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[7921] 水色の星T(灼眼のシャナ再構成)【本編完結】
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/09/18 09:45
 
(まえがき)
 この作品は、同じ掲示板内にある『水色の星』->『水色の星S』の続編の形になります。
 この作品をお読みになられる場合は、そちらを先に読む事を強く強くオススメ致します。
 同じく、『水色の星0』はこの三連作の外伝となっております。
 そちらの方も、読んで頂けると嬉しいです。
 
 では、展開が原作に追い付きそうだから、オリジナル展開や執筆速度の低下などの問題は出てくると思いますが、三部を始めたいと思います。
 
 
 開幕。
 
 
 
 
 
 ある日、突然出会った、不思議な少女。
 
 彼女との出会いが、僕の日常を外した。
 
 外れた世界、その隣に在る、仮初めの日常、その中で、彼女と一緒に日々を過ごす。
 
 決して長くはないけれど、今までの人生で一番、素敵な一時。
 
 もはや馴れてしまった、戦い。
 
 その戦いの終幕も、『いつもの事』。
 
 そのはずだった。
 
 なのに‥‥
 
 突然、少女は消えた。
 
 何も言わずに‥‥
 
 僕は、彼女を探し、見つけだした。
 
 少女とかけがえのない時を過ごした、もう一人の少女と一緒に。
 
 想いを込めて、強く抱き締める。
 
 もう、離ればなれにならないように。
 
 
 戦いの日々の中で、願いが生まれた。
 
 その願いは黒く燃え上がり、日常を大きく動かした。
 
 その先にあるものを信じて。
 
 
 そして、僕らは‥‥
 
「新世界の神になる♪」
 
 ‥‥‥台無しだよ。
 
 
 
 
 世界の何処か、否、とある島国の上空を、常夜の異界に包まれた神殿は漂っていた。
 
 人間を喰らい、その力でこの世に在り続け、事象を思いの儘に操る、『隣の住人』。
 
 彼らを、紅世の徒という。
 
 その徒の世界最大級の集団、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』。
 
 この神殿、『星黎殿』は、その『仮装舞踏会』の本拠地である。
 
 その『星黎殿』は今、奇妙な状況下にある。
 
 
 すりすり
 
「♪」
 
 少し大きめのソファーの上、座っている黒髪の少年の膝に頭を乗せて、至福の時を味わう水色の髪の少女、名は"頂の座"ヘカテー。
 
 これでも、この『仮装舞踏会』において、構成員達から最も大きな、絶大な尊崇を受ける、最も影響力の大きな『巫女』である。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 自分の膝に頬を擦り寄せる少女の頭を優しく撫でながら、穏やかに微笑む少年。名を、坂井悠二。
 
 元々は普通の人間の少年であった彼の身には、あまりに多くの事象が複雑怪奇に絡み合っており、この場で説明しきる事は難しい。
 
 今やどんな存在なのかと問われても、一概に応える事は出来ない。
 
 ただ、広義でいうなら、紅世とこの世の狭間の物体、『宝具』をその身に宿したトーチ、『ミステス』である。
 
 
 バタン!
 
「お? 相変わらずだね、ヘカテー♪」
 
 部屋に入ってきた、長い髪の両端だけをちょこんと縛った特徴的な髪型の少女、名を平井ゆかり。
 
 彼女も悠二同様、元々は単なる女子高生だったのだが、親友たる悠二やヘカテーが『外れた存在』だと知り、積極的に紅世に関わって行く過程で、今は悠二と同じ『ミステス』となっている。
 
 
 坂井悠二と平井ゆかり。
 
 二人のミステスによる、"『星黎殿』襲撃"、及び受け入れという前代未聞の事態から二日。
 
 ヘカテーは悠二にべったりである。
 
 悠二達の街である御崎市での紆余曲折で、ヘカテーは一度、永遠の別離を覚悟して街を去った。
 
 それが二ヶ月前の事、長い孤独に耐えていた事もあり、甘えに甘えている。
 
 ヘカテーは以前から、坂井悠二に並々ならぬ恋心を抱いている。
 
 そして、再会に際して、悠二"から"も同じ想いを向けられた。
 
 平たく言えば、恋の成就である。
 
「〜〜〜♪」
 
 全く、幸福絶頂といった風情。
 
「‥‥あんまり四六時中くっついてると、構成員達からの目が怖いかな」
 
「と言いながら、やはり嬉しい悠二であった」
 
(‥‥‥悠二?)
 
「ゆかり!」
 
(‥‥‥ゆかり?)
 
「まあまあ♪ 今さら恥ずかしがる事ないでしょ?」
 
「いや、その、まあ‥‥‥‥」
 
 
 いつものやり取り、そんな中で、ヘカテーは今まであまり気に留めていなかった一つの変化に気づく。
 
 ずっと悠二にまとわりつき、寂しさをある程度克服出来ていたからだろうか。
 
(悠二? ゆかり?)
 
 二人の、"呼び方"である。
 
 以前は、『坂井君』、『平井さん』で呼び合っていたはずなのだが。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 まあ、呼び方くらい大して気にする事ではない。
 
 自分だって、まだ互いの事をほとんど知らないうちから『悠二』と呼んでいたのだし。
 
 
 世事に疎いヘカテーは、男女間でファーストネームを呼び合う事の重大さを、まるでわかっていなかった。
 
 
 
 
「ふぅ」
 
 自室でレモンティーを飲みながら、思案に耽る妙齢の女性。
 
 三眼の右眼に眼帯をつけたその女怪は、『仮装舞踏会』の『参謀』、"逆理の裁者"ベルペオルである。
 
 『仮装舞踏会』、そして『大命』において最重要と言っても過言ではない『巫女』ヘカテー。
 
 彼女がこの一年足らずで起こしてくれた事象に対して、考える。
 
 目下の悩みは、家出娘を追い掛けてきた、娘の『恋人』に関してである。
 
 『大命』の鍵の一つたる宝具・『零時迷子』。そのミステス。
 
(本来なら‥‥)
 
 遥か太古に両界の狭間・『久遠の陥穽』に追いやられた『仮装舞踏会』の盟主・"祭礼の蛇"。
 
 『零時迷子』に組み込んだ自在式・『大命詩篇』は、その盟主が、復活するために、"この世で"その意思と力を振るう『代行体』を生み出すための物だった。
 
 もちろん、ミステスなどという形ではなく、その体には『暴君』と呼んでいる西洋鎧を用いるはずだった。
 
(それが‥‥)
 
 『大命詩篇』を扱う『巫女』が、あろう事か『零時迷子』を宿した"ミステス自体"に恋慕を抱き、『大命詩篇』は未だ未完成のまま。
 
 しかも、"未完成の『大命詩篇』"を使い、ミステスの少年‥‥坂井悠二は『創造神の力』を引き出している。
 
 どうやら、坂井悠二と盟主が、互いに同調可能な性質を持ち合わせていた事で、未完成の式でも奇跡的に力を出せているらしいが、"創造神"の力をミステスが勝手に使えるはずもない。
 
 要するに、『巫女』どころか、『盟主』までが坂井悠二に肩入れしている事になる。
 
「‥‥‥儘ならないねえ」
 
 昔から奇嬌の性が強い方だとは思っていたが、まさかこんな‥‥。
 
 いや、むしろ元々の性格から考えれば、"まさか"はヘカテーの方か。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 『仮装舞踏会』の『参謀』としては、はっきり言って坂井悠二は邪魔だ。
 
 『零時迷子』を取出し、『暴君』に収め、『大命詩篇』を完成させる。
 
 どう考えてもそれが最善なのだが、ヘカテーや盟主の意向が、それをさせない。
 
 これ以上、『大命詩篇』を打ち込む気もないようだ。今の奇跡的に繋がっているだけの状態が、ヘカテーにとって最良であるらしい。
 
 全く計算外な事に。
 
 というか、ヘカテーに限れば、少し前までの様子と、今の様子を見る限り、再び坂井悠二を失えば、今度こそ、"壊れる"。
 
(考え方を変える。坂井悠二を除去するのではなく、生かしたまま最大限に生かす方向に‥‥)
 
 あんな幸せそうなヘカテーは見た事がない。あの坂井悠二を『仮装舞踏会』にとって危険な因子から、有力な存在へと昇華させねばならない。
 
(あの平井ゆかりは、ミステスであるという事さえ皆に納得させれば傘下に加えるにさして難しくは無い、か?)
 
 いや、ミステスであるという事を納得させるのが難しいのだが。
 
 そもそも、あの少女は坂井悠二の何なのだろうか? 立ち位置が読めない。
 
(いや、とりあえずあの襲撃に関して何らかの説明をせねば話にならないか)
 
 
 数千年にかけて進めてきた計画のイレギュラー因子に、参謀閣下は大忙しである。
 
 だが、悠二と離ればなれになって、ヘカテーが塞ぎ込んでいた時より、ちょっとやる気に満ちているベルペオルだった。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そっと、壁に掛けられた絵画の縁に触れる。
 
 一枚の絵、愛する男が果たしてくれた、約束。
 
 これのためだけに、フレイムヘイズに目をつけられないよう、"トーチから"存在の力を集めてきた。
 
 目的を果たして、今なお自分はこの世に留まっている。
 
 少し前までは、あの未熟な少女、かつての自分によく似た道を辿っていた少女の"結果"が見たかっただけなのだが‥‥
 
 今度はさらに大事を起こすだろう。
 
 要するに、まだ見ていたいと思ったのだ。
 
 
「さ、参謀閣下ー! 大御巫がー!!」
 
「‥‥‥‥‥」
 
 あの、"弟子"の行く末を。
 
 
 その、紫のベリーショートの髪の少女、"螺旋の風琴"リャナンシーは、何やら騒いでいる声を聞いて、呆れたように嘆息した。
 
 
 
 
「ふう」
 
 何やら騒いで駆けて行く『星黎殿』の守護者、"嵐蹄"フェコルーを、サングラス越しに見下ろす(上階から)。
 
 プラチナブロンドの髪をオールバックにしたダーツスーツの男、『将軍』・"千変"シュドナイである。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 坂井悠二と出会って(いや、再会か)からのヘカテーは輝かんばかりだ。
 
 "あの決闘"の結果以上に、"その後の出来事"に感じるものがあったのだが。
 
 どうやら、正しかったようだ。
 
 ‥‥そうでなければ、自分が困る。
 
 
 まあ、予想以上だった事は確かだ。
 
(あのヘカテーが、なあ‥‥‥)
 
 あの、氷のような冷厳さを見せていたヘカテーが、今や誰がどう見ても恋する少女(しかも、重度の)。
 
 なんと可愛らしい事か。
 
 坂井悠二様様である。
 
 
 どうしよう。
 
 坂井悠二がここに居着いてから二日だが。
 
 近づいて大丈夫だろうか。
 
 前に一度、ちょっとした事があって、殺されかけているのだが。
 
 何か、柔和な生き物に変身して話し掛けてみようか。
 
 
 段々、余裕が出てきたシュドナイであった。
 
 
 
 駆けるフェコルー、何か平和な悩みを抱えるシュドナイらを眺める、白いスーツのペアルックの二人がいた。
 
 
 
 
 ヘカテーの部屋の扉に、一枚の紙が貼ってある。
 
 置き手紙のつもりらしいそれには、ヘカテーの伝言が書いてあった。
 
 
『テニスをしに行ってきます。夕方には帰ります。悠二とゆかりも一緒です』
 
 
 
 
 繰り返し言う。ヘカテーは今、幸福絶頂であった。
 
 
 



[7921] 水色の星T 一章『魔軍を統べる者』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/04/09 20:41
 
 いつものように、朝目覚めて、顔を洗う。
 
「おはようございます」
 
「おはよう。ヴィルヘルミナ」
 
 今は一緒に暮らしている養育係の女性に挨拶を交わし、制服を用意する。
 
 家を出て、『そこ』に向かい、たどり着く。 
 
 表札には、『坂井』とある。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 この街で暮らすようになってから、ほどなくついた習慣。
 
 その習慣は、今なお続いていた。
 
 
 
 
「ふっ!」
 
 剣に見立てた木の枝を一閃。
 
 自分でも最高のタイミングだと思うその一撃を、しかし、眼前の女性は掌で押さえ、何事も無かったかのように"流す"。
 
「っ!」
 
 次の斬撃を繰り出す余裕はないと判断し、軸足を"溜めて"蹴りを放とうとする。
 
 しかし、そんな少女の対応より早く、
 
「遅い(のであります)」
 
 ドッ!
 
 眼前の女性、フレイムヘイズ『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルの掌底が、少女、『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールの横腹を捉えていた。
 
「くっ!」
 
 緩やかな動きしかしていないヴィルヘルミナの掌底。その一撃でシャナは数メートル弾き飛ばされる。
 
 そして膝をつく。
 
 まるで手品であった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 おかしい。
 
 確かに、目の前の女性は世に名高い『戦技無双の舞踏姫』。
 
 鍛練であしらわれる事もいつもの事。
 
 だが、それらを差し引いても‥‥‥
 
(‥‥調子が悪い)
 
 ヴィルヘルミナも気づいているのだろうが、何故か何も言わない。
 
 それがより、悔しさを助長させる。
 
「もう一度!」
 
 と意気込むシャナに、
 
「シャナちゃん」
 
 穏やかな声が掛けられる。
 
「そろそろ切り上げないと学校に遅れちゃうわよ。カルメルさんも、朝御飯食べていって下さいね?」
 
「いつもお世話になるのであります」
 
「多謝」
 
 声を掛けた女性は、夫が空けたこの家を支える誇り高き専業主婦、坂井千草。
 
 シャナもヴィルヘルミナも、彼女を知っている者は大抵一目置き、気に入る。
 
「うん」
 
 ヴィルヘルミナに続き、手招かれるままに縁側に腰を下ろし、差し出されたオレンジジュースを飲む。
 
 以前なら、もっとたくさんあったコップが、今は二つしかお盆の上にない。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 最近、口数が減ったな。と自分でも思う。
 
 理由にも見当らしきものはついてはいるのだが、それ以上深く考える事はしない。
 
 コップと一緒にお盆にあったかりん糖を、バリバリと噛み砕く。
 
 行儀の悪いシャナを見ても、千草はあらあらと笑うだけ、嬉しそうですらある。
 
(‥‥何で)
 
 いなくなったのだ。
 
 坂井悠二。
 
 元々はこの家に住んでいた、彼女の息子。
 
(何で‥‥)
 
 笑っていられるのだろう。
 
 "残された者"の中で、間違いなく一番深いつながりを持つはずなのに。
 
(‥‥‥何で)
 
『悠二は、ヘカテーちゃんを探しに行きました』
 
 そう告げた時、どこか満足そうに見えたのだろう。
 
 何が彼女に喜びをもたらしたのだろう。
 
(何で‥‥)
 
 自分はこんなに‥‥苦しいのだろう。
 
 
 
 
「ぃよし! 行くか!」
 
「気負いすぎだよ、佐藤君。深呼吸して」
 
 外界宿(アウトロー)第八支部。
 
 元々は、紅世において悠二達の力になろうとした平井ゆかりが勤めていた場所であり、佐藤が平井の推薦で以前から働こうとしていたフレイムヘイズの『情報交換支援施設』である。
 
 そして今、マージョリーやヴィルヘルミナの推薦の下、その構成員に直接審査してもらう機会を得た。
 
 佐藤啓作と"吉田一美"である。
 
「‥‥吉田さん。落ち着いてるなあ」
 
「まあ、良い外面作るのは得意だから」
 
 外面って自分で言ってたら世話はない。
 
 
 佐藤は元々、『マージョリーの力になりたい』という願望から、外界宿に興味を持ち、今ここにいるのも必然だが、吉田は違う。
 
 坂井悠二と平井ゆかりの失踪のすぐ後に、『自分も外界宿で働く』と言い出したのだ。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 佐藤も、悠二達が消えた事に寂寥を感じはした。
 だが、それ以上に"悠二が行動を起こした事"に感銘を受けたのだ。
 
 だから、思い切ってついに足を踏み出した。
 
 マージョリーの力になるため、そして‥‥悠二達の事を少しでも知るため。
 
(‥‥吉田さんも、そうなんだろうな)
 
 突然消えた親友と想い人。
 
 悠二達を探す動機なら、間違いなく吉田の方が自分より大きいだろう。
 
 今までは言いださなかった外界宿の事にいきなり踏み込むのも頷ける。
 
 ‥‥自分は今まで苦労してたわけだから、飛び入りの吉田は落とされるとも思えるが。
 
 
「どうぞ」
 
 場所は『御崎グランドホテル』の一室。
 
 ここから第八支部に案内するという"事になっている"が、おそらく、今この時にも審査は始まっていると見ていい。
 
「「失礼します」」
 
 ドアを開け、中に入る。
 
 そこには、ホテルのソファーにきちんと腰掛けた、まだ若い女性が一人。
 
「関東外界宿第八支部所属、近衛史菜です。お掛け下さい」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 シャナを学校に送り出した後、ヴィルヘルミナは今は自分も住まう虹野邸へと歩く。
 
(‥‥甘かった)
 
 "頂の座"が去り、平井ゆかりはともかく、坂井悠二は完全に脱け殻のようになったのだと思っていた。
 
 そしていつか、心に負った傷に耐え、また進みだす日も来るのだろうと、思っていた。
 
 ‥‥かつての自分のように。
 
 だが結果、あの二人は"頂の座"を追って、この街から去った。
 
 彼らの覚悟を、甘くみていた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 あれから、彼らは見つける事など不可能な『星黎殿』を探し歩いているのだろうか。
 
 だが‥‥
 
『俺の"天道宮"とやつらの"星黎殿"は、迂濶に近付けちゃならねえ』
 
 ‥‥例え、彼らの覚悟を知っていたとしても、自分は返せる応えは持たなかった。
 
 フレイムヘイズであるがゆえに。
 
「‥‥今ごろ、どうしているのでありましょうな」
 
「息災祈願」
 
 ぼんやりと見つめるのは、平井のアパートの合鍵。
 
 もし、彼女が帰ってくるなら、それまでは自分があの部屋を預かる。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 悠二達と一番付き合いの長いフレイムヘイズでは、寂しさからくる溜め息を、かろうじて飲み込んだ。
 
 
 
 
「で? つまりはあのチビジャリが不憫だって言いたいわけ?」
 
「不憫? 違うな。あのガキの身勝手な行動がシャナに悪影響を及ぼしている事が我慢ならんだけだ」
 
「物は言い様ってやつだなあ。"虹の翼"よお」
 
 佐藤家室内バーにて、この部屋限定の主、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーとその契約者、"蹂躙の爪牙"マルコシアス。
 
 そして客人は珍しい事に"虹の翼"メリヒム。
 
 
 ヘカテーが消え、そして悠二と平井が消えてから、メリヒムはストレスが溜まる一方である。
 
 今回はそのとばっちりがマージョリーにきているわけだ。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ウイスキーを煽り、まだ何やらぶつぶつ言っているメリヒムを見やる。
 
 実を言うと、マージョリーに関しては悠二達の失踪を単に残念がってるわけではない。
 
 むしろ、前から口出しこそしなかったが、悠二がヘカテーを追い掛ける事をこそ筋だとさえ考えていた。
 
 元々悠二にこだわっていた理由たる"銀"の事も、最早過ぎた事。
 
 『"銀"はこの手で討滅したのだから』。
 
 だが、まあ、この長髪の男(見るからに鬱陶しそうだ)の言いたい事はわかる。
 
 どうやら、あの『炎髪灼眼』と坂井悠二に関して、思う所があるらしい。
 
 今まであの少女とはほとんど接点が無かったから気づかなかったが、要領を得ない(敢えて微妙な言い回しをしていると思われる)メリヒムの言葉からして、"そういう事"らしい。
 
 育ての親として、複雑な思いがあるのだろう。
 
 
『あなたも、私が守ります』
 
『八つ当たりでも構わない。全部受けとめてやる』
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 あの少年が、何の考えも無しに無謀な探索に出たとは思えない。
 
 だから‥‥
 
 
(ユージ、ちゃんと‥‥捕まえときなさいよ)
 
 
 
 
「お二人の話は伺いました。では、これから第八支部に向かいますから、付いてきて下さい」
 
 吉田と佐藤、ひとまずの面接(?)も終わり、これからまたいよいよ働く先に向かう事となる。
 
 『近衛史菜』という名前に驚きはしたが、どうやらヘカテーの方が名前を借りていたらしい。
 
 が、今はそんな事にかまけているわけにはいかない。
 
 おそらく、今からの行動全てが構成員としての審査対象なのだろうから。
 
 先んじて部屋を出ようとする近衛史菜に続こうとして、
 
 ガッ
 
 と、何やら引っ掛かる音がして、
 
 ドタンッ!
 
 盛大にコケた。
 
 近衛史菜が。
 
「「「‥‥‥‥‥‥‥」」」」
 
 三者それぞれの沈黙。
 
 何かの罠かと勘ぐるが、
 
 キッ!
 
 コケた当人の近衛史菜。振り返って凄い目で睨んでくる。
 
 「忘れろ」という事だろうか。少し涙眼になっている。
 
 もしかして、緊張しているのだろうか?
 
「あの‥‥‥‥」
 
「いまから! 第八支部に向かいますから!」
 
 明らかに照れ隠しの原理で怒鳴る。
 
 どうやら、少しドジな手合いらしい。
 
 
 ‥‥‥この審査、受かる気がしてきた。
 
 
 
 
 結果として、佐藤の予想は当たった。
 
 この三日後、佐藤啓作と吉田一美は、外界宿第八支部での出入りの許可を得る。
 
 
 



[7921] 水色の星T 一章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/04/11 19:38
 
 トン トン
 
 黄緑色の球体が、面の上を跳ねる。まるでウォーミングアップのような仕草だ。
 
「行っくよ!」
 
 空高く放られた球体、否、ボールは、少女の振るうラケット、体のバネを最大限に活かしたフォームから繰り出されたそれに捉えられる。
 
 スパァン!
 
「くっ!」
 
 低すぎる。
 
 ネットに当たらないギリギリの角度で、ラインを越えないギリギリの位置を容赦なく、的確に狙ってくる。
 
「っだ!」
 
 何とか返すも‥‥
 
「アウト!」
 
 入らなかった。
 
「‥‥ゲーム」
 
 コートの横に設置されている高い椅子(名前は知らない)から、小柄な少女が試合終了を告げる。
 
 試合をしていたのは坂井悠二と平井ゆかり。椅子に座っているのは"頂の座"ヘカテーである。
 
 そう、三人は『星黎殿』を抜け出してテニスをしに来ている。
 
「勝ったー! 何してもらおっかなー?」
 
「ちょっ、罰ゲームなんて聞いてないぞ!?」
 
「何言ってんだか、基本でしょ♪」
 
「次は私です」
 
 あまり人目につかないように"人間としての顕現"を心掛けてはいるものの、戦闘では平井より上な悠二。
 
 しかしまあ、スポーツとなると話は別である。
 
「ふふん♪ ヘカテー。学校の体育でやり方はわかるね?」
 
「問題ありません」
 
 何やら調子に乗っている平井。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーと入れ代わりに椅子に登る悠二。
 
 対峙する二人を見学する。
 
 上からジャージを着ているとはいえ、二人のテニスウェアは何というか、目に毒である(ちなみに平井は緑色、ヘカテーは白だ)。
 
 ついつい外野からの視線が無いか、とかも気になってしまう。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 キュッ、キュッと右に左にステップを踏むヘカテー。
 
 その思考は、先ほどの平井と悠二のやり取りに向けられている。
 
(‥‥勝ったらご褒美)
 
 恋人同士になったのだし、すでに思う存分甘えているくせに、ヘカテーは貪欲だ。
 
 狙うは、再会の時以来、悠二が恥ずかしがってしてくれない口付けである。
 
 平井を負かして悠二にご褒美を貰おうとしているという妙な矛盾には気づいていない。
 
 放られたボール、狙いすましたヘカテー。
 
「『星(アステル)』よ」
 
 水色の光弾が、炸裂した。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 あれから結局、自在法ありのマジカルテニスに発展し、結局、帰りにラーメンまで食べて夜遅く(時間的に)帰った三人。
 
 実質的な『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の指導者、ベルペオルにお叱りを受けてしまい、ヘカテーはおかんむりである。
 
 何やら平井はそのままベルペオルと話しているし、悠二は風呂。
 
 やや退屈な一時の中にヘカテーはいる。
 
(‥‥‥風呂?)
 
 風呂、入浴。一糸纏わぬ生悠二。
 
 今までは嫌われたくなかったり、悠二の母・千草に止められたりして好奇心を抑えていたが、今の自分達は恋人同士。
 
「‥‥‥‥‥」
 
 くるりと反転。
 
 風呂の扉越しに話して、許可を貰おう。もしダメでも、湯上がり状態は何か不思議な魅力があるのだ。
 
 と、意気込むヘカテーの前に、小さな影が立ちふさがる。
 
 広い廊下のど真ん中に立ちふさがる、小さな『それ』。
 
 茶色い毛並みの小さな子犬である。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 屈んで、ジィっと見つめる。
 
 ぬいぐるみではない。本物の子犬である。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 『星黎殿』には無数の徒がいるため、気配が実に掴みにくい。
 
 しかし、触れようと至近に寄った時に、違和感を感じた。
 
 この子犬、徒である。
 
 そして‥‥‥
 
「何をしているのですか。"千変"シュドナイ」
 
 決定的。タバコ臭い。
 
 子犬はビクッと震え、その目にワイルドなサングラスが現れる。
 
 もはや自白したも同然である。
 
 ダッ!
 
 本人もその自覚はあるのだろう。
 
 四本足で一目散に後方に全速前進する。
 
 しかし、そんな抵抗はヘカテーには無意味である。
 
 すでにその両手の指には、長めのチョークが構えられていた。
 
「『星』よ!」
 
 放たれたヘカテーの『おしおき星』。
 
 逃げるシュドナイを追い、チョークが白の軌跡を描いて飛んで行く。
 
 それだけではない。
 
 ここは『星黎殿』。人間の目を気にする必要はないのだ。
 
 ボンッ
 
 飛来する白のチョーク全てが、水色の炎を纏う。
 
 それらが、逃げ惑うシュドナイに収束し、
 
「爆ぜよ」
 
 パパパパパパァン!!
 
 水色の火の粉と白チョークの花火を巻き起こした。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ぐったりとして動かないグラサン犬・シュドナイ。
 
 カッ カッ
 
 一歩一歩、彼にとっての死の秒読み、ヘカテーの足音が近づいてくる。
 
 やはり甘かった。
 
 可愛い子犬に化けたら『前の事』を許してもらえるきっかけを作れる(ヘカテーに接近出来る)かと思ったが、見事に裏目に出た。
 
 怒りを上乗せしてしまったらしい。
 
(今度こそ‥‥終わりか)
 
 しかし、絶望に暮れていたヘカテーの、あんなに輝かしい姿を見れた。
 
 もう、思い残す事はない。あとの事は坂井悠二に託して、自分はヘカテーの手で天に召されるのだ。
 
 ‥‥せめて、痛くしないで一思いにやって欲しい。
 
 
 そんな風に覚悟を決めて倒れ伏す、まな板の上の鯛なシュドナイ。
 
 その眼前(床)に、
 
 コロン
 
「?」
 
 何かが、転がされた。
 
「あげます」
 
「‥‥‥は?」
 
 飛び上がるように起き上がると、ヘカテーはもう背を向けて歩きだしていた。
 
(助か、った‥‥?)
 
 何が何だかわからないまま、シュドナイはヘカテーが転がしたと思われる物を見る。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 白い包みに包まれたそれは、一見してあめ玉。
 
 包みを開いても、実際にあめ玉(グレープ)だった。
 
 しかし、その包みの裏側に、メッセージが書いてある。
 
『あの時は、すみませんでした』
 
 簡潔な一言。
 
 シュドナイは『あの時』が何なのかすぐに察しがついた。
 
 そう、ヘカテーが悠二と離ればなれになって塞ぎ込んでいた時、シュドナイはヘカテーを慰めようとして失敗し、逆にヘカテーの逆鱗に触れて殺されかけたのだ。
 
 そして、悠二と再会し、絶望から解放されたヘカテーは、その"八つ当たり"の事を少し気にしていたのだ。
 
 確かに、シュドナイの発言も悪かったが、いくらなんでもやりすぎだった。
 
 その謝罪が今、果たされたのだ。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 たかがあめ玉一つ。しかし、ヘカテーがわざわざこんな物を持ち歩き、自分に申し訳なさを感じていてくれた事が、シュドナイはたまらなく嬉しかった。
 
 今なら、『自分のあの時の発言』でヘカテーが怒り狂った理由もわかる。
 
 きっと、明日からは普通に接する事が出来る。
 
 
 心してあめ玉を味わうシュドナイのサングラスの縁から、少しだけ光が反射した。
 
 
 
 
「‥‥‥それで?」
 
「‥‥最初は親友だったんですよ」
 
 ヘカテーの城の酒保にて、未だに平井とベルペオルは話し込んでいた。
 
 とは言っても、今は説教という雰囲気は完全に無くなっている。
 
 水割りの酒(2:8)でちびちびと飲みながら話し込んでいる。
 
 まあ、今まであまり知らなかった互いの身の上話といったところだ。
 
 平井は元々ああいう性格である。打ち解けるのに難は無かった。
 
「ふむ。つまり坂井悠二によってミステスに変じた、と?」
 
「‥‥その事は良いんですよ。元々二人に近づきたくて外界宿(アウトロー)に入ったんだし」
 
 先ほどまでは、ベルペオルの日々の苦労を平井が聞く側だった。
 
 気まぐれすぎる盟主、さぼりまくりの将軍、最近ずっとおかしかった巫女。
 
 そして、それらの不穏な要素に喜びを感じてしまう自分自身。
 
 答えの出るはずの無い悪循環に伴う愚痴を聞かされていたのだが、今はより重要な‥‥
 
 平井ゆかりという存在の話である(ついでに坂井悠二の説明にもなる)。
 
 
 坂井悠二、そしてヘカテーとの出会い。
 
 ヘカテーが『星黎殿』を出てから今までの事。
 
 人間を失い、ミステスへと変じた過程。
 
 話はどんどんと進み、ある意味で一番大事な部分、"何故こんな所まで悠二に付いてきたのか?"という話題にまで到った。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 沈黙が、場を支配する。
 
 平井は別に、何も言えないわけではない。
 
 とうの昔に割り切っているからだ。
 
 ただ、ベルペオルが何を言えばいいかわからずに黙っているから敢えて何も言いはしないのだ。
 
「お前は‥‥それでいいのかい?」
 
「‥‥‥ええ」
 
 長い沈黙を経たわりに、随分と落ち着いた調子で告げたベルペオルの問いに、平井は当然のように落ち着いて返す。
 
 ただ、この場の雰囲気のためか、久しぶりに少しだけ感傷的になっている。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そう、とっくに割り切った事。
 
 今さら、何を思うでもない。
 
 
『ずっと、一緒にいるからね!』
 
 
 あの時、自分の生き方を、あの少年の側に定めた。
 
 だから、『全部』わかった上で、ああした。
 
 勝手なのも、ずるい事も全部わかった上で‥‥
 
 あれが、あの口付けが、最後のわがまま。
 
 あれから予期せず、互いにファーストネームで呼び合えるようにもなった。
 
 これ以上、何を望む事もない。
 
 
「‥‥私は、世界一の幸せ者ですよ」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 『星黎殿』は、徒が多く存在するため、気配が掴みにくい。
 
 そんな酒保の柱の影にいた一人の少女が、
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 石のように固まっていた。
 
 



[7921] 水色の星T 一章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/04/12 20:21
 
「? ああ、日本だと、男女が下の名前で呼び合ったりするのは家族を除けば恋人くらいというのが定説かも知れんな」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 
 何がなんだかわからない。
 
 いきなり部屋にやってきたかと思ったら、『男女がファーストネームで呼び合う意味』について問いただしてきた。
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の小さな巫女である。
 
 元々この二人は『悠二』、『ヘカテー』で呼び合っていただろうに、恋人同士になった今、今さら何を気にして‥‥‥
 
 バタン
 
 とか考えてたら、さっさと出て行ってしまった。
 
「?」
 
 何で、あんな不安に満ち満ちたような態度をとっていたのだろうか?
 
 突然の訪問者の意図がイマイチわからず、"螺旋の風琴"リャナンシーはしばし首を傾げる。
 
 しかし‥‥
 
(‥‥平井ゆかりか)
 
 ほどなく理解してしまえる辺りが、彼女らしくもあった。
 
 
 
 
(‥‥どうしよう)
 
 もう、悠二は風呂から上がって、部屋に戻っているだろう。
 
 平井も、自室に帰っているかも知れない。
 
(‥‥気づかなかった)
 
 いや、可能性から完全に除外していた。
 
 いつも、未熟な自分の背中を押してくれたのは平井だったし、何より、『親友』だと言い続けてきたのだから。
 
(でも‥‥‥)
 
 何故、考えもしなかった?
 
 平井に誰より近しい異性。考えるまでもない。
 
 二人の絆の深さも、誰よりよくわかっている。
 
(‥‥‥違う)
 
 今、真っ正面から向き合わざるを得なくなって、初めて理解する。
 
 気づかなかったわけじゃない。
 
 "考えたくなかった"のだ。
 
 吉田一美やシャナ・サントメールとは違う。
 
 平井は、決して反発する事など無いと思っていた親友だ。
 
 そして、何より‥‥
 
(‥‥‥‥‥‥‥)
 
 今まで識域下で避けてきた光景を、イメージする。
 
 隣に並び、互いの手を取って歩む、悠二と平井。
 
(‥‥‥‥‥‥‥)
 
 何という事か。
 
 あまりに、自然だ。
 
 似合いすぎる。
 
 もし、平井が本気で悠二を求めたら‥‥‥
 
 
 と、そこまで考えて‥‥‥‥
 
 ブンブンッと頭を振る。
 
 馬鹿馬鹿しい想像だ。
 
 今の悠二と自分は、恋人同士なのである。
 
 今さら悠二に捨てられるなどと考えるのは、悠二への信頼の冒涜である。
 
 しかし‥‥‥
 
「‥‥‥‥ぅう」
 
 
 恋人だろうと、やはり怖いものは怖い。
 
 悠二に捨てられるという事。
 
 いや、例えそうではなくても、悠二が他の女性と触れ合い、想いを交わすという事を想像するだけで、胸が締め付けられるように痛い。
 
 以前、平井から教わった事がある。
 
 これは、『やきもち』、『嫉妬』。
 
 
(悠二が、ゆかりと‥‥‥‥)
 
 ズキッ
 
 痛い。苦しい。
 
 しかも、今までとは違う。
 
 悠二に振り向いてもらえるように頑張ればいいわけじゃない。
 
 『ライバル』の邪魔をすればいいわけじゃない。
 
 それが出来ない。
 
 相手は、あの平井なのだ。
 
 
 実に悩ましいオーラを発しながら歩くヘカテー。
 
 その前方に、
 
「あ、ヘカテー」
 
 恋人、坂井悠二が現れる。
 
(あ‥‥‥)
 
 今、抱きしめよう。
 
 悠二のぬくもりを感じて、安心しよう。
 
 自分達は恋人なのだと、何を恐がる必要もないんだと。
 
 そう、考えたはずだった。
 
 だが‥‥‥
 
「あっ‥‥‥!?」
 
 ぴゅうっ!
 
 体は、凄まじい速度で悠二から背を向け、"逃げていた"。
 
 
 
 
(怖い)
 
 悠二への溢れんばかりの愛情。
 
 それこそが今、恐怖を生み出していた。
 
 複雑に絡みすぎて、どういった類のものかは判別がつき辛いが、紛れもなく恐怖として、ヘカテーの胸にそれは在る。
 
「ヘカテー!」
 
 自分の異常を察してか、悠二は追い掛けてきているようだ。
 
 心配してくれるのは、気に掛けてくれるのは嬉しい。
 
 でも、今は有り難くはなかった。
 
 さらに速度を上げて駆ける。
 
 
「? "頂の座"、何をそんなに慌てている?」
 
「何かあったんですか?」
 
 
 話しかけてきた白カップルも、
 
 
「邪魔です」
 
「うわっ!」
 
「きゃっ!」
 
 突き飛ばして逃げる。
 
 
「む? いや! ヘカテー! これは!」
 
 先ほど和解し、何やらタバコを吸おうとしていた事を言い訳しようとしている将軍にも、
 
 
「がぼぼぼぼっ!?」
 
 口いっぱいに、タバコの代わりにチョークを放り込んで逃げる。
 
 
「ヘカテー!」
 
「大御巫!」
 
「どうしたのさ、ヘカテー!」
 
 後ろから聞こえる。ベルペオル、フェコルー、そして、悠二の声。
 
 
 どうやら、異変に気づいて追い掛けてきているらしい。
 
 だが、どうにも衝動的に逃げる。
 
 絶対に今、顔を合わせてはいけないような強迫観念に囚われて。
 
 そして‥‥
 
 
「ん? ヘカテー、どしたの?」
 
 逃げるうちにまた出会ったのは、平井ゆかり。
 
 
(‥‥‥ゆかり)
 
 どんな顔をすればいいかわからない。
 
 ただ、俯いて、速度は落とさず、
 
 俯いて、速度は落とさず、
 
 そのままの勢いで‥‥‥‥
 
「けふっ!?」
 
 凄まじい速度のまま、まるでロケットのように、平井の腹に頭突きして吹っ飛ばした。
 
 
「ヘ、ヘカテー!?」
 
 驚愕の声を上げる悠二に声を返さず、KOされた平井にも振り返らず、ヘカテーはその場から逃げ去った。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 膝を抱えて小さくなって、ベルペオルの寝台の後ろに隠れているヘカテー。
 
 さっきまではわけもわからぬ衝動によって逃げていたヘカテーだが、今は少しだけ落ち着いている。
 
 自分の心と、向き合える程度には。
 
(‥‥‥ゆかり)
 
 
『ええ、好きなんです。私も‥‥悠二が』
 
 
 好きだったのだ。彼女も、悠二が。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 
『私は、世界一の幸せ者ですよ』
 
 
 そして、その想いを持ちながら、悠二を求めず、ただ、自分達の傍にいる事を選んだ。
 
(‥‥‥胸が、痛い)
 
 依然として、平井の想い、それ自体に対する嫉妬は胸のうちに燻っている。
 
 平井がもはや"諦めて"、悠二が自分と恋人なのだと、冷静になってから再認識してなお、嫉妬はある。
 
 だが‥‥‥
 
(ゆかりは‥‥)
 
 ずっと、このまま。
 
 自分なら、耐えられるだろうか?
 
 自分の想い人・悠二が、他の女性の恋人であり、その姿をずっと見続ける。
 
 絶対に届かない。しかし、完全な別離を避けるために、想いを殺して、傍に居続ける。
 
 
(‥‥‥無理)
 
 考えるまでもない。不可能だ。
 
 想像するだけで、あまりにも辛すぎる。
 
(でも‥‥‥)
 
 それでも平井は、それを選んだ。
 
 悠二の傍にいるために。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 
 自分には決して耐えられない。そんな苦しみを、平井は背負っている。
 
 そしてそれは、決して想いが小さいからではない。
 
 『あの時』の言葉から、それは察する事は出来る。
 
 自分も、悠二を好きだから。
 
 
 だが、それでも‥‥平井の苦悩を知って、なお‥‥‥
 
(悠二は、私の‥‥)
 
 そんな想いは、揺らぐ事がない。
 
 ただ、平井の苦悩に胸を痛めるだけ。
 
 
 だが、ただやきもちを妬いて平井を恨むわけではなく、『悠二を信じた』上で、どうしようもない平井の事に胸を痛める事が出来る。
 
 それは、ヘカテーが今まで悠二や平井達との関わりの中で確実に育んできた成長だった。
 
 
 だからこそ、今、悠二や平井にどんな顔をして会えばいいのかわからない。
 
 
 出口も見えず、迷走するヘカテーに‥‥
 
「見つけた」
 
「っ!?」
 
 声が、掛けられる。
 
 
 声の主は、坂井悠二。
 
「‥‥師匠から、話は聞いたよ」
 
 一部的、一時的に変化した悠二が、その後頭から、漆黒の竜尾を伸ばす。
 
 そして、ヘカテーが隠れている、ベルペオルの寝台の裏から、ヘカテーを器用につまみ上げる。
 
 悠二にどう対していいかわからないヘカテーはじたばたと両手両足を動かして暴れるが、猫みたいに首根っこをつまみ上げられているため、どこにも届かずに空を切るばかりである。
 
「ヘカテー」
 
 悠二の対面に持ってこられても、ヘカテーは目を逸らして少し頬を膨らますだけ。
 
 完全に拗ねている。
 
(‥‥可愛いな)
 
 そんな仕草も魅力的に輝かすヘカテーに、悠二は目を細める。
 
 一方で、ヘカテーが拗ねる理由もちゃんと理解している。
 
 自分にやきもちを妬いて拗ねている。
 
 そんなヘカテーがたまらなく愛しかった。
 
「ヘカテー」
 
 ちゅ
 
「ふ‥‥ふわあ!?」
 
 そっぽを向いたままのヘカテーの頬に口付けて、そのまま横に抱き抱える(ついでに、竜尾を消す)。
 
 お姫さま抱っこというやつだ。
 
「っ〜〜〜〜〜!?」
 
 トマトみたいに真っ赤になって、ヘカテーは腕の中で固まっている。
 
 普段なら恥ずかしくてなかなか出来ないような事だが、ヘカテーの可憐さに惹かれて、出来た。
 
 大体、恋人になったのだからこれくらい‥‥などと考えるのはいけない事なのだろうか。
 
「ん」
 
 また、少し強く抱き寄せる。
 
 それに、何かの許可を得たように、ヘカテーも悠二の胸板に頬を寄せる。
 
 
 そう、ヘカテーはこんなに自分を好きでいてくれる。
 
 だから、不安なら、安心させてあげればいい。
 
 自分も、ヘカテーを好きなのだから。
 
 
「一件落着?」
 
 遅れてやってきて、そう声を掛ける、平井ゆかり。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 まだ根本的に解決していない平井の問題を思い出し、ヘカテーはビクッと肩を震わせる。
 
 悠二に抱きつく力をぎゅうっと強めて、少しきつめに平井を睨む。
 
 
 そんなヘカテーの視線を受けても、平井は微笑んでいる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 じぃっと平井を見つめるヘカテー。
 
 そのままの状態が2分ほど続き、平井が、悠二が、ヘカテーの意図を読めずに固まっていると‥‥
 
「んむっ!」
 
 全く不意打ちのように、いや、完全な不意打ちで‥‥ヘカテーは自分を抱き抱える悠二の唇に口付けた。
 
 平井は見ている。
 
「ん‥‥‥‥」
 
 以前はおでこに口付けただけで気絶したヘカテー、もちろん本来はうぶな少女である。
 
 だが今は不自然なほどに積極的であり、気絶してしまいそうな恥ずかしさからくる顔の熱も、心地よく受け入れている。
 
 
(悠二は、私の‥‥恋人)
 
 
 
 
 二人は気づかなかった。
 
 ヘカテーはただ、やきもちを妬いたのだと思っていた。
 
 平井の想いを考えてヘカテーが胸を痛めた事など、二人は気づかなかった。
 
 
 
 
 全部知って、自分をにらみ、ヘカテーが自分の前で行なった口付け。
 
 そのヘカテーの仕草に、
 
(‥‥これで、いい)
 
 
 平井は、少しだけ、痛みを覚えた。
 
 
 
 そう‥‥‥少しだけ‥‥‥‥
 
 
 



[7921] 水色の星T 一章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/14 05:56
 
「りゃあ!」
 
「むっ!」
 
 完全に懐に入ったつもりで繰り出した短剣の刺突。
 
 しかし、その一撃は、曲刀の鍔元で受け止められる。
 
(踏み込みが甘い、か)
 
 受けとめた曲刀を振り抜かれ、その勢いに逆らわず、後ろに大きく後退する(体ごと弾き飛ばされる)。
 
 やはりまだまだ実戦不足。こういう間合いの取り方などの細かい所はまだまだ甘い。
 
 そして、その細かい所が決定的な『差』と言えるのだ。
 
 この鍛練は御崎市にいた頃からの彼女、平井ゆかりの習慣である。
 
 相手は『星黎殿』の守護者・"嵐蹄"フェコルー。
 
「お、大御巫のご友人に万一怪我でもさせてしまっては!」
 
 と、必死に遠慮するのを無理矢理説得(強制)した次第である。
 
 ちなみに、二人の武器は当人達の武器によく似せたレプリカ。剣に刃は無い、ただの鉄である。
 
 
「んじゃ、ラスト一本。行きますよ!」
 
「は‥‥は!」
 
 フェコルーに向けて、短剣を構える。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 の"純粋な戦闘能力"は、悠二やヘカテーはおろか、ベルペオル直属の『巡回士(ヴァンデラー)』にも及ばないだろう。
 
 それでも身の内に在る宝具・『オルゴール』の力で、戦い様はいくらでもあるが、やはり安定した強さは欲しいのだ。
 
 基礎鍛練は欠かせない。
 
「はっ!」
 
「むっ!」
 
 一合、二合、次々に刃を交わす。
 
 自分より間合いの長い武器を持った相手には慣れているのに、懐に入れない。
 
 さすがはベルペオルの『副官』である。
 
「くっ!」
 
 繰り出される曲刀の刺突、それを受け止め‥‥
 
「よ‥‥‥」
 
 その、力の拮抗する一点を支点にして、ふわりと、まるで湾曲刀に乗るかのように跳び上がり、
 
「っりゃあ!」
 
 そのまま体を捻って回し蹴りを放つ。
 
「くっ!」
 
 フェコルーも、それを腕で受け止めるが、僅かに体勢を崩す。
 
(ここ!)
 
