともあるだろう。それにも関わらず、純夏の部屋を訪ねてくるというのは、当人である純夏から見ても不思議なことだった。
「鑑さんとお話したかったんです」
「私と?」
 訊ね返すと、壬姫は笑顔で頷いた。
 それでも純夏は首を捻る。残念なことだが、生憎彼女は壬姫を楽しませることの出来る話題を持ち合わせていない。また、彼女の大切な休日をこんなことで浪費させてしまうということが申し訳なかった。
 無論、迷惑な筈もない。今日は霞も都合上、どうしても夕方以降でなければ来られないと言っていたため、純夏は日中を1人で過ごさなければならなかったのだ。
「あ……あの! 本当に私がお話したいだけですから……。鑑さんと2人でお話することなんて今までなかったし……」
 そんな純夏の表情から何かを察したのか、やや慌てた様子で壬姫は声を上げ、そして少し俯いた。
 確かに、純夏が彼女たちと向かい合って話をした回数はその実、数えるほどしかない。

 初めて戦場を共にしたのは、2001年の12月25日 佐渡島の奪還を目的とした甲21号作戦。
 しかし、公式においてあの戦いでは純夏は“出撃していなかった”ことになっており、当時機密部隊として動いていた壬姫たちも実際にはそうでなかったことを知らない。
 だから、彼女たちの記憶にある鑑純夏は、甲21号作戦後、新たにA-01に配属された新人でしかなく、それから1週間も待たずに共にオリジナルハイヴに突入した戦友でしかない。

 お互い、腹を割って話す余裕もなかったことは事実だった。

「……うん。私も珠瀬さんとお話したい……かな」
「ありがとうございます!」
 微笑んで、自分も同じ気持ちであることを純夏が告げると、壬姫もすぐに顔を綻ばせる。その表情から、きっと彼女はいつ、どこの世界でもこういう女の子なのだろうな、と純夏は思った。
「でも、私、面白い話は出来ないと思うな。こんな身体だし」
「たけるさんのこと、なんてどうですか?」
 卑下するわけでもなく、純夏が自分の身体の問題を理由に苦笑する。それに対して壬姫は、思わず成程と頷けてしまうほど、すぐにそう切り返してきた。
 もしかして、最初からそのつもりだったの? と純夏が思ってしまうぐらいの即答振りである。
「タケルちゃんかぁ……どうしてるかな? 今。大丈夫だといいけど」
 クアラルンプールに向かった武のことを想い、純夏は呟いた。
 防衛体制がしっかりしているとはいえ、件の場所はハイヴから地続きで、しかも比較的近い場所なのだ。心配が募らない筈もない。
「大丈夫ですよ。榊さんも鎧衣さんも一緒ですし」
 だが、壬姫の返答は同意ではなかった。もちろん、心配でない筈ないだろうが、純夏に比べて彼女は榊千鶴と鎧衣美琴の2人をより強く信頼している。それは、どうしても埋め切れない過ごした時間の長さに依るものだ。
「………そうだね」
 不安から転じ、一抹の淋しさを覚えた純夏だが、言葉では同意する。純夏だって2人のことを信頼していないわけではない。ただ、もっと明確な理由がないと信頼することが怖くて仕方がないのだ。

 いつか、もっと信頼を寄せられる日が来るのだろうか。

 そんな想いを心の中で抱いた純夏は、目の前で笑顔を浮かべる友に対してもう1度、小さく微笑み返した。




 不意に誰かに呼ばれた気がして、武は空を見上げた。
 赤道直下の陽光は非常に強く、自然と掲げた手で顔に影を落とす。
「どうしたの? タケル」
 炎天下のだだっ広い滑走路の真ん中で立ち止まり、空を見上げる武が奇妙だったのか、さっきまで隣を歩いていた鎧衣美琴が振り返ってきょとんとした顔でそう訊ねてくる。
「………今、俺のこと呼んだか?」
「もう暑さにやられたの?」
 視線を下ろし、美琴にそう訊ね返すと実に失礼な言葉が返ってきた。呆れたような彼女の表情に、武も内心ムッとしつつも「そうか」とだけ相槌を打って再び歩き出す。
 クアラルンプールの気候は日本のそれと比較にならない。既に機内で来ていた軍服の上着は脱ぎ捨ててきたほどだ。唯一の救いは日本と時差が少ないこと。立場柄、慣れたものとはいえ、環境の変化は少なければ少ないほど楽なものだ。
「まさか、お前らまでついてくるとは思わなかったぞ」
「しょうがないじゃない。任務なんだし」
 もう疲労困憊の武の言葉に、美琴は止む無いことと言いながらも表情はやけに上機嫌だった。元気なことだと武は感心しつつも、分からなくもないという同感の念もある。
 それは、香月夕呼から彼女らに命じられた任務内容にある。

 曰く、榊千鶴、鎧衣美琴両名は部隊を率いて護衛として白銀に随伴しなさい。

 今回、第27機甲連隊からクアラルンプール入りしたのは武とマリアの2人のみ。その護衛任務として千鶴と美琴の中隊が着任するというのは過多としか言いようがない。
 つまり、任務は名目。
 ここが保養施設としての機能も持っていることと、随伴を命じられた部隊がアラスカから帰還したばかりの第4中隊(フリスト)、第9中隊(エルルーン)の2個中隊ということを考慮すれば、それは確実だった。
「羽目は外し過ぎんなよ」
「大丈夫だよ」
 普段通りの人懐っこそうな笑顔で答える美琴に、武は思わず頭痛を覚える。
 今の返事は、羽目など外さないという意味なのか、それとも外し過ぎて任務を疎かにはしないという意味なのか、いまいち武には判断しかねたからだ。
 無論、彼自身の直感を頼りに言えば、少なくとも彼女は寛ぐことを前提に来ている気がしているわけだが。
「……だけど、さすがに防衛体制も強力だな」
 今し方、確認してきたばかりの防衛施設概要を思い出しながら武は呟く。
 ここは帝国の所有する軍需用工場兼保養施設であり、同時に防衛基地の機能も有している。そんな3足の草鞋を履かれては、内部機構がお粗末にならないだろうかと彼は心配していたのだが、それも杞憂だった。
 無論、名のある軍事基地と比較すればそれ相応のものでしかないが、軍需用工場にしてはやや過ぎた代物だ。これならば、残る不安要素は実際に動員される兵、スタッフの意識レベルくらいである。
「だねぇ。やっぱり、H17からの侵攻に備えてるんじゃない?」
「むしろ、H17への侵攻に備えているように見えなくもない。国防省も本気だな」
 ため息を漏らしながら、武は小さく呟く。
 ASEANと、かつてここを統治していたイギリスの両方から許諾を得、正式にH17への侵攻作戦が掲げられればここにも大量の帝国軍兵力が回されることになるのだろう。
 否、帝国だけではない。恐らく、極東防衛線は近い将来、東側の沿岸を完全奪還する算段を付けている筈だ。
 欲を出しているわけでもあるまい。
 H16、H17共に未だフェイズ5には達していないハイヴだ。両方に睨みを利かせたとしても、それを御する自信が帝国にはあるのだろう。
「H17が排除出来れば、オセアニアの安全性も高まるしね。帝国としてもそれはちょうどいいだろうし」
 美琴のその言葉も酷く納得出来るもの。
 BETA侵攻の結果、多数地域で一般市民の居住に制限が生まれた。日本とて少し前までは帝都から東北東岸、北海道にかけてにのみ、一般人の居住が認められていた程度だ。

 その点において、南北アメリカとオセアニアはほとんどその制限がかけられなかった地域である。
 そのため、他国からの避難民の受け入れも承諾しており、日本からのそれは特にオセアニアに多い。つまり、オセアニアの陥落は日本にとって大きなマイナスであり、逆もまた然り、ということだ。

 彼女の言葉に頷きながら、武は屋外の滑走路から兵舎の中へと足を踏み入れる。
 生憎と、冷房を使うほどの贅沢はしていないらしく、決して涼しいとは言えなかったが、炎天下の屋外と比べればそれこそ天国と地獄のようなものだった。
「白銀中佐、鎧衣大尉、御疲れ様です」
 中に入ると、そこで待っていたマリアが武と美琴に対して敬礼し、労いの言葉をかけてくる。美琴は同じようにそれに敬礼を返すが、武は手を挙げて「おう」と応答するだけだった。
「如何でしたか?」
「悪くはない。まあ、少しはのんびり出来そうな感じだよ」
 巡回の感想を訊かれ、武は率直に感じたことを答える。彼らだって結局は休暇の一環として来ているのだから、少しくらい息を抜いたところで責められる謂われはない。
「委員長は?」
「………榊大尉でしたら、搬入された部隊機の調整に立ち会うということでハンガーの方に。両隊の方々は既に1度解散されたようです」
「真面目なことで。もうちょっと緩めたって誰も文句は言わないのにな」
「千鶴さんの場合は、何もしないでいることが一番のストレスなんだよ、きっと」
 ケラケラと冗談めいた口調で言いながら笑う美琴に、武はもう1度ため息をつく。真の苦労人とはきっと千鶴のことを言うのだろうと、武は改めて思った。
 尤も、だからこそ信頼出来る分隊長、なのだが。
「じゃあ、こっちは先方の責任者に挨拶しておこうか」
「は」
「うん」
 千鶴が千鶴でやるべきことをしているのならば心配する必要はない。武のような責任者には責任者なりにしなければならないことがある。
 そんな彼の言葉に、マリアと美琴の2人がそれぞれの立場を表したような返事をしながら敬礼を返す。本来であれば美琴はついてくる必要もないのだが、先ほどの巡視を「護衛任務だから」という理由で同行してきたくらいなのだから、一緒に行くつもりなのだろう。
 別段、彼女がついてくることに難色を示すわけでもない武は、ただ無言でそれを容認していたし、マリアもそれを承知しているのか特に何か訊ねてくるようなことはしなかった。
 武は足早に歩き出す。
 斉御司灯夜から任された件もあるため、予定よりも早く帰ることは難しいが、すぐに終わらせられることを済ませておくに越したことはなかった。




 事務官によって武たちが案内されたのは、申し訳程度には冷房の効いた、軍施設内でも数少ない一室だ。どうやら、施設責任者の執務室らしく、小奇麗に整えられた事務用のデスクと来客用のテーブルにソファー、そして書籍の納められた本棚などが置かれている。
 規模はともかく内装は香月夕呼の執務室に似通っているが、丁寧に整頓されている分、彼女のところよりは遥かにそれらしく見える。
「ようこそいらっしゃいました、白銀中佐」
 彼らを出迎えるのはその部屋の主らしき初老の男性。ちらりと武が室内を見回すと、壁にかけられた帝国陸軍の軍服の上着には少佐階級を表す階級章がついていた。
「日本からではお疲れでしょう。どうぞ、お座りください」
「お言葉に甘えさせていただきます。部下もよろしいですか?」
「構いませんよ。楽になさってください」
 ざっと武とは2周りほど年齢が離れていそうな男性は、その問いかけに対しても丁寧に、笑顔で応じる。伊達に歳は喰っていないと思わせる雰囲気だ。

 しかし、それ以上に武にとっては妙に見覚えのある人物でもあった。

「それでは、改めてご挨拶を。私はこの施設の責任者を任されております師岡政孝(もろおか まさたか)です」
 マリアと美琴の2人が腰を下ろし、少し間を置いた後に男性は自分の名を名乗る。
 その、すぐに訪れた疑問の答えに「ああ、成る程」と武は心の中だけで頷く。彼自身、今更、自分の奇妙な運命に驚くことはないが、それでも恐ろしい偶然だとは感じている。

 何故なら、師岡政孝という老年の男は、シロガネタケルにとって学生時代の恩師の1人なのだから。

「どうかされましたか? 白銀中佐」
「……いえ、何でもありません。俺は欧州国連軍の第27機甲連隊の白銀武です。こっちはうちの副長のマリア・シス・シャルティーニ。で………」
「極東国連軍の鎧衣美琴です」
 師岡の問いにかぶりを振り、武は自身とマリアの紹介をする。そしてそのまま所属の異なる美琴へも促した。その美琴も自己紹介を終えると、向かいに座った師岡は柔らかく笑みを浮かべる。
「噂には聞いていましたが、何れもお若い。H11での功績を思えば、納得こそすれ、驚くことではないのかもしれませんね」
「俺たちが若くしてこの地位にいるのは、単純に上の回りが速かったからですよ。佐官階級とあれば尚更でしょう」
 師岡の言葉に武は肩をすくませながら、やや皮肉めいた言い方で答える。
 部隊を指揮する者がいなくなれば、下からそれを持ち上げるしかない。特に大隊規模、連隊規模を任される佐官階級にある軍人の損耗率は、師団規模を率いる将官階級と雲泥の差がある。
 事実、世界中の軍隊において若き佐官クラスは意外と多いが、流石に将官クラスとなればほぼゼロに近かった。
「……左様ですね。まあ、中には私のような歳ばかり喰った老兵もおりますが」
 武の言葉に苦笑を漏らした師岡は、自分を過小評価するように応じる。実際、彼が老兵であることに間違いはないのだが、今日まで生き残ってきたことを鑑みれば無能などころか、寧ろ優秀な軍人であったことなど疑いようはない。
「少佐の年代とあれば、戦闘機パイロットから陸軍衛士に変わる頃では?」
「そうですね。僕たちからすれば、まだ衛士教育のカリキュラムも、戦術機運用のマニュアルも完成していなかった時代から生き残ってる方のほうが凄いと思いますよ」
 それに対し、言葉を返したのは武ではなくマリアと美琴だった。
 俗に衛士の間で「死の8分」と恐れられる初陣衛士の平均生存時間は、主に大戦初期の衛士のデータを根拠に言われている。当時は、レーザー属の出現によって前線から退かざるを得なくなった戦闘機パイロットが衛士として運用されていた。

 それが、大戦初期における惨憺たる結果の一因を担っている。

 基本的に人型である戦術機の特性も操縦性も、戦闘機のそれとは大きく異なる。
 そこにおいて、満足な教習も受けることなく実戦に投入された衛士たちの死亡率は現在の比ではない。
 だから、美琴が言うように、その時代から生き残っている衛士という存在は、大多数が非常に優秀な先達なのだ。
「私は教導隊の所属でしたから、ご評価いただけるほど実戦経験があるわけでもありませんよ」
 それに答える師岡は大きくかぶりを振り、美琴の言葉を否定する。
「ご謙遜を。教導部隊なら、例外のないエリート部隊でしょう」
「BETAの侵攻に伴って解隊された部隊です。富士の教導団ならば花形でしょうが、私はそれとは無縁なのです」
 武の言葉すら、師岡は否定する。だが、内容の真偽で問えば武に軍配が上がるだろう。
 かつては日本各地に存在していた教導部隊だが、BETAの西日本侵攻に伴って富士教導団以外の教導部隊はほとんどが解隊された。元々、圧倒的に規模の異なる富士教導団と比べることも過ちであり、教導部隊に配属されたという事実は誇ることの出来る功績なのである。
 だが、これ以上の会話は平行線を辿るだろうと理解した武は、それ以上口を開くことはなかった。

 恐らく、師岡は自己を卑下することで自己を守っている。
 戦友を死なせてしまった自分を貶めることで、恐らくは自らの心が潰れてしまわないようにしている。
 それが、既に戦場に立つことも叶わなくなった老兵に残された、数少ない自己防衛の手段なのだろう。

 だから平行線。
 どうして部外者である武に、その自己防衛の手段を破壊してしまうことが出来ようか。
「………それじゃあ、少し仕事の話をしましょうか」
「そうですね。既にお伺いかと思いますが、中佐の率いられる第27機甲連隊には当施設から予備機も含め、約100機の機体が譲渡されます」
「その辺りが少し分からないんですけど……帝国製の戦術機を欧州で運用するってのはいろいろ大変なんじゃないですか?」
 武によって切り替えられた話題に師岡が答えると、そこに美琴が口を挟む。本来ならば叱責されてもおかしくない行為なのだが、そんなことにいちいち食ってかかるほど堅物で暇のある人間はここにはいなかった。
「それについてのお答えは、譲渡機体の詳細説明で出来ると思いますので、それで宜しいですかな? 鎧衣大尉殿」
「あ、はい。すみません」
 彼女も出過ぎたと感じたのか、師岡の答えに頷いた後、謝罪の言葉も入れる。いくら既に一線を退いた老兵とはいえ、師岡の方が美琴よりも確かに階級は上なのだ。年齢差とも相まって、彼女に頭を下げさせるには充分だった。
「ありがとうございます。それでは、簡単にご説明致しましょう」
 それでも、当の師岡は気を悪くした様子もなく丁寧に会釈する。そしてそのまま、彼の言葉に合わせて室内に設置されたスクリーンに1機の不知火が投影された。
「これはType-94ですね」
 最初に言葉を発したのはマリア。確かに言うまでもなく不知火であるのだが、比較的それを見慣れてきた武からすれば、それは“何か”違っていた。

「これ、弐型だね」

「………ああ、だからか」
 武が覚えた違和感を解消させたのは美琴の一言だった。
「弐型……versionⅡということですか?」
「そういう言い方も出来る。有り体に言えば、不知火弐型は不知火の強化型だ。つーか、美琴、お前、見ただけでよく分かったな」
 不思議そうに首を傾げるマリアに一言説明した武は美琴に、どうしてすぐに弐型だと気付けたのかと、やや呆れた物言いで訊ね返す。
 だが、武の疑問も尤もだ。
 弐型はその実、外見にはさほどオリジナルの不知火との違いがない。大出力の跳躍ユニットを装備している点から、各関節部は軒並み強化されているが、一見してそれを見分けられる者など、それこそ開発者か整備畑の人間だけだろう。
 だから、彼にとっては美琴の即答振りはやや不自然だったのだ。
「弐型って元々は米国との共同開発機でしょ? アラスカにも何機かあったんだよ」
「アラスカに? 何で?」
「分かんない。研究目的で実戦機が何機かアメリカに譲渡されたんじゃないかな?」
 続けて理由を訊ねるが、流石に美琴もそこまでは分からないようだ。やや不満顔で唇を尖らせながら、首を横に振っている。
 確かに、彼女の言う通り、件の不知火弐型は米国の技術提供があって初めて完成に漕ぎ着けることの出来た有望機だ。国内技術では頭打ちとなっていた出力系の向上を図るため、エンジンを始め、米国製の部品を使用することによって目覚しい性能向上を成功させている。
 そうは言っても、本格的な実戦機の配備が始まったのは2004年代に入ってからの話だ。それも、多くが朝鮮半島の守備隊に回され、本国では帝都守備隊の極一部にしかまだ配備されていない筈である。
 それが、遠く離れたアラスカにあるというのは何とも解せない。
「弐型の開発実験はアラスカのユーコン基地で行われたということですので、その関係でしょう」
「ユーコン基地……プロミネンス計画ですね。ということは、国連も一応は関わっているということですか」
「日本と米国の共同開発がプロミネンス計画に当てはまるのか疑問だけど……国外で開発してたって話は初耳だな」
 マリアの言葉に軽く肩をすくませた武は、率直な感想だけを漏らす。彼の記憶が正しければ、弐型の開発計画は日本主体のものだった筈なので、てっきり米国から技術者と部品を持ち込み、国内で開発したものとばかり思っていた。
「開発主任は……巌谷中佐でしたっけ?」
 国連が国土を失った世界各国の軍に対して戦術機開発の場を提供する、先進戦術機技術開発計画――通称 プロミネンス計画――についてはさほど詳しくない武は、弐型の開発に携わった人物について師岡に訊ねる。
 巌谷榮二は、武が知る数少ない帝国陸軍の英傑だ。帝国陸軍の第壱開発局の責任者を務め、自身もかつては大陸で戦った衛士だという。つまり、師岡と同じ存命している老兵の1人である。

 尤も、武だって帝国軍へのXM3提供の関係で1回か2回程度しか直接会ったことはないのだが。

「提唱者は巌谷中佐でしたが、開発主任は別の方が務められていた筈です」
「まあ……そりゃそうですよね」
 それに対する師岡の返答に武は小さく苦笑を浮かべる。
 国内ならばまだしも、アラスカで開発が行われたというのならばわざわざ巌谷が赴く可能性は非常に低い。そうであるならば、誰か信頼出来る者に任せておく方が賢明で堅実だろう。
「それで……もしかしてこの弐型が提供機体……ですか? 帝国軍にだって本格的な配備が始まったばかりなのに?」

「半分正解……というところですね。この機体は、弐型の改修機でして、欧州向けの仕様となっているのですよ」

「………はい?」
 どこか得意気に告げる師岡の言葉に、一瞬、全員の時が止まる。武でさえ、彼が今言った言葉の意味を明確に理解することが出来ない。
 何故、“米国と共同開発した機体”を“欧州向けに改修する”のか。
「ボーイング社の協力により、国内での部品量産体制も整いましたから、機体改修自体は珍しくもありませんよ。欧州仕様となるのは、単純に売り込む目的だとお考えください」
「……えらくはっきり言われるんですね」
「隠したところで中佐はお気づきになるでしょう? 旧イギリス領のこの土地で製造された機体が、欧州を主戦場とするそちらにお渡しするのは、そういう意味合いもあるのですよ」
 してやられたと口元を歪める武に対し、師岡はほとんど表情を崩さずに取り繕いもなく答える。年の功とはよく言ったものだが、やはり化かし合いでは武になど微塵も勝ち目はない。それはこの場にマリアと美琴の2人が援護についていたとしても覆るものではないだろう。
「つまり、俺たちは体の良い宣伝役ってわけですか」
「今や中佐ほど宣伝効果のある方はいらっしゃいませんな。古参の英傑よりも、新進気鋭の若き烈士の方が一般の反応も良いでしょう」
「それはいい。少佐はなかなかマスコミにも通じておられる。退役後はテレビ局か新聞社に勤められては如何ですか?」
「その折には是非、中佐の取材をさせていただきたいものです」
 せめてもの反撃とばかりに武が皮肉を口にすると、彼の老兵はしゃがれた声で可笑しそうに笑う。まるで、武の反応などすべてお見通しだと言わんばかりの切り返しだった。
「中佐、うちは広報部隊というわけではありませんが、これほど貴重な機体を頂けるのなら、お断りする理由はありません」
「そうだよ、タケル。弐型なんて、帝国軍だって完全配備されてないんだから」
「分かってるっての」
 横に並んでいる2人から責め立てられ、やや苦笑させられる武。今尚、第1世代機を運用している部隊があることを考えれば、どうひっくり返っても拒否する理由にはならない。
「しかし……欧州仕様なんて造ってるとは思わなかったな」
 率直な感想を独り言のように武は呟いた。
 元々、自軍で運用しないことを前提として戦術機を量産するのは米国の専売特許だ。前線各国では無駄のない即時戦力が要求されているため、自国で造ったものは自国で使うことが当たり前となっている。

 軍事産業における経済効果が期待され始めたということは、即ち戦況が安定してきたことに他ならない。

「日本製の機体は意外と評価が高いんですよ。もう既に欧州には吹雪が輸出されていますからね」
「そういえば、第3世代機の訓練機は世界でもまだ少なかったですね。そういう意味でも吹雪の価値は高い、ということですか」
「ということでしょう」
 未だF-4を訓練兵に宛がっている軍隊もあるのだから、第3世代機である97式戦術歩行戦闘機「吹雪」の配備体制が整っている日本は非常に恵まれている。
 その点を鑑みて武が納得して頷くと、隣のマリアも強く同意を示した。
「師岡少佐。1つ御伺い致しますが、整備の面で何か問題点はありますか?」
「勝手の違いに戸惑うこともあるでしょうが、普通の整備兵ならば応対出来る筈です。基本フレームも含め、すべてが国連基準に準拠していますので、特に問題はないかと」
 武が訊ねるよりも早く、マリアが整備兵の側に立って質問を投げかける。流石にこの高価な機体を乗り捨て専用にしてしまうのは非常に勿体無い。きちんと整備体制を整えておかなければ宝の持ち腐れとなってしまう。
 だが、師岡から返ってきたのは心配ないという旨だ。

 1974年のF-4開発の折、米国は前線各国へ輸出を図るために自国のインチ規格を一部で取りやめている。
 当時の場合、主戦場は欧州に限られていたため、現地で使われているメートル法に従い、ほとんどの戦術機規格を国際単位系に準拠させたという経緯を持つ。
 無論、当時は規格改定に対しても米国内でいろいろと議論になったようだが、逸早く欧州での成果が見込めるよう、米国の企業側が譲渡した形となったと武は聞いていた。

 それに、弐型に米国製の部品を宛がうことが出来るのならば、確かに純日本製の機体よりは必要物資の調達は楽だろう。
 そこはかとなく、米国に踊らされている気がしなくもないが、ここはボーイング社の好意と受け取って、有り難く頂戴しておくことが賢明そうだった。
「XM3の搭載によって、弐型開発計画当初のものより補強レベルが増えているため、そちらで運用されていたラファールよりやや機動性は落ちると思いますが、それでも第3世代機の名に恥じないものではあります」
「まあ、機動性でBETAを撹乱する戦術も成果としては頭打ちを迎えてますからね。ハイヴ突入を見据えた上での機体としては申し分ないでしょう」
 師岡の言葉に武は大きく頷き返す。
 跳躍ユニットの出力だけで見れば、ラファールよりも不知火弐型の方が上だろう。だが、XM3との関係上、機体各部の補強を更に加えた結果、実戦での機動性能は肉薄するレベルだと師岡は言っていた。
 そのことに関してさしたる文句はない。何せ、それでもオリジナルの不知火よりは速いのだから。
「XM3の搭載で機体が重く改造されるってのも因果だよね。タケルとしてはどうなの?」
「別に長く戦えることに越したことはないだろ」
 うーんと唸りながら美琴が妙なことを訊ねてくるので、武も首を捻りながらそれに答えた。確かに、XM3は武が戦術機の即応性を向上させるために発案した新型OSだ。それを運用するに当たって総じて機体を重くしなければならないというのは皮肉な話なのかもしれない。
「鎧衣大尉殿、機体の軽量化に伴う機動性の向上……という第3世代機の主題は、何も満場一致の賛成を受けて推し進められたものではありませんでしたよ」
「そうなんですか? やっぱり、上から見れば期待値が低かったのかな?」
「まあ、どう改造するにしても予算はかかるしな」
 師岡から不意に告げられた言葉に、美琴は目を丸くする。
 軍部にしても政府にしても、よほどの成果が期待出来なければ大々的なバックアップはしてくれないだろう。それが、主力を担う戦術機の設計概念ともあれば、相当な物議を醸す筈だ。

「いえ、反対していたのは、主に前線兵の一部です」

 だから、老兵が続けて言ったその言葉に、武も一瞬唖然とさせられる。
「機動性の向上に、BETAと直接戦う前線の兵士が反対していたと?」
 武が抱く疑問をマリアも持ったのか、誰よりも早く彼女はそう訊ねた。それに師岡は1度だけ大きく頷く。
「機動性能の向上に向け、最初に注目されたのは装甲の軽量化です。これが最大のネックでした」
「………あ……そういうことか」
「タケル?」
 師岡の一言で、どういう意味か思い当たった武。彼が納得したような声を上げたので、美琴が不思議そうに呼びかけてきた。
「つまりあれだ。前線兵にしてみれば、前よりも装甲の薄い機体には乗りたくない、と」
「え? でも、実際には技術発展で装甲の強度は上がってたんでしょ?」
「例えば、だ。お前は今、銃口を向けられていたとする。その時、間にペラペラの防弾ガラス1枚と、何重にも張られた分厚いただのガラス、どちらかがあるとしたら、どっちの方が安心する?」
 まだ納得のいかなそうな美琴に向け、武は右手で銃のポーズを取ってそう言った。その行動に、納得したのかしていないのか、彼女は酷く狼狽したような表情を見せる。

 実際に信頼性は二の次に、人間は見た目が脆弱そうなものには例外なく不安感を抱くものなのである。
 ましてや、それが自分の命に関わるものであれば。

 現実問題で見れば、第1世代機だろうが第3世代機だろうが、BETAの攻撃を一撃でも喰らえば、大抵は戦闘不能に陥る。小型種の場合でも、戦車級にたかられれば状況の推移に若干の違いはあれど、辿る結末に差異はない。
 そうであるならば、BETAの攻撃は絶対的に回避しなければならないと、前線兵の意識が完全に変わるまでこの論争は続いていたのだろう。
 そして今、その思想が定着したことで、自分たちはこれほどまでに第3世代機に信頼感を抱いているのだろう。

 武にとって、偉大なる老兵の言葉は、自分たちがどれほどの礎の上で辛うじて立っているのかと、改めて思い知らされた言葉だった。




 日本から訪れた若き衛士たちが退室していった後、萎びた老兵は自身の椅子に深く腰を下ろし、大きく息を1つ吐いた。
 彼にとって戦友と呼べる者はほとんどが戦火に散っていった。
 その中には、自分のような老い耄れなど到底及びつかないだろう才と能力を持った若者たちも多数、含まれていた筈だ。しかしながら、彼らはそれを発揮する間もなく、戦場に身を投じ、英霊の一角となって祖国に帰ってきた。
 そんな戦友のために、犠牲となった友のために自分には何が出来るのか、悩み続けた時期もある。教導部隊に転属させられたことで、躍起になって戦うことで報いることが出来ず、それを嘆いた時もある。

 それでも今は、生きていて良かったと思うことがある。

 碌なことの出来ないこの老体でも、昔を顧みて、声に出して語ることぐらいは出来る。
 それが誰かの役に立つのか、それで誰かが救えるのかは彼自身にも分からないが、語り部という存在は確かに必要なのではないかと、今の彼は思っていた。

 経験者が出来る最良の一手は、戦うことではない。語ることなのだ。

 ただ躍起になって死に物狂いで戦うことではなく、同じ惨劇を繰り返さないために後輩たちに語って聞かせてやることなのだ。

 不意に、老兵は皺だらけの顔を綻ばせ、すっと手を伸ばした。
「そうは思わんか? 神宮司」
 その手で立てかけられた写真に触れ、そう独り言を呟く。
 ふと、彼は思った。
 写真の中で、自分の隣に立って凛々しく敬礼するうら若き女の瞳と、今し方、退室していった若き傑物の青年の瞳はどこか似通ったものがある、と。



[1152] Re[38]:Muv-Luv [another&after world] 第38話
Name: 小清水◆2e19c93f
Date: 2007/08/12 16:43


  第38話


 同日 日本 1300 帝都。
 朝から続いている雨は一向にやむ気配を見せない。そんな中でも人々は日々の営みを忘れることなく、寧ろ雫降り注ぐ雨期の風情を楽しむかのように、しめやかに、同時に賑やかに日常は続けていた。
 その街並みの中、傘を差して歩道を行く3人。何れもまだ20歳を迎えて間もないだろう若き女性だ。世が世なら、これも日常の一コマとして描かれるべきなのだろうが、当人たちにとっては滅多にない出来事として捉えられている。

 何故ならば、彼女たちは何れも軍人であるから。

「こうやって外出するの、けっこう久し振りじゃない?」
 実用的なスニーカーで濡れたアスファルトを叩きながら前を行く赤毛の戦友が、帝都の街並みを感慨深げに見回しながらそう言った。
「私は1ヶ月振りくらいかな」
「晴子はアラスカから戻ってきてしばらく休暇あったからね」
 その隣を歩く対照的な青毛の女の受け答えに、涼宮茜は納得した様子で相槌を打つ。その言葉に隣の柏木晴子も「うん」と頷き返した。
 2人が纏っているのは普段の軍服ではなく、それぞれが所有する普段着だ。

 茜の方は動き易さを何よりも念頭に置いた、中性的でラフな服装。ジーンズにスニーカーという下半身のファッションはそれを最も如実に表している。

 対して、晴子の服装もイメージとしてはほとんど代わらないが、履いている靴はやや踵の高い洒落たサンダルであり、茜よりは幾分か女性寄りの選定をしていた。

「彩峰は?」
 振り返り、傘の隙間から覗き込むように茜が彼女に対してそう訊ねてくる。
「………どうかな。私は暇があってもあまり外出はしないから」
「彩峰はインドアじゃないけどアウトドアでもないからねー」
 2人の後ろを歩いていた彩峰慧は、しばし考えた後に茜に対してそう答えた。彼女の記憶では、大抵、ある程度の暇があっても基地の中で過ごしている。帝都まで足を伸ばすことは本当に稀だ。

 今日だって、外出する彼女たちに付き合ったのは気分転換の良い機会になるのではないかと、深い意味もなく思ったからである。

 そんな慧の返答に、何故か可笑しそうに笑って同意を示す晴子。
 彼女は実に表情豊かで、一見すると大味な雰囲気を出している。だが、それも晴子自身が意識的に行っていることだ。慧もそれを知っている。
「まあ、こっちまで出てくるとなると休憩程度の時間じゃ無理よね。私だって1日休みじゃないと出てこないし」
「そだね」
 茜の言葉に慧は小さく頷き返す。
 今回は半年に1回の部隊機フルメンテナンスの日だ。その折にH11出撃組に対して、「せっかくだから1日休めば?」と香月夕呼から直々にお達しがあったのである。
 立場柄、彼女たちには完全な休日というものは少ない。訓練をしていなくとも、報告書や訓練計画、その他諸々の事務仕事の処理もある。

 彼女たちは基本的に、部下を休ませることはしても、自分を休ませることはしないのだ。

「晴子、まずどこに行く?」
「回るのはお昼食べてからにしよっか。彩峰もそれでいい?」
 今度は身体全体でくるりと振り返り、茜と晴子はこれからの方針について言葉を交わす。普段は予定通りに推移することが何よりも理想的な任務ばかりをこなしているのだから、こういう行き当たりばったりな時間を過ごすことは非常に珍しい。
 元より、寡黙な性格の慧の場合、徴兵以前からもこのように友人と出歩くことなどなかったために、余計に新鮮だった。
「柏木と涼宮に任せる」
 気分転換が目的で彼女たちに同行した慧には、これといって強く「行きたい」と思う場所はない。街を散策し、その景色を眺めていられればそれはそれで充分なのである。だが反面、どうしても別行動を取りたくないと考える辺り、自分は変わったのだなと慧は感じている。
 尤も、茜たちだってそれほど綿密な行動計画に従って動いているわけではないのだが。
「じゃあまずご飯かぁ。どこにする?」
「どこでもいいよ。適当にその辺の喫茶店で」
 茜に問われ、晴子は道の反対側を指差して答えた。その、両親が聞いたら嘆き悲しみそうなほど男らしい即決振りに慧ですら呆れ返りながらも、晴子の視線の先を追う。
 その先には、確かに一軒の喫茶店。あまり目立つ外装でないことに加え、繁華街から少し離れたところにあるため、あまり繁盛しているようには見えない。更に言えば今日は雨降りのため、人気は余計に感じられなかった。
「………ま、いっか」
「………いいの?」
 てっきり、もう少し反対するかと思っていた茜の言葉に、慧は思わず首を傾げつつそう訊ね返す。もう少しお洒落な店を所望するかと思ったのだが、そうではないらしい。
「いつまでも雨の中にいるのもどうかと思うしね。寛ぐには良い雰囲気なんじゃない?」
 返されたその言葉に、慧は成る程と小さく頷く。確かに、件の喫茶店は良く言えば“落ち着いている”と表現出来なくもない。
「2人とも、急がないと信号変わっちゃうよ?」
 じっと喫茶店を見つめて、もう1度心の中で慧が納得していると、不意に晴子から声がかかった。視線を向ければ、彼女は既に横断歩道に踏み出さんとしている。

 慧は最近、とみに思うことがある。
 柏木晴子はその実、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)随一のムードメーカー且つトラブルメーカーではあるまいか、と。


 畳んだ傘を傘立てに放り込み、身体についた水滴を軽く払った彼女たちはそのまま喫茶店の入り口を潜る。ドアを開けた時にカランコロンと鳴るベルの音が、一層にレトロな雰囲気を醸し出していた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
 出迎えてくれるのはカウンター席の向こうに立つ中年の男性。店内には他に店員の姿がないため、彼がマスターなのだろう。
 そもそも、店員のみならず他の客の姿もないのだが。
「メニューはテーブルに置いてあるから、好きなように頼んでね」
 長居するつもりなのか、ギシギシと音を立てる木目の床をヒールで叩いて、先を行く晴子は奥のテーブルに向かった。その際にカウンターを横切るところで、マスターからそんな言葉をかけられた。
 そんな接客も如何なものかと思うが、反面、それが店の方針ならばどうこう言う権利など慧にはない。無論、癇に障れば文句ぐらいは言うが、今のところは寧ろ堅苦しくなくて居心地が良さそうな印象だった。
 PXに馴染んでしまったからかな、と慧は腰を下ろしながら勝手に思った。
「ここいいなぁ。常連になろっかな」
 慧の隣、茜の向かいの晴子はうーんと伸びをしながら呟く。どうやら第一印象で気に入ってしまったらしい。
「2、3ヶ月に1回来られるかどうかの人間は常連とは呼ばないでしょ」
「柏木、たぶんあと半年は来られないよ」
 呑気なことを言う晴子に対し、茜と慧は微妙に違うがほとんど同じニュアンスの言葉を返す。慧の言葉は、「半年待てば次のフルメンテナンスの時に暇が出来る」という暗喩だ。
「お嬢さん方は帝国軍? それとも国連軍? もしかして斯衛軍かな?」
 そんな会話をしていると、トレイに載せたグラスを慧たちのつくテーブルへと移しながらマスターがそう訊ねてきた。あまりされたことのない質問に、3人は戸惑う。
「国連軍ですけど……何で軍人だと?」
「その歳で徴兵されてない人なんて少ないでしょう?」
 一転し、やや警戒気味に茜が訊ね返すと、マスターは微笑みを浮かべて答える。理屈としては納得出来るが、それでもやはり滅多にされない質問であることに間違いはない。

「そっか、国連軍か。国連軍の人が来るのは初めてだなぁ」

 慧がそう考えていると、マスターの口から更に奇怪な言葉が漏れた。“国連軍人”が初めてならば、“帝国軍人”は頻繁に来店しているということなのだろうか。
「軍人の方がよく来られるんですか?」
「そこそこにはね。まぁ、1番のお得意様は―――――――」
 晴子の問いに答えかけたマスターの言葉は、ベルの音で遮られる。店内には他に客がいなかったのだから、カランコロンという音は来客を報せる合図だ。
「ご無沙汰しとります! マスター元気?」
 ベルの音が鳴り止まないうちに、威勢の良い物言いでマスターにかかる女性の声。その、不思議と聞き覚えのある“右上がりのイントネーション”に慧は他の2人と顔を見合わせ、徐に入り口の方を覗き見る。
 そこに立っているのは、茜よりも更に濃い、燃えるような赤の長い髪を持つ女性。見覚えのある人と違うのは、普段身に纏っている橙の軍服ではなく、キャミソールにジーンズという実にラフな衣類を身に着けていた。

 間違いない。斯衛軍の関口だ。

「お邪魔致します。ご主人、お元気そうで何よりです」
「予定よりちょっと早く来ちゃったけど、大丈夫?」
 その、関口ですら仰天したというのに、続いて入ってきたのは更にとんでもない人物だった。

 片や、普段は蒼青の軍服を纏う、小柄な若き斯衛軍指揮官。
 また片や、普段は真紅の軍服を纏う、初老を迎えた古豪の斯衛軍指揮官。
 九條侑香と朝霧叶の師弟2人。
 共に、普段着なのか、関口同様に動き易さを重視した軽装だ。

「いらっしゃいませ、九條様。御二人も、お待ちしておりましたよ」
 慧たちのテーブルに冷水を置いたマスターは、新たに来店した上客を迎えるために入り口付近に向かう。幾ばくか丁寧な応対をしているが、相手が相手なだけにそれも甚だ首を傾げるほど“軽い”接客だ。
「ありがとう。あら? そちらのお客さんは………」
 お互いに目配せし、どう行動すべきか無言で意見を交換し合う。尤も、一番奥のテーブルにつく彼女らに出来ることなど皆無に等しい。
 更に、碌な意思疎通を行う暇もなく、朝霧が彼女たちに気付いたように声を上げた。やはりただの軍人である彼女たちでは、武人でもある朝霧らから身を隠すことなど不可能だったようである。
「失礼しています!」
 ほぼ同時に、気付かれたと理解した3人は立ち上がり、朝霧に対して敬礼を返す。
「こんにちは。私服で敬礼は不自然ですよ。もっと自然に振舞いましょう」
 その態度が可笑しかったのか、九條侑香はくすくすと笑いながら慧たちに対して会釈で挨拶してきた。店のマスターには申し訳ないが、その雰囲気は慧から見ても酷く場違いに思える。
「あの……皆さんは何故こちらに?」
「ここは九條大佐御用達の喫茶店なんやで」
「侑香だけじゃなくて、あたしも灯夜君も利用してるけどね」
 場違いだと感じたのは晴子も同じか、恐々といった感じで侑香らに問いかける。しかしながら、関口と朝霧から続けざまに返ってきた言葉は更に耳を疑うようなものだ。
 「御用達」。その言葉に一瞬視線を交わした慧、晴子、茜の3人は即座にメニューを開き、内容を確認する。
「値段は普通だから大丈夫だよ」
 その行動の意図するところを察したのか、マスターもそう言って口元に皺を寄せて微笑む。その言葉に、胸を撫で下ろせば良いのかそれとも己の懐事情に嘆き悲しめば良いのか、慧にはよく分からなかった。
「ああ、そうそう。今日は途中で見かけたうちの偉い人連れてきたから」
 くるりとマスターに向き直った朝霧は、満面の笑顔でそう告げる。斯衛軍の中将たる彼女が「偉い人」と表現する人間など、それこそ数えるほどしかおるまい。
「貴様の方が上であろうに」
 不意に低い男の声が返ってくる。慧が首を伸ばして朝霧の向こう側を覗き込むと、亜麻色の長い髪を持った初老の男性が、渋い顔で腕組みをしたまま立っていた。侑香や朝霧らとは異なり、スーツ姿できっちりと決めているが、やはり違和感は大きい。

 何故ならば、その男性も普段は専ら真紅の軍服に身を包んでいるからである。

「白河少将!?」
「そういう貴様らは国連軍の将兵か。ああ、確か、白銀武の同期兵であったな」
 ある意味、斯衛軍大将の紅蓮醍三郎が現れるよりも衝撃的な来店者に、慧たちの声は再び重なる。最早、困惑している状態に等しかった。
「幸翆は彼女たちに会うのは初めてだっけ?」
「わたくしは貴様や紅蓮大将と違って外面が良くはないと自負している。帝国軍人にならばいざ知らず、国連軍に親しき友人など作ってもトラブルを持ち込むだけであろう」
 朝霧に問われ、ふむと相槌を打った白河幸翆はまるで他人事のように答える。慧とてほとんど名前しか存じ上げない相手ではあるが、どうやら今の言葉は皮肉ではなく、本気で言われたものらしいということは感じ取ることが出来た。
「白河少将もよく来られるんですか?」
「些か心外な質疑だが、応答は否だ。此度はそこの朝霧中将より強引に連行されてきたに過ぎない。沖縄から帰投したばかり故、本宅に戻ろうと考えていたのだがな」
 勇気ある晴子の問いかけに、白河は恨めしそうに朝霧を指差して答える。それでも、締めているネクタイを緩めるあたり、納得はしているらしい。あるいは諦めかもしれないが。
「申し訳ありません、白河少将。お忙しいところを」
「忙しいか、と御質問されては頷きかねます、九條大佐。御同伴叶わなかった斉御司少佐の代わりにはなりませぬが、幾ばくかお付き合い致しましょう」
 軍服ではないからか、恭しく一礼し、侑香に受け答える白河。晴子に向けて漏らした愚痴の類とは恐ろしく一転した応対だ。
「幸翆……あたしに対しては厳しいわね」
「稀有なことを言う。ふむ……だが、貴様が嫌だと言うのならば目下の者らしく振舞っても良いか」
「うわっ……やめて。貴方の場合、すごく嫌みったらしく聞こえるから」
「中将殿が左様に思われるのも無理はない。わたくしは嫌みったらしく言っているのだからな」
 ぶんぶんと全力で首を横に振りながら拒否する朝霧の言葉など聞かず、白河はにやりと不敵に口元を吊り上げて答えた。これではどちらが上官なのか分かったものではない。
 不意に、慧にはからかわれる朝霧の姿が、宗像美冴や月詠真那といった年長者にからかわれる白銀武の姿と重なって見えた。
「さて、冗談はさて置き……寛ぐならば自由にするが良い、朝霧。わたくしも同様にさせてもらう。それでは、失礼致します、九條大佐。関口は御二人の警護、任せるぞ」
「任されました」
 3人にそれぞれ言葉をかけ、白河はそのまま慧たちの隣のテーブルへと腰を下ろす。窓際の席で、シトシトと注ぐ雨の中に佇む街並みをバックに座る白河の横顔は、恐ろしいほどに決まっていた。
 対し、一応常連らしき侑香たちは、カウンター席に並んで腰を下ろす。

 一瞬で、慧たちが入店したばかりの頃の落ち着きが取り戻される。だが、それでも尚、店内が一種の魔境と化しているように見えるのは、決して慧の気のせいではないだろう。

「関口大尉って……確か第4大隊の方じゃなかったっけ?」
 カウンター席で姦しく話している、中将・大佐・大尉の3人組に、奇妙な違和感を覚えたらしい晴子が、隣に座る慧にそう囁いてきた。慧もそれに小さく頷き返す。
 立場上、関口が警護を司るのは直属の指揮官でもある斉御司灯夜の方だ。その彼女が九條侑香に同行しているという点は、確かに不自然かもしれない。
「九條大佐は元々、朝霧直下の23中隊を統べられていた方だ。その際に副隊長を務めていたのが斉御司少佐で、関口もその部下であった」
 頭の後ろから、小さくも実に通る声で答えが返ってくる。つまり、彼女たちは元々、直属の上官と部下の関係だったということだ。ただ、あの親しさを見れば分からなくもない。
「それに、関口だけではない。42中隊の仙堂、第6大隊の伊藤に栢山、桜花作戦の折に貴様らに随伴した双海も京都防衛戦までは23中隊に所属していた。尤も、京都での戦いで生き残った23中隊の面々は彼奴らだけであったが」
 囁くように、また感慨深そう白河は当時のことを振り返ってに語る。
 九條侑香と斉御司灯夜が同じ中隊……それも、朝霧直下の中隊に所属していたのは、城内省が警護効率を上げるために行った策だろう。そこには、古豪の士官である朝霧の隊が出撃することなど滅多にないという考えも多分に働いている筈だ。
「朝霧中将とは長いんですか?」
「そうだな……彼奴が軍属となる以前から見知っている。昔はもう少し淑やかで、愛らしかったのだがな」
 ずけずけと訊ね込む晴子に答え、白河はくっと口元を緩める。
 確かに、2人のやり取りはいくら死線を共にしたであろう古豪の英傑にしても少々、込められた親しみが強い。朝霧が彼のことを下の名前で呼んだり、白河が上官である彼女のことを「貴様」と呼んだりしているところは顕著な面だ。
「想像し難いかもしれぬが、朝霧はあれでも若かりし頃は、慎み深い、長く美しい黒髪が何よりも映える乙女であった」
 白河の言葉に合わせ、慧はカウンター席に座る朝霧の後ろ姿を目で追う。実年齢よりは確かに若々しい気概を放っているが、印象としては「淑やか」というよりも「朗らか」という方が強い。
 また、欧州で見かけた、武を抱擁する彼女の姿からも、失礼なことだが慎み深さという印象はほとんど感じられなかった。
 歳月というものは、それだけ人を変えるのだろうか。

「あのようなことさえなければ、朝霧も軍属になどならなかったのであろうにな」

 不意に、頭の後ろから聞こえたその言葉に、慧は思わず振り返る。しかし、当の白河はほとんど身動ぎもせず、ゆっくりとただ出された冷水を口に含むだけだ。
 訊ね返せるか、と問われれば首を横に振るしかない。
 彼女に出来るのは、彼が語る“独り言”に耳を傾けることだけである。
「彼奴は20年も昔に想い人を喪っている。あの男の訃報が、結果的には彼奴の入隊の引鉄になった筈だ」
 ため息を漏らすように、愚痴を漏らすように、白河は告げる。彼がいったい如何なる想いを抱いてその言葉を紡いでいるのか、慧にはすべてを察することは出来ないが、苛立ちにも似た何かが含まれているのではないのかと不意に思った。
「………暗い話になったな。年寄りの戯言だ。忘却すると良い。話題を変えよう」
 何と答えれば良いのか戸惑い、慧たちがお互いに視線も交わせずに沈黙を続ける。その空気を生んでしまったことを申し訳なく感じたのか、すぐに白河は肩を揺らして詫びにも似た言葉を述べた。
 その、非常に短いセンテンスで構成された言葉が、彼自身のやり切れなさもそこはかとなく醸し出させている。

 そう、あれは彼の独り言なのだ。
 どうして独り言に対して、他人が質問を投げかけられようか。

 慧は軽くかぶりを振り、これ以上の詮索はやめにしようと自分に言い聞かせた。朝霧にしても、自らの口以外からそのような話が語られることは不本意なことこの上ないだろう。
「白銀と同期ということは、貴様らは何れも207分隊であろう?」
「………はい。2人はA分隊、私はB分隊に所属していました」
 唐突に訓練兵時代のことを持ち出され、慧は一瞬戸惑いを覚える。だが、訊ねられたことにはきちんと答え、自分と茜、晴子の2人が別々の分隊にいたことも捕捉した。
「…………冥夜は健勝でやっているであろうか?」
「冥夜って……御剣のことですよね?」
「貴様らの知人に左様な名の者が他にいるのか?」
 晴子が首を捻りながら訊ね返すと、白河から肯定の意を暗喩する問いが更に返ってきた。慧は思わず顎に手を当てて考え込んでしまう。否。躊躇った、という方が正しい。
「何故、御剣のことを?」
 続く茜の疑問も至極尤もだった。
 御剣冥夜の出生について、明言こそされていないが、慧とて確信がある。あの月詠真那すら、冥夜の任官後はほとんど正規の軍人として接しているのに、縁のなさそうな白河が気にかけるのは流石に奇妙としか言えなかった。

 それがもし、“煌武院悠陽殿下の妹”に対する言葉ならば、彼のような立場の者としては問題発言に近い。

 だが、幸か不幸か白河から返ってきたのは、慧の想像の遥か斜め上を行くものだった。

「妙なことを訊く。わたくしがただ1人の姪を憂いて如何様な問題がある?」

「姪?」
 正直なところ、あまり聞き慣れない言葉が混じっていたので、慧は思わずその言葉を疑問符付きで復唱する。
 姪とは何か。
 答えは「己の兄弟姉妹の令嬢のこと」である。
 誰が誰の、という疑問は、最早この場において意味を成さないものだった。
「わたくしは白河の婿養子だ。生家は御剣……御剣家当代はわたくしの兄に当たる。兄の娘なのだから、冥夜はわたくしの姪に相違あるまい?」
「いや、それはそうですけど……」
 非常に納得し難い。そう感じているのは茜も同じなのか、白河の言葉に苦笑気味に歯切れ悪く答える。事実を言われている筈なのに、まるで狐にでも抓まれた気分になった。
「幸翆も御剣大尉のこと、本当に気にかけるわよね」
「っ!?」
 急に、朝霧の声が割り込んできたので、慧は飛び上がりそうになった。再び振り返れば、席から立った朝霧が慧たちのテーブルに向かって歩いてくるところだ。

 どこから聞かれていた?

 そんな後ろめたい疑問が慧の中に浮かぶ。少なくとも前半は、彼女にとって気持ちの良い話ではなかった筈なのだから。
「姪の心配をして何が悪い? 目の届く帝国軍や斯衛軍ならばいざ知らず、国連軍とあっては仕方あるまいよ」
「御剣大尉ばっかり気にかけてると、息子さんが悲しむわよ?」
「彼奴は役人であるからな。愚息のことならば幾分か安心している」
 少し責めるような朝霧の言い分に、くっと不敵に笑った白河は即座に切り返す。戸惑ってしまった慧たちの方が不自然なほど、白河は何事もなかったかのような態度で朝霧に接している。
 また、朝霧も話の前半部分は聞いていなかったのか、表情に影を落とす様子も見られなかった。
「まあでも、御剣大尉のことはあたしも気になるな。欧州派遣の時は会えなかったし。どう? 元気にやってる?」
「いつも通り、ですよ。ね? 彩峰」
「……そだね。御剣は相変わらず堅物」
 晴子に促され、慧はやれやれというように率直な印象を答える。冥夜の叔父を前にしても、彩峰慧は物怖じすることはない。

 何故ならばここは、ただ偶然に邂逅した喫茶店の中でしかないのだから。

「くっ……貴様らにそう言わせるということは、彼奴も昔よりは柔軟になってきたということか」
 慧の言葉で、白河は肩を震わせながら可笑しそうに声を漏らす。
 彼の気持ちは、慧にも分かる。何せ、彩峰慧はある意味において、今まで最も近いところで御剣冥夜を見てきたのだ。
 訓練分隊時代は得物こそ違えど、共に近接戦を得意とし、任官後に配属されたA-01部隊では白銀武も含めて最後まで前衛小隊の戦友として戦ってきた。

 だから自分は、少なくとも今の自分は、冥夜の良いところも悪いところも含めて理解出来ていると、そう自負している。

 確かに、冥夜は今も昔も堅物だ。それが彼女の魅力であり、欠点でもある。
 それでも、昔の堅さは決して冗談として語れない部分があった。今のように茶化した回答など、微塵も入り込む余地はなかった。
 それがなくなったのだから、冥夜からはきっと“目の離せない堅さ”というものが取れてきているのだと、慧は思う。
 それをきっと、白河も感じ取ったのだろう。
「さて、それではわたくしはそろそろお暇させていただこう。家内も首を長くしているであろうしな」
「そう? 奥様に宜しくね」
「伝えておこう。朝霧、感謝するぞ。今日は彼女らから、稀有な話を聞くことが出来た」
 すっと立ち上がった白河は朝霧の言葉に頷き返し、慧たちをちらりと見てからそう答える。実際のところ、慧たちはほとんど何も話すことは出来なかったのだが、当人が貴重だと言うのだからきっと貴重な話だったのだろう。
「でしょ? 存分に感謝なさいよ」
「半ば怪我の功名であったがな」
 得意気に胸を張る朝霧に、ふんと鼻を鳴らして皮肉のように白河は言い返す。そのまま、むっと唇を尖らせる朝霧に気もかけず、白河は慧に顔を向けた。
 彼は微笑む。
 外面が良くないと本人自ら言っているように、どちらかと言えば険しい顔つきをしていることの方が多い白河幸翆が、ふっと優しく柔らかく、慧に微笑みかけた。

「礼を言うぞ。彼女のことを宜しく頼む」
 その柔らかな表情と同じくらい優しい言葉でそう言った白河は、確かに縁者として“御剣冥夜個人”を憂う1人の男でしかなかった。




 榊千鶴は腫れ物だった。
 彼女が率いる訓練分隊の副隊長を任せていた御剣冥夜も、確かにそういった意味では腫れ物だったのかもしれないが、彼女はあくまで“非公式”である。
 社会的な体裁を見れば、榊千鶴ほどの腫れ物もそういなかった筈だ。

 彼女の父 榊是親は前内閣総理大臣である。
 それは即ち、彼の12・5事件においてクーデター軍によって暗殺された官僚の1人だ。

 あの事件を起こした軍を恨まなかったと問われれば嘘になる。だが、「どうして父が……」と理不尽な仕打ちに嘆き悲しんだかと問われても、彼女はどうしても首を縦に振る気分にはなれなかった。

 自分は、心のどこかでこうなることを予見していたのかもしれない。

 千鶴は最近、不意にそう思うことがある。
 元より、彼女は当時、あまり父との折り合いは良くなかった。内閣総理大臣の娘という立場により、受けることも可能だった徴兵免除を蹴って国連軍に入隊した千鶴の精神は、一言で言えば反抗精神そのものだったのだろう。
 だから、余計に虚しい。

 何故、私はあの時、諦観していたのだろうか、と。

 彼女をよく知る者が聞けば、頭ごなしに否定するだろうが、少なくとも千鶴自身はそう思っている。
 軍人として、政治家の娘として、軍と政府との齟齬にはより敏感であった筈なのに、無意識のうちにそこから目を逸らしていた自分。それが、千鶴にとって最大の悔恨として今も残っていた。

「大尉殿?」
 ため息にも似た息を吐いた時、不意に声をかけられたので千鶴はハッとする。大慌てで意識を戻して顔を上げると、作業着姿の男性が立っていた。年の頃は千鶴よりもやや上だろうか、といったところ。
「……すみません、少しボーっとしていました」
「大丈夫ですか? お疲れでしたら、無理に立ち会われなくとも――――――」
「大丈夫です。この程度で根を上げていては、衛士の名折れですから」
 千鶴の顔をやや覗き込むような体勢で男性が訊ねてきたが、その言葉を半ば遮るような形で彼女は心配無用の旨を返す。
 自分たちはあくまで任務として赴いているのだ。私情からくる疲労で気を遣われては、中隊長の名に傷が付くというものである。
「そうですか。それでは、こちらが収容機の簡易整備概要です。一応、目を通しておいてください」
 男性の表情は千鶴の言葉をまったく信用していないようだった。だが、自分より階級が上の人間に「大丈夫」と明言されてしまっては何も言えないのか、頷き返し、バインダーで綴じられた数枚の書類を差し出してくる。
「ありがとうございます。第9中隊(エルルーン)機のものは私が責任を持って鎧衣に渡しますので」
「お願いします」
 本来は鎧衣美琴が受け取るべき書類を代わりに受け取り、千鶴は敬礼をした。整備兵の男性はそれに敬礼で応え、背を向けて足早に立ち去ってゆく。
 見送るその背中が見えなくなってから、千鶴はもう1度大きく息を吐いた。同時にやれやれというように肩をすくませた後、空の右手で眼鏡を押し上げる。
 千鶴の視線の先には、この基地に格納されている帝国陸軍仕様の不知火が並んでいた。自分たちの蒼穹の不知火と向かい合う形で収容されており、一種異様な光景である。

 あの鈍色の、烈士の文字が刻まれた不知火を見る度に、トラウマのように思い出す。
 まるで鬼神のように迫り来る、正道を望んだが故に外道に甘んじた男の不知火。
 彼の振るった鋭く、迷いなき信義の刃は、一刀にして千鶴が乗る吹雪の腕を斬り飛ばした。吹雪とはいえ、XM3の概念実証機を搭載した機体を、あの男は旧OS搭載機の不知火で事も無げに打ち払って見せたのだ。
 尤も、そうであるからこそ、性能で劣る不知火で米軍のF-22Aを尽く撃墜したのだろうが。

 階級としては彼に並び、若い才人集まる戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第4中隊を任されている今でも、衛士としての錬度は足元にも及んでいない。
 少なくとも、千鶴自身はそう感じている。

 挙動制御ならば白銀武に劣る。
 近接格闘ならば御剣冥夜にも彩峰慧にも劣る。
 狙撃技能ならば珠瀬壬姫に劣る。
 斥候能力ならば鎧衣美琴に劣る。

 それが、榊千鶴。
 個人技能として、特筆したものは何もない。唯一の特長である高い指揮官適正も、それこそ部下・仲間と呼べる者がいることによって初めて発揮出来る能力だ。
「器用貧乏よね……私って」
 苦笑気味に、千鶴は呟く。
 一言で言えば、可もなく不可もない。そんな感覚。
 それを嘆いたことはないが、誰にも劣っていないと強く誇ったこともなかった。

「委員長」

 不意にそう呼ばれ、千鶴の心音は高鳴る。否、そんな生半可なものではなく、心臓が口から飛び出そうなくらいに驚いた。
 千鶴のことをそんなふうに呼ぶ人間は、知る限り1人しかいない。
 学生時代のクラス委員長が千鶴に似ていたからという理由だけで、千鶴のことを半ば初対面で委員長と呼んできた男。
 気が抜けているようで、どこか壮絶な悲壮感を漂わせている同年代の少年。
 白銀武。
「……何かしら?」
 悟られないように呼吸を整え、千鶴は落ち着きが過ぎるほどに淡白な反応を返した。
 こういうところが可愛げがないというのだろうな、と思いながらも、性分だから仕方がないと諦めてもいる。
「うちに提供される機体の実物を見ておこうと思って。第3ハンガーってここでいいのか?」
「貴方ね……どう考えてもここじゃないでしょ? ここは第6ハンガーよ」
 武の問いかけに千鶴は呆れたようにため息をついた。このハンガーに収容されているのは、千鶴と美琴の隊の不知火と、帝国陸軍仕様の不知火だけ。流石に、国連軍である彼らに提供される機体が帝国陸軍仕様であるとは思えない。
「げ……つーことは……途中で曲がるところ間違えたか」
 それに対して武は頬を引き攣らせてぐっと唸り声を上げた。
 見ず知らずの施設とはいえ、見事にハンガーの場所を間違えるとは、なかなか衛士として如何なものだろうか。妙なところで子供っぽいという彼に対する印象は、千鶴の中で何年経っても変わらないものだ。

 そこが彼の不思議な魅力である。

 白銀武が、千鶴たちの207衛士訓練分隊に入ってきたのは、彼女たちと比べて半年以上遅れた10月22日のことだった。
 この御時世にしては珍しい男。それも、香月夕呼から“特別”のお墨付きを貰った存在。
 その言葉に、一切の偽りはなかった。
 兵役経験はまったくないという彼の経歴を思わず疑いたくなるほど、白銀武はたった1日で、千鶴たちが半年以上かけて培ってきたものを飛び越えていったのである。
 しかし、誰もそれ以上踏み込むことはなかった。
 当時はお互いの立場を気遣い、余計な詮索などしないことが暗黙の了解となっており、また、2度目の総合戦闘技術評価演習に向けて驚くほど視野が狭くなっていたのだろう。

 だから、“特別”という言葉では表し切れない、彼の“異常性”を気にも留めなかった。

 そう、白銀武は異常なのだ。
 兵役経験がないというにも関わらず、肉体は鍛え抜かれていて、軍人としての知識は豊富過ぎる。
 そして、そんな訓練課程前半の成績すらも霞むほどに卓越した戦術機操縦技能とXM3の概念を発案した発想力は、既に下手な正規兵などでは太刀打ち出来ない領域に到達していた。

「やっぱ、マリアと美琴に待っててもらえば良かったかな」
 白銀武という存在について考え込み過ぎていた千鶴は、彼のその一言でふっと意識を引き戻される。見上げれば、目の前で武が参ったというように頭を掻いていた。
「………そういえば、一緒じゃなかったの?」
「用を足すので先に行ってもらった」
「……………」
 呆れたと、そういう意味を込めて千鶴は無言でため息をつく。
 優れた衛士であることに間違いはないのだが、分隊長として彼の行動にこうやってため息をつかされたことも数知れない。千鶴自身はまだ存じ上げないのだが、きっとマリアも似たような経験を積んでいるのではないかと、不意に異様な親近感が湧いたことは秘密である。
「委員長はもう調整の立ち会い、済んだのか?」
「ええ。あとは鎧衣にも報告書を渡して、中身を確かめるだけね」
 逆に問い返され、千鶴は小さく頷く。答えた後に、「まあ、見る限り問題はないでしょうけど」と、報告書に目を通すことが半ば形式故のことだと付け足しておく。
「じゃあ、一緒に行こうぜ。美琴も第3ハンガーにいる筈だし」
「要は、第3ハンガーまで連れていってくれ……ってことでしょ?」
「道間違えただけで場所ぐらい分かるっての」
 千鶴が目を細めて訊き返せば、武は頬を引き攣らせて答える。
 流石に場所を把握していないなどということはないだろう。まったく場所が分からなければ手近なスタッフに訊くだろうし、美琴や、彼の右腕たるマリアを先に行かせることなどもしない筈である。
「まあ、鎧衣の居場所が分かるのは助かるわ。“御同行致します、白銀中佐”」
「おう。じゃ、行くか」
 すっかり聞き慣れてしまったのか、千鶴の意地悪な軽口もあっさりと受け流し、可笑しそうに笑った武はハンガーの入り口を指差してそう答える。
「………本当に大丈夫なんでしょうね?」
「見縊るな」
 先導しようとする武がいまいち信用ならず、思わず千鶴がそう問いかけると、彼は振り返らずに自信満々で侮るなと反論してきた。
 こちらに迷い込んできた前例があるというのに、どうしてそこまで自信たっぷりに言えるのだろうと、千鶴には甚だ疑問だったが、そういうところが彼らしいと言えば彼らしかった。

 先を行く彼の背中は意外と大きい。
 分隊長として隊を引っ張ってきた頃からその実、彼女はこの背中に引っ張られてきた。
 そこには無意識のうちに頼りに出来る剛健さが備わっているが、同時に、他人が入り込んでくることを拒んでいる壮絶な悲壮感も漂っている。
 何が、彼にこの雰囲気を纏わせているのだろう。
 どれほどの経験を積み重ねれば、その両方を漂わせるまでに至るのだろう。

 思えば、千鶴は白銀武についてほとんど知らない。彼のことで知っているのは、ほとんどが207衛士訓練分隊に配属されてきた後のことだ。それ以前に、どこで何をしていたのかは、まったくと言って良いほど知らなかった。
 それを知っているのは恐らく、彼の幼馴染みである鑑純夏か、配属の手回しをした香月夕呼くらいだろう。

 鑑純夏。
 彼が愛する、彼のかつてを知るであろう、彼の幼馴染み。
 彼は1度、「もう会えない」と言っていた。しかし、任官直後に彼が赴いた前線で再会することが出来たという。それからほとんど日を置かず、今度は千鶴と彼も含め、207B分隊組全員が所属するA-01部隊に配属されてきて、共に桜花作戦に身を投じた戦友。

 これはただの偶然なのだろうか。
 元々持病らしきものを抱えている彼女を、対BETA兵器の切り札に搭乗させることも甚だ不自然である。しかしそれ以上に、病に臥し、意識を失った彼女を病院施設ではなく横浜基地に残した点も相当に解せない。
 機密保持のためとはいっても、香月夕呼ならば自身の息のかかった軍事病院くらい用意出来そうなものにも関わらず、だ。

 何か違う。
 圧倒的に何かが違う。
 公式だろうが非公式だろうが、腫れ物である彼女たちから見ても、白銀武と鑑純夏の2人は圧倒的、絶対的、そして何より根本的に異なった存在感を放っている。

 何も……話してはくれないのね。

 千鶴は心の中でそう毒づく。ほとんど愚痴に近い、弱々しい言葉ではあったが、それでも万感の想いはあった。
 身勝手な言い分だということは彼女も重々承知している。恐らく、未だに彼は香月夕呼の下で機密任務についているのだろう、と。
 それでも、力になれないことは口惜しい。

 それだけの力が足りないから?
 それだけの立場がないから?
 それとも、どうしようもない、決定的な何かが足りないから?

 グルグルと思考は巡る。最近になって……そう、純夏が目を醒ましてから急にそんなことをより強く感じるようになっていた。
「委員長?」
 気が付けば、彼と千鶴の距離はさっきよりも開いていた。考えを巡らせているうちに自然と歩くペースが落ちていたらしい。
「何でもないわ。急ぎましょう」
 軽くかぶりを振り、彼が次に紡ぐであろう気遣いの言葉を封殺した千鶴は、そのまま歩く速度を上げる。
 カツカツと軍靴でハンガーの無骨な床を叩き、千鶴はするりと武の横をすり抜けて前に出た。そのまま武を先導する形で足早に進み始める。

 そうすれば、今の自分の複雑な心境を、少なくとも表情から彼に読み取られる心配はないから…………。












 あとがきに近いもの

 通常掲示板で議論されている内容を拝見して、私も自分から少しでも行動してみようと思い立ちました。
 (HOME)から感想掲示板のスレに飛ぶようにしてみましたので、「1つ、感想を書いてやるか」と思ってくださった方はご利用下さい。
 まだまだ先は長いお話です。これからもお付き合いいただければ幸いに思います。



[1152] Re[39]:Muv-Luv [another&after world] 第39話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:2e19c93f
Date: 2007/08/17 20:35


  第39話


 衛士の順応力は伊達ではない。
 戦術機という即応性に特化した兵器を操る上では、環境に逸早く順応する能力は非常に重要だ。
 鎧衣美琴という若き中隊長は、殊更その能力においては長じたところがあるのだが、今日に限って言えば、彼女自身も自分を取り巻く環境の変わり具合には驚嘆していた。

 強化装備に身を包み、美琴は遠くで帝国陸軍の訓練兵たちに演習内容を説明している白銀武の姿を眺めていた。
 海に面した白い砂浜に残されたのは、美琴を除けば同じように強化装備を着たままのマリア・シス・シャルティーニだけである。
 彼女たちがいるのは、クアラルンプールから北にある、タイとの国境に程近い小さな島だ。しかも、本島にも隣接しており、5kmと離れていない。かつてはここにも都市が存在していたのだが、BETAの南進に伴い住民はクアラルンプールまで避難し、ここは完全に放棄されていた。
 そして今現在、帝国軍は稀にここを演習場として利用させてもらっているらしい。
「鎧衣大尉も大変ですね。アラスカの次は赤道直下のマレーシアですか」
「それを言うんだったらシャルティーニ少佐も大変だと思いますよ」
 不意にマリアから声をかけられ、美琴は可笑しそうに笑いながら答える。武の副官を務め、欧州から日本、マレーシアと渡ってきた彼女の忙しなさは、美琴から見ても生半可なものではない。

 また同時に、妬ましくもあるのだが。

「ご理解痛み入ります、鎧衣大尉」
 くすりと笑い、冗談めかした口調で頷き返すマリア。決して長い付き合いではないとはいえ、今日まで彼女のそのような表情を見たことのなかった美琴は、驚いて思わずマリアを見つめ返してしまった。
 マリアの背は高い。
 お世辞にも人並みとは言えないほど、見上げる美琴の身長が低いこともあるが、それでも平均的な女性の身長と比較して、マリアは10cm程度上をいっている。武と並んだとしても、やや低いがほとんど変わらないレベルだ。
 だから、美琴から見ればマリアはまさに宝庫。美琴が欲しがっても持ち得なかったものを多分に持ち合わせている。
「…………何か?」
「え!? あっ……えぇっとぉ……何でもないです」
 美琴がじっと見つめていたからか、マリアは怪訝そうな顔つきになって問いかけてくる。そこで美琴はようやく慌てて取り繕うが、不自然さは寧ろ際立っていた。
 それでも、彼女は気を悪くした様子もなく、「そうですか」と首肯して、視線を上げる。
 彼女の視線の先には、さっきまで美琴が眺めていた武の姿がある。
「中佐がどのような演習内容を考えているのか知っていますか?」
 彼から視線を外さず、マリアは美琴にそう問いかけてきた。強い雰囲気の疑問系であったため、本当に彼女は何も武から聞いていないのだろう。
「たぶん、単純な森林戦だと思います。訓練兵部隊をいくつかの班に分けて、正規の歩兵小隊とぶつける感じの」
 それに答える美琴の言葉も、実際には武から直接聞いた話ではない。ただ、彼女の部隊に数名配されている、武の元教え子たちが語るには、彼の立案する総合戦闘技術評価演習は圧倒的に山岳ゲリラ戦が多いらしいとのことである。
 無論、同規模でぶつかれば正規兵の圧勝だ。経験豊富な上に相手は真っ当な歩兵。対し訓練兵はあくまで衛士の卵。ゲリラ戦では話にならない。
 だから、投入される歩兵小隊のうち戦闘行動を行うのは1班か2班だけで、残りは偵察隊として機能すると考えるべきだろう。それも、攻撃部隊と連携するためではなく、担当教官と、監督者である武に訓練兵の様子を逐一報告するための。

「ともあらば、達成条件は完遂のみ、というわけではないでしょうね」

 納得したように相槌を打つマリア。
「……そうだと思います」
 逸早くそれに気付いたマリアに驚きながらも美琴は頷く。伊達に3ヶ月間、武の副官を務めてきていないというところだろう。
 彼女の言う通り、偵察班がそのような行動をするということは、訓練兵の行動は逐一武たちによって監視・評価されるということに他ならない。
 何であれ、任務を達成出来れば成功。そして任務の成功を合否基準とするならば、極端な話、そのような監視は不要の筈である。
「しかし……ゲリラ戦ですか。大抵の場合、この演習はベイルアウト後の戦域脱出を想定されたものである筈ですが、これは完全に異なりますね」
「タケルは訓練兵の教官もやってましたから、いろいろと考えてるんじゃないかなぁ。僕も詳しく聞いたことはないんですけど」
 もう1度、マリアと同じように武の姿を眺めながら美琴は呟くように答える。美琴とて、武の意図しているところは分からない。武の教導を受けた彼女の部下たちは、その点については堅く口を閉ざすのである。

 彼らが言うには、「意図を知ればそれは実に意味を成さないもの」らしいのだ。

 恐らくは、武から演習の意図は教えられたが、他言することを禁じられているのだろう。その約束事が守られている辺り、本当に彼は良い教官を務めていたのだと認識させられる。
「どちらにせよ、我々がどうこうと口を出せるものではありませんね。中佐の采配にお任せしましょう」
「信頼してるんですね、タケルのこと」
 疑いを持った様子など微塵もなくそう告げるマリアに、美琴は肯定も否定もせずにそう言葉を返す。言った後に彼女は、「少し意地の悪い言葉だっただろうか」と不安になったが、マリアはただ不思議そうに首を傾げるだけだ。
「………その点に関しては、鎧衣大尉も同じかと思いますが?」
「あ、はい………はい」
 逆にマリアから訊き返されてしまったため美琴は2度、頷く。1度目は半ば反射的に、2度目はその意味を噛み締めるように、だ。
 その言葉に二言などない。鎧衣美琴は確かに、白銀武を信頼している。訓練兵時代から今日まで培ってきた関係は生半可なものではない。

 だからこそ、恨めしい。
 彼が本当に苦しみ、嘆き、悲しんでいただろう時に、何の力にもなってあげられなかった自分が。

 それは今も同じだ。武は開き直った気でいるようだが、それでもまだ1人では抱え切れないものを持ち上げようとしているように、美琴には思える。

 歯痒いのは、それなのに彼が助けて欲しいと言わないこと。
 そして本当に歯痒いのは、今自分はその事実に気付いているというのに、未だ何の力にもなれていないということ。

 誰が悪いわけでもない。誰かの助けが必要なら、武はそれを求めることをする人間だと美琴も知っている。だから、彼が助けを求めないのは、真の意味で他人では何の力にもなれないからなのだ。

 訓練兵たちに演習の説明を続ける武。
 その背中は頼もしい。かつて、自分たちが同じように総合戦闘技術評価演習を受けた時に、2人で班を組んで密林の中を行軍した時から、ずっと美琴はそう思っている。
 だが同時に、その背中は酷くか細いようにも思えた。
 高硬度の物質によって作られた棒切れのように、一見強靭そうに思えてその実、一点に強力な力が加わると難なく折れてしまう存在。
 彼はきっと、大抵のことは涙を呑んで耐え切ってしまうだろう。だが、その一点……棒で喩えれば最も危険な、中点に当たる場所に過負荷が加われば、恐らく彼は崩れ落ちる。

 だから、彼を守るためにその一点を死守しなければならない。少なくとも美琴はそう決意している。

「………絶対守るから」
 くっと拳を固めて、思わずそう呟いた。それは口裏を合わせるまでもなく、207B分隊組の総意である。思えば、桜花作戦の時だって彼女たちは、挺身してでも“2人”を生還させる気概だけは滾らせていたのだ。
 尤も、今となっては決して口外出来ない気概ではあったが。
 その、改めて口にしたその決意と共に、自分は何て偽善と矛盾を掲げているのだろうと苦笑する。

 何故なら、心の底ではその“一点”が自分なら良かったのに、と今でも思っているのだから。

「鑑少尉のことですか?」
「えっ!?」
 不意にそう問われ、美琴は思わず声を上げる。再び見上げれば、真っ直ぐに武を見つめたままのマリアの姿があった。その表情は酷く真剣で、向こうから話しかけられなければ、話しかけることすら憚ってしまうような雰囲気だ。
 だが、それ以上に美琴を驚かせたのはマリアの言葉そのものである。
「何でしょうか?」
「えっと……何で少佐はそう思われたんですか?」
「今のところ、白銀中佐が折れるとすれば鑑少尉のことぐらいかと思っています。あの方が、ものを身に着けるというのはそういうことを表しているのでしょう」
 美琴が問い返すと、マリアは武を見つめていた瞳を閉じて、息を1つ漏らした。ため息と呼ぶには些か嘆きの念が薄かったが、何らかの感情が込められているということは明らかな一息である。
 美琴も武を見つめ直す。
 彼の腕には、未だに鑑純夏が使っている黄色いリボンの一片が結び付けられていた。訓練兵時代、何一つ私的なものを持ち込まなかった彼が、終始身に着けている彼女との絆の象徴。
 縋っているという言い方はきっと正しくないが、彼がそれを大切に扱っていることだけは、痛いほどによく分かった。
「………そのような戦いを、鎧衣大尉はずっと続けてきたのではないですか?」
「僕たちだって、鑑さんとはそんな長いわけじゃないんです。会って、話をしたのなんか1ヶ月もないですから」
 もう1度、美琴に視線を向けてきたマリアの言葉に、美琴は苦笑気味に答える。彼女と武とて、正規兵として同じ部隊で過ごした期間は3ヶ月もないが、純夏との場合は更に短い。それでも尚、桜花作戦の折にその決意と覚悟を掲げたのは、少しでも武が望む道を切り拓きたいと美琴なりに考えたからに他ならなかった。
「……凄いですね、鎧衣大尉は」
 美琴の複雑そうな表情から察したのか、マリアは顔を上げて感嘆するように呟く。
「凄いのは、シャルティーニ少佐だと思います」
 対し、美琴は率直な感想を言い返した。
 いくら、同じ部隊で戦った期間に大きな差異はないとはいえ、正直なことを言えば、美琴と彼女では彼と共に投じた任務の質が違い過ぎる。特殊部隊に近い戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の前身である、香月夕呼直轄の機密部隊 A-01は、出撃自体が非公式にされることすらそう珍しい話ではない部隊だったのだ。
 もちろん、マリアたちの第27機甲連隊が半端な部隊だと言うつもりは美琴だって毛頭ない。そうであれば、フェイズ5のH11に突入し、反応路を破壊するなどという任務を達成出来る筈がないのだから。
 総合して見れば、鑑純夏のことをつい先日知ったばかりのマリアの反応としては、本当に聡明過ぎるように思えた。
 何故、と問われれば、美琴には明言するだけの確証がない。ただし、確信に近いものはある。

 恐らく、マリア・シス・シャルティーニは大局的に見て、美琴たちと“同類”なのである。

 美琴たちが桜花作戦の前に、示し合わせたかのように決意と覚悟を掲げたように、彼女もまたこの短い間に何らかの決意と覚悟を掲げたのだ。
 そして武が、彼女にそうさせるに値する存在として認識されているという意味に違いない筈なのだ。
「さて……いつまでも私がここにいても、演習の邪魔になるだけでしょう。弐型の試運転もかねて、私は少し対岸まで行ってきます」
 美琴がまた難しい顔をしていたからだろうか。マリアは話題を一時保留にするように言葉を返し、美琴に微笑み返す。
「あ、じゃあ、僕もお付き合いします。機体に何かトラブルがあったら、少佐が大変でしょうから」
「ありがたい話ですが……中佐の傍にいても構いませんよ? 大尉の任務は護衛でしょう?」
 美琴が自ら同行を申し出ると、それは意外だったというような表情をしてマリアが訊ね返してくる。だが、それは心外だと思いながらも、美琴の顔は自然と心から笑っていた。
「護衛任務はタケルとシャルティーニ少佐の両方にかかってます。千鶴さんももう少ししたら小隊連れてこっちに来ると思うし、歩兵の人たちもいるから、僕は少佐に同行するのが正しいと思います」
 美琴は笑いながらそう告げる。
 私情で任務を疎かにすることなど、隊を任された者としても美琴個人としても許されることではなく、また彼女自身も自己をそう律することを望んでいる。
 それに、マリアを放っておくことなど、美琴はしたくなかった。
「そうですか。では、お願いします」
 元よりマリアも勧めただけであり、美琴自身がそう答えては頷かざるを得ない。だからなのか、やや、やんわりとした敬礼の格好を取って、改めて礼にも似た返答を述べてきた。
「はい。一応、タケルにも言ってきますね」
「私も行きましょう。きちんと報告しなければ、副長としての顔も立ちませんので」
 ようやく演習に関する説明を終えたらしい武を指し、美琴が歩き出すと、マリアもそう言ってそのあとに続いた。
「鎧衣大尉はお人好しですね」
 先を行く美琴に後ろからかかる言葉は、少し皮肉っぽい内容だ。しかしながら、言い方に嫌味っぽさはなく、寧ろ親しみが込められている。反面、それは呆れにも似た調子と言えなくもないだろうが。
「シャルティーニ少佐も負けず劣らずだと思いますよ」
 砂浜を強化装備姿で歩きながら、美琴は首だけ回して振り返り、マリアにそう言い返してやった。それは彼女にとって本音であり、同時に皮肉めいたことを言われたことに対する、ささやかな反撃でもある。
「同感ですね」
 だが、当のマリアはふふっと可笑しそうに笑うだけだ。美琴にとっては、初めて会った時に抱いた印象とはまた少し違う笑みである。

 ふと、手強いなぁ、と美琴は思った。

 もうマリアは、付き合いが短いことの引け目など抱いていないように見える。
 少し前の彼女を知る者が見れば、そう感じるかもしれない。生憎と、美琴はそれを知らないため、最初から彼女はかなりの難敵だった。

 しかし、不思議と悪い気はしない。
 喩えるなら、友達と好みの話が合った時の感覚に近いだろうか。好みで盛り上がれる友人というのは、案外と貴重なものなのだ。

 尤も、恋愛というカテゴリーにおいて、それは極めて達観した見方であると、美琴自身はまだ自覚していないのだが。

 そんなことを考えながらも、美琴は歩む足を止めない。
 視線の先にいる彼の名を呼び、手を振りながら、白い砂浜の上を歩いていった。




「ん……分かった。緊急の時は、向こうの駐屯地を介してでも通信してくれよ」
 演習に関する説明を終え、訓練兵たちが5人構成の班ごとに散っていったのを武が確認したところで、美琴とマリアがやってきた。
 武もいったい何事かと思ったが、どうやら弐型の動きをもう少しチェックしたいから、対岸に向かってみる、ということの進言らしい。美琴はそれをするマリアに同行し、何らかの問題が起きた場合にフォローするつもりだ、と言った。
「分かってるよ。近くにいたら直接無線で入れるから、タケルこそ気をつけてよ?」
「何のために強化装備着てんだよ……。俺だって弐型あるし、委員長だってもうすぐこっちに合流するだろうし、そんな心配をされる方が心外なんだが……」
 美琴が冗談めかした言葉を言うので、武は呆れてため息を漏らしながら言い返した。武だって、報告を疎かにするつもりなどない。寧ろ彼は立場柄、この場においては報告される側にいる人間である。
 受け取ることに対して、そこまで呑気にいられる筈もなかった。
「榊大尉にはこちらからもこの旨をお伝えしておきますが、中佐の方からも出来れば再度お伝えくださると助かります」
「それも分かってる。意思疎通出来てないといざという時に問題だしな」
 続けて進言するマリアの言葉は、武から見て釘を刺しているように思えなくもない。どこまで信用されていないのかと、自分の身の振り方を省みているが、最終的に「仕方ないな」と結論付けてしまった自分を武は情けなく思った。
「それでは、失礼します。所属こそ違えど、より良い未来の同志が選定されること、私も願っています」
「ちょっと行ってくるね」
「気をつけろよ」
 しかし、そんな武の嘆きなどどこ吹く風。マリアと美琴はそれぞれ武に敬礼を返し、奇妙にも軽やかと思える足取りで、待機状態にしてあるそれぞれの機体の方へと歩いていってしまった。
 2人のその後ろ姿が何だか姉妹のように見えて、武は思わず吹き出してしまう。
「あれで少佐と大尉ですか……。徴兵年齢が引き下げられた時期にぶつかっているとはいえ、衛士は若い方が多いですな」
 美琴とマリアを見送る武に、そう声をかけてくるのは中年の男性だ。今回の帝国陸軍訓練兵演習において訓練兵を追撃する役割を担う、歩兵小隊の隊長を務める人物である。階級は少尉だ。
「衛士は任官すれば自然に少尉が宛がわれますから。正直な話、損耗も大きいですし」
「攻勢作戦においては圧倒的に衛士の死傷者が多いですからな。そう考えれば、今日のような演習も一つ一つ、気を引き締めねばなりますまい」
「少尉にそう考えていただけるのならば心強いです」
 腕組みをした、筋骨逞しいベテランの歩兵小隊長が広がる密林に視線を向け、改めて自らの士気を高揚させるように言う。ベテラン兵のこういった反応は非常に信頼出来ると、短いながらも濃い経験を持つ武は知っていた。
「追撃班と偵察班の編成はもう完了していますか?」
「は! 既に編成済みで、現在は各班、待機状態にあります! 追撃班には装備のチェックも並行して行わせていますので、次の報告が入り次第、即時出撃が可能でしょう」
 武の問いかけに、男性少尉は敬礼を取って生真面目な返答を返す。出撃という彼の言葉に、武は苦笑を漏らすが、決して間違いではないので敢えて何か言うことはしない。
「突入開始は10時間後です。総合戦闘技術演習とはいえ、実戦ではありませんから、あと数時間ほどはリラックスされても構わないと思いますよ。まあ、完膚なきまでに訓練兵どもを蹴散らしてやってください」
「そのことなのですが、中佐殿。1つよろしいでしょうか?」
「何ですか?」
 武が言葉をかけると、男性少尉は僅かに相槌を打ちながらもやや怪訝そうに眉根を寄せて、そう囁き返してきた。あまり声高に訊ねるのは憚られる内容なのだろうか、と首を捻りつつも武は続きを促すことで質問の許可を出す。
「この演習の真意をお聞かせください。兵員に差があるといっても高々3倍程度。相手が我々、正規の歩兵部隊とあれば、善戦こそあり得ても、まともな“生還”など彼らには望むべくもありますまい。彼らに伝えた、「戦域で救援が来るまでの5日間、敵の追撃を躱しながら生き残れ」などという指令、最初からふるいの目が大き過ぎる気がしますが?」
「俺は最初から連中を不合格にするつもりなんかありませんよ?」
 あまりにも訓練兵には演習の難度が高過ぎる。そう思っている様子の男性少尉の質問に、武はあっけらかんと言い返した。
 その、演習の意義自体を潰しかねない武の発言に、質問を投げかけた方も思わず「なっ!?」と驚愕の声を上げる。それもまた止むを得ない反応かな、とまた武は苦笑する。
「もちろん、作戦行動中に明らかにミスと思われる行動が随所に目立てば話は別ですけど、訓練成績を見る限り、いつまでもこの段階で立ち止まらせておくのは勿体無い。衛士としての伸びが期待出来るのなら、さっさと戦術機に乗せてやった方が学ぶものも多いでしょうしね」
「つまり………この演習も結局は形だけだと?」
 説明を重ねる武の言葉に、やや苛立ちや怒気を含んだ声調で男性少尉は訊き返してきた。確信めいた口調と、怒りを隠し切れない気持ちは武にもよく分かる。
 “本当にそんな演習で借り出された”とあっては、小隊を率いる者として腹立たしいことこの上ないだろう。
「まさか。確かにこれは試験じゃないですけど、列記とした演習ですよ。連中にはですね、合否なんて無関係で、1度「死ぬかもしれない」ってことをしっかり理解してもらわなきゃならないんで」
 一回り近く年上の少尉に凄まれても怯むことなく、武は寧ろ可笑しそうに笑って更に言葉を続けた。見る者によってはきっと、そこに不敵な何かも感じ取ることが出来るだろう。
「………意味が分かりかねますが?」
「戦術機の管制ユニットってのは安全なんですよ。訓練中なら、整備不良か、搭乗者の操縦ミス、あるいは無茶苦茶な格闘戦でもやらない限り、中の衛士が死傷するってことは少ない。でも、実戦は違うでしょ?」
 そう、実戦には実戦にしかない“死に方”が存在する。
 それは誰かのミスなどでは語り切れない、この世で一番恐ろしく、理不尽な死に方だ。

 明確に、疑いようもなく、殺されたと言える、死に方。

 それが訪れることは恐らく、根本的な原因を排除しない限り避けられない。そしてその中でも、武のような若僧も含め多くの先人が最も嘆くことは、初陣を迎えた衛士たちが足を竦ませ、手を震わせ、まともな反撃を加えることも出来ず、ただ無抵抗に殺されてゆくことなのである。

 それ即ち、「死の8分」。

 衛士育成のカリキュラムが安定し、対BETA戦術が確立された現代においても尚、それが恐れられ続けているのは、初陣の衛士の死傷率の高さが期待されたほどに解消されていないからに違いないのだ。
 紅蓮醍三郎の言葉を借りるならば、彼らは本当に無意識のうちに訓練に甘える。
 繰り返される訓練の中でその意図を見失い、どんなに屈強になろうとも実戦でそれを発揮することすらなく死んでゆく。その傾向が殊更、新任衛士では強い。
 何故と問われれば、武はこう答える。
 訓練では、死と隣り合わせである実感が少ないからだ、と。
 対し、この総合戦闘技術評価演習は少し毛色が違う。この演習は死ぬことも有り得ると公言されている通り、極めて実戦に近い判断を要求される。
 急ごしらえとはいえ、既に仕掛けられるトラップは、相手を行動不能にすることを最大の目標としているため、運が悪ければ命に関わるだろう。また、今回のような演習で使用されるペイント弾は、射程と打撃力こそ実弾に及ばないものの、推進力を持っている以上は当たれば衝撃が加わる。当たり所さえ悪ければ呆気なく昏倒、最悪死ぬことだって可能性としては楽観視出来るほど低くない。
 事実、武だって訓練兵時代の総合戦闘技術評価演習では実弾が搭載された固定砲台に狙い撃たれ、あわや身体が肉片として飛び散る寸前までいったことがあるのだ。
 それでも、あの時はまだ“敵と戦う”という認識が低かった。

 皮肉と言えば皮肉。
 何せ、彼ら訓練兵を初陣で容易に死なせないために、武は極めて実戦に近く、死ぬかもしれない演習へと放り込むのである。

 武とて、今日まで生き残ってきたのは、単純な悪運の強さを除けば、幸か不幸かそれを可能にするだけのステップを踏んできたからに過ぎないと思っている。

 評価演習を乗り越え、12・5事件で実戦に遭遇し、XM3試験運用演習にてBETAと対峙し、佐渡島においては実装状態での交戦を迎え、横浜基地で防衛戦の厳しさを学び、ついにはオリジナルハイヴに突入した。

 それだけの、綱渡りの段階を経て武はここに立っている。ただの1つも欠けることは許されず、そこから少しずつ学び取ってきたからこそ、今を維持することが出来ている。

 それだけの段階を経られる者など、武が言うのも何であるがほとんどいない。極めて特殊と言い換えても良い。
 だから武は、せめて訓練兵のうちから彼らには“死”をより深く認識して欲しいのである。
 無論、この方策は一歩違えれば、戦闘ストレス反応を起こす可能性もあるものだが、残念ながら、それではそもそもハイヴ突入戦闘に耐え切れないだろう。

 十を救うために一を切り捨てる。
 今、この演習が十を救うことに繋がっているのかどうかは武にも分からないが、調べる限り、武の教えた衛士の初陣生還率はそれでも比較的高いため、少しずつ効果は現れているのではないかと、彼は考えていた。
 生憎と自分は学のない軍人だと、武は思っている。そんな人間に出来るのは、精々が訓練兵の立場になって物事を見てみることと、自分が培った経験を元とした教導を行うことしかない。
 戦場に送り出されることが当たり前になってしまった時代において、それが“当たり前でなかった”武に出来ることなどそれしかない。
 同時に、それが“当たり前でなかった”武が最も強烈に伝えられることでもある。

「……追撃班の班長2人に、問答無用で叩き潰すよう命じておきます。中佐殿の今のお話も伝えた上で」
「ありがとうございます」
 武の表情から、そこに万感の想いが込められているのだと察したのか、男性少尉はしばし思案顔をした後に再び敬礼する。彼のその言葉に、「お願いします」という意味も込め、武は謝辞を述べた。
「若僧の衛士が先に逝くのは、歩兵にとっても悔やまれることなのですよ。中佐殿、今回の任、我が隊に与えてくださったこと、感謝致します」
 少しだけ表情を曇らせ、男性少尉はそう語る。彼の年代となれば、衛士適性検査で弾かれた末の歩兵という者も少なくないだろう。あるいは、彼自身もそうなのだろうか。
 ともあらば、彼の親しい友人にも衛士だった者がいたのかもしれない。
 その曇る表情から、厚かましく、単純にもそんな推察をしてしまった武は軽くかぶりを振り、ほんの少しだけ困ったように笑い返した。
 同じように男性少尉も笑い返し、もう1度、武に敬礼して「それでは、失礼します」と退去の旨を伝えてから部下の下に歩み去っていった。
 その背中を見送りながら、武は既に密林へと散開していった訓練部隊6班のことを考える。10時間後にはその訓練兵たちを追ってベテランの歩兵追撃班と偵察班の計6班が作戦域に突入を開始する計画だ。
 規模は同数とはいえ、追う側と追われる側。それも正規兵と訓練兵。更に言えば訓練兵は補給路がないのに対して、正規兵はこの場を補給ポイントとして一応は確保している。
 森林戦とはいえ、さほど大きいとは言えない作戦域でこの差は致命的に大きい。最悪、5日と言わず2日目には完全に大勢が決している可能性もある。
 密林を見渡し、武はそっと目を閉じて黙想した。
 彼らをそこに追いやったのは確かに自分であるが、全員が五体満足に戻ってくることを祈って。

 祈る相手など神でも誰でも良いのだが、敢えて彼は自分が今まで練成してきた教え子たちと、誰よりも自分を練成してくれたあの鬼軍曹に祈ることに決める。
 そうすることがきっと、何よりも正しい気がしたから。



[1152] Re[40]:Muv-Luv [another&after world] 第40話
Name: 小清水◆bf00add2
Date: 2007/08/25 00:27


  第40話


「タケルが教官を志した理由?」
 綺麗に皮をむかれ、形良く切り揃えられた林檎を一切れ楊枝に刺し、御剣冥夜は思わず首を捻る。相対し、椅子に座った冥夜の前でベッドに腰掛け、同じように林檎をつまんでいる鑑純夏は「うん」と小さく頷きを入れた。
 6月6日。白銀武がマレーシアに向かってから既に丸一日が経過している。それでも、彼らの日常は変わるものではなく、極普通に、極いつも通りに彼女たちは過ごしていた。

 ただし、今日に限って言えば御剣冥夜は若干の例外に当たる。

 ここ数日、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の機体が順次、フルメンテナンスに入っており、本日は冥夜の率いる第5中隊(レギンレイヴ)の不知火がハンガーに縛り付けられていた。
 本当は冥夜とて、実機が使えないからといって修練を取り止めるつもりはなく、寧ろ好機とばかりに肉体鍛錬により一層集中しようと考えていたのだが、見事に部下から叱責された。
 第5中隊(レギンレイヴ)の信頼出来る副隊長が冥夜に言うには、「隊長とは部下の手本です。大尉が心身の休息を蔑ろにすれば、我々も休むのを忘れます」とのことだ。
 その、あまりにも無茶苦茶な言い分に冥夜も流石に自分はきちんと休める時に休んでいると反論したのだが、「我々の目に触れなければ意味がないですよ。部下は大尉を見て育ちます。それとも、大尉はまだ未来ある新任たちを潰すつもりですか?」と爽やかな笑顔で言い返されてしまい、さしもの冥夜も頷かざるを得なかった。
 そうやって、半ば強引に副隊長の手によって兵舎に押し込まれた冥夜は、どうやってこっそりと訓練を行うか思案しながら通路を歩いていたところで社霞と出会い、そのまま純夏の見舞いへと同行したのである。

「タケルちゃんって、桜花作戦の後から最近まで教官やってたんだよね? 私にとってはあんまりイメージないから、何か理由があるのかなー……って思って。御剣さんなら何か知ってるんじゃないかなって」
 純夏のその言葉に、ふむと冥夜は1つ、非常に曖昧な相槌を打つ。彼女の心情は冥夜だって理解出来る。彼のことを気にかけるというのは、彼女も冥夜も同じなのだ。

 それに、武が教官を志すに至るきっかけとなった出来事には確かに冥夜も心当たりがある。寧ろ、“あれ”しかないだろう。

 しかし、だ。それは確信があるだけで確証があるわけでもない。武が直接、冥夜にそうだと語ったわけでもない。
 ならば、彼が密やかに決めた覚悟を他人である自分の口から、さも実しやかに話しても良いのだろうか、という葛藤が冥夜には芽生えた。
 ちらりと、冥夜は霞に視線を向ける。
 シャリシャリと小気味良い音を立てて、丁寧に次の林檎の皮の剥く霞は、ウサギの耳のような髪留めをぴょこりと動かし、小さく頷き返す。その際に、ほんの少しだけその表情は笑みに変わった。

 肯定、ということだろうか?

 霞の許可を受けて、というのも奇妙な話だが、自分以外の誰かから肯定の旨を示してもらえるというのは非常に心が軽くなる。
 どういうわけか、殊更相手が社霞とあれば。
 冥夜はもう1度、ふむと相槌を打ち直し、自分の中で情報の整理を始める。真偽はどうあれ、語って聞かせるにはまず自分の中できちんと話の筋を纏めておかなければならない。

「………あれは、そなたが倒れてすぐのことだ。桜花作戦における任務から帰還した我らA-01部隊は、香月副司令の指示に従って1度、九州に赴いたことがあった」




 2002年 1月15日 火曜日。
 歴史的大反抗作戦 桜花作戦の終結からおよそ2週間の日数が過ぎた。
 世界各国は忌まわしきカシュガルのオリジナルハイヴ陥落の歓びに酔いながらも、その折に損害を被った軍の早急な機能回復に追われ、忙しくも賑やかな日々を過ごしていた。

 それは当然、帝国軍も極東国連軍も変わることなく、現在は朝鮮半島のH20からの侵攻を危惧し、西日本全域に多数の兵力が集められている。

 九州地方 旧福岡県 柳川市。有明海に面したこの土地に建造された帝国軍基地に彼らはいた。

「どうですか? たけるさんたち」
 談話室に急遽設置されたモニターを、冥夜が腕を組んで睥睨していると、人垣を掻き分けて小柄な戦友が顔を覗かせた。彼女 珠瀬壬姫はそのままトコトコと小走りで駆け寄ってきて、冥夜の隣で腰を落ち着ける。
「戦況は五分……といいたいところだが、積み重ねた経験の差であろうが、幾ばくか111小隊に分がある。タケルも彩峰も善戦しているが、正面から衝突すれば敗走は免れまい」
 モニターからは一瞬たりとも目を逸らさず、冥夜は壬姫の問いに答える。その返答に、壬姫は「そうですか……」と少し残念そうに呟いた。
「そなたも自然と認識が変わったな、珠瀬」
「え?」
「紅蓮大将の斯衛111小隊相手に、任官後1ヶ月の新任小隊が互角に渡り合っているのだ。驚嘆し、讃えこそすれ、残念がることもない」
「あぅ~………」
 にやりと不敵に笑い、ようやくモニターから離した視線で一瞥をくれると、壬姫は困り切ったように呻き声を上げる。からかったに過ぎない冥夜は、彼女のその反応にふふっと可笑しそうに表情を変えた。

 モニターに映し出されるのは、相対する2つの小隊の戦術機。
 片や、冥夜たちも運用する国連軍仕様の蒼穹の不知火の一団。
 片や、真紅の武御雷によって率いられる、帝国斯衛軍が運用する武御雷の一団。

 不知火の小隊を率いるのは、冥夜にとっても頼れる元分隊長 榊千鶴少尉。相対して武御雷の小隊を率いるのは、日本国民にその名を刻む斯衛軍の紅蓮醍三郎大将。
 積み重ねた経験も齢も、天と地ほどの差のある2人だ。
 尤も、演習場にて紅蓮と正面切って対峙しているのは千鶴ではなく、彼らA-01のB小隊小隊長を務める白銀武であったが。
 演習開始から既に半刻。帝国の精鋭部隊と対峙した榊千鶴、白銀武、彩峰慧、鎧衣美琴の4人は何れも撃墜されることなく、依然、斯衛軍の猛攻を凌いでいる。
 それを支えているのは、彼らの類稀なる才能と、短くも内容の濃い経験、そして搭載されているOSの性能差によるアドバンテージ。帝国軍において、配備が決定こそされているが施行されていないXM3と、旧型OSとの差異によるものが多分に大きい。
 そうでなければ、酸いも甘いも噛み分けたあの111小隊と渡り合うなど、本来は不可能である筈なのだから。
「そなたと私が加われば、同規模であっても後れは取らぬ。そうであろう? 珠瀬」
「はっ……はい! 頑張ります!」
 両手を胸の前で小さく掲げ、まるで自分を奮い立たせるように答える壬姫。その、微笑ましくも頼もしい一挙一動に、冥夜はまた笑った。
 それは決して冗談ではない。
 挙動制御ならば白銀武に、反応速度ならば彩峰慧に劣るが、戦術機における最大の近接戦闘武装である長刀の扱いならば冥夜は彼らの中で一線を画する。斯衛軍の猛者が相手でも充分に渡り合える自信が彼女にはあった。
 そして彼女の隣に立つ壬姫は、そんな冥夜の能力すらも霞ませるほど圧倒的な狙撃技能の持ち主だ。その精度はまさに極東最高峰。一点を撃ち抜くことにおいて彼女の右に出る者など、冥夜は未だ知らない。

 武の撹乱、冥夜と慧の遊撃。
 千鶴の指揮と美琴の支援。
 そして壬姫の必中は彼ら207B分隊において最優の攻勢である。

 帝国軍の兵士たちが聞けば卒倒しそうな彼女たちの会話。だが、周囲に柳川基地の兵士たちがいる状況でそのような事態にならないのは、単純に衆人たちが彼女たちの会話など聞いている余裕がないからだ。
 当初は「何を馬鹿な」と呆れていたベテラン衛士たちも、武たちの戦い振りに舌を巻き、完全に黙らされてしまっている。
 彼らが任官から1ヶ月程度の新任と聞けば当たり前の反応だろう。だが、生憎、彼らは機密ながらもあのオリジナルハイヴに突入し、生還した衛士なのだ。潜ってきた死線の濃さならば、並のベテランにも引けを取らない。
「あ、動きます」
「む」
 壬姫がモニターを指差してそう言ったので、冥夜も思わず唸り声を上げた。

 次の瞬間、武と慧がスイッチし、瞬く間に互いの位置を切り替えて戦線を構築。瞬間的に2倍に跳ね上がった牽制の36mmを躱し、慧を追撃してきた武御雷は1度後退するが、それを見逃すほど千鶴も美琴も甘くはない。
 美琴が突出し、ほんの数秒、自分と千鶴を押さえていた2機の純白の武御雷を単独で牽制する。XM3の持つ機動性を活かした撹乱だ。
 その間に詰めた千鶴が後退中の武御雷の頭を完全に押さえ、沈黙させる。
 その時には既に、武と慧は挟撃を仕掛けようとしていた紅蓮の武御雷を連携して一時的に押し返しているのだった。

 どうにもここまで動きの切れが悪いと思っていたのだが、綱渡りの罠だったらしい。
 今の攻撃を一からすべて計画して、実行したというのならば、上はきっと榊千鶴の評価を上げざるを得まい。

 格下であることを利用して、瞬間的にとはいえ紅蓮醍三郎を手玉に取ったのだから。

「さて、どうするのだ? 榊。もう向こうから見え透いた隙に飛び込んでくることはあるまい。我々の場合、持久戦は極めて分が悪いぞ」
 市街地演習場の建物の陰に潜み、再びモニターから姿を消す両隊の機体を見つめながら、冥夜はやはり腕組みをしたまま、意味深長に呟くのだった。




 冥夜が壬姫と共にハンガーに足を踏み入れると、既に斯衛軍衛士や観戦していた整備兵によって揉みくちゃにされている仲間の姿があった。視線の向きを変えれば、壁際でその成り行きを見守っている柏木晴子と涼宮茜の2人が、困ったように苦笑を浮かべている。

 結果として、彼らは敗走した。
 斯衛軍は1機失ってから攻守共に隙も作らず、派手さはないが堅実に1つ、また1つと千鶴たちの退路を確実に封殺してゆき、最終的に後衛の千鶴と前衛の慧の2人を撃墜。美琴もあわや撃墜というところまでいったが、タイムアップによってある意味では助けられたと言える。
 武が最後まで追い詰められなかったのは、彼の挙動制御技術の高さもあるが、単純に紅蓮が彼を後回しにしたからに他なるまい。無論、武を戦力外として見たためではなく、寧ろ極めて手強く、撃墜に骨を折ると判断したからだと思われる。
 武が同時に指揮官を務めていれば話は別だっただろうが、肝心の指揮を千鶴が務めていたことも、紅蓮にその判断をさせているに違いない。

 それでも、彼らが斯衛軍の精鋭を1度でも追い詰めた結果は、充分過ぎる成果だ。
 これで、未だ配備が施行されていないXM3を帝国軍衛士もより受け入れ易く感じてくれるだろう。少なくとも、少年少女という年代を抜け切っていない彼らをあそこまで善戦させる新型OSを、頭ごなしに否定する人間はほとんどいなくなった筈だ。

「榊」
「御剣! 珠瀬! どういうことなの!? この状況!」
 冥夜が声をかけると、冥夜と壬姫に気付き、衆人に会釈しながらもこちらに駆け寄ってくる千鶴は嫌に奇妙な問いかけをしてきた。彼女は一番しっかりしている友人であるのだが、不思議なところで今一つ、何かが足りない。
「帝国軍への挨拶としては充分過ぎるインパクトであった……ということであろう。映像だけ見れば、あの不知火にそなたたちが乗っているとは誰も思わぬ」
「負けは負けよ」
「榊さん、今回、大切なのは勝敗じゃないですよ」
 やれやれというように肩を竦ませ、ため息を漏らすように答える千鶴にそう返したのは壬姫だ。先ほどまで自分も似たような“勘違い”をしていたというのに、ちゃっかりしたものである。
「榊、意地っ張り」
「演習前、演習中問わず、やるからには勝つって息巻いていたのはどこの誰だったかしらね? 彩峰?」
「速瀬中尉?」
「貴女ね………」
 千鶴とは対照的に、やや強引に整備兵や押しかけてきた衛士たちを押しのけて人垣の外に這い出てきた慧は、気疲れした様子ながらも千鶴をからかう。
 彼女のそんな態度に手慣れた感じで千鶴も反撃するが、何やら途轍もなく恐ろしい躱し方をされてさしもの千鶴もぐうの音も出ないようだった。

「あらぁ? 彩峰、あたしがいつ、どこでそんなこと言ったのを聞いたのかしら?」

 だが、千鶴が反撃出来ずとも、今の発言に反撃を加える人物ならば他にもいる。しかも、千鶴よりも遥かに強力な相手だ。
 いつの間にやってきたのか、がっしりと腕組みをした中隊長の速瀬水月が慧の背後に立ち、可笑しそうに、実に可笑しそうに頬を引き攣らせながら笑っていた。
「…………って、白銀が言ってました」
「うぉいッ! 彩峰! そんな躱し方まで宗像中尉から学ぶなッ!!」
 振り返らず、しばし固まった後に慧は人込みの中心を指差して、明らかな言い訳を付け足す。いきなり自分に矛先が向けられたことで、衆人によって揉みくちゃにされながらも武は大声で弁解にも似た反論を叫ぶ。
 だが、哀しいかな、慧の言葉は露骨な言い訳だが、如何せん確証がない。そうなると、慧と武、どちらに矛先が向けられるのかは速瀬水月の気分次第になってしまうわけで――――――

「白銀! あんた、ちょっとこっち来なさい!」

 冥夜という第三者の目から見ても、武の方が圧倒的に“矛先を向けられ易いタイプ”であったのだ。
「ええっ!? ちょっ……! 速瀬中尉!?」
「き・な・さ・い!」
 続いて武が本格的な弁解をしようとするが、水月はそれすらも封殺する。その迫力に押され、武を取り巻いていた衆人の壁は、さぁーっと波が引くように下がっていった。
 水月は水月で半分以上は武をからかっているのだろうが、受ける側は災難なことこの上ない。彼を窮地へと追い込んだ慧は、何やらやり遂げたという達成感を漂わせながら額の汗を拭っている。
「慧さん……ちょっと酷くないかな?」
「白銀が息巻いてたのはほんと」
「鮮やかに論点を摩り替えたわね……」
 美琴が困惑気味に口を開くと、問題ないと言うように呑気に手を掲げて慧は答える。既に当初の論点から外れてしまっている彼女の言い分に、千鶴も呆れたように呟いたが、武に助け舟を出す様子は微塵もなかった。
「お主も来たか、御剣」
 そんな友人たちのやり取りを見守っていると視界の外から現れた男性が、その巨漢に見合った野太い声で冥夜に呼びかけてくる。
 紅き零式衛士強化装備に身を包んだ、隆々と盛り上がり、見事に引き締まった筋肉を持つ強面の男。
 その名は紅蓮醍三郎。恐らく、帝国で最も名の知れた軍人であり武士であろう。そして今し方、武たちの相手を務めていた小隊の指揮官でもある。
「は。お久し振りです。紅蓮大将もお元気そうで何よりです」
 紅蓮に声をかけられた冥夜はビシッとした敬礼をして挨拶を返す。所属が異なるとはいえ、相手は歴戦の英雄で、しかもお互いに知った仲だ。それ故にどう接するべきか冥夜はわずかに躊躇うが、次の瞬間にはそうやって敬礼をしていたのだった。
「うむ。先の事件では殿下が世話になったそうだな。わしも帝都さえ離れていなければ何か出来たのだが……」
 頷き、紅蓮はやや悔やむような口調で言う。先の事件とはつまり、12・5事件のことだ。確かに当時の段階で既に紅蓮は配下の大隊を率いて九州戦線の視察に赴いており、帝都を離れていた。彼の口惜しさは冥夜がそうそう推し量れるものではない。
 尤も、だ。あのクーデターはそもそも、紅蓮を始め、斯衛軍のトップが何れも帝都城周辺にいない頃合を見計らわれた可能性が高い。
 事実、当日、第2大隊の朝霧叶は私用で朝霧の本家に戻っており、第3大隊の白河幸翆は紅蓮同様に隊を率いて新潟方面の視察。辛うじて帝都の斯衛軍駐屯地には当時、第18大隊を任されていた高坂宏樹(たかさか ひろき)少将がおり、発生時に城内までは到達したが、以下第18大隊の衛士の半数以上は決起部隊によって捕縛されていた。
 否。明言すれば、当日、完全に機能していた斯衛軍大隊は、偶然にも帝都城内の駐留施設に留まっていた、都合5個大隊のみ。

 九條侑香中佐の第6大隊。
 斉御司灯夜少佐の第4大隊。
 高坂沙耶(たかさか さや)大佐の第11大隊。
 斉御司紀月中佐の第16大隊。
 三橋遼太郎(みつはし りょうたろう)少佐の第9大隊。
 その5個。
 何れも、京都防衛戦の後に一斉昇進した若き大隊指揮官の隊である。

 それ以外の部隊は大隊としての機能は発揮出来ず、良くて中隊、悪ければ小隊、最悪の場合は即応すら不能という状態に陥っていた。
 慢心していたとまでは言えないかもしれないが、沙霧に呼応した帝都守備隊の規模と、軍内に蔓延る某国の工作員の規模を読み違えたことが、12月5日の事件を誘ったことは言うまでもない。
 もちろん、最大の原因は軍と政府の歪んだあり方にあったのだろうが、ただ1つの要因だけで動けるほど、人間は強くない。それを根本に置き、あらゆる思惑ときっかけが重なり、あの事件へと至ったのだ。

「嘆くのならばそれよりも先を見据えましょう。哀しき事件でしたが、起きてしまった以上、我々はそれを悔やむよりもしなければならないことがあります」
「ふむ……正論であるな。お主は親父殿よりも叔父に似ていると見える」
「ありがとうございます」
 紅蓮の言葉に冥夜は一礼を返す。冥夜は御剣の父のことも嫌いではないが、それよりも同じ軍人である叔父のあり方の方がより憧れている。高望みを出来るほど自身を完成された人間と思ってはいないが、それでも叔父の高潔さは冥夜の目標の1つだ。
「しかし……白銀といったか………。あの小僧」
「は。階級は私と同じで少尉ですが、我々の部隊の前衛小隊長を務めております」
「あの技量ならば名立たる烈士でも手を焼く相手だ。長刀戦に縺れ込んでも油断出来ぬ。灯夜殿や月詠が賞賛する気持ちは分かるのう」
 冥夜の受け答えに、紅蓮は大きな顎をさすりながら武を一瞥して呟く。当の武は現在、水月によってギリギリと締め上げられているのだが、そんなことは彼にとってもお構い無しのようだった。
「………失礼ですが……斉御司少佐は……?」
「無期限の謹慎処分だ。殿下より賜った己が41中隊の武御雷9機、何の許諾もなくお主らに譲渡したのだからのう。まあ、月詠が同様のことをしておれば良くても降格処分、最悪銃殺刑も有り得たのだから、灯夜殿の英断をわしは評価するがね」
 そう言ってから、冥夜の耳に口を寄せて「とても公の場では言えぬが」と茶目っ気たっぷりに付け足すのだから、この男は油断ならない。時折、酷く猪突猛進に見えて相当な狸だと思わせられることすらあるのだ。
 無論、冥夜が尊敬する武人の1人であることは変わらないのだが。
「斉御司少佐は出撃前、仰っておりました」
「何と?」
「今日ほど自身が斉御司の次兄であることを歓迎したことはない、と」
 問い返され、冥夜は桜花作戦の出撃前、同じように秘密裏に横浜基地から出立する斉御司灯夜が皮肉混じりに言っていた言葉をそのまま繰り返す。それを聞き、「やはり、か」と紅蓮は感慨深そうに相槌を打った。

 あの日、彼らが駐留する横浜基地はBETAの襲撃を受け、辛くも撃退に成功したが、配備されていた戦術機のほとんどを失うという事態まで陥った。
 それは彼らの不知火とて例外ではなく、オリジナルハイヴ突入を命じられた彼女たちは当初、残っている“比較的”程度の良い撃震と陽炎による出撃を余儀なくされていた。
 これは作戦において、冥夜たちの能力を考慮した上でXM3の搭載が絶対条件だったからである。故に、まだ配備がされていない帝国軍から機体を提供してもらうことも断念し、横浜基地内にある機体から選出するしかなかった。

「少佐の提言がなければ、成功は有り得なかった筈です」
「それで許されるほど、武御雷は軽い機体でありはせんよ」

 その折に灯夜が言ったのは、自身の随伴を条件とした41中隊の武御雷提供の旨だった。

 月詠の第19独立警備小隊に続き、甲21号作戦後、横浜基地を訪問された斉御司灯夜の41中隊の武御雷には先行してXM3の搭載が成されていたのだ。
 これは灯夜立っての希望と、より多くのXM3稼動データを入手したいと思った国防省、城内省の思惑も働いていた。また、香月夕呼も両省及び斯衛軍に公式なコネが出来ることで、これを快く承諾したという。

 結果、その案件を灯夜が提言した時の、九條侑香と月詠真那の表情は冥夜とて忘れようにも忘れられない。
 侑香は、彼がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか、酷く驚愕していた。
 月詠は、彼と似たようなことを考えていたのか、見透かされ、先に提案を出されたことを悔やみ、愕然としていた。

 だが、残念かな。月詠の場合、随伴しようが機体を提供しようが、作戦が失敗しようが成功しようが、後に待っているのは厳罰処分だ。
 灯夜は彼女の思惑を見越した上で、自分が斉御司の血族であることを最大限に利用出来る道を選んだのである。もちろん、それによって彼の罰が軽減されるかどうかの確証はなかったが、少なくとも真紅の月詠真那よりは蒼青の斉御司灯夜の方が可能性は高かった。

「では……月詠中尉は?」
「数日は自主謹慎をしていたがのう。紀月殿に「愚弟の気遣いを無下にするつもりなのか?」と叱責され、今は帝都城の警備についておる」
「双海大尉のことは………」
「さてな。あやつは気丈な娘ゆえ、私情を悟らせることなどせぬ。ならば、他人がどうこうと口を挟むのはお門違いじゃ」
 冥夜の問いかけはすべて見透かされていたのか、紅蓮の口からはすぐに回答が並べられる。そこにはまるで、「気にするな」という助言が含まれているように思えて、冥夜はそれ以上何か訊ねる気にはならなかった。

「あ……あのっ……!」

 密やかに、冥夜と紅蓮が小声で会話をしていると、不意に後ろから声がかけられた。首を傾げつつ、2人は同時に振り返る。
 ハンガーの入り口付近。
 冥夜たちのちょうど真後ろであるそこに立っていたのは、帝国陸軍の訓練兵制服に身を包んだ、5人の少年少女たちだった。緊張しているのか、冥夜たちが振り返る前からしている敬礼のポーズは小さく震えている。
「柳川基地の訓練兵か。如何にしたのだ? お主らの訓練機があるのはここではなかろう?」
「あ……! いえ……その……」
 ずいっと身を乗り出した紅蓮にそう訊ねられて、班長らしき先頭の少年は困惑したような反応をする。緊張と惧れで上手く第一声が出てこないのだろう。相手が紅蓮では止む無いことである。
「恐らく、先刻の演習をモニターしていたのでしょう。正規兵とて結果に中てられたのですから、彼らが興味を持っても仕方ないかと」
 つい最近までの自分たちを見ているようで、少し擁護してあげたくなった冥夜はふふっと笑いながらゆっくりと助け舟を出す。
「ふむ……それも道理か。主らもすぐにXM3搭載機に乗ることになるのだから、気にするなと言う方が無理な注文であるな」
 納得したように紅蓮も相槌を打った。
 XM3の配備はまず、朝鮮半島に程近い九州地区の防衛軍から始められることは決まっている。柳川基地もその1つであり、今回冥夜たちが派遣されてきたのは、その有用性を前線兵に証明するためであった。恐らくは、こちらに遅れること1、2週間で帝都守備隊に導入されるのではないかと、冥夜は推察している。
「し……失礼ですが、少尉殿は先ほどの演習に……?」
 敬礼を解いた先頭の少年は、恐る恐るといった感じで冥夜にそう訊ねかけてくる。その質問で、おおよそ彼らが誰のことを気にしているのか冥夜はだいたい把握することが出来た。
「いや、見ての通り、私はそなたたち同様にモニターしていた側だ。先刻の演習に参加していたのは、国連正規兵の強化装備を着ている4人になる」
「うむ………榊! 白銀! 彩峰! 鎧衣! こっちに来い!!」
 冥夜の応答に続き、顎をさすっていた手を離して腕を組み直した紅蓮は、声高に4人のことを呼ぶ。その野太い声に、彼ら以外のものも振り返ったが、紅蓮はきっとそんなことを気にしてはいないのだろう。
 比較的近い千鶴と慧、美琴はすぐに駆け寄ってくる。水月によって締め上げられていた武も無条件解放され、まるで脱兎の勢いで走ってきた。紅蓮の“命令”とあれば、水月は私情で武を拘束し続けることは不可能だからだ。
 無論、それがたとえ紅蓮にとって私的な用事であったとしても、だろう。
「集合致しました!」
「そう堅くなる必要もあるまい。お主らに客人じゃ」
「ぐっ……紅蓮大将!?」
 横一列に並び、敬礼する千鶴たちに笑い返し、紅蓮は訓練兵たちを指してそう告げる。客人などと表現されたことに驚愕したのか、誰ともなく少年少女たちは思わず声を上げた。
 良い笑顔で親指を挙げる紅蓮はやはり油断ならない男だ。
「冥夜、こいつら、誰?」
「この基地の訓練兵だそうだ」
「制服見れば分かる。白銀、どうかしてる」
「うっせえな。帝国軍の訓練兵制服なんて初めてみたんだよ」
 ぼそっと慧から馬鹿にしたような発言が飛び出す。距離さえあればまだ聞かれない可能性はあっただろうが、隣にいる武にはしっかりと聞こえていたようで、彼は頬を引き攣らせながら弁明した。
 ただし、あくまで至近距離であった故に呟いただけで、そもそも彩峰慧は武に聞こえるように言ったことは間違いないだろう。
「それで、何の用?」
「その………演習の時に02機に乗っていられたのは………」
「あ、俺だ」
 千鶴の問いかけに訓練兵が答え終わるよりも早く、武が挙手をする。冥夜からすれば実に想像通りの用件であったために、苦笑はするが、止めることはしない。
 先刻も述べたが、彼のコールはヴァルキリー2。A-01部隊 イスミ・ヴァルキリーズの中で、殊戦闘においては中隊最強の証である突撃前衛小隊長を任されている英傑である。
「自分たちも………」
「ん?」
「自分たちも、あんな機動が出来るようになるでしょうか!?」

「………は?」

 まるで詰問、あるいは懇願。縋るようにも見える態度で武に詰め寄る訓練兵たちの姿は、彼らには悪いが同年代の冥夜から見ても愛らしかった。一方、詰め寄られている武の方はどうしたら良いものかと困惑し切っている。
 尤も、冥夜だって彼らの気持ちはよく分かる。
 その実、武が発案したXM3の概念実証機……つまりは先行量産型の更に前のOS搭載機の相手を最初にさせられたのは、冥夜、美琴、壬姫の3人なのである。
 これは207訓練分隊における模擬戦で、香月夕呼が武、千鶴、慧の側に秘密裏に搭載しており、新型OSを初見の者がどこまで扱えるかなどを測るつもりだったらしいのだ。
 直後、冥夜たちの機体にも搭載され、これで理屈上は武と同じ機動が出来るとは言われたのだが、正直なところ、冥夜には半信半疑だった。
「あんな途轍もない挙動は見たことがありません……。あれは、XM3の性能なのでしょうか? それとも、少尉殿の腕が抜きん出ているからなのでしょうか?」
「あー……いや……慣れの問題……じゃないかな? ほら、機体慣熟とか?」
「まあ、否定はせぬが」
 そんなことを訊かれても困る、と言うようにあたふたと言葉を並べる武に、冥夜はその一言だけ返す。本音を言えば、否定はしないが肯定もしない、というところだ。
 冥夜よりも武の挙動制御技術が高いのは明らかである。無論、冥夜とて彼を目標として、何時か超えてみたいとは常々考えているのだが、同時に、XM3搭載機の挙動で彼のそれを超えることは不可能なのではないか、と思うこともあった。

 何故ならば、冥夜と彼とでは根本的に脳内で描く挙動に違いがあるからだ。

 冥夜たちが描き、実現しようとする現在の戦術機挙動はXM3ありきのものである。それに対し、武はそもそも旧来のOSでは実現出来なかった“自身の描く戦術機挙動”を再現するために、XM3を発案した。
 つまり、事実上、XM3がどこまでの再現性を秘めているのか知っているのは白銀武だけ。
 冥夜たち個人では、たとえ限界挙動を可能とする技量を秘めていようとも、そもそもそれを描き出す概念がない。
 武すら想像出来ないような概念を持たなければ、彼女たちは常に彼の後ろを歩かなければならないのである。

 無論、今ある挙動を最大限まで高めることで彼を上回る手段だってあるが、幸か不幸か現在の彼にはそこにすら隙がない。

 だからこその目標。容易には追い付くことなど出来ない、親しくも尊き男の背中。

「ならば、お主らが少し教導してやればよかろう」
 冥夜がやや眩しそうに武を見つめていると、いきなり紅蓮から途轍もない提案が掲げられた。その、何の前振りもなかった言葉に思わず冥夜も含め、話題の渦中にいる誰しもが「はい?」と疑問の声を発する。
「新概念によって設計されているXM3を扱わせるならば、ベテランよりも訓練兵の方が期待値は寧ろ高かろう。お主らもゆくゆくは教官であれ教導官であれ、各地から引っ張り凧になるであろうしな」
 何故か二言目には実に尤もらしいことを仰る紅蓮醍三郎。冥夜もその言い分には十二分に賛同出来るが、生憎と今回の任務には訓練兵の教導は含まれていない。そもそも、正規兵に対してもすべてはカバーしていないというのに、だ。
「休憩時間返上すれば出来るんじゃない? 白銀、あんたがやりなさい」
「速瀬中尉!?」
 可笑しそうに、面白そうに笑ってそう告げる水月に、武は驚愕した様子で声を上げる。名指しであったことが何よりも驚きであるようだ。
「いいじゃない。白銀が概念の生みの親なんだし。これからそういう任務、増えるんじゃないかなぁ」
 にやにやと含みのある笑みを浮かべ、茜が水月に同意するような言葉を述べる。そもそも、今回の任務とて充分に“そういう任務”に該当する筈である。
「そうそう。白銀小隊長」
「小隊長」
「頑張ってください、小隊長」
「さすが、小隊長」
 茜に呼応し、その隣の晴子がやはり笑いながら声をかける。その表情は茜とは少しばかり毛色が違うが、武をからかうという点においては同じだ。そして、彼女のその「白銀小隊長」という単語に反応し、誰もが思い出したかのように復唱する。
「お前らっ!」
「落ち着け、タケル。今後、そのような任務に着く可能性が高いのはそなただ。涼宮の言うことも一理ある」
 何時だったか、小隊長に就任した時のことを思い出しているのか、武は困惑半分、苛立ち半分といった雰囲気だ。尤も、そうでなくてはからかう意味がない。
「ならば、今から慣れておくにこしたことはなかろう? 白銀小隊長」
「お前もかっ!」
 だから、冥夜が嫌に強調するように小隊長という言葉を付け加えると、武は更に声を上げる。詰め寄ってくる彼は、今にも冥夜の胸ぐらを掴んでガクガクと揺らしながら号泣しそうだ。
「………速瀬中尉」
 ふと、そこまで沈黙を守っていた千鶴が思い立ったように挙手し、水月に対して発言の許可を求める。頬を少しだけ強張らせる、その真剣な表情から察するに、冥夜たちと同様にからかう発言をするつもりではないようだ。
「何? 榊」
「白銀だけでは心配なので、同行を進言します」

「―――――――え?」

 千鶴のその発言で、一瞬にしてその場が凍り付いた。これまでの和やかな空気は何処へいったのかと疑いたくなるくらい、冥夜も含め、主に207B分隊の面々が唖然と、沈黙する。
「ちっ……千鶴?」
「だって、心配でしょ? 白銀に教導なんて細かな任務、1人で任せられると思う?」
 まるで「何言ってるの?」と問い詰めるような茜の呼びかけに、「そっちこそ何言ってるの?」と反論するような千鶴の言い分。その理由は冥夜でも頷ける。少なくとも、教導という慣れない任務に同行するならば、先任を除けば分隊長だった千鶴が最も適任だ。
 ただ、彼女は気を遣って言っているつもりでも、その実、武に対しては強烈に痛いところを突いている。千鶴が理由を述べた瞬間に、冥夜にはトスッと彼の心に何かが刺さる音が聞こえたような気がしていた。
「許可するわ、榊。白銀に同行しなさい。紅蓮大将直々のご提案なんだから、失礼のないようにね」
「はっ!」
 最初から武を1人で出向かせる気などなかったのか、水月はほとんど考える素振りも見せず、即答する。千鶴にも他意などはないのか、至極真面目な表情でその指示に敬礼をして応えた。
「えっと……じゃあ――――――」
「却下するわよ。鎧衣」
「えぇっ!?」
 美琴が同じように挙手をして何か言うよりも遥かに早く、水月が呆れたような表情で不許可の旨を口にした。何も言わないうちから却下されたことで美琴は驚きの言葉を上げるが、寧ろ冥夜にも彼女が何を言わんとしていたのか、手に取るように分かった。
「あくまで正規の任務を優先するんだから、そんな人数割いてもしょうがないでしょ。榊に白銀………それと御剣、あんたも行きなさい」
「っ!?」
「私も……ですか?」
 ビシッと冥夜を指差し、水月は同行者の指名をする。どう反応すべきか冥夜が戸惑うとほぼ同時に、慧、壬姫、美琴の3人から一斉に視線を向けられる。無言の圧力と言えば無言の圧力だが、あまりにも冗談では済まされない異様な感情がこもっている。
「白銀と連携組んでたのは御剣だし、その辺はちょうど良いんじゃない? ほら、それに、2人よりは3人の方が間違いも起きないだろうし」
「起きるのは困る」
「………同意だ、彩峰。そのようなこと、私としては甚だ不本意だ」
 最早冗談なのか本気なのかも分からない晴子の笑顔と発言。それに答える慧の表情は普段通りに見えて、かなり不機嫌そうである。同行を任された冥夜も、彼女が意図した言葉の意味には同意し、腕組みをしたまま強い口調で反論した。
「分かってるって。私にはB分隊組の決意は分かんないから偉そうなこと言えないけど、今からそんな構えてたら後々大変じゃないかな?」
 それに答える晴子の声調は、同様に普段とまったく変わらないものだ。表情も笑顔のままにも関わらず、続く彼女のその言葉が、今度は冗談や軽口の類ではないと即座に理解出来るのは、付き合いが長いからではない。

 晴子の言葉が、曖昧ながらも実に端的で率直だからだ。

 分からない、と彼女は言っているが、本当に分からない者からは今の言葉は出てこない。
 柏木晴子は、冥夜たち5人が掲げた決意を理解している故に、それが孕む矛盾性や危険性を示唆しているのである。

「なあ。何かそっちの話はよく分からないんだが……結局、教導に行くのは俺と委員長と冥夜でいいのか?」
 1人、ただ1人、この会話の真意が分からないでいる武は、困ったような表情で確認を取ってきた。
「………うん、いいんじゃないかな。千鶴さんと冥夜さんなら適任だろうし」
「そだね。私や珠瀬よりは、榊や御剣の方がそういうのは向いてる」
 武の言葉に、ほぼ同時となるため息を漏らす一同。意外にも、最初に頷いたのは同行出来ない美琴であり、それにすぐ同意を示したのも同行出来ない慧だった。
 恐らく、一切の私情を排除すれば、美琴や慧も自分たちよりは千鶴や冥夜が向かう方が理に適っていると理解出来ているのだ。
「榊さん、御剣さん」
 不意に、ここまでほとんど言葉を発してこなかった壬姫が冥夜と千鶴を見上げるような形で口を開く。その、切なさとか無念さとかとは明らかに違う、強い意志のようなものが感じられる表情に、少なくとも冥夜は彼女の意図を汲み取った。
「分かってるわよ、珠瀬」
「心得ている」
 ほぼ同時に、それぞれが壬姫の肩に手を置いて冥夜と千鶴は頷き返す。
「約束だ」
「約束ね」
「約束です」
「約束」
「約束だね」
 次の瞬間、同じ単語を重ねる形で彼ら5人はお互いの意志を再確認するように言葉を紡いだ。そうして、お互いだけが分かり合えれば良い、笑顔にも似た表情を交し合う。

 約束。
 そう、約束だ。
 桜花作戦の直後に改めて交わした、小さな口約束だ。

 彼女たち5人が何れもお人好しと呼ばれる最大の所以は、そこにあった。



[1152] Re[41]:Muv-Luv [another&after world] 第41話
Name: 小清水◆79651726
Date: 2007/08/26 20:41


  第41話


 帝国陸軍が運用する第3世代機「吹雪」は、97式戦術歩行高等練習機と呼ばれるよう、任官を果たす前の衛士訓練兵が訓練過程において搭乗する戦術機である。
 それ故に出力こそやや低めに設定されているが、そこは曲がりなりにも第3世代機。同世代機の実戦機である不知火には及ばないが、搭乗者次第では撃震や陽炎に肉薄することも不可能ではない機体だ。
 また、第3世代機に該当する訓練機も世界的にはまだ珍しく、それだけでも日本の訓練兵たちはある意味では恵まれた環境にあると言える。

『ヴァルキリー2、レイダー4スプラッシュ!』
 冥夜の目の前で、武が36mmのペイント弾を訓練部隊の4番機に浴びせて撃墜し、得意気に笑う。相手は訓練兵だというのに何と大人気ないのだろうと、冥夜は苦笑するが、言葉で何か返すようなことはしなかった。

 そういうのも、彼の気持ちが少しは分かるからだ。

 冥夜が武や千鶴と共に柳川基地の訓練兵……レイダー隊の教導を始めてからもう2日。正式な任務の合間を縫ってなので、そう長い時間見ていられたわけではないのだが、訓練兵は訓練兵なりに思案し、少しずつではあるがXM3の特性を物にし始めている。
 流石は九州戦線を支える帝国陸軍基地の兵員。任官前の訓練兵とはいえ、実戦に対する意識が高く、飲み込みが速い。
 本来であれば、もう少し安全な土地で時間をかけて育成するべきなのだろうが、訓練兵も戦力の一部に数えなければ非常に厳しいのが帝国の現状だ。12・5事件、甲21号作戦、横浜基地への襲撃、そして桜花作戦と、ほんの1ヶ月の間に立て続けに起きた戦闘が、そこに大きな影響を及ぼしている。
 現在の日本は佐渡島の甲21号目標が排除されたことにより、兵力を西日本に集中させ、防衛軍司令部を京都に移して監視体制を整える計画も挙がっている。つまり、その防衛体制の中に訓練兵も組み込まれているだけの話だった。
『今日はここまでにしましょ。白銀、御剣、貴方たちも撤収して』
「『了解』」
 管制室から模擬戦の様子をモニターしていた千鶴から、そう言葉をかけられ、冥夜は武と声を揃えて応じる。
『お前らはもう勝手にあがっていいからな~。反省点とかは自分で考えろよ』
「明日も訓練はあるのだ。無理せず休息はしっかり取るようにな」
『はっ!』
 演習場からハンガーに戻る途中、冥夜と武は同じく帰投中の訓練兵たちにそう告げる。真っ当な教導ならば、デブリーフィングまで行うところなのだが、生憎と彼女たちにはその時間がない。出来るのは模擬戦を繰り返し行い、こちらの機動を体験させてやることだけである。
 訓練兵たちも2日目とあってか、驚いたり困ったりする様子もなく一様に敬礼で答え、残る自身の反省点を考えるべく、個々で帰路についていった。
「どうだ? 榊」
 自身の不知火を歩かせながら、冥夜は管制の千鶴にそう問いかける。無論、訓練兵たちの成果について、だ。
『上々よ。最初は操縦の繊細さに戸惑っていたみたいだけど、今はもうかなり対処しているわ。自分のイメージと実機の反応が噛み合ったからなのか、ぐっと感覚的なところも捉えてきてる』
「やはり最良の手本を間近で見られることは大きいな。言葉では伝え切れぬものを教えるには直に見せることが一番だ」
『XM3は操縦適化が一番の特長だもんな。そういうとこは個々人の感覚だし、座学でどうこう教えられるもんじゃないし』
 上々という言葉に対して、冥夜は胸を撫で下ろす。何分、年少者にものを教えるという経験はほとんどなかった故、それが充分な成果として現れていると他者から評価されて安心したのだ。
 対し、当の「最良の手本」は実にあっけらかんと、実に落ち着いた物言いで答える。最初こそ渋っていたようだが、彼は彼なりに板についてきたということだろう。
『まぁ、でも、まだまだ小隊単位じゃ貴方たち2人だけで充分ね。後方支援なんていらないくらいだもの』
『バックアップがないのは結構キツいぜ。こういう時こそ委員長のありがたみがよく分かる』
『普段からもっと分かってなさい。貴方や彩峰の行動にどれだけ私が手を焼いてきたと思ってるのよ』
 武がやや冗談めかして言うと、千鶴は呆れたといった表情で批難の言葉を返してくる。彼女の気持ちは冥夜も分からなくもないが、それを互いに軽口の材料としてしまえる辺り、事実上、もう深刻な問題とは言えなくなっていた。
「だが、直に追い付かれるであろう。所属こそ違えども、先任として容易に追い抜かせるわけにはいかぬ」
『だな。そんな簡単に抜かれちゃ、お膳立てしてくれた紅蓮大将にも申し訳ないし』
 決意溢れる冥夜の言葉に、武も同意を示す。
 ピンキリとはいえ、総じて帝国軍人は優秀だ。これが、自国内にハイヴを抱えていながらも完全撤退しなかったことの覚悟による強さなのかは冥夜にも語れるものではないが、実戦演習における飲み込みは呆れるほど早い。
 表現を変えれば、言い方は悪いが実に生き汚い。覚悟を決めて踏み込んでくるからこそ躊躇いがなく、結果的に逸早く最善の道を突き進んでゆく。
 そんな雰囲気を纏っていた。
『だけどさ、やっぱり見れば見るほど吹雪は優秀な機体だよな。寧ろ、乗らなくなってからの方がそう感じる』
「レイダー隊の挙動のことか? 元々、XM3の概念実証機は私たちの吹雪に搭載され、データを蓄積していたのだ。不知火は勿論のこと、吹雪とも相性が良いのは瞭然であろう」
『それを差し引いたって贅沢な機体だよ。あれに乗り慣れた後に撃震とかって、結構酷じゃないかと俺は思う』
 武はそう言った後、「結果的には今、不知火だからいいけど」と申し訳程度に付け足した。彼の言いたいことはよく分かるが、少々我が侭と取れなくもない。無論、武だってそれは主観で言っているだけであり、いざ搭乗機が制限されるような場面に居合わせれば文句も言わずに撃震に搭乗するだろう。
『今の訓練兵なら任官すれば大抵は不知火が宛がわれるんじゃないかしら? 吹雪の配備はそういう理由もあるわけだしね』
『どういうことだよ? 委員長』
『知らないの?』
 千鶴のその問い返しに武が黙ったまま肯定の頷きを返す。悩むことすらなく「知らない」と言い切った彼の応答には、千鶴も呆れたように大きなため息を漏らした。
『吹雪の配備は単純に使える機体を訓練機として回しただけじゃないわ。不知火の完全配備に備えて、同じ第3世代機の癖に訓練兵のうちから慣れさせておくことを大きな目的としてるのよ』
「吹雪は元が不知火の開発実験機に当たる故、不知火に搭乗する前段階としてはこれ以上ない機体なのだ。帝国軍の撃震に搭乗しているのは、実際のところそのほとんどが年長のベテラン兵になる」
『要するに……即応するなら乗り慣れた機体の方が良いってことだよな。佐渡島や朝鮮半島からいつBETAの侵攻があるか分からなかった以上、一斉に乗り換えて機体慣熟に当たる……なんて方策は取り辛かったってことだろ?』
『まあ、まだ不知火が完全配備に至ってないってのは確かなんだけどね』
 端的に事実と要点を押さえた武の言葉に、千鶴も苦笑しながら更に“事実”を続ける。確かに、“一斉に”は不可能でも“順繰りに”は現実的である筈なのだ。それでも不知火の配備がまだ進んでいないのは、単純に生産ラインが損耗に追いついていない現状がある。
 尤も、佐渡島の甲21号目標が消滅した現在、徐々にその関係は逆転に向かっているのもまた事実であるが。
『……うん? そういえばさ、第3世代機の癖に慣れさせるってことは、斯衛軍も訓練機として吹雪使ってるのか?』
「答えだけ述べればそうだ。そもそも、斯衛軍とて現在は半数近くが陸軍衛士訓練校の卒業生から構成されているのだぞ」
 武からの新たな問いかけに冥夜は肯定の旨を返す。
 1998年の京都陥落以前の斯衛軍ならばまだしも、軍拡後の斯衛軍衛士の大半を賄っているのは、ほとんどが黒を賜ることとなる陸軍訓練校の優秀な卒業生だ。寧ろ、赤や橙、白などを教導する斯衛軍専用の訓練校など片手の指で事足りるほどしかない。
『武御雷もやっぱり癖としては同じなのか?』
『どっちも近接戦闘を主軸に置いた設計をされてるから、癖としては似通ってるわね。武御雷の場合、機体によっては性能に雲泥の差があるけれど』
 千鶴の返答を聞き、ふむと相槌を打つ武。そういえば、彼はA-01部隊の中で唯一とも呼べる、武御雷に搭乗したことのない衛士だったと冥夜はふと思い出す。彼女も千鶴も含め、彼と鑑純夏を除いたA-01部隊面々は桜花作戦の折に第4大隊の武御雷を頂戴しているのだ。
 お互いに未熟な衛士とはいえ、国連軍はおろか帝国軍でも数少ないような、不知火と武御雷の差異を感覚的に語ることの出来る人間なのである。
「戦術機の設計には運用上の理由から国柄が出易い。独自開発されたものが多い第3世代機では特にその傾向は顕著だ」
『日本なら近接戦闘、米軍ならG弾運用ってところか。とりあえず、軽量化方向にあるってのは同じだけどさ』
 その言葉に冥夜は深く頷き返した。
 G弾自体は、まったくもって好ましいものではないが、米国自体は比較的真っ当な兵器開発計画を進めているだろう。元より、戦術機の軽量化そのものも彼の大国の思惑通りなのだ。
 知っての通り、G弾運用を前提とした戦術ではBETAとの近接格闘が主軸に置かれていない。地上のBETAを薙ぎ払い、ハイヴの地下茎構造にすら損害を与えるようなあの新型爆弾を運用する以上、兵站の保障がないハイヴ内の行軍に無理に打って出る必要は少ないのである。
 そうなれば自然と弾薬を温存するための格闘戦というものは軽視されてゆき、運用する戦術機の設計においてもそれは申し訳程度にしか反映されない。
 だから、米軍における機体の軽量化は、機動性重視の転換と共に、格闘戦の事実上の排除という戦術的方針が多分に働いていると思われる。

 その結果造られた、最たる戦術機が、あの最強の第3世代機 F-22Aであると冥夜は個人的に考えていた。

『お国柄と言えば、確かにSu-37は第3世代機の中では比較的関節が骨太ね』
『Su-37? ソビエトの、だよな?』
 日本ではあまり一般的ではない戦術機の名称を千鶴が持ち出したので、武は首を捻りながら問い返した。彼の言う通り、Su-37はソビエト・アラスカ連合が運用する準第3世代機だ。
「向こうも自国内に複数のハイヴを抱えている。G弾を容認出来ぬ以上、ハイヴ突入は従来の戦術に則って行うことになる故、格闘戦は必須だ」
『でも向こうは帝国軍ほど長刀の扱いには慣れていないから、必然的にナイフの使用頻度が上がるわ。だからSu-37には肩と膝の装甲ブロックに、合計10振りのスーパーカーボン製ブレードが格納された設計になってるのよ』
「加えて、ソビエト機は何れもモーターブレードを搭載している。無論、Su-37もその例には漏れぬ」
『何だそれ。不知火なんかよりも超近接戦闘仕様じゃないか』
 冥夜と千鶴が続けて述べるソビエト機の特徴を聞かされ、今度は武が小さくため息を漏らした。確かに、日本製の不知火や武御雷は長刀及び短刀の使用を前提に、高い近接格闘能力を付与された設計概念を持つ。
 だが、モーターブレードやスーパーカーボンブレードなども搭載するSu-37は、その日本製の戦術機を遥かに上回るほどの近接格闘仕様となっているのだ。
 それ故の重量型。長刀の間合いを活かした一撃離脱、事実上の中距離戦闘を主体とする帝国陸軍に対して、短刀あるいは小太刀ほどの刀剣を多用するソビエト機は乱闘・乱戦に耐え得るよう、機体の各部耐久度及び重量も必要だった。
『何かそれ……相当癖のある機体になりそうだな』
「住めば都、という言葉もあるぞ。結局のところ、即応するには乗り慣れた機体が最優だと言ったのはそなたではなかったか?」
『………仰るとおりで』
 からかいの意味も含めて、冥夜は彼の先ほどの言葉を借りてそう答えた。自分の言葉で返されてはさしもの武も頷く他ないようで、苦笑気味ながらも納得したように首を縦に振る。
『戦術機談義はそのくらいにしましょ。明日だってやることは多いんだし』
 不意に、両手を軽く掲げて、呆れたと告げるような格好で千鶴が話の切り上げを提言する。それも実に尤もな話だ。元々、ある程度の休憩時間を返上している以上、睡眠は冥夜たちにとって唯一とも呼べる休息となっている。
 それに、何時までも帰投しないでいればそれだけ整備兵たちに負担を強要することになってしまうだろう。
『了解。明日こそ委員長の出番があるかもしれないぜ』
「それならば寧ろ望むところであろう」
『はいはい』
 武の言葉に冥夜がくっと唇の端を上げて答えると、「何で貴女が答えるの?」と言いたげな表情で千鶴が適当な相槌を打つ。

 彼らにとっては日常茶飯事。

 白銀武を中心とした軽口の叩き合いも、それを嗜める榊千鶴の呆れ顔もため息も、207衛士訓練分隊の時から繰り返されてきた本当に下らないやり取り。

 御剣冥夜はそれが、何よりも好きだった。




「ふう……今日はいつもよりもやや暖かいな」
 頬を伝う汗を白いタオルで拭い、夜空を見上げながら小さく呟く。彼女の歩く運動場には他に誰もおらず、彼女もまたこれから宛がわれた部屋に戻ろうと考えていたところだった。
 鍛錬に勤しむこと……就寝前にランニングをして汗を流すことを日課かと問われれば、恐らく彼女は首を横に振る。
 日課とは、毎日こなす仕事のことを指すが、厳密に言えば就寝前のランニングは最早仕事ではなく彼女 御剣冥夜の趣味だ。
 初めは目標。程なくしてそれは日課へと変わり、今ではただの生活の一部と化していた。

 朝起きて顔を洗うのと同じように、冥夜は夜眠る前に走るのである。

 それはホームである横浜基地を離れても変わることはなく、今日もまたこの柳川基地の運動場を勝手に借り、何時ものように汗を流した後だった。
「それでもまだ1月か……」
 暖かいと言っても、昨日、一昨日と比べての話。北九州に当たるこの地域でも、1月では寒い。冥夜の火照った身体も冬の風に曝され、急激に体温を下げていっていた。

 この身体が、寒さを感じるのは生きていることの、これでもかというほどの証明だ。
 自分は今、生きているからこそ寒いと感じている。桜花作戦を生き残ったからこそ、この寒さに身を震わせることが出来ている。

 何度助けられたか、分からない。

 あの、地上最大のハイヴにして史上最高難度の攻略対象内部において、冥夜は最初から最後まで誰かによって支え続けられてきた。
 突入の際には、軌道爆撃艦隊がレーザー属から彼女たちを守るために盾となり。
 地下茎構造内を行軍する際には、幾度となく凄乃皇が作り出すラザフォード場によって守られ、致命傷を回避し。
 そしてあ号標的との戦闘では、自身の隙から生まれた危機を、1人の斯衛軍衛士の挺身によって救ってもらったのだ。

 だと言うのに、冥夜も含め多くの戦友たちを守ってくれた彼らは何れも、今ここにいない。

 軌道艦隊は残らず爆砕した。
 凄乃皇の機関系を制御していた鑑純夏は昏睡した。
 冥夜を庇い、あ号標的の触手によって蝕まれた双海楓という名の斯衛軍衛士は、放たれた荷電粒子砲の光の中へと消えていった。

 “達者でやれ、御剣冥夜”

 あれから2週間。今でもまだ、冥夜は彼女の最期の言葉を鮮明に覚えている。

 “真那に心配をかけるな、というのは無理な注文であろうからな”

 高潔な衛士であり、武士だった彼女は最期のその瞬間まで、忠誠を捧げし帝国と、幼少の砌より親交のある朋友への想いを失わなかった。

 “貴様に対する真那の心配性はどうこうなるものではない。あやつに「心配するな」というのは、「息をするな」と言っているのと同義である故に、な”

 皮肉も、冗談も、高説も一息に詰め込んだ別れの言葉。笑いながら、心底可笑しそうに笑いながら、彼女はそう言ったのだ。

 “だから、貴様は開き直れ。心配する奴には心配させておけば良い。貴様は……貴様の戦いに身を投じれば……良い”

 くっと歯を噛み締め、冥夜は掌を宙に掲げる。
 喪われたものを嘆くよりは、喪われたことに意味を求めたい。それが御剣冥夜の小さな信念。
 例えば、神宮司まりもが何を成さんとしていたのか。
 例えば、伊隅みちるが何を願って散っていったのか。
 死に逝く同胞は、冥夜たちに何を託して黄泉へと旅立っていったのか。
 その、多くの命に守られ、今尚生き残っている冥夜が一生をかけて証明しなければならないのは、彼ら同胞の挺身に如何なる意味があったのかということのみだ。

 この手にある剣は未だ折れず。
 この身に通る芯は未だ折れず。
 かつてより掲げた己の理想は、未だに折れず。

 掲げた掌を通し、再び天を仰ぐ冥夜の頬を冬の冷たい風が撫でる。その指先は当に冷たくなっていて、あまり感覚がなくなっていた。
「冷えぬうちに戻るか」
 空は暗く、星と月が控えめに輝いているが、それを見つめる冥夜は眩しそうに目を細めてぽつりとそう呟く。ほんの一瞬、沈黙を守り、掲げた手を下ろした冥夜は徐に踵を返した。

 だが、その途中。丁度、建物の角に差し掛かったところで、すぐそこの兵舎の出入り口付近から誰かの声が聞こえてきた。会話をしているのか、複数人――少なくとも2人――のやり取りだ。
 どうしたって部屋に戻るためにはそこを通らなければならないのだが、冥夜は真っ直ぐに歩み寄ってゆくことはせず、角からそっと身を乗り出す形で様子を窺う。
 不思議なことに、人間とはこういう時にたとえやましいことがなくとも、1度はこうやって様子を窺ってしまう。
 尤も、冥夜に今そうさせているのはそんな超越的な要因ではなく、単純に聞こえてくる声の1つが聞き知ったものであるからだ。

 向かい合って話す男が2人。冥夜に背を向ける形で話している男の背格好は、もう自室に戻った筈の白銀武だった。
 会話の相手はよく見知った者ではないが、赤の他人という者でもない。詰まるところ、現在、冥夜たちが教導を引き受けている訓練兵の1人だ。

「………るほど。じゃあ………データが………」
「………うなれば……もう少し………と思うな」
 相手の言葉に深く相槌を打って、答える武。会話の内容はすべて聞こえてくるわけではないので、何を話しているのか確証はないが、恐らくはXM3や戦術機操縦に関してのことだろう。
 そのことに関する彼の話は、たとえ貴重な時間を割いてでも聞く価値はある。訓練兵ならば尚更のことだ。
 ただ1つ、敢えて苦言を呈するならば、それはまだ座学の段階には昇華していない。もう少し彼が知識と経験を蓄積し、要点立てて話を構成する能力が身に着けば、きっと良い教官になるのではないかと冥夜は踏んでいる。
 自分自身で同じことが出来るかという話は別にして、だが。
「教官……か」
 自分で考えておいて、冥夜は不意に物思いに耽るように呟く。
 それも決してあり得ない選択肢ではない。武のみならず、冥夜も、A-01の面々も。
 桜花作戦の成功により、香月夕呼が中心となって推進していたオルタネイティヴ第4計画も無期限の凍結となった。終了としないのは、米国案である第5計画の付け入る隙を少しでも少なくするためであると言われている。また、対BETA計画である以上、今後、戦況の推移によっては再開される可能性も考慮して、とのことだ。
 それでも、事実上の終了。
 第4計画を遂行するために香月夕呼の直轄部隊として構成されたA-01部隊も、近いうちに正式な解隊が成されるのではないかと、冥夜は予想している。
 そうなれば、自分たちが立つのは前線か後方か。単純な戦力としてか、人材教育の礎となるのか、あるいは兵器開発の一翼を担うのか、またあるいは、引き続き香月夕呼の直下で戦うことになるのか、まだ分からない。
 冥夜とて、何時までも一衛士として部隊を構成するだけでは終わらない。功績を挙げ、昇進を果たせば、小隊を任され、中隊を任され、ゆくゆくは大隊や連隊規模の指揮官にもなろう。

 そしてそれは友も同じこと。

 生きて、戦って、生き残って、戦い続ける限り、彼らは立場を上げてゆく。
 ヴァルキリーズの一員として、この中隊で過ごす毎日も過酷ながら楽しいものだが、それでも、何時までもそこに甘え続けるわけにはいかない。

 気がつけば、武と訓練兵の会話も終わっていた。敬礼する訓練兵を見送り、その場に残った武はそっと空を見上げる。
 その横顔を見つめれば、不意に彼の口が動く。何かに囁くように、小さく。
 声を発していたとしても呟くようなそれを、冥夜が聞き取れる筈もなかった。聞き取れる筈もなかったのだが、その口の動きから彼が何と言ったのかすぐに理解する。

 純夏。
 そう、彼は呟いた。

 愛しさとか、悲しさとか、そんな単一の感情では表現出来ないような複雑な表情のまま夜空を見上げ、武はその少女の名を呼ぶ。
 探している。
 呼んでいる。
 何よりも、求めている。
 それだけは痛いほど、その横顔から伝わってきた。

「………タケル!」
 何時までもこうしているわけにもいかず、また、戻るためには彼の前を通らなければならないため、冥夜は平静を装って声をかける。少し声高になってしまったので、わざとらしかっただろうかと不安に思うが、当然あとに退くことも出来ない。
「冥夜か? 何だよ? いつものか?」
 一瞬、驚いたように目を丸くした武も、何故冥夜が外から戻ってくるのか理解したのかやや呆れたような口調で問い返してきた。
「ああ。私にとっては1日の締め括りのようなものだからな」
 腕を組み、普段の自分として彼の問いに答える。横浜基地にいる時はもう知り合いは誰も珍しがったりはしないのだが、九州まで来ても冥夜がランニングを続けているとは武も思わなかったようだ。
「そなたはどうしたのだ? もう休んだとばかり思っていたが……」
 訓練兵の教導上がりに別れ、1度それぞれの部屋に戻ったのだ。だから冥夜は、てっきり武はそのまま休んだものだと思っていた。
「軽い散歩のつもりだったんだけどな。ばったり吉村訓練兵に出くわして、そのままXM3について話してた」
「成程な。そういうことならば、確かにそなたに訊くのが一番であろう」
「他のことまで詳しいってわけじゃないけどさ」
 参ったというように頭を掻く武は、謙遜のような言葉を漏らす。確かに彼は奇妙なことに詳しい反面、時折驚くほど常識的なことを知らないことがある。だが、それは知識としてはすぐに習得出来るものであり、事実、彼はそうやってきた筈だ。
 対し、XM3のことを衛士として感覚的な本質まで語ることが出来るのは彼だけだろう。同じく開発衛士として携わった冥夜たちは、厳密に言えばその領域には至っていないし、恐らく至ることは出来ない。
「最初はいろいろと渋っていたというのに、現金だな、そなたも」
「何が?」
「訓練兵の教導についてだ。案外、そなたは良い教官になるのかもしれぬぞ」
 ふふっと笑みを湛えて冥夜が言えば、口をへの字に曲げた武は「よしてくれ」という身振り手振りで答える。嫌がっているというよりは、褒められて照れているという印象の伝わってくる表情だった。
「ただ、やっぱり後輩ってのは良いよ。俺たち、部隊じゃ一番の新入りだろ? だから、そう思う」
「そなたが来た時には、横浜基地にももう私たちの分隊しか訓練兵は残っていなかったからな。所属は違えども、私も自分が先任として見られるのは不思議な気分だ」
「だよな。俺たちがいくら自分を未熟だって感じても、時間は待っちゃくれない。いつか、部下を率いなきゃいけない立場になるんだと思うと……何か気恥ずかしいよ」
 首を横に振って、ため息をつくように武は呟く。今の言葉を聞き、そして彼の表情を見て、悪いと思いながらも冥夜は少し笑ってしまった。
「………何だよ?」
「ふふっ。いや、何。そなたも肩書きだけ言えばもう部下を率いている身なのだがな、と思っただけだ」
「階級も変わらん同期兵が何言ってんだか。お前らだって、俺を上官として見たことなんか1度もないだろ?」
「ふむ………確かにないな。1度たりとも」
「それはそれで屈辱的だ」
「どうしろと言うのだ?」
 頬を引き攣らせる武の一挙一動が可笑しくて、冥夜はまた笑う。正直なことを言えば、今更彼を上官として扱えと言われても冥夜だって困る。
 無論、それが任務あるいは戦闘中であれば話は別なのだが、冥夜自身、日常においては我が侭にも対等でありたいと願っているし、傲慢にも彼だってそう接してもらえることを望んでいるのではないかと思っている。
 それに、先刻冥夜が悪いと思いながらも思わず笑ってしまったのはただ武が可笑しかったからではない。

 何時かは指揮官として戦場に立つ日も来るのだろうという将来像を、彼が自分と同じように抱いていることが冥夜は嬉しかったのだ。

 それは些細なこと。ともすれば当たり前のこと。
 だが、明確に、彼と考えていることが一致したということが冥夜は堪らなく嬉しかったのだ。

「………大それたこと言うようだけどさ」
「何だ?」
 1度口を閉ざし、再びゆっくりと噛み締めるように武が言葉を紡いだので、冥夜も表情を引き締めて続きを促すように訊き返した。
「桜花作戦の前、基地司令が言っていた言葉の重さがよく分かるよ。後輩に、戦う術しか教えられない自分ってのは、何か虚しいな」
「それもまだ致し方あるまい。今の世界においては、戦う術は生きる術と同義だ。生きる術を教えることは、先達の務めだと私は思う」
 武の嘆きをやんわりと反論するように冥夜は告げる。
 この場における「戦う術」とは、BETAと直接戦う技術だけを指すのではない。衛士には衛士の戦いが、通信兵には通信兵の戦いが、整備兵には整備兵の戦いが、そして何より、軍属にない者にも一般市民としての戦いがある。どんなに小さくとも、BETAに抗うため、誰もが戦いを続けている。
 そうすることでしか、この時代を生き抜くことは出来ないから。

 そしてそれは、“まだ”なのだ。

 どんなに理想論と蔑まれようとも、何時か、戦う術が生きる術でなくなる時代が来ることを祈って、彼らは戦い、またその術を伝えてゆくのである。
「………冥夜はどうして戦うんだ?」
「月並みだが、私にも護りたいものがある」
「日本という国……だったか」
「ああ」
 そういえば、以前に同じような問答をしたことがあったか、と冥夜は思い出しながら強く頷き返す。あの時も状況は似ていたかもしれない。
 確か、ランニングをしていた冥夜が偶然外に出てきた武と簡単な世間話をしたのだ。
 冥夜の理想は、詰まるところあの時からほとんど変わっていない。共に抱えることが許されないならば、せめて軍人として外敵からこの国を護り抜きたいと、ただ1人の姉妹のことを冥夜は想っていた。
「そなたも……そなたも理想はあの頃から変わっていないのか?」
「………そうだな。やっぱり、俺の目標は世界を、人類を守ることだよ。それは変わってない」
 武の返答に、冥夜は「そうか」と相槌を打つ。肯定でも否定でもない単純な相槌。
 彼が掲げるのは非常に大きな理想だ。それが悪いとは言わないが、冥夜以上に分の悪い戦いである。それに、人間は何時までもそのような漠然と大きな理想を掲げるのは不可能な生き物だ。

 冥夜とて、根底を探れば現実は、せめてただ1人の姉のささやかな力になりたいと願ったからに過ぎない。
 彼女が1人で抱えるのは辛過ぎるから、せめて下から持ち上げられないかと、卑屈にも妹らしく願ったからに過ぎない。

 生憎と、自分のその想いに気付くのに冥夜は酷い遠回りをしてしまったが。
「だけど、ちょっとあの時とは意味合いが違ってる」
「うん?」
「俺はさ……純夏が守ろうとしたものを守りたいんだ。あいつが世界を守りたいって思ったんなら、俺も一緒に守ってやりたい」
 再び夜空を見上げて彼が言った言葉に、冥夜の心は温かくなると同時にズキリと痛んだ。だが、それも一瞬のことだ。
 次の瞬間には冥夜も柔らかく微笑む。
 どうあっても敵わないか、と一種清々しい何かを感じながら。
「鑑も……何時か目醒めると良いな」
「………目を醒ますかな?」
「醒ますであろう。醒めてもらわねば困る。私はまだ、鑑に礼の1つも言えていないのだ」
「いきなり、「ありがとう」なんて言われても、きょとんとするか慌てふためくか、もしかしたら「うん、ありがとう」なんてトンチンカンな返答するかもしれないぜ?」
 同じように空を見上げ、武に冥夜が言い返せば彼は可笑しそうに笑う。その表情と口振りから、彼は本当に鑑純夏のことをよく分かっているのだなと冥夜は感心と嫉妬を同時にした。
「それは楽しみにしていよう」
 だから、己の本心を悟られないように冥夜は笑う。無論、それはまったくの虚偽でもなく、何時の日か鑑純夏と2人で語らえる時が来ることを願っているのも確かだ。
 冥夜は先ほどと同じように、天を仰いで眩しそうに目を細める。

 鑑よ。そなたは気付いていたのであろう?
 だから、戦いに身を投じ、タケルと我らを生かすために奮戦したのであろう?
 我らが、そなたとタケルを生還させるために桜花作戦を戦い抜いたのと同じように……。

 冥夜は淋しげに笑う。
 だからこその約束。鑑純夏が戻ってくるその時まで、各々の戦いに集中しようという些細な口約束。生き残ったのではなく、生かされた冥夜たちが桜花作戦の直後に交わした尊くも馬鹿らしい小さな誓い。
 だが、冥夜も、誓い合った戦友たちもその約束を違えることはなく、実直にも、愚直にも、親しき友が再び帰ってくるその時まで一定の境界線を守るつもりだ。
 そう、最大にして最強の、そして最上にして最高の好敵手が目を醒ますその時までは。

「…………冷えてきたな」
 視線を下ろした武が、不意にそう呟く。彼の短く纏められた髪も、冬の夜風に吹かれてわずかに揺らいでいた。
「そうだな。眠る前に1度、シャワーを浴びて身体を温めた方が良いかもしれぬぞ?」
「そうするか」
 冥夜の告げた助言に相槌を打ち、武はくっと軽く身体を伸ばす。こうも寒い屋外でじっとしていては、身体の筋肉もすっかり硬直してしまっていることだろう。身体を伸ばす武は、何やら心地良さそうに呻き声を漏らしていた。
「私はもう戻る。消灯前とはいえ、あまり遅くなっては榊と彩峰に迷惑がかかる故な」
「俺も部屋に戻るよ。何か、眠くなってきたし」
 そう言ってわざとらしく目をこする武に、冥夜は笑みを零す。
 少なくとも、武もまだ諦めてはいない。ただ打ちひしがれているわけでもなければ、ただ無理に明るく振る舞おうとしているわけでもない。
 いつも通りに、緩やかに日常を過ごしながら、彼は鑑純夏の帰りを待ち侘びているのだ。
「ならば――――――」
 途中まで同行しようと、そう申し出ようとした冥夜の言葉は最後まで続かなかった。
 遮ったのは、けたたましく鳴り響く非常警報。
 一瞬にして2人を戦場へと引き戻したのは、本来あって欲しくはないエマージェンシーコール。
 そして続けざまに入ってきたのは、冷静沈着であることが求められる管制室通信士の、明らかに切羽詰った警報発令の理由説明である。


 壱岐前線警備隊より緊急入電。
 先刻2223。朝鮮半島の甲20号目標より、BETA群の南下を確認。
 当柳川基地に駐留する全部隊は、即時所定の作戦室へ急行せよ。










  おしらせ

 感想スレを新しく立てました。
 (HOME)からは新しい方にとびますので、その旨をこちらでおしらせ致します。
 前スレ、新スレ、どちらでも構いませんので、ご感想をいただければ幸いです。



[1152] Re[42]:Muv-Luv [another&after world] 第42話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:79651726
Date: 2007/09/01 17:44


  第42話


『ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ。現在、侵攻中のBETA群は壱岐水道を尚も南東方向に移動中。上陸推測地点は唐津湾及び、博多湾です。長崎、佐賀、福岡の北部沿岸全域に防衛基準態勢1が発令。各基地から出撃した迎撃戦術機甲部隊も順次、防衛線を構築していますが、完了には至っていません』
 開かれた回線からは、A-01部隊の戦域管制将校を務める涼宮遙による現状説明が入ってくる。冥夜は、それを聞いて改めて唇を噛んだ。
『支援火器車輌部隊の展開は?』
『旧九州自動車道及び旧大分自動車道に沿って砲撃陣地を形成中です』
『何て範囲………いや、九州戦線では仕方ないことか……』
 遙の言葉と共に北九州全域の地図が網膜に投影され、全員に砲撃部隊の展開予定図が示される。その、全幅160kmにも及ぶ砲撃陣地の範囲に、宗像美冴は驚きの反応を表してから独り言のように納得の意を示した。
 無論、砲撃陣地が広大といっても、砲撃部隊の規模が尋常ならざるもの、というわけではない。飽和攻撃が基本といっても、BETAの上陸地点が西日本全域に及んでいる九州戦線では、支援砲撃部隊を一部に集中させることが出来ないのである。
 事実、今回も防衛基準態勢1は北部沿岸全域に及んでいるのだから。
「700年前の武士の気持ちが少しは理解出来そうだな」
『神風がBETAを追い返してくれるなら、言うことはないんだけどね』
『向こうは海底を進んでくるんだから、関係ないと思うけど……』
 大昔に、大陸からの侵攻に当たった御家人たちに想いを馳せながら、冥夜がぽつりと呟けば、榊千鶴と涼宮茜が続けて言葉を返してきた。その返答は、どちらも同意出来るものであり、冥夜も思わず苦笑するしかない。
『壱岐の前線警備隊はどうなりましたか?』
『戦闘可能な部隊は順次南下し、戦線に加わっているけれど、駐屯地自体は潰滅したと情報が入ってるわ。交戦開始から1時間……寧ろ、よく保った方ね』
『……そうですね』
 中隊の先頭を行く武の問いに、水月は首を横に振りながらも答える。
 侵攻中のBETAの規模は現状確認されているだけでも約8000。多数の兵力が回されている九州とはいえ、桜花作戦による損耗も回復し切っていない現段階で、しかも島とあっては壱岐の駐屯地が沈黙するのは時間の問題だった。しかも、BETAはこれから続々と規模を拡大させてゆくだろう。

 しかし、事実上の襲撃を受けるまでBETAの侵攻を察知出来なかったのは痛い。

 本来ならば対馬を基準として海防ラインに設置された無数のセンサーによってBETAの侵攻が察知出来る筈だった。それが出来なかった理由については、現在、情報部が全力で解明中であるが、分かる頃にはとうにこの戦闘は終わっているだろう。
 それも、防衛側の勝利であろうが、侵攻側の勝利であろうが。

『あたしたちの任務は、このまま北山ダム跡まで北上して防衛線を構築。面制圧を突破してくる敵を片っ端から叩くことよ』
『追従している柳川基地所属の帝国軍413戦術機甲中隊も同ポイントにて迎撃を行います。各機、味方誤射には注意してください』
 水月と遙の2人から続けて今後の動きについて説明が入る。その件については、出撃前のブリーフィングでも聞いた通りだ。冥夜たちのすぐ後ろを疾駆する陽炎の一団は、柳川基地に所属する帝国陸軍中隊であり、指定ポイントにて共闘を行う。
 そしてその指定されたポイントは、福岡県との県境に程近い佐賀県の北山ダム跡地。ちょうど、北九州の海岸線と砲撃陣地が形成される大分自動車道跡との中間にある山岳地帯だ。
「ここを突破されれば敵が砲撃陣地に取り付くな……」
『そういうことだ。最悪、戦士級は素通しにすることになるかもしれないが、戦車級以上の大型種を通過させるわけにはいかないぞ』
 迎撃部隊の展開図を総合的に見て、冥夜は思わず眉間に皺を寄せる。彼女のその呟きに同意するように、美冴も面白くなさそうに鼻を鳴らした。
 軒並み、人間より高い能力は持っているが、戦士級はBETAの中で抜きん出ているものは何も持っていない。圧倒的な物量で押し込まれれば話は別だが、戦士級だけならば後方の機械化歩兵でも充分に対処出来る筈である。
 生憎、兵力を一点に集中出来るほどBETAの進行経路は特定出来ていない上、桜花作戦直後の人員不足だ。そうである以上、幾重にも折り重なった防衛線の構築など望める筈もなく、結果として人類側は短期決戦を余儀なくされる。
 大別すれば防衛線は3つ。
 沿岸部にて支援砲撃の雨の中、上陸してくるBETAを迎え撃つ戦術機甲部隊。その砲撃と迎撃を掻い潜ってきたBETAを内陸部で迎え撃つ戦術機甲部隊。そして沿岸部の面制圧を実行する砲撃陣地の3つだ。
 そこを越えられれば、基地施設防衛に充てられた部隊しか残らない九州中央部にBETA群が雪崩れ込むことになる。
『だけど……何でこのタイミングで……? 桜花作戦から2週間しか経ってないのに……』
 機体を走らせながら、美琴は疑問を口にする。
 往々にして、BETAの侵攻は属するハイヴの個体数が飽和状態に陥ることに起因すると言われている。これはハイヴの発展にも通じており、とどのつまり、BETAは個体数が飽和状態になるとハイヴを拡張すると同時に、新たなハイヴの建設に乗り出す、と考えられているのだ。
 この点においてどこまでオリジナルハイヴのあ号標的が直接関与していたのかは不明であるが、現在もBETAが個体数を増やし続け、緩やかながらも活動を続けている点を考えれば、ほとんどがプログラムとして自動化された行動様式であると予測出来る。
 その説を振りかざせば、逆算として朝鮮半島の甲20号目標が飽和状態を迎えた、という結論になるのだが、その可能性も極めて低い。
 何せ、2週間前の桜花作戦において帝国軍は陽動目的で甲20号目標に攻撃を仕掛けており、そこで間引きなど比ではないほどBETAに損害を与えた筈なのである。それにも拘らず、この短期間でハイヴの個体数が飽和状態になるとは考え難いのだ。
『考えるのは任務を終えてから』
『彩峰に賛成。それに……BETAの狙いが判明しないと、深読みは寧ろ命取りだよ』
 相対し慧と、それに賛同する晴子は酷く真剣な面持ちでそう言葉を紡ぐ。しかしながら、両者共に美琴と同じ疑問は感じているらしい雰囲気は充分に伝わってくる。
『何だか……横浜基地の時みたいで嫌ですね………』
「海防線こそ越えられたが、陸上には埋設型のセンサーも多数機能している。あの時の轍は踏むわけにはいかないな」
『正直……後ろのことまで気にしてる余裕はなさそうだ』
「何……?」
 珠瀬壬姫が拭い去れずにいる不安に、同意とも反論とも取れる返答を冥夜は述べる。
 だが、敵はこちらの思惑などお構いなしで、時間は1秒たりとも待ってはくれない。先頭を駆ける武が思わず漏らした呟きに、冥夜も壬姫も表情を変えた。
『御剣少尉、珠瀬少尉、BETAが上陸を開始したわ。上陸地点は――――――』
「『伊万里湾!?』」
 武の呟きを補完するように、冥夜の疑問を解消するように、管制の遙から新たな報告が入る。それと同時に網膜に投影されるBETAの侵攻情報を見て、小隊長を除く誰もが驚愕の声を上げた。

 伊万里湾。
 松浦市に接する、長崎県北部の湾であり、九州戦線の最左翼だ。
 そこは、当初上陸が予想されていた博多湾及び唐津湾よりも更に西に流れている。

『既に侵攻中のBETA群は3群に分散していると推測。唐津、博多両湾への上陸も確実と思われます。ヴァルキリーズはそのまま北山ダム跡にて防衛線を構築してください』
「左翼は無事なのですか? 涼宮中尉」
『現在、佐世保市から出撃した帝国・国連両軍の戦術機甲部隊が迎撃に当たっています。分散されたこともあって、突破される可能性は寧ろ下がった筈です』
『確かに、こちらの兵力が分散しているところに一点突破を試みられるよりは守り易い。元から各方面の増援など期待出来ないからな』
 冥夜の問いかけに、既に管制将校としての落ち着きを取り戻している遙から客観的な返答がなされる。それに続いて美冴も納得したように頷きながら言葉を加えてきた。
 成程と冥夜は思わず頷く。
 後手に回っている現状、敵の予想侵攻経路は北九州沿岸全域に及んでいる。結果として防衛線を薄く、広く展開する他ないのは先述した通りだ。そこに敵が同様に広域展開をして侵攻してくるというのは、確かに捉え方としては不幸中の幸いかもしれない。

 刹那、接敵を告げる警告音が管制ユニットに鳴り響く。

『ヴァルキリー2よりヴァルキリー1! 敵先行部隊捕捉! 突撃級5、正面から向かってきます!』
 ほぼ同時、先頭の武が前進を止め、声高に水月へと接敵報告を告げた。それを受け取る水月は小さく舌を鳴らす。
『ヴァルキリー1よりヴァルキリー・マム! BETAと交戦を開始する! このまま防衛線を押し上げるわ!』
『ヴァルキリー・マム了解!』
『冥夜! 彩峰!』
「『了解!』」
 水月の報告に遙が答えるのと、武が冥夜と慧の2人に攻撃命令を出すのもほぼ同時だった。前進を止めた武の横を、冥夜は右から、慧は左からすり抜けて即座に吶喊する。
 突撃級の前進速度は圧倒的に速い。跳躍ユニットを使った戦術機の水平飛行には及ばないが、通常の走行速度では地理的条件次第では比較にならないこともある。
 しかしながら、連中は例に漏れず何れも小回りが利かない。どんなに速かろうが、冥夜にしてみれば他に相手にするものがなく、しかとこの眼で捉えることが出来れば、それは即座に雑魚に成り下がる。

 それは、XM3搭載機の圧倒的な空間制圧力を駆使した、一方的な大虐殺に等しい。

「彩峰! そなたは左から回り込め! 後衛の手を煩わせる必要などないぞ!」
『分かってる』
 直進してくる突撃級を目前で左右に回避。跳躍ユニットの噴射方向を瞬く間に切り替え、冥夜と慧は同時に敵集団後方に躍り出る。そうなれば後は赤子の手を捻るようなものだ。
 突撃級はその巨体に見合わず致命的に、弱点である臀部が脆いのである。
 左右へと立ち位置を入れ換えながら冥夜と慧は36mmを掃射し、5体の突撃級を一息に飲み込もうとする。しかし、その猛撃を掻い潜り、2体の突撃級が方向転換せず尚も前進を継続した。
 向かう先は部隊の誰もが信頼を寄せるB小隊の小隊長機。コール ヴァルキリー2 白銀武だ。
 だが、冥夜と慧が後退するよりも早く、そして後衛が支援に出るよりも早く、武は跳躍して空中で身を捻った。向かってくる突撃級を横ではなく縦に躱し、頭を下に向けた状態のままで36mmを放つ。
 ほんの数秒。ほんの数秒で撃ち出された、100発を超える砲弾で蜂の巣にされ、突進を続けていた突撃級は、まるで車輌が横転するようにもんどりうって絶命する。

 冥夜は武のその勇姿を最後まで見届けない。

 彼が空中で反転している間に後続は突撃級の死骸の脇をすり抜け、彼が着地して前進を再開するよりも早く、冥夜と慧はツートップの陣形を保ったまま先行するのだ。
 かつて、速瀬水月が小隊長を務めていた頃こそは冥夜も武と2機連携を組んでいたが、彼女が迎撃後衛に下がった現在、2機連携ならば寧ろ慧と組むことの方が多い。
「こちらヴァルキリー10! 敵後続確認! 要撃級8! 戦車級34! レーザー属は確認出来ず! 繰り返す! レーザー属は確認出来ず!」
『ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ。海岸線における支援砲撃の着弾率に低下は見られない。上陸中のBETA群にレーザー属は存在しない。繰り返す。上陸中のBETA群にレーザー属は存在しない』
『ヴァルキリー1了解! 敵の主砲は休暇中よ! 片っ端から平らげなさい!』
「『了解!!』」
 応答と共に冥夜は跳ぶ。跳躍ユニットを使って着地までの時間をわずかに引き延ばすだけの、匍匐飛行にすら至らない飛行。それは事実上の大跳躍だ。
 ブレードマウントから長刀を引き寄せるのに合わせ、右翼の砲撃支援を司る珠瀬壬姫の一撃が先頭の要撃級を穿つ。
 タイミングはこれ以上ないというもの。壬姫の狙撃に要撃級が仰け反った瞬間、冥夜の振り下ろした長刀がその体躯を袈裟懸けに斬り開く。
『彩峰! そっちに回ったぞ!』
『白銀はそのまま御剣の援護に回れ! 柏木、私に続け! 彩峰の援護に回る!』
『了解!』
 36mmで冥夜の周囲を薙ぎ払う武から、慧に対して警告が発せられる。後ろから次々と雪崩れ込む要撃級が向かって左側に回り込み始めたのだ。
 だが、左翼の後衛は既に敵のその動きを完全に捕捉している。慧の不知火に取り付こうとする戦車級の群れを左翼の強襲掃討を担う涼宮茜が、装備した4挺の突撃砲で瞬く間に一掃した。
 そしてその戦車級の死骸で作られた紅の絨毯の上を宗像美冴、柏木晴子の両名が進軍してゆき、あっという間に慧よりも前に飛び出す。
「速瀬中尉!」
『分かってるわよ。右翼方面は413中隊が突出してくれるわ。鎧衣、あたしたちも前に出るわよ。さっさと機体を軽くしちゃいなさい』
『了解!』
 戦力が左翼に傾き始めたことを危惧する冥夜の呼びかけに、水月はもう対応済みだと言うようにすぐさま返答してくる。そしてそのまま、彼女自身も美琴を率いて前進を開始した。
『冥夜! 弾幕を張りながら微速後退だ! 美琴が蹴散らしたら再攻勢を仕掛けるぞ!』
「了解だ」
 長刀をマウントに戻し、武と横並びになった冥夜は両手に持ち直した突撃砲のトリガーを固定したまま、ゆっくりと後退を開始する。敵の掃討よりも、足止めを目的とした掃射だ。
 彼女たちが身を置くB小隊は突撃前衛小隊とも呼ばれる。常に中隊の先陣を切り、敵中に身を投じることで敵の攻撃を惹き付けるながら敵戦力を削り取ることが最大の役割だ。それ故に、この小隊を構成する者は小隊長も含めて極めて高い挙動制御技術と格闘技能が要求されるのである。
 そこにおいて、彼らA-01部隊の中で最も標準装備とされるのはその実、その名を冠する突撃前衛装備ではなく、突撃砲2挺と長刀を2振り携行した強襲前衛装備だった。
 たとえ、初期装備で突撃前衛装備が推奨されても、結果として作戦行動中に92式多目的追加装甲を破棄して87式突撃砲に換装することがほとんどである。
 加え、今回の場合は、交戦までに補給線が確保される可能性が高くなかったため、多少強引に最大限に装備を携行してきたのだ。

『ヴァルキリー8、フォックス1!』

 刹那、冥夜たちの後方で美琴が攻撃警告を発しながら肩部のミサイルコンテナから自立誘導弾を発射させる。この自立誘導弾はALMの一種で、本来は対レーザー属兵装として使用されるのだが、状況次第では単純な威力兵器として使われることもある。
 最も顕著な例はハイヴ坑内。ハイヴ内部ではレーザー属は照射を行わないため、自立誘導弾はその打撃力を持ってして空間を制圧する装備へと変貌するのだ。
 そして今は後者の目的として使われた。無論、ここは地上であるが、レーザー属の存在が認められないのならば条件は満たしている。

 爆砕と共に冥夜は再び身を翻す。
 即座に右手の突撃砲をマウントの長刀に換装し、武に追走する形で吶喊。尚も進攻する要撃級を彼が薙ぎ払い、冥夜の突入経路を確保する。

「これ以上は進ませぬッ!!」

 高らかに咆哮し、眼前に並ぶ要撃級を1体、また1体と次々と斬殺してゆく。隙がないかと問われれば、恥ずかしながらも冥夜は否定するしかないだろう。
 だが、その身は衛士。
 生憎と、一騎討ちを所望することが常套の、大昔の武士ではない。
 相手が圧倒的物量で押し込んでくるのならば、同じく物量と、立体戦術、そして空間制圧力で対抗させてもらう。
 冥夜が生む一瞬の隙は、すぐ後ろの戦友たちがすべて図ったかのように埋めてくれる。
 それは慢心ではなく信頼。それは油断ではなく戦術。
 それは、己の未熟さから生まれ出でるものではなく、前衛小隊を成す一兵に課せられた危険と勇気の一片。

 バックステップで後退する冥夜を待ち構える要撃級の前腕は水月の一刀で斬り飛ばされる。
 着地する冥夜に群がろうと集まってくる戦車級の体躯は千鶴の放つ36mmで残らず炸裂する。
 だから冥夜は、彼らが確実に、少しでも安全にBETAを始末出来るように前衛として吶喊し、更にその手で殺戮を繰り返すのだ。

『ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ。海上に展開を完了した帝国海軍 第16戦隊が唐津、博多両湾に面制圧を開始。内陸に後退を開始した沿岸警備隊からの報告によると、内陸に進攻する敵個体数は減少中とのこと。また、現在、補給コンテナを運搬中の補給大隊が支援に向かっています』

 後続も合わせ、都合7体目の要撃級を冥夜が下したところで、遙から新たな動きの報告が入る。
 艦隊と砲撃部隊の展開が遅れる現状。レーザー属こそ確認されていないとはいえども、甲20号目標を抱える朝鮮半島に程近い北九州では航空機の使用が事実上不可能である。よって、今は補給コンテナの配備は地上部隊に任せるしかない。
 補給大隊は現状においてそれを司る、極めて重要な部隊だった。
『ヴァルキリーズ全機、聞いたわね? 補給線が完全に確立するまであと少しの辛抱……。1体でも取りこぼしたら後で腕立て500回よ!』
「『了解ッ!!』」
 すべて蹴散らせと、そう命ずる水月に誰もが声高に応える。
 士気は充分だ。補給大隊の到着時刻まで、携行弾薬で問題なく対処出来る。

 武と慧と再集結を果たした冥夜は、迫る仇敵を睥睨し、共に攻勢を仕掛ける。

 BETAたちの進撃は、確実に、緩やかにその勢いを失いつつあった。




『B小隊、BETA掃討完了。先頭の突撃級を除けば、ほとんど要撃級と戦車級ばっかだったな』
 斬首した要撃級が崩れ落ちるのを確認してからバックステップで後退してくる武が、報告と感想を並べて告げる。
『密度が小さいとはいえ、要塞級では面制圧を抜けてくることが出来なかったということだろう。レーザー属がいなかったのは不幸中の幸いだ』
 左側面に警戒を払いながら、美冴が武に答える。戦域が広大であるが故に支援砲撃の効果が薄くなってしまったのは止む無いことだったが、それでも要塞級の巨体は掻い潜れなかったということだ。確かに、耐久力が高い要塞級でも、相当な頭数を揃えなければ面制圧を生き残るのは難だろう。
「不幸中の幸いといえば、BETAの上陸が北部沿岸全域に及んでいたのも幸いでしょう。どちらにせよ、我々は戦力を分散せざるを得ないのですから」
『そうですね。速瀬中尉、BETAの後続はまだいるようですが、もう上陸自体は止まっているようです』
 同様に哨戒を継続する風間祷子も冥夜の言葉に同意し、続けて水月へとBETA進攻の推移を報告する。実際にはそれも形式に則ったもので、冥夜たちの下には広域データリンクで逐一観測結果が入ってきているのだが。
『了解。安全が確保出来るまではここに留まって――――――』
 戦闘は緩やかに終息へ向かっている。誰もがそう信じて疑わなかったし、冥夜も減り続けるBETAの後続から強くそれを感じていた。
 だが、現状維持を指示しようとする水月の言葉を遮ったのは、広域データリンクで告げられる新たなBETAの進攻報告だ。
『ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ! 現在、有明海沿岸全域にてBETAの上陸を確認! 敵の規模は未だ不明!』
「『なっ――――――!?』」
 だが、冥夜たちがデータリンクによって示される現状を理解するよりも早く、柳川基地の司令室に陣取る遙が言葉を発する。そこでようやく、彼らはことの重大性に気付くのだ。
『有明海沿岸全域……!? 柳川基地まで10kmもないぞ!!』
「海防線を掻い潜って……長崎沖を迂回したというのか……?」
 怒号にも似た声を発する武と、愕然と呟く冥夜。声調は対照的だったが、抱いた感情は共に同じ「驚愕」。そしてそれはA-01全員のみならず、作戦行動中の全部隊にとっても同様のことだろう。
 有明海まで進攻したBETAの一団は、そこまで1度として地上に顔を出していない。

 それはつまり、長崎沖を南下し、雲仙岳の南、天草諸島の北の海峡を通過して島原湾に侵入。そのまま一路北へ向きを変え、有明海へと至る経路を通ったということに他ならない筈だ。

 元々、集団突撃戦術をもってして直線的に突っ込んでくることがBETAの一般的な進攻方法とされている。そのために帝国海軍が守る九州戦線の海防ラインは北九州沿岸も含め、日本海沿岸に沿う形で引かれている。
 少なくとも、わざわざBETAが迂回して上陸を仕掛けてくるなどという前例がない、東シナ海に面する九州の側面の観測体制は、九州戦線の海防ラインと比較にならないほど粗末なものだった。
 それを怠慢と罵るのは容易だが、少し考えれば分かることである。

 1度として進攻の前例のない方面に人員を割くほど、帝国軍には余剰兵力などありはしなかったのだ。

『現在、柳川基地は防衛基準態勢1を発令し、上陸中のBETAには基地の守備隊が全力で応戦中。ヴァルキリーズは即時、基地まで帰投せよ。繰り返す。ヴァルキリーズは即時、基地まで帰投せよ』
『っ!! 了解! 白銀!!』
『ヴァルキリー2了解! B小隊、先行する! 最大戦闘速度で基地まで下がるぞ!!』
「『了解!』」
 言うが早いが、武は即座に反転し、来る時と同じように先陣を切って南下を開始する。無論、彼の指揮下にある冥夜と慧も同様だ。
『こちらヴァルキリー1。大尉殿、ここはお任せします』
『早く行け! 敵に北上されたら砲撃陣地を押さえられるぞ!!』
 中隊の先陣を切って南へと向かう冥夜の後方では、水月が万が一に備えてここに残留する413戦術機甲中隊の中隊長に移動する旨を伝える。尤も、中隊長である彼女が冥夜たちに遅れることなどなく、半ば移動を開始してからの報告だったが。
 しかし、そんな些細なことで憤慨するほど、この場で戦う帝国軍衛士は愚かな人物ではない。彼らはことが一刻を争い得ると明確に理解しており、同時に転戦するのならば陽炎に搭乗する自分たちよりも、不知火に搭乗する冥夜たちの方が適任であると分かっているのだ。
『またBETAにここまで振り回されるなんて……』
『司令部は今回のBETAの行動を、横浜基地襲撃において使われた陽動戦術に帰属するものと推測。有明海沿岸から上陸中のBETA群を敵本隊と暫定しました』
 恐らくは横浜基地のことを思い出しているのだろう。冥夜の後ろを行く美琴が苦虫を噛み潰したような表情で呟く。あの時も陽動に次ぐ陽動で横浜基地は混乱に陥れられたのだ。

 当時の段階で、一部のBETAにはある程度の戦術思考がプログラム済みであったということは、既に一部の間では定説になっている。

 桜花作戦以前、BETAが従来の行動と異なる行動規範を見せた時、それはオリジナルハイヴのあ号標的からそれに関する情報が伝播されていたことは事実として既に挙がっている。
 少し前まではハイヴの指揮系統はオリジナルハイヴを頂点としたピラミッド型と考えられていたのだが、度重なる情報収集と分析の結果、ハイヴはオリジナルハイヴを頂点にその他のハイヴがその直下で横並びにあるという箒型の指揮系統であるということが明らかにされた。

 それ故の桜花作戦。BETAにとって唯一にして絶対の上位存在を叩くことを目的としたあの作戦は、これ以上BETAを“成長”させてはならないと判断した人類の、まさに苦肉の策だった。
 それも結果として成功し、BETAは唯一の指揮者を喪失。連中にはこれ以上、行動規範の書き換えはなされない筈であり、緻密な陽動戦術を行うなどという行動は生まれないという認識が冥夜たちにとっての常識だ。

 しかしながら、甲21号目標から撤退したBETA群を未だ内包している可能性のある朝鮮半島の甲20号目標は、そこにおいて若干の例外に当たる。
 何故ならば、当時、横浜基地を襲撃した甲21号目標のBETA群は予め一定の戦術概念を有していたからだ。
 BETA個体とあ号標的との情報交換はハイヴの反応炉を通じて行われることも既に判明しており、その点も加えて総合的に考えれば、甲21号作戦によって反応炉を失ったBETAがその戦術概念を習得したのは、少なくとも甲21号作戦以前でなければならない。

 よって、甲21号目標に属していた一部のBETA、あるいはすべてのBETAは確実に戦術概念を持っており、それを未だ内包している可能性の高い甲20号目標のBETA群が、陽動戦術を使うことも、決してあり得ない話ではなかったと言える。

 だが同時に、それは「甲21号目標に属していた」という前提が必要であり、甲20号目標のBETAも同様に以前から戦術概念を習得していたか否かについてはどうしても仮定の域を出なかった。
 そもそも、先述したようにただでさえ人員の不足している帝国軍に、それに関する対応を求めるにはあまりにも時間が少な過ぎたのだ。

 御託などはいい。
 今彼らに求められているのは、最大戦闘速度で柳川基地へ帰投し、上陸するBETAを排除、そして基地の安全を確保することだ。
 基地にはここ数日で知り合った何人もの友がいる。
 そして何より、冥夜たちA-01部隊の衛士を後ろから支える1人の戦域管制将校が残ったままなのだから。
 数千、数万のBETAによって翻弄される、たった11機の不知火の一団は、焦燥感を抱きながら南下を続ける。
 そう、彼らは“たった11人”でしかなかったのだ。




 朝陽に照らし出された一面の荒野は、あの、新年を間近に控えた横浜基地周辺のそれに似ていた。
 砲撃に曝され、無数の穴を穿たれた大地。
 積み上げられたBETAの死骸、死骸、死骸……死骸の山。
 そしてその人類の怨敵と折り重なるように転がる、戦術機の残骸、残骸、残骸……残骸の山。
 中には、撃震を下敷きにしたまま絶命している突撃級の姿もある。
 中には、長刀を要撃級に突き刺した状態で管制ユニットを食い破られ、ただの鉄の塊と化した撃震の姿もある。
 全体的に大型種よりも戦車級の死骸が多く、それで埋め尽くされた紅の大地を陽射しは尚も鮮明に浮かび上がらせる。
 戦いの爪跡。そこは既に終息を迎え、今はただ、朝陽によって照らされた静かな景観があるだけ。戦いは続けられていない。

 だが、今そこでは彼ら以外、誰も生きていなかった。

 冥夜たちが到着した段階で、抗戦を続けていた基地守備隊はほぼ潰滅状態にあり、BETAは進攻に際する眼前の障害を半ば排除しかけていた。
 反面、BETAの損害も尋常ではなく、最早集団としても虫の息。その状態が、何よりも戦いが拮抗していたのだと顕著に示している。
 A-01部隊は即時、基地へと尚も進攻するBETAを殲滅し、生存者の救助及び敵残存兵力の探索に従事。それも終わり、柳川基地が正式に防衛基準態勢を通常域へ移行したところで、戦いの夜は明けた。
 機体から降りたまま、強化装備を着たままの状態で立ち尽くす冥夜の前には、つい2週間ばかり前に見たような光景が広がっている。
 しかし、冥夜の視線の先で、胸部に開いた装甲の亀裂から赤い液体を零す大破した吹雪の傍らに身を置く武の姿は、それよりも更に前の、任官直後に起きた事件のそれに似ている。

 あの時と違うのは、大破した吹雪が彼のものではないことと、彼が自分の脚でしかと立っていることだった。

「何で……間に合わなかったんだろうな」
 武は振り返らず、吹雪の残骸を見上げたままぽつりと呟く。それは誰かに対する問いかけだったのか、それともただの自問だったのか冥夜には分からない。
 吹雪は、一般的に訓練兵のみが搭乗する。方面によっては撃震に代わり、主機を換装して実戦配備されているところもあるが、少なくともこの柳川基地では吹雪を運用する正規兵部隊は存在しなかった。

 訓練兵も駆り出されたのだ。まだ、余剰兵力など存在しない九州戦線において、防衛基準態勢1が発令されたのだから止むを得ないことである。
 何せ、彼らはまだ訓練期間を終えていないとはいえ、戦術機の実機を操る経験と資格を持った衛士だったのだ。数種にも及ぶ大型種、圧倒的物量で押し込んでくる小型種の相手に熟練された機械化歩兵を宛がうよりは余程現実的だ。
 だが、冥夜の記憶が確かならば、実際のところ佐渡島にハイヴが建造されてから今日まで、朝鮮半島からBETAが大規模進攻を行ってきた前例は1度もない。
 だから、いくら実戦に対する意識が高くとも、彼らは実戦を経験したことはその実1度としてなかった筈である。

 訓練兵たちはいったい、どんな気持ちでBETAに向かっていったのだろうか。

 冥夜とて、横浜基地で初めてBETAと対峙した時、必死に取り繕っていたが身体の震えは止まらなかった。
 12・5事件で、同じ人間から砲口を向けられた時とは違う。
 あの事件の時は、どんなに敵対しようとも、冥夜は決起部隊の想いは理解していたし、ただ1人の姉の想いも理解しようとしていた。悲しみも、怒りも、恐怖もすべてが入り混じっていて、物理的な肉体反応が起きるまでに至らなかったのだ。
 だが、任官直後の演習でBETAと対峙した時は、ただ純粋に恐怖だけを感じていた。
 それでも辛うじて平静を保てたのは、正規兵の一喝と武の無謀過ぎる行動があったからに他ならない。それがなければあの時、自分は既に逝っていたかもしれないと冥夜は本気で考えている。

「………距離が離れ過ぎていた」
「…………そうだな」
 武はそんな返答を望んでいるわけではないと、頭では理解しながらも冥夜はそう答えるしかなかった。彼もまた、それ以外の回答など誰も出来ないのだと分かっているのか、長い沈黙の末にそう相槌を打った。
 作戦としては、基地の防衛には間に合ったのだから成功かもしれない。
 だが、彼らは多くの友を救うまでには至らなかった。自分たちよりも実戦経験の長い正規兵のみならず、これから長きに渡って共にBETAと戦う筈だった同年代の少年少女たちをほとんど救うことが出来なかった。

 正直なことを言えば、冥夜も含め彼らが守れなかったものは決して少なくない。理不尽な戦場に身を置いている限り、どんなに拾い集めようとその手から零れ落ちてゆくものは必ず出てくる。
 それでも2人にとって、自分よりも経験が浅く、立場も弱い兵士が死にゆく現実を突きつけられるのは初めての経験だった。
 しかもそれは、まだ任官にも至っていない衛士の卵たちなのだ。冥夜たちとて、どんな過酷な状況に置かれようとも、同じ境遇の時はまだ、“守られている”意識が少なからずあった。

 どんなに戦力の一端として数えられようとも、訓練期間を終えていない訓練兵たちはギリギリまで守られることが約束されて然るべきなのだ。
 そうでなければ、遠くない未来、必ず軍という組織は破綻する。
 事実、悲しいことだが日本はBETA大戦以前の戦争でそれを痛感した筈である。
 勿論、優秀な指揮官を残すということも同じくらい必要であり、その選択のバランスこそが組織における最大の命題だった。

 その考えが軍の中に定着していないわけではない。寧ろ、かなり早い段階で衛士教育の課程は見直されている。
 それに、今回の戦いが訓練兵を犠牲にしたなどと言える筈もない。司令部は恐らく苦渋の選択を迫られ、より多数を生かすために訓練兵に出撃を命じた。そして訓練兵たちは彼らの戦いをし、戦場に散っていった筈なのだ。

 白銀武が本当に悔やんでいるのは、そうしなければならない状況まで、戦況を動かしてしまったことに他なるまい。
 そんなある種当然の挺身すら悔やむ彼にとって、冥夜の言った「距離が離れ過ぎていた」などという事実は、言葉の意味を成さないのである。

「戦う術と生きる術……か」
 武には届かぬ声量で、冥夜はぽつりと呟く。出撃前、自分は何と真理的で皮肉なことを言っていたのだろう、と。
 自分の体を見ろ。
 この手は2つ。この脚は2つ。頭は1つで眼は2つ。
 そしてそれらを繋ぐ肉体は1つしかあり得ない。ならば、この身一つで一時に守り切れるものなど高が知れている。
 どんなに優れた聖人君主であろうが、地球の裏側で助けを求めている人を即座に救うことなど不可能だ。
「先達とは、重いな」
 改めて思い知らされる、生き残った、生き残らせてもらった者に課せられた責務の重さに、冥夜はまたぽつりと呟く。

 先達とは即ち、師だ。その道を歩いてきた先輩としてそのあり方を示すことが求められる、示すことが許される存在である。言うなればそれは「先生」。それは「教師」に始まる、「教える者」に比べてずっと世俗的な存在だが、敬われる存在としては恐らく最も人に慣れ親しまれている。
 「師」とは本来、専門家の意味を持つ言葉であり、故に「教師」とは「教えることの専門家」を指す。相対し、「先生」は実直に「先を生きた者」の意だ。
 教師が行うことは「教え授けること」。
 相対し、先生に求められることは「学び取らせること」。
 個々人が勝手に誰かから学び受けるのであれば、そこにおいて相手が「教師」である必要はない。尊敬と憧憬の念を向けられる対象は寧ろ、先を生きた者としての威厳を持つ「先生」だったに違いなかった。
 冥夜はまだ誰かに教えを授けられるほど自身が成熟しているとは思っていない。即ち、この身は「教師」などではあり得ない。人に物事を教えるにはそれ相応の資格というものが必要なのだ。
 だが、少なくとも冥夜は少しでも先を生きた者として、これから戦場に身を投じる後輩たちの「先生」であるように努めることが要求される。

 言うなれば生き様。自身の生き様から誰かが何かを感じ取ってくれたのならば、今の冥夜にとってこれ以上のことはない。
 そしてその誰かが生き残って、同じように別の誰かに伝えていってくれるのならば、その身に過ぎる厚遇だ。
 そうでなければ、実に虚しい。

 そう。
 彼女も、そして彼も未だ、誰かに物事を教授することなど出来ないのである。
 この、若く小さな背中を、能動的に見つめてくれる誰かがいなければ、自己の在り様すら指し示すことの出来ない不完全な先達なのである。

「白銀! 御剣!」
 不意に背後から名を呼ばれ、冥夜と武はほぼ同時に振り返る。そこには、同じく強化装備のまま腕組みをし、不機嫌そうに眉根を寄せた速瀬水月が立っていた。
「いつまでも油売ってんじゃないわよ。あたしたちだってお客様じゃないんだからね」
 咎めるような口調で言う水月は、冥夜にとってもまさに先達と呼ぶに相応しい存在だ。今感じている無力感も彼女はきっと何度も体験してきたであろうし、その度にそれを乗り越えてきたであろう。
 だから彼女はこうして一喝してくれるのだ。
「はっ!」
「はい!」
 ただ、塞ぎ込むことなどもうない冥夜も武も同時に敬礼。そう、喪われたものを嘆くよりは、喪われたことに意味を求めることが御剣冥夜の信念である。やりたいこと、やる必要のあること、やらなければならないことなどまだ有り余っているのだ。
「行くぞ、タケル」
「ああ。報いることが、衛士の弔いだ」
 言うが早いが朝陽に向かって、冥夜は足を踏み出す。武も振り返り、同じように次の1歩を踏み出した。
 多くの言葉は要らない。何故ならば、彼らはもう根っからの衛士なのだから。

「あんたたちが教導してた訓練兵が1人、意識を取り戻したわ」

 同時にその横を通ろうとした2人に、水月から一言声がかかる。意識を取り戻したという彼女の言葉に、冥夜も、ほんの少しだけその後ろを歩いていた武も足を止めた。

「重傷であることは変わらないけど、一命は取り留めたって。要撃級の前腕で機体の胴体抉られて、それでも五体満足で意識を取り戻したんだから、よっぽど当たり所が良かったんでしょうね」
 丁度、至近距離で背中合わせの状態。冥夜たちが振り返らないでいるからなのか、水月も振り返ることはせず、淡々とそう言葉を続ける。
「………あるいは、だけど……よっぽど動きが良かったのかもね」
 しばし間を置いてから、今度は少しだけ柔らかい声の調子に変わった。ゆっくりと、冥夜は頭だけ回して振り返るが、やはり水月は振り返ることはしなかった。
「………特別なことでもしない限り、これからあたしたちが戦場で救える命なんて一生で数えてもそんなに多くないと思うわ」
 再び、一瞬の沈黙。まるで自分の言いたいことを整理しているかのような間を置いた水月は、不意にそんな言葉を紡いだ。特別なこと、という言葉を聞き、冥夜の脳裏に過ぎるのは佐渡島と運命を共にした己の上官の姿だった。

 それは、“救えるかもしれない命”のための犠牲ではなく、落命しかけた多くの将兵を確実に生かす、命を救うための挺身。

 未来のことなど誰にも分からない。明日の行方すら分からないこの世界で、10年、20年先のことなど何も予測は立たない。だから、今自分の行いがどれだけの影響を及ぼすかなど、想像することが出来ない。
 もしかすれば、数万、数億の人を救うかもしれない。
 またあるいは、結果としてたった1人の人しか救えないかもしれない。

 だから、その瞬間に数百、数千の人命を救うことが出来る行動など、一生のうちに1度訪れるか否かの機会に違いない。

 水月の言う「救える命」とは、きっと“そういう命”のことなのだと冥夜は思う。

「胸張んなさいよ。あんたたちはきっと、1人救えたって、確信しても良い場所に立ってるんだから」

 そう言って、ようやく振り返った水月の表情は朝陽によって照らし出されたこともあってか、、この1ヶ月間、部下として接してきた冥夜から見ても、一際優しいものだった。
 実に直感的な話だが、冥夜は本当にそんな気がしたのだ。




「―――――――確か、あの直後であったな。A-01部隊の解隊と、特務部隊設立の旨が伝えられたのは」
 既に空となった皿の上に楊枝を置き、冥夜は感慨深そうに呟く。
 先ほどまでこの場にいた社霞も、今は香月夕呼に呼ばれて席を外している。いるのは冥夜と純夏の2人だけだ。
 あの時はまだ、設立される部隊は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の名ではなかったが、当初のA-01同様、最終的には連隊規模で行くことを香月夕呼は決めていたのだろう。
 冥夜たちが昇進するまではそこに至ることが出来なかったが、それでも、機密部隊でなくなったためか、人員の補充率はA-01部隊に比べて格段に高かった。
「……でも、その特務部隊の名簿にタケルちゃんの名前はなかった?」
「うむ。どうやら、その時には既にタケルは教官講習のカリキュラムを受ける算段をつけていたようだった。代わりに、帝国軍から2人、新任の衛士が回されてきたな」
 それまでずっと冥夜の話に耳を傾けてきた純夏の問いに、やや曖昧な言葉で答えながらも、冥夜のその口調はほとんど確信めいたものだ。無論、香月夕呼側からの要請という可能性も多分に否定出来ないが、そうだとしても彼女が“最早、腹心中の腹心”の域まで達しているであろう武をわざわざ直轄から外すなどということは考え難い。
 たとえ教官をやらせるにしても、直接的に自分に繋がりのある役柄としての教官に着かせる方が、余程、香月夕呼らしくはないだろうか。

 非常に余談であるが、その折に帝国軍から転属してきた新任衛士の片割れは、冥夜指揮下の第5中隊(レギンレイヴ)の現副隊長であるのだが。

「タケルは、自分自身の手で守ることが出来ないのならば、せめて戦い抜く術を教えようと考えたのではないかと私は思う。特に、初陣衛士の死傷率は圧倒的に高いから、な」
「そっか……。タケルちゃんは、優しいからなぁ」
 少しだけ切なげに笑い、純夏は呟く。
 その言葉に、冥夜は成程と思わず納得させられる。彼はきっと優し過ぎるのだ。救うことを諦めていないからこそ、1度、前線から身を退いてみせたに違いない。
 軍属になかった、本当の戦場の姿を何も知らぬ訓練兵たちに、その厳しさ、理不尽さ、過酷さを教えるということは、生半可なことではない。きっと、100人の優れた正規兵を統べることよりも、10人の訓練兵を優れた正規兵に育て上げることの方が何倍も難しいことなのだろうと、冥夜は考える。

「………そなたは、守りたいものがあるか?」
 しばらく沈黙を守り、冥夜は不意に純夏にそう訊ねた。
「……うん、あるよ」
 真剣な表情から何かを察したのか、純夏もほんの少し沈黙を守ってから首肯する。何がまもりたいのか、などとこの際、野暮な問い返しは冥夜もしない。
 ただ、本心はどうあれ、彼女の口からはっきりと「ある」と告げられたのが、堪らなく心地良かった。
「それを失うのは悲しいか?」
「当たり前だよ」
「そうであろう。私も同じだ」
 続いて返されるのは、さっきよりもやや強い肯定の意。まるで「どうしてそんな意味のない問いかけをするの?」と言わんばかりの言葉だった。だから、冥夜は笑って椅子から立ち上がる。
「ならば、そなたもその身を守ってくれる者のために早まった真似だけはするでないぞ。自己を蔑む行為は、己を擁護してくれる者を賤しめる行為だ。そのようなこと、そなたの望むことではあるまい?」

 何故ならば、守りたい人がいないことも、守ってくれる人がいないことも、とても虚しいことなのだから。

「う………うん。気をつけるよ」
 冥夜の語気に圧されたのか、純夏は戸惑いがちに三度、首を縦に振る。
 桜花作戦の時の彼女のことを考えれば、まだ些か信用出来ないところはあるが、冥夜は敢えて言い返すことはしないでおく。
 確かに、あの時は極限的な状況だった。何時か訪れるかもしれない二者択一の選択を、あの時は本当に迫られていたに近いものがあった。だから、純夏の選択もまた間違いではない。

 死ぬのならば、最低でも2つのメリットに昇華するべきであろう。
 何故ならば、その段階で既に「己の死」という1つのデメリットが発生しているからだ。それによって1つのメリットとしてしまっては、あまりに悲しい。
 それを犬死にと呼ぶのもきっと過ちなのだろうが、挺身という行為がそれほどまでに尊く、それだけ意味のあるものだと冥夜は自分の部下に指し示さなければならないのである。
 それが、最大効率の死に方だ、と。

「鑑、随分と遅れてしまったが、礼を言いたい。ありがとう、そなたに感謝を」
 あまり長居しても彼女の身体に負担をかけるだけだろうと、冥夜は退室しようと純夏に背を向けるが、ドアの前で1度足を止めて振り返った。
 そしてそのまま冥夜にとって最大の謝辞を口にする。ようやく、彼女にあの時の礼を言うことが出来た、と喜びで冥夜は思わず微笑みを浮かべた。
「えっ? あ……うん、ありがとう」
「ふふっ」
 冥夜の礼に対して、控えめに会釈して同じように謝辞の言葉を返す純夏。「ありがとう」と言われたことが嬉しかったのか、その頬は少しだけ赤くなっていた。その一連の反応が、もう3年も昔に武が言っていた姿に一致し、冥夜は可笑しくなって頬を緩める。
「あまり無理はせぬようにな。そなたはまだ本調子ではないのだ」
 最後に、ではあるが、身体に気を付けるようにとも忠告する。冥夜の目から見ても、ここ数日の純夏は顔色も良いし、表情も晴れやかになってきた。その“病気”についても医学についても冥夜は生憎と門外漢だが、順当に快方に向かっているのだろうとは理解出来る。

 それに、純夏とてきっと、何時までもこうしているわけにはいかない筈だ。

 また同じように戦場へと身を投じることになるかまでは分からないが、何らかの形で関わりを続けるのだとは確信している。
 鑑純夏がいったい如何なる存在なのかも知らないし、詮索しようとも冥夜は思わない。
 ただ、“この横浜基地にいるということ”は恐らく“そういうこと”なのであろう。

「うん。御剣さんも頑張り過ぎないようにね」
「心配は不要だ」
「でも、副隊長さんに怒られたからここに来たんだよね?」
「それを言われると痛いな」
 悪戯っぽく笑って言い返す純夏に、さしもの冥夜も困ったように笑う。彼女が目醒めてから冥夜はとみに感じているのだが、彼女はA-01に配属されてきた当時、ここまで表情豊かに笑っていただろうか。
 無論、武の前では無邪気に笑っていることもあったが、大勢の前では寧ろ緊張からか頬を強張らせていることの方が多かった気が、冥夜はしている。
「それでは、私も戻る。忠告された通り、今日は1日身体を休めるとしよう」
「また明日だね、御剣さん」
 小さく手を振る純夏に「ああ」と頷き返し、冥夜はドアを開けて通路に出る。個室よりも空調の効き目が弱いのか、梅雨特有の湿った空気がその瞬間に身体に纏わりついてくる。
「………ふう」
 一息吐き、冥夜はすぐ横の壁にもたれかかった。

 気を遣っているつもりはないのだが、お節介にも無意識のうちにどうしても純夏のことを気にかけてしまう。それは、彼女が白銀武の恋人であるからではなく、純粋に鑑純夏のことを案じてのことだと、冥夜は自信があった。
 しかし、この気遣いはきっと、当人にしてみればただの距離や疎外感にしかならないだろう。もっと端的に言えば、純夏にとっては腫れ物に触られているような感覚でしかない筈である。

「もっと長き付き合いがあれば……あるいは、こんな世界でなければ、私とそなたは親しき友になれたのかもしれぬな」

 ふとそう呟き、すぐに冥夜は自嘲する。
 何と愚かなことか。彼女と、訓練兵の時から親交のある友とを比較してしまうなど、愚かで冒涜的な行為でしかない。批難される行為でしかない。
 時間など無関係。環境など無関係。冥夜自身と、鑑純夏との付き合い方など、それこそ当人同士がどう思うか、どう考えるか次第だ。他の要因に転嫁するなどもっての他である。

 冥夜はもう1度笑い、ようやく自室へと向かって通路を歩き始める。

 とりあえず、明日からは彼女のことを「純夏」と呼ぶよう努めることを決意する。
 まずはそこから、少しずつでもお互いの距離を縮めよう、と。

 何時の間にか、守りたいと願うものが随分と増えてしまった。
 だが、それも悪いことではない。
 決して考えたくもなければ、起こって欲しくもないことであるが、少なくとも何か1つ失っても、自分は心を折らずに戦ってゆけるだろう。

 愛する男を喪っても、隣で戦う友のために。
 隣で戦う友を喪っても、想いを馳せる姉のために。
 想いを馳せる姉を喪っても、愛する男のために。
 たとえ、そのすべてを奪われようとも、彼らが掲げた理想と意志を受け継ぎ、彼らが喪われたことに何らかの意味を付与するために…………。



[1152] Re[43]:Muv-Luv [another&after world] 第43話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:cdd7385a
Date: 2007/09/08 18:42


  第43話


 2005年 6月7日 1200 マレーシア。
 タイとの国境に程近いASEAN軍 前線基地。多くのベテラン兵を抱えるこの基地には、米国から直輸入されるF-4とF-15が多数配備されており、今もH17に対する防衛線の一翼を担っている。
 ハイヴからBETAの進攻があれば、必ず部隊を出撃させて迎撃に当たるが、同時に防衛線としては最後方に位置しているため、これより後方のマレーシア山岳部は戦術機演習の場としても利用される土地になっている。

 ここは言わば、日常と戦場の境界線。
 ここより先は、理不尽が何よりも空間を支配する荒廃した戦場であり、ここより後ろは兵士と一般市民が穏やかな生活に身を置く、温かな世界。

 果てまで続く荒野と、広大な森林地帯によって挟まれたこの場所は、そういう場所にあるのだと、とある若き青年は思った。
 つい先日まで任務として身を置いていたアラスカの最前線に近い印象。BETA侵攻の脅威に曝されながらも、それを許していないからこそ、境界になり得る。恐らく、戦場から離れた後方の都市部では、こういう場所がクリーンな戦場のイメージとして描かれるのだろう。

 ハイヴ戦にも参加したことのある最前線の衛士としては、そのイメージには反吐が出る。

「流石は東南アジア防衛の要所。装備は耐用年数の迫る旧式が多いですが、体制自体はしっかりしていますね」
 格納庫の窓から顔を出し、まだ成人を迎えて間もない女が感心したように口を開く。やや茶色がかった長い黒髪と金色にも見える双眸を持つ彼女は、青年にとって旧来の友人だった。
「当たり前だ。ここが落ちればASEANも終わりだろう。そうなればオーストラリアも時間の問題だ。どこの勢力だって、頼まれなくとも支援ぐらいはするだろうしな」
「私たちの任務は、装備関連ですから、一応、防衛体制には我が国も一役買っている、ということになりますか」
 窓の察しに体重をかけるように手をついた彼女は、疲れを表現するようにため息を漏らす。心労が嵩むという点においては青年も同意はするが、軍人であり衛士である以上、任務中に露骨に疲れたなどと言うのは御法度だ。上官に叱責されてもおかしくはない。
 彼女の場合は、今は2人だけというのと、昔馴染みという理由もあって青年は大目に見ているのだが。
「物資運輸の護衛自体は任務だが、国としては商売感覚だろうさ。国内じゃあ、F-15Eなんぞ消耗量よりも生産量の方がずっと上だからな」
「まあ、合衆国の場合はその方が建設的だと思います。後方には後方の役割がありますから」
 彼女の言葉に青年は「おう」と相槌を打つ。だが反面、素直にそう受け取っていない連中がいることも確かだと、彼は思っていた。
 BETA襲来以前から大国として技術力の進んでいた国あるいはEU連合のような集合組織の場合、既にF-4やF-15をライセンス生産するのみならず、独自理論で第3世代機開発を進め、完成まで漕ぎ付けている。

 日本のType-00とType-94。
 ソビエト・アラスカ連合のSu-37とSu-47。
 EU連合のラファールとEF-2000。
 最前線でBETAと戦ってきた各国が、自国の戦略に見合うように設計した戦術機。それを反米感情の産物と結論付けるのは極端かもしれないが、ないとは言い切れない。

 複雑な気分だと、青年は軽く舌打ちをつく。それを聞いていながら、傍らの彼女が敢えて何も言ってこないのは、その心中を理解しているからに他ならない。

 2人は共に、日本人であったが、同時にアメリカ人でもあったのだ。

「………しかしどうする? 一応、任務は終わったが、上からはしばらく滞在の許可が出ているぞ?」
 嫌な話になったとかぶりを振り、青年は話題を転換させる。彼らの率いる中隊に今回下された任務は、このASEAN軍基地までアメリカ本国から物資を運び込む輸送艦の護衛だった。
 尤も、それも万が一に備えた任務。安全域の空路と海路及び陸路を経由してきた以上、戦術機を駆る彼らに出番などまずあり得なかった。
「私は早く本国に帰りたいです。安定しているとはいえ、この辺りも結局は前線でしょう?正直、戦いはアラスカ方面だけで充分な気分です」
「正論だな」
 唇を尖らせ、「どうして当たり前のことを訊くのですか?」と言わんばかりの澄ました態度で彼女は答える。その返答に対し、青年は彫刻のように形を浮かび上がらせる鍛え抜かれた両腕を組んだ状態で、大きく同意を示した。
 極めて特殊な例を除き、ハイヴが飽和状態を迎えない限りBETAの大規模侵攻は始まらないというのが今の定説だ。
 基本、攻勢にこそ出ないが定期的に堅実な間引き作戦を決行しているこの地方は、最前線の中では比較的安定した戦況を継続して保っているところだろう。
 しかし、最前線であることは覆しようがなく、どのような時もBETA侵攻の脅威に曝されているのもまた事実だ。そんなところに長時間留まっているくらいならば、多少なり窮屈でも、すっかり住み慣れた本国のホームに帰る方が何倍もストレスが少ないのは必至である。

 それに、彼らは“今後も”ハイヴ攻略において活躍の期待されるアメリカ合衆国陸軍の新鋭なのだ。軍人であり、衛士であり、英傑である以上、わざわざここにおらずとも必ず、否応なく、戦場に引っ張り出されることになるのだから。

「まあ、確かにこんなところで戦闘に巻き込まれるのは御免だ。うちもやっと人員が補充されたばかりだってのによ」
「連携面に関してもこれから詰めていかなければなりません。訓練に充てるのが正当だと思います」
 軍靴で地面を蹴り上げ、青年は土埃を立てた。苛々としているつもりはないのだが、何も知らない者が見ればそう取れるだろう。
 いや、実際には苛々しているのだろう。ただ、青年にはその意識がないだけだ。
 それは最早癖の領域に昇華しており、“苛々したから地を蹴り上げる”のではなく、“地を蹴り上げた時は苛々している”という言い方が正しい。
「それでも、今日1日ぐらいは―――――――」
 そこで、青年は言いかけた言葉を止めた。代わりに、訝しげな表情でキョロキョロと辺りを見回す。一見すれば不審な行動であるが、彼と同じ軍属にある女にとっては納得の行く行動だろう。
 そもそも、彼女だって同じように空を見上げ、耳を澄ませているのだ。
「戦術機………演習場からは離れている筈だが――――――」
 捉えた僅かな変化はすぐに明らかな轟音に変わる。それは戦術機の駆動音。跳躍ユニットの噴射音に近いものだ。それも、徐々に近くなってきていた。

 その瞬間、1個中隊に匹敵する蒼穹の戦術機が、突風を吹き荒らしながら頭上を通過してゆく。

「Type-94……! 不知火だと!?」
 総計12機の戦術機をその眼で確認した青年は、驚愕した表情で、祖国ではあまり使われていない日本軍呼称を声高に叫んだ。
 それに、蒼穹は日本軍のカラーリングではない。極東国連軍のそれだ。
 日本にあまり通じていない者にすれば、それは些細な差異なのかもしれない。だが、幸か不幸かこの2人にとって蒼穹の不知火は、数少ない日本人の友人が搭乗する機体なのである。

 彼女たちか、あるいは彼女たちの仲間か。

 青年は一瞬思った疑問を停止させ、傍らの彼女に振り返る。
 追えば分かる。彼女の眼はそう告げていた。幸いにも、あの不知火の一団は何れもこの先の滑走路に着陸するつもりなのだろうと、その軌道から予測出来た。偶然にもその施設は、彼らの部隊機が格納されているところだ。
 青年は強く頷き返し、口を開くと同時に駆け出す。

「行くぞ、ナナセ」
「は!」




 操れば操るほどのじゃじゃ馬。
 マリア・シス・シャルティーニにとって、不知火弐型の印象はそんな感じだった。欧州と極東の似通った戦術柄からか、機体の特性を把握するのに苦労しなかったが、それでも余りあるほどの基本性能。
 超高速ではなく、あくまで高機動。一直線に駆け抜けることしか出来ない突撃級BETAの存在を嘲笑うかのように、変幻自在に軌道を変えてみせる。最終的な速度ならば確かに肉薄しているとはいえややラファールの方が上だが、XM3によって造られる挙動に対する信頼性は遥かに弐型が上だった。
 言うなれば、したたかでしなやか。XM3と機体との相性が見事に噛み合った感覚だ。OSの性能を遺憾なく発揮出来るような設計をなされている。
『シャルティーニ少佐。どうですか? 感じは』
「悪くありませんね。日本製の機体に乗るのは今回が初めてなのですが、即応性と汎用性の高さがよく分かります」
 すぐ後ろを来る美琴に感想を求められ、マリアは昂ぶる気持ちをやや滲ませながら答える。ただ、すぐ後に「機体の性能に振り回されなければ、ですが」とも付け足しておいた。
 機体性能と補強レベルが高い分、どうしても強引な挙動をさせたくなる。自分の手に余るようなものであっても、だ。
『連携ならとにかく、移動についてゆくのはなかなか難ですよ』
『そうだね』
 すぐ後ろを続く美琴が、自身の副官の述べた外から見た弐型の印象に相槌を入れる。2人のそのやり取りにも、マリアは成程と納得させられる。
 瞬間的な反応速度こそXM3のお陰で弐型と不知火はほぼ拮抗するが、出力差が顕著に出る移動時では確かに難かもしれない。隊を任される者として、それらも考慮しなければならないとマリアは続いて、改めて反省した。
『シャルティーニ少佐、鎧衣』
 丁度、海岸線を越えるように通過したところで、強化装備姿の榊千鶴がマリアの網膜投影に映る。呼びかけ自体はマリアと美琴に向けられたものだったが、通信自体はオープンチャンネルで第9中隊(エルルーン)全体に向けられたものだった。
『どうしたの? 千鶴さん』
「今到着したようですね。予定よりも遅かったようですが、何かありましたか?」
 千鶴が機体の管制ユニットから呼びかけているのではないことに気付き、マリアはそう訊ね返す。
 マリアたちが武に随伴してクアラルンプールを出立する際、千鶴の第4中隊(フリスト)のみ、後発すると言ってクアラルンプールに残留していた。詳しくはマリアの知るところではないが、どうやら師岡と会談を予定しているらしかったのだ。
 時間はかからないと言っていたが、今し方到着したということならば、比較的時間がかかったのだろう。
『家庭のことですよ、少佐。少し話が弾んでしまって』
 苦笑して答える千鶴は、どう贔屓目に見ても“話が弾んだ”ようには見えなかった。しかしながら、部外者であることに間違いないマリアにはそこを深く訊ねることなど出来る筈もなく、ただ、「そうですか」と頷き返すだけである。
『滑走路の位置は分かる?』
『大丈夫だよ。そこから出発したんだし』
『それもそうね』
 美琴の返答に、一転して千鶴は可笑しそうに微笑む。その両者のやり取りは、付き合いの深さがマリアから見てもよく分かった。
 陸上に入り、森林の中に建造された軍事施設群の上を飛行するマリアの目に、目標の滑走路が見えてくる。前線に当たるために空輸をほとんど南の都市に任せて、陸上輸送を基本とするこの基地にとっては、滑走路など基地に帰投する戦術機の離着陸に使われる場合の方が多い。
 無論、人型である戦術機には絶対必要な施設ではないのだが、剥き出しの地面や森林の上から着陸するよりもずっと安全で確実な方策であることも確かだ。
 滑走路の脇には蒼穹の不知火が12機、列を成して並んでいる。第4中隊(フリスト)の機体だ。それが、彼女たちもまだここに到着したばかりなのだと明確に物語っている。

 だが、何よりも圧巻だったのは、その不知火の長城に連なり隊列を作る、12機にも及ぶ最強の第3世代機の姿だった。

 戦域支配戦術機。その名をF-22A。

 マリアとて、実物を見るのはこれが初めてだが、日本製の不知火と並ぶとこれほど威圧感と緊張感と違和感を同時に漂わせる機体も珍しい、と彼女は率直に感じる。
『F-22Aだ』
 同時に気付いたのか、驚いたように美琴もその機体の名を呟く。マリアにだって珍しいものなのだ。極東国連軍の彼女からすれば、驚きはそれ以上だろう。
 そう考えたところで、先日まで美琴たちが駐留していたのはアラスカだったことを思い出し、もしや意外と慣れ親しんだ機体なのかもしれないとマリアは思った。どちらにせよ、総じて反米感情の強い日本人からすればあまり憧憬するような機体ではない筈だ。
「何故、この場所にあるのでしょう?」
『基地の装備じゃないですね。この辺りが米国から機体を輸入してたとしても、F-22Aを配備する余裕なんてないでしょうから』
 マリアの疑問に同意を示すのは、エルルーン2。鎧衣美琴の補佐を任されている男性中尉だ。彼の言葉も実に尤もである。
 F-22Aなどという米国の戦術機の中でも稀少で高価な機体を買い取るほどの余裕などASEANにはなく、また相場通りの金額を積まれたところで、米国にはこの“切り札”を容易に輸出する余裕などありはしない。
 双方共に望まないやり取りである以上、そんな商談が成立する筈もない。

 尤も、米国にとってこの基地に、“日本における欧州国連軍 第27機甲連隊”に当たるような部隊が駐留しているのならば話は別なのだろうが。

「………む……米軍機であることは間違いなさそうですね。522というのは、部隊コールナンバーのことでしょうか?」
 マリアはF-22Aの肩に米軍の証たる星の印を見つけ、深く頷く。その隣には白く、「522」という3桁の数字がペイントされているのも確認出来た。12機すべてに同じ数字が記されているということは、恐らく中隊を示す数字なのだろうとマリアは解釈する。
 基本的にナンバーの装飾はどこの軍でも義務としていない。だが、それによって自己顕示欲を満たすことで兵士個々人の士気高揚に繋がり、また部隊としての結束力に繋がることもあるだろう。
 事実、マリアたち第27機甲連隊も各中隊を示す3桁の数字を以前のラファールにはつけていた。

『522…? あ、ほんとだ』
『そうよ、第522戦術機甲中隊(レッドブラスター)。驚いた? 鎧衣』
 「え?」と言うように声を上げる美琴に、千鶴も軽く肩を竦ませてため息を漏らすように言葉を返す。そういう問いかけ方をしてくるということは、彼女は驚いたのだろうかとマリアは思わず首を捻る。
 しかしながら、それ以上に2人が件の「522」のことを知っている様子であることが何よりもマリアにとっては驚きである。
「知っているのですか?」
 だから、マリアは美琴に対してそう訊ねた。それに美琴は首肯する。
『はい。アラスカにいた時に仲が良かった中隊なんです』
「仲が良かった……ですか」
 臆面もなく答える美琴にマリアはふむと相槌を打ち返す。F-22Aを運用している以上、向こうが米軍所属なのは疑いようもない。所属も構成人員の国籍も異なるであろう部隊同士を“仲が良い”と表現するのにはマリアにも少々違和感があった。
 実際のところ、やはりかなり特殊な言い回しなのだろう。第9中隊(エルルーン)副隊長の、苦笑気味の表情から充分にそれは窺える。

 それでも、親しみを感じさせるのは単に鎧衣美琴という人物の持つ特性が成せる業なのだろう。

『でも、何でここに?』
『輸送艦護衛任務だそうよ。空路、海路、陸路、全部辿って、本国から来たみたいね』
『うわぁ……任務とはいえ、大変だね、それ』
「貴女方がそれを言うのも腑に落ちない気もしますが………」
 千鶴の説明に眉をひそめて答える美琴。一概に言えば実に同意出来る意見ではあるのだが、彼女たちがここまで至る経緯を鑑みれば、他人事のように語れる話ではない。
『僕たちと同じで休暇含む、みたいなものなのかな?』
 だが生憎、美琴はマリアの私見などまったく聞いてはいなかった。それとも、彼女自身そう考えないようにしているため、意図的に聞き流したのかもしれない。
 もしそうであるならば、これ以上の追及は酷だろうとマリアは気を遣って言葉を飲み込むことにする。
『シャルティーニ少佐。鎧衣の相手はいろいろ大変かもしれませんが、あまり気になさらないでください』
「少々、意味が分かりかねますが……善処しましょう」
 何やら呆れ気味にマリアに対して気遣いのような言葉をかけてくるのは千鶴だ。その言葉の真意を判断しかねつつも、マリアはその遠回しな忠告を受け入れる旨の応答を述べる。
 何せ、あの榊千鶴からの忠告だ。中隊を任せている何名かの部下に、その爪の垢でも煎じて飲ませたいとマリアが思うほどの質実さを有する彼女からの忠告なのだ。信じる信じないを即決出来ずとも、心に留めておく程度のことはしておくべきだろう。

 もう1度、ため息を漏らす千鶴に首を傾げながら、マリアはゆっくりと着陸の体勢を弐型に取らせていった。




 マリアが弐型の管制ユニットから降りると、まず滑走路に整列した榊千鶴の第4中隊(フリスト)衛士たちが敬礼で迎えてくれる。それに向き合うよう、適当な位置で足を止めたマリアも同じように敬礼を返した。
「お疲れ様です、シャルティーニ少佐」
 先頭の榊千鶴は敬礼を解き、やや堅い口調でそう告げる。軍人という点で言えば、寧ろ当たり前の態度なのだろうが、それを“堅い”と判断してしまう辺り、マリアもすっかり武に毒されていた。
 そんな自分に気付き、マリアも思わずため息を吐きそうになったのは本人だけの秘密である。
「そちらも御疲れ様です。こちらに到着したばかりで悪いのですが、白銀中佐のお目付け役を引き継いでいただけると助かります」
「了解しました。でも、本当はもう白銀の方からも報告は来ているんですよ」
「そうでしたか」
「はい。直接、ではありませんが、こちらに到着した時、基地の通信兵からそのような報告があった、と」
 答えた後、千鶴は可笑しそうに笑う。一頻り笑った後に、「彼はお目付け役だなんて、微塵も思っていないでしょうけど」と更に付け足した。それが面白くて、マリアも笑みを湛えながら「そうでしょうね」と同意を示す。
 何だかんだ言っておいて、白銀武は意外と抜け目がなく、手回しが早い。それが彼生来の性格なのか、環境によって培われてきたものなのかはマリアの知るところではないが、必要事項に関しては早急な処理を的確に行ってくれるというのが、マリアの印象である。
 これで日常の事務仕事までも真面目にこなしてくれれば言うことなどないのだが。
「千鶴さん、ジョージたちは?」
「来るわよ。ほら」
 マリアの隣から顔を出し、鎧衣美琴は千鶴にそう訊ねる。それには千鶴も渋々といった感じで目を細め、指差しで答えを示した。
 彼女が指し示した方向に視線をやれば、丁度2人の人間がこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。両者共に、アメリカ合衆国陸軍の軍服に身を包んでいる。強化装備を装着してはいないが、彼らがあのF-22Aの持ち主であることはその軍服から容易に予想出来た。
 よく確認すれば、彼らの向かってくる方向の遥か後ろでは、同じ米軍兵士らしき数名の男女が、興味津々といった様子でマリアたちを眺めているようだ。
「ジョージ、リンちゃん、久し振りだね~」
 速くも遅くもない足取りでマリアたちの傍までやってきた2人の男女に、美琴はニコニコと挨拶をする。彼女のその挨拶は、まるで遠方の友人に対するそれのようであった。
「お久し振りです。といっても、鎧衣大尉たちがアラスカから日本に戻られて、まだ2週間くらいしか経っていないんですね」
 美琴に笑いかけられ、リンと呼ばれた女性の方が笑顔で答える。顔立ち自体は東洋系であると思っていたが、出てきた言葉も英語ではなく日本語であったため、マリアは少しだけ驚く。
 相対し、ジョージと呼ばれた青年はそれに答えず、ただ口を結んだままマリアの後方をじっと見上げていた。
 彼が何を見ているかなど、振り返って確認するまでもない。
 不知火弐型だ。
「………あれに乗っていたのは、貴様か?」
「―――――っ!?」
「………そうですが、何か?」
 青年の一言で、瞬間的に場が凍りつくのが分かる。息を呑んだのが千鶴も美琴も同じだったからだ。
 しかしマリアはそんな空気の変化など意にも介さず、やや低いトーンで彼の問いかけに肯定の意を示した。同時に、青年の襟首から肩のラインまでを一瞥して彼の階級を確認する。
 無論、彼が訊ねたいことなどマリアだって分からなくもない。
 彼が米国の衛士で、仮に千鶴や美琴と同じアラスカ方面に駐留していたのだとすれば、不知火弐型の存在も知っているだろう。
 そんな、極東国連軍はおろか帝国陸軍にすら完全配備されていない機体をマリアが駆っていたとなれば、理由を問いたくなるのも頷ける。

 尤も、口の利き方はまるでなっていなかったが。

「何故、貴様がこの機体に―――――」
 ほら、とマリアは内心笑う。そういう性格なのか、同年代と思われる千鶴や美琴、それこそ白銀武に比べて彼は圧倒的に感情を隠すのが下手だ。
「いい加減にしてください! ゴウダ大尉!」
 だが、幸か不幸か青年の言葉は最後まで紡がれなかった。その態度に痺れを切らせたのか、彼の傍らに立つ女性が豪快に手の甲をその顔面に叩き付けたのである。
 言いかけた言葉も言えず、「うぼあッ!」と奇妙過ぎる叫び声を上げて悶絶する青年。右手で押さえられた鼻が実に痛々しかった。
「なっ……何を――――――」
「何時も言っているじゃないですか! 態度を弁えるように、と!」
 狼狽する青年を凄まじい形相で一喝し、女性はマリアに視線を合わせる。そして、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、少佐殿。不出来な中隊長に代わり、不肖ながらこのリン・ナナセ、心より謝罪を申し上げます」
「………あまり気にされないように」
「お気遣い、痛み入ります」
 慎ましやかに謝罪の意を込めて頭を下げるリンに、マリアは一瞬呆気に取られたが、すぐに問題ないという旨を彼女に答える。不問とされたことに対する感謝の表現なのか、リンはもう1度だけ、深々と一礼した。
 元より、マリアは彼をどうこうするつもりなどなかったし、そんな権限までありはしなかった。それに、そんな安い喧嘩を買ったところで武の顔に泥を塗るような結果にしかならないと、理解していたという理由もある。
 そういう点において、ジョージという青年はある意味、戦う以前から既にマリアに負けていたとも言える。

 生憎、明確な結果が出るよりも先に彼は部下の一撃で轟沈してしまった訳だが。

「………大丈夫ですか?」
 痛みに耐えて蹲る青年にマリアは恐る恐る問いかける。端から見ていても、かなり鮮やかに決まった一撃だったのだ。まともな神経を持っていれば、心配するなという方が無理な話である。
「シャルティーニ少佐、あまり気にしないでください。いつものことですから」
「うん、いつものことですから」
 それに答えるのは、当人ではない千鶴と美琴だ。その呆れたような顔つきが、本当に日常茶飯事なのだと思わせるので恐ろしい。
「分かりました。それでは榊大尉、彼らのことを紹介していただけませんか?」
「は。2人は、米国陸軍 第522戦術機甲中隊 通称レッドブラスターの隊長を務めています」
「副隊長のリン・ナナセ中尉であります」
「……中隊長のジョージ・ゴウダ大尉だ。さっきは失礼しました」
 千鶴によって促され、2人は並んで敬礼して名乗る。リンのほうは毅然としながらも表情は柔らかで友好的だ。対し、何とか回復したジョージも不機嫌そうではあったが、先ほどまでの刺々しい雰囲気はもう引っ込めていた。
「私は欧州国連軍の第27機甲連隊 副長 マリア・シス・シャルティーニ少佐です。榊大尉、鎧衣大尉とはお知り合いのようですが、そちらもアラスカに?」
「はい。帰属する第52戦術機甲大隊と共にアラスカ方面に駐留し、先日のH26攻略作戦にも参加しました」
 答えるリンの言葉に、マリアは感心してふむと頷き返す。ハイヴ攻略戦から生還したということは、慢性的な実戦経験者不足の米軍の中では非常に優秀な衛士であるということだろうか。あるいは、重要人物が配属されていることで事実上の激戦区から外されていたとも考えられる。

 彼らの運用機体がF-22Aであるという点は、その点において何の判断材料にもならなかった。

 ただ、それ以上に答えたのが隊長であるジョージではなく副隊長であるリンであるところは非常に興味深い。
「F-22Aは米軍でも配備は遅れていると聞いていましたが……」
 マリアはやや遠くに並んでいるF-22Aに視線をやり、やや曖昧に呟く。それだけ稀少な機体を宛がわれているというのは、偶然かあるいは何らかの意図あってのことかは分からない。少なくとも優秀なベテラン兵だから、というわけではないだろう。
 未だ兵役義務のないアメリカにおいて、彼らほどに若い兵士が隊長を務める部隊が古豪の筈もないのだから。
「XM3の配備で更に初期型の生産数は減っていますから、配備は今も遅れていますよ」
「うちに配されているのは、上の顔が広いから、だ」
「成程」
 そう相槌を打ってから、マリアはふと疑問を抱く。今のリンの言い分は、XM3によってF-22Aの有用性自体が揺らいでいる、とも取れるような発言だったのに対し、ジョージの言葉はやはり極めて強力な戦術機であると表現しているように思えた。
 認識の齟齬にしては反論の言葉もなく、両者の間にも溝のようなものは見受けられない。
「使い勝手はどうですか?」
「曲がりなりにもあれは最強の第3世代機。使い所さえ間違えなければ、その称号は揺らがんでしょう」
「それは対人戦闘、という意味でしょうか?」
 彼の言葉に反応し、マリアは思わずそう問い返していた。件の機体が対人戦闘を想定して設計されていることなど、最早一般常識である。特に、有するステルス性などは顕著な例だ。
「馬鹿にしているのか? あんなもの、そもそも“使い所などない”ですよ。基本性能が高い以上、戦果を挙げられないとすればそれは衛士の腕の話だという意味だ」
「それは同意です」
 皮肉というには直球過ぎたマリアの問いに、苛立ちを隠せない様子でジョージは反意を述べる。慌てた様子も取り繕った様子も微塵もないその言葉から、マリアは彼が本音としてそう言っているのだと判断を下す。

 これが仮に迫真の演技による取り繕いだとすれば、マリアは彼のことを感情的な人間だと思った段階で既に騙されていたことになるだろう。

「大尉、ちょっと黙ってて」
 にこやかな笑顔でジョージのすねを軍靴のつま先で蹴りつけ、リンはマリアに向き直る。再び激痛に蹲るジョージの姿に、本当は仲悪いのかな、とマリアは本気で心配してしまった。
「鎧衣、私は白銀の方へ向かうわ」
「あ、うん」
 ジトッとした眼でジョージをしばし見つめていた千鶴は不意に美琴にそう告げる。元よりそういう算段だったため、美琴もあっさりと頷き返した。
 マリアもここまで弐型の試運転がてらに来ただけで、別段他に用事があるわけではない。ただ、来たからには1度、機体を軽く点検し、補給を済ませるべきだろうとは考えていた。
「榊大尉、しばらくの間、中佐のことをお願いします」
「お任せください」
 マリアの頼みに、千鶴は敬礼をして笑顔で答える。それから「それでは、失礼します」と言って踵を返し、彼女はあれこれと部下に指示を出す。準備自体は既に整っているようで、それに従って第4中隊(フリスト)の衛士たちも一斉に各々の機体に搭乗していった。
「榊大尉はどこへ?」
「千鶴さんはタケルの……シャルティーニ少佐たち第27機甲連隊の連隊長のところに。僕たちは2人の護衛のためにこっちに来たんだ」
「そうなんですか?」
 「はあ」といまいち納得したのかしていないのか分からない曖昧な相槌を打つリン。当人であるマリアが言うのも何だが、彼女の気持ちはよく分かる。
 武とマリア、この2人の護衛に極東国連軍の精強部隊 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)から2個中隊が随伴するというのは実に過剰だ。寧ろ、何らかの思惑や意図があるのではないかと深読みしてしまう方が当然の反応だろう。
「いつまでも蹲ってると変な人に思われるよ? ジョージ」
「鎧衣……貴様……今まで……何を……見ていた………」
 嫌な脂汗を浮かべて、尚もすねをさすっているジョージに対して美琴は普段通りの口調で痛烈な一言を浴びせかける。途切れ途切れの言葉で答えるその姿も、痛々しさを充分に表現していた。

 マリアも思わず「可哀想……」と考えてしまったのは、機密事項である。

 ふと視線をやれば、リン・ナナセが2人のやり取りをどこか優しい瞳で見守っている。少なくとも仲は悪くないのだろう。マリアは先刻、何となく抱いた危惧が杞憂に終わったことに何故か旨を撫で下ろしていた。
 マリアに見られていたことに気付いたのか、リンは視線を彼女に向け、気恥ずかしそうに笑って小さく舌を出す。中尉階級にあるといっても彼女だってまだ若い。そんな柔和な表情を見ることが出来、マリアも小さく微笑み返した。

 さて、彼女たちのことを、武はどう見るだろうか?

