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[29793] そして魔王様へ【DQ3】(5/8新話投稿)
Name: NIY◆f1114a98 ID:4f54f8a1
Date: 2014/05/08 23:40
ヒミコ(ヤマタノオロチ)への愛が止まらず初投稿でございます。

 ※以下注意
 ・トリップ系オリ主ものです(勇者じゃないです)
 ・主人公チートありです(中盤~終盤にかけて)※チート=正規手段ではないという意味で。
 ・ヒロインは一人ではありません
 ・ご都合主義万歳です
 ・SEKKYOUがでるやもしれません
 ・基本はドラクエ3ですが、かなり自己設定があります
 ・作者は厨二病とその他が分かっていない節があります

 これだけ書くとかなりあれな話ですが、踏み込める方はどうぞ御覧ください。


***





 つくづく思う。くそくらえだと。



 立っているだけで体が焼き付くような熱気の中、青年は独りごちる。

 むき出しになっている岩肌に少し触れば、おそらくその部分は使い物にならなくなるだろう。青年の装備は麻の長袖シャツに安物のジーパン。まだおろし立てのスニーカーと、溶岩が流れる洞窟の中を動くにはあまりにも不釣り合いだ。
 実際に、青年のむき出しになった肌は既に赤く染まり、地面と接しているスニーカーはもはや役目を果たしているのかどうかすら怪しい。
 それでも、青年は洞窟の中を進む事を諦めなかった。青年の足を進めているのは、確固たる決意や強い意志などではなく、全てがどうでもいいという絶望にも似た感情だったからだ。


 要は只の自殺志願である。


 青年が気が付いたとき、世界は全て変わっていた。見知らぬ土地。見知らぬ風景。見知らぬ人々。それは、青年が生きてきた世界とは明らかに異なるものだった。
 青年にある記憶は、大学の教授に呼ばれ車で移動の最中に、トンネルを通ったところまでだった。トンネルに入った瞬間、まばゆい光とともに意識を失ったのである。
 気が付いた後、訳も分からずフラフラと辺りを歩き回り、まるで歴史の教科書に載っているような服を着ている人に聞いてみれば、異物を見るような目で見られろくに答えを返してくれない。
 村落と言っていいであろう規模の集落は、妙に暗い雰囲気でどんよりとしており、それが余計に青年の不安を掻き立てた。
 思い切って村の外へと出てみれば、見た事もない化け物に追いかけ回され、ようやく青年は自分が異世界にやってきたことを思い知ったのだ。少なくとも、青年の知る地球には人を丸呑みできそうなカエルなど存在しないはずである。
 追い回され再び村へと逃げ帰り、少し冷静になってみれば、何となく心に引っかかりを覚えた。何故だろうか、青年はそのカエルに既視感を抱いたのである。
 まさか、と否定するもどうにも気持ち悪い感覚が拭えず、今度は見つからないようにカエルを発見したとき、青年は理解してしまった。



 あのカエルは、だいおうガマ。散々やりこんだRPG。ドラクエ3の雑魚キャラだ。



 そんな馬鹿なと、常識が否定する。しかし目の前にある状況が、常識を否定する。
 現実に現れた魔物の姿は、元が2Dデザインであるだけに、ゲームで見ていたものとは開きがあった。しかし、大まかな雰囲気、色や造形など所々に見受けられる同一性が、かの魔物であると思わせられる。
 改めて見れば、見慣れない村落はかのゲームの中に出てきたジパングそっくりだった。排他的で暗い雰囲気からすると、既にヤマタノオロチとヒミコが成り代わっているのか。
 気が付けばゲームの中にいた。こんな突拍子もない話などない。あまりにも滑稽である。

 滑稽なのは、状況ではなく自分自身であったが。

 こんな結末かと、ただただ嘲る。求めて、足掻いて、足掻いて、決して届かないと知りつつも諦めきれずに、みっともなく生きてきた自分の結末は、こんなものか。
 くだらないと、青年は吐き捨てる。元の世界に帰る手段など考えも付かず、金も力もない自分が、この世界でどれほど生きられるものか。おそらく、一ヶ月もしない内に野垂れ死にするのがオチだ。


 ならばいっそ、ヤマタノオロチの姿を見てやろう。


 冥土の土産に、かつてのめり込んだゲームの存在であり、自分が知っている中でも上位に位置する龍に殺される。それが、青年がオロチの洞窟に潜っている理由だった。
 途中で魔物に殺されるかもしれないだとか、そもそも辿り着く前に体力の限界を迎えるかもしれないだとか、むしろヤマタノオロチに出会える可能性の方が圧倒的に少ないということなど、青年にとっては足を止める理由にならなかった。結局の所、青年にとっては死の過程が変わるだけで、結果は何一つ変わらないのだから。せいぜいちょっと惜しかったなと思う程度だろう。
 しかしながら、青年の予測は尽く裏切られた。何故か知らないが魔物なんて一つも現れずに、気が付けば既に二階に到達している。覚えている限りでは、この洞窟は一階部分よりも遙かに二階部分のほうが狭かった筈だ。このまま行けば、ヤマタノオロチに到達するのも時間の問題である。
 どうにも不思議でならなかったが、構わず青年は先に進んだ。自分の望んだ結果が手にはいるのなら、それに越したことはない。



 果たして、青年は遂にその場所へとたどり着いた。



 青年よりも遙かに巨大なその体。ただそこに在るだけで震えが走る程の威圧感。青年が己の死に焦がれたものは、望んでいた以上の存在であった。

 それなのに、確かに望んでいたはずであったのに、青年が感じたのは歓喜でなく、畏怖でなく―――





 ―――ただ美しいと、そう思った。





 何故だろう。恐怖を抱いてもおかしくないその巨躯が、まるでガラスで作られた彫像のように思えたのは。


 何故だろう。押しつぶされそうな威圧感を持つその眼光が、まるで水面に浮かぶ月のように思えたのは。


 何故なのだろう。神々しささえ感じる程の存在が、あまりにも儚く見えるのは。



 その一瞬が、何倍にも伸ばされたような感覚の中で、自分でも気付かぬ内にとうに限界を超えていた青年は、そのまま地面へと倒れ伏した。




[29793] 新米魔王誕生
Name: NIY◆f1114a98 ID:4f54f8a1
Date: 2014/03/05 22:16
一章 一話 新米魔王誕生


 カサカサと、草の擦れる音で青年は目を覚ました。

「…………生きてる?」

 自分が寝ているのは草むらの上か。チクチクと葉が肌に刺さる。
 濃い新緑の香り。おおよそ以前では関わり合いの無かったものだが、五感がここまではっきりしているとなるとこれは夢ではあるまい。
 死んだ経験などないから分からないが、感覚があるということは自分が生きているということなのだろう。たぶん。

「…………何でだ?」

 青年は誰とも無しに問いかけた。もちろん答えが返ってくる事などない。
 とりあえず、寝転んだままでは仕方ないので体を起こす。手のひらを見てみても火傷など一つもなく、体のどこかが痛むという事もない。

「…………何で俺は生きてる?」

 青年は再度問いかける。
 確かに、自分はオロチの洞窟へと赴いた。何故か魔物と遭遇する事こそなかったが、溶岩の熱で肌は火傷していたし、最後にはヤマタノオロチの目の前にまで到達したのだ。ボロボロの服と、もはや使い物にならなくなっているスニーカーがあれが現実であったことを証拠づけている。
 だが、それだけに何故自分が無事なのかが理解できない。ヤマタノオロチに手を出されるまでもなく、自分の死は確実に訪れていたのだから。

「全滅して城から再スタートだったら、まじもんでゲームなんだがな……」

 呟いて、青年は考えを放棄した。考えたところで実際の検証なんてできないからだ。
 そして、回想したことで思い出す。鮮烈なまでに焼き付いたヤマタノオロチの姿を。


 ―――ただ、美しかった。


 溶岩の中に浮かび上がる翠玉の鱗。一つの体に八つの頭という地球上の生物ではあり得ない姿ながらも、完成された一を思わせる巨躯。ゲームで描かれていたものとは違う、黄金色に輝く瞳。
 しかし、青年が彼の龍に抱いたイメージは、その圧倒的な存在感とは真逆の儚さだった。


 触れれば消えてしまいそうだった。少しでもバランスが崩れただけで壊れてしまいそうだった。

 故に、青年は魅せられた。あまりにもアンバランスな雰囲気を抱えた龍に。

「…………会いに行くか」

 青年の疑問を解消できるのは、知りうる限り一人だけ。もとより、それ以外の選択肢など存在しなかった。
 ゆっくりと立ち上がる。一応点検をしてみたが、どこにも痛みは感じない。

「HP全快ってとこなのかねこれは……」

 適当にシャツを破って足に括り付ける。瓦解寸前のスニーカーだが、少し歩くくらいならこれで大丈夫だろう。
 何とも見窄らしい格好だと、青年は自嘲気味に苦笑した。この世界に来てから大体二日ぐらいか。一度死を体験したせいか、随分と心に余裕が出来ている。今では、あれほど自暴自棄になっていたのが馬鹿馬鹿しいと思えるぐらいだ。
 別段死にたがっている訳じゃないのだから、わざわざあんな洞窟に赴くまでもなく、ヤマタノオロチには会いに行ける。今のジパングの状況から鑑みるに、既にヒミコと成り代わっているのだろうから。
 自分でもどうしてか分からないほど、心が沸き立っていた。どうせ一度死んだ身だ。使うなら、好きなようにこの命を使わせてもらおう。



***



 村の中は相も変わらずどんよりとした空気が漂っていた。
 どことなく暗い村人たちは、浮浪者同然の青年の姿を遠巻きに見ながら顔を顰めている。

(辛気くさいこった)

 そんな不躾な視線を浴びながらも、青年は堂々と村の中を歩く。目指す場所は、村の一番奥に見える大きな屋敷だ。
 村の中は青年が思っていたよりもずっと広かった。ゲームでは簡単にたどり着けた屋敷がえらく遠い。画面上では存在しなかった建物も沢山ある。まあ、これだけの人が住んでいるのだから現実としては当たり前なのだろうが。
 それでも何となしに周りを見ていると、村の中央にある井戸やおそらく後の生け贄が隠れることになるだろう地下倉庫の位置やらとゲームと同様の部分があって面白い。

 そうしている内に、ヒミコの屋敷の前へとたどり着いた。
 幾つかの鳥居の先に見える、明らかに豪勢な屋敷。ここの住民はヒミコを神と同一視しているらしいので、祀るための神殿という意味合いもあるのかもしれない。
 そのまま正面から屋敷に踏み入った直後、青年の前へ剣が突きつけられた。

「待て! 見窄らしい奴! ここが誰の屋敷だと思っている!」

 剣を突きつけているのは門番らしき二人の男だ。ゲームではあっさりと中へ入っていただけに意外だったが、統治者の屋敷なのだから当然かと考え直した。きっとあれは勇者補正だとか何かだったんだろう。

「誰って……ヒミコのだろ?」
「なっ!? 貴様ヒミコ様を呼び捨てにするとは何と無礼な!」
「貴様のような外来の下郎が、ヒミコ様を呼び捨てなど言語道断である!」

 青年の発言にいきり立つ門番達。ホームレス同然の男が、神に等しく崇められている存在を呼び捨てにすれば当然か。どうにも正直に行き過ぎたらしい。

「外来だからこそとは思うんだがね……で、ちょっとばかしヒミコに聞きたいことがあるんだが通してくれないか?」
「き、貴様また―――――」
「―――――――っ!!」

 威圧されても尚、飄々とした態度を取る青年に、門番達は声も出せないほど憤った。どうしたもんかねと、青年は振り上げられた剣を見るが、こうなってしまってはどうしようもない。一応それなりに心得はあるが、長らく本格的な訓練などしていない自分には対処は難しい相手のようだ。
 そも、青年は何となく求めて来ただけで、徹底的に足掻いてまで会いたいという強い意志が有るわけでもない。そうでなければいくら彼でも、ここまで無計画で無謀な真似はしなかっただろう。



 だから、その声が聞こえたときに、青年は少しばかりは運命というのを信じてみてもいいかもしれないと、本気で思ってしまった。



「どうしたのじゃ騒がしい。何をしておる?」

 威厳もあるが、非常に美しい女の声。それが聞こえた瞬間に、門番の二人はピタリと動きを止めていた。
 奥から現れたのは、見目麗しい妙齢の女性。顔立ちは凛々しいと言うのが適当だろうか。切れ長の瞳を中心に整えられたパーツ。薄く引かれた紅は蠱惑的でありながらも、それを感じさせない力強さを称えた口元。流れる黒髪は高く結われ、そこから一束背中に落とされている。
 誰もが目を奪われるだろう美女だ。赤が基調の派手な着物が、彼女の美しさをより引き立てている。

 しかし、青年は彼女の姿形などまるで目に入らなかった。

 青年が吸い寄せられたのはその瞳。あの時、龍の瞳にも見えた、揺れるように浮かぶ儚い光。



 間違いない。彼女こそヤマタノオロチである。



「ひ、ヒミコ様!」
「な、何故こちらに!?」

 慌てふためく門番達に呆れたように首を軽く振って、ヒミコは青年の方へ視線を投げ掛けた。

「あれだけ騒いでおれば奥におっても聞こえように。して、そなたが騒ぎの元凶らしいが一体何者じゃ? ずいぶん哀れな格好をしておるが」
「いや何、あんたに少しばかり聞きたいことがあったんでやってきたんだが、そこの二人のお怒りに触れてしまったらしくてね。後、格好については言わないでくれると助かる」

 苦笑し頭を掻きながら青年は言う。対して、ヒミコは目を細め、門番達は我慢ならないと剣を構え直した。

「この無礼者が!」
「もはや我慢ならん! 切り捨ててくれる!」
「……止めぬか、お前達」

 再び振り上げられた剣を止めたのは、やはりヒミコだった。さすがに感情が上回っているのか先ほどのようにすぐさま剣を下ろしたりはしないが、それでも動き自体は止めざるをえない。

「しかしヒミコ様!」
「……別に妾は気にしておらぬ。そんなことよりも、切られた者の血で玄関先が汚れる方がよほど不快じゃ。毎日掃除をしておる下女に余計な苦労をかけるでない」

 ヒミコにそう言われては、門番達も従わないわけにはいかない。明らかに渋々剣を納めた二人を尻目に、青年は軽く肩を竦めた。

「助けられたかな?」
「……知らん。そなたも不愉快じゃ。さっさと去ね」

 ふいっと顔を背けて、ヒミコは背を向けた。
 そのまま去られては、こうして出会った甲斐もない。その背に向けて、青年は呼び止めるように声を掛ける。

「何で俺を生かした?」

 果たして、その言葉にヒミコは足を止めた。予想通りと、青年は顔に笑みを浮かべる。

「あんたなんだろう? 俺を助けたのは。放っておいたら死ぬ人間を、わざわざ回復させて外に連れ出したのは何でなんだ?」

 門番の二人は青年の言葉を理解できず、さりとてヒミコに言われた手前動く事もできない。ヒミコは、背を向けたままじっと話を聞いていた。



 最後に青年は爆弾を投下しようとする。



「なぁ、教えてくれよ。ヤマタノ―――――」


 瞬間、押しつぶされそうな威圧感が青年に襲いかかった。出そうとしていた言葉は途切れ、息をすることすら困難な状態に陥る。

「ごほっ!? がひゅっ!?」

 そのまま倒れそうになるも、青年はそれを良しとしなかった。くの字に折れ曲がった状態から、無理矢理顔を上げにぃっと笑みを作る。
 見上げた先にあったのは、ちらりとこちらに向けられた顔。恐ろしい程の冷たい瞳。
 振り返ることすらせず、ただ一瞥されただけでこれ程の圧迫感を与えられる圧倒的強者に、青年は喜びすら感じていた。それでこそ、自分の求めていた存在だと。

「……付いて参れ」

 一言だけ述べて、今度こそヒミコは奥へと歩いていった。圧迫感から解放され、青年はその場で荒い息を吐く。

「お、おいどうした?」

 急に倒れ込んだ青年に、門番達は動揺している。本当に、あれは青年にだけ向けられていたものらしい。
 何度か深呼吸をし、息を整えて青年は立ち上がった。

「いや、ちょっとした持病だよ。すぐ治るモンだから気にしなくていい。それより、奥へ行ってもいいな?」
「…………ヒミコ様が認められたのだから、我らには止める権利はない」
「それは重畳」

 笑顔一つ返して、青年はヒミコの向かった方へと歩き出した。最後に、背中ごしに声が掛けられる。

「くれぐれも粗相のないようにな! ヒミコ様に何かあれば、その命無いものと思え!」


 それには特に言葉も返さず、青年は歩きながら軽く手を振って答えた。




***




 青年が通されたのは、50畳ほどの大きさがある広間だった。だだっ広い空間の中に、ヒミコの寝所と思わしき場所が設置されている。部屋は人払いをされ、青年はただ一人ヒミコと対峙していた。
 ヒミコは無言のまま、青年を計るかのように眺めている。対する青年は、座り込んで腕を組み、見る者が見れば嘲りとも取れる笑みを浮かべていた。

「さて……いささかムードが足りないような気がするが……」
「囀るな小僧。貴様、何を知っておる?」

 この状況下においてもふざけた言い回しをする青年に、有無を言わせぬと問うた。

「何をって言われても大したことは知らんがね。あんたがヤマタノオロチだってことぐらいじゃないか?」
「ほう……妾の一体どこがあの化け物だというのじゃ? 妾がこのジパングの支配者であることは知っておろうに、その言は冗談で済ませられることではないぞ?」

 再び襲い来る圧迫感に、青年はグッと腹に力を入れ堪える。その態度自体が青年の言葉を肯定していると同じ事であるが、向こうもそんなことは重々承知だろう。これは、ヒミコが青年を警戒しているからこその態度である。

「知っているから、としか答えようがないな。俺はあんたの過去なんざ知らないが、あんたがヤマタノオロチであることと元の支配者を喰らって成り代わったってことは『知っている』」

 青年の言葉に、ヒミコは肯定も否定も返さない。下手に言葉を返そうとも、青年が確信を抱いていることはもう理解したのだろう。
 ヒミコの視線を受けながら、青年は言葉を続ける。

「だからこそ聞きたいんだが、何であの時俺を助けた? あんたにとっちゃ俺なんて虫けら同然だろう? 助けられる理由なんか思いつかないんだが?」
「…………何故妾が助けたと? そなたの言うようなら妾が助けたとは考えにくいじゃろう?」
「状況的にあんたしか考えられないからだ。あんな所までわざわざ来る人間なんていやしないだろうし、もしいたとしても助けた人間を外に放置するとか行動に一貫性がない。他の魔物でもあそこにいるのは大抵あんたの配下だろう? 最低でもあんたの許可がいるはずだ。ま、あんたに言われでもしない限りそれもなさそうなんだが」
「………………では何故、妾に会いに来た? もしそなたを助けたのが妾だったとしても、気まぐれだったと考えぬのか? 本当に妾がヤマタノオロチなら、正体を知っている者を生かしておく訳はあるまい?」
「言っただろう? 何で俺を助けたのか聞きに来たんだ。気まぐれなら気まぐれで別にいい。どうせ死ぬつもりであんたのとこに行ったんだ。あんたに殺されるなら万々歳だね」

 問答を経て、二人の間に沈黙が降りる。双方互いを見つめたまま、動かない。

 痛いほどの静寂の中、先に動いたのはヒミコだった。

 ヒミコの足下から炎が噴出する。彼女の体を包み込んで、さらに大きく肥大化していく。
 その炎を割るように出現したのは、昨日見たヤマタノオロチそのものだった。

「そうまで望むのならば答えてやろう。気まぐれに過ぎぬわ! 折角拾った命を捨てに来るとは、まことに愚か者じゃったか!」

 ヤマタノオロチの啖呵に、青年は反応しなかった。自分を一呑みにしてしまいそうな顎に恐れる訳でもなく、じっと、ヤマタノオロチの姿を目に焼き付けていた。

「時世の句でも唱えるがいい。もはやその命が助かることなどありえぬのじゃから!」
「……………………ああ」

 襲いかかってくる威圧感。昨日のように朧気な状態でなく、はっきりとした意識の下で見る龍は、やはり美しかった。
 これ程まで自分を魅了する相手に殺されるのは、悪くない。
 死を甘美だとすら思い、差し迫る顎を見ながら、青年は夢見心地に呟いた。




「……本当に、綺麗だ」




「は?」

 その一言で、目の前にまで迫っていた顎が止まる。息が互いに掛かるほどの距離で、青年は言葉を続けた。

「綺麗だと言ったんだ。あんたは本当に綺麗だ。その姿も、その目も、存在も、人間の姿の時でさえ、全て」
「…………何を言って……」

 ヤマタノオロチは当惑し、思わず青年から顔を遠ざけた。青年自身、考えて話しているわけではない。思いつくままに、浮かんだ言葉を話しているに過ぎない。それ故に、全てが本心であり、本人ですら理解し切れていない感情の答えであった。

「ああそうか。俺は、あんたに惚れたんだ。惚れたから、あんたに逢うためにここにきたんだ。他の事なんて、全部後付だ。こんなどうしようもない状況で、惚れた奴に殺されるなんて、最高じゃないか」

 まさしく、熱病にかかっている状態で、青年は言葉を綴った。ヤマタノオロチは何を思っているのか、動くことなく話を聞いている。

「じゃあ、ひと思いに殺してくれ。俺はきっと、あんたにとって邪魔な存在にしかならないだろうから」

 身を投げ出すかのような態度の青年を前に、ヤマタノオロチは思案する。

 まず、青年の言ったことが真実であるかどうか。まぁ綺麗だの何だの、であるが、とりあえずこれは考えても仕方ない。ヤマタノオロチを持ってしても、何の意味があるかさっぱり分からなかったからだ。
 では、この男は一体何者なのか。少なくとも、ただの人間ではない。ただの人間が、ヤマタノオロチとヒミコを同一存在だと知っている筈がないのだから。
 かといって、魔物という訳でもない。この男は昨日も確認したが、紛れもなく人間である。それも、特別強いわけでもなく、むしろその辺りにいる村人と同等かそれ以下の力しか持ち合わせていない。それなのにヤマタノオロチを前にしてこの態度。全く、頭がどうかしているとしか考えられない。
 いや、本当にそうなのかもしれない。明らかに人と異なる自分に向けて、綺麗だの惚れたのだの宣うなんて、正気の沙汰とは思えない。


 考え、可能性を羅列し、絞り込み―――――ヤマタノオロチはため息を吐いた。


 淡くその肉体が発光し、フッとかき消える。一瞬の後、再びヒミコの姿でヤマタノオロチは立っていた。

「ん? どした?」
「なんだか……考えるのがアホらしゅうなったわ」

 笑みを浮かべながらこちらを見てくる青年に、ヒミコは盛大にため息を吐く。この男、本当に何も考えていない。
 その正体こそ気がかりであれ、自分だけ真面目に対応するのが馬鹿らしくなった。そもそも、こんな身元不明の男がヒミコの正体を話したところで、一体誰が信用するというのか。どこぞの国の諜報でも、自ら死にに来るような者はいやしまい。

「そなた程度なら殺す価値も無い。疾く去ね。そなたの自殺に手を貸すつもりなど、些かもない」

 興味は失せたと顔を背けるヒミコに、青年は頭を掻いた。
 殺されるためにやってきたのに、これでは甲斐がないではないか。それに、ここでヒミコと別れた後、驚くほどにやることが何もない。いくらでも選択肢はあるはずなのに、選ぼうという気すら浮かばない。



 なら、やはり思うがままに行動するのが一番だろう。




「よしじゃあヒミコ、結婚してくれ」
「……………………は?」

 あまりにも唐突な告白に、今度こそヒミコの脳は思考を止めた。何を言われたのか分からず首を傾げる彼女を可愛いと思いながら、青年は言葉を続ける。

「俺はやりたい事なんてないし、自分の故郷に帰る手段も思いつかない。んで、惚れた女が目の前にいて、そいつ以外に伝手がない。うん、これは結婚を申し込む以外の行動は存在しないな」
「いやまてその答えはおかしい」

 青年は一人で完結して頷いているが、ヒミコは何一つとして納得できない。見る者が見れば、それこそ幻覚かと疑うほど、ヒミコは狼狽えていた。

「結婚……? 人間であるそなたが妾と本気で結婚できると思うておるのか?」
「本気だぞ? 少なくとも死ぬか結婚の二択から選ぶぐらいには」
「なんだか結婚という言葉がより重くなりよった!?」

 よもやこんな話になるとは想像もしていなかっただけに、ヒミコの調子は崩されっぱなしだ。このままではいかんと、何度か深呼吸をして落ち着こうと試みる。

「……よ、よしんば妾が承諾したとしてもじゃ、妾は魔王様の配下である。魔王様が思うだけで、妾は自身の心など簡単に消し去ってしまうぞ? それでいいのかえ?」
「魔王様……ねぇ……」

 ヒミコの問いに、青年は思案するように呟く。その反応を見て、ヒミコの心も少し落ち着きを取り戻した。
 そうだ。これでいい。自分は魔王バラモスの支配下にあり、その意志を遂行するための存在なのだ。たとえ、それが望まぬ事であってもやらねばならないのだと、自身の立ち位置を再確認する。

「なぁ……」


 ヒミコは自分の心の内を誰かに悟られるなどあり得ないと思っていた。だから―――



「あんたは何を望んでいるんだ?」
「なっ!?」



 だから、青年がそう問うたとき、息が詰まるほどの衝撃を覚えた。



「何故……いや妾は……」
「ずいぶんとちぐはぐなんだよな。あんたの行動。魔王の配下で人間の敵だとか言いながら、死にかけの俺を助けたり。正体を知っている相手を何の枷もなく逃がそうとしたり。あとさ、あんた俺を見たときに、『哀れ』とか言ったよな? 汚らしいとか、見窄らしいとか、もっと嫌な表現もあるのに。本当に人間を見下してるなら、本当に人間の敵なのなら、哀れなんて思わないんじゃないか? 他にも、下女の気苦労を述べたりなんかもしてたよな。考えたこともないのなら、そんな言葉は絶対に出てこないと思うが?」
「そんなことは……!」

 朗々と述べられる言葉にヒミコは狼狽え、返す声には力がない。確かに、ヒミコの思いを知っている者は存在する。しかし、それは長い年月の中ヒミコの思いを知れる位置にいた者だ。それにしても、数人しか知るところではない。
 故に、ただ二回出会っただけでヒミコの本音に辿り着くなど、あり得ない筈だった。

「あんた本当は、人間のこと嫌いじゃないだろ?」
「~~~~~~~~~っ!!??」

 誰が聞いても馬鹿げてると思うだろう。一つのエリアを任されるほどの魔物であるヤマタノオロチが、事もあろうか人間に敵対感情を持っていないなど。むしろ、友好的な感情を持っているなどと言うと、信じるどころか狂っていると思われても仕方ない。
 だが、確かにそれはヒミコの、ヤマタノオロチの本心であった。

「だったらどうしたというのじゃ! 妾が乳飲み子を愛らしいと思うたとて、生け贄を捧げた家族に心を痛めたとて、妾は人間の敵に相違ない! 魔王様の前に、妾の意志など関係ないのじゃ!」
「なら……」

 取り乱し、激高するヒミコを前に、青年の心は恐ろしく静かだった。
 人間の敵でありながら、人間を慈しむ龍。青年が彼女に覗き見た儚さは、この現実と相反する心から来るものであった。
 だからこそ青年は惹かれたのだ。彼女の味方になりたいと思ったのだ。



 彼女の望みを叶える為ならば―――――全てを捨ててもお釣りがくる。



「なら俺は、魔王になろう」
「何じゃと……?」

 青年は思う。自分がこの世界に来たのは、他のどこでもなく彼女の近くに現れたのは、きっとこの為なのだろうと。

「お前が魔王に縛られるのなら、俺が魔王を倒そう。お前が人間と共存したいのなら、世界征服をしてでもその望みを叶えよう。たとえ全てを敵に回すことになっても、俺はお前の為に魔王になろう」
「……………………それは、妾と結婚する為か?」
「それ以外に理由が必要か?」

 一人の女の為に世界を敵に回す。どこの物語かと誰もが思うだろうが、そこまでの決意をする者がいないわけでもない。
 しかし、出会って二日。ろくに互いを知らず、共に過ごした時間は一刻に満たない。更には人間と魔物という存在自体が違う相手と結婚するためにその決意を固める者などあり得ない。正気を疑われても仕方ないだろう。

「くく……ははは……」

 青年は本気だった。青年はどこまでも正気だった。人間にも魔物にも、このような存在はいなかった。人間でありながらヒミコの心へと平気で踏み込んで、弱小の身でありながら自らが魔王になるなどと宣う者は、世界中を探せどこの男しかいやしない。

「はは、ははははははは! ただの阿呆かと思えば、ここまでの大虚けじゃったとは思わなんだ! ほんに、ほんに大馬鹿者じゃのう!」

 こみ上げてくる笑いを、ヒミコは抑えることが出来なかった。この世に生を受けて既に百年近くになるが、これ程笑わされたのは初めてだった。
 だが、決して悪い気持ちではない。

「好評なら結構なんだが……で、答えは?」
「そうじゃのう。もし、万が一、本当にそなたが魔王様を倒して新たなる魔王になれたのなら、考えてやってもよいぞ? そなたのような面白い男と出会ったのは、生まれて初めてじゃからの」
「上等。見てろよ? 絶対魔王になってやるからな?」

 ヒミコの答えに、青年はにいっと笑みを作って見せた。それは確固たる自信の表れではないだろう。青年は今の自身の弱さをしっかりと理解している。だからそれは、絶対たる意志が作る笑みだった。
 と、青年は聞いておかなければならないことを思い出す。

「そういや名前、ヒミコでいいのか? それは元々のあんたの名前じゃないだろ?」
「構わん。妾がここに座するようになって後、それは妾の名となった。元より妾に名は有って無いようなものじゃったからの。皆、それを妾の名と認識しておる。それよりも、まだそなたの名を聞いておらぬぞ? 何というのかえ?」
「おっと、そっちの方が問題だったな。…………ま、名字はもういらんか」

 問われて、青年は少しだけ考えるように呟いた。




「ハル。俺の名前はハルだ。よろしく頼むヒミコ」




[29793] 新米魔王研修中
Name: NIY◆f1114a98 ID:b860fc97
Date: 2014/04/25 20:06
一章 二話  新米魔王研修中


 スッと、ハルは銅の剣を青眼に構えた。
 対峙するのは、皺の寄った一頭身の魔物きめんどうし。大体ハルの腹ほどの大きさの魔物は、ハルに得物である杖を向け、ハルの動きに対応しようと身構えている。

「…………シッ!」

 短く息を切り、ハルは真正面からきめんどうしに突撃した。上段に剣を振りかぶったまま走るその姿は、隙だらけである。
 その突撃を奇妙に思ったのだろう。きめんどうしは一瞬躊躇するように杖を震わせた。
 魔法を使おうとしている。そう判断を下すと同時、ハルは振りかぶっていた剣をきめんどうしに向け投擲した。

「っ!?」

 よもや得物を手放すと思っていなかったのか、きめんどうしは魔法を発動させず杖で剣を弾く。その意識が剣に向かった瞬間に、ハルはきめんどうしの側面へと回り込んだ。
 いつの間に抜いたのか、手にせいなるナイフが握られている。逆手に持ったそれを、未だハルを見失っているきめんどうしに向け振り抜いた。

「だっ!!」

 ガッと、ハルの手に何か堅い物を叩いた感触。きめんどうしは、完全に不意を打ったはずの攻撃を、杖で防いでいた。ハルより勝る力を持って、そのままナイフごと腕をを巻き込もうとしてくる。
 バランスを崩される前に、ハルはナイフを手放していた。しかし、これで完全に徒手空拳である。きめんどうしはこれで終わったと思っただろう。



 ハルが、銅の剣を横薙ぎにしようとしているのを見るまでは。



「!!??」

 ハルはナイフを繰り出す前に、後ろ足で銅の剣を浮かせ掴んでいた。こちらこそが、ハルの本命である。

「貰った!!」

 振るわれる銅の剣に、きめんどうしは反応しきれない。剣の軌跡はその胴に向かい、たたき込まれた。
 ハルの腕に、鈍い感触が走る。確かな手応えを感じた直後、ハルの体は横に吹き飛ばされていた。

「ごっ!?」

 無論、ハルを吹き飛ばした物の正体はきめんどうしの杖である。ハルの攻撃では、きめんどうしに致命的なダメージを与えるに至らなかったのだ。
 地面を二転三転し、俯せる。すぐに立とうと思えど、脇腹に強い痛みを覚え動くことができない。おそらく、骨が折れているのだろう。
 動けないハルに、きめんどうしが近づく。その頭に向けて、杖が振り下ろされ――――。




「――――そこまで!」




 声によって、ピタリと止められた。



「ごほっ! ごほっ! あ"ーぐそ、めっさ痛ぇ」

 むせ込んだ後ごろりと仰向けになり、ハルはズキズキと痛む体に顔を顰めた。
 ハルがいるのは30m四方程の広間の中だ。この場には、ハルの他に三人。ヒミコと、先ほど戦ったきめんどうし、そして――――。

「ハル様!」

 黒髪の、ハルとさほど年齢が変わらない娘が駆けてくる。

「大丈夫ですか!?」

 心配そうにこちらを覗き込んでくる少女に、ハルは「あ"ー」とうめき声だけ返した。正直、喋ったり動いたりすると酷く痛いので何もしたくないのだ。

「今治しますから!」

 言って、少女はハルに向けて手をかざす。

「【ホイミ】」

 唱えると同時、少女の手が光を帯びた。そこから発せられる光に当てられるだけで、先ほどまであれほど強かった痛みが殆ど消えた。

「んー、よし。ほぼ完治したわ。ありがとなイヨ」

 少女―――――イヨに礼を言い、むくりと起き上がりながらハルは改めて魔法の凄さを実感する。現代社会ではどう考えても不可能な高速治療。この世界だからこそ存在する神秘の術。これがあるからこそ、ハルも無茶ができるのだ。

「全く、イヨは甘いのう。ゴウルの力はそれほど強くないのだから、多少の怪我ぐらい放っておけばよいのに」
「ダメですよ! ヒミコ様達と違って人間はそんなに頑丈じゃないんですから!」
「……じゃからといって儂を放っておくのはいかなもんじゃろうか? ほれ、いくら刃引きをしておるとはいえ、剣を叩き付けられたわけじゃし」

 拗ねたようなきめんどうし―――――ゴウルの言葉に、イヨは慌ててホイミを掛けた。

「ゴウルの爺さんが拗ねたって可愛くないぞー? 第一、俺の攻撃なんて子供に殴られた程度のもんだろうに」
「ほほ、回復魔法というのは気持ちいいもんじゃからの。儂らの中じゃイヨしか使えんし」
「エロじじいかおのれは」

 名前通りの奇妙な顔で笑うゴウルに突っ込みを入れながら、ハルは取り落とした銅の剣とせいなるナイフを拾いに行く。多少は慣れたといえ、まだまだ武器にはズシリと重みを感じた。
 軽く銅の剣を素振りしながら、ハルはため息を一つ吐く。

「あーあ、初めてクリーンヒットしたってのになぁ。全然効いてねえでやんの」
「地力が足りんな。まだまだ精進しろと言うことじゃろ。まあ以前見た時からは見違えたがの」

 ハルの嘆きにヒミコは面白そうに笑う。彼女に見違えたと言われれば確かに多少嬉しいものの、どうにも締まりがつかない。ハルにも、少しばかりいいところを見せたいという気持ちがあるのだ。

「まあ剣を投げてからの一連の動作は悪く無かったのう。よもや本命が剣での一撃とは思いもよらなんだ。しかし、博打要素が大きすぎじゃ。儂が剣をもっと遠くに飛ばしておれば、全部意味のない行動になったじゃろうが」
「そうなったらそうなったで別の手を考えてたさ。あれぐらいしなきゃ一撃も当てられねえし」
「でも凄いですよハル様! ゴウル様に有効打を当てたんですから! 一ヶ月でLv6までなんてなかなか上がらないですよ? あ、今日調べて上がってたらLv7ですね!」

 ゴウルの評価の後に、イヨが手を叩いて喜ぶ。


 そんなもんかねと頭を掻きながら、ハルは銅の剣を鞘に戻した。




***



 今度はヒミコに連れられて、ハルは再びオロチの洞窟へと踏み入れていた。
 ハルの格好は急ごしらえながらも一通り揃えられ、以前よりも多少マシに洞窟内を歩けている。靴一つ違うだけでずいぶんと差があるものだ。
 屋敷から旅の扉を使い、奥の生け贄の祭壇へと向かう。人骨が山と置かれた、酷く不気味な祭壇がそこにあった。

「あんまり人の骨ってのは見る機会が無かったんだが、さすがにこんだけあれば気味が悪いな。これって、本当にお前が食ったのか?」

 ガラガラと転がる骨を退けながら祭壇を上がるヒミコに尋ねると、肩越しにハルの方へと視線をよこす。

「だとすればどうする? 恐ろしゅうなったかえ?」
「んー、さあ? 本当なら怖かったかなと思わなくもないが、分からんね。違うっていう前提で確認程度に聞いただけだしな」
「何故そう思う?」

 問われて、ハルは適当に足下の骨を拾い上げる。革手袋を着けているというのに、洞窟の熱の所為でずいぶんと熱くなっているのが分かった。  
 その骨を軽くこすり、汚れを落としながらハルは答えを返す。

「骨が綺麗すぎる。砕けたりどころか、囓られた後すらないってのはおかしいだろ。丸呑みにしてたら骨なんて出てこんだろうし、まさか飴みたいに舐めて溶かしてるなんてことはありえん。別の所から持ってきた物ってのが妥当だろうな」
「…………ほんに、無駄によい観察眼じゃな。昔、北の地方に川で水葬を行う部族がおっての。川の流れの関係で、その死体がある洞窟に集まっておったのじゃ。肉体は殆ど朽ちて流されておったのも好都合じゃったな」

 言いつつ、ヒミコは祭壇の一角から骨を退け、石の一つを踏む。すると、祭壇の側面が開き、下へ続く階段が現れた。

「何というか……こういうところはほんとドラクエって感じだよな」
「何を言っておる? 早く来ぬか」

 仕掛けの"らしさ"に苦笑し呟いているハルを、先に階段を下りていたヒミコが急かす。はいはいと返事をしつつ階段を数段下りた途端、空気が変わった。
 後ろから来る熱気は相変わらずだが、前からはひんやりとした涼しげな空気が漂ってきている。しかし寒いというわけでなく、対比的に冷ややかに感じるものの、少し慣れてみれば非常に過ごしやすい気温だった。とても同じ洞窟内とは思えない。

「氷結魔法の応用じゃて。階層の間にヒャド系の魔法を使い、溶岩の熱気が下りてこぬようにしておる。その所為でずいぶん深くまで掘ることにはなったがの」

 ヒミコの説明を聞きつつ、長い階段を下りていくと、先の方に光が見えた。どうやら、石扉の向こうから漏れ出しているらしい。
 重そうな石扉をさも当然とばかりに片手で開けていく姿は、やはり彼女が人外であると思わせる。
 扉の向こうに在ったのは、20m四方ほどの空間だった。三方向に通路が延びていて、正面方向には大きな食堂らしき場所が見える。
 中には幾人かの人間の姿も見えた。それぞれ、十代前半から後半ぐらいの若い娘達である。まず間違いなく、ヤマタノオロチに生け贄に捧げられた者たちだろう。

「ここは……」
「贄を飼うための場所じゃ。こうしておけばこ奴らの絶望も据えるし、いざというときの人質にもなる。まぁ、妾がおってそんな時が来るとは思えんがの」

 くっくと自信気に笑いながらヒミコが中に踏み入れると、彼女たちは怯えた表情で平伏していった。ヒミコの気分一つで命を失うかもしれないのだから、それも仕方のない反応かもしれないが。
 自分に言い聞かせるように、言い訳をするようにヒミコは言う。殺す気なんて、微塵もないくせに。それほど魔王の存在が大きいということだろう。



「ヒミ「ヒミコ様!!」」



 いたたまれずに掛けようとした声が、誰かに遮られる。見れば、驚いた表情の娘が一人、こちらに向かって駆けてきていた。

「まだ生け贄の時期ではありませんが、どうして下りてこられたんですか? あ……そちらの方は……」
「所用じゃ。お前も来い。奥で話す。ここは……どうも煩わしいからの」

 問いかける娘を制しながら、ヒミコは周りで平伏する娘達を見る。視線を投げかけられたのを感じているのか、娘達はガタガタと震えながら、しかし決して顔を上げようとはしない。

「わかりました」
「うむ」

 短く答えて、ヒミコは歩き出す。そのすぐ後ろにハルが続き、娘は侍女のように自然と一番後ろへと下がった。
 ヒミコが向かったのは、正面から左手の通路である。先には、最初の広間よりも広い空間があった。
 大体30m四方ぐらいだろうか。何もなく、ただ広い場所である。壁に幾つか扉があるが、扉の大きさ的に先にある部屋はさほど広くなさそうだ。
 と、三人が広間に入った直ぐに、扉の一つが開いた。中から現れたのは、えんじ色の体に顔が付いた魔物。きめんどうしである。

「これはこれはヒミコ様。お出迎え出来ず申し訳ございません。空気の流れを調整しておりましたので……」
「よい。そなた一人でここの維持を任せておるのだから仕方あるまい。それよりも、少し込み入った話があって参った。そなたの書室に通せ」
「はっ、ではどうぞこちらへ」

 答えるときめんどうしは先ほどと違う扉へ向かって歩き出す。通されたのは、本棚が二つと机とだけが置かれた簡素な部屋だ。
 今まで後ろに控えていた娘が、座布団を三枚用意する。ヒミコの座る場所にはわざわざ敷台まで用意し、なんというか、変なところが日本仕様で微妙な印象をハルは受けた。
 そんなハルの心境とは関係なく、ヒミコときめんどうしは座布団へと座り、ハルも又娘に促されて二人に続く。娘は扉の傍へ控え、まるで本当に侍女のようだ。

「さて、その男は何者ですかな? 昨日外へと放り出した者のようですが」
「何者……か。そう言われればまだ名しか聞いておらなんだな。かなりの大馬鹿者であるのは確かじゃが。ハル、何故そなたは妾の事を知っておった?」

 ヒミコの暢気な言葉にきめんどうしは顔を顰める。素性のしれない男を、魔王ですら知らないこの場所へと通すようなこと、普段のヒミコならばありえないからだ。

「ん、何というのか……説明しにくいが…………そうだな、この世界における可能性の一つを知っているというのが一番正しいか」
「……それは未来を知っておるということかえ?」

 問われてハルは首を振る。

「ある意味あってるんだが、ちょい違う。あくまで可能性であって、本当に起こるかどうか分からない。しかも、細部まで知ってるわけじゃないしな」
「では、どんな事を知っておる?」

 剣呑とした空気を醸しながら言うきめんどうし。ハルのことを随分と警戒しているらしい。当然といえば当然のことであるが。


「勇者の存在と、それが旅をする過程を」


「勇者……じゃと……?」
「……………………それは、オルテガとかいう男のことかえ? もう何年も前に死んだと聞いておるが」

 魔王軍にとっては天敵ともいえる単語にきめんどうしは瞠目し、ヒミコは眉を顰めた。

「それの子供だ。男か女かは知らんが、そいつが世界を旅し、魔王を倒すまでの過程を知っている。…………バラモスではなく、大魔王ゾーマまで倒す過程をな」
「「なっ!?」」

 現段階で人間が知っている筈のない存在のことを聞かされ、今度こそ二人は絶句した。
 彼の大魔王はこの世界には存在しない。この世界とは別の、闇に包まれたアレフガルドにこそ大魔王は座している。

「何度も言うが可能性の話であって訪れるであろう未来の話じゃない。だが、その中でヒミコとして動いていたヤマタノオロチも出てきたし、この分だとサマンオサの王にボストロールが化けているのも同じじゃないか?」
「…………なるほどのう。確かにボストロールは以前よりサマンオサの王に扮しておる。ゾーマ様の事を知っておっただけでも十分じゃが、信ずるべき価値はあるの。それとて、ほんにそなたは何者じゃ? 可能性とはいえ未来を幻視するとは、精霊の呼び子かえ?」

 面白そうに聞いてくるヒミコに、ハルは軽く肩を竦めた。きっと、彼女はハルがどう答えるか想像が付いているのだろう。

「人間だよ。今は何の力もなくて、そこのきめんどうしにすらあっさり殺されるようなただの人間だ。もうそんな映像を見ることもないだろうしな」
「……確かに貴様には殆ど力を感じん。それこそ、並の人間か下手をすればそれ以下じゃ。じゃが、貴様が我らの敵である可能性は「あり得ない」…………何じゃと?」

 言い終える前に否定され、きめんどうしは困惑する。ハルはじっと、きめんどうしの方を見ながら、口を開いた。

「俺がヒミコの敵になるなんてあり得ない。自分の命がどうなろうが、世界がどうなろうが、俺はヒミコの味方だ。ヒミコの敵になった者の敵だ。それがたとえ勇者だったとしても、魔王だったとしても、ヒミコの敵に味方することはあり得ない」

 言い切るハルを、きめんどうしはポカンとした表情で見る。それは、後ろに控えていた娘も同様だった。ハル以外の三人の中で、ヒミコだけがただ面白そうに笑っていた。

「ゴウル、こ奴を推し量るのはかなり難しいと思うぞ? 何せ、妾と結婚するために魔王になるとか言いよった、見たことのない程の大馬鹿者じゃからな」
「ま、魔王にですと!?」
「け、結婚ですか!?」

 ヒミコの言葉に、ガタリと二人が驚きを見せる。それぞれに一番気になった部分は違うようであるが。
 娘の方は、思わず口から出てしまった言葉に、慌てて口元を抑え、頭を下げる。

「も、申し訳ございません。失礼を致しました」

 恐縮し下がる娘を見て、きめんどうしはため息を吐き、ヒミコに向き直った。そしてじっと、推し量るようにヒミコの顔を見つめる。

「ヒミコ様。魔王様に反旗を翻すと?」

 主の真意を問うきめんどうしに、ヒミコはそっと目を閉じた。

「それは分からぬ」
「分からないと? 魔王様を弑してその立場に立とうという者を見逃すとは、そう取られても仕方ありませぬぞ?」
「確かにそうじゃ。じゃが……本当に分からぬのじゃよ。妾は、魔王様の悲願には興味はない。別に人間が勝とうが、魔王様が勝とうが、どちらでもよい。じゃから、これはただの道楽に過ぎぬ」

 言って、ヒミコはハルへ視線を投げかけた。

「見てみたいとは思わぬかえ? 妾と結婚するためだけに、世界を敵に回すと宣言したこ奴の行く末を。人の身でありながら、魔族である妾の為に全てを捨てる大馬鹿者の行動を。妾が思うのはそれだけじゃ。故に、これは道楽と言うほかあるまい」

 自身の存在すら危うくしかねないことを、しかしヒミコは実に楽しげに言った。その様子を見て、きめんどうしも決断するように目を閉じる。

「…………分かりました。ヒミコ様がそう仰るなら、もはや止めますまい」
「すまぬなゴウル。苦労をかける」
「元より、この身はヒミコ様の為に存在しておりますが故に」

 主従。この二人の間を表すに、これ以上の言葉は存在しないだろう。ハルは両者の間にある信頼を羨ましい、とは思わない。おそらく、儚い彼女を支えていたのは、このきめんどうしだったのだから。

「ハル。そなたがここを好きに使うことを許そう。そうでもなければ、あっさりと死んでしまうじゃろうしな。少しでも長く、妾を楽しませるがよい。ここにおるゴウルが、実質的なこの地の管理者じゃ。何かあれば頼るとよかろう」

 言われて、きめんどうしがトンと手に持った杖で自分の存在を示す。
 埴輪型でえんじ色をした胴体。大きさはだいたいハルの腹ぐらいか。思っていたよりも大きく、現実空間で見ると、どことなく置物や着ぐるみくさい印象を受ける。

「先ほどから呼ばれておるが、きめんどうしのゴウルじゃ。ヒミコ様の最も古き部下であり、現在ではここの管理を任されておる。こうなったからにはお主も一蓮托生の身じゃ。もし、お主の存在がヒミコ様にとって悪しきものとなるのならば、即刻処断する故承知しておれ」
「……ま、そうならないように頑張るさ。俺はハルだ。これからよろしく頼む」

 釘を刺してくるゴウルに向かって、軽く肩を竦めながらハルは名乗る。彼の立場からすれば、ハルにいい感情を覚えないのも仕方ないことだ。

「あとは……イヨ」
「は、はい!」

 ヒミコに呼ばれ、後ろにいた娘が返事を返す。
 整った顔に色白の肌。セミロング程度の髪を後ろで束ねている。清楚な雰囲気を持った、男性ならば保護欲をかき立てられるような娘である。

「こ奴の面倒を任せる。適当に世話をしてやってくれ」
「はい。承りました」

 恭しく娘が一礼をする。

「初めましてハル様。イヨと申します。この場所では一番古い人間ですので、何かあれば申しつけ下さい。一応、巫女をやらせて頂いています」
「巫女?」
「はい。基本的には神を身に降ろして神託を聞く者のことですが……私はできたことがありませんので一応です。後、簡単な回復呪文とLvの確認ぐらいならできます」
「……なるほど」

 要するに、神官と王様を足して二で割ったような職業なのだろう。しかしまた、ヒミコとイヨとは、面白い関係性の名前だ。一番古い人間とは一番最初の生け贄だということ。おそらくは、元のヒミコにより捧げられた娘か。見る限りでは今のヒミコのことをよく知っているようであるし、信頼もありそうだ。きっと、初めて出会ったときに色々あったのだろう。
 そして、何よりも気になったのはLvの存在だ。もしこれが、ゲームのものと同じであれば、ハルにとってかなりの朗報である。
 Lvさえ上がれば、魔王を打倒する可能性が上がるということなのだから。

「よろしく頼むなイヨ。まぁできれば様付けってのは止めてもらいたいんだが……」
「そんな! ヒミコ様の客人に対してそのように無礼な真似はできません!」

 被せるように全力で否定してきたイヨに、ハルは軽く頭をかいた。後ろではヒミコが「別にもっとぞんざいに扱っても構わんじゃろうに」などと呟いているが、イヨにはどうにも無理らしい。

「……だよな。いや、あんたの態度からは想像はしてたが。ま、いいや。いずれ慣れるだろ。後は……Lvの確認ってすぐできるのか?」
「え? はい、私の場合こちらの勾玉を手に祈りを捧げれば脳裏に浮かんできますから、それほどお手間は掛かりませんが」
「なら、ちょっと俺を見てくれないか? 結果はだいたい分かるんだが、見てもらったこ とがないんでね」

 ハルに言われて、イヨはヒミコ達を仰ぎ見る。この場で始めても構わないかという確認であったが、ヒミコが頷いて返したので、イヨも了承した。

「分かりました。では、ハル様。お気を楽に座っていて下さい」

 と、イヨは両手で勾玉を包み込み目を閉じた。集中しているのか、そのまま少しの間じっと動かず、やがてゆっくりと目を開ける。完全に開くのではなく、うっすらと半眼でハルの方を見ているが、その焦点はハルの姿を捉えているようで、その実、全く違うものを視ているようだった。

「ハル様の現在のLvは……え? 嘘……?」
「どうかしたのかえ?」

 当惑して呟くイヨに、ヒミコが声を掛ける。

「い、いえ……ハル様の現在のLvは1。次のLvまではさほど遠くないようです……」

 Lv1。ハルとしてはまぁ妥当なところだ。別段鍛えていた訳ではないし、スタートするのは当然Lv1からだと考えていた。
 しかし、他の面々を見ていれば、皆一様に唖然としている。

「れ……Lv1って……そなたは生まれたての赤子か!?」
「まさかそこらの子供以下とは……よく今まで生きてこられたのう……」
「え? 何その反応? すっげぇ意外なんだけど……」

 若干哀れみさえ籠もった目で見られて、さしものハルも動揺を見せた。イヨが非常に言いにくそうにしながら、そんなハルの疑問に答える。

「その……戦わない一般人のLvが成人でだいたい5ぐらいなんです。一般的な兵士のLvで8前後で……小さな子供だと2か3が普通でしょうか……」
「あー……小さな子供って何歳ぐらい?」
「………………………………二歳から四歳ぐらいです。Lv1というのは乳児かダーマ神殿で転職したばかりの方ぐらいしかおりません。それに、転職したばかりの方は元々の強さが違うのですぐLvも上がりますから、ハル様ほどの年齢の方では…………」

 考えてもみれば当たり前の話である。勇者がLv1スタートあくまでゲーム的処理なのであって、いくら何でもそんな弱い人間に希望を抱くのは不可能というものだろう。そうすればハルのLv1というのは驚かれても仕方ないのかもしれない。
 さすがに少しばかり気落ちもしたが、今の情報はかなり重要性が高い。

 ダーマ神殿の存在。やはり転職はあるようだが、転職のシステムはドラクエ3の仕様らしい。特技と能力が変わる6や7の仕様ではないようだ。イヨの話を聞く限りではほぼゲーム通り、能力が+された状態からのLv1スタート。凡庸の存在が勇者を超える可能性は十分にある。

「その体で大見得きったものじゃな……そなた、本当に戦えるのかえ?」
「さて……自分ではどこまでやれるのか分からんからなぁ」
「…………………………そなた、考えなしにも程があるのではないか? 仕方ないのう。ゴウル、少しこ奴と戦ってみよ。ハルも、それでよいな?」
「…………………………正直不安で仕方ないのですが……分かりました」
「いいぞ? 俺も知っておくべきことだしな」

 両人が了解し、ヒミコが頷く。二人が戦う場所は、部屋を出た広間であった。




***




「………………………………ヒミコ様。無かったことにした方がよいかと思いますが?」
「っ!! っ!! わっ、妾もっ、じゃっ、かんっ、そうっ、思わなくもっ、ない!!」

 背中を丸め込んで引きつけを起こしたようになっているヒミコにため息を吐いて、ゴウルは遠くで倒れているハルを見る。
 俯せになり気を失っているハルの横では、イヨが呼びかけながら必死にホイミを掛けていた。

「まっ、まさかっ! 素手っ! 素手一撃とはっ!」
「………………………………とりあえず、落ち着きなされ。笑われすぎですじゃ」

 そもそも、身体能力が違いすぎた。
 銅の剣を手に、ゴウルに何かを仕掛けようとはしていたようだが、結局剣を一度振っただけ。何もできないままにゴウルに殴られて吹き飛ばされたのである。
 よもや格闘能力が低いきめんどうしに、しかも軽く打ち出された素手の攻撃でKOされるとは予想外にも程がありすぎた。完全にツボに入ったヒミコは普段の面影などすっかり無い状態で笑っている。
 しばらくの後、気がついたものの仰向けに寝転がったままのハルの元に、ようやく笑いの収まったヒミコが近づいた。

「……き、気分はどうじゃ?」
「…………まぁ、弱いのは自覚してた。まさかきめんどうしに殴られてやられるなんて夢にも思わなかったが。後、無理に笑い止めなくていいからな」
「いや、散々笑ったからの。ほんに、色々と笑わせてくれる男じゃて…………しかし、まだ考えは変わらんかえ?」

 ヒミコはハルの聡さを理解した上で問う。きめんどうしにすら到底敵わない者が、遙かに強い魔王を倒せるのかと。意地の悪い質問だ。そのくせ、ハルに求めている答えは一つだけなのだから。


 だが、それに応えぬハルではない。


「当たり前だ。見てろ、今に強くなってやるから」

 答えを聞いたヒミコは、それまでの引きずり出された笑いと違い、本当に楽しそうに笑った。



「ふふ……まあ、期待せずに待っておいてやろう」





[29793] 続・新米魔王研修中
Name: NIY◆f1114a98 ID:b860fc97
Date: 2012/09/28 10:35
一章 三話  続・新米魔王研修中


 ドラクエの世界は、意外と識字率が高い。
 一般家庭にも本棚が存在するように、ある一定以上の生活基準に達している者ならば、大体七割ほど読み書きできるようだ。
 書く物の基本として使われているのは何かの鳥の羽ペンと、木炭や赤土等を混ぜられたインクで、媒体は紙と羊皮紙が大体半々ほど。ジパングでは既に筆が開発されていたが、他の国では一般的でないらしい。
 元々ゲームで描かれていたのは大体中世時代がモチーフの筈だが、向こうの世界の技術とはやはり違う。これぐらいの技術レベルがあるならばとイヨに聞いてみても、まだ開発されていない物が多数存在する。
 たとえば火薬。元寇の時には既に大陸では鉄火砲が作られていたが、こちらにはそもそも燃える土の概念が存在しない。ハルの記憶が確かならば、唯一船上のマップ存在する幽霊船に大砲があったと思うのだが、ゲーム上で火薬を扱ったようなシーンは覚えがない(魔法の玉は別として)。ハルがこの世界に存在する以上検証する事は不可能に近く、また意味の無い行動ではある。そういうものだと思うより他ない。それに、ハルは基本的に一般知識しか持っていない為、火薬に硝石が必要だという程度の事しか分からず、現代知識による技術革新などもたらすのは不可能だ。
 かわりにこちらには魔法がある。爆弾もイオがあれば十分であるし、この生け贄の保護部屋のように魔法を利用した技術も幾つか存在するようだ。先の大砲も魔法を使っているのかもしれない。根本たる前提条件が違うため、現代技術との差を比べる方が間違っているのかもしれないが。


 閑話休題。


 一般的には、識字は各家庭での教育に任されている。家の方針によって疎らであるのは確かだが、田舎の農家のようなところでもない限り、ある程度は教えられているらしい。
 そう言えばこちらでは日本語が共通語のようである。世界の中でも難解言語の一つである日本語が共通言語だというのは非常に不思議であるが、考えても分かるわけが無いので気にしない方がいいだろう。メタな話をすると元が日本で作られたゲームであり、言葉が分からない場所ばかりだとゲーム進行的にどうなのかということだが、ハルにとっては既にこの世界は現実であり、そのような考え方をすべきではない。
 現在は木版印刷が存在しており、書籍などの発行も行われているらしい。いちいち木版を作っている職人にはご苦労なことだが、そのお陰で知識が広く伝わるというのはありがたい。活版印刷が作られるまで是非頑張って頂きたいものである。

 まあ、何の話かというと―――――



「……頭が痛くなってきた」


 ハルが現在文字を勉強しているという話だ。


「日本で大昔に漢文を使ってたようなもんなんだろうが……このアラビア文字みたいなのは何とかならんかったのか……せめてアルファベットみたいのだったらよかったんだがなぁ……」

 言葉は分かっても文字が読めない。文字が読めねば紙媒体の情報が分からない。情報が分からないと下手なミスでとんでもないことになりかねない。
 よって、イヨ指導の下文字の訓練もしているわけだが、使ったこともない文字を前にハルはかなり苦戦していた。三ヶ月という時間を使って、ようやく短い文章と単語を理解できるようになったところである。

「こればっかりはじっくり時間を掛けていくしかないからなー」

 ぼやきつつ、かりかりと文字の書き取り作業を進める。始めてから大体三時間ほど、軽く肩を回して固まってしまった体をほぐしながら、ハルは一息ついた。

「しかしまぁ……三ヶ月か……時間的には後どれくらいあるのかねぇ……」

 この三ヶ月間。ハルは一日の大半を戦闘訓練と、知識の吸収に努めてきた。
 お陰でLvは何とか14まで上がり、最近ではゴウルと一対一なら勝てるようにもなった。Lvだけ見るならばベテラン兵クラスである。
 この世界の兵のLvが低いのは、どうやら通常の訓練では経験値効率がさほどよくないかららしい。かといって魔物と戦えば死の危険性は爆発的に上がる。ハルとて、ゴウルが手加減していたのとイヨが毎回回復呪文を唱えてくれているから今も生きていられるだけで、一日の内で、何度瀕死になったことか分からない。Lv10を超えてからは外に棲息する魔物とも戦い始めたので、常に棺桶に片足を突っ込んでいたようなものである。
 中堅クラスのモンスターとはいえ、命がけの無理矢理なレベリングの結果、飛躍的なLvの上昇となった。本当に、よく生き残ったものだ。

 順調と言えば順調である。しかし、考えれば考えるほど問題だらけだ。

 極めて重要なのは、三つ。勇者と、魔王と、ヒミコ自身の問題だ。

 まず勇者。出現するかどうかすらまだ不明なのは確かだが、基本的にはいるものと考えるべきだろう。では、今勇者は何をしているのだろうか。
 オルテガが行方知れずとなって(アレフガルドに落ちたのだろうが)既に数年が経っている。詳しい時系列は知らないが、勇者が幼い頃出立し、各地で名前が挙がるほど戦い、さらに数年。ゲーム通りに勇者が16歳になった時に出立するのであれば、そろそろ出てきていてもおかしくはない。
 現状ヒミコは魔王の配下であるという表向きのスタンスを崩すつもりはなく、勇者がジパングにたどり着いた時には戦闘になるだろう。負けたときは、他の者に迷惑が掛からぬよう、何も言わずに死んでいくだろうということは容易に想像がつく。

 解決策は大きく三つ。
 勇者がここにたどり着く前に自分が魔王を倒す。まず無理だ。
 今の調子で強くなったとして、魔王を倒せるまで一体どれほど時間が掛かるか。一年二年ではきかないだろう。そんなに簡単に魔王が倒せるなら、とうの昔にオルテガが倒している。そも、単純に魔王を倒すだけではハルの本来の目的は達せられない。
 勇者を先に殺す。先の案よりはマシだが達成はかなり困難である。
 まず、勇者がどこにいるのか分からない。まだアリアハンにいるならば誰かに尋ねれば分かる可能性は高いが、もし既に出立しているのなら、口頭による説明だけでは発見できるか怪しい。よしんば発見できたとして、ある程度旅をして仲間が共にいるであろう勇者を今の自分が倒せるのか。
 既にLvは上がらなくなってきている。技術はLvに同伴するわけではないのでハルの剣の腕は素人に毛が生えた程度のものだ。中途半端な身体能力だけで勝てる程甘い相手ではあるまい。可能性があるとすれば罠か毒殺ぐらいだろう。
 勇者を味方にする。悪くはないが条件が厳しすぎる。
 ヒミコを説得して、勇者を説得して、その上魔王にばれぬように工作せねばならない。
 勇者の性格いかんでは無理だろうし、ヒミコがそれを受け入れるかと言われれば首を傾げざるをえない。魔王にばれぬようにするには先に勇者に接触せねばならず、出会えるかどうかは既記の通り難しい。
 結局、現状のところは勇者がここにたどり着けないように祈るしかない。

 次の問題は魔王だ。

 倒せるかどうかが問題ではない。どんな手段であれ魔王を倒すのはハルの意志であり、それを曲げるなんてありえない。問題なのは見張りと支配のことである。
 ヒミコは見張られている。否、自らの意志で動いている魔物はというべきか。
 ヒミコのところにはかなりの頻度で魔王からの使いが来ているようだ。基本的には状況の確認の為らしいが、一ヶ月の内半分以上ともなれば、離反の可能性ありとしてみているとしか考えられない。
 サマンオサの方にも行っているらしいが、こちらほど頻繁ではないだろう。元より、ヒミコは魔王軍の中で少々浮いた存在らしい。人間の被害は最小限で、魔王からの指令を達成していることは評価されているが、やはり他の幹部連中とは隔たりがあるということか。
 もし、魔王に弓を引こうとしている自分の存在や、この地下の存在を嗅ぎつけられたとき、強制支配を受ける可能性がある。
 魔王の魔力による強制支配。それは、決してヒミコが望まない結果を生み出すことになるだろう。
 解決策が現状魔王を倒すことぐらいしか無いのもネックだ。先の問題を片付けない限りどうしようもなくなってしまう。

 最後に、ヒミコ自身の問題……というより、ここの問題だ。

 生け贄は、二ヶ月に一度捧げられている。単純に、二ヶ月に一度村から娘が一人いなくなって、ここに一人増えることになる。
 食料供給の問題で、ここが耐えられなくなってきているのだ。ここの食料事情的に収容人数は多くて五十人程度。生け贄達の食料はヒミコの個人的な倉庫から与えられているからだ。
 この後もヒミコが生け贄達を匿い続けて、限界が来るまで三・四年程度か。無理をすればまず魔王にもここのことが知れるだろう。もしそうなれば、ヒミコの行動如何では生け贄共々終わりである。ヒミコの性格では最悪生け贄達を逃がして自分が犠牲になるかもしれない。
 解決策はやはり魔王を倒すこと。他には外部から食料を確保し場所を広げるか、ここから脱出するぐらいか。外部から食料を確保するのは見つかる危険性が高すぎる。脱出も同様に難しいとなると、八方塞がりだ。

「最低は分からんが最高で四年……それまでに解決策を考えないと詰む……」

 頭の痛い話だ。かといって、今のハルがどうこうできる問題など存在しない。
 今のハルにできるのは、ただひたすらに訓練することだけ。死なぬように。自分の目的が達成できるように。
 情けないとは思う。恥を背負える程のプライドなんて、初めから持ち合わせていないはずなのに、力のない自分が恨めしい。

「力か……」

 呟いて、ハルは自分の手を見る。

 Lvは確かに上がった。しかし、身体能力は飛躍的に上がれど技術は亀のごとし。まともな指導を受けたこともないハルは、身体能力に任せて剣を振るうことしかできていない。
 このまま剣の訓練だけを続けていても、ハルの望む強さを得られるまでどれほど時間が掛かることか。
 魔法が使えれば、とハルは思う。ゴウル曰く、どんな生物でも生きている以上は魔力を持っているらしい。例えばメラなんかは、魔力消費が低いのでよほどのことが無ければ魔力が足りずに使えないなんてことは起こらないそうだ。
 使い方は、Lvさえ上がれば自然と分かるようになると言われたが、ハルには一向にその気配がない。魔力を感じることすらできていないのだ。
 こればかりは生まれ持った性質が関係するため、覚えない者はどうしようも無いと言う。ハルが魔法を使おうとするなら、生まれ変わるしかない。幸いにも人間には、その為の手段が存在するのだから。

 と、コンコンと部屋の扉が叩かれ、女性の声が聞こえてきた。

「ハル様、お茶をお持ちしました」
「ん、イヨか。どうぞ」

 許しを出され、イヨが入室してくる。イヨは流れるような動作で、盆に載せられた湯飲みをハルの前へと差し出した。

「ご勉強は進んでいますか?」
「んーまぁそこそこだなぁ。詰め込んでるだけだから考えつつじゃないと読めんし」
「勉強を始められてまだ二ヶ月ですから、それだけできたら上出来だと思いますよ? ハル様は毎日お体を虐めておられますし、普通は長い時間を掛けて身に付けていくものですから」

 柔らかく微笑みながら、イヨは言う。
 三ヶ月という時間で、この娘ともハルはそれなりに親交を得た。最初は手探り状態だった会話も、今ではかなり気安い。
 一番最初の生け贄だというイヨ。彼女はゴウルともよく会話を交わしているし、偶にヒミコが降りてきたときも、それ程気負った様子ではなく、他の生け贄達とは違い、ヒミコ達を恐れている風はない。むしろ……。

「ハル様が来られてから、ヒミコ様は楽しそうにされています」
「ん? そうか?」

 問うように返したハルに、イヨは嬉しそうに頷く。

「はい。少なくとも、私はヒミコ様があのように笑う姿を見たことがありません。ハル様が来られる前は、まるで消えてしまいそうな笑みを浮かべておられましたから」

 存在と性質との矛盾が醸し出す、ヒミコの儚さ。生け贄として捧げられた者でありながら、イヨはそれを感じ取っていた。ただ恐れているだけの者では、決して気付くことがない筈のそれを。

「……なぁ、聞いていいか?」
「はい? 何をでしょう?」
「何でお前はヒミコを恐れていない? お前にとっては、あいつは故郷に帰れなくなった原因だし、今も故郷を滅ぼそうとしている存在だろう?」

 そう、いくらヒミコがあのような性格だとしても、イヨにとっては敵の筈なのだ。たとえヒミコが望んでいなくても、ヒミコはジパングを徐々に崩壊させていっている。そのような存在を、なぜ恐れずにいられるのか。


「…………元より、私はそういう者でしたから」
「? どういうことだ?」
「私には形がありませんでした。ただ高い山の周りに吹く風に溶け、山彦のようにあるべきして反応を返す、意味はあれども意志はないモノでした」

 高い山とは、ヤマタノオロチではないヒミコのことか。最初の生け贄に選ばれるということは、それに見合う価値があったということ。要するに、彼女は元のヒミコの道具として扱われていたのだろう。

「されども目の前で私の媒体であったヒミコ様は食べられ、生け贄として捧げられた私は生き残りました。それでも私はあの方に何も感じなかったのです。今にして思えば、あの方は私を哀れに思われたのでしょう。当時の私は、自分が哀れなモノであるという自覚すらありませんでしたから」

 懐かしむようにイヨは言う。実際に、イヨにとってはどこまでも遠い昔の話で、昨日のように思い出せる過去だった。

「なぜ生かされているのか分かりませんでした。ただ言われるがままにゴウル様がここを作る手伝いをし、何もない時間はぼうっとして過ごしました。私はヒミコ様の命じられた時以外は何かをするのを禁じられていたので、それまでと大して変わりませんでしたが」

 イヨには自分が個であるという意識すらなかった。ヒミコに拾われたのは、幼児であった頃のこと。そこから先、自らの意志を持つことを許されなかったがために。

「私は何もできませんでした。私にできたのは簡単な回復魔法とLvの確認だけ。それ以外のことをしたことがありませんでしたから。私は、お茶の入れ方すらここで初めて教わったのです」

 ゴウルは非常に面倒そうながら、イヨに読み書きを教えてくれた。イヨが持つ知識は、殆どゴウルから教わったものばかりだ。宣言通りジパングを掌握したヒミコは、ここに来るたびイヨの顔を見ていった。存在がない者を飼っておいても役に立たないと、イヨに自分の形を常に意識するよう心がけさせた。
 イヨは、ここで初めて生まれたと言っても過言ではない。

「自らを生み育ててくれた存在を恐れられることなどどうしてできましょうか。そして、恐れずに見ればヒミコ様の慈悲深さはよく分かります。あの御方が来ておらねば、この国はもっと早く魔物の手に落ちていた筈です。もっと人が死んでいた筈です。何故、国を守ってくれている方を憎むことができましょうか」

 そうして、イヨはハルに向かって微笑む。

「ハル様には感謝しております。ヒミコ様に笑みを与えてくれたことを。たとえ、どれだけ時間が掛かろうとも、ヒミコ様の苦しみを直ぐに見抜かれた貴方様ならば、必ずやヒミコ様を救って下さると信じております」

 言われて、ハルは頭を掻いた。

 ハルはまだ、スタートラインにすら立つことを許されていない。今の実力で、ハルに何ができようか。
 決して軽く考えていたわけではない。誰かに言われるまでもなく、ハルは全力で魔王になろうとしていた。しかし、誰かの本気の期待を背負うというのは、予想以上に重かった。
 それに気後れすることはないが、より強く気を引き締めようとは思う。