 それを見逃さず、さらに体を独楽のように捻り、フェコルーの脇腹を蹴り飛ばす。
 
「ぐはっ!」
 
 不意を突かれたフェコルーは、横に数メートル吹っ飛ばされ、
 
「チャンス!」
 
 さらに平井は襲いかかる。
 
(くっ!)
 
 倒れた状態、まだ起き上がってもいない体勢の自分に襲いかかってくる平井に、フェコルーは焦る。
 
 咄嗟に、湾曲刀を斬り上げる形の斬撃を、起き上がりざまに繰り出し、
 
「ふっ!」
 
「な!?」
 
 紙一重で、掻い潜られ、次の瞬間‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 喉元に、短剣を突き付けられていた。
 
 
 息が詰まるような数秒を経て、
 
「やたー! 初めて一本取ったー!」
 
 フェコルーから短剣を引いた平井が、無邪気に跳ね回る。
 
「‥‥お見事でございます」
 
 フェコルーは、元々強さを誇るタイプではない。
 
 ミステスになってから半年も経っていないらしい少女の成長ぶりに、素直に感嘆と賞賛を示す。
 
「ふふん♪ 『マグネシア』にばっかり頼ってるから体術が鈍るのだよ、フェコルー君?」
 
「はあ、面目次第もありません」
 
 何やら偉そうにしている平井。
 
 その前の仕合いは全て勝っているのだから、もっと強気になってもいいはずだが、フェコルーは実に低姿勢である。
 
「んじゃ、私お風呂入ってきますから! 鍛練付き合ってくれてありがとうございます!」
 
 そのままの勢いでさっさと立ち去る平井。
 
 きちんとお礼は言って行く。
 
 
「‥‥‥半年程度」
 
 一人取り残されたフェコルーが、ハンカチでおでこを拭きながら、ポツリと呟いた。
 
 
 
 
「ふぅう〜〜〜!」
 
 やたらと広いヘカテー城の大浴場に、平井は思う存分浸かっていた。
 
 やはり、体を動かした後に入る風呂は格別である。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 今日はまだ、悠二やヘカテーには会っていない。
 
 昨日もあれから(と言っても寝るまでの僅かな時間だったが)、ヘカテーはずっとあの調子だった。
 
 悠二の腕を掻い込んで、こちらを少し睨んでくる。
 
 その仕草から、悠二に対する独占欲が溢れだしていた。
 
 可愛らしいものだ。
 
「‥‥‥‥ふ」
 
 掌の中にお湯を溜めて、ピュッと飛ばす。
 
 
 あれだけ仲良くしていた自分の想いを知ったヘカテーが、あれだけはっきりした態度をとった。
 
 ショックが無いと言えば嘘になるが、それは、それだけヘカテーが悠二を大好きだという事。
 
 わかりきっていた事。
 
 自分がずっと応援してきた事。
 
 そう在るべき姿。
 
 はじめから、受け入れていた事。
 
 
 ざぶんっ!
 
 頭から、湯船に浸かる。
 
 そして、顔を上げる。
 
 
「‥‥‥‥よし」
 
 元々、いつまでも隠しておくべき事ではなかったのだ。
 
 ヘカテーに知られたからといって、何が変わるわけでもない。
 
 また、言おう。
 
 ヘカテーに出会った時、耳打ちした言葉と同じような言葉を、もう一度伝えるだけでいい。
 
『大丈夫。悠二をとったりしないから』
 
 それだけで、また同じ鞘に納まる事が出来る。
 
 悠二は、ヘカテーの恋人だ。
 
 自分はただ、二人の親友として、傍にいられればそれでいい。
 
 悠二に想いを伝えられた。
 
 最後のわがままも遂げた。
 
 あとは、ただ傍にいられれば、
 
(こんなの‥‥何でもない)
 
 それさえ叶うなら、この胸の痛みも、寂しさも、寒さも‥‥
 
 
 耐えられる。
 
 
 
 湯船から顔を上げた少女の、髪に、顔に、頬に、温かい水が流れる。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ひとまず、一度自室に戻るために、広い廊下を歩く平井。
 
 外を見ても、こんな時間でも星空が広がっている。
 
 綺麗だとは思うが、やはり太陽の光も欲しいな、とは思う。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 自室にたどり着く。その隣には、ヘカテーと‥‥悠二の部屋。
 
 
 ‥‥身支度を済ませたら、早速伝えよう。
 
 それでまた、三人で進んでいける。
 
 そんな風に思って、平井は自室の扉を開く。
 
 そこに‥‥‥
 
「‥‥‥‥悠二?」
 
「ああ、来た。話って何?」
 
 愛しい少年を、見つけた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 
 所変わって、ここはベルペオルの自室。
 
 ベルペオルが机で『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の構成員達の各編成の書類に目を通している後ろで。
 
 やたらと不機嫌なオーラを出し続けている少女がいる。
 
 ベルペオルのベッドの上でうつぶせになり、足をパタパタと動かしながら、平井の部屋にあった女性ファッション誌を読んでいる。
 
 しかしその顔はむっすぅーと不機嫌にしかめられている。
 
 
 仕事している後ろにそんなのがいると、はっきり言って、ちょっと迷惑である。
 
 まあ、可愛いのだが。
 
 
「‥‥ヘカテー?」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 しかも、無視である。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 
 平井が悠二を好きだろうと、自分は譲る気など欠片もない。
 
 恋人なのだから、何を遠慮する事がある。
 
 口付けを交わし、誓いを結び。
 
 永遠に共に寄り添う。
 
 
(悠二は私の恋人。私は悠二の恋人)
 
 
 ヘカテーは、一般的な人間の恋愛が『一人の相手のみを愛する事』である事は知らない。
 
 ただ、悠二に対する独占欲の命じるままに行動しているだけだ。
 
 元々、そういうものなのかも知れない。
 
 
 だが、独占欲だけでは、ダメなのだ。
 
 相手を思いやる心が無ければいけない。
 
 それもわかっている。
 
 悠二の力に、支えに、なってみせる。
 
 自分は悠二の恋人なのだから。
 
 
 たとえ平井が、悠二に想いを寄せていても。
 
 たとえ平井が、自分より悠二と長い付き合いだとしても。
 
 たとえ平井が、自分には無い魅力をたくさん持っていても。
 
 たとえ平井が、悠二と生きるためなら、自らの存在を変質させられても笑顔でいられる少女でも。
 
 たとえ平井が、悠二のためならその狂おしい恋心を押さえ付けて、そんな痛みさえも耐えてみせる少女だとしても。
 
 そして、たとえ平井が自分の無二の親友だとしても。
 
 
(‥‥悠二は、私の恋人)
 
 あくまでも、悠二は自分の恋人なのだ。
 
 
 だから‥‥
 
 
 "貸して"あげるだけだ。
 
 
(‥‥‥‥ときどき)
 
 
 親友の痛み、自分の想い、そして、これからも共に歩みたい望み。
 
 悩み苦しんだ末に一つの答えを出した少女は、心中でポツリと付け足した。
 
 
 
 
 嬉しかった。
 
 あの少女の考えが、わかったから。
 
 この少年は気づいていないらしい。
 
 
 情けない。
 
 自分は、ただ傍にいさせて貰えるだけでいい。
 
 そう、覚悟していたはずなのに。
 
 そう決めていたはずなのに。
 
 少女の意図を受けて、少年を前にして、
 
 全く容易く、足が前に出ていた。
 
 出してはいけない足が、前に出ていた。
 
 ダメだとわかっていても、一歩、また一歩、前に。
 
 情けない。
 
 抑えられなかった。
 
 少年への想いを、抑えられなかった。
 
 だから‥‥‥
 
 少しだけ、少女の優しさに甘えた。
 
 
 甘えたままじゃいけないと、頭の隅をよぎりながら。
 
 
 
 
 その後、平井がベルペオルの部屋にヘカテーを迎えに行き、何やら耳打ちし、ヘカテーが大騒ぎするまでに、三十分もかからなかった。
 
 
 とても大切な、三十分。
 
 素敵な時間。
 
 
 



[7921] 水色の星T 一章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/15 19:59
 
「待ちなさい!」
 
「あははははは!」
 
 何やら騒いでいる平井とヘカテー。
 
 『ファーストキス』の持つ重要性をヘカテーに説明し、『あの時』の事も話した結果である。
 
「‥‥私は、旅立つ前に悠二にキスしました!」
 
「ええっ!?」
 
「‥‥‥それ、寝てる間でしょ? カウントすべきか微妙なトコかな〜?」
 
「っ〜〜〜〜!」
 
 驚愕する悠二、あっさり見抜く平井、そして平井に頭突きを繰り出すヘカテー。
 
 その後も平井とヘカテーの追い掛けっこは続き‥‥‥
 
「‥‥‥‥もう貸してあげません」
 
 ヘカテーは拗ねた。
 
 
 もっとも、それも平井がそう仕向けた事。
 
 ヘカテーをわざと刺激し、独占欲を促した。
 
 
 ヘカテーの心遣いは嬉しかった。
 
 実際、少しの時間、甘えてしまった。
 
 だが、甘えたままではいけない。
 
 そもそもが自分の横恋慕。
 
 そして、自分はヘカテーのお姉ちゃんなのだ。
 
 頼られる側でなければならない。
 
 
(‥‥しっかり、しなくちゃね!)
 
 
 充分、元気をもらったから。
 
 
 
 
 それから四日。
 
(?)
 
 慌ただしかったが、ようやく『星黎殿』にも慣れてきた悠二だったが、実際の所、未だに『不審人物』として扱われているため、基本的にはヘカテーの城の以外をうろつく事はない(当然、平井もだ)。
 
 そして元々、『三柱臣(トリニティ)』の『巫女』にお目通りが叶う者は極端に少ない。
 
 そんな風に『保護』されている悠二達である。
 
 話がそれたが、そんな悠二は最近、といっても昨日今日の話であるが、違和感を覚えている。
 
 違和感と言っても、徒の気配とかそういう事ではなくて、様子がおかしいのだ。
 
 ササッ!
 
「‥‥‥‥‥?」
 
 ヘカテーの様子が。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ちょっと前までは再会の喜び、今までの寂寥などから四六時中一緒にいて、ことあるごとにペタペタとくっていていたのだが、今は‥‥‥
 
「‥‥ヘカテー?」
 
 ササッ!
 
 何故か、半径二メートル以内には近寄ってこない。
 
 そして、昨夜はいつものように一緒に寝ないで、平井の部屋に泊まったのだ。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 手を伸ばしてみる。頭を撫でようと思ったのだ。
 
 が、
 
 ササッ!
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 近寄らないどころか、距離を取られる。
 
 これは、もしや‥‥
 
(‥‥避けられてる?)
 
 
 ぴゅう!
 
「あっ!」
 
 走り去ってしまった。
 
(な、何で‥‥‥!?)
 
 そんなに怒らせるような事をしただろうか?
 
 いや、今イチ心当たりがない。
 
(一体、何で‥‥)
 
 
 ポンポン
 
「?」
 
 肩を叩かれ、振り返れば、サングラスを掛けたダークスーツの男。"千変"シュドナイである。
 
 何やら親指を立てて、ニヒルに笑っている。
 
「ぐはあっ!?」
 
 とりあえず、殴っておいた。
 
 
 悠二は、先日あった、"いつも通りのちょっとした騒ぎ"の事などに、全く気を払わなかった。
 
 
 
 
(‥‥赤ちゃん)
 
 こちらは挙動不審なヘカテー。
 
 つい先日、坂井千草に子供が宿っている事を聞き、その話の延長で『子供の作り方』も聞く事になったのだが、彼女には少々刺激が強すぎた。
 
 幼い心に受けた激しい衝撃は、ヘカテーにとっての"対象"である悠二から距離を取らせていた。
 
(悠二も‥‥‥?)
 
 "そう"なのだろうか?
 
(私に‥‥?)
 
 そういう気持ちなのだろうか?
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 少女の幼い心が、現実を受け入れるには、もう少し時間が必要なようだった。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 "嵐蹄"フェコルー。
 
 ベルペオルの副官にして、『星黎殿』の守護者である。
 
 当然、通常の構成員には得難い、憧れの地位にいる彼は今、構成員達がたむろする酒保の片隅にいた。
 
 しかし、誰も彼を特別注視する事はない。
 
 彼は『星黎殿』を覆う『秘匿の聖室(クリュプタ)』の力を司る『トリヴィア』という宝具を使い、己の『王』としての力を隠している。
 
(これは‥‥まずい)
 
 彼は普段からこうやって一介の構成員のふりをして、組織全体の正確な把握に熱心に努めている。
 
 もっとも、そのせいで彼が"嵐蹄"として構成員に姿を現す時は、彼の自在法・『マグネシア』による立方体に姿を隠さなければならないのだが。
 
 そんなわけで彼は今日も視察をしていたわけだが、
 
「結局、あの"ミステス"達は一体何だってんだ?」
 
「あれ以来、大御巫の城に居座っていやがるしなあ」
 
「俺たちはあいつらに吹っ飛ばされたんだぞ!?」
 
「怒鳴るなよ。うるせえなあ」
 
「俺たちの将軍閣下を愚弄されっ放しでいいのかよ!」
 
 
(ままま、まずい)
 
 坂井悠二達が来てから今までは、ヘカテーが幸福絶頂になった事が瞬く間に伝わり、実際、位の高い構成員はヘカテーを直接見て大満足していたのだが、
 
 塞ぎ込んでいたヘカテーが立ち直った、という吉事からしばらく経ち、落ち着き、皆の注意が、『怪しい不審者達』に向き始めている。
 
 来るべくして来た事態であるが、予想よりも早く不審が広がっている。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 フェコルーはさりげなく酒保から出ていき、一つの仕掛けを発動させる。
 
 宝具・『トリヴィア』のもう一つの役割、『星黎殿』内部を自在に繋ぐ通路・『銀沙回廊』である。
 
 
 向かう先は、『参謀』"逆理の裁者"ベルペオル。
 
 
 
 
「悠二、みかん取って」
 
「‥‥はいはい」
 
 今、平井ゆかりの私室に、悠二とヘカテーも来ていた。
 
 あれから悠二がぶらついてから平井の部屋を訪れたら、先にヘカテーがやってきていたのだ。
 
 今もヘカテーは、いつものようにじゃれついてこない。
 
 平井の部屋に新設置されたコタツに、平井と横ならびに入っている。
 
 正確には、コタツの中から平井とヘカテーが並んで頭だけ出している(平井曰く、コタツムリだそうだ)。
 
 『星黎殿』はかなりの上空にあるし、今は冬、寒いのである。
 
 まあ、それはいいとして、
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 平井とヘカテーがコタツの中に詰まっているため、悠二は中に足を入れられない。
 
 横からあぐらをかいて少しだけ布団を掛けるような感じである。
 
 
 少し前までは、「まったく、しょうがないな」くらいに思えていたヘカテーの甘え癖、いきなり無くなると、何というか、その‥‥‥喪失感がある。
 
 チラッ
 
「‥‥ヘカテー?」
 
 ぷいっ
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 こんな風にチラチラと視線を送ってきては目を逸らすわけだから、嫌われたというわけではなさそうだが‥‥‥‥
 
(‥‥もしかして)
 
 押してダメなら引いてみろ、というやつをやっているのだろうか?
 
 いや、ヘカテーがそんな‥‥いや、でも平井辺りが入れ知恵をした可能性も‥‥‥
 
 もしそうなら、向こうの思惑に引っ掛かるのは面白くない。
 
 
 何やら一人でまるで見当外れな推測を巡らせる悠二。
 
 コンコン
 
 その思考が、一つの音に断ち切られる。
 
 ドアのノックである。
 
 
「ちょっと、いいかね?」
 
 
 
 
(改まって‥‥僕らの扱いに関する事かな)
 
(ま、そんな所かもね)
 
(‥‥今晩、どうしよう)
 
 平井の部屋にやってきたベルペオル(ついでにフェコルー)に、三者三様の思惑。
 
 いつもは何だかんだいってヘカテーのママ役の顔をしているベルペオルが、今は『参謀の顔』をしている。
 
 話し合う場がコタツなのは遺憾ともしがたいが。
 
「それで、話って?」
 
 悠二が、実に単刀直入に訊く。
 
 回りくどく訊いても仕方ない。
 
 
 ちなみに、フェコルーはコタツに入れず、平井が用意したクッションに座っている(それでも恐縮していた)。
 
「お前達の今後の扱いについて、さ」
 
 ベルペオルも返す。
 
 この答えは、フェコルーに言われてから考えたものではない。
 
 坂井悠二と平井ゆかりが訪れてからずっと考えていた一つの答えを、今まで渋っていたにすぎない。
 
 
 ベルペオルの、全く予想していなかった返答に、ヘカテーがビクッと肩を震わせる。
 
 恐る恐る、といった面持ちでベルペオルの顔を覗き込む。
 
 その仕草を見て、
 
(‥‥ああ)
 
 やはり、この答えしかないのだと、ベルペオルは認識する。
 
「‥‥それで?」
 
 さらに訊く平井に、今度はさらに迷いなく、告げる。
 
「平井ゆかり。お前を、『三柱臣』が『巫女』"頂の座"ヘカテーの副官に任命する」
 
「!?」
 
 
 組織全体を指揮するベルペオルや、軍の統括を行い、前線で戦うシュドナイとは違い、ヘカテーには今まで副官というものがなかった。
 
 それは、彼女が組織全体が守らねばならない最も尊い中核であり、定められた守護者がおらず、護衛の差配は必要に応じてベルペオルが差配していたから(強いて言うなら、シュドナイが護衛だったと言えなくもない、かも知れない)。
 
 そして、彼女の役割は他の誰にも手伝えるようなものではなかったため、そういう手助けのための副官も必要としなかった。
 
 その、今まで不要だった位に、平井を就かせる。
 
「‥‥いいんですか?」
 
 半ば呆けたように訊き返す平井にも、あっさり頷き返す。
 
 ヘカテーと近しく、何より、『ミステス』という危険な要素によって周囲から降り掛かるものから彼女を守るために、『地位』が必要なのだ。
 
 手を取り合って、目を輝かせて、平井がヘカテーを抱き上げてぐるぐる回りだす。
 
 ヘカテーも、表情こそあまり変わらないが、目が凄く嬉しそうだ。
 
 
 そんな双子葉類な二人を尻目に、ベルペオルは向き直る。
 
「さて‥‥‥」
 
 悠二に、
 
「そういう事で構いませんね?」
 
 少しだけ、皮肉っぽい口調で、
 
 
「我らが『盟主』、"祭礼の蛇"坂井悠二」
 
 
 そう、告げた。
 
 
 



[7921] 水色の星T 一章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/17 04:43
 
「‥‥『盟主』、かあ」
 
 ヘカテー城の屋上で、坂井悠二は寝そべりながら、偽りの星空を眺める。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ベルペオルの提案はつまり、本来なら『盟主』本人が『代行体』を手に入れた時点で就くはずだった玉座に悠二が就く事。
 
 そして、この『仮装舞踏会(バル・マスケ)』を率いて『大命』の第二段階を進める事。
 
 ‥‥可能性としては考えていた事だった。
 
 自分は本来の『盟主』と通じ、その力を引き出せる。
 
 そして、本来なら"この時点"、『大命』第一段階完了の時点で『代行体』が本来の椅子に座っているはずなのだ。
 
 言ってしまえば、"坂井悠二という不確定要素"を無視して計画をそのまま進めただけにすぎない。
 
 だが、あのベルペオルがそんな危うい手段を取り、そして自分を盟主として据えるなんて‥‥
 
『意外か?』
 
「そりゃ、ね」
 
 『当事者』と話すため、ほんの僅か、『大命詩篇』を起動させる。
 
「ヘカテーの事があるから、僕をこのまま使うしかないのはわかってたけど、まさか貴方の椅子に僕みたいな"ミステス"を座らせるとは、思わなかったかな」
 
 自分が味方に異物扱いされるのも承知の上で、この道を選んだつもりだったからこそ、意外であった。
 
 そんな悠二の何とも言えない感慨に対して、まるで「ふふん」と言う声が聞こえそうな、ちょっと馬鹿にするような、それでいて誇らしげな声が返る。
 
『我が軍師を低く見ぬ事だ。"今のお前の状態から"余の意思をも汲み取る事など造作もない』
 
「へえ‥‥‥」
 
 自分の椅子にミステスを座らせるという判断を下したベルペオルの意図をそう汲み取る『彼』、その信頼の様に感嘆が湧く。
 
 そして、おそらくそれは真実なのだろう。
 
(会わせてあげたいな)
 
 と思った。
 
『それで、どうする?』
 
 "わかっているくせに"訊ねてくる『彼』が、少しおかしかった。
 
「決まってる」
 
 少年の表情に浮かぶのは、おかしみと、覚悟と、
 
「踏み出すさ、『大命の王道』を」
 
 燃え立つような喜悦。
 
 
 
 
「おおぉ〜〜〜〜♪」
 
 先ほど、世話役の燐子が部屋に持ってきてくれた物を掲げ、平井ゆかりが感嘆の声を上げる。
 
 ちなみに、この燐子はベルペオルに遣わされたのであり、平井はこういった世話役に頼った事は一度もない。
 
(ふんふん。こうやって着る、と?)
 
 ヘカテーはあの巫女装束。悠二も、『盟主』として相応しい格好が取れる中、自分だけ私服というのもどうかと考えていた平井(面白い格好をしてみたかったとも言う)がベルペオルに要請して用意してもらった衣装である。
 
 実際はシュドナイやフェコルーだってただのスーツなのだから大して気にする必要などないが、まあ、ベルペオルにとっても大した手間ではないからあっさり要請は通った。
 
 左だけ肩当てのついた青い胸甲鎧、同色の籠手、白鉄の脛当てのついたアサルトブーツ、そして、それらの下に着る物らしき黒い上着と白のスカート。
 
 完全にRPG風の代物だが、平井の遊び心にはジャストフィットである。
 
(‥‥動き回るとスカート際どいかも)
 
 スパッツを履いておこう、と考える平井。
 
(あ!)
 
 一つの物に思い当たる。
 
 机の上に置いてある、金の装飾を施してある白い箱。
 
 平井の宝物箱である。もっとも、悠二とヘカテーも同じ物を持っているのだが。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 箱の中には二つだけ、入っている。
 
 一つは、この前三人で街で買った、銀のロケット。
 
 悠二とヘカテーも同じ物を持っており、自分達三人を示すのはこの色が良いというのは、三人の総意だった。
 
 そして、もう一つ。
 
 スッ
 
 自分のトレードマークを整えているヘアゴムを外し、箱の中にあるもう一つに手を伸ばす。
 
 これは、ヘカテーを探して悠二と旅をしていた時に悠二に買ってもらった物で、ヘカテーは知らない。
 
 悠二も、自分がこんなに大事にしているとは知らないだろう。
 
 二つ一組の、小さな珊瑚色の髪留め。
 
「ぃよし! 完成♪」
 
 それを着け、"頂の座"ヘカテーの副官・『オルゴール』の平井ゆかりの完成である。
 
(ん?)
 
 『オルゴール』の平井ゆかり。
 
 何か締まらない。
 
(‥‥何か、二つ名とか考えよっかなあ)
 
 悠二やヨーハン、ミステスにだって特別な通称はあるのだし、自分も何か‥‥‥
 
 コンコン
 
 そんな事まで考えている実にノリノリな平井の部屋の戸から、控えめな、悩ましげな音がする。
 
 昨日と同じである。
 
「今夜もこっち? ヘカテー」
 
 開いた扉から、悩ましげな少女が現れる。
 
 
 
 
 少し前に『星黎殿』を襲撃した"ミステス"、坂井悠二を『盟主』として迎え入れる。
 
 実際に『盟主』となるには準備が必要であるし、構成員の全てが常に『星黎殿』に詰めているわけではない。
 
 もちろん、世界に散らばっている全構成員を集め、それを待つわけもはいかない。
 
 だが、決定したその日のうちに『盟主』になるわけでもない。
 
 正式な盟主の謁見の式典は一週間後。
 
 それでも、すでに決定事項として、『仮装舞踏会』盟主就任の報は伝えられていた。
 
 古くから『仮装舞踏会』に仕えてきた構成員達の胸に、決して小さくない波紋を広げながら。
 
 
 
 
 幼い心に衝撃を受けたとはいえ、ヘカテーが二ヵ月の間に受けた心の傷は決して軽くない。
 
 しばらく離れていると、寂しくなり、辛くなり、寒くなる。
 
 不安になるのだ。
 
 離れている間に、悠二がまた傍からいなくなってしまう、そんな恐ろしさが湧き上がる。
 
 ここ数日一緒にいたから大丈夫だと思っていても、少しの間離れるとまた寂寥感に襲われる。
 
 
 ‥‥しかし、『あの事』が、否応なしに悠二との距離を取らせる。
 
 
 
 
(だからって‥‥)
 
 その結果、
 
(‥‥何で、こうなるかなあ)
 
 ガチガチに固まる体と、完全にテンパっている頭の隅で、少しだけ冷静な部分がそう語り掛ける。
 
 いつもと違う部屋、いつもと違うベッド、いつもと違う状態。
 
「‥‥‥悠、二」
 
 隣ですやすやと眠る水色の少女。
 
 全く、ついこの間まで拗ねていたくせに、信頼してるのか忘れているのか。
 
 まさか、気を遣っているという事もないだろうが、シールド扱いにされる方の身にもなって欲しい。
 
(こんなに、近い‥‥)
 
 反対側、こんな状況で、しばらくしたら呑気に眠っている少年。
 
 寝息が聞こえるほどに、匂いがわかるほどに、近い。
 
(‥‥‥まったく)
 
 どういう神経をしているのか。
 
 何を考えているのか。
 
 でも‥‥‥
 
(‥‥‥‥‥‥‥)
 
 当然、拒絶されたいわけはない。
 
 そんなエゴと、自分を拒まない少年の優しさに、甘えてはいけない。
 
 
 可愛い少女、この妹の邪魔はしたくない。
 
「‥むにゃ‥‥」
 
 ヘカテーの体をずらし、真ん中に移動させる。
 
「ん‥‥♪」
 
 引き寄せられるように、悠二の腕に頬擦りしている。
 
 まるで子猫だ。
 
 そう、これでいい。
 
 二人の間に割って入る事は出来ないし、したくない。
 
 想いを向けてもらう事は、望まない。
 
(だけど‥‥)
 
 ちゅ
 
 少年の頬に、ほんのわずか、唇で触れる。
 
 
(‥‥私があなたを好きでいる事だけ、許して)
 
 
 
 
 二ヵ月の間、引き籠もっていたヘカテー。
 
 今のヘカテーは、その空白の時間を埋めるように、全力で楽しい時間を求めていた。
 
 そして、それはヘカテーが街を去り、それを取り戻すための時間しか過ごしていなかった悠二と平井も同じ事。
 
 要するに、最近のヘカテーは悠二と平井を連れて遊び回っているというわけだ。
 
 今まではただ部屋で塞ぎ込んでいたのだから、まだマシとは言えるかも知れない。
 
 気持ちはわかるし、一週間くらい楽しませてあげたい。
 
 とはいえ、
 
「何を考えているのかねえ? お前は」
 
「?」
 
 対面、ホタテのスパゲッティを食べているヘカテーに軽くデコピンする。
 
 何故こづかれたのかわからないように首を傾げている。
 
 全く、この可愛い仕草に逆らえなかった自分も自分だが。
 
「まあまあ♪ ベルペオルさんもいつも仕事ばっかりじゃよくないですって!」
 
 隣で山菜スパゲッティを食べている平井にそうたしなめられる。
 
 この少女とも、身の上話をしてからは随分と仲が良い。
 
 ‥‥いや、素直に認めて、こちらが気に入っている。
 
「無理言ってすいません。ベルペオルさん」
 
 ミートスパゲッティを食べているヘカテーの恋人・坂井悠二。
 
 どうにも、不思議な少年だ。
 
 盟主と同調可能な性質は確実に持っており、実際、"ああ"なっている時の雰囲気はそっくりだ。
 
 だが、普段接していると、盟主の強烈に惹きつける魅力とは違う、不思議な‥‥‥そう、安心感がある。
 
 盟主が認めた唯一の人間。
 
 ‥‥嫌いではない。
 
 
 ちなみにここは、『星黎殿』の酒保ではない。
 
 地上の、パスタ専門店である(ちなみに、額の目は帽子で隠している)。
 
 カルボナーラが冷めてしまう。
 
 
 
 
 ヘカテーのわがままから始まったとはいえ、この事態を、構成員達はどう受けとめるだろう?
 
 あまり好印象にはなるまい。
 
 だが、本来の盟主も酔狂に過ぎる方。
 
 それに、この先『仮装舞踏会』を率いるなら、そんな不満など跳ね返してこそ。
 
 お手並み拝見、という所だ。
 
 
 ‥‥良いチーズ使ってる。
 
 
 



[7921] 水色の星T 一章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/24 20:15
 
 世の空を巡る『星黎殿』が今、とある地に数日、停泊している。
 
 気配隠蔽の異界・『秘匿の聖室(クリュプタ)』に囲まれているとはいえ、通常ではまずあり得ない長さである(昨今では『とある事情』にて巡回ルートが変更こそされていたが)。
 
 そして、その地に、世界各地に散らばっていた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の構成員達が次々に集まっていた。
 
 目的は一つ。先日、瞬く間に伝達された一つの重大な行事。
 
 永く空席だった玉座に、『仮装舞踏会』の『盟主』が即位する、その式典が行われるのだ。
 
 もっとも、彼らはそれを安易に喜んでいるというわけではなかった。
 
 数千年は昔の存在である『盟主』。今やその実態を直接知る者は極端に少ない。
 
 そんな、"盟主なる者"をその目で、肌で確かめようと彼らは集まったのだ。
 
 だが、実際はそれ以上に複雑な問題があった。
 
 
 
 
「"翠翔"ストラス!! こっちへ来い、一緒に飲め!」
 
 『星黎殿』の酒保の一つ、数多くの構成員達が賑わうそこで、怒号のような声が響く。
 
 象ほどに巨大な三本角の甲虫、"驀地しん"リベザルである。
 
 特大の木製ジョッキに注いだ蜂蜜酒をぐびぐびと飲んでいる。
 
「ご機嫌麗しゅう、とはいかないようですね。如何なさいました?」
 
 そのリベザルに呼ばれた首無しで、胸と腹に顔と呼ぶべきパーツを持つ鳥男、"翠翔"ストラスは、その乱暴な口調にも物怖じせずに返す。
 
 これは、組織内の伝達を受け持つ『布告官(ヘロルト)』たる彼が、人あしらいにも長けているためだ。
 
「如何もなにもあるか」
 
 鼻息荒く、リベザルはさらに蜂蜜酒を樽からおかわりする。
 
「おまえも見ただろう! 我らが盟主!? あれは『ミステス』じゃねえか! どんな宝具を蔵しているとしても、多少の力を宿しているとしても、俺たち"徒"が構成をいじってやれば四散する人間の喰いかすに過ぎん!」
 
 リベザルは途中から、相手ではなく自分に語りかけている。
 
 しかしストラスはしっかりと話を聴いている。聞き、伝える事こそが『布告官』たる彼の役割だからだ。
 
「そんな、どこの馬の骨とも知れん野郎に‥‥なんで俺たちの参謀閣下が、大御巫が傅かなきゃなんねえんだ!」
 
 ドンッ! と鉤爪の足が床に叩きつけられ、酒保全体が軋み、天井からぱらぱらと埃が落ちる。
 
 周囲の徒達も、手のつけられない乱暴者に迷惑そうな立ち去ったり、リベザルに同席する二人に救いを求める視線を送る。
 
(ははあ、なるほど。やはり、か)
 
 ストラスは、この状況の意味する所を容易に理解した。
 
 リベザルは組織の一構成員として、それ以上に力ある『紅世の王』として、それ以上にベルペオル直属の側近として、与えられた任務を果たす事に大きな歓喜と充実感を覚えていた。
 
 そんな自分が信奉する上官が、全く当たり前のように他者に膝を屈した事に、信奉した分だけ憤慨しているのである。
 
 そして、『盟主』。
 
 彼は半月前にこの『星黎殿』を襲撃した『ミステス』である。
 
 それがいきなり『盟主』。
 
 しかも、リベザルはその時の構成員達がその"力"を認めざるを得なかった出来事、"将軍との一騎討ち"を、客分である"狩人"フリアグネに妨害されて目にしていない。
 
(周囲の構成員達も‥‥)
 
 暴れ騒ぐリベザルに迷惑してはいても、『盟主への不敬』を咎める者は一人としていない。
 
 いや、むしろ雰囲気だけで判断するなら、支持しているとさえ言っていい。
 
(しかし、無理もない)
 
 ストラスでさえ、理屈の面では理解していた。
 
 『星黎殿』を襲撃したミステス。
 
 そして、傍目から見れば驚愕するほどに軽率そのものといった行動をとっている。
 
 巫女や参謀を連れて、である(実際はヘカテーが悠二やベルペオルを連れて遊び回っているのだが)。
 
 その"無礼な"振る舞いに憤慨する者は、決して少なくないだろう。
 
「呑み過ぎだよリベザル、蜂蜜酒でも酒は酒なんだから」
 
 そう、リベザルの持つ数珠の端を背伸びして引っ張るのはぶかぶかローブのやぶにらみの子供、"蠱溺の盃"ピルソイン。リベザルの相方である。
 
「おめえは黙ってろ! 甘いもんはかえって悪酔いするんだから問題ねえ!」
 
 ズレた応えを返すリベザルを、今度はストラスが宥める。
 
「まあ、そう荒れずに。なんなら私が、構成員の間に"そのような空気"がある事を上申しておきましょうか? 参謀閣下なら悪いようにはされないでしょう」
 
「それがいいよリベザル。そうしなよ」
 
「む‥‥」
 
 その良案に、リベザルは僅か、心揺るがされる、が‥‥
 
「いや、やっぱりダメだ」
 
 撤回し、それだけで終わらない。
 
「それよりいい事を思いついた。とりあえず、一緒にいてもらおう」
 
 そう言って、二人を脇に抱え込む。
 
 二人は当然、リベザルの言ういい事を、額面通りに受けとめられなかった。
 
 
 
 
「春なら、もっと綺麗だった、かな」
 
 『星黎殿』の停泊するこの地、その自然の中に、影が五つ。
 
「いえ、冬には冬の、喜びがあります」
 
 しゃがみ、緑の端を指先で撫でる、"頂の座"ヘカテー。
 
「昔からお前は、こういう所が好きだからねえ」
 
 緩やかな斜面に腰を下ろす、"逆理の裁者"ベルペオル。
 
「んー! 大自然♪」
 
 伸びをして大の字に寝転がる、ただいま二つ名を思案中の平井ゆかり。
 
「‥‥うん。綺麗だ」
 
 そして、"祭礼の蛇"坂井悠二。
 
 
 この三日、悠二達はこうして、この山間を散策していた。
 
「冬は見えども冬は去り、春は見えねど春の来る‥‥」
 
 それは、悠二、ヘカテー、そして、『彼』の総意。
 
「そは仮初の幻か、迷った時の悪戯か‥‥」
 
 "千変"シュドナイは先ほどまでここにいたが、一足先に『星黎殿』に戻っていた(彼が去る直前にタバコに火を点けようとした事が理由なのかどうかは定かではない)。
 
「知るは互いの、心のみ‥‥」 
 
 先ほどから歌っているのは、少し前から『星黎殿』に入り込んでいる徒、"笑謔の聘"ロフォカレ。
 
 干渉、迫害、賞賛、その全てを受けず、ただそこに在って奏でる特殊な存在。
 
 目深に被った三角帽、襟を立てた燕尾服という出で立ちである。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ベルペオルの胸裏には、不安の暗雲がある。
 
 盟主の意図を汲み取り、ヘカテーの想いを汲み取り、下した決断。
 
 それが、坂井悠二を盟主として『仮装舞踏会』を率いる事。
 
 だが、坂井悠二はあまりに不確定要素の多すぎる存在だ。
 
 ただ一人、盟主と共に在る者。
 
 それは今さら何を言う事もない。
 
 我が盟主の言葉とあれば、是非もあるまい。
 
 問題は、そのあまりに不安定な有り様だ。
 
 未完成な『大命詩篇』と同調可能な性質で『彼』と通じるミステス。
 
 まるで綱渡りのような危うさを伴った存在だ。
 
 
 そして、そんな危うさと不安を内包しながら進む道に、"喜び"を覚えてしまう、自分。
 
「‥‥できる、かね?」
 
 ふと、零れるように呟いていた。
 
 呟きの意味を違えず、声は返る。
 
「できるか、ではない」
 
 その返事に思わず顔を上げた一同の目に、凱甲から溢れる緋色の衣が流れる。
 
「断じてやる、それだけだ」
 
 頂から世を見渡す少年が、風に翻るように、盟主としての姿へと変わっていた。
 
「『かつての事といい、余はおまえを困らせてばかりだな。おまえの喜びに甘えて、結局は大きな辛さを与える。なんという不憫な盟主であろう』」
 
「!?」
 
 まるで盟主本人であるかのような口振りに、ベルペオルは狼狽し、
 
「『だが、二度とはしくじらぬ。お前たちのためにも』」
 
 焦り、
 
「だ、そうだ」
 
 呆気にとられる。
 
「っ〜〜〜〜!」
 
 早合点してしまいそうになった自分に、羞恥心が広がる。
 
 悠二、そして平井やヘカテーもそれを知って、指摘はしない。
 
 
「この道を踏み出す前に‥‥」
 
 今度は、悠二自身の言葉が綴られる。
 
「感じておきたかった。広がり満ちる、生の世界というものを‥‥。お前たちと共に」
 
 振り返り、微笑む。
 
 そして、今度は天を仰ぎ、強く、強く告げる。
 
「やはり、"こうでなくてはならぬ"」
 
 
 少しの間、一同がその姿に感銘を受けた後。
 
「はい」
 
 ヘカテーがはっきり応え、
 
「やっぱり、雰囲気変わるね〜」
 
 平井が、茶化し、
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ベルペオルが、黙る。
 
 
「どうした、フェコルー」
 
「はっ!」
 
 何やら固まっているベルペオルに代わり、悠二がやってきたフェコルーに訊ねる。
 
「我らが盟主、謁見の式典の準備、整いましてございます」
 
「御苦労、"嵐蹄"」
 
 衣を翻し、悠二が歩を進める。
 
「じゃあ、いこうか」
 
 いつもの口調で、微笑みと共に促す悠二に、ヘカテーが腕を絡め、平井が、反対側に寄り添い、ベルペオルが‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 少し遅れてから、
 
(『我らが盟主』、か)
 
 追い掛け、並んだ。
 
 



[7921] 水色の星T 一章エピローグ『欲望の肯定者』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/24 20:17
 
 双頭城門から一直線。大扉を三つほども開いた先に先に広がる、五廊式の大伽藍。
 
 白いトンネルのような果てしなく広い空間、床には赤い絨毯が、祭壇ではない、"舞台の上の舞台"に伸び、天井にはフレスコによる彩色が一面施されている。
 
 それは、通常見られる宗教的な図面とは異なる。
 
 中央を大きく貫きのたうつ黒い蛇と、それを背に広がり奔る"紅世の徒"達。
 
 誰も絡み合わず掴み合わない、切り裂かれず切り裂かれない、噛み砕かず、噛み砕かれない、ただ蛇を中心にどこまでも進んでゆく、彼ら『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の有り様だった。
 
「見ていろ馬の骨が。参謀閣下や大御巫への礼儀を、この俺が叩き込んでやる」
 
 今、この図を解する者多数、解さぬ者もまた多数、『仮装舞踏会』の構成員達が、絨毯から数歩の間を置いて詰めかけ、犇めきあっている。
 
 そう、永く空座だった『盟主』。
 
 その謁見の式典と、『大命』の令達である。
 
「ほ、本気でそんな大それた事を!?」
 
 『大命』という言葉を初めて聞いた構成員も、実のところ多い。
 
 組織の秘中の秘たる"何か"というのが大半の構成員達の認識である。
 
「やめなよリベザル! 絶対不味いってば!」
 
 その『大命』が、盟主と共に明かされる。
 
 数千年も昔の存在である盟主と、それが本気で取り組む『大命』。
 
 いずれものイメージが桁違いすぎてピンときていない者こそいるが、それでも彼らの熱気は最高潮に達していた。
 
「構うものか。俺たちは位階等級によって畏怖や敬慕を受けるわけじゃない。ただ力によって、それのみが互いの在り方を決める」
 
 そんな流れにあって、熱狂に同調する"どころではない"三人。
 
 言うまでもなく、ストラス、ピルソイン、そしてリベザルである。
 
 ストラスもピルソインも、巨体のリベザルの上部一組の腕に抱え込まれているという珍妙ながら微笑ましい光景だが、当人達、とりわけ捕われている二人はそれどころではない。
 
 下手をしてもしなくても、悪巧みの片棒を担いだという嫌疑をかけられる瀬戸際なのである。
 
「しかし、よりにもよってそれを盟主に仕掛けるなど」
 
「だいたい位階って、盟主様は"それどころの御方じゃないんだよ"!?」
 
 リベザルも、元来が愚鈍の男ではない。自分の行為の持つ意味くらいは重々承知していた。
 
 ただ、今は心棒する『三柱臣(トリニティ)』を傅かせる者を試す。その価値を腕ずくで見極める、という厚い忠誠心の裏返したる激情の虜となっている。
 
「大体、将軍閣下が適わなかった御方にどうするつもりさ!?」
 
 そんなリベザルを、相棒として心から気遣って叫ぶピルソイン。
 
 彼は、丁度"この場所"で『盟主』と『将軍』の戦いを目にしている。
 
 だが、今のリベザルには完全に逆効果だった。
 
「‥‥ふん、どのみち俺の企図を知った以上、放免は出来ん。せいぜい俺に捕われていた、という言い訳作りのためにそこで暴れていろ」
 
 最初からこの計画に入れ込んでいたリベザルが、今の一言で完全に"意地"になる。
 
(ええい、こうなれば!)
 
(もう、仕様のないやつ!)
 
 リベザルの無茶な要求、そこから滲み出る頑なさから、危機感を感じた二人が、式典に泥を塗る騒ぎも辞さずと力を込める、
 
 次の瞬間‥‥
 
 シン‥‥
 
 まるで"音の静まる音"が響いたように、大伽藍が静まり返る。
 
 城主一党のみが通る事を許される大扉が開いたのだ。
 
 リベザルを止めるつもりだった二人は、その静けさの中で何かをする事を躊躇し、そして、その隙をこそリベザルは突く。
 
(あ!)
 
(馬鹿!)
 