 日本人が総じて嫌う傾向にあるアメリカという国。その国の国民であり、その国の兵士である彼女たちと邂逅した時、武はどのような反応をするだろうか。

 そんな、確実に杞憂に終わるであろう心配を、マリアはほんの少しだけ抱いていた。



[1152] Re[44]:Muv-Luv [another&after world] 第44話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:16a26236
Date: 2007/09/15 23:02


  第44話


「ここから北となると、結構な激戦地では?」
 蒸留したばかりの水から淹れたコーヒーモドキを口に含み、武は向かいに座る歩兵小隊の小隊長にそう問いかける。その問いかけに、武器を携行したままの帝国陸軍少尉である彼は「ふむ」と曖昧な相槌を打った。
 彼らが寛いでいるのは、島の東側の海岸線に設置した仮設本部のテントの中。今回のためだけに設置されたテントであるため、持ち込まれた機材もそこそこだ。
 当然冷房などあるわけもなく、赤道付近の土地柄で非常に高温だが、少なくとも陽射しの下よりは遥かに居心地の良い場所だった。
「我々、帝国軍が駐留するのはあくまでクアラルンプールの一部ですから、北方方面の戦線についてはASEANから要請がない限りは干渉出来んのですよ」
 続いて告げられたその言葉に、武も納得して頷く。確かに今回の演習も、国防省がASEANから許可を得た上で行っている。実際のところ、H17への防衛体制もASEANとこちらの方面の国連軍が担当することで、帝国軍は無関係だ。
「でも、BETAに本格的な南進を始められたら、それこそお伺いを立ててる暇なんてないでしょうに」
「それはご尤もです」
 武の言葉に少尉は声を上げて可笑しそうに笑う。彼らのようなクアラルンプールに駐留する帝国軍が出撃しなければならなくなった時には確実に、当に北緯7度線の絶対防衛線は越えられているだろう。タイとマレーシアの国境に沿って引かれる最終防衛線も突破され、恐らく、この周辺や対岸の基地周辺もBETAの死骸や兵器の残骸で埋め尽くされているような状態にある筈だ。
 そこまで来てしまえば、マレー半島の陥落は時間の問題である。
「まあ、帝国も含め、人類側もここは容易に落とさせんでしょう。シンガポール周辺を奪われることは、それ自体が最大級のマイナスですから」
「確か、その近辺はハイヴ建造推測域でしたか。そこにハイヴを造られると、オーストラリアも安全域から外されてしまいますからね」
 少尉に言われ、武は「ははぁ」と納得して唸り声を上げる。
 地上のハイヴはある程度の距離を置いて建造されるのが一般的だ。それが如何なる意図を持ってのことなのかは武にも分からないが、少なくとも数百km圏内に2個も3個もハイヴが建造されるということはあり得ない。

 その唯一の例外は日本に存在したH22「横浜ハイヴ」とH21「佐渡島ハイヴ」だが、あれを反証とするにはあまりに特殊過ぎるので論外としよう。
 何せ、H22などBETAにとっても捨石のようなハイヴだったのだから。

「それに、我々歩兵ではBETAの侵攻に対して正面から撃ち合うなど出来ませんよ。防衛線を掻い潜った小型種の相手ならばまだしも、防衛線が瓦解してしまってはとても……」
 軽く肩を竦ませて苦笑いを浮かべる男性少尉。彼ら歩兵は作戦において支援火器車輌に随伴して、その守備を固めることが主だ。しかし、当然それも少数規模の小型種に限る。波のように押し寄せる戦車級など、戦術機ですら殲滅し切れないのだから、歩兵がそもそも相手に出来るようなものではない。
「失礼します」
 一瞬、お互いが沈黙し合ったところで、それを払拭するように第3者が入室してきた。入り口付近で敬礼をし、奥に入ってくるのは榊千鶴だ。
「お疲れ、委員長」
「御疲れ様です、大尉殿」
 武は椅子に座ったまま手を掲げて応え、男性少尉は席から立ち上がって背筋を伸ばし、千鶴と同じように敬礼を返す。
「わざわざこっちまで回ってもらって悪いな」
「貴方から離れてたら任務にならないじゃない。それに、こっちも遅れて悪かったわね」
 両手を挙げて「何を今更」と言うように千鶴は武に答える。遅れて、というのはここまで来るのに時間をかけてしまって、という意味なのだろう。元々、振り回しているのは武の方なのだから、そんな風に謝られても困ってしまうだけだった。
「早速なんだけど、うちのB小隊とC小隊、北側の海岸線の哨戒に向かわせてもいいかしら?」
「ほんと、早速だな。うん、まあ、構わないけど……装備は?」
 敬礼を解き、開口一番に許可を求める千鶴に、武はため息を吐かされる。だが、北側と言えばH17の存在する方角に面した海岸線だ。そこに哨戒機がいてくれるというのは安全面に関して非常に大きい。
 だから武は許可を出し、機体装備についても問いかけた。
「換装済みよ。遭遇戦に備えて両小隊1機ずつ、制圧支援装備で向かわせるつもり」
 制圧支援装備。つまり、92式多目的誘導弾システムにALMランチャーを携行してゆくということだ。レーザー属との遭遇戦を危惧して、という慎重な采配は千鶴らしいが、その曇った表情は「使わないに越したことはないけれど」とはっきり表していた。
「まあ、気楽にな」
「その件に関してはいらない心配でしょうね」
 前線とはいえ、ここはまだ曲がりなりにも安全域だ。哨戒から気を張られていては保つものも保たないだろう。だから武が念のため釘を刺しておくと、千鶴は大きなため息を漏らしてそう答える。

 そういえば、向かうのはB小隊とC小隊だけで、彼女直下のA小隊ではなかったか。

 そうであるならば、千鶴の部下たちは哨戒任務に支障のない程度、気楽にやるだろう。それが千鶴のため息の理由であり、武の心配が杞憂に終わる理由でもある。
「それじゃあ、中佐から許可も下りたから所定のポイントに向かってちょうだい。そっちは任せるわね」
 千鶴はそのまま部下と連絡を取り、改めて哨戒に向かうよう命じる。装備は換装済みと言っていたが、実際にはその他の準備もすべて整っており、あとは武の一言を待つだけの状態だったようである。
 椅子を引いて、武が座るよう勧めた席に腰を下ろしながら千鶴はその質問に答える。立っていた男性少尉は徐に新しいカップを取り出し、千鶴の分のコーヒーモドキを淹れ始めた。
「すみません、ありがとうございます」
「大した手間ではありませんよ、大尉殿」
 2種類の謝意の言葉を紡ぐ千鶴に、ははっと小さく声を立てて笑いながら少尉は応え、コーヒーモドキの入ったカップを差し出した。

 コーヒーモドキは分類こそ飲み物ではあるが、元はインスタントコーヒーのような粉末なので、作り置きと長期保存が出来る点が最大の魅力である。だからこそ、特別な施設も装置もないこのような仮設の駐屯地でも飲むことが出来るのだ。
 実のところ、武もホームである基地の自室に一袋、ストックを隠し持っている。

「……どうでもいいけど……貴方もちゃんとお礼言ったの?」
「…………は?」
 差し出されたコーヒーモドキと、武が口に付けているカップとを交互に見比べた千鶴は、ジトッとした目付きでそう訊ねてきた。その、いまいち意味の掴めない質問に武はポカンと開口するしかない。
「御言葉ですが大尉殿。こちらは中佐殿が淹れて下さったんですよ」
「え?」
「………ああ、そういうことですかー」
 また笑って、男性少尉は武に代わって千鶴に答える。その言葉でようやく合点のいった武は、自分に対する千鶴の認識に思わず涙が零れそうになった。
「ごっ……ごめんなさい」
「いや……いいんだ。たぶん、委員長の認識はそれほど間違ってない」
 千鶴も申し訳なさそうに謝るが、残念なことに武にもその言葉を否定し切るだけの自信がない。今でこそこうだが、それこそ訓練兵であった時代、また、更にそれ以前の自分では自ら進んで給仕することなどあり得なかっただろう。

 今日までの時間と環境は、そうさせるだけの意味がある。

「それよりも、美琴とマリアは? 直接顔合わせたのか?」
「あ……ええ、向こうで補給を済ませて、一息入れてから来るんじゃないかしら? 思いも寄らない人にも遭遇しちゃったしね」
 これ以上、千鶴に申し訳なく思わせても仕方がないので、武は話題を転換させた。その意図を察したのかどうかは定かではないが、彼女も頷き、応答を述べる。
「思いも寄らない人?」
「正確には、思いも寄らない連中ね。アラスカで親しくしていた米軍の部隊だから」
 疲れたように答える千鶴の言葉に、武はほうと相槌を打つ。こんなところで見知った米軍部隊と出会ったのならば、確かに“思いも寄らない”だろう。どうしてそれだけでそこまで疲労困憊の表情を見せるのかは、まったく武には見当もつかないが。
「でも何で米軍が?」
「この方面は大半の装備を米国から輸入していますからその関係でしょう」
 その疑問に答えるのは千鶴ではなく、椅子に座り直した男性少尉の方だ。間違っていないらしく、千鶴もそれに首肯する。そうであるならば、恐らく、米軍としては輸送における護衛と東南アジア戦線の視察の2つの意味がある筈だ。
 何だかんだ言っても、米国は世界中の戦局把握にも心血を注いでいる。
 大戦初期から対BETA兵器開発の主翼を担ってきた彼の大国は、更なるシェアの拡大と情報収集を続けており、生産力に関しては絶対的な権限を持っていた。
 彼らにとっても各地の戦線は維持された方が好ましく、局所的な戦闘に“巻き込まれる”のならば確実に戦果を挙げられるもののみが良い。

 少なくとも、つい数年前までの米国にとって重要だったのは、来る最終決戦に向けて自国戦力を温存しながら敵戦力を押さえ付けることに他ならなかったのだ。

「まあ、このまま連中には後方支援で終わってもらいましょう」
「それが一番建設的ですね」
 武が眉に皺を寄せ、難しい顔をしている理由を察したのか、男性少尉はニヤッと唇の端を吊り上げて冗談っぽくそう言葉をかけてきた。その言葉に同意し、千鶴も可笑しそうに笑う。
 先述したよう、米国が他国を支援するのは恩を売るための他に、目指す最終決戦に向けて自国戦力を可能な限り温存しておくことが理由にあった。その最終決戦とは即ち、G弾運用によるBETAの殲滅作戦だ。

 例えばそれは、オルタネイティヴ第5計画におけるバビロン作戦。
 例えばそれは、桜花作戦失敗と同時に発動されるトライデント作戦。

 何れもG弾による一斉攻撃でユーラシア大陸のハイヴに総攻撃を仕掛けるというもの。米国のG弾推進派はその威力を信じて疑わないようだが、白銀武にとって見ればそれは確実な終焉を予感させるものでしかない。
 そう、人類の破滅という確実な終焉を、だ。

 無論、現在こそその方針は多数派でなくなったが、消えたわけでもない。息を吹き返す可能性も否定出来ない。そうである以上、米国とその独自戦力である米軍には、本当に“最後”まで後方のポジションにいてもらうことが何よりも好ましいのである。

「酷い言い方だな。親しいんだろ?」
 しかし、2人が冗談めかした口調で言ったので、武もそれに倣って笑いながら千鶴にそう切り替えした。
「親しいわよ。少なくとも、こんな軽口を叩ける程度にはね」
 大袈裟に肩を竦ませてみせる千鶴の言い分に、さしもの武も呆れ返る。軽口はともかくとして、今の話の内容そのものを米軍兵士に聞かせるのは精神衛生上、非常に宜しくない。その相手個人がG弾推進派であろうがなかろうが、母国がどうこう言われるのは気分の良いものではないだろう。
「……ま、機会があったら紹介してくれよ」
「そうね」
 気のない武の言葉に、千鶴も気のない返答を返す。武がしばらく演習監督としてここに留まることになる以上、紹介してもらうには相手方に来てもらうしかない。そして、向こうにはそんなことをする理由も義理もないのだから、紹介を切望すること自体が誤りである。
 そういった、一種の社交辞令だと理解しているからこそ、千鶴も確約のない返答をしてきたのだった。
「それで、評価演習はどうなの?」
「まだ追撃班は出発してない。偵察班は2班、さっき先行して出させたけど」
 千鶴の問いかけに武は思いつく限りで最も簡潔且つ的確な答えを述べた。生憎と、自分たちですら5日間もかけて行った演習だ。内容が違うとはいえ、数時間で終わるものではない。
「分かってるわよ、それぐらい。見込みはありそう?」
「あるかないかで答えるならある。30人もいて一般平均以下ってヤツがいないのは凄いな。抜きん出た技能を持ってるのはさすがにほんの一握りだけど」
 目を細めて問い直してくる千鶴に、個人的な印象を含めて武は答える。教官をやっていた経験上、これだけの人数がいれば衛士適性が基準を上回っていても、基本成績で零れ落ちる人間が数名出てくるものだが、彼らにはそれがない。
 個人技能の高さならば、武たち207B分隊組に分があるが、それ以上に今演習を受けている訓練兵たちは集団として隙が少ない。
 抜きん出た能力を持った者はその得意分野で遺憾なく力を発揮し、そうでない総合的な能力の持ち主はその者なりに穴を埋めることに貢献している。

 武の友で言えば、まさに目の前の千鶴はそういう存在だ。
 近接格闘に長ずる御剣冥夜や彩峰慧の隙をミドルレンジからフォローし、狙撃に長ずる珠瀬壬姫の隙をクロスレンジからフォローする役回り。そういった存在が頼れれば頼れるほど、激しい戦闘の中で部隊の生還率が信頼性を帯びてくるのだ。

「全員合格させるの?」
 いきなり演習の核心を突く千鶴の問いかけに、武は一瞬言葉を詰まらせる。演習内容についても意図についても、彼女には話したことがない筈だった。
「……知ってたのか?」
「気付いたって方が正しいわね。さっきの話を聞く限り、“今回も”正規兵とゲリラ戦をさせているんでしょ?」
 そう言えば千鶴の第4中隊(フリスト)にも幾人か自分の教え子がいたか、と武は思い出し、小さく頷き返す。意図はとにかく、演習内容自体がそこから漏れても不思議ではない。材料が揃えば、千鶴にとって後はパズルを組み立てるようなものだろう。
「実際に本格的な追撃集団がいる評価演習は他に実例が少ないし、“戦域脱出”じゃなくてあくまで“期間経過まで生存”が目標となれば、遂行出来る訓練兵なんているかいないかのレベルよ? それで合否を決めるなんて流石に馬鹿げてるわ」
「お見事。座布団はないが、気持ちだけは進呈しておこう」
「いらないわよ」
 手に何か持つ格好を取って千鶴に手を差し出すと、呆れたように目を細めた彼女は軽く手で払うような仕草をする。よもや座布団が良かったなどとは言わないだろうが、武のせめてもの気持ちもお気に召さないらしい。
「現在判明している訓練兵の位置はこちらです。1班、3班、4班の現在地は未だ不明ですが、追撃班が出発するまでには見つかるでしょう」
 男性少尉は机の上に広げた島の地図上にそれぞれの班を示すユニットを置き、現状を説明する。何れも当然のように森林地帯に身を潜めているようだ。
「………まったく勝負にならないんじゃないの?」
「もちろん、追撃班には自分たちで捜してもらうさ。一応、評価演習なんだからこっちでも動向は掴んでおかないといけないし」
 既に半数の訓練兵たちの動きが掴まれている事実に驚き、千鶴は改めて感嘆の息を漏らす。その気持ちは武にだって分からなくもない。
 少なくとも、自分たちが訓練兵の時にこのような演習を行われていたら、ため息しか出なかっただろう。だが、偵察班が訓練兵の動向を伝えるのは肝心の追撃班ではなく、あくまで武とこの男性少尉に対して、だ。
 そうでなければ、本当に勝負にならない。
「白銀中佐、失礼致します」
 そこに、帝国陸軍の軍服に身を包み、准尉の章をつけた女性の通信兵が入ってきた。薄っすらと額に汗を滲ませているが、顔色は微塵も変えていない。年配というほどではないが、「若い」や「幼い」という形容詞からは少し遠い印象を与えられる女性である。
「何か?」
「対岸のASEAN 第78観測基地より報告です。現在、シャルティーニ少佐と第9中隊(エルルーン)は補給に入っており、完了し次第、出立するそうです。また、各隊のために補給車がこちらに向かっているとのことです」
「そこまで? 随分と気前がいいんだな」
 ASEANの基地がある程度の補給関連を受け持ってくれるとは聞いていたが、流石に補給車まで回してくれるとは思っていなかった武は、思わず目を丸くする。そんな武と同じ気持ちなのか、歩兵小隊の少尉と報告しに来た通信兵もお互いに顔を見合わせ、しきりに首を捻っていた。

「新しい玩具が届いて浮かれてるんじゃないかしら?」

 その疑問に対する回答なのか、まるで軽く冗談でも言うような口調で千鶴がそう言った。彼女のその発言に、武たちは一斉に視線を千鶴に向ける。
「さっき米国から運び込まれた戦術機、ほぼ全機がF-15Eだったけど、何機か見慣れないものが混じってたわ」
「見慣れない機体……?」
 武は思わず眉をひそめる。「見知らぬ」と表現していない辺り、知らない機体ではないのだろうが、それでも千鶴が「見慣れない」と表現する米国製戦術機は滅多にないだろう。
「………ACTVって知っている?」
「テレビ局の名前?」
「真面目に話そうと思った私が悪かったわ」
「アクティヴ・イーグルだろ? 実物なんて知らんけど」
 千鶴の口から飛び出した意外なアルファベット4文字に、武は思わず口をついて冗談を言ってしまう。そのおかげで見限られたようにため息をつかされたので、流石に次は真剣に答えた。

 実際のところ、千鶴の言うF-15・ACTV「アクティヴ・イーグル」という機体は見慣れないどころの問題ではなく、極めて一般的ではない戦術機だ。

 それは、米国のボーニング社 戦術機開発部門が打ち出した「フェニックス構想」の実証実験機として初めて開発された機体で、端的に言えば機動性強化型のF-15である。それ故に武が詳しく知る筈もなく、そもそも量産されたとか、実戦配備されたとかいう話すら彼は聞いたことがない。
「本当にそんなものが持ち込まれたのか? ここ、東南アジアだぞ?」
「向こうはH26を排除したから、自国防衛もかなり楽になったでしょ? 実戦データを収集するなら前線国に持ってゆくのが安全だし、確実よ」
 そう答える千鶴は続いて、「JIVESでも限界はあるから」と付け足した。
 JIVESとは統合仮想情報演習システムのことであり、現在において最も有益な衛士訓練プログラムとされている。それは、実機訓練とシミュレーター訓練の良い点を取り込むことで、それぞれの欠点の可能な限り解消しているシステムだ。
 有り体に言えば、実機でシミュレーター訓練に似た訓練を行う装置。
 戦術機の各種センサーとデータリンクを利用し、あらゆる戦闘の物理現象をシミュレートすることが可能で、網膜投影のシステムを使い、衛士にあたかも目の前にBETAがいるかのような“錯覚”を起こさせることまで可能とする。

 それでも、それは決して実戦データではない。
 あくまで訓練にて得られた起動データだ。

 米国にとっては実戦データの収集が最も困難であるため、その辺りの対応に対しては積極的だ。無論、派閥による格差も大きいだろうが。

「こっちもこっちで何か一石を投じたいところだったんだろうな。フェニックス構想自体は、独自開発機を持たない地域にとっても推していきたいところだろうし」
 完全に納得したわけではないが、頷けないこともないと武は軽く顎をさする。その点に同意するのか、千鶴も小さく頷いた。
 ボーニング社 戦術機開発部門が生き残りをかけて打ち出す「フェニックス構想」とは、最強の第2世代機と名高いF-15を安価に準第3世代機性能へとグレードアップさせることを主題とした計画だ。
 同社は現在、G元素応用兵器部門への出資を最優先としているため、戦術機開発部門はより少ない費用で成果を挙げることを余儀なくされたのである。

 尤も、そのF-15・ACTVが実用段階まで至っているのかと考えたところで、武は甚だ首を傾げるしかないのだが。

「アクティヴ・イーグル……ですか。性能は如何ほどなのですかね?」
「肩部と背部のウェポンラックに専用のスラスターを装備すれば、戦術機中最速の直線速度を出せる筈。高機動戦闘型というよりは、広域戦域転戦型……つまりは支援急行に最も適した機体なんじゃないか? 実戦機として使えることが前提だけどな」
 聞き慣れないであろう名称に軽く肩を竦ませる男性少尉。その言葉に答えるため、武は簡単なF-15・ACTVの特徴を説明する。ただし、彼自身もそれは文献からのみ学んだものだ。
 データを調べる限り、件の機体は機動性特化型というだけあって尋常ならざる速度を叩き出せる。殊更、専用スラスターを装備した状態で、直線移動において最大戦闘速度など出されようものならば、不知火弐型はおろかF-22Aですら振り切られるだろう。
 その速度を最大限に活かせるのは、その実、戦闘中ではなく戦域突入までの移動だ。迅速な転戦が求められる支援行動や救援行動ならば、更にその機動性は武器になる。
 跳躍ユニットの出力だけでも充分に高い機動性を確保出来るため、戦域に到着したら専用スラスターを破棄することで、従来の戦術機と同等の兵装状況で戦えるという柔軟性も残しており、確かに将来性は決して低くない戦術機だ。

「私たちだって……機体がもっと速ければと思ったことは1度や2度じゃないものね」
「…………そうだな」
 F-15・ACTVを肯定的に受け止めているような千鶴の言葉に、武も小さく同意の意を示す。呟くような声量だったが、それは沢山の想いが詰められていた。

「……でも、そうなると、補給コンテナを改造するか専用コンテナを配備するかして、背部スラスターの着脱制限を緩和しないと、まだ使い難いな」
「流石に元教官、現連隊長なだけあるわね。本当に鋭いわ」
 武の独り言に千鶴が呆れたような表情ながらも感嘆の言葉を投げかける。
 戦術機は運用上、装甲や跳躍ユニット、ウェポンラックのマウント等、衛士の任意によって破棄することも可能だ。当然、兵装の一種であるF-15・ACTVの専用スラスターも破棄は可能だが、装着となればまだ話は別だろう。

 戦術機において、捨てるのも拾うのも容易なのは、精々、突撃砲や長刀、ナイフといった主腕装備用の兵装ぐらいなものである。

「……確かに、それは有望な玩具かもしれませんね。―――――――あ」
 それまで話の成り行きを傍観していた通信兵が相槌を打ち、その後、不意に小さく声を上げる。驚いたような声の調子に、武は彼女へと視線を向けた。
「……はい。了解致しました。お繋ぎ致します」
 対岸から通信が入ったのか、この場にいない者の言葉に応答しながら通信兵は頷く。そして顔を上げ、武を見返した。彼女と目が合う。
「白銀中佐。ASEAN 第78観測基地のシャルティーニ少佐から通信です」
「繋いでくれ」
 武がそう答えると、通信兵の「は」という了解の言葉と同時に、網膜にマリアの姿が映った。まだ向こうを出発していないようだが、どうやら弐型の管制ユニットの中から通信してきているらしい。
「どうした?」
『中佐、即刻、評価演習の中止を進言致します』
 武の問いかけを喰い気味に、マリアは穏やかではない案件を進言してきた。試験としての意味は少ないとはいえ、これは列記とした必要不可欠の演習なのだ。それを中止にするには相当の理由が要求される。

 だが、武は既にマリアのただならぬ表情からおおよそ何が起きたのかを汲み取る。
 決して、信じたくはなかったが。

「一応、理由は聞く」
『は。情報によりますと、先刻1240、H17からBETA群が南下を開始。現在は旧タイと旧ビルマの国境跡に沿って南下を継続。守備隊がこれを迎撃していますが、北緯7度線の絶対防衛線に接触されるのは時間の問題かと』
 その言葉に、武はわずかに表情を歪める。こんな時に、と悪態を吐きたくもなるが、そこまでは口にしなかった。
 北緯7度線への到達が確実とされている以上、敵の侵攻はこれまでの散漫で単発的なものではなく、比較的大規模なものなのだろう。BETAにとっても間引き作戦の損害だって馬鹿にならない筈にも関わらずこのような行動に出るというのは、本当に反吐が出る。
 そう、武は嫌悪感を漲らせていた。
「了解。即時演習は中止させる。こっちにはまだ出動要請は出ていないんだな?」
『はい。これより私と第9中隊(エルルーン)は中佐の下に急行しますので、少々お待ちください』
「ああ。万が一、接敵した場合、敵が少数なら殲滅を最大目標に。大規模であった場合、突破してこちらとの合流を目指すか、後退して基地守備隊と合流するかの判断はお前と美琴に一任するぞ」
『了解しました』
 武の指示に了解の旨と敬礼を返し、マリアは回線から外れてゆく。流石に彼女たちが到着するまでにこの近隣へとBETAが侵攻する可能性は低いが、否定出来ない以上はその指示も省略することなど出来ない。
「少尉、只今現時刻をもって評価演習を中止。演習行動中の各班はこちらに帰投させろ。また待機中の歩兵小隊各班は即時実戦装備を整えさせてくれ」
「はっ!」
 武とマリアの会話自体は聞いていなかったが、武から漏れた「敵」という言葉からこの場にいる者は全員、状況を察したのだろう。事情を詳しく言わずとも、男性少尉は応えるのが早いが、無線で部下に呼びかけながら自身も退室してゆく。
「准尉、この島に現在、帝国軍車輌は何台配備されている?」
「市街地演習用の82式指揮通信車が1台と、87式自走高射機関砲改2台。ここまで歩兵小隊、訓練兵小隊を輸送してきたものも含めれば、高機動車が17台です」
「こっちは訓練兵の戦域脱出が目的だし、人員は少ない。自走式対空砲は無視しよう。高機動車は全車準備を。状況如何によって、准尉たちには指揮車輌に乗ってもらうことになるから、82式指揮通信車も準備を整えておいてくれ。大至急、だ」
「は。了解致しました」
 続く武の命令に敬礼を返し、通信兵である女性准尉も数名の部下に無線にて指示を飛ばす。
 まだ戦術機に乗ったこともない衛士訓練兵と1個小隊程度の歩兵ではBETAの侵攻の前には無力だ。だから、まず彼らを別部隊と合流させることを目標として動くことを前提とする。
「委員長、第4中隊(フリスト)はそのまま2小隊、北側に張り付けといてくれ。後退は最短で即時、最長で全班が脱出を完了するまでとする」
「了解! 接敵の場合の交戦許可を」
「許可する。だが、あくまで戦闘はBETAの足止めが目的だ。叩く際も小型種を中心にし、脱出までの時間を稼ぐことに今は限定する」
 兵器使用の許可を求める千鶴に承認の言葉を返し、武は注意事項も加えた。施設防衛ならば大型種も小型種もそれぞれ脅威だが、歩兵の撤退支援ともなれば圧倒的に小型種の脅威度が跳ね上がる。
 付け加えれば、総じて対人感知能力が高く、圧倒的物量で押し込んでくる小型種よりも大型種の方が、歩兵は逃げ切れる可能性が寧ろ高い。あくまで比べれば、という話ではあるが。

「白銀、大丈夫?」
「指揮が執れる程度には、な」
 心配げな千鶴の呼びかけに、苦笑気味に頬を緩めながら武は冗談っぽく答える。しかしながら、その心中は決して冗談など紡げる状態ではなかった。
 手を掲げ、武は先んじてテントを出る。ギリッと軋ませる歯は、今の彼に出来るせめてもの表現だ。

「時間的にはまだ余裕なんだが……な」

 武は現時刻とBETAの侵攻状況を鑑みて、決して楽観視とは言えない呟きを漏らす。だが、白銀武はその経験から、現状ですら何か、底知れぬ不安感を拭い去れずにいた。

 BETA群の北緯7度線到達まで、あと推定72分。
 その数字が何も当てにならないと、武は既に予感している。



[1152] Re[45]:Muv-Luv [another&after world] 第45話
Name: 小清水◆b329da98
Date: 2007/09/27 06:10


  第45話


 マレー半島におけるBETAとの戦闘は、1993年のビルマ陥落以降から単発的に継続されているが、タイとマレーシアとの国境沿いにある最終防衛線の突破まで許したことは1度としてない。
 これは侵攻するBETAの規模が比較的小さかったこともあるが、このマレー半島という場所が非常に人類にとって守り易い地形をしていたという要因も存在する。
 BETAは陸路を最も好み、移動の際に余程の遠回りになるか、または別の攻撃目標がない限りは陸路を使って侵攻する。海を渡る際も可能な限り、浅く、短い距離を選択して移動を続けるという点も一般的に知れている。

 オーストラリアがマレー半島の防衛と台湾の防衛に心血を注いでいるのは、そういった侵攻経路の予測が立っているからだ。

 その点において、大陸から大きく、そして細長く飛び出たマレー半島はBETAの侵攻経路を予測するまでもなく、またレーザー属以外のBETAを脅威としない海上戦力の攻撃が最も効果を挙げる地形をしている。
 しかし、そのおかげでマレー半島の中程は草木1つない荒廃した砂礫の大地と化してしまっているのだが。

 そこにおいて、人類は今、最早何度目か分からない南進を目指すBETAの行く手を阻んでいた。

 轟音が轟き、大地と大気を震撼させる。F-4とF-15によって構成されたASEAN軍の戦術機甲部隊は隊列を組むことで防衛線を構築。アンダマン海とタイランド湾に展開した海軍艦隊と、後方に展開したMALS部隊によって行われる大規模面制圧を突破してくるBETA群を彼らは手当たり次第に薙ぎ払っているのだ。
 しかしながら、今も面制圧の成果は思ったように挙がっていない。
 侵攻中のBETA群にレーザー属の存在が多数確認されたため、一部の車輌と戦艦の砲撃がAL仕様で偏っており、面制圧の密度が常時より小さいのだ。
 戦術機甲部隊によって包囲殲滅が困難なこの状況では、重金属雲濃度を低下させないよう徹し、面制圧によって殲滅することしか出来ず、ジリジリと後退を余儀なくされていた。

 交戦を続ける衛士たちは思っているだろう。
 何故今回、BETAはこれほどまでに大規模な南進を見せているのか、と。

 生憎とその疑問に答えられる者など誰もいなかったが、戦う上でそれは些細なことだ。敵が眼前に迫る以上、彼らにはそこでトリガーを引くことしか出来ないのだから。

 それに、確かに敵の規模は大きいが、絶望的な物量差ではない。南側から順次駆けつけてくれる増援と合流し、防衛線を厚く構えた状態を維持していれば、後退を余儀なくされても完全突破される心配は極めて低かった。
 曲がりなりにも彼らは、10年に渡ってBETAの侵攻を防いでいるASEAN 前線軍の一員なのだから、容易に突破されては長らくここを支えてきた先達たちにも申し訳が立たない。
 小隊長たちは戦いながらも部下に発破をかけ、部下たちもそれに応えて士気を高揚させる。レーザー属の攻撃も、空中を飛び交う砲弾、ミサイルの迎撃に忙しなく、地上部隊への対応は実におざなりだ。
 最前面の部隊は突撃級を躱して後方の部隊に任せ、要撃級、戦車級の死骸でバリケードを築き上げる。砲撃を継続しながら火器車輌は順次後退を続け、戦術機甲部隊の退路を確保し続けていた。

 その時、戦域で戦闘を続けるすべての部隊に司令部から新たな通信が入る。
 その旨は以下の通り。

 現在、ASEAN 連合艦隊より分離した海兵隊が両岸より強襲上陸を行うべく進軍している。地上迎撃に当たる各隊はそのまま敵の侵攻を押さえろ。
 繰り返す―――――――。

 世界に戦術機は数あれど、現在海兵隊に配備されている機体は差し当たって1つしかない。
 強襲攻撃機 A-6「イントルーダー」。日本の帝国軍では海神の名で知られる、米国を発祥とする水陸両用型の戦術機である。
 ただ、厳密に言えば、このA-6という機体は純粋な戦術機とは言えない。
 固定武装を持たず、人型であり立体的戦術を駆使出来ることを戦術機の特徴とすれば、A-6という兵器は陸戦時の形状が人型である点を除けば寧ろ重戦車の存在感に近かった。
 敵正面への強襲上陸を主任務とし、上陸作戦においてはそのまま橋頭堡の確保を請け負う。
 今回の場合は、半島という特殊な地形を利用し、強襲上陸を仕掛けて南下するBETA群の横腹を抉り取る役割に該当するわけであるが。

 敵前衛を惹き付けろ。

 そう言ったのは、迎撃部隊の中で一際階級の高い連隊の指揮官だ。
 A-6が両岸から強襲上陸を仕掛けるのは、単純にBETAの戦力を削る目的もあるが、何よりも後続のレーザー属を包囲殲滅するためである。そのために、前衛として侵攻するBETAを反転させないように迎撃部隊は立ち回らなければならない。

 現在、クアラルンプールを出発した国連軍及び日本軍の戦術機甲部隊がマレーシア国境付近まで到達。また、物資搬送任務に従事していたアメリカ合衆国陸軍の戦術機甲1個中隊が同境界線にて迎撃の構えを整えている。

 司令部の通信兵は後方の防衛線構築状況についても矢継ぎ早に述べる。他勢力の戦術機甲部隊にも関わらず展開は非常に迅速で、前衛で戦うASEAN軍の彼らからしても心強かった。
 ただし、状況が状況であるため、未だ後方の砲撃陣地は形成完了まで至っていないのも確かである。

 再び、上空を閃光が煌く。

 重金属雲によって減衰しているとはいえ、重光線級のレーザーともなればその威力は未だ脅威だ。戦艦クラスの装甲を完全に打ち破るまではいかずとも、一閃で砲弾やミサイル1発を無力化することなど容易く出来る。
 それでも、絶対数の少ない重光線級では砲弾の撃墜率も高が知れているのもまた事実。数の多い光線級のレーザーがほぼ無力化されているこの状況において、連中は面制圧のほとんどを打ち払う能力を持たないのであった。

 雨霰と降り注ぎ怨敵を砕く支援砲撃と、鋼の槍の如く怨敵を穿つ36mmと120mmの嵐。崩れ落ちる要撃級の間を縫うように蠢き進む小型種の群れも、その暴風の壁を突破することも簡単ではあるまい。

 これは持久戦だ。侵攻するBETAが全滅するか、迎撃する人類の用意した砲弾が底を尽くか、の。

 HQより作戦参加中の全部隊へ。

 次の瞬間、ややハスキーな声調の通信兵から全部隊に向けて新たな情報が伝えられる。そこにいる誰もは、一切攻撃の手を休めずに、通信へ耳を傾けた。

 悪い報せだ。
 進行中の海兵隊より新たな報告があった。現在、両沿岸沖の海底を南下するBETA群の存在が確認された。敵規模は陸上を侵攻中のBETA群の1割にも満たないが、上陸されるまで殲滅出来る可能性は限りなく低い。
 よって、新たに発見されたBETA群の追跡を、海兵隊の2個中隊が行うことになった。
 前面展開中の戦術機甲部隊は敵の侵攻を押さえながら、敵前衛に穴を開け、後方のレーザー属の排除を目指せ。

 防衛線を維持しながら、後ろの光線級を叩けってのか!?

 司令部からの命令に対し、前線の怒号が飛ぶ。
 A-6を運用する海兵隊が両岸で1個中隊ずつ追跡に回るということは、強襲上陸を仕掛けることが出来る兵力は半分に減ってしまったことにもなる。いくら重金属雲濃度が保たれているからといっても、それだけの兵力ではBETAのレーザー属を殲滅し切れる可能性が低かった。
 だから、作戦司令部は陸上戦力の戦術機甲部隊にも吶喊させ、レーザー属の排除を命じようというのである。
 だがそれは、防衛線を構築する壁を薄くせざるを得ない命令であり、既に一握りの小型種を浸透させてしまっているこの状態では、致命的な分散だった。最悪の場合、防衛線の瓦解もあり得ない話ではない。

 マレーシア国境沿いで待機の予定だった国連軍部隊が前進し、支援に当たる。後ろのことは気にせずに戦え。

 畜生ッ! 俺たちが行くぞ! 中隊各機、続けッ!!

 1人の呼びかけに11人の部下が「了解」と声高に応え、自らのF-15を駆り立てて敵中に突撃してゆく。近距離の要撃級や戦車級は方向転換し、自分たちに接近する戦術機の一団へと殺到していった。
 それと共に半島の両岸からA-6で構成された海兵隊が強襲上陸を仕掛け、南下を続けるBETAの横腹を掻っ捌きにかかる。
 先ほどまで距離を保ちながら交戦を続けていた人類とBETAは今、完全に入り乱れ、戦線は緩やかに軋みを上げていた。

 海底を進むBETA群の行く先は、未だ判明していない。




 陸上を進むBETA群の他に、岸に沿って海底を南下するBETA群の存在が確認されるほんの少し前、彼らはまだ評価演習地から離脱出来ずにいた。
 武は既に自機である弐型に搭乗し、表示した島の地図を確認しながら思わず表情を強張らせる。
『白銀中佐、高機動車全台、準備完了した模様です。指揮通信車の発車準備も整ったと、准尉から報告がありました』
 そこへ、つい先刻こちらに到着したばかりのマリアから報告が入った。彼女も現在は武の補佐を務め、歩兵や通信兵までも含め、退避へ向けた準備を進めている。
 現状で直下の部隊を持たない武とマリアの周囲は美琴の第9中隊(エルルーン)のA小隊が固めており、更に展開する陣地周辺を千鶴直下の第4中隊(フリスト)A小隊と第9中隊(エルルーン)のB、C小隊が小隊単位で哨戒に当たっている。
 第4中隊のB、C小隊は未だ哨戒任務で北部沿岸に張り付かせたままだった。
「了解。現在までで戻っている訓練兵班は?」
『第1班、第4班が帰投しています。残りの訓練兵班は機械化歩兵小隊 第4、第5班が無線にて連絡を取りながらこちらまで誘導しているところです』
「訓練兵の第1班と第4班は即時脱出させる。機械化歩兵小隊 第6班、第9中隊(エルルーン)C小隊、随伴しろ」
 この島の南部にはマレー半島と繋がる大橋がある。本来、このような場所においての脱出は船舶を利用するのが最適であるが、今はそんな時間の余裕も人員の余裕もない。当初の予定通り、往路と同様に高機動車にて橋から半島に抜けるのが万策だ。
 マリアの返答に武は内心、「拙いな」と呟く。全員、よく動いてくれているが、訓練兵の帰投状況が芳しくない。いや、正確に言えば、BETAの進攻速度が若干だが速いのだ。

 最大の原因は、多数確認されているレーザー属の存在。

 砲撃による重金属雲濃度の維持と迎撃部隊による弾幕で抑制してはいるが、結局のところ、面制圧の効果が期待されたほど大きくないのである。
 BETAの物量に対抗出来るのは、所詮物量だけ。重金属雲も、対BETA戦術の最たる産物「戦術機」も、厳密に言えばその物量戦術の効果を上げるためのお膳立てでしかない。

 広域飽和砲撃。

 圧倒的物量で押し込んでくるBETAを薙ぎ払うには、それしか有り得ず、そしてそれを司るのは武たち衛士が駆る戦術歩行戦闘機ではないのだ。
 誰かは知らないが、戦術機のパイロットのことを初めて「衛士」と言った日本人を、武は尊敬している。もしかすれば、その言葉は人類の未来に希望と願いを込められて付けられたのかもしれないが、少なくとも、戦場においても現実的に戦術機の搭乗士は“守り手”なのである。

「委員長! 北側はどうなってる!?」
『敵影は確認されていないわ。振動センサーも現状でフラット。BETAは半島の戦線に集中しているみたいね』
「向こうにしても陸上じゃなきゃレーザー属も無力だからな。使うならそっちに集中するさ」
 千鶴への返答で相槌を打つ武。ただし、無論、正面突破が目的であれば、と心の中で付け足した。
 どう足掻いても、レーザー属の特化した能力も水中では使えない。制空権を完全に掌握した件の大出力レーザーも、水中では無力なものだ。だが、水中は人類にとっても戦い難い場である。
 水中形態を持つ派生機種も含めたA-6には多少の水中戦闘武装が搭載されているが、それはそもそも追撃戦や小規模戦を前提としており、間違っても大規模BETA群を殲滅出来るものではない。
 つまり、水中を進行する大規模BETA群を殲滅するには、上陸地点を見極め、水際にて徹底的な面制圧を行いながら包囲殲滅を敢行するしかないだ。その場合、レーザー属も完全無力化とまではいかないが、他の条件がまったく同じ完全陸上戦に比べて、支援砲撃の着弾率は圧倒的に高い。
 詳しい理由は不明だが、岸からある一定の水深の浅瀬はレーザー属において完全なるグレーゾーンと化しているようである。
 そのため、BETAは水際での戦闘が最も弱かった。
 無論、上陸地点が既に限定されている、という前提が必要ではあるが。

 未だ敵と遭遇してもいないというのに、混乱には陥っている。四方を海によって囲まれている地形は非常に守り難い。上陸中が最も脆弱だとはいえ、全方位が上陸地点の可能性がある島では飽和攻撃が難しいからだ。
 そもそも、今の武たちに動員出来る戦力には面制圧を行う車輌など存在しないのだが。
『タケル!』
「何だ!?」
 その混乱を表すかのように、美琴からの呼びかけに武は声高に応える。悪い報告では気が滅入るが、少なくとも報告があるうちは最悪ではない。どうしようもないのは、本当に突発的な事態だ。
『ASEAN連合海軍海兵隊 110中隊から通信! 向こう、こっちに近付いてきてるみたいだよ!?』
「海兵隊だって!?」
 彼女の言葉に武は思わず眉をひそめた。海兵隊といえば海軍におけるある種の特殊部隊だ。BETA大戦の始まり、そして戦術機の運用によってその存在も様変わりしたが、彼らが上陸任務や港湾の守備を任される、陸と海双方の複合戦闘技術を有する優秀な集団であることに変わりはない。
 そんな海兵隊が運用する戦術機も、陸軍機とは一線を画する特殊な機体である。

 それがA-6 イントルーダー。世界中の海軍が現在運用する、絶対唯一の戦術機だ。

『こちらはASEAN連合海軍海兵隊所属 ミレニアム1。そちらは演習中の帝国陸軍と聞いている。応答せよ』
「確かに、こちらは帝国陸軍衛士訓練小隊の演習中だった。だが生憎、展開している戦術機は何れも国連軍所属機だ」
『ミレニアム1了解。指揮官である貴官の情報を求む』
「欧州国連軍 第27機甲連隊 連隊長 白銀武だ。階級は中佐。コールはセイバー1」
 やや高圧的な海兵の態度に武は小さくため息を漏らすが、反面、それはそれで彼も納得はしていた。
 これからハイヴ攻略が進んでいけば、攻勢作戦で出撃することもなくなるだろうが、海兵隊は正真正銘、少数精鋭のエリート部隊だ。戦闘領域が極めて限定されるため、どこの国でも海兵隊の規模は大きくない。しかし、彼らは1度出撃すれば全滅も珍しくないほど過酷な部隊でもある。
 敵前面に強襲上陸をする、上陸する敵に対して包囲殲滅を仕掛ける、というのはそういった任務なのだ。
 そんな海兵隊の隊長らしき相手に武は自身の情報を告げる。それを聞いた年配衛士の頬が一瞬強張るのは、網膜投影からでも武にはよく分かった。
 こんな若僧が中佐なのかと言いたいと思われるが、そこも特に反意を示すところではない。寧ろ、武がもし彼の立場ならば確実に眉をひそめるだろう。
『――――――了解。それでは、状況を説明する。1240にBETA群の侵攻が確認されたのは承知だろうか?』
「報告は受けている。今も半島の防衛線で戦闘が続けられている筈では?」
 大前提である状況の確認に、武は思わず問い返す。半島という地理的なものを鑑みれば、彼らのように動ける海兵隊は戦闘に駆り出されるだろう。それが、こんな最終防衛線付近の海域まで南下してくるなど、理由はそう多くない。
『状況が少し変わった。つい10分ほど前のことだ。プーケット島沖を南下するBETA群を捕捉。大型種が200にも満たないが、振り回されている』
「プーケット島沖を真っ直ぐ南下!?」
 焦燥感を漂わせているがそれでも落ち着いた口調の中年衛士に対し、武は露骨に声を張った。同時に、彼らが“何故迎撃に参加していない武たちに通信してきたのか”、その理由を武は確信する。

 プーケット島沖を半島沿岸に沿って真っ直ぐ南下。その進路上に、この島はあるのである。

『BETAの目標は未だ不明だ。そちらに上陸するとも断言出来ない。だが………』
「進行方向に複数の戦術機。すべてとはいかなくても、一部が上陸を図る可能性も低くない……ということですか」
 くっと唇を噛み、武は恨めしげに呟く。元より、量産型の兵器の中で戦術機は最もBETAを引き寄せる兵器だ。BETAとの白兵戦における距離の近さ、単機における攻撃力から来る脅威度、搭載する機器の性能の高さ。どれを取ってもBETAが攻撃を加える理由になる。
『そういうことだ。敵部隊のすべてが上陸を仕掛ければ我々も全力攻撃に移れるが、一部では規模によってこちらの動きも変わる。最悪、そちらを見捨てることになるだろう』
「大方、南下する敵の追跡及び殲滅がそっちの任務だろ? こっちを支援する義理もなければ、こっちにだって支援をさせる権利もない。文句を言うわけにもいかないさ」
『後々、「聞いていない」などと訴えられても敵わないからな。武運を祈る』
 肩を竦ませる武の返答に、苦笑気味の笑みを浮かべながら中年男性の衛士は敬礼した。状況から見れば実に面白くない冗談だったが、不思議と武も嫌いではない。だから、同じように敬礼をして相手の武運を祈る。
 それに、今の報告と彼らの情報によって更新される広域データリンクがあるのは大きい。なければ完全に孤立無援だった。
『白銀、B、C小隊に警戒を強めさせるわ』
「そうしてくれ」
 通信を傍受していたらしく、千鶴は即座に部下に向かって指示を出す。彼女の部下が回されている北部沿岸は完全に敵の進行方向にぶつかっている。攻撃目的であれ、通過目的であれ、BETAと遭遇戦に縺れ込む可能性は最も高かった。
『現在確認されている海域南下中のBETA群は、既に本島の北北西40kmの地点まで到達。海域を進むため速度は落ちていると思われますが、本島に接触するまで15分もかからない筈です』
『敵は……半島の両翼から来てるね』
 広域データリンクが示す情報を言語として整理し、報告するマリアと端的な結論を呟く美琴。両者の性格がよく反映された言だ。
「でも、陸のBETAとの戦力比は10:1のレベルだ。奇襲攻撃にしたって規模が小さ過ぎる」
『陽動かしら?』
「それでも規模が小さい」
 千鶴の意見にも武は反意を述べる。奇襲ならばより効率的に、陽動ならばより脅威度を高く見せるように行動しなければならない。たとえレーザー属を内包していようが、千にも満たない集団では上陸時に集中砲火を浴びて、一瞬でお終いだ。

『考えるのは後にしましょう。今は、希望的観測など意味を成しません』

 まったく意味の見えないBETAの行動に武たちが意見を交わすと、マリアから提言がなされた。ただし、限りなく叱責に近い意見であったが。
 確かに彼女の言う通り、BETAに対して希望的観測など限りなく無意味だ。連中の行動理念は実に合理的だが、合理的過ぎて人間には予想外になることもある。
『そうですね。橋を破壊されちゃったら、僕たちはともかく………』
『歩兵は致命的ね。通過の時に支柱を傷付ける可能性もあるから、急いだ方がいいわ』
 マリアに促され、美琴も千鶴も悪い展開に思考を及ばせる。今の彼らにとって最悪なのは、接敵することではなく退路を断たれることだ。飛行を可能とする戦術機ならばともかく、車輌は島と半島を繋ぐ橋を失えば、同時に退路を失う。
 その状態でBETAに上陸されれば、徹底抗戦は免れない。
「帰投状況は?」
『訓練兵小隊 第1、第4班、機械化歩兵小隊 第6班の搭乗車輌、現在渡海中。安全域到達まであと300秒。また、訓練兵小隊 第2班帰投完了。続いて第6班が帰投中です』
「第1班、第3班はまだかかるのか?」
『完了まで早くともあと600秒ほどかかると思われます』
 600秒。客観的に見て、早くもなければ遅くもない時間だ。仮に今この段階でBETAが北部沿岸に上陸を開始したとしても、ここまで到達するのに10分以上かかる可能性は高い。第4中隊(フリスト)のB、C小隊が迎撃に当たるからだ。
 また、ここまで到達してきたとしても都合1個中隊規模の武たちが足止めに当たるため、辛うじて撤退するまでの時間稼ぎは出来る筈である。

 尤も、すべてはBETAの規模が現状把握されている程度だということを前提とするが。

『まさか、こんな形で実戦に突入するとは思いませんでしたね』
「弐型のことか? それとも、訓練兵のことか?」
 ため息をつき、やれやれというように肩を軽く揺らしながらマリアが言った言葉。その主語の存在しない言い回しに、武はそう訊ね返す。
『勿論、どちらも、ですよ』
 マリアの返答は実に冗談っぽい言葉であったが、口調も表情も軽さなど微塵も漂わせていなかった。寧ろ、そこには焦燥感や苛立ちが含まれている。
 確かに、まともな操縦がいきなり実戦というのは馬鹿げている。唯一の救いは、武の場合はその雛形である不知火への搭乗経験があるということ、マリアの場合はここに至るまで何度か試運転を行ったことのみ。
 そして、訓練兵たちがこの場にいるというのは実に拙い状況だ。
 戦術機操縦の教導に入っており、訓練機である吹雪を有していれば、事実上、BETAにおける戦力としては歩兵を上回る。だが、今ここにいる訓練兵はそこに及んでいない以上、最も脆弱な戦闘要員だ。
『タケルたちはあんまり前に出ない方がいいよ。曲がりなりにも指揮官なんだし』
「曲りなりで悪かったな。これでも真っ当に指揮官やっとるわ」
『真っ当……ですか』
「何故そこでお前はため息をつく?」
 恐らくは武とマリアが機体慣熟し切れていないことを気遣ったのだろうが、美琴が軽口のように言った最後の一言は実に余計だ。真剣に答えれば、連隊を任されている以上、実際に指揮官としてのレベルは彼女よりも武の方が上である。
 しかしながら、反論する武の言葉に先ほどとは若干違う意味でマリアは肩を揺らした。何となく馬鹿にされた気分で武も面白くはない。
『思い当たる節でもあるんじゃないの?』
「ないとは言えない」
『でしょうね』
 むっとする武へ千鶴が半ば確信を持った様子で訊ねる。対し、問われた武は思わず腕を組んで即答した。寧ろ、心当たりは多過ぎてよく分からないというのが彼の本音なのだが、それではあまりに淋しいのでやや曖昧な表現を使った。
 しかし、千鶴からすればそんな表現の微妙な差異などどうでも良いようである。

 一瞬だけ、そしてほんの少しだけ和らぐピリピリとした雰囲気。彼らはいつだってこうやって戦場で軽口を叩き合ってきたし、これからも叩き合ってゆくだろう。
 それが、今の彼らに出来る、武器を使わないささやかな抵抗なのである。

『訓練兵小隊 第2、第6班、高機動車、乗車完了。機械化歩兵小隊 第5班と共に移動を開始します。現在、第1陣に随伴した第9中隊(エルルーン)C小隊がそのまま橋の入り口まで折り返し、引き続き随伴任務に当たる予定です』
 そのタイミングで、再び3台の高機動車が移動を開始する。何れも武装した兵士が乗っているが、その装備が役に立つのは最後の抵抗だけだ。施設内などの狭い場所での戦闘ならばまだしも、このような状況ではさしたる効果も発揮しない。
「了解。准尉たちは残る第1、第3班が帰投完了し次第、脱出してくれ。機械化歩兵小隊もその前後を固めて全班、撤退行動に移行。その段階で敵に遭遇していなければ戦術機甲部隊も同時に後退を開始する」
『了解』
 武の指示に幾重にも重なった同じ言葉が返される。だが、恐らく誰もが感じているだろう。事がそんなにも容易に進む筈などない、と。無論、武もそれは同じで、脳内では既にBETAの上陸に際してどのように展開するか、いくつもの推移を片っ端にシミュレートしていた。

 そしてその予想は、次の瞬間にも現実として証明される。

『ミレニアム1よりセイバー1! BETA群の上陸を確認した!! 敵の規模は……全体の9割を超えているぞ!!』
「ほぼすべてが上陸ッ……! 委員長!!」
 不意に、BETAの追跡を続けていた海兵隊の中隊長から声高に報告が告げられる。同時に、武の網膜にはBETA群が島の北部海岸線に上陸を始めていることを示す情報が投影された。
 それが表すのは、小型種まで含めて都合800体にも及ぶBETA群の上陸である。だが、規模はとにかくとしてもその上陸地点は本命中の本命だ。
『B、C小隊、交戦開始!』
『ASEAN連合海軍 海兵隊も包囲上陸を開始。BETAに対し、攻撃を開始する模様です』
 武の呼びかけに応え、千鶴が自身の部下の交戦開始を公言する。第4中隊(フリスト)のB、C小隊が哨戒を任されたポイントと上陸地点がかち合った以上、当然のことだ。寧ろ、そのための哨戒任務なのだから。
「BETAの侵攻状況は常にデータリンクで確認しろ! 絶対に車輌に取り付かせるな!」
『第9中隊(エルルーン)B小隊、前へ! 浸透突破してきた敵を見逃しちゃダメだよ!』
 美琴の命令に従い、彼女の隊のB小隊が北側に展開する。要撃級や戦車級ならばとにかく、何体集まろうと戦術機の敵ではない闘士級や戦士級が防衛線を逸早く突破してくることは予想出来る。連中にとって、戦術機は攻撃対象ではないのだ。
 決して見通しの良くないこの地形で、そのような防衛を行うことは非常に困難なものだと、それこそ誰もが分かっていたが、退くことは出来なかった。



[1152] Re[46]:Muv-Luv [another&after world] 第46話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:bdce47c1
Date: 2007/09/29 19:04


  第46話


 歩を進める足が震えているのは、演習による疲労からではない。純粋な恐怖からの生理現象だ。
 震える足で密林から脱出し、正規兵に誘導されるがまま停車している高機動車に走る彼も含め、ここにいる少年少女たちは何れも軍人。BETA大戦において尖兵となって戦う衛士の卵たちだ。
 しかし、どんなに誉められようと、称えられようと、彼らは徴兵制によって集められた帝国軍人。望んで戦渦に身を投じたい者などいないし、そうなるべくして生まれてきた人間もいない。

 ただの、少年少女だ。
 世が世なら、今こうやって肩を並べて切磋琢磨している仲間たちと出会うのはきっと軍施設などではなく、修学するための学び舎だっただろう。
 日がな一日、衛士となるための訓練に時間を費やすのではなく、親しい友人たちと街に繰り出し、時に笑い合い、時に泣き合い、感情を共有する時間を過ごす筈だった。

 お国のために戦えと、何時だったか学校の先生が言っていた。
 家族のために戦えと、今も世話になっている若い教官殿が言っていた。
 戦友のために戦えと、今日出会ったばかりの国連軍中佐殿が言っていた。

 将来の夢も、未来への希望も1度は潰え、彼らはそこから立ち直るために武器を取る。
 震える足でもしかと構え、震える手でも引鉄を引く。
 ただ我武者羅に「死にたくない」と願ってしまうから。
 ただ遮二無二に「生きたい」と願ってしまうから。

 早く乗れと誰かが叫ぶ。
 異様な緊張感から来る疲労で顔が上がらず、その声の主が誰か彼には分からなかったが、野太いその声は恐らく先任である正規兵のものだろう。
 彼は転がり込むように高機動車の後部に乗り込み、そのまま背中を壁に預けて肩で息をする。どんなに呼吸を繰り返しても、肺が酸素で満たされていく感覚がない。息苦しさは募る一方で、いっそこのまますべてを投げ出して、意識を失ってしまいたい。
 今ほど眠れてしまえばどんなに楽だろうと思ったことは、彼はなかった。

 乗り込んだ高機動車の中には、同じ訓練兵小隊の第1班メンバーが力尽きたように転がっていて、運転席と助手席、そして同じ後部スペースに武装済みの歩兵が1人ずつ乗車している。
 前に並ぶ2人の正規兵はBETAがどうこうと話している気がするが、はっきりしない彼の頭はその会話のすべてを理解するまでには至らない。
 辛うじて分かったのが、こちらに向かってBETAが侵攻しているということだけ。
 実のところ、彼にはまだBETAがどんな存在なのか分からなかった。人類の仇敵ということは知っているが、どんな姿形をしていて、どのように襲いかかってくるのか、詳しいことなど何一つ知らない。そういうことを教えられるのは、正規兵として任官した後だということのみ、教官から教わった気がする。

 不意に無骨な轟音が響いて、彼はびくりと頭を上げる。数名の仲間も同じように顔を上げ、表情を作る気力もないのか、呆けたように視線を外へと向けた。

 視線の先では、4機編成で陣を組んだ蒼穹の不知火の一団が突撃砲を構えた状態で跳躍する。彼にはまだ分からなかったが、それは近い接敵に向けて、より堅固な防衛線を構築するための準備だった。

 あれは今回、自分たちの演習に同行した国連軍の機体だ。極東国連軍に属するその部隊はそのほとんどが同じ日本人で構成されており、またそのほとんどが彼らとそう歳の離れているわけではない若き衛士。
 展開するその小隊も含めた不知火の一団の中でも、一際存在感を放っている2機の“特殊な不知火”に搭乗している衛士も、とても若かった。
 片や茶色混じりの黒髪を持つ中佐階級の青年。片や結い上げた金髪と青い瞳を持つ少佐階級の女性。年齢的なものを考えれば、きっと自分たちなど足元にも及ばない歴戦無敗の凄腕衛士なのだろうと、否応なく納得させられる2人だ。

 なれるわけがない。
 あんな精鋭中の精鋭と思しき烈士たちと肩を並べることなど、凡人の自分には叶う筈もない。自分は衛士適性が少し高いだけ、指揮官適正が少し高いだけの訓練兵。
 BETA襲来により、逃げ惑い、身体を震わせて脅えることしか出来ない自分には、あんな高みに到達出来る筈がない。
 訓練校に入校してしばらく経った頃のこと。適正の高さを買われ、訓練兵小隊の小隊長に任命されて気を引き締めていたが、今はただただ役者不足だったと痛感している。

 ごめんと呟く。
 徴兵で軍に行く息子を送り出すこととなった己の両親に宛てて、彼はそう呟く。
 訓練兵小隊とはいえ、小隊長に任命されたと得意気に手紙に綴って投函した手紙。それを見た両親から返ってきたのは、「おめでとう」と、少しだけ涙で滲んだ文字の記された便箋だった。
 嬉し涙ではないんだなというのは、彼にだってすぐ理解出来た。
 こうしてまた1つ、死地へと歩を進ませたのだという事実を嘆いた涙。だけど、1度内容の確認される郵便に両親はそんなことを臭わせるわけにもいかず、また彼も本当の意味でそれに応じることなど出来る筈もなかった。
 だから、彼は立派に任務をまっとう出来る人間になって、それでも尚生還して両親を安心させたかったのだ。
 その理想が、にわかに今、折れかかっている。

「おい、ヒヨッコ」

 歯軋りをして、涙を浮かべかけた彼に助手席の正規兵から声がかかる。再び顔を上げてそちらを向くと同時に、何かを投げ渡された。
 慌ててそれを両手で受け止め、それが無線機であることを理解する。

「国連軍の中佐殿から通信だ。てめぇらも帝国軍人なら、みっともねぇ対応だけはすんじゃねぇぞ」

 その言葉に更に大慌てで無線機を耳に当てる。少しノイズが入ったが、すぐに若い青年の声が聞こえてきた。

『こちら、セイバー1 白銀武。金沢訓練兵、無事か?』
「は………はっ! 自分も含め、第1班総員無事であります!」
 名前を言った記憶もないのに、中佐が自分の名前を呼んだことに一瞬驚き、すぐに応答の言葉を返す。無線だから相手に動作は伝わらないが、無意識のうちに敬礼の格好を取っていた。
『一先ず何よりだ。既に訓練兵は4班、安全域まで後退を完了している。残すはお前たち第1班とその前を行く第3班、前後を固める歩兵小隊の車輌のみだ。戦術機甲部隊が敵の侵攻を押さえる。正規兵の指示に従い、そのまま戦域を離脱しろ』
「りょっ……了解……」
『…………ちびったか?』
 了解と彼が答えると、少し間を置いてから無線の向こうの中佐はいきなりそんなことを訊ねてきた。さっきよりも口調は軽く、まるで親しい年上のお兄さんがからかう目的で訊ねてきたような言い回しである。
「そっ……そんなこと……! あり……ません」
 本当のところ、少しだけ漏らしていたが、正規兵にああ釘を刺された手前、そして自分の名誉のためにそう答えるしかなかった。
 だが、肝心の中佐の反応は笑い声ではなく、感心したような相槌だ。
『そりゃすごいな。俺は初陣で漏らしたぞ。錯乱して、訳も分からず喚いて、効きもしないペイント弾を片っ端に撃ちまくってた。乗ってた機体が破壊されて、救援が入るまで、喚き散らして、ガタガタ震えてたよ』
 ははっと笑い、昔の話をまるで懐かしむように語り、自分のことを凄いと評価する中佐。その言葉に彼は自分の耳を疑った。こんな若くして中佐階級にあるほど優秀であろう人が、そんな経験をしていたことに。
『………急げ! 北部沿岸の戦術機甲部隊が後退を開始した!』
 彼がどう答えて良いのか戸惑っていると、一転して厳しい口調で中佐はそう告げる。それとほぼ同時に、走る高機動車の揺れが一層と激しくなった。
『幸運を祈る』
 そう言って、通信を切ってゆく中佐。
 少年は、人の声を発さなくなった無線機を持ったまま、ゆっくりと再び敬礼の格好を取る。
 今しばらく、ほんのわずかな時間だが、平静を保てる。そんな気が、彼はしていた。




 視界に入る小型種を即座に36mmで撃ち抜く。
 波のように押し寄せるわけではないため、照準合わせを必要とし、それだけでも大きな集中力を要する作業だ。相棒であるマリアは、それ自体が得意分野であるために今尚、的確に高い精度でBETAを炸裂させているが、武では命中率も5割が限度だ。
 的が小さい上に、市街地跡や岩塊、森林部などの遮蔽物に身を隠しながらにじり寄ってくるBETAが相手では戦術機の照準誤差修正装置が如何に優秀でも、容易に当てられるものではない。
 寧ろ、マリアのように9割を超える命中精度が異常なのである。
『第4中隊(フリスト)B、C小隊、合流まであと500!』
「セイバー1よりミレニアム1! 敵の上陸状況は!?」
『――――――要塞級だ』
「何……?」
 後ろに跳び、距離を一定に保ちながら武が海兵隊に呼びかけると、返ってきたのは抑揚のないほんの一言だけの言葉。
『要塞級が出やがった……! ヤツら……光線級を揚陸してやがるッ!!』
 糞喰らえと言うようにミレニアム1は声高に叫ぶ。その言葉に武はぐっと短く呻き声を上げた後、思わず息を呑んだ。
 要塞級は、その巨体の内部に複数の小型種を内包している。光線級ならば要塞級1体につき6体。状況次第とも言えるが、大抵の場合において要塞級1体を相手にするよりも光線級6体を相手にする方が余程厄介だ。
「何で気付かなかった!?」
『陸路から進路を変えられた! 徐々にだが、敵の数が増えているぞ!!』
 武の怒号に答え、ミレニアム1も怒号を上げる。
 つまり、現在の上陸を継続しているBETA群は最初から海底を侵攻していたBETAではなく、陸路を行く集団から分離した別働隊ということになる。
 この島に戦略的価値があるとは到底思えない。ならば、何故、BETA群の一部はここに殺到しているのだろうか。

 武の背中を悪寒が走る。

 上陸するBETAの個体数は初期数字を当に上回り、1200をカウントしていた。戦力差は大きい。極めて危険な状態だ。
 だが、生憎、彼らの第1目標はBETAの殲滅ではなく、訓練兵及び歩兵・通信兵隊の撤退支援である。それが完了すれば自分たちも遊撃しつつ後退し、後方の戦術機甲部隊、砲撃部隊と合流することだって出来る。
 そうなれば、1200のBETAも烏合の衆に等しい。
「そちらの戦力状況はどうなんだ? データリンクが上手く機能していない」
『ふんっ……8機失って4機で応戦中だ。弾薬も残り僅かで、全滅は時間の問題だろう』
「8機ッ……何故退かなかった!?」
『陸軍戦術機と違って、こっちはコソコソ隠れて戦うなんて性に合わん。光線級が出てきた段階でこの結果はある意味予想通りだ』
 武の詰問にミレニアム1の男はくっと口元を歪める。嘲笑にも見えれば、苦笑にも、またあるいは微笑にも思える不思議な笑みだった。
 戦術機が搭載するALMは所詮局所的なものでしかない。この状況での光線級の照射は致命的だった。
 レーザー属と戦う際、他のBETAや岩塊といった遮蔽物を利用して戦う陸軍の戦術機と異なり、A-6は“それ自体が遮蔽物”なのだ。上陸作戦において、彼らは後方の揚陸艦隊を可能な限り無傷で着岸させるため、防衛線を構築してBETAの進撃を防ぐのである。

 ただそれは、そこに守るべき他の戦力があれば、の話であるが。

『ところで中佐殿』
「…………?」
『後退した貴官指揮下の戦術機甲2個小隊は無事か?』
「…………ええ、全機無事に合流しました」
 ようやく、武は戦況の意味を悟る。何故、彼ら海兵隊が全滅必至であるのにも関わらず、千鶴の第4中隊(フリスト)B、C小隊が全機健在のまま後退出来たのか、を。
 武は取り乱すことなく、落ち着いた口調で頷き返し、答える。
『そうか』
「武運を祈ります」
 その言葉を告げた瞬間、一方的に通信が切られる。あるいは、受信する側自体がなくなってしまったのかもしれないが。
 武は顔を上げる。
「セイバー1より全機! 上陸するBETAの数が増加している! 光線級も後方にいるぞ!」
 機体に飛びかかってくる戦車級を躱し、36mmで薙ぎ払いながら武は全員に注意を促した。最後尾の高機動車も既に橋の手前まで差し掛かっている。それだけの距離が確保されていれば車輌が停止してしまうようなことがない限り、闘士級と戦士級に追いつかれる心配はないだろう。
 だが、戦車級は常に脅威だ。
 あの物量、あの高い攻撃能力を持って尚且つ、最高速度が時速80kmに達するというのだから、撤退する歩兵にとって最大の脅威である。
『侵攻していたBETAが分散し始めてる……。でも……これじゃあ……』
『突破する気が最初からないみたい……ね』
 美琴と千鶴の呟きには武も正直同意する。本当に突破するつもりがあるのなら、最大物量で押し込んでいる中央をそのまま進撃し続ければ良い筈である。だが、何故か中央のBETAは犠牲を払いながら一部を両翼に展開させ、戦線に対して広く圧迫し始めているのだ。
 そのために、武たちは窮地に立たされているのだが、BETAにとっても実に不利益なものだ。たとえここを突破出来たとしても、次の上陸地点で残らず包囲殲滅される可能性が高い。ここと違って、半島の海岸線には砲撃陣地が形成されているのだから。
「歩兵には第9中隊(エルルーン)のC小隊がつく! 少しは“らしい”戦いが出来るぞ!」
『了解ッ!!』
 標的を小型種全般から大型種及び戦車級に変え、武はそう呼びかけながらマウントの長刀を引き抜く。浸透突破する闘士級や戦士級のBETAは美琴指揮下のC小隊に一任し、それを除く戦術機は大型種の排除にかかることが理想的な推移だ。
 撤退支援といえども、いつまでも大型種を惹き付けているだけでは必ずいつか彼らも撃墜される。ジリ貧を回避するために、敵の脅威度の変化には常に敏感でいなければならなかった。
『支援します』
「任せる!」
 右手に長刀を持った状態で後続の要撃級に吶喊する武にマリアが続く。彼女は自身が最も得意とする支援突撃砲による打撃で次々と要撃級の顔面に風穴を開ける。武は満身創痍の要撃級の群れの真ん中に着地し、36mmと長刀で薙ぎ払った。
『B小隊! 2機連携で白銀中佐とシャルティーニ少佐の直援に回って! A、C小隊はそのまま戦線維持!』
 後方の千鶴は部下に檄を飛ばし、自身も36mmを掃射しながら微速前進を開始。同時に疾走した第4中隊(フリスト)B小隊の4機が2分隊に分かれて武とマリアの両翼を固める。
「光線級は!?」
『200m先を侵攻中の敵前衛から更に500m後方です。数24。重光線級の存在はありません』
 射線から外れながら要撃級と戦車級を払う武が問えば、傍らの衛士がそう答える。要塞級から吐き出された光線級であるならば、かなりの数が撃墜されているのだろう。忌々しいが、決して悪い状況ではない。
 また、敵の侵攻ルートも市街地跡に集中しており、種によって進行速度に若干のズレがあるようだ。
「マリア、両側から挟撃する。建物を盾に一気に接近して殲滅だ。美琴! 前進して要撃級の足を押さえろ!」
『了解!』
「よし、フリスト5、フリスト9、俺に続け!」
『了解!』
 眼前の要撃級の首を刎ね、武は強引に突破口を作る。その活路へ我先にと突入するのは、武への随伴を命じられた2機の第4中隊(フリスト)機だ。
 武が行くのは殿。弐型の機動性と指揮官としての眼を充分に活かすため、敢えて先陣を切って吶喊せずに、すぐ後方からのフォローに回る。
 BETAの進行ルートを軸に、武たちとは線対称の軌道を描いて前進するのは同じく第4中隊(フリスト)機を従えたマリアだった。同時に美琴が直下のA小隊を引き連れて武たちが空けた戦線の穴を埋め、進行する要撃級を尽く蹴散らしてゆく。
 BETAの上陸は収束の一途を辿っている。これはBETAが進路を転換したのではなく、単純にマレー半島を侵攻するBETA群が最後尾に差しかかったからだ。

 即ち、武たちがこのBETAを打ち払うことが出来れば、マレーシアの防衛は少なくとも半分近く成功することになる。

 光線級の全高は小さい。レーザー属という特異な分類をされているが、姿形だけで言えば小型種に分類され、生身の人間と比較しても2倍にまで至らない程度だ。
 それがたった24体。しかも遮蔽物に囲まれているといってもよい市街地跡を進行する。

 さて、どうする。
 武は光線級の射線に入らないよう、慎重に迅速に進行しながら考える。足を止めないのは戦車級に取り付かれないようにするためだ。
 射線が確保しづらいのは生憎、武たちも同じだ。加え、光線級は照準合わせから照射までが異様に速い。極長距離における捕捉性能もそうだが、それこそがレーザー属の高精度の所以だ。
 だがそれでも、人類が勝る点も存在する。
 光線級が持つ再照射までのインターバル12秒。36mmの連射性能は遥かにそれを上回る。また、全高約3mの光線級は全高約2.8mの戦車級が周囲にいれば即座にレーザーを放つことが出来ないが、人類は36mmの掃射で文字通り、“纏めて一掃出来る”のだ。

 瞬間、データリンクが光線級の正確な位置を報せる。先行する不知火が廃墟群の向こうに見え隠れする光線級の存在を発見したのだった。

「全機同調。合図は俺が出す。一斉射で即時殲滅を最大目標。失敗時の退路も確保しておけ!」
 光線級の周囲には戦車級を始め、多くの小型種が密集している。要撃級はその全幅が収まり切らないのか、ほとんどが大通りの方を進行していた。中には強引に進路を確保しようと、障害物の破壊行動に出ている個体もいるが、そのせいで著しく進行速度が遅くなっているようだ。
『後続の要塞級と接敵まであと距離700。光線級を吐き出した後の個体でしょうか?』
 生憎、武の側からは確認出来なかったが、マリア側からは目視でそのBETAの巨大な体躯が見えたのだろう。先ほどのミレニアム1からの報告を鑑みれば、その可能性はあるが確証はない。
「市街地であれと戦うのは難しいな。光線級を排除してから、後退しながら様子を見るか。委員長、美琴、まだ耐えられそうか?」
『手持ちの弾が保つまでならね。補給なんてしてたら、あっという間に抜かれるわよ』
『補給車から有りっ丈の弾倉を引き出して、転がしておいたけど、多分、まだリロードしてる暇はないと思う』
 2人の応答に武はデータリンクで各機の装備状況をざっと確認する。個人差はあるが、総合して各小隊補給なしで最低でも45分は保たせてくれるだろうと、彼は情報から即座に判断した。
「早食いは得意だ。10分で片付けて後退する。それまで持ち堪えてくれ」
『了解!』
 武の言葉に二重で返ってくる了解の言葉。
 希望的観測でしかないと指摘されれば反論の余地はないが、敵の数と状況から算出した結果、10分あれば光線級を排除するに充分だ。反面、市街地では空間が狭いため、要塞級の相手をするのが難しい。幸運にも、要塞級の数はわずか3体であるので、新たな光線級を吐き出す前兆がないか窺いながら、他の要撃級の排除と後退を並行して行うことに決める。

 刹那、武は交差点に建つ廃ビルの陰から、先陣を切って街路へと躍り出た。最初から持ち上げられている砲口は、狙いをつけるまでもなく光線級を含む小型種の群れを捉えている。
 距離さえ取れば、レーザー属を除くBETAに脅威などない。この状況下でレーザー属を除くBETAに出来る反撃を示唆する行動など、射線を確保させるために道を開けることのみだった。
 だが、武は連中が行動に出るよりも早く引鉄を引く。
 機体がレーザー照射危険度の上昇を警告するアラームを鳴らすが、そんなことはお構いなしに36mmを掃射した。その掃射で、一斉に照射膜を武の方へと旋回させた光線級の前衛は、それを取り巻くすべてのBETA諸共、木端微塵に吹き飛ぶ。
 それでも、幾重にも折り重なった肉の壁に阻まれ、武の打撃では後方の光線級まで届かないのは明白。しかしながら、粉塵が晴れた時、既にそこには光線級はおろかほとんどの小型種の姿はなかった。

『成程。今のが中佐の“合図”ですか』

 街路の向こう。光線級がいた場所を中点に、ほぼ真反対の交差点跡で同じように陣形を組んで突撃砲を構える3機の不知火の姿が確認出来る。
 今の言葉はそのうちの1人であるマリアの言だ。非難の意味はない筈なのに、どこか咎めるような言い回しだったのは恐らく武の気のせいではあるまい。大方、武の示した“合図”が“誰よりも早く交差点に躍り出ること”と同義だったことを責めているのだろう。
「光線級がこっちに向かって旋回した分、そっちは撃ち易かっただろ? 同調タイミングの誤差も寧ろ丁度良い差だったし」
『文句は次の機会に纏めて言わせていただきます。次が来ますよ』
 まったく納得していない様子のマリアに武はため息を漏らし、軽く肩を竦ませてから視線の向きを変える。その瞬間、すぐ近くで建物が倒壊した。

 要塞級のお出ましだ。60mもの全高を有する連中には多少の障害物など関係ない。たとえ行く手を阻むものがあったとしても、大抵は下腹部の衝角一振りで粉砕してしまうだろう。
 その大きさと頑強さ、そして振り回しの加速による衝撃の強さは、恐ろしい破壊力を生む。要撃級の前腕による一撃も、突撃級の衝突による破壊力も圧倒するほどの、だ。
「距離を取れ! 遮蔽物も過信するな! 瓦礫ごと衝角に貫かれるなんて洒落にならないからな」
『了解!』
 にじり寄る要撃級に36mmを鱈腹浴びせ、武はそのまま後方に跳ぶ。先述したよう、この狭い空間で要塞級と戦うのは効率が悪い。広い場所まで誘き出せれば長刀の使いようもあるため容易だが、ここではそうもいかなかった。
 即時全力後退としないのは、あの要塞級が未だ光線級を残しているのか否か判断出来ないからだ。
 来る時の全力疾走とは相対し、後退は緩やかに進む。追いついてくる要撃級と戦車級を36mmで薙ぎ払いながら、要塞級への注意も忘れずに武とマリア、そして第4中隊(フリスト)B小隊はゆっくりと後方の千鶴や美琴たちとの合流を目指した。
『タケル! そのまま下がっていくと300m後ろに広場があるよ! 長刀も充分に使える!』
「了解! マリア! BETAを広場まで誘い込むぞ!」
『了解』
『こっちからも2機前進させて、アンブッシュさせるね』
 一向に光線級を吐き出す様子もなく、ゆっくりとされども大きく前進を続ける要塞級に、武たちは徐々に後退する速度を上げる。6機が目指す場所は、大きく開かれた広場だ。そこでは既に第9中隊(エルルーン)から分離した不知火2機が要塞級を始め、殺到するBETAを迎え撃つ構えを取っている。

 敵の内訳は、先行してきた対人小型種中心から対戦術機の大型種及び戦車級中心に変わっている。その状態では、BETAから見ても遠くの有人車輌より近くの有人戦術機だ。

「来るぞ! 全機、攻撃準備!」
 広場に転がり込むと同時にマウントから長刀を抜き、武は咆哮する。廃ビルを粉砕し、他のBETAを引き連れながら悠然と要塞級が広場に侵入してくるのは、その直後のこと。
 待ち構えていた2機の第9中隊(エルルーン)機はその手に持った支援突撃砲で侵攻する要撃級の頭部を次々と撃ち抜く。その頃合を見計らい、武に随伴してきた第4中隊(フリスト)機が再度前進を開始。36mmの嵐は我先にと不知火に群がろうとする戦車級の波を押し返す一時的な防波堤となった。
 その瞬間、武は自ら先陣を切って先頭の要塞級に突撃を仕掛ける。
『随伴支援は引き受けます。フリスト2、フリスト10、中佐の直援を!』
『了解!』
 マリアを殿に、2機の第4中隊(フリスト)機は並走して武に続く。菱形を取ったこの陣形を維持したまま、わずかに開いた隙間を抉じ開け、要塞級への強襲路を作り上げた。
 行軍は速く、強烈に。
 放たれる砲弾と斬撃が要塞級を捉えるまで、そう時間はかからない。




 攻撃の手を緩めることはしないながら、その実、鎧衣美琴は不知火弐型の戦闘挙動に舌を巻いていた。その基本性能は彼女の頭にも入っているが、やはり実際に動き、戦っているところを見ると圧倒される。
 眼前の要撃級を斬首し、次の瞬間には後ろから忍び寄ってきた別の要撃級の背後を取っている。穿ち、一時的に造り上げた空間がたとえ僅かなものでも、しなやかに、強かにそこを中心として最寄りの敵から的確に、確実に屠ってゆく。着地点を狙い澄まされようが、実際に要撃級が前腕を振り下ろすよりも速く攻撃行動に移り、至近距離から砲弾を浴びせかける。
 歴戦の衛士の直感を最大限に活かす戦闘性能。それが、XM3というOSを搭載した弐型の真髄。
 美琴の眼から見てもそれは圧巻であり、同時に操縦する白銀武とマリア・シス・シャルティーニという2人の衛士の練度を否応なく知らしめるものでもあった。
 教官職に着く以前から、武のそれは同期の美琴たちや並の正規兵を突き放していたが、今の彼は当時より更に視野が広い。
 自身よりも挙動制御技術で劣る、マリアも含めた他3人の位置情報を即座に把握し、その陣形を活かせるようBETAを翻弄しながら遊撃を行っていた。

 最後の要塞級が落ちる。

 僚機によって守られるマリアが、支援突撃砲によって要塞級の頭部……特に構造上、他よりも“柔い”、頭部に開いた穴付近を狙って36mmを放つ。
 必中に近い精度で要塞級を捉えるその砲弾の命中率は、美琴を驚かせるに充分なものだ。

「すごい…………」

 要塞級の体躯。要撃級の体躯。戦車級。それぞれ素早く、最も効率的にダメージを与えられるであろう部位を穿ってゆく。
 柏木晴子から話は聞いていたが、マリアの射撃技能は尋常ではない。狙撃というよりは早撃ちに見えなくもないが、どちらにせよその精度が圧倒的なのだ。
 要塞級の殲滅完了と同時に、武たちは遊撃行動を継続しながら徐々に後退を開始する。
 撤退中の高機動車は残り4台が橋の手前まで到達しており、ほぼ退避完了だ。既に直援につかせている第9中隊(エルルーン)C小隊と合流しているため、多少の敵に突破されても彼らが薙ぎ払う筈である。

 美琴は身を翻し、機体に取り付こうとする戦車級を躱す。前衛で武たちが惹き付けつつ迎撃し、尚且つBETAの上陸自体が止まっているため、敵の規模はほんの十数分前に比べて遥かに少ない。
 片手の突撃砲を掃射し、空中に赤い華を咲かせる。飛び散る体液は廃墟の壁を染め上げ、まるで猟奇殺人現場のような光景を演出していた。
『鎧衣! 敵の進行が左翼に偏っているわ!』
「左翼に!?」
 左側を守る千鶴の告げる言葉に、美琴は思わず声を上げる。彼女たちから見て向かって左側は即ち、島の西側だ。対し、高機動車を含めて彼らが後退する方角は東側だ。
 何かがおかしい。
 左側にBETAが偏っているということは、そちら側にBETAがより脅威と認識した存在がある可能性が高い。しかし実際、左側に展開しているのはB小隊を除く第4中隊(フリスト)のみ。あとは海に至るまで森林を中心とした演習地が続くだけである。
 それにも関わらず、何故BETAはそちらに侵攻するのか。
「タケル!」
『こっちからすれば好都合だ! そのまま全機接近する敵を倒しながら後退しろ! 離脱の準備に入れ!』
「『りょっ……了解!』」
 武へ報告しようと呼びかけた美琴だったが、既に彼の方でもそれは確認していたらしい。BETAが勝手に退路から離れていってくれるのならば、確かに美琴たちにとっては好都合だ。
 何せ、彼女たちの現在の目的はあくまで歩兵脱出までの時間稼ぎであって、敵の殲滅ではないのだから。

 しかし、彼らが明確に後退行動に移るよりも早く、BETAは新たな手を打ち出した。

『鎧衣大尉ッ!! 東部沿岸から戦車級の上陸を確認!! 90……110……140……!! 更に増加中!!』
「えっ………?」
 指揮下にあるC小隊の小隊長が叫ぶように告げる言葉に、美琴は一瞬言葉を失う。不覚にも美琴は、部下からもたらされた情報の内容を瞬時に理解出来なかったのだ。
 否。理解したくなかったという方がそれらしい。
 新たに戦車級が上陸を開始している東部沿岸は、現在、車輌が唯一確保している退路の橋にかなり近い。何の障害もなければ、最も近い美琴たちが向かったとしても、戦車級が高機動車に取り付く方が早いだろう。
 頼みの綱は、随伴させた指揮下の第9中隊(エルルーン)C小隊4機のみ。彼らがどれだけ効率的に時間を稼いでくれるかにかかっている。

 だが、物量差は絶望的だった。

「橋に取り付かせちゃダメだ! 車輌も、絶対死守!!」
『小隊では対処出来ません!』
『全機即時後退! 東岸の安全を確保する!』
 同時に、美琴も含め、第9中隊(エルルーン)C小隊を除くすべての機体が橋へ向かって疾駆する。36mmの掃射で押し寄せる戦車級を片っ端から駆逐しているが、殲滅に至るようなものではない。
 また、車輌に直接取り付かれずとも、橋に到達されれば状況は急激に悪化する。

 老朽化の進む橋に取り付いた戦車級を排除するのに36mmは使えない。部分的に破壊出来るならばそれもありだが、一気に崩落する可能性が払拭出来ない以上、不用意に傷つけるわけにはいかないのだ。
 そうなると、必然的にナイフを使わざるを得ないのだが、それは急激に戦闘効率を下げる装備換装である。排除効率が下がることで徐々にBETAに押し込まれ、更に効率は落ちる。
『失態だ……。敵前衛にかまけ過ぎた……!』
 武の呟きには自責の念が表れている。だが、もしこの上陸を予見出来るのなら、そもそも最初からここに到達される前に対処が取れていただろう。彼にすべての責任がある筈もなく、美琴とて彼のここまでの判断を非難するつもりは毛頭ない。

『敵の構成は戦車級のみ! ですが規模が………糞ッ! こいつら優先的に橋へ向かってやがる!!』
『高機動車の最後尾は!?』
『橋へ進入完了! しかしこの距離では―――――――』

 追い付かれる。明言されずとも、美琴にだってそれは理解出来た。戦車級の橋への侵入を許せば、あとは一直線の追走劇。車輌とて容易に逃げ切れる筈もなく、また戦術機からの支援も難しい。

 唯一の救いは、BETAが海から直接橋に取り付かなかったことくらいだ。

 総数200程度の戦車級を1個小隊で相手にするのはさして難しいことではない。機体にさえ取り付かれなければ、あれも脆弱な小型種に過ぎないのだ。
 だが、浸透突破を試みる軍勢を妨害するとなればまったく話は違う。
 攻勢作戦における一時的な敵殲滅を目的とするならば、一騎当千の兵は何よりも心強い存在だが、敵の侵攻を抑える防衛戦となれば、1人の天才衛士よりも100人の凡庸衛士の方が遥かに高い効果を挙げられる。
 その、何よりも必要な手数が、今は圧倒的に不足していた。
「橋の手前で防衛態勢! 急いで!」
『了解! C小隊、急げ!』
 言うが早いが、不知火の一団は駆け出す。だが、既に突破した数体の戦車級が橋の直前まで到達していた。
 美琴は構えた突撃砲のトリガーに指をかけるが、僅かに狙いが定まらない。自分の腕ではこの距離から即座に精密射撃で敵を撃ち抜くなどという芸当は出来ない。珠瀬壬姫か柏木晴子、あるいはマリアならばこの位置からそれを成し得るだろう。しかし、生憎と自分は彼女たちではないのだ。
「くっ……」
 覚悟を決める。1つ間違えば、橋の崩落にも繋がり得る狙撃だ。しかも、現在だって尚、橋の手前まで到達する個体は増えているのである。
 迷っている暇など、ほんの1秒もなかった。

 だが、その、ほんの1秒が経過するよりも早く、橋の向こう側から何かが戦車級の群れを蹴散らした。

『邪魔だッ!! どけぃ!!』

 撤退する高機動車の上空を通過し、現れたF-22Aはまず、最優先で橋に侵入しかけている戦車級を尽く36mmで薙ぎ払う。
『ナナセ! B、C小隊率いてそのまま突っ込め!!』
『レッドブラスター2、了解! 上陸する戦車級を叩きます! 続け!』
 橋の上で1度停止したF-22Aの衛士は、美琴の見知った人物だ。そしてそれに応え、7機のF-22Aを引き連れて先頭を来た機体の脇をすり抜け、上陸するF-22Aの搭乗士も、美琴は知っている。
「ジョージ!? リンちゃん!?」
『貴方たち……どうしてここに!?』
『侵攻中の大規模BETA群も残すはこいつらだけですから。最後まで傍観していたとあっては、合衆国陸軍兵士の名乗れです』
 千鶴とほぼ同時に、驚きの声を上げる美琴に副隊長を務めるリン・ナナセから軽口めいた返答が返ってくる。彼女のはそのまま跳躍し、両手に持ったライフルで蠢く戦車級に砲弾の雨を降らせながら敵中に着地する。
 ポジションによる装備の差はほとんどなく、ほぼ全機が持てるだけのライフルを装備する。それが米軍の主要装備。長期戦には向かない点もあるが、短時間の戦闘において圧倒的な制圧力を見せ付ける。
 BETAの勢いは最早小波。撃ち出される砲弾に次ぐ砲弾は、尚も凪へと導き続けていた。




「剛田……!?」
 突如現れ、こちらを援護するかのようにBETAに対して猛攻を仕掛けてゆくF-22Aの一団にも驚かされたが、何よりも武が驚愕したのは、その中隊を成すF-22Aの一団を率いていた人間が、“一方的な顔見知り”であったことだ。

 剛田城二。
 “白銀武”にとってほんのわずかな期間、クラスメイトであった隣の席の馬鹿。
 207B分隊の面々だっているのだから、同じように存在する可能性はあったが、まさかアメリカ合衆国軍の兵士であるとは、思いも寄らなかった。

『こちらはアメリカ合衆国陸軍 第522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ) レッドブラスター1 ジョージ・ゴウダ大尉だ! 貴様が指揮官か!?』

 怒号のように呼びかけながら、橋付近のBETAを掃討し終えた剛田城二は自身のA小隊を率いて西側から転進したBETA群に吶喊する。倒立反転で敵集団を飛び越え、着地してバックを取るよりも先にその両手に持ったライフルが火を吹いた。
 部下と挟撃し、瞬く間に4体の要撃級を屠った彼はそのままサイドステップで続く要撃級の前腕を躱し、素早く旋回しながら周囲のBETAを薙ぎ払う。
 再び跳躍。それとほぼ同時に、随伴してきた地上の部下が120mmと36mmの連射で敵陣に1つの空間を作り上げた。
 城二は空中から地上のBETAを攻撃しつつ、“反転噴射で即時、降下”。作られた空間に鮮やかに身を収め、両手・マウントに装備した総計4挺のライフルで360度、身を捻りながら掃射を加える。

『応えろ! 貴様が指揮官で間違いあるまい!?』
「っ!! そうだ! こちらは欧州国連軍 第27機甲連隊 連隊長 白銀武中佐だ!」
 先程よりも更に攻撃的な2度目の呼びかけに、武はようやく声高に応える。同時に、F-22Aを追う形で弐型を疾駆させた。進路に割り込む要撃級を長刀で捌き、戦車級を36mmで消し飛ばす。
 弐型の機動性で瞬く間にF-22Aに追い付き、敵中に突撃。すぐ後ろからマリアも同様に尽く敵を撃ち抜きながら侵入し、長刀を主装備とした不知火4機が更に続いた。
「レッドブラスター1! 1つ訊ねる! これはどういう状況だ!?」
『それは私からご説明します、白銀中佐』
 突撃砲が弾倉をリロードする隙を長刀の一閃と挙動で埋め、敵を惹き付けながら武は城二に問いかける。だが、彼よりも先にレッドブラスター2のコールナンバーを持つ副長らしき女が武の網膜に映り、そう答えた。
『副隊長のリン・ナナセ中尉です。現在、マレー半島を南下していたBETA群及び東海域を南下していたBETA群はほぼ掃討を完了。残る西海域に進路を取ったBETA群もほぼすべてがこの島に集中しており、我々はASEAN軍から要請を受けてこちらに展開しています』
『西海域の連合艦隊もこの島に向かって南下中だ。10分もあれば砲撃を開始するだろう』
 リン・ナナセと名乗った彼女の説明に続け、城二はそう告げる。再び広域データリンクから外れていたことで情報が不明瞭で、意外にも全体の推移がそこまで良好だったことに武は驚いた。
『大勢は決している。後退しても構わんぞ! 中佐殿!』
「冗談。この状況で、部下よりも先に後退出来るかよ」
 跳躍し、36mmと120mmの雨を降らせる城二の言葉に、長刀で瞬く間に2体の要撃級を斬り伏せる武は軽く悪態をつくように答える。その返答に、城二はふんと不満そうに鼻を鳴らした。
『レッドブラスターズ全機、俺に続け! 行くぞ! ナナセ!!』
『了解です!』
 美琴たちと共闘し、既に島の東岸を制圧した第522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ)のB、C小隊も城二に合流し、12機編隊でF-22Aは戦線を構築、前進を開始した。剛田城二は倒立反転で敵中に身を翻す。
 随伴するA小隊3機はそのまま通常の跳躍で城二に続き、反転して着地した彼の背中を守るように展開し、BETAを排除。対し、リンはC小隊の3機と共に城二と合わせて挟撃を敢行し、B小隊の4機は2機ずつに左右に展開して包囲殲滅に移る。

 やはり剛田城二の挙動は群を抜いている。
 ほんの少しの戦闘挙動を見ただけだが、既に“あの”F-22Aで倒立反転と反転噴射降下を難なくこなしているのだ。
 あの、“XM3を搭載していないF-22A”で、だ。

『フリスト1よりセイバー1。車輌が全台、橋を抜けたわ。向こうでは守備隊が防衛陣を敷いているから、もう安心でしょうね』
「了解。あとはこいつらを殲滅すれば良いってわけか」
 横についた不知火の衛士である千鶴の報告に、武はやや気のない返事を返す。攻撃の手を緩めることはないが、彼の意識は城二の戦闘挙動に傾いていた。
『驚いた?』
「……そりゃな。米軍衛士にあんな挙動……それもF-22Aでされると」
 その問いかけには、幾分か先程より意識の入った返答をする。同時に、千鶴と美琴が親しいと言っていた米軍部隊とは彼らのことか、と今更ながら武は確信した。
 F-22Aの機動性は確かに凄まじいが、XM3を搭載していない以上、城二が取るような戦闘挙動を行うにはそれ相応の練度を要する。F-22Aという戦術機の場合、更に相性の都合から機体への負荷を最小限に留める技術も必要となろう。
 F-22Aと聞いて思い出すのは、12・5事件の時に関わった米軍の大隊指揮官。ともすれば、彼は既に戦闘技能で“あの時の米軍少佐殿”を上回っているかもしれない。

 それでも尚、彼がF-22Aでその戦闘挙動を取っているということは、それを行うことに純然とした価値があるということに他ならない筈だ。
 ただ、あの挙動を取らせたいだけならば軍だって城二にXM3搭載機を預けておけば済む話である。
 彼個人と軍、双方がF-22Aという結論に落ち着いたのには、何か理由があるのだろう。

「さすがはF-22Aだな。やっぱ、化物戦術機だわ」
『そうね。それに、対BETA兵器としてそれを扱う、彼の実力もね』
「同感だ」
 悔しいが、と武は心の中で付け足す。見る限り、もし一対一という変則的な状況で戦ったとしても、彼が駆るF-22Aに撃墜されてしまうような不安など武にはほとんどないが、それでも、武が知る限りの衛士で剛田城二はF-22Aの扱いが飛び抜けて巧いように思える。

 武は軽くかぶりを振った。
 不知火とF-22Aの一騎打ちの光景など、出来ることならば想像したくない。いや、正しく言えば、あまり思い出したくない、といったところだろうか。

 こちらASEAN連合海軍 第6戦隊。
 只今より市街地跡に向け砲撃を開始する。戦闘行動中の戦術機甲部隊は一時、砲撃範囲から退避せよ。繰り返す。戦闘行動中の――――――――

 新たな情報を告げる通信士の声が、少し遠く聞こえる。
 それでも、白銀武の手はBETAを虐殺する行為を止めることはなかった。



[1152] Re[47]:Muv-Luv [another&after world] 第47話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:c9e9cfbb
Date: 2008/03/16 18:58


  第47話


『御協力、感謝致します、白銀中佐。そして、国連軍の皆さん。この場の警戒はASEAN軍部隊が引き継ぎますので、後はお任せください』
 瓦礫とBETAの死骸が散乱する大地に長刀を突き立て、作戦司令部の通信兵からかけられる言葉を聞きながら武は大きくため息をつく。
 防衛戦は何時だって厄介な戦いを強いられる。横浜基地の時も、北九州の時も、武は嫌というほど思い知らされてきた。物量で劣る以上、人類は常に何かを切り捨てる選択を余儀なくされるのである。
 今回とて犠牲がなかったわけではない。西海域のBETA殲滅の命を下された海兵隊 110中隊は、要塞級及び光線級の排除に当たり、全滅している。
 助けられた筈だとおこがましいことは思わないようにしているが、それでも武はもう少しやりようがあったのではないかと思うことだってあった。
『何時までそうしているつもりだ? 貴官にはグズグズしている暇はないだろう、白銀中佐』
 不意に目の前で停止するF-22Aの衛士がそう言った。網膜に映る“懐かしい”その顔は、相変わらず暑苦しさを纏っている。双眸は敵意まで行かずともわずかに怒気を孕んでおり、彼の荒っぽさを何倍にも引き立てていた。
「正論ふりかざしやがる。反論はしねぇけどな」
 地面から長刀を抜き、背部のブレードマウントに戻した武は苦笑気味に答える。正論にはそもそも反論の余地などない。振りかざせるのは精々が感情論程度だ。

『ゴウダ大尉? いつもいつも、いっつも私は言っていますよね? どうして初対面の方にそう高圧的なんですか!? 干されますよ!?』
 だが、武が続いてジョージに言葉を返すよりも早く、リン・ナナセが声を上げた。怒っているようだが、どこか親しみを感じさせるその言い回しは、2人の付き合いの長さを窺わせてくれる。

 ただし、リンはF-22Aの右手に持ったライフルで完全にジョージをロックオンしていたが。

『馬鹿野郎! ナナセ! ロックオンするな!!』
 身動ぎ、戦々恐々とした様子でジョージはリンに抗議を申し立てる。笑えば良いのか恐れ戦けば良いのか武にもよく分からなかったが、少なくともジョージの立場に自分がいたとすれば、彼も確実に抗議を申し立てる自信はあった。
『大尉は私の苦労を何も理解してませんね!? 理解していないですよね!?』
『分かったからロックオンするな!!』
 実はかなりご立腹なのか、リンはジョージを照準から外さない。傍目でなくとも恐ろしい光景だ。とりあえず武は、マリアにだけは同じことをさせまいと誓う。彼女の射撃技能の前では、万が一にも逃げ切れるわけがないからである。
「………つーか、ほんと不自然なくらい、仲良いな」
『ゴウダとナナセはハイスクール時代からの付き合いなんですって。軍では同期らしいけど』
 千鶴の言葉に、そういえば米国はまだ兵役義務などなかったか、と武は思い出す。年齢が違って、軍で同期ということはリンの方が年齢としては兵役に就くのが早かったということなのだろう。
 そもそも、2人のような若い指揮官は米軍では異色である筈だ。
「止めなくていいのか?」
『いつものことですから』
 未だ1歩も動かないまま、凄まじい緊張感を帯びている2人を指して武が問えば、答えるのはその場にいるほぼ全員だ。千鶴も美琴も含め、彼女の部下たちも、ジョージとリンの部下たちも、一様に口を揃えてそう答える。
 いつものことなのか、と武は相槌を打った。そんな恐ろしい「いつも」があってたまるかと内心では思っているが、それを口にしてしまうとジョージがあまりにも哀れなので決して口には出さない。
『とは言っても、これじゃ収拾つかないわね。ほら、ナナセ。それぐらいにして。“白銀中佐”も待ってるわよ』
『えっ!? あっ……! し……失礼しました! 白銀中佐』
 それでも見るに見兼ねたのか、千鶴が仲裁役として一言声をかける。武の名前を出し、尚且つきちんと「白銀中佐」と呼称したところを考えれば、完全にダシに使われたということだろう。上官である千鶴から、更に上官である武の名前を出されるというのはさすがに効果覿面のようで、リンもすぐに我に返った。
 どういうわけか、酷く狼狽してしどろもどろではあったが。
「……改めて、救援感謝する。剛田大尉、ナナセ中尉。それに、レッドブラスターズ衛士諸君」
 武は小さくため息をつく。だがそれでも、態度を正し、堅い口調で武が謝辞を述べると、2人を含めてF-22Aの衛士12名全員が武に対して敬礼を返した。言葉を向けられた武ですら冷や冷やするほど荒っぽい態度のジョージだが、意外にもその姿は決まっている。
 尤も、そうでもなければ中隊の将など務まらないし、任されないだろう。相手が一方的な顔見知りとあって、普段以上に上下関係に無頓着となった武から見て、意外だったに過ぎない。
『こちらこそ、駆けつけるのが遅くなって申し訳ありませんでした』
『いいのよ、ナナセ。こっちは来てもらっただけで嬉しいわ』
『そうそう。リンちゃんたちのお陰で助かったよ』
『ありがとうございます』
 敬礼を解き、謝罪のために頭を下げるリンに千鶴と美琴から感謝の言葉が返された。2人にそう言われ、リンの表情が綻ぶ。
「2人に同意だ。ここまでしてもらって文句を言うのは罰当たりだよ。話はちょっと聞いてる。自己紹介がこんな形で悪い」
 元より、彼らからすれば武たちの救援は要請された任務のついでみたいなものだ。共闘した方が効率は良いから助けた、と極論を言えなくもない。その状況で「もっと早く来い」などと悪態を零せる筈もなく、そのような考えだって浮かんではこない。
『あ……ありがとうございます、白銀中佐。でも、私たちも、中佐の御高名はよく伺ってますよ』
「そうなのか?」
 リンの応答に、武は何となくこそばゆいものを感じる。社交辞令と分かっていても、御高名などと表現されるのは妙な気分だった。だから、わざとらしく武は肩を竦ませながら訊ね返す。

『はい! 有名どころで言えば、訓練兵の頃から他を寄せ付けない傑物だった、とか』
「まあ……いろいろ諸事情があったしな」
『あと、奇想天外、奇妙奇天烈な挙動制御概念を持っていて、XM3の基礎概念を作り上げた天才、とか』
「奇天烈って誉めてんのか? あと、概念云々に関してはそっちの剛田も負けず劣らずだと思う」
『演習中にBETAが襲撃した際、その機動で敵を撹乱し、他部隊の実戦装備換装までの時間を稼いだ』
「半狂乱で暴れまくってただけさ。時間を稼げたのは、本当にただの結果論だよ」
『単身で数百のBETAの群れに斬り込み、陽動を成功させるだけではなく敵戦力を大きく損耗させ、生還した』
「最後は死にかけたところを隊長に助けられた。生還出来たのは俺だけの力じゃない」
『命知らずにも上官のプライベートを隠し撮り』
「………マテ」
『自室に如何わしいブロマイドを何枚も隠している』
「頼むから少し口を閉ざしてくれ、ナナセ中尉。そして、マテヤ、そこの2人」

 留まることを知らないリンの「御高名を伺った話」に武は頬を引き攣らせ、話をしたであろう原因2人に声をかける。件の2人は、不知火に搭乗したままだというのに、どことなくソロリソロリと忍び足で距離を取ろうとしているように見えた。
 ステルス性能を有するF-22Aならいざ知らず、不知火で逃げるなら最大戦闘速度の全力疾走以外はあり得ないにも関わらず。
「途中から話が宗像少佐の妄言臭くなってるのは何でだ?」
『……私じゃないわよ』
『ぼっ……僕も知らないよっ!』
 武の問いかけに千鶴は奇妙な間を置いて、美琴は変にどもって答える。どちらも激しく怪しいが、どういうわけか目が泳いでいないので嘘を言っていると断言するには早計過ぎた。だから武は、こめかみを手で押さえて、唸り声を上げる。
 しかしながら、武のことをリンたちに話せる人間は彼女たちしかいないのも事実だ。状況証拠は充分である。
『白銀中佐』
「あん?」
 不意にマリアに呼びかけられ、武はやや乱暴な口調で答える。「こんな時に何だ?」といった表情をするが、マリアは怯む様子もない。
『私は部外者ですので確かなことは言えませんが………』
「うん。で?」
『ナナセ中尉に中佐のことを教えられた人物がもう1人、いるかと思います』
 ややはっきりしないマリアの言葉に、武は顎に手を当てて宙を仰いだ。他にそんな人物がいただろうかと本気で考え込むが、ものの2秒でマリアが示唆しているであろう結論に辿り着き、目を見開く。

 そして、武は思い当たった人物の名を声高に叫ぶ。有りっ丈の恨みつらみも込めて。




「くしゅん」
 模擬刀を構え、相手と向かい合った状態で突如、彼女は愛らしくくしゃみをする。仮にも訓練中というこの状況。しかも、相手は止まった的ではなく同じ生きた人間だ。強い緊張感と高精度の精神集中が要されるこの場で、あろうことか柏木晴子は堪える体も見せず、くしゃみをしたのだった。
「風邪ですか? 柏木大尉」
 そんな晴子と向かい合い、模擬刀を構える風間祷子はそう訊ねてくる。互いの隙を探り合う言葉では表現し切れない緊張感はなくなっていたが、その辺りは流石、一騎当千の元A-01衛士。決して得意分野でないにも関わらず、祷子は模擬刀の切っ先を微塵も下ろしてはくれなかった。
「いやぁ……誰かが私の噂でもしてるんじゃないですかね~?」
 風邪をひいた記憶も、ひくようなことをした記憶もない晴子は、冗談っぽく笑いながら答える。そうは言ったものの、彼女だって恐らく何かの拍子に鼻がむずむずきてしまっただけだと考えているし、祷子が深刻に心配して訊ねてきたわけでもないということも理解していた。

 彼女たちはまだ、先刻、H17からマレー半島に向けてBETAの侵攻があったことも、その戦闘がつい今し方終息したことも知らなかった。

 極東方面 日本 国連軍横浜基地。
 地上施設の一角にある屋内訓練場の1つで模擬刀訓練を行っているのは、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の風間祷子の第3中隊(アルヴィト)と晴子の第10中隊(フレック)の2中隊だ。
 行っているのは何の変哲もない模擬刀訓練。衛士の訓練としてはおよそ一般的なものではないが、ここ近年、それでも彼女らの連隊は定期的にこの訓練に取り組んでいる。これは、連隊長たる速瀬水月が正式に斯衛軍の訓練見学に招かれて、そこで目にして即座に自分の隊にて採用したものだった。

 その理由を求められて、「戦術機の装備にも長刀があるから」などと答える者は三流だ。

 戦術機において長刀の扱い方を修得し、向上させたいのならば、生身で模擬刀を振るっているよりも実機に乗って長刀を振るっていた方が余程実になるというものである。
 これはどちらかと言えば気構えの問題。仮に戦術機の腕が長刀で斬り飛ばされても衛士に痛みはないが、直接模擬刀で打ち付けられればもんどりうって倒れるほどに痛い。ただ、それだけの差だ。
 痛みは恐怖へ直結する。大人だろうが赤ん坊だろうが、痛みは嫌うものだ。それは肉体を守ろうとする生理的反応である。
 ただし、その恐怖も高次元なものからより原始的なものまで様々存在する。

 例えば、銃。晴子は身体を実弾で撃ち抜かれたことなどなく、あれがどのくらい痛みを伴うのか、厳密には知らない。それでも危険だということは理解しているため、銃を突きつけられれば否応なく恐怖を感じるだろう。
 しかし、赤ん坊は根本的に拳銃の脅威を知らないため、恐れることは決してない。彼らが初めて恐怖を感じるのは、知識として習得したときか、実際にその痛みを味わった後のみだ。

 模擬刀訓練とは、その原始的な恐怖をより簡単に再現させることの出来る最も手近で最も安易な小道具だった。

 恐怖に打ち克つためにはまず恐怖を知れ、とは斯衛軍の誰の弁だったか、晴子も思い出せない。月詠真那か、それとも斉御司灯夜、九條侑香か、あるいは朝霧叶や紅蓮醍三郎といったそう多く接点のない人物かもしれない。
 ただ、何時だったか聞いたことのあるその言葉はよく覚えている。
 その気構えがどうやら水月の琴線に触れた御様子で、頻繁というほどではないが、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)にて取り入れられるようになった。

「それならいいのだけれど……あまり美冴さんと一緒になって騒いでは駄目よ? 休める時に休むことも多忙なあなたの選択肢なんだから」
 かぶりを振り、すっと再び模擬刀の切っ先を持ち上げる晴子に、祷子は忠告めいた助言を告げる。晴子からすれば、彼女だって例外に漏れず多忙な中隊長だ。しかし、その言葉にいたく説得力があるのは、祷子の人徳の成せる業か、あるいは晴子自身の自覚の問題か。
 ふと、晴子は頭にちょっとした悪戯心が芽生える。
「風間大尉、ひょっとして嫉妬ですか?」
「そう見えるかしら?」
「すみませんでした、見えません」
 向けた切っ先で祷子との距離と間合いを計りながら、晴子は軽い冗談を口にする。相対する祷子も同じように距離と隙を窺いながら、にっこりとした笑顔でそれに応じた。

 あの笑顔は拙い気がする。

 A-01時代から付き合いのある晴子には、直感的にそれが分かった。
 風間祷子は基本的に出来た人であり、総合的な能力を鑑みれば高スペックだ。人間性も極めて信頼出来、A-01の良心という誰かの言葉も納得出来る。
 しかし彼女とて人間だ。機嫌が良い時もあれば、逆に御機嫌斜めな時もある。また、時間の経過でその浮き沈みだって多少はあるだろう。
 それが表情から明確に読み取れないから祷子は怖く、結果として晴子たちは直感的にそれを覚えるようにするしかない。それでも、その不機嫌さを持続させないことと、何かあっても根に持たない点を見れば、やはり風間祷子は優秀な人間なのだと再認させられるのだが。

 表情を引き締め、晴子は意識を模擬刀の刀身に集中させる。生憎、彼女は弟と違って剣道の心得もない。だが、長らく戦場に立ってきたことで磨かれてきた晴子の感覚も一般人のそれとは比較にならないほど鋭くなっている。
 晴子からすれば、狙撃の感覚にも通ずると言えるだろうか。
 相手の一挙一動から次の行動を予測し、距離とタイミングを計って一撃を加える。あらゆる戦闘場面で攻撃の基礎となる概念だ。
 ジリッと摺り足で距離を測る。
 双眸は祷子の身体を捉え、その隙を探る。
 決して相手を正面から外すことはなく、露骨な隙は曝さない。
 その3つを同時にこなしながら、晴子は祷子と対峙する。尤も、それは向こうも同じであるから、何らかの手を打ち出さなければ状況は打開出来ないが。
 一撃必殺など普通はあり得ない。防御しつつ、攻撃に本命とフェイクを織り交ぜながらゆっくりと相手を追い詰めてゆくのが定石。必殺を繰り出せないのならば、限りなく必殺に近い一撃を繰り出せる状況を作り出すことが最善であった。

 行ける。

 悟られないように足の指に力を込め、次の瞬間にでもすぐさま踏み込めるよう準備を整えた晴子は、そう心の中で呟く。後は、タイミングと気の高まりが揃えば、いつでも彼女は祷子に斬りかかれる。

「風間大尉! 柏木大尉!」

 しかし、まるでその瞬間を見計らったかのように訓練場の中に1人の士官が駆け込んできた。国連軍士官の軍服に身を包み、少尉の階級章を持つ彼女は涼宮遙直下の通信小隊の1人である。
 かなり遠くから駆けてきたのか肩で息をしており、模擬刀訓練で組み合っていた両中隊の衛士24名は全員が手を止め、彼女へ視線を集めた。その当人は、ゆっくりと呼吸を整え、それから晴子と祷子に対して改めて敬礼を取る。
 それに応じ、2人も模擬刀を手離して敬礼を返した。どうやらただの報告ではなさそうであったし、何より割って入られたことでこれ以上訓練を続けられる雰囲気ではないためだ。
「何かありましたか?」
 祷子が彼女を促す。階級は同じだが、晴子よりも祷子の方が先任だ。このような場合、厳密に言えば明確な指示が下されなければ晴子はまだ口を挟めない。
「は。速瀬中佐より戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)各中隊長に命令です。至急、229ブリーフィングルームに集合せよ、と」
 その言葉に晴子は眉間に皺を寄せる。見れば、祷子も露骨な表情の変化こそないが、若干頬が強張っていた。
 何せ、現在マレーシアに飛んでいる榊千鶴と鎧衣美琴を除く戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の全中隊長が召集される事態はそう多くない。それでも、まだ緊急警報で総員が所定のブリーフィングルームに集合させられるよりは何倍もマシだろう。
 ただし、今後そちらに発展することも現状では否定出来ないわけだが。
「了解しました。すぐに向かいます」
「みんなはそのまま訓練続行だね。風間大尉と私は行くから、あとのことは任せるよ」
 了解の旨を祷子に任せ、晴子はすぐに部下たちに向き直って指示を出す。部下に関して何の言及もない以上、待機という判断を晴子個人が決めることは出来なかった。それを考えれば、事態が“即時総員業務放棄”という方向に転がる可能性はまだ低いということかもしれない。

 敬礼と「はい」という言葉で了解の旨を答える部下たちに頷き返し、晴子は祷子と共に229ブリーフィングルームに向かうため、訓練場を後にした。




 香月夕呼は不機嫌だった。
 別に、明日が自分にとって年に1回巡ってくる、齢を重ねる記念日だからという理由ではない。
「現在、BETAの侵攻が確認されている地域は表示の通りです。北、南、東、西、すべての地域にてほぼ同時刻にBETAの侵攻を確認しました」
 デスクに向かう夕呼と向かい合う形で立つイリーナ・ピアティフの言葉と共に、表示された世界地図にBETAの侵攻経路が浮かび上がる。驚異的なのは、それがユーラシア大陸全域で発生していることだ。
 日本本土へ上陸される心配はもう解消されたが、この異常事態に際し、基地の兵員は責任者レベルで現在、ブリーフィングを行っている。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長たちも、今はブリーフィングルームで速瀬水月と涼宮遙の2人から説明を受けているところだろう。
「極東方面、欧州方面、アフリカでの戦闘は既に終息。今し方、マレー半島における戦闘も終息したと報告がありました。アラスカ方面ではまだ戦闘が続いていますが、敵の規模を鑑みれば1時間以内には同様の報告が来るでしょう」
 ピアティフの言葉に夕呼は唇を噛む。BETA侵攻の報が一斉に舞い込んできたのはつい先刻のこと。北はH25からアラスカ方面へ、東はH18から極東方面へ、西はH05から欧州方面へ、そして南はH17とH02からマレーシア・インドネシア地方とアフリカ大陸方面へBETA群の侵攻が“同時”に発生した。
「BETAの侵攻は何れも規模が大きいながら緩慢としており、各方面の被害は非常に小さなものに留まっているようです」
 そんなことは分かっている、と夕呼は思ったが、ピアティフの律儀な報告にいちいち口を挟んだりはしない。何故なら、秘書官たる彼女の報告は事実を述べているだけであり、何か個人的な考察が含まれているわけではないからだ。
 それに夕呼が口を出したところで、覆るものなど有りはしないのである。
「規模自体は大きかったのに、被害は予想以上に少なかったということね」
「はい」
 面白くない。夕呼は直感的にそう思う。文面通りに受け取れば、寧ろ、諸手を挙げて喜ぶところなのだが、何かがおかしいのだ。
 桜花作戦以後、XM3の普及によって主立って衛士の死傷率が大きく下がったが、それだってBETAの物量に対する根本的な策とは言えない。攻勢にも防衛にも属さない間引き作戦や、小規模BETA群との交戦を除けば、やはりBETAの侵攻を妨げるとなると大きな被害が予測されて然るべき。

 連中の、物量に物を言わせた集団突撃戦術はその実、最も厄介な攻撃なのだから。

「白銀たちは?」
「帝国陸軍訓練兵小隊の演習地にて接敵。援軍到着までの時間を稼ぎ、被害を出すことなくこれを殲滅しています」
「やるじゃない。いきなり弐型での実戦でミスでもしているかと思ったけれど」
 夕呼らしい冗談にピアティフは苦笑を浮かべる。BETAとの実戦におけるミスは致命的だ。彼の立場ともなれば、自身の死のみならず部隊の全滅に直結する可能性だってさほど低くない。
 だからこそ、夕呼からすれば“冗談”なのだが。
「あなたはどう思う? ピアティフ」
「映像資料を確認するまで何とも言えませんが、少しBETAが分散し過ぎているような気がします」
「でしょうね。私も同意見だわ」
 ピアティフの言に夕呼も1つ、頷く。少なくとも、人類にとってはあの物量で一点突破を試みられることが何よりも厄介なのである。圧倒的に個体性能で勝る戦術機にとっては、分散し、小規模群に分かれたBETAを虱潰しにしてゆく方が幾分か楽であった。
 無論、攻勢か防衛か、等の作戦目的や戦闘状況によっても大いに変動するのだが。
「近年における前例は……あるわけないわね。BETAが広域に分散するという前例は?」
「桜花作戦以降の防衛戦は小規模戦闘に留まっていることがほとんどです。大戦初期の侵攻と比較すれば微々たるものですが、今回のものはやや大きな規模と分類することが出来るでしょう」
「ふぅん……」
 訊ねておきながら、ピアティフの返答に夕呼はやや気のない返事を返した。彼女からすれば、もう考え事に入っていたために返事がおざなりになってしまっただけであり、決して関心がないわけではない。

 近年は小規模戦闘ばかり。
 聞こえは良いが、よくよく考えればおかしい。集団として1つのプログラムであるBETAが小規模の群れで独立行動することなど普通は有り得ない。
 本隊から分離し、戦場で別働をすることはあっても、“ハイヴから少数のBETAが別働を行う”ということは桜花作戦以前まで1度もなかった事象だ。
 これまではあ号標的という上位存在を喪失したBETAが集団としての機能を失いつつあるのではないかと推測していたが、ハイヴ攻略のデータと今回の超広範囲侵攻の情報を見せられると、かなりその仮説の信頼性は怪しくなってくる。
 そうなると、小規模BETA群の行動はBETA全体の行動規範として成立していることになるのだが、そこには明確な目的が必要だ。それも、新たなハイヴ建造という領土拡大の目的ではない、別のものである。

 小規模BETA群を侵攻させる目的とは何か。

 全滅覚悟の特攻目的。却下だ。圧倒的物量を誇るBETAには無意味で無縁の目的である。
 人類への挑発。馬鹿らしい。人類とBETA、互いの互いへの認識を鑑みれば、どれだけ不毛な行為か語るまでもない。
 人類戦力に対する撹乱目的。保留。通常は本命である部隊がいなければ意味を成さないが、長期戦を見据えていれば話は別であり、現状では判断しかねる。
 人類戦力に対する情報収集。考えたくはないが、現状、最も有力な可能性である。

 ため息をつきたくなる自分を抑え、夕呼は痛む頭をさする。本当に考えたくはないが、自身が最も危惧していた可能性がにわかに現実味を帯びてきたことを、夕呼は嘆く。

 不意に、執務室の電話が鳴る。基地の外からだ。基地の通信士も中継せずにダイレクトに外からかかってくる電話に、夕呼は露骨に頬を引きつらせた。
 外線でダイレクトなどという冗談みたいな真似を平気でする人間は、夕呼の知り合いの中でも実に数が少ない。
「………もしもし?」
『これは香月博士。せっかくのお美しい顔が台無しですよ』
「電話だってことをお分かりでしょうか?」
『これは失敬。しかし口振りから、露骨に不機嫌そうだと感じたもので、他意などはございません』
 電話に出た途端に繰り出される先制攻撃に、夕呼の頭痛は更に酷くなる。飄々とした口調の通話相手は、そんな彼女の体調などお構いなしのようだ。
「何の御用でしょうか? 生憎、それほど時間がないものですから」
『実は私、先日、東海岸の方に滞在しましてね。あそこは良いところです。内陸に比べて軍備が物々しいのは玉に瑕でしたが』
「………で?」
 話をまったく聞いていないのか、訊ねてもいないことをペラペラと話し出す電話先の男。残念ながら、夕呼にとってそれはまったく無関係な話であったが、そこから“派生するであろう話題”には決して無関心でいられる筈もなかった。
『空が騒がしいのですよ。最早、後の祭りではありますがね』

 空……宇宙のことだろうか。後の祭りということは、騒がしかった、という表現に当たると考えられる。
 某国東海岸と言えば、某航空宇宙局のホームがある方面だ。脈絡としてはなくもない。

 雲を掴むような話し方をする相手の言葉に、夕呼はすぐさま思考を走らせた。
『軌道爆撃実験。どうやら、実に面白い結果が出たようです』
「何ですって!?」
 何の前触れもなく、いきなり、そしてようやく出てきた重要な単語に夕呼は思わず声を上げる。そもそも、軌道爆撃実験という話自体、初耳だった。
『外円ではなく内陸の。まだ分析段階ではあるようですが、3年前の作戦のデータと照らし合わせると、なかなかに興味深い結果のようですな』
「そのデータ、是非拝見したいものですわね」
『実験を提唱したのは中立派の者ですから、香月博士が望まれれば手に入るでしょう。あちらで解析が済んでから、という条件が付くでしょうが』
「出来ればもっと早い方が嬉しいわね」
『さて、それを私に言われましても困ります。それはそうと、西海岸の土産物があるのですが、香月博士も1つ、如何かな?』
 確かに、交渉の話を電話相手に言ったところで仕方のないことだ。彼は何時も話が回りくどくて参る。反面、それだけの価値があるのだから更に夕呼は参るのだが。
「結構……と言いたいところだけど、貰えるのならば頂戴しておくわ。到着にはどれくらいかかるのかしら? 長くなるのなら、生モノは止めて頂戴」
『ははっ。これは手厳しい。“生モノ”ではありますが、常温で保存出来ますので御安心を。明後日までには届けさせましょう』
「明後日……ね」
 男の言葉に夕呼はカレンダーを確認しながら呟く。ふと、「まさか誕生日祝いのつもりだろうか」と余計なことを考えてしまったが、彼女はすぐに忘れることにする。
 桜花作戦以降、彼は何度かこうやって夕呼に情報を告げてくる。死んでいる筈はないと思っていたが、こうも大胆不敵に行動されると流石の夕呼も呆れるしかない。政府や軍を敵に回して、いったいどこに身を潜めているのかは夕呼も知らないが、大方、“五摂家でも味方につけている”のだろうと、勝手に彼女は解釈していた。

 受話器を置き、夕呼は1つ、ため息にも似た息を吐く。直接姿を見せなくなったとはいえ、あの男は相変わらずだ。趣味や興味で首が飛びかねないところまで躊躇なく踏み込んでゆく男は彼くらいなものだろう。
 それとも、あの男にはあの男なりの葛藤があるのだろうか。
 ただ、あったとしても彼はそれを表面には出すまい。人類とためという大義名分で、自身唯一の肉親となった一人娘をA-01部隊にまで差し出す男だ。逐一、顔に出していては命が保たない。

「香月副指令」
 さして実になるわけでもないことを夕呼が考えていると、控えていたピアティフが呼びかける。他の報告があるのかと夕呼が問い返すよりも早く、彼女は1つのデータを差し出した。

 思わず、ハッとする。

「桜花作戦以降における、BETAが広域に分散して侵攻を行ったという唯一の前例です」
 何故、自分はここまで動揺しているのだろう。ピアティフの言葉がやや遠く聞こえた夕呼は、自分の記憶力の悪さに悪態の1つでもつきたくなる。
 よく考えれば、気付かない方がおかしかった。
 ただ、あの時は事後処理でごたごたとしており、また今回までのスパンが長過ぎ、直結させるのに時間を要しただけだ。あくまで、彼女から見た「スパン」ではあるが。

 2002年 1月17日 北九州沿岸及び有明海沿岸全域へのBETA侵攻。

 何のことはない。
 桜花作戦から3週間も待たずして、BETA大戦は新たな局面を迎えていたのである。



[1152] Re[48]:Muv-Luv [another&after world] 第48話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:014d7f3e
Date: 2007/10/13 17:45


  第48話


「……結局、演習にはならなかったな」
 戦闘終息から24時間後。クアラルンプールまで帰投した武は千鶴にそう言った。既にお互い、衛士強化装備ではなく国連軍の軍服姿だ。ただし、暑さのために2人とも上着は着用していない。
 歩いているのは施設敷地内の駐車場。ついさっきまでASEAN軍基地で戦闘に関する状況説明を行っていた2人は、ようやく今し方、帝国軍施設に帰投したのである。
「でも、貴方の目的には達したんじゃない?」
「トラウマにならなきゃいいんだけどな」
 やや辛辣な意見の千鶴に、武は小さく肩を竦ませる。
 心的外傷後ストレス障害。一般にPTSDという名で知られるストレス障害の一種が、戦闘後の兵士にとっては一番怖い。殊更、BETAとの戦闘で強烈な体験をしたことのある兵士の多くが追体験による苦痛を多く訴えている。
 症状が重度の場合、兵士は退役を余儀なくされることも珍しくないほどの疾患。フラッシュバックによる恐怖でパニックに陥るため、戦闘に参加することはおろか日常生活を送ることすら困難になる。
 元より歴史的に深刻な疾患として扱われてきたが、BETA大戦においては一際深刻性を増した。
 仲間を目の前で殺されるのみならず、“喰われる”ということも起こり得るBETAとの戦争において、記憶に焼きつくほど強烈な経験は戦場のどこにでも転がっているのだから。

 今回の場合は、どちらかと言えば戦闘ストレス反応の方が可能性は高いかもしれないが。

「大丈夫だと思うわよ。あくまで私の印象だけれどね」
「信用しとく」
 千鶴の言葉自体、明確な根拠はないのだろうが、少なくとも武が判断を下すよりは信憑性があるだろう。率いる部隊の規模は武の方が上だが、前線で正規兵の部下を見てきた期間は彼女の方が長い。
 無論、武だって教官時代から部下の精神的ケアの手法は学んできたが、これらは大部分が良質な経験に依存するものだ。その点が、武よりも千鶴の方がほんの少しだけ優れているだけの話である。
「でも、再演習になるのかしら? 今回の場合」
「分かんね。一応、向こうの担当教官には考慮してやって欲しいって伝えといたけど、判断するのは向こうだから」
 軽く腕を組み、中止となった評価演習は日を改めて行われるのかどうか疑問を持ち、首を傾げる千鶴に武は率直な意見を答えた。
 任官するどころか、訓練兵として戦術機に搭乗するより早くこのような経験をしてしまった彼らだ。元々、試験自体はおまけ程度で設定していた武からすれば、もう再演習を行う必要性はないのだが、形式上、それが許容されるかどうかはかなり微妙な線である。
「斉御司少佐からのご依頼なんでしょ? 一声、ご提言いただけないか聞いてみれば?」
「そこまでしてやると訓練兵が付け上がる。特別待遇だと取られたら半分は腐るから」
 武の返答に千鶴は成程と言うように相槌を打った。流石に武から考慮してくれとは言えても、演習すら行っていないのに合格のゴーサインは出せない。
 今回の経験をした以上、まさか実戦に甘い考えは持ち込まないだろうが、それでも「特別扱いをされた」と認識させるのは非常に危険である。もしそれで、他の同年代軍人に横柄な態度を取るようになったとすれば最早、目も当てられない。
 また逆に、当人たちがそう思わなくとも周りがそう感じてしまえば、同じく目も当てられない結果になろう。
「となると、確かに向こうの教官に軽く提言しておくくらいしか出来ないわね」
「そういうこと。俺としては今回をバネに、次に繋げて貰いたいよ」
「同感ね」
 普段は口を結んでいることが多い千鶴が、ふふっと笑って同意を示す。武を除く彼女たち207B分隊組は総合戦闘技術評価演習において1度、下手を打っていた。このような特殊な要因によってではなかったが、それでも彼女たちは「次に賭ける」という点では同じだったのだ。

 尤も、少々穿った見方をすれば、彼女たちはお互いの意見の噛み合わなさを理由に、腐りかけていた節があったが。

「しっかし……剛田とナナセ……だっけな。あの若さで中隊長。それもF-22Aまで預けられているなんてのは、実物見ない限りただの冗談だと思うぞ」
 武は悪態のように、そう呟く。同い年で大尉階級にあるという点ならば千鶴たちだって同じであり、武などそれを更に飛び越えている。だが、彼らはまだ兵役義務も敷かれていない米国の人間なのだ。
 優秀なのは分かったが、それにしても厚遇過ぎる。
「ナナセはハイスクールで1年分飛び級しているから、15歳から士官学校入りね。だから、1歳年上のゴウダとは同期兵ってこと」
「………米陸軍の士官学校って何年制だ?」
「衛士科の場合、あの2人の頃は2年。だから任官はナナセなら17歳の時」
 その返答に、呆れたと武は心の中だけでため息をつく。どうやらジョージとリンの2人は、軍歴で見れば武や千鶴たちと何も変わらないらしい。武が訓練校に入ったのが18歳になってからだったことを考えれば、寧ろ彼らの方が長いと表現するべきか。
 ただ、同時に武は米軍も桜花作戦において多数の衛士を失っていることを思い出し、改めて衛士という兵科の回りの速さを思い知らされた。
「ナナセは歳の離れたお兄さんが国連軍で衛士をやってるの。そのお兄さんに影響されて、軍入りしたって、本人は言ってるわ」
「だったら国連軍に入隊でも良かったんじゃないか?」
 兄弟に影響されて、というのは言うほど珍しい話ではない。その間柄が親しければ親しいほど、顕著だ。実際、柏木章好辺りは姉の影響もあって帝国軍ではなく国連軍に入隊してきたのだから。
「だから、それは本人の言。まあ、軍属になるきっかけは確かにお兄さんだったとは思うけど、それが米軍だったのはまた違った理由だと思う」
 「うん?」と武は顎に手を当ててしばし首を傾げる。つまり、リンには兄のいる国連軍よりも米軍を選ぶ要因があったということになるのだろう。しかも、千鶴の口振りから察するに武はもう充分にその判断材料を持っているか、あるいは極めて言い難い話題であるように思えた。
「………剛田か?」
「たぶんね。彼は彼でハイスクールを卒業する前から米軍に入隊する気はあったって、前に言っていたから」
「へぇ………」
 相槌を打ちつつも、武はその言葉が意味することを賢明に考える。最有力候補は最初に頭の中に浮かんだのだが、武は気に入らなくて即刻、破棄したい気分だった。
「………何か、促してやったりとかしないのか? 委員長は」
 「妙なところでお節介だから」と思っていたが、付け足すと自分が痛い目を見るだけだと思ったので武は言葉をそこで止める。
 古い付き合いで腐れ縁とも呼べる間柄は、殊更、そういった機微に鈍い割に弱い。当人次第ではあるが、少し押すだけで坂を転がり落ちることだって決して少なくない。武もその実、実体験者だ。
 ただし、まだ2人がそうだとは決まっていないのだが。
「どうして?」
「いや、どうしてと訊かれてもな」
 心底不思議そうな顔をする千鶴に武は引き攣った笑みを返した。武個人としても、リンが誰を想おうが、ジョージが誰とくっ付こうが激しく無関係なのだが、彼が“武たちの某同期兵”とついうっかり知り合い、ついうっかり“一目惚れ”などをして、ついうっかり三角関係になど発展されようものなら精神衛生上、非常に宜しくない。
「こんなの、他人が干渉しても余計にややこしくなるだけよ」
「あ……うん、ソウダネ」
 千鶴の弁に反射的に頷く武。干渉しなくとも余計にややこしくなる可能性が示唆出来る以上、正直な話、武にはどうしようもない。今日ほど、「なるようになるしかない」という言葉を実感したことはなかった。

「………ああ、そういえば、そのナナセのお兄さんだけどね、貴方に似ているみたいよ」

「…………は?」
 思い出したように言った千鶴の言葉に、武はポカンと呆けて足を止める。彼女から話を振ってきた割には、かなり他人事のような口調だった。
「貴方の写真見せたら、ナナセは「似てる」って言ってたわよ? 代わりに向こうの写真も見せてもらったけれど、確かに顔立ちは近いものがあったわね」
 軽く肩を竦ませて、千鶴は言葉を続ける。
 やはりどこか他人事の言い方。まるで、千鶴本人は強くそう感じていないのに、周りが「似ている」と口を揃えるから止む無くそれに合わせているようにも思えた。
 尤も、それ以前に何故自分の写真を持っているのかと武は強く疑問を持ったのだが。
「だから、貴方もナナセとは仲良くしてあげてよ?」
「今日、俺たち日本に帰るんですけど………」
「貴方ね……社交辞令っぽくても良いから、頷きなさいよ」
「サーイエッサー!」
 反論を封殺された武が一転し、声高に了解の意を示すと、千鶴は呆れたようにため息をつく。同期兵とはいえ、階級が上の武に冗談でもそんな反応を取られては、ため息もつきたくなるだろう。

「タケルぅ! 千鶴さーん!」

 航空機の準備された滑走路に入ると、既にそこで待っていた鎧衣美琴が2人の名前を呼びながら大きく手を振っている。どこまでも隊長格らしくない立ち振る舞いだが、彼女の隣に立つマリア・シス・シャルティーニが静観しているようなので武も気にしない。
 規律についてマリアが口を出さないのに、どうして武が口を出せようか。
「おかえり!」
「お疲れ様です、白銀中佐、榊大尉」
 そのままの足取りで2人に歩み寄れば、両者から労いの気持ちが込められた言葉をかけられる。武は手を掲げて2人に応えた。
「そっちもお疲れ。準備は?」
「済んでいますよ。あとは我々が乗艦するだけです」
「もう疲労困憊で寝ちゃってる人もいるけどね」
 マリアは敬礼を解き、武の問いかけに柔らかく答える。嘘か実かはその言葉からだけでは判断出来ないが、たとえ美琴が言うように彼女の部下たちが眠りに落ちていたとしても、そっとしておいてやろうと、武は決める。
 誰も犠牲にならなかったから良かったものの、アラスカから帰ってきて数日の後に赤道直下での戦闘に巻き込まれたのだから、せめて横浜までの道中くらい自由にゆっくりさせてやろうという、親心に近い気遣いだ。
「ASEAN側からは何か言ってきましたか?」
「別に何にも。戦地と変わらず感謝はされたけどな。ああ、それと新情報」
 返されるマリアの問いに武は小さく肩を揺らして答える。ただし、最後に付け足した「新情報」という単語にマリアと美琴の表情がやや変化した。

「俺たちがBETAと戦ってたのと同じ時間に、世界中の前線でもBETAと戦闘が起こっていたらしい」

 さらりと、武はつい先刻、ASEANに属する将校から聞いた話をほぼそのまま述べる。世界中とは実に大袈裟な話だが、そこには一切誇張も虚偽もない。

 BETAは本当に、“世界中の前線を一斉に押し上げ始めた”らしいのだ。

「各地の被害は?」
「どこも想定の範囲内で済んでいるようです。というか……BETAの規模と比較して人類の被害は極めて少ないと聞いています」
 武が落ち着いていることから、結果として防衛線を突破された地域はないと理解したのかマリアは戦果よりも被害状況を問いかけてくる。流石だなと感心する武よりも早く、それには千鶴が答えた。
 BETAによって戦線は広く圧迫され、どの地域も戦闘自体は派手だったようだが、各個撃破出来る程度でしかなかったために個体性能で圧倒的に勝る戦術機の一団が被害を最小限に留めて蹴散らした、というのが簡単な概要。
 アラスカ方面での戦闘は比較的長引いていたということだが、これは結果的にBETA群がベーリング海峡に集中し、BETAの侵攻自体に時間がかかったからであり、人類がこれといって苦戦を強いられたわけではない。
「うちの方はどうだったのでしょうか……」
「国際回線借りて第2師団本部に連絡取った。欧州方面の接敵は1325にベルリンが最初だ。ミンスクから西進したBETA群と前線守備隊が交戦を開始。あとはなし崩し的に防衛線全体に接触され、戦術機甲部隊が足止めしながら面制圧で一掃……が概要だと。第2師団からも前線には部隊が回されてたらしいけど、さしたる被害はなかったらしい」
 続けて武はそう告げる。直接レナ・ケース・ヴィンセントから聞いたわけではないが、彼女付きの秘書官が対応してくれたので情報に誤りはないだろう。
 イギリスの都市部にまで戦火が広まらなかったのは不幸中の幸いだ。
 プレストンの第27機甲連隊ホームにも警戒態勢が敷かれたらしいが、恐らく総員は緩く待機を継続していたに違いない。
「どうなんだろ? 実際のところ」
「何が?」
「BETAの動向だよ。いくら何でもおかしくない? そんなの」
 美琴の言葉に反論出来るほどの材料は生憎武も持っていない。ものの1時間の間に防衛線に近い各地ハイヴからBETAが一斉に侵攻を開始したのだ。それを「おかしい」と言わずして何と言うのか、武が寧ろ訊きたいくらいだった。
「さぁな。もしかしたら、ハイヴが同時に2個も落とされて、BETAも本腰を入れたんじゃないのか?」
「タケルぅ……それ、冗談になってないよ?」

 非難がましく言い返す美琴に、武はまた肩を竦める。
 その実、武も洒落として言っているわけではなかった。寧ろ、半分以上はかなり本気である。
 この3年間、散漫な小規模侵攻しか行ってこなかったBETAが異なる行動を取ったということは、その行動規範に何らかの変化がもたらされたということだろう。
 BETAに上下関係は存在しない。ハイヴがオリジナルハイヴを頂点に横並びであるよう、BETAは上位存在を唯一のトップとする1つの集団であって個体ではない。即ち、集団に対して影響を及ぼせるのは上位存在たる「あ号標的」のみである。

 そう。桜花作戦によって破壊された筈の「あ号標的」しかないのだ。

 この手で、荷電粒子砲の引鉄を引いたからこそ考えたくはない。
 “あれ”がまだ、存在している可能性など。

「白銀中佐」
 考えたくはないが、決して否定し切れない可能性を危惧する武を引き戻したのは、マリアでなければ千鶴でも美琴でもなかった。視線を向ければ、老年の男性が足早に近付いてくるところだ。
 師岡政孝その人である。
 師岡が足を止めたと同時に、武たちは一斉に敬礼。それに続いて師岡も敬礼を行うが、急ぎの用事でもあるのかそれも早々に解く。
「どうしました? 師岡少佐」
 この施設の責任者を任される師岡がわざわざ見送りにきてくれたので、武は代表してそう訊ねる。重大な何かとまで行かずとも師岡の表情が、何か言いたそうなものだと武は思ったからだ。
「御聞きしたいことが、1つございます」
「……何でしょう?」
 一呼吸間を置き、師岡が言った言葉に武は続きを促す。何を訊ねられるのかは分からないが、表情から軽い世間話ではないことだけは武にも分かったので頬を強張らせる。

「皆さんは、ご自身を臆病だと思いますか?」

 だから、紡がれたとても抽象的な問いかけに、武も思わず声を詰まらせる。
 答えられなくはない。しかし、それは信頼性などほとんどないような主観的な回答しか出来ない。自分は臆病だと認めることは恐ろしく、同時に甘美だ。また、それを否定することも憧れであるが、同時に確実な虚偽。

 この世に臆病でない人間などいる筈もなく、人はそれを認めたくないからこそ蛮行に及ぶのだから。

 だから、そこに確かな答えなどない。

「主観的な答えで良いというのなら、俺はきっと臆病者でしょうね」
 武は1度目を閉じて思考を整理してから、大きく息を吐くように言葉を紡ぎ始める。他の3人は武へすべてを委ねるつもりなのか、一言も口を挟まずに成り行きを見守っていた。
「…………何故、そう思われるのです?」
 武の回答は予想通りだったのか、それとも予想外だったのか、師岡は無表情のまま再び間を置いて理由を問いかける。初めて会った時は温和な表情を維持する人だという印象だったが、この厳しさを帯びる皺の寄った顔を見せられては武もその第一印象を覆せざるを得なかった。
「そう思っていた方が、兵士として強くいられるからです」
「強くいられる?」
「ええ。臆病な人間は慎重ですから生き残ることに聡く、必死です。それくらいの方が、軍人としては優れてると思いますよ」

 そして、1秒でも長く生き続け、1人でも多くの仲間を救えたらと武は願う。だから、自分は臆病であるくらいが丁度良いのだと。
 そして、本当にどうしようもないその時が訪れたならば、臆病者なりの死に様を見せてやろうと……。

 武の表情から言葉に秘められた意図を汲み取ったのか、まるで安堵したように師岡が息を吐く。その反応に、何か彼に心配されるようなことをしただろうかと武は内心首を捻った。その折に少し前に煌武院悠陽から「儚い」と言われたことを思い出したのだが。
「中佐に対しては無礼な心配でしたな。ですが、杞憂で終わって何よりです」
「心配とは何ですか?」
「勇猛なのは理解しているのですが、今回の戦い振りを伺っていると……いえ、何でもありません」
 杞憂と判断したからだろうか。師岡はかぶりを振って言葉を止める。
 だが、武に理解させるには充分過ぎる言葉だ。確かに、武は連隊の将としては過ぎるほどに先頭に立って戦うきらいがある。彼の撃墜は指揮系統に多大な悪影響を及ぼすと理解していながら、先陣を切って敵中に吶喊してゆくのが武のスタイルだ。

 恐らく、それを勇敢と驕り、自身の力を過信しているのではないかと師岡は危惧していたのだろう。前線を退いたとはいえ、歴戦の烈士である師岡の眼は厳しく、鋭いのだ。
 殊更、武たちのような若過ぎる指揮官を前にしては。

「汝、常に臆病者と自負し給え」
「え?」
「教導隊にいた頃、上官に教えられ、そして部下によく語ってやった言葉です。臆病者と自負している人間が一番、冷静に状況を客観的に見ることが出来ると私は思うのですよ」
「ああ、なるほど」
 武は先の言葉が示す意味を理解して、相槌を打つ。
 蛮勇な者は頭に血を上らせ、周りが何も見えなくなる。
 自身を臆病だと認めない者は、己の理想と現実の差異に押し潰され、周りを見ようとしなくなる。
 きっと、そうやって認めてしまうことも「己を知ること」になるのだろう。己の力量すら理解出来ない者には、安定した成果などあり得ない。兵法の中でそれを語ったのは確か孫子だったかと、武は自分がまだ新任少尉であった頃のことを思い出した。
「中佐は……本当に優れた衛士ですな」
 感嘆したように呟く師岡の言葉に、武は苦笑する。生憎と、この思念は武が生み出したものではなく、教え諭されたものの1つでしかない。だから、優れているのは自分ではなく、教え諭してくれた教官なのだ。
 尤も、それはそれで自分の恩師が褒められているように思えて、決して悪い気はしなかったが。

 思えば、目の前に立つ老年の男性もまた自分にとっては“恩師”に当たる人物であったか。
 今となっては、遠い追憶の彼方にある世界での話でしかなく、決して関わりが多かったわけではなかったが、確かに師岡政孝も恩師の1人であろう。

「ありがとうございます」
 しばし、どういった対応を取るべきか考えた武は結局お礼の言葉を述べる。だが、少しだけ特殊だったのは、師岡に向けて自身の右手を差し出したことだ。
 敬礼ではなく、握手の要求。年齢は武の方が遥かに下だが、軍人としての立場は高いためにそれを“求める”。
「どうか、お気をつけて」
 流石に一瞬戸惑った師岡だったが、そう答えながら武の手を握り返す。その皺だらけの手は、武が思っていた以上に小さい。現役衛士である武がその気になれば、師岡をこの状態から組み伏せることなど造作もないだろう。
 だが、齢を積み重ねた老兵はそうさせないだけの圧迫感にも似た雰囲気を纏っている。

 これが、未だ続く戦争を衛士として駆け抜け、生き抜いた者が辿り着いた1つの完成形。否、集大成と表現するべきか。

 学生時代、情けなくも1度として尊敬の念を抱いたことのない相手に、武は今、初めて憧憬と畏怖の念を抱く。言葉では決して語り尽くせない壮絶な経験を蓄積してきたからこそ、先達として生きる男に敬意を表する。
 貴重だと喜悦に浸るべきか、皮肉だと悲哀に暮れるべきか武にも分からない。
 何故ならば、記憶の片隅にある世界では同じ気持ちに至るまであとどれだけの月日を要したであろうか、何一つ予想が出来ないから。

 1秒でも長く生き、1人でも多くの仲間を救ってみせる。
 それが、この世界から逃避したことでたくさんの人の運命を狂わせてしまったシロガネタケルに残された、唯一無二の贖罪だった。




 F-22Aの管制ユニットに緩やかに響くのは上機嫌そうな鼻歌。
 衛士にとって最も戦場と呼ぶに相応しい空間であり、最も棺桶と呼ぶに相応しい閉所が戦術機の管制ユニット。そこに流れる明るい曲調の鼻歌は、見る者が見れば場違いだと呆れるか、あるいは罵るか。
 しかし、リン・ナナセにとってそんなことは実に無関係だ。
 戦場であり、棺桶であると同時に戦術機の管制ユニットは衛士にとってある種、神聖な空間だ。否応なく戦渦に巻き込まれていった前線各国の多くの衛士たちと違って、自ら思い立って衛士となったリンにとって、神に祈りを捧げる場所は教会ではなく、ここ。
 悔しいことがあって、1人で淋しく反省会をする場所も、ここ。
 悲しいことがあって、部下に見せるわけにはいかない涙を流す場所も、ここ。

 生憎、模様替えなど出来ないが、ここはリンにとって不可侵の個室だった。

 今日は機嫌が良いので、上機嫌に鼻歌を歌いながら乾拭きと水拭きを使い分けて管制ユニットの内側を丁寧に磨いている。
 本当なら、管制ユニットだけではなく自分の分身たる愛機の装甲も磨き上げてあげたいとリンは思っているのだが、流石にそれはホームの整備班長から「勘弁してくれ」と懇願されたので諦めた。
 その反動が管制ユニットに集中した、とも言えるかもしれないが。

「~~~~~~♪ ~~~~~♪」

 決まったリズムなどない、気の向くままに即興で作った鼻歌を紡ぐ。原曲も、記す譜面もないから、生まれては刹那のうちに消えてゆく詞もない歌だ。

 F-22A。アメリカ合衆国が開発した、祖国の威信と軍事の新たな象徴。
 ステルス性能が少々気に喰わないが、リンはリンなりにこの機体を気に入っている。恐らく、XM3を搭載していないにも関わらず鋭い戦闘挙動を取れる機体など、世界にはF-22Aの他にあるまい。
 ただ、F-22Aの主軸では、着地やステップの際に衝撃を可能な限り殺さなければ脚部への負担が大きくなることも少なくない。しかしながら、その辺りは衛士の腕の見せ所だろう。

 リンとF-22Aとの出会いは2002年初頭のことだ。
 2001年12月5日に極東で起きたクーデター事件によって、アメリカ陸軍において最もF-22Aを配備していた第66戦術機甲大隊が潰滅。当時の指揮官であるアルフレッド・ウォーケンが殉職した以上、事実上、軍は最大の実戦記録の収入源を喪失した。
 その折に大隊長、師団長、挙句軍団長までトントンと話が渡り、巧みな交渉術の末に実戦記録収集を前提として第52戦術機甲大隊への配備を上に承認させたのだ。
 その後、ジョージ・ゴウダとリンの昇進に伴い新たな中隊を設置。衛士として優れた能力を持つジョージに師団本部はF-22Aを預ける英断を下した。

 当時以前から自分の属する大隊には変わった人が多いと思っていたが、その認識が師団及び軍団規模まで拡大した決定的な出来事である。

「ナナセ、ここにいるのか?」
 そうしていると、外からリンを呼ぶ声が聞こえた。ホームから離れたこの東南アジアで、522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ)副長であるリンを呼び捨てにする人間など、今は1人しかいない。
「何ですか? ゴウダ大尉」
 ひょいと開いたままの管制ユニットから顔を出し、眼下のジョージに答える。対し、リンを見上げる形の彼は若干呆れ顔だ。
「何だもクソもあるか。メシのあとにどこかに消えたと思えば、またやってるのか?」
「戦闘もありましたからね。労ってあげないと」
 今更なことを訊かれたが、リンは笑みを絶やさない表情でそう答える。リンだって毎日のようにこんなことをしているわけではない。ただ、それは単純に時間がないからという理由が大きいのも事実だが。
「何だったら、ゴウダ大尉の機体も面倒見ますよ?」
「いつもの老婆心か。だが、断わる」
 本気の表情で「やめてくれ」と告げているジョージに、リンは軽く肩を竦ませる。基本的に寛ぐような場所ではないとはいえ、綺麗であることに越したことはないのに、とリンは思ったが、拒否されたのならば退かざるを得ない。

 実際、こうやってリンが問いかけたことは今回が初めてではないから。

 頑固者の隊長殿は放っておき、リンは再びコックピットの内側を磨き始める。ジョージの前であるため、露骨に鼻歌は歌わなかったが、それでも時折呼吸が軽快なリズムを刻むことがあった。
 中隊長も含め、我の強い隊員たちをさながら風紀委員のように取り締まるのはリンの仕事だったが、同時に彼女もまた“我の強い隊員”の1人なのである。
「上機嫌だな」
 またジョージから声がかかる。呆れているのか感心しているのか、今度は手を止めないリンからは表情が窺えないので分からない。
「榊大尉と鎧衣大尉にも会えましたし。あ、それから、噂の白銀中佐にも」
「………ああ、柏木の言葉はともかく、鎧衣と榊の言葉通りの男だったな、白銀中佐は」
 リンの言葉に納得したように相槌を打つジョージ。彼の言葉に流石のリンも苦笑を浮かべた。柏木晴子が面白おかしく自分たちに語った話は、リンたちだって話半分にしか聞いていない。冗談だということは最初から重々承知していたからである。
「どうですか? ゴウダ大尉から見た印象は」
 ようやく掃除の手を休め、再び顔を出すリンはにやっと不敵に笑ってジョージに問う。その問いかけが面白くないのか、あるいはリンの表情に不満があるのか、彼はふんと鼻を鳴らした。
「………あいつらの話は誇張だと思っていたんだが……どんなに条件を整えても一対一では俺に勝ち目はなさそうだ。腹立たしい限りだがな」
「天才衛士の名は伊達じゃなかったですね。まあ、フェイズ5ハイヴの地下茎構造を、部隊機能を維持したまま踏破したって事実の段階で普通の衛士なら呑まれますよ、きっと」
 事実、リンの言葉通り彼女の部下たちも数名、白銀武の戦闘挙動に呑まれている様子はあった。否。友軍であるのだから、より厳密に言えば士気を高揚させたと表現するべきかもしれない。

 味方ならばこれほど心強く、相対すればこれほど恐ろしい相手はいない。
 彼を敵に回すということは、彼に縁のある人物を敵に回すということと同義なのだから。

「だが、俺たちがあの男と敵対することはないだろう。俺たちの敵はあくまでBETAだ」
「ですね。この子たちもちゃんとそこで活躍させてあげないと」
 アメリカ合衆国の立場も理解した上でのジョージの言葉にリンも同意する。対人の設計が成されているとはいえ、F-22Aも戦術機だ。戦術機は、BETAと相対してこそ意味のある兵器。対人仕様など寧ろ無意味である。
 対人戦闘兵器として見た場合、戦術機はまったくもって採算が合わない。地上戦において、戦術機と戦闘機の制圧力など比べるまでもないのだ。
 何故、戦術機が開発されるようになったのかを考えればそれは言うまでもない。

 尤も、有能な戦闘機パイロットが育成されるまで、BETA大戦が終わってから数年間は戦術機でもある程度は対人兵器としての効果を発揮するだろうが。

「BETAと戦えん戦術機は無能の窮みだ。まあ、土木や災害救助の分野でならまだ使いようはあるかもしれないが……」
「それだったら強化外骨格のレベルで充分な気が……。F-4だって過ぎた代物ですよ」
「はっ……戦後はダム開発にでも着手するか?」
「あは、悪くないですね」
 ジョージの冗談にリンも笑って冗談を返す。この戦争の終結を地球上のハイヴの排除とするか、火星圏のハイヴの排除とするかで大分違うが、どちらにしてもそうすぐに訪れるものではない。
 終戦を迎えた時、自分たちが別の仕事を探せる年齢である保障はどこにもないのだ。それだって、生き残ることが出来れば、の話である。

 リンにもジョージにもアメリカ人としての誇りがある。アメリカ陸軍の衛士としての意地がある。己の相棒に対する想いがある。

 日本で起きたクーデター「12・5事件」で出撃した第66戦術機甲大隊には2人にとって同期兵と呼べる兵士が所属していた。あの頃はまだ士官学校を卒業したばかりで、その友人はいきなりF-22Aという最新鋭機を預けられたことを同期の仲間に自慢して回っていたことをリンも覚えている。

 結局、その友人は日本でのクーデターに巻き込まれ、祖国の土を再び踏むことは出来なかったのだが。

 前線国でありながら人間同士の争いを起こした日本を憎むかと問われれば、リンは「分からない」と答える。首を横に振るのは嘘のように思え、縦に振るのも何か不快なものを覚えるのだ。
 理由は簡単。リン・ナナセもジョージ・ゴウダも、アメリカ合衆国の軍と政府があの日、日本でクーデターが起きることを知っていた上で、部隊を演習目的で日本近海へと“派兵”したのだと理解しているからである。
 だから、友人も含めあの日に日本で逝った同胞たちは“巻き込まれた”のではなく“任務に殉じた”のだと、否応にも考えてしまう。軍に身を置く者として、どうしてそれで日本を恨めようか。
 ステルス性能を持ち、“まるで、そのクーデターにて戦果を挙げるために第66戦術機甲大隊へと配備された”かのようなF-22Aを造り上げた自分たちアメリカ人が、どうして国のあり方を是正しようと政変を起こしただけの日本人を罵倒出来ようか。

 感傷だと言われればそれまでのこと。
 だが恐らく、件の事件において“本当にアメリカが偶然巻き込まれた”だけだったとしたら、リンは心置きなく、迷うこともなく日本を、日本人を嫌っていただろう。
 そうではないからこそ、聡明な彼女はそれが出来ないのだ。

 今の彼女に出来ることは、祖国の威信とアメリカ人としての誇りにかけて、このF-22Aという戦術機が対人戦闘のみの目的で開発されたのではないと証明することだけ。
 BETAを相手にしても他を圧倒するような戦果を挙げ、この機体を対人兵器と批判する者への反論材料を少しでも作り上げることしか、彼女個人では出来ない。

「この子たちを……人を撃つために使おうとしている連中は野放しに出来ません」
 身を乗り出し、愛機の装甲をその手で優しく撫でながらリンは呟く。
「口が過ぎるぞ、ナナセ。“その連中”だって、一応は我が国の官僚だ。話が漏れては、叶う夢も叶わん」
「すみません。気をつけ―――――」
「G弾推進派だか何だかは知らんが、連中は俺たちを使ってF-22Aの実戦データを収集している。今はまだ、その連中にだって尻尾くらいは振っておいてやろう」
 頭を下げるリンの言葉を遮るようにジョージは彼女よりもずっと物騒なことを言う。もしホームのハンガーなどで言っていたら、お人好し過ぎる整備班長から余計なことを言うな、と忠告する代わりにスパナが飛んでくることだろう。
 F-22Aの運用について、目的は正反対だが手段が一致した彼ら“部隊”と“上層部の一部”。
 だから、今はまだそれを最大限に利用させてもらう。
 アメリカという国家を心から愛するが故に、その祖国が他から罵られ、目の敵にされることは耐えられない。言葉巧みに政変を誘発させ、そこに介入して人を撃つことを善しとした権力者を……そうすることで、アメリカ人の誇りに傷をつけた連中をどうしても好きになれないのだ。

 リンの掲げる“正義”は、どうしてもそのやり方を容認出来なかった。

「正義を貫くため、だ。鎧衣たちも利用出来るだけ利用させてもらうさ」
「うちの師団が利用したいのは、寧ろ香月博士でしょうけどね」
 ジョージも「正義」という言葉を使ってリンと同じ意志を示す。そもそも、2人は元より同じ志を抱えて軍属となったのだ。

 1999年 明星作戦。幾多の極東軍人のみならず、G弾投下の陽動として動かした自国の部隊の一部すら犠牲にして決行された、“ハイヴ制圧実験の一環”。
 地続きの隣国を核の火で薙ぎ払った我らが星条旗の国はその痛みすら忘れて、非人道的にもその新型兵器の存在を秘匿し、件の作戦に参加したのである。
 当時はアメリカ合衆国において難民の数がピークを迎えており、それに伴って難民救済の意識が国民の間でも高まっていた。特にヨーロッパ各国からの難民は多く、彼らに対する民営の支援団体なども複数設立されている。
 議会においてG弾を推進する者たちは、そういった難民救済支援団体から“訳の分からない新兵器の効果”について説明を求められることで、この絶好の機会を逃すのではないかと恐れたのである。
 落とした後ならば国内においては言い訳も立つ。被爆地において半永久的な重力異常を引き起こし、植生の繁殖を妨げる副次効果があるとはいえ、長期的に見て人体に如何なる影響があるのか未だ明らかになっていない以上、核爆弾で地上を焼き払うよりもずっと民衆を“言い包めること”が容易だったのだ。

 面白くない。他国をただの実験場のように扱った連中も面白くないが、何よりも、そんな連中が自分と同じアメリカ人であることがリンは面白くなかった。

 極東方面の国連軍が中心となって発令した桜花作戦の成功により、国内においては前線に対する関心が大きく高まっている。同時に、徐々に判明しつつあるG弾の真の姿についての批判も増え始めていた。
 かつてアメリカにおいてただの少数派でしかなかったG弾否定派は、ここに来てようやく推進派との立場を覆しつつある。

「コンスタンス少佐がいらっしゃれば、きっともう少し楽なんでしょうね………」
「だろうな。だが、ホームに戻ったら少佐の名は出すなよ? 推進派の連中に嗅ぎ付かれるぞ」
 ジョージの忠告にリンは無言で頷き返す。多数派でなくなったとはいえ、G弾推進派にはまだ権力者が多い。一方、否定派とてただの少数派ではなくなっただけであり、完全な時の主導権を握っているわけではない。

 事実だけを述べれば、アメリカ国内において最も多い立場は中立派。今はまだ機会を窺い、何か決定的な出来事が起きた瞬間に、より有利な方に傾く立場にある者が民衆にも官僚にも多いのである。
 だから、事は秘密裏に進む。相手に動きを悟らせず、相手の動きは逸早く、尽く封殺する。情勢はそれだけ、微妙なバランスの上にあった。

 F-22Aは決して対人戦闘専用で造られた戦術機ではないということ。
 アメリカ国民にもG弾という爆弾を容認しているわけではない者が多数いるということ。
 リン・ナナセが誇り高き1人のアメリカ人として他国に示したいのはその2点。保ちたいのは祖国の威信。
 覇権主義を掲げるのも結構なことだが、他国から一様に敵視され、事実上の「世界の敵」となっては本末転倒だ。彼らが誇り高き祖国は常に「正義」を掲げなければならない。
 そこにおいて「国家の方針こそが正義」という覇権主義を主張したところで、世論の力の前では無力なものだろう。世論を味方につけてこそ、覇権国家は最大の力を発揮する。
 アメリカ人のアメリカ人の手によるアメリカ人のためのG弾を使った最終決戦。その後のF-22Aによる主導権の獲得。その大義と栄誉に酔い痴れ、国のトップはG弾そのものが祖国を滅ぼしかねないことをまだ理解していない。
 リンはその結末を迎えさせるものかと、同胞と共に軍に身を置いているのである。

「まあ、あまり無理をし過ぎて、お前の敬愛する兄に心配をかけることはするなよ?」
「心配御無用です。兄さんとは毎日連絡取ってますし、手紙も書いてますから」
 ジョージの忠告にリンは胸を張って答える。少なくとも、音信不通になって心配をかけるということはまだない。
 それに、自分を軍へ入隊させる決意を固めさせたのは事実上、国連軍に所属する兄なのだ。その点について心配をかけさせるなどリンには毛頭ないし、余計な心配をされることは本意ではない。
 ただ、兄から心配してもらえるということ自体は、リンにとっては嬉しいことでもあるのだが。
「このブラコンめ」
「大尉にはご兄弟がいないから分からないんですよ」
 呆れ返り、簡単な軽口を叩くような口調でジョージが言うので、リンも軽口で答える。そして2人で小さく笑い合った。



[1152] Re[49]:Muv-Luv [another&after world] 第49話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:76bc1cbf
Date: 2007/10/20 19:53


  第49話


 人は往々にして、夢を現実だと感じる。その夢がたとえどんなに非現実的な内容であろうとも、夢に落ちている人はしばしばそれをあたかも現実のものかと錯覚することは珍しくない。
 それでも稀に即座に夢だと直感出来ることもあるだろう。
 内容が現実的であるか否かなどまるで関係なく、ふとした瞬間に「自分は今夢を見ている」と理解してしまうことが、誰しも1度くらいはある筈だ。

 白銀武は今まさに夢を見ていた。

 目を開ければ、そこに広がるのは懐かしい天井。懐かし過ぎて、今はただただ違和感の塊でしかなかったが。
 ここは自室。基地の、ではない。正真正銘、“自宅の自室”だ。
 このシロガネタケルという存在の主体となっている記憶によれば、18年の歳月を過ごしてきた家。そして、ある時に訪れた理不尽な運命によって訳も分からないうちに失ってしまった生家。その家の2階にある一室で武は今、“目を醒ました夢”を見た。

 ベッドの脇には隣の家と向き合う形でついている窓があり、そこを開ければ何時ものように幼馴染みが日々を過ごす部屋の窓が見える筈だ。
 無論、これが10月22日という運命の始まりの日を表した夢でなければ。

 閉め切られ、隙間から陽の光を差し込ませるカーテンを掴んだところで武は動きを止める。これを力任せにでも開ければ、この夢の世界がどの世界なのかはっきりとする。
 夢だというのに、夢だと分かっているというのに彼は一瞬でもそれを躊躇ったのである。

 どうして?
 そこに広がるのが、あの運命の日と同じ光景であることを恐れているから?
 それとも、何か違う理由が――――――――

「おばさぁん! おはようございまーす!!」
「っ!?」

 武が次の行動に移るよりも早く、下の階からそんな声が聞こえてきた。誰であるかなど姿を確認するまでもない、唯一無二の幼馴染みの声だ。それだけで、この夢がどんな世界を映し出したものなのかを理解する。

「おはよーう、純夏ちゃん。馬鹿息子、まだ寝てるわよぉ」

 純夏に応じるのは恐らくダイニングにいると思われる武の母親だ。薄情にもその声を聞いて武は、「そういえばこんな声だったかなぁ」と親不孝なことを思ってしまう。
 最後に顔を合わせたのは主観時間でももう5、6年前にはなろうか。肉親のこととはいえ、あの激動の中でそれだけの時間の経過は、記憶を霞ませるのに充分過ぎた。

「本当ですか?」
「うん。純夏ちゃんのために起こさないでおいたの」

 起こせよ、と武は思わず苦笑する。よくよく考えれば純夏が武を起こしにくることを日課にしてから、母親に起こされた記憶など数えるほどしかない。
 その辺りを完全に放任する親も親だが、自分で起きようとしなかった自分も自分だ。学生さんは良いご身分だと、自分のことであるのに武は皮肉る。
 それも、極めて他人事に。

 朝の挨拶を一通りすませたのか、トントンと階段を駆け上がる足音が響き始める。大方、純夏が武の部屋を目指して爆走中なのだろう。

 忙しねえヤツ。そんなに急いで転んでも知らねえぞ?

 確実に1段くらいは飛ばしていそうな足音に、武はため息をつきたくなった。そもそも、学園の制服、即ちスカートを履いた年頃の女の子が、いくら勝手知ったる他人の家とはいえ、大股で階段を駆け上がるな。武は入ってくるだろう純夏にまずそう忠告してやりたい気分だった。

 あー……無理っぽいなぁ。

 不意に、武はそのささやかな望みが叶わないことが直感的に分かった。
 恐らく、彼女があのドアを開け放つよりも早く自分は“目醒める”。とっくに起きていた武を前に唖然とする彼女に、これ見よがしに「おはよう」と挨拶をする間もなく、自分は“現実”へと引き戻される。

 そしてそれを証明するかのように、足音が止んだその瞬間、武の意識は闇に落ちた。




 2005年 6月9日。極東方面 日本 神奈川県 横浜基地。
「…………何だ? これ」
 昨日、クアラルンプールから帰ってきたばかりの武は、目を覚ますと自分の体勢が意味不明だったために思わずそう呟く。寝相が悪いとか、寝違えていたとかいう次元ではない。どういうわけか、武は意識が覚醒するよりも早く、ベッドから半身を起こした状態にあった。
 ちょうど、夢の中、自宅のベッドで取っていた体勢と同じだ。
 つまり、自分は直前までこの状態で眠っていたということ。背もたれがあれば話は違うが、そうでないためかなり異様な光景だっただろう。これがまだ立ったまま眠っているくらいいっていれば芸の領域なのだが、長座体前屈で眠るというのは実に中途半端である。

 夢。元の世界の夢。

 以前にもこんな体験はあった。香月夕呼が言うには、白銀武の意識が本来あった世界に引っ張られ、一時的に“世界”を渡ったのだという。事実、その夢を見ている間、武の脳波を観測していた社霞はそれを見失ったという。
 だが、あの時とは強く何かが違うのだ。
 以前の時は懐かしく、極めて現実的に感じていたのに、今回はそれがない。どこか他人事に近く、まるでお伽話の世界に近い感覚。自分の眼で見ているというのに、まるで俯瞰でそれを眺めているような感覚。
 そういったイメージが、強烈に頭の中に残っていた。

「たぶん……本当にただの夢だったんだろうな」
 ため息をつき、武はそう呟く。根拠はないが、そう感じる。自分がそう思ったということが、言うなれば唯一の根拠だ。
 そのまま視線は真っ直ぐと部屋のドアへ。
 ベッドからドアへの距離はかつて自分が過ごしていた部屋とそう変わらない筈だ。目算でおよそ250cm。5cm前後くらいの誤差が妥当なところだろう。

 だが、その景観は似ても似つかない。

 そう思ったその時、ガチャリと音を立ててそのドアが開いたので武はハッと息を呑む。
「タケルちゃん……? 起きてる……?」
 ドアの向こうからひょいと顔を覗かせる人物に武は更に驚かされた。ほんの一瞬だけ夢の続きかと錯覚するが、すぐに武は自身で否定する。
 多くの人からすれば、顔を覗かせた彼女は夢の中の幼馴染みと同一人物かもしれないが、このシロガネタケルからすれば、この世界ただ1人の恋人だ。無理のない話というのは簡単だが、“2人”を同一視することも比較することも、今の武はどこか面白くなかった。

「あ、おはよう。タケルちゃん」

 不思議なものだろう? と武は内心苦笑する。
 きっかけは確かに、彼女が“鑑純夏”だったから、かもしれないが、今はただそれだけでは納得出来ない。納得出来る筈がない。同じようでいて、こんなにも彼女は違うのに、それを同じ感情で接することなど出来るわけがないのだ。
 ああ、そうだ。
 現在の武は彼女が“鑑純夏”だから愛しているのではない。
 この世界で好きになった女性がたまたま、また“鑑純夏”だったに過ぎないのだ。

「タケルちゃん?」

 そのためか分からないが、武にとってこの世界はより堅固なものに、“元の世界”はより稀薄なものになりかけている。この世界に深く関わる度に思ってきたことだが、今は本当の意味で未練がないように思える。郷愁の念は、日に日に小さくなっているように感じられる。
 自分がこの世界に残りたいと考えているのは、犯した罪を偽善者らしく贖うためか、あるいは目の離せない恋人と共に過ごしたいと強欲者らしく渇望するためか。
 それとも、他に理由があるのか、武にすら分からなかった。

「タケルちゃん! 聞いてる!?」
「……聞いてる。つーか純夏、何だよ? 朝っぱらからいきなり」
 応じない武に痺れを切らせたのか、純夏は急に声を上げる。何となく予感していた武はさしてそこには驚きもせず、何もなかったかのように早朝の来訪者にそう訊ねた。
 直後、顔を覗き込まれる形になったので、瞬間、武は思わずドキリとしてしまって身じろぐのだが。
「もう……タケルちゃんを起こしに、に決まってるでしょ?」
 その体勢のまま、不平そうに純夏は唇を尖らせた。実際にご不満なのだろうな、と理解していたが、反面、純夏のその唇がとても艶っぽく思えて武は自分の煩悩を振り払うのに必至だ。
 この3年間で心身ともにある程度は成長したと自負しているが、男女の沙汰についてはからっきしである。1回、一線を越えたとはいってもその後が楽だということは決してない。
「そ……そうか」
「うん。あ……迷惑だった……かな?」
「ない! それは絶対ないから安心しろ!!」
 ぶんぶんと全力で首を横に振り、武は否定する。どうしてそこで一転して不安そうにするのかと心の中で叫ぶが、バッフワイト素子の編み込まれたリボンを今も着用している純夏にそちらは伝わるまい。
「本当?」
「今更何を……。お前以外の誰が起こしに来るんだよ?」
「霞ちゃん?」
「拗ねんな、バカ」
 武の返答に、拗ねているとしか思えない言葉を返す純夏。普段強引なところが目立つくせに、彼女は不思議と深刻な場面で必要以上に他人の顔色を窺ってしまっているように思える。
 中腰の体勢から背筋を伸ばし、顔を離した純夏に自分から近付くよう、武もベッドから立ち上がった。

 小さい。
 とんでもなく小さい。
 幼馴染みも武より小さかったが、目の前の彼女は更に小さく、か弱く見える。でも、途轍もない勇気を秘めている。
 だから、武は酷く心配になるのだが。

「身体、大丈夫なのか?」
 疑似生体の身体もようやく元の基準まで回復し、いくらかの条件付であるが自分の脚で歩き回れるようになった純夏を心配した武は、気遣いの言葉をかける。
 疑似生体は実に優秀な生物工学の産物だ。生身の部位と併合するには適合性の差異によって扱いが随分と違ってくるが、基本的には総じてあまり芳しくはない。
 だが、純夏のように身体のすべてが疑似生体の場合、人格移植の際に拒否反応が出なければあとは寧ろ軒並み普通の人間より上を行くだろう。実際、純夏の基礎体力や基礎筋力の系統は武のそれと比べてもそう大きな差があるわけではない筈だ。
 また、回復の早さも疑似生体の特徴である。

「え? あ、うん。ほら、何ていうか……ずっと部屋にいるだけだと退屈だし?」

 だが、そんな心配も他所に彼女は暢気に答えてみせる。その、武の気遣いを1発で無碍にしてくれそうな言葉に、しばし沈黙した。
「……………」
「どうしたの?」
「コラ!」
「あいた――――――っ!?」
 武の沈黙に際し無防備となった純夏の額に、彼は豪快に平手を喰らわせる。パチンと小気味良い音を立て、彼女の反応通り、実に痛そうである。ただ、音の派手さや痛みに比べて大きなダメージはないわけであるが。
「ひどいよぉ……タケルちゃん」
「お前は風邪っぴきの小学生か! それも朝っぱらから……!」
 涙目で患部を手でさする純夏に武は声高に言葉を続ける。
 通常時、基地の戦闘要員が訓練などの活動をしているのは昼間であり、夜間となると起きている人間は数が限られる。普通は緊急時に対応する通信兵や夜間の警備を担当する警備兵、そして非常時に即応部隊として行動を開始する極一部の部隊のみだ。
 はっきり言えば、兵舎の通路における人通りは、昼間のそれと比較して圧倒的に少ない。ともすれば、ないとも言えよう。
 真夜中ではないとはいえ、点呼前のこの時間の人通りだってそう多くはない。

 その中でもし、彼女の身体に不調が表れたとしたら、いったい誰が対処するというのか。

「病気ってわけじゃないから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃ………いや、そうだな」
 尚も額をさする純夏の返答を1度否定しかけた武だが、途中で言葉を止めて小さく頷く。彼女の身体に関して心配がなくなることなどあり得ない。だがそれは、程度の差こそあれ、誰に対しても同じことだ。
 こういうことをきっと、過保護というのだろう。更に独占欲にも近い感覚かもしれなかった。
「でも、ごめんね。やっぱり……迷惑かけちゃったみたいで」
「んなこと思ってねーよ。だけど、心配はしてる。お前、まだ絶対本調子じゃないと思うからさ」
 どこかいつもより大人しい感じの純夏。はあ……と大きなため息をついた武はストンと再びベッドの縁に腰を下ろした。そのまま自分の隣をポンポンと叩き、座るように勧める。
「あ、うん」
 嬉しそうに笑みを浮かべ、武の隣に純夏は腰を下ろす。表情は綻ばせているが、やはり武の知る幼馴染みよりもずっと落ち着いた印象を持たされる。
 時が成したことか。
 世界が成したことか。
 その経歴が成したことか。
 武の隣に座る彼女の横顔は、幼馴染みと瓜二つである筈なのに、ずっと大人びている。その一挙一動が色っぽく、逐一武はドギマギさせられていた。
 あるいは、純夏が変わったのではなく、自分自身の認識が変化したからかもしれないと、武は考える。彼の記憶の中において、幼馴染みであった鑑純夏が恋人となった期間は恐ろしく短い。もっと極論染みたことを言えば、そうなった後の具体的なエピソードなど1つも持ち合わせてはいなかった。
 その記憶は最早おぼろげで、自分たちが一線を越えたのか否かすら確かではないのだ。

 もしかしたら、シロガネタケルは桜花作戦へと身を投じるほんの少し前のあの日、初めて本当の意味で“鑑純夏”と結ばれたのかもしれなかった。

「タケルちゃん、何か変だよ?」
「………そうか?」
「さっきからちょっと上の空だもん。何かあった?」
 淀みない彼女の言葉に、かなわねえなぁと言うように武は軽く頭を掻いた。その後、誰に対してだって自分は隠し事の類が成功した例がなかったと、苦笑する。
「………夢を見た」
「夢? どんな夢?」
「昔の夢。ずっと……ずっと昔の夢だ。懐かしいんだけど……同じくらい現実感が何にもねぇんだよ」
 武がそう続けると、不意に純夏が息を殺した。彼から目を逸らし、伏し目がちになる。
 聡い。夢の内容など一言も言わなかったが、武の口振りからそれが“この世界”の話ではないことだと悟ったのだろう。リーディングなど使えなくとも、純夏は存外に心情の機微に鋭かった。
「タケルちゃんは……やっぱり帰りたい?」
「帰る世界なんてどこにもないよ」
 純夏の問いにそう答える。元より、このシロガネタケルは無限の白銀武の複製情報から成る集合体であり、どこか特定の世界から移動してきた白銀武ではない。
 十の世界に十の白銀武がいるのならば、シロガネタケルは十一番目。
 百の世界に百の白銀武がいるのならば、シロガネタケルは百一番目。
 千の世界に千の白銀武がいるのならば、シロガネタケルは千一番目。
 この武が座る椅子は常に用意されていない。それを得るには、そこに座る筈だった別の武を蹴落とさなければならない。
 事実、彼はこの世界に存在した白銀武の居場所すら奪い取っているのだから。
「でも………」
「それに、ここは居心地が良いからさ、もう、あの世界に戻りたいとは思わない」
 純夏の言葉を遮った武の言葉。それは半分が本音で、半分は虚偽。確かに、何時死ぬかも分からない世界だが、ここはまだ彼にとって本当に居心地の良い場所だ。だけど、出来ることならば、戦わなくても済む生活に戻りたいという願いはあった。

 ただ1つ、武は分かっている。
 この世界で学んだ常識など、自分の知る元の世界では半分以上が邪魔になる。正論を振りかざそうと異端扱い、ともすれば極論者として揶揄されかねない。
 世界には世界の常識がある。
 武がかつて生きてきた世界の常識が、ここでは通用しなかったように、ここでの常識は、かつての世界では通用しない。ただ、それだけ。
 だから、武がもしあの世界に戻れるのだとしても、この世界で過ごした記憶を持ち込んではいけない。忘れなければいけない。思い出してはいけない。

 思い出したらきっと、あの世界の日常には耐えられないから。

「私は………」
 純夏が再び口を開く。その表情は必死に取り繕っているが悲しさで歪んでいて、今にも壊れてしまいそうだと錯覚すら、させられるものだった。
「私は、タケルちゃんが望んでる私じゃないかもしれないよ………?」
「…………ばかやろう」
 辛いよと、そう告げるように純夏が言うので、武は優しく叱責しながら彼女の手に自分の手を重ねる。自分のものとは違う温もりが、今は堪らなく心地良い。
「違う自分に嫉妬なんかする必要ねえだろ。俺は……何つーか……その……お前が一番好きだし………」
 思い切ったまでは良かったが、語尾は最早小声と言うのもおこがましいほどか細かった。何度若輩者たちの面倒を見てこようが、何度古豪のベテラン兵と腹の探り合いをしてこようが、こういう時の度胸には彼自身も自信がない。
 最も重要な言葉が一番小さかったというのは、さり気なく男にとっては失態だ。
 だが、ここは2人きりの一室。雑踏の中では瞬く間に掻き消されたであろう言葉も、言葉として発された以上、目の前の相手にはきちんと届くようだ。
「ん……ありがとう、タケルちゃん」
 ついさっきまでの感情から来るものか、それとも今の感情から来るものかは分からないが、純夏は瞳を潤ませて武を見返す。その表情が綻んでいたので、武の頬も自然と緩んだ。

 彼女には笑っていてもらいたい。
 確かに、1度は奪われた自由かもしれない。こうやって偽りの器を与えられたことは、彼女の選択ではなかったかもしれない。
 だけど、一方的に奪われ、そして一方的に与えられた今の純夏には選択の自由があって然るべきなのだ。
 この世界には多くの自由は溢れていないかもしれないが、彼女が彼女なりのささやかな我が侭を言ったくらいで、それを疎ましく思う人間なんて誰もいない。

 そしてそれは、シロガネタケルも同じこと。
 一方的に奪われ、一方的に与えられた彼には、まだ辛うじて最後の自由が残されている。
 戦いますか?
 逃げますか?
 彼女を受け入れますか?
 それとも、拒絶しますか?
 そんなものは最初から決まっている。悩むまでもなく、シロガネタケルは答えを出している。
 何故ならば、彼はとても弱い人間だから。
 戦い、ともすれば死する恐怖よりも、逃避することで仲間に応えられない自分の罪悪感の方がずっと怖い。彼女を受け入れることで、本当の意味で“あの世界”に別れを告げてしまうことよりも、拒絶することでこの温もりを失ってしまうことの方がずっと怖い。

「俺はお前の傍にいる。傍にいたい」

 だから、これは本心。この世界で培ったものをすべて捨て去って、あの穏やかな世界に帰るよりも、先達の教えを胸に刻んだまま、この世界の日常を謳歌したい。
 そう思うことは、きっとそんなに不自然なことではない筈だ。

「うん、私も」

 そんな武の心情を知ってか知らずか、純夏も微笑み、頷き返してくれる。それだけで、今の武には充分だった。
「………あ、そうだ。これ、返した方がいいか?」
 純夏と繋がっている手の、二の腕に結わえられたリボンを指して武は問う。これは元々、彼女の髪を結わえていたリボンの一片だ。今、彼女が着けているものと違うとはいえ、持ち主の手に返す方が道理であろう。
「これ、私の?」
 武がこれを持つに至った経緯を知らない純夏は、きょとんと小首を傾げる。
「ああ。俺がヴァルキリーズから離れる時、夕呼先生がくれたんだけど、一応お前のものだしな」
「だったら、タケルちゃんが持ってて。厳密に言えば、私のものってわけじゃないし」
 武が答えると、純夏は大丈夫と言うように明るい口調でそう言った。その返答に、今更ながら武は成程と頷かされる。
 確かに彼女のリボンは純夏のリーディング能力を制限するために造られたオプションだ。バッフワイト素子を織り込まれたそれは、正しく言うならば香月夕呼の所有物と言える。
 そんな貴重なものをほいほいと餞別として武に渡す辺りはかなりどうかと思われるが。
「分かった。ま、引き続き御守りにでもするよ」
「サンタウサギと同じだね」
「あれなー」
 純夏の言葉に武は思わず苦笑を浮かべる。いくらサンタクロースの格好をしたウサギというメルヘンな題材だとしても、ここぞという時のクリスマスプレゼントが木彫り人形とは、浪漫と真心はあるかもしれないが正直、センスはなかった。
「あれ、耳とか細いから折れ易いだろうし、また何か違うもんやるよ。もっと持ち歩き易そうなヤツ」
「えぇ? いいよぉ……私、サンタウサギ好きだよ?」
「別にあれ捨てろとか言ってんじゃなくて、持ち歩かれて壊されたら流石に切ないし、かといって純夏に終始気をつけてろなんて言うのも嫌だ。だから、持ち歩いて欲しいものとしてもっと身軽なヤツを見繕うことにする」
 サンタウサギの人形も身軽といえば身軽なのだが、あれは持ち歩くには少々硬質過ぎる。壊れ易い点はどうしようもないので、ここは思い切ってまた別のものを持ち歩いてもらうようにする方が建設的だろう。
 別に、大切なものほど持ち歩かなければならない道理もない。傷つけないために、敢えて大切に保管しておくものだって、誰しもが持っている筈だ。
「う……うん。じゃあ、待ってるね」
「任せろ。たぶん、直接渡せないだろうけど」
 それが唯一の不満である武の言葉に、純夏は困ったように笑う。武の第27機甲連隊にとって最大の問題だった戦術機の確保が完了した今、恐らく彼らの休暇は近々正式に期日を迎えることとなるだろう。
 そうなれば、武が生活圏とするのは今まで通り、イギリスのプレストンになるため、日本に留まることになるだろう純夏に直接手渡すことなど叶わない。
 そもそも、ものを見繕うのも日本ではなくイギリスで、ということになりそうだ。
「またタケルちゃんが作ってくれるの?」
「そっちの方が良ければそうするぞ。何をご所望する気だ? 純夏は」
「ちっちゃいぬいぐるみとかなら持ち運びし易いよね?」
「マジで?」
 にこやかに、問い返しの形で質問に答える純夏。その愛らしい我が侭に、さしもの武も思わず頬を引き攣らせる。
 少なくとも選択としては木彫りの人形よりもセンスはあるだろうが、創作の段階で更なるセンスを要求されることもまた事実だ。
 一応、武も兵士の最低限の技術として裁縫の技能は学んでいるが、あくまで戦域にて発揮されるべき能力であって、女の子が好むような小物を作るための能力ではない。精々、お手玉を作るのが関の山であろう。

 小さいタイプとなるとストラップやマスコットの領域だよなぁ。

 昔、うっかり壊してしまったお手玉を千鶴に言われて夜な夜な孤独に修繕していた記憶を思い出しつつ、武は思わず口元に手を当てて唸り声を上げる。持ち運びに不自由しないものとなると、作れる範囲は高が知れていた。
 加えて言えば、武のセンスでは当たり障りのないものしか作れそうにない。

 ふと、武の頭の中にポンととあるイメージが浮かぶ。

「なあ、純夏」
「なに?」
「霞とお揃いとかじゃ……ダメか?」
 やや恐る恐るといった感じで武は問う。何せ、プレゼント云々においてお揃いというのはかなりデリケートな問題だ。大切な人に大切なものを送る、という行為は本来、それが既製品であったとしても唯一無二のイメージを持っていた方が好ましい。揃いとするならば、自分と相手とが定石である。

 尤も、そういったデリケートな問題をきちんと事前に、しかも理解した上で訊ねているのだから、鈍感代表と言わしめた白銀武も幾分かは成長したということだろうが。

「霞ちゃんとお揃い? いいよ」
 だが純夏は気にした様子もなく、寧ろ満面の笑みで頷き返す。彼女の中でやはり霞は特別なのか、心の底から楽しみにしているような笑顔だった。

 それはそれで複雑。というよりも、それはそれで霞に嫉妬。

 純夏のあまりの即答振りに苦笑気味で武はため息を漏らす。友情を取るか恋人を取るかが究極の選択というのは、どこの世界でも変わらない老若男女共通のことであるらしい。
 それはさて置き、武は今日中にでも参考資料として霞が所有するウサギのぬいぐるみ――その名を『うささん』――の写真でも撮っておこうかと予定を立てる。
 霞が抱えるほどに大きなあのぬいぐるみは流石に“あれ”だが、手の平大のマスコットにしてしまえば、案外と可愛くなる可能性がある。

 どうやっても可愛くならなかった場合は、その時また考えよう。

 肝心なところで行き当たりばったりな雰囲気の払拭出来ない彼だった。



[1152] Re[50]:Muv-Luv [another&after world] 第50話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:0fabc223
Date: 2007/10/27 05:33


  第50話


「白銀、弐型は?」
 その日、武がPXでいつものように朝食を摂っていると、やや遅れてやってきた速瀬水月がトレイを持ったままいきなりそう訊ねてきた。
 横浜基地到着から一晩が経過して、今更そんなことを訊ねられて武は思わず、箸で摘んでいた玉子焼きをポロッと落としてしまう。
「弐型は?」
 もう1度、水月は問いかけてくる。その、期待に満ちた眼差しに反比例するかのように、彼らが着いているテーブル周辺の空気が急激に下がっていった。
 昨日から今日まで、武は不知火弐型のことを水月に話した覚えはない。
 ふっと視線を千鶴と美琴に向けると、両者は無言で首を横に振り、否定の答えを返してくる。ならば、ということで水月と行動を共にし易い立場の涼宮遙、宗像美冴、風間祷子の3人にも目を向けるが、やはり答えは同じだった。
「シャルティーニ少佐から聞いたわよ? 帝国軍でもなかなかお目にかかれないヤツ、回してもらったんでしょ?」
 成程、情報を漏洩させた人物はそこにいたか、と武は左隣のマリアを一瞥する。やんわりと睨まれたマリアは申し訳なさそうに目を伏せ、会釈で肯定の意を示した。
「で、弐型は?」
「………ないっすよ」
 すぐに実物を見せろと言い始めそうな水月に、武はげんなりしつつ答える。そもそも、目ぼしいハンガーに搬入されていない段階で想像がつかないものだろうか。
 大方、水月も予測はしているが、最後の希望を捨て切れなかった、ということだろう。
 それにしては笑みが満面過ぎるが。
「ない?」
「はい。ないです」
「あんた……何で持ってこなかったのよ!?」
「何で持ってこなきゃいけないんすか!?」
 言いがかりにも等しい水月の言に、武も思わず椅子から立ち上がって反論する。ここは弱気にはならず徹底抗戦だ。いくら先任とはいえ、一応は武も水月と同じ階級にあるのだから。
 水月は武が不知火弐型を横浜基地へ持ち込まなかったことがいたくご不満らしい。しかしながら、そうは言ってもあの機体はあくまで第27機甲連隊へと提供されたものであって、横浜基地に持ち込む道理はない。
 寧ろ、マレーシアからイギリスに送るのに、どうして日本を経由するという無駄をしなければならないのか謎だ。
「ちっ」
「舌打ち!?」
「あたしだって弐型の実機、見てみたかったわよ!」
「何ですか!? そのものすごい自分勝手な言い分!」
 錯乱状態とも取れる水月の態度に、思わず引っ張られる武。国連軍兵士とはいえ、元より彼女は不知火を駆る日本人だ。改良機である不知火弐型に興味がない筈もないということは、武も重々承知しているが、それにしたって言い分が如何なものかと思われる。
 全中隊に配備するだけの数に加え、30機近い予備機まで提供してもらっておきながら、輸送に無駄などあってはならない。今回は武とマリアがマレーシアで搭乗した機体も含め、全機、一足先にプレストンのホームへ輸送される手筈になっている。

 水月の我が侭に対し、普段つき合わされるのは武ではなく、彼女の部下たちか美冴、そして何故か冥夜辺りであるので、ここまで賑々しくなることは確かに稀ではある。
 だが、そこは流石、横浜基地PXという名の魔窟。彼らよりも年配の兵士も多いこともあってか、その一種異様な光景をまるで娯楽の1つに数えているかのように見守っていた。
「…………御剣、止めて。お願い」
「私か? む…………」
 しかしながら、同じ戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)に所属する衛士たち……殊更、中隊を統べる責任者たちからすればあまり好ましいことではない。
 逸早く、痺れを切らした千鶴が自分の隣で同じように朝食を摂っている御剣冥夜に事態の収拾を求める。だが、頼まれた冥夜も同じ速瀬水月の部下であり、白銀武の同期兵。昔から彼のフォローはお手の物だった筈だが、そこに水月が加わっているとなれば、容易に首を縦に振りかねるのだろう。
 冥夜は腕組みをし、表情をしかめながら武たちの様子を眺めている。
「………彩峰」
「無理」
 そこから彼女はふと視線を向かいの彩峰慧に向け、その名を呼ぶ。だが、次の言葉を発するより早く断固拒否されてしまった。
 同期と言っても武とて彼女たちから見れば上官だ。水月と一緒くたになっている以上は、どうやって止めるか、よりもどうやってさり気なく話題を転換させるか、の方が重要である。
 涼宮遙は唯一、彼女たちの中で名実共に水月に並び得る存在であるが、こういう事態を収拾出来るかどうかは甚だ首を傾げるしかない。戦場におけるあの勇敢な戦域管制将校の姿は、普段からはあまり想像出来なかった。
 次に頼りになる宗像美冴は、既に距離を取って傍観を決め込んでいる。比較的、他の傍観者と気持ちが近しいためか、これといって止める気はないようだ。
 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)最強の良心 風間祷子が、見るに見かねたのか、ゆっくりと椅子から立ち上がる―――――――――
 よりも早く、武の右隣の鑑純夏が腰を捻った。

「タケルちゃん! お行儀悪いよ!!」
「うぼあぁっ!?」

 純夏の放った拳が武の右脇腹に突き刺さる。正面の水月に注意を向けていた武の脇は筋肉が緩んでおり、その強靭な肉体もその瞬間は無防備な状態にあった。
 そこに強烈な純夏の右フック。
 武は思わずもんどりうって倒れ込む。それだけで、PXは一瞬にして騒然となる。

「純夏……てめ……その距離でレバーは反則……」
 左手で右脇腹を押さえながら武は途切れ途切れの言葉でささやかな抗議を示す。否、彼の状態が万全であったならば、詰め寄るほど強い抗議を示しただろうから、ささやかとなっているのは結果論でしかない。
 彼は涙目だった。言い訳のしようもなく涙目だった。
「た……たけるさん、大丈夫ですか?」
「意識ははっきりしているみたいだし、大丈夫じゃないかな」
 床に臥す武に珠瀬壬姫が慌てふためき、鎧衣美琴は実に穿った見解を述べた。命に関わるようなダメージでないことは確かだが、心配するところはそこではあるまい。
「そなた……また豪快にいったな」
「鑑、ナイスフック」
「ナイスフック」
 呆れたような表情の冥夜とは相対し、慧はいつも通りの表情で純夏に向け、グッとサムズアップ。どれだけ柔軟でノリが良いのか、慧の言葉を復唱して同じように親指を上げるのは彼女直下の第7中隊(ヒルド)の隊員たちだ。普段は物静かながら、このような時の協調性が凄まじいのは隊長の人間性が反映されたからか、はたまた偶然か。
「ふぅ……速瀬中佐も、そんなことで白銀を追い立てては見苦しいですよ」
 武の事実上の戦線離脱によりこれ以上自体は広がらないと判断したのか、傍観を決め込んでいた美冴が戻ってきて、水月にそう忠告する。
「むっ……宗像。何よ……あんただって正直、見てみたかったでしょ?」
「正直に申し上げれば実物は見てみたかったですが、あれはあくまで白銀の第27機甲連隊に譲渡されたものであって、横浜基地に配備されたものではありません。その点に干渉するというのは一種の越権行為では?」
 狼狽する水月を美冴は畳み掛ける。その口元がニヤリと不敵に笑っているように見えるのは誰の気のせいでもないだろう。事態はどちらに転んでも美冴の玩具になるように出来ていたのだった。
「なあ……たま。俺、このまま寝ちまってもいいかなぁ?」
「だっ……ダメですよ、たけるさぁん」
「タケルちゃん、お行儀悪いってば」
「そんなことしてないで、さっさと食べちゃいなさいよ、白銀」
 放っておかれっぱなしの武は床を涙で濡らしていた。フックを喰らった脇腹の痛みのためではなく、心の痛みのために。
 それに対し、純夏は実にマイペース、千鶴は少し冷たかった。

「また騒がしいわね。白銀、それ、何の遊び?」

 そろそろ食事を再開しようかと思っていた武に、呆れ半分、からかい半分といったニュアンスの声がかけられる。その声で、再びPXが騒然となる。
 国連軍の軍服の上から白衣を纏うという特異な出で立ち。常に自信に満ち溢れた表情と立ち振る舞いをする横浜基地のナンバー2。
 香月夕呼だ。
 彼女の立場もさることながら、普段、兵士たちと時間を重ねて食事に来ることなど滅多にない夕呼がこの時間に現れたことが、更に緊張感を煽っている。
「遊んでるわけじゃないですけど……夕呼先生、珍しいですね。この時間に来るなんて」
 よいしょとようやく起き上がった武は、夕呼に対しそう問いかける。本来ならば敬礼の1つでも取る場面だが、夕呼自身がそれを疎ましく思う性格である上、ここには武直属の部下など数えるほどしかいないので武もそれは省略していた。
「別に食事しにきたわけじゃないわ」
 彼女のその言葉で、騒然としていた場が一瞬で静寂によって支配される。
 兵士たちが一様に食事のために集まるこの朝の一時。そこに現れた香月夕呼の目的が食事ではないのだとすれば、いったい何なのか。

「白銀、速瀬、涼宮、宗像………ああ、それと、シャルティーニ少佐もよろしければ」

 少なくとも重要なことで、きっと碌でもないことなのだろうと武は予感していた。




 香月夕呼が武たちを引き連れ向かったのは、この基地でも極めて機密性の高い彼女自身の執務室だ。そこは、夕呼直轄の戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長格でも自由に出入りすることは出来ない、まさに香月夕呼のホームグラウンド。
 そこに武や戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の佐官階級にある3人のみならず、最大の部外者であろうマリア・シス・シャルティーニが同時に招き入れられるというのは異例中の異例だった。
 本来であれば、マリアのような部外者を含めた場合、一般のブリーフィングルームを使うのが通常。執務室を使うのは、“部外者には口外出来ない内容の話をする”時のみである。
「どうぞ。ま、立ち話になるでしょうけどね」
 執務室のドアを開け、夕呼はそう告げる。その言葉に従って武が室内に入ると、そこには既に2名の先客がいた。
「おはようございます」
 1人はイリーナ・ピアティフ。香月夕呼の秘書官たる彼女は、恐らく夕呼を除けば最もこの執務室に似つかわしい人物だ。
「早朝から失礼しています」
 ピアティフに続き、武たちに向かって一礼するのは斯衛軍の蒼い軍服に身を包んだ青年 斉御司灯夜だ。完全な部外者というにはいろいろと知り過ぎているが、斯衛軍所属ということを踏まえれば、マリアよりも似つかわしくないかもしれない。
「今日は御一人なんですか?」
「ええ。流石に帝都からここまで来るのに単身は承諾されなかったので、関口を上で待たせていますが」
 遙の問いかけに灯夜は苦笑気味ながらも丁寧に答える。普段から彼は自分も斯衛軍にとって警護対象になっているのだと、深く考えていない節があった。
 武も立場の割にその辺りは無頓着だが、灯夜のそれは更に酷い。現在の警備小隊長たる関口や、前任の双海楓は相当苦労を強いられただろう。
「しかし、何故こちらに?」
「お館様……つまりはうちの婆様からの指示ですよ、シャルティーニ少佐。どうやら、我が斉御司当代はどこぞの馬の骨とも知れない男が、香月副司令殿に贈与した贈り物が気になるようでしてね」
「……いいんですか? 夕呼先生」
 何の話かその実、武は未だ量りかねていたが、灯夜のはっきりしない口振りからその贈り物とやらがかなり重要なものであることだけは分かった。そして、恐らく、自分たちがここに呼ばれたのも同じ理由だろうということも。
「今のところは言うほど機密性の高い話じゃないわよ。今後、どうなるかは別の話だけど。それに、出所まで掴んでいるのなら、摂家がこの情報を入手するのにそう時間はかからないでしょうね」
「断わられたら素直に帰ってくるが良いと兄上にも言われている。香月副司令より正式な許可が下りぬ限り、私はここにはいないな」
 だから、武が顔色を窺うように訊ねると夕呼も灯夜もやはり曖昧な表現で答える。さすがに武もその意図するところがさっぱり分からない。ここは余計な口出しはせず、話を聞く方が有益だろう。
「では、シャルティーニ少佐」
「何でしょうか?」
「彼らの経歴についてはどこまで察しています?」
 夕呼の率直過ぎる問いかけにマリアは瞬間、黙る。当事者である武だって背筋の冷たくなるような質問だ。この中で、唯一桜花作戦の根幹に関わっていない彼女にすれば、取りようによっては今後の運命を左右する話にもなる。
「恐らくは大筋で。細かな事実については定かではありませんが、中佐たちが“3年前”に“どこ”で“何を成した”のかは憶測を立てていますので」
 夕呼の「察している」という言い回しからマリアは公式の経歴について訊ねられているのではないと判断したようで、彼女もまた曖昧な表現で答えた。
「優秀ですのね」
「このような状況になってまで推測すら出来ないようでは寧ろ愚鈍でしょう」
 夕呼の皮肉にもマリアは実に冷静だった。
 香月夕呼。横浜基地。ある程度の階級と国連軍人としての教養が身についていれば、この2つから物騒なことを連想するのはそう奇特なことではない。あとは確信を得るために外堀を埋められる根拠を手に入れられるかどうかの問題だ。
 特に、マリアの場合は西の猛将 レナ・ケース・ヴィンセントの秘蔵っ子。同階級の士官に比べ、得られる情報の信頼度は格段に高い。
「それでは、少佐、貴女は我々にとって脅威となり得ますかしら?」
 再び夕呼から紡がれるのは挑発的な言葉。だが、実際には極めて強烈な警告の込められた言葉でもあったが。
「少なくとも、白銀中佐の脅威となるつもりはありません。これでも、第27機甲連隊 副長ですので」
「…………それじゃあ、早速本題から話しましょうか」
 一転し、ふんと面白くなさそうに鼻を鳴らした夕呼は、マリアの返答に応じることもなくそのまま話の本題を話し始めた。黙認と呼ぶには少々、強引なものだ。マリアをここに連れてきた以上、半ば後には退けない。
 彼らにとってみれば、それは最早最後の意志確認に等しい。
 そしてまた、マリアも名前を列挙された段階で何も言わなかった辺り、既に首を突っ込む覚悟はしていたということだろう。

「今月に入ってすぐ、米国の国防総省が内陸のH06とH15に対して軌道爆撃による実験を行ったわ」

 次に夕呼が発した言葉は、武にとっても思いがけないものだった。
 米国やら軌道爆撃やら実験やら、捨て置けない単語が並んでいたが、それ以上に実験対象となったハイヴが異常だ。H06「パヴロダルハイヴ」はカシュガルのオリジナルハイヴから北の最寄りハイヴ、対しH15はモンゴルとソビエトの国境沿いのサヤン山脈に建造されたハイヴで、パヴロダルから東方の最寄りハイヴに当たる。
 つまり、何れも内陸。周辺を他のハイヴに囲まれており、軌道上から以外の侵入は絶対に許されないBETAの完全支配域だ。
 通常、対BETA戦術に準拠するBETA研究は外円のハイヴにおいて行われる。戦力の確保や経費面で、どう考えてもそれ以外の選択肢などないからだ。

 それが内陸中の内陸。カシュガルが落ちた今、BETAにとっては中枢と呼んでも良いような2つのハイヴへ、軌道上から爆撃を仕掛けるという“実験”。

「まさか……G弾が……!?」
 米国による爆撃という言葉に武の思考は最悪の事態に行き着く。G弾というその単語が彼の口から飛び出した途端、夕呼とピアティフ、そしてマリア以外の顔色がにわかに変わった。
「もしそうだったとしたら今頃各方面は大騒ぎよ。安心しなさい。実験を推奨した役人も学者も素養のない人間じゃないから」
 窘めるように夕呼は告げる。その言い分でいけば、差し詰めG弾推進派は「素養のない人間」ということだろう。いや、より厳密に言えば、世論も読めない極々小数のG弾推進強硬派が、だろうが。
「副司令。それで、その実験の内容とは?」
「何のことはないわ。2つのハイヴに軌道上を周回する爆撃艦隊から軌道爆撃を仕掛けるってだけ。通常弾とAL弾それぞれを使用して、一定時間置きにね」
「それって……何の成果を期待しているんですか?」
 今更ながら対レーザー弾による軌道爆撃など実験を行うまでもない。断続的な反復爆撃が出来ないために、爆撃という点で軌道戦力が活躍する場面はそう多くもなく、普通はハイヴ攻略戦の第一波攻撃及び、軌道降下兵団の搬送が軌道艦隊の役割である。
 作戦においてそう役に立たないであろう軌道艦隊による通常爆撃と、既に対BETA戦術の1つとして採用されているAL弾を使用した軌道爆撃。一目では、学者がそこに何を求めているのか、武にはまだ理解出来ない。
「あなたたちは経験したでしょ? 軌道爆撃において、唯一レーザー属がAL弾を迎撃しなかったケースを。あのことについて、今更ながらいろいろ疑問を抱いた学者がいてね」

「―――――――っ!?」

 だから、武も含め全員がいきなりの核心を突いた夕呼の言葉に絶句した。

 2001年 12月31日 桜花作戦。
 オリジナルハイヴに突入する決戦部隊と、それを支援する国連軍・米軍の軌道降下兵団並びに軌道爆撃艦隊。第1陣の降下兵団の損耗が激しいために作戦は繰り上げられ、第2陣にて全部隊が降下し、全体の地表到達率を高めようとした時、事態は起きた。
 第1、第2戦隊の投下したAL弾が撃墜されなかったのだ。
 結果、軌道降下に必要な重金属雲は発生せず、本来であれば地表陽動、地下茎構造内陽動を行う筈だった部隊は潰滅。最後尾に位置していた彼ら決戦突入部隊のみが、数多の再突入型駆逐艦を礎にオリジナルハイヴ内部に突入することが出来た。

 第1陣では効果を挙げたAL弾軌道爆撃が、第2陣においてまったく無力化されたという衝撃的事象。
 これはBETA唯一の上位存在「あ号標的」が軌道爆撃及び軌道降下という対BETA戦術に即時対処したためだと考えられている。桜花作戦後も、ハイヴ攻略においてBETAがAL弾を撃墜しなかったという記録は存在しない。

「BETAは、AL弾を迎撃しなかったわ」
「しなかった――――――」
「厳密に言えば、AL弾のみの第一波爆撃は残らず撃墜。続く2周目の周回で行ったAL弾爆撃は尽く無力化。分かる? ここまでは“あの時”とまったく同じよ」
 水月の言葉を遮り、夕呼はより詳しい結果を述べる。確かに、降下兵団がいないことを除けば、本当に既視感さえ覚えさせられる結果だった。
「成程。当時、即応されたとばかり思っていたBETAの行動は、少なくともH06とH15においてはプログラム済みだった、という言うことですか」

「あるいは、新たにBETAの行動規範を作り上げている何かがいる……ですよね? 先生」

 納得したように頷く灯夜の言葉に続き、武はそう言った。呟きにも似た、小さな声だったが、そう広くもなく、且つ静まり返っていたこの室内では充分に通る声量だ。
 その、彼の言葉に全員の視線が集まる。

「上出来よ、白銀。前者であれば良いとあたしも思うけど、後者の可能性を今は危惧するわ」
「BETAをプログラムと喩えれば、“あれ”にバックアップがあったりしてもそれほどおかしい話じゃないですからね」
 多少引き攣っているようにも見えるが、強気に笑う夕呼に対し、武は苦々しく笑って答えた。
 欧州に回ってから今日まで、BETAにまつわる奇妙な事象に何度か武は直面している。その度に「何故?」と混乱していたが、今はそれでもある程度冷静でいられた。

 あり得ないことが起きたのならば、「そんな筈はない」と否定するよりも、その理由を模索しなければならない。

 BETAの行動規範が変わり始めているのだとすれば、そうなるように仕組んでいる“何か”が存在する筈。
 無論、佐渡島での甲21号作戦から横浜基地襲撃までのように、何らかの出来事をトリガーに行動規範を変化させた可能性も残っている。寧ろ、比較すればそちらは諸手を挙げて喜べる方だ。
 しかし彼らは何れも最前線でその死力を尽くして戦っている者たち。彼らが見据えておかなければならないのは、常に最悪の事態だった。

 あ号標的の消滅は武がこの目で確認した。だから、いるとすればあ号標的に代わる何か。恐らくは、あ号標的の消滅を引鉄に起動する、別の上位存在プログラム。それが、あ号標的とはまた別の存在なのか、それともあ号標的の完全コピーなのかはこの際、さほど関係ない。
 一番恐ろしいのは、再び滅亡への足音が近付き始めているかもしれないということである。

「仮に白銀の仮説が正しいとすると、厄介な話………か」
「すべてのハイヴでAL弾を無力化されては、人類の対BETA戦術も即座に頓挫しますね」
 相槌を打つ美冴に同意するよう、マリアも呟く。BETA最大の脅威はあの物量とはいえ、それに対抗する第1段階としてレーザー属の無力化は必要不可欠である。もしそれが無効となったならば、戦闘において人類の被害は今の数倍に跳ね上がるだろう。
「あくまで希望的観測だけれど、AL弾のみが無力化されるのはまだ当分先だとあたしは考えている」
 だから、夕呼のその言葉に武は思わず眉をひそめる。確証と言える根拠がないからこそ、そういった言い回しをしたのだろうが、そもそも、希望的観測自体が彼女には似つかわしくない。
「理由は、あの男が入手した例の軌道爆撃実験結果、ですか?」
「もちろん。今回の実験では軌道爆撃が合計4回行われたと記載されています。3回目には通常弾のみを使用し、4回目は通常弾とAL弾を同比率で同時に投下。斉御司少佐、どんな結果が出たと思われます?」
「ふむ……1度目と2度目は共にAL弾のみ。そして迎撃は1度目のみで、2度目は完全に捨て置かれた……か。ああ、香月副司令、当然、“AL弾と通常弾は大きさ・形状共にほぼ同一だった”のでしょう?」
「記録にはそう記載されておりますわ」
 少しばかり見透かしたように笑う灯夜の問いに、夕呼も不敵に笑って肯定の意を示す。そのやり取りで、学問には自信のない武でも件の実験結果がどうだったのか、ピンと来る。
「ならば、3度目も迎撃しなかったのでしょう。香月副司令の希望的観測の根拠とするならば、差し詰め4度目はAL弾・通常弾関係なく尽く迎撃、といったところですかね?」
「御名答」
 夕呼はただそれだけ答え、不敵な笑みを維持した。何の訂正もしない点を考えれば、斉御司灯夜の解答は見事に的中した、ということなのだろう。

 その結果から導き出せる最も簡単な結論。それは、「BETAは軌道爆撃において、AL弾と通常弾を区別していない可能性が高い」ということ。
 即ち、厳密に言えば桜花作戦の時、BETAはAL弾を迎撃しなかったのではなく、単純に軌道上から降り注ぐ弾頭を捨て置いたに過ぎないのだ。

「BETAって形状や大きさでも捕捉してたんですね」
「駆逐艦、再突入殻、AL弾の迎撃高度を考えれば、な。白銀。駆逐艦ならばまだ搭載機器の精密さで説明出来るだろうが、分離後の再突入殻となったら、BETAにとってもそれほど脅威とは思えない筈だぞ?」
 その、美冴の言葉には疑問を口にした武も頷かされる。
 再突入型駆逐艦の場合、大気圏突入とほぼ同時にレーザー照射の危険に曝されるが、投下されたAL弾の場合は地上からでも目視ではっきり確認出来る高度まで到達しないと迎撃されない。軌道降下兵団の盾である再突入殻の場合は、重金属雲濃度が確保され、地表のレーザー属の7割が掃討されていることを前提とするが、高度2000mが分離の分水嶺となっている。
 恐らく、戦術機の迎撃高度も実際には再突入殻とそう変わらない筈だ。変わったとしても、戦術機の方がやや高い程度だろう。

 大半の人間が豆粒を撃ち抜けないように、レーザー属にとってもより的の小さい目標は迎撃し難いということなのだろうか。

「つまり、BETAはAL弾と通常弾の区別をつけることが出来ないから、通常のハイヴ攻略作戦では砲撃のAL弾だけ無力化される可能性はまだ低いってことですよね」
「そこについて質問なのですが、副司令」
 夕呼の言った希望的観測の意味を理解した遙に続き、水月が前に進み出る。質問の許可を求める彼女に夕呼は手振りで「どうぞ」と簡単に答えた。
「今後、レーザー属がAL弾と通常弾の差異を区別するようになる可能性はどの程度あると、副司令は推測されますか?」
「いつからBETAがこの行動規範を確立していたか分からない以上、流石に明言は出来ないわね」
「少なくとも、極めて最近のことでは? かなり以前からとなると、すべてのハイヴにも同様に伝播している筈です。それでは、ハイヴ攻略作戦の際、軌道爆撃後の地上戦力の飽和砲撃が迎撃される点に疑問が感じられますが?」
 当たり障りのないとも言える夕呼の返答。そこに意見を返す灯夜の言も至極尤もだ。

 通常の軌道爆撃……即ち、全弾AL弾による爆撃直後の爆撃は撃墜対象とならない。これが現段階で推測されるH06及びH15に属する BETAの行動規範。
 そうであるならば、軌道爆撃後のAL弾による地上砲撃はその対象となり得るのか否か。
 その是非は、今後の動向にも大きく関わってくることは明白だ。

「もしくは、ですが、我々にとっては同じ重金属雲を発生させる手段だとしても、BETAから見れば軌道爆撃と支援砲撃では根本的な認識が異なるのではないでしょうか」
「マリア、そこんとこもう少し詳しく頼む」
「は。確か、1977年の対BETA戦術研究における陽動効果実証実験の結果に、同じ陽動を反復するとBETAにはその陽動パターンが通用しなくなるが、多少アレンジを加えるだけで同種の陽動は効果を取り戻す、というものがあった筈です」
「………ああ、成程。BETAにとって重要なのは、定められた型に嵌るかどうかであって、その点では人類の意図は汲み取っていないな」
「はい。ですから、この点においてBETAにとって重要なのは、攻撃であるかどうかではなく、『軌道上からの爆撃』という型に嵌っているかどうか、だと推測出来ます。レーザー属に迎撃するか否か、のオン・オフがあると仮定した場合、恐らくBETAは何らかの方策をもってして重金属雲の濃度あるいはもっと極端に重金属雲の有無も測定している可能性までは考慮するべきでしょう」
「そうなると、やっぱり支援砲撃がすべて迎撃対象になるってのはおかしいだろ?」
 マリアの私見に武は問い返す。BETAが重金属雲の存在に感付き、それを量っているというのならば、同様に地上戦力の砲撃も迎撃するか否かの選択対象となって然るべきだ。
「いいえ、先程も述べました通り、BETAにとってまず重要なのはそれが軌道爆撃であるということです。重金属雲に関してはそれを前提とした判断材料と推測した方が賢明かと」

「軌道爆撃が前提か……。ふむ……“あれ”以降、他のハイヴでも同様にAL弾の迎撃が捨て置かれるのではないかと危惧していたが……確かにそれを前提とされてはこれまでのハイヴ攻略作戦のデータは証明に使えない……か」

 不意に、灯夜が渋い表情で顎に手を当てて呟いた。武はそんな彼の一挙一動を目で追う。
 確かに、桜花作戦においてBETAがAL弾を撃墜しなかったという事実は、人類に一抹の不安を残していた。もし、その行動規範がすべてのハイヴに伝播してしまっていたら、「あ号標的」を消滅させても対BETA戦術が根底から覆されるのではないかと、一部の関係者は恐れていたのだ。
 結果的に、世界中のBETAはそのような行動を微塵も見せなかった。
 防衛戦においても侵攻するBETAはAL弾・通常弾構わず尽く照射しており、攻勢作戦においてもBETAが砲弾・ミサイルを迎撃しないという事象は今日まで1度として起きていない。
 だから、人類は安堵した。
 桜花作戦において初めて確認されたBETAの行動規範は、“まだ他のハイヴには伝播していない”のだと。

 だが、マリアの私見が的を射ていたとすれば、その結論は早計過ぎる。
 そもそも、地上支援並びに海上支援が一切ない状態で軌道降下するという手段を打ったのは、後にも先にも桜花作戦しか存在しない。そんな特殊な前例を比較対象とすること自体、間違っていたのだ。

「何故BETAは軌道爆撃には対処しているのに、地上戦力の砲撃には対処しないのでしょうか?」
「地上砲撃では事実上、面制圧の頻度の方が高いからでしょう。BETAがAL弾と通常砲弾の違いを判別していないと仮定した場合、BETAとって地上支援を無視するのはリスクが高い筈ですよ、涼宮少佐」
 遙が口にする疑問に答えるのは、それまでマリアの話に耳を傾けていた美冴だ。
「というか、軌道爆撃なんて普通、AL弾しか使わないしねぇ……それも、ほとんどが最初の1回のみ」
「あれですね、対処しないんじゃなくて、AL弾と通常砲弾の区別がつかないから、対処出来ないっていう可能性があると」
「そ。さっきの速瀬の質問に答えるなら、明言は出来ないけれど比較的、可能性は低く見積もれると思う……って希望的観測が正直なところね」
 水月と武が肩を竦め合ってそれぞれ言葉を紡ぐと、それに同意する形で夕呼が再び「希望的観測」という言葉を使った。どちらにせよ、現状でBETAの行動を証明する手立てはなく、また、そうであって欲しいという意味も込められている。だから希望的観測でしかないのだ。
 それに、夕呼がその中で、今後、BETAがAL弾だけを撃墜するようになる可能性を低く見積もっているのは、恐らく長きに渡るBETA大戦の歴史から推察しているに過ぎない。

 カシュガルから出現したレーザー属が人類の航空戦力を無力化するまでおよそ2週間。
 対し、人類が対レーザー戦術として重金属雲を採用してから既に10年以上が経過している。10年以上だ。10年以上、BETAはAL仕様兵器と他との区別がつけられていないのである。
 無論、保証などない。明日にでも対処されている可能性だってある。
 だが、2週間で航空戦力を優先的に無力化する行動規範を生み出したBETAが、いくら的が小さいからといって、AL弾を見極めるのに10年以上かかる可能性は限りなく低いのではないか。
 そういう、希望的観測だ。

「ふむ………それはそれで愉快な現象だな」
「同意致しますわ、斉御司少佐」
「BETAの行動規範を仮定出来れば、曲がりなりにも対策は立てられますからね」
 揃って顎に手を当てて頷き合う灯夜、夕呼、マリアの3人。少なくともこの中では武よりも学があるであろう3人のやり取りに、武は小さく苦笑するしかなかった。
「白銀、1つ言いたいんだけど」
「何ですか? 速瀬中佐」
 同じようにそれを静観していた水月に声をかけられ、武は首を捻る。
「シャルティーニ少佐って、あんたの部下にしとくの勿体無すぎない?」
「それはマリアを褒めてるんすか? それとも俺をバカにしてるんすか?」
「どっちもよ」
「言うと思いましたよ………」
 武からすれば失礼極まりない水月の発言に、武は大きなため息をつく。ニヤリと不敵に吊り上げられたその頬が実に小憎たらしかった。尤も、マリアが優秀な人間であることも、自身が浅学な人間であることも武は重々承知していたが。
「白銀中佐、水月は本気でそんなこと言ってるんじゃないよ」
「どうかしらね~」
 遙のフォローに笑いながら軽く肩を揺らす水月。実に2人らしいやり取りにため息をつかされていた武も自然と頬が緩む。
「どうですかね。案外、自分より白銀が成長していたことを妬んでいるのではありませんか? 速瀬中佐は」
「宗像! いくら何でも言って良いことと悪いことがあんでしょ!?」
 いつものように言うが早いが掴みかかろうとする水月をひょいと躱す美冴。この2人のやり取りも実にいつも通り過ぎて、再びため息をつかされてしまった。

「それで、香月副司令。今回の件は私の口から殿下に御報告してもよろしいのだろうか?」
「どうぞ御自由に。九條大佐にもよろしくお伝えください。香月夕呼より、H12調査データをお持ちくださったささやかなお礼です、と」
「承りました。侑香様へも、この情報と併せそのようにお伝え致しましょう」
 まるで夕呼の回答を読んでいたかのように、驚いた素振りも見せず灯夜はすぐに一礼する。夕呼も最初に「摂家が入手するのにも時間はかからない」と言っていたくらいだ。灯夜が報告しようがしまいが、すぐに斯衛軍の指揮官クラスには知れ渡る事実である。
 夕呼が話し相手に灯夜を選んだのは、彼が現在の斯衛軍において唯一、オリジナルハイヴに突入した衛士だからだろう。

「速瀬、涼宮、宗像。ヴァルキリーズは従来通り、あたしの指示で動いてもらうわよ」
「は!」
「これまでより過酷になるわよ?」
「昔に戻ったと思えば大したことありませんよ。寧ろ、我々が任官した時よりは信頼出来る戦力が揃っていると思いますから」
「頼もしいわね」
 珍しく夕呼に対して水月が冗談めいた言葉を返したので、夕呼も滅多に見せない笑みを浮かべて皮肉1つ言わずに答える。
 武が任官した時など、連隊規模で発足された筈の香月夕呼直轄のA-01部隊も第9中隊であるイスミ・ヴァルキリーズを残すのみとなっていた。あの時に比べれば、完全装備の10個中隊で構成される現ヴァルキリーズの方が戦力的な信頼性は確かに高い。

「白銀、シャルティーニ少佐。第27機甲連隊には、欧州方面の純粋な戦力として、そして現在不足しているBETAの新たな行動パターンについての情報を収集してもらうわ」
「ヴィンセント准将には?」
「話はもう通してあるわよ。流石に、他所の部隊を勝手に動かせるほどの権限はないもの」
 やれやれというように両手を上げ、夕呼はそう答える。他所の部隊を勝手に動かすほどの権限はなくとも、彼女ならば他所の部隊が動くように仕向けることくらいは平気でやりそうなものだ。
 あるいは、武たちはまさに今、動くよう仕向けられているのかもしれないが。
「BETAに新たな上位存在がいるのなら、必ず何か新しいアクションを起こす筈よ。蛇が出てくる可能性は大いにあるけれど、“この藪”は突いてみないことには何も出してくれないでしょうからね」
「はい」
「は」
 夕呼の言葉に武は頷き、マリアは敬礼で応じる。普段から堅苦しいことは不毛だから止めるように言っている夕呼も、昔馴染みでも直属の部下でもないマリアの敬礼は百歩譲って受け入れたようだ。
「それじゃ、あなたたちは回れ右。白銀だけは残って頂戴。ピアティフ、斉御司少佐を御送りして差し上げて」
「は」
 敬礼する水月たちを、鬱陶しそうに手で制し、夕呼はピアティフにもそう指示を出す。必然的に、灯夜も退室を強いられた形だ。「お先に」といったニュアンスの言葉を口々にしてゆく先任衛士たちに苦笑を浮かべつつも、武はただ1人、夕呼の指示に従って部屋に残った。

「何で残されたか、分かる?」

「速瀬中佐たちを押し出して、俺だけ残す理由なんてそう多くないじゃないですか」
 真っ直ぐに武を見つめる夕呼の問いかけに、まるで学校の呼び出しだなと失笑しながらも武はそう答えた。そう、見当たる理由はそう多くない。あの場においては水月と並んで最も高い階級にあったといえ、夕呼直属の部下である水月を差し置いて武だけに話される内容など、生温い話であった例がない。
「純夏のことでしょう?」
 その想像は外れて欲しいというのが武の本音だが、何よりも確率は高い。今の鑑純夏が00ユニットという存在であると知っているのは、2人を除けば純夏本人、イリーナ・ピアティフ、そして社霞しかいない。
 彼女について内密な話をする時は、本人を含め、その5人以外の人間の入る余地などあり得ないのだ。
「さすがに分かるわよね……」
「BETAの情報を探るのなら、あいつほど適任なヤツはいないですよ、夕呼先生。そういうことですよね?」
「そうね。何か言いたいことはある? 嫌味くらいなら聞くだけ聞いてあげるわよ?」
 無表情のまま、夕呼は武にそう訊ねる。言葉だけ聞けば、相手を馬鹿にしたような物言いだが、今の夕呼には皮肉も侮蔑もない。
 だから、武は理解出来た。
 香月夕呼は「愚痴くらいなら聞いてやる」と、本気で武のことを気遣っているのである。
「そうじゃなければいいなとは思ってますけど、俺に止められるのなら、とっくに止めてますよ。あいつは……きっとそういうところが一番頑固ですから」
「あいつ?」
「純夏です。純夏は……たぶん、気付いてるんですよ。自分がしなきゃいけないことも、自分にしか出来ないことも、自分がやり遂げたいことも」
 自分に対してではないのかと顔をしかめる夕呼に、武は少し目を逸らして答える。
 人一人に何が出来るわけでもないが、鑑純夏は、恐らくBETAの思考をリーディングすることの出来る世界唯一の存在だ。彼女こそが、本来は推論でしか終わることしか許されないBETAの行動規範を見抜くことの出来る人間。
 生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロの00ユニット。
「ふぅん。流石は白銀ね。鑑のことはお見通し……ってわけ?」
「そんなんじゃないです」
「でも、本当は止めたいんでしょ? やめさせたいんでしょ?」
 続けざまに疑問符で投げかける夕呼に、武はわずかに唇を噛んで顔を上げた。その表情には苛立ちが滲んでいたが、同時にある種の落ち着きが支配している。
「あいつは、俺が「戦わなくていい」って言ったって戦いますよ。俺と同じです。桜花作戦前の、俺と」
 そう、同じだ。桜花作戦の直前……正確には横浜基地がBETAの襲撃に遭う直前に、強引にでも武を戦いから遠ざけようとした純夏のように。そして、それを押し切り、説き伏せてでも戦地へと共に赴いた武のように。
 今、武が彼女を戦いから遠ざけようとすれば、それはあの日の焼き直し。違うのは、2人の役回りが入れ替わったことだけ。

 この世界には、戦わなくて良い人間などいなかった。

 どんなに理不尽に巻き込まれようと、どんなに理不尽に打ちのめされようと、この世界で生きてゆくには、自身の戦いを誰かに転嫁することなど許されないし、出来ない。
 だから、武は止めることなど出来ない。
 純夏が自身で自身の戦いに赴こうとするのなら、それを止めたところで意味などなく、武に出来るのは彼女の無事を祈ることと、自分自身の戦いに従事することのみだ。

「ふっ……ふふっ……同じ、ね。あんた、ほんとに面白いわ」

 そこまで聞いていた夕呼が不意に笑い声を漏らす。微笑んでいるのではなく、何か可笑しそうに笑っている。
「何ですか? どうせ綺麗事だとか、詭弁だとか言って笑うつもりでしょ? 夕呼先生は」
「べっつに。ただ、ちゃんとそういうところも成長しているのねって、感心してるのよ」
「はぁ?」
 どうせ何かにつけて馬鹿にされるのだろうと踏んでいた武にとって、夕呼の言葉はまさに寝耳に水だった。どうしてそんな感心に繋がるのか、武にはまったく理解出来ない。
「少なくとも、初めて会った頃のあんただったら、何も考えずに鑑を止めて、それで揉めて、周りに気でも遣わせたでしょうねぇ」
「うぐっ………は……話はそれだけですか? 俺も戻りますよ?」
 心底可笑しそうな夕呼の反応は、まるで新しい玩具を見つけた子供……いや、新しい玩具にじゃれるやんちゃな猫のようだ。構わずにはいられないという雰囲気がひしひしと伝わってくる。
 しかも、武には若干、否定の余地もないのだから性質が悪い。
「はいはい。さっさと戻りなさい」
 背を向ける武に対して、夕呼は笑ったまましっしっと手を払う。これ以上辱められて堪るかと、武は振り返りもせずに執務室のドアを開け放ち、退室を選択した。

「まったく……気がつかないうちにまた1つ、男の顔しちゃって」

 だから、その後に夕呼が穏やかな口調で呟いたその言葉を、武の耳が捉えることはなかった。




 夕呼の執務室をあとにし、上へ上がるためエレベーターの前まで武がやってくると、そこに1人の男性が立っていた。
「香月副司令との話は済んだのか?」
 斯衛軍の青い軍服に身を包んだ彼 斉御司灯夜は軽く手を挙げてそう声をかけてくる。そこには、彼を外まで送るように指示された筈のピアティフの姿はない。
「済みましたけど……ピアティフ中尉はどうしたんですか?」
「白銀を待つと伝え、送迎を丁重にお断りした。ここは私がうろついたところで、どうこう出来るような階層ではない故な。それに、上に上がってしまえば迷うような施設でもない」
 武が訊ねると、灯夜はエレベーターの上に向いた矢印のスイッチを押しながらそう答えた。
 流石に部外者である灯夜がこのフロアをうろうろしているのは如何なものかとも思うが、彼の言葉もまた事実だ。夕呼の執務室に招かれた際、灯夜に発行された仮IDはこのB19フロアの部屋にどこでも入れるようなものではないだろう。恐らく、許されるのは夕呼の執務室だけだ。
 また、文民であるピアティフを斯衛軍きっての武人である灯夜の監視につけることも実際にはそう意味のあることではない。それならば別の場所から灯夜の行動把握しておく方がよほど建設的である。
「何のために?」
「まずは礼を。先日の件は本当に御苦労だった。予期せぬ出来事ではあったが、全員が無事に生還出来て本当に良かった」
 先日の件、とは東南アジアでの出来事のことだろう。武に訓練兵の演習監督を頼んだのは、他でもない彼なのだから、灯夜がそのことについて礼を告げるというのは、ある意味では当然のことかもしれなかった。
「気にしないでくださいよ。それより……あの訓練兵小隊はどうなります?」
「近いうちに国内で簡単な再演習を行うことになるだろう。まあ、合格させることを前提とした追試のようなものだ。さほど心配することはない」
 上の階層からゆっくりと下りてくるエレベーターの存在を示す表示を見上げながら、灯夜がそう答える。その横顔が少しだけ笑っていたので、武もほっと胸を撫で下ろした。すぐに再演習が行われるのなら充分な対応だろう。灯夜の言うように、追試のようなものであるならば尚更だ。
「ああ、それと、用件はそれだけではなかった。寧ろ、私の死活に関してはこちらの方が重要だ」
「はい?」
 急に気難しい顔になった灯夜に、武も思わず身構える。彼ほどの人物が死活問題と表現するような内容など、きっと武にとっても戦々恐々とさせられるものに違いない。
「私が横浜基地に赴くとどこからか耳聡く聞きつけた朝霧中将が、どうしてもお前に渡して欲しいと押し付けたものがあってだな………」
 「うん?」とわずかに首を傾げる武に対し、何故か異様にげんなりとした様子の灯夜は、その懐から何かを取り出す。
 封筒、だろうか。
 何か書類のようなものが入っているのか彼から武が受け取った白い封筒は、思ったよりも厚くない。寧ろ、平たい。
 当然、基地に持ち込まれたものであるから既に開封されている。
「…………あれ?」
 手渡されたまま封筒の裏面に目を落とす武は不意に、余計なことに気付いてしまった。この封筒には、糊付けされていた形跡が一切ないのだ。即ち、これは開封されているのではなく、“最初から封をされていない”のである。
 公的なものだろうが、私的なものだろうが、文書は封がされて然るべきである。基本的に、送る側も受け取る側も、その内容が不用意に漏洩することを恐れるからだ。だが、これにはそれがない。
 大きくため息をつく灯夜には気付かず、武は訝しく思いながらもくるりと封筒を表面へと返した。

 おこづかい。むだづかいさけるべし。

 本来、宛名が入るところに、そう入っていた。えらく達筆な筆字で、威風堂々とそう書かれていた。
 頬を引き攣らせながら恐る恐る中を覗けば、日本の高額紙幣が数枚ほど。

「最近、とみに思うのだが……朝霧中将は些かお前を甘やかし過ぎていないか?」



[1152] Re[51]:Muv-Luv [another&after world] 第51話
Name: 小清水◆4f8ae6c0
Date: 2007/11/05 05:56


  第51話


 2005年 6月10日 木曜日。
 マリア・シス・シャルティーニがお世話になっている横浜基地の兵舎から屋外へと出ると、6月の陽射しがその身体に降り注いできた。昨日は曇っていたのだが、気象情報によると今日一日はこの陽気を継続してゆくらしい。
 彼女の上官である武が言うには、今年は今のところやや降水量が少なく、日照時間が長いようだ、とのことだ。
 マリアからすれば、天気は雨降りよりも快晴の方が断然に良い。殊更夜間の場合、同じ「暗い」ならば、満天の星空が見える方が何倍も心が動かされる。
 軽く身体を伸ばし、建物に沿ってマリアは歩き始めた。そこそこに手入れの行き届いた芝生と、煉瓦の枠で分け隔てられた花壇、そして木陰を作る樹木が並び、その向こうには訓練用のグラウンドが見える。
 流石は極東最大の国連軍基地。野外訓練施設から保養目的の植樹等、屋外の管理も広く行き届いているようだ。ここが元々、どういった土地であったのかを考えると、その管理・維持だけでも相当な費用と人員を割かざるを得ないだろう。
「あら?」
 ゆったりとした歩調で歩いていると、進行方向先にある花壇の1つを、数名の兵士が囲んで何かしているのがマリアには見えた。目を凝らせば、その中には比較的見知った人間が2人ほどいる。
 1人は部下でもあるユウイチ・クロサキ。彼の場合は、囲んで一緒に何かしているというよりも、その様子を静観しているといった感じだ。
 もう1人、花壇の前で屈み込み、小型の如雨露でそっと水遣りに勤しんでいる、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)第8中隊(ランドグリーズ)中隊長の珠瀬壬姫の姿も確認出来る。
 他の兵士は名前までは知らないが、マリアの記憶が正しければ確か、何れも第8中隊(ランドグリーズ)に所属する衛士だった筈だ。
「珠瀬大尉、クロサキ中尉」
 衛士である彼らが花壇の手入れをしているのだろうかと首を捻りながら、マリアは歩み寄って彼らに声をかけた。
「おはようございます、シャルティーニ少佐」
 空手のユウイチが最初に挨拶と共に敬礼し、同じく手の空いていた第8中隊(ランドグリーズ)の衛士もそれに続く。如雨露やシャベルを持っていた壬姫を始めとした残りの衛士は遅れ、慌てて姿勢を正そうとしたが、それよりも早くマリアが手で制した。
「今は職務を遂行している最中ではありませんから、お気になさらずに。それよりも……立派な花壇ですね」

 近くまで寄って見れば、その花壇だけが他と一線を画していることは瞭然だった。だから、マリアは驚きと感動を込めて、そう投げかける。

 管理が行き届いているといっても、他の花壇は所詮、保養目的の植生を維持させるための最低限の管理が施されているに過ぎない。だが、今彼らが囲んでいる花壇は、本当の意味でしっかりと手入れされたものだった。
「珠瀬大尉が始めて、今は第8中隊(ランドグリーズ)で管理してるらしいです」
 流石にすぐ近くで静観していただけあり、ユウイチは既に詳しい話は聞いているようだ。誰よりも早く、マリアに対してそう説明する。
「クロサキ中尉は何故ここに?」
「少佐と同じです。オレの方が少し早くここに辿り着いただけですよ」
「少しだけお手伝いしてもらいましたよー」
 大きい如雨露から小さい如雨露へと水を補充し、別の位置へと移動しながら壬姫が笑顔で告げる。マリアがユウイチの顔を見返すと、「大したことは手伝えませんでしたよ」と言うように苦笑を浮かべて手を振った。
「隊で管理しているというのは、何か理由が?」
「いえいえ。さっきクロサキ中尉が言ってたように、最初は大尉が1人でやってたんですけど、その期の新任が手伝わせてくださいって加わって………」
「そうなったら先任たちも隊長を手伝わないと示しつかないだろって話になって、今に至ります」
 マリアの問いかけに、壬姫と同じように持ち回りの良い小さな如雨露で一箇所ずつ丁寧に水を遣ってゆく男女2人が答える。両者とも笑顔なので、個々人が楽しんでやっているようだった。
「みんなのお陰ですごく助かってます。私が始めたことだから、本当は私が全部面倒を見るべきなんですけど……」
「俺らも好きでやってますから別に気にしなくていいっすよ?」
「大尉はその忙しさでイチから全部やろうってのが無茶なんです。見た目ほど柔じゃないってことは分かってますけど、こういうのは分業の方が負担も少ないですよね?」
 申し訳なさそうに苦笑する壬姫にすぐさま水遣りをする2人の部下から反論が入る。笑顔で答える彼らから、こういったやり取りが今日に始まったことではないのだと、マリアは何となく理解した。
「見た目ほどって……ひどいですよぉ」
「ははっ」
「ふふ」
 鎧衣美琴同様、あまり体格には恵まれていない壬姫は部下の言葉に「あうぅ」と嘆きを漏らす。彼女の人柄が本当に部下から好かれているのだと分かるコミュニケーションだ。

「隊長、もう肥料の方は片付けてきちゃっていいですか?」
「あ、はい。お願いします」
「了解でーす。おーい、お前、そっちのシャベルとか空になった如雨露持ってきてくれ」
「あ、はい!」
 手慣れた感じで肥料の入った袋を抱え上げる男性が、どこか手持ち無沙汰な感じの少年に声をかける。少年はそれに応じ、使い終わった用具を拾い集めて先を行く男性のあとを追って駆け出した。
「彼、今日が初参加なんですよ。花の世話とかしたことないから、何していいかまだ戸惑ってるんですよね」
「オレと同じか……」
「中尉はお客さんだからその立ち位置でも気にする必要ないと思うんですけど……」
 後ろをついてゆく少年を顎で示し、水遣りを終えて立ち上がった女性が言う。その言葉にやや居心地悪そうに呟いたユウイチだったが、水遣りを継続している男から苦笑気味に言葉を返されていた。
「彼らも自主的に、ですか?」
 積極的に参加したと仮定するには少々、戸惑いの晴れない様子だった少年に疑問を抱き、マリアは再び訊ねる。すると、すぐ近くの女性はほんの少しだけ苦笑を浮かべた。
「……流石に今は新任たちを先任が誘ってます。強制はもちろんしませんけど」
「え? そうだったんですか?」
「隊長、知らなかったんすか? あ、あれですよ。自分1人でも大丈夫とか言っちゃってるから、そういうとこに気付けないんすよ?」
 女性の言葉にきょとんと目を丸くする壬姫に、ようやく水を遣り終えた男が笑いながら立ち上がり、軽口を投げかけるように言い返す。反論出来ないのか、壬姫はまた「あうぅ」と呻いてしまった。
「あたしたちが始めたのは自主的だったかもしれないですけど、みんなそうだとは限らないじゃないですか。そんなことでこの子達を枯らすのは、誰も望んでないんです」
 女性は黄色い花の咲き誇る花壇を見つめ、声のトーンを落としながらそう呟くように言った。急に纏う雰囲気が淋しげなものに変わったので、流石にマリアも内心、狼狽する。

 そんなことで枯らしてしまうという言葉の意図が、一瞬、読み取れなかったのだ。

「あたしとこいつは大尉を手伝い始めて2年目ですけど、同期はもういませんから。肥料運んでいったヤツだって、半分以上、同期いなくなっちゃったんですよ?」
「あ………」
「俺らが帰ってこられなかった時は俺らに代わって、生きて帰ってこられた連中に隊長の手伝いをしてもらいたいって、実はちょっと思ってます」