「……やってやるさ。しっかり期待しとけ」
「はい!」

 イヨが頷くのを見ながら、ハルは考える。
 魔王になるという自分の達成目標の一つ。魔王を倒すことと魔王になるということは=ではない。魔王とは魔物達の王であり、魔王を倒しても彼らに魔王だと認められぬことには意味がないのだ。
 しかしながら、魔王を倒したのならば、圧倒的に近づくのは確か。さりとて、ようやくだいおうガマを倒せるようになったハルに、その背はどこまでも遠い。

「……勇者もたぶん重たいんだろうな」

 多くの人々から期待と希望を寄せられているであろう勇者。イヨがハルに寄せているそれが劣るとは言わないが、オルテガが死んで以降、幼い身でありながら背負わされた勇者は、どのような心境なのだろうか。
 魔王を目指す以上、避けられぬ相手をハルは思った。





***





 ゴッと、唸りをあげて顔の横を毛むくじゃらの腕が通り過ぎる。
 当たれば今でもかなりのダメージを受けるそれを横目に、ハルはごうけつ熊の懐へと足を踏み入れる。

「―――っ!」

 呼気と共に鋼の剣を横凪ぎ。繰り出された剣閃は、狙い違わずごうけつ熊の腹部へ吸い込まれる。手元に肉を断つ感覚が伝わるも、強靱な筋肉に遮られ致命傷には至らない。

「グガアアアアア!!」
「がっ!?」

 傷つけられたごうけつ熊が猛り、逆手にハルが吹き飛ばされた。幸いにして場所が平原であった為木にぶつかることは無かったが、地面を横滑りに転がってしまう。
 倒れ込んだハルに向け、今度は他方にいただいおうガマが舌を伸ばしてきた。こうしたところにいる魔物は、仲間意識などないくせに、獲物を狙うときは連携してくるからいやらしい。
 地面に手を付き、飛び上がるようにしてハルはその場から離脱する。しかし、だいおうガマの舌はハル目掛けて追従してきた。

「このっ!」

 鋼の剣を振るう間がない。ハルは、腰元の聖なるナイフを抜合し舌へ目掛け突きだした。

「ゲェェエエエエ!?」

 カウンターに出されたナイフは舌の腹へと突き刺さり、だいおうガマが文字通り蛙を潰したような声を上げる。ハルはそのまま思い切り舌を引っ張り、痛みに悶えていただいおうガマを引き寄せた。
 さすがに自在にどこまでも伸ばせるというわけでもないのか、引き抜かれたように飛び込んでくるだいおうガマにタイミングを合わせ、剣を振り抜く。声もなく、寸断されただいおうガマは息絶えた。

「はっ、はっ、つっ!!」

 荒い息を吐くハルは、迫り来る死の気配にその場から飛び退いた。直後、ごうけつ熊が振り下ろした手が地面を叩き、ドンッと重い音を鳴らす。

「グルルルルル!」
「体痛くてご機嫌ななめってか? それはこっちも同じだよ!」

 吹き飛ばされた際に脳が揺れたか、軽い目眩を押し殺しながらハルはごうけつ熊を睨む。
 睨み合うこと数秒。ごうけつ熊がハルに向けて猛然と突っ込んできた。その質量をぶつけられては間違いなくハルが負ける。

「ガァァアアアアア!」

 本能から自分の有利を悟るか、ごうけつ熊はハルを前に吠えた。剣を振ろうが、その勢いが止まるわけが無く、突いたところで弾かれるだろう。後一歩で剣の間合いに入るごうけつ熊に向けて、ハルは空の手を振った。

「ゴアッ!?」

 それはだいおうガマの舌を突き刺した手。付着していた舌の粘液と血が飛び散り、ごうけつ熊の目へと掛かった。勢いは止まらないが、こちらの姿を見失った相手から逃れるのは容易い。
 転がるようにごうけつ熊を避けた直後、ハルは堪らず体を起こしたその喉を目掛けて、体当たりをするように剣を突き出した。

「グゴッ!?」

 深々と、ごうけつ熊の喉に鋼の剣が突き刺さる。さしものごうけつ熊も、急所への一撃は耐え難く、絶命し仰向けに倒れた。

「ゼェ、ゼェ……はああぁぁー」

 座り込んで、深呼吸すらできなかった息を整える。何とか目眩は収まり、動けるほどに息も整ったが、攻撃力に長けたごうけつ熊の一撃は堪えた。動こうとすると疼くような痛みがくる。
 しかし、最初に比べればもはや別人と言っていいほどの進歩だ。最初の頃はごうけつ熊どころか、きめんどうしの一撃で命を失いかねなかったのだから随分と強くなったものである。まぁ、目標までは遙かに遠いのだが。

 ハルがこの世界にやってきて早半年。何か大きな事柄もなく、日々は非常に緩やかだ。
 勇者の話を聞いてから情報収集をしているゴウルによると、噂すらまだ出ていないらしい。おそらく、まだアリアハンから旅立っていないのだろう。

 周りに気をつけ、誰にも見つからぬようにハルは帰路についていた。ヒミコの配下の魔物でも、ハルの存在に関してはそれほど知らされていないらしい。中には、ヒミコのためにハルを排除する者もいるかもしれないというゴウルの配慮である。
 すっかり上手くなってしまった忍び足で、ハルは地下への入り口に辿り着く。階段を下りて重い石扉を開くと、ハルはようやく一息吐いた。

「ハル様、ご無事にお戻りになりましたか」
「ん、まぁそこそこな。できれば軽く回復してくれると助かるんだが……」

 ハルの姿を見て、近寄りながら安心したように言うイヨは、返された言葉で慌ててホイミを掛け始めた。別に急かした訳じゃないのだが、この娘はいちいち過保護すぎて反応に困る。

「今日はヒミコ様がいらしていましたが……お会いになりましたか?」
「ん? ああいや……そうか。今日は生け贄の日か」

 二ヶ月に一度やってくる生け贄の日。やってきた娘はさぞかし絶望し泣いたことだろうが、ハルはそのことは口にしない。ヒミコが、それを苦しんでいることを理解しているのに、わざわざ口に出すのはただの馬鹿だ。

「もう三月はお会いになってないのでは? 元よりヒミコ様がここに来られるのは殆どないのですから、生け贄の日はこちらに居られたら……」

 心配そうにイヨは言うが、ハルは軽く肩を竦めて返す。

「必要ないだろ。俺としちゃ逢いたいのも確かだが、それで何ができるって訳でもないし。ヒミコも、そんな時間をわざわざ作るぐらいならって言うだろうしな」
「そういうものですか?」

 納得いかないようなイヨに、ハルは苦笑する。
 ヒミコも多少気を許してはくれているし、ハルは最初からヒミコに求愛している。確かに色恋沙汰といえばそうであるが、普通のものとはやはり違うだろう。
 結婚という言葉に大きく反応したように、イヨは二人の仲を応援しているようであるが、本人達が普段淡泊なのだからどうしようもない。

「ま、いずれは何とかするさ。俺だってこのままの関係でいたい訳じゃないしな。とりあえずLvの確認してくれないか? だいぶ近づいてたみたいだからそろそろ上がってると思うんだが」
「あ、はい」

 言われて、イヨは胸の勾玉を握りしめた。いつも通り、集中が高まった後にうっすらと目を開ける。

「ハル様の現在のLvは……20です」
「お、やっぱ上がってたか。ようやく見られるLvになってきたなぁ」

 技量の方はまだまだだが、Lvだけならその辺りの冒険者や兵士にはまず負けない。そろそろ一人で旅をしても死ぬ可能性は薄くなってきたか。
 と、いつもなら次のLvまでどれぐらい遠いのかを述べて、すぐに視ることを止めるイヨが、未だに半眼のままハルを視ている。そういえば、まだそのことを聞いていなかった。
 イヨの唇が震えている。言葉を出そうとしているが、声に出ない様子だ。

「…………どうした?」

 問いかけると、ビクリと体を震わせる。一体、どうしたというのか。

「いえ……待って下さい……そんな訳がないんです……私の目が悪いだけで……」
「おい、イヨ?」

 話しかけても、イヨはじっとハルを視たままで、うわごとのように呟いている。

「そんな……嘘です……だって……ハル様は魔王になられる方なのに……」
「イヨ、落ち着け! どうしたって言うんだ!」

 ついには頭を抱えて、イヤイヤと首を振り始めたイヨの肩を掴む。そこでようやくイヨはハルの顔に焦点を合わせ、ホロリと涙を落とした。

「……見えないんです」
「何?」
「ハル様の次のLvまでの距離が見えないんです……」

 絞り出すようなイヨの声。それを聞いてハルも理解した。彼女が、否定したかった事実を。


「ハル様のLvは上限に達しました……もう……これ以上Lvは上がりません……」




 それは、ハルにとってあまりにも残酷な事実だった。





*****************

 遅……かゆ……うま……。
 前の投稿から既に一週間以上経過。投稿した次の日には半分以上書けていたというのに……一文を捏ねくりまわす時間が長すぎるなぁ。



[29793] 新米魔王転職中
Name: NIY◆f1114a98 ID:b860fc97
Date: 2014/03/05 22:30
一章 四話  新米魔王転職中


「Lv上限じゃと? ……思ったより早かったのう」

 イヨを落ち着かせて、ハルはゴウルの元を訪ねていた。イヨはハルの後ろで未だに暗い雰囲気を漂わせている。

「……早いのか? 俺はそんなもんがあったのも知らなかったが……」
「普通はそこに達することが困難じゃからの。それでも、Lv20以下が上限である者は滅多におらんじゃろうな」

 Lvとは、本来魂の力のことであるらしい。
 魂の力が強くなれば、それに伴い器(肉体)も強靱になる。
 魂を成長させるには、濃い密度の経験が必要だ。故に、ハルのように常にいつ命を失うかという戦いを繰り返せば、Lvの上昇も早い。
 基本的に、魂の力に上限値は存在しないと言われているが、逆にそれを包む器の方はそうもいかない。器が魂に耐えかねれば、肥大化する魂の力に器が壊されるからだ。
 Lv上限とは器の限界値に達したということなのである。しかしながら、普通の生き物はそこに達することは滅多にない。器の安全機構として、ある程度で魂の成長が緩くなるからである。
 ハルのLvぐらいの人間ならば、実はそこそこ存在する。それ以上ともなってくると、一気に数は減少するが、全体的に比較してみると、おそらくLv25から30辺りが平均的な人間の上限値だとみられる。

「まぁ、おらんわけではないのじゃろうが。やはりLv20が上限というのは少ないじゃろうな。お主が上限値に到達できたのは、何度も死にかけたことで器の安全機構が機能しておらぬからかもしれん」
「……てことは、これ以上レベルを上げる術ってのは」
「…………存在せんの」

 軽く首を振り、ゴウルは宣告する。
 技術はともかく、肉体はこれ以上強くならない。ようやくごうけつ熊を相手にできるようになった程度の力しかないにも関わらず、ハルの能力はこれ以上上がらない。
 技術を高めれば、バラモス城近くの雑魚程度なら相手取れるようになるかもしれない。
 しかし、ヤマタノオロチであるヒミコやボストロール。そしてそれ以上の力を持つバラモスには到底届かないだろう。
 魔王を目指すハルにとって、それはあまりにも高い壁だった。

「…………力が足りない」

 握った自分の手を見ながら、ハルは呟いた。
 絶望的な力の差。しかし、そんなことで諦めるぐらいならさっさと死んだ方がマシだ。さすがに存在の根本から非才だと突きつけられるとは予想外であったが、元より自分の上限が低いのは承知の上である。

 根本的な能力が足りないのであれば、どこからか調達してこなければならない。考え得る手段としては三つ。

 装備を調えること。
 現状の装備はハルがその辺りに転がる死体等から掻っ払って使えるようにした物や、魔物の肉と引き替えにジパングの住民からこっそり仕入れたような物ばかり。鋼の剣が手に入ったのは幸運だったが、防具は未だジパングで作られた皮の軽鎧だ。
 おそらくは存在するであろう魔法の力を帯びた品等を手に入れれば、それだけでかなり変わるだろう。

 力の種に始まる、各種能力向上の種を食べること。
 最初の頃に聞いてみたが、一応存在するらしい。霊樹と呼ばれる程成長した木が、一定条件下で長期間を掛けて一粒作り出すか否かという、手に入れるのが非常に困難である品のようだが。

 残るは、魔法。
 防御が低いのならば、スカラを使えばいい。素早さが足りないのであれば、ピオリムが存在する。攻撃力が足りないなら、バイキルトを掛ければいい。
 さらには、メラに始まる攻撃呪文。これらを覚えれば、戦闘の幅は大きく広がる。Lv20という上限の中では、どこまで使えるようになるか分からないが。
 そして、ハルが魔法を覚えるためには――――。

「……爺さん。この島から外へ出るにはどうすればいい?」
「何じゃと?」



「俺は、ダーマに行こうと思う」




***




 ダーマに行くのはいいが、一つ問題として、大陸へ渡る手段がハルにはなかった。ゴウルやヒミコならばそれほど難しいことではないが、この二人が動ける筈がない。ジパングは他国との貿易などしていないので、渡航船も存在しない。
 どうしたものかと一週間ほど悩んでいたところ、珍しくヒミコが降りてきた。

「ふむ……ダーマにのう……行けん事もないと思うぞ?」
「ホントか!?」「ホントですか!?」
「……ハルはともかくして、イヨは少し落ち着いたらどうじゃ? そなたが血気上げても仕方あるまい」
「あ……も、申し訳ありません」

 よほど気にしてくれていたのか、ヒミコに注意されてイヨが体を小さくする。しかしながら、長くいるせいかこの二人は随分と気さくだ。イヨがヒミコを恐れていないというのが大きいようだが、ヒミコもかなり気を許しているようである。

「どうせもうじきアレがやってくるじゃろうしな」
「……おお、言われてみればそうですな。なるほど、あ奴らに積んでいって貰えばいいですのう」

 ヒミコの言葉にゴウルが納得したように手を打つ。しかし、ここから外に出ることのないイヨや、来てまだ日が浅いハルは何のことか分からなかった。

「アレって何だ?」
「宣教師共の船じゃ。大体一年に一回ぐらいのペースでこの国にやってきて布教しとるんじゃがの。この辺りの信仰とは微妙に違うし、妾としても奴らが蔓延るのが気に食わんので直ぐに追い返しておる」

 説明だけを受けて、ハルはヒミコが何を言いたいかを理解した。

「なるほど……ようはそいつらを適当に騙して船に乗ればいいと」
「うむ、そなた、口は得意であろう?」

 にやりと、ヒミコとハルが人の悪そうな笑みを浮かべる。その傍らで二人を見ながらゴウルが密かにため息を吐いていた。




***




 結論から言えば、船に乗ることには成功した。

「そうですか……大変だったんですね……しかしこうして助かり私達が出会えたのも神のお導き。あなたがよろしければ、神に感謝を捧げても構いませんか?」

 髭面の非常に濃ゆい顔の神父に長々と祈りを捧げられることになったが。

 ハルは切に願う。精霊でも神様でも悪魔でも何でもいいから、とりあえずこのおっさんの涙を止めてくれと。絵的に非常に辛い。

「おお……母なる神よ……よくぞこの若者を助けたもうた……その慈悲深き愛に感謝を……」


結局、ハルが解放されたのはそれから一時間後のことだった。


「…………正直、何度も死にそうになったことはあるが、あれよりは全然マシだった」
「あははは、まぁロドリー様はその辺りにいる神官よりも神への信仰が厚いですから。あれでも教内では結構なお偉いさんなんですよ?」
「……あのおっさん殺した方がよほど世のためのような気がする」

 甲板でぐったりとしたハルに笑いかけるのは、僧侶見習いのエベットという名の少年だった。綺麗な金髪で、純朴そうな童顔はそれなりに整っており、ある一定層の女性に人気がありそうである。見た目は向こうで言う中学生ぐらいに見えるが、これでハルと二つしか変わらないらしい。

「でもほんとハルさんって運いいのか悪いのかわかんないですよね。漂流して助かったのはいいけど、あの国排他的だし、魔物は結構強いし……Lv高くなかったら死んでもおかしくなかったけど、偶々布教に来てたロドリー様の船に乗って帰れるし」
「あぁ……自分でも悪運が強いなとは思ってる」

 この船に乗るのに、ハルはだいたい今エベットが言った通りに説明をした。漂流に近い形であの国に着いたのは本当だし、オロチの洞窟から出られるようになっても、あの国が排他的であったために獲物を持って行くぐらいしか交流手段も存在しなかった。問題なのはヒミコ関連についてだけなので、後は自分が如何に苦労したか少々の誇張を交えながら話せばいい。

「でも、あの国も困りますよね。何であんなに排他的なのかなぁ。ロドリー様が何度訪れたって全然教え広まらないし。自然信仰も始祖信仰も根本は変わらないと思うんですけど」
「……根本的なところが変わらなくても、基本的な思想が違えばそりゃ無理だろう」

 この世界において、主流なのは始祖信仰である。天上の神を仰ぎ、直接神に祈りを捧げる。大陸に広く広まっており、教会は全て始祖信仰にあたる。
 一方自然信仰の方は、この世界を形作る物全てに神が宿っているという考えで、大地や風、自然に祈りを捧げる。原住民というか古くから他と交わっていない部族は、こちらの方が多い。
 どちらも天上の神を根本に抱いているのは変わりないのだが、それぞれ基本思想が違っているので、交わることはない。要は、一宗教内の宗派の違いのようなものである。
 ジパングはまさに自然信仰の方にあたるし、ヒミコも魔族である時点で神に祈りを捧げるなんてありえない。(別に本人は天上の神のことをそこまで嫌っている訳ではないが、祈る対象には決して挙がらない)
 要するに、今のジパングに布教することなど、成功するはずがないのだ。その辺りのことを理解しない限りは、ロドリーらがまともに親和することすら難しいだろう。

「にしても、ハルさんって凄いですね。僕と二つしか変わらないのにLv20だなんて! 僕なんてLv7なのになぁ」
「んー、あそこで一人で戦ってたら二・三ヶ月あれば16・7はいくと思うぞ?」
「あんなとこで一人で戦ったりなんかしたら死んじゃいますよ!」

 冗談ではないとばかりにエベットは首を振る。自分のやってたことの無茶苦茶さ加減は理解していただけに、ハルも軽く肩を竦ませるだけで済ました。つくづく、イヨとゴウルには頭が下がる思いである。




***




 船旅はそれほど大変なものでもなかった。
 道中魔物に襲われこそしたが、さすがに立場ある教会の人間を乗せているだけあって、船乗り達の練度もよく、船に上がられる前に殆どを撃退することができた。
 一度、大型モンスターであるだいおうイカに出会ったときはハルもかり出されたが、ロドリーやエベットの援護のお陰で難なく撃退に成功した。さすがに、ロドリーが巨大なモーニングスターを振り回している場面ではハルも衝撃を受けたが。
 船はバハラタとダーマの中間点ほどに存在する小さな波止場に停泊し、ダーマに向かうロドリーらと共にハルも出発した。
 最近はやはり魔王の影響か、魔物に襲われることも増えているらしい。普通から見れば十分高Lvといえるハルは、丁度いい護衛扱いだ。ハルとしても、道に迷う心配はなく、かつ一人よりも安全に旅ができるのだから利は大きい。


 こうして、船に乗り四日、馬車で十日ほど掛かり、都合二週間余りで一行はダーマに到着した。




***




「それでは、ハル殿。道中ありがとうございました」
「ハルさん! 転職の儀式大変でしょうけど、がんばって下さい!」

 ダーマに辿り着いたところで、ハルはエベット達と別れた。彼らは、この後ダーマの教会の方に用事があるらしい。

「さて、ここがダーマか……結構イメージと違うもんだなぁ……」

 大きな『街』の入り口で、ハルは遠くに見える神殿を眺めながら呟いた。
 ジパングはまだ村自体が小さかったお陰か、自分の覚えていたゲームのイメージとはそこまで離れていなかった。しかし、ダーマは全く違う。
 おそらく、遠くに見えている大きな建物がダーマ神殿なのだろう。街の入り口から一直線に道が延びている。その道に沿うように家や店などが建ち並び、かなり大きな街が作られていた。
 考えてみれば当然のことかもしれない。ダーマ神殿はこの世界で唯一転職を可能とする場所。人が集まるのならば、当然宿が必要になり、商人達が店を広げ、やがては街に発展するのも自明の理だ。また、聖地としても有名らしく街の中には神官達の姿も多い。

「んー、まだ昼前だしなぁ……先に神殿の方へ行くか。宿はまた後で大丈夫だろ」

 こちらの世界に来てから初めて大きな街に入る訳であるし、色々と興味もあるのだが、とりあえずハルはここへ来た目的を果たすために足を動かす。そもそも、あちこち見て回れるほど路銀もないのだ。
 ここに来る道すがらにマッドオックスを倒し、皮だの何だのを剥いだり燻製にしたりした物が背負っている大きめの荷物袋に入っているが、これらを売ってもそれほど大きな金になるわけがない。
 転職後はLv1に戻るため、神殿内にあるらしい訓練所で少しばかりはLvを上げねばいくら何でも危険度が高すぎる。しばらくの間は金を稼ぐことも難しいとなると、今ある物をできるだけ大切に扱わねばならない。

「しっかしまぁ、思ったより道広いもんだなぁ。車すれ違うぐらいはあるか?」

 中世の道と言えば何となく狭くて雑多なイメージであったが、それに比べると随分道は広かった。おそらくは乗用車がギリギリすれ違えるぐらいはあるだろう。
 周りを行く人々は実に様々だ。ハルのように明らかに剣士らしい格好をしている者もいれば、一目見て魔法使いだと分かるようなローブと杖を持った人物や、チョッキとズボンのまさしく町人といった姿まで、多種多様にわたる。
 立ち並ぶ出店には、きちんと店舗を構えているところから、台の上に武器やら盾やらを乗せただけの店もある。所々には食べ物を売っている屋台もあり、見て歩くだけでも飽きることはない。

(これじゃまるっきり田舎者だな。まぁ、実際そうだからしょうがないが)

 明らかに初めて大きな街にやってきましたといった風に、周りを見ている自分の姿に苦笑する。こうして外の空気に触れることができただけでも、ジパングを出てきた甲斐があったと感じた。やはり、実際に見てみるのと知っているだけの齟齬は大きい。
 今のハルは散発的な知識だけ持ってる世間知らずである。これからどう動くにせよ、それぞれの国についてもっと深く知るべきだろう。

 半刻以上は大通りを歩いていたであろうか、ハルはようやく神殿の前へと辿り着いた。

 見れば圧巻の大きさである。何も知らずに城だと言われれば、そうなのかと納得してしまいそうだ。
 巨大なる神殿を見上げながら、ハルは階段を上る。始祖信仰の聖地でもあるから、純粋に礼拝に訪れた者たちもいるのだろう。神殿に向かう者、神殿から降りてくる者は数多い。
 階段を上りきり、開け放たれた扉から中へと入れば、また中の広さに圧倒される。
 日本で言えば、どれぐらいの坪数があるのだろう。少なくとも、二世帯住宅が二軒ぐらい簡単に収まりそうだ。横から伸びた通路の先には、おそらく神官や修道女達の生活施設なりなんなりがあると思われる。
 光を取り込むステンドグラス。窓から差し込む光が、中の厳かな雰囲気を包み、神聖さを醸しだし暖かさを与えてくれる。

「……これはすげーわ。うん、驚いた」

 気を取り直して周りを見てみれば、修道女が座った受付らしきものが設置されている。おそらくは、あそこで聞けば案内してくれるだろう。
 幾人かが並ぶ受付の後ろに付き、前の話に耳を立てると、殆どが神殿内の施設の利用許可を申し出ていた。殿内には、図書館や訓練施設なども存在しているらしい。
 スルスルと列は進み、ハルの番が訪れる。

「では次の方。お名前とご用件をお願いします」
「名前はハルだ。転職の儀式を受けさせて頂きたい」

 極めて普通に、ハルは自分の目的を告げた。だが、ハルの言葉を聞いた修道女は何やら驚いた様子で、口元に手を当てていた。

「……転職の儀式で、お間違いありませんか?」
「そうだが……ここで受けられるんだろ?」
「え、ええ。その通りですが……少々お待ち下さい」

 ハルにはなぜか分からなかったが、修道女以外に周りにいた人間も驚いている様子であった。その反応を見て、ハルは思い当たる。
 転職できる最低Lvが20であるのは、それなりに有名な話のようだ。そして、この世界でLv20というのはそれなりに高い部類に入る。それこそ、宮仕えをしていれば、一隊を任される程には。
 Lv20まで上げるには、かなりの努力が必要である。故に、転職してLv1に戻るというのは端から見れば相当な苦行なのだろう。折角そこまで上げたのに、ということだ。
 思えば、ハルがダーマに行く目的を聞いたエベットは、かなり驚いていた。あれは、転職する人間が極端に少ないからだったのか。

「……お待たせしました。では、彼女に付いていって下さい」

 受付の修道女が、奥から別の修道女を連れてくる。促されるままに、ハルはその修道女に付いて神殿の奥へと向かった。
 向かう際に、ついでとばかりにハルは修道女に聞いてみる。

「随分と驚いてたみたいだが、転職する奴ってそんなに少ないのか?」
「そうですね……一年でお一人いるかどうかという程ですね。Lv20を超えるには並々ならぬ努力が必要ですから、転職されるのはよほどの思いを持っておられる方ばかりです」
「……なるほど」

 一年で一人いるかどうか。思ったよりもずっと少ない。命を投げ捨てながらも半年でそこまで上げたハルには、あいにくとLvにすがる人間の気持ちは理解しがたかった。Lv上限というハル自身の問題もあるかもしれないが。
 修道女に案内され、ハルは祭壇の前へと辿り着いた。修道女は役割を終えたと後ろへ下がり、壇上では、白ひげを蓄え赤いローブに身を包んだ老人が、ハルのことを見下ろしている。

「お主が転職を希望する者か?」

 威厳のある声。転職を司るダーマにおいて、それを行使する者。おそらくは、この老人こそがダーマの神官長なのだろう。いや、ドラクエでは大神官というのだったか。
 老人の声に、ハルはただ頷いて応える。

「ふむ、Lvは確かに20に到達しておられる……なるほど、精霊の洗礼は何も受けておられぬようじゃな。旅人とはまた広い意味にとれるが……しかもLv上限に達しておるのか」

 ハルが何を言うまでもなく、老人はハルの状態を見抜いた。イヨと同質の力……否、何の動作もなく、しかも現在の職まで瞬時に視た老人の方が能力は上か。さすがは、というべきなのだろう。

「申し遅れた、私はダーマ大神官のフォーテと申す。お主の名は?」
「ハルだ。Lv20なら転職ができるんだろう? Lv上限だったとしても問題はないと思うんだが?」

 敬うところを知らないハルの言葉に、フォーテはいささかも気を悪くした様子はなく、コクリと頷く。

「無論。そもそも、Lvとは何なのか知っておられるか?」
「……魂の力だと聞いた。それに引き上げられ肉体が強化され、Lv上限とは肉体が耐えられる限界位置だということも」
「その通りじゃ。そして、転職とは肉体自体を転換させることにある。強い魂の力を持って、肉体をその職に適したものに作り替えるのじゃ。Lv20というのはそれができる最低限の状態であり、肉体を作り替える為に使った力は失われるためLvは1に戻る。しかし、肉体が変換されたとしても、元々あった能力が完全に失われることはない。新たなる肉体でも、以前の力の残滓は必ず感じられる筈じゃ」

 魂の力が弱くては肉体の変換は叶わず、逆に強すぎる魂の力を持つ肉体を変換するのに同等の力を要するため、どれほどLvが高くとも必ずLvは1に戻るらしい。また、器自体が変わるわけではないため、Lv上限が上がることはない。

「ハル殿の場合、どう足掻いてもLvはそれ以上上がらん。力を欲するならば、転職するしか術はないじゃろう。じゃが、お主はなぜ力を求める? 今のままでも、人間としてはかなりの力である筈じゃ」
「必要だからだ。今程度の力じゃ、俺が求めるものは決して手に入らないからだ」
「分不相応であるとは思わぬか? 自身の最高到達点に達して尚も届かぬのであるならば、それはお主の手に余るものに違いあるまい?」

 フォーテの言葉は、確かに当を得ている。おそらくは、ハルの目的はハルに許されるものではないのだろう。手に入れるには、あまりにもハルの力が不足している。しかし、そんなことハルの知ったことではない。

「手に余るのならば、余らなくなるほどに自分が大きくなればいい。どんな手段だろうと、どれほど苦しかろうと、そこに上り詰めてみせる。俺の望むものは、そこにしか存在しない」

 見返し言葉を綴るハルに、フォーテは頷いた。

「……Lv1に戻り修行しなおす事など、大した障害ではなさそうじゃの。承知した。お主の希望する職を答えられよ」
「魔法使いだ」

 間髪入れず、ハルは即答した。同じ魔法ならば僧侶という選択肢もあったが、回復・補助よりハルは攻撃魔法を選択する。ハルに今もっとも必要なのは、単体火力だと考えたからだ。
 答えを聞いたフォーテは、ハルに向け手に持った杖をかざす。

「では、これから行うのは肉体の変換であると心せよ」

 一言だけ告げ、フォーテは大きく息を吸い込んだ。


「【神よ! 我らを創りたもうた天上の神よ! ここにいるハルという名の者に、新たな職につくことをなにとぞお許し下さい! どうか、彼の者に新たな職への道をお示しくだされ!】」




 瞬間、ハルの目の前は真っ白に染まった。




「あっ……がっ……」


 吹き荒れる嵐の中に放り込まれたかのような感覚。吹き上げてくるのは光の奔流。体の内が、今までと違うものに書き換わっていく。
 熱い。体が燃えているのか。魂が燃えているのか。肉体の感覚が希薄であるのに、熱さだけは感じる。

 反転する。反転する。反転する。

 スイッチのオンとオフが切り替わる。今まで存在しなかった筈の場所に、新たな回路が現れる。今まで存在した筈の場所から、使っていた回路が掻き消える。
 時間の感覚など分からない。どれほどの時間が流れたのだろう。長いようにも、まだ始まったばかりのようにも思える。



 そして、転職は成った。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 気がつけば、ハルは祭壇で四つん這いになっていた。息すらできていなかったのか、肺に入る空気が心地よい。
 スッと、冷や汗が引いていく。一度深く目を閉じて、深呼吸をし、立ち上がる。
 次に目を開けたとき、明らかに世界は変わっていた。
 落ち着いてみれば、自分の中に何か今まで感じたことのない感覚が存在する。神殿内の空気に、何らかの力が宿っているのも分かる。
 目に見える景色は何も変わらないのに、全てが違って見えた。

「見事、転職できたようじゃな」

 髭を弄びながら口元に笑みを浮かべるフォーテに、頷いて応える。
 体が重い。これはきっと、今までの力が失われたからだろう。身に付けた鎧も、腰に差した剣も、まるで別物のように感じる。
 半年前、この世界にやってきたLv1の自分は、今よりも遙かに弱かった。たった半年前のことなのに、先ほどまであった筈のものがない感覚が、ハルを戸惑わせる。
 よくも、これ以下の状態でヒミコに大見得をきったものだと、笑いさえ込み上げてきた。

「魔法使いの体か……ほんとに、今までのと全然違うんだな」
「まさしく、魔法を使うためのものじゃからのう。急に力を失った違和感は大きいじゃろう? しばらくは、この神殿の訓練所にて体の使い方を学ぶといい」

 フォーテが言うように、体の違和感を拭わねばろくに戦闘などできそうにない。装備も切り替えたほうがいいのだろうが、あいにく金がない。
 ゲームのように、魔法使いの体だからといって剣が装備できない訳ではないので、別段このままでも構わないのだが……

「筋力育ちにくい訳だし、その辺どうにか考えないとなぁ」
「その前に、術具無しじゃと最初は魔法を使うのも厳しいぞ?」
「は?」

 魔法というのはLvさえ上がれば勝手に使えるようになるものではないのか。てっきり使い方覚えて呪文唱えれば何とかなるだろうと思っていたハルにとって、フォーテの言葉は寝耳に水であった。

「術具ってのは杖とかか?」
「うむ、魔力を通しやすい媒体じゃのう。簡単なものじゃと樫の杖なんかは安く売っておるぞ。魔力を増幅したり、物自体に魔力が込められているような物はとてつもなく高価になってくるがのう」
「いや、魔法ってLv上がって使い方覚えて呪文唱えれば出るんじゃないのか?」

 困惑したハルの言葉を聞いて、フォーテは呆れたように首を振った。

「そんな簡単なものなら、魔法使いにLv以外の実力差なんぞ出んじゃろう? 最初の頃は自身の中に生まれた魔力を感じることすら難しいというのに」
「ん? 魔力って……たぶん分かると思うんだが……」
「ほ?」

 言われて、今度はフォーテが困惑したように目を瞬かせた。
 そもそも、今まで存在することすら分からなかったものが出てきて、分からない方がおかしいのではないかとハルは思っていた。
 確実に、ハルは自分の中にある僅かながらも今まで分からなかった力が分かる。そして、神殿内の空気にそれらが変質したようなものが存在していることも感じていた。

「自分の中の魔力っていうか……ここにも結構濃いのが漂ってるよな? それがどんなのかって言われたら答えられんが……」
「ち、ちょっと待つのじゃ。いや、確かに神殿内には強い結界の力が存在するが……ハル殿、少し時間を貰っても構わんかの?」
「まぁ、別に用事があるわけじゃないからいいが……」

 了承したハルが案内されたのは、ダーマ神殿内に存在する図書室だった。フォーテに導かれるままに奥の部屋へと入ると、眼鏡を掛けた冴えない顔の男性がパラパラと本を捲っていた。
 フォーテの姿を認め、慌てた様子で男性が立ち上がる。

「これはフォーテ大神官! 何かご用で?」
「そんなに畏まらんでいい、ランド、ダーマで最も魔力の扱いに長けたお主の力を借りたいのじゃ」

 ランドと呼ばれたこの男性。全体的に冴えない雰囲気を漂わせている。髪の毛は整えられた様子がないし、着ている物はくたびれた麻のローブ。身長はハルの目線ほどでさほど高くなく、たれ目がちでどことなく弱気な印象も受ける。
 しかし、フォーテの言葉を聞き目を細めた彼は、確かにただ者ではないと思わせるものがあった。

「私に何を?」
「そこまで大事件という訳じゃないんじゃが……ハル殿、彼はこの図書室の管理しておるランドという。言ったように、魔法使いとしても非常に優秀で、ダーマで魔力の扱いにおいて彼の右に出る者はおらん程じゃ。ランド、こちらはハル殿。今日めでたく魔法使いに転職を果たした、前途有望な若者じゃ」
「それはそれは。しかしフォーテ大神官。それほどまで私を持ち上げないで下さい。私はただ小器用なだけですから……それで、ハル君でしたか。紹介に与りましたランドです」

 フォーテを仲介に紹介され、ランドは自然と手を差し出してきた。意外と社交的な人物なのかと評価を改めながら、ハルは握手を返す。

「ハルだ。よろしく頼む」
「それで大神官。彼がどうかしたんですか?」
「うむ……ハル殿、お主は今まで魔法を使えず、今日初めて魔法使いに転職した。これは間違いないかの?」
「ん? ああ、そうだ。今まで魔法が使えた事なんてないな」

 ハルに確認を取ったフォーテは、ランドに向き直る。

「ランド、少しばかり魔力を動かしてもらえんかの? それも、ハル殿に分からぬように」
「はぁ……魔法を定める前の純魔力でいいんですか? それだったらどうやっても魔法使いに成り立てのハル君が分かる訳ないと思いますが……」

 言われるがままに、ランドは手を宙へと差し出した。そして数秒そのまま待機したかと思うと、フォーテに向かいコクリと頷く。

「ハル殿、今ランドは魔法が形成される前の、完全に純粋な塊の状態で幾つか宙に飛ばしておる。それの数と場所が分かるかの?」
「んーまぁ……ここと……そこと……こっちもか?」

 フォーテに促され、ハルはそれらしき気配の場所を指さす。一瞬で分かるというわけではないが、少し集中してみればああこれだなという手応えを見つけられた。ハルに分からないようにという言葉通り、ランドが差し出した手とは全く関係のない場所ばかりだ。
 ハルの言葉を受け、ランドが目を見開いて驚きを見せる。

「……なるほど、大神官が言いたいことが分かりました」
「…………どうやら、相当珍しいみたいだな俺は」

 二人の言葉から、ハルもなぜ彼らが驚いているのかを理解していた。どうにも、ハルのような“成り立て”が魔力をすぐ感知できるというのは、普通ありえないらしい。

「珍しいどころか、こんな話初めてですよ。魔法使いの素質がある者でも、魔力を扱えるようになるまでそれなりに時間が掛かるんです。特に、ハル君は元が純粋な魔法使いではありませんから、どれだけ早くともLvが上がって一週間は必要なのが普通です。それが転職してすぐにその存在を感じられるとは……鬼才と言っても過言ではありません」
「……魔法使いに転職したのはまさしく天命という奴じゃな。それだけに惜しいのう。Lv20という上限さえなければ、稀代の魔法使いにもなれたやも知れぬのに」

 Lv上限という単語に、ランドは絶句する。

「なんと…………Lv20が上限とは…………」

 惜しむ二人の様子に、ハルは頭を掻く。
 どれほど魔力の扱いに才能があろうが、ハルはLv20以上の魔法を覚えられない。ハルが覚えている限りではヒャダルコか……よくてバイキルトか。メラゾーマやベギラゴン等の、最大攻撃呪文には届かない。
 しかしながら、無いものを嘆いても始まらないのは確かだ。

「まぁ、自分に少しでも有利な才能があったことに喜ぶとするさ。嘆く暇があったら、どうすればよりよい方向に向かえるか考えた方がいい」
「…………そうじゃのう。惜しんだところで、Lv上限がどうにかなるわけでは無いのじゃから。やれ、こういったことは周りばかりが残念がっていかんのう」

 ほっほっほっと、髭を弄りながらフォーテが笑う。

「……そうですね。ハル君、魔法の扱いに関して質問があれば、私に聞きに来て下さい。これでも、知識はそれなりにありますし、忙しくない時はそういったことも受け付けていますので」
「ああ、その時はありがたく聞かせて貰うよ。っと、そういや今日着いたばっかだから宿を探さないといけなかった」
「ふむ、宿のう……受付におる修道女なら街のこともある程度詳しいから、聞いてみるとよいじゃろうな」

 とりあえず、用事は大体終わったようであるので、ハルは二人に礼を言ってその場から去る。フォーテに言われたとおり、修道女に宿を聞いて寝床を確保したら、とりあえず街を見回ってみようかと、ハルは頭の中で計画を立てた。






[29793] 新米魔王初配下
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2014/03/05 22:41
一章 五話  新米魔王初配下


 魔法。それはハルの世界に存在せず、この世界に存在する技術。
 自身の魔力をもって、世界に変革をもたらす行動。
 早朝、誰もいないダーマ神殿の訓練所にて、ハルは一人虚空に向かって手を差し出していた。

 魔法に必要な過程は四つ。
 放出、凝固、入式、発動である。

 工程1。放出。
 自身の魔力を放出する。魔法の基本中の基本にして大前提。自身の魔力を感じることさえできたのなら、誰でもできることだ。ただし、自分が必要な量をどれだけ早く出せるかは熟練次第である。

 工程2。凝固。
 放出した魔力はそのままだと霧散する。故に、放出した魔力を一カ所に固めてやることが必要となる。熟練者なら感覚で行えるが、初心者だと放出した魔力を無駄にしてしまう。

 工程3。入式。
 凝固させた魔力に魔法式を嵌め込み魔法を確定させる。この辺りから魔法が視覚に現れ始める。魔法式はLv上昇と共に自然と浮かんでくるらしく、これがLv上昇でしか魔法を覚えられない理由である。

 工程4。発動。
 魔法式に対する【キー】を唱えることで、魔法は発動する。ランド曰く、伝承には無詠唱で発動させた魔法使いがいたらしいが、お伽噺程度の話で本当にそんなことが可能なのかは分かっていない。


「……【メラ】」


 ハルが唱えると同時、手の平で淡く光っていた魔力から炎が顕現する。拳大に渦巻く火球が、明るみが差す空へと消えていった。
 魔法の発動に必要な魔力は、一定ではない。同じ魔法でも使用者の実力、使い方如何で使う魔力が変わってくる。
 未熟者の場合。放出する魔力を纏められず余分に魔力を使ってしまったり。逆に、熟練者は一定以上の魔力を注ぎ込むことによって魔法の威力を高めたりすることもできる。
 魔法の発動に必要な魔力は、最低値と最大値が決まっている。どれだけ熟練しようとメラの魔力量でメラミを放つことはできないし、どれだけ魔力を注ぎ込もうがメラがメラミを超えることはできない。
 過剰な魔力を術式に注ぎ込んだ時点で、その術式が崩れてしまうからだ。
 ハルは手を翳したまま、再び魔力を固め始める。
 先ほどよりも大きく、先ほどよりも強固に。

「……【メラ】」

 放たれた火球は赤子の頭ほどの大きさ。大体、先ほどのものより1,5倍程度大きいか。
 術具無しで魔法を使うのは、半人前では難しい。また、過剰魔力を凝固させ入式するのは、メラのような基礎魔法でもそれなりに熟練していないと不可能だ。メラミなどの中級魔法では、難易度は跳ね上がる。メラミの過剰発動を成せるのは、この冒険者が集うダーマにおいてもランドを含め3~4人程度。そのランドは、ヒャダルコの過剰発動を可能にするというのだから、彼が優秀を通り越した魔法使いであるという事実に納得できる。
 魔法使いになってわずか一ヶ月程度で過剰発動を可能にしたハルは、そのランドにすら驚愕を抱かせる存在であるのだが。

 さらにハルは魔力を放出する。それも、今し方出したものよりも大きく。
 凝固させる。未だ純魔力と呼ばれる入式する前の魔力でも、量が増える程に凝固は難しくなるが、Lv9では到底必要と思えない量の魔力をハルは凝固させる。
 魔力を錬る感触は、土団子を作るような感触に似ているとハルは思う。なかなか纏まらない土を、水を加え、固まりやすい土を混ぜて、ギュッと圧縮して、丁寧に丁寧に形を作っていくあの行程に。
 そうして作り上げた魔力に、自らの使える魔法式を加える。この瞬間、世界はハルが望んだように変容するのだ。



 ただし、それが正しく行われた場合、であるが。



「…………やっぱダメか……」

 ハルが入式したのはやはりメラである。入式した瞬間、固めていた魔力が崩れだし、完成していた筈の魔法が霧散してしまう。それを逃がさないように、さらに形を整えようとしても、今度は中に入れた魔法式が崩れてしまう。外と内から崩れ落ちては、魔法を維持しようとしても不可能だ。
 無論ハルとて魔法の前提条件は承知の上であるが、それでも毎日同じ事を繰り返している。

「……Lv以上の火力を出そうと思ったらこれが一番なんだが……」

 呟いて、ハルはため息を吐く。まだ魔法を使えるようになってたかだか一ヶ月と少しだが、手応えが掴めないどころか違う結果を導き出すことすらできないことに、陰鬱とした気分になってしまう。
 本当に無理なのか。それとも自分の持っている材料が足りていないのか。ランドも共に研究しているが、現状を抜け出す糸口すら見つけられない。

「ままならんなぁ……」

 肩を竦めて、最後にもう一度胸の前あたりに両手を上げて、魔力を凝固させる。放出量はメラの最低限と同じ。それを、ぎゅっと圧縮していく。
 小さく、小さく、圧縮すればするほど魔力は散ろうと暴れるが、外へ逃れようとする動きを制御して円運動をさせるかのように流れさせる。
 魔力凝固の基本訓練の応用である。本来なら凝固させ形を整えた時点でどれだけ待機できるかというものだが、そこにさらに手を加えたのがこれだ。イメージにあるのは、どこぞの大魔道士がやった収束ギラ。同じ魔法でも圧縮させ密度を高めることで、威力を上げられないかというもの。
 こちらは一応一定の結果を出せた。魔力圧縮により最低限の魔力ながら過剰魔法に近い威力を出すことに成功したのだ。
 ただし、今のハルでは両手を使う必要があり、圧縮に掛かる時間も長く、戦闘には到底使えるものではない。
 しかも魔力量が増えるごとに圧縮は難しくなり、過剰魔法を圧縮させるとなると最低でも1分ほどじっと魔力を錬らねばならない。基礎魔法でこれなのだから、中級魔法を扱うとなると、もはや冗談もいいところだ。
 ハルはそのまま押しつぶすように手の中の魔力を霧散させ、グッと背を伸ばす。既に剣を振り軽く体を動かした後なので、大体これで朝の日課が終わりである。
 と、ひょっこりと訓練場に新たな人物が顔を出した。
 その人物はハルの顔を見つけ、童顔にニパッと人懐っこい笑みを浮かべる。

「相変わらず朝早いですねハルさん。おはようございます」
「あぁ。おはようエベット」

 寄ってくるエベットに、ハルは手を挙げて応えた。

「ほんと努力家ですよねハルさん。僕らも結構早く起きないといけないのに、それより早く鍛錬してるんだから」
「才能無いからな。早く強くならんといかんし、やれることはやるべきだろ」
「それにしてもですよ。好きな人の為でしたっけ? 普段凄い冷静沈着って感じなのに、情熱的だなぁ。そんなに想って貰えるなんて、その女の人は幸せですね」
「どうだかな……まぁ、命を賭ける程度にいい女ではあるな」

 返ってきた言葉に、エベットはタラリと汗を流す。やぶへびだったとばかりに、口元が引きつっている。どうやら、意図的に会話の方向を操ろうとしていたらしい。

「あ、あははは。あっ、そろそろ朝ご飯の時間ですよね? 行きませんか?」
「ん? そうだな。んじゃ、飯食ったらとりあえず外行くか。さっさとLv上げんとな」

 なりふり構わず、どうにか誤魔化そうとしているエベットに向かって、おそらく一番聞きたくないであろう言葉をハルは選んだ。素直に手加減してくれと言えば、ある程度で連れるのは止めるというのに、下手に策を練った罰である。ロドリーからも頼まれているので、しっかりと鍛錬させてやろう。

「あう……はい……」

 がっくりと、エベットが肩を落とす。この後待っているデスマーチ(ハルと外での魔物退治)に思いを馳せているのだろう。
 ハルとて、彼がいなければこんなことできないのだから、感謝している。できるだけ命の危険がないようには配慮しているし、守りきってみせるつもりだった。エベットが望むのならば一人で戦う事も別に構わないのだが、そんなことを言い出せば無理にでも付いてくるだろう。何とも、お人好しな少年である。
 グシグシと、エベットの金髪を乱暴に撫で回しつつ、ハルは訓練場を後にした。




***




 修道女に教えられたのは、神殿に程近い宿屋だった。巡礼してきた者や神殿に長らく通う者等がよく利用しているらしい。
 値段も手頃で、特に高きを求めない長逗留する者が多いそうだ。
 大きさ的には、少し大きめの大衆食堂といったところか。修道女から聞いたところ、食事だけ取ることも出来ると言うことなので、おそらく建物の二階部分が宿泊施設になっているのだろう。
 おもむろに扉を開き、中へと入る。ハルの想像通り、入ってすぐの広間にテーブルが幾つか並べられ、カウンターの向こうに厨房が見えた。俗に言う『冒険者の宿』的なイメージだ。こちらの世界にはこういった宿の方が多いのだろうが。

「おや、珍しい時間帯のお客さんだね?」

 入ってきたハルを見受けて、床掃除をしていた女性が声を掛けてきた。
 色の濃い茶髪をサイドテールにした、活発そうな女性である。二十代の半ば頃と思われるが、店を構えるには少々若い。

「先に用事を済ませてきたんでな。少しばかり長く滞在したいんだが、あんたに言えばいいのか?」
「そうさね。私に言うのが一番適当なんじゃないかな?」

 試すような物言いに、ハルは理解して両手を挙げる。降参の意だ。

「……すまなかった。しかしまぁ、いくら何でも分からんだろう? この店を持つには、あんたはちょっと若い」
「おやまぁ、今のだけでそこまで分かるかい? あんた私より年下だろうに、随分と鋭いね。無駄に年ばっか取ってて、本当のこと言っても信じない馬鹿もいるんだけどね」

 驚きながらも楽しそうな女性に、ハルは肩を竦める。

「それだけが取り柄でね。今日転職したばかりでしばらく厄介になりたい。名前はハルだ。部屋はあるか?」
「おやおや、転職か。それはおめでとう。三年ぶりってとこかな? 部屋なら空いてるよ。元々、お客さんみたいな人や巡礼に来た人の為に父親が建てた宿屋だからね。泊まる人があんまりいなくて食事提供のみもしてるけど」
「それは重畳。なら、長期宿泊で頼む。とりあえず、一ヶ月ぐらいはいると思う」

 言って、ハルは肉なりなんなりを売りさばいた金を出す。小銭袋には、大体300G程度収まっていた。

「んー、一泊5G。一月で140Gだね。食事は朝食はタダ。昼食と夕食は自前か、ここで食べるなら宿泊客は1G負けてるよ。はい、こっちは返しとくね」

 小銭袋から140G抜き出して秤で重さを確認した後、残りを手渡される。修道女に言われたとおり、他の宿と比べて三分の二程度の値段だった。
 小銭袋を懐にしまいながら、ハルは一応確認をしておく。

「親父さんは病気でか? 結構前みたいだが」
「あや、随分と聞きにくいところをあっけらかんとまぁ。そうさね。五年ほど前にはやり病でね。しっかしまぁ、よく分かるもんだね? ひょっとしたら寝込んでるだけとかありえない?」
「物の位置がな。殆どあんたが扱いやすいように収まってる。厨房はこっから見ただけでも動線が分かるし、他にも身長とか手の長さ的にな。少しばかり寝込んでるとかじゃ、あんたの好き勝手にしすぎだ。んで、この状態になるには一年やそこらじゃ無理だろ。まあ、経験込みで大体二年以上。年齢的に考えたら五・六年以内か。あんたが継ぐほどで、そんだけ長い期間があれば後は大体想像がつく。ついでに、見た感じ気にしてないというか、むしろ気にした方が嫌がられそうだったからな」

 ハルがつらつらと述べた答えに、女性は惚けたように関心をする。

「はっは~、見事だね。人を見る目もありそうだし、諜報とかめちゃくちゃ得意なんじゃないかい? っと、そういやまだこっちが名乗ってなかったね。この宿屋『小枝』亭の主人、ロゼッタだよ。そんな立派なとこじゃないけど、これからよろしくね」
「十分過ぎるさ。こちらこそよろしく頼む」

 互いのことを理解したところで、ロゼッタはハルを部屋へと案内した。ハルに宛がわれたのは、二階の一番奥の部屋。部屋の中はシンプルにベッドと机、小さなクローゼットのみ。窓からはダーマ神殿がよく見えた。
 元々、ハルは荷物は少ない。部屋に置いておけるのは少量の着替えぐらいだ。まぁ、リメイク版以降の四次元袋でもない限り、冒険者であるなら誰もがこの程度なのだろうが。

 荷物を置いて、予定通りにハルは町へと繰り出した。
 最初に行ったのは、よく情報収集の場とされる酒場。まだ夕方にも差し掛かっていないのに、冒険者風である連中が既に飲んでいた。まぁ、ハルのように毎日戦いに明け暮れる事など普通しないのだから、別段問題はないのだろうが。
 この世界の冒険者は、基本数人でパーティを組んでいる。ハルのように一人で戦っていては、命がいくらあっても足りないからだ。Lvはまちまちで、駆け出しはそれこそ5とか6などもいるが、平均的な冒険者としては8・9辺り。20を超すような者はまさしくトップクラスである。そのような者は宮仕えしていることも多々あるが、個人的理由によって冒険者を続けているような者もいるようだ。
 冒険者達は基本、こうした酒場に張り出される依頼をこなして生活をしているらしい。
 依頼内容は、簡単な雑用から、薬や道具・武具などの素材を採取してくること。町から町へ移動する際の護衛などが主である。
 ハルのように魔物の皮や燻製を売ることもできるのだが、魔物を倒す労力の割に稼ぎは少ない。依頼でもない限り、魔物退治は割に合わないのだ。

 ハルが次に向かったのは、武具を売っている店だ。ゲームでは一つの町に一つが原則であったが(アッサラームは例外として)、普通にダーマには三・四軒存在する。大きな町であるから当然と言えば当然だろう。
 ドラクエ世界と言えば、やたら武具が高いイメージがある。何故たかがひのきの棒が5Gもするのか(宿屋は一泊2Gとかなのに)。ゲームバランスを考慮した結果なのだろうが、幼心にも納得できなかった覚えがあった。
 しかし、ひのきの棒は武具屋で売られていなかった(当たり前だが)。棘付ハンマーみたいな棍棒が10Gで売られている時点で必要無いと言えばそうなのであるが。
 実際問題、魔王が現れて以降、武具の値段は上昇しているらしい。理由は素材が安価で手に入らなくなった事。鉱山などにも魔物が出現するため、護衛を雇わねばまともに取る事もできないのだとか。その分需要も増えているので、爆発的に上昇しているという訳ではないようだが。
ちなみに、ゲームほどには高くない。ハルの持っているような鋼の剣で大体1000Gほどだ。ロゼッタの宿で200日分と考えれば高いが、マッドオックス一匹が大体50程度で捌けたところから見れば妥当か。
 戦士ならば鋼の剣を持つほどになれば一流であるとされる。依頼をこなして貯めようと思っても、諸費諸々が嵩んでなかなか貯められないのが現実らしい。ハルがジパングで鋼の剣を手に入れたのは相当運が良かったようだ。
 できることなら防具を買いたかったのだが、いかんせん金がない。今の金だと、生活費だけでカツカツである。Lvも1であるし食費が足りなくなった時点でロゼッタにツケを頼まなければならないと思うと、一刻も早く外で稼げるようにならなければならない。

「……無難に雑用の依頼とかこなすか? しかしそれじゃLv上げんの遅れるしなぁ」

 夕飯を路地にあった格安の店で食べて、ハルはそのまま店の机に突っ伏していた。

 ある程度は訓練施設で頑張れば上がるだろうが、ダーマ周辺の魔物に勝てるまで上げられるかといえば無理である。
 いくら転職して能力が元より高いとはいえ、一人で戦うならばやはりLv10は必要だろう。こちらにはイヨもいないので、回復手段が教会に行って神官に頼むか、ちまちま薬草を塗って宿で休養をとるしかない。前者はただでさえ金欠なのにそれを加速するし、後者なら二・三日に一度戦闘することしかできない。魔物を倒して処理できなければ、大怪我一つで即終了だ。
 かといって、冒険者用の依頼なんかこなしていてもLvが上がるのが遅くなる。雑用など経験値が入らないし、商隊の護衛なんかでも十数人単位で雇われるから、ちまちま攻撃呪文で削ったところで自分に入る経験値がいかなものか。毎日戦ってもLv15に届くまで一年とか掛かりかねない。毎日戦ったとしてそれだから、実際そこに届くまでよほど危険な場所へ行って二年か、果ては三年か。この世界のLv平均が低いのも納得である。

「…………どうするかなぁ」

 つくづく、ジパングでは恵まれていた事を実感させられる。ヒミコにおんぶに抱っこでこれだから、自嘲の笑みすら出てくるほどだ。
 調子に乗っていたことは否めない。しかしながら、時間がないのも事実。何とかして、Lvを上げる方法を模索しなくては。

「…………ハルさん?」

 と、うんうん悩んでいたハルの耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。この町でハルが知っている者など、たかが知れている。
 果たして、顔を上げた先にいたのは見覚えのある金髪―――エベットだった。

「やっぱりハルさんじゃないですか。何だか落ち込んでるみたいですが転職上手くいかなかったんですか? あ、これからお食事でしたら、お邪魔でしたか?」
「ああいや……転職は上手くいったんだがな……」
「ふむ、何やらお困りの様子ですな?」
「うお!? あんたどっから出てきたんだっ!?」

 普通に近づいてきたエベットはともかくして、気配すら感じさせず現れたロドリーにさしものハルも驚きを示す。ハルはこれでも気配察知にはそこそこ自信があったために、思わず声を出してしまった。
 ハルの驚きを見て、ロドリーは口髭を触りながら朗らかに笑う。どうでもいいが、フォーテといいロドリーといい、教会関係者で髭を生やした人物は皆そんなに口髭が自慢なのか。それとも何だ。髭を生やしているのが偉いのか。

「はっはっは、いくらハル殿でも落ち込んでいる時に敵意無く気配を断っている者は発見できますまい。それで? 何をお悩みですかな?」
「…………あんたに会ったことだって言ってやりたいんだが……いや、金が心許なくてね」
「お金ですか? 確かマッドオックスを売り捌いて幾らか稼いでましたよね?」
「あーダメ。あの程度じゃ宿泊代で半分消えるし、食事考えたらもうな。一食3Gに抑えても一ヶ月もたん。しかしLvを上げないことには外で魔物を狩ることもできんからなぁ」

 ハルの答えに、エベットは軽く頭を傾げる。

「? でしたら危険のない依頼とかすればいいんじゃないですか? Lvが低い間はそうした依頼をして生活するものだと思っていたんですが」
「他の奴はそうらしいがな。そうするとLv上げんのに時間が掛かりすぎるんだよな。ざっと考えて一月でLv5行ったらいい方か? この辺で戦えるようになるまでいくら掛かることやら……」
「って、そんな直ぐにLv上げようと思ってたんですか!? いくら何でも無理ですよ! 一月でLv5まで上げるのだって、ハルさんが転職してなかったら絶対無理ですし、この辺りの推奨は10ですよ? Lv10まで上げるのなんか、転職した人でも二年は必要じゃないですか! それこそ、転職してない人じゃ10まで上げるのに何年も掛けるのに……」

 あまりにも常識外れなハルの発言に、エベットは声を上げずにはいられなかった。
 ハルも自分がいかに無茶な事を言っているかは理解している。そんなに簡単にLvを上げられるのなら、この世界のLv平均はもっと高かっただろう。
 だが、ハルには時間がなかった。いつ勇者が旅立つのかも分かっていない今、一刻も早く力を付けなければならない。

「……訳ありですかな?」

 静かに、ロドリーが問いかけてくる。普段はどうにもアレな人物ではあるが、柔らかく笑んでいる目の奥には、人生経験豊富な聖職者の顔が見えた。
 隠しても無駄かと、ハルは肩を竦める。

「俺には時間がない。他の奴みたいに、何年も掛けてLvを上げている訳にはいかない」
「ふむ……理由を聞いても?」
「…………惚れた奴がいる。そいつの為に、俺には力がいる。力が無くちゃ、あいつを救えない。最高四年っていう時間制限付きだ。できることなら、魔王を倒せる程に」

 ハルの言葉に、エベットは絶句する。

「魔王を倒すって……本気ですか!? あの英雄オルテガだって倒すどころか、たどり着く事もできなかった相手ですよ!?」

 絶叫するようなエベットの声に、周りがざわざわと反応した。エベットの話し相手であるハルに視線が集まり、あちらこちらで囁きが聞こえてくる。
 しまったと、エベットが慌てて口を押さえるももう遅い。

「…………場所変えるか」
「ですな。あまり目立ちたくないご様子であるし」
「……………………すいません」

 へこむエベットの頭をポンポンと軽く叩いて、ハルは立ち上がった。
 場所を変えると言っても、静かに話が出来るところなどハルには限られている。それではとロドリーが、町に設置された小さな教会へと案内してくれた。
 大きさは一軒家程度である。ダーマにはこうした小教会がいくつか造られており、町の人間の悩みなどを聞いたりしているそうだ。確かに、相談者の全部がダーマ神殿の方へ押しかけては大変な事になるだろう。中にいる神官は完全に固定ではなく、数ヶ月ごとの持ち回りだそうである。ロドリーの用事とは、このことだったのだ。
 夜になり相談時間も終わった教会内は、静かであった。

「それで、ハル殿は本気で魔王を倒せると?」

 個室でテーブルの周りに座ったところで、改めてロドリーが口を開いた。

「本気だよ。世界を救おうだなんて馬鹿げた理由じゃないがね」
「しかしながら、今まで多くの人間が挑んで成し遂げられなかったことです。その中にはもちろん、ハル殿よりも遙かに強い人物はいくらでもいた」
「分かってるさ。それでも、やれなくちゃ俺が生きてる意味がない。俺が生きてるのは、惚れた女の為だけだ」
「なるほど……」

 ロドリーは今の問答だけで納得したのか、コクコクと頷いた。話していない部分があることも分かってるだろうに、眩しいものを見るかのように、目を細める。

「見た目によらず、随分と情熱的なお方だったようですね。あなたにそこまで思われる女性と、一度お会いしてみたいものです」
「……そりゃどうも」

 実際、ロドリーはハルの思い人とは何度も顔を見ている事だろう。年に一度はヒミコの元を訪れてるわけなのだから。

「それでは、心強き悩めし人よ。僅かながらでもその手助けを致しましょう。エベット、ハル殿に付いて修行なさい」
「へ? …………僕…………ですか…………?」

 急に話を振られて、エベットが目を白黒させる。
 確かに、僧侶であるエベットが一緒ならば、ハルはかなり助かる。ハルがもしこの辺りで戦おうと思えば、最低でもLv10は欲しいところだが、回復と補助をエベットが担ってくれるのならばもっと早くそれができる。

「そりゃ助かるが……いいのか?」
「はい。もとより教会は悩める人を助け導くためにあるのです。それを見捨てては、神の御心に適う行いなど到底できないでしょう。丁度、エベットの修行にもなりますしね」
「いや! そのっ! ロ、ロドリー様僕は!」
「いいですねエベット?」
「あ…………はい…………」

 ロドリーの有無を言わせぬ笑顔に、がっくりと頭を垂れるエベット。やはり、弟子に対してはそれなりに厳しいのか。

「それではハル殿。エベットのことをよろしく頼みます。とはいっても、しばらくは神殿内の施設で鍛錬をすることになるのでしょうが。転職したとはいえ、最低でもLv5はなかったら命を落とすでしょうから、一ヶ月ぐらいは後の話ですかな?」
「…………いや、二週間だ。戦いに行けるようになるなら、別段他のことをする必要はないからな。二週間で5まで上げてみせるさ」

 不敵に笑むハルに、ロドリーは朗らかな笑い声を上げる。その脇でしくしくと涙を流しているエベットをしっかりと無視しながら。




***




「【ギラ】」

 声と共に、ハルの手から放射状の火が生まれ出る。ゲームではグループ攻撃の魔法も、こちらでは中範囲程度のものになる。
 放出された火炎放射の先にいるのは、キラーエイプが一体とマッドオックスが二体。炎に巻かれた魔物達は、揃って痛みによる悲鳴を上げた。
 だが、この程度ではまだ倒せない。ハルが剣を構え直すと同時、奇襲に猛った魔物達はハルに向かって殺到する。
 マッドオックスは直線を走らせたら速い。巨大な角を突き出すように突進してくる。まともに受けたら、無事では済まないだろう。
 魔法使いの体では避けようがない速度の突進を、しかしハルは冷静に見ながら地面を軽く蹴った。
 瞬間、景色が一気に流れる。マッドオックスから見れば、ハルが消えたかのような速度。完全に目標を見失ったマッドオックス達に向けて、ハルは手を翳す。

「【ボミオス】」
「「グモオッ!?」」

 ハルの手から生まれたのは、緑色の光。それに当てられたマッドオックス達は、ズシリとたたらを踏んだ。普段より遙かに重みを感じる体に、バランスを崩したのだろう。
 速度を落としたマッドオックス達に向けて、新たなる声が掛けられる。

「【ラリホー】!」

 唱えたのは、草むらに隠れていたエベットだった。マッドオックス達の目の前で紫色の球体が弾け、ズンとその体を横たえる。魔法による強制睡眠だ。抵抗されることもあるが、今回は狙い通り二匹に効いた。
 と、ハルは再びその場から飛び退く。横凪による風圧は、キラーエイプの右腕が起こしたもの。

「グオォォオオ!」

 ズンと重い足音を鳴らしながら、ピオリムで補正されているはずのハルの速度に、キラーエイプは付いてくる。
 その巨体に似合わない速度で繰り出された左手による平手は、違わずハルを捉えていた。ハルはそれを剣で受けるが、ハルの筋力では押し勝つ事などできるはずもない。キラーエイプの力を利用するように、ハルは自ら地面を蹴った。

「っと、【イオ】!」

 幾ばくかの衝撃に堪えながらも、ハルは体制を立て直して魔法を放つ。一直線に飛んだ光の玉が弾け小さな玉になり、それが連鎖を起こしながら爆発する。
 爆発にはその場にいた魔物全員が入っていた。眠っていたマッドオックス達は為す術もなく吹き飛ばされ、声も上げられず絶命する。が、キラーエイプはそんな衝撃など感じてもないかのようにハルに向かってくる。
 もとより、キラーエイプの体は衝撃に強い。強靱な肉体に加え、体毛が衝撃の殆どを吸収してしまう。
 ハルもそのことは承知していたが、今回はマッドオックス達を始末することを優先させた。ギラではマッドオックスに届かず、眠った彼らが起きたときに、エベットが危険にさらされるからだ。イオで少しでも牽制になればと思ったが、効果は今ひとつだった。

「ハルさん! このっ!【バギ】!!」

 エベットは最近覚えたばかりの攻撃魔法を放った。真空の刃が渦を巻いてキラーエイプに襲いかかる。

「グオオ!」
「なっ!?」

 されど、キラーエイプは怯むことなく拳をハルに振るう。傷つきながらも動きを止めなかったキラーエイプにエベットは驚きの声を上げ、ハルは狙い澄ましたかのようにその腕をかいくぐった。
 この辺りは戦闘をいかにこなしてきたかの経験則である。バギを受け、勢いを落とされた攻撃ぐらいなら、予測さえできていれば今のハルでも躱すのは容易い。
 懐に飛び込んだハルは、そのままキラーエイプの腹へと剣を突き立てた。が、力が足りていないためにその一撃は致命傷には至らない。

「グガアアアアアア!」

 懐にいるハルに向けて、キラーエイプが腕を振り下ろす。下手をすれば致命傷になりかねない拳を、しかしハルは無視して剣が突き刺さった場所に手を添えた。

「【ヒャド】!」

 キラーエイプの体内に、直接氷の刃が作られる。本来ならばそこまでの威力は無い呪文だが、過剰魔力により生み出された力はキラーエイプの体を内から完全に凍らせた。
 振るわれた腕は途中で止まり、キラーエイプは彫像と化した。
 剣を引き抜いて、ハルは刀身を確かめる。今みたいな無茶な使い方ばかりしているせいか、手入れを欠かしていないというのに、鋼の剣はかなり傷みが激しくなっていた。

「もうそろそろ替え時かもな。まあ、一応金もそれなりに貯まったし、新しいのも買えなくはないんだが」

 呟きつつ、ハルは剣を鞘に戻す。その頃には、エベットもこちらへと近づいてきていた。

「ハルさん、大丈夫ですか?」
「ん? ああ、問題ない。受けたのも一発だけだからな」
「すいません……止められると思ったんですが……マヌーサの方が良かったのかな……」

 ハルを危険に晒してしまった事に罪悪感があるようだが、ハルはその頭をポンと軽く叩いてやる。

「いや、あれでいい。マヌーサ使ったって効かなかったらそれまでだし、効いたところで勢いが変わる事はないからな。バギで勢い殺せてたから、あの攻撃を躱せた。ま、その後驚いて動き止めたのはまずかったがな。助かった。ありがとう」
「あ……はい!」

 礼を言われ、エベットはいつもの笑顔を浮かべる。前向きなのも、この少年のいいところだ。
 エベットと共に戦うようになって三ヶ月。ハルはLv13。エベットはLv12まで上がっていた。最初の頃こそエベットは辿々しい戦い方で、ハルも危険な目に何度もあったが、ここ一ヶ月ぐらいは非常に安定して戦えている。ハルの方がLvが高いのは、前線にいて敵の攻撃に晒されているか、後ろで援護しているかの差である。

「ハルさん、戦いの組み立て上手ですよね。相手の動き読んだりとか、有利な状況作ったりとか。状況判断とかほんと一瞬ですし、僕もそれだけ動けたらなぁ」
「まあ、そうしないと間違いなく死ぬからな。状況判断は経験だよ。お前だって、最初に比べたらだいぶ早くなってるしな」
「そうですかね……うん、でもこんな短期間でLv5も上げられるとは想像もしてませんでした。もう一度同じことやれって言われたら絶対拒否しますけど……」

 後方で援護しているだけでも何度か死にそうな目にあった最初の頃を思い出し、エベットは苦笑する。ハルも同じように苦笑を返して、とりあえずマッドオックスを処理しようかと足を向けた。
 と、少し離れたところから爆発音らしきものが耳に届く。

「…………誰か戦ってるんですか?」
「……みたいだな。少し見に行くか?」
「ちょっと体力的にはきついかも知れませんけど、危なそうなら手助けするべきですよね?」

 聖職者らしい答えに、ハルは軽く肩を竦めて了承の意を示した。二人は周りを警戒しながらも、戦闘音がする場所へ向けて移動する。
 果たして、そこでは魔物と戦っている者達がいた。
 三人の冒険者達。装備を見る限り、構成は戦士、盗賊、魔法使いか。戦っている相手はスカイドラゴンである。

「……珍しいな。こんなところにスカイドラゴンがでるか。あれの生息地はもう少し北東の山手だった筈なんだが」
「ガルナの塔近くにも出ますから、そっちから流れて来たのかもしれませんね」

 茂みに隠れつつ、ハル達は戦闘の様子を眺める。優勢なのは冒険者達だ。
 おそらくはそこそこLvが高い。装備も一般的な冒険者よりも質が良さそうである。

「離れろお前ら! 【イオ】!」

 魔法使いの男の声に合わせ、戦士と盗賊が飛び退く。直後、スカイドラゴンに爆発が襲いかかった。

「クギュオオオ!」

 ボロボロの体に衝撃を受け、スカイドラゴンが叫びを上げる。そこへ戦士と盗賊が飛びかかり、双方の武器を突き立てた。

「クオオォォォオオオオオ!!」

 断末魔。耳を劈くような声を上げ、スカイドラゴンが地に伏せる。完全に冒険者達の勝利だった。

「ま、一対三ならスカイドラゴンでもあんなもんか」
「ですね。ハルさんならどうですか?」
「んー、まだ一対一ならきついかもしれんな。お前がいりゃ何とでもなるが」
「えへへ……ありがとうございます」

 ハルからの信頼に、エベットが嬉しそうに笑む。相変わらず、無駄に女性陣に人気が出そうな顔だ。

「んじゃ、帰るか。さっきのマッドオックスはもうやられてそうだしな」
「ちょっと勿体なかったですね。仕方ないかもしれないですけど」
「まあ、一日ぐらい稼ぎが無くても大丈夫だ。お前のお陰で結構貯まって……ん?」
「? どうかしたんですか?」

 ハルが何かに気付き声を上げ、エベットがそちらを振り向く。二人の視線の先では、先ほどの冒険者達がなにかを見つけたようだった。

「あれは……スカイドラゴンの子供か?」

 目を凝らしてみれば、倒れたスカイドラゴンの肉体にまとわりつく小さな影が見えた。
 なるほどと、ハルは推測する。おそらく、あのスカイドラゴンは子育てのために生息地を離れたのだろう。この辺りは人が入ってくることはないし、キラーエイプなどの強めの魔物が少ない。
 どうやら、冒険者達はその子供も殺そうとしているようだった。
 仕方の無いことではある。あの子供が大きくなったとき、人を襲わぬとも限らない。いや、ほぼ間違いなく襲うだろう。たとえ人里から離れた所へ行ったとしても、親を失った子供が生き残れる筈がない。他の魔物に襲われたら、結局同じ道を辿ることになる。
 弱肉強食。特にこの世界では強い摂理だ。
 スカイドラゴンの子は、もはや動かぬ親の体を揺らしながら鳴き声を上げていた。その声を聞きながら、戦士らしき男は顔に笑みを浮かべ剣を振り上げる。