 二人を放り出し、下部一組の腕に絡み付いていた数珠を、無数の玉に弾けさせる。
 
 その見つめる先で、リベザルやストラス、ピルソインに限らずに、驚愕の光景があった。
 
 先頭を歩くミステスの少年。
 
 彼が、『盟主』。
 
 その真後ろを歩き、鎖を周囲に浮かべるベルペオル。
 
 右後ろを歩き、剛槍を担ぐシュドナイ。
 
 盟主の姿を初めて見る者はこれも十分驚愕に当たるかも知れないが、"一応"ここまでは良しとする。
 
 明らかな驚愕の対象は‥‥‥
 
 てくてくてく
 
 盟主の左後ろ、とはいえ、他の二人より明らかに近い位置を寄り添い歩くヘカテーである。
 
(((誰だ、あれは?)))
 
 表情こそ無表情にも見えるが、ミステスの少年に寄り添い歩くその姿、歩く様、そして雰囲気。
 
 "頂の座"ヘカテーを知る構成員達が目を丸くし、目をこすり、頬をつねる。
 
 あの冷厳な巫女が、全身から愛らしい小動物のような雰囲気を撒き散らしているのだ。
 
(やれやれ)
 
 誰も口にこそ出していないが、構成員達の間に広がる驚嘆の空気を、ベルペオルは容易に察していた。
 
 この謁見の式典。実を言うと、坂井悠二のお披露目のみならず、"このヘカテー"のお披露目も兼ねているのだ。
 
 このヘカテーを見た構成員が、"こう"した原因たる盟主を邪見にする可能性は低い。
 
 ‥‥自分がそうだったし。
 
 構成員、特に最前列の者達が驚嘆する中、どういった作法か、ベルペオルとシュドナイが足を止める。
 
「?」
 
 ヘカテーはベルペオルに抱き上げられる。
 
 異様人形、大小の猛者らの突き刺さるような視線に動じる様子もなく、一人、歩く。
 
 盟主、後頭より黒い竜尾を伸ばし、緋色の衣と凱甲を纏う、少年である。
 
 特段華美な容貌ではないが、ただ、異様に落ち着いている。
 
 まず徒が力量として測る貫禄も、妙に掴みづらい。
 
 得体の知れないモノ、構成員達がそんな風に感じる中、
 
 己を存分に見せ付けるように大伽藍の中央を歩いていた盟主とやらが一点、足を止めた。
 
 笑って、
 
「名乗れ!!」
 
 鋭く、群集に向かって手を差し伸べる。
 
 声の先、突然の行動に驚く徒らの後方で、自らの企図を知られたリベザルがギョッとなる。
 
 なって、これが盟主からの舞踏への招待である事も同時に気付かされた。
 
 ぶちのめしたい、試したい、走りたい、ぶつかりたい、戦いたい、それら、
 
 "欲望の肯定"。
 
「『巡回士(ヴァンデラー)』、"驀地しん"リベザル!!」
 
 突然の『代表者』の出現に、構成員らは沸き上がり、熱狂する。
 
 やや外れた壁にもたれるような位置にいて、こうなる事を知っていたフリアグネが面白そうに、マリアンヌがハラハラしながら、リャナンシーが興味なさそうに、そして平井ゆかりが大喜びで見守っている。
 
 予見していたベルペオルやシュドナイも、平然とそれを見守る。
 
 ただ一人、ヘカテーだけが、少年の危機に、ベルペオルの腕の中でじたばたと暴れている。
 
 ズンッと巨重が踏み出し、叫喚と喧騒を押し退けて、リベザルが進みゆく。
 
 彼は見た目ほど単純な猪武者ではない。本人としても、招待された以上、無様な舞踏を見せる気はない。そして、"準備も整っている"。
 
「我らの盟主足るか、御身が力を賭して見せ侯え!!」
 
 凶暴な喜びの怒号が大伽藍に響き、ばら撒かれていた数珠玉から弁柄色の炎を撒いて膨れ上がる。
 
 それらは合わさり、形を為し、彼と全く同じ七体の姿を象った。
 
 本人を合わせた八体のリベザルが円陣を作り、少年を押し包む。
 
 他の七体より本人が一歩先んじている姿に、挑む者の気骨を感じ取った悠二は浮き上がる。
 
 リベザルは一瞬逃げるつもりかと憤りかける、が、その浮遊はある一点で止まる。
 
 巨体のリベザルと顔を見合わせる、"受けて立つ位置"である。
 
 それに気付き、歓喜し、勇躍し、猛進する。
 
「っはあああああああ!!」
 
 歓呼のような咆哮と共に、全身全霊の力を三本角に宿して挑みかかる。
 
 僅か遅れ、威力も同等の七体の分身も雪崩れ込み、はるかに小柄な盟主を包み込み、
 
 ドガァアアアアン!!
 
 空気が裂かれ、腹の底を震わす余韻が薄れ、
 
「よくぞ‥‥」
 
「っ!?」
 
 盟主の、穏やかな声が響いた。
 
「よくぞ、ここまで育った」
 
「うお、お!?」
 
 驚愕するリベザルの本体の角を、横からではなく、前に在る物を掴むように正面から、右の掌が捉えていた。
 
 他の七体の分身の角も、少年の後頭から伸長した竜尾に受け止められている。
 
 体は浮かび上がった位置から毛ほども動かず、その漆黒の鱗にも、一点の傷さえ見えない。
 
 少年の顔には、どこまでも強烈な、燃え立つような喜悦。
 
 その、瞬間的に湧いた盟主の途方もない力に畏怖を感じたリベザルは、しかし怯みはしない。
 
 そんなものは己が身命、存在を惜しむ者の感じる雑念だと切り捨てていた。
 
 そう、"今はそれどころではない"。
 
 欲望を肯定し、自分を招いてくれた相手がここにいるのだ。
 
 燃えるような、痺れるような喜悦を顔に乗せて。
 
(挑まねば!)
 
 それしか、考えられない。どころか、
 
(戦う力はまだまだあるんだ。一の手とは違う様々な手を、力の全てをぶつけたい。この、ここにある存在を、俺は乗り越えたい!!)
 
 そんな、身の程知らずな狂熱に駆られていた、が、
 
「一番槍見事。"驀地しん"リベザル」
 
 少年による称揚で、
 
「‥‥‥っ、は?」
 
 自然と、彼の方膝は落ちた。
 
 次いで両膝、四つの掌も全て、絨毯に落ちる。
 
 招かれて火を点し、力をぶつけてたぎった心が今、称揚と共に熔けていた。
 
 敗北感、劣等感、陰性なものは欠片もない。
 
 快く欲望を受け取り、
 
 持てる力をぶつけ合い、
 
 歓喜と共に行為を認める。
 
 そんな、彼ら"紅世の徒"の主たる者の姿を、リベザルは盟主に見ていた。
 
 燃え立つ喜悦に伝染するように、全身に飛び掛かった時以上の激情が打ち震わせる。
 
(っぐうう! ーーーっ、残念だ!!)
 
 震え、感極まり、平伏する。
 
「ははぁーーー!!」
 
 その態度に嘘偽りのないまま、心の中では大きく叫んでいた。
 
(俺と、"この御方"との戦いが終わっちまった!!)
 
 その姿は、リベザル以外の『仮装舞踏会』の徒達をも同様の感情を抱かせる。
 
 “欲望の肯定者”。
 
 強大な力のみではない、彼の有り様そのものに対する敬服を、ここに在る徒らは肌身に感じ、心魂で喜び、態度で認めていた。
 
 彼こそが、この『仮装舞踏会』の戴く盟主たる者である、と。
 
 
「さあ立て、"紅世の徒"よ。留まる猶予は、我らにはない」
 
 盟主の言葉に、リベザル、そして同様にひれ伏していた構成員達が顔を上げる中、
 
 ひれ伏していなかった、『三柱臣』を含む幾人かのうちの一人、平井ゆかりがごそごそして、
 
 ピイッ!
 
 何か、紐を引っ張る。
 
 パァンと音が鳴り、いつ仕掛けたのかも知らないくす玉が弾け、何やら下がってくる。
 
 
『祝☆盟主就任&もうすぐクリスマス♪』
 
 
 え? 留まる猶予はないってそういう事?
 
 などという思考を誰かが抱いたかどうかは、定かではない。
 
 
 
 
 時は弾け、動きだす。
 
 誰にも止め得ぬ、力を以て。
 
 
 



[7921] 水色の星 二章『動きだした歯車』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/28 21:07
 
「始めよう」
 
 『星黎殿』総出の大クリスマスパーティーや、御崎市に降臨したサンタクロース、平井とシュドナイの失恋談義、ヘカテー達のクリスマスプレゼントなどなど、
 
 とにかくひたすらに楽しんで騒いだクリスマス。今はその終わり際、零時前である。
 
「‥‥はい」
 
 『星黎殿』は、上半分の城砦部と、地下とも言える下半分の岩塊部の二つに大別され、岩塊部には秘匿施設も多く存在する。
 
 今、その岩塊部に最近になって作られたやたら広い空洞に、三人の男女が居る。
 
 緋色の衣と凱甲を纏い、漆黒の竜尾を翻す少年、"祭礼の蛇"坂井悠二。
 
 白いネグリジェの上に、寒さを凌ぐたもの青い上着を羽織る"頂の座"ヘカテー。
 
 そして、パジャマの上から深緑のちゃんちゃんこを着こなす紫のショートカット、"螺旋の風琴"リャナンシーである。
 
 余計な騒ぎを避けるため、この空間内だけの封絶は張っている。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 悠二が、目を閉じたヘカテーの右手に、そっと自分の左手を重ね、握り締める。
 
 途端に、ただ手と手で触れ合っている以上の、互いの繋がりを明確に認識できる。
 
 ヘカテーの固有能力。他者との『器』の共有である。
 
「‥‥‥師匠」
 
「いつでも構わんよ」
 
 師の了解を得て、言葉も交わさず、目配せもせず、心の中だけでヘカテーにも了解を取る。
 
 ズッ‥‥‥!
 
 悠二、そしてヘカテーから一気に溢れだした大量の存在の力が炎のように湧き上がる。
 
 そして、その莫大な存在の力は、まるで栓の抜けた湯船の湯のように、一つのものへと飲み込まれていく。
 
 そう、リャナンシーが無造作に差し出した右手の上にある、眼球ほどの大きさの毛糸玉に、である。
 
「‥‥‥くっ」
 
 存在の力を、一挙怒涛の勢いで吐き出し続けた悠二とヘカテーのが、力のほぼ全てを無くして僅かによろめいた、次の瞬間、
 
「‥‥‥っと」
 
「っ‥‥‥!」
 
「零時だ」
 
 身の内に宝具・『零時迷子』を持つ悠二の体に、消費した存在の力が一気に回復する。
 
 そして、その効力は『器』を重ねていたヘカテーにも作用する。
 
 二人の存在は、たちどころに放出する前の力を漲らせていた。
 
「‥‥うむ。もう随分と溜まってきたな」
 
 "これ"をやるのは、実は初めてではない。
 
 少し前から、この大空洞が出来る前からの習慣であった(クリスマスにはやっていないが)。
 
「いつもありがとう。師匠」
 
 労いの言葉を掛けながら、悠二も寝間着代わりの青いジャージ姿に戻っていく。
 
「それは構わんが、やはりこうやって力を常に私が統御しておかねばならないのでは、不便極まりない」
 
 これは、リャナンシーが力を保有出来る絶対量が多い、というわけではない。
 
 むしろ、彼女の保持出来る力は非常に小さく、"紅世の徒"は、己の限界以上の存在の力を持てば、その意志を呑み込まれ、存在を薄められ、終には消え去ってしまう。
 
 "これ"は彼女が紅世最高の自在師であり、"己の外で"限界以上の力を統御する自在法を扱えるからこそ出来る芸当である。
 
 かつて彼女の望みを叶えたのもこの自在法の力あってのもの。
 
 このような例外もあり、また自在法は個々の個性に応じてどんな力を有していても不思議ではないため、一概に、持てる存在の力だけでその実力は測れない。
 
「‥‥やはり、おじさまの力が必要でしょうか?」
 
 ヘカテーの言うおじさまとは、リャナンシーと並び称される『教授』こと、"耽探求究"ダンタリオンの事だ。
 
 異才ながら超のつく変人である彼とヘカテーは、何故か仲が良い。
 
「まあ、彼がこちらの思惑通りに手を貸してくれるかは疑問だがな」
 
 そう返すリャナンシー。
 
 実は彼女も教授とは旧知の間柄である。
 
 時に迷惑を、時に影響を、かけたりかけられたりしながら数百年、互いに様々な惨禍や成果を史上に残している。
 
 正反対の本質と志向を持ちながら、あるいはそれゆえか、平然と双方、互いの有り様を尊重しあっている。
 
 今や最もポピュラーかつ、徒にもフレイムヘイズにも欠かせない自在法・『封絶』も、教授が作り出した複雑で非効率で大雑把な自在式を、リャナンシーが誰にでも扱えるように改良を施した、ある意味この二人の『合作』だったりする。
 
「『我学の結晶』、だったっけ?」
 
 一人、教授についてそれほど詳しくない悠二が口を挟む。
 
「‥ぁ‥‥‥ええ、それがおじさまの、力です」
 
 そう、小さくあくびしたヘカテーが、やや得意気に返す。
 
 教授の能力は『物質の具現化』である。
 
 通常の徒やフレイムヘイズが起こすのは風や炎、雷や氷などの『一時的な干渉』だが、教授の『我学』は本来なら自身のみに行う『顕現』を"他の物質"にも作用させる、『永続的な実体化』という特異独自なもの。
 
 ちなみに本人曰く、『宝具にして宝具にあらず』。
 
「確かに凄いけど、協力してくれるかなぁ」
 
 やや気のないように悠二は呟く。
 
 今までの教授とのやり取りから、一筋縄ではいかなそうというイメージくらいは湧いている。
 
「ぼやくのはそのくらいにして、今日は早くその眠り姫を連れていってやる事だな」
 
 少しからかうように言ったリャナンシーの言葉に目をやると、さっきまで起きていたヘカテーが立ったまま、こてんと悠二に寄りかかって寝息を立てている。
 
「‥‥‥くす」
 
 なんの不安もなさそうなその寝顔に、意味もなく嬉しくなる。
 
 横抱きに抱き上げて、小さな頭を少しだけ深く抱き寄せる。
 
 眠りながら、嬉しそうに顔を埋める少女を連れて、悠二は自分達の部屋へと足を向ける。
 
 
 
 
 先日の盟主謁見の式典にて、"坂井悠二の"披見は十分に済み、誰もが悠二の着任に異は唱えない。
 
 しかし、それは悠二に限っての話である。
 
 平井ゆかり、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の巫女、"頂の座"ヘカテーの副官である。
 
 が、悠二が認められ、盟主と巫女と実に親しいという理由だけで皆が皆、そんな今まで聞いた事もない役職に就かせる事に首を縦に振るわけもない。
 
 "平井自身"を認められなければ意味はないだろう。
 
 しかし、そんな実状は彼女にとってむしろ好都合だとさえ言えた。
 
 
 
 
「次!」
 
 『星黎殿』内に設けられた鍛練場、封絶に囲まれたその空間で、少女の活発な声が響く。
 
 死屍累々と(いや、死んでないが)積み上げられた『仮装舞踏会』の構成員達を背に、ビシッと胴着を着こんだ平井の触角がピコピコと上下に揺れる。
 
 このやたら荒々しい催し、他でもない平井自身の発案である。
 
「構成員達に鍛練に付き合って欲しい」
 
 ただそう、大々的に宣伝しただけ、それだけで今の平井の待遇を不満に思う者は続々と集まってきた。
 
 結果はこれである。
 
 
「ぃよし! 次はオレだ!!」
 
 そう意気込むのは『巡回士(ヴァンデラー)』のリベザル。
 
 彼の場合、平井の腕試しというよりは『盟主の御前試合』に対するやる気に満ちている。
 
 一度忠節を向ければこれほどに真っ直ぐ、かわいい甲虫である。
 
 
「‥‥はじめ」
 
 両者の中間点くらいにいるヘカテー(審判)がピーッと笛を鳴らす。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 両者、ジリジリと距離を取りながら円を描くように動く。
 
(いい感じ)
 
 平井は、悠二のように一気に他者を惹き付けるような真似は出来ない。
 
 むしろ、"馴染む"方が得意であると自覚していた。
 
 だからこれは、あくまでも実力を示すための行為。
 
 そして、ただ純粋な鍛練。
 
 これから先の事を考えれば、悠二やヘカテーと肩を並べるだけの実力が欲しい。
 
 少なくとも、限りなくそれに近い力が。
 
 
「ふんっ!」
 
 開いていた距離から半歩踏み出し、リベザルが二本の右腕を振り下ろす。
 
 元々が象ほどの巨体なのだ。それなりに開いていた間合いが容易く潰される。
 
(速っ‥‥!)
 
 その見た目からは想像し難い速さの一撃を、しかし軽いステップで躱した平井が、さらに一足跳びでリベザルの懐に跳び込もうとして、
 
「捕まえ‥‥‥」
 
 リベザルの上一組の両腕が、ハンマーパンチのように振り下ろされる、が‥‥‥
 
「た!」
 
「むっ!!」
 
 バシッと、その一撃を平井が受け止め、その足下の床がひび割れる。
 
(ちぃっ!)
 
 心中で舌打ちしたリベザルが、さらに下一組の腕で平井を捕らえようとして、
 
「なっ‥‥!」
 
 平井がまるで曲芸のように、さっき受け止めたリベザルの上一組の両腕を"前転"する。
 
 当然、下一組の腕は空を切り、
 
 そのまま宙で体をひねりながら回した平井が、
 
「ムーンサルト!」
 
 リベザルの角の根元を蹴っ飛ばし、軽々と、盛大に吹き飛ばす。
 
 怒ったリベザルが騒ぎ、白熱するバトルを、少し離れた壁際で、悠二とリャナンシーが眺めている。
 
 
(ゆかりの強みは、あの身の軽さだ)
 
 と、内心で感心する悠二の思考を読んだように、リャナンシーは問い掛ける。
 
「確かに彼女は速いな。だが、あの力強さは元来のものではあるまい?」
 
 あっさり見抜いた紅世最高の自在師に、呆れまじりの感嘆を覚える。
 
「うん。実は今、『オルゴール』に『強化』の式を刻んでる」
 
 そう、平井が身に宿す宝具・『オルゴール』は、一度刻んだ自在式を、本人の技量に関わらず半永続的に奏でてくれる。
 
 今刻まれている『強化』は悠二が施したものだ。
 
 
「お、終わったかな」
 
 興奮したリベザルが無茶をやらかす前に、審判のヘカテーが止めたらしい。
 
 
(‥‥うん、いける)
 
 鍛練をこなしながら、平井はこの手応えを噛み締めていた。
 
 能力のわからない相手との連戦。
 
 向こうはこっちが気に入らないから本気でくる者も多い。
 
 極めて実戦に近い環境の鍛練で、自分の力量がどんどん伸びていくのがわかる。
 
 心地よい昂揚感だった。
 
(‥‥これの力なトコも結構あるけどね)
 
 そっと、自分の胸に手をやり、その奥にある宝具を感じる。
 
 どんな曲も自在に奏でてくれる『オルゴール』。
 
 形を変え、決まった姿を持たない旋律。
 
(‥‥‥‥うん)
 
 
 "万華響"の平井ゆかり。
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/04/30 20:00
 
「ふっ!」
 
 構えた大太刀・『贄殿遮那』の切っ先から、延長するように紅蓮の"火の粉"が結晶する。
 
「成功、かな」
 
「うむ」
 
「大分安定してきたようでありますな」
 
「無問題(モウマンタイ)」
 
 今、御崎の佐藤邸の庭園に、三つにして六人の影がある。
 
 これは自在法の鍛練。主に生徒たる『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールの、である。
 
 "以前あった存在の力の供給源"が今はないため、すぐに回復するようなほんのわずかな力、つまり火の粉で構築されてはいるが、『これ』は今までの火炎を放射して爆発を起こす形式とは違う。
 
 高熱による溶解と擬似的な実体化による灼熱の大太刀、のはずだ。
 
 火の粉で構築しているため今イチ実感が湧かないが‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥」
 
 シャナは確認の意味を込めて、紅蓮の灼眼を監督たるフレイムヘイズに向ける。
 
 それに気付いた『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーも、
 
「形の顕現さえ成功すれば後は感覚を掴めば完成よ。そのデカい刀の」
 
 やや面倒くさそうに手を振りながらも、先ほどの"保護者三名"同様に合格を言い渡し、ついでに軽くアドバイス。
 
「ま、よーするにじゃんじゃん使ってさっさと慣れろ、っつーわけだ! ッヒヒ!」
 
 マージョリーの相棒、"蹂躙の爪牙"マルコシアスが、わかりやすく補足する。
 
 そう、フレイムヘイズ屈指の自在師たる『弔詞の詠み手』は、封絶や場所などの都合を自分に合わせる事を条件に、自在法構築の指導を請け負っているのだ(ちなみにメリヒムは他者の都合に合わせて動きはしない)。
 
「っすげえ‥‥‥」
 
 佐藤家の庭園なのだから自然といえば自然だが、この場には『邪魔にならない』事を条件に、佐藤啓作も居合わせていた。
 
 『この世の本当の事』に関する事に接する機会を逃すつもりはない、という意気込みからの行動らしい。
 
 無論、シャナ達の役にも、佐藤の役にも立つわけではないが。
 
 少年の感銘の声にも、フレイムヘイズ達は特に反応は示さない。
 
「いっそ先んじて名称をつけ、明確な認識の手助けとしてはいかがでありましょう」
 
「愛着必至」
 
 年中メイド服の『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメル、そしてその契約者、"夢幻の冠帯"ティアマトーが、火の粉で構築された大太刀を見上げて呟く。
 
「ふむ‥‥。悪くない考えだが、名称自体も含め、決めるのは本人であるべきだ」
 
「名称?」
 
 アラストールがさりげなく同意するが、当のシャナは訝しげな声を出す。
 
 元来がハッタリやケレン味に乏しい実直な性格であり、現に今までもわざわざ自身の能力に気取った名称は付けていない。
 
「急に、言われても」
 
 本人としては拘りもない以上、強いて拒否する気もないが、良い名称も浮かばない。
 
「事象としては好例が」
 
 思いつかないシャナに、ヴィルヘルミナが静かに語り始める。
 
「先代『炎髪灼眼の討ち手』の力は、『騎士団(ナイツ)』という名称でありました。
 彼女にとって、強さの象徴的イメージが、『自身を先頭に切り込む騎士の軍団』だったからであります」
 
 無二の戦友、その背中を想い、ヴィルヘルミナは言葉を紡ぐ。
 
「名前‥‥‥」
 
(私の、強さのイメージ)
 
 考え、しかし、直感的に『それ』に結び付く。
 
(自分、自身)
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そう気付き、途端に鮮明になったイメージが、大太刀の輪郭をより明確にする。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 しかし、ただ、何処か気持ちが別の場所にあるようだった。
 
(名前、か‥‥)
 
『君は‥‥‥』
 
「‥‥シャ、ナ」
 
 誰にも聞こえないほど小さく、呟いた。
 
 
 
 
「依然、手掛かり無しでありますか」
 
「行方不明?」
 
「はい‥‥」
 
 鍛練を終え、ついでのように佐藤家の室内バーにお邪魔しているヴィルヘルミナ。
 
 目の前のテーブルには佐藤が外界宿(アウトロー)第八支部から持ち帰った書類が散雑している。
 
 そして、彼女の言う手掛かりが、誰に関する物なのか、この場にいる全員が理解もしている。
 
(まさか、再会出来たのでありましょうか)
 
(推測不毛)
 
 秋に姿を消した"頂の座"ヘカテー。
 
 そしてそれを追って、同様に姿を消した坂井悠二と平井ゆかりの事である。
 
 彼女らの元々の間柄を考えれば、そんな結果に繋がった事自体は必然であるようにも思えたが、腑に落ちない点が多すぎた。
 
 何故、ヘカテーが消えてからあんなにもの間、行動を起こさなかったのか。
 
 あの、姿を消すまでの坂井悠二の態度は何だったのか。
 
 そして極めつけが‥‥
 
("あれ"でありますな)
 
(赤服天使)
 
 クリスマスの朝、目覚めて玄関先を見たら、確かに昨晩は無かった物が置いてあった。リボンの包装付きで。
 
 平たく言うとクリスマスプレゼントである。
 
 二人分のお揃いの緩い縦縞のパジャマと、メロンパンを模したキャラクターのぬいぐるみが入っていた(たしか、『メロンパンサー』だったはずだ)。
 
 他の『関係者』の元にも、同じようにプレゼントがあったらしい(人間の家では枕元に置いてあったようだ)。
 
 『サンタクロースより』としか書いていなかったが、誰の仕業か、つい、想像してしまう。
 
(一体、どういう事でありましょう)
 
 あの、実に彼女達らしい催し。
 
 だが、あれは坂井悠二と平井ゆかりの二人で行われた事なのか。
 
 それとも、すでに"頂の座"と再会し、三人で為された事なのか。
 
 だとすれば、何故戻ってこない?
 
 何故‥‥
 
(‥‥何も言わずに、旅立ったのでありますか)
 
 
 
 
「ねえ、母さん」
 
「何、健? 今ちょっと手が離せないんだけど」
 
 家のテーブルで晩御飯の支度を手伝いもせずに完成を待つ吉田健が、今まさに油作業をしている母親に話し掛ける。
 
「最近姉ちゃん、部屋に籠もってる時間増えたよな。勉強中に部屋に入れてくれなくなったし」
 
 実につまらなそうに愚痴る。
 
 この生意気極まりない少年は、時に優しく、時に厳しく、時に怖い姉が大好きだった。
 
 姉の言う『サカイ君』の事も、姉の誕生日に実物を見て、しかも何やら姉の親友で、昔からよく家にも遊びに来ていた平井ゆかり、そして何やら無表情な小さな少女までと仲睦まじくしているのを見た時には、元々の半ば無関心だったか気持ちも甚だ不愉快なものへと変わった。
 
 まあ、その時に若さゆえの感情の暴走で嫌がらせをしてやろうと画策はしたが、実行どころか下準備の段階で鼻から赤いのが流れる結果になったのだが。
 
「一美、もしかして大学いいトコ狙ってたりするのかしらね〜?」
 
 元々が成績優秀な娘ゆえに、そんな風に考える母親。
 
 まあ、二人共心配している事は確かではあるのだが、それ以上に信頼があるのだ。
 
 ちゃんと、立ち直れる娘なのだと。
 
 二人共、吉田一美がしばらく前から朝、お弁当を自分の分しか作っていない事には触れなかった。
 
 
 
 
「ふぅ」
 
 机に向かっていた一人の少女が、グッと伸びをして溜め息を吐く。
 
 積まれた書類の広がる机は"どこぞの少年"の物の様とよく似ていた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ふと、机の上のライトの側に置いてある写真立てに目を向ける。
 
 写真立ては二つ。右側にあるのは夏に皆で、クラスの友人の多くも含めて撮った、いかにも集合写真然とした賑やかな物。
 
 少女、吉田一美が今目を向けたのは、その隣の少し小さめの写真立てである。
 
 写真の中には三人の少年少女。
 
 近衛史菜、いや、"頂の座"ヘカテーを中心に置いて、両隣には平井ゆかりと、そして坂井悠二。
 
「‥‥‥ったく」
 
 チラッと、棚の上にある新品の黒板消しに目を向け、また写真に戻す。
 
 クリスマスの朝、枕元に置いてあった物であった(ついでに、顔には落書きがされていた)。
 
 パチンと、写真の真ん中の少女に指を弾き当てる。
 
(‥‥使う相手が、いねーだろーが)
 
 
 
 
 燃え盛るの炎の中、一人の少年と、一人の少女。
 
 倒れ伏す少女は、誓いの証。戦いを介して育ててきた愛娘。
 
 血に塗れ、右腕と両足を断ち切られて失い、立ち上がる事すら出来ない。
 
 見下ろす少年は、自分を死にも等しい状態から拾い上げ、共に戦った事もある、何処か奇妙なミステス。
 
 こちらも同様に血に塗れ、ふらつき、しかし、大剣を提げて立っている。
 
 そして自分は、それを傍で、ただ眺めているだけ。
 
 体は動かない。声も出ない。二人も、自分の存在に気付きもしない。
 
 完全な傍観者。
 
 少女が叫び、少年が呟く。
 
 少年の唇が、その言葉を紡ぐ過程で‥‥‥
 
「っ!」
 
 "夢から覚める"。
 
「はあ‥‥‥‥」
 
 もう何度目だ。この夢を見るのは。
 
(己に重ねすぎだ。馬鹿め)
 
 と、銀髪の長身の男、"虹の翼"メリヒムは自身に吐き捨てる。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 それでも、自身がかつて負った『傷』は、また同じように思考を巡らせる。
 
(‥‥‥‥シャナ)
 
 あの時の自分と、あの少女が同じように見えてしまうのは、愚かなのだろうか。
 
 
 
 
「いや、本当は平井君が行くはずだったんだけどね」
 
 御崎市に隣接する大戸市、関東外界宿(アウトロー)第八支部で、妙に歯切れ悪く、支部長である中年男が語る。
 
「その、嫌ならまた別の機会にでも‥‥」
 
「行きます」
 
 目の前の二人、吉田一美と佐藤啓作のうち、吉田が、支部長の言葉を切るように断言する。
 
 そう、今回の事は大した用ではない。というより、念のため、直接運ぶ様にしている重要案件を持っていくだけの『お使い』である。
 
 まあ、外界宿からすれば行くのが二人である必然性はないが、二人にとっては重要極まる事柄。
 
 これは本来は平井が『招待』された案件であり、その空いた枠に吉田と佐藤を据えてみよう、という相手方の"思いつき"であった。
 
 所詮はただのお使い。それに、平井ゆかりとよく似た境遇である二人を見てみたい、という事らしい。
 
「で、誰ですか。そのいい加減な思いつきの張本人は?」
 
 すでに行く気満々の吉田が、無造作に支部長の前の一枚の書簡をむしり取る。
 
 何やら最近威厳が無いとか陰口を叩かれている支部長がうなだれるのは無視して、吉田はその書簡を見る。
 
「ど、どうだ、吉田ちゃん?」
 
 少々興奮状態になっている佐藤と対称的に、吉田は平然と張本人の名を読み上げる。
 
 
「‥‥東京総本部所属、"縻砕の裂眥(びさいのれっせい)"バラルのフレイムヘイズ、『輝爍の撒き手』レベッカ・リード」
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/02 20:16
 
「はあっ!」
 
 横合いから放たれる翡翠の炎弾に、
 
「ふっ!」
 
 こちらも黒の炎弾を放ち、撃ち落とす、のみに止まらず、そのまま連射して反撃する。
 
 読んでいたのか、その炎の連弾を、少女・平井ゆかりは『飛翔』の中で次々に躱していく。
 
(ヘカテーは‥‥?)
 
 自分で生み出した爆炎の中、もう一人の相手たる少女の姿を"見"失い、
 
(後ろ!)
 
 捉える。
 
 ガキィン!
 
 後方上空から振り下ろされた大杖型宝具・『トライゴン』を、大剣型宝具『吸血鬼(ブルートザオガー)』で"後ろを見ずに"受け止める。
 
「もらっ‥‥」
 
 片手持ちの柄を握らない自由な左手を少女に向け、そのまま捕らえようとすれば、
 
「っと!」
 
 再び、横合いから翡翠の炎弾が放たれる。
 
 ヘカテーに伸ばしていた手を引っ込め、後ろに跳んでこれを躱す。
 
 互いが互いの隙をフォローしてくるため、なかなか勝負がつかない。
 
 自由同様後ろに跳び退いていたヘカテーと、その横に並んだ平井が構えている。
 
(来る、か?)
 
 だが、それを待つのも面白くない。
 
「喰らえ」
 
 悠二の左腕に自在式が巻き付き、次の瞬間に轟然と炎を湧き上がらせる。
 
 さらにそれが黒炎の大蛇となって二人に伸びる。
 
 悠二の自在法・『蛇紋(セルペンス)』。
 
「ヘカテー!」
 
「はい!」
 
 その襲いくる炎の蛇、最初の標的になった平井が、
 
「っむ!」
 
 何とかその一撃を躱す。
 
 前に。
 
「っ!?」
 
 悠二に驚いている暇はない。
 
 平井に攻撃を仕掛けている間も、ヘカテーは他の事に一切構わず悠二に向かってきている。
 
 そしてそれは平井も同じ。
 
 ガン!
 
 再び大剣と大杖が火花を散らす。
 
 そのまま二合も打ち合う間に、平井まで接近してくる。
 
 遠隔誘導が可能な『蛇紋』も、接近されては使い勝手が悪くなるし、集中力も乱れる。
 
 だが、平井達がそこを突いたのと同様、悠二も自分の弱点くらいわかっている。
 
「っふん!」
 
 悠二の後頭から伸びる竜尾がさらに伸長し、平井を迎え討とうと振るわれ、その一撃は平井に惜しくも躱される。
 
 だが、それで十分。
 
 ブンッ!
 
 その間も、ヘカテーの攻撃を何とか捌く。
 
 上体を反らす。たった今まで自分の頭があった場所を大杖が通りすぎ、前髪が風に揺れる。
 
 クンッと、左手首を振ると、それに合わせて黒蛇がうねり、平井を背後から襲う。
 
「っひゃわ!?」
 
 平井はこれも躱す。すばしっこい。
 
 ギィン!
 
 また一撃、ヘカテーの大杖を受け止め‥‥
 
「っわ!?」
 
 たと思った瞬間、見えない何かが、体を後方に弾き飛ばされた。
 
 今まで何度か見たヘカテーの突風だ。
 
「むっ!」
 
 竜尾で後方の床をバンッと叩いて突風の勢いを殺し、逆撃の構えを取ろうとした悠二の周囲を、
 
(これは‥‥)
 
 翡翠色の羽根吹雪が包み込んでいた。
 
(ゆかりの‥‥『パパゲーナ』!)
 
 そして、それだけに止まらず、ヘカテーの周囲を無数の光弾が舞っている。
 
(不味‥‥‥!)
 
「「『星羽連弾(ゆカテー・コンビネィション)』!!」」
 
 
 水色と翡翠の光が、封絶の中を埋め尽くした。
 
 
 
 
(何処に‥‥?)
 
 直撃の瞬間、あの竜尾が渦巻いているのを見た。
 
 おそらく、全く効いていないわけではなくとも、威力は殺されたはず。
 
 この煙と炎の中、どこかに‥‥‥
 
(いた‥‥!)
 
 薄らと、三人の中で一番背丈の大きい影が見える。
 
 自分の背の小ささを今だけは感謝して後方に回り、大杖・『トライゴン』をぎゅっと握り締める。
 
 いざ飛び掛かろうとした、次の瞬間に、影が、迫って、
 
「っ!」
 
 反射的に跳び退いた空間が、大剣によって薙がれ、斬撃の軌跡のように剣や炎が斬り裂かれる。
 
 一瞬速く、気付かれた。あるいは、最初から気付いていて誘われた?
 
 そんな思考をまとめる時間は、ヘカテーにはなかった。
 
 斬撃から息もつかせぬ連撃となって、黒炎の蛇が放たれる。
 
「『星』よ!」
 
 ヘカテーは空中前転の要領で、蛇の頭に光弾を至近距離で叩きつけ、そのまま体を回して悠二の懐に飛び込み、一撃を‥‥
 
 スカッ!
 
「‥‥‥‥‥」
 
 届かない。見れば、悠二の後頭から伸びる竜尾が、自分の首根っこをつまみ上げている。
 
 "三つめ"があったようだ。
 
「‥‥引き分け、かな?」
 
 ヘカテーを捕らえた悠二が、苦笑混じりに呟く。
 
 その胸元に、『パパゲーナ』の切っ先が突き付けられていた。
 
 悠二がヘカテーに集中した一瞬の隙を平井が突いたのだ。
 
 悠二はヘカテーを、平井は悠二を、やろうと思えばいつでもやれる体勢で三人は停止していた(ヘカテーはつままれていた)。
 
 それが、あっさりと解かれる。
 
 鍛練の終了だった。
 
「二人とも、本気で撃つんだもんなぁ」
 
 悠二が、先ほどの『ゆカテー・コンビネィション』、本気で危なかった一撃の事をぼやく。
 
 最近は『顕現』していても、普段通りに振る舞う事にも慣れてきた(あとはまあ、気分次第である)。
 
「ある程度本気でやらなければ無意味です」
 
 久しぶりにしっかりした所を見せようとするヘカテーだが、未だにつままれているため何とも言い難い。
 
「で、どう?」
 
 平井はこの鍛練の主眼について訊ねる。
 
「‥‥うん、大分良いよ。問題ない」
 
 この鍛練は悠二が『大命詩篇』の扱いを向上させるための鍛練でもある。
 
 あの姿を取っている間、複雑怪奇な『大命詩篇』を複数同時に稼働させているのだ。
 
 それに、『創造神』の力を引き出し、使っていると言っても、別に悠二自身の存在の力が増えているわけでもない。
 
 一見はあの"千変"や"狩人"を圧倒するほどの最強の力に見えても、その有り様は不安定極まりなく、それゆえにリスクも高い。
 
 鍛練などで鍛え、具合を窺う事はいくらやってもやりすぎという事はない(もちろん、『連携鍛練』の意味もある)。
 
 その考えの下、この鍛練を端で眺めていた一人の女怪。
 
 『参謀』、"逆理の裁者"ベルペオルである。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 のんびりと三人に歩み寄りながら、その思考は『大命詩篇』に向いている。
 
(‥‥"感知能力"が、異常に高い)
 
 そんな能力。宝具・『零時迷子』にも、それに刻んだ『大命詩篇』にもありはしない。
 
 確か、先代・『零時迷子』のミステスたる『永遠の恋人』ヨーハンにも無かったはずだ。
 
 またしても不確定要素。
 
 紅世最高の自在師たる"螺旋の風琴"がいるとはいえ、あれは『創造神』の御業。
 
 やはり、不安は残る。
 
 そして、これ以上の不安を内包したまま進む事は出来ない。
 
(やはり、捕まえておかねばなるまいね)
 
 長く『大命詩篇』を解析し、携わり続けてきた、あの男を。
 
「ところで、いつまでつまみ上げとくつもりだい?」
 
 ベルペオルが、「んゃあ‥‥!」と言いながら竜尾にぶらさがっているヘカテーを指して言う。
 
 この『つまみ上げ』が密かにお気に入りだというのは悠二だけの秘密だ。
 
 
 
 
「断る」
 
「フ、フリアグネ様‥‥!」
 
「‥‥‥‥‥」
 
 壁の一面がガラス張りの、存分に星空を見渡せる位置にある休憩所でコーヒーブレイクを楽しむ"狩人"フリアグネと、その恋人たる燐子マリアンヌの許を訪ねる者あり。
 
 先ほど、坂井悠二達の鍛練を眺めていたベルペオルである。
 
「勘違いしてもらいたくはないな。君達の『盟主』‥‥いや、坂井悠二に興味を持ってここには来たが、下僕になった覚えはない。
 便利使いされる筋合いはないよ」
 
「‥‥そうかね」
 
 予想以上に扱い辛い手合いだ、と思いながら、ベルペオルは首肯する。
 
 世を好きに渡り、他者の言葉に耳を貸さず、やりたくない事はまずやらない。
 
 実に"紅世の徒"らしい男だった。
 
「大体、わざわざ部外者の私に頼まなくとも、手駒ならいくらでもあるだろう?」
 
「相手は"あの教授"だからね。並の使い手ではこの役は勤まらないし、我々の存在をこの時期に討滅の道具共に悟られる危険を冒したくもなかった。
 そういう意味でお前はうってつけだったのだがね」
 
 そう、ベルペオルの考える急務は"耽探求究"ダンタリオン教授の確保。
 
 ヘカテー同様、春からずっと探し、実際に一度見つけているのだが逃げられている。
 
 どうやらあの『革正団(レボルシオン)』の騒動にも参加していたらしい、というのは悔やまれる。
 
「教授探し?」
 
 汗を流してさっぱりした坂井悠二がベルペオルの後ろから話し掛けてくる。
 
(まずい‥‥)
 
 この流れに非常に嫌な予感をベルペオルは感じる。
 
「だ、そうです。何か、ダンタリオン教授にしか勤まらない役割があるとかで」
 
 ベルペオルの気も知らず、マリアンヌが全部喋ってしまう。
 
「おじさまが、どうかしたのですか?」
 
 まるで犬がするように、悠二の腕と体の間にズボッと頭を突っ込んだヘカテーが、目をキョロキョロさせる。
 
「にゃるほど。オッケー!」
 
 さらに、いつの間にか来ていた平井。
 
 ああ、この流れは‥‥
 
「僕達もちょうど、教授の手は借りたいと思ってたんだ」
 
「悠二の『銀時計』もあるから、適役かもね♪」
 
「私も行きます」
 
 ‥‥何か、勝手に話が進んでる?
 
「ちょ、ちょっとお待ちよ。ゆかりはともかく悠二とヘカテーは明るみに出せないから、ゆかりの『オルゴール』に『銀時計』を刻んで‥‥‥」
 
「『オルゴール』に『銀時計』入れちゃったら、ゆかりの力が半減するから‥‥」
 
「そうなれば、おじさまの捕縛は難しい。いや、そうでなくともゆかり一人では荷が重いです」
 
「だ、そうだ。私は三人に任せてゆっくりしようと思うのだが‥‥。紅茶飲む?」
 
「さ、参謀閣下すいません。私が口を滑らせたばかりに‥‥」
 
 『徒』に敬意を払うマリアンヌのフォローが唯一の救い、とか思ってしまった時点で、もう諦めた方がいいのかも知れない。
 
 
「ミッションスタート! 『おじさまを捕まえろ』♪」
 
 
 もういい、諦めた。好きにすればいい。
 
 砂糖が足りない。
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/07 21:05
 
 自宅のベッドで天井を、田中栄太は見つめていた。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 つい先ほど、佐藤啓作と吉田一美が東京へと発った(はずの時間だ)。
 
 ほんの小さなお使いのようなもの、しかし、フレイムヘイズまで詰めている東京総本部に足を運ぶのは、佐藤や吉田にとって重要な、"さらに足を踏み入れる"きっかけである事は容易に想像がついた。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 何をするでもなく、ぼんやりと、過ごす。
 
 坂井悠二と平井ゆかりが御崎市を去ってから、こんな時間が増えた。
 
(‥‥‥くそ)
 
 理由は、わかっているつもりだ。
 
 憧れた女傑に付いて行くと息を撒いて、相棒の佐藤と一緒に頑張ってトレーニングなんかをしてきて、
 
 『ある出来事』が、それら全てを根元からへし折った。
 
 それから立て続けに平井ゆかりが『人間』を失い、ヘカテーが去り、悠二と平井が去った。
 
 自分が逃げ出した非日常に、『自分の日常』が削り取られていく。
 
 そんな中で、結局何一つ出来ない自分に、どうしようもない、憤りを感じる。
 
 もう"あちら"に関わる事は出来ない。
 
 自分はそう思った。
 
 だが、平井は、吉田は、佐藤は違う。
 
 その事が、少年として猛烈に悔しかった。
 
(だから、か‥‥)
 
 ヘカテーが、友達がいなくなり、寂しかった。
 
 また日常が壊された、と思った。
 
 だが、脱け殻のようになった悠二を見て、どこか安心していたのだ。
 
(‥‥‥それは、)
 
 だが、そんな気持ちは、悠二と平井が御崎を去ったら、途端に霧散した。
 
 そして気付いた。
 
 "自分だけが腑抜けじゃない"。
 
 そんな、あまりにもかっこ悪い安心を、悠二を見て覚えていたという事に。
 
 だが、悠二は別に燻っていたわけではなかった。何かを想い、何かを成そうと進んでいた、はずだ。
 
 よりいっそう、惨めになる。
 
 そして、佐藤や吉田も、自分がしっぽを巻いて逃げ出した場所に、より深く向かって行く。
 
 自分には出来ない。
 
 それが当たり前だ、とも思う。
 
 だが、"それには意味がない"事もわかっている。
 
 自分にとっての当たり前は、あの友人達なのだから。
 
 それら全てをわかって、結局何一つ行動に移さずに、ずっと堂々巡りを続ける。
 
「‥‥俺に、どうしろってんだよ」
 
 呟いた問いには、誰も答をくれはしない。
 
 
 
 
「佐藤君、もっと落ち着いたら? 田舎者丸出しみたいで恥ずかしいんですけど」
 
「‥‥吉田ちゃん。毒舌が変わらんなら、むしろ強気な口調の方がマシなんだけど」
 
「今から慣らしとかないと、向こうでボロが出たら不味いでしょ?」
 
「‥‥ああ、そう」
 
 電車の人混みの中で、佐藤啓作と吉田一美は東京を目指す。
 
 関東外界宿(アウトロー)第八支部に乗り込んだ時点で覚悟は決めたつもりだったが、それでもどこか日常の延長のような錯覚があった。
 
 この、少年としての転換期に意気込み、出発前にマージョリーに会っておきたかったがために、マージョリーの(いつも通りの)起床を待っていたのだが‥‥
 
『はーいはい、お使いなんだからキチッとやんのよ』
 
 という、全くいつも通りの調子で忠告を送られた。
 
 ちなみに、あの『革正団(レボルシオン)』との戦いであんなマージョリーを目にした後も、別段自分への態度は変わっていない。
 
 そんな見送りの言葉に、"自分が彼女に"何かを期待してしまっていた事に何となくゲンナリしつつ、
 
(よし、やるぞ)
 
 気合いを入れ直す。
 
 幸い、というか何というか、吉田一美も一緒である。
 
 任された役目の使命感、というのもあるが、あの吉田とはいえ、『守る対象』がいる事は肚の決め方に違いがでる(情けないが、単に一人よりも緊張しないという事もある)。
 
(今から行く先にも、フレイムヘイズがいるんだよな)
 
 佐藤啓作は、若干空回り気味な気迫に満ちていた。
 
 
(‥‥‥挙動不審)
 
 隣にいる佐藤啓作を呆れ気味に見やる。
 
 佐藤がわざわざマージョリーに会う、とか言ったおかげで自分までちょっと遅れ気味に出発である。
 
 本当ならもっと早めに出て余裕を持ちたかったところだ。
 
(東京総本部‥‥)
 
 もちろん、今までとは一線を画す事になるだろう事はわかるが、入れ込み過ぎである。
 
 重要書類を入れた鞄を抱くように持ったままキョロキョロするのはやめて欲しい。
 
 あれでは目をつけてくれと言わんばかりだし、何より怪しすぎる。
 
(さて、どうなるか)
 
 少し前の出来事に、想いを馳せる。
 
 
『吉田一美さん、僕はあなたが好きです』
 
『ごめんなさい☆』
 
『‥‥(そこで即答する吉田さんもイイ)』
 
『‥‥お前さ、いい加減諦めろ。とっくにフられてるようなもんだろが』
 
『‥‥男を磨いて出なおしてきます』
 
 
「はぁ‥‥」
 
 諦めるつもりはないらしかった。
 
 状況次第でいくらでもストーカーになりうる奴である。
 
(阿呆が)
 
 さっさと諦めればいいものを。
 
 その気になれば別の相手などすぐに見つかりそうなものだ。
 
 例えば、クラスの藤田晴美などどうだろうか?
 