 ああ、そうか、とマリアは心の中で呟く。
 始まった時は違ったのだろうが、今となっては、ここは彼ら第8中隊(ランドグリーズ)にとっては戦友の墓標にもなってしまったのだ。
 日々の時間の合間を縫って、戦友たちと育ててきた花が……その意志が途切れないように伝えてゆく場所。そして、“彼ら”が確かにここにいたのだという、“彼ら”にしか分からない証。
 もしかすれば、それは彼らにとって不本意であったが、いつしかそう考えるようになってしまっていたのかもしれない。

「意志を受け継ぐっていうのは、きっと戦うことだけじゃないと思います」

 2人の言葉を静聴していた壬姫が、不意にそう告げる。一言一言を噛み締めるようなその言い方は、その言葉の重さを何よりも裏付けていた。
「私たちは衛士で、一緒に戦う仲間です。だけど、もしすべてが終わった時に戦ったことしか残ってなかったら、やっぱりちょっと悲しいですよね」
 空となった如雨露を置き、徐に立ち上がった壬姫が淋しげに笑いながら呟いた。マリアの顔も、ユウイチの顔も、自身の部下の顔も見回してから、そのまま彼女の視線は花壇を埋める黄色の花びらに注がれる。
「……想い出……ですね」
「はい。ここにみんながいたんだって、私たちがここにいたんだっていう想い出です」
 マリアの言葉に頷き、壬姫は答える。
 戦うことしか許されなかったと嘆く前に、その日常の中に別の生き様を模索する。部隊の仲間と切磋琢磨してきたことだって列記とした想い出だが、壬姫が思い描くような想い出の刻み方に到るのは難しい。
 少なくとも、これまでのマリアでは持ち得なかった考え方だ。

 ただ、マリアがそれを話せば、きっと彼女はこう言うだろう。
 簡単なことですよ、ほんのちょっとだけ、特別なことをするだけでいいんですから、と。

「あ、そうだ、大尉。午後の訓練の後、みんな来るって言ってましたよ」
「全員、ですか? いいですよ……夕方は軽くお水あげるだけですから」
 女の言葉に再び首を傾げる壬姫。その反応に、切り出した女性は唇を尖らせる。みんな、とは恐らく彼女たち第8中隊(ランドグリーズ)の隊員のことだろう。
「俺たち知ってますよ~。白銀中佐と鑑少尉に、新しい種を買ってきてもらえないかどうか頼んでましたよね?」
「だったら、明日、明後日くらいに蒔けるよう、新しく使用許可の下りた花壇、本格的に手入れするでしょう? 1人より2人、2人より12人ですよ。まぁ、大尉があたしたちのこと邪魔だって言うのなら中止しますけど」
「そっ……そんなことありませんよ~!」
 まるでからかうような含みのある2人の言い分だったが、「邪魔」の件を聞いた壬姫は大慌てで弁明する。それがまた可笑しかったのか、2人は声に出して笑っていた。

 白銀武と鑑純夏が今日、午前中から2人で外出しているのは周知の事実だ。
 そういうのも、今朝方、いつもようにPXで食事をしていた彼らのところに、昨日と同じように香月夕呼がやってきて、直々に武と純夏の外出許可証を押し付けていったのである。
 無論、昨日とはまったく違う意味でPXは騒然となった。
 ただ、本当に大変だったのはその後の方である。
 2人とも、基本的に衣服は軍の支給品しか持ち合わせていなかった。だから、帝都の方まで足を伸ばせるようにと目の前の壬姫も含め、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長陣が中心となってコーディネートに奔走したのである。
 生憎、ほとんど同じような立場にあるマリアはその点において出る幕などまったくなかったが。
 その際、壬姫が純夏に何やら頼んでいたようだったのはマリアも気付いていたが、流石に内容までは知らなかった。否、恐らく、彼女の部下たちも実際には知らなかったのだろう。
 ただ、付き合いの長い順にピンときていったに違いない。

「本当に、凄いですよね。地理的な条件が厳しいのに……」
「……そうですね」
 花壇を見つめるユウイチが感慨深そうに呟く。その点についてはマリアも同意だ。
 別に、日本のこの土地の気候が園芸に向かないわけでもなければ、彼女たちが世話をしている花だって特別難しい品種というわけでもないだろう。だが、この横浜という土地は植物において致命的なまでの鬼門だった。

 半永久的重力異常地帯。

 1999年 明星作戦にて投下されたG弾の影響で、横浜のこの地域一帯はそういった土地となった。崩れ去った廃墟の街には、未だ自然的な植生が一切回復していない。
 そのような場所で花を育てるというのは、他の土地で同じことをするより何倍も多くの苦労を経験することになるのだろう。
 殊更、目の前で1組の兄弟姉妹のように笑い合っている彼女たちの場合、最初は試行錯誤を余儀なくされたのではないだろうか。

「隊長ぉ、こっちの花壇も自由に使えるんなら、この際、菜園とかも作っちゃいましょうよー」
「うわっ……懐かしい。小学生の頃、プチトマトとかクラスで育てたわ」
「じゃあ、こんど機会があったら野菜の種とかも買ってきますね」

 不意に聞こえた彼女たちの会話に、次に来た時、この一帯が畑に変わっていたらどうしようかと、マリアはほんの少しだけ心配になった。




 彼は1つ、ため息を漏らす。
 柏木章好。欧州国連軍 第27機甲連隊 273戦術機甲中隊(ハンマーズ)所属。
 姉は同じく国連軍に所属し、極東最大と言われる横浜基地に属する戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)で中隊を任されている人物だ。
 姉と弟揃って軍属。しかしながらそれも、彼と同年代の若者にはそう珍しい話ではない。
 中学卒業後、約7割の者が徴兵によって帝国軍あるいは国連軍への入隊を果たす。その全員がまず衛士適性値を測る検査にかけられ、衛士訓練兵として訓練期間に入るのは、両軍ともにその半数にも満たない。
 それでも、衛士という兵科に割り振られる人員は他の兵科よりも遥かに多い。
 そこを弾かれても、歩兵や砲兵、非戦闘要員である通信兵や整備兵に衛生兵など、万年人員不足の問題を抱えている兵科は山ほどあるのだ。

 BETAと正面切って殴り合う兵士が衛士であるのは確かだが、他の管轄から人死にが出ないわけではない。寧ろ、ほんの一昔前までは兵科による死亡率の差異など、ほとんどなかったと章好は聞いている。

 極東方面で言えば、中華戦線がまだ辛うじて機能していた頃は最も酷かったらしい。
 BETAの東進に対して帝国軍も幾度か大陸へ出兵させているが、その惨憺たる結果は歴史が語っている。

 戦術機を1機、前線で運用するのにいったいどれほどの人員が必要だろうか。それを整備する整備兵が何人? 戦闘において管制を担当する通信兵が何人? 前線で兵士が身を休めるキャンプを作るのに工兵が何人? 何の医療施設もない土地で衛生を管理する衛生兵が何人?
 1つの集団において必要とされる非戦闘要員の数は、戦闘要員のそれを遥かに上回る。それは前線も後方も変わらない。
 もしそこに、BETAが圧倒的物量で侵攻してきたとすれば、いったいどれだけの兵士が直接、BETAと戦うことが出来るというのか。

 簡単な話だ。度重なる戦闘で、衛士は1人、また1人と剥がれ落ちるように喪われてゆくのに対し非戦闘要員は一瞬で敵の群れに呑み込まれ、あっという間に全滅してしまう。
 司令部から撤退命令が出る時は往々にして、時既に遅し。戦術機を駆る衛士は命辛々撤退出来たとしても、彼らには退路など1つもない。
 それを繰り返し、大陸の戦線は常に衛士であろうがなかろうが、人員不足に陥っていた。話によれば、整備兵の数が足りず、戦術機開発に携わった重工業会社の労働者の一部すら、大陸へ送られたということだ。
 そしてそのほとんどは、祖国である日本の地を再び踏むことが出来なかった。

「泣いてる?」
「泣いてない」
 実家の庭に面した縁側に座し、6月の青空を章好が見上げていると、すぐ後ろから声がかかる。両親は共働きで今の時間に家にはいない。姉は横浜基地、下の弟は学校に行っている筈だ。
 ならば、勝手に出入りしてくる人物など、章好は1人しか心当たりがない。
 幼馴染みの水城七海だ。
「じゃあ、たそがれてる?」
「たそがれてない」
 ストンと、章好の隣に腰を下ろす七海。彼女のその言葉に、ムッとしながらも章好は先ほどと同じように答えるが、視線は空に向けたままだ。
「知ってるんだ?」
「………知ってる」
 目的語も何もない、七海の3度目の問いかけ。しばし沈黙した後、章好はそれに肯定の応答を述べる。彼女の言がいったい何のことを指しているのか分からないほど、章好は抜けてはいない。

 そもそも、章好だって今の今まで、“そのこと”を考えていたのだから。

「直接?」
「いや、父さんに教えてもらった」
「そっか」
 胡坐をかく章好に対し、板張りの縁側から庭へと足を投げ出す格好で座る七海は、その答えに相槌を打つ。普段なら、気の利いたことを1つくらい返してくれと冗談交じりに苦言を呈したり呈されたりところだが、今回に限ってはそういう状況ではなかった。

 若く、まだ新人と言われても遜色のない彼らも既に幾度となく経験してきた。しかし、何度経験を重ねようとも、決してそれには慣れない。慣れてはいけない。
 人が死んでゆくということは。
 章好にとって、以前所属していた隊は朝鮮半島の前線基地守備隊。定期的に起こるBETAの小規模侵攻に対する戦闘が主だったが、1回の出撃で仲間が死ななかったことは少なかった。
 今の隊は欧州の雄 第27機甲連隊の273戦術機甲中隊(ハンマーズ)。才人 白銀武の下で練成された欧州勢の実力は高く、優秀だが、やはり先日の作戦では1個小隊を失うまでに至った。
 仲間は死んだ。目の前でBETAに殺された。悲しく、腹立たしくも、蹂躙された。
 だが、今彼らが抱えている感情は、それに極めてよく似ているが厳密には何か違うものである。

「女子は5人……かな。男子は確か……」
「6人。適正で弾かれて、警備兵に回されてたヤツも入ってるってさ」
 七海の言葉を遮り、章好は昨日、テレビを見ていたという父親から聞いた内容をそのまま答える。彼女もやはりおおよそ話は聞いているのか、「うん」と何も訊き返すことなく首肯した。
「国内は大丈夫だったけど、大陸じゃ戦闘もあったんだもんね……」
「そりゃ、向こうは最前線だから………」
 互いに視線を合わせず、言葉だけ交わす。
 6月7日に世界中でBETAの侵攻が確認されたと、民間のテレビ局が報じたのはつい昨日のことだ。そこで、戦闘で死亡した軍人や未だ安否の確認が取れていない日本人の名簿が出されたらしい。
 生憎、章好はその時間に外出しており、BETAの侵攻や死傷者云々に関してはテレビを見ていた父から聞いたに過ぎない。
「そういえば……父さんにその話を聞いたすぐ後だったな」
「白銀中佐からの電話?」
「うん」
 何も詳しいことは言っていないのに、七海は言い当てる。だが、内容が内容だっただけに、やはり七海の方にも連絡はいっているのだろうと思っていた章好からすれば、予定調和な応答だ。

 あの時、父から話を聞き、かなりショックを受けていた筈なのだが、武の声を引鉄として章好は一瞬で平静を取り戻していた。
 精神的に成長したと言えば喜ぶべきこと。しかし、自分を思わず放心させるほどの衝撃的な出来事すら、簡単に割り切れるようになってしまったと考えると、少しやるせないものだ。

「明日の夜にはもうプレストンかぁ……」
「時差があるから到着した時、向こうはまだお昼過ぎくらいだと思うよ?」
「細かいよ、七海」
 激しく斜め上を行く正論に、苦笑しつつ章好は七海に言い返す。日本とイギリスの時差はおおよそ8時間。日本から見れば、イギリスの方が8時間遅いという認識になる。だから、こちらが夜でも向こうはまだ昼過ぎ、ということだ。
 それに、こういうのは気持ちの問題である。
「中佐からの電話に最初に出たのって、章好?」
「母さんだったなぁ。俺、普段あんまり電話には出ないし」
 唸りつつ、章好は答える。軍の場合、もうかなりの兵科で網膜投影が使われているから気にならないのだが、自宅の電話だと妙に受け答えに緊張してしまう節が彼にはある。
「相手が俺たちの上官で、軍の中佐殿だから焦ってたけどね」
「おばさん、中佐に名乗られた時、かなりびっくりしたんじゃない?」
「してた」
 昨夜のことを思い出しつつ、章好は頷く。ただし、記憶が正しければ「驚く」を軽く通り越して戦々恐々としていたようであったが。無論、章好だって武から「そろそろ向こう戻るぞ」と簡潔な用件を告げられるその瞬間までビクビクしていた。

 余談だが、その後に章好は恐々としたままの母親にちゃんとフォローは入れている。「白銀中佐は姉貴と同期だから、そんなに畏まらなくても大丈夫だよ」と。
 そう説明したところ、「晴子の大尉だって早いくらいなのに、その方はもう中佐ということは、とても優秀な方なんだろう?」と父親がある意味当然の反応をしてくれた。
 確かに、そう考えれば萎縮せざるを得ない。

 結局のところ、武から彼らのところに届いたのは、正式な活動再開の旨だった。当然、欧州を拠点とする第27機甲連隊に属する彼らにとって、活動再開とは日本を離れることに直結する。
 それに対して思うところがないと言えば嘘になる。2度と、この生まれ育った家には戻れないのではないかと、不安に思うところだってある。
 だが、それは軍へ入隊する時にも抱いた感情であるし、正規兵として任官することになった時も抱いた。また、初めて転属として欧州へと向かうこととなった時にも章好はその想いを抱いている。
 だが、それを愚痴るのは禁忌だ。
 何故なら、その不安を抱いているのは決して自分だけではない。みんな同じなのだと諭し合うのならば話は別だ。しかし、不安だと嘆いて、他人に慰めてもらいたいなどと願ってはいけないのだと、章好は思っている。

「荷物、まとめた?」
「子供じゃないって。それに、もともとそんな大荷物じゃなかったし」
「そうだね」
 章好の返答に「あはは」と可笑しそうに笑いながら七海は相槌を打つ。彼からすれば、今の同意の言葉が章好の返答の前半にかかっていたのか後半にかかっていたのか、かなり気がかりだ。
「………何か飲む?」
「ココア!」
「了解」
 七海の応答に頷きつつも、「縁側にココアって趣とかあるのかな?」と極めてどうでも良いことで章好は内心首を捻っていた。それでも、唯一無二の幼馴染みと縁側で並んでココアを飲むというのは、ともすれば最後になるかもしれない“日本で過ごす日常”としてこれ以上ないほど上等なものだろう。
 立ち上がった章好は、庭の方へと足を投げ出す七海に背を向けて奥のキッチンへと向かう。
 その途中、横切った居間のテーブルの上に置きっ放しにしていた1枚の写真を一瞥し、不意に彼は足を止める。視線を向ける写真は、中学の卒業記念にと学級で撮った集合写真だ。
 章好と七海も含め、総勢約30名。一様に皆、笑顔だ。しかし何故かその写真には、何箇所かマジックでつけられた赤い丸が入っている。

 その数、11個。それぞれ1つが級友1人の顔を囲み、結果として11人の級友に印がつけられていた。

 あまり多くの感情は抱かず、また長い感傷には浸らず、黙ったまま章好は視線を逸らし、そのままキッチンへと足を向ける。早くココアを準備しなければ七海がいろいろと五月蝿いからだ。

 印のつけられた11人は元級友。そして、章好や七海と同様に、軍属となった級友たちでもある。驚くほど親しかった間柄の人間がいるわけでもないが、それでも1年以上は同じ教室で机を並べてきた仲だ。
 しかし、彼らと会うことは2度とない。彼らと話すことは2度とない。
 最前線へと配属されたかつての級友たちは、この故郷へと帰ってくることは叶わなかったのだから。




 缶コーヒーとコーヒーモドキ。どちらが美味くてどちらが不味いのかと問われても、白銀武は答えかねる。どうしても答えろと強要されれば、恐らく彼はこう言うであろう。

 どっちもコーヒーじゃねぇ。

 豆から挽いたコーヒーに謝れと言いたくなるようなこの世界の缶コーヒーと、そもそもコーヒーですらないコーヒーモドキなど比べること自体が間違っている。同じ嗜好品とはいえ、コーヒー豆を買うだけの経済的余裕と時間があれば、本当に飲みたい人間は豆を挽いてコーヒーを淹れる筈だ。
 軍だって、インスタントコーヒーを支給するだけの余裕があればコーヒーモドキなど使用しないに決まっている。

「ふぅ」

 ため息を1つ吐き、空になったコーヒー缶をゴミ箱に投げ捨てる武。哀愁漂う雰囲気を纏いながらも、きちんと分別する辺りは人としてのモラルを保っている。
 そんな彼の足元には大きな紙袋が3つほど置いてあった。中身は武の持ち物ではなく、女性物の衣類が詰められている。
 彼が今いるのは、帝都のとある百貨店の休憩室。灰皿が常備されているため、用途としては喫煙室と呼んだ方がそれらしいかもしれない。かなり年季の入った清涼飲料水の自動販売機が2台と、数種類の銘柄しかラインナップのない煙草の自販機、そして長椅子だけが設置された小部屋。
 それ以外に目ぼしいものはないためか、必然的にそう賑わうところではない。灰皿が置かれていることも相まって、小さな子供が楽しめるような場所ではないのだろう。更に言えば、今日は平日であるため、店舗自体への客入りも疎らといったところか。

「はぁ」

 他に誰もいない一室でため息にも似た吐息を漏らす孤独な男。ついさっきまでは純夏と一緒に見て回っていたのだが、次の売り場に関しては同行を断わった。断念せざるを得なかった。

 婦人服の下着売り場に進入することなど、大抵の男にとっては苦痛以外の何ものでもない。

 他の衣服であれば試着に感想を述べ、「似合う」という言葉でも添えればそこそこに男の株も上がろうが、流石に下着は勘弁願いたいというのが武の本音である。

 衣服以外にも純夏のための日用雑貨としていろいろと購入した。基本的に代金はすべて武持ちだ。寧ろ、純夏は自由に使える金銭を事実上、持ち合わせてなどいない。
 昨日の“臨時収入”のこともある。本当ならばあれは丁重にお断りしたかったのだが、「使い道の是非は問わん。とにかく受け取ってくれ。さもなくば、私の沽券と死活に関わる」と半ば斉御司灯夜に泣きつかれる形になったため、渋々受け取った。

 尤も、たとえ雀の涙に等しい武の給料でも使うことがなければ貯まりに貯まる。例の“臨時収入”がなかったとしても、純夏のために使う分は充分過ぎるほどにあった。

 その時、武しかいない休憩室に新たな来訪者が現れた。目深に帽子を被った鈍色のスーツの男。俯きがちの様子から、一目見ただけではいったいどんな人相なのか容易には分からない。
 一瞥してから軽く鼻を鳴らす武の横につき、その男は懐から取り出した煙草に火をつけ、ゆったりと煙を吐いた。
「………トレードマークのトレンチコート、今日は着てないんですね」
「ふむ……やはり煙草は贅沢な嗜好品だ。そうは思わんかね? 白銀武」
 前を向いたまま、隣の男にそう声をかけると、相手からはまったく関係のない返答が返ってきた。彼の娘はそれでもちゃんと他人の話は聞くようになったのに、彼の方はどんなに齢を重ねてもそうはならないらしい。
「俺、煙草吸わないんで」
「そうか、残念だ。では、私が西海岸で入手したこの禁煙パイプをやるとしよう」
「いや、吸わないんで」
 隣からにゅっと差し出されるパイプを押し返し、武はやや強い語調でもう1度釘を刺す。元より煙草を吸わない人間に禁煙グッズなど、これでもかというほど無用の長物だ。ただし、考えようによっては嗜好品の煙草をやめるためのものなので、嗜好品中の嗜好品と言えなくもないだろうが。
「しかし、女性の買い物というものは長いものだ。その実、私も若い頃は亡き妻に振り回されていたものでね」
「奥さん、亡くなられたんですか?」
 内心、彼はもう何故武がここにいるのかすべて把握した上で話しかけてきている、と警戒しながらも武は問い返す。あまり穿られて良いような話題ではないが、向こうから振ってきた上、気を遣ったところで損をするような相手だ。
「…………白銀武、何故、私の妻が既に他界したことを知っている?」
「…………………」
 気遣いどころか、話に乗ること自体も損だった。この人にまともな返答など期待しても駄目だ。ならば、最初から返答を求めることはやめようと決意した。

 何せ、相手はあの鎧衣左近。武如きが口で太刀打ち出来るような相手ではない。

「ところで白銀武」
「………何ですか?」
 不意の問いかけに、しばし迷った武は応える。鎧衣の声がそれでも幾ばくか真面目なものに変わった気がしたのだ。無論、気のせいで終わる可能性も充分にある。
 ただし、今回に限っては、幸か不幸かそれは杞憂に終わった。

「彼女は、いったい何者かね?」

 そう言われた瞬間、息を呑んだ。心音が急激に高まり、握った拳がじんわりと汗を滲ませる。この状況で……“武に純夏という連れがいると彼が知っている状況”で訊ねられる“彼女”という言葉が誰を指すのか分からないほど武は鈍くない。
 鎧衣左近という人物に対して、武は敵意こそ持たないが、恐らく警戒心を解くことは一生ないだろう。すぐ隣で煙草をふかしているスーツの男は、その一線を守らなければならないほど危険な相手だ。
「甘いな、白銀武君。答えなくとも反応で悟られてしまうぞ」
 その言葉に、武は一瞬、「どうしろと」と舌打ちをしたくなった。武と純夏の関係を考慮すれば、恐らくは何を言ってもボロが出る。何せ、鎧衣は“この世界”の白銀武が既に死んでいると知っている人間の1人だ。たとえ、香月夕呼が鑑純夏の個人情報を改竄していたとしても、武の発言から何かに感付かれる可能性は高い。
 いや、既に何かに感付いているからこそ彼は問いかけてきたのだろう。
 ならば、武の顔色からでも充分に情報を掠め取るに違いなかった。

 それに、鎧衣左近が入手出来る情報の精度を考えれば、“何だかよく分からない人物”である以上、夕呼や霞よりも純夏は興味深い対象なのかもしれない。

「そう睨まないでくれたまえ。私は今のところ君や香月博士と相対するつもりはない。君の連れがそこに関係する人物ならば、彼女に対しても然り、だ」
「信用ならないんで警戒だけはします」
「誤解が解けて何よりだ」
 もしかして、都合の悪いことは聞こえないように出来ているのか? と本気で疑いかけてしまう武。鎧衣の性格と仕事振りから、敢えて、相手が疑心暗鬼に囚われるように誘導している、とも考えられた。
「それと、だ。君たちが乗っていたのは斉御司が所有する駆動車だと私は記憶しているのだが……あれはどうしたのかね? もしや君は窃盗に手を染めたのか?」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ! あれは斉御司少佐が貸してくれたものです!」
 他に誰もいないことを良いことに――と、信じたいが、他者の有無など関係ないかもしれない――鎧衣は実に物騒な発言をしてくれる。そもそも、盗難車などすぐに足がつく。名高い斉御司家の所有物ならば尚更だ。
 今日、帝都に向かい際に武は灯夜から彼の車を借り受けている。本当はそんなつもりなどなく、純夏と一緒に別の交通手段を使う予定だったのだが、いざ準備を整えて正門前まで出てきたところ、2人が待っていた。
 斉御司灯夜とその部下 関口である。
 しれっとした表情で武に敬礼し、灯夜はそのまま車の鍵を武に投げ渡しながら「帰りは送らせる。本家まで返しにこい」と捨て台詞。相対し、関口は良い笑顔で同じように敬礼し、「御武運を」と相当大きなお世話を焼いてくれた。

 そもそも、今朝方決まったばかりの外出なのに、何故彼らにまで知られているのか。

 そう思って見送りに出てきた同期兵どもへ振り返ると、示し合わせたように一斉に顔を逸らせた。つまり、そういうことだ。
 ため息はつかされたが、正直、迷惑ではなかった。結果として、徒歩では持ち運ぶに難儀な量の買い物が出来たのだから、彼らの手回しの良さと気遣いには感謝してもし切れないくらいである。

「ほう……斉御司少佐が」
「まったく……斉御司少佐といい、朝霧中将といい、俺のこと構い過ぎじゃないですかね」
 ここで、武はもう1度ため息をつく。今回のことと昨日渡された例の“臨時収入”は無関係だが、それは寧ろ問題だ。武の方に何か特別な行事があるのならばまだ分かるが、昨日のは完全に朝霧叶のタイミングである。
 次からは如何に躱そうかと、武は対策を講じざるを得ない。
「朝霧叶……か」
 どこか感慨深そうに鎧衣は呟く。年代的に2人は同じくらいだろうか。もしかしたら個人的な親交があったのかもしれない。
「だが、仕方なかろう。確か、君は朝霧中将の子供だろう?」
「ぶはッ!!」
 鎧衣のとんでもない発言に武は豪快に吹き出す。口に何の飲み物も含んでいなくて良かったと、彼は今、本気で安堵している。曲がりなりにもここは公共の施設で、武が着用しているものも借り物だ。汚してしまってはどの面を提げて横浜基地に戻れば良いのか分からない。
「ふむ……違ったか」
「……違い過ぎますよ。いったい、どこ発信の情報ですか、それは」
「噂によれば、城内省内部では有名な話だと聞くがね」
「既成事実!?」
 どうやっても聞き逃せない発言の連続に、武は愕然として項垂れる。H11制圧作戦前に朝霧が言っていたことは本気だったのか、と武は今更になって実感させられる。

 武にとって、親と呼べるような人物はこの世界にいない。
 白銀武の両親はいただろうが、恐らく厳密に言えばシロガネタケルにとってそれは赤の他人だ。たとえ会うことが出来たとしてもきっと、武自身はそれを実感出来ない。
 更に正直なことを言えば、今の武は両親の記憶が希薄過ぎた。長くこの世界に浸ったためか、シロガネタケルという個体が生まれる際に統合情報から弾かれたのか、顔も声も漠然としか思い出せないのだ。
 尤も、それは今の身近な仲間でも同じこと。そもそも、このシロガネタケルが記憶するクラスメイトたちとは言葉遣いや雰囲気といった何かが微妙に違う筈なのだ。
 それに気付けないのは、きっと武がこの世界に慣れてしまったからなのだろう。

「だいたい、美琴が女なのがおかしいんだ」
「君もそう思うだろう? 白銀武君。私も常々息子が欲しいと思っていたのだ。無論、あの娘のような息子も可愛く思っているがね」
「…………」
 話は噛み合っていない上、最後の一言は言葉の使い方が逆だろう。声高にそう反論しかけた自分を武は抑える。鎧衣左近はただ1人で喋らせておくことが最も無害であると知る故の行動だが、ストレスが溜まるのは抑えられそうもなかった。

「しかし、だ。白銀――――――――」
「タケルちゃん!!」

 不意に次の話題へと転換しようと口を開いた鎧衣の言葉を遮ったのは、休憩室に突入してきた純夏だった。買い物は終わったようで手には武の足元にある紙袋と同じ、百貨店の紙袋が提げられている。そしてその肩は、走ってきたのかわずかに揺れていた。

「お、終わったか? 純夏」
 武は身を乗り出し、手を上げて彼女に応えた。だが、当の純夏はそれには応えず、足早に武たちに近付いてきて、半ば強引に武と鎧衣の間に入り込んだ。
 奇妙な行動だ。
 鋭い視線で相手を射抜くその姿は、普段の彼女からはほとんど想像出来ない。
 ただ、純夏の持つ能力と、鎧衣左近という人物像を考えれば武にだって分からなくもない。武と一緒ならば人混みの中でも安定していられる彼女といえども、鎧衣左近の相手はまだ早いということだろう。

「これは失礼。お嬢さんのために、年寄りは退散するとしよう」

 しばし純夏と無言で向き合っていた鎧衣だが、急におどけた口調になり、やや大袈裟な身振り手振りで弁解すると、こちらの返答など待たずに踵を返した。
 「何だ? あの人」と武は思ったが、向こうから退散していってくれるのならばそれはそれで魅力的である。元々何か訊きたいことがあったわけでもない武にすれば、呼び止める理由などないに等しい。

 そもそも、彼はこんなところをうろついていて大丈夫なのだろうか。

「……で、どうしたんだ? 純夏」
「あ、うん。もう終わったよ」
 表向きには生死不明となっている筈の人物の登場と退場に、武は今更ながら首を捻りつつも純夏に声をかけ直す。同じように立ち去る鎧衣の背中を見つめていた純夏だが、武のその呼びかけには応じ、笑顔を見せる。
 ついさっきまでの態度と比較すれば不自然かもしれないが、武にとって彼女はこの笑顔の方がしっくりくるので、特に気にはしない。
「じゃあ、どっかでちょっとお茶でもしていこうぜ」
「あ、もしかしてタケルちゃん、疲れちゃった?」
「そう見えるのならお前の目は節穴だ!」
「あいた―――――――っ!?」
 からかうような純夏の言葉に反論しながら、武はいつものように平手でその額を叩く。ハイヴ内の行軍を前提とする衛士の体力を甘く見てもらっては困る。歩兵のそれには及ばないものの、高々数時間で武の体力が尽きる筈もなかった。
「うぅ……ひどいよ、タケルちゃん」
「お前が俺を貶めるようなことを言うからだ。ほら、行くぞ」
「あ………うん!」
 唇を尖らせながらも、武は純夏の手から新たに増えた紙袋を半ば強引に奪い取り、足元の3つも併せてさっさと歩き始める。嵩張るものだが、衣類がほとんどのために武にとっては大した荷物ではない。
 その武の行動に驚いたように声を漏らす純夏だったが、すぐに笑顔で頷き、武の隣に並んだ。彼女の空いた右手がするりと武の腕に絡まる。
「…………勝手にしろ」
 一瞬身じろいだ武だが、男の度量と度胸でそれを容認する。少なくとも、ただの幼馴染みが相手だったなら、すぐさま振り払っていただろうが。
「勝手にするよ」
 嬉しいのか、それとも武の態度が可笑しいのか、笑いながら純夏は答える。

 たぶん、自分は一生彼女に振り回されて生きてゆくのだろうな。
 武はあまり根拠もなく、しかし強い確信をもってそう思う。
 その、言葉以上に心地良い期待と、左腕に伝わる柔らかな温もりを感じながら。



[1152] Re[52]:Muv-Luv [another&after world] 第52話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:b89b348f
Date: 2007/11/10 01:33


  第52話


 横浜基地 第90番格納庫。
 3年半前、この基地が佐渡島から侵攻したBETAの猛攻に曝された際、陰の主戦場となった場所だ。津波のように迫るBETA群に対し、2個中隊以上の戦術機甲部隊が立体戦術を駆使して戦うことの出来る地下空間。そう言えば、ここがどれほど巨大な格納庫なのか理解出来るだろう。
 先述したよう、ここは陰の主戦場だった。
 オルタネイティヴ第4計画の要として建造されたこの横浜基地に所属する戦術機甲部隊はそのほとんどが施設外で潰滅し、後退した残存部隊も中央集積場で侵入してくるBETAを迎え撃ち、程なくして潰滅。
 この、高度なセキュリティに守られた第90番格納庫の防衛に回されたのは、香月夕呼直轄のA-01部隊と月詠真那の第19独立警備小隊、そしてたまたま横浜基地に居合わせた斉御司灯夜の斯衛軍41中隊のみ。規模にして1個大隊にも満たない部隊だ。

 しかし、ここは確かに激戦区だった。

 あの時はまだ戦う技能など持たなかった社霞にとってあの戦いは苦々しい記憶として残っている。辛くも反応炉の停止を成功させ、殺到するBETAを追い返すことでしか生き残る術のなかったあの戦いは、近代史に残る大敗であり大勝だった。
 衛士としての技能を身に着けてから時々、霞は思うことがある。

 もしあの時、斉御司灯夜を始め斯衛軍の41中隊が臨時駐留していなかったなら。
 もしあの時、41中隊の成果視察の名目で朝霧叶と九條侑香の両名が訪問していなかったなら。
 もしあの時、その彼女たちの保安のために帝都から第2大隊及び第6大隊、並びに42及び43中隊が地上支援に駆けつけてくれなかったなら。
 この基地は、A-01部隊はどれほどの損害を被っただろうか。
 そしてそれに続く桜花作戦で、どれだけの損耗を強いられただろうか。

 人間の力は、足し算の世界でも掛け算の世界でも語り尽くせない。多ければ多いほど、そしてその間に軋轢が少なければ少ないほど、自分たちは強い輝きを持つことが出来るのだと、霞は彼らに教わった。

 たくさんの犠牲は払ったが、それでも、自分たちはまだ負けていない。




 視線の先で社霞がその鋼鉄の要塞を見上げる。巨人である戦術機を遥かに上回り、この第90番格納庫に鎮座するその姿は、まさに戦略航空機動要塞の名に相応しい。
 その名を凄乃皇。その要塞が生まれ育った国ではXG-70という名称で呼ばれる、対BETA兵器の粗悪品であり、同時に対BETA兵器の究極であり、そして対BETA兵器の革命児。凄乃皇がなければ桜花作戦など成功し得なかったと言えば、どれほど強力な存在なのか分かるだろう。

 ただ、そこに今ある姿は決して雄々しいものとは言えなかったが。

「珍しいわね。あなたがここに来るなんて」
 しばし黙してそれを見守っていた彼女 香月夕呼は霞にそう呼びかける。そもそも、ここはこれでも機密レベルが最高位のフロアだ。たとえ入れるIDを持っていても、霞は普段あまりここには寄り付かない。
「その機体にでも愛着があるの? あなたは乗ってもいないでしょ?」
「それは……そうかもしれません」
 皮肉めいた夕呼の言葉に霞は頷き返す。弁解する様子が微塵もない霞に夕呼はほんの少しだけ笑った。
 桜花作戦の時に霞が鑑純夏のフォローとして搭乗したのはここに残る凄乃皇弐型ではなく、今尚、オリジナルハイヴの最下層にて眠る凄乃皇四型と正式に呼ばれる機体だった。
 36mmチェーンガンから大小の多目的VLS、2700mm電磁投射砲といった数々の武装を施された凄乃皇四型と違い、ここに佇む凄乃皇弐型が持つのは主砲である荷電粒子砲のみ。最強の防壁を持つとはいえ、ハイヴ坑内で戦うには厳しい装備だ。

 否。そもそも、今となっては、この機体もただただ佇むだけ。兵どもが夢のあと、とはまさにこのことなのだろうと思う。

「凄乃皇は……使えるようになるんでしょうか?」
「まるで着眼点が衛士そのものね」
 もう1度凄乃皇を見上げる霞の言葉に、夕呼は肩を竦ませて答える。そうはいっても、そこの社霞は今や正当な衛士技能を持っている。「まるで」などと言われては面白くないだろう。
「………まあ、すぐに、というわけにはいかないでしょうね。実戦機として調整するのに最低でも1ヶ月くらい欲しいって技師は言っていたわ」
「そんなに……ですか?」
「あたしに言われてもねぇ。元々、00ユニットがいなければあたしにとってもほとんどガラクタみたいな兵器よ。維持費だって必要なんだから、寧ろ使える保証がないのに取っておいたことを褒めて欲しいわ」
「……すみません」
 夕呼の至極尤もな言い分に、霞も堪らず頭を下げる。何故、アメリカ生まれのこの兵器が日本にあり、何故この兵器が究極にして粗悪なのかを考えれば、すぐに分かることだ。
 香月夕呼から見れば、唯一の00ユニットたる鑑純夏が目醒める期待などなく、“彼女にしか扱えない”凄乃皇が再び戦場で活躍する期待などあり得なかった。それでも尚、この凄乃皇弐型を廃棄しなかったのには、それ相応の理由がある。
「ま、こんなデカブツ、そうそう捨てるわけにもいかないけれどね」
「はい」
 同じように凄乃皇の機体を見上げた夕呼に霞はまた頷き返す。良くも悪くも、この凄乃皇は究極の切り札だ。切り札とは、常に最強でなければならない。手の内が明かされては、その存在意義は半減する。

 だから、オルタネイティヴ第4計画にとって、この凄乃皇弐型は使い道などなくとも使いようはあったと言えた。

 鑑純夏が00ユニットと知る者はほんの一握り……いや、ほんの一撮みしかいない。つまり、軍事関係者でも大多数の人間は夕呼が欠陥兵器であったXG-70を実用化させるだけの技術を持っていると錯覚している。
 しかし実際のところ、素体なくして00ユニットは完成せず、あったとしてもその適合率は極めて低い。“脳髄だけだった鑑純夏”は、その点において生身の人間を数万人集めても見つからないほどの適合率を持っていたのだ。
 だから夕呼にとって00ユニットがその機能を失った段階でこの凄乃皇は無用の長物に等しくなった。だが、それを破棄することは第5計画推進派に付け込まれる隙となる。

 凄乃皇が使える、と錯覚させることこそ、今の第4計画が持ち得る最大の抑止力。

 今回の場合、実際に使えるようになるまで、その体裁は保つ必要があるだろう。そのためには、純夏の体調を安定させることも必要不可欠だ。
 状況次第では、これが使えないことを前提とした作戦も立てなければならない。鑑純夏の問題ではなく、この実機の問題として、まともに稼動するようになるまで最低1ヶ月もかかるとなれば、その間のことも視野に入れる必要があった。
 それに、凄乃皇はもう替えが利かない。軽度の損傷ならば修理出来るが、大破してしまえば終わりだ。今から開発元に打診したところで、交渉に最低で2週間、製造に最低で2ヶ月は要すると考えるべきだろう。

 無論、彼女たちにはそんな悠長に構えている暇はない。

 もし白銀武も思い至った仮説が正しければ、2ヶ月はおろか、1ヶ月も手を拱いている時間など無駄の窮みだ。
「これからのこと、博士はどう考えていますか?」
「参ったわね……。BETAをリーディングするだけなら、凄乃皇に乗る必要はないんだけれどね」
 夕呼の心境を見透かした上で問いかけているのだろう。核心を突いた霞の言葉に、夕呼はわざとらしく前髪を掻きあげて答える。
 そう、その圧倒的な火力をもってしてBETAを蹂躙するのならばとにかく、敵から情報を掠め取るのならば、最悪、凄乃皇に搭乗する必要はない。最強の防壁であるラザフォード場はないが、代わりに動かせる駒が10個中隊は揃っている。人間1人を一時的に守るのなら、そうそうため息を吐くような状況ではない。
「問題は、BETAの攻撃優先目標の位置づけ……ですね」
「あんた、ほんと衛士らしい鋭さを持ったわね……。そのあたりは、速瀬に感謝するべきかしら?」
「どう……でしょうか」
 少しだけ皮肉ると、霞は困ったように笑った。わずかな表情の変化だが、少なくとも出会った頃よりはずっと歳相応になってきている。それを彼らの“おかげ”と取るか“せい”と取るかは正直、夕呼にとって微妙なところだが、きっと感謝すべきことなのだろうとは思っている。
「確かに、BETAが00ユニットに殺到したら、10個中隊でも心許ないわよ」

 1度肩を竦ませ、また凄乃皇を見上げた夕呼はそう答え直す。
 もう1機あった凄乃皇弐型は甲21号作戦にて投入され、伊隅みちるの手によって自爆に導かれている。近接戦闘武装の施された凄乃皇四型は桜花作戦でオリジナルハイヴに突入し、その役目を終えている。
 そのどちらも、凄乃皇は……正確には凄乃皇に搭載されたムアコック・レヒテ機関は起動時においてBETAを引き寄せる弊害を示している。横浜基地防衛戦においてはそれを逆手にとって、反応炉に向かうBETAの足止めに使ったが、敵の物量とこちらが動員出来る兵力の差を鑑みれば、所詮は一時的な処置でしかない。

 この結果を受けて、今彼女たちを悩ませているのは、BETAが鑑純夏をどのように認識しているのかということ。

 BETAは1度、鑑純夏のいる地点に向かって、一斉に進路を変えた前例がある。それが佐渡島での出来事だ。その理由は今も不明のままである。
 鑑純夏の搭乗した凄乃皇にBETAが殺到することはある程度予測がついていた。佐渡島におけるBETAの動きはそれを確信へと変えている。だが、その後、1度だけBETAは戦艦や戦術機といった兵器群を前に、凄乃皇本体から離れた鑑純夏の現在地に向けて一斉に移動を開始するといった行動まで見せていた。
 横浜基地防衛戦の時のことを考えれば、凄乃皇本体がBETAにとって高位の脅威対象として位置付けられているのは間違いない。

 では、鑑純夏はどうなのか。

 凄乃皇に搭乗しない鑑純夏が戦場でどれ程度危険なのか、がこれから最低でも1ヶ月間、非常に明暗を分けることになる筈だ。
 彼女個人がBETAから優先的に狙われるわけではないのなら、10中隊もあれば寧ろ充分過ぎる。だが、そうでなかった場合、この横浜基地の兵力を総動員してもどうにもならない。
 何故なら、一箇所に向かって殺到するBETAを押し留める手段など、その実存在しないからだ。精々、時間を稼ぐのが関の山。レーザー属が多数存在していた場合、時間を稼ぐどころの騒ぎではないかもしれない。
 リーディングによる情報収集でも戦闘の避けられない距離まで接近しなければ効果は薄いだろうと、過去のデータからも推測出来る。

「まったわね」

 夕呼はため息をつく。これでは桜花作戦前とあまり状況は変わらないではないか、と。
 数少ない救いは、鑑純夏から直接こちらの情報が漏洩しないことと、当時よりも自由に動員出来る戦力が多いことだ。
「博士」
「なーに?」
 やれやれと大袈裟な身振りで表現しつつ、夕呼は霞に応じる。だが、その不機嫌顔はすぐに硬くなった。言葉少ななのはいつものことだが、向き直った霞の表情に強い意志が表れていたからだ。
 こんな表情をするようになったのも、シロガネタケルがやってきてからである。

「私も純夏さんを守ります」

 その言葉で、夕呼は一瞬呆気に取られた。この子は今までずっと守られるだけの自分を嘆いてきたのに、何時の間にこんな言葉を言えるようになったのだろう、と内心首を捻る。
 だが、すぐに夕呼は思い出した。

 ああ、そうだ。社霞は、“そのために”衛士となる道を志したのだったか。

「……と言っても、どうしたものかしらね」
 夕呼は顎を指先で擦りながら唸る。実戦経験がないから何とも言えないが、訓練データだけで判断すれば霞の衛士としての能力は軒並み平均を上回っている。彼女を鍛えている速瀬水月や宗像美冴の教導も良いのだろう。夕呼だって、よくもまああの小さな身体で頑張っているなと、口には出さないが素直に感心したものだ。
 だが生憎、完全充足状態の戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)には彼女を加える余地がない。そうであるならば、鑑純夏が戦術機に搭乗して出撃する際には連携機として行動を共にさせるのが然るべきか……。
 そこまで思案したところで夕呼はまた自分が重要なことを忘れていたのに気付いた。

 鑑純夏にはまだ単独で“戦術機を操縦する技能”がない筈である。

「…………」
 両者の間で沈黙が流れる。霞は夕呼の判断を待ち、恐らく最終的にはそれに従うつもりなのだろう。対し、夕呼としても思うところはある。
 本来であれば、00ユニットという失ってはならない存在の守り手としては、最高クラスの衛士である白銀武を付けたいところなのだが、夕呼の指揮下にない彼の連隊を動員させるのは些か無理があった。
 最短で1ヶ月間。ただ、こちらが単独で動き回るわけにはいかない以上、実質BETAをリーディングするチャンスは数回に限られると睨むべきだろう。あるいは、上手くことを運べば1回のリーディングで事足りてしまう可能性もないとは言い切れない。後者はあくまで希望的観測だが。

 試す価値は充分にある。少なくとも、慎重になり過ぎて何も出来ないよりは、何か出来ることを行う中で慎重であるべきだ。

「社、後々、泣き言なんて聞かないわよ?」
「はい。言いません」
 自分なりに意志を固めた夕呼の告げる最後の確認にも、霞は躊躇うことなくそう答える。その深い青の瞳は、彼女が持つ能力とは無関係にすべてを見透かしているような気が夕呼にはしていた。
「なら、そのつもりで準備を進めるわ。まったく……こっちでSu-37を使うことになるとは思わなかったわよ。アラスカ方面にコネを作っておいて正解だったわね」
 霞に頷き返した後、夕呼は冗談で肩を竦め、頭を抱えてみせる。出来ないことはないとはいえ、自分の持ち得る限りの権限を使うことになるのだ。冗談でも愚痴の1つくらい言っても罰は当たるまい。
「すみません……。無茶を言ってしまいました……」
「いいのよ。向こうには頷かせるだけだから。それよりも、あなたはこれからが大変なんだから、覚悟しなさい?」
「大丈夫です。純夏さんも、分かってくれていますから」
 視線を再び宙に戻す霞の返答に、夕呼は少なからず動揺した。昨晩、いつも通りの検診を行う際に純夏には夕呼が自ら、再び戦場に向かってもらうことになると伝えている。武が言っていたように、彼女はそのことは半ば予想していたようで、あれこれと言葉は使わずに「はい」とだけ、はっきりと短く答えてくれている。

 だが、実際にはそれだけでなく、鑑純夏は既にどういった形で出撃することになるのか、まで考えているということ。もちろん、凄乃皇がまだ使えないことまで見越した上で、だ。

 霞の今の言葉はきっとそういったことを表している。
「そ……。シミュレーターの手配はしておくわ。実機が届くまで自由に使いなさい」
「はい」
 夕呼はそう伝え、霞の返答を聞くよりも早く踵を返した。
 いくら万全でないとはいえ、彼女たちには簡単に死なれては困る。単純に見積もっても直援に衛士が120名もいるのだ。その彼らに強いるであろう犠牲を無下にするような真似だけは、絶対に許されない。

「博士。ありがとうございます」

 名を呼ばれ、振り返りかけた夕呼の耳に感謝の言葉が届く。それが面白くなく、夕呼はふんと鼻を鳴らすだけでそれには答えず、止めかけていた足を再び前に出した。
 何時の間にか、“彼女”を“人間”として扱っている自分がいる。
 生体反応も生物的根拠もない筈の相手に、“死ぬ”という言葉を使っている自分がいる。
 それが、香月夕呼にはたまらなく悔しかった。




 陽は沈み、世界は夜の闇に包まれる。天上では幾億もの天体が輝き、月光は最も強く地上を照らし上げている。
 不思議なものだ、と夜空を仰ぐ白銀武は胸中の想いを呟く。
 常に満ち欠けをする月は大昔から神秘の象徴と見なされ、時に信仰の対象となり、時に文化人の題材となり、常に太陽と相反する存在として扱われ、崇められてきた。その念は今尚、ヒトの中に息づいていると感じるのは、きっと武の気のせいではない。

 だが、それとはまた別の、もう1つの事実だって誰もが知っている常識。
 遥か38万km彼方の世界は、疑いようもなくBETAの支配域。そこから派生したユニットが上位存在であるコアを乗せ、地球を蝕もうと飛来するのである。

 その事実があって尚、人類は月を忌み嫌わない。それは考えれば、少し不思議な感覚だった。だがきっと、月という存在はそれだけ人間の心を揺り動かし、趣を育て上げてきたのだろう。
 だから、ヒトは月の認識を改めないのだ。

「さあ、白銀中佐。中佐の番ですわ」
 そう声をかけられ、武は視線を地上に戻す。見れば、ついさっきまで前に進み出ていた風間祷子が武の右隣へ戻っており、その瞳で武を促していた。
 彼ら13名、月下に立ち並ぶ桜の前に整列している。対峙する正門から続く桜並木の一翼には、歪んだ鉄骨が立てかけられていた。
 それは墓標。英霊の魂を慰めるような仰々しいものではなく、彼女たちの死を彼らに刻むために立てられた、彼らにしか分からない、彼らにだけ分かれば良い、ただの墓標だ。
「はい」
 武は祷子に応え、墓標の前へと進み出る。その手に携えられた一輪の花と黙祷を、先任に倣って英霊に捧げる。
 彼らが弔うのは神宮司まりもと伊隅みちる。武を兵士として練成した者が神宮司まりもならば、伊隅みちるは武を衛士の高みへと一段導いた上官だった。どちらも、今の武のあり方を語るのに欠かすことの出来ない人物である。
 やがて、瞑っていた目をゆっくりと開いた武は向きを保ったまま下がり、列に戻る。それに続いて前に進み出るのは、彼の左隣に並んだ涼宮茜だ。
 献花の順番は階級と任官期に倣っている。だから、中佐である武の順番は本来、速瀬水月と涼宮遙の間にあるべきなのだが、彼はそれを丁重に断わった。同期である榊千鶴や御剣冥夜の次で良いとも言ったのだが、その案は彼女たち全員に丁重に断わられている。
 結果として、武の位置は祷子の次、茜の前という譲渡案に落ち着いたのだ。
 今日は彼女たちの命日ではない。だが、死者を弔うのにそんなことは関係なく、彼らはこうして、全員が揃うことの出来る最後の日にこうすることを決めた。
 3年半。あれから3年半という月日を、彼らは1人も欠けることなくこの世界を生き抜いてきた。その姿を見せるためにも、自分たちはここに集ったのである。

 茜が終われば、次は彼女と同期の柏木晴子。普段は明るく、姦しい彼女も今は厳かに英霊を弔う。献花と黙祷を捧げれば、同じように列に戻ってゆくだけだ。そこには不用意な軽口など一切ない。

 続く榊千鶴、御剣冥夜、鎧衣美琴、彩峰慧、珠瀬壬姫もそれは変わらない。各々が思うところは違うのかもしれないが、その心中の捧げ方は皆一様に同じ。花を捧げ、ただ黙して死者に語るのみ。

 そして、その順番は最後となる13番目の者 鑑純夏へと回った。




 初めまして、と。
 墓標へと花を捧げた純夏は心の中でそう挨拶を述べる。お互いの立場はどうあれ、純夏の認識がどうあれ、彼女は神宮司まりもと伊隅みちるの2人とは面識がない。
 だから、初めまして。ヴァルキリーズの誰もが尊敬してやまない2人が、話したこともない自分を歓迎してくれるかどうかなど分からないが、純夏は自分の意志で足をここに向けた。そしてそれを、純然たるヴァルキリーズの衛士たちはそれを受け入れてくれた。
 素直に嬉しいと思う反面、偉大なる英霊は紛い物の自分がこの場に立ち会うことを許してくれるかどうか、怖い。
 この身体が持つリーディング能力も死者の心は読み取れないのだから。

 ありがとうございます。

 しばし考えたが、結局、純夏はそう言うしかなかった。考えれば考えるほど、頭はぐちゃぐちゃになり、その言葉しか浮かんでこなかった。

 ありがとうございます。

 もう1度、告げる。今度はきちんと伝えたいことを整理して、その上で御礼の言葉を紡ぎ出した。

 私は、ずっとみんなに守られてきました。こんな身体で、こんな力を持っていて、人間じゃない私を、そのことを隠している私を、みんなは守ってきてくれました。きっとこれからも、私は守られてしまうんだと思います。

 どんなに純夏が己を厳しく律しようとも、彼らはその目的を果たすべく、純夏を護るのだろう。自身がただの衛士なのに対し、鑑純夏は“特別”なのだと説明を受け、それを享受することによって、どんな思惑があるにせよ、守護する立場に回るのだろう。
 騎士は王を護る。では、王は騎士を護るのか。
 答えは否、だ。王には騎士一人一人を護る力がない。王は国を維持し、大多数の民を護る体制を造り上げることしか出来ない。だがそれは、王となった者にしか出来ない。
 この鑑純夏は敢えて喩えれば王。それを守護する戦乙女は、己自身の安全を二の次に、“大多数を救うため”に“鑑純夏を護る”。
 それは目的ではなく、単なる手段。
 彼女たちはそれぞれが護りたいものを護るため、その“最短の手段”として鑑純夏を利用する。そして鑑純夏は、自身の安全が第一に優先されることの引き換えに、その存在が手段として利用されることを享受する。
 大袈裟かもしれないが、そんな図式は世界のどこにだって溢れている。
 人はどうして他人を愛するのか。それは愛されることを求めているから。
 人はどうして声を上げて泣き喚くのか。それは慰められることを期待しているから。
 人はどうして怒り、弁を揮うのか。それは相手が自身を省み、襟を正すことを望んでいるから。

 だけど、純夏はそれを決して汚いとは思っていない。だってそれは、本当に、本当に身近なところに溢れていることなのだから。
 「友情や愛情は見返りを求めない」という論はきっと嘘。そもそも、見返りとは何なのだろう。
 友情に対する友情は見返りではないの?
 愛情に対する愛情は見返りではないの?
 リアクションのないアクションなど、誰も好まず、誰も行わない。そこに期待出来る結果が存在しなければ、人はそこに向けて足を踏み出さない。
 ただ、それだけの話。
 そう考えたら、純夏の特殊な双眸でも、世界が少しだけ綺麗に見えた。

 私が生きていられるのは、守ってくれる人たちがいるから。守ってくれる人たちがいるのは、御二人がみんなを生き残らせてくれたから。
 だから、ありがとうございます。

 私は人間じゃなくて、ヴァルキリーズの一員でもありません。みんなが本当に守りたいものは、私なんかじゃないってことも分かっています。
 だけど、ありがとうございます。

 私は……私にしか出来ないことで、御二人の想いに応えてみせます。

 それが鑑純夏にとっての話したこともない2人への弔いであり、決して誰にも言うことの出来ない独白だった。




「あれ?」
 マリア・シス・シャルティーニが横浜基地のPXで一息ついていると、不意によく知る人物の素っ頓狂な声が上がった。そのため、その人物にはマリアのみならず、同じようにPXで寛いでいる兵士たちの視線が集まる。
 既に所属部隊の訓練時間は終了し、これより消灯時間までの小一時間は兵員たちにとって限られた自由時間となっている。各自がそうやって自らの時間を謳歌しているためか、このPXも人が疎らだ。
 そんな状況で素っ頓狂な声を上げれば、注目されるのは当然のことであり、声の主である彼女も小柄な身体を更に小さく竦ませる。
「どうしました? ヴァンホーテン少尉」
 どう捉えようとも、マリアはPXの中にいる人間の中で最も彼女と親しい間柄だ。何せ、その、小さく身動ぎしているリィル・ヴァンホーテンは自分が副長を務める連隊の部下である。
「あ……えっと、白銀中佐と鑑少尉が戻られたって聞いたんですけど……シャルティーニ少佐はご存知ありませんか?」
 そこでようやくマリアの存在に気付いたらしく、そう言いながら慌てた様子で駆け寄ってくるリィル。その姿は実年齢よりも彼女を幼く見せ、申し訳ないと思いつつもマリアは思わず口元を緩めてしまう。
「外部から戻られてすぐに出てゆかれましたよ。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の方々も一緒です」
 リィルの疑問にマリアは答える。確かに、彼女の言う通り武と純夏の2人はつい先刻、帝都方面からこの横浜基地へと帰還した。話に聞いただけだが、斉御司家の公用車で送り届けられたらしい。
 しかし、その2人も部屋に荷物を置いてすぐにまた出ていってしまった。ただ、当初からそれは決まっていたことのようで、同じように戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長たちもPXをあとにしていっている。
 そこにおいてマリアはとやかくと詮索していない。彼らが元々、同じ中隊に属していた衛士であり、この横浜基地が衛士としての彼らを育て上げた地だというのなら、そこにはマリアなどに割って入れない何かがある筈だ。

 ならば、部外者は部外者らしくそれを見送り、帰りを待つだけの話である。

「そうですか……。社少尉もいらっしゃらないんですけど……同じ用でしょうか……?」
「いえ……社少尉の方は分かりませんね」
 少なくとも、マリアが見た中に社霞の姿はなかった。無関係と断定する根拠は少ないが、1度部屋に戻って着替えた武と純夏もPXに集合したのだから、そこに霞がいなかったということは恐らく別の用件があると考えられる。
 リィル・ヴァンホーテンと社霞は思いの外、仲が良い。マリアの目から見てもお互いに社交性がある方ではないため、仲が良いと言うのは少し大袈裟かもしれないが、寧ろそれが原因で親交が際立っているようにも思えた。
 それでも、お互いの時間が空いている時はリィルが霞からあやとりという日本の伝統遊戯を教えてもらっていたり、弾んでいるのかどうかは測りかねるものの談話していたりするのだから、やはり2人は親しい間柄なのだろう。
 第27機甲連隊においては数十名の部下を持つ情報班の責任者である故、リィルとそういった親しさを持つ同年代の女性兵はほとんどいない。そういったことも相まって、リィルと霞が一緒にいるところを見た時、マリアは新鮮に感じ、また微笑ましくも思っている。

「社少尉ならエレベーターに乗って下りていくの見ましたよ。多分、“下”じゃないですか?」

 うむむ、と唸るリィルの後ろからやってきた少年……同じくマリアにとっては部下に当たるヘンリー・コンスタンスが社霞の行方について提言した。彼の意図する「下」とは即ち、この横浜基地において一定以上のセキュリティを持つ階層のことだ。
 横浜基地は1999年の明星作戦において制圧されたH22「横浜ハイヴ」の上に建造されている。地表構造や横坑・縦坑といった部分は残らず排除されているが、中央の主縦坑は残されていると聞く。恐らくは、研究目的で最深部の反応炉も残されたのだろう。
 そういった要因もあって、見た限りこの横浜基地のセキュリティレベルは、一部を除く地上施設が最も低く、地下に下りるごとに高くなってゆくという特徴があった。
 マリアやリィル、今現れたヘンリーやユウイチといった部外者が下りることを許されるのは、兵舎階層より1つ下の、ブリーフィングルームが軒を連ねる階層までである。そこから下は、昨日、香月夕呼によって招かれたように、招待されない限りは関わることなど出来ない。
「中佐たちの方は、仕方ないですよ。今日が最後ですから」
「そうですね」
 ヘンリーの言にマリアも同意した。最後、というのはあくまで比喩だが、ともすれば彼らにとって本当に全員が揃う最後にもなり得る。寧ろ、桜花作戦以降3年間……いや、桜花作戦を乗り越えて尚、中隊衛士があそこまで存命していることが普通ではないのだ。
 今や日本本州は中衛に当たるとはいえ、やはり彼ら一人一人の優秀さがよく分かる。

 武も含め、マリアたちは明日、イギリス プレストンのホームへと帰投する。だから、マリアたちにとっても今日が日本で過ごす人生最後の夜となるかもしれないのだ。
 そこに、彼女自身は何の感傷もない。だが、この日本を故郷とする者はどうか。
 離れる者にとっても、それを見送る者にとっても、今日はきっと特別な意味があるのだとマリアは思う。

「オレたちもオレたちで休暇最後の日を満喫しましょう。オレたちに課せられた責務は……生半可なものじゃありません」

 お茶で満たされたカップを持ち、マリアの正面に腰を下ろしたユウイチ・クロサキがそう告げた。彼の登場と、その行動にリィルとヘンリーは唖然としている。
 ユウイチは元々、ついさっきまでマリアの向かいで同様に一服していたのだ。だから、マリアに対して着席の許可を伺わなかったのである。それが2人には驚きだったのだろう。
「コンスタンス中尉、ヴァンホーテン少尉、そんなところに立っていないで、座ったらどうですか?」
 そんな2人に対してふふっと微笑み返し、マリアは座るように勧めた。一瞬呆気に取られた様子のリィルとヘンリーだったが、すぐ同時に敬礼を返す。仰々しいと思いながらも、根が真面目な2人だから仕方がないかと、マリアは心の中で納得しておく。
「えっと……僕もお茶飲もうかな」
「あ、じゃあ、私が持ってきます」
 ユウイチを見ながらヘンリーはそう呟く。それを聞き逃さなかったのか、リィルは言うが早いが手を挙げて駆けていった。そんなつもりはなかったのだろうが、止める暇もなかったためにヘンリーは苦笑気味でユウイチの隣に腰を下ろす。
「もうみんな基地に戻っているのかな?」
「ヴァンホーテンの話じゃ、ノーデンス大尉は一昨日にもう戻ったらしいぞ」
「え? 本当に?」
 驚くヘンリーに対し、マリアの正面でユウイチが「ああ」と頷き、お茶を口に含む。彼の外見とあまり饒舌ではない性格から、その姿はマリアも感心するほど様になっていた。
「ほとんどの兵員は今日中にプレストン入りするでしょう。明日には……いえ、揃ってもらっていなければ困りますね」
 自分たちが戻れば総員揃う筈、と言いかけてマリアは言い直す。明日から正式に連隊が再稼動することになるのだから、揃っていなければ寧ろ問題だ。
 ただ1つ気がかりなのは、依然、レナ・ケース・ヴィンセントから人員補充の件で連絡がこないということ。今日はマリアも基地の片倉美鈴と連絡を取ったのだが、そのような話は承っていないとのことだ。
 彼ら第27機甲連隊の6個戦術機甲中隊はH11制圧作戦において総計20名もの戦死者を出した。現状ではまだ完全充足の中隊はない。
 無論、マリアも欧州方面の人事状況が芳しくないことも理解しており、武と共に悪い可能性も考慮に入れている。それに、衛士として本当に最悪な状況は機体の確保が出来ないことだ。その点において言えば、不知火弐型という最高水準に近い第3世代機を優遇してもらえたことでクリアしている。
「コンスタンス中尉、お待たせしました」
「あ、うん、ありがとう。ヴァンホーテン少尉」
 そこへ、自分とヘンリーの分のお茶を持ってきたリィルがマリアの隣に腰を下ろす。彼女が座るのは大抵がマリアの隣か武の隣だ。彼女はそのまま自分の分のカップに口をつける。
「あつっ……」
「うん? ヴァンホーテンは猫舌だったか?」
「はい……はぁ……」
「僕はこれくらいの温度がちょうどいいなぁ」
 湯気を上げているお茶を飲むのを断念したリィルの向かいで、ヘンリーが口に含んだお茶を喉に通す。一般的に言えば、リィルのように口もつけられないほど熱くはないが、ヘンリーのようにそのまま喉に流し込めるほど温くもない筈だ。どうやら彼は彼で熱い飲み物には強いらしい。

 そんな3人のやり取りを眺めながら、マリアはまた微笑む。歳の近い彼らの会話は最近になって本当に親密さが出てくるようになった。お互いに部下を抱える士官であるため、ホームにいるだけではここまで距離を近付けることは出来なかったかもしれない。
 そう考えれば、武について日本に来たことも大きな成果をもたらしたと言えるだろう。

 こうやって、彼らが歳相応の会話を純粋に楽しめる非日常は終わり、明日にはまた自分自身も含めて兵士としての日常へと舞い戻ることになる。
 それを、彼らは一様に当然のことと受け入れる心構えを持っていた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第53話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/11/28 00:03


  第53話


「御帰還、お待ちしておりました!」
 日本を発った再突入型駆逐艦から武たちが降下すると、既に基地待機していた兵たちが整列して迎えに出ていた。武がいない間、このイギリス プレストンにある第27機甲連隊ホームを取り仕切っていたレイド・クラインバーグの号令で、その全員が一斉に敬礼する。
 見渡す景色はそれでも懐かしい。生まれ故郷ではなく、まだ身を置いて半年も経ったわけでもないのに、ここは確かに武にとってもホームグラウンドだった。
「御苦労。各自、業務に戻ってくれ。整備、通信、衛生の各班長は定例報告を」
「はっ!」
 歓迎に敬礼で答え、解いた手で軽く解散を促しながら武はそう指示を出す。彼のその言葉に背筋を伸ばした兵士たちは、一様にそれぞれの持ち場へと駆け足で戻っていった。
 その場に残ったのは、各部署の責任者と部隊の隊長陣のみ。
「………で、ほんとご苦労だったな、レイド。いろいろ任せっ放しで」
「ノーデンスとアルテミシアの2人がいないだけで随分と違いましたよ。基地自体も事実上は非稼動状態ですからね。尤も、先日のBETA侵攻の際は奔走させられましたが」
 一兵の部下たちの姿が見えなくなってから、武は砕けた口調に戻し、改めてレイドに労いの言葉をかける。対し、レイドも肩を揺らしながら小さく笑い、本気とも冗談とも取れない落ち着いた声調で答えた。
「クライン大尉の前言撤回を要求します!」
「エレーヌに激しく賛同します!!」
「まったく……常日頃から発言の軽いあなたたちが何を言っているのですか……」
 レイドの発言を受けて猛抗議を示すのは名前の挙がったエレーヌ・ノーデンスとディラン・アルテミシアの2人。前髪だけ凄まじい癖毛の女とくたびれた金髪の男が肩を組み、直訴しているその光景はなかなか面白いものだ。どちらも国連軍の軍服を纏っているのだから更に奇妙この上ない。
 そんな2人にいつものようにマリアはため息をつき、静かな口調で叱責する。口調から察するに、まださほど怒ってはいないが。

「ヴァンホーテン少尉、ああいうのを日本語で『徒党を組む』っていうんですよ~」

 横を向けば、良い笑顔で衛生班総轄の片倉美鈴がリィル・ヴァンホーテンに正しい日本語講座を開始していた。
「肩を組むことですか?」
「いえいえ。『徒党を組む』とは『一致団結してことに当たること』を意味しています。ですが、本来、『徒党』とは『悪いことをする仲間』の意がありますので、徒党を組む場合、悪事を働くことが前提になりますね」
「悪事………」
 美鈴の説明にそう呟きながら呆れたようにエレーヌとディランに視線を向けるリィル。武も成程なぁと内心頷きながら、同じように2人を目で追った。幸か不幸か、武たちの視線に気付かず、尚も抗議を続けるエレーヌとディランは確かにこれ以上なく『徒党を組む』を体現している存在だ。
 ただ、どう考えてもただの小悪党だが。

「不知火弐型の調整は?」
「は。現在、予備機を除き、中隊機全機、調整作業を継続しております。うちの盆暗共にとっちゃ扱い慣れない機体なんで、最終調整に今日一杯、お時間をいただければと思います」
 並んだ小悪党どもから視線を逸らし、武は軍服ではなく作業着姿の男にそう問いかけた。それに答える作業着の男は、整備班総轄のケヴィン・シルヴァンデールだ。
 その回答もおおよそ予想通り。極東方面で腕を揮っていたこともあるケヴィンと違い、彼の部下たちのほとんどは欧州の人間だ。日本の戦術機など扱い慣れるものではない。それでも混乱せず整備班が稼動しているのは、ケヴィンの腕が良いことと、先月のH11制圧作戦の折に戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の不知火に触れていることが要因として大きい。
「まあ、今日は実機を使うつもりもないから、明日までに確実に仕上げてくれ」
「はっ!」
「えぇ……Type-94[second]、まだ使えないんですか?」
 ケヴィンが敬礼するのとほぼ同時に、肩を組んでいたディランを振り払ってエレーヌが非難がましい声を上げる。彼女は器用にも徒党を組みながらこの話は聞いていたようだ。どうやらエレーヌは早く不知火弐型の実機に搭乗して暴れたいらしい。
 Type-94[second]は不知火弐型の俗称だ。本来はその開発計画の名称から、XFJ-01aという名が取られているのだが、基礎となっている不知火の通称により、関係者も余程のことがない限りType-94[second]の俗称で呼んでいる。
「Type-94でもラファールより出力高めでしたから、シミュレーターで慣らしてからの方がいいですよ、ノーデンス大尉」
「実感こもってるじゃん。乗ったね? クロサキ中尉」
「ええ、少しだけ」
 あっさりとしたユウイチ・クロサキの言にエレーヌは「うぅ……」と悔しげに呻き声を上げる。一緒に日本に行っていた武も、彼が戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)のシミュレーター訓練に参加したことは知っていたが、実機搭乗していた話は聞いていなかった。恐らく、訓練参加ではなく、軽く動かしてみた程度だろう。
「……まあ、Type-94[second]じゃ中佐に訊かないと掴めないところもあるだろうから、俺はいきなり実機に乗るのは正直ちょっと怖いな」
「シミュレーターならいくら撃墜されても実機を壊すわけではないからな」
「勘弁してくださいよ、クラインバーグ大尉」
 あっさりと組んだ徒党が解消されて、参ったように頭を掻きながらディランも不知火弐型について言及する。この話題に対してはエレーヌに賛同するつもりは毛頭ないようだ。
 それに対して腕組みをしたレイドが珍しく薄く笑って冗談っぽく応じるので、ディランはやや身を竦ませる。本気で狼狽しているように見えるのは武の気のせいではないだろう。
「シミュレーターの方に弐型のデータは反映させてあるのか?」
 この基地のシミュレーターで弐型を使うには、機体データを登録する必要がある。流石に欧州には正式配備されていない戦術機のデータなど、デフォルトでは入っていないし、必要もないからだ。
「あ、え……っと、曹長、どうですか?」
 武の問いにリィルがすぐ部下へ問い直す。武同様に日本に行っていた彼女が知る筈もないのだが、システムを管理している情報班は彼女の総轄部署。故にリィルの留守中に指揮を執っていた副班長も、形式上は発言するに当たってリィルの許可が必要だった。
 尤も、それを武やリィル個人が必要としているかどうかは別の話であるが。
「は。先日、日本軍より送られてきましたType-94[second]のシミュレーターデータの登録は完了しています。ラファールにて強化装備が蓄積したデータも反映されるので、使用も即時可能です」
「了解。とりあえず、明日一杯は慣らし運転だな。模擬戦なんかは明後日くらいから始めるのが堅実か」
 通信兵の言葉に頷き返し、武は計画のおおよそを口にする。まったくもって、初回搭乗から数時間後に実戦をやる羽目になった人間の言葉ではないが、あのような進退窮まる状況に部隊ごと身を翻すのは御免被る、というのが武の本音だ。

 元より、実戦でしか培えない経験もあるが、一から十までを実戦で学び取り、生き残れるような人間はほんの一握りしかいない。100人いれば10人生き残れるか否か、のレベルである。

「挙動制御に関してなら、柏木少尉や水城少尉に訊いてもいいんじゃないですか?」
「そうだな。XM3の時といい、あいつらいてくれてほんと、助かるよ」
 ヘンリーの意見には武も同意する。彼らもここに来る以前は極東国連軍の部隊衛士だ。配備された機体がどうだったのかは詳しく知らないが、少なくとも彼らが訓練兵の時は吹雪を使わせていた。機体特性から考えれば、それでも欧州方面の人間よりは不知火弐型に関して造詣は深いだろう。
「まあ、273戦術機甲中隊(ハンマーズ)はすぐに慣れさせてみますよ」
 根拠があるのかないのか不明だが、エレーヌはその大きな胸を張って自信満々に宣告してみせる。彼女の言う「すぐ」が具体的にどのくらいの時間を指すのか分からないが、彼ら273戦術機甲中隊(ハンマーズ)も含めて全員が正規の衛士だ。
 戦術機の基礎的な操縦系がまったく同じであることを考えれば、感覚を掴むのに2日も3日もかかっていては寧ろ営倉に放り込みたいくらいである。

「………他に何か変わったことは?」
 1度全員の顔を見回し、武はそう訊ね直す。尤も、ここまでの報告だってそう珍しいものがあったわけではない。本当に変わったことがあれば、まず報告されていて然るべきである。
 だから、武にとってこの質問は業務報告を終わらせる前の決まり文句に等しかった。
「あの……1つよろしいでしょうか?」
 だが、その思惑とは裏腹に1人の通信兵がおずおずと挙手した。全員の視線が彼に集中し、一層身体を強張らせる。
「どうした?」
「あ……はい。実はつい先刻、第2師団本部から物資が送られてきまして……」
「物資……? 弾薬の類は陳情していなかった筈だが……整備班の方は?」
「補修部品に関しては覚えがありませんね」
 腕組みしたままむぅと唸り、怪訝そうに眉間に皺を寄せるレイドの言葉に、ケヴィンも否定の旨を答える。そもそも、何の前触れもなく物資が送られてくること自体が奇妙な話だ。武たちが日本から戻ってくる日に合わせられているように思えるのが、非常に胡散臭くもある。
「日用雑貨の支給品がほとんどですが……1つ、露骨に毛色の違うものが混じっています」
「ほう」
 よほど毛色が違うらしく、報告する通信兵自身も戸惑っているようだ。日用雑貨の支給品に混じっていったいどんな代物が送られてきたのか想像も出来ず、武はディランやレイド、ケヴィンと声を揃えて相槌を打つ。
「それで、いったい何が送られてきたんですか?」
 自分の部下とあってか、リィルが率先して回答を促す。「はい」とそれに頷いた通信兵は武たちの顔色を1度窺ってから、ゆっくりと口を開いた。

「JIVESです」




「成程、確かにJIVESの管制主機だな」
 肝心の物を放置しているブリーフィングルームに案内され、実物を見た武は顎に手を当て、納得したように頷く。
 そこにあったのは、見紛うことなきJIVESの中枢管制主機。統合仮想情報演習システムとも呼ばれるJIVESは実機に乗りながらシミュレーター訓練のような演習が行えるという画期的なシステムだ。
 演習内容によっては複数の戦術機と衛士へ同時に仮想情報を送信し、データリンクで共有する必要があるため、存外に大仰な外部管制主機を持つ。その高価で大仰な管制主機が今、武たちの目の前にあった。
 しかしながら、画期的なシステムである故に大抵の基地には配備されている代物だ。このプレストンとて例外ではなく、武たちも実機による訓練において幾度となく活用している。今更、別の管制主機を送られてきたところで困るだけだった。
「何でこんなもの、師団本部は送ってきたんでしょうか?」
「さあな」
 率直な疑問を口にするリィルに、ユウイチが同じように首を捻る。言葉の反応自体は淡白だったが、やはり彼もかなり疑問に感じているらしい。
 同様に訝しく思う武はまじまじとその装置を検分するが、そこでふとあることに気付いた。

「ケヴィン……これ、型番新しくないか?」

 主機に付属したプレートに刻まれた数桁の英数字を指し、武はそう問いかける。その言葉にケヴィンとリィルの2人が横に並び、同様にプレートを覗き込んだ。
 そして、同時に「ふむ」と小さく相槌を打つ。
「中佐の仰るとおり、確かにこの番号は最近製造されたものでしょう。成程、ナリは同じだが入れられたOSは最新型ってわけですかい」
「最新型のJIVESっていえば、いろいろ局所的な戦況設定が追加されてるって話でしたよね?」
「ああ。ようやく船団級からの奇襲状況がトレースされたって、師団本部の連中の間じゃ話題になってたって話だぞ?」
 首を傾げるヘンリーに答えるのはディランだ。そういう彼も又聞きした話でしかないのか、答えつつもしきりに首を捻っている。そうだとすれば見事なものだ。あれほど出現例も少なく、個体情報も少ない船団級の襲撃パターンを再現出来たのならば、最初の発見から3年半でも充分に早い。
「CPUも格段に良くなっていると聞く。処理速度の向上により、1度に再現出来るBETAの総数も相当上がっている筈だ。実機に乗ってあの物量地獄を再現されては、死ぬ心配のないことを除けばほとんど実戦だな」
「その辺はシミュレーターで充分だと思うんですけどねぇ」
 皮肉めいた言葉を真顔で言うレイドにエレーヌが苦笑混じりで返す。その辺りは流石に武も同意だ。実機で再現するには広大な空間を必要とするハイヴ制圧同様、どうしてもシミュレーター訓練の方が手軽に済むものも存在する。
 それでも、実機の操縦桿を握らなければ分からないほどの微妙な感覚を重視する点が、最前線の衛士には多い。
 否、最前線の衛士だからこそ、と言うべきだろう。
 通常、ハイヴ制圧戦に投入され、尚且つハイヴ突入を敢行する部隊は後方にて相応に訓練の施された部隊だ。防衛線の守備を司る最前線の衛士たちにとっては、いつか来る攻勢作戦の準備よりも、明日来るかもしれないBETAの襲撃に備える方が重要なのである。
 だから彼らは実機に乗ることを重要視する。無論、それは機体に不用意な過負荷をかけないことを大前提とするが。

「何でこんなものを師団本部は送ってきたんでしょうかね?」

 エレーヌの疑問に武ははてと頭を傾け、自分も同様に疑問だ、という旨を表現する。こんな新型はまだ各方面の主要基地にしか配されていない筈である。厳密に言えば、これの送り主は師団長であるレナ・ケース・ヴィンセントであると考えるべきなのだろうが、あのやり手が今度は何か考えているか定かではない。
 大方、H11での功績を評価され、“更に過酷な戦場へと栄転する”ことになるということの前祝いなのだろうが。
「マリアは何か知らないか?」
 武自身も知らないのだから、事実が何かマリアも知る筈がない。それは分かっていながらも武はそう訊ね、先刻から黙っているマリアに振り返った。
 と、そこで一瞬、言葉を失う。
 何故なら、すぐにマリアが視線を逸らせたからだ。
「………何か、知ってるのか?」
 訳知り顔というわけではないが、どう見ても「何も知らない顔」というものでもない。彼女がこういう反応をする時は、大抵が“良くないこと”を予感している時だ。真面目なマリアは基本的に、その情報が良かろうが悪かろうが、確証ある事実ならばしかと報告する。
 確証がないが、良い結果を確信している時も進言してくる。
 確証はないが、悪い結果を確信している時も進言してくる。
 だが、最悪な事態でもなく、それでも決して良いことではなかったならばどうだろう。

 マリアは進言しない。自らの言が、ただ武の気分を害するだけだということを理解しているからだ。

「確証はありませんし、ヴィンセント准将の考えの委細までは知りません。ですが、その思うところと言いますか……思惑は想像出来ます」
 マリアにしては嫌に歯切れの悪い言い方だった。言葉から余計な不安を煽らないようにしているつもりなのだろうが、態度が寧ろ不安感を醸し出している。
 元より、この中でレナと最も付き合いが長いのはマリアだ。向こうがこういう行動に出てきた時、いったいどんな思惑があるのか、おおよそ見当がついているということだろう。
「詳しく話せ」
「……は。ヴィンセント准将がこうやって何の宣告もなく貴重なものを送ってくるというのは……大抵が何か言い出し難いことを口にしようとしている時です」

 絶句する。言葉は出ないが、口も閉じていない。絶句すると同時に、開いた口が塞がらなかった。

「こっ……子供か、あの人は?」
「いますよね、出来るだけ相手の機嫌を取っておこうっていう子供。白銀中佐はどうでした? 自分の誕生日とか近付くと、嫌に親孝行とかしたりしませんでした?」
 頬を引き攣らせる武の言葉に、誰もが言葉を失っている中、唯一普段と変わらない口調でおどけたように言う片倉美鈴。まるで他人事だ。余程、肝が据わっているに違いない。
「余談ですが……直後、ヴィンセント准将から連絡があった場合はほぼ確定です。これは機嫌を取るものではなく、有無を言わさないための材料に過ぎません」
「どこまでも迅速だな、准将は」

「ふっ……上官である私が迅速でなければ貴様等も困るだろう?」

 元から有無を言わさない性格だろうにと、武が失笑気味に皮肉ると、明後日の方向から聞き覚えがあるが、今はあまりにも聞きたくなかった声でそう告げられる。
 戦々恐々と部屋の入り口へと視線を向ければ、そこにはしたり顔の当人 レナ・ケース・ヴィンセントが腕組みをしたまま立っていた。
 生憎、師団長自らの御登場にも、敬礼で応えられるほど狼狽していない人間はいない。美鈴だけは例外だが、空気を読んだのか読まなかったのか、同様に敬礼はしなかった。
「機体の面倒はこちらで見てやれなかったからな、一応は気を遣ったつもりだ。元々、この基地は施設こそ新しいが、設備は使い古しが多かっただろう?」
 口元を緩め、レナはそう言ってから微笑む。基本的にマリアを一兵から育て上げてきた兵士らしく、口を固く結んでいるのがレナだ。こうやって目下の人間しか集まっていない状況で笑うのは、皮肉か挑発の意味を孕んでいる場合が多い。
 それがまったく感じられないところが、異様に気味が悪かった。
「………直接出向かれた時は更に危険です。御本人にとって、非常に言い出し難い内容なのでしょう」
「なるほど」
 武でも見たこともないような爽やかな笑顔のレナに向き合ったまま、マリアが武へとそう囁く。普通は面と向かうより電話の方が言い難いことも話し易そうなものだが、恐らくはレナの義理堅い性格が邪魔をしているのだろう。
 彼女は基本的に、尽くせる礼は尽くす人間でもある。レナの方から訪問してきたとなれば、何を言われるのか分かったものではない。
「ある程度は見越していたつもりだが、先日のBETA侵攻の事実で欧州もその他各方面も物資や人事関連にシビアになってな。ラファールに代わる機体を日本から提供してもらえたことは不幸中の幸いだ」
「それも……まあ、仕方ないことですよ。他に手を回して自分のところが手薄になっちゃ拙いですから」
 普段より饒舌なレナ。だが、その発言は実に尤もだった。
 H12制圧後の人員補充のように、現在主戦場となっていない地域から人員を回してもらうというのは、人脈を使った最終手段だ。あの時の場合、レナと香月夕呼の繋がりももちろん重要だったが、何よりも提供する側の極東方面にある程度の余裕がなければならない。
 あの段階ではまだあったのだが、先日のユーラシア大陸全域におけるBETA侵攻によって各方面は軒並み防衛基準を高めており、しばらくは安全策に走るだろう。
 つまり、欧州方面は純粋に欧州戦力で賄わなければならないということ。更に、補給物資や人員は優先的に前線守備隊に回されることになる。武たちのところに回されてくるのはその後だ。
 不知火弐型だって、もし先にBETA侵攻が発生していたらここまですんなりと譲渡されたかどうか怪しいところもある。

「うん、まあ、そういうことだ」
「は?」
「だから、そういうことだ」

 結局、肝心なところは何一つ言っていないようなレナの結論に、武のみならず全員が思わず眉をひそめる。だが、露骨に疑問を表現したところで、レナから返ってくる返答は変わらない。
「すみません、准将。ちゃんと言ってください」
「人員補充がない」
 即答だった。救いようもなく即答だった。その言葉に、誰もが一瞬沈黙する。
「……1人も?」
「1人も、だ」
 再び即答。H11制圧作戦において第27機甲連隊の戦術機甲部隊は合計で20名の戦死者を出している。ハイヴに突入していながら52名もの衛士が生還したのだから、結果としてみれば極めて良好だ。
 部隊損耗平均約3.3人。小隊1個分に匹敵する。これを部隊運営の際に多いと取るか少ないと取るかは指揮官の自由だろう。現状許される、唯一の選択権である。

「私なんかより貴様の方がハイヴ突入については専門家だ。だから選んでくれ、白銀」
 レナはややトーンを落として、武にそう告げた。確かに選択の自由はあったが、半ば押し付けられたような権利だ。それでも武があれこれと言わないのは、言えないのは、レナの判断が正論過ぎるからに他ならない。

「ハイヴを制圧するに際し、各隊の総員数を削減してでも6個中隊を維持するのが得策か、それとも2個中隊を解隊して残る隊を完全充足とするのが得策か。どちらだ?」




 通路の反対側から歩いてきた士官が足を止め、1度彼女に対して敬礼をする。彼女も立場柄、それに応じて同じように敬礼を返すが、それもやや簡単なものだ。
 煩わしいと言えば確かに煩わしい。とはいえ、軍属である彼女たちには避けられない宿命である。たとえ、自分自身がそのように対応されることに大きな意義を感じていなかったとしても、香月夕呼のように部下たちにそれを「やめろ」と命じることは出来なかった。
 何故なら、その部下たちが今後関わってゆくであろう上官は決して自分たちだけではないからだ。
 今は幸運にも、そんな形式張った挨拶を重要視しない隊長陣が揃っているが、異動次第ではその部下たちはまったく逆の上官の下につくこともあるかもしれない。
 その時、彼らがまともな挨拶も出来なかったとすれば、それは兵士として育てた教官の責任であり、一端の衛士として育てたそれまでの上官の責任である。
 彼女には、育てられる側から育てる側に回った時に気付いたことが少なくとも1つある。

 訓練兵であった自分たちを練成してくれた神宮司まりもが、どうしてあれほど厳しい人だったのか。

 それは、自分たちが任官した後、どこへ配属されようとも恥をかかないようにするためだ。
 それは、悪夢のような訓練期間で培った能力を、下らない問答で棒に振るうことのないようにするためだ。
 だから彼女も、同じように部下がこの先、徒な時間にその身を費やすことがないように、軍人として最低限の礼儀は意識させているつもりだ。自分の沽券を維持するためではなく、他ならぬ部下たちのために。

「はあ………」
 敬礼を解き、尚且つ会釈をしながら部下の横を通り過ぎてから彼女は大きくため息をついた。こんな様子を部下たちに見られれば、多かれ少なかれ、そして具体的な反応こそ違えども一様に「何かあったのか」と心配されてしまうだろう。

 恐らくだが、速瀬水月はそれほどまでに、大抵の部下たちから見ればため息とは無縁の存在だからである。

 尤も、本来の彼女はため息くらい日常茶飯事の普通の女性であるし、本人だってそのことは自覚している。ただ、大抵の部下たちはそれに気付いておらず、水月自身もまた、それを悟らせまいと繕っている部分もあるだけのことだ。
 このように自分を律し始めたのはいつからだろう、と水月は考える。
 恐らく、訓練兵であった頃から多少なりあっただろうが、彼女自身がはっきりと明言出来る時期は初めて小隊の指揮官に命ぜられた頃であろう。初めて部下という存在を持ってから、先任としての意識は急激に強まった。

 それまでは、きっと自分は我武者羅だったのだと思う。

 今だって全力に近い形で走っているが、任官前後ともなれば本当にいろいろなことがあり過ぎて、自分の視野は限界まで狭まっていたような気が、水月はしている。
 その折、水月を立ち直らせるために奔走したのが前任の伊隅みちるだった。
 水月は、あの人が自分の上官で本当に良かったと思っている。A-01という部隊が、たとえどんなに過酷な任務を強いられようと、みちるの下にあれた自分は幸運だと思っており、彼女亡き後その立場を任された自分に誇りを持っている。

 若くして中佐。
 極東最大の横浜基地が誇る戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)のトップにして代名詞。
 在日の軍人で速瀬水月の名を知らぬ者は寧ろ少ないくらいだ。
 それだけの肩書きを持ちながらも、水月は自分を凡庸な衛士であると考えている。

 先に逝った先達から学び取れることなど未だに数え切れず、恐らく一生かかっても学び切れない。そんな先達たちですら、ほとんどが生前天才と囁かれていたわけではないのに、どうして自分が天才と名乗れようか。
 それに、水月の知る凄腕と言われる衛士は軒並み、彼女を上回る傑物である。
 例えば白銀武。XM3の基礎概念を生み出した彼こそ近代最高峰の衛士だ。水月が今日までの戦果を挙げられたのも、元を辿れば彼の存在あってのものである。
 また例えば斯衛軍の月詠真那、斉御司灯夜、そして九條侑香。うち、少佐にある2人は少なくとも水月が真っ向から立ち向かっても歯が立つような相手ではない。
 その点において彼らより秀でる才を持つわけでもないのに、どうして自分が秀才と名乗れようか。だから、己は天才でも秀才でもなく凡庸なのだ。

「水月~」

 不意に名を呼ばれ、振り返れば親友が追いかけてくるところだった。そもそも、この基地でも水月のことを下の名前で呼び捨てる間柄の人間は彼女しかいない。
 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)通信小隊 隊長の涼宮遙だ。訓練兵の頃からの付き合いで、名実共に水月が親友だと胸を張れる数少ない友である。
「どうしたのよ? 遙」
 衛士である水月に比べ体力が低いとはいえ、遙も文民出身ではなく正規の訓練課程を修了して任官した士官だ。その彼女が肩で息をしながら追いかけてきたのだから、水月でなくとも首を傾げたくなる。
「う……うん、さっき向こうで第3中隊(アルヴィト)の子に会って、水月とすれ違ったって聞いたから……」
「それで急いで追いかけてきたってわけだ?」
 遙の返答に水月はくすくすと笑う。本当のところ、訊ねていた問いに対する回答としては、微妙に違ったものが返ってきたのだが、そんなことはもうどうでも良かった。
「遙はこれから何か用事ある?」
「用事? ううん、ないよ」
 水月が再び別のことを訊ねると、呼吸を整えながら遙はきょとんとした顔をし、そしてすぐに首を横に振った。
 本当に、水月の友人の中でどこまでも気心知れた仲として付き合える親友は彼女だけだ。自分たちが軍人でなかったとすれば、A-01時代からの部下たちも全員を友人と表現してもおかしくないのだろうが、親友と呼べるのは彼女しかいない。

 もう、彼女しか生き残っていない。

「じゃあ、ちょっと散歩に付き合ってよ、遙」
「え? どこに行くの? 水月」
「べっつに。ただ、基地の中をウロウロするだけ」
 笑った水月はそのまま遙の返答を聞くよりも早く歩みを再開する。水月だって元々、何か用事があって出歩いていたわけではない。ただ、少しだけ考えごとと、気分転換をしたかっただけだ。
「それ、徘徊っていうんじゃないかなぁ」
「細かいこと気にしないの」
 よくよく考えれば尤も過ぎる遙の弁も、今の水月は封殺する。悩んでいた時、他の相手には独りにして欲しいと思うことがあっても、遙には傍にいて欲しいと感じることも水月は少なくない。

 自分はきっと遙のことを振り回している。

 それが分かっていても、親友の温かさだけはどうしても手離せない。それくらい自分は弱くて、それくらい自分が我が侭だということも、水月は理解していた。

「もう……待ってよぉ、水月」

 それでも、遙は嫌な顔一つせずについてきてくれるから、嬉しい。だから、たとえ遙が水月のことをどう思っていようとも、水月は自信を持って遙のことを親友だと言うことが出来るのだ。
 水月の隣に遙が並ぶ。その状態で歩きながら、ほんの数秒だけ静かな時間が流れた。水月にすればそれは失策だったが、実のところ取り繕うほど今の水月には心に余裕などない。
 いや、きっと水月は心のどこかで遙が踏み込んできてくれることを望んでいる。自分らしくない沈黙を続けてしまうと予想出来ていながら、彼女を散歩に誘った自分は、恐らく今の心情をほんの一撮みでも良いから、知って欲しいと思っているのだ。

「副司令に呼ばれたみたいだけど、何かあったの?」

 それに、涼宮遙はおっとりとしているようで相当に鋭い。水月が初めて彼女のことを知った時から意外なほど核心を突くことがあったが、軍人として入隊してからその鋭さは急激に増した。
「………今後のことだけどね、社と鑑の護衛であたしたちも最前線に向かうことになるわ」
「凄乃皇が?」
 遙の問い返しに水月は黙って首を横に振る。A-01部隊から活躍していた遙なら、当然その結論に行き着くだろう。実際、水月も同じことを香月夕呼に問い返した。
 だが、返ってきたのは否定である。
「凄乃皇は整備やら何やらで実際に使えるようになるまで1ヶ月以上かかるって。それまでは戦術機で代用するみたい」
 自分で言っておきながら、奇妙な話だと水月は思った。
 情報収集が最大の目的と夕呼から説明を受けたが、何故、“社霞と鑑純夏でなければならないのか”ということに関しては一切の説明がなされなかった。水月もそれは寧ろ当然のことのように受け止めているが、疑問が晴れるわけでもない。

 ただ、もう最初から分かり切っていたことだ。露骨なまでに、あの2人は自分たちとは違う存在なのである。水月がみちるの立場を引き継いだように、大抵の衛士には代わりがいる。その人間自体の代わりでなくとも、衛士としてその役割を継承してくれる者は必ず存在する。
 だけれど、きっと彼女たちにはそれがないのだろう。その存在はまさに切り札に等しく、1度そのカードを切れば、2度と使うことは叶わない。そのカードに代わる何かは存在せず、ただ、そこにあったと記憶が残るだけ。
 だからこそ、放っておけない。あんなにも普通の女の子なのに、あんなにも特殊な運命を背負わされているだろうあの子達を。

「水月は、本当に優しいね」

 遙の言った思いがけない言葉に、水月は思わず足を止める。それに伴って、ほんの数歩先を行った遙は振り返り、そっと微笑む。
 今の会話と、水月が作ったほんの少しの間から察して、すぐにそんな言葉が出てくる彼女は凄い。どうしてそんなに鋭く、どうしてそんなに温かいのか本当に水月には不思議でしょうがなかった。
「………優しく出来てる……のかな?」
「大丈夫。私が保証するから」
 遙にそう言われては、水月になど反論する術はない。こういうところは、敵わないなと素直に思う。
 今度は先導するような形で歩き出す遙。その背中を追う形で、水月もようやく足を踏み出した。遙の背中を見つめながら、水月はまた少し考えごとに耽る。
 実のところ、水月にはもう1つ、思うところがあった。

 それは、白銀武のこと。

 水月は今、武に対して腸が煮えくり返っている。
 水月にとってかつての可愛い部下であり、今では同じ階級、同じような立場にある戦友の1人だ。鑑純夏と恋仲であり、それでも未だ彼の同期たちから好意を向けられている、果報者にして苦労人。
 そんな彼も、昨日、正式に欧州へと帰投した。
 その際に彼が心配事はおろか、頼み事の1つもしていかなかったことが水月は相当に腹立たしい。今、本人が目の前にいたら、問答無用で締め上げたいくらいだ。
 こういうのを怒髪、天を突くと言うのだろう。

 どうして彼は、「純夏を頼む」の一言もかけていかなかったのか。

 夕呼の口振りから察するに、どういう形であれ、武は純夏が近々戦場へ向かうことになることを知っていた筈だ。水月にすれば推測でしかないが、恐らく香月夕呼の彼に対する情報開示レベルは、直属の部下である水月よりも格段に高い。
 その武が、まさか知らない筈がない。
 それにも関わらず、彼は一言たりとも水月に心配事すら口にしていかなかったのである。
 本当は、誰よりも鑑純夏の傍にいて、守りたいと願っている筈の彼が。
 そして、立場柄どうしてもその願いは叶わないと分かっている筈の彼が。
 最後までその不安を微塵も表情に出さず、欧州へと戻っていったことが水月の機嫌を激しく損ねていた。

「あのバカ」

 胸中にある怒りと、ほんの少しだけの親しみを込めて、大陸を挟んだ向こう側にいる武を罵倒する。一端にこちらに気を遣うことを覚えたのか、それとも“大切な人”を預けられるだけ彼から信頼されていないのか、またあるいは、水月たちが彼女を守るだろうと当然のことのように考えているのか。
 相手の心など読むことの出来ない水月にとっては、武の本心など断言出来ない。ただ、何れの理由にしても、それぞれ違う理由で腸が煮えくり返るのは確かだ。

「水月?」

 水月が無言でいたことを疑問に思ったのか、遙が振り返る。その歩みが止まることはなかったが、ほんの少しだけ彼女の歩幅が小さくなった。
 それに、水月は笑い返す。
「ん、何でもない」
「そうなの?」
「そうそう。ねぇ、遙、このまま花壇に行かない?」
 開いていた距離を詰め、水月はそう提案する。記憶が正しければ、一昨日にも珠瀬壬姫率いる第8中隊(ランドグリーズ)は総力を挙げて新たな花壇の開拓に成功した筈だ。この時間ならば、彼女を始め、誰かしら第8中隊(ランドグリーズ)の隊員がいるだろう。
「あ、いいね。この前、珠瀬大尉にお花もらったから、改めてお礼言いたいな」
 壬姫の名を出さなくとも、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中で「花壇」即ち「第8中隊(ランドグリーズ)」の方程式は既に常識の範疇だ。遙にも、花壇という言葉だけで通じる。

 守ってみせる。
 ここまで後任に気を遣われては、先任として立つ瀬がない。あの子が人類の希望だとするのなら、血反吐を吐きながらでも守り抜き、あの子が弟のように可愛い部下の恋人だというのなら、存分にからかいながらも守り抜く。
 そしていつか、彼が彼女に会うために再び日本に戻ってきたその時は、水月の今日の鬱憤を晴らすために模擬戦の相手でも強制的にさせてやろう。

 孝之……。
 あんたとはしばらく会ってやらないわ。
 1人で先に逝っちゃったこと、もう少しそっちで後悔しててね。

 水月は小さく笑って、心の中だけでそう呟いた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第54話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/11/28 00:05


  第54話


 白銀武は執務室で唸る。部隊運営に際してここまで悩まされたのは彼も初めての経験だった。
 補充人員ゼロ。決して予想しなかった結果ではない。寧ろ、人事関連については最悪の事態としてマリアと協議し、しばらくは各隊の人数を調整しながら次の人員補充まで凌ごうかと考えていた。そういうのも、部隊は1度解隊してしまうと、同様の戦力を持つ部隊を再結成するのに比較的長い時間を要するのである。
 だから、次の人員補充までに大きな作戦に組み込まれる心配がないのならば、多少強引でもその状態を維持し、再編に備える方が得策であるケースは多い。

 しかしながら、今回最も肝となっているのは、“次回の人員補充までも望みがない”ことだった。

 欧州の人事関係がシビアなのは間違いなく、圧倒的に兵士は不足していた。各所で同様の部隊再編が敢行されたとしても、余剰人員が出る可能性は限りなく低い。
 そうなると自然と人員に関しては入隊してくる新兵に頼ることになる。だが、最低半年の訓練期間を持つ衛士の場合、主だった任官シーズンは年に2回だけ。欧州の場合、ほとんどの新任が組み込まれてくるのは2月と8月だった。
 次の任官期まであと2ヶ月。長過ぎる。そして、これから2ヶ月以内に何か起こる可能性があまりにも高過ぎる。

「白銀中佐。発言の許可を」
「許可する。マリアはどう思う?」
 しばし武の傍で静観していたマリアの言に、武もようやく呼吸が出来たような気分だった。ほとんど答えなど決まっているようなものだが、独断など出来る筈もない。
「中佐のご決断に従います。少なくとも、“その”判断が間違っているとは私も思えません」
 その返答に、武は軽く肩を竦める。どうやら、彼女にはすべてがお見通しらしい。一瞬、そう感心したが、よくよく考えれば武でも辿り着くような結論だ。マリアがそちらを選ばない筈がない。

 2個中隊の解隊。

 その結果、完全充足状態とすれば24名の余剰人員。現状では20名の人員が不足しているため、総合すれば4名の余剰人員が生まれることになる。
 即ち、13人にて構成される中隊が合計4個。部隊としては変則だが、9人で1個中隊を構成するよりも大抵の状況下では衛士の生存率が高まるだろう。
 今後、人員補充が望めないのならば、それが得策。そもそも、2ヶ月後の任官期を迎えたところで、1つの連隊に20名も衛士が回されてくる保証などなく、可能性も低いのだ。

「ん……分かった。2個中隊を解隊する。そのうち6個に戻れる可能性も考慮するが、今は安全策で行こう」
「は。それで、どの隊を解隊なさるおつもりでしょうか?」
 その判断はある種の予定調和だ。マリアもさっきの発言の通り、それを見越しており、それ故に了承も早い。彼女からかけられる問いに、武はふんと軽く鼻を鳴らした。
 仕方ないとはいえ、面白くなかったのである。
 少なくとも、6個中隊の中から2個中隊を解隊対象として選択するのに、悩むことなどあり得ない。
「各隊の指揮系統はそのまま維持出来た方が対応は早い。そうだろ?」
「当然でしょう」
 マリアから返ってくるのは肯定の意。部隊を再編するといっても、要約すれば“ない補充人員を強引に作り上げる”に過ぎない。
 先述したよう、兵を集め、一から指揮系統を作り上げるより、元からある指揮系統の中に新しい人員を組み込む方が迅速にことは運ばれる。ならば、解隊されるのは必然的に“より階級の低い隊長によって指揮される部隊”であった。

 連隊長でもある中佐の武によって指揮される戦術機甲中隊が1個。
 ディラン・アルテミシア、エレーヌ・ノーデンス、レイド・クラインバーグの大尉3名によって指揮される戦術機甲中隊が3個。
 よって、残る2個の戦術機甲中隊とは―――――――

「ヘンリーとユウイチの2人を呼んでくれ。274戦術機甲中隊(アーチャーズ)と276戦術機甲中隊(ランサーズ)の隊員は所定のブリーフィングルームに召集し、別命あるまで待機だ」
 武の指示に了解の言葉と敬礼で応じるマリア。彼女が退室しようと踵を返すのと同時に、武はデスクの引き出しから隊員名簿を取り出し、部隊再編の準備に取りかかる。
 明日からの訓練のため、すぐにでも274戦術機甲中隊(アーチャーズ)と276戦術機甲中隊(ランサーズ)に属する衛士を他の4個中隊に割り振らなければならないのだ。
 不幸中の幸いだが、武は一応、隊員の能力はしかと把握している。これから即座に再編の雛形を作り、より中隊の隊員について詳しいヘンリー・コンスタンスとユウイチ・クロサキの2人と相談して最終決定を下すことになるだろう。
 彼らが不服を申し立てるとは思えないが、いざとなれば上官命令で頷かせるしかあるまい。

 今はただ、連隊長としての責務に従事するしかなかった。




 時を同じくしてプレストンホーム PX。小一時間の間に次の指示を出すという武の言葉を待つために、そこには戦術機甲部隊の隊長陣を始め、数多くの衛士が集まって雑談に花を咲かせていた。
「やっぱ、解隊かねぇ……」
 PXの椅子に深く座り、背もたれにもたれかかるディラン・アルテミシアはしみじみと呟く。これからの人事状況を鑑みれば、恐らくは解隊方向で決まりだろう。正直、中隊を率いる身としては人数が揃っていてくれた方が圧倒的に心強い。
「まあ……解隊じゃない?」
「鑑みれば解隊だろう」
 ディランの隣でテーブルに突っ伏し、今にも熱したフライパンで転がされるバターのように溶けてしまいそうな様子のエレーヌと、その向かいでコーヒーモドキを傍らに読書をしているレイドの2人。その2人もまた、半ば解隊の方向で予想しているようである。
 彼が何を読んでいるのかはディランにも窺い知ることが出来ない。そういうのも、その書籍は年季の入った皮製のブックカバーで丁寧に保護されており、タイトルはおろか表紙すら見えないのだ。
 あとは老眼鏡でもあれば完璧だ、と思ってしまったことは流石にディランも失礼だと感じたので、そっと心の引き出しにしまい込んで鍵をかけておく。

 圧倒的なまでの人手不足。

 この第27機甲連隊に配属されてくるまではアメリカ本国の基地に所属していたディランにとっては、無縁に近い話だった。向こうはまだ徴兵制まで至っておらず、兵士の損耗も少ないためにそれほど深刻な事態に陥ることはほとんどない。
 加え、年の志願兵の数も驚くほど少なくはなく、寧ろ軍が対BETA戦力としての機能を持ち始めた当初に予想されていた数を上回っているほどだ。尤も、これは政府の予想を上回る形で合衆国内に難民が雪崩れ込んできたことによって派生したに過ぎないこと。
 つまり、大陸でのBETA侵攻において、政府が予想した以上に“人が死ななかった”ということである。
 難民はアメリカ国籍を持たない。彼らがそれを得、難民キャンプから脱するには一定期間、兵役に従事しなければならないのだ。現状においてそれはアメリカ合衆国軍と国連軍どちらでも有効だと規定されている。
 他に家族が生き残っている者は、家族を難民キャンプから連れ出すため最低期間の兵役に就くことがほとんどだが、自分ひとりだけ生き残ってしまったという者は、往々にして祖国奪還、兄弟・家族の仇といった理由で長年に渡り兵役に従事する。
 BETAの侵攻をその目で目の当たりにした彼らは、それでも尚、精神に疾患を抱えなかった彼らは、誰かに言われるまでもなく、理解しているのだ。

 BETAが数万、数十万の規模で侵攻を開始すれば、アメリカ合衆国軍やアメリカ駐留国連軍などでは数日と保たないのだと。
 もう既に、敵という脅威から軍が民衆を守れる時代は終わったのだと。
 国も家族も友も喪った自分が、その身を守るには自分自身が相応の力を持っておくしかないのだと。

 それは一種の賭けだ。一般市民よりも戦う力を、生き延びる力を手にする代わりに、最前線へと飛ばされる可能性が出てくる。ディランの知り合いにも、その賭けに負けた者もいれば現状は未だ勝ち続けている者もいた。

 それでは、自分はどうなのか。

 貧乏くじと言えば貧乏くじだろう。何せ、慢性的に死傷率の高い最前線の守備隊ではないにしても、圧倒的に全滅率の高いハイヴ突入部隊の筆頭に、自分は今いるのだから。
 それでも、言うほどディランは悲観していない。
 彼は元より真っ当なアメリカ人だ。国籍を得るために従軍しているわけではない。それでも彼は、義務でもない兵役に就き続けてきた。
 理由は安易。偶然にも、知ってしまったのだ。最前線の現状があまりにも悲惨すぎることを。そして偶然にも、そこで戦闘に巻き込まれ、半数以上の戦友が逝ったのである。
 そういう体験をした衛士が最も嫌うことは、仲間の挺身が無駄になることだ。無駄にはしたくなく、それ以上に他の誰かに無意味だったように扱われることが耐え難い苦痛になる。

 そういった意味では、この第27機甲連隊に配属され、中隊を任されたことは幸運だった。あくまで、男の直感だが、きっとディランの若き上官は最期のその瞬間まで部下の犠牲を無駄にしないために抗う人であり、この部隊の兵士は誰もが戦友のために戦い抜く気概を滾らせた人間だ。
 そうやって統制された指揮系統の中で戦えるのは、衛士としては幸運である。

「揺らいでんなぁ……俺」
 ため息を漏らし、苦笑気味にディランは呟く。あまりにも小さな呟きであったためか、それとも関心がないのか、すぐ近くのエレーヌもレイドもピクリとも反応せず、片やテーブルに突っ伏したまま、片や読書を継続している。
 思えば、元々ディランは当時まだ交際段階だった今の妻が軍入りするのを追った形での入隊である。彼女は衛士適正がない内地勤務の衛生スタッフだったが、ディランには高い衛士適正があったために訓練課程を経て戦術機甲部隊への配属となった。
 子供が出来たことで彼女の方は退役し、ディランもすぐに籍を入れたが、彼は未だ軍属にある。結婚までのその数年の間に彼は、最前線の惨状を知ったのだ。

 人の気持ちなど変わり易いものだ。その根底にあるものは確かに同じなのかもしれないが、表面に出ているものが常に変遷してゆき、不変では決していられない。

 娘が生まれたあの日、ディランはこの子が大人になる前にこの戦争が終わればいいと願い、自分がその厳しい戦況に投じられるほんの小さな小石にでもなれれば良いと思った。
 だが、きっとディラン自身は本当にBETAと戦っている最中、そんなことまで考えていない。自分と仲間をとにかくその瞬間、生き延びさせることに必死で、遠い将来のことなど微塵も頭の中にはない。

 ああ、そうだ。自分たちは遠い未来のために戦っているのではない。生きて、明日を迎えるために戦っているのだ。それを繋げていって、いつか己の望む未来に辿り着くことが出来れば、きっと最高の人生だったと最後に振り返ることが出来るのだろう。

「どの隊が解隊されると思います?」
「中佐の采配次第だろう。即応を期待するならば、選択肢は極めて限られるがな」
 突っ伏した体勢のまま投げかけられたエレーヌの問いに、レイドも読書を継続しながら答える。何だこの異様な光景は、とディランは呆れるが、恐らく他の人間から見ればその光景の中にディランも含まれてしまうのだろう。
「………つーか、言い方は悪いけど、2個中隊が対象なら選択の余地なんてないっすよ」
 軽く肩を竦ませてから、ディランはレイドの言葉に返す。各中隊の総戦力が基本的に横並びである以上、階級に倣って解隊対象になることが必然だ。
 ディランは言いながら、“当人になるであろう2人”に視線を向ける。彼らも軍人であるならば自分たちの隊が解隊の最有力であることを予想しているだろう。それでも、自らの指揮する隊が解隊されるというのは彼らに限らず決して愉快な話ではない。
 年齢で言えばディランにとって相当年下の2人だ。これまで見てきた彼らの言動とて、決して歳不相応と言えるほど達観したものではなく、またディランだって彼らほどの時は思い出すのも恥ずかしいくらい餓鬼だった。

 だが、少し離れたテーブルに着いているヘンリー・コンスタンスとユウイチ・クロサキの2人は、ディランが危惧している様相とは少し違った様子である。

 塞ぎ込んでいるか、あるいは黙してただただじっとしているかと思っていた2人が、向かい合って席に着き、身を乗り出しながらあれこれと何かを議論していた。思いも寄らなかったその姿に、ディランは目を見張る。

「だいたいこんなところ?」
「まあ、適材適所に振り分けているだけだからな。それでも何人かは今までとは違ったポジションを強制させることになる」
「前衛小隊の損耗が比較的多いからね。代わりに各隊が13人編成になるから、そっちで選択の幅は広がるんじゃないかな?」
「この場合、どういう編成を取るのが効果的なんだ?」
「両翼のバランスを均等にすることを優先するなら、前衛を5人にするのがベターでしょ。2人下げて分隊を増設する方が応用は利くかもしれないけど、短期間でものにするのは難しいと思う」
「というか、それは271戦術機甲中隊(セイバーズ)専用の陣形だな」
 2枚の紙を交互に指差しながら2人はそう会話を続ける。ディランが聞き取った今の会話に出てきた単語だけで、彼らが今何をしているのか充分に理解出来た。
 恐らく、あの2枚の紙切れには彼らが率いる274戦術機甲中隊(アーチャーズ)と276戦術機甲中隊(ランサーズ)の隊員の名前が書き出されているのだろう。ヘンリーとユウイチの2人は各員の能力に応じ、どの中隊に組み込めばより力を発揮出来るかを思案しているのだ。
 もちろん、その振り分けを思案し、決定するのは連隊長である白銀武だが、各中隊の衛士に関してならば彼よりも各中隊長の方が詳しい。
 2人がああやって1つの型を作成し、判断材料として提出するのは大きな意義がある。

 そこにおいてディランが何よりも驚かされたのは、“彼らが自然にそれを受け入れ、既に次の行動に移っていたこと”だった。
 この状況で、自らの隊が解隊対象となることに不満を述べればそれはただの未熟者。
 受け入れつつも、それに対して行き場のない喪失感を感じて気を落とすことは、若輩には一端でもままあること。
 だが、2人は受け入れた上で、自らそこに有益な情報を作成し、提出しようとしているのだ。武から指示があったのならまだしも、“正式な決定がまだなされていない状況下”でどう転んでも即時対応出来るように備えているのである。
 公衆で褒め称えられるほどの隊長として奇特な振る舞いではないにしても、その強かな態度は密やかに評価されるものだ。

 彼らが成長したのか、あるいはディラン自身が彼らを侮っていたのか。出来れば前者であって欲しいところだが、どちらにしても歓迎出来ることに間違いはない。
 何せ、あれほど思慮深い戦友ならば、背中を預けるには充分過ぎる存在だ。

「コンスタンス中尉、クロサキ中尉。こちらにいますか?」
 不意に、静かなPXに凛とした声が響く。ディランのような人間にとっては問答無用、脊髄反射で背筋を伸ばしてしまう声だ。尤も、普段から飄々とした彼が正す襟など、どうやら他人にとっては変わらず目も当てられないものなのだろうが。
 PXに入ってくるのはマリア・シス・シャルティーニ。この連隊のほぼ全員において上官に当たる副隊長である。
「白銀中佐が御呼びです。至急、執務室まで同行を」
「はっ!」
 一瞬遅れ、マリアにそう指示をされてからヘンリーとユウイチは同時に立ち上がって敬礼で応じる。このタイミングでの呼び出しだ。それが事実上の解隊宣言であるとも言える。
 それでも、ネガティヴな感情を微塵も出さないヘンリーとユウイチ、そして自らの言が事実上の解隊を告げていると理解しているマリアの姿に、ディランはほんのわずかな時間、思案した。
「それでは――――――」
「副長」
 行きましょうと言いかけているマリアを遮る形で、ディランは挙手をする。彼のその行動には発言許可を要請されたマリアのみならず、この案件において黙して待つしかないエレーヌやレイドが顔を上げ、眉をひそめた。
「……何でしょうか? アルテミシア大尉」
 一瞬、間があってからマリアがそう促す。その青い双眸が、下らないことを言ったら承知しないぞ、と言っているようで流石のディランも苦笑する。
「解隊の話だったら俺も同行させてくださいよ」
「む………解隊に際して272戦術機甲中隊(ストライカーズ)は対象外ですが……?」
 その申し出にマリアはほんの一瞬、ヘンリーとユウイチに視線を向けてから、ディランに対してはっきりと対象外だと答える。自分のその言葉が確証を持たせるのだと理解して、彼女は一瞬躊躇ったのだろうが、それも今更な話だ。
「どこが解隊されるにしたって、残った中隊も再編しなきゃならないっすよ。うちが対象外なら、それはそれで受け入れ先の意見だって馬鹿にならないと思いますけど?」
「成程………確かにそれは一理ありますね。分かりました、同行を許可します。ですが、意見が許されるかどうかは中佐の御判断ですので、それは留意しておくように」
「了解!」
 1度、脳内で吟味したのか、再び間を置いてマリアは頷く。彼女は基本的に先入観で物事を決め付けない人だ。恐らく、ディランのことは手のかかる部下の筆頭に彼女は数えているだろうが、たまに進言される彼の真面目な意見がマリアによって一蹴されたことなど、ディランの記憶にはない。
「そっちはどうする?」
「うわっ……アルテミシア大尉に発破かけられちゃった。どうします? クライン大尉」
「そういう話なら傍観者ではいられんな。少佐、俺も同行しましょう」
 おどけて答え、レイドに話を振るエレーヌ。だが、そのレイドはディランの意見に強く同意したのか、パタンと読んでいた本を閉じて、温くなったコーヒーモドキを飲み干してから立ち上がる。
 彼はちらっとディランと視線を交わし、わずかにだが唇の端を上げる。その意図を即座に理解したディランも同様に小さく笑い、エレーヌを見返した。
「どうする?」
 声を揃え、ディランとレイドはエレーヌに再度訊ねる。思いがけない挟み撃ちに彼女はキョロキョロと交互に2人の顔を見回してから急に立ち上がった。
「いっ……行きますって! もう……」
 そう答えるエレーヌだったが、少し拗ねたのか、立ち上がりながらもしきりに指先でその前髪を弄っている。
「分かりました。それでは、行きましょう」
 再び全員の顔を見直してから、マリアがそう告げる。それに対し、ディランも含め全員が足並みを揃え敬礼で応えた。




「ほう………これが件の日本が誇る新型か」
 レナ・ケース・ヴィンセントはハンガーに軒を連ねる新たな第27機甲連隊機を見上げ、嘆息気味に呟く。第3世代機らしく細身でありながらも、欧州が誇るラファールやEF-2000よりも重厚感を感じさせるその佇まいは、長年衛士を務め上げてきたレナの双眸から見ても、言い切れぬ圧迫感がある。
 元より、イギリスと日本は同じ島国であり、常にBETAの侵攻に曝される前線国家だ。祖国を追われた同じ欧州方面の代表によって構成されるEU連合が推進する戦略は、G弾を絶対反対とする極東の思想に通ずるものがある。

 祖国をBETAに奪われた者たちにとって、G弾を使われるというのは許し難き侮辱だ。

 その点において、レナとて決して部外者ではない。元々、レナの生まれはソビエト領の西端の地域であり、その故郷は当の昔にBETAによって占領されている。彼女を始め、そういった境遇の者が抱く夢は祖国奪還であり、BETAの駆逐は目標ではなく手段に過ぎない。その手段においてG弾を使われ、祖国の大地を穢されるというのは、甚だ不愉快な話でしかなかった。
 G弾を糾弾する日本と、それを後押しするEU連合、そしてその本拠地であるイギリスのBETAに対して当たる精神は決して脆弱な繋がりではない。

 それでも、レナはどこかで日本という国を侮っていた。

 複合組織という体制を持つEU連合に比べ、単一部族による単一国家である日本は、このグレートブリテンと比較して多分に閉塞的だ。悪く言えば、柔軟性がない。
 外国勢を排斥気味にあるその主義の下、そこで造られた戦術機が本当に優秀な性能を持ち、高い潜在能力を眠らせているのか、その眼で見るまでレナは疑っていた。
 その懐疑心を晴らせたのは、つい2ヶ月前にH12の調査で同行した斯衛軍の武御雷だ。

 はっきり言おう。あの機体は殊、近接格闘・混戦・乱戦においては怪物である。

 性能だけで見ればイギリス王室騎士団のUK-02「ランスロット」の方が上だろうが、所詮は戦術機。圧倒的な物量差の前では性能差など微々たるものであり、どんなに高性能であろうとも、60機程度のUK-02など軍から見れば烏合の衆に等しい。
 だが、驚異的なことにあの怪物は大陸を挟んだ東の果てに常時600機、そして同じ数だけあの怪物の手綱を握った衛士が存在するというのだ。

 そして、今眼前に並ぶこの機体は形式上、武御雷の後継ではないにしても、間違いなくその“血”を色濃く受け継いでいる。

「准将殿がいらっしゃるとは、その目に留まるほど、このハンガーに珍しいものなどござらんでしょう」

 連なる不知火弐型を見上げるレナに、不意に野太い男の声がかかる。徐に視線を向ければ、そこには無骨な1人の男。少尉の階級章を持ちながらも、その身を包むのは士官の軍服ではなく汚れた作業着だ。
 ケヴィン・シルヴァンデール。第27機甲連隊の整備班を任せるためにレナ自身が直接人選し、引き抜いた腕利きの整備兵だ。明確に順番など付けたことがないため、確かなことは言えないが、ともすればこの男は白銀武に次いでレナが慎重に選び抜いた兵員かもしれない。

「ほう……貴様の目から見て、こいつらは珍しいものの部類には入らないのか?」
 ケヴィンに対してレナは薄く笑い、そう言い返す。その言葉にケヴィンも「ご尤もなことです」と笑って答え、レナと同じように不知火弐型の機体を見上げた。
「ラファールに代わり、何が来るかと思えばこの機体。俺をこの連隊へと転属させた准将殿にとっちゃ、全部計画通りってことですかい?」
「まさか。貴様を引き抜いたのは白銀関係の人脈を考慮してのことだ。友軍の機体整備の可能性を考えただけであって、それが“自軍”になるとは予想もしていなかったよ」
 ケヴィンの言葉に軽く肩を竦ませ、レナは答える。レナが彼をこの連隊へと引き抜いたのは、何も単純に整備兵としての腕が優秀だからというだけではない。
 日本製の機体まで手広く扱えるという、その知見の広さも大きな理由だった。
 尤も、それは白銀武の持つ人間関係から、例えば彼ら第27機甲連隊の整備班が戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の不知火などの整備も引き受けることになる可能性を考えたからであって、やがて第27機甲連隊に日本製の戦術機が提供されると予測したからではない。
「どこまでが本音か、分かったものじゃありませんがね、准将殿の場合」
「生憎、本音だけでやっていける世界ではなかったからな」
 皮肉めいたケヴィンの言葉にレナは挑発気味の言い方で肯定する。レナとしては、今の話に虚偽を織り交ぜたつもりなど毛頭ないが、他人からすれば関係のない話だろう。レナ自身が本音であるという証拠を提示出来ない限り、相手はレナ・ケース・ヴィンセントという人物像からそれが嘘か実か結論付けなければならない。
 その点において、レナは自分が無条件で言葉を鵜呑みにしてもらえるような人間ではないことくらい、重々承知していた。

 元より世界とは本音だけで生きていけるものではなく、レナのような立場にある者ならばそれは尚更である。

「うわぁ……章好。ほんとうに不知火弐型があるよ?」
「七海、お前さ、白銀中佐の話を冗談だとでも思ってたの?」
 忙しなく整備兵が機体の調整に追われているハンガーに、不意に明るく通る声が響く。片やリィル・ヴァンホーテンにも通ずる鈴の音を鳴らしたような女の子らしい声と口調。もう片や、その女の発言を受けて心底呆れ返ったという感じの、少し気弱そうな男の子の声だ。
 どちらも顔立ちは欧州系ではない。そもそも、あれだけ流暢な日本語を口にしているのだ。恐らく2人は日本人なのだろう。
「柏木少尉と水城少尉ですね」
「ほう、あの2人が、か」
「知ってるんですかい?」
「第27機甲連隊の衛士連中は大方把握している……と言いたいところだが、そう都合良くはいかん。だが、噂は聞いている」
 知っているか、という問いかけにはレナも甚だ首を傾げるしかない。名前だけは耳にしたことがあるというのが「知っている」部類に入るのならば、確かにレナはあの2人を知っている。
 以前、香月夕呼に手回ししてもらった人員補充にて、極東から来た若人の筆頭だ。単機戦闘力ならば間違いなく既に第27機甲連隊のエースパイロットの1人に数えても遜色ないという噂もレナは耳にしている。
 高々任官1年程度の有象無象がレイド・クラインバーグのようないぶし銀共を翻弄したというのはレナもにわかに信じられなかったが、もう1つ、彼らに関する事実を聞いて思わず納得してしまったことも、記憶に新しい。
「確か、白銀の教え子だったな」
 以前、人伝に聞いた話を思い出し、レナが確認の意味で投げかけるとケヴィンは頷いた。極東には100名以上いるという白銀武の教え子。この第27機甲連隊においてそこに該当するのは、レナの記憶が正しければあの2人だけだ。

 柏木章好と水城七海は、衛士として真の意味で白銀武の直系なのである。

 その実力が如何ほどなのかレナは知らないが、その事実はある一定の期待を持たせる。尤も、あの2人とてH11に突入し、生還した衛士なのだから決して肩書きに負けているということもないだろう。
 ハンガーの入り口付近で整備兵の取り付く不知火弐型を見上げる章好と七海は、ハンガーの隅から同じように機体を見上げるレナの存在には気付かない。レナだって別段、自分を誇示したいわけではなく、自分がこの基地の兵員にとって徒に緊張感をもたらす存在だということも承知している。
 だから、彼らがこちらに気付かないこともそのまま捨て置くことにした。

「七海は弐型見るの初めてだっけ?」
「うん。章好あるの?」
「これでも前の所属は大陸の前線守備隊だって。共闘したことだってあるくらいだよ」
「うわっ……ずるいね」
「酷い言われようだ………」

 聞き耳を立てれば、反響する彼らの会話が聞こえてくる。確かに今の流れは部外者のレナから見ても酷い言いようである。恐らく、あれはきっと彼女なりのジョークなのだろう。
 若干記憶がおぼろげだが、彼らはまだ20歳に満たない少年少女である筈だ。
 そんな彼らが肩を寄せて語らう様子は、そこだけ切り取れば歳相応にも見える。だが、彼らが話題とし、見上げているのは現代兵器の象徴だ。

 ここは、そんな世界である。

 それを嘆く者はここには少ない。それをわざわざ嘆くほど奇特な人間はおらず、レナですら気がつけばそれを寧ろ当然のように受け入れている自分がいるのだ。
 少年少女が戦場に立つことを、兵器を前に楽しげに語らいをすることを彼らは一種の“常識”と扱っているのである。
 “常識”を嘆く者などそういない。常識という言葉は人間の思考を硬直させ、そうでないものをさも異常であるかのようにラベリングし、排斥・迫害する。それを打ち破るには、長い時間と衝撃的な出来事が必要だ。

 少年たちが戦場に立つ世界を変えたいのならば、恐らく、戦争自体を終わらせるしか方法はない。説き伏せることが出来れば幸いだが、往々にして、彼らは自分たちが戦わなければ人類がBETAに敗北することを教え込まれている。
 いや、最前線ともなれば更に状況は悲惨だろう。レナの生まれた国のように支配階層と被支配階層の隔たりが明確であったり、貧富・格差による優遇・冷遇が露骨であったりする社会の中では、BETAと対峙することでしか生き残る手段を持てなかった者もいる。

 子供は戦場に立つべきではないという一種、盲目的な理想を掲げることで、どうしてそんな境遇にある者たちから今唯一の生存手段を奪い取れようか。

「准将殿」
「………何だ? 少尉」
 レナが章好と七海の姿を遠巻きに見つめていると、再びケヴィンから声がかかる。向き直り、一呼吸、間を置いてから彼に訊ね返す。
「お迎えがきてますよ」
「ふむ」
 ケヴィンの示す方向を向けば、リィル・ヴァンホーテンが足早に手を振りながらやってくるところだった。入隊して少しは成長したかと思ったが、まだまだああいうところは落ち着きがないらしい。

 迎えが寄越されたということは、大方、白銀武が腹を括ったということだろう。

「それでは。邪魔をしたな、少尉」
「こちらこそ、たいしたもてなしも出来ませんで」
 その返答にふっと唇の端を吊り上げて笑い、レナは彼に背を向けた。何もしてやれない自分だが、せめて腹を括った部下に労いと励ましの言葉をかけてやるために。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第55話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/11/28 00:07


  第55話


「良い身分になったな、白銀。私を呼びつけるとは」
 リィル・ヴァンホーテンに先導され、武の執務室に入ってきた自分の上官はいの一番にそう言い放った。あまりにも愉快げに、彼女 レナ・ケース・ヴィンセントは口元を緩めているので、敬礼をしようと椅子から立ち上がった武も、頬を引き攣らせて椅子に座り直す。
 相手がそう言うのならば、こちらもそのように徹してやるという意思表示だ。
「ほう、だんまりか?」
「……准将が呼べって言ったんじゃないですか」
 ふんと鼻を鳴らして笑うレナに対し、武はため息をつきながら頬杖をついて呟くように答える。向こうからからかってきているのだから、このくらいは許してもらいたいと武は思う。尤も、レナにとっては恐らくこの反応も予想の範囲内なのだろうが。

 上官2人がそんなコミュニケーションを取っているから、武とレナの間でリィルはあたふたと慌てふためいているが、武は黙殺することにした。

「ふむ。それも一理あるか」
「他にどんな理屈求めるんですか!?」
 一理というのは実に心外だ。実際、しばらく基地を見て回るから腹が決まったら呼べと言って、問答無用で出ていってしまったのはレナの方である。そこに関して、リィルを迎えに出したことは責められるようなことではない。
「冗談だ。如何せん、今回は何もしてやれなかったからな。自分に対して憤慨する私の唯一のストレス解消法というヤツだ」
「…………」
 内側に向かう怒りの感情を解消するのに、どうして他人をダシにするのか武は激しく疑問だった。言葉の前半に少し良いことを言っているだけに、後半の言い分は相当に残念だ。
「あの……ヴィンセント准将……中佐が困っています」
「困らせている自覚はある」
「俺、今日ほど第2師団の行く末に不安を抱いたことはないですよ」
 最も立場が弱いながら、このままでは拙いと思ったのかリィルがレナに進言する。彼女は常に常識と良心の使者だ。主観的にとはいえ、どちらにより“非がないか”をしっかりと判断している。
 尤も、相手があのレナ・ケース・ヴィンセントではほとんど焼け石に水に近いが。
「さて、冗談はさて置き、本題に入ろう」
 腕を組んだレナの言に武は表情を引き締めるよりも先に、どこまでが冗談だったのだろうと本気で考えた。だが、相対するレナの鷹の眼が既にそういった類の冗談を封殺する鋭さを放っていたので、決して口には出さない。

「腹は決まったか? 白銀」

 本題に入ったというレナの第一声はそれだった。元より、彼女はそれを聞くためだけにこのプレストンを訪れたようなものである。
「……274戦術機甲中隊(アーチャーズ)と276戦術機甲中隊(ランサーズ)を解隊します」
「そうか」
 武の言葉に対し、レナの反応は素っ気無かった。彼女も彼女でその答えは予想していたということだろう。そもそも、“次回の人員補充も期待出来ない”と釘を刺したのはレナなのだ。最初から、そう言わせることを目的にしていたと言っても過言ではあるまい。
「隊長は確かコンスタンスとクロサキだったな。2人の配置はどうするつもりだ?」

 成程。寧ろ気になるのは解隊後の編成の方か。

 当然のことだと武も納得する。最初からほぼ解隊で決まっていたのならば、確かに気にするのはその先のことだろう。
「ヘンリーは273戦術機甲中隊(ハンマーズ)、ユウイチは272戦術機甲中隊(ストライカーズ)に回す予定です」
 他の隊員については要協議だが、彼らに関しては事実上、武とマリアにしか思案する権利がない。そう言っても特に悩むような配置ではなく、寧ろ能力と立場がはっきりしている分、彼らの部下に比べてすんなりと決まった。
 指揮官適正に優れ、主に後方支援を領分とするヘンリー・コンスタンスはエレーヌ・ノーデンス指揮下の273戦術機甲中隊(ハンマーズ)へ。同隊には武の教え子である柏木章好がいるため、前衛の攻撃力も際立ち、エレーヌと彼が両翼を固めれば鬼に金棒だ。
 単体で格闘戦に秀でるユウイチ・クロサキはディラン・アルテミシア指揮下の272戦術機甲中隊(ストライカーズ)へ。ディランは元々、あらゆるレンジからの攻撃をそつなくこなす。前衛のエキスパートであるユウイチが加わることで取り得る戦術は大幅に広がるだろう。彼らを随伴部隊に任ずることの多い武にとっては非常に心強いことでもある。
「堅実だな。まあ、その方がこちらも対応はし易い」
「苦肉の策ではありますけどね。死なせたくはないですから」
 堅実と言うレナの表情は硬い。見ようによっては「つまらん」と言っているようにも思えるが、そこにそんな暗喩はなく素直な感想だということを武は理解している。

 武だって、堅実な策が結局のところ最も部下の命を守ってくれるのだと分かっていた。

「すまないな。本来であれば私がもっと巧く立ち回るべきだった。機体も人員も確保出来ないとは、師団長の肩書きが聞いて呆れる」
「状況を考えれば仕方ないことだと思いますけど? 物資が充足しているだけ、運営する側としてはありがたいですよ」
 やれやれと自身を嘆いて首を横に振るレナに、武は苦笑気味に応じる。武たちも属する彼女の第2師団は、保有戦力の3割も前線守備隊に送っているのだ。仮にこの第27機甲連隊を第2師団の主力部隊と考えても、何でも揃うほど優遇されているとは武だって考えていない。
 それに、決して口には出来ないが、武個人としては新たにラファールを用意されるよりは現状の弐型の方がずっと使い易かった。
「上官の務めというヤツだ。そうだな、務めついでにいくつか新着の情報を教えてやろう」
「はい?」
 ついでに情報開示とはどういうことか、と武は首を捻る。ただ、相手はレナだ。気まぐれで何を言い出すのか分かったものではない。
「H12同様、H11の調査には国連軍とEU連合、そして作戦に協力した日本軍の部隊が参加したことは知っているか?」
「そういえばそうでしたね」
 当たり障りのないレナの言に武は頷く。公言こそされていなかったことだが、日本が援軍として斯衛軍と帝国軍を差し向けたのは、制圧後の調査に同行するという前提条件があった筈だ。確か、作戦終了後も調査のために電磁投射砲の実用実験を行った部隊らが欧州に駐留し、同行する予定だったと武は後々人伝に聞いている。
「その際において、貴様等が持ち帰った情報に関しても調査と検証が行われた」
「調査と検証……ですか?」
 調査はとにかく検証という言葉に、リィルが首を傾げる。レナは視線を武に向けたまま、「ああ」と短く答え返した。
 検証という言葉を使うのは、調査の際に再現が可能であるということだ。生憎、武がH11から持ち帰った情報の中で目新しいものはそう多くない。

 1つ。新種のBETAと思しき触手を持った大型の怪物。

 しかしながらこれは再現とは無縁の事象だ。無論、この怪物についての調査は行われている途中だろうが、検証という言葉に当てはまらない以上、レナの話題からは外れる。

「……………もしかして、電波障害の件ですか?」
「忘れていたのか? 呆れた男だな」
 しばらく間を置いてから1つ該当しそうな件に思い当たり、ポンと手を打った武。その反応には話途中のレナもため息を漏らして肩を竦ませた。彼女にそう反応されることがいたく屈辱的に思えるのは何故だろうと武は苦笑する。

 H11制圧作戦の際、地下茎構造内で通信障害が発生するという事態が起きた。武たちの場合、横坑の前衛警戒に出ていた272戦術機甲中隊(ストライカーズ)が少し前進したところで交信途絶状態に陥り、一時騒然となったほどである。
 そのことを忘れていたとは言いたくないが、如何せんH11制圧の際にはその後、更に一回りも二回りも衝撃的な事態に見舞われたため、印象が弱かった点が否めない。

「貴様の読み通り、該当箇所の内壁には反応炉周辺の内壁に使われている素材が含まれていた。それが電波を吸収したために通信障害が生じたのだろう」
「やっぱり………」

「尤も、調査隊を愕然とさせたのはその事実ではなく、その数だな」

 眉間に皺を寄せて頷きかけた武の言葉を遮り、レナが続けて言葉を紡ぐ。一瞬、その言葉の意味が理解出来ず、武はポカンとしてしまった。
「大規模の調査隊が投入され、くまなく探索した結果、H11の地下茎構造内には同様の処置が施された内壁が現状で628箇所発見されている」
「ろっ……600!?」
「横坑・縦坑の区別はないな。広間では一切発見されなかったとも報告を受けている。それと気にかかるのが、中階層に非常に多い」
 まるで朝食のメニューでも言われるかのようにさらりと言われた数に、武は驚愕の声を上げた。だが、レナの方は武の驚きにはまったく付き合ってくれず、続けて報告として挙がっている事実を述べる。
「地下1000m未満では約150、1000m以上2000m未満では約400、反応炉まで含めた下層では精々50程度だ。この分布の差がいったい何を意味しているのか、追って調査中だが……まず分からんだろうな。知りたければ造った本人にでも訊くしかない」
 ふんと鼻を鳴らすレナは実に面白くなさそうだった。人類がBETAに関して分かるのは、基本的に数的に結果を算出出来る事象のみだ。無論、それは人間が暫定的に決めた基準において分類されるものも多いが、「“何”が“幾つ”あった」という結果は、実に分かり易い。
 だが結局、分かるのはそこまでのこと。そこに「何故」という言葉を付け加えれば、すぐさま導き出される結果は推測に変化する。

 造った本人に訊くしかない。

 彼女なりのジョークなのだろうが、武にとっては冗談で済む話ではない。
 何せ、彼が最も大切にしている女性は、世界で唯一それが出来る存在なのだ。間違っても、笑い話になど出来る筈がない。
「同日に制圧されたH26の調査でも発見されたということだが、50にも満たない。よってこの内壁はフェイズ5以上のハイヴによって主立って形成されるものと暫定された。尤も、アメリカが調査報告書を捏造していなければ、の話だ」
「捏造したところでメリットなんてなさそうなものですけど」
「メリットなど作ろうと思えば作れる。まあ、幾ら作ったところで割に合わんメリットだろうがな」
 武の呟きにレナは目を閉じ、後ろ手に結った金髪を揺らしながら答える。反論のような言葉であったにも関わらず、同意しているのかはっきりと頷いていた。

 その時、執務室に外からノックが響く。

「白銀中佐。シャルティーニです」
 武、レナ、リィルの3人が執務室のドアに視線を向けるのと同時に、外からそんな声がかかる。彼女はヘンリー・コンスタンスとユウイチ・クロサキの2人の迎えに出していた筈なので、連れて戻ってきたところだろう。
「どうぞ」
「失礼します。………ヴィンセント准将もいらっしゃいましたか」
 入室許可にマリアが先頭となってぞろぞろと人が入ってきた。呼んだのはヘンリーとユウイチだけにも関わらず、何故か中隊長陣が揃い踏みしている。それに対して首を捻る武を他所に、彼らは武とレナに対して一斉に敬礼した。
「後ほど改めて御伺い致しましょうか?」
「構わん。どうせこちらの話は済んでいるからな。私の方が失礼する」
 リィルも同席しているとはいえ、上官2人が執務室で話をしているという事実はマリアに気を遣わせるには充分だった。だが、レナはその申し出を断わり、武には一言もかけずに踵を返す。

 だが、1歩踏み出そうとしたところで彼女は不意にピタリと足を止めた。

「……なぁ、白銀」
「…………何ですか?」
 仕切り直すかのように沈黙を置いてから口を開くレナに、武は倍近い沈黙をもって訊ね返す。こういう溜めは大抵、次に答え難い質問を投げかけられる。そう言うのも、別れ際の捨て台詞に近い問いかけというのは、往々にして投げかける側も答えなど期待していないからだ。
 基本的に、困惑している間に逃げられるというのがオチである。

「この戦いは、いったい何処に向かおうとしているのだろうな」

 思わず身構える武が聞いたのは、答え難いなどという範疇を遥かに通り越した、人類にとって究極的な質疑だった。




 荒野を行軍するのは無限の体現。それに相対するのは荒野に連なる鉄壁の具現だ。
 無限の名はBETA。人類の怨敵とも言える大小無数の化物の行軍は既に第1陣の突撃級が駆逐され、いよいよBETAの中で最大脅威・最大物量を誇る要撃級と戦車級の混成群がこの防衛線に到達する。
 それを迎え撃つ鉄壁の名は不知火弐型という。この欧州において通常であれば配備される筈のない、戦術機の中の戦術機である。

「ブレイカー1よりHQ。敵の第2陣を捕捉、推定個体数5000。要撃級と戦車級だ」

 戦線を構築する2個中隊。272戦術機甲中隊(ストライカーズ)と275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)を纏めて指揮するのは、最も経歴の長いレイド・クラインバーグだった。

『HQ了解。支援砲撃の着弾率が低下してきています。恐らく、敵集団の後方にはレーザー属が控えている筈です。重金属雲支援まであと600秒』
「ブレイカー1了解。275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)及び272戦術機甲中隊(ストライカーズ)各機、聞いていた通りだ! 最低でも10分は高度が取れないと思え!」
『了解!!』
 HQで戦域管制将校を務めるリィル・ヴァンホーテンの言葉に、レイドは部下たちに向けて怒号にも似た声で呼びかける。それに応じる声は合わせて25。2個中隊においてレイドを除いた全員だ。
『ストライカー1よりブレイカー1! 敵集団先頭は要撃級32、戦車級約300!』
 275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)より前衛に構える272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の中隊長 ディラン・アルテミシアの報告にレイドはわずかに眉を動かす。侵攻してくる5000ものBETAのうち、およそ2500から3000は戦術機にとって脅威とならない闘士級及び兵士級で構成されていると見るのが通常だ。
 即ち、実際に脅威となるのは2000から2500。要撃級と戦車級の一般比率から推察すれば、要撃級の数は200から250ほどだろう。単純計算で、この敵集団先頭と同規模のBETA群が後ろに6組から8組ほど存在することになる。

 何とも不愉快な波状攻撃だ。

 結局、防衛戦の際、絶望的に物量で劣る人類は定期的に行わなければならない補給も相まって、後退を余儀なくされ続ける。
『こちらストライカー2。小隊を率いてBETAの頭を押さえます』
「了解した。275C小隊、272B小隊の支援に回れ」
『了解!』
 レイドに吶喊許可を仰ぐのは、ランサー1よりストライカー2へコールを変えたユウイチ・クロサキだ。レイドは応答することで彼に許可を出し、同時に己が中隊のC小隊にユウイチたちを後方支援するように命令した。

 次の瞬間、押し寄せる波の中へとユウイチが部下4名を率いて突入する。それに遅れることほんの1秒、レイドも身を翻した。
 前進するBETA群の一部はユウイチたちへ集中するが、所詮は一部でしかない。要撃級で言えば、およそ20体はそのまま前進を継続し、にじり寄る。その集団の先頭目掛け、楔型陣形を取った4機の弐型が一斉に36mmを掃射。
 レイドも同様に一瞬、トリガーを固定して36mmを放つ。その間に左腕でマウントから長刀を引き抜き、射撃を止めると同時に疾駆した。前衛の戦車級は36mmの雨によってほぼ潰滅しているが、耐久力の高い大型の要撃級は多少の砲撃では怯まない。
「落ちろ!!」
 先頭の1体が蜂の巣になって崩れ落ちるのと同時にレイドは長刀を振り下ろし、後続の1体を即座に斬り伏せる。それを皮切りに、275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)のB小隊が長刀を引き抜いて敵中に躍り込んだ。
 戦術機が圧倒的物量で雪崩れ込んでくるBETA相手に手数で対抗出来るのは接触から10分ないし15分程度までだ。それを越えれば弾薬消費の多いポジションから順に攻撃頻度を減少させ、最終的には後退を迫られる。
 元より、1個や2個如きの中隊で数千、数万のBETAを抑えるのは不可能に近い。補給の際のインターバルを如何に巧く埋めるか、が戦闘における戦線維持の是非を分けるだろう。

『クソ……! 右翼に回り込まれた!! 272A小隊、俺に続け! 右翼の敵を殲滅する!』
『りょっ……了解!』
 こちらを強く圧迫するBETAの猛攻は既に正面だけに留まらなくなっている。彼ら2個中隊はさながら濁流の中にどっしりと構える大岩そのものだ。飲み込まれ、容易に流されはしないが、最初から退路など断たれている。
「アルテミシア! 右翼の敵数は!?」
『要撃級18! 戦車級150です! 瓦礫を盾に寄ってきている!!』
『ブレイカー9よりブレイカー1! 敵の後方に要塞級の姿を確認! 目視確認で5体です!!』
「くっ……敵主力の到着か……! クロサキ! 1度後退しろ!」
 ユウイチが率いる272B小隊を後方から支援する水城七海の報告に、レイドは思わず呻く。要撃級と戦車級に比べ、要塞級は歩みが遅い。BETAがそういった進攻速度の差を意図的に持たせているのかは定かではないが、連中の波状攻撃は単純な集団突撃戦術であっても非常に理に適った構成をしている。
 最前衛に正面防御力の高い突撃級。それに続いて対戦術機とも思わせるような要撃級と戦車級を中心とした大規模集団が到達する。その間に要塞級は第2陣の要撃級や戦車級を引き連れながら侵攻し、その耐久力の高さをもって最後方のレーザー属を守る盾となるのだ。

 つまり、このような状況において要塞級の姿が確認されたということは、もうすぐそこまでレーザー属が迫っているということに他ならない。

 敵中にある限り、狙い撃たれる可能性は極めて低いが、代わりに非常に限られた乱戦を強いられる。そうなればほぼ孤立したも同然だ。そうさせないために、レイドはユウイチらを後退させる指示を出す。
『HQより各機。対レーザー仕様による支援砲撃開始まであと10秒。面制圧の開始は40秒後です』
「友軍は!?」
『現在、第2師団の支援大隊が移動中。420秒後に到着の予定です』
 リィルの言葉にレイドは硬い表情のままわずかに口元を緩める。楽観は出来ないが、頃合としては良い。あとは、いったいどのタイミングで敵の“本命”が来るのか警戒するだけである。

 刹那、空中で光が弾けた。

 後方に展開する支援火器車輌より放たれたALM及びAL弾が光線級によって迎撃されたのだ。そのため、急激に戦域の重金属雲濃度が上昇し始める。この重金属雲は地上戦力をレーザーから守る盾の役割もあるが、最大の目的は面制圧の効果を上げるためだ。
 面制圧が効果を挙げれば、自ずと地上戦力が敵の攻撃から守られることにもなる。
『支援砲撃着弾まであと5秒』
「全機、着弾の衝撃に備えろ! 敵の先頭は支援砲撃を免れるぞ!」
 目の前の要撃級の首を長刀で飛ばし、36mmを掃射しながらレイドは後ろに跳ぶ。それに続く形で前面展開していたユウイチら272B小隊の5機が逆楔型の陣形を維持したまま後退。
 彼らを追って前進するBETAの群れは、七海を含んだ275C小隊の36mmが尽く足止めしていた。

 レイド・クラインバーグは聡い衛士だ。
 衛士として戦場に立ち、ほんの数回の実戦で彼は1つの結論に行き着いた。
 適性検査によってあたかも軍は衛士を優秀な兵科のように祀り上げているが、実際のところ、衛士はそれほど有能な存在ではない。
 適性検査の合否はある。他の兵科よりも装備が優遇される。それは確かに事実だが、即ち「優秀」という結論には辿り着かない。これは単純に、そうせざるを得なかっただけだ。
 地上戦において数万という規模で殺到するBETAの前で、戦術機1機が出来ることなどそれこそ微々たるものであり、押し寄せるBETAを殲滅するのは戦術機ではなく、圧倒的な火力によってなされる面制圧だった。

『来ます!!』
 支援突撃砲によって大型種を中心に的確に撃ち抜く七海。その彼女が、降り注ぐ支援砲撃に応じてそう警鐘を鳴らした。
 轟音が鳴る。火器車輌が1度に巻き込むBETAの数は1000にも及ぶだろう。効果的な面制圧が機能し続ければ、それこそ物量差によって生じる戦況も覆し得るのだ。
「レーザー属はどうだ!?」
『3割の殲滅を確認! 要塞級は残り3!!』
「そこまでは届かなかったか………!」
 粉塵を突き破り、強襲する要撃級の体躯に風穴を開けつつ、レイドは舌を打つ。攻撃反意を集中していたため、そこまでダメージが及ぶかどうか確かに心配していたが、事実として突きつけられては嫌な気分にもなる。
『こちらストライカー1! 右翼の殲滅完了! 中隊を率いて前進します!』
 右翼に回り込んだBETAを始末したディランが1度レイドの横で止まり、そう告げてから再び速度を上げて前に出る。その両手の装備はレイドと同じ突撃砲と長刀だ。
 彼に続くのはユウイチも含めた新たな272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の12機。彼らは連携して面制圧を免れた先頭集団を蹴散らし、空白部分となった荒野へと躍り出た。
 再び支援砲撃が放たれる。効果範囲を更に伸ばし、今度の標的は完全に要塞級とレーザー属へ定めていた。
 轟音と震動。生身ではなかなか耐えられるような環境でない中、尖兵となった272戦術機甲中隊(ストライカーズ)はレイドの視線の先で前進を続けている。
「275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)全機、俺に続け! こちらも攻勢に転ずる!」
『了解!』

 レイドがそう部下に命じ、自身も駆け出そうとした瞬間、“それ”は訪れた。

 第2波の支援砲撃が収束しようとしているのに、寧ろ巨大化する大地の揺れ。BETAが地上を侵攻する時に生む振動よりも大きなそれは、一瞬にして1つの恐怖を具現化する。

「『――――――――――ッ!?』」

 砲撃が大地を抉るのとは異なる爆音を轟かせ、荒野に巨大な粉塵の柱が3本上がる。巻き上がる砂煙と泥土が視界を遮り、衛士たちはその向こうに揺らめく大小無数の影に気付くのがほんのわずかに遅れた。
 混乱を嘲笑うかのように粉塵を突き破り、十数体の突撃級が襲いかかる。本来であれば容易に躱せる筈のそれも、存在を察知するのに一呼吸遅れ、また既に至近距離まで迫られていたこともあり、今は辛くも避けられる程度だ。
 否。レイドの位置が良かった点も大きい。
 突撃級のルートによって左右を挟まれてしまっていた運の悪い2機が、呆気なく轢き殺された。強固な外殻と時速100kmを超える速度から生み出される衝撃は、戦術機の装甲など容易に変形させ、押し潰してしまう。
『敵の増援を確認! 分断されました!!』
 36mmで敵を牽制しながらレイドは部下と共に1度下がる。その折に届けられた報告など、最早後の祭りだ。
 BETAの増援が出現したのは、275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)と272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の中間。つまり、支援砲撃によって一時的に築き上げられた空白域だった。
 前に出た272戦術機甲中隊(ストライカーズ)と、それを追随しようとしていた275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)は完全に分断され、ディランたちは敵中で孤立している。
「陣形再編! 1度後退して体勢を―――――――」
 指示を下しながら36mmで牽制し、要撃級の前腕を右に躱す。それが拙かった。
「っ!?」
 着地と同時にその眼が視認するのは、すぐそこまで迫った巨大な衝角。要撃級の前腕を避けた時、右にスペースがあったのは都合良く開いていたのではない。“開けられていた”のだ。
 レイドがそれに気付いた時にはもう、要塞級が持つその巨大な衝角がこの管制ユニットを貫いていた。


『ブレイカー1、胸部管制ユニット大破。パイロットを死亡と判定。クラインバーグ大尉はその場で別命あるまで待機を継続してください』

 機体の外部カメラとの接続が切られたレイドの網膜に映るのは、リィルとは別の管制を務めている通信兵だ。幾分か表情が硬いが、それでも冷静にレイドに対して必要な言葉だけをかける彼女は通信兵として一人前だ。
「………了解。しばらく待とう」
 レイドはほんの少し間を置いてから、短く応答する。通信兵もそれに「はい」とだけ答え、回線を切っていった。レイドにとってその対応は、正直ありがたい。気を遣われ、言葉でもかけられようものなら、今のレイドには不機嫌にならない自信がない。

「恐ろしいな……船団級とは」

 シートに寄りかかり、ぽつりと呟く。レイドも長年衛士をやっているが、船団級と遭遇したことは未だない。無論、話には聞いていて座学でも学んでいるが、実際に遭遇を“体験”すると、その脅威が嫌になるほどよく分かった。

 新型JIVESによる戦闘訓練。船団級の出現も設定されていると事前に説明は受けたが、支援砲撃の震動にあそこまで巧く紛れ込まれては察知するのに時間がかかる。もちろん、それに対する経験情報をレイドが一切持ち合わせていないというのも大きいが、それにしたってあの奇襲は厄介なことこの上なかった。

「戦術機の振動センサーだけでは、直前に察知するのが限界だな」
 今の戦闘で起こったことを振り返りながら、レイドは呟く。振動センサーは確かに出現の際、特別な波形を検出するが、支援砲撃の中ではその検出に時間を要する。振動センサーが算出を終え、危険信号を出す頃にはもう出現の直前まで来ている筈だ。その段階で対処するなどあまりにも遅過ぎる。

 H11制圧作戦で船団級と遭遇しなかったことを、レイドは今静かに神へと感謝していた。

 地下茎構造内で船団級に遭遇していたならば、少なくとも今の自分では部隊を活かす指示を即座に下せる自信がない。後退するにしても、不意討ちでは退路を断たれている可能性もあるのだ。
 基本的に船団級とそれが解き放ったBETA群と交戦に入るのは得策ではない。奇襲を受けた場合、往々にして人類側は戦力が分散しているため、数千規模のBETAを内包する船団級の相手をするのは不可能に近い。1個中隊、2個中隊程度では時間を稼げるか否かの領域だろう。
 最早、“どう倒すか”ではなく“どう避けるか”の話だ。
 そのためには逸早く船団級の存在に感付く必要がある。埋設のセンサーを完備出来るのならば言うほど難しくないだろうが、攻勢作戦ともなればそんな対応をしている暇がない。
 殊更、ハイヴ内においては戦術機に常駐するセンサーだけが頼みの綱だ。こちらの場合は支援砲撃の震動に紛れ込まれる可能性は薄いが、衛士の緊張状態を鑑みれば楽観視はし難いというのがレイドの分析である。

「やはり、前兆を身体に覚えさせるしかないか」

 軽く眩暈を覚えながら、レイドはやれやれと呟く。別段、理路整然と熟考して判断を下すことを悪く言うわけではないが、戦場でそんな余裕があるのは寧ろ稀だ。
 自動回避機能があるとはいえ、レーザー属と相対した時はそれが顕著になる。脊髄反射でもまともに避けられないものを、頭で考えて避けられる筈がないのだ。
 尤も、連隊では最も古い軍人であるレイドにとって反復訓練など慣れたものだ。話し方から返事の仕方、挨拶に歩き方まで脊髄反射で行えるように一兵時代から叩き込まれてきたことは多い。

 今現在、この連隊内でそれが役立っているかは別として。

 時計の針が正午を指すまであと数回、同様の訓練を繰り返すことになっている。とりあえず、次の仮想戦闘訓練では今の轍を踏まずに対処。数回の後には、適切な対応を確立するように努める。
 ともすれば、明日にも実戦で遭遇するかもしれない彼らにとって、悠長に構えている暇は微塵もない。だが、そうやって地道に積み上げてゆく他、彼らは生き残る術を得ることが出来ないのも確かなことだ。

 さて、今の仮想戦闘訓練で他の隊員たちはどうなっただろうか。

 善戦してくれていることを祈るが、不甲斐なくも隊長である自分が早々に退場してしまったことで実際は厳しい状況に追い込まれたことは想像に難くない。
 大破判定を受けたことでデータリンクから外されたレイドは、確認の出来ない仮想戦闘訓練の推移を考え、大きなため息を漏らした。




「お疲れ様です」
 ユウイチ・クロサキがハンガーに格納された不知火弐型から降りると、待っていた整備兵や通信兵からそう声をかけられる。それに対し、無言ながらもユウイチは敬礼で応え、ハンガー内を歩く。

 第27機甲連隊の戦術機甲2個中隊の解隊から2日目。ユウイチたちの意見も取り入れて敢行された部隊再編も済み、昨日には新生の中隊で簡単なシミュレーター訓練も行われた。
 今日は早速実機に搭乗し、JIVESを使った仮想戦闘訓練を272戦術機甲中隊(ストライカーズ)と275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)で行ったところだ。

 機体制御自体は問題なかったが、訓練自体は惨憺たる結果である。

 足を向ける先には、自分よりも早く帰投していた上官が2人。同隊の中隊長であるディラン・アルテミシアと、275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)の中隊長であるレイド・クラインバーグの2人が一様に渋い顔で腕を組み、仁王立ちで待っていた。

「どうよ? あれ」

 2人の目の前まで行って足を止めると、開口一番にディランがそう問いかけてきた。主語も何もなかったが、JIVESを使った仮想戦闘訓練を終えてのこの状況でそれが何を指すのか分からないほど、ユウイチも鈍くはない。
「……船団級にあれほど振り回されるとは思いませんでしたね。考えなかったわけじゃないですが、想像以上です」
「だよなぁ。まともに奇襲喰らったら、どんなに密集してても多かれ少なかれ、隊を分断されるし」
 率直に思ったことをユウイチが口にすると、ディランも同意して大きなため息をつく。
 今回の仮想戦闘訓練では船団級に尽く翻弄された。時には隊を分断され、また時には完全な包囲を受け、船団級の出現後は加速度的に損耗度が上昇する。結局、船団級の奇襲を受けても尚、規定時間まで部隊衛士が生存し切った戦闘は最後の1回を数えるのみ。

 ただ、それも既に“部隊”と言うには些か抵抗を覚える規模でしかなかったが。

「初日としてはその“臭い”を掴めただけでも成果だな。奇襲は予期せぬものかどうかが最重要だ。喰らうか躱すかはその次の問題だろう」
「言葉遊びっすね、まるで」
 レイドの言にディランが苦笑して言い返す。確かに言葉遊びのような話だが、それでも実に言い得て妙だ。恐らくレイドが言いたいのは、「突如受けた船団級の襲撃と、来ると予想していながら躱し切れなかった船団級の襲撃では、それでも持つ意味の重さが違うということ」だろう。
 後者の状況ならば、まだ冷静でいられる。無論、前者に比べて、の話である。
「まあ、中佐は「若干シビアな設定にしといた」って言ってましたしねぇ」
 まだ苦笑しているレイドが言った言葉にはユウイチも覚えがある。彼らが仮想戦闘訓練に入る前、ハンガーを訪れた白銀武が一言目に言った言葉である。あっけらかんとした口調が印象的だっただけに、ユウイチにとっても忘れられない。
 具体的にはどうやら、振動センサーを始め各種センサーの反応をやや鈍く設定してあるとのことだったのだが、正直、ユウイチにはっきりと分かるほど顕著なものではなかった。
 その辺りは顕著過ぎても訓練にはならないので、本当に若干の設定だったのかもしれないと、彼は自己完結している。

「お疲れさまー♪」

 元中隊長のユウイチも含め、中隊長陣で輪になって悩んでいると、その空気すら吹き飛ばしそうな明るい声がハンガーへと訪れる。聞き覚えがあると表現するのも馬鹿らしいくらい、毎日聞いている最も姦しい人物の声だ。
 3人が同時に声のする方に視線を向ければ、にっこにこの笑顔でエレーヌ・ノーデンスがやってくるところだった。既に1度部屋に戻って着替えた後らしく、衛士強化装備ではなく普段着にも等しい軍服に身を包んでいる。

 彼女たち273戦術機甲中隊(ハンマーズ)は午前中、271戦術機甲中隊(セイバーズ)と共にシミュレーター訓練であり、午後からJIVESを使った仮想戦闘訓練に入る。ユウイチたちの場合はその逆だ。
 大方、エレーヌは彼らに訓練成果や雰囲気でも探りにきたのだろう。
 相変わらず、やかましくも余念のない女性だと、ユウイチは思わずため息をつかされた。

「どんな感じです?」
 ユウイチたちの前で立ち止まったエレーヌはそう訊ねる。レイドがいるためか語尾は丁寧だったが、敬礼はせずに「よっ」と手を挙げて軽い挨拶を示す。ここまで来る間にいつものように前髪を弄っていたのだろう。朝方見た時よりも癖が強くなっていた。
「どんな感じ、とは?」
「もちろん、JIVESですね」
「どうも何も……」
「今までと変わりませんって」
 分かっているだろうに訊ね返すレイドに、エレーヌも力一杯に予想通りの返答をする。それに対してユウイチはディランと共に「いやいや」と左右に手を振りながら否定の言葉を投げかける。
 何せ、JIVES自体は極一般的なものだ。新調されたものだって、船団級の出現設定が追加された以外、目新しいことはほとんどない。エレーヌが何を期待しているのか、ユウイチにはさっぱり分からなかった。
「ほんと? 何かこう、雰囲気とか違わない?」
「違ったとすれば寧ろ機体側の要因だろう。シミュレーターの時も感じたが、Type-94[second]は手綱さえ締めれば名馬だな。想像以上に衛士の格を問われる」
 訊かれても答えようのないような主観的な問いかけをするエレーヌに、レイドが天井を仰ぎながら応じる。彼にそんなことを言われては、そこにどうこう口を挟めるのは上官の武かマリアしかいなくなってしまう。

「そっちはどうだったんだよ?」

「うん? 何が?」
 これ以上、言及されたくないのか、それとも心から興味を抱いたのかユウイチには分からないが、ディランがエレーヌに訊ね返す。しかしながら、彼女はどうやらディランの意図はまったく読み取ってくれないらしい。
 第三者ながら、ユウイチは素直に卑怯だと思った。
「白銀中佐。今日はそっちに参加したんだろ?」
「ああ、中佐? 凄かったよ? あたし個人としてはラファールに乗ってた時より無茶苦茶になったと思う。模擬戦したら相手は生きた心地しないだろうね」
「そう遠くない日に、そう思わされる日が来るってことか………」
「来るってことだろうねー」
 屋内にも関わらず並んで遠くを見つめるディランとエレーヌ。武御雷とF-22Aのどちらが強いか、で取っ組み合いのケンカをする2人は、基本的に仲が良いのだ。
「その割には落ち着いているな、ノーデンス。中佐と対峙する自信があるということか?」
「いやぁ、うちには柏木少尉という防波堤らしい防波堤がいますから」

 そうか、“生きた心地がしない”というのは柏木章好の無許可代弁だったのか。

 レイドの問いに冗談っぽく舌を出して答えるエレーヌに、ユウイチは言葉には出さず、章好に対して同情する。それに、彼女の喩えに準拠するならば、武は高波か何からしい。
「なら、うちにはユウイチという防波堤らしい防波堤がいるな」
 つい今し方までエレーヌと遠い目をしていたディランが復活し、笑いながら豪快にユウイチの背中を叩く。エレーヌもディランもそうやって茶化すことで隊のムードメーカーとなるように努めているのだろうが、極稀に「本気で言っているんじゃないか?」と思わされることがユウイチにはあった。

 余談だが、今はその時だ。

「……アルテミシア大尉」
「あん? 怖気付いたか?」
 はぁ……とため息をついて呼びかけるユウイチに、ディランは首を捻った。何を言われるのか予測がついていないという感じである。
「中佐と相対するのは寧ろ望むところですが…………」
「お、心強いねぇ」
 実直に武を憧憬するユウイチからすれば、直接手合わせ出来ることは願ったり叶ったりだ。そういった意味の返答に、エレーヌが可笑しそうに笑いながら茶々をいれてくる。
 だが、ユウイチはそれを黙殺し、言葉の続きを紡ぐ。

「……………少佐のことを忘れてませんか?」

「あ」
 マリア・シス・シャルティーニの名前を出したところ、本気で忘れていたのかディランとエレーヌは小さく声を上げる。嘆いているのか、呆れているのか、見守るレイドは再び天井を仰いで首を横に振った。

 模擬戦で白銀武の戦闘挙動に翻弄されたことはユウイチも含め、彼らにとって印象深い記憶だ。忘れようにも忘れられる筈がない。だが、その裏で実は副長たるマリア・シス・シャルティーニに舐めさせられた苦汁も、決して少なくはない。
 彼女はこちらが距離を詰めて応戦すれば並の衛士だが、少しでも距離を開けられてしまえば、一瞬にして必中の射手となる。どんなに挙動制御に自信があろうとも、射線上に入るのは憚られるほどだ。
 基本的に、前衛僚機が多ければ多いほどマリアの真価は発揮されるだろう。だから、小隊規模よりも中隊規模、中隊規模よりも大隊規模で行われる模擬戦の方が、彼女の存在は脅威だ。連隊の規模までいってしまうと、もうマリア個人ではまったく支援し切れないため、顕著な差が出るわけではない。
「シャルティーニ少佐かぁ……」
「中距離はもう副長の独壇場だしなぁ」
 再び並んで遠くを見つめるエレーヌとディラン。独壇場という言葉は大袈裟にも聞こえるが、ユウイチの目から見ても実に的を射ている。少なくとも、彼女が後方にいるといないとでは安心感がまるで違う。

「……ふむ、流石にそろそろ着替えなければ昼食を食いはぐれるな」

 時間を確認したレイドが不意にそう告げる。振り返れば、当の彼は既に踵を返して歩き出そうとしていた。ユウイチも今の時刻を確認し、成程と頷かされる。
 食いはぐれるというのは言い過ぎだが、これ以上時間をかけていては昼食を受け取るまでに長々と待たされることになるかもしれない。それはあまりにも悪手だ。
「じゃあ、あたしは先にPXに行っておきますよ」
 レイドに比べてかなり暢気なエレーヌ。それもその筈だ。彼女は既に衛士強化装備から軍服へと着替えており、ユウイチたちよりも一手間少ない。
「先に着替えた人間は余裕だな………俺たちもさっさと行こうぜ、ユウイチ」
 エレーヌに非難がましい目を向けながら、ディランはユウイチを促す。その意見に対してはユウイチも賛成だ。だから、既に歩き始めようとしているディランに対して「はい」と答えようと口を開きかけた。

「あっ………あの! クロサキ中尉!」

 そのユウイチの言葉を遮り、また、歩き出した上官たちの足を止めたのは、ハンガーではあまり聞かない声だ。その、少女らしいよく通る声に振り返れば、我らが第27機甲連隊の戦域管制将校がいた。
 リィル・ヴァンホーテンである。
「うん? 何だ? ヴァンホーテンも急がないと食いはぐれるぞ?」
「そ……それはそうなんですけど……」
 ユウイチの返答に言い澱むリィル。普段からエレーヌのようにはっきりと物を言うタイプではないが、今は一段と物怖じしているように見える。ユウイチはそう思いながら、比較対象が間違っているか、と心の中だけで反省した。
「………? オレに何か用……か?」
 訊ねながら馬鹿なことを訊いてしまったとユウイチは後悔する。相手が呼び止めてきたのだから、用がない筈もない。何かしら、彼女から言いたいことがあるのだろう。
「あ、はい」
 案の定、リィルは頷く。それは当然のことと受け止めたが、生憎ユウイチにはまったく心当たりがない。もしかして、彼女も戦域管制官を務めていた先刻の仮想戦闘訓練に関して何かあるのだろうか。
 リィルの性格上、直球で意見を述べてくるとは考え難いが、妙なところで聡い彼女ことだから何か気になる点があったのかもしれない。

 中隊全体に関することならば、それぞれを率いていたレイドやディランに進言する方が筋は通っている。ともすれば、ユウイチ指揮下の272B小隊に関することか、あるいはユウイチ個人に関することだろう。
 それについては寧ろ心当たりが彼には多過ぎる。何せ、今の訓練結果はそのくらい惨憺たるものだったのだから。

 ユウイチがリィルの言葉を待ちながら宙を仰ぎ、あれこれと思案していると、思いの外、その瞬間はすぐに訪れた。決意で表情を引き締め、ユウイチの顔を見上げたリィルが口を開き――――――――――

「付き合ってください」

 と、とんでもないことを言ってのける。
 大声というほどの声量ではなかったが、話せば鈴の音のようによく通る声をしているリィル。それが今回は仇となったか巧を奏したか、2人を中心に周囲の時間が止まった。

 それはもう、見事に止まった。

 当人であるユウイチはおろか、振り返り、成り行きを見守っていたレイドにディラン、同じく訓練を終え、着替えに戻ろうとしている隊員一同、既に早時間で昼食を終え、訓練後の機体整備に向かおうと衛士たちとは逆行する整備兵の面々。
 そんな、必然・偶然関係なく、うっかり話を立ち聞きしてしまった者たちは一様にポカンと口を開けさせられている。

「お? クロサキ中尉に春到来?」

 空気を読まないエレーヌ・ノーデンスだけは例外であったが。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第56話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/12/01 07:14


  第56話


 さくさくと土を軽く掘り返す。元々、ここは草花を植えることを目的としたスペースであるが、基地が出来てから半年近く放置されていたため、少し荒れてしまっている。3畳ほどの広さがあるため、慣れていない者の手で手入れし直すとなると、やや骨が折れることは想像に難くない。

 少なくとも、リィル・ヴァンホーテンには土いじりの経験などまるでなかった。

 もちろん、少女らしく花を眺めるのは好きであるが、一から育てるとなると話は少し別である。今までそういったことに触れる機会などなかったし、触れようと思い付くこともあり得なかった。
 そんなリィルに、花を育てようと思い立たせたのは、つい先日まで滞在していた日本の横浜基地で出遭ったものだろう。
 横浜基地には、本当に立派な花壇があった。手入れしている人たちの想いがしっかりと注がれているのだろうと、素直に思えるくらい事務的に作られた花壇とは一線を画する一角があり、綺麗な花が咲き誇っていた。
 それを見た瞬間、自分の中に何かが湧き上がってきたのである。

 あれならば、私にも頑張れるかもしれない、と。

 リィル・ヴァンホーテンにはBETAと直接戦う力がない。戦術機を動かすことも出来なければ、小銃の射撃訓練だって満足に受けたこともないような人間だ。同時に、戦場に近い場所で、戦う仲間たちを繋ぎ合せる重要な立場にいる人間だ。
 この数ヶ月で、リィルが戦場の作戦司令部で戦域管制官を務めた回数は本当に数えるほどしかないかもしれないが、彼女はその実、第27機甲連隊内においてこの数ヶ月間、武とマリアに並ぶほど、あるいは上回るほど人の死に直面してきた。
 戦域管制将校という立場柄、第27機甲連隊の兵士たちのみならず戦場のすべての部隊と繋がっているリィルは、波のように押し寄せる彼らの死を正面から受け止める位置に立っていた。

 怒号。
 阿鼻叫喚。
 断末魔。

 存命を喜び、称える声よりもきっと、リィルが耳にしてきた“音”はそういった絶望的なものの方がずっと多い。その度に、遠く離れた司令部にいる彼女は涙を飲んで、立場上、部下に数えられる通信兵たちに毅然とした姿を見せることを強要される。
 ここにいる自分では本当に何一つ出来ることなどないのだと、まざまざと見せ付けられながらも、唇を噛み締めて表情を歪ませることすらその時は許されないのだ。

 私は弱い人間だ。
 私は何もしてあげられない弱い人間だ。
 私は、死地に赴こうとしている人たちに何もしてあげられない弱い人間だ。

 横浜基地へ言った時でさえ、そんなことを考えていた。そんな恐怖にいつも脅えていた。

 弱いことに?
 いや、違う。弱くて、“何も出来ない自分”が“役立たず”と蔑まれることが怖いのだ。
 役立たずの自分が怖い。誰からも意味を見出されない自分が怖い。

 そしてそれ以上に、己の意味を誇示出来ないことがずっと怖い。

 自分自身で、自分はこんなことが出来るのだと主張しない限り、他の誰かは決して認めてくれない。誰かに認められたいと願うのではなく、自分を認めたいと努めることがまず大切なのだと、リィルは思っている。
 この第27機甲連隊の兵士に問えば、きっと異口同音に評価を下すだろう。
 あなたはよくやっている、と。
 それが正当でないと言うほど……自分ではない他の誰かが与えてくれた評価を否定するほど、リィルは自惚れていない。事実、リィルだって戦域管制官たる自分の働きに対して、満足ではないにしても明らかな不満だって露わにしているわけではなかった。

 だけど、それは何かが違う。

 そこで能力を揮っているのは1人の“戦域管制将校”であって“リィル・ヴァンホーテン”ではない。彼女は、何よりも“リィル・ヴァンホーテンとしての意味”を欲していた。
 それは、難しい悩みだね、と苦笑される悩み。
 それは、我が侭な悩みだな、と失笑される悩み。
 世界を1つのチェス盤に喩えれば、自分は盤上に並べられた駒に過ぎない。用意された駒にはそれ以上の役割もそれ以下の役割もあり得ないし、あってはならない。
 人は社会の中で与えられた役割を成すことで社会的な価値を得るのだろう。そこに“リィル・ヴァンホーテンという役割”は存在せず、“リィル・ヴァンホーテンによって演じられるかもしれない役割”までしか用意されていないものである。

 だからこそ、リィルが“リィル・ヴァンホーテンという役割”を模索することで苦悩するのは、難しく、我が侭な悩みなのだ。

 さて、ここで話を少し戻そう。リィルが今、いそいそと土いじりに勤しんでいるのは、実のところそこに理由がある。少なくとも、これは戦域管制官に課せられた使命ではなく、リィルがやりたいと思ってやり始めたことだから、リィルがリィルたるほんの幾ばくかの証明になるのではないか。
 そんな意味があった。

「とりあえず、こんなところか」

 本音と建て前を使い分ける醜い自分に若干の嫌悪感も抱きつつ、リィルがシャベルを土に突き立てると、少し離れたところから声がかかる。
「そうですね。ありがとうございます、クロサキ中尉」
 顔を上げれば、同じように突き立てたスコップを手で支えているユウイチ・クロサキがいる。流石に男性であり、リィルとは違って正規の訓練を受けた軍人であるだけあって、彼女が起こした面積よりも彼が掘り起こした面積の方がずっと大きい。リィル1人ではもっと時間がかかってしまっていただろう。
「こういうふうに身体を使ったのは久し振りだな。耕作なんて訓練兵の時もやらなかった」
 気疲れしたのか、スコップを杖のようにして体重をかけるユウイチ。工兵であれば話は別かもしれないが、いくら軍人として屈強な肉体を築こうとも、こういった作業には大抵縁がないだろう。

「すみません……私用に付き合っていただいて……」

 訓練兵の時もやらなかった、という言葉が若干の嫌味のようにも聞こえて、リィルは表情を曇らせる。それとほぼ同時に、どうしてかユウイチの方も急に憮然とした顔になった。
 やはり迷惑だったのだろうか。彼の表情を見て、リィルの心は更に沈み込む。

 リィルは他人と交友関係を結ぶことがあまり得意ではない。それでも部隊として機能するため、勇気を振り絞って連隊の隊員たちへ歩み寄っているが、それも結局は上官と部下の関係だったり、通信兵と衛士の関係だったりと、純粋な交友関係として数えて良いのか疑問な部分も多かった。
 通信班の総轄者という立場柄、リィルが頼み事をすれば大抵の隊員にとって多かれ少なかれ何らかの圧力がかかるに違いない。それが憚られたため、リィルはユウイチに相談したのだ。

 花壇作りを手伝ってもらえませんか、と。

 どうして彼だったのかと問われれば、リィルは恐らく1回は首を傾げる。比較的歳も近く、中尉階級にあるユウイチには他の隊長陣よりは頼みごとをし易いのも要因としてあっただろうが、“ヘンリー・コンスタンスではなかった”ことも含めればきっと他にも理由がある筈だった。

 恐らく、最も単純に考えれば「リィル・ヴァンホーテンはユウイチ・クロサキともっと親しくなりたい」と思っているのだろう。ただし、肝心の当人がそれにすぐ気付けるのかどうかはまた別の話だが。

 何せ、リィルは今、酷く狼狽している。
 相談を持ちかけてから今に至るまでを見ていると、ユウイチはあまり自分のことを好意的に受け止めていないように思えるからだ。
「……次は肥料か?」
「え? あ……えっと、今日はここまでにして、それは明日からにしようかと思います」
「そうか」
 不意にユウイチに問われ、リィルは慌てて首を横に振る。流石に自分にも常務が残っているし、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の新副隊長であるユウイチの自由時間をそこまで削ることなど出来ない。
 実際、リィルだって相談を持ちかける際に「暇な時でいいので」と何度も念を押している。押しているのだが、初日からユウイチは手伝ってくれた。それは嬉しいのだが、きっと無理強いさせているのだろう。

 何故なら、今だって彼は晴れた空を見上げながらも眉根を寄せ、不機嫌そうに顔をしかめているのだから。




「次は肥料か?」
 時間が押しているのか、リィルが不安そうな顔をして黙っているのでユウイチはそう問いかけた。確かに、このまま次の工程に入るのだとすれば、少し作業速度を上げる必要があるだろう。隊長のディラン・アルテミシアから「気にせず手伝ってこい」と言われているが、あまり自分がバタバタしていては、隊の士気に関わる。
「え? あ……えっと、今日はここまでにして、それは明日からにしようかと思います」
「そうか」
 慌てた様子で答えるリィルに内心、ユウイチは首を捻る。とりあえず放置されていた土壌をならすところまでは終了したのだから、今日の作業は終了したということだろう。どうして不安そうにしたり、慌てたりしたりしたのだろうか。

 もしかして今後の工程に不安要素でもあるのでないか。
 リィルからは今までやったことがないと既に明言されているが、生憎ユウイチとて詳しい筈もない。寧ろ指示を仰ぐ側だ。加えて、この何百人といる連隊の中には、どういうわけか園芸に詳しい者が見当たらなかった。

 そのことでようやく、軍人とはかくも枯れた職業であることを痛感させられたが。

 とにかく、まだ先は長く、時間があるというのならこの際、横浜基地の珠瀬壬姫に手紙を書いて、助言を仰ぐという手がないわけでもない。
 乗りかかった船であり、せっかく彼女が頼ってきたのだから尽くせる努力は尽くそう。そう思って、ユウイチは空を見上げる。
 天気は良い。この調子ならば、少なくとも雨天で作業を延期するという事態にはならないだろう。
 そこまで考えて、ユウイチはふと思い悩んだ。

 連日、手伝いに来ても良いのだろうか、と。

 いくら手伝って欲しいと頼んできたとはいえ、階級が上の士官と一緒ではリィルも気が休まらないに違いない。ここは彼女のことも気遣って、程ほどに手伝う方が正解ではあるまいか。
 思わず、どうしたものかとその体勢のままユウイチは眉間に皺を寄せる。

 元より、ユウイチはあまり人付き合いが上手い方ではない。

 仲間や部下とのコミュニケーションは取っているが、それはそういった立場柄、最低限行っているに過ぎず、自由行動中は圧倒的に一人で行動することの方が多い。無論、大人数での付き合いが苦手というわけではなく、単純に自分から誘うほど好きというほどでもないだけである。
 加えて、同僚からそういった類の誘いが来ることも少ない。それは、そういったことが好きではないと誤解されているのか、あるいは根本的に人として好意的に受け入れられていないのか、ユウイチ本人では判断しかねるところだった。

 思えば、子供の頃から自分はそういった性格だった。
 幼年期から通じて友人が少なかったのは、ただ1人、かけがえのない親友と呼べる存在がいたからである。彼女といるだけで楽しく、彼女がいれば他に友人など必要なかった。
 今、社交的でない自分はあの時、“社交的である必要性を感じていなかった”のだ。
 引っ込み思案と言えば確かに引っ込み思案。
 そんな自分の性格が未だ改善されていない。
 彼女が、死んでしまった今となっても。

「あ……あの、クロサキ中尉。あまり無理しなくてもいいですから……」
「………分かった」

 リィルの言葉に思わず「やってしまった」と頭を抱える。いきなりリィルに気を遣わせてどうする、と自分を叱責するしかない。非常に居た堪れない気分だった。

「おー、ちゃんとやっているか? 若者諸君」
「お疲れ様です」

 そんな空気を払拭してくれそうな、2つの声が近付いてくる。ユウイチがリィルともども首を捻れば、直属の上官であるディラン・アルテミシアと、第27機甲連隊が誇る新進気鋭の英傑 柏木章好がこちらに向かってくるところだった。
 その手には、何だかよく分からない包みと、携帯用のポットが抱えられている。
「どうしたんですか? アルテミシア大尉に柏木少尉」
「差し入れ」
 きょとんとするリィルに対して、ディランがあっけらかんと答える。差し入れとは、その手に抱えられた包みのことだろう。碌でもないことを考えていないと良いのだが。
 ユウイチがそう心配するよりも早く、ディランがその包みを開けてみせた。
「あ、クッキーですね」
 少しだけ弾んだ声を出すところは女の子らしいと言うべきだろうか。ディランの開けた堤から出てきたものを見て、リィルが表情を綻ばせる。
 そこにあるのは、確かに整った形をしたクッキーだった。あまりにも整っているので既製品かと思わされたが、章好から差し出されたタオルで手を拭ってから1つ摘み上げてみると、ほんのりと温かく、まるで焼き立てのようである。
「これは?」
「水城少尉から。手作りだとよ」
「あいつの趣味なんですよ、お菓子作り。こっちはシャルティーニ少佐からの差し入れです」
 ディランの手作り、という言葉に捕捉して、章好がそう説明した。最後には手に持ったポットを掲げて、差し入れ主のことも述べる。
 彼の言葉を受けて、ふむとユウイチは再びクッキーを見つめる。手作りでこの整いようは、些か趣味の範疇を逸脱している気がしなくもない。まあ、好きでこだわりを持っている、というのなら趣味といっても良いのだろう。
「ま、次はいつ食えるか分からないし、ありがたくもらっとけ」
「水城の趣味なら、また作ってもらえばいいのでは?」
 まるでまたとない機会と言うように勧めるディランに、ユウイチは再び首を捻る。彼女の性格なら、「余程機嫌が良くなければ作らない」ということはあるまい。趣味というくらいならば寧ろ頻繁に作って然るべきだ。

「いや、それ、砂糖使ってるし」

 包みをリィルへと手渡し、見事手ぶらとなったディランがクッキーを指してそう答える。その返答には、さしものユウイチもリィルと並んで目を丸くするしかなかった。
「ごっ……合成甘味料じゃないんですか!?」
「この間、師団本部から送られてきたものの中に、砂糖まで混じってたんだと。とんでもないよな?」
 食べ慣れた合成甘味料ではなく、天然甘味料が使われているということに狼狽するリィル。それに関して説明を加えるディランは少し苦笑気味だった。
 砂糖は、一昔前までは一般的な甘味料だったらしいが、ユウイチたちにとっては最早嗜好品の一種だ。上質なものは高級品に数えられるが、流石にその種類まで訊ねる気分にはならなかった。
 もし、目を細めてしまうほどの高級品だったなら、味に関係なく食べられなくなりそうだからだ。
「……で、こっちの作業も順調に進んでる………のか? これ」
 ユウイチの表情からその心境を感じ取ったのか、小さく笑ったディランはそのまま周囲の花壇となるスペースを見渡して、そう訊ねてくる。生憎と、この状況が順調なのかどうかはユウイチにもさっぱりだ。だから、軽く肩を竦ませて応じる。
「土壌作りは慌ててもしょうがないですよ。暢気にやり過ぎると、冬がきちゃいますけど」
 地面の上にシートを敷き、その上に持っていたポットを置いた章好が笑顔で答える。この手のことに詳しいのかそれほど詳しくないのか微妙な発言だ。
「まあ、種撒いたって明日明後日に花が咲くもんでもないしな。リィル、咲いたらちょっともらっていいか?」
「え? あ、はい。それは構いませんけど、アルテミシア大尉、お部屋に飾るんですか?」
「いや、家族に送る。うちのが花とか好きなんだよ」
 青空を仰ぎ、そう答えるディランに相変わらずの愛妻家だなぁとユウイチは素直に感心させられる。しかし、何を育てるか決まってもいないうちからそんな約束をして大丈夫なものなのだろうか激しく疑問だった。

「俺が交際を申し込む時に送ったのが薔薇の花でさぁ」

 続いてディランが口にした思い出話で、ユウイチも含め全員が一斉に目を逸らせた。少しでもロックオンされないようにするささやかな抵抗である。
 恐らくだが、今、自分はリィルと章好と想いが一致している筈だ。

 ああ、これは3時間コースの惚気話だな、と。




 極東方面 横浜基地。極東国連軍の最精鋭が集うこの丘陵の地下には、基地施設として幾つもの階層が連なっている。それは兵士が生活圏とする兵舎階層から、ブリーフィングルーム、訓練施設や研究施設、司令部が管轄下とする機密エリアと、高低様々なセキュリティに守られる空間が下へ下へと伸びていた。
 その8割は機密エリア。すべての兵士が自由に出入り出来るのは、一部を除く地上施設とブリーフィングルームを構える浅い階層までの空間だ。
 無論、立場によってその程度は差を見せるが、往々にして戦闘要員にはあまり高度な情報開示は行われない。大抵の場合、彼らにはその情報を有効に活用する場面は訪れなく、また期待もされていないからである。

 しかしながら今、この横浜基地が誇る地下施設のとあるブリーフィングルームには、多分に例に漏れそうな兵士が揃い踏みしていた。
 229のナンバーを持つこのブリーフィングルームは、通常、ある戦術機甲連隊に所属する戦術機甲中隊指揮官及び通信小隊指揮官が一同に会する時に使用される。

 その部隊の名は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)。その連隊に名を連ねる指揮官とは即ち、旧A-01部隊の兵たちに他ならない。

 無論、第5中隊(レギンレイヴ)中隊長 御剣冥夜もその1人だ。

 用意された椅子に腰かけ、6人ほどが同時に使える長い机に向かうのは通信小隊を率い、連隊の副長も務める涼宮遙を始めとし、冥夜も含めた10名。相対し、教室における教壇の位置に立ち、冥夜たちの顔を見渡すのは、第1中隊(スクルド)を纏め上げ、同時に連隊の将を任される速瀬水月である。

 こういったミーティングで一同に会することはその実、さほど多くない。水月に対する定例報告も個別に行われるし、必要とあらば中隊長同士が個人的に相談や雑談を持ちかけることが常だ。
 また、各隊への指示も個別に行われる。
 彼女たちの見識において、旧A-01メンバー 総員12名が229ブリーフィングルームに召集されるという事実は、1個連隊として任務につく場合か、香月夕呼あるいは基地司令部からそう求められた場合に限られることとなるのだ。

「あたしたちは部隊発足から今まで、各方面の戦力増強補助に一種のコネ作りとして中隊単位で行動してきたわ」
 1つ、小さく息を吐いた水月が第一声を紡ぐ。桜花作戦の成功からこの3年半、冥夜たちは国内のみならず世界中を駆け回ってきた。それはかつてA-01に課せられていた任務とは別の意味で過酷なものだったが、彼女にとっては国連軍衛士としてやれるだけのことをやってきたつもりである。
「だけど、その任務も昨日まで。今日から正式に、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)は連隊として新たな任務に従事することになる」

 水月の言葉は、やはり冥夜の想像通りだった。この極東国連軍の最精鋭部隊と言っても過言ではない戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)が一体となって当たるような任務。恐らく、生半可なものではあるまい。
 ただ1つ、冥夜の言えることは、この連隊が最大の能力を発揮出来るのは結局のところ戦場でしかないということだ。

「あたしたちに課せられる任務は、簡単に言えばBETAから情報を収集すること。先日の大陸におけるBETA侵攻のことは覚えているわね? 香月副司令は、この点に関してBETAが新たな行動規範を作り上げている可能性を示唆しているのよ」
「………………」
 後ろの列に並ぶ、第6中隊以降の中隊長を任される同期兵の中で、誰かが小さく息を呑むのが冥夜にも分かった。生憎と振り返ることは出来ないため、それが誰かは確認出来ないが、冥夜だって反応を示さなかっただけで驚いていることに変わりはない。
 相対し、自分の左に並ぶ榊千鶴、風間祷子、宗像美冴、涼宮遙の反応はほとんどなかった。
 階級が並んでいることを考えれば千鶴と祷子の2人には冥夜同様、何か話がいっているわけではないだろう。代わりに、両者には高い分析力があるため、既に大半を予想しているが故の落ち着きだと考えられる。

 BETAの新たな行動規範。

 その可能性を示唆することは、香月夕呼にとってある種の英断だったに違いない。もし、“BETAが指揮系統を失っていない”のだとしたら、桜花作戦を敢行したオルタネイティヴ第4計画側にとっては相応の向かい風となる筈である。

 尤も、香月夕呼が見据えているのはきっとそんなことではなく、まさに“如何にして自分の領域でBETAを効率的に駆逐するか”だけであろう。
 冥夜は彼女について決して詳しくない。だが、どうしてか、香月夕呼という人物は自身の望む形でこの戦争が終結するのなら、幾分かの汚名を被ることも厭わないのだと思うのだ。

「まぁ、やることは昔と変わらないわよ。可能な限りの情報収集を行うため、あたしたちは総力を挙げて“守るだけ”」
「守るだけ………ですか?」
「そうよ、鎧衣。昔と同じでしょ? 違うのは、それが“凄乃皇じゃない”ってことだけよ」
 美琴が漏らす疑問色の強い呟きに水月が頷く。その時の彼女の表情が、ほんの一瞬だけ優しくなったように思えたのは、きっと冥夜の気のせいではない。
 その瞬間だ。冥夜は確かな根拠もなく、されども確信を持った。

 速瀬水月は自分と同じ推測を立てている。あるいは、連隊を統べる者として既に真実を教えられているのかもしれない。

 彼女の言う「守るだけ」という言葉に込められた防衛対象は恐らく鑑純夏のことを指す。敢えて、「凄乃皇じゃない」という言い回しをした点も考慮すれば、それは確実だろう。
 たとえ名目が別の兵器だったとしても、それでは水月に優しい表情をさせるまでには到らない筈だった。

 そう、ここにおいてBETAから情報を収集するのは、冥夜たち戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)でなければ、別に投入されるかもしれない新たな機体でもなく、ましてや凄乃皇である筈がない。
 それはきっと、鑑純夏なのだろう。
 それが冥夜の推測だ。佐渡島、横浜基地、オリジナルハイヴと辿ってきた凄乃皇の変遷と、純夏の入隊を考慮した上で事実と疑問を総合した結果、冥夜が辿り着いた確証も無い1つの結論だった。

「速瀬中佐、発言の許可を」
「許可するわ」

 沈黙を破り、冥夜が軽く挙手をして水月に発言の許可を求めると、彼女はすぐに応諾してくれた。「ありがとうございます」と答え、冥夜はその場に立ち上がる。
「守るだけと仰られましたが、我々が守るべき対象について言及がなされていません。可能な限りの情報収集を行うために、我々はいったい何を直援することになるのか、可能であれば御説明いただきたく思います」
 冥夜のその要求に、水月の双眸が光る。元より、この要求が真っ当に通るとは思っていない。あくまで憶測だが、たとえ水月も冥夜と同じ結論に到っていたとしても、それを明言するわけにはいかない。
 香月夕呼という真実を知る者の立場からすればきっと、必然的に純夏を守ることになるような“純夏ではない直援対象”を用意することが最も望ましい筈だ。
 恐らく、凄乃皇とてその例に多分に漏れない。

「情報収集用に改修されたSu-37よ」

「Su-37って……確か、ソビエトの………」
「でも、どうしてわざわざソビエト機を?」
 ほとんど間を置かずに告げられる水月の言葉に、後列がざわつく。日本でソビエト生まれの戦術機を運用するなど、それこそ欧州で日本生まれの戦術機を運用することと同じくらい正気の沙汰とは思えない。
 だから、思わず涼宮茜が口にした「どうして」という疑問はあまりに当然のことだった。
「複座型だよ、涼宮」
 それに答えるのは宗像美冴だ。腰を捻り、後列の後輩たちを見回す彼女の口元も既に緩んでいる。すぐにその結論に辿り着くのだから、当然、彼女も“気付いている”のだろう。
「Su-37は唯一、複座型管制ユニットにも対応した設計がされているから、それが使いたいんでしょうね」
 千鶴も同意したように頷いた。ただし、そう言ってから最後に「マイナーな設計だけど」と苦笑気味に付け足す。
「どうしても改修後は衛士の情報処理量が上がるから、そのための複座型だってあたしは聞いてる。BETAとの戦闘は主体じゃないけど、自機の防衛のための交戦は避けられないだろうから、仕方ないことよ」
 水月の述べるその説明には、納得する。いや、“納得せざるを得ない”。確かに複座型機ならば、1人が戦闘行動を行い、片方が情報収集及び処理に集中出来るため、理に適っていると言えば理に適っていた。
 凄乃皇を使えれば、と考えなくはないが、それは言っても仕方のないことである。
「Su-37のために連隊機すべてが直援につくことを隊員に説明する際、どのように応対するべきでしょうか?」
「正直、難しいところだけれど、香月副司令が「替えの利かない機体だから」って言っている以上はそう答えるしかないわね」
 祷子の問いに水月は眉根を寄せて複雑そうな表情で答える。総数120にも及ぶ戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の不知火がSu-37 1機を守護するために出撃するなど、まともではない。それを疑問に思わない者などいない筈がない。
「Need to know……それが分からないやつはいないでしょう。軍とはそういうところです」
 苦笑する水月に対して美冴がそう投げかける。結局、機密にすら触れ得る彼女たちにとって最後に頼れるのはその言葉だった。教えられないことは、どうあっても教えられないと突き放すしかないのである。

「言うまでもないと思うけど、一応、Su-37に乗る衛士を教えておくわ」

 美冴の言葉に軽く肩を竦ませて見せた水月は、そのまま全員の顔を見回してから口を開く。冥夜も含め、再び全員は正面を向いて彼女の言葉に耳を傾けた。
 尤も、水月が言わんとしている名前など、冥夜からすれば聞くまでもないことではあるが。

「社と鑑よ」

 その言葉に驚きを表す者など、最早この場にいる筈もなかった。




 自室に戻り、御剣冥夜は外で身に纏っている国連軍士官の軍服の上着を脱ぎ捨てる。ネクタイを軽く緩め、首もとの自由を確保した。強化装備が戦場で身に着ける戦闘服である彼女たちにとって、軍服は公的な正装でしかなく実際には窮屈なことこの上ない。
 無論、冥夜だって歳相応に衣服に関して興味がある。今となってはそう頻繁に使われることもないが、充分な量の私服もこの一室に持ち込んでいた。
 お互いに指揮官という立場柄、同期の友人たちと外出することなどは滅多にないが、それでも出かければ必ずと言って良いほど服飾関係の店舗にだって立ち寄る。自分にはどんなものが似合うのかとか、あの友人にはどんなものが似合うだろうかとか、可愛らしい悩みをすることも珍しいことではない。

 それでも、御剣冥夜は同年代の若者とはある種、一線を画する感覚を持っている。

 彼女は兵士であり、衛士であり、戦士であって1人の武士だった。
 剣を、刀を使わせればこの横浜基地はおろか、一騎当千の兵が犇く斯衛軍の中でもその頭角を現す自信が、その実、冥夜にはある。そして、それは決して彼女の驕りなどではないのだ。
 それでも、冥夜の手は2つしかない。
 如何に一騎当千の傑物でも、基本的に物量の前では無力なものである。たとえ、冥夜が得意とする日本刀を携えようと、相応の手練……たとえば彩峰慧や宗像美冴あるいは速瀬水月といった格闘戦に通ずる者に複数で挑まれては成す術がない。また、格闘戦に秀でていなくとも、統率の取れた集団が相手では苦戦を強いられるのは必至だ。

 かつて、剣を学んだ師から冥夜は1つの教えを教授されたことがある。
 師が口にした言葉はこうだ。

 単独で集団を圧倒するに最も必要な能力とは何か?
 速度か? それとも力か? あるいは精巧さか?

 捲くし立てるような師に対して、その時冥夜は答えられなかった。ただ、師が次に口にする答えを待つしかなかった。

 違う。必要なのは人心を掌握する能力だ。
 どんなにその肉体を鍛え抜こうとも、汝の腕は2つしかない。どんな兵とて、四方八方から迫る敵を一刀の下に下すことなど出来る筈もない。1人か2人、良くて3人を下したところで組み伏せられるのが普通だ。

 師父、それでは4人以上の集団には勝てぬということですか?

 愚か者。何人が相手であろうが、“一人”確実に始末出来るのならば関係ない。刀を抜く前に、相手を呑んでしまえ、冥夜よ。十人が相手ならば十人に、百人が相手ならば百人に、千人が相手ならば千人すべてに、“一刀の下に下されるのは貴様なのだ”と恐怖を植え付けてしまえ。その瞬間、統率された集団も烏合の衆に成り下がろう。

 良いか? 冥夜、一時に千人を相手にするなど到底不可能だが、一人を相手にすることを千回繰り返すことは比較的難くない。極論ではあるがな、統率を乱し、戦意を喪失させるほどの覇気を纏うことが出来れば、そやつは戦わずして一騎当千の武者となろうよ。

 ただし、無論、これも理想論だ。十人程度ならばまだしも、数百、数千とにじり寄られてはそもそも、現実的な策などありはせん。物量に勝る一刀など存在せぬ。
 だから冥夜よ、汝も剣のみで敵を屠ろうなどとは思うな。所詮、“抜かれてしまった刀”など、すぐ近くのものを斬りつけることしか出来ぬ。左様な能のない人間だけにはなってくれるなよ、冥夜。

 そういった師父の不敵な笑みを思い出しながら、冥夜は一振りの刀を手に取った。その剣の名は皆琉神威。御剣冥夜が愛剣とする唯一無二の日本刀である。
 あの時の言葉は、伊隅みちるが最後に残してくれた助言に通ずるものがある。あの時はまさに、己は師父の期待に添えることが出来ていなかったのだ。

「私は、己の鞘を手に入れることが出来たのだろうか……?」

 そう呟き、鞘に収まったままの皆琉神威を構え、深呼吸する。桜花作戦以降、己が戒めとして、冥夜は1度たりともこの剣を鞘から抜いていない。
 “抜き身の日本刀でしかない自分”が、どうして鞘から剣を抜けようか。己が鞘に収まった刀となるその日まで、皆琉神威を抜くまいと冥夜は誓ったのだ。

「そなたは……いったいどれ程の運命を背負っているというのだ、純夏」

 鞘を持ち、その柄をじっと見つめながら冥夜はぽつりと呟く。
 冥夜はこの1週間ほどで、彼女のことを下の名前で呼ぶようになった。親しくなりたいと願っているのに、現状維持を通してしまっては自分が情けないと奮い立った結果だ。
 いきなり冥夜の彼女に対する呼び名が変わったことに、周囲は唖然としており、純夏の方は相変わらず冥夜のことを苗字で呼んでくるが、これは気持ちの問題なので冥夜もさして気にしていない。

 そもそも、冥夜にとってお互いを下の名前で呼び合う間柄の友人など、白銀武しかいなかったのだ。純夏の場合、冥夜が下の名前で呼ぶ同性の友人第一号である。

 その友に課せられた運命の重さ、あるいはその友が背負う業の深さは、冥夜とて計り知れない。恐らくそれは、冥夜が幾ら彼女と親しくなろうとも知ることの出来ない領域だ。
 だが、それがどうした。
 もしそんなことで冥夜が純夏から距離を取ろうとするだろうと考える者がいたならば、それは酷い侮辱である。共に桜花作戦に身を投じた者の絆は、そう細いものではない。

「タケル……そなたも、さぞ純夏のことが心配であろうな」

 四方を壁で囲まれた自室の中、冥夜は天井を仰いでそう呟く。だが、不思議とその口調は落ち着きがあり、穏やかなものだった。

「そなたに純夏のことを心配するな、などと言うのは、呼吸を禁ずることに等しいであろうが、もし私のことを少しでも信頼してくれているのなら、私に預けてくれ。彼女が彼女の成すべきことに専念出来るよう、私は尽力する」
 鞘に収まったままの皆琉神威を胸の前で掲げ、冥夜はそう誓ってからくすりと笑う。今、自分が口にした言葉が、桜花作戦にて逝った1人の斯衛軍士官の言葉によく似ていたと気付き、可笑しくなったのだ。

 この日、改めて御剣冥夜には新しい夢が出来た。
 いつか、鑑純夏と2人で遊びに出かけたい。並んで街を闊歩し、買い物に興じるのも良いだろう。喫茶店に入り、洋菓子を摘みながら歓談に身を委ねるのも悪くない。

 純夏はどうだろうか。もし、同じような夢を抱いてくれていたら嬉しい、と冥夜は微笑む。彼女もそれを望んでくれるのなら、余計に死ねないし、死なせられない。

 ささやかな目標の誕生に、冥夜は新たな1歩を踏み出す決意を固める。

 次の瞬間、冥夜の手によって皆琉神威の白刃は一閃していた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第57話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/12/07 16:04


  第57話


 6月13日 イギリス プレストン。
「申し伝えは以上です。あとのことはよろしくお願いします」
 マリアのその言葉に、向かい合う通信兵が了解の旨を示して敬礼する。マリアも敬礼で応え、踵を返すとその背中に「お疲れ様でした」と、その通信兵から言葉がかかった。
 軍の司令部は眠らない。
 大規模基地であろうが小規模の駐屯地であろうが、基本的にその集団及び施設の中枢が停止することなどあり得ないのだ。何せ、BETAとはいつ、どのタイミングで侵攻を開始するか予測すら立てられない相手なのである。
 たとえ相手が同じ人間でなくとも、情報戦の重要性は今も昔も変わらない。戦闘兵が逸早く行動を開始するためには、信頼性のある情報を可及的速やかに入手する必要があるのである。
 その点において言えば、基地という施設内において最初に“接敵”するのは通信兵という兵科なのかもしれなかった。
 無論、この第27機甲連隊がホームとするプレストンの駐屯地も、夜間配置の兵士が不測の事態に備えて待機を継続している。マリアを含め、戦闘において主力となる兵士たちが休息を取れるのは、彼らの存在あってのものだ。

 その、夜間スタッフへの引き継ぎを終え、マリアもあとは休むだけである。ただ、時間を確認したところ、まだ正式な消灯時間には到っていなかった。

 ふむとマリアは顎に手を当て、思案する。引き継ぎの際の諸注意も申し伝えてあるため、マリアにこれ以上、仕事は残されていない。だから、このまま自室に戻って眠りについても良いのだが、些か勿体無いような気がしたのも事実だ。
「少し、一服してからにしましょうか」
 穏やかに微笑み、マリアは呟く。恐らく、この時間ではPXの人も疎らであろうから、1人でのお茶会になりそうだが、それも悪くない。元より、マリアは歓談をしながらの賑やかなお茶会も好きだが、同じくらいゆったりとした静かな時間を過ごすことも好きなのである。
 ただ、昔は後者の方がより頻度は高かった。特に指揮官という立場を任されるようになってからは顕著である。
 一兵であった頃も指揮官を任されるようになった頃も、同僚とは良い意味で一定の距離を保ってきたマリアだが、最近はその境界が曖昧になってきていると彼女本人も自覚している。
 その変化をもたらせた最大の要因はいったい何なのかと、彼女に問えばきっと少し可笑しそうに笑いながらこう答えるだろう。

 それは、この第27機甲連隊という部隊が悪い、と。

 無論、悪いというのはあくまでマリアの冗談だ。そこには皮肉や嫌味の意味など一切含まれていない。だから彼女は純粋に笑えるのである。
 上官で口喧しい自分が一緒では気も休まらないだろうとマリアが一定の距離を取ろうとしても、この連隊の兵士たちは向こうから歩み寄ってくるのだ。それでは頻繁に独りになれる筈もない。
 以前はそんな部下など273戦術機甲中隊(ハンマーズ)のエレーヌ・ノーデンスくらいしか該当しなかったのだが、今は多くの部下があまり距離を気にせず接してくる。尤も、マリアから見て一番距離を気にしていないのは部下ではなくこの連隊唯一の上官なのだが。

「あら?」

 案の定、もう人も疎らなPXに入ると、今し方考えていた件の上官がテーブルに向かい、何か思案しているのか顎に手を当てていた。
 白銀武である。
 その光景にマリアは思わず首を傾げる。失礼な話かもしれないが、執務室の外で彼がああやって口を固く結んでいるところはマリアですらあまり見たことがない。どちらかと言えば、ああやって悩み顔をしている者に声をかけるのが武の役回りだ。
 一瞬、どうしようかとマリアは考える。部隊に対して不安感を与えないようにするのも指揮官の役割だ。その点だって武は重々、承知している筈である。ならば、彼にあんな表情をさせているのは恐らく、公務に関することではないのだろう。
 仮に、プライベートな物事についてだと考えた時、自分がそこに関わって良いのかとマリアは悩んだのだ。

 とはいえ、白銀武はこの連隊の将だ。悩む彼に対して能動的に声をかけられる人物は、形式上はマリアしかいない。実際のところはエレーヌや衛生班総轄の片倉美鈴あたりはあっさりと声をかけるかもしれないが。

「どうかされましたか? 白銀中佐」

 よし、と決意したマリアは1つ深呼吸をしてから意を決し武に声をかける。手元に意識を集中させていたためか、武はそこでようやくマリアの存在に気付いたようだ。顔を上げて、彼は「よう」と手を挙げて応える。
「まだ休んでなかったのか?」
「はい。中佐こそ、こんな時間にここで何を?」
「ちょっと私用でなぁ」
 もう1度、マリアが問うと武は苦笑気味に答える。やはりプライベートなことなのか、と納得したマリアだが、ここまで来てはその内容まで気にかかるというものだ。
 ひょいとテーブルの上を覗き込むと、そこには数枚の写真がある。何が写っているのかとよく確認してみれば、アングルこそ違えど被写体はすべて同じものだった。

 何だかよく分からない、兎の………ぬいぐるみ………だろうか。

「まさか、中佐にそのような趣味が」
「何だその短絡的且つ衝撃的な誤解は! これは霞のだ!」
 マリアの瞳と視線の先のものを交互に見比べ、マリアの言葉の意図を察したのか武は声高に反論してくる。
「はぁ、社少尉の、ですか」
 一見、反論のようだがその実、微妙に反論になっていない武の言にマリアは思わず眉をひそめてしまう。ただ、社霞の所有物であるということは恐らく正しいのだろう。当人も兎に雰囲気が似ていなくもないのだから、とその辺りは不思議と納得出来た。
「それで、その社少尉の人形を何故中佐が写真に?」
「何だか攻撃的な雰囲気を感じるんだが?」
「気のせいでしょう」
 何てことを言う人だ、とマリアは内心ため息をつく。興味以外に他意はないのだが、日頃から追い立てる立場に身を置いていると、そういったイメージが凝り固まるらしい。尤も、マリアとて今更、自分のそんな立ち位置に嘆いたりはしない。
「………ちょっと縮小して手の平大に出来ないかと思って参考資料にしてる」
「それはまた愛らしいですね」
 言い難そうにしながらも答える武に、マリアは可笑しそうに頬を緩める。手の平大ということはマスコットか何かにするつもりなのだろう。比較対象が写っていないので、被写体の人形の大きさが如何ほどなのかマリアには分からなかったが、具体的なことを訊ねるのは避けておくことにした。
 流石に、この人相で抱き枕のように大きかったら怖いからだ。

 残念ながら、まさにその通りなのだが。

「贈り物か何かですか?」
「まぁ……そんなところかな」
 また言い難そうにする武。曖昧なのは分からないからではなく単純に恥ずかしいからなのだろう。彼にそんな表情をさせ、尚且つ贈り物を贈ってもらえるような人物にはマリアも1人しか心当たりがなかった。
「きっと喜ばれますよ」
 ほんの数日しかマリアは付き合いがないが、その“彼女”が笑顔で贈り物を受け取る姿を容易に思い浮かべることが出来、マリアは笑う。というよりも、彼女がそういったものに対して心底文句を漏らす様子など想像出来ない。
「まだ構想段階でそれを言われても、逆にプレッシャーだって」
「あら? 女性へ物を贈るのですから、プレッシャーくらい感じていただかなければ男性としての株が下がりますよ? 手作りのものとなれば尚更でしょう?」
「ぐっ……」
 マリアの言に武はぐうの音も出ないのか、ただ呻き声を漏らすだけだ。
 どうやら、彼は本当に余裕がないらしい。武は一言も相手を女性だとは言っておらず、マリアも1度としてそこには言及していないのだが、結果として今の言葉に何の反論もなかった。恥ずかしがっていた手前、そこには反論してくれた方がからかい甲斐はあるのだが、今のような反応をされては見守るしかなくなってしまう。

「それで、中佐は何を悩まれているのですか?」
「いや……正直、未知の領域に戸惑っている」
「つまり、具体的な作り方がよく分からない、と?」
「お前、容赦ないな」

 実際のところ、まったくもって何の要約でもないのだが、マリアの言葉に武はがっくりと項垂れてテーブルに伏してしまう。
 きっと、自室で閉じ篭っていることに耐えられなくなり、気分転換の意味も含めてPXに場所を移したのだろうが、何の解決にもならなかったに違いない。そう考えると存外に彼は追い詰められているのかもしれない。
「助言出来れば良いのですが、私もあまり詳しくはありませんので……」
 マリアは困り顔で虚空を仰ぎ、呟くようにそう返す。贈り物ということなので、製作に介入することは御法度だが、何らかの助言を示すくらいならば許されるだろう。しかし、生憎とマリアもそういった分野には通じていなかった。
「詳しいヤツの方が珍しいだろ。リバプールまで出て本でも買ってくるかなぁ」
 助力出来ない自分の不甲斐なさをマリアが嘆けば、武は苦笑しつつ答え、次善策を模索する。そのためだけに指南本の類を購入するのは些か金銭が勿体無いような気もするが、それだけ武が本気で取り組んでいるというものだろう。

 プライベートで彼をここまで真剣にさせる彼女のことを、マリアは素直に羨ましく思った。

「それではある程度、中佐も時間を作らなければなりませんね」
「…………ちょっと軽くなりませんかね?」
「頷きたいところですが、やめておいた方が良いでしょう。公務を疎かにしないからこそ、それは意味のあるものになる筈です」
 ため息を漏らす武にマリアは小さく笑う。どちらにせよ、彼の自由時間は人形の製作に費やされることになるのだ。彼も、そして彼女も軍属にあるならば公私の分別はつけて然るべきだろう。
 それに、武が他の業務を蔑ろにしてまでそれを作ることなど彼女も望まないに違いない。無論、それはすべてマリアの勝手な憶測だが。
「そうですね……他に何も出来ませんが、せめて一杯の紅茶くらいはお出ししましょう」
「もらっとく。ありがとな、マリア」
「はい」
 武からのお礼の言葉を受け取ってから、マリアは厨房の方へと足を向ける。ティーポットとカップを拝借するためだ。元から自分が飲むためにPXまで来たのだが、それが1人分から2人分に増えただけである。さしたる手間ではない。
 いや、寧ろ僥倖と言うべきだろうか。結果として、就寝前のお茶会を武と2人で過ごすことになったのだから。

 貴方のことは、割と好きですよ。

 彼に背を向けたまま、心の中でそう呟いてからマリアは自分に心底困り果てながらも笑ってしまう。「割と……」などと、相手に届く筈もない心中の言葉ですら曖昧にしてしまう、意気地のない自分が実に情けなかったから。




 時を同じくして、プレストンホーム 兵舎。
 今や欧州国連軍の第2師団が誇る主力部隊にまで伸し上がった第27機甲連隊の兵士は、基本的に普段から優遇されている。備品自体は使い古されたものを掻き集めて数を確保した点は否めなかったが、1個連隊が駐留するにしては、この第209防衛基地 北部駐屯地という施設は巨大だった。
 兵舎の部屋は多くても3人で一部屋、衛士の場合は全員が個室になるという事実は、5人6人での雑魚寝が当たり前という前線から見れば豪華なことこの上ない。
 そのことに関して批判的意見を持っていた多くの軍関係者にとって、各署の責任者ですら生え抜きの兵士が多かったこの部隊が、わずか2ヶ月をもってこの快進撃を繰り出すとは予見していなかったことだろう。

 尤も、そのことを画策した張本人であるレナ・ケース・ヴィンセントに話せば、「ここまで優遇されても成果を挙げられないのでは話にならん」と一蹴するに違いないが。

 その施設内の通路を疾走する者がいた。
 時刻は消灯前のわずかな自由時間。普段であればほとんどの兵士は自室で消灯までの一時を過ごすか、あるいはPX等の公共の場で同僚との歓談にふけるか、そういった行動をとるような時間だ。
 その一種、静寂に包まれた兵舎を駆け抜けるのは、273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の中隊長 エレーヌ・ノーデンスである。癖毛となったブロンズの前髪と、その割と大きな胸が揺れている辺り、それが温い速度ではないことは明白だろう。
「………見つけた!」
 瞬間、エレーヌの瞳が鋭く光る。その視線の先にいるのは、隊内でも特徴的な淡い水色の髪を揺らすリィル・ヴァンホーテンだ。背中を向けているため、まだ彼女はエレーヌの存在に気付いていないようである。
 エレーヌはその速度を上げる。まったく気付かれないように接近し、有無を言わさずに確保することが最善だ。だが、生憎と彼女は暗殺者ではなくただの衛士である。迅速無音など体現出来ないため、相手が行動に出るよりも早く確保することが現実的に望ましい。
「?」
 後方から誰かが接近してくることに気付いたのか、リィルはきょとんとした顔で振り返る。よもやエレーヌが全力に程近い速度で接近してきているとは思っていなかったようで、すぐにギョッと身を竦ませるが、その僅かな時間が勝敗を決した。

「ヴァンホーテン少尉、ちょっと付き合って」

 そう言うが早いが、エレーヌはリィルの小柄な身体を担ぎ上げる。ひと一人抱えるのは決して楽な作業ではないが、エレーヌは正規の歩兵訓練も受けてきた軍人で、リィルは同年代の少年少女の中でも小柄な部類だ。難なくとまで行かずとも、し難いというほどでもない。
「え? ええぇぇっ!?」
 耳のすぐ近くで悲鳴にも似た声が上がる。しかし、エレーヌは気にしない。強制連行とは、聞く耳を持たないからこそ強制連行なのだ。
 リィルを担ぎ上げた状態で来た道を戻り始めるエレーヌ。その速度は、往路とは比べ物にならないほど遅いが、決して牛の歩みではない。恐らく、数分と待たずして彼女の目的地に辿り着くだろう。

 途中に、エレーヌとリィルお互いの直属の部下ともすれ違い、思い切り変な顔をされたが、やはりエレーヌは気にしない。

 強制連行とは、体裁を気にしないからこそ強制連行なのだ。


「よっと」
「あう」
 兵舎の一室にノックもせず入ったエレーヌは、まるで旅行鞄でも放るように担いでいたリィルを解放する。半ば放り投げられた形のリィルはそのままベッドにダイヴし、ポンと小さく跳ねた。
 床でなかったのは、エレーヌの1割の優しさと9割の悪戯心のせいである。
「ああ、お帰りなさいませー、ノーデンス大尉」
「帰ってきたよー、片倉准尉ぃ」
 リィルが頭を上げるのよりも少し早く、その部屋の主である衛生班総轄の片倉美鈴とエレーヌはハイタッチを交わす。彼女たちのテンションが高いのは、何のことはない、美鈴の手にあるものが最大の原因だった。

 俗に言う、アルコールである。
 合成品であり度数もあまり高くないものであるが、軍人にとっては数少ない嗜好品の1つだ。

「お疲れ様です、ヴァンホーテン少尉」
「あ、お疲れ様です、水城少尉」
 何故か2度目のハイタッチまで交わしてしまうエレーヌの横をすり抜け、同じく最初からこの部屋にいた水城七海がリィルへと声をかける。その手に持たれたグラスにはオレンジ色の液体が注がれていた。
「あれ? 水城少尉、それお酒?」
「いえ、オレンジジュースです。私の国じゃ、まだお酒は飲めない年齢なので」
 机の上に置いてある自分のグラスに新しくアルコールを注ぎながらエレーヌが訊ねると、七海は困ったように笑いながらグラスを揺らして答えた。少し生真面目過ぎる気もするが、羽目を外し過ぎたりするのもあまり彼女のイメージではない。
 それに、本人に飲む気がないものを強制的に飲ませるのは流石に横暴だろうと、エレーヌは考え、「ふーん」と特に言及もせずに相槌を返す。

 元より、彼女もリィルも晩酌に付き合わせるために連行してきたわけではない。

「ヴァンホーテン少尉は? どっち飲む?」
「えっと……それじゃあジュースで……」
 エレーヌの問いにリィルは戸惑いがち、躊躇いがちに答える。彼女をここまで連れてきた張本人ながらも、まずはそれに答えるよりも何故連行されてきたのか訊ねる方が先だろうに、とエレーヌは素直に苦笑いした。

「あの……それで、どうして私は連れてこられたんですか?」

 美鈴の手からジュースを受け取り、自身を落ち着かせるように一口、喉を通したリィルはようやくそれを訊ねてきた。本人は本気なのだろうが、ビクビクしている感じが何とも小動物のようで愛らしい。
「いや、ちょっと世間話をしたくて」
「世間話のためにわざわざ片倉准尉の部屋に……?」
「まあまあ、細かいことは気にせずに。ほら、水城少尉が昼間作ったクッキーもあるよ?」
 やはり根は冷静だ。年上や上官に囲まれているこの状態で、次の瞬間には物怖じせず疑問点を口にする。尤も、エレーヌにだって深い意味があるわけではなく、別に通路の隅で歓談するのでも良く、寛げることを追求した結果、こういった形に落ち着いただけの話だ。
 疑問に首を捻るリィルに、エレーヌは皿を1つ差し出す。その上に載っているのは、天然甘味料を使っていることを差し引いても概ね好評だった、七海のクッキーである。
 本当はもうなくなったことになっているのだが、エレーヌがこっそりと少量確保していた秘蔵のアイテムだ。それの登場には作り手である七海も呆れを隠せないようである。

 残念ながら、ジュースのお供にはなっても、酒の肴には激しくあっていなかったのだが。

「花壇作り、どう? 上手くいきそう?」
 はむ、とリィルがクッキーを一口齧ったところでエレーヌはそう切り出す。花壇作りとは、今日からリィルが始めたプライベートの作業だ。一応、そういったスペースとして確保されている場所を、リィルが個人的に借りて、花を育てるのだという。
 その点についてはエレーヌも全面的に賛成している。元々、スペースがあるだけで実際には管理などされていなかった。人手不足ということも理由にあるが、何よりも部隊運営において必要なことではなかったからである。
「まだ初日ですし……私も初めてですから、まだ分かりません。でも、上手くいかせたいです」
 返答は、リィルらしい何とも無難な答えだったが、それでも気概は感じられた。彼女がプライベートではっきりと「したい」と明言することは意外と少ないのである。
「クロサキ中尉も手伝われていますでしょう? やっぱり男手があるとないとではヴァンホーテン少尉には随分違うんじゃないですか?」
 年下のリィルに対しても丁寧に訊ねる美鈴。確かに、階級は彼女の方が下であり、尚且つ美鈴は公私であまり対応を使い分けない節がある。しかも、エレーヌとは逆の意味で、だ。
 尤も、エレーヌの思考は今、そこには及んでいない。
 何故なら、自分も訊ねたかった本題が今まさに美鈴によって投下されたからだ。

「あ、はい。クロサキ中尉に手伝ってもらえて助かりました。お願いして良かったです」

 それに対し笑顔で答えるリィルに、エレーヌは思わず「おや?」と目を見張る。嬉しそうに微笑むリィルが存外に可愛かった。もう少し紆余曲折するかと思ったが、コミュニケーションにおいてあまり大きな問題は出なかったのだろうか。
 まあ、昼間、リィルとユウイチ・クロサキの元に諜報員として送り込んだ柏木章好は、心の底から仲が良さそうでした、と答えているため、こちらが想像した以上に2人は上手くいっているのかもしれない。

 見守る側としては、そうであった方が何倍も好ましい。

 特に、ユウイチに対してリィルが持つ印象が良くなることは歓迎だ。感情の表出がより少ないユウイチが、性格について他人に誤解を与えがちなのは否定出来るものではない。
 エレーヌから見て、2人のコミュニケーションが微妙にすれ違っているように思える根本的な原因は恐らくそこにあるのだろうと彼女は睨んでいる。
 ユウイチの人となりがきちんと理解されれば、基本的に人懐っこいリィルならばすぐに距離を縮めていける筈だ。

 さて、そこから親密な男女の関係に発展するか否かは、当人たちの問題であってエレーヌのような第三者が問題とすることではない。
 そうなってもらえれば面白い、という個人的な思惑はあるが。

「明日からも手伝ってもらえれば嬉しいんですけど………」
「え? もしかして、明日は断わられたんですか?」
 伏せ目がちに呟くリィルに、すぐ隣の七海が目を丸くして訊ね返す。
「いえ、でも………ちょっと険しい顔をしていましたから」
 悲しいのを笑って誤魔化そうとしているのか、リィルは苦笑気味にそう答える。その言葉に正直、狼狽しながらもエレーヌは明日の朝辺りにでもユウイチに笑顔の練習でもさせてやると、本気で決意した。
「クロサキ中尉が眉間に皺を寄せているのはデフォルトでしょう? 初日に手伝ってくれたのなら、次だって付き合ってくださいますよ」
 助け舟を出す美鈴だが、微妙にユウイチに対して容赦がない。ただ、口には出さないだけでエレーヌもほぼ同意見なので、ここも敢えて黙っておく。
「クロサキ中尉、けっこう熱心に手伝ってくれると思いますよ? 訓練の後に何人か園芸に詳しい人がいないかどうか聞いて回ってましたし」
「本当ですか?」
 七海の目撃情報には、今度はリィルが目を丸くする番だった。
 エレーヌだって驚いている。あのユウイチ・クロサキが、能動的に他者に対してそういったことを訊き回っているのだ。どちらかと言えば、彼は話しかけられる側であり、受け手である。その彼が積極的に動いているのであれば、確かにそれは熱心に当たっているということだろう。

 あとは、熱心に“代打要員を捜している”わけではないことを祈るだけだ。

「これを機に親しくなれるといいですね」
「はい。そうなれたら嬉しいです」
 七海の言葉にリィルははにかんで答える。あれを出せばユウイチくらい容易く落ちるだろうに、と思わずエレーヌは嘆くが、如何せんリィルは何も狙っていないのだから仕方がない。
 天然とはかくも恐ろしいものか。

「水城少尉は柏木少尉のこと、どう思ってるんです?」

 と、不意に片倉美鈴は話題の矛先を七海へと向ける。
 あまりにも、あまりにも酷い不意討ちに当人である七海のみならずエレーヌも「え?」と思わず美鈴を見つめた。その表情は実に普段通りで、何かしらいやらしい意図を持っているようには見えない。
「章好ですか?」
 しかし、ギョッとするエレーヌとは裏腹に七海の回復は異常に早い。まるで、本当にただ急な質問に驚いていただけで、そこには一切戸惑いなどないような反応だ。
 「あれ?」とエレーヌは首を捻る。ここは七海が狼狽して、他は笑い合う場面ではないのか、と。そんなエレーヌをある意味、嘲笑うように、続けて七海はあっさりとこう言ってのけた。

「世界で一番、大切な人?」

 唖然とさせられる。
 語尾こそ疑問系ではあったが、言葉には確かな強さが現れている。雰囲気としては、「当てはまりそうな言葉を探したらそれしか見つからなかった」というような感じだ。
 そんな簡単に、幼馴染みの男の子をそういう相手として見ている七海に、エレーヌはポカンと馬鹿みたいに口を開けるしかない。

「もちろん、両親を除いて、ですけど」

 まるでこちらの心中――尤も、訊ねた当人である片倉美鈴がどう考えているかは不明だが――を見透かしたように、ふふっと小さく笑って、七海はあまりにも判断し難い言葉を付け加える。

 この娘、結構曲者だったなぁ、と今更ながら認識させられたエレーヌが次にしたのは、水城七海を直属の部下に持つレイド・クラインバーグが、今後、彼女に手を焼くことにならないかと心配することだった。

























 それは夢である。
 今はもう短く揃えてしまった自分の髪が、腰に届くほどに長かった頃の、若い自分を映し出した夢である。
 いったい幾つの頃だっただろうか。
 確か、帝国陸軍に撃震が配備され、斯衛軍へ瑞鶴を配備する話が持ち上がった時期のことであるため、1980年前後。約25年前のことだから、自分は20歳に満たなかった頃だろう。
 当時、BETAとの戦争は東欧州が主戦場であり、ジワジワと防衛線は西へと押し込まれていた。国防省は米国の勧めもあり、技術者は在日米軍から戦術機に関する技術や知識を学び取っていたところである。
 同時に1977年にはF-4のライセンス生産が開始されており、米軍技術者の協力もあって着々とF-4J「撃震」は帝国陸軍に配備数を増やしていっていた。

 その頃の日本は安定していたと言えば安定しており、また、荒れていたと言えば確かに荒れていた。

 当時から、米国に対して良い印象を持っていなかった者も決して少なくはない。いや、“当時から”というよりも“当時は”という方がより正しいのかもしれない。
 1980年前後に、日本の省庁で権力を持っていた官僚や、軍の将官級の人物といえば大東亜戦争の経験者が多い。殊更、城内省に関わる武家の人間には反米意識が顕著なところも少なくなかったのだ。

 その筆頭こそ、己自身もその姓を冠する朝霧である。自分の祖父に当たる先代の朝霧家当主は露骨な反米主義者であり、いつBETAの侵攻があるかも分からない世界において、頑なにF-4のライセンス生産すら反対していた馬鹿である。

 あの糞爺は、ほとほと呆れるほどに身勝手な男だった。

 自分が米国を嫌うのだから、自分の娘も孫も同じように反米意識を持つことを当たり前のように捉え、少しでも彼女が祖父に対して反意を示そうものなら、癇癪を起こして軍刀を振り回すような男だ。
 後の1983年に開始される純国産機の開発計画を筆頭で提唱した愛国心は功績として認められなくもないが、技術蓄積のためにF-15をライセンス生産することに関しては頑として反対していたため、それで相殺……いや、寧ろマイナスである。

 それでも、あの男の反米意識が己の内だけに留まっていれば、ここまで“憎む”ことなどなかっただろう。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。そんな言葉があるが、あの男の場合、既にその範疇すら飛び越えている。
 米国が憎いから、米国製の戦術機が憎い。
 米国製の戦術機が憎いから、それに関わる技師が憎い。たとえそれが、米軍から戦術機の彼是を学び、日本での運用のために活かそうとする日本人の技師ですら、だ。

 届かない。
 夢の中でどんなに手を伸ばそうとも、視線の先で子供のように微笑んでいる“あの人”には決して届かない。
 ああ、もし自分が朝霧の人間でなかったならば。
 もし、あの人が戦術機開発に携わる富嶽重工の若き技師でなかったならば。

 もし、あの男さえいなければ………。
 あいつさえいなければ………あたしはあの人と―――――――――――

 だから、今はせめて仏前で「ざまぁみろ」と嘲笑ってやる。唯一の理解者であった母には悪いが、お前があたしとあの人を引き裂いたりしたから、朝霧の家系はあたしの代で途切れることになるのだ、と。

 朝霧の名を持つ自分が愛するのは生涯ただ1人のみ。たとえその命が2度と帰ってこない人であろうとも、この心身はただ1人の彼に捧げるつもりだ。

 胸焦がれ、胸焦がれ、胸焦がれ、胸焦がれ。

 愛おしく、愛おしく、愛おしく、愛おしく。

 求め続け、求め続け、求め続け、求め続け。









 過去という名の夢の中で、朝霧叶はいつも泣いていた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第58話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/12/12 23:52


  第58話


 6月13日 月曜日。極東方面 日本 帝都城。
 城内省の管理下にあるここは、言わば煌武院悠陽にとって庭のような場所だ。尤も、彼女が政威大将軍の地位についてから、そして日本の首都がこの東京へと遷ってから、そう長い歳月が経ったわけではない。

 今年で7年。7年だ。
 古都 京都が砂礫の大地となってから。
 先代の政威大将軍が隠れてから、即ち、悠陽の父が逝ってから。
 まだ、それだけの年月しか経過していない。

 しかし、悠陽も含め日本国民は逞しく、力強くその生活を営み、既に帝都は京都に代わる人々の拠り所としての機能を充分過ぎるほどに果たしていた。
 時の流れとは、本当に優しくも残酷だと悠陽は思う。
 事実上、京都という土地は近代に入ってからその機能を“象徴”の一点に絞られてきた。東の経済地はこの東京であり、西の経済を司るのは大阪。京都は経済によって成り立つのではなく、政によって成り立ってきたのである。
 1000年以上昔から、御所として栄えてきた京の都は、近代においては土地がそれだけの価値を持つのではなく、民によってそれだけの価値を付加されてきた。

 だからきっと、2度とは戻らない。

 歴史ある街並み、歴史ある建造物、そこに住まい、そこを賑わす日本国民。
 1度でもそのすべてが失われてしまった以上、京都がその機能を取り戻すには相当の時間を重ね、相当の偶然を重ねる必要がある。
 聡明な悠陽はそれを理解していたがために、時間の経過を「優しくも残酷」と表現したのだ。
 首都陥落によって叩きのめされ、打ちのめされた日本人をここまで立ち直らせ、同時に緩やかに京都への郷愁を霞ませてゆく時の流れは、彼女の言う通り確かに優しく、同時に残酷なのだろう。

 朝鮮半島の甲20号目標が2003年に排除されたことにより、既に西日本全域で復興の兆しは見え始めている。残念ながら日本海側は防衛線としての機能も残しつつ、という形であるが、それでも日本は京都の陥落から7年で持ち直し始めているのだ。
 それは悠陽のような政治家や軍人の所業ではない。彼女も含め、多くの著名人はきっかけにはなったかもしれないが、すべてはこの日本の民が逆境に打ち克つ強さを持っていたからだろう。

 時にはその質実剛健さが、思想や方針の違いとせめぎ合って悲しい事件の引鉄と成り得ることもあるが、それは指導者に大きな非がある。

 私に果たせるのかと嘆いたことは1度としてない。それは、“血を分けた姉妹”を貶める行為にしかならないと分かっているから。
 だけど、父が生きていればと考えたことはきっと少なくないだろう。父ならば、もっとより良く民を導けたのではないだろうかと、己の不徳を嘆くことがなかったなどとは、ただの虚言にしかならない。

 それでも、煌武院悠陽という人物は、容易に崩れ落ち、容易に涙を流すことの許されない存在だった。


「派遣した復興支援部隊の報告によれば、やはり四国地方の復興状況は目覚ましいですな。移住希望者の数も順調に伸びています故、復興にも更に拍車をかけるでしょう」
「そのようですね。本当はもう少々、時間を要すると思っていた故、この経過は大変喜ばしいことです」
 帝都城内 回廊。煌武院悠陽はそこを行く。
 傍らを行く大柄な男 紅蓮醍三郎の言葉に頷き、悠陽は答える。彼女とて西日本の建て直しがここまで迅速に運ばれると本当に思っていなかった。今だって、実は純粋に驚かされる日々が続いているのだ。
 悠陽が事前に信頼性の高い目算を持っていたのは、甲19号目標の排除の後、帝国陸軍の戦力がある程度まで回復するのを待ってから、国防と並行して西日本の整地に乗り出した頃までだった。
 整地が進み、復興作業が民営団体中心に移ってからというもの、その推移は目を見張るようである。最も復興の進んでいる四国地方を筆頭に、海外や東北地方に逃れた避難民の移住希望も日に日に増えているところだ。

「移民希望者への保障体制ももう少し詰めなければなりませんね。その方策が固まらないことには、事も進退が窮まる筈です」
「尤もですが、生憎とわしのような軍人には手の出しようのない問題かと」
 まだまだやらなければならないことは山積みだと、一例をもってして暗喩する悠陽に、紅蓮は可笑しそうに笑って答える。だから、悠陽も見返り、ふふっと笑ってみせた。
「その辺りはこちらに任せなさい、紅蓮。そなたは、そなたが最も得手とする領分で力を揮うと良い」
「御意に。それでは、不躾ながら早速、我々の分野の話を致しましょう」
「よしなに」
 悠陽のあとに続くため、歩みを止めないながらも紅蓮は拳を胸の高さに掲げ、簡単な一礼とする。そしてそのまま、話の続きを始めた。
「先月の甲26号目標の制圧に当たって、本日より本格的にソビエト軍が旧コルイマ山脈の裾野まで兵を進めることになると、先方から連絡がありましたな」
「ソビエトはそれによってカムチャッカ半島の安全性を確実なものにするつもりですね。こちらとしても、千島方面からの侵攻可能性が減少するのは喜ばしいことです」
「同時に向こうは樺太の戦力も増強するでしょう。先日のBETA侵攻も単発的な侵攻と判断し、双方向から甲25号目標に圧力をかける思惑もありますかと」
 悠陽はふむと相槌を打つ。
 コルイマ山脈はソビエト領東端において東経180度線を跨いでいた山脈だ。残念ながら現在は甲26号目標の建造に伴ってほぼ完全な平地と化してしまっている。その裾野跡まで兵を進めるということは、ユーラシア大陸とカムチャッカ半島に挟まれるシェリホフ湾の支配権を奪取することになり、事実上、カムチャッカ半島は安全圏に分類されるようになるだろう。
 樺太方面は近年まで戦力的に非常に不安定な状態が続いていたが、カムチャッカ半島の安全が確保された今なら、ソビエトも積極的に装備や物資を回すようになることは、容易に想像出来た。

「まあ、少数ながらソビエトによる樺太の戦力増強を非難する者もいますがな」
「BETA東進以降、彼の地を防衛してきたのは彼らです。この状況下で先方に領有権がないなどと問題を蒸し返すのはお門違いでしょう」
「ならば、せめて北方四島の所有権程度は主張しておきましょう」
 そう言って、にやりと不敵に笑う紅蓮には悠陽も苦笑を隠せない。今のは恐らく、紅蓮流の冗談なのだろうが、それにしたって些か性質が悪過ぎる。
 サンフランシスコ条約の発効によって日本は正式に千島列島の領有権を破棄している。そこに北方四島を含むのか含まないのかということは当時、大きな議論になっていたが、実際のところ、領有権問題はBETAの襲来によって完全に有耶無耶となっていた。
 ソビエト軍の後退、甲26号目標の建造によって軍備増強を迫られるまで、彼の地の防衛が粗末だったことは悠陽にも否定出来ない。
 ただ、臨時として樺太の防衛はソビエトが、千島列島の防衛は日本が請け負うという形でソビエト政府と合意している点は確かである。そこにおいて領有権は無関係だというだけの話だ。

 尤も、腰を据え、先方と落ち着いてそういった話を行う時期は“今”ではない。

「台湾方面にも動きがあったと聞きましたが?」
「は。台湾駐留軍も来る甲16号目標侵攻へ向け、東岸への揚陸を開始しておるようです。1ヶ月以内には確実に動くかと」
「やはり双方とも、当面の目標は最寄りハイヴの排除ですか」
「祖国奪還を目するならば致し方ありますまい。甲16及び25号目標が取り払われれば、事実上、我が国も最前線から外れます故、悪いことではないでしょう」
 紅蓮の言葉に、悠陽は躊躇いがちに小さく頷く。彼の言は至極尤もであり、それが叶えば幾分か徴兵制度も見直すことになるだろう。それ自体は実に喜ばしい。
 しかし、煌武院悠陽には1つ、未だ払拭出来ない懸念があった。

「香月博士の言ですかな?」

「…………ええ」
 一部の隙もない紅蓮の問いかけに、悠陽は長い沈黙の後に首肯する。
 先日、横浜基地へ赴いた斉御司灯夜が持ち帰ってきた封書は、香月夕呼直筆のサインが入ったものだった。それだけで、あれは機密文書に成り上がるのである。
 そう考えれば、それを持って帝都城へ登城する灯夜の警護に、第4大隊の中隊を預けられている関口や仙堂のみならず、小隊長クラスまで随伴していたことも充分に頷ける。

 彼の文書の内容は、米国が行った軌道爆撃実験の結果と考察、並びにBETAの行動規範に関する香月夕呼独自の推察に関する書類であった。彼女が言うには、現状においてBETAの新たな行動規範が形成され始めている可能性があるというのだ。
 現状、確証は一切無いと夕呼は締め括っていたが、確かに中には看過出来ないような推論も含まれている。少なくとも、彼らと比較的親交のある月詠真那、斉御司灯夜、九條侑香、そして朝霧叶の4名は「可能性として考慮すべきと進言致します」と意見を揃えていた。
 今の段階において、斯衛軍でこの文書の示唆する意味を知っているのは傍らにいる紅蓮醍三郎も含め、全18個戦術機甲大隊の将 18名だけである。
 悠陽の睨みが正しければ、彼らを除く14名も意見こそ進言しなかったが、胸中はほとんど変わらずといったところであろう。

「こればかりはどうしようもないでしょうよ。根拠が香月博士の言とあっては、公表のしようもないですからな。ここは後方待機の名目で、北海道と沖縄の双方へ本土防衛軍を派遣するよう取り計らうくらいしか出来ないかと」
「………そうですね。国防省にはそのように申し伝えましょう」
 確かに、今の状態ではそう動くしかない。香月夕呼が秘密裏に入手した米国の軌道爆撃実験の結果とそれを基にした推察を、こちらも秘密裏に入手しているのだ。悠陽たちの勝手な判断で公表に踏み切ることなど、出来る筈もない。
「ああ、それと殿下、EU連合から式典開催の報せが来ております」
「式典………とは如何様な内容なのです?」
「先月の甲11号及び甲26号目標の同日制圧を記念した軍事式典とのことです。大方、しばらくの休息期間を置くに当たって、士気高揚を図るつもりでしょうな」
 やれやれと肩を竦ませる巨漢の男。彼の予測する欧州方面の思惑はさて置いても、士気高揚を図るというのは決して悪いことではない。先日に起きたBETAの世界一斉侵攻によって少なからず民衆の間には不安の色が出ているため、頃合としても不思議ではなかった。

 EU連合が主体となって開催するということは、当然、開催地は英国リバプールになるのだろう。確か、欧州国連軍の本拠地でもあった筈だ。

 そう考えて、悠陽は無意識のうちに顎に手を当てる。

「…………よもや殿下、自ら出席されるおつもりではないでしょうな?」
「なっ―――――――!?」
 何も言っていないのに、不意討ちで紅蓮から釘を刺され、悠陽は声を詰まらせながらビクッと肩を竦ませる。彼の顔を見上げると、さしもの紅蓮も呆れ切った表情をしていた。
「心中は御理解致しますが、了承はしかねますぞ。確かに、式典開催に際し、先方より参加依頼はありましたが、それは斯衛軍並びに帝国軍に向けられたものです。この時期に一国の国事全権総代が国を離れるなど、たとえわしが許したとしても城内省は絶対に首を縦にふらんでしょう」
「なっ……なななっ何を言うのです! 紅蓮! 私は、そのようなことは一言もっ!!」
「一言も? やはり胸中では考えおられたのですかな?」
「――――――――――っ!!」
 幼少の砌より良くしてくれている彼は基本的に容赦がない。特に、私的な状況での戯れにおいては本当に好き勝手言ってくれる。紅蓮のその、抉り込むように繰り出される打撃に次ぐ打撃に、悠陽は最早寄り切られる寸前だ。

 いや、あるいは当に土俵の外へと放り出されているかもしれないが。

 取り繕うにもどう取り繕えば良いのか分からず、言い返そうにもどう言い返せば良いのか分からず、ただただ悠陽は慌てふためく。それが可笑しくてしょうがないのか、紅蓮は声を上げて笑っていた。
「つ……つまり! 我が国の代表として式典に部隊を派遣するか決定しろと、そなたは言うのですね?」
「そういうことです。国防省の方も既に殿下の御判断を仰ぐと言ってきておりますぞ」
「………………国防省は至急、式典参加部隊の選別を。朝霧には私の下へ来るように、と申し伝えなさい」
「それはいい。朝霧ならば二つ返事で了承するでしょう」
 しばし悠陽が思案した結果、出した結論はそれだった。寧ろ、先月の甲11号目標制圧作戦のことを考慮に入れれば、それ以外の選択肢などあってないようなものだ。紅蓮もその決定は予想していたのか、また豪快に笑う。
 欧州方面との繋がりをより堅固なものにするには、やはり先月の作戦にて現地に入った者を向かわせるべきだろう。そうなれば、斯衛軍から派遣するのは最大でも4個大隊。
 朝霧叶直下の第2大隊。
 斉御司灯夜直下の第4大隊。
 九條侑香直下の第6大隊。
 そして月詠真那直下の第18大隊だ。