「……あーったく」
「え? ハルさん!?」

 髪を掻き上げるように頭を掻きながら、ハルはその場所へ向けて歩き出した。いきなり行動したハルに驚きながら、エベットが慌てて付いてくる。
 冒険者達は、突然現れたハル達に動きを止めていた。

「何だお前ら?」

 剣呑そうに言うのは、盗賊風の男だ。明らかにハルを警戒している。折角仕留めた獲物を横取りするつもりかと思っているのか。
 いつでも動けるように相手が身構える中、ハルは軽く手を挙げる。

「いやなに、大した事じゃないんだがね。親はともかくして、そんな小さい魔物殺したって何の徳にもなりゃしないだろ? 経験値にもならんことだし」
「はぁ? 何言ってんだお前? 魔物何だから殺されて当然だろうが」

 魔物であるから、それは人間の殆どが持つ共通認識であろう。ハルとて、Lvを上げるために数多くの魔物を殺してきたのだ。彼らを責められる立場ではない。

「ま、そりゃそうだけどな。ただの気まぐれだよ。俺の顔に免じて、逃がしてやってくれないか?」
「何でてめえの顔に免じなきゃなんねぇんだよ。どこのどいつかも分からん奴に。それに、こんな小さい奴でもスカイドラゴンだぜ? こいつの剥製がいくらで取引されてるのか知ってるのか?」

 この世界には、魔物の剥製をコレクションしている好事家が存在している。スカイドラゴンはそれなりに見栄えのする強力な魔物だ。ハルも、大体の金額は把握している。

「そのちっさいのでも200ってとこか? 傷が少なけりゃそれぐらいはいくだろうな」
「はっ、分かってんじゃねぇか。じゃあ逃がすわけないよなぁ?」

 凄む男達に、ハルは威圧された風でもなく肩を竦めた。そして徐に、腰の剣を取り外す。

「じゃあ、この剣と交換してくれ。かなり使い込んでるが、一応鋼の剣だ。売れば、400にはなるだろ」
「は、ハルさん!? そんな! それずっと使ってきた剣じゃないですか!」

 ハルの言葉に、エベットと冒険者達は目を剥いた。鋼の剣は、特に戦士にとっては憧れの一品である。それを抜きにしても、400Gという大金が降って沸いてきたのを驚かない訳がない。エベットにしてみたら、魔物の子供一匹助ける為に自らの愛用の武器を手放すなんて、馬鹿げてるとしか言いようがない。

「そっちの親の死体は好きにしても構わん。なら、これで十分すぎるほど元は取れてると思うが?」

 言われて、冒険者達の目に思案の色が浮かぶ。ハルがなぜ魔物の子供なぞ助けようとしているのかは分からないが、こんなおいしい話はない。

「本気なら、その剣を寄越せよ。それが本当に鋼の剣なら、考えてやらなくもないぞ?」

 盗賊が嫌らしい笑みを浮かべ、手を差し出す。ハルは何も言わず、男に剣を手渡した。
 盗賊は剣を戦士へと渡し、検分させる。剣を抜き刃を見て、戦士が頷くと、盗賊はさらに嫌らしく笑った。

「へっへっへ、じゃあこれはありがたく頂戴してやるよ。ところで、考えてやるとは言ったが、逃がしてやるとは誰も言ってないよな?」
「そんな! ハルさんは約束守ったじゃないですか!」

 盗賊のあまりにもありきたりな台詞に、エベットが抗議の声を上げる。ハルとしては、割と予測していただけに、軽く目を細める程度だった。

「てめぇらの有り金全部出したら、命だけは助けてやってもいいぜ? なぁ、魔物を庇ったなんて人間の裏切り者。殺されても文句は言えねぇだろ?」
「なっ―――――――!?」

 こちらに向かって威圧的に戦闘態勢をとる冒険者達に、エベットは絶句する。ハルはメインの武器もなく、人数的にも不利な中で、ただ黙って手を前に向けた。

「……折角穏便に済ませてやろうとしてるのにな」
「何だと?」

 ハルが何かを仕掛けてくると見て、今にも飛びかかろうとしている戦士と盗賊。だが、魔法使いだけがその顔を青ざめさせた。

「ま、待て! なんだその魔力量は!? 中級魔法の比ですらないぞ!? というかお前まさか、魔法使いなのか!?」
「ああ、分かるか。身の程知らずなりに、それぐらいの実力はあったんだな」

 事も無げに言うハルと、魔法使いが上げた声に、戦士と盗賊もまた顔色を変えた。
 魔法使いが見たのは、上級魔法に届く魔力が凝固していく過程。ありえないという思いと共に、自分では絶対に成し得ない行為がそれを否定させてくれない。
 即ち、目の前にいるのは自分が足下にも及ばない相手だと。

「な、何で魔法使いがこんな剣なんか持ってやがる!?」
「ちっ、そんなの撃たれる前にやりゃあ……」
「待てお前ら! あ、あいつあの魔力量の凝固に10秒も掛かってないぞ! そ、速度が違いすぎる! 動いた瞬間に撃たれるぞ!?」

 驚愕する冒険者達を、ハルはあくまで冷めた目で見つめていた。もはや、その存在などどうでもいいように。
 魔法使いの言葉が、ハルの態度が、冒険者達の動きを止める。完全に、この場はハルによって支配されていた。

「イオナズンか、ベギラゴンか、マヒャドか。好きなのを選べ。どれでも大して結果は変わらん。まぁ、一番綺麗に死体が残るのがマヒャドか」
「「「ひっ!?」」」

 国家レベルでももはや殆ど聞くことがない上級魔法の羅列に、冒険者達は顔を引きつらせた。既に魔法使いは腰を抜かし、地面へ座り込んでいる。

「最後通告だ。その剣はくれてやる。今すぐこの場から消え、ここでの事を誰にも言わなかったら、命だけは助けてやろう。貴様らの顔を見るのももはや不愉快だ。街に帰ったとき、俺の悪い噂が立っていたら、探し出して殺してやる」

 それが、決定打だった。
 もはや分け目もなく一目散に戦士と盗賊は魔法使いに縋り、ルーラを要求する。魔法使いは恐怖に震えた体で何とか魔法を作り出すと、三人そろって光に包まれ飛んでいった。
 その姿を見届けた後、ハルはため息を吐いて魔力を掻き消す。そしてどっかりとその場に座り込んだ。

「あ”ーくそったれ。もう魔力残ってねぇよ馬鹿野郎」
「ハッ、ハッ、ハルさん! 何でこんなことを! あと少しで危ないところだったじゃないですか!」

 ハルが魔力を放出して以降、後ろで完全に固まっていたエベットが抗議する。ハルは面倒そうに頭を掻きながら、またため息を吐いた。

「何となくだよ何となく。お前だって、魔物とはいえ何の罪もない子供が殺されるのは嫌だったろ?」
「そ、それはそうですけど……でも、あの人達が言ってたことだって間違いじゃないですし……」

 今回ハルが動いたことで、確かにこのスカイドラゴンは助かっただろうが、もしこれが大きくなったときに、人を襲うのは間違いない。その時に死人が出てもおかしくないのだ。
 ハル自身、これが単なる偽善だというのは分かっている。だが、だからどうしたというのだ。ハルが惚れたのは、その魔物よりももっと強大な存在なのだ。彼女に言わせれば、人間と魔物の命の重さなど比べるまでもない。きっと、平等に慈しむことだろう。
 ハルは魔物の命を奪って強くなってきた。それは確かな事実である。しかし、あくまでも対等の立場で奪い合って得たものだ。こちらにも命の危険があり、向こうにも命の危険がある状況下で戦ってきたのである。
 否、結局は全て言い訳か。しかしながら、何も関係あるかとハルは思う。自分は、自分の好きなように命を助けただけなのだ。今この場は、それだけでいい。

「ま、何が起こったってなるようにしかならんさ」
「もう……楽観的なんですから……さっきのだって、あのハッタリ魔法で逃げてくれなかったら死んでたかもしれないのに……」
「あーあれな。あれは大丈夫だろ? 魔法使いがいるから分かるようにしてやったし。ああいった連中は自分の命守るのに必死だからな。十中八九逃げると予測してた。お陰さんで、残ってた魔力殆ど使っちまったけどな。あ、ルーラ一回ぐらいならできるぞ?」

 放出と凝固だけならば、収束魔法の訓練をしているハルにとっては造作もない。入式するとなると難易度が跳ね上がるので、もし上級魔法を覚えていても、先ほどの速度のまま撃てるとは到底思えないが。
 加え、ハルはあの魔法使いが一度魔法を使ったのを見て、大体の実力を把握していたのだ。あれでは、ようやく基礎魔法の過剰ができるかどうかといったレベルだろう。勝算は十分にあった。
 あくまでも軽いハルに、エベットはため息を吐いた。もっとも、この三ヶ月の間でハルの性格は大体把握しているから、仕方ないと諦められたが。
 それに、ハルの分析と状況判断に関しては、エベットは全幅の信頼を置いている。エベットはロドリーのお供で、どこぞの国の実力者も何人か見たことがあるが、ハル以上にそれができる存在は知らなかった。

「さて、帰るか。剣も新調せんといかんしな」
「そですね。あーあ、貯まったお金殆ど使っちゃうんじゃありません? またお金無いって困っても、僕は知りませんよ」
「その時はその時だな。まぁ、またマッドオックスあたり狩って凌ぐとするさ」
「クウウゥ」

 と、二人は近くから聞こえた鳴き声に目を向けた。見れば、先ほどのスカイドラゴンの子供が二人の元へと近づいて来ている。

「なんだ、お前まだいたの? ほれ、さっさと逃げな。せいぜい頑張って生きろよ。でっかくなって俺の前に出たら、殺すかもしれんけどな」
「またそんなこと言って……いや、ほんとにするんでしょうけど……」
「クウウゥゥゥウウ!」
「うお!? 何だ、今やるのか!?」

 シッシッと、手を振るハルに向けて、スカイドラゴンの子供が飛び込んできた。体当たりをするように、しかしぶつかった後は体をハルに擦りつけるように動いている。

「……………………ハルさん。懐かれたみたいですけど?」
「………………………………おう、これは予想外だった」

 本来なら黄金色の体をしているスカイドラゴンの子供は、まだその色は薄らとしていて、顔も小さい。鱗もどちらかといえばむしろ柔らかく、その体温が服ごしに伝わってきた。

「あー、おい、分かってるか? 俺はお前の親殺したのと同じ種族だぞ?」
「クウゥウ?」

 剥がすように持ち上げて、顔を合わせて言っても、スカイドラゴンは軽く頭を傾げて何を言っているのかといった風だ。
 スカイドラゴンはそのままクルリと視線を動かす。その先には、冒険者達が置いていった母親だか父親だかの死体があった。

「クウウウウウ!」
「…………ああ。ったく、仕方ないな」

 本来なら捌いて素材にしてしまうのだが、さすがのハルも子供の前でそれは憚られる。
 疲れている体を無理に動かしてずるずると円を描くと、その中心の地中に向け直接エベットにバギを唱えさせた。エベットの魔力制御訓練にもなり、延々と穴を掘る必要もなく、一石二鳥である。
 地中にいきなり出現した真空の刃は、密度に耐えられなくなったか形を崩し、土を空へと巻き上げた。結果を予想して隠れていたハルとスカイドラゴンの子はともかく、当然、上にいたエベットは悲惨なことになったが。
 エベットの非難の視線を背に、ハルはスカイドラゴンの死体をできた穴の中へと入れ、吹き飛んだ土砂をかぶせる。最後に、墓石代わりにポンと大きめの石を載せてやった。

「……これでいいか?」
「クウ!」

 ハルが聞くと、スカイドラゴンはまるで言葉が分かるかのようにグルグルとハルの周りを飛んだ。
 そして墓の前へと行くと、空を見上げて一声鳴く。

「クウウウゥゥゥゥウウウゥゥゥゥゥ……………………」

 それは、親に向けた最後の言葉だったのだろうか。スカイドラゴンの言葉を知らないハルには、何なのか分からない。
 こういった魔物は、野生動物と同じだ。自然の摂理の中において生き、その中で死んでいく。今は、バラモスの魔力によって凶暴性が高められているが、本来ならば天上の神が人間と同じように作り上げた存在なのだ。
 ヒミコに出会い、ゴウルに学び、ハルはそのことを知っている。おそらくは、殆どの人間が理解できないことだろう。
 しかしだ。いつの日か、バラモスが倒され、この世に平和が訪れたなら、向こうの世界の動物達と同じように共存していくこともできるのではないだろうか。
 どこかの世界を救った勇者が、魔物達の中で育ったことのように。
 きっと、そういった世の中こそ、ヒミコが望む世界なのだろう。

 ハルは、そこまでたどり着けるのだろうか。

「……ん? もういいのか?」
「クウ!」

 鳴き終え、スカイドラゴンはハルの近くへ再びやってきた。しかしながら、どうしたものか。

「…………一緒に来るつもりなんだよな?」
「クウ!」
「…………………………どうするんですか? 今は大人しそうですけど、連れて行くと大変だと思いますよ?」

 エベットに問われ、ハルは頭を掻いた。別段望んだ訳ではないのだが、これはこれでいい機会だったかもしれない。いずれ、必要なことでもあったのだ。
 ハルは近くで浮かんでいるスカイドラゴンの頭をポンと軽く叩く。

「んじゃ、俺の初めての配下にしてやろう。それでいいか?」
「ク? クウ!」
「いや配下って……魔王じゃないんですから」

 ハルの言いぶりに、エベットは呆れたように言う。しかし、ハルは巫山戯る訳でもなく、意味深な笑みを浮かべた。

「だったら、どうする?」
「…………え?」
「もし、俺が魔王になるために魔王を倒そうとしてるんだったら、お前は俺を殺すか?」
「何ですかそれ……? 冗談……ですよね?」
「さあな」

 突き放したように言うハルに、エベットは眉を顰め思考する。
 なぜ彼がそんなことを言うのか。そもそも、これは冗談じゃないのか。今、スカイドラゴンを配下にするというのは、本当に魔王になろうとしているからなのか。
 考えて、エベットは結論に達する。


「どうでもいいです」
「へぇ? 俺が魔王だろうが何だろうが、どうでもいいと?」
「そですね。だって、ハルさんですよ? 冷静に凄い無茶ばかりして、自分の気に入らない相手がどうなろうが関係ないって言うような人で、そのくせ好きな人の為に命を賭けられるぐらい情熱的で、魔物だろうが何だろうが思ったように助けちゃうようなお人好しのハルさんですよ? そういう時のハルさんが本気なのは知ってますし、そんな人が魔王になった程度で変わるわけないです」
「…………」

 エベットとは、出会ってまだ半年も経っていない。共に過ごした時間ならイヨやゴウルの方が圧倒的に上だ。この二人は、事情にも精通しているし共犯のようなものである。
 しかし、人懐っこいこの少年は、何も知らないままにあっさりとハルのことを信じてしまう。人の敵になると、宣言しているようなものなのに。

「あ、でもハルさんが魔王だったら滅茶苦茶で楽しそうですね? その時は僕も配下にして下さいよ。で、ハルさんの住まいの近くに教会建てて貰って、ハルさんの相談事にのるんです。楽しそうじゃないですか?」

「―――――――っ!」

 エベットが本当に楽しそうに言うので、思わずハルは口元を抑えた。しかしそれでも、くっくっと笑いが出てくるのを止められない。

「あー、何笑ってるんですかー! ハルさんがそんなこと言うから、僕も言っただけなのに!」
「いやっ、ククッ、じゃあエベット、お前は俺の二人目の配下だな。俺が魔王になるまで、その席はずっと空けといてやる」
「ふふん、約束ですね?」
「ああ、約束だ」
「クウウ!」

 二人して楽しそうに笑ってるのを見て、スカイドラゴンが存在を主張するように鳴く。

「ああはいはい。覚えてるよ。そういや、なんか呼び方考えんとな」
「クウ?」
「あ、いいですね。ジョルジュマッハとかどうですか?」
「……いやお前それどっから出てきたんだよ? ねーよ」
「む、じゃあハルさんはどんなのがいいですか?」
「そうだなぁ……」

 言われて、ハルはスカイドラゴンを見る。

「クウ?」
「…………もうクウでいいんじゃね?」
「クウ? クウウ!」
「えー? ないですって絶対。ね、ジョルジュマッハの方がいいよね?」
「……クウ?」
「そ、そんなぁ……」

 明らかなる反応の差に、エベットは打ち拉がれたように膝をつく。ハルは心底どうでもよさそうに頭を掻いて、フヨフヨと浮かぶクウの頭に手を載せた。

「よし、じゃあクウ。帰るぞ」
「クウ!」
「絶対ジョルジュマッハの方が格好いいのになぁ……」
「……エベット、アホなこと言ってると置いてくぞ?」

 未だにブツブツと呟いているエベットにため息を吐いて、ハルはルーラの呪文を唱えた。






[29793] 新米魔王船旅中
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2012/10/14 18:38
一章 六話 新米魔王船旅中


「帰る?」
「ええ。三日後には出発する予定です」

 クウと共に帰って、一週間ほど経った夜のこと。買ってきた夕食を小教会で取っている最中に、ロドリーが話を切り出した。

「あぁ、そっか。そういや持ち回りなんだよな?」
「はい。二日後には交代の神官が来ますから、引き継ぎをして次の日に」
「なるほどな……」

 呟いて、ハルはちらりと視線を動かす。

「クウ、こっちのも食べてみる?」
「クゥ? クウ!」
「ああほら、そんな慌てなくてもあげるから」
「クウウ♪」

 視線の先には、仲良く食事をしている一人と一匹の姿があった。たかだか一週間の付き合いであるが、その様子はまるで兄弟のようである。

「……心配、ですかな?」
「ん? ああいや、寂しがるだろうなとは思うがな。仕方ないだろ。まあ、クウが普通に出られるのはここか宿の部屋ぐらいだからな。その一つが無くなるとなると少しばかり窮屈になるなと」
「いくら子供といえど、魔物ですからな。町の人間に見られる訳にはいきますまい。私も、あの光景が見られなくなるのは残念でなりません」

 二人の様子を見ながら、ロドリーは優しく微笑む。

「あれこそ、この世界の可能性ではありませんか。魔物と人間が仲睦まじく暮らすなど、命を奪い合わなくていいなど、なんと素晴らしいことでしょう。私たちは魔物と戦わねばなりません。それは自分の大切なものを守るために。自分の命を守るために。誰かを守るために。自然の摂理の中で、それは仕方のないことかもしれません」

 人が他の生き物の命を奪い生きていくように、魔物とて何かを奪わなければ生きていけない。人は魔物の肉を喰らうし、魔物は人の肉を喰らう。それぞれが死して相手の糧となり、またその相手が死して何かの糧となり、世界は回っていく。それが自然のサイクルなのだ。

「ですが、今の世は魔物はただ凶暴化し、喰らう必要のない者を殺し、人はただ相手が魔物であるならば殺します。神の創られた世界は、そのような血で血を洗うような地獄では無い筈なのです。そう、たとえば今のエベットとクウのように、認め合い共に生きていく事ができる筈なのです」
「…………」

 ヒミコは、ヤマタノオロチとして何人もの人間を殺しただろう。それは、互いに憎しみあっていた訳でなく、ただの魔物と人として。
 彼女がそのことを悔やんでいることはないと思う。襲われたのならば、互いの尊厳を守るためならば、必要な戦いであったのだろうから。
 ヒミコとて、誇りを持って、または大切なものを守るために戦いに挑んだ人間を殺して、哀れだと思うことはないだろう。哀れに思うのは、その人間の思いを汚すことだからだ。
 ただ彼女が悲しむのは、必要のない命が奪われること。尊厳を尽く汚し、悲しみを生み出す為だけに殺される者が、哀れでならないのだろう。それは、その者の存在を否定することである故に。

「いつか、この世界が平和になったなら。あの二人のように生きていけたら、神もきっとお喜びになるに違いありません。願わくば、そんな世の中が訪れるようにと、思わずにはいられないのです」
「…………そうだな」

 ハルは、この二人に会えたことが幸運であったと思う。


 ここに可能性が見えたから。

 ヒミコが悲しまずに住む世界の光景が、少しだけ見えたから。

 悲観的な思いなど持つ必要は決してないと、確信できたから。


 エベットだけではない。魔物を意味もなく敵対視しない、このロドリーという男と出会えたのもハルにとって大きい収穫であった。
 これであの暑苦しい祈りと、同じく暑苦しい慈悲の心がなかったら、まさしく完璧なのだが……世の中、ままならぬものである。
 一つ苦笑し、いつまでも湿っぽく話していても仕方ないと、ハルは適当に話題を変えることにした。

「そういや、特に聞いたこと無かったがどこに帰るんだ?」
「アリアハンですよ」

「…………………………………………………………マジで?」

 事も無げに返ってきた答えに、思わずハルは問い返してしまった。いくら何でも、そんな都合のいいことがあるものなのか。何だ、これがご都合主義とかいうやつか。

「どうかしましたか?」
「いや……あー、ちょっと待ってくれ……」

 ハルは少しばかり混乱してしまった頭を冷やす。
 ご都合主義だろうが何だろうが、別に構わない。今重要なのは、アリアハンに、勇者の元に行ける手段が目の前にあることだ。

 迷う必要など、どこにもないだろう。



「なぁ、俺も一緒に行って構わないか?」




***




「アリアハンにねぇ……ま、元々転職した始めの内だけ面倒見るのが普通だし、Lv10越えても残ってたのがおかしいぐらいだったからね。しっかしホント、あんたみたいに生き急いでる人ってなかなかいないよ?」

 宿に帰り、ロゼッタに出て行く旨を告げたところ、彼女は呆れたように笑いながら言った。

「性分だからな。今更変えようがないさ。まあ、目標を達成して嫁でも貰えば落ち着くんじゃないか?」
「あはははは、あんたの嫁になるような人は大変だねぇ。いい嫁さん貰うためにも、精進すればいいさね」

 世話になった分、急に出て行くことに少しばかり罪悪感があったのだが、まるで気にしていないサバサバした彼女の性格をハルはありがたいと思う。
 また次に来ることがあれば、利用させて貰うとしよう。

 部屋に入ったところで、大きい物に買い換えた荷物袋の封を開ける。町中で窮屈な思いをしているせいか、こうするといつもクウが飛び出してくるのだ。

「クウ!」
「ん、お疲れさん。これから部屋片付けるから、ちょっとその辺で遊んでていいぞ」
「クウゥー♪」

 許可を出されたクウが、部屋の隅に置かれたボールに飛びついた。しっぽ(体?)の先でコロコロ転がしながら、動くボールを追いかけている。
 町中では動かしてやれないので、2Gで買った物なのだが存外にお気に入りのようだ。
 ああしているとまるっきり犬か何かに見えるよなぁと思いながら、ハルは荷物の整理をし始めた。
 整理といっても、ハルは殆ど物を買っていない。日中はほぼ外にいるし、必要な物以外を買う事なんて無いので、あるのは精々装備の手入れ道具ぐらいだ。今日も今日とて、戦ってきた装備の傷みをできる限りとってやる。剣の刃の調子を調べ、攻撃を受けた鎧の裏側に緩衝材を張り、傷の様子を見る。さすがに何日かに一度は武具屋に見て貰っているが、自分にできることは自分でやるのがハルの流儀だ。
 一通り装備の手入れを終わらせたら、荷物袋に物を詰めていく。ものの10分ほどで整理は終わり、軽く部屋の掃除をして、ベッドに腰を下ろした。

「…………この世界で最も神の力が強い地域。精霊の加護を持つ勇者が生まれた場所か」


 なぜ、圧倒的な力を持つ魔王が、未だに人間を滅ぼせていないのか。

 バラモス、ボストロール、そしてヤマタノオロチ。これらは、単騎でも一国を滅ぼせるほどの力がある者達だ。
 Lvが低い人間の攻撃など、紙で顔を撫でるほどにも感じない。その手の一振りで十数単位の人間を殺害できる。相手になるのは、国でもトップレベルの数人のみで、それすら大人と子供の戦いだ。
しかし、彼らは決してその力を持って国に攻め入ることを許されない。それぞれの国に、神の結界が存在しているが故に。
 神の結界内では、闇に由来する力を持つ者は尽く封じられる。力が強い者ほど結界は強く作用し、その力を削ぎ落とす。
 ゾーマがこの世界とアレフガルドを繋いだとき、強大な力によって無理矢理結界はこじ開けられた。故にギアガの大穴の周辺、ネクロゴンド一帯の結界の力はほぼ無いに等しい。
 結界とは網のようなもの。結界の力が弱いところほど網の目は大きく、力ある魔物が通ることができる。ゾーマがこちらの世界に来ることができないのも、ギアガの大穴に開いた穴を通ることができないからだ。
 さらに、バラモスは上の世界に来たときゾーマを裏切った。崩壊寸前の結界を、自らの魔力で補強したのである。なぜバラモスがゾーマを裏切ったのかはヒミコ達も知らないそうだが、バラモスの結界が無ければ今頃ゾーマがこちらに来ていてもおかしくなかったらしい。
 神の結界の力を保つのは、人々の希望や夢など、陽の力である。故に、ヒミコやボストロールは、限界までその力を封印し、自身を弱小まで追い詰めて各国のトップと成り代わった。じわりじわりと、人の心を絶望に満たすために。
 ボストロールは圧政、ヒミコは自身に生け贄を捧げさせることによって、それぞれの国の結界の力はもうかなり弱くなっているらしい。
 そして、アリアハン周辺に強い魔物が出ないのは、勇者の存在によって人々の心の希望が大きいからだという。

 見れば、未だにクウはボールで遊んでいた。
 本来ならば、魔物であるクウは町に入れない筈である。特に、ここはダーマ。世界で唯一転職を可能とする始祖信仰の聖地と呼ばれる場所だ。地域の結界の力は多少弱体化しているとはいえ、町自体に掛かっている力は、アリアハンに勝るとも劣らない。
 クウがなぜ町の中に入ることができたのか。生まれたばかりで闇の力が浸透していないからか。それとも単純に力が弱すぎるせいなのか。一応結界を通るときに魔力を分析しようとしているのだが、まだ分からない。

「勇者のことも気にはなるが……世界で最も強い結界が残る大陸……何か掴めればいいがな……」

 一寸先は闇。まだ、ハルは何も為していない。どうすれば魔王になれるのか。どうすればヒミコを救えるのか。
 何もない空間に向かって、見えないものを掴むように、ハルは手を伸ばした。




****




 ルーラという魔法は、一度訪れた事のある町へと飛ぶ呪文である。ゲームをやってるときは便利な魔法だなという程度の認識しかなかったが、実際にあるともはや便利程度の言葉の範疇には到底収まらない。
 ゲームでは戦闘込みでたかだか十分そこそこの距離が、実際に歩くと一週間以上掛かるのだ。それがルーラを使えばものの五分で着くとなれば、どんな魔法よりも優れているんじゃないのかと思わずにはいられない。

 しかしながら、やはり使うには色々と制約があった。

 まず、この魔法は一度訪れた町へ移動するものではない。ルーラには対になる魔法【トーチ】が存在し、それによって“目印”を設定しなければならない。
 ようは、磁石のような魔法なのである。ルーラが受け持つのは、使用者が望んだ範囲に空気の層を作り物体の重みを無くし浮力場を生み出し、さらに風圧に対する壁を作ることと、あらかじめ決めておいたアンカーを作動させること。信号を受け、設置されたトーチの魔法が作動し、あたかも磁石のように使用者を引き寄せる。これがルーラの全貌だった。
 つまりは、思い描いた場所に飛ぶような曖昧で便利な使い方はできないし、戦闘中にルーラを使って敵の後ろに移動なんて行為は実質不可能なのである(数あるトーチを選んでいる内に行動した方がよほどいい)。
 確かにトーチの設置さえすればどこへでも飛べるのだが、ジパングへの移動ができると思っていたハルにとっては、少々落胆せざるを得なかった。
 そんなこんなで、以前使った波止場まで行くのには、再び馬車で移動しなければならなかったのである。途中で魔物に襲われることが殆どなかったために、10日掛かった行程が7日で済んだのは助かったが。

 波止場には、ロドリーの交代の神官を乗せてきた大型の船が停留していた。教会に雇われている彼らは元々アリアハンの出身で、ロドリー達を乗せて帰り休暇に入るらしい。
 波止場の入口にトーチを使い、ハルは船に乗り込んだ。これから約二週間ほどは、船上の人となる。


「クウー」
「クウ、不安? 初めて遠くに行くんだもんね。でもほら、ハルさんもいるし、僕もいるし、これから行くところは他と比べても平和だから安心していいよ?」
「クウ!」

 クウとエベットが船内の部屋で話をしている。生まれて間もないクウは、やることなすこと初めてのことばかりだろうが、やはり誰かと一緒だと落ち着くらしい。
 ハルも客人扱いとされ、エベットと同室を割り当てられた。ロドリーはさすがに別だ。

「……船旅っつっても、やることなくて暇だよな」
「まぁ、魔物が出ても大抵船乗りの方々が退治してしまいますしね。よほど大量の魔物が出たりしない限りは手伝いも必要ありませんから。というか、ハルさん魔力いじるの止めてくださいよ」

 話している間、コロコロと手の中に魔力を作り出していたハルに、エベットが文句を言う。

「ん? おお、いやこれ最近できるようになったんだよ。今更ながらにランドってすげーわ。普段あんな冴えない顔してんのになぁ」
「え? いやまぁ、ランド様は教会でも三本の指に入るほどの魔法の使い手ですから……むしろ魔法使いになって四ヶ月経ってないハルさんが同じことする方が常識外れだと思います……それより、僕の言葉ナチュラルにスルーしましたね……」

 ハルが行ったのは、一番最初にランドに見せられた純魔力の多重凝固である。いとも簡単にランドは行っていたが、これがなかなか難しい。
 そも魔力というのは拡散する性質がある。放出した魔力を一つの塊にするのは誰でもできるが、それを二個・三個と分けて塊にするのは極端に難易度が上がる。分けることもさながら、分けられても一個を凝固させている間に他のものが霧散してしまうのだ。
 よって、全てを同時に制御しなければならない。魔力の制御を集中しなくても行えるのが最低条件だ。手を動かすように、物を見るように、肉体を動かすのと同じレベルで魔力を扱えなければ不可能なのである。
 ハルが現在できるのは二個の多重凝固まで。同時に入式することはまだできない。この辺りの技術はLvと関係無いため、もし数多くの魔法を同時発動させられたなら、ハルも高位の存在と渡り合えるのではないかと考えていた。

「そういや、教会で三本の指に入るって、ランド以外の二人って有名なのか?」

 未だに魔力を練り合わせて遊びながら、ハルはエベットに質問した。自分の抗議が無視されたことにため息を吐きながら、エベットはそれに答える。

「有名ですよ? というか、ハルさんも会ったじゃないですか。フォーテ大神官がその内の一人です。上級魔法も使えると聞いてます」
「ほー、さすがは大神官ってとこか」

 ハルは別に先達を敬っていない訳ではない。先達が築いてきたものがあるから今があるのであって、フォーテを始め、ロドリーらには一応の敬意を払っている。普段の態度が態度だけに、あまりそう思われていないかもしれないが。

「後の一人はランシールの聖女様ですね」
「聖女?」
「はい。僕はお会いしたことはないんですが、まだお若いのに凄い回復魔法の使い手だそうです。とても美しく慈悲深い方で、ランシールの方々から聖女と呼ばれてるんだとか。エルミナ様と仰るそうです」
「ふーん」
「なんて興味のなさそうな返事……聞いたのハルさんのくせに……」

 落胆したようなエベットに、ハルは肩を竦める。実際に興味のないものはどうしようもない。いずれは会うこともあるかもしれないが、今のところは接触する必要も感じない。聞いておいて損はしないであろうが。

「クウ」
「ん? 腹減ったか? なんかあったかなぁ?」
「もう……適当にパンと果物貰ってきます。クウも、それでいいよね?」
「クウ♪」

 クウの返事を受けて、エベットが部屋を出て行く。
 船旅は順調。アリアハンへは何の問題もなく着けそうであった。




***




 それは、瞬間的に訪れたものではなかった。
 船が出て10日。いつも通り、ハル達は食事をし、部屋の中で思い思いに過ごしていた。
 最初に気付いたのはハル。なにやら甲板の方に妙な気配を感じ、上を見上げる。

「…………魔物か?」
「え? 何か聞こえました?」
「クウ?」

 続いて、クウとエベットが騒がしい音に身を緊張させた。

「いつものかもしれませんが……一応準備はしておいた方が良さそうですね」
「だな。ちょっとばかし体動かしとけ。急だと思ったように動かんからな」
「クゥゥ」

 動き始めたハルとエベットに、クウが不安そうな声を上げる。親が死んだときの事を思い出したのだろうか。
 そんなクウの頭を、ポンとハルは叩き、エベットは笑いかける。

「心配するな。大人しく待ってろ」
「大丈夫だよクウ。ハルさん悪運ばっかり強いんだから。僕も、ロドリー様もいるしね」
「クウゥ」

 クウはまだ戦闘行動が取れるほど成長しておらず、他の人目がある中では出させられない。未だにどことなく不安げではあるが、これ以上は実際に帰ってくることぐらいしかやれることはなかった。
 と、部屋がノックされ、返事を返す前に扉が開けられる。

「ハル殿、エベット。上が危険な状態のようです。準備は……よろしいようですね」

 同じく戦闘の用意を調えてきたロドリーに、二人は頷いて返した。
 未だ戦闘の音が鳴りやまない甲板へと、三人で駆け上がる。

「大丈夫ですか!?」
「っ!? ロドリー様! だいおうイカです!!」

 ロドリーの掛けた声に、焦燥した様子で船乗りが叫ぶ。
 言葉通り、そこには胴だけで5メートルはありそうな巨体のイカ……だいおうイカが存在した。
 船乗り達は決して弱くない。しびれクラゲやマリンスライム、マーマンも2~3匹程度なら相手にできる。だいおうイカも他の魔物と共に出てきた一匹程度なら何とか倒せるだろう。
 ただ、ハル達の目の前にいるだいおうイカは三匹。他にもしびれクラゲなどの姿も見え、船乗り達の中には負傷者も多い。

「これまた、大賑わいだな!」
「負傷者の治療に当たります! その前に……【ピオリム】!」

 駆け出す前にエベットが補助魔法を掛ける。スッと、身が軽くなるのを感じた直後、ハルとロドリーはだいおうイカに向かって走り出していた。

「ハル殿、左側のものをお願いします! 私はこちらを!」
「了解っと! 気をつけろよ神官殿! 【スカラ】!」
「かたじけない!」

 双方に別れながら、ハルはロドリーにスカラを使い、ロドリーは普通の物よりも一回り以上巨大なモーニングスターを手に右手に向かう。
 ハルはそれを見届けることもせず、その場から飛び退いた。ハルの走っていた方向に伸びるのは、今から相手をするだいおうイカの足だ。

「歓迎してくれるって? ありがたいねぇ! 【イオ】!」

 こちらから寄るよりも先にハルに狙いをつけただいおうイカに向かって、爆発魔法を飛ばす。周りにいたしびれクラゲもそれによって吹き飛ばされ、だいおうイカも幾ばくかのダメージを受けた。

「でかいってのはホントやっかいだな!」

 思った以上に効果を上げなかった魔法に舌打ちしつつ、ハルはナイフを抜く。小型の魔物ならば剣を使うのだが、今のハルの力では大型の魔物に対して剣では牽制にも役に立たず、むしろ抜くだけ動きの邪魔になる。
 ハルはナイフでだいおうイカの足を切りつけながら、そのまま後ろへと走り抜ける。

「【スカラ】」

 攻撃の手が止んだ瞬間に、ハルは自身にスカラを使う。衝撃を吸収する青い光が、ハルの周囲へと張られた。
 周りを見れば、大方優勢である。負傷者はエベットが回復し、何人かは戦闘にも復帰しており、ロドリーにモーニングスターを叩き付けられただいおうイカは、甲板でのたうち回っていた。もう一匹は船乗り達の総攻撃を受けている。
 振り向いただいおうイカが叩き付ける足を、ハルは衝撃を和らげながら手を交差させ受け止め、いったん距離を取った。見れば、先ほど飛ばされたしびれクラゲたちがまた寄ってきている。

「遅ぇよ! 【イオ】!」

 囲まれるより前に、ハルの放ったイオが再びクラゲ達とだいおうイカに襲いかかる。既にダメージを受けていたクラゲ達は、その殆どが完全に動きを止めた。だいおうイカは、傷つきながらも未だ健在である。

「あーくそっ! しぶといっての! これだからでかいのは!」

 悪態を吐きながらも、ハルはだいおうイカの側面に走り込んでいた。そろそろピオリムの効果も薄くなってきている。早急に決着をつける必要があった。
 走りながらナイフを仕舞ったハルは、両手に魔力を凝固させた。同時に入式はできずとも、これで魔法の間隔はかなり縮まる。

「焼かれろ軟体動物! 【メラ】!【メラ】!【メラ】!【メラ】!!」

 間髪入れず発射された火球は、全て違わずだいおうイカへと命中し、その身を盛大に燃やした。引きつる様な音は、だいおうイカの断末魔か。完全に身を焼かれ、だいおうイカは沈黙した。
 巨体が倒れるのを見届け、ハルはホッと息を吐く。防いだとはいえ、だいおうイカの攻撃を受けた手は若干痺れている。スカラがなかったら、腕が折られていたのではなかろうか。

「ま、大体これで―――――――っ!?」

 突如、背中に悪寒が走り、ハルは甲板を転がるようにしてその場から退いた。直後、ハルのいた位置に巨大なイカの足が叩き付けられる。

「っ!! …………おいおい、マジかよ……」

 船の側舷にいたのは、だいおうイカに似た、しかしそれよりも一回り大きい黄色がかった体躯。想像していたのと、実物とはこれ程までに違うものなのか。


 名を、テンタクルス。上の世界においては、海の魔物でもトップクラスの危険度を誇る存在がそこにいた。


「ハルさん!」「ハル殿!」

 この場においてはハルに追随する戦闘巧者二人の焦燥した声。横目で見れば、新たなだいおうイカが三匹出現していた。
 テンタクルスと合わせ、さらに先ほど倒したものを入れるとこれで七匹の大型の魔物が現れたことになる。

「…………イカの巣でも突っついたのかよ……テンタクルスなんてこの辺に出る奴じゃないだろうに」

 ツッと汗を伝わせながら、ハルはジリジリと後ずさっていた。一人で相手をするには、荷が勝ちすぎる敵である。
 だが、後ろに行けばロドリー達がさらなる危険にさらされる。テンタクルス一匹で、この場のパワーバランスを崩すことなど容易だった。
 ウゾウゾと体を動かしながら、テンタクルスが身を起こし、完全に甲板へと姿を現す。
 上がってみれば、想像よりもさらに巨大に感じた。それと目が合った瞬間、ハルは覚悟を決める。

「【スカラ】」

 解けかかっていた防護の魔法を掛け直す。スッと、ナイフを取り出し構えたところで、テンタクルスの足が襲いかかってきた。

「―――っ!」

 巨大でありながら、その速度はだいおうイカを遙かに上回る。まともに受ければただでは済まないと、ハルはまた甲板へと身を転がし足から逃れた。そのまま手をついて体制を整え、甲板を蹴る。

「【ギラ】!」

 タイミングを合わせ、飛んだハル目掛けてきた足に炎を放射する。確実に命中した魔法は、しかし、その勢いを殺ぎこそすれ止めることは叶わず、足は強かにハルの胴を打った。

「ぐっ、がぁ!」

 吹き飛ばされながらも、止まることなくハルは駆け出した。少しでも止まれば、テンタクルスの攻撃を受けることになる。
 襲いかかる足を必死にかい潜りながら、ハルは立て続けにヒャドを飛ばす。テンタクルスに幾つもの氷の刃が突き刺さり、少しずつダメージを蓄積させる。テンタクルスの周りには、吹き飛ばされた氷の刃が突き刺さっていた。

「はっ、はっ、はっ」

 息が荒れる。もとより、魔法使いはそれほど体力があるわけではない。ハルは転職した上でLvもそこそこ高いので、その辺りの冒険者程度には負けないが、戦闘における体力消費は激しい。前衛として攻撃もこなしているのでなおさらだ。
 テンタクルスの足の動きを見極め、次に来る攻撃を予測し、それでも尚攻撃が掠っていく。スカラを重ね掛けしようにも、攻撃の手を休めた瞬間にテンタクルスの攻撃は倍加する。
 エベットとロドリーが何とかハルに加勢しようとしているが、だいおうイカを相手取る二人が抜ければ戦線が崩壊する。


 細い細い糸の上を渡る綱渡り。切れるのは、実にあっさりだった。


 もはや何度目になるか、ハルがヒャドを飛ばす。小さな氷の刃がテンタクルスに刺さり、その体がグラリと傾いだ。
 いけるかと、そう思ったのが間違いだったか。気が緩んだわけではない。またその足をかいくぐろうとした瞬間、ハルは目の前に迫るテンタクルスの足に気が付いた。

「――――っ!?」

 一撃ではなかった。二撃でもなかった。


 三撃目。今まで存在しなかった筈の攻撃だ。もはや、躱すのは不可能な距離。


「ごぼっ!!」

 腹を強打され、吹き飛ばされた。接地することなく、船体の縁へ体が激突する。

「がっ!」

 激痛は、一歩遅れて。頭でもぶつけたか、目の前が赤く染まる。確実にあばらは何本か折れた。口から血が逆流してきたのは、内臓に傷が付いたか。
 動けないハルに向け、さらにテンタクルスの足が伸ばされる。ぐるりと体に足が巻き付き、宙へと持ち上げられた。

「がっあぁっ……」


 ギリギリと締め付けられる。どこかで自分を呼ぶ声は、エベットとロドリーか。


 死ぬ。死にかけたことは何度もあるが、ここまで絶望的なものはなかった。


 脳裏に浮かんだのは、初めて潜ったオロチの洞窟。ヒミコに救われなければ、完全に終わっていた。差し迫る気配は、あの時に通ずるものがある。
 目の前がだんだん暗くなる。意識が落ちかけているのか。


 こんな所で終わるのか。結局、何も掴めないままに。


「~~~!!」


 高い音。耳元で何か鳴っている。聞いたことのある音だ。


「~~ウ!!」


 何を鳴く。終わる自分を嘆いているのか。そんな声を出すことはないのに。


「クウウゥゥゥウウウウウウ!!!!」


 それは、自分が助けたはずの命の声。魔王となる自分の、初めての配下。


 目が開いた。遠のいた意識が、返ってくる。

「ク……ウ……?」
「クウウウウウ!!!」

 見れば、小さな体で、テンタクルスに飛びかかっているクウがいた。
 そちらに気を取られているせいか、締め付ける力が若干緩んでいる。

「っ!!」


 何を思った? 何を考えた? 終わる? ヒミコに手を伸ばせないままに?


「ふざ……けるな!!!」

 動かない体を、ハルは叱咤した。この程度で諦めては、魔王に届かない。この程度で死んでは、勇者に敵うわけがない。


 放出。凝固。圧縮。


 魔法使いになってから、暇を見つけてはずっと練り続けた魔力。もはや、感じる必要すらない。
 手の中で生み出された魔力を、力ずくで押さえつけた。グルグルと逃げ場を求める魔力が、手の中で荒れ狂う。

 そして、入式。


「【イオォォ】!!!」


 通常のイオの威力を越えた一撃は、自分を掴んでいた足を砕き、ハル自身も吹き飛ばした。
 甲板の上をゴロゴロと転がるが、グッと歯を噛みしめて立ち上がる。

「クウウ!!」
「ハルさん!」

 立ち上がったハルの姿に、クウとエベットが歓喜の声を上げる。
 目の前は未だにはっきりと見えているわけではない。少しでも動けば体に激痛が走る。
 コンディションは最悪だ。しかし、随分と頭は冴えていた。

「……魔法使いってのは、Lvが上がった瞬間が分かりやすくていい」

 呟いたハルの手の中には、既に魔力が生み出されていた。よもや、仕留めかけたはずの獲物に足を吹き飛ばされるとは思ってもいなかったのか、テンタクルスが戸惑いながらも猛っている気配を感じる。

「【スカラ】」

 左手に集まった過剰魔力で、スカラを唱える。右手には、未だに放出され肥大化する魔力の塊があった。
 テンタクルスの足が迫る。しかし、その動きは最初の頃と比べ遅くなっていた。
 イカという生物は、温度変化に弱い生き物だ。水温の変化で、簡単に死んでしまう。
 魔物であるだけにその生命力は段違いだが、それでも飛ばされ続けていたヒャドの冷気に体を鈍らせていたのだ。ハルの狙い通りではあるが、効果が出るのが少しばかり遅かったらしい。
 倒れ込むように、迫る足を躱す。いくら気合いを入れても、ボロボロの体が同じように動く訳がない。這うように移動しながら、再び立ち上がる。

「【スカラ】」

 左手でまた過剰魔法によるスカラを唱える。今攻撃の手が少ないのは、クウがテンタクルスの気を散らしているお陰だろう。

「【スカラ】」

 これで三度。今のハルの防御を越えるには、魔法か相当に高い攻撃力が必要だ。

「クウ! もういい! 離れてろ!」
「クウウ!」

 ハルの言葉を受けて、クウがテンタクルスから遠くへ逃れる。ギロリと、テンタクルスの意識が完全にハルへと向いた。
 先ほどまで右手で放出されていた魔力は、既に圧縮の段階に入っている。ハルは左手を魔力に添え、さらに圧縮の速度を速めた。
 テンタクルスの足が一斉にハルに襲いかかる。動けないハルはそれを受けて、吹き飛ばされ、再び船の縁へと叩き付けられた。

「クウウ!?」

 クウが声を上げるが、ハルにダメージは殆ど無い。掛かった衝撃は、防護の膜がほぼ吸収してくれたからだ。



 もう、立つ必要すらない。



「知ってるか? 灼熱の閃光を」



 テンタクルスがハルを押しつぶそうと迫る中、ハルはゆっくりと両手を掲げた。



「【ベギ……ラマァァ】!!」



 それは、光線だった。過剰に供給された魔力を受け、圧縮され、極限まで昇華された一撃。
 閃光の中にテンタクルスが取り込まれる。冷気を受け、体温が下がっていたところで熱線に晒された魔物は、内外より全細胞を破壊された。
 閃光が去った後に残されたのは、もはや動くことのない巨体のみ。

「はっ、焼けても大味過ぎて食えやしないっての」

 船乗り達の歓声と、ハルを呼ぶクウとエベットの声を遠くに、ハルは悪態を吐きながら気を失った。





******************


六話更新です。一章の山場的話にしたかったのですが、上手くできてるかな?
一応予定では後二話で一章が終わります。それからスクエニ板に移る予定ですので、移ってからもどうかお願いします。

残りの裏話は記録の方で

 



[29793] 新米魔王偵察中
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2012/01/12 19:57
一章 七話 新米魔王偵察中


 ハルが目を覚ましたのは、テンタクルスと戦って二日後のことだった。体はボロボロで、魔力もほぼ使い切っており、実のところ相当危険な状態だったらしい。治療はロドリーが行ってくれたとのことだが、眠っている間はずっとエベットが看病をしてくれていたと聞かされた。
 船乗り達に見つかってしまったクウは、しかし船を救ってくれた立役者の一人として、また、エベットとロドリーの言葉もあり何とか受け入れられたようだ。
 今では、外で船乗り達の様子を見たり、果物を恵んで貰ったりと船内を楽しそうに飛び回っている。


「まぁ、概ね良い方向には向かってるんだな」
「そうですね。一時はどうなることかと思いましたが……ハルさん、一応療養中なんですから、魔力弄るなと何度言えば分かるんですか……」
「暇なんだよ。あんときはもっと上手くできたと思ったんだがなぁ……あれから何度やっても同じ速度が出せないんだよなぁ」

 いわゆる火事場の馬鹿力というやつか。そう言えばあの時は随分と思考がクリアーになっていた気がする。
 圧縮自体はそこそこの速度を出せるようにはなったが、あの時のように、両手で別々の魔力を圧縮させることがどうしてもできなかった。しかしながら、一度できたことができない訳がないし、自分の可能性が見えたのは非常に大きかった。

「はいはい。ハルさんが魔法の虫なのは理解してます。でもほんとダメですよ? それ相当魔力消費激しいみたいだし、ハルさんあの時魔力殆ど枯渇して、生きてたのが幸運だったぐらいなんですから」
「いつからお前は俺のお目付役になったんだ……別にいいけどな。適当な所で置いとくさ。さすがに、鍛錬してて死にましたじゃ笑い話にもなりゃしない」
「まったくですよ」

 手をパタパタとはたくように振って魔力を消すハルに、エベットは深くため息を吐いた。
 と、バタリと大きな音を立てて扉が開く。

「クウウー♪」
「おかえりクウ。何だかご機嫌だね? あ、それ船乗りさん達に貰ったの?」
「クゥ!」

 クウはなにやら体に袋を着けていた。中にはクウの好きな果物が入っている。

「クックウ♪」
「ああ分かった分かった。嬉しかったんだな? ったく、お前ホントにスカイドラゴンかっての」

 これでもかとハルにアピールしてくるクウに、ハルはため息を吐く。
 フヨフヨと部屋の中を飛び回るクウに、よしよしと頭を撫でてやっているエベットを見ていると、どうにも調子が狂う。




 何ともはや、平和なことだと。




***




 大陸が見えたと連絡が入り、ハル達は甲板へと出ていた。

「おー、あれがアリアハンかー」
「何というか、帰ってきたーって感じですね。アリアハン出てからもう半年でしたから。毎年ジパングへは行ってましたけど、二ヶ月ぐらいで帰ってましたし」
「エベットが私の元へ来てから初めてのダーマ出向でしたからな。そう思うのもしかたないでしょう」
「クウー?」

 それぞれに大陸を眺めて述べる。ハルとクウにとっては初めての、ロドリーとエベットにとっては久しぶりのアリアハンだ。なかなかに感慨深い。
 船はそれから半刻ほどで港町へと到着し、碇を降ろした。クウはハルの荷物袋の中へ入り、ハル達は船から下りる。降りる際には船乗り達が声を掛けてきた。

「おつかれさん! あんたのお陰で無事に帰ってこられたよ! ありがとな!」
「ん、いやこっちも助かった。また縁があったらよろしく頼む」
「クウ、元気でな! 袋大事にしろよ!」
「クウ!」

 掛けられた声に、ハルは手を振りながら、クウは袋の中からそれぞれ返す。エベットやロドリーも、船乗り達とお互いに労いの言葉を掛け合っていた。
 これから船旅の片付けをする彼らと、すぐに移動を始めるハル達とはここでお別れである。

 歩きながら、ハルは港を観察していた。海の魔物対策か、大型の固定弓が幾つも設置されている。大きな城塞を作るつもりなのか、倉庫の方にはいくつもの壁石が置かれているのが見えた。
 反面、町の方は割とこぢんまりしたものである。兵宿舎はともかくして、どうにも小さな漁師町といった風だ。

「大国の港町っていうから、もっと大きいもんだと思ってたんだが……」
「アリアハンは昔から他国と国交を断絶していますからね。僕らみたいな神官は特別です。ここも、基本的には漁師町ですから」
「ああそっか……たしか戦争でそうなったんだっけか」
「よくご存知ですな。かつて国を分裂させた戦争があり、アリアハンは大陸に旅の扉を封じました。国の力は確かに衰えましたが、こうして平和な国になったことを思えば、それも良かったのかもしれません。私が生まれるより前の話になりますが」

 思い出したように呟いたハルの言葉を、ロドリーが補足する。よくもまあ町人の話なんぞを覚えていたものだと、ハルは苦笑した。
 改めて、ハルは空を見上げる。正しくは空ではなく、大気中に流れる魔力をだが。
 ようやく分かるようになったが、大気中にも魔力は含まれている。何か一定の流れをもっているようにも思えるが、これが結界の力なのだろう。
 ダーマの周辺と比べたら、アリアハンの魔力はずいぶん濃い。結界の力の強さがそのまま魔力の濃さなのだとしたら、闇の力を抑えるのもこの魔力なのだろうか。

「クウ、大丈夫か?」
「……クゥ!」

 呼びかけた声に、クウは背中の袋の中で身じろぎをしながら返事をする。どうやら、問題はないらしい。
 アリアハン大陸。それも王城近くに出現するのはスライムや大ガラス。今のクウはそれ程力が無いとはいえ、スカイドラゴンである。だというのに、全く結界の影響が感じられない程とはいかなことか。

 闇の力とは、結局どういうものなのか。ヒミコですら完全に理解しているという訳ではなかった。
 曰く、ゾーマに与えられたもの。魔物の本能を刺激するもの。魔物に力を与えるもの。バラモスが上の世界において魔族、魔物全てに影響を与えさせるもの。
 闇の力をもって魔物を意のままに操ることは本当に可能なのか。できるのならば、どのようにして行っているのか。その本質は何なのか。
 理解すれば、防げるかもしれない。理解しなければ、いずれクウも暴れ出すのかもしれない。
 魔王としてバラモスと戦うのならば、結界と闇の力の関係を解き明かす必要がある。この大陸は、その鍵になりうるかも知れない。

「そういえばハルさん。魔物の調査って一体どんなことするんですか?」
「ん? ああ、主にはこの大陸の魔物の分布とその傾向だな。神の結界について分かることもあるかもしれんし、それも含めて」
「ふむ……しかし確かに、神の結界がどれほどの魔物に効果があるのか、調べた人物はおりませんでしたな。あれに関しては我ら神に仕える者でも知らぬ部分がありますが、そういったものだという風に扱っておりましたので」
「ま、道具の使い方は知ってても原理が分からないってのはよくある話だからな。特にあんた達にとっては神を疑う行為になりかねないから、一種のタブーみたいなもんだろ。信仰ってのは考えることを放棄させる部分があるもんだ。それだけ信じてるってことだからな」

 ハルはこの大陸に来るに辺り、魔物の調査が目的だとロドリー達に告げた。本命というわけではないが、勇者のことに関しては何も言っていない。
 理由は、ロドリー達が一度も勇者関係の事を話題に挙げなかったことである。アリアハン出身だというのなら、知っていてもおかしくない筈だ。そして、勇者という希望の存在を知りながら、それが話に全く出てこないというのは無理があるだろう。会話の中で、それが出てきてもおかしくないタイミングは、いくらでも有ったのだから。
 もし正直なところを述べて、アリアハンに来られなくなったらと思うと目も当てられない。
 もっとも、こうして来られた以上はまずこの二人に聞いておいた方がいいが。

「そういやさ、オルテガに子供がいるだろう? そいつってどんな奴か知ってるか?」

 返したハルの言葉に、驚いたようにエベットが目を見開く。

「勇者様の事をご存知なんですか?」
「エベット!」

 と、エベットに向かってロドリーが声を飛ばす。それで、慌ててエベットが口元に手をやった。
 ロドリーは確かに普段エベットには厳しい。が、今のような叱責は初めて聞いた。やはり、意図的に隠していたことだったか。
 その反応を見つつ、ハルは思案する。勇者のことを隠す理由とは一体何なのか。

「…………ふむ、答えなくてもいいが、推測を述べようか?」
「………………どうぞ」
「一つ、魔物への対策。表向きの理由としては、まああり得る話だ。んで、アリアハン国王の性質にもよるが、あと一つ。他国への対策」
「……………………」

 ロドリーはいつも通りの笑みである。しかし、ハルは自身の言葉を聞いた反応を見逃しはしなかった。前者は口元がピクリと反応しただけだったが、後者は若干眉も動いている。
 これでいてロドリーはポーカーフェイスが上手い。人の性質をよく見抜ける人間ほど、それの隠し方も上手いものだ。それが反応したというのは、今の言葉だけで見抜いたハルによほど驚いたか。

 前者は簡単だ。要するに、人類の切り札になるかもしれない勇者を魔物の手から守るためである。
 例えば、ヒミコやゴウルがその存在を全く知らなかったこと。あの二人はアリアハンの結界が強い件に関して、オルテガの存在が大きいのだろうと推測していたが、ハルが勇者のことを述べた後、そちらが本命なのかと考えを改めた。魔王側でも、それなりに事情に詳しい二人が知らないとなれば、答えは自ずと見える。
 もしも、勇者という存在がいれば、魔王に目を付けられぬ筈がない。勇者とて育たぬ内から魔物に襲われては、ひとたまりもないだろう。故に、その存在はあまり公言できるものではない。
 だが、ハルの推測した本命は後者だ。魔王に対して以上に、他国に秘密とすること。そのメリットは、勇者の功績を多く自国のものとできるということである。
 勇者を排出した国。たとえ他国と国交を断っていようが、もしも勇者が世界を救ったのならば、それを育てた国としての功績は多大なものだ。後々に、他の国に対する強い力を手に入れることが出来るのである。
 現アリアハン王がどのような人物かは知らないが、港町を見てハルはそれなりの野心家であると判断した。理由は、物々しく建築されていた明らかに新しい港の城塞である。
 魔物対策だというのなら、この国にそれほど大きな武装は急ぎ必要ない。大陸に渡る結界が海の魔物の上陸を許さぬからだ。たとえ、結界の影響を知らずとも、強い魔物が陸に上がって来られないのは理解しているだろう。

 ならば、あれは一体誰に対するものか。

 港というのは、船から上陸しやすいように作られるものだ。よって、もし他国が船で攻めてきたとき、そこを取れるかというのは大きい。しかも、アリアハンの城の近くともなれば尚更である。
 他国による侵略を警戒する。それは逆に、自国が他国に対する侵略を考えている可能性が高いということだ。自分の野心を理解するからこそ、人の野心に怯えるものなのだから。
 どこまで秘密にするつもりかは知らないが、突然現れた存在が精霊の加護を持つ勇者であると言っても、それをどこまで信頼できるかと言えば微妙なラインである。全面的な支援を申し出る者など、まずいないだろう。


 勇者ですら道具とするとは、なんと人間の業の深いことか。


「……………………どこで知られたのかはともかく、気をつけた方がいいかと。別にあなたが他国の間者だと疑う訳ではありませんし、私は神に忠誠を誓った者ですが……そう思われないようにするべきだと思います」
「ん、忠告、ありがたく受け取っておく」

 精霊の加護による職業で能力が左右される世界。生まれ持つか、まだ赤子の器の時に授けられるかしない限り、加護は得られない。そして、ダーマですら勇者の加護を与えることができないとなれば、生まれ持つしかありえない。
 生まれたばかりの赤子が、誰も持ち得ない勇者という加護を持っていればどうなるかというのは、色々想像できるものだ。
 ゲーム上では出ることはなかったが、一応想定はしていた。人間がきな臭いことこの上ないが、後々考慮するべきだろう。

「…………さて、どうするかねぇ……」




***




 朝に港町を出発し、夕方頃に王都へと辿り着いた。
 アリアハンの印象を一言で表すのならば、牧歌的といった所だろうか。
 王都自体はダーマと比べるまでも無いほど大きい。この世界は壁に囲まれた城塞都市が基本であるが、恐ろしいほどにその市域が広い。ダーマですらかなり大きかったというのに、その倍以上だ。
 元々広大な平原を持ち、他国と国交を絶っているアリアハンは、全てを自給自足で賄わねばならない。資源は豊富であるようだし、国民の数も多いようなので、ことさら困ったことはないようだ。
 また、大した魔物がいない王都の近くでは、都の外側で家畜を放牧したり畑を作ったりしている。この地方だからこそできることだが、かなりこの効果は大きいだろう。
 王都の中も、ダーマのように混雑した雰囲気は無い。活気自体はあるのだが、家の一軒一軒が詰まっておらず、石畳の道はダーマと同じぐらいの広さであるものの、道の脇にはスペースがあり随分と広く感じる。
 のどかでありながら、それ以上に人々の活気が息づく街。さすがは、かつて世界を治めていた大国である。

「ハルさん。こっちにいる間宿はどうするんですか?」
「あー、適当に探したら見つかるだろうとか思ってたんだが……」
「じゃあ、うちの教会で泊まりません? 他にも人がいますけど、空き部屋もありますんで」
「ああいやそれは……」

 エベットの提案に、どうしたものかとロドリーを見るが、彼もまた一つ頷いた。

「よろしいですよ? ハル殿がどういう人物なのかは知っておりますから、何も問題ないでしょう」

 たかだか四ヶ月あまりの付き合いで、随分信頼されたものだとハルは内心でため息を吐いた。
 ハルが気にしたのは、よそ者である自分がいれば二人に迷惑が掛からないかということなのだが、それを理解した上でよしというロドリーに少々戸惑う。
 しかしながら、船から一緒にここまで来たことは他の人間にも見られていたことだ。それだったら、できるだけ共に行動していた方が怪しまれることもないかと考えを改める。

「ん、じゃあ暫く頼む」
「ええ、分かりました。皆には、私達の護衛だったと伝えておきましょう」
「やった! クウ、もうちょっとよろしくね」
「クウ!」

 それこそが本命だったのか、エベットは嬉しそうに袋へ語りかけ、クウもまた機嫌よさげに小さく返事を返した。




***




 勇者の事に関しては、慎重に進めながら幾つか情報を手に入れた。


・勇者は女性である。
・性格はかなり温厚。誰に対しても優しく、分け隔て無い。
・次の誕生日が旅立ちの日となる。それまで大体七ヶ月程度らしい。
・若いながらも普通の兵士よりは既に強く、ベテラン兵ともそこそこ渡り合う。
・剣を得意としながら、回復魔法と攻撃魔法も使える。
・現在は軍と共に遠征訓練中。


 この中で特に有用なのは、誕生日までの期間。旅立ちまで後七ヶ月という情報は、ハルにとってかなり有り難い。順当に旅をしていったとしても、ヒミコの所に辿り着くまで最低でも二年以上は掛かるはずだ。考えていたリミットの中でも、最長に近い。
 ただ、それでも全然時間が足りていないというのが現状ではあるのだが。
 他の情報は確認程度の話だ。予測される現状のLvは9~11。男であろうが女であろうが関係ないし、能力としても予測していたのと変わらない。性格については当人に会ってみなければどうとも言えないだろう。
 軍と共に遠征中ということなので、当人に会える可能性は限りなく薄い。まあ、会ったところで国の庇護下にある存在に何ができるわけでもないが。

 一方、結界の方は成果は殆ど無かった。そもそも、人間で結界のことを正確に把握している存在がいない。何故この大陸の魔物が弱いかも知らないのであれば、もはや論外だ。影響を受けている魔物の方が理解が深い。
 行商人の馬車に乗せて貰いレーベまで遠出をしてみても、魔力の濃さから結界の強弱は分かれど、それがどういう風に魔物達に影響を与えているのかは理解できない。唯一の収穫は、王都からレーベまで馬を使って大体四日程度というのがわかったぐらいか。
 距離的にはダーマから波止場までの方が短いようだが、こちらは平原ばかりで魔物もそこまで警戒する必要もなかったのが大きい。帰りはルーラで直ぐなので、少しばかり向こうでも調査をしてみた。

 レーベはまさしく田舎といった風だ。今までの例通り人は多いし民家もあるが、おおよそイメージと変わらない。一応アリアハンからの行商人などが泊まるらしく宿もあり、大ガラスや一角ウサギ辺りを狩れば、かなり喜ばれた。

 いざないの洞窟まで足を伸ばしてみたが、やはり旅の扉は封印され、奥へは行けなくなっている。過剰圧縮ベギラマを撃っても壁に焦げ目すら付かなかったところをみると、何らかの結界が張られているのだろう。破るには、最低でも過剰上級魔法クラスか、それこそ魔法の玉でも無い限り不可能かと思われる。
 オルテガが通った後に再封印されたのか、それともオルテガは船で旅立ったのか。地形を無視して冒険していたあの男なら、泳いで大陸まで渡っていそうで怖い。



 色々やってみたが、結局結論は一つである。つまり、『何も分からない』。



「だぁーっくそっ! 三週間使ってこれかよ!」
「クウゥ…………」

 思った以上に成果を上げられなかったことに、ハルはストレスを発散するように声を上げながら、ゴロンと地面に転がった。今いるのは、アリアハン近くの森の中である。さすがに外といえど、王都付近の平原でクウを出すわけにもいかない。

「これだったらジパング帰ってた方がマシだったな……」
「クウー……。クウ!」

 嘆くハルに、クウは首掛け袋から果物を差し出して鳴く。ここ最近でクウが一番お気に入りのリンゴだ。

「あー、いいってクウ。それ楽しみにとってた最後の一個だろ? 全く……お前に慰められてりゃ世話ないな……」
「クウ?」

 ハルは頭を掻きながら上半身を起こす。ここで嘆いていたところで何一つ変わらない。時間は有限なのだから、少しでも前向きに行動した方がマシだろう。

「これ以上やっても収穫なさそうだし、一度ジパングに帰ってゴウルの爺さんと話してみるか」

 言って立ち上がろうとしたとき、ハル達の近くの茂みが揺れた。
 ガサリと音を立てて現れたのは、ハルの腰ほどもある鳥。大ガラス。続いてさらに二匹姿を現し、ハル達を威嚇してくる。

「……逃げるつもりは……ないのな。やれやれ、仕方ないか」
「クウ!」

 実力差があるにも関わらず戦う気を見せるカラスたちに、ため息を吐きながらもハルが剣を構えようとしたとき、クウが自己主張した。

「え? お前がやるの?」
「クウ!」

 やる気満々とアピールするクウに、ハルはポリポリと頭を掻く。
 カラスたちはジリジリとこちらに近づいている。飛びかかるタイミングを見計らっているのか、それとも実力差を理解して動かないのか。しかしながら、たかがカラスとはいえ、そのクチバシによる攻撃は並の人間の命を簡単に奪えるだろう。
 クウはまだ生後数ヶ月経つかどうかというところ。成長自体は人間と比べるまでもなく早いが、成体のスカイドラゴンから見ればまだ半分も体長はなく、体も細い。
 ざっと見たところ、クウと大ガラス三匹であれば、普通にやれば若干クウの方が分が悪いだろう。だが、クウもやる気を見せていることであるし、過保護にしていても仕方がない。
 ちょうどいい機会かと、ハルはコクリと頷いた。

「よし、頑張ってこい。本気で危なかったら手を貸してやる」
「クウ! クウウ!」

 心配はいらないとばかりに高く鳴くと、クウはスルリと首掛け袋を地面に降ろし、大ガラスへと飛びかかっていった。大ガラス達も、それに対抗して取り囲むように動く。
 素早さならばカラス達よりもクウの方が勝っている。勢いを活かして、クウは正面の大ガラスに体当たりを仕掛けた。

「クウ!」
「クエエ!?」

 囲いを抜けるようにそのままクウは前へと進み、振り向きざまに口から火を吹く。スカイドラゴンのメインの攻撃といえば燃えさかる火炎であるが、クウはまだ器官が育っていないのか、精々火の息といったところだ。
 しかし、大ガラス相手には十分な武器である。炎に巻かれ、大ガラス達は泡を食ったように体を動かしながら距離を取った。

 実のところ、クウは火の息を連続して出すことができない。一度吹いたら次に放つまで大体30秒ほどの時間が必要だ。
 できることならば、今ので最初に体当たりした大ガラスぐらいは倒せればよかったのだが、残念ながら未だ三匹とも健在であった。それでも、クウの攻撃を警戒し近寄ることができないようだ。
 自分の最強の手札である火の息を牽制に使うとは、ずいぶんと思い切ったものだ。もっとも、クウの立場ならばハルも同じ事をしただろうが。
 手札が少なく相手の数が多い場合、防御側に回ったらまず負ける。だが、無闇に攻撃したところで倒しきれずに囲まれてしまえば同じだ。よって、こちらの攻撃を警戒させる必要がある。ならば、使うのは一番強い手札か、それに準ずるものでなければならない。

 にらみ合うように動かず、されど時間はクウに有利に働く。あと少しで火の息が吹き出せるというところで、クウは一度大きく息を吸い込んだ。
 大ガラス達は身構えるも、クウの口から出たのは掠れた息のみ。戸惑ったようなクウの様子に、好機と一斉にカラス達はクウに飛びかかった。
 仕方無しとばかりに、クウは満身創痍の一匹に食らい付き、喉に噛み付かれた大ガラスはくぐもった声を上げながら絶命した。
 それでも、残る二匹はクウに攻撃を仕掛けてくる。タイミング的に一匹は躱せても、もう一匹は無理だ。受けて怪我をすれば、クウの方が不利となる。
 しかし、それこそがクウの望んだ瞬間である。ばらけていた大ガラス達が、近距離で固まった瞬間に、クウは口に大ガラスを咥えたまま火の息を吹いた。


「「クエエエェェェ!!??」」


 仲間の死体を越え吹き付ける火の息を、大ガラス達はまともに受ける。間近で火の息を直撃されては、二匹が生き残ることなど不可能だ。
 火が消えた後、地面には三匹の焦げた死体が転がっていた。


「クウウウゥゥ!」


 単独戦闘での初勝利に、クウが雄叫びを上げる。そして、嬉しそうにハルの元へと帰ってきた。

「ん、よくやった。頑張ったな」
「クウー♪」

 労い頭を撫でてやると、クウは喜びながら体をくねらせた。終わってみれば、一撃も受けない勝利である。道筋を立てて行動予測した結果であろうが、一体誰に似たのやらとハルは苦笑した。

「クッククウ♪ ……ク?」

 機嫌良さそうに、クウは地面に降ろした首掛け袋を着けようとするが、ふとその動きを止める。

「どした?」
「クウ……」

 見れば、袋の中でゴソゴソと何かが動いていた。果物が数個入る程度の小さな袋だ。中に入れる存在など限られている。クウの戦闘に気を取られてはいたが、こちらに敵意を持っている者に気が付かぬほどハルとて間抜けではない。ならば、これの狙いは袋の中身だけだということだ。

「………………」

 ハルはおもむろに袋を掴み、目の前まで持ち上げた。

「ピキー!? 何か浮いたよ!? 何!? 何!?」

 袋の中の存在は、急に地面の感触が無くなったことに戸惑いの声を上げる。普通に喋りやがったと、ハルは眉を顰めながら袋の中に手を突っ込んだ。

「ピッキャアアアア!? 何か来た何か来た! つ、掴まないでぇ!!」

 プニプニとした感触。ゼリーの塊にしか見えないくせに、決して体内に指が入っていったりせず、しっかりと掴める。アリアハンに来てから何度も遭遇したが、こうしてまともに触ったのは初めてだ。何とも不思議な感触である。
 引き抜いてみれば、ハルの頭の大きさと同じ程度の青い体躯が現れた。ドラクエ世界でも一・二を争うほど有名な魔物、スライムである。
 その大きな目を泳がせ、口を引きつらせながら、スライムはフルフルと体を揺らす。

「ぼ、僕悪いスライムじゃいないよ? だからいじめないで!」
「…………その台詞はⅢじゃねー」
「クウ? …………クウウウウウ!?」

 何とも間抜けなスライムにハルが脱力していると、スライムがいた袋の中をのぞき込んでクウが叫び声を上げた。見てみると、クウが楽しみに取っておいたリンゴを含め、中にあった果物が全部食われている。

「クウウウ! クウ! ククウ!!」
「ピキャアアアア!? やめっ、止めて! 食べられ、食べられる!?」

 珍しく憤りのままに噛みつこうとするクウと、器用にも掴まれたまま必死に体を動かしてそれを避けるスライム。どうしたものかと思いつつも、放っておいたらいつまでもやっていそうなので、とりあえず二人を止める。

「落ち着けクウ。また買ってきてやるから。んでスライム。お前もさっさ謝れ。マジで食われるぞ?」
「クウゥ…………」
「ピキィ……ごめんなさい……」

 揃って項垂れる二人にため息を吐きながら、ハルはスライムを地面へと降ろした。すぐに逃げるかとも思えば、所在なさげにその場で体を揺らすだけで、動こうとしない。

「こ、殺さないの?」
「……何で?」
「だ、だって君、人間でしょ? 人間って魔物見たら容赦しないし……」

 気怠げに聞いて返ってきた答えに、なら明らかに人間の荷物と思われる袋を探りに来るなよと思いながら、ハルは頭を掻いた。

「殺しても何の足しにもならんだろうが。第一、ここにいるクウも魔物だぞ?」
「ほ、ほんとだ! え? でもどうして人間と魔物が一緒にいるの?」
「クウ? クウクウ、クウウ」
「え? 配下? 君がこの人間の? ほんとに?」
「クウ!」
(……言葉分かるのか。いや、魔物同士だから不思議じゃないのか?)