 お似合いのメガネカップルが誕生するだろうに。
 
 
(人の事、言えねえか‥‥)
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥」
 
 御崎市を去り、数ヶ月の間、あの"壊刃"サブラクに目を付けられる前のように自由気儘に世界を渡って、久しぶりに友人達に会いにこの島国に帰ってきた、のだが‥‥
 
「ここ百年程度、その噂を聞きはしなかったが、一体何を?」
 
「プライベート」
 
 面倒なのに捕まっていた。
 
 首都・東京。
 
 そこに今、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の"彩飄"フィレスと『永遠の恋人』ヨーハンは"通り道"として滞在していた。
 
「君達は知らないかも知れないが、近年の東アジアは徒にとってはかなりの危険地帯になっている」
 
 目の前、色白にして眉目秀麗、鳶色の瞳に短く刈り込まれた金髪。
 
 その鋭い眼光から重厚な存在感を感じさせる長身の男である。
 
(‥‥『骸躯の換え手』、アーネスト・フリーダー)
 
「ごご、ごめんなさいね! フリーダーちゃんも悪気があるんじゃなくて、少しでも皆の安全を考えてこんな!」
 
 フリーダーの胸元のポケットに刺さる小洒落た造花、『神器』・『アンブロシア』にその意識を表出させる"紅世の王"、"応化の伎芸"ブリギッドである。
 
 どうも、過保護な性格らしい。
 
 いちいち話し方や、思考回路が気に入らないこの男と、何やら毒気を抜かれるこの契約者。
 
 ‥‥ある意味、バランスの取れたいいコンビである。
 
「で、もう行っていいかい?」
 
「私達、フレイムヘイズってあんまり信用してないんだけど?」
 
「そそ、そこをなんとか!」
 
 ヨーハンも焦れてきているが、長引きそうである。
 
 
 
 
 馬鹿のように白けた緑の光が、薄暗く湿った地下の一室を埋め尽くす。
 
「教授〜〜、湿度、室温、材料共に完璧でございますでーす!」
 
 それは、ガスタンクのような姿の燐子・『お助けドミノ』。
 
「ん〜〜〜ふふふ。材料が整い次第! このあぁーたらしい発明の成果を試す段階に入ります!」
 
 それは、ひょろけた細長い姿に白いコートを羽織る『教授』。
 
「いぃーざ羽ばたけ! 美しい世界へぇー!!」
 
「まだ準備が完了していないんでございまふひはいひはい」
 
 
 それは、実験。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 少年の足下に、時計を模した銀色の自在式が展開される。
 
 その長針は目指すものの居場所を、短針はそれに行き着く距離を示す。
 
 式の上に立つ少年、坂井悠二独自の自在法・『銀時計』だ。
 
「ヘカテー、地図ある?」
 
「はい」
 
 傍にいたヘカテーが取り出した地図、それを、同じく傍にいた平井ゆかりがひったくる。
 
「‥‥まだ、日本にいたんだね」
 
 その方角と距離から、目標の位置を割り出し、地図にて探る。
 
 それは、
 
「‥‥東京、ですね」
 
 平井の横(下?)から覗き込むヘカテーが呟く。
 
 彼女にとっては、仲良しのおじさまと"まともに"会う久しぶりの機会である。
 
「東京、か」
 
 呟いて、歩きだす悠二に、ヘカテーと平井も続く。
 
 人目の無い所から抜け出し、街を歩く三人。
 
 彼らもまた、日本にいた。
 
 その目に、甘味処が映る。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 無言の、訴えるような眼差し(*2)が、悠二の背中に突き刺さる。
 
 あまりのんびりしてると、ベルペオルに心配をかけそうなのだ、が、どうにもこの視線には弱い。
 
「‥‥行こうか」
 
「! はい!」
 
「さっすが♪」
 
 
 ‥‥まあ、少し力の無駄遣いになるが、後で『転移』を使えばいいだろう。
 
 
 
 
「悠二」
 
 柏餅を食べ、お茶をすする悠二に、平井が声を掛ける。
 
「ん?」
 
 さっきまで、ヘカテーと顔を並べてお正月の雑誌を見ていたはずだが。
 
 ‥‥そういえば、明後日の夜は大晦日である。
 
「東京ってさ‥‥」
 
 久しぶりに見る、真剣な平井の声に、悠二も、ちまきを口いっぱいに頬張っていたヘカテーも顔を上げる。
 
「一美と佐藤君が来てるって、情報が入ってる」
 
 
 のんびりとした時間に、ほんの少しの沈黙が降りた。
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/05/09 12:23
 
「いつまで待たされるんだろうな‥‥」
 
「‥‥それ、六回目だぞ?」
 
 到着早々、豪華なホテルのような一室に、吉田一美と佐藤啓作は招かれていた。
 
 "たかがお使い"に対しては少々オーバーな待遇である。
 
 案内してくれた男(無論、構成員だろう)の話によると、御崎市における詳細な質問をしたいというフレイムヘイズが、『野暮用』で遅れているらしい。
 
 かれこれ二時間である。
 
(まあ、仕方ないか)
 
 と、佐藤は思う。
 
 遅刻の事ではなく、自分達に説明をしたい、という点についてだ。
 
 マージョリーの話によれば、これまでに御崎市で起こった一連の騒ぎは、フレイムヘイズの常識から見ても、こんな短期間で、それも同じ場所で起こるようなものではないらしい。
 
(書類報告だけじゃ不満ってのも当然な話だ、うん)
 
 と、心中で無駄に情報通を気取ってみる。
 
「‥‥ここ、本来は牢屋だな」
 
 客人らしからぬ傍若無人さで部屋を歩き回っていた吉田が、唐突に言い放つ。
 
「牢、屋‥‥?」
 
 あまりに突然な吉田の発言に、佐藤は理解が一拍遅れて‥‥‥
 
「って牢屋!? 一体どういう‥‥」
 
「さ・わ・ぐ・な。気付いてなかったのか?」
 
 若干呆れ気味に言う吉田。どうやら無駄話程度のつもりで口にしただけらしい。
 
「窓にはやけに太い格子が填まってるし、扉は内側に鍵がない。見てくれがソフトなだけの"閉じ込めるための部屋"だよ」
 
 ふ、と気付いたように瞬きをした吉田が、
 
「まあ、鍵が掛けられてないから閉じ込められたわけじゃないみたいだけど。
 もしこれが『適性試験』とかだったらアウトだね」
 
 扉を開け閉めしながら、口調を正し、にっこりと微笑んで続けた。
 
「あ、ああ‥‥そうなんだ?」
 
 驚くべきなのか安堵すべきなのか今イチわからない微妙な相槌を打つ。
 
 素直に部屋に入った、という事は吉田もすぐに気付いたわけではないようだが、自分よりは遥かに優秀な対応だ。
 
(平井ちゃんなら‥‥部屋に入る前に気付いた、かな?)
 
 何となく、そう思った。
 
 今の自分も、吉田も、結局は平井が踏み慣らした場所、その後釜のように用意された道を通っているようなものだ。
 
 今回のお使いも、本来なら卒業後に東京総本部に推薦され、その話が決まりかけた直後に『ミステス』となり、さらに興味を持たれた平井ゆかりという少女だからこそわざわざこんな機会が設けられたのだ。
 
 自分達は、その予定の軌道修正の流れに便乗したに過ぎない。
 
(‥‥と、だめだな。こんなんじゃ)
 
 無意味な劣等感に苛まれそうになる自身の心を戒める。
 
(俺は俺に出来る事を、マージョリーさんのために‥‥‥)
 
 と、今までの失敗や、受けた叱責からの教訓から、今は考えている。
 
『身の程知らずは足手まといだよ』
 
 『先輩』からの忠告でもある。
 
 自分に出来る事、出来ない事を見極めなければ、役には立てないのだ。
 
(うん、よし)
 
 そんな風に自分を冷静に捉えられ、それでいてやる気は損わない自身の心にほんの僅かな優越感を覚えていると、
 
「‥‥‥いから離せ!」
 
「‥‥まりますよ!」
 
 分厚い扉の向こうから、何やら声が聞こえてくる。
 
((怒鳴り声?))
 
 扉の傍にいた吉田と、その吉田の近くに歩いてきた佐藤が、顔を見合わせて頭に?を浮かべる。
 
「ですから! フリーダーさんに頼まれて‥‥」
 
「何でわざわざ支部から来たフリーダーを待たなきゃなんねんだよ!? 元々オレが呼んだんだろーが!?」
 
「いや、しかし‥‥」
 
 
(‥‥何だ?)
 
 何やら強烈な口調の女の声と、先ほど案内してくれた男の人の声(人間、だと思う)が言い合い、いや、男の方が必死に止めているような内容だが、『フリーダー』という名前は聞いた事がない。
 
 吉田の方はピクリと眉が動いたから、もしかしたら知っているのかも知れない。
 
 下調べの段階で吉田にも負けているらしい事実に僅か怯む。
 
 が、今は好奇心の方が勝る。
 
(どーなってるんだ?)
 
 自分達と無関係な可能性も十分にあるのに出ていって「何があったんですか?」と訊ねるほどでしゃばりではない。
 
 ドアの下にある開け口(これも、よく見れば軟禁した者に食事を渡すための開け口だ)から、少し無様な体制で覗く。
 
 残念ながら、足(しかも靴くらい)しか見えないが、やはりさっきの男の人と、もう一人。
 
(俺達を案内した人と揉めてるって事は、やっぱり俺達に関係ある‥‥)
 
 と、少々短絡的な考えに行き着きそうになった佐藤に‥‥‥
 
「‥‥お、マージョリーのお使いの少年か?」
 
 開け口から覗いていた視線に気付いたらしい女の声に打たれ、ビクッと離れ、立ち上がる。
 
 結果的に、直接出ていくよりよほど恥ずかしい事になってしまった。
 
「いいぜ。"まずは下がれ"」
 
 その、何処か楽しそうな声と、
 
「ああ、下がった方がいいよ?」
 
 やけにのんびりした、さっきとは違う男の声を聞き、その意味を理解する、より早く。
 
「下がれ馬鹿!」
 
 後ろから首根っこを引っ掴まれ、足を後ろから払われ、思い切り部屋の奥に引き倒される。
 
 それが吉田の仕業だ、と気付いた、瞬間だった。
 
 ドォオン!!
 
 桃色の閃光を撒いて、扉が爆発した。
 
 猛烈な衝撃と爆光が溢れ、その事に驚く最中、さらなる驚きに見舞われる。
 
 かなり頑丈に作られているであろう扉、その、四分の一ほどの、ひしゃげた破片が、倒れ込む佐藤の前髪を掠め、ドッと冷や汗が湧き出る。
 
 キーン、と、数秒、あるいは十数秒耳鳴りがして、肌がチリチリと灼かれるような感覚を感じながら、ようやく現実感が戻ってくる。
 
(‥‥生きてた)
 
 呆けたようにそんな事を考えた後、ハッとなったように顔を上げれば、吉田も自分の足の辺りに伏せている。
 
 自分を引き倒したと同時に彼女自身も伏せたらしい。
 
 扉に近かったせいか、吉田の方が受けた熱波がきつかったのか、起き上がって足をさすっている。
 
 意識が朦朧としてフラフラする。
 
「な、なんという事を! 無事ですか。お二方!」
 
「運を試しただけだろ、そうカッカするない」
 
 やたら慌てる案内男の声を流し、笑いながら瓦礫をガシャガシャと踏んで、女が入ってくる。
 
 女はこちらの姿を認めてニカッと笑う。
 
「よーし、五体満足で生きてるな。運のあるやつには、相応の対応をしてやるぜ」
 
 ショートの髪とギラギラした目つき、悪戯っぽい笑みが印象的な女性である。
 
 その女性は、威風堂々と部屋に入り、二人の前に立ちはだかり、
 
「オレは『輝爍の撒き手』レベッ‥‥‥」
 
 スプリンクラーの水を被って、不機嫌になった。
 
 
 
 
「いやぁ、すまないね。レベッカはいつもこんな調子だから」
 
 契約者と比べて随分とのんびりとしたこの声は、女性の手首の、閉じた瞳を意匠した金色のブレスレット型の『神器』・『クルワッハ』から発せられる、"麋砕の裂眥"バラルである。
 
「だーから、ただの運試しだろうがって」
 
 そして、ショートの髪がよく似合う細身の美人。
 しかしながら悪戯っぽい笑みと、少々過ぎた眼光のせいで無駄なくらいにドスが利いてしまっている。
 
 だらしなく裾をはみ出させたシャツに半端な長さのホットパンツ。分厚い革のジャケットに大きな長靴というチグハグな出で立ちが、只者ではない、という印象を助長させている。
 
 そう、『輝爍の撒き手』レベッカ・リードである。
 
「いえいえ、幸い私達も大した怪我もありませんでしたから」
 
 あれからとりあえず移動した医務室で簡単な治療をしながら、吉田が見事な外面で応対している。
 
 いきなり爆撃されたというのに、ここまで我慢強い吉田を、佐藤は初めて見る。
 
「こちらが預かっていた親書も無事でしたので、まずは目を通していただけますか?」
 
 にっこりと微笑んで差し出された書類を、
 
「‥‥‥ああ」
 
 何故か面白そうに受け取ろうと伸ばしたレベッカの手が、書類を、"通り過ぎて"‥‥
 
 ヒュッ!
 
 吉田の顔面に一直線の拳撃として繰り出される。
 
「っ!」
 
 突然の一撃、しかしもはや"想定内"と判断していた吉田が、ヘッドスリップでこれを躱す。
 
 さらに、
 
「ふっ!」
 
 書類を持たない左手によるアッパーを、レベッカの顎に向けて繰り出す。
 
「っ!」
 
 それを顎を引いて、レベッカは躱す。
 
 その間にも、吉田は後ろの佐藤に親書を放り、右手を空ける。
 
 レベッカと吉田の距離は、親書を渡そうとして吉田にパンチを繰り出した至近距離のままである。
 
「「はっ!」」
 
 互いに、鼻で笑うような掛け声と同時に、
 
 ガッ、と二人の右ストレートが交差する。
 
『‥‥‥‥‥‥‥』
 
 その場の全員の間に沈黙が降りる。
 
 互いの拳は、互いの顔のあった位置、今は顔の横で止まっている。
 
「とりあえず、その勘に障る猫かぶりをやめろや」
 
「吉田君。レベッカには遠回しな気遣いは要らない‥‥いや、通じないよ。
 もっと素直に接した方が話が早いと思うけどなあ」
 
「‥‥よーくわかった」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 吉田を睨むレベッカ。この期に及んで相変わらずな調子のバラル。何考えてるのかわからない吉田。そして一連の流れに置いてきぼりを喰った佐藤である。
 
(‥‥ああ、なんだ)
 
 佐藤は、このレベッカ・リードを見てから何となく感じていた、感じた事のある雰囲気に当たりをつけた。
 
(吉田さんに、似てるんだ)
 
 そんな、呑気な感想を抱いている間に、二人はバッと距離を取り、再び構えを‥‥
 
「ちょっと!? 二人共落ち着い‥‥‥」
 
「「てめえは黙ってろ!」」
 
 そっくりだ。
 
 もちろん、レベッカとて本気で殴りかかったわけではない。
 
 相手は人間、しかも少女、それくらいは承知の上では加減はしたが(というより、フレイムヘイズが本気で人間を殴れば確実に死ぬ)、
 
 しのがれると何となく対抗心が湧き上がる。
 
 そんな呑気だか剣呑だかわからない雰囲気は、一気に張り詰めたものへと変わる。
 
『っ!?』
 
 吉田や佐藤の持つ、マージョリーの栞のボッと鳴った光と、レベッカやバラルの感じた、強烈な違和感によって。
 
 
 
 
「行こうか」
 
「東京総本部、確か、『輝爍の撒き手』がいるトコだね」
 
「準備は万全です」
 
 誰の目も届かない高層ビルのだだっ広い屋上の真ん中に立つ、三人の少年少女。
 
「なるべく騒ぎを避けて、教授を捕まえる事だけに集中しよう」
 
「‥‥私達じゃなくて教授が騒ぎ起こしてそうなんだけど」
 
「おじさまはそういう方です」
 
 真剣なのか軽いのかわからない雰囲気の三人。
 
 その姿が、銀の光に包まれて、消えた。
 
 



[7921] 水色の星T 二章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/10 05:25
 
「‥‥‥‥‥」
 
「‥‥どうなってんだ?」
 
 栞の強烈な反応とほぼ同時にレベッカは封絶を張って飛び出してしまった。
 
 知り合いのフレイムヘイズのいない状況だと、この陽炎の世界はいつも以上に怖気を誘う。
 
 以前なら、まだフレイムヘイズの役に立てそうな宝具・『玻璃壇』が自分達にもあったが、それも元々主に使っていた平井ゆかりが持って行ってしまったため、今は無い。
 
 自分達が『人間』である事を思い知らされる、だけではない。
 
「封絶の範囲は!?」
 
「この街一帯! 徒の出現場所もこの街です!」
 
「馬鹿な! 何故こんな至近まで気付けなかった!?」
 
「本部にいない構成員達は!?」
 
「ここより敵に近い者はいないようです!?」
 
「『輝爍の撒き手』レベッカ・リード、『骸躯の換え手』アーネスト・フリーダー。両名が動けるはずですが!?」
 
 封絶の中だというのにそれぞれフレイムヘイズの力の込められた器物を所持しているのだろう外界宿(アウトロー)構成員達が、目まぐるしく動き始めていた。
 
 いつも、『この状況』では何をすればいいのかわからずに狼狽えている自分達とは違い、同じく『無力な人間』なのに何をすべきかをはっきりとわかっている動きだった。
 
 早くも、封絶の外への退避に移り始めている構成員も多い。
 
 それが賢明な判断だ、という事だろう。
 
 異能者ではない“同じ人間との”明白は差がそこにはあった。
 
 事実、この状況で役に立てる人材は極めて少なく、いざという時に犬死にするだけな人間はいない方が良い。
 
 もちろん、退避しない者もいる。そして、そんな人間達を守るフレイムヘイズにとって、この総本部は『守る対象』が一まとめに集まっている場所の目印となっていた。
 
 退避する者も、敵の位置から見て総本部が盾となるような経路で逃げているらしい。
 
「っ、逃げるぞ吉田ちゃん!」
 
 一人だったならこの、初めての異様な雰囲気に呑まれて何も出来なかったかも知れない佐藤。
 
 しかし、友達の少女、守るべき対象がいた事で何とか地に足をつけて行動出来た佐藤が、
 
 吉田の手を取って立ち上がった。
 
 
 
 
「‥‥なーんか、早くもやる気失せてきたなぁ」
 
「まあ、そうも言ってられないだろう。外界宿総本部のお膝元でこれだけ盛大に騒がれちゃ」
 
 二人で一人の『輝爍の撒き手』は、違和感の下へと飛びながら、敵の姿すら目にしていない段階でその表情は優れない。
 
 元来、彼女は感知能力に秀でたフレイムヘイズというわけではないが、この、やたら騒々しい気配は別だった。
 
 はっきり言って、こんな質の気配を持つ徒を、レベッカは一人しか知らない。
 
「これ‥‥。教授だよなあ」
 
「そうだねえ」
 
 常なら戦いに際しては決して出さない気の抜けた言葉に、バラルは常同様、否、少しうんざりしたように合いの手を打つ。
 
 教授こと"耽探求究"ダンタリオン。
 
 異才ながら超のつく変人として知られ、しかも一層タチが悪い事に強力な『紅世の王』である。
 
 その行動は一貫性が無く、一重に教授の好奇心のみに作用され、結果的にフレイムヘイズどころか、徒にすら彼を嫌う者は多かったりする。
 
 レベッカも、出来る事なら関わりたくない手合いである。
 
(先にフリーダーのやつが着かねーかなぁ‥‥)
 
 という願いも虚しく、もはや気配は目と鼻の先、別に何の変哲もない廃工場である。
 
 こんな場所にいたにも関わらず今まで気配に気付けなかったのだが、相手はあの教授である。どんな方法で気配を隠していても不思議ではない。
 
(とりあえず‥‥)
 
「先手必勝!」
 
 かざしたレベッカの右の掌に、桃色の光球が生まれ、放たれる。
 
 閃光を撒いて轟音を立てた廃工場が、桃色に炎上した。
 
 
 
 
「‥‥さっさと行けば?」
 
「‥‥君達が『これ』に関わっていないという保証がない」
 
 封絶に止まる世界で、さしたる態度の違いもなしにファミリーレストランでくつろぐ三者にして四者が在る。
 
「‥‥いくらなんでも、教授とつるむと思われるのは心外だな」
 
 『約束の二人(エンゲージ・リンク)』と、『骸躯の換え手』アーネスト・フリーダー、そして"応化の伎芸"ブリギッドである。
 
「タイミングが良すぎる、という事さ」
 
 このフリーダー、思慮深いと言えば聞こえがいいが、直接対する者としてはあまり気分の良い相手ではない("詐欺師野郎"と言う者もいる)。
 
「でで、でも、レベッカちゃんだけに任せるわけにもいかないんじゃないかしら!?」
 
 万事に気の小さいブリギッドのフォローが入る。
 
(‥‥逃げちゃおっか、ヨーハン?)
 
(それもいいね)
 
 フィレスとヨーハンも、大概焦れてきていた。
 
 元々、"壊刃"サブラクの追撃を長年凌いできたのだから、フリーダー一人、逃げようと思えば逃げられるのだ。
 
「とにかく、教授をほっとくわけにもいかないんでしょ?」
 
「心配しなくていいよ。僕らは"妙な真似"はしない。だから無害と言われるんだ」
 
 しっしっとあからさまに厄介払いしようとするフィレスを、ヨーハンが、もっともらしい言葉でフォローする。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 タイミングが良すぎる。しかし、フリーダーとて『約束の二人』と『教授』、どちらが危険分子かなど、わからないわけがない。
 
「‥‥わかった。長く引き止めて悪かったな」
 
 戦いに赴く以上、巻き込むわけにもいかない。
 
 というより、こうなっては"不確定要素"が戦場にいる方が落ち着いて戦えない。
 
 助力に期待しているわけでもないから、さっさと立ち去ってもらった方がいい。
 
「ま、せいぜい死なないようにね」
 
「教授の相手か、同情するよ。手を貸そうか?」
 
 立ち上がるフリーダーに、完全に他人事の調子で、それでも一応気遣う『約束の二人』である。
 
「わわ、私達だから大丈夫!」
 
「強気だね、ブリギッド」
 
 胸ポケットの造花を、フリーダーが軽く撫でる。
 
「これでもそれなりに力はあるつもりだ。本当に心配は要らない。因果の交叉路でまた会おう」
 
 振り返りもせずにフリーダーは『約束の二人』に別れを告げる。
 
 今まで尋問紛いの態度を取っていただけに、これがせいぜいの愛想である。
 
 ファミリーレストランの扉を出て、陽炎に包まれた桃色の世界を睨む。
 
「行こうか、お嬢さん」
 
「え、ええ!」
 
 ブリギッドと確認しあい、フレイムヘイズ『骸躯の換え手』は飛ぶ。
 
 
 
 
「じゃ、私達はさっさと退散させてもらおうか、ヨーハン」
 
「そうだね。あんまり教授と関わりたくないし‥‥」
 
 フリーダーが出ていった後、フィレスとヨーハンもこのはた迷惑な空間から脱出しようと席を立とうとした、
 
「っ!」
 
「‥‥?」
 
 まさにその瞬間に、強力な自在法発現の気配を感じた。
 
 それを、
 
(‥‥『転移』、かな)
 
 フィレスは感じ取るだけだが、優れた自在師たるヨーハンは、その感覚から、何の自在法なのか当たりまでつける。
 
「これ‥‥‥‥」
 
 しかし、新たに現れた気配の感覚により早く気付いたのは、風の使い手たるフィレスの方だ。
 
 
 三つの気配、戦いの場では片手の指で足りるほどだが、鍛練という名目では何度も感じた気配。
 
 数ヶ月ぶりの、友達の気配。
 
 
 
 
「くそったれ!」
 
 仕留めた、とまで楽観はしていなかった。
 
 が、どうやら潜伏していたのはあの廃工場の『地下』であったらしい。
 
 『あれ』が飛び出してきた跡は瓦礫がやけに地下深くまで埋まり、『あれ』は全くの無傷。
 
 大体、『あれ』は何だ。センスを疑う。
 
 大方、完成した『作品』の試運転、あるいは自慢に自分達が付き合わされているのだろうが、勘弁して欲しい。
 
 ロボット、なのだろうが無茶苦茶リアルだ。
 
 触角、節足、擬音、脂ぎった体、そして馬鹿でかい大きさ。
 
 全てが生理的に受け付けない。
 
「バラル! 逃げていいか!?」
 
「いやぁ、そういうわけにもいかないんじゃないかなあ」
 
「気楽だなオメーはよ!」
 
 フリーダーの到着が遅い事に心底苛立ちながら、レベッカはバラルと言い合いながら全速力で敵と距離をとる。
 
《どぉおーです!? 我が"我学の結晶"エクセレント252511『黒翼の天使』の出来栄えはぁあー!?》
 
「やかましい!!」
 
 背中から聞こえてくる羽音に、背中に寒気を感じながら、怒声と共に振り返る。
 
(要するに、触らなきゃいいんだろーが!?)
 
(うん、正解)
 
 小さな声でバラルと確認しあい、今度はさっきとは違う。
 
 かざした掌、その指先一つ一つに灯った光が膨れ上がり、五つの特大の光球を生み出す。
 
「吹っ飛べこの‥‥」
 
 それはを敵に向かって投げ放とうとするレベッカの背後で、
 
「っんな!?」
 
「むっ!?」
 
 強力な自在法発現の気配と、眩しい光が刺す。
 
 薄れゆく光、振り返ったレベッカは、その中に三つの人影を見つけ、驚愕に目を見開く。
 
 真っ先に目を引いた、その姿に驚いた。
 
 ズレた、明らかにおかしいメイド服。
 
 『戦技無双の舞踏姫』のシンボル(と、勝手に思っている)である狐の面。
 
 感情の起伏に乏しそうな雰囲気。
 
 
 
「ヴィルヘルミナ!?」
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/10 21:30
 
(最悪のタイミングだ‥‥)
 
 『転移』の自在法で目的地に着いた坂井悠二の脳裏にまず浮かんだ言葉がこれであった。
 
 自在法・『銀時計』で教授の居場所を捕捉し、その場所に『転移』し、いざ蓋を開けてみれば"これ"である。
 
「ゆかり、この人は?」
 
 やや小さな声で隣の少女に訊ねる。
 
「『輝爍の撒き手』レベッカ・リード。東京総本部に詰めてるフレイムヘイズ。通称『爆弾女』、相当強いはずだけど」
 
 すらすらと答えた平井が「顔は写真で見たんだけどね」と肩を竦める。
 
 流石、以前外界宿(アウトロー)で働いていただけの事はある。
 
 いや、普通ここまでわからないんじゃなかろうか? 相変わらずのハイスペックぶりである。
 
「誰であろうと構わず、私達はおじさまを捕まえる事に専念しましょう」
 
 トンチキな格好をしているもう一人の少女が、行動方針を短く示す。
 
「黙って見ててくれるとも思えないけ、ど‥‥」
 
 目の前のフレイムヘイズ、その眼光から気性の荒さを感じ取る悠二が呟く最中で、その背後におかしなものを見つける。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 三人が三人、全く同じ動作で目を擦り、再び現実を直視する。
 
 カサカサカサカサ
 
「「「(ゾクゥッ)」」」
 
 ‥‥あれだ。
 
 明らかにサイズがおかしいが、紛れもなくあれである。
 
 三人は、『あれ』が教授の仕業である事など脊髄反射で理解する。
 
「‥‥悠二、私達が『輝爍の撒き手』を引き付けるから、その間に目標の捕獲をおねがい」
 
「何、さも有効な作戦を提案するみたいに人に『あれ』押し付けようとしてるんだ!?」
 
 見れば、平井はやや後ろに下がって悠二の背中を押しながら親指をグッと立てている。
 
 坂井家には、夫の留守を預かる誇り高い専業主婦が守っているためか、『あれ』を家の中で見かけた事は無い。
 
 悠二が今まで『あれ』を見た事があるのは小学校のトイレと、親友・池速人の家での計二回である。
 
 平井はどうか知らないが、態度から見ても大丈夫なわけではないらしい(自分だって嫌だ)。
 
(ん? そうだ‥‥!)
 
 もう一人の少女はどうだろうか?
 
 世事に疎く、少々変わった感性を持つ彼女なら、案外『あれ』が平気かも知れな‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 服の裾を、小さな力できゅっと引っ張られて見下ろせば、上目遣いに見つめてくる無垢な少女。
 
 キツネのお面のせいで表情はわからないが、何が言いたいのかははっきりと伝わった。
 
(そうだよなぁ‥‥)
 
 はあっ、と溜め息をつく。
 
 『あれ』に対する恐怖は生理的、根源的なものなような気がするから、知る、知らないはあまり関係ないのだろう。
 
 となれば、やはりこういう状況で頑張るのは、男の役目なのだろう。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 未練がましく視線を投げ掛けてみるが、
 
「ファイト♪」
 
「おじさまを頼みます」
 
 二人して親指を立てられるというとどめをお見舞いされる。
 
「はあっ‥‥‥」
 
 背筋を襲う怖気と戦いながら、前方の機械なんだか生物なんだかわからないものと向き合う。
 
 しかし、一言告げるのだけは忘れない。
 
「気を付けて。強いフレイムヘイズだっていうなら、なおさら」
 
 悠二の、少女達を気遣う言葉には、
 
「大丈夫です」
 
「心配無用♪」
 
 少年の心配を吹き飛ばす、頼もしい返事が返ってきた。
 
 
 
 
(‥‥何だ?)
 
 いきなり現れた数百年からの友達が、こちらの呼び掛けには応えずに両隣の二人と何やら話している。
 
「あの二人、『ミステス』だね」
 
「‥‥ああ、ヴィルヘルミナの奴、あんな知り合いがいたん‥‥‥ん?」
 
 突然現れた三人に感想を漏らしていた『輝爍の撒き手』レベッカ・リードが、何かに思い至ったように言葉を止める。
 
 『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルが現在滞在しているミサキ市。
 
 報告にあった『零時迷子』。
 
 中国の『傀輪会』からの推薦があった新人構成員・平井ゆかり。
 
 現在、その両方が‥‥『ミステス』。
 
「っ! ‥‥って事はあいつら‥‥」
 
「‥‥うん。僕もそう思う」
 
 何となく思考が繋がったレベッカの言葉に、同じく思い至ったらしいバラルが同意する。
 
(そういやあの顔‥‥どっかで見覚えがある)
 
 実際には、レベッカは『傀輪会』からの推薦状に付属していた顔写真を見たのだが、そこまでは思い出せなかった。
 
(って事は、あれが平井ゆかり、か?)
 
 可能性は決して低くない。ミステス自体、滅多にお目にかかれるものではないし、ヴィルヘルミナ・カルメルとの関連からも推測出来る。
 
 だとしても、疑問が残る。
 
 報告では平井ゆかりも、『零時迷子のミステス(名前忘れた)』も行方不明になっているはずなのだ。
 
(それが何で、ヴィルヘルミナと一緒にいやがる?)
 
(さあ? 彼女に直接訊くっていうのは?)
 
(は、そりゃいいや)
 
 短く契約者と意見を交したレベッカが口を開こうとしたまさにその時、
 
「って、おい!」
 
 三人のうちの一人、ミステスの少年がレベッカに委細構わず大きく外回りに飛び、例の"耽探求究"の『作品』の方に回り込む。
 
 まあ、今が緊急時なのは認めるが、友達の連れとはいえ、行動が読めない手合いに戦場で勝手に動いて欲しくない。
 
「ヴィルヘルミナ! どういう事か説明‥‥」
 
 あまりに突然の行動の連続に怒鳴りかけたレベッカが、
 
「‥‥お前、少し縮んだな?」
 
 少し、違和感に気付いた。
 
 
 
 
(っ!?)
 
 ヴィルヘルミナ?
 
 先ほどもそう呼んでいたからもしやとは思ったが、やはりこの討ち手、ヴィルヘルミナ・カルメルの知己。
 
 自分は悠二や平井と違って容姿が知れると都合が悪いので変装してきたのだが、こういう事態は想定していなかった。
 
(‥‥ゆかり)
 
(‥‥わかってる)
 
 小声で、隣の平井と確認し合う。
 
(ヘカテー、下手打たないようにね)
 
(‥‥わかりました)
 
 作戦、というか方針もわざわざ話し合わずに決まる。
 
「『輝爍の撒き手』、おじ‥‥"耽探求究"の事は悠二に任せるので‥‥あります」
 
「‥‥‥はあ?」
 
 レベッカからすれば意味がわからない。
 
 こちらの疑問くらいわかっているはずのヴィルヘルミナ(ヘカテー)の、またしても突然の要求。
 
 しかも‥‥
 
「『輝爍の‥‥』って、なんだその呼び方? 声も何か‥‥‥」
 
(ダメか‥‥!)
 
 いち早く、平井が作戦を切り捨てる。
 
 今の言葉からみて、予想以上にヴィルヘルミナと親しい。
 
 そんな相手に成り済ますのは厳しいし、何より、これから訊かれるであろう質問に応えるわけにはいかない(っていうか、何で気付かない?)。
 
「っ!」
 
 レベッカの言葉を切るように、平井がレベッカの頭上に舞い、
 
「っこの!?」
 
 レベッカが、上から降ってきた靴の底を両腕で止めて、しかしそのまま下方に叩き落とされていく。
 
「っはあああ!!」
 
 さらに、平井は落ちていくレベッカに向け、特大の翡翠の炎弾を放つ。
 
(やべ‥‥)
 
「避けろ!」
 
 バラルの、珍しく少し焦った叫び、を受けるまでもなく、レベッカもこの追撃に気付いている。
 
 落ちる勢いを殺さずに、その勢いを『飛翔』に上乗せして、自身を炎弾の軌道から僅かに外す。
 
「っ‥‥‥!」
 
 真横を通り過ぎる特大の炎弾の熱に肌を灼かれて眉をしかめた、次の瞬間には、下方のビルが炎弾の直撃を受けて粉砕された。
 
 
「ふう‥‥」
 
 平井としては、今の不意打ちで決めたかったというのが本音ではあるが、『成り済まし』はそもそもダメ元である(っていうか、何で気付かない?)。
 
 当初の予定通り、悠二が教授を捕まえるまで時間を稼げばいい。
 
(まずったかなぁ‥‥)
 
 外界宿東京総本部。
 
 当然、御崎よりはマシだが、場合によっては自分の顔も知られているかも知れない。
 
(私も変装しとくんだったかな‥‥)
 
 
 
 
(‥‥思ったより、戦い始めが遅かったな?)
 
 などと、平井の炎弾の爆音を耳にして思う悠二、だが本来、そんな余裕は彼にはない。
 
《こぉおーこで会ったが百年目ぇー!! 今度こそ『零時迷子』を手に入れるんでぇーすよぉおー!》
 
《はいでございますです教授!》
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 戦況を見れば、こちらに目が向いていてくれるのは好都合ではあるのだが、やはり‥‥
 
 カサカサカサカサ
 
 怖いものは怖い。
 
(どうする?)
 
 実際、さっきから自分は逃げ回ってばかりである。
 
 見た目のおぞましさ、だけではない。
 
 観察していてわかったが、『あれ』の速さや動き、小さな虫としてのそれをそのままあのサイズにしたような無茶苦茶なスペックだ。
 
 本来、重力などの問題で、虫などをそのまま巨大化しても同じように動けるはずはないのだが、さすがは教授。まっとうなロボットではないのだろう。
 
 というか、本当に『あれ』はロボットなのだろうか、生々しく黒光りするし、あの足や触角の動きときたら‥‥‥
 
 カサカサカサカサ!
 
「来たあ!?」
 
 遠距離にいた巨大な黒塊が、一瞬にして距離を詰めてくる。
 
 今まで感じた事のない類の恐怖である。
 
(えーと、前に出た時、どうやって退治したっけ?)
 
 小学校のトイレに出た時は、床の問題も都合が良かったし、ほうきで叩き潰して問題なかったが、今回のケースには適さない(でかすぎる)。
 
(池の家に出た時は‥‥)
 
 確か、床が濡れるのも構わずに熱湯で退治したはずだ。
 
(熱?)
 
 あれ? 実は凄く簡単な対処法が?
 
(問題は‥‥‥)
 
「はっ!!」
 
 悠二の掌から放たれた銀の炎弾が、巨大虫の足に僅かに擦り、近場のビルに体を打ち付ける。
 
《ッノォオオオー!》
 
《あぁあーれぇえー!》
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 間違いない、中にいる。
 
 丸焼きにするわけにも、いかないだろう。
 
 中にいるなら‥‥
 
 
「‥‥‥どうしよう」
 
 



[7921] 水色の星T 二章 八話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/13 19:53
 
「オメエが、『平井ゆかり』か!?」
 
 間断なく放たれる光球の嵐を、翡翠の羽衣を纏い、網目を縫うように飛ぶ平井の耳に、レベッカの怒声が届く。
 
(やっぱり、か)
 
 考えられるケースだっただけに、その言葉に大して衝撃こそ受けはしないが、やはり都合が悪い事に変わりない。
 
(ま、今さら言っても仕方ないか)
 
 後悔先に立たず。最悪でも、ヘカテー、つまりは『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の動きだと悟られなければいいのである。
 
 ミステス・『平井ゆかり』の暴走、程度では"一部"はともかく、『大局』は動かない。
 
 が、もちろん知られないに越した事はない。
 
 
(始末する、か?)
 
 "出来るか"はまた別だが。
 
 全く、こういう時の自分に、自分で驚く。
 
 思えば、初の実戦でも、『人間と徒に大した違いなどない』事を全て理解した上で、徒二人を躊躇いもなく討滅した。
 
(結構、ドライなトコあるんだよね)
 
 自分も、そして悠二も。
 
 ドォン!!
 
 さらに一発、比較的至近で爆光が弾ける。
 
「熱っ!」
 
 『飛翔』で逃げ回りながら、相手の出方を観察するのも、そろそろ潮時。
 
(あの光球で遠くから相手に攻撃し続ける遠距離タイプ。遠距離はスピード差がモロにでるから避けやすいのは避けやすいけど‥‥)
 
 いつまでも逃げ回れるわけもない。何より、ヘカテーは決してその炎の色を晒すわけにはいかないから、防戦一方になる。
 
(こっちから、攻める!)
 
 
 
 
(速えな‥‥)
 
(いっそ、広範囲攻撃で一気に吹き飛ばしたらどうだろう?)
 
(オメエも大概テキトーだな。まだあいつには訊きてー事もあるんだよ)
 
 失踪の理由、今、戦いを仕掛けてきている理由、何故ヴィルヘルミナ・カルメルと共にいるのか。狙いは何か。
 
 桃色の光球を数個、ジャグリングのボールのようにヒョイヒョイと弄びながら、レベッカは手首のブレスレットと声なき声で会話する。
 
 この、無造作に扱われている一握りの球体一つ一つに大量の破壊エネルギーが溢れており、先ほどから平井を襲い続けているのもこれである。
 
 しかし当たらない、相手の予想外の飛行速度に躱される。
 
(つっても‥‥当て方なんざいくらでも‥‥っ!)
 
 そう考えてさらなる攻勢に移ろうとしたレベッカは、迫る平井の両手に、存在の力の集中、自在法発現の気配を感じ取る。
 
(また『炎弾』か!)
 
 と、レベッカの予測に違わず放たれた翡翠色の特大の炎弾が、レベッカに迫り、
 
「シッ!」
 
 横一文字に引かれたレベッカの手、そこから、"閉じられた瞼が開くように"瞳のような自在式が生まれ、平井の炎弾の盾となって防ぎ、翡翠の爆炎が溢れかえる。
 
「ふっ!」
 
 そして、レベッカが開いていた掌を握りこむのに合わせて、炎が"掻き消える"。
 
 見れば、自在式の中心にあった瞳が閉じられていた。
 
(‥‥何?)
 
 その奇怪な様を目の当たりにした平井がその意味を理解しようとする間もなく自在式は収縮して消える。
 
 否、正確には消えたのではなく、桃色の光球として、レベッカの掌に未だ残っていた。
 
 その一連の力の動きに嫌な予感を覚えた平井、その予感に違わぬような、レベッカの台詞。
 
「"返すぜ"!」
 
「っ!」
 
 先ほどより遥かに速い速度で放たれた、一握りの、一つの光球。
 
 しかし平井は理解していた。この光球には、"自分の全力の炎弾そのもの"の威力が秘められている。
 
(まずい‥‥!)
 
 動揺した。
 
 初動が遅れた。
 
 避け‥‥‥
 
 ゴオッ!!
 
「っ!?」
 
 激しい衝撃に打たれ、しかしそれはレベッカの光球によるものではない。
 
 横合いから吹き付けられた、少女の体など容易く吹き飛ばす突風によるものだ。
 
 それは、レベッカの光球の猛威から平井の体を逃がす結果となった。
 
 そう、それぞれの、把握しきれない事情のために今まで静観していた‥‥
 
(ナイス、ヘカテー!)
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 可愛らしいキツネのお面を被った、メイド服の少女。
 
 
 
 
《いぃーざ羽ばたけぇえー!》
 
 ブゥーーーン!!
 