 流石に、そのすべてを派遣するつもりは悠陽にもないが。

「それでは、そのように取り計らいましょう」
「よしなに。それと紅蓮、あまり戯れが過ぎると、痛い目を見ますよ?」
 きっと、痛い目に遭わせるのは自分ではなく朝霧でしょうが、と悠陽はこっそり胸中で付け足す。それに対して紅蓮は足を止め、「は、失礼致しました」と一礼付きで応じるが、顔はまったく反省しているように見えなかった。
 相変わらずの紅蓮に、もう悠陽はため息を漏らすしかない。


 本日限定で、帝都城内を行く煌武院悠陽殿下がちょっとだけ御機嫌斜めに見えるのは、きっと周囲の人間の気のせいではない。




 同日 極東太平洋方面 横浜基地。
 異なる中隊の隊員が揃って談話する光景というのは、実際のところ外の基地では頻繁にお目にかかれるものではない。衛士にとって中隊とは1つの纏まった社会の縮図であり、そこで形成される人間関係は非常に密接なものとなる。
 それは、戦場において纏まって行動する場合、事実上の最小単位は中隊規模だからである。小隊や分隊の場合、構成する衛士が何れも一騎当千の兵でもない限り、敵を撹乱することすらままならず、BETAの群れに飲み込まれてゆくのだ。

 それを踏まえれば、一時期、小隊長を任せていた元自分の部下が如何に傑物だったかつくづく思い知らされる。

 宗像美冴は、混沌とする昼休みのPXを隅から眺めつつ、そんなことを考えていた。
 この時間のPXでは、その一角を戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の有象無象どもが占拠している。しかも、性別、年齢、階級、部隊に関係なく歓談に傾注しているようだ。これは、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の特異な成り立ちに最大の理由がある。
 元々、A-01第9中隊 イスミ・ヴァルキリーズを基幹として創設されたこの特務部隊は、何も最初から連隊であったわけではない。創設当初は、伊隅みちるの戦死と白銀武の離隊によって出来た穴を、帝国軍から転属してきた衛士を編入することで埋めた「中隊」に過ぎなかった。
 そこから新任や転属者を新たに加え、美冴自身が率いる中隊も新設、続いて速瀬水月をトップとする1個大隊へ昇華、と雪だるま方式に規模を拡大させてきた。全10個中隊という今の状態に落ち着いたのは、珠瀬壬姫、鎧衣美琴、柏木晴子の3人が昇進した2年前の話である。
 1個大隊であった頃の構成を鑑みれば、第1、4、7中隊は速瀬水月の、第2、5、8中隊は宗像美冴の、第3、6、9、10中隊は風間祷子の旗下とも言えなくはないが、中隊規模による各方面派遣を画策した香月夕呼によって、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の大隊編成は解除されており、連隊長 速瀬水月の直下に全10個中隊がつく形となった。

 この編成の仕方は斯衛軍のそれによく似ている。

 中隊単位の戦力、そして各中隊同士の連携に余程の自信がなくては実現しない。尤も、前身であるA-01とて9個中隊でこそ編成されていたが、3個大隊は持たなかった連隊だ。そう考えれば、昔と何も変わってはいない。

 そういった変遷を辿ってきた部隊であるからか、古株同士の繋がりから派生し、隊員は所属中隊に関わらず非常に親しい。実際、美冴は直属の部下が壬姫の土いじりの手伝いに行っているところを目撃したこともあるほどだ。

「どうぞ、美冴さん。お茶ですわ」
 午後の訓練開始までのわずかな時間を、騒がしく謳歌する部下たちを遠巻きに眺める美冴。そんな彼女の視界いっぱいに、いきなりPXで使われているカップが横から入り込んできた。
 そのまま視線を横にスライドさせれば、同僚であり戦友の風間祷子が穏やかな笑顔を浮かべてカップを差し出している。
「ありがとう、祷子。今日はこのままここにいるんだな」
「1度は部屋に戻ったんですけれど、ね」
 祷子からカップを受け取りつつ、美冴がそう返すと彼女は穏やかな表情のまま頷き、自身のカップに口をつけた。
 風間祷子はこういった短い休憩の時間に、あまり公共の場にいない。別段、人付き合いが苦手であるとか、そういった関係を必要としていないとかではなく、1人になる時間も大切にしているためだ。
 読書や音楽鑑賞、更に自らもまたヴァイオリンを嗜むという、美冴から見ても軍人にしては非常に多趣味。そういった趣味の時間も楽しむために、わずかでも自由時間を捻出しているところは昔からあった。
 中隊長の立場についてからは多忙を窮め、なかなかそういった時間を作れないと胸中では嘆いていることだろう。それでも愚痴一つ漏らさないのは、それが軍人として、隊長として当たり前のことだと祷子が分かっているからに他ならない。

 正直、彼女の早飯喰らいは、趣味に当てる時間を少しでも捻出するために習慣化された行動であると美冴は睨んでいるが、当人はそれに気付いていないようだ。
 あるいは、取り繕っているのかもしれないが。

「それにしても、凄い熱気ですね」
 こくりとお茶を喉に通してから、やや感嘆のニュアンスをもって祷子が呟く。その視線は、PXの一角を占拠する同連隊の隊員たちに向けられていた。そこにいる有象無象の部下共は、確かに祷子の言う通り「凄い熱気」を体現している。
 そもそも、美冴も含め年齢の若い彼女たちが隊長を務める連隊だ。その部下となれば更に年下の衛士がほとんどを占める。
 多感と言えば多感な年齢。男が揃えば喧しく、女が揃えば姦しい。その2つが重なればまさに喧騒の相乗効果。往々にして男女問わず寝食を共にしてきているような連中だ。最早、身内では恥も外聞もあったものではない。

 しかしながら、それにしても今日の様相は異常中の異常だ。

「負けず嫌いなヤツが多いのさ」
 やれやれと肩を竦ませ、美冴は答える。彼女たちの視線の先では、同連隊の隊員たち約30名が一様に花札に興じていた。いったい、どこから札をそんなに掻き集めてきたのかと吐かせたくなるほど、そこらかしこで勝負が勃発している。
 事の発端はおよそ30分も前。箸を取ってからものの3分で昼食を終えた祷子が1度、PXを出ていってから5分ほど、続いて中隊長陣が昼食を終えてPXをあとにした直後のことだ。
 美冴も食事を終え、そろそろ席を立とうか、といったところで隊員の中の誰かがこんな疑問を口にした。

 曰く、連隊内で一番強い中隊ってどこなんだろうな? とのこと。

 そこから議論は飛び火するようにわずか数分でその場にいた衛士たちに拡大し、瞬く間に開戦の狼煙は上げられた。
 それが何故か、花札で。
 彼らが模擬戦の結果で決着しようと言ったり、捲くし立てるように口頭のみで自分の中隊の強さをアピールし始めていたりしたらならば、美冴は即座に出撃し、暴徒の鎮圧にかかっていただろう。
 より具体的に言えば、全員を横一列に正座させて叱咤と鉄拳をくれてやる、とか。

 それが何故か……本当に何故か、花札で勝負を始めたのである。
 決着すれば何でも良かったのか、それとも最初から花札の強さに対する疑問だったのか、今となっては最早後の祭りだ。
 ただ、彼らは負けたくないという感情を前面に押し出し、衛士としての領分を弁えた上で勝負に興じている。

 それに、“この程度のこと”、美冴が止めなくとも勝手に収束する。

「貴方たち!!」

 そう、怒号にも似た声を上げてPXに飛び込んできたのは第4中隊(フリスト)の榊千鶴だ。大方、今回の騒ぎを聞いて突っ走ってきたのだろう。彼女の声に、第4中隊(フリスト)の隊員を中心に全員がびくっと硬直した。
「今回も榊が一番早かったな」
「そのようですね」
 PXに突入し、他中隊の衛士には睨みを利かせつつ、千鶴は即座に自分の部下たちを拘束し、人波の外へと叩き出す。「あ」と隣の祷子が小さく声を発したので美冴が視線を動かすと、第4中隊(フリスト)の衛士が1人、逃亡を図ろうとしていた。

 しかしながら、それを見逃す榊千鶴ではない。彼女最大の武器はその高い指揮官適性。指揮官適性最大の特長とは何ぞや。

 圧倒的なまでの視野の広さだ。

 最初から自分の部下が何人混じっているのか正確に認識していたのだろう。忍び足を立てる隊員の襟首を後ろから掴み上げ、ズルズルと他の隊員が正座させられているところまで引き摺ってゆく。

 そこにいる全員が、白銀武の姿に重なって見えたのは、きっと美冴の気のせいではない。

 御立腹の第4中隊(フリスト)中隊長の出現に戦場は騒然とし、逸早く戦意を喪失した者から順にこの場を立ち去ろうとPXの出入り口に殺到する。

 だがそこには既に最強の門番が待ち構えているのだが。

「そなたたち、何処に行こうと言うのだ?」
「ダメだよ? PXで騒いだりしちゃ」

 腕組みをし、唇の端をわずかに震わせている御剣冥夜と困ったように笑う鎧衣美琴の2人。逃亡者たちの先頭が第5中隊(レギンレイヴ)、第9中隊(エルルーン)の衛士だったことは、最早運がないと言わざるを得ない。
 2人は直属の部下の手首や胸ぐらを引っ掴み、即座にPXの外に放り出す。恐らく外では各隊の副隊長が問題児たちの拘束準備に入っているのだろう。
 第5中隊(レギンレイヴ)と第9中隊(エルルーン)の猛者の撃墜によって色めく残りの逃亡者たちは、「前の出口は駄目だ! 後ろに回れ!」と実戦張りの連携で即座にもう1つある出口へと駆け出した。

 彼らはまだ気付かない。
 どうして、千鶴と冥夜、美琴の3人が敢えて自分たちの部下以外は捨て置いたのか、を。

「いらっしゃい」
「彩峰、どうせだったら新開発の投げ技、試してみたら?」

 抑揚のない声で「よう」と挨拶するように手を掲げる彩峰慧と、どこか薄く笑っている涼宮茜の2人。格闘戦においては定評のある両者だ。逃亡者たちから見れば、前の出入り口よりも状況は悲惨である。
 余談だが、彼らは当の昔に窓からの脱出を諦めている。
 屋外では既にいたく不機嫌そうな速瀬水月とニコニコの笑顔の柏木晴子が待っていると分かっているからだ。

「美冴さんは加わらなくていいんですか?」
「第2中隊(ミスト)の人間はいない。祷子こそいいのか? 加わらなくて」
「あら? 第3中隊(アルヴィト)の衛士も―――――――――」

 祷子がそう答えかけたその時、美冴と祷子の前を1人の少年が早足で横切った。その少年に、美冴が「何故ここを通ってしまったんだ」と声をかけるより早く、祷子の手が伸びてその少年の襟首を鷲掴みにする。
「少尉。とりあえず、後ほど2人で少しお話しましょう?」
 張り付いた笑顔で少年の後頭部へそう声をかける第3中隊(アルヴィト)中隊長 風間祷子。その穏やかな口調とは裏腹に迫力があり、掴まれてしまった第3中隊(アルヴィト)衛士は抵抗をやめた。振り返りもしない。

 まあ、振り返られないだろうな、と美冴は納得するしかない。

 また余談だが、この場に珠瀬壬姫率いる第8中隊(ランドグリーズ)の衛士は1人もいなかった。何故ならば、全員が昼食を摂って早々に隊長を追って花壇に向かったからだ。

 眼前の光景をもう1度、その双眸で確認してから、この際、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の総力を挙げて花壇作りに取り組んだ方が良いのではないかと、割と本気で美冴は考えていた。




 現地時間 6月12日 2040 アラスカ。
 アメリカ合衆国の国土にありながら、つい近年まで駐留部隊はソビエト軍の比率が圧倒的に多かった土地だ。国連が推奨するプロミネンス計画の都合上、この地方に存在するユーコン基地を中心に、多種多様の人種によって構成された部隊が多いこともこの北方の大地の特徴である。
 しかし、つい先日のH26制圧作戦の成功により、駐留ソビエト軍のほとんどがベーリング海峡の向こう、かつて祖国があったユーラシア大陸の東端へとねぐらを変えている。

 これ以降、アメリカ合衆国軍の駐留部隊は前線軍から大陸防衛軍の仮称で呼ばれることとなるのだが、そんなことは当人たちにとって関係のないことだ。

「イギリスで……式典ですか?」
 執務室の椅子に鎮座している上官の言葉に、彼の隣に立つリン・ナナセが訝しいといった感じで問い返す。何故、その話を自分たちにするのかと疑問に思っているようなその言い回しには、ジョージ・ゴウダも無言ながら、同意せざるを得ない。
「そうだ。H26とH11の同日制圧を記念した軍事式典ということで、イギリスで大々的に行われる予定になっている。主催は開催地を拠点とするEU連合だな」
 戸惑いにも似たニュアンスを含むリンの言葉に頷き、“師団長”殿は少々、入った説明を加える。大方、H26の反応炉破壊まで漕ぎ付けたジョージとリンの率いる522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ)に派遣のお鉢が回ってきたというところだろう。

 正直なことを言えば、面倒なことこの上ない。

「ゴウダ大尉、君の言いたいことは私もよく分かる。軍事パレード程度で君たちの隊をホームから離すことは私にとってもそう歓迎出来ることではない」
 ジョージの表情からその本音を察したのか、師団長は穏やかな口調でそう諭す。顔に彫られた皺の数といい、温和そうな物腰といい、最早猛者と呼ぶには齢を重ね過ぎている点は否めなかった。
「なら、どうして我々にその任が回ってきたのでしょうか?」
「参加が目的なら、適当に部隊を見繕って派遣すれば良いのでは? いや、向こうにだって参加を強制させる権利はない筈だと思いますが?」
 真っ当な疑問を口にするリンの言葉を遮り、ジョージは如何にイギリス行きを撤回させるか思案しながら言葉を口にする。

 彼自身が気付いているのかどうかは定かでないが、それはそういった意図が見え透いた実にあざとく、乱暴な意見だった。しかしながら、相手は曲がりなりにもこのジョージ・ゴウダの飼い主である。彼の態度にいちいち目くじらを立てていては師団長の肩書きに傷がつく。

「…………えい」
「がっ――――――――――!?」
 瞬間、ジョージの足の甲に激痛が走った。確認するまでもない。すぐ隣のリンの踵が派手に乗っかっているのだ。底面の広い軍靴なら、ハイヒールよりはマシなどという言葉は何の慰めにもならない。
 何せ、リンは故意に踵の角でぐりぐりとジョージの足の甲を抉り込んでいるのだから。
「相変わらずの良妻っぷりだな、ナナセ中尉」
「嫌ですわ、師団長殿。ジョッキーが手綱の締め方を知らなくては話になりませんから」
 激痛に悶えるジョージを尻目に、リンと師団長の2人は視線を交わして乾いた笑い声を上げた。自分は暴れ馬か何かか、と声高に反論したいジョージだったが、生憎と痛みでそれどころではない。
「まあ、何といってもH26の反応炉まで到達した君たちの部隊は先方からの御指名でね。付き合わせる部隊は見繕っても良いのだが、他を送って君たちを向かわせないのは寧ろ失礼だろう?」
 眼鏡のズレを直してから、彼はジョージの疑問に対する回答を述べる。それならばいっそのこと、誰も送らずに祝辞だけ贈れば良いだろうとジョージは思ったが、口には出さなかった。

 痛みでそれどころではなかったことも勿論のことだが、何よりも次にリンから何が飛んでくるのか想像出来なかったからだ。

「今回の目玉は、何といってもフェイズ5たるH11を踏破した欧州国連の第27機甲連隊だ。EU連合ではないが、H11の反応炉破壊を成し遂げた上、現地部隊であるため確実に式典に借り出されてくるだろう」
「第27機甲連隊……白銀武中佐の、ですね」
 師団長の言葉に、リンは強く頷く。ジョージもその部隊と名前はよく知っている。
 人類において当面、最大の壁として立ちはだかったフェイズ5という規模のハイヴ。この攻略は、フェイズ4ハイヴのそれとは比べ物にならないほど過酷な任務だ。
 地下茎構造の水平到達半径約30km、最大深度2000m以上。単純計算でその容積はフェイズ4ハイヴの約18倍。無論、地下茎構造の形状は立方体ではないため、そこまで大きな数字となることはないが、絶対10倍は下回らない。

 仮に10倍の道のりを踏破するのに、いったいどれだけの兵力と、どれだけの練度と、どれだけの兵站が必要なのか、ジョージには推論値は出せても我が事のように語ることは不可能だ。

「あとは、そうだな……香月博士が首を縦に振れば、極東国連の戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)も欧州入りすることになるかもしれん」
「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)まで……か。そっちの可能性はあまり高くなさそうだな」
 リンが踵を上げてから十数秒、ようやく痛みから解放されたジョージは吹き出た脂汗を袖口で拭いながら、そう呟く。それを見かねたのか、追いやった当人であるリンがハンカチを差し出してくるので、ジョージは素直にそれを受け取った。
「部隊を派遣するのか、それとも香月博士自ら赴かれるかで話は違うだろうが、恐らく、最低でも2個中隊は派遣されるだろう」
 えらく具体的な数字だと、リンから借りたハンカチで汗を拭いながらジョージは失笑する。確か、H11制圧作戦には彼の特務連隊から半数以上の6個中隊が投入されていた筈だ。その内、2個中隊は最終的に白銀武の指揮下に編入し、反応炉まで到達している。

 つまり、師団長殿の言う「最低でも2個中隊」とはその2個中隊のことを指しているのだろう。

「EU連合の参加要請が受諾されれば、式典は事実上、戦術機の博覧会にもなろう。私にとってはそう魅力のない話だが、君たちにとっては違うかもしれないだろう?」
 穏やかな物腰ながら、レンズの向こうの双眸が猛禽類のように光る。結局、この上官は自分たちを送りたくないのか送りたいのかよく分からないというのがジョージの素直な感想だ。

「まあ、所詮パレードだ。楽しんできたまえ。帰ってくれば君たちを待っているのは、ソビエトの仄暗い地下世界だからね」

 その、上官の決して冗談と言い切れない言葉に、隣のリンすら「うわ……」と声を漏らして思わず眉をひそめたのがジョージにも分かった。
 ジョージも当然、彼女と同じ気持ちであるが、同時に彼のその言葉で国防総省は、ソビエト軍が目標とするH25制圧作戦にも介入するつもりなのだと、改めて理解する。

 ちらりとジョージが隣のリンを一瞥すると、珍しくむぅと眉間に皺を寄せた彼女がそこにいた。今月初めのこともあるので、このホームから離れることに一抹の不安を感じる点は否めないが、副長であるリンすらああいった表情をしているのだ。中隊長であるジョージまで渋い顔をしていては、隊の士気に関わる。

 だから、この場は頬を引き締め、「了解しました」と明朗に答えることが、ジョージに課せられた義務と、彼自身の目指した目標であった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第59話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/12/16 19:29


  第59話


 ユウイチ・クロサキ。
 第27機甲連隊において元276戦術機甲中隊(ランサーズ)中隊長にして、現272戦術機甲中隊(ストライカーズ)副隊長 中尉。今年で21歳になる彼はその実、連隊で責任者に相当する立場にある者としては、最高指揮官たる白銀武に最も近しい年齢の持ち主である。
 この部隊に配属される以前の彼は、南のロンドンに駐留するグリニッジ観測部隊の一兵だった。まだドーバー海峡の向こうはすべてがBETAの支配下に置かれていた頃のロンドンはイギリス防衛の要所に当たり、観測部隊といっても結局は前線守備隊でしかない。
 恐らくは、BETA侵攻以前に存在していたグリニッジ天文台とかけたジョークか何かで観測部隊と呼ばれていたのだろう。確かに、グレートブリテン島における南の第1防衛線を構成する砦であったため、観測という言葉もあながち外れたものでもなかった。

 しかし、あそこは本当に厳しい戦地だった。

 イギリス上陸を計るBETAの侵攻経路はほとんどがドーバー海峡を跨ぐ経路に集中しており、半年に1度はロンドンの防衛機能を半分以下まで低下させるほどの侵攻に曝される。
 内陸でそれなのだから、海岸線の守備隊など半年に1度は全滅していたのではないかと思うくらいの惨状だった。

 それでも尚、ユウイチが生き残ることが出来たのは、彼にそれだけの技術と、そうさせるだけの気概があったからである。

 そう昔の話ではない。昔の話ではない筈なのに、ユウイチが“ふと思い出したように”これまでの自分を省みているのは、今目の前で硬い表情のまま彼の返答を待つリィル・ヴァンホーテンに原因があった。
 つい十数秒前、彼女はユウイチにこんなことを訊ねてきたのである。

 クロサキ中尉はどうして戦うんですか、と。

 それは、なかなか難しい質問だった。自分の意志や決意がぶれていると思ったわけではないが、改めてどう訊ねられると、どう答えるのが正しいのか悩まされる。
 極論で言えば、死にたくないから、なのだろう。
 もう少し前向きに捉えれば、生きたいから、とも言える。今現在という時間軸だけ切り取って考えれば、それを超える極論などあり得ない。自分自身がその術を持っていて、すぐそこに迫りくる敵がいるのだから、戦わないわけがなかった。
 だが、きっとリィルが聞きたいことはそんなことではないのだろう。
 戦場で戦う兵士に最も多い、「戦う理由」は「友を死なせたくないから」だという調査結果があるが、それもきっと彼女の望む答えには成り得ないのだと、ユウイチは直感的に理解する。

 人間は誰もが最初は戦士ではない。生まれながらに敵を持つ人間などいないし、生まれながらに戦友を持つ人間など、いる筈もない。
 人は戦おうと意志を固めたその時に、初めて敵と味方を持つのである。
 きっと、彼女が聞きたいのはその、最初の芽生えなのだとユウイチは思う。無論、ユウイチだって徴兵によって止む無く兵士となった人間だ。戦いに身を投じることになったのは自分の意思では決してない。

 ならば、自分はいつ“戦士”になったのだろうか。

「あ……あの……何か拙いことを訊いてしまいましたか?」
 ユウイチがずっと黙っているので、自分の質問が気に障ったのだろうかとリィルが困惑し始める。それを見て、ユウイチはやれやれというように肩を竦ませてから表情を緩めた。
「いや、構わない。少し考えていただけだ」
「そ……そうですか?」
 ユウイチはそう答え、手に持ったカップを地面に置く。中身は、今日も土いじりに勤しむユウイチとリィルに届けられたマリア・シス・シャルティーニからの差し入れだ。余談だが、届けてくれたのはヘンリー・コンスタンスだった。
 1度、青空を仰いでからユウイチは再び視線をリィルに戻し、ゆっくりと口を開く。

「ヴァンホーテンは、遺書を貰ったことがあるか?」

 たっぷりと時間を使い、ユウイチはそう訊ね返す。思いがけない切り返しだったのか、リィルは「え?」と驚いたように目を丸くしてから、ぶんぶんと首を横に振った。
 そうだろうな、とはユウイチも思う。彼女は戦闘兵ではなく、それにユウイチよりも更に若い。立場上、それに触れることはあったとしても、自分宛に届く遺書にはまだ巡り合ったことはないだろう。

 それに、出来れば彼女にはそういったものを受け取るような経験をして欲しくはない。

 兵士が残す遺書とは大抵の場合、家族や恋人といった、近親者かそれに近しい親密な間柄の相手に宛てられる。生還を望めそうにない任務に着く前などには、ほとんどの兵士がしたためているものだ。
 尤も、ユウイチは宛てる相手もいないために1度も遺書を書き綴ったことなどないが。
「まあ、オレもほとんど貰ったことはない。この連隊に来てから、何度か他人のものを整理することにはなったが、それはオレ宛じゃないからな」
 その言葉に、リィルはどう答えれば良いのか分からないといった顔になる。別段、ユウイチとて何か気の利いたことを返して欲しかったわけではないので軽く微笑み返す。
 276戦術機甲中隊(ランサーズ)の中隊長だった彼には、出撃した2回の作戦で逝った部下の遺した遺品を整理する義務があった。結果として、このわずか2ヶ月の間にユウイチは7人分の遺品、5通の遺書に触れたことになる。

「オレが任官してグリニッジの観測部隊に配属されてすぐの頃、遺書が届いたんだ」
「ご家族の方の………ですか?」

 躊躇いがちに訊ね返すリィルの言葉に、ユウイチは小さく首を横に振る。彼の身内に遺書を書かなければならないような軍人はおらず、何より、その遺書がユウイチの手元に届いた当時、既に家族は全員他界していた。
 だから、家族から何か送られてくることなどあり得ない。

「幼馴染み、だな。オレにとっては姉貴みたいな人でもあって、ほとんどオレが任官するのと同時期に戦死している」
「兵隊だったんですね……」
「ああ、向こうはEU連合の方だったけどな」

 戦死という言葉に、その人物も同じく軍属であったのだと理解したらしいリィル。その呟きにユウイチは頷き、追加で説明を加えた。BETA侵攻の際に生き別れ、その段階でもう会えなくなって久しかったが、軍人として生存していたということだけは知っていた。
 そんな彼女から遺書が届いたのは、ユウイチがようやく正規兵として任官して、その詳しい行方を調べて貰おうと考えていた矢先のことである。

「向こうの隊長が遺品の整理中に見つけて、宛名に書かれてたオレのところに届くように手を尽くしてくれたみたいなんだ」

 ユウイチはそう言って、再び天を仰ぐ。
 その事実は、遺書に同封されてきたもう一通の手紙……幼馴染みであった彼女の上官がしたためた手紙で理解出来た。会ったことも、話したことも、顔すらも知らないであろうユウイチに対して激励の言葉や、生前の彼女からよく話を伺っていたなどの話題も綴られていて、ただただ、目頭を熱くする以外、彼には出来ることない。

 だからユウイチも自分の部下の遺品が可能な限り、それを待つ人のところに届くように尽力しているが、武やマリアに頼ってしまったところもかなり多かった。
 特に、マリアからは「遺品を受け取ることが、遺された者にとって救いになるとは限らない」とも釘を刺されたが、それでも力を貸してくれた彼女には感謝の念は尽きない。
 どうなのだろう、とは今も思う。確かに、遺品を受け取るということは、その人の死を肯定しなければならないことであり、遺族にとって凄まじい苦痛になるのかもしれない。だが、やはり、ないよりはあった方が良いとユウイチは思う。
 酷い権利かもしれないが、取捨の選択は遺族に委ねられて然るべきだ。それは当事者からすれば押し付けがましい言い分なのかもしれないが、何も残らなかったと後々後悔されたくなどない。

「…………生きてくれ、だって」
「え……………」
 不意に、ユウイチが言った言葉にリィルの言葉が消える。
「無理強いだと分かっているけど、生き抜いてくれって最後に書いてあった」

 今でも自室の机の引き出しにしまってある、彼女の遺書の締め括りはその言葉だった。彼女はいったい、どんな気持ちでそれを書いたのだろうか。届くかも分からない相手に、どんな想いを込めてそれを書いたのだろうか。
 ユウイチが高確率で徴兵されていると分かっていながら、堪らず「生き抜いてくれ」と願望を書いてしまった彼女は、きっと薄々感付いていたのだと思う。
 自分の最期がもう間近まで迫っているのではないか、ということを。

「だから、オレは戦っている。戦わないと、生き残れないからな」
 眉間に皺を寄せ、ユウイチは拳を固める。戦うことが避けられないのなら、敵のすべてに打ち勝つことでしか生き残る手段はない。実に単純なことだ。
 目の前に立ちはだかるBETAを殺戮してゆくだけである。
 こういうことは、あまり仲間内でも言えることではない。戦場で挺身することが当たり前の衛士にとって、生き残るためという利己的な目的は大っぴらに出来ることではないのだ。
 だが、ただ一人の幼馴染みで親友の彼女が「生きてほしい」と願ったのなら、可能な限りの手段をもってして生き抜きたい。生きることに死力を尽くす、というのは奇妙な話かもしれないが、ユウイチはそれが自分に一番適した言葉なのではないかと思う。

「戦う力の無い人は……どうすれば生き残れるんでしょうか………」

 不意にリィルが独り言のように呟いた言葉に、ユウイチは思わず目を見張った。疑問の言葉というよりは、寧ろ嘆息に近いものだ。だからすぐに、彼はリィルの示す「戦う力の無い人」がいったい誰のことを暗喩しているのか理解する。
 彼女はきっと、“自身がそうであること”を嘆いているのだ。それを悲しいことだと思う反面、「こいつはいったいどれだけオレたちと付き合ってきたと思っているんだ?」とほんの小さな怒りが湧く。
 訓練でリィルが管制を務めてくれていることで、どれほどの貴重な時間が効率的に使われてきたか。実戦でリィルが戦域管制を司ってくれていることで、どれほどの貴重な人員が生き長らえてきたか。
 それを彼女は理解していない。あまつさえ、無力だと嘆いている。

 リィル・ヴァンホーテンが自身を無力だと嘆いてしまったら、それに助けられているユウイチを含めた衛士たちは漏れなく無力な存在に成り下がってしまうではないか。

「お前は無力なんかじゃない」
「………クロサキ中尉?」
「オレにはお前のような情報処理は出来ない。戦術機が動かせるだけで、その造り方も知らなければ、整備の仕方だって操縦士として最低限のものしか持っていない。料理なんて酷いものだな。精々、切る、焼く、煮る程度のものだ」
「えっと……あの………」
「万能であることは理想だ。オレもそうあれたらって思う。だけど、人間社会はオレたちが万能になるまで待ってくれないし、人間の寿命は万能になれるほど長くない」
 戸惑うリィルの言葉を遮るように、ユウイチは呟くほどの声量ながらもはっきりとした意志を持って告げる。まるで穏やかに捲くし立てているようだ、とユウイチは内心、可笑しくなった。
「だから、オレたちは役割を分化させることで生きている。そう思わないか?」

 人間は絶対に万能ではない。容易に万能になることが出来たのならば、進化の過程でこれほどまで細分化された社会など築かなかっただろう。何故なら、他人の力を借りる必要などないからだ。
 しかし、同時にヒトは常に完全な成果を望む。完全でない個人は、常に完全な結果を望むのだ。その、一種矛盾したものを成し遂げるために、自分には到底出来ないことを他人に委託する。代わりに、自分に出来ることはそれが出来ない他人から請け負う。
 何も特別なことはない。

「………一緒に並んで戦えないのはやっぱりもどかしいです」
「気持ちは分かる。だけど、お前はまだ衛士になる道がなくなったわけではないだろう? それがもどかしいなら、今まだそうでなくても、そうなる道を志すのも有りだと思う」
 目を伏せるリィルにユウイチはそう答える。個人的にはあまり歓迎出来ない目標だが、その選択はリィルの自由だろう。
 彼女は確か、最初から通信兵として軍に入隊させられた存在だ。ユウイチたちのように徴兵で衛士適性値を計測され、それを基に兵科を割り振られた兵士ではない。
 それは部隊においてあまり多くない、特異な存在である。何かしら特殊な技能を持っていて、それを軍で活かすために入隊させられる、あるいは勧められるというパターンに限られる。

 そう考えれば、目の前のリィル・ヴァンホーテンはいったいどれほど非凡な経歴を持つのかと、ユウイチも悩まされるのだが。

「私に出来るでしょうか?」
「出来るか出来ないかで迷うなら最初から悩むな。目指すと決めたのなら、やることは悩むことじゃなくて突っ走ることだ」
 少なくとも、自分はそうしてきたとユウイチは心の中でそう付け足す。生き抜いてくれとただ1人の親友に望まれたから、生き抜くために戦ってきた。死ぬつもりなどないから、遺書を書くこともない。
 ただ、リィルの場合はこれまで戦闘訓練など受けてきていない上、今の立場もあるためにその道は目を背けたくなるほど過酷なものだろう。だから、正直なことを言えばユウイチはリィルに今のままでいてもらいたい。
「でもオレは、今のヴァンホーテンも充分よくやっていると思う。いや、寧ろ尊敬する」
「クロサキ中尉に尊敬されることなんてしてないですよ」
「…………276戦術機甲中隊(ランサーズ)が解隊される前、オレの判断が背負っていたのは部下11人の命だった。今だって、任されている小隊の部下3人の命を背負っている」
 半ば断言に近い口調でリィルがユウイチの言葉を否定するので、彼は苦笑気味に話を続けた。指揮官という立場にある人間は戦場で必ず部下の命を背負う。ユウイチの場合は自分以外の中隊の隊員であったから、常に11名。戦死した者まで含めれば、更に多かった。
 白銀武ならば、事実上、小規模の師団のような機能までをも持つこの第27機甲連隊の兵員すべての命を背負っている。その領域は最早、今のユウイチの想像を絶する世界だ。
 リィルはその言葉に口を結ぶ。ユウイチが何を言わんとしているのか読み切れず、戸惑っているというのがよく分かる表情だ。
 その中で、ユウイチは言葉を続けた。

「戦域管制将校であるヴァンホーテンの一言が背負っているのは、何人だ?」

「…………え?」
 不意に問いかけたその言葉に、彼女の目が見開かれる。
「連隊すべての衛士……戦場の砲兵や随伴機械化歩兵まで含めれば100人を軽く超える人数だと、オレは思う。オレは……自分の一言がそれだけの人間の生死を分けることになるっていうのは正直、怖いな」
 ともすればそれは不安を煽る言葉だが、彼女には自分がそれだけの立場にあるのだと再認識して欲しかった。
 刻一刻と状況の変遷する戦場の、それも最前面で戦う衛士にとって、リィル・ヴァンホーテンが集積し、分析、そして発信する情報がどれほどの価値を持つのか。過酷な戦況において、彼女が最後にかける労いの言葉が、どれほど衛士の不安と緊張を解すのか。


 2人はまだ知らないが、それこそ極東で出会った戦乙女の1人……訓練兵時代に自身の両足を失ってしまった1人の戦域管制将校が志した道なのだが。


「それだけの責務を課せられたヴァンホーテンのことを、オレは素直に凄いと思う」
 それは本音だが、生憎、当人にとってはそこまでのことではないのだろう。だから彼女は無力感まで覚えてしまうのだ。だから、何を言っても詭弁のようなものなのかもしれなかった。
「……………私は、ずっと役立たずだったんです」
「うん?」
 しばし沈黙して、急にリィルがそんなことを口にしたので次はユウイチが驚く番だった。顔を向けると、彼女は図ったかのように青空を仰ぐ。
「私は本当に課せられるべきだったことが出来なくて、父も母もいませんでしたから、その時に、私を本当に必要としてくれる人は誰もいなくなったんだって思いました」

 空を見上げ、そう語るリィルの口調は実感が篭っていながら、どこか他人事にも聞こえる。それに、今の言い回しではまるで“最初から”両親がいなかったと言っているようだった。

「今、私の後見人になってくださっている人は、そんな時に手を差し伸べてくれた人なんです。その時、思ったんですよ? 私には居場所があるだけで嬉しいって。なのに――――――――――」
 沈黙。されどもそれはユウイチが口を挟む間もないほどの一瞬だ。
「いつの間にか、焦って変な高望みをしていたんですね………」
 自嘲するように呟き、一転して項垂れるリィル。ユウイチとて日常において、彼女のそんな姿はほとんど見たことがない。それほどまでに、さっきまでの彼女は追い詰められていて、そして今、それに気付いて物思いに耽っているのだ。
 衝撃を覚えながらも、ユウイチは「どこまで難儀な性格なんだ」と内心、ため息を漏らす。

「……今の話を聞いていて、1つ、分かった」
「何でしょう……か?」
「それは高望みじゃない。無用の願望だ」
 そう答え、ユウイチはよっと腰を上げる。上げられたリィルの顔はまた驚きで染まっていた。
 必要とされたいと思うことは誰だって持つ、当たり前の望みである。その点において、“この第27機甲連隊にいる”という事実は、何よりも明確のその望みの成就を示す。
 人は必要とされるからこそ居場所があるのだから。

「通信兵であるヴァンホーテンが今の自分を貫くなら、オレたち衛士は“直接”BETAと戦うことでそっちの安全を確保する。約束する、オレはお前を先には死なせない」

「あ………ありがとうございます、クロサキ中尉」
 見おろすユウイチの視線から顔を背けながらも、リィルはお礼の言葉を口にする。脅えたり怖がったりしているというよりは、照れたり恥ずかしがったりしているような反応だ。
 最初は何気なく言ったつもりだったが、リィルのそれで初めて自分は今、物凄いことを言ってしまったような気がするとユウイチは狼狽させられた。

 だが、ユウイチはすぐに気持ちを落ち着かせ、再び宙を仰ぐ。

 ユウイチに生きていって欲しいと願った彼女が、死に際にどんな想いを抱いていたのか。
 それが今、ほんの少しだけ理解出来たような、そんな気がしていた。




 イギリス 首都リバプール。ここは現在のイギリスにおいて民間人が今も生活を続けている最も巨大な都市だ。18世紀の三角貿易において重要な役割を担い、貿易港として発展してきたこの街は、BETA大戦の勃発によって再び大きな発展期を迎えることとなった。
 レーザー属の出現は船舶輸送に止む無い拍車をかけ、事実上、大都市と呼ばれるだけの規模を持つようになった街は、大きな港を有する都市か、再突入型艦の離着陸が可能な空港を持つ都市が中心だ。
 その点においてこのリバプールは両方の条件を満たし、前線国家の都市の中でもトップを争うほどの規模を持っている。それ故にここはイギリスの心臓であり、ここの陥落は事実上、イギリスの崩壊を意味する。
 その首都を死守するため、イギリスには2つの要塞都市が存在していた。
 1つは、東に約100kmの位置にある防衛都市リーズ。
 もう1つは、南に約100kmの位置にある要塞都市バーミンガム。

 この2つの都市を要所としてリバプールは今日までBETAの侵攻を許していない。

 そのリバプールの郊外には欧州国連軍の第2師団が拠点とする師団本部がある。白銀武率いる第27機甲連隊を旗下に持ち、欧州の猛将 レナ・ケース・ヴィンセントがそのトップを務める欧州戦力の代表的な一角だ。
 その師団本部の、ある意味では最深部と呼ばれるところに、彼らは通された。

「只今、ヴィンセント准将もこちらに向かっております。それまではお寛ぎください」

 敬礼するレナの秘書官に「分かりました」と返し、武は遠慮なく来客用のソファーに腰を下ろす。その、普段なら副長のマリアに叱咤されるかため息をつかれるその行動も、今は咎める者などいなかった。

「はー、師団長室って意外と質素なんだね」
「白銀中佐の執務室より、少し広い程度ですねー」
 ソファーに座る武の背後では、エレーヌ・ノーデンスが物珍しそうに室内を見回しながら嘆息気味に呟く。それに応じるのは衛生班総括の片倉美鈴だが、彼女の方は普段通りの声調だ。恐らく、さして驚いてはいないと思われる。
「ノーデンス大尉って、連隊設立前から第2師団所属でしたよね? 来たことなかったんですか?」
 エレーヌの言葉に対して疑問を口にするのは273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の切り込み隊長 柏木章好だ。一兵でこの状況に物怖じしていないのは、まったくもって武の教え子であり、エレーヌの部下らしい。

 今回、リバプールへ出ることにした武に随伴したのはこの3人。
 小物作りに必要なものを揃えようという私用だったのだが、エレーヌが「良い店知ってますよ」と言い張るので同行させた。美鈴は運転手を務めると言って聞かないので同行させた。この2人の話し相手を1人でするのは面倒だったので、章好を強引に引っ張り込んだ。
 それがこの面子になるまでの概略である。

 では何故、私用で出た筈の武たちが軍服姿で師団本部の師団長室にいるのか。それは、彼らがプレストンのホームを出発するよりも早くに向こうからお達しがあったのだ。
 曰く、ついででいいから本部に顔を出していけ、とのこと。
 武たちの動向がレナに筒抜けだったのは、どこかの律儀な副長が定例報告で上につい口を滑らせたことが原因らしい。おかげで彼は国連士官の軍服を着たまま、リバプールの店頭で小物作りの一式を買う羽目になった。

「あたしは今の隊を任されるまで一兵みたいなものだったからね。小隊長程度じゃ、本当に無縁なところだよ、ここ」
「俺も多分、正式な連隊長任命の時しか来てないな」
 章好に対するエレーヌの返答に、そう言えば自分もここに来るのはまだ2度目だったと武は思い出す。ただ、生憎と彼は、一兵中の一兵である訓練兵時代から、横浜基地でも高いセキュリティフロアに自由に出入りしていた人間だ。
 ここで物珍しがったり驚いたりしていては、極東でとっくに肝が潰れている。

「貴様がそうなのは単に物臭なだけだろう? 仮にも連隊の将なら、定期的にこちらに顔を出すくらいの甲斐性を見せてみろ」

 ガチャリとドアを開け、室内に入ってきた彼女は第一声から武を叱責した。ほぼ同時に、ほぼ反射的に、武は立ち上がって敬礼。他の3人もそれに続く形で彼女に対して敬礼を示した。
 レナ・ケース・ヴィンセントの御登場である。
「構わん、楽にしろ。一応、呼びつけたのはこちらだからな」
 そう言いながら武たちの横を通り過ぎ、そのままレナは武の向かいに座る。楽にしろとは言われたが、上官2人の手前、流石にエレーヌたちが腰を下ろすことはなかった。
 向かいのレナは自身の秘書官に目配せし、何か書類のようなものを持ってこさせる。
「何ですか? それ」
「EU連合が主催する式典についての案内状だ。面倒なことだが、理に適っているから仕方がない」
 武がその書類について訊ねると、レナは心底、面倒臭そうに頭を掻きながら答える。それが何故このタイミングで出てきたのか、と半ば結論を出しながら武は思わず目を細めた。
「それと俺たちに何の関係が?」
「察しがいいな、白銀。まあ、何だ。衛士すべてとは言わんが、何名か正式に参加して欲しいと向こうから指名が入った。白銀武のネームバリューは、存外に高いらしいな」
 武の質問から、既にそれが自分たちと無関係ではないと感じているとレナは気付いたのか、一転して不敵に笑った。その答えに武も内心、「ああ、やっぱり」と思ったが、ネームバリューに関してはまったく自覚はない。
「何の式典なんですか?」
「H11制圧を記念した軍事式典だよ。ああ、H26との同時制圧……だったな。確か、向こうの反応炉破壊部隊も招かれていると聞いている」
「国連でしたっけ? それともソビエト?」
「いや、アメリカ軍だ」
 エレーヌの問いにも答えるレナ。アメリカ軍まで招かれているのか、と武はため息をつくが、向こうだってまっとうな対BETA戦術を駆使してハイヴを攻略したのだ。責める理由などない。
「あと、先日、正式に日本も参加を表明した。日本の本土防衛軍と斯衛軍から部隊が派遣されてくることになっているようだ」
「斯衛まで!?」
 思いがけないことに武の後ろで章好が声を上げるが、よく考えれば斯衛軍もH11制圧作戦に4個大隊も援軍を出しているのだ。思惑云々はさて置いても、参加依頼を出さなくては関係が拗れることに成り得る。
 尤も、そうなると派遣されてくる部隊はおおよそ限られそうだが。
「開催地はこのリバプールとバーミンガム。国内では放送局によって中継されるから、見苦しい真似はするなよ?」
「はぁ……つーか、もう参加は決まってるんですね」
「欧州国連の我々が参加せずしてどこが参加する? ましてや、貴様は反応炉破壊を成し遂げた英雄部隊の筆頭だぞ? 不参加は軍全体の士気にすら関わる」
 軍全体とは、随分と大きな規模を引き合いに出されてしまったと武は笑うしかない。しかし、残念ながら実に引き攣った笑みだ。本音を言えば今はそんなものに参加するより、訓練に時間を費やしたいところなのだが、軍全体の士気に関わると言われては反論のしようがなかった。
「全隊参加しろとは流石に言わん。最低でも1個中隊選出しろ。だが、貴様とシャルティーニの2人は強制だ。取材はないという話だが、中継映像で顔くらいは流れるだろうな」
「それは気が重い……」
「そう言うな。貴様らは生還者の代表だ。そのくらいの煩わしさは、謹んで受けろ」
 報道に難色を示す武を、レナは手厳しく封殺する。それに苦笑し、武は思わず目を伏せた。彼の部下も含め、H11制圧戦では突入部隊隊員の半数近くが戦死している。還ってこられなかった彼らのためにも、胸を張らなければならない。
「ああ、それと、極東国連軍の方にも部隊指名で要請はいっているらしいな」
「中佐のご友人の方々ですね?」
「ああ、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)だ」
 ペラリと1枚目をめくって、2枚目の書類に突入するレナは美鈴の問いに肯定を示す。ふと、あの書類は参加要請を受けた部隊の名簿でも載っているのではないかと武は思った。そうだとすれば、相当な数に及ぶだろう。

 世界中の部隊に参加依頼を出すほどの規模の軍事式典など武は見たことも聞いたこともない。今まででは、対BETA戦術の主力をそのような目的で派遣する余裕など、どこの国にも勢力にもなかったのである。

 それでも、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)への依頼は恐らく通る。欧州方面に再派遣するとなれば、地上支援で駆けつけてくれた宗像美冴、彩峰慧、涼宮茜、柏木晴子の中隊か、あるいは突入部隊の一角であった御剣冥夜と珠瀬壬姫の中隊あたりが妥当だろう。
 尤も、秘密裏とはいえ更に多忙を極める香月夕呼が、そのすべてを派遣してくるとはとても思えないが。

「ヴィンセント准将…………」
「ん?」

 その時、彼女の傍らでただ黙して控えていた秘書官がレナに囁きかけた。何か改めて報告するべきことが増えたようだ。どうやら、こんな時でもレナの秘書官はインカムを手放さないらしい。
 やはり役割が似ているからか、その様子は香月夕呼とイリーナ・ピアティフの構図に似ている。
「どうしたんでしょうかね?」
「さぁな。でも、この状況でされるようなひそひそ話はきっと、碌なものじゃないぞ」
「あー……言えてますねー」
 武の返答に苦笑気味に納得するエレーヌ。生憎と、彼ら2人もたった今、ひそひそと会話していたわけであるが、武自身もそんなどうでもいい事実には気付いていなかった。

 とりあえず、レナ・ケース・ヴィンセント付きの優秀な秘書官が、武とレナの会話を中断させてまでするような報告だ。基本的に吉報よりも凶報の方がそうさせる可能性は高い。

「ふむ……そうか。それは流石に想定外だな」
 受けた報告が余程、驚く内容だったのか、レナは目を見開く。その後にすぐ、顎に手を当てて思案顔になるので、相当悩まされているようだ。いったい何があったのだろうか、と武が首を捻っていると、レナがちらりとこちらを一瞥してきた。
「白銀、第27機甲連隊のハンガーはまだ余っていたな?」
「は? え………ええ、まあ、元々余剰ハンガーは多かったですし、2個中隊も解隊しましたから」
「そうか。ならば5個中隊程度ならば格納出来る………か」
 武への問いかけというよりは自問に近い呟きだった。5個中隊ならば、確かに無理ではない。元々、6個中隊が稼動していた段階で、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の4個中隊も格納したことがあるのだ。

「あの――――――――」
「白銀、貴様の知り合いを何人かそちらに回すことになりそうだ」

 何かあったんですか、と武が訊ねるよりも早く、レナがそう言った。知り合いとは些か要領を得ない言い回しだが、今の話の流れで考えれば誰がどんな形で回されてくるのかは瞭然である。
「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)ですか? でも、ハンガーの数ならここの方が多いじゃないですか」
 しかし、理には適っていないと武は反論する。ハンガーの規模もそうだが、この師団本部を受け入れ先とした方が式典参加の関係上、何倍も都合が良いだろう。だが、そう言い返されたレナは何故か肩を竦ませ、わざとらしくため息をついた。

「無論、こちらでも受け入れる。貴様の方には“半分”を回す、と言っているのだ」

 そして、彼女が続けて言い放ったその言葉に、武は思わず耳を疑う。“5個中隊”がいったい何の“半分”だというのか。正直、あまり考えたくない想像が脳内を駆け巡るが、確認を取るよりも早く、レナが更に言葉を続けた。

「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)10個戦術機甲中隊及び1個通信小隊 総員140名。すべてが欧州入りだ」

 レナはそう言いながら頭を抱える。思わぬ精強部隊の総動員に、最早彼女すら成す術がないといった感じだ。尤もだ、武とてそれはほぼ同じである。
 まさか、香月夕呼がその直轄戦力をすべて手元から離すなど、普通では考えられない。
 しかし、武はそこでふと気付く。

 もし、その認識が根本的に間違っていたとしたら。
 香月夕呼が、直轄戦力のすべてを手元から“離さない”ために、全戦力を欧州入りさせるのだとしたら、どうだろうか。
 ただ、やはりその解答も、武が確認するよりも早くレナの口から事実を告げられてしまう。

「喜べ、白銀。貴様の恩師が7月1日、ここにやってくるぞ」



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第60話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/12/22 05:07


  第60話


「そういえば、その道具で何作るつもりなんですか?」
 第2師団本部からプレストンへと戻る道中、後部座席の左側に座るエレーヌ・ノーデンスが、すぐ隣に腰を下ろす武へとそう訊ねてくる。その道具、とは恐らく、今回武がリバプールへと赴いた最大の理由であり、今現在、彼が膝の上に抱えている紙袋に入った一式のことだろう。
 そう言えば、彼女にはまだ何も詳しく話していなかったか、と武は相槌を打つ反面、それを知らないで店を勧めてきたのか、と激しく呆れた。
 まあ、それもエレーヌでは仕方がない。
「…………ウサギのぬいぐるみ」

 しばし沈黙した後、武は呟くような声量で答える。その結果、車内を微妙な静寂が支配した。片倉美鈴の運転する軍用車のエンジン音が虚しく響き渡る。

「もしかして……白銀中佐ってそんな趣味が………」
「お前は間違いなくマリアの部下だな。残念ながら、違う」
 数日前にも聞いたような台詞に武は頬を引き攣らせながら答えた。相手がエレーヌでは、本気なのか冗談なのかは判断し難いが、性格が違うのにほとんど同じ反応をする辺り、マリアとエレーヌの付き合いの長さは窺える。
「じゃあ、誰かに贈るんですか?」
 助手席に座る柏木章好の問いかけに、武は思わず窓の外に視線を逸らせる。この歳の男がぬいぐるみを贈るような相手などそう候補があるわけではないと思うが、恐らく彼は本気で訊ねているのだろう。
 尤も、たとえ冗談で訊ねてきているのだとすれば尚悪い。

「恋人さんですよねー」

 そう言ったのは武の前に座る人物だった。即ち、美鈴である。彼女の暴露にエレーヌと章好はギョッとして武と美鈴を交互に見やってくる。その行動の原因が、予想外の回答だったからなのか、それともそれが美鈴の口から明かされたからなのかは武にも分からない。
 ただ、後者だった場合、武の心境は奇しくも2人と同じだ。

 どうして彼女の口から自分のことを伝えられなければならないのだろう。

「可愛い方ですよ」
「……………へぇ」
 こちらの視線などどこ吹く風というように言葉を続ける美鈴。当人としてはえらく抽象的な表現が来たなという感想だが、他人からすれば充分なスキャンダルらしい。それを体現するように、エレーヌの目が獲物を見定めるように細く光る。
 相手が上官の武であるためか、それは露骨なものではなかったが。
「白銀中佐って、恋人いたんですね」
「章好、あとで覚えとけ」
 章好の何気ない言葉に武はくっと唇の端を歪めて答える。すると、斜め前に座る彼が急に背中を丸めた。軽い冗談のつもりだったのだが、彼はそう受け取らなかったらしい。上官の発言とはかくも恐ろしいものかと武は身をもって再認識した。
「質問です」
「不許可」
「誰ですか?」
「人の話を聞かなかった上、直球な質問だな、エレーヌ」
 挙手するエレーヌを退けようとするが、章好と違って彼女は武の一言でも退かない。あまつさえ、それに反意を並べることすらせずに質問を継続する。
「だいたい、名前言ったって分かんないだろ、お前」
 武のその言い分は至極、尤も。第27機甲連隊の隊員で武の恋人の存在を知っているのは、横浜基地に駐留したことのある、マリア、ヘンリー、ユウイチとリィルの4人だけだ。ここで特定の誰かの名前を出したところで分かる者などいない筈である。
「いえ、もしかしたらよく中佐に手紙送ってくる誰かかな、と」
「あー……近いところにいっているけど、違う」
 エレーヌの疑問に眉根を寄せながら武は答える。かなり近しい間柄ではあるが、純夏から手紙を受け取ったことはまだない。何せ、彼女が目覚めてからまだ1ヶ月も経っておらず、武が欧州に戻ってからまだ1週間も経っていないのだ。
 尤も、来週辺りからは分からない。だから、“まだ”なのだ。

「その方から手紙が来たことはまだないですよね」

 そう考えていると、再び運転席の美鈴が口を開く。その言い回しから、彼女がどうやら純夏の名前まで特定していると分かって武は思わず頭を抱えた。
「………で、プレゼントにウサギのぬいぐるみですか? しかも、手作りで」
「向こうにねだられてなぁ」
「…………あれ? 片倉准尉、あたし、もしかして惚気られてる?」
「お疲れ様です」
 やれやれと肩を竦ませる武の返答に、エレーヌは首を捻りつつ美鈴に訊ね返す。しかし、生憎と彼女から返ってきたのは労いの言葉だけだ。無論、それが肯定の意と取れなくもないだろう。
「惚気てない」
「当人は大抵、そう言うんですよ?」
「……………………」
 エレーヌの反論には武も返す言葉がない。本人としては強く否定したいところだが、他人が「惚気ている」と言うのなら、他人にはそう聞こえるのだろう。ならば、そういう人間には言わせておけば良いだけの話だ。

 それが惚気ているのだと武が気付くには、残念ながら数年の歳月を要しそうである。

「でも素敵ですね。恋人のために手作りの贈り物ですかー」
 そう、妙なタイミングで美鈴がフォローを入れてくる。自分から爆弾を放り投げておいて、逸早く鎮火しにやってくるという相変わらずの突飛さだ。この斜め45度具合が片倉美鈴の真骨頂である。
「バースデイプレゼントですか?」
「違う………んだけど、よく考えたら近いな」
 む、と武は顎に手を当てる。純夏の誕生日は7月7日、つまり七夕の日だ。余程、興味のあることでなければ覚えようとしなかった武が、子供の頃からきちんと覚えている数少ないことだった。所謂、関連付け記憶効果である。
「なら、誕生日に贈られるのはどうでしょう? 女性にとって記念日とは大切なものですから、きっと喜んでいただけますよ」
「誕生日……ねぇ」
 武は呟きながら思案する。美鈴の言は一理あるのだ。今日から訓練や事務の時間を縫って製作を開始するとなると、まともなものが出来上がるのはその頃くらいになるだろう。意図せずそうなってしまうよりは、最初から誕生日プレゼントのつもりで贈った方が確かに喜ばれるかもしれない。
 ただ、これで完全に7月7日という納期が決まってしまったわけだが。

「大事にされてください。きっと、これから大変でしょうから」
「………分かってますよ」
 憮然と、武はそう答える。そう答えるしかない。
 バックミラー越しの美鈴は笑顔のままだった。短くも濃い経験上、武はその表情が出来る奴に碌な者がいないことを知っている。

「片倉准尉にそういう良い人、いないの?」
「いないですねー。ノーデンス大尉はどうなんです?」
「いたら、あたしの日常、もうちょっと華やかだと思わない?」
「ですよねー」
 エレーヌとそう言い合ってケラケラと笑い合う美鈴の表情には、もう懐疑心を抱かせるものは浮かんでいない。ただ、純粋に会話を楽しんでいるだけのようだ。
「柏木少尉は………大丈夫だね。水城少尉がいるし」
「何でそこで七海の名を出すんですか!?」
 いきなり今の流れから話題を振られ、章好が声高に言い返す。やれやれと、武は肩を竦ませてから、その話題に乗っかることにした。
「何でって……ねぇ?」
「何ででしょうねぇ?」
「何でだろうな?」
 だから、エレーヌと美鈴と示し合わせたように、ほぼ同時に武はそう口にする。3人同時のそれには、章好も反論すらせずがっくりと肩を落として項垂れてしまった。幼馴染みの水城七海ならば彼自身だって寧ろ大歓迎だろうに、周囲からももうそう認識されてしまっていることがショックだったらしい。
 何を今更、と武は心の中で呟くと同時に、もしかして自分と純夏もそうだったのだろうかと余計な心配も募る。

 ただ、「もう帰りたい」と独り言のように呟く章好に対して、「今、帰っている最中じゃないか」と指摘してやるのは流石に可哀想だから、武は沈黙を守った。




「え? 誕生日?」
 PXでトレイを持って列に並んでいた彼女は、友人からの問いかけにやや素っ頓狂な声でそう聞き返した。
 横浜基地 PX。先日、花札戦争の勃発によって戦場と化し、暴徒鎮圧に乗り出した元祖戦乙女部隊の面々によって天国とも地獄とも似つかない絵図を描き出した、魔境横浜基地が誇る最大の魔窟だ。

 尤も、既に食事を終え、社霞と共に散歩に出かけていた彼女 鑑純夏にとってその惨事は知る由もないことだったが。

 時間は夕刻。一日を締め括る食事に興じようと集う兵士たちの列に、友人と共に並んでいた純夏だったが、不意にすぐ前に並ぶ美琴に訊ねられたのだ。
 純夏さんの誕生日っていつなの、と。

「うん。さっき壬姫さんと話してて、誕生日の話になってね。それで、純夏さんの誕生日っていつなんだろうって思ったんだ」
「みんなはお互いに知ってるの?」
 誕生日の話題ってどういった経緯で行き着くのだろうと首を捻る純夏が、そう訊ねる。こう言っては悪いが、彼女たちの立場柄、そういったことを覚えていてもあまり祝う機会はすくないような気がした。
「時期が来たら思い出すかもしれない……といった程度だな。鎧衣は4月1日であったな」
 純夏の問いかけに答えたのは美琴ではなく、隣の列に並ぶ御剣冥夜だった。つまり、特に忙しくなければ思い出し、時間があれば軽く祝う、程度の認識なのだろうか。
「うん。危なかったよね、あと1日遅れてたらみんなより年下になってたんだから」
「体格的には大丈夫」
「ああ! ひどいよ! 慧さん!」
 安堵の息を漏らす美琴に、冥夜の前に並ぶ彩峰慧が振り返り、口元に手を当ててにやりと笑いながら呟く。その、当人にはとても看過出来ないだろう内容に美琴も唇を尖らせて抗議に出た。まあ、相手が慧では軽くあしらわれて終わりそうだが。
「榊と珠瀬も覚え易い日付だったな?」
「ええ、私は菖蒲の節句ね」
「私は2月29日です」
 冥夜の投げかけには後ろに並んだ榊千鶴と珠瀬壬姫本人らがそれぞれ答える。菖蒲の節句とは5月5日の節句のことで、要するにこどもの日だ。純夏本人にとってはあまり関係のない祝い事だが、昔は隣の家の庭先によく鯉のぼりが立てられたことを彼女は記憶している。
「確かに覚え易いね」
 千鶴のもさることながら、壬姫の誕生日の覚え易さに純夏は苦笑する。よりにもよって誕生日に該当する日が4年に1度しか来ないというのは、他人にとっても話題の取っ掛かりにし易いことこの上ない。
 すると、壬姫も困ったように小さく笑った。本人にとっても最早それは苦笑混じりの話題でしかないのだろう。子供が駄々を捏ねるのとは違うのだ。

「御剣さんと彩峰さんは?」

 未だ、誕生日に関して話題の上がらない2人にそう訊ねると、何故か周囲の視線も一斉に彼女たちに集まった。
「えっと……確か、慧さんは9月で、冥夜さんは12月だよね?」
「鎧衣、日にちは?」
「うっ……………」
「致し方なかろう。榊や珠瀬と違って我々の誕生日は覚えられ難い。他に一般的な催事がないからな」
 目を据わらせる慧に美琴が言葉を詰まらせると、冥夜が止む無いと言うようにフォローを出した。恐らく、2人の誕生日には何か世間一般でも知られているような祝い事や出来事がないのだろう。確かにそれでは、毎年祝うような間柄でもなければ覚えられ難い。
「それで、いつなの?」
「私が9月27日で」
「私は12月16日だ」
 純夏が促すと、慧と冥夜はそれぞれの誕生日を答える。その返答に「ああ!」とすぐ前で美琴がポンと手を打つが、即座に慧によって羽交い締めにされていた。相当、覚えてもらえていなかったことが悔しいようである。
「12月……16日?」
「うん? どうしたのだ? 純夏」
 印象深い日付の登場に純夏は思わずそう呟く。その呟きからか、慧と美琴の様子を生温かく見守っていた冥夜が不思議そうにそう呼びかけてきた。
 それに対し、純夏は微笑み返す。途轍もない偶然に、一種の嫉妬心もあったがそれ以上に純粋な驚きの方が大きかった。

「その日ね、タケルちゃんの誕生日だよ」

「なっ!?」
「えっ!?」
 純夏の一言で、5人の表情が変わる。今し方まで美琴を羽交い締めにしていた慧も、羽交い締めにされてもがいていた美琴もギョッとして動きを止めていた。
「そっ……それは実か? 純夏」
「うん、間違いないよ。だってタケルちゃんのことだもん」
 狼狽気味の冥夜に純夏はそう答える。それでもやはり、その運命的な偶然がほんのちょっとだけ悔しかったので、そんな言い回しになってしまった。許してね、と純夏は心の中だけで謝っておく。
「じゃあ、冥夜さん、タケルと同じ誕生日なんだぁ……って、慧さん?」
「あ……彩峰?」
「彩峰さん……?」
 衝撃の事実への驚きから一転。全員の視線が再び慧へと向けられる。

 そこには、割と本気で目の据わった彩峰慧がいた。

「あや……みね?」
「御剣……裏切り者」
「なっ――――――――」
 そう言って、前を向き、がっくりと肩を落としてしまう慧に冥夜は本気でうろたえているようだ。そもそも同盟が結ばれていたのかどうかも不明だが、内容が内容なだけに彼女たちでは仕方がない。

 何せ、「白銀武と誕生日が同じ」というのは彼女たちにおいてある意味、最上級のステータスであるからだ。

「…………それで、純夏さんの誕生日っていつなの?」
 珍しくしょんぼりとする慧と、そのフォローに出る冥夜を黙殺し、美琴が改めて問い直す。「ひどいなぁ」と思う反面、「仕方がないかな」とも純夏は納得した。
 彼女自身は真っ当な衛士でないため詳しくないが、冥夜と慧はA-01部隊の時から共に前衛小隊を担っていた衛士である。そのため、並の衛士では2人の間に割って入るなど、基本的に自殺行為だ。
「私はね、7月7日」
 どの道、生憎と純夏にも慧をフォローする術がないので、ここは当人の冥夜に一任することにする。尤も、冥夜にだってなかなかにどうしようもないことだろうが。
「あら、七夕」
「七夕ですね」
 純夏の返答に千鶴と壬姫が一瞬驚き、すぐに笑う。そう、鑑純夏の誕生日は所謂、七夕の日に当たり、その実、彼女たちに負けず劣らず覚え易い日付だ。それに、その日付が彼女たちを驚かせるにはもう1つ、理由がある。

「もう半月ちょっとで誕生日なんだぁ。何かお祝いしなきゃね」
「ええ!? でも、みんな忙しいでしょ?」

 美琴の言葉に純夏は思わず難色を示す。そう考えてもらえることは純粋に嬉しいが、それが彼女たちの自由時間を削ることに繋がると分かっているから、純夏は素直に頷きかねていた。
 今日は6月16日。つまり、純夏の誕生日までもう1ヶ月を切っている。あまりにも近日であったことが、友人たちを驚かせていた。
「消灯前の時間を少し使うだけよ。忙しさなんてあまり関係ないわ」
 クスッと可笑しそうに笑って千鶴が言い包めに入る。どうしてか、最初から純夏の反応は読まれていたと思えるくらい早い反論だった。しかし、彼女たちにとっては消灯前だからこそ、貴重な自由時間だろう。その時間を使ってもらうのは、少し憚られるのは変わらない。
「簡単なお茶会みたいなものですから、そんな遠慮しないでください」
「そうそう。参加したい人だけが参加するんだし」
 そう言ってから「ねー」と笑顔で顔を見合わせる背の低い2人。壬姫と美琴の気遣いにも「うぅ」と純夏が答えかねていると、千鶴がすっとその口を純夏の耳元に寄せてくる。

「それを口実に楽しみたいだけね。そう思っておいて」
「榊さん……」

 恐らくそれも気遣いの言葉なのだろうが、流石は千鶴だ。言い回しが2人とは異なり、緩やかに純夏の退路を封殺してくる。彼女たちがそういう催事を楽しみにしているとあっては、純夏に断わる術などなかった。
 そう純夏に囁いてから、千鶴はまた笑う。正直、その笑顔はずるいと思ったが、逆に千鶴にここまで気を遣わせておいて、まだ難色を示すというのは寧ろ悪い。
「………うん、じゃあ、お願いしようかな」
「ええ、任せておいて」
 ようやく純夏が頷くと、千鶴はその表情のまま純夏の背中をポンと軽く叩いた。
 純夏の記憶のうちでは、榊千鶴はここまで率直に柔和な人ではなかった。いや、目覚めてからこの数日間、付き合ってきた限り、その認識だって決して間違いだったとは思えない。

 余計な部分での頑なさがなくなったというのだろうか。

 自分が偉そうに他人のことを評価出来る人間だと純夏は思っていないが、きっと千鶴にはそういう変化があったのだろう。自身と部下を律する立場にある隊長であり、同時に隊の雰囲気と士気を良くするために働きかける立場にある隊長。
 指揮官適性検査ではあまり測られない、指揮官に必要なもう1つの一面を今の彼女は持っている。そんな気がした。
「今日からいろいろ準備しないとねー」
「京塚曹長に料理のお願いもしないといけないね」
 まだ20日も時間があるというのに、意気込みを口にする美琴と壬姫の2人。案外、千鶴の言葉は正しく、何かを口実に楽しみたいだけなのかもしれない。どちらにせよ、誕生日を祝ってもらえる純夏の喜びは同じであるが。

 今年の誕生日は何だか楽しいことになりそう。
 素直に純夏はそう期待した。生憎と、思い返せば七夕は雨ばかりだったから、今年くらいは晴れてくれても良いのではないかとも思う。
 そう考えて、純夏は可笑しくなって笑った。

 何だ、20日も前から意気込みが強いのは自分も同じじゃないか、と。


 余談だが、落ち込んだ彩峰慧の機嫌が直るのは夕食が終わる頃のことである。彼女の機嫌回復の裏にやきそばの暗躍があるのだが、隠すまでもなくそれは周知の事実だった。




 速瀬水月の視野は広い。
 元々、指揮官適性がさほど高くなかった彼女だが、伊隅みちる亡き後のA-01を任せられ、桜花作戦に中隊を率いて身を投じた彼女の指揮官としての才能は、その後、爆発的に開花した。
 彼女はその時……桜花作戦という史上稀に見る反攻作戦を潜り抜けることが出来た時、初めて自分は伊隅みちるの後任として胸を張れるようになったのだと思っている。

 そしてそれは、きっと自分の部下たちも同じなのだろう。

 それぞれが特殊な身の上を持つ207B分隊組に、同期の同胞をこれまでの戦闘で喪った涼宮茜と柏木晴子に宗像美冴と風間祷子、死地へと赴く自分たちを見送ることしか出来なかった涼宮遙、そして、過酷な運命に身を委ねるしかなくとも、我武者羅に、ひた向きに、曲がることなく突っ走ってきた白銀武と鑑純夏。

 でも、あの作戦で最も成長し、最も自分という存在を認めることが出来るようになったのは他でもない、“彼女”なのだろうと水月は思う。

 視線の先、横浜基地の戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ) 第1中隊(スクルド)及び第2中隊(ミスト)の不知火が軒を連ねる中、一際異彩を放つ機体があった。
 Su-37「チェルミナートル」。ソビエト製の準第3世代機であり、不知火をも超える格闘戦仕様の戦術機。そして、戦術機の中では数少ない複座型管制ユニットの搭載も可能な機体だ。
 そのSu-37の前に、彼女はいた。

 社霞である。

 最近ではもう見慣れてしまった衛士強化装備に身を包んだまま、霞は整備兵と何かを話している。大方、Su-37の調整のことで打ち合わせでもしているのだろう。
 人間、変われば変わるものだと水月は感嘆の息を漏らした。
 A-01の部下たちだって話を聞く限り、訓練兵の頃から随分と変わってきているし、水月自身だってそれは否めない。だけど、彼女のような大きな変化に至った者は間違いなくいない筈だ。
 しかし、水月はそれに驚くと同時に思ったこともある。

 きっと、社霞は元来、そういう人間なのだろう。

 笑いたい時に笑う。泣きたい時に泣く。怒りたい時に怒る。よくよく考えれば、実に当たり前のこと。ただ、以前の彼女があまりにもそれを知らなかっただけのこと。
 喩えれば、ただ、青かったトマトが赤く熟したに過ぎない。

「社は整備兵から概ね好評ですね」

 霞を見つめる水月へ不意にそう声をかけるのは、部下の宗像美冴だった。彼女も同様に整備兵と話す霞を眺めていたようである。
「機体の扱いが人一倍丁寧だからよ。無駄な仕事がない方が整備兵は嬉しいでしょうしね」
「まあ、理由はそれだけでないでしょうが」
 水月の言葉に、隣に並んだ美冴は相槌を打ちながらも言葉を返す。彼女が皆まで言わずとも、それは水月だって理解していた。
 嫌な話だが、入れ替わりの激しい衛士に比べ整備兵や通信兵といった非戦闘要員の配置転換はそう多くない。殊更、香月夕呼が幅を利かせる極東最大の国連軍基地であるため、基地要員の出入りは他に比べずっと少ないだろう。
 少なくとも、桜花作戦へと繋がるあの横浜基地防衛戦の生き延びた要員は残らず今もここで働いていた。

 そんな彼らは、この横浜基地に回されてきてからそう頻繁でないとはいえ、ずっと見てきた筈である。
 実質、基地の実権を握る副司令殿の傍らに控える、場違いとも思える小さな少女の姿を。

 その姿に、各々がいったいどんな感情を抱いたかなど水月にはすべてを把握することは出来ない。だが、きっと誰もがそこに一種の違和感を覚えていたのだろう。
 この、少年少女ですら戦場に赴かなければならない時世において尚、香月夕呼の傍らに立つ少女の姿は、あまりにも、あまりにも重かったのだ。

「宗像、あんた、好きな人、いたわよね?」
「何を藪から棒に―――――――」
「生きてるわよね?」

 唐突な水月の言葉に、美冴は顔をしかめながら口を開く。だが、その言葉も水月の畳み掛けるような言葉で遮られた。恐らく、美冴も気付いたのだろう。
 水月の顔つきが、自分以上に険しいということに。

「……ええ。今はまた九州戦線ですね」
 圧倒されたのか、それとも観念したのかしばし沈黙してから美冴は頷く。尤も、水月だって実はそのくらい知っている。A-01が解隊される時、ようやく彼にまともな手紙を書くことが出来ると語っていた彼女は、特に印象深かった。
「あたしにはもういないわ。明星作戦で先立たれたから」
「………知っていますよ」
 また、美冴はしばし間を置いてそう応じてくる。彼女の戸惑いも尤もなことだろう。こんな話、水月は酔った時でもなければ本来、話さない。そうでなくとも、このような状況で話すような内容ではない。

「あいつが死んだって聞かされた時、正直、思ったわ。この世界は狂ってるって」
「奇遇ですね。私は今だってたまにそう思いますよ」

 彼の死を悼みながらも、今は俯かず上を見上げる水月に、ようやく本来の調子を取り戻してきたのか美冴は皮肉めいた返答をすぐに返してくる。その応答には水月も驚き、目を丸くして美冴に視線を戻したが、彼女の穏やかな表情に水月はすぐにふっと笑った。

「そうね。あたしも、やっぱり今もそう思うことはある。でも―――――――」
 頷き、水月は言葉を続ける。そのままゆっくりと整備兵と話を続けている霞に視線を戻し、目を細めた。勿体つけるような水月の間にも、美冴は苦言を呈することなく同じようにその視線の先を追う。

 霞の言葉を一言一句漏らすことなく聞き入れ、課せられた業務に全力を投資しようとしている、水月よりもずっと年上の整備兵。
 整備兵が少しでも仕事をし易くするために、僅かなことでも気になった点を身振り手振りも交えて伝えようとする霞。
 この世界の現実を如実に表した、一種、象徴的な光景かもしれない。

「でも、ね……ああいうのを見ていると、この狂った世界もまだ見限ったものじゃないって思える気がする」

 水月はそう言って笑う。あれはきっと、この世界にいる今の自分たちに許された精一杯の抵抗なのだ。少年少女が戦場に立つことを善しとする常識を捨てられないこの世界で見せることの出来る、数少ないヒトとしての尊厳、ヒトとしての人間性なのだ。
 そう、水月は思った。

「常日頃から思っているのですが」
「何よ?」
「社には、階級章が似合わないと思いませんか? 速瀬中佐」

 美冴の言葉に、水月はそういう表現も面白いかな、と小さく笑う。確かに、彼女には敬礼も軍服も階級章も似合わない。美冴の言は実に正しい。
「でも、あんただってその階級章、似合わないわよ?」
「速瀬中佐にもそれは似合わないでしょう。いつか置くことをお勧めします」
 水月の言葉にすぐさま美冴はくっと笑って言い返してくる。そうして2人は肩を揺らしながら声を抑えるように笑い合った。

 自分たちはいつか、この階級章も軍服も置く時が来るのだろうか。それとも、それを背負ったまま、死んでゆくのだろうか。
 限りなく後者に近く、それでも心の奥では前者に憧れ、それを望んでいる。
 ならば、この場に置いて「似合わない」に匹敵するほどの褒め言葉があろうか。いや、ない。

「速瀬中佐、宗像少佐」

 気がつくと、整備兵と話を終えた霞がこちらに向かってくるところだった。抑えたつもりだったが、笑い声を聞かれてしまったのだろうか。尤も、水月たちとてこそこそ隠れて見守っていたわけではない。
「どう? 社、実機の調子は」
「……悪くはないと思います。機動力も低いわけではありませんから」
 水月の問いに立ち止まった霞はSu-37の機体を見上げてそう答える。今回、複座型管制ユニットを利用するに当たって香月夕呼がアラスカから持ち込んだSu-37は、確かに重厚感溢れる機体だ。準第3世代機だが、纏った雰囲気は撃震にも似ている。
「鑑との連携も悪くなかった。明日は第5中隊(レギンレイヴ)と第8中隊(ランドグリーズ)を直援につけての訓練になるぞ」
「はい」
 美冴の言葉に霞は小さくも力強く頷く。美冴には社霞と鑑純夏の実機訓練監督も任せていた。管制は涼宮遙に一任してあるため、訓練環境としてはこの上ないだろう。

 すべては、1日も早く彼女たちを戦場に立たせるため。

 そう、水月もまたこの狂った世界を織り成す一役を担っている。否応なく、それを迫られている。だから、心の中で今の時世で認可されてしまった常識を嘆くことくらいは許してほしいと思う。

 戦いたくないと、死にたくないと願ってしまうことくらいは許してほしいと―――――――――――









 そう、思う。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第61話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2007/12/22 05:20


  第61話


 兵士が隊列を組み、滑走路に並ぶ。まるでモーゼによって分かたれた海のようにその中央は開けられ、そこを威風堂々と渡ってくるのは隊列を組む彼らと同じ国連軍の軍服に身を包んだ軍人。
 相対し、それを迎えるように不動のまま対峙するのも、同じように何れも国連軍の軍服に身を包んだ軍人。

 異なるのは、その成員の多くが日本人であるか欧州人であるかの差だ。

 2005年 6月30日。
 EU連合が主催する軍事式典を明日に控え、参加を表明した各方面勢力の部隊はこの日、次々とイギリス入りしている。主に国連軍部隊は同じ国連軍基地に、だ。
 式典参加に際し、欧州入りした日本人を中心とする一団の先頭を行くのはその実、その連隊の将を務める速瀬水月ではなく、その連隊を直轄戦力として支配する香月夕呼。
 対し、極東最大の女狐を“迎え撃つ”のは欧州最強の鷹 レナ・ケース・ヴィンセント。

 おかしい、と。
 レナの傍らで同様に夕呼と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)を迎える白銀武は素直にそう思った。あくまで歓迎である筈なのに、どうしてか雰囲気が一触即発なのだ。
 喩えるならば、竜虎相対す。
 どちらが竜でどちらが虎なのかなどという議論はこの際、どうでも良いことだが、少なくとも彼女たちが馴れ合いだけで終わる筈もない。武は香月夕呼の性格をよく知っているし、同じくらいレナ・ケース・ヴィンセントの性格も知っていた。

「遠路、お疲れ様です。香月博士」
 眼前で夕呼が歩を止めたところで、レナが口を開く。敬礼がないのは、夕呼のことを軍人と認可していないからか、それとも夕呼がそれを嫌っていると知っているからなのかは武にとっても定かではない。
「空の旅は窮屈ですわね。最近は日本を離れることもありませんでしたから、余計にそう思いましたわ」
 ふっと不敵に笑って、皮肉とも取れる言葉を返す夕呼。オルタネイティヴ第4計画の最高責任者である彼女が日本を離れるなど、確かにそうあることではない。そもそも、今回のような渡欧はそうあり得ない筈なのだ。
 何故ならば、彼女の暗殺を目論む者だって決していないわけではないのだから。
「ではしばらくお休みになられた方が良いでしょう。お部屋へ案内させます」
「ありがとうございます。お話は後で御伺いに参りますわ」
 穏やかに、そして不敵に笑い合う2人。出来ればさっさと解散して欲しいと願うのは決して自分だけではない筈だ、と武は思う。視線を横にずらせば、同じように夕呼の傍らに立つ速瀬水月が苦笑していた。

 今なら水月と楽しく盃を交わせそうだと、本気で武は思った。

「中尉、香月博士を御案内しろ。くれぐれも粗相のないように、な」
 レナは自身の秘書官にそう命じ、再び夕呼に視線をやった。そのまま、互いに無言で頷き合う。その表情はどちらも真剣なもので、先ほどのやり取りとは明らかに一線を画していた。
 やはり、夕呼がイギリスまでやってきたのは単に式典に関わることだけではないということだろう。

「速瀬、細かいことはあなたに任せるわ。たいしてすることはないと思うけど、明日の打ち合わせくらいはしておきなさい」
「は」

「白銀、彼らについては貴様に一任する。今更積もる話などないだろうが、明日の式典までの間、自由行動を許可する」
「分かりました」

 そうして、それぞれの腹心である水月と武の2人にこの場を任せる夕呼とレナ。詰まるところ、もっと内密な話をするために2人は場所を変えるつもりなのだろう。武としても2人の間を取り持つ必要がないのならばこの上ないことだ。
「やっぱり、副司令は式典なんて全然興味ないみたいね」
 レナ付きの秘書官に先導され、師団施設の方へ一足早く向かってゆく夕呼の背中を眺めつつ、水月がそう呟く。どうやら水月も今回、夕呼がイギリスまでわざわざ出向いた本当の理由は聞いていないらしい。それでも、式典などおおよそ無関係だろうと判断する辺り、長年夕呼の下で任務に従事してきただけのことはあった。
「寧ろ煩わしいなんて言う人ですよ、夕呼先生は。まぁ、何か別の目的があるんでしょうね」
「そっちの師団長が引っ張ったんじゃないの?」
「ヴィンセント准将も想定外だって言ってましたから、それはないんじゃないですか?」
 武が並んで相槌を打つと、水月が怪訝そうな顔つきで訊ね返してくる。確かに、彼女たちからすれば、レナの要請に夕呼が渋々欧州へとやってきたように見えるかもしれない。しかし、先日、香月夕呼渡欧の事実にレナも驚いていたことを武は知っている。
 呼んだ当人が驚くというのはおかしな話なので、その線は薄いだろう。

「何だ? 知りたいのか? 白銀」

 その言葉に、武は思わず背筋を伸ばす。いつの間にか、レナがすぐ隣にいた。この場を一任されたのでてっきり夕呼同様にこの場をあとにしたものだと思い込んでいたが、どうも彼女はまだこの場に留まっていたらしい。
 正直、武は油断していた。
「………あっと、もしかして准将は知っているんですか?」
「追って連絡は受けた。曲がりなりにもこちらは香月博士の身辺警護も務めなければならないからな、詳しい話はピアティフ中尉からも聞いている」
「俺、聞いてないっす」
「言う理由がなかった。それと、聞かれなかった」
 それとない武の抗議も、レナにはやんわりと躱される。それを言われては身も蓋もないのだが、軍人として遠回しに「Need to know」と言われているような気がしたので、武には返す言葉が本当に何もない。

「何、軽い世間話さ。“気が向けば、貴様にも話す”」

 ハッと鼻を鳴らし、不敵に笑ったレナはそう告げ、ようやく背を向けて歩き始める。その捨て台詞には、さしもの武も頬を引き攣らせた。
 何を馬鹿な、と。
 片や国連軍でも指折りの権力を握る極東の女狐、片や齢40を超えて現役の衛士である欧州国連軍第2師団を統べる欧州の鷹。
 その2人の会談が世間話で終わる筈がないことなど、馬鹿にだって理解出来る。

「白銀……あんた、欧州でも苦労してるわね」
「言わないでください」

 その一部始終を見守っていた水月の率直な感想に武は心の中で涙を流す。彼としては、極東で自分を苦労させてくれる人物の一角を担う彼女にそれを言われたくはなかった。
「おい、白銀。いつまでも項垂れてるんじゃない。この場を任されたのなら、ちゃんとしろ」
 いつまで経っても進展しない状況に業を煮やしたのか、宗像美冴がそう進言してくる。口振りは実に命令口調だったが、あくまで上官は武の方だ。よって、これは進言以外の何ものでもない。
「いや、任されたのは俺だけじゃなくて速瀬中佐も―――――――」
「あたし、今回はお客様」
「―――――――汚ぇ………」

 美冴に答えながら武がちらりと視線を水月に向けると、満面の笑みでそう答えられた。汚い、と。そう返すしか武には出来なかった。たとえそれが冗談だろうが本気だろうが。
「まったく……いつまで遊んでいるのですか? 速瀬中佐も、宗像少佐もあまり中佐をからかわないでください」
 恨めしげに水月と美冴を見やる武の背後に鬼の副長が立つ。前にいるのが2頭の虎なら、今、背後に回り込んできたのはまさに狼だ。
 武の背後に立つのはマリア・シス・シャルティーニ。彼女の登場に、水月と美冴は同時に敬礼の格好を取る。階級は確かに水月の方が上だが、軍歴はどうあってもマリアの方が長い。
 だからこそ、武を交えると奇妙な力関係が出来上がってしまうわけだが。
 2人の敬礼とほぼ同時にマリアも敬礼する。彼女も実に真面目な人間だ。美冴は同階級、水月は一階級上なのだから、彼女が大きな顔をする理由など1つもなかった。
「すみませんね、シャルティーニ少佐」
「いや……俺、まったく遊んでいるつもりないんだけど」
 美冴の謝罪に続き、武はやんわりと抗議する。マリアだって「からかう」という言葉を使った以上、完全に武が弄り倒されていたことくらい理解しているだろうに。
「やらなければならないことを二の次にしているようでは、そう捉えられても止む無しということです」
「やらなければならないことって―――――――――」

 何だよ、と武が訊ねるよりも早く、マリアのその襟首を引っ掴み、ぐいっと後ろに引っ張り倒した。体勢を崩しながらも辛うじて持ち堪えた武は、彼女のらしからぬ唐突な行動に思わず目を見張る。
 だが、それよりもマリアの口は早かった。

「この場は私にお任せください。白銀中佐はあちらの方々への対応をお願いします」

 そう言って、彼女がその手で指し示す方を向けば、そこに彼女たちはいた。

 今回、香月夕呼に随伴する形でリバプール入りした御剣冥夜、彩峰慧、珠瀬壬姫の戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ) 中隊長陣。
 そして、どこか不安そうな顔で一際縮こまっているように見える、白銀武最愛の女性。
 鑑純夏。

「………いいのか?」
「白銀中佐よりは私の方が師団本部の構造には詳しいですから。それに、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の方々ならうちの問題児たちよりは歓迎しますよ」
「同感だな。じゃあ、頼むわ」
 苦笑しながら頷き、武がそう言い返すとマリアは「はい」と首肯した。そのまま、少し武の耳元に口を寄せ、「ついでに、ですが、速瀬中佐と宗像少佐の話し相手もお任せください」と冗談めいた口調で囁いてくる。
 ほんの一瞬、呆気に取られた武だったが、すぐに可笑しそうに口元を緩めて「じゃあ、それも頼む」とマリアに一任する。
 それから、彼女たちに向かって武が足を踏み出すと、それを待っていたかのように冥夜が純夏の背中を軽く押した。

 お互い、向かい合って足を止める。手を伸ばせば簡単に触れられるし、抱き上げようと思えば簡単に出来る距離。日本を離れてまだ1ヶ月も経っていないというのに、すぐそばに彼女がいるということが、武はもう堪らなく嬉しかった。

 純夏がイギリスにやってくるかどうかは、正直武も予想しかねていたところがある。実用的なODLの浄化装置が完成しているとはいえ、夕呼としては自身の切り札の1つを進んで外に連れ出したいとは思わないだろう。反面、夕呼自身が日本を離れ、直轄戦力である戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)も全戦力が横浜基地を発つのだから、そこに純夏を残してゆくというのも考え難い。
 だから、彼女も来ると分かった時は飛び上がりそうなくらい彼は喜んだ。公然とはしゃがなかったのは、連隊長としての白銀武が、それを律していたからに過ぎない。

 だけど、実際に彼女が目の前にいるといないとでは、湧き立つ欲求がまるで違う。
 触れることの出来る、抱きしめることの出来る距離というのは、更に強力な欲を扇ぎ立てるのだ。

「………よく来たな、純夏」
 自分の中の黒いものもそうでないものもすべて1度、内側に押し込み、武は微笑む。名前を呼ぶと共にその髪を撫でると、彼女が持つ頭の触角がふにゃっと形を変えた。
「うん、来ちゃった♪」
 一瞬、驚いた彼女だったが、すぐにはにかんで嬉しそうにそう答える。武の手の平から開放された触角が跳ね上がり、再び上を向いた。その、聞き慣れない言葉に武は思わず面食らう。

 それは、正直反則だと思った。




 用意された客室の中を一通り確認してから香月夕呼はレナ・ケース・ヴィンセントの執務室へと向かった。これから2日間、彼女が寝泊りする一室は横浜基地のそれに比べて当然ながらその程度のセキュリティしかついていない。
 尤も、ここは欧州国連軍が誇る天下の第2師団本部。セキュリティレベルや機密レベルならば横浜基地の地下の方が余程高いが、防衛力ならば寧ろ上回るくらいだろう。
 ほんの数日滞在する場所としては文句の付けようもない。

「それでは、中でヴィンセント准将がお待ちです」

 ここまで案内役を引き受けてくれていたレナの秘書官が、そう言ってさっと脇に避ける。夕呼の目の前には、他の部屋とはやや違った雰囲気を持つ佇まいのドアが訪問者を待ち構えていた。
「あなたは入らないの?」
 不意に夕呼はそう訊ねる。秘書官ということは即ち右腕だ。傍らに控え、常に助手を務めることこそが仕事である。
「今回は許可されておりませんので。ここに留まり、人払いをさせていただきます」
「そう」
 なかなかの忠犬振りだと夕呼は内心、感心する。要するに、自分にとってはイリーナ・ピアティフの存在に等しいのだと、改めて理解した。彼女は相当、レナのことを信頼しており、レナから信頼されているのだろう。
 夕呼とて、ピアティフのことは信頼している。今回も留守中のことはすべて彼女の任せてきたくらいだ。ただし、向こうから自分がそこまで信用されているのかどうかは甚だ首を傾げるしかないが。
「それじゃあ、失礼するわ。ここまでありがとう」
「任務ですので」
 素っ気無い返答に軽く肩を竦ませながら夕呼は併設されたインターフォンを鳴らす。すると、すぐにそのドアは中から開かれた。ドアの前は常時、カメラで監視でもしているのだろう。流石に師団長室のセキュリティはそれなりに高い。

 しかし、室内に足を踏み入れた彼女はそこに広がった光景に思わず固唾を飲んだ。さしもの香月夕呼ですら、だ。

「お久し振り、ね。香月博士」
 最奥に位置するデスクに向かっているのはこの部屋の主 レナ・ケース・ヴィンセントだったが、夕呼にそう声をかけてきたのは彼女ではなかった。
 その手前の、来客用ソファーから立ち上がった、国連軍のものとは異なる真紅の軍服に身を包んだ中年の女性。
 朝霧叶だ。
「朝霧中将………何故、こちらに?」
 一瞬、言葉を詰まらせながらも夕呼はそう訊ねる。無論、夕呼だって今回の式典に斯衛軍が参加を表明したことも、その代表として朝霧叶と月詠真那が大隊を率いてリバプール入りしたことも知っている。
 しかし、帝国軍と斯衛軍が滞在するのは何れもEU連合の管轄にある基地だった筈であり、間違ってもこの欧州国連軍第2師団本部ではない。

 ならば、何故、朝霧がここにいるというのか。

「ヴィンセント准将に招かれただけよ。香月博士と伺う話の内容は同じでしょうね」
「博士がこちらにいらっしゃると聞いた次の日に、中将殿に申し伝えた次第です」

 ソファーに座り直し、出された紅茶に口をつけてから朝霧はあっけらかんとそう答える。それを補足するように、レナも言葉を述べた。承知は出来るが、納得出来るか微妙なところだ。
 ただ、夕呼とて斉御司灯夜を介してBETAの行動規範に関する推察を逸早く斯衛軍に伝えている。日本が誇るロイヤル・ガードを味方につけておきたいのは、極東の権力者も欧州の権力者も変わらないということだ。

 加え、共に白銀武を使う立場にある彼女たちにとって朝霧叶の存在は存外に大きい。

「何か飲まれますか? 博士」
「いただきますわ」
「それじゃあ、あたしが用意するわ」

 レナに問われ、夕呼は答えながら朝霧の向かいに座る。その返答に応じる形で、入れ替わるように朝霧が立ち上がる。彼女のその行動に夕呼は思わず「酷い状況だ」とため息を漏らしてしまった。
 自分が劣っているなどとは微塵も思っていないが、相手は何れも一回り近く上を行く軍人だ。自身が狐ならばレナ・ケース・ヴィンセントは鷹、朝霧叶はその実、更に上を行く鷲のようなものである。
 化かし合いなら分があるが、真っ向からぶつかってはその鉤爪の餌食になるだけだ。
 尤も、今は夕呼の領域である化かし合いの場ではあるが。

 夕呼の前に朝霧によって淹れられた紅茶が置かれる。斯衛の士官はあまりこういったものを飲まないと思っていたのだが、その手際は非常に良かった。
 夕呼がそれに「ありがとうございます」と礼を言えば、朝霧はにこりと笑っただけでそのまま向かいのソファーに座り直す。あの笑顔が一番怖いと思うのは、普段から腹の探り合いをしていることの副作用だろうか。

「………それでは、ヴィンセント准将。早速、お話を聞かせていただけませんかしら?」
 その紅茶を一口含んでから夕呼はレナに問う。
「その前に、事前情報を詳しく聞かせてもらっていい? あたし、まだBETAに関する情報としか聞いていないんだけど?」
「………こちらを」
 1度、夕呼の問いに答えかけたレナだったが、朝霧の言葉に自分の浅慮さを嘆くように首を横に振り、そう告げる。それと同時に夕呼の網膜にある映像が投影された。
「これは――――――――」
 朝霧にも同じものが投影されているのだろう。彼女が息を呑むのが分かる。

 それは、先月のH11制圧作戦の際に回収された白銀武機の映像記録だった。
 大小無数の触手を蠢かせる未知の存在と交戦する彼らを映し出した、映像記録。桜花作戦の中核を知る人物にとってはあまりにも、衝撃的な映像だ。
 今になって確認される、新たな敵の存在など。

「………成程、先日の香月博士から灯夜君が預かった書類の根拠は、ここにもあったってことね」
「その通りです。新種の個体は、何よりも桜花作戦の主旨を覆す存在ですので」
 表情を一変させ、朝霧は嘆息した。それを肯定し、夕呼は改めて未知の存在の危険性を示唆する。新型のBETAなど、最も考えたくないものだ。
「仮に、これを新種のBETA種とした場合、1つ訊ねてもいいかしらね?」
「どうぞ」

「こいつが桜花作戦以前に造られた個体であるという可能性は如何程に?」

 朝霧の問い返しに夕呼は表情を歪めた。その可能性は確かに否定出来ない。人類にとって、いったい何時から船団級が存在していたか定かではないように。要するに、BETAが使ってくる戦術と同じなのだ。
 新たな行動規範が現れた時、それが“本当に新しいもの”なのかどうかをまずは疑わなければならない。だが、それはこれまでの歴史を踏まえた上で、あまりにも悠長で楽観的な目測でもある。
「可能性は否定致しませんが、これをBETAと仮定した場合、明らかに今までとは異なる存在です。それに、3年間も潜伏していたというのもそれはそれで妙な話ではございませんか? 中将殿」
「………委細、承知致しました、ヴィンセント准将、香月博士。それでは、お話の続きを所望いたしましょう。ここからが本題でしょう?」
 強気のレナの言葉にははっきりと応えず、朝霧は小さく首肯した。いや、今の行動と言葉自体が、レナに対する答えだったのだろう。

 そのような楽観的な推測をするつもりはこちらも毛頭ない、という。

「この度、回収されたこの死骸についての分析報告書がアメリカに先んじて纏められました。まず、体躯の構成物質ですが、BETA種同様、炭素系生命であるということが判明しております。この結果を受け、国連は非公開ながらこれを新種のBETAと暫定」
「BETA種と断定するに、判断材料はそれしかありませんわ」
 レナの言に夕呼は反論する。
 そもそも、他のBETA種すら炭素系生命であるということ以外の特徴は何も一致しない。精々、重光線級と光線級のレーザー照射の構造が同じであるくらいだ。
 結局、カテゴライズは人間が行う以外にない。世間が赤と言えば赤、青と言えば青。あれを国連がBETAと認めれば、それはBETAになる。
「全高約45m、最大触手の有用範囲は約100m……要塞級の触手よりも遥かに長いのね。触手の再生機構を有し、今回の遭遇戦では4秒もあれば完全再生してみせている……か。成程、BETAにしては呆れるほどの高性能振りだわ」
 網膜に投影される資料内容に朝霧が再び嘆くような息を吐いた。
 そう、高性能なのだ、この個体は。本来、BETAはその物量こそが脅威であり、その物量あってレーザー属の恐ろしさが際立ってくる。それは連中が広大な土地から資源を採掘するに当たっても、必要なものなのだろう。

 少なくとも、このような性能を個体に付与するとなると、確実な量産体制が整っていなければ実用的ではない。しかし、遭遇が事実上の2回とあってはそれが整っているとは到底思えなかった。

「朝霧中将の目から見て、どう思われますか?」
「物量で押されれば厳しいでしょうね。あとは、武君たちの遭遇戦が良い例だけれど、閉所空間での戦闘は嬉しくない。でも、触手の耐久性が低い分、支援砲撃の効果が挙がっている間はそう脅威にはならないと思う」
 夕呼が問いかければ、面白味に欠ける返答をする朝霧。支援砲撃がある間はそう脅威でないのは他のBETAも同じことだ。結局のところ、桜花作戦以前の作戦で8割方負けているのは、戦術機も支援部隊も補給速度が最終的に追いつかないからである。
「それは他のBETAにも通ずると思いますが?」
 夕呼がそう考えていると、レナがずばり口にした。階級と年齢、立場が近い分、そこに遠慮がない。

「でもこいつ、前衛に来たら後ろからレーザー属がまったく撃てないでしょ?」

「え―――――――――――」
 それに応じた朝霧の言葉に、夕呼は一瞬、言葉を失う。何故、ここまでの資料で彼女はそう判断するのだろうか。H11でもH26でも、レーザー属はおろか他のBETAとあれは一切連携していない筈である。
「全高45mじゃ重光線級よりも更に大きい。その上、触手の稼動範囲が大き過ぎるでしょう? 自由自在に操っているならともかく、映像を見る限り、触手はほとんど振り回しているようなものだもの。後ろからレーザー照射されたら、あっという間に丸坊主になっちゃうんじゃないかしら?」
 朝霧はそう言って、「もちろん、レーザー属が同士討ちをしないっていうのと、こいつがBETAであるっていうのを前提にした話だけれど」と最後に付け足した。
 確かに、以前夕呼が改めて武に詳細を聞いた時、彼は「触手自体は使いこなせていないように感じた」と漏らしていたが、そこから今の推論に行き着くのは大胆過ぎる。だがしかし、如何に高精度のレーザーを放つレーザー属といえど、あの触手の壁を縫うのはほぼ不可能であろう。

 確かに撃てない。
 あれをBETAと仮定し、レーザー属が同士討ちをしないという行動規範を不変と仮定した場合、恐らくだが、BETAは後ろからレーザー属を使えない。
 耐久性を考えれば、突撃級や要塞級の方が余程、壁としての機能を果たすだろう。
 言わば、中途半端なのだ。この未知の敵は、高性能であるが故に特徴がどれも中途半端に終わっている。

「でも、どうあってもBETAの戦術に幅が広がるから、諸手を挙げて喜ぶようなことではないけれど、ね」

 顔をしかめ、朝霧は呟くように締め括る。結局、敵の種類が増えることに変わりはないのだから、余程のことがない限り人類にとってプラスにはなり得ない。それだけは、間違いないということだ。

「それよりもあたしは、香月博士に伺いたいわ」
「何でしょう? お答え出来ることならば答えますわ」

 物怖じすることなく夕呼は答える。知っていても答えられないことだってあるが、答えて都合の悪くないもの程度ならば、明かしても構うまい。先述したように、狐が鷲を上回るには口先で勝るほかないのだから。

「もし、こいつをBETA種と仮定して、BETAに新たな行動規範が造られていると仮定した場合、まず我々が成すべきことはいったい何です?」
「言うまでもありませんわ。新たな行動規範を生み出している存在を特定し、それを排除することです。それをしなければ、人類に明日はないでしょう」
 即座に答える夕呼の言葉に、朝霧の双眸が光る。睨んでいるわけでもなければ、夕呼を値踏みしているような瞳でもない。ただ、純粋にその言葉を脳内で反芻し、その意味を思案しているような表情だ。



 そして数秒の後、朝霧叶は夕呼の言葉から導き出した1つの解答を口にする。



「つまりそれは、再び桜花作戦に打って出ると、そういうことで宜しいのですか?」



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第62話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:872a4251
Date: 2007/12/26 21:47


  第62話


 続く7月1日。
 イギリスの首都リバプールは、まさに喧騒に包まれている。今回催される軍事式典は当然、世界中でも広く知れ渡っており、リバプール市民の多くは公開される各国の戦術機やハイヴ制圧を果たした英雄部隊の隊員をその目で見ようと、郊外の演習場や中央公会堂へと足を向けていた。
 交通渋滞を防止するために街の至るところからEU連合によって手配された車輌が主要施設に向かって逐一出ているため、大きな混乱も見られてはいない。
 元よりリバプールの人口も最盛期に比べて大きく下回っている上、世界中から観光客が押しかけることもないという世界情勢が、大規模な式典を円滑に進ませているのだ。
 南の要塞都市バーミンガムではEU連合と欧州国連軍を主軸とした戦術機によるエキシビジョンマッチが行われ、その模様も常時中継されるなど、熱の入れようも生半可なものではない。

「あー……中佐の恋人、見たかったなぁ」
 そんなイギリス中央が熱に浮かされている最中、第27機甲連隊がホームとするプレストンの駐屯地には、一際気の抜けた衛士がいた。
 その者の名はエレーヌ・ノーデンス。
 結局、式典参加のためリバプールへ赴いたのは白銀武率いる271戦術機甲中隊(セイバーズ)のみで、他の中隊はプレストンに居残りとなった。そのために、エレーヌは鑑純夏の姿をその目で確認することが出来ず、不満を漏らしているのである。
「式典が終わればみんなこっちに来ますから、そのくらいは待ちましょうよ」
 不満を漏らしつつものんびりと頬杖をつきながら、PXで中継を眺めているエレーヌをなだめるのは彼女の同僚でもなく部下でもない涼宮茜だった。
 茜は正直、どうして自分が彼女の話し相手を務めているのだろうと終始、心の中では首を捻っているのだが、エレーヌの方はどこ吹く風である。

 今回、式典参加並びに香月夕呼の護衛としてリバプールに入ったのは速瀬水月、宗像美冴、御剣冥夜、彩峰慧、珠瀬壬姫とそれぞれが率いる各中隊衛士だけである。
 残る風間祷子、榊千鶴、鎧衣美琴、柏木晴子、そして涼宮茜と涼宮遙の6名及び各隊が滞在しているのは、第27機甲連隊のホームであるプレストンだった。名目は、社霞並びに複座型仕様のSu-37の守備である。
 何故、今回このようなものをイギリスに持ち込んだのか、まだ詳しい説明は受けていないが、おおよそ茜にも予想はつく。
 恐らく、香月夕呼は式典終了後に第27機甲連隊……いや、第2師団の戦力も借りて1度西側からユーラシアに上陸してみるつもりなのだろう。無論、上陸するのは彼女ではなくて茜たちだが。

「いや、待てない。それで、そのカガミさんってどんな人?」
「ええ!? そんなこといきなり訊かれても……」
 傍若無人という言葉が似合いそうなエレーヌの言に茜は狼狽する。そんなざっくりとした質問をされても、どう答えれば良いのかまったく分からない。そもそも、鑑純夏のことをまったく知らない相手に口頭で説明するのはあまりにも難易度が高過ぎた。
「じゃあ、たとえば、カガミさんを一言で言うと、とか」
「鑑を一言で言うと?」
 少しだけ回答の幅を狭めてきたエレーヌに、茜はむぅと眉間に皺を寄せながら改めて鑑純夏という人物について考えてみる。だが生憎、茜は彼女のことを昔から知っているわけではない。言及するとなれば自ずと外見的特徴に傾注されてしまう。

「触角……かなぁ」

 脳内で笑う純夏の頭から飛び出た1本の髪の毛がぴょこんと動く。彼女を形容するのにこれ以上の表現はない。あるとすれば、あの長い髪を束ねた規格外のリボンくらいだろうか。
「触角? ああ、これのこと?」
 エレーヌは一瞬、ポカンと呆けた後、納得したように茜の髪の毛を摘み上げた。ヘアバンドに逆らい、1本だけ自己主張している茜の髪の毛だ。
「なっ……何してるんですか!?」
「触角って要はこれのことでしょ? はっはーん……とりあえずこういうのがついてる人だっていうのは分かった」
 ふにふにと指先で茜の髪の毛を捏ね上げるエレーヌ。出来れば解放してほしいのだが、無理に身体を引いても痛いのは自分だ。だから、茜にはエレーヌの手が緩む機会を待つしかない。申し立てても聞き入れてくれそうにない人だというのは、短い付き合いの中でもよく分かっていた。
「これって癖毛の一種? どういう構造なのかずっと気になってたんだよね」
「え? あー……よく分からないですけど……」
 早く解放してほしいと何よりも思っていたため、茜の返答は実におざなりだ。ただ、真面目に答えても碌なことは言えそうもないと自覚している。
 そうこうしているうちに、エレーヌはついに茜の髪の毛をその指先でくるくると巻き始めた。それは拙い、と茜は焦る。このままでは世にも不思議なロールした触角が完成してしまう。
 だが、茜の心配を他所にエレーヌは一巻きしてからあっさりと髪の毛から手を離す。
「これってどの辺りから触角って言えるんだろうね?」
「さぁ………?」
 正直、考えたこともないというのが茜の感想である。どこからが触角で、どこからが触角でないなどという議論は、激しくどうでも良い。たとえ自分がそれを持っていようとも、だ。
「そっちの少佐殿についているのは? 触角?」
「少佐殿って……もしかしてお姉ちゃんのことですか?」
 エレーヌの問いかけに茜はそう訊ね返す。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)にいる少佐は茜にとって姉の涼宮遙と、今はリバプールにいる宗像美冴だけだ。どう思い返しても、美冴には触角と呼べるような飛び出た髪の毛などなかった筈である。
「ああ、そういえばお姉さんなんだっけ? で、どうなの? 涼宮少佐の頭から出てるのは触角? それとも別のもの?」
「ど……どうだろう? 触角……かなぁ?」
 姉の頭から控えめに出ている2本の髪の毛は果たして触角と呼べるのかどうか、茜はどうしてか今、その選択を迫られている。そもそも、選択肢が「触角か別のものか」というのは如何なものだろうか。

「茜? どうしたの?」

 茜がうんうん唸っていると、後ろからまさに当人がやってきた。話の過程を聞いていたわけではないのか、茜の姉 涼宮遙はほんの少し首を傾げている。
「う……ううん、何でもないよ、お姉ちゃん」
 困惑気味に茜は首を横に振る。まさか本人に「それは触角なの?」と訊ねられる筈がない。姉妹という間柄でも、それは憚られる。

 しかし、向かいに座っている人物はまさにその質問をついさっき茜に投げかけてきた人物だ。彼女には恐らく間柄など関係ないだろう。せめて、階級という力関係で遠慮してくれることを祈るだけである。

「涼宮少佐! 質問があります!」

 茜がそう祈りを捧げるよりも早くエレーヌが立ち上がって敬礼の格好を取りながらそう言った。
 ああ、失念していた。彼女は何と言っても白銀武の部下なのだ。まともな反応など期待するだけ無駄な行為である。
「え? 何でしょうか? 大尉」
 更に首を傾げながらも、そう訊ね返す姉。彼女の口調が丁寧なのは、何もエレーヌが年上の士官だからではない。涼宮遙は、あれが通常なのである。

「その頭部から生えているのは触角―――――――」
「抜けたことを訊くな! ノーデンス!」

 触角の単語を遮るように、このPXにいる最年長の男性が豪快に手刀をエレーヌに背後から浴びせかけた。275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)のレイド・クラインバーグである。スコーンという擬音が聞こえてきそうなくらい、見事な一撃だった。
 流石は先任。容赦がない。
「――――――――――――――っ!! なっ………何するんですか!? クライン大尉!」
「それはこっちの台詞だ、馬鹿者! 様子を見ていれば逐一愚かなことを!」
 叩かれたエレーヌは両手で頭を押さえながら涙目でレイドに抗議する。だが、レイドも引き下がらない。元より、彼がしたように鉄拳制裁でも敢行しなければ彼女は止められないのだろう。
 そもそも、逐一様子を見ていたのならばもっと早い段階で止めてほしかったと茜は若干の不満を抱える。大方、話が上官の遙にまで及ぼうとしていたため慌てて止めに入ったに違いない。ある意味では実に軍人らしい。
「行くぞ、ノーデンス。中佐と少佐が不在だからといって暇を持て余していては、中隊長の肩書きに傷がつく」
「うっ……それを言われると痛いです。分かりました、分かりましたよ」
 来いと親指で指し示すレイドに、やや渋々といった感じながらエレーヌが座り直した椅子から立ち上がる。何か中隊長としての仕事をしにいくのだろう。
「じゃあ、失礼するね、涼宮大尉。涼宮少佐もすみません」
 やや軽い口調で茜にそう告げてから、エレーヌは遙に頭を下げる。そしてレイドと同時に敬礼をしてから、足早にPXを出ていった。まさに台風一過だ。

「………何だったのかな?」
「さ……さぁ、あんまり気にしない方がいいと思うよ」

 あっという間の出来事に驚き、再び大きく首を傾げる姉に茜は頬を引き攣らせながら軽く助言を述べる。目を合わせると事の意味を追及されそうで、自ずと視線は逸らせる形になった。
「茜! そろそろ式典の本中継始まりそうよ!」
 そこに、別の場所で同僚と歓談しながらテレビを見ていた榊千鶴が声をかけてきてくれた。やはり持つべきものは親友だ。このタイミングで何て良い助け舟を出してくれるのだろう。
「あ、うん! 分かった! ほら、お姉ちゃん! 行こっ!」
「そうだね」
 千鶴に答え、遙を促せば、にこっとした笑顔が返ってくる。良かった、話題はもう完全に逸れたようだ。そう茜は安堵しつつ、席を立って姉と共に親友のところへ向かう。
 歩きながら、茜はふと考える。
 第27機甲連隊とは、何て自由過ぎる部隊なのだろうか、と。




「礼服って慣れないな」
 普段纏っている軍服より装飾豊かな制服に身を包んだ武は、ため息をつくようにそう漏らす。常時、着用しないことからサイズ自体は合っていても、微妙に身体にフィットしていない点も慣れない原因の1つだが、何よりも醸し出す厳格さが武を敬遠させる。
 本来なら、普段着ている軍服の上着だって彼は脱いでいたいくらいなのだ。
「我らにとってはこういった式典よりも慰霊祭の方が着る機会としては多い。そう思えば、慣れたいものでもないであろう」
 武の呟きを聞いていたのか、近くにいた御剣冥夜がそう返してきた。同意されているのか諭されているのか、いまいち判断のつかない応答であるが、武としてもそこに示すような反意はない。
 礼服が漂わせる厳格さは、そこに戦没者を悼み、英霊を称える雰囲気があるからだ。その行為自体は尊いものだが、出来ることならば経験を積み重ねたくない。

 武たちが訪れているのは、リバプールにある最も大きな公会堂だ。ここで行われる、偉い人による高説を飾り付ける役割を任されている。何とも気の進まない話ではあるが。
 とはいえ、武や冥夜は一応、主賓の扱いである。いつもであれば客席に設置される関係者席から眺めているだけなのだが、今回に限っては壇上に用意された席に着かなければならない。
 正直、それに何か意味があるのだろうか、といったところだが、上官のレナ・ケース・ヴィンセントが言うには「そこにいて、名札を掲げているだけで良い。それが今の貴様のネームバリューだ」とのことだ。
 まったく自覚はないが、座っているだけで良いというならば、演説しろと言われるよりは何倍も気が楽なので善しとしておく。

「ま、早く終わることだけを祈ってるよ」
「講演が早く終わったところで、そなたの場合は別の仕事が増えるだけであろう。もしかすれば、中隊ごと演習場に引っ張られるかもしれぬぞ?」
「………長引くことを祈ろう」
 不敵に笑う冥夜の言葉に、武は即座に自分の意見を覆す。ここから郊外の軍事演習場に急行しろと言われるのは流石にご容赦願いたいところである。
 彼のその身のこなし振りに、冥夜は何故か笑っている。何が可笑しいというのだろうか、と武は内心、面白くない。

「白銀中佐!」

 やっぱり誰か代わってくれないかなぁ、とこの期に及んで尚、考えている武の名を誰かが呼ぶ。思わず首を捻って、声のした方を見ると同じように礼服に身を包んだ女性が駆けてくるところだった。
 ただし、彼女が纏っているのは国連のものではなく、米軍のそれである。
「………ああ、ナナセ中尉、か。久し振り」
「は。お久し振りです」
 一瞬、米軍に知り合いなどいたかな、と考えてしまったが、先月の強烈な邂逅を思い出して武は挨拶を述べた。そう、米軍の522戦術機甲中隊の副長 リン・ナナセである。
 如何せん、強烈だったのは彼女の上官の方であったため、“正真正銘の初対面”だったリンのことは思い出すのに時間がかかってしまった。
 そんなことを気付いているのかいないのか、リンは武の前で足を止め、ビシッと敬礼を決めてみせる。
「タケル、この者は?」
「米軍のリン・ナナセ中尉。アラスカで委員長たちが世話になったってさ。ナナセ中尉、こっちは委員長たちと同じ連隊の御剣冥夜大尉だ」
「初めまして、リン・ナナセ中尉であります」
「……ああ、榊たちが言っていたのはそなたたちのことか」
 武が述べる紹介に、合点がいったというように冥夜は相槌を打つ。どうやら冥夜も千鶴たちから話は聞いていたようで、米国軍人の登場によって走っていた緊張がにわかに緩んでゆく。
「とんでもないです! お世話になっていたのは私たちの方で、榊大尉や鎧衣大尉、柏木大尉には迷惑をおかけしました」
「別に謙遜しなくていいんじゃないか。委員長がそう言ってたのは事実だし、委員長も美琴も思ってもいないようなことは言えない人間だから。柏木は知らんが」
 両手を突き出してぶんぶんと大きく首を横に振るリンに武はそう答える。あの通り、榊千鶴は真面目で嘘などつけない性格だし、鎧衣美琴はついてもすぐばれる性格だ。その2人が口を揃えてリンのことを褒めていたのだから、それだけ評価しているということなのだろう。
「そっちも壇上の方なのか?」
「はい。EU連合からそう通達がありましたので」
 武が問えばリンはすぐに頷く。当然のことと言えば当然のことかもしれない。聞くところによれば、どうやら彼女たちの隊はH26制圧作戦において反応炉まで到達した部隊の1つだというのだから。

 つまり、それはきっと武たち同様、“あれ”に遭遇したということに他ならないのだろうが。

「で、剛田は? まさか副隊長だけ出席なんてことはないだろ?」
「そうなんですけど……少し目を離した隙にいなくなっちゃったんです」
 周囲を見回し、いつも彼女と一緒にいる男が見当たらないことを訊ねると、リンは同じように辺りを見回しながら困ったように答えた。
「だが、開式までもうそう時間もないぞ」
「つーか、あいつ子供かよ」
 時計を見て時刻を確認する冥夜は、そろそろ入場の準備をしなければならないと示唆する。この世界の剛田城二は恐らくそこまで馬鹿ではないと思うので、まさかこのまま雲隠れしているとは思えないが、目を離した隙にいなくなるとは呆れるしかない。
「ギリギリまで捜してみます。御歓談のところ、失礼しました」
「おう。見かけたらこっちからも声かけとくよ」
「ありがとうございます」
 出来れば関わりたくないのだが、とは決して口に出さず武はそう告げる。それにリンはお礼の言葉と共に敬礼を示し、来たときと同じように足早に立ち去っていった。
「彼らもハイヴ制圧部隊……か。確か、搭乗機はF-22Aだと聞いているが……」
「ああ。中隊長のセンスは頭一個抜けてるな。もしかしたら、ネジも一本抜けているかもしれないけど」
 冥夜の呟きに答え、武は頷く。少なくとも、1度だけ見た彼らの戦闘場面は驚嘆に値するものだった。特に、ジョージ・ゴウダの能力は武の目から見ても尋常ではない。
 生憎、クラスメイトだった剛田城二とはまったく違う意味ながらも、頭のネジが緩んでいるか、なくなっているような性格でもある。
「やはり、XM3がなくとも性能の高い戦術機は成果を挙げられるということか」
「まあ……F-22Aに限らず向こうの部隊は一時的な制圧力が最高峰だからなぁ」
「我々にとっても他人事ではないが、兵站の確保は重要ということだ」
 腕を組み、思案顔になった冥夜に武は苦笑する。大方、自分ならばどのように戦術を組み立てるのか考えているのだろう。
 米軍のスタイルはあくまで射撃戦だ。一般的な装備が、日本で俗に強襲掃討と呼ばれるようなライフルを4挺携行した装備である。その場合、出撃から最初の補給がなされるまでの間、圧巻とも表現出来る制圧力を発揮する。

「F-22Aか……あまり良い思い出はない機体だな」

 そんな武と冥夜の会話を聞いていたのか、すぐ近くで嘆息気味にそう呟く人物があった。聞き覚えのあり過ぎるその声に武が首を回すと、白の軍服を着た部下を1名連れた紅の士官がそこに立っている。
「月詠少佐」
 武と冥夜が彼女の名を呼ぶのはほぼ同時だ。
「ご無沙汰しております、白銀中佐。それに、御剣大尉も」
 ふっと口元を不敵に吊り上げながら月詠真那は敬礼し、丁寧な言葉遣いで挨拶する。冥夜に対するものならばいざ知らず、武に向けられる彼女の敬語など基本的には皮肉以外の何物でもない。
「は。こちらこそ、ご挨拶が遅れ、申し訳ありません」
 武よりも一呼吸早く、冥夜は敬礼の格好を取ってそう答え返す。この2人も、実に難しい力関係だ。元々は国連軍に入隊した冥夜の警護を命ぜられていた彼女だが、その忠心自体は本物だった。だが、冥夜が正規兵として任官してからはお互いにその関係を軍人としてのもののみに絞り、付き合ってきている。

 その体は、月詠よりも寧ろ冥夜に強い。訓練兵時代は自身を一兵と称しながらも彼女を月詠と呼び捨てていた冥夜が任官以降そうしているのは、きっと彼女のけじめなのだろう。
 彼女はきっと、自身が退役するその時までその立場を維持するに違いない。

「構わん。本日の主賓は貴官たちであろう? こちらから出向く礼はあっても、出向かれる礼はない」
「ありがとうございます」
 武に見せた不敵な笑みとは異なり、実に穏やかな笑みを浮かべて冥夜に応じる月詠。せめてその半分くらいは自分に向けてくれまいか、と武は思うがそれも高い望みだ。

 生憎と、白銀武は彼女たちにとって依然、“死人”のままなのだから。

「彩峰大尉と珠瀬大尉は客席の方なのか?」
「はい。此度は宗像少佐に伴う形で私が壇上に上がらせていただく運びになりました故」
「ならば私も下から貴官の晴れ姿を見守るとしよう」

 本人たちにとっては話が弾んでいるのだろう。武にとっては些か首を傾げるしかないやり取りだが、自分がすっかりのけ者にされているのだから、きっと話は弾んでいる。
「………神代大尉」
「何だ?」
 さてどうしたものか、と思案した武は止む無くもう1人、会話に参加していない人物に声をかけることにした。月詠に随伴した神代巽である。
「巴大尉と戎大尉は?」
「既に会場内の席に行っている。私も月詠少佐もこの後、2人と合流する予定だ」
「ははぁ」
 神代の返答に武はようやく納得する。大隊でここに赴いた筈の彼女たちがどうして2人でエントランス付近をうろついているのか、少し疑問だったのだが、どうも月詠はその実、冥夜の様子を確認しにきたようだ。
 尤も、その方がずっと月詠らしい。

「神代、公然では目上の方に相応の礼儀を示せ。斯衛の沽券に関わる」

 こちらの話など聞いていないであろうと思えば、やや鋭い視線で月詠は神代を一瞥し、叱責する。向けられていないとはいえ、武から見ても相当恐ろしい眼光だった。
「は……は! 申し訳ありません!」
「謝罪する相手が異なるであろう?」
 びくりと身を竦ませ、声高に謝罪の返答を述べる神代。だが、月詠の言は鋭く、容赦がない。
「も……申し訳ありません、白銀中佐」
「は? あー……いや、気にしてないんで」
 月詠に促され、神代は武に向き直って改めて謝罪の言葉を述べる。まさかそんな流れに直結すると思っていなかった武は困惑気味に身振り手振りで「大丈夫」という意志を示した。

 その時、そこにまた新たな第三者がやってくる。

「白銀中佐、やはり我々は先頭で入場するようです」
 足早に駆け寄ってくるのは武にとって頼れる副長 マリア・シス・シャルティーニだ。武につく形で壇上に上がる彼女もまた、同様に装飾のある礼服を纏っていた。
「げ……先頭かよ……。ますます気が重い」
「英雄部隊の筆頭とあらば致し方ないでしょう? 白銀中佐」
 マリアの報告に武が頭を抱えると、月詠がからかうような口調で丁寧に言い返す。英雄などと、そんな大それたこともしていなければ、讃えられるようなこともしていない。
 ただ、払う犠牲を払って反応路に到達し、それを破壊したに過ぎないのだ。
「そろそろ時間になります。急ぎましょう」
「まあ……先頭じゃ仕方ねーか」
 マリアの促しに武は肩を竦ませて答える。今更自分がああだこうだと反意を示したところで、順番など覆る筈もない。
「タケル、私も宗像少佐と合流する。くれぐれもそのような沈んだ顔で入場するのではないぞ?」
 開式の時刻が近いことで、冥夜も共に入場する美冴と合流しなければならない。その旨を武に伝えると同時に、叱咤激励してきた。これでも武だって連隊を任される身である。そのような暗雲たる雰囲気を纏ったまま出る筈もない。
「分かってるって。じゃ、先に行ってる」
「月詠少佐、神代大尉、御剣大尉、失礼致します」
 冗談めいた冥夜にそう答えるのが早いが、それでも武はもう彼女たちに背を向けて歩き始めている。マリアも3人にそう告げ、武のあとを追ってきた。その際にマリアが小さくため息を漏らしたことは、武とて知る由もない。

「しかし、結成からわずか3ヶ月で英雄部隊にまで祀り上げられるとは、正直、思ってもみませんでしたね」
「寧ろ、最初からヴィンセント准将あたりはそのつもりだったんじゃないかって思えるけどな。まあ、英雄なんてのは祀り上げてくれる人がいるからこそあるもんだ。煩わしくても、ありがたく貰っておこう」
 すぐ後ろで苦笑気味に漏らすマリアに、足早に歩きながら武はそう答える。今回、自分たちはそうであるし、また逆に祀り上げられる具体的な対象がなかった例こそ桜花作戦だっただろう。
 それに、誰かを英雄と讃える余裕が人類にあるということもまた、悪い話ではない。
「そうですね。これでいろいろを動き易くなれば――――――――」
 相槌を打ったマリアが不意に言葉を飲み込み、さっと武の前に身体を割り込ませる。
「マリア?」

 式典会場入り口の前に、礼服を着込んだEU連合の士官が立っていた。
 「誰だ、あれ?」と一瞬考え込んだ武だったが、その襟首についた大佐の階級章と暑苦しいゴリラ面をしばし凝視し、「ああ!」と思わず声を上げる。
 随分前、H12を制圧した際の慰霊祭で武に絡んできたEU連合の大佐殿だった。

「………………」
 武とマリアを交互に一瞥してから、彼は仏頂面のまま敬礼の格好を取る。
「………シャルティーニ少佐、退き給え」
 前回とは露骨に違う相手の出方に武はふむと頷いてから、マリアに退くよう命じる。敢えて姓名に階級をつけて呼び、口調も堅苦しくしたのはそれなりの体裁を整えるためと、何よりもそれが絶対的な命令であるということをマリアに示すためだ。
「……は」
 マリアもそれはよく理解している。そもそも、そんな言葉遣いなどせずとも、彼女は武の言葉に従うだろう。それでも、絶対に口を挟ませないために武は上官として部下にそう言った。
「お久し振りです、大佐殿。確か、最後にお会いしたのは前回の式典の時だったと記憶しておりますが」
「ふん……相変わらず口先だけは調子がいいな、シロガネ」
「生憎、腕っ節だけで太刀打ち出来るような上官に恵まれなかったもので。止む無く口先も回るようになりましたよ」
 流石にこんな口調で毎日生きているわけではないが、まったくの虚言というわけでもない。少なくとも、香月夕呼に伊隅みちる、宗像美冴、そして神宮司まりもはそういう相手だった。
 唯一、速瀬水月だけはもしかしたら腕っ節だけでどうにかなったかもしれないが、やはり分が悪いので口先で対抗することにしている。
「それで、何か御用でしょうか? 我々も今は急いでおりますので、今は失礼させていただきたく思うのですが」
「ふん」
 武が遠回しに先に行かせてくれと言えば、彼は鼻を鳴らしながらもすんなりと道を開ける。あまりにも素直だったので「おや?」と武は目を見張るが、特に何か言い返すわけではない。せっかく、相手が無条件でどいてくれたのだから、それを自分から拗れさせては連隊長の名が泣く。
「それでは、失礼致します」
 一礼し、武はマリアを連れて彼の横をすり抜けるように歩を進めた。

「ベオグラードの奪還……感謝する」

 すれ違い様、仏頂面の男がそう言った。その言葉に武が驚いて振り返ると、件の大佐殿は既に背を向けて歩き始めており、それも徐々に遠ざかってゆくところだ。
「…………あいつ、ベオグラードが故郷だったりしたのかな?」
「かもしれませんね。余程、自分の手で取り戻せなかったことが悔しかったのでしょう」
「悔しかった?」
 「礼まで言っているのに?」と武が続けて口にするよりも早く、マリアは笑ってそっと人差し指で指し示す。その指先が指す方向を見れば、立ち去る男の背中が見えた。
「謝辞を述べる人間はあんなに背中を丸めませんよ。それに、わざわざ中佐へ言いにくるあたりも、自身を奮い立たせるため、というのが隠れた本心でしょう」
「………そんなもんかなぁ?」
「そんなものですよ。良いではありませんか、嫌味を言われなかっただけ、認められたということです」
 尤も、フェイズ5ハイヴを踏破した中佐を未だ認められないようでは、軍人はおろか人間としても程度が知れていますが。マリアは笑って、小声でそう付け足す。
 そもそも、この年齢で中佐の階級にある武の方が特殊なのだ。以前の彼の嫌味だって、決して人間として外れた行為ではない。ならば、今回のように武をある程度まで認めた発言を取ることだって、それほど驚くようなことではないのだろう。
「さ、急ぎましょう。中佐のご入場を誰もが待ち望んでいますよ」
「…………やっぱり帰ろうかな」
 ふふっと笑って武の背中を押すマリア。その、やや冗談めいた言葉に武は大きなため息を漏らし、割と本気でそう呟いた。




「あなたは行かなくていいの?」
 香月夕呼は第2師団本部に用意された自室から出たところにいた人物にそう問いかけた。彼女 鑑純夏はその質問に一瞬、驚いたような顔をしてから、苦笑気味に首を横に振る。
「博士の傍にいた方が、都合はいいですよね?」
「言うまでもないわね」
 純夏の返答に、夕呼は軽く肩を竦ませる。
 本日、市内で開催されている軍事式典には多くの軍人が参加している。この第2師団本部のスタッフも手の空いた者が外出しており、まさに必要人数が残っているだけだ。
 戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)からも宗像美冴、御剣冥夜、彩峰慧、珠瀬壬姫の4人とその部下が出向いており、残っているのは夕呼の護衛として待機している速瀬水月とその指揮下にある第1中隊(スクルド)のみである。
「まあ、行ってもまともに見れないでしょうね」
「そうですね。だから、大人しくお留守番してます」
「そう」
 取りようによっては健気とも言えような純夏の言葉に、夕呼は短く答える。
 何故、彼女はこうも普通でいられるのだろう。バッフワイト素子を編み込んだリボンによって、00ユニットである彼女でも夕呼をリーディングすることは出来ない。だが、少なくとも純夏は、夕呼が自分をどのような“モノ”として扱っているのか分かっている筈だ。

 自分でやっておいて何だが、もし夕呼自身が彼女の立場にあれば、恐らく我慢ならない。その感情が外側に向かうか内側に向かうかは定かでないが、間違いなく正常な思考でなどはいられないだろう。

 本当に、白銀武はよくやってくれる。

 彼自身が00ユニットの居場所となれるように仕組んだ筈が、気が付けば彼は、その居場所自体を別のところにまで作り上げてしまった。
 最悪、白銀武がいなくなっても00ユニットはその自我を保つだろう。世界と、そこにある居場所の存在によって保たせられるだろう。
 ならば、夕呼はこれより00ユニットの存在を最大限に活かせる策を模索しなければならない。それも、桜花作戦のような捨石としてではなく、磨り減ってしまうほどに何度も何度も利用する手段だ。

 これは、命を弄ぶと言うのだろうか。

 生体反応0 生物的根拠0。
 彼女を00ユニットと定義付けた時、自分は白銀武にそう言った。だから、そこにいるのは人間でなければそもそも、生物ですらない。
 それに、他人から見れば自分は昔からもう命を弄んでいるのだろう。香月夕呼という人間の発言は、それだけ、他人の運命を翻弄し、狂わし得る。
 まったく反吐が出る。それだけの命を犠牲にしてきた自分に、ではなく、それだけの命を犠牲にしておきながら、未だ戦渦で足掻き続ける自分に。

 まりも、あんたならどう足掻く? どこまでの外道ならば甘んじて足掻く?

 思わず、今は亡き親友にそう投げかける。生憎と無宗教者であるし、心霊の類は存在も信じていない。だけど、彼女になら一度くらい夢枕に立ってもらいたいと夕呼は思う。
 慰められようが、恨み言を言われようが、叱責されようが、笑われようが構わない。会えるものなら会ってみたいと、心が折れそうになった時は一際強く思う。

 この子は、弄られ、犯され、脳髄にされても尚、暗闇の中でこれ以上の感情を抱いていたのだろう。
 何と、恐ろしく狂った愛情だろうか。

「香月博士?」
「………何でもないわ。白銀たちが戻ってくるまではすることもないし、少し散歩でもしましょうか。付き合う? 鑑」
 夕呼が黙っていたからだろうか、不思議そうに顔を覗き込んでくる純夏から、心中を悟られないように視線を逸らせ、夕呼はそう訊ねる。普段の自分なら絶対に言わないような誘いである。
 シロガネタケルの世界では自分は学園の一教師なのだという。もしかしたら、自分は彼女ともこういったやり取りのする教諭なのかもしれない。
 そう思って、流石にそれはないか、と夕呼は失笑した。
「あ、はい」
 そんな夕呼の心の内など知る由もなく、彼女はあっさりと頷いてみせる。

 だが、肝心の散歩には至れそうもない。
 同じく、市街へと出ずにこの第2師団本部に残った1人の将官が、視線の先に立っていたから。

「こんにちは、香月博士。それと、純夏ちゃん」

 いつものように紅の軍服に身を包んだ朝霧叶は、笑顔で手を振って挨拶を述べる。今なら断言出来そうだ。
 あの笑顔は本当に怖い、と。

「鑑。誘っておいて悪いけど、1人で行って頂戴」
 まさか、朝霧が世間話をするために待っていた筈はないだろう。そんな暇があるならば、式典会場にいって武に熱い抱擁を喰らわせるのが彼女だ。
「ごめんなさいね、純夏ちゃん。香月博士を少しお借りするわ」
「あ……えっと、はい……失礼します」
 にこっと純夏に笑いかける朝霧。それに彼女は目を伏せながらも応じ、朝霧の横をすり抜ける形で立ち去っていった。彼女のリボンに織り込まれたバッフワイト素子では、朝霧の思考をリーディングすることは防止出来ない。

 だから恐らく、鑑純夏は“気付いている”のだろう。

「………朝霧中将は市内の方へ行かれないのですね」
「ええ。向こうのことは月詠に任せてきちゃった。まあ、あの子も冥夜さん……御剣大尉に会えるのだから満更でもないでしょうけど」
 向こうから何か切り出すかとしばし待ったが、その様子もないので夕呼は当たり障りのない話題を持ち出す。それに対して朝霧は可笑しそうに笑い、茶目っ気たっぷりに舌を出して答えた。
 相手がそのつもりならば、夕呼も軽口や皮肉に付き合わせてもらう。
「あら? 向こうには白銀もいますわ。朝霧中将でしたら、こんな閑散とした場所にいるよりはそちらの方が魅力はあるでしょう?」
「…………そう、ですね」
 その言葉に、朝霧が急に目を伏せる。瞬間、夕呼の背筋がぞくりと凍った。
 忘れるな。目の前の相手はただの士官ではなく、斯衛軍切っての荒鷲だ。大層なセキュリティのついた横浜基地ならばいざ知らず、ただの師団本部の通路で敵に回せば命などない。
「単刀直入にお聞き致しましょう。香月副司令」
 朝霧が目を伏せていたのはほんの一瞬のこと。すぐに視線をこちらに戻してくるが、その表情はもう笑ってなどいなかった。

「4年前、城内省のデータベースに侵入し、あるデータを改竄したのはあなたでしょう?」

 穏やかな口調で訊ねられたその言葉に、夕呼の心臓は急激に早鐘を打つ。今になって、その核心を突かれるとは思ってもみなかったと。

 2001年の11月、確かに夕呼は自ら城内省のデータベースにアクセスし、とある情報の内容を書き換えた。本当であれば、10月22日には書き換えておかなければならなかった情報であり、夕呼ならば確実に書き換えられた情報。

「……ならば、こちらからもお聞きしましょう」

 必死で自分の動揺が悟られないよう、夕呼は朝霧の問いには答えず口を開く。落ち着けと自身に言い聞かせる。心に揺れがあるのは、何もこちらだけではない筈だ。
 夕呼からの質問を黙認するつもりか、朝霧は反論を述べない。尤も、香月夕呼が今、口にしようとしている質問は、“そのものが朝霧への返答となり得る”のだが。

 ここで1つ、問題提起だ。
 城内省のデータベースへのアクセスと改竄自体は難しいものだが、夕呼の権力と能力をもってすれば不可能なことではない。事実、実際に彼女はやってのけている。
 では何故、10月22日には書き換えなければならなかった情報を、11月になるまで放っておいてしまったのか。207衛士訓練分隊に彼を入隊させるに当たって、本来であれば確実に書き換えておかなければならなかったにも関わらず、何故、香月夕呼がそのようなミスを犯したのか。

 答えは、実に簡単な話だ。


「何故、城内省のデータベースに白銀武の名前が存在しているのです?」











 “その情報”が城内省のデータベースに存在しているとなど、香月夕呼ですら微塵も想定していなかったのである。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第63話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:872a4251
Date: 2008/01/06 19:37


  第63話


 社霞は第27機甲連隊ホームのハンガーに格納されたSu-37の管制ユニットから降り、ふうと1つ、大きな息を吐く。
 普段受けている整備スタッフとは違うため、少し念入りに各部のチェックをしてみたのだが、それは不要な心配だった。本当に、この基地に……第27機甲連隊に集められたスタッフは優秀な方が多いらしい、と霞は驚かされる。
 恐らく、香月夕呼はこちらにやってきたらすぐに出発する準備を整えるようにと命ずるだろう。現在のコンディションは、その性急な任務にも即応出来るほどに整っていた。

「あれ? 社?」

 トンとハンガー2階部分の床に降りたところで、素っ頓狂な雰囲気で声をかけられる。首を回して振り返れば、軍服の上着を脱いだ状態の柏木晴子が立っていた。
「何してんの? ああ、機体のコンディションチェック? マメだねぇ」
 霞が強化装備姿であるからか、一瞬、眉をひそめた晴子だったが、すぐに破顔一笑する。冗談めいた口調ではあるが、彼女は普段からこれであるため、どこまで本気で言っているのか判断し難い。
 尤も、霞が持ち合わせてしまった能力をもってすれば、それが本気か否かくらいは容易に読み解けるのだが。
 どちらにせよ、晴子の言は些か心外である。霞は、自身をマメな人間だとはまったく思っていない。今回のコンディションチェックとて、他の戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の隊員は全員、格納されたその日に当然のことのように済ませている。
 霞が翌日である今日、それを行っているのは、昨日一杯、こちらに回されたヴァルキリーズの監督を任された涼宮遙の手伝いをしていたからだった。間に合わなかった仕事をこなしているだけなのだから、それをマメだと褒められる理由はない。

「柏木大尉は、どうしたんですか?」

 「どうしてここに?」という意味合いを込めて霞は訊ねる。ここのハンガーに格納されているのは風間祷子の第3中隊(アルヴィト)の不知火と霞と純夏が搭乗するSu-37しか収納されていない。晴子がここに来る理由など、それこそ散歩くらいしかないのではないだろうか。
 ハンガーを散歩とは実に不健康的だ。霞が言うのもおかしな話だが。
「え? ちょっと案内をね」
「案内……ですか?」
 きょとんとする晴子に対して霞も同じようにきょとんとする。彼女はこれでもH11制圧作戦の際にこの基地に駐留しているため、今回が初見というわけではないだろう。それにも関わらず、案内されているというのだろうか。
「うん、案内。ほら、こっちの人がSu-37見たいって言うから」

「はー……これがソビエト製の機体か」
「アメリカじゃアラスカ辺りにいかないと見られないですからね」
「Type-94[second]よりも関節の補強度が高いな。一見しただけで近接戦闘型だと分かる、か」

 すいっと人差し指でハンガーの1階部分を晴子が指差す。振り返り、霞がそちらを見下ろすと、そこには第27機甲連隊の士官が3人ほどいた。
 うち2人は、横浜で知り合ったヘンリー・コンスタンスとユウイチ・クロサキ。親しいとは言い難いが、それでもきちんと顔は覚えている。残った1人はその2人よりやや大柄の金髪男性だった。
 確か、ディラン・アルテミシアという名の衛士で、中隊長を任せられていた人であった筈だ。

「そう言えば、柏木大尉が複座型だって言ってたな」
「複座型って向こうでもあまり一般的じゃないって話ですけど?」
「2人で1機使うのは効率が悪いからな。特殊任務でも課せられない限りは有用じゃない」

 その3人があれこれとSu-37の機体を検分しながら言葉を交わしている。ディランにいたってはペタペタと触ったり、コンコンと叩いたりしていた。別段、そこに不満がわるわけではないが。
「やっぱり、他国の機体は珍しいよね。Su-37だと、開発された頃にはもう欧州とソビエトは隣接してなかったし」
 霞の隣に並んで、晴子は笑いながらそう言う。
 確かに、その頃はユーラシアの大半がBETAの支配下に置かれていた時期だ。事実上、隣接していないのだから、あまり詳しい情報は入ってきていないのだろう。その上、複座型仕様の管制ユニット搭載とあっては更に珍しいのは間違いない。

「まあ、きっとただ物珍しがってってことだけじゃないと思うよ」

 晴子のその言葉に、霞は少し驚いて彼女の顔を見る。すると、霞の視線に気付いて晴子は困ったように苦笑してきた。
「社だって、分かってるでしょ? 何で、ここにSu-37が運び込まれたのかって」
「………はい」
 霞は小さく頷き返す。もう1人の操手である鑑純夏がリバプールへ行くことが決まっていたのに、この機体がこのプレストンに持ち込まれるということは、この後のことが考えられているからに他ならない。
 きっと、出撃はもう近いのだろう。
「副司令は、たぶんこの部隊の力も借りようとしている。それをきっとアルテミシア大尉たちは気付いているんだよ」

 自分たちもその出撃に随伴する形になる、と。

 晴子は皆まで言わなかったが、霞にだってそれは理解出来た。直接的な援護に当たるわけではないだろうが、任務の中心となるであろう機体についての造詣を深めておこうというのは、兵士として正しい姿だ。
 ただし、それが特殊な任務となればなるほど往々にして、任務の中核については一兵に機密扱いとなる。事実、香月夕呼がこの機体を使ってまで純夏を戦場に出し、何をせんとしているのか明確に知っているのはその2人と霞を除けば、イリーナ・ピアティフと白銀武しかいない。
 ことの中核を知らないのは、目の前の柏木晴子とて例外ではないのだ。

「いやぁ、リバプールに出られないのは残念だが、うちの基地も充分に戦術機の展覧会状態だな」
「イギリスなのに日本製の機体にソビエト機ですからね」
「予備機も含めればF-4とF-15もあるからな」
 ゲラゲラと声高に笑うディランに、同意する形でヘンリーとユウイチの2人が相槌を打つ。確かに、不知火と不知火弐型が軒を連ねるこの基地のハンガーは一種、異常だ。つい、ここが日本だと錯覚しそうになる。

「ああ、そうそう。さっき、ヴァンホーテン少尉に会って、伝言頼まれたんだった」
「ヴァンホーテン少尉に?」
 その様子を眺めながら晴子の口から何やら言付けがあると告げられる。リィル・ヴァンホーテンはこの基地において情報班の総轄を任されている兵士で、厳密な意味でも“自分と等しい”存在だ。
 非常に親切な方で、昨日も遙と霞の手伝いも引き受けてくれた。
「そう。お昼に時間が空くから、ご飯を一緒に食べましょうって。PXで待ってればいいんじゃない?」
「……はい。そうします」
 晴子の口から告げられたリィルのお誘いに、霞はこくりと頷く。尤も、待っていれば良いとは言われたが、邪魔にならないようにお昼近くになってから彼女が常勤している司令室に足を向けてみようと霞は考えていた。
「仲良いね、ヴァンホーテン少尉と」
「そうですね。仲は良いと、思います」
 ふふっと笑う晴子に対して、霞も小さく笑って答える。お互いに視線は交わしていないが、とても優しい意味でそう言われたので、霞の心も温かくなった。自分に比べてリィルは社交的で明るいので、物静かな霞としては一緒にいて楽しいのだ。
「……あたしはPXに戻ろうかなぁ」
 眼下のハンガーの様子を眺めながら、不意に晴子は頭を掻きながらそう呟く。まあ、それも良いのではないかな、と霞は思う。Su-37のことと、リィルから伝言を頼まれたことで晴子はここまで来たのだろう。PXに行くのは、時間としてはもうリバプールで式典も始まっている頃なので、恐らくその中継を見るためだ。
「それじゃあ、私も」
 コンディションチェックも一区切りついたので、霞も晴子についてPXに戻ろうと思う。大方、もう設置されたテレビの周りは人垣になっているだろうが。

「おーい! 柏木大尉とそっちの嬢ちゃーん!」

 その時、下にいる3人のうち、抜きん出て年上のディランが声を張った。どうやらこちらのことを呼んでいるらしい。並んで下を覗き込むと、彼ら3人の他に繋ぎ姿の男性が腕組みをしてこちらを見上げていた。
「何ですかー?」
「Su-37の話も含めて、整備兵の詰め所でちょっとお茶していかないか?」
 晴子の問い返しに答える形で、ディランがそう訊ね返してくる。くいっと親指で示す先では仏頂面で腕を組む整備兵の男性が立っている。そう言えば、あの人は整備兵の総轄を務める男性だったか。
「大尉たちは式典の中継見なくていいんですか?」
 晴子は身を乗り出してそう訊ねる。言われてみればどうだ。彼らだって留守を任されたとはいえ、今回の式典主賓の英雄部隊の一角であるし、何より自身の上官を慕っている。そんな彼らが中継を見ないのは少し疑問だった。
「4番ハンガーの詰め所にもテレビ置いてある! PXよりかは空いてるぜ!」
 今度はぐいっと親指を上げ、子供のように笑顔を浮かべるディラン。その返答に、霞と晴子は思わず顔を見合わせた。きっと、これはそれほど悪い誘いではないのだろう。

「じゃあ――――――――」

 霞の表情から答えは分かっているのか、再び身を乗り出して晴子が肯定の意を示そうとする。お昼までは時間も充分にある。事情を説明すれば解放してくれるだろうし、きっと晴子も助け舟を出してくれる筈だ。
 だから、霞にも断る理由は見当たらない。


 しかし、それは突如鳴り響いた非常事態警告によって無情にも妨げられることとなった。




 通信部から告げられた報告に、レナ・ケース・ヴィンセントは思わず耳を疑った。同時に、せめて今日くらいは自重していれば良いものを、と人類の怨敵に対して近年で一際腹を立てた。
「ベルリンの前線守備隊からの連絡は!?」
 己の執務室でレナは既に司令室に到着している自身の秘書官にそう訊ねる。声調が荒いのは現状曝されている事態が実に笑えない出来事だからだ。
『既にベルリンの駐屯地は完全に沈黙! 恐らくですが……』
「全滅か………!」
 秘書官から返ってくる新着の情報に悔しげにレナはギリッと歯を噛み鳴らす。
 最悪だ。こんな時に限って、“ミンスクからの侵攻”があろうとは。
 これでもH11制圧作戦以降も欧州国連とEU連合はH5「ミンスクハイヴ」に対して間引き作戦を敢行している。ベオグラードの奪還時に逃亡したBETA群はその9割がミンスクに向かっていたため、その頭数を減らすことは可及的速やかに行う必要があったからだ。
 実際、レナが旗下とする部隊もその作戦には参加しているから間違いはない。

 何故、間引き作戦を行う必要があるのかと言えば、それはそのハイヴからの侵攻を抑制させるためだ。

 ハイヴのBETAが飽和状態に達すると、新たなハイヴの建造と既存ハイヴの拡張が行われることはこれまでの研究で分かっている。だから、BETAの侵攻と既存ハイヴの成長を食い止めるためにはハイヴにおいてBETAが飽和量に達しないようにすることが不可欠だった。
 それが行われて、まだ1ヶ月も経っていない。加え、向こうには先月頭の一斉侵攻における損害も残っている筈だ。

 そこまで考えて、レナは失笑する。
 連中はそもそもこちらの思考の範疇から逸脱している存在だ。そんな規格外の敵を人間の常識で計ってはいけない。元々、物量が想像を絶する相手になど、先月の損害など恐らく微々たるものだったのだろう。

「外出している兵士も非番の者も呼び戻せ! 即時出撃が可能なように準備を進めさせろ!」
『了解!』
 レナは即座に指示を下す。どちらにせよ、戦術機ならばとにかく車輌となれば防衛線の構築まで時間がかかる。最低でも要塞都市たるバーミンガムよりも南に砲撃陣地を展開し、戦術機は更に前まで押し出しておかなければならない。
 既に敵はベルリンを落としている。こちらの展開が遅れるとは考え難いが、上陸を阻止するのは恐らく不可能だ。どう見積もっても揚陸が間に合わない。
「敵の規模は判明しているのか!?」
『現在、確認中! 軌道衛星からの映像を現在、集積中です!』
「急がせろ!」
 レナの苛立ちは尤もなもの。仮にも大陸の守備を司っていた旧ベルリンの駐屯地がまともな通信を行う間もなく沈黙したのだ。間違っても数千の規模ではなく、最低でも数万の規模は確実である。

 いや、最悪の場合、侵攻中と考えられるBETA群は10万に近いのではないかとすら、思わされる。

「失礼致します、ヴィンセント准将」
 レナが1人しかおらずとも混乱を極める執務室に、香月夕呼が足を入室してくる。口調自体は落ち着いたものだったが、その表情はレナのものとそう変わらなかった。
「事態の詳細は?」
「先刻1010、ベオグラードの駐屯地より敵襲の報告が入りました。続く、1020、ベオグラードの沈黙を確認。そして先刻1030、ベルリン駐屯地の沈黙も確認されました」
「っ! 敵の規模は分かっていますか!?」
 ものの20分の間に2箇所の駐屯地が沈黙した事実に、夕呼の表情は更に歪む。その彼女から続けて問いかけられた質問には、レナも無言で首を横に振った。
 ベオグラードからの通信も半ば救難信号に近かった。恐らくは、決死の思いで送ってきたのだろう。しかし、それ以上に奇妙なのがベルリンだ。こちらからは、襲撃の報すら入っていない。
 どちらにせよ、時間差から考えてベオグラードとベルリンを襲撃した敵群は別物と考えるべきだろう。2箇所も攻撃を受けておきながら、ここまで確認が遅れているとは考えたくもない。
 否、あるいは、ベオグラードが敵襲を確認した時には、“既にベルリンは沈黙していた”可能性もある。
『軌道衛星写真、出ます!』
 秘書官からの報告とほぼ同時に、レナの網膜に最新の衛星写真が投影される。


 言葉を失った。


 旧フランス領の北部広域に渡って、既にBETAの大群が展開している。あれだけの一団がいつの間にあそこまで到達したというのかと、愕然とさせられる光景だ。
「これはもう……敵の上陸は免れませんわね」
 BETAの分布解析の済んだ衛星写真を同様に網膜投影で見ているのだろう。香月夕呼も眉根を寄せてそう呟いた。彼女の言うことも確かだが、それ以上に、この物量では水際での殲滅も不可能に近い。
「現在、第2師団の戦力を集めています。1100までには欧州国連全軍に迎撃の厳命が下るでしょう。事実上、そちらの戦力は一時的に第2師団の指揮下に置かれると思われますが」
「止む無いことでしょう。ただ、戦闘が始まれば白銀と速瀬の2人に委ねるしかないでしょうけれど……」
 レナの言葉に夕呼は忌々しげに口元を歪ませながらも肯定の意を示す。その言葉にはレナだって同意するしかない。レナとて一応は現役の衛士だが、師団を統べる以上、最前面に立つわけにはいかなかった。
 一瞬の判断と指示がものを言う戦場においては、実戦部隊の指揮官が事実上、すべてを握っている。この第2師団において言えば、白銀武と、もう1人の連隊長に大隊長、そして各中隊の中隊長たちだ。
「速瀬、聞こえる? 一時的に第2師団の旗下に入るわ。すぐに出撃準備を整えてちょうだい」
 早急に臨時の指揮系統を確立するべく、夕呼は連隊長を任せる速瀬水月へ檄を飛ばす。戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の5個中隊は現在、プレストンにて待機しているが、恐らくはそちらも動員してくるだろう。
 いや、軽く5万を超えているだろうBETA群の奇襲の前ではどちらにせよ総力戦にならざるを得ない。そう考えれば、今日という日は逆に不幸中の幸いだったのかもしれないが。

『ヴィンセント准将。公会堂の白銀中佐より外線です』
 秘書官の言葉にレナは思わず驚く。確かに、既に非常事態宣言は出されたが、それにしたって彼の行動が早過ぎる。師団本部内にいて、通信機の類でも持たせていれば話は別だが、今の武たちはそういう状況にない筈だ。
「……繋げ!」
 だが、どんなに意外なことだろうともそれは好都合な意外性に他ならない。無駄な時間を費やす暇など、彼らには微塵もなかった。
「白銀か?」
『ええ、白銀です。こっちはヴァルキリーズのメンバーも合わせて総員集結済みです。詳しく状況を聞きたいんですけど、大丈夫ですか?』
「この回線は軍用じゃないな? 公会堂の一般か?」
『ええ。部下を走らせた甲斐がありましたよ。まあ、軍が中継器置くまでそう時間もかからないでしょうけど』
 責任者という立場柄か、電話口の武の口調は落ち着きのあるものだったが、同時に焦りの色も浮かんでいた。それも仕方のないことだろう。向こうはこちらよりもずっと情報が交錯しており、非常事態であること以外、ほとんど分かっていない筈だ。
「ベルリンの駐屯地が沈黙した。海の向こうまで万単位のBETAが迫ってきている」
『なっ―――――――万単位って……それに海の向こうまで!?』
「詳しいことは部下に説明させる。貴様らはまず、何としてでも機体にまで辿り着け」
 そう、機体までだ。師団本部まで戻ってくる必要は必ずしもない。近くに戦術機の離着陸が可能な空間さえあれば、自動操縦でそこまで運ぶくらいはわけがないだろう。
 尤も、市内の人口密度が増加している現状で、そんな場所があるとは到底思えないが。
『了解』
 何としてでも。レナがその言葉を使ったためか、武は他一切の問答をしてこなかった。本来であれば、己が指揮下の第27機甲連隊総員の指示も彼は下さなければならないのだが、それが可能な状態ではないと分かっていて、そしてレナがそれを引き受けるということも理解しているのだろう。
 ほとんどのBETAがドーバー海峡を渡り、まずはロンドンの制圧を試みるだろうが、桜花作戦から今日までの事例を鑑みれば、敵の別働隊を想定するべきだろう。

 先月の一斉侵攻の際には、敵が分散していたことで混乱を招かれた。それでも被害が少なかったのは、BETAの小規模だったからに他ならない。

 ならば、今回はどうなる?

 衛星写真の分布から見積もっただけで軽く5万。そんな規模のBETA群に分散され、侵攻を仕掛けられては防衛線の維持は難しい。最早、戦術機の機動力に頼った機動防御戦闘を余儀なくされるだろう。
「中尉。グレートブリテン島全周の監視を緩めるなと、欧州国連総司令部並びにEU連合司令部に通達! これ以上の奇襲は敗北を意味すると釘をさせ!」
『了解!』
 そう考えれば、レナの行動は早い。白銀武を傘下とする彼女の発言力は、以前にも増して高まっている。今回の式典で彼を主賓として借り出していることも含めれば、その言葉を蔑ろにすることなどまず出来まい。
「賢明な判断ですわ、准将」
「2002年の日本九州の例を鑑みれば寧ろ遅過ぎる対応でしょう。リバプールは海に面しています。西側から上陸を許せば、街は灰燼に帰するだけです」
「ご尤も。あとは、EU連合の即応がどれだけ早いか、ですわね」
 ふんとレナが鼻を鳴らして答えれば、同じように面白くなさそうに鼻を鳴らす夕呼。両者共に考えは同じだ。生き残るには、何としてでもBETAを殲滅するしかない。
「欧州方面軍を見縊らないでいただきたい、香月博士。軍は腰こそ重いですが、敵を前にして腰を上げないほど愚かではありません」
『ヴィンセント准将! イギリス王室より入電。本時刻をもって、イギリス海兵隊全軍の出撃が承認されました!』
 夕呼に反意を示すレナとほぼ同時に、秘書官から王室がその重い腰を上げたという報告が入った。EU連合の中で唯一の独自戦力を持つイギリスが、その独自戦力の投入を逸早く決断したのだ。EU連合軍総司令部が徹底抗戦を承認するまで、もう半刻と待つ必要はないだろう。

 イギリス海兵隊。王室騎士団に並ぶ王室の精鋭部隊。連合海軍よりも遥かに小規模だが、その投入によって起こる士気の高揚は恐らく大きい。

『プレストンより報告! 第27機甲連隊全隊並びに駐留国連軍部隊の出撃準備完了とのこと!』
「兵力の半分をリーズに回せ! 基地守備部隊の待機も忘れさせるな!」
『EU連合基地より出立した日本国斯衛軍第2大隊機が当基地滑走路への着陸許可を要請してきています!』
「許可する! 朝霧中将殿はもう準備を整えられているのか!?」
『斯衛軍21中隊、総員、強化装備着用済み。機体の着陸を待つだけです!』

 あまりの即応振りにレナは唖然とさせられる。これが自国内にハイヴを抱えていた国のロイヤル・ガードの力かと、納得させられるほどだ。彼らはもう、まさに遠隔操縦でここまで運ばれてきた武御雷に搭乗し、出撃するだけなのである。

 レナは今一度、舌を打つ。これほどの規模による侵攻は、イギリスが初めてBETAに上陸を許した1980年代以来だ。しかし、一度は振り払うことの出来た敵の侵攻である。あれから20年も経った今ここでイギリスを陥落させては、先に逝った先達たちに顔向けが出来ない。
 BETAの目的は未だ不明。そもそも、明確な目標が存在しているのかどうかも定かではないが、どちらにせよ彼女たちが行うことは上陸してくる敵を尽く殲滅することだけである。


 世界各国の戦術機による博覧会は、にわかに世界各国の戦術機による共同戦線の様相を呈してきていた。




『現在、バーミンガムにて公開演習中の部隊が即時実戦装備に換装し、順次、防衛線の構築に入っています。ですが、砲撃陣地の形成までは……』
「至っていない……か。まあ、仕方ないでしょう。沿岸守備隊とロンドンの防衛軍がしばらくは水際で食い止めるでしょうから、それまでにバーミンガム南に主力部隊を集結させるしかないですね」
 ヘッドセットから聞こえる第2師団本部の通信兵の言葉に、武は眉をひそめながらも仕方がないと答える。どうあっても戦術機部隊の方がより展開が速いのは止む無いことだ。
 リバプール中央公会堂の会議室には常設された机と、用意された通信機があり、武は現在それを使って師団本部と連絡を取っている。網膜投影の装置は一応、立場柄、常に身に着けてはいるが、専用の中継器がなければどうしようもない。
「フランスまで敵が到達しているってことは……もうBETAの潜水は始まっているってことですか?」
 武は通信兵にそう訊ねながら、テーブルをその手でトントンと叩く。その身振りと視線から意図を読み取ったらしいマリアが頷き返し、駆け足で会議室を出ていった。
『確認当初からフランス領に展開したBETA群はほとんど動きを見せていません。ですが、恐らく既に海中にも小規模のBETA群が展開していると考えるべきと思われます』
「同意です。海防ラインの全周警戒を促しておいてください」
『承りました。必ず、進言致します』
 真面目な通信兵の返答に武は苦笑しながら「お願いします」と返す。尤も、彼だって決して冗談で言ったわけではないし、それにもうすぐ苦笑すら浮かべられなくなる状況がやってくると、半ば確信していた。

 そこへ、ついさっき出ていったマリアが1枚の紙切れを持って戻ってくる。そして何も言わずに武の前の机の上に広げた。それを、既に会議室に集まっている戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長たちが何事かと覗き込む。

 それは、グレートブリテン島の全域地図だった。

 武はマリアに「すまん」と手と表情で示し、準備しておいた赤色のサインペンを指先でくるりと回転させる。彼のその行動に、マリアを除きその場にいるほとんどの者が目を丸くした。
「何か分かったら連絡ください。網膜投影が可能になったら改めてこっちから繋ぎます」
『了解しました。師団本部でお待ちしております、白銀中佐』
 通信兵の言葉に「ええ」と相槌を返し、武はそのまま回線を切る。ヘッドセットをそのままにしているのは次の通信に備えるためだ。

「白銀、状況はどうなっている?」
「ベルリンの駐屯地はもう沈黙してます。数万規模のBETA群がフランス領まで到達しているって話ですよ」
 先ほど合流した宗像美冴の問いかけに武は今し方、師団本部の通信兵から受けた報告をそのまま答える。いや、これは既にレナから最初に告げられた話か。
「フランスまで!? いったい、いつの間にそこまで……!」
「軌道衛星からの映像を解析するには、フランス東部の地表に門が開いて、そこから順次出現しているらしい。たぶん、地下を進んできたんだろうな」
「船団級……ですか? いえ……それでは感知出来ない筈が……」
 冥夜の疑問に答える形で武が同じく通信兵から聞いた話を述べれば、マリアがにわかに表情を強張らせる。地表に突如、穴が開きBETAが出現してくるというのは、2001年の横浜基地でも見られた現象だ。当時は確かに船団級によって他のBETAが輸送されていた。
 しかし、船団級が地中を侵攻する際には巨大な振動が発生する。砲撃の振動にでも紛れ込まれない限り、それを察知するのは決して難しい話ではない。
「最初から横坑は造られていたんだろう。たぶんだが、H12が制圧されるよりも更に以前に」
 あくまでも予想だがと最後に付け足し、武は答える。確か、H12であるトゥールーズハイヴにて発見された未完の横坑は北西に約30kmの位置まで伸びていたという。丁度、フランスの南西部だ。

 もし、同じような横坑がミンスクやオウルのハイヴからも同様にフランス領に向かって伸びていれば、恐らくは東部に顔を出すだろう。
 尤も、そうなれば地下を走る横坑の長さは1000kmなどでは済まないことだが。

「だけど、船団級じゃなくてもセンサーが生きていれば侵攻は分かる筈」
「センサーが生きてない。ご丁寧に虱潰しにされてる」
 続く慧の意見も武は即座に封殺する。彼女には渋い顔をされてしまったが、実際に大陸のセンサー系が完全に沈黙しているのだから仕方がない。

「大規模侵攻なら確かに分かる。だけど、敵が小規模だったら? 場所と構造さえ分かればセンサー1つ無力化するのに、闘士級と兵士級が少数いれば済む話だ」

 面白くないと武は舌打ちをして、指先で机を叩く。
 BETAの侵攻を察知するのに最も有効なセンサーは振動センサーとされている。BETAは物量に任せた侵攻が通常であるため、移動の際にはやはり巨大な振動を作る。小型種とて数百数千という規模で我先にと突撃してくるのだから、人間が大地を踏み鳴らして行進するよりも振動は大きかろう。また、大きさや形状の異なるBETA種は、振動の波形からその規模と構成をある程度まで予測出来る。
 だからこそ、それが無力化されていたとすれば人類にとって大きな痛手だ。

「無力化って……BETAが?」
「考えたくないけど、な。これも確定情報のない話だけど、たぶん、小型種に斥候されてる。それも小規模集団で」
 武はそう答え、ドーバー海峡を指差して壬姫を見た。最悪の場合、海底に設置されたセンサー類も小型種が無力化を試みているだろう。もしかすれば、海の向こう側で未だBETAが動きを見せていないのは、それを待っているからかもしれない。
「まるで物見……いや、それよりも悪質か」
「今更ながら、小型種の有効な活用法を思い付いたってところかもな。突撃級よりも先行してくるなんて、俺たちにはそう考え付かない」
 物見と言うよりは最早、忍者の領域だろう。冥夜の言葉に答えながら、武は内心、そう毒づく。連中はとにかく物量にものを言わせた侵攻を最も得意とする。より個体として脆弱な小型種はより多く数を揃える、というのが事実上、BETAの定石だ。
 BETAとは、その集団として最も理に適った攻め方を最初から確かに実行している。だが同時に、BETAは相手を弱体化させることによって、ことを有利に運ぶという方策は取ったことがない。何故ならば、BETAは人類をそういう存在と認識していないからだ。

 その常識が、今、覆されようとしていた。

「根拠はないだろうが、嫌に確信のある言い方をするな、白銀」
「夕呼先生発信の情報です。状況としては、桜花作戦直後の北九州襲撃の時と似てるってことで」
 武の言い回しが予想にしては断言に近いことを美冴は不思議に思ったのだろう。彼女に対して武は仮説の出所を軽く明かしながら、手に持ったサインペンのキャップを抜く。
「現状、BETAの侵攻経路として考えられるのは3つ。正面のドーバー海峡を渡るルートと、海底を迂回して東側と西側に回り込むルートです。東側はリーズによって構成される防衛線によって守られますけど、西側はそのままリバプールに面している。これが一番危険です」
 そのまま、全員に説明する形で言葉を述べながら武はさっと地図上に3本の曲線を描いた。フランス沿岸とグレートブリテン島の東西南の海岸を結ぶ3本のルートだ。これが、現在武が予想するBETAの侵攻経路である。
「迂回自体は北九州の時と同じか。この場合、南と東は陽動で、西を本命と判断すべきであろう」
「BETAの目標がリバプールにあるならば、だろう? 御剣」
「グレートブリテン島の制圧を目論むならば、決して悪い手ではないでしょう。もし、中佐の仰る3つのルートからBETAが侵攻を仕掛けてきた場合、敵はどのルートから中央に雪崩れ込んでも構わないという考えだと思われますね」
 美冴に答える形を取るマリア。その意見には武もおおよそ同意だ。冥夜の言葉に若干の修正を加えて言えば、恐らく西側から上陸を計ってくる集団は本命ではなく保険と見るべきなのだろう。

 無論、人類側の防衛線が善戦し、南と東から侵攻する集団が大幅な足止めを喰らった際の、だ。

「それでも、この3つ目のルートから敵が来るのか来ないのか分かるだけでも、だいぶ安心感が違いますね」
「その通りだ、たま。だから、EU連合の海兵隊にこのルートを潰させる」
 声高に、武は壬姫に答えてその赤いペンで西を迂回するルートにバツ印を上書きした。
 あくまで、経験に基づき、BETAが取り得る最悪のケースを想定しているに過ぎない。南側からの侵攻が確実ならば、東側からの侵攻は半信半疑。西側からとなれば更に可能性は低いだろう。
 だが、奇襲とはその可能性の低さを逆手に取った計略だ。BETAがそれを奇襲と認識しているか、していないかは別問題として、この「限りなく低いが捨て切れない可能性」を潰せるように手を打つことは、防衛線を維持するに当たって非常に大きい。
 奇襲があるにしてもないにしても、それが事前に察知出来ていれば、今回の戦闘も今までの対BETA戦闘とほとんど変わらなくなる。

 つまりは、正面からの総力戦である。

「横浜基地の時にも似ている、か」
「どうだろうな。ここは元々ハイヴでもなければ、規格外の新型兵器があるわけでもないぞ?」
 万単位の敵が一本槍となって侵攻してくるという状況は確かにあの時と同じかもしれない。だが、横浜基地の時は敵の狙いが露骨なまでに横浜基地地下の反応炉だったのに対して、今回はそれがない。
 実際に戦闘に入ってみなければ分からないが、あるいは要求される戦術が微妙に異なる可能性もあった。
「それに、あの時より友軍の数が多い」
「同感だ。手が足りなくては、どうしても出来ないこともあるからな」
「はい」
 慧の呟きに真っ先に同意したのは美冴だ。横浜基地の時に、事実上、防衛に当たったのは基地所属の200機弱の戦術機である。しかし、今回は欧州全軍の総力戦。そもそも、第27機甲連隊と戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の頭数を合わせれば、容易に当時の横浜基地の戦力を上回るだろう。

 あとは、ここに世界有数の精鋭部隊が集まっているという事実がもたらすものに、一握りの期待をするだけだ。

「白銀中佐! 足が確保出来ました! それと、中継器置かれてます!」

 そこに、縦横無尽に走らせていた271戦術機甲中隊(セイバーズ)の部下が会議室に飛び込んでくる。
 非常事態宣言が出された直後、武はすぐに直下の部下に軍用トラックの確保へと走らせていた。市街地である以上、混乱が収まるのを待っていても無駄であり、また即座に師団本部に走ったところで莫大な時間を要する。
 だから彼はまず、部下に足の確保を任せ、自分は状況の確認と今後の動向について今現在、考えられるだけ考えていたのだ。
「了解、御苦労だったな。全員、乗れるのか?」
「そうなるように数を確保してきましたよ」
「よくやった! 総員、乗車を開始させろ!」
「はっ!」
 武の指示に敬礼し、駆け込んできた時と同じくらい忙しなく部下である男性は会議室を飛び出してゆく。その背中を最後まで見送らず、武は美冴たちに向き直った。
「別命あるいは速瀬中佐と合流するまで、俺の指揮下に入ってもらいます。構いませんね?」
 横一列に並ぶ美冴、冥夜、慧、壬姫の顔を1度だけ見てから、武は少し抑えた声調でそう問いかける。それに対し、美冴ら4人も即座に敬礼で答えた。尤も、これは最早、最上階級にある士官からの命令に等しい。香月夕呼からでも禁じられていない限り、それを断る術など彼女たちにはない。

「よし、先に行け!」

「了解!」
 さっと手で先行するように示す武に彼女たちは声を揃えてそう答え、迅速な足取りで会議室を退室してゆく。同じようにそれも最後まで見送らず、武はまだ命令を与えていないマリアに、くいっと顎で示す。
 即ち、行くぞ、と。
 マリアもそれに姿勢を正した敬礼で応じ、駆け足で退室。その殿を務める形で、ようやく武も走り出した。

「白銀武より第2師団司令部。軍用回線が引かれた。これより合流した戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)第2、5、7、8中隊を伴って師団本部に即時帰投する。各中隊機の出撃準備を整え、師団本部第2滑走路へ搬出されることを要請する」
『HQ了解。白銀中佐、お待ちしております』



 彼らにとって、開戦の狼煙はとうに上がっていた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第64話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:872a4251
Date: 2008/01/19 23:30

  第64話


「敵の上陸はまだ始まっていない……だと?」
 既に強化装備に着替え終えた月詠真那は、駐留するEU連合基地の滑走路まで搬出された自身の武御雷に向かって駆けながら、そう口にする。中央公会堂から即座に駐留基地へと彼女たちが折り返してから、既に1時間近くが経過していた。
『そのようです。現在、ロンドン東部に展開した砲撃部隊が海岸線に照準を合わせて待機していますが、まだ砲撃自体は始まっていません』
 それに応じるのは駐留するEU連合基地の通信室で対応に追われる通信兵である女性だ。彼女から返答と同時に、真那の網膜にイギリス周辺の地図とBETAの分布、そして現在、展開中の欧州軍の状況が表示される。
「地下からの出現と聞いているが、敵の流出はまだ続いているのか?」
『いえ、現在、フランス東部に開口した門からBETAの流出はほぼ停止しています。推定個体数約6万7000。海中に潜伏している個体まで含めれば、恐らく7万を超えるものと思われます』
「7万……か」
 その数字に月詠は舌打ちをしたくなったが、何とか堪えた。
 ハイヴ制圧作戦に代表される攻勢作戦において言えば、人類軍が一時に相手にしなければならないBETAの総数は10万を軽く超える。だが、結局、それは攻勢作戦だから可能なことだ。

 BETAと戦う上で最も厄介なのは、殺到するBETA群を足止めすることなのである。

 桜花作戦以前の大戦史において圧倒的に防衛戦で敗北しているのは、それを顕著に表している。ハイヴ制圧では人類が目指すのはあくまで反応炉の破壊であり、BETAの殲滅ではない。だが、防衛戦では押し寄せるBETAのすべてを撃退することでようやく勝利と言える。

 要するに、人類はこの30年を超えるBETA大戦の歴史において、ほとんどの場合、戦域のBETAの殲滅に成功していないのだ。
 事実、人類を桜花作戦へと駆り立てたあの横浜基地での戦闘も、月詠も含め実際に横浜基地の戦力が相対したのは侵攻するBETAのおよそ半分でしかなかった。

「委細、了解した。我が部隊に対し、帝国城内省より何か通達はあられたか?」
『は。朝霧叶斯衛中将の指示に従い欧州軍への協力を命ずると、月詠斯衛少佐に対し、日本国国事全権総代 煌武院悠陽殿下の名前でEU連合総司令部に通達がございました』
「心得た。本時刻只今をもって、帝国城内省斯衛軍第18大隊は戦闘終了まで欧州軍に対して協力しよう。殿下の名に賭けて、その言葉に嘘偽りはないと誓う」
 おおよそ、月詠の想像通りの返答に、彼女は毅然とした態度を取って答える。国際関係を考えれば、城内省からの通達を歪曲して伝えてくるなど、そう考えられない。そんなことをしても何れ、事実が判明してしまうからだ。

 たとえ、月詠がこの戦闘で戦死しようとも、武御雷に搭載された音声記録装置が生きている限り、今の会話は日本へと記録として帰るのだから。

『月詠少佐、協力していただく、我々のような立場の者がこう言うのも何ですが………』
「うん?」
『御武運をお祈り致します。生きてまた会いましょう、月詠少佐』
 網膜に映る映像の向こうで、そういって敬礼の格好を取るEU連合の通信兵。彼女のその行動に、一瞬月詠は呆気に取られるが、すぐに普段の凛とした表情に戻り、同じように敬礼を返す。
 元より、ここにいる以上、逃げ場などない。この戦いを生き残る他、道などどこにも残されていないのだ。だから、月詠が戦場へと赴くのはある種、当然と言える。

「………そうだな。その時は、敬礼ではなく握手でも交わそう」

 そう言って、月詠も自分はつくづく甘くなったものだと苦笑する。だがしかし、半ば無意識のうちにそう答えていたのだ。それに、武運を祈ってもらえることは悪くない。たとえ、それが同じ日本人ではなくとも、である。
『はい。もしよろしければ、その時はこちらから地酒でも御馳走致しましょう』
「楽しみにしている」
 くっと口元を緩めて、月詠はそう答える。しかし、次の瞬間には険しい衛士としての双眸と表情に戻った。今のような一時の戯れも、すべては今日という1日を乗り切ってからだ。

「ブラッド1、出撃する! 大隊各機、私に続け!!」
『了解!!』

 そして、月詠は部下を率いて戦場へと身を翻す。彼女の紅の武御雷を筆頭に、それぞれが白の武御雷によって統率される一団が宙を駆けた。まさか、今日この日に持つことになるとは思わなかったであろう実戦装備を手にしたまま、今尚、市民の避難が継続しているリバプールの中央を避ける形で、一路南へ。

「神代、巴、戎。各隊、即時戦闘行動は可能か?」
『は。181中隊各機、交戦準備完了しています』
『同じく182中隊全機、戦闘準備完了』
『183中隊各機、同じく即応可能です』

 先頭を行く月詠の投げかけに応答する、ブラッド2、Wブラッド1、Bブラッド1のコールを持つ神代巽、巴雪乃、戎美凪の3人。大抵のことが網膜投影によって情報として伝えられるこの時代において、今のようなやり取りは情報伝達としてあまり意味を成さない。
 しかし、より堅固な指揮系統を築くためには、決して馬鹿に出来ない型だ。
「ブラッド1、了解。神代、朝霧中将はもうバーミンガムに到着されているのか?」
『はい。既に22中隊、23中隊がバーミンガム防衛線に列を並べているようです』
 神代のその説明に、月詠は「流石に早い」と感嘆の息を漏らす。朝霧叶率いる第2大隊は、非常事態宣言が出された直後に出撃準備を整えたと聞いているが、既に旗下の2個中隊が当然のことのように防衛線へと参列しているというのは驚きだ。
 第2大隊の即応振りに、ではなく、欧州軍の順応振りに、ではあるが。

 少なくとも、現地部隊によって月詠たち斯衛軍は強力だが、非常に扱い難い友軍であることは間違いないのだから。

『月詠、遅かったわね』
 そうやって、大隊を率いて南下を続ける月詠のところに、恐らく欧州軍にとって最も扱い辛いであろう人物から通信が入る。月詠にとっては恩師の1人でもあり、斯衛軍が誇る智将 朝霧叶だった。
「申し訳ありません、朝霧中将」
『冗談よ。合流にはどのくらいかかりそう?』
 非常事態宣言から1時間あまりの時間をおいての出撃。それは確かに対応として遅過ぎる。たとえ、今回のように即応が難しい状況であったとしても、月詠自身がそれを痛感しているのだから、謝罪の言葉を述べるしかない。
 だが、朝霧はそれを可笑しそうに笑って一蹴する。恐らく、物理的に不可能だったからという理由なのだろうが、それは自身を諌める月詠を抑制するものにはならない。
「そちらに到着するまで30分もかからないでしょう。全機揃っています故、即時戦闘も可能です」
『ええ、分かったわ。あたしたちは正式に独自行動が許可されたから、こっちに到着したらそのままあなたの判断で戦列に加わりなさい』
「は。しかし……独自行動の承認……ですか。EU連合も大胆な判断をしたようですね」
 いくら扱い辛い存在だとはいえ、よもや独自の指揮系統を与えられるような形になるとは思っていなかった月詠は、苦笑気味に答える。
『実戦部隊で正面切って戦う中将なんて、司令部にとっては難しい存在だもの。御免なさいね、月詠たちまで巻き込んじゃって』
「何を言われますか、朝霧中将。身軽になれることは我々にとって歓迎出来ることでありましょう」
 片手を掲げて「ごめんなさい」と謝罪の言葉を述べる朝霧に、月詠はふっと笑って返した。戦闘において機動防御が余儀なくされるのならば、現場の兵士にとっては身軽である方が好ましい。
 ただし、その場合は指揮官の判断力が限界まで求められることになるだろう。月詠は自身の能力をそこまで信用していないが、少なくとも朝霧叶の判断力には大きな信頼を寄せている。

 寧ろ、斯衛18個大隊の大隊長格の中で、彼女ほど命を預けるのに不安のない相手はいないほどだ。

『そうね。確かにそうかも』
 くすくすと可笑しそうに笑ってそれに答える朝霧。状況が状況であるだけに露骨ではないが、月詠の目から見ても今の彼女は明朗だった。いや、欧州に入った昨日までどこか憂いを含んでいるように見えた故の反動かもしれない。
 しかし、次の瞬間にはその表情も斯衛軍が誇る智将のそれに変わる。
『月詠、第18大隊は南部防衛線の右翼を任せるわ。西岸にも寄るから、そちらからの襲撃にも気を配ってちょうだい』
「は!」
 朝霧が月詠に下す指示は今現在、それだけなのだろう。彼女が任されたバーミンガムを正面としたグレートブリテン島を半ば横断する形の南部防衛線の右翼は、確かに西岸に最も近く、リバプールから真南に位置する。
 連合王国たるイギリスにおいて、ウェールズという国の領地に属するが、現在はほとんどが荒野と防衛施設しか置かれていない場所だ。ウェールズもBETA侵攻の際に市民が強制的に避難を余儀なくされたのである。
 ウェールズを故郷とする者には悪いが、戦うに当たっては戦い易い地形ではある。だが、ここを突破したBETAはそのままリバプールへと流れ込むことになる筈だ。

 ここに限った話ではないが、そこの防衛は非常に重要だった。

『あたしは中央に陣取るわ。連絡は密に取ってちょうだい』
「了解致しました。御武運を御祈り致します」
『あなたもね』

 月詠が敬礼をし、朝霧の武運を祈ると彼女も同じように敬礼しながら笑って答える。そしてそのまま通信回線が切られ、その姿も網膜から消えていった。
 月詠が右翼、朝霧が中央に陣取るとなれば、恐らく南部防衛線の左翼は東部防衛線の右翼と併合してノッティンガム周辺を中心に展開することになるのだろう。そちらの防衛は、リバプールから距離があることもあって、比較的割かれる戦力も少なくなると思われる。
「神代、我々と同様に右翼に回されることが決定している部隊の情報は分かっているか?」
『はい。既に展開している欧州軍部隊の名簿を送ります。そこに増援として我々の他に国連軍からは戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)より第1、2、5中隊が回され、西側に展開した連合艦隊及び英国海兵隊部隊が支援を行う形になるようです』
「………そうか」
『は』
 副隊長を任せる神代の返答に、月詠は少し複雑な想いで相槌を打つ。恐らく、同じような気持ちであろう神代は、月詠の微妙な変化に対して気付いているだろうに一切の言及はしてこなかった。
 ただ、月詠の想いを理解しているというように頷くだけである。

 戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ) 第5中隊(レギンレイヴ)。彼女たちにとって、その心身全てをもって仕えし殿下と同じくらい、密かに忠誠を誓った人物が率いる部隊だ。
 それが幸か不幸かは分からない。
 少なくとも、今回は公然と彼女と共闘出来るのだ。彼女の身に危機があれば、その手で直接支援出来ることも可能である。
 だからこそ、お互いに軍人として、指揮官としての分水嶺をはっきりと守らなければならないことも事実。

 心のどこかで、いっそのこと直接的に共闘出来ない位置にいられれば、彼女をただ軍人として見守ることが出来るのに、と思っている自分がいて、月詠は堪らなく悔しかった。
 そんな、弱い自分が堪らなく、悔しかったのだ。

『月詠少佐』
「………何だ? 神代」
『全力を尽くしましょう。それが、我々にとって斯衛の誇りを守る唯一の手段です』
 神代のその言葉に、月詠は思わず肩を竦ませ、ふっと口元を緩めた。彼女なりの気遣いなのだろうが、部下に諭されてはそれこそ斯衛の名に傷をつける。だから、月詠は何よりも早く不敵に笑ってみせたのだ。
 そして、再び口を開き、はっきりとした口調でこう答えた。

 愚問だ、と。




 第27機甲連隊が駐留するプレストンの駐屯地のハンガーは、先刻までの慌しさもひとまず落ち着き、実戦装備換装のために忙しなく入り乱れていた整備兵に代わり、出撃のために機体へと搭乗する衛士がハンガー内を駆け回っている。
 機体の出撃準備が完了してから既に1時間経過しているが、東部防衛線自体の構築が間に合っていないため、エレーヌ・ノーデンスが率いる273戦術機甲中隊(ハンマーズ)が一足先にリーズへと出立して以外、他の部隊はリーズから通達があるまで出撃待機を継続していた。
 リーズの司令部から正式な許可が出れば、滞在する極東国連軍の戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)も含め、駐留部隊のほとんどはリーズを中央とする東部防衛線に加わることになっている手筈である。

 その中において、鎧衣美琴が率いる第9中隊(エルルーン)は数少ない、南部防衛線への移動が指示されている中隊だった。

 リバプールの香月夕呼から直接、「あんたは中隊を率いてSu-37をこっちまで運んできなさい。その後は南部防衛線に加わってもらうから」とお達しがあったのだ。
 それだけで、香月夕呼がそれを使おうとしているのが分かる。リバプールまで運べ、と言っているのは、何もプレストンが危険だからという理由ではなくリバプールに鑑純夏がいるからに違いない。
 そもそも、プレストンが陥落すれば既に東部防衛線には穴が開けられている状態であり、リバプールへの敵の流入も時間の問題となっている筈だ。
 つまり、今現在においてイギリスでは安全・危険の議論などはあまり意味を成さない。
『こちらエルルーン3。隊長、C小隊各機、準備完了です』
「エルルーン1了解。そのまま次の指示まで待機していて」
『了解!』
 ハンガーから既に滑走路へと搬出が完了している第9中隊(エルルーン)各機の準備は、今の報告を受けてほぼ完了した。あとは基地の管制室から出撃許可を出されれば、すぐにでも出発することが出来る。
「社少尉、そっちは大丈夫?」
 念入りに実戦装備の確認も並行しながら、美琴はSu-37の操手を務める社霞にそう問いかける。そちらの護衛が目的の1つなのだから、彼女の発進準備が整わなければ美琴たちとてどうしようもない。
『はい………発進可能です』
「純夏さん……鑑少尉がいない状態だから、気をつけてね」
『大丈夫です。機体制御は、私の役割ですから』
 本来であれば2人で操縦する筈の複座型Su-37は、訓練も基本的に霞と純夏の2人が搭乗して行ってきた。そのため、単独で彼女が操縦することになったことを美琴は多少なり心配していたのだが、不要だったようである。
 霞の述べるとおり、確かに基本的な機体制御は訓練の時からすべて彼女が担当しており、純夏は主に情報処理を担当していると、美琴は聞いている。加え、当然、霞は単独で操縦するためのガイダンスも受けている筈なので、言うまでもなく技術的な問題はないのかもしれない。

 だがそれでも、いつも一緒に乗っている人が今はいないという異なった状況は、感覚に微妙な影響を与えかねる。少なくとも、ないとは言えないだろう。
 そして、今、彼女たちが置かれている状況は、その微妙な変化すらも生死を分けかねない状況だった。

『鎧衣大尉』
 とりあえず、美琴が霞に「うん、分かった」と返した直後、その網膜にもう1人の女性の顔が投影された。第3中隊(アルヴィト)の中隊長であり、東部防衛線に参入する戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の総指揮を任されることとなった風間祷子である。
『社少尉と鑑少尉の護衛と、南部防衛線のことをお願いします。こちらは私たちで必ず食い止めますので』
「任せてください。絶対に守り切ります」
 敬礼で応えたが、何かあったのだろうかと美琴が内心、首を捻っていると、祷子はそう労いの言葉をかけてくる。先任として、4個中隊を任された者としての気遣いだ。
 だから、美琴は再び改めて敬礼の格好を取って、はっきりと言葉を返した。
『鎧衣、護衛任務は僚機を守って、尚且つ生き残って初めて一人前だからね?』
 そこに軽口めいた言い回しで割って入ってくるのは柏木晴子。いつもどおりの口調と、当たり前の指摘に美琴は思わず笑ってしまう。
『晴子ってば! いきなり入っちゃ拙いよ!?』
『それに、鎧衣だってそのくらい言われなくても分かってるでしょ』
 晴子の行動を叱り、諌めるために同じように涼宮茜と榊千鶴の2人も通信に入ってくる。叱責しているのは分かるのだが、それでは結局同じことではないだろうかと、美琴は思うが口には出さない。
『うーん……どちらかと言えば、自分に対しての再確認、かな?』
「『?』」
 当の晴子は少し困ったような表情をしながらそう答える。その表情と言葉が何を意図するのか、美琴も他のメンバーも分からずに思わず眉をひそめた。
『鎧衣大尉、社少尉の準備が完了したようです。それと、柏木大尉には後で少しお話がありますから、覚悟していてください?』
『あー……すみませんでしたぁ……』
 にっこり笑って晴子を威圧する祷子。不機嫌、というよりは通信に割って入ったことを強く叱責しているようだ。それについてはそれなりの反省をしているのか、苦笑気味の表情で美琴の網膜から消えてゆく。茜も千鶴もそれに続いて、回線から外れていった。
『それでは、鎧衣大尉。また後で』
 彼女たちが外れていったことを確認してから、祷子は正真正銘、何の裏もなさそうな笑顔と共にその言葉を美琴に投げかけ、自身も次の仕事に取りかかるべく回線から外れてゆく。もう彼女は見ていないが、美琴は三度、祷子に対して敬礼を返した。

『お待たせしました、鎧衣大尉』
「大丈夫。それじゃあ、行こうか」
 それと入れ替わる形で霞の顔が映り、同時に戦術機の外部カメラがすぐ隣で停止するSu-37の姿を捉える。
「エルルーン1よりプレストン管制室。これより第9中隊(エルルーン)はSu-37と一緒にリバプールへ向かうため、当基地を離脱します。発進許可を」
『こちら管制室 リィル・ヴァンホーテンです。第9中隊(エルルーン)並びにSu-37の発進を許可します。皆さん、御武運を』
 Su-37も含め、全機が完全に出撃準備を整えたため、美琴は正式に発進の申請をする。不許可になることなどほぼないだろうが、これも形式であり、安全確認の1つでもある。
 それに応じるのは、衛士たちの留守を任された第27機甲連隊の戦域管制将校たる少女だ。彼女はここに留まり、戦況と戦域の情報収集、分析を行って周辺の部隊のフォローをすることになっている。
 無論、涼宮遙とその指揮下にある戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の通信小隊もここで同じ任務に従事することになっていた。
「エルルーン1了解。そっちも危なくなったらすぐに避難してね、ヴァンホーテン少尉」
『はい。状況次第では師団本部の司令部に編入させてもらいます。それまでは東部防衛線の支援を継続しますね』
『ヴァンホーテン少尉、危険だと思ったらすぐに……』
『大丈夫ですよ、社少尉』
 美琴と霞の言葉にもリィルは笑顔で応じる。彼女の判断力については武からそれなりに話は聞いているし、何よりも遙だってここに残るのだ。そこに関してあまり心配はない。ただ、基地要員を総員避難させるとなれば、防衛線が瓦解した後ではもう遅いだろう。
 だから、その際には防衛線の推移を常に分単位・時間単位で予見していなければならない。
 情報戦を司る彼女たちには何よりもそれが必要とされるのだ。

「よし、第9中隊(エルルーン)全機、発進! 社少尉機を中心に先頭はB小隊、両翼をA、C小隊で固めて!」
『了解!』
「なお、これより社少尉機のコールをヴァルキリー1とし、本中隊は別命が下るまでヴァルキリー1の護衛を最優先任務とする」
『了解!!』
『B小隊、先行します!』

 心身を一瞬で中隊長としての鎧衣美琴に戻し、彼女は部下に対して移動と陣形の指示を出す。状況が状況であるだけに、結局は戦列に加わることになるのだろうが、あくまで現在下されている任務はSu-37とその搭乗士である霞と純夏の護衛だ。
 敵が目の前に迫っていることに惑わされて、それを軽視してはいけない。現状、彼女たち第9中隊(エルルーン)に許される交戦は、Su-37が戦闘に巻き込まれた際、あるいは巻き込まれる危険性が高い場合のみなのである。
 その確認に隊員たちも声高に呼応し、中隊副長は自身のB小隊を率いて先導する形で空中へと身を翻した。霞のSu-37はその真後ろにつく形で大地を蹴り、第9中隊(エルルーン)の両翼中隊はその側面から後方を固める形で同時に移動を開始する。


 時刻はもう1142。
 既にその時、南部防衛線の最前線では、BETAとの戦闘が始まっている。




 BETA上陸開始の一報を武が受けたのは、彼が率いる第27機甲連隊の271戦術機甲中隊(セイバーズ)と、一時的に指揮権を得た戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第7中隊(ヒルド)と第8中隊(ランドグリーズ)の3個中隊が、バーミンガムとロンドンの丁度、中間地点に展開した時だった。
 当初の予想通り、BETA群はドーバー海峡を渡ってイギリスに侵入し、海岸線で大きく展開。全幅約200kmにも及ぶ上陸地点を確保して、沿岸守備隊を圧迫している。
 レーザー属に限らず、BETAは水際での殲滅が非常に有効なのだが、それも対処出来る物量という前提条件が付く時のみだ。上陸開始と同時にロンドンを出撃した支援火器車輌が面制圧を始めたが、敵は既に突撃級がその砲撃を浸透突破している状態だった。
 また、この領域は連合艦隊による海上支援が事実上、行えない場所でもある。
 ドーバー海峡を筆頭に、この周辺海域は陸と陸の幅が非常に狭まっているため、艦隊を差し向けても陸上のレーザー属から狙い撃ちにされるだけ。今回において言えば、敵は既にグレートブリテン島南部とフランス北部の両方に展開しているので、海峡に戦艦を浮かべたところでほとんど何も出来ずに嬲り殺しにされるだろう。

『敵の第1陣が第1防衛線に展開した守備隊と接触しましたね』

 荒野の彼方を見据える武に、マリアが実に面白くないといった口調で声をかけてくる。網膜に映し出される情報を確認すれば、確かに敵の先頭が最前衛の守備隊と交戦を開始していた。
「ああ。どれだけあそこが保つか、厳しいところだな」
 それに相槌を打ちながら、武も表情を歪ませる。マリアも厳しいことだと分かっているのか、無言の肯定のようなものを示してきた。
 対BETAにおいて重要なことには、防衛線の厚さもある。総力戦とは言われているが、元々、物量に差があり、手の足りない人類側は層を厚く取らざるを得ないのだ。特に、侵攻するBETAの場合は一心不乱に目的地に向かって突撃を繰り返すため、防衛線が維持されていてもその突破を許すことは必至だった。

 人類が織り成す防衛線は言わば篩の類だ。前の篩をすり抜けてきたBETAを、次の篩で絡め取り、敵の突破を防ぐ。
 ただでさえ物量で劣っているにも関わらず、BETAの突撃戦術から防衛対象を守るため、人類は戦力を分散しなければならないのである。

『ロンドンの南東に防衛線が3つ……確か、うち1つが車輌戦線だったね』
「実質、交戦するのは前の2つに展開した戦術機部隊だ。第1防衛線の全滅が近づけば、第3防衛線の戦力が後退を開始し、第4防衛線の戦力が前進を開始する」
『つまり、私たち……ですよね』
 呟く珠瀬壬姫に武は黙ったまま頷く。第3防衛線は車輌部隊で構成されているため、実質的には防衛線と呼べない。その部隊を敵の強襲から守るため、彼らの後退と同時に武たちを含めた南部中央第4防衛線の戦力は前進する必要がある。

 BETAとの戦いにおいて、戦術機と車輌はどちらも必要不可欠なのだ。どちらかの潰滅が確実となれば、恐らく程なくして司令部はリバプールの放棄を決定するだろう。
 即ち、事実上、イギリスの陥落だ。

 だから、武たちは砲撃部隊を死守し、砲撃部隊は戦術機部隊を死守する構図が常に成り立っているのである。
『白銀中佐。リィル・ヴァンホーテンです』
 その時、プレストンで管制支援を務めるリィルから通信が入る。距離が随分と離れているため、回線を引くか中継器を介する必要があるのだが、今はまだどちらも機能しているため可能な芸当だった。
 戦闘が始まれば、いつまでも司令部や管制室と交信が続けられる保障はどこにもない。
「こちらセイバー1。そっちはどうだ? リィル」
『戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の方々も含め、駐留部隊すべてが防衛線へ編入しました。それと、第9中隊(エルルーン)と社少尉がリバプールへ向かっています。恐らく、1時間以内にはそちらへ合流する筈です』
「霞……Su-37か。分かった。残りの部隊は全部、東部防衛線へ加わったってことだな?」
 Su-37をリバプールへ向かわせたのは、単純にそれを守る意味もあるかもしれないが、香月夕呼の性格を鑑みれば、寧ろそちらも出撃させるつもりだろう。それも、本来の目的を達する意味で、だ。
『はい。現在、残る基地要員は退避準備を完了し、戦闘支援に入っています』
「了解。危険だと思ったらすぐに撤退しろ? うちの防御施設はリーズなんかとは比べ物にならないくらい粗末だからな?」
『了解しました』
 分かり切っていることだが念のため武が釘を刺せば、リィルも「心配要りません」と言うように笑って答える。尤も、今の武の言葉は正式な「撤退許可」を意味しているため、明言しておくことは決してマイナスにはならないだろうが。
 武に対し、改めてリィルは敬礼し、そのまま回線を切ってゆく。彼女たちが主に支援しなければならないのはこちらではなく、東部の防衛線だ。いつまでも油を売っているわけにはいかないのである。
『こっちに向かってきているのは鎧衣?』
「らしい。夕呼先生からSu-37の直援を命じられたんだろ? 本当なら、もっと戦力を割きたいところかもしれないけど」
 彩峰慧からの問いかけに武は頷き返す。戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)が今現在、課せられている任務を考えれば、本来、Su-37の直援には全中隊がつく筈だ。しかし、置かれている状況がそれを許していない。

 第27機甲連隊と戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の戦力は二分され、南部と東部の防衛に当てなければならないこの状況下では、Su-37に多数の戦力を割くことが許されないのだ。

『私たちも、直援に入るんでしょうか?』
「分からねぇ。合流する以上は、お互いに支援には入るだろうけど、別命が下らない限り直援は美琴たち第9中隊(エルルーン)だけになるんだと思うな」
『………そだね』
 壬姫の疑問にはっきりと武が答えれば、慧が長い沈黙の後に同意する。彼女たちのその表情は、わずかに複雑そうなものだった。
 無論、複雑なのは武も同じだ。Su-37が投入されるということは、鑑純夏も出撃するということに他ならない。任務として課せられておらず、指揮を任された者である以上、武は常に軍人としての双眸をもって取捨を迫られている。

 だから、もし今、誰かに「あなたはどこまで私情を反映させますか?」と問われれば、恐らく武はかつての中隊長と同様の回答を述べるしかないのだろう。

 たとえ反映させたとしても、他人にそれを悟らせないように手を打つ、と。

 残念だが、目の前で純夏が死んでゆくのを見られるほど、武は強靭でもなければ冷酷でもない。それに近しい状況になった時、どこまで冷静でいられるかなど、武本人にもまったく想像など出来ない。

 それでも、自分の手で守ることが出来るほど傍にいて欲しいと願うのは、勝手なことなのだろうかと武は内心、悩む。

『……いいよ。私たちの大本の任務は鑑と社の護衛だし、今の指揮官は白銀。だから、命令が下されれば従う』
「無能な上官の誤った命令には異くらい唱えろよ? 彩峰」
『大丈夫、それは私の専売だから。それに、白銀が無能じゃないことくらいは知ってる』
 幾ばくかの皮肉と、大きな自嘲を込めて武が答えると、それすらも見透かしていたように慧は不敵に笑って言い返してくる。彼の知り合いの中で、彼女は一際そういったことに頑固な人間だった。
 その彼女が「従う」と、「無能じゃない」と言ってくれたのだから、少しくらいは胸を張ってもいいのだろう。だから武も小さく笑い返す。
『それに、縦横無尽に暴れ回って敵を惹き付けるのは、中佐の十八番でしょう? 間接的にも友軍の安全を高めるのは、名将の成せる業ですよ?』
『じゃあ、たけるさんは名将ですね』
 そう言って、くすくすと笑い合うマリアと壬姫。いや、笑っているのはどうやら彼女たちだけではなく、武の指揮下に置かれた中隊の隊員たちの中にもいるようだ。
 からかいやがって、と武は鼻を鳴らすが、叱責することはしなかった。これは、彼らにとって戦闘前の緊張を解す最後の機会なのだと、武は理解しているからだ。

『武君、聞こえる?』

 そこに、同じ南部防衛線の中央に展開している斯衛軍第2大隊の将 朝霧叶の顔がその網膜に投影される。
「ええ、聞こえます。どうしました? 朝霧中将」
『第1防衛線の残存戦力が後退を開始したわ。同時に、第3防衛線の戦力も後退を開始している』
 朝霧がそう言うと同時に、武の網膜に新着の情報が表示された。先頭集団と交戦していた第1防衛線の損耗が既に40%に達している。元々、そこに配備された戦力は第4、5、6防衛線のそれとは比較にならないほど少ないものであったため、止む無いと言えば止む無いことだ。
 これで、実質的に海岸線の支配権はBETAに奪取されたことになる。
「俺たちの出番……ってやつですね」
『そうね。ここで半数以上は殲滅したいところだわ』
「半数以上……3万以上ですか。それは、支援砲撃がどこまで活かし切れるか次第です」
 本気とも冗談とも取れない彼女の言葉に、武は同じように本気とも冗談とも言えない言葉で返す。
 南部防衛線に配備された戦力は、規模としては欧州国連軍の総力に等しい。これが侵攻するBETA群をどれだけ磨耗させることが出来るのか、正直、武にも明確な想定が出来ない。
 そもそも、武とてこれほどの規模でぶつかる防衛戦に参加したことはないのだから。

『いいことを教えてあげるわ、武君』
「何ですか?」
『友軍の能力を活かし切る采配を揮える人物こそ、名将よ』

 彼女のその言葉に、武は思わず唸り声を上げる。恐らく、今までの話を密かに傍受していたのだろう。斯衛軍切っての智将は本当に意地が悪い。

『それじゃあ、“白銀中佐”、御武運を祈っているわ』
「こちらこそ、中将の御武運を御祈りしますよ」
 表情を引き締め、お互いの無事を祈り合う武と朝霧。年齢にも経験にも天地ほどの差があるが、それでも両者は部隊を率いる者として、猛将の一角に数えられる衛士だ。それ以上の気遣いなど寧ろ無粋だろう。
 敬礼の格好のまま朝霧はふっと口元を緩め、何も言わずに回線から外れてゆく。戦域が近いため、直接肩を並べることはあるだろうが、再び直接顔を合わせるのは戦闘が終わってからになる筈だ。

「全中隊、前進開始! これより後退する車輌部隊を支援するため、敵先頭集団を迎撃する! 死力を尽くせ!!」
『了解!!』
 真っ直ぐに地平線の先を見据え、武は高らかに進撃の宣言を下す。それに答える形で臨戦態勢のまま両翼から進軍を開始するのは彩峰慧の第7中隊(ヒルド)と珠瀬壬姫の第8中隊(ランドグリーズ)だ。
 それに数秒遅れる形で、武自身もまた直下の271戦術機甲中隊(セイバーズ)を率いて、先頭を切って大地を蹴る。



 轟音が木霊する戦場は、もう近い。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第65話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:872a4251
Date: 2008/02/11 21:35


  第65話


 後退する戦車部隊と入れ違う形で展開した武たちが最初に接触したのは、セオリー通り、逸早く面制圧と防衛線を突破してきた突撃級の一団だった。既にその後方には数体の要撃級が迫ってきているのも、武の目から確認出来る。

「補給コンテナは確保されている! 片っ端から血祭りに上げろ!!」
『了解!!』
 高らかに宣言すると同時に、直下の271戦術機甲中隊(セイバーズ)の前衛小隊3機が正面から迫る突撃級の群れへ吶喊した。体当たりを左右に躱し、36mmで次々と侵攻する突撃級を大地へと沈めてゆく。
 武はそのもんどりうつ突撃級の脇をすり抜けて侵攻する闘士級と兵士級に36mmを浴びせながら、自身も前進。マリアもそれに追従する形を取る。
 先月の再編によって、武のホームポジションは右翼から中隊中央へと移っていた。配置としては前衛小隊後方にあり、中隊全体を見ながら主に正面の支援に回るポジションだ。
 両翼4機、前衛3機、中央に武とマリアの分隊を置くという特殊な形は、中隊長と副隊長両者の実力と連携が良好でなければ成し得ない。
『第7中隊(ヒルド)全機、後続の要撃級を黙らせるよ。続け!』
 突撃級と小型種の群れを噴射跳躍で飛び越え、彩峰慧は部下を率いて敵中に躍進する。この戦域にはまだレーザー属の存在は確認されていないため、高度ならばある程度は取れた。恐らく、レーザー属のほとんどが支援砲撃の降り注ぐ第2防衛線付近で足止めを喰らっているのだろう。
『2時方向より要撃級7! 戦車級約200!』
『要撃級はこっちで沈めます! 戦車級を突破させないで!』
『了解!!』
 部下の報告に言うが早いが、壬姫は手に持った支援突撃砲を唸らせ、瞬く間に先頭の要撃級を撃墜した。先頭の轟沈に後続の要撃級は一瞬、動きが鈍る。その一瞬の隙を逃さず、突撃した前衛小隊の2機が長刀を薙ぎ払って続けて3体の要撃級を絶命させる。
 それにも構わず前進を続ける戦車級の正面には彼女旗下の強襲掃討装備の不知火が2機、立ち塞がり、36mmの掃射で一思いに蹴散らしていった。

『第4防衛線展開戦力のすべてが接敵しました。右翼方面でも同程度の戦闘が始まっているようです』
「右翼……速瀬中佐たちの方だな。やっぱり、あっちにもかなりの数を割いてきてるんだな、BETAは」

 第1陣の突撃級をすべて沈め、一時後退する前衛小隊に代わって武とマリアが前に出る。ほとんどのBETAは突出した慧たちに引き寄せられているが、それを無視した小型種と僅かな要撃級がその眼前に迫ってくる。
 互いに36mmで小型種を掃討し、武は長刀を引き抜いて要撃級に進撃。同時にマリアが36mmで後方から要撃級の群れを穿ち、“向かって右側に即席の安全席を確保”した。
 先頭の要撃級が振り上げた前腕を、武はそのスペースに潜り込むように右へ躱し、お返しとばかりに一刀で始末する。

「だけど、向こうは海からの支援も効いてるだろ?」
『ええ。イギリス海兵隊も無事にリバプール周辺海域に展開し、索敵に取り掛かったようです。連合艦隊による支援砲撃もしばらくは継続されるでしょう』

 浸透突破してきた先頭集団を全滅させた武とマリアは一時、後退しながらそう言葉を交わす。海兵隊が海中に展開したとなれば、そこを越えられるBETAの構成と規模は限られる筈だ。
 その索敵すらも潜り抜けられるほどの小型種によって構成された少数集団か、強引にその防衛線を抉じ開けるほどの大規模集団のどちらか。少なくとも、中途半端な規模ならば海兵隊が尽く蹴散らすに違いない。
 前者ならば奇襲は成功。しかし、既にリバプール沿岸に展開した車輌部隊と随伴機械化歩兵部隊によってほぼ確実に殲滅される。後者ならば奇襲にはならないため、南部や東部で戦う者にとっては言うほど慄く事態にはなり得ない。

 後手ではあるが、振り回されるよりかは何倍もマシだった。

『白銀、思ったよりも突破してくる敵の数が少ない』
 武たちに代わって今度は両翼の小隊が前に出たところで、突出していた第7中隊(ヒルド)が後退してくる。その中隊長である慧の言葉に、武は周辺を軽く見回した。

 確かに、侵攻する敵の規模と第2防衛線に健在の兵力を鑑みれば、もっと多数のBETAが突破してきても良い筈である。まともな支援砲撃を一度も要請していないにも関わらず、侵攻してくるBETAを彼らは一匹たりとも逃さず殲滅しているのだ。
 彼女の言う通り、突破してくるBETAの数は明らかに少なかった。

『第2防衛線が善戦しているってこと?』
『手数が足りない以上、突破される敵の数は多くなるのは仕方ない。善戦っていう問題じゃないと思う』
 右翼に寄ったBETA群を殲滅した壬姫も第8中隊(ランドグリーズ)に陣形再編を指示してから慧の報告に対して疑問を口にした。
 マップで確認する限り、第2防衛線の戦力が極めて善戦しているのは事実だが、圧倒的に物量差がある以上、それで敵の突破を防げるものではないのは確かだ。そもそも、それを見越した上での厚く構えた防衛線である。
「第2防衛線の損耗率は………もう20%か。確かにおかしいな」
 情報として表示される防衛部隊の状況と、センサーが捉えるBETAの展開状況を見比べ、武も思わず唸る。それでも尚、確実に36mmで小型種を殲滅しているのは、それが既に反射的なものとして身につけられた行動だからだ。

 足止めを喰らっているBETAの規模が大き過ぎる。本来であれば、当に防衛線を浸透突破してくることが確実である集団の動きまで、嫌に鈍い。
 ふと、武はそこで気が付いた。

 BETAは足止めを喰らっているから第2防衛線付近に密集しているのではなく、“目的を持って第2防衛線付近に留まっている”のではないか、と。

 目的は最初からリバプール周辺への侵攻ではなく、ロンドン付近にあったということだろうか。
『中佐! 第2陣が来ます! 要撃級が25! 戦車級以下小型種が約1200!!』
 武の傍らで支援突撃砲を構えるマリアの言葉に、彼の意識は再び戦場へと引き戻される。
 BETAの目的は定かではない。慧の指摘するとおり、第2防衛線付近に留まるBETAの規模が大きいのも確かだが、突破してくる敵がいる以上、不用意にここを離れるわけにいかなかった。
 加え、未だに想定を遥かに下回っているが、突破してくるBETAの数は右肩上がりになってきている。手を休める暇も、守りを緩める余裕もありはしない。
「―――――――っ!! 第7中隊(ヒルド)、再度吶喊! 第8中隊(ランドグリーズ)は右側から囲い込め! 包囲殲滅だ!!」
『了解!』
「271戦術機甲中隊(セイバーズ)は左から回り込む! B小隊、先行しろ!!」
『了解!』
 目的がロンドンより南にあるのならば、BETAがここまで侵攻してくることはそうない。リバプールとなればまずないだろう。しかし、実際にはBETAは執拗に、北上を試みているのだ。

 楽観視をするな、ここから北には市民の生活圏がある。それを守ることこそ、今の自分に課せられた任務である、と武は自己を律する。

 武が下す指示と同時に、3個中隊が一斉に行動を開始する。彩峰慧を筆頭に第7中隊(ヒルド)は先刻同様、要撃級の壁を抉じ開けて敵中に突入。半円を描くように包囲網を狭めながら、271戦術機甲中隊(セイバーズ)と第8中隊(ランドグリーズ)の各機が36mmで小型種を中心に削り始めた。
 武の眼前で真っ赤な体躯を持った戦車級の群れが、機体へ取り付かんと跳躍する。赤い壁となって迫る戦車級の一群に、武は身を退きながら続けて砲弾の雨を浴びせかけた。

『あぁッ!? 戦車級が機体に―――――――!!』
『今、ナイフで取り払う! セイバー6! セイバー8の前に入れ!』
『了解! お前は少し下がれ!』
「マリア! 突出して敵を惹き付ける! 援護しろ!!」
『は!』

 前衛に立つ8番機の機体に戦車級が取り付いたことで、一時的に制圧力が低下する。それをカバーするために武は自ら最前面へと身を翻した。
 精密機器を搭載する戦術機は、戦車級が機体に取り付いても、腕で払うということは出来ない。当然、36mmを掃射するわけにもいかないので対処は必然的にナイフ使用に限られる。
 迅速な対応が求められるその状況でも、戦車級の群れは次々と押し寄せてくるため、結果として多くの衛士がその餌食となってきた。
『精神を磨り減らされそうですね』
「それはいつもと同じだ………って言いたいところだけど……長引けば拙いのはこっちだな」

 マリアに頷き、武はキッと押し寄せるBETAの群れを睥睨する。
 最早、津波よりも性質が悪い。怒涛の勢いで押し寄せ、すべてを攫ってゆくとはいえ、波は引き際がある。しかし、BETAは基本的に退くことなど知らない。ただ、人類はその防波堤で必死に押し留めなければならないのだ。

 大地に散在するのは赤の大群。物量を武器とするBETAを語る上で外すことの出来ない戦車級の大群だ。
 まだ、いい。
 ここはまだ面制圧と第2防衛線を掻い潜ってきたBETAが到達しているだけだ。今、大多数の敵を惹き付けている第2防衛線では恐らく、戦車級によって埋め尽くされた戦場が広がっているのだろう。

 怖気が走る。

 数多の同胞を貪り喰らってきた連中が大地を埋め尽くす光景など、それ以外の何ものでもない。衛士にとっては、その恐怖を一定に保ち、勇気を持ってそれに対峙することが最大の戦いだった。

 武は長刀を振り抜き、正面の要撃級の首を刎ねる。その後続にはマリアが後方から36mmを喰らわせるので、彼も同様に突撃砲のトリガーを固定したまま空中に身を翻す。
 振り下ろす鉄槌は、容赦なく降り注ぐ36mmの雨だ。

『たけるさん! ベクター220方向から要撃級38! 真っ直ぐ北上しています!』

 壬姫の報告にその方位を見やれば、戦車級の壁の向こうで一路北へと歩を進める要撃級の群れが確かに存在していた。戦術機にとっては正面だって戦うBETAの代名詞だが、あの程度の規模ならば寧ろ戦車級より御し易い。
「第8中隊(ランドグリーズ)C小隊! そっちに回れ! 大型種は絶対に突破させるな!」
『C小隊、すぐに向かってください!!』
『了解! 小隊各機、あたしに続け!!』
 武から壬姫へ、壬姫からランドグリーズ3のコールを持つ衛士へと即座に指示が伝達される。38体を4機で対処するのは骨の折れる作業だが、彼らになら決して不可能ではないだろう。


 だが、第8中隊(ランドグリーズ)のC小隊が要撃級の群れを追撃するよりも早く、敵集団の先頭が進撃を止めた。


 その、首が飛ぶ。

 先頭を行く要撃級3体の首が瞬く間に飛び、その体躯が無数の砲弾で穿たれたのだ。

『こちら第9中隊(エルルーン)! 遅れてごめん!!』
 同胞の骸を踏み越えて前進する要撃級を中距離から突撃砲で撃ち抜くのは、砲撃支援装備の不知火を引き連れた鎧衣美琴だった。第9中隊(エルルーン)に属する強襲前衛装備の2機は既に要撃級の群れと入り乱れており、長刀と36mmで手近な敵から尽く蹴散らしてゆく。
「美琴か!!」
『うん! 正式にタケルの指揮下に加えてもらうよ!』
 先刻、リィルから伝えられた戦友たちの到着に、侵攻していた要撃級の群れは加速度的に削り取られてゆく。前方からは合計5機の不知火、後方からは第8中隊(ランドグリーズ)のC小隊に襲われ、ほんの一瞬で半数を超える20体もの要撃級がただの骸に作り変えられていった。
『白銀中佐! 要塞級の接近を確認! 第2防衛線を突破する敵の量が増えてきています!!』
「要塞級……! レーザー属も突破してきてる可能性が高いな……セイバー1より各機! 高度を取る時は注意しろ!」
 マリアの報告に、武の肉眼も地平線の向こうから悠然と行進してくる巨体の一団を捉えた。あれほどの巨躯を持つ要塞級が防衛線を越え始めたということは、その抑止力が徐々に低下し始めているということに他ならない。
「セイバー1よりHQ! 支援砲撃の開始を要請する! 第4防衛線に要塞級が接触するぞ!!」
『HQ了解。引き続き、第4防衛線にて敵の迎撃を継続してください』
「善処する」
 司令部の通信兵の返答に軽く鼻を鳴らしながら武は答える。別段、向こうの対応が面白くないわけではない。彼にとって、面白くないのはこれから繰り広げなければならない死闘だ。

 すべては、今日という日を生きて越えるために。

『白銀さん』
 1200にも及んだ戦車級の群れを包囲殲滅した武の下に、更に新参者から通信が入る。彼のことをそう呼ぶ人間は、親しい友人の中でも未だ1人しかいなかった。
「どうした? 霞」
 その人物、第9中隊(エルルーン)所属の6機に周辺を固められたSu-37のメインパイロットを務める社霞に武は首を捻りつつ、訊ね返す。彼女には悪いが、すぐ目の前まで敵が迫っているのだ。不用意な会話をしている余裕はない。
『……秘匿回線の使用許可を……要請します』
「秘匿回線……許可する」
 やや歯切れの悪い霞に、武は回線使用の許可を出す。多数の人間と多数のBETAが入り乱れる戦場は、彼女に武の想像を絶する無理を強いているのかもしれない。ただ、それを気遣うのはきっと霞の決意に水を差すことになるのだろう。
「マリア、しばらく指揮を任せるぞ」
『は』
 秘匿回線を使うとなれば、その内容は生半可なものではない筈だ。霞が武に向ける以上、それは直接的であれ、間接的であれ香月夕呼にも関わることであろうため、かなりの機密扱いになることすら予想出来る。
 流石に武とて、それを聞きながら正面切って戦えるほど超人ではなかった。なので、一時的に前衛をマリアに任せ、武自身はSu-37が構える位置まで後退する。

 丁度、そのタイミングで霞側から秘匿回線が繋げられた。

 瞬間、武の鼓動が飛び跳ねる。
 何故なら、秘匿回線で武の網膜に映ったのは霞ではなく、もう1人の操手である鑑純夏だったからだ。
『タケルちゃん!!』
 大丈夫か? そう武が反射的に口にするよりも早く、彼女が武の名を口にした。ただ、その呼び方にはどこか強い焦燥感が漂っている。
 武に報告しなければならないことがあるのは、恐らく純夏なのだろう。霞は、その上で秘匿回線を使うことを推奨したのに違いない。そうならば、今の武が促すことは1つしかなかった。

「どうしたんだ? 純夏」

 恐らく、何かを感じ取っているであろう彼女に報告を促すこと。戦友たちを1人でも多く生き残らせるため、自分自身を生き残らせるため、何よりも彼女を生き残らせるために、鑑純夏が読み取った情報の意味は大きい。

『―――――――――――じゃない』
「………………え?」
 だが、流石に純夏が次に紡いだ言葉には武もその耳を疑う。まさか、と思ったのだ。

 まさか、この防衛戦の戦局を大きく揺るがし得る情報が、いきなり彼女の口から飛び出すとは、流石に想定していなかったのだ。

「純夏……! 間違い……ないんだな!?」

 武は、一瞬の躊躇いを振り払って確認のために純夏へと訊ね返す。甲21号作戦、そして横浜基地防衛戦で発揮された彼女のリーディング能力とその結果、得られた情報の信頼性を鑑みれば、その行為は本当に確認の意味しか持たない。
 それほどまでに、00ユニットたる鑑純夏が得る情報の信憑性は高い。

『うん――――――――――――』
 純夏は再度、強く頷く。険しい表情をしているのは、接近するBETA群をリーディングした彼女だからこそ確信を持ち、それがあまりにも“恐ろしい事態”だと分かっているからだろう。
 あるいは、置かれている状況に身体的な苦痛を感じているのかもしれないが、今の武には容易に手を差し伸べることが出来ない。卑怯ながら、それは霞に託すしかなかった。

 純夏は再び、先ほどと同じことを伝えるために口を開く。


『BETAの目標はリバプールじゃないッ!! BETAの本当の目的は―――――――――――――――』









 南部防衛線の主力戦力がBETAと接触した頃、東部防衛線にも大きな動きがあった。

 ついに、グレートブリテン島東岸からBETAの上陸が始まったのである。

 既に欧州国連軍第2師団司令部より警告されたことで東部の防衛線の構築は完了しており、尚且つ、東側から上陸を果たしたBETA群の総数は未だ1万にも満たないという事実が、無駄な混乱を抑えている。
 砲撃陣地から海岸線に向けて絨毛爆撃は続いており、それを掻い潜ったBETAも第1防衛線の戦力が尽く薙ぎ払っているため、第2防衛線以降の戦術機戦力は臨戦態勢のまま待機を継続していた。

 榊千鶴率いる、戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第4中隊(フリスト)もその1つである。

「やっぱり……南から侵攻する敵の規模が圧倒的ね」
 網膜に投影されるグレートブリテン島の全域マップに表示されたBETAの分布図を確認し、千鶴はため息にも似た呟きを漏らす。
 推定個体数約7万。そのうちの5万以上が南側から北へと進撃している。いくら東側よりも多くの戦力が割かれているとはいえ、それを押し留めるのは至難の業だ。否、彼女の経験から言えば、おおよそ不可能に近い。

 そうである以上、人類はこの戦闘で必ず、難しい取捨の選択を迫られるのだろう。

『今は南のこと、考えててもしょうがないんじゃない? あたしたちの方と中佐の方、どっちが瓦解してもリバプールに攻め込まれるんだしさ』
 部隊を率い、爆音轟く地平線の彼方を見つめる千鶴の横に立ち、そう言うのは、不知火弐型を運用する第27機甲連隊の一角 273戦術機甲中隊(ハンマーズ)のエレーヌ・ノーデンスだ。
『こうなると、第2師団司令部の懸念は的中したってことになるんですよね』
『何か、副司令の入れ知恵があった気もしなくないけど』
 柏木章好の言葉に言い返すのは、彼の所属する273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の誰かではなく、第10中隊(フレック)を率いる彼の実姉 柏木晴子だ。香月夕呼のことをほとんど知らない章好にとっては寝耳に水だろうが、千鶴にとっては実に頷ける返答である。
 BETAの東岸上陸が確認された時点で、確かに第2師団司令部が危惧していた事態は現実のものとなった。尤も、ここまでは少しばかり特殊な経験と一定の権力さえあれば、決して辿り着けない回答ではない。

 事実、BETA襲撃の報を聞いた時、千鶴が真っ先に警戒したのは南からではない、“BETAの奇襲”だった。
 彼女だけではない。3年前のあの日、横浜基地での戦闘を生き残った者たちにすれば、あの二の舞は絶対に避けたいことなのだ。

『その推測、中佐も立ててたらしいぜ』

 晴子と章好の姉弟の会話に言を呈するのはまた別の中隊を率いる者だ。272戦術機甲中隊(ストライカーズ)のディラン・アルテミシアである。
『やっと来たの? 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)、遅過ぎじゃない?』
 副長であり、前衛小隊を任されているユウイチ・クロサキを先頭に隊列を組む272戦術機甲中隊(ストライカーズ)。それを率いるディランに対してエレーヌが返したのは、会話についての返答ではなく、非難だった。
 ただ、口には出さないが千鶴もそれには概ね同意である。

 先行して出立した273戦術機甲中隊(ハンマーズ)を除いて、プレストン駐留部隊は戦術特務機構連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)、第27機甲連隊の区別なく、同時に出撃を迎えることとなった。
 その中において、ディランの272戦術機甲中隊(ストライカーズ)は若干の例外であり、どういうわけか出撃が遅れたのだ。

『装備関連でちょっとトラブルがあったんだよ。俺としても間に合ってホッとしてるんだから、勘弁してくれ』
 苦笑気味にエレーヌの非難に答えるディラン。こういうところの応対は彼が生まれ持った地なのだろうか。それとも、彼らの上官である白銀武の影響なのだろうか。彼の有能さは訓練兵の頃から付き合いのある千鶴が一番よく分かっているが、それでも部隊風紀の管理となれば未だに首を傾げさせられる。
 そこまで考えて、ふと千鶴は「そういえば彼は教官も長らく経験していたか」と思い出し、意外とその辺りの管理も徹底しているのかもしれないと思考を翻す。

 軍隊でそれが正しいのかはさて置いて、風紀を管理するには無理に押さえつけるよりも懐柔してそれ自体を掌握してしまった方が何倍も良好な場合がある。
 千鶴はこの3年間でそれをそれとなく学んできた。

『装備関連? 大丈夫なんですか?』
『今は問題ない。何つっても、整備班長のお墨付きだから』
 トラブルと言う言葉に晴子が眉をひそめて訊き返すと、ディランは快活に笑いながら即答した。それならば出撃前からお墨付きを与えておいてほしいところだが、千鶴はその想いを心の中にしまい込んでおく。
『………で、状況は?』
「東岸部に全幅50kmに及ぶ上陸地点を確保したBETAが侵攻し、第1防衛線に接触しています。規模がそれほどではないので、まだここまでは到達してきていませんが、それも時間の問題です」
『南に比べればマシってだけで、あんまり笑える状況じゃないよ』
 表情を引き締め、戦況について訊ねてくるディランに逸早く千鶴は答える。そこに補足するエレーヌの言葉も実に尤もだ。規模がそれほどではない、というのはあくまで南部から侵攻するBETA群の規模と比較して、の話である。
 近代史で言えば、1万以上の侵攻はどうあっても大規模侵攻に分類されるのだから。
『まだ到達していない……小型種すら1体も?』
『そうらしいよ。僕たちの方には、まだ第2防衛線で戦闘があったって報告は来ていないし』
「………でも、確かにおかしいわ」
 その事実により険しい表情で反応を示すのはユウイチである。彼に答える形で第2防衛線の現状について口にするのはエレーヌ直下のヘンリー・コンスタンスだった。彼らの会話を聞いて、千鶴もようやく1つの違和感に辿り着く。

 物量差が歴然としているにも関わらず、小型種1体たりとも第1防衛線を越えてこないのだ。

 BETAは本来、目標に向かって一心不乱に突撃戦術を繰り返すことが通常である。その間に何らかの障害があれば、近距離のBETAは一時的に排除に乗り出すが、あくまでそれは手段に過ぎない。
 すべては、集団として目標に到達するための行動だ。
 そのBETAが、未だ第1防衛線で手間取っているというのは確かに奇妙である。蟻の子1匹通さないような防壁ならばいざ知らず、お世辞にも第1防衛線の防衛力はそんな万能なものに仕上がってるとは言えなかった。

 ならば、何故突撃級もその他の小型種も未だ第2防衛線に接触していないのだろうか。

『ヴァルキリー・マムより東部防衛線に展開中のヴァルキリーズ全隊。第1防衛線の戦力が後退を開始! 上陸中のBETA群が雪崩れ込んできます!!』

「『―――――――――――っ!?』」

 プレストンに留まっている涼宮遙から、唐突に接敵警告が発せられた。恐らく、同様の報告が入れられているのだろう。第27機甲連隊の各中隊衛士の反応も千鶴たちの反応とほぼ同時だった。
『後退開始!? 早過ぎる!!』
『支援砲撃の効果は!? レーザー属の数が多いのか!?』
 急激に慌しくなる東部第2防衛線。まだ第1防衛線の交戦開始から1時間も経過していない。それにも関わらず、既に第1防衛線はその維持を不能と判断して、第2防衛線への戦力併合を開始している。
 柏木章好の言葉通り、「早過ぎる」のだ。こちらがまだ1体のBETAと交戦していないにも関わらず、第1防衛線が瓦解するというのは、常識的に見てあまりにも早過ぎる。

 そう、前衛と後衛の損耗率に歴然とした差があり過ぎた。

『海岸線の重金属雲濃度は規定値を維持。砲弾撃墜率も10%以下です。ですが……防衛線付近は混戦状態となっていて、支援砲撃は敵後続を削り取るだけで精一杯なのです』
『後続を削り取るだけって……それで充分な機能じゃないんですか!?』
『流入する敵の突破率が低いことが原因と考えられます。面制圧を突破して流入してくる敵総数が、第1防衛線の戦力が対応出来る数を上回っているため、防衛線は混乱状態です』
「BETAが……防衛線を突破してこない……!?」

 遙の言葉に、千鶴は自ら呟いた言葉で絶句に追い込まれる。オリジナルハイヴに突入した経験を持つ彼女の背筋すら、この状況下では冷たく凍りついた。
 人類は、最終的にBETAを突破させないためにギリギリまでBETAを“突破させる”戦線を作るのだ。ある程度までBETAが次の防衛線へと突破していってしまうことを見越して、前衛となる防衛線の戦力は割り振られている。

 それが、1体たりとも第2防衛線まで到達せず、すべてが第1防衛線に留まっている。完全に、対処出来る範疇を超えてしまっていた。

『敵前衛集団、来ます!! 突撃級……42!! 数が多い!!』

 近隣の部隊の中で最も前にいる273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の柏木章好が敵の接近を呼びかける。侵攻する敵集団を削りながら後退する第1防衛線の残存兵力より、真っ直ぐ鉄砲に突進してくる突撃級の方が速かったのだろう。
『ハンマー1よりHQ! 交戦を開始する! B小隊、先行して!!』
『了解!』
『片っ端からぶち殺せ! ユウイチ、行くぞ!』
『了解』
 敵の接近に、どこよりも早く第27機甲連隊の2個中隊が動く。両隊の雄である章好とユウイチの2人が先陣を切って敵に向かって前進を開始。彼らの上官である連隊長の影響か、吶喊への移行は早い。

『榊、私たちも行くよ!』
「……ええ、分かっているわ」

 晴子の呼びかけに、千鶴は短く応じる。どちらにせよ、ここも瓦解すれば東部防衛線は後がなくなると言っても過言ではない状況に追い込まれる。そうならないために、ディランが鼓舞したよう、片っ端から侵攻してくる敵を薙ぎ払うしかない。

「第4中隊(フリスト)各機、迎撃しなさい!! 1体も通すんじゃないわよ!!」
『了解!!』
 一抹の恐怖を振り払い、千鶴は自分自身と部下を同時に奮い立たせて声高に迎撃の厳命を下す。


 これより戦闘が終わるまでの間、東部防衛線を支える一角となる彼女たちがBETAの行動の真意を知るのは、接敵からわずか10分後のことであった。










「人類戦力の削ぎ落とし!? BETAが、ですか!?」
 西側を南から北へと駆け上がるBETA群を、部隊を率いて迎撃していた速瀬水月は思わず声を上げる。一時、補給のために後退した彼女へ第2師団司令部から繋げられた回線は、常用のオープンチャンネルではなく、秘匿回線だった。

 無論、通信の相手はただの通信兵ではない。
 事実上、彼女たちの行動を掌握している香月夕呼だ。

『ええ。今、情報収集に出した社と鑑が逸早く察知したわ』
 網膜に映る夕呼は、厳しい表情でそう答える。情報の出所はとにかくとして、収集から解析までが異様に早過ぎる気がするが、それは恐らく彼女たちが“特殊”だからなのだろう。

 これはあくまで水月の直感だが、彼女たち……いや、鑑純夏は“そういった類の能力”を秘めている。桜花作戦の時も、香月夕呼は人類が今までどんなに研究しても明らかに出来なかったことをほぼ確信をもって語っていた。あれは恐らく、戦闘が行われている一晩の間に収集し、解析された情報なのだろう。
 そこに、鑑純夏が関わっていたのかどうかは確信が持てないが、彼女がA-01にやってきた頃から、事態は加速度的に進行したのではなかったか。
 否、事態が加速度的に進んだのは、何も彼女がA-01にやってきてからではない。白銀武の周りで、“大きな黄色いリボンをつけた少女の姿”が目撃されるようになってから、という方が正確な言い方だろう。

 確か、甲21号作戦で“無人機”の凄乃皇が投入され、全ハイヴの地下茎構造マップを香月夕呼が入手したのはその直後の出来事だった筈だ。

 もし……もしである。
 もし、あの作戦の時、凄乃皇が本当は“無人”ではなかったのならば。実際には“誰か”が乗っていたのだとすれば、該当者は1人しかいない。
 それならば、何故、あの時に白銀武が主機の回収任務を任されたのか、合点が行く。
 白銀武はあの時、凄乃皇に彼女が乗っていることを知っていた、A-01唯一の衛士だった。そして、香月夕呼は彼女が乗っているということを他人に知られたくはなかった。
 だから、回収任務は彼にしか任せられなかった。
 主機回収を建前に、本当は凄乃皇のパイロットを救難するために。

『BETAの目的はイギリスの制圧じゃない。人類戦力の間引きに過ぎないのよ』
「ヤツらの突破率が低いのは、それが理由ですか?」

 続ける夕呼の言葉に水月は確認のため、そう問い返す。
 真実だろうがただの妄想だろうが、鑑純夏のことを深く訊ねることは水月たちにとって一種の禁忌だ。それに、訊ねてしまうと、それを知らなければ彼女のことを守れないかのように思えて、自分自身の弱さが許せなくなりそうでもあった。

 だから、彼女たちは問答無用で鑑純夏の護衛を果たすのである。
 誰にだって他人には知られたくない秘密の1つや2つあるだろうし、それを明かさなければならない義務もない。ただ、彼女の場合はその秘密が少しばかり他人より大きく、重かっただけだ。
 そう考えるように、水月はしている。

『恐らくは、ね。BETAは第1防衛線の戦力から確実に潰そうとしている筈よ。だったら、無理に突破して、不用意に散開する必要はないわ』
「人類戦力すら虱潰し………吐き気がしますね」
『吐いて楽になるならそうしなさい。それに、右翼はまだマシよ。白銀たちがいる中央はこのまま行けば1時間以内に3万以上のBETAが波状攻撃を仕掛けてくるわ』
 思わず舌打ちをする水月に、夕呼は鼻を鳴らして冷たく突き放す。尤も、自分が夕呼の立場で部下がそんなことを言っていれば、きっと同じようなことを返していただろう。
 そのくらい、弱音を吐きたいが吐けない状況にあった。

 3万以上のBETAが波状攻撃。正直に言えば、洒落にならない。
 だが、BETAが防衛線を突破せず、残存戦力を虱潰しにしようとしている以上、それは間違いなく訪れる事態だ。
 打ち勝つには、如何に前衛の戦術機部隊が敵を足止めし、後衛の砲撃部隊が面制圧で一掃出来るかが鍵となる。それも、通常の戦闘よりもよりシビアに、だ。

『今、式典参加でリバプールに駐留していた帝国軍部隊も合わせて、後方の防衛線の戦力が順次、前進を開始しているわ。事実上、そこが総力戦の要になるわね』
「了解。必ずここで押し留めます」
 水月はそう答え、敬礼を返す。
 要は、敵が防衛線の戦力を虱潰しにしながら侵攻しているのならば、最前衛の防衛線に兵力を集中させれば良いだけの話だ。今までだって充分に総力戦の体だったが、これで正真正銘、真っ向からの総力戦になる。
 実に分かり易い。
 分かり易いのは、水月だって嫌いじゃない。

 よく考えろ。
 BETAの今までとは明らかに異なった行動に困惑させられているが、これは防衛戦という不利な状況を打開し得る事実だ。
 BETAがこちらの戦力を間引きするため、前衛から虱潰しにしているのならば、これは敵を押し留める防衛戦ではなく、お互いを削り合う合戦に等しい。


 つまり、長らく人類を苦しめてきた防衛戦の厄介さは、その実、既に解消されているのではないだろうか。


 人類の火力が勝るか、BETAの物量が勝るか。それだけの勝負だった。

『速瀬』
「何でしょうか?」
 夕呼に名を呼ばれ、水月は問い返す。こういう時は大抵、無理難題を任務として吹っかけられるのだが、それが戦況を覆し得ることならば拒否する理由もない。

『生き残りなさい。簡単に死ぬんじゃないわよ?』

 だが、その口から飛び出してきたのは思いもかけない労いと激励の言葉だった。あるいは、「生き残れ」という命令なのかもしれないが、どちらにしたって香月夕呼の言葉としては実に異色である。
「………了解。一緒に今日を越えましょう、副司令」
『……………期待しているわ』
 水月が頷き、そう答えると夕呼は長い沈黙の後、不機嫌そうな表情で呟くようにそう言って、秘匿回線を切っていった。
 期待しているなど、彼女には実に似合わない言葉だ。香月夕呼は普段から、他人の働きになど大きな期待はしていないだろう。しているのは、妥当な水準を定め、課した任務が遂行されることを当然のように考えること。
 そんな彼女から発せられた「期待している」という言葉に、水月はほんの一瞬だけ、可笑しそうに小さく笑った。

 だが、すぐにその表情は軍人としての凛としたものに変貌する。

「スクルド1よりヴァルキリーズ各機。今から司令部が解析したBETAの目的に関する情報を提示するわ。その意味をよく理解した上で、この戦いに集中しなさい!」
 オープンチャンネルを開き、水月は即座に旗下部隊へとBETAの目的の真意を伝える。本当の情報元については一切明かさないが、それを疑うほど隊員たちには余裕などないだろう。

 今は、鑑純夏を信じるしかない。
 毒を喰らわば皿まで、とは思いたくないが、仮にこれを毒だとすれば白銀武が以前から対面していた皿にはそれこそ猛毒が山のように盛られていたに違いない。
 ならば、先任である自分が腹を括らずして、誰が括るというのか。

『ベクター180より敵の侵攻を確認! 要塞級6! 要撃級49……重光線級が5!!』
『HQよりスクルド1。これより支援砲撃を再開します。引き続き戦線を維持してください』
『ミスト1より第2中隊(ミスト)各機! 支援砲撃の再開と同時に敵前衛を抉じ開け、重光線級を殲滅する! 行くぞ!』
『レギンレイヴ1より第5中隊(レギンレイヴ)各機。B小隊は要撃級以下小型種の掃討、レギンレイヴ5、7、10は支援突撃砲で要塞級を狙撃。残りの者は私に続け!』

 いよいよ敵主力の侵攻が目前となり、にわかに周辺の士気が高まり始める。元より、こちらが投入出来る戦力に大きな増加はない。ならば、これより戦闘が終わるまで彼女たちを支えるのは培った能力への信頼と、士気だけであった。
 それをきっと、誰もが無意識的に分かっているのだろう。

「第1中隊(スクルド)は第2中隊(ミスト)の援護に入るわよ! 戦車級は全部血祭りに上げなさい!!」
 水月は部下を鼓舞しながら、右手に持った長刀を背部のブレードマウントに戻し、両手に突撃砲を装備する。小型種の相手をするのに長刀など使いようもない。


 今の彼女の脳裏を過ぎる最大の不安は、いったいいつまでこの補給線を維持することが出来るかどうかだ。
 戦いの行方は、人類側が如何に迅速に無駄なく補給を続けられるかどうかにかかっているのだから。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第66話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/01/11 19:37


  第66話


 南部防衛線 右翼。
 前衛となってBETAの猛攻を抑えていた第2防衛線の戦力が正式に後退を開始して10分。既にそこには秒単位でBETAの一集団が押し寄せてくる、地獄のような戦場と化していた。

 御剣冥夜はその中、指揮下にある第5中隊(レギンレイヴ)各機を率いて、敵中で躍っていた。

 部下あるいは友軍によって押し開かれる空間を巧みに利用し、襲いかかってくるBETAを手当たり次第に殺戮してゆく。
 手近な要撃級の首を刎ねれば、その向こうに覗かせる後続のおぞましい顔面には36mmを。大地を埋め尽くす戦車級を突撃砲の掃射で薙ぎ払えば、そこに作られた赤絨毯を行進し、我が物顔で侵攻してくる要塞級へと部下を率いて吶喊する。

「はあああああああああああッ!!」

 振り回される巨大な衝角を躱し、そのまま要塞級の懐へ。高らかに咆哮しながら長刀を振り抜き、その下腹部を付け根からぶった切る。同時に両側に展開した2機の不知火が36mmをその巨躯へ集中砲火し、要塞級の生命力を瞬く間に削り取っていった。

「次! 8時方向、要撃級32! 薙ぎ払うぞ!!」
『了解!!』
 崩れ落ちる要塞級の下から退避した冥夜は、周辺の戦車級に36mmを浴びせながら部下に次の指示を出す。

 その意味をよく理解した上で、戦いに集中しろ、か。

 先刻、BETAの目的についての情報が提示された折に水月が述べた忠告だ。この状況に立ってみて、思わず「成る程」と頷かされる。
 これまでのような防衛戦の場合、冥夜たち人類側はある程度の損耗を覚悟の上で突破しようとするBETAを優先的に攻撃してきた。しかし、今回の場合、BETAの目的は突破ではなく人類戦力の削ぎ落としであるのだから、そのような優先順位をつける必要はない。
 強いて言えば、通常通り、レーザー属を優先的に叩く、程度のものだろう。
 BETAの目的が突破にあらず、人類戦力の殲滅ならば、冥夜たちが目指さなければならないのはまず生存であり、その次に敵の殲滅だ。第4防衛線の戦力が残っている限り、大部分のBETAは次へ侵攻出来ないのだから。

 尤も、それは“今”のBETAにしか通用しないだろう。

 桜花作戦以前も含め、敵がこれまで見せてきた対応能力を鑑みれば、BETAがいつまでも戦術機に惹き付けられ続ける筈がない。今日、明日に敵の狙いが変わるとは思えないが、同じような戦闘を10年も20年も続けることは恐らく不可能だ。

 いつか、必ずBETAは戦術機によって構築された防衛線を抉じ開け、後方の砲撃陣地から潰しにかかるようになるに違いない。
 そうなれば、再び防衛戦において最も厄介な特徴が息を吹き返す。
 そして、人類の戦力が加速度的に磨耗を始め―――――――――



 数年の時を待たずして、BETAの支配圏は再び急速な拡大を開始する。



 冥夜は軽く頭を振る。先のことを考えるのは、まず今日という日を乗り越えてからだ。起こってしまったことは最早どうしようもない。それを如何に、最善の手段で対処するかにかかっている。
 冥夜は前進する速度を緩め、120mmで先頭の要撃級を牽制。その隙を突いて第5中隊(レギンレイヴ)のB小隊が即時吶喊し、長刀の一撃と至近距離で放つ36mmの火力で手近な要撃級から次々と沈めていった。

 一瞬で、B小隊4機を中心とした円形の安全地帯が確保される。

『御剣大尉!! 3時方向から要塞級5、突撃級13、要撃級33、接近中!!』
「了解! 小型種は………くっ……計測不能かッ!!」
 再び隊列を組み直す第5中隊(レギンレイヴ)。そのB小隊を任せる副隊長の報告に、冥夜は思わず呻き声にも似た呟きを漏らした。
 支援砲撃で敵後続を削り落としてこの規模だ。断続的に繰り返される砲撃の向こう側は、更に酷い地獄なのだろう。唯一の救いはそれを突破してくるレーザー属の数が少ないことである。
 砲撃と砲撃の合間を狙って突破してくるBETA群が、今の彼女たちにとって最大物量の敵だ。もし、支援砲撃が止めば、冥夜たちは四方八方見渡す限りの大地を埋め尽くしたBETA群に蹂躙されるに違いない。
「突撃級は無理に相手をするでないぞ! 奴らはやり過ごしてしまえばどうということはない!!」
『了解!』
 先行して駆けてくる突撃級を一瞥して、冥夜はそう警告を発する。敵の目的が防衛線の突破でない以上、旋回能力の低い突撃級は急を要して始末するべき相手ではない。躱してしまえば、目標を他に移すか、時間をかけて再び戻ってくるしかないので、悠々と他のBETAを相手に出来る。