 何ともいいがたい二人の会話に、微妙な気分になる。クウの言っていることが雰囲気でしか分からないだけに、スライムと会話がかみ合ってるのかも確認できないが。
 と、ハルは周囲に寄ってくる気配に気が付いた。それも、一つや二つではない。大きな塊で、ハル達の横手の茂みに隠れているようだ。
 また何か来るのかと、若干ウンザリしながらハルは魔法を撃つ準備をする。出てきたら即迎撃してやろうと思っていたのだが、しかし気配はそこから動こうとはしなかった。
 奇妙に思いつつ、ハルは気配を消しつつ茂みに回り込み、そこにいるものを確認する。

 果たして、茂みに隠れていたのは10匹ほどのスライムだった。何やら円陣を組むように、話をしている。

「何をまごまごしてるのよ! こうしてる間にもボウが殺されちゃうじゃない!」
「でもリン……人間怖いよ……」
「あいつら俺たち見たらすぐ叩けって言うんだぜ?」
「ボウだけじゃなくて私たちも殺されちゃうよ……」
「くっ、この腑抜け共……あんた達にスライムとしての誇りはないの!? こうなったら私だけでも……」
「……………………とりあえず、何なんだお前ら?」

「「「「「ピッキャアアアァァァアアアアア!!??」」」」」

 ハルが一声掛けたとたん、蜘蛛の子を散らすように逃走するスライム達。その様子を見れば魔法を撃つ気も失せるが、それらの中でただ一匹ハルを睨み付けているスライムがいた。

「に、人間め!! わ、私を殺すつもり!? わ、私はただではやられないわよ!?」
「…………どうでもいいが、お前震えすぎだろ」
「そ、そんなことないわよ!」

 胸?を張るようにスライムは言うが、吃り震えながらでは説得力の欠片もない。虚勢を張れるだけマシなのかもしれないが。

「あれリン? どしたの?」
「クウー?」

 言いつつ現れたのは、先ほどのスライムとクウである。いつの間にそんなに仲良くなったのか、スライムはクウの頭の上へと乗っていた。

「ボウ! あ、あんた大丈夫なの!?」
「何が?」
「だ、だってあんた人間に襲われて……」
「襲ってねえよ。人を勝手に殺人鬼に仕立てあげるな。お前らみたいなの殺しても何の徳にもならん」

 手に集めた魔力を掻き消しながら、ハルは周りからこちらを伺っているスライム達を見る。

「…………このままじゃ埒が明かん。ちょっとお前ら整列!! 10秒以内に集まらなかったらイオぶちかますぞ!!」
「「「「「ピ、ピキイイイィィィイイイイイ!?」」」」」

 怒声を受け、スライム達は慌ててハルの前へと整列した。8匹のスライムが並んで震えているのは、見た目にも鬱陶しいことこの上ないが、我慢しながらも殺す気がないことは伝える。時折逃げようとする者には、掠めるほどの距離でヒャドを撃った。

「…………理解したか?」
「「「「「しましたしました!! こちらから襲わない限りハル様は私達を殺しません!!」」」」」
「く……魔法で脅しながらなんて……この極悪人……」
「ああ?」
「な、何でもありませんハル様!」

 まだ文句がありそうなスライムを目線で黙らせ、ハルはため息を吐いた。脅しながら話をしたハルもハルであるが、こういつまでも怯えられているのは気分が悪い。いつの間にやら様付けで呼ぶようになっているし、その前にこいつら一人称的に雄雌の区別があったのかとか色々思ったが、どうでもいいかと結局考えを放棄した。


 スライムは不思議生物。それでいいじゃないか。


「しかし……スライムって喋れたんだな。俺が見たことのあるのは、全部変な鳴き声しか出したことなかったんだが」
「あ、あのパッパラパーになっちゃった子達のこと? あれはねぇ、仕方ないんじゃないかな?」

 ハルに言葉を返したのは、一番最初に出てきたボウとか呼ばれているスライムだった。かなりの大食らいで、物事を深く考えるタチではなく、先ほども袋の中から果物の匂いがしたから何も考えずに潜り込んだらしい。まあ、何も考えていないせいかこの場では唯一ハルに怯えもしていないが。

「何だっけ? 魔王様の力っていうの? あれで心の中がいっぱいになっちゃって、何も考えられなくなっちゃったみたい」
「こっちとしては迷惑極まりないわよね。なんかあれの所為で人間に狙われるようになったみたいだし、私達も影響受けちゃうから食べ物探しに行くのも一苦労だし」
「…………ちょっと待て、そういや何でお前らは平気なんだ? クウはまだ生まれたばかりのところを拾ったから分かるが、お前らはそうじゃないだろ?」

 リンというスライムの台詞に、ハルは眉を顰める。
 今のところ、戦闘以外で理性的な行動ができる魔物に出会ったのはヒミコの配下とクウ以外では初めてである。生まれたばかりのところを拾ったクウはともかくして、幹部の配下でもない魔物が闇の力に侵されていない筈はない。

「えっとねぇ、僕らは霊樹の近くで過ごしてるから……」
「ボウ! それ言っちゃダメ!」

 ボウが質問に答えているのを、リンが遮る。しかし、既にハルの興味を引く単語は出ていた。
 霊樹。清い空気の中で長い年月を経た樹木が至ったもの。力の種に始まる各種の元になるものであるとは聞いていたが、闇の力を遮る効果もあるとは初耳だ。こうして実存しているものの話を聞いたのはこれが初めてであるし、ゴウルやヒミコですら見たことは無いとのことだが。

「…………お前らが闇の力に対抗する手段を持っているなら、それを知りたいんだが……霊樹に何かあるのか?」
「だ、ダメよ! 人間なんか連れて行けるわけないじゃない!」

 予想通りの反応を返されて、ハルは口を結び目を閉じた。闇の力に関してはこの大陸に来て、いや、この世界に来て初めての収穫だ。クウがいつそれに侵されないとも限らないし、逃すのはあまりにも惜しい。
 ハルは、片膝を付いてグッと視線を落とす。

「頼む。お前らの生活を荒らしたりは絶対にしない。必要なら応えられるだけの対価は払おう。大切なことなんだ」
「そ、そんなこと言われたって……」
「ねえリン、いいんじゃない?」

 ハルに助け船を出したのは、ボウであった。逡巡するリンに対して、あっけらかんと了承を促す。

「でもボウ!」
「悪い人じゃないと思うよ? この人なら、他の皆を殺して脅すことだってできるのに、そんなことしないし。このクウだって、殺されそうな所をこの人が助けてくれたんだって。ね? 大丈夫だよねクウ?」
「クウ!」

 二人からの説得に、だがそれでもリンは迷っている素振りを見せる。そして恐る恐るといった様子で、ハルを見上げた。

「絶対に荒らしたりしない?」
「ああ」
「他の人に言ったりしない?」
「ああ」
「……私達に何かあったら助けてくれる?」
「俺にできる範囲でそれを望むのなら、約束しよう」
「…………うう~……分かったわよ。私達の長なら、あなたの知りたいこともちゃんと答えられるかもしれないから……でも、絶対! 絶対約束守ってね!」

 言うと、リンはクルリと周りのスライム達に向き直った。

「皆! 帰るわよ! この人連れて行くから、勝手にどっか行かないように!」
「「「「「ピキー!」」」」」

 リンの号令にスライム達は返事をし、固まって動き始めた。リンは戦闘でそれらを引きつれ、ハルとボウを頭に乗せたクウも一番後ろから彼らに付いていく。
 道が無いどころか、獣道すら存在しない藪の中を通り、森の奥へ奥へと進む。ハルが通るにはかなり大変な道ではあったが、できるだけ周りを傷つけぬように、人が通ったという痕跡を残さぬように付いていった。

 そして、山の麓。切り立った崖の下に、その場所はあった。

 広さはさほど無い。精々20メートル四方ぐらいだろうか。崖のすぐ下に樹があり、その横手には小さな池があった。おそらく、あの樹が霊樹なのだろう。
 樹の大きさは、目測で10メートル程度である。幹がかなり太く、大人五人ほどが手を繋いでようやく届くかどうかといったところだ。枝は大きく広がり、日光が当たれば影が広場全体を覆うかと思われる。他の樹よりも明らかに大きいが、背にある崖が苔によりかなり染まっているので、あると分かっていても離れれば見えにくい。
 何より、空気が違った。ダーマ神殿に似た、しかし明らかに違う空気。
 色濃く漂う魔力は、樹から溢れ出したものだろうか。透明感があるといえばいいのか、作られたものとは違う自然そのものの神聖さが立ちこめていた。


「……………………なるほど、これは圧巻だ」
「クウー♪」

 ハルが呟き、クウが機嫌よさそうに声を上げる。やはりクウも闇の力の影響を受けていたのか、随分気持ちよさそうにしていた。


「「「「「ピッキャアアアアアアア!! 人間だあああああああ!!」」」」」


 ハル達が広場に踏み入れた途端、そこにいたスライム達が一斉に逃げ出した。今日三度目となる状況にハルはもう目を覆うしかない。

「ちょっと待ちなさい! 長! 長はどこよ!」
「り、リン! 掴まないで! に、逃げないと殺されちゃう!」
「殺されないわよ! いいから! さっさと長の居所を吐きなさい!」

 そんな中、リンが一匹のスライムを捕まえて怒鳴っている。捕まっているスライムは必死に体を伸ばして逃げようとしているが、どうにもリンの方が強いらしく全く動いていない。
 リンがそうしている間に、一緒に来たスライム達はバラバラと辺りに散らばっていった。どうやらここの長を捜しているらしいが、見つからないようである。

「霊樹か……ここら一帯に魔力を満たしてるのは分かるんだが……」

 待っていても仕方ないので、ハルは魔力を調べつつ霊樹へと近づいていく。おおざっぱに他の場所と大気に溶ける魔力が違うのは分かるのだが、どこがどう違うのか、闇の力にどう対抗しているのか等、精緻なところまでは理解できない。
 下から見上げてみれば、霊樹はやはり大きく、まるで呼吸をしているかの様な気さえする。吸い込まれるように、ハルはそのまま樹に手をついた。
 瞬間、ハルはその場から飛び退く。クウ達が何事かとハルを見てくるが、ハルの立っていた場所にボトリと何かが落ちてきたことでその答えを知った。

「あ、長だ」
「長!!」

 落ちてきたのは、やはりスライムである。ただし、ボウやリン達に比べ若干その体に張りが無いように見え、目元どころか体ごと垂れ気味であった。

「人間が……こんなところに何のようですかの……?」

 長は、嗄れたような声でハルに問いかける。フルフルと震えているのは同じだが、声に恐れている様子がないのは、さすがに他のスライムとは違うといったところか。

「…………あんたらが魔王の力に、闇の力に侵されていない理由を知りたかった。不躾ですまないな。俺の名はハルだ。あんたらに危害を加えるつもりはない」
「……ここの長のアキと申しまする……ボウとリンが判断したのでしたら……本当にそうなんでしょうな……しかし……ハル殿はなぜそのような事を……? ただ人間の世界に平和をというのなら……我ら魔物を滅せればよいことでは……?」
「………………………………俺が魔王になるためだ」

 ざわりと、ハルの言葉に周りがざわめき立つ。遠巻きにではあるが、先ほど散っていったスライム達がハルとアキの周りを囲んでいた。
 中でも、ハル達の近くにいたボウとリンが驚きを見せる。

「ハル様、魔王様になるの?」
「ほ、ほ、本気!? 人間が魔王になるなんて……」

 一方で、長は酷く冷静にハルの顔を見返す。

「…………本気……なのでしょうな……魔王になって人間を支配しようと……?」
「……別に、人間を支配する為じゃない。魔物を支配するつもりもない。ヤマタノオロチ……ヒミコの為だ」

 正直なところ、ハルはヒミコの事を話すのに抵抗があった。ヒミコとハルの繋がりや、ヒミコが匿っている者達のことを知るものが増えるほど、ヒミコの危険が高まるからだ。
 だが、魔物であるスライム達に人間であるハルの事を信用させるには、必要なことだった。それに、このスライム達は魔王の力を拒絶しており、人間からも隠れ住んでいるのだから、危険も殆ど無いと思われる。

「……………………ヤマタノオロチ様の為に……ですか…………正直なところ…………私には……そういう気持ちは理解できませんが…………」
「ううう……何て……何て人なの貴方は! 愛する人のために、同じ人間の敵にすらなろうだなんて…………」

 アキがゆらゆらと考えている横で、何故かリンが滂沱の涙を流していた。その隣りにいるボウは頭の上に疑問符を浮かべており、こんなところに雌雄の差があるのかとも思わされる。

「俺は生きている限り魔王を倒そうとするだろうが、ヒミコには時間がない。あいつが無事でいられる間に魔王を倒せるか分からない。必要なんだ。だから頼む。闇の力の対抗手段について、何か知っているのなら俺に教えてくれ」
「……………………このまま魔王様が世界を征服するにしても……我らが変わらず暮らすことはできんのでしょうな…………分かりました…………私に分かる範囲でしたらお答えしましょう……」
「―――恩に着る」

 アキは変わらぬ口調で、話を始める。

「…………魔王様の力がなんなのか……それ自体は我らも知りませぬ……。ハル殿が言った通り以上のことは……。しかしながら……ハル殿は……何故魔王様の力が人間に効かず……魔物や魔族だけに効果があるのか……ご存知ですかな……?」
「いや……そういや、そういうもんだとしか考えてなかったな」

 ハルは人間で、ヒミコ達は魔物。頭の中にあったのは、確かにそういう枠組みでしかなかった。思いつきもしなかったことを問うことはできない。ゴウル達に聞けば何かに気づけたかもしれないのに。
 この世界には元々魔物が存在した。バラモスもゾーマも、全て世界が生まれて以後に現れたものだ。ならば、魔物とて人間と同じく天上の神が作った存在に相違ない。
 同じように作られた存在なのに、なぜ魔王の力は魔物にしか作用されないのか。確かにおかしい話である。

「…………私とて……理解しておる訳ではありませぬが……推測はありまする……」


 アキ曰く、この世界の生き物は大別して二種類に分けられるという。
 人間や馬や牛など、存在するのに器の方に大きく比率を持つ器型。スライムに始まる魂の方に存在比率が傾いている魂型の二種類だ。

 器型の方は、器が完全に固定された概念であるため、器が持つ能力以上のことはできないし、Lv上限もそれ程高くない者が多い。しかし、Lvアップ……魂の力が大きくなることにより器が得る力は大きく、その成長は魂型に比べ格段に早い。

 魂型の方は、より如実に魂の力を発揮できるため、器が持つ能力以上のことも可能である存在もおり、Lv上限が高く、特殊能力を持つ者が多い。しかし、魂の力を発揮しやすい分器が得る力は少なく、成長が非常に遅い。

 どちらも一長一短の部分はあるが、ことここで問題になるのは魔力と魂の関係性だ。魔力の起因は魂にあり、魂型の存在は魔力の影響を受けやすい。

「…………闇の力とは……一種の呪いのようなものではないかと思いまする……。魔王様は……その強大な魔力によってこの世界に呪いを掛けているのだと……」

 それは、魂に力を与える呪い。より強く魂の力を引き出して、闘争本能を掻き立てる呪い。ジワジワと、染みるように呪いは浸透していく。魂型の存在である、魔物達はその呪いを直に受けてしまうのだ。

「…………我らは魔物の中でも最も弱い種族でありまする……。ですが……弱いからこそ闇の力の圧迫感はよくわかるのです……。心を蝕んでいく力が……呪いじみたものであると……」

 今アキが語っているのは、あくまでも推測である。だが、闇の力を受けることにより現れる現象を考えれば、様々なことに説明がつくのも確かだ。
 理性を失う変わりに、力を得る。般若の面など、呪われた武具などはまさしくそれだろう。呪われた武具を装備すれば強力な力を得られるが、混乱したり突如体が動かなくなったり、自分の思うように動けなくなる。
 町などの結界内に入れないことや、もし入れたとして町中で力を封じられるのも神の結界が呪いに反応しているためか。徐々に呪いが進行するとなると、クウが町中に入れるのは完全に呪われていないからと考えられる。
 呪いを解く方法といえば、教会に頼むかシャナクの魔法を使うかであるが、前者はそもそも魔物が町に入ることができず、よしんば入れたとしても解呪は祭壇の前でしかできないため、どう考えても現実的ではなく、後者は使える人間がほぼいない。何せ、シャナクの魔法は魔法使いがLv30にならないと覚えないのだから。Lv30を越える魔法使いなど、世界中探しても一人か二人か、下手をすればいないかもしれない。しかも、その方法で本当に解呪できるとも限らないのだ。

「何とまあ……納得できるだけに頭が痛くなる話だな……」
「………………私が知りうる対抗手段は三つのみ……こうして霊樹の空気の中にいるか……霊樹から生み出される雫を飲むか……」

 霊樹とは他の樹木より呼吸が大きいらしい。空気を取り込む際にその中にある魔力も取り込み、樹の中で循環させはき出す。ここに来たとき感じた透明感のある魔力は、そうして生み出されたものだった。
 霊樹から生み出された魔力は魔物に悪影響を与える事はなく、呪いの力を掻き消すことができる。そして、霊樹が作り出す雫には、その魔力と同等の効果があるのだという。

「……お連れのスカイドラゴン殿も……一度飲んでおくとよろしいかと……霊樹の隣にあります池がそれですので…………」
「ああ、後で貰っておく。それで、あと一つは何なんだ?」
「…………我ら魂型の存在は……他者と契約を結ぶことができまする……」
「契約?」

 オウム返しに訪ねるハルに、アキは頷く。

「…………実のところ……私は契約の儀については……詳しく知りませぬが…………己が主と認めた者と契約することにより……魂型の存在は主と魂の繋がりができるといいまする……」

 実際にアキが契約の儀を行ったり見たという訳ではない。遠い昔……アキが祖父より聞いた話だ。
 主と魂を繋げることで、自身が他の者に操られることを防ぐ。主に逆らうことが許されなくなるため、ともすれば隷属させる儀式だと思われがちかもしれないが、本来は主と契約者の間にある絆が切れぬように願う儀式である。絆が神聖なものであれば、そのような儀式は必要ではないのだから。
 魔王の呪いがどれほど強力なのかは分からないが、おそらく契約の儀を行えば外部からの魂への干渉をかなり軽減できると思われる。
 ゴウルなどは呪いの力を浴び続けているのに、全くその影響を受けていないように見えた。あれは、ヒミコと契約していたからなのか。彼に聞けば、儀式のことも分かるかもしれない。

「……本当に、一度帰るべきか。今後どうしていくかも見えてきたことだしな。スライムの長、貴重な情報をくれたこと、心から感謝する」
「……私ごときの話が力になれたのなら……それは重畳ですの…………代わりに……一つ願いを聞いては……くれませぬか……?」
「俺にできることなら…………願いとは?」
「……霊樹と私は長らくの時間同じ時を過ごしてきました…………だから……何となく分かるのです…………霊樹が……もう長くないことを…………」
「お、長! それホントなの!?」「わわわわわわわわわわ」

 アキの告白に、リンが叫んだ。その横では、ボウが超スピードで振動しながら動揺を示している。

「……今日明日……ということはないでしょうが…………後五年持つかどうか…………」
「う、嘘でしょ……? じゃ、じゃあ私達もいつか外の魔物みたいに……」
「…………それで、俺に何を願う? ここの霊樹が枯れない方法でも探せばいいのか?」

 項垂れるリンを横目に、ハルはアキに問う。しかし、アキはゆっくりと体を横に振り、否定の意を表した。

「……もしよろしければ…………ここにいるボウとリンを……連れて行ってやっては……くれませぬか……?」
「ふえ!? 私!?」「え? 僕?」

 いきなり言われて、目を白黒させるボウとリン。アキの意図が読めず、ハルもまた眉を顰めていた。

「……ボウとリンはここの若い者の中でも中心となっている二人…………。もし……あなたの作り出す場所が我らの安寧の場所となるなら……この二人がいれば皆も移りよいでしょう……。そして……外の世界を知り……我らの居場所を築く力を……得て欲しいのでありまする…………」
「……まあ俺は別に構わんが……」

 チラリと、ハルは二人の方を見る。

「………………長がそう言うなら、従うわよ。貴方に付いていったらいいんでしょ?」
「わわ、クウ! 僕も一緒だって!」
「クウ!」

 リンは言われたから渋々といった様子だが、ボウは特に異論はないようだった。そんな二人の様子にハルは軽く肩を竦める。

「なら問題はないな。あと、あの池の水、少しばかり貰っていっていいか?」
「……ええ……構いませぬ…………。むしろ……ボウやリンに必要でしょうから……いつでも採りに来て下され……。二人を……よろしくお願いしまする…………」
「ああ、任された。で、お前らは特に用意とかはいいのか?」
「私は別に……ボウは?」
「僕はねー、えっと……ちょっと待ってて!」

 言うと、ボウは走るように近くの茂みへと飛び込んだ。てっきりボウも直ぐに出られるものと思っていたのか、リンはボウの行動に不思議そうな顔をしている。
 ガサリと、再び姿を現したボウは、その頭の上に何か木の実のような物を乗せていた。

「ハル様ハル様! これあげる!」
「ん? なんだこれ?」
「んとね、霊樹が偶に落とす木の実なんだ。これ食べると、力持ちになったりするの!」
「って、お前それ……」

 思わず、ハルはマジマジと木の実を見てしまった。ボウの頭に乗っている木の実は三つ。二つが大体似たような丸い形で、一つが細長い。ボウの話が本当ならステータス各種を上げられる種の筈だが、どれがどれだか分からない。Lv上限が20のハルにとっては、どの種だとしても非常に有り難いものであるが。

「いいのか? これ貴重な物なんだろ?」
「いいよー。あんまり取れないけど、皆これ食べたりしないし。あんまりおいしくないんだよねー。滅多に見つけられないから、見つけた時にラッキーって集めてたけど、僕もあんまり食べたくないかなぁ」
「……そか。んじゃ、ありがたく貰っておくよ」

 大切かどうかが味によるとは、最初にクウの果物に釣られて捕まったボウらしいと、苦笑しながらハルは種を受け取った。今使うつもりはないが、後々転職しなくなったときの為に荷物の奥へ仕舞っておく。機会があれば、商人辺りに鑑定して貰うのもいいだろう。

「ううう……外かぁ……」
「クウ! ククウ!」
「大丈夫だってリン。ハル様強いし、クウも守ってくれるって」
「何であんたはそう楽天的なのよ! もう! はぁ……魔王様? ちゃんと守ってね? 私弱いんだから」


 アリアハンに来た収穫は確かにあった。やるべき事も見えてきた。ようやく、自分にとってのスタートが切れそうな位置までやってきた。
 しかしながら、これから随分騒がしくなりそうだなと、やたらと元気な連中を見ながらハルは頭を掻いた。






******************

 7話更新……遅いし長いし……。
 設定の詰めが甘かったなぁというだけの話ですが。なんともはや……こういう間の話が上手く書けるようになりたいです。
 
 いつものように裏話は記録のほうへ。



[29793] 新米魔王出立中
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2012/01/12 19:57
一章 八話 新米魔王出立中


「【我らが魂を繋ぐもの。ここに契約を結ばん】」


 明かりを全て消した小部屋の中。ハルの言葉と共に足下に書かれた魔法陣が青い光を放ち始める。
 ハルは右手を地面へ翳し、左手を下へ垂らしているが、左手からはポタリポタリと血が滴り落ちていた。その血が落ちるのに呼応するように、魔法陣から放たれる光が強くなる。
 魔法陣の上にいるのは、ハルと連れ帰った三人の魔物達。彼らはハルが呪文を読み上げるのをじっと待っていた。

「【我を主と認めし者よ。互いに深き絆を欲すれば、その心が真なることを誓え】」
「クウ!」「誓うよー」「誓うわ」

 三人が答えると同時、魔法陣の光が最大に達する。光はハル達を包み込むように広がり、ゆっくりと消えていった。

「…………これで成功したのか?」
「うむ、問題はなさそうだのう。お主の配下に聞いてみれば直ぐ分かるじゃろう?」

 ゴウルに言われ目をやると、三人は固まって何やら騒いでいた。

「クウウ!? クウックウ!」
「おおおおお!? 何これ!? 何これ!? 凄い凄い!」
「うっわー……凄い不思議な感覚ねぇこれ……。でも、確かに呪いの圧迫感が殆ど来なくなってるわ……」
「……成功みたいだな」

 上手くいくかどうか不安だっただけに、ホッとハルは安堵のため息を吐いた。

「ハル様! 終わったのでしたら治療を!」

 と、心配げに言うのは今までソワソワと儀式の様子を見ていたイヨである。魔法陣を起動させるのに自身の血を用いる必要があったため、ハルは手にそこそこ深い傷をつけていた。思い出させられると、ジクジクと痛みが来る。

「あーやべ、痺れてきた。頼むイヨ」
「はい!」

 答えると同時に手にホイミをかけ始めるイヨ。こうして会うのは半年ぶりぐらいだが、やはり過保護であるのに変わりはない。

「しかし……突然帰ってきたと思えば主従の儀を教えろとは……本当に、ジワジワと魔王への道を歩んでおるな」
「ようやくスタートライン手前ってとこだけどな。ん、もう大丈夫だ。ありがとう、イヨ」

 手から完全に痛みが引き、確認するように軽く手を握ったり開いたりしながら、ハルはイヨに礼を言う。言われたイヨは、何でもないことだと首を振った。

「いえ、私にできることなんてこんな事ぐらいしかありませんし……。傷は治っても失った血は戻りませんので、どうかお気をつけを」
「ああ、分かってる。散々世話になってるからな」

 肩を竦めながら言うハルに、イヨは本当に分かっているのかと眉を顰める。彼女としては、あまり回復呪文の世話になって欲しくはないのだろう。もっとも、そんな状況じゃないのは重々理解しているだろうが。

「んで、じっさい契約ってどんな感じなんだ? 俺にはさっぱり分からんのだが……」
「なんかねーなんかねー。ハル様のことがわかるっていうか、繋がってる!って感じ?」
「抽象的すぎて言いにくいんだけど……ハル様がより近くになったような感覚ね」
「クウ! クウウー♪」

 三人の解答に(クウは何を言ってるのか分からなかったが)ハルは目を細めて頭を掻いた。聞いてもやはりさっぱりだったが、もはやそれはそういうものなのだと納得するしかないのかもしれない。

「分かりにくいじゃろうが、これでお主らはハルに危害を加えることができなくなった筈じゃ。後は魔王様の力……お主らが呪いと呼んでおるそれの影響もある一定以上は出んじゃろう」
「やっぱ完全に防げるってわけじゃないのか?」
「んー、みたい。すっごい楽になったけど、まだ何か来てるのわかるもん」
「どこまで大丈夫か分からないけど、霊樹の雫も定期的に飲んだ方がいいとは思うわ」

 ハルの問いに答えるのはスライム二人だ。種族的に弱いからこそ、自分に影響を与えてくるものに敏感だというが、この二人が言うなら間違いはないのだろう。

「契約した以上は主以外の影響が強くでることはあまりなかろうが……相手が人間であるし魔王様の力は強いからのう。念には念を押しておく必要はあるか。しかし……そのスライムの長とは一度話してみたいものじゃの。儂の知らんことも知っておりそうじゃ」
「ま、そのうちな。んで、少しばかり相談があるんだが……」
「……………………珍しく神妙じゃの。何じゃ?」

 いつもならばずけずけとものを言うハルが、前置きを述べることにゴウルは眉を顰めた。どうやら、また何かよからぬ事を考えているらしい。
 果たして、ゴウルの予感は当たっていた。しかしそれは、想像していたものを遙かに超えていた言葉であったが。




「ゴウル、ヒミコを裏切るつもりはないか?」




***




 スライムの霊樹からアリアハンへと戻ったハルは、まずロドリーらにある程度の調査の完了と、大陸へ帰る旨を告げた。エベットは非常に残念そうであったが、元よりハルが滞在するのはアリアハンでの調査が終了するまでの予定であったため、仕方がない。別れの朝は、クウも名残惜しそうにエベットに頭を擦りつけていた。
 ルーラで大陸の波止場まで帰ってきたハルは、漁師達にジパングまで乗せていってもらえないかどうか頼んで回った。さすがに、そこまで遠方に漁に出るような船は殆ど無く、なかなか足を得ることはできなかったが、三日目にして近場まで行くという船があったのでなんとか乗せて貰うことができた。クウやボウ達は大きめの荷物袋の中で窮屈な思いをさせてしまったが、こればかりはどうしようもない。
 ようやくジパングに帰ってきたハルは、半年ぶりにオロチの洞窟へ入り、ゴウルに契約の儀について教えを請うたのである。


 そして、ハルの言いはなった言葉にゴウルは無言で杖に手を掛けた。


「…………貴様、どういう所存でそれを儂に問うておるのじゃ?」
「は、ハル様! ゴウル様!」
「ク、クウ!?」「え? 何々? どういう状況?」「ちょ、ちょっとハル様! 何言ってるのよ!?」

 突如として二人の間に走った緊張に、周りの面々が慌てる。イヨは二人を止めようとしているが、渦中の二人はただ静かに目を合わせていた。
 やがて、ハルがフッと笑って両手を挙げる。それを見て、ゴウルも肩を竦めため息を吐きながら杖を降ろす。周りはそんな二人の行動に、ただ首を傾げるばかりだった。

「それで、儂には皆目見当もつかんのじゃが、何をさせたいのじゃ?」
「何をさせたいというかな、これから相談して考える訳なんだが」
「何とも行き当たりばったりじゃのう……それで先のようなことを問うでないわまったく」
「えっと……ハル様? ゴウル様? さっきまでの空気はどこへ……」

 普通に会話をし始めた二人に、やはりついて行けなかった面々。その中からイヨが代表して質問した。やれやれとばかりにゴウルがため息を吐く。

「そもイヨ。こ奴の先ほどの問いかけにどのような意味があるか分かっておるか?」
「意味……ですか? その……すいません。言葉通りにハル様がヒミコ様を裏切ろうとしているとしか……そんなことはありえないとは思ってるんですが……」
「そう思っておるのなら分かるであろうに。こ奴がヒミコ様を裏切るのはありえない。そしてそれ以上に、儂がヒミコ様の利に適わぬことをするはずがない。それを重々承知の上ならば、先ほど問うておったのが儂の覚悟の程であるというのは理解できるじゃろう」
「覚悟?」

 オウム返しにリンが問う。

「うむ。ヒミコ様を裏切ってでも、たとえヒミコ様に見捨てられようとも、ヒミコ様を救おうという覚悟じゃ。儂を怒らせたのもそこじゃのう。確かに儂にとって、この身よりも大切な忠誠じゃが、ヒミコ様を救えるのなら安いものじゃろうて」
「結局、聞いた俺が野暮だったって話だよ」
「…………ねね、クウ分かった? 僕よく分からなかったんだけど……」「クゥ……」

 ぼそぼそと未だに頭の上に疑問符を浮かべている二人を脇に、ハルは軽く肩を竦めた。

「んじゃま、まずは状況の確認だな。とりあえず、さっきの主従の儀に関してだが……」


 儀式を行う前に、ハルが確認したのは以下の二つである。


 一つは主から従者に対してどれほどの強制力があるか。
 主従と言うだけあって、主には従者に対して命令権が存在する。それを行使には、主の口から直接命令を言われることが必要であり、従者が命令を受け入れなければならない。例えば、主が従者に『死ね』と命じても、従者がそれを拒否すればその命令は無効となる。
 しかし、一度命令を受け入れた場合、従者は絶対にそれを果たさねばならない。敵陣に突撃し命の限り戦い続けろという命を受けた場合、結果として同じく『死ね』と言われているのに違いはないが、従者は命令を果たすために邪魔な恐怖などを抑えることができる。死を前にして、恐怖で体が鈍るなどということがなくなるのだ。文字通り、命の限り。手が千切れようが、腹を割かれようが、少しでも動けるならば戦い続ける死兵と化す。相手からすればこれ程恐ろしい敵もそうそういないだろう。
 そして、従者は主に害のある行動は取れない。この制約には色々と条件があるようだ。


 1,主に敵意を持って害を与えることはできない。ただし、主を守るために突き飛ばしたり、じゃれ合い程度のことは容認される。

 2,主が直接的に不利になる行動を行うことはできない。例えば、直接害を与えるようなものでなくとも、ゴウルがヒミコの事を魔王側に密告したり等の行動は取ることができない。ただし、主が望まぬ行動や一見不利に見えるような行動でも、主を守るための行動であるならば容認される。

 3,主の為に動いている、他の従者の行動を阻害する事はできない。これは従者が命令を下した者にも有効である。


 以上のことから言えるのは、従者は主に対して絶対に敵対行動を取れないということだ。しかし、ヒミコがハルのことを容認しているように、グレーゾーンが存在しているようである。


 そしてもう一つは、契約を解除する方法。これは非常に単純で、主か従者のどちらかの死亡。それだけのようだ。

「一応聞いておくが、バラモスとヒミコの間に契約は……」
「無論、バラモス様の直下の方々……所謂幹部クラスの方々は皆バラモス様と契約を交わしておる。主に誓いさえ立てれば、心でどう思っておっても契約はなされるからの。裏切り者が出ぬように、もし裏切ろうと思えど何も出来ぬように、魔王軍においては臣従ではなく隷従の為の儀式という認識じゃからの」
「なら、ヒミコを真に自由にするには、どうあってもバラモスを倒さないとならんわけだ」

 どう足掻いても、ハルの目的とバラモスの存在は相反する。
 ハルのとるべき道は、魔王バラモスの打倒。可能性なら様々に有った筈だが、もはやどの道もハルはとることができない。ハルの目的はヒミコの完全なる解放。ヒミコの意志が奪われる可能性が残るのなら、それは目的を達したことにならない。バラモスの死こそが、ハルの目的に唯一辿り着く手段なのだ。
 元々ハルは魔王を打倒するつもりではあったが、まだ他の選択肢が存在してはいた。しかし、ハルには幾つも選択肢を残しておく余裕などない。だからこそ確認したのである。自身の目的地を定めるために。
 後は、どのようにしてそこに辿り着くかだ。

「アリアハンで勇者の存在は確認した。旅立ちまで後半年と少し。勇者の辿る筋道は俺の記憶でもいくつかあるが、最短でも二年以上……ヒミコの驚異になるほどだったら三年から四年は必要だと思っている。予想を外れない範囲での話だがな」
「ほう……それは有用な情報ではあるの。お主の言葉を信じるなら、勇者はいずれゾーマ様をも討つ程の存在……警戒するに超したことはあるまい」
「今のところ若いなりにはそこそこの実力が有るみたいだが……一般的な人間の範囲を大きく超すほどじゃない。だが、才能ってのはどこで開花するか分からんからな」

 閉鎖された領域内での訓練よりも、旅をする中での生きた経験の方が遙かに人を成長させる。ほぼ間違いなく、人間の中でも最高クラスの才能の持ち主の筈なのだ。ハルの予想を超える可能性は多分にある。

「……爺さん、ヒミコは後どれぐらいこうしていられる?」
「…………どういう意味じゃ?」
「どれだけの時間、ヒミコは無事でいられるのかって言ってるんだ。こうして生贄を匿っていることは、確実にバラモスの意志に反している行為だろう? 直接的にバラモスの不利になるようなことじゃないから、制約も働かないんだろうが……それが知られたときヒミコはどうなる?」
「…………裏切り行為と思われる可能性は高いじゃろうな。殺されることはないじゃろうが……自由意志を奪われることはあり得る」

 それは、ヒミコの誇りを汚す行為。ただ死ぬよりも、遙かに、ヒミコの存在を冒涜する所行。
 ヒミコが意志を奪われ、元に戻せないのなら、それはハルの負けと同義である。

「ここが限界を迎えるまでたぶん長くても後三年ってとこだろう? そうなったとき、ヒミコはここの娘達をどうする?」
「やむなく殺す……ことはなかろうな。過去に魔王軍で行われた侵攻の際ですら、あの方は戦いの意志を持つ者以外を殺そうとはしなかった。さすがに他の者が殺しているのを止めるほどではなかったがの……ましてや、匿った者達を殺すことなどありえんじゃろう。どうしても限界が来たときは、ここから逃がそうとするかもしれんな」
「今ですらやっとこ隠している状態でどうやって逃がす? どうするにせよ、バラモスの配下に気付かれぬようにっていうのは殆ど無理だろ?」
「最悪……我が身を犠牲にされるやもしれんな……」
「そんな!?」

 ゴウルの言葉に、イヨが声を上げる。ヒミコの腹心であるゴウルの言葉であれば、限りなく真実に近い話だ。ハルもゴウルも、可能性があるどころかこのままではいつか必ず訪れるであろう未来であるとすら考えている。

「…………結論から言えば、三年でバラモスを倒さないとヒミコは救えないってことだな」
「………………お主に成せるのか?」
「無理だ」

 きっぱりとはっきりと、ハルは即答した。

「この一年限界まで鍛えた状態で、ようやく中級クラスの魔物と一対一ならなんとかって程度だ。なまじ、俺が至れる強さは頂点が見えてるからな。何か……劇的な変化がない限り、どれだけ時間が有ってもバラモスどころかボストロールとまともに戦う事すらできんだろう」
「え? じゃ、じゃあどうするのよ? ハル様の目的が達成できないってことでしょ?」

 あくまでも冷静に分析するハルに、リンが不安そうに体を揺らす。口には出していないが、イヨやクウもリンと同じような視線をハルに向けていた。ボウは話の流れについて行けてないのか、惚けたように疑問符を浮かべている。
 ハル以外ではただ一人、ゴウルだけが言葉の真意を読み取ろうと目を細めていた。

「……して、どうするつもりじゃ? 諦めるつもりなど毛頭ないのであろう?」
「当然。まあアレだ。結局、道はこれしかなかったんだろうがな」

 自嘲するようにハルは肩を竦める。回り道をしたつもりなどないが、ハルの目的を考えれば絶対必要な事柄だったのだ。


「国を作る。人と魔物が共に暮らす、そんな国を」
「建国なされるのですか!?」「クウ?」「ほ、本気!? できるの!?」「……ふむ」


 ざわりと、ハルの宣言に皆がそれぞれに反応を示す。ただ、ボウだけは理解するまでに時間が掛かったか、反応が遅れていた。

「え~っと……あれ? ハル様って魔王様なんだから当たり前なんじゃないの?」
「当たり前ってあんた…………私達が人間と暮らせると思うの? あんただって、人間の怖さをよく知ってるでしょ?」
「そうだけどさ、ハル様も人間じゃん。僕、ハル様は怖くないもん。リンだってそうでしょ?」
「いやそりゃ……まぁ……」

 どこがおかしいのかといった様子のボウに、珍しくリンが押し負けている。二人の様子に苦笑しつつ、ハルは一つ頷いた。

「ま、ボウの言うとおり不可能なことじゃないと思う。人間にだって俺やイヨ、ロドリーのおっさんやエベットがいる。魔物にはクウや爺さんやボウ達、それにヒミコがいる。要するに、双方が敵対しない空間を作って、理解を深めていけばいい。時間は掛かるだろうがな」

 ヒミコは人間と魔物の双方に情を抱いている。彼女が望むのは、どちらもが幸せに暮らせるような世界だ。ならば、それを叶えるのがハルの役目である。

「双方が敵対しない空間を作るには、魔王の呪いが邪魔だ。だから、対抗策を見つけなきゃならん。霊樹の雫や霊樹自体も手段の一つではあるが、もっと根本的なものが必要だろう。例えば、呪いを排除する結界とかな」
「…………それでヒミコ様を裏切る覚悟か」

 長年ヒミコの側近をしているだけあって、やはりゴウルは頭が回る。ハルがこの先言いたいことを完全に予見しているようだ。

「ヒミコは俺のことを黙認しているが、はっきりバラモスと敵対している訳じゃない。目に見えて俺に協力することはできんし、するつもりもないだろう。下手に刺激して、ジパングの人間が危険に晒されるのは一番避けたいだろうしな」

 しかし、ハルがもし対抗策を見つけたとしても、仕掛けることができなければいざというときに役に立たない。普段使っている魔法のように、自身の魔力だけで即時発動できるのならばいいのだが、何か物を設置したり魔法陣を使ったりと、準備が必要であるならハルよりもゴウルの方が仕込みやすいだろう。

「できるなら、対抗策を見つけて人間やバラモスに簡単に負けない力を付けた上でヒミコを説得したいところなんだが、どこまでやれるか分からん。どうしても間に合わなかったときに、ヒミコを助けられるようにしておきたい」
「うむ……ヒミコ様を助けることに異存はない。じゃが、まだ肝心の対抗策が見つかっておらぬのが痛いのう」
「手がかりが全くないわけじゃない。幾つか思いつく方法もあるし、それは三年以内に必ず見つけるさ」

 王都や町々に存在する結界や主従の儀のように、この世界にはハルですら知らない魔法が幾つか存在している。ハルの知識内に存在する闇に対抗する呪法だってあるかもしれない。決して、不可能ではない筈だ。ただ一つハルには不安要素があったが……そうならないように願うことしか今はできない。
 そして、国を作り、ヒミコを助けることさえできれば、後は力を蓄えバラモスに軍勢をもって挑む。個の力が足りないのであれば、数で補おうというのがハルの考えだ。
 もちろん、ただ数を揃えただけでは話にならないだろう。最低でも、今のハルクラスの能力が無ければバラモス相手に通用しない。
 また、ハルは魔物達に魔王として認められなければならない。魔物にも、人間にも多くの味方を作る必要がある。



 さぁ、ここから全てを始めよう。



「やってやる。必ず……俺は魔王になる」




***




 空が若干白み始めた、まだ誰もが寝静まっている早朝。ハルは両手を胸の前で構え、静かに魔力を錬っていた。
 そこに魔法式を入れると、圧縮され球体に固定された魔力が発光を始める。後は唱えれば直ぐに魔法が発動するが、そのまま暫く発動させずに保つ。すると、球体の中心部から炎が徐々に姿を見せ始めた。
 ハルは戦闘中以外は常に一定の魔力を操作している。魔力を操作するのは魔法使いの基本中の基本であるが、ハルのように一日中それをしている人間はいないだろう。だからこそ、他の人間では考えられない程の進歩を見せている。
 そのハルがごくごく最近気付いたのが、入式以後も魔力を弄ることが可能だという事である。入式した時点で魔法の性質自体は確定しているので、さすがにメラをヒャドに切り替えたりはできないようであるが、例えば今のようにじっと保っていたりすると、発動させずとも魔法が表れ出したりするようだ。下手に弄ると直ぐに魔法が崩れ始めるので、よほど魔力操作に長けていなければできない技術なのだが、実のところ意味自体はあまりない。ひょっとしたら無詠唱発動がこの先にあるのかもしれないが、今はハルも訓練の一環でやってる程度だ。
 完全に姿を見せた炎に、ハルはさらに魔力を込めていく。赤い火は徐々に色を変えていき、白から薄い青へと到達する。


「『メラミ』」


 発射された青い火球は、着弾した場所の草を灰すら出さずに燃やし尽くした。普通の魔法使いなら驚いて目を見張る光景だろうが、ハルは確認するように頷くだけである。

「ん、そこそこ。もうちょいで実戦でも使えそうだな」
「クウ!」

 普段よりも早い朝の訓練が終わったのを見て、クウがハルの元へと寄ってくる。その頭の上にはボウとリンが乗っていた。

「ほんと、こんな日にまで訓練するとか、ハル様って変なとこ真面目よね」
「にゅー……ハル様……おなかすいた……すぴー……」

 感心半分、呆れ半分といった様子のリンと、朝早く起こされて八割方寝ているボウ。二人を見て苦笑を浮かべながら、ハルは軽く肩を回した。
 ハルがジパングに帰ってから二月。着々と準備を進め、今日ようやく出発の日だ。

「しかし、見違えるもんじゃな。最初は儂が軽く叩いた程度で気を失っていた者が、今やごうけつ熊も一蹴とはの」
「欲を言えばもうちょっと上のランクでも一蹴できたらいいんだけどな。ま、こっから先はまた転職してからだな」
「向かう先はとりあえずダーマかの?」
「ああ、あそこは人材豊富だし知り合いもいる。協力者を探すのに丁度いいだろ」

 できることなら、フォーテやランドに協力して貰いたいところだが、教会のトップクラスの立場である彼らではまず無理だろう。暫くは人材の見極めと、再びLv1に戻る自身の強化に努めなくてはならない。
 まぁ、今回は能力に左右されることのない攻撃魔法があるので、前回ほど苦労することはないだろうが。

「ハル様、どうかお気を付けて」
「ん、今度は少しばかり長くなるからな。お前も息災で。あいつのことを頼む」
「はい!」
「クウ~。クックウ~」

 最初に比べれば、随分と大きくなったクウがイヨに頭を擦りつけている。元より人懐っこい性格であるが、イヨのことは特別気に入っているようだ。
 イヨはクウと、その上に乗っているスライム二人を優しく撫でる。

「クウも、ボウもリンも、ハル様のお手伝い頑張ってね?」
「クウ!」
「まぁ……私にできることはやるわよ」
「うにぃ? うんうん……だいじょーぶー……」
「……あんたはいい加減起きなさい!!」

 楽しそうにしているメンツに軽く頭を掻きながら、ハルは視線をさらに奥へと向ける。普段よりも幾分簡素な白い着物に身を包み、楽しそうな笑みを口元へ浮かべて、彼女はゆっくりと歩いていた。手に何か白い包みを携えている。

「もう行くかえ?」
「ああ」

 簡潔な問いに、一言で答える。

「まぁ、まだまだなのは確かであるが、少しばかりは見られるようになったのう」
「そりゃ何よりだ。次に逢うときには完全に認められるようにはなるかね?」
「そなたの頑張り次第ではないかえ?」
「もっともだ」

 打てば響くというのはこういうことか。彼女との掛け合いもこれで長い間お預けとなる。

「精々やれるだけやるがよい。妾を退屈させるでないぞ?」
「当然。楽しませてやるから覚悟してろ」

 顔を見合わせてニッと笑う。ああ、本当に会話をするだけで心が躍る。
 スッと、彼女は手に持っていた包みをハルへと差し出した。

「餞別じゃ。使うがよい」
「ん……おいおいこれは……」

 中から現れたのは、鞘に収められた一本の剣。
 シンプルな柄に、純白の鞘。

「くさなぎの剣。ジパングで最も優れていた鍛冶屋が打った剣じゃ。本人は随分前に生贄の娘と逃げ出したがのう」
「いいのか? こいつは国宝クラスだろ? それにバラモスの敵対者に対する支援になるんじゃないのか?」
「何、倉の中に放ってあった物を何の気無しに取り出して、それが不注意で盗られたというだけの話じゃ。まぁ、飾っておくのが剣の役目ではあるまい? 使われてこそ初めて剣は生きる。剣にとってはその方がいいかもしれんな。まあ、盗人程度では少々役者不足じゃろうが」
「…………なら、早く見合うようにならなきゃいかんな」

 一度少しだけ刀身を出し、すぐに収める。この世界じゃ指折りの武器だ。実力さえ伴えば、この剣でバラモスとも十分戦えるだろう。
 今まで使っていた鋼の剣を腰から外し、くさなぎの剣へと替えた。本当に、役者不足も甚だしい。重さはむしろ軽い位なのに、そこにある重みが違う。

「…………よし、行くか」

 一つ頷いて、ハルは仲間達を呼び寄せた。ちっぽけな魔王軍の旅立ちである。

「しっかりせいよ?」「ハル様頑張って下さい!」

 ゴウルとイヨが言葉を綴る。
 それに軽く笑みを返して、ハルは彼女の顔を見た。

「じゃあ、行ってくるわ。またな、ヒミコ」
「うむ。行ってこい」

 最後まで簡潔な会話だ。しかし、この二人にとってはそれが一番だった。

「『ルーラ』!」

 魔法の発動と共に、ハル達は光に包まれて空を飛んだ。残された三人が、その軌跡を追う。一瞬で彼らが消えた空を見て、ヒミコはまた一つ笑みを漏らした。

「さて、では帰ろうかのう。あまり留守にしては皆に怪しまれる」
「ですな。イヨ、裏へ回るぞ」
「はい!」

 生贄の部屋へとこっそり戻る二人と、屋敷へ静かに帰るヒミコとでは最初から向かう方向が違う。
 二人と別れた直後に、今一度だけヒミコはハル達が消えた方を仰ぎ見た。




「またな……か……。本当にそうなればいいのう……本当に……」




***




 時はしばし戻って、ハル達がジパングへ帰る直前。
 アリアハンの王都へ向けて、二千人程度の軍勢が移動していた。掲げられているのは、アリアハンの国旗である。
 行軍速度からいえば、後数時間程度で王都に辿り着くだろう。レーベの南西にある山岳地帯での訓練だ。三ヶ月もの間帰宅していない兵士達が、どことなく浮ついた様子であってもそれは仕方ないことだろう。
 隊は男性の割合が多いが、決して女性がいない訳でもない。男性顔負けの実力を持った女性もいるし、随伴している魔法隊には女魔法使いの姿も多い。男性と同じように訓練してきた彼女たちも、久しぶりの帰還である。その口に蓋をするのはなかなか難しい。

「こんな長い訓練アリスちゃんもよく頑張ったわねぇ」
「もう私と同じぐらいのLvだし、魔力を使うセンスもいいものね。ほんと、自信なくしちゃうわよ……」
「いやそんな! まだまだですよ! ヒャドなんかまだ余分に魔力使っちゃいますし、ギラも全然無駄が多くて……」
「その年なら十分過ぎるわよ。日に日に上達してるし、きっとふとした拍子に一気に伸びるんじゃない?」

 そう周りから称賛を受けているのは、中でも一際若い少女だった。おそらくは十代の半ば頃、長く赤い髪をポニーテールにしており、明るく可愛らしい笑顔が彼女の性質を現している。

「ダメですようそんなに褒めちゃ、調子に乗っちゃいますから」
「あら、じゃあもっと訓練厳しくしようかしら? 後数ヶ月もしたら旅に出るんだし、少しオーバーワーク気味でもいいくらいかも」
「いやそれは……その……お手柔らかにしてくださると嬉しかったり……」

 しょぼんと言うアリスの姿に、周りにいた魔法使い達が楽しそうに笑う。からかわれたのが分かって少し恥ずかしそうにするも、可愛がられていることは理解しているので文句も言えず、アリスは視線を少し前の方へと向けた。
 そこを歩いているのは、アリスと同い年ぐらいの少女である。肩口のセミロングで整えられた濃紺の髪に、優しさを印象付かせる目を中心に整えられた顔立ち。初めて彼女を見た人間は、そんな美少女がベテラン兵とも渡り合う実力を持っているなど、到底思えないだろう。
 アリスの幼なじみであり親友である彼女は、何故か空を仰ぎながら進んでいた。
 からかってくる魔法使い達の囲いから逃げるように、その近くへと駆け寄る。

「どうしたのリルム? 何か見えるの?」
「…………いえ、今空を何かが通った気がしたんですが……」

 目を細めて空を見上げているリルムと同じように、アリスも空を仰ぐが、何も見えない。

「んー……私は何も見えなかったけど……もしルーラの軌跡だったら向かう先はレーベかなぁ。でも、皆気付いてないみたいだし、レーベぐらいだったら気付かない程高い位置まで上がらないよね? 気のせいじゃない?」

 基本的に外の人間が入ってこないアリアハンで、他の大陸に向かうルーラをするような者は存在しない筈である。この何十年もの間、外にいったことのある人間なんて、それこそ巡礼の神官達ぐらいだ。そして、他の大陸にはいるらしいが、アリアハンには魔法使いの教会所属者は存在しない。どう考えても、リルムの気のせいだとしか思えなかった。

「気のせい……ですかね?」
「そうだよ。訓練で疲れてるしさ、そんなこともあるって。ほら、もうすぐ王都だよ? 早く終わらせて帰りたいね」

 明るいアリスの言葉に、リルムは「そうですね」と微笑み返す。帰れば、母と祖父がリルムのことを待ってるだろう。女手一つで自分のことを育ててくれた母は、きっと心配しているだろうから早く帰って安心してもらいたい。

 アリスに手を引かれながら、それでもリルムはもう一度だけ空を見上げた。



「気のせい……ですか……」





 徐々に、確かに、勇者の胎動は世界に響き始めていた。





******************

 や、やっとできた……。くそう……落ち着かないんだよ仕事場。急に人来るし忙しくなるし……orz。普段通りだったらできてた筈なのになぁ。時間まで予告して失敗したよちくせう。
 お待ちいただいてた方には申し訳ない。後は記録の方で。




[29793] 駆け出し魔王誘拐中
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2014/03/05 22:52
二章 一話 駆け出し魔王誘拐中


 火を制する者は戦場を制する。


 轟と火が猛るその場所は、まさしく戦場であった。
 狂ったように刃物を振るい、喧々囂々と声が飛び交う。右へ左へ人が流れ、次々と状況が変わっていく。
 その戦場にて火を押さえつけていた青年が、大きく手を動かす。それはこの混乱を収めるのに必要な一手であった。


「野菜炒め上がりましたーー!!」
「よっしタクト!! 後二・三品で注文一旦落ち着くから、終わったら飯食ってこい!!」
「あざーっす!!」



 ダーマで人気の大衆向け食事処『ゴッダ亭』は今日も繁盛しています。




***




 青年が気が付いたとき、世界は全て変わっていた。見知らぬ土地。見知らぬ風景。見知らぬ人々。それは、青年が生きてきた世界とは明らかに異なるものだった。
 ここがどこか分からない。行く宛もない。どうすればいいのか分からない中で、青年は死を幻視した。
 こんな所で孤独に死んでいくのかと絶望にうちひしがれて、人混みを避けるように路地裏で座り込んでいた。
 今思えば、相当に運がよかったのだろう。座り込んだ場所がたまたま料理屋の裏手で、ゴミを捨てに来た店の主人が、浮浪者を拾ってくれるような人物であったのだから。

「はー落ち着くわー。やっぱ仕事の後は冷たい物だよなー」

 露天で買ったジュースを飲みながら、タクトは一息吐いていた。店の方も夜のかき入れ時までは人も入ってこないだろうし、少しばかりゆっくりする時間がある。
 この世界に放り込まれて早一年。最初は何も分からなかったのだが、少し余裕ができてみればここがドラクエ世界だとすぐに気が付いた。暮らしている内に耳に入る話で、どうやら三作目の世界だと理解した。
 分かった始めは興奮がこみ上げて来たが、よくよく考えてみれば自分はこれといって体を鍛えていたわけでもなく、生きていくことすらかなり難易度の高い話だ。さすがに若干Lvは上がったが、魔法なんかを使えるようになることもなく、何かを為すのは無理と早々に諦めた。
 店長の好意で何とか暮らしていけているし、元の世界では調理師学校に通っていたお陰で重宝もして貰っている。帰る方法が分からない以上、日々を精一杯に生きるしかタクトに道はなかった。

「最近はめぼしい冒険者ってなかなかいないよなー。Lv高くても15以下ばっかだし、スキル高いのもあんまり……あ、あいつこの前より剣のスキル上がってる。努力してんだなー」

 そんなタクトの趣味は、町行く人間のステータスチェックである。
 何故かは分からないが、この世界にやってきたときからタクトの目には、人のLvやスキル、アイテムを見透かす力が宿っていた。
 少し意識をすれば、その人物の現在Lvと職業、次のLvまでどれぐらい経験値が必要でLv上限はどこなのか、スキル(技術)は大体どれぐらいのクラスなのか、見えているアイテムはどんな名前で、どのような性能と状態なのか等が見えるのである。
 ようするに、王様の力にちょっとプラスアルファした鑑定能力であった。タクトはこの能力をシンプルに『超鑑定』と呼んでいる。商人であったら喉から手が出るほど欲しい力であろうが、商売人としての能力を持ち合わせていないタクトでは宝の持ち腐れもいいところだ。今ではこうして暇つぶしの道具程度にしか役立っていない。
 まぁもし、万が一勇者でも見つけることができたのなら、元の世界に帰るのに手を貸してくれるかもしれないと、淡い期待があるのも確かだが。

 タクトがなんとなしに町行く人を眺めていると、ふと目にとまった人物がいた。半年以上前に、ゴッダ亭で食事をしていた冒険者である。
 よほどよく見かける冒険者ならともかく、一度見ただけの冒険者を覚えているような記憶力があるわけじゃない。何やら神官らしき少年と話していた内容が際だっていた為に印象が強かったのだ。
 Lv1だったは転職したからか、それだけ見れば確かに有象無象の冒険者達よりも頭一つ抜けた存在ではあったのだろうが、いかんせんLv上限が低すぎた。普通の人間で大体25から30ある上限が、その冒険者は20と転職がギリギリ可能なところしかなかったのだ。
 装備も特別際だった物はなく、ギリギリで上級クラスに足が掛かる程度の冒険者が、魔王を倒すなどと言っていたのである。随分と無謀な事をと思ったものだ。

「よく生きてたなー。無茶して死んだんじゃないかと思ったんだけど……げっ! もうLv20まで上がってる!? どんな荒行すればこんな短期間にそこまで上げれんだよ? 剣スキルはFだけど魔力使用スキルはCって……」

 タクトの能力は割とフレーバーな部分がある。特にスキル関係は、持ち合わせている技術を合わせた大体総合的な大ざっぱなもので、同じランクでも人によってかなり違いがある。しかし、今まで見てきた中でCランクというのは存在しなかった。冒険者ならば高くてもD。殆どはGからEの者ばかりなのだ。スキルランクCとは、他の人間とは一線を画する技量の持ち主に相違ない。
 装備自体は殆ど変わっていない。相変わらず鎧は量販物の皮鎧であるし、盾や兜は無くインナーも冒険者がよく好むただの旅人の服だ。しかし、腰に付けた白鞘の剣が目を引いた。全ての装備の中で、シンプルながらも美しいその剣だけが浮いている。
 タクトはジッとその剣に目を凝らして――次の瞬間に思わず駆けだしていた。
 タクトが読み取ったその剣の銘は、くさなぎの剣。タクトが知る限りでは、それを手に入れる方法はただ一つだけの筈だった。

「なぁ! そこの白鞘の兄さん!!」
「あ?」

 人混みを掻き分けながら、青年の背中に向けて声を掛ける。特徴的な鞘であるのは自覚しているのか、青年はタクトの声に振り向いた。
 この時、タクトはこの世界の事に気付いた時と同じほど興奮していた。後から考えてみれば、当時の自分を殴ってでも止めたいと思わずにはいられない。そんなことを後々思うなどとは露知らず、タクトは興奮のままに青年に話しかけていた。

「あんたの持ってるのくさなぎの剣だろ? それどうやって手に入れたんだ? それってヤマタノ―――――――」

 タクトの言葉は最後まで紡がれることは無かった。話しかけた青年に口を塞がれ、一気に路地裏まで連れて行かれたからだ。
 いくら相手が魔法使いといえど、転職した上でLvを上げた相手に、低Lvのタクトが抗うことなどできるわけもなく、為すがままに人気の無い所まで引きずり込まれる。
 混乱し、何が起こったのかも分からないまま放り出されたタクトの喉元に、青年はナイフを突きつけてきた。

「ひっ―――――」
「騒ぐな。こんなところで死にたく無いだろ?」

 静かに問うてくる青年に、タクトは言葉を飲み込んで目で了承を訴えた。それを見て、青年はナイフを引く。

「安心しろ、逃げ出したりしない限りは何もしない。俺の質問に答えればそれでいい。分かったな?」
「は、はい」

 体を震わせ、顔を引きつらせながらも何とか返事をする。タクトの様子を見ながら、青年は静かに頷いた。

「まず、お前は何者だ? なんでこの剣のことを知っている?」
「お、俺はこの町の飲食店で働いてるただの下っ端です。その剣の事はゲームで……」
「ゲーム?」

 眉を顰め、問い返された事柄にタクトは声を詰まらせる。思わず言ってしまったが、この世界の人間に対して、自分は違う世界の人間で、この世界は自分の世界の娯楽の一つだったなどと言って信じられる訳がない。頭のおかしい奴だと思われるか、巫山戯てると見なされて殺されるか。何とか上手い説明を考えようにも、焦って頭が回らない。
 だが、そんなタクトを余所に、青年は考えるように口元に手を当てながら次の質問をしてきた。

「……何で一目でこれがくさなぎの剣だと分かった? この剣はこの世界でもこいつ一本しか存在しない。外に出たのは初めてで、知ってる人間はいない筈だ」
「お、俺にはちょっとした力がありまして、そう意識して見たものの情報が分かるんです」
「情報? 商人の鑑定みたいなものか?」
「も、物だけじゃなくて人の情報も見れますが……その人間のLvと職業、大体のスキルランク……あと、Lv上限も……」
「へぇ……」

 『超鑑定』の説明に、青年は目を細めた。

「なら、試しに俺の情報を上げてみろ。なに、どんな事言われたって殺しはしないさ」
「…………ほ、ほんとですね?」
「ああ、誓ってやる」

 はっきりと頷いた青年に、タクトは恐る恐る目を凝らした。いつものように、脳裏に青年の情報が浮かんでくる。

「……現在Lv20。Lv上限20。職業魔法使い。スキルランクは剣F、短剣F、格闘E、魔力使用C、魔力認識D…………魔力理解? 固有スキルかこれ?」
「固有スキル?」
「あ、いえ……魔法使いのスキルは俺の知ってる限り二つだけで、魔力使用と魔力認識だけなんですよ。スキルランクも付いてないですし、スキル名からすると魔法関係スキルのブーストか何かかな?」
「……あー」

 思い当たる節があるのか、青年は納得したように声を出した。
 それにしても、どこか奇妙である。話している内に落ち着いてきた頭で、タクトはこの青年のことを考えた。常識的に知られるLvのことならともかく、スキルランクのことはタクト以外に知る人間など殆どいない筈の話なのに、あまりにもあっさりと理解をしすぎではないか。

「しかし……あの時のあいつの驚きもこんな感じだったのか? いや、まったく分からん状態だからこれ以上の不気味さか。よく見逃すつもりになってくれたもんだ。まったく、頭が下がるな」

 纏まらない考えにもどかしさを抱いているタクトを余所に、青年はため息を吐きながら頭を抑えている。そして、タクトを見てにいっと底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「まさかいるとは思わなかったよご同類」
「は? え?」

 青年の言葉を、タクトは最初理解出来なかった。しかし、すぐにその言葉の意味を悟る。
 同類――――この場においてその言葉が指し示す答えは一つしかない。

「俺と……同じ……?」
「ま、ドラクエって言葉が通じる程度には同類だろ?」
「嘘……だろ……? 俺以外にいたのか……? あんた……ほんとに……?」

 一年間、タクトはずっと孤独感を抱えていた。
 いくらよく知っているゲームの世界とはいえ、自分を助けてくれた人物がいたとはいえ、この世界にタクトの気持ちを理解できる人間などいなかったのだ。青年が自分と同じ立場の人間だと聞かされて、信じられなかったのも無理はない。急激な郷愁に心を打たれ、タクトは思わず涙ぐんでしまった。

「っ!? お、おいおい……何で泣くよ……」

 まさか泣き出すとは思ってもなかったか、ここにきて初めて青年が狼狽を見せた。いきなりナイフを突きつけてくるような人間だが、絵に描いたような危険人物とは言えないようである。

「す、すいません……久しぶりに向こうの話が通じる相手だったから……」

 目元を拭うタクトに、青年は困ったような、呆れたような表情で頭を掻く。

「あー……くそっ、毒気抜かれた……。まあいい、それよりお前、誰かにこの世界の事とか何か話したか? ジパングのことだのサマンオサのことだのをだ」
「……いえ、話してないです。話したって信じて貰えないだろうし、頭おかしい奴って思われて放り出されたら死ぬと思ったんで」
「……ん、ならいい」

 青年はタクトの言葉の真偽を確かめながら飲み込んでいるようであった。
 結局この青年は何者なのだろう。脅され一方的に質問されるばかりであったが、つくづく謎ばかりな人物である。
 分かったのはタクトと同じ世界の住人であったということだけ。今までどんな生活を送ってきたのか。本気で魔王を倒そうとしているのか。そして、何故くさなぎの剣を持っているのか。
 知りたい。自分と同じ境遇であった彼のことを知りたいと、タクトは強く思った。

「……聞いてもいいですか?」
「ん? 何をだ?」
「…………今まであんたが何をしてきたのとか……どうして魔王を倒そうとしているのとか……」

 タクトの言葉に、青年は怪訝そうに眉を顰めた。

「ちょっと待て、何でそれを知っている? 俺とは初対面だろう?」
「半年ほど前にあんたが話してるのを見たことがあります。そこ、俺が働かせて貰ってる店だったんで……。神官っぽい奴が言った言葉が印象的だったので覚えてたんです」

 自分でも当時のことを思い出したのか、片手で目を覆うようにしながら青年は空を仰ぎ見る。最初脅されてた時と比べたら、その姿が随分と人間らしい。
 と、青年は口元に手を当て、ジッとタクトを見ながら何やらつぶやき始める。

「…………ふむ、最初のあれは随分考え無しだったが、意外と頭は回るのか? 行動的には慎重と言うより臆病っつった方がいいのか……どうするにせよこのままにしておくのは…………」

 思案するように暫くそうした後、青年はコクリと頷いた。

「よし、じゃあちょっと付いてこい」
「へ? ち、ちょっと!」

 タクトの返事も聞かず、青年は踵を返して歩き始める。一瞬呆気にとられながらも、タクトは慌ててその後を追った。
 ダーマの表路地の人混みを、スルスルと抜けていく青年の後ろを、必死にタクトは追いかける。これが冒険をしてきた者とそうでない者の差か、青年は遅れるタクトを待つような素振りすら見受けられた。
 青年はそのまま門を通過し郊外へと出る。タクトからすれば、実に一年ぶりの都市外だ。外壁近くはまだ魔物が寄りつくことはないが、襲われるかもしれないという恐怖が押し寄せる。
 一体どこへ向かっているのか。言いしれぬ不安が胸をよぎるが、今更逃げ出すこともできない。
 心臓の音がやけに大きい。ゴクリと自分の唾を飲み込む音が、焦燥を掻き立てる。

 やがて、ダーマの外壁からほんの少し外れた場所に、テントが張られたキャンプベースが現れた。ダーマ周辺は森で覆われているので、探そうと思わなければそう見つからない場所である。
 Lv20ともなれば、その辺りの宿をとる金に困ることなどそうそう無いであろうに、何故このような所で生活しているのか。


 その答えは、タクトが問うまでもなく判明した。


「クウウー」
「へ?」

 ガサリとタクトの右手から鳴き声を上げ現れたのは、タクトより大きい龍―――スカイドラゴンであった。
 タクトがこの世界に来てから、生きている魔物と接近したことなどない。ましてや、目と鼻の距離に自分を殺せる存在がいるなどと、脳が受け付けるまで時間が掛かるのも仕方なかった。

「あ、ああ……」

 状況を理解したとき、刺激をすれば食われるかとも考え、声を上げることもできず尻餅をつく。スカイドラゴンはそんなタクトを見つめ、品定めをしているようだった。
 真っ白になった頭に、この場に連れてきた青年のことが浮かぶ。そうだ。彼ならばこの魔物とてどうにかできる筈である。
 祈るように青年の方を見ると、青年は口元に薄い笑みを浮かべて腕を組んでいた。何をしているのか。魔物がこれ程近くにいるというのに。
 タクトが絶望感を覚えたとき、それを打ち破ったのは脳天気に響いた声だった。

「ハル様ー! おっかえりなさいー!!」

 ポーンと、スカイドラゴンの背から何か青い物体が飛び出す。一直線に自身に向かってくるそれを、青年は慌てる様子もなく片手で受け止めた。

「ん、ただいま」

 青年が受け止めたのは、人の頭ほどの青いゼリー体……スライムだ。この大陸に存在しない魔物なので、有名とはいえタクトが実物を見たのは初めてである。

「もう帰って来たの? 転職してくるって言ってたのに随分早いじゃない……何か変なの連れてきてるし」

 また新たに聞こえてきた声は、先ほどのスライムが飛び出してきたドラゴンの背から。見れば、スカイドラゴンの頭にちょこんともう一匹スライムが乗っていた。

「神殿にたどり着く前に厄介事に出くわしたからな。まぁ、また後で行ってくるさ。お前らの飯も買ってこないといかんし」
「クウ! クウ!」
「……分かってるから落ち着け。途中の露天でリンゴ安売りしてるの見たから、多めに買ってきてやる」
「クウウー♪」
「うわちょっとクウ! いくら嬉しくても私が上にいるの忘れないでよ!!」
「ハル様ハル様! 僕の! 僕のは!?」

 やいのやいのと騒ぐ魔物達と青年に、タクトは激しく混乱する。訳が分からないのも、もはや最高潮だ。スライムが喋ってることも、魔物達が青年に懐いているのも、疑問ばかりが増えてどうしようもない。魔物使いなんてドラクエ3の世界に存在しない筈だ。
 青年は魔物達に向け呆れたように首を振り肩を竦める。そして、思い出したかのようにタクトの方へ向いた。

「さて、まず最初の質問から答えてやろう。俺がくさなぎの剣を持っている理由だったな。まぁ、単純に譲り受けただけなんだが」
「ゆ、譲り受けた?」

 鸚鵡返しに尋ねるタクトに、青年は一つ頷く。

「俺が気付いた場所はジパングだったからな。そこを出るときにヒミコが餞別として譲ってくれた」
「…………は? え? ヒミコが? 何で? ヤマタノオロチだろあいつって?」