「羽ばたくな! 頼むから!!」
 
 もう嫌だ。『虫酸が走る』などという感覚、何年ぶりに感じただろうか。
 
 いや地を這っていても気持ち悪いのだが、個人的に普通の『あれ』も飛んでる方が怖い(自分の体に触れられそうな恐怖が高まる)。
 
 可哀相な少年の左腕に、彼独自の複雑怪奇な自在式が絡み付き、すぐに轟然と溢れる炎と化す。
 
「喰らえ!!」
 
 悲鳴混じりの悠二の叫びに合わせて炎が形を変え、銀炎の大蛇となって教授の作品に襲い掛かる。
 
 悠二独自の自在法・『蛇紋(セルペンス)』である。
 
(いけ!)
 
 神速の槍のように、銀蛇の顎が標的の片方の羽を突き破り、旋回してもう片方の羽をも貫く。
 
 次々と、標的の体の各所を貫きながら、銀炎の大蛇の体が全体に絡み付き、絞め上げていく。
 
 単に相手を倒せばいいのなら、このままあの忌まわしいやつを爆砕して終わり、なのだが、今回はそうもいかない。
 
「よ‥‥‥っと!」
 
 より繊細な自在式構築のために、敢えて『蛇紋』を左手で放ったのだ。
 
 利き腕(右)の掌に、複雑の自在式が幾重にも渦巻いていた。
 
(よし!)
 
 その自在式を、全て標的に向けて伸ばす。
 
 『走査』の自在式である。
 
 これで教授の居場所を割り出し、物質化した『蛇紋』でマジックアームよろしくつまみ出してやる。
 
 ちなみに、悠二が今、愛用の大剣を手にしていないのは、『剣の間合いほどに近づいてたまるか』という決意の表れである。
 
(見つけた!)
 
 『走査』の式に触れてか、標的のおしりが白緑に光って教授の居場所を教えてくれる。
 
 ホタルのつもりか、身の程知らずもいい所だ。
 
《ん? んんん〜〜〜!?》
 
 この絶体絶命の状態をどう受け止めているのか、悠二主観でひどく呑気な唸り声が聞こえてくる。
 
《あぁあーれは! かつてミサキ市にて確認されたフレイムヘイズと徒の子ぉー!!》
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ピクリと、悠二の眉がしかめられる。
 
 やはり、何だかんだでこの配置で良かった。
 
 よく考えたら、ヘカテー達がこんなのに触れるのは、可哀相な以上に何か嫌だ。
 
「‥‥さっさと終わらせよう」
 
 言葉通りに力を込めた悠二の目に、
 
「ん?」
 
 変な、黒い靄が見えた。
 
 何やら、『あれ』の口から出てきているようだが‥‥‥
 
 
「んなぁあ!?」
 
 
 
 
「ヴィルヘルミナ! テメッ、いつから杖なんか使うようになった!?」
 
「しばらく前であります」
 
 外界宿(アウトロー)の構成員となるはずだった平井ゆかり(多分)が襲ってきたかと思えば、今度は旧知が三角頭の杖を振るい、向かってくる。
 
 以前はこんな獲物を使ってはいなかったし、表情とは裏腹に、内心は激情家である事はわかっているが、理由もなくいきなり喧嘩を売ってくるような女性ではないはずだが‥‥
 
(今さら話し合いもないわな)
 
(じゃ、僕らのやる事は一つだね)
 
「それじゃ、ヴィルヘルミナ・カルメル」
 
「殴っていっぺん黙らせてから、話訊かせてもらおーか!?」
 
 一度、本気で戦ってみたかったのだ。
 
「っ!‥‥‥と」
 
 凄まじい速さの突きが、すかさず捻った顔の、頬を掠める。
 
(つっても‥‥)
 
 こう接近されると戦い辛い。
 
 さすがに、こちらの戦闘様式をよくわかっ‥‥
 
「ヒュウ!」
 
 さらに一閃、スリル満天の一撃が横薙ぎに過ぎる。
 
 少し鼻を掠ったか。
 
 しかし‥‥
 
(? おかしいな?)
 
 "あの"ヴィルヘルミナ・カルメル相手に、自分がそう得意ではない接近戦でこんなに躱せるとは。
 
 接近された時点で、早々に投げ飛ばされるのを覚悟してい‥‥
 
「とおりゃあ!」
 
「痛っ!?」
 
 頭上(背後)から振り下ろされた短剣(鈴付き)を、右手のブレスレットで咄嗟に止める。
 
 バラルが痛がっているのはとりあえず無視する。
 
(そういやこいつもいた、よな!)
 
 至近から平井に向けて放つ桃色の光球を、大きく体を反らして躱された。
 
「テメエも、洗いざらい喋ってもらうからな!」
 
「お断り!」
 
 初めて成立した会話には、回し蹴りのオマケ付き。
 
 両手で受けとめるが、
 
「っが‥‥‥!」
 
 その間に、もう一人の相手から、杖の一撃をモロに食らう。
 
 小さい体に見合わない威力(もうちょっと大きかったような気もするが、はて?)。
 
 縦に二回転三回転しながら落ち(この間も、追撃を警戒はしている)、デパートの屋上にダンッと着地する。
 
「‥‥‥‥ぺっ!」
 
 口をモゴモゴとさせて吐き出した血の中に、小さく白い塊も混じっていた。
 
「あ〜〜、‥‥奥歯折れた」
 
「彼女、何かおかしいような気がするね」
 
 無視かよ。と思わないでもなかったが、バラルの言う事は理解出来た。
 
 直接戦った事はないが、ヴィルヘルミナの戦い方が、何かおかしい。
 
(それに‥‥‥)
 
 あの、平井ゆかり(仮)。
 
(‥‥『ミステス』になってから、まだ半年も経ってねーはずなんだけど、な)
 
 実戦経験もほぼ皆無、のはずだが、そのわりには動きが良い。
 
 『ゾフィーの子供たち』なんぞより遥かに使える。
 
 
 まあ、何が言いたいかというと‥‥
 
(二対一だと、キツいなこりゃ)
 
 教授のことなど、すでにレベッカは眼中にはなくなっていた。
 
 
 
 
 封絶の端にいた一人のフレイムヘイズは、複数の気配に向けて飛んでいた。
 
 それからわずか遅れて、影が二つ飛び出す。
 
 先に飛び出した影と、同じ方向に。
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章 九話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/15 22:02
 
「バラル、そろそろオレ達も全開で行くぜ?」
 
「‥‥向こうが本気、かどうかまだわからないけどね」
 
 デパートの屋上に立つレベッカが、空に浮かぶ二人を睨んで狂暴に笑う。
 
 バラルも、余計な一言を付け加えはしたが、反対はしていない。
 
 彼も、手加減出来る相手ではない、と判断したのだろう。
 
 心置きなく、右手の金色のブレスレット・『クルワッハ』の鎖に手を掛け、
 
 外した。
 
 
 
 
「やっぱり、接近戦かな」
 
 屋上に立つレベッカを見下ろしながら、平井がヘカテーに目をやりながらポツリと呟く。
 
 それを見たヘカテーも、コクリと首肯する。
 
 相手の戦闘スタイル、という問題のみならず、ヘカテーも炎の色を隠しながらでは戦い方は限られてくるからだ。
 
 もっとも、接近戦をするためにはあの物騒な爆撃を掻い潜らなければならないわけだが。
 
「‥‥どうでありますか?」
 
 先ほどからの動きで、ある程度は予測がついてはいたが、念のために確認するヘカテー。
 
「うん、バッチリ♪」
 
 心配させないために、ではなく本当に自信満々に親指を立てる。
 
 ここまで変わるものだとは思わなかった。
 
 だからこそ、少々強気に攻める気にもなる。
 
(‥‥‥よし!)
 
 鉾先舞鈴、宝具・『パパゲーナ』を携えた右手とは逆の左手に、翡翠の炎が取り巻く銀の珠玉が生まれ出る。
 
 しかし、そのタイミングでレベッカにも異変が起こっていた。
 
 右手にあった、おそらく神器であろうブレスレットの鎖が外れ、レベッカの胸の前に浮かび、彼女を恒星とした惑星のように、桃色の光球が十余個、楕円軌道に彼女の周囲を巡っていた。
 
「向こうも本気、かぁ〜〜」
 
 冷や汗をかきながら空笑いを浮かべる平井。
 
(来る!)
 
 と平井が感じた直後、レベッカの周囲を巡っていた光球が軌道から外れ、一斉に平井に向けて放たれる。
 
 それらは、飛翔する中で分裂し、数百にも及ぶ小玉となって襲いくる。
 
(多すぎる)
 
 自分の『飛翔』でも避けられない広範囲攻撃。
 
 対応が早い‥‥が、
 
「ヘカテルミナ!」
 
「ヴィルヘルミナ・カルメルであります!」
 
 呼び掛けに応じて、ヘカテーが素早く背後に回る。
 
「『銀沙鏡(ミラー・ボール)』!」
 
 平井の左手から無造作に放られた珠玉がペシャリと潰れ、翡翠の炎が縁取る銀鏡となる。
 
(何だ?)
 
 眼下のレベッカが、自らの攻撃の着弾を見定めようと見上げる中で、突如平井の眼前に広がる銀鏡。
 
 それが、
 
「げ‥‥‥!」
 
 直撃する瞬間に、レベッカの撃ちだした光球を片っ端から飲み込んでいく。
 
「さっきの‥‥お返しぃい!」
 
 平井の声に合わせて、鏡から、先ほど飲み込んだ光球が、透き通るような翡翠へと色を変え、そのままレベッカに撃ち返される。
 
(やべ‥‥!)
 
 思わぬ逆撃を向けられたレベッカの立つやたら広いデパートの屋上を、翡翠色の爆光が埋め尽くした。
 
 
 
 
 昔、とある有名な恐竜映画の第2シリーズを見た。
 
 そのワンシーンで、小さな、小犬くらいのサイズの恐竜が群れを成して一人の人間に襲い掛かる場面がある。
 
 それを見た時、僕はティラノサウルスに食われるよりもこっちの方が怖いな、と思った。
 
 その時の自分の心情を、これ以上ないほどに鮮明な現実感と共に、あの時よりも遥かに強烈に、胸の中で感じていた。
 
 
 
 
「よっ‥‥と!」
 
 瓦礫の山に降り立ち、辺りを見回す。
 
 あの距離で、直撃を避けられなかったとも考え辛い。
 
 自分が跳ね返したのは『銀沙鏡』の周囲の十余個の光球に過ぎないのだから。
 
「こっちにも、いませんであります」
 
 少し離れた所で瓦礫を踏むヘカテーも、辺りを見渡してレベッカを探している。
 
 そのヘカテーの足を、
 
「ストップ!」
 
 平井の一声が止める。
 
「?」
 
 平井の制止の意味がわからず、しかし素直に言う事を聞いて一跳び、平井の横に降り立つ。
 
「‥‥‥‥‥」
 
 平井は制止の理由を話しもせずに、足下からコンクリートの破片を拾い上げ、ヘカテーが踏み出そうとしていた辺りに放り投げる。
 
「っ!」
 
 カツッと、コンクリートの破片が地についた瞬間、今までは何も無かったその地面に桃色の瞳の紋章が見開かれ、即座に収縮‥‥
 
 ドォオオオン!!
 
「っわ!?」
 
「っ!!」
 
 大爆発を巻き起こす。
 
 警戒して十分に距離を取ったつもりだった平井とヘカテーが盛大に仰け反るほどの爆風と衝撃が広がっていく。
 
「‥‥『罠(トラップ)』ですね」
 
「‥‥このために、わざわざ下に降りて市街地戦にしたわけ、か」
 
 その光景でレベッカの狙いを早々に看破した二人。
 
 確かに、普通なら厄介極まりない自在法ではあるが、
 
「‥‥好都合、だね」
 
 "今の平井"には、通じない。
 
 
 
 
「‥‥早くも一発、かかったな」
 
「仕留めたかな?」
 
「そりゃ、楽観しすぎじゃねえか?」
 
 爆破されたデパートから少し離れた廃ビルの、非常用の外に面した階段で、レベッカは再度上がる爆発を眺めていた。
 
 もっとも、彼女の残した自在法・『地雷』(彼女には洒落たネーミングセンスというものが全く無い)。
 
 効果範囲に何者かが侵入する事で発動し、しかし探知機としても作用するので、わざわざ目で爆発を確認する必要はない。
 
 先ほども、コンクリート片が当たっただけだというのはわかっていたが、近くにいるという理由で発動させてしまったが、あれで戦闘不能、とはいかないだろう。
 
「‥‥出てこねえな?」
 
 今の一撃を受けて、即座に空に逃げるだろう、そこを狙い撃ちにしてまた居場所を変えて『地雷』地帯に誘きだそう、そんな風に考えていたのだが、一向に飛び出してこない。
 
「本当に、あれで決まったのかな?」
 
 バラルの意見に頷きたいのはやまやまだが、そう上手くいくだろうか?
 
「市街地戦に乗ってくれる、って事じゃねえのか?」
 
 それこそこちらにとって好都合。
 
 だが‥‥
 
「‥‥‥いねえな」
 
 『地雷』を仕掛けたのはあのデパートの屋上だけではない。
 
 ここに来るまでの間に十数個、同様に『地雷』を仕掛けており、その探知能力を駆使してみるが、どうやらその近辺にはいないらしい。
 
「‥‥オレの居場所を全然掴めてない?」
 
「あるいは、さっきの『地雷』を警戒して様子を見ているか、かな」
 
 予想外につまらない展開にレベッカはやや焦れる。
 
「いっそ、こっちから一発ぶちかま‥‥‥っ!」
 
 短気にも痺れを切らしかけるレベッカだが、そんな必要はなかった。
 
「見つけた!」
 
 階段の上空から、目の前にキツネのお面を着けたメイドが現れたからだ。
 
「っ!?」
 
 あまりに突然の事に、驚愕で声も出ない。
 
 自分達はあのデパートの上空を見張っていた。こんな現れ方は、建物より低く飛び、この廃ビルの、自分の反対側に回り込みでもしない限りありえない。
 
「っはあ!」
 
「っくそ!」
 
 横薙ぎに払われた大杖の一撃が、階段の手すりと柵をまるで細い枯れ木のようにバキバキと砕き散らす。
 
 レベッカも、それを後方に軽く跳んで躱し、その背中がその階の扉にバンッとぶつかり、
 
(何っ、だ。これ!?)
 
 大杖から放たれたと思われる不可視の強烈な突風がレベッカは全身を襲い、バキッと音を立てて外れた扉と共に、レベッカは廃ビル内に叩き込まれる。
 
「こ‥‥んのやろ!!」
 
 ゴロゴロと転がりながらも、すぐさま特大の光球をたった今まで立っていた扉の側に放り投げ、扉どころかその一画を粉々に吹き飛ばす。
 
 しかし、当たってはいない、という確信があった。
 
「何だってんだ!?」
 
 位置がわかっていないなどとんでもない。
 
 気配どころか、ここまで正確に居場所を知られているとは。
 
 しかも、"『地雷』の傍を通らずに"、だ。
 
 こちらの手の内を全て見透かされたような居心地の悪さを感じながら、廃ビルを走るレベッカの目に、さらに信じがたいものが映る。
 
(‥‥‥?)
 
 殺風景極まる廃ビルにまるで似合わない美しい翡翠の羽根が、辺りに無造作に散らばっていた。
 
(こりゃ‥‥‥)
 
 戦士としての彼女の判断は、
 
(やばい!)
 
 フレイムヘイズとしての彼女の感覚は、
 
(避け‥‥‥)
 
 これらを危険だと、告げていた。
 
 
「『時限発火』」
 
 レベッカが危機を感じる廃ビルの外で、少女が静かに呟いた。
 
 
 
 
「くっ‥‥そ!」
 
 廃ビルを焼く翡翠の爆炎の中から、手負いのフレイムヘイズが飛び出す。
 
(戦り辛れな、くそ!)
 
 受けた肉体的なダメージ以上に、取る戦略で悉く相手に上をいかれる、という精神的なダメージが大きかった。
 
 ただ、それに苛立つのみではない。
 
 この、単なる『洞察力』では説明出来ない敵の動きに対して疑問を覚え始める。
 
(『地雷』の位置を、どうやって‥‥)
 
 が、思考をまとめる時間すらない。
 
(これは‥‥?)
 
 レベッカの耳に、雅びやかな音色が届いて、
 
「っやあ!」
 
 直下から、槍のような蹴りが、レベッカの腹に突き刺さった。
 
「っぐ!?」
 
 蹴りを叩き込んだ平井が、反撃を警戒してすぐさま距離を取ろうとするのを、レベッカは痛みに耐えながらも許さない。
 
「っは!」
 
 ほとんど距離の無い間合いから、平井に向けて光球を繰り出すも、
 
「っ危な!」
 
 驚きながらも、躱される。
 
「お前‥‥何をしてんだ?」
 
 その様で、レベッカは怒りよりも、疑念が上回る。
 
 平井を睨みながら問い掛ける。
 
(ま、いいか)
 
 平井としては、疑問を持たれた時点で、もう隠す意味はあまりない。
 
 正直、バレてもデメリットは特にない。
 
 そういう能力なのだから。
 
「"気配察知"、ですよ」
 
 そう、今の平井の『オルゴール』に刻まれている自在式は"気配察知"。
 
 戦闘経験の浅い坂井悠二がヴィルヘルミナやマージョリーといった強力なフレイムヘイズと曲がりなりにも戦う事が出来たのは、その異常に鋭敏な感知能力による所が大きかった。
 
 その事から平井が思いついた、"気配察知の常時使用"。
 
 戦いに際して実に有効な『新たな感覚』、レベッカの『地雷』の索敵。
 
 全てはこの"気配察知"のおかげだ。
 
 
 その力を、『オルゴール』は美しい音色として響かせる。
 
「‥‥綺麗でしょ?」
 
「あいにくだが、オレぁクソ新しいジャズ以外、耳に合ったことがねえんだよ!」
 
 
 平井の『オルゴール』が旋律を奏で、
 
 レベッカの周囲に楕円軌道に光球が巡りだし、
 
 
 再びの激突。
 
 
 
 
 二人が宙空でぶつかる中、ヘカテーは辺りを警戒していた。
 
 先ほどの奇襲の前に、平井から伝えられていたからだ。
 
 あと一人、いや、三人がこちらに向かっている、と。
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章 十話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/16 20:04
 
「よっ! ほっ!」
 
 宙空を、翡翠の羽衣を纏う平井と、足裏から炎を噴射させるレベッカが飛び交う。
 
 その二人の間の空間で、断続的に翡翠と桃色の爆発が起こり続ける。
 
 平井の炎弾や『パパゲーナ』と、レベッカの光球がぶつかり、弾ける。
 
(派手、だなあ‥‥!)
 
 平井は、レベッカの強烈な爆撃に、同じく攻撃をぶつけて融爆させながら、あるいは躱しながら縮めた距離を、
 
「っだ!!」
 
 一気に加速して詰める。
 
「よっ!」
 
「っ!」
 
 腕に緩く絡んでいた羽衣をぐいっと引っ張り、レベッカの眼前に広げる。
 
 そのまま、視界を奪われたレベッカに、羽衣の裏から『パパゲーナ』の刺突を食らわせようとするが、
 
「っと!?」
 
 逆に、視界を塞がれた事も無視してレベッカが光球を放つのを『察知』する。
 
 身を捩った一拍後に、羽衣を貫いて光球が行き過ぎる。
 
 『オルゴール』に"気配察知"を込めていなければ直撃している所である。
 
「もう一丁!」
 
 躱しはしたものの、体制を崩した平井に大してさらに光球を放とうとするレベッカ。
 
「っ!?」
 
 その攻勢に移るレベッカの足に、平井の羽衣の端が巻き付いていた。
 
 そのまま、力一杯引っ張られる。
 
「っぉお!?」
 
 レベッカに貫かれた羽衣の穴も、まるで気体を貫いたかのように塞がっている。
 
「そぉ‥‥りゃあ!」
 
 ブンブンと、羽衣の端に捕われたフレイムヘイズを振り回し、平井の意思に応じた羽衣がレベッカの足から自然に解け、そのまま下に投げ落とす。
 
「おまけぇ!」
 
 投げ飛ばしたレベッカに、間髪入れず容赦なく繰り出した炎弾、避けるどころか、体勢を正す間もなく放たれた炎弾が、
 
 ドォオオン!
 
 直撃する。
 
「‥‥っこの!」
 
 しかし、レベッカは翡翠の爆炎を掻き分けて、再びレベッカの周囲に楕円軌道を描きだす。
 
(う〜〜む?)
 
 あまり力を込める間が無かったとはいえ、予想外にダメージが少ない。
 
 『銀沙鏡(ミラー・ボール)』の反射での一撃、先ほどのトラップの『パパゲーナ』の一撃、そしてさっきの炎弾の直撃。
 
(‥‥‥タフだなあ)
 
 もう少し効いていても良さそうなものだが、何かネタがあるのだろうか?
 
(あの、『神器』かな?)
 
 "気配察知"が使えようと、平井は悠二のような自在師ではない。
 
 レベッカがどんな力を使っているかを事細かに把握は出来ないので、明らかに怪しい『神器』に目を付ける。
 
 平井の着眼点は、偶然とはいえ正しかった。
 
 レベッカの胸の前に浮かぶブレスレット型『神器』・『クルワッハ』は、『輝爍の撒き手』自身の放つ爆発から契約者を守る鎧として常に機能しているのである(ちなみに、『クルワッハ』の浮かぶ胸部が一番防御力が高い)。
 
 もっとも、そんな事まではさすがの平井も掴めない。
 
 単に『相手はタフ』という認識を強める。
 
「バラル! もう止めんなよ!?」
 
「‥‥止めたら止まってくれるのかい?」
 
 レベッカの周囲を巡る光球全てがその輝度を増し、ピッと指されたレベッカの指に併せて、平井に向かって飛び、さらにその全てが千にも及ぶ小玉に分裂し、圧倒的な破壊の嵐となって襲い掛かる。
 
(やば、怒った‥‥!)
 
 全く回避不可能な桃色の豪雨を、真っ直ぐ上方に逃げる事で時間を稼ぎ、
 
「ッッセーフ!」
 
 何とか『銀沙鏡』を自身の前に展開して、身を守る。
 
 銀鏡に当たった光球が軒並み飲み込まれ、跳ね返された光球が他の光球に当たって融爆を起こす。
 
「こ、わぁあ〜〜‥‥」

 
 鏡一枚の裏側に隠れる平井は、その反対側で起こる破壊と衝撃の力に身震いする。
 
 まともに受けたらどうなることやら。
 
 などと、攻撃を凌いだ事で油断してしまっていたのがいけなかったのか、
 
 レベッカが起こした、次の行動への対処が遅れた。
 
(‥‥‥?)
 
 全く唐突に、あれほどに荒れ狂っていた爆音と衝撃が止んだ。
 
 ピシッ
 
 その事に、疑問を抱く、それしか出来なかった。
 
 バリンッ!
 
「っ!?」
 
 平井の目の前の『銀沙鏡』から、光球でも"自在法でもないもの"、レベッカの腕が生えていた。
 
 ガシャア!
 
 それから一拍遅れて『銀沙鏡』を叩き割って、レベッカが体ごと突っ込んでくる。
 
 その手が、平井の首をがっしりと掴んでいた。
 
「やっぱ、自在法以外は防げねえんだな」
 
 驚愕に目を見開く平井の目の前に、獰猛な笑みを浮かべるレベッカの顔があった。
 
(や、っば‥‥!)
 
 血気に逸り、力任せの攻撃を仕掛けていたように見えて、その実は冷静に戦いを見極めていた。
 
 歴戦のフレイムヘイズ、その強かさを痛感する平井だが、考えるよりも速く反撃に移っている。
 
 手にした鉾先舞鈴を自分の首を掴むフレイムヘイズに突き出そうとするが、動揺した分だけレベッカの方が動きが速い。
 
「っく!?」
 
 首を掴んだレベッカに、乱暴に下に投げ捨てられ、平井の反撃の刺突は虚しく空を切る。
 
 その平井の目に、レベッカの右手、
 
 先ほどの爆炎の嵐の力を封じた、破壊力の塊たる一つの球が、映った。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥」
 
 街の十字路に堂々と、大杖・『トライゴン』をやや上段に構えるキツネメイド・ヘカテーが立っている。
 
 ピクリとも動かない、何をしているのかもわからない状態が、一瞬で崩れる。
 
 タンッ、とヘカテーが跳び上がった次の瞬間、ヘカテーが立っていた道路の真下から、金の短髪を刈り込んだ青年が飛び出す。
 
 全く動揺すら見せずに、ヘカテーはその頭を『トライゴン』ですぐさま叩き潰す。
 
 同時に放った突風が、その死に体を吹き飛ばし、吹き飛ぶ中途で鳶色の火炎と鉄鋲を撒いて爆発した。
 
 驚くわけがない。
 
 さっきから何度も受けている戦法なのだから。
 
「いい加減、姿を見せたらどうでありますか?」
 
 そう、先ほどの青年は、『骸躯の換え手』アーネスト・フリーダーの姿を精巧に模した土人形に過ぎないのだ。
 
 ヘカテーが言い終える間にも、辺りの地面や周囲の建物から、ぞろぞろとフリーダーの土人形達が湧いてでる。
 
「君こそ、どういうつもりだ?」
 
「"耽探求究"が暴れているというのに」
 
「レベッカ・リードと私事で喧嘩か?」
 
「君がそこまで常識外れだとは思っていなかった」
 
「ヴィルヘルミナ・カルメル」
 
 
 違う個体がそれぞれ、言葉を紡ぐ。
 
 おそらく、この中にも本人はいない。
 
 まともに力を使えたら、『星(アステル)』の広範囲攻撃で隠れている本人ごと吹き飛ばしてやるのだが、『トライゴン』一つではそれも出来ない。
 
 だからこそ、戦局が硬直状態にあるのだが。
 
「いつまでも傀儡を使っていても無駄。自身で戦う気はないのでありますか?」
 
 なかなか、隠れ上手だ。土人形を使ってこちらの集中力を削いでいる事もあり、なかなか見つからない。
 
 ‥‥まともに力を使えれば良いのだが。
 
「あ、あのね? フリーダー君?」
 
「?」
 
 今までとは違う、やけに余裕のない女性の声。
 
 おそらく、彼の契約者であろうが‥‥。
 
「この子‥‥ヴィルヘルミナちゃんじゃないと思うの」
 
「っーーー!?」
 
 ダメだ。
 
 動揺するな。態度に見せるな。
 
 こういうのは平気な顔してたら怪しまれないと、前にゆかりが言っていた。
 
「? そういえば、少し背が低いような‥‥」
 
「か、仮面もあんなにラブリーなのじゃなかったと思うわ!」
 
「‥‥いめちぇんであります」
 
 大丈夫。バレてな‥‥
 
 ドドドドドドォン!!
 
「「「!?」」」
 
 上空の空を、今までとは規模の違う爆光が埋め尽くす。
 
(ゆかり‥‥!)
 
 ただ、目に見える破壊力だけが理由ではない。
 
 『輝爍の撒き手』レベッカ・リード。
 
 ヴィルヘルミナやマージョリーと比べても遜色のないほどの使い手。
 
 やはり、まだ平井には荷が重いのではないか?
 
 そして、『今の平井』なら、むしろ‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 自分が、今の状況ではまともに力を扱えない事は理解している。
 
 だが、経験なら平井よりも遥かに上だ。
 
 それに、この『骸躯の換え手』の戦法。
 
 ヒュルン
 
 『トライゴン』を、頭上に掲げて一回転。
 
 ヒュルン
 
 二回転。
 
 そのまま、勢いを増して回転していく。
 
「私は、ヴィルヘルミナ・カルメルであります」
 
「ほら! ヴィルヘルミナちゃんは私(わたし)じゃなくて私(わたくし)っていうのよ!」
 
「待つんだブリギッド。ヴィルヘルミナ・カルメルに成り済ます理由がわからないのに断定するのは早計だろう?」
 
「何でそんなに頑ななのよ!?」
 
 
 不毛な争いが行われる間にも、『トライゴン』は回転を続ける。
 
 それは、真上に吹き付ける、回転を加えた突風、竜巻となって‥‥
 
「ふっ! であります!」
 
「っ!?」
 
 ヘカテーを取り囲む土人形のフリーダー達を、文字通りに巻き上げ、上に吹き飛ばしていく。
 
 向かう先は、『輝爍の撒き手』レベッカ・リード。
 
 
 
 
 ヘカテーは別に、レベッカの攻撃の全てを読んでいたわけではない。
 
 只、"気配察知"をうちに秘めた平井の方が、フリーダーの相手には向いている。
 
 また、平井にレベッカの相手は荷が重いと判断して、『相手を交代する』きっかけのつもりで、土人形達をレベッカに向けて飛ばしたのだ。
 
 それが、平井の絶対の危地を救う結果となる。
 
 
(不味い‥‥!)
 
 放り捨てられた自分を、レベッカの光球が狙っている。
 
 先ほどの大爆発全ての力を封じた光球。
 
 食らえば、やばい。
 
 だが、『銀沙鏡』は間に合わない。
 
 乱暴に投げ捨てられたせいで体勢は崩れている。避けられない。
 
 目の前の脅威にあまりに集中していたためだろうか。
 
 後ろ、または下から迫る、無数の存在に気付かなかったのは。
 
「っ!!」
 
 突然の後ろからの衝撃と共に、数十人の同じ顔の西洋人の青年が飛んできた。
 
 一瞬気を取られた後にすぐさま視線を戻せば、どうやらレベッカも動揺しているらしい。
 
 しかし、すぐに平静を取り戻し、こちらに力の塊を向けたレベッカの肩に、
 
 一体の土人形がぶつかった。
 
 光球の狙いは僅かに逸れ、平井は必死に上半身だけでそれを避けようとする。
 
 ドォオオオオン!!
 
 凝縮された破壊の光球が、建物をいくつも吹き飛ばす大爆発を巻き起こす。
 
 その無茶苦茶な威力を向けられた当の平井の、
 
 右のヘアゴムが、ぷつりと千切れた。
 
 
 



[7921] 水色の星T 二章エピローグ『疑惑の接触』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/17 20:28
 
「テメエは遅れてきた挙げ句に足引っ張んのかコラ!」
 
「何だと!? 俺が今まで下でヴィルヘルミナ・カルメルの相手をしていたのがわからないのか!?」
 
「どうせオレが戦ってる間に本体はコソコソ隠れてたんだろーが!?」
 
「レ、レベッカちゃん。フリーダー君はより安全で確実な方法を取ろうとして‥‥!」
 
「いや、それにしたってもうちょっと空気を読んでもいいんじゃないか、という事さ」
 
 せっかくの勝機を潰されたレベッカが、フリーダーの土人形に怒鳴り散らし、口論になる。
 
 実際は、フリーダーの落ち度と言うよりは、ヘカテーの功績というべきだろう(もっとも、隠れてた云々は別だが)。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 右の、チャームポイントの崩れた髪を撫でる。
 
(戦闘中に壊れる事も、あるんだよね‥‥)
 
 今の平井は白のジャンパーの下に黒い長袖、細身のジーンズという格好。
 
 髪形を整えていたのも"ただの"ヘアゴムである。
 
 大切な時にしか身につけないと決めている、悠二から貰った髪留めではない。
 
 今回はまだ良かったが、戦闘中に身に付ければ、壊れてしまうかも知れない。
 
(気を付けよ)
 
 と思ってから、自分の心情に軽く噴き出す。
 
 下手をすれば頭を吹っ飛ばされていたかも知れないのに、壊れてもいない髪留めの心配か。
 
 随分と余裕のある素人である。
 
 敵から目を離さないまま、下から浮かび上がってくる気配を感じ、そのまま振り返らずに話し掛ける。
 
「大丈夫?」
 
「ゆかりほど危険な目には遭っていません」
 
 淡々と言ったように聞こえるその言葉だが、付き合いの深い者ならばわかる。
 
 まるでプイッと背を向けたような不機嫌さが、言葉の内から滲み出ていた。
 
 心配してくれるのは嬉しいが、別に好き好んでピンチになっているわけではないのだが。
 
「ごめんごめん。もう油断しないから♪」
 
 軽口に、「大丈夫」と込めたつもりだ。
 
 実際の所は、『油断』ではない。
 
 戦いの中、動きや戦局を見極める中で、あの『輝爍の撒き手』に一つ上を行かれてしまうのだ。
 
 戦闘経験の差による、一瞬の判断の遅れ、その一瞬で、さっきのように致命的な隙を作ってしまいかねない。
 
 "気配察知"で幾分その差を埋められた気がしていたが‥‥
 
(まだまだ甘い、って事か)
 
「ゆかり、『輝爍の撒き手』は私が相手します」
 
「‥‥それ、ちょっと無理があるんじゃ?」
 
 毅然と言い放つヘカテーに、ついさっき死にかけた事からやや控えめに返す。
 
 いくらヘカテーが経験豊富でも、あの爆撃を自在法も使わずにどうこう出来るとは思えない。
 
 まだ自分の方がいくらかマシ‥‥
 
(あ‥‥‥そだ)
 
 一つ思いつき、ヘカテーの耳元に小声で話し掛ける。
 
 レベッカ達も、未だに何やら言い合っているから都合が良い。
 
(‥‥っとね、ヘカテー)
 
 
 
 
「ったく!」
 
 フリーダーの土人形の一体の胸倉を、乱暴に突き放す。
 
 大体この男は、いちいちやり方が気に食わないのだ。
 
 まあ、話が終わる前に周りにふわふわ浮いている土人形軍団であの二人に攻撃しなかったのがせめてもの救いか。
 
 不意討ちがダメ、などと馬鹿な事を言うつもりはないが、相手は単に討滅すればいいという"徒"とは違う(さっきの一撃も、平井の足を吹き飛ばすつもりだった)。
 
(ま、いいや)
 
 目の前の二人を、鋭く睨み付ける。
 
 傍目にもはっきりとわかる、戦闘体勢への切り替え。
 
「んじゃ、第2ラウンドといこうか?」
 
 再び自身の周囲に光球を楕円軌道に巡らせて、凶暴に笑うレベッカに対して、二人はにっこりと微笑み。
 
「「ヤ(であります)♪」」
 
 と、のたまった。
 
 だけではない。
 
「って、おい!?」
 
 完全にこちらを無視して、凄まじい速さで直下に飛んでいく。
 
 やる気満々だったレベッカが、ポケッと一秒だけ呆ける。
 
(っっ何を!?)
 
 逃げるつもりか? と一瞬だけ考えたレベッカの脳裏に、
 
『"気配察知"、ですよ』
 
 つい先ほどの、平井の言葉が思い出される。
 
(っっ!?)
 
 その意味にも、思い至る。
 
「フリーダー!」
 
 二人の狙いに気付いて怒鳴るレベッカに、すでにフリーダーは土人形で返事を"させる"余裕を持っていない。
 
 何といっても、レベッカと戦り合えるほどの使い手が二人、脇目も振らずにこちらに飛んで(落ちて)くるのだ。
 
 "隠れているはずの"自分に向かって。
 
(っこれは!?)
 
 土人形達を追撃させてはいるが、まるで間に合わない。
 
 レベッカも初動が遅れ、追い付けないらしいし、もし光球をあの二人への追撃にでもされたら、避けられた時に自分に当たってしまう。
 
「いいから逃げろ!」
 
 レベッカのよく響き渡る怒声に、弾かれるように飛び出す。
 
 ドンッ!!
 
「っ!」
 
 その、モーションに入る直前に、目の前に錫杖の石突きが現れた。
 
 "地中に潜んでいたフリーダー"の目の前に。
 
「っく!!」
 
 何故バレた、という疑念や単純な驚き、地面に杖を突き刺すメイドと、飛び出した自分に短剣を向ける少女への、極限までの警戒。
 
「後ろだ!!」
 
 だから、その声に反応出来ただけでも、運が良かったのかも知れない。
 
 ゴッ!!
 
「ぐあっ‥‥!」
 
 何かが、凄まじい圧力と速さ、重さを伴って、背中に鈍く激しい痛みと共に突き刺さる。
 
「がっ‥‥あ!」
 
 『反応』は出来た。そのはずなのに‥‥。
 
 突然の、後ろからの襲撃。
 
 それの正体を確かめようと振り返ろうとしたフリーダーの目に映ったのは、
 
 ただ、視界を埋め尽くすほどに至近に迫った拳だった。
 
 
 
 一撃。左手で背中に拳を突き立てる。
 
(っ!?)
 
 その拳の痛みに、何事かと思って見てみれば、殴った背中の辺りが、鉄のように黒々と深い輝きを放っていた。
 
(『硬化』能力か)
 
 事実として、その分析に誤りは無かった。
 
 身体の『硬度変換』こそが、『骸躯の換え手』本来の能力なのである。
 
「がっ‥‥あ!」
 
 その間にも、スーツも造花も、もちろん肌も、黒々と変色していく。
 
 明らかに効いているのに、『硬化』だけは決して疎かにしない辺り、中々抜け目がない。
 
(無視、だ)
 
 明らかに効いている。
 
 なら、少々の拳の痛みは無視である。
 
 振り返ろうとするフレイムヘイズ。
 
 すでに顔も、全身を硬化したフレイムヘイズ。
 
 その硬化された顔面に、構わず思い切り拳を叩きつけた。
 
 ドガァアアン!!
 
 拳撃を受けたフリーダーが、そのまま高層マンションに叩き込まれて突き破り、反対側の道路に投げ出される。
 
 それとほぼ同時に、フリーダーの使役していた土人形がボロボロと崩れる。
 
 
 突然の少年の乱入によって、全くあっけなく形勢は逆転した。
 
 
 
 自分が、飛び出したフリーダーに追撃を入れるつもりだったが、どうやら『囮』としての役回りになったらしい。
 
 現れたのは、そう、坂井悠二。
 
 あの土人形が崩れた所を見ると、フリーダーはもう戦えないだろう。
 
「悠二、捕まえましたか?」
 
 ヘカテーが無意味にも訊くが、訊くまでもない。
 
 悠二の横に、両手両足を縛られたドミノが転がっている。
 
 何やらドミノから尻尾のように下半身が生えていて何やら喚いているが、あれが多分教授だろう。
 
 仕方ないとはいえ、何か、悠二らしくない乱暴な扱いな気がする。
 
「‥‥捕まえたよ。教授、暴れると燃やすよ?」
 
 ゆらりと悠二が睨んで言うと、暴れていた下半身がピシッと固まる。
 
 ‥‥‥何か、悠二が荒んでいる。
 
「あ、あの〜〜、悠二さん? 何があったのでしょう?」
 
「‥‥‥訊きたい?」
 
「「いえ、遠慮しておきます」」
 
 訊いちゃいけない気がしてならない。
 
 
(さて‥‥)
 
 ふわりと、悠二が浮かぶのに合わせて、平井とヘカテーも浮遊する。
 
 その間にも、平井が自分に『清めの炎』を連発してくれるのが何とも言えなく虚しい。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 三対一、という状況を警戒してか、眼前のフレイムヘイズ・『輝爍の撒き手』レベッカ・リードも隙無く構えている。
 
 もう、教授は捕まえはしたのだが、さて‥‥。
 
(始末、する?)
 
 悠二の考えを読んだように、平井が小声で訊く。
 
 こんな事を訊いてくるという事は、何かまずい事を感付かれたという事だろう。
 
 だったら‥‥
 
「悠二!」
 
「‥‥‥‥‥」
 
 気配には気付いていた。
 
 だが、誰かまではわからなかった。
 
 だから、内心ではその声に、ひどく驚いていた。
 
(『こっち』は、聞いてなかったな‥‥)
 
「‥‥久しぶり。フィレス、ヨーハン」
 
 
 
「どういう、状況?」
 
 わけがわからない。
 
 フレイムヘイズ相手に喧嘩をふっかけるような三人か?
 
 大体、何でこんな所に‥‥‥。
 
「フィレスよ〜〜。オメエもヴィルヘルミナの友達だろ? 何とか言ってくれ」
 
「あれがヴィルヘルミナなわけないでしょ!? 大体あなた誰よ!?」
 
 あのフリーダーにでも聞いたのだろうか、この桃色の光球、『輝爍の撒き手』か。
 
 何であんな変装に騙される? 本当にヴィルヘルミナの友達か?
 
「ヘカテー、あなたも何やってるの?」
 
「っーーー!?」
 
 何やら、動揺している気がする。
 
 何であの変装で騙せると思っているのやら‥‥
 
「退くよ、二人共」
 
 フィレスの言葉に何の答えも返さぬまま、唐突に悠二が告げた。
 
(‥‥いいの?)
 
 平井の小声での疑念。もっともだ。知られてはいけないはずの情報を、知られてしまったのだから。
 
(時間がかかりすぎた。ここは東京"総本部"。周りの支部から、すぐに他のフレイムヘイズが集まってくる。
 目的は果たしたし、このまま戦い続けたらそのうち収拾がつかなくなる)
 
 平井には、それが合理的な考えなのか、悠二の心情からくる考えなのかはわからなかったが、確かに、三対三ですぐに何とかなる相手ではない。
 
 退くのも、一つの手。
 
 そう納得した平井が、一つのものに目を奪われる。
 
 釣られるように、全員が目を向けた先で、一つの建物、外界宿(アウトロー)東京総本部の屋上に、完全に場違いな電柱が一本、生えていた。
 
 屋上に、電柱である。
 
 その頂上に器用に立つ少女が、腕を組み、右斜め四十五度の角度でこちらを睨んでいる。
 
 よく見れば、その下で騒いでいる少年の姿も見える。
 
(一美‥‥)
 
 向こうから、人間の目でこちらが見えているかどうかはわからない。
 
 だが、炎の色は見えていたはずだ。
 
 何やら下にいる少年・佐藤啓作に言って、何かを投げ渡された。
 
 一枚のプラカード。
 
 『負け犬』
 
 そう、書かれていた。
 
 大多数には意味がわからないその単語。
 
 平井が、真っ先に気付く。
 
 それが、誰に向けられた言葉かを。
 
 
「行くよ‥‥」
 
 悠二が、誰よりも速く行動を起こす。
 
 ドミノを捕まえていない方の手から、銀色の自在式が一気に溢れだし、悠二達三人を取り囲む。
 
「『転移』だ!」
 
 優秀な自在師たるヨーハンが、その紋章を見て叫び、
 
「ここまで好き勝手やられて逃がすかよ!」
 
 レベッカが、光球を放ち、
 
「っ! ちょっと待ちなさいよ!」
 
 それを、フィレスの竜巻が止め、
 
 そんな数瞬のやり取りのうちに、三人の姿は光の中に消えていた。
 
 
 
 
 ‥‥言われなくてもわかってるよ。
 
 



[7921] 水色の星T 三章『炎の揺らぎ』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/18 21:09
 
 ろくに事態の収拾も待たずに、一同は近くのホテルの一室に詰めていた。
 
 別にホテルに大した理由はない。ベッドがあれば何でも良かっただけだ。
 
「で、そのミサキ市で監視されてたのが"頂の座"?」
 
 こくり
 
「平井ゆかりと、その坂井悠二も含めて、今までミサキ市で共闘してた仲間?」
 
「で、あれは?」
 
 一つ一つ、こちらの言い分を飲み込むように質問していた『輝爍の撒き手』レベッカ・リードが、ベッドの上でノビている金の短髪の青年を顎で指す。
 
 先の戦闘で負傷した『骸躯の換え手』アーネスト・フリーダーである。
 
 優秀な自在師たるヨーハンによる応急措置は済んでいる。後は、フレイムヘイズの治癒力に任せておけば大して問題ない。
 
「『硬化』してなきゃ、首と背骨が折れてるぜ」
 
 命に別状はないからか、その視線にはむしろ「腑甲斐ない」、という呆れの感情が込もっている。
 
「殺す気満々だった、って事じゃねえのか?」
 
 "自称・仲間達"に向けて告げる言葉にも視線にも、明らかな弾劾が感じられる。
 
「「「‥‥‥‥‥」」」
 
 それに対するのは、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』と御崎市の少年少女、吉田一美と佐藤啓作。
 
 反論できる、要素がない。
 
 悠二達の動向はしばらく前から掴めておらず、ヘカテーに到っては「なぜ『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の巫女があんな所にいたのか?」の説明に対して『坂井悠二』、としか応えられないのだから。
 
 ‥‥何より、実際にフレイムヘイズに攻撃してしまった。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 明らかに一番堪えているのは佐藤だ。
 
 わけもわからずにうなだれている。
 
(坂井達、が‥‥?)
 
 いきなり姿を消したヘカテーを探して旅立った坂井悠二と平井ゆかり。
 
 その事も、自分が新たな一歩を踏み出すきっかけになったのだ。
 
 それが、ようやく再会したかと思えば、フレイムヘイズとの戦闘?
 