『Wブラッド1よりレギンレイヴ1! やり過ごした突撃級はこちらで対処する! 第5中隊(レギンレイヴ)は存分に暴れられよ!』

 そこへ、冥夜たちの後方に展開した斯衛軍の182中隊の指揮官 巴雪乃から通信が入る。冥夜たち同様、未だ12機を保っている日本の精鋭は、冥夜たちが後方を気にする必要がないように、と支援を買って出たのだ。
「っ!! 感謝します! 各機、聞いての通りだ! 私に続け!!」
 その通信に一瞬、驚いた冥夜だったがすぐに巴へ礼の言葉を告げて、部下にも吶喊命令を下す。後ろを気にしなくて良いというのは非常に魅力的なので、その申し出は確かに有り難かった。

『要塞級はこちらで足止めします!』
『B小隊は要撃級を殲滅する! 私に続きなさい!』
『戦車級の数が多いぞ! レギンレイヴ8、一掃してくれ!!』
『了解! 突破口を作ります!!』

 長刀を携えたまま、突撃砲で敵を一掃する冥夜に続き、部下も一斉に展開を開始する。
 支援突撃砲を装備した機体が遠距離から要塞級を牽制し、侵攻を継続する要撃級から少しでも引き離す。その状態を見計らってB小隊4機がセオリー通りに要撃級へと斬り込み、残るA、C小隊機はその後方支援に入った。
 B小隊が要撃級の前衛集団を薙ぎ払ったところで、冥夜も部下1人を伴って前進する。攻撃の中心を36mmから長刀へと切り替え、接近する要撃級の前腕を打ち払った。

『御剣大尉! 要塞級の相手は我々に任せられよ! 2分とかからず片をつける!!』
「感謝致します、月詠少佐!」
 自分の脇をすり抜け、部下を率いて真っ直ぐに要塞級へと突撃する真紅の武御雷。その衛士 月詠真那に冥夜はそう応じながら、1度、レーダーを確認した。
 支援砲撃を突破したBETAは、最前衛まで突出した冥夜たち第5中隊(レギンレイヴ)を緩やかに包囲し始めてきている。そこに対して、第18大隊の救援は彼女たちが孤立する前に打たれた方策だった。
『戎! 183中隊を率いてベクター150より接近中の敵群を迎撃せよ! 時間を稼ぐだけで充分だが、殲滅しても構わん!!』
『了解! 中隊各機、続いてください!』
 要塞級の周囲を旋回しながら36mmをばら撒く月詠が、旗下の183中隊に対して別働の命を下す。交戦中の敵を確実に殲滅するために、接近中の敵を戎たちに足止めさせようという考えだ。

『御剣、ここは第2中隊(ミスト)と18大隊で引き継ぐ。第5中隊(レギンレイヴ)は1度下がって補給に入れ』

 武御雷を追従する形で、今度は冥夜たちと同じ蒼穹の不知火の一団が彼女たちの横を駆け抜けてゆく。その中隊を率いる宗像美冴は、1度冥夜の隣で速度を緩め、そう告げてから自らも長刀を構えて進撃していった。
 冥夜の手持ちの弾は36mmで総数およそ1800。多少、装備と配置によって増減するだろうが、部下もほとんど変わらないだろう。数としては決して少なくはないのだが、補給が出来るのならば今のうちにしておく方が得策だ。

 間違いなく、戦闘が進むにつれて補給は困難を窮めてくる。悠長に補給をしている暇は既にないが、今後、補給の機会さえ訪れないかもしれない以上、行える時に行うのは当然のことだった。

「は! 防衛線後方まで後退し、給弾する! 第5中隊(レギンレイヴ)各機は即時後退せよ!」
 だから、冥夜はすぐさま部下に対して後退命令を出す。自分たちの補給が速ければ速いほど、第2中隊(ミスト)や18大隊が補給に下がれるタイミングが早まるのだ。
「宗像少佐、月詠少佐、この場をお願い致します」
 部下を先行させ、冥夜は殿を務めるためにじり寄る戦車級を36mmで蹴散らす。この場を引き受けてくれた部隊の指揮官である美冴と月詠の2人に礼を述べたところで、左手の突撃砲の砲弾が底を尽いた。

『早く行けッ!!』

 空となった突撃砲を破棄する冥夜に、片っ端から要撃級を斬り伏せる美冴と月詠の2人が同時に叱責にも似た言葉を返してくる。
 その2人に短く敬礼を返した冥夜は、先行させた部下を追って後退を開始。その機体のレーダーは更なるBETAの侵攻を告げる。










『10時方向より侵攻中のBETAに光線級を確認! 数10!!』
「要撃級を盾に戦車級諸共、薙ぎ払ってやれ! 壁を殺し過ぎるなよ!?」
 我ながら、酷い言葉遣いだと内心嘆きながらも、美冴は部下に檄を飛ばす。「殺す」などという言葉、BETAにしか使ったことがないが、それでも乱暴な言葉と言われればそれまでのことである。

 要撃級は戦術機にとって、最も対峙することが多く、レーザー属から身を守る最も手頃な盾だった。

 レーザー照射の際には射線を開ける行動を見せるが、ほぼ常に近接してくる要撃級を射線上から外さないように対応することは、友軍の支援さえ利いていればさほど難しいことではない。
 遮蔽物の少ないような戦場では、敵であるBETAを如何に巧く利用出来るかが、レーザー属の脅威を抑える数少ない手段なのだ。

『ベクター180……正面より新手だ。要塞級3、要撃級55、光線級はいないが、小型種は……数えるだけ不毛のようだな』
 相手にしていた集団の最後となる要撃級を美冴が斬殺したところで、後退してきた月詠真那が新たなBETA群の侵攻を報せる。
「要撃級の数だけは右肩上がりですね。月詠少佐を追従してきて正解でしたよ」
 月詠と肩を並べ、正面から雪崩れ込んでくる要撃級と戦車級の一団を睨みつけて美冴はそう返した。彼女ら第18大隊の力を疑っていることなど微塵もないが、それでもある程度の錬度を持った中隊が1個加わるだけで戦闘はかなり楽になる。
 美冴が部隊を率いて月詠らを追従してきたのは、第5中隊(レギンレイヴ)を後退させることも含め、“第18大隊を支援すること”が最初から目的として挙がっていた。
『見縊られたものだ。だが、有り難いのもまた事実、か』
「友軍の損害はそのまま自部隊の損害ですので。今回の場合は、ほとんど直結しているようなものでしょう」
『違いない』
 不敵に笑う月詠に同じく唇の端を吊り上げて答えれば、彼女はくっと短く笑い声を漏らして更に返してくる。
 共闘する部隊が減れば減るほど、自部隊に殺到してくるBETAの数は増えてゆくのは火を見るより明らかだ。この戦闘では今まで以上にそれは顕著だろう。

 刹那、両者は同時に疾駆する。その先に広がるのは、後続に要塞級を控えた要撃級と戦車級の山だ。あれをこれから相手にしなければならないと思うと気が滅入るが、滅入ったところでBETAが帰ってくれるわけでもない。

 美冴の後方から、36mmと120mmによる牽制が入り、先頭の要撃級がその足を止める。その援護が部下のものであったのか、斯衛軍の誰かのものであったのか確かめるよりも早く、美冴は旗下のA小隊と共に至近距離で36mmのトリガーを固定しながら薙ぎ払う。
 尚も構わず前進してくる要撃級は長刀で打ち払い、戦車級は砲弾で蹴散らしていった。
 周辺の安全を一時的に確保した美冴は、その場で足を止め、衝角の間合いの外から要塞級の頭部目掛けて120mmを撃ち出す。

 それとほぼ同時。

 美冴の後方から月詠が長刀を振り上げた状態で跳躍し、120mmによって頭を穿たれた直後の要塞級へと強襲降下を仕掛けた。美冴の率いる小隊の部下は、その2人の少佐が作った隙を見逃すことはなく、連携を組んだ2機が彼女の脇をすり抜けて要塞級の下腹部に左右から潜り込む。
 そして、その巨体に両側から36mmを喰らわせながら通過し、後続の要撃級へと攻勢を繰り返していった。

 部下たちは本当によくやってくれる。

 朝鮮半島のH20、大陸のH19が制圧されてから、日本はほとんど前線から外れていた。その状態においても、美冴は決して伊達で少佐を務めてきたわけではない。
 3年に渡って部下という部下を次から次へと鍛え上げてきた美冴の目から見ても、今の直属の部下たちの練度は非常に高かった。部下という点で言えば、A-01時代の部下たちに次ぐ実力をこんにちまでに培ってきている。

『御剣大尉が戻った後は、第2中隊(ミスト)が補給に戻られると良い。この場は我々だけでもしばらくは凌げよう』

 崩れ落ちた要塞級の上で背中を合わせ、36mmを周囲へ掃射する美冴と月詠。その状態で、月詠が美冴へとそう勧めてくる。
「ありがたい申し出ですが、戻られるのは181中隊の方でしょう。私たちよりもかなり弾薬を消費していると思いますが?」
 それに答える美冴も決して退かない。連隊長たる速瀬水月同様、宗像美冴という衛士も連隊全体と広範囲に渡る戦域の推移を常に観察するよう心掛けている。
 その、美冴の観察眼が確かならば、自分たちが最後に補給した時間よりも月詠らが最後に補給した時間の方が古い筈だ。同じように戦ってきたのなら、兵装状況は18大隊の方が疲弊していることは必至である。
『……ふっ……流石によく見ている、か。気を遣ったつもりが、気を遣わせたか? 宗像少佐』
「気遣いならお互い様ですよ。まあ、お互い、部下をもっと気遣いましょう」
『貴官に諭されるとは……一昔前ではそうそう考えなかったことだ』
 美冴が軽い皮肉で返すと、月詠は不敵に笑ってそれを一蹴してみせた。
 出会った時から階級として同じ地位にあり、ほぼ時を同じくして昇進してきた美冴と月詠は、お互いを意識することまではせずともその名前を忘れたことは恐らくない。
 近接格闘技術に優れ、ある意味において“戦う”ということを極めている彼女のことが気にかからないほど、宗像美冴は抜けてなどいなかった。

 だが、それ以上に2人には1つ、共通の想いが存在していたのだ。

「ちょっと前まで諌めてやっていた部下に上へ行かれましたからね。月詠少佐を諭すくらいしなければ、あいつの先任として立つ瀬がありませよ」
『成程、同感だ』
 そう言って、2人は声を上げて笑い合う。
 互いの胸中にあるのは、今現在、南部防衛線の中央で戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の部隊も加えた数個中隊を率いて戦っている、1人の青年の顔だ。
 出会った頃はまだ少年であった彼。先任として美冴が教えたことも決して少なくはなく、恐らく先達として月詠が諌めたことも決して少なくはないだろう相手。
 いつの間にか中佐階級に持ち上げられ、100人を超える部下の命を預かる立場を任されるようになった男は、今だって2人にとっては年下の男の子、である。

「今回は譲りませんよ。先に補給に向かってください。月詠少佐の部下と、戻ってくる御剣と協力して、この場でもうしばらくは敵を惹き付けます」
 そう言いながら、美冴は時間を確認する。頃合として、そろそろ補給を済ませた第5中隊(レギンレイヴ)がここへ戻ってくる時間だ。
『………感謝する、宗像少佐。18大隊は中隊ごとに補給のため後退する! 181中隊は即時、補給ラインまで後退せよ!!』
『了解!』

 トリガーを固定していた指を離し、美冴は再び長刀片手に敵中へと躍り込みながら月詠に告げる。その言葉が心に届いたのか、それともこれ以上の譲り合いなど時間の無駄と判断されたのかは分からないが、月詠は美冴の言葉を受け入れ、直下の中隊に対して後退の指示を出した。

「………ああ、それと月詠少佐」
『何だ?』
 部下に支援させ、自らは近接戦闘を仕掛ける美冴は、不意に思い出したように月詠に声をかける。今まさに敵を片っ端から斬殺しているにしては、あまりに落ち着いた口調だった。

「御剣のことは、あまり気にしない方がいいでしょう」

 美冴が続けて告げたその言葉に、彼女の頬がわずかに強張るのが分かった。美冴に対する憤怒のようにも見え、また自身に対する嘆息のようにも取れる、複雑そうな表情である。

「少佐が必要と判断されるのなら、積極的に支援に入ることをお勧めしますよ。このような状況では、中隊単位でカバーし合わないとあっという間に飲み込まれてしまいますからね」
 そんな月詠の心境を見透かしている美冴は、不敵な笑みを零してそう言葉を続ける。
 彼女たちが御剣冥夜のことを気にしているのは美冴も知っている。だが、生憎と冥夜は国連軍衛士。斯衛軍である彼女たちが冥夜の守護に入ることなど、あってはならない。

 だがしかし、逆に彼女たちが自身を律していること自体が、御剣冥夜を一種特別視しているとも言えるのだ。

 このような、所属もほとんど無関係の状態で戦闘へと放り込まれている状態で、律することを意識し過ぎている方があまりにも不自然である。
 そこでBETAに押されている戦友がいるのならば助けるのが人間として当然の行為であり、そこにあるメリットとデメリットの比較をすることが軍人であり指揮官である彼女たちに課せられた縛りだ。

 だから、月詠真那が御剣冥夜たち第5中隊(レギンレイヴ)を救援することに戦局的なメリットを感じたのならば、それは実行して然るべきである。


 それに、課せられた責務のある軍人として守りたいものを守るのならば、限度の範囲内で任務や建て前を利用するくらい卑怯であっても構わないとその実、美冴は思っていた。


「第5中隊(レギンレイヴ)の総合戦力は優秀です。支援する価値は幾らでも見出せると思いますが?」
 流石に意地が悪いだろうか、と思いながらも美冴はダメ押しにそう締め括った。恐らく、この戦闘中に自分たちは命の取捨を何度も迫られるだろう。あるいは、その選択の暇すらないかもしれない。
 その中において、御剣冥夜という衛士は拾い上げるだけの価値のある実力を持った“駒”だ。指揮系統、個人としての能力、そのどちらを評価対象として挙げても、美冴は恐らく自分直属の部下と彼女の取捨を迫られれば、ほぼ間違いなく御剣冥夜を取る。

 充分に、軍人的な考え方だ。

 月詠真那がもしそこで諸般の事情によってそれを迷ったとすれば、それこそ軍人としての御剣冥夜を愚弄している。
 尤も、美冴はその判断において月詠をそこまで見縊っているわけではないが。

『………それは状況次第、だ』
「尤もですね」
 言葉ではそう同意しながらも、内心、美冴は「やはり斯衛軍は堅物が多い」とため息をつく。斉御司灯夜指揮下の第4大隊の面々ほど軽くなれとは言わないが、もう少し肩の力を抜いても良いのではないかと常日頃から思っていた。
『それでは私も後退する。しばし、耐えられよ』
「了解! まだこの防衛線は維持されないと困りますからね」

 結局、明確な回答は告げず月詠は後退すると申告した。元々、何らかの回答を得るために声をかけたわけでもない美冴は、何か言い返すわけでもなく、その言葉を受け取る。

『宗像少佐! 6時方向より新手! 要撃級38! 突撃級22!』
「了解! これまでに比べて数は少ないぞ! 機動で撹乱しながら即時殲滅してやれ!!」
『了解! B小隊は先行する! 俺に続け!!』
 月詠の後退を見送る美冴の下に、新たな報告が部下から入る。最早、光線級以外の小型種など数えるだけ無駄な状況にあったが、それでも規模は小さい。
 尤も、40体以下の要撃級が少なく感じられるように思えてきたのは反吐の出る話だ。

 遠からず、この第4防衛線の戦力も後退を余儀なくされるだろう。
 それでも、自分の部下たちを含め、見知った戦友たちが1人も欠けることがないようにと、美冴はせめて祈る。
 この祈りは、決して神様になど届かないだろうとは分かっていたが。










「展開中のEU連合各隊、順次後退して補給に入りなさい! 第1中隊(スクルド)各機、カバーに入って!」
 あまり普段は持たない支援突撃砲を構えたまま、速瀬水月は怒号を飛ばす。戦域において彼女のような中佐階級にある衛士は、往々にして実戦部隊を総轄することになる。
 特に世界共通の中立軍である国連軍に所属する場合は顕著だ。速瀬水月の場合は、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)連隊長の肩書きが持つ価値が存外に高く、自ずとその立場へと押し上げられた部分もあった。

『こちらソビエト陸軍所属の77戦術機甲大隊。これより第4防衛線の戦列に並ぶ。指揮権を一時的に貴官に委ねる。指示を仰ぎたい』
「スクルド1了解。心強いわ。77大隊はそのままベクター100方向に展開して、敵集団を先頭から虱潰しにして。レーザー属の撃破は最優先よ」
『了解。大隊各機、続け! 楽に死ぬなよ!?』
 水月に指示を仰ぎ、受けた指示に従って南東方向に進撃してゆくのは、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の戦力においてただ1機のみ存在するSu-37を運用した、ソビエト陸軍部隊だった。
 無論、欧州方面軍ではない彼らも、水月たち同様に軍事式典へと借り出されてきたアラスカ方面の有力部隊の一角である。

 名立たる有力部隊を総轄することになったなど、横浜に帰って知人の基地要員たちに話せば、それこそ爆笑されるか同情されるかのどちらかだろう。
 尤も、それは戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の面々がさしたる損害も被らずに帰投出来た時の話ではあるが。

『速瀬中佐、これより第5中隊(レギンレイヴ)、ベクター180方向前面へ展開致します』
「了解。御剣、無茶はするんじゃないわよ? 耐えられるだけ耐えなさい」
『無論であります』
 つい先刻、中隊を率いて補給しに後退してきた御剣冥夜が戦線復帰を申告し、言うが早いが一路南へと進撃してゆく。それに答えた水月は、自分の言葉ながら、耐えられるだけ耐えるのは無茶ではないのか、と少々疑問を感じた。
 ただ、冥夜の方はそんな些細なことなどどうでも良いようで、首肯してから改めて敬礼し、通信を切る。

 第4防衛線を越えようとするBETAの数は未だ少ない。ここに後方から人類戦力が集中し始めていることで、人類戦力を虱潰しにかかっているBETAは留まらざるを得ないのだ。

 つまり、水月の予想は的中した。
 これまで防衛戦最大の肝とされてきた、物量に任せた突撃戦術の突破率の高さが、ここにはない。ここで展開されているのは、敵の侵攻を抑える迎撃ではなく、手近な敵を屠る混戦である。
 厳しいことに変わりはないといえ、混戦乱戦はそれでも前線国家のお家芸。
 制圧力の低い長刀は防衛戦では使い難いが、敵が我先にと殺到してきてくれるのならば、振り回すだけでもそれなりの威力は発揮してくれる。
 無論、後続の物量が桁違いのため、それで何時間も戦えるわけではないが。

 ただ、水月に未だ一抹の不安を抱かせるのは、レーザー属の反応の鈍さ。

 頭数自体があまり多く確認されていないのも確かだが、いないわけではない。それにも関わらず、レーザーの照射が砲弾の撃墜に偏っており、地上戦力には目もくれない。
 空間飛翔体は確かに連中にとって最優先攻撃目標だが、それでも至近距離に戦術機がいるという状況は、その攻撃を陸と空に分散させる要因に充分なり得る筈である。
 だが実際のところ、現状では地上戦力のほとんどは未だレーザー属の餌食になっていない。喜ばしいことではあるのだが、同時に空恐ろしい何かを感じさせる現象だった。

『こちらブラッド1。これより斯衛軍181中隊は補給に入る』
「スクルド1了解。B小隊、181中隊の後退支援に入りなさい! 補給ラインまで敵を突破させるな!」
『了解』
 追撃してくる戦車級を36mmで削りながら後退を続ける武御雷の一団。その指揮官である月詠真那の報告に水月は応答し、自らの部下をその支援に向かわせる。
 不知火4機が展開し、戦車級を撹乱し始めたことで武御雷の後退速度は格段に上昇。殿を務めている月詠が左手の突撃砲を放り投げるのと同時に、斯衛軍中隊は反転し、匍匐飛行による後退を開始した。

 水月が陣取る第4防衛線の最後尾まで到達するBETAのほとんどは戦車級だ。次いで突撃級、要撃級の数が多く、要塞級となればまだ目視ではほとんどお目にかかっていない。
 それも、やがてはすべてのBETA種が大挙として押し寄せてくるだろう。
 それがいつになるかは、最前面でBETAを手当たり次第に蹴散らしている水月の部下たちが率いる部隊の耐久にかかっていた。

『速瀬、聞こえる?』
「は。何でしょうか? 香月博士」
 遠くに見えた要撃級の体躯に支援突撃砲で36mmを撃ち込みながら、水月は香月夕呼の呼びかけに応える。またきっと碌でもない情報を告げるつもりなのだろうが、事実に近い上、必要な情報だから仕方がない。
『朗報よ。BETAの上陸が終わったわ。今、グレートブリテン島にいるBETAを殲滅すれば、あたしたちの勝ちね』
 朗報と言って、BETAの上陸が終息したことを告げる夕呼だったが、その表情は実に面白くなさそうである。
「敵総数はどの程度でしょうか?」
『南部で総数約5万5千、東部で総数約1万5千。算出された、あなたたちが現在までに殲滅したBETAの暫定数、聞く?』
「………お願いします」
 嫌な聞き方をしてくる、と内心悪態を吐きながらも水月は頷く。BETAの上陸が止まったのは確かに朗報だが、雰囲気はまるで死刑宣告だ。


『南部防衛線で合わせて約1万2千、東部防衛線で約3千』


「ッ!!」
 まだ精々、5分の1。何回も何回も前衛部隊が補給のために進撃と後退を繰り返し、最大火力を発揮している支援砲撃が“まだ”機能している状態で、ようやく5分の1だ。
『これから帝国陸軍の新鋭部隊が向かうわ。ただし、南部も東部も中央に回るから、右翼には関係のない話だけれどね』
「中央の方が敵の数が多いんですから、しょうがないでしょう。東側のBETAが早く殲滅されることを祈ります」
『そうね。“電磁投射砲を使えば”、案外、簡単に1万5千くらい殲滅してくれるかもしれないわ』
 水月の言葉に夕呼は少しだけ口元を緩ませる。冗談を言ったつもりはないが、彼女にそんな表情をさせるきっかけを作れたことで今は善しとしておこうと、水月は思った。





 だが、BETAも存外にしぶとく、そしてあざとい。





 全戦域のどこかで、船団級の出現が確認されたという報告が水月の下に届いたのは、まさにその瞬間のことだったのだ。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第67話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/01/15 16:34


  第67話


 時はほんのわずかに遡る。
 東部防衛線の主力部隊が集結した第2防衛線は、南部防衛線同様に混迷を窮めていた。元々、ドーバー海峡を渡るBETAが大半と予想されていたため、東側に割かれた戦力は南側と比べて遥かに少ない。
 結果的に、東側から上陸を仕掛けてきたBETA群の規模は南部から侵攻してくるBETA群のおよそ4分の1と、規模の推察は的中した。それ故に、人類戦力とBETA群との戦力比は東部でも南部でもほとんど違いなどなく、戦いの推移は双方共に一進一退を繰り返している。

 レイド・クラインバーグ率いる275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)が相対するのは、既に大型種だけでも3桁に届きそうなBETA群だ。

『クラインバーグ大尉、後退しなくても大丈夫でしょうか?』
 B小隊を前衛展開させ、部下の水城七海と共に並んで中距離からバックアップをしているレイドに、すぐ背後で同様に次から次へとBETAを屠り続けている戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第3中隊(アルヴィト)の将 風間祷子がそう通信で訊ねてくる。
 それに対して、レイドは「さて、どう答えたものか」とほんの一瞬だけ悩まされた。相手は若輩で、軍歴もレイドよりは浅いが、それに勝る経験の持ち主だ。加えて、祷子はレイドら第27機甲連隊兵士にとって共通の上官 白銀武の先任である。

 それに、風間祷子の常に落ち着いた物腰は年長者から見ても見事なものだと思わされる。

「……まだ後退するわけにはいくまい。水城、兵装状況はどうだ?」
『弾倉はまだ充分に残ってます。あまり得意じゃないですけど、短時間なら長刀とナイフで応戦出来ますよ』
 支援突撃砲で正面の要撃級の顔面を穿つ七海が、レイドの呼びかけに即座に答えた。彼女の万能さは、転属直後から水城七海の面倒を見てきたレイドだってよく知っている。
 だが、あくまで彼女の領分は後方支援の方だ。部隊を指揮する者として、七海を前面に押し出さざるを得ないような状況は可能ならば避けたい。
「こちらはもう少し程度ならば耐えられる。そちらはどうなんだ? 風間大尉」
『先ほど補給を済ませたばかりですわ』
 レイドの横に並び、同じように部隊の前衛小隊を後方から援護する祷子は、その問い返しに答える。具体的な時間は提示されていないが、済ませたばかりということは恐らくあと短くとも30分は無難に戦えるだろう。
 完全充足状態でもわずか30分。それは、戦車級の数が多く、砲弾の消費量が非常に多い故だ。
「こっちはこのペースで戦えばあと20分といったところだ。恐らく、その前には一時後退するだろうが」
『その時は現在、補給中の隊に前進してもらうしかありませんね』
「ああ」
 祷子の言葉にレイドは頷く。最長で20分は戦えるだろうが、万が一のことも考えて、それよりも早く補給のために後退したいのは正直な意見だ。レイドの予定としては遅くとも15分後には一時後退の宣言を出す。

「A小隊、俺に続け! C小隊はA、B小隊のバックアップだ!」

 突撃砲のトリガーを固定したまま、右手でブレードマウントの長刀をレイドは引き抜く。そして高らかに部下にそう命じ、自身はB小隊が尚も迎え撃っている要撃級の群れへと吶喊した。
 上官の白銀武や272戦術機甲中隊(ストライカーズ)のユウイチ・クロサキ、273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の柏木章好ほど近接格闘に優れるわけではないが、レイドも叩き上げに近い衛士だ。
 敵と正面から殴り合うことは、決して縁遠い戦法ではない。

 それに、Type-94[second]という機体はラファールに比べて格闘戦に優れていることも、レイドにそうさせる理由としては大きい。

『後続の要塞級はこちらで対処します。275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)は要撃級の殲滅を優先してください』
「ブレイカー1、了解。危険だと思ったら、すぐに呼びかけてくれ、風間大尉」
『そうさせていただきます』
 支援突撃砲と長刀という特異な兵装のまま、レイドの脇をすり抜け、祷子は敵後方の要塞級目掛けて部下共々、攻勢を仕掛ける。性能こそ、レイドたちの機体に劣る不知火だが、長らくそれを相棒としてきたであろう彼女たちの機動は見事なものだ。
 レイドたちの進撃よってわずかに開いた要撃級の壁の隙間を縫うように進撃し、瞬く間に要塞級へと取り付く。

 水城七海によって放たれた36mmが正面の要撃級の顔面を捉える。それとほぼ同時に接近を仕掛けたレイドは体勢を崩したその要撃級を長刀で薙ぎ払い、後ろから続いてくる戦車級の群れを掃射で粉砕してゆく。

『水城少尉! 7時方向から要撃級8! 支援をお願いします!』
『ブレイカー9、了解! 任せてください!』
 他方展開するB小隊からの要請に、レイドを支援していた七海は砲口の向きを変えた。高い支援能力を持つ彼女は275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)隊員全員から強く頼られている存在である。
「邪魔だッ!!」
 左手の突撃砲を放り投げ、レイドは長刀の柄を両手持ちに直し、そのまま真横に薙ぎ払う形で回転。周辺から近付いてきていた要撃級の体躯を力任せに切り裂いた。
 ガンマウントの突撃砲は持ち替えず、パイロン固定のまま同時に後方へ掃射することで、にじり寄る小型種も一息に蹴散らしてしまう。
 無論、そんな戦法で殲滅できるほどBETAは脆弱ではなく、物量も少なくはない。

 こんなものは、BETAの気を引く手段でしかなかった。そしてそれは、レイドも重々、承知している。

 BETAの展開がレイドを中心とする渦状に変わったその瞬間、渦の外側から残るA小隊3機が編隊を組んだまま猛攻に転ずる。ほぼ同じタイミングで倒立反転によって包囲網を脱したレイドは、長刀を振るに当たって放り投げた突撃砲を着地と同時に拾い上げ、同様に外側からBETAに向けて掃射。
 レイドとて伊達に長くBETA大戦を生き抜いてきたわけではない。余程の特殊任務に着かない限り、往々にして経歴の長い者ほどBETAを手玉に取る技術も長けている。
 連隊内で言えば、レイドのその知識と技術は武やマリアに肉薄するほどだ。

『ハンマー1よりブレイカー1、正面、援護に入ります!』

 36mmを掃射しながら再び小隊部下と合流したレイドの下に、エレーヌ・ノーデンスから通信が入る。彼女はそう言うや否や、レイドたちが構成する戦線を噴射跳躍で飛び越え、長刀片手に中隊丸ごと率いて敵中に躍り込んだ。
 中隊長がああでは、部下たちも色々と大変だろう。彼女を追従する形で敵集団に斬り込む、ヘンリー・コンスタンスと柏木章好にレイドは少なからず同情する。
「……水城! 273戦術機甲中隊(ブレイカーズ)の支援だ! A、C小隊各機もバックアップに入れ!」
『は……はい!』
『了解!』
 273B小隊の中でも一際目を引く戦い振りを発揮しているのは章好だ。彼の能力は本当に呆れるほど高い。少尉階級にあり、正式な指揮官教育はまだ受けていないものの、戦闘力は中隊随一であり、視野も広く、肝も据わっている。
 恐らく、連隊の中では最も白銀武に似た適正を持つ衛士だろう。それが彼を「白銀武の直系」と評価させる所以だ。

 275C小隊の仲間共々、前進して射撃による支援を行う七海が的確に要撃級の体躯を穿つ。確実に有効なダメージを与えられる部位に、ある種、冷酷無比に撃ち込む様は、驚嘆に値するものだった。

『ノーデンス大尉、右翼の方はもう大丈夫なのですか?』

 初見では敵中で孤立しているようにも取られかねない273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の到着に、要塞級を殲滅し終えて一時後退してきた祷子がそう問いかける。
 東側を固める際、プレストンを出立した両連隊の所属中隊は、戦闘を継続しながら徐々に大きく展開していった筈だった。それはBETAの目的が人類戦力の間引きにあると分かったことで、可能となった戦術である。
 まず、敵の防衛線突破率が非常に低いため、後方配置予定だった別働戦力が順次、第2防衛線に合流していることが理由にある。そのため、本来中央配置となっていた両連隊の戦力が他方面のカバーに回れるようになったのだ。
 もう1つ、理由として敵の撹乱が挙げられる。これまで戦ってきて分かったことだが、BETAは執拗に近距離の人類戦力に殺到してくるため、広域に展開することで敵の集団を分散させることも可能ではあった。

 エレーヌら273戦術機甲中隊(ハンマーズ)と涼宮茜率いる第6中隊(スルーズ)は、その戦術を用いた結果、右翼方面へと流れていっていたのだが、どういうわけか中央に戻ってきたらしい。
 それ故に、祷子はそう訊ねたのだ。

『東岸上陸のBETAはほとんど中央に集中してるみたい。もうすぐ涼宮大尉も戻ってくるし、左翼に流れた戦力も中央に戻す形で動いているらしいですよ』
『両翼は初期配置の部隊が継続して守っています。安心してください』
 同時にバックジャンプで敵中から離脱し、36mmを撃つエレーヌは祷子の問いかけに答えた。同じように退いたヘンリーもそれに補足する形で言葉を述べる。

 それにはレイドも成程、と頷く。

 BETAの目的が曲がりなりにも明らかになった時点で、そういった対応を求められるのはある程度、分かっていたことだ。地上において唯一、立体戦術を駆使することの出来る戦術機には、可能な限りの機動防御が要求されることになるだろう。
 つまりは、あっちに行ったりこっちに行ったりすることになる、ということである。

『CPより東部防衛線展開中の全隊へ。これより、広域支援砲撃を開始します。補給を要する隊は順次後退し、次の戦闘に備えてください。戦闘継続が可能な隊は一時、後退し、砲撃を突破するBETAの殲滅をお願いします』
 丁度、そのタイミングでプレストンのリィル・ヴァンホーテンから通告が入った。
『了解。ここにきて、砲撃陣地も気前がいいね』
「向こうも補給ラインが完備されたんだろう。EUも国連も明日のことはあまり考えていないようだな」
 再度、長刀を使った近接戦を挑むエレーヌが言う、「気前がいい」という言葉に、空になった左手の突撃砲を要撃級の顔面目掛けて投げつけるレイドが答える。
 尤も、明日のことは考えていないというのは純粋な褒め言葉だ。
 たとえ、守り切れるか分からないほどの猛攻に曝されようと、リスクマネジメントもしなければならない軍部とって明日のことを考えない選択は紛れもない英断である。

 如何せん、今回に限っては出し惜しんでいれば確実に削ぎ落とされるのだから。

『クラインバーグ大尉、これを機に275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)は補給に向かうべきです』
『風間大尉に同意です。もうすぐ涼宮大尉も合流しますから、ここは任せて1度下がってくださいよ』
「……そうさせてもらう。B、C小隊、先に行け」
 中隊長を務める2人の女性に足並みを揃えられ、レイドは頷かざるを得ない。正直なことを言えば、言われるまでもなかったのだが。

『広域砲撃開始まで20秒。友軍機誤爆を避けるため、指定範囲内に展開している部隊は即時安全域まで後退してください』
『第3中隊(アルヴィト)各機、防衛ライン後方まで後退しなさい!』
『273戦術機甲中隊(ハンマーズ)全機、隊列を組んで弾幕を張りながら後退するよ! B小隊、早く戻って!』

 部下を先行させたレイドが反転して後退を開始すると同時に、司令部から後退勧告が発せられる。それに伴い、迎撃を引き受けた風間祷子とエレーヌ・ノーデンスも部隊の隊列を再編しながら後退を始めた。
 ただし、それはレイドたちとは異なり、敵の侵攻を抑えながらの微速後退だ。

 その瞬間、後退を続けるレイドの頭上を砲弾とミサイル、ロケットの一団が緩やかな弧を描きながら飛んでゆく。極僅か、数発ほどが空中でレーザー照射を受けて爆砕したが、90%以上が地表を埋め尽くすBETA群へと降り注いだ。
『弾着確認! 砲弾撃墜率、戦域平均5%以下です! 砲撃、尚も継続中!!』

 轟音が響き、大地に押さえつけられるような激しい横揺れが走るのは、砲弾の着弾と“ほぼ”同時。
 そう、“ほぼ同時だった”のだ。



 裏を返せば、ほんの……ほんの僅か、それこそコンマ数秒の僅差だが、砲弾が着弾するよりも早く、震動が走ったように感じられた。



『これでかなり削れると思うんだけど……上陸はもう終わってるんだよね?』
『らしいです。推定個体数約1万5千。これまで倒した分も含めて、残りが1万を下回ってくれれば嬉しいですね』
『後続は突撃級と要塞級の数が多いようですから、小型種の生存率が高まっています。流石にそれは難しいでしょう』
『戦車級の数だけでも減ってくれれば助かりますよ』

 支援砲撃の効果に対して口々に期待を述べる両中隊の主力衛士たち。言葉は何であれ、そこに込められているのは全員共通の願いである。

 だが、既にレイドの思考は1つの可能性に対して新たな警笛を鳴らしていた。
 継続される支援砲撃の震動の中、次に顕現するであろう脅威に強い確信を持って、レイドはこの戦場で誰よりも早く声を上げる。


「船団級だッ!! 退け!! ノーデンス!!」


『―――――――――――ッ!?』
『ッ! 中隊各機! 全速後退! 第3中隊(アルヴィト)も急いでッ!!』
 困惑する祷子を他所に、2人が交わすのはこの1ヶ月間、欠くことなく毎日のように仮想戦闘訓練で繰り広げられてきたやり取りだった。専らレイドは呼びかける側であったが、時には警告を受ける側だったこともある。
 恐らく、エレーヌの反応も半ば反射的なものだっただろう。それだけの反復訓練に、彼らは時間を費やしてきたのだ。

 すべては船団級による奇襲が成功する前に、その存在を察知するというある意味、前人未到の領域に到達するために。

「ブレイカー1よりCP! 支援砲撃の振動の中に船団級の侵攻を確認! 即時、防衛ライン後方までの後退を進言する!!」
『許可します。急いで後退してください』
『ハンマー11遅いッ!! ヘンリー! 出現予測地点は!?』
『現在、振動波形解析中! 出現予測地点は……………真下ですッ!! 規模は不明!!』
『出現までの予測時間……約220秒!! 時間あります! 砲撃範囲の拡大を要請!!』
 レイドの進言を皮切りに、対船団級の訓練を密に進めてきた第27機甲連隊の衛士が次々と怒号のように言葉を発した。1度、その存在を確信させてしまえば、彼らの対応は実に早い。

 そうするべくして、元鬼軍曹、現連隊長から嫌というほど叩き込まれてきたからだ。

『第3中隊(アルヴィト)各機、鎚壱型陣形に再編! 後退速度は全機、アルヴィト1に同調させなさい!』
『了解!』
 その例に漏れる第3中隊(アルヴィト)も、同じように訓練してきたのか、それとも優秀な衛士の成せる業か、殿を厚く構える陣形に再編する。祷子の下した指示に従う隊員の対応も、非常に迅速だった。

 敵の出現まであと2分とない。いや、船団級が相手となれば、まだ2分もあるという方が正しいか。

 船団級BETAはその性質から、地中を縦横無尽に動き回れるように考えられがちだが、それは誤りだ。元々、空間のない地中を掘り進めてくる以上、その軌道は実に繊細で、一分の誤差も許されはしない。
 地表の人類戦力が移動を開始したとしても、当初の目標地点を変更することなど、船団級には許されはしないのだ。
 読めてしまえればそんなものより、偽装門(スリーパー・ゲート)の方が余程性質が悪いと、レイドは気付くのに半月かかった。

 だが、そう考えられるようになったということは、彼にとって大きな躍進だったのだ。

 刻一刻と時間が経過するごとに、大地を揺るがす振動は露骨なまでに2種類の波形を刻み始める。尤も、それとて意識しなければ容易に混ざり合い、1つになってしまう振動だ。だからこそ人類は、BETAという存在に煮え湯を飲まされてきた。

『出現予測時間まであと10秒!! 距離、前方約2000………来ますッ!!』

 第3中隊(アルヴィト)と同じ陣形を取った273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の殿を任されている柏木章好が激しい振動の中、敵の出現が迫っていることを再度、警告する。
 彼のその言葉と共に揺れは最高潮に達し――――――――――――





 船団級は地表に穴を穿ち、無数のBETAを内陸部へと解き放った。





 出現数、目視確認で4。敵総数不明。
 出現は、第2防衛線最前衛部隊の正面2237mの位置。



 この日、人類はイギリスへ侵攻したBETAが仕掛けた2つ目の奇襲をも、見事、読み切ったのだ。










 東部防衛線に流入する敵戦力の総数は、船団級の襲撃によっておよそ5千の増加が見られたと司令部によって判断されている。
 この表現が曖昧なのは、広域に渡る支援砲撃によって先頭集団のほとんどが薙ぎ払われたからだ。その中に船団級によって揚陸されたBETAも含まれていたため、実のところは正確な増加数は分かっていない。
 あくまで5千という数字は、面制圧の期待値と現状、健在のBETAの総数を比較して弾き出したものに過ぎなかった。

『ストライカー2よりストライカー1。12時方向にてEU連合1個中隊が敵中で孤立。3機喰われてます』

 ディラン・アルテミシア率いる272戦術機甲中隊(ストライカーズ)が船団級襲撃の一報を聞いたのは、左翼方面の敵を一掃し、BETAの集中する防衛線中央へ転戦しようと南下を始めた頃だった。
 それをリィル・ヴァンホーテンからの報告で知ったディランが足を向けたのは、レイド・クラインバーグらが守る中央ではなく、先刻、制圧したばかりの左翼方面だ。東部防衛線で出現が確認された船団級の数は総数で7。うち4体が中央に固まっており、2体がノッティンガムにも近い右翼方面に、そして残る1体が左翼に出現したため、各戦力はより近い戦域の制圧を目指し、行動を開始している。

 ディランたちの場合は、最も近かったのが左翼だっただけの話である。

「ストライカー1了解! これ以上、頭数を減らさせるなよ! まずは友軍機後退の支援に入る! 敵の殲滅はそれからで充分だッ!!」
『了解。小隊各機は2機連携と3機連携で両側から畳み掛ける。ストライカー4はオレに続け!』
 中隊の先頭を行くユウイチ・クロサキの言葉にディランは即座に支援に入れと指示を出す。あくまで第1目標は友軍の一時後退であり、敵との戦闘はそれが達成された後でも問題ないと、念のため釘を刺すことも忘れない。
 そんなことは言われるまでもないと言うように応じ、B小隊部下に陣形の指示を出すのは小隊長のユウイチだ。彼ら5人が両側に展開して敵集団を陽動し、A、C小隊の支援によって友軍を敵から引き離す算段である。
「こちら欧州国連軍 272戦術機甲中隊 ディラン・アルテミシア大尉だ。俺たちが支援に回る。1度後退して体勢を立て直せ」
 2機連携を組む部下と並んで速度を緩め、蠢く戦車級に36mmを浴びせかけるディランがそう勧告する。3機程度失ったところで、低下こそあっても中隊の機能が失われることなどそうない。その3機がすべて小隊長機であったならば痛手ではあるが、総員が新任でもない限り、大抵はその例に漏れないものだ。

 しかしながら、唐突な襲撃によって、瞬く間に3人攫われてしまった場合、人間である以上は誰でも一瞬、ショックで心が崩れ得る。そして敵にその隙を突かれ、更に損害は広がってゆくのだ。
 敵中で孤立するというのはそういうことであり、そうなった場合は1度後退し、部隊として体勢を立て直すことが必ず求められる。
 救援に来たディランは、友軍に対してそれを促さなければならない。

『救援、感謝する! 全機後退!! 急げッ! 喰われたいのか!?』

 ディランの勧告を受け入れ、その中隊の指揮官は迫る要撃級を一蹴しながら部下に檄を飛ばす。あの状況でまともに応戦を続けられるとは、なかなか優秀な衛士だ。
 後退する友軍を追撃しようとする要撃級を接近したユウイチが長刀で一刀の下に下す。その眼下を行く戦車級はレイドが尽く36mmで薙ぎ払った。
『アルテミシア大尉! 第4中隊(フリスト)は周囲の制圧に当たります!』
「了解。周りのことは頼むぜ、榊大尉」
 その彼の元に、同じく左翼方面へと転戦し、中央へ向かう途中で再び反転してきた戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第4中隊(フリスト)の指揮官から通信が入る。
 敵の数は絶望的なほど多いとは言えないが、決して少ないと断言出来る規模でもない。
 その中において、千鶴たちが現在進行形で殺到してくるBETA群を惹き付けてくれるのなら、ディランたちは既に友軍を包囲していたBETA群を相手にするだけで良いので、非常に助かる申し出だった。

『CPより戦域展開中の各隊へ。東部防衛線中央にリバプールを出撃した日本国軍部隊が順次、到着中。猛攻の激しいシェフィールドを中心に、中央主力部隊が集結しつつあります』

 トリガーを固定したままディランが空いた手で長刀の柄を掴んだ時、司令部から新着の情報が伝えられる。それと同時に、最新更新分の展開マップがその網膜へと投影された。

「敵の攻撃が中央から右翼側に偏り始めてるな」
『向こうは南側からの敵も流入しますからね。それに比べれば、北側のこっちは随分と楽な方ですよ』
 敵の攻撃が中央であるリーズから、リーズとノッティンガムの丁度、中間にあるシェフィールドへと移り始めている事実にディランが呟くと、前衛で戦いながらもユウイチがすぐに応じる。
 尤も、敵の攻撃が中央から徐々に南下する可能性というものは、BETAの目的が暫定的ながら明らかになった段階である程度、示唆されていた。
 南部防衛線左翼の戦力と併合したノッティンガム周域の戦力は、北側に近いこの周辺よりも遥かに高い。BETAが人類戦力の間引きを行っているのなら、物量も北側より南側に割いてくるだろうということは、決して想像出来ないことではなかった。

 無論、相手がBETAであるということを考えればどこまで鵜呑みに出来るかは甚だ首を傾げるしかないが。

『こちら側をもう1度、制圧して、私たちも南に向かいましょう』
「榊大尉のそれには同意だな。こっちよりも中央と右翼、東側よりも南側の敵集団の規模が絶望的だ。早いとこ、中佐とも合流したいところだし」
『はい』
 小隊単位に分かれて、周辺のBETAを虱潰しにする千鶴の意見にディランは同意を示し、その心中を率直に明かす。
 式典という特別な催し物の開催によって、271戦術機甲中隊(セイバーズ)だけ別行動になってしまったこの状況は、第27機甲連隊にとって決して歓迎出来るものではない。
 甘えと一蹴されればそれまでだが、やはり、自分たちは白銀武の指揮下にあってその力を最大に発揮出来るのだとディランは思う。
 ならば今は、東側を逸早く制圧し、彼の陣取る南部防衛線に合流したいところだった。

「ああ、そういや……戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の隊長陣って、元々全員が中佐と同じ中隊にいたんだろ?」

 トリガーを固定した指を離し、長刀を携えたディランは敵中に身を躍らせる。しかし、そんな中にあっても尚、彼の口はまるで世間話でもするかのような話題を千鶴へと投げかけた。
『ええ、そうですけど……何ですか? 藪から棒に』
 同じようにBETAを殺戮して回る千鶴の表情が、困惑に染まるのがディランにも分かった。
「いやぁ……式典のおかげで、そっちの連隊長殿以外とは一通りお目にかかれたんだが……まぁ美人揃いで。中佐はなんつー役得を得たのかと羨んでる」
『なっ……何言っているんですか!? アルテミシア大尉は!?』
「男の妬み」
 怒り半分、戸惑い半分といった感じの千鶴の反応に笑いながら、ディランはあっさりとそう答えてみせる。

 尤も、その本心は寧ろ同情に近かった。
 彼女らのような優秀な衛士に囲まれて、彼がどんなに苦労しただろうか、想像に難くない。しかも、その半数近くが恐らく白銀武に対して特別な感情を抱いているだろうことも、ディランはそれとなく察している。
 同情は、白銀武に対するものであり、同時に彼女たちに対するものでもあった。

『変なことを言わないで、戦いに集中してください!』
「………分かってますよ、榊大尉殿」
 千鶴の叱責に苦笑し、ディランは少し畏まった口調で答えた。武がマリアの叱責を慣れた手付きで躱しに躱すのは、きっとその技術を千鶴とのやり取りで学んできたからに違いないと彼は思う。

 世界とはかくも恐ろしい。
 この世界が戦争で染まってしまっているから、年端もいかない若者すら兵士となり、オートマティックにBETAを殺戮する尖兵となる。
 いや、そこに築き上げられた社会と常識が、彼ら彼女らをそういった兵士に育て上げる。
 優秀な兵士は同じ軍人として非常に心強い。そんなことはこれまでの戦いの中で、ディランとて何度も何度も感じてきた。
 だが同時に、自分の娘にだけはそんな存在になってほしくないと願っている。

 どんなに強く、気高くあろうとも、戦場で100人の命を救える偉大な兵士に育つよりは、家庭を持って、数えるほどの家族を慈しむ母になってほしいと願ってしまう。
 それは親の我が侭だろうか。それとも極、一般的な考え方だろうか。
 ディランには、それさえも判断がつかなかった。

『BETA掃討完了。友軍部隊の補給ラインまでの後退も確認。あとは、近付いてくるヤツらを殲滅するだけですね』
 友軍の離脱と共に目標を272戦術機甲中隊(ストライカーズ)へと変更してきたBETA群も、精鋭たる彼らの手にかかれば殲滅も容易い。最初から包囲出来る側に立てたことも早く片付いた大きな要因だ。
「そうだな。中隊各機、2機連携で敵の足を止めろ! 無理に戦いはするなよ? 纏めて蹴散らすのは俺たちの仕事じゃないからな!!」
『了解!』
 13名で構成された中隊は、2機編成の5個と3機編成の1個、総計6個分隊に分散し、敵集団の陽動を開始する。
 大規模集団である敵を殲滅するのは戦術機の役割ではなく、砲撃部隊の役割だ。
 だが、この近くに現れた船団級は1体。揚陸されたBETAも高々、1000程度でしかない。巧く陽動することが出来れば3回も4回も砲撃陣地の手を煩わせることもないだろう。

「榊大尉、これからこっちも敵を虱潰しにする。援護が欲しい時は遠慮なく言ってくれよ」
『了解!』
 千鶴にそう告げ、ディランは同じA小隊に属する部下1人を随伴して戦場を駆ける。それだけの空間が確保されているのだから、やはり北側はかなり余裕のある戦場だ。
「ストライカー1よりCP。余裕があるようなら支援砲撃を要請したい。こっちも早く片をつけたいんでな」
『CP了解。東部左翼の砲撃陣地に支援させます。アルテミシア大尉、そちらの掃討にはどのくらいかかりそうですか?』
 ディランの要請に応じたのは最もよく見知った戦域管制官 リィル・ヴァンホーテンだ。戦術機と違って、車輌部隊や砲撃陣地は容易に転戦することが出来ない。それ故、担当戦域が綿密に割り振られているため、ディランの要請は北側の砲撃陣地に任せるということで簡単に通った。
 その折に、リィルは殲滅にあとどれくらいの時間を要しそうか彼に訊ねてくる。
「現状で精々、大型種のみで200程度だな。レーザー属も要塞級も確認されていないから、支援砲撃が生きているなら30分もかからんと思う」
 ヒュンと長刀を一閃させ、正面の要撃級を斬殺してからディランは右に跳ぶ。その位置の戦車級を部下が既に一掃しており、2人でその安全域に身を滑り込ませた。

 大型種……ほぼ要撃級のみで約200。戦車級のような小型種も含めたところで1000を超えるか否か、の程度だろう。272戦術機甲中隊(ストライカーズ)と第4中隊(フリスト)が全機健在且つ、支援砲撃が機能している状態なら、恐らく意外と苦戦はしまい。
 それに、北側の守備隊もまだほとんどが生き残っているのだ。あと30分もすれば、ここの戦域は彼らによってBETAが虱潰しにされる程度の状態に落ち着くだろう。

『分かりました。殲滅の目処がついたら、再度、南に向かってください。向こうは厳しい戦況が続いているみたいです』
「そのつもりだ。ヴァンホーテンたちも退避の準備は整えておけよ? 第2防衛線だっていつまでも機能しているわけじゃないからな」
『はい、クロサキ中尉。もう基地車輌を滑走路まで出して、整備や衛生の人たちが後退準備を進めていてくれますから、大丈夫です』
 同じように機動で撹乱しながら敵を蹴散らすユウイチが通信に入ってきて、リィルへと忠告の言葉を伝える。今更言うまでもないことだと思うが、それ以上にユウイチが戦闘行動継続中にそういったことを言うのは珍しい。
 彼らのそのやり取りに、「ほう」とディランは口元を緩ませる。若輩2人を前に、またからかうネタが増えたと、内心、しめしめと感じていた。



 だが、それを嘲笑うかのように突如、一種の非常事態が告げられる。


 第2防衛線の一部を、BETAの集団がいくつか突破したというのだ。


 突破を許したのは、リーズのすぐ北側。ノッティンガムの戦力に惹き付けられ、中央から右翼方面へと多数のBETAが偏り始めたことで、それに対応する防衛線の戦力が一時的に薄くなった場所だ。









 即ち、ディランたち第27機甲連隊のホームである駐屯地を擁するプレストンから、真東に位置する場所である。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第68話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/03/16 18:56


  第68話


 一部BETAによる東部第2防衛線の突破は、戦場に1つの波紋を呼び寄せた。
 後に分かる結果だけで言えば、この突破にはさしたる意図はなく、ただ、何かの拍子に防衛ラインを割って前進した突撃級が、その先に構える守備隊に目標を変更。それにつられた要撃級や戦車級といった主力BETAが周辺部隊や更に先にある砲撃陣地を目指して移動を開始してしまったに過ぎない。
 BETAにとってはまさに偶然の産物。
 しかしながら、相対する人類にとっては堪ったものではない。戦闘開始からそれまで、正面衝突の総力戦に縺れ込み、前衛を務める戦術機は殺到するBETAとぶつかり合い、互いにその数を削り合い続ける。後方の砲撃部隊はそのBETA群を一掃するために支援砲撃を継続し、敵後続のレーザー属は降り注ぐ砲弾とミサイルの雨をその高出力のレーザーをもってして撃墜する。
 その構図が、一部BETAが防衛線を突破したことでにわかに破られようとしていたのだ。


「ナナセ! 第2防衛線を突破した敵の規模は分かるか!?」

 東部防衛線の戦力が接敵してから既に2時間近く。ようやくリバプールを出撃することが出来たアメリカ合衆国陸軍 522戦術機甲中隊。通称 レッドブラスターズと呼ばれるこの隊の指揮官はいつも以上に眉間に皺を寄せ、己の副官に対して怒号を上げるように問いかけた。

『レスター2よりレスター1。第2防衛線後方への流入敵戦力……約2000!? 何時の間にそんな―――――――――』
 ジョージ・ゴウダの問いかけに答えるリン・ナナセは、質問に答えながらも自らが言ったその言葉に絶句した。
 基本的に、人類側が戦域のBETA群全体を指して数を述べる場合、その数字には小型種の数が含まれていない。今まさに向かってくるBETAの規模を部隊単位で見た場合は話が別だが、例えば侵攻戦力の総数であったり、特定の施設あるいは防衛線などの領域・境界を脅かそうとしているBETA群だったりする場合も、前者に該当する。

 何故ならば、一般的なBETAの構成比が大型種1に対して小型種が20以上あるからだ。要撃級が1000体いれば、それに随伴してくる小型種の数はおよそ2万。だから、律儀に小型種まで数えていると容易に敵の規模は10万を超えるのである。
 より詳しく、小型種内の構成比も述べれば約半数が戦車級で占められ、残る半数を光線級、闘士級、兵士級のBETAが1:2:2の割合で成しているのが一般論だ。

 あまりにも、馬鹿らしい。

 今回、東側から上陸したBETAの規模は約1万5千。無論、大型種のみ数えた推定値である。
 通常の比率が今回も適用されるのならば、東側だけで上陸した小型種の数は既に20万を軽く飛び越えていた。

 その現実が、あまりにも馬鹿らしかった。

「2000……! 俺たちの出撃が遅れたのは、ある意味、不幸中の幸いだったか……!」
『EUにすれば、総力戦になっていたことが痛かったでしょうね』
 編隊を組み、北へ進路を取る彼らが向かうのは多数の防衛基地を擁するプレストンだ。多くの部隊に遅れること1時間以上、ようやく本国から出撃の許可が下り、東部防衛線の中央目指し東へと進路を取っていた彼らに、敵集団突破の一報が届いたのはついさっきのこと。
 2000の規模に達したBETAもまるでそこを目指すかのように一路西へと移動を続けているため、それを阻むために、彼らの部隊は抜擢された。

 彼らにその役目が任されたのは、彼らが未だリバプールに留まっていたことと、総力戦の構図となったためにほぼすべての欧州主要戦力が既に前線へと出払っていたことが理由として挙げられる。
 そこにおいて、高い巡航速度を持つF-22Aを彼らが運用していることも大きな要因だろう。

 それほどまでに、今、人類は追い込まれている。
 表面的には一進一退を繰り返しているが、それもこれも各国・各方面軍の精鋭とも言えるような部隊と多数の第3世代機が、前線でBETAを屠りながら鬼ごっこを続けているからに他ならない。
 あとがないのだ。BETAは次から次へと飽きることなく押し寄せてくるが、それを前衛で押し留める戦術機部隊には替えが利かない。それ故に、一見では一進一退を繰り返しているように見えるかもしれないが、その実、人類は戦闘が始まった段階で既に背水の陣に等しかった。

「増援部隊はどうなってる? まさか、俺たちだけなんてことはないだろ?」
『南と東の防衛線の戦力から捻出をしているらしいですけど……敵よりも早く駆けつけるのは難しそうです。ああ、でも、白銀中佐旗下の272戦術機甲中隊が反転し、既にBETAを追撃に入っているようですね』
「白銀中佐旗下? 中佐は今、南部防衛線の筈だろう? 何故その指揮下部隊が東にいる?」
『271戦術機甲中隊(セイバーズ)も私たちと同じで、式典に参加してましたよ? というか、向こうは別格の主賓じゃないですか』

 リンのそのやや責めるような返答に、ジョージはふんと鼻を鳴らして「興味ない」と言い訳に等しい言葉を呟く。実際、式典には言うほど興味などないのだが、白銀武個人については寧ろジョージは強い関心を持っていた。

 年齢は同じ。候補生という期間も含めれば、どうやら軍歴は寧ろ自分たちの方が上らしいと、榊千鶴や鎧衣美琴、柏木晴子らとの親交で知った。
 それにも関わらず、白銀武はジョージ・ゴウダよりも2つも上の階級にある士官であり、今のところは彼がどう逆立ちしたところで勝てそうもない相手である。
 軍属にある者として、それだけの猛者に興味のない者などそれこそただの阿呆か余程、奇特な人物に違いない。

『272戦術機甲中隊の方は、微妙なところですね。こちらとは違って、敵中を移動してくるわけですから』
「その時間を稼ぐのが俺たちの仕事だ。規模2000のBETAなんぞ、1個中隊でどうにか出来るものじゃないからな」
『はい』

 ジョージが告げるリンへの返答には、彼女のみならず中隊衛士誰もが顔を強張らせた。そう、現実的なことを言えば、彼らはこれから侵攻してくる敵を殲滅しに向かうのではない。足止めをしに向かうのだ。
 支援に入る友軍部隊がない以上、彼らにはまともな補給の機会が与えられない。加え、こちらは長刀やナイフによる近接格闘を戦闘の主軸に置かないアメリカ陸軍部隊なのだ。

 その1個中隊が、2000の規模で流入するBETAを殲滅出来る筈がない。
 巧くいっても精々が50分の1。敵の構成や動き次第では最悪、100分の1も倒せない可能性だって、決して低くはなかった。
 弾薬が尽きたらどうなる? 機動で敵を惹き付けながら、支援砲撃と友軍の到着をひたすらに待ち続けるしかない。
 推進剤が尽きたらどうなる? 頼れるのは最早、機体の主脚だけだ。弾薬もない、噴射跳躍も出来ない、友軍も周囲にいない。そんな状況でF-22Aに出来ることなど、壁となること以外、何もない。

「ナナセ、プレストンに残る兵員の退避状況はどうなっている?」
『芳しくありません。各駐屯地の非戦闘要員から順次、退避を継続していますが……このままではBETAの方が早いです』

 リンのその言葉にジョージは表情を歪める。BETAの侵攻に際して、バックヤード陣の避難が緩慢過ぎると、思わず悪態まで吐きそうになった。
 だが、止む無いと言えば止む無いことだ。このプレストンは東部防衛線の、特に左翼方面にとって貴重なリバプールとの中継点なのである。だから、彼らがそこにギリギリまで残り、前線を支援し続けることは責められるようなことではないのだろう。

 それに、言い方は悪いがジョージたちが負っている任務は彼らの退避支援ではない。あくまでリバプールへ近付こうとしているBETAの迎撃だ。
 もし、その上でプレストンの要員が障害となるようであれば、ジョージはそれを切り捨てることすら辞さない。今のこの状況では、衛士と戦術機が損耗するリスクを負ってまで、通信兵や整備兵、衛生兵といった非戦闘要員の安全を守る選択肢は、そうそう取れるわけではなかった。

『レスター3よりレスター1! 侵攻する敵集団を捕捉! ―――――――ッ!? 先頭集団じゃない!?』
「なっ―――――――!? 糞ッ! ここも突破されたかッ!!」
『敵編成、要撃級57! 小型種多数! 光線級の存在無し!!』
『こちらレスター8! 敵集団の向きが変わった!! 大尉ッ! ヤツら……俺たちを狙っていますッ!!』

 接敵に一時的ながらもその速度を緩めるレッドブラスターズ。相対し、ほとんどを要撃級と戦車級で占めるBETA群は、目前にまで迫ったF-22Aの一団に狙いを定め、一層、速度を上げて行軍してくる。
 ジョージは思わず舌を打った。
 やはり、手近な人類戦力に攻撃を仕掛けてくる点は何も変わらない。そもそも、話に聞くあの横浜基地防衛戦以外で、BETAがその行動基準を大きく覆した前例は少ないが、それでも、今回の侵攻も集団としては散漫としている。

 たとえ、人類戦力を間引きするという目的を掲げていたとしても、そこには集団として目指す明確な目標が見られないのだ。
 本来、そういった“作戦”を敢行する場合、被害を抑えるために徹底した作戦推移のシミュレートと投入戦力の連携が必要とされる。
 しかしながら、BETAはただ、大量に投入された物量が個々に好きなように侵攻し、手近な人類戦力を好きなように攻撃しているようにしか見えなかった。唯一、他のBETAと連携しているように見えるのは、地上戦力より空間飛翔体を優先的に迎撃するレーザー属だが、それも取りようによっては旧来の行動規範に準拠しているだけかもしれない。

 言わば、非効率。驚くほどに、効率が悪い。

 元々、物量で勝っているが故に損害など気にしてないのかもしれないが、それでは今回の「人類戦力の間引き」という行動自体に矛盾が生じる。
 一つ一つの行動自体は理に適っているのに、その行動と行動の間に幾つも辻褄の合わない“何か”が存在している。

 それが、今のジョージを困惑させていた。

『ゴウダ大尉! ご命令をッ!!』
 困惑する彼を現実に引き戻したのは、長年苦楽を共にしてきた腐れ縁の幼馴染みだ。促すリンの言葉に、もう1度、ジョージは小さく舌打ちをする。
「……中隊各機、移動開始! まずは敵先頭集団に追いつくぞ! 戦闘は可能な限り避けろ!!」
 ジョージが判断を下すのは早い。敵の目的が何であれ、リバプールが陥落すればイギリスが終わるのは誰の目から見ても明らかだ。BETAがたとえ、“今”はそれを目論んでいないとしても、結果としてそうなる可能性は高い。
 だから、まずは先陣を切ってプレストンに向かう先頭集団を惹き付けなければならないのだ。もし、BETAの目的が出回っている情報の通り、人類戦力の間引きならば、1個中隊にも出来る大きな仕事がある。

 ここで、時間を喰うわけにはいかなかった。

『了解ッ!!』
 それをしかと理解しているのか、迫り来る敵を前にしても、アメリカ陸軍が誇る優秀な衛士たちは取り乱すことなく声高に応じ、再び前進を開始する。
 まだ、ここを通って間もないであろう敵先頭集団を追撃するべくして。










「歩兵部隊並びに基地警備隊は臨戦態勢のまま待機を継続。残る基地要員は即時、第2師団司令部へ移動を開始してください! 急いでッ!!」
 敵集団一部の第2防衛線突破によって、プレストンの管制室はにわかに騒がしくなった。いや、騒がしくなったのは何も管制室だけではない。第27機甲連隊がホームとする駐屯地も含め、プレストンが擁する複数の駐屯地すべてが騒然としている。
 周辺基地の防衛戦力のほとんどは、所属する支援火器車輌と砲撃部隊、歩兵部隊のみで、戦術機を運用する機甲部隊は数えるほどしかない。その上、お世辞にも押し寄せるBETA相手に時間を稼げるほど熟練された部隊とは言い難かった。

 そもそも、第2、第3世代機を回されている且つ、優秀な戦果を挙げられる部隊ならば後方待機ではなく前線の戦闘に回されるだろう。
 それほどまでに、このグレートブリテン島の上で今も続いている戦闘は激しい正面衝突の総力戦なのだ。

「ヴァンホーテン少尉! 片倉美鈴准尉より報告です! 基地所属衛生兵、総員、搬送車輌に乗車し、移動を開始しました!」
 管制室の一角から部下の声が上がる。通信班の中ではリィル・ヴァンホーテンを直接、補佐する優秀な曹長だ。
「リィル・ヴァンホーテン了解! 通信班もバックヤード陣は退避を開始してください! 整備班は!?」
「シルヴァンデール少尉より通信! 整備班数名をType-94[second]に搭乗させ、待機させるそうです! 万が一の際には囮となって敵を惹き付けると!」
「ッ!? 了解……! ですが、可能な限り戦闘行動は禁止します! 撤退することを前提とした撹乱を行うように伝えてください!」
「了解!」

 整備班総轄のケヴィン・シルヴァンデールが思案した策に、リィルは眉間に皺を寄せながらも了解する。衛士が出払った今、当基地で戦術機をまともに動かせるのはその整備を担当する整備兵だけだ。
 無論、それも“問題なく動かせる”だけであって、とてもではないが衛士のようにBETAと交戦出来るような技術を持っているわけではない。
 だから、彼らの場合はBETAに対して攻撃を仕掛けるよりも、出来るところまで敵を惹き付けながら逃げ回る方が生存率は高まるだろうし、何よりも時間が稼げる筈である。

 尤も、衛士ではない彼らにそのようなことなど、出来ればさせたくないが。

「涼宮少佐、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の皆さんも、すぐに脱出してください。ここももうすぐBETAの攻撃に遭います」
 その網膜に映るプレストン周辺の状況と、グレートブリテン島全体の戦況を逐一確認しながら、リィルは傍らで同様に情報処理を続けている涼宮遙へとそう呼びかける。
「私たちが避難する時は、ヴァンホーテン少尉たちが避難する時ですよ。それまでは、ここをお借りして仲間の支援を続けます」
 リィルの進言に、遙は丁寧で落ち着いた口調でそう応じ、手元のコンソールを打つ。恐らく彼女の網膜にもリィルと同じ戦域のマップが映し出されていることだろう。
「だっ……駄目です! 皆さんは列記としたお客さんなんですから、本当なら最初に――――――――」
「前線では、みんな所属も関係なく戦っているのに、通信兵がそんな区別をするのはおかしいんじゃないかな?」
 慌てたように、やや強い口調で意見を進言しようとするリィルに、少しだけ砕けた口調となった遙が、その穏やかな笑みと共にそう言い返してきた。その言葉に、リィルは思わず黙らされる。

「私たちが退避するのは、この基地のスタッフが退避してから。だから、ヴァンホーテン少尉と一緒だね」

 ふふっと笑う彼女には勝てそうもない。階級とか、年齢とかいう差を抜きにしてでも、リィル・ヴァンホーテンでは涼宮遙に勝てるわけがない。
 多分、彼女はあの戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)を内側からきちんと掌握している人物であろう彼女は、たとえ衛士でなくともそれだけの人物なのだ。


 この時、リィルはまだ知らなかったが、戦域管制将校である涼宮遙も、あの横浜基地防衛戦では死にも繋がる危険な場面を乗り越えてきた。当人がどう思っているかはさて置いても、強いのは自明の理である。


「ヴァンホーテン少尉! 第2師団司令部より入電! 東部防衛線中央に向かっていたアメリカ陸軍 522戦術機甲中隊がこちらに急行しているようです!」
「第4中隊(フリスト)、左翼のEU連合部隊と共闘して防衛線を維持! 後退しながらも侵攻する敵戦力を削っています!」
「273戦術機甲中隊(ハンマーズ)及び275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)、第3中隊(アルヴィト)並びに第6中隊(スルーズ)と合流し、中央にて敵の第16陣と交戦を開始! 支援砲撃を要請してきています!!」

 第27機甲連隊と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の通信兵が埋める管制室には、秒単位で情報の波が押し寄せてくる。見ての通り、それに応じる彼らも怒号のような言葉の投げ合いに近い。
 敵の突破を許した第2防衛線の穴はとうに修復されており、現在はこれまでと同じよう、侵攻してくる敵を片っ端から迎撃している状況にある。つまり、既に防衛線後方への敵の流入は止まっていた。

 その規模、およそ2000。

 適切な砲撃支援と管制支援が機能していても、まともに戦うのならば前衛に戦術機部隊が1個大隊。殲滅を望むのならば、平均的な能力を持った衛士で構成される部隊でも1個連隊は欲しいところだ。
 もちろん、この駐屯地にはそれだけの兵力など残っておらず、またプレストン全体を見てもそれは同じこと。加え、主要戦力のほとんどは第2防衛線を維持することで手一杯である。たとえ、追撃部隊が編成されたところで、BETAがここに到達するより早く到着するとはとても思えなかった。

「支援砲撃はすぐに出来ません! 右翼方面に光線級が多数確認されています! 600秒待ってください!」
「日本軍増援部隊、東部防衛線右翼にて戦闘を開始。電磁投射砲による威力制圧で、一時的に防衛線を押し上げています」
「第10中隊(フレック)、10機編成で防衛線右翼にて尚も敵と交戦中! 南からも雪崩れ込んできていますッ!!」

 直属の部下や、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の通信兵が続ける応答に、リィルは口元を歪ませる。全員が懸命に、迫る恐怖と戦っているが、あまりにも今は分が悪い。
 右翼方面で戦う戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊は、既に2機が欠け、割かれた兵力の多い東部の中央も1機以上の損耗が確認されている。
 極東国連と、自分たち欧州国連の精鋭が連携して、正面の敵で手一杯。

 可能性の低い希望と、つまらない意地はここで捨てるべきだと、リィルの思考はその戦況を見せられて、ようやく判断を下す。

「リィル・ヴァンホーテンより基地所属要員、総員に告ぐ! これよりプレストンの駐屯地を放棄します! すべての非戦闘要員は速やかに搬送車輌で第2師団司令部まで撤退! 整備班の戦術機搭乗者は滑走路東にて待機、歩兵部隊は車輌に乗車し、同じく滑走路に待機を継続してください!」

 次の瞬間、リィルは基地の兵員すべてに伝わるよう回線を開き、自身が決定した判断を告げた。彼女のその言葉に、管制室にいたほぼすべての通信兵が驚き、リィルへと振り返る。

「繰り返します。現時刻をもって、駐屯地は完全放棄。駐留要員総員は、現時点で実行中の作業を放棄し……即時撤退行動を開始してください!」
「りょっ……了解!」
「曹長、退避しながらで構いませんので、第2師団司令部に基地放棄の旨を伝えてください」
「は!」
「軍曹は、第27機甲連隊の各中隊並びに戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)各中隊へ同様の旨を。以降、私たちが師団本部に到着するまでの間、両連隊所属中隊の管制支援は第2師団司令部が引き継ぎます」
「了解しました!」
 リィルの命令に部下である通信兵2名が立ち上がり、敬礼。その後すぐに退避準備を続けながら、命令された業務も開始する。その他の通信兵も身辺の重要な携帯機器を整理し、それが完了した者からリィルと遙に敬礼して管制室を退室していった。

「戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)通信小隊総員も同様にヴァンホーテン少尉の指示に従い、即時撤退を開始してください。第2師団本部で会いましょう」
「了解!」
 部下の行動をリィルが見守っていると、すぐ隣で遙が直属の部下へと同様の指示を飛ばす。リィルら第27機甲連隊の通信班が完全撤退を開始するのに、彼女たちがここに残れる筈がない。

 裏を返せば、リィルがその判断を下したからこそ涼宮遙は、ようやく完全退避の命令を出すことが出来たわけであり、ようやく完全退避の命令を下してくれた、とも言える。

「ヴァンホーテン少尉」

 次々と退室してゆく部下を同様に見送る遙は不意にリィルの名を呼んで、その視線を向けてくる。小柄なリィルではそれに向き合えば、彼女を見上げる形になった。
 ふと、遙が柔らかく笑う。普段から柔和な彼女だが、今はそれに輪をかけて笑顔が優しかった。
 そこで、リィルはやっと気付く。
 涼宮遙はそうやってリィルが完全退避の決断を下せるよう、やんわりと促していたのだ。自身が客人であり、立場上は第27機甲連隊の運営に対して露骨に口を出せる者ではないと分かっているから、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の副長としての立場として、リィルへ次の行動を示唆していた。

 やはり、敵わない。バックヤードスタッフであるが、彼女はやはり極東が誇る戦乙女部隊の一員なのだ。軍歴が半年にも満たないリィルが、敵う筈などない。

「……私たちも行きましょう、涼宮少佐」
 そんな矮小な自分は悟らせないように、リィルは遙に微笑み返し、代わりと言っては何だが、そう促した。既に基地全体は完全撤退の方向で速やかに動いている。元々、最終的にはそうなるように準備を進めてきたのだから、動き出してしまえばそう時間はかからない。

 問題なのは、当初の予定とは異なって第2防衛線後方の味方戦力が少なくなっていることと、代わって第2防衛線に留まる敵戦力が激増していることだ。
 この、突破を目的としないBETAの行動によって、人類戦力がその戦術を変えた結果、バックアップを担当する基地要員は大きく振り回される結果となった。
 これが、プレストン周辺施設の要員の退避状況が進んでいないことの最大の要因として挙げられる。一部BETAの唐突な突破と、それに伴った西進も彼らを混乱させる原因となっていた。

 すべて後手。忌々しいと思わず吐き捨てたくなるのは、リィルにとっても特殊な感情ではない。

「はい、行きましょう、ヴァンホーテン少尉」

 遙もそれに頷き返す。彼女がこの立場をどう捉えてきて、そして今、どう考えているのかはリィルの知るところではない。だがきっと、同じなのではないだろうか、と思ってしまう。

 まずは生き残って、そして、戦い終えて帰ってきたみんなを労い、迎えるために。

 直接、BETAと対峙する力も技術もない彼女たちが目指すことの出来る、最高の終着点はそこなのだ。バックを固め、管制支援を司る彼女たちに任される最後の任務とは、きっとそうなのだろう。

 リィル・ヴァンホーテンと涼宮遙の2人は、同じように貴重な携帯機器を手にし、自分たちを除けば無人となる駐屯地管制室をあとにする。


 すべては、今日という日を乗り越えるために。










 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)が突破したBETAの先頭集団に追いついたのは、その一報から既に30分以上が経過した頃だった。そこはとうにプレストンの領域に入っており、東側の軍事施設はもう幾つも薙ぎ払われ、大破した戦闘車両も至るところに転がっている。恐らくは残っていたわずかな守備隊が交戦したのだろう、F-4やF-15といった戦術機の残骸も幾つか転がっているのが分かった。
 その上を尚も行軍する要撃級と戦車級によって構成されたBETA群。戦車の残骸も歩兵の死体もまるで紙屑のように踏みつけ、連中は西へと進んでいた。

 その更に上をわずかな牽制射撃で進路を確保しながら、272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の一団は同じように西進。

 その彼らが、慣れ親しんだプレストンの地で見た光景は、大地を埋め尽くさんばかりに蠢くBETAの群れと、その最中で半ば孤立状態にある1個中隊規模の戦術機の一団だった。
 少なくとも、この欧州ではそうお目にかかることの出来ない、間違いなく最優の一角を担う第3世代機の姿である。
 F-22A。ディラン・アルテミシアにとってそれは、祖国の象徴に等しい。

「また、随分と分の悪い戦いをしてやがんな」
『522戦術機甲中隊ですね。まだまともに戦えているということは、向こうも到着間もないということでしょう』
 先頭を行かせるユウイチ・クロサキの言に、ディランもふむと小さく相槌を打つ。まともな支援砲撃もない。補給線も確立されていない。そのような状態で戦闘行動を継続出来る部隊など、普通、ありはしない。
 アメリカ陸軍部隊ともなれば、その戦術上、尚更だろう。それが未だ、1機も欠くことなく戦っているのだから、ユウイチの言葉は恐らく正しい。

 どちらにせよ、あの部隊がここに留まり、戦っていることで大部分のBETAの侵攻はここで止まっている。それだけでも、彼らの行動は称えられるべきものだ。

「ともかく、俺たちも支援に入るぞ! 1個中隊でも友軍がいてくれるのは心強い!」
『了解! 陣形再編で出来た追撃戦力の到着まで、時間稼ぎですね』
「ああ、こっちも分のわりぃ戦闘だよ」

 ユウイチの言葉に1度、ディランは苦笑し、それから即座に部下へ突撃の指示を下す。目的は敵の足止めであり、撹乱だが、生憎と機動制御だけでどうにかなるような規模ではない。
 唯一の救いを上げれば、敵の数がこれ以上増える心配はほぼないという点だろうか。本来であれば、瓦解した防衛線は、河川の氾濫によってそうなった堤防のように、最初に開いた穴から急速に崩れ落ちてゆくものだ。しかし、今回の場合、BETAがそこから雪崩れ込まなかったため、辛くも開いてしまった穴を再び塞ぐことに成功している。

 その功労者は、今も頭部防衛線中央を守る、彼らの頼れる仲間たちだった。

「こちら欧州国連軍 272戦術機甲中隊 中隊長 ディラン・アルテミシア大尉だ! これより援護に入る! そちらの指揮官に情報提示を願いたい!」
 1度着地し、蠢くBETAの群れへと小隊を率いてユウイチが吶喊。36mmで戦車級を薙ぎ払い始めるのと同時に、ディランは敵中で孤立している部隊へと呼びかける。
『こちらはアメリカ陸軍 522戦術機甲中隊のジョージ・ゴウダ大尉だ。支援感謝する。思ったよりも早かったな、272戦術機甲中隊は』
 ディランの呼びかけに応じる、アメリカ陸軍部隊の指揮官の顔が網膜に映り、彼は思わず「おや?」と目を見張る。明らかにディランよりは年下だろうにも関わらず、アメリカ陸軍大尉という階級にあることも驚きだが、何よりもその容姿が目を引いた。

 日系……いや、恐らく純然の東洋人。純血の日本人か、あるいは中国やモンゴルの血統だろう。初見なので断言は出来ないが、恐らく欧米諸国で多く見られる人種の血は混じっていない。

 そんな青年が、F-22Aに乗りアメリカ陸軍部隊を率いているというのは驚き以外の何ものでもなかった。
 しかし、ディランはすぐに軽く頭を振る。今はそんなことを気にしている状況ではないと、自身を律するために。

「状況は……訊くまでもなさそうだな」
『ああ、ほとんどここで惹き付けたはいいが、それだけだ。それ以上の成果など、期待も出来ん』
「戦略的には大金星だと思うけどな」
『部隊を生かせなければそう言いたくはない』

 ふんと鼻を鳴らし、ディランに反意を示すジョージという名の青年。露骨に悪態を吐いているが、それを堅実に実行している辺りは、軍人として最低限の心構えは出来ているということだろう。
 尤も、それだけであるし、大尉という立場にあるならば至極当然のことだが。

「なら後退しろ。ここは俺たちが引き継いでやるよ」
『嗤わせるな。任務を放棄する上、友軍を犬死にさせるほど、俺たちは利己的な人間じゃない』
 また、彼は鼻を鳴らす。どうやら、先程のも本心のようであり、今の言葉も紛れもない本心のようである。隠し事は恐らく、屈指の苦手分野に違いない。万年、中隊長で止まっているのが賢明なタイプの人間だ。

 利己的ではない。

 そう言った当の本人が気付いているかは不明だが、それは人間の、特にディランも含めアメリカ人である彼らにとっての、ある意味、あからさまなアンチテーゼだ。
 無論、ディランとて利己主義者ではないと主張したいことは変わらない。だが、人間である以上、それは往々に叶わない願いだ。
 人間は、打算的にしか生きてゆけない。危険を顧みず誰かの命を助ける行為だって、面倒な言い回しで言えば「生きてほしい」のではなく「死んでほしくない」からだ。
 その人がいなくなってしまうのは、自分とって強い苦痛を呼び寄せるから、それが怖いから助けるのだ。

 利他的利己主義者。社会はそれをそう呼ぶ。他人のための行為に見えて、実は何よりも自分のための行為を善しとする人種。
 ありふれた、極当たり前の主張を、少し嫌な言い回しに変えた言葉だ。

 その例に唯一、漏れるかもしれないと主張出来るのは、自らの命を犠牲に誰かを救う行為である。それだけが本当に唯一、人間の行動は打算的なものだけではないという反論になり得る、行動かもしれなかった。

『糞……こうも敵の数が多くては……!!』
 ただひたすらに突撃砲で地を這う小型種を粉砕し、長刀で迫る要撃級を薙ぎ払うディランの下に、苦言にも似た言葉を吐きながらユウイチが小隊を引き連れて後退してくる。
 彼らが敵中へと身を翻してから、5分と経っていない。

 だが、小隊は既に1機が欠けていた。

 ディランも思わず舌を打つ。H11制圧作戦の時とは異なり、その現実を突きつけられても尚、彼が冷静さを保っていられるのは、彼自身が成長したからか、それとも部下の死を直接目の当たりにすることがなかったからか、それは彼自身にも分からなかった。

『アルテミシア大尉!!』
「―――――――――ッ!? ちぃッ!!」
 部下の呼びかけに、ディランは反射的に身を捻る。機体の装甲を、要撃級の前腕が掠めた。その頑強な外殻で覆われた前腕の一撃で、表面のレーザー蒸散塗膜がわずかに剥がれ、持っていかれる。

 今、もう少し反応が遅れていたら、持っていかれたのは塗膜ではなく左腕だった。ここにきてようやく、ディランは操縦桿を握る手の平をじっとりと汗が濡らす感覚に気付く。

『無理に殺すな! 進路を確保して、敵を惹き付けながら移動する! リバプールから引き離すぞ!!』
『りょっ……了解!!』
 ユウイチは部下と自身を奮い立たせ、再び敵中へ躍り込む。この状況で隊列を組んで弾幕を張ったところで、所詮は焼け石に水。殲滅など出来る筈もない。
『ナナセ! 俺たちも機動撹乱に移るぞ! 友軍の到着まで耐え抜け!!』
『了解ッ! 中隊各機! 小隊単位で散開し、敵を分散させて!!』
 ユウイチの策に乗ずる形で、ジョージ・ゴウダは部下に対して檄を飛ばす。ほんのわずかなミスが死に直結する危険な手段だが、このまま友軍の到着を待ちながらまともに交戦を続けるのは両中隊にとって非常に厳しい。

 しかしながら、2個中隊でこの場からBETAを大きく引き離すような陽動を行うには、敵の規模が大き過ぎる。
 距離を取って惹き付けては、遠距離のBETAは恐らく周辺へと散開し、砲撃陣地やリバプールへと歩を進めるだろう。だから、彼らは常に敵中に身を置き、緩やかに、実に緩やかにリバプールから離れるよう動くしかない。

 勝負は弾薬と推進剤が保つ限り。

 生憎と、20分は保たない。それ以上かかるようであれば、ディランは部下たちに「死ね」と言わなければならない。

『ちくしょうッ!! 何だよッ!? この数は!!』
『ストライカー9! 足を止めるな!! このまま敵を惹き付けながら―――――――ぐあああああぁぁぁぁぁッ!!!』
『ストライカー5!? 応答しろ!! ストライカー5!! アルター少尉ッ!!』
『クソッ!! 邪魔だああああぁぁッ!!』

『こんな状況でまともに戦えるかよッ!! 糞が!!』
『無駄口を叩くな! レスター10! まともに戦う必要はない!!』
『レスター2より各機! 落ち着きなさい!!』
『小隊各機、連携を怠るな! カバーし合わないと死ぬぞッ!!』

 両中隊の衛士が悲鳴にも似た声を上げ、交信する。敵を退けながら小隊を率いて移動を続けるディランにも、その兆候は明らかに見て取れた。

 部下であるほとんどの衛士が“切れている”。
 戦闘開始から既に2時間以上。ハイヴに突入し、生還した衛士たちの集中力がもう、切れ始めている。

 それだけ、この状況は過酷なものだったのだ。終始、後手に回っているため、気を緩める暇がほとんどない。たとえ、わずかながら時間が空いたとしても、いつ、どこから敵の奇襲があるのかと、感覚を研ぎ澄ましていなければならない。
 人間の集中力とは、それほどまでに脆弱なのだ。だからこそ、その管理を個人でも求められるし、指揮官としても求められる。

 失態だった。軍人として避けることは出来ない任務であり、他人になど任せたくはない任務だったが、それに臨む指揮官として、もう少し、やりようがあった筈だ。

 そう、ディラン・アルテミシア自身の集中力も、既に切れかかっている。

 その瞬間、運命は非情なのだと、彼らを嘲笑うかのように東部防衛線の戦況が更新される。誰もが、言葉を失った。


 東部防衛線中央、敵の増援出現。その数、およそ2000。


『ちくしょう……ちくしょおおおおおぉぉぉぉぉッ!!』

 誰かがそう叫んだ。まさに阿鼻叫喚の光景に等しい。ここから最も近い東部防衛線中央。そこに大規模な敵の増援があったということは、こちらに割かれる戦力など、絶望的だ。

 防衛線での戦闘は予断を許さない。再び突破されれば、次の修復は叶わないだろう。無論、こちらの敵集団を野放しにすることも極めて危険なことだが、防衛線が瓦解すれば、数万というBETAがここにも雪崩れ込んでくるのである。

『アルテミシア大尉! 周辺の戦力を再編し、こちらの救援に回すそうです! 最低でもあと30分、耐えてほしいと!!』
 敵中を駆け回るユウイチからそう告げられる。すぐにでも最前線に戦力を送りたいだろうにも関わらず、自分たちを支援するために部隊を再編し、その戦力を捻出してくれるというのだ。

 そのために、“最低30分は持ち堪えろ”と。

 それを聞いた瞬間にはもう、ディラン・アルテミシアは最期の英断を下していた。










『ユウイチ』
 眼前を阻む要撃級を長刀で斬り伏せたところで、ユウイチにディランから呼びかけがある。両者共にその足は止めなかったが、あまりにも場違いな、彼の冷静な口調に、ユウイチはようやく理解する。
『ここを……制圧するぞ』
「……了解」
 続くその言葉に、「ああ、やはり」とユウイチは自分の想像が正しかったことを確信した。

 制圧する。それは即ち、小型種も含めれば5万近く存在するここのBETA群を潰滅に追い込むことに等しい。もちろん、一般的な装備の戦術機甲1個中隊程度では、それは不可能に近い行為だ。
 だが彼らは……今の彼らはこの戦闘において若干の例外に当たる。
 “ハイヴ制圧作戦でも何でもない”この戦闘において、彼らは恐らく、唯一“最後の手段”を持ち合わせている中隊なのだ。

 それは、何故彼らの東部第2防衛線への到着が遅れたのか、という話に繋がる手段。
 どうして、出発を“遅らせてまで”彼らがプレストンに留まっていたのかという疑問に対する1つの明確な回答。

 戦術機が搭載し得る最大火力兵装。

 成程、取り方によってはそう言えなくもない装備品だ、とユウイチはディランから相談を持ちかけられた時、思わず苦笑してしまったことを覚えている。

『……ストライカー1より残存する中隊各機! これより全機、散開して起爆地点を確保せよ!! 弾薬も推進剤も使い切って構わんッ!!』
『――――――――――――――了解ッ!!!!』

 1度、ユウイチだけに呼びかけたディランはその返答に頷き、今度は生き残っている部下全員に「死ね」と命ずる。それに応じる衛士たちは、これが最期かと悟り、無様な終わり方だけはするまいと自身を奮い立てた。

「522戦術機甲中隊は即時、安全圏まで後退しろ」
『なっ……貴様等……何をするつもりだ!?』
 中隊長であるジョージという男の困惑振りに、ユウイチは思わず眉をひそめる。だが、すぐにその理由を理解した。
 そう、アメリカ陸軍部隊である彼らにとって、今からユウイチたちが使おうとしている兵器は、あくまでハイヴ反応炉破壊用の道具に過ぎないのだ。彼らのような若い世代であってもまだ、知識として持っていてもそれが“自決用”として使われる常識は確立されていないのだろう。
『………まさか!? S-11を!?』
『そういうことだ。そっちは早く退け。この程度の距離じゃ、巻き込まれるぜ』
 先に気付いたのは、隊長であるジョージという名の青年ではなく、その副官らしき2番機の女性だった。
 相手がもう気付いたのなら答える必要はないと、ユウイチも自らの起爆地点を確保するために身を翻した。

「はあああああぁぁぁぁぁッ!!」

 最早、時間を稼ぐような戦術は不要。すべての戦闘手段を失えば、そこが自分の墓場となる。
 訓練兵時代、何度も何度も、教官から教えられた筈だ。

 戦術機の管制ユニットは、衛士にとって最強の鎧であり、同時に最期を過ごす棺桶でもある。

 その言葉に一切の誤りなどなかった。

 迫る要撃級の首を長刀で刎ねる。それと同時に限界を迎えたそれは刀身の中ほどから真っ二つに折れ、まるで使い物にはならなくなった。
 しかしユウイチは動じることなくブレードマウントに背負っているもう一振りの長刀を引き抜き、そのまま縦方向に振り下ろす。ただ、力任せに振り下ろす。

「どけえぃッ!!」

 36mmを惜しげもなく掃射。左側から押し寄せる戦車級を尽く粉砕し、尚も跳躍。データリンクで味方機の分散状況を確認し、戦闘行動を継続しながら自分にとって最良の起爆地点をユウイチは定める。
 同時に、彼の双眸はアメリカ陸軍部隊が戦域から離脱してゆくのを確認した。向こうも向こうで持久戦をする必要がなくなったので、残弾を使い切る勢いで退路を確保していっているようだ。

 あの中隊長は見たところ、かなり頑固者そうだったが、恐らくは戦闘を続けながらディランが巧く言い包めたのだろう。あるいは、ほんの数回だけ口を開いたあの利口そうな副長殿がなだめたのかもしれない。

『ユウイチ、撤退中だったうちの基地要員たち、無事に第2師団司令部まで到着したらしいぜ』
「ヴァンホーテンたちは無事ですか……不幸中の幸いです」
 彼女の安全を最後に確認出来、ユウイチは少しだけ口元を緩める。彼女たちが後退するまでの時間を稼いでくれたあのアメリカ陸軍部隊には感謝するべきだろう。
 そう思った瞬間、左手の突撃砲が空となり、機体がエンプティマークと共に換装警告を表示した。それを投棄し、ガンマウントの予備を持ち替えようとしたその時――――――――――――――


 後方から迫ってきた要撃級がその前腕を振り下ろした。


「くううううぅぅぅぅぅぅッ!!」
 反射的に身を捻るが、完全に躱すことは叶わず、激しい衝撃が管制ユニットとそこに着座するユウイチの身体を襲う。身体ごと脳を揺さぶられ、一瞬、意識が遠のきそうになるが、辛うじてそれを手離すことなく、第二撃は跳躍で躱し切った。
『無事か!? ユウイチ!!』
「大丈夫……です。“左腕を持っていかれた”だけですから」
 機体のコンディションチェックと目視で二重の確認をする。その結果分かったことは、既に自分の機体の左腕は肩の付け根から完全になくなってしまっていることだけだった。
『はっ……こっちは跳躍ユニットをやられた。ジャンプならまだしも、まともに飛行は出来そうにねーな』
 ユウイチの返答に、ディランは失笑気味に答える。まだ跳躍は出来るということなら、完全に破壊されたわけではないのだろう。ディランの腕なら最低でも右か左の1つが残っていれば、小規模の跳躍程度なら可能の筈だ。
 生憎と、推進力のバランスが悪過ぎるため、飛行はおろか大規模な跳躍などどだい無理な話だが。

 ユウイチは右手の長刀を正面すぐそこまで迫った要撃級の体躯に突き立て、1度、落としてしまった予備の突撃砲を拾い上げて掃射する。身体を捻りながら、可能な限り射角を広く取りながら、だ。

『中隊各機、最後の交信だ。無能な中隊長で悪かったな。それでもついてきてくれたことは、感謝する』

 ディランが回線を開き、部下全員にそう呼びかける。その言葉に、誰もが無言のまま敬礼を返した。
 言葉など不要で、無駄な会話など交わさず、彼らは今の自分たちに許された数限りある最良の死に方を選び取るために飛行あるいは跳躍で更に広域に展開してゆく。

 S-11の爆破により、一帯のBETAを殲滅することを目標として、彼らは連携を断ってまで分散していった。

 開けた空間である以上、1発や2発程度では敵を殲滅出来ない。敵集団を包囲した状態で起爆させなければ、確実な成果は挙げられそうもない。
 既にユウイチとディランを合わせても中隊の総数は7。ギリギリの数字だった。

『なあ、ユウイチ』
「何ですか?」
『死にたくねぇな』
「ええ、死にたくないです」

 声量を抑えたディランの言葉にユウイチも短く同意する。死にたい人間など、ここには誰もいないだろう。

『だけどよ……やっぱり、死なせたくねぇな』
「………ええ、死なせたくないです」

 ユウイチには、ディランが誰のことを指してそう言っているのか委細は分からない。このイギリスの地にはいない家族のことなのか、それとも今尚、前線で戦う仲間たちのことなのか、あるいはまったく違う誰かのことなのか。
 ただ、自分たちが今、生き残るためにこの場を離れれば半数近くのBETAは砲撃陣地を喰いながらリバプールへと向かうだろう。断続的な戦闘に阻まれ、補給のままならない彼らでは、それを追撃することは出来ない。
 対し、それを防ぐためにここに残っては確実に自分たちが鬼籍に入る。

 戦う友軍の何かを切り捨てるか、それとも自分たちの命を切り捨てるか。

 最早、その選択肢しか残っていなかった。

 彼女はちゃんと、リバプールの第2師団司令部まで撤退出来たという。あとはここのBETAを殲滅し、このまま防衛線が維持され続ければ、彼女は今日という日を乗り越えられる。
 先には死なせない。
 裏を返せば、先に死ぬ。どれだけ身勝手な言い分かユウイチは理解していた筈だが、それでも、どうしても譲れない信念に近かった。

 ついに空となった突撃砲を戦車級の波の中に投げ捨て、ユウイチは徒手空拳のまま跳躍し、BETA蠢く地表へ最後の降下を開始する。それと同時に、彼は管制ユニットの中でその拳を大きく振り上げた。







 ―――――――――――――――ん。

 草臥れた金髪の青年はそう呟く。

 ――――――――――――――めん。

 思慮深そうで寡黙な黒髪の少年はそう呟く。

 お前に花を届けるって約束、守れそうもない。

 金髪の青年はそう、海の向こうの祖国で今も娘と共に自分の帰りを待ってくれている最愛の女性に向け、卑怯な懺悔をする。

 お前と花を育てるって約束、守れそうもない。

 黒髪の少年はそう、退避した先でも部下を率いて自分自身の任務に従事しているであろう愛らしい少女に向け、卑怯な懺悔をする。



 ―――――――――――――ごめん。

 硝子のカバーで保護された赤いスイッチへ拳を叩きつける彼ら2人に言えることは、それしかなかった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第69話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/01/24 03:01


  第69話


「正面展開のEU連合304中隊! 後退して補給に入れ! 彩峰! 第7中隊(ヒルド)はそのまま前進して戦線を維持! 271戦術機甲中隊(セイバーズ)も前進する! 俺に続けッ!!」

 何か大きな事態が起きることもなく、最初から敵の猛攻が激しい南部防衛線中央。後方戦力も第4防衛線へ合流し、そこでの戦闘は更に激化しつつあった。
 白銀武が屠ってきたBETAの数は、既に大型種だけでも数百に及んでいる。第4防衛線での攻防が始まる前からここにいた彼の戦闘継続時間は同じように最初からここに配備された友軍兵士同様に長く、それでも尚、敵を打ち払いながら戦域全体を見通している集中力は驚嘆に値する。
 そしてその、鋼とも表現すべき精神力の強靭さは、誰しもが畏敬の念を抱かずにはいられない。

 恐らく今、この場で共闘しているすべての友軍兵士はそう感じていることだろう。

 白銀武旗下 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)。ディラン・アルテミシアによって率いられる13名構成の中隊で、再編されてはいるものの、何れもフェイズ5ハイヴに突入し、生還した衛士によって成される精強部隊。

 その全滅の一報がここに届いたのは、つい15分ほど前のことだった。

 プレストンまで到達したBETA群の95%を道連れに、出撃前、機体に搭載していったS-11による自爆。正確な数字は定かでないが、少なくとも5名以上はそれによって逝ったという。
 その訃報を聞いた彼は、己の集中力を途切れさせるどころか、衝撃を受けて動揺している直下の271戦術機甲中隊(セイバーズ)隊員を一喝し、今尚、中央前線部隊の2割近くもその指揮下に置きながら、交戦を続けていた。

『タケルちゃん! ベクター250、要塞級8! 防衛線に接触して、光線級を吐き出そうとしてる!!』
 第9中隊(エルルーン)に今尚、守備されているとはいえ、戦列に並び、支援突撃砲で大型種を中心に遠距離から狙撃してゆくのは、ヴァルキリー1のコールナンバーを持つSu-37だ。複座型仕様であるその機体の搭乗士のうち、情報管制を担当する鑑純夏が、逸早く警鐘を鳴らす。

「ッ!? 第8中隊(ランドグリーズ)行けるか!?」
『やってみます!』
 純夏の察知した要塞級の動きを、武は目視でも確認し、主に中衛からバックアップを続けていた珠瀬壬姫の第8中隊(ランドグリーズ)へと指示を飛ばした。
 彼女の方にしてもそうだが、武たちの位置からでは距離があり過ぎる上、271戦術機甲中隊(セイバーズ)がここを離れれば、正面で第7中隊(ヒルド)が孤立する可能性が高くなる。
 だから、今は壬姫に託した。

『珠瀬大尉! そのままバックアップを続けて! 向こうはうちの第3中隊が引き受けるわ!!』
「『朝霧中将!?』」
 壬姫が部下に指示を出し、動き出そうとした瞬間、それよりも早く山吹の武御雷が長刀を振りかざしながら敵中へと突入した。無論、進撃を始めたのはその1機だけではなく、それに続く形で真紅や山吹、純白、漆黒で構成された11機の武御雷が侵攻する要塞級目掛け、攻撃を開始する。
「たま! 第8中隊(ランドグリーズ)はそのまま斯衛軍23中隊を遠距離からバックアップ! 美琴! 霞! 第9中隊(エルルーン)とヴァルキリー1は敵の接近に注意しながらこっちの支援に回れ!!」
『了解!』

 防衛ラインに接近する要塞級へ12機の武御雷が取り付くのを確認する前に、武は改めて別の指示を出す。元々、近接格闘は斯衛軍のお家芸であり、極東随一の狙撃手を中心に据える第8中隊(ランドグリーズ)は後方支援力に長ける。
 わざわざその構図をひっくり返してまで、彼女たちを敵中に突っ込ませる必要性はなかった。
 武がその指示を部下に伝え、それに従って彼女たちが動き出したところで、純白の武御雷によって率いられる斯衛軍の22中隊が第8中隊(ランドグリーズ)の周囲に展開。接近するBETAに対して威圧を仕掛ける。
 彼らも珠瀬壬姫個人の後方支援能力はよく理解しているのだろう。自分たちが近距離の防御を務めることで、壬姫による狙撃支援が仲間の戦闘をより楽に運ばせるのだと即座に判断したのだ。

『国連軍331戦術機甲中隊は1度後退しなさい! 補給の間はあたしたちが引き継ぐわ!』
『助かります、中将殿。中隊各機、全機補給ラインまで即時後退! 時間をかけるなよ!? 友軍の被害が広がるぞ!!』

 朝霧の勧告に応じ、敵中で交戦を続けていたF-15Eによって構成される国連軍部隊が後退を開始。それと入れ替わる形で朝霧叶自らによって率いられる斯衛軍の三柱が1つ、21中隊が敵中へと攻勢を仕掛けた。

 武御雷の進撃は早く、その戦い振りは圧巻の一言だ。智将と称される朝霧叶によって統制される部隊だからこそ、その機体性能と衛士の練度の噛み合いが、神懸かり的に精錬されているのだろう。

 敵中に身を投じる朝霧を見送り、武も自らBETAの集団の中へと吶喊する。それに追従し、右に支援突撃砲、左に長刀を携えたマリア・シス・シャルティーニがB小隊を率いて同じく敵中に躍進。

『セイバー3、6は3時方向の要撃級と戦車級の一掃を。第7中隊(ヒルド)の退路を確保しなさい。セイバー8は私と共に中佐の周囲を固めます』
『了解!』
『シャルティーニ少佐、正面はこちらで支援します』
『お願いします、社少尉、鑑少尉』

 武はその通信内容を聞きながら、敵の中央部を切り裂く。長刀をヒュンと一閃させ、要撃級の左前腕を斬り飛ばせば、代わりに振り下ろされる右前腕を掻い潜って至近距離から36mmでその体躯を蜂の巣にする。
 近寄る戦車級は既に直援に入ったセイバー8によって尽く破砕させられ、後続の要撃級はマリアによって近距離から放たれる36mmと、霞によって遠距離から放たれる36mmで次々と沈められていった。
 武は自身の右側から近付く要撃級に狙いを定め、再び長刀を一閃。今度は相手が前腕を振り上げるよりも早くその身体を抉り切ったが、同時に長刀がほぼ根元からポッキリと折れる。

「――――――――――――――ッ!!」

 それにすら大きな同様は見せず、武は折れたことで寧ろ鋭く尖った長刀の先端を瀕死の要撃級の顔面へと突き立て、左方面へ倒立反転しながら跳躍。
 その間、右手は空手。マウントから予備の換装は行わない。

 何故ならば、自身が着地場所と定めた場所には、使いかけの長刀が一振り、投棄されていると分かっているからだ。

 数回前の補給の際、部隊を率いて後退した彩峰慧が投げ捨てていったものだ。その存在を頭の片隅に残しておいた武は、この際だからとそれを拝借することにしたのである。

 柄を握るのは着地と同時。着地の衝撃を和らげるために膝を曲げて屈めた機体を直立に戻す勢いを利用し、体勢を整えるのと同時に長刀を力任せに真横へ薙ぎ払う。

 ここまでの戦いで武が柄を握った長刀の数はこれも含めて既に5。トリガーを引いた突撃砲の数は更に多い6だ。リバプール出撃の際に装備していた兵装はナイフを除いてすべて破棄している。

 それが、この戦闘の激しさを何よりも雄弁に物語っていた。

「マリア! 271戦術機甲中隊(セイバーズ)の連続戦闘継続時間は!?」
『最後の補給から15分です』
 長刀を振り抜き、突撃砲を掃射しながら武は声高にマリアに問いかける。セイバー8と共に武の死角をカバーするように回り込んだ彼女は、同じように36mmを掃射しながらそれに答えた。
「まだ行けるな……第8中隊(ランドグリーズ)、1度後退して補給に入れ! 国連軍11戦術機甲大隊は前進! 第8中隊(ランドグリーズ)の後退支援及び防衛線の再構築だ!!」
『ランドグリーズ1、了解!』
『タイガー1了解! 第2中隊はランドグリーズの後退支援に行け! 第1、3中隊はそのまま前進し、ヒルドと斯衛軍の支援に入る!!』

 友軍に後退と前進の指示を出しながら、武は尚も2人と共に全方位に向けて36mmを撃ち出し、戦車級の接近を妨げ続けた。
 武たちの補給から約15分。壬姫の第8中隊(ランドグリーズ)はそれよりも20分も前に最後の補給を行っている。後方支援を中心に行ってきた彼女たちの弾薬状況も厳しかったことだろう。

『タケルちゃん! 接近中の帝国軍九州前線守備隊 第122中隊の接近を確認! これから戦列に加わるって!!』
「122中隊!? そこは左翼に回されたんじゃなかったのか!?」
 純夏からの報告に武は思わずその耳を疑う。本来、何個か帝国陸軍の戦術機甲部隊がこの南部防衛線中央にも回される予定だったのだが、左翼のノッティンガム周辺に、南と東から同時にBETA群が流入したため、その救援としてすべてそこに向かわされていた筈である。
『ノッティンガムの戦況は………今は安定してる!! 確認されてた光線級も殲滅されて、初期配置の防衛戦力だけで充分に機能してるよ!!』
『光線級が殲滅……確か、情報では100体を下らなかった筈ですが……』
 今や最前線の戦域管制まで務め上げている純夏の言葉に、マリアがにわかには信じられないと言うように感嘆の呟きを漏らした。彼女の言う通り、つい先刻に知らされた情報では、船団級によって東側からノッティンガム方面へと送り込まれたBETA群の中には100体以上の光線級が確認されていたらしいことが明らかになった。
 幸運にもやはり、連中が執拗に砲弾撃墜に拘ったため、レーザーに喰われた友軍戦力はその段階でまだほとんど見られなかったということだったが、それにしても早過ぎる。
 無論、それはそこに多くの支援砲撃が充てられたとしても、だ。

 成程、と武は驚嘆と安堵で1つ、息を吐く。

 もし、この戦闘が帝国軍に致命的な損害もなく、勝利という形で終息すれば、日本の国防省も悦に入るだろう。

 何せ、ここにきて更に電磁投射砲の威力がこれでもかというほどに示されたのだから。


『こちら帝国陸軍 本土防衛軍 九州前線守備隊所属 第122戦術機甲中隊。これより一時的に貴官の指揮下に編入し、南部防衛線中央の防衛に当たります』


 武に対するその呼びかけと同時に、計8機の不知火弐型が第9中隊(エルルーン)とSu-37を左右から追い越し、敵集団に対して攻撃を仕掛ける。機体こそ武たちとまったく同じものだが、大腿部に刻まれた烈士の文字は見紛う事無き帝国軍の証だ。

「こちら中央、第1エリア指揮官機 セイバー1。救援感謝する。貴官のコールも提示してもらいたい」

 帝国軍の攻勢と同時に武はマリアとB小隊総員を連れ立って後退する。A、C小隊がその支援に出たため、難なく安全に中距離まで下がることが出来た。
 その間、武は帝国軍中隊の指揮官に対して情報開示を求める。生憎と、この状況では名前を聞いても覚えられそうもなかったので、コールナンバーのみに限定しておくことにした。

『は。帝国陸軍 九州前線守備隊 第122戦術機甲中隊 隊長機、コールはライトニング1であります』

 網膜に映る、利発そうな少女は敬礼の格好を取りながらそう答える。まだ若いというのに不知火弐型まで預けられる部隊の指揮官。余程、大きな作戦で功績でも挙げたのだろう。
 尤も、帝国軍が近年、主立って行った大規模作戦といえばH20制圧作戦かH19制圧作戦のどちらかしかないのだが。

「セイバー1了解。そっちの大物はまだ弾が残ってるのか?」
 武は同じように敬礼を返し、右翼を固めるその彼女と、左翼の小隊長が共に装備したあまり馴染みのない武装について問いかける。
『はい。ここに来る前に1度、弾倉コンテナを取り替えてきましたから』
 にっこり笑って彼女は答える。それだけの余裕を彼女たちに与えたのだから、第4防衛線の戦力もまだ充分に機能していると、武は確信を持てた。
「それは結構。正面は開ける。そっちはライトニングスに一任するぞ?」
『お任せください、白銀中佐』
 正面部分は任せるという言葉に、彼女は再び勇ましく敬礼して答えてみせた。その折に、名乗った覚えもない自分の名前を言われたことから、まさかそこまで浸透しているとは、と武は思わず苦笑させられる。

 同時に、武は彩峰慧に対して第7中隊(ヒルド)後退の指示を出した。彼らが支えていた正面は、これよりライトニング中隊が引き継ぐ形となる。



 その、ライトニング1とライトニング3が装備する電磁投射砲という新型兵装の圧倒的な破壊力をもってして、威力制圧を開始するのだ。



「彩峰、そっちはベクター240を頼む。こっちは120方向を押さえる」
『了解。任せて』

 後退した第7中隊(ヒルド)には悪いが、すぐに戦域を指定して再び前進を指示する。慧はわずかながらも部下を休憩させ、陣形を再編して再び攻勢へと転じていった。
 第7中隊(ヒルド)はその近接戦闘力も凄まじいが、何よりも精神集中の継続力が尋常ではない。271戦術機甲中隊(セイバーズ)が武の鼓舞によってそれを維持しているのに対し、彼女たちは既に隊員一人一人が自ら士気を高揚させ、度重なる近接戦闘で戦果を挙げてゆくのだ。

「第9中隊(エルルーン)は第8中隊(ランドグリーズ)が補給から戻り次第、ヴァルキリー1の直援を引き継がせ、補給に向かってくれ」
『了解。それまでは二手に分かれて両翼の支援を続けるよ』
「頼んだ」
 続く武の指示には美琴が答え、即座に正面支援をメインとする陣形から両翼支援をメインとする陣形へと機体の配置を入れ換えた。

『国連軍カラーの不知火……』
 慧や美琴の中隊の動きを見ながら、ライトニング1の少女が呟く。武は思わず目を見張るが、国連軍のカラーリングを施された不知火の配備された部隊など、本当に数えるほどしか存在しないだろう。
 九州地区の戦力とはいえ、日本国内に残る部隊ならばその存在くらいは聞いたことがあるかもしれない。

「ああ、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)だ。聞いたことくらいはあるんじゃないか?」
『イスミ………そうですね。はい、あります』
 武のその問いかけに一瞬、彼女は目を伏せたようだったが、すぐに顔を綻ばせて肯定の意を示す。その表情から、何か並々ならぬ事情を武は感じ取ったが、今この状況の自分にとっては無関係の話だ。
 すぐに、思考の外へと押し出す。
『それでは、正面の威力制圧に移りますので、失礼します』
「了解。補給が必要になったら遠慮せず進言してくれ。こっちも電磁投射砲の運用部隊と直接共闘するのは初めてで、頃合の計り方がまだ分からないからな」
『ありがとうございます』
 武の言葉にお礼を述べ、ライトニング1の少女の姿はその網膜から消える。それと同時に通信回線も閉じられた。

『電磁投射砲……中佐の見立てでは、期待値は如何ほどでしょうか?』
「公表されてるデータを基に言えば、背負ってるコンテナの砲弾を使い尽くして、単機で大小合わせて3000……いや、これだけ敵が密集しているなら5000は堅いな」
 ベクター240に向かって進撃する旗下のB、C小隊を後方から支援するマリアの訊ねた内容に、武は横に並び、射撃体勢に入った2機の帝国軍機を見ながらそう答える。
『5000……搭載している弾薬の量を上回っていますね』
「120mmで突撃級を外殻ごと貫通する威力だぞ? 要撃級なんかじゃ3、4体でも纏めて1発で撃ち抜けるだろ」
 実際にその眼で見たことがあるわけではないが、突撃級の外殻を正面から撃ち抜くという前評判だけでその威力は疑うべくもない。前腕以外はそれを遥かに下回る耐久力の要撃級はおろか、あの巨大な体躯を持つ要塞級ですら、絶命するのに5秒もかからないだろう。
 反面、電磁投射砲という兵器は持ち回りの悪さが未だ解消されていない。砲身が巨大で、重量もかなりあることから、それを装備することは事実上、近接戦闘を想定の外に押し出す行為に等しい。

 直援となる友軍部隊……他部隊の兵士でも自部隊の仲間でも、砲撃を掻い潜って接近してくるBETAを打ち払う戦力が存在していなければ、容易に使えるようなものではなかった。
 これも武にとっては公表されているデータに基づいた結論でしかないが、1個小隊に電磁投射砲を装備した機体は1機が限界だ。それ以上は守り切れないと判断する方が賢明である。
 また、専用とも呼べるような補給線を要するため、ハイヴ坑内での戦闘にはお世辞にも向いているとは決して言えなかった。

「マリア、行くぞ。正面は多分、ライトニングスで一時的に制圧される筈だ。俺たちは左翼側の敵の侵攻を抑える」
『は! お供させていただきます!』

 武の言葉にマリアは敬礼と共に声高に了解の旨を答える。
 彼女もこの場において、あの訃報によってすぐさま激しく自己を奮い立たせた数少ない人間だ。その心中を探る術など武にはないが、恐らくマリアは自分と同じ考えをもって、今を戦い続けているのだと思われる。


 あの2人の……272戦術機甲中隊(ストライカーズ)のおかげで、防衛線の内側に入り込んだBETAを殲滅することが出来た。彼らがまさに、死力を尽くして抉じ開けた未来への道が、再び閉ざされるようなことなどあってはならない。





「犬死にになんか……させるかよ……ッ!」


 ギリッと歯を噛み鳴らし、武は彼らも含め、逝った部下たちへ自身に出来る最大の弔いを誓う。
 そのために、武は許された数限りある暴力をその手に携え、マリアを引き連れだって再び敵中へと身を投じていった。










 補給を終え、旗下の第8中隊(ランドグリーズ)を率いた珠瀬壬姫が第4防衛線の最前列まで戻ってきた時に見たのは、巨大な砲身を構え、無差別にBETAを薙ぎ払ってゆく2機の不知火弐型と、中央を開くでV字型に展開する10機の同型機の姿だった。

 電磁投射砲だ。

 帝国陸軍が近年、ようやく実戦配備にまで漕ぎ付けた新型兵装である。横浜基地には確か、凄乃皇四型の近接戦闘装備の1つとして搭載される筈の120mm電磁投射砲があるという話だが、実際にそれを見たことは1度もなかった。
 だから、その威力を見せ付けられるのは、当然のことながら壬姫も初めてである。

『帝国軍ですね。左翼から回されてきたんでしょうか?』
「もしかしたら、ノッティンガムの方はもう制圧されたのかも……」
 左翼の小隊を任せている部下の言葉に、壬姫もやや困惑しながら答える。敵の波状攻撃が続いている以上、正確に言えば「一時制圧」という方が正しいのかもしれない。
『向こうは東と南の両方から敵が流れ込んでたんすよ? そんなに早く制圧されるなんて――――――――』

『いや、かなりの大部隊を向かわせて、実際に左翼方面は一時制圧したらしい。正面で今戦っているのは、そっちから転戦してきた帝国軍の122中隊だ』

 まさか、と否定気味に口を開く前衛小隊を任せた青年の言葉を遮るように、壬姫の網膜に白銀武の顔が映る。今、彼は向かって左方面に部隊を展開させ、自身もその中で戦っていた。
 そんな状態にも関わらず、壬姫たちの会話もしっかり聞いていたようだ。

 H11の地下茎構造内で再会した時も感じたことだが、出会った頃に比べて彼は驚くほど広い視野と情報の分析力が身に着いている。小隊長、とからかい半分で呼んでいた頃が思わず懐かしくなった。

 それに、精神力も昔の彼に比べてずっと頑健だ。

 一瞬、壬姫の脳裏に先刻届いたばかりの訃報にその名を連ねてしまった、2人の衛士の顔が過ぎる。
 片や、H11制圧作戦で、共闘し、共に反応炉まで辿り着いて未知の敵と戦った仲間思いの金髪の大尉。
 片や、横浜基地で壬姫たち第8中隊(ランドグリーズ)が管理する花壇に足を運んで、手伝いもしてくれた寡黙な黒髪の中尉。
 共に、白銀武の部下。その2人が逝った。

『大部隊……ってことは、あの人たちの他にも電磁投射砲を配備した部隊が他に転戦しているってことですか?』
『話に聞く限りじゃ、な。ただ、ほとんどが今は東部防衛線に向かった。向こうは敵の増援もあったし、それでもこっちより侵攻戦力が少ない』
「……東側の戦況を安定させて、余剰戦力を南側に回そう……ってことですよね? たけるさん」
『そういうこと。向こうの連中が回されてくるまで、持ち堪えようぜ。それまでは何とか、ここで抑えたい』
「はい」
『了解!』
 武の意気込みに壬姫と第8中隊(ランドグリーズ)の小隊長2人は同時に敬礼を取って答える。そうやって浮かべられる彼の笑顔は、壬姫だけではなく多くの衛士たちを勇気付けていた。
『よし。第8中隊(ランドグリーズ)はそのままヴァルキリー1の直援を引き継ぎ、両翼へのバックアップを継続。第9中隊(エルルーン)は補給のために後退しろ』
「了解!」
『了解! 壬姫さん、しばらくお願い』

 武の指示に今度は壬姫と鎧衣美琴が敬礼。それに従って展開する第8中隊(ランドグリーズ)と、それとは逆に展開していた陣形を畳み、密集する第9中隊(エルルーン)。補給を済ませた壬姫たちが交代することで、美琴たちは補給に向かうのである。

「B小隊はヴァルキリー1を中心に円周展開! BETAは接近させないで! C小隊は左翼支援、A小隊は私と一緒に右翼支援に入ります!」

『了解!』
『……すみません、あまり近距離の戦いは得意でないので……』
 壬姫の出した指示に、部下は声高に応じ、ヴァルキリー1のコールナンバーを持つSu-37の衛士 社霞はやや申し訳なさそうに呟く。
 前衛展開が基本の筈のB小隊を下がらせ、彼女たちの周囲を固めさせるという陣形が、霞にそうさせたのかもしれない。尤も、それは霞の自意識過剰だ。そもそも直援任務を任されている壬姫たちにとっては、霞の戦闘における得手不得手は重要であると同時に、あまりにも意味を成さない議論でもある。
 不得手な部分が近距離戦闘技術だろうが、遠距離戦闘技術だろうが、そこをカバーするのは当然のことだ。もし霞が近距離戦闘を得意としていれば、壬姫は変わらずB小隊を追従させ、中距離からA、C小隊でバックアップする方法を取るだろう。

 少しだけ、少しだけ嫌らしい言い方をすれば、寧ろ霞が後方支援を得意とする衛士で良かった。敵中で格闘戦を繰り広げるような警護対象は、本音を言えば本当に難しいのだ。

「私もあまり近距離は得意じゃないから、社さんは気にしないで……ッ!!」

 彩峰慧の第7中隊(ヒルド)が尚も混戦を続ける右翼方向へ支援突撃砲でバックアップを開始した壬姫は、小隊正面から迫る要撃級の姿を確認して、即座に表情を引き締める。
 随伴する小型種がいないことを一瞬で見極め、壬姫は精密射撃で3発、要撃級へ喰らわせる。電磁投射砲には遠く及ばないとはいえ、支援突撃砲の36mmは貫通力に優れる兵装だ。
 1発目で顔面を抉られて体勢を崩す要撃級に、追い討ちで2発目は右腕付け根に、3発目は左腕付け根に命中。その間に距離を詰めた1人の小隊部下が瀕死の要撃級を一刀で絶命へと追い込む。

『隊長の場合、代わりに射撃精度が容赦ねぇからなあ……。それで格闘戦も得意とか言われたら、俺たちの立場がないっすよ』

 そのまま壬姫が何事もなかったかのように慧たちの支援を再開すると、ヴァルキリー1の前面で構えるB小隊の小隊長が苦笑気味にそう言う。彼のその言葉に、トリガーを引く手は休めないながらも、壬姫は「え?」と首を傾げた。

『……っと、正面から要撃級3、小型種も多数確認。ランドグリーズ3から小隊各機、5、8は前に出て敵を惹き付けろ。10は俺とヴァルキリー1の周囲を固めたままバックアップする』
『了解』
『こちらヴァルキリー1。こちらもバックアップします』

 だが、青年は壬姫には返さず、その意識を接近してくるBETAへと向けていった。その切り替えの速さは、流石、今日まで第8中隊(ランドグリーズ)で生き抜いてきた衛士だ。
 この隊だって、大半はH11に突入し、生還した衛士で構成されている。容易になど、落ちるわけにはいかず、容易になど、敵を突破させるわけにはいかない。

 別の場所で、とはいえ、同じようにハイヴに突入し、反応炉を破壊して生還した衛士たちが壮絶な戦いを繰り広げ、防衛線を死守するために挺身したのだ。
 その誇りに傷を付けるような戦いなど、絶対に許されなかった。

 壬姫は引鉄を引く。敵との距離があれば冷酷に容赦なく大型種から順に撃ちぬき、敵に距離を詰められれば部下に合図を出しながら冷静に容赦なく機関砲を掃射する。
 人を慈しみ、花を愛する心優しい少女も、今だけは鋭い輝きを放つ刃金の剣となり、許されざる仇敵を尽く射殺す射手となった。










「次、C小隊各機、2機連携で10時方向の要撃級を撹乱。B小隊は小隊単位で12時方向から接近中の要塞級へ攻勢。A小隊は2機連携でそのバックアップに入る」
 長刀を薙ぎ払い、36mmを掃射することで一時的に中隊周囲に安全領域を確保した第7中隊(ヒルド)は未だ、全機健在のまま後退することなく敵中でその戦闘力を遺憾なく発揮していた。
 その中枢を務める彩峰慧の戦果はその実、この段階で既に白銀武のそれを超えていた。これが戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の先駆部隊と名高き第7中隊(ヒルド)の将である。

 尤も、それで驕るほど慧は能のない人間ではない。

 自分よりも軍歴の長いベテランも顔負けするほどの経歴を持つ彼女は、言うまでもなく分かっているのだ。
 結局のところ、この戦いに勝たなければ自分の挙げた戦果など針の先ほどの意味もない。

 実際は、今この瞬間にも、彼女の挙げる戦果に己を鼓舞し、仲間を奮い立たせる友軍兵士は増えているのだが、そこまで気が及ぶほどの余裕は流石になかった。

「装備に不備が生じた場合は即時進言して。後退を仰ぐから」
『了解!』
 慧の忠告に円周の陣形を組んだ中隊各機は敵を見据えたまま応じる。彼らの闘志も未だ熱く燃えている。
 この戦闘において最も重要なのは、敵の侵攻を抑えることではなく、中隊の機能を可能な限り長時間、維持することだ。友軍の支援があるのならば、たとえ1機でも装備に異常や不安が生まれた場合、その回復を目指すのは決して誤った判断ではない。

 271戦術機甲中隊(セイバーズ)、第8中隊(ランドグリーズ)、第9中隊(エルルーン)、それに斯衛軍の第2大隊、そして、彼女ら第7中隊(ヒルド)。
 この5つの部隊がその機能を維持し続けることが、南部防衛線 第4防衛線中央の機能を維持し続けることに直結する。
 それでも、BETAは彼らに限らず人類戦力を、まるで拷問で爪を一枚一枚、端から順に剥がしてゆくように削り落としてゆく。どんなにその足で速く走ろうとも、崩壊の足音はヒタヒタと迫ってきていた。

「行くよ、中隊各機、連携を崩すな」

 そう言うが早いが、慧は長刀と突撃砲を携えたまま一陣の風となってBETAの群れへと疾駆する。その後方からは衝角を揺らした要塞級が穿たれた穴から粘液を滴らせながらも、ゆっくりと行進してくる。
 複数体の要撃級も既に充分、後方の珠瀬壬姫がダメージを与えてくれていたのだ。
 あの巨体は必然的にBETAの一団の中で飛び抜けることになるため、要撃級や突撃級を盾にすることは出来ないのである。

 ただし、あれの相手をするのは慧ではない。中隊が誇る最強小隊 B小隊にその殲滅を命じている。慧が行うのは、彼らが逸早く、出来る限り安全に進撃出来るよう、突入口を確保することだ。
 中距離から先頭の要撃級を36mmで牽制し、更に接近。突撃砲から長刀へと主体を入れ換える慧と代わるように、同じA小隊の部下が36mmによる牽制を続ける。
 敵中へと吶喊するのは合わせて6機。先頭の2機は慧と、彼女と連携するA小隊の隊員。長刀と36mmでBETAの壁に穴を抉じ開け、そこからB小隊が4機、菱形の陣形を組んで突入し、満身創痍の要塞級へと接近を試みる。

 相対する敵の数は確かに膨大だが、それでもつい先刻に比べれば遥かに状況は楽だった。

 多くのBETAは今、正面に集中している。電磁投射砲という新たな脅威の排除に乗り出したのか、その思惑は慧も知らないが、防衛線を広範囲に渡って圧迫するように侵攻してきていたBETAが中央部に寄り集まってきているのだ。
 尤も、それを相手にするのは帝国陸軍の猛者。ほとんどは電磁投射砲によって薙ぎ払われ、辛うじてそれを突破してきたとしても中・近距離の防衛を任される残る10機の不知火弐型が、事も無げに打ち払ってみせる。

 成程、と思わず慧は納得した。
 これだけの威力を誇るなら、補給線さえ確保されていれば、H11制圧作戦で見せた異様な前進速度も合点がいく。少なくとも、人類側に何らかの不備が生じない限り、BETAにはそれを押し留める術などないだろう。

「ッ!!」

 超近距離で振り下ろされる要撃級の前腕を、身を捻って慧は躱す。それと同時に左手の突撃砲を一時的に投げ捨て、マウントから跳ね上げたもう一振りの長刀の柄を掴み、強引に振り下ろした。
 右手の長刀を投げ捨て、倒立反転で移動しながら投げ捨てた突撃砲を拾い上げるまでほんの一瞬の出来事である。

 こうやって、彼女はこの戦場で幾つもの武器を使える状態で投げ捨ててきた。
 右と左の携帯状況に振り回されていては、重要な判断が遅れる。体勢を整えるよりも装備を破棄して持ち直した方が速そうな時は、即座にそうしていた。

 装備の選択とその速度は、戦闘において生死を分ける分水嶺になり得る。

 マウントから武器を取るのか、落ちている物を拾い上げるのか。弾倉をリロードするのか、新しい突撃砲に持ち替えるのか。
 そういった、1秒、2秒の差が戦場では生死を分け得るのだ。

『ヒルド2よりヒルド1! 要塞級3、掃討完了。これより周辺のBETAへ攻撃を開始します!』
「ヒルド1了解。でも、5分後に1度、全機後退するよ」
『了解!』
『こちらセイバー1。彩峰、その時はそのまま補給に入れ。カバーは斯衛軍と前進中のEU連合部隊が引き受けてくれる』
 36mmをばら撒きながら、慧が次の指示を先だって伝えると、そこに白銀武から呼びかけが入る。彼のその言葉に「了解」と答えつつも、慧は思わず眉をひそめた。
 本当は、その後退の折に彼へ補給の進言をしようと思っていたのだが、それよりも早く許可を出されてしまったのだ。別に拙い話は何一つないのだが、個人的なことを言えば、慧は内心、面白くない。

 訓練兵の頃から切磋琢磨してきた彼の背中が、何だかそう簡単には追いつけそうにないところに見えた気がしたのだ。

 だが、すぐに慧はその表情を普段のものに戻す。
 個人的な心境はとにかく、若くしてそれだけ優れた指揮官がここにいるというのだから、1人の中隊長として文句を言うところは何もない。

 今はただ、非情にあろう。

 そう長い付き合いや深い親交があったわけではないとはいえ、同じ戦場を共にした戦友たちが逝った。それを悼むのは、この戦いがすべて終わってからにしようと、慧は人知れず決意する。

 彼らを部下として従えていた彼が折れないのだから、自分たちが折れることなど許される筈がない。











 彩峰慧の双眸が、押し寄せるBETAの大群の向こうに揺らめくナニカを捉えたのは、まさにその瞬間のことだった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第70話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/01/31 07:55


  第70話


『化物……ッ!!』

 この戦場で、誰かがそう言ったのが武にも分かった。
 それも、BETAに対してしばしば用いられる憎悪の感情を乗せたものではなく、未知の存在に対する恐怖に近い感情の込められた呟きだ。人間に、そうさせるだけのソレは、すぐそこまで迫ってきていた。

 要撃級と戦車級によって織り成される山脈の果てから、全高が50mにも及ぼうかというその怪物は、抵抗する人類をまるで嘲笑うかのように悠然と、泰然と行進してくる。
 胴体も頭も脚も判別の出来ない、樹木の幹のような体躯を持ち、枝のようにそこから分かたれた大小無数の触手を蠢かせるソレ。
 見間違えるものかと、武は舌を打つ。
 忘れるものかと、武は反吐を吐く。

 H11の反応炉で接敵し、満身創痍だったとはいえ4個中隊の戦力を総動員して辛くも勝利を収めた未確認種BETA。
 それが、本当にすぐそこまで迫ってきていたのだ。

「彩峰ッ! 1度退いて補給に入れ!!」

 距離にして約7000m。厳密な進行速度は定かではないが、周囲のBETAの動きと比較しても時速50kmは下らないであろうあの怪物が、ここまで到達するのに10分もかからない。
 それが訪れる前に、武は彼女たちを補給に向かわせる選択を取った。無論、自分も含め271戦術機甲中隊(セイバーズ)の弾薬状況も厳しい点は否めないが、それよりも以前に補給し、1度も碌な後退もせずに戦っていた第7中隊(ヒルド)のそれは更に悪いだろう。

 尤も、武のその指示は、これからも数多の部隊の最前衛で戦えという命令を下す、1つの過程に過ぎなかった。

『ヒルド1、了解。第7中隊(ヒルド)全機、即時後退! 10分以内に戻ってくるよ』
「補給の際は周辺に気をつけろよ。今更かもしれねーけど」

 敵と思しき存在の速度の当たりを、おおよそ武と同等の程度でつけたのか、慧は「10分以内」という言葉をやや強調して告げる。それに対して武は少し引き攣った笑みを浮かべて言い返した。
 補給を焦って、敵の強襲で全滅しては精鋭の肩書きも穢れる。補給ラインは未だ、敵に割られておらず、そこを守る部隊も存在しているが、油断は出来ないというのが指揮官として当然の考えだ。

『了解』
『ドラグーン1より第2大隊各機、前進するわ。続きなさい』
『エルルーン1よりセイバー1! これから戦線に復帰するよ!』

 敵集団を気にした様子ながらも、しれっとそう答えた慧はそのまま中隊の殿を務めて後退を開始。それと入れ替わる形で武御雷の一団と、鎧衣美琴の第9中隊(エルルーン)、そして他の国連軍部隊、EU連合部隊が一斉に前進し、戦闘を開始する。

「セイバー1より第2師団司令部。ヴィンセント准将に秘匿回線で繋げ。大至急だ」
 要撃級と戦車級の死骸で造られた壕の中、武は司令部へと回線を繋げながらマリアへ顎で指示を示す。それを受け取った彼女は中隊各機に指示を出し、即座に部隊は楔型の陣形から武を中心とした円周陣形へと形を変えた。
『こちら、リィル・ヴァンホーテンです。了解しました。すぐにお繋ぎします』
「リィルか………頼んだ」
 網膜に映った直属の部下の顔に、一瞬、武はドキッとする。第2師団まで辿り着いたのだから、彼女だってもう彼らの訃報は聞いている筈だ。その悲しみが如何ほどか、武には計り知れないが、同時に痛いほどよく分かる。
 だが、生憎と今は気遣っている余裕などない。
 だから武は、中途半端な優しさを捨てて、ただ今は冷徹に徹する。

『白銀、私だ。何か見つけたようだな』
 待機時間はほとんどなく、すぐにリィルとは入れ替わる形でその網膜にレナ・ケース・ヴィンセントの顔が映った。普段から厳しい顔をしている人だが、今はそれがより一層、険しい。
「映像繋げます。いちいち判断仰いでいる余裕もなさそうです」
 同じくらい眉間に皺を寄せている武は、単刀直入に本題に入る。H11での交戦記録も閲覧している彼女には、口で説明するよりも眼で見てもらった方が早い。

 それを見た瞬間、通信の向こうのレナが露骨に舌打ちするのが聞こえた。

「軍全体が混乱し始めています。俺の方だけじゃ対応が追いつきません」
『分かっている。今すぐ、第2師団司令部発信で情報開示を行う。貴様は指揮下部隊の士気低下を防げ』
「了解。何、あの時と違って補給線もありますし、友軍も支援砲撃もある。さっさと蹴散らして、他のBETA諸共、殲滅しますよ」
『頼むぞ、白銀』

 武はやはりやや引き攣った笑みながらも強気に答え、レナも硬く笑いながらもそれを激励する形で通信を終える。
 彼のその言葉通り、補給線や友軍支援がある以上、部隊のコンディションはH11の反応炉遭遇戦に比べて格段に良好だ。しかしながら、実際のところそれは他種BETAの存在でほとんど帳消しにされてしまっている。
 攻撃精度はそう高くないとはいえ、あの怪物の触手がすべて自分に向かってきたとすれば、武とて捌くので手一杯だ。そこで要撃級や戦車級などに接近されては、堪ったものではない。

『タケル……あれってもしかして―――――――――――』
 武がレナと通信を切ったところで、部隊を前面展開させた美琴が、侵攻を続けるどのBETA種にも該当しないソレを指してそう問いかけてくる。彼女はH26の制圧戦で遭遇こそしなかったが、その存在についての話を聞いていた筈だ。
 相対し、言葉こそ発しないものの、武が現在指揮下においているすべての中隊長格の困惑顔が武の網膜に映っている。彼らはあの怪物の存在すら知らないのだから、当然だろう。

 戦域に展開し交戦を続ける彼らにとって、今、その命を預けられるのは武だけなのだ。

「敵だ。新種のBETAとでも考えてくれ。あの触手の間合いは100m近くあるから、各隊、敵との距離は充分注意しろ」
 その美琴の問いかけを遮る形で武は冷静に、そして簡潔に答える。そう、あれは敵なのだ。武が言えることは寧ろ、それしかない。
 敵が迫るこの状況で悠長にあれについて説明している暇などはなく、それは既にレナに対応を仰いだ。武に出来るのは、あれを敵と暫定し、攻撃許可を下すことだけである。
「ライトニング1、電磁投射砲の砲弾残量はどうなってる?」
『残り1割ほど……出来れば補給に入りたいのですが……』
「だろうな。構わない、1度後退しろ」
『ありがとうございます。ライトニングス! 補給のため後退する! 急げ!』

 この一進一退の戦況を覆しかねない敵の登場に、武は同じくその戦況を覆し得る兵器を有する彼女へと呼びかける。120mm砲弾を使う以上、弾倉コンテナを背負っていたとしても弾薬の数は限られる。連射で毎分800発もの弾薬を消費する電磁投射砲の補給頻度は非常に多いのは明白だった。

 彼女たちの後退によって、第4防衛線中央は彩峰慧の第7中隊(ヒルド)と電磁投射砲という二大戦力を一時的に失ったことになる。
 電磁投射砲による威力制圧と、度重なる支援砲撃による面制圧で、第4防衛線が主戦場となってから初めて中央へわずかながら凪の時間が訪れていた。だが、それも10分以内に確実に終わるものでしかないが。

『白銀中佐、このまま接敵するのは危険です。我々は1度、交戦していますからまだ良いですが、他の部隊ではこの状況下であれと戦うのは厳しいかと』
「見縊ってるみたいで他の連中には悪いが、同感だ。ここまでだって、かなりの綱渡りだったしな」
 マリアの言に武も一切の反意は示さずに同意する。別段、武とて一時的に自分の指揮下に入り、共闘してくれている各部隊を酷評しているわけではない。寧ろ、このような過酷な戦闘で未だ部隊機能を維持し、交戦を続けてくれているのだから充分過ぎる戦果を挙げているのだ。

 しかしながら、これは状況と相手が些か悪過ぎる。

 出来れば支援砲撃で薙ぎ払ってもらいたいところなのだが、ここに来て重金属雲の濃度が基準値を下回り始めている。次の砲撃はその大半をAL仕様にしなければ、地上戦力である武たちもおいそれと前に出ることも出来なくなるだろう。
 何故ならば、中央にもレーザー属の存在は終始、確認されているのだから。

「たま、遠距離から様子を見てくれ。近距離のバックアップはこっちが務める」
『はい。でも、ヴァルキリー1の直援はどうしましょう?』
『第9中隊(エルルーン)が代わろうか?』
 武の指示に応じながらも、現在、ヴァルキリー1の直援を務めている第8中隊(ランドグリーズ)の珠瀬壬姫はそのフォローについて訊ね返してくる。
 それに続く形で美琴が意見を出すが、武は首を横に振った。
「いや、第9中隊(エルルーン)には彩峰が戻るまで前衛展開してもらいたい。純夏、霞、補給もかねて、しばらく後退してくれないか?」
『はい』
『うん、了解だよ、タケルちゃん』
 本来であれば、彼女たちの場合は補給の際でも1個中隊程度は直援につけたいところなのだが、状況がそれを許してはくれない。ここで壬姫や美琴の部隊まで下げてしまっては、あまりにも分が悪い。
 それを分かっているのか、それとも単純に上官命令と捉えたのか、霞と純夏の返答も早かった。彼女たちはほぼ初めての実戦に近いのだから、寧ろ、後退して一時的に休憩出来た方がありがたいのかもしれない。

『武君、第2大隊も前衛展開するわ。さっきまでに比べて他のBETAの流入数は減ってきているみたいだしね』
「朝霧中将……? いいんですか? 第2大隊の方の補給は……」
『こっちは中隊で回しているから大丈夫。厳しくなったら応援を求めるから、安心して頂戴』
 独立した指揮系統で遊撃を継続している朝霧たちに武が思わず訊き返すと、何とも抜け目のない返答が返ってきた。20近く年齢の離れた先任を気遣うなど、不要なものだったと武は思わず苦笑する。
「分かりました、中将が危ない時は俺が駆けつけますよ」
『あら? 武君が? 嬉しいわ。期待しちゃうからね』
 武の言葉に朝霧は可笑しそうに笑い返す。彼女の強さに、武もようやく頬を緩めることが出来た。簡単な軽口であり、お互いに“冗談”以外の何ものでもなかったが、それでも武はようやく“軽くなれた”気がしたのだ。

 実際、朝霧叶が危険な状況に追い込まれた時、武は彼女の命と、それを救援するのに必要な人員と時間の消費とを天秤にかけなければいけなくなる。そして、往々にしてそれは傾く方向が最初から決まっている。
 戦場で人一人を助けるために、どれほどの犠牲があるのか考えれば、それは明白だった。

『朝霧中将、白銀中佐、敵先頭集団との接触まで約90秒。未確認種の第4防衛線到達まで推定約300秒です』
 そこに、既に陣形再編を完了した朝霧の部下から通信が入る。もう1分後には凪の時間が終わるという宣告だ。
『了解。敵の殲滅も近いわ。気を引き締めていきましょう』
『は!』
「271B小隊は前衛展開! 簡単には死ぬな! 貴様等はベオグラードから生還した衛士の筆頭だろうがッ!!」
『――――――――――――了解ッ!!』
「中央戦線展開中の全部隊は引き続き接近するBETAを機動防御で削れ! あんなものを恐れるなッ!! “ただの化物”だぞ!? 今まで戦ってきた相手と何が違うッ!!」
『了解!! 小隊単位で敵に当たれ!! 2機連携如きじゃ死角を突かれるぞ!!』
『は! 小隊各機、私に続け!!』
『うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!』

 武の鼓舞に応じるのは旗下の271戦術機甲中隊(セイバーズ)の衛士だけではない。現状、彼が指揮下に置く混成部隊をも大きく飲み込み、果ては独自指揮系統を与えられた斯衛軍の衛士にまで伝播する。
 同じように鼓舞する者。
 それに応える者。
 まるでBETAを威圧するかのように咆哮する者。
 静かに、それでも闘志に満ちた双眸で怨敵を睥睨する者。
 その奮い立たせ方は多種多様だが、高まる個々の感情は重なり合うことで確実に、着実にその激しさを増していった。

 士気は戦場の兵士に唯一、平等に許される最後の武器だ。

 その維持を遂行することこそ指揮官の責務であり、それを高めさせることが出来ることこそ、名将の門。この場にいる者たちは今、その門を叩く高みにまで一時的に引き上げられた。


 それは誰に?


 長刀と突撃砲という、日本では最もオーソドックスな武器を主兵装とした、戦線の中心に聳える極東生まれの鋼鉄の巨人 不知火弐型。
 その、搭乗士たる白銀武に、である。










 白銀武の、正確には白銀武の乗る不知火弐型の背中をその副官であるマリア・シス・シャルティーニが見つめる。
 頑健な、強靭な、絶対的な将としての後ろ姿に近い雰囲気をマリアは感じていた。寧ろ、その姿に魅せられていたと言っても過言ではないかもしれない。

 だが、当の彼は誰よりも早くマリアの意識を現実へと引き戻す。

『これより271B小隊は俺と共に第9中隊(エルルーン)、斯衛軍第2大隊と協働して“あれ”へ攻勢を仕掛ける。マリア、お前はA、C小隊を率いて後方を随伴し、敵戦力を削りながらバックアップだ』
「『了解!』」
『たま、そっちは更に後ろから“あれ”を狙い撃て。冥夜の読みが正しければ、あの時のようにはならない筈だ』
『はい!』
 武の指示に対し、敵に攻勢を仕掛ける主力部隊の衛士たちは声高に応える。BETAの猛攻を躱し、凌ぎながら接近し、あれを打倒し得るのはそれだけの練度を持った部隊でなければならない。
 後退した第7中隊(ヒルド)やライトニングスの復帰、支援砲撃の再開を待っていては、防衛線の主要戦力が触手の餌食になると、きっと武は判断したのだろう。
 無論、マリアも同感だ。

『吶喊開始の頃合は20秒後でいいかしら? 武君?』
『構いませんよ』
「20秒……ああ、成程」

 この場でも圧倒的に高い発言力を持つ朝霧叶と白銀武の2人のやり取りに、マリアはほんの一瞬、思案してから納得したように口元を緩める。珠瀬壬姫と鎧衣美琴の2人もとうに分かっていたようで、凛々しく頬を引き締めていた。

 その瞬間、弧を描きながら砲弾とミサイルが戦場の空を駆け抜ける。朝霧と武のやり取りから丁度、10秒ほど経った時のことだ。
 AL弾とALMによる飽和攻撃。それを戦域に展開する光線級がそのレーザーをもってして迎撃する。
 つまり、更にその10秒後となれば――――――――――――

『HQより中央戦線全部隊!! 重金属雲濃度回復!! 繰り返す! 重金属雲濃度回復ッ!!』
『セイバー1より所定部隊各機! 攻勢に転じる!! 行くぞッ!!』

 再び基準値を上回った濃度の重金属雲が発生すると同時に、武が主力部隊全兵士に対して吶喊命令を下す。重金属雲の発生こそ、この戦いにおける最初の仕切り直しだった。

『ドラグーン1より第2大隊各機、まずは進路を開くわ! 邪魔な要撃級は片っ端に沈めなさい!!』
『了解ッ!!』

 その号令を合図に、先駆したのは朝霧叶率いる第2大隊。222小隊と232小隊が先導する形で敵中に突撃し、軒を連ねる要撃級を手当たり次第に長刀で薙ぎ払う。
 それによって切り拓かれた突入口に21中隊が先陣を切って侵入し、続く戦車級の群れを36mmの雨で肉塊へと変貌させていった。
 瞬く間に築き上げられたのは死骸の壕。そしてその中を走るマーブルカラーの絨毯だ。悪趣味なことこの上ないが、取りようによっては絢爛豪華な行軍路に違いない。

 刹那、視線の先で怪物が身動ぎをした。振りかざされた触手が空中をうねる。

 まだマリアたちはその間合いには入っていない。その間合いに侵入したのは、遠距離から放たれた36mmの砲弾だった。
 珠瀬壬姫を筆頭とした第8中隊(ランドグリーズ)の放つ魔弾。それを防ごうと、新型BETAは触手を振り回して迎え撃ったのである。
 無秩序に振り回される触手は砲弾を止める代わりに炸裂し、根元の部分から力を失ったかのように垂れ下がってゆく。そこには、すぐに再生するような気配は見られなかった。

『冥夜の予想が的中したみたいだな』
「そのようですね」

 進撃を続ける武の言葉に、それを追従するマリアは頷く。H11の反応炉で瞬く間に触手を再生させていた同種の敵に対し、御剣冥夜が挙げた仮説の1つに、「反応炉のエネルギーを使って再生を速めている」というものがあった。
 一目瞭然の再生速度の差異は、その仮説が事実に近いことを示す1つの証拠になる。寧ろ、反応炉があれほどの再生エネルギーまで生み出すということの方が驚きだ。
『武君。やっぱり、まるっきり再生出来ないってわけじゃなさそうよ』
『本当だ……ゆっくりだけど、元に戻っていってる!』
 朝霧の言葉に、美琴が驚きに染まった声を上げる。マリアからすれば、両者共にその再生力を目の当たりにするのは初めての筈なのだが、朝霧の方はまるで見知ったことかのように落ち着いていた。
 経歴の差か、あるいは階級差による情報精度の差か、またあるいはその両方か。恐らく、美琴は詳細をほぼ知らないのに対し、朝霧はほぼすべてを知っていたのだろう。

『36mmで充分叩ける。それに、あいつ、狙撃に対して身を捩っただろう? 躱すわけでもなく、触手で防御するために』
「本体へのダメージを避けている……ということでしょうか?」
『本体は再生出来ないのさ。あの程度の量の砲弾を、わざわざ耐久性の高い本体を避けてまで耐久性の低い触手で受ける理由なんて、他にない』
「ふむ……あの時に比べて随分と中途半端な性能になったものですね」
『寧ろ、あの時がハイスペック過ぎたんだよ。取り巻きがいる分、厄介さはあまり変わらないけどな』
 やれやれとため息をつくマリアに対し、武は不満そうに鼻を鳴らす。ならば、反応炉で他のBETAと一緒に遭遇しては流石に勝ち目がないだろう。尤も、H11制圧作戦の時、もう数分、倒すのが遅かったらと思えばゾッとするとマリアは内心、そう思った。

『第9中隊(エルルーン)各機、左旋回で敵周囲を回るよ! C小隊は36mmの掃射準備! A、B小隊は接近する他のBETAを打ち払いながらその支援に入る!』
『了解!』

 敵中を突破し、逸早く新型BETAへ接触したのは鎧衣美琴の第9中隊(エルルーン)だった。狙撃によって数を削られ、尚且つ動きの鈍い触手の攻撃を躱しながら反時計回りに旋回し始める。
 それによって、左翼のC小隊が常に円の内側……即ち、新型BETAに向かう形を取ることが出来るのだ。

「白銀中佐、BETAの動きが鈍いです」
『確かに…………ッ!! マリア! 来るぞッ!!』
「くっ……!!」

 何かに気付いたように武が表情を変えるのとほぼ同時に、今まで一心不乱に接近を試みてきた要撃級や戦車級を中心としたBETAが、一斉に“退いた”。
 瞬間、マリアの背筋が凍る。

 射線を開けられた。

 だが、そう思ったマリアがその双眸で次に捉えたのは眩い閃光などではなく、自分たちへと一直線に向かってくる大小複数の触手の先端だ。
 その事実に、彼女はくっと唇の端を吊り上げて不敵に嗤う。

 愚かな、と。
 このタイミングで放つならば、そんな鈍足の打撃ではなくまさに光速の攻撃が正しいだろうに、と。
 その愚かさに、今は感謝する、と。
 マリアはBETAを嗤った。

 次の一手でマリアは詰む。その双眸が目標を捉え、その指先がトリガーにかけられたその時、マリアに残されているのはただの一手のみ。
 驚異の空間把握と高速・高精度の精密射撃によってなされる、一方的な虐殺の開始だ。

 放たれた砲弾が駆け抜け、触手を迎撃する。無論、マリアとて完璧超人ではない。あれほど無数の触手と相対せば、外すことも当然、確実にあった。
 尤も、その数は初期のおよそ2割程度。向かっていた触手の8割を、彼女は瞬く間に単機で撃ち落としたのだ。
 触手が狙うのは直線上に位置するマリアの不知火弐型。その数は具体的な数字にして4本。


 そう、“計ったかのように”4本だ。


『なめる……なッ!!』

 その言葉と共に振り抜かれた長刀の数も4。白銀武と、271戦術機甲中隊(セイバーズ)のB小隊。合わせて4人。それによってマリアを穿つ筈だった触手はその遥か手前で切り払われ、無力化される。

 一時的な脅威の消失に、わざわざBETAの方から開けてくれた進路を斯衛軍の第2大隊が中隊ごとに陣形を組んで前進。最早、その前には行く手を遮るものなど何もない。
『救われたな』
「中佐の悪運の強さにあやかれましたよ。逝った彼らには悪いですが、まだ長生き出来そうです」
『そうしてやれ。あいつらも、俺たちまでいたら向こうで気ままに出来ないだろ?』
「うちの連隊は普段から気ままな者ばかりですよ? お忘れですか?」
『そりゃ同感だ』

 くっと小さく笑いながら、マリアが答えれば、武も同じような反応を示す。軽口の中に隠された、「死を引き摺るな」というお互いの意思確認。自分たちが引き摺れば、部下までもそれに引き摺られるというお互いに対する警告。
 だから、マリアも武も他に何も言葉を述べることなく、今は殿を務め、部下を率いて敵へ向かって一直線に疾駆する。

 第2大隊が斬り崩し、第9中隊(エルルーン)が薙ぎ払い、第8中隊(ランドグリーズ)が削ぎ落とす敵へ攻勢を仕掛け…………………。





 また1つ、彼女たちは弔いを成し遂げる。










 こういった立場で戦場に出るのは、鑑純夏にとって初めての経験だった。もちろん、凄乃皇に乗ってBETAひしめく戦場に出たことは2回あるが、今務めているポジションはそれとは大きく異なる。
 社霞をメインパイロットとするSu-37の情報管制官。その立場は、桜花作戦の時に凄乃皇において霞が務めた立場と似ている。

 尤も、純夏がこれに乗って戦場に出ている最大の理由はそれではない。

 その与えられてしまった能力をもって、BETAから情報を引き出す任務。それを彼女は負っていた。
 ズキリと、ほんの一瞬、純夏は頭痛を覚える。日常生活を送る分では、最近はほとんど感じることのなくなった頭痛。こういった存在として目醒めた当初は、何度も何度も悩まされてきた痛みにも似ている。
 これはこの紛い物の器の異常ではなく、強力なリーディング能力を有した彼女に流れ込んでくる情報量が莫大であったからだ。

 人間としての機能を可能な限り再現された00ユニットという名の兵器が持つ器は、その情報量を処理することに大きな負荷を抱えている。
 尤も、それは“出来ない処理”だからではなく“慣れない処理”だからだ。
 慣れないことに対するストレスから生じる頭痛と考えれば、何とも人間らしい。鑑純夏個人が、そんなことまで考えているわけでは、決してないが。

 また、ズキリと痛みが走る。心なしか先程よりも大きく、それに痛みの走る周期も短くなってきているような気がした。

「こちらヴァルキリー1、補給に入ります」
『了解。周辺の警戒は任せてくれ』
「はい」

 口元を結び、こめかみを押さえる純夏より下方から霞の声がする。同じ言葉が通信機を通しても聞こえてくるのは、少し奇妙な感覚だった。
 答えるのは補給ラインの守備を任されている部隊の指揮官。本来であれば、警戒の意味で補給は部隊単位で行うことが望ましいのだが、生憎と純夏たちは単独である。彼らが周辺の警戒を担当してくれることは非常に助かることだ。

 前線の仲間は、今、厳しい戦いを強いられている。自分たちが一緒に戦って、何が変えられるわけでもないが、それでも彼女はもどかしい。もしかすれば、自分が読み取った情報がこの戦局を覆すことになるかもしれないのだから。
 あの怪物……新型のBETAの出現によって再び大きく左右に揺れ始めた戦局という名の天秤。それを人類側に傾けることが出来なければ、自分という存在はあまりにも意味がない。
 それは純夏にとって自己卑下ではなく、最早、当たり前に近い感覚。この眼、この手足、この身体。1度は失われてしまったこの肉体が与えられたのは、BETAをこの地球上から駆逐するため。

 それを果たせなければ、あるいはそれに繋がる何かを果たせなければ“00ユニット”に意味はない。

「純夏さん、補給に入りますから、もうしばらく休めます」
 純夏の網膜に霞の顔が映り、下からそう声がかかる。この機体を動かしているのは彼女の方だ。補給に際して純夏に出来るのは、精々が補給状況を報告することのみである。
「あ、う――――――――――」
 霞に答えようとした瞬間、再び痛みに襲われる。それも、今日感じてきた痛みを遥かに上回る頭痛だ。激痛という言葉すら、安っぽく思えるくらいの痛みに、純夏の言葉が詰まる。

 俯き、両手で彼女は頭を抱える。これまでは一瞬走るだけだった痛みが今回に限っては引かない。鈍い痛みがガンガンと純夏の身体を蝕んでいた。

「純夏さん!? 大丈夫ですか!? 純夏さんっ!!」

 呼びかける霞の声が辛うじて聞こえるが、それには答えられそうもない。純夏はその身体を震わせ、痛みに耐えることで精一杯だった。


 膨大な情報が波として押し寄せてくる。
 成す術がない。
 成す術がない。
 抗う術などどこにもない。



 侵攻。
 侵攻。
 攻勢。
 攻勢。
 破壊。
 破壊。
 破壊……………圧倒的暴力を駆使した破壊の限り。



『………しろ! いま……ぐに……団本部ま………なさいッ!!』



 薄れゆく意識の中、香月夕呼が通信で霞へ何かを呼びかけているのを思考の片隅で感じながら、鑑純夏はついに、“それ”を知った。
 人類にとってあまりにも恐ろしい、BETAの行動………その、真意を。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第71話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/01/31 08:08


  第71話


 00ユニットの状態が安定しない。
 彼女の様子を遠く離れた第2師団本部でモニターする香月夕呼が感じた率直な言葉だ。白銀武が幾らかの部隊を率いて敵中に身を投じ、突如現れた新型BETAに対して攻撃を開始した頃から、急激に、鑑純夏の身体に変化が生じた。
 ある程度の負荷は覚悟していたが、あの瞬間のそれは異常だ。一時的に彼女に降りかかる、BETAを発信元とする情報量が激増したと考えるのが妥当なところであるが、何故急に、と疑問が残る。

 あの新型のBETAは、他のBETAと異なる何らかの情報を有しているということだろうか。いや、たとえそうだとしても、“あの1体”が持つ情報にあれほどの負荷を受けるのも奇妙な話である。

 今現在は、社霞に至急、第2師団本部に帰投するよう命じ、ここに向かってもらっているが、既に純夏は意識を失っている。これ以上の負荷を避けるため、00ユニットが自らその機能を一時的に休止させたのだ。
 その状態をモニターする限りは、多少、ODLの劣化が進行したくらいで他に何らかの処置を要する変化は見られない。彼女が“何を見た”のか、まずは彼女たちをここまで帰投させ、純夏を目醒めさせるか、目醒めるまで待つ必要があった。

「香月博士」
 そこで、先ほどから何人もの部下に指示を飛ばしていたレナ・ケース・ヴィンセントから声がかかった。彼女の方も部下への指示が一段落ついたのか、真っ直ぐと夕呼の方を見ている。
「何でしょう? ヴィンセント准将」
 無駄話をしている暇はない。そう一蹴したいところだが、生憎と今、夕呼個人が出来ることなどあまりに少ない。レナもそれはよく分かっているだろう。多少立場は違うとはいえ、彼女もほとんど同じような状態だからだ。
「Su-37……社少尉を帰投させるのですか?」
「ええ。もう、あの場に残す意味は少ないですわ」

 00ユニットが情報収集を行うことが出来なくなった以上は。そう、心の中だけで付け足しておく。寧ろ、護衛対象の僚機がいなくなったことで、前線の戦力は更に安定するだろう。

 だが、それを聞いたレナが眉をひそめ、視線だけ夕呼から逸らした。

「何か?」
「可能ならば、1つ、訊かせていただきたい」
「構いませんわ。お答え出来るかどうかは別ですが」
「…………鑑純夏。彼女は何者ですか? 何故社少尉ではなく、彼女があの機体の情報管制を行っているのです?」

 1度、長い沈黙を置いた後にレナが放った問いかけに、夕呼は焦るわけでもなく成程と思わず納得した。今回のケースでそこに疑問を持つのは、それなりの確定情報を有する人物に限って言えば当然のことだろう。

 レナ・ケース・ヴィンセントの場合は、その点においてあまりにも条件を満たし過ぎている。捜しても他に類を見ないほどに、だ。

「オルタネイティヴ第4計画。そう答えれば、ご満足いただけますか?」

 大抵の誤魔化しなど無意味。そう判断した夕呼はただ一言、そう答える。自分が出来る発言の中で、限りなく伝家の宝刀に近い言葉だ。

「第4計画……ッ! まさか……彼女が被験体だと……!? 香月博士……あなたは……………」
 第4計画という言葉に目を見開いたレナは、すべてを理解したかのように口を開く。厳密に言えば、夕呼が被験体としたのは鑑純夏ではなく、鑑純夏の脳髄だけなのだが、当人すら似たようなものだと思っているので特に気にはしない。
 レナは何かを言いかけ、再び視線を逸らせて沈黙した。珍しく、どこか打ちひしがれたような表情である。
 夕呼は、彼女が何を言いかけたのかすぐに理解する。そして我ながら醜悪だと感じながらも、敢えて彼女が言いかけた言葉を口にした。


「狂っている……ですか? ヴィンセント准将」


「………………博士は、自分自身でそう思っておられるのですか?」
「自覚はありますわ。研究者とは常に狂っているものです。倫理観を崩壊させれば、それは顕著でしょう。そして戦争は、その倫理観を簡単に打ち崩してしまいます」
 今度は夕呼が視線を逸らせて答える番だった。自覚はある。それは彼女の本音に近い返答である。箍が外れれば、探究心の際限がない研究者は容易に狂人にもなり得る。
 ただ、それだけの話だ。

「………そうですね……同意致します」
 表情を歪ませながらも、レナはそう答える。そんな返答を貰わずとも、夕呼はそれをよく分かっていた。
 BETAに対するため、人類がどれほどの外道に手を染めてきたか。夕呼だけではなく、レナ・ケース・ヴィンセントという人物も嫌と言うほど知っているのだ。



 確か、社霞における香月夕呼のように、リィル・ヴァンホーテンというソビエト系の少女の身元引受人となっているのはレナの叔母だったか。



 そんなことを、今更、夕呼は思い出した。





 今、この瞬間にも、前線では戦況が刻一刻と大きな動きを見せている。

 香月夕呼がそれを知るのは、この直後、わずか10秒後のことだった。










 最前衛で件の新型BETAを下したのは白銀武が率いる271戦術機甲中隊(セイバーズ)だった。H11の反応炉で打倒した時同様、至近距離で36mmを大量に浴びせかける。
 ただし、あの時と違うのはいちいち触手の軍勢を陽動することなく、尽く薙ぎ払って無力化した上で、ということだ。
 武は着地と同時に長刀を薙ぎ払い、接近してきていた要撃級を斬殺する。その背後をマリアが固め、死角をカバー。未だ全機が健在の271戦術機甲中隊(セイバーズ)はその周囲を固める形で即座に陣形を再編した。

『流石に直下中隊となると迅速ね、武君』

 同じように、旗下の3個中隊を即座に展開させ、周辺のBETAを打ち払う朝霧叶が、感心したと言うようにそう声をかけてくる。それに、武は「ええ」と短く相槌を打った。
『白銀中佐、侵攻する敵の数が徐々にですが減ってきています。南側もピークは乗り越えたということでしょうか』
「そう思いたい。まさか、こんなものまでBETAが持ち出してくるとは思わなかったけどな」
 マリアの言葉に答えながら、武はちらりと傍らに崩れる巨大なBETAの死骸を一瞥する。反応炉で交戦した時のことを思い出し、一瞬、ヒヤリとしたが、BETAとしてはあまりにも半端な存在なのだと今の戦闘でよく分かった。

『271戦術機甲中隊(セイバーズ)も1回、補給に下がった方がいいんじゃないかな?』
「うん?」
『そうね。今の戦闘でかなり消費したでしょ? 鎧衣大尉の言う通り、1度下がった方が賢明よ? もうすぐ、彩峰大尉も戻ってくるし、あまり問題はないと思うわ』
 美琴が切り出し、朝霧がそれに同意したので武はほんの少し思案する。彼女たちの言う通り、今の戦闘で271戦術機甲中隊(セイバーズ)の砲弾残量はかなり厳しい状況になっている。
 一時的とはいえ、この彼女たちを置いて敵中から離脱するのは気が引けるのだが、それ以上に武器がなくてはどうしようもない。

 271戦術機甲中隊(セイバーズ)、そして白銀武。中央戦線はこの存在に支えられてきた。彼らが直接、対峙することの出来るBETAの数は全体から見て微々たるものだとしても、その存在が、兵士たちの士気を高揚させ、統制された指揮系統を作り上げてきた。

 だから、武当人がそれをどう捉えているかはこの際、置いておいても、271戦術機甲中隊(セイバーズ)が補給に下がるタイミングというのは、その実、中央戦線にとって最も恐ろしい空白時間なのである。

「………271戦術機甲中隊(セイバーズ)は1度、後退する。朝霧中将、美琴、両隊も敵戦力を削りながら戦線まで後退を。いつまでも敵中にいるのは分が悪いです」
『エルルーン1了解!』
『ドラグーン1も了解。殿は務めるわ。鎧衣大尉、退路の確保をお願い。武君はすぐに全力後退した方が良いわね』
 武の言葉に両者は了解の旨を示す。彼女たちが即時後退しないのは、敵を惹き付け、砲弾残量の少ない武たちに敵が殺到しないようにするためだ。
「たま、そっちから中将たちを援護出来るか?」
『要撃級の壁が厚いので、ちょっと難しいです』
「分かった。そっちも近接戦に備えてくれ」
 珠瀬壬姫の返答は武も半ば予想していたことだ。これだけの規模で侵攻されては、後方支援も難しい。今し方まで出来ていたのは、あの新型BETAが頭一つ飛び出ていたからに過ぎない。
 要塞級がいればまた話は変わってくるのだが、見渡す限り、戦域に展開するBETAの半数以上が要撃級と戦車級で占められていた。

「271戦術機甲中隊(セイバーズ)、補給のため後退する! 急げッ!!」
『了解!』
『第9中隊(エルルーン)は中距離から後退支援に入るよ! まずは敵を惹き付けて!』
『22中隊は第9中隊(エルルーン)の死角をカバーしなさい。23中隊は機動撹乱、21中隊は遊撃に入るわ』

 武が部下に指示を出し、後退を開始すると同時に、退路を塞いでいた要撃級が美琴によって36mmで撃ち抜かれる。すぐさま、C小隊の1機がその要撃級を長刀で薙ぎ払い、36mmを更に掃射。退路を確保した。
 武の網膜には、笑顔で親指をくっと上げてみせる美琴の姿が映っている。彼女のその行動にやれやれと武はため息をついた。

『白銀ッ!!』

 そこにようやく補給を終えて戦線へと戻ってきた第7中隊(ヒルド)の将、彩峰慧から武へ通信が入る。回線が開かれ、彼女の顔が網膜に映った時は戦線復帰の報告かと思ったが、その表情と声調に“何か良くないこと”があったのだと分かった。

『鑑が……意識を失ったって―――――――――』
「なッ―――――――――――――――」

 つい1時間も前に部下の訃報を、旗下中隊の全滅の報告を受けた武だったが、その言葉はあまりにも想定外だ。寧ろ、冷徹、冷静、冷酷な指揮官として自身を律し、兵士を率いてきた武を最も効果的に揺さぶる言葉とも言える。

 尤も、今の武はそこで取り乱すほど青い衛士ではない。

「―――――――――――――容態は!?」
『詳しくは分からない……社が副司令の指示で第2師団本部に向かってるみたいだけど……』
「そうか……今は霞と先生に任せるしかない……な」

 戦場で取り乱せば真っ先に死ぬ。あるいは、戦友を死なせる。
 そう訓練兵たちに教えてきたのは、他ならない武だ。その教訓は、彼自身が任官した直後に嫌というほどに実感したことである。回りに回って、武はようやくそれを他人に教えられる域にまで到達出来たのだ。

 冷徹と言われればそれまでだが、そうでなくては、兵士たちは戦場で同胞を弔うことは出来ない。

「彩峰、報告ありがとう。俺たちが補給で後退する間、ここを任せるぞ?」
『ん……了解、任せて』

 心配じゃないと言えば嘘になるが、ここで敵を押し留めなければ彼女は更に危険に曝される。純夏の体調について何一つ、口を出せない武が今出来ることは、侵攻するBETAを打ち払い、イギリスの安全を確保することだけだ。
 寧ろ、尖兵に出来ることは、それしかない。

『こちらHQ。支援砲撃を再開します。戦線を突出した部隊は震動に備えてください』

 丁度、そのタイミングで司令部から支援砲撃開始の旨が伝えられた。ここに来て、支援砲撃の頻度が徐々に少なくなってきている。飽和攻撃といっても、戦闘開始の頃とは比較にならないほどだ。
 根本的に、砲弾補給が追いつかなくなってきている。尤も、突発的な敵の侵攻に際したものだということを考慮すれば、この短時間での砲弾消費量が異常なのだ。
 この数時間の間に、イギリスはフェイズ5ハイヴを制圧するのに必要とされる砲弾量のおよそ半分を使っている。恐らくだが、フェイズ3程度のハイヴならば攻略出来るほどの分量だろう。

 イギリス1つ守るだけで……高々、7万のBETAを殲滅するためだけで既にそれほど。この戦いに勝てたとしても、人類に残るのは“負けなかった”という事実のみである。

 ハイヴが1つ減るわけでもなければ、BETAの規模が格段に縮小するわけでもない。ただ、7月1日という1日をどうにか乗り切ったに過ぎない。

『支援砲撃着弾まであと10秒!』
「セイバー1より271戦術機甲中隊(セイバーズ)各機! 足は止めるな! 後退を継続する!!」
『了解ッ!!』
 長刀で迫る要撃級を退け、武は構わず後退続行の指示を出す。この距離ではスウェイキャンセラーでも誤魔化し切れない振動に遭うだろうが、敵中でそのためだけに足を止めるのは無謀だ。

 瞬間、着弾による衝撃が戦域を駆ける。
 それに襲われたのは、武たち271戦術機甲中隊(セイバーズ)も含め、それよりも突出している第9中隊(エルルーン)と第2大隊だ。



 だが、武は不知火弐型が搭載した振動センサーの捉える、支援砲撃だけではあり得ない振動を逸早く察知した。



「朝霧中将ッ!! 美琴ッ!! 即時全力後退ッ!! 震源が近い!!」
『ッ!?』

 支援砲撃が終わるよりも早く、衝撃の中、武は2人の指揮官に対して即座に警告を飛ばした。271戦術機甲中隊(セイバーズ)は反転し、全力後退から一転して遊撃しつつの後退に切り替わる。


 震源が近い。
 それはつまり、支援砲撃の着弾地点よりも遥かに近い地点から発生する振動が存在するということ。重なり、混ざり合ってはいるが、武は振動センサーに示される波形を正確に、2つに捉え分けたのだ。


 それが意味することは他にない。


 その瞬間、轟音と共に戦場へ高く粉塵が巻き上がる。数は6。殿を務める斯衛軍第2大隊のすぐ後ろから、真横に並ぶほどの近距離にそれは顕現した。

『船団級ッ!! くっ―――――――――』
「マリア! 援護出来るか!?」
『りょうか――――――――白銀中佐ッ!! まだいます!! 震源………真下ですッ!!』
「なっ――――――――――!!」
 武の指示に応じようとしたマリアが“まだ残る振動”を感じ、声を上げた。武がそれに答えるべく言葉を発するよりも早く、まるで彼らの退路を断つように3つの粉塵が上がる。

 背後を取られた。
 武がその事実を理解し、舌を打つまで1秒とかからない。この短時間で、驚くべきことに船団級は武たちの展開するラインを越えた位置まで侵攻したというのだ。

 否。どう考えても、地中を進む速度と支援砲撃の時間、振動波形を捕捉した時間の比率が合わない。言うなれば、あり得ない速度。あるいは“あり得ない位置”。


 あり得ない位置。


 本当にそうだろうか。
 もし……もしも、船団級の前進する時間が、支援砲撃の時間よりも遥かに“短かった”としたら?
 もし、船団級の侵攻が“戦闘開始以前”から既に緩やかに進められていたとしたら?



 南部防衛線は、戦闘開始からこれまで、いったい何度、支援砲撃を繰り返してきただろうか。



 数多の振動が混ざり合う戦場では、いくら密な反復訓練を行ってきた武でも船団級の発する振動を察知するには半径1000m圏内にそれが存在しなければ判別は難しい。
 しかしながらそれは、支援砲撃の振動は緩やかに収束してゆくのに対し、船団級の発する振動は急速に肥大してゆくという、物理的に避けられない法則があってこそだ。

 ではもし、支援砲撃の振動が収束するよりも早く、船団級がその進行を止めてしまったとしたらどうだろうか。

 容易には捉えられない。捉えられるとすれば、敵が極めて地表近くまで上がってきている場合に限る。例えば、今のような場合だ。

「やられた………ッ!」

 振動に紛れるという、それだけで恐ろしい船団級の行動。それが再び、人類の認識の上を行った瞬間だった。
 武たちがあの新型BETAと戦っていたあの時、既に、少なくとも9体の船団級はその真下に潜み、出現する機会を窺っていたのである。流石に誘き出されたとは考えたくないが、結果としてそういう形となった。
「271戦術機甲中隊(セイバーズ)反転! 後方は第2大隊と第9中隊(エルルーン)に任せるしかない……!!」
『このタイミング……この状況で敵の増援……ッ!』
 粉塵を突き破り、行軍する要撃級の一団に支援突撃砲から36mmを喰らわせ、マリアが苦悶の表情で呟く。それと同時に、彼女はついに自分にとって最も得意なその得物を投棄する。
 弾薬が尽きたのだ。

『第2大隊各機! 陣形再編! 21中隊及び22中隊はベクター180の敵を迎撃! 23中隊は271戦術機甲中隊(セイバーズ)と協働して、即時退路の確保に入りなさい! 急いでッ!!』
『第9中隊(エルルーン)も陣形再編! ツインヘッド!!』

 同じように、後退を開始しようとした第2大隊のうち2個中隊が再度反転し、南から迫る敵の増援を迎え撃つ。そこで時間を稼ぎ、増援の少ない北側のBETAの壁を抉じ開けるという選択だ。
 それに合わせ、美琴も自身の中隊に陣形再編の命令を下し、的確な順序で前後左右から迫るBETAへ攻撃を開始した。第9中隊(エルルーン)が取ったのはA、C小隊各隊が前後双方を正面に捉え、B小隊が周囲の遊撃に入るという特殊な陣形。

 現状、最も携行弾薬を残しているのは第9中隊(エルルーン)だ。それも考慮した上で、武と朝霧、両者を纏めて援護しようというのである。

『鎧衣! 朝霧中将の支援を! こっちは挟撃出来る……ッ!!』

 その直後、慧から第7中隊(ヒルド)前進の旨が告げられる。敵の急激な増加が見られたのは、武たちを中心とした半径約1500m圏内のみだ。それによって孤立した彼らを喰らおうと、近隣のBETAもその進行方向を変え始めている。
 それ故に、戦線が前進。退路を抉じ開ける支援をしようというのだ。

『Wドラグーン1よりWドラグーン2! 敵の総数は分かるか!?』
『敵増援総数不明ッ!! なっ―――――応答しろッ!! Wドラグーン6!! 応答し――――――――――ぐうううううぅぅぅぅッ!!』
『どうした!? 報告しろ! Wドラグーン2!!』
『分からないッ!! 何かに主脚を取られ……なっ……こいつは――――――――』

『ドラグーン2よりドラグーン1! 敵増援確認………未確認種が……9体!? 他、小型種多数……戦車級ですッ!!』
「『ッ!?』」

 武と朝霧が息を呑むのは、ほぼ同時だった。悪夢が、顕現する。

 H11での遭遇戦に比べて、何とも中途半端な性能になったものだ。

 つい十数分前、自分たちはあの新型BETAのことをそう揶揄していた。あの遭遇戦と先刻の戦闘で、あまりにも、あまりにも初歩的なことを武たちは失念していたのだ。

 相手は、“物量を最大の武器とする”BETA。

 どこが中途半端なものか。あんなものが10体も出てこられるくらいならば、100を超える要撃級を捌く方がまだ楽だというのに。

 粉塵を突き破り、触手が揺れる。人類を蝕む、弄ぶ、嘲笑う。

『中隊各機! 足元に注意しろッ!! 触手に絡め取られるぞ!!』
『副長! 今、救援に入ります!!』
『構うな! こっちは腕まで取られた上、戦車級に囲まれている……!! 貴様等は早く閣下の援護にまわ――――――――――――――』
『中尉……!? 中尉ッ!! くッ……糞がああああああぁぁぁッ!!』

「朝霧中将! そっちの状況はどうなってます!?」
『敵の数が多い……! 新型のせいで進路も退路も塞がれて……21中隊も第2小隊が1人、喰われたわ……!』
 武の問いかけに朝霧は呻き声にも似た言葉で答える。ここまで1人も欠けることなく交戦を続けてきた斯衛軍の雄 第2大隊がこの短時間で欠けた。それほどまでに敵の猛攻は激しく、彼らが落とされた混乱という名の穴は深い。
 武はその事実に舌を打ち、36mmを掃射して退路の確保に奔走する。第4防衛線の主力部隊が展開する戦線まであと2000m程度。その2kmが、果てしなく遠い。
『はああああああああッ!!』
 残る突撃砲の36mmを掃射しながら、マリアが長刀で弾幕を潜り抜けてきた要撃級を斬殺する。武も左の砲弾が尽きるや否やそれを投げ捨て、右同様に長刀へ換装し、二刀のまま敵中へと身を翻した。

 あと2000m。いや、敵の集中と主力部隊の前進があったことで必要な退路は1000m以下。それが確保出来なければ、死ぬ。

『邪魔……!!』
 彩峰慧が旗下の中隊を率いて更に前進。後方からの援護も受けながら、武たちへと進路を転換するBETAを背後から殺戮し尽くし、彼らの退路を抉じ開けるべく奮戦を続けた。
 それによって、距離は500を切る。

『我々を……嘗めるなッ!!』
 退路の確保に回された斯衛軍23中隊が前進し、お家芸とも言える剣術で次々とBETAを薙ぎ払うが、敵は際限がない。殺しても、殺しても、飽きもせず殺到してくる。
 それでも、緩やかに距離は300を切る。

『ライトニングスB小隊前進! 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の援護を!!』
『第8中隊(ランドグリーズ)も攻勢に出ます! 私に続いてくださいッ!』
 補給から戻った帝国陸軍の122中隊と、後方支援を続けていた第8中隊(ランドグリーズ)の不知火が編隊を組んで前進。第7中隊(ヒルド)に並び、汎用装備である36mmの掃射でBETAの排除を開始する。
 そうやって、加速度的に距離は100を切る。

「糞が……俺はまだ……まだ……まだ死ねないんだよッ!!」
 武は咆える。ここで武が死ぬことは、彼を信じ、彼にその志を託していった戦友の挺身を踏み躙るものでしかない。
 自分たち兵士は、もう何も出来ないと諦めた時に死を享受するのではない。やれることをやり尽くしたとその生き様を少しでも誇れると思った時に死を覚悟するのだ。
 犬死にするなと教え子に教えた。
 犬死にするなと部下に教えた。
 だから、先に逝った多くの彼らの死を犬死ににすることなど、武には許されない。
 斬る。迫る要撃級は片っ端に斬殺し、大地へ沈める。飛び掛る戦車級はマリアを始め、わずかながら砲弾を残す部下が片っ端から一掃する。


 そうやって彼らは、戦友たちの展開する戦線へと転がり込んだ。


『白銀!』
『シャルティーニ少佐!』
「『ッ!!』」
 反転し、体勢を整えると同時に武とマリアへ慧と壬姫から砲弾を充分に残す突撃砲が投げ渡される。一時的にでも威力制圧を試みるのなら、1機が2挺の突撃砲を持つよりも2機が1挺ずつの突撃砲を持っていた方が効果は上がるのだ。
 物量に対抗出来るのは所詮、物量でしかないという一例である。
 武とマリアは零すことなくそれを受け取り、一分の隙も見せずにそのまま慧や壬姫ら同様に掃射を開始。
 以下8機にまで減った271戦術機甲中隊(セイバーズ)の部下も友軍から突撃砲を受け取り、今尚、敵中に残る戦友を後退させるために攻勢に打って出た。
 12機編成から9機へとその数を減らした斯衛軍23中隊も戦線に到達。同じように反転し、中距離支援で退路の維持に努める。

『邪魔……だって言ってるだろッ!?』
 後退を阻む要撃級を強引に長刀で排除した美琴が、部下を先行させてようやく、同じように戦線との境界へ到達した。やはり攻勢前は12機が健在だった彼女の第9中隊(エルルーン)も今の奇襲に曝され、7機にまでその数を減らしている。

 だがそこに、残る武御雷の姿はない。

「朝霧中将ッ!!」
『………こっちはもう駄目ね。完全に退路を塞がれたわ。ここまで接近されちゃ、あの触手の相手をするのは少し厳しいかな』
 武の呼びかけに、朝霧叶は困ったように苦笑してそう答えた。敵中でそのように“落ち着く”彼女に、武は嫌な予感を感じる。
『朝霧中将! 今、救援に――――――――』
『それは無理よ、大尉。完全に囲まれている。そちらが抉じ開けるより、遥かにこちらの全滅が早いわ』
 ライトニングスの中隊長を務める彼女の言葉を遮り、尚も敵を屠り続けながら朝霧叶はそう答えた。レーダーで確認出来る斯衛軍21中隊及び22中隊の機影は既に10を切っている。
 24人いた斯衛軍の手練の衛士がもう14人以上逝っている。

 それに対し、退路を阻む新型も含めたBETAの壁は、武たちが脱するのに抉じ開けなければならなかったそれよりも厚い。

 朝霧の言を否定する余地など、どこにもない。

『白銀中佐! 電磁投射砲の使用許可を!!』
「……………諸共薙ぎ払うつもりか?」
『っ!?』

 低く、重い武の言葉に彼女は言葉を詰まらせた。確かに電磁投射砲の威力は高い。要塞級と同程度の耐久力を持つあの新型BETAも、尽く、紙切れのように蹴散らすだろう。
 そう、威力が高過ぎるのだ。
 あの混戦状態に照準を定めれば、電磁投射砲の撃ち出す120mmが撃ち抜くのはBETAだけではない。辛うじて生き残っている武御雷も諸共、である。

『砲撃を要請したわ。この一帯を火の海にして、敵を殲滅する。そうすれば、北上してくるBETAもあとは尻すぼみよ』
「それは…………いえ、分かりました」
 何かを言い返そうとしてしまった自分を抑え、武は頷く。駐屯地からわざわざそれを搭載していったディランやユウイチら272戦術機甲中隊(ストライカーズ)とは異なり、彼女たちはS-11を携行していない。
 助けられないのならば、友軍に出来ることは、その手でBETA諸共一掃するか、BETAによって嬲り殺されるのをただ眺めていることだけ。

 後者など、御免被る。
 これ以上、連中に一方的に仲間が殺されてゆく姿など、見たくはない。無論容易に叶わぬ願いだ。それでも、最良の選択肢がまだ他に用意されているのなら、そちらを選びたいと思うのはただの我が侭だろうか。

『HQより中央戦線展開中の各隊……支援砲撃を開始します。即時、安全域まで後退してください。繰り返します、即時、安全域まで後退してください』

 そこへ、リィル・ヴァンホーテンから宣告が届けられる。その、「各隊」という言葉の中に、朝霧叶旗下の2個中隊は含まれていない。確認するまでもないことだった。
 告げるリィルの声は震えていたが、武はそれに対して何も言わず、ただ小さく頷く。

「………全機後退ッ! 防衛線を再構築し、支援砲撃終了後………敵の掃討にかかるッ!!」
『了解……ッ!!』

 武の下す後退命令に対し、誰一人、反論を示すことなく、隊長格は指揮下部隊の隊員に対して同じ命令を告げる。









『ありがとう………武』


 朝霧叶の声で、名前に敬称もなくそう言われたのは、武が機体を反転させた時だ。その瞬間、脳裏に鮮やかなナニカが過ぎっていった。
 忘れていた日常。
 忘れていた世界。
 忘れていた時間。
 そこにあった、穏やかな、穏やかな生活。






 そしてその言葉が、白銀武の聞いた朝霧叶の最期の言葉となった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第72話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/04 12:59


  第72話


「あの子は、あたしの息子ですから」

 朝霧叶はそう答えた。
 何故、白銀武の名が城内省のデータベースに存在しているのか。
 香月夕呼から投げかけられたその質問は、正直な話、つい最近までは寧ろ叶自身が回答を聞きたいくらいだったのだが、事実だけを考えればそれ以上の答えはない。そもそも、夕呼がデータベースに侵入し、死亡情報を改竄したというのなら、彼女はそこにあった情報を読み取っている筈である。

 こんな言葉、朝霧叶が答えるまでもなく、彼女は知っていただろうに。

「簡単にお認めになるのですね」
「覆せない事実はありますわ。白銀という姓は珍しいですし、武と名付けた息子を、あたしは確かに産みましたので」

 強気に鼻で笑う夕呼に、叶は穏やかな口調で返す。生き別れたあの子が、あの人の下で……いや、あの人の縁者の下で育ったのだとすれば、白銀武という名前になる。
 事実、叶は祖父が逝き、朝霧家の実権が母に移ったその日のうちに自分の持ち得る権力を使って、その行方を密かに捜したのだ。尤も、それはそう古い話ではない。
 祖父も母もかなり若い時に結婚したこともあってか、齢40を迎えた叶の祖父は面倒臭いことに、最近まで存命していた。
 忘れるものか。祖父が逝き、息子の行方を調べた叶が、白銀武という少年の存在に辿り着いたのは、1998年のこと。奇しくも、その年に日本の首都京都は陥落し、その翌年に横浜は数万の民間犠牲者を出し、潰滅した。

 BETAによって、蹂躙されたのだ。

「朝霧中将に隠し子とは……大変なスキャンダルですわね」
「こちらとしては隠すつもりは毛頭ないのですけど、あの子にとってはあまり歓迎出来る話ではないでしょうね。朝霧は最早、没落した家系ですし、あの子にはあの子の生活があります」
「その割には普段から構っているようですが?」
「あたしは“赤の他人”ですので、どこまでいってもただの小母さんですよ。でも……それでもやはり、あたしの行いは卑怯で我が侭なものなんでしょうね」
 叶は目を伏せ、夕呼から視線を逸らしながら自嘲気味に呟く。結局、彼を構うのは自分の欲求を、満たされることのなかった欲求を満たす行為でしかない。
 そんなことを女々しく続けている自分は、あまりにも外道だ。

 だから今日、その決着を行いにきた。
 自分が、本当の意味で彼の“母”であるために。

「立派だと思いますわ」
「え?」
 だから、香月夕呼が次に言った言葉に驚かされる。叶が顔を上げれば、そこには不敵に笑った白衣を纏う学者がいた。
「赤の他人にそこまで優しくなれるのなら、立派なことでしょう。少なくとも、あたしには真似出来ませんわ」
 赤の他人という言葉を強調して、彼女はそう続ける。何て意地の悪い女だろうかと少しだけ癪に障ったが、言い返すことは出来ない。

 何故ならば、それはつい最近までの自分そのものだからだ。
 叶は、「赤の他人“かもしれない”」という免罪符にどこか縋りながら、彼に接してきたのだ。

 そう、ここにきたのは、香月夕呼にあることを確認するため。彼女の回答次第では、今し方掲げた免罪符に小さな、されども確実な亀裂が走る。
 それでも、知りたいと思う欲求が抑えられない。桜花作戦が終わり、頻繁にあの子の名を他で聞くようになってから、やはり探究心が抑えられないのだ。
 返される答えが、肯定でも否定でも、朝霧叶と白銀武の絆は、糸よりも細く、しかしながら鋼よりも頑強なものになるだろう。
 目に見えて明らかな繋がりがなくとも、絶対に切れない繋がりがあれば良い。
 彼が自分を母と思わなくとも、自分が彼の“母”としてあれるのならば、今は良い。真実を知る自分が、彼を慈しみながらも、「きっとただの他人なんだ」と考えるような中途半端な接し方をしてはいけない。

 回答が肯定なら、きっと今まで以上に彼を愛し続けられる。
 回答が否定なら、絶対に新たな気持ちで彼を愛し続けられる。


 ああ、何と自分勝手で傲慢な女だろうか。
 彼にはまだ何一つ真実を伝えず、自分だけ一つの区切りを迎えようとしているのだから。


「香月博士、御一つだけ……御一つだけ御聞かせください」
「何でしょう? 答えられるかどうかは別にして、お聞きしますわ」

「あの子は……本物の、武なのですか?」

 そこ問いかけに、香月夕呼の眉がぴくりと動く。あまりされたくない質問であることは確かなようだ。
 国連軍の白銀武。その存在を知ってから、朝霧叶が今日まで抱いてきた最大の疑問。彼が、本当に叶の捜す“白銀武”なのか、あるいはその名前を騙った別人なのか。
 前者ならば実の息子。後者ならば名実共に赤の他人。どちらにしても、朝霧叶は落胆するし、安堵もする。

「………少なくとも、あたしは彼を用意したつもりはありません。あたしの言葉が信じられるかどうかは別でしょうが…………」
 その間が、永遠のように長く感じられた。だけどそれは実際に永遠ではなく、必ず次の言葉がやってくる。

「彼は……本物の白銀武です」
「あ…………」
 香月夕呼のその言葉が、心に染み渡る。急にふわりと身体が軽くなった気もした。
 赤の他人という免罪符が壊れたことに、自分はもっと落胆するかとも思ったが、それを遥かに上回って嬉しい。途轍もなく、嬉しかった。

「良かったぁ………生きててくれた………生きてて……生きててくれたんだぁ……」
 そう口にすると同時に、急に目頭が熱くなる。最近ではめっきり流さなくなった涙が、急に溢れ出してきた。嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて、それを止められなかった。



 その横顔があの人によく似ていたから。
 その笑顔があの人によく似ていたから。
 その、立ち振る舞いが、仲を引き裂かれたあの人に、よく似ていたから。

 だからやっぱり、君が、あたしの子供で嬉しいよ。



「それと、これは余計なことかもしれませんが……彼は、朝霧中将のこともよく慕っておりますわ」
「それは………あたしが他人だからですよ」
 まるで慰めるような香月夕呼の言葉に、叶は目尻に溜まった涙を指先で拭いながら笑って答える。それは間違いない。真実を知れば、彼はきっと本当に困り果て、叶から離れていってしまうだろう。

 いつかは、いつかは出来れば伝えたい。でも今は、少しだけでいいから、幸せな気持ちでいさせて欲しい。

「でも………ありがとうございます、香月博士」

 そう返した時の彼女の顔を、叶は忘れない。
 ありがとうという言葉に対し、香月夕呼は困ったように微笑んだのだ。彼女もこんな表情をすることがあるのだと、叶は知ることが出来た。




 7月1日 リバプール 第2師団本部宿舎。BETA襲撃の一報がイギリス全土に走る、ほんの十数分前の話である。










 舞い上がる粉塵が晴れない。
 朝霧叶は接近する要撃級と触手の攻撃を長刀で捌きながら、無意識のうちに舌を打った。
 船団級の奇襲によって舞い上がった粉塵は、地表へと押し出されてくる多数のBETAによって掻き乱され、まるで沈静化する気配が見られなかったのだ。
 視界が悪い。その中、彼女が率いる2個中隊は既に多数のBETAによって包囲されている。

 2個中隊。
 2個中隊“だった”と表現する方がそれらしい。

 既に頭数だけで言えば、1個中隊レベルにまで削られている。そこに群がるのは、何も要撃級や戦車級といった主力となっているBETAだけではなかった。
 新種のBETAが確認されているだけでも9体。視界が遮られているために判断出来ていないが、もし後続にも存在していたとしたら10体を超える。先刻、打ち倒した同種BETAの性能から鑑みるに、叶とて1体を相手にするのに最低でも信頼出来る旗下中隊が1個、より安全策を取るのならば2個は要すると当たりをつけている。

 それが、9体。相対し、叶が今、敵中で辛うじて率いているのは2個中隊の生き残りだ。

 離脱するのに踏破しなければならない距離は最も少なく見積もっても約1500m。果てしなく遠い。少なくとも、叶たちが今、携行する兵装だけで抉じ開けるのは現実的ではない。

 救援?
 もっての外だ。彼女が中将という将官としての階級を持つ衛士だということを考慮しても、敵の攻撃を捌きながら叶も含めた第2大隊の生存者を救援するのにかかる労力と時間が無駄過ぎる。
 それを実行すれば、中央戦線は貴重な人員と時間を同時に失うことは必至。
 それは今のイギリスにとってあまりの痛手。時には優秀な指揮官1人よりも、100人の凡庸な兵士が成せることもある。今、この国を守るという行為は、限りなくそれに近い。

 いや、叶が切り捨ててくれと願うのにはもう1つ、理由があった。

 泣き言に近い、正直なことを言おう。

 朝霧叶はもし生き残れたとしても、その後、その挺身に応えるだけのことを成し得る自信がない。自分の部下たちには悪いが、それに応えるのがあまりにも重い。

「ドラグーン1より残存する21中隊、22中隊各機。このままヤツらの好きにさせるのは癪に障るんだけれど……貴方たちはどうかしら?」

 だから、叶は卑怯な問いかけを部下にする。自分の部下たちは、今の言葉が何を示すのか分からないほど無能な人間はいない。朝霧叶の口から告げられるその言葉を命令と捉えられないほど、奇特な人間はいない。

 叶が「死のう」と言えば、彼らはそれを実行する。それが叶と部下との関係。

『閣下……些か色気のないお答えですが……地獄の底までお付き合い致しましょう』
『斯衛軍衛士として、殿下の名に泥を塗るような散り様など、許されませんよ』
『異国の地というのが少々不満ですが、閣下にお付き合いいただけるというのなら、自分の名も少しは誇れるものになります』

 小さな陣形を組み、抗い続ける自分の部下たちはまるで叶の心中でも読み取ったかのように気遣った言葉を返す。まさか、彼らのそれがまったくの本心であると思うほど、叶は自惚れていない。

 不甲斐ない。35名もの命を預かっておきながら、この結末はあまりにも不甲斐ない。出来るのはもう、無様な死に様を曝さないように虚勢を張ることのみ。

「……ありがとう………HQ、聞こえる?」

 御免なさいと言いかけた叶は、それを飲み込んで「ありがとう」という言葉を返す。謝るというのは、ここまでついてきてくれた部下たちに対してあまりにも申し訳ない。
 大隊を任された者として、それだけは貫き通す必要がある。

『こちらHQ。聞こえています……朝霧中将』
 通信に出たのは、少し聞き覚えのある声だった。この欧州の地で、叶にも聞き覚えのある声など、実際のところそう多くはない。
「その声は……涼宮少佐かしら?」
 機体あるいは強化装備へ何らかの異常があったのか、叶の網膜にはもう交信時における映像がまともに映っていなかった。辛うじて、だが、音声のみその耳に流れてくる。
『はい。御久し振りです、朝霧中将』
「ええ、その節はお世話になったわ。支援砲撃を要請したいんだけれど、可能かしら?」
 叶は穏やかに話すが、継続する行動は激しい戦闘。四方八方から迫る触手と他種BETAを機動で躱しながら、必要な攻撃だけを仕掛ける。
 その度に、彼女が駆る真紅の武御雷は関節が軋み、装甲が削られ、声にならない悲鳴を上げていった。
『……脱出は、不可能ですか?』
「不可能ね。敵の増援の中に重光線級も確認したわ。跳ぼうとしても、残存機の7割は触手に阻まれて叩き落される。掻い潜って跳び上がれたとしても、着地の前にレーザー属に狙い撃たれるのは確実でしょうね」

 涼宮遙の確認にも似た問いかけに、叶は答える。片っ端から脱出経路を思案してみたが、どこかで必ず、全機が捕まる。
 BETAの壁を抉じ開けるのはあまりに非現実的。
 新型BETAの触手は、精度があまり高くないとはいえ9体もいては、この限定空間におけるその制圧力など語るまでもない。叶とて、僚機と連携して躱すことに集中するだけで精一杯なのだ。地上よりも連携力の落ちる空中に跳び上がるのは自殺行為。
 辛うじて、敵の触手を掻い潜って新型BETAの上を取れたとしても、周囲敵後方に確認出来た重光線級が叶たちを尽く撃墜。この至近距離では規定値の重金属雲濃度すら、慰めにもならなかった。

 今日のこれまでの戦闘でレーザー属が執拗に空間飛翔体へ攻撃を偏らせていたのは、“この構図”を待っていたのかもしれない。
 そう、叶はこの状況でふと思った。

 無数の触手を持つあの新型BETAが前衛にいては、重光線級も含めたレーザー属は、味方誤射をしないというその特性に縛られ、容易にはレーザー照射を出来ない。
 しかし、照射目標が新型BETAよりも上に存在すればそう難しい話ではなくなってしまう。
 全高45mのあの新型BETAに対し、重光線級の全高は約20m。距離と角度次第でもあるが、新型BETAの上を10mでも飛び越えれば確実に照射は来るだろう。
 加え、新型BETAの間合いと他種BETAの規模から考えて、噴射跳躍で飛び越える距離は最低でも300、出来ることならば400は欲しい。それだけの距離を噴射跳躍で移動するのも、レーザー属に対してあまりにも無防備。



 朝霧叶の思考が何度、あらゆる手段の推移を検証しても、友軍に辿り着く前に自分も含めた敵中の僚機が0になる。



 全滅。残存する旗下中隊は271戦術機甲中隊(セイバーズ)の支援に向かわせた23中隊のみ。



 こんなことになるとは……こんな世界で生きていて、こんな立場にある以上、何も考えてこなかったわけではない。だけど、式典参加の関係でイギリスへ赴くことになると勅命が下ったあの日、そして極東国連軍から香月夕呼も赴くことになったと知ったあの日には、流石に考えもしなかった。
 あの日、叶はやっと、彼の経歴について香月夕呼に訊ねる決意が出来のだから。

『……分かりました。飽和砲撃の準備に入ります』
「ありがとう、涼宮少佐」
 この窮地を“脱する”ただ1つの手段を実行してくれる彼女へ、叶は、その我が侭を聞き入れてくれたことも含めて感謝の言葉を告げる。










 日本 帝都。
 6月という雨期の真っ只中の日本は緩やかにその表情を春から夏へと変化させていっている。夜風はまだ冷たいが、少し前に比べて空気はややじっとりと重い。
 朝霧叶は夜空を見上げていた。
 帝都城の周囲を囲む形で建つ斯衛軍宿舎。その1つの屋上で、彼女は黙ったまま西の夜空を見つめていた。そう、西の……遥か西の彼方だ。
 距離約9500km 時差約9時間。
 あまりにも遠い。それは物理的な距離であるが、たぶん、心はもっと離れてしまっている。近付きたいと願う心が、同時に、これ以上の歩み寄りに一抹の不安を抱えている。

「天国はもっと、遠いのかな?」

 我ながら子供染みた言葉だと失笑してしまうが、叶にとってそれはあまりにも重要で、あまりにも意味を成さない呟きだった。
 天国が世界で一番、高いところだとしたら、地獄はきっと奈落の底なのだろう。自分が死ねば、あの人との距離は更に遠くなるのだと思って、叶は少しだけ泣きそうになった。

「1人で月見か? 時間としてはあまり褒められたものではないな」

 その時、背後からそう声をかけられて叶はびくりと身を竦ませた。自分に対してこんな高圧的に話しかけてくる友人など、心当たりはほとんどない。該当者は精々、1人くらいだろう。

「……たまにはいいじゃない。それに、ここにいるなら貴方も共犯よ、幸翆」
「ふむ、違いない」

 白河幸翆。第3大隊を任された、斯衛軍の中では叶にとって最も古くから付き合いのある腐れ縁だ。だからこそ、彼は色々と知り過ぎている節もあるのだが。
 彼は叶の反論に悪びれた様子もなく、くくっと口元を歪ませて笑った。普段くらいの元気が残っていれば、その顔面に一撃くれてやろうかと、本気で叶は思う。

「同席しても?」
「聞きゃしないでしょ、貴方は」

 叶が許そうが許すまいが、幸翆には関係ない。ここまで来た段階で彼はあれこれと理由をつけて居座る気が見え見えなのだ。

 そうやって2人で肩を並べ、月と星の輝く空を見上げる。同じように西の空を見つめる彼が何を想っているのかなど、叶には分からない。だがきっと、彼は叶の見つめる空が何故“西”なのか明確に理解しているだろう。
 だから叶は、あの時から抱いている推測を、彼に突きつけることにした。

 横浜基地へと派遣した月詠真那から、「国連軍の白銀武」の存在を話として聞いた時に抱いた疑問と、それに対する推測を、だ。


「月詠に、あの子の個人情報を伝えたのは貴方でしょ? 幸翆」


 叶がそう問いかけても、彼はぴくりとも動じなかった。それが何となく腹立たしい。
「………ふむ、気付いていたか?」
 しかし、やや沈黙した後に彼は肯定の意を示す問い返しを述べる。
「国連軍に入隊した冥夜さんのことを案じていたのは、一応、貴方ってことになっているから、月詠からまず報告が行くのは殿下と貴方へ、でしょ? 流石に、殿下があの子のことを知っているわけないもの」
「尤もだ。月詠の奴も、流石に彼の情報が城内省のデータベースにあるなどとは微塵も思っていなかったようだったがな。わたくしが教えたところ、血相を変えて監視に乗り出したようだ」
「微塵も思っていなかったのはあたしも一緒よ。あの子の名前をデータベースに載せたのは誰? 貴方?」

 1発では気が済まない。その端整な顔を見る影もないくらいボコボコにしてやろうかという考えを抑え、叶は捲くし立てるように問う。
 少なくとも、白銀武の名前を城内省のデータベースに加えた覚えなど叶にはない。あれは、誰でも閲覧出来るデータベースでもなければ、手を加えられるデータベースでもないものだ。
 加え、白銀武の出生を知る者となれば、更に限られる。

「貴様の母上様だ。朝霧家当代たっての希望とあってわたくしも幾ばくかは助力したがね」
「母さんが!?」
「先代の行為には当代も心を痛め、貴様のことを案じていたということだろう。公表されるようなデータベースではない上、“外部の者”にとって興味があるのはあくまで摂家関連の情報故な。朝霧の縁者に秘密裏に名前を1つ加えることなど、そう大きな問題ではない」

 珍しく饒舌に話す幸翆に、叶は頭が痛くなった。
 どこが問題ではないというのか。勝手に、秘密裏に名前が加えられるということ自体、個人の尊厳を脅かしている。当人を馬鹿にしているといっても良い。
 母の気遣いは叶もよく分かった。だが、没落しても尚、自分も含めて朝霧の人間はどこまでも傲慢なのだともよく分かった。

「今すぐ消して」
「それを望むのであれば、自分ですれば良い。わたくしよりも貴様の方が権限は上だ。誰にも悟らせず消すことくらい、造作もなかろうよ」
「ッ!!」
 思わず叶は拳を固める。あまりの正論に、反吐が吐きたくなった。だが、それも堪えて叶は彼から視線を反らせる。
 傲慢。
 そう、傲慢だ。自分で消すことなど確かに造作もない。本当に嫌なら、迷惑ならば当の昔にそうしている。だが、あの子の名前を前にして、自らの手でそれをすることが出来ないでいる。
 心の外側と内側が乖離しているから、上っ面と行動も乖離する。


 本当は、あの子との繋がりが1つでもなくなってしまうことに耐え難い苦痛を感じているのに。


「逆に問おう。貴様はこのままでいいのか? 確かに、彼は貴様の実子かもしれないし、同姓同名の別人、あるいは、その名を騙った別人かもしれぬ。まるで戯れだぞ? 今のままでは」
「………あたしはたぶん……親子ごっこがしたいだけなのよ」
「ッ! ぬかせ! 朝霧!!」
 叶が自嘲気味に呟いた瞬間、幸翆の表情が変わった。普段の彼からは想像も出来ないほど声を張り上げ、今にも叶の胸ぐらを掴み上げかねないほど鬼気迫っている。
「何時から貴様は左様に腑抜けたッ!? それでは逝った影行氏が浮かばれんわッ!」
「でもッ――――――――――――」
「わたくしが言っているのは貴様たちに血の繋がりがあるのかどうかという問題ではない! 貴様がそんな半端な感情で接しているのだとすれば、白銀武が哀れでならん……!」
 叶の言葉を遮り、幸翆は続ける。その言葉で、叶は絶句させられる。
「血が繋がっていないかもしれなければ親子ごっこか? ぬかせよ、朝霧。貴様は、貴様に代わって彼を慈しみ、育て上げた白銀の縁者まで愚弄するつもりか? まだ生きている貴様が被害者面をするなど、恥を知れ」

 また正論を言う。さっきよりもずっと、心に刺さる正論だ。だからこそ、叶は気付かされるものがあった。
 生きていてくれただけでも僥倖。彼が本当に白銀武なら、そう思える。たとえ違ったとしても、たとえそれを差し引いたとしても、彼は立派な青年だと、そう思える。
 事実としてそうでなくとも、社会的にそうでなくとも、彼の“母”であれたらと願う。それは心の外側で思っていることではなく、内側で思っていることだと断言出来た。

「御免なさい……幸翆。本当に腑抜けているみたいだわ、あたしは」

 そう答えてから、「やっぱりまだ少し怖いけれど」と付け足し、叶は笑う。力なく、弱々しく微笑む。
 お互いの立場が明確にならないのは、ともすれば止む無いことだ。叶は既に半ば没落した武家の人間。相対し、彼にだって彼の生活がある。必ずしも、確かな関係を得られるとは限らない。それは仕方のないこと。

 だが、朝霧叶個人の在り方が揺らぐことは許されない。母親としてであろうが、他人としてであろうが、その在り方が半端なものであることなど、許されはしないのだ。

「香月博士に、あの子がどういう存在なのか訊ねることにするわ。それで接し方を変えるつもりはないけれど、やっぱり真実は知りたい」
「………そうか……しかし、良いのか? ともすれば、辛くなるかもしれんぞ?」
「1度、底まで落ちたわよ。あの子がやっぱりもう死んでいるんだとしても、そこに戻るだけ……ううん、あの時よりずっと、温かい場所にいられると思う」

 ああは言ったものの、という表情をする幸翆に叶は小さく、少し自嘲気味に笑う。怖くないと言えば嘘になるが、それでも、愛する男性と愛する我が子と引き裂かれたあの日に抱いた悲しみより酷いものなどない。2人の死を突きつけられたあの日に勝る絶望など、きっとない。

 月詠真那は、彼を白銀武の名を騙った某国の諜報員である可能性があるとかつて言っていたが、今となっては、あまりにも信憑性に欠ける。本当にそうだとすれば、起こさなければならない幾つもの行動を、彼は1つも起こしていないのだから。

 ならば、残る候補は大きく分けてあと2つ。

 本物の“叶の息子”なのか、それとも、香月夕呼によって仕立て上げられた“第4計画絡みの存在”なのか。
 後者の可能性は限りなく高い。だがそれは、彼自身の人間性を疑うところまでにはいかない事実。もしそうだったとしても、叶は彼のことを変わらず可愛がり続けられる自信はあった。
 たとえそれが、この身を滅ぼす可能性があったとしても、だ。



 ああ、そうか。あたしは親子ごっこがしたいんじゃなくて、きっと改めて彼と親子になりたいんだ。社会的な形でなくとも、繋がりを持っていたいんだ。
 やっぱりあたしは、あの子に縋って生きているみたい。



「もう休むわ。今日は、少しだけ、いつもよりはよく眠れるかもしれないし。それと、近々、城内省のデータベースにあるあの子の名前は消させてもらうわね。やっぱり、あの子にとって迷惑なだけだもの」
「…………左様か」


 真実を知れば、自分はきっとこの半端な状態に決着を迎えられると思う。あの人が逝ったという事実はどうあっても覆らないけれど、やっぱりあたしは、武君が大好きだから。
 本人ならば本人として。
 別人ならば別人として。
 朝霧叶は、いつか、きちんと彼と向き合いたい。だから今は、真実を知りたい。だから今は、とにかく中途半端な自分に区切りをつけたい。


 叶は幸翆に背を向け、屋上から立ち去ろうと歩き始めた。その背中に不意に、「1つ、言い忘れていたが」と彼にしてはやや珍しい切り出し方で声がかかる。
 それに対して、叶はほとんど振り返らずに「何?」と短く訊ね返した。

「貴様は、城内省のデータベース以外にある白銀武の死亡情報も、何者かによって書き換えられているということは既知であったな?」
「当然でしょ? あの子の安否は真っ先に確認したもの。データが書き換えられているのはすぐ分かったわよ。それをしたのが何者かは分からないけど、あの子の所属を考えれば、第4計画関連でしょうね」

 それ即ち、香月夕呼。彼女ならば書き換えることも不可能ではない。彼のことを特別扱いにしている以上、その可能性は限りなく高いだろう。

「そのことについてだが、情報省の者に調べさせたところ、データが書き換えられたのは2001年の10月22日から23日にかけて、が有力と判明した」
「……よく分かったわね、それ」
「侵入を永遠に気付かせないことは可能でも、その痕跡まで消すのは容易ではない。侵入された側が気付けるような痕跡がどうかは甚だ疑問だがな」

 叶の呆れたような言い返しに幸翆は鼻で笑う。つまりは、最初から書き換えがあったことを前提とし、目を皿のようにして調べなければ見つからないような痕跡だったということだろう。
 そんなもの、普通は誰も気付かない。
 今回の場合は、それが「白銀武」だったから分かったようなものだ。

「………で、それが?」
「同年同日……この場合は10月22日だが、白銀武が横浜基地に現れた日でもある。これがどういうことか理解出来るか?」
「同日って……冗談……じゃないの? 何で、“もっと早くない”のよ……?」
「こちらもそう考えていた故に、痕跡の発見が遅延した」

 愕然とし、思わず振り返る叶に対して、幸翆は面白くなさそうに鼻を鳴らして答える。何故、“もっと早くない”のかという疑問は、やはり彼も同じだったのだろう。

 もし、香月夕呼が死亡した「白銀武」の名と戸籍を利用して、別人を白銀武に仕立て上げたのだとすれば、少なくともデータの書き換えは彼を公然と動かすよりも以前でなければならない。
 彼を公の前に出してから情報を書き換えたのでは、万が一にもその存在の矛盾に気付かれる可能性がある。
 いや、そもそも、社会的な近親者が全員死亡している「白銀武」を利用しようと香月夕呼が考えたのならば、そう考えた段階で書き換えていなければおかしい。


 これではまるで……香月夕呼ですら、“白銀武の登場は予想もしていなかった出来事のよう”ではないか。


「これはあくまでわたくしの憶測だが、彼の存在は結果として第4計画絡みのものとなったが、彼の登場は、香月博士にとってもまったく意図していなかったものだったのではないだろうか」
「意図していなかったって……それってどういう―――――――」
「さてな。諜報員だとしてもその行動は些か奇妙故、そこから先は想像し難い。だが……わたくしは案外、彼は本当に生きていたのではないかと思う。まるで狐に抓まれたような話ではあるが、もしかしたら彼は、神隠しにでも遭っていたのかもしれんな」
 ふっと、一転して口元を緩める彼が本当に憎たらしい。何を呼び止めたかと思えば、叶にそんな気遣いの言葉をかけるのが目的だったようだ。
 だから、叶も笑い返してやる。

「馬鹿ね。そんな非科学的なこと、あたしよりも貴方の方が嫌いなものじゃない」
 笑い返し、そんな非科学的な話を持ち出すなんてらしくない、と一蹴してやる。その返答に彼はむっと顔をしかめたが、叶は決して謝りはしない。
 謝りはしないが、心の中だけで一言だけは呟いておくことに彼女はした。

 でも、ありがとう、と。










『朝霧中将ッ!!』
 その声で、叶の意識は現実に引き戻される。彼女にとって、もう世界で一番愛おしい我が子の声。どんな状況にあろうと、その声は叶の意識を何よりも惹き付けるものだった。
「こっちはもう駄目ね。完全に退路を塞がれたわ。ここまで接近されちゃ、あの触手の相手をするのは少し厳しいかな」
 その呼びかけに対し、叶は毅然と応じる。彼は今、斯衛軍中将である朝霧叶に呼びかけているのだ。応える叶も、斯衛軍中将として凛然としていなければならない。

 そうでなければ、自分は最期まで中途半端なままになってしまう。

 いや、結局、何も彼に伝えられずに逝く自分は中途半端なままなのだろうな、と叶は自分に対して苦笑してしまった。苦笑するしか、なかった。

『朝霧中将! 今、救援に――――――――』
「それは無理よ、大尉。完全に囲まれている。そちらが抉じ開けるより、遥かにこちらの全滅が早いわ」
 救援に志願しようとする帝国陸軍の衛士に対し、叶は諌める。そのための戦闘はあまりに徒労だ。どうあっても助けられない命に労力を使うくらいなら、助けられる命を1つでも多く助けて欲しい。
 新種のBETAが9体に、他種BETA多数。その中、10機にも満たない自分たちはもう、どうあっても助けられない命だ。

 だが、その命にも幾らかは使いようがある。
 戦術機の地上戦における役割は、砲撃による一掃を目的としたBETAの足止め。その任を果たすくらいなら、今はまだ出来た。
 このままただ嬲り殺されれば、それすらも果たせない。

「砲撃を要請したわ。この一帯を火の海にして、敵を殲滅する。そうすれば、北上してくるBETAもあとは尻すぼみよ」
『それは…………いえ、分かりました』

 叶の言葉に、くしゃっと顔を歪め、長い沈黙を持ちながらも武が小さく頷いた。本当はもっと、彼の我が侭だって聞いてみたかったのだが、今はただただ、彼が優秀な指揮官であることに感謝する。

 その選択は間違っていない。数多の同胞を率いて、BETAと戦う立場を任された彼にとって、この取捨の選択は一切、間違っていない。
 何も出来なかった、最低最悪の親。それは今も決して変わらないし、変えることなどもう出来なかった。だが、そんな親でもやはり想ってしまう。

 出来ることならば、この戦争を生き残って欲しい。大切なものも守って、悔いの残らない人生を歩んでほしい。

 碌でもない親だった自分が、そんなふうに願うのはやはりお門違いで我が侭なことだろうか。たとえ、軍人としての間柄でも、こちらを切り捨てるようにと告げる自分が彼にそう願うのは、傲慢で自分勝手なことだろうか。

 そうだとしても構わない。恥知らずと罵られても良い。

 ただ、生きていてくれた彼が、白銀武として最期まで生き抜いてくれればと願う。どうしようもなかった親の、最初で最後の小さな願いだ。


 生まれてくれて、ありがとう。
 立派に育っていてくれて、ありがとう。
 笑っていてくれて、ありがとう。
 辛い選択をさせて、御免なさい。でも、あたしたちを切り捨てることを辛く感じてくれて、今はありがとう。


「ありがとう………武」


 生きていてくれて、本当にありがとう。







 こんな親で、ごめんなさい。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第73話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/08 18:20


  第73話


 爆音が轟く世界の中、白銀武はただ一人、管制ユニットの中で俯いていた。振動も轟音も届かない、まるで無音の世界であるかのような錯覚。戦場にある衛士でありながら、武は感覚を1度、すべて外に押し出している。

 何故忘れていた。
 何故忘れていた。
 何故忘れていた。

 あの世界で、18年も共にあった母の顔を、何故、自分は忘れていた。

 自問なのか自責なのかよく分からない問答を、武がその内で行うのは実際の時間にしてほんの1秒か2秒ほどのこと。次の瞬間、彼はギリッと歯を軋ませながら顔を上げ、眼前に広がる仇敵全てを睥睨する。
 宿るのは静かに燃える炎。
 滾るのは静かに蠢く憎悪。
 わずかな理性が怒りと憎しみのあらゆる余分な部分を削ぎ落とすことで、今の彼は冷たく鋭い刃物のような感情を剥き出しにする。怒号を発してそれを表現するわけでもなければ、偽りの表情でそれを潜ませるわけでもなく、ただ静かにその憎悪を剥き出しにする。

「何で……だよ……」

 武はようやくそこで声を発する。その正面には、広域に渡る激しい砲撃によって舞い上がる粉塵と、その向こうで揺らめく巨大な影。

「何で……だよ……ッ!!」

 同じ言葉を、もう1度。今度は幾ばくかその語尾を荒げる。その直後、粉塵を破って砲撃効果範囲の外側にいたらしき要撃級の一団が、再び北上を開始した。
 それが目視で確認出来るとほぼ同時に、武は120mmで先頭の要撃級の頭を吹き飛ばす。そのまま36mmを掃射する形で疾駆し、投棄されている長刀を流れるような動作で拾い上げ、再び単機、敵中へと身を翻した。


「うあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 先頭集団を36mmで薙ぎ払った武はそのまま敵の後続を尽く長刀で斬殺。面制圧を免れた敵集団を片っ端から大地へと沈め、死骸の山を作り上げる。

 返せ。
 返せ。
 返せ。
 返せ。

 武の一刀、一刀にはその想いが込められている。自分が18年もの歳月を共に過ごした母とは、確かに違うのかもしれない。この世界の“白銀武”が共に暮らしていた母とは、確かに違うのかもしれない。
 だが今の武は、確実に、朝霧叶に母の面影を重ねていた。否、彼女は間違いなく、かつて過ごしていた世界の……自分が軍人ではなかった世界での母だった。

 それを今、まさに目の前でBETAによって奪われたのだ。

 感情はまるで燻っていた炎が酸素を得て、再び燃え上がるように肥大化してゆく。それを武自身は止められなかった。その怒りを止める術はまだ、培っていない。



 だから、何よりも彼を現実へと引き戻したのは戦友の声と砲撃音だった。



『たけるさん!』
『白銀、1度退いて』
 武の前に立ち、次々と砲撃を掻い潜って粉塵の中を踏破してくる要撃級の集団に対し、旗下中隊を展開させる珠瀬壬姫と彩峰慧。2人も突撃砲で接近するBETAを打ち払いながら、武を諌める。

 その声でようやく、BETAを殺戮する武の手は止まった。

「くっ…………!」
 しかしまだ、彼の誤った闘志は折れていない。戦友たちが射線に入っているためにその手を止めたに近いのだ。それは、2人が常に武とある意味で“同格”であるため、友としてそれを諌めるしかないからだ。

 肉親を目の前で奪われた者の怒りを、そうやって抑えることは簡単な話ではない。彼女たちとてそれは、例外ではなかった。

『白銀中佐。その状態で戦闘を継続するのは危険です。それとも……我々に「死ね」と命じますか?』
「ッ!! 馬鹿野郎!!」
 今相棒とする、自分に最も近い部下がそう言った。その、マリア・シス・シャルティーニの言葉で、武はようやく冷静さまでを取り戻す。
 兵士としてそれを正しいと捉えるかは物議を醸すが、少なくとも武が抱えた怒りはヒトとしてあまりにも当たり前のもの。その状態の彼に対して、部下がそう呼びかけることは、何よりも上官としての意識を取り戻させる。

 それは武が、優秀な指揮官であるが故に、だ。

「……271戦術機甲中隊(セイバーズ)は1度、補給のため後退する。俺が戻るまでの間、中央戦線の総轄は鎧衣大尉に一任。彩峰、珠瀬両名もフォローに入ってくれ」
『了解!』
『了解』
『分かりました!』
 部下の命を預かり、部下の死を無駄にすることなど出来ない武には、部下の言葉が最も効果的だったのは明らかだった。自身の後退を告げ、そのわずかな間の指揮系統をより信頼出来る戦友に託す。
 武が彼女たちのことを区別なく姓で呼ぶのは、命令であることを明確にするためであり、同時に自分自身へ己の存在の意味を言い聞かせるためでもあった。
「271戦術機甲中隊(セイバーズ)は急げッ!!」
『了解!』
 敵中から離脱する武は直下の中隊に対しても正式に後退の指示を出す。それに応える部下たちも、彼の心中を察してか、ここに来てまるで疲れを感じさせないほど力強い返答を返してきてくれた。

 そのまま、常に戦線を支えてきた271戦術機甲中隊(セイバーズ)は全力後退を開始。武もまた、マリアと共にその殿を務める。



「必ず終わらせるから………今はそれで許してくれ……母さん」



 一時的に戦線を離れる武は、他の誰に対してでもなくそう呟く。

 他に何も出来なかった息子に許された、唯一の懺悔だ。










 白銀武率いる271戦術機甲中隊(セイバーズ)が補給から戦線へと復帰した後も、戦闘は混迷を窮めた。ついに到着した敵の最後尾集団が繰り出す波状攻撃は際限がない。
 帝国軍122中隊の電磁投射砲によって一時的に中央は、効果範囲全長2000mを超える圧倒的な威力制圧が成されるが、敵の攻撃頻度と規模から考えれば1個中隊の攻勢で決するにはまだ早過ぎる。

 しかし、朝霧叶の挺身と広範囲砲撃、そして直後の電磁投射砲の威力制圧によって、出現した新型BETAも一掃され、それっきり船団級の出現すら確認されなくなったことから、暫定的にだが、BETAもいよいよ出し尽くした、という結論が導き出された。

 この中央戦線最後の攻防は、まさに正面衝突の総力戦。

 奇抜な行動も突飛な戦術も駆使されない、人類の意地とBETAの物量がぶつかり合う激戦。イギリス防衛戦において最も象徴的な戦いが、今、繰り広げられていた。

『要撃級、左翼から48! 突撃級が24です!』
「第9中隊(エルルーン)攻勢ッ! 271C小隊、バックアップに入れ! A、B小隊はこのまま正面の敵を殲滅する!!」
『了解!』
『セイバー1! こちらが支援します! 存分に戦ってください!!』

 美琴に左翼方面の対応を任せ、武は2個小隊を伴って突出する。その際に、後方に控えていたF-4で編成された中隊も随伴し、36mmによって戦車級の群れを中心に蹴散らしていった。
 それによって先行する戦車級が殲滅され、要撃級へ続く進路が確保される。武は即座に右手に長刀を換装し、自らは要撃級のみに狙いを絞って攻撃に入った。

 補給という一工程を終えた武の感情は、あの直後と比較して驚くほどに落ち着いている。だがそれは決して怒りや憎しみといった感情がなくなったわけではなく、ただ、今までと同じように指揮官という立場がそうさせているに過ぎない。
 この世界において、武が母と呼べる人物は優秀な軍人であり指揮官であった。そして彼自身もまた、それに匹敵するほどの名を持つ衛士であり、指揮官である。

 朝霧叶という女性が、自分のことを息子だと認識していたかどうかは武にも分からないが、ただ感情に振り回されては、最期まで毅然として逝った母の顔に泥を塗ることになるだろう。
 それが武は堪らなく嫌だった。

『敵後続に要塞級確認! 数4! 白銀中佐!』
「彩峰ッ!」
『了解。B小隊は要塞級へ吶喊。A、C小隊はその周囲を固めるよ。続け!』

 近距離でも敵に振り回されることなく、支援突撃砲で要撃級を片っ端から撃ち抜いているマリアの報告に、武はすぐさま戦友の名を呼ぶ。それが攻勢命令であると理解している彩峰慧も無駄な時間を要することなく、部下に対して攻撃命令を下した。

 BETAの最後尾集団との戦闘で、慧の第7中隊(ヒルド)もついに両翼の小隊から1人ずつ、戦死者が出ている。それでも、最も吶喊命令の多いB小隊が未だ4機を保っていることは圧巻の一言に尽きるだろう。

 いや、この激戦において佳境に差し掛かるまで12機を保ち続けたこと自体、部隊としての能力の高さは誰の目から見ても明らかだ。

「どけッ! 邪魔だッ!!」
 武は戦線の中央に構え、接近してくる要撃級と戦車級を中心とした敵主力集団を終始、返り討ちにし続けていた。今は2個小隊を率いて中央の制圧に乗り出したところである。
 武を始め、271戦術機甲中隊(セイバーズ)の機動防御範囲は広域に渡っている。現在は中央で戦っているが、敵後続の規模次第では中央を彩峰慧に任せ、左翼や右翼へと転戦することも少なくはない。

『たけるさん! 右翼方面、要撃級52、要塞級5、接近中です!!』
 右翼方面の防衛を任せた珠瀬壬姫からの報告に、武は思わず舌を打つ。敵の最後尾集団。この波状攻撃を凌ぎ切れば、イギリスの防衛が成される。だが、敵の規模はやはり圧倒的だった。
 ここまでよく耐え切ったという評価が正しいが、ここにきて砲撃陣地のみならず戦術機の補給も敵の攻撃に追いつかなくなってきている。
 元々、時間が経過すればするほど、補給が追いつかなくなるのは明白だ。砲撃陣地の砲弾補給が間に合わなくなれば当然、支援砲撃の頻度と密度が減少する。そうなれば、前衛の戦術機部隊が相手にしなければならないBETAの数が増えるため、戦術機の補給も追いつかなくなるのは考えるまでもない。

『白銀中佐! 我々が突出致します!』
 だが、武が次の指示を下すよりも早く、とある中隊の隊長が名乗りを上げた。彼らが駆るのは帝国斯衛軍が誇る武御雷。中隊の仲間の他、大隊長と、23名の仲間を失った第2大隊の第3中隊である。
「了解! 右翼展開中の各隊も斯衛軍に続け! 近距離支援、中距離支援の判断は各自に一任する! これ以上ッ………ヤツらの好きにさせるなッ!!」
『了解!!』
 斯衛軍の申し出を素直に受け、武は改めて右翼展開の各隊へ指示を飛ばす。質こそ違えど、朝霧叶を奪われた怒りは彼ら23中隊の衛士も同じ筈だ。否、慕っていた期間なら、きっと彼らの方が長い。

 だから武は悔しいのだが。

 36mmを掃射しながら、武は再び舌を打つ。BETAに対しての意味合いもあるが、何よりも不甲斐ない自分自身に対して、だ。
 大多数を救うために、武とてこれまでに切り捨てなければならないものを幾つも切り捨ててきた。
 戦場で泣くことは許されない。
 死に逝く彼らに謝ることは許されない。
 その身を捧げた輩の犠牲を無下にすることなど、決して許されない。
 そんなことは、誰かに言われるまでもなく武は分かっている。

 だが今は、声を大にして泣き叫びたかった。
 だが今は、何も出来なかったことをひたすらに謝りたかった。
 そして、それによって責務に殉じた英霊たちへ応えることを蔑ろにするところだった。


 それが、あまりにも不甲斐ない。


『HQより中央戦線展開中の各隊! 約600秒後に支援砲撃を再開します! ポイントは――――――――――』
「マリアッ! 背中は任せるッ!!」
 リィル・ヴァンホーテンからの報告と同時に、信頼を置く副長に背中を預け、武は駆ける。開き直るつもりは毛頭ないが、不甲斐ない自分にも、不甲斐ないなりにやり遂げたいことがある。何度転ぼうとも、時には自分の脚で立ち上がり、時には誰かに支えられながら起き上がり、やがて辿り着きたい生き様がある。

『は! お任せください』
 敵中へと身を翻す武に追従するマリアは、彼の死角から迫る要撃級や戦車級の群れを、支援突撃砲を主体とした攻撃で打ち払い、安全を厳守。271戦術機甲中隊(セイバーズ)のA、B小隊もその両翼に展開することで敵の攻撃を可能な限り分散させてくれた。
 だから武は、心置きなく正面から迫るBETAを殺戮する。片っ端から、斬り殺し、撃ち殺し、薙ぎ払い、打ち崩し、BETAの死骸で壁を作り上げてゆく。
 一見、手当たり次第に殺戮を尽くしているように見える武の攻撃だが、実は冷静で緻密な計算の上にそれは成り立っていた。
 それがはっきりとした意味を持つのは、今ではない。

『砲撃来ます!』
「彩峰! 退けッ!!」
『了解!』

 そんな戦闘を続けること約10分。支援砲撃の開始と共に武は突出して敵を惹き付けていた第7中隊(ヒルド)に対して一時後退の指示を出す。慧の返答と同時に271戦術機甲中隊(セイバーズ)の各機は築き上げられた死骸の山の上に立って、彼女たちの後退支援に入った。
 空を行く砲弾と逆行する形で即時後退する第7中隊(ヒルド)の各機が噴射によるショートジャンプで死骸の山を飛び越えると同時に、武たちも死骸の山から飛び降りる。

 無数の要撃級の死骸によって築き上げられた死骸の山は、機体の全高を超えるほどに高い。爆撃そのものに曝されては一溜まりもないが、爆風だけならば充分に遮断するほどの壁だ。

 まさに死骸の壕。
 武が敵を殺戮することで作り上げたのは、突出していた慧たちを砲撃の爆風から守るための壁そのものである。頭数が減っているとはいえ、2個中隊が身を寄せることで潜むことの出来る壁を、武たちはあの短時間で作り上げていた。
 尤も、それは隊員の能力の高さの他に、敵の規模の大きさという、良い点と悪い点の2つが同時にあって初めて可能となった芸当ではあったが。

「……どれだけ潰した?」
『可能な限り……でも、切りがないね』
 武の問いかけに慧は呟くように答える。切りがないというその言葉は、ある意味では慧の悪態に近いだろう。
 この波状攻撃が途切れれば、戦闘そのものが終わる。それはもう誰しもが理解していたが、その終わりが未だに見えてこないのも事実だ。
『……あまり砲撃の密度は高くありませんね。レーザー属もほとんどいないようですが、効果はそう期待出来ないでしょう』
「レーザー属がいないなら、持久戦に堪え切った方の勝ちだ。単純なのは……嫌いじゃない」
『……ええ、そうですね』
 砲弾の飛ぶ空を鋭い眼光で見据える武の呟きに、マリアはわずかな沈黙を置いてから控えめに同意を示した。
 彼女は先刻、朝霧叶の殉死直後の武をなだめている。ディラン・アルテミシアやユウイチ・クロサキを始めとした多くの部下の死を受け止めてきた武が、彼女たちを切り捨てると決断した後に、怒りを露わにするという状態に陥ったところを目の当たりにしている。

 朝霧の死によってある種、取り乱したといっても過言ではない武をマリアはなだめていたのだ。
 聡い彼女なら、本当は何か気付いているかもしれないが、そこについて何も触れずにいてくれることを今はありがたく思う。如何せん、武だって朝霧叶との関係を説明するのに、あまりにも情報が不足しているのだから。

「支援砲撃の終了と同時に再攻勢を仕掛ける。彩峰、兵装状況は?」
『問題ない。まだ充分、戦える』
「分かった。攻勢は両中隊で連携して行う。残存する敵の規模次第では、中央主力部隊の前進も指示しよう」
『了解!』



『1つ相談なんだけど、その再攻勢、あたしたちも戦列に加えさせてもらえない?』



 終わりを迎えようとしている砲撃の最中、武たちが同様に身構え、再攻勢に際する打ち合わせをしているところに、通信が割り込んできた。網膜に映る、少しだけ疲れた雰囲気を感じさせながらも不敵な笑みを浮かべた人物の顔に、武だけでなく多くの者が声を上げる。
 発する言葉は、誰もが同じだ。

「『速瀬中佐!?』」

『待たせたわね、白銀。よく耐えたわ』
 武にとってかつては部隊の上官、彩峰慧や珠瀬壬姫、鎧衣美琴を始めとして戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の兵にとっては最も頼れる存在である速瀬水月。
 彼女の到着である。

 否、水月だけではない。南部防衛線右翼戦線からの増援が、西の地平線に隊列を組んで一列に並んでいる。
 第1中隊(スクルド)を始めとした戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の3個中隊の不知火に、EU連合のラファール、EF-2000、欧州国連軍から回されたF-15やF-4、月詠真那直下斯衛軍第18大隊の武御雷、Su-37、不知火、陽炎、F-15Eといった式典参加のためにイギリス入りしていた各国部隊の運用機体。
 普段では考えられないような構成を成した大規模部隊が、速瀬水月を筆頭にBETAを蹴散らしながら真っ直ぐに東へと向かってくるところだった。

 そこには1機たりとも完全な状態の機体など存在せず、1個たりとも完全な状態の部隊など存在していない。だが、彼女たちはそんなことも意に介さず、今尚、敵の猛攻激しい中央戦線の戦列に加わろうとしている。

「西側はどうなったんですか!?」
『安心しろ、白銀。沿岸部の制圧は完了した』
『今はEU連合と欧州国連軍の守備隊が固めている。イギリスは、もう南部中央戦線を残すのみだ』
 武の問いかけに答えるのは水月の両側を固める宗像美冴と御剣冥夜の2人。彼女たちもBETAの猛攻を凌ぎ切ったということだ。生憎、その旗下中隊は出撃前に比べて随分と淋しいものになってしまっているが。
『南部中央戦線を残すのみ……? ということは……東側ももう―――――――――』



『その通りです、シャルティーニ少佐! 東岸から上陸したBETA群の殲滅も完了。白銀中佐、お待たせしました!!』



 イギリスはもう南部の中央戦線を残すのみ。冥夜のその発言にマリアが口を開くと、それを遮る形で喧しい声が届いた。その声の主に、連隊内でも最も付き合いの長いマリアが一瞬、驚いたような顔をした後、すぐに微笑む。
 エレーヌ・ノーデンス。彼女がそこにいた。


 そこには、水月たちと向かい合う形で同じく中央戦線に向かって東側……即ち、南部左翼戦線方面から進撃してくる戦術機の大規模集団が確認出来る。


 その筆頭を務めるのは、武も信頼を置く部下たちと戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の戦友たちだ。
『申し訳ありません、白銀中佐、シャルティーニ少佐。合流が遅れました』
 エレーヌに続く形で謝罪の言葉を述べるのは275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)のレイド・クラインバーグ。両隊も頭数がかなり減ってしまっているが、各小隊の雄は健在だ。

『柏木少尉! 前方に要撃級6!』
『蹴散らします! コンスタンス中尉は支援をお願いします!』
『了解!』
『水城! 貴様も柏木少尉の援護に回れ! 進撃中の各隊は速度を落とすな! このまま中央戦線に雪崩れ込むッ!!』
『了解です!』
『おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!』

 先頭を行くエレーヌの273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の突撃隊長 柏木章好が自身の属する小隊のみならず、進撃部隊の前衛小隊を先導する形で突出し、中央戦線左翼の敵へ攻撃を仕掛ける。
 足を止めずにヘンリー・コンスタンスと水城七海の2人が章好を後方からバックアップに入り、進行する他の部隊も次々と中央戦線左翼のBETAを蹴散らしていった。

『千鶴! こっちが前に出るから後ろをお願い!』
『了解! B小隊は第6中隊(スルーズ)に随伴して近距離支援! A、C小隊は中距離から攻撃を開始するわよ!』
『第3中隊(アルヴィト)はこのまま敵中を抜けて白銀中佐と合流します。第10中隊(フレック)も続きなさい!』
『フレック1了解! さっさと中央の敵も蹴散らすよ! 全機続け!』

 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の4個中隊もそれぞれ目的を明確に分け、連携しながら敵中へと身を翻す。その場でBETAを薙ぎ払うのは涼宮茜と榊千鶴の旗下中隊、敵を退けながら武との合流を目指すのは風間祷子と柏木晴子の旗下中隊だ。

 東部からの増援も構成は異色そのもの。彼らの不知火弐型と不知火を始め、やはり各国が誇る精鋭と、それに運用される多様な戦術機が隊列を組んで攻勢を仕掛けている。

『ナナセ! 2小隊率いて榊の周囲を固めろ! A小隊は俺と共に第6中隊(スルーズ)を近距離からバックアップする!』
『レスター2了解! B、C小隊は接近する戦車級を中心に掃討を!』

 その中において、最も異彩を放つのは唯一の機体であるF-22Aだ。今日という日の欧州においてそれを運用するのは、ジョージ・ゴウダの率いるレッドブラスターズしか存在しない。
 彼らもまた、圧倒的な機動力と制圧力をもって、戦車級を中心に多数のBETAを粉砕してゆく。残存機は9機。もしBETAとの乱戦でF-22Aを運用する彼らがそれだけ生き残ったのだとすれば、やはり隊員の練度は高い。
 改めて武は、彼らが米国から送られてきた精鋭部隊なのだと理解させられた。

『ライトニング1よりセイバー1! 砲弾補給完了しました! それと……朗報ですッ!!』

 両翼からの友軍の進撃と時を同じくして、補給のために後退していた帝国陸軍のライトニングスから報告が入る。彼女の告げる朗報という言葉に、武は「ああ、そうか」とすぐに納得する。

 東部が制圧されたということは、東部に回されていた戦力がこちらへも回されてくるということだ。この1時間半、東部で戦っていたのは武の部下や戦友たちだけではない。

『戦闘参加中の帝国陸軍全6個中隊、これより中央戦線の制圧にかかります。白銀中佐、ご指示を』

 武へそう指示を仰ぐのは、ライトニング1よりも権限を持っていると思われる衛士だ。恐らく、今回の式典関連で欧州入りした帝国陸軍部隊の責任者なのだろう。
 式典参加のために派遣された帝国陸軍の部隊には、1つの同じ特徴がある。
 何れも、電磁投射砲と不知火弐型を配備された部隊なのだ。
 それが6個。つまり、中央戦線へ12の電磁投射砲が投入されたことになる。

 それは、佳境に差し掛かったこの戦闘においては充分過ぎる兵器。その気になれば、補給のインターバルすら連携でカバーしかねないほどの物量。
 頼れる部下、頼れる戦友、頼れる友軍……頼れる仲間たち。それが揃ったここで負ける筈などない。負けることなど、絶対に許されない。

 ディラン・アルテミシア。
 ユウイチ・クロサキ。
 そして、朝霧叶。
 彼女たちを筆頭とした、この戦いで逝った者たち。彼らの挺身に、曲がりなりにも応えることが出来る。武は、言い聞かせるようにそれを確信した。

 そして彼は声高に、咆哮するように、告げる。




「セイバー1より中央戦線展開中の全部隊へッ!! 俺たちは一緒に今日を乗り越える!! 力を……力を貸してくれッ!!」



 その言葉に応える者たちも、高らかに、ある種の歓喜にも似た声を上げる。

 鬼籍に入った数多の同胞を弔う、明日を賭けた人類の咆哮だ。













 香月夕呼は強化装備姿のままの社霞と共に、横になる鑑純夏を黙ったまま見守っていた。無意識のうちに、彼女はその手で純夏の髪を撫でる。

 ヒトの容を模倣したのは他でもない自分だ。そうする必要があったことも間違いないが、やはりそれはあまりにも人間の心理を揺さぶる。
 それは、そう造った香月夕呼ですら、例外ではない。

「う………ああ………」

 不意に彼女が表情を歪め、呻き声を漏らしたので夕呼は慌ててその手を引っ込める。モニターする限り、体調に大きな問題は見られない。寧ろ、一時的だと思われるが純夏が覚醒したのだろう。

「……こう……づき……はかせ?」
「……鑑、無理はしなくていいわ。今はゆっくり休みなさい」

 彼女の瞳が自分を捉え、途切れ途切れにその名を呼んだので、夕呼は柄にもなく気遣いの言葉をかける。自分にしては嫌に悠長なことだと内心、失笑しながらも、同時に今の言葉は決して上辺だけの言葉ではないと分かっている自分がいることに、夕呼は気付いていた。

「BETAが………こうげきを………!」
「BETAの攻撃はもう白銀のところを残すだけよ。安心なさい、もう戦闘は終わるわ」

 それでも口を開く純夏に夕呼はそうなだめた。彼女の下に先刻、入ってきた情報によれば、既に東部戦線は完全制圧。速瀬水月に任せていた南部右翼も制圧が完了し、順次、余剰戦力は最も敵の猛攻が激しい南部中央戦線へ向かっている。
 敵の規模に対し、人類の兵力も負けてはいない。それが両翼から包囲殲滅を仕掛け、尚且つ、正面では帝国軍のすべての電磁投射砲が威力制圧に打って出る。幾らBETAといえども、その戦況を覆すことは不可能だろう。

 7月1日。自分たちはその日を乗り越える。
 朝霧叶を始めとした、多くの有能な兵士を犠牲にしながら、イギリスはこの日を乗り越える。

 だが、鑑純夏が続けた言葉は、夕呼の想像の上をいっていた。


「ちがい……ます……BETAの………こうげきは――――――――」


 告げられた言葉に夕呼は言葉を失う。その事実にも確かだが、何よりも、あまりの事態に当然、予見されるべき終末を失念していた自分自身に。
 今回、イギリスを襲ったBETAの目的は、いったい何であったか。それを考えれば、当たり前のことであるし、気付かない方が寧ろ愚鈍。



 確かに、イギリスは今日を乗り越えられる。
 だがそれすらも、BETAは嘲笑っていた。



 終末は近い。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第74話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/11 21:41


  第74話


 戦闘終了から既に3時間。戦闘行動を終了してからそれだけの時間があって、第27機甲連隊と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の衛士たちはようやく、第2師団本部へと帰投することが出来た。
 それだけの時間がかかった理由は簡単なことだ。最後までBETAの猛攻が続いていた南部中央戦線の戦域が広範囲であったため、BETA殲滅の正式な報告が出されるまで、約120分の時間を要したのである。
 残存的戦力が存在する可能性も考慮し、戦術機部隊はその一報が出されるまで、戦闘行動こそ止めても、臨戦態勢を解くことが出来ない。世界共通の中立軍である国連軍兵士となれば、それは尚更なものである。

 その一報が出されてから即座に第2師団司令部へ帰投要請を行い、受理されて実際に帰投を完了するまでに更に60分。
 寧ろ、あれだけの激戦が繰り広げられた後としては比較的早い部類だろう。


 それだけの時間をかけ、白銀武はやっと戦場から生還した。


「マリア……悪いけど、あとのことを任せていいか?」
 満身創痍の不知火弐型から降りた武は、まだ機体の管制ユニットに残っているらしいマリア・シス・シャルティーニに対して通信でそう告げる。
『は。万事、お任せください。中佐も、確認されたいことがあるのでしたら急がれた方が良いでしょう』
 小言の1つでも言われるかと武は覚悟していたのだが、マリアはすんなりとそれを了承する。どこからどこまでのことを「確認されたいこと」と考えているのか、彼女の鋭さは侮れないため判断し難いが、理解してくれているのならば今は有り難い。
「ほんと、悪いな」
『構いません………明日は流石に時間などないでしょうから』