 一瞬何を言われたのか分からず、理解して思わず問うてしまう。タクトの言葉を聞いて、スカイドラゴンとその上のスライムが緊張に体を強ばらせた。

「………………ハル様? こいつに言ったの? いや、そんな訳ないわね……。こいつ、迂闊すぎるもの」
「クウゥ…………」

 今にも飛びかかって来そうな雰囲気を醸し出す魔物達。遅まきながら口を手で覆うも、出した言葉は覆らない。

「落ち着け。こいつがヒミコの事を知ってる理由は分かってる。少しばかり事情があって言えんが、今のところ問題はない」

 青年の言葉に、魔物達は一応戦闘態勢を解除した。未だタクトのことをジッと見てはいるが、青年の意思に反して動くつもりはないのだろう。
 そして今度は、先ほど飛び出してきて、今青年の肩に乗っているスライムが、青年の顔を覗き込む。

「ねぇねぇハル様。この人のことどうするの? 僕たちと一緒?」
「そうだな……放置する気にはさすがになれんし、それが一番いいんだが……」
「お、俺をどうするつもりなんだよ?」

 まるで生きた心地がしない中、タクトは青年に問いかける。そして青年は、またあの底意地の悪そうな笑みを口元に浮かべた。

「……お前、俺の配下にならないか?」
「……………………はぁ? 配下?」

 まるで、王であるかのような物言いに、タクトの口から疑問符がはき出される。それに気分を悪くした様子もなく、青年はコクコクと軽く頷いた。

「ま、いきなり言われても訳分からんだろうから、とりあえずお前が知りたかったこと、俺が今まで何をしてきたのか、俺の最終的な目的を教えてやろう」

 言って、青年は話し始める。事の起こりを。青年が今までどうやって過ごし、何を思って旅をしているのかを。
 全て聞き終えたとき、タクトは驚愕という一言では済まないほどの衝撃を受けていた。

「ま、魔王になるだって? それも、一目惚れした人間でもない相手の為に? 本気かよ!?」
「ああ、どこまでも本気で、その為なら命だって簡単にチップにできるさ」

 タクトの絶叫に近い声に、青年は全く揺るぐことなく返してくる。何故そこまで自信満々な笑みを浮かべられるのか。一度達したのならば、タクトに言われるまでもなく自分の限界Lvの低さを知っていただろうに、尚も諦めずに魔王を倒そうというのか。魔物と共存するなどと不可能にしか思えないことを、どうして実現できると思うのか。

「今まで何度も聞かれたし、これからも聞かれるだろうが、俺はそのたびに同じ言葉を返すだろうさ。生きている限り、俺は魔王になってみせると」

 どれだけ困難な道か分かっている筈だ。それでも、諦めなど心の端にも浮かべていないようだ。
 自信ではないのだと、タクトは理解した。青年のこれは、自己ではなく、先に続く道を信じ続ける強い意志の上に紡がれる言葉なのだろう。

「…………それを俺に聞かせたってことは、俺が選べる選択肢は……」
「想像に任せる。ま、あんまり面白くない結果になるかもしれないけどな」
「…………やっぱ強制じゃねーか」

 吐き捨てるように言うタクトに、青年はやはり肩を竦めるだけで返してくる。

「そう思うもお前の勝手だな。で、どうする? お前の特技は有用だ。少々迂闊ではあるが、お前自身だってそう悪くない。……いや、はっきり言った方がいいか。単純に、お前がいれば有り難い」
「―――――――っ!」

 素直に告白するなら、タクトはこの言葉に喜びを感じてしまった。必要だと、はっきり言われたことなど生まれてこの方一度もない。
 魔物達のことだって聞いたが、彼らもただ成り行き上青年について行ってるだけではないのだろう。他者を引きつける魅力を、この青年は確かに持っている。
 心が揺らいだ。しかし、それを認めることを無意識に避けて、どのみち従うより他ないのだからと、タクトは自分に言い訳しながら青年に答えた。


「…………分かった。だけど、危なくなったら俺は逃げるからな?」
「構わんさ。誰だって死んだら終わりだ。好きにすればいい。俺はハルだ。よろしく頼む」
「…………タクトだ。俺は、よろしくしてくれなくていい」







[29793] 駆け出し魔王賭博中
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2014/03/19 20:18
二章 二話 駆け出し魔王賭博中


「…………ハル様とクウはどこ……?」
「……ハル様達なら上で辺りを見渡してるわよ」
「…………あいつら何でそんな体力あんだよ……? 俺たちと同じ行程を辿ってるのに……」
「……元が違うんでしょ……。転職してるハル様は私達とは能力の基礎が違うし……クウなんか種族的に熱さに強いし……それより、しっかり寝ときなさいよ……。また夜になったら出発するんだから……」

 ぐったりとした様子で、深く掘られた穴の中にタクト達はいた。照りつける太陽も届かず、回りには成人男性の腰ほどの氷塊が幾つか置かれているので、温度自体はさほど高くない。単純に、砂漠を歩くという行為で体力を消耗しているのだ。
 そんな彼らを余所に、ハルとクウは二人で穴の外にいた。直接日光を浴びぬよう目深にローブを被って、ハルがクウの背中に乗っている。
 ハルの身長を少し超すぐらいまで大きくなったクウは、人一人ぐらいなら少しの間だけ背に乗せて飛べるようになっていた。そこから、ハルはジッと遠くの方を見つめている。鷹の目。遠くを見通す盗賊の技術だ。

「…………見えた」
「クウ?」

 問うように鳴くクウに、ハルはコクリと頷いた。




「ああ、後二日あったら充分イシスに着ける」




***




 事の始まりは、昼食時にタクトがふと口に出した話からだった。

「そういや、結構前に小耳に挟んだ話なんだけどさ……」
「へ? なになに?」

 そう返したのは、最近タクトにすっかり懐いたボウである。元の世界で調理師学校を卒業したというタクトのお陰で、ハル達の食事事情は大幅に改善されていた。今まで適当に焼いて塩を掛けていただけの食事が、しっかりと調理された物になったのだ。初めてタクト作の食事を食べたボウ達は、感動すら覚えていた。
 以降、食事に関して並々ならぬ思いを抱いているボウを始め、普段比較的冷静なリンですらタクトに非常に友好的になったのだ。その恩恵がどれだけの物かも分かるだろう。

「どっかにさ、お前達みたいに魔物と一緒に暮らしていた人間がいたらしいな」
「……私達みたいなのもいるし、クウみたいな例だってあるし、世界も広いんだからどこかにはそんなのいてもおかしくないんじゃないの?」

 食事し終わり、まだ一人だけ食べているボウを眺めていたリンが口を挟む。タクトはリンの気のない様子に肩を竦め「そうかもな」と会話を終わらせようとしたが、ハルがそれを止めた。

「それ、どこで聞いた? 内容は?」
「ん? ああ……聞いたのは仕事中だよ。冒険者が話しててさ……大した内容じゃなかったんだけど……どこぞの国で魔物と暮らしてた人間が見つかって、騒ぎになって捕まったとか捕まらなかったとかどうとか……」

 タクトも本当に耳に届いたうろ覚えの情報で、話の内容も非常に曖昧だったが、ハルは口元に手を当てる。いつもの、ハルが何かを考えている時の癖だ。

「………………リン、霊樹の元で魔物以外が暮らしていることはあり得るか?」
「それは……なくはないかしら? エルフ族なんかの隠れ里が霊樹が中心になってるって長老から聞いたことあるし……人間でもあるかもしれないわ」
「お前達の霊樹は外から見つけにくいし、獣道もなく迷い込むこともありえない場所にあった。他の霊樹もそうなってるのか?」
「そりゃあそうでしょう? 呪われた魔物は霊樹に近寄れないし、人間なんかに見つかったら荒らされてすぐに空気が澱んじゃって霊樹自体が枯れてしまうもの。ハル様、何か思いついたの?」

 リンの問いかけに、ハルは無言で荷物から地図を出し広げる。他の面々が何事かと地図を覗き込んでくるのを気にも留めず、ハルは話し始めた。

「問題は、本当に噂の人間達が霊樹の元で魔物と暮らしていたとして、何故見つかったかだ」


 ハルの予想では三つ。

 1,人間が迷い込んで、噂になった。
 2,ボウの時のように、食料を探しに出たところを捕縛され、霊樹の元まで連れて行かされた。
 3,何らかの理由で霊樹の元で暮らせなくなった。


「1はまぁ殆ど考えなくてもいいだろう。このご時世に道も分からんところに行く自殺行為をする馬鹿はいない。仮にいたとしても、辿り着く前に魔物に襲われて死ぬな。冒険者なら行けるかもしれんが、ああいう連中が何もないところをわざわざ調べるような利のない行動をすることはない。2は考えられんでもないが、可能性としては薄い。それこそ、人間と魔物がペアで動いているという前提じゃなければ捕まえようなんて思わないだろうし、そのリスクを負ってまでわざわざ同時に動いたりしないだろ」
「なら、3番? 霊樹の元で暮らせなくなる理由って何かな?」
「…………お前達にも覚えがあるだろ? 何でお前達は俺と一緒にいるんだ?」
「それってまさか……」

 ハルが言いたいことに気付いたか、リンが背筋を凍らせる。

「霊樹が枯れて、結界がある町の方へ移動した可能性。そこで発見されたか、だな。主従の儀を知らなければ、十分あり得る話だ。んで、捕まえられたのも本当なら魔物を捕縛できるだけの力を持った場所。最低でも町レベル、数によっては国レベルじゃないと無理だ。なら、あり得ると言えば、ロマリア・ポルトガ・イシス・エジンベア・アッサラーム・ランシール辺りか。サマンオサはボストロールの手の内だしアリアハンは言わずもがな。この辺りでそう言った話がされる距離なら、イシス・アッサラーム・ロマリア……ギリでポルトガか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。話の種にチョロッと言っただけなんだが、そんなに重要なことだったか?」

 つらつらと推論を述べながら、地図に印をつけていくハルにタクトが面くらった様子で尋ねる。ハルは若干呆れたようにため息を吐き、地図から顔を上げた。

「お前、俺が何を目指してるのか知ってるだろ?」
「あ、ああ……魔王だろ? 途方もないほど遠い話だけどさ……」
「……俺の味方は少ない。人間と争うにも、バラモスと争うにも、味方が必要だ。魔物と人間の双方に疎まれ、どこにも寄る瀬がない者達。そういう奴らこそ、真っ先に俺の味方につけたい」

 いいながら、ハルはもう一度地図に目を落とす。

「それでだ。タクト、その話に引っかかるところがないか? 具体的に言うなら、魔物を捕縛したっていう辺りだ」
「え? いや、そんなの別に……」

 促され、タクトは呟きながらもう一度ハルの推測を思い返す。
 ハルが言うならば、それは今求められている答えに直結するようなことなのだろう。まだ出会ってそれほど時間は経っていないが、ハルの読みの深さ、情報の切れ端からでも解を引っ張り出してくる力に関しては十分に知らされた。なら、『魔物を捕縛した』という部分の何が重要なのか。
 そこで、ふと気付く。何故『捕縛』であるのか。魔物が相手ならば、『殲滅』とかそういう類の言葉の方がしっくりくる。魔物は、人間にとって完全なる敵として認識されているのだから。
 捕縛した魔物に何かをさせたかったのか? では、その何かとは一体なんだろうか?
 そして、先ほど挙げられた町の名前を思い出す。

「あ……格闘場……モンスター格闘場か!」

 タクトの答えに、ハルは満足そうに口元に笑みを浮かべた。
 ゲームではなんの説明もされていなかった格闘場であるが、この世界で考えるならばあの場所は成り立たない。なぜならば、普通にその辺りにいる魔物を捕らえたとしても、町の中に入ることはできず、入れても力が著しく制限されるからだ。しかし、ボウやリンのように霊樹の元で暮らしていた呪われていない魔物ならば、その問題は解決される。

「俺たちの知識で想定しているだけだから当てはまらないかもしれないが、手探りで情報を探すよりは随分とマシだろう? さし当たっては、イシスとロマリアの情報を集めるところから始めるぞ」

 イシスに格闘場があるらしいと、その情報を頼りにハル達が出発したのは、それから5日後のことだった。




***




 イシスを一言で表すならば、砂の町である。
 砂漠の中に作られているのだから当たり前だと言われるかもしれないが、その言葉が一番しっくりくる。地面と一緒の色で染まった家々。無論、巨大なオアシスの近くにある町なのだから、緑が存在しないわけではないのだが、それよりもなお砂の色の印象が強いのだ。
 そして、ダーマよりも道幅は狭く、小さい範囲内に建物が多いため非常に複雑に路地が絡まり合っている。ダーマでもそうだったが、ジパングや小さな町とは違いゲームとの印象はかなり違う。

「しっかしまぁ……冒険者が多いってのは一緒なんだがこうも雰囲気が違うもんかね?」
「実質ここが最前線だからな。後、元々の町の気風もあるだろ」

 ハルとタクトは歩きながら言葉を交わす。
 イシスの町はダーマに比べ、良く言えば野生的な、悪く言えば荒そうな人間が多く見られた。砂漠という厳しい環境下において、そういう町の気風が作られていったのかもしれないが、何よりも大きい原因はイシスがネクロゴンドと隣り合っていることだろう。
 険しい山を一つ隔てた先に、魔王バラモスの居城、ネクロゴンドが存在する。この国はいつも魔王の存在におびえているのだ。ハルが最前線と言ったのもそういうことであり、だからこそ今この国は戦力を欲し、多くの冒険者を傭兵として雇い入れている。
 どうしても治安が乱れるのは仕方ない部分があるが、そこまで荒れた印象を受けないのは女王が尽力しているからか。

「それでも、これだけ混沌としていたら手の出ない部分も多く出てくる訳だ」

 路地をいくつか通り抜け、明らかに風貌の悪い連中が屯している地区へと二人はたどり着いた。不躾な視線がいくつも飛んでくるが、ハルはまるで気にした様子もなく、タクトは若干不安げに周りを見ながら路地を進む。
 明らかにこの場にそぐわぬ二人に手を出してこないのは、武装しているハルの実力が計れないからか。白鞘に収められたくさなぎの剣は、一目見てどこぞの子息が持っているものかと思われるほどだが、身につけている鎧はかなり使い込まれた様子の革の鎧であるというアンバランスさが、彼らを押しとどめているのかもしれない。
 やがて二人は、周りに比べたら小さくいっそ見窄らしいとも言える建物へとたどり着いた。その入口で、幾人かの男達が下卑た笑みを浮かべている。

「よお兄ちゃん。一体こんな所に何のようだい?」

 まっすぐそこを目指して歩いてきた二人に向かい、一人の小男が声を掛けてきた。

「いや、少しばかり小遣いを稼ぎたくてね」
「へぇ? こんな掘っ立て小屋を漁ろう何ざ、随分肝っ玉の小さい男だなぁ?」
「…………なぁおい、本当に大丈夫なのかよ?」

 小男との会話の間に、ハルとタクトは他の者達に周りを囲まれていた。下手に刺激したらまずいと分かっているのか、タクトがハルに小さく語りかけてくる。
 実際問題、ハルがざっと見たところここにいる連中のLvは高くても10に満たない程度であり、全員叩きのめすのに殆ど労力はいらないだろう。しかしながら、完全に向こうのテリトリー内で暴れても面倒なだけだ。逃げる事ぐらいは簡単にできるだろうが、それではハルがここに来た目的が全て果たせなくなる。
 ハルは徐に懐へと手を伸ばし、小さな革袋を取り出した。それをそのまま、目の前にいる小男へと軽く放る。
 小男が受け取る際にジャラリと音を立てたその中には、大体100G程の金が入っていた。手に持った重さだけで大体判断出来るのか、ニヤリと嫌らしく笑みを浮かべて小男は塞いでいた入口から避ける。

「悪いなぁ兄ちゃん。あんたに運がある事を祈ってるぜ?」
「そいつはどうも。ま、神様が見ててくれるなら平気だろ」
「違いねぇな。こんなろくでなしに祈られる程度でも神様は神様だ」

 ハルの返しにケタケタと小男は笑う。肩を竦めて、ハルは建物の中へと足を進めた。
 建物を入ると、すぐに地下へと続く階段があった。現代世界の技術など存在しないこの世界で、こうしたものを造る努力は並々ならぬものがある。それが、後ろ暗い事柄に使われるものだとしてもだ。
 ハルとタクトの足音が響く階段を少し歩けば、徐々にざわめきが聞こえてきた。数人程度ではない。多くの人間がそこにいることがすぐ分かる。

「うわ……マジであんだな……」
「無かったら困るだろ。イシスに来たことが無駄足になる」

 階段を下りた先には、重厚そうな扉とそこの前に立つ男が二人。先ほどの入り口にいた連中とは違う、そこそこの手練れだ。
 ハル達の姿を認めた男達は、特に言葉を発することもなく扉を開ける。瞬間、ワッと喊声にも近い音が二人を包んだ。
 中央にあるのは、大きく作られた円形の闘技場。周りに作られた観客席を見れば、まさにコロッセオである。

「すげぇ…………これが格闘場…………」

 その場に立ちこめる熱気に呑まれたか、ゴクリと喉を鳴らしながらタクトが呟く。
 どうやら今、一試合の決着が付いたらしい。中央で雄叫びを上げ、もはや絶命している魔物を地面に叩き付けているのはあばれザル。羽をもがれ叩き付けられているのは、バンパイアか。その脇には、つぶれたぐんたいガニらしき姿もある。

「……………………正気じゃないな」

 ラリホーで眠らされ、拘束されるあばれザルを見ながら、ハルはボソリと呟いた。
 獣型の魔物は確かに知性が薄く、たとえ呪いの効果が無くとも野生的なものが多い。しかしながら、既に絶命しているものを意味もなく痛めつけるような存在でもない。魔物か普通の動物かという境は、器型の存在であるか魂型の存在であるかという一点だけ。自然と調和し存在する獣型の魔物が、あのような行為に出るなどあり得ない。

「………………メダパニ……いや、薬か? 興奮剤か何か打たれている?」

 完全に周りが見えなくなるように、たとえ呪われてようが呪われて無かろうが等しく殺し合わせるように、本能すら操られているのか。
 だとしたら、あまりにも哀れだ。誇りを汚され、自身を消され、人間の娯楽の為に殺し合わせられるとは。ヒミコが見れば、どんな感情を抱くことか。
 格闘場の中を見渡せば、随分と身なりのいい者達の姿も多数見かける。娯楽に訪れた貴族か何かか。豪華なVIP席を宛がわれているところを見れば、ハル達が通ってきた場所以外にもやはり彼ら専用の入り口が存在しているのだろう。あの中にこの格闘場のオーナーも存在しているのか。

「おい……何か変なこと考えてないか?」
「…………安心しろ。いくらなんでも、この場でどうこうできるとは思っちゃいない。まだ推測だけで、見極めも終わってないしな」

 どことなく不穏な空気を漂わせるハルに気付いたか、タクトが声を掛けてくる。
 現状はまだ、ハルが推測しただけのものにすぎない。たとえ推測通りにここにいる魔物達が霊樹の下で暮らしていた者達だとしても、疑問が残る。
 この格闘場自体は、大体五年前ほどから開かれているらしい。開催されるのは10日に一度で、一日に行われるのは10試合。例えば今のように3匹魔物を戦わせて1匹しか生き残らなかった場合、10試合やれば20匹の魔物が死亡する計算だ。それを10日に一度やれば、一月で約60匹。一年で約720匹。五年で約3600匹ということになる。たとえ敗北しても生き残る魔物もいるだろうから多少は減るかもしれないが、それでもあり得ない。
 3600匹に加え、まだ捕らえられている魔物達。さらに一緒に暮らしていた人間も居たとなると、いくらイシスに存在した霊樹が巨大であっても、それ程の数の存在が暮らす空間を、誰にも知られず作れる筈がないのだ。
 外の魔物を捕獲してきていると考えるのが普通だが、ここは町の結界内。人が無理やり結界内に連れてきても、呪われた魔物がまともに戦えるはずがない。
 呪いを解いているのか、それとも結界の方に何かしているのか。

「……情報が少なすぎて判断ができんな。何とか調べられたらいいんだが」

 グルリと今一度辺りを見回してみる。ハル達がいる一般席にはお世辞にも上品とは言えない連中ばかりだが、実力的にはそれほど大したことはないように見える。精々入り口にいた男達と同等程度か。ハルが本気でやれば、おそらくあっさりと半壊できるだろう。
 一方、VIP席周辺にいる者達はそうでもない。護衛か何かなのだろうが、ぱっと見ただけでもそこそこの実力者であると思われる者が何人も見受けられる。まだ上限に達していないハルよりLvが高い者もいるであろうし、いくらなんでも多勢に無勢。下手な行動をとって囲まれてはかなり厳しいだろう。

「さてどうするか……」

 再び考えに没頭しようとしたところで、会場が沸いた。格闘場に次の試合を行う魔物が現れたのだ。
 出て来たのは三体。さまよう鎧、ホイミスライム、マミーである。その内でマミーだけが枷により拘束されていた。さまよう鎧とホイミスライムが暴れることなく指示に従っている所を見ると、あれがハルの探していた魔物達か。

「さぁ! 張った張った! 締め切りまで後20分だ!!」

 幾つか設置されたカウンターに、観客達が殺到する。魔物の姿が現れてから半刻以内に賭けねばならないらしい。多くの人間はすぐに賭けに行っているが、魔物をじっと観察している者もいる。その中でも特に冷静に観察している者は、おそらく格闘場に手慣れある程度出ている魔物の強弱が分かる人間だろう。
 今から始まる試合で、順当に考えればマミーが一番勝つ可能性が高い。ホイミスライムはまず除外するとして、さまよう鎧かマミーかになるのだが、種族的な戦闘能力を考えればマミーの方が強いからだ。だが……

「……ふむ、タクト。あのマミーとさまよう鎧のLvは分かるか?」
「ん? あーっ……マミーが8。さまよう鎧が……19? うわ、随分Lv高いな……」

 魔物の平均Lvは大体7~10程度である。人間と違って魂型である魔物は、少々Lvが違っても大して強さの差があるわけではなく、魔物の強さは殆どが種族的な強さに依存する。だがしかし、倍以上のLvまで育った魔物ならば、その限りではない。
 ハルの戦闘経験などたかだか1年と少し程度でしかなく、Lvはともかくして魔法以外の練度は低い。相対してない相手を一目見ただけで分かる実力など、本当に大ざっぱなものだ。そんなハルにさえ遠目で違いを感じさせるほど、そのさまよう鎧が纏う雰囲気は違った。
 カウンターで賭けられた金は、一カ所に集められて詰まれていく。やはり、マミーの人気が高い。最初に賭けた連中は各々席へと戻り、今度は変動した倍率を見ながら賭ける連中がカウンターへと動いた。

「…………マミーが1,1倍。さまよう鎧が8,6倍。ホイミスライムが42,4倍か」

 大体妥当なところで収まっただろうか。賭けるのならばそろそろ行かねば締め切りになってしまう。
 ギリギリまで待っていた連中も賭け終わったようで、カウンターの周りにはもう殆ど人がいなかった。受付の男が近づいてくるハルの姿を認め、口を開く。


「何だあんた賭けるのか? 後1分だぜ?」
「……さまよう鎧に800G」「さまよう鎧に200G」


 トン、とハルが小袋を置くのと同時に、横からもう一つ手が伸びてきた。まだ賭ける者がいたのかと、何と無しにそちらを見てしまう。
 長めの金髪をざっくりと後ろで束ね、どことなく不敵そうな、されど不思議と爽やかさを感じさせる碧眼。着飾ればどこぞの貴族とも十分見て取れる容姿だが、その身は辺りを歩いている一般的な平民の男性と変わらぬ服で包まれており、しかしそれに違和感を覚えさせない。高価な物には見えないが、髪を束ねているバレッタがどことなく軽薄な印象を強めていた。
 ハルが見たように、男もハルを見返しており、目があった。そして、男は深く笑む。

「面白いなあんた!」
「はぁ?」

 二人の金が持って行かれるのを尻目に、男は開口一番そう言った。これにはさしものハルも、怪訝そうに眉を上げてしまう。

「見たら分かるさ。あんたみたいな絶対の確信を持って賭ける奴はそうそういないぜ? それも、次の試合のさまよう鎧に賭けた上でだ。普通ならどう考えてもマミーが勝つだろうに」

 ハルは確かに、よほど大番狂わせがない限りさまよう鎧が勝つと思っていた。Lvが高いだけじゃなく、それ以上の実力があると思わせられたから。だから800Gというそれなりの額を賭けたのであるし、まず間違いないという確信も持っていた。
 しかし、あくまでただ賭けただけで、態度には全く出していない筈なのに、それを一目で見抜いたこの男は一体何者か。

「おっと、そう警戒しないでくれよ。他意はないんだ。ただちょっと、珍しい奴を見かけたから声を掛けてみたってだけでな」
「……珍しい奴ねぇ。あんたはここ、詳しいのか?」
「ま、それなりにはな。お、そろそろ試合始まるぞ?」

 男の言うとおり、格闘場ではマミーの縛めが解かれ、今まさに試合が始まるところであった。質問しようとしていたのをはぐらかされたか、それとも素でそうなったのか判断が付かない。それほど男の動作は自然であった。
 致し方なしと、せめて男を見失わないように視界に入れながら、ハルは試合の方へと意識を向ける。

 審判の開始の合図など存在しない。解き放たれたマミーは一度ぐるりと周りを見渡し、自分の手が届く相手が目の前の魔物二匹だけだと確認した瞬間そちらへと走り出した。その速度は、ハルが思っていたものよりも速い。どちらかと言えばくさった死体と同系であり、力は強くとも素早さはさほど高くないイメージがあったのだが、キラーエイプよりも若干早いぐらいだろうか。生半可な人間では、簡単に捉えられそうな速度である。
 音を立てながら迫るマミーの両手をさまよう鎧は余裕を持って、ホイミスライムは必死に躱す。
 捉え易しと見たか、マミーはそのままホイミスライムの方へと左手を伸ばした。単純な速度にかなり差があるため、ホイミスライムにはその手から逃れる術はない。掴まれたが最後、そのままやられてしまうだろう。
 だが、そこへさまよう鎧が斬りつけた。伸ばされた左手は、その肘から断ち切られる。

「ォォォオオオオォォォ!」

 底から響くような怨嗟の声。包帯の奥で光る暗い目が、さまよう鎧を睨み付ける。対するさまよう鎧は、ただ剣を構えてその意を示した。
 マミーがさまよう鎧に気を取られている内に、ホイミスライムはマミーの後ろへと回り込んでいる。そして、その大量にある触手でマミーの顔へと飛びかかった。

「ンオッ!?」

 突然視界を封じられ、マミーは頭を大きく振り逃れようとする。その隙を突いて、さまよう鎧が斬りかかった。
 これで決まったと、観客の中には頭を抱えた者もいた。が、次の瞬間状況は一変する。

「ッ!?」

 さまよう鎧の剣を、マミーは切断された腕で防いでいた。差し出された腕を縦に深く裂くも、剣は二の腕の半ばで止められ、固定されてしまっている。

「オオオォォォ!!」
「ピキャッ!?」

 驚きのあまり拘束が緩んだか、地面に頭を打ち付けるように叩き付けられ、ホイミスライムはあっけなく動かなくなった。微妙に動いているところから生きてはいるのだろうが、戦闘に復帰する事はないだろう。
 ホイミスライムがやられたのを見て、さまよう鎧が動揺を露わにする。マミーがその隙を見逃すわけもなく、右腕をその顔にたたき込んだ。

「ッ!!」

 固定されていた剣は外れ、その手から離れることはなかったが、グラリとさまよう鎧の体が傾ぐ。さらに一歩踏み込んだマミーは、上から叩き付けるように右手を振り下ろした。

「――――!」

 瞬間、さまよう鎧がマミーの懐へと入ろうとする。左手の盾を掲げ、剣で首筋を狙う。十分な体勢でないその行動は、僅かばかりに遅い。盾で受け止められる状態ではなく、もし流すのに失敗すればそのまま倒れることになるだろう。
 会場に鳴る、鈍い音。ドサリと、重い音を立て一匹が倒れ伏す。

「――――――――勝者は、さまよう鎧です!!」

 場内に設置された管より、アナウンスが流れた。会場内では観客達が一喜一憂の表情を見せている。
 攻撃を受け流すことに成功したさまよう鎧は、マミーの攻撃の勢いも利用し一撃でその首を断ち切った。単純な力ではない。あのさまよう鎧が培った技量の賜であろう。

「おお、マジに勝った。一撃受けたときはもう駄目だと思ったんだがなぁ」

 隣で騒ぐ男を一瞥し、特に声を掛けることもなく換金所へと向かう。自分なりに観察眼は鍛えていたつもりであったが、どうにも読みにくい男だ。

「っておいおい……あんたもえらい大金得たってのに随分冷静だな……」

 何も語らず、ただ黙々と換金所へ向かうハルに男は呆れたように言う。
 この世界において一般的な男性の純収入は、大体600~1200Gである。それを考えた場合、ハルが得たのは5~10倍もの金額であり、かなりの大金といえる額だ。一流クラスの冒険者で考えれば月の純収入は遙かに高く、5000Gを超えるだろう。しかし、冒険者の収入の大部分が依頼によるものなので、自身の研鑽に努め依頼を受けることのないハルでは2000Gにも届かない。なので、ハルからしても大金であり、確かにありがたい事はありがたいのだが、今はそれよりも重要な事がある。
 あのさまよう鎧とホイミスライム。ホイミスライムはさまよう鎧をサポートしようと動き、さまよう鎧はホイミスライムを守ろうと動いていた。間違いなく、彼らの間には仲間意識がある。まだまだ調査不足ではあるが、この状況は彼らにとって不本意であるのは間違いないだろう。助けることができるのなら、協力を取り付けることができる可能性はある。

「お、おおお……すげえなハル! 一気に金持ちじゃねぇか!」

 大きい金貨袋を持って帰ってきたハルに、タクトが興奮した様子で話しかける。彼もここに来た主目的は分かっているのだろうが、今まで中々見られなかった金額を前に、抑えが効かなくなっているようだ。ため息を吐いて頭を掻くハルを見て、タクトはたじろぐ。

「あ……いや、そりゃ分かってんだけどさ。ちょっとぐらいはしゃいだってよくね?」
「……まぁ、悪いとは言わんがな。それよりも……」

 と、ハルとタクトはまだ後ろを付いてきたいた男に視線をやる。何が目的やら、男は楽しそうに笑いを浮かべ、二人の様子を見ていた。

「………………誰だ?」
「…………知らん。さっきから付きまとわれてるんだ」

 ボソボソと話す二人を気にした様子もなく、聞こえたわけではないだろうが会話内容も分かった上で、男は口を開いた。

「いやいや、怪しいもんじゃないんだけどさ。って、十分怪しいな……」

 ふざけた態度。いきなり馴れ馴れしく話しかけて来たのを自分でも怪しいと理解しており、されどその所作に不快感はない。

「……何のようだ?」
「いや、そんな大したことはないんだけどさー……」

 ハルの警戒心をしっかりと感じ取っているのだろうが、それをものともせず、男は態度を崩さない。ハルを品定めするように、面白そうに眺めて、深く笑みを作る。



「兄さん。俺と一勝負してみないか?」




******************

 何というか……はい……裏で。



[29793] 駆け出し魔王勝負中
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2014/03/05 22:59
二章三話  駆け出し魔王勝負中


 夜深まった町の中。イシスはアッサラームほど夜に活発的な動きはないので、風の音が聞こえる程度には静かである。
 そんな中、ハルはジッと耳を澄ます。捉えるのは、若干砂がつもった石畳を叩く音。僅かに感じる衣擦れの気配。
 ハルにとって盗賊に転職して得られた一番の恩恵は、感覚が今までより遥かに鋭敏になったことだった。元より非才の身である。この世界に来る前でも、ハルには特別秀でた才能などはなく、平凡な存在でしかなかった。故に、経験さえ積めば才能のいらない思考力を鍛えたのだ。
 目に見えるもの、耳に入ってくる音、肌で感じる空気の流れ、それらの情報全てから分析し、答えを導き出す。経験と知識こそが、ハルの最大の武器なのだ。だから、盗賊特有の五感の発達は何よりもありがたいものであった。
 ハル達が今いるのはそこそこに裕福な住民が住む区画である。かなり狭い感覚で建物が建ち並んでいるため、道にそこまで多く砂が積もっているということはなく、こう静かだと足音でもよく響く。城に近い位置にあるため治安もよく、数こそ少ないが夜でも人通りがあった。
 分析する。音の間隔から歩幅を。音の反射から履き物を。衣擦れの気配から服の面積を。それら全てから総合した歩き方の癖を。

「………………………………女」

 ポツリとハルが呟くように言う。その言葉から5秒後、ハル達の死角となる場所から先ほどから聞こえていた足音の人物が姿を現した。
 砂漠の町特有の寒い夜に対応した、ゆったりとした暖かそうな服装。履き物はイシスでは一般的らしい、牛の皮を鞣し樹脂に似た物質を固めた厚底の靴。女性はそのまま、また通路の向こうへと姿を消した。
 後ろから、ほっと息を吐く気配を感じる。ハル以上に緊張していたタクトのものだろう。

「……これであんたが3回正解外しなし。次俺が外したら俺の負けって訳だ。……久しぶりだなこんな楽しいのは」

 深く笑みを作るのは、フリードと名乗ったあの格闘場の男だった。ハルが当てたことで劣勢だというのに、それに慌てるような素振りはなく、言葉通りに楽しくて仕方ないといった様子だ。
 ハル自身、リスクに突っ込んでいくどこかおかしい部分が自分にあることは承知しているが、フリードはその遥か上を行く。むしろリスクを求め、そこに喜びを覚えている節がある。ハルでさえそれが演技であるかも見抜けないこの男は、相当に『深い』。
 と、再び足音が耳朶に触れる。ハルに遅れて、タクトとフリードもそれに気付いたようだ。

「さて……どっちかね……………………男にしておこうか」

 ハルのようにじっくりと音を聞き推測したような様子はなく、極めて簡単にフリードは答えを口にする。タクトに確認したところ、フリードの職業は遊び人。限界Lvは若干高めで31だということだが、現在のLvは12。それだけを見ると下手な兵士などよりも高いが、特に目立ったスキルは無く、能力値的には平凡と言わざるを得ない。しかし、単純な能力値だけで計りきれないものが有るのは確かだった。
 そして、角から姿を現したのは男性。これで、フリードもハルと同様に三連続で正解だ。確率的に考えれば半々。偶然三回連続で当たることもあるだろう。が、本当に運だけとはとても思えない。
 フリードの手番でも、ハルは辺りの気配をずっと探っていた。しかしながら、どれほど集中しても答えを外部から得ているような様子はない。確かにタクトの能力とて完璧ではなく、相手が内に蓄えた経験や持ち合わせる素質などは判別出来ないが、気配察知能力が高い盗賊の、さらにLvでも勝っているハルよりも五感などが優れているとは考えにくい。
 本当にあるのだろうか。ハルもタクトも知らない、全く気取られることなく外部から答えを得る方法が。

「へへ、俺のカンも捨てたもんじゃないね。これで二人とも三回とも外れなしのパーフェクトだ。このままじゃ引き分けなんだが……それじゃ面白くないよな? どうだい? 次から二人同時に張って先に外した方が負けのサドンデスってのは?」
「…………わかった。俺が足音を聞いてから10秒後にタクトが合図をする。そのタイミングで同時にってことでいいな?」
「了解だ。ま、そんなもんだろ」

 おおよそ二人にとって平等なラインでハルは条件を提示する。ハルが足音を聞いて10秒は、フリードが答えを出していたタイミングより少し遅い程度。足音を聞くのはハルの方が早いが、答えるのはフリードよりも遅かったので、大体これでイーブンの筈だ。

「……俺に合図を出せってのは分かったが…………お前随分楽しそうだな? 口元、笑ってるぞ?」

 タクトに言われ、ハルは初めてそのことに気が付いた。自分では分からなかったが、言われると気分が高揚していることを自覚する。命が掛かっているわけでも、勝ったからといって劇的に何かが変わるわけでもない。その程度の勝負だ。それなのにこういった気分になれるのは、フリードの所為か。この男、他人を乗せるということに関しては超一流である。
 つくづく面白い男だと、フリードの評価を上げながら、ハルは新たなる足音を耳に捉えていた。




***




「勝負……ねぇ……」

 得体の知れない男からの提案に、ハルは目を細める。

「俺にはあんたと勝負する理由なんてないんだが?」
「まま、そう言わずに。絶対面白いからさ」

 明確に拒絶の意志を示しているというのに、少しも気にした様子もなく男は言う。本当に勝負することだけが目的なのか。

「…………何か賭けるのか? ただ勝ち負けを決めてそれでお終いってことはないだろ?」
「お、おいハル……?」

 まるで勝負を受けるかのように聞くハルに、タクトが若干狼狽を見せる。慎重と言うよりは臆病と言った方がしっくりくるような性格をしているだけに、こういった場面では尻込みしてしまうようだ。自信のなさの表れか流されやすいところもあり、どうにも頼りない。今までハルが見てきた限りだと、それなりに有能な素質は持っていると思うのだが。

「ん? おおそりゃそうだな。何か賭けた方が面白いな。何にする? やっぱ単純に金か?」

 勝負を持ちかけてきたくせに、本当に何も考えていなかったのような口調。ハルは眉を顰めそうになりつつも、あたかも呆れたが如く肩を竦める。

「なんだそりゃ。そんだけ意気込んで来ておいて何も考えてなかったのか?」
「はっはっは、あんたと勝負したくてついついな。ふーむ……でも金だとあれだな。今さっきあんたが儲けた分と俺が儲けた分じゃ、ちょっと釣り合いがとれないな……。よし、なら負けた方が勝った方の言う事を一つ、何でも無償で聞くってことで」
「…………その方がよほどリスキーじゃないか? 相手が何を言ってくるか分からないのに」
「あぁ、勿論拒否権はありだぜ? あんまり無茶なことは言わないって前提でだからな。まぁあんたなら負けた場合多少の不利益は被ってくれるだろ?」
「さてね。俺はよく我が侭だと言われるからな。で、勝負の内容は?」

 聞かれた男は、クイッと親指で格闘場の入り口を指さした。

「ここで単純に予想するのでもいいけどな。それじゃ勝負にならないかもしれないだろ? そろそろ暗くなってくる時間だ。ちょいと人通りの少ないところで、性別当てってのはどうだ? 角から見えない相手の性別を当てるって感じで。男か女か、確率は半々だ」

 言われて、ハルは口元に手を当てる。
 これが本当に一対一で、条件が同一ならば確かに確率は半々である。むしろ、自分ならばほぼ確実に当てられる自信がハルにはあった。たとえ相手のフィールドであったとしても、引き分け以上を狙うことができる筈だ。
 しかしながら、男に勝負以外の目的があった場合、それほど戦闘能力を持っていないタクトがいる分リスクが高い。よほどの事がない限り、二人で逃げることぐらいはできるだろうが……。

「………………いいだろう。その勝負受けよう」
「え”? マジで!?」

 ハルの了承に、タクトが後ろで声を上げる。普段ならば、こんな意味のない勝負など受けないハルである。リスクばかりが高く、目に見えてメリットが少ない。
 しかし、先ほどから見るこの男の挙動や、周囲から微かに感じる『気配』を考慮すると、提示されたリターンに大きな価値がある可能性はある。よしんば危険があったとしても、クゥ達を連れていない今ならば、どうとでもできるだろう。
 ハルの答えに、男は深く笑みを作る。

「よし、それじゃ決まりだな! さっそく移動しようぜ。あんまり遅くなったら勝負にならなくなるからな。あぁそうだ、俺はフリード。よろしくな」
「…………ハルだ。後ろのはタクト。ま、お手柔らかにな」




***




「「男」」


 ハルとフリードの声が重なる。サドンデスルールを適応してから、三回目の勝負だ。未だ二人の答えは違えない。
 果たして、角から現れたのは男であった。その姿が通路の向こうへ消えるのを見届けて、ハルは軽くため息を吐く。
 自分が不利であることを、ハルは認めていた。
 人間の集中力の限界には諸説あるが、30分から90分というのが一般的である。だから大学の講義は90分なのだとも聞くが、それが正誤どちらであろうとも、今のハルにとってはあまり関係ない。
 足音を捉えてからの、極限の集中。その繰り返しは、予想以上にハルを蝕んでいた。即ち、集中力の低下である。最初ならば確実に当てられたであろう答えが、今ではかろうじて当てられるかといったところだ。
 フリードがなぜ当てられるか。ハルの辿り着いた答えは、人からすればあまりにも荒唐無稽だという他なかった。だが、ハルの知らない通信方法でもない限り、そうだとしか思えない。
 その答えが真であるならば、ハルの求めている物は確実に手に入るだろうが、フリードの答えの精度は最初から最後まで一貫して変わることはないだろう。このまま続けば、いずれ負けるのはハルだ。フリードにとって『予想外』の事が起きない限りは。
 先ほどから既に半刻ほど時間が過ぎた。基より人通りの少ない通路である。先の男が出てきたのも、前から一刻ほど数えた後のことだ。下手をすれば、もう人が来ない可能性すらある。

「ふむ……もう来そうにないな……」

 ポツリと呟いたのはフリードである。『彼が』言うのであれば、それはほぼ間違いのない事なのだろう。
 引き分け。その事実を受け止めたとき、ハルは微かに安堵を覚えた。それを自覚し、敗北感が胸を苛む。まさか、このような思いを抱かされるとは考えてもいなかった。
 手を当てながら頭を軽く振り、嫌な気分を振り払う。この場は引き分けだ。ならばそれでいいではないか。

「いやはや、まさか引き分けになるとはなー……」
「―――――待て、来たぞ?」

 フリードが終わらせようとした時、ハルの耳は新たな足跡を捉えた。
 言わなければ、このまま引き分けで終わったであろう。下手をして、わざわざ負ける可能性のある勝負を受ける必要などない。

「お? まじか?」

 しかし、この最後の足跡はフリードにとっても予想外であった筈だ。今までと僅かに違う表情の動きと声色。些細な変化であるが、それはハルに訪れた勝機の欠片だった。

「あっ、か、カウント。10、9、8……」

 タクトが慌ててカウントを数え始める。捉えてから若干のロスはあったが、微々たる差だ。よもやこれで文句を言われることはないだろう。
 深く息を吐き、全神経を研ぎ澄まさせる。目を閉じて腕を組み、来る足音の持ち主の姿を捉える。
 体はかなり大きい部類だろう。おそらくはハルよりも二回りほど大きい。力強く踏みしめられている足音。体の運びからすれば、幾ばくか修練を積んだ者の動きだ。
 それだけならば、特徴としては男のものだと考えられる。しかしながら、衣擦れの音は非常に僅かで軽く、鎧などを着込んでいるような金属の擦れる音は聞こない。ヒラヒラとした踊り子が来ているような品物のように思える。
 ストロークは大きめで、そこからも体格の良さを思わされるが、歩くリズムは女性寄りである。聞く限りでは踏みしめている足は一直線上に近い軌跡。内股気味に歩いているのであろう。少し斜め気味に歩いているようだが、これも先ほどから女性にみられる特徴だ。理由も分かっている。
 男か、女か。これが最後として、今まで周りにも向けていた意識を完全に集中させているのだが、それでもなお判断が付かない。

「2、1、0、せーの……」
「……女」「……男」

 ここにきて、初めて二人の答えが分かれた。ハルが選んだのは女。フリードが選んだのは男である。両者とも、答えに迷いがあるのは明白であった。
 コツン、コツンと足音が近づく。一瞬先に見えた足先は、イシスの女性が好んで履くものである。
 そして、次に現れた全貌は――――



 ――――一瞬、脳がそれを生物と認めるのを拒否した。



 踊り子が着込む、ヒラヒラと男性の欲求を煽る薄手の服。そこから出る四肢は、丸太を思わせるような筋骨隆々とした逞しいもの。占い師のような透き通るヴェールに、神秘さを描き出す紫のルージュ。そして、顎に残る青髭。


 俗に言う、オカマである。


 彼?(彼女?)は思わず固まってしまったハル達三人を見て、『いやねぇ……怪しい男が居るわ……襲われないかしら』とでも言いたそうに眉を顰め、通路の向こうへ足早に去って行った。
 後には、言葉を忘れた三人が残されるばかりである。


「「――――っく」」


 笑い出したのは、ハルとフリードのどちらかだったか。ハルは片手で顔を覆い、それでも堪えきれぬ声が零れており、フリードは両手で腹を押さえて爆笑している。タクトはそんな二人を呆然と見つめていた。

「あーくそっ、なんだよそりゃあ。そこでそれはないだろ。いくらなんでも」
「しかしまぁ、生命体としての性別を言うなら男になるわけだが、その場合は俺の負けか?」
「そうだなぁ……ハル、あんたならあれに向かって男だって言えるか?」
「いや、俺も命は惜しい」
「……だよな?」

 言葉を交わしつつ、また二人はくっくっと笑い声を押し殺す。一人置いてきぼりのタクトは、困ったように頭を掻くことしか出来ない。

「えーっと……結局どういうことなんだ?」

 問いに対し、ハルが軽く苦笑する。

「あれを男だと言える蛮勇なんか俺もフリードも持ち合わせちゃいないが、逆に女と言えるほど達観しちゃいない。二人とも間違いで引き分け、だな」

 ハルの言葉を裏付けるように、フリードもまた仕方無しとばかりに肩を竦めた。
 それに少し落胆したような、ホッとしたような複雑な感情をタクトは抱く。どうにも、勝負にのめり込んでいたのは二人だけではなかったらしい。

「さて、どうする? ノーゲームってのもありだが……」
「そうだなぁ。俺もここまで決着つかないとは想定してなかったしな。最後は二人とも外した事だし、二人負けでお互いに貸し一つずつってのはどうだ?」
「ふむ……」

 実のところ、ハルはよほどの事でなければ賭けていた通り、フリードの言う事を聞いてもいいという気になっていた。勝負の中で得た信頼感というのもあまり信用出来るものではないが、この男はそう無茶な事は言い出すまいと思えたからだ。
 だが、一つだけ明らかにしておかねばならないこともある。

「まぁとりあえず、その辺りのことは上にいる奴と角の向こうにいる奴をこっちに来させてからな」
「は?」

 何を言っているのかと声を出すタクトの横で、今度こそ、フリードの目が驚愕の色を湛える。先ほどのように微妙に揺れたという程度ではない。確かな同様と驚きがそこにあった。

「…………いつ気付いた?」
「上のは何となく感じてたんだが、確信したのは外出て暫くしてからだな。優秀だとは思うが、少しばかり直情的すぎないか? 俺の一動作に注視しすぎで、気配が隠し切れてない。角のは勝負中。こんな時間に壁際に誰か立ってりゃ、距離を取ろうと動くのは普通だろ。特に女性は殆どこちら側の壁から一番遠い所を通ろうとしてた。気配の消し方は上手いんだが、注意力不足だな」

 フリードならば、ハルの言い分が決してハッタリではないと悟れるだろう。否、はったりではないと悟ったからこそ、惚けるような真似をしなかったのだ。

「ついでに―――――」

 言いつつ、ハルは剣に手を伸ばし抜きはなった。瞬間、ハルが指摘した二人が動き始める。
 上から降りてきたのは、軽金属の鎧を身につけた戦士風の男。二回転職し、身軽さが売りの盗賊であるハルと比べたら劣るが、並の人間ならば対応するだけで精一杯といった速度。少なくとも、剣の腕だけならばハルよりも明らかに優れている。
 角から出てきたのは、ローブを身につけた魔法使い風の女。その動きは滑らか且つ正確で、十分訓練されたものである事を匂わせる。魔力放出から凝固まで殆ど無駄がない。さすがにハルやランド程ではないが、十分熟練した魔法使いだと言えよう。

「ハルッ!?」

 タクトが声を上げる。流石に旅の間に少しは鍛えられたか、動揺しながらも身構え動ける体勢は整っている。もっとも、ハルが動けなければ、それにどれだけの意味があったか定かではないが。
 ピタリと、空気が制止した。戦士の男の剣はハルの剣を止めるように、魔法使いの女の杖は真っ直ぐにハルに向かい、ハルは二人に見せつけるように片手に魔力を固め、抜いた剣はフリードの首筋で止まっている。 
 そんな一触即発の状況で、ハルは口元の笑みを崩そうともしなかった。

「……今の俺では少し厳しさを感じさせる人間が二人も護衛に付いている。並の冒険者程度なら一蹴できるだろうし、この二人であんた一人を逃がす事ができない相手なんか殆どいないだろう。違和感はあったんだ。あんた、貴族か何かだろ」
「どうしてそう思った?」

 首筋に剣を突きつけられてる状態で、先ほど以上の動揺など存在せず、たた単純に聞き返すフリード。ハルもまた、それが妥当だとばかりに言葉を続けた。

「匂い、としか言えないな。演技も上手かった。着てる物だってそこいらの平民と大して変わらず、実はこっそり上等な物ってこともない。判断できる材料は高レベルな二人の護衛だけ。まあ、最後のだけでもそれなりに判断材料にはなるが」

 演技の為か別段気品などは感じなかったが、俗物的な行動と話し方なのに不思議と下卑た印象は受けず、裏社会で生きてきた人間とは思えぬ人となり。
 これ程短い間接しただけでも、もし誘われたら付いていってもいいと思えるような人を従える者が持つカリスマ性。高レベルの二人の護衛。
加えて……

「随分とこの町のことに明るいみたいだな。この勝負の解答。全て『知っていた』だろ?」

 妄想だと、そう言われても仕方のないハルの言葉。しかし、それを受けてフリードはニイっと深く笑みを作った。

「勝負中。護衛二人と何か連絡しているような様子はなかった。だが、普通に勘だけで二択を当て続けてたというには確率的にもあんたの性質的にもなさそうだ。能力的に俺と同じ真似ができるとも考えられない。さて、ではどうして当てられるか。言葉にすれば簡単だ。この辺りを通る連中のことを全て『知っておけば』いい」

 情報を網羅する。今日はどこの誰がどこで仕事をしていると。町全体に変わった事はなかったか。普段と違う行動を起こした人物はいなかったか。新しい人間が入ってきたりしなかったか。ありとあらゆる情報を網羅し、各人々の行動を推測する。
 無論、そのようなことを完璧にできるわけがない。予測不可能なことなどいくらでも存在するし、ちょっと一人が気まぐれを起こすだけで何もかもが変わってしまうことだってある。
 だがしかし、ここはフリードが選んだ極端に人通りが少ない路地。利用する人間が限られているということは、その分の情報量は少なくてすみ予測が外れる確率も減少する。当然100%とは言えないが、それでもかなり深い予測まで立てられるはずだ。大前提として、恐ろしい程の思考能力が必要ではあるが。
 町の隅々まで網羅した情報と、桁違いの思考能力。それがフリードの武器だとハルは考えた。そして、それほどの人物が只の人間であるわけもない。
 ハルの答えが正解かどうか、フリードはただ笑みだけで答えていた。

「それで? これからどうするんだ?」
「さて……このまま押し切って二人を降し、あんたから命と引き替えに色々貰うって手も無くはないが……」

 フリードとハルが話している間も、護衛の二人はピクリとも動くことなく、ハルの動きを注視していた。普通にやれば、今ハルが言った事を達成するのは間違いなく不可能だ。
 が、そんな中でハルが固めた魔力が変化を始める。魔力の中心から現れだしたのは、氷の塊。急速に肥大化を始めたそれを見て、戦士と魔法使いが初めて動揺を露わにした。

「なっ―――――!?」

 思わず声を出したのは魔法使い。それも当然だ。ハルはまだ【発動】の為の【キー】を唱えていない。無詠唱での魔法の発現など、魔法使いの常識からしたらありえない。
 同時に、完全に不意を打たれた彼らにとって、均衡を崩してでも動かなければならなくなった瞬間だった。

「フリード様!」

 通常、剣と魔法では威力において魔法の方に軍配が上がる。中にはそれを覆すような”例外”も存在するが、そんなもの世界中を探しても片手に足るかどうかだ。
 しかし、近距離においては圧倒的に剣の方が有利である。魔法を放つまでの四行程を剣を振るうより早く終わらせられる魔法使いもまず存在しないからだ。
 だが、この場においてそれは否定された。ハルの魔法はいつ放たれてもおかしくなく、それを止める手だてがない。この二人が真にフリードに仕える身であるならば、取るべき道は一つのみ。
 戦士が即座に剣を捨てフリードの盾になる。同時にハルは戦士の影へと移動し、魔法使いの攻撃を封じた。ハルの行動を予測していたか、魔法使いは既にフリードを守るべく駆けだしていた。
 ハルの腕には既に大人の頭ほどの氷が作られている。放つ前から発揮されている魔力は、明らかに低級魔法のものではなかった。直撃を受ければ、戦士すら一撃で落ちるかもしれない。そもそも、ヒャダルコ以上の魔法から守るのに、人一人の壁では到底足りないだろう。
 魔法使いから伸ばされた手は、フリードに届くことはなく。守らなければと、そんな二人の意志を嘲笑うようにハルの手は向けられ――――――


「―――なんてな」


 言葉と共に、ハルは手を握り込んで魔法を消滅させる。発動している筈の魔法を消滅させるなど、やはり魔法使いの知識にはなく、彼女は二人に手を伸ばしたその体勢のまま絶句していた。フリードを背に守ったまま、戦士も困惑したように振り向く。

「……くくく」

 漏れ出した声は、戦士と魔法使いの中心の人物、フリードから。口元を抑え、堪えきれないといった様子で、非常に楽しそうである。

「フ、フリード様?」
「おおよそ、忠誠心辺りを確かめたのか? しかしまあ、殆どお前らをからかうのが目的だったみたいだが」

 フリードの言うとおり、ハルの行動は確認のようなものだ。二人の雰囲気からしたら、ほぼ貴族の方面で確定だろう。商人に雇われた護衛だったとしたら、命すら投げ出すことなんて決してしない筈である。もっとも、ハルからしたらそこまではっきりとさせる問題でもないので、からかい半分というのも間違いない。
 ハルもまたニッと口元を歪め、楽しそうに笑いあう二人。タクトはガクッと脱力し、護衛達は顔を顰め怒り半分といった呆れ顔を見せた。

「…………心臓に悪いよお前ら……」

 タクトが呟くと、護衛二人と目があった。そこに妙な共感を感じたのは、共に振り回される者故か。
 ひとしきり笑いあった後、フリードが口を開く。

「つくづく面白いなあんた。ま、もう遅いしここらでお開きが妥当だが、結果はさっき言ったのでいいか?」
「条件が最初のでいいのなら、それでいい。あんたなら、俺の欲しいものが手に入りそうだ」
「へぇ……何が欲しいって言うんだ?」
「情報を。五・六年前、魔物と共にいた連中がこの国で捕まったと聞いたが、そいつらが今どうしているかを知りたい」
「…………ふむ。また随分と珍しいことを聞くもんだな……そんなことを聞く以上、格闘場がその時捕まった魔物達を使って運営してるってのは知ってるんだろうが、人間の方は町の外れ……この辺りで暮らしているな」

 ハルが彼らの情報を求める理由。提供する側からすれば当然疑問に思うところだろうが、特に言及することなく、地面に簡単な地図を書きながら説明する。
 この町で暮らしているというのは少しばかり予想外だった。町で聞いてみても、いまいち情報が集まらなかったが、てっきり格闘場周りで奴隷にでもなっているのかと思っていたのだ。

「そいつらが町で暮らすようにした女王だが、当然のことながら周りから迫害され、おまけに仲間だった魔物達は金儲けの道具だ。相当人間不信になっているぞ? 普通に接触しようにも、難しいのは間違いないな」

 ここで暮らしているのなら、迫害も人間不信になっているのも普通に想像できる。しかし、なぜイシス女王は彼らにこの町で暮らすことを許したのだろうか。ハルの考えている事は容易に分かったか、フリードが言葉を続ける。
 イシスは、実のところ女王の力がそこまで強くないらしい。これはあまり強硬に権力を振るうことを好まない女王の性格もあるが、何より豪族の力が強いのが大きい。
 魔王との戦いの最前線として、冒険者を雇っているのは七割豪族だという。さすがに女王の兵よりも私兵が多いということはないようだが、霊樹の元で暮らしていた者達を捕らえたのも豪族で、しかも質の悪い部類の者だった。
 魔物達は格闘場で戦わされ、人間は奴隷にさせられるところを、せめて人間達だけは助けてやって欲しいと女王が口添えしたらしい。魔物達は完全に敵として認定されているため助けることは適わず、何とか助けられた人間も女王から保護を与えることはできず、迫害されているのを止められないのだという。
 そうなれば、彼らが自身の身を守るために外からの接触を断とうするのは自然の成り行きだろう。
 追放されているのならば、何とか足取りを辿って接触することもできたかもしれないが、下手にこの町で暮らしている分面倒な状況である。
 だが、これ以上はハル自身の役目だ。とりあえず、話をする席を作らなければどうにもならない。

「ん、感謝する。それで、そっちの要望は?」

 向こうにそのつもりがなくとも、ハルにとっては大きな価値のある情報を提供してくれたのだ。よほど無理な事でなければ応えるのが義理というものだろう。
 しかし、フリードは苦笑いを浮かべながら頭を掻く。

「いやぁ要望な。うん、今んとこ何にも思い浮かばなねぇんだよなぁ……そうだな、次に会うまで貸しにしておいていいか?」
「………………会う保証なんてできんが?」
「いいさ。こっちも大したことしたわけじゃないしな。それに、また会えた時も面白そうなことがありそうだ」
「別に俺はエンターテイナーじゃないんだがな……そっちがそれでいいならまぁいいさ。じゃあ、そろそろ俺たちは失礼させて貰う」
「ああ、じゃあまたな」
「縁があったらな。タクト、行くぞ」

 言って歩き出すハルを、少し慌ててタクトが追いかける。朝から放置していたボウ達のことが若干気懸かりだ。まあ、外壁の外側で隠れている為大丈夫だとは思うが。
 と、ハル達が路地を曲がろうとした時、後ろからフリードの声が聞こえてきた。

「そう言えば、東の区画で奴隷がオークションに掛けられてるけど、明日に何か”魔族の双子”ってのが出るらしいな。魔族だなんて、大嘘だろうけどな」

 ピタリと、ハルは足を止める。サービスのつもりか、既にフリード達は反対方向へ歩き出していた。
 魔族というのは、本来ヒミコのように力を持った魔物か、人間に近い姿か形を持つ魂型の存在のことを言う。ゴウルに聞いたことなので間違いなくこれが正解なのであるが、人間ではそんな違いを知ってる者などほぼいないだろう。
 魔法オババや魔女などの種族もこの部類に属するが、彼女らの棲息域を考えると奴隷として連れ去ってこられるとは思えない。奴隷というからには間違いなく人型であるだろうし、それならば何をもって魔族としているのか。
 理解できない存在。人の枠から外れた者。即ち、魔物と共に生きていた霊樹の一族だろうことは想像に難くない。
 借りばかり作らされると、ハルは苦笑しながらその場を後にした。 




***




「で、お前らから見てあいつはどうだった?」

 拠点に帰る道すがら、フリードがおもむろに二人に尋ねた。

「……剣の腕は並か、それ以下です。ただ、身体能力はそれを補って余るほど。速度だけならば私よりも上でした。ダーマで盗賊の祝福を受けているものだと思われます。剣だけでも、一兵卒程度ならば圧倒できるでしょう。魔法も使っていたので、最低一度……身体能力を鑑みれば二度転職を行っているのかもしれません」

 最初に答えたのは戦士―――ホルトである。
 戦士としては間違いなく優秀な人間である彼が言うならば、ハルの剣の腕前自体は本当に大したことはないのだろう。しかし、それでも尚十分に強いと言わせるだけの身体能力。ダーマで転職を経験している人間は非常に稀であり、あれ程の若さで二回も行っているというのは普通ならば信じがたいが、それを納得させられてしまう。

「加え、あの剣…………どこで手に入れたのかは分かりませんが、紛れもなく名剣の部類。単なる冒険者が持っていていいものではありません。あれ程の剣は、世界中を探してもそう多くないでしょう」
「なるほど。いいものだとは思ったがそれ程か。なかなか想像力を掻き立ててくれるな」

 二度も転職をしていながら、並以下だという剣の腕前。しかし持っている剣は一級品。どこぞの貴族の家宝であってもおかしくないそれを所持しながらも、他の装備は平凡そのもの。一体どこの出自の者か。フリードの情報網にも一度も引っかかったことはない。あるとすれば非常に短い期間で成長を遂げ、たまたま名剣を手に入れた者だということだが、そんなことがあり得るのだろうか。

「イレースはどうだ? 随分驚いていたみたいだが」
「…………正直なところを申し上げますと、魔法使いとしては別格かと。少なくとも、技量では私以上……下手をすれば我が師に届きうるかもしれません」
「へぇ……アザードの爺さん並とは随分大きく出たな」
「流石に並ぶかどうかは……ですが、術具も無い状態で私と同時か僅かに早く魔力凝固を終了させ、かつ無駄が全く見られませんでした。剣を抜き、ホルトと相対しつつそれほどです。魔力の扱いに関しては紛れもなく一級……名を聞いた事がないのが不思議でなりません」

 イレースの師は既に故人であるが、その実力は国の中でも一、二を争う人物であった。今世界で彼に並ぶ者など、そう多くはない。ダーマ大神官のフォーテなど、他国にまで名の知られた存在ばかりである。
 彼らにあの若さで追随できる存在。イレースともそう変わらない年齢だ。否定したいと強く思うが、なまじ腕が良いだけにそれができない。
 確かに、在野の人物で特に何の功績も残していない者ならば、たとえ実力者であったとしても噂にならないこともあるだろう。だが、命の安全も、生活の安定も無い冒険者をしているのは何故か。あれほどの実力があれば、どこの国でも簡単に仕官できるであろうし、好待遇で迎えられるのは間違いない。何の目的があって動いているのだろうか。
 そして、あの無詠唱での魔法の発現。あんなものはイレースですら知らない。発動した魔法を消す術なんてないはずなのに、あの男はあっさりそれを成して見せた。悔しいが、自分とハルの間には大きな溝があると、イレースは認めていた。

「剣の腕は並以下でありながら、高い身体能力と名剣を携え、さらに優れた魔法技術を持ち、頭の回転も速く聡明……こう言ったら少しばかり出来すぎだな。類い希なる英雄の器って感じだ。そんな人間が今まで何の噂もなく、どこに仕官するでもなく、魔族とも呼ばれる連中の情報を欲しがる。ふむ、実にきな臭いな」
「………………楽しそうですね」

 言っていることとは裏腹に、フリードは深く笑みを浮かべていた。ホルトの声に呆れたような色があるのも仕方ないことだろう。

「実に興味深いだろう? 何をするつもりなのか。何がしたいのか。格闘場で見た時から思ってたが、まさしく『大当たり』だ」
「……彼を勧誘するのですか?」

 イレースに問われ、フリードは大きく手を広げ肩を竦めた。その仕草はどこまでも演技のようで、しかしピッタリと嵌って不自然さを感じさせない。

「さて、それが問題だ。確かに俺はあいつを非常に気に入ったが、あれがそう簡単に引き込めるかと言えばそうじゃない。普通の奴の価値観とは違ったものを持っていて、何か明確な目的に向かって動いてるのを無理に引き込むのは難しい」
「では、しばらくは様子見ということですか?」

 おそらくは適当に眺めて楽しんだ後に、彼の望む物を用意して引き込むつもりだろうと従者達は予想した。いつも通りの主の行動だ。されど、そんな二人の予想を余所にフリードは笑みを浮かべる。二人は知っていた。これが、何かロクでもない悪戯を思いついた主の顔だという事を。



「どうせなら、もっと面白い方法があるだろう?」







[29793] 駆け出し魔王買い物中
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2014/03/05 23:20
二章第四話  駆け出し魔王買い物中


 イシスの郊外。オアシスに点在する草むらの一つに、彼らはいた。

「水たまりー♪」
「クウ! クウゥ♪」
「あ、止めてクウ。ピチャピチャできないから!」
「クウ?」
「………………相変わらず無駄に柔らかいわねあんた……そんなに体の形変えられるスライムなんてあんたぐらいよ。というか水たまりというよりもバブルスライムとかそっち系に見えるわね……」


 はっきり言うのならば、暇なのである。
 普段ならふざけているボウに対して怒るリンですら、いつもよりもからだを伸ばして呆れ声を出すだけ。ハル達が居らずあまり町から離れるのも危険であり、かといって人に見つかる訳にもいかないので身動きは殆ど取れない。
 今までも似たような状況はそこそこあったのだが、ハルが彼らから長時間離れるということは殆ど無かった。
 クウがもっと小さい頃はハルの荷物袋の中に入り常に一緒に行動していたし、ボウやリンが加わってからは直ぐにジパングで、生け贄の洞窟内でわざわざ隠れて行動する必要もなかった。ダーマに行ってからも、ハルは必要以上に町中で行動することはなく、大体彼らと共に過ごしていたのだ。
 もちろん、ボウやリンとてハルと共に行動してきただけあり、この辺りの魔物相手でも逃げることぐらいはできるだろう。クウも成長しそれなりに強くなったことを思えば、町から離れて行動することだって不可能じゃない。
 しかし、この辺り一帯は砂漠ばかりで何があるわけでもなく、わざわざ危険を冒して行動するほど彼らの興味を引くものはない。ハルに迷惑を掛けるわけにもいかず、結局こうしてダラダラと過ごすことしかできないのだ。

「クウ……クウ……?」
「そうだねー……ハル様早く帰って来たらいいのにねぇ……ねえリン。ハル様いつぐらいに戻ってくるかなぁ?」
「…………分からないわよそんなの。心配しなくても夜には戻ってくれるでしょ? ハル様だって私たちのことは気に掛けてくれてるし……色々やることあるんだからしょうがないじゃない」
「クウゥ…………」

 シュンと、リン達より遙かに大きな体を縮こませて、クウが拗ねたように一声鳴く。クウからすればハルは育ての親であり、ボウ達よりも依存度はずっと高い。体は大きくなってもまだまだ子供だ。親が近くに居て欲しいと思うのは当然である。

「あ、そうだクウ。あっちの茂みに湖に入れるところがあったから行かない? 周りから見えないから遊べると思うんだ」
「ク? クウ!」

 気を遣ったか、または自分が遊びたいだけか。ボウの提案にクウが元気よく了承する。気分がコロコロ変わるのもやはり子供らしい。

「…………まぁいいけど、気をつけなさいよ? 私たちが見つかったらハル様に迷惑掛かるんだから」
「あれ? リンは行かないの?」
「私はここで休んでるわよ。行くんならあんた達だけで行ってきなさいな」

 そっけないリンの言葉にクウとボウは顔を見合わせるが、無理に誘おうとすることはなく、ポンとボウが飛び上がっていつもの定位置であるクウの頭の上へと収まる。

「じゃあちょっと行ってくるねー」
「クウー」
「暫くはないだろうけど、ハル様が帰ってくる前には帰ってきなさいよ」
「はーい」「クウー」

 二人が行くのを見届けて、リンはふうと一息ついた。
 以前、アリアハンの霊樹にいた時はいつもこんな感じであった。適当に過ごし、人間や他の魔物に見つからぬよう食料を探しに行き、暗くなれば月明かりの下で眠りに就く。あの頃は一度だって暇などとは思った事はなかった。変わったとしたら、やはりハルの所為だろう。
 ハルと行動するのは、今までよりもずっと大変だった。一歩間違えたら死ぬようなことはこの数ヶ月の間で何度合ったかもわからない。弱小種族である自分が、何故ごうけつ熊だのマッドオックスだのと正面から向き合わねばならないのか。霊樹の力が及ばぬ場所で、聖水と薪の火だけを頼りに緊張して眠るなど、ありえないとしか言えない。
 それでも、霊樹の下で安穏と暮らしていた時よりも、今の方が『楽しい』と感じている自分がいる。
 アリアハンにいた頃では見た事がなかった景色。初めて見る町や魔物達。危機一髪の状況を抜け、皆で火を囲い合って取る夕食。ハルに付いてこなければ知らずに終わっていたものばかりだ。
 毎日新しい発見をする充実感。それを知ってしまった自分は、もうあの頃に戻れないだろう。
 初めは長老に言われたから渋々付いてきた筈なのに、今では早くハルが帰ってこないかと待ち望んでいる。そんな変化さえこそばゆく感じながら、リンはクスリと笑って空を仰ぎ見た。


「あーあ。ハル様早く帰ってこないかな……」




***




 イシスという国は、巨大なオアシスの周りに沿って弧を描くように作られている。さらに、地域ごとに影響力の強い人間がおり、大きく三つの区画に分けられる。
 イシスの女王、パトラが強い影響力を持つ王城から近い西の区画。良く言えば落ち着いた雰囲気、悪く言えば活気が薄い区画で、元々イシスで古くから暮らしていた人間が住んでいる。霊樹の一族を匿っているのもこの区画であるが、彼らが噂にも上がってこないように、女王に迷惑を掛けている存在として忌避されているようだ。
 イシスでもっとも力を持つ豪族の男、アッシャが強い影響力を持つ中央の区画。イシスの玄関口を押さえており、同区画内に格闘場を持っているのもこの男だ。女王の区画と同範囲ほどの大きさがあり、冒険者などを雇い入れているため活気はある。流石に女王の膝元と比べると治安は若干悪いが、アッシャという男はろくでもない人間でありながらも金儲けには賢く、あまりにも治安が悪いと景気が悪くなるということで、私兵を使い大通りなど人通りの多い場所はそこそこの治安を保っている。目立って国に悪影響を与えておらず、むしろ国力を上げる原因でもあり、女王も彼に口をはさむ事ができないようだ。
 そして、アッシャの傘下に降っていない豪族が互いに牽制し合っている東の区画。間にアッシャを挟み、女王の力も殆ど届かない。貧富の差が特に激しい地区で、貧民街も存在し治安は悪い。小さいながらも無視できない力を持つ豪族達の無法が罷り通る、そんな区域だ。
 その東の区画内に、中規模ほどの公園のような広場があり、そこに張られた大きなテントの中にイシス内の豪族達や力を持った商人達などが集まっていた。護衛の人間を含め、かなりの人数がいる。

「では、この没落貴族のお嬢様は17番の方が4000Gで落札されました!!」

 行われているのは、奴隷のオークションである。
 どこから連れられてくるのか、今競り落とされたのは明らかに貴族と分かる少女であった。着ている物は痛んでいながらも元はそこそこ値が張ったであろう赤いドレス。十分に整った顔立ちには、これからの自分の未来を想像したか、絶望した暗い色しか見えない。
 落としたのは、恰幅のいい商人の男だ。少女を見て下卑た表情を浮かべる男が何を考えているのか、一目見たら分かる。
 哀れだとは思うが、今のハルには彼女を助ける余裕などなく、その姿を見送るしかない。