 しかも、すでにヘカテーを見つけだしたのなら、何故、御崎市に帰ってこない?
 
(‥‥何やってんだよ、坂井)
 
 考えても、答えは出ない。
 
 レベッカの言葉の一つ一つが、重くのしかかる。
 
 他の三人は、佐藤ほど思考の迷路に迷い込んではいない。
 
 ただ、黙って虚空を見つめながらレベッカの言葉を聞いていた。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 しばらく黙っていたレベッカが、パンッと手を叩いて場の空気を変える。
 
「まあ、この件に関しちゃあオレが口出しする事じゃねえ。ヴィルヘルミナの奴に言葉の責任とらせるさ」
 
「ほ、本当ですばっ!?」
 
 レベッカの言葉に思わず身を乗り出した佐藤の前に、吉田が足を出してこかせた。
 
 レディに対して近づきすぎだ。
 
「オレにもフリーダーにも外界宿(アウトロー)での役目があるからな。情報は回しとくけど、はっきり言ってミステスや"未確認情報"のために重い腰上げられねえんだ」
 
(やった! マージョリーさん達に任せてもらえるなら、何とかしてくれる!)
 
 と、無邪気に喜ぶ佐藤だが、吉田は違った。
 
 "情報を回す"。つまりは、出会った場合は各々のフレイムヘイズの判断に委ねられるという事。
 
 決して、あの三人を弁護しているわけではないのだ。
 
 まあ、抹殺命令などが出なかっただけマシか。
 
「まあ、フレイムヘイズ同士の喧嘩だって、そんなに珍しくはないしね」
 
 少し気を緩めたフィレスが、お茶を啜りながら補足する。
 
「僕らはすぐに御崎に戻るよ。ヴィルヘルミナに伝えてあげないといけないから」
 
 ヨーハンは、フィレスほどには楽観していない。
 
 早めに解決しなければ、事がどんどん大きくなりかねない。
 
「そーかい」
 
 ソファに深く腰掛けていたレベッカが、その身を無造作に起こす。
 
「佐の字」
 
 妙な略称で佐藤を呼んだレベッカに、佐藤は無駄に起立して固まる。
 
 無論、レベッカはそういった態度にはあまり関心がない。
 
「おまえは何で、"ここ"にいる?」
 
「っ!」
 
 その意味は、レベッカの言う"ここ"に踏み込むためにあらゆる葛藤と失敗を重ねた少年に、明確に伝わる。
 
 あるいは、就職面接の定型句にも聞こえるような内容。
 
 しかし、取り繕った回答を決して許さない声色と眼光が佐藤を刺す。
 
 そのせいか、気付けば、第八支部の面接には使わなかった『本音』が飛び出していた。
 
「マージョリーさんの、力になるためです‥‥!」
 
 佐藤、決意の告白。
 
「「「‥‥‥‥‥」」」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 フィレス、ヨーハン、レベッカ(と、バラル)が呆気に取られたように沈黙し、最初から知っていた吉田だけは意味合いの違う沈黙を浮かべる。
 
「ぷっ‥‥」
 
 沈黙は、そう長くは続かなかった。
 
「たははははは!! へ、へぇー!? よりによってマージョリーか! ぷくく、だはははは!!」
 
「何、何! いつの間にそんな感じに!? 詳しい話聞かせてよ!?」
 
 レベッカの爆笑と、瞳をやたらと輝かせたフィレスによって。
 
「‥‥今の、笑う所かな?」
 
「ごめんね、フィレスはこういう話に首突っ込むの好きで」
 
「‥‥はいはい」
 
「く、くぅう‥‥‥」
 
 不思議そうなバラル。さりげなく恋人をフォローするヨーハン。呆れたような吉田。そして真っ赤になる佐藤。
 
 それからしばらく、佐藤を肴に場が盛り上がり、
 
「ま、マージョリーによろしく言っといてくれ、佐の字」
 
 何となく場に解散の空気が広がり、御崎市に帰る面々がドアに向かって歩きだす。
 
「お前は?」
 
 その最後尾の吉田に、レベッカが先ほどと同様の鋭い質問を投げ掛ける。
 
 それに全く動じず、顔だけで振り返って視線に視線をぶつけて、
 
「惚れた相手のためだ」
 
 きっぱりと、宣言した。
 
 
 
 
「さて‥‥」
 
 四人が去った一室で、レベッカが軽く溜め息を吐く。
 
「ぐえっ!?」
 
「レ、レベッカちゃん!?」
 
 ベッドに横たわるフリーダーの腹に、突然肘を落とす。
 
「‥‥おまえ、起きてたろ?」
 
「‥‥こっちは怪我人だぞ。もっと丁寧に扱ってくれ」
 
 文句を言ってはくるが否定しないという事は、やはり図星か。
 
 のそりと上半身を起こしたフリーダーが、側にある花瓶に差してあった造花・『アンブロシア』を胸元のポケットに差す。
 
「結局、君でも取り逃がしたんだな」
 
 しれっと言う辺り、隠すつもりもないらしい。
 
「かー! あっさりノされたおまえに言われたかねえなぁ。」
 
「‥‥まさか、見逃したわけじゃないだろうな?」
 
 疑念を込めて睨まれる。
 
 だから、言われる筋合いはない。
 
「フィレスの奴に邪魔されたんだよ。それに‥‥」
 
「それに?」
 
「いや‥‥‥‥‥」
 
 見逃してもらったのはこっちかも知れない。という言葉を、飲み込む。
 
(坂井悠二、か‥‥)
 
 あの、最後に現れたミステス。
 
 自在師なのか、妙に存在感や威圧感が掴み辛くて力量自体は推し量れなかったが‥‥
 
 そう、何か‥‥嫌な感じがしたのだ。
 
 ‥‥ただの勘だが。
 
「大体、あの四人にもあんな対応で良かったのか?」
 
「‥‥やっぱり、起きてたんじゃねえか。良いんだよ、ヴィルヘルミナやマージョリーだって、自分で撒いた種くらい自分で刈るだろ。それに‥‥」
 
「それに?」
 
 相変わらずいい加減な決定方針だと呆れ気味のフリーダーが問い返す。
 
「あの偽ヴィルヘルミナが"頂の座"だってのは『約束の二人』の話だからな。鵜呑みにするわけにもいかねえだろ?」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 意外に、よく考えている。とフリーダーは若干感心する。
 
 そう、実質的に姿が確認されたのは『ミステス二人』。
 
 あの仮面がヴィルヘルミナではないという話は信じても、その正体が"頂の座"ヘカテーだという話は、今イチ信憑性はない。
 
 大体、"頂の座"と言えば引きこもりとして有名な星のお姫様である。
 
 『仮装舞踏会』がミステスなどを護衛にして送り出す、というのは非常識だった。
 
 敵とも味方とも言えない『約束の二人』の言葉で『仮装舞踏会』に対して行動を起こすのはいささか早計というものだろう。
 
 
 何より‥‥
 
「あの様子じゃ、下手に手ぇ出すのは野暮ってもんだろ」
 
 
 結局、自分の感性で判断するレベッカに、フリーダーは疲れたように嘆息した。
 
 
 



[7921] 水色の星T 三章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/05/22 04:57
 
「あ〜‥‥ままならないねえ」
 
 世の空の何処か、というかとある島国の上空を行く『星黎殿』の中の一室で、三眼の片目に眼帯をした妙齢の美女が悩ましげな溜め息をつく。
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の実質的な指導者たるベルペオルである。
 
(あ〜〜あ、だから嫌だったというのに‥‥)
 
 机に突っ伏して、ぼーっと紅茶のカップを乗せている皿を眺める。
 
 教授の捜索は、本来であれば"狩人"フリアグネが一番望ましかった。
 
 生半可な実力ではあの教授を場合によっては無理矢理にでも連れてくる事は出来ないし、逆に実力のある構成員だと、その知名度から、フレイムヘイズ達に『仮装舞踏会』と関連づけられる恐れがあった。
 
 『構成員ではない実力者』たる彼が一番望ましかった。
 
 一昔前に雇っていた"塊刃"サブラクはどうやらヘカテー達に討滅されたそうだし。
 
(‥‥まったく)
 
 何を考えているのか。あまりに数奇な巡り合わせで今の形に落ち着いてこそいるが、ヘカテーがしたのは一つ間違えば『反逆行為』である。
 
(いや‥‥)
 
 何を考えているのか、はわかっているのだ。
 
 要するに、ヘカテーはもし悠二に手を出すならば、例え『仮装舞踏会』だろうと『盟主』だろうと牙を剥く。
 
 そういう事なのだろう。
 
 つい今朝方に交わされた会話を思い出す。
 
 
 
「つまり、今からでも遅くない、と?」
 
 『星黎殿』に迎えた教授に解析してもらった今の『坂井悠二』と『零時迷子』の状態。
 
「えぇ〜え。今から本来必要な『大命詩篇』全てを打ち込めば、おそらくこのミステスの形骸を残したまま『代行体』としての起動も可能だと思われまぁ〜〜すがねえ?」
 
 それは、今のような本来の代行体から大きく外れた状態でも、『大命詩篇』をちゃんと解析して打ち込めば、坂井悠二を消さぬまま盟主の仮の復活が叶う可能性が高い、というもの。
 
 つい素直に喜びを表して悠二に目をやれば、
 
「「‥‥‥‥‥」」
 
 ヘカテーと平井が、立ちふさがる形で悠二の前に立って、こちらに強い意志の籠もった目を向けていた。
 
「『それ』やったら、悠二はどうなるの?」
 
 平井の、不気味なほどに平静な問いには、教授ではなく同席していたリャナンシーが応えた。
 
「複雑に過ぎる式だから断言は出来ん‥‥が、おそらくは意思総体の混在、融合、最悪の場合、坂井悠二の意思総体は"祭礼の蛇"の意思総体に呑まれて消える、という可能性もある」
 
「‥‥‥つまり」
 
 平井の言葉を継ぐように、ヘカテーが訊く。
 
「どちらにしても、悠二が‥‥悠二ではなくなるという事ですか」
 
「‥‥可能性の話ではあるがな」
 
 ヘカテーの問いは、疑問の形で発せられてはいなかった。
 
 それは、もはや『状況次第』という問題ではなく、断固許さない、という意思表示だったのかも知れない。
 
「‥‥ベルペオル」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーの呼び掛けには、何かを懇願するような色はなく、平井の目にも同じものが宿っていた。
 
 『やめて欲しい』ではなく、『やったら許さない』、でもない。
 
 『絶対にさせない』、である。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 話の間、ずっと黙って目を閉じていた悠二。
 
 『盟主』との『対話』でもしていたのだろうか。その悠二が、ヘカテー達の威圧から続いていた沈黙を破るように、目を開き、
 
「ベルペオル」
 
 少しだけ、申し訳なさそうに、
 
「ごめんね」
 
 そう、言った。
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 と、まあこんなやり取りがあったわけである。
 
 もうこうなったら腹はくくった。
 
 ヘカテーがああでは、もう悠二とも一蓮托生である。
 
 とにかく、そんな危ない三人組絡みでちょっとした不安要素が教授の捕獲の際に生じてしまったわけだ。
 
 まあ、過ぎてしまった事は仕方ない。
 
 どんな逆境に在ろうとも今そこに在るものからそれに挑んでこその"逆理の裁者"。
 
 それはそれとして‥‥
 
「‥‥私の部屋で何をしているのかね、『将軍』?」
 
 ジロリと、女性の部屋に勝手に入ってきていた不届き者を睨み付ける。
 
 視線の先たる窓際には、妙にやさぐれた雰囲気の、サングラスをかけたハツカネズミがタバコを吹かしていた。
 
「‥‥男にはな、黙ってこの紫煙に酔いたい瞬間ってやつがあるのさ」
 
 知った事か。
 
 大方、またヘカテー達の仲間に入ろうとして失敗したのだろう。
 
 大体、自分だってタバコは嫌いなのだ。それを勝手に人の部屋で‥‥。
 
 毎度毎度、ヘカテーはまだ許せるが、この男が道楽にかまけて組織を疎かに‥‥‥
 
(‥‥‥ん?)
 
 道楽にかまけて‥‥組織を疎かに‥‥
 
「ぐはあ!? いきなり何するこのババぐほぉ!?」
 
「お前が! お前が行ってれば万事解決してたんじゃないかこの幽霊社員が!」
 
「ちょっ、待て! 何の話か知らんが謝るから! とりあえずやめろババぐぁ!?」
 
「誰がババロアだい!?」
 
「ババロアじゃなぐほっ!」
 
 
 新聞紙をまるめたやつで無力なハツカネズミを追い回す美女、というシュールな空間に、
 
「やっほー!」
 
「‥‥またハツカネズミがいます」
 
「あ、ベルペオル、邪魔だった?」
 
 最近、やたらと存在感の大きい三人組が来訪する。
 
「‥‥それはまた何のつもりだい」
 
 ベルペオルの言う『それ』、まあ、ヘカテー達の格好の事だ。
 
 ヘカテーは、彼女の髪や瞳よりも濃い青の着物。模様は派手ではなく、小さな花模様が全体に彩られている。
 
 平井は真っ白な着物に草や葉の模様が施されている着物。二人共、よく似合っている。
 
 ちなみに悠二も黒の着物を着てはいるが、この二人に比べるとやはり華がない。
 
 まあ、ベルペオルからすれば似合うとか華がないとかが問題ではない。
 
 何故着物を着ているのか、が疑問なのである。
 
 無論、悠二達もそれをわかっているから即答する。
 
「「「大晦日」」」
 
「‥‥‥はい?」
 
 そういえば、今夜で年が変わるんだったか。
 
 それで、何故着物?
 
 まさか‥‥‥
 
「そういうわけで、我々は神社に直行したいと思います♪」
 
「早く着替えて下さい」
 
「マリアンヌさんが、ベルペオルの着物も用意してくれてるんだ」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 予想通りの流れである。
 
 大体、この三人は自分達だけで出かける時にわざわざ報告になど来ない。紙切れ一枚残して勝手に遊びに行くのだ。
 
 だからこんな時に自分を訪ねてくるのは大抵「一緒に遊ぼ」なのである。
 
「"逆理の裁者"、心配せずとも私も同行する」
 
「ふふ、『母君』も大変だね」
 
「フリアグネ様、着物姿も素敵です」
 
「ふん、結構な大所帯だな」
 
 続々と現れる。
 
 何だかんだ言って皆ノリノリである。
 
 シュドナイも、いつの間にか紫の着物でスタンバイしている。
 
 
「‥‥‥やれやれ」
 
 結局断らないのは、自分も万更ではないという事なのかも知れない。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 人混みに溢れ返るとある神社、田舎とはいえ、こういう行事ではやはり人は集まるものらしい。
 
 白い恋人達と師・"螺旋の風琴"リャナンシーはあっちで甘酒を飲んでいるが、悠二はあまり甘酒は好きではない。
 
 わざわざこういう所に出向いてみたところで、年が明けたという実感はバラエティー番組の生放送以上に無かったりする。
 
「おや、ブルー入ってる? 少年♪」
 
「っ!」
 
 ぼーっとしていたため、いきなり目の前に飛び出してきた平井にひどく慌てる。
 
「?」
 
 何やら、『星黎殿』から出かける前辺りから少し様子がおかしい悠二を訝しげに平井は見やる。
 
(う〜〜ん?)
 
 悠二のこんな態度を見るのは、初めてではない。別に悠二が慌てるのがそこまで珍しいというわけではないが、この、妙な雰囲気に覚えがある。
 
(‥‥何だっけ?)
 
 首をひねって考えてみるが、どうにも思い出せない。
 
「ゆかり、おみくじ引きに行こう」
 
 そうこうしている間に、いつもの調子に戻ったように見えるヘカテーとベルペオル母子の方に歩みよりながら手招きしていた。
 
 ちなみにベルペオルは、髪型を少しいじって額が完全に隠れるようにした上で額の瞳を瞑っている。
 
(ま、いっか♪)
 
 平井は、それ以上深く考える事はしなかった。
 
 
 
 
 新年最初のおみくじ。
 
 彼ら『仮装舞踏会』にとってはたかがくじとはいえ、何となく重要な意味を持つような気がしてならない今日この頃である。
 
 結果は‥‥‥
 
 悠二・大吉
 
 ヘカテー・大吉
 
 平井・大吉
 
 リャナンシー・小吉
 
 シュドナイ・凶
 
 フリアンヌ・吉
 
 ベルペオル・末吉
 
 
「悠二、大吉」
 
「良かったね、僕もだ」
 
「あちゃー、旦那これ死亡フラグだね」
 
「不吉な事言うな!」
 
「ま、くじなんてこんなものさ」
 
「末吉‥‥‥吉、末?」
 
「ふむ、小吉か」
 
 
 それぞれ、くじの結果を見せ合いっこしている(白い恋人達はこんな所もお揃いである)。
 
 最近中心人物になりつつある三人が揃って大吉なのは、組織的には縁起が良い。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ベルペオルが末吉のくじを値踏みするように眺める。
 
 仕事運や健康運などは苦労が絶えないような事が書かれている。
 
 わざわざくじに教えてもらうまでもない。すでにトラブルだらけである。
 
「‥‥‥‥‥あ」
 
 その目が、一つの項目を捉えた瞬間、
 
 シュパッ!
 
 くじを、着物の帯の内側にねじ込む。
 
 もう一度取り出して確認して、少し締まりのない笑みを浮かべる。
 
 
 ベルペオルのくじは、全体運が低かったが、恋愛運だけ、少し高かった。
 
 
 
 年が明け、彼らにも一つの区切りが訪れる。
 
 そう、彼らがまずやらなければならない事‥‥
 
「もちつき、凧上げ、独楽回し! カルタにおせちに福笑い!」
 
 たくさんあった。
 
 



[7921] 水色の星T 三章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/05/23 05:53
 
「‥‥おはよう、ヘカテー」
 
 朝、布団から起き上がると、珍しくヘカテーが先に起きていた(布団から消えていた)。
 
 ヘカテーの寝顔を眺める事が習慣化している悠二としては少し残念、なはずだが、今はそんな事を考える余裕はない。
 
「‥‥あけまして、おめでとうございます」
 
 薄紫色の着物に身を包んだヘカテーが、正座の姿勢からその小さな体をまるめて深々と頭を下げる。
 
 その手は少し前に出されて、"三つ指をついている"。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 これを吹き込んだであろう犯人に目をやれば、やはりおかしそうに口元を押さえている。
 
 その犯人、平井ゆかりを見て、
 
「っ‥‥!」
 
 一瞬だけ身を震わせた悠二が、すぐに気を取り直して頭を掻く。
 
「ゆかり、またヘカテーで遊んで‥‥」
 
 全く、『末長くよろしくお願いします』ではないのだから‥‥。
 
「最初に言う事がそれ?」
 
 が、逆に平井にたしなめられる。
 
 確かに、自分の方が空気を読めていなかった事は認めねばなるまい。
 
「あけましておめでとう。二人共」
 
 悠二の遅い挨拶に、平井は小さく「あけおめ♪」、と返した。
 
 
 
 
「えーんやこーら!」
 
「どっこいせ‥‥!」
 
 明らかにおかしな、巨大な石臼と杵、そして餅。
 
 平井とヘカテーがそれらを叩きながら、時折「はい!」とか言いながらリベザルが餅をひっくり返している。
 
 杵に持たれた少女、と評すべきサイズの違いと、返し役が甲虫という構図。ちなみにリベザルは甲虫とはいえ清潔な手の持ち主だ。
 
 とてつもなくシュールなもちつきが行われる一方で、作られた餅を、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の構成員達が各々のやり方で食していく。
 
 ちなみに、巫女の副官たる平井が餅を突いていても特に誰からも突っ込まれはしない。
 
 平井は元々が崇拝を受けるような立ち位置ではなく、性格的にも『溶け込む』方が得意である。
 
 鍛練や日常の接触から、構成員達の平井に対する対応は『同僚としてのもの』に近いものとなっていた。
 
 それゆえか、"以前は"フェコルーが身分を隠して行っていた組織内の調査は平井が引き継ぐ形だ。
 
 何だかんだ言って、平井はベルペオルやフェコルーの手伝いを結構しているのだ(無論、遊びもするが)。
 
 まあ、そんな諸事情とは無関係に、平井が「突きたい」と言っただけという事もある。ヘカテーも、最初は周りが騒いではいたが同様だ。
 
「次は餅米がいいねえ。おはぎが食べたいよ」
 
「は、伝令を回しておきます」
 
 焼き餅に醤油をつけて頬張るベルペオルの横で、フェコルーが"本来の姿"で要求に首を縦に振る。
 
 以前なら"嵐蹄"としての姿を晒す時は自身の能力で臙脂色の直方体と化していた彼だが、まあ、平たく言えばお役御免である。
 
「平和だね」
 
「貴女も如何か? 参謀殿」
 
 二人揃って歩みよってきた、坂井悠二と、深緑の着物を着たリャナンシー。
 
 訊ねるリャナンシーの手には、酒が並々と注がれた徳利を手にしている。
 
「? さっきまでシュドナイ達と飲んでいたは‥‥」
 
 訊きながら、悠二達が来た方に視線を流していたベルペオルの、言葉が途切れる。
 
 信じがたい光景。
 
 "千変"シュドナイ、"狩人"フリアグネ(と、マリアンヌ)、"耽探求究"ダンタリオン、並びに『仮装舞踏会』の誇る強力な『巡回士(ヴァンデラー)』が幾人も、ひっくり返ってピクピクと痙攣していた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥いや、今日はハメを外して飲もう、って流れになったらいつの間にか飲み比べみたいになってさ‥‥‥」
 
「別に構うまい。強要した覚えもなし、何より今日は無礼講だ」
 
 やや申し訳なさそうに弁解する悠二と、まるで気にした様子もないリャナンシー。
 
 まあ、酒は飲んでも呑まれるな、潰れる方に責がある、という見方もある。
 
 もちろん、自分は同じ末路を辿るつもりはない。
 
「遠慮させてもらうよ。餅には茶の方が合うんでね」
 
 というか、まともに飲み比べなど出来るか。化け物師弟め。
 
「‥‥そうだね、さっきから妙に食い合わせが悪いとは思ってた」
 
 ベルペオルの意を汲んだのかそうでないのか、悠二が酒を置いて餅を一つ、掴み取る。
 
「何だ、付き合いの悪い‥‥」
 
 対称的にポツリとぼやいたリャナンシーも、しかしベルペオルの隣に腰掛ける。
 
「平和だなぁ」
 
 悠二が、微笑ましいものを見るような目で、言葉通りに心底平和そうに呟く。
 
 視線の先には、二人の少女。
 
「悠二ー! おはぎある?」
 
「っ‥‥! っ‥‥!」
 
 片手を肩からビシッと伸ばして手を振る平井と、ヘカテー。
 
 平井のもう一方の手には長いきなこ餅。それに、ヘカテーが必死に食い付いている。
 
「ほーらヘカテー、切れちゃうぞー?」
 
「っ! っ!」
 
 平井が餅をみょーんと伸ばし、慌てたヘカテーが口をもきゅもきゅさせる。
 
「おはぎは‥‥まだかな。ほらヘカテー、じっとして」
 
「んぐ‥‥む‥‥!」
 
 平井にお茶を渡しつつ、ようやく餅を口に納めたヘカテーの、きなこまみれの口元を拭ってやる。
 
「全く、どっちが年上だかわかりゃしない‥‥」
 
 お猪口に酒を注いだベルペオルが、やや頬を染めながら、慈愛の眼差しでヘカテーを見る。
 
 あんなに幼く見えるというのに、以前より成長したと断言出来るのだから不思議なものである。
 
「ささ、ぐいっと‥‥」
 
 傍らのリャナンシーに、さりげなく酒を飲まされている事には気付かない。
 
 
 ほどなく‥‥‥
 
 
「コラー悠二! 最近何か態度変れひょ!?」
 
「悠二‥‥眠いれす。おやすみの‥‥キスを」
 
「はいはい、酔っぱらいさん達は布団に連れて行くよ?」
 
 主旨はあくまでももちつき大会であるが、酒に弱いヘカテーや平井などはちょっとした飲酒を繰り返すうちにすぐに酔ってしまう。
 
 この催しの主役が陥落、とはいえ、もはや作るのも食べるのも自然な流れで行われている。
 
 元々が娯楽にはそう富んではいない『星黎殿』だからか、宴は滞りなく盛り上がっていく。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 またチビリと酒を呷ったリャナンシーが、ヘカテーと平井を抱えて部屋に戻ろうとしているのをつまらなそうに眺める。
 
 ベルペオルはすでに潰れてしまったし、何だかんだ言って彼女のペースに付き合えるのが悠二くらいなのだ。
 
 が、彼女は悠二にとって珍しいほどに大人な余裕を持つ女性。常識はきちんとわきまえている。
 
 
(‥‥‥‥‥‥う)
 
 酒のせいでグラグラする頭、火照る体。
 
 そんな不安定な意識の中で、感覚的に掴むものもあった。
 
(‥‥‥悠二?)
 
 誰かに抱き抱えられて運ばれている。それが誰なのか、すぐにわかった。
 
 自分にとって、誰より特別な少年であるがゆえに。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 薄らと、重たい瞼に逆らって瞳を開く。
 
 背中に、彼の恋人たる小さな少女を、自在式の帯でくくって背負っている。
 
 それが、小さな彼女の方が背中にくくりつけるのに適していると理解するのに、数秒を要した。
 
 自分は、腕に抱き抱えられている。
 
 いつの間にか構成員達の間で呼ばれるようになった『姫』という通称のように、お姫様だっこで。
 
(‥‥‥悠二?)
 
 ただ、それを深く味わうという選択を出来るほどに、意識ははっきりしてはいない。
 
 夢うつつの意識の中で、自分を見つめる少年の瞳が、やけにはっきり映った。
 
(ああ‥‥‥)
 
 最近の彼に感じていた妙な既視感に、やっと思い至った。
 
 自分自身が割り切っていて、普段の悠二もそれをおくびにも出さないため、失念していた事。
 
 夏休みの、ミサゴ祭りの後からしばらくまでの彼と同じ雰囲気なのだ。
 
 そこに在るのは憂い。自分から、『人間を奪った』という罪の意識。
 
 でも、何故今になってそれを面に出すように‥‥
 
(あ‥‥‥)
 
 不慣れな着苦しさをふと感じて、思う所があった。
 
(‥‥‥着物?)
 
 平井の憶測は、外れていない。
 
 "壊刃"サブラクの『スティグマ』に蝕まれる傷。そして、血に染まっていく、瞳から光を失った平井の着物。
 
 つい、悠二に連想させてしまっていた。
 
(‥‥‥馬鹿)
 
 くすりと、小さく笑う。
 
 悠二が自分の事で心に負担を感じている事が苦しくて、しかし悠二が自分の事を気に掛けてくれている事が嬉しかった。
 
 そう感じると共に、気が抜けたように安堵した平井が、少年の腕に抱かれる暖かさをようやく深く感じ入り、その意識を再び手放した。
 
 
 
「師匠?」
 
 自室に向かう悠二が、後ろから付いてきたリャナンシーに怪訝な目を向ける。
 
「どうかした?」
 
 本当に思い至らないらしい悠二に、リャナンシーはややの呆れを禁じえない。
 
「そんな着物姿のまま、二人を寝かせるつもりか?」
 
(‥‥‥あ)
 
 そうだ、着物のような服では寝苦しい事この上ない。
 
 それに、着たまま寝たりしたら着物もしわだらけになってしまう。
 
「君が二人を着替えさせるというなら、私は辞退しても構わんがね」
 
「‥‥‥是非ともお願いします」
 
 何というか‥‥適わない。
 
 初めて会った時も、その能力と合わせて、こういう人柄に惹かれたからこそ師と仰いだのかも知れない(他にも教えを受けた相手はいても、『師匠』などと呼んだ事はない)。
 
「師匠、一人運んでくれない?」
 
「ダメだ」
 
「‥‥‥何で?」
 
「何でも」
 
 
 ‥‥‥やはり、推し量れない。
 
 



[7921] 水色の星T 三章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/05/24 16:39
 
「ふっ!」
 
 季節が季節ゆえにより一層冷え込む朝の空気を、少女が手にした一本の木の枝が切り裂く。
 
 元々の、この坂井家で朝の鍛練をする必然性も無くなりはしたものの、誰が何を言うでもなくこの習慣は続いている。
 
 ヴィルヘルミナは、どうやら考え事があるらしく今日は来ていないし、メリヒムは元々、この家で共に鍛練していた坂井悠二達に都合を合わせていなかった。ゆえに、今この場の鍛練には少女・『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールと、その契約者たる"天壌の劫火"アラストールしかいない。
 
 ヒュッ!
 
 また一振り、風を斬る。
 
 体を動かすと共に、自身の存在の力を繰る。
 
 目まぐるしく動くその姿は、軽やかでありながら、小柄な少女とは思えないほどに力強い。
 
『"耽探求究"が目的だったみたい』
 
 踏み込み、体全体で斬撃を繰り出す。
 
『ろくに話す余裕も無かったし、何が狙いなのかもわからなかったわ』
 
 まるで、頭をもたげる何かを振り払うように。
 
『ただ、今わかってて確かなのは、もうヘカテーと合流してるって事と‥‥』
 
 一心不乱に、斬撃を繰り出した。
 
『フレイムヘイズ二人相手に、攻撃を仕掛けたって事だけよ』
 
 
「はあっ!」
 
 その動きは、一切の無駄を感じさせないものでありながら、
 
「っふ!」
 
 どこか、精細を欠いていた。
 
 
 
 
「シャナちゃん、そろそろ時間よ」
 
 一人で自身の動きを確かめ、さらに向上させるべく切磋琢磨するシャナに、穏やかな声がかかる。
 
 これも習慣のうち、坂井家を支える誇り高き専業主婦・坂井千草が、縁側も兼ねる掃き出し窓から手招きしている。
 
 『この世の本当の事』に関わる者、紅世の徒やフレイムヘイズも含めて一目置く女性であり、シャナも彼女の事は大好きだった。
 
 惰性とも言えるこの家への訪問の継続も、彼女の存在による所が少なからずある。
 
「はい、どうぞ」
 
「うん‥‥」
 
 居間の中央のテーブルには、超絶甘党のシャナのための砂糖とミルクたっぷりの熱々の紅茶が用意してある。
 
「ふふ、シャナちゃんが飛んだり跳ねたりしてると、ただでさえ狭い家の庭が箱庭みたい」
 
 本来であれば、一番辛いはずであろう千草はしかし、そんな様子を少しも見せない。
 
(どうして‥‥?)
 
 およそ一月前、そしてそのさらにおよそ二月前に、彼女の実の息子と、娘と呼べるほどに親しい少女が彼女の許から去っていた。
 
 息子の方は、とっくに人間としての存在を失っていた。娘の方は、初めから人間ではない。
 
 千草は、そんな『この世の本当の事』を何も知らない。
 
 だからこそ、彼女にとっては『息子と娘の行方不明』こそが厳然たる事実。
 
 そして、だからこそシャナには不思議だった。
 
(‥‥どうして、平気な顔でいられるの?)
 
 千草は『この世の本当の事』を何も知らない。
 
 だから、自分達以上に悠二達について何もわかっていないはずなのだ。
 
 姿を消した理由も、それまでに何があったかも。
 
 それでも、不安な様子の欠片すら見せない。
 
(‥‥‥‥‥‥‥)
 
 強さを、普段自分が認識しているものとは全く違う次元で感じて、その『違う次元の強さ』に想いを馳せる。
 
 自分の『それ』は、まるで形が不明瞭で掴めない。
 
 その事に、苛立ちが募るばかりで出口への糸口すら見つからない。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ふと、その千草のお腹に視線を向ける。
 
「まだ生まれないの?」
 
「ふふ、これから目に見えて大きくなってくるわ」
 
 膨らみも僅かなそこには、新たな生命が宿っている(らしい)。
 
 夏休みに坂井貫太郎が帰ってきた際に千草と共に"作成"したらしい(そういえば製作過程を知らない)。
 
「ほらシャナちゃん、次はお風呂。外側から温まってらっしゃい」
 
「うん」
 
 促され、椅子から立ってくるりと浴室に向けて踵を返す。これも馴れた仕草。
 
「‥‥‥ふう!」
 
 お湯になるのも待たずにシャワーの冷たい水を被り、全てが弾けて、後の暖かさにぼやけていく。
 
 そんな、もうずっと繰り返して、続けてきた仮初めの日常。
 
 先日、その不明瞭さが深まってしまった、空虚の時間。
 
 ただそれも、いい加減見かねた存在も在る。
 
「シャナ」
 
 それは、彼女の契約者。今は浴室の外の、服の一番下に隠されている、シャナの親、兄、師、あるいは友。
 
「‥‥この街を、出るか」
 
 その言葉、いつ受けても何の不思議も無かったはずの問いに、
 
 シャナは反応を返す事さえ出来なかった。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 虹野邸の、一番大きな木の前に、給仕服に身を包んだ女性が佇んでいた。
 
 『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルである。
 
 彼女が先ほどからじっと見つめているのは、大木の根元、大切な『娘』の特等席であった。
 
「硬直給仕」
 
 頭上の相棒の、「いつまでそうしている気だ」にも返事をしない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 何が、あったというのか。
 
 彼らが"頂の座"ヘカテーを探しに行った。それは十分理解出来る。
 
 だが、再会を果たしても御崎市に帰って来ず、あまつさえ教授を狙い、その障害になりそうだったレベッカ達に攻撃を仕掛けるなど‥‥。
 
 元々、フレイムヘイズの味方だと公言していたわけではないとはいえ、あまりに不自然すぎる。
 
 考えられる、一番高い可能性‥‥‥
 
(『洗脳』‥‥でありますか)
 
 ヘカテーを追い、何らかの方法で『星黎殿』に辿り着き、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』によって洗脳を受けた。
 
 しかし、それをあのヘカテーが許すだろうか?
 
 いや、元々ヘカテーがこの街を去ったという事は、それも無いとは言い切れない。
 
 いや、最悪、ヘカテーもろとも洗脳を受けた可能性も‥‥‥。
 
 いや、悪い方にばかり考えてどうする。
 
 何か理由があるのかも知れないではないか。
 
 そもそも、自分やマージョリーだって坂井悠二と初めて会った時は戦ったのだ。
 
 血の気の多いレベッカと戦ったとしても、それほどおかしな事はないのではないか?
 
 そうだ、少し前のクリスマスの事にしても、もし彼らの仕業なら、洗脳を受けた者の行動にしては不自然では?
 
 こんな思考を、ヴィルヘルミナはずっと巡らせている。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そして、目の前の特等席の持ち主たる少女の事を考えると、自分の事以上に胸が痛む。
 
 まだ、自覚していないだけマシなのかも知れないが‥‥‥‥
 
「考えは、まとまったか?」
 
「っ!?」
 
 余程深く考えに耽っていたのか、突然頭上から掛けられた声に狼狽してしまった(今まで、そこにいた事に気付かなかった)。
 
 見上げれば、少し太めの枝に腰掛けて大木に寄りかかる銀髪の青年。
 
 いつまで経っても恋人と呼ばせてくれない傲慢な想い人。
 
「いくら考えようと、所詮は推測の域を出ん。直接会って訊かなければわからん事だろう」
 
 考えていた事を読んだかのような事を言ってくる。
 
 基本的に自分の事しか考えてなさそうな癖に、こういう所は変に鋭い。
 
「で、何を隠してる?」
 
「‥‥‥何の事でありますか?」
 
 何となく、心の内を見透かされるような感覚から、とぼけてみる。
 
 いや、とぼけてみる、とかいう以前に、軽々しく話せる内容ではない。
 
「‥‥数百年の腐れ縁だ。気付かないとでも思ったか? 何より、お前はわかりやすい」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 まただ。いつか、宿敵たる鋼の竜に余計な忠告を受けた時にも感じた事。
 
 いくら無表情の仮面を被って内心を隠しても、いとも容易く見透かされてしまうというのが甚だ面白くなかった。
 
(ただ、彼の言う事ももっともな事実‥‥)
 
 いつも、この男は単純な物の見方しかしない。
 
 でも、今回は、それに救われたような気がする。
 
 いつまでも変わらない現状に対して何もしないのは、好きじゃない。
 
 ヴィルヘルミナの心が、覚悟へと向かう中、その目の前に飛び下りたメリヒムが、
 
「話せ、ヴィルヘルミナ」
 
 命令口調で促した。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 自宅のベッドで仰向けに寝転がりながら、シャナが手にするのは一枚の手紙。
 
 以前のシャナは、フレイムヘイズの情報交換支援施設である『外界宿(アウトロー)』を全くと言っていいほど利用しない、フレイムヘイズから見ても異端な存在であったが、この街に来て、養育係たるヴィルヘルミナと再会して以来、その利用法について念入りに教え込まれていた。
 
 状況報告や必要な情報の要求は、以前なら平井ゆかり、そして現在は佐藤啓作と吉田一美に委ねられているが、この手紙は、自分から出した手紙の返事である。
 
 手紙の相手は、『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュ。
 
 歴戦の勇者たるこの『肝っ玉母さん(ムッタークラージュ)』は、シャナにとっては師の一人でもあった。
 
 『天道宮』を巣立って直後、シャナは彼女について旅する事で最低限の社会常識を身につけたのである。
 
 つまり、御崎市に現れた時点のシャナも、ゾフィーが"見られる程度"に教育を受けた、実は『天道宮』時代よりはマシな状態だったという事だ。
 
 別れて数年経った今も、シャナはこの貫禄満点、穏やかさと激しさを兼ね備え、どこか稚気までも漂わせる修道女が大好きだった。
 
 だからか、吉田一美に、必要報告のついでに、彼女への手紙を混ぜて送った。
 
 元々が実用本位な性格のシャナであり、何よりも手紙に"込めた"のは、自身でさえわからない『何か』。
 
 それも、伝言のような、吉田達が外界宿に送っているような内容、御崎市の現状を、シャナの視点から書き連ねたもの。
 
 ただ、末尾には、『炎髪灼眼の討ち手』"シャナ・サントメール"と付けて。
 
 それだけで、あの女傑なら何かを察してくれるのではないか、という甘えのような感情はあり、それに、おそらくゾフィーは応えてくれたのだ。
 
 
『自分を誤魔化すのはもうおしまい。貴女と貴女を一つにする時が来たのですよ』
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 おそらく、それはゾフィーなりに自分の意図を汲んでよこしてくれた答え、なのだろう。
 
 だが‥‥‥
 
「私と‥‥‥私?」
 
 ゾフィーがくれた答えも、シャナには不可解なものだった。
 
(私は、私なのに‥‥)
 
 
 結局、どうすればいいのか、全くわからない。
 
 
『‥‥‥この街を、出るか?』
 
 
「っ‥‥‥!」
 
 胸の痛みと共に、この街で得た全てを反芻する。
 
 だが、確かに、このまま何もわからず、変わらないものを待つわけにもいかない。
 
(私は、私)
 
 なのに、何故あの時、黙ってしまったのか。
 
(フレイムヘイズ、『炎髪灼眼の討ち手』)
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 胸元の『コキュートス』は、そんな少女に対して、何も言わなかった。
 
 
 



[7921] 水色の星T 三章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/05/28 04:56
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 『星黎殿』のとある大広間にて、二階の手すりに腰掛けた平井ゆかりが、一階の床の上にまで長く釣糸を垂らしている。
 
 その竿から伸びる糸の先には、皿の上に乗せたエビの天ぷらが用意してある。
 
(‥‥‥‥およ?)
 
 それなりに時間が経ち、天ぷらが冷めてしまうのではないかと危惧していた平井だが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
 
 まるで匂いに誘われるように、千鳥足でふらつきながら歩みよるように、ふらふらと鉄色の自在式が近づいてくる。
 
 五芒星の中心に目、という紋様の自在式。その中から、
 
 とぷん
 
 と、まるで水面から姿を出すかのように、一人の徒が現れる。
 
 無光沢の鱗に藻の斑を纏う、細長い大魚。の、鎌首である。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 完全な沈黙が支配する空間で、大魚は皿に自在式ごとのそのそと近づいていき、そして‥‥‥
 
 パクパクパクパク!
 
 皿の上に用意されたエビ天をパクつきだす。
 
 その内の一つ、平井の垂らす釣糸が忍ばせてあるエビに食い付いた、瞬間‥‥‥
 
「ゲッチュー!」
 
「っ!?」
 
 二階で様子を窺っていた平井が、一気に竿を引いてリールを巻く。
 
 何故か、釣り糸の先にあるのは釣り針ではなく、マジックハンドのようなものが大魚の口をつまみ上げていた。
 
 そのままキリキリとリールを巻き上げ、大魚を釣り上げる。
 
「やっほー♪」
 
「‥‥『姫』、またお戯れを」
 
 釣り上げられた大魚、"びょう渺吏"デカラビアは、正しく餌に釣られた魚な状態にも関わらず、全く感情を感じさせない声色で平井の悪戯を嗜める。
 
 このデカラビア、これでも『仮装舞踏会(バル・マスケ)』に於いて、相当高い地位に在る徒なのである。
 
「いやごめんごめん♪ 頼んでおいた事の様子、知りたかったんだけど、なかなか見つかんなくってさ♪」
 
 そう、このデカラビア、常は水中のような異空間内にその姿を潜め、滅多にその姿を現さない。
 
 例え他者と話をする場合でも、先ほどの自在式の"内側から"声を発するのだ。
 
 まあ、平井のやり方は悪戯以外の何物でもないが。
 
「‥‥依然、御崎市周辺のフレイムヘイズに大きな動きは無く、我が『プロビデンス』に気付く様子も、また無し」
 
 彼の言う『プロビデンス』。
 
 魚身たる彼の鱗を分離させ、その鱗を介して遠くの様子を知り、声を発し、自在法まで行使出来る、彼独自の自在法である。
 
 短期間・近距離であれば、類似した能力は幾つも存在するのだが、『プロビデンス』は永続的かつ全世界をカバーし得るほどに広大、というのが彼の凄い所である。
 
 ちなみに、当然のように鱗の数には制限がある。
 
「ふぅ‥‥ん。杞憂なら、それでいいんだけどね。そういえば、教授は? 私の新兵器は?」
 
 もちろん、デカラビアも平時の『星黎殿』に『プロビデンス』を仕掛けるようなプライバシー違反な真似はしていないが、教授の研究室だけは別である。
 
 この大事な時に、数百年前の『大戦』の時のような事態に陥るのだけは勘弁だ(ちなみに、教授の『私室』には仕掛けていない)。
 
「魚意‥‥」
 
 言って、教授の研究室の鱗に感覚を通じさせるデカラビア。即座に看破する。
 
「‥‥"耽探求究"はおらず、おそらく、地下の大穴にいるものと思われ、ます」
 
 教授の研究室の鱗から感じる騒々しい気配、その方向から判断・進言する。
 
 彼が敬語を使うのは、『盟主』に『三柱臣(トリニティ)』、後はベルペオルの副官であるフェコルー、そして平井くらいのものである。
 
「何やら、机の上にそれらしき物はある。御新兵器にも、手を加えた形跡はありまする」
 
「にゃるほど」
 
 それらの情報を聞き、あごに指を当て、考えるポーズをとる平井。
 
(地下の大穴って事は、悠二達のトコか‥‥。案外真面目に働いてんじゃん教授♪)
 
 まあ、自分のは個人的な頼みであるし、急かした所でどうせ教授の気分次第。
 
 成り行きに任せて穏便に待つとしよう。
 
 
「ふむふむ、デカラビア殿、大義であった♪ と、いうわけで羽根つき大会でも開きに行こうか!」
 
「‥‥魚意」
 
 
 軽やかな足取りで外の馬溜まりに向かう平井の後を、アヒルの子のように鉄色の自在式が追従して行った。
 
 
 
 
《オォーーッケェエーイ! 準備万端用意周到!! いつでも来てくださぁあーい!!》
 
「だってさ、師匠」
 
「やれやれ」
 
 以前悠二達が連れ立っていた大穴、以前の時のただの大穴とは違う。
 
 教授による奇怪な機械群が大穴の四隅に設置され、深緑と白緑の自在式が幾重にも張り巡らされている。
 
「なら、行くぞ」
 
 リャナンシーの右手の上の毛糸玉がスルスルと解けていき、それが深緑に燃え散っていく。
 
 また、深緑の炎が、大穴の装置に吸い込まれていくと同時に、大穴に水が注がれていく。
 
 ただの水ではない。仄かに水色に光る、異様な光彩を放つ水。それが、この時のために空けられていた大穴へと注がれている。
 
 それは、いつしか力の泉となる。
 
 
《ェエーークセレント! ェエーーキサイティング!! これこそ我が"我学の結晶"252514『存在の泉』ぃいーー!!》
 
「‥‥‥‥凄いな」
 
「元々は、君達の力だろう?」
 
「それもそうか」
 
 目の前から感じる存在感に、ポツリと呟く悠二にやや呆れるリャナンシー。
 
 と、美しい情景に見とれるヘカテー。
 
 この『存在の泉』、要するに、『零時迷子』の特性と悠二、ヘカテーの『器』、そしてリャナンシーの自在法で生み出した、普通なら一時的に顕現して散ってしまう莫大な存在の力を、教授の"我学"の力を応用して、『結晶化』して留めておく装置である。
 
 以前のままでは、いくら悠二やヘカテーが毎夜零時に力を吐き出し、それを貯蓄しても、リャナンシー一人にしか扱えなかった。
 
 
「悠二‥‥」
 
 悠二の袖をきゅっと摘むヘカテーに、悠二は安心させるように頬笑む。
 
「うん‥‥」
 
 この力も、目的の為の大きな一歩。そう意気込み、胸の内で覚悟を新たにする、悠二。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 しかし、ヘカテーの胸中には不安がある。
 
 元々、自分は創造神・"祭礼の蛇"の眷属。だから当然、使命遂行に是非を唱えるつもりはない。
 
 そのはずだった。
 
 いつの間にか、この少年の事が、使命以上に大きな存在になっていた。
 
 御崎市を去ったのも、悠二より使命を重んじたからではない。悠二の安全を何より最優先にしたからだ。
 
 これからの戦い、もし、それが悠二の身を危うくするような事があれば‥‥
 
(私は‥‥‥)
 
 それが使命であり、そして悠二の意志であったとしても‥‥
 
(無理矢理に、止め、る‥‥?)
 