 そう言って、マリアは少しだけ目を伏せる。その言葉には、武も「ああ」と短く返すことしか出来なかった。

 今回の戦闘で第27機甲連隊が失った衛士の人数は、ちょうど2個中隊相当になる。ディラン・アルテミシア、ユウイチ・クロサキ両名を始めとした13名構成の272戦術機甲中隊(ストライカーズ)が全滅。残る3個中隊の平均損耗率は約4.3人。つまり合わせて13人だ。
 26名の部下が逝った。全員があのフェイズ5ハイヴから生還した衛士だというのに、半数の部下が逝った。結果、第27機甲連隊に残された戦術機戦力は実質、2個中隊しかないことになる。


 正式に、彼らを弔う隊葬を執り行うのは明日だ。
 余分な時間など針の先ほどもないし、たとえ出来たとしても何かをやろうと思うほど気力が余る人間は流石にそういないだろう。


「マリア、胸を張ろう。生き残れたことと、生き残らせてもらえたこと……それと、あいつらの戦友であれたことを、さ」
『はい。それが弔いになるのでしたら、精一杯、誇りましょう』

 武の言葉にマリアも頷き、改めて敬礼を返す。武もそれに敬礼で応じ、「あとは頼んだ」ともう1度、告げてからハンガーの中を駆け出した。


 気になることも知りたいことも山のようにある。とても他言には出来そうもないものばかりだが、いちいち虱潰しにしていってはあっという間に日付が変わるだろう。
 「ならば……」、と武は己が知る限り、そしてこの第2師団本部にいる人間の中で最も、すべてを知っている筈の人物の下へ向かう。
 別段、苦労ではない。横浜にいた頃はそれこそ、困ったことが起きる度に駆け込み寺よろしく縋っていた相手だ。今回に限っては、助けを請いにいくのではなく、正真正銘、知りたいことを問い詰めるつもりではあったが。

 衛生兵や通信兵を筆頭に、負傷者の手当てや事後処理で騒然としている通路を抜け、武は最短距離で目的地を目指す。途中、何度か連隊の部下とすれ違ったが、立ち話はせず、軽く手を挙げて挨拶だけを交わしておいた。

 そうやって武が辿り着いたのは、この第2師団本部の最深部と言っても決して過言ではない一室の前。本来、そこはこの第2師団の大ボスが踏ん反り返っているところなのだが、夕呼もここにいることは既に確認済みだ。
 有無を言わさずドアを開け放ちたい気持ちを抑え、武はその前で1度、深呼吸をしてからゆっくりとノックをする。

「開いている。入れ」

 当然のことながら、返ってくるのはこの執務室の主である直属の上官の声だ。彼女も彼女なりに戦っていたのだろう。取り繕っているようだが、どこか声調に疲れを感じさせる。

「失礼します」

 入室許可に武はそう返しながら、執務室のドアを開けて室内へ進入する。案の定、そこにはデスクに向かっているレナ・ケース・ヴィンセントの他に、香月夕呼の姿もあり、両者共に武を注視していた。
「白銀か。御苦労だった。貴様のお陰で、イギリスは……今日を乗り越えられそうだ」
「は………ありがとうございます」
 何の皮肉も嫌味もないレナの言葉に、武は神妙な面持ちと堅苦しい言葉遣いで応える。正直に言えば、そんな言葉をかけられるほどのことを成し遂げた実感は何もなかったが、レナの労いを否定すれば、挺身した同胞にも、ついてきてくれた仲間にも申し訳が立たない。

 だから武は、丁寧に、その言葉を受け取る。

「何か用事か?」
「はい。夕呼先生に訊きたいことがありまして」

 軽口を交わすほど暇ではないのか、すぐに本題に入るよう促すレナ。尤も、武としてはそれも願ったり叶ったりだ。武が頷き、夕呼をちらっと見ながら答えると、レナは「ふむ」と顎に手を当てて考え込んだ。
 状況が状況なだけに、何か重要な話し合いでもしていたのだろうか。ならば武の私用で夕呼をこの場から解放することはまだ出来ない。

 そう考え、武が「またあとで来ます」と口にするよりも早く、レナが椅子から立ち上がった。

「どうもただの報告ではなさそうだ。香月博士、私は視察も兼ねてしばらく席を外します。詳しい話はまた後ほど」
「え?」
「よろしいのですか? こちらが出てゆく方が当然ですが?」
 レナの方が退席するという言葉に、夕呼はやや眉をひそめてそう訊ね返す。武だって、今の対応は予想していなかった。彼の今の進言は「夕呼を借りたい」という暗喩だったのだが、結果、この執務室まで借りる形となってしまったからだ。
「生憎、今すぐ用意出来る高セキュリティの部屋はここしかありませんので。可能ならば密談で済ませたい内容もあるでしょう」
「しかし―――――――」

「御安心ください。私は自分の執務室を盗聴する趣味も盗聴される趣味もありませんから」

 レナの言は尤もであるが、夕呼も一抹の懐疑心を拭い去れないのか反意を示そうとする。しかし、それよりも早くレナ・ケース・ヴィンセントは皮肉に近い形で夕呼の反論を封殺した。
 そしてそのまま、黙らされる武と夕呼を他所に速やかに執務室から退室してゆく。自分はまだしも、夕呼まで黙らされるというのは驚く他ない。軍における経歴の差か、それとも頭脳労働が基本の夕呼が疲労によって本調子でなかったからかは、武にも分からなかった。

「……鑑のことかしら?」

 レナの退室後、夕呼は軽く自身のこめかみを擦ってから、武へそう問いかける。横浜基地にいた頃から武を知る彼女にとって、その訊きたいことなどお見通しなのだろう。
「あ……はい。純夏は……どうしてますか?」
「これといって異常はないわよ、今は自室で休んでいるわ。社もさっきまでは一緒にいたみたいだけど、流石にもう眠ったんじゃないかしら?」
「そうですか……」
 異常はないという言葉に武は一先ず胸を撫で下ろす。たとえ問題があっても、武にはどうすることも出来ない。だから、すべては夕呼に任せるしかないのである。

「…………まだ何か、訊きたいことがあるみたいね」

「ッ!?」
 夕呼のその言葉に、武の心音は跳ね上がる。彼女が鋭過ぎるのか、それとも武が分かり易いほど表情に出していたのか、あるいはその両方か。
 少なくとも、武には確かにもう1つ、純夏のこととは別件で訊ねたいことがあり、また夕呼も半ば確信を持っているような表情をしていた。だから武は、また小さく深呼吸し、ゆっくりと口を開く。

「朝霧……中将は、俺の母さん……なんですよね?」

 問いかけはまず、最も根本となる部分からだ。今の武はそのことに確信を持っているが、確証が少ない。結局、夕呼の言葉を鵜呑みにせざるを得ないのに変わりはないが、これは疑問を解消するための問いかけではなく、少しでも確証を増やすためのそれだ。

「生みの親……っていうのならそうでしょうね。ただし、この世界の“シロガネタケルの”だけれど」
「………どうして――――――――――――」

 どうして黙っていたのか。
 どうして母が斯衛軍にいるのか。
 どうして……自分は母のことを忘れていたのか。

 この件について訊きたいことは本当に山ほどあるのだが、それが上手く言葉にならない。どれから訊ねれば良いのか、定まらなかった。だから、その先の言葉が詰まる。
「あたしだって最初から知っていたわけじゃないわよ。疑問を持ったのは、あんたの方から「城内省のデータベースに自分の名前がある」って言い出した時。事実を知ったのはつい最近の話」
 そんな武の様子を見かねたのか、あるいは煮え切らない態度に痺れを切らしたのか、夕呼は鼻を鳴らして先に答える。その言葉には、武も驚かされる。香月夕呼ですら、「知らなかった」と言うのだから。

 尤も、夕呼にしては確かに、あの時の対応はあまりに緩慢過ぎていたように思える。幾ら特殊な機関のデータベースとはいえ、あると知っていてそれを放置しておくのはあまりに楽観的。
 武を御剣冥夜の所属する207B分隊に回し、横浜基地に月詠真那ら第19独立警備小隊が駐留しているという状況ならば、尚更である。
 いや、そもそも、対応が緩慢としていたのは月詠とて変わらない。武が分隊に配属されたのが10月22日なのに対し、直接、彼女が釘を刺しにきたのは総合戦闘技術評価演習が終わってからだ。
 彼女の性格を考えれば、もっと早く……少なくとも辻褄の合わない事実が発覚したというのなら即座に接触してこなければおかしい。それが、正味、半月。

 長過ぎる。

 まさか、斯衛軍の月詠すら、城内省のデータベースは盲点だったというのだろうか。

「でも確か……“俺”も含めて俺の家族は横浜侵攻の時に死んだんじゃ……」
「死んだわよ。間違いなく、ね」
「じゃあ、母さんは何で生きて――――――――――――」

「白銀。少し落ち着いて考えてみなさい。自分の親の名前、言える?」

 半ば無表情の夕呼の問いかけに、武は馬鹿にするなと内心、文句を並べる。どこの世界に自分の親の名前が言えない子供がいるのか、と。尤も、母親の名前は先ほど思い出したと言っても過言ではなく、いったいいつまで覚えていて、いつから忘れていたかなど分かる筈もない。

 何せ、改まって親の名前を考えることなど、今までしたことなどなかったから。

「…………白銀影行と……白銀叶です」
「別人よ」

 一蹴された。口にするのも懐かしい両親の名を、事も無げに一蹴されてしまった。だから武は「え………」と言葉を失う。
 誰が別人なのか、今の会話の流れで分からないほど武も馬鹿ではない。

「この世界のシロガネタケルの戸籍上の親は別人。あんたの住んでいた住所とは同じみたいだけど、住んでいた人間は白銀武を除いて、まったくの別人。同じなのは、白銀っていう苗字だけ」
「べつ……じん……?」
 放心する武に、淡々と事実を告げた夕呼は小さく息を吐く。呆れているのか、嘆いているのか、余裕のない武には判断が出来ない。
「名前っていうのはね、人間にとって重要な1つの個体情報だけど、同時に変わり易いラベルなのよ。婚姻関係や養子縁組なんかは、名前の変わる最も一般的な例」
 少し目を伏せながらも続ける夕呼。急に転換した話の内容に、武は愕然としながらも戸惑いを覚える。
「どういう……意味ですか?」
「………あんたの場合、無数の並行世界から集められたシロガネタケルの個体情報の集合体なわけだけど、それを定義付けているのは誰だか分かる?」
「純夏……ですよね」
「ええ」
 その問いかけに武が答えると、彼女はやはり淡々とした声調で頷き、肯定する。それに関しては随分前に事実として聞いている。この世界以前についての武の記憶が曖昧なのは、純夏の無意識領域によって“ループごとに濾し取られていた”という理由の他に、武自身が単一の存在ではなく、不特定多数のシロガネタケルの情報から構成された存在であるという理由がある。

 鑑純夏が失われた白銀武を求めた結果、複数の類似した世界から収集され、蓄積されたシロガネタケルという存在の情報集合体。それがこの白銀武だ。

「極端な話、定義付ける鑑にとって重要なのは、あんたがシロガネタケルであるということだけ。いえ、もう少し厳密に言えば、「自分にとって白銀武と認識出来る存在」且つ「自分を幼馴染みと認識してくれる存在」であるということね。それ以外の条件は単に付属情報に過ぎないわ」
「つまり……家族構成までは言及されていない?」
「家族構成は同じである方が齟齬も少ないでしょうけど、それが誰であるかなんていうのはきっとあまり関係ないわ。“あんたたちは鑑純夏の幼馴染みだった”。そして、この世界の白銀武も鑑純夏と幼馴染みだった。その親が誰であるかなんて、関係ない。無意識領域で定義付けたため、余計な部分はかなり削ぎ落とされている筈よ」

 言葉が出ない。
 この世界の白銀武は、武と同じ場所に住んでおり、その隣には幼馴染みの鑑純夏が同じように暮らしていた。だから、錯覚したのだ。
 自分の両親も、あの世界で共にあった両親も同じように暮らしていたのだと、当然のことのように捉えていた。
 実際は、この世界のあの家で暮らしていたのは白銀の姓を持つ別人であり、白銀武は恐らく、“その養子だった”。何故なら、武の母が叶……朝霧叶であることは覆しようがないのだから。

「何で……そんなことになったんですか?」

 次に武はそう訊ねる。自分が実の両親と離れて暮らすことになったのには、それなりの理由がある筈だ。寧ろ、なければ困る。

「………朝霧中将は23年前に1度、朝霧の家を出ていてね、まあ、理由は駆け落ちなんだけど」
「駆け落ち? その相手ってもしかして……」
「白銀影行。恐らく白銀武の父親で、初期の戦術機生産にも関わった、富嶽重工の技師よ。朝霧の家にその交際は強く反対されていて、2人は駆け落ち……1年後に、朝霧中将は生家に連れ戻されたわ」
 夕呼はそう言って再び目を伏せる。その表情を見て、武もそれ以上「どうして」と訊ねるのが憚られた。どうあっても、あまり綺麗な話は聞けそうになかったからだ。
 23年前。武の今の年齢を鑑みれば、その1年の間に朝霧叶は武を産んだのだろう。彼女にとって、親子3人で過ごせた期間はその1年しか許されなかったということだ。いや、実質は数ヶ月か。
「じゃあ……俺は父さんに引き取られたってことに?」
「2年ほどはね。当時はまだ撃震のライセンス生産が始まって間もなかったから、正規兵だけじゃなく、重工技師も整備の関係で大陸に回されていた。白銀影行は息子を親類に預け、20年前に大陸へ渡り………その1年後、BETAの襲撃に遭って亡くなったわ」

「ッ!?」

 武の心臓が再び激しく脈打つ。
 19年前、BETAが日本に到達するよりもずっと早くに、彼の父は亡くなっていた。夕呼はそう言っている。
 決定的じゃないか、と武は心の中で呟く。母と同じ名前を持つ女性が父と同姓同名の男性と恋仲となった。ならばきっと、もしその間に生まれた子供がいたとするなら、それが白銀武なのだろう。

 重要なのは“白銀武”というラベル。鑑純夏の幼馴染みである白銀武という名前だ。その生い立ちに歴然とした差異があることは、決してあり得ない話ではない。

 名前というラベル。あまりにも重要で、あまりにも脆弱なラベリング。鑑純夏にとってその差異が無関係であったため、武の存在に大きな影響はなかったが、こちらの世界とあちらの世界ではこの「白銀」の姓が持つ意味に若干の違いがある。
 それだけの話だ。


 もっと確かな例を彼の身近な人物から挙げよう。
 それは御剣冥夜。こちらとあちらでは、「御剣」の名が持つ意味合いはまるで真逆だ。だが、武自身は彼女を「御剣冥夜」としてラベリングし、記憶していたため、そこに何の疑問も持つことはなかった。
 いや、最初から若干の違和感は覚えていたかもしれないが。


「………白銀、あんた、それを訊いてくるってことは、両親のことを思い出したわけ?」
「はい……たぶん」
「きっかけは? あんたは恐らく、“忘れていた”筈よ」

 夕呼の言葉に武は内心、「どこまで知っているんだ、この人は」と悪態を吐く。それが途轍もなく頼もしいこともあるが、今回のように酷く腹立たしく感じることも、度々あった。

「名前を……「武」って最期に名前を呼ばれた時に………」
「そう……それで関連記憶が繋がったのね」
「それは俺が……統合された存在だから……ですよね」
「そうよ。複数の辻褄の合わない記憶情報を統合しているから、それを均すためにあんたの記憶は基本的に曖昧な輪郭部分しか残っていない。確かな記憶はこの世界での3年半のみ、でしょうね」
 夕呼の言葉に武は少しずつ落ち着き始めてきた思考で、「成程」と納得する。確かに、印象的な出来事を除き、武は実質、“以前の世界”でのことは曖昧にしか覚えていない。鑑純夏の無意識領域によって濾し取られた部分も多いだろうが、それでも漠然とし過ぎている。
「主に対人記憶に適用されるんだけど、人間の記憶―再生プロセスにネットワークモデルっていう基本的なモデルがあるわ。記憶している情報を引き出す際、ネットワークとして繋がった幾つかの情報を記憶検索の材料として、よりスムーズに、より正確な記憶想起を行うモデルね。あんたの場合は、この世界以前の記憶に関して、繋ぐことの出来ない情報が複数、存在していると考えられる」

 夕呼の言葉に武はむうと眉間に皺を寄せる。恐らく、心理学や認知学に関する話であるため、夕呼にとっても実際は専門外な筈だ。自称天才と言うだけあり、見識の幅が広い。
 記憶のネットワークモデル。関連付け記憶効果にも関係する、記憶から想起、再生の際に行われているとされる一説の1つ。基本的に無学な武でも耳にしたことはあり、何よりも分かり易く、納得し易い理論のモデルだ。
 確かに、この白銀武は多数のシロガネタケルから集められた記憶の集合体であるため、複数の“辻褄の合わない記憶情報”が混在している筈だ。特定の日時に行った行動も、複数のシロガネタケルの記憶があるのならば、当然、複数の行動記憶が存在する。
 例えば、この日のこの時間に武は海へいっていたという記憶と、同日同時刻に自宅で眠っていたという記憶は同時に存在することが出来ない。それでは矛盾が生じてしまうからだ。

 だから、このシロガネタケルのネットワークは至るところで切断されていた。

 日時をその行動に付随させることが出来なくなれば、少なくとも矛盾は解消される。あるいは、行動した人物が武自身であるという認識を排除すれば、同様に矛盾は解消される。
 複数の情報が合わさった結果、辻褄が合わなくなるのならば、辻褄が合うまでその付属情報を削ぎ落としてしまえば良い。その手段が、ネットワークの切断だ。

「記憶自体はなくなっているわけじゃないわ。それを関連付けることが出来ないだけ。だから、その繋がりを印象付けさせる何らかの出来事があれば、切れていたネットワークが繋がって、それがシロガネタケルの基礎記憶として定着する。あんたは自分が“そういう存在”だと自覚しているからまだマシだけど、そうでない場合、それ以外の記憶情報は辻褄を合わせないまま放置され、埋もれることになるわ。恐らく……2度と思い出されることはない」

 彼女のその説明もまた、納得出来る。武が自分のことを統合体だと理解しているならば、自分が辻褄の合わない記憶を持ち得ることも理解出来るだろう。そう認識するだけで、矛盾する記憶情報に対する混乱の度合いがまるで違う筈だ。
 言わば、シロガネタケルがこの世界に定着するための防衛機能に近い。

「両親についても、この世界の白銀武は特殊と言えば特殊な身の上だし、統合された複数のシロガネタケルの中にも、養子だったシロガネタケルはいたかもしれない。だからその記憶も均された」
 設置されたソファーに深く腰を下ろした夕呼は、ため息をつくようにそう告げる。手で武に「座れば?」と勧めるが、武の方はそんな気分になれない。
「「両親」という一般的で曖昧なカテゴリーに振り分けることで、厳密な記憶情報からあんたを遠ざける。子供は親のことを名前で呼んだりすることは少ないから、強引だけれど無いと言い切れる話じゃないわ」
「それが……名前を呼ばれることで関連付けがされたってことですか……?」

 馬鹿な、と一蹴したい。相手は違う存在とはいえ、あくまで武にとって母親であった人物だ。そんな記憶情報すらも均されるなんてことは否定したかった。
 だが同時に、「朝霧叶」を母と認識してから、まるで剥がれ落ちるように「白銀叶」の人物像が武の記憶から希薄になってきている。最初から、すべての世界で「朝霧叶」という人物像の彼女が母であったかのように、だ。
 これが矛盾点を削ぎ落とされた状態で起きる記憶の定着化。
 “そう思った”ら、“そうでない”情報は埋もれ、排除される。

「恐らくは、ね。朝霧中将の場合、あんたのいう「白銀叶」とはまったく別の人生を歩んできたわけだから、表面上は異なる部分も少なくない。白銀武に対して中将は負い目もあったでしょうから、接し方も同じではなかったでしょうね。だから――――――――――――――――」


 同じ声、同じように呼ばれることで、初めて記憶が関連付けられた。


 頭の中に響くようなその言葉。その事実が堪らなく悔しい。もっと早く、自分が気付けていられれば結果はもう少し違っていたかもしれない。少なくとも、逝く母に息子として何か言葉をかけられた筈だ。
 それすらも出来なかったことが、悔やまれる。

「あんただって、「この世界の両親はもう死んでいる」と思い込んでいたから、そこまで行かなければ関連付けが出来なかった。それまでは、「両親」=「死亡」という記憶関係が先行していたから、「朝霧叶」=「母親」という関連付けは出来なかった。その優位が逆転したのは、ついさっき」
「…………ッ!!」

 ついさっき。それはつまり、朝霧叶から武がその名を呼ばれた時のこと。様々な条件が重なり、武はそれまで、彼女を母親と関連付けることを阻まれていた。
 これほど自分の存在の特異性を嘆いたのは、訓練兵時代の恩師である教官を失って以来だ。自分が、こんな存在でなければ。
 そう考えてから、武は内心、必死にかぶりを振る。
 もし自分が正真正銘、この世界の白銀武だったならば、恐らく朝霧叶との血縁関係すら知ることなく、彼女を見送ることになっていただろう。それはこの武にとって確かに関係のない話かもしれないが、そんな結末は更に願い下げである。

「それで……あなた、どうするの?」

 不意に放たれた夕呼のその問いかけに、武はくっと唇を噛み締めた。まるで「また逃げるのか?」と言っているような言葉に、流石に武も憤る。
 どうもこうもない。衛士である自分には罪を贖う手段など1つしかないのだ。だから、武はまるで夕呼の向こうに親の仇でも見据えるようキッと双眸を鋭くし、己の決意と誓いを口にする。

「俺は最後まで戦います。逝った部下たちは優秀な衛士たちでした。母さんも、斯衛の誇り高い衛士でした。俺に出来ることなんて、戦い抜くことしかない……ッ!」

 拳を固め、武は激動する感情を抑えながら答える。生憎と、彼にはそれ以外の手段は何も思いつかない。何をしようにも、この世界ではBETAが弊害となる。故に、この戦争に打ち勝つことこそ、すべての一歩に繋がるのだ。
 武のその返答に、夕呼はふふんと口元を緩めて不敵に笑う。確かに、彼女に誘導された点も否めないが、武の本心であることは間違いない。

「そ……なら、これからもよろしく、白銀武」
「はい。よろしくお願いします、夕呼先生」

 握手は交わさないが、まるでこの世界で始めて出会った時のように、協力関係を継続するという旨をお互いに確認する。良いことばかりではないが、武とて自分の行動に夕呼の息がかかっていれば、何かと都合の良いことが多い。
 尤も、未だにその利害関係が一致しているのかどうかは甚だ疑問ではあるが。

「それじゃあ、最後に軍人らしい話でもしましょうか」

 ソファーに腰を下ろしている夕呼は、足を組みながら少しだけ冗談めいた口調でそう言葉を続ける。彼女のそういった発言には大抵、碌でもないものが含まれているが、今回はその表情がわずかに強張っているところが、更に不吉だ。

「何か分かったんですか?」
「鑑のリーディングでね。あんた今、網膜投影出来る?」

 指揮官としての冷静さを前面に押し出し始めた武に、夕呼は視線を逸らし、一転して面白くなさそうな表情になって答える。こういった機嫌の変遷も他人を戸惑わせるものなのだが、流石に夕呼もそこまでは計算していないだろう。
 夕呼の問いかけに武が「はい」と頷き返すと、すぐにその網膜に1つの画像が投影される。
 それはとある軌道衛星が捉えた画像。
「これは……?」
「ヴィンセント准将に頼んで入手した、戦闘終了直後のミンスク周辺の衛星画像よ。そして、それから3時間後の現在の画像が次」
 夕呼のその言葉と共に、今映っている画像と並列する形でまったく同じ画像が武の網膜へ投影。2つが違うのは撮られた日時が異なるだけだが、そこには既に明らかな差異の兆候が現れ始めていた。


 思わず、絶句する。


 地表に展開するBETAの数が増加しているのだ。


「今回の襲撃は欧州戦力の間引きが目的。敵戦力を削ぎ落とすってことは、それ自体が何らかの目的を達する手段でしょ? あんたなら、どう考える?」

 夕呼に問題を提起され、武は思わず顔をしかめる。これでも彼は一端の軍人だ。対BETA戦術を主とする衛士とはいえ、基礎知識として叩き込まれたのは対人戦術に関するものも少なくない。
 戦略的に見て、敵戦力を磨耗させるというのには必ずもう一段階、先の目的が存在する。人類の間引き作戦の場合は、BETAの侵攻とハイヴの増加を防ぐためのもので、大別的に見れば消極策だ。
 桜花作戦以降、複数のハイヴを制圧されたBETAが人類戦術を真似てそのような行動を取った可能性もあるが、イギリスに最も近いミンスクのハイヴに敵戦力が集められていることも考慮に入れれば、寧ろ、それよりも考えられる可能性が存在する。

 大規模攻勢に先立った、敵防衛戦力の磨耗。

 BETAがもし物量で勝っているということを理解しているのだとすれば、その戦略は決して理に適っていないものではない。

「―――――――――――まさかッ!? BETAはまだ………!?」

 それに気付いた武が声を上げ、夕呼の顔を見ると、彼女は露骨に表情を歪めて無言のまま頷く。皆まで言わなくとも、彼女は武の表情からどの結論に行き着いたのか察したのだろう。

「イギリスに対するBETAの攻撃は、これからが本番。鑑がリーディングした情報を鵜呑みにすれば、BETAは再び、欧州に襲撃を仕掛ける」

 その言葉に、武は思わず固めた拳を執務室の壁に叩き付ける。
 これがまだ前哨戦。残存していた衛士の部下を……信頼を寄せていた隊長格の部下2人を含めて半数も失い、母をも失ったこの戦いは、まだ前哨戦に過ぎなかった。
 しかも、今回が防衛戦力の削ぎ落としだというのなら、次に来るのは正真正銘の大規模侵攻だ。それに抗う術など、恐らくない。

「………いつなんですか……?」

 それが分かっているのかどうか、武は知らないが、訊ねずにはいられなかった。侵攻するために先だって防衛戦力を磨耗させるというのなら、再攻撃への周期は短くある必要がある。
 だから武は、呟くようにそう訊ねていたのだ。

 対する夕呼は、1度、天井を仰いでから同じよう、呟くように答える。


「BETAの再攻撃は1週間後の7月8日。予想される敵の規模は――――――――――」
 夕呼の言葉は1度、そこで途切れる。いや、実際にはほとんど間などなく、緊張感を払拭出来ない武がそれを長く感じてしまっただけかもしれないが、嫌な間が武と夕呼の間を支配していた。

 そして、一種の死刑宣告が香月夕呼の口から告げられる。












「―――――――――――――――――約20万」



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第75話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/16 10:45


  第75話


「20……まん……?」
 夕呼の言葉に武は愕然とする。今回、イギリスを襲ったBETAは船団級によって揚陸されたものを含めても8万を恐らく超えない。その2倍以上のBETAが、1週間後、このイギリスへ押し寄せてくる。
 推定数20万。小型種まで換算すれば、約400万。

 死刑宣告以外の何ものでもない。

「もしそれでイギリスが陥落すれば、BETAはその戦術が有効なものと判断し、同じ方法を取って前線を押し上げ始めるでしょうね。同時あるいは順番に、日本、アラスカ、東南アジア、アフリカ、そしてグレートブリテン島を介して北アメリカの東岸に侵攻を開始する」
「くッ……!」

 20万のBETAを押し留める策など存在しない。世界中がその規模の侵攻に曝されれば、桜花作戦以降、緩やかに前進していた前線は再び、急激に後退を開始するだろう。
 1年後、アフリカ南部、オーストラリア、南アメリカ南部に人類が辛うじて生き残っているかどうか。それを危惧しなければならないほどの事態だ。

「唯一の救いは……そうね、まだ実際、BETAは自分たちが圧倒的に物量で勝っていることを理解していないことかしら」
「理解していない……? そうなんですか!?」
「向こうだって桜花作戦以降、対人戦術に試行錯誤していたようよ。基本的には人類が使う対BETA戦術の真似事だけれど」
「対BETA戦術の……真似事?」
 武が疑問を呟くと、夕呼は「ええ」とはっきり頷く。そこまで確信を持っているのなら、恐らくそれも純夏のリーディングによって入手された情報によるものなのだろう。

「北九州の時は改めて陽動と奇襲の有用性を検証。ただ、その時はあまり効果が挙がらなかったから、BETAはしばらく守りに入る。1年後、H20とH19の制圧によって、BETAは対人戦術の研究を進めた。その結果造られたのが――――――」
「あの新型……ですか」
「そういうこと。ま、あれも結局は人類が対BETA兵器として戦術機を開発したことに端を発した、ただの真似事。元々、圧倒的物量で勝るBETAには、あんな量産に時間のかかるような割に合わない新型を造る必要はない。BETAが勝手に遠回りしてくれたのは、人類にとってまたとない救いよ」

 夕呼は強気に笑ってそう答えるが、武の見る限り、流石に目は笑っていない。確かに、BETAが新型の開発に心血を注ぎ、守りに入っていたことで桜花作戦以降、3年もの凪の期間が訪れたのだとすれば、それは一種の救いだ。
 量産体制がどれほど整っているのかは知らないが、今回の戦闘でも結局、武が確認出来た新型の数はわずか10体。単独あるいは小規模で相手にするとなると厄介な相手だが、物量と物量がぶつかる大規模戦闘では、やはり半端な存在であることは否めない。

「でも、結局、それを投入したH11とH26も共に制圧され、BETAは最前線全体に間引き作戦を決行する。それが先月頭の話」

 先月頭。武たちがマレー半島で遭遇したBETAの迎撃戦だ。確かに、あの時のBETAが仕掛けた攻撃の基準は、今回のイギリス防衛戦に似ている部分がある。あれも敵戦力を磨耗させることが目的だったのだろう。
 ただし、今回と違うのはそれが戦略的には守るための消極策だったということだ。つまり、あれこそが人類が使う間引き作戦の真似事そのもの。

「そして今回、BETAは目標を弱体化させた上での侵攻を計画し、その第1段階へ移行した。次の攻撃への周期は早くなっているし、規模も徐々に大きくなってきているから、万が一にも次の攻勢を凌いでも、もっと酷い手段を使われる可能性も高いわ」
「………20万なんて……凌ぎ切れないですよ」

 夕呼の言葉に、武は悪態にも似た返答を述べる。泣き言などでは決してない。彼の言う通り、絶対に不可能なのだ。
 今回の総計7万を超える侵攻とて、敵が前衛の戦術機を虱潰しにしようとしていたからこそ、凌ぎ切れたようなものである。もし、今までの侵攻のように突撃戦術で突破を試みられていたとすれば、敗走は必至だった。
 しかし、次に来るのはまさにその集団突撃戦術でイギリスの中心部を目指して進撃する大規模集団。防衛など出来るものか。出来るとすれば、今ある戦力を全滅させる覚悟で1時間にも満たない程度の時間を稼ぐことくらいである。

「凌ぎ切れないわ。守りに入れば、イギリスは陥落する」

 そして武のその言葉を何一つ揶揄することなく、香月夕呼も断言した。このまま、1週間以内にどんな準備を整え、BETAの迎撃に入ろうとも、20万の侵攻の前では無力に等しい。
 それは、誰の目から見ても明らかなこと。

「白銀、第1、2、3中隊以外のヴァルキリーズを預けるわ。あたしはこれから1度、日本へ戻る」
「……何のために……ですか?」

 日本へ戻るという彼女の発言で、武の脳裏に一瞬、嫌なものが過ぎる。だが、彼はすぐに自らそれを否定し、夕呼に対して「何のために?」という質問を投げかけた。
「イギリスが陥落すれば、そのままBETAはハイヴを増設しながらアフリカとアメリカへ分かれて侵攻を続ける筈。大規模攻勢を繰り返されるようになればもう終わりよ」
「そう……ですね」



「守りに入れば確実に負ける。なら、人類にはもう攻めることしか残されていない。そう思わない? 白銀」



 夕呼のその言葉で、苦悶の表情を浮かべて俯いていた武も、ようやく気付く。彼女が、この1週間の間に何を成そうとしているのか、を。だから、苦悶の表情を驚愕のそれに変え、見開いた双眸で武は彼女を見返した。
 その想像を決定付けるように、夕呼も無言で頷き返す。

「グリニッジ標準時間で日付が変わると同時に、凍結されていたオルタネイティヴ第4計画が再始動する手筈で動いているわ。たった1週間の凍結解除、だけれどね」
「凍結解除……!」

 曲がりなりにも第4計画の凍結が解除されれば、香月夕呼が握る実権は名実共に世界最高峰になり得る。少なくとも、所属である国連軍にとっては多大な影響を及ぼすほどの変化だ。

 国連全軍。彼女は本気で、それを引っ張り出そうとしている。それを可能とするだけの権力を、再び必要としている。その1つの手段にして最大の手段が、オルタネイティヴ第4計画の再始動。

 では、国連全軍の戦力が何に必要なのか。無論、イギリス防衛の直接的な手段ではない。たとえ、国連軍のほとんどの戦力をそれに回そうとも、殺到する20万のBETAを押し留めるのは不可能に近い。
 連中の物量に任せた突撃戦術はそれほどまでに理に適っており、厄介な戦術なのだ。
 守りに入れば敗北は必至。香月夕呼も先ほどそう言っていた。そして、続けて彼女の言った言葉が、すべてを物語っている。


「本気で……ミンスクへ侵攻するんですか……!?」


 未だ、それを信じ切れずにいる武はそう訊ねる。武がこれまでの夕呼の言から至った結論はそれだった。それに対して、夕呼もまた否定することなく、再び無言で頷いた。
 20万の規模で侵攻するBETAからイギリスを守り切れないなら、イギリスが陥落すればそれが人類の滅亡に直結し得るのなら、それよりも早く攻めるしかない。
 1週間以内に、侵攻戦力の集結しているミンスクハイヴを制圧するしか、道はない。

「無茶ですよッ! そんな短期間で必要戦力が集まるかも分からないし、たとえミンスクを制圧出来ても、事態がほんの少しだけ先送りになるだけじゃないですか!」
 夕呼の決断も理解出来るが、残された時間があまりにも少な過ぎる。しかも、まだ地球上にハイヴは20近く存在するのだ。ミンスクを1つ、落としたところで数ヶ月以内に同じ危機に直面することは見えている。
 ミンスクへの進軍はリスクの割にメリットが少ない。

「ミンスクにいるわ」

 だが、ソファーから立ち上がった夕呼はその反論をも封殺し、尚且つ、ミンスクへの進軍を彼女に決断させたもう1つの理由を口にした。尤も、今の一言だけでは武にも何のことを言っているのか、すぐには理解出来なかったが。

「いるって……何がですか?」
「あ号標的のバックアップが、よ。陣頭指揮でも執っているつもりか知らないけど、周辺のハイヴから20万ものBETAが集結しているミンスクの最深部に、人類が真っ先に排除しなきゃならない敵が踏ん反り返っている。鑑は……そこまでリーディングしてくれたわ」

 くっと苦々しく口元を歪めながらも、愉快そうに夕呼は告げる。そこまで言われて、武はようやく分かった。
 これは言わば、桜花作戦の焼き直し。あとのない人類が、それを打開するために全力をもってして1つのハイヴへ進軍を敢行する。そのために残された時間は、あと1週間。
 いや、1週間後の7月8日にBETAがイギリスへ到達するというのなら、ミンスクからの侵攻は前日の7月7日には始まっていると考えるのが当然。ならば、人類の奇襲先攻は更にその前日の7月6日がリミットになるだろう。
 たった5日。更に言えば実質は4日以内に、周辺に20万もの増加戦力の揃ったミンスクを攻略出来るだけの戦力を用意しなければならない。無論、欧州と極東の国連軍のみでどうにかなる規模ではない。

「これから4日間が、あたしたち権力者の仕事。そして5日目が、あなたたち兵士の仕事。手は尽くすわ。国連軍だけじゃない。世界中から戦力を掻き集めてみせる」
「可能……なんですか? たった4日間ですよ……!?」

 いくら権力があろうとも、短期間で出来ることは限られる。他のハイヴの動きにも注意を払わなければならない以上、たとえ夕呼の要請を受け入れたとしても各方面とて割ける戦力に限界はある筈だ。
 だから武の心配など、誰だって抱く極普通の疑問である。

「この20万の侵攻が目的を成せば、恐らくBETAは結果として自分たちが圧倒的に物量で勝ることを理解してしまう。そうなれば、崩壊は早い」

 夕呼の双眸は武の瞳を射抜く。たとえそれがただの憶測だとしても、武の知識と経験から鑑みる限り、信憑性は高いと言える。
 桜花作戦以前と以後のBETAの侵攻には根本的に異なった目的意識が存在しているのは明らかだ。桜花作戦以前に人類の間引き作戦が高い効果を挙げていたのは、BETAの侵攻がハイヴ増設のためであることを雄弁に物語っている。
 相対し、北九州での侵攻、世界全域での一斉侵攻、そして今回のイギリス侵攻は、直前に間引き作戦あるいはそれに匹敵する作戦が行われているにも関わらず発生した。
 もしBETAのハイヴ増設基準が変化していないのだとすれば、これらの侵攻は当然、ハイヴ増設を一切目的としていない。今回の場合で言えば、人類の防衛戦力の削ぎ落としだ。

 「間引きによるBETA侵攻の防止」という方策は、この段階で既に完全に行き詰っている。それに無関係でBETAの侵攻が発生するのならば、侵攻速度、そしてその支配範囲の拡大は、大戦初期から中期のそれに匹敵するか、それをも上回ろう。

 そうなった人類が最終的に決行するのは、後退に後退を重ねた焦土作戦。戦術核の使用、そして……G弾神話の復活。
 尤も、武自身が体験した1つの“終末”と大戦史を考えれば、それとて所詮は人類絶滅まで数年ほどの時間を稼ぐ効果しか発揮しないだろうが。

「こっちで出来ることは今日中に手を尽くすわ。明日には速瀬たちを連れて日本に戻る。社と鑑の2人も連れていかせてもらうわよ」
「純夏の体調の問題ですか?」
 咄嗟に武はそう訊ねる。彼女に万が一のことがあった場合、対応出来るのは夕呼だけだ。純夏の傍にいられないのは武も心配が募ることだが、安全を考えれば今はそうするしかない。
「いえ、凄乃皇も投入するから、その都合よ」
 あっさり、夕呼はそう言ってのけた。一瞬、「なっ……」と声を上げかけた武だったが、よく考えれば確かに横浜基地にはまだ、実戦投入のされていない凄乃皇が残っている筈であるという結論に行き着く。
「凄乃皇まで………」
「G弾や核を除けば、凄乃皇の荷電粒子砲は間違いなく最大の制圧力を誇るわ。地表の20万を薙ぎ払うのに、おあつらえ向きね」
 また夕呼は強気に笑う。もとい、寧ろは強がりの笑いか。若輩の武に実は相当参っていることを悟らせないように強がっているのだろう。

 荷電粒子砲。現在横浜に残る凄乃皇弐型がその胸部に持つ最強にして唯一の武装。その威力を、武も2度ほど目の当たりにしている。
 佐渡島での戦闘では圧巻の一言だった。小型種まで含めた実数とはいえ、数万という規模で迫る地表のBETA群を殲滅するだけでは飽き足らず、その主砲はハイヴのあの頑強な地表構造物を粉砕したのである。
 それをもってすれば、確かにミンスクの敵戦力に対抗することが出来るかもしれない。

 しかし、武は同時に分かった。
 凄乃皇では、直接、ミンスクの反応炉、そしてそこにいるであろう新たな上位存在を破壊することが出来ない。
 凄乃皇の荷電粒子砲は胸部に内蔵された兵装であるため、常に砲撃方向が機体正面になるという縛りが存在する。それも、多少なり修正は利くだろうが砲撃の角度もほぼ水平方向だ。
 これによって反応炉を破壊するには、反応炉の存在する地下2000mの深さまで凄乃皇が潜り、それを機体正面へ捉えることが絶対必要。
 絶対必要なのだが、凄乃皇という兵器の巨体では、フェイズ5ハイヴであるH4「ミンスクハイヴ」の坑内を行軍するに当たってどうにもならない障害があった。

 進軍経路が、著しく限定されるのである。

 フェイズ6の規模まで成長しているならばいざしらず、フェイズ5ハイヴの規模となると生半可な横坑では凄乃皇が通れない。踏破可能なルートを挙げれば、恐らくそれは数えるほどしか存在しない筈だ。
 それは、1度入れば2度とは戻ることの出来ない穴倉。阻む敵の規模が大きいからといって容易にルートを変更することなど出来なく、そうするためには最悪、振出にまで戻る必要性すら決して可能性として低くない。
 その時、もし敵に挟撃されていたとすれば武とてお手上げだ。近接戦闘武装のついた凄乃皇四型ならまだしも、機体正面を薙ぎ払うことしか出来ない凄乃皇弐型では後方から迫る敵に対して守りに徹する他なくなる。

 発生するラザフォード場を盾としても、長時間接触を許せばそれを操る純夏に大きな負荷がかかり、やがてはODLの異常劣化でその機能が停止。凄乃皇はただの鉄の塊に成り下がるだろう。


 つまり、凄乃皇はミンスクハイヴに突入出来ない。
 突入したところで、十中八九、ただの鉄の塊か、あるいは通常のG弾20発分の威力を持った“爆弾”にしかならなくなる。
 そして、最初からそれを前提とする作戦など、彼らには許されない。


「………白銀、あんたも今日はもう休みなさい。今はそうした方がいいわ」
「…………はい」


 長い沈黙の後、夕呼が時計で時間を確認しながら武にもう眠るよう、勧める。彼女がそのようにはっきりとした気遣いを見せることは実に珍しい。何か理由があるのか、あるいは武の顔色がそこまで酷いのか、生憎と武自身には確認する術がない。
 だが、幾ばくか冷静になってきた武に、今度は明らかな疲労の波が襲いかかってきていた。休んだ方が良いと勧めてくれるのならば、それを受け入れるのも吝かではない。

「それじゃあ……失礼しました、夕呼先生」
「ええ、今日くらいは、ゆっくり休みなさい」

 退室しようと背を向ける武に、夕呼からもう1度、気遣いの声がかかる。どうやら、参ってしまっているのは武だけでなく夕呼も同じなようだ。武に気遣いをかけてしまうほど、彼女も心境として同等の状況に追い込まれているのだろう。



 時計の針が午前零時を指したのは、武が執務室を出てゆくその瞬間だった。










 第2師団本部の宿舎に用意された、自分の部屋の前で1度、その足を止めた武はくっと表情を歪めて俯く。もうほとんどの人間が休んだのか、あるいは無人なのか、見通す限り、そこに他の人間の気配はない。

 だからこそ、武はそんな表情になってしまったのだが。

「………ごめん、母さん」

 俯いたまま、ぽつりとそう呟く。私的な呟きだ。軍人として、衛士として、指揮官として、戦況を覆すために挺身した同胞、戦況を覆されないようにするために挺身した同胞、逝ったその彼らに謝罪することは許されない。
 だから、白銀武が漏らしたのは極めて個人的な呟きである。

 何も出来なかった。
 そんな無力感を覚えたことは今回が初めてではないし、決して珍しいことでもない。共に戦った戦友が逝く度に、武は多かれ少なかれその感覚を感じている。ただ、表面に出さないだけで。
 どうしようもなかったとは考えたくない。それは歩みを止めることになる。状況にすべての原因を探しては、たとえそれが見つかっても次に同じことが起きれば自分はまた繰り返すと分かっているから。

 ただ、何かが出来た筈だった。

 たとえその命を救うことが出来なくとも、母には、息子として何かが出来た筈だった。それすらも、武には許されなかった。

 視界が滲みかけたので、武は俯いたまま目元を手で拭う。泣くなと自分に言い聞かせながら、零れかけた涙を強引に引っ込める。こんな姿を誰かに目撃されては、連隊長として立つ瀬がない。
 だから、武は自室のドアノブを回し、扉を開け放った。

 そこで、武は思わず驚きで目を見開く。
 当然、無人だと思っていた室内で、他に何をするでもなくベッドに腰掛けている純夏がいた。まるで、武が来るのを待っていたようだ。いや、恐らくその通りなのだろう。

「タケルちゃん、おかえり」
「………おう」

 部屋のドアが開けられたことで、純夏はベッドの縁から腰を上げ、微笑みながら「おかえり」と武に声をかけてくる。武は室内に足を踏み入れ、ドアを閉めながらそれに応じた。
「身体……もう大丈夫なのか?」
「うん、いつも通りだよ」
 互いに歩み寄りながら、そう言葉を交わし合う。一時は意識喪失までいったのだから、武の心配は当然のことだった。だが、強がっている様子もない純夏の返答に武は胸を撫で下ろす。

 まだ、一番守りたいものは失っていない。

「そっか……。でも、お前ももう休んだ方がいいだろ? 実戦に出たのも初めてみたい――――――――――――」
 初めてみたいなもの。武はそう言おうとしたが、それよりも早く純夏の行動で止められてしまった。ふわりと背中に手を回され、彼女に抱き寄せられたのだ。いや、体格は武の方が大きいのだから、抱きつかれた、という方が正しい表現なのかもしれないが。
「すみ……か?」

「泣いても……いいんだよ? タケルちゃんが全部我慢する必要なんて、ないんだよ?」

 泣いてもいいと、武をそう諭す純夏の声も、まるで嗚咽を漏らすように震えていた。その言葉で、再び武の目から涙が溢れ始める。
 温かい。こんな世界でこんな境遇にありながらも、当たり前のことを、当たり前のように心配し、当たり前のように言葉をかけてくれる彼女がとても温かかった。
 戦場で泣くことは許されない。指揮官として泣くことは許されない。だけど、白銀武個人として泣くことは決して禁じられてはいない。
 ただ、その機会が他人よりもずっと少ないだけの話だ。

 ならば、今はどうなのだろう。

 1人ではない。ここには武以外の人間がいる。だけど、その人物は武が世界で唯一と言っても良い、「軍人として向き合いたくない相手」だ。軍人として向き合わないのならば、今、純夏の目の前にいるのはただの白銀武。


 ただの白銀武が、心を許した相手の前ですら涙を我慢する道理はない。


「………ごめん……純夏……少し、泣かせてくれ」
 くしゃっと表情を歪めた武はそう呟き、純夏の肩に顔を埋める。嗚咽を漏らすと同時に、背中に回されていた純夏の左手がその頭をそっと撫でた。
 言葉にならない嗚咽が続く。純夏はただ黙ったまま、それを受け入れていてくれた。



「また……助けられなかったよ……。大切なものに気付けなかった……何も……何も出来なかった」

 その体勢で嘆くこと数分、少しだけ顔を持ち上げた武は震える声で後悔の言葉を紡ぐ。
 救えなかったものは決して少なくない。救いたかったものは決して少なくない。気付けなかったことはあまりにも多い。気付いていればと後悔したことは、あまりにも、多い。
 どんなに評価されようと、どんなに成長しようと、どんなに経験を重ねようと、後悔しなくなることなどない。だが、この戦いで武は、また1つ、途轍もなく大きなものを失った。
 指揮官として賢明だったかもしれない。
 衛士として正しい判断を下したかもしれない。
 それでも、同じ戦場に……すぐ傍にいながら、ただ1人の息子としてかけられた筈の言葉すらかけられなかった。今生の別れすら、告げることが出来なかった。

「私は……朝霧中将のことはよく知らないし、私の知ってるタケルちゃんのお母さんは別の人だけど………」
「………うん」
 そうだろう、と武は小さく頷く。この世界の白銀武が実の親のことを何も知らずに逝ったというなら、純夏だってその事実は知る筈もない。知る筈もなかっただろう。

「でもね……朝霧中将はいつも、タケルちゃんのこと想ってたよ? 元気かなって、いつも心配していたよ……?」
「………っ!」
 言葉が詰まる。そこまで、彼女が自分のことを考えていてくれたのだとすれば、何も出来なかったことが余計に悔やまれる。常に母であろうとしてくれた相手に、自分は常に他人としてしか触れることが出来なかった、と。

「ありがとうって……そう言ってた」

 続くその言葉は、まるで朝霧叶の最期の言葉を彷彿とさせるものだった。だから、武は驚く。何故、純夏がそれを知っているのだろうか。いったい、何に対しての「ありがとう」なのだろうか。
 そう思った瞬間、武の意識に別のものが流れ込んでくる。


 生きていてくれて、ありがとう。
 立派に育ってくれて、ありがとう。
 そこにいてくれて、ありがとう。


 感謝の言葉が、頭の中を駆け巡る。純夏がいったい何をしたのか、その言葉がいったい誰のものなのか、この状況では語るに及ばない。だから、それは武の心を打つ。

「何も出来なかったなんてこと、ないよ。タケルちゃんが何も出来なかったなんて……そんなことない。そんなに思い悩むことなんて……ないよ」
「何も……出来なかったよ。俺が……認められないんだ」
 それでも、諭す純夏の言葉を、武は小さく否定する。朝霧叶は武に感謝していたかもしれない。彼女は武が何もしてくれなかったなどとは思っていないかもしれない。
 それは確かに、武にとって1つの救いになり得る。
 だが、決して完全ではない。武を許せないのは、他ならない武自身である。

「じゃあ……タケルちゃんはもう……何も……出来ないの?」
「っ……!?」
「何も出来なかったかもしれないよ? だけど……何も出来なくなったわけじゃないよ……! それでもタケルちゃんが自分を許せなくても……私は許せるよ? 私はずっと一緒にいるから……だから――――――――」
 同じように声を震わせる純夏を武は思わず抱き締める。それは、彼女だけは失うまいという意思表示。その手から零してしまったものの分も含めて、力一杯、彼女の身体を抱き締めた。

 どうして彼女は、こんなにも率直な言葉を投げかけてくるのだろう。

 純夏の背中に回した腕に力を込める武は、そう思う。
 兵士として逝った輩に何かが出来るのだとすれば、子として逝った母に出来ることもきっとある。戦うことだけではない。勝つことだけではない。生き残ることだけでは、ない。
 武だって、“もう1度”この世界で戦おうと考えたのは、自分の存在が引き起こした悲劇を、それによって失われたものを、1つでも多く何らかの形で取り戻したいと願ったからだ。

 無論、失われた命は2度と返ることは叶わないし、それに代わる何かを見つけることなど、恐らくは出来ないだろう。2度とは返らない、かけがえのないものだからこそ、それを失った衝撃は大きいのだから。
 取り戻したいと願うのは、何よりも、自分自身を許したいと願ってしまうからだ。生涯をかけて許されるかどうかも分からないのに、それでも自身を許したいと願ってしまう。

 そんなことは誰にも言えない。それがただのエゴだということも、充分過ぎるほどに理解している。

 だからこそ、白銀武は許されたかったのだ。
 他の誰かに慰められたかったわけではなく、他の誰かに、はっきりと許してもらいたかったのだ。

 純夏を抱き締める武は顔を上げた。
 これで終わるものか、と自身を奮い立たせる。この1週間のうちに、人類は桜花作戦以降に訪れる最初で最後の転機を迎えることとなるだろう。それが良い方向であれ、悪い方向であれ、何らかの大きな変化が起こるのは間違いない。
 武が母に顔向け出来るようになるのは、それを乗り越えてからである。

 ここにある。白銀武がその心を頑なに偽る必要のない場所は、すぐ目の前にある。それがある限り、武はまだ戦える。
 武はついさっきにも決意した筈だ。何を成すにも、BETAは必ず障害となり得る。この1週間を乗り越えてから、この贖いは本当の意味で始まるのだろう、と。

 気がつけば、嗚咽を漏らしていたのは武ではなく純夏に変わっていた。そのことに、武は思わず苦笑してしまう。「何でお前が泣くんだよ」と思う反面、「純夏だから仕方ないな」と納得している自分がいて、武は可笑しくなって笑った。

 さて、と武は考える。
 この後、どうやって彼女をなだめようか、そのことについて悩まされていた。
 何せ、白銀武は鑑純夏が泣いていることが、堪らなく嫌なのだから。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第76話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/20 19:04


  第76話


 たった1つ立てられた墓標の前で白銀武はただ、黙祷を続けていた。
 イギリス プレストン駐屯地敷地内の一角には、第27機甲連隊の戦死者を弔う慰霊碑が存在する。先刻までその前で第27機甲連隊総員によって、今回のイギリス防衛で逝った仲間の死を悼む隊葬が執り行われていたが、今はもう閑散としている。

 武がすぐに仕事へ戻るよう、命じたからだ。

「……この戦いが終わるまで、こき使ってやろうと思ったんだけどな。まあ、一足先にゆっくりしていてくれ。お前たちの挺身は……絶対に無駄にしない」
 目を開き、真っ直ぐに慰霊碑を見つめた武は苦笑してそう呟いた後、頬を引き締める。これまでの戦闘でも何人もの部下が死んでいったが、中隊長を任せていた2人が逝ったのは第27機甲連隊創設から初めてのことだ。
 それだけ、彼らは優秀だった。
 そしてそれだけ、今回の戦いは厳しいものだった。

 だが、このまま何もせずにいれば6日後、イギリスはそれすらも凌駕する敵の侵攻に曝される。それはもう戦闘ですらない。BETAによる一方的な蹂躙、一方的な虐殺だ。
 そうなれば、これまでの戦いで逝った戦友の犠牲は何もかもが無駄になる。その結末だけは絶対に許されない。

 来る7月6日。その日へ向けた誓いを武が心中で掲げたその時、後ろで土を踏み締める音が鳴った。それに、武は誰だろうかと首を傾げる。
 第27機甲連隊の部下たちには仕事を厳命した。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の彼女たちもまだ恐らく、自身の隊の戦死者を弔っている頃だろう。
 多くの同胞が逝ったこの戦いにおいて、言い方は悪いが、わざわざ第27機甲連隊の慰霊碑まで足を運ぶ知り合いに心当たりはない。首を捻りながら武が振り返ると、そこには実に思いがけない人物が立っていた。

 国連軍のものですらない軍服に身を包んだ男と女の2人組。共に硬い表情をしたジョージ・ゴウダとリン・ナナセの2人だ。

「勝手ながら、失礼致します、白銀中佐。シャルティーニ少佐から御許可をいただいておりますので、どうか、我々にも追悼させてください」
 無言で敬礼するジョージに対し、その隣のリンは両手で花束を抱えているので敬礼はせず、深々と武に対して一礼する。何故、2人が、と思いながらも武は黙ったまま、脇に避けて道を開けた。
 「ありがとうございます」と感謝の言葉を返すリンは、武の脇を抜け、慰霊碑の前にその花束を捧げた。ジョージはリンの後ろに立ち、そのまま両目を瞑って黙祷する。
 戦友の死を悼んでもらえるというのは、ありがたいことだ。しかし、やはり彼らがわざわざここまで足を運ぶことには違和感を覚える。

「272戦術機甲中隊(ストライカーズ)が自決したのはこの付近だ」

 武が2人の背中を見守っていると、不意に口を開いてそう言ったジョージがゆっくりと振り返った。その言葉に武は驚き、それからすぐに「そういうことか」と納得して、黙ったまま頷く。
 武が知る限り、彼ら2人と自分の部下たちには接点がない。あったとすれば、式典の最中か、あるいは戦闘の最中だと考えられる。どうやら彼らが最初に回されたのは東部戦線だったようなので、その可能性は決して否定出来ない。

 いや、ジョージが口にした言葉が断定の形だったことを考えれば、きっと彼らのレッドブラスターズも“ここ”にいたのだろう。
 それならば、追悼したいという2人の気持ちは分からなくもない。尤も、衛士としては奇特なことに変わりはないが。

「あいつらは………何か言っていたか?」
「……国を頼まれた」
「…………ああ、アメリカか」

 武が問いかければ、空を仰いだジョージがそう答える。その返答に、ディラン・アルテミシアの出身もアメリカ合衆国だったな、と武は小さく相槌を打った。
「………ミンスクへ侵攻するそうだな」
「どこから聞いた?」
 続くジョージの言葉に武はその双眸を鋭くし、睨み付けるように問い詰める。武すらそれは昨夜、香月夕呼の口から直接聞いたばかりだというのに、彼が既に知っているのは解せない。
「元々、俺たちの帰属する師団はG弾反対派軍人の隠れ蓑だ。直結こそしていないが、香月博士とは水面下で繋がっている」
「どこまで信用出来るか分かったもんじゃねーな」
「否定はせん。だが今のところ、俺たちは貴官らと意見を対立させるつもりはない」
 ふんと鼻を鳴らして武が返す批難の言葉もジョージは甘んじて享受しつつ、はっきりと「敵ではない」と告げる。冗談じゃないと武は内心、悪態もついた。この状況で、同じ人類に敵がいるなど、反吐が出る。

 しかしながら、実際に思想を違える者は存在する。
 そして今回の出来事は危機的状況ながらも、その“違った思想を持つ者”たちにとって絶好の機会なのだ。
 多数のBETAがひしめくミンスクハイヴ周辺への侵攻作戦。BETAの支配域とあって、G弾推進派にとってはこれ以上ないほどの実験場だろう。さしもの連中とて、戦場が自国の領内に入ってはG弾の使用など避けたい筈だ。

「祖国の誇りは穢させません。それと、アルテミシア……中佐たちの誇りにも傷はつけません」

 静かに黙祷を捧げていたリンも振り返り、真剣な面持ちでそう告げる。アメリカ人として、G弾は許さない。アメリカ人として、今回の戦いで逝った仲間の死を無駄にしたくない。
 彼女は、そう言っている。

「これから俺たちは本国へ帰投する。次に会うのは……4日後だ」
「会えるのか?」
「信じろとは言わん。だが、俺たちはそのつもりだ」
 武の問い返しに、今度はジョージがふんと鼻を鳴らす。
 4日後。即ち7月6日に武がいるのはこのイギリスの大地ではなく、ミンスクだ。ジョージは、本気で4日後、ミンスクへ進軍すると言っているのである。
「師団本部はもう動き始めています。アメリカ合衆国軍全体が何らかの動きを見せるまで、6時間もないでしょう」
「迅速……いや、当然か」
 リンの言葉に武は失笑気味に呟く。思惑はどうあれ、4日以内に可能な限りの戦力を掻き集めると香月夕呼は言った。いちいち新たに画策している暇などありはしない。
 交渉の時間も考慮に入れれば、恐らくミンスクハイヴの現状とイギリスが直面した危機を知らされていない勢力はもうほとんどないのだろう。

 ミンスクの衛星画像はどこの勢力だって容易に手に入る。ミンスクのBETAに明らかな動きがある以上、手を打たないわけにはいかない。
 何せ、世界中のどこであろうと、戦線に穴を開けられればそこから急速に決壊してゆくということは明らかなのだから。

 特にイギリスの場合、陥落すれば欧州圏はBETAによって完全制圧される。アラスカの防衛で自国を守るアメリカや、エジプトを固めることで未だBETAの侵攻を許していないアフリカ大陸にとってそれは、あまりにも痛手だろう。

「それでは、厚顔ながら失礼した」
「第27機甲連隊の方々にも、よろしくお伝えください」
「ああ、帰る前に寄ってもらって、ありがとう」

 慰霊碑の前から下がり、ジョージとリンは並んで敬礼。武も2人に対して改めて敬礼を返し、わざわざここまで足を運んでもらったことに感謝の意を示す。
 お互い、時間は限られている。残されているのは最早、4日後、成せることを、成すべきことを成すことのみだ。それだけで、恐らく人類の未来が決まる。

 一陣の風が3人の間を吹き抜ける。
 戦友の魂は、今の風に乗っていったのだろうかと、武は青空を仰ぎながらそう思った。










 時刻は正午を過ぎ、プレストンの駐屯地にはわずかな休憩時間が訪れる。
 その敷地の一角で、リィル・ヴァンホーテンは如雨露で花壇に水を撒いていた。ただ黙したまま、撒いた種が芽を出した花壇に彼女は水をやる。

 それをすぐ近くで見守るエレーヌ・ノーデンスもまた、無言。

 つい昨日まで、この花壇で如雨露を片手に植物の世話をしていたのは彼女だけではなかった。もう1人、寡黙で無愛想だが、真面目でひたむきな少年がいたのだ。
 ユウイチ・クロサキ。エレーヌにとって階級も年齢も下だった戦友の少年は、たった1日でエレーヌを飛び越えていってしまった。命という対価を支払うことで。
 エレーヌは空を見上げ、追憶する。
 この第27機甲連隊に配属されてからまだ半年も経っていない。その間に、達成困難な任務も乗り越えてきたが、同時に何人もの同僚と死に別れることになってしまった。
 ディラン・アルテミシアとユウイチ・クロサキの2人は、エレーヌが今まで付き合ってきた同僚の中でも一際、優秀な衛士だった。白銀武という鬼才の下にあったとはいえ、共にフェイズ5ハイヴに突入し、生還した仲間である。

 そんな彼らすら、この戦いで逝った。率いる中隊の部下諸共、戦線を突破したBETA群を殲滅するために、その命を礎にした。

「たった1日で、随分静かになっちゃったね」

 そう呟き、エレーヌは小さく苦笑する。戦闘後に基地が閑散としてしまう経験は今回が初めてではないが、いつになっても慣れることはない。いや、今回は寧ろ、虚しさが強い。
 たった3ヶ月。たった3ヶ月間、同じ部隊の仲間として付き合ってきただけだが、共にした苦楽は濃く、重い。それは決してエレーヌだけの話ではなく、この第27機甲連隊共通の想いだ。

 隊長格にあり、優秀な衛士だった2人の死はそれだけ衝撃的なことだった。

 再びエレーヌが地上に視線を戻せば、リィルは未だその水色の髪を揺らしながら水遣りを続けている。だが、その後ろ姿は昨日までのそれとはまったく違った空気を纏っていた。
 言うなれば無感情。
 昨日までのリィルには慈しみや喜びといった感情が溢れていたのに対し、今日の彼女にはそれがない。“悲しみすら”、そこにはない。

 取り繕えないのだ。
 気丈に振る舞えるほど強くはないのに、軍属であることを理解しているが故に悲しみで沈み込まないように振る舞おうとする。だから、感情を殺すしかない。
 悲しいと思う心だけを抑えるのは難しいから、喜びや楽しみといった感情まで纏めて抑えつけてしまう。だからそこには、何もない。


「片付け、手伝うよ」


 立ち上がったエレーヌは、無意識のうちにリィルにそう声をかけていた。その言葉にリィルは一瞬、身体を竦ませる。まるで脅えた小動物のような反応に、エレーヌは再び苦笑してしまった。
「大変でしょ? もうすぐお昼休みも終わっちゃうし」
「………でも……」
 花壇のすぐ脇まで歩み寄り、置いてあるシャベルといった小道具をエレーヌは拾い上げ、リィルに笑顔を向ける。空に近い如雨露を持ったリィルは困惑気味に振り返り、エレーヌを見つめてきた。
「このままじゃ午後の仕事に間に合わなくなるよ?」
「あ……はい」
 エレーヌの忠告にリィルは目を伏せ、こくりと頷く。許可は出ているとはいえ、これはあくまでリィル・ヴァンホーテンの私用だ。それで常務に支障をきたしては、流石にエレーヌも彼女を叱るしかなくなる。

 エレーヌだって、今回の戦いを生き残った部下のケアも行わなければならないのだが、如何せん、今や273戦術機甲中隊(ハンマーズ)においては余程、ヘンリー・コンスタンスの方がエレーヌよりしっかりしている。
 エースパイロットの柏木章好に、指揮官適性の高いヘンリーが副長としているのだから、以前に比べてエレーヌの負担は驚くほど軽い。向こうは多少なりエレーヌが放っておいても問題はないだろう。
 今は、きっとリィルの方が問題だった。


「………ヴァンホーテン少尉さ……泣いちゃえば?」


 それっきり黙ったまま、如雨露を抱えて花壇を離れるリィルの背中に、エレーヌはついにそう声をかけた。その言葉で再び、彼女は身体を竦ませて足を止める。
「泣くことも、悲しむことも悪いことじゃないよ。吐き出せることは吐き出せるところで吐き出して……ね。毅然と振る舞うのはそれからでいいと思う」
 エレーヌは振り返らない彼女にそう続ける。部下の前で取り乱したり、沈み込んだりしてしまうことは御法度だが、そうでない場合は少しくらい悲しみを面に出しても許されると彼女は思っていた。

 本当に大切なのは、悲しんだ後のこと。泣いた後のこと。悔やんだ後のことだ。
 悲しむことがいけないのではなく、悲しみ続けることが拙いのだ。解消されることのない、継続する悲しみは必ず感情を麻痺させる。それは結果として、立ち直りを遅延させる。
 ならば1度、とことん吐き出してしまった方が後々のためだ。

「……私が泣いたら……クロサキ中尉たちが悲しみますから」

 振り返らず、肩を震わせてリィルは呟くように答える。その返答に「バカ」とエレーヌは心の中だけで呟いた。
 その後ろ姿は、逝った彼らを悲しませないものなのか、という意味を込めて。
 だからエレーヌは黙ったままリィルに歩み寄り、後ろからその小柄な身体を抱き締める。また、彼女はびくりと身体を竦ませる。

「あいつらのことを考えるのなら、今はうんと泣いて……気持ちの整理がついてから笑いなさい。泣いたらクロサキ……中尉は困るかもしれないけど、ヴァンホーテン少尉が笑わない方が、ずっと悲しむと思う」

 一瞬迷ったが、敢えて「クロサキ中尉」とエレーヌは呼ぶことにした。本当は彼に限らず、今回の戦いで逝った同僚は全員が隊葬の折に正式に二階級特進しているのだが、リィルにとっては恐らく、どうでも良い話だろう。
 彼女に接し、彼女と話し、彼女へ笑いかけていた彼は、ずっと中尉だったのだから、少佐に昇格したなど他人の口から告げられても、まるでピンとこない筈だ。
 何せ、エレーヌだってそうなのだから。


「……っく……う……うぅ……」
 エレーヌのその言葉がきっかけとなったのか、あるいはそれに無関係にリィルの中で抑えていたものが溢れたのか、彼女は後ろからエレーヌに抱き締められたその状態で、小さな、小さな鳴き声を漏らし始める。
 それで良い。
 仕事の時、任務の時、部下の前。情報班を任されている彼女には泣くことの許されない場面も多い。だから、今くらいは泣いてしまえ。たとえその目を赤く腫らせて、泣いていたことを悟られても、泣いてはいけない場面で泣かなければヒトとして上出来だ。
 これに一区切りがつけば、リィルは軍人としてまた1つ、成長を経る。それが喜ぶべきことなのか、それとも嘆くべきことなのかはエレーヌにも分からないが、確実なことだ。

 肩を震わせて嗚咽を漏らすリィルに、それを黙ったまま抱き締めるエレーヌ。


 放送で2人の耳に、各所責任者集合の旨が伝えられたのはその時のことだった。










 プレストン 第27機甲連隊ホーム 第1ブリーフィングルーム。先刻、武の指示で出された召集命令によってそこに集められたメンバーは、まさに早々たる顔触れだ。
 第27機甲連隊の戦術機甲中隊中隊長のエレーヌ・ノーデンス、レイド・クラインバーグに、整備班、情報班、衛生班のケヴィン・シルヴァンデール、リィル・ヴァンホーテン、片倉美鈴の3人。そして、現在、イギリスへの残留が指示された第4から第10までの戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長陣まで、そこに集められている。
 彼らは何れも用意された席につき、武とは向かい合う形で待機中だ。唯一、武と同様に彼らと向き合う形で立ったまま、武の言葉を待っているのは連隊副長のマリア・シス・シャルティーニである。


「急に集めて悪いな。ヴァルキリーズの方までひとまとめにしたことも、先に謝っておく」


 1度、彼女たちの顔を見回してから武が放った第一声はそれだ。尤も、その表情にはあまり悪びれた様子はない。
「それは構わないけど……何かあったの? もしかして香月副司令から何か指示が?」
 怪訝そうな顔つきでそう訊ねるのは、イギリス残留組のまとめ役を任された第4中隊(フリスト)の榊千鶴だ。言葉こそ発さないが、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の面々はまったく同じ考えらしく、表情は似たり寄ったりだった。
「順を追って話すよ、委員長。まあ、夕呼先生からの指示っていうのは正しくないけど、あながち外れてもいない」
「………どういうこと?」
 外れてもいないという言い回しに何か不穏なものを感じ取ったのか、千鶴の表情は更に険しくなる。今度は困惑する者と、眉間に皺を寄せる者に一同ははっきりと分かれていた。


「……先刻1200、国連全軍に対し、ミンスクハイヴ攻略作戦が発令された。7月6日、俺たちも含めた国連全軍はミンスクハイヴに攻撃を敢行する」


「なっ―――――――――――」
 淡々とした武の発言に、全員の顔色が一気に変わる。こればかりは所属の差異は関係ない。両連隊同様、衝撃が走った。それもそうだろう。昨日の今日に侵攻作戦の発令など、あまりにも無謀過ぎるのだから。
「白銀中佐。いきなり本題では、順を追っていないと思われますが」
「うっさい。説明し易いように順を追うんだよ」
 マリアの指摘に武は頬を引き攣らせながら反論する。彼女の指摘も尤もと言えば尤もだが、一番重要なところから報せる方が、実際に武にとっては説明し易い。

 何故なら、質問される方が簡単だからだ。

「……何故、いきなりミンスクなのだ? それも……“国連全軍”と言ったな? タケル」
「国連全軍……って、まさか、世界中の国連軍全部ですか!?」
 瞑っていた目を開き、落ち着きのある口調で問いかける冥夜に続いてエレーヌが声を上げる。彼女たちも武の言った全軍が、欧州に限った話ではないということに気付いたのだろう。
「マリア」
「は」
 だが、武はその問いかけにすぐには答えず、マリアに対して名を呼ぶだけで指示を出す。それに応じたマリアは正面のスクリーンに1枚の画像を映し出した。

 中央に地表構造物を捉えた、ハイヴ周辺の衛星画像だ。
 今の話の流れならば、いちいちどこのハイヴの衛星画像なのか彼女たちに説明する必要はないだろう。

「今出しているのが、昨日の戦闘直後のミンスク周辺の衛星画像。それから3時間おきに撮られたものを表示する」
 質問が来る前に武がそう告げれば、マリアは続けて4枚の同じものを捉えた衛星画像を時系列順に映す。詳しい説明は何もなくとも、たったそれだけで、その変化に気付いた者は多かった。
「BETAが……増えてる……」
 鎧衣美琴が、愕然とした様子でそう呟く。彼女の言う通り、ミンスクハイヴ周辺の地表に展開するBETAの数が、時間を追うごとに明らかな増加を見せているのだ。
「そして最後が本日1200の画像だ。この段階で地表展開のBETA総数は大型種だけで約6万。7月7日までに、20万に達すると予想されている」
「にじゅう……まん……?」
「第2師団本部の情報部が情報を収集し、解析した結果、最終的に20万に達するBETAは……6日後の7月8日………イギリスに対して総攻撃を仕掛けることが、判明した」
「――――――――――――――ッ!?」

 20万という規模のBETA群による総攻撃。その事実を告げられた彼女たちの反応は、昨日の武とほぼ同じだ。昨日の戦いで上陸してきたBETAの数が約8万だということを考えれば、言葉を失うという反応は至極当然のことである。

「成程……それで7月6日……か」
「攻撃される前に攻撃を仕掛ける……ってことですかい」

 敵の再攻撃の日時を聞き、レイドが納得したと言うように小さく相槌を打つ。同じく、作戦の主旨を理解したケヴィンも、同様に嘆息気味に呟いた。その言葉に武は「ああ」と肯定の意を示す。
「それでミンスクに……」
「敵戦力20万……いや、ミンスクハイヴに属するBETAも併せれば30万を超えるか。加え、相手はフェイズ5ハイヴ……これでは国連全軍を投入したとしても……」
 冥夜はそこまで呟いて、不意に言葉を止める。恐らく、「分が悪い」と言いかけて自制したのだろうが、それを責められる者は誰もいない。武とて、そんなことは重々承知しているのだ。
 20万の敵侵攻戦力はあくまで周辺のハイヴから集められたBETAだ。補給の関係で入れ替わることは当然あるだろうが、その地下にミンスクハイヴが抱える10万以上のBETAも存在する。
 ミンスクを制圧するということはそれも含めた30万以上の敵を相手にしなければならない。国連全軍が投入されることすら、慰めにならない規模だ。

「白銀。1つ、いい?」
「許可する。何だ? 彩峰」
「ミンスクを攻略して、敵の侵攻が止まる確証が提示されてない。制圧出来てもそれが止まらなかったら、どうするの?」
「そうだね。彩峰の言う通りだし、たとえ今回の侵攻が止まっても、次がないとは限らない。その度に、国連全軍でハイヴに総攻撃を仕掛けるなんて……現実的じゃないよ」
 彩峰慧の疑問に同意し、柏木晴子も口を開く。だが、その疑問の回答は武も昨日、夕呼から説明された上、つい先刻の師団本部からの連絡で更に確信が持てた事柄だ。

「昨日のBETAの襲撃は6日後の侵攻に先立った欧州戦力の間引きが目的だった。これは既に判明している。しかし、この戦略はBETAにとってもまだ実験段階にあって、その有用性が立証されなければ正式な運用には至れない筈だ」
「白銀、答えになってない。それは侵攻を止めることが出来れば高確率で先送りに出来るってだけで、止めることが出来るのかどうかは示してない」


「止まる。今回の行動規範をBETAはまだ持っていない。まだ、“指示されている”段階に過ぎない。だから、ミンスクを制圧することが出来れば、侵攻も伝播も止まる」


 やや苛立った様子の慧の詰問をまるで封殺するように、武は「止まる」と断言する。彼のその言葉で、誰よりも早く改めて何かに気付いたように顔をしかめたのは涼宮茜だった。

「伝播って……それってもしかして……」
「ああ、上位存在がミンスクにいることも判明している。そいつを破壊すれば、侵攻は止まるし、今後、起きることもない」
 その茜の問いかけに返す武の言葉が、慧への回答そのものだった。帰国する前の夕呼から、彼女たちは既に新たな上位存在が出現した可能性については教えてあると聞いているので、決して辿り着けない結論ではない。
 だから、彼女たちの驚きは「それがミンスクにいる」という事実の方だろう。

「上位存在って……桜花作戦で破壊されたオリジナルハイヴのコアのことですか?」
「そうだ」
「これまでの中佐の説明と、上位という言い回しから考えるに、それがBETAの持つ指揮系統……それも、絶対唯一と捉えるのが妥当だな」
 続いて挙手をしたエレーヌの質問に武が頷くと、レイドが実に鋭い見解を述べてくる。桜花作戦の折に破壊されたコアあるいはあ号標的と呼ばれるものが具体的に如何なる存在だったのか、それを知っている者は実際のところ現在も限られている。
 無論、それは武の部下たちとて変わらない。その点において、事前に情報を与えなかったにも関わらずその結論に行き着いたレイドの聡さは流石だ。
「ミンスクにいるのはそのバックアップだ。オリジナルハイヴのコアが破壊されたことをトリガーに、それが起動して現在もBETAの行動を管理している。BETAの指揮系統は箒型でな……それが絶対唯一のトップだ」
「その御説明で作戦の主旨は理解しました。つまりは、桜花作戦と同じことをやろうということでしょう」
 武の補足説明で再びレイドは頷く。今回の攻勢作戦はミンスクに集結した敵戦力を蹴散らす目的も含まれているが、最大の目標はその最深部に陣取っているその上位存在の打倒である。多少の差異はあれど、おおよその主旨は桜花作戦とそう変わらないと表現しても良い。


 そこにおいて、更にそのバックアップが出現する可能性はないのか、と質問する者は流石にいなかった。恐らく、誰もが理解しているのだろう。
 今の上位存在にたとえバックアップが存在したとしても、今これを打倒しなければ近い将来、人類は破滅するのだということを。
 迷っている暇などない。何もしなくとも、6日後にはこのイギリスは再び戦場になる。昨日の戦闘など比較にならないほどの虐殺の限りが尽くされる。
 それを回避する手段など、もう1つしかないのだ。


「EU連合も今回の作戦に全力に近い戦力を投入する意志を表明している。まあ、これは仕方ないところだろうな」
「仕方ないところ?」
「昨日がそうであったように、EU連合の保有戦力だけではイギリスの防衛は非常に厳しいものです。欧州国連軍もミンスクへの進軍を決定した以上、参加を表明せざるを得ないでしょう」
 珠瀬壬姫が首を捻ったところで、マリアがそれに説明を加える。
 ミンスクハイヴにその許容量を上回ったBETAが集結している以上、戦々恐々としているのはEU連合も変わらない。攻勢作戦が失敗すれば、イギリスの防衛はEU連合軍のみで行わなければならなくなる。
 そんな結果の見えている後手に回るのならば、自らも参加して攻勢作戦の成功率を少しでも高める方が余程、現実的な選択ということだ。

「国連全軍にEU連合軍……か。最低限の防衛戦力を残すとなると、それでもまだ不利だな」
「不利だ。だけど、20万の敵侵攻戦力を迎え撃つよりもずっと現実的だよ、冥夜」
「分かっている。元々、我々とBETAとの戦いが有利に運べた前例など皆無だ。それを考えれば、絶望的と表現するにはまだ幾分か余裕があろう」
 ずっと険しい表情を守っていた彼女がそう言いながら不敵に笑ったので、武も「そうだな」と笑いながら相槌を打った。確かに、BETAとの戦いで有利だったことなど武も経験がない。人類は常に逆境の中で戦いを続けてきたのだ。


「―――――――――白銀中佐、師団本部から報告です」

 不意にマリアが畏まった口調でそう告げる。思わず武はそれに小さな舌打ちをしめした。率直に「聞きたくない」と思うほど、往々にしてそれらは悪い報告であるものだ。当然のことだが良くない情報の方が、より早い対策を必要とするからである。

 しかし、今回に限って言えばそれは違ったらしい。
 続けてマリアが告げた報告は、どんなに穿った見方をしても、武たちにとっては朗報に違いなかった。




「本日1330、日本軍と斯衛軍も本作戦への参加を表明しました。7月6日、両軍も我々同様、全力に近い戦力を投入してミンスクへ攻撃を仕掛けます」



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第77話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/25 23:12


  第77話


 極東方面日本 関東地方 東京 帝都城。
 現地時間 7月2日 午後8時。
 本来であれば日中の業務を終え、夜勤の者を除いて人の出払うこの場所も、今日に限っては未だ喧騒が覚めやらなかった。勿論、その理由は語るに及ばないだろう。

 イギリス防衛戦。そして、そこから派生したミンスク侵攻計画。

 それに関して各自の意見を交わすために、斯衛軍の猛将が一同に会しているのである。それはつまり、将軍殿下と斯衛軍の大隊指揮官総員。
 尤も、上座に着く煌武院悠陽殿下の左側最寄り……即ち、第4大隊長席につく斉御司灯夜から見てすぐ右隣の席は空席のままだ。そこにいる筈の人物はおらず、代わりに一輪の献花が捧げられている。

 言うまでもない。本来、煌武院悠陽の左側を固めるのは斯衛軍が誇る古豪の英傑が1人、朝霧叶の筈だった。

 彼のことを「灯夜君」と親しみを込めて呼ぶ、姦しい第2大隊長は、イギリス防衛戦にて逝った。その事実がこの帝都城に情報として届いたのは、20時間近くも前の話である。
 灯夜自身は第16大隊の将である兄と、第11大隊の将である義姉によって叩き起こされ、同じように叩き起こした大隊の部下を伴って登城。その段階で登城していた大隊指揮官は灯夜の他に既に12名。

 それから1度として、この帝都城は眠っていない。

 灯夜がちらりと左隣を見れば、第6大隊を任されている婚約者がその視線に気付き、にこっと微笑みかけてくる。その瞳がまだ少し赤い理由は、灯夜が誰よりもよく知っていた。

「……時間になりましたね。始めましょう」
 時計の針が20時を指したと同時に、悠陽が口を開く。彼女の言によって、室内はより一層、重苦しい雰囲気に包まれた。
「まずは月詠、この度は御苦労様です。よく……生還してくれました」
「は………恐悦至極に、存じ上げます」
 最初に悠陽が口にする労いの言葉に、それをかけられた第18大隊の将 月詠真那が席から立ち、一礼しながらそれに応える。彼女のその表情がほんの一瞬ながら悔しげに歪んだのは、己の無力さを嘆いてのことだろう。
 月詠真那がイギリス防衛戦を乗り越え、報告のために2個中隊を伴って帰国したのはつい数時間前の話だ。しかも、あまりにも重要な案件を抱えて、である。

 それこそが未だ正式発表はされていない国連全軍によるミンスク侵攻作戦の概要だった。

 何故、月詠がそれを持っていたのかと言えば、香月夕呼の名前ですべてが語り切れる。彼女はその案件を斯衛軍に届けるよう、香月夕呼から協力を仰がれたに違いない。
 香月夕呼が他に何も言わず月詠真那に預けるほど、そして月詠真那が他に何も言わず香月夕呼から預かるほど、事態は切迫しているのだ。

「それで……国連軍によるミンスク侵攻作戦の件についてですが、そなたから詳しい説明を」
「は。昨日のBETAイギリス襲撃に関して国連軍が情報を解析した結果、1つの結論が算出されました。それが、BETAによる人類戦力の削ぎ落としです。昨日のイギリス襲撃は、ハイヴ増設のためではなく、人類戦力を磨耗させることを目的とした襲撃であったと、判断されております」
「BETAによる間引き……か。にわかには信じ難いが……」
「それについて月詠少佐、貴官は部隊を率いて現地部隊と共闘致したわけだが、何か感じたことはあるかね? 主観的な意見で構わん」

 月詠の言葉に古豪の大隊指揮官から質問が入る。意見こそ提言しなかったが、にわかには信じられないのは灯夜も同じだ。物量で勝るBETAがそのような行動に出たこともそうだが、何より、30年に渡って集団突撃戦術のみを繰り返してきたBETAが今回に限って人類戦力を間引きするために侵攻するとは、なかなかに想像し難い。

「小官の主観的な感想ですが、信憑性はあるかと思われます。確かに、防衛線におけるBETAの突破率の低さは異様でありました故………突撃級すら、突破しないのです」
 それに対する月詠の言葉に、室内がにわかに色めき立つ。
「防衛線に駆逐しなければならない人類戦力が残っているため、突破しないということですね。ハイヴ増設が目的ならば、BETAはそのような行動など取らないでしょう。邪魔な人間は排除するでしょうが、第一目標はあくまで建造地点の確保の筈ですから」
 要約したのは灯夜の隣に座る九條侑香。彼女の言葉で、斯衛軍が誇る古豪の英傑たちも一様に唸り声を上げることとなった。

 ここに顔を並べた彼らにとって共通の経験は、1998年の北九州沿岸BETA上陸から翌年の本州陥落、そして明星作戦までの出来事だ。
 それ故に、BETAの物量に任せた突破力には何度も苦汁を舐めさせられてきた者ばかりなのである。
 BETAの北九州上陸から京都到達までがわずか1週間。その異様な速度は、BETAがただひたすらに前進することを繰り返していたためであり、人類側の被害などBETAにとっては踏破したことの派生効果でしかない。
 BETAは別段、人類を排除しようとしたわけではなかった。

 ただ、前に進もうと思ったところ、そこに障害物があったために薙ぎ倒して前進した。それだけの話だ。

 そのBETAが、防衛線を突破しない。それがどれほど異様なことなのか、委細語らずともここに揃った者たちにとってはよく分かることである。

「そして国連軍が集積し解析した情報によると、BETAが欧州戦力の間引きを行った理由は、後の欧州制圧をより確実なものにするためであるという線が濃厚であると判明。本日、7月2日より6日後の7月8日、ミンスクに集結した推定規模20万のBETA群が……イギリスへ総攻撃を仕掛けると、香月博士よりお聞き致しました」
 続くその言葉で、名将が揃ったこの室内すら一気に騒然となる。彼女から具体的な日時と具体的な敵戦力規模が提示されたからという理由が、恐らく大きい。
 次の襲撃までわずか1週間。そしてその規模が、今回の2倍以上の約20万。実際のところ、20万というBETAに従来通りの集団突撃戦術を駆使されては日本に限らずどこの方面でも防衛する手立てはない。
 だから、BETAにとっては今回のイギリス襲撃はまったくの徒労だ。否、寧ろ、次の襲撃の日時という情報を香月夕呼に悟らせてしまった以上、大局的に見れば逆効果になるだろう。
「それでミンスク侵攻……か。しかしながら、理由はそれだけではあるまい? 月詠。香月夕呼博士が、それだけの理由で動くとは考え難い」
「確かに……状況が状況とはいえ、彼女が国連全軍を動かすほどの事態になるか……いえ、ミンスク制圧へ莫大な戦力を投入する効果が、果たしてどれほど認められるか、まだはっきりしていない。決断力も重要だけれど、今後のことも考えればあまりに大仰と取らざるを得ないわね」
 そこで、これまでの月詠の報告に対して疑問を述べるのは、灯夜にとっての兄夫婦。近々、正式に斯衛軍を退役することになるだろう第16大隊と第11大隊の将だった。
 2人の指摘も至極尤もである。
 BETAが今回のような行動を取ったということは、これを凌いだとしても遠からず同じような事態が人類を襲うことになる筈だ。それが再びイギリスになるのか、それともこの日本が直面するのかまでは定かではないが。
 灯夜は向かいに座った第3大隊の将 白河幸翆の表情を窺う。彼は灯夜の視線に気付き、言いたいことを感じ取ってくれたのか、無言で小さく頷き返した。
 故に、斉御司灯夜も無言で小さく頷いてからその口を開く。


「斉御司中佐、高坂大佐。恐らく、それに関するもう1つの理由こそ、先月初頭に今回の月詠少佐同様に、私が香月博士からお預かりした機密文書にありましょう」


 灯夜のその言葉で、騒然としていた室内が今度は水を打ったように1度、静まり返る。先刻発言していた兄と義姉、そして起立して報告していた月詠のみならず、その場にいる全員の視線が灯夜へと注がれていた。

 先月初頭に、今回と似た形で香月夕呼から灯夜が預かり、帝都城へと持ち込んだ機密文書があった。その内容はやはり今回同様、斯衛軍の大隊指揮官が集められ、協議されている。
 即ち、「BETAの新たな上位存在の出現可能性」。
 それを忘れているような愚者など、この場にはいない。
 そして、その文書内容とミンスク侵攻を繋げられない愚者など、この場にいる筈もない。

「月詠、どうなのです? 灯夜の言葉は事実なのですか?」

 確認のため、煌武院悠陽が月詠へと改めて問うた。彼の言葉で誰しもがミンスク侵攻の真意をおおよそ確信したとはいえ、確証を持っているのは月詠のみである。悠陽はそれを促したのだ。

「は。斉御司少佐の仰るとおり、香月博士が言われるには、ミンスクハイヴにあ号標的のバックアップと考えられるBETAの新上位存在が存在すると判明しているとのことです。それを排除するためにも、今回の作戦は計画された、と」
「つまり……6日後のイギリス侵攻が成功されれば、新たな上位存在はこの戦術を対人戦術として有効なものと認識し、反復するようになる……ということか」
 月詠の返答に続き、朝霧叶亡き後、斯衛軍双璧の一角となった白河幸翆がようやく口を開く。反復するようになる、という彼のその言葉に静かな衝撃が走ったと、灯夜にも分かった。
「ふむ……成程。通りで切迫しているわけだ。このまま6日後、英国が陥落するのを待っていれば、次はアラスカかアフリカか、東南アジア、台湾、あるいは――――――――――――」


「日本」


 白河に続く形で言葉を発した紅蓮醍三郎。しかし、彼の言葉を途中で遮る形で、悠陽がこの国の名前を呟く。その言葉は、まさに危機の迫るこの国と、それを成す彼ら国民に対する警告だ。

 香月夕呼の言が正しいのならば、BETAにおける人類の認識には変化が生じている。今まではあくまで行動を起こす際に障害となるか、襲ってきたら対処するという受動的な対応だった形から、排除するために侵攻するという能動的な対応に変わったと言えるだろう。
 恐らく、未だ知的生命体などとは認識されていないだろうが、少なくとも自立行動が出来、自分たちの邪魔をしてくる害虫の類程度の認識はされているに違いない。
 それを排除しながらハイヴを建造するのではなく、それを排除してから改めてハイヴの建造に入る。その方が効率は良いのではないかと、BETAはようやく気付き始めたといったところだ。
 開戦からおよそ30年。それがBETAにとって長いのか短いのか分からないが、灯夜たち人類から見れば恐ろしく鈍い。

 今回の一件があって、灯夜の中ではっきりしたことが1つ。
 BETAは確かに合理的かもしれないが、それ故にあまりにも効率が悪い。今回のような人類への間引き戦術は互いの物量差をまるで理解出来ていない紛れもない証拠だ。
 箒型の指揮系統。
 そして、大規模侵攻に先立った間引き戦術。
 陽動実験や軌道爆撃実験で明らかになったような、型に嵌らなければ対応の取れない思考システム。

 BETAの上位存在は合理的で学習能力も高い。だが、理論的ではない。「A=B及びB=C」という命題から、「A=C」という結論を導き出せない存在なのだ。BETAが「A=C」という結果を理解するためには、実際に「A=C」ということを経験する必要がある。


 しかしながら、BETAはいよいよその「A=C」で喩えられた結論に辿り着きかけている。


 間引きを行ってきたということは、BETAは多かれ少なかれ人類の戦力を脅威と捉えているわけだ。それに対する対応はまさに戦略概念や戦術概念に等しい。
 そこで、「物量」という要因にBETAが着目し、もし自分たちが圧倒的に物量で勝っているということに気付いてしまったなら、BETAを止めることはもう誰にも出来ない。
 断続的な大規模侵攻が短期間の中で繰り返され、人類の形成した防衛線は瞬く間に崩れ落ちるだろう。


「それで、月詠。香月博士は当方に如何なる要請をしてきているのでしょうか?」


 再び悠陽が口を開く。それこそが、まさに今回の本題だ。月詠はまだそのことについて触れてもおらず、誰にも話してはいないだろうが、悠陽同様、灯夜も最も重要なのはここからの話だと重々、承知している。
 いや、この場にいる全員が既に、という方が正しいかもしれないが。
 如何せん、今の情報を提供され「注意しろ」などと言われたところで、日本とてどうしようもない。そんな無意味な警告をするほど、香月夕呼も愚かではないだろう。

「………ミンスク侵攻作戦においての助力を………大規模戦力の提供を、香月博士は要請してきています。可能であれば、我々斯衛軍も含め、と」
「我々まで……ミンスクに引っ張り出そうというのか……!?」
 月詠の言葉に、やや荒い声調ながら呟くように誰かがそう言った。それに対して同意する発言はなかったが、咎める者もいないというのは、誰しもが少なからずその感覚を持っているためである。
 元より、斯衛軍は将軍殿下の守護を主任務とする城内省の独立部隊だ。各勢力との関係を良好するために派遣されることは確かにあるが、その大部分をこの帝都に残しておかなければその意味を失う。
 しかしながら、大規模と念を押している以上、香月夕呼が求めているのは高々2個や3個如きの大隊ではないのだろう。

 それはあまりにも厚顔というものだ。

「……紅蓮、白河、そなたたちの意見を聞かせてください」
「月詠の報告が正しいのならば、出し惜しみをしている暇などないでしょうな。ミンスクの制圧に失敗すれば、どんなに戦力を保有していようとも状況は絶望的な方向に転がり落ちるのは必至かと」
「紅蓮大将と同意見です。それと殿下、些か個人的な意見となりますが……よろしいでしょうか?」
「構いません。言いなさい」
 紅蓮に続いてそう訊ね返した白河に悠陽は発言の許可を改めて出す。紅蓮に同意するという意見で終わると思われていた彼が言葉を続けたことで、多くの大隊指揮官から白河に視線が集まる。
 灯夜もまた、同様に白河のその険しい表情を見つめていた。
 やや長めの沈黙。悠陽から許諾を得ても尚、彼自身、次の言葉を口にして良いものかどうか、まだ迷っている部分があるのだろう。だが、やがてゆっくりと白河幸翆は決意したようにその口を開く。





「可能であるならば、わたくしは朝霧の弔いがしとうございます」


 普段と同じ厳しい面持ちで、白河幸翆はその心中を露わにした。










 神代巽。斯衛軍第18大隊の副長であり、月詠真那の右腕。そしてまた、彼女の護衛を務めるのも、神代の責務の1つだ。神代の生家は武家としてさほど有名な家柄というわけではないではないが、彼女の優秀さは任官以前から既に知っていたと言う先任士官は意外と多い。

 その先任士官に半ば囲まれた状態で、今現在、神代は些か萎縮していた。

「先月もそうやったけど……大隊長会議はこっちも緊張させられるねぇ」
 苦笑気味に笑うのは第4大隊の関口。斉御司灯夜の護衛として登城し、神代同様に大隊指揮官が一同に会した会議の間、待機を命じられている先任士官の1人だ。
 朝霧叶の訃報に際し、斉御司灯夜について回っている彼女は恐らく1度として休んでいない。気丈な彼女とはいえ、顔には疲労の色が見え隠れしていた。

 尤も、神代に至ってはイギリスでの戦闘を終えてからもほとんどまともに休んではいないが。

「ゆっくり待ちましょう。気を張ったところで、何が変わるわけではありませんから」
 その関口を諭すように、柔らかな笑顔で答えるのは第6大隊の伊藤である。斉御司灯夜同様、朝霧叶には幼少から懇意にしてもらっていた九條侑香の副官である彼女もまた、一睡もせずに今に至っているだろう。
「伊藤に同意だ。だが、ここにいて何も出来ず、何も知ることが出来ないというのは、確かに歯痒い。関口の言いたいことも、今回ばかりは理解出来そうだな」
「今回ばかりは……ってなんやねんな。あたしの率直な感想を今まではまったく理解してくれてなかったってことなん?」
「そもそも貴様とそこまで親しい間柄ではないだろう?」
「冷たい……一応、同期兵なんやから温かくしてほしいわ」
「そう思うならもう少し気を引き締めろ、バカもの」

 わざとらしく泣き真似をする関口に腕組みをし、片目を瞑ってやれやれというように返すのは、橙の斯衛軍服に身を包み、腰ほどまで伸びた黒髪を持つ1人の女性。
 やはり神代にとっては先任士官。第11大隊大隊長にして、今や斉御司家次期当主夫人となった高坂沙耶の右腕。斯衛軍の中でも高い戦闘力を保有する「白き牙」即ち112中隊を預かることでも、彼女の名は知られる。

 その名を篁唯依。
 不知火弐型の開発主任としての肩書きも持ち、神代も含めてこの場にいる者の中では最も単独戦闘力に優れた衛士だ。
 関口、伊藤、そして篁唯依。この3人が次期大隊指揮官候補と言えば、各人の能力の高さは語るまでもない。

「神代大尉ぃ……篁が冷たい。何とか言ってや」
「は!? いっ……いえ! む……無理です!」

 いきなり関口によってガシッと腕を掴まれ、くいっと引かれて矢面に立たされた神代は全力で首を横に振る。関口のその行動に更に呆れたのか、片手で頭を抱えて唯依は大きなため息をついた。
 相手が相手でなければ神代もつきたいくらいである。
「……神代大尉を引っ張り込むな、関口」
「今更ですわ、関口大尉のそれは」
「それもそうだな」
「また冷たい………」
 伊藤と唯依の発言に関口は再びがっくりとした様子で呟く。お互いに現在はさほど交流がないと言っているようだが、やはり親しさを感じさせるやり取りだ。
 それに、強い。朝霧叶の訃報を聞いて、衝撃を受けていたのは誰しも変わらない筈だというのに、彼女たちはもう普段通りに“繕っている”。その強さが、神代は少し羨ましい。

 これが、何れも京都防衛戦を乗り越えて今日まで戦ってきた衛士の絆と強さというものなのだろう。


「帝都城内に入ってまでそのようなやり取りをするな」


 完全に先任士官によって囲まれた状態で、神代が進退窮まっていると、不意にそう叱責する声が飛んだ。全員が驚いて声のした方を向けば、神代にとって最も心強い上官が歩いてくるところだった。
 月詠真那だ。
 彼女に対し、神代は敬礼の格好を取るが、他の3人は同期というだけあって軽く手を挙げたり会釈したりするだけである。
「会議、終わったん?」
「ああ」
 関口の問いかけに月詠は短く肯定の意を示して頷いた。その表情はどこか強張っていて、強い緊張感と確固たる決意を漂わせている。
「結局、何だったんだ? イギリスの件に関する報告なら、流石にここまで仰々しくはないと思うのだが」
「………国連全軍が正式にミンスク侵攻作戦を発令した。もう1時間も前の話だがな」
「なっ……!?」

 月詠の発言に言葉を失うのは、経歴による差異などない。帝都城内というある意味では隔離された空間で待機させられていた神代たちには1時間前の話であっても初耳だ。それも、国連全軍によるミンスク侵攻作戦などまるで寝耳に水である。

「バカな……昨日の今日だぞ!? それも何故ミンスクに……!?」
「詳しい説明は後ほど、改めてされるだろう。私から言えるのは、それが桜花作戦の焼き直しであるということだけ……だろうな」
 その返答で再び絶句する。詳しい状況こそ、何一つ分からないが、国連全軍が敢行することとなったミンスク侵攻作戦がこの30年に渡って続いた戦争に1つの大きな波紋を呼び寄せかねないということは、その言葉からはっきり感じ取れたのだ。
 まさに決戦。その作戦が実際に如何なる意味を持つのかは不明ながらも、抱かせる印象はそれで充分。

「月詠少佐に1つ質問。というか……あたしが聞きたいのは1つだけ」
 小さく手を挙げ、一転して真面目な表情で関口が月詠にそう述べるが、その彼女を見つめ返す月詠は、それに関して何も言わない。無言の肯定、ということなのだろうと神代は思った。
 同じように捉えたのか、関口も続けてその「質問」を口にする。


「またあたしたちは見送るしかないん? 耐えられへんとは言わんけど……気分が良いもんやないよ……」


 彼女のその言葉に、投げかけられた月詠のみならず、伊藤と唯依もわずかに目を伏せる。無論、神代もそれには少なからず、同じ気持ちを持っていた。
 自分たちは何れも、桜花作戦の時にただ待つしか出来なかった身なのだ。特に関口や伊藤、唯依、そして月詠真那。同期兵の中でも一際優秀だった友の帰りを待つことしか出来なかった彼女たちの下に、桜花作戦の成功と共に届いたのは、その友の訃報である。
 神代などが理解するというのはおこがましいほど、彼女たちはそれに対して共通の想いを抱いている。それがよく分かる反応だった。

「……その心配は恐らくない。未だ正式発表には至っていないが、恐らく、5時間以内に我々斯衛全部隊に、ミンスク出兵の勅命が下るであろう」

 しかしながら、それに答える月詠の言葉は流石に予想外だった。
「斯衛全部隊……ですか? しかし、それでは帝都城の守りが………」
 困惑も入り混じった様子で伊藤が呟く。元より斯衛軍は将軍殿下と摂家の守護を目的とした城内省の保有する独立戦力であって、国家戦力には数えられない。1998年の西日本BETA侵攻の際に、斯衛軍が初めてBETAと接敵したのが既に京都近隣まで侵攻された時であったことや、桜花作戦の折にそのほとんどが朝鮮半島出兵ではなく関東各所の守備に回されたことは、それが理由に挙げられる。
 そのほぼすべてがミンスクへ出撃。それが如何に異常なことなのか、たとえ斯衛軍の士官でなくとも理解くらいは出来よう。

 決戦への参加に、「望むところだ」と己を奮い立たせながらも、斯衛軍である大義を失うのではないかという一抹の不安が拭い去れないのだ。

「唯依!」

 だが、月詠がそれに答えるよりも早く、第3者の声が会話の流れを断ち切った。反応して神代たちが一斉に振り返れば、声の主である橙の士官の他、2人の青の士官の姿もある。
 声の主は篁唯依直属の上官である第11大隊の高坂沙耶。その横に立っているのは彼女を義姉とする第4大隊の斉御司灯夜と第6大隊の九條侑香の2人だ。
 すぐさま敬礼を取るのは名を呼ばれた唯依と関口、伊藤の3人。月詠も併せ、お互いに視線で会話をして頷き合ってから、それぞれ己が上官のところへ向かおうと足を踏み出す。

「……正式な発表がまだ故、私の口から多くを語ることは出来ないが……」

 その3人の足を一瞬、止めさせたのは月詠のその一言だった。恐らく、3人とも思いがけない言葉に驚いて足を止めたのだろうが、振り返ることは誰もしない。


「大義はある。我々、斯衛全軍がミンスクへ出撃するだけの大義が、ある」


 神代の目の前で、月詠ははっきりとした口調で3人にそう告げる。それに対して何かを感じ取ったのか否か分からないが、何れも何か返すわけでもなく、そのまま再びゆっくりと歩き始め、それぞれの上官の下へ向かっていった。


「神代、貴様に言っても仕方のないことなのかもしれないが……」


 彼女たちがその場を去ってから、月詠はゆっくりと神代に向けて口を開く。彼女からの呼びかけに、神代は「何でしょうか?」と訊ね返した。その問い返しに1度苦笑して、月詠真那は顔を上げる。
 その双眸はわずかに憂いを含んでいるものの、鋭く、強い決意を帯びていた。





「この戦いは、私にとって……私たちにとって3年もの間、燻らせていたものを放つ最後の機会であるような気がするのだ」
 桜花作戦で逝った友のことを想うその横顔は、長年、その下で戦ってきた神代巽の胸を打つ。だから、そんな神代が月詠に対して返す言葉など、唯一つのみ。


「はい、私も……そう思います」

 それ以上の言葉など、自分には必要ない。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第78話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/29 22:42


  第78話


 レイド・クラインバーグは空に対して少し特別な思い入れがある。それは、彼にとって空がただ1人の弟の墓場だからだ。レイドの弟も同じく兵士であったが、彼は衛士ではなく駆逐艦乗りだった。
 レーザー属によって制空権を奪われた人類にとって、再突入型駆逐艦はどうあっても重要な航空機の最たるものだ。衛士適性検査で弾かれて、少し不貞腐れていた彼の弟も、その操舵手となってからは実に生き生きとしていた。常に、自分自身の任務に誇りを持っていただろう。

 だが彼は、やはり衛士になりたかったのだとレイドは知っている。どんなに死亡率が高かろうとも、家族のために最前面でBETAと戦う尖兵になりたかったのだと、レイドは誰よりもよく知っている。

 その、駆逐艦乗りであった弟は空で散り、衛士である自分は、白銀武という鬼才の下、数多の死地すら乗り越えてきた。
 それを嘆くほどレイドはおこがましくない。だがしかし、弟が衛士となり、同じように武の下で戦えていたら、今もまだ共に並んで人類の尖兵となれていたかもしれない。

 プレストン 第27機甲連隊ホームの兵舎屋上で正午の空を見上げ、レイドはそんなことを考えてしまっていた。稀に、極稀にそういったことを考えては、彼は酷くやるせなくなる時がある。
 まさに今はその状態なのだ。

 そうしていると、不意に屋上の鉄扉が鈍い音を立てながら開かれた。ちらりとレイドがそちらを一瞥すれば、1人の女性が顔を覗かせているのが分かる。決して親しいという間柄ではないが、少なくとも欧州を故郷とするレイドにとっては恩人の1人だ。
 柏木晴子。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)にて中隊を任されている、部下 柏木章好の姉である。

「柏木少尉ならここにはいないぞ」

 誰かを捜しているようにも見える彼女に、レイドはそう声をかける。実際のところ、同連隊の仲間を捜している可能性もあるが、冗談半分で声をかけるなら章好の名を出すに限る、というのがレイドの見解だ。
 間違っても、我らが連隊長の名前を出してはならない。レイドにとって彼が上官だからという理由もあるが、万が一、第3者に聞かれてあらぬ誤解を生じさせては白銀武と柏木晴子の両名に多大な迷惑をかけることになるだろう、と配慮した結果だった。

「あ、クラインバーグ大尉。失礼します」
 そこでようやく、レイドがいることに気付いたらしい彼女は外に出てきて、彼に対して敬礼をしながら挨拶する。
「公共の場だ。失礼なことなどあるものか」
 ふっと不敵に笑い、レイドは晴子に切り返した。その返答に彼女は苦笑しながら「それを言われたらお終いですよ」と小さな苦言を呈する。何だかんだで礼儀が良い辺り、この姉弟は妙なところでよく似ているとレイドは思った。
「それで、実際は誰をお捜しだね? 生憎、ここには俺しかいないぞ」
「いや、ほんとに弟なんですけど……やっぱりなな……水城少尉のところかなぁ」
「可能性はあるな」
 晴子の呟きにレイドは思わず同意する。彼女の弟とその幼馴染みは最早、連隊公認のようなものだ。そのことを分かっていないのは当人たちだけくらいのものである。
 その2人が一緒にいる場合、任務上の都合でもなければレイドだって訪問するのは遠慮する。いや、寧ろ全力で御免被る。柏木章好も水城七海も恐らく何も言わないだろうが、代わりに連隊長に冷たい瞳を向けられ、連隊副長にため息を吐かれ、同僚のエレーヌ・ノーデンスからは直接、苦言を呈されるに違いないからだ。
 どうやら、その2人の姉貴分である柏木晴子にとっても、それは同じことであるらしい。

「柏木少尉に、何か用事か?」

 そう訊ねた瞬間、彼女は一瞬だけ表情を強張らせた。だが、すぐにそれを誤魔化すように苦笑いを浮かべる。

「………明後日には、揃ってここを離れますからね」
「………心配か?」
 成程と内心、頷きながらレイドは訊ね返した。相手は血の繋がった弟。次に2人揃って赴くのは、死地に近い戦場だ。限られた時間の中で話しておきたいと願うのは、決して矮小なことではない。
 この戦争において、「負けない」と「死なない」は意味が異なる。ミンスクハイヴへと突入するすべての部隊の中で、ほんの数名でも反応炉に到達出来れば、恐らく勝てるだろう。そのための礎となるのは、自分か彼女か、あるいは他の誰かか、分からない。

 ただ、それだけのことだ。

「はい。本当は、アキには衛士になってもらいたくなかったですね。戦闘兵じゃなかったら、もっと安全でいられるんじゃないかって、思ってます」
 そう言ってから、彼女は「そんなこと考えちゃいけないんですけどね」と付け加え、再び苦笑を浮かべる。弟の身を案じる晴子の姿に、レイドは思わず眩しそうに目を細めた。
「……気持ちはよく分かるがな。俺にも弟がいた」
 大空に視線を向けたレイドは晴子に対してそう答える。衛士であれば、衛士でなければといった考えの差異など些細な問題でしかない。重要なのは、レイドは弟に生きていてほしかった。柏木晴子は弟に生きてほしいと願っている。
 その一種の共通思念である。
「……亡くなられたん……ですか?」
 レイドの「いた」という言い回しから気付いたのか、困惑気味に晴子は訊ね返してくる。彼女に視線は戻さず、レイドは空を見上げたまま頷いた。

「ああ、同じ国連軍の駆逐艦乗りだった。桜花作戦の時に、空で逝ったよ」
「っ!?」

 レイドの返答に彼女が息を呑むのが分かった。
 桜花作戦の折、国連軍はすべての軌道戦力をオリジナルハイヴへの攻撃に投入している。投入出来るだけの再突入型駆逐艦を動員し、艦載出来るだけの戦術機を載せてオリジナルハイヴに軌道降下を仕掛けることがその目的だ。
 その際、地表展開のレーザー属がAL弾を撃墜しなかったことで規定濃度の重金属雲が確保出来ず、そのほとんどの駆逐艦は切り離す筈の戦術機を艦載したまま、オリジナルハイヴ突入を目的とした彼の高名な決戦英雄部隊をレーザーから守るために艦体を盾に爆砕したと、レイドは遺族として聞いている。

 弟は弟なりに誇りを持って逝ったのだろう。
 そして、弟の挺身に応えてくれるかのように、突入部隊はわずか1個中隊のレベルで地上最大のハイヴを踏破した。それがたとえ任務だったとしても、レイドは1人の兄として、彼らに感謝したいと思う。

「……そろそろ戻らなければ午後の訓練に間に合わぬな。俺は先に失礼しよう」

 我ながら何を話しているのか、と軽く肩を竦め、レイドは視線を地上に戻してからそう告げ、踵を返した。残された時間を有効に使うために、念入りに武と訓練に関して打ち合わせもしなければならない。

「クラインバーグ大尉……あの―――――――――――」
「柏木大尉。感謝する。ありがとう」

 彼女の言葉を遮り、レイドは改めて感謝の言葉を紡いだ。それで、彼女は言いかけていたらしい言葉を完全に飲み込む。
 これでも叩き上げで今日という日まで生き抜いてきた衛士だ。聡いと評価出来るかどうか我ながら微妙だが、そこそこに分析力や洞察力は備えていると自負している。
 否、ここまで情報を与えられておいて気付かないのならば自ら中隊長という立場を退くべきだろう。

 オリジナルハイヴから生還した彼の決戦部隊があの香月夕呼博士直轄の横浜基地所属部隊であることと、彼女たち戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)が香月夕呼博士によって実質、掌握されている横浜基地所属部隊であることを比べれば、答えなど導き出されているに等しい。


 舞台も役者も実に御誂え向きだ。
 狼の名を持つ英傑たちによって切り拓かれた戦場へ、1つの偉業を成した戦乙女の名を冠する英雄たちと肩を並べて進軍するのである。
 あとは、長きに渡って続けられたこの物語を「めでたし、めでたし」で終わらせるだけだ。
 そして今は、そのために成せることを精一杯するだけだ。
 だからレイドは、振り返らずに屋上をあとにした。










 7月3日。消灯時間を目前に控えたプレストンの第27機甲連隊ホームPXにて、幾ばくか異様な光景が広がっていた。最早、すべての隊員が自室に戻り、就寝しようとしている中、PXには先日のブリーフィングルームとほぼ同じ顔触れが揃っていたのだ。
「どうだった? 1日、様子見てみて」
 その中、中心人物である白銀武はテーブルの上に置かれた片倉美鈴特製サンドウィッチに手を伸ばしながら、誰に対してというわけでもなくそう投げかける。
「連携自体は良好ですね。最初は戸惑う部分もあったようですが、5回の訓練を待たずして、水準以上の成果を出しています」
「こっちも2個中隊以上で固まっている限りは問題ないわね。分断されると、状況は一気に悪くなることは否めないけれど……」
 その武の問いかけに答えるのは副長のマリア・シス・シャルティーニと、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)欧州残留組のまとめを任された榊千鶴の2人だ。

 彼女たちが言っているのは、今日の日中に行った訓練に関するそれぞれの感想である。1週間を待たずして、ハイヴ攻略作戦へと身を投じることとなった彼らの部隊は、1つとして完全充足状態ではなかった。
 第27機甲連隊は実質の2個中隊、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)ですら、平均損耗4人。それが、つい先日に起こったイギリス防衛戦での被害だ。
 無論、その状態のまま、彼らはミンスクへと進軍しなければならない。
 しかも、たった3日間の訓練期間を経て、だ。尤も、その訓練期間も残すところあと1日。ミンスク侵攻作戦の開始まで既に60時間を切っていた。7月5日未明には、ほぼすべての人員がこの基地から出立することになる。

 それまでに彼らはミンスクを攻略出来る準備を整える必要があるのだ。

 それに当たって、武が指揮下の第27機甲連隊に施した処置は、中隊の併合である。既に連隊には271戦術機甲中隊(セイバーズ)と273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の2個しか残っていない。レイド・クラインバーグの275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)も解隊し、両隊に隊員を割り振っていた。
 連携の面で一抹の不安は残っていたが、先ほどのマリアの報告を聞く限りは問題もなかったようである。

「ヴァルキリーズの方は再編成するよりも2個中隊以上で固めた方が弊害は少ないだろうからなぁ……」
「うむ……幾らか編成を試してみたが、前衛型中隊は私の第5中隊(レギンレイヴ)、涼宮の第6中隊(スルーズ)、彩峰の第7中隊(ヒルド)に適性がある」
「逆に後方支援主体の中隊だと榊の第4中隊(フリスト)と珠瀬の第8中隊(ランドグリーズ)、柏木の第10中隊(フレック)だね。鎧衣のところはどっちの対応もソツがない」
 咀嚼し、サンドウィッチを飲み込んだ武の言葉に、御剣冥夜が同意して各中隊の特性を述べる。それに続く形で彩峰慧も口を開いた。もちろん、元々の戦力バランスは各中隊ともそう変わらなかっただろう。だが、イギリス防衛戦でより長ずる部分が生き残った結果、そのような差異が生まれたに過ぎない。
 どちらにせよ、彼女たちの平均損耗は4人。実質、各中隊は2個小隊から成っていることになる。
 1個中隊でもまともにハイヴ坑内を行軍出来るか怪しいのだから、その状態で殴り込むのは自殺行為だ。無論、確実な手段などどこにもないことだって武は理解している。だが逆に、確実な手段がないからこそ、取捨の選択から確実な成果を挙げなければならない。

 命を差し出すにしても、それは最大限のメリットに昇華させるべきなのだから。

「………両連隊の戦力を統合して、部隊を3つに分割しよう。どの道、俺たちの中隊が全部纏まって動くほどスペースは確保出来ない」
「そうなると……大隊で3個。俺たちは再編したことで完全充足状態ですが、連携の面を考えれば切り離さない方が良いでしょう」
「確かにそうですね」
 武に続くレイドの言葉にエレーヌ・ノーデンスも同意を示した。爆撃や砲撃支援の利いている地上ならばまだしも、孤立無援のハイヴ坑内では部隊の能力こそがすべてだ。連携を取る際の1分、1秒の差が部隊としての生死すら分けるのだ。
 ふむと相槌を打ちながら、武はそのまま2個目のサンドウィッチに手を伸ばす。

「なら、白銀の方には御剣を預けるわ」

 次の瞬間、武が取ろうとしたサンドウィッチを、パッと先に取った千鶴がそう言った。それによって全員の視線が彼女へと注がれる。
「……いいのか? 冥夜はヴァルキリーズの前衛の雄だぞ?」
 ムッと一瞬、顔をしかめた武は、周囲の空気などお構いなしに別のサンドウィッチを取ってから、千鶴に改めて問い返す。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の第1、2、3中隊が凄乃皇の直援につくため、地上に留まる以上、突入部隊の中で恐らく彼女は最強と評価しても遜色ないほどの単独戦闘力を持つだろう。
 それを、敢えて自分たちから切り離して、武に預けようと彼女は言うのだ。
「同時に、第5中隊(レギンレイヴ)の損耗は群を抜いて多いわ。作戦に参加出来るのはたった6機よ? 総合戦力を均一化する意味では、妥当な判断だと私は思う」
 勝ち取ったサンドウィッチを一口齧り、咀嚼して飲み込んでから千鶴はそれに答えた。その返答も至極尤もな話である。
「御剣は黙ってていいの? 当人として、意見は?」
「客観的に見てタケルと榊の意見はどちらも的を外していない。ならば、私にはどちらに転ぼうとも選択権はないであろう」
「そうだな」
「そうね」
 武と千鶴のやり取りを傍観していた冥夜に晴子が問いかければ、彼女は腕を組んではっきりとそう答えた。それに対して武も千鶴も視線は向けずに肯定の意味を示す。
 実際のところ、両者の意見にはこの段階で甲乙は付け難い。イギリス防衛戦で失われた第5中隊(レギンレイヴ)の戦力は半数の6機。これを全体と比べて多いと取るか、まだ少ないと取るのかで分かれると言えよう。
 どちらが正しいとも間違っているとも言えないのならば、どちらに決まろうとも武の口から冥夜に伝えられるのは上官命令だ。だから彼女は「選択権がない」と表現したのである。

「もし御剣大尉の中隊を僕たちと併合させるとなると、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の編成はどうなるんですか?」
「第4、7、8中隊で1つ、第6、9、10中隊で1つ。機体総数のことも考えれば、それが妥当なところだな。そっちに関して何か意見は?」
 ヘンリー・コンスタンスに問われた武は、それに答えてから全員に意見を求める。だが、そこに関しては誰も異論はないのか、全員が無言のまま一斉に首を横に振った。
「分かった。第5中隊(レギンレイヴ)はこっちに編入。明日の突入訓練は、今の編成でしよう。現状で各隊の指揮は俺と、榊大尉、涼宮大尉に任せる。3つのルートで、俺たちはミンスクの反応炉を目指す」
「了解」
 武の決断に全員が声を揃えて応じる。一応、明日の訓練という表現は行ったが、残された訓練時間は明日のみだ。だから、彼らにはもう試行錯誤の時間すら残されていない。
 つまり、それは事実上の実戦編成。余程の理由が発生しない限り、今の編成を保ったまま、第27機甲連隊と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)はミンスクハイヴへと突入を敢行する。

 無論、突入部隊は彼らだけではない。尤も、どうやら香月夕呼もレナ・ケース・ヴィンセントも武たちを除いてミンスクを踏破出来る部隊は他にないとまで考えているようだが。

 ただ、そう考えたくなるのも些か頷けた。
 通常、ハイヴ制圧作戦を行う場合、地下茎構造内に潜んだBETAを陽動で地上に引き摺り出してから突入が開始される。フェイズ5であるミンスクは、初期値で約10万……小型種まで換算すれば100万から200万ほどである。これは砲撃支援さえ継続されていれば、陽動に当たって少なくはないが絶望的な数でもない。
 しかしながら、今回においては既に地上に20万のBETAが存在している。これを蹴散らしながら、地下のBETAを地上に引っ張り出さなければならないのだ。
 それに割かれる戦力が、現在、決まっているだけで国連全軍、EU連合全軍、帝国軍と斯衛軍の混合戦力であった。

「委員長たちは朝食後から全員、西部の駐屯施設に向かってくれ。そっちのシミュレーターを借り受けた。涼宮たちの方は南側の施設だ」
「他の基地の施設まで? よく貸してくれたわね」
「設置されているシミュレーター機を使い切るだけの部隊が、プレストンの各駐屯地には残っていないのですよ。我々が突入部隊の1つだと説明すれば、貸さない理由などないでしょう」
 武の指示に驚きを示す千鶴。だが、その彼女の疑問を解消する回答がマリアからされる。
 プレストンが擁する基地の部隊も、先日の戦いで多数の損害を被った。だから、基地施設自体は稼動していても、それを使う要員があまりにも少ないのである。
 その余っている施設を使わせてもらえるよう、今日の午後、リィル・ヴァンホーテンがシミュレーター確保のためにプレストンを奔走していたのだった。

「管制官にはうちの情報班から要員を回す。1日かけて、ミンスクの踏破率を100%にしろ」
「了解」
 再び、夜間のPXに勇ましい「了解」の言葉が響く。100%でなければならない。99%でも納得してはいけないほど、彼らはその背中に多くの命を背負っている。

 今も生きている者の命も、大戦史の中で散っていった者たちの命も、そのすべてを背負って、彼らはミンスクへと進軍するのだ。

 次の瞬間、不意に武の隣のマリアが席を立つ。椅子を引くその音に全員の視線が集まった。同じように武が「どうした?」と瞳で問いかけると、マリアはすました顔で口を開く。

「……お茶が冷めてしまいましたので、新しいのを淹れてきます」

 その言葉に、誰しもが呆気に取られる。
「……くっ……そりゃいいな」
 同じよう、一瞬、呆気に取られた武だったが、すぐに吹き出して、相槌を打った。冗談なのか本気なのか判断がつかないが、そんな発言で場を和ますとは、マリアにしては斬新だ。

「なら……BETAに勝てそうな一杯を俺に頼む」
「中佐がそうご希望されるのであれば、難しい注文ですが善処しましょう。お任せください」

 彼女に負けまいと武も我ながら訳の分からない要望を出す。それに対してマリアは肩をすくませながらも小さく微笑み、了解の旨で応じてきた。


 その場にいる全員が自身のカップに注がれた紅茶を飲み干し、マリアに対して空のカップを差し出してきたのは、その直後のことだ。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第79話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/03/04 16:00


  第79話


 遺書は書かない。
 それは白銀武にとって1つの意地のようなものだ。言わば、必ず生還してやるという意志表示である。だが、今回ばかりはその意地に一度、小さな綻びが生まれていた。
 基地要員のほとんどが出撃を間近に控えた第27機甲連隊ホーム。その自室で立ったまま、デスクの上に置かれた2体のぬいぐるみと2通の手紙を彼は見つめている。
 1つは、幼馴染みでもある、愛する彼女と、妹のような愛くるしい少女への贈り物。
 そしてもう1つは、昨日の夜に武がしたためた2通の遺書である。片方には鑑純夏様という宛名書きがされていて、もう片方には誰の名前も書いていない。

 何故、今回に限ってこんなものを書いてしまったのだろう。

 そう考える武の脳裏には、母の顔が浮かぶ。
 結局、彼は朝霧叶に対して息子らしいことは何も出来なかった。それと同時にきっと、朝霧叶もまたシロガネタケルに対して母親らしいことはあまりしてこられなかったのだろう。
 武と母との間にあったのは、彼女が逝く直前のほんの十数秒間のみ。
 それが、あまりにも辛い。いや、そうでなくとも、母が逝ったという事実しか残らなかったことが、武には辛い。

 遺書とは恐らく、死者との対話を可能にする絶対的なものなのだろう。

 既に言葉を交わすことも叶わない故人の想いが綴られた、そしてその想いを第三者が知ることの出来る絶対唯一の道具であるに違いない。それが、遺された者にとってどれほどの救いになるのか、またあるいは、どれほどの足枷になり得るのか、今の武には理解出来ていた。


 嘆くな。笑え。


 神宮司まりもから、もしその言葉が届けられたとしたら、どんなに楽になれるだろうか。
 伊隅みちるから、もしその言葉が届けられたとしたら、どんなに強くなれるだろうか。
 朝霧叶から、もしその言葉が届けられたとしたならば、白銀武はどれほどに自らを奮い立たせることが出来るだろうか。

 万が一、自身が死んだ後に彼女へとこの言葉を届けることが出来るのならば、武は何だってするだろう。どんな策でも講じるだろう。
 だから、気がつけば便箋を前に筆を取っていた。
 この身が朽ち果てた後、彼女が決して意味のない自責の念に囚われることがないように、と。

 遺書を前に、武はふんと面白くなさそうに鼻を鳴らす。だが、その表情は相反して不敵な笑みに変わっていた。
 悪い手ではないと思う。
 かつてから「遺書は書かない」と考えていたのは、必ず生還してやるという一種の意志表示だったのだが、「遺書を書く」というのも気の持ちようでは同じことだ。


 生きて帰って絶対に処分してやる。


 何せ赤裸々に書き綴った遺書だ。立場柄、情報漏洩を防ぐために必ず、宛名の人物に渡る前に第三者のチェックを受ける。彼女に読まれるだけならいざ知らず、そんなものを他の誰かに読まれるのも良い気分ではない。
 武は再び2通の手紙に視線を向ける。あれをこの手で破り、ゴミ箱に捨てる時はそこそこに爽快だろう。
 そう自分に言い聞かせて、武は自嘲する。

「……悪いな、純夏。もしかしたら渡せなくなるかもしれねーけど、御守りにさせてもらうわ」
 2体のウサギのぬいぐるみを手で取って、武は軽く笑う。今はとにかく、些細なことにも縋りたい気分だった。
 書き綴った遺書を何としてでも処分するために、生きて帰る。
 このぬいぐるみを何としてでも純夏に贈るために、生きて帰る。
 そういったものにどうしても頼りたくなってしまうのだ。そういった、目に見える確かなものに頼らないと、何かの拍子で折れてしまいそうなのだ。

 白銀武とて、超人ではない。ただの人間なのだから。

「白銀中佐」
 不意に、部屋のドアが外側から叩かれ、続いて声がかけられる。副長のマリア・シス・シャルティーニだ。武は「ああ」と受け答えるだけで、デスクの前から踵を返す。
「出撃準備は整ったのか?」
 自室をあとにした武は、通路で待っていたマリアへそう問いかける。既に武と同じく、マリアも強化装備姿だ。
「は。総員、準備を完了しております。あとは、出撃命令を待つばかりです」
「そうか。じゃあ、行こう」
 マリアの返答に武は頷き、言うが早いが歩き始める。マリアもそれに「は」と再び応え、いつものように、武の斜め後ろを追随する形で歩き始めた。第27機甲連隊も戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)も、既に待機状態にあり、残すは武が正式に出撃の号令を出すのみである。
 これから武たちは、イギリスを出立し、既に他方面の国連軍が先行して確保した行軍路を辿ってミンスクへと進軍する。武たちの他に地上を行くのは欧州国連軍にEU連合軍、そして帝国軍と斯衛軍の混成軍だ。
 軌道上からはハイヴへと先行突入する国連軍軌道降下兵団と、横浜基地を出撃する凄乃皇と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)を中心としたその直援部隊、そして、昨日、参加を表明したソビエト・アラスカ連合軍がその戦力を順次、戦地へと降下させる手筈となっていた。
 また、ASEANの連合軍も現在、欧州に向かって部隊が移動中と、レナ・ケース・ヴィンセントから武は聞いている。作戦開始予定時刻には間に合わないが、開始から3時間以内には彼らもミンスクへ到着し、攻撃を開始するそうだ。

 始まるのは象徴的な総力戦。30万を超えるであろうBETA群とフェイズ5の規模を持つハイヴ、そして新上位存在との熾烈な戦い。

 何の因果か、そこは人類が史上、初めて突入したミンスクのハイヴだ。

「……マリアは酒も嗜むんだっけ?」
 最早、無人となった通路を歩きながら武は後ろに続くマリアへそう訊ねる。エレーヌ・ノーデンスが口にしているところは見たことがあるが、マリアが飲んでいるところは武も見たことはない。
 彼女はどちらかと言えば、お茶の方を好んでいるように見えた。
「頻繁に飲むことはありませんが、嫌いではありませんね。以前の隊ではノーデンス大尉に付き合っていたこともあります」
「エレーヌはたまに晩酌とかしてるもんなー」
 ほろ酔いのエレーヌを思い出しながら、マリアの返答に武はくくっと小さく笑う。連隊の中で最も頻繁にアルコール類を口にしているのは整備兵総轄のケヴィン・シルヴァンデールだろうが、その実、エレーヌだって決して少なくない筈だ。
 それに対する規制も特にはない。元々、一兵がまともに入手出来るアルコール類はほとんどが合成品で、度数も低いものだ。泥酔状態に陥っていれば武も状況如何では営倉に放り込まざるを得ないが、幸か不幸か、好んで飲んでいる者は大抵がザルだった。
「ですが、それが何か?」
 それに対してマリアが疑問を投げかけてくる。訓練明けの宵の口ならばまだしも、いきなりこの状況で「酒は嗜むのか?」などと訊かれては、不思議に思うのも止む無い。
「うん? いや、これが終わったら、一杯、付き合ってもらおうかと思って」
「ああ……成程。すみません、中佐にはあまりアルコールのイメージがありませんでした」
「別に強いわけでもそれほど好きなわけでもないからな。美味しく飲めるのは精々、3杯目くらいまでだと思う」
 マリアの返答に武はまた笑う。あれが嗜好品の一種だとは分かっているが、同時に判断力を一時的に鈍らせるものであるということも重々に彼は承知していた。飲むことが出来るような立場になったとしても、武があまりアルコールに流れないのは、そういった要因も大きい。

「まあ……それでも祝杯ってのは酒じゃなきゃしっくりこないよ」

 祝杯という言葉を強調して、武はそう告げる。
 そう、祝杯だ。勝利の美酒とも表現出来よう。ミンスクに集結した有象無象共を蹴散らし、新たな上位存在も破壊。ハイヴを制圧し、このプレストンへと生還してから、共にそれを祝おうという意志表示。

「……そうですね。その時は是非、御相伴に預かりましょう」

 マリアも一瞬、黙ってから穏やかな口調でそう答える。
 これから身を投じるのは30万ものBETAが犇く戦場であり、彼らはそれを退けながらフェイズ5ハイヴを踏破することを望まれている。容易ではないことなど、馬鹿でも分かるだろう。
 フェイズ6に達そうとしていたベオグラードのH11に比べればハイヴの規模こそ小さいが、BETAの数は2倍を上回っている。目標に達するに、いったいどれほどの犠牲を強いれば良いのか、武には予想も出来ないし、したくもなかった。


 それでも、今の武にだって1つくらい、言えることがある。


 マリアを伴ったまま、武は兵舎を抜け、そのまま無数の不知火が隊列を組む駐屯地滑走路に出る。武とマリアが搭乗する不知火弐型は、武たちの正面で既に威風堂々と鎮座していた。
 視界の両側には第27機甲連隊と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の隊員が右と左に隊列を組み、武とマリアの登場と同時に足並みを揃えて敬礼を取る。
 部下たちによって築かれた自らの愛機への道へ武は1歩、足を踏み出し、不意に足を止めた。


「……俺は、無力な人間だった」


 足を止めたまま、武は呟くようにそう口にする。しかし、それは決して独り言などではない。何故ならば、強化装備の通信機を通して、隊列を組んだ戦友たちそれぞれに呼びかけているのだから。
 武のその言葉に全員が不思議そうに眉をひそめて敬礼を解くが、体勢は崩さず、背筋は一様に伸ばしたままだ。しかし武は、そんな彼らの反応など構わずに言葉を続ける。


「甘い時期があった。誰にだって、多かれ少なかれ、訪れる時期だと思う。自分は何だって出来るんだって、自分にしか出来ないことがあるんだって、確証も無く漠然と、思い上がってた頃だ」
 武はかつての自分を思い浮かべながら告げる。脳裏に過ぎるのは、かつての世界の自分か、この世界に放り込まれた初期の自分か、そんなことは武自身にもよく分からない。
 ただ、1つ言えるのは、自分は絶対、特別なんだと自惚れていた頃があったということのみだ。

「すべてが救えると思っていた。だけど、俺の身体は1つしかない。救えるものは結局、目の前にある極わずかなものだけなんだと、いつだったか思い知らされた」
 BETAはユーラシア大陸全域に存在している。極東の、関東の、横浜の一角で過ごしていた武に出来ることなど、所詮は限られている。いくら未来を知っていようとも、武にはそれを理解ある相手に伝えることしか出来ない。
 何も出来ないことは確かに思い知らされたが、それでもその時はまだ、結末を変えるためには仕方のない犠牲なのだと、分かった風な考え方をしていたのだと武は思う。

「だけど、結局、目の前にあってもこの手から零れ落ちていくものはいくらでも存在していた。失いたくないものを失って、ようやくそこで俺は、自分が自惚れていたんだと気付いたんだ」
 その前に1度逃げてしまったが、と武は心の中で付け足す。武がこの世界で最初に零してしまったのは、間違いなく恩師と言える、敬愛する教官の命そのものだった。


 そこで、武はようやく隊列によって作られた路を歩き始める。絨毯こそそこにはないが、兵士にとっては絢爛豪華であることに相違ない。


「無力だと嘆くことは誰にだって出来る。諦めれば楽かもしれない。だけど、そこには何も残らない。何も遺せないのはそれこそ糞喰らえだ」
 先刻までの悲哀を帯びた表情から一転し、武は鋭い双眸で空を仰ぐ。訓練兵時代から親交のある戦友たちも、欧州で出会った部下たちも、何も言わず、武の言葉に耳を傾け続けていた。

「力を貸してくれ。俺1人じゃ出来なかったことが、10人いれば出来るかもしれない。100人いれば果たせるかもしれない。1000人いれば、考え付かなかったような未来を手繰り寄せることが出来るかもしれない」
 凡庸な尖兵でも1000人寄れば一騎当千に太刀打ち出来る筈。そういう意味だ。
 その歩みは止めない。1歩ずつ、1歩ずつ、これより一昼夜以上、この身を委ねることとなる不知火弐型へ向かって足を進める。武の背後にはマリアの気配がずっとあった。武の発する音を除けば、この場で音を立てているのはマリアだけだろう。

 碌でもない大演説だ。少なくとも、ただの学生であった白銀武ならば、こんな台詞は容易に吐けるものではない。たとえ言ったとしても、すぐに恥ずかしくなって自分から茶化してしまうくらいのことはやりかねないだろう。
 マンガやゲーム、ドラマ、アニメ、小説。そんな世界で使い古された陳腐な言葉も、今は悪くない。何故なら、それは本当の意味で率直な想いを表したものだから。
 力を合わせようなど、その典型だ。自分という存在がかつて学生として生活していた世界で、日常からその言葉に万感の想いを込められる者がいったいどれだけいただろうか。力を貸してほしいなどと臆面もなく言える人間が、そしてその相手に全力で手を差し伸べる人間が、いったいどれほどいただろうか。

 武は再び足を止め、左側に顔だけ向ける。そちらに列を成しているのは、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の総員だ。


「死力を尽くして任務にあたれ」
 言葉を紡ぐ。それは、かつて武も口にしていた決意の言葉だ。
「生ある限り最善を尽くせ」
 言葉を紡ぐ。それは、かつて武も口にしていた誓いの言葉だ。
「決して犬死にするな」
 言葉を紡ぐ。それは、かつて白銀武も支えられていた唯一無二の―――――――――


「ヴァルキリーズ隊規復唱ッ!!」
 武がそう命じるより早く、前隊でも苦楽を共にしてきた7人の戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長たちが高らかに声を発する。
「死力を尽くして任務にあたれッ!!」
「生ある限り最善を尽くせッ!!」
「決して犬死にするなッ!!」
 その隊長陣の号令に応えるのも、やはり戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の衛士。A-01の隊規は今尚、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)へと引き継がれている。
 武はそのまま視線を右へ。つまり、右側に列を成した第27機甲連隊衛士へと向ける。

「………第27機甲連隊、総員復唱!!」

 武の視線からその意図を汲み取ったらしいマリアが、武に代わって部下全員に向けてそう命じる。一瞬、命じられた部下たちは戸惑ったようだったが、すぐに足並みを揃えて敬礼の格好を取った。

「死力を尽くして任務にあたれ!」
「死力を尽くして任務にあたれッ!!」
 再び武はその言葉を口にする。今度は先程より声高に、謳うように、だ。
「生ある限り最善を尽くせ!」
「生ある限り最善を尽くせッ!!」
 敬礼を解き、気を付けの体勢を取る部下たちも武に続く形で、ヴァルキリーズが隊規とする文句を詠唱する。
「決して犬死にするな!」
「決して犬死にするなッ!!」
 今、この場に残っている武の部下たちは全員がフェイズ5ハイヴを踏破し、先日のイギリス防衛戦を生き抜いた衛士なのだ。それは彼らにとって初めて聞く文句だろうが、その言葉の重さは一様に伝わったに違いない。


「総員復唱ッ!!」
「死力を尽くして任務にあたれッ!!」
「生ある限り最善を尽くせッ!!」
「決して犬死にするなッ!!」


 武の呼びかけに、今度は両連隊の隊員たちが同時に咆哮した。所属する部隊は違えども、今、この時より作戦が終わるまでの間、全員が白銀武の指揮下に編入している。
 ならば、掲げる志に相違などない。伊隅みちるから直接この言葉を教えられた者はこの場に武も合わせて8人しかいないが、その言葉自体は連綿と受け継がせることが出来るのだ。
 それが、生き残った者に課せられた責務の1つである。


「第27機甲連隊及び戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)総員、搭乗を開始せよ! 本時刻をもって、俺たちはプレストンを出撃! ミンスクへ進軍を開始するッ!!」
「了解ッ!!」
 ついに武の口から下される出撃命令。再び敬礼を取って「了解」と答える両連隊の衛士たちは、滑走路に並べられた己の愛機に向かって、一斉に駆け出す。武もまた同様に、そのまま正面にそびえる鋼鉄の巨人へ向け、その足を速めた。
 武が戦場へ携えてゆくのは、長年、お守りとしてきた黄色いリボンと、愛しい恋人と愛らしい少女に贈るために作った小さなウサギのぬいぐるみ。それを除けば、奮い立たせた気概のみ。




 彼らに携えることが許されたのは、愛と勇気のみだ。










 7月6日 現地時間1800 日本 神奈川県 横浜基地。
 香月夕呼は、あの日と同じように高台に立ち、遥か西の空を見上げていた。その胸には、やはりあの日と同じようにただ1人の親友の遺影が抱えられている。

 日本時間で午後6時。グリニッジ標準時間ならば、7月6日の午前9時だ。それは即ち、ミンスク侵攻作戦の戦闘開始予定時刻を指す。

 当の昔に、横浜基地にて出撃の準備を整えていた凄乃皇と第1から第3までの戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)所属中隊を中心とした横浜基地部隊は、軌道上からミンスクへと降下するために桜花作戦の時と同じ形で出撃していった。陸路でミンスクへと進撃することになっていた白銀武たちは、更にそれよりも早く、向こうを出立している。
 作戦が予定通りに開始されたとすれば、陸路を辿ってミンスクへと到達した国連軍とEU連合軍、そして帝国軍と斯衛軍がBETAに対して総攻撃を開始している筈だ。

 香月夕呼は、今回も見送ることしか出来なかった。
 佐渡島の時のように戦場のすぐ近くでサポートに回ることすら出来ない。出来るのは、桜花作戦の時と同じで、彼らが生きて帰ってくるのをこの横浜の地で待つことだけだ。
 自分は衛士でもなければ、そもそも兵士でもない。だから、BETAと戦う手段はこの頭脳しかあり得ない。

 遺影の入った額縁を掴んだ指に思わず力が入る。

 何故、自分は今、こんなことをしているのだろう。他人から「何をしているの?」と問われても、今の夕呼には理路整然と答えられる自信がない。
 親友の遺影を抱えて、西の空をただ見上げているなど、何と無意味なことだろうか。少なくとも、それが外部に対して働きかけるものなど、この状況では微塵もないのだ。
 論理的観点から見て、弔いとは死者のために行うものではなく、自身のために行うものである。慰霊とは、霊を慰めるための行為ではなく、霊に慰められるための行為である。

 だって、そうでしょう?

 夕呼自身は心霊の類などまるで信じておらず、たとえ世間にその存在を信じている者がいたとしても、「霊が見える」、「霊と対話出来る」などと言う者はそうそう溢れてはいない筈だ。正直、夕呼の目から見れば寧ろそういう連中は胡散臭い。
 それでも、今の夕呼を含めて多くの者が、墓前で手を合わせたり、慰霊碑の前で黙祷を捧げたりするのは、死者と擬似的に対話するためである。向こうから声をかけてもらうことはもう叶わないが、そういった標を介してこちらから向こうへ語りかけることを、それは目的としているのだ。

 極端に言えば、一種の自己満足。
 何故なら、それは相手に対してただ一方的に話しかけているに過ぎないから。

 今の夕呼もそれは同じこと。
 この夕呼の姿を見ている者は他に誰もおらず、この夕呼の心中にある想いを認識出来る者は誰もいない。ならば、この香月夕呼が今、やっていることには如何なる意味があるのか。


 それを訊ねられても、香月夕呼には答えられない。否、“答えたくない”。


「………しっかりやんなさい、白銀武」

 暮れゆく日本の空を仰ぎ、親友の遺影を掲げる夕呼はぽつりとそう呟く。呟いたその名前の人物は、恐らくこの戦局を覆すための最重要人物。彼に対して、夕呼は極東の片隅から小さく激励の言葉を投げかけた。


 届きもしない場所から彼に向けて呟く言葉。











 それにも明確な意味など、きっと何もない。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第80話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/03/25 15:16


  第80話


 ハイヴ制圧戦に身を投じる者にとって開戦の狼煙となるのは、大抵の場合、軌道上艦隊から分離されるAL弾が地表に展開したレーザー属の放つレーザーによって迎撃された瞬間だろう。
 無論、作戦司令部から正式に作戦開始の旨は各員に伝えられるが、死線を潜り抜けてきた兵士であればあるほど、他人の口から発せられた言葉などより、耳をつんざく轟音の方がよほど、それらしい。

『………これはまた……熱烈歓迎ムードですねぇ』

 重金属雲の発生と共に開始されるのは、地表展開の砲撃部隊とバルト海に展開したEU連合海軍の艦隊によるAL仕様攻撃だ。それに対してもレーザー属からの迎撃は激しく、空中で轟く爆音は尚も勢いを弱める気配が感じられない。

 その光景を見て、エレーヌ・ノーデンスが呟いた言葉が先刻のものである。

「嬉しくないな」
 彼女に呟きに、武は頬を引き攣らせながら「洒落にならない」と述べる代わりにそう答える。だがその光景は、本当の意味で洒落になっていないのだ。
 エレーヌとて、武と共にH12、H11の制圧作戦に参加した衛士だ。それまでの経歴を見ても、ハイヴ攻撃作戦への参加経験も彼女はある。その、エレーヌの目を通しても、それは“異常な光景”だったのだろう。

 まるで重金属雲濃度が高まっているとは思えないほどの大小無数のレーザー照射。本来であれば、とうに通常砲弾やロケット弾によって面制圧が開始されていてもおかしくないほどのAL仕様爆撃を繰り返しているというのに、レーザーの威力が減退してくれないのだ。
 理由は実に単純明快。
 地表展開のレーザー属の数が圧倒的なのだ。本来であれば光線級でも1体で迎撃するような空間飛翔体すら、5、6体と集まって焦点を合わせてくるため、規定値の重金属雲すら、効果が挙がっているようにはとても思えない。

『世界中から掻き集められたとはいえ、砲弾が保つとはとても思えぬな』

 尚も続くAL仕様爆撃とレーザー属との一種の攻防を見つめ、戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)から正式に武直下へと一時編入した第5中隊(レギンレイヴ)の御剣冥夜も厳しい戦いになりそうだと言うように呟く。
 そんなことは、武だって重々、承知している。
 作戦参加勢力から掻き集めた砲弾量は、通常のフェイズ5ハイヴを制圧するために必要とされる量など当に上回っている。恐らく、予測値のみで述べればフェイズ6ハイヴ制圧に必要な量すら、悠に超えているだろう。
 それでも心許ない。そもそも、地上の砲撃部隊の総数も桁違いのため、消費速度も速いのだ。砲弾量が多いからといってそれが長く継続出来ることに直結するとは限らないと言える。

「地表制圧は凄乃皇頼みになりそうだ」

 だから、武は実に不本意ながらもそう答えた。
 個人的な事情を前面に出せば、凄乃皇という兵器に活躍されるのは武としては面白いことではない。それが戦場に出てくるというのは即ち、純夏が戦場に出てくるということに他ならないからである。
 だが、それは何よりも彼女自身の意志であり、同時に、それ以上の策など他にないと分かっているからこそ、武はそれを享受する。

 いや、彼女と凄乃皇がいなければ、どう足掻こうとも恐らく武とてこの戦場で容易に朽ち果てるだろう。

『スサノオとは確か……横浜基地出撃の主力兵器でしたか。主砲である荷電粒子砲の注意点については事前に聞きましたが、どれほどの戦果が期待出来るのでしょうか?』
「明言しかねる部分もあるけど……俺が見た同型機はフェイズ4ハイヴの地表構造物を一撃で粉砕していた。実数とはいえ、数万規模のBETAを簡単に薙ぎ払える筈だ」
『地表構造物を一撃でッ!?』
 マリアに答えた武の言葉で、ヘンリー・コンスタンスが驚きの声を上げる。ただ、それも驚くなという方が無理な話だろう。
 ハイヴの地表構造物は、ハイヴの規模を測る最も安易な尺度だ。正確な地下茎構造のマップが入手される以前は、往々にして地表構造物の規模からハイヴのフェイズ分類が成されていたといっても過言ではない。
 フェイズ4ハイヴの場合は、その高さ約1200m。頑強な物質で形成されたそれを破壊するのは非常に困難だ。尤も、ハイヴの中心に聳え立つ地表構造物を制圧作戦にて通常の攻撃で破壊しようなど、そもそも非効率なことこの上ないのだが。
『そんなものまで実用化に至っているのか……しかし何故、それほどのものが今日までひた隠しにされてきたのですか?』
 この作戦においては271戦術機甲中隊(セイバーズ)のC小隊を任せているレイド・クラインバーグもヘンリー同様、驚きを隠せないようだが、流石は最古参である。同時に、すぐさま気付いた疑問を投げかけてきた。

 それには、武もどう答えたものかと一瞬、悩む。

『クラインバーグ大尉。我々も委細までは把握しておりませんが、香月副司令の言では、重力制御の関係でこれまで凄乃皇は実用化に至らなかったということです』
 武が口を開くよりも早く、冥夜がレイドへと答える。
『ふむ……成程。荷電粒子砲は件の兵器の内蔵兵装だったか』
『はい。荷電粒子砲に使われる電力は重力制御の際に生じる余剰電力を利用したものだと伺っています』

 冥夜の返答に納得したというように相槌を打つレイド。彼は恐らく、冥夜の発言から幾つかのことを感じ取ったのだろう。無論、荷電粒子砲と凄乃皇の関係もそうだが、何より、“その情報レベルが非常に高いこと”を。
 冥夜たちすら委細把握していないという発言に加え、香月夕呼の名前が出た以上、レイドやマリアほど勘が良ければ思わず“退く”に違いない。

『余剰電力でその威力なのか……』
『心強いね』

 衝撃で思わず呆けてしまっている柏木章好に対し、その良妻たる水城七海は実にマイペースだ。彼女が訓練兵であった頃は、流石にそこまで肝が座っているようには見えなかったのだが、今は充分に度胸がある。
 精神的方面に関しては見る限り七海の方が章好よりも伸びているのだと、1人の教官として武は分かった。

「………無駄口はそこまでだ。地上部隊の砲撃が右翼から通常砲弾に変わり始めた。突入まで後方支援に徹するとはいえ、油断するな」
『了解!』
 ようやく充分な濃度に達した重金属雲に、砲撃部隊の使用する砲弾がAL仕様から変わり、本格的な面制圧が始まった。徹底的な面制圧。名目はそれだが、実際には敵の物量に圧倒されており、飽和攻撃にどれほどの効果が期待出来るのか、武にも容易に想像出来ない。
 しかしながら、少なくとも面制圧が始まったということは戦術機の出番は目前まで迫っているということに他ならなかった。

 作戦は第1段階から第2段階に移行。地表展開部隊は重金属雲濃度を維持しながら、レーザー属を中心としたBETA群の掃討に入る。これは第3段階の軌道上待機部隊の軌道降下の安全性を可能な限り高めるためのものだ。
 通常のハイヴ制圧戦ではそれは先行突入部隊に当たるが、今回に限って言えば、そこに凄乃皇を始めとした総数150機を超える横浜基地戦術機甲部隊も含まれる。どちらにせよ、作戦において要の一角を担った戦力である。
 いや、この作戦には1つとして余剰戦力などありはしない。何か1つでも要素が欠けることは、半ば全滅を意味するだろう。

「委員長! 涼宮! そっちは大丈夫か!?」
『こちらヴァルキリーズA フリスト1! 部隊の展開は完了しているわ』
『こちらスルーズ1! ヴァルキリーズB隊も展開完了! いつでもいけるよ、白銀』
「セイバー1了解。突入までは補給線の守備が主任務だ。各隊、頭数を減らさないように立ち回れよ」
『了解!』

 武の呼びかけに、第27機甲連隊部隊から見て両翼に展開している榊千鶴と涼宮茜の2人が応じる。当初の予定通り、彼女たちは第4、7、8中隊をヴァルキリーズA隊として右翼へ、第6、9、10中隊をヴァルキリーズB隊として左翼へ展開した。
 この作戦における武たちの最大の任務は反応炉の破壊と、新上位存在の殲滅であるため、ハイヴ突入準備が整うまでは後方支援に徹するよう、司令部から厳命されている。
 大方、今日までの武の戦闘スタイルを危惧してのことだろうが、武とて真っ当な連隊指揮官だ。このような不完全な状態の部隊で、控えた大役の前に吶喊するほど馬鹿ではない。

 尤も、それがあくまで後方支援であって後方待機でなかったのは、実に戦況の悪さを臭わせているが。

「……なあ、冥夜」
『うん? どうした? タケル』
「…………意味のない無茶だけはするなよ?」

 訊き返す彼女に武はしばし、次の言葉をかけて良いものかどうか迷ったが、結局、そのまま口にすることにした。それを聞いた冥夜は、一瞬、きょとんと目を丸くする。
 だが、彼女はすぐに穏やかな表情で目を閉じ、口を開いた。

『そなたの言いたいことは量りかねるが、心配には及ばない』
「そうか?」
『うむ。あの方の御前で戦えるというのはこの上なく誉れ高いことだ。そのような場で、無様な戦いなど出来ぬ』
 ふふっと笑い、はっきりとした口調で冥夜は言葉を続ける。その表情には、確かに武が心配してしまうような隙は微塵もない。
 だが同時に、武は内心、ため息と悪態を吐いた。

 どこが量りかねるのか、と。

 今の発言は、十二分に武の抱く心配を理解した上での答えだ。尤も、そうやって真剣に、同時にある種の冗談で答えられるのなら、間違いなく武の抱いた心配などただの杞憂で終わるものであるのだが。

 武はゆっくりと振り返り、自分たちよりも更に後方に展開した部隊へとその視線を向ける。
 戦術機部隊の補給線を守る彼らよりも後方にいるのはそのほとんどが砲撃を司る車輌部隊だ。国連主力部隊やEU連合部隊、帝国陸軍部隊の戦術機は既に武たちよりも前に展開し、半刻と待たずして始まるであろう正面衝突の瞬間を待ち構えている。
 だが、武が視線をやったのは、砲撃部隊のどれでもない。
 現状、未だ後方に展開している数少ない戦術機部隊の1つだ。

 即ち、帝国城内省 斯衛軍。

 武すら今までお目にかかったことのないような大軍勢でこのミンスクまで進軍してきた彼らは、やはり戦場において圧倒的な威圧感を放っている。その名目上、今は後方待機を続けているが、実際にBETAとの本格的な戦闘が始まれば、そこにいる武御雷の半数以上は即座に武たちよりも前へと躍り出ることだろう。

 武とて、仰天している。
 この戦場に投入された斯衛軍戦力は、第2大隊、第18大隊の残存戦力も含め、“全力”だ。現在の本国に残されているのは欠員が生じた際に補充される斯衛予備兵のみに等しい筈である。
 そんなこと、通常では“あり得ない”。
 何故ならば、彼らは斯衛軍だからだ。日本が誇る精鋭中の精鋭。最強のインペリアル・ロイヤル・ガード。“ロイヤル・ガード”なのである。

 武の視線の先にあるのはただ1機。
 数多の武御雷をこの戦場で率いた、絶対唯一の色。







 紫紺の武御雷が、そこにいた。










「それでは、私の直援には第1大隊と第2大隊を。紅蓮、背中は任せます。白河は攻勢部隊の前線指揮をお願いします。第2大隊は本作戦が終了するまで、形式上は私が大隊指揮も兼任しますので、そのように」
『は、御意に』
『御心のままに』
 煌武院悠陽の言葉に応じるのは、両脇に率いた斯衛軍第1大隊と第3大隊の指揮官である紅蓮醍三郎と白河幸翆の2人だ。

 彼女は今、自らの専用機を駆ってミンスクの戦場にいた。

 理由など簡単だ。悠陽自身が、強くそれを望んだ故、である。尤も、彼女自身は同時に自分個人の力が戦況を直接左右出来るようなものではないことを理解している。
 将軍殿下とはいえ、悠陽が特化しているのはあくまで政治力だ。餅は餅屋に、戦闘は兵士に任せることが何よりも正しいのだということくらい、この場に立つ前から分かっていること。

 だがそれでも、斯衛全軍という大戦力をミンスクへ投入するためにはそれ以外の方策がなかった。
 否、この方法とて、極めて強引な力技だ。方策とは到底呼べるものではない。
 結局、斯衛全軍をミンスクへ投入する建て前を自ら作るために、悠陽はこれまでも自分を支えてきてくれた枢密院の先達たちに無理を強いてしまっている。
 そして、それでも「行ってこい、そして帰ってこい」と言ってくれた枢密院の長老様には感謝しても、し足りないくらいだった。

 俯きかけた顔を悠陽はすぐに上げる。

 餅は餅屋。ならば、自分が彼らに恩返しするのはこの戦場ではない。この戦いに勝って、そして生きて日本に帰ってからだ。

「……月詠、そなたも大隊を率いて前面に展開を。11大隊は18大隊の後方支援に回りなさい」
『はっ!』
『畏まりました』
 悠陽の指示に、月詠真那が指揮下大隊を率いて前進を開始する。それを追随する形で、山吹の武御雷によって率いられた第11大隊の36機も前進を始め、BETAとの衝突を目前に控えた部隊へと合流していった。
「侑香は灯夜と共に行きなさい。その方がお互いに安心でしょう?」
『御意に。ありがとうございます、殿下』
『お気遣い、痛み入ります。必ずや、吉報をお届けいたしましょう』
 悠陽にそう答えながら、部下を前進させるのは九條侑香と斉御司灯夜だ。彼らのその姿に、悠陽は少しだけ微笑む。
 2人の関係は悠陽も理解している。だが、そもそも、侑香と灯夜の2人はかつて同じ23中隊に所属していた間柄だ。公私の区別で何らかの問題が生じるとすれば、当の昔に生じているだろう。
 寧ろ、両隊の隊員たちの間柄まで考慮すれば、連携面でのプラス要素の方が遥かに大きいと言える。

『しかしまた……敵も圧倒的ですなぁ』
「地表展開20万、地下茎構造内に更に10万。フェイズ5ハイヴの許容量を遥かに上回っているのですから、止む無いことでしょう」
 紅蓮の呟きに悠陽は目を細めて、眉間に皺を寄せながら答える。かつて帝国軍が事実上の大敗に帰した、甲19号作戦で相手にしたBETAの規模も、例に漏れずおよそ10万程度だった。それを踏まえれば、30万という敵の規模が如何に強大な相手なのか語るまでもない。
「ですが、こちらも可能な限りの兵力を投入したつもりです。大慶の時のようには、させるわけには参りません」
『殿下の御前とあらば、兵の士気も一層、高揚するでしょうな。ここは1つ、盛大に朝霧の弔い合戦を繰り広げましょう』
「……ええ、そうですね。ですが、ただの戦いでは朝霧の弔いにはなりません。生きてこそ、皆で生き残ってこそ、朝霧への餞になります。そのことは、ゆめゆめ忘れないように」
『御意に』

 悠陽の言葉に、ニヤッと笑って紅蓮は応じる。彼は本当に強い。普段は寧ろ、白河や、それこそ朝霧の方がよほど立場に相応しい仕事振りをしていると感じるが、殊更、戦場において紅蓮醍三郎の纏う雰囲気は一線を画する。
 肉体こそ全盛期に比べ衰えているだろうが、培われてきたその気概には一騎当千の兵すら圧倒されかねない。

 操縦桿を握る手に悠陽は力を込める。
 戦場の先を見通す悠陽の瞳に映るものは、今現在、補給線の一部を守り続けているとある部隊の機体だ。
 それは欧州国連軍の第27機甲連隊と、横浜基地の精鋭たる戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の混成部隊。本作戦において、後にハイヴ坑内へと突入することになっているハイヴ攻略の要に等しい部隊である。




 尤も、悠陽自身にも、自分の瞳が不知火弐型を駆る彼を追っているのか、それとも不知火を駆る彼女を追っているのか、よく分からなかったのだが。










『ファング1よりブラッド1。バックアップは引き受けるわ。存分に暴れなさい、月詠少佐』
「ブラッド1了解。面制圧を突破してくる突撃級から捌く。第18大隊各機、私に続けッ!!」
『了解!』

 国連軍、EU連合軍が織り成した最前衛に逸早く展開した斯衛軍第11大隊と、第18大隊各機は、脅威の接近に気付いて防衛行動に移ったBETAに対して更なる攻勢を開始していた。
 これより軌道降下兵団がハイヴに突入するまでの間は、どれだけ地表のBETAを潰し、地下に潜んでいるBETAを上まで引っ張り出せるか、にかかっている。如何にハイヴ坑内は戦術機の独壇場と言っても、所詮は他の人類兵器と比較して、の話である。数万のBETA犇くハイヴに突入することなど、命を投げ捨てる行為に等しい。

 もし、その状況でも反応炉まで到達出来るというのなら、人類は当の昔に地球上からハイヴを根絶しているだろう。

 砲声が木霊し、大地が激震する戦場を月詠真那は愛機と共に駆ける。正面から迫るのは、BETA中最速を誇る突撃級の一団だ。ただし、最強の防御力を誇る突撃級の外殻も、継続される砲撃によってかなりのダメージを負っているようではあった。
 それでも、正面から120mmを浴びせかけるのは労力と砲弾の無駄だ。どう足掻いても長期戦になることを鑑みれば、後ろに回り込んだ方が遥かに得策である。

「はああああああぁぁッ!!」

 直線でしか移動出来ない突撃級。その群れの隙間を縫うように月詠は身を翻し、半ばすれ違い様に長刀を一閃させる。その一刀で柔い臀部を切り裂かれ、もんどりうって倒れるのは4体。
 あの短時間で4体だ。いや、同じように突撃級を斬殺した部下たちの戦果も加えれば、30体を超える突撃級が一瞬にして、砲弾を1発たりとも使われることなく沈められたと言える。

「大隊各機、掃射!!」

 月詠の号令と共に全機が反転し、長刀の攻勢を掻い潜った突撃級が反転するよりも早く、36mmで薙ぎ払う。砲弾を温存出来るのに越したことはないが、使うところでしかと使わなければ、一瞬にして敵の大軍勢に飲み込まれることとなる。
 瞬く間に沈黙する突撃級の群れを噴射跳躍で飛び越え、そのまま月詠たちよりも前に展開するのは、バックアップを引き受けてくれた第11大隊だ。

『先頭の突撃級だけで70超か……。ため息をつきたくなる』
「言っても仕方あるまい、篁。ハイヴ突入に比べれば、地上陽動など易いものだ」
『………そうだな。Wファング1より中隊各機! そろそろ砲撃が途切れるぞ! 要撃級との交戦に備えろ!』
『了解ッ!!』
「18大隊各機も遅れるな! 砲撃陣地まで敵を到達させてはならん!!」
『Wブラッド1、了解!』
『Bブラッド1、了解』
 篁唯依率いる112中隊「白き牙」……Wファングスの展開から遅れることコンマ数秒、第1陣の突撃級を殲滅した第18大隊各機は一斉に再び反転する。それに伴って巴雪乃と戎美凪の2人が中隊を率いて両翼に広く展開した。

 好手と言って良いかは甚だ疑問だが、少なくとも、中隊単位での分散は悪手ではない。攻勢作戦においては基本的に、BETAの攻撃は前衛から順繰りに向かってくるのだ。
 それはつまり、先日のイギリス防衛戦の時と何も変わらないということである。

「次に来るのは突撃級の第2陣……そしてその後方から死に損ないの要撃級か……」
 視線の彼方でもうもうと舞い上がる粉塵を睥睨し、月詠はそう呟く。突撃級は面制圧の生存率が圧倒的に高い。残りのBETAは、大型種は大型種で、小型種は小型種で五十歩百歩といったところだろう。要塞級は確かに耐久力が高いが、反面、的が大きく、加えて愚鈍、尚且つ小規模。面制圧を突破してくる確率も、その脅威度も現状では要撃級とさほど差異はない。寧ろ、低い。
 やはり厄介なのは戦術機最大の宿敵である要撃級と戦車級。数が多く、足も比較的速いため、支援砲撃が途切れれば一斉に戦線へと雪崩れ込んでくる。
『後続の要撃級はこちらで掃討しましょう。突撃級は頼めますか? 月詠少佐』
「………了解した。敵の数が多いときはこちらから1個小隊を回そう」
 篁唯依の敬語に、月詠は軽く肩を竦めながらも了解と答える。お互いの立場を考えれば寧ろ当然の口調だったが、普段の自分たちを省みれば居心地の悪いことこの上ない。
『助かる』
 やはり冗談だったらしい。次の瞬間には普段通りの口調だ。
「……ああ。神代、敵後続の規模が大きかった場合、貴様は第2小隊を率いて112中隊の支援に入れ。いいな?」
『了解!』

 篁唯依との通信を終えた月詠はそのまま神代巽へと別働命令を出す。判断の基準は月詠たちが相手にすることになる突撃級の数と比較して、だ。よもや、面制圧を突破してくる要撃級の数が、同条件の突撃級の数を上回るとは思えないが、念のためである。


 しかしながら、実に奇妙。


 敵の第2陣を待ちながら、月詠はふとそう感じる。
 元々、フェイズ5ハイヴの許容量は10万強だ。それを上回ればハイヴはフェイズ6へと規模を変えつつ、BETAは新たなハイヴの建造に入る、というのがBETAの行動規範の基礎である。
 つまりは飽和量。エネルギー補給の循環限度なのである。
 通常、地上展開のBETAも含め、同じハイヴに属する集団は一連の流れに乗っていると考えるべきだろう。ハイヴ坑内を緩やかに流動し、それぞれの個体は反応炉から活動エネルギーを摂食している筈だ。
 BETAの飽和は、その補給がスムーズに行えなくなるほどの規模、と考えるのが妥当。ならば、このミンスクは現状、その限度を軽く2倍は上回っている。
 ハイヴの拡張と建造に入らないことは、今回が特殊な事態であるからまだ納得出来る。しかしながら、BETAのエネルギー補給が滞っていないように見えることは流石に解せない。

 甲21号作戦後に起きた横浜基地防衛戦のことを鑑みれば、BETAが蓄えておける活動エネルギーはおおよそ、1週間にやや満たない程度だろう。そうなると、地表展開の約20万のうち、半数近くは活動限界が近くともおかしくはない。

 だが、実際にはそのような個体はこの広い戦場の中であまり見受けられなかった。レーザー属も、エネルギー消費の激しい筈のレーザー照射を惜し気もなく使っている。あれは何日もエネルギー補給を行わなかった個体では考えられないことだ。

『月詠! 来るぞ!』
「ッ!!」
 篁唯依が警告を発した刹那、今尚立ち込める粉塵を突き破って突撃級の第2陣が到達した。前衛展開する112中隊はそれを噴射跳躍で躱し、後続に存在するであろう要撃級の到達に備える。
 あれの相手をするのは、月詠たち第18大隊の役目だ。
『敵総数約40!』
「先程より敵の数は少ない! 即時殲滅し、前衛に加われ!」
『了解!』
 月詠は部下にそう告げながら、先陣を切って突撃級を迎え撃つ。敵の密度は先刻よりも小さい。後方に回り込むことも容易ならば、長刀のみで殲滅することも難い話ではないだろう。
 第1陣と同じよう、身を捻りながら突撃級の隙間を縫ってその後方へと月詠は回り込む。


 その瞬間、眼前で1体の戦車級が飛び上がった。


「ッ!?」
 月詠の武御雷に取り付こうとしている戦車級に、彼女は思わず息を呑む。頭で考えるよりも先に身体が反応し、長刀を振るってその戦車級を空中で薙ぎ払った。
 だが、月詠は安堵しない。気を緩めることなど、微塵もありはしない。

 何故なら、気がつけば、彼女は数十体の戦車級に取り囲まれていたから。

 確かに戦術機から見れば、烏合の衆。万全な状態で、数十体の戦車級に喰われるなど、衛士にあってはならないことだ。
 それでも、このタイミングで戦車級が到達することはまるで予測していなかった。如何せん、この段階で月詠たちのところまで到達してくるBETAは例外に漏れず、面制圧を掻い潜ってきたBETAになるからだ。耐久力の高い大型種ならいざ知らず、戦車級程度の小型種では直撃でなくとも爆風で死滅し得る。

 それにも関わらず、この数の戦車級が面制圧を生き残った。それも、その速度は突撃級に続いて逸早く戦線に到達するレベルのものだ。
 そもそも、最大速度の突撃級を追従することなど、戦車級のみならず他のBETAでは不可能にも関わらず。

「篁! 戦車級が突破してきているッ!!」
『何!? こちらではまだ確認していない……いや……後続の先頭は戦車級だッ!! 要撃級よりも速い!?』
 突撃級を後に回し、周囲の戦車級を36mmで薙ぎ払いながら月詠は篁唯依へ呼びかける。ここまで戦車級に到達されたということは、彼女たちがその通過を見過ごしたということに等しい。
 だが、実際には彼女の方も今、ようやく接敵したという。数十体の戦車級は、112中隊の索敵をも掻い潜って、月詠のところまで到達したというのか。

『月詠少佐!!』

 不意討ちに困惑する月詠に部下の神代から通信が入る。その焦りの色を含んだ声調から、何か分かったのか、と月詠は訊ねようとする。
 だが、神代はそれよりも早く、やはり焦りの色を含んだ声で言葉を続けた。


 突撃級の後部に複数の戦車級が取り付いて前進してきている、と。


 その言葉でようやく、戦車級がどこから出現したのか理解し、月詠は舌を打ち、ようやく突撃級の追撃に移る。
 今し方殲滅した戦車級は、突撃級の突破力と防御力を利用し、その後部に取り付くことで面制圧を掻い潜ってきたのだ。そして、安全地帯に到達すると同時に突撃級から分離し、通常の行動に移ったのである。


 横浜基地防衛戦では死骸の外殻を盾に小型種は侵攻を続けたが、今回は死骸以前に突撃級の特性そのものを利用している。


 戦況に大きな影響を与えるような規模ではないが、不意討ちとしては上々といったところだろう。月詠すら一瞬、足を止められたのだ。人類の出鼻はきっと、充分に挫けている。


 やはり、一筋縄ではいかないかと、月詠真那は思わず反吐を吐きたくなった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第81話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/03/16 18:55

  第81話


「戦車級が突撃級の後部に取り付いて面制圧を突破してきた?」

 武は司令部にいるリィル・ヴァンホーテンからの通信に、半ば復唱するような形でそう訊き返した。それでも、珍しく手に持った支援突撃砲の連射は決して休めず、後方から大型種を中心に削り続ける。

『はい。斯衛軍第18大隊が確認したのを皮切りに、戦域全体で同様のケースが発生しています』
「戦車級だけか? 他の小型種は?」
『えっと……そちらの報告はありません。突撃級にしがみ付く形で突破してきたのはすべてが戦車級です』
 武の質問に答えるリィル。彼女の返答に武は「ふむ」と小さく相槌を打った。
 しがみ付く、という表現は実に言い得て妙だ。正面からの攻撃に対して突撃級の後方が一番安全だというのなら、あの柔い臀部の部分に張り付くことで攻撃を凌ぐという手はありだろう。
 突撃級と戦車級の大きさを比較すれば、移動距離次第だが、突撃級1体に対して十数体の戦車級くらいなら充分に運べる。
「月詠少佐の方の被害は?」
『それもありません。その事態に遭遇した各部隊も、損害を被ることなく戦闘を継続しています』
 そうだろうな、とリィルの言葉に武は内心、呟く。中隊単位のレベルなら、よほど包囲されていない限りは数百体の戦車級も充分に対処出来る筈だ。これが支援砲撃の頻度が低下する作戦の後半で繰り出されれば、混乱は大きくなった可能性がある。だが、この段階で出してくるのはあまりに愚策だろう。

『意味のある戦術とは思えんが、笑って一蹴出来る戦術でもないな』

 足を止め、支援突撃砲で武同様に珍しく後方支援に徹している冥夜は武たちのやり取りに対してそう告げる。だが、言うが早いが彼女は、支援突撃砲をその場に放り、代わりに突撃砲を拾い上げて部隊を率いて即座に前進を開始。
 補給のために後退する部隊があったため、遊撃による後退支援に移行したのだ。

『これが防衛戦だったら、その状態の突撃級に突っ込まれるのは厄介でしょう。地上施設ならば一溜まりもない』
『少なくとも、BETAから見ればマイナス要素はないに等しいですからね』
 そう答えるのは、武直属の部下にあるレイドとマリアの2人。冥夜の前進と同時にレイドは小隊をやや広く展開させ、攻撃範囲を広げる。マリアは部下を前進させ、自身はそこから動かずに支援突撃砲で冥夜たちの支援に移った。
 2人の言葉も実に尤も。物量に任せた集団突撃戦術はBETA全体の基礎スタイルだが、その傾向は突撃級が最も強い。突破力、という点においてあれの右に出る者は他にない。
 突撃級が防衛線を突破するついでに戦車級も運んでくる、ということだから、BETAにとってマイナス要素はなく、人類にとってプラス要素は確かにない。

 ただし、BETAに大きなプラス要素があり、人類に大きなマイナス要素があるとも到底思えないが。

『でも……戦車級が長距離輸送出来るってことは他の小型種も出来るってことじゃないですか?』
『光線級まで面制圧を突破してきたら……拙いよね?』
 271戦術機甲中隊(セイバーズ)の小隊と入れ替わる形で後退してくるのは、柏木章好と水城七海だ。中隊の再編によって久々のコンビ復活を果たした2人は、小隊の仲間と共に常に武が直接率いる部隊の最前衛でBETAと交戦している。ただし、そもそもが後方配置のため、前衛でも中距離攻撃がメインとなっていた。


『闘士級や兵士級も運べるかもしれない点には同意するけど……たぶん、光線級は無理じゃないかな?』


 章好と七海の2人が危惧している可能性に対して武が口を開くよりも早く、ヘンリー・コンスタンスが後退支援に入りながらそう言った。彼のその言葉で、武も思わず「おや?」と目を見張る。
『理由は? 勘とか言ったら殴るよ?』
『貴様と一緒にしてやるな。コンスタンスが哀れだぞ』
『……逆に今の言葉で、あたしが可哀想だとかは思ったりしないですかね?』
 武が目を見張るのとほぼ同時に、ヘンリー、章好、七海の3人を含んだ273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の隊長 エレーヌ・ノーデンスの問い返しには、逸早くレイドが応じる。その酷い言い分に、わざとらしく拗ねた感じでエレーヌは答えた。

『ヴァンホーテン少尉が「しがみ付く形」って言ってましたから、たぶん、本当に両腕を使って突撃級にしがみ付いてきたんだと思います。きっとそうしないと振り落とされるんですよ』

 緊張感のない2人の上官のやり取りにため息をつきつつ、ヘンリーはエレーヌの問いかけに答える。
 武もその意見は同意する。平らに均されているとはいえ、ここは舗装もされていない戦場だ。砲撃の振動と爆風に耐えながら、毎時100㎞前後で凹凸のある路を走る突撃級から振り落とされないようにするのは、容易なことではない。戦術機に取り付いてくる戦車級ならばそれも可能だろうが、それ以外の小型種ではかなり怪しいところだ。
 もちろん、この目で確認してみないことには何とも言えない部分も多い。だが、体躯底面……人間で言えば『足の裏』と表現出来る部位の吸着だけで、移動する突撃級にしがみ付くのは流石に不可能だろうというのが、武の予測だ。
 そこにおいて、兵士級は戦車級同様、人間のような1対の腕を持っており、闘士級は1本しか腕を持たないながら、強力な力と充分な機能を備えた象の鼻のような腕を持っている。対し、光線級は腕を一切持たない。

 それが、武も同意したヘンリーの示す理由。

 それに、基本的に光線級の最優先照射目標は空間飛翔体だ。意外なことかもしれないが、光線級の前進率はその実、重光線級の前進率よりも低いのである。
 その理由は恐らく、重光線級の方が地上戦力に対する攻撃頻度が高いからだろう。より効率的に人類を排除するためにBETAが辿り着いた結論なのか、物体として小型で脆弱な砲弾やロケットの類は光線級が、大型で装甲を持つ戦術機を始めとした地上戦力には重光線級が攻撃を仕掛けるというパターンが非常に多い。
 無論、光線級が戦術機を攻撃しないわけでもなければ、重光線級が砲弾類を撃墜しないわけでもない。ただ、比較すれば若干ながらそういった違いが表れていると、近年の調査で判明しただけだ。

「……ヘンリーの意見には俺も同意する。だが、まだ確証があるわけじゃない。各機、突撃級との交戦時には充分注意しろ」
『了解!』
 尚も支援突撃砲でバックアップを続ける武の言葉に、この作戦で直接的な指揮を受ける3個中隊の部下たちが一斉に了解の旨で応じる。闘士級や兵士級が突撃級の後部にしがみ付いていたとしても、戦術機にとっては何ら脅威にならない。だが、突撃級を倒そうと後ろに回りこんだ時、万が一、光線級が張り付いていて、万が一、レーザー照射があっては拙いのだ。

「冥夜! 第5中隊(レギンレイヴ)は1度、後退しろ!」
『まだ補給には些か早いようだが?』
「俺たちは今逸っても仕方ない。そうだろ?」
 冥夜からの問い返しに武は肩を竦ませながら答える。良い意味でも悪い意味でも、イギリス防衛戦の時とは違うのだ。あの時のように、補給と攻勢の回転をそこまでシビアに捉える必要は、武たちにはまだない。

 いや、ハイヴに突入する後半はそもそも補給などまともに受けられないのだと分かっているのだから、補給に関して悩まされることは、この作戦において永遠に来ないだろう。
 通常のハイヴ攻略作戦で確保される上層部の兵站すら、今回は確保する余裕などない。出来たとしても、一瞬にしてそこらかしこから湧き出したBETAによってズタズタに引き裂かれる筈だ。
 それ故、一応、彼らには小型の補給コンテナを背負った補給大隊が随伴する手筈となっているのだが、それでもまともな補給など期待するのは間違っている。

 端的に言えば、いざ補給したい時にその補給大隊がまともに残っているかも分からない、ということだ。

『確かに……了解した。第5中隊(レギンレイヴ)は1度、後退する!』
「セイバー1了解。271戦術機甲中隊(セイバーズ)全機は第5中隊(レギンレイヴ)に代わって前に出る。マリア、レイド、行くぞ!」
『了解!』

 部下に指示を出し、自ら殿を務める形で冥夜が後退を開始する。それと位置を入れ換えるよう、武も同時に部下へ指示を下した。
 支援突撃砲を捨て、通常の突撃砲を換装しながら、武は作戦開始からの経過時間を確認。今現在空の上にいる軌道降下兵団が降下を開始するタイミングは、時間として決まっている。軌道上を周回しているため、特定のポイントに降下するためには、軌道艦隊は所定のポイントへ差し掛かる必要があった。
 安易に方向を変えられない以上、そのポイントでの降下を逃せば、次の周回まで待つしかない。それはあまりに大きな時間のロスだ。そして、そのロスを取り返せるほど、人類側には余裕がなかった。


『白銀中佐! 新着の報告です!』


 リィルから、その人類側の余裕を少しでも確保出来そうな朗報がもたらされたのはその時のことである。











 突撃級の後部に戦車級が取り付き、面制圧を突破してきたという報告が、作戦参加部隊のすべてに伝達されたのと同時刻、斯衛軍の半数以上もまた、他国部隊と協働して前面で戦線を押し上げ続けていた。
『Wクレセント1よりクレセント1へ。ベクター90の国連軍部隊が補給のため、後退を開始致しました』
『九條大佐、そちらには帝国陸軍から1個大隊、斯衛軍から1個大隊が回り、戦線の前進に努めています。第6大隊はそのまま、中央戦線で交戦を継続してください』
「クレセント1了解。第6大隊各機は、引き続き戦闘行動を継続なさい。これからは混戦が始まるわ」

 九條侑香は、支援突撃砲で後方から前衛展開の部下を支援しながら通信に応じ、改めて指示を出す。戦況を的確に捉えながらも、彼女が放つ砲弾は確実に接近する要撃級を1体、また1体と大地へと沈めていっていた。

 作戦が、対レーザー弾による重金属雲発生を目指す第1段階から断続的な面制圧を繰り返す第2段階へ移行して、かなりの時間が経過している。だが、この段階で人類が前進出来た距離など、それこそ4kmを越えた程度だ。
 地表展開する敵総数が圧倒的過ぎるため、前進しようとしても、それを阻もうとするBETAの相手をするので手一杯。
 レーザー属の数が多いため、一部の砲撃部隊と艦隊は未だにAL仕様攻撃を継続している。それを排除するには面制圧で薙ぎ払うか、戦術機が吶喊して駆逐するしかない。
 しかし、それはどちらも限界距離が存在する。敵前衛付近まで到達していれば攻撃も可能だが、後方待機されては、結局戦術機は特攻するのみだ。砲弾でも、たとえ射程圏内にいたとしても距離が伸びれば伸びるほど、レーザーによる撃墜率も右肩上がりとなるのは明白。

 唯一の救いは、地上戦力に対するレーザー照射がまずないこと。

 侑香はそう考えて、すぐに頭を振った。
 どこが救いなものか。飛び上がらない限り、ほぼレーザー照射を受けることがないのは、戦域を占めるBETAの密度が高過ぎる故だ。寧ろ、それでは改めてBETAの脅威を認識させられるに等しい。


 それは物量という名の、恐怖だ。


『戦線を5km押し上げる前に、もう補給に入らなければならない部隊が出るとは……』
「大慶の時よりも過酷ですね……当然のことなんでしょうけど」
 侑香の隣に着地した斉御司灯夜が、些か面白くなさそうに呟く。表情はあまり変わっていないが、明らかに苛立っているのだと侑香にはよく分かった。
 無論、それに答える侑香もまた同じ気持ちだ。

 前進距離5km未満。これはまだ、ミンスクハイヴの地下茎構造外円まで到達していないことを示す。
 フェイズ5ハイヴの半径は約30km。これはあくまで地下茎構造の到達距離を指したものだ。BETAは更に10から15kmほど外側に向かって展開しているため、実際、侑香たちの位置からハイヴの地表構造物まではまだ40km近くの距離があった。
 戦線を外円の門まで到達させなければ、軌道降下兵団もハイヴ突入を開始出来ない。この段階で突入したとしても、地上部隊がBETAを惹き付け切れずにただ嬲り殺しにされてしまうだけである。

『それでも戦うしかない、か』

 更に、斉御司灯夜の隣で彼の実兄である第16大隊の斉御司紀月が足を止める。長刀を左手に携えた状態で、部下に対して前進命令を彼は出した。
 九條侑香とて、蒼青の武御雷が3機も戦場で横並びになっている光景は見たこともない。それだけの戦力を、日本はこの戦いに投入したのだ。
「電磁投射砲の威力制圧でどれほど前進出来るかが前半戦の鍵ですね。後半はきっと、速瀬中佐たちに頼りっ放しになってしまうでしょうから」
『あの兵器が戦場に投入されれば、BETAは恐らくそちらに殺到するでしょう。それを背後から可能な限り薙ぎ払うのも、重要な役目です』
『ふっ……武士としては相手を背中から斬るのは憚られるが……止む無いことであるな』
『化物に気を遣う必要などはないでしょう、斉御司中佐』
『成程、同意する、斉御司少佐』

 そう言って、不敵に笑い合う斉御司兄弟は、左と右にそれぞれ長刀を構えたまま、大隊の殿を務めて同時に前進を開始。要撃級と戦車級で構成された敵集団を迎え撃っていった。
 その2人のやり取りに、侑香は1つ、ため息をつく。

 九條侑香と、斉御司兄弟の付き合いはそれこそ、年齢の数と同じと言っても過言ではない。何せ、九條侑香は生まれたその瞬間から、斉御司灯夜という許婚を持っていたのだから。
 尤もそれは、2人の父親が勝手に決めていたことに等しく、侑香自身は幼少の砌に彼と親しくなり、それが一種の恋慕に変わってからその事実を取って付けたように教えられただけなのだが。

 今の2人しか知らない者が見れば意外なことかもしれないが、斉御司家の兄弟は存外にやんちゃなのだ。ただ、今の状況をそれに当て嵌めて良いものかどうかは甚だ疑問だが。

「……第6大隊は第4大隊と第16大隊の後方支援に入ります。全機私に続きなさい」
 支援突撃砲は右手に持ったまま、侑香は左手で長刀を引き寄せて部下にそう指示を出す。そして自ら先陣を切って、灯夜たちを追って前進を開始。
 斯衛軍の武御雷は確かに格闘戦に秀でた機体だ。それを駆る斯衛軍衛士もまた、他国の衛士に比べて総じて近接戦闘に優れている。だから、自分たちが前面展開して、中距離戦闘を主体とする国連軍やEU連合軍にバックアップをしてもらった方が効率的だ。
 しかし、残念ながら、何れも青の色を賜る彼女たちが何時までも前衛に立っていては、必ずお叱りを受けることになるだろう。自らの立場を理解している侑香とて、それは避けたい。

 それに、先を行くあの2人には生き残ってもらわなければ侑香は困る。
 愛する男性である灯夜もそうだが、その実兄である斉御司紀月もまた然り、だ。何故なら、侑香が真っ当に灯夜と結ばれるために、彼には何としてでも斉御司家の家督を継いでもらわなければならないのだから。
 尤も、そんな厭らしい思惑を除いても、やはり昔から親しくしてくれた兄貴分を喪うのは、侑香も悲しい。泣かされるのはもう、師である朝霧叶からだけで充分だった。

 侑香の目は、正面から迫る要塞級を捉える。いよいよ、あの大物も戦線まで到達してくるようになったのだ。既に、第4大隊と第16大隊の各機は敵中へと身を翻しており、国連軍、EU連合軍と共同戦線を張っていた。
 侑香自身は足を止め、支援突撃砲で後方の要塞級へと攻撃を仕掛ける。同時に、友軍の遊撃に入るため、指揮下の62中隊と63中隊各機が両側をすり抜けて更に前進を開始。侑香の周囲には61中隊の残る11機が固め、同様に中距離から遠距離における友軍のバックアップに入った。

 戦況は現状では、物量にこそ圧倒されているが拮抗していると表現しても良いだろう。BETAの数が多いのに対して、人類側の戦力も通常のハイヴ制圧作戦に必要とされる戦力を遥かに上回っている。
 それに、敵の総規模が30万とは言っても、レーザー属以外の長距離攻撃を持たないBETAが相手ならば、そのすべてを一時に相手にすることはない。

 ただ、先頭集団から順繰りに蹴散らしてゆくだけ。言うなれば、先日、イギリスへと侵攻を仕掛けたBETAが人類に使った戦術とほぼ等しいものだ。
 どうあっても、人類戦力でまともに30万のBETAを殲滅することは叶わないのである。それが出来るのなら、こんな作戦など立案されず、明日起こる筈だった2度目のイギリス防衛戦に挑んでいるだろう。

 この戦いは、攻勢作戦でありながら一種の持久戦。ハイヴ突入部隊が……白銀武率いる第27機甲連隊と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の混合部隊が反応炉まで到達し、ミンスクの反応炉とそこにいると言われている新たな上位存在の破壊を成すまでの、持久戦だ。

 長い。あまりにも長い。
 戦いはまだ始まったばかりと言えるのかもしれないが、そもそも、彼らを中心とした突入部隊はまだ突入すら開始していないのである。そういった意味では、この持久戦は未だ幕すら開けていないのかもしれない。

「………耐えてみせるわ」
 雑念を振り払うよう、侑香は引鉄を引き続けながら小さく呟く。丁度、そのタイミングで後方から補給を終えた国連軍大隊が戦線へと復帰してくる。
 それを確認するや否や、侑香は支援突撃砲を投棄して突撃砲に持ち替え、中隊を率いて再び前進を開始した。

「灯夜様、1度、後退してください。バックアップに徹しながら、中隊単位で補給に入るべきだと思います」
『後退……ですか? しかし、侑香様――――――――』
『九條大佐の御命令だ。従え、斉御司少佐』
 逸早く後退して補給に入ることに躊躇いがあるのか、困惑気味に応じる灯夜。その彼を諭したのは侑香ではなく、今尚、前衛で部下を率いて戦っているその実兄だった。
 彼のその不敵な表情と言い回しに、一瞬口を噤ませた灯夜だったが、すぐに「御意に」と侑香に答えて、各隊に対して後退命令を出す。
 そんな灯夜の姿に、網膜投影の映像で侑香と目の合った紀月は、やれやれと言うように肩を竦ませていた。

『HQより作戦域展開中の全部隊へ。戦線最前衛両翼にて、日本帝国陸軍の電磁投射砲運用部隊が攻撃を開始した。中央戦線での攻撃開始まで約600秒』

 要撃級と戦車級の群れに36mmを掃射し、薙ぎ払う侑香の耳に、通信兵からその報告が届く。
『これで幾分か、前進速度も上がると良いのですが……』
 電磁投射砲による威力制圧が始まったという報告に侑香の部下である伊藤が戦況を案じて呟く。後々、軌道上から戦域に降下する凄乃皇の荷電粒子砲と、砲撃による面制圧を除けば、電磁投射砲は最も威力に優れた兵器だ。この戦いの推移の鍵を握ると言っても、決して過言ではない。
「電磁投射砲による威力制圧が開始されてから我々は補給に入ります。それまでは各隊、戦線の前進を継続しなさい」
『了解!』
『斯衛大佐殿! 僭越ながらバックアップは我々がお引き受け致します!』
「ありがとうございます」
 大隊各機が更に前進を継続するのと同時に、第6大隊の後方には同じように日本から行軍してきた国連軍部隊が続き、遊撃支援を開始する。侑香はそれに丁寧に御礼を言い、自らもまた長刀を構えて敵中へ躍り込んだ。

『現在、戦域に到着したASEAN連合部隊が展開し、順次、攻撃を開始している。軌道上で待機中のソビエト・アラスカ連合軍部隊は当初の計画通り、軌道降下兵団のハイヴ突入後から順次、戦域への降下を開始する予定だ』

 眼前の要撃級を長刀で斬り伏せ、後続の要撃級が振り下ろした前腕をバックステップで躱す侑香の耳に、通信兵から新たな報告が届く。ようやく、土壇場になって作戦参加を表明したASEANの連合部隊がミンスクへ到着したらしい。
 作戦の段階が進むごとに、友軍の数は増えてゆく。作戦自体に参加は出来ないと明言したオーストラリア政府や南米方面の各国も、この作戦自体の重要性は理解しているようで、大量の弾薬や燃料といった補給関連の提供は行ってくれていると、侑香は聞いている。

 どの方面も、先日の英国式典に部隊を派遣し、多少なり損害を被っている。有力部隊の衛士を1名以上、喪っているのだ。
 だから、今この戦場で戦う者たちの想いは、多かれ少なかれ同じなのだと侑香は感じていた。
 つまりは弔い。先日の戦いだけではなく、これまでの戦いで逝った数多の先達に報いるための弔い合戦。30年にも渡って続くこの戦争に、自らの力をもってして一石を投じてやろうと願う一兵たちが集った戦場。
 桜花作戦の時とは違う。遠く離れたカシュガルの地で戦う英傑たちを信じて、その他のハイヴに陽動を仕掛けることしか出来なかったあの時とは違う。


 まったく同じ戦場を共にして、人類は今、戦っているのだ。


『それと、もう1つ朗報だ』


 通信を切らず、通信兵はオープン回線にて更に言葉を続ける。その朗報という単語に、侑香は長刀を振り下ろしながらも耳を傾けた。


『先刻1300、アメリカ合衆国政府がミンスクへ向け、陸軍部隊を出撃させたと発表。1400までにアメリカ陸軍部隊も戦域に到着し、戦闘を開始する』
 アメリカという国名に侑香の眉はわずかに反応する。流石に1時間でアメリカからミンスクに到着出来る筈がない。恐らく、部隊自体は当の昔に出撃していて、発表のみが遅れていたのだろう。
 朗報と言えば確かに朗報。あとは明星作戦のようにならないことを祈るだけだ。尤も、世界各国の部隊が揃うこの地で社会的に批判の集まっているG弾を独断で投下するほど、アメリカの役人も馬鹿ではないだろうが。


『G弾の使用予定はないそうだ。安心して戦闘を継続せよ』


 捨て台詞のように告げられたのは、信用して良いのかどうか、まったくもって判断に困る、一種、冗談のような一言だった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第82話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/03/16 19:02


  第82話


 リン・ナナセは着座したF-22Aの管制ユニット内シートで、そわそわといつになく緊張感を露わにしていた。尤も、他者とのコミュニケーションはすべて網膜投影と通信で行われる場所だ。彼女の緊張感を読み解くには、敢えてバイタルデータをモニターするくらいしか方法などない。
 無論、緊急時とは認められないこの状況で、中隊の副長であるリンのバイタルデータをモニター出来る権限を持つのは中隊長であるジョージ・ゴウダだけではあるが。

『戦域到達まであと1時間……軌道降下兵団の降下予定時刻には間に合いそうもないか』
 リンの網膜にその姿を映し、苛立ちを含んだような口調で呟くのはそのジョージだ。その時刻には間に合いそうもないというのは、アメリカを出立した段階でおおよそ分かっていたことだが、戦地が近付けば近付くほど、それが確実性を帯びてきて、リンにだって苛立ちが募る。

 リンたちを含めたアメリカ陸軍部隊にミンスク出兵の命令が下ったのは、その実、ミンスク制圧作戦が開始されるよりも前の話だ。G弾反対派の役人だってG弾推進派のそれとほとんど変わらないくらいの人数がいる。そんな彼らの協力を仰ぎ、何とか同じ師団の同志たちとミンスクまで行こうと準備を続けていた彼女にとっては、その命令は願ってもなかったが、同時に驚きを隠せなかった。

 否、正確に言えば思わず身構えた。
 推進派と反対派のいざこざで結局、作戦開始まで正式な出撃命令は下ることなどないだろうと睨んでいたリンにとって、この“早さ”は実に“怪しかった”のだ。
 香月夕呼の言が正しいのならば、ミンスクでの戦いは間違いなく人類史に残る重要作戦になる。そこに直接関わっておきたいと思うのは、反対派だろうが推進派だろうが、アメリカ合衆国の覇権主義を支持する者にとっては共通のことだった。
 問題なのは、その作戦においてG弾を使用するか否か、の議論。
 推進派は、G弾が使えないのならば出撃に対しては遠慮気味。
 反対派は、G弾使用を前提としている以上は出撃することなど出来ない。
 そういった相容れない意見があることを考慮すれば、出撃の厳命が下るのが実に早過ぎたのである。

 だから危惧した。反対派の役人が、まさか譲ってはいけない部分で譲渡したのではないか、と。

 しかしながら、今回に関しては幾分か安心しても良いだろう。
 出撃前、合衆国大統領は国民と、釘を刺してきた国連に対して「G弾の使用は堅く禁じている」と明言したのだ。それを明言した以上、万が一にもG弾を投下すれば彼の進退に関わる。そしてだからこそ、作戦終了までは国内の推進派の動きに目を光らせるだろう。
 そこにおいて、いったい外部や内部からどんな働きかけがあったのかリンにも定かではない。


 ああ、定かではないのだ。
 出撃を目前に控えたリンがホームの滑走路片隅で見かけた、“帽子を目深に被り、スーツの上からトレンチコートを羽織った不審な男”が何を仕出かしたのかなど、微塵も心当たりはない。


 とにかく、リン・ナナセにとっては渡りに船。まだ一兵に過ぎない自分ではどうすることも出来ない部分を、どうにかしてくれる者がフォローしてくれるというのだ。ならば、一兵でしかないリンに出来るのは、その、どうにかしてくれる者には出来ない戦いをすることだけだ。

「……戦いの本番は軌道降下兵団のハイヴ突入が開始してからです。降下に間に合わなくても、我々にも見せ場くらいはあるでしょう」
『はっ……鎧衣たちのお膳立てくらいはしてやるか』
「そうですね……。私たちに出来るのは、出来る限り上でBETAを惹き付けることだけですから」
 やや悔しげに口元を緩ませながらも、冗談のように答えるジョージにリンは深く頷き返す。恐らくだが、地上部隊は未だハイヴ坑内に存在しているBETAまでは引っ張り出しきれていない筈だ。
 それを引っ張り出せるか否かで、突入部隊の行軍速度には雲泥の差が出るのだと、曲がりなりにもハイヴ突入をしたことのあるリンも知っている。
 しかしながら、現状聞いている戦況はあまり芳しくない。地上展開の20万を相手によくやっているとは思うが、このままでは軌道降下兵団の突入部隊が犬死にになってしまう。
 それだけは避けなければならない。

『こちら輸送艦隊旗艦。新着の情報だ』

「『――――――――――――ッ!?』」
 中年男性の声で入る通信に、リンは思わず息を呑む。それは中隊の仲間も同じだったようで、網膜に映る顔は一様に驚きの色に染まっていた。
 リンたちは元より、その機体を飛ばして移動しているわけではない。即時行動を可能とするため、戦術機の長距離運搬は航空輸送機か戦術機母艦を使うのが一般的だ。前者の場合は移動速度こそ速いが、レーザー照射危険域では絶対に使えない手段、後者の場合は航空機に比べて戦域では安全だが、航路が限定されることと足が遅いことが欠点になる。

 だから、リンたちも含め、アメリカ軍戦術機を艦載しているのは航空輸送機だった。それも、イギリス上空は当の昔に過ぎ去り、近く、ワルシャワの仮設前衛基地へと差し掛かる。
 そこからは戦術機を駆って陸路でミンスクの戦場を目指す予定だ。それ故に、戦域到着直後に一度、推進剤を補給することになるだろうが、これ以上、この状態のまま近付いて、艦載されたまま爆砕するより何百倍も良い。

『地上部隊の戦果が芳しくない。よって作戦司令部は軌道上で待機中の突入部隊降下の先送りを決定。本来、それに続く筈だったソビエト・アラスカ連合及び横浜基地特殊部隊の降下を先に行うことも決定された』
『……やはり、戦線を上げるのに手間取っているようだな』
「下からも増援として湧いてきますからね。しばらくは足を止めざるを得ないですよ」
 司令部が下した決定に相槌を打つジョージへ、リンはそう答える。20万の敵を薙ぎ払いながら戦線を押し上げるのは生半可なことではない。突入部隊を最後に軌道降下させるのはともすれば当然のことだろうが、同時に、香月夕呼にとっては歓迎出来ない決定だろう。

 横浜基地特殊部隊が軌道降下するというのは即ち、あの件の兵器が戦域に投入されることに他ならない。リンは詳しく知っているわけではないが、あれは起動するだけでBETAを惹き付けてしまうほどの代物らしい。
 突入部隊もない状態でそれが戦域に降下すれば、BETAの大群が殺到するのは目に見えている。それを打ち払うのは、横浜基地の総戦力をもってしても難しいこと。

 あちらを立てればこちらが立たぬ。その兵器がある程度のBETAを惹き付けてしまうことくらい、香月夕呼も見越しており、突入部隊の行軍にそれを利用しようと考えているのも確かだろう。
 だが、陽動をし過ぎる。それも考えものだ。それを切り札とする香月夕呼にとっては特に。

「出来れば、横浜基地部隊は最後に降下するべきなんでしょうね……」
『荷電粒子砲とやらに頼らなければ、地上はどうにもならんということだ。総実数400万のBETAなど、薙ぎ払えるものじゃない』
「それは分かっています。でも………」
 リンは言葉を詰まらせる。地表をどうにかしなければ突入は開始出来ない。それをどうにかするために、XG-70という兵器は戦域に投入されるのだ。
 だが、それは事実上、XG-70の戦闘継続時間を引き延ばす行為。BETAを何よりも惹き付けるというのが確かならば、戦闘時間が少しでも長引くのは非常に危険である。

 突入部隊の突入後、地上でBETAを惹き付けることが何よりも要求されているのなら、突入部隊が反応炉に到達するまで墜ちることは決して許されない。

 墜ちれば、それぞれのBETAは最寄りの脅威を食い潰しながら人類を窮地に叩き込む。

『そうならないための直援部隊で、そうさせないための俺たち友軍部隊だ。BETAが一箇所に集まってくれるなら、火力を集中させることも出来る』
 ジョージは面白くなさそうにそう告げる。言葉の前半は至極尤もだが、後半はただの強がりに近いことが容易に見て取れた。数千規模のBETA群ならば、一箇所に集めて砲撃で一掃というのも1つの戦法として使える。だが、実数400万という規模では地獄絵図が描き出されることは疑いようがない。

「………分かっています」
『急くな、ナナセ。逸ったところで、戦域に早く到着するわけじゃない』
 再び叱責するジョージ。それに答えかけて、リンは口を閉ざした。自分がまた、「分かっています」と言おうとしていたと気付いたからだ。

 どうかしている。本国からここに来るまでの間に、自分はいったい何度、無意識のうちにその返答を口にしていただろうか。それくらい、リンの意識は戦場を前にして散漫としていた。
 端的に言えば、焦っているのだ。どうしようもなく、気が逸っているのだ。
 こんなことは今までなかった。ハイヴ突入を命じられたH26制圧作戦の前夜でさえ、ここまで心が騒いでいなかっただろう。

『ナナセ。戦友を犬死にさせるな? それが分かっているなら、俺は何も言わん』
「…………はい。すみません」
 いつになく怒気を孕んだ鋭い双眸のジョージの言葉に、リンは呟くようにそう答えた。彼は、すべての事情もリンの心情も分かった上で、そう忠告しているのだと彼女も分かっている。

 今回、ミンスク制圧作戦には国連全軍が投入されている。そう、国連が保有する世界中の戦力のほぼすべて、だ。


 リン・ナナセが敬愛する実兄はもう、ミンスクの地で戦っていた。


 ハイヴ突入部隊には選出されていない。それに随伴する補給部隊にも当たっていない。地上陽動部隊の一部に加わっている筈だ。
 それでも、リンは兄と実際に同じ戦場を共にするのは初めてだった。
 覚悟がなかったわけではない。衛士である以上、戦場に出ることがあるのは当然のことである。だが、本国の国連軍衛士という出撃頻度の少ない兄の立場にリンはどこか安堵していた。
 だから、心配なのだ。
 百戦錬磨の最前線衛士すら死地と表現するような戦場に、BETAとの実戦経験の少ないアメリカ国内の衛士まで、1週間にも満たない準備期間を経て投入されている。
 その数多いアメリカ人衛士のうちの1人が、リンの兄である。


 時間が1分、1秒と経過するごとに、戦場が近付くごとに、リンの心は逸る。今現在、生存しているかも不明の兄の身を案じるが故に。


 それを理解しているだろうジョージも無駄な叱責などはしてこない。否、「言わずとも分かっているだろう?」という暗喩された叱責が、リンには堪える。
 彼女は大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐いた。

 分かっている。リン・ナナセという名の副隊長が背負っているのは、以下7名の部下の命だ。そして同名のアメリカ陸軍衛士が背負うことになるのは、同じ戦域で共闘することになるだろう何十名もの戦友たちの命。
 その全員が共に明日を迎えられる保証はどこにもない。だが、そこにいるすべての者に課せられる責務は一様に同じだ。

 犬死にさせるな。ただ、それだけ。

 この戦いで数千にも及ぶ兵士が死ぬだろう。それはきっと避けられない筈だ。だが、その犠牲を無下にすることなど誰にも許されない。
 リンは内心、反吐を吐く。今の自分は情けなかった。少なくとも、リン自身はこのような状態の者に背中など預けられないだろう。

 再び、深呼吸。彼女の心音は緩やかに落ち着きを取り戻し始める。そのバイタルデータでもモニターしているのか、網膜に映ったジョージがハッと鼻を鳴らして軽く笑った。リンもそれに笑い返す。

『もうすぐワルシャワ上空に差し掛かる。艦載機各機、発進の準備を開始せよ。発進の号令は艦載する各輸送機のパイロットより発せられる。こちらからの通信は以上だ。幸運を祈る』

 その通信でリンは大きく顔を上げる。
 焦燥感はもう、驚くほど小さい。










『―――――――――以上が、降下手順となる。横浜基地部隊は軌道降下するソビエト・アラスカ連合軍に続く形で戦域に降下。A-02を中心に展開し、敵地上戦力の掃討を開始せよ。健闘を祈る』
 軌道上で待機を継続する国連軌道艦隊。その一部を成す再突入型駆逐艦の背負う再突入殻に格納された状態で、速瀬水月もまた逸る気持ちを抑えていた。
 先刻、軌道降下兵団がミンスクへと軌道降下するに当たって、一部の予定変更が作戦旗艦から告げられた。それが、ハイヴ突入部隊の軌道降下時刻の繰り下げである。
 理由は実に単純。

 戦域に展開したBETAの掃討が遅々として進んでいないのだ。

 戦線の前進も予定基準には達しておらず、レーザー属も未だ多数が健在。いくら、軌道降下兵団の先行突入部隊が本命とは言えなくとも、その状態で突入するのはただの嬲り殺しに等しい。
 それは誰も望んでいない。
 地上陽動と地下陽動。その両方が成り立ってこそ、本命は生きてくる。水月たちが粘れれば粘れるほど、後発で突入する白銀武率いる混成部隊の生還率が上がるというものだ。

 速瀬水月は戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)を統べる優秀な衛士。だが、ハイヴ突入という一領域に関しては、部下の方が長けている。そして、白銀武以下第27機甲連隊の衛士たちの方が、優れている。
 水月には、凄乃皇四型による広域制圧と広域管制の支援がない状態で地下茎構造内を行軍した経験はない。今や地上最大となるフェイズ5ハイヴともなれば、それはある意味ではまさに未知領域。

「……スクルド1了解。そちらも再突入の際に撃墜されないよう、祈ってるわ」
『感謝する。戦いの女神に祈ってもらえるのなら、兵士にとってこれほど心強いことはない』
 水月の返答に艦隊旗艦の艦長を務める中年男性が笑いながら答えた。彼のその反応に、水月も可笑しくなって小さく笑う。こんな肩書きで心強く思ってもらえるのなら安いものだ。
「……宗像、風間、各隊状況は?」
『こちらミスト1。士気は充分ですよ、いつでもどうぞ。速瀬中佐』
『こちらアルヴィト1。第3中隊(アルヴィト)も降下を待ち侘びていますわ。白銀中佐たちに遅れた分も、取り戻さなくてなりませんから』
「そうね。いつまでもあいつらばっかに頑張らせておくのは先任として忍びないわ。社、鑑、そっちはどう?」
 水月の呼びかけに中隊長を務める宗像美冴と風間祷子の2人からすぐに応答が返る。彼女たちもまた、水月同様に凄乃皇の直援として地上陽動に従事する予定だ。水月は祷子の言葉に笑いながら返し、続けて社霞と鑑純夏の2人に呼びかけを移した。

『こちらヴァルキリー1。こちらも、大丈夫です。いつでも行けます』
『A-02 凄乃皇弐型。問題ありません』

 単座型管制ユニットに切り替えたSu-37と、巨体をそのまま軌道上に委ねる凄乃皇弐型。そのパイロットである2人からそう返ってくる言葉に、水月は「よし」と心の中で改めて自身を奮い立たせる。
 社霞を同時に欧州から連れて帰ったことから、凄乃皇弐型には桜花作戦時の四型と似た処置を施すのだろうと水月は予想していたのだが、それは見事に裏切られた。
 だが、いざその編成を聞いたときには、「何故」と思うよりも早く、「成程」と納得してしまった自分がいて、水月は実に複雑な心境になったものだ。


 端的に言えば、この編成はきっと甲21号作戦の時と同じなのである。


 あの時に鑑純夏が既に凄乃皇弐型に搭乗していたのだと前提すれば、社霞のポジションはさながら白銀武と同じ筈。つまりは、有事の際の鑑純夏救出要員であると考えるのが妥当だ。
 情報開示レベルを考えれば、それを任せられるのは水月と美冴以外では彼女だけだろう。寧ろ、水月たちより適任なくらいである。

 速瀬水月は軽く首を横に振る。

 この配置が、甲21号作戦の時と同じであるとするならば、有事の際に水月自身へと命ぜられている任務は1つしかない。




 そして、それはもう下されていた。










 昨日。7月5日 極東方面 日本 神奈川県横浜 横浜基地。指折りの権力者たる香月夕呼の執務室に速瀬水月はただ独り呼び出され、そこでそれは伝えられた。

「自爆……ですか?」

 今し方、夕呼が言った言葉を復唱するように水月は訊ね返す。

「そうよ。万が一、戦況が絶望的なレベルに追い込まれたら、あなたが凄乃皇の自爆プログラムを起動させなさい」
 夕呼もまた、先程に言った言葉を繰り返した。それに対して水月は「は」と改めて畏まった応答をする。
 絶望的なレベル、というのは突入部隊の全滅を指す。今回の作戦には、2度目がない。何としてでも反応炉にいる新上位存在を倒さなければ、どんなに犠牲を強いて善戦したとしても同じことだ。
「目安時間は白銀たちの突入から最大で4時間後。地上の戦況次第では、3時間まで切り上げることを許可するわ」
 彼女のその言葉に、出来れば延長させる許可をしてもらいたいところだが、と水月は内心思ったが、口には出さない。出したところで仕方のないことだと理解していたからだ。
 延長は所詮、情に流されているだけである。何故なら、今現在のミンスクハイヴの状態を鑑みれば、現実的に見て突入部隊は210分以上、生存することが出来ない。4時間でも、充分に幅を取られているのだ。

 突入から4時間で全滅。それは充分に妥当な分析だった。

 そしてもし、その状況に陥ったなら、地上の生存部隊を撤退させながら、水月自身が凄乃皇の自爆プログラムを起動させる。G弾20発分の威力をもってして、ミンスクハイヴ諸共、新上位存在を吹き飛ばせと、そう命じられているのだ。

「社が鑑を回収して、戦域を離脱する手筈になっているから、2人が安全域まで後退してから起爆して頂戴。脱出に関してはあれこれと注文はしないわ。“脱出出来るのなら”、脱出しなさい」

 その言葉に水月は流石に思わず失笑する。
 水月に自爆プログラム起動を命じ、逸早く、霞と純夏の2人を脱出させることを考えれば、直援部隊も彼女たちの護衛につけることが当然。水月が自爆プログラムを起動させている間、凄乃皇の周囲に残せるのは最大でも直下の第1中隊(スクルド)のみだろう。

 友軍のほとんどが撤退中にある戦場の真ん中に1個中隊で取り残された水月に、どうやって脱出しろと言うのか。

 それを嘆くわけではない。ただ、「脱出出来るなら」という言い回しが、ほんの少しばかり、気に喰わない。尤も、彼女の下で働いて早4年にもなるのだから、それも今更というものであるが。

「香月副司令、質問の許可を」
「何かしら?」
「爆破の際に最低限必要な距離はどのくらいでしょうか?」

 夕呼からあっさりと質問の許可をもらった水月は、そのまま自爆に関して重要な条件を確認する。佐渡島の時はフェイズ4ハイヴだったから容易に根こそぎに出来たが、今回の相手はフェイズ5ハイヴだ。反応炉エリアが消失を免れては本末転倒である。
「あまり気にする必要はないわ。フェイズ5ハイヴの最大深度は2000m以上……仮に4000mまで到達していたとしても、地表構造物から39km圏内で自爆すれば、反応炉を掠めるから」
「39km……最外円の門まで到達出来ていれば余裕で反応炉を根こそぎに出来るってことですか……」
「そうよ。佐渡島の時と威力は同じだから、半径40km圏内の空間は根こそぎ、ね」
 納得した水月の呟きに夕呼は面白くなさそうに鼻を鳴らして答える。面白くないのは水月も同じことだ。佐渡島を地図上から消してしまうほど、凄乃皇の自爆が引き出す破壊力は圧巻の一言に尽きるが、それは結局、G弾を使用することと差異がない。

 だからこその、最終手段。
 どうしようもなくなった時、せめて人類の未来を残す選択肢を取れという、苦肉の策。それを使えば、どう足掻いても第4計画側が1歩後退し、第5計画側が1歩前進してしまう。
 最悪だ。出来ることならば、ミンスクを佐渡島のように、そしてこの横浜のようにはしたくない。たとえそれが人類を生かす選択でも、ヴォールクの名を穢すような行為に、水月には思えてくる。


 衛士にとって、ヴォールクの名を穢すのは最大級の恥。少なくとも、水月はかつての上官にそう教えられてきた。


「何か他に言いたいことはある? 泣き言くらいなら聞いてあげるわよ」
 出た、と水月は悟られないように苦笑する。「泣き言くらいなら聞いてあげる」は香月夕呼流の「愚痴くらいなら黙って聞く」という気遣いの言葉だ。もう少し素直に物を言えば良いのにと水月は思う。

「………そうですね……では、1つだけ」
「何かしら?」
 しばし沈黙した水月が口を開き、そう答えると夕呼は訊ね返してくる。そこでようやく、神妙な面持ちをしている香月夕呼に対して水月は快活に笑ってみせ、こう言った。



「生きて帰れたら、部下も含めて食事でもご馳走してください」










 そう答えた後に、鳩が豆鉄砲喰らったような顔になった夕呼を水月はまだ鮮明に覚えている。あの人にそんな表情をさせることが出来たのだから、今回の作戦の前哨戦としては上々の戦果だ。

 思い切りやろう、と水月は誓う。

 自爆プログラムの起動法に関しては、もう宗像美冴、風間祷子の両名にも伝えてある。万が一、自分の身に何かあっても、2人が生きていれば当初の打ち合わせ通り、ことは進むだろう。
 尤もそれは、本作戦において最悪のシナリオに程近いものであるが。

 大局的に見て、降下さえ成功してしまえばほぼ人類に敗北はない。凄乃皇さえ戦域に存在すれば、その自爆でミンスクハイヴは消し飛ばせる。それに関しては桜花作戦に近い。
 ただきっと、水月が被るのは汚名に近いだろう。かつての上官が成したような偉業には到底、届かない。そんなことをして会いに逝っては、伊隅みちるも神宮司まりもも、しこたま自分をぶん殴ってくれるに違いないな、と水月は思った。

 殴られて堪るか。

 水月は声に出さずに笑う。どんなに尊敬出来る先達でも、わざわざ殴られにいくのは流石に癪に障る。出来ることならば、笑顔で迎えられるくらいのことは成してゆくべきだろう。


『ソビエト・アラスカ連合軌道艦隊、全艦、再突入回廊に進入を開始』
「っ!」
 自分の搭乗した不知火を艦載する駆逐艦。そのパイロットの口から告げられる状況の進展に、水月はその頬を強張らせる。自分たちが軌道降下を開始するのは、ソビエト・アラスカ連合軌道艦隊のすぐ後だ。

 目を瞑り、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

 重金属雲濃度が確保されているとはいえ、降下中はほぼ無防備状態だ。無事に戦域へ着陸出来るかどうかは、最早、自分の悪運の強さに賭けるしかない。

 次に目を開いた速瀬水月は、常勝無敗の代名詞。
 極東国連軍の最精鋭 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の総指揮官、その人だ。










 最初の補給を終え、戦線に復帰した白銀武はHQからの通信に思わず空を見上げた。
 軌道上から先行して戦域に降り注ぐのは、軌道降下兵団が分離した無数の再突入殻。それが低空でレーザーによって迎撃されて、あちこちで爆砕している。

 最初に来るのはアラスカ・ソビエト連合の軌道降下兵団。そしてそれに続くのが、凄乃皇を含めた横浜基地部隊。彼らの降下が完了し次第、前衛を構築している人類軍の部隊は一時的に敵中に吶喊し、降下した友軍の周囲を固める。その状態から1度、全軍が基準ラインまで後退し、戦線を再構築して再度前進を開始するというのが、予定されているプランだ。

 ハイヴ突入を目前に控えた武たちはその段階でも後方支援に徹する。彼としては凄乃皇を守りたいのだが、あれの周囲は戦域でも最大級の激戦地と化す。大役を任された彼らがその戦列に加わるわけには、いかなかった。


 北欧神話に登場する戦乙女が戦場へと舞い降りる。
 戦うのは自分たちだけではない。生き残らせてもらっていた自分たちだけでは、決してない。
 彼女たちはきっと、ワルキューレの名の通り世界中から、大戦史で散って逝った数多の英霊の魂をも引き連れてきてくれたのだろう。


 武は、そう思う。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第83話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:872a4251
Date: 2008/03/25 15:23


  第83話


『レーザー照射源……重光線級8! 光線級32! 目標はいずれもA-02です!!』
 風間祷子の言葉に、彼女と同様、凄乃皇の周囲を固め、戦線の再構築を継続している社霞は思わず小さな呻き声を上げる。

 アラスカ・ソビエト連合軍と彼女たち横浜基地総合部隊の軌道降下は無事、成功を収めた。先行してくれたアラスカ・ソビエト連合軍は最初から司令部にそう指示を受けていたのか、着陸と同時に扇型に前衛展開し、凄乃皇に反応したBETA対する仮設防衛線を構築。
 同時に、後退支援のために前進してきた国連軍、EU連合軍、ASEAN連合軍に帝国陸軍と斯衛軍の各隊もそこに加わり、速瀬水月によって率いられる横浜基地総合部隊を悠に上回る戦力が凄乃皇を中心として展開した。
 砲撃陣地も恐らくは凄乃皇の降下を待ち構えていたのだろう。支援砲撃もまた、同時に周辺戦域に対して飽和砲撃を敢行し、展開していたレーザー属を始めとするBETA群の掃討にかかった。


 それでも、BETAの物量は圧倒的。


 凄乃皇へと向かってくるBETAの大半は、周辺に展開してくれた友軍部隊によって足止めを喰らっている状態だが、レーザー属に関してはそうもいかない。
 支援砲撃を生き残った数体の重光線級と、足の速い光線級は逸早く凄乃皇を捕捉し、遠距離からレーザー照射を開始する。

『ラザフォード場でレーザーが逸れるわよ! 展開中の全隊は注意しなさい!!』
 瞬間、速瀬水月の怒号が響く。それと同時に大小40に及ぶレーザーが煌き、凄乃皇の巨体へと襲いかかった。だがそれは、凄乃皇の装甲を捉えることは決してない。
 凄乃皇の周辺に展開するラザフォード場によって阻まれ、すべてのレーザーがまるで自ら凄乃皇の機体を避けるかのように屈折する。無敵とは言わないが、凄乃皇が誇る人類最強の盾だ。
『広域データリンクは正常! 光線級及び重光線級の位置を特定! 支援砲撃を要請する!』
『社!』
「了解」
 宗像美冴によって支援砲撃が要請されると同時に、水月が霞へと呼びかける。支援突撃砲を携えた霞は、了解と答えると同時にSu-37を跳躍させ、凄乃皇の機体上部へと移動する。

 そこは言わば特等席。
 レーザー属蠢くこの戦場で社霞にのみ許される、地上100mを超える一種の展望台だ。
 霞はそこで支援突撃砲を構える。
 生憎と、彼女は近接格闘など得意ではないし、近距離での高機動戦闘を望むほど運動神経が良いわけでもない。その短所を放っておかないように訓練は積んできたが、それ以上に、霞が力を注いできたものがある。

 狙撃は今や、霞の武器だ。手本としてきた極東随一の狙撃手には遠く及ばないが、それでも、実戦で役に立つレベルまでは到達している。

 目標を捕捉。守るために、指をかけたトリガーを彼女は引いた。撃ち出された砲弾は、支援突撃砲の射程圏内ギリギリの位置で足を止めている重光線級の照射膜を一思いに貫く。
 照射を行った8体の重光線級の位置は広域データリンクで確認済みだ。36秒という再照射までのインターバルに、可能な限りこの高台からの狙撃で撃墜する。
 それに対するBETAの対応は実に緩慢。照射後の重光線級がその場に立ち尽くしていたことも、その射線が開けられたままであることも、それをよく示している。

 ほとんどのBETAにとって初めての経験なのだ。重光線級数体のレーザー照射にて沈む気配すらまるで見せない人類兵器というのは。
 だから、攻撃直後の対応があまりにもお粗末なのである。
 衛士となった社霞はその隙を突く。

 尤もこれは、長らく衛士としての彼女の面倒を見てくれた速瀬水月の考えた策ではあったが。

「はぁ……はぁ……」
 照準を合わせる自分が、既に肩で息をしていることに霞は気付いた。体力的な問題よりも、寧ろ精神的なものが大きいだろう、と頭の半分では冷静に分析する。
『大丈夫? 霞ちゃん』
 今現在、霞も同時に守ってくれているA-02を操る鑑純夏から、そう言葉をかけられた。凄乃皇を駆って出撃した前の2回とは異なり、純夏の方はまだ平然としている。
 凄乃皇弐型自体は万全と言えなくとも、鑑純夏の状態は万全に等しい。そういった健康面での要因が恐らく大きいのだろう。

 それでも、100回や200回もレーザー照射を耐え続けられるわけではない。次元境界面への干渉が多ければ多いほど、純夏の負担も激増するのだ。それ故に、ラザフォード場は“最強”ではあるが“無敵”ではない。
 ここから先は香月夕呼の推測だが、恐らく、純夏の負担はその実、単発のレーザー照射よりも多数の戦車級にたかられる方が大きい。後者の方が圧倒的に、次元境界面への干渉時間が長いからだ。ただし、あくまで比較して、の話であるが。

「はい……大丈夫です」
『社少尉、無理することはありませんよ? “あの時”とは、違いますから』

 純夏に答える霞へと、風間祷子が柔和な笑顔でそう返す。それと同時に、凄乃皇の真横を横切って、不知火弐型の一団が前面に展開した。
 帝国陸軍だ。それも、各中隊2機ずつが電磁投射砲を装備している特殊部隊。規模にして1個連隊……つまり、18基の電磁投射砲が凄乃皇前面のBETAを一掃するべく火を吹いた。

 薙ぎ払う。
 薙ぎ払う。
 薙ぎ払う。
 戦車級の合間を縫って凄乃皇を射線に捉えようとした複数の光線級もまとめて、120mm砲弾が戦場でBETAを蹂躙する。

 要撃級、突撃級、重光線級、要塞級といった大型種がその体躯を拉げさせ、肉塊となって大地へと積み上げられてゆく。
 その光景は、まったくもって心地良いものとは言えなかった。

『射線が開いて重光線級が来るわよ! 各機警戒を怠るな!!』
『了解!』
 水月の指揮に応じるのは、指揮下の横浜基地部隊だけでなく、その場に展開した数多の部隊の衛士たちも同様である。ただ、警戒も何も、戦闘行動を止められる機会などそれこそ補給の時しかないだろうが。

 刹那、霞の視界で光が弾ける。あまりの眩さと恐ろしさで、思わず霞は反射的に目を閉じてしまった。だが、すぐに目を開いて、それが無意味な行為だったことを思い出す。
 Su-37直撃の軌道を取っていたレーザーはラザフォード場に阻まれ、屈折。霞は照射が続く間に、広域データリンクによって照射源の位置を特定し、そこへ支援突撃砲の先端を向ける。

 照射の終了と同時に、重光線級の照射膜目掛けて砲弾を放つ。敵の数は膨大だが、レーザー属は確実に、1体1体潰していかなければならない相手だ。



 社霞の、衛士として恐らく最初で、恐らく最後となるだろう大一番はまだ、始まったばかりである。










 風間祷子は指揮下の第3中隊(アルヴィト)を率い、凄乃皇に接近する要撃級や戦車級を片っ端から打ち払い続けていた。
 レーザー属の攻撃は凄乃皇と、降り注ぐ支援砲撃の砲弾やロケットの類に集中しており、地上に立っている限り、戦術機がその標的となることはない。その、敵の行動規範に依存した状況を利用して、第3中隊(アルヴィト)はものの十数分の間に歴戦の兵たちすら舌を巻きかねない戦果を挙げていった。

「11時方向、要撃級23! C小隊、対処しなさい!」
『了解!』

 レーダーを確認し、祷子は接近するBETA群の迎撃をC小隊へと命じる。先日のイギリス防衛戦で1機失ったC小隊は3機編成で隊列を組んだまま、敵中へと身を翻す。それと同時に祷子は手に持った支援突撃砲の先端を11時方向へ向け、後方支援行動に入った。

 それによって、一時的に右翼の戦力が落ちる。

 だが、祷子が友軍に支援を要請するよりも早く、F-15を運用する国連軍の1個中隊がそちらの方向へと疾風迅雷の如く吶喊した。あまりの対応の早さに、流石の祷子も驚きを隠せない。

『まったく……友軍は心強いな、祷子』
「………そうですね、美冴さん」

 前面展開から後退してきた第2中隊(ミスト)の宗像美冴が不意にそう言ってくるので、祷子も表情を穏やかな笑顔に戻して答える。美冴にそう言わせたのは、第2中隊(ミスト)を一時後退させる余裕を作った別の友軍部隊だろうが、祷子も今は同じ気持ちだ。
 祷子がこれまで経験してきた任務の中で過酷だった戦場を上から順に挙げてゆけば、上位5つは半ばスタンドアローンを前提としたものになる。確かにここも死地に等しいが、あれら比べれば、何倍も心強い。

『宗像! 風間! 荷電粒子砲の発射までまだ時間がかかるわ! 第1射で東方面を薙ぎ払ってから、後退準備に入るわよ!』
「『了解!』」

 そのタイミングで連隊長たる速瀬水月からそう指示が入る。祷子は美冴と声を揃え、「了解」と答えた。
 桜花作戦時の凄乃皇四型よりコンディションは良好らしく、防御面では甲21号作戦時以上に堅牢だと事前に香月夕呼から祷子も説明を受けている。だが反面、攻撃面では佐渡島の時のようにはいかないとも、聞いていた。
 何でも、再攻撃までのインターバルがあの時よりも長いというのだ。36mmやVLS等の近距離戦闘用兵装がないことを考えれば、一概に桜花作戦の時より良いとは言えないが、それでも1発限りでないことは助かる。

 それに、荷電粒子砲の発射後には極僅かな時間ながら、ラザフォード場の展開出来ない空白時間が生まれる。その間の安全性を高めるには、荷電粒子砲の効果範囲から外れる領域のレーザー属も可能な限り排除しておく必要があった。

『発射と同時に凄乃皇の両翼のBETAを帝国陸軍が電磁投射砲で蹴散らしてくれるそうよ。絶対安全とは言わないけど、少しくらいは安定するわね』
『荷電粒子砲に電磁投射砲……先端兵器の揃い踏みですか』
「それが必要な戦いなんですよ、これは」
『こちらの仕事が減るのに文句はないさ』
『代わりに別の仕事が増えるわよ、宗像』

 美冴に返す水月のその言葉に、祷子も合わせて3人は声を揃えて笑った。本気でそんな会話をしていれば不謹慎なことこの上ないが、水月も美冴も互いに一種の冗談として語っているから、笑える。
 元より、この戦いはそういう戦いだ。
 誰かが自分たちの任務を手助けしてくれるのなら、別の形で自分たちは他の誰かを手助けしよう。兵士にそういった決意をさせるほどの、一部すら欠けることの許されない総力戦。

 これは、政治家たちから見れば綺麗事のような話かもしれない。
 だが、戦場で戦ってきた兵士たちにとっては、すべてに近いものだ。このミンスクの戦場にいる兵士たちが考えているのはきっと、今、戦場を共にしている戦友たちを死なせたくないということに違いない。

 もちろん、帰郷すれば大半の兵士には家族がいる。あるいは、それに等しいくらい親しい者が待っているだろう。
 そういった者たちを想って戦場へと身を投じた者は、やはり分かってしまうのだ。隣で戦っている戦友が、自分と同じ想いを持って戦地へと赴いてきたのだということを。

 だから、死なせたくない。
 たとえ、その戦友が名前も経歴もよく知らない相手だとしても。

『よし、第2中隊(ミスト)全機、再攻勢に移るぞ!』
『了解!』
 美冴の指示を受け、第2中隊(ミスト)のB小隊が先行して、再び敵中へと身を翻す。それを追従する形で同隊のC小隊も前進を開始した。
『簡単に死ぬなよ、“風間”』
「はい。“宗像少佐”もお気をつけください」
 「風間」と呼び方を変える美冴に対し、祷子も「宗像少佐」と畏まった呼び方で答える。親しき仲にも礼儀ありとは違うが、お互いの立場と、今成すべきことを明確に示すための簡単な手段だ。

 風間祷子は1度、大きく深呼吸をする。
 11時方向の要撃級23体を当の昔に掃討した部下は、既に友軍と入れ替わる形で後退してきており祷子の周囲を固めいている。
 祷子は左手で支援突撃砲を構えたまま、ブレードマウントから長刀も引き抜いた。そして部下に対して口を開く。

「第3中隊(アルヴィト)は全機、10時方向へ攻勢を仕掛けます! 凄乃皇の安全圏を確保しますよ!」
『了解!』
 あまり多用しないが、祷子は長刀の切っ先を10時方向にて友軍部隊と交戦中のBETA群へ向け、祷子は声高に命令を下す。その命に応じる第3中隊(アルヴィト)の衛士たちは、B小隊を先頭に進撃を開始。

 10機の不知火の一団はまさに疾風だった。
 一陣の風となり、彼らは戦場を切り裂く。

 強襲掃討装備の施された2機が敵前衛手前で足を止め、4挺の突撃砲で一斉掃射。群がる戦車級を炸裂させ、立ちはだかる要撃級を蜂の巣にする。B小隊の各機が長刀で瀕死の要撃級を薙ぎ払い、射線を確保すると、祷子はすかさず支援突撃砲で後続の要撃級を撃ち抜いた。
 そのまま尚も進撃。
 敵後方では足を止めた重光線級が照射膜を撃ち抜かれて崩れ落ちる。凄乃皇の上部に陣取った社霞の戦果だ。比較的近距離にはまだ数体の重光線級が存在するようだが、一様に呆けたように凄乃皇を見上げる形で立ち尽くしており、祷子たちへと攻撃を仕掛ける気配はない。
 尤も、凄乃皇を攻撃することに傾注しているレーザー属は、あまり前まで前進してきていない。それは捕捉されている凄乃皇があまりに巨大故、だ。だから、比較的近くまで接近してきたレーザー属は戦術機が、遠距離のそれは砲撃陣地が潰している。

 それでも、敵は無限大だ。

 恐らく、作戦開始時、砲撃範囲内に存在していたレーザー属は残らず殲滅している。他の場所から作戦域へと集まってきたレーザー属もかなりの数が討たれているだろう。
 それでも、敵は次々と地下から湧いてきている。凄乃皇が降下したことによって、その量も上昇しているように感じられた。

「はああああっ!!」

 祷子は咆哮し、眼前の要撃級を長刀で真横に薙ぎ払って、進路を確保。第3中隊(アルヴィト)も含め、3個の戦術機甲部隊がその後方から進攻してくる要塞級の群れへと強襲を開始する。

 彼女たちに退路はない。この戦いに戦略的撤退などありはしない。

 風間祷子がこの戦場から退く時は、人類がミンスク侵攻作戦にて事実上の大敗に帰する時なのだから。











 凄乃皇の制御は現在、鑑純夏が単独で行っている。
 佐渡島の時には香月夕呼とイリーナ・ピアティフからのバックアップ、桜花作戦の時には白銀武と社霞からのバックアップがあったが、今回においてはそのすべてが鑑純夏の制御下に置かれている。

 巨人はまさに鑑純夏の分身だった。

 搭載された量子伝導脳が重力制御を可能にし、生きたいと、守りたいと願う心がラザフォード場の展開領域を自由自在とする。
 ヒトとしての器を与えられ、ヒトとしての心を与えられた、ヒトでないこの鑑純夏のみに許された、絶対的な空間こそが、このラザフォード場の内側だった。
 次元境界面に干渉があればあるほど、彼女への負担は大きくなる。今は実用化されたODL浄化装置をそのまま積み込んでいるが、それはあくまで日常生活を円滑に進めるためのものに過ぎない。
 敵の攻撃を受け続ければ、浄化など追いつかない速度で彼女のODLは劣化し続けていくのだ。

 それ故に、この戦いもまた、桜花作戦同様に時間との勝負。

 凄乃皇が戦域に存在し続ける限り、突入部隊の生存率は極めて高くなる。それは即ち、白銀武の生還率にも直結する事象だ。
 彼の部隊が生還すれば人類は勝利する。
 彼の部隊が全滅すれば人類は敗北する。
 そんな、あまりにも単純な構図がこの戦場には、冗談ではなく存在しているのだった。

「霞ちゃん! 2時方向から照射! 重光線級3!」
『はい!』

 霞が観測した情報に答え、霞は言うが早いが対応が入る。どうやら彼女は純夏が言葉を紡ぐよりも早く、漠然とした形ながらそれを読み取っていたようだ。レーザー照射が終了すると同時に、3つあった照射源が瞬く間にレーダーから消失したのである。

 凄乃皇が受けるレーザー照射の数は多い。

 多くの支援砲撃と電磁投射砲、戦術機戦力がその周辺に投入されているが、地下から湧き出してくるBETAも途切れることがないのだ。

 そう、“地下から湧き出してくるBETA”である。

 作戦は現状でゆっくりとだが、次の段階へと進む形で推移している。その点においては決して一進一退などではない。“まだ”、人類は辛うじて圧していた。
 未だ、地下茎構造内部には多数のBETAが蠢いているが、地表に展開していたBETAの3分の1近くが打倒されているだろう。作戦初期段階における人類戦力の飽和攻撃はそれほどの威力を発揮する。

 それにも関わらず、大戦史において人類の勝率が芳しくないのは、単純に、その火力ですらBETAを殲滅し切れないからだ。

「充填率……90%……あと少し」
 荷電粒子砲のエネルギー充填率を確認し、純夏は小さく呟く。桜花作戦の時のように、蓄電器を大量に積み込まなければならないほどではないが、凄乃皇の状態は決して万全とは言えなかった。佐渡島の時と比べれば、充填速度など見る影もない。
 加え、大量の近接防御兵装を搭載し、それを外すことで余剰スペースを確保出来た凄乃皇四型とは異なり、凄乃皇弐型には蓄電器を大量に積み込むスペースがないことも痛い。


 それでも、凄乃皇はこの戦場に投じられる石の1つなのだ。それも、ただの小石ではない。


 卑怯だと、純夏は思う。誰に対してと問われれば、この世の何よりも自分に対して、と純夏は答えるだろう。
 それは、最後の最後まで純夏には退路が残されている故だ。
 突入部隊が全滅し、作戦遂行がどうしようもなくなれば、香月夕呼はこの凄乃皇を棄てることも止む無しと考えている筈だ。佐渡島と運命を共にした同型機同様、ミンスクと運命を共にすることになるのは、容易に想像がつく。

 それでもきっと、香月夕呼は00ユニットだけは手離さない。

 つまり、この凄乃皇を自爆へと導くのは、それを預けられた鑑純夏ではなく別の誰か。立場的なものを鑑みれば、それはきっと速瀬水月か宗像美冴、風間祷子の何れか。



 私は英雄にはなれない。



 戦場へと赴く戦士は誰しもが英傑であり、特別な戦果を挙げた者が英雄と呼ばれ、戦いの中で逝った者が英霊と呼ばれる。それはその戦場が疑いようもない死地だからだ。
 だから、どんな戦場に身を投じようとも、そこでどんな戦果を挙げようとも、その命が他のどの兵士よりも保障されている英雄など、この世にはいない。
 だから………鑑純夏はこの戦いで英雄になどなり得ない。

『純夏さん』
 その声で、思わず純夏は顔を上げる。網膜には社霞の姿が映っていた。
『大丈夫です』
 純夏が応じるよりも早く霞はそう続ける。狙撃を続けながらも、いつもと同じ優しい声調だ。表情はどこか強がっているように見えるが、そんなものは付き合いの長い者にしか分からないだろう。
「………うん、ありがとう、霞ちゃん」
 彼女のその言葉に純夏は笑った。「大丈夫」というその言葉だけで、今は限りなく強くなれそうな気がしたのだ。

 名のある英雄になどなる必要はない。
 生き抜こうが、死に絶えようが、この身は元より決して表舞台には立てないものだ。
 今、自分のことを知っている人たちが覚えていてくれれば、それだけで良い。

 純夏は双眸で前を見据える。眼前には怨敵が埋め尽くしている戦場が広がっていた。その瞬間、まるで計ったかのように凄乃皇の機体が操縦士である純夏に1つの報告を告げる。

「―――――――ッ! 速瀬中佐! 荷電粒子砲の充填、完了しましたッ!!」
『ッ! スクルド1了解!』
『ヴァルキリー・マムより作戦域展開中の各隊へ! 接近する敵集団を攻撃しながら即時、所定のラインまで後退を開始せよ!』
 純夏の呼びかけに答えるのは速瀬水月とHQに常駐し、戦域管制を行っている涼宮遙の2人だ。遙によって下された指示に従い、凄乃皇の前方を固める大軍勢が一斉に後退を開始した。
 荷電粒子砲の発射によって起こる影響の範囲は小さくない。距離が離れていればさしたる問題はないだろうが、安全策を取るのならば凄乃皇と真横に並ぶラインまで下がることが堅実だ。
『鑑、帝国陸軍が電磁投射砲で攻撃範囲外のBETAを可能な限り薙ぎ払ってくれるわ。攻撃終了と同時に1度後退するわよ』
「はい!」
 水月の呼びかけに純夏ははっきりとした口調で答える。凄乃皇は荷電粒子砲発射直後に無防備となる瞬間があるのだ。正面に展開するBETAの大半が薙ぎ払われるが、安全策を取るために1度後退する必要があった。

 どちらにせよ、凄乃皇は起動している限りBETAを惹き付ける。荷電粒子砲で無闇に薙ぎ払うだけが、この機体を最大限に“使う”方法ではない。

『鑑少尉、こちらから砲撃目標地点を指定します。砲撃許可から30秒以内に照準を合わせ、発射してください』
「はい、お願いします、涼宮少佐」
『間違っても地表構造物を吹き飛ばしちゃ駄目よ?』
『鑑は速瀬中佐のように豪快な真似はしませんよ』
 純夏が遙からの通信に応じると、最後の確認というように水月から言葉がかかった。だが、それに彼女が返すよりも早く、宗像美冴から茶々が入る。ヴァルキリーズお決まりのパターンだと、純夏は笑った。

 今回はH21の時のように、荷電粒子砲でハイヴの地表構造物を粉砕するわけにはいかない。それは、突入部隊が反応炉に到達するために、あの地表構造物が極めて重要な役割を果たすからである。
 ハイヴ坑内ではハイヴの内壁を傷つけないためなのか、レーザー属が一切のレーザー照射を行わない。その例外に漏れる可能性がある場所こそ、地表構造物から真下に伸びる主縦坑と呼ばれる巨大な縦坑だ。

 主縦坑において、真下からのレーザー照射をさせないために、あの地表構造物が必要不可欠。

 理由はその形状的特徴にあった。
 地表構造物の中心を走る縦坑は主縦坑から直結しているのだが、地表構造物の形状上、上部に向かう毎に直径が小さく、そして軸が斜め方向に傾いているのである。
 主縦坑においてレーザー属がレーザー照射を行わないのは、地表構造物の内壁が内側に迫り出しているためであり、つまりは地表構造物あっての行動抑制だ。
 それがなくなった場合、主縦坑内を壁面すれすれに降下しても下部からレーザー照射を受ける可能性がある、と言えば、その存在の重要性がよく分かるだろう。


 尤も、これが至極真っ当なハイヴ制圧戦だったなら地上陽動でレーザー属に限らず、主縦坑内のBETAを地上に引き摺りだせるため、地表構造物を吹き飛ばすのも無しではない。


 これは、純夏に作戦概要を丁寧に教えてくれた速瀬水月の言だ。
 今回の作戦において、後発の突入部隊が突入するまでに地上部隊が引き摺りだせるのは、精々が中階層に配置されているBETAまでだ。主縦坑と最下層のBETAは可能性として半々といったところだろう。
 結局、「地表構造物の破壊、絶対禁止」という命令があるのは、この作戦が極めて特殊なケース故である。


『ヴァルキリー・マムよりA-02! 友軍の安全圏までの後退及び帝国陸軍の電磁投射砲による威力制圧開始を確認! 砲撃を開始せよ!!』

「はい!」

 遙からの攻撃許可は実に分かり易かった。ただ、巻き込まれる位置に友軍はいないからBETAを薙ぎ払ってしまえ、というのである。純夏もまた、半ば反射的にそれに答える。
 双眸に映るのは未だ、地平線の向こうまで大地を埋め尽くした仇敵の軍勢。

 鑑純夏は戦いにきた。
 自分にしか出来ない戦いをするために、このミンスクの地へと赴いた。

「私にはまだ………果たさなきゃいけないことがあるんだ………!」
 まるで自身を奮い立たせるように純夏はその言葉を口にし、眼光鋭くBETAを睥睨する。すでにその指先は荷電粒子砲のトリガーにかけられ、意識は遙によって網膜へと投影された攻撃目標地点に傾いていた。

 瞬間、レーザーが弾ける。
 再び放たれたレーザー属の高出力レーザーをラザフォード場が屈折させ、凄乃皇の装甲を敵の攻撃から守る。それに耐え忍ぶ純夏の手の平には、じっとりと汗が滲んでいた。
 辛さからではない。緊張感からだ。
 直前まで迫った、鑑純夏にしか放てない渾身の一撃を前に、彼女の偽りの器ですらありとあらゆる「緊張」の身体反応を示す。

 レーザーは緩やかに収束。レーザー属は次の攻撃まで多少の時間がかかる。凄乃皇を打倒するために複数の個体が同時照射をした弊害だ。
 その隙を、鑑純夏は突く。
 発射には派手な前兆などない。強いて言えば、開口する胸部の砲口が帯電する程度のものだった。