「…………あの子さ…………」
「どうしようもない。あれは俺の目的には関係ない」
「………………ああ、そうだな」

 ともすれば目の前の悲劇を無視したようにしか聞こえない台詞に、タクトは頷くしかできなかった。
 ハルは、ジッと腕を組みオークションの様子を見守っている。念のために二人ともフード付きのローブを着衣し目深に被っているため、タクトからもその表所は見えないが、落ち着かない指先は常に腕を、足は地面を叩き、止まる事はない。彼とて、助けられるなら、力があったのなら、助けようとは思うのだろう。苛立っているのは状況に対してか、連れて行かれる少女に対してか、届かない自分に対してか、あるいはその全てか。そこにタクトは己の感傷だけで何かを言う事はできない。
 そんな彼らを余所に、オークションは進んでいく。入り口で配られた番号札を掲げ、値段を言い合う人々。今日競りに出される人間は20人ほどのようだ。値段は様々で、先ほどの少女のような高額の者もいれば、1000G以下で売られていくような人間もいる。
 有用な者は当然のことながら、希少価値が高い者や見た目がいい者はコレクション感覚なのか値が吊り上がっていく。高ければ4、5000と、普通の人間が一年よほどの節制しながら貯めないといけないような値段だ。
 いや、逆に考えるならば、普通の人間でもたった一年あれば高額奴隷に手が届くということか。これが高いのか低いのか、ハルには判断がつかない。ハル達の世界において奴隷は平均的な労働者の年収並の値段で取引されていたこともあれば、本当に端金で扱われていたこともあった。倫理観が発達するには豊かな生活が必須であるが、今のこの世界の状況では人の値段とてこのようなものだということだろう。これに憤るほどハルは子どもではない。良い気分でないのは確かだが。
 オークションを眺めること十数回。ハル達の目的が出てきたのは、一番最後のことだった。

「さぁ、次が今回最後のオークションでございます!」

 司会の言葉の後に、両手足を鎖で繋がれた二人の褐色の少女が連れてこられる。うり二つな顔立ちからすぐに双子と分かるが、同時に競られるということか。
 年の頃は、10代の前半から半ばぐらいだろうか。あまり満足に食べられていないのであろう。発育の悪さと共に、ボロ切れのような服から伸びる手足の細さが目立つ。こんな場所で売られる自分たちの末路など分かりきっているだろうに、轡を咬まされた上に見える目は、気丈にも強い光を灯している。それでも、ハルの目には彼女らの足が恐怖に震えているのが見えていた。
 その姿を、ハルは美しいと思う。彼女たちとて、もし十分な食事を得て、人並みに着飾れば周囲の視線を集めることも不可能ではないであろう。だが、今の彼女たちはお世辞にも綺麗だとは言えない。
 霊樹の一族が捕らえられて6年以上。その時彼女たちはまだ一桁の年齢だ。さぞ蔑まされたであろう。さぞ虐げられたであろう。不安定で、もっとも多感な年齢の間にそんな生活を強いられて、それでも尚自らの誇りを失わずにいられるのか。
 周囲に対して怒りを向けられるというのは、尊厳を失っていない証拠だ。だから、どれほど見た目が悪かろうが、ハルには彼女たちが眩しく見える。

「こちらにいるのは魔物と心を通わしていた一族の少女! 魔族の双子でございます!」

 ざわりと、司会の言葉に会場が波立つ。あれがそうかと目を細める者もいれば、半信半疑で見ている者もいた。

「見ての通りまだまだ反抗的な目を浮かべる彼女らをどう御するかは競り落とすあなた方次第であります! さぁ双子なので少々お高めですが1000Gからのスタートです!!」
「1300!」
「1500だ!」
「2000!」

 開始と共に、会場のあちこちから声が上がる。値は落ち着くことなく、3000、4000と数を数え、5000を超える頃には半分以上の人間が脱落していた。

「5320!」
「5330!」
「ええい! 5500だ!」

 最後の声と共に、会場内に上げられていた番号札が殆ど降りてしまった。声を上げたのは、どこかの貴族然とした身なりのいい男性。最後まで競り合っていた周りの番号札が下がったために、彼は勝利の笑みを浮かべる。


「…………6000」
「なっ!?」


 ハルが初めて上げた声に、男性は驚愕したようにこちらを振り向く。今まで一度も札を掲げることなく、壁際でジッとしていた者がいきなり値を吊り上げたのだ。会場の視線がハル達に集中してくる。

「6000! 6000が出ました! 他にありませんか!?」
「ぬ……6100だ!」
「6200」
「くっ……6250!」
「6300」
「ぐぬぬ……ろ、6400!!」

 淡々と値を上げるハルに、憤怒の表情でついてくる男性。もはや周りの者達はただ経過を見守るだけに徹している。

「……7000」
「くっ……くそっ!」

 最後に止めとばかりに値を上げたハルに対し、男は自分の札を地面に叩き付けた。動揺する事すらなく値を上げ続けたハルには余裕があるように見えたであろう。実際は昨日の格闘場での勝ち分も通り越し、既に限界が見え始めていたのだが。
 何にせよ、もはや対抗してくる者はいない。ハル以外の誰も札を掲げていないのを確認した後、司会が終了を宣言する。

「それでは、魔族の双子は28番の方が落札されました!」

 係員に連れられてきた双子は、顔の見えないハルをギッと食いしばるように睨み付けてくる。ハルはその視線に特に反応することなく、無言で係員から二人を繋いでいる鎖とそれを外す為の鍵を受け取った。

「以上で全ての競りが終了致しました! 今回のオークションはこれにて解散になります! 皆様、ありがとうございました!」

 閉場の言葉と共に、集まっていた人々はゾロゾロとその場から退場していく。奴隷を連れている者、収穫無しと若干の落胆を見せている者と様々だが、ハルはすぐに出ようとはせず、人の波を眺めていた。

「…………どうした? これから行くんじゃないのか?」

 居たたまれずに双子の視線から逃げていたタクトが、ハルに問う。この双子を手に入れたのならば、次に向かうところは決まっているのだから当然だろう。

「ん、これから向かうのは間違いないがな。タクト、外出たら……」
「…………はぁ? ちょっと待てよなんでそんなこと……」
「ちょっとばかし露払いだ。変に動かれると困るしな」

 少し考え、ハルの言葉がどういう意味かを理解して、タクトは眉を顰める。一応顔を隠しておけと言われた時に変に慎重だなと思ったが、こうなると正解であったのが分かる。
 やがて、出入り口が空いてきた頃にハル達は動き出す。未だに双子はハル達のことを睨み付けているが、特に目立った行動を起こそうとはしていない。いや、途中何度か互いにこっそりと目配せをしていたので、何かを狙っているのか。
 テントから出て、そのまま東の区画の路地を進む。枷は付けたまま、鎖を引いているのはタクトだ。臆病な性格故にお人好しであるのでさぞ気は引けているだろうし、これから行う事もやりたくはないのだろうが、ハルの言うとおりにしないと逆に危険である事も理解している。少々酷ではあるが、仕方あるまい。
 そしてもう少しで東の区画を抜けようというところで、ハル達の前を三人の男が遮った。同時に、二人の男が今歩いてきた道を塞ぐ。

「………………何のようだ?」

 驚き身を固くした双子を尻目に、ハルは問うた。目的は分かりきっているが。

「そこの双子を置いていけ。そうすれば命までは取らん」
「ふむ、これは俺の物なんだが?」
「承知している。だが、自分の命とどちらが大切だ?」

 話しているのがおそらくリーダー格なのだろう。あのハルと競り合っていた貴族の近くで見かけたし、他のと比べて多少気配に隙がない。それでも、昨日の護衛二人とは比べものにならないが。
 他はいくら高く見積もっても一人前にも満たないか。凄み方に品も格もない。ハルからしたらちんぴらに毛が生えたようなものだ。
 何せ、魔法使いらしき男ですらハルがローブの下で編んでいる魔力に気づかないのだから。


「【ヒャダルコ】」「悪い!」
「んむっ!?」「んっ!?」


 ハルがローブから手を出し魔法を唱えたと同時、タクトが双子の鎖を思いっきり引っ張ってそばに寄せる。混乱に乗じて逃げようと思ったか、走り出そうとした双子は機先を制され、逆方向から掛かった力に地面に倒れ込んだ。

「なっ――――」
「遅い」

 ヒャダルコを放ったのは後方の道を塞いでいた男二人に向けて。ハルの手から出現したのは、1mほどの大きさがある数本の氷柱である。完全に不意を打たれた男二人は、身構えることすら適わずに、あっさりと氷柱に腕と足を貫かれた。
 さらに、ハルは魔法を放つと同時に前へと踏み込んでいる。驚きに固まっていたリーダー格の男は、自分よりも遙かに早いハルの動きに対応することすら許されず、抜き放たれた剣に腕を飛ばされた。

「「「がああああっ!?」」」

 一呼吸の内にリーダー格の男を含む三人が戦闘不能にされ、残された二人はそれでも何が起こったのか理解できず棒立ちになっていた。
 それらに向けてハルはスッと剣を向ける。

「で、どうする?」
「「ひっ……ひいいいいいいいい!!」」

 圧倒的有利な立場から、いきなり絶体絶命の立場に落とされた男達は、訳も分からないままに逃げ出した。当然ながら、その場に蹲った男達は見殺しである。

「すぐ回復魔法を掛ければ、その腕やら足やらも動くようになるだろう。これからは、実力も分からない相手に油断するのは止めておくことだな」

 鎧袖一触とばかりに戦いを終えたハルは、倒れている双子を立たせて歩き出す。傷ついた連中が回復魔法を受けられる場所までたどり着けるかは知らないが、どうでもいい連中の面倒を見る理由など一つもない。

「お前達も、実力差が分かったのなら大人しくしておけ。よしんば俺から逃げられたとしても、さっきみたいな奴らがいたら逃げられんだろう?」
「「……………………」」

 わざわざハルが双子の前で戦ったのは、今の自分たちの状況を思い知らせる為であった。
 変に暴れられても面倒であるし、霊樹の一族が暮らしている区画まで大人しくしていて貰いたかったのだ。実際、ハルの実力とまだ他の人間から狙われているということを理解して、彼女らが何かしようとする様子は全く見受けられなくなった。目から意志の光が失われることはなかったが。
 双子に何も告げることなく、ハル達は町中を進んでいく。南の区画を通り越し、西の区画へ。最初こそどこへ連れて行かれるのかと思っていた双子は、やがて困惑の表情を浮かべ始める。


 果たして、彼らはそこへ辿り着いた。


 西の区画のさらに端。そこへ行くには西の区画を横切り、抜け道のような目立たない細い路地を通らねばならない。知らなければまず近寄ることはないだろう。
 そうして着いた場所は、人一人歩いていない寂れた通りである。立ち並ぶのは三~四人が何とか暮らせるかという程度の小汚いバラック。おそらく、ここに住み着いた当初から改善はされていないのだろう。何とか修復して使っていますとばかりに、古い木で補強し今にも倒れそうなものが殆どだ。
 ただ、バラックの中に人の気配は確かにあった。滅多に誰かがやってくることなどないのだろう。何者がやってきたのだと、ハル達のことを小屋の中から伺っているようだ。
 そして、鎖で繋がれた双子の姿を認め、明らかに集落の中の空気が変わった。どよめき、動揺しながらも、間違いなく敵意を向けられている。
 当たり前だ。いなくなった集落の仲間の手足に枷を填め、喋れぬように轡を咬まされた姿を見て、憤らぬ者などそういない。ましてや、他に味方がいない彼らの繋がりは相当強いことだろうから、余計である。

「さて……どこが一番偉い奴の家かね……?」

 呟きながら、ハルは双子の鎖を引いて通りを堂々と歩く。対照的に、後ろから着いてきているタクトは、キョロキョロと周りを見ながら落ち着かない様子だ。
 そのまま集落の中心ほどまで進んだとき、バンッと大きな音を立ててバラックの一つから人影が飛び出てきた。

「ルナ! マナ!」

 それは双子の名前か。現れたのは30代前後の女性である。二人の母親にしては若いように思うが、ハル達の感覚とこの世界では基準が違う。若くして子を儲けるのも決して珍しい事ではないだろう。
 その女性を皮切りにして、ぞろぞろとバラックの中から人が現れた。誰もが敵意を隠す事もなく、今にも襲いかからんという姿勢を見せている。

「んむー!!」「んー!! んー!!」

 轡の下から声を上げて、双子がブンブンと首を振る。それを見て、ハルがタクトに轡を外せと動作だけで示した。何もかもハルに任せる事しか術のないタクトは、恐る恐る双子の轡に手を掛ける。

「んっ! …………皆ダメ!! こいつ、たぶんフターミ達よりも強い!」
「動かないで!! 殺されちゃう!!」

 あわやというところで双子の制止が入り、身を乗り出すような体勢で人々は止まった。それを確認しつつ、ハルはわざとらしく手を掲げ、既に形になりかけていたヒャダルコを握りつぶす。
 ハルが到達できる最高階位の魔法である。少し戦いの心得がある程度の者なら、一撃で命を奪いされるだろう。双子の言葉が嘘ではないという証拠を目の当たりにし、血気にはやった人間が一歩後ずさった。双子の母親らしき女性を除いて。

「お願いします!! その子達を返して下さい!! 私の……私の大切な子ども達なんです!!」
「「お母さん!!」」

 周りの人に止められながらも、女性は必死に双子に手を伸ばし懇願する。ハルはそれを見ながら、考えるように口元に手を当てた。

「ふむ……俺はこいつらを七千で買ったわけだが……そうだな……一万出せるなら考えてやらないでもないぞ?」
「いちっ――――!?」

 提示された条件に、女性は息を呑む。
 この集落や人々の姿を見る限り、彼らの生活水準は底辺に等しいだろう。どれだけひっくり返したところで、そんな金が出てくるわけがない。

「そんなお金は……!!」
「無いのなら返しては―――」
「待ってくれ!!」

 ハルの言葉を遮り、人垣を割って出てきたのは、大柄な男だった。ハルは確かに背が高い方ではないが、それでも自分よりも頭一つ分高いとなると相当な大きさである。

「あなた…………」
「「お父さん…………」」
「フルガスさん……そうだ、フルガスさんなら魔法使いの一人ぐらい……」

 これが双子の父親か。確かに、身のこなしを見る限りでは中々に強そうだ。体格差もあり、近接戦ではあるいはハルと戦うこともできるかもしれない。
 だがしかし、周りの人々と同じだけの期待を双子は持てなかった。彼女らは、一瞬だったとはいえハルの戦いを見ているのだ。彼女たちの父親がハルに勝てる姿が、全く想像できない。
 そしてそれは、フルガスとて同様だった。
 ざわりと、人々が動揺する。フルガスがしたのは、その大きな体を小さくし、地面に低頭することだった。

「頼む。私がその子らの代わりになる。この命をどう使ってくれても構わない。だから、その子達を助けてやってくれ」
「あなた!!」「「お父さん!!」」

 フルガスの懇願に、人々は悲痛な声を上げる。ハルはそれを見ても微動だにせず、タクトはもう見ていられないと、周りから顔を背けていた。

「フルガス! あんたがいなくなったら誰が俺たちをまとめるんだ!」
「そ、そうだよフルガスさん! フルガスさんの後に長になれる人なんていないよ!! それより相手はたった二人なんだ! フルガスさんと一緒に全員でやれば……」
「駄目だ! 後ろのはともかく、こいつはただの魔法使いじゃない。私たちでは、どう足掻いても犠牲が出るだけだ!」

 喧々囂々と上がる声を、低頭したままのただの一括のみでフルガスが黙らせる。なるほど、随分若いように思うが、確かに彼がこの者達の長らしい。

「へぇ……まさかまさかこの二人、長の娘か。なるほど、思ったよりいい買い物だったらしい」
「なら…………」
「しかし足りないな。色々使いでのある少女二人と、たとえ長だろうが俺より弱い男一人での交換とは」
「――――――っ!!!」

 あくまで要求を呑もうとしないハルに、フルガスの背が震える。
 と、長の姿を見かねたか一人の男が輪から歩を進めた。

「………………なら、五千出す。俺たちの蓄えを全部出せばそれぐらいにはなる筈だ。後五千も必ず払う。何なら、俺だけで五千払うと約束していい。だから、その子達を解放してくれ……」
「―――っ! それは! その金は!!」

 男の言葉に、フルガスが思わず顔を上げた。よほど必要な金だったのだろう。それこそ、自分の子達よりも優先するほどに。
 だが、呼応するように声が上がる。

「お、俺も千払う!」
「僕もだ!」
「俺も! どれだけ時間が掛かろうと、必ず払うから!」
「「みんな……」」

 ボロボロと、自分たちを助けようとする人々を見て双子は涙を零す。それを見ながらハルは、実に場違いにも冷静な口調で問いかけた。

「………………一つ聞く。お前達の蓄え五千。それは何に使うものだった?」
「…………なぜそんなことが聞きたい?」
「いいから答えろ。自らの娘二人と天秤に掛けてもなお重いその金は、一体何の為の資金だ?」

 ジャラリと首輪の鎖を鳴らし、答えなければ双子は連れて行くと無言の圧力を掛ける。
 フルガスは苦渋の表情を浮かべながら空を仰ぎ、再びハルの顔を見据えた。

「私たちの仲間を……格闘場で殺し合いの見せ物にされている仲間を助け、この国から離れる為に我らが五年の歳月を掛けて必死に貯めた金だ……」
「ほお……魔物達を仲間と呼び、さらにそれを助ける為……ねぇ……。どうやって助けるつもりだったんだ? よしんば助けられたとしても、魔物は国の外に出すことはできんだろう?」
「…………最悪、傭兵を雇って格闘場を襲撃するつもりだった。外へは……霊樹さえ見つかれば……」

 追い詰められすぎて、もはや冷静さなど殆ど残っていないのだろう。フルガスはハルの質問の違和感に気づかない。なぜ、ハルが魔物達が国の外へ出て行けないことを知っているのかと。
 あまりにも無計画。あまりにも無謀。彼らが格闘場を襲撃しようが、どうして圧倒的資本を持つ相手に勝てるというのか。襲撃の後、どこへ逃げようというのか。彼らはただ無駄死にするだけだ。無意味にも程がある。自分たちでもそれは理解しているようだが。
 しかし、悪くない。相手がいくら強くあろうとも、いかに自分たちが虐げられようとも、仲間を助け、未来を求めるその誇りは悪くない。
 もしも、彼らが今の境遇に負けきっていたのなら、格闘場の魔物達を助けようともしなかったのなら、最悪ハルは双子を連れてまた別の手段を探そうとしていただろう。これならば、金を出した価値もあるというものだ。
 ニイッと、ハルはフードの下で笑みを作る。

「タクト」
「え? て、おわっ!?」

 不意に呼ばれ、背けていた顔を戻したタクトの前に、鍵束が放られた。いきなりの行動に慌てながらも、タクトは何とか鍵を受け取る。

「鍵、開けてやれ」
「あ、ああ……」

 突如として謎の行動をし始めたハル達に、集落の人々は唖然としている。それは、今まさに枷を外されている双子も同様であった。カシャン、カシャンと、あっけない音を立てながら落ちていく枷を、信じられなさそうに見つめている。
 そうして、全ての枷が外された。

「この二人を買った事は、俺にとって最良の選択だったらしい」
「どういう……ことだ……?」

 自由になった娘二人は、ペタリとその場でへたり込んでいる。少し動けば、フルガス達の元へたどり着けるだろう。
 だが、状況が掴めずに誰もが動けずにいた。そんな中で、ハルは初めてフードを外す。ようやく日の下に現れたその顔は、不敵な笑みを浮かべていた。

「お前達に協力しよう」
「何…………?」
「行動も計画もこれから練らなきゃならんが、お前達の仲間を解放するのに協力しようと言ったんだ。助けた後のことまで面倒も見てやる。勿論、魔物達が外で呪われないまま暮らしていくための方法も知っているぞ?」

 何を言っているのかと、ハルの言葉に誰もが目を瞬かせる。彼らからしたらご都合主義も通り越して超展開としか言えない状態なのだから、無理もない。

「ま、待ってくれ! あなたは私たちにどうしろと言うのだ!」

 ハルが何者かと尋ねるのではなく、状況を把握しようとするのではなく、自分たちに何を求めるかとフルガスは聞いてくる。ハルは大仰に、演じるかのようにコクコクと頷いた。

「少しは頭も回ってきたじゃないか。そうだな。7000という大金をはたいて購入した二人を解放したあげく、自分たちでは助けることが出来ない仲間を助けることに協力し、自分たちが知らない方法で今の境遇に陥った原因を取り除くとまで言う。こんな都合のいい話はありえないよな? その話の真偽はさておいて、当然相手は自分たちに求めているものがあるはずだ」
「ならば何を……」
「まあ、長くなるだろうし少し落ち着いて話をしようか。どこかにいい場所は―――」
「――――――まあぁぁぁ!!」

 と、ハルが話の場を動かそうとした時、突然上空から声が聞こえた。見上げれば、かなり高い位置に何かの影が飛んでいる。
 ハルとタクトは、それがクウだとすぐに気付いた。一応人目を気にしたのだろう。今のクウが飛べる限界の高度で飛行している。一方で、他の人々は町中に現れた魔物に戸惑いの声を上げていた。

「ハル様ああああぁぁぁ!!」

 ハルの上まで到着したクウは、一気に下降してきた。叫んでいたのは、上にいるボウである。
 町中に大声を上げながら現れるとは、いくら何でもありえない。間違いなく何かあったのだろう。ここが霊樹の一族の集落であったのは、不幸中の幸いだ。どちらにせよ、信用される為にハルはクウ達のことを話そうと思っていたのだから、それが早くなっただけに過ぎない。

「ハル様!! 大変大変!!」
「クウ!! クウウウ!!」
「…………大変なのは分かった。落ち着け。何があった?」

 落ち着きのなく要領を得ない二人は、ハルがボウを掴み問いかけることで、ようやく内容を口にした。
 案の定、それはハルにとってよろしくない内容だったが。




「リンが! リンがいなくなっちゃった!!」







[29793] 駆け出し魔王会議中
Name: NIY◆f1114a98 ID:3c830b8f
Date: 2014/03/06 00:13
二章五話 駆け出し魔王会議中


「なあリン。お前達ってどうやって他人を見分けてるんだ?」
「どうやってって……?」

 タクトと出会ってすぐ頃の話だ。ハルが唐突にリンにそんなことを聞いてきた。

「いや、スライム同士ならいいんだが。他の種族ってのはやっぱ普通見分けつかないもんじゃないかと思ってな。ジパングではイヨと俺の性別が違うから分かったのかとも思ってたが、タクトと俺を間違えたこと一度もないだろ? 体型的にもそこまで差はないし、俺が鎧を外してあいつとそう変わらない恰好の時も間違えなかった。顔で判別できるのか?」
「あーうん。性別は姿でも声でもだいたい分かるし、ハル様ぐらい一緒にいれば顔でも分かるようになるけど、確かにタクトはまだ他の人間と見分けは付かないわね。ただ、私たちは魔力の個性が何となく分かるから……」
「魔力の個性?」

 初めて聞いたらしい単語に、ハルが首を傾げる。ハルとて魔法使いとしては人間でもかなりの実力者だ。魔力を認識する事ぐらいわけはないし、感覚的に魔力を捉えることだってできる。それでも、個々の魔力に個性など感じた事はないのだろう。

「そうそう。どういうものかって言われたらちょっと困るんだけど、生き物って基本的に魔力に個性があって、常に体の外に魔力を放出しているの。今のハル様でも分からないぐらいすっごい少ないけど。で、私たちはそれを感じる事で個人を見分けることができるのよ。色というか匂いというか……感覚的なものだから口には出しにくいけど。ボウ辺りに言わせたら、ハル様はホワホワシャキッ!って感じで、タクトはシュワシュワって感じとか、もの凄い擬音語で説明するかしら? そんな感じで、姿と魔力を併せて見分けているの」

 なるほどなと、リンにうなずきつつ、ボウがそう言うところを想像したのか、ハルが苦笑する。

「ふむ……スライム族っていうより、魂型の生き物と器型の生き物の差かもしれんな。存在自体の魔力に対する依存率が高いから、その認識の深さが違うのか。レムオルとか消え去り草みたいな姿を消す方法が魔物に通用しないってのも、姿を認識しているか魔力を認識しているかということかね」
「姿を消すことなんてできるの?」
「実際に見た事はないけどな。そういう魔法なり道具なりってのはある筈だぞ? レムオルは俺じゃ使えんが、消え去り草はランシール辺りに生えてるらしい」

 ハルは物知りである。同郷らしいタクトもあれで不思議と物知りなので、元よりそういう国柄なのかもしれない。多くの知識がある一方で、どこへ行くのも初めてだというような世間知らずな部分が非常にアンバランスであるが。霊樹の下で暮らしている者のように閉鎖的な場所だったのだろうか。
 こういった話を聞くのがリンは好きだ。スライムという種族は好奇心が強いのか、ボウが行動で示すような動的好奇心が強ければ、リンは知的好奇心が強い。新しいことを知る度に、わくわくと心が躍っているのは否定出来ない。

「そうだな……リンは魔力を認識出来ているんだよな?」
「もちろん。魔物や魔族だったら皆そうだと思うわよ? それがどうかしたの?」
「いや、認識出来てるってことなら、操作もできるんじゃないかって思ってな」

 ハルの言葉に、リンは不思議そうに体を震わす。

「魔法が使えるんじゃないかってこと? どうかしら……というかどうやって魔法って使っているの?」
「どうやって……か。ま、魔法使いなら放・凝・入・発の四動作だって答えるんだが、俺の見解を交えてもう少し詳しくやってみるか」

 魔法の動作の基本は放出、凝固、入式、発動の四動作であることは魔法を使う者にとっては常識である。
 そもそも、ハルは転職して初めて魔力の存在を知覚したとのことが、生き物は生まれた時点で誰もが魔力を持っているらしい。これはこの世界において、魂と魔力が密接な関係にあることから間違いないだろう。もっとも、その力の大小は人によって違うため、魔力を極々僅かしか持っていない者は知覚することすら出来ない。タクト曰く魔法に関しては固有スキルを持っていたハルですら、魔法使いになって初めて知覚できたほどだ。
 魔法使いに転職すれば誰でも魔力は増加し、最低限ながらでもそれを扱うことができるが、魔力を扱うことと魔法が使えることは決して同一ではない。
 ハルは、魔法とは方程式のようなものだと言う。
 放出とは魔力という変動数値を出すことであり、凝固とはその数値を固定化すること。そして入式により魔力を変化させ、発動により結果を生み出す。
 魔法とはそれぞれ式が決まっており、例えばメラが足し算であるならヒャドは引き算、メラミはかけ算と言ったように与えられた数値を式によって変化させる。
 もちろん、ハルの得意とする圧縮魔法のように魔力密度を上げて効果を上昇させることもできたりするので、そこまで単純なものではないが。

「魔法が使えるかどうかは、要するに式を知っているかどうかってことだな。俺はヒャダルコまでの魔法しか使えないが、式さえ分かればマヒャドやイオナズンでも使えると思う。レベルを上げることでしか式が手に入らないから、今のところどう足掻いても使えんがな」
「それなら、私だって式が分からないから魔法使えないじゃない」

 ハルの言葉を早とちりして、リンは口を窄める。そんなリンに、ハルは小さく笑みながら首を振った。

「さすがに式を教えるってのは、やり方が分からん以上無理だがな。リン、魔法を使えるようになるということと、魔力を使えるようになるってのは別問題だぞ?」
「? どういうこと?」
「この世界には空気が存在するだろう?」
「ええ。空気が無い所じゃ私達は生きられないし、当たり前じゃないそんなの」

 そんな当然のことを聞いてどうするのかと、リンは体を傾ける。

「そうだな。俺たちは空気が無ければ生きられない。当然として、目の前に空気が存在することは知っている。だが、それを操作することはできるか? 道具無しで、ある程度自由度があるとして」
「……無理ね。特に私なんてハル様みたいに手とか無いもの。ボウみたいにグニグニ体を動かせたら別でしょうけど、精々空気を吸って吐くぐらいしかできないわ」
「一方で、同じく形が無い水はどうだ? お前には手が無いから人間みたいなことはできんかもしれんが、触れられるということはそれだけ干渉する幅が大きいということだろう?」

 リンが水を使うとして、口に含む以外にも体を上手く使って飛ばすこともできるし、空気に比べれば干渉できる幅が広い。

「それを俺は認識力の差だと考えている。認識の深さこそ、そのものにどれだけ干渉できるかの幅に繋がると。認識できるのならば、干渉もまた可能なんだ。リン、お前は技術こそ俺に及ばなくとも、魔物であるが故に魔力に対する認識は俺より深い。なら、魔力に干渉して操作することもできる筈だ。魔法を使うことができなくてもな」

 言いながら、ハルは手を差し出してそこに魔力の玉を作り出す。ハルによって精緻に調えられた魔力が綺麗な球体を作っていることがリンには分かる。

「…………やってみたらできるかしら? それができたら何か変わるかな?」
「さあな。何もできないかもしれないし、あるいは俺ができないことをできるようになるかもしれない。だが、こういうこともできるんだと思えば、何かしら得られる物はあると思うぞ」
「……うん。ちょっと興味出てきたかも。ハル様、魔力の操作ってどうするの?」
「ん、そうだな―――――――」




***




 目を開ける。見えたのは、下り始めたとはっきり分かる太陽だ。

「ふあ…………んむ……夢、かぁ……」

 オアシスの木陰は意外と涼しい。クウとボウが遊びに行って、一人でのんびりしている内に眠ってしまったようだ。
 少し前の夢。ハルは時折ああいう風にリンに色々教えてくれる。旅の間でも、今のように忙しくなければ聞いた事には必ず答えてくれる。リンにとってはそれはとても楽しい時間であり、ハルに付いてきて一番よかったと思える部分だ。

「うん……まだ二人とも帰ってきてないし……ハル様達もまだだし……魔力操作の練習でも……ふあぁ…………」

 ハルに教わった魔力操作の訓練でもしようと思ったが、欠伸にその思いが阻害された。
 せかせかした性格かと思われがちのリンだが、意外にも好きな事はこうして心地よい場所を探してうたた寝をすることである。ボウなどがたびたび問題行動を起こすので、それをどうにかしなければと動く事が多いが、アリアハンにいたころも一人で何事もなければよく霊樹の影でうとうとと微睡んでいた。
 やりたいことはあるが、この睡魔の気持ちよさには抗いがたい。もう一眠りすれば頭も働いてくれるかしらと、リンは今一度目を閉じた。
 あるいは、ここで睡魔に抵抗していれば結果は違ったかもしれない。

「――――ッ!! ピキャッ!?」

 気が付いた時は、もう反応するにも遅すぎる状態であった。頭の上に何かを振り下ろされている。睡魔に囚われていた体は酷く重く、送られた命令に付いてこれない。
 ガバリとリンの体が何かに包まれる。すくい上げられるように体が浮き、素早く口が閉ざされた。

 ――――やられた!

 今度こそはっきりと、頭が覚醒する。体を包み込むのは、麻のような素材で作られた袋か。体を動かせるような大きさでなく、袋の口も絞られ暴れることすら許されない。

「へ、へへへ……やった! スライム生け捕ってやったぜ!」
「んーーー!! んーーーー!」

 聞こえたのは若い男の声。どこか淀んだ、卑しさを覚えるような声である。
 アリアハンにいたころではあり得ないミスだ。完全に安全と言えぬ場所で、ああも気を抜いてしまうとは。
 その原因は言うまでもない。ハルの所為である。より正確に言うなら、『ハルに頼りすぎていた自分』の所為だ。
 守ってくれと、リンが最初に言ったようにハルは必要な部分でずっと守ってくれていた。
 周りが危険な場所で野宿する時は、常にハルが警戒してくれていた。たとえうとうとしていたとしても、ハルの傍ならば安心だった。クウやボウの訓練でごうけつぐまやキラーエイプなどと戦った時も、本当に危ない時は必ず助けてくれた。
 ハルと旅をし始めて、まだ半年も経っていない。しかし、『慣れてしまう』には充分な時間だった。外の世界が危険で溢れているという認識が、考えている以上に薄くなってしまうほど。

(なんて馬鹿……ハル様が近くにいないなら、アリアハンよりも遙かに危険な場所だっていうのに!)

 分かっていたつもりだった。分かっていたつもりでしかなかった。
 その結果がこれだ。情けなくて仕方ない。

(…………っ! しっかりしなさい私! 自己嫌悪なんてしてる場合じゃない! そんなことで恥の上塗りをするつもり?)

 心の中でかぶりを振って、リンは気持を入れ替える。
 冷静になり、状況を見極めるのだ。生け捕りにしたことを喜んでいたということは、今すぐに殺されるようなことはないだろう。
 ならばどこへ連れて行かれるのか。まさかペットにする為に捕まえたわけではあるまい。若いとは言っても決して子供のような声でなく、それなりの年を重ねた者が利もなく魔物を生け捕りになどするものか。
 魔物に恨みのあるものならば直ぐに殺される。弱い者をなぶり殺しにするような、嗜虐思想を持ち合わせている訳でないのならだが。
 人間のもっとも欲しがる利とは何か。ハルから教わったところによると、人間には金が必要であるらしい。いや、必要以上に欲しがるとも言っていたか。
 スライムを捕まえて金にする。そんなことできるものなのか。ハルはマッドオックスなどを殺し、タクトが食品として処理をした物を売って金を得ていたらしいが、リンはスライムが人間に食べられたなどとは聞いた事がない。

(情報が少なすぎるわね……ハル様なら何か思いつくんでしょうけど……)

 とりあえず自分がどこかへ運ばれていることは分かるのだが、何も見えず、聞こえるのは人のざわめきだけ。おそらく町の中へ入ったのだということしか分からない。
 いやまて、ハルはこの町へ何をしに来ていたか。この町では、魔物が捕まりその殺し合いを見せ物にされている場所がある。その魔物達を救出して味方に付けようとしていた筈だ。自分と同じ、霊樹の下で暮らしていたと思われる者達を。

(なら……私も?)

 身動きが取れないままに、リンは顔を顰める。これが当たっているのなら、リンは何者かと戦わなければならない。普通のスライムと比べれば、リンは十分に強いと言える実力を持っているが、種族的に弱小であることは間違いない。ただ一人で戦う事になった時、生き残る確率はいかほどか。

(逃げなきゃ……)

 このままでは死ぬ。逃げなければ。逃げなくてはいけない。
 恐慌に陥りかける心を必死に押さえる。闇雲に動いたところで逃げられる訳がない。警戒されないように、状況をよく見て隙をみつけるのだ。

「ほら! スライム生きたまま捕まえてきたんだ! 生きた魔物なら何でも買ってくれるんだろう?」

 と、リンを捕まえた男は目的地に着いたのか、必死さを滲ませてそう言った。グイッと、リンの入った袋が前へと差し出される。
 どうでもいいが、いくらスライムとはいえ女性が入っているのだから丁寧に扱えないのか。まぁ人間からしたらスライムの性別など分かるわけない上、向こうからしたら権利も何もあったものじゃないので仕方ないのだが。リンがそう内心うんざりと思っていると、不意に袋の口が解き放たれた。

「ピキ? ってうわ!」

 口から入ってきた手に抵抗する間もなく捕まえられ、上へと引っ張られる。

「ふむ……確かにスライムだな。こいつなら100ってとこか」
「へ? ちょ、ちょっと待ってくれよ。スライムなんてこの大陸にいないだろ? 珍しいんだからもっと高くてもいいじゃないか」
「あ? 何言ってんだてめえ。スライムごとき捕まえてきた程度でもっとよこせだあ?」
「いや……その……」

 がたいのいい男に凄まれて、リンをここに連れてきたらしい男はしどろもどろになる。どう見ても駆け出しの冒険者だ。さえない風貌に、装備は丈夫そうな服と腰につるしたナイフらしきものだけ。これでは凄んでいる男に勝てるわけがない。
 こんなのに捕まったのかと思うと再び情けなさでいっぱいになるが、リンは気を取り直して状況を把握する。
 今リンがいる場所は、それほど大きくはない一室だ。捕まった当時の時間からそれほど長い時間は経っておらず、まだ太陽は見えるはずなのだが、部屋には外からの明かりが全く感じられない。それほど人間の建物に関して詳しい訳ではないが、どこか洞窟の中の雰囲気を感じさせるこの場所は、ひょっとしたら地上にあるものではないのかもしれない。
 部屋の中にある家具らしい家具は机一つのみで、後は壁にいくつか袋が吊ってある程度。出入り口はリンから見て右手側に一つあるだけで、部屋の中には男二人以外の姿は認められない。

(…………とりあえず、逃げるならあそこだけ。今私を掴んでる男の力には対抗できないけれど……何か少しきっかけがあれば……)

 焦っていたのは否めない。空回りする思考の中で、リンはそれでも脱出するための道筋を考える。
 そして、その瞬間はリンが思っていたよりもすぐに訪れた。

「…………ずいぶん大人しいなこいつ。寝てんのか?」

 萎縮した冒険者を尻目に、男は動かないリンを疑問に思ったか、グイッと自分の顔の前へとリンを引き寄せた。とっさに、リンは思いっきり息を吸う。

「わああああああああああああああっ!!!!!」
「うおっ!?」

 突如叫び声を上げたリンに驚き、男の手の力が緩む。

(――――今!!)

 グッと体を振るようにして、男の手から離脱する。跳んだ先は男の頭の上だ。

「なぁ――ぐべっ!?」

 その動きを目で追ってきたがために、男は思い切り勢いをつけようとしたリンに強く踏みつけられてしまう。スライムとは思えない力に、男は体勢を崩したまま仰向けに倒れた。冒険者は、突然の出来事に驚き戸惑っている。
 リンはそんな後ろの状況を確認することもなく、唯一の出入り口に向けて走り出す。しかし、部屋を出る直前に左右に通路があることに気がついた。

「これどっち……ピキャ!?」
「うわっ!?」

 タイミングの悪いことに、部屋の外にはまた一人男がいた。リンの叫び声を聞き、何事かと見に来たのだろうか。

「捕まえろ!!」
「お、おお!!」

 部屋の中で倒れた体勢のまま発せられた声に、新たに現れた男が反応する。

「っ! 誰がそう簡単に!!」
「うおっ!?」

 男が伸ばしてきた手を躱して、リンは当てずっぽうに走り出す。とりあえず逃げればいいのだ。男達の視界から逃れられれば、隠れることもできるだろう。


 が、リンのその考えが達成されることはなかった。


「【ラリホー】!」
「なっ……う……そ…………」

 それは対象に眠りを与える呪文。逃げることに必死だったリンは、それに抗うことはできず、猛烈な睡魔に意識を落とされた。




***




 重たい睡魔の中、リンは自分の周りに誰かの気配があることを感じる。
 一つは大きい気配。これはハルだろう。
 一つは何かが浮いているような気配。これはクウか。
 一つは自分とさほど変わらぬ気配。おそらくはボウ。
 二人寄れば騒がしいボウとクウが、自分が寝ていられるほど静かだとは珍しいこともあったものだ。ハルも近くにいることであるし、安心して微睡むことができる。
 しかし何故だろう。三人の気配をずいぶん近くに感じる。まるで、自分をのぞき込んでいるような…………。
 疑問のままに、うっすらと目を開ける。ぼんやりとした視覚の中に、やはり三つの陰があった。だが、傍らに見えるスライムらしき陰はいいとして、後二つに強烈な違和感を感じる。
 ハルの姿はずいぶん無機質のように見えた。自分の知る限り、ハルが好んで身につける防具は動きやすいものであり、全身を覆うようなものは持っていない筈だ。しかしぼやけた視界に見えるのは、どう見ても金属的な塊である。
 クウの姿はずいぶん小さく見えた。出会ったときから既に半年以上。すくすくと育ったクウはもうハルよりも大きく、少しの間ならハルやタクトを背に乗せて跳ぶことすらできる。だが目の前に見える陰は小さく、どう見てもハル達を乗せることは不可能であり、さらには蔦のような物が生えている。
 何かがおかしい。リンは目を瞬かせて視界をはっきりさせようと―――

「あ! 起きたっすねリンの姐さん!!」
「―――――――へ?」

 あまりにもあり得ない声に、リンは耳を疑った。
 聞こえた声を思わず否定してしまうほど、聞こえる筈のない声である。その声の持ち主は、八年近く前ににリン達の前から去って行った筈だ。ある朝突然「俺……外の世界を見てくるっす! この情熱は誰にも止められないっす!!」などとぬかしながら飛び出していったあの姿を未だに覚えている。
 持てるだけ霊樹の雫は持って行っていたのだが、どれだけ節約しても8年も保たすことは不可能で、てっきり呪われたか死んでいるだろうと思っていたスライム。それでも聞こえてきたのは確かに彼の声であった。

「サス……ケ……?」
「うっす! お久しぶりっす!」

 勢いよく言うその姿に、確かに見覚えがある。(そもそもスライムは10年やそこらで姿が劇的に変わることなどない)
 驚きのあまり目を見開いて、周りもろくに見ることもなく、リンは体を起こした。

「ちょ、ちょっとあんた! なんでいるのよ!? ていうかなんで生きてるのよ!? 何? 私死んだの!?」
「お、落ち着いてくださいよ姐さん。生きてるっす。自分、生きてますから」
「なんで!?」
「いやなんでって言われても……生きてちゃだめっすか俺…………」
「だってあんた8年よ!? 生きてるわけが「すまないが、少しいいか?」何よ!?」

 言葉を遮ってきた声に、リンはサスケに詰め寄っていた勢いのままに振り向く。
 と、そこで初めてリンは先ほどの違和感の正体を知る。ハルだと思った無機質な塊はさまよう鎧であり、クウだと思った飛行物はホイミスライムであった。

「え……なに……って私……!」

 思い出す。自分が捕まった事実を。脱出に失敗し、ラリホーで眠らされたことを。
 リンがいるのは外ではなく、広い牢屋の中。周りはすべて壁に囲まれ、窓などはなく、大きな鉄の扉が一つあるのみ。その中に、大勢の魔物達がいた。

「ここは……」
「…………少し落ち着いてくれただろうか? ここは、イシスの街にある格闘場の地下。格闘場で戦わされる魔物達が捕らえられている牢屋だ」
「…………ええ、思い出したわ……眠らされたとこまで全部……!」

 さまよう鎧の言葉に、リンは顔を顰めて答える。その表情が語るのは、自分を捕らえた人間に対する激しい怒りと、再びあっさり捕まってしまった自分に対する情けなさだった。

「………………災難だったな」
「………………寝ぼけて捕まった自分の責任だけどね……。あなた達は?」
「ああすまない。私はフターミ。こちらのホイミスライムはホイミンという」
「はじめまして」

 ぺこりと、紹介されたホイミンがお辞儀をする。

「どこか痛いところとかありますか? 怪我はしてないみたいでしたけど、一応ホイミは掛けておきましたが……」
「大丈夫よ。もともと怪我はしてなかったから……」
「そうですか。よかったです」

 怪我はないと言われ、ホイミスライムはパアッと明るい笑みを浮かべる。ずいぶんお人好しらしい。

「それで、もう少し状況を教えて欲しいんだけど……とりあえずサスケ。あんたはなんでこんなところにいんのよ? というかよく今まで生きていたわね……」
「へ? 俺っすか? まあほら、俺隠れるの得意っすから」
「………………あぁ、そういえばそうだったわね」

 サスケは、昔から隠れるのが非常に得意だった。かくれんぼなどでは鬼が降参するまで絶対見つからないので、サスケと遊ぶときは隠れて有利になるものはほとんど除外されていたほどである。
 それで危険な旅を順風満帆にこなしてきたが、やはり問題になったのは霊樹の雫。町中に隠れることでかなり節約していたらしいのだが、およそ二年で底をつき、フターミ達の霊樹を見つけなければ相当危なかったらしい。

「それでしばらくご厄介になったのはいいんすけど、俺が来たときにはもう霊樹もほとんどだめな状態だったんすよ」
「……だめって?」
「……………………私たちの霊樹は、枯れてしまったのだ」

 重く、フターミが口を開く。

「あるときから急に霊樹の葉が枯れ始めた。気づいた時にはかなり状態は悪く、結局何もできないままに…………」
「…………そう」

 アリアハンの霊樹の状態は、アキに言われるまでリン達は誰も気付かなかった。フターミ達の場合、さらに深刻だったのだろう。

「それで、呪いの影響を受けないために街のほうへ? 話し合いもなく、抵抗もしなかったの?」
「…………抵抗したくとも、できなかったのだ。戦えない者達が大勢いた。魔物だけで抵抗しようにも、仲間だった人間には子供や老人が多く、彼らに被害を出すわけには……」
「本当に人間も一緒に暮らしてたのね…………」

 ハルの予想はやはり殆ど当たっていたらしい。今更ながらに、その勘の良さと思考能力の深さを実感する。

「………………君はどうしてそこまで私たちの事情を把握してるのだ? 確信していなかったところを見ると、私たちの仲間に出会った訳でもないようだが……」

 最初からフターミ達の状況を分かったかのように発言するリンに対して、当然のように出てくる疑問。しかし、リンは何のことは無いとばかりに体を振って、フターミに答える。

「予測した人がいたのよ。たった少しの噂話からあなた達の居場所と状況を予測した人が。あなた達を助けて仲間になって貰うために」
「ぼく達を助けて……?」

 ホイミンが信じられないとばかりに声を出す。無理もないことだ。リンが同じ立場であったとしたら、同様の反応を示すであろうから。だが、さらにリンは彼らが耳を疑うであろう言葉を続ける。

「そう。それで三日前にここに着いたのだけど、今日はあなた達の仲間……人間の方と会えそうだって言って街へ行ったから、もう一緒にいるんじゃないかしら?」
「…………待ってくれ。街へ行っただと……? 君の言うその人物とは……」
「人間よ」

 即答したリンの言葉に、フターミ達は絶句する。

「あり得ないと思うかもしれないけれど、本当の話よ。その人……ハル様は人間も含めたあなた達全員を助けて、自分の味方になって貰おうと考えてこの国へやってきたの」
「ていうかハル『様』? リンの姐さんとその人ってどんな関係なんすか?」

 口を挟むのはサスケ。リンのことをよく知る彼からすれば、その質問が出るのは当然と言えた。しかし、聞かれたリンは答えに詰まる。

「どんなって……」

 ハルとリンは主従の儀を交わした。その場の誓いだけならばハルはリンの主である。
 だが、リンがハルに付いて行っているのは長老がそう命じたからであるし、ハルのことを『様』づけで呼んでいるのは最初の出会いの流れから何となくそうなっているからであって、明確に主だと心から認めた瞬間はなかった。
 ハルからリンに仲間になってくれと頼まれたことも無い。むしろ、リンがハルの傍にいるのはハルのためでなく、自分たちスライム族のためである。ハルの目的からすれば、リン達のことなど余計なだけで、どれだけ数が揃ったところで弱いスライム族では幾ばくの助けにもならない。
 それなのに、ハルはリンのことを守ってくれている。その存在を疎ましく思うような素振りも無く。

 リンにとって、ハルとはどんな存在なのだろうか。

 ハルにとって、リンとはどんな存在なのだろうか。


「私とハル様は―――」
「あっ! リンみーーっけ!」

 と、不意に牢獄の中に響く声。このような状況下においても変わらぬ脳天気な声。見れば、扉に付いた格子から中を覗いているボウの姿があった。

「やっと見つけたよー。そんなとこでなにやってんの?」
「何やってるって……それはこっちの台詞よ! あんたこそ、何でそこにいるのよ?」
「え? 僕はリンを探しに来たんだけど……ハル様がこの中のどこかにいるかもしれないって言ったから」
「ハル様が? ハル様もいるの?」
「外にねー。とりあえずリンがいるかどうかを確認してこいって」

 言いつつ、ボウはグニッと体をゆがめて細い格子の隙間を抜けてくる。それを見てフターミ達は驚愕するが、リンにとってはボウの非常識具合などいまさらだ。普通のスライムとは比べものにならないほど自由自在に体の形を変えられるボウならば、リンやサスケが通れない格子の隙間を通ることなど造作ない。

「よっと。リン、大丈夫だった? ってあれ? サスケ?」
「うっす! 久しぶりっすボウの兄さん。やっぱ姐さんと一緒にいたんすね?」
「そだよー。サスケも元気そうだねー」

 普通に考えたら生きて会えることが奇跡に近い再会を果たしているというのに、二人は実にあっさりとしたものだった。もはや突っ込むつもりにもなれず、リンは深くため息を吐く。
 フターミはあまりにも急な出来事に驚き戸惑っていたが、ボウとサスケの平然としたやりとりにようやく冷静さを取り戻してボウに話しかけた。

「………………せっかくの再会のところを申し訳ないが、彼女を助けに来られたのか?」
「ん? んーー……そうかな? リンをここから連れ出せとは言われてないけど」
「そうなんですか? じゃあ何のために……」

 ホイミンは仲間が危険な目に遭っているというのに、すぐに助けようとしないことに不信感が籠もった声をだした。その傍らでリンは、ハルが何を考えているのかを思考する。
 今まできちんとリンを守るという約束を果たしてくれていたハルが、ここで簡単に自分を見捨てるとはリンには考えられなかった。現にこうしてボウを潜入させて、リンの居場所を確認している。

「…………ボウ、ハル様はあなたに何て言ったの?」
「えーっと……難しく考えなくていいから、どこに皆がいるのか探してこいって。で、リンがいたらそれも言えって」
「それだけ?」
「うん。そだよ?」
「そう……」

 ハルは決して無理なことは要求しない。ボウは物事を深く考えることは苦手であるし、建物の内部構造を覚えてこいと言われても難しいだろう。一方で、人間から見つからないように中へ潜入し、こうしてリンの元へと辿り着けるということを信じてボウを送り出した筈だ。

「心配……してくれたのかな?」
「……何故そう思う?」
「私に何も伝言もなく、建物の情報確認の為だけにボウをここへ来させたのは、ハル様らしくないもの。全部分かるほど長く一緒にいた訳じゃ無いけど、少なくとも私たちの命に危険があるときはすごく慎重だわ。いくらボウがここにうまく潜れたとしても、何度も潜入させるのはその分危険度が上がる。なら、私と建物の情報確認だけじゃなくて、最低でも何か伝言ぐらいは持ってくる筈よ。それらが全くないってことは、私の安否を気遣って慌ててたからだと思ったの」

 フターミ達に説明しつつ、リンは今までのハルの行動を思い返す。
 ハルはいつだって守ってくれていた。それこそ、リンが外の危なさを忘れるほどに。
 ハルの傍だったら安心だったのだ。ハルがいるから安心だったのだ。
 今回のハルの『らしくない』行動も、リンがこうして捕まってしまったが故だと考えれば、リンのことが心配だからだと思える。
 心配するほどに思ってくれているなら、必ずハルは助けにくる筈だ。

「そう……ハル様は必ず助けてくれる……約束したもの……」

 自分に言い聞かせるように呟く。助けてくれることを信じるのだと。
 しかし、確かに安堵したはずのリンの胸中には、何か棘のような違和感が残っていた。それがなんなのかが分からない。分からないことが、リンの不安を煽る。

「………………私たちにはそのハルという人がどういう人間か分からない。だが、リンにとっては信じるに値する人物なのだろう。何とか君だけでも助けて貰えたらいいのだが……」

 フターミの言葉に、リンはムッとする。
 ハル様は彼らを助けるためにここへ来たのだ。リンだけでもということは、彼らはそんなことありえないとハルを否定しているに等しい。
 そんなリンの雰囲気を悟ったか、フターミは首を振った。

「すまない。私たちを助けようとしてくれていることを疑っている訳ではないのだ。リンが言うように、時間さえあれば助けられることもあったかもしれない」
「じゃあ何で…………時間さえあれば? どういうこと?」

 噛み付こうとしたところを、フターミの言い方に疑問を抱く。

「…………リン。君がここへ入れられたとき、君を放り込んだ男が言っていたのだ。『次の"場"が開催される時の、メインに入れた』と」
「それって…………」
「…………"場"っていうのはぼく達が殺し合いをさせられる試合のことです。それでメインっていうのは、その日の最後の試合……珍しい魔物や強い魔物が戦わせられる試合なんです」

 ホイミンの言葉を聞いて、リンは少し考えてしまった。二人の言葉を理解した瞬間、サァッと血の気が引く。

「な、何と戦わされるのよ!?」
「……あの男曰く、ごうけつ熊らしい」
「っ!」

 思わず叫びそうになる声を、何とか自制する。声を出してしまえば、パニックになって何も考えられなくなるからだ。
 ごうけつ熊。あのジパングに生息していた魔物。
 ジパングに着いた当初はクウとボウとリンが三人がかりになっても、ハルに助けて貰わなければどうしようもなかった相手だ。リンとて当時の自分と比べたら十二分なほど強くなっているが、今でもなおサポート以上のことは手に余る。
 知らない相手ではない。獣型の魔物である以上、固体によって変わるのは単純な肉体の性能のみ。戦いの技量はそれほど大きく違わないはずだ。
 だが、知っている相手であるがこそ、逆に自分との絶望的な差を具体的に理解してしまう。

「次の場が開催されるのは九日後。リン達がこの町に初めてやってきたのが三日前だということは、まだ街の情勢を調べている最中だったのだろう? ハルという人物がいかに優れていようと、個人の力で私たちを助けるには相当準備が必要な筈だ。そして、君を助ける為には後九日で私たちを助けなければならない。もし君だけ助けたとしたら、私たちを使っている人間は警戒して、救出はとてつもなく困難になるだろう。だから、君を助けるには私たちを見捨てる他ないのだ」

 フターミの言うことは決して的外れなことでは無かった。ハルがリンたちを含めた少人数で動いていることは、軍隊規模、国家規模を動かせる存在が自分たち程度を助けようとする訳が無いという思いがあるからであろうが、実際にその通りであり、どれほどハルが急いだところで彼らを助けるのに九日間は短すぎる。かといって、もしリンだけを助けたりしたならば、その後に彼らを救う難易度が跳ね上がる。
 リンは、既に戦いの場に行く時が決まっているのだ。もしその時にリンがいなかった場合疑われるのはフターミ達や彼らの仲間の人間達。いや、疑われるどころか、単なる八つ当たりさえ受けかねない。
 よって、必然とハルの前には二択が提示されているだろう。リンを助け、彼らを見捨てるか。彼らを助け、リンを見捨てるか。そうなったときに、ハルがリンを選んでくれることはあるだろうか。
 こうして捕まるなどして迷惑ばかり掛けて、今後もハルの力になる可能性が低いリンと、人数的にも能力的にも確実にハルの力になるだろう彼らと、普通に考えればどちらをとるのかは明白だ。特に、必ずヒミコを助けるというハルの決意を思えば、リンが乗る天秤はどこまでも軽くなる。
 きっと助けてくれるという、ハルを信じたい気持ち。その思いの強さを知るが故に、助けて貰えないかもしれないという不安。さらには、棘のように刺さったまま消えることが無い違和感。
 それらが全て合わさって、リンから思考力を奪っていった。
 が、そんなリンの様子などお構いなしに、横から上がる脳天気な声。

「ハル様なら大丈夫だよ?」
「え?」

 一同が声を上げた存在へと目線を向ける。集中した視線を受けてもなお、ボウは何の心配もないとばかりに笑った。

「ハル様はきっと全部いい方へ持って行ってくれるよ? だって、ハル様は魔王になるんだもん」
「「「は?」」」「ッ! ボウッ!!」

 ボウの声はよく通る。その言葉は、フターミだけでは無く部屋の中でこちらを伺っていた他の魔物達にも聞こえた。
 あまりにも無防備すぎる発言だ。周り全てが敵に回るかもしれない状況の中で、ハルの成そうとしていることは、一番慎重に扱わなければならない情報だというのに。
 ただ、リンの反応も悪かった。既に口に出してしまった以上、呆れて何を言っているのかと戯言で終わらしてしまえばよかったのに、ボウの口を閉ざそうとしたが為に信憑性を増してしまう。

「人間が魔王に………………?」

 呆然と呟いたフターミの声を皮切りに、あちらこちらがざわめき出す。よもや冗談と言うこともできない。
 どうするべきかとリンは迷う。ハルの判断も仰がず、ここで話してもいいものかと。しかし、一度知られたしまったからには下手に隠すと悪印象を与えてしまう。これ以上自分のミスでハルの迷惑になることを、リンは許容できなかった。だから、意を決して口を開く。

「…………本当よ。ハル様は今の魔王バラモスを倒して、自分が魔王になろうとしているわ。愛してしまった魔物の為に」
「人が魔物を愛したって……その……友達としてとかじゃないですよね?」
「勿論、男女の関係としてよ。それが誰かは言えないけれど、ハル様はその方の為に、下手をすれば世界全体の敵になる道を進んでいるわ」

 世界全体の敵となる。人として魔物を味方にし、魔王として人を味方にする。それはどちらの存在からも敵視されうるということだ。
 だが、こうしてリンがついて行っており、フターミ達の仲間である霊樹の民と接触しているということは、紛れもない事実なのだろう。
 そして、リンは目を伏せる。

「………………だから、私は助けて貰えないかもしれないわ。だって、私一人よりもあなた達の方が圧倒的にハル様の力になるもの。元々、私はハル様を慕ってた訳じゃ無くて、長に言われて付いてきただけ。ハル様も長に頼まれたから…………。そうよ…………私は、ハル様の重みしか……」
「リンそれは…………」

 意気消沈するリンの言葉を、フターミは否定できなかった。世界全ての敵にすらなろうと覚悟している者にとって、リンをどれほど重要視できようか。

「…………姐さんはその人のことどう思ってるんすか?」
「え……?」

 サスケが問うたことに、リンは固まった。そんな様子を見ながらもお構いなしに、サスケは言葉を続ける。

「長に言われたから来たっていったっすけど、今はどういう風に思ってるんすか? その人のこと、信じてないんすか?」
「――――――っ!」

 ハルが今までやってきてくれたことを知らずに、何を言うのか。何の意味も無い。何の得も無い。守ってくれとリンが言ったから、守ってやると約束したから、それだけでずっと守ってくれていたハルを信じていない訳が無い。
 自分でもどうしてか分からないままに、リンは激昂する。

「信じてるわよ! だってずっと守って来てくれたもの! あんたに何が分かるのよ!」
「分からないっすよ? でも、それなら信じるしかないんじゃないすか? ね、ボウの兄さん。その人は、姐さんを救ってくれるんすよね?」
「ん? そうだよ? 当たり前じゃん。だって、リンはハル様の仲間だもの」

 ボウは、当然のことだと言ってのけた。盲信とも言えるほど、ハルがリンを救うことを全く疑っていない。
 仲間だから。ハルにとってリンも大切な存在なのだと。
 心が揺れる。ボウほどにハルを信じられないのが情けなく、悔しい。不安は消えること無く、されどハルを信じたいと思う気持ちは強く、それらと別に何かが詰まったような奇妙な思い。
 リンが心を整えるのを待たずに、サスケとボウは話を進める。

「しっかし、ボウの兄さんがそう言うなら、その人ってよっぽどすごい人なんすね! ちょっと会ってみたいっす」
「おお? じゃあ一緒に行く? ハル様外で待ってるし」
「いいんすか? なら行くっす。そろそろフルガスのおっちゃん達にこっちの様子伝えに行く頃ですし」
「って、あんたそんな簡単に外出られるの!?」

 何でも無いとばかりに言うサスケに、リンが突っ込む。

「え? ああ、俺、ここの連中に捕まった訳じゃないんすよ」
「はあ? じゃあ何でここにいるのよ?」
「そりゃ、皆さんが心配だからに決まってるじゃないっすか。危ないところを助けて貰った恩もありますし」
「いや、だからね……」

 前提条件自体がそもそもおかしいと、そう言いたいリンの意図をようやく察したか、サスケは困ったように笑う。


「姐さん、さっき思い出してくれたじゃないっすか。『隠れる』のは俺の一番の特技っすよ?」




***




 リンのことを聞かされたハルは、まず真っ先に状況を確認した。いつまで一緒にいたのか。最後に一緒にいたときリンはどうしていたか。いなくなった場所にリンが殺された形跡はなかったか。
 状況確認には若干頼りないボウではあったが、生きていそうだと判断し、捕まえられたのならば一番いそうな場所は格闘場であると考えた。魔物にとっては極めて危険度が高い町中での失踪であったので、その安否を確認することを優先した。
 すぐにもその場を離れようとしたハルだが、フルガスに止められ、格闘場の内部の地図を渡される。何故そんな物を持っているのかはともかくして、今の状況では絶対に必要な物であったのでありがたく借り受け、ボウと共に格闘場へと向かった。
 ボウを中に進入させてから半刻ほど、ハルは中から出てきた二匹のスライムと合流する。魔物を連れてそこに留まるのは危険であるため、聞きたいことを後回しにハルはとりあえずその場を後した。
 人目を避け辿り着いたフルガスの家には、ここで待たされていたタクトとクウ。家主のフルガスとその妻リーシア。娘のルナとマナ。他、数人の姿があった。彼らは帰ってきたハルの姿と、その後ろに付くスライム二匹の姿を認め安堵の息を吐く。

「……サスケも一緒に来たのか」
「うっす。皆、一ヶ月ぶりっす。中の状況は相変わらずっすよ」
「そうか……誰が死んだ?」
「…………今月死んだのは、さまよう鎧のメルビン。ホイミスライムのミランにカロン。お化けキノコのポロ。キャットフライのミーア。以上っす。フターミの兄さんや他の強くなった人が頑張ったから、だいぶマシっすけど……」
「…………皆………………」

 そのやりとりで、ハルはおおよそのことを察する。このスライムが、中の状況をフルガス達に定期的に伝えていたらしい。内部の地図があったのもこのお陰か。
 死んだ仲間達のことを思って、場の空気がグッと重くなる。さすがに何年もこうして聞いているだけに、そこまで取り乱す者はいない。それがいいことなのかどうかは分からないが。
 そんな彼らを尻目に、ハルはボウに話しかける。リンが居たことは既に聞いたが、詳しくはまだだったのだ。

「ボウ、リンの様子はどうだった? 怪我はなかったか?」
「あ、うん。大丈夫だったよ。元気はなかったけど……」
「そうか……」

 捕まってしまった以上、元気が無いのは仕方ない。重傷などは負っていないようであるので、その点だけは安心した。
 と、サスケが思い出したようにハルに向き直る。

「おっと、そういやご挨拶がまだでしたっすね。初めましてハルの兄さん。自分はボウのアニキやリンの姐さんと昔なじみで、サスケっていうっす」
「……昔なじみっていうと、やっぱりアリアハン出身か。何でこんなところに?」
「いやぁ、男だったらやっぱり一度は世界を見てみたいじゃないっすか」

 そう言いつつ、サスケは自分のことを語った。よくもまあ無事だったものだと思うが、こうして簡単にここと格闘場を行き来できるほど隠密行動を得意とするなら、それほど不思議なことではない。

「皆と違って元々自分からあの中へと入ったんで、あそこの連中は俺のこと誰も知らないっす。だからこうして簡単に外に出てこれるんすけどね」

 一日に一度やってくる食料配給の隙を突いて、サスケは牢を出入りしているらしい。地図の方は、いつか彼らを助ける役に立つだろうとコツコツ調べてフルガス達と作り上げたとのことだ。

「って、そんな簡単に出入りできるんなら中の連中も助けられるんじゃ?」

 あっさりと言うサスケにタクトが疑問を投げかけるが、とんでもないと大きく体を振って否定される。

「いやいやいや、無理っす。全然無理っすよ。俺一人ならあの連中から隠れるの簡単っすけど、皆が皆そうじゃないっすから。ボウの兄さんみたいに物陰に対応して体の形変えられるとかならともかく、比較的小さくて隠れるの得意なキャットフライの皆でも、見つからずに全員脱出ってのは不可能っす。それに、連中きちんとどの種族が何匹いるかって記録してるから、一匹でもいなくなればすぐばれちゃうっす」
「加えて、まだ外へ出たときの対策がないからな。脱出できたところでどうにもならんだろう」
「クウ…………」

 いかに脱出が困難かを説明するサスケをハルが補足し、クウが心配そうに一声鳴く。中に居るリンのことを思い憚っているのだろう。
 ハルはいつものように口元に手を当て、顔を顰める。
 悩むのは、まさにリンが牢の中で考えていたこと。ただ、リンを見捨てるという選択肢は既に排除していた。
 リンを救出するだけならそれほど難しいことでは無い。適当に陽動しつつボウに助けに行って貰えばいい。合流さえしてしまえばルーラを使って離脱で十分だ。だが、他の者たちを救出することを考えればそれはあまりにも愚策過ぎる。
 仮に無理に突入して救出できたとしても、相手はこの国でトップクラスの豪族だ。追っ手を出されてしまえば、戦えない者を守って逃げるのはどう考えても不可能である。逃げる先のことも考えなければならないし、単純に暴れてどうにかなることでは無い。

「あと……リンの姐さんは次の場でごうけつ熊ってのと戦わされるらしいっす」
「クウッ!?」「…………マジか……」

 クウもタクトも、ごうけつ熊の強さは知っている。タクトは遠くから見ただけだが、クウは実際に戦ったのだ。余計にリンが一人で勝てる相手ではないと思えるだろう。
 ハルはことさらに顔を顰め、手の下でギリッと歯を鳴らす。

「昨日開催されたばかりだから、次に開かれるのは9日後か……」

 呟きながら、どうすればいいかと自問する。一応、ハルはフターミ達を助ける為にいくつか計画を考えていた。しかし、情報収集も含め準備が何一つできていない状態では、何もすることができない。
 そんなハルに、フルガスは問う。

「…………どうするのだ? あなたの仲間はこのままだと確実に死ぬぞ? もとより、我らとは関係のない身。好きに動いてくれても恨むことはしないが……」
「…………待ってくれ。今考えてる」

 そう言いつつ、二択を避けようがないことをハルは理解していた。何をするにも、全てが足りていない。今のハルの力では、どう足掻いても彼らを助けることができないのだ。
 自分に力が足りていないということは、知っていた筈だった。だが、こうもそれを目の当たりにさせられると、情けなさが溢れてくる。
 リンが捕まっていなかったら。時間さえあれば。
 そういった『もし』が浮かび、頭を振る。現実から逃避してどうするというのか。後悔から過去の可能性を考えても、何の役に立つことも無い。

「…………どうすればリンを助けられる?」

 不意に、ハルは誰ともなしに問いかけた。

「は? いや、そりゃ中に入って連れ出すしかないんじゃね?」

 まず答えたのはタクトだ。言ってることは至極当然。どうやって中に入り、いい形で助けるかが問題なのだが、それは誰にも答えられない。
 が、ハルはそれを受けて先に進める。

「中に入る。誰が?」
「…………あそこに入って救出できる者は、私たちの中には居ない。そこのボウと言うスライムか、サスケ……あるいはあなたぐらいだろう」

 次に言葉を返すのはフルガス。これもまた既に答えは出ていることだ。

「警備が少ないときに俺が奇襲し、敵を全員殺すのはできるかもしれない。建物内部の地図はある程度あるから、ボウやサスケにリンを連れ出して貰えば助けられる可能性はそれなりにある。だが、そうなれば警備体制は強化され、もしかしたら中に居る他の魔物達に危害が及ぶかもしれない。じゃあ、それをさせない為にはどうすればいい?」
「んー、リンが勝手に外に出ちゃったらあそこの人たちが怒っちゃうからそうなるんでしょ? なら、怒らせなきゃいいんじゃない?」

 ボウが言うことが可能なら苦労はしない。リンを救出するには避けて通れない道の筈だ。

「なんでリンを勝手に連れ出せば連中は怒る?」

 ハルが何をしているのか。一番初めに気付いたのは、タクトだった。
 分かりきっていることを聞いて、その答えを促す。この国にやってくる前にも似たようなことをしていた。あの時は既にハルの考えは大体決まっていて、タクト達への説明や理解しやすいようにとの意図があったのだろうが、今は違う。ハルは情報と状況を整理し、事の根本を洗い、見落としが無いかを確認し、新たな選択肢を得ようとしているのだ。

「そりゃ、損するからじゃないっすか? 誰だって意図的に人から損させられたら怒るっすよね?」
「損……連中に損をさせなければ、連中が怒ることはない。リンが居なくなることで、何故連中は損をする?」

 サスケの答えをハルはさらに深く掘り始める。

「……試合をさせられないから……でしょうか? リンさんの試合が既に決定しているのなら、その分他の魔物を使わなければなりませんし。後、おそらくリンさんは売られてあそこに入れられたのでしょうから、リンさんを買った分のお金も無意味になってしまいます」
「魔物があそこに売られてるってのは知ってたけど……」
「改めてきちんと聞かされたら、私たちと同じ奴隷ですよね……」

 リーシアの発言に、マナとルナが続く。もう既に、ハルが何をしているのかをこの場に居る全員が理解し始めていた。

「リンをあそこから連れ出せば、リンに試合をさせられないから連中は損をする。さらに前提として、リンは直接あそこの連中に捕まった訳で無く、経由して売られたとすれば買った分の金も損をする。損害が出るから連中は怒る。その怒りは霊樹の連中へと向けられ、もうそんな事が起こらないよう警戒をする。では、全ての問題点の中心になるのは、連中が『損』をすることにある」

 そして、ハルは一つの方法を考えた。あまりにも危険であるが、今の状況で唯一何とかできる方法を。
 同時に、ハルは苦々しい思いを抱かざるを得ない。誰かに問いながら、あるいは自答しながら、状況を整理し答えを手に入れる。これはハル自身のやり方で無く、ハルが誰よりも尊敬し、誇り、絶望させられた人が得意とした手法だった。
 あの人ならば、こんな方法をとらずとも何とかしたのだろうと、そもそもこのような状況すら作ることは無いのだろうと、そんな思いが胸中に巡る。それでも、今の自分にできる最善の行動をするしかない。

「サスケ。当日の試合表っていうのは毎回作られているのか?」
「はい? あー……そういえば連中が何か書いてたような覚えもあるっすけど、それが試合の表かどうかは俺には分からないっす。人間の文字は読めないっすから」
「ふむ……何とか手に入れられないか?」
「できないことはないかもしれないっすけど……それをどうするんすか?」
「リンとごうけつ熊が一対一で戦うようなことはありえない。それではまるで賭けにならないからな。順当にいったらごうけつ熊が勝つが、もしかしたら勝てるかもしれないという相手も組ませる筈だ。ごうけつ熊とリン以外に1,2匹は違う魔物も出るとなれば、それらによってはリンが勝てる可能性もある」
「ちょっ!? お前リンに戦わせる気かよ!?」

 ハルの言い出したことに、ざわりと場が揺れる。誰もが思うだろう。スライムがごうけつ熊に勝てる筈が無いと。ハルはリンを見捨てるのかと。

「リンが出る試合はもう決められている。この状況でリンをあそこから出すには時間が無い。あそこに居る魔物は奴隷かそれ以下として扱われている。なら、一度試合に出させてその後に連中からリンを買う。そうすれば、連中は何も損せずにリンを取り戻せる」

 やけっぱちになってるのだと、その場にいる人間は誰もが思った。どうしようも無い状態で、現実逃避しているのだと。しかしハルは、誰よりも冷静に、どれほどの勝率があるのか考えていた。

「まずはサスケ。リンの試合のメンバーを知りたい。他の試合は決まっていなくても、リンを入れるぐらいならそこだけは決まってるはずだ。少量ずつでいいから、それらしき記録を探してきてくれ」
「ハルさんに見せるたびに元に戻しとけばいいんすか?」
「そういうことだ。できるか?」
「問題ないっす。直接姿見られでもしない限り、あの連中に見つかることはないっすから」
「なら頼む。ボウとクウは悪いが留守番だ。今のところお前達がやることはない」
「クウ……」「はーい」
「タクト。俺たちは情報収集だ。アッシャの奴について詳しく調べたい。今までの経歴から、格闘場ができてからの動き、嗜好や性格まで、できる限りだ」
「ハル! いい加減に……!」

 淡々と無謀な作戦を組み立てるハルに、ついにタクトが激昂し胸ぐらを掴む。が、そのあまりに真剣な目を見て止まってしまった。
 まっすぐに、タクトを見つめ返してくる瞳。自分のやろうとしていることがどれだけ危険なことか分かっていながら、まったく揺らぐことの無い瞳。