 わからない。
 
 悠二の意志。悠二の存在。
 
 自分は、どちらを守ればいい?
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 今の自分の有り様を思い、同時に一人の徒を想起した。
 
 かつて戦った徒、"愛染他"ティリエル。
 
 愛を語り、誰より早く自分の悠二への想いに気付き、そして‥‥圧倒的な『虹天剣』の猛威から、自身を全く厭わずに兄・"愛染自"ソラトを守ろうとして、散った女性。
 
 今の自分。ただひたすらに悠二を求め、守りたい自分。
 
 そのイメージが、重なりかけて‥‥‥
 
(‥‥‥違う)
 
 そこに、微かな違いを感じる。
 
 "愛染他"ティリエル。彼女は、その真名が示すように、"元々そう在るべき"性質を持ち合わせていた。
 
 後にシュドナイに聞いた話だと、兄・ソラトも、自身の欲望にしか興味が無い存在だったらしい。
 
 自分と悠二は、違う。
 
 悠二は、悠二への想いは、神の眷属たる自分の有り様すら変えた。
 
 共に在って、共に想い、共に寄り添う。
 
 決して独りよがりではない繋がりとして、ここに在る。
 
 一人の存在に想いを寄せる姿がよく似てはいても、決定的に違うのだ。
 
 
(あなたは‥‥私が守ります)
 
 
 今の自分の存在理由たる少年に、幾度となく繰り返した誓いを、また胸の中で呟く。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 『星黎殿』の岩塊部の、かなり下方に位置する機関大底部。
 
 今、その空間を、一人の妙齢の美女が歩いている。
 
 参謀・"逆理の裁者"ベルペオルである。
 
 この機関大底部は、教授による意味不明なパネルやランプ、パイプやコードなどの機械群、年代形式規格、何もかもが歪なそれらが、区画の広さを感じさせないほどに詰め込まれている。
 
 そんな区画の中央まで歩き、ベルペオルが上に視線を向ける。
 
 そこには、天井に枝を這わし、床に根を張るその姿はまるで、機械の大樹とでも呼ぶべき代物。
 
 その大樹の、樹の洞のような空洞に、歪んだ板金鎧が、磔状に架けられている。
 
 そう、本来の『代行体』。
 
 それに視線を向けていたベルペオルは、ふっ、と俯いて、物憂げな溜め息を吐く。
 
 
 その胸中は、知れない。
 
 
 



[7921] 水色の星T 三章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/05/27 21:30
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ヴィルヘルミナ・カルメルは、彼女にしては少ない背嚢を、時間をかけて背負った。
 
 細々とした着替えや日用品は持っていかない。
 
 置いて行くのではなく、持っていかない。
 
(ふぅ‥‥‥)
 
 きっかけは、吉田や佐藤、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』から得た情報。
 
 だが、決定したのは、あまりにあっさりとした一人の青年の一言。
 
『行くぞ』
 
 自分が今まで悩んでいたのが何だったのかという、数秒程度しか間を置かずに返された一言で、この方針は決定した。
 
「ふふっ‥‥」
 
 変わらない、全く単純な男に。それを頼もしく思ってしまう自分に、小さく吹き出す。
 
「気色悪」
 
 余計な一言を告げる頭上のパートナー、“夢幻の冠体帯”ティアマトーを自分の頭ごとボカッと殴り、
 
「「っ〜〜〜〜!」」
 
 つい強く殴り過ぎて、二人揃って身悶える。
 
「‥‥‥何をやっている? おまえは」
 
 いつからそこにいたのか。ヴィルヘルミナの部屋の開いたドアの壁に背をもたれた紺色のコートを羽織った銀の長髪の男(こちらは手ぶら)。“虹の翼”メリヒムが、完全に馬鹿を見る目で呆れている。
 
「シャナも用意は済んでいる。馬鹿な事をしてないで行くぞ」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 恥ずかしい所を見られたのを誤魔化すように首をブンブンと振り、気を取り直して立ち上がる。
 
「お待たせしたのであります。参りましょう」
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 この街に来てから、平井ゆかりや坂井千草などの薦めもあり、必要性は今イチわからなかったが、親しい、と呼べるようになった人達の反応が嬉しくて、色々と服も増えた。
 
 だというのに、今、旅立とうという時に、この街に来る以前のような格好をするのは、何故だろうか。
 
 無骨な黒の上下に、黒衣・『夜笠』を羽織った姿。
 
 窓ガラスに映った。機能性のみしか考えていない、以前と同じ姿を見て。
 
 しかし、同じようには見えなかった。
 
「‥‥アラストール」
 
「うむ」
 
 あれだけ、フレイムヘイズになってからは異例なほどに長い間考えて、結局わかった事は一つだけだった。情けない事に。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 幸か不幸か、フレイムヘイズとしての『大義名分』は、少し前の吉田達からの情報は出来た。
 
 後は‥‥‥
 
「行く」
 
 
 会ってみなければ、わからない。
 
 
 
 
「マージョリーさん‥‥‥」
 
「あんた‥‥何つー顔してんのよ?」
 
 同刻、佐藤家の室内バーにも似たような光景があった。
 
 必要なものは『神器』・『グリモア』に『収納』し、この室内バーの彼女にしては珍しくきちっとしたスーツドレスに身を固めたマージョリー。
 
「だ、だって! 世界最大級の徒の集団の本拠地なんでしょ!?」
 
 最近少しはしっかりしてきたように思えてきた少年のいかにもみっともない狼狽具合にマージョリーが呆れる前に‥‥
 
「ヒャーハッハ! ケーサクよお、いくら殴り込みかけるったって、別に俺達で『仮装舞踏会(バル・マスケ)』を皆殺しにしようっとんじゃねーんだぜ?」
 
 軽薄なようで情に暑いマルコシアスが、軽く佐藤に言い放つ。
 
 それに、マージョリーも被せるように付け足す。
 
「そーそ。一発ド派手にぶちかまして、“お目当て”をひっさらって終了よ」
 
「そんな‥‥‥」
 
 先日、ヴィルヘルミナが御崎の『関係者』を虹野邸に集めて開いた“とある提案”の告白会に、佐藤や吉田も参加していた。
 
 いかに佐藤が未熟とはいえ、マージョリーやマルコシアスの言う言葉が気休めだと、実際には決して容易な作戦‥‥否、“行為”ではない事くらいわかっていた。
 
 そして、佐藤がそれをわかっている事を、マージョリーもわかっている。
 
「念のために言っとくけど、あんたを連れてく気はないわよ。もう『玻璃壇』も無いんだし、そもそも今回はそんな悠長な状況じゃない」
 
 佐藤も、伊達に今まで紅世の戦いを見てきたわけではない。
 
 状況くらい、頭ではわかっているのだ。
 だが、理解と納得は違う。ただ、感情で、心配を止められない。
 
 マージョリーがこうやって言い含めるのは、それを佐藤に納得させていく儀式のようなものだ。
 
(ったく、ガキなんだから)
 
 大言を吐いておいて情けない。
 
 だが、その姿勢だけは、嬉しかった。
 
 ‥‥それでも、動かないわけにはいかない。
 
 いや、そんな気はない。
 
『何度でも、受けとめてやる』
 
 復讐に狂った自分の存在を受け止め、肯定した“銀”のミステス。
 
 佐藤とはまるで意味が違う、しかし、坂井悠二は自分にとっても、特別な存在だったから。
 
 
「借り、返さないといけないからね」
 
 
 
 
「これで全員でありますか?」
 
 御崎駅の前に、非常に目を引く一団が集結していた。
 
 ヴィルヘルミナの情報、メリヒムの決定、そしてそれに乗った一同、という形で。
 
 もっとも、大真面目に告げたメリヒムに対して、
 
「‥‥それ、作戦って言うの?」
 
「あっはっは!! 私は好きよ? そういう向こう見ずなのも?」
 
「まあ、ヴィルヘルミナがそれでいいなら、僕らも構わないけどね」
 
「へえ? 何だか楽しくなってきたじゃない」
 
「最近は随分と湿っぽかったからなあ。ッヒヒ!」
 
 と、まあ、笑ったり呆れたり、評価は散々なものであった。
 
 
 そして、皆が、理由は各々だが、一つの目的のために御崎を発とうとしている。
 
 以前、『儀装の駆り手』カムシンがこの街を訪れた際に言い置いていった言葉。
 
 この街が、『闘争の渦』と呼ばれる大きな戦いを生む地である、という“可能性”も考えて、“とりあえず”残していく者もいる。
 
 そして、今、わざわざヴィルヘルミナが「全員か?」などと訊くのは、もちろん来るかどうかわからない人物がいるからである。
 
「‥‥‥‥‥」
 
 佐藤は、ヴィルヘルミナの告白会で聞いた事を、田中栄太にも伝えている。
 
 田中は、参加しなかったから。
 
 佐藤も、“半端者を卒業した”田中を無理にこちらに引き込みたくはない。
 
 だが、見送りにすら来ない田中との間に、深い溝が開いたような空寒さがあった。
 
 “友達”の事だから、わざわざ来なかった田中にも伝えたのに。
 
 そんな、佐藤が奇妙な寂しさを感じ、いよいよ出発の雰囲気が場に満ちる。
 
「待ってください!」
 
 その雰囲気を、泣きそうな叫び声が破った。
 
「田中!」
 
 周りの道行く人達が怪訝そうな目を向けるのにも一切構わず、田中栄太が走って来ていた。
 
 そのまま、息も絶え絶えに辿り着く。
 
 佐藤の横、マージョリーの前に。
 
「はあ、はあ、はあ!」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 マージョリーは、何も言わずに、しかし瞬きもせずに、田中を見る。
 
 長く燻っていた少年が答えを出したのかどうか、親分として見定めるために。
 
「あ、“姐さん”。今まで散々逃げ回って、調子いい事抜かすなって言われるのも、覚悟してます。でも‥‥‥」
 
 その、マージョリーの見立て通りに少年が出した、答え。
 
「坂井達の事、お願いします!」
 
「‥‥‥ふぅん」
 
 その言葉の色の中に、答えがあった。
 
 紅世に関わる事を避け、怯えていた少年に、この場に姿を現わす力を与えたものは、やはり“友達”、そして、欠けてしまった彼の『日常』。
 
 紅世に向き合うために来たのではない。『日常』を生きる、そのために来たのだ。
 
 その答えに、マージョリーは満足そうに呟く。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 深々と頭を下げた田中が、恐る恐る上げた頭、その額に、
 
「‥‥‥‥ちゅ」
 
「っうぇ!?」
 
 軽く、口付けた。
 
「イイ男に、なんなさいよ」
 
 田中にとって、最後まで眩しい憧れとして在った、『親分』として‥‥。
 
「ま、せーぜー惚れた女を泣かせねえくれえの男になりな、エータよお」
 
 マルコシアスと共に告げた、最後の餞別。
 
「う‥‥く‥‥ぅう‥‥!!」
 
 下を向いたままの田中が、堪え切れずに涙を流す。
 
 腑甲斐ない自分を気に掛けてくれていた親分の優しさにか。それとも、自分の情けなさにか。
 
 どんな種類の涙かが、わからなかった。
 
 
 
 
「あなたに、これを」
 
「?」
 
 改まった表情のフィレスが、吉田に自分の掌を上に向けて見せる。
 
 そこには、ギリシャ十字の上端に紐をかけたペンダントがあった。
 
「これは『ヒラルダ』。人間に大きな自在法を使わせるための宝具」
 
 吉田は、その言葉の真意を掴むようにフィレスの目を覗き込んだままだ。
 
「私はこれに、強力な『風』の自在法を込めた。もし、あなたを守ってくれる存在が近くにいない時、これがあなたの武器になる」
 
 まだ、吉田は喋らない。
 
 吉田とて、紅世に関する『常識』は知っている。
 
 人間が大きな自在法を使う。いかにも胡散臭い話だ。
 
 その吉田の予測は、続くフィレスの言葉で肯定される。
 
「ただし、これは使った人間の存在の力を変換して発動する。つまり‥‥」
 
「使った人間は死ぬ、か?」
 
 フィレスの言葉を先取りして、吉田が答えを言う。
 
 それに、フィレスは頷きだけで応えた。
 
 周りの皆も、二人の間に流れる空気からか、口を挟まない。
 
「何でこれを、私に渡すんだ?」
 
 当然といえば当然の疑問を、吉田が口にした。
 
「この宝具は、人間の、それも女にしか使えない。それに‥‥‥‥」
 
「?」
 
 一度止めたフィレスは、少しだけおかしそうに笑って‥‥
 
「あなた、無駄死にとか大嫌いに見えたから、かな」
 
「‥‥確かにな」
 
 一同が、その答えに内心で大いに頷き、吉田が皆のその予想に違わずに伸ばした手で、
 
「‥‥‥‥」
 
 フィレスの手を閉じさせ、『ヒラルダ』を握らせていた。
 
 てっきり受け取ると思っていた皆が、呆気にとられる。
 
 そんな中で、吉田だけが言葉を紡ぐ。
 
「使用者の存在の力を使う、って事は、『死ぬ』んじゃなくて、『消える』んだろ?」
 
 吉田の、確信の響きを持った問いに、フィレスはコクリと頷く。
 
「なら、私にはそれはいらねえ」
 
 以前の佐藤ならば安易に求めたかも知れないそれを、吉田は突き返した。
 
「私は、『人間』を貫く」
 
 御崎市で関わってきた『この世の本当の事』を知る面々に堂々と告げる、吉田の生き方。
 
 
「あの二人の、分までな」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 三章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/28 23:07
 
 『鏡像転移』。
 
 人間の発する強烈な感情を感知し、その周囲の人間の存在の力を吸収して顕現する『暴君2』の分身体が、感情を発した人間の望みを、まるで鏡に写したように『代行』する。
 
 これらの一連の現象の呼称である。
 
 以前、ヘカテーが悠二にこれを説明した時、こう言った。
 
『自然の天災のようなものです』
 
 確かに、それも一つの事実ではある。だが、それはあくまでも機能としての話。
 
 それは、決して自然の中で生まれたものではなく、『大命』の鍵の一つとして『仮装舞踏会(バル・マスケ)』がヘカテーの受け取った『大命詩篇』と"耽探求究"ダンタリオンの力によって作り出された『暴君』なのであった。
 
 ヘカテーが当初これを悠二に伝えなかったのは、無意識に嫌われる事を回避した結果だ。
 
 ともかく、そうやって収集した種々様々な人間の感情は、『盟主』"祭礼の蛇"が『代行体』として自在に活動するための『仮装意思総体』として機能する、はずだった。
 
 結果として、『代行体』は当初の予定とは大きく異なる形で完成、否、『代行体』としては失敗した。
 
 今はその仮装意思総体は、両界の狭間に在る盟主の感情を、『依り代』に伝える程度にしか機能していない。
 
 しかし、採集した感情は悠二の『零時迷子』に秘められた『大命詩篇』、つまりは『暴君1』のみにしか備わっていないわけではない。
 
 『星黎殿』の機関大底部にある、『吟詠炉(コンロクイム)』。
 
 採集した感情を保存しておき、盟主帰還の際に、『暴君』の1と2を合一する時の坩堝のような物。
 
 以前ならば盟主復活のための最重要機密の一つであったが、今では万が一のための感情のバックアップに過ぎない。
 
 言い方を変えれば、そこには感情、つまりは『仮装意思総体』が在る。
 
 悠二が目を付けたのは、まさにそこだった。
 
 
 
 
 機械がメチャクチャに絡み合う大樹の中で、どろどろとした粘性の銀炎が全く規則性を持たずに揺らめき、だからこその一つの炎として在る。
 
 その銀の炎に焙られるように架けられた歪んだ板金鎧。
 
 本来なら『零時迷子』、『暴君1』と合一して『盟主』の体となるはずの『暴君2』であった。
 
 そして、この不気味な炎の炉こそが、『吟詠炉』。
 
 その炉が、突如として馬鹿のように白けた緑色の光を放ち、炎が暴れるように踊りながら、板金鎧を焼いてゆく。
 
「ッオオオオオオ!」
 
 叫び声を上げて暴れる板金鎧が、少しずつ、少しずつ溶けていき、いつしか形を変え始める。
 
「教授ー! これ以上は『暴君』の耐久力が保たないのではーー!?」
 
「ドォオーミノォオー! 何を言っているのです!? 仮にも神の力を秘めた物がそう易々と壊れるはずがあぁーりません! これは破壊ではなく変化! すなわち、新たにして未知なる一歩への‥‥‥」
 
 ゴォオオ!!
 
「ッノォオゥ!?」
 
 長々と語る、興奮した教授の前で、爆発するように銀炎が燃え上がる。
 
「オ‥‥‥オォォ‥‥!」
 
 もはや視認出来ない炎の中で、呻き声が小さく、か細くなっていき、いつしか炎が晴れたそこには‥‥
 
「ェエークセレントォー! これぞ我が"我学の結晶"サプライズ252516‥‥」
 
 
 
 
「ローリング・スペシャル・パパゲーナVer羽根つき!!」
 
「させるか!」
 
 
 
 
「ふっ!」
 
「っは!」
 
 昨日は結局人の集まり具合が微妙だったから今日開催されている羽根つき大会。
 
 今は二回戦。くじで引いた結果、悠二と平井が初戦で、その次の二回戦は、初戦を勝ち抜いたヘカテーが相手という少々片寄った図式になってしまった。
 
 そして今、ヘカテーと対峙しているのは‥‥悠二。
 
 平井は、一回戦に負けてしまったのだ。
 
「喰らえ!」
 
 悠二の羽子板が羽根を捉えた瞬間、羽根が銀に燃え上がり、そのまま銀炎の大蛇となってヘカテーに襲い掛かる。
 
「『星(アステル)』よ!」
 
 ヘカテーも負けてはいない。
 
 周囲に生み出した数十にも及ぶ水色の光弾が、悠二の『蛇紋(セルペンス)』の頭部一点に集中する。
 
 ドドドドォン!!
 
 威力で『星』に勝る『蛇紋』も、一点集中には耐え切れず、砕けた頭部から羽根がポロリとこぼれる。
 
「っふ!」
 
 それを逃さず、ヘカテーは打ち返す。
 
 羽根は水色に光り、同時に、また無数の『星』が放たれる。
 
 しかし、悠二もさるもの。これは以前のテニスで見た撹乱技である。
 
「甘い!」
 
 ヘカテーの手元さえしっかり見ていれば、癖を見抜いている悠二にはどの光弾に羽根が隠されているかわかる。
 
 手の込んだ反撃をする余裕は無かったが、難なく打ち返す。
 
 ジャキン
 
(ん?)
 
 何やら不吉な音に、悠二が視線をわずかに逸らす。
 
 そこには、一回戦に敗れた平井ゆかり。
 
 何か、変なのを抱えている。否、こちらに向けている。
 
「ってゆかり! 何やってんの!?」
 
「ん? あれだって。この羽根つき大会は負けた選手が外野から自在法で妨害を企てる『みそボン』形式だから。立て札に書いてたっしょ♪」
 
「聞いてないぞ!? そんな卑猥なもの拾ってくるな!」
 
「問・答・無用!」
 
 平井の声に合わせて、担いだ物体(徒)の尾部が膨れ上がり、周囲の床や壁をもぎ取って飲み込んでいく。
 
 次第に二回りも膨らんだその姿は、横倒しになった巨木とも、ガチガチに物を詰め込んだ長い袋とも見える。
 
 その先端に、樺色の炎を燃やす、歪な大砲。
 
「ちょ、ストップ!」
 
「ゆかり、助太刀感謝します」
 
 悠二の制止と、ヘカテーの無責任な呟き。
 
「ビフロンス・キャノン!!」
 
「その人敗者じゃないだろぉー!?」
 
 悠二の叫びを余所に、大火力の、樺色の大爆発が巻き起こった。
 
 
「俺は、卑猥? 盟主、に、言われ‥‥俺、卑猥?」
 
 そんな珍騒動の影で、密かにショックを受ける徒、"吼号呀"ビフロンスの悲哀を、知る者は少ない。
 
 
 
 
「‥‥ゆかり、一回戦負けたの根に持ってる?」
 
「べっつにー?」
 
 白々しくとぼけて少し前方でくるりと回る平井をジト目で見る悠二。
 
 ただし、不満を持つのは悠二のみではない。
 
「おまえもだ、坂井悠二。あまり激しく動くな。これ至極絶妙な力加減でくわえているのだぞ」
 
 声の発生源は悠二の左手首にある腕輪。
 
 銀色の蛇が己の尾をくわえる事によって輪を作っているというデザインだ。
 
 いや、正確にはデザインというより"当事者"の趣味に近いか。
 
 宝具・『ウロボロス(命名・ベルペオル)』(別名・"我学の結晶"サプライズ252516『蛇皮の財布』)である。
 
 その効力はまあ、見ての通り、ただ、『創造神』の力を引き出す『暴君?』は悠二の中にあり、"これ"は余った仮装意思総体を利用して作った物であるため、せいぜい会話程度の芸しか出来ないのだが。
 
「‥‥別に四六時中僕の手首に巻き付いてなくてもいいんだけど」
 
「なっ!? 貴様、余が邪魔だと言うのか!?」
 
「いやー、パパさんも結構寂しがり屋だね♪」
 
 たかが会話、されど会話である。以前なら悠二としか語らえず、その悠二との会話すらも『大命詩篇』を活性化させている間に限られていたのだから、ある意味では大きな進歩だ。
 
「‥‥なんとも、異なお召し物ですな。我らが盟主」
 
 いつの間にやら悠二の横に並んでいたシュドナイ、実はスケジュールの都合で『ウロボロス』を見るのは初めてである。
 
 感動の再会、であるはずなのだが、妙に気勢を削がれたような気分になる。
 
 シュドナイの言葉に、『蛇』もまた応える。
 
「当世風、嫌いではあるまい?」
 
 悠然たる笑いを込めて。
 
 声から伝わる覇気や、仄か漂う諧謔の風韻は、懐かしさを駆り立てられる。
 
「‥‥確かに」
 
 それに、シュドナイもおかしみの返事を返した。
 
 
(どこが当世風なんだか‥‥)
 
 などという無粋なツッコミを、悠二は当然入れない。
 
 ほどほどに空気は読める、と自負している。
 
 ただ、再会の空気を破るのは、悠二ではなかったりする。
 
 ガシッ!
 
 突如として悠二の肩を掴み、止めた手である。
 
 何やらソワソワとしている、妙齢の美女。そう、我らが参謀・ベルペオル。
 
 彼女は真っ先に再会を果たしているから、感動の再会とは少し意味合いが違う。
 
「‥‥行ってきたら?」
 
「‥‥‥うむ」
 
 するりとくわえていた尾を放して、悠二の手首から下りた蛇が、するすると滑ってベルペオルを率いて行く。
 
 色々と、積もる話もあるのだろう。
 
 時折、ベルペオルがポケットから小さな紙片を取り出して見て、また『盟主』を見てから、「‥‥えへ」と小さく笑う(バレてないつもりだろうか?)。
 
 何ともシュールな光景ではあった。
 
 
(‥‥そういえば、どうなったかな?)
 
 そんな二人の姿に、悠二も想う者が在った。
 
 
 
 
 『星黎殿』で最も高い、豪壮巨大な碑、一壊の石塔だった。
 
 天衝く矛とも見える大きな穂先からやや下がって、三方へと均等に、優美な踏み台が突き出ている。
 
 その一角に立つ一人の少女。
 
 水色の輝きを纏う巫女が、足先を軽く浮かせて、星天を見つめている。
 
 それは、『秘匿の聖室(クリュプタ)』が見せる偽りの星空ではない。
 
 とある目的、ヘカテーの力を阻害しないために天頂部の三分の一を解かれた事でその姿を見せた、真正の星空だった。
 
 
 彼女にしか出来ないその役割を担う少女は、一心に星天を見つめる。
 
 その表情に、ほんの微かな、憂いが混ざる。
 
 
 



[7921] 水色の星T 三章 八話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/29 21:47
 
「‥‥‥歌?」
 
「はい」
 
 休日の昼下がり、買い物に出てきた一人の少女と一人の給仕が、偶然会った成り行きで河川敷を歩く。
 
(‥‥‥‥ふむ)
 
 どうやら、この少女の想い人(自覚はないようだが)と親友による歌の話題について行けず、悔しい思いをしてしまったらしい。
 
 いじけた雰囲気が妙に可愛らしいこの少女があの"頂の座"だというのだから、世の中わからない。
 
 まあ、引きこもりとして有名な彼女が歌、というより世事に疎いのも仕方ないような気はする、が‥‥
 
(私も‥‥"新しい"歌舞音曲に素養が無いのでありますが‥‥)
 
(旧態以前)
 
 ゴン!
 
「?」
 
 声なき声で言葉を交わし、生意気なパートナーを自身の頭ごと殴ったヴィルヘルミナを、ヘカテーが怪訝そうな目で見る。
 
 自らの醜態を誤魔化すようにゴホンと咳払いして、思考を巡らす。
 
(歌‥‥歌‥‥)
 
 この少女やあのミステスには借りもあるし、共に『弔詞の詠み手』と戦った仲である。
 
 何より、この無垢な少女が進んでこういう事を知ろうとしている事が妙に嬉しかった。
 
 そういえば、この間から何故か『万条の仕手』ではなく、ヴィルヘルミナ・カルメルと呼ばれる。
 
(‥‥‥‥あ)
 
 彼女の持つ、意外に広い音曲ほの親しみ、その中から一つ、浮かぶ。
 
 無自覚で、それでいて泣いてしまうほどに大きな想いを抱く少女に、ぴったりの歌。
 
「古いもので、よろしければ」
 
「はい」
 
 迷わず頷く少女。周りの民家は遠く、人通りもない。
 
 少し間を置いて、ヴィルヘルミナは艶やかさよりも、巧みさにおいて賞されるべき清声を紡ぐ。
 
『新しい 熱い歌を 私は作ろう』
 
 この少女の持つ純粋さ、それが持つ裏腹の弱さ、
 
『風が吹き 雨が降り 霜が降りる その前に』
 
 それが、"自分のように"壊れてしまわないよう、心中で小さく祈りながら。
 
「‥‥オック語(オクシタン)?」
 
 興味深げにこちらを見る少女を横目に窺いながら、構わず歌う。
 
『我が恋人は 私を試す』
 
「ヴィルヘルミナ・カルメル。その歌、後で教えてください」
 
 やや身を乗り出してせがむヘカテー。どうやら気に入ってもらえたらしい。
 
 しかし、
 
「了解であります」
 
 この歌は、この少女に相応しく、しかし気軽には歌って欲しくない。
 
 自分にとっても、特別な歌であるから。
 
 ヴィルヘルミナは意外なほどに真剣な表情で告げる。
 
「この歌を歌うには、時と場合を選ぶこと。元の歌を我々に教えた人間は、この歌に大きな魔法をかけたと言っておりましたから」
 
「魔、法? 自在法ではないのですか?」
 
 不思議そうに首を傾げるヘカテー。
 
「はい。そしてその時と場合がどういうものか理解できるまで、歌う事は許されない。そういう歌であります。それでも良ければ、お教えしましょう」
 
 いつしか緊張した空気を漂わせる少女に、教える。
 
「題名は‥‥‥」
 
 遥かな歌の、名を‥‥
 
「『私は他の誰も愛さない』」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 随分、昔の事を思い出した。
 
 いや、長いようで一年も経ってはいないのか。
 
(今の私は、あの歌を歌う資格を持っている?)
 
 自分が身勝手に御崎を飛び出してから、悠二と平井は追い掛けてきてくれたが、彼女達とはもう随分会っていない気がする。
 
 少し前に再会した、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』と二人の友達。
 
 あの場は衝突を免れたが、自分はともかく、悠二と平井は姿を確認された。
 
 彼女達にも、伝わっている事だろう。
 
(‥‥‥悠二)
 
 愛する人。
 
(絶対に、守る)
 
 例え、誰が相手でも。
 
「‥‥どんな時に、歌うべき歌?」
 
「何の話?」
 
 星空を見上げ、零れるように呟いたヘカテーの後ろから、少年の声が投げ掛けられる。
 
「‥‥内緒です」
 
 少し気恥ずかしさを感じて誤魔化し、踏み台からふわりと飛び退き、少年の胸に飛び込む。
 
 悠二も、胸元にいるヘカテーを、包み込むように抱き締める。
 
 二人で一つの影を作り、ゆっくりと降下していく。
 
(んぅ‥‥‥♪)
 
 不思議だ。
 
 こうやって抱き締めてもらうだけで、温もりを与えてもらうだけで、
 
 どんな不安も忘れてしまえそうになるなのだから。
 
「ヘカテー」
 
「?」
 
 呼ばれ、顔を上げた、まさにその瞬間。
 
 ちゅ
 
「っーーー!?」
 
 全くの不意打ち、予期せぬタイミングで、額に口付けられた。
 
「大丈夫?」
 
「知りません!」
 
 未だに慣れない。いや、慣れる事など無いのかも知れない。不意打ちならば、尚更だ。
 
 真っ赤になった顔を見られるのが気恥ずかしくて、悠二の腕の中でもぞもぞと動いて、悠二に背を向ける。
 
 そんなやり取りをしている間に地に到達し、壁にもたれるように座った悠二と、その悠二を背もたれにして座るヘカテー、といった体制になる。
 
 自然に、二人で同じ星天を見上げる。
 
「‥‥‥‥くす」
 
 悠二が、小さく笑いを漏らす。
 
 照れ隠しに背を向けたヘカテーの耳が真っ赤に染まっているのが何とも可愛らしい。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 少し、この場の神秘的な静寂を楽しみたくて、黙り込む。
 
 悠二は、ヘカテーが御崎から消えてから変わった。
 
 元々、悠二自身はさして自覚していないが、ヴィルヘルミナやマージョリーなどは気付いていた。
 
 坂井悠二は、"その本質が感情の面にない"という事。
 
 冷静な判断力も、自身の不安定で不気味な在り様を平然と受け入れているのも、全てそれに裏打ちされたもの。
 
 激昂しようと、絶望に暮れようと、それらの感情は、理性によって方向づけられた『意志』を超えはしない。
 
 だが、その特殊な性質のせいで、日常における"感情のみで対処すべき事態"にはひどく疎くて鈍い。
 
 ヘカテーの想いを知り、また自身もヘカテーへの想いを募らせながら、あれだけ長く自覚が持てなかったのも、その性質による所が大きい。
 
 ヘカテーがいなくなって、ようやくそんな性質を持ってしても想いに気付く事ができたのだ。
 
 あれ以来、無意識下で、悠二は感じた気持ちをそのまま受け入れる事を、自分に戒めている。
 
 そんな認識が、今の悠二の積極性を形作っていた。
 
「ヘカテー」
 
「‥‥はい」
 
 しばし、美しい星空を眺める間に、ヘカテーも狼狽から脱する。
 
 それは平静になったわけではなく、ひどく慌ただしく、落ち着かなかった熱さが、穏やかな温かさへの変化。
 
「大丈夫、自分を犠牲にして、望みを果たそうなんて気はないよ」
 
「!」
 
 自分の不安を悠二に言い当てられ、ヘカテーは小さく身を震わせる。
 
 温かさに忘れかけていた寒さを、再び想起させられる。
 
 だが、悠二の抱擁で誤魔化した不安は、またすぐにヘカテーの心に陰を落とす。
 
 だからこそ、悠二は言う。
 
「僕は消えない。"これ"は誰でもない、僕の願いなんだ」
 
 悠二の言う"これ"が、自分達が歩む道を指している事を、ヘカテーは悟る。
 
 穏やかな、それでいてあまりに強い声と表情に、惹きつけられる。
 
 目が、離せない。
 
「君と一緒に歩いていく。そのためにも、願いを果たす」
 
「悠、二‥‥‥」
 
 自分を守ると言ってくれた少年が今、どうしようもなく眩しく映る。
 
「一緒に行こう。僕の、大好きなヘカテー」
 
 少女の頬に、星の光を受けた、一筋の光が在った。
 
 
 
 
 『星黎殿』、そして、『天道宮』。
 
 かつて一人の紅世の王"髄の楼閣"ガヴィダによって作られた、世界最大級の宝具。
 
 ガヴィダは当時、芸術を生む人間に敬意を抱き、人間を喰らう己が在り様を忌み、宝具・『カイナ』に座して隠居し、『天道宮』で何処かへと消えた。
 
 そして、その際に協力関係にあった『仮装舞踏会(バル・マスケ)』に、離別の代償として明け渡したのが宝具・『星黎殿』。
 
 その後、ガヴィダはとある大きな戦いで命を落とし、『天道宮』は『万条の仕手』、"虹の翼"、そして"天壌の劫火"の手に渡り、新たな『炎髪灼眼の討ち手』を育てあげる揺り籠となった。
 
 そのガヴィダは、『仮装舞踏会』には伝えなかった"注意"を、ヴィルヘルミナ達には伝えていた。
 
「俺の『天道宮』と、奴らの『星黎殿』は、迂濶に近付けちゃならねえ」
 
 「理由は?」かつての『炎髪灼眼』、最強のフレイムヘイズは訊ねた。
 
「この二つの宝具は本来、日常を暮らす『陽光の宮廷』と、敵を迎え撃つ『星空の神殿』として作ってある。つまりだな、こいつらを一定距離まで近付けると、一つの宝具として"修復"を始めちまうんだよ」
 
 "『天道宮』と『星黎殿』は、本来一つの宝具だった"。
 
「ほれ、この礎石で今は力を封じているが、それでも近付きすぎると、こいつの効力を越えて、機能が発揮される‥‥要するに、徒の大組織の本拠地と、自在に行き来できる通路が繋がっちまうってことさ」
 
 ガヴィダは、危険を回避するためのつもりで注意を促した。
 
 それは、数百年の時を経て、全く逆の意図で、ヴィルヘルミナ達の力となる。
 
 
「では、行くのであります」
 
「またあそこに戻る日が来るとは、な」
 
「ま、とりあえず一発ブン殴るトコから、かしらね」
 
「足、引っ張らないでよね」
 
「行こう、『天道宮』へ」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 三章エピローグ『人間の戦い』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/05/30 21:37
 
 旅というのも久しぶり。一番近い記憶では、外界宿(アウトロー)の要請で中国に渡った時以来だ。
 
 ほんの数ヶ月前の事とはいえ、あまり一つ所に逗留しない自分のようなフレイムヘイズにとっては、数ヶ月同じ街に滞在する事自体が珍しいので、そんな風に感じてしまう。
 
 横目に、その中国に向かう中途で再会を果たした友達を見る。
 
 新幹線の目まぐるしく変わる景色を眺める"彩飄"フィレス(ちなみに、メリヒムとシャナは前の席で相席。マージョリーは後ろの席でビールを食らっている)。
 
 少し、彼女に関して気に掛かっている事があった。そんな思いが視線にこもっていたからか、
 
「ん?」
 
 フィレスが怪訝そうにこちらに向き直っていた。
 
 丁度いい機会だから、訊いてしまう事にする。
 
「フィレス、吉田一美嬢に『ヒラルダ』を渡そうとした件について。少々軽率であるように感じられたのでありますが‥‥」
 
「軽挙自重」
 
 非難するつもりはなかったが、ややきつい言い方になってしまったかも知れない。
 
 ヴィルヘルミナは、平井ゆかりを『こちら側』に巻き込んでしまったという引け目からか、少しそういう事に敏感である。
 
 特に、御崎での事に関しては。
 
「ああ、その事?」
 
 フィレスはそれに対して、特段悪気などなさそうに返す。
 
「いいのよ、あれで。どうせ巻き込まれた側の人間だし、あの子、手を取って道を定めてあげなきゃいけないほど子供じゃないわ。選択肢は、多く与えてやった方がいい」
 
 この世を好きに渡り歩いてきた徒らしい言い分ではあるが、間違ってはいない。
 
「それに、結局受け取らなかったじゃない」
 
 さも何でもなさそうに言うフィレス。間違ってはいないが、ヴィルヘルミナには少し釈然としない思いが残る。
 
 それが、普通なら無表情としか判断できないヴィルヘルミナの顔に浮かんでいるのを見て、フィレスはまたおかしそうに笑う。
 
「大丈夫よ、念のために保険は掛けてるし。それに、今から私達の方が大一番よ?」
 
 またも正論で返されて、ヴィルヘルミナは仏頂面で席に深く腰掛けた。
 
 
 
 
「あれで、良かったのかい?」
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の客分たる"狩人"フリアグネが、『星黎殿』の酒保の一つ、ベルペオルが最近凝っている休憩場に現れ、訊ねる(ちなみに、マリアンヌは今は別行動)。
 
 無論、相手はベルペオル。
 
「おや、おまえがこちらの方針に首を突っ込むとは、珍しいね」
 
 笑い、手元のベリーパイを一口放り込む‥‥が、少々余裕に欠ける笑みだ。
 
「一応、君達の『大命』には協力させてもらうつもりだからね」
 
「"一応"か。全く、使い所の難しい男だよ」
 
「ふっ、使われてやるつもりはないからね」
 
 フリアグネは、自分にとっても協力するに値する。と判断したからこそ、ここにいる。
 
 だが、他の忠実な構成員のように命懸けで尽くすつもりもない。
 
 彼にとって、ようやく手に入れた恋人との安寧以上に優先するものはないのだから。
 
 そして、それはベルペオルも承知の上だ。
 
 その上で、今回の事を気に掛けるフリアグネの態度に、ベルペオルは少しだけ眉をピクリと上げる。
 
 どうやら、あの三人の事を思っていた以上に気に掛けていたらしい。
 
 また一つ、判断材料を手に入れた。
 
「構わないさ。確かに危険な事ではあるが、主命だからね。是非もない」
 
 ベルペオルも、やや不透明な溜め息をつく。
 
『‥‥僕たちだけで、やらせて欲しい』
 
 彼らの"諸事情"などの要素を除いて、単純な戦力から考えても、危険すぎる。
 
 そう、わかっていながら‥‥
 
(‥‥言い返せなかった)
 
 気圧された、と言い換えてもいい。
 
 シュドナイも、何も言わなかった。彼の場合は、直接手を合わせた者の信頼のような部分が大きいらしい。
 
「‥‥‥まったく、ままならないねえ」
 
 部の悪い博打に見えるが、任せてみようと思った。
 
 それは、逆境に挑む事に喜びを感じる自身の性質がそうさせるのか、はたまた、シュドナイのそれに近い感情なのか、それははっきりとはわからない。
 
 だが、すでに塞は投げられた。
 
 無用な心配など、するものじゃない。
 
「そういえば、聞いたかい、フリアグネ? 構成員達が呼んでるあだ名」
 
 話題を、無理矢理に変える。
 
 その意図を察してか、フリアグネも席に腰掛けてそれに応じる。
 
「まあ、わりとよく耳に入るからね。当人達は気に入っているらしいから、問題ないんだろうけどね」
 
 そのまま、なし崩し的に雑談に入る。
 
 話題はもっぱら、あの三人。
 
 
 誰が言い出したのか、構成員達の間で言われるようになった三人のあだ名。
 
 どうやら、三人の中心たる、盟主の衣を靡かせる姿と、その大きすぎる大望からきているものらしい。
 
 名を、『緋願花(ひがんばな)』。
 
 
 
「ところで"逆理の裁者"。そのオモチャは何だい?」
 
 ビクッ!
 
 
 
 
「‥‥シロ。本当にどの辺りか覚えてないの?」
 
「俺が起こされたのは陸に引き上げられた後だったからな」
 
「使えないわね」
 
 
 いつか悠二達が宝具・『カイナ』を求めてやってきた、海に面した小さな街。
 
 御崎市を旅立った異能者達は今、様々な巡り合わせの下、この地を訪れている。
 
 元々、それほど栄えた街でもなく、この季節の海であるから、海に面したこの辺りの人通りは皆無に等しい。
 
「貴方が彼らと出会い、"愛染の兄妹"を討滅したのも、この街なのでありますな」
 
 そう、メリヒムにすれば、悠二とヘカテーに初めて出会った地、そして、シャナとヴィルヘルミナにとっては、フレイムヘイズとしての旅立ちと、別れの地。
 
「まあ、『秘匿の聖室(クリュプタ)』が破壊されたままだというのなら、見つけだすのもそう困難な事ではあるまい」
 
 シャナの胸元から、アラストールが言う言葉を、
 
「首からぶら下がってるだけの装飾品が。何もしない貴様が偉そうにほざくな」
 
 メリヒムが一蹴する。
 
「ぐ、ぬぬ‥‥‥」
 
 あながち間違ってもいないだけに、アラストールも反論出来ず、皆もフォロー出来ない(する気がない者もいる)。
 
「とりあえず、ちゃっちゃと引き上げてちょうだい。私は外見知んないからパスね」
 
 マージョリーは、その辺りの壁を背もたれに腰掛けて、また酒を取り出す。
 
 全く手伝うつもりはないらしい。
 
「‥‥結構。私が潜水し、『天道宮』を捜し当てましょう。ただし、引き上げは人目のない夜に行う。それで良いでありますか?」
 
 ヴィルヘルミナの提案に、全員が首を縦に振る。
 
 彼女が一番適任であるという判断からである。
 
 ヴィルヘルミナの給仕服の結び目から、リボンが幾条か伸びる。
 
 海中に万条を張り巡らせ、そのリボンで『天道宮』を見つけだす。
 
 以前、悠二達が探した時とは、最初の"アテ"もまるで違い、捜索方法も違う。
 
 まして今は日中。容易く見つけられる自信はあった。
 
「潜水」
 
「了解であります」
 
 勇んで海中に向かおうとするヴィルヘルミナ。
 
 それを見守る一同。
 
 そんな彼女らの前方。
 
 冷たい海上の空で、
 
『っ!?』
 
 突如、太陽ではない強烈な閃光が輝いて、全員が驚愕し、
 
(何‥‥!?)
 