 だから、その瞬間は真の意味で静かに訪れる。


 凄乃皇の胸部で開口した1対の砲口が帯電した直後、突如、人類史上最大火力の砲撃が戦場を切り裂いた。その閃光は重光線級が放つそれとはまるで比較にならないものだ。

 一心不乱に凄乃皇へと雁首揃えて行進するBETAを、光は巻き込む、打ち払う、問答無用で薙ぎ払う。
 ただただ、人類の敵を蹂躙する。幾千、幾万ものBETAを一息で呑み込んでゆく。


 純夏の願いは一条の光となって……。

 戦士の志しは一条の光となって……。

 英霊の想いは一条の光となって――――――――――――





 気がつけば、遥か彼方で天高く粉塵が巻き上がり、凄乃皇の正面がBETA蠢く戦場から、何人たりとも生きることの許されなかった、“何もない”荒野へと姿を変えていた。

 どこかで歓声が上がる。
 まだ、作戦の折り返し地点にも到達していないというのに、そこらかしこで歓声が上がる。
 純夏の思考は、その“色”をはっきりと捉えていた。

 再び、凄乃皇の前へと疾風迅雷、獅子奮迅の勢いで躍り出るのは無秩序に入り乱れた戦術機の大集団。否、無秩序などでは決してない。
 それは人間だ。それはこの、地球という名の星を故郷とする人類だ。


『ヴァルキリー・マムより戦闘行動中の全隊へ! 荷電粒子砲の攻撃効果について暫定結果を報告する!』
 涼宮遙からオープンチャンネルで通信が入る。彼女もその光景に高揚感を隠し切れないのか、普段に比べてずっと声の調子が高かった。
『砲撃前に展開していたBETAの規模から推測するに、実数6万は下らない! 繰り返す! 6万は下らない!!』
 彼女のその言葉に続き、純夏は再び歓声の色を捉える。
 一撃で実数6万。それは確かに兵士たちにとって高揚を抑えられない結果だ。先日のイギリス防衛戦で言えば、荷電粒子砲による今の1発で、東岸から上陸しようとしていたBETA群の半数以上を殲滅した計算になる。

 それは、多くの戦場を潜り抜けてきた兵士にとってもあまりにも大きな戦果。あのG弾も含め、広域へと効果を及ぼす爆弾の運用が半ば封殺されたBETA大戦において、この砲撃はまさに一線を画する。

 だから、兵士たちは一様に胸を躍らせ、攻勢へと転じていた。



『スクルド1から戦闘行動中の全隊へ! 荷電粒子砲の効果は上々よ! 時間が経てば第2射も撃てるわ! 各隊、“落ち着いて”戦いなさいッ!!』
『了解ッ!!』

 その中において、速瀬水月は実に優秀だった。高揚した兵の士気を挫くことなく、同時に「調子に乗るな」という意味を臭わせる、暗喩の叱責を投げかける。
 彼女は指摘されるまでもなく、よく分かっているのだろう。



 地表展開20万、地下配置10万の計30万。
 これは大局的にBETAの規模を示す、“大型種”のみを換算した数字。通常のBETA集団における総実数は、大型種総数の約10倍から20倍にまで至る。
 即ち、現在のミンスクにおける敵総実数は、約300万から600万ほど。














 実数約6万。
 それは、このミンスクに存在していたBETA群の約2%である。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第84話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/04/03 22:59


  第84話


「邪魔だッ!!」

 ジョージ・ゴウダは雄叫びにも似た怒号を上げながら、BETAの群れに対して36mmを掃射する。彼の周囲にはリン・ナナセを始めとした直属の部下8名の他に、同じくアメリカから出撃した陸軍部隊が多数存在していた。
 彼ら、アメリカ陸軍部隊が戦域に到着したのは、軌道降下兵団の第一陣が戦域に降下するのとほぼ同じタイミングのことである。生憎と、1度、補給を行わなければならなかったため、戦列に参加することは出来なかったが、それでも彼らは圧倒的な希望の光をその目で目の当たりにした。

 XG-70。日本では凄乃皇と名付けられた巨人が放った、殲滅の炎だ。

 荷電粒子砲。それは瞬く間に地表を走り、一心不乱にXG-70へと向かっていた実数数万のBETA群を一瞬にして蒸発させてみせたのである。その威力は噂に違わず、寧ろ、ジョージの想像を凌駕していた。

 話にこそ聞いていたが、それほどの規模のBETAが1発の砲撃のみによってあのように消滅する様はあまりにも爽快だった。今まで舐めさせられてきた苦汁すら、あの一瞬は綺麗さっぱりに忘れてしまいそうな光景だった。

 それから、ジョージを含めたアメリカ陸軍部隊が戦闘を開始するまで10分もかかっていない。第1射を放ってから緩やかに後退を続けるXG-70も、その直援部隊によって守られており、第2射へのエネルギーを少しずつ、少しずつ蓄積させているところだ。


 ジョージたちが任されたのは、そことは些か離れた戦域。XG-70ではなく、他の人類戦力に対して攻撃を仕掛けるBETA群の抑止が、彼らに与えられた任務である。


 肩を並べられないのは不満であるが、それも止む無いと言えば止む無い。如何せん、アメリカを出立したアメリカ陸軍部隊は、ジョージたちのような反G弾派が一枚岩となって構成しているわけではないのだ。
 G弾使用の禁止が前もって宣言されたとはいえ、G弾推進派も抱える国の部隊をXG-70の直援に充てるほど、国連は……香月夕呼は馬鹿ではない。


 良く言えば、お目付け役。


 笑いながらそう表現したのは、ジョージたちの出撃を可能にさせた師団長殿であり、やや眉根を寄せながらそう表現したのは、副長のリン・ナナセだ。
 その言葉に誤りはない。
 XG-70への接近を香月夕呼から禁じられたジョージたちには、ある意味ではXG-70へ余計なことをしようとする者を見張れという任務が与えられたと言える。つまり、この同胞の中にいるかもしれない、G弾推進派の諜報員が余計な行動に出ないよう、監視していろと言うのだ。

『本当に……切りがありませんね』

 飽きることなく進撃してくるBETA群を見やりながら、リンが悪態をつくようにそう呟く。ジョージはそれに対して、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「ハイヴ制圧戦でBETAが尽きた、なんて前例は俺の記憶にない。無駄口は叩くな、ナナセ」
『了解! レスター2よりレスターズ各機、機動で敵を撹乱しなさい! F-22AにもF-22Aの戦い方があるわ!』
『了解ッ!』

 ジョージに応えたリンは、そのまま7名の部下に対して攻勢命令を下す。それを受けたF-22Aの一団は2機ないし3機連携を組んで、敵中へと身を翻した。
 砲撃の範囲の広さと、友軍部隊の規模によって案外とBETAは大きく分散させられている。密度のみで見れば、先日のイギリス防衛戦の時と同じか、あるいはそれ以下だろう。

 尤も、それは何一つ安堵する要素になどならないのだが。

「横浜基地の連中も、上手くやっているみたいだな」
『それ以外にもかなりの戦力が投入されていますね。私たちは近付けないんですけど……』
「元々、降下に間に合わなかった俺たちが悪い。そんな不確定要素を作戦の主要部に組み込むことなんか、司令部はしないだろう」
『分かってますよ』
 ジョージの叱責にリンはむぅと唇を尖らせながらも、「はい」と小さく首肯する。不満なのは彼とて変わらないが、生憎とこちらはパーティの開始には間に合わなかった、突然の客人だ。あの苛烈なダンスパーティに参加する権利は、彼らよりも正当な招待客たちにあるのは当然のこと。

 脇役は脇役らしく、その役割に徹するべきである。

「行くぞ、ナナセ! アメリカ陸軍の誇りをBETA共に見せてやれ!」
『了解!』
 そう声を掛け合って、ジョージとリンは並走して、友軍とBETAが入り乱れる領域へと自らも躍り込んだ。
 36mmで無数の戦車級を薙ぎ払えば、その後ろから続く要撃級は120mmで吹き飛ばす。友軍とBETAとの位置関係を常にレーダーで把握しながら、ジョージは向かって右方向に広くライフルを掃射した。


 ジョージ・ゴウダがこのミンスク侵攻作戦への参加を強く望んだのには、大別して3つの理由がある。
 1つは当然、人類の命運を賭けた大反抗作戦へ参加すること自体、兵士にとって名誉なことであるため。
 2つ目は、祖国に未だ付き纏っているG弾のイメージを少しでも払拭するため。
 そして最後の1つは、同郷の友との約束を何としてでも果たすため。


 俺には最後まで見届けられそうにないからな。故郷(くに)のこと、悪いが任せたい。


 272戦術機甲中隊(ストライカーズ)…ディラン・アルテミシアが自決を決意したあの時、ジョージが示しかけた反意の言葉を一瞬で飲み込ませた、彼の一言だ。
 お互いに詳しく知りもしない間柄であるジョージに、今し方出会い、ほんの僅かな時間、共闘しただけのジョージに、同郷の戦友はそう頼んできた。そんなことを言われては、戦って、生きて、戦い続けて、生き続けるしか応える方法はないではないか。

 だからジョージは、彼らの墓前で黙祷を捧げ、今日、こうしてミンスクへと戦いにきたのだ。

『レスター2よりレスター1! 10時方向より要塞級の接近を確認! 12体!! 数が多いです!』
「ちぃっ!」
 リンからの報告にジョージは思わず舌を打つ。敵の数が多いのはどんな衛士にとっても厄介なことだが、要塞級は数が多いと戦い難い相手だ。近接格闘を不得手とする彼らにとっては、要撃級や戦車級の向こう側に存在する要塞級を早々に打倒するのは更に難しい。

『そこのアメリカ人! 邪魔だ! どけッ!!』

 ジョージが悔しそうに歯を噛み鳴らしながら10時方向の敵集団を睥睨していると、通信でいきなり罵声にも似た声を投げかけられる。それとほぼ同時に、ジョージたちの横をすり抜け、色分けされた同型機の一団が敵集団へと吶喊していった。

『Type-00!?』
 追い越していった一団を見て、部下の誰かがそう声を上げる。その言葉の通り、1個大隊規模でジョージたち522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ)を追い越していったのは、真紅の武御雷を先頭とした帝国斯衛軍部隊だった。
 武御雷の集団は2機連携を組みながら要撃級と戦車級の壁を抉じ開け、瞬く間に要塞級への行軍路を確保、そのまま更に攻撃を重ねてゆく。中距離からの攻撃を主体とするジョージたちには、容易には真似出来ない戦法だ。

『悪いな、レスター1。私は流石に後ろから貴官らに撃たれるとは思っていないが、誤解を生むような真似だけはしないでくれ』

 その戦い振りと、先刻浴びせられた雑言にも近い通信にジョージが思わず口元を歪ませると、今度は別の斯衛軍士官から通信が入る。山吹の強化装備を纏った若い女性衛士だ。
 1個中隊を率いているらしき彼女は、先程の部隊指揮官とは異なり、ジョージの横で1度、減速してからそう声をかけ、それから敵中へと身を翻してゆく。

「……言ってくれる」

 ジョージ・ゴウダはそこでようやく舌打ちをし、表情を歪ませながら部下に対して攻撃命令を下した。
 無論、人類共通の仇敵たるBETAへ、だ。










『流石に前置きもなしにあの通信はなかったと思うのだが……』

 月詠真那が神代と共に3体目の要塞級を下したところで、随伴してきた篁唯依からそんな言葉を投げかけられる。それに対し、月詠は36mmを掃射して周囲の小型種を打ち払いながら軽く肩を竦ませた。

「この規模を前にあんな場所に突っ立っていられては、無駄死にさせるだけだ。他意はない」
『成程』
 月詠の気遣いを意味した粗雑な返答に、篁は苦笑して納得したように相槌を打つ。どう受け取られたかは定かでないが、月詠とて今の言葉はまったくの虚偽ではない。
 ただ、相手が相手だっただけに、些か口の悪い忠告にはなっていたが。
「貴様こそ、何やら連中に声をかけていたようだが?」
『月詠少佐のフォローに尽力致した次第です。神代大尉にそこまで負担させるのは見るに耐えませんので』
「優秀なことだな」
 不敵に笑う唯依に対して月詠も押し殺したような声で笑い返す。彼女が月詠に対して敬語になるのは、その発言自体が一種の冗談である時ばかりだ。だから、きっと今のものも冗談で、真意はまた別にあるのだろう。

「……それで?」
『これでも幾人かアメリカ人にも知人がいる。まあ……それこそ片手の指で事足りるほどの人数だがな』
「ふむ……不知火弐型の関係か」
『ああ』

 月詠が改めて問い返せば、唯依は普段の口調に戻ってあっさりと真意を白状した。もう少ししらばくれると思ったのだが、簡単に彼女が心中を明かしたので月詠は驚く。
 不知火弐型を帝国で開発するに当たって、その開発主任に任命された篁唯依は1度、国連軍預かりとなってアラスカのユーコン基地に滞在していたことがある。
 アメリカとの共同開発という形から、そのために召集された人員は異様なほど多種多様だったと月詠は人伝に聞いていた。開発主任が斯衛軍衛士なら、開発部隊として稼動していたのはアメリカ陸軍衛士を始めとした多方面の衛士。整備スタッフも日本やアメリカ、そして現地スタッフが入り混じって奔走し、紆余曲折を経て不知火弐型は実戦配備にまで漕ぎ付けたということだ。

 唯依が言っているのは、彼らのことなのだろう。

 改修機とはいえ、新型と言って遜色ないほどの性能を持つ弐型の開発に集められたスタッフは、結局のところ才覚のある者が多かったのだ。腕の立つ衛士ならば、この作戦に放り込まれていたとしても決しておかしくない。

 尤も、今日までの間に戦場を生き抜いていれば、の話だろうが。

『つまらない話になった。未熟だな、私は』
「つまらないのは貴様の癖だな。行き過ぎると雨宮がため息をつくぞ」
 BETAを殺戮する手を休めないながらも、唯依はそう言って目を伏せる。彼女のその行動に月詠は軽く鼻を鳴らして、今も網膜の片隅で苦笑いを浮かべている彼女の副官を確認しながらそう言い返してやった。

「それに……未熟なのは私も同じことだ……!」

 周辺のBETAを殲滅し、次の要塞級への進路を作り上げた月詠は長刀を構えて進撃を開始しながら、唯依に配慮した言葉を告げる。
 否、それはまさに本心だった。
 ヒトの成長に限界はない。正確に言えば、ヒトは、決して現状に満足しない。良い意味でも悪い意味でも、ヒトは現状に慣れ、どうしても上を見上げてしまう生き物だ。
 だから、きっとヒトは死ぬまで自分を未熟だと感じてゆくのだろう。
 月詠真那はそう思う。

 進路に割り込んだ要撃級を一刀で始末し、大隊を率いたまま月詠は尚も要塞級へ向けて攻勢に転ずる。視線の先には4体。取り巻きに要撃級が62、戦車級は数えるのも嫌になるほど確認出来た。

「まずは要塞級から打倒する! 篁、行けるか!?」
『了解。要撃級も纏めて飲み込んでやる』

『HQよりブラッズ及びWファング。退路は展開中のアメリカ陸軍522戦術機甲中隊と国連軍第12大隊が確保する。進撃中の敵集団を殲滅せよ』

 その瞬間、HQから正式に目の前のBETAを蹴散らせという指示が下る。月詠がそれに続いて後方を確認すれば、先刻追い抜いた9機のF-22Aが筆頭となって、退路に割り込もうとする戦車級を片っ端に炸裂させていた。

「ブラッド1了解」
『Wファング1了解』

 ふん、と鼻を鳴らし、月詠は篁唯依と並んで再び仇敵の集団を睥睨する。大地を揺らしながら、60を超える要撃級と数え切れないほどの戦車級が彼女たちに向かってきていた。

 退路を確保してくれるというのは、とりあえず信用しておこう。遺憾ではあるが、退路を守りながらあの集団を殲滅するのにこの戦力ではまだ厳しい。
 支援砲撃が期待出来るのなら話は変わってくるのだが、そちらは今現在、凄乃皇の周囲へと集中している。通信兵からの指示が「足止め」ではなく「殲滅」だったことを考えれば、こちらに回されてくるのは相当に期待薄である。
 だから、今はどんなに信頼出来ない相手でも、最低限に信用しなければならない状況だった。


 次の瞬間、月詠真那は怨敵を迎え撃つために大地を蹴る。それと並走する形で篁唯依もまた、長刀と突撃砲を構えて愛機たる山吹の武御雷を疾駆させた。


 存外に、彼女たちが肩を並べてきた機会は少ない。任官後は別々の部隊で戦ってきた彼女たちが並べてきたのは、精々が訓練兵の頃の机くらいなものだろう。
 それでも同期兵。多くの同期たちを京都で失った彼女たちに残っている、数少ない厳密な意味で同じ立場の戦友だ。

 並走する月詠と唯依の前に、中隊を任せている巴雪乃と戎美凪が小隊を率いて突出する。そのまま36mmを撃ちながら前衛の要撃級と戦車級へと攻撃を仕掛け、これまでと同じようにBETAの壁を穿った。
 抉じ開けられた穴へ、月詠と唯依はそれぞれの部下を率いて突入し、その先から悠然と進攻してくる要塞級へと強襲。尚も進路に割り込んでくる他種のBETAは尽く蹴散らす。

「はああああああああああッ!!」

 噴射跳躍で跳び、月詠はそのまま要塞級目掛けて長刀を振り下ろす。その一刀が要塞級の体躯を切り裂くと同時に、唯依は下から同じく一刀でその巨大な衝角を根元から切り離した。
 最大にして唯一の武器を失った要塞級へ36mmにて集中砲火が成され、月詠と唯依が次の要塞級の位置を確認した頃にはもう、その巨大な体躯が大地へ崩れ落ちるところだ。

『月詠』
「何だ?」
『先程、貴様も自分とて未熟だと言ったな』
「ああ。生憎と完成には程遠い」

 戦場を駆けながら月詠は唯依の言葉に頷き、答える。先述したよう、ヒトは完成することなどあり得ない。だが同時に、どうしても完成を目指してしまう。
 だから、月詠は常に自身を未熟と律するのである。

『思ったんだが、貴様が完成したら双海が黙っていないのではないか?』

 唯依のその言葉で思わず月詠は吹き出してしまった。
 双海楓。彼女たちにとって共通の友人であり、月詠にとっては唯一無二の親友。その彼女が悔しげに眉間と口元に皺を寄せている姿を想像しては、笑わずにはいられなかったのだ。

「………違いない。だが、そうだな……文句を言うためにあいつが夢枕に立つのならそれも良い。あれから口論する相手がいなくて困っている」
『第4大隊の連中にとってはある種の娯楽扱いだったからな、貴様らの口論は』
「不本意だがな」

 要撃級の首を刎ね、戦車級を薙ぎ払いながら月詠は一転して面白くなさそうに鼻を鳴らす。
『関口から聞いた話ではあれが一番、傑作だった』
「何の話だ?」
『双海の「出てけ」の売り言葉に「言われずとも」の買い言葉で、貴様は自分の部屋から閉め出されたらしいじゃないか』
「………今すぐ忘れろ、篁」
 まさか今になってあの話を持ち出されるとは思っていなかった月詠は、舌打ちをしてから唯依にそう言い返す。悪い夢だったと思いたいところなのだが、甚だ遺憾ながらも今の唯依の話は紛れもない事実だ。
 どうも、月詠真那は親友と口論した時、普段より数割増しで視野が狭くなるらしい。それも不思議なもので、閉め出された記憶はしっかり残っているのだが、その時、何故口論になったのかがまったく思い出せなかった。

『いや、覚えておく。次は双海の墓前でからかってやろうと思っているんだ。その場に貴様もいてくれた方が、幾分か面白い』

 ふふっと可笑しそうに笑いながら、唯依はそう答えた。発言の割にやんわりとした彼女の声調に、思わず月詠は黙らせられる。


 つまりは、生きて帰ろう、ということ。
 生きて帰って、揃って双海楓の墓前に立とうと、篁唯依は月詠真那に言っている。


「………そうして貰わなければ困る。このまま私だけが辱めを受けた気分になるのは我慢出来ん」
『ああ』

 月詠の返答に彼女は満足そうに笑う。してやられたという気分もあるが、どこか清々しくもあった。
 次の瞬間には、互いにもう衛士の顔。キッと鋭くBETAを睨み付け、長刀を掲げて敵集団へと吶喊してゆく。

「『はああああああああああああッ!!』」

 揃ったその雄叫びは、戦場へと高らかに響き渡った。










『HQより全部隊へ! 国連軌道艦隊より再突入回廊進入の合図を確認! これより作戦は第3段階へと移行する! 繰り返す! これより作戦は第3段階へ移行する!!』

 補給のために後退する部隊の支援に徹していた白銀武がその一報を受けたのは、凄乃皇が荷電粒子砲の第2射を放った直後のことだった。凄乃皇の荷電粒子砲の戦果に兵士たちが士気を高揚させているところで、いよいよ作戦は第3段階に突入したのである。
 恐らくは、軌道降下兵団の降下に合わせて凄乃皇は第2射を放ったのだろう。実数5万というBETAを薙ぎ払った直後は、レーザー属の数も少なく、軌道降下にも最適なのである。

『いよいよ、我々の出番も近付いてきましたね』
「ああ。まだ中階層のBETAまで引っ張り出せたとは思えないけど……これ以上の延期は地上戦力が厳しい」
『そうですね……御剣大尉! 第5中隊(レギンレイヴ)は全機、1度後退してください! クラインバーグ大尉はC小隊を率いてそちらのカバーに!』
『了解!』

 武の返答に相槌を打ったマリアが、前衛で交戦を続けている御剣冥夜ら第5中隊(レギンレイヴ)とレイド・クラインバーグが直下に置く271C小隊に新たな指示を下した。それに従う形で、両隊の機体が陣形を即座に入れ換える。
「マリア、しばらくバックアップの指揮を任せる。1回、こっちは他の連中と連絡を取るからな」
『は! A小隊はセイバー1を中心に円周警戒! B小隊は私と共に1度、前進しなさい! 続け!』
『了解ッ!』
 武の指示に従い、命令の中継ぎをするのもまた、副官たるマリアだ。彼女は武の直援にA小隊を張り付かせ、自身はB小隊を率いてレイドたちのバックアップに入っていった。

「……こちらセイバー1。委員長、涼宮、聞こえるか?」
『フリスト1、聞こえるわ。どうぞ』
『同じくスルーズ1、どうぞ』
 前面に展開して戦闘を続ける、マリアとレイド、そして冥夜の背中を見つめてから、武は通信回線を開いて少し離れた戦域で、同じく補給線を守り続けている部隊指揮官2人へと呼びかけた。
 不穏な一報をリィル・ヴァンホーテンから聞いていないので、不安だったわけではないが、彼女たちの声を聞くと無事を確認出来、改めて安心する。
「何か変わったことは?」
『これと言っては何も。ただ……前線各隊の補給頻度が少しずつ上がっているわ』
『それはどこも同じことだよ、千鶴』
「同感だ。涼宮の方は?」
 榊千鶴の返答に答える涼宮茜。武はそれに同意してから、改めて茜に問いかけた。
『こっちも同じような状況。凄乃皇の方に支援砲撃が偏っているから、他の戦域で交戦する部隊の回転が上がってるみたい』
「代わりにBETAも凄乃皇の方に偏ってる。その状況は巧く使わせて貰おう」

『―――――――フリスト1了解』
『………スルーズ1了解』

 武の言葉に、若干異なりこそすれ、ほとんど意味に差異などない反応を千鶴と茜は示す。恐らく、「BETAも凄乃皇の方に偏っている」という発言が、彼女たちにそうさせたのだろう。
 武とて、正直に言えば言いたくもない言葉だ。だが、事実に対して喚き散らすほど、今の彼はただの餓鬼ではない。

 3人の間に沈黙が漂った瞬間、武の乗る不知火弐型の機体がとある特別な警告を発する。

「『――――――――――ッ!』」

 その警告に反応し、作戦の推移を改めて確認するのは彼らだけではなかった。彼らの部下も含め、きっと戦場にいるすべての兵士が同じような確認行動に移っているだろう。
 何故なら、発せられた警告はまさに、作戦が第3段階に入ったことを何よりも示すものだったから。


 軌道降下兵団。その御登場である。


『………来たわね』
「そうだな」
 千鶴の言葉に武は小さく、呟くように頷く。直後に地上から小さな閃光が空へ向かって走り、空中で何かが爆砕する。高度から鑑みるに、軌道降下兵団が分離した再突入殻を光線級が迎撃したのだろう。
 凄乃皇の第2射と断続的な支援砲撃によってレーザー属は地表にそう多く残っていないのか、迎撃の頻度はあまり高くない。あくまで武の感覚から弾き出した結論だが、恐らく、ほぼすべての軌道降下兵団はレーザーを掻い潜り、ハイヴへと突入を成功させる筈だ。

「……頼む」

 武は不意にそう呟いた。彼自身すら、誰に何を頼むのかよく分からない呟きだったが、それでも半ば無意識に呟いていたのだ。

 刹那、破片も含めた再突入殻の衝突によって地上に激震が走った。軌道降下兵団は再突入殻の衝突によって確保された突入口から、これよりハイヴ坑内に突入を開始する。

 いくつになっても、この種の振動には慣れることがない。武は改めてそう思う。

 言い方は悪いが、露払い。先行突入する軌道降下兵団の彼らに課せられているのは、確かに反応炉の破壊かもしれないが、実際には後発部隊の行軍を楽にするための尖兵としての役割の方がずっと大きい。
 そして今突入した彼らもまた、それを重々承知している筈だ。


「………セイバー1より展開中の第27機甲連隊及び戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)各隊へ! 30分後には俺たちも所定のポイントからハイヴ坑内へ突入を開始する! その段階で装備関係は完全充足にしておけ! 半端な装備のまま突入すれば死ぬぞッ!!」
『――――――――了解ッ!!』

 緩やかに収束し始める振動の中、武は指揮下に置いている全機に対して警告にも似た言葉を投げかける。それに答えるのは勿論、武が直下に置く271戦術機甲中隊(セイバーズ)と273戦術機甲中隊(ハンマーズ)、第5中隊(レギンレイヴ)のみならず、突入後は完全別働となるヴァルキリーズAとヴァルキリーズBの面々も、だ。

 武たちの行軍路を確保するために先発の突入部隊はハイヴ坑内へと突入した。武たちが突入するための門の確保を、現在、国連とEU連合、帝国陸軍の混成部隊が進めている。

 それだけの人員と労力を割かれてまで、彼らはこのミンスクハイヴへと突入するのである。

「各隊、それまでは引き続き、補給線の死守に徹する! A小隊は俺に続け! 後退する部隊の支援に入る!」
『了解!』
『第5中隊(レギンレイヴ)、遊撃支援に移行する』
『B、C小隊も私と共に白銀中佐に続きます。行きますよ、クラインバーグ大尉』
『了解!』
 武の指示に合わせ、271戦術機甲中隊(セイバーズ)と第5中隊(レギンレイヴ)は陣形を再編。
『273戦術機甲中隊(ハンマーズ)も全機、前へ出るよ! BETA共に第27機甲連隊の底力を見せてやれッ!!』
『了解!!』
 同時に、左翼を任せたエレーヌ・ノーデンスが指揮下中隊に対して前進命令。それに答える形で、柏木章好、ヘンリー・コンスタンス、水城七海を筆頭に陣形を組んだまま中隊各機は前進を開始した。

「その意気だ、エレーヌ! 第27機甲連隊及び戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)各機! 同胞の偉業に泥を塗ることは許さん! 戦い抜けッ!」
『了解ッ!!』

 続く返答は再び一斉。長刀を引き抜いた武はそのまま後退する部隊とすれ違う形で、進攻してくる要撃級の群れへと攻勢を仕掛ける。








 10億人の人類の未来を決するミンスクハイヴ突入まで、30分を切った。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第85話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/04/09 05:53


  第85話


 誰かが「こっちだ!」と叫ぶのが、榊千鶴には分かった。翻訳機を通しているため、彼女の耳には日本語でそう聞こえたが、実際にはきっと世界公用語である英語で「Come here」と呼ばれたのだろう。
 前衛展開した彩峰慧の第7中隊(ヒルド)が正面の要撃級を薙ぎ払ったため、ようやく千鶴にも先刻の声の主が見えた。

 正確に言えば、声の主が搭乗しているであろうF-15が、だ。

 大隊規模を超えるF-15が連携を組み、地表に開いた門を一時的に制圧している。地下から這い出てくる敵がいないか注意しつつ、周辺から集まってくるBETAを陽動しながら片っ端に薙ぎ払っているのだ。
 その門こそ、千鶴たちがこれよりハイヴ坑内へ突入するに当たって入り口とするものであった。そこからBETAが大量に溢れ出さない算段は既につけられている。

 彼女たちも含め、白銀武の指揮下に編入している部隊が突入口とする門はすべてが地表構造物を中心に南側に存在する。こちらは元々、地上からミンスクへと進軍した部隊の約半数が割り振られていて、長時間、激戦に曝されていたのだが、現状は最初に比べて幾分か落ち着いていた。
 理由は恐らく、西側に展開した凄乃皇を含む部隊の存在である。残る半数の戦力に加え、横浜基地部隊、ソビエト・アラスカ連合部隊が回された西側は、BETAの出現数が右肩上がりとなっているのだ。

 それともう1つ、奇妙なことが起きている。

 これは事前から予測されていたことではなく、あくまで戦闘が開始されてからある程度時間が経った後に判明したことだった。
 大型種において、出現域に明確な特徴が表れているのである。
 人類戦力に向かって進攻してくるところは変わらないが、大型種のほとんどがかなり地表構造物に近い門から出現しているのだ。つまり、各門からの出現率の高低差があり過ぎる。
 小型種では、人類戦力が展開する戦域における各門の出現率と距離の関係は比較的綺麗な比例グラフを作っているが、本来その例に漏れない筈の大型種の場合、かなり極端な曲線グラフになっていた。

 遠い門ほど、出現率が高いのだ。

 これはBETAから見れば砲撃に曝される可能性が高まり、尚且つ姿を丸見えにさせるため、メリットがほとんどない。それも、大型種だけというのがあまりにも奇妙だ。
 尤も、比較対象としているのが通常のハイヴ制圧戦のデータなので、このミンスク侵攻作戦と照合した結果がどこまで信用出来るか、かなり怪しいところではあるが。

 それに、大型種の出現率が内側の門ほど高いのは決して千鶴たちにとって悪いことではない。大型種が地表構造物に近い門から多数、出現しているということは、浅い階層において大型種は地表構造物付近にしか存在していないことになる。
 中距離の門から突入し、半ば中階層を突破してから主縦坑に辿り着く予定の彼女たち突入部隊にとっては、大幅に道中で大型種に遭遇する可能性が低くなっているのだ。
 ただし、それも主縦坑に到達した段階でどうなるかはまったく不明だ。これ以降も人類の地上陽動が成果を出せば、今はまだ中心部に多いBETAもその数を減らすかもしれない。これは、これから約2時間以内の勝負だ。

 この状態では千鶴たちもまだ、最下層を突破して反応炉には到達出来ない。その前に夥しい数のBETAに阻まれる。彼女たちが突入してからそこに到達するまでの間に、地上の陽動戦力は尚も可能な限りの抗戦を続けなければならないのだ。

『榊さん、眉間に皺が寄ってるよ?』
『珠瀬、榊のそれはただの真顔』
「………彩峰、作戦が終わったら覚えておきなさいよ?」
『暴力反対』
「なら、お説教は?」
『言葉の暴力』
「あなたね……」

 ああ言えばこう言う彩峰慧に、千鶴は思わず頭を抱えた。彼女と会話していると、今までああだこうだと果てのない自問自答を繰り返してきた自分が馬鹿らしくなる。
 だが内心、今の千鶴はそれも悪くないと思っていた。
 ヒトの尺度で測ったところで、対象がBETAでは参考にもならない。戦場であれこれと考えても、何ら生み出せないことだってある。

 既に賽は投げられた。この短い時間の間に長考することなど出来ず、許されているのは虎穴に入り、虎子を得ることだけ。
 望むところだ、と千鶴は軽く頬を叩く。

 そのタイミングで、千鶴たちはようやく自分たちが突入することとなる“虎穴”まで到達した。

『突入後も可能な限り、この門は防衛する。向こう100mまではほぼ敵の姿はないそうだ。武運を祈る』
「ありがとうございます。必ず、良い報告をお伝え致します」
『ああ。その朗報とやらを、君たちの口から聞けるのを待っているぞ』
「『は!』」
 千鶴たちの突入口を確保してくれた部隊の指揮官に、彼女たちは一斉に敬礼を返した。明言こそしなかったが、今の言葉は「必ず生きて帰ってこい」という意味に等しい。


 ならば生きて帰ってやろう。
 隊の仲間たちと一緒に、この死地から必ずや生還してやろう。


 榊千鶴はそう心に決める。

「第7中隊(ヒルド)は前衛展開で敵との遭遇に備えて! 彩峰は中隊中心に構えて、中央を厚く取りなさい!」
『ヒルド1了解。中隊各機は楔壱型に再編』
「第8中隊(ランドグリーズ)は第7中隊(ヒルド)の後方よ! 珠瀬は中隊前面をホームポジションとして、彩峰への支援を徹底して!」
『ランドグリーズ1了解です。第8中隊(ランドグリーズ)は菱壱型隊形に再編してください! 殿はランドグリーズ3にお任せします!』
「第4中隊(フリスト)は部隊の殿を務めるわ! 移動の際は縦壱型で行くわよ!」
『了解ッ!!』

 口早な千鶴の指示にも、即座に3つの中隊は突入後の移動陣形へとポジションを変える。千鶴もいろいろと悩んだのだが、結局、これが一番の陣形だった。
 これが、彩峰慧の能力を遺憾なく発揮出来、珠瀬壬姫の能力を殺さず、最後まで活かし切る陣形だ。

「ヴァルキリーズAはこれよりミンスクハイヴに突入するわ! 目指すは、反応炉よ!! 進めッ!!」
『了解ッ!!』
 千鶴の前進指示に呼応し、前衛の部隊から即座に門への進入を開始する。





 これより、恐らく人類史上最も長い3時間が幕を開ける。










 3つの部隊に分けられた第27機甲連隊と戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の混成部隊はそれぞれが別個の経路を辿って、主縦坑そして反応炉を目指す手筈になっている。
 フェイズ5ハイヴとはいえ、地下茎構造の坑内は決して広くない。そこに大規模部隊が纏まって突入したとしても、戦術機最大の特性である立体戦術を駆使することが出来なくなるため、戦力が多ければ良いというわけではないのだ。

「スルーズ1よりタイガー1。ちゃんとついてきている?」
『こちらタイガー1。ぴったりと追従している。安心してくれ』

 返ってきた返答に、ヴァルキリーズB隊を任された涼宮茜は思わず苦笑する。安心してくれと言われても、ハイヴ坑内で出来るわけがないのだが、流石に口には出さなかった。
 彼女たち第6、9、10中隊に随伴しているのは小型の補給コンテナを背負った補給部隊の一団だ。規模としてはおよそ2個中隊である。
 この作戦において、突入部隊はまともな兵站を確保することがまったく出来ていない。それの維持に割く戦力に対して、期待される成果があまりにも低過ぎたためだ。
 それ故に、後発の突入部隊には1個中隊以上の補給部隊が随伴しており、可能な限り長時間戦闘が継続出来るように手配されている。

 そんな彼らは、先発の突入部隊とはまた別の意味で礎だった。

 茜たちのような後発の突入部隊が長時間、戦闘を続けられるよう随伴している彼らは、弾薬の使用が制限されている。彼らが背負っている補給用コンテナは彼らのためのものではなく、あくまで茜たちのためのものなのだ。
 彼らは、自分たちが生き長らえるためにそれを使用することが禁じられている。
 もし、進路も退路も塞がれた状態に陥った場合、彼らは弾倉を出来る限り茜たちに譲渡し、その機体を1つの爆弾として状況を打開することを、命じられている。

 そして、涼宮茜たちは、それだけの犠牲を強いる戦果を期待されている。

『敵の数……この辺はやっぱり少ないね』

 追随する補給部隊の隊長と通信を終えたところで、今度は第10中隊(フレック)の柏木晴子から通信が入ってきた。言葉の内容自体は良いものだが、彼女の表情はやや曇っている。
 尤も、それは茜も同じこと。
 もともと、大型種との遭遇率が低くなりそうなのは突入前から分かっていたことである。大型種のみ、地上への出現が地表構造付近の門へ偏っており、外円且つ浅い階層であるここで遭遇する確率は高くなさそうだった。
 それでも、これほどのBETAが集結しているミンスクハイヴの中において、この遭遇率の低さは異常だ。嵐の前の静けさと考えるのは胸糞悪いが、このまま何も起こらないと考えるのもあまりに楽観的である。

「敵がいないからってあんまり速度を上げると、あとでどうにもならなくなるかもしれない……」
『確かにね……。推進剤はとっておきたいっていうのは、当然の心理だし。BETAの追跡を振り切る戦法を取るなら、跳躍ユニットの使用は不可欠だよ』
「うん」
 茜の呟きには晴子も同意を示してくれる。
 敵と接触する前に出来るだけ進んでおきたいとは思うのだが、その段階で推進剤を消費するのはどうにも憚られる。跳躍ユニット最大の使いどころは、敵を振り切る時であるため、その時に「なくなっていました」では、話にならない。
 しかも、補給部隊の背負った補給用小型コンテナには主に予備弾倉があるのみだ。通常の補給コンテナとは異なり、推進剤など積んではいないし、たとえ積んでいたとしてもハイヴ坑内で悠長に補給している暇などないだろう。

 結局のところ、答えの出せない駆け引き。正しかったのか間違っていたのかが分かるのは、その匣を開けた時だけ。
 自分は悪運が強かっただろうか、と茜は内心、悩む。悩んだところでどうしようもないことなのだが、やはり悩んでしまう。

『―――――――悪いけどさ、なるようになるしか、ないんじゃない?』
「晴子………」
 そんな茜の様子を見かねたのか、訓練兵時代から常に共にあった戦友が笑いながらそう投げかけてくる。
『突入しちゃった以上、取れる選択肢なんてそんなにないよ。どれが正しいかなんて、選ぶ段階じゃ誰にも分からないだろうしね。それに、そのために私たちは部隊を3つに分けたんじゃないかな?』
 穏やかな口調で、彼女は茜を諭す。訓練兵の頃から茜は分隊長として晴子も含めた分隊メンバーを率いてきたが、身構え方については寧ろ、柏木晴子から学ばされてきたとも言えた。無論、密やかに、だが。

 茜は所謂、潔癖なのだ。親友の榊千鶴とは幾分か違う意味で、真面目過ぎるきらいがあるのである。

 だから、新任の頃から柔軟性のある柏木晴子は存外に羨ましかった。

「……そうだね」
 それに対して茜も小さく頷く。それこそが、ハイヴ攻略作戦の真髄。今回は些か特殊なケースだが、本来、突入部隊とはそのすべてが本命であり、同時にそのすべてが囮なのだ。
 結果的に茜たちが過ちを犯してしまった時のために、他の部隊が存在する。たった1つの過ちで、すべてが無駄にならないようにするために、だ。

 それだけ、突入部隊には大胆な選択すら要求され得るのであるが。

『鎧衣もそろそろ戻ってくるね。第10中隊(フレック)も陣形を変えておくよ』
「お願い」
 気の利いた晴子の言葉に茜も頷く。
 鎧衣美琴以下第9中隊(エルルーン)は現在、横坑の先の哨戒に出している。接敵した場合は即時報告するように伝えてあるため、報告が何もない以上はそろそろ戻ってくる頃合だろう。
 それに、振動センサーも現状、ほとんど反応していない。大規模集団と接敵した場合、センサーがもっと反応しても良い筈だ。




 だが、その想像は悪い意味で裏切られる。




『………ちら……ルーン1……ッ!! 戦車級………体と接敵!! 繰り返す!! 戦車級以下小型種500体と接敵ッ!!』
「『ッ!?』」

 不意に走った通信回線のノイズ。その状態から鎧衣美琴の鮮明な“接敵報告”が成されるまで、わずか数秒のことである。それと同時に、横坑の向こうから陣形を組んだ不知火の一団が後退してくる光景と、36mmの砲撃音が鳴り響いてきた。

「全機前進開始! 第9中隊(エルルーン)を救援し、敵を殲滅する! 増援が来る前に片付けてッ!!」
『了解!!』
 接敵報告から茜が次の指示を出すのは速い。呼応して部下たちの動きもまた迅速で、茜が言うが早いが、瞬く間に前進を開始して、後退を続ける第9中隊(エルルーン)の支援に入った。
「鎧衣! 何で報告が遅れたの!?」
『電波障害があったんだ! さっきまで無線が通じなかった!』
 茜の問い質しに美琴は本隊と合流したことでようやく足を止め、追撃してくる小型種に対して36mmで威力制圧を試みる。流石に集弾すれば脆弱な小型種など敵ではない。

 電波障害。その言葉に茜は戦慄する。

 ベオグラードの反応炉に到達した白銀武や御剣冥夜、珠瀬壬姫から似たような話を聞かされたが、あれは中階層から下の階層で起きたということだった筈である。
 ここはまだ、突入間もない上階層の横坑。決して想定していなかったわけではないが、最優先で注意していた項目でもなかった。

『2人とも、話は後! まずは進路を確保して、さっさと進むよ!』
『うん!』
「分かった!」

 晴子の叱責に応え、茜もまずは戦闘に集中する。彼女は熱くなり易い性格で、ヴァルキリーズの中では比較的、パニックを起こし易い人間だ。柏木晴子は昔からその抑止役として傍にいてくれた。


 中階層にも到達していない段階での接敵。
 涼宮茜は早速、その出鼻を挫かれた。










 涼宮茜率いるヴァルキリーズB隊が多数の小型種と接敵した頃、白銀武は既に一仕事を終えた後であった。
「敵の増援は?」
『後方からはありません。御剣大尉、前方は?』
『同じく正面横坑に敵影なし。近隣には存在しないようだ』
 随伴する補給中隊も合わせ、横坑に展開した部隊の中心に構える武がそう訊ねれば、殿を任せた273戦術機甲中隊(ハンマーズ)のエレーヌ・ノーデンスから返答が返ってくる。それも、御丁寧に前衛警戒を任せた冥夜へと話を振ってくれた。
 とりあえず、周辺に敵影はない。その気配もないというのは、一先ず安堵しても良いということだろう。

 彼らが多数の小型種と接敵したのはつい10分前の話だ。それを打ち払いながら、ここまで何とか撒いてきたのである。

「セイバー1了解。冥夜もエレーヌもそのまま哨戒待機を継続してくれ」
『了解!』

 武の言葉に従い、了解と応えた彼女たちはそのまま武の網膜からその姿を消す。哨戒待機へと集中するためだろう。
 それに、“その場から動かない”のであれば、“先程のような通信障害”に遭う可能性もそうそう高くはなかった。

『ベオグラードの時もそうでしたが、ミンスクにもやはりありましたね』
「そうみたいだな」
 マリア・シス・シャルティーニの言葉に武は頷き、短く答える。彼女が言っているのは、ベオグラードハイヴ制圧作戦の時に戦々恐々とさせられた、電磁波を吸収してしまう物質で作られた内壁のことだ。
 尤も、ここには大層な検査装置もないので、あくまで憶測の話である。より正確に言えば、つい先刻、あの時と同じように通信障害が発生したのだった。それも、多数の小型種のおまけつきで、である。

 想定が甘かったことは否めない。元より、ベオグラードにてあれほど多数の特殊な内壁が見つかったのだから、ここでもそれはきちんと考慮するべきだった。

『見た限り、規模はさほどではありませんでしたが……広域に渡っていた場合、分散することは出来そうもありませんか』
「無理だろうさ。横坑に主縦坑クラスの直径があれば話は別だが、この程度じゃあ、敵の規模次第では強引に突破するのも難しくなる。部隊を分散させるのは自殺行為だ。それも、通信を封じられるんじゃ尚更な」
『となると、やはり固まって動くしかありませんね。哨戒範囲が狭くなるのは厳しいところですが……』
 マリアは武の返答に頷き返し、参ったと言うように目を伏せながら呟く。確かに、哨戒範囲が狭まるのはデメリットだが、無意味に部隊戦力が削られてゆくよりはまだマシだろう。
 気付いた時には手遅れだった、という結果だけは何としてでも避けたい。

『確か、反応炉エリアの内壁に主に使われている物質だったか……。ある種の電磁波を吸収してしまう素材……でしたか?』
「そうらしい。BETAのエネルギー補給に関係する物質って話だが、俺も詳しいことは聞いたことがない」
 マリア同様、小隊を率いて武の周囲を固めているレイド・クラインバーグの言葉にも、武は小さく頷いた。その物質が如何なる役割を持っていて、どういった原理でそれに関わっているのかはっきりと武も聞いたことはないし、そもそも現状で判明しているのかも怪しいところである。
 ただ、反応炉エリアは全域がその物質を使用された内壁で囲まれているため、内側に入った場合、有線で繋がない限り外側と連絡を取る術はない。

『それが、何のためにこんな浅い階層の横坑内壁に使われてるんでしょうか?』
『私たちを混乱させるため、なのかな?』

 同じ横坑内にいながらも交信出来なくなるという事態に対して、柏木章好と水城七海が口を開く。彼らは現在、どちらもエレーヌ指揮下の273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の所属となっていた。
『どうであろうな。我々を混乱させる目的では、今回の場合、最初からあれほどの小型種が存在していた点が解せぬ。もっと奇襲に近い形でこちらを分断させなければ利点はなかろう』
『確かに……先程の場合では「ここにいますよ」とアピールしているようなものでしたね。混乱させるつもりがあるなら、奇襲の方が理に適っているのは確かです』
 章好と七海の言葉に返すのは、前衛で警戒している冥夜と、武の傍に控えているマリアの2人だ。人類の価値観から言えば、冥夜とマリアの言は至極尤もであり、本当にBETAにはメリットがない。
 だが如何せん、相手はBETAだ。奇襲と組み合わせれば効果的という概念をまだ学習していないという可能性も、充分に考えられる。


 いや、そもそも、BETAはあの物質が電磁波を吸収する素材だということを知っているのだろうか。その電磁波がまさに人類の通信にとって重要なものであることを気付いているのだろうか。


『小型種の動きもあまり俊敏ではなかったですね。嬉しいことと言えば嬉しいことなんですけど……』
『こっちに向かってくるまでの動作が鈍かったのはあたしも同意。コンスタンス中尉もやっぱりそう感じてたんだ?』
『はい』

 後方を固めているエレーヌとヘンリー・コンスタンスが先刻の戦闘にて感じたことを言い合う。彼らは同じように、“さっき戦った小型種は些か鈍かった”と言っていた。それも、“戦闘行動に移るまでが”だ。

 武の中で何かが引っかかる。
 これまで経験してきたものの中で、類似する何かがあった筈だと、彼の思考が小さな警鐘を鳴らしている。


 緩慢なBETA。
 電磁波を吸収する物質。
 それによって作られた横坑の内壁。
 そして、それが本来、使われている場所は――――――――――


 そこまで考えて、白銀武はようやく気付いた。まるで雷が脳天を叩き付けたかのように閃いた、と表現しても良いかもしれない。

「………補給線……だ」
『え?』

 武の呟きに、部下が一斉に疑問の声を上げる。その点に関しては冥夜もまた、同じことだった。彼を除き、その場にいた誰もが武の呟いた言葉に反応している。

「あくまで憶測だが、あの内壁部分は小型種の補給地点になっていると考えられる。遭遇した小型種の動きが緩慢だったのは、“軽い食事”を取っている最中だったから……じゃないのか?」
『ちょっと待ってください、白銀中佐。ここは“まだ深度400mにも達していない階層”ですよ? そんなところでどうやってBETAがエネルギーを補給するというのですか?』
「電磁波を吸収するのはあくまで人間から見た物質特性だろ? BETAにとってあれはまず、エネルギー交換に必要な物質だ。だったら、それを使ってるってことはそこでエネルギーを補給しているってことになる。そう考えるのは、何かおかしいか?」
『しかし……ここからでは反応炉までかなりの距離が――――――――』
「だから小型種だけ、なんだろ? 小型種の方が補給するエネルギーは少ないから、反応炉の影響力が小さい遠距離でも補給出来るんじゃないのか?」

 あくまで大型種と比較して、と武は最後にそう付け足す。反意を示していたマリアも、完全な否定要素が見つけられないのか、そこで黙り込んでしまった。
 何らかの方法によって反応炉からここまである程度のエネルギーを引いてこられるのなら、あとはそれをBETA側が受け取るための設備が必要だ。それがあの特殊な内壁なのではないかと、今、武は予想している。

 反応炉の影響範囲は実際のところ、かなり広大である可能性がある。流石にこれほど離れていなかったが、横浜基地で“鑑純夏”を管理していた部屋と、H22の反応炉との距離だって、決して近くはなかった筈だ。
 恐らく、何らかの形で繋がっていればある程度距離があっても、反応炉は影響を及ぼすことが出来るのである。

『………タケルの推測には私も同意する。元より、BETAは反応炉エリア内でなければエネルギー補給が出来ないわけではなかった筈だ』

 武とマリアのやり取りを無言で聞いていた冥夜が、そう口を開く。それはこの場において、ある種の決定的な一言だった。
 武とて、自分と彼女の部下の何人が勘付いているのか、正確には把握していない。把握することなど、出来ない。
 だが、少なくともマリアは理解しており、聡いレイドあたりも気付いているだろう。エレーヌとて、普段はあれだがなかなかに鋭いところがあり、ヘンリーだって洞察力という点では非常に優れている。
 だから武は、隊長格にある部下のほとんどはその実、勘付いているのだろうと当たりをつけていた。

 白銀武と御剣冥夜が如何なる存在なのか。戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊長陣がいったい如何なる存在なのか。

 彼らはきっとそれを、理解している。
 だから、分かるのだ。
 白銀武と御剣冥夜は恐らく、あの“オリジナルハイヴ”に突入しているのだろう、と。


 それは衛士として格段に経験が濃い。その2人が口を揃えるのならば、きっとそれは正しいのだろうと感じさせてしまうほどに。


 実際、かの地上最大のハイヴは反応炉に等しいあ号標的が存在するエリアでBETAは補給を行っていない。オリジナルハイヴのBETAが補給地点として使っていたのは反応炉ではなく、そこを中心に四方へ伸びた大広間の一角だ。武と冥夜は、その1つを突破した経験を持っている。
 そしてもう1つ。彼らは横浜基地で反応炉からエネルギーを取り込んでいるBETAを目撃していた。あの時のBETAは、エネルギー補給を優先して、武たちに攻撃を仕掛けてこなかったのだ。
 その光景が、先刻に遭遇した小型種一団の初期動作と非常によく似ていた点も、武に「補給線」と推察させた要因として大きい。

『……光線級がいなかったのは、消費効率の問題か。そうなると、大型種が外円部上階層にほとんど存在しない理由も合点がゆく』
『でもそれって……ミンスクに飽和量を遥かに超えるBETAが集まるってかなり早い段階で決めていたってことですよね?』
 レイドの、納得したというような呟きに続き、エレーヌが首を傾げながらそう言ってくる。彼女の言う通り、こんな意味不明で訳の分からない構造は本来、必要ない。ハイヴの規模に丁度良いBETA群が属しているだけなら、従来通りの補給システムで充分に回せていた筈なのだ。

「実際、かなり早い段階から決まってたんだろ? まあ、ミンスクに限った話じゃなくて」
『………ベオグラードとコトラスの件ですね? ベオグラードのフェイズが6に上がりかけていたことを考えるに、恐らくBETAは当初、そこを拠点に欧州へ攻撃を仕掛ける計画を立てていたのでしょう』
「そこまではっきり分別していたかどうかもよく分からん。指揮系統が箒型のままなら、1つのハイヴでやりだしたことは全部のハイヴでも行われるだろうからな」

 言いながら武は、「何と頭の悪い」と心の中で呟く。桜花作戦の前に香月夕呼がBETAの指揮系統を知って、「非効率」と表現した気持ちがよく分かった。
 恐らくだが、連中は全力で効率が悪いのだ。
 大吉を引くためにおみくじを引き尽くすとか、当たりを引くために当たりつきのアイスを全部買うだとか、勝つために競馬で全通り買いをするだとか、そういう感じで効率が悪い。
 そう、確実である故に馬鹿みたいに効率が悪いのである。


 そして、人類はBETAのその効率の悪さに救われようとしていた。


 ミンスクハイヴの一種の要塞化は、人類に付け入らせる一種の綻びとなったのだから、だ。

「そうなると、主縦坑近隣はかなり厳しい戦いになりそうだな。あの辺りは逆に大型種の領域だ」
『大型種だけなら大型種だけで御しようもあろう。BETAは本来、多種多様のままで突撃してくるからこそ脅威なのだ』
『成程、それも一理ありますね』
 冥夜の言葉にマリアも同意を示す。それも実に尤もな意見だ。BETAはそれぞれの特性がまったく異なり、尚且つその特性が非常に優秀だからこそ、集団として脅威なのである。それが分かれてしまっては、集団としての質の低下は避けられないだろう。

 これが、人類の付け入れられるもう1つの隙。

 BETAは未だに、自分たちが圧倒的有利な立場にあることを理解していない。今回だって、突然の襲撃に慌てふためいてミンスクハイヴの守りに入っていることだろう。そこで付け焼刃の妙な戦術を利用するから、泥沼に嵌っている。
 だからこそ、これが恐らく人類にとって最後の機会。
 BETAは効率こそ悪いが、確実だ。あらゆる手段を虱潰しにして、結果としてそこから効率の良かった結果を採用する。それはいつか必ず、“答え”に辿り着くということである。

 そして、明後日に起こる筈だった英国侵攻は、BETAにとって限りなく“答え”に近いものだった。

「小型種の動きについては、もしまた同様の物質が使われた横坑に遭遇したら、改めて俺の方で観察してみる。どちらにせよ、俺たちがまず目指すのは主縦坑だ」
『了解』
 武の言葉に、全員が口を揃えて「了解」と応じる。あくまで今のは武の経験と先刻のケースから弾き出した推測に過ぎない。その仮説を立てて、次の事例に遭遇出来れば、可能性があるのかないのかも、おおよそ判断することが出来るだろう。

「よし、全機前進を再開! 第5中隊(レギンレイヴ)は引き続き、前衛展開! 271戦術機甲中隊(セイバーズ)は楔壱型でその後ろにつき、補給部隊を挟んで殿は273戦術機甲中隊(ハンマーズ)だ!」
『各隊、271戦術機甲中隊(セイバーズ)との距離は100以下を維持。通信障害に陥っていないか確認するために、通信は密に取るように』
『レギンレイヴ1了解』
『ハンマー1了解!』
「よし! 進めッ!!」

 武のその号令に合わせて、一時的に移動を停止していた部隊が再び、主縦坑を目指して行軍を開始する。目指すのは怨敵遍く主縦坑、目標は仇敵が鎮座する反応炉。


 地獄への騎行は、まだ始まったばかり。










 その時、地上では戦局に新たな展開があった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第86話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/04/15 21:56


  第86話


「国連軍66戦術機甲大隊はそのまま戦線を維持してください! バックアップには現在、アメリカ陸軍52戦術機甲大隊が向かっています! 支援砲撃再開まであと120秒!」

 リィル・ヴァンホーテンは自分の担当する戦域で戦っている部隊へ向け、声高にそう告げる。第27機甲連隊のすべてがミンスクハイヴに突入してからは、彼女を含め同連隊の情報班は分担して他の管制フォローに回っていた。

『ファルコン1了解! 友軍と協働し、あと1時間はこの戦線を維持してみせようッ!』
「HQ了解です! 頑張ってください!!」

 士気を高揚とさせた国連軍大隊指揮官からの返答に、リィルも激励の言葉を添えて答える。敵のこの物量を前に、戦線を1時間も維持するのは非常に困難な任務だ。それでも彼らは「やってみせる」と言ってくれている。
 彼らの展開する戦域は凄乃皇から離れた、砲撃支援が限定されている戦域だというのに、だ。
 突入まで後方支援に徹していたとはいえ、イギリス防衛戦の英雄 第27機甲連隊並びに戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)のハイヴ突入は、戦場で戦う兵士たちに大きな希望と、一抹の不安をもたらせた。

 彼らならきっと、事を成してあの死地から生還してくれるだろうという、人類の未来を示した大きな希望。
 彼らなくして、20万を遥かに超えるBETAの大群から戦線を守れるのだろうかという、戦況の推移を危惧した小さな不安。

 その感情がその実、この戦場に身を投じる兵士たちのほとんどに宿っていたのである。

「第1、2、3中隊はそのまま凄乃皇弐型に張り付いたまま、戦線を維持。バルト海に展開したEU連合艦隊からの支援砲撃は尚も継続中。鑑少尉は、荷電粒子砲の第3射を放つ際には照準に注意してください」

 リィルのすぐ隣では、同じくHQへと回された涼宮遙が、凄乃皇弐型という名の兵器を中心とした部隊の後方支援に当たっている。彼女が所属する戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の中隊は3個が地上に残っているのだ。リィルとは異なり、本来、支援するべき相手へ交信出来る。
 尤も、地上において最大の激戦区と予想され、実際にそうなっている凄乃皇弐型の周辺に展開した部隊をフォローする彼女の仕事は、リィルのそれよりも更に多忙なものなのだが。

 戦いはまさにシーソー・ゲーム。まだどちらにも傾いてはいないが、些細なきっかけでも戦況は大きな傾きを見せる可能性がある。人類に傾くのか、BETAに傾くのかは、誰にも分からない。
 否、人類に傾かせるために、自分たちは今、戦っているのだ。

『ブラボー1よりHQッ! 11時方向より接近中のBETA群に重光線級を確認! 数はまだ不明!』
「HQ了解。当該エリアに支援砲撃を行う。180秒間、時間を稼げ」
『こちらザウバー1! 要塞級27! 要撃級180! 戦車級は計測不能! 我々の大隊では対処出来ない! 支援砲撃か増援を回してくれッ!!』
「HQ了解! 支援砲撃は再開まで時間がかかる。すぐに近隣の部隊から増援を回す!」
「日本帝国陸軍の1個大隊が既に当該戦域に向けて移動を開始! うち、1個中隊には電磁投射砲が2基配備されています!」
『ザウバー1了解ッ! 大隊各機! 増援の到着まで持ち堪えろッ! ここを瓦解させるわけにはいかん!!』

 作戦司令部の中には終始、怒号にも似た声でのやり取りが繰り広げられる。そこに身を置く通信兵たちも更にそれをバックアップするスタッフも、戦場に立つ兵士たち同様に多国籍だ。尤も、そのほとんどが国連軍所属であり、それを除けば、かなり早い段階で作戦参加を表明していたEU連合軍と日本軍の者が僅かにいるのみである。

 それでも、それはまたこの戦いを象徴する1つの光景だった。

 メインとして稼動しているこの司令部の一室を1度、見回したリィルが視線を自分の手元へと戻そうとしたところで、涼宮遙と目が合う。彼女の方も同様に、周囲を見回していたらしく、目が合った瞬間にはお互いに目を丸くした。
 違うのは、遙の方がすぐに小さく笑ったことだ。

「ヴァンホーテン少尉は、こういう時に歯痒いって思う?」

 だから、彼女が次に投げかけてきた質問にリィルは更に驚かされる。少しだけ遙の表情は苦々しさを含んでいたが、それでも辛そうに歪ませることはなかった。

「………思っていました」
「じゃあ、今は?」
「はっきりと認めてくれた人がいたんです。衛士で、とても強い人だったんですけど、私のことを凄いと思うって……」
 遙に促される形でリィルは言葉を紡ぐ。情報によって100人を超える衛士の支援を行う自分を、彼は素直に尊敬すると、そう言ってくれた。その時の彼の真剣な黒い瞳が、今でもはっきりとリィルは思い出せる。
「……凄いね、その人も」
 一瞬、嘆息を漏らした遙は、そのまままた小さく笑って、彼のことを「凄い」と返す。その言葉にリィルは頷き、「はい」とだけ短く答えた。半ば頷いただけの応答だったが、その意見にはリィルも同意する。彼は本当に「凄い人」だった。


 ユウイチ・クロサキは、それほどまでにリィル・ヴァンホーテンにとって憧れる相手だった。


「私もね、歯痒いって思っていた頃もあったよ。ううん……今もきっと、少しだけそう感じていると思う」
「涼宮少佐も……ですか?」
「うん。もともと私は衛士適性で通っていたんだけど、演習中の事故で両脚が……ね。それで、2度目の適性検査で弾かれちゃったの」
 彼女のその言葉に、リィルはまた驚く。遙が衛士訓練兵だったこともそうだが、何より、こんなにも優秀な戦域管制将校が、自分と同じように歯痒いと感じていた時期があったことに。
「水月……速瀬中佐とは訓練兵の頃から一緒で、同期兵。だから、やっぱり速瀬中佐がBETAと直接戦っている時、どうしても考えちゃうかな。私は後ろにいることしか出来ないのかなって」
 そう言って、遙は僅かに視線を逸らす。それが彼女の心情を表しているようで、リィルも居た堪れない気持ちになった。何故なら、その想いは痛いほどによく分かるからだ。

「だからこそね……私はこの責務に誇りを持たなくちゃいけないの。全力でいかなきゃいけないの。だって、今の自分の全力を尽くしていなくちゃ、それを嘆くことなんて出来ないもん」

 顔を上げ、前を向いた遙は決して大声とは言えない声量ながらもはっきりとそう告げた。その言葉に、リィルは思わずハッとする。

 今の自分に嘆くのは、今の自分に出来ることをやり尽くした後だ。それさえも出来ていないのに現状を嘆くのは、あまりにも傲慢。あるいはただの負け犬の遠吠え。
 少なくとも、戦場ではヒト1人の命すら預かることなど出来ないだろう。

 涼宮遙は、優しくも遠回しに、そう言っている。
 リィル・ヴァンホーテンとはまた違う理由で、今の自分に誇りを持って“戦っている”。
 それが、リィルの胸を打った。そして同時に、締め付けた。


 その時のリィルの目の前に軽く固められた涼宮遙の右の拳が差し出される。リィルが驚いて顔を上げれば、首を捻ってこちらを向いた遙が、まるで握手でも求めるような表情でこちらを見ていた。
 彼女の表情でその意図を察したリィルも表情を引き締め、それに応えるように左手で握り拳を作り、掲げる。


 そして2人は、トンと軽くその拳で相手の拳を小突き合ってから、再び表情を引き締めて正面を向く。




 今持てる己の全力を尽くすために。










「灯夜、1度後退なさい。常に正面を切って戦うことがそなたの責務ではありませんよ」
『御意に。第4大隊各機は補給のため、1度後退せよ! 急げッ!!』

 煌武院悠陽の厳命に、第4大隊の将 斉御司灯夜がすぐに応答し、指示通りに部隊へ対して後退命令を下す。広域データリンクで彼らの後退を確認した悠陽は、一先ず胸を撫で下ろした。
 彼も含め、第4大隊の兵は突出し過ぎるきらいがある。無論、そうやって戦果を確実に挙げられるほど、第4大隊の平均能力も高いのだが。
 良く言えば、彼ら第4大隊は斯衛軍の斬り込み隊長。京都防衛戦を生き残った衛士を、全18個大隊の中で最も多く抱え込む部隊だ。それはもちろん、最初からそうだったわけではなく、京都防衛戦から今日までの戦いでも、生き抜いてきた衛士が多いという意味である。

 だからこそ、煌武院悠陽は彼ら第4大隊の衛士を頼もしく思う反面、酷く心配している。尤も、一番彼らを心配しているのは、第6大隊の九條侑香であろうが。

『戦況は未だ膠着状態ですな』

 彼女の駆る紫紺の武御雷の傍らには、長刀を握ったまま聳え立つ真紅の武御雷。その搭乗主たる紅蓮醍三郎も、広域データリンクで各戦域の状況を確認したらしく、そう投げかけてくる。

「……ええ、そうですね。この状況を、彼らが事を成すまでの間、維持出来れば良いのですが……」
 そう答えて、悠陽は何と弱気なことを言ったのだろうと後悔する。維持出来れば良いという話ではない。維持しなければならないのだ。
 優勢にあるわけでもない、膠着状態であるこの戦況を。
 生憎ながら、膠着状態を維持するのはこの作戦において消極的な方針ではない。そもそも、ハイヴ制圧戦は基本的に、膠着状態から始まり、時間を経るごとに人類が押されてくるものなのである。だから、この作戦でも戦況を優勢に傾けさせるというのは、おおよそ現実的な話ではないのだ。

 地上部隊の役割は唯一つ。
 ハイヴ突入部隊の何れかが、その任務を完遂するまで、地上陽動を続けることのみ。だから、地上部隊が第一に考えなければならないのは、可能な限り戦線を維持し、長く戦うことである。

『どちらにせよ、あと3時間もないでしょう。3時間以内には、すべてが決する筈。ならば、この3時間に全力を注ぐしかありますまい』
「理解しています」
 悠陽は紅蓮の言葉に頷く。3時間以内にはすべてが決する。その言葉に誤りはない。これは地上部隊があと3時間しか保たないのではなく、現実的に考えて突入部隊が3時間程度しか保たないからであった。
 戦闘経験のない悠陽だが、事前にそれはしかと聞いている。
『何、白河が小言を言う時間に比べれば、たいした時間ではありませぬよ、殿下』
「何を言っているのです、紅蓮。白河から左様な小言を受けるようなこと、私は致しません」
『おや? そうでしたかな? 確か、白銀を帝都城へ招いた時には、後日、沖縄視察から戻ってきた白河に延々と―――――――――』
「紅蓮!」
 紅蓮が言いかけた言葉を悠陽は慌てて遮る。実際のところ、3時間はおろか、「延々と」と表現するほどあの時、白河幸翆から小言は言われていないのだが、その一部始終を紅蓮に見られていたのは、煌武院悠陽にとって一生の不覚だった。
 紅蓮醍三郎は、悠陽のそんな心境も分かっているのか、実に愉快気に笑っている。彼のそんな表情を見て、悠陽は思わず重いため息をついた。


 腹立たしさや、不平不満からではない。
 それは、途轍もない切なさからだ。


 城内省斯衛軍内において、紅蓮醍三郎のあのような戯れに対して応対する人物は主に2人いた。
 1人は、紅蓮の戯れに口を出す第3大隊の白河幸翆。
 そしてもう1人は、口よりも先に手を出す第2大隊の朝霧叶。
 彼らの力関係はまさに絶妙だった。紅蓮が性質の悪い冗談を言えば、まず朝霧の鉄拳が発動し、その後に白河の小言が入る。そういった関係を、それこそ悠陽が幼子の頃から、彼らは続けてきたのだ。


 朝霧の弔い。弔い合戦。


 白河幸翆と紅蓮醍三郎の2人がそう口にした理由がよく分かる。悠陽にとって優秀な臣下の1人である月詠真那にとって、あの双海楓がそうであったように、彼ら2人にとってもまた、朝霧叶という人物は苦楽を共に乗り越えた大戦史の戦友だったのだ。

 それはしかし、悠陽にとっても同じこと。

 確かに悠陽は、この戦いに日本の未来を賭けて参加している。自らが紫紺の武御雷を駆ってミンスクまで赴いたのも、この戦いに人類の未来がかかっているのだと分かっているが故だ。

 それでも、私情を挟んでいないかと言えば嘘になる。
 少なくとも煌武院悠陽個人は、幼少の砌より良くしてくれてきた朝霧叶の仇を討ちたいと、密やかに思っている。自分自身にはそこまでの力がないと理解していながらも、彼女の無念を晴らしたいと思っている。
 それが、煌武院悠陽個人が持つ私情だった。

『殿下……? 如何なされました?』
 悠陽が黙り込んでしまったからか、不意に眉をひそめる紅蓮。彼のその言葉に悠陽は軽く頭を振ってから、小さく頷く。衛士として先頭に立つことが出来ないとはいえ、悠陽はこの戦域において斯衛全軍の指揮官に相違ない。その一言が、彼らの命を左右するのだから、その私情を露骨に挟むことなど許される筈がなかった。
「……何でもありませんよ、紅蓮。この戦いに勝ちたいと願っただけです。この戦いに勝たなければと誓っただけです」

 だから、悠陽はもう1度、勝利への誓いを立てる。
 この戦で仇を討つのではなく、この戦を弔いとするために。

『ふむ……困りますな、殿下』
「何ですか?」
 悠陽の返答に、紅蓮は厳しい面持ちでそう言い返してから口を固く結ぶ。彼が一転してそんな表情になったので、悠陽も怪訝そうに訊ね返した。

『殿下のお立場では、その誓いの言葉を将兵に向けて明言していただかなければなりますまい。兵たちを奮い立たせる言葉は、指揮官に課せられた重要な責務ですぞ』

 諌めるようにそう続ける紅蓮に、悠陽は思わず目を丸くした。その後に、ちょっとした頭痛が襲ってくる。どうして普段から彼はああなのに、稀にこんなまともなことを諭してくるのだろう、と。
 ため息をつきながらも、悠陽は黙って通信回線を開く。少なくとも、紅蓮の言葉に誤りなどはない。政威大将軍 煌武院悠陽として決意したことならば、それを言葉にして将兵を激励するのは当然のことである。


「斯衛衛士総員は戦いの手を休めずに聞きなさい。後発のハイヴ突入部隊が突入を開始して、間もなく一刻が経とうとしています。長くとも、もうこの作戦は3時間も続くことはないでしょう」
 1度、目を閉じて心を落ち着かせてから悠陽はゆっくりと言葉を紡ぐ。声量こそそう大きいわけではないが、はっきりとした口調はその言葉に力強さを付加していた。

「ならば、この3時間にすべてを尽くしましょう。この短時間で我々に許された唯一にして絶対の、抗いです。そして、九段で眠る祖国の英霊たち、大戦史で散っていった世界中の英傑たちの願いを果たすために、戦い続けることを、煌武院悠陽の名において命じます」
 命ずる。敢えて悠陽はその言葉を使った。戦う烈士たちの行動を縛るためではなく、自分自身にその立場の重さを改めて理解させるために、である。
 正式な初陣というこの状況は、優秀で聡明な彼女にそうさせるほどに過酷なものだった。


『御意に』


 それに、17名の斯衛大隊指揮官たちが声を揃えて応じる。交戦を続けている故に頭を垂れることも、跪くこともしなかったが、元より悠陽はそんなものなど求めていない。
 そもそも、いくら規律に厳しい斯衛軍の指揮官とはいえ、唐突な悠陽からの厳命に全員が声を揃えて応えるとも彼女は思っていなかった。如何せん、今彼らのほとんどは前衛に展開してBETAと戦い続けているのだから。

 「そなたらに感謝を」と、悠陽は微笑んで心の中だけでそう呟く。

 同様に「御意に」と応えた紅蓮に至っては、どこかしたり顔で笑っていた。やはり先程までの一連の流れは彼にとって冗談の一種だったのだろうか、と悠陽はまたため息を漏らす。

 どうあっても、紅蓮醍三郎は戦場において煌武院悠陽の右腕に相違ない。悠陽は彼という剛健な武士を傍に従えることで、この戦場に立てているのだ。

『さて、それでは、大隊を預かる将兵として、灯夜殿の後退されている間、第1大隊も一時的に戦列へ――――――――』
 紅蓮が悠陽よりも1歩前へ出て、一時的に前面展開を行うと明言しかけたその時、警告音と共に司令部から通信回線が開かれる。
「『ッ!?』」
 歓迎出来るとは到底思えないその警告音で、悠陽に戦慄が走る。未だ一進一退を続けているこの戦況で何らかの動きがあるというのは、どんな些細なことでもそれ自体が傾きの要因になり得る。


『HQより作戦域展開中の各隊へ! 地表構造物南部25km地点の門より大型種も含め、多数のBETA群出現中ッ! 要塞級53、要撃級360、突撃級187、小型種は計測不能………イギリス防衛戦で確認された新型種が15体!! 繰り返す! 新型種が15体ッ!!』










『HQより作戦域展開中の各隊へ! 地表構造南部25km地点の門より大型種も含め、多数のBETA群出現中ッ! 要塞級53、要撃級260、突撃級187、小型種は計測不能………イギリス防衛戦で確認された新型種が15体!! 繰り返す! 新型種が15体ッ!!』


 通信兵のその言葉に、九條侑香は思わず舌を打つ。彼女の率いる第6大隊はHQからその報告がなされた頃には既に、その大規模BETA群と交戦に入っていた。
 斉御司灯夜の第4大隊が1度、後退した現状、南部戦線最前衛に展開している斯衛軍大隊は侑香の第6大隊も含めて4個。周辺にも国連軍部隊やEU連合部隊、ASEANに米軍といった友軍部隊も展開しているが、唐突な大規模集団による奇襲に戦域は混戦状態となっている。

 尤も、何よりも事態を掻き乱しているのは視線の先で蠢いている“あれ”だろう。出現を続けるBETA群の最後尾で既に15体も確認されている、新型種と決定されたBETAだ。

 九條侑香にとっては、師と仰いでいた人物を死に追いやった化物である。

 ギリッと彼女はその歯を軋ませる。京都にて多数の先達と部下を殺戮した人類の怨敵。佐渡島、横浜基地、そして桜花作戦にて数多の同胞を蹂躙した人類の仇敵。
 長い、長い大戦史の中で、世界中の英傑たちすら死へと追いやった人類の大敵が、今もまだ侑香の眼前にて我が物顔で戦場を闊歩している。
 彼女にとってそれは、実に許し難き事実だ。

『まったく……出現率に特徴が表れていると思った矢先にこれですか……。改めて、人類の常識など何一つ通用しない相手なのだと、理解出来ましたわ』
 侑香の隣で構えるのは、62中隊を任せている伊藤だ。彼女の嘆息気味な言葉に、侑香はBETAを睥睨しながら無言で頷き返す。
『陽動自体は巧くいっているのだろう。突入部隊の予定進行経路の上は依然、出現率が低いままだ』
『成程、そう考えるのでしたら、この敵集団を押さえ込むことも、地上陽動を課せられたわたくしたちの責務ですわね』

 同様に南部戦線の左翼で遊撃を続けていた第18大隊の月詠真那からの返答で、伊藤も口元を緩めて答える。確かに、この周辺に大規模BETA群が出現するということは、陽動としての機能が未だ維持されていることを示す。それを完全に維持出来なくなったその時が、この作戦の終幕となる。

 ただし、人類の敗北という結末だが。

「月詠少佐、あなたの部隊はあと如何ほど戦えそうですか?」
 36mmで周囲の戦車級を薙ぎ払った侑香は月詠真那へと問いかける。友軍戦力も多いとはいえ、敵集団にはあの新型種もおり、尚且つ総規模も大きい。使える戦力は最初から正確に把握しておく必要があった。
『九條大佐のご命令とあらば幾らでも……そう申したいところですが、現実的に見ればあと20分ほどが限界でしょう』
「充分よ。20分もあれば、味方の援軍が来てくれる可能性も高まるわ」
 それに、斉御司灯夜率いる第4大隊もその頃には戦線に復帰しているだろうと、侑香は心の中だけで付け足す。それに、生憎と侑香の第6大隊も粘ったところで精々、30分程度が限界だ。
『では、それまでは九條大佐の演武にお付き合い致しましょう』
「こんな体格でも私の演武は存外に激しいわよ?」
『望むところでございます』

 笑う月詠に対して、侑香もふふっと小さく笑い返す。依然、BETAを見据えたままであったため、その笑みはお互いに途轍もなく不敵なものであった。尤も、彼女たちには左様なこと、関係もない。

 次の瞬間、蒼青と真紅が再び大地を蹴り上げた。長刀と突撃砲を構え、眼前の要撃級と戦車級を尽く薙ぎ倒しながら、前進を開始する。それに続くのは彼女たちが率いる50にも及んだ武御雷の一団だ。

「クレセント1よりHQ。敵後方に確認された新型種に対して砲撃攻撃を要請するわ。そちらを優先して」
 長刀を一閃させ、正面の要撃級を斬り伏せた侑香は、切り拓かれたその進路の先を長刀の切っ先で示しながら司令部へと砲撃要請を入れる。その直後、伊藤と戎美凪の2人が旗下中隊を引き連れてその進路を進撃し、尚も攻勢を仕掛けていった。
『HQ了解! 南部戦線左翼へ展開している車輌部隊は指定されたポイントへ飽和攻撃を仕掛けよ! 急げッ!!』
 侑香の要請に答えたのは国連軍の通信兵だった。欧州人か米国人かは判断しかねるが、瞳の青い、日本人ではない兵士だ。その通信兵の対応に侑香は満足そうに1度、口元を緩めてから、再び頬を引き締めて身を翻す。

 月詠真那が跳ぶ。

 短距離跳躍で要撃級の群れの中へ神代巽を筆頭とした中隊部下と共に斬り込んでゆく。それに対し、侑香は36mmでまず戦車級を蹴散らしてから、同じく中隊部下と共に要撃級の壁を切り崩し始めた。
 要塞級の波が押し寄せてくる前に、可能な限り要撃級と突撃級の数を減らしておかなければならない。あの大物が到達した段階で、半数以上の要撃級が残っていては危険だ。

 機体の腰を捻らせながら長刀を真横に振り抜く。間合いの内側にいた要撃級が一刀の下に下された。小型種に対しては無防備だが、群がる戦車級は直下の小隊僚機が36mmで露払いしてくれている。
 賜った愛機を飛び散るBETAの粘液で穢しながら、侑香がその長城を切り崩した時、その内側では同じようにところどころの装甲を迷彩色へと変えた181中隊の武御雷が、山のような骸の中心で放射線状に展開していた。

 その光景に、侑香は網膜に映った月詠と無言のまま笑い合う。

 武御雷は斯衛軍衛士にとって力と誇りの象徴だ。それらは決して何人にも穢されることなどない。穢させるわけにはいかない。
 それ故に、連中の血肉を浴びた戦神のより代はその輝きを燻らせることなどなく、寧ろ、より一層強くさせていた。

 冷静たる青。
 燃え盛る赤。
 鮮明たる橙。
 透き通る白。
 剛健なる黒。

 それは挫けることなく、揺らぐことなく、BETAを屠る闘神として戦場を駆け抜ける。彼らが通った後に残されるのは、生きることを許されなかった怨敵の骸のみ。



 既に斯衛軍だけで滅した要撃級の数は200を遥かに上回り、突撃級も半数以上が殲滅済み。友軍の戦果と合わせれば、敵集団は要塞級と新型種を除き、7割近くが死に絶えていた。

 再び侑香は長刀の切っ先を上げ、次の目標を部下に示す。



 その先にいるのは、泰然と進攻してくる要塞級の大集団である。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第87話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/04/19 23:14


  第87話


 ジョージ・ゴウダはあまりの光景に思わずその目を見張る。それと同時に、操縦桿を握る手に力を込めた。その双眸は鋭く、眼前のBETAを虐殺しながらも、視線は遥か彼方の化物へと向けられている。

 新型種だ。

 ジョージにとって、直接相対したのはH26の地下茎構造内。それも、たった1体と友軍が交戦していたところに援軍として駆けつけたに過ぎない。しかしながら、驚異的な敵であったことには他ならず、忘れようにも忘れられる相手ではなかった。

「ナナセ……話には聞いていたが……あれは悪夢のような光景だな」
『同感です。あいつらのせいで……うちの人間だって3人も………!』

 ジョージの呼びかけに、その背中を守るリン・ナナセは怒気を露わにした口調で答える。多くの同胞を殺してきたBETAだが、たった1体の相手に3人も喰われたという事実は、あまりにも衝撃的な出来事だった。
 本作戦に参加した彼らの中隊衛士は総員で9名。うち、H26の作戦に参加しているのはジョージとリンも含めて6名である。創設時から共にある残る6人は、何れも鬼籍に入った。H26とイギリスにて、彼らは戦死した。

 半数だ。ジョージの優秀な部下のうち、既に半数は死に、そのうちの更に半数が、あの怪物によって“侵された”のである。

 憤怒。
 屈辱。
 悲哀。
 悔恨。

 幾重もの感情がジョージの内側で渦巻く。今までBETAによって舐めさせられてきた苦汁を……抱かされてきた感情を、あの新型種1体によって一時に味わわされた。

 だが、生憎とこの手で連中に直接、引導を渡してやろうなどという愚策には走らない。反応炉付近で見せた驚異的な再生力も、地上では発揮されないということだが、それにしたって数が多過ぎる。ジョージたちの中隊が火力を集中させて何とか1体倒せたというのに、地平線の先には未だ10体に近い新型種が蠢いているのだから。

『………敢行された飽和攻撃も大半に掻い潜られましたね』
「だが、ここまで到達するのは恐らく2体か3体といったところだろう。幾分か現実的な数字だ」


『現実的な数字……か。成程、その点には同意する。米国人』


 リンに答えるジョージの言葉に逸早く同意を示したのは、彼の部下ではなかった。通信回線に割り込んできたその人物の容姿がその網膜に映り、ジョージは思わず顔をしかめてしまう。これが日常場面だったなら、間違いなくリン・ナナセの鉄拳が即座に飛んでくるような反応だろう。

 何せ、今し方、自分に対して言葉を投げかけてきたのは、日本が誇る精鋭 インペリアル・ロイヤル・ガードの大隊指揮官。しかも、その身に纏った衛士強化装備の色は深い青だ。
 即ち、五摂家の血族に他ならない。

「ふん……斯衛軍の大隊長殿に同意してもらえるなら心強い」
『斉御司灯夜だ。階級は少佐。覚えておけ、米国人』
「俺はジョージ・ゴウダ。階級は大尉。合衆国に忠誠は誓っているが、生憎と国籍で呼称される筋合いはない」
『承知した。では聞こう、ゴウダ大尉。我々に課せられた責務は何だ?』

 直球にも関わらず、嫌に要領を得ない斉御司灯夜という男の問いかけに、ジョージは再び顔をしかめる。つい先刻、同じ斯衛軍衛士から「邪魔だ」と叱責されたこともあり、彼にとって斯衛軍は言うほど良い印象がない。

「支援砲撃再開及び補給のために後退した部隊が復帰するまでの戦線維持。要は時間稼ぎでしょう」
『御名答。貴官らはその火力を活かして後方支援を主とすると良い。直接的な殴り合いは、我ら斯衛軍の得手とするところだ!』

 そう言うが早いが、灯夜は自らの大隊を率いて敵中へと身を翻してゆく。指揮下に置かれた35機のType-00のうち、約7割が長刀を握り締めているという光景は、アメリカ人であるジョージにとっても圧巻と思えるものだった。

『………あれは皮肉なんでしょうか?』
「さあな。日本人の表現は分からん」

 リンの呟く疑問にジョージも軽く肩を竦ませる。彼らの知人にも何人か日本人はいるが、斯衛軍の士官はそれとも一線を画している。榊千鶴ならばまだしも、鎧衣美琴や柏木晴子では比較対象にすらならない。
 ただ、今の斉御司灯夜の表情はとても皮肉を言っているようには、ジョージには見えなかったのも事実ではあるが。

「どちらにせよ、少佐殿の言う通りではある。俺たちは格闘戦など得意ではないし、そもそもその手の装備はナイフしか持ち合わせていない」
『それもそうですね。斉御司少佐の部隊が孤立しないように、後ろから立ち回りましょう』
 リンの言葉にジョージは無言で頷く。その点に関して異論など彼にだってなかった。斯衛軍には負けるものかと更に前衛へと突出したところで自分たちに利点などないのだ。

「レスター1よりレスターズ! 小隊単位で遊撃に入るぞ!」
『了解ッ!』

 ジョージの正式な遊撃命令に、522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ)の部下6名が、3機連携を組んだ状態で武御雷を追って前進を開始した。36mmにて、手当たり次第に戦車級と要撃級を粉砕してゆく。

 しかし不思議なものだと、ジョージは内心で首を捻る。
 先刻の斯衛軍指揮官のように、ジョージたちアメリカ人に「邪魔だ」と罵るような口調で言ってくる者もいれば、今の斉御司灯夜のようにお互いの得意分野を確認し合った上で吶喊してゆく者もいる。

 彼ら日本人にとって、アメリカ人とは如何なる存在なのだろう。
 祖国の敵?
 あるいは、BETAと戦う仲間?
 それとも単純に、敵の敵なのだから、今は味方という図式なのだろうか。


「まったく……日本人の感覚はよく分からん」


 ジョージはそう呟いて、ため息を漏らす。そういった感情と相反する行動要因を併せ持つことなど、自分を含めてヒトにはそう珍しいことではないのだということに、未だ気付かずに。










「はあああああああああッ!!」

 長刀を一閃させ、迫る要塞級の下腹部を付け根からぶった切る。群がる戦車級には36mmを掃射し、その後ろからやってきた要撃級は同じく長刀で真横に薙ぎ払って退路を確保した。

 斉御司灯夜が戦線に復帰したのは、月詠真那たち第18大隊が補給のために後退を開始する時のことだ。灯夜たち第4大隊は他の友軍部隊と共に、依然、大規模BETA群の出現が続く戦域へと攻勢を仕掛けた。
 そのタイミングで、九條侑香の第6大隊も後退を開始。彼女自身は何か言いたそうな顔をしていたが、部下と自分の兵装状況を鑑みては、後退せざるをえなかった。

『飽和攻撃とは言い難いですねぇ』

 要撃級を両断する一刀を放ちながら灯夜が後方へ跳躍すると、同じように中隊を率いてBETAの骸の山を築いている関口から通信が入る。
 彼女が示しているのは支援砲撃のことだろう。確かに、断続的に彼らの上空を砲弾やロケットの類が飛んでいるが、その数はお世辞にも多いとは言えない。飽和攻撃が基本である支援砲撃がそうなっているのは、単純に人類側の火力が足りていないことと、当該戦域にレーザー属がほとんど確認されていないことに由来する。
 もしレーザー属も多数確認されていれば、小規模の支援砲撃など簡単に迎撃されてしまうが、それがいないのならば決して効果がないと言い切れるわけではないのだ。
 特に後方へ新型種と要塞級が多数確認されている状況ならば、それを狙う限り突撃級によって攻撃が軽減される心配も少ない。

 尤も、それでは灯夜たち前衛部隊は敵前衛集団と支援砲撃のない戦闘を余儀なくされてしまうのであるが。

「凄乃皇周辺の敵数は相変わらずだ。加え、荷電粒子砲再攻撃までの時間が少しずつ長くなっている。砲弾もそちらに回したくなるのは当然だろう」
『それに、南部戦線の戦闘継続時間は長いですからね。そろそろ厳しくなってきたってところでしょうか』
「実に言い難いことではあるが、な」

 関口の言葉に灯夜は36mmを掃射しながらも鼻を鳴らす。敵の大規模増援をまったく予想していなかったということはないが、新型種も含めた敵集団が未だに南部戦線中央正面の門から出現し続けているという事態は、考えたくもないことだ。
 範囲を限定して言えば、この1時間におけるBETAの出現率は西部戦線よりも南部戦線の方が高い可能性すらある。

 その瞬間、後方でまた1体の新型BETAが崩れ落ちる。どうやら支援砲撃のロケット弾がその体躯に運悪く直撃したらしい。灯夜たちからすれば願ったり叶ったりの状況だ。

『ベクター330より要塞級6、要撃級27!』
『Bイノセンス1了解! 43中隊はそちらの対処に当たる! 続けッ!』

 次の集団が接近していることを報せる通信に応じ、関口は旗下中隊を率いて身を翻す。この戦いに賭ける意気込みは彼女とて大きい。それこそ、第18大隊の将 月詠真那と同じくらいに、だ。

 灯夜の瞳に、己が指揮下にあるもう1つの中隊の一団が映る。他とは僅かに異なる漆黒の武御雷を駆る衛士によって率いられる、42中隊だ。
 その中隊が今、戦線復帰から数えて17体目の要塞級を殺戮した。その戦果自体は、灯夜が率いる第1中隊や関口の第3中隊よりも大きい。

 1度だけ、目を伏せた灯夜はすぐに顔を上げ、鋭い双眸で正面から迫る無数のBETA群を睨み付ける。直接、目が合っているわけでもなければ、そもそも睥睨したところで恐れてくれるような相手ではないので、行動としての意味はさほどない。
 ただ、自己を奮い立たせただけ。
 眼前の存在を改めて自分の仇敵なのだと確認し、必ず殺してやると誓いを立て直しただけの話だ。


 次の瞬間、斉御司灯夜は大地を蹴り上げる。


 その長刀の刃が狙うのは、先頭を切って迫ってくる3体の要撃級。その中でも更に前を進む1体が灯夜の接近に合わせてその前腕を振り上げた。
 思わず、ギリッと歯を噛み鳴らす。

「遅いッ!!」

 完全に振り上がったのと同時に、その前腕は体躯との付け根から刎ね飛ばされた。下から斬り上げることでそれを成した灯夜は、そのまま長刀を振り下ろすことでその要撃級へ止めを刺す。
 続く別の要撃級が前腕を真横に薙げば、身を捻ってその前腕を躱し、反転させる勢いを利用して同じように真横に薙ぎ払ってやる。的確に要撃級の首を捉えた長刀は、圧し折り、叩き斬るようにその頭を分断。
 最後の1体には120mmと36mm。顔面に120mmを喰らわせてから36mmにて瀕死の身体を痛めつける。

 それと同時に、旗下中隊の部下8名が噴射跳躍でBETAの壁を飛び越え、後続の要塞級へと強襲を仕掛けていった。
 灯夜はそのままその場で36mmを掃射し、戦車級に対抗する。

 BETAの物量は何度戦闘を経験しても恐ろしいと感じる。灯夜が3体の要撃級を瞬く間に死骸へと変貌させている間に、6体の要撃級がすぐそこまで接近してきてしまうのだ。
 長刀は彼にとって最も得意とする得物だが、決して制圧力の高い武器とは言えない。耐久性が高いという利点もあるが、それはあくまで“戦い続けられること”が前提である話だ。
 弾薬の消費を渋って、結果、討ち死にしてしまってはあまりにも非生産的であり、意味がない。

 舌を打ちながら灯夜が次の要撃級へ攻撃を仕掛けようとしたその時、その目標に無数の弾痕が穿たれた。その光景に灯夜が驚くと同時に、36mmの雨を降らせながら匍匐飛行でF-22Aの一団が駆け抜けてゆく。
 間違いない。先刻、幾ばくか言葉を交わした米軍のジョージ・ゴウダという男の部隊だ。

『レスター2よりイノセンス1! 少しは私たちの獲物も残しておいてくださいな、斉御司少佐』

 BETAの死骸によって作られた壕の中へ彼らが着地すると同時に、副長らしき利発そうな少女から通信が入る。部隊長と同様に、顔立ちは日系であった。
 彼女の言葉に、灯夜は軽く肩を竦ませる。

「好きなだけ持ってゆくと良い。生憎と、これほどの首は私の腕では抱え切れそうもないのでな」
『了解! ありがたく、頂戴致します』
 薄く笑って灯夜がそう返せば、少女はにこりと明朗に笑って敬礼の格好を取りながら返してくる。彼女のその反応には少しだけ灯夜も驚かされたが、表情に出すようなことはしなかった。

『では、我々レスターズ、第4大隊に随伴させていただきます』
「随伴……だと? どういうつもりだ?」
 続く彼女の言葉に灯夜は思わず眉をひそめる。獲物を残しておけと釘を刺した直後に、灯夜たちに随伴して攻撃すると彼女は言っているのだ。
『お互いに得意とする戦い方が違うのなら、別々に戦うよりは効率的だと思いますが?』
 その反応に答える少女の言い回しはまるで、「あなたがさっきそう言っていたじゃないですか」と言っているようだった。そう正論を突きつけられては、さしもの灯夜にだって反論の余地などない。

「……承知した。露払いは任せよう。こちらは大物狙いの方が幾分か戦い易い故な」
『レスター1了解。しばらくすれば補給のために後退した部隊も戻ってくる筈だ。まず、それまでは耐え忍んでみせる』
「心強い。では行くぞッ!!」
『了解!』

 ジョージ・ゴウダからの返答へ、不敵に笑いながら言い返し、続けて灯夜は攻勢命令を再度、下す。それに応じるのは彼の指揮下にある41中隊の衛士のみならず、彼ら522戦術機甲中隊の隊員も同じだ。

 先駆するのはF-22A。両手に構えた突撃砲から36mmを撃ち出し、まるで虫のように群がってくる戦車級を始めとした小型種を一思いに薙ぎ払う。押し寄せるその津波が収まることはないが、それでもその勢いは削がれた。
 鬩ぎ合うF-22Aと戦車級によって作られたのは急造の戦線。足止めを喰らった戦車級には目もくれず、灯夜の部下たる前衛小隊4機が編成を組んで後続の要撃級へ強襲した。連携によって瞬く間に14体の要撃級を物言わぬ骸へと変える。


 斉御司灯夜が行くのは、更にその向こう。新型種が登場するまでは圧倒的な巨体を誇っていた要塞級の一団へ、だ。


 要塞級はその巨体と、巨大な衝角を振り回すという攻撃手段からか、あまり密集しない性質がある。無論、それは「密着」というレベルの話であり、安心出来るほど距離が離れているわけでもないのだが、基本的には要塞級と要塞級の間には必ず戦術機が1機、通り抜ける空間が確保されているものだ。

 灯夜はその隙間に入り込み、向かって右側の要塞級へ36mmをぶっ放す。高い耐久力を誇る要塞級相手ではその程度の攻撃では崩れないが、ダメージは与えられているだろう。
 灯夜に随伴した2個小隊のうち、4機がその2体の要塞級の下に潜り込み、長刀を使って下腹部を掻っ捌いた。残る4機は外側から灯夜同様に36mmを喰らわせ、要塞級の耐久力を瞬く間に削り取る。
 先に崩れ落ちるのは右側の要塞級。それを確認すると同時に灯夜は噴射跳躍で飛び上がり、次の要塞級へと攻撃目標を変えた。

 灯夜が跳躍で飛び越えた要撃級は、先刻と同じように412小隊が攻撃を仕掛け、その足を止めさせる。その間に、先頭の戦車級を始末したジョージ・ゴウダら9名が匍匐飛行で灯夜を追って要塞級正面へと移動を開始。

『流石に、格闘戦は圧巻だな』
「素直に喜んでおこう。だが、貴官らも相応の腕だと思うが?」
『何とか機体の性能に振り回されないようにするので精一杯ですよ、こっちは』
「奇遇だな、私も武御雷を御するのに今も四苦八苦している」

 灯夜とジョージは背中を合わせ、共に36mmで周辺のBETAを一掃しながらそんな軽口を交わす。互いにほんの少々、皮肉を含んでいるのはご愛敬と考えて問題あるまい。
 両者によって切り拓かれた活路を、両隊の衛士が陣形を組んで進軍する。先行するのは米軍のF-22A。弾幕を張って要撃級と戦車級を釘付けにし、その後方から武御雷の一団が再び噴射跳躍でBETAの壁を飛び越えてゆく。

 長刀、36mm、120mm。持ち得る主兵装を総動員して、要撃級と要塞級の群れと彼らは対峙する。
 一刀を振るえば要撃級の首が落ち、要塞級の衝角が落ちる。
 36mmを掃射すれば戦車級は尽く爆砕し、要撃級や要塞級は蜂の巣になる。
 120mmを放てば要撃級の顔面は吹き飛び、要塞級の体躯には巨大な穴が穿たれる。
 手当たり次第に、手近なBETAを虐殺。虐殺を繰り返す。


 しかし同時に、彼らもまた殺戮を繰り返されていた。


『6時方向より要撃級12! 要塞級は――――――ぐああああああッ!!』
『イノセンス2よりイノセンス1ッ! イノセンス9が要撃級の前腕に……! 胸部を抉り取られていますッ!!』
「第3小隊各機は連携を崩すなッ! レスター1! 左翼への援護を増やせるか!?」
『レスター1了解だ! C小隊はレスター5を加えて4機編成になれ!』
『レスター2了解! C小隊は413小隊のバックアップに入ります! 続けッ!』
『了解!』

 混戦と表現して余りあるほどの乱戦に、両隊衛士間の交信が激化する。データリンクによって情報を共有しているとはいえ、音声による情報提供あるいは警告は人間の危機感を強く刺激する。
 そうしなければ、ここでは生き残れない。
 灯夜は自分の部下に対してジョージの部下が支援に出たことを確認してから、次の要塞級へ対峙する。数は5体といったところだが、運が良いことに個々の距離がかなり離れていた。これならば、迅速に対処すれば容易く各個撃破出来るだろう。

 そのうちの一体へ狙いを定めた灯夜は駆け出す。真下へ潜り込もうと、振り回される衝角を1度躱したと同時に、その巨大な頭部が120mmによって穿たれた。放ったのは、随伴部隊を名乗り出た522戦術機甲中隊の将 ジョージ・ゴウダである。
 灯夜はほくそ笑む。120mm砲弾によって頭にクレーターを開けられた要塞級の動きは鈍り、彼はより容易に衝角の死角へと侵入することが出来た。そこまで来れば、やることなど1つしかない。

 得意の得物を一閃させ、衝角を収めている下腹部は本体から完全に分断。それだけでも、要塞級にとっては致命的だ。

 崩れ落ちる要塞級の下から離脱した灯夜は、そのままジョージの隣へ。並んで36mmにて弾幕を張り、進攻する要撃級を前衛から片付けてゆく。

「次は3時方向だ。いけるか? ゴウダ大尉」
『上官命令ならば仕方ない。この戦場に限っては、最後まで付き合おう』
「上出来だ」

 彼らは不敵に笑い合い、引鉄を引いた状態のまま同時に跳躍。その目標を、3時方向から向かってくる要塞級へと変えた。
 一定距離まで近付いたところでジョージはその速度を緩めるが、灯夜は速度を緩めず、更に要塞級との距離を詰めてゆく。先程と同じ戦法をもって、あの巨躯を沈ませるためだ。

 だがその瞬間、目標とした要塞級の後方から“ナニカ”が飛び出してきた。

「『ッ!?』」

 息を呑むのは灯夜もジョージも同時。灯夜に限っては反射的に長刀で打ち払いながら、即座に進行方向を変え、後退に転ずる。ジョージは灯夜の後退を支援するために36mmにて攻撃を開始した。

「新型かッ!!」

 自分が打ち払った数本の“触手”を確認し、彼は思わず声を上げる。灯夜は映像資料として公開されたものでしか見たことはないが、小規模戦力で対峙した場合の脅威性は、再度確認するまでもなかった。
 敵の物量は圧倒的。対し、彼らの戦力は2個大隊にも満たない程度で、支援砲撃の効果も薄い。
 2、3体が現実的というジョージ・ゴウダの言葉には灯夜も同意したが、あくまで“非現実的ではない”というだけの話だ。

『………ついに到達されたか………なッ!? 6体!?』
「個々の距離は比較的離れているが……まともに相手をしては10分かからず包囲されるであろうな」
『だが……! このまま進攻を許せば戦線を下げざるを得なくなる! 突入部隊には致命的だぞッ!!』

 ジョージ・ゴウダが目視で確認した新型種の数は6体。今ばかりは自分の眼を疑いたいところだが、生憎、灯夜が目視で確認した数も同じだ。
 現実的数字の約2倍。まともに殴り合うには、充分に非現実的な数字だった。
 理に適った戦法を取るのなら、このまま弾幕を張りつつ距離を保って後退し、支援砲撃で新型種が一掃されるのを待つことである。だがそれは確実に戦線自体を後退させなければならない。今の戦線を維持したままでその手段を取れば、支援砲撃に友軍機が巻き込まれる故に、である。

 それが突入部隊にとって致命的という言葉は実に正しい。

 まだ彼らの突入から1時間余り。戦線を後退させるには早過ぎる。しかし、部隊が全滅しては、戦線そのものを維持出来るのかどうかも怪しくなるだろう。

 脳裏を過ぎるのは、イギリスにて逝った優秀なる先達の1人。生憎と死に目には立ち会うことが出来なかったが、彼女もまた、似通った状況下で逝った筈だ。



 申し訳ありません、侑香様。



 斉御司灯夜は心の中でそう呟く。ただそれだけ、懺悔する。
 そして、これから旗下大隊の部下たちに下す命令を明言するため、彼はその口を開いた。

「第4大隊各機! 私につづ――――――――――」
『斉御司少佐! 連中の相手は我々にお任せくださいッ!!』

 吶喊命令。それを告げ、自ら先陣を切らんとした灯夜の下へ、後方から接近してくる部隊の指揮官から通信が入る。言葉を遮られた彼が驚き、後方を確認すれば、要撃級の壁を蹴散らして1個中隊規模の部隊が進撃してくるのが分かった。
 それも、祖国の気鋭 不知火弐型を預かる帝国陸軍部隊だ。
 データリンクにて更新される部隊情報は、九州前線守備隊 第122戦術機甲中隊。部隊コールはライトニングス。

 前衛を任されているらしい4機の不知火弐型が惜し気もなく弾薬を撒き散らし、瞬く間に戦場に円状の空間を確保する。その後ろからやってきた両翼の2個小隊には1機ずつ、大仰な装備が取り付けられていた。

『イギリスでのツケは……ここで返させていただきます!!』

 大仰な装備……電磁投射砲を装備した2機のうちの片方。中隊長も任されているらしい、その搭乗士たる彼女は確かにそう言った。
 イギリスでのツケ。それがBETA全体に対し向けられたものなのか、あの新型種に対し向けられたものなのか、それだけでは判断し難いが、後者だとすればそれは実に不可思議な縁だ。
 如何せん、イギリスにてあの新型種が確認されたのは、朝霧叶が鬼籍に入る要因となった事例の、たった1回だけなのだから。

「――――――イノセンス1了解! 第4大隊各機、レスターズ各機はライトニングスを中心に円周展開! 守りを固めよッ!!」
『了解ッ!』
 灯夜の言葉に呼応し、未だ30機を超える武御雷と、9機のF-22Aが後退し、12機の不知火弐型の周囲を固める形へ陣形を再編する。その展開は非常に迅速で、即座に電磁投射砲を守る堅牢な砦が出来上がった。




「有象無象は引き受ける! ライトニング1、好きなだけ平らげよッ!!」










 第6大隊、第16大隊と共に、月詠真那が旗下大隊を率いて南部戦線中央へと復帰したのは、その戦域の一時的な決着がなされた頃だった。
 確認されていた15体を超える新型BETAはすべてが、出現していた無数の要塞級もそのほとんどが撃墜され、巨大な骸が戦場の至るところに転がっている。

 その中で、尚も残る要撃級や戦車級の群れを相手に舞踏しているのは、武御雷と不知火弐型、そして米軍が誇るF-22Aだ。

 武御雷と不知火弐型が突出し、長刀で要撃級を片っ端から斬殺すれば、その後方を追従するF-22Aが戦車級を薙ぎ払い、戦場に赤い絨毯を敷き詰める。
 近距離において敵の数が多ければ、3種類の戦術機は互いに背中を合わせた形で全方位に向けて36mmを掃射し、BETAの接近を許さない。



 本日限りの夢物語。



 12・5事件の時、煌武院悠陽の傍にあった月詠真那にとって、そう思わせるに充分過ぎる、夢のような光景だった。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第88話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/04/25 16:49


  第88話


 ハイヴ坑内を進軍するのに必要なのは、揺るがない決断と迅速な対応、そして自らの力を信じるための研鑽の記録、そして運だ。それらをより多く兼ね備えた者から順に、この死地を踏破することが出来るようになる。

 その中において、柏木章好は確かに運が良かったのだろう。

 如何せん、彼を含めた第27機甲連隊は後発突入部隊の筆頭だ。彼は白銀武率いる決戦部隊の一員なのだ。
 だからこの地獄を踏破する権利を、他のどの部隊の衛士よりも持っていると言っても過言ではない。逆を言えば、多くの他部隊は彼らを生かすために挺身する命令も同時に、与えられている。

 それがない柏木章好は、それ故に幸運だった。




 轟音が鳴り響く。広大な地下世界にて砲声が重なり、何か柔らかいものが拉げる音も際限なく響き渡る。

『クソ! 駄目です、中佐! 引き離せませんッ!!』

 本来の進行方向とは背中を向けた状態で後退しながら36mmで追手を牽制するのは、殿を任されているエレーヌ・ノーデンスの273戦術機甲中隊(ハンマーズ)だった。
 無論、最後尾を行くのは章好も含めた5名で構成される273B小隊。彼らが攻撃を加えるのは、横坑を延々と追跡してくる戦車級と要撃級の群れである。

『分岐点から集まってくるんだ! 白銀中佐! 全力じゃないと振り切れません!!』
 そう進言するのは、左翼から章好たちへ支援を行っている副長のヘンリー・コンスタンスだ。当初は敵の規模も小さく、戦車級を中心とした小型種のみで構成されていた追手だったが、撒こうと移動を開始した直後の偽装横坑からの奇襲で、一気に状況は変わった。

 突撃級の出現である。

 横坑内で突撃級を撒くには、跳躍ユニットも駆使した最大戦闘速度に等しい速度が必要になる。しかしそれは、推進剤の補給が出来ないという状況も鑑みれば、実に下策だ。


 それから既に十数分。突撃級がその数を数体まで減らした現段階で、未だ章好たちは追手を振り切れずにいる。


『次の縦坑から横坑に抜けたところで、速度を上げましょう、白銀中佐! 残った突撃級を引き離すなら、それしかありませんッ!!』

 ヘンリー同様に右翼から前衛を援護するエレーヌ・ノーデンスも、武に対して全速前進の進言を出す。行動に移すポイントを彼女が即座に限定したのは、経歴による産物だろう。

 猪突猛進の突撃級が一時的に速度を落とさざるを得ないのは、横坑と縦坑の境目なのだ。角度の変化が急激であればあるほど、その行動は顕著になる。特に、真下に向かって下降する縦坑から横坑に変化した場合、突撃級は時速120kmを超えたその速度を限りなく0に落とす必要がある筈だ。

 振り切るならばそこが最も効果的。章好にとって直属の上官であるエレーヌはそれをよく理解し、切迫した状況下でも冷静に判断していた。
 尤も、最初の目的地である主縦坑までの距離を考えれば、振り切れるかどうかは甚だ疑問ではあるが。


『――――――――無理だ』


 しかし、この部隊を統率する白銀武から返ってきたのは、無情な「却下」の言葉である。章好は思わず口にしそうになる「どうして」の言葉を全力で飲み込んだ。

『前からも来やがった………ッ!』
「『ッ!?』」

 続く武の言葉に、全身の毛が逆立った。部隊間データリンクで前方からの敵襲も確認出来たが、流石に目視で確認するようなことは出来ない。何せ、自分たちの正面ではすぐそこまでBETAの一団が迫っているのだから。

『エレーヌ! 追手の足止めは出来るか!?』
『“やってみます”よ!』
 武からの問いかけに、エレーヌ・ノーデンスはまるで自らを奮い立たせるように受け答える。出来る、出来ないの問題ではない。“やらなければならない”のだ。そうしなければ、敢え無く部隊は全滅の一途を辿る。
『頼んだ……! こっちは可能な限り、迅速に突破口を確保する!』
『信頼してますよ、白銀中佐』
 エレーヌはその言葉に、口元を緩めながら応じた。その瞳は常に正面のBETAを睥睨していたため、章好から見ても非常に不敵な笑みになってしまっている。

 殿の273戦術機甲中隊(ハンマーズ)が追手を足止めしている間に、271戦術機甲中隊(セイバーズ)と第5中隊(レギンレイヴ)が進行方向から接近してくるBETA群と交戦し、部隊が突破する隙を作るつもりなのである。
 幸か不幸か、前方から迫るBETA群の方が追手よりも規模が小さい。
 尤も、章好たちはその前方よりも規模の大きいBETA群を、前方よりも小さい戦力で相手にしなければならないのだが。

『補給部隊は中央で守りに入りなさい。そちらまで援護出来る余裕は、我々にもありません』
『了解!』

 既に突出したらしい第5中隊(レギンレイヴ)の支援に出るマリア・シス・シャルティーニからの警告に、部隊の中央に構える補給部隊の指揮官が即座に応じる。彼らは武器こそ携行しているが、直接的な戦闘は可能な限り避ける必要があった。
 無論、章好たち決戦部隊により多くの弾薬を残すために、だ。


『さて、聞いてた? 273戦術機甲中隊(ハンマーズ)各機、こんな狭い場所じゃ機動撹乱も厳しいだろうけど、何とか突破口が出来るまで時間を稼ぐよ?』
「『了解ッ!』」
 言うが早いが、B小隊の3機が連携を組んで敵前衛集団へと斬り込む。砲撃支援装備の両翼小隊機はその場で足を止め、バックアップに入るが、両翼の小隊長機……エレーヌとヘンリーの2人も前進して、章好が固める中衛ラインに入った。
 時間を稼ぐという点において、小型種が多いのは決して悪い話ではない。殲滅はし難いが、撹乱自体は言うほど大変な話ではない筈だ。
 ただ、突破口の確保に時間がかかればかかるほど、追手の中に要撃級を中心とした大型種が増えてくることだろう。そうなると、状況は一変する。船団級など出てこようものならば、終わりだ。

「七海! 俺も前に出る! 援護を頼んだ!」
『了解!』

 章好は幼馴染みの水城七海にそう告げ、自分も長刀をマウントから引き抜いて前進する。小型種の多い現状ではそう使い勝手の良いものではないが、要撃級が増えてからマウントから抜くのは時間の無駄だ。
 それに、生憎と、両手に突撃砲を構えて掃射するほど彼の携行する弾薬には余裕もない。

 ただ、前面に突出するのは時間を稼ぐため。中隊の核とも言えるA小隊、そしてその後方で守りを固める補給部隊へとBETA群が雪崩れ込ませないために。補給部隊は元々、章好たち決戦部隊がより長く戦うために随伴している部隊だ。彼らには、囮となることも含めた自決以外の死は認められていない。
 だから、ただの戦闘で彼らが損害を被ることなど、させてはならなかった。

 章好は36mmを掃射すると共に跳躍。下で応戦する小隊僚機に向かって、横坑の上部から落下してくる要撃級の体躯を真横に薙ぐ。それと同時に3機の僚機は死骸の落下地点から飛び退き、尚も戦車級の波に挑んでいった。

 瞬間、床面を埋め尽くさんばかりの戦車級の群れが左右に分かれる。応戦を続ける章好も含めた4人のB小隊衛士は思わず、その開かれた路の先を注視。
 レーザー照射のあり得ないハイヴ坑内において、BETAの道を開けるという行動は基本的に1つの結果しかもたらさない。

『ハンマー3よりハンマー1! 突撃級です! 数は8ッ!!』

 エレーヌに対してそう報告を告げるのはB小隊の小隊長。地上では突撃級8体など物の数ではないが、地下では話が変わる。横に空間のない横坑の中ではその背後を取るのも難易度が上がるのだ。
 無論、突撃級だけならばやはり躱すのは難しい話ではないだろう。だが、そんな状況は事実上、あり得ない。今の状況で、接近する突撃級を躱してその背後を取るという行為は、他のBETAに対して背中を向けるという行為にも等しかった。

『ハンマー1了解! 水城少尉を除いたB小隊が対処して! ヘンリー、水城少尉、もっと前に出るよ?』
『了解!』

 エレーヌの指示に応じるのは、章好も含めたB小隊衛士とヘンリー・コンスタンス、水城七海の2人だ。章好たちが動くよりも早く、エレーヌとヘンリー、七海の3人が動く。
 章好らB小隊4名は「対処せよ」という命令に従い、横坑内を跳躍。最大速度で突っ込んでくる突撃級を縦方向に躱し、そのまま反転して背後を取る。

 次の瞬間、章好たちが反転したのを見計らったかのように、要撃級がその背後で前腕を振り上げた。それは当然のことだろう。先述した通り、突撃級の背後を取るという行為は、それまで交戦していたBETAに背中を向ける行為と同じなのだから。
 だが、背後で要撃級が前腕を振り上げていることなど柏木章好は意に介さない。気付いていながらも、相手になどしない。

 それもその筈だ。
 その背後に僚機がなくとも、その背中は味方によって常に守られている。


 36mmの砲弾が前腕を振り上げる要撃級の顔面を穿った。要撃級はその前腕を振り下ろすことなく、被弾の反動で後ろに仰け反る。


「助かった! 七海!」
『当然でしょ?』

 突撃級の追撃に移る章好が砲弾の射手に礼の言葉を告げれば、幼馴染みに朗らかに笑って応じる。彼女の笑顔に章好もまた、笑い返した。
 互いの背中を守り合うために背中を合わせるのではなく、戦場で半ば向かい合うという形は、そう頻繁にお目にかかれるものではない。ベテラン兵ですら、気後れする構図だ。
 それを彼らはやってのけた。さも当然のことのように、やってのけた。



 この、若き少年少女が目指す高みはただ1つ。
 殿を守る自分たちに対し、今も横坑の先で突破口を作るためにBETA群と交戦している271戦術機甲中隊(セイバーズ)の代名詞。多くの仲間を礎に今日という日まで戦果を挙げ続けてきた欧州国連軍 第27機甲連隊のツートップ。



 白銀武と、マリア・シス・シャルティーニの2人だ。










 武の背後に回り込んだ要撃級の体躯が瞬く間に蜂の巣にされる。そのタイミングに合わせる形で白銀武は機体の腰を回し、背後に回り込んだ要撃級に向けて長刀を真横に薙ぎ払った。
 武が反転すると同時にマリア・シス・シャルティーニは機体を跳躍させ、彼と改めて背中を合わせる形でポジションを取る。

「糞ッ……増援の数が多い。後退した方が賢明だったかもな」
『追手の数もそう大差はないでしょう。遠回りになることも考慮に入れれば、メリットはほとんどないように思えます』

 横坑の壁面に張り付き、四方八方からジリジリと距離を詰めてくる戦車級の群れを睨みながら、武が思わず後悔にも似た言葉を漏らせば、マリアは「大差ない」と言い切ってしまう。

 第5中隊(レギンレイヴ)が加わっている分、追手を押さえているエレーヌたちよりも戦力は多いが、前方も決して分の良い戦いをしているわけではない。寧ろ、状況は悪化の一途を辿っていると言っても過言ではなかった。

 武たちが相手にしているBETA群は、後方に比べて要撃級の数も多い。坑内において要撃級と戦車級の構成バランスが良いというのは、遭遇戦の最悪に近いケースなのだ。
 裏を返せば、ハイヴ坑内において戦術機の脅威となり得る敵は要撃級と戦車級しかいないとも、確かに言える。しかしながら、“それにも関わらず”人類は長年に渡ってハイヴ攻略に失敗してきた。それを考えれば、この2種のBETAが如何に脅威な存在なのか語るに及ばない。

『主縦坑はあと少しであるのだが……な』

 悔しげに顔を歪ませながらそう述べるのは、第5中隊(レギンレイヴ)の御剣冥夜だ。突破口を切り拓くために最前衛にて敵と交戦していた彼女の中隊は既に、彼女を含めて5名しかいない。事実上の1個小隊だ。

『主縦坑が近いからこそ、大型種が増えてきているのだろう』

 部下と共に後退してくる冥夜の言葉に返すのは、小隊を率いて前進するレイド・クラインバーグ。彼らは36mmで弾幕を張り、戦車級の足を止めさせるが、そう長く続けられる戦法ではない。
 レイドの言は実に頷ける。反応炉に近付けば近付くほど、そこを最大の補給地点とするBETAの数が増えるのは当然のことだ。今回に至っては、反応炉周辺は大型種の巣窟となっているだろう。

 だが、目的地が近いから何だというのか。

 武たちに残されているのはゼロか1しかない。失敗か成功かしかない。
 敗北か、勝利しか、残されていない。
 その過程でどんなに努力を尽くそうとも、どんなに懸命に頑張ろうとも、成せなければ意味がない。努力したところで、それが実らなくては誰も救えない。誰にも応えられない。

 それは、彼らが兵士故に、だ。
 任務を遂行することを課せられた軍人であるが故に、だ。



 結果がすべて。



 捉え方次第では、夢も希望もない言葉だ。だが、この世界では、この戦場では、この戦いでは、その言葉に夢も希望も、人類の未来をも託さなければならない。
 その結果に、そのすべてがかかっているのだから。
 果たせなかったその時、尽くした努力を褒めてくれる者など、喜んでくれる者など誰もいないのだから。


「……これ以上、時間をかければBETAの数は更に増えるだけだ。強行突破を試みるしかないな」
『ならば、我ら第5中隊(レギンレイヴ)が敵を横坑の右側に惹き付けよう。タケル、そなたは部隊を率いて空いた左側面を突破するが良い』
 強行突破。武のその言葉にすぐさま冥夜が、突破口の確保は任せて欲しいと進言してきた。彼女の申し出に、武は思わず言葉を詰まらせる。
『御剣大尉……それでは貴女方が―――――――――』

『残すのならば可能な限り、統率された指揮系統にある部隊でありましょう、シャルティーニ少佐。本来、“白銀中佐”の指揮下にない我らを切り捨てることを迷う理由はないと思われます』

 武が飲み込んだ言葉をマリアが発する。だが、それを遮る形で冥夜が強くも穏やかな口調で返した。
 中隊が通過出来る空間を確保するために陽動を行うというのは、容易なことではない。加え、彼女たち第5中隊(レギンレイヴ)はもう5名しか残っていないのである。

 全滅は必至。
 武が言う「強行突破」とは、誰かがそれをやらなければならない策だ。そしてその上で、冥夜は自分たちを切り捨てろと言っている。本来、その指揮系統に組み込まれていない自分たちを切り捨てることこそ正論だと、そう言っている。

 迷っている暇などない。
 それを理解している武の決断は、早かった。

「許可する。第5中隊(レギンレイヴ)は吶喊し、部隊通過までの時間を稼げ」
 武のその言葉に冥夜は軽く笑った。彼女のその表情に武は思わず目を細める。
『了解だ。タケル、必ず反応炉に辿り着いてくれ』
「ああ、必ず」


『第5中隊(レギンレイヴ)よりも優先的に切り捨てるべき部隊がまだ残っているでしょう、白銀中佐、御剣大尉』


 武が冥夜に応えて頷くとほぼ同時に、会話へと割り込んでくる者が現れる。網膜に映るその人物は直属の部下ではない、随伴補給部隊の指揮官だ。そう告げる男の表情は、嫌に不敵なものだった。

『主縦坑まであと僅か。ならば、大荷物を1つ、置いてゆくには適切な頃合だと思いますが?』
 そのままの表情、そのままの口調で彼はそう続ける。大荷物という自虐的な皮肉は、武に対するささやかな嫌味なのか、それとも、BETAに対する抗いの一種なのかは、判断に迷うところだ。
「………分かった。先刻の第5中隊(レギンレイヴ)による撹乱プランはすべて破棄。突破口の確保及び敵の陽動は貴様等に一任する」
 覚悟は出来たのか、と訊ねかけた武は思わず自身を責める。覚悟など、突入が決まった段階で当に出来ているだろう。寧ろ、出来ていて貰わなければ困る。
「残っている弾倉は271Aと第5中隊(レギンレイヴ)が預かる。レイド、B、C小隊を率いて60秒、時間を稼いでくれ。エレーヌはそのまま微速後退だ」
『了解』
 武の指示にレイドとエレーヌの2人はすぐさま行動を開始する。両側からBETAに圧迫されている彼らに残されている空間は僅かなものだが、予備弾倉の受け渡しを行うには充分なスペースだ。
 これまで随伴補給部隊である彼らが守り、維持してきた突撃砲の予備弾倉と予備の長刀。それを武と冥夜の部隊が確実に受け取り、今しばらく、この地下世界で戦うための武器とする。

 平均的な消耗率を鑑みれば、これで武たちはあと1時間、戦える筈だ。

『確かにお渡ししましたよ、白銀中佐』
「ああ、確かに受け取った」
 網膜投影に映る男の笑顔に、武も軽い笑顔で応じる。本来ならばここで握手の1つでも交わしたいところなのだが、それは叶わない願いだった。
 それに、彼らは何れも軍人である。軍人が互いの健闘を祈る時に行う言動など、1つしかない。


「『御武運を』」


 同時に敬礼をした武と、補給部隊の指揮官は、やはり同じ言葉を同時に口にする。ただし、込められた想いは異なったものだった。
 白銀武が込めたのは、逝く彼らに対する餞の言葉。
 逆に、白銀武が込められたのは、責務を果たせと、誓いを果たせという一種の祈りの言葉だ。

『それではまず、突破口を確保致します。中佐の部隊は安全距離までお下がりください』
「セイバー1、了解。271B小隊は273戦術機甲中隊(ハンマーズ)と共に追手の足止めだ! 突破口が開き次第、全機即時突破する! タイミングを見誤るな!」
『了解ッ!』
 補給部隊が突撃砲片手に吶喊すると同時に、前衛展開していた271B小隊4機が反転。後方を固めるエレーヌたちの列に加わっていった。それと同時に武はマリアと271A小隊を率いて前進を開始する。冥夜の第5中隊(レギンレイヴ)もそれは同じだ。

 それでも、補給部隊とは一定の距離を保つ。

 元より、ほとんどの携行武器を武たちに譲渡した彼らは半ば丸腰に近い。彼らに使用することの許されている弾薬は初期装備の突撃砲1挺だけだ。
 あとは短刀。そして、ハイヴ突入部隊が必ず携行する、“戦術機が搭載し得る最大火力兵装”のみ。


 次の瞬間、補給部隊から2機が離脱し、噴射跳躍にて更に敵中を前に進んだ。まともな装備も持たない、たった2機が部隊陣形から離れ、無数のBETAが蠢く横坑の奥へと進行したのである。
 無論、これから行う“攻撃”を効率良く回すために、だ。


「全機、移動開始用意ッ! 爆発の衝撃に備えろッ!!」


 武が怒号にも似た声で部下に指示を飛ばしたのはそのタイミングだった。それに従い、殿について追手の足止めを行っているエレーヌたちが後退の速度を速める。

 刹那、仄暗い横坑に閃光が走る。

 続き、轟音と衝撃が地下世界を駆け巡ったのは、接近する戦車級を牽制しながら武たちが思わず体勢を低く身構えたのと同時だった。
 S-11による自爆。100mを遥かに超える範囲で横坑内を抉り取る、凌ぐことすら許されない大虐殺。生き残ることの出来るBETAなど、いない。いる筈もない。いてはならない。


「第27機甲連隊及び第5中隊(レギンレイヴ)、移動開始ッ! 一気に主縦坑まで詰めるぞッ! 急げッ!!」
『了解ッ!!』


 武の号令に応じ、第5中隊(レギンレイヴ)が先陣を切って前進を開始。それに続き、レイドの率いる271C小隊が動くのと同時に、武もマリアと271A小隊を引き連れて前進を開始した。既に後方には戦闘行動を停止し、反転した271B小隊とエレーヌの273戦術機甲中隊(ハンマーズ)がついてきている。

 補給部隊に身を置く2人の衛士によって活路は切り拓かれた。残る補給部隊隊員に課せられている任務は、増える一方の追手をこの場で足止めし、可能な限り、殲滅すること。

 武は補給部隊指揮官機の横を通過する際、もう1度、改めて敬礼の格好を取る。呼びかけも何もしていないため、相手は恐らく気付いていないだろうが、そんなことはさして関係なかった。



 主縦坑まで距離はもうあと僅か。この横坑を突破すれば、もう目と鼻の先まで迫っている筈である。










 この時、突入から既に2時間が経過していた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第89話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/04/29 16:51


  第89話


 宗像美冴は正面から迫る戦車級の群れに36mmを掃射しながら、ちらりと現在の時刻を確認した。そしてそのまま、無意識のうちに思わず舌を打つ。

 あと10分もすれば、後発部隊の突入開始から3時間が経過することになる。

 3時間を越えれば、美冴たち戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)は凄乃皇を守り、戦線を維持しながら、もう1つの計画を実行に移すための準備も開始しなければならない。
 それ即ち、凄乃皇の自爆だ。
 最大で4時間の幅が取られているが、地上の戦況次第では3時間までの繰り上げを許可すると香月夕呼から明言されている以上、3時間を越えればいつ自爆プランに移行してもおかしくはない。

 それだけ、地上の戦況は切迫し、一進一退を繰り返し続けているのだ。



 急げ、白銀………!



 宗像美冴は、眼前の要撃級を長刀で斬殺しながら、心の中でそう叫ぶ。彼らがまだ地下茎構造内で生存しているのかどうかは定かでないが、もしまだ生き残っているのなら、1秒でも早く反応炉に到達し、それを破壊してもらいたい。
 それが成せなければ、彼らの生存を確認する術を持たない司令部は、地上の戦況を見て凄乃皇自爆プランへ移行する。彼らがたとえまだ生きていたとしても、だ。

 駆ける。
 全力で戦場を駆ける。
 己が中隊を率いて、BETAの骸で山を築き上げながら戦場を駆け抜ける。

「B小隊は前衛展開ッ! これ以上、凄乃皇にBETAを寄り付かせるなッ!!」
『了解ッ!!』

 美冴の怒号に応じ、2機の不知火が彼女を追い越して敵の軍勢へと攻勢を仕掛けた。計測不能な数のBETA群に向かって2機で立ち向かってゆく様は、英傑としての気概を充分に漂わせている。その中でこれまで戦ってきた彼らも、この戦場で今尚戦い続けているすべての将兵も、一騎当千に相応しい戦果を掲げているといっても過言ではあるまい。

 だが、そんなものは、今の彼らにとって無価値なものだ。

 兵士たちは、戦果を挙げるためにここに来たのではない。
 兵士たちは、名声を得るためにここに来たのではない。
 兵士たちは、英雄となるためにここに来たわけでは、決してない。

 彼らは、未来を生きるために、未来を守るために、この戦場に来たのだ。
 生きるために……守るために、戦果も名声も英雄の肩書きも何も必要ない。生きることが出来るのなら、守ることが出来るのなら、そんなもの、誰も要らない。

 美冴は思わず歯を噛み鳴らした。

 この段階で彼女が率いる第2中隊(ミスト)は8機。両翼の小隊は3機編成を保っているが、前衛小隊は既に事実上の分隊だ。イギリス防衛戦と、今日のミンスクで数時間に渡って戦闘を継続してきた部隊としてこの損耗は驚くほど小さい。

 だが、それがどうした。

 死者に多いも少ないもない。
 2人死んだ事実と比べて、1人死んだ事実はその悲しみが半分になるのかと問われれば、美冴だけでなくきっと万人が首を横に振るだろう。
 “たくさんの人が死んだから悲しい”のではない。
 “人が死んだから、悲しい”のだ。


 死力を尽くして任務に当たれ。
 生ある限り最善を尽くせ。
 決して犬死にするな。


 伊隅みちるから教えられたヴァルキリーズの隊規が脳裏を過ぎる。
 佐渡島で逝った彼女は、まさに死力を尽くして任務を成した。限られた中で可能な限りの最善を選び取り、逝った。
 ならば、伊隅みちるの死は、犬死にではなかったのだろうか。

 それはまだ分からない。少なくとも、この戦いに勝利しなければ、彼女の挺身の価値が下がる。人類が敗北しては、彼女の犠牲が報われない。


 同じだ。


 かつての上官にしても、今日までの戦いで逝った多くの部下たちにしても、彼らが忠実にヴァルキリーズ隊規を守ったのだと証明出来るのは、美冴たちだけである。

「邪魔をするなッ!!」

 噴射跳躍しながら36mmを掃射し、地上のBETAに砲弾の雨を降らせる。そのまま僅かに空いている安全域に着地し、美冴は長刀を真横に薙ぎ払った。
 要撃級の首が折れ、それは土埃を巻き上げながら大地に崩れ落ちる。
 要撃級を下したことを確認した美冴はそのまま再び36mmを正面左右の180度に掃射。その背後は、ワンテンポ遅れた形で着地した中隊副長によって守られ、彼らは全方位を穿つ砲台となる。

 凄乃皇の存在するここは事実上の最前線。無数のBETAが引っ切り無しに押し寄せてくる戦線だ。

 凄乃皇の展開するラザフォード場は依然、レーザー照射からその巨体を守り抜いてはいるが、戦闘時間の経過に比例して荷電粒子砲の次射までのラグが伸びているのは誰の眼から見ても明らかだ。
 既にこの段階で、最後の砲撃から1500秒近く経過している。恐らく、次に放てばタイムラグは30分を超えるだろう。

 即ち、多くともあと2発。この戦況が続けば3発目を撃つ前に、凄乃皇の自爆プログラムを起動せざるを得なくなる。


 「耐えろ、鑑」と美冴は呟く。


 凄乃皇の不調と、彼女の体調に如何なる因果関係があるのか美冴は委細知らないが、桜花作戦の推移とその後の彼女の昏睡を見れば、何らかの関係があることくらいは予測出来る。
 彼女は恐らく、今も耐えているのだろう。
 美冴たちには分からない苦痛を抱え込みながらも、自分はまだ折れるわけにはいかないと、自身を奮い立たせているのだろう。

 その気概こそ、イスミ・ヴァルキリーズの一員に相応しい。それを持つ彼女だからこそ、美冴は鑑純夏を1人の部下として、戦友として、仲間として誇れる。

「第2中隊(ミスト)各機ッ! この作戦は長くともあと1時間は続かん! 死力を尽くせッ! 最善を尽くせッ! 突入部隊の期待に……応えてみせろおぉぉッ!!」

 副隊長と共に円状の空間を確保した美冴は、次の獲物に狙いを定め、大地を蹴り、疾駆しながら咆哮する。
 元より、彼女はこういった言い回しで士気を高揚させるような指揮官ではない。だが今は、心の底から高らかに声を上げたかったのだ。犬死にするなと、犬死にさせるなと、部下に、そして自分自身に示すために、声を大にして叫びたかったのだ。

『―――――――――――了解ッ!!』

 そしてまた、部下たちも一層、声高に応じて彼女に続く。
 死力と最善。彼女たちが数多の同胞に報いるために尽くさなければならない、2つの事柄。隊規にも掲げられたそれを言葉として投げかけられ、奮い立たない隊員など、美冴の部下にはいない。



『HQより作戦域展開中の各隊へ! 荷電粒子砲の充填が完了した! 各隊は安全域までの後退を開始せよ!』



 HQから、荷電粒子砲発射準備完了の旨が伝えられたのは、美冴が咆哮後、僚機と共に12体目の要撃級を下した時だった。










 風間祷子の放つ砲弾は的確に、各種BETAの脆弱な部位を穿つ。36mm砲弾1発で落とせる敵など、小型種以外に存在しないが、それでも射撃精度は戦場でより長く戦い続けるために必要な能力だ。

「8時方向から要撃級14! B小隊が対処しなさい! アルヴィト3、5はその支援へ!」
『了解!』

 祷子の指示に対し、5人の部下が動く。その人数は、既にこの戦場で生きている第3中隊(アルヴィト)の半数以上だ。

 彼らは当の昔に、中隊内における小型種の総数報告をやめていた。馬鹿らしいという理由もなくはないが、目の前の戦いにより集中するためである。如何せん、ミンスクでの戦闘が始まってから、祷子すら、1度たりとも小型種の正確な数字を把握したことがないのだ。

 計測不能。
 計測不能。
 計測不能。

 敵の新手が出現する度に、戦車級以下小型種の数はそう報告される。「戦車級以下小型種の数は計測不能」と、その言葉を言う間にいったいどれだけのBETAを殺せるだろうか。いったい、どれだけの味方を救えるだろうか。
 そんな、僅か数秒ですら惜しまなければならない戦いが、ここにあった。

 無論、報告には警告の意味もある。だが、ここにおいては、警告されなければ周囲を警戒出来ないような者は真っ先に死ぬ。さも当然のように、それを把握し、理解しなければ、恐らく“8分を待たずして”死ぬ。
 だから、この数時間に渡って戦い続けてきた自分の部下を信頼し、風間祷子は大胆にもそういう戦い方に打って出たのだ。

「A小隊及びアルヴィト9は2時方向の要撃級を押さえます! 続け!」

 言うが早いが、祷子は先陣を切って大地を蹴る。長刀を構えて部隊の先頭を行く彼女の姿は、A-01部隊から付き合いのある者でもそう頻繁に目にするものではないだろう。
 元より彼女の領分はバックアップ。戦場全体を把握しつつ、後方から前衛僚機を支援することが祷子のスタイルだ。しかしながら、それは既にA-01時代からある程度確立されていたものである。

 風間祷子とて、この3年間遊んでいたわけではない。徒に時間を使っていたわけではない。

 戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)が大隊規模だった頃、彼女が率いる中隊には涼宮茜、柏木晴子、鎧衣美琴の3人が所属していた。副長及びB小隊長を涼宮茜に、C小隊長を柏木晴子に任せ、鎧衣美琴には自分の背中を任せていた。


 祷子がいなくとも確実に機能する後衛陣という編成は、彼女に1つのステップを踏ませるに充分過ぎるものだったのである。


 一刀で要撃級の前腕を1つ、斬り飛ばす。残った前腕が振り上げられ、続けて振り下ろされるが、瀕死の要撃級が放つ一撃など動作は実に緩慢だ。危なげもなく祷子はそれを躱し、お返しとばかりにその顔面に36mmを鱈腹喰らわせてやった。
 僚機を1機連れ立って、そのまま噴射跳躍で要撃級の壁を飛び越える。倒立反転し、眼下のBETA群に発砲。連中に降り注ぐのは砲弾の雨だ。
 着地点に待ち構えていた要撃級には、僚機が36mmで牽制し、怯んだところを祷子が長刀で縦に一刀両断する。

 敵は実に引っ切り無しにやってくる。
 その点に関しては先週のイギリス防衛戦も似たようなものだが、あの時とは異なり、四方八方から途切れることなくやってくるのだ。祷子ですら、鼻で笑いたくなる状況である。

 敵をいったい、どれほど殲滅出来たのだろうか。
 敵をいったい、どれほど引っ張りだせたのだろうか。

 1体、また1体と確実に要撃級を葬りながら、祷子は常にその疑問を胸中に抱えている。彼女たちも含め、地上部隊が行っているのはBETAの殲滅ではなく、BETAの陽動でしかない。殲滅することなど、最初から誰も期待などしていないのだ。

 すべては、彼らの行軍をより易くするため。

 損耗率で見れば、この戦いは惨憺たる結果に終わるかもしれない。帝国が大慶での戦いで舐めさせられた苦汁の如く、この戦いでも人類は思わず目を伏せたくなるような犠牲を積み上げるかもしれない。

 それでも、この戦いに「敗北」は許されなかった。
 この戦いだけは、どんな犠牲を強いたとしても負けることなど、あってはならなかった。

 長刀を振るい、引鉄を引き、部下を率いて、風間祷子は1歩、また1歩と前進を続ける。
 要撃級を斬殺し、戦車級を薙ぎ払い、死骸を踏み締めながら、第3中隊(アルヴィト)は、緩やかに、実に緩やかに戦線を押し上げ始める。

 人類が戦闘を開始してから数時間、人類がBETAとの戦いに身を投じてから30年余り。悲壮感はあった。多くの絶望に遭遇し、嘆き悲しんだこともあった。しかしながら、人類は1度として折れることなど、なかった。



 それは、全身全霊を捧げ絶望に立ち向かうことこそが、生ある者に課せられた責務であり、人類の勝利に殉じた輩への礼儀であると心得ているからに他ならない。



 桜花作戦にて、祷子たちA-01部隊の出撃前にそんな言葉を言ったのは、当時の横浜基地司令だった。
 その言葉はきっと、今も当てはまるのだろう。
 絶望的な状況に置かれても、風間祷子が自身を奮い立たせて前へ前へと進み続けるのは、そうすることでしか殉じた同胞に報いることが出来ないからである。そうする方法しか、彼女たちは知らないからである。


『HQより作戦域展開中の各隊へ! 荷電粒子砲の充填が完了した! 各隊は安全域までの後退を開始せよ!』


 HQの涼宮遙からそう通告があったのはそのタイミングだった。要撃級の首を刎ねた祷子は、前進を止め、36mmで弾幕を張りながらの後退に移る。無論、部下も同じだ。

『繰り返す! 各隊は安全域までの後退を――――――――――鑑少尉!?』

 警告を復唱する遙の冷静な声調が急に崩れる。その、焦りの色を含んだ調子で呼ばれるのは、凄乃皇の搭乗士たる鑑純夏の名だ。


 瞬間、風間祷子の脳裏に嫌な予感が過ぎった。










 速瀬水月の視界の遠くで、また1体、重光線級が照射膜を炸裂させて崩れ落ちた。その光景に、水月すら思わず感嘆の声を漏らす。
 砲弾の射手は社霞。決して有効射程範囲ギリギリという距離ではないが、数時間に渡って、それを継続している彼女の集中力は珠瀬壬姫のそれに通ずるものがある。
 無論、凄乃皇が形成するラザフォード場の内側という安全圏から狙撃するというアドヴァンテージも充分に働いてのことだろうが。

『スクルド3よりスクルド1! 1時方向より要撃級多数! 数は約30!』
「スクルド1了解! 第1中隊(スクルド)で真っ向から相手にするわよ! ついてらっしゃい!」
『了解ッ!』

 小隊長を任せる部下からの報告に水月はそう応え、隊員を鼓舞しながら自ら先陣を切って駆け出した。その双眸が正面に捉えるのは、長城を連ねたBETAの主力 要撃級の群れである。勿論、取り巻きの戦車級も数え切れないほど蠢いていた。

 大型種の数は戦闘開始から常に一定量を保っているように見えるが、小型種の方は緩やかながら増加傾向にある。これは出現数が増えているのではなく、単純にこちらの攻撃が追いついていないのだ。
 それは、大型種の下を随伴してくる小型種までは攻撃が届かないため。要撃級1体の真下にくっ付いてくる戦車級の数など高が知れているが、その数が10体、20体と増え、尚且つ密集していれば随分と話が異なってくる。
 大概、大型種の壁を打ち崩す間に周囲を戦車級に囲まれてしまう。事実、水月だってこの戦闘が始まってから数え切れないほどそのような状況に陥った。

「―――――――――退きなさいよッ!!」

 6体目の要撃級を自らの手で下した直後、水月は腰を捻って36mmを掃射する。案の定、大型種の死骸を盾ににじり寄ってきていた戦車級はそれによって次々と炸裂していった。
 彼女の背後では同じように中隊僚機が36mmを掃射し、戦車級を蹴散らす。それと同時に、B小隊3機が噴射跳躍で水月たちを飛び越え、後続のBETA群へ向かって強襲を仕掛けた。

 いつまでこうやって戦っていれば良いのか。

 そんな疑問や不安を持つ者は、きっと現状は少ない。ついに後発部隊のハイヴ突入から3時間が経過したのだ。どう長く見積もっても、この戦闘は1時間以内に終息を迎えると誰もが分かっているのである。

 砲弾を撃ち尽くした左手の突撃砲を投棄し、ガンマウントから予備を引き寄せた水月は、B小隊を追従する形で跳躍。A、C小隊の部下もそれに続いた。
 火力と機動。物量で圧倒的、絶対的に劣る人類がBETAに対抗するには、それを最大限に活用するしかない。機動で撹乱、陽動し、砲撃と爆撃によって一網打尽にするというのが、最も理想的だ。
 あくまで、理想的、というだけの話だが。


『HQより作戦域展開中の各隊へ! 荷電粒子砲の充填が完了した! 各隊は安全域までの後退を開始せよ!』


 涼宮遙からそう通信があったのは、その直後。水月はB小隊に即時後退の指示を出し、自身はA、C小隊の部下と共に36mmで弾幕を張りながら微速後退に移る。
 凄乃皇が荷電粒子砲を発射するというのなら、部隊位置をその横のラインまで下げる必要があった。それに伴って、補給を終えた帝国陸軍が電磁投射砲による威力制圧を再開するため、水月たちが補給に入るタイミングは荷電粒子砲の発射直後しかない。
 後退という判断は、その補給を迅速に行うための準備の意味もある。

『繰り返す! 各隊は安全域までの後退を――――――――――鑑少尉!?』
「ッ!?」

 報告内容を復唱しかけた遙の言葉が、途中で途切れ、代わりに鑑純夏の名が呼ばれた。それも、焦燥感を孕んだ声調で、だ。それによって水月の表情がにわかに変わる。

 鑑純夏の身に何かがあった。

 瞬間的に、水月はそう考える。それが正しいのだとすれば、状況は恐らく、佐渡島の時とまったく同じになるだろう。白銀武に代わって社霞が彼女を回収し、水月がこの手で凄乃皇を自爆へと導くだけだ。この位置ならば、反応炉も確実に爆発の範囲に収まっているため、何の問題もない。

 だが、良い意味でも悪い意味でも、水月のその予想は裏切られる。

『急いで後退してくださいッ! 30秒後には撃ちますッ!!』

 そう警告してくるのはHQの遙ではなく、凄乃皇に搭乗する鑑純夏だ。未だ、荷電粒子砲の効果範囲から脱していない部隊に対しての警告なのだろう。

「鑑!? あんた、大丈夫なのッ!?」
『私は大丈夫です……! 問題ありません!!』
 後退を継続する水月の呼びかけに彼女は、疲労の色こそ感じさせながらもはっきりとした言葉で答える。少なくとも、意識を失ったというわけではなさそうだ。

 ならば、遙の“焦り”はいったい何が原因なのだろうか。
 だが、水月の中に新たに生まれたその疑問はすぐに氷解することになる。

『鑑少尉! その攻撃座標は――――――――――』
『行きますッ!!』

 純夏に対して何かを言いかける遙。その言葉すら遮って、鑑純夏は荷電粒子砲の引鉄を引いた。先刻の警告から、きっかり30秒後の今、凄乃皇の主砲の引鉄を引いたのだ。

 薙ぎ払う。
 BETAを薙ぎ払う。
 地上のBETAを薙ぎ払う。
 これまでと同じように、問答無用で人類の仇敵を尽く薙ぎ払う。

 その威力も、その光景もこれまでと何も変わらない。だが、その攻撃目標地点がいったいどこなのか理解した水月の心音は急激に跳ね上がった。恐らく、逸早くそれを察知した遙の心拍数も同じように跳ね上がっていたことだろう。



 水月の視界の遥か遠方で、地上600mを悠に超える地表構造物が砕けた。
 佐渡島で見た光景と同じように、あの頑強な地表構造物が、荷電粒子砲によって砕かれた。



「鑑ッ!」

 水月も思わず声を上げる。その行動だけは、彼女に堅く禁じていた。突入部隊がレーザー属の脅威に曝されないようにするため、地表構造物だけは破壊するなと、水月は純夏に口を酸っぱくして説明していた。
 それなのに何故―――――――――――。

 だが、水月がそれを問い質すよりも早く、凄乃皇がラザフォード場を再展開して前進を開始する。今し方、荷電粒子砲によって破壊した地表構造物を目指し……ハイヴの中心たる主縦坑を目指して前進を開始した。

 “突入部隊が安全に最下層まで降下するために必要”な地表構造物を破壊して、更に“敵に囲まれることが分かり切っていながら”も敵陣深くへと進入してゆく。

 何のために、とそう考えた時、速瀬水月の背筋は凍り付いた。今まで火照っていた自分の身体が急速に冷えてゆくのすら、彼女には分かる。

 だが更に、水月は信じられない光景を目の当たりにすることになる。いや、信じられない光景という点はきっと、このミンスクで戦っている誰の目から見ても同じことだろう。


 BETAが反転したのだ。


 一瞬、反応炉が破壊されたことによる撤退行動にも見えたが、すぐにそれとは異なることが判明した。地上のBETAが次々と、そこらかしこにある門からハイヴ坑内へと戻ってゆく。
 ハイヴを放棄するBETAはそのような行動を取らない。撤退ならばそのまま近隣のハイヴを目指して移動を開始する筈だ。

 それが、ハイヴ坑内に戻ってゆく。しかも、すぐ近くに存在する“凄乃皇すら目もくれず”にである。


 何かがおかしい。
 何かがおかしい。
 何かがおかしい。


 水月も含め、BETAの行動と鑑純夏の行動の意味を正確に理解出来る者は誰もいなかった。それを冷静に考えられるほど、混乱していない者もほとんど存在しなかった。





 今尚、凄乃皇と共にあるSu-37の衛士 社霞を除いては。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第90話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/05/04 00:10


  第90話


「陽動は効果を挙げている……みたいだな」
『そのよう……ですね』
 横坑の中から主縦坑の様子を窺う白銀武は、胸を撫で下ろすようにそう呟く。それに同意するのは、彼の傍らに控える副長のマリア・シス・シャルティーニだ。
『地上陽動のみで主縦坑のBETAをすべて引き摺り出せたとは到底思えんのだが……杞憂なのだろうか?』
「心配するな、冥夜。俺も同意見だ。いくら何でも、“閑散とし過ぎ”ている」
 エレーヌ・ノーデンスの273戦術機甲中隊(ハンマーズ)と共に後方哨戒に出している第5中隊(レギンレイヴ)の将 御剣冥夜は、BETAの姿が確認出来ないことに眉をひそめる。
 彼女は、許容量を遥かに上回るこのミンスクハイヴの主縦坑に敵の姿がないことに安心する前に、異様な不安に駆られているようだ。尤も、胸を撫で下ろした武とてその気持ちは同じだった。

 仮にもここは、ハイヴにおいて最大級のBETA初期配置数を誇る主要施設の1つだ。30万のBETAが寄り集まっているこのミンスクで、そこにBETAがいないなど、良い出来事だとしても想定の範囲外である。

『いないならいないで、さっさと進んじゃえばいいんじゃないですかね? もう追手がこないとは限らないわけですし』
「エレーヌに正論言われるのは何か悔しいな」
『白銀中佐……鬼ですね』
『元鬼軍曹ですから』
 冥夜と共に後方の哨戒待機を継続するエレーヌが提言する意見に、武は思わず口元を引き攣らせる。その「悔しい」という返答に、エレーヌが苦笑を浮かべれば、武の鬼軍曹振りを知る柏木章好と水城七海の2人が口を揃えた。

 エレーヌの言葉は確かに正論だ。
 いつ追手に追いつかれるかも分からない状況で、前に進むのを迷う道理はない。殊更、そこに敵がいないのならば、だ。
 どちらにせよ、主縦坑を降下して最下層エリアに到達出来たとしても、反応炉に辿り着くためにはまだ幾つかの横坑と縦坑を経由しなければならない。戦いを避けることなど、不可能である。

「それに、味方の増援だってあるわけじゃ――――――――」

 武がそう言いかけたその時、振動センサーが比較的すぐ近くで振動を感知する。距離と方向を計算すれば、丁度、彼らが構える横坑から主縦坑を挟んで反対側にある横坑だ。
 マリア・シス・シャルティーニとレイド・クラインバーグの対応は早い。彼らも同様に振動を発する何らかの存在を感じ取って、即座に携えた突撃砲の方向を向かいの横坑へと向けた。


 どうやら自分は過敏になっているらしい。


 武も含め、彼ら271戦術機甲中隊(セイバーズ)の衛士がそう感じたのは、その横坑に不知火の機影が見えた時である。

『ほぼ同時……ってところかしらね』

 向かいの横坑から主縦坑へと顔を出したのは、別ルートからここを目指していた榊千鶴だった。彼女の駆る不知火もまた、激戦に次ぐ激戦を潜り抜けてきたのだろう。蒼穹の装甲は見る影もない。

『いましたね、増援が』
「自分の悪運の強さにはつくづく驚かされるよ」
 砲口を下ろしたマリアが冗談のように通信してくるので、武は小さくため息を漏らしながら答える。最初から最後まで孤立無援が通常のハイヴ坑内で、友軍部隊に遭遇するというのは幸運だ。
 ベオグラードでも冥夜と珠瀬壬姫の2人と合流出来たことを考えれば、武は確かに強運の持ち主である。


『何の話?』


 その会話に割り込んでくるのは、千鶴ではなかった。武の網膜には、利発そうな赤毛の女性の顔が映る。
 涼宮茜だ。主縦坑に顔を出して少し上を見上げれば、やはり横坑から身を乗り出す不知火の姿が視認出来た。

「いや、こっちの話だ。2人とも、部隊の損耗状態は?」

 軽く頭を振り、武は表情を引き締めて指揮官として千鶴と茜の2人にそう問いかける。彼のその表情の変化を察し、2人の戦友は堅苦しくも同時に敬礼の格好を取った。

『ヴァルキリーズAは11人減って14人。随伴補給部隊は、全滅したわ』
『Bは13人だから今は12人。同じく、補給部隊は全滅』
「了解。こっちは道中で12人喰われて20人残ってる。補給部隊は同じく、全滅だ」
 三者三様に、面白くなさそうに鼻を鳴らす。武の部隊で損耗率は30%程度。千鶴と茜の部隊に至っては半分近くだ。それでも、主縦坑に到達した部隊を併合すれば1個大隊を遥かに上回る。想定していた以上の戦力が揃っていた。

 そして、恐らく同じ数だけのS-11も確保されたままだろう。それが単純な高性能爆弾として使われるのか、自決用として使われるのかは別の話としても、だ。

『ここを下れば、実距離でも反応炉まで1000mはないわね』
『その1000mを踏破するのは至難の業ですよ、榊大尉』

 感嘆した様子で呟く千鶴にマリアが返す。その返答には、誰も反意を示さなかった。武とてそれは同じだ。あくまで推測だが、主縦坑を下った先は、オリジナルハイヴの主広間に匹敵する密度でBETAが蠢いている筈である。
 36mm如きでどうにかなる規模ではない。進路を確保するにはS-11を使用する必要があるだろう。それにおいて犠牲を強いるのか否かは武にもまだ判断出来ないが、そこを踏破すればついに反応炉。そしてそこにいる新上位存在と相対することになる。

 反応炉の破壊に最低でもS-11が3つは欲しい。諸々のことも考えればその倍は確保しておいた方が賢明だ。だが、反応炉で待ち構えているであろう敵の規模、新上位存在の単独戦闘力が定かではない以上、僚機が何機残っていようとも、安心は出来ない。

「ここから先は別働する必要もなさそうだな」
『そうでしょうね。主縦坑を下る分には大規模戦力とは言えないし、最下層に到達した後は頭数が揃っていた方がいいわ』
「ああ。改めて両隊、指揮下に加わってもらうぞ?」
『了解!』
 武の呼びかけに千鶴と茜の2人は再び敬礼。ここまでは狭いハイヴ坑内を迅速に進軍する関係で部隊を3つに分けて行軍してきたが、ここから先は「如何に強行突破を可能にするか」が問題だ。
 だから、1つの部隊が保有するS-11の数は多ければ多いほど良い。それを使って最短距離を進み、反応炉へ向かう以上の方策が事実上、存在しない。

「よし、下降を開始する! 先頭は―――――――」
『―――――――お待ちください! 白銀中佐! 下から何か来ます!』

 武が正式に降下命令を下そうとしたその時、マリアが半ば遮る形で声を上げる。下から何か来るという彼女の報告に、武のみならず、主縦坑を覗き込める位置にある全員が一斉に臨戦態勢を取り、主縦坑の下方を覗き込んだ。

「………F-15E……ッ!?」


 機影だ。
 1機のF-15Eが跳躍ユニットを噴かせ、全速に近い速度で主縦坑を“上ってくる”のが見えた。


「――――――ッ! こちらセイバー1! 国連軍の白銀武だ!! 応答を求む!!」

 友軍らしき戦術機の姿に、武は即座に通信による呼びかけを行う。少なくとも向こうは武たちよりも先に主縦坑を下って、最下層に到達した衛士だ。しかし、上ってくるという点が解せない。よもや、既に反応炉を破壊し、帰還の道中なのだろうか。

『ッ!? こちらグリズリー4! 友軍か!?』
「後発の突入部隊だ! ついさっきここに到達した!」
『―――――――なら1度退けッ!!』
 その警告に、武を含めて誰もが言葉を失う。最下層からこの中階層まで全速で上ってきたあの衛士は、武たちに「主縦坑から離れろ」と言っているのだ。この、最下層までの最短ルートから離れろと、そう言っているのだ。
「どういう意味だ!? 説明しろ!!」
『ミンスクハイヴはまともなハイヴじゃない……ッ!! 主縦坑と反応炉ブロックが直結している!! 反応炉にいるBETAが押し寄せてくるぞッ!!』
「『なッ―――――――』」
 再び絶句。男は、“どことどこが繋がっている”と言っているのか。いったい、“何が押し寄せてくる”と言っているのか。

 主縦坑と反応炉ブロックが直結していることなど、あり得ない。主縦坑は本来、BETAが採掘し、生成した物資を創造主たる珪素系生命体が住む母星へと送るための打ち上げ施設だ。反応炉ブロックとそれが真っ直ぐに繋がっていては、その役目を果たせない。

『押し寄せてくる……というのは事実のようですね』
「ちぃッ……!」

 波形を刻み始める振動センサーにマリアが呟けば、武も続いて舌打ちをした。今の今までこの主縦坑にBETAの姿がなかったのは、グリズリー隊を追って反応炉ブロックまで潜っていたからに違いない。
 恐らく、そのグリズリー隊はあのグリズリー4を残して全滅。そこに敵がいなくなったのだから、元の位置に戻ってくるのは必然である。あるいは、単純にグリズリー4を追ってきたのかもしれないが。

『どんどん波形が大きくなってく……! このままじゃ―――――』
 敵の接近とその規模を表すセンサーの波形に、鎧衣美琴は言いかけた言葉を途中で飲み込む。もしかすれば、単純にそれ以上が声にならなかったのかもしれない。
 だが、彼女の言いかけた言葉が何なのか分からない者は流石にいないだろう。

 このままでは、数千の大型種が押し寄せてくることになる。
 他に支援のない穴倉の中で、高々1個大隊規模の武たちが相手に出来るような敵戦力ではない。

『タケル! このまま接敵しても勝機は薄いぞ!』
 冥夜のその言も至極尤も。たとえ、敵中を掻い潜って主縦坑を下まで降下出来たとしても、そこは行き止まりだ。グリズリー隊が辿った末路と同じように、即座に追いつかれて反応炉ブロックで取り囲まれてしまう。
 後退も馬鹿げている。この戦力で反応炉を目指すのならば、主縦坑の経由は必須事項。それを避けては全滅確実だ。

 それに、凄乃皇がこの戦場にある以上、5時間も6時間も突入部隊の成果を上が待っている筈がない。香月夕呼が、そんな根拠のない奇跡に賭ける筈がない。


 ならば、取る手段は1つしかない。
 大別して見れば、それは武たちを突破させるために随伴補給部隊が取った方策と同じものである。
 ただし、ここが一種の縦坑である以上、それを“自爆”とする必要は微塵もないが。


「―――――――S-11を放り込む! 各隊は隊長機搭載以外のS-11を4回分に分配! 20秒で準備を整えろ! 急げッ!」
『―――――――了解!』
「敵先頭集団との推定距離、敵集団の推定速度、S-11の落下速度と爆発までのタイマー設定を誤るなよ!? S-11の波状攻撃で一気に薙ぎ払う! ここを下れば即、反応炉だぞ!!」
『正気か!? セイバー1!』
 半ば強行突破に近い武の判断に、グリズリー4は「本気なのか」と問いかけてくる。1度、ここを突破した彼は、“それすらも確実性のある手段ではないこと”を分かっているのだろう。
 だが、生憎とこれ以上、“確率の高い方法”は存在しない筈である。
 それに、白銀武にはもう1つ、S-11を使った強行突破を選ぶ理由があった。


「当然だッ! 出し惜しみは嫌いなんだよッ!!」


 咆えるように、グリズリー4へと答える武の言葉を聞き、誰ともなく「くっ」と小さくも不敵な笑い声を漏らす。ここにきて、部隊総指揮官からそのように性分を根拠にされては、笑わざるを得ないのだ。
 誰もが、可笑しくて、可笑しくて笑ってしまうのだ。

「各隊、準備は!?」
『ヴァルキリーズA隊、準備完了!』
『B隊、同じく準備完了!』
「了解! 第1波は第27機甲連隊、第2波をA隊、第3波をB隊として順繰りに4回、合計で12回の爆撃を仕掛ける! タイミングは各隊長機に同調!」
『了解ッ!』

 続き、武は攻撃順とタイミングについて矢継ぎ早に説明。いきなり全弾投下では、数の割に効果が薄くなる可能性がある。次々にやってくる先頭集団を順繰りに殲滅し、下方1500mの安全を完全確保する算段だ。
 いくら巨大な主縦坑に居座るBETAといえども、2発ないし3発、あるいは4発にも及ぶS-11の同時爆撃が12回も続けて行われては、全滅必至である。大型種数万体ですら、殲滅しかねない火力なのだから。

 出し惜しむ必要などない。
 オリジナルハイヴの主広間同様、そこさえ突破出来ればあとはもう反応炉に到達するだけ。その先に何が待ち構えていようとも、ここを突破出来なければ任務完遂など絶対にない。

「第27機甲連隊第1班! 投下ッ!!」
 真下から駆け上がってくるBETA群に対して、武は部下に攻撃命令を出す。


 ああ、そうか。


 そうしながら、武はようやく理解した。
 通常のハイヴにおいて最大直径を誇る主縦坑。大型種が下から上へ、上から下へ移動するのに、ここまで適したルートはない。完全飽和状態にあるミンスクハイヴにおいては、それ以外のルートなど寧ろ渋滞するだけだ。
 だから、“大型種の出現数がハイヴ中心部の門に偏っていた”。連中は反応炉での補給後、真っ直ぐ鉄砲に主縦坑を駆け上がり、侵略者が侵攻する地上に飛び出していたのである。

 小型種はハイヴ坑内に点在する補給地点から。大型種は直通ルートである主縦坑を通って迅速に反応炉へ。それがミンスクハイヴにおけるBETAのエネルギー補給の基礎。
 それは、ハイヴ本来の機能を切り捨ててまでの要塞化だ。


 S-11の爆発による轟音と振動が走る中、武はにわかに反吐を吐きたくなった。

『植民地支配……ね』
 そんな武の表情から察したのか、秘匿回線で榊千鶴がそう呟く。彼女の言葉に武は驚いて顔を上げた。
「気付いた……のか? 委員長」
『ハイヴの要塞化。それも、本来の機能を捨ててまで、なんて、ただの資源採掘プログラムには必要のないものだもの。BETAの創造主が、こうなることも念頭においていたのなら、それはもう植民地支配の思考よ』
 武の問い返しに千鶴は肩を竦ませながら、鼻を鳴らして答える。それに対して、武が訂正する部分は何もない。
 そう、彼女の言う通りなのだ。
 本来の機能を切り捨ててまで行われるハイヴの要塞化はそこに、最優先で排除すべき敵と認識した“何か”が存在するからである。今の地球において言えば、それは人類に他ならない。


 そんな存在がいるかもしれないと珪素系生命体が考え、上位存在の行動規範を設定したのだとすれば、これはただの資源採掘ではない。
 正真正銘の侵略だ。


『白銀………勝つわよ』
「当たり前だ」

 そう言い合って、白銀武と榊千鶴は互いに奥歯を噛み鳴らす。

 多くの人が逝った。
 多くの兵士が逝った。
 多くの友が逝った。
 多くの仲間が逝った。
 多くの同胞が逝った。

 資源採掘という目的を与えられた侵略者の手にかかって、数え切れない者がこの30年に渡る戦争で死んでいった。そんな彼らに報いるために、そんな彼らを死に追いやったBETAを駆逐する。
 資源採掘の名を借りた、このふざけた侵略戦争に打ち勝つために、地上のハイヴを尽く破壊する。

 そしてその第1歩として、このミンスクの地を奪還する。

 今の彼らに果たせる約束は、それしかない。


 武は、自分の部下たち、仲間たちに何も言わず感謝を捧げた。S-11を使うという選択を、何も言わずに許容してくれたことに対して、だ。
 武も含めた隊長格以外の機体に搭載したS-11をすべてここで使うということは、部下たちから自決の手段を奪うという行為に等しい。だから、このハイヴ坑内において彼らが死ぬ時は、BETAに嬲り殺される以外になくなったのだ。

 圧倒的に全滅率の高いハイヴ突入任務。たとえ、窮地にあったとしても、自決の手段を失うことにはきっと、誰だって一抹の恐怖を抱くに違いない。


 白銀武とて、それは例外ではないのだから。


 6回、7回、8回、9回…………。
 轟音は立て続けに鳴り響く。生憎と、BETAは断末魔など上げないが、地下世界を走る激震はそれに近しいものがあった。尤も、それは士気が高揚するものなどではなく、寧ろ虚しさをかき立てる轟音でしかないが。

「12回目の爆撃終了後、ヴァルキリーズA隊から降下を開始! 後続はB隊、殿は第27機甲連隊が務める」
『了解!』
「グリズリー4! 反応炉ブロックの情報はあるか!?」
『想定よりも反応炉ブロックの規模が大きい! それに、こちらが到達した時は多数の大型種の他に新型種も確認されている! 今の攻撃で粗方吹き飛んだ可能性もあるが、油断は出来ない!』
「―――――――了解した!」

 武の問いかけにグリズリー4は声高に応じる。彼の返答には、新上位存在についてのことが何もなかったが、武も敢えてそこには言及しなかった。恐らくだが、それを確認する余裕もなかったのだろう。
 現状では詳細など、一切が不明。
 新上位存在がどんな形状をしているのか、どんな攻撃手段を使ってくるのか、それはまったく分からない。実際に対峙してみなければ分からないのだ。

 だが、少なくとも、桜花作戦の時のように相手とコミュニケーションを取るつもりは微塵もなかった。鑑純夏も社霞もいないこの部隊ではそんなことは不可能であり、そもそも、彼女たちに想像を絶する苦痛を強いるだろうそれを実行に移す理由など、武にあるものか。

 出会えばそこで殺し合う。相手がどう考えているかなどという思考は押し出し、確実に、速やかに殲滅するだけ。
 それ以外に、この戦いを終わらせる手段は、ない。

 武はキッと目を細め、眼光鋭く、主縦坑の仄暗い底を睥睨。そしてそのまま、高らかに部隊に対して命令を下した。

「全機、降下を開始する! ヴァルキリーズA隊から順次、主縦坑へ進入せよ!!」
『了解ッ!』

 それと同時に、彩峰慧と珠瀬壬姫の部下が突出する形で主縦坑内に身を翻した。その後ろにはその中隊長たる2人が続き、更に榊千鶴と第4中隊(フリスト)各機が空中へ飛び出した。
 その次に続くB隊の陣形はA隊のそれを逆さにしたもの。先行するのは鎧衣美琴の第9中隊(エルルーン)で、その後ろに涼宮茜の第6中隊(スルーズ)と柏木晴子の第10中隊(フレック)が並ぶ形で主縦坑に進入する。

 第27機甲連隊が取るのはB隊と同じ陣形だ。

「271戦術機甲中隊(セイバーズ)が先行する。273戦術機甲中隊(ハンマーズ)と第5中隊(レギンレイヴ)に殿を任せるぞ」
『了解』
「マリア、俺に続け!」
『は!』
 陣形を指定するや否や、武は自ら中隊の先陣を切って主縦坑に飛び込む。それに続くのは副長を務めるマリアで、271戦術機甲中隊(セイバーズ)の衛士も彼女に続く形となった。

 反応炉はここから約1500m下った先。一直線に下るため、そんな距離はあっという間に踏破出来る。ここまでの約500mを下るために150分以上の時間をかけたことが、嫌に馬鹿らしくなるほどあっという間だ。

 ハイヴ坑内のそこらかしこでBETAが移動しているのか、振動センサーは常に波形を刻み続けているが、一直線に彼らへと向かってくるBETA群は現状で確認出来ない。主縦坑を上ってきていたBETA群を、S-11によって尽く削ぎ落とすことが出来たのだと、改めて分かった。


『鬼が出るか蛇が出るか……降下後、いきなり反応炉ブロックというのは、危険性も高いな』
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ」
 冥夜の言葉に武は鼻を鳴らして答える。迂回する余裕などない以上、主縦坑を辿る以外の策もない。着地直後を狙われる危険性も高まるが、いきなり全滅という可能性は少ない筈だ。
 それに、そもそもハイヴ自体が既に巨大な虎穴なのだが。


 時間にして本当に十数秒。
 1500mもの距離を下降し、白銀武はミンスクハイヴの最深部に到達。狼の名を持つ英傑も辿り着くことが出来なかった中枢部へ、1個大隊規模の部隊を率いて到達したのだ。
 そして、そこに広がっているのはあまりにも惨たらしい光景である。
 BETAの死骸と、グリズリー隊と思しき戦術機の残骸が広大な反応炉ブロック内に転がっていた。BETAの死骸はグリズリー隊によって倒されたものもあるだろうが、恐らくほとんどはS-11の爆発によって主縦坑の壁面から削ぎ落とされたBETAだろう。
 跡形もなく消し飛ばなかったBETAでこの数なのだから、実際にS-11投下によって挙げられた戦果が如何ほどなのか、武は考えたくもなかった。
 先に降下した部隊は既に武を中心に円周展開し、臨戦態勢を整えている。また、武に続いてきたマリア以下第27機甲連隊隊員及び第5中隊(レギンレイヴ)も着地と同時に同様に展開し、周囲を固めた。


 円状に展開し、周囲の警戒を行う彼ら。だが、その彼らが睨み付けるように見つめるのはただの1点のみ。
 BETAの死骸に囲まれた、蒼白い光を放つハイヴのエネルギー生成機関。そして、その前に佇む見たこともない中型の“何か”。どんなに大きく見積もっても10mはないだろう。小型種よりはずっと大きいが、要撃級や突撃級といった大型種と比較すれば全高が半分もない化物。
 反応炉の発する光に曝されているため蒼白く見えるが、体躯の色は恐らく白。形状は極めて戦車級に近い。異なるのは頭部と思しき部位がやや戦車級より大きいことと、戦車級最大の特徴である下腹部の巨大な口がないことだ。
 両手は人間のものとほぼ同じで、恐らく五指。目があるのかどうかは定かではないが、そもそも、そんな部位を持っているBETAの方が少ないのでどうでも良かった。


 間違いない。“それ”があ号標的のバックアップ。
 まるで似ても似つかない形状をしているが、白銀武は直感的にそう思った。


 武は歯を噛み鳴らし、36mmの照準を“それ”に合わせた。引鉄を引けば、36mm砲弾が瞬く間に“それ”へ襲いかかる。大型種ほども大きくない“それ”如きでは、当たっただけでも致命傷だろう。

 「くたばれ」と、そう呟きながら武は躊躇うことなく引鉄を引いた。

 当たれば終わり。“それ”に当てることが出来れば、人類はこの戦いに勝利する。“当てることさえ出来れば”、だ。

「『ッ!?』」

 だが、武の放った砲弾は、1発たりとも“それ”を捉えることが出来なかった。相手が避けたからではない。武と“それ”の間に、何かが割り込んだからだ。
 彼は思わず呻き声にも似た声を漏らす。それと同時に、手の平が白くなるほど操縦桿を握り締めてしまう。

 反応炉の裏側から突如現れ、武たちと“それ”の間に割り込んだのは大小無数の触手をはためかせる巨大な化物。まだ名前も付けられていない、BETAの新型種だ。
 砲弾を触手と体躯で受け止め、新型種はそこに鉄壁の守りを体現させる。


 そして、新型種の登場を合図としたかのように、反応炉へ繋がる横坑という横坑から要撃級と戦車級が新たに雪崩れ込んできた。


『糞ッ! 一瞬で状況は振り出しかよッ!!』


 吐き捨てるようにそう声を上げるのは、唯一、この中で2度目のミンスクハイヴ反応炉突入を果たしたグリズリー隊の生き残りである。彼がつい先刻、体験した戦闘は、まさにこの状況と同じだったのだろう。
 一瞬でBETAの一団は武たちを取り囲み、彼らが必ずや打倒しなければならない敵の姿は、幾重にも重なったBETAの長城の向こうへと消えてしまった。

 武は無言で長刀を引き抜く。彼のその行動をまるで攻撃命令とするかのように、展開した彼の部下たちは一様に、ジリッと足を擦らせ、次の瞬間にも敵中へと身を翻さんという意志表示を見せた。


 突入開始から180分が経過。
 人類史上最も長い3時間は、ついに最後の戦いの幕を開けた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第91話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/05/09 23:03


  第91話


 白銀武が振るった長刀は襲いかかってきた数本の触手を纏めて薙ぎ払う。巧みと言うには些か強引な一刀だったが、武自身にとっては結果が同じならばさして気にすることではなかった。
 それに続け、36mmを掃射しながらバックステップ。本当は敵の親玉を捜すため、更に敵中へと前進したいところなのだが、あの巨躯を持つ大化物がそれを許してくれないらしい。

『反応炉ブロックでの遭遇戦では、やはり厄介な相手だな。それも、これほどの他種BETAに囲まれているとなると………』
 武が無意識のうちに舌打ちをすると同時に、まったく同じ装備を携えた御剣冥夜が横に並ぶように着地し、苦言を呈する。彼女も武と共にベオグラードハイヴの反応炉で同型種と交戦した衛士だ。この状況の拙さなど、考えるまでもなく理解しているだろう。
『S-11は? 使う? 反応炉を破壊するのには3発もあれば充分』
「自滅の危険性が高過ぎる。上位存在を巻き込めなかった上、こっちが全滅したら話にならない」
 冥夜の背中を固める形で着地した彩峰慧の言葉に、武はより確実性を求めるために反意を示す。あの新上位存在の姿が視認出来、確実にそれを爆発に巻き込むことが出来るのなら、武とて自決は厭わない。
 だが、現状では相手がこの反応炉ブロックのどこにいるのか分からなかった。1発や2発程度では、相手が爆発を免れる可能性の方が遥かに高い。

 対し、武たちが搭乗しているのは前線最大の精密機器だ。S-11の爆発による衝撃で、大破こそ免れても損害を受ける可能性は非常に高い。また、たとえそれを免れたとしても、BETAに囲まれている状態である以上、それに“喰われる”可能性だって決して低くなかった。

 完全に囲まれた状態でS-11を使用するという選択は、ハイリスクなのに対してあまりにもリターンが低いのである。

 数多の同胞を礎にここまで到達した以上、武たちは確実に任務を果たさなければならない。その命を捨ててでも、確実にこの戦いを勝利に導く戦果を挙げなければならない。
 その確証も確信も、武にはまだなかったのだ。

『ならば、捜しましょう。このまま消耗戦を続けるのは、更に話にならない筈です』
 そう言って、武の背中を守る形で足を止めるのはマリア・シス・シャルティーニ。彼女の言も至極尤も。即座にS-11を使ってもリスクが高過ぎるが、このまま交戦を続けても単純に嬲り殺しにされるだけだ。それはこの戦いにおいて愚策中の愚策である。

「まあ……本命は“あれ”の向こう側なんだけどな」

 射抜くように大樹のような化物を睨み付けながら、武はそう呟く。真っ当に考えれば、あれの後ろにいることが最も安全な筈だ。しかしながら、だからこそ、という可能性も払拭出来ない。
 白銀武が考えるに、BETAの新上位存在は、あ号標的同様、実に非効率な対応を基本としているが、恐らくそれ以上に狡猾だ。
 自由移動を可能とし、それ自体の単独戦闘力はさほど高くないだろうと考えられる“それ”は、非常に狡賢い。そういう点に特化しているのが、あの「あ号標的」のバックアップ。


 言うなれば、高みの見物。


 形状も能力も異なっていたとしても、ヤツは間違いなくあの「あ号標的」のバックアップだ。性根がよく似ている。

「どちらにせよ……あれをどうにかしないことには話も先に進みそうにはねーな」
『同意だ』
『そだね』
『同感です』
 新型種を指して武が言った言葉に、3人が声を揃えて同意の旨を口にする。彼らの視線の先では、あくまで攻勢に転じるつもりはないのか、その場から動く様子もない新型種が触手だけをはためかせていた。
「エレーヌ! 部隊を率いて周辺の敵の対処に当たれ! 涼宮と柏木は旗下中隊及び戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の各B、C小隊機を纏めて同じく敵の撹乱だ!」
『ハンマー1了解! 攻撃はまず横坑の入り口付近に集中させるよ! 死骸でバリケードを作って、増援の進入を抑える!』
『了解!』
『こっちは機動撹乱! 推進剤を惜しむ必要はないからね!?』

 武の指示に応じ、不知火弐型と不知火の一団が一斉に地を蹴る。本当であれば、あの新型種の打倒に全戦力を回したいところなのだが、周囲を要撃級と戦車級に囲まれている状態ではそれのみに集中することが出来ない。
 唯一の救いは、その規模がまだそう大きくないこと。先刻の爆発による損害が大きいのか、新たに反応炉ブロックに入ってきたBETA群の総数は絶望的なものではない。
 尤も、これからもその状態を維持するとは決して言えないが。

「残る全機は反応炉周辺の敵に対して攻勢を仕掛ける! 触手による攻撃には細心の注意を払え! ここまで来て、楽に死ぬことは許さんッ!」
『了解ッ!』

 残った全機は反応炉周辺の制圧にかかる。その指示に対しても部下たちは声高に応答した。ただし、制圧といってもあの新型種も含めて反応炉周辺にいるBETAを殲滅することは現実的ではない。今だって、増援として横坑から進入してくるBETAがそこに加わり、徐々にだが増加傾向にあるのだ。
 その光景を見せられては、武もやはりS-11を使いたくなる。だが、安全圏まで離脱するのに空間がなさ過ぎるのは明らかだ。タイマー式で投擲したところで、高確率でこちらも巻き込まれる。
 いや、それだけならばまだ回避出来る可能性もあるだろう。
 最悪のケースは、起爆よりも早くそれを弾かれることだ。

 2001年の横浜基地防衛戦にて、遠隔爆破式のS-11を分解し、無力化したBETAだ。その直後に改良を施された現在のタイプのS-11も、当にその構造を把握している可能性も否定出来ない。
 いや、構造など理解していなくとも、それが何のために使われ、どれほどの威力のある兵器なのか分かっていれば、BETAにだって幾らでも対処法は見つけられる。


 疑心暗鬼。
 これでもかというほどの、疑心暗鬼に武はその実、陥っていた。もしかすれば、それはこの場において武に限った話ではないかもしれないが。


 まるで人間を相手にしているかのような心理戦だ。BETAの行動に首を傾げさせられたことは決して少なくないが、これほど次の行動を躊躇わされたことはない。

 それでも、足を止めることなど彼らには許されなかった。

「どけええぇぇッ!!」

 白銀武、御剣冥夜、彩峰慧が成すのは楔型の陣形。伊隅みちるを喪ってから解隊されるまでの約1ヶ月間、A-01「イスミ・ヴァルキリーズ」の前衛を固めていた不屈の陣である。
 彼らはそのまま敵中へと身を翻す。
 足を止める者は誰もいない。攻勢へ転じることを躊躇う者は誰一人としていない。何故ならば、それが死に直結し得ることを理解しているからだ。

『砲撃支援装備機はランドグリーズ1 珠瀬大尉の指揮下へ。遠距離から新型種を狙い撃ちなさい。クラインバーグ大尉は旗下部隊を率いて砲撃支援部隊の直援へ。榊大尉と鎧衣大尉は私と共に中佐たちのバックアップに出ますよ』
 武たちの前進に伴い、後衛のマリアが各機に対して新たな命令を出す。それと同時に、武の眼前でいきなり要撃級が仰け反った。顔面にマリアの放った36mmが直撃したのだ。
 仰け反った要撃級を長刀で薙ぎ払い、武は冥夜と慧の2人を連れ立って更に前進。そこはもう、疑いようもない新型種の間合いの内側である。

 蠢いた無数の触手が、空中で一息に弾ける。珠瀬壬姫に預けられた砲撃支援部隊による攻撃と、再編され、榊千鶴、鎧衣美琴によって率いられる部隊による攻撃が重なった結果だ。

『随分と距離が縮まったものだな、タケル』
「おおよそ7、80mってところか。守りに徹するなら、理には適っている」
『………長いね』

 長刀を真横に振って、複数の要撃級を斬り伏せる冥夜が皮肉のように告げれば、36mmを掃射して周囲の戦車級を殲滅する武は舌打ちをして、苛立ちを含んだ返答を述べる。それに対して実に率直な感想を漏らしながら跳躍し、更に前へと進むのは慧だった。
 新型種の最大間合いは100m前後あるが、それほどの長さを持つ触手は無数にあるそれの中でも数えるほどしかない筈である。大半を占めているのは50mから70mクラスの触手だ。

『S-11を使うにしても、あと20mは距離を近付けたいですね』
「俺はあと4、50m欲しいな。巻き込むならあの辺一帯を完全に巻き込みたい」
『――――――――ええ、同意致します、白銀中佐』

 マリアに武が言い返せば、彼女は1回、言葉を飲み込んでから同意する旨を示す。武は彼女の心境にも気付いたが、敢えてそこには何も言及しない。
 S-11を使用するに当たって、100m以上の距離すらも安全圏とは言い難いのだ。4、50mならば起爆までの間に離脱出来る可能性も捨て切れないが、2、30mも接近してS-11を使うとなれば、離脱は絶望的だ。それは既に、自決の領域に達している。
 武の言から、マリアはその意志を感じ取ったのだろう。だから、彼女は言葉を飲み込んでまで同意を示したのだろう。


 まったく、本当に優秀な副長だ。


 武は一瞬、口元を緩めてから再び固く結び直し、目尻をきつく吊り上げた。襲いかかる触手を長刀で打ち払い、冥夜が進撃する進路を確保する。彼女はそれを見逃すことなく武よりも前に進み出て、慧と背中を合わせた。

『鎧衣! 白銀たちの支援に回って!!』
『エルルーン1了解ッ!』
『珠瀬! 見逃すんじゃないわよッ!?』
『任せてください!』

 千鶴が次の動きを見せたのはそれと同時だった。美琴に対してこれまで通りの後方支援を任せ、彼女は壬姫に合図を送りながら部隊を率いて前へ進み出る。

「マリアッ!!」
『は! 白銀中佐、しばし御辛抱を!』
 千鶴のやろうとしていることを理解した武は即座にマリアに対して指示を下す。武の予想が正しければ、千鶴の策にマリアが加わることは、その効果の明らかな上昇を表す筈だ。代わりに、武たちは敵中において最も優秀な後方支援僚機を一時的に失うこととなるのだが。
『……白銀は人使いが荒い』
『そう言ってやるな、彩峰。斯様な状況、跳ね除けることが出来なければ突撃前衛の名が泣こう』
『私は大丈夫。心配なのは白銀』
「あとで覚えてろ、この野郎」
 敵中にて背中を合わせる彼ら3人は、一様に長刀と突撃砲を構えたまま、1度だけそんな軽口を交わす。その直後、36mmを掃射しながら彼らは同時に跳躍した。混戦状態の中にあっても尚、味方誤射をしないのは彼らの能力の高さと付き合いの長さ故だ。

 一刀で触手を薙ぎ払い、36mmで要撃級と戦車級を穿つ。手当たり次第に敵を屠っているように見える戦い振りを彼らは見せ付けるが、実際には常に互いの背後へ気を配りながら、そのポジションを確保していた。

 元A-01部隊の突撃前衛小隊メンバー。混戦状態において、武に信頼感を抱かせるには充分過ぎる顔触れだ。この面子に文句などある筈が無い。

 長刀で触手を払い、バックステップで後退しながら36mmを広範囲に掃射。単機では接近を押し留めるほどの威力までいかないが、彼らは機動性において何よりも分がある。
 敵中で孤立したとしても、極短時間であれば一騎当千の戦果を挙げて、生還してみせる。それだけの能力が、彼らには備わっていた。

 瞬間、蠢いていた触手が一斉に空中で炸裂した。僚機を率いて前進した榊千鶴の放った砲弾により、尽く撃ち落とされたのだ。
 それにより、堅牢な守りにほんの一瞬、綻びが生まれる。

 その瞬間を突くのは2人の狙撃手。欧州と極東が誇る2人の鬼才だ。
 即ち、マリア・シス・シャルティーニと珠瀬壬姫である。

 元々、両者の突出した能力は微妙に異なる。珠瀬壬姫が“狙い撃つ”ことに特化しているのならば、マリア・シス・シャルティーニが特化しているのは“撃ち落とす”ことだ。
 領分とするのは互いに中距離以上。だが、距離が近ければ近いほどマリアの射撃は壬姫のそれを戦果で上回り、距離が遠ければ遠いほど壬姫の射撃はマリアのそれを精度で上回る。

 ならば、この状況において2人に与えられた役割は重複しない。言葉でそれを確認するまでもなく、相手が片側を支えてくれる筈だと理解している。



 マリアの放った砲声は、壬姫のそれよりも僅かに多く、僅かに早かった。



 目標は互いに最奥の新型種。千鶴たちによって多数の触手を一時的に無力化されたそれは、マリアと壬姫が砲弾を放つより早く、防御のために即座に別の触手を間へと割り込ませてきていた。
 数にして十数本。完全に2人が放った36mmの軌道上へと割って入っている。
 否、壬姫にとってはその表現で正しいかもしれないが、マリアの場合はまったくの逆である。

 マリアは最初から、“壬姫の射線上に割り込んできた触手を狙っていた”のだから、だ。

 十数本の触手はその大半が炸裂。再び新型種への射線が一時的に確保される。それを確認してから引鉄を引いたのでは、とてもではないが間に合わないが、珠瀬壬姫はそうしなければならないほど温い狙撃手ではなかった。
 マリアの放った砲弾の後方をぴったりと追従する形で行くのは、壬姫の放った砲弾。そのほとんどが、別の触手が割り込むよりも早く、破壊された触手が再生するよりも早く、新型種の巨躯を捉える。

 ベオグラードにて彼女が放ったのは、自分の放つ9発を礎にして初めて意味を成す1発の魔弾。
 ならば、今回の彼女が放ったのは、マリアを含めた僚機が放つ100発を超える砲弾を礎とした10発を超える高精度の魔弾だ。それが、ほとんど着弾点を違えることなく化物の巨躯を穿つ。


 新型種の体躯から肉が弾け、体液が飛び散る。それに伴って、あの巨体がぐらりと揺らいだ。
 それを視認するや否や、武は更に前進を試みる。










 エレーヌ・ノーデンスはヘンリー・コンスタンスと共に並んで弾幕を張る。その頭上を飛び越える形で敵中へ吶喊するのは、彼女の指揮下には置かれていない戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)の不知火小隊だ。
 4機編成の不知火小隊。その様相はともすれば至極当然のものかもしれないが、ハイヴ最深部のここにおいてはエレーヌを驚嘆させるのに充分である。

 彼女の記憶が正しければ、突入した戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)にはもう4機を保っている小隊など1つも残っていない筈だった。つまり、今し方、敵中へと身を翻したのはこの短時間の間に再編成された小隊に他ならない。

 そんな、急造の小隊でありながら彼らは巧みな連携を駆使し、横坑の正面で次々と要撃級の群れを斬殺し、骸の山を築き上げてゆく。

『上!』
「『ッ!?』」
 不意に柏木章好が発した警告に、緊張が走る。視線を上げれば、内壁上部に張り付いていた要撃級が落下し、件の不知火小隊目掛けて強襲を仕掛けようとしているのが見えた。
 尤も、その段階で既に跳躍した柏木章好の長刀が、その要撃級の身体を貫かんとしているところだったが。

 要撃級を串刺しにした彼はそのまま跳躍ユニットを噴かせ、獲物を壁へと叩きつける。長刀を引き抜くと同時にその体躯を蹴って彼は後退。長刀で貫かれた要撃級は瀕死のまま落下し、横坑を塞ぐように積み上げられたBETAの死骸の一部に成り下がった。

「涼宮大尉! そっちはどう!?」
『ベクター120の横坑からの増援が減っています! 塞ぐなら今ですよ! ノーデンス大尉!』
「ハンマー1了解! 273戦術機甲中隊(ハンマーズ)はそっちに回るよ! ついておいで!!」
『了解!』

 寄せ集めの部隊を率いて遊撃に移っている涼宮茜からの返答に頷き、エレーヌは即座に次の目標を定める。

 補給部隊のおかげで、エレーヌたちの携行する弾薬にもまだ比較的余裕がある。ベオグラードよりも行軍距離が短いこともまた、今回の救いだった。
 だからこそ、惜しまない。36mmを掃射して、接近する戦車級を片っ端から片付けながら別の横坑目指してエレーヌは跳躍。柏木章好と水城七海が長刀を構えて前進し、正面に構える要撃級の一団へと血戦を挑む。ヘンリーは後方から36mmで彼らの支援に入っていた。

 瞬く間に4体、BETAの骸がそこに増える。そこから更に横坑へと接近するのは七海を除いたB小隊各機と、先刻とは別の不知火で構成される小隊だ。七海はその場に長刀を突き立て、支援突撃砲による支援行動に移る。

『主縦坑からの増援が来ないのは助かりますね』
「どこまで信用出来るか怪しいところだけどね。でも、今は喜んでおくよ」
『BETAなんて信用するだけ無駄な相手ですよ』

 ヘンリーの言葉にエレーヌは肩を竦ませながら答える。すると、36mmの引鉄を引いたまま、彼は小さく笑いながらそんな言葉を返してきた。
 いつからこんな状況でも冗談を言えるようになったのかと、エレーヌは軽く驚かされるが、癪に障るので表情には出してやらない。

「まったくだね。とにかく、こっちは出来るだけ敵を撹乱して、中佐たちへの接近を抑えることに専念。欲があり過ぎてもなさ過ぎても、碌な結果は招かないって分かってる?」
『分かっています』
「よし、A、C小隊各機は続け! 横坑入り口に集中砲火だ!」
『了解ッ!』
 エレーヌは指示を出すが早いが、36mmを放ちながら先陣を切って敵中を疾駆する。手当たり次第という表現が実によく似合う戦い方だが、この状況下ではそれも驚くほど効率が良い。
 既に正面の要撃級は章好らの働きによって、半ば壊滅状態だ。既に増援として進入してくる敵数よりも彼らの手によって打倒される数の方が多くなっている。


 衛士として戦場に身を投じて早数年。多くの仲間を失い、多くの部下を失い、そして時には、上官を失うこともあった。もちろん、全員が気の合う相手ではなかったが、それでも逝った彼らに報いたいとエレーヌは、常に思い続けてきた。
 それだけの力が自分にあるのかと葛藤しながらも、彼らに報いるにはそれしかないのだと信じて、彼女は邁進してきた。
 だからこそ、エレーヌ・ノーデンスは神に感謝する。
 白銀武という指揮官の下につけたことを、白銀武という上官に巡り会えたことを、今日という機会を与えられたことを、彼女は神に感謝する。

 凡庸な自分でも、これで少しは逝った同胞たちに報いることが出来るから、と。
 共に同じ上官の下につき、切磋琢磨してきた多くの戦友たちとの約束を果たすことが出来るから、と。
 ディラン・アルテミシアとユウイチ・クロサキが命に代えて守ろうとしたものを、受け継ぎ、守ることが出来るから、と。


 その決意を胸に、エレーヌが次なる目標へと身を翻そうとしたその時、何の前触れもなく世界が激震した。

「『!?』」
 彼女の網膜に映る全員の表情が変わる。S-11の爆発による衝撃とは何かが異なる。今の振動は、そこまで局所的なものではなく、もっと大規模は爆発によるものだ。
 だが、ここはハイヴの最深部。地下2000mの地獄である。地上を焼き払う砲撃とて、ここでこれほどの振動を発生させるには至らない筈だ。

 ではいったい何が――――――――

『ノーデンス大尉ぃッ!』
「ッ!?」

 誰かが発した声で、エレーヌは我に返る。それと同時に、背後まで迫っていた脅威に彼女は戦慄した。
 背後に回り込んだ要撃級が、既にその前腕を振り上げていたのだ。このタイミングでは躱し切れず、寧ろ、直撃に近い打撃を喰らう。反撃を加えるなど、当然のことながら不可能である。
 咄嗟に、奥歯をグッと噛み締めてエレーヌは衝撃に備えた。彼女に出来るのはもう、次に繰り出される要撃級の一撃がこの管制ユニットを外すのを祈ることだけである。


 だが、どうあっても致命傷を免れられない筈のその一撃は、いくら待ってもやってくることはなかった。“予期せぬ妨害”によって、エレーヌの背後に回り込んだ要撃級はその前腕を振り下ろすことが出来なかった。

 それでも、エレーヌは安堵したわけではない。寧ろ、目の前で起きた出来事に彼女の背中は先刻以上に冷たく凍り付く。


 氷柱のように鋭く尖った“巨大な黒い何か”が、要撃級を脳天から貫いている。それは体躯を突き抜け、地面まで穿ち、文字通りの「串刺し」にしていた。加え、また別の“黒い何か”が、振り上げられていた前腕を付け根からばっさりと分断している。


 もう少し、ポジションを後ろに取っていたら、串刺しになっていたのは要撃級ではなく自分だった。


 だから彼女は、思わず背筋が冷たくなったのである。


『全機、無事か!?』
 白銀武からそう呼びかけがあったのは、その時だ。急速に冷静さを取り戻したエレーヌが周囲を見渡せば、上から落下してきた“黒い何か”は偶発的にもエレーヌの命を救ったものだけではなかった。
 いや、そもそもそれはほんの一部に過ぎないようだ。

 大きさも形状もバラバラ。要撃級を貫いたもののような鋭利なものもあれば、岩石のように平たく巨大なものもある。反応炉ブロックの床面を破壊してめり込んでいるあたり、落着時には相当な衝撃があったのだろう。
 生憎と、その瞬間、半ば死を覚悟していたエレーヌには何が起きたのかなど微塵も分からなかったが。
『何とかこっちは全員無事。巧い具合に横坑の口まで塞いでくれたから、良かったと言えば良かったかな』
『こっちも全員無事だよ。ギリギリだった、けどね』
 武の呼びかけに柏木晴子と涼宮茜の2人がすぐに応じる。彼女たちも、彼女たちの部下も“落下してきた何か”の餌食になることはなかったらしい。
『273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の方は!?』
『273戦術機甲中隊(ハンマーズ)も被害はありません。寧ろ、ノーデンス大尉が助けられましたよ』
 武に問い直され、エレーヌがすぐに損害確認を行おうとすると、それよりも早くヘンリーが口を開いた。彼の即答振りにエレーヌがポカンとすると、網膜に映った彼は軽く苦笑を浮かべる。
『そうか……こっちは接近するタイミングを外されたから、弊害の方が大きかったんだが……そっちが助けられたんならよしとしよう』
 安堵したように息を吐いた武は、ヘンリーと同じように苦笑を浮かべながらそう返してくる。視線を向ければ、戦闘開始時と同じように彼らは反応炉の前に鎮座する新型種と距離を取って睨み合っている状態だった。
 だが、やはりBETA側にも損害はあったようで、反応炉の周辺には要撃級や戦車級を押し潰したと思われる岩塊のような“黒い何か”が幾つも転がっていた。

『そっちは引き続き、周辺の敵を削ってくれ。今のでだいぶ、バリケードらしいものが作られたみたいだからな』
 彼のその言葉でエレーヌは再び周囲を確認。確かに、3つ存在する反応炉ブロックへ繋がる横坑のうち、1つは完全に“黒い何か”によって塞がれてしまっていた。BETAでも、あれを取り除くには時間がかかるだろう。
 しかも、幸運にも先程、BETAの死骸でバリケードを作った横坑とは違う横坑に、だ。

 即ち、現状、バリケードが完成していないのは、今まさにエレーヌたちが立ち向かっている横坑のみ。

「了解です! でも……今のはいったい何だったんですか? 落ちてきたこれ、いったい何です?」

 敬礼をして武の指示に応じるエレーヌだが、二言目には今の出来事に関して疑問を口にした。上から落ちてきたということは、この“黒い何か”は主縦坑から落ちてきたということになる。主縦坑の内壁にこんなものがあっただろうかと、エレーヌは自身の記憶を探って思わず首を捻った。


『地表構造物の破片さ』


 しかしながら、エレーヌの想像を裏切り、白銀武はこれが主縦坑よりも更に上から落ちてきたものだと即答する。



『どっかのバカが、地表構造物を木端微塵に吹っ飛ばしてくれたらしい』






 そして彼は、途轍もなく可笑しそうに笑いながらも、まるで「呆れた」とでも言うかのような口調でそう言葉を続けた。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第92話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/05/09 23:02


  第92話


「白銀たちがハイヴに突入したら、そのリボンは取りなさい」

 7月5日 極東方面 日本 神奈川県横浜 横浜基地。ミンスク侵攻作戦を明日に控えたこの日、香月夕呼の執務室に呼び出された鑑純夏は、この部屋の主からそう命じられた。

「リボンを……ですか?」

 純夏は戸惑い気味に夕呼に問い返す。バッフワイト素子を織り込まれたこのリボンは元々、装飾品ではなく鑑純夏の強力なリーディング能力を抑える役割を果たしている。
 このリボンがあるおかげで、純夏は横浜基地で頻繁に関わる多くの人や、白銀武の心中を読み取る心配がないのだ。

 それを取れと、香月夕呼は純夏に言った。

「そうよ。ハイヴに突入した白銀の安否が分かるのは、戦場であなたしかいないわ。それをするのに、そのリボンは邪魔でしょ?」
「そうですけど……」

 夕呼の返答に、純夏は口篭った。分かりましたと即答して良いものか、一瞬、彼女は悩んだのだ。
 確かに、兵站など確保している余裕のない今回の作戦において、ハイヴへ突入した武の状況を漠然とでも把握出来るのは純夏だけだ。彼女自身、自分のリーディング能力がどれほどの有効範囲を持っているのか知らないが、白銀武に関してなら、かなりの距離でも読み取れる自信がある。

 元より、リーディング能力はプロジェクション能力以上に、受け取る側である鑑純夏と対象との相性からもかなりの影響を受けている。無意識的でも、純夏が「読み取りたい」と強く思う相手であればあるほど、見えてしまうものは明瞭なのだ。

 その点において、白銀武の右に出る人物は世界中探してもいる筈がなかった。

 だが、純夏がそれを躊躇うのにも理由がある。
 端的に言えば、彼女は恐れているのだ。予想もしていないものを読み取ってしまう可能性ももちろんだが、何よりも、その結果、佐渡島の時のようなことにならないか、ということを。

 甲21号作戦の折、純夏は意図せず読み取ってしまったある情報から過剰負荷を受け、自閉モードに移行。人間で言えば意識を失った状態に近く、その制御下に置かれていた凄乃皇弐型も機能を停止させた。
 その結果が、凄乃皇の自爆。佐渡島の消滅。そして、伊隅みちるの死。

 同じことが起きかねない。
 また、自分が自閉モードに移行してしまうことによって、佐渡島と同じことをミンスクでも繰り返すのではないかと、それが不安なのだ。そして、このリボンを外すという行為は、その可能性を多かれ少なかれ引き上げる行為である。
 それを、恐れない筈がない。

「あなたにしか出来ないのよ、鑑。あなたじゃなきゃ、分からない」

 躊躇う純夏の瞳を真っ直ぐに見つめ、夕呼は更に言葉を重ねる。付き合いはそう長いと言えないが、彼女は話す時、こうやって相手の瞳を真っ直ぐに見つめるようなことは滅多にしない。大抵の場合、本心を悟られたくないのか、視線を外してしまっているのだ。
 それが、今回はなかった。ただ、真っ直ぐに純夏の瞳を見つめ、「あなたにしか出来ない」と、香月夕呼はそう言っている。





 彼女の双眸に映る自分の姿が、やけに人間らしくて、鑑純夏には印象深かった。





 純夏は更に凄乃皇を前進させる。極近いBETAはラザフォード場に干渉してくるが、意に介さず、主縦坑目指して凄乃皇は前進を続ける。
 BETAのほとんどは今、地下茎構造内へ戻ろうとしている最中で、そこらかしこの門から一斉にハイヴ坑内へと進入していっていた。どうやら、これは反応炉ブロックの上位存在が、「敵」の到達にそのような指示を出したかららしいのだが、見る限り、それが意味を成しているとは思えない。

 いや、寧ろ、10万を遥かに上回るBETA群が我先にと門へと殺到しているのだ。恐らく、上階層の縦坑や横坑は渋滞状態になっていることだろう。その物量が仇となり、進退窮まっている筈なのだ。

 人類にとって、これほど好機はどこを探したところで落ちていない。

 BETAの反転から遅れること5分、人類が一斉に攻勢へと転じている最中、純夏はただ黙々と主縦坑を目指して凄乃皇を前進させる。
 生憎と、荷電粒子砲を再び放てるほどエネルギーに余裕はない。主縦坑に到達し、最深部まで降りたところで、最低量にも達してくれないだろう。



 それでもまだ、凄乃皇に出来ることが残っているのだ。



 タケルちゃん……ッ!!


 逸る気持ちを抑えながら、純夏は前へ前へと進む。事実上、主砲を失った凄乃皇に残された、数少ない役割を果たすために、ハイヴの最深部を目指す。




 社霞を始め、心強い戦力を従えたまま。










 反応炉ブロックでの戦闘は更に苛烈を窮める。それと同時に、その戦況は一時的な安定期を迎えていた。
 横坑から進入してくるBETAの増援数が緩やかに減少傾向にあり、また、反応炉周辺を固めていたBETAも新型種を含めてあと僅かとなったのだ。

 それでも御剣冥夜は未だに攻めあぐねていた。

 反応炉付近から動く様子もなく、触手による牽制を続けている新型種と彼らの睨み合いは、既に泥仕合の様相を見せてきている。彼らが触手を薙ぎ払い、接近を試みれば、新型種は別の触手で対抗し、薙ぎ払われた触手を即座に再生させる。
 そんな、ベオグラードでもあった攻防をここでも冥夜たちは繰り広げているのだ。

 空中で触手がまた弾ける。既に何度目か分からない鎧衣美琴からの後方支援だ。冥夜は進路に割って入った要撃級を一刀で斬殺し、更に前へと進み出る。
 今度は冥夜が36mmを掃射。至近距離で伸びてきた触手を一掃すれば、真後ろから彩峰慧が跳躍し、冥夜を飛び越えて次の要撃級を両断した。それとほぼ同時に、水平噴射で即座に冥夜や慧よりも前へ白銀武が突出する。
 彼ら3人が前へ出れば、後方支援に当たるマリア・シス・シャルティーニ、榊千鶴、鎧衣美琴とその旗下部隊も前進し、ジリジリと新型種に対して接近を挑む。

 それでも、詰められるのは50m程度までが限界。それを越えようとすれば対処の難しいほどの触手に阻まれ、後退を余儀なくされる。

 火力が足りないのだ。周辺のBETAを抑止するために半数以上の戦力を割いているため、結果的に新型種の対処へ充てられている兵士の数はベオグラードの時よりも遥かに少ない。だから彼女たちは常に攻めあぐねている。

 しかし、この一進一退を続ける攻防もそう長くは続かない。地上陽動を続ける部隊と同様に、彼らの戦闘継続時間には限界がある。それを迎えれば、戦局がどちらに傾くかなど、考えるまでもあるまい。

『エレーヌ! 周囲の状況はどうだ!?』

 触手を長刀で捌きながら後退する武が、自身直属の部下に対してそう問いかける。時間が経過すればするほど、彼らの火力は低下する。多少強引でも、敵の増援が少ないうちにこちらへ戦力を集中させ、一気に畳み掛けることが現実的だ。
 彼も恐らく、そう思ったからこそそう訊ねたのだろう。

『地表構造物によって塞がれた横坑からの増援は完全に遮断! こっちは弾幕を張って進入を抑えていますけど……もう1つの横坑のバリケードがもう破られそうです! 1分待たずに雪崩れ込まれますッ!!』
『涼宮! 柏木! 横坑の制圧に戦力を回せッ!』
『了解!』

 だが、返答は「余裕なし」の意。既に彼らの部隊だってかなりの衛士が殉じているのだ。今の任務に従事するだけで、精一杯に違いない。
 涼宮茜と柏木晴子の2人は部下を率いて、バリケードを浸透突破してくる戦車級を片っ端から薙ぎ払っているが、敵の数が多く、そちらも戦力に余裕はない。横坑の制圧に回すだけで、半数以上の戦力を割く必要があろう。

『セイバー1! 主縦坑から進入する敵も増えてきている! ジリ貧だぞッ!!』

 ライフルを放ちながら、同様に戦車級や要撃級の掃討に当たっているグリズリー4の報告に、冥夜は奥歯を噛み締める。同時に彼女は武が舌打ちをしたことにも気付いた。
 主縦坑からの敵増援は、つい先刻までまったく見られなかったものだ。主縦坑が大型種の命綱だと考えれば、そこからの増援がまったくないというのは寧ろ異常なことだったのかもしれないが、生憎と冥夜とてそこに疑問を持って、行動を躊躇うほど余裕はない。

 しかしながら、今の均衡はそれによって打ち崩されそうだった。

 既に柏木晴子が部下を率いて横坑の制圧に移行。それによって横坑からの敵増援は一時的ながらほぼ完全にストップするだろう。だが、主縦坑からの敵増援を涼宮茜の率いる混成部隊だけで抑えるのは恐らく不可能。そもそも、相手は上から降ってくるのだ。カバーしなければならない範囲が広過ぎる。


 再び100m以上の間合いが開く。そこまで離れたことで触手による猛攻は収まった。


『嬲り殺しにするつもりだね』
『こちらが長く戦えないことまで踏んでいるのでしょう。消耗させ、自滅を誘うことも戦場の常套手段です』
『まともに戦略も戦術も立てられないくせに、そういうところにはあざといな』

 武を中心とした陣形を組むと同時に、慧が敵を睨み付けながらポツリと呟く。彼女の一言に返答するのは支援突撃砲を構えたマリアだ。それに対して、白銀武は再び舌打ちをしてから答えた。

『ジリ貧って言葉は否定したいんだけどね……このままじゃ慧さんの言う通り、本当に嬲り殺しにされちゃうよ』
『狙撃もあんまり効果がありません。触手より本体の再生速度は遅いですけど、致命傷じゃない限りは元通りになってしまうみたいです』
『そうね……さっきの攻撃も体勢は崩せたけれど結局それだけだったわ』

 鎧衣美琴は上へ向かって36mmを撃ちながら悔しげに呟く。彼女は次々と落下してくる戦車級を炸裂させるが、既に戦車級の進入数はそんな戦果を遥かに上回る量になっていた。
 珠瀬壬姫と榊千鶴が言及するのは、先刻に自身が放った魔弾の効果について。命中の直後はぐらりと揺らいだ新型種だったが、今はもうその銃創の影も形もなくなっている。あれを打倒するには、確実に一瞬で致命傷まで持っていかなければならないのだ。

『―――――――――そろそろ潮時……だろう』

 レイド・クラインバーグがそう呟いたのは、その時である。彼の言葉で、全員の表情が強張り、全員が発しようとしていた言葉を飲み込んだ。
 潮時。これは諦めの言葉ではない。次の策を敢行しようという、指揮官たる武に対する進言だ。

 敵増援が抑えられているうちに、S-11をもって新型種を打倒する。あれさえ倒せれば、状況は一気に好転し得るのだから、だ。

「タケル……私もクラインバーグ大尉に同意する」
『―――――――――あと何分戦える?』

 自分もレイドの進言に同意する。冥夜はその旨を武に示すが、彼から返ってきたのはその策に対する是非ではなかった。その、「あと何分戦える?」という問いかけに、冥夜も含めて全員が思わず眉をひそめる。

『このまま真っ当に戦い続けて、あと何分、戦況を保たせる自信がある?』

 武は再びそう問いかけてきた。上官として問いかけているのだと分かる彼の表情に、彼女たちは互いに視線を交わし、頷き合う。彼が何をやろうとしているのかまだ分からないが、それが彼の策に対して必要な情報ならば答えるしかない。


「―――――15分だ。それ以上は譲れぬ。何も出来ないまま全滅というのは避けなければならない」


 だから、冥夜はそう答えた。今の装備状況と僚機の数を総合すれば、15分はこれまでと同じ戦況を継続することが出来るだろう。生憎と、それ以上は歴戦の英傑で構成された彼女たちにもまったく自信がないが。

『10分だ。10分間、俺に命を預けてくれ』

 即座に彼はそう答えた。その言葉に、再び彼を除く全員が顔を見合わせる。先刻と違うのは、誰ともなく可笑しそうに笑ったこと。

『この期に及んで何を言うのですか、白銀中佐。私たちは、とうに貴方に命を預けていますよ』
「そりゃ光栄だ」
 代表して総意を述べるのは彼の副官たるマリア。その返答に、武もようやくその頬を緩めた。


 ああ、そうだ。この作戦が始まる以前から、既に自分たちは白銀武にこの命を預けている。そんなことを頼まれるのは、本当に今更なのだ。


『これより10分間、周辺の敵の掃討にかかる。可能な限り、“要撃級と戦車級を始末”しろ』
「『ッ!?』」
『距離を取れば手出ししてこないなら、しばらく放っておく。触手に36mmを鱈腹使うのも、砲弾の浪費だしな』
 武の言葉に冥夜たちは再び言葉を失う。確かに、あの新型種を打倒するにはどうあってもS-11を使わざるを得ないだろう。それに対して闇雲に36mmを撃ち続けるのは無駄だ。
 だが、それは他種BETAに対しても同じこと。3つの横坑からの増援が一時的にストップしているとはいえ、主縦坑からの増援が増加傾向にある以上、その殲滅は叶わない。

 そこまで考えて、冥夜はかぶりを振った。

 彼にはまだ選択肢が残っている筈だ。最早、S-11を使った特攻しか思いつかない冥夜たちとは異なり、彼にはまだ二択目が残されている。そして恐らく、その二択目を試してからでも、S-11を使った特攻へ作戦を移行する余裕すらあるのだろう。

 白銀武があと10分戦えというのなら、戦い抜こう。それがこの場でまだ生き残っている衛士たちの総意だ。

『よし、行けッ!!』
「『了解ッ!!』」

 武の号令に合わせ、彼らは一斉に散開する。冥夜は慧と共に右翼に展開し、主縦坑から落下してきた要撃級に対して攻勢を仕掛けた。
 一刀で首を刎ね、次の一刀でその前腕を斬り飛ばす。敵の体躯を踏み台にして跳躍し、その眼下の赤い一群に対しては36mmの雨。
「彩峰、左だ!!」
『了解!』
 着地を目前とする冥夜からの警告に、慧は腰を捻りながら強引に長刀を薙ぎ払った。彼女の左側面から接近し、前腕を振り上げようとしていた要撃級はまともに斬撃を喰らい、その場に崩れ落ちる。
 要塞級やレーザー属がいない分、要撃級は御し易い。現状ではまだ戦力比が互角故、更にそう感じられた。
 冥夜が次に狙いを定めたのは3体の要撃級。取り巻きには何もいないところが実に好都合だ。そのまま単機で吶喊し、36mmで牽制。長刀の間合いに捉えた瞬間、軋む機体の腕を酷使して、一閃させる。

 3体の要撃級を骸に変えたところで、冥夜は時間を確認した。既に武の攻勢命令から300秒以上が経過している。彼が何らかの策に打って出るまで、もう5分もないのだ。

『御剣ッ!』
「ッ!」

 刹那、慧から返される警告に冥夜は反射的に飛び退いた。彼女が立っていた場所を1本の触手が穿つ。そのまま冥夜は慧と背中合わせになる形で着地。攻撃の主を2人で鋭く睥睨した。
 距離にしておよそ120m。奴の触手ではこの距離までは届かない。冥夜たちを間合いの内側に入れるには、向こうから動く必要がある。だが相手には、それをする気配はなかった。

 不意にその向こうから“あれ”が顔を覗かせた。恐らく後ろにしがみ付くような形で張り付いているのだろう。このタイミングで姿を曝すとは、実に愚かしいことだ。

「ふむ……急いているな」
『相手にされないのが面白くないのかもね。まあ、白銀の命令だから相手にはしてやらないけど』
「違いない」

 悔しげに触手をはためかせる新型種と、黙したままこちらを見つめる上位存在の姿に、冥夜と慧は唇の端を吊り上げて笑い合う。ここが戦場でなければ、それは狂気的にも見えるかもしれない笑みだ。



 誰かがそれに気付いたのはその時だった。



『――――――――――主縦坑からの増援が……止まった!?』
「『!?』」

 先刻から断続的に起こっていた主縦坑からのBETAの降下が、不意にピタリと止んだのだ。そのことに関して彼らが疑問を持ったのはほんの一瞬のこと。次の瞬間には「今しかない」と、反応炉ブロックに残っているBETAの殲滅にかかる。



『やっと来てくれたのか……』

 同様に残る要撃級に対して攻撃を仕掛ける冥夜が聞いたのは、どこか苦笑気味に呟く白銀武のその言葉だった。










「横坑の制圧に当たっている部隊はこちらの号令と共に戦闘行動をすべて放棄。全戦力は上位存在及び新型種の殲滅に移行する!」

 武がその命令を下したのは、周辺BETAの掃討を開始してから9分と30秒が経過した時だった。既に反応炉ブロックに残っているのは戦車級が極僅か。横坑、主縦坑からの増援が一時的に止まったため、BETAはそれ以上に数を増やすことが出来なくなっていた。

『了解!』

「攻撃の手順を説明する。内容は簡単だ。各機は主に前衛と後衛に分かれ、新型種の触手を片っ端から無力化。その隙を突いて接近し、敵に直接、S-11を叩き込む。1発で充分。それだけだ」
 武のやろうとしていることは至極簡単な内容だ。一時的にBETAの流入が止まっている今の状態で、戦力のすべてを投入してあの新型種を打倒するだけである。
 ただし、各機の砲弾残量が心許ないため、ベオグラードのような策では火力が足りない。確実に吹き飛ばすためには、S-11の使用が不可欠である。

『直接……ですか。タイマーをセットしても安全圏まで離脱するのは難しいですね』
 作戦内容にマリアがそう呟いた。そもそも、近距離まで接近して叩き込む以上、離脱は絶望的だ。まともに考えれば、それは既に離脱を前提としていない自決に等しい。
『タケル。その役目は私に命じてくれ。必ず戦果を挙げてみせる』
「却下する。お前よりも俺、不知火よりも不知火弐型の方が離脱の可能性は高い。これは生き残れる確率が一番高い人間が行うべきだ。俺以上の適任者はいないだろ?」
 半ば自決を覚悟したような物言いをする冥夜に、武は却下の言葉と共に「自分がやる」と明言した。彼のその言葉に対して驚きを示す者は流石にいない。武が最初からその役目を自分に割り振っているのだと、誰もが理解していたのだ。
 それは恐らく、冥夜とて例外ではないだろうが。

『………離脱出来るのか?』
「“離脱出来るようになった”んだ。各機は俺があれに取り付くと同時に、主縦坑内に全力で退避。俺もS-11を設置すると同時に全力で主縦坑に逃げ込む。反応炉の破壊は、あれを倒してからで遅くない」
『出来るように……なった? タケル、それはどういう――――――』
「説明は後だ。上の戦況だって良くはない。ここで時間を使いたくないんだけどな」

 武の言葉の意味を問いかけようとする冥夜を、彼は一蹴する。多少、ぼかして言ったが、つまりは「今は訊くな」という命令だ。如何せん、時間がないのは事実なのだから。

『――――――了解だ。言ったからには必ず生き残るのだぞ、タケル』
「ああ」
 冥夜の言葉に武は頷く。生憎と、まだ選択肢が残っているうちに「死」を選ぶほど彼は諦めの良い方ではない。


 それに、逐一説明をするよりも今は“状況”を誰よりもはっきりと理解している武がその役目を負うことが最も成功率も生存率も高いのである。


 武は1度、深呼吸をしてから口を開き、声高に次の命令を下す。


「全機、攻勢! 進撃経路を確保しろッ!!」

『了解ッ!!』

 その命令に応じるのは生き残っている全機だ。格闘戦を得手とする者はこぞって武よりも前へ突出し、後方支援を得手とする者は防衛陣を敷いたまま、突撃砲の照準を新型種の一点に絞る。
 僚機の数はベオグラードの時よりもやや多いが、生憎と砲弾の残量はあの時以上に芳しくない。これで片を付けられなければ、いよいよ全滅も覚悟する必要があろう。

 武は歯軋りをしながら、無言で地を蹴った。彼はそもそも、後方で踏ん反り返っていることが領分の指揮官ではない。前に出て、仲間を奮い立たせることが何よりも得意な指揮官だ。

 彼らを迎え撃つ新型種も、触手を総動員。長刀で斬りおとされ、36mmで弾け飛んだとしても、瞬く間に再生し、彼らに対して襲い掛かってくる。
 相変わらず反応炉では厄介な性能だ。ここに何体も待ち構えていなくて本当に良かったと、武は少しだけ安堵する。もし3体も4体も存在すれば、全滅は必至だった。

 冥夜と慧が柏木章好と水城七海の2人を従えて最前衛へ。その後方に続くのは部下を率いた千鶴と茜、エレーヌとレイドが続き、近距離砲撃をメインに前衛のバックアップに入る。壬姫と美琴、晴子の3人はそのまま最後衛に構え、遠距離からの射撃攻撃に移った。


 構える武と肩を並べるのは、第27機甲連隊の副長 マリア・シス・シャルティーニ。


『最後まで随伴出来ないこと、先に謝罪致します』
「それはお前の領分じゃないだろ。それに、随伴されても困るんだがな」

 彼女の謝罪の言葉に武は頭を掻きながら、肩を竦ませて答える。支援があるとはいえ、あの触手の軍勢を掻い潜ってあれに取り付くとなると、相当な挙動制御技術が必要となる。この面子では、冥夜か慧くらいの実力がなければ不可能だろう。
 加え、爆発の範囲から脱出するならば1人の方が楽だ。もし彼女がそれを気負いしているのならば、武の離脱がスムーズに運べるよう、主縦坑から援護してもらいたい。

『は。ですが、ギリギリまではバックアップさせていただきます』
「それは期待する」

 敬礼するマリアに武は笑い返す。武が最短距離であの化物に取り付くには、彼女の支援が必要不可欠だ。彼女がやることは先刻と何も変わらない。ただ、確保するのが壬姫の射線ではなく武の進撃経路に変わっただけである。

「20秒後には行く。最大戦闘速度で突っ込むぞ」
 既に武が持つS-11のタイマーはカウントダウンを開始している。最大戦速で突撃し、敵に取り付いてセットし、即時離脱行動に移ることの出来るギリギリの数字だ。
 だから必然的に、進撃が僅かでも遅れれば離脱出来ない。新型種本体へ取り付くまでの過程で、武が局所爆破を行うのか自決に変更するのかの明暗も分ける。
『了解ッ!!』
 武の「行く」という発言に総員が了解と答えた。彼らも、武が敵に取り付くまでの過程ですべてが決まり得ることを理解しているのだ。


 その瞬間は、何の前触れもなく訪れた。


 武は前傾姿勢を保ったままスロットルペダルを踏み込む。途中で曲がることなど一切考えず、ただ、一直線に進路を取ったまま最大戦闘速度で新型種を目指した。
 武が踏み込むと同時に、マリアを始めとした後衛僚機も36mmにて攻撃を行いながら飛行にて前進を開始。既に前に出ていた冥夜と慧、章好と七海の4人も36mmを掃射して更に前へと進む。

 武の眼前では無数の触手が弾ける。気色の悪い花火のように、何回も何回も空中でそれは炸裂する。
 彼は自身が攻撃に転ずるという考えなど、一切持っていない。それをすれば確実に間に合わないのだ。だから今は、進路に割り込むすべての障害を戦友たちに任せるしかなかった。
 機体を軽くするために長刀は既に破棄。マウントに背負っているのは砲弾も残り僅かな突撃砲が2挺で、起爆までのカウントを続けるS-11を除けば、残る武器は短刀のみである。


 ただ前へ。
 ただ、ひたすらに前へ。
 幾つもの約束と誓約を果たすために、全身全霊を揮って前へ、前へ。


 再び前方に複数の触手が割り込む。当に冥夜たちよりも前へ出た武を支援出来る人間は、この段階で限られている。

 まるで再生映像だ。再び進路上に割り込んだ触手は、再び空中で弾け飛ぶのだから。マリアと壬姫の2人が持てる力を振り絞って放った数多の魔弾が、武の進撃を阻む敵を残らず撃墜するのだから。

 彼は水平噴射で疾駆しながら、左腕のナイフシースから短刀を引き抜いた。その柄を右手に握り締めたまま、新型種の……それも上位存在が引っ付いているであろう場所にいよいよ到達する。

 この瞬間、僚機のすべてが主縦坑への退避へと移行。

 不知火弐型の腕を掴もうと、白い腕が伸びてきた。だが武は逆にその細い腕を左手で引っ掴み、力を入れて握り潰す。後ろからは再生を果たした触手が迫るが、マウントに背負ったまま後方へ36mmを掃射し、弾幕を張って一時的に接近を抑える。



「人類を――――――――――――――」

 口を開き、そう告げながら武は短刀を逆手に持った右腕を振り上げて、上位存在の柔そうな頭部目掛けて振り下ろした。まるで柔らかい果物にナイフを突き立てたかのように、短刀の刃は簡単にその中へと埋没する。



「――――――――――――――嘗めるなッ!!!!」


 既に爆発まで20秒を切ったS-11を機体から外し、空手となった右手で敵の潰れた頭部へと押し込む。それと同時に弾薬の尽きた2挺の突撃砲をマウントから破棄し、武は即時上昇を開始した。

『タケルッ!』
『タケルぅ!』
『たけるさん!』
『白銀ッ!』
『白銀ぇッ!』
『白銀中佐ッ!』

 彼の名を仲間が呼ぶ。すぐ真上にある、“絶対安全領域”まで退避した仲間が、武の名を呼ぶ。その声は何れも必死で、温かかったが、武にはもう1つ、とても大切な呼び声が届いていた。





 ――――――――――――――――――タケルちゃんッ!!





 鑑純夏。彼女はもうすぐ上にいる。彼女の搭乗する凄乃皇はもう、主縦坑を降下してすぐ上まで到達している。

 武が彼女の接近を知ったのはその実、地表構造物が荷電粒子砲によって木端微塵に吹き飛ばされた直後からだ。それも、想像ではない。“知った”のである。その瞬間に彼女自身から、“教えられた”のである。
 その距離でプロジェクションが可能だったのだ。リボンさえ外していれば、彼女はきっと武の意志をリーディング出来ただろう。

 白銀武が、半ば自決を覚悟して新型種と攻防を繰り広げていたことを、読み取っていたのだろう。

 だから、凄乃皇は強行軍でこの主縦坑下層まで到達した。ラザフォード場を最大出力で展開し、主縦坑から反応炉ブロックに降下するBETA群を押し留め、武へ最後の選択肢を残した。

 無論、それだけでは武もこの選択には至れない。元々、起爆まで20秒を切ったS-11の爆発範囲から逃れることなど、如何に武であろうが、不知火弐型であろうが出来る筈はない。
 出来る筈はなかったのだ。
 それが、“出来るようになった”のだ。


 最大範囲で発生するラザフォード場が、それを可能にした。ラザフォード場の内側に武を引き入れ、S-11の爆発をそこで遮蔽することで守り切る。武は、爆発範囲から離脱すれば良いのではなく、ラザフォード場の展開領域まで到達出来れば良い。

 だから、“離脱出来るようになった”のである。




「純夏ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」




 全力で手を伸ばし、武は咆哮する。
 上位存在と新型種に取り付けたS-11が起爆したのは、その瞬間のこと。









 襲い掛かった衝撃で、白銀武はその意識を手離した。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第93話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/05/13 22:48


  第93話


 目を開けば、そこにはよく見慣れた、されども酷く不吉な光景があった。

「ッ!!」
 最初は現実感がなかったが、急速に彼の意識は覚醒し、今、自分がどこにいて、何を見ているのか理解した。


 天井だ。それも、18年の歳月を過ごしてきた“我が家の天井”である。


 それに気付いて、彼は反射的に飛び起きる。自分が今、“自分のベッドで寝ている”のだと気付いたからだ。目を見開き、驚愕に染まった表情で室内を見回す。
 間違いない。ここは白銀武にとってすべての運命の始まった場所。ごく普通の一室で、ただ目を醒ますだけという行為が、彼にとっては不吉な出来事の象徴として数えられている。

 「衛士 白銀武」にとっては、“あってはならない”ことなのだ。

「俺は………“また”死んだのか………?」

 数年振りに戻ってきた自分の部屋で武が最初に呟いたのは、それだった。“鑑純夏”に辿り着くまで、死ぬ度にシロガネタケルは時間を逆行していた。生憎と、武の主観では1度しかループしていないのだが、実際にはそうだったらしい。
 それでも、やはり武には実感などまるでなかったが。

 彼の記憶が確かならば、ついさっきまで武は部下を率い、ミンスクハイヴの最深部でBETAの上位存在と交戦していた筈だ。それを打倒するために、自らS-11を設置し、離脱を試みた筈だった。
 しかし、気がついてみればこんなところに寝ている。
 物理的にあり得ない。だから武は、再び自分はループしたのだと考えた。結局、自分はS-11の爆発から逃れられず、戦死したのだと考えた。

 思わず、シーツを握り締める。手の平が白くなるほど、強い力で握り締める。


 こんなことが許されていいのか?
 数多の同胞が戦場で散り、失ってしまう時間が、自分には返ってくる。それだけではなく、2度と戻らない筈の時間すら、自分には返ってくる。

 冒涜だろう、それは。

 その命を捨ててまで、何かを成そうとした多くの英霊に対する冒涜だ。
 時間を巻き戻してまで繰り返そうとするのは、挺身した彼らに対する冒涜だ。
 それによって白銀武を生かそうとした彼らに対する、これ以上ない冒涜だ。


 たとえ、その原因が白銀武本人にはなくとも、武は自分のそれに憤りすら感じている。だから彼は、ギリッと奥歯を噛み鳴らし、握った拳を震わせた。




 しかしながら、運命は白銀武のその感情すら弄ぶ。




「ターーーーケーーーールーーーーちゃーーーーーんっ!!!」
 まるでドアでもぶち抜いたかのような爆音と共に、武の名を呼ぶ声が轟いた。それに続き、まるで猪でも走っているかのような轟音が家中に響き渡る。しかも、感覚を研ぎ澄ますことなどせずとも、一直線にこの部屋に向かってくるのが分かるほどの轟音だ。


 いつか見た夢だろうか。


 ただ1人の幼馴染みの声を聞いた武は再び驚きに染まった表情になり、自室のドアを見つめる。振動は徐々に大きく、床を打つ音は徐々に強くなる。いつも通りの朝だ。
 いや、僅かに違う。腐れ縁の彼女はいつもよりどこか必死だった。いつもなら一段飛ばしで駆け上がってくる階段も、音の調子から考えるに二段飛ばしくらいで駆け上がってきているように思える。

 何が彼女にそうさせるのか。
 武が感じたその疑問は、彼女が武の部屋のドアを開け放った瞬間、即座に解決した。

「タケルちゃ――――――――」
「タケルッ!!」

 純夏がドアノブを捻り、室内に突入したその瞬間、半ば押し退けるような形で御剣冥夜も室内に突入してきた。だが、生憎と純夏も道は譲らなかったようで、将棋倒しのように2人揃ってその場に倒れ込む。

 御丁寧に、鑑純夏の手には部屋のドアノブが握られたままだ。残念ながら、それはもうドアとはくっ付いていなかったが。


「……………何の騒ぎだ? お前ら」


 頭痛を覚え、思わず頭を抱えた武は、重低音の声調で2人に問い質す。数多くの訓練兵を震え上がらせた鬼軍曹の詰問だ。だが、彼女たちは、“いつもの白銀武”とは雰囲気が異なることなど意に介さないのか、絡み合うように倒れ込んだ状態から顔だけ上げて、武を見上げてくる。

「何って………」
「どちらがそなたを早く起こすかの勝負だ」
「今日はちゃんと7時になってからきたんだよ! 偉いでしょ~」

 前のめりに倒れた状態でも器用に胸を張る純夏の言葉に、武は無言で部屋の時計にちらりと視線を向ける。現在の時刻は0701。成程、兵は神速を尊ぶというが、彼女たちは見事にそれを実行したのだろう。
 逃げたいと素直に思ったことは、敢えて口には出さない。

「………あれ? 冥夜、お前、あそこのドアをどうしたんだよ?」

 彼女たちから思わず視線を逸らせた武は、部屋の片隅にあった筈の“不自然なドア”がないことを冥夜に訊ねた。彼の記憶が正しければ、あそこには武の部屋と御剣邸の冥夜の部屋とを直結させるドアがあった筈である。
 尤も、武の側から開けたことは最初の不可抗力を除けばそれこそ1回あるかないか程度だ。塞げと言ったのに、彼女が頑として頷かなかったのである。

 そもそも、それがあれば向こうのドアから突入してくるなど、冥夜はしないだろう。

「妙なことを訊く。そなた、覚えておらぬのか?」
「は?」
「昨日、旅行から帰ってきたおばさんが塞がせたんだよ? 冥夜と月詠さんを並べて正座させて話し合った後に。タケルちゃん、私と一緒に遠くから見てたじゃん」
 再び2人は声を揃えた。武の記憶の中では、この2人は決して仲は悪くなかったが、親しいと表現出来るのか少しばかり首を傾げる点も少なくなかった。ただし、周囲の目がそう見ていたかは甚だ疑問だが。
「帰ってきた………誰だって?」
 頭痛を覚えてこめかみをさすっていた武は、純夏の一言でその動きをピタリと止める。彼女は今、“誰”が冥夜たちを是正したと言っただろうか。
「だから、おばさんが―――――」


「おはよう、純夏ちゃん、冥夜さん」


 だが、純夏が答え直すよりも早く、彼女たちの後ろから当人が姿を現した。その人物を見て、武の心臓は早鐘を打つ。あまりにも思いがけない“再会”に、武は言葉を失った。
 背中の中ほどまで伸びた長い髪を後ろ手に結んだ中年女性が、腰に手を当てて笑顔で純夏と冥夜を見下ろしていた。朝の家事をいろいろとしていたのか、長袖の衣服の袖を捲り上げている。
 間違いない。そういえばこんな容姿をしていたな、と今し方思い出した武も、その、年齢を感じさせる頬の皺を寄せた笑顔があの“斯衛軍中将”によく似ている。

 白銀叶。
 それがこの人物の名前。

「おはようございます! おばさん!」
「おはようございます、叶殿」

 やはり絡み合った腹ばいの状態で挨拶に応じる2人。その直後、叶の頬がピクリと動いた。表情自体は笑顔のままだが、口元が僅かに震えている。
 あれは怒っている。
 白銀武は即座にそう判断した。18年間も息子をやってきた彼は殊更、母親のそういった機微には鋭い。それが分からなければ死活問題だったからだ。
 ただし、その怒りの原因がどこにあるのかという問題は流石に分からなかったが。

「台所にいるあたしに挨拶もなしに、いきなり他人の家の2階に駆け上がるなんて、今日は随分と急いでるのね」

 武がベッドの上で茫然としていると、笑顔のまま叶は2人に対してそう言う。その一言でようやく、彼女たちも目の前の人物が怒っているのだと気付いたようだ。
 以前から純夏は早朝から他人の家に上がり込んできて、武の部屋に突入してきていたが、言われてみればいつも必ず叶に挨拶はしていた。それが、今回はなかったらしい。
 理由は至極簡単だろう。以前とは異なり、今は明確な競争相手がいる故、だ。悠長に挨拶をしていては、競争に負けてしまうのである。


 生憎と、良い意味でも悪い意味でも直情型の彼女たちには、叶からの印象を良くしておこうという考えには及ばなかったようである。実に残念だ。


「………まあ、挨拶は今ので善しとしておきましょう。ところで純夏ちゃん」
「え? え……えっと、何ですか?」
「その手に持っているのは、何?」
 挨拶の件で事無きを得たと安堵したのも束の間、叶の怒りの矛先は彼女たちの態度から、純夏の右手に握られたままのドアノブの存在に変わっていた。繰り返すようだが、あれはもうドアとは繋がっていない。
「あー……うー……ドア……ノブです」
「反省は?」
「してます! ごめんなさいっ!!」
「冥夜さんは?」
「………申し訳ありません」
 笑顔で威圧され、純夏は今にも泣きそうな表情をして全力で謝罪の言葉を紡ぎ、冥夜は神妙な面持ちで静かに陳謝する。両者の性格がよく表れた反応だった。

 2人のその反応と言葉に、叶は1つ、大きなため息をついてから今度は小さく笑う。今度は心の底からの笑みだ。もう怒りは綺麗さっぱりなくなっているようである。

「よろしい。じゃあ、学校行ってらっしゃい。2人仲良くね」

 叶は階段の下を指差して、純夏と冥夜の2人にそう告げる。怒りは感じられず、強制力もない筈なのに、「行け」と言っているように見えるのは気のせいだろうか、と武は思わず視線を逸らしたくなった。
「え? タケルちゃんは?」
「あの子、昨日寝る前に体調悪そうだったから、様子見てから行かせるわ。純夏ちゃん、神宮司先生にそう伝えてくれる?」
「月詠! すぐに医療班の用意を!!」
「かしこまり―――――――」
「はいはい。冥夜さん、月詠さん、そういう労力をここで使う余裕があるなら、もっと社会貢献していらっしゃい」
 武の体調が悪いらしいという叶の言にすぐさま御剣財閥が動こうとしたが、即座に叶によって封殺された。たった一言だけであの御剣財閥の行動を止めてしまった。それを明瞭に示すかのように、冥夜の一言でフェードインしかけた月詠真那が、叶の一言でフェードアウトしてゆく。


 それだけで武は理解する。
 やはり、この白銀家におけるヒエラルキーの頂点には今尚、母親が君臨しているのだと。それも、雲の上を遥かに突き抜けたような位置で。





「…………親父と旅行に行ったんじゃなかったっけ?」

 「行ってらっしゃーい」と、珍しく2人だけで登校することとなった純夏と冥夜を見送る叶に、武は制服の上着を羽織ながら問いかける。それと同時に、武は廊下の壁にかけてある日めくりカレンダーを一瞥し、今日の日付を確認した。

 2001年 12月15日。自分の誕生日の1日前だ。

「行ってたわよ。お父さんの休暇がバカみたいに長いから、流石に怪しいと思ってね。襟首引っ掴んで帰ってきたら、この始末」
 見送りを終え、玄関の扉を閉じた叶はため息をつくようにそう答える。武の記憶が確かならば、両親が旅行に出掛けたのは冥夜たちが押しかけてくる直前だった筈だ。そもそも、それすらも御剣財閥の力が働いているのだから、疑いようはない。


 正味2ヶ月。
 母よ、怪しいと思うのならばせめてもっと早く気付いてくれ。


 口には出さないが、武はそっと心の中で母親に対してそう苦言を呈する。

 だが、今の叶の返答と今日の日付を確認して、武には1つ、分かったことがあった。どうやら、この世界はこの“シロガネタケル”の主体記憶として定着している記憶に残っている世界とは、異なった時間軸を辿っているらしい。
 如何せん、武におけるこの世界の記憶では、2001年以内に両親が家に帰ってきたという記憶はないのだから。

「お父さんが知らない間に訳の分からない書類にサインしちゃっていたみたいでね。母さん、久し振りに本気で怒っちゃったわ」
 満足気に笑う叶の表情に、中心人物である筈の武すら、父と冥夜たちに僅かながら同情を覚えた。本気で、という言葉だけではどこまで怒っていたのかは委細まで分からないが、冥夜と月詠の叶に対する反応から察するに、相当なものだったに違いない。

 世界の御剣財閥と、日本内閣総理大臣を向こうに回して、それでも局所的ながら勝利を収める民間人。それが白銀叶だ。

「まあ、過ぎたことはさて置いて、武はこのあと、どうするの?」
「俺、体調悪いんじゃなかったっけ?」
「体調悪いの?」
「いや……別に悪くはないけど」

 思わず首を捻りたくなるようなやり取りをする母と子。そもそも、「体調が悪そう」と言ったのは彼女であって、武ではない。“この白銀武”には、この世界における“昨日の白銀武”の体調など、分かる筈もないのだ。

「そうでしょうね。寧ろ、昨日と比べて急に逞しくなったように見えるわよ」
「……………」
 冗談めいた口調でそう言って笑う叶に、武は何も答えられない。
 実際に、この白銀武はこの世界の白銀武よりもずっと逞しいだろう。彼はこれでも、向こうでは一流に名を連ねる軍人の1人だ。数多の死線を潜り抜けてきた彼は、肉体的にも精神的にも鍛え抜かれている。

 尤も、この世界で必要な強靭さかどうかは、別の話ではあるが。

「でも……なんか居辛そうだった。純夏ちゃんと冥夜さんがいる間、ずっと曇った表情してたわ」
「それは………」
「何があったのか知らないけど、わだかまりはちゃんと解消なさいよ?」
「………そんなんじゃねーよ」
 柔らかい表情から一転して、叶は可笑しそうに笑いながら言葉を続ける。彼女のその言葉に、武は肩を竦ませながら呟くように答えた。
 別に武は彼女たちと仲違いをしたわけではない。ただ、そこにいる彼女たちが、自分の望む鑑純夏と御剣冥夜とは、“どこか別人に見えた”のだ。それが、酷くやるせなく、結果として酷く居た堪れなくなった。
「そう? まあ、どうでもいいけど、愛想だけは尽かされないようにしてね。純夏ちゃんも冥夜さんも気に入ってるから」
「昔から母さんは純夏のこと、可愛がってたからなぁ」
 武は遥か彼方の記憶を引き出し、しみじみと相槌を打った。
 母が純夏を気に入っていることくらい、武だって知っている。
 基本的に武共々、純夏に対しても叶の躾は存外に厳しかった。しかし、純夏に髪を伸ばさせるようにしたのも、彼女の両親ではなく武の母である叶で、それくらい彼女は純夏のことを可愛がっている。

「あたし本当は、息子よりも娘が欲しかったのよねー」

 そんな母が冥夜のことも割と気に入ったらしいと、武がとりあえず安堵していると、彼女の口から聞き捨てならない言葉が飛び出した。その一言に、武は思わず2度見する。

「でも、今は武が自分の子供で良かったかなって思う」
「そう?」
「自慢の娘を何年もかけて育てるよりも、気に入った娘を武のお嫁さんにしちゃった方が楽だって、純夏ちゃん見てて気がついたの」
「本人目の前にして言うなよ! それ!」
 最初の言葉を一撃で台無しにする母親の二言目に、武は思わず声を上げた。今の言葉を鑑みるに、結局、武の評価は彼女の中で何一つ上がっていないということではないか。実に酷い。
 だが、武のそんな反応を見て叶はケラケラと笑っている。それが先刻の言葉が冗談だったからなのか、それとも単純に武の反応が面白かったからなのかは不明だ。

「………やっと、元気出てきたみたいね」

 一頻り笑った後、叶は穏やかな表情になってそう言う。その言葉で、武はようやくハッとなる。今、ようやく自分は“この世界”で腹から声を出した気がしたのだ。

「居辛そうだったってのは、本当。なんか悩み事? 母さんには言えないこと?」

 叶の言葉に、武は思わず視線を逸らせる。言えるかと問われれば決して首肯出来るようなものではない。まさか、「別の世界の話です」などと言っても、容易には信じてくれないだろう。

 ああ、だが、ただ1人の幼馴染みは信じてくれたか。

 武はそれを思い出して、一瞬、その堅い口を開きかける。しかし、すぐに軽く頭を振って、言葉を飲み込んだ。

 話してはならない。“あの世界のこと”を、“この世界”で話してはならないと、武は思い至った。何故なら、それはただの泣き言だからだ。“この世界”の人間ではどうしようもない事象だから、そんなものは愚痴や泣き言でしかない。
 それをこの場でぶちまけることなど、“この世界の人間ではないシロガネタケル”に、出来る筈がないのだ。


 だけど、1つだけ、たった1つだけでいいから、抽象的な問いかけを許して欲しいと、武は願った。


「母さんはさ………どんな時、満足だったって思える?」

 武がそう問いかけると、叶は露骨に眉をひそめる。当然の反応だろうな、と武は思わず苦笑してしまった。

「満足だった……ねぇ。なんか、もう死ぬ寸前みたいな感じがするんだけど、そういう状況?」
「任せるよ」
 叶からの問い返しに、武は曖昧に答える。実際のところ、状況設定としては彼女の言う通りなのだが、本人を目の前にしてそれを明言するのは憚られた。いや、あるいは、「母の死」をイメージさせるそれを武自身が拒んだのかもしれないが。
「……哲学的ね。人間って、ずっと満足していられる生き物じゃないから、そういう意味では、満足だったって思える瞬間ってないかもしれない」
「俺もちょっと……そう思う」
「だから、“最大の妥協点”で答える」

 顎に手を当てて考えていた叶は、うんと小さく首肯してから武にそう言った。最大の妥協点。最大、というところが実に深い。妥協点とは本来、最低限のボーダーラインだ。ここまでなら許す、という境界線である以上、それに幅などある筈も無く、最小や最大があるものではない。


「あたしはとりあえず、武より先に死ねれば「満足だった」って思えるんじゃないかと思う。出来ればお父さんにも先立たれたくはないけど、年齢的なものを考えればそれは高望みし過ぎよね」


 そう言って、叶は笑った。その言葉に、武は一瞬言葉を失う。

「……俺より……先に死ねれば……?」
「極論よ。子供に先立たれる親ってのは、それくらい辛いものなの。そんな体験をしなくていいなら、まあ、妥協出来るわ」
 そう言ってから、彼女は「もちろん、老衰が理想ね」と冗談めいた口調で付け足した。神妙な面持ちで答えると、空気が一際重くなると叶は理解しているのだろう。だからこそ、裏を返せば、言葉自体は本気で言っているのだと考えられた。
「そうね……あと、1つだけ武に注文つけていい?」
「別に……いいけど?」


「死ぬ間際のあたしに、「ありがとう」って言わせるくらいの息子でいてちょうだい。それならとりあえず、不満なんてないわ」


 その言葉で、武の心音は再び跳ね上がる。脳裏に過ぎるのは、“朝霧叶”が最期に残したたった一言。



 ありがとう、武。



 視線を逸らせ、武は視界が滲みそうになるのを必死で堪える。かつての自分なら「何言ってんだよ」と一蹴してしまいかねない言葉を投げかけられ、今にも嗚咽を漏らしてしまいそうな現在の自分に気付き、武の心はまた1つ、堅固なものとなる。

「まともな答えじゃなくてごめんね。こりゃ、親失格かな?」
 武の反応をどう受け取ったのか定かではないが、叶は苦笑気味にそう締め括った。彼女のその表情に、武は涙を引っ込めて無理矢理にでも笑い返す。
「いや……充分だよ。何か、母さんのおかげでいろいろ吹っ切れそうな気がする」
「そう?」
「そう」
 安堵した様子で叶が訊ね返すので、武は頷きながら同じ言葉を使って肯定の意を示す。その反応に、彼の母は「良かった」とまた笑った。それに武も笑い返し、ゆっくりと歩み出す。

「学校、行くの?」
「……まあ……そんなところ」

 叶の横を通り過ぎ、武が玄関で靴を履こうとすれば、母は問いかける。それに対して武は少しだけ歯切れ悪く答えた。だが、叶はそれに対して何も言及などしてこない。
 制服こそ着ているものの、鞄も何も持っていない彼が学校に行こうとしているわけではないということなど、言うまでもなく分かっているだろうに。

「気をつけてね」
「大丈夫」

 他に何も言わず、ただ、見送りの言葉をかける叶に武はそう言ってから背中を向けた。徐に伸ばした右手が玄関のドアノブを掴みかけて、1度、ピタリと止まる。

 進むことを躊躇ったからではなく、ただ一言、言いたいことを告げるために。


「俺は……いつどこにいたって、父さんと母さんの息子だよ」


 振り返らずに、武はそう言った。そのため、それを聞いた母の表情を窺い知ることなど出来なかったが、生憎と彼には不要なことだ。ただ、そう言いたかっただけであるから。
「どうしたの? 突然そんなこと言って」
「そんなことが言いたくなっただけだよ。じゃあ、行ってくる」
 驚いた調子で訊ね返してくる母に、武はやはり振り返らずに答えた。そのまま、再びドアノブへと手を伸ばす。


「………行ってらっしゃい。それと、ありがとう、武」


 その返答に、また一瞬、武は動きを止める。だが、それでも決して振り向くことも、何かを返すこともせず、ただ黙したままドアを開け放って外へと歩み出した。








 バタンと閉まった玄関のドアを見つめ、白銀叶はため息にも似た息を1つ、吐き出す。今し方出ていったのは、自分の息子である白銀武だ。いや、“自分の息子である筈の白銀武”と言った方がそれらしいかもしれない。

 どうしたんだい?