「…………殴って気が済むならそうしろ。お前がしたくないなら、俺は一人でやるだけだ」
「っ! くそっ!!」

 ドンと、ハルを押すように胸ぐらから手を放し、タクトは座り込んで俯く。少しの間の後、小さく口を開いた。

「…………ほんとにリンは勝てるんだろうな?」
「今のままでも勝率は僅かにある筈だ。だから、それを上げる為に今から動く」

 勝てると、ハルは口にしなかった。状況さえ整えば勝てるだろうと思っているが、それが確実で無い以上嘘になる。できることなら、ハルとて自分の手で救い出したいが、状況が許してくれない。
 タクトも、はっきりと言わなかったハルの胸の内を感じ取ったのだろう。顔を上げ、ハルの顔に向かって呟くように言った

「……分かった。手伝う。どうすればいい?」
「言ったように、情報収集だ。リンの試合のメンバーが分かったら、それに応じて動く」
「お前、どういうメンバーになるか大体予想してるだろ?」

 思えば、状況に応じてひたすら先を予測しながら動くこの男が、そこで終わってひいる訳が無い。タクトがそう考えた通り、ハルはおおよその目星はつけていた。

「……ごうけつ熊はそれなりの実力を持った人間なら倒せる相手だ。一対一なら、きちんと腕を上げた者ならLv15から17あたりで倒せる。だが、この辺りにいる魔物で対抗できるのは少ないだろう。だが、ごうけつ熊と同等の魔物は売買される値段も高いだろうし捕らえるのは難しい。ある程度は対抗できる相手じゃ無いと試合が成り立たないとなれば、自ずと選ばれるのは今居る中で最強に近い存在」
「…………フターミ?」

 ハルの言葉から、ルナが自分が知る一番強い魔物を想像する。ハルはその名前の者を知らないが、おそらく闘技場で見たさまよう鎧のことだろうと推測した。Lvも腕も、さまよう鎧としては別格であったあれならば、ごうけつ熊にも十分対抗できる。

「まだ、想像以上の領域は出ないがな。全ては情報を集めてからだ」
「私たちは……何かできないのか?」

 動こうとしたハルに、問いかけるのはフルガスである。娘を助けて貰った恩があり、今もこうしてフルガス達の仲間を助けるために、自分の仲間を危険に曝さなければならないハルに、何か少しでも力になることはできないのかと。
 しかし、ハルは首を振る。

「あんた達が下手に動けば、アッシャに察知されかねない。それに、あんたの娘二人のように、攫われて奴隷にされる危険性だってある。その心はありがたいが、大丈夫だ。何とかしてみせる」

 そう言いながら、ハルは足りない部分があることを自覚していた。
 リンの試合のメンバーを知るのは、リンが勝てるように助言をするため。アッシャの情報を集めるのは、リンを引き取る条件を考えるため。ただ、そうしてリンが生き残った後に、どうやってアッシャと交渉の場を設けるのかが抜けている。
 霊樹の者たちとは無関係と思わせ、自分のことも隠しながらリンを引き取るのに、一応考えた道筋はあるが、ハルでは無理があるのだ。
 どうにかしなければいけないが、今はじっと考えている時間も惜しい。得られた情報の中で違う道筋を立てられる可能性もあるので、まずは動いてからだ。
 と、不意に入り口辺りが騒がしくなった。一体何事かと思えば、フルガスの家に見知らぬ者が近づいて来たらしい。
 また嫌なタイミングで厄介事かと、ハルが顔を顰め家の外に出てみれば、見覚えのある顔が三つ並んでいた。
 フルガスの家に近づかせまいと防波堤を作る霊樹の民に囲まれながら、三人の中心にいた人物がハルを認める。相も変わらず酷く人が良さそうで、憎めないながらもハルにとっては実に胡散臭い笑みを浮かべて、極めて軽く彼はハルに手を振った。

「よう親友。なにやらおもしろい事になってるみたいだな?」






[29793] 駆け出し魔王我慢中
Name: NIY◆f1114a98 ID:3c830b8f
Date: 2014/03/19 20:17
二章六話 駆け出し魔王我慢中


 耳に響く人の歓声と感覚を麻痺させる熱気。
 10日ぶりに開かれた格闘場は、前回と同じく盛況であった。
 コロシアムの観客席よりもさらに上から、満員に近い会場内を見下ろしている男。
 短く刈り込んだ黒髪に、筋骨隆々というほどではないにしてもそれなりに鍛えられた肉体。つり上がり気味の目はその人相を一層厳しいものへと変え、高めの身長と相まって見る者に威圧感を与える。この男こそ、格闘場のオーナーであるアッシャであった。
 会場内の様子を見ながら、アッシャは満足げに笑う。
 6年前、魔物の群れを討伐する際に捕らえた者たち。人間の方は女王により解放することになったが、言葉を解し理知的な魔物達で何かできないかと考えたのが始まりだった。
 当時においてもアッシャはそれなりの力は持っていたが、貪欲なその心は野心に満ちており、さらなる力を得られそうな魔物達はおいしい商品以外の何物でも無かった。
 そうしてできたこの格闘場は、最初こそ色々問題はあったものの、ある外部協力者の手助けもあり非常に順調であった。格闘場が完成してからたった4年半。5年にも満たない時間で、アッシャの力は数倍にふくれあがったのだ。
 もはや今では、女王といえどアッシャに強く出ることはできず、金が金を呼ぶ今の好循環が止まらない限り、長くとも後10年もあれば国の全てを牛耳ることもできるだろう。
 その輝かしい未来が訪れることを、アッシャは全く疑っていなかった。なればこそ、笑みを浮かべるのも無理からぬ話だ。

「ふむ……やはり連中は強いな……」

 コロシアムで、キャットフライが暴れザルを倒すのを見ながらアッシャは呟く。そのキャットフライは、理性ある魔物―――霊樹の魔物だった。
 外から捕まえてきた魔物同士では、あまり大番狂わせは生じない。もちろん他の魔物がつぶし合うことで倍率が高い魔物が生き残ることは稀にあるが、実力で生き残る連中は訳が違う。
 一瞬で勝負が付いてしまうような蹂躙ではエンターテイメントとしては成り立たず、賭け金が固まりすぎれば儲けが出ない。そのため実力の均衡した者や一矢報いる可能性のある者を組ませなければならないが、強力な魔物はそれなりに金がかかっているので、少々もったいない。
 その点、ただ同然で手に入れた魔物達は非常に便利であった。常連の間では登場時に拘束されてない魔物は強いという認識がある。すると、もしかしたら勝つかもしれないと賭ける対象がそちらに動く。連中は必死に生き残ろうと戦い、実際に勝利し、客の信頼を獲得する。そうすれば、高い金を掛けた魔物同士を戦わせなくて済み、経費を抑えて金が稼げるという訳だ。
 今では大体の試合が野生の魔物が2匹と連中1匹というパターンである。最初は連中しか居なかったことを思えば、本当にいい物を拾ったものだ。
 コロシアムでは今日の八戦目が開始されている。先ほど受けた報告によれば、今日はいつもの二倍近い利益が出ているとのことだ。
 他よりも豪勢に、高い位置に作られたVIP席を見てみれば、確かにいつもよりも大物が揃っているようである。
 魔王が現れ、魔物が凶暴化してから既に二十年近く。昔ほど国家間の交流がなされていない今では、他国に顔が利く人間はさほど多くない。イシスでは国から豪族に対して他国への命を与えることは無いので、アッシャも例に漏れず個人的な関わりのあったことのある者以外では、有力者であっても少数しか知り得ない。
 しかし、着ている服などからも判断するに、他国の者らしき姿がちらほら見受けられる。噂を聞きつけ、わざわざイシスにやってくるほどの者ならば、そこそこの力を持っているとみて間違いないだろう。
 せいぜい金を落としていってくれと、アッシャが笑っている横で、八戦目の試合も終了した。今回の試合では野生の魔物が勝ったようだ。理性ある魔物はかなり手酷くやられているが、まだ生きている。適当に牢屋に放り込んでおけば、ホイミスライム辺りが回復させることだろう。
 と、そんな中でアッシャの耳にある叫び声が聞こえてきた。

「ちくしょー!! また負けたー!! 何だよ! 自由にしてる魔物の方が強いって言ってたのにだめじゃねぇか!!」
「い………高い……が……必ず…………とは…………」

 もめているのは、貴族らしき男とその護衛とみられる戦士風の男。おそらくは、護衛のアドバイスに従って賭けたはいいが負けてしまったのだろう。頻繁とは言わずとも、格闘場ではそれほど珍しくない光景だ。
 これといって特別なところはないのだが、アッシャは何となくその姿を目で追ってしまう。
 着ている服から考えるに、まず貴族で間違いないだろう。そこまで煌びやかな格好をしている訳ではないが、遠目で見て分かるほどの上質な服は、決して自己主張することなく着用者の存在を引き立てている。身につけた小物類も安い物ではなく、本人のセンスを象徴するがごとく素晴らしいコーディネートだ。冒険者や商人にはそれぞれ相応しい身なりのよい格好があり、そのどちらにも属さない品の良さは、貴族以外に見られるものではない。
 つれている護衛は、先ほど絡まれていた男以外に二人。戦士らしき男と、魔法使いらしき女がいる。一目見て実力が分かるような目は持ち合わせていなくとも、十分に強さを感じさせるほどの護衛だ。
 もっとも、格好やその護衛に対して中身が伴っているとは言えないようだが。
 コロシアムには、既に次の試合の魔物達が姿を見せていた。

「よし、次はあれにしよう。1000G分賭けてきてくれ………………早くしろって! 閉められるだろ!」

 先ほどから絡まれている護衛の男は何か言おうとしているようだが、忠言も許さぬ主人のわがままに僅かに顔を顰め、ほとほと困り果てたといった様子である。ため息の一つでも吐きそうであったが、結局言われるままにカウンターに向かい受付に賭ける対象を告げた。
 彼らが選んだのは、未だ檻の中で拘束されている暴れザル。対抗は同じく拘束されたキャタピラーと、拘束されていないさまよう鎧であった。
 アッシャには魔物の見分けなど殆どつかないが、拘束されていないのは霊樹の魔物であり、さらには連中の中でも頭一つ抜けた実力を持つさまよう鎧である。最も強い者は今日のメインに出場することが決まっており、あれは他のさまよう鎧であろうが、それでも少しの種族差程度は覆す。
 果たして、多少危ないところもあったもののやはりさまよう鎧が生き残った。

「だー!! 畜生!! ぜんっぜん勝てねー!!」

 負けたあの貴族の男は頭を掻き毟って叫んでる。それを実に哀れだと思いながら、アッシャは魔物の死体などを片付けている闘技場を眺めていた。
 ついに今日のメインである。
 片付けが終わった闘技場に、新たなる魔物が姿を現す。その魔物の登場に、一瞬で観客席が静まりかえった。
 現れたのは、ごうけつ熊。しかし単なるごうけつ熊ではない。
 人二人分はあろうかというその体躯。完全に拘束されているというのに、凶暴な眼光は衰えるどころかますます強まり、一眸されただけで身が竦みそうになる。強大な体躯に備わっている威圧感は、特性の檻をどこまでも心許ないものへと変貌させていた。
 静けさは、一挙にどよめきへ。その反応でこそ、高い買い物をした甲斐があるというものだ。
 そのごうけつ熊は、この格闘場を作る際に協力してくれた者から提供されたものだった。
 彼が何者かはアッシャも分からない。会うときは必ず大きいローブ身を包んでフードを目深に被り、発せられる声は男性のものにも女性のものにも聞こえた。調べようにも情報は全くなく、下手に気分を害して拗ねられては、多大な不利益を被ることになる。
 建設当時、魔物を捕まえコロシアムで戦わせようにも、霊樹の魔物以外はろくに動くことすらままならず、薬を使って無理に戦わせても供給がなければいずれ尽きてしまうということで非常に困っていた。
 そんな時に彼は現れた。
 一体何をしたのか。ただ一人でコロシアムへと入り半刻ほどで出てきた彼は、もう外の魔物を戦わせられると曰ったのだ。半信半疑で捕まえた魔物を連れてきたら、コロシアムに入った途端力を取り戻し、暴れ始めた。これによって、ようやく格闘場を開くことができたのである。
 以降、彼は数ヶ月に一度、捕獲が非常に難しい強い魔物を無傷で、しかも格安で提供してくれているのだ。何の目的があるのかは知らないが、好奇心程度で機嫌を損ね捨ててしまうにはあまりにも惜しい存在だった。
 続いて登場したのは、ダーマ周辺に現れる魔物、キラーエイプ。こちらは腕の立つ冒険者グループからの提供だった。
 さすがに先ほどのごうけつ熊ほどのインパクトはないが、対抗馬としては悪いというほどではない。
 そして、理性ある魔物の中で最も強いさまよう鎧。さすがに荷が勝ちすぎてはいるが、今まで勝ち続けた信頼は高い。
最後に登場した魔物は何の変哲もないスライムだ。つい先日に街の近くで捕まえられたとのことだが、何故か理性があり、脱走すらしようとしたらしい。これはあくまでおまけだ。部下から進言されたのもあるが、偶にはこういったとんでもない博打要素があってもいいだろう。

「さぁ! 今日のメインだ!! 張った張った!!」

 受付の言葉と共に、会場内の客がカウンターへと殺到する。VIP席の方はこちらから賭けるかどうかを聞いて回るので動きはないにしても、これからの試合がどう転ぶかで話し声が絶えない。

「ごうけつ熊で決まりだな」
「いや、あのさまよう鎧は確か今まで何度も勝ってきた奴じゃないか?」
「どう考えてもごうけつ熊一択しかないわね。他のが勝てると思えないわ」
「ごうけつ熊に賭けたところでろくな勝ち分はないだろうな。キラーエイプにするか」

 わいのわいのと、声が飛び交い金が積まれる。最初のインパクトが強すぎたか、やはりごうけつ熊の比率は圧倒的だ。積まれた金はこの闘技場始まって以来の量である。メインとはいえ、普段の4倍近くはあるのではなかろうか。
 それぞれの倍率はごうけつ熊が1.1倍。さまよう鎧が4.0倍。キラーエイプが2.8倍。スライムが429.8倍。
 まあそんなものだろうと、予想を大幅に上回る売り上げに喜ぶアッシャの耳に、またあの声が聞こえてきた。

「よし決めた! あのスライムに一点賭けだ! 5000Gつぎ込むぞ…………………………勝ったら今日の負け分なんか軽く吹っ飛ぶだろ?」

 護衛がやんわりと止めに入ったようであるが、男は気にした様子もない。もはや護衛の面々だけでなく周りの人間もすっかり呆れ顔だ。哀れみの視線を隠すことなく向けている者すらいる。
 そんな中、護衛の魔法使いが初めて男に耳打ちをした。

「あ? …………はぁ? まじかよ?」

 一体どうしたのか。主人に対してそう強く出られる護衛達ではないようなので、言うとおりに賭けに行くかと思えば、動く気配が全くない。
 護衛達の声は控えめで、男のようにはっきりと聞こえないが、どうやら金がなくなったらしい。
 さっきまでの勢いをなくして顔を顰める男は、もう賭けることはなさそうであり、他の客ももう動く者はいないとなれば、これで締めか。

「そういえば、お前の持ってる剣って家宝の剣だとか何だとか言ってたよな?」

 と、あの男が急に護衛の方へ向かって話しかけた。
 しかし、アッシャからその貴族の男までそこそこ距離があるというのに、先ほどからその声をアッシャが聞き漏らすことが殆どない。無駄によく通る声である。

「は……ですが…………は…………」
「大丈夫だって! 勝てばいいんだ勝てば」

 言って、貴族は護衛の戦士から剣を取り上げる。どうやらあの白鞘の剣一本で5000G分の担保にしようとしているらしい。
 どうするべきか迷っている受付にとりあえず待つようにと伝令を飛ばし、アッシャは貴族の方へと向かった。

「なかなか楽しまれているようですな?」
「ん? だれだあんた?」

 アッシャに声を掛けられ、怪訝そうに返す貴族。その顔を間近で見て、アッシャは思わずほうっと感嘆の声を小さく漏らした。
 顔立ちが整っている人間は何人も見てきたが、この男はその中でもトップクラスに入る。
 束ねられた少し長めの金髪は非常に鮮やかで、流れる様は絹のごとし。まるで世界を照らす太陽のような力強き眼を中心に、バランスよく配置された鼻と口。うっすらと化粧が施されているが、それは彼の男ぶりを強調し嫌みがない。これほどの伊達男は、滅多にお目にかかることはない。酒場でカウンターにでも座れば、たちまち女が彼の元へと訪れよう。
 姿形はまさしく満点。中身が哀れなのが勿体ないことだと思いながら、アッシャは一礼をする。

「お初にお目にかかります。私はこの格闘場のオーナーであり、イシスの三分の一を取り締まっておりますアッシャと申します。どこかの貴族様かとお見受けしますが?」
「あぁ、ロマリアのオラリアム侯爵家が一子、キカルス=オラリアムだ。なかなか楽しいところだな……全く勝てないが」

 最後に嫌みを言われ、されどアッシャは朗らかに笑う。まさか侯爵家の跡取りだとは思わなかったが、どれほど哀れであっても他国の権力者を相手に喧嘩を売るようなことはしないだろう。

「勝負は時の運ですからな。敗北があってこそ勝利の価値も上がるというものでしょう」
「ふん、確かにそれはそうだ。で、急に話しかけてきて何のようだ?」
「どうやらお困りのご様子でしたので。そちらの剣を担保に賭けたいとか?」
「ああ、これが最後って事だからな。一発逆転を狙うつもりなんだが」

 言って、キカルスは護衛から取り上げた剣を見せる。
 柄拵えは非常にシンプルな剣だ。中心に小さな青い宝石が付いているが、それ以外に装飾はなく、実用することを第一に考えられてるのが分かる。目立つと言えば、あまり見かけることのない白い鞘。こちらにも別段装飾などは存在しないが、そのシンプルさがかえって剣としての美しさを引き立てているように思えた。
 剣を取り上げられた護衛は強く拳を握り込んで、その行く末を見守っている。

「さてはて……なかなか良い剣のようですが……はたして5000ほどの価値があるのかどうか」
「あ? ないのかこれ?」
「いえいえ、私も商人ではないのではっきりとは。ああ、今こちらに向かっているのが鑑定士ですので、彼に剣を渡して下さい」

 アッシャの言葉通り、通路を駆けている男がいた。まっすぐにこちらに向かってきた男は、アッシャに促され剣を受け取る。

「……こちらの鞘は木で作られているのですか…………これは…………ほう…………なるほど……………………アッシャ様、少しこちらに」

 真剣な顔つきで剣を見ていた鑑定士は、少し離れたところへとアッシャを招いた。何か理由があるのだろうと、キカルス達に一声掛けてそちらへと赴く。

「で、それはどうだ?」
「一言で言えば、素晴らしいとしか言いようがありません。これほどの剣を初めて見ました。一般的に出回っている剣とは製法が異なるようですが、強度、切れ味共に並の剣では歯が立ちません。さらには、この青い宝石を軸に魔法が仕込まれています。それ自体は稀少というほどではありませんが、剣自体が魔法の媒体としても使用可能であるのはそうありません。木で作られている鞘は珍しいですが、おそらくは剣の保護を目的としているのでしょう。装飾は無いながら極めて精緻に、丁寧に作られており、洗練された美しさがあります。それら全ての要素から見て、世界有数の名剣と言っても差し支えないかと」
「ほう。それほどの物ならば、十二分に5000の価値はあるということか」
「まさか。5000どころか、私なら最低でも8000以上の値は付けますね」

 この鑑定士の腕をアッシャは信頼していた。盗品や偽物などを扱っていたところをアッシャが雇い入れた男で、元の商売の性質上真否眼がなければならず、そこらの商人よりも遙かに目利きが聞く。
 中身が哀れなれば物の価値も分からぬかとせせり笑い、アッシャはその心中を気付かれぬようにキカルスへと向き直った。

「確かに、5000Gの価値はあるようですな。これならば十分担保として使える事でしょう」
「おお、そうか。なら、あのスライムに一点賭けで頼む」
「承知しました。それでは、ごゆるりと観戦を」

 8000以上はするという事実を告げること無く、アッシャはキカルスへと一礼した。家宝をどぶに捨てるがごとく扱われた男は哀れであるが、仕えた主人が悪すぎたと思って貰うほかあるまい。
 全く悪びれることなく踵を返しオーナー席へと戻るアッシャの後ろで、最後の5000Gを追加した倍率が出ていた。


 ごうけつ熊1,2倍。キラーエイプ2,9倍。さまよう鎧4,1倍。スライム―――28,7倍。


 観客の熱狂と共に、本日最後となる死闘が始まる。




***




―――やれるか?―――


 外よりサスケがもたらしたハルの伝言は、その一言だけだった。

「…………私に、戦えって…………?」

 死ねと言われている。リンは初めにそう思った。
 何も伝言が無ければ、やはり見捨てられたのだと思っただろう。こんな状況下でリンを助けるメリットなど、一つも無い。どうしようもなくなっただろうが、捕まってしまったのがリンのミスならば、それも仕方ない話だ。
 しかし、わざわざハルはリンに戦えと言ってきた。それは自分の状況を危うくしたリンに対しての制裁だと思われる。そう結論したのは、リンだけではなかった。

「…………自らの配下に対して、死ねというのか」
「ぼく達を味方に付けたいからって……そんな人に助けられても今と大して扱い変わらないじゃないですか!」

 フターミとホイミンが激昂する。リンの為と、冷酷すぎるハルのことで半々と言ったところだろうか。
 それを見て、ふとリンは冷静になる。
 ハルは何故、わざわざそんな事を告げたのだろうか。イシスの霊樹にいた魔物達の怒りを買うと容易に想像付くであろうに。
 一番効果的な方法をとるならば、リンを助けるように動くのが簡単だ。それで助けられるならよし。いや、むしろ救出する振りをして、実際にはそうせずとも、リンの死を悼むような様子さえ見せれば彼らの好感を稼ぐのに役立つ筈だ。そうすれば後々彼らを助けられても優位に働くだろう。
 無駄なのだ。あまりにも。

「…………サスケ。ハル様はこれからどうするって?」
「いやぁ、難しいことはよく分からなかったんすけど、とりあえず俺っちはこの中を調べて姐さんの試合のメンバー表らしき物を持って行くことになってるっす。とりあえずフターミの兄さんは確定だろうって言ってたっすけど」
「私が?」
「そうしないと向こうがおもしろくないからって言ってたっす。後、姐さんに剣を賭けるとかどうとか」
「…………嘘……ほんとに……?」

 ここに来る前に、リンは格闘場がどういう場所か教えて貰っていた。リンに剣を賭けるということは、リンが負けたらハルの剣が失われるということの筈だ。
 ハルがヒミコから賜った剣が。何よりも大切にしている筈の剣が。
 ハルは無茶な事はよく言う。しかし、絶対に無理なことは一度も言ったことはない。

「私なら……ごうけつ熊に勝てるって?」
「んー……可能性はあるって言ってたっすよ?」
「…………勝てるって言ってた訳じゃないのね…………」

 こんなことでハルは嘘を吐いたりしないだろう。だから、勝てるとは言わなかった。不可能ではないという程度の話だ。
 やれるかと、そう聞いたのならば、リンが拒否するならばこの話はなかったことになるのではなかろうか。
 逆に言うならば、リンが勝ってみせると言ったなら、その言葉にハルは剣を賭けるのだろう。リンを信じて。

「リン……?」
「………………やるわ。ハル様にそう伝えて」
「了解っす」
「ほ、本気ですかリンさん!?」
「無茶だ!」

 リンの伝言に、フターミ達が声を上げる。
 あたりまえだ。一体どうして、魔物の中でもひときわ弱いスライムが、ごうけつ熊に勝てると思えようか。

「……ハル様の剣は、ハル様の大切な人から授かった剣。本来なら、私なんかよりよっぽど大切な物。だけど、私がやると言ったなら、ハル様はそれを信じて剣を預けてくれる。ハル様が信じてくれるなら、私もハル様を信じるわ。ハル様は、私がごうけつ熊を相手に勝てる可能性があると言ってるのだもの」
「だがそれは……!」
「ここに入れられたのは私のミスよ。たとえ私の意思で付いてきた訳じゃない旅でも、足手まといどころか害悪な存在になるなんて、私自身が耐えられない」

 自分の為だとリンは言い切った。そうならば、フターミ達にどうこう言う権利などない。

「…………勝てるのか?」
「……やるしかないのよ」

 それ以上は、誰も何も言わなかった。
 サスケはリンの言葉をハルへと伝え、準備は進む。三日目には、リンの試合メンバーが先の三体にキラーエイプを含めたものだと伝えられた。
 ハルはできることならごうけつ熊やキラーエイプに毒などを与えておきたかったようだが、さしものサスケも悟られずに成すのは不可能であり、リン達はハルから伝えられた訓練を消化して当日を迎えることとなる。


 格闘場の男に連れられて、リンとフターミは通路を歩く。
 リンは自分の体が地に着いているのかどうか分からないほど緊張していた。足下がおぼつかない。まるで雲の上を歩いているような不安感。

「…………大丈夫か?」
「あ、あまり……大丈夫……じゃ……ないかも…………」

 フターミの声に言葉を返す程度はできるものの、掠れるような声しか出せない。
 こんな状態では戦うことなど不可能だ。フターミが何とかできないかと声を掛けようとするが、それは聞こえてきた歓声によって打ち消されてしまう。

「な、何? 何なの?」
「……リン。着いたぞ。気をしっかり保て」

 フターミの言葉と共に、通路へ光が差し込み、視界が開ける。

「な……何よこれ……」

 呆然と、リンは呟くことしかできなかった。
 開けた先の会場は、高い壁に囲まれた円形の闘技場。その先には、熱気の籠もった歓声を上げる大勢の人間。
 既に会場には、拘束されたごうけつ熊とキラーエイプがいた。その姿に、さらにリンは恐怖を煽られる。
 キラーエイプはまだいい。以前見た固体とほぼ同じで、今のリンならば逃げられないような相手でもない。
 問題はごうけつ熊である。一言で言うならば、巨大だ。
 リンが知るそれより、二回りは大きいのでは無かろうか。拘束されていてもその体から発せられる威圧感は凄まじく、それだけで気を失ってしまいそうだ。
 さらに、さらにだ。闘技場に入った瞬間リンは結界の影響がなくなったことを感じていた。フリード達から聞いてはいたが、むしろ外より呪いから受ける圧迫感が強い。ハルとの訓練で魔力の動き方などを多少理解しているリンには、町中とも外とも違う、異質な魔力の流れがあることに気付いた。が、それを感じられたところで、知識がないリンにどうすることができようか。
 ただ、一つだけ分かるのは、この闘技場内では、あのごうけつ熊が十全に力を振るえるということだ。

「あ……ああ…………」

 頭が恐怖に染まる。ハルは普通のごうけつ熊ではない可能性もきちんと示唆していた。ちゃんと想像し、覚悟もしていた筈だった。それでも、その存在感はリンの覚悟など簡単に消し去ったのだ。
 無理だ。あんなものに勝てるわけがない。


 今日、自分はここで死ぬ――――


「リン! 動け!!」

 フターミの叱咤に、リンは気を取り戻す。見れば、ごうけつ熊とキラーエイプの拘束が外される瞬間だった。

「ガアアアアアアアアアア!」
「ヒッ!」

 自分を束縛する物がなくなった瞬間、ごうけつ熊は咆吼を上げリン達に向かって突進してくる。巨体でありながら、その速度は並のごうけつ熊よりも早い。振り下ろされようとする腕は、恐怖で固まった体では到底躱せるものではなかった。

「リン!」

 ガキリと、体をぶつけるように盾でフターミが腕を止めてくれる。しかし、それが止められていたのは数秒にも満たない。

「ぐっ……!」

 ごうけつ熊の腕に押され、何とか力を逃がしながら距離を取ろうとするフターミ。リンはその間に逃げることができていたが、フターミに向かうキラーエイプの腕が見えてしまった。

「フターミ! 横!!」

 リンの叫びはしかし、反応するには遅すぎた。フターミが、その存在に全く気付いていなければの話だが。
 フターミはごうけつ熊の豪腕に盾を滑らせ、潜り込むように動きながら剣を持った右腕をキラーエイプの腕に沿わす。ただ力任せに振るわれたキラーエイプの腕は、横から掛けられた力によりその方向をずらされた。先にあるのは、ごうけつ熊の体である。

「グオッ!?」

 予想外の攻撃に、ごうけつ熊の動きが一瞬止まる。フターミは動きの流れのままごうけつ熊の腕をかいくぐり、前転をするようにその場を抜ける。

「グッガアアアアアア!!」
「オオオォォォオオオ!」

 ごうけつ熊の怒りの向く先は、自分に危害を加えたキラーエイプへ。強烈な敵意を向けられて、キラーエイプもまたごうけつ熊を自らの相手と見なす。二匹が目の前の敵しか見えなくなったお陰で、リンとフターミに若干の余裕が生まれた。

「フターミ! 大丈夫?」
「問題ない。多少の衝撃は受けたが、ほぼ無傷だ。それより、リン。君こそ大丈夫か? 生きてここから出るのだろう?」

 フターミの言葉を聞き、リンは表情を曇らせる。

「で、でも……無理よ…………あんなの……あんなのに勝てる訳がないわよ……」
「では、何も足掻かずに死ぬつもりか? 君の主は、君を信じて大切な剣を預けてくれたのではなかったのか?」

 言われて、リンは思い出す。そうだ。ハルは、自分なら生き残ると信じてくれた筈なのだ。自分は、勝たなくてはならないのだ。

「そうよ……私は勝たなくちゃ……」
「……なら、どうするべきか分かってるな?」

 静かな問いに、頷いて返す。思い出せ。ハルに伝えられたことを。
 見れば、圧倒的な種族差の前にキラーエイプはやられる寸前だった。こちらの用意が整う前にあれが完全に倒れてしまえば、勝機はほぼなくなってしまう。

「行くぞ!」
「え、ええ!!」

 一声と共に、リンとフターミは駆け出す。素早さではフターミに勝るリンが先行し、二人でごうけつ熊の両脇へ挟み込むように位置を取った。
 ハルがリンに授けたのは、単純明快な急所への一撃離脱法。
 ごうけつ熊やキラーエイプは普通の生き物と殆ど同じ体の造りをしている。故に、その体には脳があり、心臓があり、急所の位置もさほど変わらない。
 実のところ、最初の流れはハルが提示した作戦にかなり近かった。二人でごうけつ熊とキラーエイプを誘き寄せ、フターミが誘導して双方を戦わせる。ごうけつ熊がキラーエイプに手を取られている間に、横から急所を狙って攻撃する。
 間違いなくあると言われた攻撃のチャンスは二回。二匹が戦闘を始めた瞬間と、キラーエイプがやられる瞬間だ。
 戦闘直後ならリンとフターミよりもキラーエイプの方が脅威であると映るだろうから、他から攻撃されても本能的にそちらを狙うだろう。
 そして、よほどの戦闘技量を持った存在で無ければ、止めの一撃を繰り出した直後には隙ができるはずだ。故に、ただ狂気に任せて暴れているごうけつ熊がキラーエイプを倒す時の攻撃直後こそが、最大のチャンスである。
 本来ならば、一度目で少しでもダメージを与え、二度目で致命傷か、それでなくても倒せる程度には弱らせる予定であった。
 しかし、リンが恐慌状態に陥っていたために一度目のチャンスは逃してしまっている。
 だから、一撃に全てを掛けるしか無い。
 ごうけつ熊の隣で、その動きを見ながらキラーエイプの最期の瞬間を待つ。その間に、リンは自身の最高の一撃を作るための準備をしていた。

「認識……意識……操作……」

 リンは知っている。この世界に溢れる魔力の存在を。
 リンには分かる。自身の体内を流れる魔力の在りようが。
 リンは教えられた。如何にして魔力を操るかを。

「魔力を集めて……高める……!」

 生物が動くとき、必ずそこには魔力の存在が伴う。ただし、その影響力は器型と魂型の生物では差が存在する。
 アリアハンの霊樹の長、アキが言っていたとおり、魂型の生物は器型とは比べものにならないほど魔力の影響を受けやすいのだ。
 まるで魂を燃やしているかのような感覚。無意識に使っていた魔力を意識の上へ、体に存在して普段使っていない魔力をあふれ出させ、操り、満たす。
 これが、ハルとの訓練によりリンが得た力。その一撃は、スライムでありながらイシス周辺に出現する地獄のハサミの防御すら打ち抜く。
 キラーエイプが既に死に体でありながら、最後の一撃を繰り出した。その腕は決して届くことは無く、ごうけつ熊の攻撃の前に弾かれ、爪が肩掛けにキラーエイプの体を走る。

(――――今っ!!)

 魔力の高まりと共に感覚を研ぎ澄ませてたリンには、ごうけつ熊の体から力が抜けた瞬間がはっきりと見えた。
 フターミもまた、そこを狙って動き出している。
 ごうけつ熊の肉体は、四つ足の動物とほぼ同じ物。故に、息をするのには肺を使い、血を巡らすのには心臓を使い、考えるのには頭にある脳を使う。
 一撃で倒すならば急所を狙うしかない。フターミの切っ先が狙っているのは心臓。リンが選択したのは、もっとも防御力が薄いと思われる喉。
 果たして、必殺の意思を込めた攻撃は、違わずに命中した。

「グッゴッ!?」

 リンの体当たりにより叫びすら封じられ、ごうけつ熊の動きが止まる。

「やっ――――!」
「ッ!」

 倒したと思った。が、フターミから漏れるのは焦燥した空気。

「グッガアアアアアアアアアアアアアア!!」

 ごうけつ熊が咆吼と共に動き出す。何で、とリンが疑問に思うよりもなお、その振るわれた腕は早い。

「――――ッ!!」
「キャアアア!?」

 唸りを上げる腕は、剣を叩き折りながらフターミの体を吹き飛ばし、リンはそれに巻き込まれた。
 距離にして数メートルも宙に舞った二人は、ゴロゴロと地面を転がってようやく止まる。

「っ……何で……」
「……止め……られた……」

 フラフラと立ち上がる二人の前で、ごうけつ熊が胸に突き刺さっていた剣の先端を弾き飛ばした。
 タイミングは最良に近かった。しかし、あのごうけつ熊の筋力と反応はそれ以上に優れていたのだ。フターミの剣は、心臓に辿り着く前に力を入れたごうけつ熊によって止められていた。

「グオオォォォ……」

 唸り声を上げて二人を睨むごうけつ熊。少し動きが鈍いのは、リン達の攻撃が多少なりともダメージを与えていた証拠であるが、それにいかほどの意味があるのか。
 十全とは言わぬまでも、十分に動けるごうけつ熊と、大きなダメージを負い唯一の武器も折られたさまよう鎧に、大したダメージは無くとも脆弱なスライム。もはや、勝利の行く手は火を見るよりも明らかである。

「あ……あああ…………」
「く……そ……」

 押し寄せる絶望感。ごうけつ熊は二人を見据え、緩やかに、されどしっかりと地を踏みしめて突進してきた。

「グルオオオォォォ!!」
「うわあああああ!!」
「チィッ……!!」

 直線的なその動きを、必死になって二人は躱す。ごうけつ熊は勢いづいた体を押しとどめ、腕を振り回して逃げ回る二人を追い回してくる。
 人間達に投与されただろう薬に加えて、怒り狂っているがために非常に単調で大ぶりな攻撃だ。さらにダメージの所為で多少鈍くなっているので、二人は何とか躱すことができている。だが、このままではそれほど時間も経たずに捕まるだろう。
 やはり無理だったと、リンの胸に諦めが宿る。
 しょせん自分はただのスライムだ。勝てる訳がなかったのだ。
 ハルに付いていったとしても、こんな役立たずは結局邪魔になっていただろう。
 申し訳ないのは、リンに賭けられたくさなぎの剣のこと。ハルならいずれ取り戻すに違いないが、せっかく預けられた剣を守ることができないとは――――。


 ――――チラリと、視界の端に何かが引っかかる。


 何故見えたのだろう。こんな状況下で、そんな余裕など無い筈なのに。
 どこか情けなそうに歪む真剣な目。あんな表情を今まで見たことがあっただろうか。
 眉間に皺を寄せて、何かに耐えるようにこちらを見ている。なんだか似合わない。
 手すりを持つ手には相当な力が入ってそうだ。ここからでも分かるほどに体が強ばっている。
 何でそんな風に見ているのだろう。気にしないで欲しいのに。
 気にしている? 何でそう思ったのだろう。
 知っているからだ。あの方が大切な物でも取り返しが付くなら問題ないと笑うことを。
 なら、何であの方は――――ハルはそんな耐えるような表情をしているのか。

(私の……ため……?)

 今にも身を乗り出しそうなハル。だけど、それを必死に押しとどめているのは何故なのか。
 リンに賭けた剣が返ってこなくなるから? 今後イシスの魔物達を助け出すのが難しくなるから?
 違う。ハルはそんな人間では無いことをリンは知っている。
 リンのことを心配しているのだ。リンを助けたいと思っているのだ。そうでなければ、あのようにコロシアムの中へ入ろうとなるわけがない。
 リンが言ったのだ。ハルに向けて「やってみせる」と。自分の失敗を取り返してみせると。
 ここで全力を尽くさずに諦め助けられては、これからもリンは、望んだ自分に届くことはないだろう。
 それが、ハルが助けてくれると言ったときに感じた棘の正体。
 いつだって、ハルはリンを肯定してくれていた。弱いからと馬鹿にせず、やれるところまでやってみろと、リンの存在をずっと認めてくれていた。
 だから、そう在りたかったのだ。ハルの前で、胸を張っていたかったのだ。
 ハルは、「やってみせる」と答えたリンを信じてくれている。しかし、それに対して自分がやっていることは何だ。

「負ける……もんか……!」

 リンの負けは、ハルの負けだ。最後まで足掻いて死ぬのでは無く、ただ諦めて死んでしまっては、信じてくれたハルを否定して、裏切ったのと同じ事。そんなこと、絶対に許されない。
 状況を見る。相も変わらず、どこからどう見ても絶望的だ。
 考えるのだ。どうすれば勝てるのかを。僅かでもいい。勝つ可能性を見つけるのだ。
 フターミのダメージでは、ごうけつ熊を倒すのは不可能である。力を溜めたリンの体当たりで倒すには、一体後何発当てればいいというのか。その前にやられてしまうのは明白だ。
 体当たりだけでは駄目。それを補う何らかの手段が必要である。
 ごうけつ熊の腕が、リンの体を掠めた。そろそろ捉えられてしまう。
 と、リンの体に何かが当たる。その正体は、フターミが折られた剣の先。

「…………これなら……!」

 体に吸い付けるように、それを拾う。同時に、今の全力を持ってごうけつ熊から遠ざかった。

「フターミ!! お願い!! 時間を稼いで!!」
「……っ!」

 答えは無かった。が、確かにその声は届いたらしい。
 動かぬ体を必死に動かして、フターミがごうけつ熊の懐へと飛び込む。武器が無いまま、体を押しつけるように動くフターミを、ごうけつ熊は鬱陶しそうに払おうとするが、近すぎて力が入らない上に、うまく避けられて捕まえられない。
 一歩間違えればやられる、命がけの時間稼ぎ。リンは任せてくれたフターミに感謝をしながら、再び魔力を練り始めた。


 いつの頃からか、そうなりたいと思っていた自分に気付かないフリをしていた。
 ずっと不安だった。
 クウのように空を飛ぶこともできなければ、戦うこともできない。ボウのように器用でもなければ、タクトのように役に立つ能力もない。
 こんな自分が、いつまでも一緒に居られる訳が無い。
 だから認められなかった。長の命令だから仕方なく一緒にいるのだと、自分に言い聞かせた。


 ――――体に魔力が満ちる。先ほどと同じか、それ以上の力。しかし、まだ足りない。


 サスケに問われたとき、本当は自覚した筈だった。それでもまだ、怖くて気付かないふりをした。
 ずっと認めてくれていたのに。剣を預けるほどに信じてくれていたのに。
 だけど、今、認めよう。なりたかった自分を受け入れよう。
 胸を張って、高らかに宣言するのだ。自分の前に立つ、この障害を打ち壊して。


 ――――絞り出す。貪欲に、強欲に、残っている魔力を引きずり出す。


「……!! がっ……!!」

 ついに、フターミがごうけつ熊に捉えられ弾かれた。そのまま地面に打ち据えられ、一転二転と転がり起き上がってこない。しかし、最低限はダメージを減らせたか何とか生き残ってくれているようだ。

「グオオオオオオオオォォォ!!」

 フターミを打ち倒したごうけつ熊は、まだ動くリンに向けて突進する。距離を鑑みれば、避けることはできた。だが、リンはそれをしようとしない。


 ――――魔力の高まりは限界を遙かに超えて、まるで蜃気楼が如くリンの体の周りで揺らめいている。


 ごうけつ熊が腕を振り上げた。振り下ろされるそれを眼前に、リンは剣先を前に向けて飛び込む。
 呻りを上げるのはごうけつ熊の腕か、リンの体か。
 弾丸のように弾き出されたリンの体が、ごうけつ熊の腕と交差する。多少掠めただけの腕を弾いて、剣先が向かうはごうけつ熊の心臓。
 反応することを許さぬ速度で、筋力の抵抗を許さぬ力で、リンの攻撃はごうけつ熊の心臓を貫いた。
 一体何が起こったのか。それを瞬時に理解できた観客はハルだけだった。
 ごうけつ熊の体が吹き飛ばされ、仰向けに倒れる。静まったコロシアムには、リンの他に動く魔物は存在しない。

 静寂の後、歓声。

 それは賭けに負けたことに対する嘆きの声か。馬鹿げた逆転劇を見た興奮の声か。
 降り注ぐ観客の声を背に、そんな事はどうでも良いと言わんばかりにリンは声を上げた。




「私はハル様の……魔王様の配下よ!! 舐めるんじゃ無いわよ!!」





******************


お久しぶりです



[29793] 駆け出し魔王演説中
Name: NIY◆f1114a98 ID:3c830b8f
Date: 2014/04/25 20:04
二章七話 駆け出し魔王演説中


 人々の歓声を聞きながら、ハルは体の緊張を解く。
 自分が思っていたよりずっと力が入っていたようで、手すりから手を放すのに少し苦労した。
 信じてはいた。魔力を扱えるようになり、瞬間的に能力を上げられるようになったリンならば勝算は確かにある筈だった。リン自身、ハルの問いに「やる」と答えを返してくれた。
 それでも、リンが恐怖に固まっていた時、最良の攻撃が届かなかった時、為す術無く逃げ回っていた時、コロシアム内へ何度飛び込もうと思ったことか。
 自分が戦うよりも、よほど気疲れした。手のひらの汗を拭いながら、ハルは安堵の息を吐く。リン達は既にコロシアムから退場していた。フターミも何とか生き残ってくれたようなので、ホイミスライムがいる牢へ帰れば回復できるだろう。
 何にせよ、リンはハルが求めていた最上の結果を出してくれた。ここからは、ハル達の仕事である。いや、フリードの、というべきか。実質、ハルには殆どやることはない。
 フリード―――今はキカルスか―――の方を見る。アッシャに何か感づかれてもまずいので、あくまで質に取られているくさなぎの剣を気にしている風に装いながら見てみれば、描いたシナリオ通りに進めてくれているようだ。

「ははは! おい見たかよ! 俺の引きはすげーだろ? ……で、結局いくら勝ったんだ?」
「およそ14万Gです。我が領地の月の税収の1/3ほどになるかと」

 キカルスに問われて応えるのは、魔法使いのイレースである。税収の金額云々は、ほぼ彼らの知識からの設定だ。一応どこがどうなってというのはハルも彼らから聞いたが、やはり実際の貴族に任せた方が無理が出ないだろう。
 チラリと、アッシャを意識してみれば、未だ信じられないといった表情でくさなぎの剣を握りしめていた。奇跡が起こっても勝ち目など無いと思われていたのだから、アッシャからすれば青天の霹靂といったところか。
 キカルスがそんなアッシャに向かって、勝ち誇った表情で口を開く。

「どうだよ? 俺の運はすげえだろ?」
「……あ……ええ、そうですな。まさか……あの状態からスライムごときが勝つなど普通ならあり得ないところです」
「はっはっは、本当だな。いやぁ、あのスライムはいいな! あ、そういや剣、俺の部下に返してくれよ? あと、金って受付のとこに取りに行けばいいのか?」
「…………いえ、額が額ですからな。別室でお渡ししましょう。ああ、こちらの剣も彼にお返しを」
「ああ! ありがとうございます! ありがとうございます!!」

 アッシャから剣を受け取り、ハルは平身低頭しながらそれを胸に抱いた。動き自体は演技であるが、剣が手元に返ってきた安心感というものも確かにある。リンの勝利の重みもそれで実感できた。
 そんなハルを横目で見ながら、アッシャはキカルスに向けて一礼をする。

「では、こちらの方へ。護衛の方の武具もそのままで構いません」
「ああ。分かった」

 応え、移動するアッシャに四人は付いていく。
 通されたのは、椅子と机と少々の飾りが置かれたシンプルな部屋。アッシャは、そのままキカルスへ着座を促す。キカルスが座った後に、自分も対面へと座った。

「さて、今回は大当たりおめでとうございます。我が格闘場が始まって以来の大勝ですよ」
「ふふん。まぁ、俺だから当然だな」

 キカルスは傲岸不遜な人物であらんと演技する。
 アッシャは格闘場を思いつき成功を収めた男だ。ある程度機を見る力と運を引き寄せる力を持っている。下手に興味を持たれるよりも、馬鹿の振りをして取るに足らない相手だと思われた方がいい。

「かなりの大金ですからな。なかなか準備に時間が…………おっと、言っていたら来たようです」

 アッシャの言うとおり、二人の男が少し小さめの宝箱を持ってきた。軽い音を立て机に置かれたそれを、アッシャはパカリと開ける。
 中に入っていたのは、ゴールド銀行が発行している1000G金貨と、通常のG金貨の山。

「143,500Gとなります。お確かめを」

 促され、イレースが中身を確かめる。元は商家の出ということで、目利きはかなりできるそうだ。

「……確かに、間違いなく143,500Gです」
「ああ。ふふふ、金庫でも開けないとなかなかこれだけの金は見られんな」

 ご満悦といった様子でいやらしい笑みを浮かべるキカルス。相変わらず演技の上手い男だと、ハルは半ば呆れながら思った。
 これだけわざとらしい台詞を吐きながらも、表情や雰囲気を作るのが非常に上手いため、本当にそういう人物なのだと錯覚させられる。下手をすれば、ハルですらどこまで本当なのか分からなくなってしまいそうだ。

「キルカス様はまだしばらくはこの国にご滞在なさるのですか?」

 何気なく、アッシャはそう問うた。別段含むようなところは無く、単純にこの大金の行く末に多少興味がある程度だろう。
 それに対して、キカルスは少し考えるように顎をなでる。

「いや、そろそろロマリアに帰ろうと思っている。そこでだな、アッシャ殿。少しばかり相談があるんだが……」
「はて……? なんですかな……?」

 愚か者の相談事など皆目検討付かぬと、アッシャは首を傾げた。キカルスは横柄に頷きながら、言葉を続ける。

「この格闘場という施設。思った以上におもしろい。どうせなら俺もやってみたくてな。何匹か魔物を貰いたいんだが」
「それは………………」

 思いも寄らぬ要求に、アッシャは言葉を詰まらせる。
 現在アッシャの頭にあるのは、単純な損得勘定のみだ。フリードの演技により、目の前にいる貴族は大した存在ではないとすり込まれ、言葉以上の考えなどないと思っている。
 相手はロマリアの貴族ということなので、この国の近くということもなく客足にさほど影響もでないだろう。そして、とてもじゃないが成功するとは思えない。
 ならば、後は如何に自分にとって得になるよう事を運ぶかだ。

「私の魔物を買い取りたい……ということでよろしいですかな?」
「ああ、勿論ただでとは言わんさ。数も最初の頭数がある程度いればいい。そうだな、二十匹で40000Gってとこでどうだ?」

 一匹2000G。それぐらいの相場の魔物となると、そこそこ強力な部類になる。ダーマ周辺に出没するようなキラーエイプだのマッドオックスだのが適当か。しかし、そんな相場など知らない相手に、馬鹿正直に売ってやる必要もあるまい。

「ふむ……しかしそれでは大した魔物は渡せませんな……なにぶん、魔物を生け捕りにするのはなかなか難しいことですから。それに、私の格闘場も来週にはまた試合をしますので、それほど一度に抜かれては少々困ることになります。15匹で36000Gではいかがですかな? これならばかなりよい魔物を渡せますが」
「それはさすがに少なくないか……」

 難色を示すキカルスに、そっとイレースが耳打ちする。キカルスが値段交渉をなめらかに進めるのは違和感があるからの演出だ。先ほどのGの確認作業もあって、イレースがそういう助言をする者であると印象付いているだろう。

「では、19匹で41000Gというのはどうだ?」
「そうですな……16匹で38000Gでは?」
「むう……18匹40000G。これぐらいで落としどころにしないか?」

 最後にキカルスが提示してきた値段に、アッシャは考える素振りを見せる。これ以上下手に値をつり上げ、キカルスが諦めても損するだけだ。適当な魔物を見繕えば、もう少し儲けもでるだろう。
 そう考えて、アッシャはこくりと頷いた。

「それぐらいが妥当ですかな。では、魔物の選別は私どもの方で行いましょう」
「ああ、じゃあ……っと、そうだな。あの最後の試合に出たスライム。あれだけは絶対中に入れておいてくれ。俺の幸運の星だからな」
「む……それは……」

 よもや、スライムごときにそれほどの値段を付けるとは思っていなかったので、アッシャは言い淀んでしまった。
 元は100Gで買ったというスライム。その値段自体は、別段安すぎるわけでもなく、この大陸に殆ど見つけられないという希少価値を加味しても150Gから200Gが精々だろう。
 それを4500Gという値段で買い取ってくれるというのなら、丸儲けもいいところだ。
 しかし、あれはあの化け物ごうけつ熊を倒すという奇跡を見せたスライム。絶対に欲しいと言うのならば、もっと値をつり上げられるのではないだろうか。
 思いがけない要望に、アッシャの欲が動く。それが、ハル達の狙いだと気付かずに。

「あのスライムは御覧になったとおり、ごうけつ熊すら打ち倒す希少種でしてな。これからの試合も既に決まっておりまして……入れろと仰るならば、他の魔物のランクを落とさなければならなくなりますが…………」
「ぬぬ……むう……あのスライム一匹でどれぐらいになるんだ?」
「あれを購入した金額とこれからの試合の分の稼ぎも考えますと……8000Gにはなるかと」
「なっ!? 貴様! たかがスライムに8000Gを出せと言うのか!!」

 激昂するのは今まで何も言わず後ろに控えていたホルトである。無茶極まりないアッシャの言葉に、ハルですら若干呆れたほどだ。元々演技が上手くないということもあり、できるだけ少ない出番ではあるのだが、さすがにそんな馬鹿げた値段を聞かされては演技というより半ば本気の怒りを見せる。
 が、その前でキカルスは少し考えるように頷いた。

「……ふむ……まぁいいだろう。俺に勝ちを運んだあのスライムには、それぐらいの価値はあるな」
「フ……キカルス様!?」

 よほど興奮していたらしく、一瞬フリードと呼びそうになるホルト。幸いアッシャには気付かれていないが、キカルス以外の全員の背に、多少の冷や汗が浮き出る。
 そんな中、全く演技に支障を来すこと無く、キカルスは冷たくホルトを睨んだ。

「黙っていろ。護衛ごときが俺に指図するつもりか?」
「っ……出過ぎた真似を致しました…………」

 その流れに、アッシャは小さく唸る。一睨みで黙らせるとは、一応ながら自らの配下を制御はできるらしいと。本人が残念であると思っている以上、あまり意味の無い上方修正であったが。
 何にせよ、ただ同然で手に入れたスライムが大金で売れるのだ。その馬鹿さ加減はありがたい限りである。

「それでは、残り32000Gで17匹ですな」
「そうだな。ついでだし他の魔物も選んでいいか? 自分で選んだ方が楽しみもあるだろう」
「はぁ……さすがに魔物の檻に行くのは万が一を考えれば危険ですので、こちらで用意したリストからということになりますがよろしいですかな?」
「ああ、それでいい」
「では、少々お待ちを。魔物事で値段を付けさせて頂きますので」

 言って、アッシャは部下達と共に部屋から退出した。馬鹿のお陰で楽しくて仕方ないだとアッシャはほくそ笑む。まぁ、さすがにあまりにも哀れだから、せめてリストの魔物達は多少の上乗せぐらいで勘弁してやろう。
 おもしろいように自分に都合よく進んだことに気をよくしたアッシャは、その後ろでおおよそ狙い通りの流れになったと、口元に小さく笑みを浮かべたハルとキカルスには気付くことは無かった。




***




 月が下りかけた深夜、イシスより西側に少々離れた砂漠の真ん中。抑えめに、それでも興奮した声がざわざわと漏れていた。
 そこに居るのは、フルガス達と格闘場より外に出られた魔物達。まだ生き残っている魔物達の一割にも満たない数であるが、あまりにも久しぶりの、本来は絶望的だった再会を前に、気持ちの昂ぶりを抑えられないのは仕方ないことである。
 そして、無事な再会を果たせたのはハル達も同じだ。

「ハル様ーーー!!」

 人混みを抜け、フルガス達の輪の外にいたハルに向かって、リンが飛び跳ねてくる。体当たりをするように向かってきたリンを、ハルは両手で受け止めた。

「…………よくやった」
「えへ…………えへへへへ」

 ポンポンと、優しくリンを叩きながら、ハルは一言そう褒める。
 色々と言いたいこともあったろう。リンの近くに居られず、守れなかった後悔も、リンに任せるしかできず、危険な目に遭わせてしまった謝罪もあったろう。
 それでも、ハルが言ったのは一言の労いの言葉だけ。しかしそれがリンが最も欲しかったもの。だからハルの手に撫でられながら、リンは満面の笑みを浮かべる。
 その光景を、タクトが何とも言えない表情で見つめていた。

「それで、これからどうするんだ?」

 そう問うのは、護衛二人を引き連れたフリードだ。
 計画を詰め、協力をしてくれたフリード。彼が居なければ、こうも上手く事は運ばなかったであろう。
 フリードが務めてくれた馬鹿貴族役は、少々ハルでは荷が重かった。姿形は多少変装すれば何とかなったかもしれないが、立ち振る舞いはさすがに難しい。さらには少し調べられただけでボロが次々と出てしまうだろう。フルガス達では言わずもがなである。
 その点、フリードはイシスに逗留する際に、最初から色々と根回しをしていたらしい。
 キカルスという偽名も、この国で活動するのに使っていたものそのままで、調べられてもイシスの工芸品を買い集めに来たということしか出てこない。
 あまりにも都合がいい存在に、ハルとて疑わぬ訳では無かったが、時間も無い中で彼らに頼る以上の手が無かったのも事実だった。

「考えはある。が、色々と準備に時間が掛かるな。その関係でこっちでやることも少々残ってる。だが、それよりもだ……」

 聞かなければなるまい。フリードが何を求めるのかを。
 今回ハルが作ってしまった借りは大きい。手に入れた金の半分と言われれば、むしろ安いくらいだ。だが、単純に金を求めるような男ではあるまい。
 さてどんな無理難題を言われることやらと、ハルが訪ねようとしたとき、フルガスが近づいて来た。その後ろにはリーシアとルナ、マナが、さらに救出された魔物を含む他の面々が続いている。

「ハル殿。娘に続き、仲間をも救ってくれたあなたに、我々はどう報いればいい? 我々は何もできなかった。今回も、金を出しただけで何もしていない。感謝してもしきれない程の恩が…………」
「待て、それは少しばかり早い。まだ根本的に解決した訳でもないからな。まぁ……そうだな……」

 フルガスを制して、言葉を止めたハルはちらりとフリードを見やる。
 今回は協力してくれた男。だが、完全にハルの味方ではなく、どう動くか予想が付かない人物。できることなら、あまり情報を与えたくはない。
 いや、既にそれは手遅れか。
 イシスの人間では無いくせに、どのような姿形の人間が、いつ街を出入りしたかまで網羅しているその情報網。
 それがこの国だけとは考えにくい。となれば、興味を持たれ接触された時点で、最近から今後にかけてのハルの動きは捉えられると思っていいだろう。さすがにジパング周辺での行動を把握するのは不可能だろうが、ダーマで魔法使いに転職したことぐらいまでは知られるかもしれない。
 なれば、いっそ聞かせたほうが良いか。フリードの底は知れないが、だからこそ短絡的に動くようなことはない筈だ。
 フリードがどう動こうと動じぬよう覚悟を決め、ハルは口を開く。

「フルガス。俺はお前達の仲間を助ける為に動き、致命的とも言える悩みも解決しよう。だが、それを恩と思わなくてもいい。いや、むしろ思うな。これからお前達に要求することは、恩返し程度のことではないからだ。断ってくれても構わない。それでもお前達を助ける為に行動することは約束しよう」

 ハルの言葉にフルガスは反応するが、グッと動くのを抑えて口を開くこと無く続きを待つ。他の面々がざわついたが、フルガスを見てそれに倣った。
 再び場が静まるのを確認してから、ハルは再び口を開く。

「それは一つ間違えれば世界の敵となる道だ。人間からも、魔物からも、もしかしたら神すら敵対するかもしれない道だ」

 ゴクリと、誰かが喉を鳴らした。それが聞こえるほどの静寂。
 ハルの一挙手一投足を、全員が見守っていた。

「俺が望むのは、お前達の人生だ。俺の配下として、俺の民として、俺が魔王として造る国の一員となれ」
「――――――――っ!?」

 フルガスが出した吐息、それを皮切りに、先ほどの比では無いほど場がざわめいた。
 既にリンから聞いていた魔物達ですら、実際にハルの口から魔王になると言われ動揺を抑えきれない。
 本気なのか。大丈夫なのか。これからどうするつもりなのか。
 皆が囁き合っているが、ハルは腕を組んでもう口を開く気配はない。

「………………二つだけ聞きたい」
「なんだ?」

 背中に感じる汗をひた隠し、静かにフルガスが言うと、ハルは先を促す。

「魔王になるとあなたは言った。それは、今存在する魔王に敵対するということで間違いないか?」
「ああ。俺は魔王バラモスの敵となる。俺と奴が相容れることはなく、俺は魔王として奴を倒す」

 あくまで淡々と、何のことは無いというふうにハルは答える。
 魔物の強さは重々知っている彼らだ。故に、魔王たる存在を倒すことがどれほど困難なことかも分かる。
 生唾を飲み込むのを必死に堪え、フルガスは次の質問をした。

「では、あなたの仲間はそこに居る者たち以外にいるのか? それとも……」
「いると言えばいる……が、基本的にはこれで全てだ。今の俺の配下は、ここにいる四人以外、実質的には存在しない」

 それは、フルガスが予想したのとほぼ変わらない答え。
 世界の敵となる道でありながら、あまりにも弱き軍勢。誰が聞いても無謀で馬鹿げた話だ。
 これを断っても、彼は仲間達を救ってくれるという。それがたとえ嘘であったとしても、仲間達の安全を思えば断るのが当然であろう。
 だが、それでいいのか。
 無償どころか、フルガスの娘達はハルが身銭を切ってくれたお陰で助けられた。あるいは、そのようなことが無ければリンが攫われるようなことはなく、あまつさえ危険すぎる賭をしなくても良かったかもしれない。いや、むしろそんなことはあり得なかった筈だ。
 返しきれないほどの恩を受け、生き恥を晒すのか。
 ハルがどれほどの人物か、さすがに一週間程度の付き合いでは分からない。
 乗るには分の悪すぎる賭けである。せめて一晩、仲間達と話し合う時間が欲しい。
 しかし、ここで答えられぬのなら、もはや彼に付いていくことは叶わない。相談して決めたような、生半可な覚悟で通りきれる道ではない。
 この場でそれを求めるということは、それほどの覚悟を求められているということだ。

「…………私はあなたと行こう」

 フルガスの答えに、三度目の衝撃が走る。
 行く先は、今までと比べものにならぬ艱難の道であろう。無茶をしたりしなければ、生きていくだけならば、国から保護された今の状態の方が遙かに簡単で安全である。
 だが、それは『生きている』だけだ。否、『生かされている』だけで、『生きて』すらいないのかもしれない。
 今回のことにおいて、ハル自身はさほど動いていない。情報を用意したのはフリードで、その後の対応も同じく。実際に戦ったのはリンであり、ハルの言こそあれ勝利したのは彼女自身の力だ。ハルがやったことは、自らの剣を賭けたというそれだけである。
 しかし、重要なのはその中心に彼がいたということだ。
 ハルがいなければそれらの要素は集まらなかった。ハルがいて、彼が主導して初めてことは成った。
 彼に求められて、応えたリンの姿を見ても思う。ついて行くに値する、王として仰ぐに十分な人物であると。

「皆にも求めない。自分の意思で決めるがいい。そうしなければ、彼に付いていくことは叶わぬだろう。去る者を責めることは私が許さん。付いてくるのであれば、この場に残るがいい」

 フルガスはリーシャや娘達にすら、そう言った。
 ざわめきは次第に消え、フルガスの言葉を各自がそれぞれで考える。
 そしてしばらく、この場から去る者は、誰一人としていなかった。
 あるいは、霊樹の元で過ごしていた時よりも、強き意志が込められた顔をしているかもしれない。
 彼らを見て、ハルはニィっと実に嬉しそうに笑った。招くように手を差し出して、口を開く。

「お前達の選択が正解であるとは言わない。だが、正解にしてみせよう」

 グッと手を握り込む。そこに何かあるかのように。そのまま手を胸へと持って行き、胸を叩いた。

「俺が今生きていることを誇らせてやる。そしてこれは、最初にして最後まで変わらぬ王命だ。命が尽きるまで、命が尽きてもなお、自らを世界に誇れ」



 ――――ォォォオオオオオオオオオ!!



 怒号。地鳴りという程にまで人数はおらずとも、ハルの命に応え各々が叫び声を挙げる。
 フルガスがハルの前に跪く。後ろの者たちがそれに続いた。

「我らが誇りはあなたと共に。あなたの命令は魂と共に。この命が尽きるまで、我らは屈すること無く己が誇りを貫きましょう」


 それは、一つの国の始まり。


 ハルの後ろからその光景を見ながら、タクトは自分が浮いていることを自覚する。
 中途半端だ。
 クウ達のようにハルに忠誠を誓ったわけではなく、ただ強制されて付いてきただけの自分。
 できることなら逃げ出したいと思っている。しかし今目の前にある光景は、ハルに付いてこなければ、実際に見ることは叶わなかったであろうもの。熱気に当てられ、こんな場面に自分もいるのだと考えれば、気分が高揚しているのに気付く。
 同時に、部外者である自分もいて、もどかしさを感じてしまう。
 一体、自分はどうしたいのだろうと。

「……ック! アハハハハハハ!!」

 と、そんな空気を打ち壊す笑い声が響く。それは、今の今までハル達の動向を見守っていたフリードの笑い声。

「ククク、いや、おもしろい。本当に親友は面白いなぁ。まさか魔王になるつもりだとは、考えもしなかった」
「…………で、それを知ったところでお前はどうする?」

 あるいは協力者に……などとはハルは全く期待していなかった。
 良くも悪くも癖の強い男だ。出会って一週間ほどという短い期間ながらも、ハルは何となくながらフリードの性格や思考の癖を感じ取っていた。そしてそれは、フリードとて同じだろう。
 フリードはハルの事を『親友』と呼ぶ。それは嫌みで無く、冗談で無く、二人が感じている事実でしか無い。
 相性がいい。まさにこれに尽きる。
 そして、だからこそ分かってしまう。あるいは、ここで敵対することすらあり得ると。

「さて……そうだな…………何もしない、かな」

 そんな中フリードが答えるのは、傍観者たる道。

「放っておいても親友は面白いものを見せてくれそうだ。下手に突いてそれを台無しにするのはまだまだ勿体ないだろう? あと、これとこの前の貸しはチャラにしておこう。今回は俺もなかなか楽しめたし、これからにも期待できそうだしな」

 笑いながら言うフリードに、ハルは肩を竦めて返す。

「礼は言うべきじゃ無いか悪友。なら、とりあえずは解散か」
「そうだな。あれの前で言ったとおり、俺もそろそろ帰らなきゃならんしな。一度は付いてくるんだろう?」

 本当に、どこまでも予想通りにこちらの動きを読んでくる。
 完全にフリードの手の上で動かされているが、現状では仕方の無いことではあった。二人は決して対等では無く、施しを享受するのが最善であり、見下ろされても当然の位置にハルは居る。
 目に見えぬ借金ばかり増やされて、非常に面白くないことであるが。

「ど、どういうことだ?」

 二人だけにしか分からないような会話に、誰もが思っていたことをタクトが代表として聞く。
 今からどうするのか知られた状態で、ここで言わない理由は無い。それにしても厄介なことだとため息を吐きながら、ハルはタクト達の方へ向いた。

「俺たちがこれからすることは何だ?」
「何だってそりゃあ……格闘場に残ってる連中を助けることだろ?」

 タクトにとってはお決まりになってきた、フルガス達にとっては二回目となるハルとの問答。

「格闘場に残ってる連中を助けるにはどうしたらいい?」
「今回と同じ……では無理ですな。全員を助けるには直接的な手段を取らねばなりませんか」

 この場合の直接的な手段とは、外部からの手引きにより脱出、もしくは救出することである。では、そんなことをすればどうなるか。

「アッシャと事を構えるというのは当然として、囚われた魔物が逃げたとなれば、イシスという国自体が敵になる。相手がアッシャだけでも多勢に無勢だ。俺たちにできるのは、何とか時間を稼ぎながら逃げることだけ。で、問題となるのがその手段と場所になる」

 フルガス達全員を連れて国を脱出する。
 囚われた魔物達の生き残りはおよそ150匹。フルガス達人間の数は約400人。訓練されてもいない、女子供老人といった非戦闘員が半数、そんな集団がどれだけの速度で移動することができようか。

「イシスが干渉できるのはアッサラームより東、アルヒラ山脈までだな。アッシャから逃げるにはロマリア側に抜けるか、アルヒラ山脈を越えるかしなくちゃならない。だが、そちらの方角に逃げたら、アッサラームに連絡するだけで簡単に挟み撃ちを受ける。かといって、ネクロゴンド側に抜けるなんて自殺行為もありえない。となると、陸路で逃げるのはほぼ不可能ってことだ。つまりは…………」
「海……船で逃げるってことっすね?」

 ハルの言葉をフリードが引き継ぎ、一度それを交通手段として使ったことのあるサスケが答えに行き着く。それで、ハル達と同条件に情報が揃っているタクトが理解した。

「船……ってことはポルトガに行くのか。ああ、だからロマリアに…………でもそれだけの人数を乗せられる船って、今ある金だけで用意できるのか?」
「それは移動距離にもよるな。まあ、ポルトガから砂漠地帯を経由してロマリアに行くぐらいなら、ガレオン船を3隻借りたとしても7~8万もあれば十分だ。それよりも、他国で追われる連中を乗せるっていう、外交上かなりリスクの高いことを請け負ってくれるかどうかが問題だな」
「あ…………」

 フリードの言う通り、それが何よりの問題点だった。いくらイシスの女王が穏健であったとしても、他国に介入されて何もしないという訳にもいかないだろう。一般の船乗り達がそんな危ない橋を渡ってくれるとは到底思えない。
 だが、ハルは気にするなとばかりに肩を竦めた。

「その辺りはやってみないとどうしようもないな。何にせよ、それしか有効そうな手段が存在しないんだから仕方ない。とりあえずは、ロマリアに行って帰ってきてからだ。こちらでまだやることも残ってるしな」

 そう言って、ハルはこの場を解散するように指示する。
 魔物達は後々主従の儀を執り行わなければならないが、こればかりはフリードに見せる訳にもいかない。ロマリアに行きさえすればすぐに帰ってこれるので、持っていた霊樹の水を分け与えて潜伏させておくことになる。
 フルガス達はとりあえず今まで通りに生活を行って貰う。国を脱出するための準備だけは少しずつ進めて貰うが、細かなことは帰ってきてからでいい。誰にも悟られぬように、息を潜めるのが何よりも重要だ。


 イシスの星空は高く、夜明けはまだ遠いようである。




***




 まだ夜も明けていないロマリア。
 僅かに残るルーラの残滓を見送りながらフリード達は立っていた。

「……よろしかったので?」

 問うのはイレース。多くの意味が込められたそれに、フリードは頷いて返す。

「ああ、とりあえずは問題ない。そも、俺の下に来る人間では無かっただけの話だ。面白い奴ではあったんだがな」

 ハルに手を貸したのは、本来なら目的を知った上で取り込むためだ。
 しかし、あれは無理だ。
 ただ単に魔物の国を造ろうというのなら、意思在る魔物達を救いたいというだけなら、あるいは取り込むことも不可能では無かったであろう。
 だが、魔王になるというそれすら目的では無く、ハルが求めているものの過程でしかないらしい。あれが求めているのはもっと先にある何かだ。用意されたものでは決して満たされないものを、あの男は“分不相応”にも望んでいた。

 一週間という時間の中で、フリード達がハルに下した評価は、『凡才』である。

 確かにハルは優秀だ。転職を二回も果たし、普通の人間より高い身体能力を持ち、頭の回転も速く、精神的な面から見ても優れたものがある。
 ただ、伸びしろがない。才能がある人間ならば誰しもが持つ、才能の輝きというものが感じられないのだ。魔法技術適正は高いのかもしれないが、そもそも強力な魔法が覚えられないのであれば宝の持ち腐れでしかないだろう。剣技はまだ上達するだろうが、それとて半人前のところからそこそこの腕になるであろう程度の話で、決して達人の域に到達するようなものではない。
 それでも尚、フリード達に優秀であると思わせるのは、ハルという人間がほぼ『完成』されているが故である。
 Lvが許すであろう限界まで鍛えられた身体能力。剣技こそ拙いものの、技術を身につけるために必要な体幹や体の動かし方などの基礎技術は十分に修められ、どんなものであれど彼の才能が許す限りの技量を満たすのに、それほど時間は掛からぬだろう。
 視界に入るものから情報を引き出す観察眼や思考能力。得られた情報の扱い方。何よりも経験を要する筈のそれらを、あの若さで十全に発揮している。
 己に許される上限までそれら全てを引き上げることなど、普通は無理なのだ。天才が簡単に超えていく壁を、凡才は引っかかりながら超えていくのであり、才能に比例して成長速度も下がるのが当然である。普通ならばハルの1/3もできあがっていればいい方であろう。どのような環境にいれば、どのような人生を送れば、あれほど『完成』された人間が作られるのか。
 しかし、『完成』されているということは、前述したとおり伸びしろがあまりないということでもある。故に、どこまでいってもハルは『優秀』ではあっても『規格外』ではなく、それだけならフリードにそれほど興味を抱かせることはなかった。フリードの興味を引くのは、ハルがそんな自分を理解しているということである。
 どれほど努力したところで、決して英雄と呼ばれる存在に届くことは無い。それが理解できないのなら分かる。それが認められないのならば分かる。だが、ハル程『完成』されているのならば、分からぬ筈が無い。だから、ハルはそんな自分のことを理解した上で、決して英雄に届かない自身を認めた上で、尚も“分不相応”を望み、手に入れられると本気で考えているのだ。
 手に入れられる筈が無いと理解しているものを、手に入れられると信じている矛盾した人間。実に面白いではないか。

「ふふふ、楽しみだな。どこまでやるか。どうしてやるか。なあ親友?」

 ホルトとイレースからすれば、ハルがそこまで大成するとは思えない。が、フリードがあり得ると考えているのならば、可能性は在るのだろう。もしハルが“大成してしまった”場合、彼らの主はどうするつもりなのか。
 家臣二人のそんな気持ちもよそに、本当に楽しそうにフリードは笑っている。。
 誰よりも強い輝きを放ちながらも、どこか危うさを感じさせる主は、それでも全てを上手く運ぶのだろう。今までも、これからも、彼の考えが大筋を外れるなどあり得ぬのだから。

「…………“陛下”」

 ホルトにそう呼ばれ、フリードは空を見るのを止める。

「ああ、帰るか。予定よりも遅れたし、“影”もそろそろ退屈しているだろう」

 されど、その声はまだ楽しそうで、隠そうという気配すら無い。


 フリード――――フリード=エマヌエーレ=ロマリア。


 高き頂に立つ王は、どこまでも満足げに、自らの座へ戻っていく。








******************

ご挨拶は記録の方で



[29793] 駆け出し魔王準備中
Name: NIY◆f1114a98 ID:313d545b
Date: 2014/05/08 23:39
二章第八話 駆け出し魔王準備中


「まだ直せんのか!」

 苛立たしさを隠すことも無く、アッシャは激昂していた。
 矢面に立たされているのは、杖を背負った男。それは、リンが最初に逃亡しようとしたとき、ラリホーを使った僧侶くずれである。顔面蒼白となり、痙攣した口からしどろもどろに説明しようとする。

「も、申し訳ありません……そ、その……何か魔力が働いていることは分かるんですが……そ、それが一体どう動いているのかも、どういう作用があるのかも……さ、さっぱりで……」
「っ!! その程度でよく腕利きの魔法使いなどとほざけたな!! この役立たずが!! 次の“場”を開くまでに復旧できなければ、どうなるか分かってるだろうな!!」
「そ、そんな!!」
「なんだ? 今ここで始末されたいのか?」

 提示された無理難題に男は抗議の声を上げるが、アッシャが睨め付けることでさらに顔から血の気を引かせ、這うように部屋から退室した。
 それを見届けても全く怒りが冷める様子はなく、腹立たしげにアッシャは椅子を蹴飛ばす。
 ハル達と取引した前回の“場”より二週間。格闘場にはある異変が起きていた。
 外から購入した魔物が、まともに戦わなくなったのである。否、正確に言うなれば、“戦えなくなった”と言うべきか。あの理性ある魔物達以外は、総じて町中では全く力を出せなくなってしまう。
 あのローブを着た謎の人物が訪れる前の状態と全く同じだ。奴の施した仕掛けの寿命が来たのか、誰かが仕掛けを壊したのか、ただ一つ間違いないのは、それが今正常でないということである。
 おそらくは魔法の類いであろうと見切りをつけたが、アッシャの配下の魔法使いは先ほどのような体たらくだ。異常が分かってから既に四日経っているというのに、手がかり一つ見つけることができていない。
 ローブの人物が来たのは、つい最近のこと。次に現れるのは最低でも一月は後になるだろう。
 理性ある魔物達だけではまともな殺し合いにならず、下手に薬を与えて戦わせたところで損ばかりが見えてしまう。
 最悪、コロシアムが使えるようになるまで閉鎖をしなければならない。維持費分のマイナスは出るが、その後のことを考えると被害を最小限に抑えるにはそれが一番マシだ。

「くそっ!」

 ガツンと、今度は壁を蹴飛ばす。どうにもならない現状に、アッシャは行き場の無い怒りを抑えることができない。
 アッシャ達には分からないことであるが、コロシアムに使われていたのは、ある一種の結界のようなものであった。
 結界魔法など、普通の人間が手を出すことはない。冒険者の夜営時には聖水を使った簡易結界を作るのが当たり前だが、そもそれが結界であると知らない者すらいるのだ。
 しかし、ある意味では当然である。この世界において魔法とは、Lvを上げることで式を手に入れるものであり、それ以外の方法で魔法を使うことなどそうはない。普通の人間には必要のないことなのだ。
 魔法使いである者でもそれは同様で、Lvを上げて手に入る魔法式以外の特殊な魔法を使う者など、一部の限られた人間だけである。
 冒険者以外の者が結界に触れる機会など、街を覆う神の結界の他は無く、その張られている神の結界も決められた条件と儀式により使われるもので、原理を理解している人間などまずいない。
 あるいは、魔法陣について研究している者が手にあれば、何らかの手がかりが見つかったかもしれないが、アッシャにそのような伝手はなく、門外漢である彼ではそのような考えに至ることすらできない。
 結果として、“場”をしばらく閉鎖することしかアッシャにはできないのだ。事を為した者が、苦々しい思いを抱いているのとは裏腹に。




***




 ポルトガと言えば、船の印象が強い。
 ハル達の世界でも、ヨーロッパで昔胡椒が金と同じ価値があったことを思えば、確かにそこまで不思議なことではないのかもしれないが、いまいち船入手のイベントが納得いかなかったのは、あまりにも軽すぎた王様の台詞の所為ではなかろうか。
 ゲーム上で唯一港が描かれていた国は、イメージに違うこと無く、潮の香りがほのかに鼻孔をくすぐる巨大な港町といった風であった。何よりも目を引くのは、やはり多くの船が並んだ大きな港だ。大小様々な船が並び、そこから人々が行き交う光景は、他の国ではまず見ることができないものだろう。
 ガレオン級の帆船を国軍が何十と保有しているポルトガは、海上での戦いで他に追随を許さない。海兵だけでなく、商人達が雇う護衛も他の国にいる者に比べ格段に船上での戦いに強い。
 凶暴な魔物が増え、他の国では船での交易が極端に少なくなった今でも、多くの交易商が国を潤し、街を賑わせているようだ。さすがにネクロゴンド事変以前とまではいかないようであるが。
 香辛料などは気候的に栽培することが難く、交易に頼っていただけに値段は高騰しているらしい。やはり胡椒はその最たるもので、さすがに金と同等とまではいかないまでも、平民では日常的に手を出すことが難しいほどの値段となっていた。

「……で、どうするんだ?」
「ふむ…………」

 タクトに問われ、ハルは腕を組みながら口元へ手を当てる。
 ポルトガの港近くにある酒場のテラス。港を行き来する人の流れを横目に、ハル達は遅めの昼食を取っていた。
 タクトが問うのは、これからの行動について。ハルの計画の中で、かなりの重要度を占めていた船であるが、それが手に入らなかったのである。
 伝手が無い中で情報を集め、何とか非合法的な仕事を請け負ってくれそうな連中を見つけても、内容を聞けば拒絶される。下手をしたら国を敵に回すような仕事は、いくら渡されても割に合わぬと、そういうことらしい。
 あるいはもっと力を持った組織なりと接触できれば可能性はあるかもしれないが、それを相手にするには手持ちの金では少々心許ない。何よりも、そこまで時間を掛ける余裕がハルにはなかった。
 イシスのコロシアムに張られていた結界。その術式を破壊したのはハルである。
 フルガス達と接触した時点で、ハルの頭の中には脱出に至るまでのいくつかの計画が既に有ったが、どうしたところで準備に時間が掛かる。そうなれば、格闘場の魔物達に被害が出るのは間違いない。よって、何らかの手段で、できるだけ長い間、“場”を開かせないようにしなければならなかった。
 しかしながら、アッシャにこちらの存在を感づかれず、なおかつ長期間“場”を封じられるような、そんな都合のいい手段などハルは思いつかなかったのだ。
 リンからそれらしき存在を聞き、“場”に張られた結界を壊すことができたのは、ゴウルから話を聞き、ダーマを始めとするあちらこちらで知識を吸収し、『主従の儀』で特殊な魔法陣を扱ったことのあるハルだからこそであるが、それしかできなかったのも事実である。
 それから開かれた“場”では、確かに結界が壊れ、直されていないことを確認できているが、それがどれだけ保つのか分からない。運営の動きからすぐに直せるようなものではないことは予測できても、いつ復旧されるか分からないのだ。
 アッシャが復旧させる術もなく取り乱していることは、神の目を持たぬハルでは知り得ず、故に、ハルはただ復旧されていないことを願いながら、脱出の準備を急ぐことしかできない。

「…………手に入らなかったものは仕方ないな。最良とは言いがたいが、次善の策はある。とりあえず、ランシールに向かう船か、請け負ってくれる船を探そう」
「ランシールに……ねぇ……消え去り草か?」
「ああ。最低でもそれだけは手に入れないと厳しいな」
「何となくやろうとしてることは分かるんだけど……そんな量を確保ってできるのか?」
「どうだろうな……行ってみないことには分からん。危険度は上がるが、最悪少量でも何とかできんことはないだろう」

 ハルの言葉から行動目的をすぐに推測できるのは、同じ(ゲームプレイヤーであったという)条件を持つタクトだからこそである。同時に、ハルがこぼす言葉の端々からある程度の推測を立てられるところに、タクト自身が決して愚鈍ではないという部分が垣間見える。
 いくらゲームの知識があるとはいえ、実際のこの世界とゲームとの差違があるのは間違いなく、確かめるまでそこにあるであろうという前提でしか考えることができない。なんとも頼りない話ではあるのだが、いかに脱出の危険度を下げるかを考えれば、あまり頼りたくないゲーム知識に頼らざるを得ないのが現状だ。毎度の事ながら、ハルは自身の至らなさにもどかしさを感じずにいられない。

「まぁ、何にしてもやることは変わらんさ……あと、お前達はそろそろ慣れろ。言いたいことは分かるが、そんなもんだ」

 ハルから言葉を向けられるのは、ハル達に同行しているルナとマナである。。
 今回連れてきたのは、タクト、リンに加えてこの二人の四名。クウはもう隠して連れ歩くには大きくなりすぎであり、フルガス達と共にやって貰わねばならないこともあったので、別行動だ。ボウはあることをして貰う為にポルトガに到着するまでは一緒だったが、向こうでも必要な人員であったため、既に帰還させている。
 そして、まだ13才であるという双子の姉妹。ポルトガに来るまでに何度か戦闘になったが、Lvはルナが4でマナが5と特別高いわけではない。しかし、奴隷として売られた筈の彼女らが、フルガス達と一緒にいるのを万が一でも部外者に知られたらまずい。ハル達と共に国外にいればそんな心配もいらず、ハルも手が欲しいのは確かだったので、今回同行することになったのだ。
 だが、Lvは低いとはいえ、この双子、実は『職持ち』である。
 先天的な『職持ち』がどういう原理で生まれてくるのか、実はダーマでも把握できていないらしい。唐突に現れることもあれば、血筋により受け継いでいることもある。賢者を含む巫女や国王などの特殊加護を除いた職は7種。先天的な加護持ちはおよそ20人に1人程度だ。
 Lvを犠牲にするとはいえダーマで転職できる上、イシス霊樹の守人の中で一番実力が高いのが職持ちではないフルガスであるから、絶対的と言うほどの優位性は無いが、それでも大きなアドバンテージであることは間違いない。
 200名余りの中で職持ちは13名。さらにその中に魔法使いはルナ一人だけだ。魔法使いではなくとも魔法を使える人間はいるが、魔法使いならば確実にハルと同じ魔法を覚えることができるので、彼女の重要度は高い。
 マナは盗賊の加護を持っており、タクトが確認したLv上限は二人揃って38と、能力的資質はかなりある。本人達もやる気があるので、頑張ればいずれ戦力として数えることもできるだろう。

「いえ……その……」
「えっと……うん……」

 ハルの言葉に、何とも微妙な表情を浮かべながら食事を取るルナとマナ。
 ポルトガは海に面している国だけあって、魚介類に関してはいいものが安く食べられる。ハル達が頼んだのも魚介類が使われた普通のランチメニューだ。
 町中で顔を出すわけにはいかないリンは、ハルの道具袋の中で差し出される果物や料理を食べてご満悦の様子である。

「お店で食べるって凄い贅沢だと思ってたんですが……その……」
「……外で食べたタクトさんのご飯の方が美味しかったよね」
「マ、マナ! そんなはっきり言っちゃ……」

 歯に衣着せぬマナに、ルナが慌ててそれを咎めた。気付いていないようだが、むしろルナの言葉で止めが刺されている。

「まぁ、この国は香辛料が手に入りにくいしな。それに、俺だって伊達に料理人してた訳じゃないし」
「タクトさん料理人だったの!?」
「え? 何? そんなに意外……?」
「私てっきりハル様の雑用係かと……」
「マナ……あ、でもお肉の処理の仕方とか、いろんな調理方法とか知ってますから、凄いです」
「ルナ、せめて否定ぐらいしてあげなさいよ……それじゃタクトがそれしか取り柄がないって言ってるようなもんじゃない」
「リン……お前も大して変わらねぇよ……。というかお前は俺が来た当初のことを知ってるのに……」

 食べながら騒ぐ仲間達を前に、ハルは一つため息を吐く。
 脳裏にあるのは、イシスで施した妨害のこと。どれだけの時間が稼げるのかということもあるのだが、それ以上にあれが一体何なのかが気に掛かる。
 魔法を作るのは魔力と魔法式だ。これはどんなものでも変わらない。
 術具は魔力を行使する時に必要な過程を補助するもの。魔法陣を簡潔に言えば、外部に存在する魔法式にあたる。
 ハルが存在を知る魔法陣は、主従の儀と各街に張られる神聖結界の魔法陣の二つ。
 ダーマでの資料による研究や、ゴウルから得た知識、あちこちを巡っての調査の結果、ハルは双方の原理をある程度推察することができていた。
 主従の儀は、あらかじめ描いた魔法陣に自身の血を媒介として中継させ、呪を唱えることで儀式となし、魔法式としての意味を作り出すもの。神聖結界は、用意されたいくつもの魔力媒体を同期させ、定められた儀式をもって魔力で魔法陣を形成し、魔法式を作り出すものであると考えられる。
 さすがに神聖結界の方は儀式を見たわけでもなく、ハルが調べられる程度の資料からの推察であるが、全く的外れというほどのものではないだろう。
 イシスの格闘場で見た結界は、おそらく後者の方に近い。魔力が延々と循環し一定の流れを作り上げ、結界を形成していた。魔力感知にかけては一流に足を掛け始めたハルですら集中せねば分からないほどの自然さで、リンが居なければ気付くことすらできなかったかもしれない。
 本人としてはまだまだ足りぬと考えているものではあるが、一流に届く魔法技術を持ち、魔法陣に対する知識があるハルと、魔物で有るが故に人間よりも遙かに魔力に対する理解が深く、ハルに師事してそれを操る術を得たリン。この二人がいてこそ、支点となっていた魔力媒体を発見し、魔力の流れを阻害し崩しつつ媒体を削って、結界を形成していた魔法陣を無力化させることができたのだ。
 ただ、魔法陣を調べる時間があったわけでなく、術理に関しては殆ど理解できていないため、再び形成する為にどれほど労力が必要かというのは分からない。
 さらにハルに疑問を持たせるのが、あの魔法陣が存在する“理由”である。
 神聖結界を無効化する結界。そんなものが人間に必要である理由がないのだ。そもそも、人間は神聖結界が何故魔物を退けられるのかを理解していない。魔物が魔王によって呪われているなど、各国の王族ですら知らないだろう。
 なのに、あの魔法陣はあそこにあった。まるで、格闘場を経営する為だけに作られたような魔法。そんな都合の良いものが前々からあったとは思えず、されど霊樹の魔物達が捕まってからの短期間で新しい魔法を作ることができるような化け物じみた人間などありえるのだろうか。
 本当に、あの魔法は神聖結界を無効化するものなのか。リン達にはむしろ外よりも呪いの影響が濃かったと感じられたようだが、むしろそちらの方が重要な――――。

「なぁハル。お前からも言ってやってくれよ……俺への認識が酷すぎじゃね?」
「えー? 割と正しいと思うんだけど……」
「もうマナってば……」

 と、仲間達の声に思考が中断された。見れば、大体食事も終わっているようだ。
 元より、なんとなしに考えていただけである。中断され霧散していくそれに大した未練を感じることもなく、顔ぶれが変わっても騒がしさは変わらない様子に、ハルはもう一度ため息を吐いた。




***




「ぐ……ふ……うむむ……」
「すー……ふー……すー……ふー………」
「すーー…………ふーー…………」

 三つの口で繰り返される吐息。一つは吐息と言うより呻き声であるが、目を閉じて深呼吸をしているかのような三人の周りを、ハルは静かに歩く。
 それぞれの様子を観察しながら15分ほど、ハルは頷いて口を開いた。

「――――よし」

 その声と共に、三人の内一人は甲板へと脱力し、二人はゆっくりと目を開ける。

「ぷはああぁぁぁ……疲れたあぁぁ……」
「ど、どうでしたか……?」

 だらしなく寝そべるマナに対して、ルナは不安そうにハルを見た。どうにも自分に自信がないルナをどうしたらいいかとも思いながら、とりあえず評価を下す。

「ルナは順調だな。流れを大分意識できるようになってきている。集中しなくてもその状態が保てるように練習しろ。マナは集中力がなさ過ぎだ。魔力の存在が分かっているんだから、もっと流れを意識しろ」
「は、はい! ありがとうございます!」
「難しいですよハル様ぁ……というか私魔法使えないのに何で魔力操作の練習なんかしなくちゃいけないんですかぁ……」

 ほっとして褒められたことに素直に喜びを見せるルナ。一方のマナは駄目出しに情けない声を上げた。

「盗賊の役割に罠の感知や索敵がある以上、魔力認識ができるのとできないのでは大きな差が出るからだと言ってるだろう。魔力操作と魔力認識は相互関係にあるから、操作が下手だったら認識も大きく伸びることはない。少量でも盗賊の加護は魔力補正があって、それでしか覚えられない魔法もある。不可能じゃ無い筈だ」
「むうぅ……」

 突きつけられる言葉に、口を窄めて唸るマナ。盗賊らしく何かと小器用で、別段頭が悪いという訳でも無いのだが、彼女は物事を直感的に捉えがちな傾向がある。マナの感覚が魔力を扱うことにあまり向いていない以上、繰り返し修練して練度を上げていくしかない。
 まともに指導し始めてまだ一ヶ月足らず。魔法を主とする職業の加護を持つルナは徐々にできかけてはいるが、マナはようやく魔力を扱う感覚が芽生えかけてきたという程度だ。時間がないのは確かであるが、まだ幼いとも言える二人を無理に急かせるのはよろしくない。

「魔力の流動訓練か……随分久しぶりにやったけれど、なかなか勉強になったわ」

 それを言うのは、十代半ばほどに見える少女。双子よりも少し高い程度の背に、僅かにそばかすが残る顔。ボブカットにされた癖のある茶髪がさらに彼女を幼く見せるが、そうはさせじとローブを着ていても分かるほどの胸囲が存在感を出している。これで24才と、ハルより年上であるらしい。

「あぁ、いい師に習ったみたいだな。流れに淀みが感じられなかった。後は徐々に範囲を広げていったり、それをしながら日常を過ごせるようになれば、もっと色々できるようになる」
「基礎を徹底的に……ね。魔法を素早く出すようには訓練しているのだけれど、それだけじゃ足りないか。あなたみたいな凄い制御能力を見せられると、確かに考えさせられるわ」

 三人の訓練を見ながら、ハルとて何をしていなかったという訳ではない。今自分で言ったとおり、三人を包むほどの広い範囲に魔力を流しながら、制御していたたのだ。
 少女――――ティアは、これほどの技術を見たことがない。有名ではなくとも、魔法使いとしてはそこそこの腕を持つ彼女の師匠でさえ、彼と比べたら霞んでしまう。

「俺レベルなら探せば見つかるだろうさ。ダーマの司書長なんかはもっとやるぞ? 俺と初めて会った頃から比べて、また上達してるみたいだしな」

「教会三大魔法使いの一人じゃないその人。そういう規格外を引き合いに出されても困るわよ。このご時世で他の国まで知れ渡ってるって相当なんだからね?」

 魔物の凶暴化により各国の情報が入ってこなくなった昨今において、いくら大本に教会という媒体があれども、世界に実力を知られる者とはやはり特別なのだ。
 その人物をして鬼才であるとまで言われたハルであるが、実のところそう“勘違い”された理由も、魔法の習熟が進む内に大体予測できていた。事実、ハルの制御能力はここ最近大した上達を見せていない。そこにある壁が明確に意識できているのに、超えられない、超え方が分からない壁。それは、ハルがよく知っているものであった。

「でも、そんな人と比べられるってこと自体すごい事じゃないですか? 私は魔法使いじゃないのでどれだけ難しいか想像も付きませんけど、同じぐらいできる人の方が少ないでしょう?」

 と、横合いから話しかけてきたのは、頭にターバンを巻いた青年だ。
 身長はそれほど高くなく、ハルと同じか少し低いぐらい。少し垂れ目がちな目が、顔に浮かべている柔和な微笑みと合わさって、人好きのするお人好しそうな雰囲気を醸し出している。どことなく警戒心を解される、付き合いやすそうな彼は、なるほど商人という職業に向いていることを感じさせた。
 名をセオというその青年の隣には、もう一人男の姿がある。
 まだ青年と言うには少しばかり若いだろうか。目つきは鋭く、普通にしていても他者を威嚇しているように見えてしまう。そこそこ整った顔立ちはしているのだが、それが逆に目つきの悪さを際立ててしまっていた。

「そんだけ魔法の技術があって、二回も転職していて、今は盗賊の職業の加護持ち。そりゃよっぽどじゃなきゃ一人でも護衛には十分だよな」

 少年――――レオは、そうため息を吐きながら肩を竦める。
 既に海上。ランシールに向かう商船の甲板。レオが言ったとおり、ハル達は彼らの護衛としてこの船に乗っていた。

「でも、本当にいいんですか? ハルさん程の人をこんなに長く雇ったら普通3000Gは最低必要なんですけど……」

 どこか申し訳なさそうに、セオは言う。
 実際、ハルは冒険者としてはかなり上位に位置する人材である。平均Lvが15を下回る世界において、ダーマで転職の儀を受けているというだけでも珍しいのだ。さらには魔法使いとしての実力は折り紙付きで、近接戦闘も平均以上にこなすとなれば、好待遇で国から仕官を望まれてもおかしくない。
 で、あるのにも関わらず、ハルは自分の仲間も同じように船に乗せてくれるのならば、報酬は十分だとすら告げていた。

「いや、むしろ信用も何もない、さらにはこぶつきの俺を雇ってくれたあんたの方に良かったのかと聞きたいが……」
「困っていたのはこちらですから……ティアにも魔法の腕が非常に高いことは確認して貰いましたし、何より私たちに嘘を吐くメリットもなければ、戦力の少ない船の長い航海に付き合うのはデメリットが大きすぎます。何より、ハルさんが引き受けてくれなければ護衛無しで航海することになってましたし」
「あんたの所為でね…………ほんと、血の気引いたわよ。護衛を雇うはずの金を見ず知らずの人に貸すなんて、馬鹿にも程があるわ。商品積んで、出航することが決まってるっていうのによ? 自殺に付き合わされるのかと思ったわ」
「あはは……でもほら、娘さんの治療の為にお金が必要だったんだし……必ず返してくれるって言っくれたよ?」
「それが本当かどうかなんて分からないじゃない! ていうか、ほんと商人としてそれどうなのよ……」

 タイミングがよかったと、そう言う他ない。
 護衛を雇う余裕がなくなったセオ達が、ランシールに向かう船を探していたハル達と合致したのだ。いかにポルトガといえど、だいおうイカやマーマンダイン、さらにはテンタクルスといった危険度の極めて高い魔物を相手に、長距離を航海する船はそれほど多くない。戦力のある大きな船ならばともかく、セオの船程度の規模でならば、それこそ巡礼の聖職者ぐらいではなかろうか。
 そんな中、単独でテンタクルスを撃破したというハルの存在は、船旅をする者たちにとっては心強い。強力な魔物というのは、対抗できる実力を持つ者がいなければ、どれほど数が揃おうが無駄なのだ。故に、たとえこぶつきであろうとも、魔法の一端だけでも実力を示したハルならば、十分に歓迎される。実際に、航海に出てから既に一度魔物に襲われたが、だいおうイカとその取り巻き程度なら、船に被害を出すこともなくあっさりと倒して見せた。セオ達にとって、有難いことこの上ない存在である。
 しかしながら、このセオという青年はティアが言ったように商人としてはあまりにもお人好しが過ぎた。
 ハル達が彼らの船に乗る切っ掛けとなったのは、先の会話にも出たように護衛を雇う筈の金を、セオが見ず知らずの人間に貸し与えてしまったからである。実際にその光景を見ていないのでどうということは言えないのだが、どれほど相手が必死であったとしても、真偽の程が確かでは無く、自分たちが窮地に陥ることを理解した上で手を差し伸べるとは、商人云々よりも人として大丈夫なのかと思ってしまう。

「そんなセオのお陰で俺も助けられたからなぁ。今も世話になってる分、何とかなったならまあよしとしか言えねえな。まぁ、もっと自分のことを心配してくれとは思うんだが……」
「レオみたいな人ばっかならいいんだけどね……騙されたことだってもちろんあるし。まったく……このおじ様が遺した船だけは守れるように見張っててあげないと」

 仕方なしといった様子のティアは、セオと幼なじみらしい。
 中規模といえど、十分に外海への航海に耐えうるこの船は、セオの父が必死に手に入れたものであった。いつかは世界中で商売をする大商人にとは、彼の父親の夢であったが、身一つから命を削り働いてきたためか、これからというところで倒れ帰らぬ人となってしまう。セオは、父が遺した船と共に、父の夢を受け継いだのだ。
 そんな二人と行動を共にしているレオ。驚いたことに、彼はアリアハンの出身である。鎖国状態のあの国から教会の船へと密航したのはいいが、途中嵐に遭い海に放り出され、海上で漂っていたところをセオの船に拾われたとのことだ。

「ティアが見てるなら、大丈夫だろうさ。それに、なんだかんだ言ったって、セオは商才あるしな」
「あはは、レオも含めて皆に助けられてるからだよ。でも、レオもいつまでも私たちに義理立てしてくれなくていいんだよ? 元々ダーマに行きたかったからアリアハンを出たんだろう?」
「ああ、それはそうだけど、命を助けられた恩もあるし……俺自身まだ転職の儀を受けられるLvじゃないしな。セオに拾われてからの二年で少しはマシになったけどさ……」

 冒険者の死亡率が最も高いのは、冒険者に成り立ての頃と、駆け出しから最初の壁――Lv10に到達する手前だ。Lvの上昇に必要な訓練量(経験値)は人によってある程度ばらけており、軍の訓練でも、一年二年でLv10まで到達する者もいれば、三年四年掛かってようやくそこに至れる者もいる。その速度の差が決定的な才能の差と言える訳では無いのだが、Lvが高いということはおおよそ身体能力の限界が高いということであり、わかりやすい指標でもあった。
 普通の人間は生まれてからある程度育つまでに、大抵Lv5前後にはなる。これ以降は相応の訓練が必要となるが、やはり一番早い手段は戦闘――殺し合いである。相手の命を奪う、もしくは自らの命を危険に曝してこそ、魂が昇華し、器たる肉体が強化されるのだ。
 技術であれ、運であれ、戦いの中生き残った者だけが冒険者として身を立てることを許される。わざわざ生真面目に何年も訓練してから、冒険者になるような者は少ない。自分の食い扶持を稼ぐことすら大変な世界で、何かの片手間に訓練などしていてもLvなど到底上がらないからだ。
 故に、冒険者となるものはそれまでに身につけた技術と運で戦いに赴き、才能も、実力も、運もない者は、最初の戦闘から大体十を数えるまでに淘汰される。それを超えて初めて駆け出しと呼ばれる辺りのLvになるが、この程度では冒険者としてまだまともに稼げるほどではない。そこで無理をして、壁を越えられずに死ぬ者が多くいる。環境であれ、実力であれ、そこまで超えられて初めて冒険者として身を立てられるのだ。
 レオは、現在Lv14。魔物との戦いを見てみれば、冒険者としてなかなかに優秀だと言える。セオに拾われ、手伝いをしながら護衛として良き戦いにも恵まれたのであろう。比較的いい環境で強くなれた彼には、冒険者として身を立てられるだけの運もあった。
 それでも、職業の加護を持っていない彼が大成しようと思えば、ダーマで転職することは必要不可欠だ。高レベル帯になればなるほど、職業の加護のアドバンテージは大きくなる。

「でもまぁ……確かにもうあんまり時間がないのも確かなんだよなぁ……」
「……冒険者になった理由に関係することか?」

 困ったように呟いたレオの言葉を聞いて、ハルは問う。レオは言いづらそうに、頭を掻きながら空を仰いだ。

「ああ、その……なんだ……知り合いのためにだな……」
「ふむ…………女か」
「ぶっ!? な、何でっ!?」

 単刀直入なハルの言葉に、レオは吹き出しながら目を剥く。そんなあからさまな反応を見せれば一目瞭然だと思うのだが、まだ若く、見るからに素直でなさそうな少年には、仕方ないことかもしれない。

「ああ気にするな気にするな。男だったら分からなくもない。それに、俺が旅してる理由も似たようなものだからな」
「へぇ……意外ね。何? 好きな人でもいるの?」

 隠そうとしているが、キラリと隠しきれぬ好奇心に目を光らせて、ティアが聞いてくる。どこの世界であっても、女性というのはこういう話題が好きらしい。

「そうだな。命がけで手を伸ばそうと思うほどにはいい女がいるな」
「うわ……臆面もなくそんなこと言っちゃうんだ…………いいなぁ…………」

 堂々と答えたハルにティアは少し顔を赤らめ、誰のことか知っているタクトは横で話を聞きながら何とも言えぬ顔をしていた。
 一方で、唖然としているレオに向けて、ハルは笑いかける。

「ダーマに行きたいなら、ランシールに着いてから送ってやってもいいぞ? 丁度適正Lvぐらいだ。覚悟があるなら、転職するぐらいまでは何とかなるだろう。………………見込みはあるみたいだしな」

 ハルが言う覚悟とは、命がけという意味を多分に含める。レオぐらいの実力になれば、そこに至るまでどれほど大変か分かっているだろう。だが、ハルのような実力者にそう言われれば、できなくはないと思わされる。
 そして、見込みとは彼の才能のことでもある。タクトと出会って以来、出会う人物を常に視させているが、出会った内の誰よりも優れている部分があった。
 レオ。職業は農民。現在のLvは14。限界Lv――――57。
 近距離では短剣を、中距離では投げナイフを使い、そのどちらもがまだまだ伸びる片鱗と器用さを感じさせる。
 今のレオよりも強い人物も何人もいた。それはフルガスであったり、フリードの護衛であったホルトとイリスもそうだ。だが、彼らでも限界Lvは30前後でしかない。
 無論、限界Lvの高さがそのまま結果に表れるものではないが、“規格外”に至るに足る器であるとハルは判断した。彼が特別なのか。それとも、『勇者』を排出するアリアハンという国が特別なのか。

「いやでも……うん…………」

 ダーマに行くことができると、そう言われてもレオは迷いを見せた。何を思っているのかわかりやすく、セオは彼に優しく話しかける。

「レオ。言ったように、君には十分助けられているよ。幼なじみの子の為に強くなりたいんだろう? なら、君は行くべきだ。元々、ダーマに行ける算段が付くまでって話だったしね」
「そうよレオ。折角だから甘えちゃいなさいな。これを逃したら次はいつになるか分からないわよ?」
「セオ……ティア…………俺はあんたらに一生頭上がらないな……。じゃあ、頼むハルさん。俺をダーマまで連れて行ってくれ」

 後押しされ覚悟を決めたか、真剣な顔でレオはハルに向かって深く頭を下げた。精一杯の誠意を込めた声と姿には、好感を抱ける。

「ああ、任された。そんな大した手間でもないからな。ま、とりあえずは航海が無事に終わってからの話だ」
「そうですね。後二週間ぐらいですけど、レオの門出を祝えるように頑張りましょう」




***




 旅には問題が付き物である。
 状況により問題となることは様々であるが、たとえばそれは魔物であったり、嵐などの自然災害であったりする。
 では今現在あり得る問題とは何か。
 魔物であれば、以前既にハルは経験している。だいおうイカが6体とテンタクルスに加え、取り巻きを合わせた状況。それと同等の状況など、まず起きることは無く、仮に再びテンタクルスと相まみえようが、今のハルならば危なげなく倒すこともできるだろう。
 嵐であれば、ハルができることなどそうそう無い。が、セオの船は少々の嵐で沈むような船で無く、この船を購入して以降ずっと船を担ってくれているという彼の父の友人達は、船員としてかなり練度が高い。それこそ、急に大渦が発生したりなどしない限りは、まず沈むことはないはずだ。
 さて、そんな状況下でなお問題だと感じられるような出来事とは何かと言うと――――。

「――――海賊船……か」
「こちらと同等以上の船……かなり大きい相手です。あれほどの相手は滅多にないことなんですが……」

 明らかにこちらへ向かってきている船を見ながら、ハルとセオは話す。
 報告を受けた時はまだ遠方にあった船影は、既にセオの肉眼でも確認できるほどに近い。
 この広い海の上で、わざわざ航路を曲げて接近してくるような船など、海賊船以外に殆ど存在しない。まず間違いないだろう。

「あまり悠長にしている時間はなさそうだが、どうするんだ?」
「…………全力で逃げるようには言っていますけど、足は向こうの方が上のようで、逃亡は難しいかと」
「となると迎撃か……」

 魔物の群れと海賊では、状況により脅威度が異なる。
 個体差があり、それほど組織だった行動をしない魔物ならば、強い個体を倒せる個人戦力が必要だ。いくら数を揃えたところで、圧倒的な個を倒せる存在がいなければどうしようもない。
 一方で、海賊と相対する時に必要なのは数の力である。略奪という目的の下統率された団体に対して、個の力で防衛をするのはかなり難しい。
 今この船において戦力と数えられるのは、ハルとレオぐらいであり、ティアやタクト、その他船員は魔物から自分の身を守る程度の強さしかない。セオ、ルナ、マナに至っては完全なる庇護対象である。明らかに、海賊相手への防衛には向いていない状況だ。
 唯一、こちらが有利といえるのは、略奪が目的の連中は船が沈むような攻撃は仕掛けてこれないということ。接敵されるまで、向こうができるのは精々弓程度であろう。こちらは沈めてしまってもいいのだ。多くはなくとも有効的な手は増える。
 接敵されれば不利であるならば、こちらから攻めるしかあるまい。

「…………セオ、油はどれぐらいある?」
「油ですか? 全て集めて樽三つというところです。でも、投石機で飛ばしたとしても途中で打ち落とされる可能性がありますよ? こちらの船に近すぎては危険ですし……」

 木造の船である以上、火攻めはかなり有効な手である。ただ、この船に載っている量の油をそれに使うには、少々数的に不安があった。セオが言ったとおり、相手が近すぎては火がこちらに燃え移ってしまう可能性もあり、遠くから打ち出すには撃ち落とされたり外れたりという可能性があり十分な効果は期待できない。

「俺が先に行く。暴れて混乱させてやれば撃ち落とすのはできなくなるだろう。後、近くにさえ飛ばしてくれれば当たらなくても構わない」
「先に……とは言いましても、乗り移れるほど近くでは……」

 ハルの提案に眉を顰めるセオ。対するハルは、問題ないとばかりに不敵に笑った。

「なに、飛ばせるのは何も矢だの石だのばかりじゃないだろう?」


**


 セオの商船は、彼らにとっておよそ一ヶ月ぶりの獲物であった。
 長距離の航海に出るような船はそれほど多くなく、いたとしても船団を組み自衛能力を高めているものが多い。彼らのような中規模の海賊にとっては、それらを相手にするのは荷が重く、何らかのアクシデントで孤立してしまった船を狙うしかない。
 そんな中、ただの一隻で航海しているセオの船は、美味しい獲物以外の何物でもなかった。

「てめーら! 準備はいいか!」
「「「おおおおおっ!!」」」

 頭目の掛け声に呼応して、部下達が剣を振りかざす。この海賊船に乗っている者は、軍隊崩れや冒険者のなれの果て。それなりに腕も立ち、船上での戦いにも長け、乗り込んで負けることなどありえない。
 ならば、下手に弓など使って、もしかしたらいるかも知れない女などが死んでしまっては勿体ない。売るにしろ使うにしろ、女はできるだけ生かして捕らえたいものだ。
 向こうから何かしてきた場合に対処していれば、どうとでもなる。頭目は既に商船に勝った後のことを考えて、舌なめずりをした。

「ん? なんだあれ?」
「あん? どうした?」

 と、商船の方を見ていた部下達が、なにやら困惑した声を上げる。

「いや、あの船から何かでっかいのが飛んだような……」
「でっかいの? なんだ?」

 言われて、頭目も商船の方へ目をこらす。
 確かに、商船からこちらの方角へ向けて、何かが飛んできている。だが、まだ互いの距離は遠く、どんな優れた投石機であろうがまず届く訳がない。
 海賊達が困惑している間に、飛来物の影はどんどんと船に近づいて来ていた。もうはっきりと目に見えるほどに近い。

「は……?」

 それは、大人一人ほどありそうな巨大な氷塊であった。おそらくはヒャド系の魔法であろうことは分かるが、低級や中級の魔法であれほどのものを作り出すことなどできない筈である。いや、たとえ魔法であってもこの距離を飛ばすことなどできないはずだ。
 現に、氷塊は失速を始め海に落下しようと――――。

「「「はああああ!?」」」

 目の前の現象に、海賊達は目を疑う。
 そのまま落下していく筈の氷塊から、爆発と共に新たな氷塊が射出されたのだ。なにやら、氷塊の影に人の姿らしきものも見える。
 再び飛ばされた氷塊は、もはや海賊船の上空に到達しようとしていた。咄嗟のことに、海賊達の誰もが呆気に取られたまま見ていることしかできない。

「――――【ヒャダルコッ】!!」

 その声を聞いた時には、海賊達の頭上へと氷柱が降り注いでいた。


**


「なんて……なんて無茶苦茶な……」
「ああ……ほんと何というか……アホだよな……それを考えるのも、実行するのも……」

 文字通り“飛んでいった”ハルを呆然と見つめながら、ティアとタクトは頷き合う。

「ハル様……凄い……」
「魔法使いってあんなこともできるんだねー」
「いや! できないから普通! っていうか、考えも付かないわよあんなの! 『ヒャダルコ』に掴まって飛んでいくとか!!」

 感心したように言う双子に、ティアは大きく首を振りながら突っ込みを入れる。
 ハルがやったことは、今ティアが言ったとおりのことである。
 過剰圧縮し(そもそもこの時点でティアは驚愕していた)、入式待機して漏れ出したヒャダルコに掴まり(そんな現象などティアは聞いたことがない)、発動時に逆らわぬように共に飛ぶ。飛び出すと同時に、同じく過剰圧縮したイオを自分の後ろで発動して、爆風により補助をする。そして、飛んでいる間にもう一度同じ行程を繰り返して、向こうの船まで辿り着く。
 魔法の発動タイミングが少しずれれば、あるいは空中での姿勢制御を誤れば、海の中へ真っ逆さまである。第一、過剰圧縮だけでも制御するのが難しいというのに、入式待機となるとさらに二段階ほど難易度が上昇する。
 それを空中で、さらにはイオによる加速のおまけ付きで、思う通りに扱うことがどれほど困難か。魔法技術もさることながら、身体的技能もかなりのものを要求される。少なくとも、ティナには逆立ちしてもできるとは思えなかった。確かに、その一つ一つは努力次第で身につけられる範疇なのだろうが、あのような運用方法は万能とも言えるハルならではである。

「……いーい? ルナちゃん。あれは例外よ例外。魔法に対する自由な発想も確かに大事だけれど、あれはただの無茶でしかないからね?」
「は、はい……」

 肩を掴んで真剣に言うティアに、ルナは気圧されたようにコクコクと頷きを返す。
 ハルの使ったその技術自体は非常に有用である。特に圧縮の技術は、求められる技量を鑑みても、そのリターンは大きい。自分のLv以上の火力を出せ、その根本となるのは魔力の運用技術だけ。やろうと思えば今のティアでもある程度できそうな、魔力操作さえ上達すれば使用可能となるものなのだ。ハルが執拗に双子に訓練を施すのも、十分に理解できる。

「『高レベルの魔法を使うことだけが、魔法使いの腕じゃない』……か」
「……? 何ですかそれ?」

 ポツリと呟いたティアの言葉を聞き、ルナが問う。ティアはそれに苦笑を返しながら答えた。

「私の師匠が口酸っぱく言っていた言葉よ。あなた達がやってるような訓練を延々とさせるような人でね。あんまりそればかりやらせるものだから当時は反発したものだけれど、あんなの見せられると改めて師匠の正しさが身に染みるわね。まぁ、師匠が言っていたのは使い方や形成速度のことだったけれど」

 魔法使いの実力を計るのは魔法を撃つ速度とその運用、そしてLvである。Lv限界に到達する者が殆どいない中では、中級位の魔法を撃てるならそれだけで上位の魔法使いだと認識され、何よりもLvを上げて魔法を覚えた方がよいというのがこの世界の常識だ。故に、圧縮の技術は、Lv限界に到達して尚力を欲したハルだからこそ辿り着いた技術であった。

「レオ、準備はいいかい? そろそろ射程距離だよ」
「ああ、いつでもいけるぜ。だいぶ上手くいってるみたいだけど、早く援護しないとな」

 セオに問いかけられて、レオは弓を掲げる。レオの後ろには、同じように弓を携えた船員達と、油が詰められた大量の小樽があった。





 剣を抜き放つ。同時に、落とした背嚢がドサリと音を立てた。
 停滞は一瞬。

「――――っ!!」

 ヒャダルコを受け倒れる海賊達の間を縫うように、一気に駆け抜ける。剣の腕が立つ者ならば、相手が固まっているこの間に三・四人は切って捨てることもできるかもしれないが、ハルの腕では密集している中の一人を突くぐらいしかできない。
 空気が漏れるような音を出して死へ至ろうとする男の喉から鮮血が吹くか否か、海賊達は気を取り戻して、それぞれに武器を構えだした。
 ハルの予見よりもそれは少々早い。できることならばもう少し場を掻き回したかったが、簡単に思惑通りさせてくれないところに、彼らの実力が見える。脅威度を一段階上げながら、剣を片手で振り空いた手を翳した。

「【イオ】!」
「うわあああ!?」

 爆発の起点となった男は大きく吹き飛び、周囲に散る小爆発によりできた隙に、躊躇うことなく飛び込む。
 これは奇襲だ。どこまでいっても数の不利は変わらず、ハルに求められるのは混乱を利用して動き続けること。この状況での停滞は即ち、包囲による圧殺を意味する。

「【イオ】! 【イオ】! 【イオ】!」

 自身の周りに凝固させ浮遊している魔力に、触れると同時に入式、発動させ続ける。
 魔法の発動には、“凝固させた魔力に術者の一部が触れていること”が絶対条件だ。より正確に言うならば、凝固させた魔力と術者の魔力を反応させることが必要であり、術具として作られた道具は、それ越しに条件を満たすことができる。
 故に、やろうと思えば足や頭からでも魔法を撃つことだって可能だ。が、魔法の照準やこまかい調整などに不具合がでるし、やはり手で撃つ方が集中もしやすいので、ハルですら滅多にそのようなことはしない。
 一方で、魔力を扱うのに肉体が触れている必要性は特にない。魔力の扱いに長けていれば、自分の周囲に広く魔力を放出して操ることだってできる。ランドやハルがやっている肉体周辺での多重凝固も、この技術の延長線上にあるものだ。
 ハルは今、そうして多重凝固させた魔力の数を維持しながら、魔法の連射速度を極限まで高めているのである。
 連続で爆発を受けながらも、致命傷を負っていない海賊の多くははハルを取り囲もうという動きを見せる。多少仲間がやられたところで動揺したりはしない。幾つもの修羅場を経験し、特に人間相手の戦いにこなれた者たち。一人一人はそれほど強くなくとも、人数が揃っている彼らは厄介なことこの上ない。

 集中、集中、集中。

 決して止まらぬように、凝固魔力の数を減らさぬように、剣で一人一人確実に削れるように、戦いの中に思考を沈める。
 それらを支えるのは、視界を広げる盗賊の特技、『鷹の目』。常時であれば、視野を広げた上で遠くを探索するのに使うものであるが、視野の増大は戦闘にも多大な影響を与える。本来は戦闘に使うものではないため、一つ間違えば目の前の相手の動きすら把握できなくなってしまうが、ハルは日頃の訓練と極度の集中によりそれを為し得た。現在、ハルから完全な死角となる範囲は非常に狭い。
 周り全てが敵で、ただ単純に戦うことだけが必要な今だからこそできることだ。戦うために必要な思考以外を全て切り捨て、ひたすらに戦闘することだけを考える。
 魔力の残量が半分を下回った。しかし、敵は未だ1/3も減っていない。
 振るう剣が一人を切った。だが、致命傷には届かず、動きを悪くする程度に止まる。
 ハルを囲む連中が、徐々に手強くなってきた。どうやら、海賊達の中の実力者が全面に出てきているようだ。

「――――っ!」

 頭が警鐘を鳴らす。まだヒャダルコやメラミならば確実に仕留められるが、そう連発できるものではない。このままではじり貧であるが、ハルは頭の中の冷静な部分が告げる危険信号を無視して、敵の中へと切り込んでいく。

「もらっ――――た!?」

 剣を止められたハルの後ろから、斬り付けてきた男が何かに躓いたように転倒する。僅かに体をずらして相手の武器をいなしながら、見向きすることなく頭を蹴りつけ跳躍した。
 突き出される武器から逃れるため、宙で体を捻るハルの目に、キラリと太陽の光を反射する何かが映る。
 セオ達が放った矢だ。撃ち込まれる矢には、油が詰まった小樽が付けられている。

「【ベギラマ】!」

 着地と同時、ハルはそれらに向けて魔法を飛ばす。熱波により生み出された炎は次々と矢に着火し、海賊の船に火の雨を降らせた。

「ぎゃああああ!?」
「帆が燃える!! 防げ!!」
「火が! 火が広がりやがる!?」

 ベギラマの範囲外であった矢はそのまま海賊達に降り注ぎ、広がる油が火勢を強める。
 船を沈めるほどのものではないが、放っておいてよいものではない。近くの海賊を盾にしながら、対処に追われる連中を手に掛けていく。
 と、呻りを上げ迫る大振りの海賊刀に、ハルは動きを止められた。

「っ!?」
「よくもやってくれたなこの野郎!!」

 叫びを上げ押し込んでくる男の力は、ハルが受け流すことができないほど強く、鋭い。
 これまでの相手とは一線を画す男は、この船の頭目か。振り抜いてくる剣の勢いに任せて、ハルは一旦距離を取る。

「随分好き勝手やってくれたじゃねぇか……だが、てめえさえ殺ればあの船に残ってるのは雑魚だけだろう? てめえと戦って足手まといにならない奴がいるなら、一人で乗り込んでくる訳がねえからな」
「…………さてな」

 存外に頭が回る。この人数を取り纏めているだけのことはあるか。
 もとより、ハルと同等の敵がいる可能性を捨てた作戦である。こちら側の不利を覆すには、これぐらいの賭けに出なければならなかったのだ。
 しかし、海賊達それぞれの実力は予想とそれほど離れていないものの、集団戦の練度は高く統率が取れており、頭領もハルが警戒しなければならないほどの腕前であった。現状は想定していたものより悪く、セオの船に取り付かれれば多くの犠牲者が出るか、最悪制圧されてしまう。
 それを防ぐのには、頭領を撃破するより他ない。
 守勢に回ることができないのは変わらない。ハルは最速をもって頭領へと切り込んだ。

「――――シッ!!」

 鋭い呼気と共に、威力よりも速度を重視した一撃を繰り出す。
 速度においてハルに勝る者はこの船には乗っていない。頭領でさえそうだ。しかし、船上という不慣れな状況がハルの速度を削り、頭領の技量がその一撃を届かすことを許さない。
 カキンと、剣は軽く弾かれる。元よりそれを前提とした攻撃で、ハルが体勢を崩されるようなことはない。すかさず横に流れ切り上げようとするハル。が、それは横合いから差し込まれた刃によって叶わない。

「ちぃっ!」

 見えているだけに、周囲の攻撃がハルに致命傷を与えることはない。だが、無視することもできず躱せば、攻撃の起点は潰される。

「おらぁっ!!」

 気合い一閃。頭領の海賊刀がハルに振り下ろされた。何とか剣を差し込み直撃は防ぐが、その力に抗えず、剣を弾かれぬようにするのが精一杯だ。
 完全に動きを止められたハルに対して、周囲の海賊達も武器を突き出してくる。甲板に転がりながらそれらを避けようとするが、躱しきれずにハルの体に裂傷が刻まれた。
 セオ達の援護は、ハルに当たる危険性があるため散発的である。最初のあれは、打ち合わせていたからこそできたことだ。
 海賊が倒れてできる隙間に逃れながら、剣を振るい、魔法を放つ。されど、頭領が前面に出てくるように動きながら、連携して攻撃してくる海賊達を前に、ハルの攻撃は密度が薄く、効果はそれほど上がらない。
 セオの船が迫ってきている。取り付かれるのは、それほど遠くない未来だ。
 何とかしなければならなくとも、多勢に無勢。奮戦虚しく、ハルの体には次々と傷が付けられ、比例して動きが鈍る。
 そうなれば、限界が訪れるのもそう時間は掛からなかった。

「はぁ、はぁっ……」

 荒い息と吐き、ハルは剣を支えとして立っている。誰が見ても満身創痍。十全な動きはもはや不可能であり、完全に死に体であった。
 周囲が囲まれていることも変わらず、動けないハルの前に、悠然と頭領が立ちはだかる。

「手こずらせやがって……」

 悪態を吐きながらも、その顔にはにやにやと嫌らしい笑みが張り付いている。既に勝った気でいるのだろう。この状況で、負けるという想像をする方が難しいのであろうが。

「てめえのお陰でずいぶんとやられちまったなぁ」
「すっきりして……よかったんじゃないか……?」

 この期に及んで挑発するハルに、周囲の海賊達が喚き立つ。今にも殺そうという部下達を前に、頭領は余裕の表情を崩さない。

「くくっ、まあ役立たずは俺もいらん。いらん……が、さすがにこう数が減ると困るわけだ」
「…………」

 無言で、ハルは頭領の言葉を聞く。だが、その視線は頭領の顔に向いておらず、頭領の周囲にいる海賊達の方へと飛んでいるようだった。

「なぁ……助けてやろうか?」
「何……?」
「命乞いをして、俺の部下になると誓えば命は助けてやるぞ? みっともなく地べたに額擦りつけて、『助けて下さい。お願いします』ってな。それでてめえの命が助かるなら高いもんじゃないだろう?」

 自分の思い一つで、ハルの命運は変わる。それが間違いない事実であることを、頭領は全く疑わなかった。
 仮に、これでハルが激昂したところで、別に問題はない。ハルを殺して、当初の目的通りセオの船を制圧するだけのことだ。
 どう転んでも自分の不利益になることはなく、ハルの反応は激昂か、隷従かどちらかしかないと思っていた。どちらにせよ全て奪うのだから、高い実力がある男が従えばその分得だということでしかない。

「…………はっ」

 だが、ハルは笑う。頭領の考えていた反応など欠片も見せず、ただ口元ににやりと、笑みを漏らす。そして、トンッ、と靴を詰めるように甲板をつま先で叩いた。

「……何がおかしい!」
「はは、いや……想像しただけだ」

 トントンと、つま先で甲板を叩いて音を鳴らしながら、ハルはすらりと両手で剣を構える。顔には、笑みが張り付いたままだ。
 頭領の放った言葉にハルが脳裏に浮かべたのは、最愛の女性の姿。
 この男の部下となり、それで彼女が助けられるのか。彼女が望むものが手に入るのか。彼女が望む存在へと、昇華できるのか。


 それは、どう考えても無理だろう。


「俺が今望んでいるのは、ただ一人の女の幸福だけだ。今の俺では手を伸ばすことも叶わない、慈悲深く、誇り高く、儚い女だ。俺が誰よりも焦がれる女だ。そいつが笑っている場所に至れないなら、そこを目指さないなら、俺の存在に価値などない」

 にいっ、とハルは笑みを深くする。

「だから、お前程度のくだらないお遊びに、俺を付き合わせるな」
「――――やれっ!!」

 号令と共に、周囲にいた海賊達がハルに襲いかかる。
 ハルはその場から動くことなく、ただトンッとつま先を打ち鳴らし終え、静かに一言唱えた。

「咲け、【ヒャダルコ】」

 あたかも華が咲くように、ハルの周囲に氷柱が出現する。せり上がってきたそれらに、飛びかかろうとした海賊達は次々と串刺しにされた。

「なっ!?」

 何のことはない。ハルは先ほどから鳴らしていた足の先にて、魔力を編んでいたというだけの話。だが、魔法は手か術具から撃つことが普通であり、そのようなことを想定していなかった海賊達は、一様に何が起きたのか理解できないままに絶命していく。
 魔法の展開と同時、ハルは頭領に向かって駆けだしていた。予想外の光景を見せられ、隙ができいた頭領。しかし、ハルが満身創痍であることは変わらない。その動きからは、最初に見せていたような速度が失われていた。
 たとえ隙を突かれていようが、速度に勝るハルと技術だけで打ち合える実力者である。少々の距離があるこの状況下で、一撃がハルより遅いということはない。
 確実に、息の根を止める一撃を。頭領は、勝利の確信を持って、剣を振るう。
 ハルの剣は届かない。魔法を使う隙もない。弾くことすら不可能。必殺の剣は、最後まで抗った愚か者の命を奪わんと、軌跡を描く。
 故に、そこが決定的な瞬間だった。

「ハル様あああぁぁぁぁ!!」

 絶叫と共に、海賊達の中から飛び出す一つの影。自身の中で魔力を練ったであろう一撃は、最弱の存在と到底思えぬ速度と威力を持つ。

「なあっ!?」

 頭領の剣が、腕ごと大きく弾かれる。その目に映るのは一匹のスライム、ハルと共にこの船へと乗り込んでいたリンだ。
 リンは背嚢へと入り、大立ち回りを見せるハルの影で、そのサポートをしていたのである。海賊達の足下を縫い、その体勢を崩したり転ばせたりと、乱戦の中でハルが動く隙を作っていたのはリンだ。彼女がいなければ、今まで命をつなぐこともできていなかったであろう。その最も大きな役割は、この最後の瞬間に頭領の隙を作ることであったが、難易度の高い要求にもリンは見事に応えて見せた。
 思考に空白ができる。一体何が起こったのか、理解が追いついていない。
 それでも、振られたハルの剣に反応できたのは、今まで通ってきた修羅場の数のお陰であろう。回避は間に合わないまでも、体を捻り身につけた皮鎧に当てさせることぐらいはできる。
 万全の状態ではなく、それほど高くもないハルの腕では、いくら剣が良かろうと切ることはできない筈であった。

「【くさなぎの剣よ】!」

 微量の魔力と共に、唱えられたのは発動の呪。剣から放たれる水色の光が、頭領の存在を脆くする。
 くさなぎの剣に備わった力。僧侶の魔法たるルカナンは、違わずその効果を発揮した。
 ゾブリと、皮鎧の抵抗など殆どなく、肩口から袈裟斬りに入った剣は、頭領の腹まで切り裂いて止まる。

「ご……ぽ……」

 口から漏れる言葉は、逆流した血に遮られ、驚愕の表情を浮かべたままに頭領は絶命した。

「っ! ふうー……」

 倒れ込まぬよう、深く息を吐きながら剣を引き抜けば、ドサリと音を立てて頭領の体が倒れる。
 シンと静まりかえった海賊達。続いて聞こえてきたのは、セオ達の鬨の声。
 もはや二つの船の距離は、目前まで迫っていた。

「ハル様!」

 周囲の海賊達を警戒しながら、リンが心配そうに声を上げる。

「ああ、大丈夫だ。じきにあいつらも来るから、また隠れておけ」

 リンに指示を出してから、ハルは剣を構え直す。満身創痍であるはずなのに、不敵さは失われず、覇気すら感じるほど。

「さて、死ぬまでやるか?」

 どちらが、などと問う必要はない。顔を引きつらせ、セオ達の船に取り付かれた音を聞きながら、海賊達はばらばらと武器を手放した。



***



「あの状況じゃあれが最善だったってのは分かるけど……無茶しすぎよほんとに」

 縛られた海賊達を横目に、ハルは治療を受けていた。
 今いるメンバーに回復魔法を使える者はいない。よって、包帯などによる応急処置しかできないが、マナとルナがてきぱきとそれを施していく。傷は多いが、深刻なものもないので、時間は掛かるだろうが自然治癒でも大丈夫であろう。

「ま、何とかなったんだからいいだろう。こちらに死人を出すこともなかったわけだし」
「でもハル様が危険にさらされては……私たちの命よりも遙かに大切な御身ですし」
「ルナの言うとおりですよハル様。私たちも覚悟してお付きしてますし、本当に危険なら、せめてハル様だけでも逃げて下さい。私たちのように換えが効く訳じゃないんですから」
「換えって……」

 双子の言葉に、露骨にティアが顔を顰める。
 彼女らにとって、ハルは命に代えても護らなければならない存在だ。一族の命運を握っている者として。彼女達の王として。しかしそんな事情は、ティアには分からない。こんな少女達に何を言わせるのかと、非難の目を向けようとした先で、ハルがポンとその頭に手を置いた。

「分かってる。俺も俺の目的の為に死ぬわけにはいかないしな。だから、お前達も簡単に命を捨てようと思うな。お前達も俺の力の一部だ。欠けてプラスになることなんて一つもない」
「「……はい!」」

 その光景に、ティアは何とも言えない顔になってしまう。
 彼らが主従関係にあるのは間違いない。ルナ達からハルに向ける信頼は絶大なものがあり、ハルもそれを当然のものと受け止めている。ただ、ハルの立場が謎すぎた。
 しっかりとした教養と知性を持っているが、どこから見ても冒険者だと思える雰囲気には、従者がいるような貴族然とした様子は全く感じられない。自身が唯一にして最高の戦力であり、共に行動する者はむしろ護るべき対象。貴族が漫遊しているのなら、護衛の一人もいないなどあり得ないだろう。
 かといって、普通の冒険者に従者などまずおらず、どこかの国の将とも思えない。これほどの人材を動かすような利点など考えられず、仮にそうだとしても、危険な旅に戦えぬ従者を同行させるような無駄なことをする人物ではないだろう。
 そして、ハルと対等に近い態度を取るタクトの存在。ハルと同じように教養と知性の匂いを漂わせながら、しかし双子が敬っている訳でも無く、冒険者とも思えない。戦闘能力も低く、精々が料理が上手いというぐらいしか特徴がない。何となくハルといるような、どことなく優柔不断な態度で、彼が何故ハルに同行しているのかと思ってしまう浮いた様子が見て取れる。
 ちぐはぐで、奇妙な集団。出会った時から思っていたことであるが、そこに踏み込むことはきっと自分では許されないのだろうとティアは思った。護衛としては過剰な存在であるハルが中心の、気のいい連中。それだけ分かっていれば十分だろう。

「……はい。終わりましたハル様」
「ん……上手いな二人とも。ありがとう」
「えへへ、お母さんに習ったんですよ」
「リーシアが?」
「母は一族でも唯一の薬師ですから。基本的な治療の仕方と、簡単な薬の調合ぐらいしかまだ習っていませんけど…………」

 体を動かしながら言うハルには、大きな痛みを感じている様子はない。見たところそこそこ深い傷もあったはずなのだが、ハルが我慢しているのか、双子の治療がよほどよかったのか、もしくはその両方か。
 何にせよ、ハルが動けるのか動けないのかで危険度が段違いに変わってくるのだ。回復魔法の使い手がいない現在、的確な治療ができることは非常にありがたい。

「で、実際どんな感じかしら?」
「全力とは到底言いがたいが、だいおうイカやマーマン程度なら何とかなるだろうな。魔力の回復具合にもよるが、群れで来られたりテンタクルスあたりだと厳しくなる」
「そう……最悪、あの連中を囮に逃げることを考えた方がよさそうね……」

 ハルの具合を聞いて、ティアは眉を顰めた。
 捕縛した海賊達の腕を鑑みれば、ハル達が逃げなければならないほどの状況であれば、まず命はないだろう。さすがに餌というような言い方こそしなかったが、自分たちを襲った連中の扱いとしては当然だろう。

「ま、精々そうならないように祈って貰うしか――――」

 と、周囲の空気が突然『揺れた』。
 津波が起こったという訳ではない。落雷があったとか、大きな音が鳴ったという訳でも無い。
 だが、間違いなく何かが起きた。

「何? どうしたの?」
「「ハル様?」」

 急に様子が変わったハルに、首を傾げる三人。
 その答えは、別のところからやってきた。

「ハ、ハルさん!!」
「ハ、ハル!!」

 海賊の船の様子を確認していたタクト、セオ、レオの三人が、慌てた様子で走ってくる。何事かと女性陣がそちらを見て、絶句した。

「な、何よあれ!?」

 ティアが叫ぶのも無理はない。彼女らの目に入ったのは、もはや船と言えるかどうかすら分からない、ガレオン船ですら霞むほどの巨大な浮遊物。帆が付いている以上、あれも一応帆船の内に入るのであろうか。

「…………どういうことだ?」

 一番の問題は、それほど巨大な船が既に眼前にあるということである。いくら海賊達に意識がいっていたとはいえ、船乗り達が見逃す訳がなく、未だに周囲を警戒していたハルですら突然現れたとしか思えなかった。
 いや、今重要なのはどうやって現れたかということでなく、それが敵であるかどうかだ。否定したいところではあるが、こちらに友好的な存在である可能性は低い。そして、この距離では海賊を囮に逃げることなど不可能。確実に組み付かれるだろう。
 ティアに言ったとおり、ハルはもはや大して戦えない。もし万全であったとしても、先ほどの海賊の比ではない相手に、どれほど抵抗できるものか。
 最後の手段は、【ルーラ】による脱出。
 この世界のルーラは、ゲームの様に船ごと飛ぶようなことはできない。魔法の熟練次第ではそれなりに容量も増えるが、今のハルでも10人にも満たない人数が限界だ。
 助ける人間の、命の選択をしなければならない。
 自分の仲間は決まっている。それ以外で誰を運ぶかだが、選べと言っても揉めるのが目に見えている。セオはおそらく自分を犠牲にするだろうし、ティア達はそれに反対するだろう。船員を含めてしまえばもっと酷いことになるのは間違いなく、ハル一人で決めてしまうべきだ。
 幸いながら、ハルの中で優先度が高い人間は皆ここに揃っていた。
 魔力を練る。ハルの行動に気付けそうな者はティアだけであるが、彼女は巨大船に呆気にとられ、気付けるだけの余裕がない。入式さえしなければ、発動するまで誰にも分からないだろう。
 巨大船が迫る。その艦首に、二つの人影が見えた。
 どちらも女。
 一人はウェーブしたセミロングの黒髪を背負う、威風堂々とした女。片目に大きな眼帯をしており、こちらを見る眼光は鋭い。海風になびく赤いコートの下に見えるのは、湾曲刀であろうか。明らかに海賊然とした佇まいだ。
 一人は先の人物とは対照的な雰囲気を持つ、長い金髪の女。白を基調とした衣装を纏う彼女は、場所が違えば貴族令嬢と言われてもおかしくはない。また、女海賊の後ろに控えるその様は、冷静な軍人のようでもあった。
 その場にいる者全てが、互いの顔を確認できるほどの距離。身構えるハル達の前で、女海賊は笑みを浮かべる。

「やあ商人殿。景気はどうだい?」
「さてはて、それなりに稼がせていただいていますよ?」

 普段の弱々しさが嘘のように、セオは答える。その答えがお気に召したのか、女海賊はうんうんと頷いた。

「そうかい。それは結構なことだね。まぁ、今回も『船一つ分』の儲けは出ているだろうしねぇ」
「ええ全く、ありがたいことです」

 チラリと見るのは、縛られた海賊達。これらは、あの女海賊の部下であったのだろうか。薄く広げるように凝固を保ち、ハルはいつでも飛べるようにと体から力を抜く。

「いや、しかし助けてやろうと思えば、既に終わってるなんて、なかなかいい手際じゃないか。しかも、どうやらそっちの護衛殿が一人でやりきった様子。私の手下にもいる腕じゃない」
「そいつはどうも……で、ご同職の敵討ちでもするのか?」

 台詞から制圧した海賊船とは無関係だと判断し、ハルは挑発的に問うた。
 が、女海賊は軽く肩を竦める。

「まさか。最近私の縄張りにまでちょっかいを掛け始めてるアホ共を懲らしめてやろうとは思ったけどね。あんたらとことを構えるつもりはないさ。だから、魔法使いの兄さんも“それ”、使わなくて構わないよ?」

 同職という部分は否定せず、女はこちらを指さす。彼女も魔法が使えるのか、ハルの魔力には気付かれていたようだ。言われて、ティアとルナもまたそれに気がつく。

「あなたそれは……!」
「さて、どこまで信用できるもんかね。今この場であんたを殺すのも一つの手ではあるんだが?」

 ティアの言葉を聞き流して、すっと、ハルは手を女海賊へと向ける。無論、はったりだ。女海賊は、にやりと嬉しそうに笑いながら、軽く指を弾く。

「そうだね。護衛としてはどこまでも正しい選択で、実に冷静だ。もし私らがあんた達を騙そうとか考えていても、逃げるなら関係ないしね」
「…………」
「え? 逃げ……?」

 どうにも、気付かれているらしい。本当に攻撃をするのかと思っていたのか、ティアやタクト達は目を白黒させていた。
 確固たる確信を持って、こちらを格下だと見る相手。そこに油断はなく、ハルの思惑も状況から把握されている。
 ふっと手を振って、ハルは魔力を散らせた。これほどの相手だ。それこそハル達程度に騙し討ちなど意味がない。逃げるだけなら騙し討ちされたところでどうということはなく、そんなハルの力量も理解しての台詞だ。最低限の警戒さえしていれば十分である。

「……海の狩人の方であるとお見受けしますが、獲物を狩る必要はないのですか?」
「飢えちゃいないからね。優れた狩人っていうのは必要以上の獲物は狩らないものさ」
「…………で、好奇心は満たせたのか?」

 セオと話す横から聞いたハルに、彼女はまた笑う。
 ただハル達と海賊達との戦いがどうなったか確認するだけならば、こうして姿を現す必要なはい。どのように姿を隠していたか分からないが、ここまでハルにも気付かれずに接近できるのだから、そのまま去ることなど造作もないはずだ。
 襲うのも同様で、こうして会話を試みる意味があるとすれば、こちらに対する好奇心ぐらいであろう。目の前の彼女は、まさにそんな行動に出そうだ。

「ふふふ、商人殿もなかなかだが、護衛殿はさらにいいね。こうして顔を見せた甲斐があったというものだね」
「それはそれは光栄だな…………なぁセオ、この海賊船はどういう扱いになる?」

 と、ハルは唐突にセオに向かって聞いた。いきなりのことに、セオは驚き戸惑いながら答えた。

「こ、この船ですか? 普通でしたら護衛の方に追加報酬を渡して、後は私の裁量次第と言うことになるんですが……これは護衛の人数が多い時で、援護こそしましたが、ほぼハルさん一人で制圧された今回の状況に当てはめるのが無理がありますね……。護衛の報酬も少ないですし、ハルさんにお任せしますけど……」
「……そうか、なら少し待っててくれ」

 言って、ハルは女海賊の方へ顔を向ける。

「あんたがそっちの頭ってことでいいのか?」
「ふん? ああ、間違いないね」

 あえてその船のという言い方をハルはしなかった。その意味を、女海賊は正確に読み取る。

「なら、一つ交渉がしたい」
「ほぉ……。面白い話だって自信があるなら、聞いてやらないでもないよ?」

 言外にハルを威圧する女海賊に、ハル以外のメンツが不安げに体を揺らした。しかし、直接それを向けられた当人は、いつものように不敵な笑みを浮かべて言う。

「少なくとも退屈させるつもりはないさ」








******************

少し遅れました。



[29793] 記録
Name: NIY◆f1114a98 ID:9f67d39b
Date: 2014/05/08 23:37
脱字とか文章訂正してると自分がいつ投稿したのか分からなくなるので、確認用。
後、更新後の話の裏書きもついでに書いてます。

○前書き+序 初投稿H23年9/21 
○一章一話  初投稿H23年9/21 
○一章二話  初投稿H23年10/1
○一章三話  初投稿H23年10/10
○一章四話  初投稿H23年10/14
○一章五話  初投稿H23年10/20
○一章六話  初投稿H23年10/26
○一章七話  初投稿H23年11/14
○一章八話  初投稿H24年1/4

○二章一話  初投稿H24年2/13
○二章二話  初投稿H24年5/15
○二章三話  初投稿H24年10/2
○G(お金)関係について少し修正 H24年10/14
○二章四話  初投稿H24年11/8
○二章五話  初投稿H25年2/26
○二章六話  初投稿H26年3/19
○二章七話  初投稿H26年4/25
○二章八話  初投稿H26年5/8


******************

二章八話の裏話
○ごあいさつ
 新緑の色輝かしき今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 実家に帰ってきたのはいいけれど、自分の居場所(部屋)がない私です。家にいない姉と妹の荷物を排除しなければ、荷物の整理すらままならずメインPCの設置すら未だできていなかったりします。とりあえず足の踏み場がないこの部屋でどうやって生活していたのかと小一時間(ry
 まだ新生活になれていない気もします。もう少し色々と頑張りたいな。
 以下裏話。

○魔法陣云々
 まだ設定に荒が見えるこの辺り。凄いファジーな書き方ばかりしています。まぁそういうものだと何となく思っていただければよろしいかと。

○お船の国ポルトガ
 胡椒で船を頂ける(頭が)素敵な王様がおられる国。ゲームの勇者達は一体どれほどの胡椒を持って帰ったのか気になりますね。100kgぐらい持って帰ってれば船一隻ぐらい簡単に貰えるようにも思います。
 まぁ、ぶっちゃけ物語にはあまり関わらない国です。たぶん登場するのはもう一回ぐらい。

○商人さんパーティ
 一番名前に困った人=レオ
 イメージに全く合わない名前ばかりで、二転三転しました。私が苦手なことの一つが名付けです。発想が貧困ともいいます。 
 
○船
 船の知識がなさ過ぎて困りました。あっち調べこっち調べしましたけど、おおよそ船に関してはイメージの産物です。ふぁんたじー()なのです。
 最後に出てきた海賊は誰もがすぐ思いつくお人です。初めはキカ(幻水Ⅳ)みたいなキャラをイメージしていましたが、実際の2Dグラから離れてしまうので断念しました。

○最後に
 去年手書きした話のストックが尽きてしまいました……できるだけ早く次話も仕上げたいです。二章の予定は後5話(内2話は間話)。夏までには終わらせたいなぁ……。
 読んで下さって本当にありがとうございました。


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