 玄関で立ち尽くす叶に、不意に声がかかる。振り返れば、生涯のパートナーである夫が、洗面所から顔を出していた。ネクタイを結んでいたのか、その手はしきりに首元を気にしている。

 ううん、何でもない。

 軽く首を横に振り、叶は彼に対してそう答えた。何でもないわけではないのだが、言葉にして説明するのがとても難しい内容なのだ。だから、そう答えていた。

 そう?
 うん、そう。

 夫の相槌は、深く追及するつもりはないと言っているような、あっさりとしたものだった。これでも、20年近く連れ添ってきた夫婦である。彼がそこまで鈍感な人間だと思っていない叶は、その気遣いに感謝しながら頷き返した。


 だけど、1つだけ、たった1つだけでいいから、抽象的な表現を許して欲しいと、叶は願った。


 ねぇ……影行さん。
 何だい? 叶さん。

 恐る恐る叶が声をかけると、夫は首を傾げながらも優しい口調で問い返してきた。いや、言葉の続きを促されたと言うべきだろうか。

 子供の成長って……ほんと、早いのね。気がつかないうちに、すごい大人になってる。

 叶はそれだけ告げて、再び、息子が出ていったドアを見つめる。そう言ってから、やはり叶は先程まで話していた武が、自分の知る息子とはどこか違う存在だったような気がして、胸が締め付けられる。
 この2ヶ月の間に、そうさせるだけの何かがあったのか。


 それとも―――――――――――――――


 ――――――――――さようなら。



 それとも、やはり彼は叶の知る武とはどこか異なった存在であったのか、だ。
 親としての不徳さから目を逸らすような気がして、口にするのを一瞬躊躇った叶だったが、堪え切れずに呟いていた。







 さようなら、あたしの知らない武。



[1152] Muv-Luv [another&after world] 第94話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/05/17 06:30


  第94話


 白銀武は走る。全力で、世界を駆け抜ける。
 そこはよく見知った道だったが、同時に、まったく見知らぬ街の路地にも見えた。それくらい、“このシロガネタケル”にとって“この世界”は相容れないものだった。

 簡単に息は切れない。
 元より、歩兵の完全装備でランニングしても、速度を一定に保ったまま完走出来る体力と筋力を培っているのだ。何の荷物も背負っていないこの状態なら、本当にどこまでも走ってゆけそうな気が、武はしていた。
 尤も、ここまで走ってきた距離とてたいしたものではない。肉体が屈強なためというよりも、精神的に慣れてしまっているためと考えられなくもないだろう。

 どこへ行けばいいのかなんて分からない。
 この世界には、武の事情を理解して、曲がりなりにも助け舟を出してくれる某物理教師は“まだ”いないのだ。彼女の協力を得るには、武がこれまで体験してきたことを説明しなければならない。

 だが、それでいいのか?

 武の心は身体にそう問いかける。結局、自分では何も出来ず、あの人に頼りっ放しになってしまって、本当に良いのか。
 そもそも、本当に自分自身には“何も出来ない”のか。

 解決策も浮かばないまま、武の思考はグルグルと巡る。しかしながら、そこから生まれる行動はたった1つのみ。彼の頭が考えを纏め切らないうちに、その身体はアクションを起こす。

 ただ、全力を尽くして、走り続ける。

 もし、どこまでも走ってゆけるのなら、今度は自分自身の意志で世界を飛び越えて、“あの世界”へ戻りたい。それが叶うのなら、精根尽き果てるまで走り続けても良いと、今の武は思う。



 そして武は、桜並木の坂道に辿り着いた。



 丘の上に建つ、白陵柊へと続く並木道。春になれば満開の桜のトンネルの中を、花弁の雨に包まれながら歩くことが出来る通学路。ただ、今は冬とあって淋しげに木々が佇んでいるに過ぎない。通学時間を過ぎたため、人の気配は武を除けば皆無だ。
 だからこそ、錯覚しそうになる。

 その光景は、数多の英霊が眠る“あの場所”によく似ていた。
 その光景は、恩師と上官が眠る“あの場所”によく似ていた。
 だけどそこは、“あの場所”ではなかった。

 武は坂の途中で足を止め、1本の桜の木の前に立つ。そこには鉄筋を立てかけただけの墓標などなかったが、間違いなく横浜基地の“あの場所”と同じ位置関係にある桜の木だ。
 この桜は、季節が巡れば再び鮮やかな花を咲かせるのだろう。その下を通るほとんどの人間が、それをさも当たり前のように感じながら、春を過ごしてゆくのだろう。

 しかし、武は違う。武は、ここの桜が花開かせる度に感慨深いものを感じる。生命の息吹を、強さを、懸命さを、鮮明に見せ付けられる。そしてそう感じる度に、武は誓ってきた筈だった。

 負けるものかと、諦めるものかと。
 逝った同胞に、必ず報いてみせると。
 横浜の地で桜が花開く度に、武はそれを誓ってきた。

「神宮司軍曹、伊隅大尉。俺には…………まだやり残したことがありますよ」

 晴天の空を見上げてから、武はそう呟いた。彼女たちはここに眠っている筈などないのに、ここが“あの世界”と一番繋がっているような気がして、そう呼びかけていた。


 そんな郷愁の念に駆られていたためか、武は接近する者の存在に気付くのが遅れる。


「タケルちゃん……?」
 武が気付くのと、彼女が声をかけてくるのはほぼ同時だった。振り返れば、どこか不安げな面持ちの幼馴染みがそこに立っている。
「………もう授業、始まってんじゃないのか? 純夏」
「う……うん。ちょっと、忘れ物しちゃって」
 振り返った武に答える彼女は、どこか戸惑いがちだ。さっきは気付かなかった、武の異変に今、気付いたのかもしれない。あるいは、「忘れ物」自体が方便で、武の様子を確認するために戻る最中だった可能性もある。
 鑑純夏は、それくらいの行動力を見せる幼馴染みなのだ。
「高校生にもなってそれかよ。お前は一生、指差し確認を続けた方が良さそうだな」
「タケルちゃんには、言われたくないよ」
 くくっと可笑しそうに口元を緩める武に対し、純夏は唇を尖らせて小さく反論を示した。大声を出すことも、必殺の右を繰り出すこともしない彼女のその反応は、鑑純夏が何かに勘付いているらしいと武に判断させるのに充分なものである。


 どんなに嘘みたいな、おとぎばなしのような話でも、武がそれを真面目に話せば、彼女はそれを真面目に受け取る。鑑純夏は、そんな幼馴染みだった。


「なぁ……純夏」
「……なに? タケルちゃん」
「この世界は……平和、なのかな?」

 武のその問いかけに、純夏は露骨に眉をひそめてみせた。当然の反応だろうな、と武は苦笑する。

「タケルちゃんには……平和に……見えないの?」
「平和に見えるよ。だからこそ……羨ましいし、少し虚しい」
 その返答で、純夏の表情は更に戸惑いの色を強くする。武の今の言葉には様々な“違和感”を覚えさせる部分があった筈なのだが、武には彼女がどこに引っかかったのかまでは判断出来ない。それに、知る必要などない。

 この世界は平和だ。少なくとも、この世界の日本は戦渦に曝されていない。それは非常に貴重で、重要で、理想に近い現実かもしれない。
 だが同時に、それを当たり前と思っている者が多いことに、武は一抹の虚しさを覚える。
 明日、自分は死ぬかもしれない。そんな覚悟を持てとは流石に言わない。そんな覚悟を持ったところで、この世界の日本ではあまり役には立たないだろう。

 それでも、簡単に「死ね」とか、「殺す」とか、そんな言葉が使われている世間が虚しい。そんな言葉が会話の中で応酬されてしまうという現実が、本当に虚しい。

 少なくとも白銀武は、あの世界で生活するようになってから、他人に対してそんな言葉を投げかけたことなど1度もなかった。
 何故なら、接してきた多くの兵士たちは、本当に、明日、死ぬかもしれないからだ。もしかすれば、自分もその中に含まれているかもしれないからだ。
 どうしてもそう考えてしまう自分は、この世界にもう適合出来ない。


 言った筈だ。
 この世界で生きてゆくには、あの世界の常識が邪魔になる。あの世界での記憶は、邪魔になる。だから、残らず忘れなければならない。


 それが出来ない白銀武は、この世界で生きられない。生きてゆく自信がない。生きてゆこうとは、思わない。

「タケルちゃん……どこかに行くの?」
「何で?」
「やり残したことがあるって……さっき、そう言ってたよね?」

 純夏に訊ねられ、武は「そうだな」と小さく首肯した。その返答で、彼女の表情がまた少し暗くなる。

「すぐ……戻ってこられるよね?」
「………たぶん、無理、かな」
「なんで……!?」
「俺が死ぬまで、終わらないことなんだ」

 問い詰めるような純夏に対して、武は終始、冷静に言葉を並べる。死ぬまで、とは大袈裟な気もするが、それが事実なのだから仕方がない。
 白銀武がやり残したことは、そういうものだ。

 白銀武がやり残したことは、生きて生き抜くこと。あの世界で、戦いながら、守りながら、生きて、生き抜くことを彼はやり残してきた。それを鬼籍に逝った数多の同胞に誓った筈なのに、やり残したまま、この世界にやってきてしまった。

 だから武は帰りたい。あの世界に戻り、あの世界で死ぬまで生きてゆこうと思っている。


「タケルちゃん……どっか行っちゃ嫌だよ」


 今にも泣きそうな顔を純夏に、武はまた苦笑を浮かべる。恋人でなくとも、彼女の泣き顔はやはり苦手だ。だが、彼女に応えるわけにはいかない。武が愛したのは彼女ではなく、別の鑑純夏なのだから。

「別に……どこにも行かないさ。今が過ぎればきっと、お前の良く知るいつも通りの俺が目の前に立ってる。いなくなるのは、今話している“俺”だけだ。夢から醒めるみたいな感覚だと思えばいい」
「タケルちゃん……なんか、バカみたいなこと言ってる。もしかして、私のことからかってる?」
「からかってねーよ。割と本気で言ってる。だけどあんまり気にすんな。お前が気にしたって、しょうがねーことだから」

 しまいにはからかわれているのかとさえ疑い出した純夏に、武は可笑しそうに笑った。それはそうだろう。彼女にとっては、本当に訳の分からない話なのだ。それを一方的に話されているだけなのだ。普通なら、性質の悪い冗談だと一蹴するようなものである。

 それを一蹴出来ないのは、鑑純夏が武の幼馴染み故。武が何一つ、冗談など言っていないのだと、直感的に感じ取っているからこそ彼女は困惑している。



 不意に、白銀武は意識が引っ張られる感覚を覚えた。



「なあ、純夏、1つだけ、言わせてもらっていいか?」
「なんだよぉ……タケルちゃん……さっきから勝手だよ」
 瞳を潤ませる幼馴染みに、たった一言だけでも助言をやりたくなった武はそう問いかける。それに対して、純夏は不満気な表情をしながらも拒むようなことはしなかった。


「お前の幼馴染みは鈍感な男だけどさ、割とお前のことは好きなんだと思う。だから、諦めずにどんどん押していけ。一緒に温泉に入るくらいのこと、やっちまえばこっちのもんだぞ」


 冗談めいた口調で武がそう告げると、急に彼女は目を丸くする。だが、すぐに目尻に涙を溜めながら小さく笑い始めた。悪意も何も感じられない、本当に可笑しそうに笑う彼女の表情に、武も笑い返す。


「タケルちゃんからお墨付きをもらえるなら、安心だね」
「おう、安心しろ」
 冗談っぽく笑う純夏の言葉に、武も軽口を叩くような口調で返す。
 嫌われてなんかいない。寧ろ、彼女は白銀武から好かれている筈だ。何だかんだで、白銀武の一番近くにいるのは彼女の筈なのだ。それは、鑑純夏が誇っても良いことだ。

 それを、武は伝えたかった。
 今、この場で泣かせてしまった彼女が、笑顔になってくれれば良いと願ったが故に。

 また、意識が剥離する。遠のくとはまた少し違う感覚だが、イメージとしては似たようなものだ。今、“シロガネタケル”が見ている風景は、徐々に霞み始め、虚ろになってゆく。
 肉体がおかしくなったのではなく、単純に、この“容れ物”に入っている“シロガネタケル”の意識が、その風景を認識出来なくなり始めているということだ。


 帰れるな。


 直感的に武はそう悟った。恐らく、もう1度だけでも、瞬きをすれば、その瞬間にも自分の意識は向こう側に帰還する。まるで、鮮明過ぎる夢から醒めるように、彼は再び“向こう”で目覚める。

「タケルちゃん?」
 武の様子がまた少し変わったことに気付いたのか、純夏の表情もにわかに変わる。焦燥と困惑を混ぜ合わせたような顔つきで、武に対して呼びかけてきた。武はそれに、穏やかに微笑んで答える。
「………じゃあな」

 そう告げて、武はその目を閉じた。

「タケルちゃ――――――――――――――」






 さようなら、俺の幼馴染み。



 それと―――――――――――――――――――






「――――――――ただいま、純夏」


 目を開いて、武が最初に呟いたのはその言葉だった。すぐ目の前で、泣きそうな顔をしている彼女がいたが、そこは桜並木の通学路などではない。どこかの医務室なのか、硬いベッドの上に武は、薄汚れた白い天井を見上げる形で横になっていた。

 衛士強化装備に身を包んだままの白銀武は、弱々しくも自分を見おろす形で瞳を潤ませている純夏へと微笑みかける。

「おかえり……タケルちゃん」

 ただいま、という武の言葉に純夏は涙を溜めながらも微笑んで、そう答えてくれた。それがとても温かくて、武はまた笑う。

「なあ、純夏。俺が気を失ってから、どうなったんだ?」

 横になったままの状態で武は純夏に問いかける。自分がまだ強化装備を着たままということは、作戦終了からそう長い時間は経っていないだろうが、そもそも彼は結末を知らない。自身で設置したS-11の戦果すら、分からないまま意識を失っていたのだから。

「あのあと、残ってたS-11でミンスクの反応炉は破壊したよ。あの時生き残ってたみんなも無事」
「そうか……何時間、経ったんだ?」
「10時間くらい……かな。私もさっき起きたばかりだから」

 武の問いかけに、純夏は優しい口調で答える。どうやら彼女はずっと付き添っていたわけではなく、1度、休んでからきたらしい。尤も、あれだけ激しい戦闘の中核を担っていたのだ。休まない方が、どうかしている。

 それに、今の純夏の言葉で武は何故、自分がさっきまであれほどまでに鮮明な“夢”を見ていたのか、理解出来た。白銀武自身が意識を失い、鑑純夏も含めた近しい観測者たちもほとんどがこの数時間、深い眠りに落ちていたのだろう。

 その数時間だけ、シロガネタケルの意識はこの世界から乖離した。強力な観測者たちからの干渉を失い、彼自身の留まろうとする意志も昏倒したことで微弱になる。その2つが重なったことで、武の意識だけが、一時的に世界を越えた。

 だからその世界は、いつか見た夢よりも鮮明ながら、それでも決して現実になり得ないものだったのだ。
 それでも、その夢が“あの世界”だったことに武は感謝したいと思っている。
 もう1度、母親と話すことが出来たのだから。

「………俺……気を失っている間、夢を見てたよ」
「それは………本当に夢?」
 核心を突く純夏のその問いかけに、武は思わず苦笑を浮かべる。半ば意識のみが渡ったとはいえ、最大の観測者である彼女はそこが1つの世界として確立した場所であったことを分かっているのだろう。
 そして、本来の白銀武が、それに近しい世界で暮らしていたことも、彼女はよく知っている。

「夢だよ。俺が夢だって思ったんだから、あれは俺にとって夢だったんだ」
「………うん」

 武のはっきりとした返答に純夏は小さく頷き返す。
 夢と現実の境界は、目覚めた時にどう感じるかだけなのだ。武は今、ここで目覚めた。そして、今この瞬間を現実と認識している。だから、あれはただの夢。
 夢。おとぎばなしのような、現実とは違う世界の話。

「タケルちゃんは……それが夢で良かったの?」
「そりゃ……良かったよ。お前が傍にいないのは、やっぱり考えられないからな」
 武は左手を伸ばして、彼女の頬にそっと触れる。それに対し、驚いたように目を丸くする彼女の肌は、柔らかく、温かかった。一番求めていた温もりだと、彼女の体温を手の平で感じ取る武は少しだけ口元を緩める。

 さて、と武は思案する。
 自分が意識を失ってからもう10時間以上が経過しているとすれば、そろそろ日付も変わる頃だろう。ミンスク侵攻作戦の決行日が7月6日なのだから、日付が変われば月日は7月7日となる。
 自分は右手に“何か”握っているらしいとようやく気付いたのは、その時だ。あの状況で、自分は無意識のうちにこれを引っ掴んで、今の今まで決して離さないでいたらしい。我ながら褒めてやりたいと、武は素直に自讃する。

「純夏……外、雨降ってるか?」
「え? 降ってないと思うよ? さっき見たときは晴れてたから」
 夜空だったけど、と純夏は補足して、小さく笑う。それに対して、「そうか、降っていないか」と武はふむと相槌を打ってから、徐に右手に持っていたものを彼女へと差し出した。

 それは小さなウサギのぬいぐるみ。
 腕に結わえられたリボンと共に、武が唯一、戦場へと持ち込んだ私物。

 それを純夏へと差し出し、武は照れ臭そうに笑いながら口を開く。



「誕生日おめでとう、純夏。今年は雨が降ってなくて良かったな」










 やれやれと、医務室前の通路で肩を竦ませるのは、第27機甲連隊が誇る鬼の副長 マリア・シス・シャルティーニだけではない。彼女が視線を向ければ、同じように嘆息気味に肩を竦ませる者が、多数いた。

「このような雰囲気では些か入り難いな」

 狭苦しい医務室で交わされているささやかな逢瀬を前にそう小声で呟くのは、共にミンスクハイヴから生還した衛士 御剣冥夜。口元こそ緩んでいるが、目元は少々、淋しげである。

「一応、公然なんだけどね」
「まだまだ若僧だから仕方ない」

 片手で頭を押さえる榊千鶴の言葉に、腕組みをした彩峰慧が「困ったものだ」とでも言うかのようにもう1度、肩を揺らして答えた。彼女の言い分に、マリアは思わず苦笑する。

「でもまあ、純夏さんが相手じゃしょうがないんじゃないかな?」
「私は、たけるさんが目を覚ましてくれただけで嬉しいです」

 マリアと同じように苦笑する鎧衣美琴に続き、珠瀬壬姫が白銀武の回復に喜びの意を示した。彼女のその言に、一同は「ほう」と不敵に笑って壬姫に視線を送る。対し、全員からそんな視線を向けられてしまった彼女は困惑し、あたふたとするが。

「……どちらにせよ、出直した方が良さそうですね。ちょうど、貴女方にも迎えがきたようですので」

 ふふっと笑ってマリアはそう告げ、通路の先を指で示した。「迎え?」といった感じで目を丸くする彼女たちが同時に振り返ったその先には、彼女たちの先任士官が3人、立っており、真ん中に立つ速瀬水月が無言で手招きをしている。
 既に、涼宮茜と柏木晴子は確保済みらしく、両脇を固める宗像美冴と風間祷子によってがっしりと拘束されているのも、マリアは分かった。

「………何だろう?」
「事後処理だね。丸々残ってるし」
「中隊長の務めだ。致し方あるまい」

 首を傾げる美琴に対して、慧が顎に手を当ててあっさりと答える。それに続く冥夜の言葉は、彼女にしては珍しく疲労の色が強く滲み出ていた。

「………行きましょ」
「そうですね」

 ため息をついてから、全員を促す千鶴に頷き返すのは壬姫。それを合図とし、彼女たちは同時にマリアへと敬礼してから、上官の下へと歩き始める。医務室の2人に、存在を悟られないようにと極力、足音を立てずに、だ。
 そんな彼女たちを、敬礼と微笑でマリアは見送ってから、小さくため息を漏らした。
 それから、彼女たちが去っていった方向とは逆方向に向かって、黙ったまま足を踏み出す。


 今しばらくすれば、自分たちはこのベルリンの前線基地を離れ、ホームであるイギリスのプレストンに帰還することになるだろう。
 彼らに残された本日の逢瀬の時間は、それが期限。だから、邪魔することなど出来る筈もない。だが、武にもしそれを言えばきっと、「いらない気を遣うな」と叱責されるだろう。
 そうなるくらいなら、見なかったことにしておいた方が何倍も建設的だった。


 マリアが歩きながら顔を上げれば、通路の先に見知った顔が何人も見て取れた。それが誰なのか、確認するまでもなく、マリアは小さく笑う。

 衛士強化装備に身を包んだ、第27機甲連隊所属衛士の生還者一同。真ん中に立つのは、レイド・クラインバーグとエレーヌ・ノーデンスの2人だ。創設当初、60名を超えていた連隊衛士も、今や1個中隊規模を僅かに上回る程度である。
 ヘンリー・コンスタンス、柏木章好、水城七海も含め、彼らは足並みを揃えてマリアに敬礼。それが嫌に堅苦しく思えて、マリアは思わず苦笑してしまう。




 部下からの敬礼に対してマリアが返したのは、片手を上げて手を振る行為だ。共に数多の死線を潜り抜けた戦友たちに応えるには、それで充分だった。






 2005年 7月6日。後の歴史において、BETA大戦の事実上の終戦日と称されるようになるこの日、世界は歓喜に包まれていた。

















 そしてそれから、季節は1度、巡る。



[1152] Muv-Luv [another&after world] Epilogue
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/05/21 21:12

  Epilogue


 2006年 7月6日。
 日本 東京都 帝都城。
 その施設内の回廊を歩く人物が2人。共に蒼青の斯衛軍士官服に身を包んだ身長差のある2人は、世間公認の交際を持つ男女だ。

「腑に落ちない………」
 向かって左側を歩く斉御司灯夜は、眉間にやや皺を寄せてそう呟いた。
「白銀君のことですか?」
 その隣を行く九條侑香は、可笑しそうに笑いながら彼に問い返す。彼女のその言葉で、灯夜はようやく表情を緩ませた。
「ええ、その通りです、侑香様。横浜に再び任地を変えてから、あいつは1度も私のところに挨拶にすら来ない。昨日に限っては、呼びかけすら無視されましたからね」
 嘆息気味に灯夜は侑香にそう答える。それに対して、侑香はまた「あはは」と声を立てて笑った。
「まあ、今日は仕方がないでしょう。聞くところによれば、昨日は随分と前から先約が入っていたようですから」
「鑑のことでしょう? 存じ上げております。ですが、あいつの休暇を狙った呼びかけが尽く足蹴にされたとなると、流石に黙っているわけには参りません」
「と、言うよりも、他に約束があるから、白銀君は休暇を取っているような気がしますけど? 何も予定がなければ彼は、新人教育に勤しむと思いますよ」

 侑香のその言い分に、灯夜は「成程」と思わず相槌を打った。確かに、白銀武という男は、当人が口にしているほど自堕落な人間ではない。あれはあれで、不用意に働き過ぎるタイプだ。
 とにかく、予定があることを前提とした休暇ならば、こちらからの呼びかけが一蹴されるのも止む無い。ならば、手段を変える必要があるだろう。

「いつかのように、帝都城なり本宅へなり、連行してしまってはどうでしょう? 有無を言わさないにしても、そちらの方が可能性は高いかと」
「白銀中佐の公務時間を削るのは些か気が引けます。そもそも、私自身にはあいつを連行するような権限など、ありませんよ」
 軽く肩を竦めた灯夜は、侑香の発した本気とも冗談とも取れない意見に真剣な返答をする。たとえ灯夜が斯衛軍少佐にあろうとも、相手は極東国連軍の中佐且つ、日本国内最大の治外法権 横浜基地の第2連隊を統べる世界屈指の英雄だ。灯夜の都合で引っ張り出してくることは非常に難しい。

「あら、灯夜様のご希望とあらば、私も尽力致しますよ? 殿下と紅蓮閣下に具申すれば、案外、あっさりとご許可がいただけるかもしれません」
「御二人の場合、はっきり否定出来ないところが複雑です」


「おはようございます、侑香、灯夜」


 突如、背後からそう声をかけられた灯夜と侑香は、びくっと身を竦ませる。2人が同時に振り返れば、回廊の向こうから煌武院悠陽が紅蓮醍三郎を連れ立って歩いてくるところだった。
 灯夜と侑香の2人は共に通路の端に避け、同時に2人に対して敬礼を取る。それに対し、微笑みを浮かべながら悠陽は「畏まらずとも良い」と手で制した。

「2人だけ、というのは珍しいですね。関口はともかく、伊藤も栢山もおらぬのですか?」
「彼らは揃って外出中ですよ。双海の墓参りに行ったようです」
「左様ですか。月詠が出払っているのも、それが理由ですね、恐らく」

 悠陽からの問いかけに灯夜が答えれば、彼女は合点が行ったというように相槌を打つ。誰の提案か委細まで知らないが、双海楓の墓参りならば月詠真那が行かない道理はないだろう。寧ろ、彼女の仕事を引き受けてでも、灯夜は行かせる。
 思えば、灯夜はきちんと己の右腕だった彼女の墓参りをしたことがない。結局、つい先週訪れた朝霧叶の命日にも、墓前で手を合わせる機会に巡り会えなかった。

 しかし、彼はそれで構わないと思っている。そもそも灯夜自身、1年の間で黙祷を捧げない日は寧ろ少ないくらいなのだ。そのくらい、彼の部下も上官も、この戦争で死んでいった。

 遺骨も遺灰もない墓前で手を合わせる事実より、彼らの死を悼むという気持ちの方がずっと大切である。

 自分のことを棚に上げて……と言われればそれまでだが、灯夜の言い分はそれだ。
 それに、誰かが墓前で手を合わせたいというのならば、その時間を捻出するために尽力する他の誰かが必要である。今回において言えば、斉御司灯夜と九條侑香の2人は部下のためにその役回りを引き受けていた。

 尤も、そのおかげで第4、第6大隊の中隊長・小隊長を務める部下はほとんど出払うという、部隊として如何なものかと思わせる状況に陥っているわけであるが。

「殿下、偶然にも御二人に会えたのですから、正式な御勅命を下すのに先んじて例の件をお伝えしては如何ですかな?」

 そこで、これまで口を閉ざしていた紅蓮が悠陽へ耳打ちをする格好を取りながらそう進言した。ただし、耳打ちは本当に格好だけで、その声は寧ろ大きい。だから、灯夜と侑香は「例の件?」と思わず目を見合わせる。
「そうですね」
「何かあるのですか?」
「はい。侑香、灯夜、そなたたちの隊には、15日から2週間ほど、山口の視察に向かってもらうことになります。正式な勅命はまた後ほどに」
「御意に」
 悠陽の言葉に灯夜と侑香は同時に頭を下げる。
 任地が山口ということは、主に復興状況の視察並びに復興団体への激励の意味もあると考えられる。灯夜自身はさて置いても、九條家の次期当主たる侑香が派遣されるのは、そのためだろう。
 またしばらく帝都を離れることになるが、今回の場合は侑香も一緒なので灯夜に文句などある筈もなかった。

 ああ、1つだけ、敢えて苦言を呈することが出来そうなことがあったと、灯夜はそこで気付く。



 またしばらく、白銀武と酒を酌み交わす機会は訪れそうもない。



 そう思った灯夜は、小さく、本当に小さくため息にも似た息を吐く。あまりにもささやかな反応だったので、悠陽も紅蓮も灯夜の複雑な心境には気付いていないようだ。

 そう思って、ふと横を向けば、ただ1人だけ灯夜の心中を理解したのか、小柄な許婚が「あはは……」と若干の苦笑を浮かべていた。










 線香から立ち昇る煙がゆらゆらと揺れる。
 それを前に跪き、月詠真那は手を合わせたままゆっくりと閉じていた目を開く。その瞳に映るのは、双海家之墓と刻まれた墓石。4年前のあの日から、幾度となく黙祷を捧げてきた墓だ。
 彼女の命日などではない。だが、今日という日に大戦の戦死者を追悼しようと考えている人間は、世界中でもきっと多いだろう。

 今日は、ミンスク奪還が成された記念日。世界中の兵士が人類の未来を決するために一丸となって第2の反攻作戦を敢行した日であり、そして、その戦いに勝利した日。

 その記念日に、大戦史の英霊を弔おうと思うのは、決して特別なことではない筈だ。


 楓、ようやく私たちも、一息入れられそうだ。


 真っ直ぐに墓石を見つめ、月詠は心の中で親友へとそう報告する。
 ミンスク奪還が成された1年前のあの日から、BETA大戦は劇的に変わった。
 ミンスクハイヴの反応炉まで到達した国連軍の英雄部隊の手によって撃破されたBETAの新上位存在。それを失ったBETAは、桜花作戦後とは比較にならないほどその行動を緩慢化させている。
 事実上、小規模侵攻はおろか、ハイヴ増設を図った侵攻すらこの1年間、1度として発生せず、最前線へと回されている兵士の死亡率は驚くことにほぼゼロ。
 現在、目下検証中であるが、BETAはその増加速度すら減退させているとも言われている。
 それを裏付けるかのように、先月、ソビエト・アラスカ連合軍と米軍によって間引きに次ぐ間引きの末、攻略された甲25号目標は、当初想定されていたBETA総数のおよそ半数程度のBETAしか確認されなかったという。

 既にソビエト・アラスカ連合は甲23号目標攻略の作戦を立案しており、欧州では甲8号目標が攻略され、EU連合はスカンジナビア半島を完全制圧。彼らの悲願である欧州圏の奪還をほぼ完了した。
 また、アフリカ連合軍は現在、甲2号目標に対して間引き作戦を敢行している最中であり、半年以内には攻略作戦に打って出ると言われている。ASEAN連合は甲17号目標を制圧し、つい先日、台湾駐留軍とこの帝国軍に対して甲16号目標攻略の共闘作戦を打診してきたところだ。
 現状、帝国はその提案を受け入れる姿勢を取っており、同時に、1年以内には甲18号目標への行軍を開始する予定が立っている。

 それが、今の世界の現状。
 あれほどまでに厳しかった戦局が、ミンスク侵攻作戦を転機に、瞬く間に覆った。


「月詠少佐、ちょっと長へん?」
 黙したまま、親友へと語りかける月詠に、背後からそう声がかかる。関西系のそのイントネーションに、月詠は眉間に皺を寄せ、頬を引き攣らせながら立ち上がり、振り返る。
「五月蝿いぞ、関口」
「いやぁ、少佐殿のお気持ちはよーく理解しているつもりなんですが、このまま放っておくと、黙祷まで只今2時間待ち、みたいな状況になりそうで」
「また罰当たりな表現を……」
 可笑しそうに笑う関口の発言に、「はぁ」とため息をつく篁唯依が返す。確かに罰当たりな表現ではあるが、それ以前にそんな表現、双海楓当人が許すまい。もし彼女がこの場にいれば、全力で関口を追っかけまわして、捕まえた折には顔面を鷲掴みにするくらい、するだろう。

 事実、今日、この場に集まった同期兵や、第4大隊、第6大隊の古株共の中には、その顔面鷲掴みを喰らった者が何名かいる。
 もちろん、月詠は親友にそこまでやられるほど愚かではなかったが。

「でも、思わへん? この頭数でそんな時間取られたら、もう軽い宗教団体みたいに見られるって」
「おい、関口を黙らせろ。第4大隊一同」
 片手で顔を覆いながら、唯依が第4大隊の面々に対して関口の口を塞ぐように打診する。だが、生憎と誰しもが一斉に視線を逸らした。誰一人として、暴走機関車を止めるつもりはないようだ。
「無駄だ、篁。関口の減らず口は楓がいた頃からのものだからな。塞がるものなら、当の昔に塞がれている」
 どこに助け舟を出しているのか自分でも分からないながらも、月詠は唯依に対してそう説明を述べる。その言葉に、「流石、分かっている」と言わんばかりに関口を除いた第4大隊の参列者一同が一斉にこくこくと首を縦に振った。
「まったく……訓練兵時代はそれでももう少し、まともだったと思ったのだが?」
「任官してしまえばこっちのもんやからね」
「………貴様は一生、朝霧閣下と九條大佐、斉御司少佐に感謝すべきだな。うちに来ていたら、間違いなく矯正されていた筈だ」
「高坂大佐はその辺りも厳しい方だからな」

 ふふんと得意気に鼻を鳴らす関口の言い分に、月詠と篁は同時にため息をつく。彼女と共にする時間の長い第4大隊や第6大隊の面々は一様に苦笑気味だ。

「まあまあ、ええから、ええから。双海大尉の墓参りをしたいのは月詠少佐だけじゃないんやから、次に回してな」
 そんな一同の反応など意に介さず、関口は月詠の身体を引っ張って、墓石の前から退かせた。そしてそのまま交通整理をするかの如く、双海楓の追悼のために集まった者を1人1人、誘導してゆく。


 押し退けられた月詠はやれやれと肩を竦ませて、晴れ渡る澄んだ空を見上げた。この空の下のどこかでは、同じように戦友を喪った戦士たちが、同じように戦友の魂に対して語りかけているのだろう。
 繰り返すようだが、人類にとって7月6日とは最早そういう日なのだ。


 月詠はくっと唇の端を吊り上げる。
 「生き抜いてやったぞ」と、先に逝った親友に自慢するかのように、彼女は軽く笑ってみせた。




 だが、次の瞬間には月詠の表情はこれまで以上に険しくなった。
 理由は至極簡単なこと。

 順番の回ってきた篁唯依が、合掌したまま「ところで双海、結局、貴様が月詠を部屋から閉め出すきっかけとなった口論の内容は何だったんだ?」と、親友に対して問いかけた故、だ。










 時間はほんの数時間だけ進み、イギリス プレストン郊外。日本と時差が約9時間あるこの地も、7月6日の朝を迎えた。7月1日から6日までの……国内のみならず、世界中の英傑が鬼籍に入ったイギリス防衛戦からミンスク侵攻作戦までの6日間は、イギリスにおいて今年から定例の慰霊祭が催される期間に指定されている。
 この期間は、大戦史で逝った数多の英霊を追悼するための祭事であり、来年度からは各国の要人を招いた、より大きなイベントにする予定も決められていた。


「この辺りも、この1年で随分と変わりましたね」

 公道を走る車輌の助手席に座るリン・ナナセは、窓から外を眺めながら感慨深そうにそう呟く。運転席に座り、ハンドルを握っているジョージ・ゴウダはそれに対して、「ああ」と短く同意の旨を示した。
 かつては欧州国連軍の英雄部隊 第27機甲連隊が駐留し、グレートブリテン島東部の防衛要所の一角を担っていたこのプレストンだが、今は少しずつ、市街としての機能を取り戻し始めている。
 これは国内戦力の多くが、ベルリンやベオグラード、ミンスクを始めとした大陸の前線部の防衛要塞に回されていることが最大の要因であり、イギリス国内は生産力の向上を第一に目指しているようだった。

「ここもすぐに、都市として賑わうようになるんですよね」
「ロンドンもバーミンガム、ノッティンガム……戦争で要塞化した都市群も、5年以内には以前と同じ様相を取り戻すだろう。感覚としては既に、戦後に近いのかもしれんな」
 真っ直ぐに前を向いたまま、ジョージはリンの言葉に答える。その言葉にリンは「そうですね」と答えながら、複雑そうな表情をした。
 彼女の心境は、何となくジョージにも分かる。彼女は別に、戦争が事実上の終結を見せることに嘆いているのではない。ただ、ヒトが戦争の凄惨さを忘れてしまわないかどうかを、案じているのだ。

 尤も、それはあらゆる意味においても無駄な心配だろう。

 生憎と、人間は何世代もそんな曖昧で漠然とした“何か”を受け継いでいけるものではない。そうでなければ、歴史の中であれほどまで多くの戦争は繰り返されなかった筈だ。それに、今回の戦争は凄惨さこそあったが、虚無感はなかった。

 そこには、“繰り返してはならない”という教えがあまりにもなさ過ぎた。
 そして同時に、“人間同士で殺し合うことが如何に虚しいことなのか”ということを、この戦争で学び取れなかった者も存在する。この戦渦の中で、ヒトを撃つことを善しとした者が、存在する。

「………戦争は終わらん。俺たちはもう、武器を手離すことが出来ない」
「月面のことですか?」
「ああ」

 リンの問い返しに、ジョージはまた小さく相槌を打った。
 昨年の7月6日から、今日までの戦果を考えれば、遅くとも5年以内には地球上のハイヴは根絶出来るだろう。だが、月を奪還するには莫大な時間を要するのも間違いない。
 いや、カシュガルへのユニット落着から桜花作戦を介し、ミンスク侵攻作戦にまで至った人類は、半ば月の奪還を諦めたと言っても過言ではなかった。

 月にレーザー属が存在しているのかどうかは未だ、判明していないが、たとえいなかったとしても、地球でのケースを鑑みれば交戦開始から2週間以内には出現するだろう。それを出現させないようにするには、2週間以内に、月面に存在する2つのオリジナルハイヴを攻略するしかない。
 また、たとえそれが出来たとしても、その後にはバックアップが控えている。それを更に2週間以内に打倒するという計画が、おおよそ現実的ではないことなど、馬鹿でも理解出来る。
 また、人類の侵攻経路が軌道上からに限定されてしまっていることも痛い。それでは初期段階において、満足な補給線など確保出来ない。

 そんな分の悪い賭けに打って出るくらいならば、月面から飛来するユニットを迎撃し、地球の平安を保つ方があらゆる面で堅実的だ。蓄積された技術と経験をもってすれば、たとえユニットに落着されたとしても、戦術機甲部隊が2個師団もあれば、容易に制圧し、上位存在を蹴散らすことも可能だろう。
 現状、そのケースでバックアップが起動するのかどうかは不明だが、他にハイヴも反応炉もない以上、起動する可能性は極めて低いだろう、というのが一般的な見解だ。それに、アラスカでの前例もある。


 だから、人類はもう武器を手離すことが出来ないのである。


 火星から月、月から地球というユニットの進行ルートが確立されている以上、どこまでいってもBETAとの戦争はいたちごっこなのだから。


「私たちに出来るのは、蓄積した経験をどれだけ次の世代に教えることが出来るか、ですね」
「そういうことだ。これからは部下育成が主な仕事になりそうだな」
「大尉の苦手分野ですね、それ」
 可笑しそうに笑うリンにジョージは思わず頬を引き攣らせる。確かに自分でも、他人にものを教えるのは得意ではないと思っているが、それを他人の口から言われると無性に腹が立つのだ。
 だが、反論の余地はないので何も言い返すようなことはしなかったが。
「それにしても………プレストンの慰霊碑周辺は閑散としていましたね。あれでも一応、元英雄部隊の部隊慰霊碑だった筈なんですけど」
「リバプールからは離れているからな。流石にここまで足を運ぶ物好きはそういないんだろう」
「アメリカから足を運んだ私たちは相当な奇特者ですね」
「違いない」

 「奇特者」という言葉にジョージはここへきて初めて声に出して笑った。リンの言う通り、戦友を弔うために本国からわざわざイギリスのプレストンにある、元第27機甲連隊部隊慰霊碑まで足を運ぶのは疑いようもなく奇特な人間だ。

 信号で車輌を停止させたジョージは、窓ガラスを開けて空を見上げる。
 今日も1日、良い天気が続きそうな青空が広がっていた。










 大きな花束を抱えて、リィル・ヴァンホーテンは緩やかな坂道を上る。柔らかな風が吹き、草花は揺れ、木々の葉はさわさわと心地の良い音を立てた。

 その中、彼らはかつての部隊慰霊碑を目指して、緩やかに続く坂道を上っていた。

「ヴァンホーテン少尉、大丈夫? 持とうか?」
 彼女の斜め後ろを歩く、ヘンリー・コンスタンスがそう声をかけてくる。それに対して、リィルは足を止めて笑顔で振り返り、「大丈夫です」と答えた。
「あー……コンスタンス中尉、振られたね」
「そう言う貴様は、坂の下で振られただろう?」
「そういうクラインバーグ大尉は、艦から降りた段階で振られましたよね?」
 その光景を更に後ろで眺めていたエレーヌ・ノーデンスが口を挟めば、彼女の隣を歩くレイド・クラインバーグが軽く肩を竦ませながら言い返した。だからヘンリーは、振り返ってレイドへと笑いながらそう告げる。
 結局のところ、既に全員がリィルへ「持とうか?」と声をかけて断わられているのだ。大柄のレイドと比較しても大きな花束なのだから、小柄なリィルでは本当に抱え込む形になっている。それを彼らは見かねたのだろうが、リィルにとっては不要な心配だった。
 元より大きいとはいっても、別段、とても重いような荷物ではない。

 それに、リィル・ヴァンホーテンはこれをどうしても自分の手で運びたかった。


 クロサキ中尉、今、行きますね。


 坂道を上りながら、リィルは心の中で彼に対してそう声をかける。
 彼女が今、抱えている花束はイギリスに到着してから購入したものではなかった。これは、彼女が新天地として赴いた横浜の地で育てた花を、無理を言ってイギリスまで運んでもらったものなのだ。

 それを自分の手で運び、一緒に育てようと言ってくれたユウイチ・クロサキの墓前に捧げる。
 リィル・ヴァンホーテンは、ただ、そうしたかっただけなのである。

 ミンスク侵攻作戦から約3ヶ月後のある日、彼らは任地をイギリスから日本の横浜へと変えた。いや、正確に言えば、当初の段階で横浜に任地を変えるのは連隊長だった白銀武と、日本を故郷とする数名の兵士だけであった。
 しかし、第27機甲連隊の隊長格、各署責任者に収まっている人物は揃って、継続して白銀武の下へつきたいとレナ・ケース・ヴィンセントに具申。気がつけば、ほとんど顔触れも変わらないまま、横浜基地への駐留が決まっていたという寸法だ。

 尤も、香月夕呼の力が多分に働いた、とも取れなくはない。そもそも、リィルたちは彼女と“関わり過ぎた”のだ。横浜の地に置いておいた方が、その動向も監視し易いだろう。

「シャルティーニ少佐も来られれば良かったんですけどね。白銀中佐は仕方がないですけど」
 前を行く水城七海は歩く速度を緩めながら振り返り、少しだけ残念そうに言う。それにはリィルも同意だ。出来れば、マリア・シス・シャルティーニにも来てもらいたかったのだが、責任者である自分まで基地を離れるわけにはいかないと、彼女から今回の件は丁重に断わられている。
 ただし、彼女の残留があったからこそ、エレーヌとレイドという横浜基地第2連隊の大隊長2人の同行が叶ったわけでもある。その点を考えれば、彼女のあれは間違いなく気遣いだったのだろう。
「まあ、シャルティーニ少佐の分も俺たちで弔いましょう」
 そう言うのは柏木章好。水城七海と共に今も白銀武の下に身を置き、今は中尉に昇進して、1個中隊を任されている。彼のその言葉に全員が頷きながら、ゆっくりとその足を止めた。


 見渡せば、そこは小高い丘の上。整備された広場の中央に、やや大きめの碑石が置かれている。第27機甲連隊の元部隊慰霊碑。今は一応、一般にも公開される戦没者慰霊碑として置かれているものだ。


「静かだねぇ」
 辺りを見回すエレーヌが、複雑そうな表情でそう呟く。
 場所柄、賑わいをみせるような場所でもないが、自分たち以外に人一人いないというのは、少し淋しいことだ。ただ、きちんと整備が行き届いていることを考えれば、決して関係者から放っておかれているわけでもないのだろう。
「一般的に見れば朝も早い。人の出入りが多くなるのは正午頃からだろう。それに、俺たちにとってはこちらの方がありがたい」
 それに答えるのはレイドだった。彼の言う通り、戦友を弔うためにきた彼らにとっては、他の誰かがいるような状況よりも、自分たちだけという状況の方が集中出来る。
「今はプレストンも復興作業で忙しい時期ですし、リバプールにはもっと大きな慰霊碑もありますからね」
「でも、誰も来てないってわけじゃないみたいですよ?」
「どういうこと?」
 肩を竦めるヘンリーに、章好が微笑みを浮かべながら返す。章好のその言葉に七海は小首を傾げて訊ね返した。すると、彼は「ほら」と言いながら慰霊碑を手で指し示す。

 合わせてリィルがそちらを向くと、碑石の前には花束が1つ、置かれていた。

 彼女たちよりも早く、誰かがここを訪れて黙祷を捧げていったのだろう。それが、戦没者全体を悼むものなのか、特定の誰かを悼むものなのかはあれだけでは判断出来ないが。

「先越されたね」
「貴様はどういう状況なら満足なんだ?」
「いや、それもそれで悔しいかなと」
 レイドが呆れたように訊ね返せば、エレーヌは笑いながら冗談めいた口調で答える。彼女の言い分にリィルも可笑しくて笑ってしまった。
「ヴァンホーテン少尉、花束、早く置いてあげましょう」
「あ、はい!」
 七海に促され、リィルは抱えた花束を持って慰霊碑の前へ歩み出る。そしてそのまま、置かれていた花束の隣に自分たちの花束をそっと置いた。それから彼女は、胸の前で祈るように手を組んだ。

 彼女の後ろでは、章好と七海が合掌し、エレーヌとレイドが小さく十字を切ってからリィルと同様に胸の前で手を組む。



 黙祷。
 大戦史で逝った戦没者たちへ。
 任務に殉じた同胞たちへ。
 今の時代の礎となった、名前も顔も知らない英霊と、よく見知った戦友たちへ。
 その瞬間、この空間で口を開くものは皆無。この世界で囁いているのは風と、それに吹かれた草木だけ。そのくらい、ここに一時の静寂が訪れた。



 私、ちゃんと生きています。あなたの分まで、ちゃんと生きてゆきます。だから、安心してください、クロサキ中尉。



 目を閉じたリィルは、先に逝った彼に対してそう呼びかける。少し傲慢かな、とも彼女は思ったが、これはリィルの本心だ。
 生き抜くために戦うと語った彼に代わって、リィルは生きて、生き抜きたい。
 その信念を持ちながら、イギリスを守るために挺身した彼に代わって、リィルは生きて、生き抜いてゆきたい。


 彼らのそんな長い黙祷は、砂利を踏み締める僅かな音によって終わる。
 リィルが目を開き、手を解いて振り返ると、ちょうど成人の女性が小さな女の子の手を引いて坂道を上り切ったところだった。同じように振り返っていた七海が、「親子みたいですね」と囁きかけてきたので、リィルは「そうですね」とだけ答える。

 初めて会ったはずだが、不思議とどこかで見たことのあるような気のする親子だった。

「慰霊ですか?」
 普段話す時よりも若干、高く柔らかい声でエレーヌが成人女性の方へ問いかける。その問いかけに女性は小さく微笑んで、「ええ」と首肯した。
「リバプールに御在住で?」
「いえ、アメリカからです」
「アメリカから? なら、リバプールの方が交通の便も良いですし、何より立派な慰霊碑があったでしょう。何故こちらに?」
 次に訊ねたのはレイドだ。女性からの返答に彼は驚いたような声を上げ、更に訊ね返す。今現在のイギリスにおいて、民間航空機が離着陸出来る施設はリバプールにしかない。彼女たちは、アメリカからリバプールに飛び、そこからこのプレストンまで来たというのだ。驚くのは仕方がない。

「夫が……ここに眠っているんです」

 その問いに、女性は辺りを見回しながら少し淋しげに笑って答える。その言葉に、誰しもが「ああ」と小さく、納得の声を漏らした。
 特定の故人を悼むために訪れたという、女性がプレストンまで来た理由ももちろんだが、何よりも、その女性が“誰であるのか”ということについて。
 恐らく、誰もが「どこかで見たことある」と感じていたのだろう。そして、どこで見たのか同時に思い出したのだろう。

「軍人でしたか」
「はい、本当は、夫の命日は7月1日なんですけど、やっと休みが取れたので今日に。皆さんも、軍人ですね?」
「ええ、今は極東駐留の国連軍ですが、1年前まではイギリスに駐留していました。今日は、戦友たちの追悼に」
 女性からの問い返しにエレーヌは笑顔で肯定した。その答えに、女性は「そうですか」と同じように笑う。女性の反応に、もしかして向こうもこちらのことを知っているのだろうかとリィルは思った。


 その時、不意にリィルは女性が連れている女の子と目が合う。少女はその手にほんの2、3輪だけ纏められた小さな花束を持っていた。
 リィルは少女に微笑みかけ、そっと手招きする。
 少女はリィルのその呼びかけに1度、母親を見上げ、「いってらっしゃい」と許可を得てからとてとてと小走りでリィルのところへ駆け寄ってくる。

「お父さんに届けにきたの?」
 少女と目線が合うように屈み、リィルがそう訊ねると少女はこくりと頷いた。
「パパ……遠いところで今も戦っているんだって。遠過ぎて会いにいけないけど、渡したいものがあるならここに持ってくれば、神様が届けてくれるってママが言ってた」
「………そっか。お姉ちゃんもね、同じだよ。神様に届けてもらいたくて来たの」
「お姉ちゃんも?」
 少女の言葉にリィルは一瞬、目を逸らしてしまいそうになるが、それに耐えて笑い返し、碑石前の花束を指し示してからそう答えた。それに、少女は驚いて目を丸くする。
「うん」
 リィルは頷き返してから、そっと少女の頭を撫でた。くすぐったそうに少女は身体を揺らすが、心地良いのか拒むような反応は見せない。


 少女に触れた瞬間、リィルの思考に1人の男性の姿が浮かび上がった。


 草臥れた金髪の、朗らかな男性。見知った軍服姿ではなく、私服姿のその男性は優しげな笑顔を浮かべている。リィルが知る“彼”のどんな表情よりも、慈愛に満ちた表情だ。

 それだけで、彼がどんなに良い父親だったのかよく理解出来た。

 ディラン・アルテミシアが、どんなに素晴らしい父親であったのか、疑うべくもなく、リィルにはよく………理解出来た。










 時は再び僅かに遡り、日本 現地時間 7月6日の朝。
 極東最大級の魔窟 横浜基地。その敷地内を彼女が歩けば、すれ違う大抵の兵士が彼女に対して敬礼する。それくらい、ここにおいて彼女の持つ発言力は小さくなかった。

 きちっとした敬礼をした通信兵に同じように敬礼を返し、別れてからマリア・シス・シャルティーニは大きなため息を漏らした。
 自分はどうやら、すっかりこの魔窟の住人になってしまったらしい。恐らく、今や香月夕呼、白銀武、速瀬水月に次ぐ横浜基地の顔になっていることだろう。その事実があまりにも馬鹿らしく、彼女はため息をついたのだ。

「珍しいですね、シャルティーニ少佐がそんな大きなため息を吐くなんて」

 マリアのその反応に、隣を歩く宗像美冴が不敵に笑いながらそう声をかけてくる。それに対してマリアは思わずむぅと眉間に皺を寄せた。
 珍しいことだろうか、とマリアは思う。自分は昔からため息を吐かされることの方が多かった筈だ。基本的に原因は上官にも部下にもあったが。

「最近の少佐にとっては、珍しいですよ」
「そうでしょうか?」
「ええ」
 そう言って美冴はまた笑う。言われてみれば、任地を横浜に変えてからあまりため息をつくことは多くなかった気がする。尤も、それは比較的という言葉が付属する形ではある。
「それよりも急ぎましょう。もう速瀬中佐たちはゲート前で待っています」
「遅れてしまったのは宗像少佐がついでに先月の戦闘演習データを渡してきたからだと思いますが?」
「どうせ、それを確認しなければならない第2連隊の隊長陣はほとんど出払っているでしょう? あんなもの、とりあえずデスクの上に置いておけばいいんですよ」
 とんでもない美冴の反論にマリアはやれやれと頭を抱えた。どうして第1連隊の面々はこうも口が達者なのか。エレーヌ・ノーデンスに口煩く言ってきた自分の方が間違っているようにさえ、錯覚しかけるとマリアは思わされる。

 尤も、第2連隊の隊長陣が出払っているという美冴の言は事実だ。
 連隊長たる白銀武は、当初から予定されていた休暇に入っており、第2大隊、第3大隊を任させているエレーヌ・ノーデンス、レイド・クラインバーグの両名も、ヘンリー・コンスタンス、柏木章好、水城七海といった中隊長陣と、通信班のリィル・ヴァンホーテンを引き連れて渡欧している。
 つまり、横浜基地 第2連隊はこれでもかというほど主力隊員が不在なのだった。

 しかしながら、それはマリアが気を抜いて良い理由にはならない。寧ろ、彼らが不在の分もマリアが頑張らねばなるまい。

「こういう時は軽くでも気を抜きましょう。張り詰めている糸は、そのままではいつか必ず切れます。緩めることも必要ですよ」
「気をつけましょう………おや? あれは……」
 いつになく真面目な口調で助言してくる宗像美冴に、いつも通り真面目な口調で応対するマリア・シス・シャルティーニ。互いに少佐階級にあり、連隊副長を任される両者の会話など、普段からこんなものだ。
 その折、マリアは前方から駆けてくる人物に気付いて、小さく声を上げた。

「ああ、おはようございます、シャル少佐、宗像少佐」

 2人の前で立ち止まり、若干、気の抜けた敬礼をしながら挨拶を述べるのは、衛生班から情報班へと部署を変えた片倉美鈴だ。第27機甲連隊で衛生班を任せていた彼女も任地を横浜へと変えたが、今はもうマリア直属の部下ではない。


 いや、彼女の場合、“戻ってきた”という方が正しいように思えるが。


「お急ぎですか?」
「ええ、これから私用で少し外出を」
 マリアが問いかければ、笑みを浮かべながら美鈴は答える。相変わらず腹の底の見えない笑みだ。部下であった頃はあまりそう思わなかったが、今はしばしばマリアはそう感じている。
「“仕事熱心”なんですね」
「いやぁ、シャル少佐には負けますよ。公務、お疲れ様です」
「痛み入ります」
 マリアが投げかける皮肉もあっさりと躱し、そのままの笑顔で美鈴はマリアに労いの言葉をかけてくる。昔から彼女に対しては何を言ってもこんな感じであったが、今考えれば、とんでもない人間を内側に抱え込んでいたのだと思う。
「それでは、失礼します。また後ほど」
 本当に急いではいるらしく、美鈴は世間話も一切せず、再び敬礼をしてから足早にマリアたちの横を通過していった。言うが早いがとはまさにこのことだと言えるくらい、それは迅速だ。
「………こちらも急ぎましょう」
「………ええ」
 彼女のことは深く考えまいとマリアは頭を振ってから、美冴に声をかける。彼女も同じ気持ちなのか、長い沈黙の後に小さく首肯した。それから、まるで逃げるように足早に桜並木に面したゲートを目指す。





 マリアが美冴と共にゲート前まで赴くと、既にそこでは速瀬水月、涼宮遙、風間祷子の3人が待っていた。かなりの時間、待っていたのか、腕組みをした水月は些か不機嫌顔だ。

「お待たせして申し訳ありません、速瀬中佐」
「シャルティーニ少佐は気にしないでください。宗像、遅い!」
「この扱いは流石に酷くありませんか? 涼宮少佐」

 待たせたことをマリアが頭を下げて謝罪すると、水月は「気にしないでください」と答えてから即座に美冴のことを叱責する。その扱いの差に、さしもの美冴も腑に落ちないようで遙に対して救済を求めた。
 だが生憎、涼宮遙も風間祷子も苦笑を浮かべることしか出来なかったが。

「……我々だけですか?」

 周囲を見回しても他に誰もいないことに関して、マリアはそう問いかける。
「さっきまでは香月副司令がいらっしゃいましたが、もう戻られました」
「御剣や涼宮、柏木は演習場で“客人”の相手ですよ。第2連隊の連中が粗方留守ですからね、派手にやっています」
「耳の痛い話ですね」
 マリアの問いに対しては祷子と美冴の2人が答える。特に、美冴の返答にはマリアも頭を下げざるを得ない。だが、いざ頭を下げれば、美冴は慌てて「そんなつもりで言ったのではありません」と弁解してきた。
「たぶん、他のみんなは午後になってから行くつもりなんだと思いますよ?」
「成程。その時間を捻出するため、皆さんは先に済ませておくということですか」
 遙の発言に、部下思いの良い上官だなとマリアが思ってそう答えれば、彼女たちは一様に困ったように笑う。否定しないところが、マリアの考えが的外れではないことを如実に示していた。


「でも、シャルティーニ少佐はイギリスに行かなくて良かったんですか? 日本に留まるより、そちらの方が良かったのでは?」
 部隊証を示し、ゲートを潜った彼女たち。緩やかな坂道を下りながら、マリアに対して水月がそう問いかけてくる。
「戦没者を悼むのなら、どこで祈りを捧げても関係ないでしょう。生憎、私は戦友を喪い過ぎました。特定の故人を弔うには、時間がなさ過ぎるのですよ」
 それに対してマリアは1つの建て前を示す。今の言葉が丸っきり嘘というわけではないが、本音を言えば、マリアだってイギリスへ行き、鬼籍に逝った部下たちのために建てられた慰霊碑の前で黙祷を捧げたい。
 だが、部下たちがそれをしたいというのなら、そのために尽力してやれるのが上官の甲斐性というものだろう。そう思って、自分はどこに行ってもつくづくレナ・ケース・ヴィンセントの部下なのだなと痛感したが。
「それよりも、私が同行してしまって良いのでしょうか? 私は貴女方から見れば無関係な人間ですが?」
「それは大丈夫ですよ、戦没者を悼むのなら、誰が祈りを捧げても関係ありませんから。それに、シャルティーニ少佐は無関係な人間なんかじゃありませんし」
 対するマリアの心配を笑顔で一蹴してみせるのは遙だ。自分の発言と似たような台詞で返され、尚且つ「無関係ではない」と言われるのは、些か複雑なものだったが、決して嫌な気持ちにはならなかった。


 マリアはふと、上を見上げる。その双眸に映るのは、風に揺れる桜の葉。新緑の季節となり、青々と葉を茂らせる桜の木はこの横浜の地においてより一層、生命の偉大さを感じさせてくれる。
 彼女たちが足を向けているのは、その横浜基地の桜並木の一角にある1つの墓標だ。


 だが、不意に、先を行く速瀬水月の足がそこを目前とした場所で止まった。何事かとマリアが彼女の見つめる先へ視線を向ければ、そこには既に先客が立っているのが分かる。
 帝国陸軍の礼服に身を包んだ若き女性士官。鉄骨の立てかけられた墓標を前に、ショートヘアのその女性は黙したまま立ち尽くしている。だが、すぐにこちらの存在に気付いたのか、その女性はマリアたちに向き直り、整った敬礼した。

「珍しいですね、帝国陸軍の方がここにいらっしゃるというのは」

 驚いている様子の水月たちに代わり、マリアは前へ進み出てその女性に声をかける。敷地外とはいえ、ここは横浜基地と目の鼻の先にある場所だ。同基地の国連軍人ならまだしも、帝国軍人が訪れるというのは本当に稀有である。

「責任者の方からご許可はいただいているので、ご安心ください、シャルティーニ少佐」
「私の名前を知っているのですか?」
「もちろんです。これでも、1年前のイギリス防衛戦で一緒に戦ったんですよ?」
 いきなり名前を言われたのでマリアが目を丸くすると、彼女は可笑しそうに笑いながら更に驚くべきことを言ってきた。ミンスク侵攻作戦ではなくイギリス防衛戦となると、共闘した帝国陸軍部隊もかなり絞られる。
 だが生憎、あの時はいちいち初対面の相手の顔を覚えていられる状況ではなかった。だから、いくらマリアが顔を思い出そうとしても容易には出てこない。
「………すみません、私には覚えがありません」
「名乗りませんでしたから。それに、自分とシャルティーニ少佐とでは知名度も違い過ぎます」
 それでも、マリアが申し訳なく思って謝罪の言葉を口にすれば彼女は笑いながらそう答える。自分の場合は、個人の知名度が単純に高いのではなく上官の知名度が高過ぎる故に引っ張られているだけだと思うのだが、マリアは敢えてそこまでは口にしなかった。

「こちらには誰か、お知り合いが?」

 マリアは鉄骨で出来た墓標を指し示し、彼女にそう訊ねる。それで再び桜の木と向かい合った女性は、「はい」と肯定の意を示す。

「ここには、姉が」
「お姉さんが?」
 彼女の返答にマリアは更に驚かされる。身内を弔うのならば、それこそ墓前や、日本には仏壇というものがある。わざわざ、ここまで出向いてくるというのは少し奇妙な話だ。
 もしかすれば、彼女の姉はこの横浜で逝ったのだろうか。それは決してあり得ない話ではない。元よりこの横浜は近年において2度、激しい戦闘に曝されている。
 1つは、1999年 本州奪還の要、「明星作戦」。
 もう1つは、2001年 桜花作戦敢行のきっかけ、「横浜基地防衛戦」。
 その戦闘における戦死者の中に彼女の姉がいたのならば、ここまで足を運ぶのも不自然ではなかろう。

「姉が死んだのはここありませんけど、姉は………この桜並木が本当に好きだったらしいんです。今まではここに来るのは少し躊躇っていたんですけど……やっと来ることが出来ました」

 その言葉で、成程とマリアは納得した。特定の故人を弔うために墓前で手を合わせる者もいれば、その人物が逝った場所まで赴いて黙祷を捧げる者もいる。それくらい、死者を悼む行為というのは尊く、他人に縛られないものなのだから、彼女のような人間だっていても良い筈だ。

 故人が愛していた場所へ赴き、その魂に語りかけるという弔い方も、何ら不思議な話ではない筈なのだ。

「……名乗らなかった、と言いましたね? 戦場ではないここで会えたのも何か縁です。名前を教えていただけますか?」
 風になびく髪を片手で押さえながらマリアがそう呼びかけると、驚いたように彼女は目を丸くして、マリアを見つめ返してきた。それに、マリアはそっと微笑み返す。
 すると、彼女もまた笑って、ゆっくりとその口を開いた。




「………あきらです。伊隅………あきらです」










 砲声が木霊するのは、横浜基地の敷地内にある演習場にとっては日常茶飯事だ。最前線国家ではなくなったとはいえ、国連軍はどこに派遣あるいは転戦することになるのか分からない。訓練に身を入れ、自己研鑽することは何よりも自分自身を戦場で生かす要因となるのだと、兵士たちは理解している。

 しかし、大戦史に名を刻むこととなった英傑たちはそこから一段階、上へとステップを踏んでいた。
 御剣冥夜の場合、それはより一層の部下育成に尽力することだ。


 横浜基地の演習場で、国連軍に配備された蒼穹の不知火と、帝国陸軍が誇る烈士の文字が刻まれた漆黒の不知火が激突する。狭い市街地では遮蔽物を挟んで36mmによる攻防がなされ、空間のある広場では長刀による鍔迫り合いが続いていた。

「流石は彩峰! 腕は落ちておらぬようだな!」
 本来であれば模擬戦の最中に行う筈のない、敵機への通信で冥夜はそう呼びかけた。それと同時に、横浜基地 第1連隊所属第1大隊内第2中隊……通称112中隊(レギンレイヴ)の中隊長 御剣冥夜は大地を蹴り上げる。
『御剣は少し鈍った』
「戯れ言をッ!」
 それに応じるのは、対峙する“帝国陸軍仕様”の不知火に搭乗する衛士。帝国陸軍 特殊派遣大隊内第2中隊(ヒルド)の中隊長 彩峰慧だ。彼女もまた大地を蹴り、その手に持った長刀を一閃させる。そして再び、その刃は甲高い悲鳴を上げてぶつかり合った。

 彼女たちは既に何十合もこうして打ち合っている。無論、36mmによる攻撃も行われているが、冥夜と慧の実力と付き合いの長さを考えれば、多少の射撃など牽制にしかならない。

 不知火を戦場での相棒としてから既に4年以上。彼女たちの挙動制御技術は既にその機体性能を最大限に引き出せるレベルまで上がっている。その両者が高速移動で場所を入れ換えながら格闘戦を行っているのだ。そこに割って入るには、相当な実力を必要とする。遠距離からの支援ともなれば、それは尚更だ。

 しかしこの場にはただ1人、それを可能とする衛士がいた。

『バックアップします!』
 冥夜へ、ではなく、慧へとそう呼びかけるのは、帝国陸軍 特殊派遣大隊の第3中隊(ランドグリーズ)を任されている極東最高精度の狙撃手 珠瀬壬姫。彼女だけが、近距離で殴り合う冥夜と慧の血戦に“茶々”を入れることが許されている。

 尤も、他の誰もが許そうともそれを許さない人物も、この場には存在するのだが。

「柏木!」
『フレック1了解! もう捕捉してるよ!』
『ッ!!』
 壬姫がバックアップに入ると宣告するや否や、冥夜は僚機である柏木晴子に通信で呼びかけた。名前しかない呼びかけだったが、既に彼女は冥夜の求めていることを逸早く察知し、行動を開始している。
 横浜基地 第1連隊所属第2大隊第2中隊……122中隊(フレック)の将たる柏木晴子の狙撃技能では、生憎と冥夜と乱戦状態にある慧を正確に捉えることは叶わない。
 だが、彼女の真骨頂はその視野の広さだ。既に珠瀬壬姫をマークしていた彼女は、部下を率いて第3中隊(ランドグリーズ)へと突撃。狙撃が成される前に、狙撃手を潰すという単純な戦法だ。


 演習場の各所では小隊規模での接戦が繰り広げられている。だが、その交戦すべての中心にある戦闘は、一進一退を繰り返す冥夜と慧の攻防だった。彼女たちの打ち合いを軸に、この模擬戦は回っていると言っても過言ではない。


『退いて、御剣!!』
 高層ビルの残骸を飛び越え、3機の僚機を引き連れた涼宮茜が広場へ進入する。狙うのは彩峰慧のただ1人。横浜基地 第1連隊所属第3大隊内第2中隊……132中隊(スルーズ)を率いる彼女は、冥夜たちの乱戦へ近距離から割って入ることを敢行した。

 だが、思惑とは常にそれを阻止しようとする者がいるものだ。

 次の瞬間、茜が率いた小隊は空中で散開する。彼女自身もまた、跳躍ユニットの噴射方向を急転換させ、慧から離れる形で右方向へと進路を変えた。
 その不知火の装甲を掠めるのは、36mm。それを放ったのは、帝国陸軍 特殊派遣大隊を任されている、意外な出世頭の鎧衣美琴だ。廃墟の陰に部下共々陣取って、茜たちの接近を許さない。

『させないよ、茜さん!』

 流石は鎧衣美琴だと、冥夜は口元を緩める。元より、単独斥候技能に優れる彼女の場合、このような集団戦闘の時は何よりも“厭らしさ”が際立つ。普段はあのような性格だが、鎧衣美琴という衛士はその実、榊千鶴並に詰め将棋の得意な人間なのだ。
 事実、模擬戦で彼女を向こうに回した時、約6割の頻度で冥夜は気がつかないうちに追い込まれている。


 この1年の間に、元A-01衛士から4人が、帝国陸軍へとその所属を変えた。彩峰慧、珠瀬壬姫、鎧衣美琴、そして榊千鶴の4人だ。彼女たちからそれを希望する旨を聞かされた時、冥夜は酷く驚いたものだが、決して反対はしなかった。
 彼女たちにも、彼女たちなりの決意や誓い、思惑があるのだろう。戦友がそう心に決めたのなら、それが誤った道でない限り、冥夜には止める権利などない。
 まあ、当然と言えば当然かもしれないが、転属に際して彼女たちは実に優遇されていた。ミンスク侵攻作戦の英雄であり、個々の戦闘技術も申し分なく、教導経験も良質。そんな人材、捜したところでそういないのだから、優遇されて然るべきである。

 冥夜も恐らくは、いつか必ず帝国陸軍へと所属を変えるだろう。日本という国を守りたいという願いを果たすには、そちらの方が後々は都合が良い。ただ、今はまだその時期ではないというだけの話。


 剣を置くことは2度とない。
 月からBETAの襲来が続く限り、冥夜はその手に持った剣を置くことは決してあり得ず、その内に宿った気焔を絶やすことは決してあり得ない。



 私は生粋の武士。
 その生き様に、嘘偽りなど微塵もない。



 冥夜はほくそ笑み、口を開いて高らかに咆哮する。戦友であり、同胞であり、仲間であり、気がつけば最大の好敵手となっていた彩峰慧へ向かって、何度目か分からない斬撃を放つ。





 模擬戦の様子をモニターで眺めていた榊千鶴は、小さくため息を漏らしてから、くいっとその眼鏡を押し上げる。
 模擬戦で互いに会話をするとは実に馬鹿げている。それも、揃いも揃って中隊長陣が、だ。まともな模擬戦ならば、後々に長い説教を受けてもおかしくはない。
 反面、「分からなくもない」という気持ちも千鶴の中にはあった。恐らく、あの中へ自分も放り込まれれば、途中から通信回線を開きっ放しにするくらいの愚行はやる可能性がある。
 何せ、ミンスク侵攻作戦成功の記念日であり、久々に一同に会した貴重な日なのだ。高揚してしまっても止む無い。


 だがやはり、少しは自重して欲しかった。
 如何せん、今日は帝都から引き連れてきた“彼女の教え子たち”がいるのだ。知名度の高い衛士たちの模擬戦があれでは、影響を与えかねない。


「あの……教官、これ……演習なんですか?」
「演習よ、一応」
 同じようにモニターしている、1人の若き少年兵が唖然とした様子で千鶴に問いかけてくる。それに対して千鶴は「一応」と付け足して肯定の意を示した。
 連れてきた教え子の1人である彼の反応は至極真っ当だろう。少なくとも、訓練兵時代に正規兵のこんな模擬戦を見せられていたら、千鶴だって同じ反応をする筈だ。

 それくらい、今繰り広げられている演習は、激しく、壮絶ながら、どこか間違っているものなのである。

「でも、凄まじいですね。あの方たち、ほんとに人間ですか?」
「もちろん。中隊長の面々は全員、私と同期兵よ。横浜基地にはあともう1人、同期兵がいるんだけど、今日は不在ね」
 本気とも冗談とも取れない、別の教え子の「人間ですか?」という疑問に、千鶴は笑いながら答える。確かに、これほどまで練度の高い衛士同士の演習はなかなか拝めるものではない。加え、彼らは先日、ようやく戦術機の教習課程に進んだばかりの訓練兵だ。ようやくあの揺れに耐えられるようになってきた彼らから見れば、上下左右の区別もないような高速機動で撃ち合う彼女たちの戦闘風景は雲の上の話なのだろう。
「もう1人って……もしかして………」
「横浜基地 第2連隊の連隊長――――――」
「白銀武中佐!」
 千鶴が言いかけた言葉を遮る形で、連れてきた数名の訓練兵たちは声を揃えて彼の名前を言った。教え子たちのその反応に、千鶴は思わず苦笑してしまう。

 流石はミンスク侵攻作戦の大英雄。その知名度は最早伊達ではない。

「挙動制御なら彼はもっと無茶苦茶よ。第2連隊の運用機体は不知火弐型だから、彼女たちに輪をかけて、ね」
 千鶴のその言葉で少年たちはどよめく。今の模擬戦ですら、呆気に取られていた彼らだ。あれよりも上がいるなどと言われたところで想像することは難しかろう。流石に相手が中佐階級にある大英雄とあって明言を避けているのか、彼らは何やらひそひそと耳打ちをし合っていた。

 その様子が可笑しくて、つい千鶴は彼らのことをからかいたくなる。


「彼は本当に人間じゃないかもね」


 その一言で訓練兵たちは沈黙した。室内の温度も、少しだけ下がったように思えるくらい、空気が凍りつく。真顔で軍曹が中佐のことを指して「人間じゃないかも」と言ったのだ。普段、序列に口煩い千鶴がそれを言うのだから、少年たちにとっては衝撃も一入だろう。


 千鶴はほんの少しだけ、肩を竦ませる。


 今日に限って横浜基地にいないのだ。このくらいの冗談、笑って許しなさいと不在の彼に向かって心の中で呼びかける。


 尤も、そんなことせずとも、彼は本当に笑って許すだろうが。










 線香が煙を上げる仏壇の前に、白銀武は正座で座り、目を瞑って合掌し、黙祷を捧げる。古臭い和室の室内には、何名かの遺影が並んでいるが、武が向き合っている仏壇の上に置かれているのは、その中でも幾ばくか若い女性の遺影だ。

 朝霧叶。それがその遺影に描かれた人物の名前。

 ここは千葉の一角にある旧朝霧家の所有していた家屋だ。半年前に、先代当主であった朝霧叶の母が急逝してから、一部を除いて土地の所有権が白銀武へと移った。

 そうなるように申し出たのは、先代当主たる朝霧叶の母だ。娘が鬼籍に入り、自分もそう長くないことを悟っていた彼女は、武をこの家へと招き、「私が死んだ後、朝霧の私有地を引き取って欲しい」と、そう頼んできたのである。
 無論、武は当初、その申し出を丁重に断わった。国連軍人であり、ほとんどを軍施設で過ごす彼には、家など不要だったのだ。

 だが結局、祖母に当たる彼女に説得される形でその権利を受け取ることとなった。引き取ってからの使い道までは口を出さないと、どこかに寄付するなり、売却するなり、自由にして良いと言われた上、「いつまでも軍人として1人で生きてゆくわけではありませんでしょう?」とまで言われては、武に反論の余地などない。
 本家の周囲以外の周辺私有地を、朝霧家の使用人として働いていた方々に譲渡することを対価に、自分が不在の間はこの家の管理を頼んでいる。良い方ばかりのようで、いつ戻ってきても、旧朝霧本家は掃除の行き届いた“生きた家”だった。



 命日に来られなくてごめん、母さん。



 合掌したまま、武はまず母に謝罪する。昨日、ここに到着した時も同じように謝罪したが、こういったものは1度言えば良いというものではない。相手が、言葉を発することが出来ないなら尚更だ。
 武はこの家に戻ってきたら、毎朝必ず、こうやって黙祷を捧げる。かつてはあまり馴染みのなかった行為だが、武自身がそうしたいと思い立って行っていることだから、面倒だと思ったことなど1度もなかった。

 武が瞑っていた目を開くと同時に、背後ですっと襖が開いた。

「あ、タケルちゃん、おはよう。もう起きてたんだ?」
 後ろから朝の挨拶と共にそんな声をかけられ、武は「ああ」と相槌を打ちながらゆっくりと振り返る。そこには、にこやかな笑顔を浮かべる鑑純夏が立っていた。
 彼女も今は基本的に横浜基地で生活しているが、武がここに戻ってくる際には必ず同行してもらっている。今回も武同様に、昨日、ここに到着し、明後日の朝には横浜基地に戻る手筈になっていた。
「私も手を合わせて、いい?」
「いい加減、それ訊くのやめろって。悪いことなんかあるかよ」
 畳を踏み締めて歩み寄ってくる純夏の問いかけに、武は半ば呆れながらも答えた。ここに戻ってくる度に、彼女はそう訊ねてくる。何がそこまで気後れさせているのか知らないが、武にそれを却下する理由などない。
 武のその、嗜めるような返答に純夏は笑いながら「うん」と答えて、武の隣に静かに正座した。

 線香を捧げてから、目を瞑り、そっと彼女は合掌する。
 その横顔を眺めながら、武は様々なことを考える。それは、彼女は何を想って手を合わせているのだろうかとか、いつかこうやって毎日を過ごす日が来るのなら良いなとか、少し真面目なことから、彼女のまつげは意外と長いとか、閉じられたその唇が少し艶っぽいとか、取りとめもないことまで、本当に様々なことだ。

 だが、人間なんてそんなものだ。
 真面目なことばかりでは生きてゆけないし、下らないことばかりでも生きてゆけない。それが個々人の中で丁度良いバランスであるからこそ、生きていて楽しいのだと思う。
 だから、鑑純夏という女性は、自分にとって本当に丁度良い相手なのだと、武は思う。


「……ご飯にしよっか」
「……だな。流石にもう腹減ってきたよ」

 しばしの黙祷の後、武に顔を向けた純夏はそう呼びかけてきた。朝ご飯にしようという彼女の意見に同意しながら武は立ち上がり、軽く身体を伸ばす。腹の虫が鳴るほどではないが、空腹感は確かにある。食事を摂るには良い頃合だろう。

「霞は?」
「縁側だよ。子供たちとお話してるみたい」
 純夏の返答に武は「ほう」と相槌を打つ。最近はすっかり、この家は近隣住民の子供の遊び場になっている。別に悪戯をするわけでもない上、親から言い聞かされているのか、武たちがいない間、勝手に入り込んできたりはしないらしいので、武も放任していた。
 そんな子供たちは、どうやら社霞に懐いているようだ。
 霞は霞で、その環境に戸惑っている部分もあるようだが、嫌ではないという。ただ、物静かな彼女と、活発な子供たちが一緒にいると、どちらが場を引っ張っているのか微妙なところではあるが。
「呼びにいくか」
「そうだね。みんなもご飯まだだと思うから、1回、うちに帰さないと」
 純夏は言うが早いが、武よりも先に退室して、霞のいる縁側へと向かってゆく。武は参ったなと言うように頭を掻いてから、もう1度、仏壇の上の遺影を見つめ直した。


 だが、別段、何か声をかけるわけでもなく、小さく笑ってから武は彼女を追って部屋を出る。
 もう1人の家族を、迎えにゆくために。





 別の世界からやってきたその少年は、何度も何度も打ちのめされ、挫けながらも、決して諦めることなく歩み続けました。
 大切なものを幾つも失っても、幾ら悲しみの涙を流そうとも、負けるものかと自分を奮い立たせて、立ち止まることなく歩み続けました。
 転んでも立ち上がって、怖いという気持ちを抑え付けながら、敵と戦って、そうして彼は、守りたいものを守れるだけ、守ったのです。





「霞ちゃん」
「霞」

 縁側から足を投げ出す形で座り、両側に座る3人の子供たちに話を語り聞かせていた社霞は、後ろから2つの声で名前を呼ばれ、すぐに振り返った。室内から縁側に出てくるのは、白銀武と鑑純夏の2人である。

「おはようございます、白銀さん」
「おう、おはよう。お前らもな」
「おはようございまーす」
 霞が武に挨拶をすると、彼はすぐに笑顔で返してきた。朝から集まっていた子供たちにも彼は呼びかけ、子供たちもすぐに声を揃えて武に朝の挨拶を返す。
「朝飯まだだろ? 家帰って食ってこい」
 武が腕組みをしてそう言うと、子供たちから「えー」という非難がましい声が上がる。その反応に彼は眉間に皺を寄せながら、片手で頭を抱えてしまう。そこに霞がフォローを入れるよりも早く、純夏が口を開いた。
「またあとで来ていいから、ね? みんなのお母さん、心配してるよ、きっと」
 膝を曲げ、子供たちと目線を合わせた純夏は優しい口調でそう諭す。それには、子供たちも些か憮然とした表情ながら、「はーい」と素直に頷いて、縁側からまるで飛び降りるように庭へ出た。
 その光景に、純夏の後ろで頬を引き攣らせている武に気付き、霞は苦笑いを浮かべるしかない。

「気をつけて帰るんだよ?」
「はーい」
「霞お姉ちゃん! またあとでお話のつづき、聞かせてね!」

 見送る純夏の言葉に、また素直に返事をする子供たち。彼らが手を振りながら遠ざかってゆくので、霞はその場に座ったまま、控えめに手を振ってそれを見送る。

 それだけで、この縁側は急に静かな空間となった。代わりに初夏の風が木々を揺らす音が不意に大きくなったようだと、霞は錯覚する。

「今日は暑くなりそうだなぁ」
「天気予報でも、かなり気温が上がるって言ってたよ?」
 雲一つない青空を見上げる2人が、そんな会話をしている。まだ比較的朝も早いため、気温はさほど高いわけでもないが、陽射しの中にいた霞は確かに汗を滲ませていた。このまま燦々と陽射しが降り注ぐのなら、午後2時には真夏日に近い気温になるかもしれない。
「こういう日は、海だね」
「純夏、お前今、すごく良いこと言った。午後は海行くぞ」
「海………ですか?」
 武と純夏が発した言葉に、霞は思わずきょとんとしてしまう。暑い日には海に行くものなのだと、霞はここで初めて知った。
「おう、だから、霞も海に行く準備しておけよ!」
「私、海に行ったこと……ありません」
 拳を固めて力強く霞へそう告げてくるので、霞は目を伏せながらその事実を告白する。時代が時代であり、生まれたその時から特殊過ぎる身の上だった霞は、1度も海へ行ったことがない。1度たりとも、海を間近で見たことがない。

 霞のその告白に、2人は驚いたような表情で顔を見合わせてから、小さく笑い合う。

「じゃあ、今日は霞ちゃんの海デビューだね。霞ちゃんの分も、すぐに準備しなきゃ」
「それもいいけど、まずは朝飯の準備してくれよ? 純夏」
「あとは並べるだけだからそっちは大丈夫だよ。泳ぐなら行く前にどこかで水着も買わなくちゃね」
 意気揚々と足早に屋内へ戻ってゆく純夏。彼女の高揚振りに、海に行こうと言い出した武も呆れたように声をかけるが、どうも半分くらいしか純夏は聞いていないようである。
 彼女の後ろ姿に、武は肩を竦ませてから霞を見て、苦笑いを浮かべた。対し、霞は彼に対して微笑みかける。それから、2人で再び青空を見上げた。



「…………なあ、霞」

「はい、何でしょうか?」

「あいつらに、どんな話、聞かせてたんだ?」

 しばらくの沈黙の後、武にそう訊ねられ、霞は一瞬、困ってしまった。あれは名前もない物語だ。そして、極めて事実に近い物語だ。だから、“当人”である彼に対して何と答えれば良いものか、悩んでしまう。

 だから霞は、しばし考え込んでから、柔らかく微笑んで武を見返し、徐に口を開く。


「………おとぎばなしです」

「おとぎばなし?」

「はい。それは――――――――――――――」





 それは…………




             とてもおおきな とてもちいさな とてもたいせつな あいとゆうきの





「――――――――――――――おとぎばなしです」



















Muv-Luv [another&after world]  Fin



[1152] 主要登場キャラクター 部隊別簡易一覧
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/02/29 22:47


◇第27機甲連隊◇
 ①271戦術機甲中隊(セイバーズ):白銀武  マリア・シス・シャルティーニ
 ②272戦術機甲中隊(ストライカーズ):ディラン・アルテミシア
 ③273戦術機甲中隊(ハンマーズ):エレーヌ・ノーデンス  柏木章好
 ④274戦術機甲中隊(アーチャーズ):ヘンリー・コンスタンス
 ⑤275戦術機甲中隊(ハンマーズ):レイド・クラインバーグ  水城七海
 ⑥276戦術機甲中隊(ランサーズ):ユウイチ・クロサキ
 ⑦情報班:リィル・ヴァンホーテン
 ⑧衛生班:片倉美鈴
 ⑨整備班:ケヴィン・シルヴァンデール



◇戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ)◇
 ①第1中隊(スクルド):速瀬水月
 ②第2中隊(ミスト):宗像美冴
 ③第3中隊(アルヴィト):風間祷子
 ④第4中隊(フリスト):榊千鶴
 ⑤第5中隊(レギンレイヴ):御剣冥夜
 ⑥第6中隊(スルーズ):涼宮茜
 ⑦第7中隊(ヒルド):彩峰慧
 ⑧第8中隊(ランドグリーズ):珠瀬壬姫
 ⑨第9中隊(エルルーン):鎧衣美琴
 ⑩第10中隊(フレック):柏木晴子
 ⑪通信小隊:涼宮遙



◇斯衛軍◇
 ①第2大隊(ドラグーン):朝霧叶
 ②第4大隊(イノセンス):斉御司灯夜
 ③第6大隊(クレセント):九條侑香
 ④第18大隊(ブラッド):月詠真那  神代巽  巴雪乃  戎美凪



◇アメリカ陸軍◇
 ①522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ):ジョージ・ゴウダ  リン・ナナセ




[1152] 主要登場キャラクター 超簡易紹介文 (基本的1~3行)
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1849c621
Date: 2008/03/04 14:19
 超簡単な紹介文です。
 ◇はオリキャラです(何名かグレーゾーンもいますが)

 ………多いよ。


◆ 白銀武
…言わずと知れた第27機甲連隊の連隊長。階級は中佐、コールはセイバー1。衛士訓練兵教官を2年ほど経験してから欧州へと派遣されたXM3の発案者。教官時代は本当に鬼軍曹だったらしいですよ。詳しい説明は必要ないですね。



◇ マリア・シス・シャルティーニ
…第27機甲連隊の鬼の副長。階級は少佐、コールはセイバー2。指揮官適性と狙撃技能に優れた後方支援型。ヴィンセント准将とは連隊で最も付き合いが長い。金髪、碧眼の長身美人……という設定。お茶が好き。姉が1人いる。



◇ ディラン・アルテミシア
…272戦術機甲中隊(ストライカーズ) 中隊長。階級は大尉、コールはストライカー1。アメリカ出身で嫁と娘がいて、溺愛気味。金髪、碧眼だが、髪質は些かマリアに比べてくたびれた御様子。お茶のお誘いはコミュニケーションの一種らしい。



◇ エレーヌ・ノーデンス
…273戦術機甲中隊(ハンマーズ) 中隊長。階級は大尉、コールはハンマー1。以前にマリアの部隊に所属していたことがある。連隊随一の怖いもの知らずでムードメーカーで、部隊の融和には意外と熱心。綺麗な茶髪だが、前髪は指先で弄りすぎて癖毛気味。あと割と巨乳。



◇ ヘンリー・コンスタンス
…274戦術機甲中隊(アーチャーズ) 中隊長。階級は中尉、コールはアーチャー1。後に273戦術機甲中隊(ハンマーズ)の副長となる。アメリカ出身。指揮官適性に優れるが若干、気弱過ぎる点がある。父は元米軍少佐。衛士としての伸び代はたぶん一番大きい。



◇ レイド・クラインバーグ
…275戦術機甲中隊(ブレイカーズ) 中隊長。階級は大尉、コールはブレイカー1。衛士組では最年長の叩き上げに近い士官。エレーヌの暴走はよく止めているが、他は割と傍観気味の御様子。駆逐艦乗りの弟がいたが、死別した。



◇ ユウイチ・クロサキ
…276戦術機甲中隊(ランサーズ) 中隊長。階級は中尉、コールはランサー1。後に272戦術機甲中隊(ストライカーズ)の副長となる。見た目は日系で、性格は寡黙だが非常に勤勉で真面目。幼馴染みがいたが、死別した。格闘戦能力が高い。



◇ リィル・ヴァンホーテン
…第27機甲連隊 情報班総轄にしてマスコット。階級は少尉。ソビエト系の人種で、年齢の割には小柄。血縁者はおらず、ヴィンセント准将の叔母が身元引受人。経験は浅いが、情報分析、状況把握に優れている。オルタネイティヴ第3計画の第6世代。能力は低く、リーディングは対象との直接的な接触、プロジェクションは相手のリーディング能力あるいはそれに準じるレベルの適正が必要なのであまりに意味がない。



◇ ケヴィン・シルヴァンデール
…第27機甲連隊 整備班総轄。階級は少尉。整備の道に生きて10年以上のベテラン。扱った機体の系統も非常に多く、欧州では貴重な日本製戦術機も扱える人間。部下のことは盆暗呼ばわりだが、信頼はしている模様。酒はよく飲むらしいがザル。第27機甲連隊結成に当たって、レナ・ケース・ヴィンセントが武に次いで慎重に選んだ要員。



◇ 片倉美鈴
…第27機甲連隊 衛生班総轄。階級は准尉。連隊の中で一番、斜め上でよく分からない人。頭は悪くないが、微妙にズレていることがあったりなかったり。あと、連隊内では唯一、武が話す時に敬語を使っている相手である。それが何故かは秘密。



◇ 柏木章好
…273戦術機甲中隊(ハンマーズ)B小隊所属。階級は少尉、コールはハンマー8。柏木晴子の上の弟で、性格はやや気弱(姉に対して)。武の教え子①。水城七海とは幼馴染みで、彼女に好意を抱いているが、いまいち脈があるのかないのか分かっていない。



◇ 水城七海
…275戦術機甲中隊(ブレイカーズ)C小隊所属。階級は少尉、コールはブレイカー9。武の教え子②。単純そうに見えて実は曲者、とはエレーヌの弁。柏木章好のことは割と既に尻に敷いている感じがある。料理は得意。



◆ 速瀬水月
…戦術特務機甲連隊(イスミ・ヴァルキリーズ) 連隊長にして第1中隊(スクルド)の将。階級は中佐、コールはスクルド1。最近は有名な衛士の名前をリストアップした、「ぶっ飛ばしたいヤツリスト」……もとい「戦ってみたいヤツリスト」を作っているらしい。



◆ 宗像美冴
…第2中隊(ミスト)の将。階級は少佐、コールはミスト1。面白そうなことは問題にならない程度に傍観するのが、最近の趣味。実は、先任の中で一番、武の苦労を分かった上で絡んでくる人ではないだろうか。



◆ 風間祷子
…第3中隊(アルヴィト)の将。階級は大尉、コールはアルヴィト1。穏やかな性格だが、逆にそれが怖い。文系の趣味を持っていて、随一の早飯喰らいは趣味に当てる時間を捻出するための行動だろう、とは美冴の推測。



◆ 榊千鶴
…第4中隊(フリスト)の将。階級は大尉、コールはフリスト1。洞察力に優れ、指揮官適正は登場キャラの中でも随一。反面、単独戦闘力はさほど飛び抜けたものを持たない。尤も、登場キャラと比較して、という話であるため、優秀なことは確実。



◆ 御剣冥夜
…第5中隊(レギンレイヴ)の将。階級は大尉、コールはレギンレイヴ1。総合バランスではヴァルキリーズでもトップクラス。真面目で堅物な性格だが、昔よりは好転した模様。それでも、「休め」と中隊副長から咎められることはしばしば。白河幸翆の姪。



◆ 涼宮茜
…第6中隊(スルーズ)の将。階級は大尉、コールはスルーズ1。遊撃能力に秀でた近接戦闘型。冥夜と並んで向上心に余念がなく、日々、格闘戦と狙撃の技能を磨いている御様子。ある意味で武を最大のライバルとしているのは昔と変わらない。



◆ 彩峰慧
…第7中隊(ヒルド)の将。階級は大尉、コールはヒルド1。ヴァルキリーズが誇る格闘戦の専門家。寡黙だが割と冗談好きで、そういった性格が部下との人間関係を良好としている。実戦の中で磨かれた状況判断力が指揮官としての能力も高めているようだ。



◆ 珠瀬壬姫
…第8中隊(ランドグリーズ)の将。階級は大尉、コールはランドグリーズ1。圧倒的に狙撃技能に優れ、連隊内はおろか、極東随一。その最大の武器は精錬された行動予測による。空いた時間には横浜基地の花壇の一角で土いじりに勤しんでいる。小柄。



◆ 鎧衣美琴
…第9中隊(エルルーン)の将。階級は大尉、コールはエルルーン1。状況把握と斥候能力に優れ、あらゆる局面でも強気に行動出来る。幾ばくか改善はされているようだが、他人の話を聞かない性格は未だ残っているよう。



◆ 柏木晴子
…第10中隊(フレック)の将。階級は大尉、コールはフレック1。狙撃技能に優れているが、総合力は寧ろ壬姫よりも美琴に近い。ヴァルキリーズ随一のトラブルメーカーでムードメーカー。武をからかうことも多いが、弟思いの良い姉です。



◆ 涼宮遙
…ヴァルキリーズの通信小隊を統べ、連隊副長も務める最強の戦域管制将校。階級は少佐。連隊最大の良心で穏やかな性格だが、本気になれば止められない相手は誰もいないと思えるくらいの最強ストッパー。本人にその自覚があるのかどうかは未だ不明。



◆ 鑑純夏
…本作のヒロイン。00ユニットであり、リーディング能力、プロジェクション能力共に非常に強力。キャラクター性が固まり過ぎていて、原作とまず変わらないため、不本意ながらこれといって特別、書くべきことが正直ありません。ごめんね。



◆ 社霞
…衛士技能を取得したオルタネイティヴ計画にも関連する少女。かつてよりは他人とのコミュニケーションが取れるようになっており、ヴァルキリーズの隊長陣とは親しい。衛士としては狙撃技能に優れ、日々、水月と共に腕を磨いている模様。



◇ 朝霧叶
…斯衛軍 第2大隊指揮官。階級は中将、コールはドラグーン1。武を溺愛する斯衛の智将。朗らかで、老いを感じさせない行動力を発揮する。若い頃に恋仲になった男性がいたが、祖父の画策によって悲恋に終わった。相手は20年前に死亡。斯衛軍の荒鷲とは香月夕呼の弁である。



◇ 九條侑香
…斯衛軍 第6大隊指揮官。階級は大佐、コールはクレセント1。朝霧叶を師と仰ぐ彼女は五摂家が1つ、九條家の次期当主でもある。物腰は穏やかで、笑顔はデフォルト。恋愛に疎いわけではないが、着眼点は些か常軌を逸しているらしい。身長約150cmは割と大きなコンプレックス。



◇ 斉御司灯夜
…斯衛軍 第4大隊指揮官。階級は少佐、コールはイノセンス1。桜花作戦の折に指揮下部隊の武御雷をA-01に貸し、自らもまた部下を1人率いてそれに随伴した尖兵。斉御司家の次兄であり、九條侑香の許婚。指揮官としての才よりも衛士としての才が突出しており、昇進に対してもさほど興味はないらしい。部下は放任気味。



◆ 月詠真那
…斯衛軍 第18大隊指揮官。階級は少佐、コールはブラッド1。現在、最年少の大隊指揮官で、衛士としての才覚は類稀なるものを持ち、今後はより指揮官としての才を伸ばすことを先達から期待されている才女である。桜花作戦にて斉御司灯夜に随伴し、戦死した斯衛衛士 双海楓とは名実共に親友関係だった。



◇ レナ・ケース・ヴィンセント
…欧州国連軍 第2師団 師団長。階級は准将。古豪の英傑で、第27機甲連隊結成以前から、マリア・シス・シャルティーニとは上官と部下の関係で、その鷹のように鋭い双眸はしかとマリアに引き継がれている。しばしば真顔で武をからかっている模様で、それをストレス解消法としている節がある。



◆ ジョージ・ゴウダ
…アメリカ合衆国陸軍 522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ)中隊長。階級は大尉で、コールはレスター1。鳴りを潜めたG弾反対派で、F-22Aを運用しながら前線各国が使う対BETA戦術も駆使するという手法で反対派として祖国の誇りを守ろうとする堅物。衛士としての腕は一流だが、指揮官としての適正はその実、あまり高くない。剛田城二とは同姓同名の別人かも(笑)



◆ リン・ナナセ
…アメリカ合衆国陸軍 522戦術機甲中隊(レッドブラスターズ)副長。階級は中尉で、コールはレスター2。名実共にジョージの“良妻”で、名ジョッキー。やっていることは基本的に鉄拳制裁という単純明快さも、ある種、リンの魅力。敬愛する兄がいて、そちらは国連軍衛士である。指揮官適性が高い。同じく、七瀬凛とは同姓同名の別人かも(笑)



[1152] 閑話  Muv-Luv [another&after world]  第32.5話(没ネタ)
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2008/10/17 00:58
 





 夕呼の執務室を武たちは揃ってあとにし、そのままPXまでやってきた。時間としてはもう夕食時。兵士たちからすればやや遅めの時間であるが、まだPXは相応の混雑に包まれている。


 いや、その喧騒は普段とは何か違った。


 長らくこの基地から離れていた武でさえそう感じるのだから、常駐している兵士たちから見ればそれは圧倒的な違和感だろう。

 原因は何か?

 それは、本日のPXにおいて明らかに普段と違うものを挙げれば自ずと答えは見えてくる。何故か、横浜基地に駐留する顔見知りたちがやや遠巻きにマリアとヘンリーを見ていた。それも、いったいどうすれば良いのかという露骨な困惑の表情で。

「おい……ユウイチ、何だ? あれは」
 恐らくこの喧騒の中心人物であろうマリアとヘンリーが、食事を前にいたく険しい顔つきをしているので、武は身近な部下を引き寄せてそう訊ねた。
「シャルティーニ少佐とコンスタンスですが?」
「見れば分かるって。あの2人は何してんだ?」

 しれっとした表情で答えるユウイチに頬を引きつらせながら武は更に問い詰める。この何とも居た堪れない雰囲気の中心に自分の部下がいるのはかなり落ち着かないものだ。
 だがユウイチは答えず、視線を再び両者に向ける。
 並んで腰を下ろした2人が無言で見据えるものは、何の変哲もない食事。PXを取り仕切る京塚曹長の技量を最大限に活かすため、ほぼ和風で統一されているが、決して彼女たちの口に合わないものではないだろう。
 だが、2人の瞳にはまるで親の仇にでも会ったかのように、焦燥と苛立ちが浮かんでいた。
 緊迫した雰囲気の中、マリアとヘンリーは互いの利き手を上げ、その手に持った箸を食べ物に伸ばす。



 箸?



 武はそこで途轍もない違和感の正体にようやく気がついた。
 マリアとヘンリーの2人は、共に利き手に日本の食文化の象徴たる1組の棒が握られていた。慣れない食器に余計な力が入ってしまっているのか、箸を持った腕がプルプルと震えている。
「何で箸使ってんだ?」
「周りが使っていたからでしょう。シャルティーニ少佐もコンスタンスもその辺りのプライドは妙に高いようです」
 あまり抑揚の感じられない物言いだが、ユウイチの表情が呆れたものであることは武にも分かった。もちろん、呆れているのは武も同じである。
「横浜基地は日本人以外の人もけっこういるけど、確かにみんな箸を使ってるよね」
 武の横に立ち、美琴は実に核心を突いた一言を発した。
 その言葉に誤りはない。元より特定の国家に従属する軍隊ではない国連軍は、それこそ多種多様な人間で構成される。一般的には方面に応じた配属が成されるものだが、武のような例外もないわけではない。また、日本には現在、大陸で祖国を失った難民の一部も身を寄せているが、その多くが極東国連軍に入隊していることも事実だ。
 実際、この横浜基地に駐留する兵士の約40%は日本人ではない。ここに来るまでは日本の食文化はおろか、日本文化そのものにも詳しくなかった者だって多い。
 それでも、長らくこの生活圏で生きてきた彼らにはきっともう、箸を使うことなどは造作もないことなのだろう。

「お前とリィルは使えるのか?」
「オレの祖父は日本人です。使えないことはないですね。ヴァンホーテンも無難に使ってましたよ」

 その言葉に武は少し驚く。
 ユウイチが箸を使えることは、その容姿も相まって不自然ではないのだが、リィルまで使えることは意外だった。日本語も話せる辺り、彼女は家族に日本人でもいるのだろうか。
 あるいはただ無意味に器用なだけかもしれないが。

 そもそも、マリアとヘンリーが意地になっているのはリィルとユウイチが無難に使えてしまったことも影響を与えているのではないだろうか。
 そう思った武だが、これ以上面倒なことになってほしくはなかったので決して口には出さなかった。

「白銀、止めなくていいの? あなたの部下でしょ?」
 箸に悪戦苦闘しているマリアとヘンリーを示し、千鶴がそう問いかける。その素っ気無い表情といい、「あなたの」という単語を強調した言い方といい、何故か微妙に刺々しい。
「止めようと思って止められるものでもない気がするけど………おーい、マリア、ヘンリー」
 千鶴に促され、武は戦々恐々としながらもマリアとヘンリーに声をかける。


 その瞬間、マリアの箸が掴みかけた一口大のジャガイモを落とした。居た堪れない静寂が再び場を包み込む。


 意地を張っているマリアたちもマリアたちだが、それを物珍しそうに眺めるここの連中もここの連中である。下手に見守られるから彼女たちも退くに退けなくなるのだ。
「………何でしょうか? 白銀中佐」
 少し……否、とても不機嫌そうに顔を上げ、マリアはそう訊ね返してくる。彼女が放つ言いようのない凄味は、横浜基地の精強な兵たちでさえも思わず怯ませるほどだ。
「なっ……」
 感じたこともないマリアの威圧感に狼狽し、武は思わず「何でもない」と言って後ろに下がろうとした。だが、千鶴と美琴の2人によってぐいぐいと背中を押され、寧ろ彼の身体は前進してゆく。


 どうやら一切の後退は認められないらしい。


「中佐?」
「………ナイフとフォーク使うか?」
 そう言って武は素直に項垂れる。何にせよ、今の一言がプラスに働く可能性などないことは重々承知していた筈であるのに、困惑した武は咄嗟にそう言ってしまったのだ。
「……お気遣いは無用です。“郷に入れば郷に従え”というのは中佐の国の言葉でしょう? 甘えるわけにはいきません」
「どちらかと言えば俺に気を遣って欲しいんだが…………」
「何か?」
「どうぞ御自由に」

 武の一言が止めとなって、マリアはいよいよ何が何でも箸を使ってやろうという決意を固めてしまったようだった。事ここに至っては最早武に出来ることなど祈ることしかない。

「ちょっと! 白銀!」
「無理だ。俺には根本的な解決法が思いつかん。委員長、まずはこの衆人環視をどうにかしてくれ。話はそれからだ」
「それこそ無茶な話でしょ!?」

 あの2人……特にマリアがあの状態では周りの人間も落ち着けない。千鶴はそう言いたいのだろうが、周りの人間が落ち着かないからマリアたちは心理的に追い込まれているとも言える。抗いようのない悪循環だ。

 その時、武の横をすり抜けて、いつからそこにいたのか彩峰慧が前に出る。その手にはどういうつもりか配膳の済んだトレイがあった。

 何をするつもりなのかと傍観していると、慧はそのままマリアの向かいに座って極普通に食事を開始する。


 よりよって挑発ですか? 彩峰さん。


 武は思わずそう叫びそうになった。喉まで上がってきた言葉を強引に呑み込み、引き換えに肩で息をするはめになる。

「何やってんだい? ほら、こっち使いな」

 誰もがこの状況を打開する策はないのだろうかと諦めかけたその折、颯爽と横から入ってきた中年女性が有無を言わさずマリアの手から箸を奪い取った。そして代わりにナイフ、フォーク、スプーンの3点セットをその前に並べる。

「曹長……何を……」
「食事中にそんな眉間に皺寄せられてちゃ周りも落ち着かないよ。作った方としても良い気分はしないじゃないか」

 マリアの言葉を遮り、箸を奪い取ったその人 京塚志津江曹長は腰に手を当ててやや強い語調で続けた。その言葉にマリアも身体を縮こまらせる。

「あの……しかし……」
 それでもおずおずとマリアは口を開く。
「ご飯は美味しけりゃそれでいいんだよ。それとも、あたしの料理は口に合わないかい?」
「そっ……そんなことはありません!」
「ならまずは楽しんどくれ。楽しい食事が一番の活力になるんだよ!」

 刺々しい雰囲気を緩和させ、急にうろたえ出すマリア。彼女は基本的にお人好しなのだ。最近は殊更、その地が出易くなっている。
 相対し、京塚は破顔一笑してそう言った。
 その言葉に武と千鶴は顔を見合わせ、思わず笑う。
「あんた、武の副官なんだろ? 鋭気を養って、しっかりやっとくれよ! マリアちゃん!」
「そっ…曹長! 私はもうそんな年齢では……!」
 凄まじい発言を繰り出しながらマリアの背中を豪快に叩く京塚と、「マリアちゃん」と呼ばれたことで更に狼狽するマリア。だが彼女がどんな抗議をしようとも、京塚は声を立てて笑うだけで訂正する様子は微塵もない。
 それは無理もない話だ。
 京塚志津江曹長にかかれば、あの香月夕呼ですら「夕呼ちゃん」なのだ。マリアをそのように呼んだとしても、何らおかしいことはない。


 本当の意味でおかしいのはきっと、この横浜基地に所属する兵士の価値観だろう。


 正規の軍人ではない臨時曹長の京塚が、第27機甲連隊の副長たる国連軍少佐を叱咤激励するその光景は見る者によっては異様そのものだ。
 だが、それを不思議がる者はこの場にほとんどいない。
 この光景を見せられて、彼らが再認識させられたことはただ1つ。




 このPXという空間において、京塚志津江曹長は見紛う事無き最強の存在である。




 余談だが、マリアの隣のヘンリーは余計な力を入れ過ぎて腕が攣り、声にならない悲鳴を上げながら悶絶していた。



[1152] 後日談シリーズ 【1】   姉、来日①
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2008/11/08 02:35



  姉、来日 ①




 マリア・シス・シャルティーニ。ミンスク侵攻作戦の英雄部隊たる欧州国連軍 第2師団 第27機甲連隊の元副長にして、現在の極東国連軍 横浜基地所属 第2連隊の副長が彼女だ。
 狙撃と射撃を最も得意とする衛士であり、その技量と視野の広さでBETA大戦の大英雄 白銀武を支えてきた。それ故か、マリアの知名度はその実、日本でも非常に高い。彼女が生まれ育った国ではないにも関わらず、だ。

 尤も、当の本人はあまりそのことに関して実感がないようではあるが。


 2007年 5月某日。あと2箇月もすればミンスク侵攻作戦という歴史的大勝利の日から丸2年の月日が経つことになるある日、彼女にとって不幸な事故が起きた。






「お? マリアも留守番組か?」
 横浜基地のPXの片隅で、紅茶を傍らにマリアが書類を纏めていると、そんな声がかかった。その声にマリアは思わず顔を上げる。如何せん、構成総要員6000名を超えるこの横浜基地といえども、彼女のことを「マリア」と呼び捨てる人物はその実、一人しかいないのだ。

 第2連隊の将にしてBETA大戦の大英雄、そしてマリアが敬愛する上官。それ即ち、白銀武中佐である。

「ええ、休日を有効に使って、書類整理をしています」
「根本的に休日の使い方を間違えていると思うのは俺だけか?」
「そういうことは、その手に持たれたものを隠してから言うべきかと思いますが?」
「……………いや、これは新聞だ」
「成程、最近の新聞はあまり写真を使わなくなったのですね」
 無理のある武の返答に、マリアは意地悪く笑って、納得したように首肯する。彼女のその反応に武はやれやれと肩を竦めながら、その手に持った書類の束をテーブルに置き、マリアの向かいに座った。
 そしてそのまま、持ってきた書類へと目を通し始める。
 対し、マリアは徐に立ち上がり、その足を厨房の方へと向けた。

 そこにいるのは京塚志津江。このPXを取り仕切る最強の臨時曹長である。食事時ではなく、比較的閑散としたこの時間帯でも、彼女はほとんどこのPXを離れない。日がな一日、あの厨房に立ち、兵士に対して朗らかな笑顔を見せてくれるのが、京塚志津江だ。

「京塚曹長、私のカップをもう一つ、出していただけますか?」
 足を止めたマリアは、カウンターを挟んで向こう側にいる京塚へとそう呼びかける。
「マリアちゃんのカップかい? ああ、タケルだね。ちょっと待ってなよ」
「はい。お願いします」
 マリアが既に1つ、愛用のティーカップを持っていっていることを知っている京塚は、その呼びかけに一瞬、目を丸くした。だが、すぐに武の存在に気づいたらしく、いつものように明朗快活に笑って、厨房の奥へと入ってゆく。


 マリアのティーカップ。


 それはこの横浜基地PXへと持ち込まれた、マリアの私物三種の神器が一角だ。

 基本、軍が給仕の際に扱う食器はアルミ製である。使用量と運搬上の理由から、軽く、容易には割れない素材で作った結果、そうなった。そのため、如何にPXといえども、グラスならばまだしも、陶器のカップは流石に置いていない。
 だから、マリアは自分で持ち込んだ。愛飲する紅茶をしかと味わうため、ティーポットやティーカップを始め、きちんとした品を一式買い揃え、我が侭を承知でPXの厨房に置いておいてもらっている。

「お湯は足りてるかい?」
「そうですね。中佐の分を淹れるほどならば充分に」
「そうかい。まあ、あとで新しく沸かしたものを持っていっとくよ」
「ありがとうございます」
 京塚からティーカップを受け取ったマリアは、続けてかけられた気遣いの言葉へ丁寧な返礼をし、踵を返した。そしてそのまま、彼女は元いた席へと向かう。

「――――――――どうぞ」
 それから手際良くカップに紅茶を注ぎ、その一言を添えて武の前へと差し出した。
「お、サンキュ」
 それに気付いたらしく、武は一度顔を上げ、にっと笑いながら簡単な返礼をしてくる。お礼を言われるために差し出した紅茶ではないが、やはり一言でもそう言って貰えるのは心地良いと、マリアもそれに微笑み返した。
「そっちのは何の書類だ?」
「部備品の消耗数、陳情数に関する報告書です。定例のものですね」
「ああ、昨日、上がってきたヤツだな。まあ、いつもの通り頼む」
「はい」

 武の言葉にマリアは小さく首肯した。彼女はこういった事務的な報告書のまとめを武から一任されている。主に第2連隊付き整備班や通信班からの報告書は、マリアが纏めて面倒を見ているようなものだ。
 対し、白銀武が面倒を見ているのは主立って戦術機甲部隊関連のもの。各隊長から上がってくる訓練計画案や訓練報告書、戦闘報告の類を彼は担当していた。

「そちらも定例のものですか?」
「ほとんどは、な。まあ、ちょっとだけ毛色の違うものも混じっているけど」
「………何でしょうか?」
 やれやれと肩を竦ませる武の言動から、マリアは僅かに身構える。物騒な内容というわけではないのだろうが、恐らく、あまり愉快な話ではないのだろう。彼の反応から、マリアはそう思った。


「そろそろ、うちの方も軍縮の影響をもろに直撃しそうだ」
「………ああ、軍縮、ですか。成程」
 だから、冷や冷やしていたマリアも武のその一言で若干、胸を撫で下ろした。確かに、決して良い話ではないが、言うほど悪い話でもない。少なくとも、何やら血生臭い話題を予測していたマリアにとっては、胸を撫で下ろすことだったのである。
「年末までにはうちの連隊も大隊規模まで落とされる可能性はあるな」
「攻勢作戦への参加任務も多い我々ならばまだしも、基地防衛を主とする第1連隊は直撃しそうですね」
 武の言に相槌を打ちながら、マリアはそう返す。彼らが率いる第2連隊は主に大陸のハイヴ制圧作戦への派兵が多い。ミンスクハイヴの反応炉を破壊し、生還したマリアたちのネームバリューは、そのくらい高いのだ。
 それに対し、速瀬水月中佐率いる第1連隊は基地に残り、その防衛に当たることを主とする。第2連隊を剣と表現すれば、差し詰め第1連隊は盾なのだ。
「どちらにせよ、正式な辞令が来る前にいろいろ考えておかなきゃな」
「退役希望者も少なくはないでしょう」
「まあな」
 マリアがふふっと微笑み返しながら言うと、武は軽く肩を竦ませながら相槌を打つ。彼からすれば、部下が減るというのは複雑な心境なのだろう。たとえそれが、退役という形であっても、だ。
「白銀中佐はどうなのです? 希望すれば退役も決して不可能な話ではないでしょう?」


 彼の場合、厳重な監視付き、となるだろうが。


「そのつもりはないな。たぶん俺は、一生、この道で生きるんだと思う」
「何故です?」
「“この世界”じゃ、それ以外の生き方を知らないからだよ。それに、この生き方も案外、悪くないと思ってる」
 そう言って、彼は苦笑気味に笑った。その言葉が一種の真実であり、また一種の虚偽であることをマリアは気付いている。
 マリアが考えている通り、彼とて希望すれば厳重な監視の下ではあるが、退役することも可能な筈だ。世界の情勢は、それほどまでに安定している。だが、彼の恋人はそれが不可能なのである。

 鑑純夏という名の女性は、この横浜基地という場所から、香月夕呼という人間から一生、解放されない人間なのである。

 深い事情は一切知らないが、この2年でマリアはそれに気付いた。
 そして白銀武は、彼女と共にあるために軍人であり続けるつもりなのだということも、だ。


「―――――そうですか。では、私もそれにお付き合いするとしましょう」


 目を伏せかけたマリアは顔を上げ、笑みを浮かべ、冗談っぽくそう口にする。その申し出には、さしもの武も呆れたようだ。
「お前な……そんなことするくらいなら、もっと実になることを目指してくれ」
「私は軍人です。それ以上でもそれ以下でもありません。それに、“私もそれ以外の生き方は生憎と知らない”のですよ」

 何故ならば、それ以外の生き方をするための家を早くに手放してしまったからだ。マリアも、そして彼女の“双子の姉”もまた。

「………そういえば、鑑少尉はどうしたのですか? たまの休日なのですから、一緒におられては如何です?」
 元より、マリアは休日に基地内で武と遭遇することなどその実、滅多にない。理由は至極簡単である。彼が基本的に基地に留まっていないからだ。そうさせる最大の要因は、件の鑑純夏にあった。
「ふられた」
「は?」
「霞とリィルと一緒に出かけちまった。今回は除け者にされたらしい」
「それはまた………難儀なことですね」
 今にもPXの隅にいって膝を抱えて座り込んでしまいそうなほど気を落とした武に、マリアは思わず苦笑を浮かべる。普通に部下をやっていて、彼のこんな姿はそうそう拝めるものではない。

「午後から俺も出かけるかなぁ」
「よろしければお付き合い致しましょうか?」
「何だお前も暇か」
「他にやることがあればこんな書類整理などしていませんよ」
「いや、物凄くインドアなイメージあるから」
「インドアと外出しないは意味が異なります。まだ幾分か余裕はありますが、新しい茶葉を買うには良い頃合いでしょう」
 酷いイメージだ、と内心、文句を述べつつ、マリアは武に言い返す。本当は次の休日辺りに買いに出かけようと思っていたのだが、今日でも別に早過ぎることはない。
 寧ろ、“良い口実”だ。

「じゃあ、そっちの専門店に寄るのは決まりだな。個人的には百貨店一つで事足りるんだが」
「中佐はどこか寄りたいところなどはないのですか?」
「そんなところがあったらこんな書類整理なんてしてない」
「御尤もです」

 今し方言ったことをほぼそのまま言い返され、マリアは苦笑気味に首肯する。結局のところ、マリアも彼もやることがないからこんなところで書類の整理を行っているのだ。そしてその暇な2人が、暇を潰すために出かけるのである。



 どんな僥倖だ、これは。



 決して口には出せない感想を、心の中だけで呟く。別段、何をするでもなく基地で日がな一日過ごすのも悪くないが、所詮は悪くないだけのこと。今回の件とは、比較するまでもない。


 今日は運が良い。
 そう思ったマリアが、紅茶の注がれたカップに口をつけようとしたその時、この横浜基地最大の魔窟に、あり得ない人物が入ってきた。その人物を目にして、マリアは思わず口に含んだ紅茶を噴き出す。向かいの白銀武が思わず飛び退くほど派手に噴き出す。
 入ってきたのは、長いストレートの金髪をなびかせた女性。獅子と竪琴の刺繍があしらわれた制服に身を包んだ、碧眼の女。

 ガタンと乱暴に椅子を引き、マリアは立ち上がる。閑散としたPXでは、その音が大きく響いた。それ故に、今し方、入室してきた女もそれに反応し、マリアの方へと視線を向けてくる。

 マリアと目があった瞬間、彼女は満面の笑顔になった。

「れっ……レ―――――――」
「マリィッ!!」

 狼狽するマリアの言葉を遮り、その女はマリアの名を声高に呼ぶ。それも、家族しか使わないような愛称で、だ。その名前を呼ばれたことで、マリアは悲しいかな、確信する。





 前言撤回しよう。今日はこの1年間の中で最大級に運の悪い日だ。







 レティシア・ウル・シャルティーニ。イギリス王室騎士団の若きエースにして、マリア・シス・シャルティーニの双子の姉。それが来日したのである。



















                                                                                    つづく?



[1152] 後日談シリーズ 【1】   姉、来日②
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2008/11/11 04:37




  姉、来日 ②





 だだっ広いPXの一角に立つマリアと目が合うや否や、イギリス王室騎士団の制服に身を包んだ彼女は駆け出してきた。全力疾走という言葉すら生温く感じるほどの速度で、マリアの姉 レティシア・ウル・シャルティーニは突っ走ってくる。


 さて、とマリアはほんの数秒の間に思案する。
 一つ、即時戦略的撤退。否、レティシアが猛ダッシュをかけている以上、振り切るのは実に困難。即時撤退の選択肢は無意味だ。
 一つ、全力で迎え撃つ。否、レティシアと自分との格闘能力を比較すれば、組み合ったところで万が一にも勝ち目はないだろう。今日ほど9mmを所持していれば良かったと思う日はなかった。


「マリィ!」
 そんなことをしている間にも、レティシアは異様な速度で距離を詰めてくる。嬉々とした表情でもう一度、愛称でマリアの名を呼んでくるところが、その感情を如実に表している。
 次の瞬間、レティシアは床を蹴り、大きく跳躍。両腕を大きく広げ、抱擁する意志が見え見えの行動だ。





 だからマリアはひょいっと躱した。問答無用で、双子の姉の愛情表現を事も無げに躱した。





 勿論、人間はそんな簡単に止まれない。半ば飛びつくような形で抱擁しようとしていた相手に避けられた場合、当然、着地どころを失ってそのまま更に前進する。
 レティシアの場合、悲劇だったのはそれが、“飛びつくような形”ではなく、“正真正銘、飛びついてきた”ことだった。

 派手な音を立てて、イギリス王室騎士団の若きエースはPXの床の上を転がる。置かれている椅子を2つ、3つ薙ぎ払う勢いで、文字通り床の上を転がる。


「………ごめんなさい、レティ」
「………おい、マリア。これはいったい―――――――――」
「白銀中佐お付き合いするといった手前大変申し訳ありませんがたった今急用を思い出しました」
「ものすげぇ棒読みだけど………」
「気のせいでしょう。それでは!」
「あ、ちょっ―――――――――――」

 武の制止を振り切り、マリアは足早にその場から立ち去ろうとする。撤退に移行するならば、相手がもんどりうっている今しかない。レティシアが復活する前に、可能な限り遠い場所へいって身を潜めるしか、ない。


 だが、マリアは自分の姉を甘く見過ぎていた。原因は至極単純。こうやって直接顔を合わせるのも数年振りであるため、その頑丈さを見誤ったのだ。

 ガシッと襟首を掴まれ、立ち去ろうとしたマリアの身体は大きく後ろに仰け反った。仮にも国連軍少佐であり、ミンスク侵攻作戦の英雄の1人でもあるマリア。その彼女の襟首を鷲掴みに出来る者など、実に限られている。
「マリィ♪ どこにいくのかな?」
「……嫌ですね、レティ。まるで私が逃げようとしているかのような訊ね方ではないですか」
「だよね? 何か用事?」
「ええ、これからどうしても! 早急に! 一刻も早くやらなければならないことがありますので」

 疑っているのかいないのか、血を分けた姉妹であるマリアですら判断出来ないような言い回しをするレティシア。そんなレティシアの問いかけに相槌を打ちながら答える。「どうしても」「早急に」「一刻も早く」という単語を強調し、あたかも多忙であるかのような印象付けも忘れない。

「お前、さっき暇だって――――――」
 それに対して言い返してくるのは白銀武だ。無論、虚偽なのだから本当は暇に決まっている。だが、ここで時間を持て余していることを悟られるわけにはいかない。
 そんなマリアの鬼気迫る表情に気圧されたのか、武は途中で口を噤む。何だかんだでこちらの考えを汲み取ってくれる彼が本当に大好きだ。

「でも今日、休日でしょ?」
「っ!? 何故それを!?」
 休日だと確信を持って断言するレティシアに、マリアは思わず目を見張る。自慢ではないが、そんな自分のスケジュールを姉に逐一報告するほど人生は捨てていない。
「ここに来る途中で会ったマリィの部下の人が教えてくれた。えっと……確か……Miss Mizushiro」
「水城中尉……ッ!」

 その親切が痛い。
 そう思うマリアの脳裏には堪らなく良い笑顔で善事を働く水城七海の姿が浮かび上がる。きっと彼女はこれっぽっちも悪いことをしたという気持ちはないだろう。それもその筈だ。客観的に見て、水城七海が行ったことは善事以外の何物でもない。
 泣いてもいいだろうか。日本に来て、マリアは初めてそう思った。

「それでも、何か用事?」
「ごめんなさい」
 もう一度訊ねられ、もうマリアには謝るしかなかった。全力でレティシアに謝罪する他、何も出来なかった。

「あー……どなたか存じませんが……一応、マリアは俺と出かける予定になったんで、用事はありますよ?」
 そのタイミングで、恐る恐る、探り探りといった感じではありながらも、武がやんわりと割って入ってくる。その気遣いのみで建造された助け舟に、マリアはまた別の意味で泣きそうになった。
「中佐……!」
「むむ?」
 相対し、レティシアの方は実に訝しそうな表情だ。幾ら世界的に有名な大英雄だろうと、所詮は初対面の相手だ。いきなり会話に介入されてはそんな表情にもなろう。
 レティシアは唸り声を上げながら武を見つめる。頭の頂から足の爪の先まで、値踏みでもするかのように彼女は何往復も視線を這わせ、武のことを検分する。さしもの武も居心地が悪いのか、微妙にレティシアとは目を合わせない。



 だが、次の瞬間、双子の妹であるマリアですら予想だにしない行動を、レティシアは取った。



 マリアの襟首から手を放し、即座に自身の身なりを正したレティシアは表情を引き締め、白銀武の前に跪く。



「突然の来訪、御容赦いただきたく存じ上げます、白銀武中佐。お初にお目にかかります、イギリス王室騎士団 第3分隊副長 レティシア・ウル・シャルティーニと申します」
 体勢はそのままで、顔だけ上げた彼女は毅然とした態度で武に名乗る。先刻までマリアを構っていた態度とはまるで別人のそれだ。それには、マリアだって驚きを隠せない。
「……シャルティーニ?」
「如何にも。白銀中佐の副官を務めます彼女は、血を分けた私の双子の妹になります」
「マリアの姉?」
「はい♪ 以後、お見知り置きを」
 立ち上がり、先ほどと同じように笑顔を浮かべたレティシアは武へと頷き返す。その変わり身の速さに、半ば武は置いていかれているようだ。尤も、マリアもかなり呆れているのだが。

「こちらこそ、よろしくお願いします。つーか、名乗ってもいないのによく分かりましたね、俺のこと」
「そりゃもう。ミンスク侵攻作戦の大英雄ですし、何より、マリィから送られてきた手紙の中に写――――――――――――――」
「レティッ!!」
「んあっ?」
 今度はマリアがレティシアの襟首を引っ掴む番だった。何やら微妙なことを口走ろうとしていたようなので、武の差し出した右手を取ろうとする双子の姉を強引に後ろから引っ張る。


「何? マリィ」
「何を言おうとしているんですか、レティ! そもそも、何故日本にいるんですか!」
 あっけらかんと訊ねてくるレティシアを引き寄せてガシッと肩を組み、マリアは問い質す。口調こそ荒めだが、耳うちに近い会話なので声量も小さく、何とも迫力には欠けた。
「いやぁ、陛下から頼まれた野暮用で。ついでにマリィの様子でも見ようかと。あ、安心して。ここの責任者には正式に話は通してあるから」
「そうならそうと事前連絡くらい―――――」
「最後に寄越した手紙の消印が去年の12月だった薄情な妹に言われたくない」
「………………」
 満面の笑みでマリアのことを責め立てるレティシア・ウル・シャルティーニ。そんな痛いところを突かれては、マリアになど反論の余地はない。尤も、イギリスにいた頃からマリアはレティシアへそう頻繁に手紙を書いていたわけでもないが。

 元より、マリアは姉が苦手だ。嫌いなわけではないが、暇が出来たら積極的にコミュニケーションを図ろうと考えるほどの相手でもない。
 ただ、それをうっかり口に出そうものなら、レティシアはきっと泣く。嘘でも冗談でもなく、本気で泣くだろう。彼女はそれくらいマリアとコミュニケーションを取りたいのだ。
 生憎と、そのコミュニケーション自体がマリアを振り回し、結果的に敬遠させているのだが。


 仲は決して悪くないが限りなく平行線に近い間柄。それがシャルティーニ姉妹である。


「成程、成程。あれがマリィの意中の相手だね?」
「いちゅッ――――?! なっ……何を言うの!?」
「いや、少佐昇進の直後に手紙送ってきたでしょ? 上官が色んな意味で凄い人だって。その後、珍しく週一くらいでその人のことについて手紙送ってきたから、これは来たな、と思ったんだけど?」
「変な憶測をしないで!」
「今、確信に変わったから大丈夫」
「これっぽっちも大丈夫じゃない!!」
 また満面の笑みを浮かべるレティシアに、マリアはぶんぶんと首を横に振る。その行動には否定の他に、嘆きの意味も込められている。これはもう、うっかり姉に手紙を書いてしまった自分の浅慮さを呪うしかない。
 要するに、自慢したかったのだ。何だかんだで自分よりも優秀な姉に、自分の上官の凄さと、その上官の右腕を自分が任されているということを。

「なあ、マリア――――――――――」
「だいたい、白銀中佐には所帯があるんです!」
「今……所帯って言ったか?」
「いえ、『除隊』と言いました」
「え? 俺、除隊されるの? 隊長なのに?」
「いいじゃない、マリィ。今、時代は略奪愛だよ?」
「そんな時代、到来しません!」

 アップテンポと表現しても余りある会話。しかも、マリアを介さなければ成立すらしないものだ。マイペースな上官とマイペースな姉に挟まれ、マリアは今、日本に来てから最も困窮していた。
 PXにいる横浜基地の兵士たちは、マリアたちのことを遠巻きに、それこそ観覧よろしく眺めている。それも実に止む無かろう。当事者であるマリアですら、どうしようかと頭を悩ませているのだ。事情を微塵も知らない横浜基地の兵士たちにどうにか出来る問題ではない。

 所謂、最強のクリーチャー。レティシアに比べれば、部下であるエレーヌ・ノーデンスの何と御し易いことか。


「騒々しいな」
「何かあったのでしょうか?」


 進退窮まるマリアの耳に聞こえてきたのは、新たにPXへと突入してきた第三者の声。今の状況に置かれた彼女にとって神か悪魔か分からないが、それは比較的親しい間柄の者の声だった。

 宗像美冴と御剣冥夜のそれである。

「ああ、宗像少佐、冥夜。メシ……にしては早過ぎるか」
「午後の演習についての打ち合わせだ。第2連隊と違って、こっちは休みじゃないからな」
 武の問いかけにやれやれと肩を竦めながら美冴は答えてくる。彼女は、速瀬水月によって率いられる第1連隊の副長だ。言うほど付き合いがあるわけではないが、マリアにとっては立場がほぼ同じというだけあり、話せば意外と会話が続く人物である。
「ああ、そう言えば、速瀬中佐は朝から帝都方面でしたっけ?」
「大隊一つ引き連れて、な。まったく……ああいう方面は名前の売れているお前の方が行くべきだぞ?」
 まるで恨み節でも言うかのように美冴は武へと文句を垂れていた。「だから私の仕事が増える」と漏らしていたあたり、本当に恨み節なのかもしれないが。
「俺、今日は休日ですけど?」
「なら慈善で行け」
「冥夜、少佐に何とか言ってくれ」
「私か? むぅ………ううむ」
 武に話を振られ、唸り声を上げて考え込む御剣冥夜。本気で悩み込んでいるのは明らかであるため、どうやら微塵も冗談だとは受け取らなかったようだ。真面目な彼女の性分をよく表している。

「ところでシャルティーニ少佐。今日は髪を下ろされているんですね。何か心境の変化でもありましたか?」
 武の抗議など何のそのと言わんばかりに、美冴はレティシアと向かい合ってそう言った。話しかけられたレティシアの方は呆気に取られたように、ポカンとした表情になる。
「宗像少佐、それは私の姉です」
「つっこむな、マリア。あの人は分かってて言ってる」
 それはそうだろうと、武の言にマリアは素直に納得した。美冴のあまりにもな発言に思わず口を挟んでしまったが、この場に普段通りのマリアがいる以上、他の誰かをマリアと見間違えることなどあり得ない。

「シャルティーニ少佐の姉君……となると、英国王室騎士団の方か?」
「如何にも。イギリス王室騎士団 第3分隊副長のレティシア・ウル・シャルティーニと申します。以後、お見知り置きを♪」
「これは御丁寧に。私は当横浜基地第1連隊所属第1大隊内第2中隊の中隊長を務めております御剣冥夜と申します」
 目を丸くした冥夜の言葉に、レティシアは深く頷き、改めて2人に対して自己紹介を述べる。それに対し、冥夜は敬礼の格好を取って応対。レティシアを前にして行われる整った敬礼が、マリアには不思議なくらい違和感があった。

「それで? その騎士団のエースが何故この横浜基地に?」

 ややトーンを落とした美冴の質問。本当の意味での問い質し。それはやんわりとした尋問に近い。そう認識しただけで、マリアは周辺の空気が徐々に冷たくなってゆくような気がした。

「野暮用、ですよ。正式なお話は、また後ほどに」
「後ほど、ですか。では、それまでいったい何をされるおつもりです?」
 にっこりと笑うレティシアの返答に、美冴はまた肩を竦ませて更に訊ね返した。その質問には、レティシアも首を傾げ、答えに詰まる。もちろん、あれはただ何をしようか悩んでいるだけの表情だが。
「………観光も悪くありませんね。日本に来るのはこれが初めてですし、少しくらいは見て回りたいです」
 しばし悩んだ挙句、レティシアはそう言い放った。嘘や冗談を言っていないことなど、マリアにはすぐ分かる。美冴も雰囲気からそれを感じ取ったのか、「まったく」と言うように小さくため息を漏らした。



「じゃあ、マリアが案内してやったらどうだ? 積もる話もあるだろうし、ついでに買い物もしてくれば?」
「中佐!?」



 次の瞬間、白銀武はそんなことを言ってくれた。その気遣いが全力で辛いとは、口が裂けても言えないが、同時に声高に叫んでしまいたい気分に、マリアはなる。
 縋ろうにも藁すらない。一番縋りたい相手が、縋りたくなる要因を作っているのだから止む無いことだ。

 ため息をつき、マリアが顔を上げると、双子の姉が満面の笑顔でアイコンタクトをし、サムズアップ。微妙に、微妙に嫌な予感がマリアの脳裏を過る。


 何をやらかすつもりだと詰問する前に、レティシアは挙手をして口を開いた。




「それでしたら、是非、白銀中佐に帝都周辺を御案内していただきたい。私の妹もあまり遠出をする性格ではありませんから、きっとそれほど詳しくはないでしょう。ですから、姉妹揃ってお世話になりたいですね」
 あっけらかんと、マリアの実の姉はそんな爆弾発言をぶちかましてくれた。


 マリアの背中に突き刺さる、やや冷たい視線。振り返るつもりなどマリアには微塵もないが、振り返らなくとも誰からのものなのか手に取るように分かる視線だ。最早、弁解する気すらマリアには起きない。





 もう、なるようになってしまえと、マリアは割と本気で考えていた。















                                                                                 つづく?



[1152] 後日談シリーズ 【1】   姉、来日③
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2008/12/16 11:39



  姉、来日 ③





 これはいったい、どういうことだろう。


 後部座席進行方向右側に座るマリア・シス・シャルティーニは、今現在、自分の置かれている状況を改めて考え、思わずそう思った。ベオグラードとミンスクの、2つのフェイズ5ハイヴを踏破したという非凡な経験を持つ彼女すら、そう思わせる状況なのである。

「最近、とみに思うのだがな、白銀。お前は私のことを便利屋か何かだと勘違いしていないか?」
 マリアと武、そして姉のレティシア・ウル・シャルティーニを乗せた乗用車は、帝都の中心へと向かう国道を走っていた。その車輌のハンドルを握る黒髪の男性が、助手席に座る白銀武へと苦言を呈する。
「まさか。天下の斉御司中佐のことをそんなふうに思ってるわけないじゃないですか」
「世界の白銀中佐ならば決してあり得ない話ではないと思うのだがな」
 相手からの言葉を否定する武。本気なのか冗談なのかマリアでも判断しかねる返答だ。それに対して、運転席の男性がぴくぴくと頬を引き攣らせるのが、マリアにはバックミラー越しに見える。


 斉御司灯夜。帝国城内省斯衛軍 第4大隊指揮官。帝国の執政幇助機関「元枢府」を構成する五摂家が一つ、斉御司家の次兄なる人物だ。無論、真昼間から街中を闊歩出来るほど暇な人間ではない。
 その灯夜が、あろうことかハンドルを握り、アクセルを踏んでいた。それだけならばいざ知らず、あろうことか、マリアは彼の運転する車の後部座席右側に座っていた。


「レティ、逃げていい?」
「ダメ」
 隣に座る実の姉にそう囁きかけるが、その嘆願もあっさり却下される。よくよく考えれば、レティシアに許可を取る必要などないのだが、既にマリアの頭は上手く回っていなかった。
 生憎と、マリアはこの中で最も立場が弱い。この面子よりも強い立場の人間の方が少ないというものだが、そんなこと、今のマリアには無関係だ。


 重要なのは、既に退路はないということ。


「しかし白銀………珍しく電話をしてきたと思えば唐突に車を貸してくれと嘆願した挙句、両手に華か。鑑はどうした?」
「いや、まあ………ええ……いろいろと」
 しれっと武の心を深く穿つだろう問いを投げかける斉御司灯夜。訊ねられた武は苦笑気味で曖昧に濁し、PXの時と同じようにがっくりと肩を落としてしまう。
「ふむ……承知した。皆まで言うな」
 何をどこまで承知したのかマリアには判断出来ないが、灯夜は相槌を打ち、武へとそう返す。何となくだが、彼は事実よりも深刻な事態だと受け取ってしまったような気がすると、マリアは思った。
 それとも、マリアには分からない男同士のノンバーバル・コミュニケーションでも駆使されたのだろうか。

「それにしても……英国王室騎士団の若獅子が、遠路遥々こちらまで出向いて観光とは……。英国は余程、安穏としていると見える」
「それはどうも。でも、ロイヤルガードの蒼い指揮官様がプライベートで運転手を務めてくれるこの国も、相当安穏としていると思われますが?」
「相違ない。これも白銀中佐殿の人徳が成せる業か」

 レティシアの皮肉っぽい言い返しに声を上げて笑った灯夜。そしてそのまま皮肉は武へと矛先を変える。ああ、どうして彼はあれほどまでに、どうでも良さそうな不満の矛先を向けられ易い人格をしているのか。

 尤も、それが白銀武のカリスマ性でもあるだろうが。

「あの……斉御司中佐。今更こういうのも何ですが……お忙しくはないのですか?」
「まあ、言うほどには。一時期に比べれば随分と楽になりましたよ。それに、本当に忙しければ流石に斯様なこと、断ります」
「はぁ……そうですか」
 マリアの問いかけには、可笑しそうに笑って答える彼。嫌味を言っているようにも嘘を言っているようにもまるで見えないが、本心なのだろうかと、マリアはいまいち腑に落ちない。

 この件に関して、斉御司灯夜が運転手を買って出てくれたことをマリアは素直に感謝している。その理由は何においてもまず、すぐ左に座る最凶のクリーチャーの存在。
 武と2人で出掛けるならばいざ知らず、あの最強最大のトラブル・メーカーも一緒なのだ。


 それは流石に御免被る。


 そんな折に運転手役を快諾――だったかどうかは謎だが――してくれた斉御司灯夜。マリアにとっては渡りに舟。あるいは、鴨が葱を背負ってやってきた。どうにか、自分と共にレティシアの抑止に努めてくれそうな力ある人間を捜していたマリアから見れば、彼の登場は大変、喜ばしいことだった。


 それに、2人きりでないのならば他に1人増えようが2人増えようが大差ない。


「侑香さんのこと、放っておいていいんですか?」
「本気で訊ねているのならお前でも殴るぞ、白銀。侑香様にお暇があれば、斯様なことに付き合うものか。一言目で「ふざけるな」と一蹴している」
「マリア、俺は今ここで反論するべきなのかな?」
「私に振らないでください。答えられません」
 灯夜の言い分の前に、助手席からマリアへと意見を求めてくる武。それに対して彼女は「無理、無理」と首を横に振りながら答えた。反論など出来る筈もない。斉御司灯夜は本気で言っていると分かっているからだ。

 九條侑香。元枢府を構成する五摂家が一つ、九條家の次期当主たる女性であり、マリアの前に座る斉御司灯夜の許嫁だ。白銀武を通じ、マリア個人としてもそれなりに親交のある人物である。
 余談だが、彼女は「マリアのよく知る一際小柄な人間」の五指に入る。あとの4人は推して知るべし。

「ゆうかさま……九條の次期御当主様ね。斯衛指揮官の1人、だったっけ?」
「元、ですよ、レティ。あの方は今、斯衛軍を退役されていますから」
「そうなの? 何で?」

 率直なレティシアの問い返しに、マリアは思わず苦笑する。確かに、軍縮方向に向かっている反面、帝国軍も含め、日本の軍部は未だ人手不足だ。殊更、実戦経験を持つ指揮官クラスの衛士ともなれば、手放したくないというのが上層部の本音だろう。
 実質的な戦力としてもそうだが、何よりも、これから増えるであろう実戦未経験の兵士を教導するために、だ。
 そういった事情を分かっているゆえに、レティシアはそう訊ねてきたのだろう。


「身重なのだよ、侑香様は」


 マリアがどう答えようかと悩んでいると、ほぼ当事者である灯夜があっさりと事実を告げる。その淡白さに、車中が沈黙に包まれた。

「……really?」
「……ええ、本当です」
「挙式はいつでしたっけ?」
「来月を予定している。お前のところにも招待状は届いている筈だが?」
「おお、ジューン・ブライド」

 非難がましく武を追及する灯夜。分かっていて訊いたのか、それとも本当に覚えていなかったのかは定かでないが、武は追及を逃れるかのように視線を窓の外へ向けている。
 そして、マリアの左隣では前で繰り広げられている攻防などどこ吹く風というように、レティシアがポンと手を鳴らして相槌を打った。

 一瞬、車中は重苦しいのか寒々しいのか、はたまたおどろおどろしいのか、よく分からない空気になる。
 マリアですら居た堪れないのだ。妙なところで気の小さい柏木章好中尉がここにいたら、小さくなってガタガタ震えかねない。実際、マリアだって即時、逃げたかった。

「マリィは結婚しないの?」
「まず相手がいません」
「だから、りゃくだ――――――――」
「その話はもういいです!」



「白銀、何か後ろで愉快とも痛快とも言い難い会話が繰り広げられているようだが?」
「マリアとレティシアさんの会話、ずっとあんな感じですよ?」
「…………可哀想に」



 レティシアに怒鳴り返し、窓の外へと視線を逸らせたマリアは、大きくため息をつく。何だか今しがた、誰かに激しく憐れまれた気がしたが、そこに意識を向けるほどマリアに余裕はなかった。










 横浜基地を出立し、車で走ること幾星霜―――実際には1、2時間の話なのだが、マリアにはそれほどの長さに思えた―――最初につれてこられたのは、帝都のとあるデパートメント・ストアだった。
 帝都の中でも比較的規模が大きく、帝都民で終日、賑わっている場所だ。それは、世間一般では平日に当たる今日でも同じことらしい。

「買い物が第一目的ならばまずはここだろう。ここでお眼鏡に叶うものがなければ、改めて専門店へ行くことをお勧めする」
「まあ、いろいろ日用雑貨も買い足したかったから、俺としては問題ないですけど」
 仏頂面でデパートの自動ドアを潜る斉御司灯夜。それに追従する形で同じく入店してゆく白銀武。どんな構図だ、と思わずマリアは思った。片や五摂家が一つである斉御司家の血族。片やBETA大戦における世界的大英雄。それが、肩を並べて真正面からデパートに突入。
 3年に渡って武の右腕を務めてきたマリアですら、目を疑いたくなる。


 尤も、マリアには自覚などないだろうが、彼ら2人のあとに続く、BETA大戦の大英雄の右腕と、イギリス王室騎士団の若きエースの構図も、相当に不可思議なことこの上ないのだが。
 加え、マリアとレティシアの場合は、この日本において金髪、碧眼の長身女性ということもあり、一際、目を引く。
 誰一人として、日頃からデパートなどを闊歩しているような人物などではないことは、一目瞭然だった。


「マリアは紅茶の茶葉、買うんだっけ?」
「はい。愛飲しているものと、可能であればまた別の銘柄も購入してみたいですね」
「確か、3階にそういったものを取り扱っている店舗が入っていた筈です。まあ、あくまで百貨店内における専門店ですが」
「そうですか。では、私はまずそこから回りたいと思います」
 斉御司灯夜の説明にマリアは相槌を打つ。元より、マリア自身は購入する店自体にはこだわりがない。定期的に休みが取れるような職位ではなく、仮にあったとしても今日のように丸一日、持て余すというようなことは稀だ。
 だから、自分で買いに行けるのならば可能な限り近場で、そうでない場合は、他者に頼むか、最悪、取り寄せるという手段を行使している。

 そこにおいて、生憎と、諦めるという選択肢はない。

「まあ、時間はまだあるんだし、順繰りに見て回ろうぜ。ここで買い揃えられるものは纏めて買った方が、あとあと楽だろうし」
「ふむ、同感だ。後々、帝都中を車で走らされては敵わないからな」
 武の意見に同意するのは灯夜だ。「燃料代も馬鹿にならない」と苦言を呈するあたり、彼は意外と所帯染みているのかもしれない。尤も、燃料消費を最小限に抑えるのは衛士に課せられた重要な責務の一つではあるが。
「それでは、私事で申し訳ありませんが、まずは3階から………どうしました? レティ」

 相槌を打ったマリアは武と灯夜の顔色を窺いながら、そう進言する。幸か不幸か、元より最優先で欲しいものなどないらしい2人は、これといって異論は唱えてこない。
 だが、マリアはそこで双子の姉が何やら眉間に皺を寄せ、じっと店内見取り図を凝視していることに気付く。だから、小首を傾げながらそう声をかけてみた。

「書店」
「は?」
「マリィ、私は日本文学に興味があるから書店に行くね。そういうわけで、こっちの案内はよろしくお願い致します、Mr.Saionnji」
「案内も何も見取り図を見ればすぐに―――――――」
「ニホンゴ、ヨメマセーン」
「なら日本文学になど興味を持つなッ!! 読み書き出来るようになってから出直せッ!!」
「いいからッ!!」

 捲し立てるような会話を繰り広げるレティシア・ウル・シャルティーニと斉御司灯夜。本日、初めて会った相手に怒鳴り散らす斉御司灯夜の図は実に珍しい。もしかすれば、彼の部下にも似たようなタイプの兵士がいるのかもしれない。
 だが、相手はマリアが知る中でも随一の傍若無人なクリーチャーだ。怒鳴ったくらいですごすごと退くようなら、マリアもここまで苦戦を強いられることはない。
 ガシッと灯夜の手首を掴んだレティシアは、有無を言わさない迫力で言い返し、半ば彼を引き摺るような形で突っ走っていった。「またあとでね」という捨て台詞も御丁寧に残し、だ。

「………どうしましょうか?」
「レティシアさんが行きたいってんなら、止める理由はないけど……向こうが血で血を洗う血戦にならないか心配だ。個人的には、武士と騎士の決闘には興味があるけどさ」
「確かに。ですが、日英の関係を拗らせかねない決闘になりそうです」
「拗れるかなぁ」

 マリアの言に武は首を傾げ、苦笑気味に呟いた。彼の言わんとしていることはよく分かる。結局のところ、あれはレティシアと灯夜の個人的な喧嘩の範疇を出ることなどないだろう。
 あとは両国の責任者が、そういったところに対してどれだけ寛大か、にかかっている。その点において、彼らを長年に渡って重用している両国のトップが、そこに対して目くじらを立てるとは、とてもではないが思えなかった。

「とりあえず、俺たちも行くか。3階だったっけ?」
「はい。すぐに済みますので、今しばらく御辛抱ください」
「辛抱しなきゃいけないようなことじゃないけど……」
「それは幸いです」
 また別の意味で苦笑を浮かべる武の言葉に、マリアはふっと微笑み返す。本音はどうあれ、彼がそう言ってくれるのならば喜ばしいことだ。

「俺は紅茶の銘柄って詳しくないけど……マリアがいつも飲んでるのって同じものなのか?」
 エスカレーターで上の階へと向かっている最中、前に立つ武がそう訊ねてきた。そういえば、彼に紅茶を差し入れたことは決して少なくないが、それに関して語ったことはない。寧ろ、紅茶に関してマリアに詳しく説明を求めてきた同僚は、部下の水城七海とリィル・ヴァンホーテンくらいである。
「そうですね。愛飲しているのは有名でオーソドックスなダージリンという銘柄です。尤も、現在も本来の原産地であるダージリン地方は戦場ですので、あくまでその系統にあたるだけですが」
「インド……だったな。あの辺りはまだ、完全奪還されていないもんな」
「ええ。それにたとえ奪還されたとしても、かつてと同じ品質のものが作れる土地に戻るとは限らないでしょう。少なくとも、私が生きている間は不可能かと」
 マリアは少しだけ目を伏せ、ため息をつくようにそう返した。BETAの支配域、殊更、ハイヴ周辺の土地は平に均された更地となっている。気候すらも変わってしまっているそこで、かつてと同じ植生が育つとは、到底思えない。
 ならば、かつてそこを原産地としていた茶葉ももう、そこで育てることは実質、不可能になるだろう。
「結局のところ、銘柄はもうただのブランドなんだな」
「極論で言えば。ですが、生産者もよくやっていますよ。これだけの品質のものを、これだけ流通させているのですから、文句などは言えないでしょう」
 武の残念そうな呟きに、マリアは苦笑しながら答える。紅茶に限らず、BETA大戦の勃発によって生産地を失った物資は多い。中にはダージリンのように、その土地と同じ銘を持ったものも限りなく存在するが、大抵の場合、その名は失われていない。

 例えば、かつてはダージリン地方で生産されていた茶葉を「ダージリン」と呼ぶのに対し、現在はその系統を色濃く受け継いだ同種の茶葉に「ダージリン」の銘を被せ、流通させている。

 無論、有名な品種ほどその気は強い。

「最近は流通する銘柄も増えてきましたから、昔に比べて随分と良くなりましたよ。代わりに、いつも財政との相談になりますが」
「ははっ。でもまあ、昔に比べて給金も上がってきただろ?」
「そうですね。より安定した生産量が確保されるまで、もうしばらくの我慢です。今より価格が下がればまた違ってくるでしょうし」
「そうなったらそうなったで、その分、たくさん買うんじゃないのか?」
「そこまで無計画ではありません」
 ニヤッと笑って彼は冗談っぽく言ってくる。それにムッとしたマリアは、不服さを前面に押し出すかのように、唇を尖らせて苦言を呈した。だが、それのどこが可笑しかったのか、武はまた「はは」と小さく声に出して笑う。

 彼とこういった会話をするのは随分と久々かもしれないと、マリアは思った。結局のところ、横浜基地で顔を合わせたとしても、口にするのは十中八九、仕事の話。それは恐らく、国連軍基地という場所と、自分と彼の纏っている士官軍服がそうさせるのだろう。

 ならば、今はどうだ。

 ここは基地でも戦場でもない、ただのデパートメント・ストア。そして、互いに身に纏っているのは軍服でも強化装備でもない、外出用の私服だ。
 だから、そこでされる会話がどんなものだろうと、誰にも文句は言われないし、言わせない。

「どうかな? マリアの場合、そういうところは変にこだわりそうだから、余裕が出来る度にエスカレートしていきそう」
「むぅ……」
 武の追撃にマリアは思わず唸る。ああ言い返した手前、こういうのも何だか、実際のところ、彼の指摘は的を射ている。日本に来てから今日までの間にも、微量ずつではあるが、マリアが一度に購入する茶葉の量は増えているのだ。加え、今回は新しい銘柄も試してみると明言してしまった以上、地味に反論材料がない。
「ま、俺も頻繁にご相伴に預かってるからな。ここは1つ、紅茶好きの部下のために一肌脱いでやるか」
 3階に到着し、トンとエスカレーターから降りた武は、得意気に笑いながらそう言った。その言葉には、話していたマリアもポカンとなる。
「はい?」
「さっき、別の銘柄も買いたいって言ってただろ? そっちの代金は俺が持つよ。代わりに、基地に戻ったら御馳走してくれ」

 そんなマリアの様子などお構いなしに、武は目的の店舗に向かって歩を進めながらそう続けた。そんな、ある意味では身勝手な彼の言い分にマリアは思わずため息をつく。

 だが、その口元はそれに反して僅かに緩む。


「……ええ。では、中佐のお言葉に甘えさせていただきましょう」



 小走りで彼のあとを追い、その隣についたマリアは微笑んでそう答える。













                                                                            つづく?



[1152] 後日談シリーズ 【1】   姉、来日④
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2009/01/19 04:05



  姉、来日 ④




「マリアって結構、即決で買い物するんだな」
「はい?」

 衣類の入った紙袋をスタッフから受け取ったところで、武から声がかかる。その、唐突な物言いにマリアはきょとんとした顔で首を傾げた。
「いや……あんまり迷ったりしないというか、いろいろと物色しないというか」
「ああ、そういうことですか」
 やや言い難そうに口籠る武。だが、彼の言わんとしていることはマリアもすぐに理解出来た。要するに、「買い物が早い」ということだろう。
 そもそも、マリア・シス・シャルティーニは、あまり買い物が長い方ではない。巷では「女性の買い物は長い」というのが定説らしいが、彼女にとっては実に無縁な話だ。
 もちろん、買い物一つにいちいち時間をかけている暇などなかったことも事実だが、たとえ、それだけの余裕を与えられたとしてもマリアは丸一日、ショッピングに出ようなどとは決して考えないだろう。

 所詮、マリアにとってショッピングは目的になり得ない。あくまで目的を達するための手段に過ぎないのだ。

「白銀中佐は、どんなショッピングの仕方を好むのですか?」
「俺か? どうかな……昔はぶらぶらするのも嫌いじゃなかったけど……最近はそんな暇なんてなかったからな」
 マリアの問いかけに武はふむと唸り声を上げてから、苦笑気味に答える。彼の返答は当たり障りなく、やんわりとマリアの意見に合わせたようなものだったが、恐らく半分は本音だろう。

 もともとそんな気質ではないとはいえ、マリアでさえそんな時間的余裕などなかったのだ。上官である彼にそんな余裕、あった筈がない。
 尤も、彼の場合は、余裕こそあればあれこれと物色しながら多数の店舗を回るだろう。それは決定的にマリアと違うところだ。


「ま、兵は神速を尊ぶという言葉もあるくらいだし、俺たちらしくていいんじゃないか?」
「……まったく……何を言っているのですか」
「うん?」
「軍服を着ているのならそうかもしれませんが、今の我々は違うでしょう? 今のところ、神速を尊ぶ必要はないと思いますが?」
 マリアがふふっと口元を緩め、そう反論すると、彼はまるで鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔をした。そんな表情にさせるほど、自分は意外なことを言っただろうかと、マリアは内心、首を捻る。

 だが、そんな疑問も束の間、彼はくくっと小さく声に出して笑い始める。「そうだな」という同意の言葉をつけて、だ。

「……どうかしましたか?」
「マリアにそんなことを言い返されるとは正直、思ってなかった。初めて会った時のこと、覚えてるか?」
「中佐が欧州に転属されてきた時のことですね? 確か、初めて会ったのは第2師団本部だったと思いますが?」
「ああ、ヴィンセント准将の執務室。中隊長と各署責任者だけ集めての顔合わせ。ディランとエレーヌの奴は、思いっ切り顔をしかめてたな」
 そう言って、当時のことを思い出したのか武はまたくくっと小さく笑った。彼のその反応に、マリアは思わず肩を竦めてしまう。
「それはそうでしょう。あの場にいた者で中佐より若年者はコンスタンス中尉にクロサキ中尉、ヴァンホーテン少尉の3人だけでしたから」
「うん、分かる。レイドだって、内心、かなり訝しく思ってただろうし。多少、嘗められるのは覚悟してたよ」
「その点では、直後に模擬戦を行ったのは正解でしたね。少なくとも、貴方はあの連隊に集められた者の中で群を抜いて強かった。それがはっきりしただけで、あの模擬戦には親睦以上の意義があったでしょう」
 マリアも当時のことを顧みながらそう答える。その言葉に武は「そんな意図はなかったんだけどな」と笑いながら返してきた。そうは言うが、彼のことだ。本当にその意図がなかったかどうかは些か首を傾げざるを得ない。

「それに、私は……私たちはこれでも中佐の意見に共感を覚えたんですよ?」
「うん?」
「経験に勝る技能はない。自分の経験を活かすために、私たちに経験を活かさせるために、ここに来たんだって……中佐はそう仰いましたよね」
「言った。まったく……どの口がほざいたんだか」
 マリアの切り返しに、今度は武の方が肩を竦ませた。苦笑と自嘲の入り混じった彼の表情は、その心境を如実に表現している。そこに関して、マリアが言及することなど出来ない。

 彼が、彼の価値観によって彼自身の未熟さを嘆いているのだと分かっているから、彼女には言及出来ないのだ。
 言及したとしても、それは慰め以下の言葉にしかならないのだから。

 だが、ただ一言だけ、マリアは彼に声をかけることにした。

「顔をお上げください、白銀中佐。俯いているのは貴方らしくありませんよ」
「分かってるさ。こんなんじゃ、逝った連中に顔向けが出来ない。それは分かってるんだけど……時々少し、喚きたくなる」
「喚けばいいではないですか。貴方には、泣き喚くことの出来ない状況も多いですが、その機会がないわけでもない筈です。どうしても喚きたくなったら喚いて……それからまた、毅然と振る舞いください」
 あっさりと「喚きたくなる」という武の言葉を肯定し、許容したマリアに、彼はまた目を丸くした。だが、すぐに苦笑気味に口を開く。
「……マリアの前でもか?」
「ご自由にどうぞ。これでも、中佐の右腕を2年以上、続けていますので、憚られても呆れるだけです」
「………ぜってぇお前の前では喚かねぇ」
「ええ、それこそ、ご自由にどうぞ。そうして頂いた方が、私の苦労は1つ、減りますので」
 ふふっと笑いながらマリアはまるで言葉遊びに興じるかのように武へと返す。その返答に彼は「うぬぬ」と眉間に皺を寄せながら唸り声を上げたが、結局、何の反論も出来ないようだ。

 尤も、本当に彼はマリアの前では喚かないだろう。今のように愚痴を漏らす程度のことはするかもしれないが、上官としての理性が、それを押し留めるだろう。


 それが、BETA大戦の大英雄 白銀武という存在なのだ。


「……はぁ……マリアも随分、口が達者になったというか、柔軟になったというか……少なくとも、初めて会った頃じゃ絶対にこんな会話しなかったな」
「そもそも、プライベートで2人揃って買い物に出掛ける、なんてこと自体、あり得なかったと思いますが?」
「同感だ。どうだ? マリア、今年は一緒にイギリスに墓参りにでも行くか?」
「それも良いですね。クラインバーグ大尉やノーデンス大尉には悪いですが」
 武の誘いにマリアは苦笑気味に答える。流石に、連隊の隊長陣が揃って横浜基地に不在となるのは拙い。去年の7月はちょうど、マリアが留守番をする形となって、部下たちに慰霊の機会を与えていた。
「今年はレイドたちに留守番させとこう。連隊長と連隊副長が、2年連続で揃って挨拶もなしじゃ、逝った連中に失礼だ」
「そう……ですね。彼らに礼を尽くすためにも、私たちも正式な慰霊をしなければなりませんね」
 マリアは軽く目を伏せ、武の言葉に同意した。彼の言は実に尤もだ。彼らを礎とすることで偉業を成し遂げた2人は、彼らのためにも礼を尽くさなければならない。もしかしたら、逝った彼らは「煩わしいことだ」と笑うかもしれないが、筋を通さなければマリアの気が済まない。
 武もきっと、同じなのだろう。

「ああ。それに、俺はもう一箇所、イギリスで行きたいところがあるんだ」

 その時、武が不意に口を開き、そう言った。もう一箇所。つまりはプレストンの大戦慰霊碑広場とは異なる場所。その意味合いを即座に理解したマリアは、彼がどこへ行きたいのかおおよそ分かった。

「………斯衛中将殿のところですか?」
「まあな。旧朝霧本家の屋敷には仏壇もあって、遺影も位牌もあるけど、朝霧中将が亡くなられたのは……イギリスだからな」
「分かります。私も同行してもよろしいですか?」
「構わない。つーか、置いていくつもりなんかこれっぽっちもないけど」
「ありがとうございます」
 武の返答にマリアは微笑し、お礼の言葉を口にする。それには彼も「どうしてお礼?」と苦笑気味に返してきたが、回答はどうでも良いのか、すぐに前を向いてしまった。


 朝霧叶。


 帝国城内省斯衛軍の元中将にして、恐らくだが、白銀武と何らかの縁のある人物。血縁者と仮定すれば、年齢的なものも考慮に入れて、実母か叔母あるいは伯母の関係だろう。
 無論、推測の域を出ないが、所有者を失った朝霧本家の所有地が無条件で丸々、白銀武に譲渡されている事実を考えれば、相当な近親者だったに違いない。

 そんな朝霧叶という大戦史の英傑は、2年前、イギリス防衛戦にて戦死した。

 あの、BETA大戦史上、稀に見る大勝を挙げた防衛戦。そして、人類にミンスク侵攻作戦を決断させる切欠となった、歴史に残る戦い。
 それが、2005年7月1日のイギリス防衛戦。
 マリアにとっても、信頼を寄せていた隊長格の部下2名を失った戦い。ディラン・アルテミシアと、ユウイチ・クロサキの2人を失った戦いなのだ。

「マリアは……さ」
「はい?」
「イギリスに帰りたいって、そう思ったことはないのか?」
「恐らく、なかったと思います」
「曖昧な割に即答するんだな」
「曖昧な回答でしか、即答出来ないんですよ。不明確な記憶である以上、YesかNoの絶対的な肯定あるいは絶対的な否定には自信がありません。だから、“恐らく、なかった”と」
 武が肩を竦めるので、マリアも肩を竦め返し、屁理屈を並べるかのように持論を口にする。過去の感情が不確かならば、結局、今現在の心境を根拠に答えるしかない。
 その点において、マリアは今現在、「イギリスに帰りたい」とは思っていない。だから、回答は曖昧な否定による即答だった。

「理由は? 故郷だろ?」
「帰る家は手放しましたし、親しかった友人もほとんど戦争で亡くしました。ですので、正直な話、あまり郷愁の念はありません」
 続く質問に、マリアはそう答える。これも本音だ。軍人となった時、姉のレティシアと相談し、生まれ育った家は手放した。そこに戻れる保証も、明確な理由もなかった上、維持費も馬鹿にならない故、だ。
 加え、今のイギリスにはあまり友人が残っていない。元より、マリアにはそう多くの友がいたわけでもないが、その少数精鋭の友人たちもまた、ほとんどが戦禍に散っていった。

「レティシアさんがいるじゃないか」

 だから、そんな予想通りの武の言にマリアは苦笑する。

「………私と姉の場合、所属も違いますし、求められている役割も異なります。勿論、距離が近ければ容易に会いにいけますが……私は、私に与えられた役割を全うしたい。私が成すべきことを、成し遂げたいのです。実の姉にくらいそんな我が侭を言っては……いけませんか?」
「いや………うん……ごめん。俺が答えられることじゃないな。マリアとレティシアさんの間で話がついているなら、俺が口出すようなことじゃないし」
「そんなことはありませんよ」
 困ったように頭を掻く武に笑い返し、マリアはそう告げる。如何せん、彼も言うほど無関係ではないのだ。寧ろ、最重要人物であるとさえ、言えるかもしれない。

「ちなみに……マリアの成し遂げたいことって?」
「中佐の右腕として生き抜くことですね」
「ちっさいな、お前」
「大きいですよ。途轍もなく、大きいことです」
「そうかぁ?」
「ええ」

 マリアは頷き、武のあとを追う形で歩き始める。彼はマリアの言ったことが微妙に納得出来ていないのか、しきりに首を捻っているが、これといって言及してくることはなかった。

 マリアは目を細め、前を歩く武の背中を見つめる。
 そして、もう一度だけ、今度は心の中で呟いた。



 貴方のその背中を追うのは、途轍もなく大きいことですよ、と。










「ちょっとお腹空いたねー」

 合流し、デパートメント・ストアをあとにしたところで、レティシア・ウル・シャルティーニがそんな言葉を漏らす。それはつまり、「どこか軽食をとれるところに寄れ」という、遠回しな催促だ。それが分からない者は、幸か不幸か車中にいない。

「白銀、あの女をどうにかしろ。傍若無人振りならばうちの関口に通ずるが、自重する気配のないところが腹立たしい」
「関口大尉より上だとなると、エレーヌを放任している俺にはもう手に負えませんよ」
「くっ……そちらにはノーデンスがいたか……!」


「…………」

 ひそひそと言葉を交わす運転席の斉御司灯夜と助手席の白銀武。彼らの会話内容にマリアは酷く居た堪れなくなった。今日ほど、姉を車から突き落としたくなった日はない。
 マリアがちらっとバックミラーに視線をやると、歯軋りをしている灯夜の顔が見えた。
 どうやら、デパートメント・ストアの一件でレティシアは彼にやんわりと敵性認識されたようなのだ。これで日英の関係が拗れないかどうか、本当にマリアは不安になっている。

「レティ……どうしてあちらを出立する前に言わなかったのですか? 複合店舗ならば、それなりに飲食店も入っていた筈です」
「ああいうところは早くて安くて言うほど美味しくないって、どこかの偉い人が言ってた気がする」
「どこの偉人か存じ上げませんが、偉い人はそもそもああいったところで飲食しないでしょう。適当なことを言うのはやめてください、レティ」
 ため息を漏らしながら、マリアはレティシアを諭す。「どこかの偉い人」を彼女が引き合いに出した時は、十中八九、適当なことを言っている時だ。一応、信憑性を持たせるための方便のつもりらしい。

 尤も、ああいったところを堂々闊歩していた偉人が、目の前で運転席と助手席に座っているわけだが。

「マリィはお腹、空いてないの?」
「空いて――――――――」

 「いません」と否定の言葉を続けようとしたところで、マリアのお腹がくぅと小さく鳴る。盛大な腹の虫ではなかったが、レティシアにとっては渡りに舟。すぐ隣で鳴った好機の音に、ふふんとほくそ笑んだ。

「―――――――います」
 腹の音まで聞かれて、「空いていない」などと答えるのは、寧ろマリアのプライドが許さない。止む無く彼女は、頬を紅潮させ、視線を逸らしながら同意の旨を示した。
「斉御司中佐、マリアも小腹が空いたようです」
「ふむ……この近くで軽食をとるのならば……馴染みの喫茶店がある。名店と呼ぶのは些か首を傾げるが、居心地は良い場所だ」
「………すみません」
 武の進言により、一転して思案顔になる斉御司灯夜。彼らに気を遣わせてしまって、マリアは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「何か、マリィが相手だと態度違うね、斉御司中佐も白銀中佐も」
 相対し、レティシアは随分と不満顔だ。自分の要求が却下されたにも関わらず、マリアの同質の要望がすんなり通ったことが不満らしい。それにはさしものマリアも呆れるしかない。

「何……簡単な話だよ、騎士シャルティーニ」
「……へぇ……では、具体的な理由をお聞かせいただけますか? 斯衛中佐殿」

 不敵に笑って応じる灯夜の言に、レティシアは表情と口調を一変させ、同じように不敵に笑って問い返す。それに、灯夜はふんと鼻を鳴らしてから口を開いた。


「私や白銀中佐のように、敵と斬り合うことを得手とする兵士が戦場で最も頼もしく思うのは、優秀な射手だ。その点において、シャルティーニ少佐に勝る者など、そういない。そんな彼女の機嫌を損ねないように配慮することは、そんなに不自然なことかね?」


 その返答に、レティシアは唖然としたようだった。尤も、開いた口が塞がらないのはマリアも同じである。

「違いないですね。マリアの機嫌を損ねて、後ろからロックオンでもされたら、万が一にも逃げられないですし」
「なっ……! 白銀中佐! 冗談でも言って良いことと悪いことがありますよ!?」
 白銀武のまさかの言い分に、マリアも声高に反論する。そう言ってから、上官である中隊長を実戦装備でロックオンするどこぞのアメリカ陸軍中尉を思い出してしまったのは秘密だ。
「マリィって、愛されてるんだね」
「どう解釈したらそんな結論に至るんですか!? レティ!」
「いや、今のはレティシアさんの意見が案外正しい」
「親しくなければからかえませんよ、シャルティーニ少佐殿?」
「からかっていると断言しちゃってるじゃないですか!」
 捲し立てるようにマリアが反論を並べると、彼ら3人は声を揃えて笑い出す。そんな、示し合わせたかのような彼らの反応に、マリアは「もう!」と唇を尖らせ、座席に深く腰を下ろす。

 勝てるわけがない。

 1人は唯一無二の双子の姉。
 また1人は斉御司家次兄にして帝国屈指の衛士。
 そして1人は、BETA大戦を語る上で必要不可欠な大英雄であり、マリア・シス・シャルティーニ直属の上官。

 その3人が示し合わせたかのようにマリアをからかってくるのだ。彼女に出来ることと言えば、精々、効果があるとは思えない反論を並べることだけである。

 横浜基地からデパートメント・ストアまでの道程とはまるで正反対の雰囲気に包まれた車中。マリアの気がつかないうちに、彼女も含め、この4人はすっかり打ち解けてしまっていたのだ。
 まあ、会話に多少の皮肉が混じってしまうことがあるのは御愛敬だろう。



 そんなことをしているうちに、彼女たちを乗せた車は次の目的地に到着した。いったいどこをどう走ったのかマリアもはっきりと覚えていないが、どうやら場所は帝都の郊外へと移ったらしい。駐車された車から降り、辺りを見回すと、周囲は閑静な住宅街だった。

「ここがさっき言っていた喫茶店ですか?」
「うむ。元々はうちの関口に南、仙堂や双海が頻繁に通っていたようで、その縁で知った。今や、私も侑香様も、兄上も足を運ぶ」
「ここ、警備兵とか配置した方がいいんじゃないですかね?」
「それは御免被る。煩わしいのがいないから良いのだ」

 何やら前の方でそうそうたる名前の並んだ、微妙な会話が聞こえてくるが、マリアは敢えて無視することにした。正直な意見を言えば、マリアは武に同意する。加え、店の窓ガラスを防弾性のあるものに変えるべきだとも具申する。

「よし、行くぞ」
「そうですね。マリア、行こうぜ」
「はい。………あら?」
 武に促され、マリアは相槌を返したが、すぐに“それ”に気付いて首を捻る。彼女の視線の先には、彼らが来るよりも先に駐車してあった一台の乗用車があった。
「どうしたの? マリィ」
「いえ………私の記憶が正しければ確かあの車は九條の――――――」

 所有物だったはず、とマリアが口にするよりも早く、前の方で声が上がった。


「純夏ぁ!?」
「侑香様!?」

 声を揃えて2人の人物の名を口にするのは、一足先に店のドアを開け、中に入った白銀武と斉御司灯夜の2人。その声だけで、この車がここにある理由と、店内にいる先客が誰なのか理解出来る。








 天敵の次は絶対に敵いそうもない難敵がやってきた。


 神様、私は何か悪いことをしましたか?

















                                                                       つづく?



[1152] 後日談シリーズ 【1】   姉、来日⑤
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2009/02/26 07:28




  姉、来日 ⑤





 カランコロンと鳴るベルの音。普段ならそれは来客を告げる歓迎の音色か、あるいは、客の退店を報せる送別の音だ。
 だが、今回に限ってそれは些か趣向が異なる。

「タケルちゃん……シャルティーニ少佐とお出かけ?」
「灯夜様、そちらの御麗人はどちら様でしょうか?」

 言うなれば、鈴の音は開戦の合図。ああ、だが、今しがた戦域に到達した白銀武と斉御司灯夜にとっては、一方的な大虐殺のような戦争かもしれないが。
 無論、彼らは虐殺される側だ。マリアがその中に含まれてしまうか否かは、そこはかとなく怒気を醸し出している鑑純夏と九條侑香の気分次第である。


「………修羅場?」


 あたかも自分は傍観者だと言わんばかりの実姉 レティシア・ウル・シャルティーニのその一言に、本気で殴りたいと思ってしまったことは、マリアにとって隠匿事項。

「まあ……お出かけ? うん……お出かけ……。マリアも暇だって言うから、ちょっと一緒に日用品の買い足しに回ってたんだけどさ」
「………デートだ」
「………いや、違うだろ。なぁ? マリア」
「………私に訊かないでください」
 目を伏せ、悲哀に満ちた声調で呟く鑑純夏。そんな彼女の様子に、内心、動揺しているのか、武はすぐさまマリアへと同意を求めてきた。それにはマリアもため息を漏らしながら、やんわりと突っ撥ねるしかない。


 お願いですから、助け舟を求めるような表情をしないでください。私が差し出せるのはどう考えても泥の舟です。


 武の視線から逃れるようにマリアは思わず目を逸らす。客観的に言えば、「デート」の否定要素の方が少ないのだ。どうすれば理路整然と説明出来るのか、皆目見当もつかない。

「ねぇ、マリィ。これって、所謂、修羅場ってヤツだよね?」

 1人だけ空気を読まないのは、血の繋がった双子の姉。この雰囲気では、あのエレーヌ・ノーデンスですら空気を読むというのに、レティシアはそんなつもり、微塵もないようである。
 殴り合ったところで勝てるわけがないのは目に見えているが、どうしても1発、その顔面にくれてやらないとマリアも気が済まない。尤も、実際に拳で語り合ったならば、この場を収拾することなどおよそ不可能になろう。


 そうなのだ。
 最早、背水の陣の白銀武――と斉御司灯夜――を救えるのは、マリアしかいないのである。


「あっ……あの! 九條様! 鑑少尉!」
 よくよく考えれば訳の分からない使命感に駆られたマリアは意を決し、口を開く。レティシアのことを完全に無視する形となったのは、姉のことが嫌いなわけではなく、単純にそれほどの余裕がなかっただけだ。
 そんなマリアから声高に名前を呼ばれ、九條侑香と鑑純夏の2人は何事かとその視線をマリアへと向ける。
 別に睨まれているわけではないのだが、そこはかとない圧迫感を覚えるのは、恐らく自分の勘違いだろう。マリアは全力で自分にそう言い聞かせた。

「しょっ……紹介致します! 私の姉です!」
「マリィの姉でーす♪」

 とりあえず、彼女たちにとっては見知らぬ人物だろう自分の姉を紹介するマリア。それに合わせる形で、陽気に簡単な挨拶を述べるレティシア。



 何やってるんだろう、私。



 唖然とした様子の純夏と侑香の反応に、マリアは1人で密かに凹んだ。












「ああ、それではシャルティーニ少佐の姉妹の方なんですね」
 数分後、何とか場は収まり、マリアを含め女4人は1つのテーブルに着き、会話に華を咲かせていた。危機を脱した2人の英傑 白銀武と斉御司灯夜は並んでカウンター席に腰を下ろし、コーヒーを飲んでいる。

 その背中が異様なまでに哀愁漂っているのは、きっとマリアの気のせいではない。

「はい♪ イギリス王室騎士団 第3分隊副長のレティシア・ウル・シャルティーニと申します。以後、お見知り置きを」
「これは御丁寧に。私は九條侑香と申します」
「ええ、存じ上げております。道中、斉御司中佐よりそれはもう耳にタコが出来るくらい御伺い致しましたわ、Ms Kujo」
 クスッと珍しく上品に笑ったレティシアは、やはり珍しく丁寧な口調で侑香に対してそう返す。本気で言っているのか社交辞令なのかはマリアも知るところではないが、何と空気を読んだ発言だろうか。
「半分は惚気話でしたね」
「あ、マリィもそう思った?」
「ええ」
「ふふっ。そうですか」

 ここは全身全霊で援護に徹するしかないと、戦場で鍛えられてきたマリアの思考は即座に判断する。幸いにも、援護射撃はマリアが最も得意とするところだ。
 それに対し、何だかんだでレティシアもマリアの双子の姉である。余計なことは何も言わず、更に歩調を合わせて口を開いてくれる。それには、控え目ながら九條侑香も表情を綻ばせた。


 まあ、半分近くは惚気とも取れなくはない発言が目立っていたのも事実だが。


「そういえば、鑑少尉。中佐から伺った話ですと、確か、社少尉とヴァンホーテン少尉と外出したということでしたが……2人は一緒ではないのですか?」
 一度、小さく首を捻ったマリアは、純夏に対してそう訊ねる。今の今まで状況に圧倒され、まったく気がつかなかったのだが、純夏と共に外出したという社霞とリィル・ヴァンホーテンの姿が見えなかったのだ。
「あ、2人だったら今はお店の奥に――――――」
 それに答えるべく口を開いた純夏だったが、その言葉が最後まで紡がれるよりも早く、マリアの前に何かが置かれる。視線を下に下ろせば、テーブルに置かれたのは小皿に乗った小さめのサンドウィッチだった。
「すみません、オーダーはまだだった筈ですが………」
 頼んだ覚えもないメニューの登場に、マリアは困惑気味にそう言いながら顔を上げる。だが、そんなマリアの言葉はそこで止まった。


 質素なものではあるが、どう穿った見方をしてもウェイトレスにしか見えない格好をした社霞が、銀色のトレイを抱えてそこに立っていたからだ。


「や……社少尉……?」
「どうぞ」
「あ、はい……いただきます」
「はい」
 何とも言えない強制力を秘める霞の言葉。階級も年齢も上ながら、マリアは思わず気圧され、小さく首肯した。その反応に満足したのか、霞はこくりと頷く。
「ですが……社少尉、これはいったい……」
「サンドウィッチです」
「いえ、そっちではなくて………そこで小首を傾げられても……」
 何故そんな恰好をして給仕しているのか。それを問いたいマリアだが、霞から返ってくるのは遥か斜め上をいった返答。マリアがそこで「いやいや」と小さく首を横に振ると、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「リィルぅ、おかわり」
「あ、はい、白銀中佐」
「ヴァンホーテン少尉まで!?」
 カウンターの向こう側で、武のカップに新しくコーヒーを注いでいるのは部下であるリィル・ヴァンホーテン。さも当然のことのように、霞同様の服装をしている。
「何だ? 国連軍は非戦闘要員を出稼ぎに出さなければならないほど困窮しているのか?」
「はっはっは。殴りますよ? 斉御司中佐」
「やれるものならやってみるが良い、白銀中佐」

 訳の分からない会話を繰り広げながら、どこか自棄的な笑い声を上げる白銀武と斉御司灯夜の2人。それをすぐ傍で見守るリィルもまた、小首を傾げていた。

「マリィ、看板娘ってのはどこの店でも必要だと思うんだ」
「訊いてないですし、すこぶるどうでもいいです」

 豪快に的の外れた姉の意見を、マリアは即時、一蹴する。本当に、この店に看板娘が必要かどうかなど議論の必要はない。重要なのは、何故、それが社霞とリィル・ヴァンホーテンなのかということだ。

 だが、そんなレティシアの援軍は思いも寄らないところから出現する。

「あら? 可愛いと思いませんか? シャルティーニ少佐」
 胸の前で指を絡めながら不思議そうに首を傾げ、マリアにそう訊ねてくるのは、隣に座っている九條侑香だ。正直な話、可愛いか否かの議論も論外である。もちろん、元より愛らしい2人なのだから、可愛いことはマリアも認める。
 だがしかし、論外は論外。

 しつこいようだが、もう一度、明言しよう。
 重要なのは、何故、それが彼女たち2人なのか、ということなのだ。

「………可愛いと思います」

 尤も、マリアは口が裂けても反論など口にしない。これが互いに公務で、何らかの案件において意見が対立してしまったのならばまた話は別だが、今は互いにプライベートで、しかも、先刻の言は九條侑香の個人的趣向なのである。
 そこに反意を示すほど、マリア・シス・シャルティーニの危機感知能力は低くなかった。
「マリィ……お姉ちゃん、何だか悲しいよ」
「言わないで」
 悲しげにため息をつくレティシアの言葉に、手で目元を覆いながら背中を丸め、マリアは呟くように言い返す。この場で歯に衣着せずにマリアが反論出来る相手など、実のところ実姉しかいないのである。

「あ……あの……それで、どうしてシャルティーニ少佐たちはここに? タケルちゃんたちと買い物に出かけたってことは聞きましたけど……」
 そんな状況を見るに見かねたのか、あるいは本当に訊ねたかったのかは定かでないが、鑑純夏がそう切り出してきた。
「帝都のデパートメント・ストアを出たところでね、マリィがお腹空いたって言うから、斉御司中佐がここに案内してくれたんだよね」
「そんなところです」
「………あれ? 今のところに言及する点はないんだ?」
「半分は事実だから」
「うん……そうだね。そうだけど………」
 どこか腑に落ちないといった感じの表情で相槌を打つレティシア。そんな彼女の反応に、マリアは内心、安堵の息を吐いた。レティシアがマリアの反論を期待して口を出してくるのだとすれば、敢えてそれを肯定してしまうことで相手の出鼻を折る。


 押して駄目なら引いてみろ。日本にはそんな素晴らしい言葉があるのだと、マリアはつい最近知った。


「仲、良いんですね」
「そう見えますか?」
「はい」
 そんなマリアとレティシアのやり取りを見ていた純夏が、可笑しそうに控え目に笑って、そう言ってくる。尤も、純夏が持ったらしいその印象にはマリアも全力で首を捻らざるを得ない。

「私にもタケルちゃんにも、兄弟とかいませんでしたから。羨ましいってのとはちょっと違う感じですけど、なんかいいなって思います」
「私も一人娘ですね。まあ……血の繋がらないものとはいえ、まもなく義兄も義姉も出来ますが」
「ああ、斉御司中佐の兄君と、その奥方……でしたか」
「はい。紀月様は灯夜様と同様、昔から親しくさせていただいております。所謂、兄貴分というものですね」
 ふふっと笑いながら、侑香は灯夜の背中を見つめてそう答える。彼女の口から、「兄貴分」という言葉が出てきたことには驚きだったが、恐らく、実際にそうだったのだろう。
 斉御司紀月と正式に面識のないマリアでも、何となくそれは理解出来た。
「奥様の方は確か……斯衛大佐だった筈だよね?」
「ええ、そうです、レティ。斯衛軍第11大隊の斉御司沙耶大佐がその人です」
「摂家関係とはいえ、何だか軍人が多いね。まあ、徴兵制って要因もあるだろうけど」
 マリアの返答にレティシアはふむと小さく相槌を打った。何やら腑に落ちないといったような顔をしているが、その実、少なからずマリアもそれは疑問に思った。

 将軍へと推挙される可能性もある摂家の当主ならばまだしも、その伴侶となる女性が未だ軍人。しかも、その人物は斉御司灯夜や斉御司紀月、更には九條侑香よりも上の立場だ。
 許嫁にしては、些か奇妙なことである。

「その斉御司沙耶大佐は退役されないんですか?」
「行く行くは退役されるでしょうけど、しばらくは現役で行くおつもりでしょうね。沙耶様は生粋の斯衛軍人ですから」
「兄上の本音は恐らく別ですが、ね。元より義姉上の方が年齢も経歴も上ですし、ああもただの“恋愛結婚”では、兄上もそう強くは言えないでしょう」
「恋愛結婚……ですか?」

 鑑純夏の問いかけに答えるのは九條侑香と斉御司灯夜の2人。両者の発した言葉に、マリアは思わず首を捻った。殊更興味がなかったことも事実だが、斉御司家次期当主の奥方がただの恋愛から決まったとは、正直、思えない。
 寧ろ、今、目の前にいる2人同様、幼少の頃より婚約が成されている方が幾分か自然だろう。
「まあ……兄上にも色々とあったのですよ、シャルティーニ少佐。正直、桜花作戦の後、九州戦線にて従事していた折に兄上から「そろそろ結婚しようと思う」と連絡があった時は、何の冗談かと思いましたがね」
「灯夜様、結局信じられなくて、私に真偽を訊ねてきたほどでしたからね」

 ふふっと可笑しそうに笑う侑香に、灯夜は肩を竦めてから苦笑を浮かべる。
 マリアにとっては、斉御司沙耶など斉御司紀月以上に面識のない相手だ。何でも、京都陥落から西日本撤退戦の際には斯衛軍の殿を務めたほどの猛将だという話だが、それは所謂、一般的な知識だ。プロパガンダにも等しい。

「ヴァンホーテン少尉、手間をかけるが、私にももう一杯頼む」
「はい、かしこまりました」
「ありがとう」

 カウンター席では、斉御司灯夜が空になったカップを差し出し、リィル・ヴァンホーテンへともう一杯、催促をしていた。そんな彼のカップへと新たなコーヒーを注ぐリィルの構図は何とも穏やかなものなのだが、同時に、実に奇妙な光景でもある。
「白銀中佐ももう一杯、如何ですか?」
 そのまま彼女は、武へ3杯目のコーヒーを勧める。だが、そう声をかけられた武はカップを差し出さず、首を横に振った。そして、徐に振り返り、マリアへと視線を向けてくる。
「………何か?」
「良い機会だし、さっき買った紅茶、早速淹れてみないか? 詳しいことは知らないけど、とりあえず一式は揃っているだろ?」
「はぁ……私は構いませんが……店主の方に失礼なのでは?」

「どうぞー」

 寧ろ、環境としては申し分ないのだが、喫茶店に来て自前の紅茶を淹れるというのは実に挑戦的だ。たとえ摘み出されてしまっても決して文句など言えないような行いである。
 それは流石に憚られると、やんわりとマリアは武に進言してみたが、彼からの返答よりも早く、安直な許諾の応答がカウンターの向こうから発せられた。

 ここまでずっと沈黙を守ってきた、この店の主である。

 マリアと武は無言のままその声の主に視線を向けてから、再び視線を交錯させた。大きく頷きながら、彼は親指で店の入り口を示し、「行け」と命じる。そう命じられたマリアは頭を軽く抱え、小さくため息をついてからゆっくりと立ち上がる。

「リィルもマリアの手伝いしてやってくれ」
「了解です、白銀中佐」
「純夏と霞はお菓子の用意だな。クッキーとかがいいと思うぞ」
「うん、タケルちゃん」
「はい、白銀さん」
「とんだ指揮能力だな、白銀」
「斉御司中佐、要らないって」
「一言たりとも言った覚えはない」
「じゃあ、斉御司中佐の分は私が――――――――」
「貴様にくれてやる分は一つもない!」
「灯夜様の分は私と分けましょう、レティシアさん」
「侑香様!?」


 店のドアの開閉を報せるカランコロンというレトロなベルの音と共にマリアが聞いたのは、店内に残る人物たちの愉快なやり取り。そのほぼ全員が軍に関係する者であり、その約半数が世界屈指の衛士であるという状況は、マリアにため息をつかせるには充分なものだった。

 そこに自分の敬愛する上官と、血の繋がった双子の姉が含まれている事実は、最早、笑うしかない。















「…………シャルティーニ少佐」
「何でしょう?」
「本気でここで働いてみませんか?」
「全力でお断りします」

 余談だが、マリアの淹れた紅茶を一口飲んだ九條侑香とマリアとの間では、密やかにそんな会話があったりした。
















                                                                      つづく?



[1152] 後日談シリーズ 【1】   姉、来日⑥
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2009/03/27 04:29



  姉、来日 ⑥






「本日は本当にありがとうございました、九條様、斉御司中佐」

 横浜基地の正門前で、マリア・シス・シャルティーニは一度、深々と頭を下げる。その対面には、外出の際に運転手を務め、ここまで送ってくれた斉御司灯夜と、同じく鑑純夏、社霞、リィル・ヴァンホーテンをここまで送迎してくれた九條侑香の2人。
 共に私服姿というのが、実に新鮮だ。この2人が逢瀬をする時もきっとこんな感じで並んでいるに違いない。身長差のあるカップルだが、素直に「お似合いだ」と思えるのは、長年連れ添ってきた貫禄というものだろうか。

「別に気にされないでください。確かに急な話でしたが、私も楽しませていただきました」
「私の方は、元々、鑑少尉たちを誘ったのはこちらですから当然のことですよ」
 そんなマリアが顔を上げれば、迎えてくれるのは温かい笑顔。侑香と灯夜のその笑顔に、マリアの頬も自然と緩む。

 マリアがこの2人と共有した時間は少ない。正直なことを言えば、そのほとんどが戦場か、あるいは互いに軍服を纏った窮屈な場だ。このような恰好で談笑する機会などなかったのである。
 尤も、相手は九條家と斉御司家の血族。互いに軍人という立場でなければきっと、出会うことすらもなかっただろう。

 数奇な運命だった。マリアはそう思う。
 ともすれば、凡庸な衛士で終わった筈の自分。否、それは自分だけではない。今も彼女が率いている部下たちも、先に逝ってしまった第27機甲連隊の部下たちも、そして、目の前にいる2人の武士でさえも、恐らくそれは変わらない。
 彼らを英傑と、英雄とたらしめているのは、出会ったこと。この広い世界の中で、戦友として邂逅出来たことだ。
 それに勝る要素など、きっとない。

「それにしても、この基地はいつ来ても騒がしいですね」
 穏やかな表情のまま、ちらりと正門の方を一瞥する灯夜が肩を竦ませながらそう言った。そんな彼の言葉に、同じく正門の方へ視線を向けたマリアも「そうですね」と同意を示す。

 視線の先では、鑑純夏や社霞、リィル・ヴァンホーテンの荷物まで纏めて運んでいるミンスク侵攻作戦の大英雄がいた。しかも、正門配置の警備兵も含め、わざわざ出迎えにやってきた同連隊所属の衛士も何人かいるようである。

「相変わらず、第2連隊は賑やかですね」
「賑やか過ぎて困っているくらいですよ」
「それは大変」
 侑香の言葉にマリアが冗談めいた口調で答えれば、彼女もクスッと笑って同じように言い返してくる。それが可笑しくて、マリアはまた笑った。
 部隊が賑やかなのは、欧州国連軍で第27機甲連隊を率いていた頃と何ら変わらない。だが、それは、よくよく考えれば少し不思議なことだ。

 ミンスク侵攻作戦に勝利した段階で、創設当初70名を超えていた部隊衛士も僅か15名ほどしか生き残っていなかった。そのほとんどがこの横浜基地へと転属したとはいえ、108名から成る今の第2連隊においては、90名以上が第27機甲連隊と関わりのない兵士なのである。

 それにも関わらず、あの頃と変わらない賑々しさというのは恐らく白銀武の存在が最も大きい。しかしながら、原因はきっと一つではないのだろう。
 この、横浜基地という土地。
 エレーヌ・ノーデンス、レイド・クラインバーグを筆頭とした第27機甲連隊からの古株衛士の存在。
 そして、マリア自身の存在。

 マリアは元々、こういった部隊の雰囲気を作り出せる指揮官ではなかった。いや、今だってそうなのだろう。それでも、彼女はこの部隊を構成する重要な要員の一人である。マリア・シス・シャルティーニなくして、この部隊は決して成り立たないのである。


 傲慢だと自覚しながらも、マリアは少しだけそう思っていた。

「マリア!」

 声高に名を呼ばれ、マリアは思わず振り返る。実の姉を含め、これだけの人間が集まっていながらも、マリアのことを「マリア」と呼び捨てる人間は一人しかいない。
「はい、何でしょう? 白銀中佐」
 だからマリアはすぐに彼へと問い返す。
「外出許可証とID、そろそろ照合させて欲しいってさ。伍長たちが待ちくたびれてる」
「それは忍びないですね。分かりました、すぐに参ります」
 武の言葉にマリアは穏やかにそう答える。「待ちくたびれている」という意地の悪い冗談に慌てふためいている2人の警備兵が可笑しく、マリアの頬は自然と緩んだ。
「そういうことですので、これで失礼致します。本日はありがとうございました」
「はい。今後も、公私ともに友好的なお付き合いを」
 武に応えてから再び侑香と灯夜に向き直り、マリアは再びお礼の言葉を述べる。すると、更に柔和な笑顔を浮かべた九條侑香はそう答えながら、その右手を差し出してきた。
 だから、マリアも微笑み返し、その右手を取る。









 かくして、極東国連軍横浜基地所属第2連隊副長にして、彼のミンスク侵攻作戦の大英雄 白銀武の右腕であるマリア・シス・シャルティーニの、長い、実に長い休日は落陽を迎えた―――――――――――――













 ――――――――――――かに思われた。














「私、マリィと同じ部屋で休む」

 横浜基地のPXで揃って夕食を終えたその時、マリアの実姉 レティシア・ウル・シャルティーニは、そんな面倒臭いことを言ってのけた。何の悪意もないところが余計に憎々しい。
「………何故ですか?」
「そりゃあ、いきなりやってきて個室なんて要求出来ないでしょ? マリィは立場柄、絶対個室に決まってるから、私一人くらい置いても問題ないよね?」
「………周りに気を遣うようになったのですね、レティも」
「む……何かすごい馬鹿にされた気がする」
「褒めたのよ」
 寧ろ頭は痛いが、という本音は決して口にせず、マリアはレティシアにそう返す。それでも、腑に落ちないのかレティシアはいたく不機嫌そうに唇を尖らせていた。
「それよりも、どうして帰らないの?」
「いやね、まだ野暮用が済んでないというか、一泊しないで帰るのはもったいないというか」
「本音が駄々漏れなんだけど」
「気のせい気のせい」
 ケラケラと可笑しそうに笑うレティシア。妙なところで鋭い割に、やんわりと「もう帰れ」とマリアが懇願していることには気付かないらしい。気付くつもりもないらしい。

「……ダメかな?」

 上目遣いで訊ね返してくる実の姉。少しは自分の年齢を考えてほしいと思うが、相手が実の妹であるマリア自身なのだから許容範囲内であろう。だから、マリアは盛大にため息をついてから苦笑気味に口を開いた。
「ダメ……と言っても聞かないでしょう? レティは。仕方ないわね。話は私の方から通しておくわ」
「あ、安心して。基地司令並びに副司令及び、白銀中佐の御許可はいただいてるから」
「初めから拒否させる気なかったわね? その周到さ加減」
 破顔一笑のレティシアに、マリアはすぐさま頬を引き攣らせる。どうやら相手は外堀を既に埋め切っていたようだ。知らない間に天守閣は陥落寸前だったということである。

「おっつかれさまでーす! 只今戻りましたぁ!」

 その時、PXに一層喧しい声が飛び込んでくる。首を捻って出入り口の方を向けば、第2連隊随一の姦しい兵士 エレーヌ・ノーデンスが私服のまま突入してきたところだった。右手で振り回している紙袋は土産物か何かだろうか。
「お帰りなさい、ノーデンス大尉。強行軍で出発した割には、早く到着しましたね」
「あ、ただいま、です、シャルティーニ少佐。おかげで有意義な時間を過ごせました」
 席から立ち上がり、マリアが出迎えの言葉を添えてエレーヌに声をかけると、彼女もまたマリアに向けて改めて帰還の旨を告げ、簡単な敬礼の格好を取った。
「有意義だったかどうか、些か疑問ですが……まだ休暇中には変わりません。私服のままですし、敬礼は結構ですよ」
「ありがとうございます」
 マリアの言葉にエレーヌはまた笑う。頻繁に外出する彼女ではあるが、丸一日、その顔を見なかったことはその実、珍しい。彼女の笑顔が妙に懐かしく思え、マリアは感動した。
 それに、散々、手を焼いてきた部下とはいえ、本日イギリスからわざわざやってきた最凶のクリーチャーと比べれば、目の前の彼女は何と可愛いことか。



 「日本海が見たいです」
 そんな馬鹿なことを彼女が口にしたのは、昨日の夜中のことだ。多くの兵士が自由時間を謳歌している就寝前の僅かな時間。PXの一角で歓談していたマリアたちのところまでわざわざやってきたエレーヌは、開口一番にそんなことを抜かしたのである。
 当然、マリアは唖然とした。何の前振りもなく、いきなりそんなことを言われたところで、気の利いた返しの出来る方が稀なのである。

 だから、マリアも―――――――



 「はぁ……好きにすれば良いのではないですか?」



 ――――――――と答えるしかなかった。

 如何せん、当日の定例報告書は珍しく彼女から既に提出済みであり、尚且つ翌日は正式な第2連隊の休日だ。だから、休日前の時間とはいえ、事実上、エレーヌが残している仕事はもうなかったのである。

 しかしながら、マリアのその一言が悲劇の始まりだった。











 レイド・クラインバーグの。


 口頭のみではあるが、曲がりなりにもマリアからの許諾を得たエレーヌは嫌に勢いのあるガッツポーズをした後、PXの傍らで読書に勤しんでいた同連隊内第3大隊大隊長 レイド・クラインバーグの腕を引っ掴み、強引に引き摺っていったのだ。
 小柄なわけではないが、女性らしい体格をしているエレーヌが大柄のレイドを引き摺ってゆく光景は、マリアの目から見ても圧巻の一言。
 気がつけば、2人は横浜基地をあとにしていた、という流れ。どうやら、エレーヌがレイドご自慢の日本車を足に使いたかったようで、その運転手として彼は連れていかれてしまったらしい。
 その経緯を聞けば、大抵の人間はまず間違いなく「とんでもないヤツだ」とエレーヌの行動にため息を漏らすだろう。事実、マリアも今朝まではそうだった。

 だがしかし、こともあろうについ数時間前に知り合った初対面の、こともあろうに斉御司家の次兄にして帝国斯衛軍中佐である斉御司灯夜を、こともあろうに民営のデパートメント・ストアの店内で引き摺っていった自分の姉と比べれば、エレーヌの行いなど何と可愛いことか。

 尤も、比較して可愛いだけの話であり、決して笑えることではないが。

「クラインバーグ大尉はどうしたのですか?」
「クライン大尉だったら部屋に戻って着替えてからこっちに来ると思います。ここで私服ってのが落ち着かないんじゃないですかね?」
「成程。彼らしいと言えば彼らしいですね」
 エレーヌの返答にマリアも思わず納得させられる。確かに、レイド・クラインバーグの私服姿というのは、マリアの記憶のうちにもほとんどない。皆無と言っても過言ではあるまい。別段、プライベートで外出をしないわけでもないのに、だ。

 彼の場合、もしかしたら軍服の方が私服に近い感覚なのかもしれない。

 そんなことをマリアが考えるのとほぼ同時に、その当人がPXへと姿を現した。既に国連軍正規兵の軍服に身を包んだ、強面の大柄な男性。第2連隊所属第3大隊大隊長 レイド・クラインバーグである。

「レイド・クラインバーグ。只今帰還致しました」
 そのまま歩いてきて、エレーヌの隣に立った彼は整った敬礼と共にマリアへ帰島の旨を告げる。それに対し、マリアは「御苦労様です」と労いの言葉を添えて同様に敬礼。
 私服姿のエレーヌに対してはああ言ったものの、軍服姿のレイドに対してはそう返すのが何よりも正しい気がしたのだ。

「結局、どこまで行ってきたのですか?」
「新潟まで、ですよ。ノーデンスが「次は琵琶湖が見たい」と言い出した時はどうしようかと思いましたがね」
「殴って結構ですよ」
「殴りました」
「殴られました」
 マリアの切り返しにレイドとエレーヌの2人は同時に答える。両者で違ったのは返答の内容が能動態であるか受動態であるかのみだ。

「なんか、夫婦漫才みたいだね」
「また微妙な表現を………ああ、紹介します。私の姉のレティシアです」
「レティシア・ウル・シャルティーニです。以後、お見知り置きを♪」
 にゅっと顔を出し、会話に割り込んでくるレティシア。その言葉に眉をひそめたマリアだったが、対面の2人の部下がギョッとした顔をしていたのですぐに姉の紹介に入った。
 いきなり見ず知らずの人間が会話に入ってきた上、その人物がマリアによく似ているのだから、レイドとエレーヌの反応は寧ろ、当然のことだろう。
「レティ。彼らは私の部下です」
「知ってる。レイド・クラインバーグ大尉とエレーヌ・ノーデンス大尉でしょ? 白銀中佐とマリィほどじゃないけど、イギリスじゃ有名な名前だよ」
「有名人ですって、クライン大尉」
「興味ない。それに、俺たちの場合は中佐や少佐の名前に引っ張られているだけだろう」
 レティシアの言葉に、満更でもないエレーヌと無関心のレイド。反応はそれぞれだが、恐らく、2人の根っ子の部分はその実、さほど変わるまい。彼らに限った話ではないが、彼らは別に、名を挙げるために衛士として戦場に立っているわけではない。あるのは、結果として有名になったことを好しとするか否かの価値観の差だ。衛士として根底にあるものはきっと同じである筈である。

「そんなことよりもシャルティーニ少佐」
「何でしょう?」
 ちらりとレティシアを一瞥してから口を開き、マリアに対してそう呼びかけてくるレイド。そんな彼の問いかけにマリアは首を捻りながら言葉の続きを促した。
「何故、少佐の御姉妹がこちらに?」
 続く、レイドの質問にマリアは「むう」と小さく唸ってから、同様にちらりと実の姉を一瞥する。まるで他人事のようにきょとんとした顔をしているレティシアが本当に小憎たらしい。


「……………さぁ?」
 長時間にも渡って無言で思案したマリアだが、結局、そう答えるしかなかった。如何せん、レティシアが来日した理由などマリアが教えてほしいくらいなのである。
「レティ、どうして日本に来たのですか?」
「え? それ、今更訊くの?」
 「もう一日終わるのに?」と言いたげなレティシアの問い返しに、マリアは思わず唸り声を上げる。その指摘は実に正論なのだが、そもそも彼女は、詳しく来日の理由を語ることもなければ、訊ねさせるタイミングも作らなかったのだ。
 今更、それを訊ねるマリアもマリアだが、今更、それを訊ねられるレティシアもレティシアなのである。

「まあ、野暮用だね」
「具体的な内容を訊いているのですが?」
「大丈夫、大丈夫。マリィは無関係じゃないけど、マリィが知ったところでどうしようもないことだから」
「大丈夫じゃないじゃない!」
 レティシアの返答にマリアは思わず声を上げる。要求していた返答とはまったく違ったものである上に、濃厚な不安感を抱かせる言葉だ。何せ、“無関係ではない”のに加え、“知ったところでどうしようもないこと”だというのだから。

「そんなに恐れ戦くことじゃないんだけどなぁ。ま、帰る前には詳しく話すね」
 可笑しそうに笑い、レティシアは徐にPXの出口に向かって歩き出す。
「レティ! まだ話は終わっていませんよ!?」
「終わってるよ、マリィ。話はもうついちゃってるから」
 首を回し、顔だけ振り返ってレティシアはそう告げる。どこか軽い感じでひらひらと手を振っているが、その言葉は意味深長で、実に重い。

「だから、その内容について聞いているんです!!」

 遠ざかる背中に、マリアは声高に声を投げかける。何一つ話の核心を告げず、立ち去ろうとする姉を引き留めんとマリアは口を開くが、レティシアがその足を止めることはない。


 思えば、マリアが本気でレティシアを引き留めようとしたことは、幸か不幸か実に少ない。恐らく、共に己の道を歩むために生家を手放したあの時以来だろう。
 確かにあの時、立ち去ろうとする姉の背中にマリアは声を投げかけた。餞の言葉を贈るためでもなければ、別れの言葉を告げるためでもなく、シャルティーニ姉妹が過ごす、ともすれば最後となるかもしれない時間を、僅かでも引き延ばすために、だ。

 仲は決して悪くない。疎ましいと思ったこともあるが、それでも、行く道を違えた時には一抹の不安を覚えた。2度と会えなくなるのではないかと、そんな悪い予感ばかりに囚われていた。
 言うほど、仲の良い姉妹だったというわけでもなかったが、当たり前のように、そんな感情は芽生えていたのだ。
 理由など、至極簡単なこと。


 それは、マリアとレティシアが唯一無二の、血を分けた姉妹である故。


 今、引き留めようとするマリアの感情はその時とよく似ている。厳密な意味で、状況はまるで違うというのに、抱いた感情が途轍もなく酷似している。
 マリアは、それに気付いていた。












 今この瞬間、自分と姉との距離が急激に広がったような、そんな気がしたのだ。




















 次回、完結(仮)



[1152] 後日談シリーズ 【1】   姉、来日 終章 〈姉と妹〉
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2009/05/17 03:16





  姉、来日 完結章 〈姉〉






 レティシア・ウル・シャルティーニ。
 それが彼女の名前。今では血を分けた双子の妹しか呼ぶ者はいなくなってしまったが、親しい者は彼女のことを「レティ」という愛称で呼んでいた。言わば、「レティ」という言葉がレティシアにとって最も安易なアイデンティティである。

 それが今や、レティシア・ウル・シャルティーニは世間で言うところの、「ミンスク侵攻作戦の英雄 マリア・シス・シャルティーニの姉」である。
 その現実に、喜べば良いのか嘆き悲しめば良いのか、はたまた悔しがれば良いのか、レティシアには分からない。

 レティシアは意外にも昔から優秀な人間だった。出身である軍学校でも首席を争うほどの成績を残しており、頭の回転も速く、マリア同様、指揮官適正もその実、高い。
 彼女たち姉妹の場合、顕著に異なるのは格闘戦により優れるか、射撃戦により優れるか、だ。そんな些細な差異がきっと、2人を王室騎士団と国連軍の2つの道に分かれさせたのだろう。


 横浜基地のPXをあとにし、屋外へとやってきたレティシアは、不意に空を見上げる。頭上に広がるのは幾億もの星を瞬かせた日本の夜空。天蓋に敷き詰められた宝石の輝きは、見る者によってその印象を違わせるだろう。
 ある者にとっては祝福の光。
 またある者にとっては癒しの煌めき。
 また、ある者にとっては追悼の揺らめきかもしれない。

 レティシアにとってそれは、冷やかな閃光でしかない。故郷を遠く離れ、この極東の地へとやってきた彼女にとって、異国の地で見上げる星空は、そのくらい冷たいものだった。

 だが、同時にここは双子の妹にとってのホームグラウンド。恐らく、マリアにとってこの星光は安らぎを与えてくれるものなのだろう。それは既に、彼女にとってここは異国ではないということに他ならない。


 随分、離れたものだとレティシアは声に出さず、笑う。

 所属は違えども、同じイギリス国内をホームとしていた頃はきっと、そこまで価値観は違わなかっただろう。何だかんだ、最も長い時間を共に過ごした他人なのだから。


「貴方に嫉妬しても宜しいですかね? 白銀中佐」
 空を見上げたまま、レティシアはそう呟いた。幾分か冗談みたいな言い分だったが、彼女としては割と本気の独り言である。
 レティシアの知るマリアはそこまで行動的な性格ではなかった。無論、今だってそれは言うほど変わっていないだろう。そんな彼女から、18ヵ月前、「日本に行きます」と告げられた時はレティシアも驚いた。訊けば、転属は強制ではなく任意なのだともいう。

 それでも、マリアは「日本へ任地を変える」と決断したのだ。

 マリアにそうさせるだけの要因など、レティシアには1つしか思いつかない。今や、世界中にその名を轟かせる、ミンスク侵攻作戦の大英雄 白銀武その人の存在。
 どうやら、双子の妹はその男性に心底、惚れ込んでしまっているらしい。
 第27機甲連隊の解隊と彼の異動に伴って、マリアが日本へと任地を移した理由はきっと、それしかない。


 ジャリッと、砂塵を踏み締める音でレティシアは我に返る。振り返れば、国連軍の戦闘服に身を包んだ女性が一人、そこに立っていた。


「………こんばんは、御剣大尉……だったかしら?」
 一瞬、驚いた表情をしたものの、レティシアはすぐに笑みを湛え、その人物に向けて日本語で夜の挨拶を述べる。それに対し、御剣冥夜も一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに微妙して「こんばんは」と答えてくれた。

「こんな時間に屋外で何をしているの?」
「ランニングです。訓練兵の頃からの日課ですので」
 レティシアが問いかければ、冥夜は笑いながらそう答えた。その返答に彼女は目を丸くする。
 確か、御剣冥夜は白銀武と同期の衛士であった筈。レティシアの記憶が正しければ、彼が正規兵として任官したのはもう5年も昔の話だ。つまり彼女はもう5年以上もこの鍛錬を続けているということになる。
 何と忍耐強く、そして向上心に余念がないことか。
「レティシア殿こそ、どうしてこちらへ?」
「私は星を見にきたの」
「星……ですか?」
「そう、星。満天の星空の下に女一人って、結構、絵になると思わない?」
 再びレティシアが空を見上げ、そんな言葉を述べれば、冥夜は返答に困ったらしく苦笑を浮かべる。ノリが悪いな、とレティシアは小さく肩を竦ませた。

「まあ、でも……星空を見上げて一つ分かったわ」
「何がです?」
「ここはやっぱり異国の地なんだってこと」
 目を伏せ、レティシアは躊躇わず答える。夜空を見上げることで少しでも気が紛れるかと思ったのだが、逆に虚しさの方が強くなってしまったのだ。ここが自分にとってどうしようもないほど異国なのに対して、双子の妹にとってはきっと、数限りある掛け替えのない居場所の一つなのだろうということに気がついて、だ。

「………一つ、不躾ながら御訊ねしても宜しいでしょうか?」
「どうぞ。答えるかどうかは別の話だけど」
「貴女は、どうして今日、日本に?」
「仕事が半分。私用が半分。そうね、どちらか片方だけなら、内容まで答えてあげてもいいわ」
「では、私用の方を」
 やや冗談っぽくレティシアが返せば、冥夜は「私用の方が知りたい」と即答してくる。その理由が、仕事の件については当たりをつけているのか、それとも私用の内容にしか興味がないのかは定かでないが、ああ言ったレティシアが思わず驚いてしまうほどの即答振りだ。

「……マリィの様子を見に。あわよくば、イギリスに帰らないかどうかも訊こうと思ったんだけど……結局、言えなかったわ」
 自嘲的に笑い、レティシアはそう答える。今日だって日中、何度、その質問をマリアに切り出そうかと彼女は思ったことか。だが、そう思った回数と同じ数だけ、喉まで出かかったその質問をレティシアは飲み込んだ。

 理由など、言うまでもない。
 マリアが笑っていたからだ。昔から感情表現がそこまで豊かではなかった彼女が、心の底から楽しそうに笑っていたからだ。

 その相手に、どうしてそんな質問を投げかけられようか。


「まあ……最初からあんまり期待してなかったけどね」
「そうなのですか?」
「マリィは自分の意志で日本に来たわけだし、イギリスにはあの子を引き留めるもの、ほとんどないもの。私は結構、疎ましく思われていると思うから」
 そう言って、レティシアはまた自嘲気味に笑みを作る。昔からレティシアとマリアとでは、僅差ではあるがレティシアの方が優秀だった。レティシアが首席なら彼女は2位。彼女が2位ならマリアは3位といった具合の、本当に僅かな差だ。そんな些細な優劣の存在が、マリアに幾ばくかの劣等感を抱かせてきたことも、レティシアは知っている。

 それでも、2人は掛け替えのない双子の姉妹。決してのその繋がりを断ち切ることなど出来ないから、疎ましく思うのだ。そして、その感情を一定の距離を保つことで回避しようとするのだ。


「御二人の事情は委細まで知りませんが――――――――――――――」

 そこまで言って、彼女は一瞬、間を置く。それにはレティシアも思わず「うん?」と首を捻った。


「―――――――――――少なくとも………姉を嫌う妹などはおりませんよ。私はそう思います」


 だから、そこまで断言する御剣冥夜にレティシアは唖然とする。


「………そんな貴女は姉の方? それとも、妹?」
「私は一人娘です」
「説得力ないなぁ」
 まるで体験談のように語る冥夜に問い返せば、返ってくるのは実に見当の外れた答えだ。自分自身は一人娘だというのに、どうして彼女はここまで自信を持って断言するのだろう。

「でも……まあ、ありがとう。少しは気分が紛れたわ」
「気休め程度の言葉しか言えず、申し訳ありません」
「愚痴みたいなものだから、気にしないで。愚痴ってのはね、最初から助言なんて期待してないの。ただ、話したいだけだから」
 困ったように笑う冥夜に、レティシアは微笑みながら言い返す。そもそも、彼女とこうやって会話をする予定すらなかったのだ。助言など、本当に最初から期待していない。


 それでも、不思議なものだとレティシアは笑う。
 「姉を嫌う妹などいない」というその言葉が、とても他人事のように聞こえなかったのだ。一人娘だという彼女の言い方に、どういうわけか万感の想いを感じてしまったのだ。


 そして、その言葉から、レティシアは一欠けらの勇気を貰った。













   姉、来日 完結章  〈妹〉






 国連軍の軍服に身を包み、マリア・シス・シャルティーニは横浜基地の滑走路に立つ。横に並ぶのは、同じく国連軍の士官服に身を包んだ、マリアにとって直属の上官にあたる白銀武だ。
 そして同様に、第2連隊の隊長陣。それのみならず、第1連隊の隊長陣までもが、列を成している。

 この、名高き勇士ですら気後れしてしまうだろう錚々たる顔触れと対面しているのは一人の女。昨日、突如、横浜基地のPXに突入してきた時と同じ、獅子と竪琴の刺繍があしらわれた制服を着込んだ英国の騎士。
 即ち、レティシア・ウル・シャルティーニ。
 血を分けたマリアの双子の姉である。

 レティシアは、白銀武の前まで進み出て恭しく一礼した。

「突然の来訪に続き、碌に御礼も出来ず帰国する無礼、御容赦頂きたく思います、白銀中佐」
「こちらこそ、たいしたもてなしも出来ませんで、本当にすみません。是非またいらしてください。出来れば、事前通告した上で」
 他人行儀な挨拶をするレティシアに、武も同じく他人行儀な口調で答える。最後の一言は彼なりのジョークだろう。互いに表情は実に柔らかかった。
「そうですね。善処させていただきましょう」
「その時は、一同全力で歓迎しますよ。速瀬中佐あたりは一際」
「白銀、あんたね………」
 更に続く武のジョーク。話のネタに出された第1連隊の将 速瀬水月は苛立ったように頬を引き攣らせている。尤も、水月が誰よりも熱烈歓迎しそうな点はマリアも否定しない。

 元より、速瀬水月はマリアの姉にいたく興味があったらしい。無論、腕利きの衛士として、だ。
 その人物が遥々イギリスから来日したというのに、肝心の自分が帝都出向という形で基地不在だった不幸が、彼女の機嫌を大いに損ねている。

「白銀中佐、御一つ、御伺いしたいことがございます」
「何ですか?」
「もし、妹をイギリスに連れ戻したいと私が言ったら、如何なさいますか?」
 不意に、レティシアが武へとそんな問いかけをする。その、あまりにも他人事ではない質問の内容にマリアは思わず、「なっ…」と声を上げた。そしてそのまま、「何を言っているのですか」と叱責の言葉を投げかけようと、マリアは言葉を紡ぎかける。



 それを止めたのは、直属の上官だった。
 黙ったまま彼が手で制するので、マリアは出しかけた言葉を飲み込む。

 それが、絶対的な命令であると即座に理解したからだ。



「………連れて帰りたいんですか?」
「個人的には」
「姉妹ですからね。2人の間で合意の下なら、俺には止められませんよ」
 レティシアの返答に武は肩を竦めながらそう答える。そんな彼の表情が苦笑気味なのも、マリアには分かった。だが、反面、決して弱々しさを感じさせない。

「まあ、それは立場上の話、ですけど」
「どういう意味でしょうか?」
「俺も個人的に答えましょう。こんな優秀な相棒はたぶん、2度と見つからないんで、出来れば手放したくないんですよ」
 彼は不敵に笑い、そう告げる。その言葉を返されたレティシアは、呆気に取られたように目を丸くしていた。恐らくだが、自分も今、ほとんど同じ表情をしているだろうと、マリアは思う。


 だが、表情を緩ませるのはマリアよりもレティシアの方が早かった。


「そこまで言い切られては……私の我が侭で連れて帰るのも忍びないですね」
「何を言うんですか。こちらも、俺の我が侭ですよ」
 肩を震わせて可笑しそうに笑いながらレティシアが答えれば、同じように笑いながら武が返す。渦中の人間で、呆気に取られているのはもうマリアだけだ。

「じゃあ、マリィの意見は?」
「じゃ、マリアの我が侭は?」

 続けて、示し合わせたかのように2人はマリアへと問いかけてくる。まるで茶番だとため息を漏らしながらも、そんな2人にマリアは視線を返した。

「中佐。昨日も申した通りです。私の目標は中佐の右腕として生き抜くことです。たとえどこに赴くことになるのだとしても、それは変わりません。実の姉にくらいそのような我が侭を言っても………構いませんよね?」
 マリアがそう答えれば武は満足そうに頷く。相対して、レティシアは軽く肩を竦ませるだけだ。レティシアのその仏頂面が大袈裟に作られたものだということくらい、マリアも分かっている。


 だが、次の瞬間、毅然とした態度に正したレティシアが武とマリアの前で跪いた。丁度、昨日、来訪したレティシアが武へと名乗る際に取った姿勢である。

「それでは、最後となりましたが、白銀中佐、そして“シャルティーニ少佐”。我が主君より書簡を預かっております」
「英国王室から、ですか?」
「は。お受け取りください」
「受け取れも何も……事情が見えてこないんですけど?」
 問い返す武の意見は実に尤も。マリアにだって、事情が呑み込めない。だが、彼女が自分のことを「マリィ」ではなく「シャルティーニ少佐」と呼んだ点まで鑑みれば、言うほど生易しい事情ではないだろう。
「有り体に言えば、招待状でございます」
「招待状?」
「は。2005年のイギリス本土防衛とそれに続くミンスク侵攻作戦の成功を祝した式典が、イギリスにて7月1日より1週間に渡って催される予定となっております」
「その招待状ですか?」
「いえ、違います。それに際し、王室にて著名人を招いた立食会も予定されております。陛下たっての御希望で、御二人の御名前が来賓名簿に候補として挙がった次第でございます」
「……勝手なんですね」
「返す言葉もございません」

 事情を聞いた武が嘆息気味に呟けば、レティシアは跪いた体勢のまま、神妙な面持ちで受け答える。マリアから見てもそれは実に他人行儀なものだ。
 否。そこにいるのは双子の姉 レティシアではない。
 イギリス王室騎士団が誇る若獅子。第3分隊副長 騎士シャルティーニだ。
 他人行儀なのは仕方のないことである。

「とりあえず、受け取っておきましょう。参加するかどうかは内容を見て決めますよ」
「承服致しました。そのように、陛下にはお伝え致しましょう」

 続く武の言葉に、レティシアはすっと立ち上がり、騎士団の敬礼の格好をとりながら肯定の意を示す。それに対し、武は軍人の敬礼で応じる。マリアもまた彼に倣った。

「それでは、私が承った要件は以上でございます。白銀中佐、そして横浜基地の皆々様、短い間とはいえ、御迷惑をお掛け致しました」
「ええ、御気をつけてお帰り下さい。国王陛下によろしくお伝え下さい」
「御意」

 レティシアは武に対し、再度、敬礼。そしてそのまま、マリアへと向き直った。実の姉に見つめられて、マリアは思わずどうしたものかと言葉に詰まる。



「………もし来るなら、白銀中佐と2人部屋になるように手を打つからね」



 マリアの耳元に顔を寄せ、レティシアはそう囁いた。これまでの雰囲気を台無しにするくらいの台詞を、さも「真面目なこと言っています」的な表情で囁いてきたのだ。


「なっ……!? レティッ!!」
「じゃあね~♪ また今度♪」

 一瞬、その言葉の意味を理解出来なかったマリアだったが、すぐにそのストレート過ぎる意味合いに気付き、叱責するように声を上げる。だが、当のレティシアはするりとマリアの手を躱し、愉快そうに笑いながら踵を返した。

 ひらひらと手を振りながら遠ざかる姉の背中に、マリアは盛大にため息をつき、思わず頭を抱える。その反応が可笑しいのか、すぐ隣の武は小さく声を立てて笑っていた。

「………嵐のような人だったな」
「台風一過とはこのことですよ、まさに。帰る時も自分勝手なんですから」
「仕事で来たんじゃ責められない。そうだろ?」

 そう言って、武はマリアへと書簡を差し出してくる。その、質素な封筒には「マリア・シス・シャルティーニ様」と、マリア宛であることを明確に示した文字が綴られていた。

「………そうですね。それよりも、こちらの件はどうされるつもりですか?」
 相槌を打ち、マリアは書簡を示してそう訊ねる。その問いかけに、武は顎に手を当てて思案顔になった。
「……どちらにせよ、その日時周りであいつらの墓参りに行くつもりだったからな。気は進まないけど、英国に行くついでに参加してくるか」
「王室主催の立食会に、“ついで”で参加ですか。中佐らしい考え方ですね」
「公務で英国に行くんだから、文句を言われる心配もない。建前としては丁度いいよ」
 肩を竦ませる武に、マリアは「ふふっ」と笑いながら相槌を打つ。彼のその考え方にはマリアも共感した。彼らにとって、「立食会に参加する為」というのは口実だ。7月1日にイギリスに行く本当の理由は、共に戦い、そして先に果てた戦友たちを追悼するため。その一点のみ。

「しかし、中佐にあそこまで買われているとは思いませんでしたね」

 先ほどの「武の我が侭」の話を思い返し、マリアは微妙気味に言葉を紡ぐ。それに対して、武は「参った」というように頭を掻いた。
「これでもマリアは誰よりも長く俺と2機連携組んでるからなぁ。つーか、俺よりも先にお前の方が早く昇進しそうだけど」
「それは困りますね。私の方が早く上に上がっては、私の目標が果たせなくなってしまいます。ですので、より精進していただきたいですね、白銀中佐」
「………もしかして、俺、墓穴掘った?」

 愕然とする武を余所に、マリアは再び姉の背中に視線を向ける。彼女はもう王室騎士団が所有する航空機へと乗り込むところだった。

 その姿を追い、マリアは目を細める。


 今回の来日、レティシア・ウル・シャルティーニも2つの理由を持っていた。
 武とマリアに主君より預かった書簡を届けるという、公務。
 そして、血を分けた双子の妹の様子を見にゆくという、私用。


 さて、この場合、どちらが本音なのだろう。






           もちろん、後者ですよね、レティ






 もう姿の見えなくなった、帰郷する姉へと向けて、マリアは心の中でそう呼びかけた。















 後日談シリーズ【1】  姉、来日    了



[1152] 設定はあったが、入れる余地の見当たらなかった話
Name: 小清水◆7e60feb0 ID:1c5e0c95
Date: 2010/05/06 04:29





  設定はあったが、入れる余地の見当たらなかった話




 2005年 2月2日 極東方面日本関東地区神奈川県横浜。

 富士山麓にある衛士訓練校から出立した白銀武がここに到着したのは、2月2日へと日付が変わったついさっきのことだった。これといって訪問は表沙汰になっていないのか、あるいは単純に真夜中であるためか、驚くほど基地全体が静寂に包まれている。

 久方ぶりだというのに、淋しいものだと基地の通路を進みながら武は苦笑する。そういうのも、彼は元々、この基地で国連軍に入隊し、兵士として、そして衛士として最も貴重な時期をここで過ごしたのである。
 そのくらい、思い入れのある場所なのだ。
 だから、閑散としていることが何か悲しい。

 ああ、だがしかし、正門のところに差し掛かった時は、顔見知りの警備兵と再会し、それなりに盛り上がったか。

 ついさっきのことを思い出した武はまた違う意味で苦笑いを浮かべる。先刻、言葉を交わした警備兵は武のことを訓練兵の頃から知っており、少尉を経て訓練兵教官の任に着いていることまで把握している。
 そんな警備兵の表情は、会話が落ち着いたところで一気に強張った。2年以上も前から顔見知りである武の軍服についた階級章が、中佐階級を示すものに変っていたことに気付いた故、だ。

 まあ、警備兵の驚きも仕方のない話である。如何せん、今回の件に関しては白銀武当人ですら、仰天しているのだ。
 昨日まで下士官として訓練兵の教導に当たっていた武は、本日より中佐として欧州に派遣され、一部隊を率いる指揮官となる手筈となっている。そんな馬鹿げた人事が伝えられたのも、その実、昨日の話だ。

 だがしかし、片棒を担いだのはあの香月夕呼。馬鹿げた昇格というのは幾分か、幾分か納得出来る。だが、任地が欧州というのは実に奇妙なことだ。何せ、あちらは香月夕呼の権限がほとんど届かない場所なのである。

 恐らく、だが、今回の人事は香月夕呼の能動的な意志ではない。彼女の話では向こうのとある師団長から武を指揮官として迎え入れたいという要望があったからとのことだが、彼女の言葉ではどこまで信用出来るのか微妙なところだ。

「………ああ、お疲れ様です」

 エレベーターホールへと差しかかった武は、そこで彼を待っているかのように立っている人物を見つけ、敬礼と共に声をかけた。
「お待ちしておりました、白銀中佐」
 彼女……イリーナ・ピアティフは武の言葉に続き、整った敬礼と共に返答する。その「白銀中佐」という響きには言いようのない違和感を覚えるが、これは慣れの問題だろう。つい昨日まで軍曹だったのだから、そればかりは仕方がない。
「イギリスへ向かう再突入艦の発進までまだ時間があります。あちらの部隊に関する説明を簡単ではありますが、お伝え致します」
「あ、ありがとうございます。ここで、ですか?」
「いいえ、“下”に部屋を用意してありますので、まずはそちらに」
 武の言葉にピアティフは冷静な口調で答える。彼女のその言葉に武は微妙の頭痛を覚えた。やはり、今回の任務はそれ相応の特殊なものに該当するらしい。

 イリーナ・ピアティフの「下」という言葉には、そのくらいの重みがあった。

「………夕呼先生はいないんですか?」

 促されるまま彼女と共にエレベーターに乗った武は不意にそう訊ねた。さっきの言い回しだと、向こうの部隊に関して説明してくれるのもピアティフということになる。香月夕呼がいれば、彼女自らやりそうなものなのに、だ。

「副司令はもうお休みです」
「…………ひでぇ」
 ピアティフの返答に武は思わず頬を引き攣らせて率直な呟きを漏らす。大急ぎで身支度を整え、すぐさま武は横浜基地までやってきたというのに、通達してきた夕呼本人はもう寝ているのだという。
 泣いてもいいだろうかと、武は割と本気で思った。

「副司令の手を煩わせるほど機密事項を含んだ案件ではないからです。そのご説明で、ご理解いただけますか?」
「その割には、けっこう深いところまで下りてきましたけど?」
「1つだけ、他の誰かに聞かれてはならないことがありますので。その内容についてはまた後ほどにしましょう。先に、任地の部隊について簡単にご説明致します」
「………分かりました。お願いします」

 どう考えても生半可なIDでは立ち入れないような階層まで下りてきたことを確認した武は、言いようのない不安感を覚えつつもピアティフの言葉に従う。階級こそ今は武の方が上だが、彼女は香月夕呼の副官。情報精度に雲泥の差があるのだ。
 だから今は、ただただ素直に受け入れるしかない。

「まず、部隊ですが、欧州国連軍第2師団旗下となります。駐屯地はイギリスのプレストン。部隊の内訳は……機甲連隊とありますが実質は小師団に匹敵するものです」
「小……師団ですか?」
「はい。6個戦術機甲中隊を主力に、直属の支援砲撃部隊、機械化歩兵部隊、通信小隊に衛生班、整備班を持つ連隊とのことです。警備兵も含め、駐屯地に駐留する兵士の総員は約900名。そのすべてが中佐直属の部下になります」
「………戦術機は実質、2個大隊規模、ですか。その編成だと、独自行動を取らせる気満々ですね」
「……あちらの思惑の委細は把握しかねますが、恐らくは中佐の予想通りでしょう。物資さえ優遇されれば、単独でもある程度、戦闘継続が可能な筈です」
「途轍もない放任主義だ」
 彼女の言葉に武はやれやれと肩を竦ませながら呟く。香月夕呼もそれ相応に放任主義だったが、これはそれの比ではない。欧州の第2師団師団長は、本気で武に独立戦力を預けるつもりなのである。

 駐屯地がプレストンというところも、それに付随した形だろう。

 プレストンは元より、首都リバプールを取り囲む形で存在する要塞都市の一角だ。規模こそリーズ、シェフィールド、バーミンガム、ブリストル、そしてロンドンの五大要塞都市に劣るが、リバプールと北部とを繋ぐ大動脈を守る重要拠点に当たる。
 この大動脈は所謂、退路。南部からのBETA侵攻に対し、陸路で撤退する場合、プレストンは最終防衛ラインに存在する。
 だから、そこに駐留する部隊は可能な限り独立した指揮系統を持つ方が好ましい。ここが最重要拠点となった時、恐らく欧州国連軍もEU連合軍もほぼ壊滅状態にあり、まともな指揮系統などおおよそ残っていないと予想出来るからだ。

 加え、プレストンは防衛都市でありながら“後方”だ。切り札を温存しておくのに、これほど適した都市はない。


 面識もない第2師団の師団長殿は、自分にいったいどんな期待をしているのかと、武は内心、ため息をついた。


「構成人員の名簿はご覧になられましたか?」
「まさか。そもそも、所属の師団も駐屯地も、今さっき知ったばかりですよ」
「そうでしたね」
 武の返答にピアティフは初めて可笑しそうに笑った。それに対し、武はもう何度目か分からない苦笑いを浮かべる。
「総員名簿はデータベースでご確認ください。各署責任者のみリストアップしたものがこちらになります」
「ああ、ありがとうございます」
 ピアティフから差し出された数枚の書類を武は受け取る。ちょうど、そのタイミングで乗っていたエレベーターが目的の階へと到着した。

「………こいつはまた、随分な生え抜きですね」

 ピアティフに追従する形でエレベーターを降りた武は、歩きながら書類に目を通し、率直な感想を口にする。寧ろ、それ以外の感想などこの書類からは出てこなかった。

 実績という点もそうだが、何より、その経歴。武も含め、戦術機甲部隊の隊長陣はほぼ全員が、“つい先日、昇進している”。恐らく、この部隊に配属するために、だろう。唯一例に漏れているのは、衛士最年長のレイド・クラインバーグ大尉のみだ。

「整備班はケヴィン・シルヴァンデール、通信班はリィル・ヴァンホーテン……凄いな、歩兵はネルソン中尉が一手に引き受けるのか。これは正直、正気の沙汰とは思えませんね」
「生え抜きである点は致し方ないかと。どの方面も常に人員は不足していますから。尤も、それで連隊を一個、新設するくらいですから、ヴィンセント准将はよほど、ご自身の炯眼に自信があるのでしょう」
 ピアティフの述べるその感想が皮肉を含んでいるのか、それとも率直なものなのかは武にも分からない。だが、彼女の言う通り、この人事はよほどの自信と相当の権力を持っていなければ出来ない。その点において言えば、師団長たるレナ・ケース・ヴィンセントという人物は香月夕呼に匹敵するか、それをも凌駕する傑物であるに違いない。

「それと、戦術機甲部隊の運用機体はラファールと聞いています」
「第3世代機ですか!? F-15か、良くてもF-15Eだと思ってたんですけど……EU連合も随分と気前が良いんですね」
「あちらの次期主力はEF-2000が有力ですから、ラファール側はXM3に縋りたいのでしょう。ヴィンセント准将が白銀中佐の名前を餌に釣りあげたと、副司令からは伺っています」

 どうやら師団長殿は剛胆な上、話術まで達者ならしい。

 知らないうちに釣り針に括りつけられていたことを、白銀武は素直に残念に思った。


「………白銀中佐、こちらです」

 もうため息をつくことすら面倒臭くなってきた武の耳に、ピアティフの改まった声が入ってくる。どうやら目的地に到着したようで、2人はドアの前で止まっていた。

「ここですか?」
「はい。彼女ももう待っていると思います」
「………彼女?」
 ピアティフの言葉に眉をひそめながら武は問い返すが、彼女はそれに答えず、そのままドアを開け放つ。


 そこは、何てことのない小さな部屋だった。隅にある2つの本棚以外、ほとんど物も置かれておらず、一見しただけでは何のための部屋なのか誰にも分からないだろう。事実、武もここが何の部屋なのか分からない。
 何故、これほど“何もない部屋がB21フロアに存在するのか”、まったく理解出来なかった。
 B21。ここは、あの香月夕呼が執務室を構える階層よりも更に深く、同等のセキュリティレベルを有するフロアなのだ。

「お待たせしました」

 一歩踏み込んだピアティフが室内に向けてそう声をかける。すると、それに反応して一人の女性が本棚の陰から顔を出す。武には見覚えのない顔だ。

「ああ、いらっしゃいませ。お待ちしておりましたよ、ピアティフ中尉、それに……白銀中佐」
 ピアティフと武の姿を確認した彼女は彼らの方へと歩み寄りながら、微笑を浮かべて敬礼を返す。畏まった印象をほとんど受けないのは、彼女の振る舞い故か、訓練兵教官だった武の感覚が幾分かシビアになっている故か、彼自身にはよく分からなかった。

 だが、彼女の服装を見て理解出来たことが一つだけある。

「……オルタネイティヴ第4計画。確か、凍結されていた筈では?」
「凍結されていますよ。今でも」

 睥睨するように目を細める武の言葉に、その女性はくすくすと可笑しそうに笑いながら答えた。そうであるならば、彼女の服装は更に解せない。


 AlternativeⅣ


 彼女が纏う国連軍士官の軍服。その袖の部分にはそう記されていた。事情を知る者が見れば、それだけで彼女が“どの程度の存在なのか”理解出来てしまうだろう。

「まあ、こんなもの、ここにいる時に着るだけですから。ここ以外では効力を成しませんよ」
「……何者ですか?」
「有り体に言えば、諜報員です♪」
 実直に武が問いかければ、異様なほどあっさりと彼女は答える。その即答振りには武も驚かされたが、返答の内容はそれほど意外なものではなかった。
 如何せん、似ているのだ。口調や表情の作り方などは違うが、相手に腹の内を悟られないようにした、飄々とした態度が、あの鎧衣左近と似ている。

 だから、たとえこの横浜基地の中だろうと、武は未だ目の前の女性に対して警戒を解いていなかった。

「ああ、ですが、本日付で新しい任務を受けましたので、しばらくこの軍服とこの基地ともお別れになりますね」
「………それと俺に何の関係が?」
「流石、白銀中佐は察しが良い」
 一つ一つ、慎重に疑問を問いかける武。相反し、それに答える彼女の言葉は既に一手先をいっていた。だが、半ば予想していたため、やはり武には驚きなどなかった。

「目的は、俺の監視、ですか」
 自分の目の届かないところに置く以上、監視の目を用意する必要がある。あの香月夕呼ならば実にやりかねないことだ。寧ろ、そこまで手を打たなくては彼女らしくない。
 そもそも、これでも彼女にしては充分に“規模が小さい”のだが。
「それもなくはないですが、どちらかと言えば白銀中佐の身辺警護の意味合いが強いですよ。中佐が率いる第27機甲連隊には僕を含め、第4計画関連の兵士が都合14名、配属される手筈になっています」
「似たようなものでしょう。要するに、利用価値があるから死なせないようにする。夕呼先生なら、それくらいは言いかねないですよ」
「あらら。そんなこと仰ると、香月副司令が泣いちゃいますよ? ちゃんと、中佐のこと純粋に心配していらっしゃるようですから」
「口だけなら何とでも言えますからね。それに、別に俺は気にしてないです。夕呼先生にとって、それだけしても足りないくらいに俺は機密情報を持っている」
「そうですね。そう伺っています。ですから、白銀中佐が自覚してくださっているようで安心致しました。その方が僕らも仕事が円滑に運べます」
 若干の皮肉を込めた武の返答にも、彼女は微塵も笑顔を崩さずに受け答える。相手がこれでは何を言っても暖簾に腕押しをしている感覚だ。本心など一片たりとも出す様子はない。

「まあ、何にせよ、僕も、僕の部下たちも本日付で白銀中佐の部下になります。今回の任務に反しない限り、中佐の意向には従いましょう」
「俺だって積極的に夕呼先生に迷惑かけようなんて思わないですよ」
「ありがとうございます♪」
 やはり笑顔のまま武の言葉に答える彼女。表情から感情は読み取れないが、少なくとも、ここは横浜基地の高セキュリティフロア。目の前の相手が敵か味方かなど、疑うまでもない。
 ただし、相手の人間性を信用して良いのかどうかは充分に検討する必要がありそうではあるが。

「俺の部下になるって言いましたよね? 全員衛士ですか?」
「まさか。衛士技能を持っている者もいなくはないですが、戦場で中佐の身辺警護をするなんて、そんな大層なことを言えるほどの能力ではありませんよ。なので、戦術機甲部隊以外の基地要員に割り振ってあります」
「………ってことは、バラバラに?」
「勿論です。今回の場合、僕らの本当の任務を周囲に悟らせてはいけません。僕たちも例外なく、第27機甲連隊へと配されたただの兵士を演じなければいけませんので」
 目を丸くして武が問い返せば、そこで彼女は初めて真顔になった。その眼光は獲物を竦ませる鷹のそれのように鋭く、武は思わず身じろぐ。
 要するに、いつどこで誰が武の警護についているのか、周囲と外部に悟らせないようにしなければ意味がないと、そのために自分の部下を各部署に割り振ったと、彼女は言っている。

「分かりました。誰が、なんてのは俺も知らない方が良さそうですね」
「そうですね。失礼とは思いますが10人ほどは誰なのか明確にしません。基本的に彼らと中佐を繋ぐのは僕がしますが、それだけでは手が足りないので、2、3人は明かすことになるかと思います」
「成程、分かりました」
 彼女の言葉に武は納得し、頷く。元より、ほとんど聞いていないような話だ。部隊の中の誰が第4計画に関わる兵士なのか、武がそれを知る必要もない。彼に任されたことは、部隊を率い、BETAと戦うことの一点のみなのだから。


「これからよろしくお願いします。えっと………」
 武は敬礼ではなく握手を求め、彼女に右手を差し出す。だが、途中で彼の言葉は詰まった。そういえば、武はまだ彼女の名前を聞いていなかったのだ。

 そんな武の様子から察したのか、握手を求められたことできょとんとした顔をしていた彼女は一度、可笑しそうにくすりと笑い、武の右手を取る。










「片倉美鈴です。第27機甲連隊では衛生班総轄として従事します。そちらでの階級は准尉。よろしくお願いしますね、白銀中佐」







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