 事態を把握する前に、
 
「封絶」
 
 周囲一帯、街も、その辺りの海も含んだ空間が、陽炎の世界に包まれた。
 
「あ‥‥‥」
 
 その炎の色は、燦然と輝く、"銀"。
 
 その色と、輝きの中に見える懐かしい三つの影に、まず、全く単純に喜びを感じて、
 
「っ‥‥‥!」
 
 僅か遅れて、その意味に気付く。
 
 "ここは御崎市ではない"。
 
 こんな所に、わざわざ『転移』を使って現れて、すぐさま封絶。
 
 ただの、偶然の再会なはずがない。
 
 そして、確信といっていいほどの嫌な予感が胸中に満ちていく。
 
 
「っ!!」
 
 そんな思考を巡らせる中で、ヴィルヘルミナは一つの事実に気付く。
 
 この街に現れた以上、彼らの狙いにはおよそ見当がつく。
 
 そして、彼らに『天道宮』の秘密を話した覚えはない。
 
 この事を知るのは、先日、御崎市の虹野邸で、自分の口から直接聞いた数名のみ。
 
 
(まさ、か‥‥‥)
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 随分、大荷物になった。まあ、長旅になるだろうから、それも仕方ない。
 
 丁度、今、家族は誰もいない。
 
 机の上には置き手紙。そして、マージョリーに渡されていた栞は、引き出しにしまっておく。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 現在の外界宿(アウトロー)の、特に必要な情報を集めた書類やディスクをしまい込み。
 
 勢いをつけて背負う。
 
 座標の特定は、ある程度はついているらしい。
 
 予定より早いが、もうすでに動ける段階になってはいる。
 
 何より、彼女達も馬鹿ではない。気付かないはずもないだろう。
 
 どちらにしろ、もうこの街にはいられまい。
 
(‥‥バトンタッチは、ここまでだな)
 
 まあ、最後に大きな手土産が出来ただけ、良しとするか。
 
 バタン
 
 扉を出て、振り返って頭を下げる。
 
 心配を、かけてしまうだろうから。
 
「‥‥本当にいいんだな?」
 
 家の塀にもたれかかって待っていた少年に、最後の確認をする。
 
「もちろん。君となら、地獄の底にだって付き合うよ」
 
 メガネを無駄にきらめかせる少年に、
 
「‥‥そんなクサいセリフで惚れると思うなよ。むしろ減点1だから」
 
 自分の事が絡むと、どこまでも馬鹿になれる少年にそんな返事を返し、荷物を押しつけて歩きだす。
 
 
 街を離れ、隣町の駅の前まできて、
 
(!‥‥‥‥)
 
 視線の先に、外国の映画で見る神父のような、裾長の法衣を着た、痩身の男が、少女・吉田一美の視線に入る。
 
 
「‥‥‥地獄の底、か。あながち間違いじゃねえかもな」
 
「?」
 
 首を傾げる少年・池速人の疑問をよそに‥‥
 
 
「お迎えに上がりました。吉田一美殿」
 
 
 ヴィルヘルミナ達と全く違う所で、全く違うやり方で、
 
 
 少女達の戦いが、始まる。
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章『銀の宣誓』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/06/01 21:54
 
「‥‥最悪のタイミング、かな」
 
 淡々と言う、隣に浮かぶ平井。それが、わざと感情を押し殺しているのだとわかって、しかし悠二は応える。
 
「‥‥いや、本当に最悪なのは、僕達が間に合わずに、入れ違いで『星黎殿』に突入される事だ。"間に合った"って、いい方に考えよう」
 
 正直、“感情”では鉢合わせは避けたかった。
 
 本当なら、彼女達が到着するより早く着けるのが一番良かったのだが、それは口にしない。
 
 情報が届いてすぐに動いたのだし、何より、それを今言っても何にもならない。
 
「大丈夫です」
 
 平井とは反対側の隣に浮かんでいたヘカテーが、彼女達を真っ直ぐに見据えたまま、凛と言い放つ。
 
「迷うつもりは、ありません」
 
 その、強い輝きを湛えた水色の瞳に一瞬惹き込まれる。
 
 これが、ヘカテーの強さ。
 
 無垢で純粋。揺るぎない意志と、一途な想い。
 
 だからこそ危うくもあるが、これが、自分が憧れ、守りたいと思った少女の、気高い強さ。
 
 普段の、無邪気に甘え、どこかぬけている可愛らしい姿も、今の、眩しいほどに一途な姿も、どちらもヘカテー。
 
 その、自分が愛した少女の在り様を見て、温かな嬉しさを感じ、また決意を新たにして眼下の"仲間達"に目を向ける。
 
(‥‥あそこがいいな)
 
 ヴィルヘルミナ達からすぐ近くの岩場、かつてメリヒムを『カイナ』ごと海中から引き上げた場所を目で指し、ヘカテーと平井を伴って、降下していく。
 
 迷うつもりはない。
 
 だが、仕方のない事とはいえ、今まで共に戦ってきた皆に何一つ伝えないまま道を進む事に、わずかな"しこり"のようなものはあった。
 
 どうせ、こうなった以上は隠せはしない。
 
 伝える。
 
 自分達の、覚悟を。
 
 
 
 
「‥‥この意味、わかってるわね?」
 
 まず最初に、フィレスが口を開いた。
 
 以前の事と合わせて、一番衝撃が少なかった事が要因だろう。
 
「‥‥まだ、何一つ詳しい事情はわかっていないのであります」
 
 それに、半ば反射的にヴィルヘルミナが応える。
 
「‥‥ふん、別に何か都合が悪くなったわけでもあるまい」
 
 物事のほとんどにおいて迷いを示さないメリヒムが鼻で笑い。
 
「‥‥そーね。ブン殴ってから話を訊く。やる事に大した違いは無いわ」
 
「むしろ、わざわざ『星黎殿』に殴り込みなんざかけなくてよくなった分、マシかも知んねーぜ?」
 
 その気性とは裏腹に、冷静に物事を捉えるマージョリーとマルコシアスが、自分達のやる事を、簡潔に周りに示す。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 シャナだけが黙って、降りてくる三人を睨み付ける。
 
 誰もが、その心中とは無関係に、戦士としての動きを取っていた。
 
 
 
 
「久しぶりだね」
 
「何者だ」
 
 対峙して最初の悠二の軽口には応えず、アラストールが訊く。
 
 今まで一緒に戦ってきた者が今、こうして対峙している理由として最も高い可能性‥‥あるいは、希望的観測として、確かめるためだ。
 
 "何者かの洗脳を受けた"かどうかについて。
 
「何者‥‥か。正直、自分でもよくわからないよ。今の僕がどういう存在なのか。いや、完全な新種、とでも言えばいいのかな?」
 
 ふざけた物言いと、悠二の半歩後ろで、悠二が言うに任せて黙って並ぶヘカテーと平井が、この少年達と向かい合っているという違和感をさらに助長させる。
 
「‥‥何故、我々に何も言わずに消えたのでありますか?」
 
 今度はヴィルヘルミナが、核心的な質問を投げ掛ける。
 
 目の前にいるのが、『坂井悠二達』なのかどうかを見極める、核心的な問い。
 
「ヘカテーを探すため‥‥‥そして、僕自身の目的のため」
 
 ヴィルヘルミナの問いは、悠二と平井、そしてヘカテーの双方に向けられた問いだったが、やはり応えるのは悠二。
 
「目的?」
 
「どういうことでえ?」
 
 当たり前のような答えの後ろに付け足された単語に反応して、マージョリーとマルコシアスが怪訝な声を上げる。
 
「話すより、見せた方が早いかな」
 
 悠二の力が僅かに練られるのを感じた全員が、身構える中、悠二が一言、告げる。
 
「この、炎を」
 
 その瞬間、一帯を包み込んでいた陽炎の世界が、変質する。
 
 奇怪な紋章、封絶を埋め尽くしていた炎、それらの色が、変わる。
 
 燦然と輝く『銀』から、全てを染め上げ、塗り潰す『黒』へと。
 
 
 
 
「‥‥アラス、トール?」
 
 シャナが、胸元のペンダントが呆けてしまった事に気付いて、答えを促した。
 
 アラストールだけではない。ヴィルヘルミナも、マージョリーも、フィレスも、メリヒムさえもが目の前の事象に心底意表を突かれて、茫然自失に陥っていた。
 
「これが、今の僕の炎。目指す理想の証」
 
 そんな皆に一切構わず、悠二は穏やかに語りながら、まるで見えないマントでも引っ張るかのように、右腕を斜め上に振り上げ、さらに一気に真横に振り抜いた。
 
 瞬間、
 
 少年の全身を黒の炎が包み込み、すぐに消える。
 
 宙に残るのは、異形異装へと変わった、何者か。
 
「そして、これが今の"余"を現す姿」
 
 身に鎧ったのは、厚き凱甲と、緩やかな衣、その全てが緋色。
 
 後頭から、髪のように長々と伸びたのは、漆黒の竜尾。
 
 それに合わせるかのように、ヘカテーと平井も自身に炎を纏い、姿を変える。
 
 大きな白い帽子とマントに身を包む、星の輝きを舞わす水色の巫女。
 
 左の肩当てのついた、青い胸甲鎧を纏った、軽武装の翡翠の姫。
 
 三人が三人共、異装へと変わる。
 
「称して余、"祭礼の蛇"坂井悠二」
 
「"祭礼、の、蛇"?」
 
 悠二の名乗りを、数秒固まった後になぞったアラストールが、
 
「っ"祭礼の蛇"だと!? 馬鹿なっ!?」
 
 その意味する所を理解して、しかし許容できずに叫んでいた。
 
 ただ一人、事態の推移を飲み込めていないシャナが、その真名の意味するところを、ゆっくりと、確かめるように呟いた。
 
「‥‥‥『創造神』‥‥‥」
 
 
 
 
 遥かな太古、この世に渡る術が見つけだされ、無数の、力の大小、望みの高低まで様々な徒達が、無数、己の望みを思う儘に『顕現』できる楽天地へと飛び出した。
 
 その中に、紅世の世界法則の体現者たる『神』の一柱、『創造神』"祭礼の蛇"も"当然"混ざっていた。
 
 何故ならば、彼は『造化』と『確定』という、踏み出し、見いだす権能を司る神だったからだ。
 
 『創造神』は、三柱の眷属と共に現れ、あらゆる望みを、新たな流れを、求められるまま、力のままに、多くのものを同胞らに与えた。
 
 善悪は関係ない。余地を埋め、未踏に踏み出す。それこそが、彼の神としての存在理由だった。
 
「だが、己が権能に溺れ、世界の在り様にまで手を出した彼奴は、太古のフレイムヘイズらの手によって『久遠の陥穽』の彼方に葬られた。ゆえに‥‥」
 
 シャナに伝え、同時に、自分に言い聞かせるように語っていたアラストールが、一拍溜め、怒鳴る。
 
「貴様が"祭礼の蛇"であるはずがない! 貴様が坂井悠二‥‥"ミステス"であるならばなおさらだ!!」
 
 そう、悠二の胸に未だ点る、灯りを見て、怒鳴る。
 
「‥‥大体、あそこは神さえ無力な世界の狭間。いくら『創造神』とはいえ、帰還出来るはずがない」
 
 メリヒムが、手にした細剣に力を込め、冷淡に呟く。
 
「‥‥ユージ、何であんたが、その『御伽話の神様』の真名なんか名乗ってんのよ」
 
「冗談にしちゃ、ちぃーと笑えねえぜ?」
 
 マージョリーとマルコシアスが、伝聞で聞く『神殺し』について呟き、悠二に探りを入れる。
 
「‥‥そうだね。僕は『彼』にその名を名乗る事を許されただけ、全く同じ存在ってわけじゃない。でも‥‥‥‥」
 
 先ほどとは変わって、また普段の口振りに戻った悠二がそこで一度区切り、
 
「"これ"は、僕達が共に歩む証でもある」
 
 狼狽したまま口を開かないヴィルヘルミナの脳裏に、先ほどのアラストールの言葉が反芻される。
 
「僕の望みと、『彼』の大望は、重なる」
 
 "『創造神』と共に歩む"。
 
 その意味を、ヴィルヘルミナだけでなく、フィレスが、マージョリーが、メリヒムが飲み込んでいく。
 
『この世の在り様に手を出した彼奴は‥‥』
 
 その予感に違わず、悠二は告げる。
 
 世界への怒りを、燃え立つような意気に変え、立ち向かう喜悦と共に、腹の底から誓う。
 
「この世の本当の事を、変えてやる」
 
 そう、他でもない、今まで共に戦ってきた‥‥
 
 "守りたい存在に"。
 
「"討滅の道具でしかない"皆も、その中にいる。どこまでも戦って、いつの日か倦み疲れ、倒れて消えていく‥‥そんなフレイムヘイズの宿命も変えてみせる」
 
 咆える口の端から、黒い炎が漏れた。
 
 皆が皆、少しずつ"わからされていた"。
 
 
 この少年には、操られている者の持つ"自分のなさ"が無い。
 
 それどころか、確固とした目的、強靭な意思、そして、身震いするほどの気概すらも感じる。
 
 "目の前の存在が坂井悠二だ"と、徐々に認めていく。
 
 そして、もう一つ。
 
 悠二の望み。本来ならば馬鹿な望みと笑い飛ばすような、“子供の傲願”。
 
 それを、目の前の少年が心底から望み、全力で目指す在り様を見せられ、言葉を失う。
 
『どこまでも戦って、いつの日か倦み疲れ、倒れて消えていく‥‥』
 
 復讐に生きてきたマージョリーが、その戦いの日々で、かけがえのない存在を失ったヴィルヘルミナとメリヒムが、その願いと、目指す姿に僅か怯み、言い返せない。
 
 自身と恋人の安寧のみを願ってきたフィレスは、その優しさに怯み、言い返せない。
 
 そして、それに『創造神』が絡めば、冗談にはならない。
 
 そして他でもない、今まで共に戦ってきた“信頼”が、無謀な願いを叶えかねない、そんな気にさせる。
 
 
 そんな中、
 
 カッ
 
 
 ただ一人だけ、踏み出した。
 
 黒衣を纏い、大太刀を突き付けた、シャナが。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 私はフレイムヘイズ。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そうあるよう望んだ。だからある存在として私は選ぶ。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 たとえ、この少年の願いが、優しさが、自分にも向けられていたとしても。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 でも、とても恐い。
 
 目の前から感じる、強烈な違和感が、ではない。
 
 ただ、"坂井悠二を斬る事"が恐い。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 でも、恐いなら、覚悟しよう。
 
 私はアラストールのフレイムヘイズ。
 
 私がそうあるよう望んだ。だからある存在。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 戦うよ?
 
 何を言うつもり?
 
 "それ"を言ってはいけない。
 
 私はフレイムヘイズ。
 
 私は‥‥戦う。
 
 
 
 でも‥‥‥‥‥
 
 
 
「同情されるような道を、選んだ覚えはない」
 
 
 
 胸が、すごく痛いよ。
 
 
 
 
 ‥‥‥‥‥悠二。
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/06/03 21:17
 
「同情されるような道を、選んだ覚えはない」
 
 誰より早く、その一歩を踏み出したのは、自らの意思で討滅の剣となる道を選んだ少女。
 
 あるいは、眼前の少年の願いを、真っ向から叩き潰すという志を持った唯一の存在。
 
 だが‥‥‥
 
「っはあ!」
 
 それは、全く不用意な跳び込み。
 
 シャナの行動で茫然自失になっていたフレイムヘイズ達が、覚醒してまず案じたのは、少女の軽率な行動だった。
 
 一撃、その事しか考えていない。
 
 相手の反撃も、自分がその一撃から連なる連撃をかける事も、まるで考えていない。
 
 転ぶ事を全く考えずに突っ込む‥‥子供の喧嘩のようだった。
 
 当然‥‥‥
 
 ブンッ!
 
 その一撃は、坂井悠二には届かずに空を斬る。
 
 だけではない。次の動きを考慮していない空振りは、当然隙を生む。
 
「‥‥‥うん」
 
 その隙に、拳撃を繰り出す悠二が、寂しげに頬笑む。
 
「っく!」
 
 風を裂いて突き出された拳を、シャナはとっさに首を逸らして躱す。
 
 だが、これは単なる空振りではない。
 
(っ‥‥‥?)
 
 頬を風が過ぎる感覚に一拍遅れて、自分の足首に違和感を覚える。
 
(何‥‥?)
 
 その違和感に目を向ければ、足下から、鎧の破片や歯車、発条やクランク等をグシャグシャに混ぜた銀色の塊が湧き出て、足首を捕らえていた。
 
「“わかってたよ”」
 
 呟くと同時に、ドンッ! と一気に真上に飛翔した悠二、それを追うように、今まで足場にしていた岩場が砕け、膨大な銀の濁流が、まるで洪水の溢れるように、まるで爆発の膨らむように、巻き上がる。
 
 その内に、津波のような海水を巻き込み、内包して。
 
 ヘカテーと平井は、もちろん悠二と同時に飛び上がっている。
 
「くそっ!」
 
「避けて!」
 
 メリヒムとフィレスが焦って叫び。マージョリーとヴィルヘルミナも悠二達を追うように飛ぶ。
 
 濁流は、広がりの頂点から急速に収束し、巨大な球状の、銀の牢獄と化す。
 
 その中に、『炎髪灼眼の討ち手』を閉じ込めて。
 
 
「貴様‥‥!」
 
 ギリギリで逃れたフレイムヘイズ達。その内の一人たるメリヒムに対して‥‥‥
 
「戦いしか、互いの間に道は無い」
 
 悠二は、戦いの始まりを告げた。
 
 
 
 
(何っ‥‥!?)
 
 全く、一瞬の出来事だった。
 
 斬撃を躱され、足首に目を向け、次の瞬間には視界全てを銀色が埋め尽くし、今度は完全な暗闇に閉ざされた。
 
(水‥‥海水か‥‥?)
 
 また、全身を刺すような冷たさが包み込んでいる。
 
(炎を封じて、我らを閉じ込めたつもりだろう。早々に脱出するのだ!)
 
 『コキュートス』からのアラストールの声に頷き、通常の炎ではない、『物質化』された紅蓮の巨腕を生み出す。
 
 その明かりを受けて見えた視界に‥‥‥
 
(次から、次へと‥‥!!)
 
 群れがいた。
 
 汚れて歪んだ、銀色の西洋鎧の、群れが。
 
 
 
 
「ヘカテー! ゆかり!」
 
「はい!」
 
「あいよ!」
 
 悠二の呼び掛けを合図に、三人は散り散りに飛ぶ。
 
(くそ‥‥‥!)
 
 私情とは別に、戦士としての思考で、メリヒムは心中で口汚く吐き捨てた。
 
 こちらの意表を突いた出現に始まり、舌戦を制され、戦闘も相手の先制から始まった。
 
 “戦闘以前の戦い”。行動一つ一つで先手を打たれ、常に相手にペースを握らせてしまっている。
 
 自分のあまりの間抜けさ、そして今の状況自体に苛立ちを募らせる。
 
 そんなメリヒムに向けて‥‥
 
「っふん!」
 
 放たれてきた炎弾を、細剣の一閃で斬り払う。
 
 炎の色は、翡翠。
 
「‥‥メリーさんが一番厄介だからね。悪いけど、止めさせてもらう」
 
「ガキが‥‥舐めるな!」
 
 
 
 
「ヘカテー!」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 後に光の線を引いて、水色と琥珀がぶつかり合い、離れ、またぶつかる。
 
「あんたも、悠二も、ゆかりも、正気なの?」
 
 今さらな、しかし確信には至っていない問いを、フィレスは投げ掛ける。
 
「私は、元より『創造神』の眷属‥‥」
 
 それに対し、ヘカテーは直接的ではない。しかしそれ以上に大切な言葉を紡ぐ。
 
「『大命』の成就こそが、私の使命でした‥‥」
 
 そんな語らいの中でも、攻防は止まらない。
 
 水色の無数の光弾を、琥珀の風が逸らし、いなし、吹き散らし、必死に防ぐ。
 
「今は‥‥違う!」
 
 ボッ!!
 
「っく!」
 
 光弾の一つがフィレスの肩を掠め、フィレスが顔を歪める。
 
「悠二と歩く。一緒に、どこまでも‥‥‥」
 
 揺るがない想いから生み出す強さを瞳に宿して、ヘカテーは静かに、強く言い放つ。
 
「そのための、戦い」
 
 
「‥‥‥‥そう」
 
 フィレスは元々、この世を自由に生きる“徒”だ。
 
 悠二達の大願を阻む理由は、本来なら無い。
 
 だが‥‥
 
「そういうの好きだけど‥‥‥」
 
 我関せずとは、いかない理由がある。
 
 
「悪いけど‥‥‥あの子、放っておくわけにもいかないのよ!」
 
 
 
 
「何故、このような事を‥‥!」
 
「理由説明!」
 
 黒炎を撒き散らし、緋色の衣を靡かせる少年の周りを、群青の獣と仮面の妖狐が巡る。
 
「あんたらしくもない、子供じみた理想じゃない」
 
「いつからそこまで調子づいたよ? 兄ちゃん」
 
 仮面の内に悲痛を隠して訴えるヴィルヘルミナと、血気に逸ると見えて、言葉のうちから悠二に起こった異変を冷静に探ろうとするマージョリー。
 
 正反対の姿だがしかし、胸の内は酷似していた。
 
 悠二は、揺るがない。
 
 静かに、だが強烈に、己の意志を貫く姿を、その面に、態度に見せていた。
 
「必要だったのさ。目的の実現のために、これくらいの調子の良さ、意気込みが」
 
 言って悠二は、反対方向にそれぞれ向けた両手から、特大の炎弾をマージョリーとヴィルヘルミナに放つ。
 
「っ!」
 
「このっ!」
 
 マージョリーが、同様に炎弾をぶつけて融爆させ、ヴィルヘルミナがリボンを斜に構えて炎弾を流す。
 
 そして、
 
「っ!?」
 
 悠二が、右手に炎を生み出し、それが消えた時には、一振りの大剣が握られていた。
 
 そのまま、炎弾を凌いだヴィルヘルミナに斬りかかる。
 
「何故!? “頂の座”は、貴方を慕っていた! 今までも、貴方は自身の手で大切なものを守っていたはずであります!! なのに、何故‥‥‥!?」
 
 リボンを無数に構えて悠二の斬撃をいなしながら、ヴィルヘルミナは遂に堪え切れなくなったかのように叫ぶ。
 
 不可解だった。
 
 今まで、フレイムヘイズである自分達と一緒に戦い、街を守ってきた少年が、こんな極端な答えを出した事が。
 
 フレイムヘイズである自分達と、道を違える。剣を突き合わせる。
 
 悠二がそんな選択をした事が悲しく、悔しく、納得出来なかった。
 
「‥‥‥ヘカテーに出会って、一緒に大事なものを守るために戦って、いつか旅立つ。目的は違っていたとしても‥‥フレイムヘイズみたいに。
 僕も最初は、そんな道を漠然と思い描いてた」
 
 以前とは、速さも重さも技巧も違う。凄まじい大剣の連撃を繰り出しながら、悠二はゆっくりと言葉を紡ぐ。
 
 それが、こんな辛い戦いを強いてしまった仲間に出来る、精一杯の誠意。
 
「それでいい。そうやって生きていくのも、大切なものを守って生きていくのも、失ってしまった“日常”に決して劣らない。そう思ってた、でも‥‥‥」
 
 それまで、静かに、穏やかに喋っていた悠二の声色に、強い悔恨、そして怒りが宿る。
 
 
『私‥‥楽しかった』
 
 
「守れなかった‥‥!」
 
 押し殺した叫び、それに呼応するように大剣から湧き上がった炎が、黒の斬撃となって、無数のリボンを一閃、灼き斬る。
 
 
『‥‥もう、ちょっと‥‥だけ‥‥皆と‥‥一緒に、いたかった‥な‥‥』
 
 
「たった一人の女の子さえ、守れなかった!!」
 
 
 全身から炎が湧き上がり、その熱さを増してゆく。
 
 ヴィルヘルミナは、その、悠二の言葉と炎に込められた力に、思わず引き下がる。
 
「同じ街に、あんなに近くにいたのに‥‥!」
 
 引き下がったヴィルヘルミナを追うように、また大剣で薙ぐ。
 
「あなた達の‥‥フレイムヘイズのやり方じゃあ、何も変わらない。僕は、『そういうものだ』なんて言葉で納得出来ない」
 
 決意を表すように、大剣を真っ直ぐに、ヴィルヘルミナに向けて突き付ける。
 
 ヴィルヘルミナも、後ろで隙を窺うマージョリーも、今だけは攻撃を仕掛ける気になれない。
 
 
『‥‥ホントはね、ずっと、皆一緒にいたいって、思ってたの。人間とか徒とか関係なく、皆でずっと‥‥‥‥』
 
 
「この手で『この世の本当の事』を変えてやる。不条理の可能性を、この世から消し去ってやる。好きな人を、好きな人達を守るために」
 
 
『‥‥馬鹿だよね。そんなの無理だって、わかってたはずなのに』
 
 
(無理じゃない。きっと‥‥‥‥)
 
 
「そのために、この道を選んだんだ」
 
 激情の熱さから抜け出した悠二の声には、悲嘆に憤怒に悔恨、喜悦に愉楽に覇気、様々な想いが籠もっていた。
 
 
「邪魔は、させない」
 
 
 
 
(きっと、実現してみせる)
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/06/05 21:51
 
「このっ!」
 
 大太刀・『贄殿遮那』が、汚れた板金鎧の胴を、二つに両断する。
 
(キリがない‥‥!)
 
 一体一体はただの徒程度の力しかないが、とにかく数が多すぎる。
 
 斬っても、叩き潰しても、次から次に隙間なく腕を伸ばしてくる。
 
 シャナはフレイムヘイズとしての戦歴が浅く、多数の相手との戦闘経験が少ない。
 
 それだけではない。この牢獄を形成する際に悠二が取り込んだ海水によって、ここは“水中”なのだ。
 
(くっ!?)
 
 足を掴んだ銀の腕を、また斬り飛ばす。
 
 水中ではどうしても動きに精彩を欠き、そして何より、炎が使えない。
 
(っはああああ!!)
 
 もう何度目か、紅蓮の巨腕、物質化の炎を形成して、横に払い、西洋鎧を十数体まとめて叩き割る。
 
 だが、間髪入れずに銀の殻から這い出てくる。
 
 通常の状況なら、火力に任せてこの鎧の群れごと、牢獄を突破できるというのに‥‥‥
 
(くそっ!)
 
 
 
 
「よりにもよって、おまえが相手か。俺も低く見られたものだな」
 
「‥‥そりゃどーも」
 
 平井とメリヒム。互いに細剣と鉾先舞鈴を構え、並行するように一定の距離を取りつつ飛翔する。
 
「悪いが、おまえに構ってる暇はない。俺が殴りたいのは“あいつ”だ」
 
 その距離を一気に詰め、メリヒムが斬りかかる。全く同時に後退した平井の前髪が、剣風に揺れる。
 
「こっちもね。それを邪魔する役割分担なんで、悪しからず」
 
 そのメリヒムの斬撃を皮切りに、戦いの火蓋が切られ、平井がそのまま一気に後退、上昇して距離を取る。
 
 その飛翔の余韻のように舞った無数の羽根が次々に爆発を起こし、メリヒムの追撃を阻む。
 
「実力差があるのはわかってたからね。それなりに“対策”はさせてもらってきたよ!」
 
 言って平井は、“大きく息を吸い”、
 
「っだあ!!」
 
 両手を上に上げて、大声で、叫んだ。
 
(来る‥‥)
 
 その気迫と動作を、“攻撃の構えと勘違いした”メリヒムに、
 
(‥‥がっ!?)
 
 “すでに放たれていた”平井の攻撃が直撃、全く無防備なメリヒムを軽々と吹き飛ばし、盛大な水柱を立てて海中に突き落とす。
 
「『獅子吼』‥‥だっけ。‥‥悪くない」
 
 予想以上の威力に、撃った平井自身が驚く。
 
 口から不可視の衝撃波を放つ。単純と言えば単純な自在法だが、威力は炎弾の比ではない。
 
(まともに入ったよね‥‥。さすがに‥‥‥)
 
 そんな風に楽観して見下ろしていた平井。
 
 ボンッ!!
 
「うわっと!?」
 
 海面から凄まじい水蒸気爆発と共に立ち昇った七色の閃虹が、平井の鼻先よりわずか先を過ぎゆく。
 
 そこから、その破壊の光を放った張本人が、虹の光背を背に、浮かび上がってくる。
 
「‥‥タフだね、メリーさん。イヤになる」
 
 その虹の圧力に冷や汗を垂らしながす平井、空笑いにも余裕がない。
 
 対するメリヒムは大真面目だ。先ほどよりも凄みを増した眼光を、今度はちゃんと目の前の敵に向けている。
 
 異能を得てから半年も経たない“ミステス風情”にしてやられた怒りに燃えて。
 
「‥‥いいだろう。ここからは、よそ見無しでやってやる」
 
「‥‥それはまた、光栄至極」
 
 
 
 
「『星(アステル)』よ」
 
 もう何度目か、無数に降り注ぐ、水色の光弾。
 
「くっ、はっ!」
 
 海から離れ、正確には逃げ、広がる街で、フィレスは建物と建物の間を低く飛ぶ。
 
 ドドドドドオォン!!
 
「っあ、ぐ‥‥‥!」
 
 しかし、それもほとんど意味を為さず、フィレスは猛然と吹き荒れる爆発に巻き込まれ、圧倒的な破壊の渦に、全く無力に振り回される。
 
 楯とされた建物も、その悉くが、まるで砂で作られているかのように砕け、崩れ、散っていく。
 
(ちょ、ちょっと‥‥!?)
 
 冗談じゃない。
 
 今まで、実戦でよく見る機会はあまり無かったが、少なくとも、鍛練の時とは全く違う。
 
(ヘカテーって、こんなに強かったっけ‥‥!?)
 
 無茶苦茶だ。
 
 反撃どころではない。逃げ切れるかどうかすら疑わしい。
 
 元々、ヘカテーの『星』は手数、威力、速さ、攻撃範囲、全てのバランスが良く、非常に使い勝手が良い自在法だ。
 
 要するに、練度がさらに上がれば、“こう”なる。
 
(どうする‥‥!?)
 
 吹き飛ばされたまま、瓦礫に身を隠して、フィレスは思考を巡らせる。
 
 
 水色の爆光、響く轟音、立ち上るキノコ雲、その後に広がる焼け野原。
 
 それらを眼下に見下ろすのは、星の輝きを自身の周囲にちりばめた、白い装束の巫女。
 
 “頂の座”ヘカテー。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 シャーン、とまた、『トライゴン』の遊環を鳴らすと、周囲に舞っていた光点が膨らみ、流星群となって街へと降り注ぎ、圧倒的な破壊を巻き起こす。
 
(‥‥不思議)
 
 自分でも、驚いていた。
 
 こんな感覚、今まで一度として味わった事がない。
 
 
『‥‥‥馬鹿』
 
 一人ぼっちの孤独を、臆病な逃避を選んだ自分を、迎えに来てくれた。
 
『僕は消えない。“これ”は誰でもない。僕の願いなんだ』
 
 そう、言ってくれた。
 
『君と一緒に歩いていく。そのためにも、望みを果たす』
 
 そう、約束した。
 
 
(悠二がいる‥‥)
 
 少し前の、『輝爍の撒き手』達との戦い。力を制限しての戦いでは、わからなかったが、今は違う。
 
(力が湧く‥‥)
 
 体が軽い。力がみなぎる。相手の動きがよく見える。
 
(何でも出来る!)
 
 以前の自分とは‥‥違う!
 
 
「『星』よ!!」
 
 
 
 
「はああっ!」
 
「っとお!」
 
 黒い封絶の編まれた海上の空を、翡翠の姫と虹の剣士が飛びかう。
 
 時折、殺那的にぶつかりはするものの、接近戦と呼ぶには程遠い。
 
「っふ!」
 
 虹の軌跡が、大きく躱したはずの平井の肌にチリチリと痛い。
 
(っ怖あ〜〜‥‥!)
 
 『虹天剣』を躱すために動き続ける平井の熱くなった体が、閃虹が過ぎる瞬間に一気に凍り付き、過ぎた後にまた熱さを取り戻す。
 
 一気にかいた冷や汗で額に張りついた前髪を軽く指で払い、また集中する。
 
 まともに食らえば、いや、擦っただけでも一発で終わりだ。
 
 ダメージを受けて動きが鈍れば、次を躱せない。
 
「そぉ‥‥りゃ!!」
 
 『虹天剣』を放ったメリヒムに、特大の炎弾を放り投げる。
 
 その間も、高速飛行は止まらない。
 
「ふ、っ‥‥はあ!」
 
 炎弾を躱すと同時に、メリヒムが赤と橙の光を放つも、平井はもうそこにはいない。
 
 斜め前方から勢いよく突っ込み、
 
 ギィンッ!
 
「む!」
 
 その勢いのまま短剣を突き出し、その一合のみでまた離脱する。
 
「ちょろちょろと‥‥!」
 
 そして、突き出した刺突と同時に舞った十数枚の翡翠の羽根が、メリヒムの周りに残る。
 
「っくそ!」
 
 至近での連爆を、身を退いて、腕を固めて、ただのコートに存在の力を通して凌ぐ。
 
 普通ならあり得ない反応と防御。
 
 だが、そこで一息つく事も出来ない。
 
「っおぉ!?」
 
 ギリギリで凌いだ翡翠の爆炎にいきなり穴が空き、反射的に身を反らせたメリヒムがこれを躱すも‥‥
 
(ぐ、あ‥‥っ!)
 
 全身を万遍なく、鉄棒で強打されたような激痛に襲われる。
 
「く‥‥ああぁっ!」
 
 その痛みを払いのけるように、緑と青の光線を、衝撃波の来た方向に放つ。
 
 またも躱されるが、平井の動きは一瞬止まった。
 
 だが、その隙を突く余裕は、ない。
 
(厄介な‥‥。一体、誰の自在法だ)
 
 さっき直撃された一撃も、実は相当に効いている。しかも、余波だけでこの打撃力。
 
 平井はさっきからずっと、常に『飛翔』で動き続けながら、通常の『炎弾』、軌道と爆発のタイミングの読みにくい『パパゲーナ』、そして不可視の衝撃波である『獅子吼』の三つの飛び道具を駆使して攻め続けている。
 
 メリヒムの剣技と『虹天剣』、双方を封じる作戦だ。
 
 もちろん‥‥
 
「痛たた‥‥‥」
 
 完全に『虹天剣』を抑えられるわけもなく、何発も使われてはいる。
 
 だが、まだ一度ももらってはいない。
 
(肝冷えるね、こりゃ)
 
 とはいえ、こんな危ないのを向こうに行かせるわけにもいかない。
 
(よっし、もういっちょ!)
 
 気を入れ直す平井。その耳に、異能者たる彼女の耳に‥‥‥
 
(ん‥‥‥?)
 
 “押し殺した叫び”で互いに何やら言い合う悠二とヴィルヘルミナの声が届いた。
 
 平井はそれに、ややの不興を覚える。
 
(何やってんだか‥‥こっちは常にデッド・オア・アライブの恐怖に晒されてるってのに)
 
 平井とて、当然“事情”は痛いほど理解しているが、今はそれに思考を巡らせる余裕がない。
 
 続く言葉が、はっきりと耳に届くまでは‥‥。
 
 
「守れなかった‥‥!」
 
(‥‥‥‥‥‥‥)
 
「たった一人の女の子さえ、守れなかった!」
 
(っ‥‥‥‥‥!?)
 
 
 その言葉を聞き、一拍遅れて思考が追い付き、頭から冷水をかぶせられたような衝撃を受ける。
 
 今まで、『大命』への覚悟や決意は悠二の口から幾度か聞かされていた。
 
 だが、“これ”は初めて聞いた。
 
 ‥‥あの事が、そこまで悠二の心に重くのしかかっているとは、知らなかった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 自分の存在が悠二に辛さを与えているという事に対する悲しみ、悠二にとって自分がそれだけ大きな存在となっているという事に対する嬉しさ。
 
 ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が胸に溢れながらも、妙に頭がすっきりしている。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「どうした、動きが止まったぞ」
 
 細剣を構えて、メリヒムが警戒しながら訊く。
 
「いや‥‥‥」
 
 自分の心が、今はどうも掴み辛いのだが、
 
「‥‥やる気出た」
 
 それだけは、断言出来た。
 
 左の手甲、その裏に軽く指を通して、ピンッと一本取り出して、指先でくるくると回す。
 
 
 強気な笑みを浮かべた平井の掌には、光り輝く金色の鍵があった。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/06/09 04:07
 
 ガッ!
 
 大剣がリボンの先端に捉えられ、しかし力の軸はそこにはない。
 
(っ‥‥‥!)
 
 斬撃を受け流し、投げ飛ばす。そのために力の軸を捉える見切りが、一瞬遅れる。
 
「っはあ!」
 
「くっ‥‥!」
 
 すかさずリボンを大剣から放して後退し、さらに繰り出された斬撃を上体を反らして躱す。
 
 仮面の顎の部分に切っ先が擦るが、そのままバック転の様に後方に舞い、さらに距離を取る。
 
「もらった!」
 
 距離を取るのとほぼ同時、隙を見計らっていたマージョリーによる特大の炎弾が、少年・坂井悠二に直撃、海岸の高堀を粉々に吹き飛ばすほどの大爆発を巻き起こす。
 
(まだ‥‥‥)
 
 あれで決まったとは、考えにくい。
 
「っふ!」
 
(来た!)
 
 予測に違わず、群青の爆炎の中から、緋色の衣と凱甲に身を包んだ悠二が、大剣を振るって飛び出してくる。
 
(‥‥無傷、でありますか)
 
 全身から黒い炎を撒き散らすその竜尾や凱甲どころか、肌や衣にすら、一点の焦げ目も見えない。
 
「っだあ!」
 
 ギィン!
 
 再びの接近戦。
 
 本来なら、『戦技無双の舞踏姫』にとって最も望むべき展開。
 
 しかし、
 
「っ!」
 
 大剣を受け止め、投げる瞬間、剣に血色の波紋が浮かび上がり、
 
「くっ!」
 
 ギリギリで捌いたリボンが、ビリビリに裂かれ、引き千切れる。
 
 これが悠二の・『吸血鬼(ブルートザオガー)』の能力。
 
 剣に存在の力を込める事で、刃に触れるものを切り刻む魔剣だ。
 
 だが、当のヴィルヘルミナにまで、それは届いていない。
 
「さすがに、通用しないか‥‥」
 
 ポツリと呟いた悠二が、左掌から炎弾を生み出して撃ち放つ。
 
 至近からのその炎弾を舞うように躱したヴィルヘルミナに向けて、
 
「っふ!」
 
 回避の最中の隙を突いたつもりで悠二が繰り出した斬撃を、ヴィルヘルミナは独楽のように横に回りながら、流れるようにいなしてすれ違う。
 
 斬撃をいなされ、振り抜いた悠二の、最も『吸血鬼』から離れた背後を取ったヴィルヘルミナの、
 
「っは!」
 
 リボンを硬化した鋭い、数十の刺突。
 
 だが、
 
「っむ!」
 
 それを、悠二は後頭から伸びる漆黒の竜尾の一振りで受け止め、薙ぎ払う。
 
 そして向き直り様、再び炎弾を放ち、ヴィルヘルミナはこれをリボンの編んだ盾で止める。
 
(‥‥‥強い)
 
 体術や技巧ならヴィルヘルミナが圧倒的に上回っている。
 
 だが、悠二の『吸血鬼』は接近戦での戦いにおいて、相当に有効な宝具だ。さらに、あの竜尾の防御力。
 
(接近戦は‥‥)
 
(互角)
 
 宝具の力を借りて、とはいえ、『戦技無双の舞踏姫』が、接近戦で優位に立てない。
 
 ‥‥‥いや、これが"初見"でなくて、助かったと見るべきか。
 
(手の内が知られているのはお互い様のはず。楽観は出来ないのであります)
 
(急成長)
 
 初めて会った時とは、もう完全に別人となった少年を前に、
 
(‥‥話はまず、捕縛してからであります)
 
 ヴィルヘルミナはそんな風に‥‥
 
 甘くみていた。
 
 
 
 
("この体じゃ"、太刀打ちも出来ないわね)
 
 連鎖的に起こる大爆発から逃れ、隠れて、フィレスは今、瓦礫の下敷きになって潜んでいた(吹き飛ばされたまま、伏せっているとも言う)。
 
(あんな弾幕張られちゃ、近づく事も出来ないし、風を使っても攻撃どころか防御も出来そうにない)
 
 こうしている間にも、ヘカテーの『星(アステル)』による攻撃は続いている。
 
 いつまでもこうして隠れていても、いずれ隠れる場所すら無くなってしまうだろう。
 
(真っ正面からぶつかるだけが戦いじゃない。今ある状況を最大限に活かして、流れを引き寄せる)
 
 銀の牢獄に捕われたシャナ、平井に撹乱され、てこずっているらしいメリヒム。そして、ヴィルヘルミナとマージョリー、二人を相手に戦っている坂井悠二。
 
(‥‥事情はよくわからないけど、あれは『創造神』本人じゃなくて、悠二)
 
 先ほどのアラストールやメリヒムの言葉、そして、悠二の言動を思い出す。
 
(だったら‥‥!)
 
 
(む‥‥‥?)
 
 街に向けて次々と光弾の雨を降らせるヘカテー、その視界の端に、琥珀の竜巻が飛び出すのが入る。
 
 一度破壊した場所だったから盲点だった。
 
(ようやく、来る‥‥?)
 
 今まで防戦、どころか逃げに撤していたフィレスがこちらに向かって来るのかと判断したヘカテーが、迎撃するつもりで周囲の『星』を全て放つ。
 
(っ‥‥!?)
 
 だが、フィレスは今までとはまるで違う速度で横に飛翔し、相当に広範囲な流星の雨から逃れる。
 
(悠二やヴィルヘルミナ・カルメルから聞いた。確か‥‥『ミストラル』)
 
 自分はあの時、"壊刃"サブラクに負け、気絶してしまっていたから直接は知らないが、そのサブラクを倒す鍵となった移動系の自在法。
 
「『星』よ!」
 
 当然、そのスピードで逆撃に転ずるだろうと考えたヘカテーは、近寄らせまいと流星群を降らせる。
 
 しかし、フィレスは予測外の行動に出ていた。
 
(‥‥‥‥え?)
 
 攻撃を"躱す"という範疇ではない、明らかに大幅すぎる回避。いや、ヘカテーの攻撃を一切無視して、一直線に飛び、『星』は当然のように外れただけ。
 
 いや、無視したのは、ヘカテーの攻撃のみではない。ヘカテー自身すらも、フィレスは置き去りにして飛んで行く。
 
(まずい‥‥!)
 
 ヘカテーは僅かに遅れて気付く。だが、気付いても、スピードが違いすぎる。
 
(‥‥狙いは、悠二!?)
 
 追い付けない。
 
 
 
 
「っはあ!」
 
 大剣一閃。群青の獣・『トーガ』を両断するも、中にいるはずのマージョリー・ドーはいない。
 
(また外れか‥‥)
 
 それに驚きはしない。今まで、何度も見てきたのだから。
 
 『トーガ』を斬った間に、上空から放たれてくる無数の炎弾、それを避け、あるいは大剣で払いのけ、回避する。
 
「それで、余の隙を突いたつもりか?」
 
「似合わない喋り方ね。大体、油断なんて百年早いっての!」
 
 怒鳴るマージョリーの声に応えるように、先ほど放った炎弾全てが、群青の獣・『トーガ』となって悠二に襲いかかってくる。
 
「すいません、マージョリーさん。"こう"なった時のクセみたいなもので。つい、ね」
 
 それにも動じず、悠二は軽く首を振り、漆黒の竜尾が、全周を取り囲んでいた獣達全てを叩き潰し、薙ぎ払う。
 
「それに、油断したつもりもない」
 
「で、ありましょうな」
 
 一見感情を感じさせない声と共に、マージョリーとは真逆、真下から、無数のリボンが迫る。
 
 躱す間もなく悠二を包み込み、
 
 ボンッ!!
 
 しかし、悠二の全身から発せられた炎によって、まるで紙のように容易く、黒く燃え散る。
 
 その間、当然マージョリーも黙ってはいない。
 
「せー‥‥の!」
 
 下方のヴィルヘルミナが悠二を捕らえたほんの一瞬に、特大の炎弾を放っていた。
 
「っ!?」
 
 それを飛び退くように悠二が躱し、炎弾はそのまま飛んでいき、下方のヴィルヘルミナの‥‥
 
「っは!」
 
 リボンで織り成した、『反射』の自在式を込めた盾に当たり、
 
(『反射』か‥‥!)
 
 また、悠二に飛んでいく。
 
 ただ、悠二もただ躱しただけではない。
 
 その左手に、複雑な、"ヴィルヘルミナの張ったものと同じ自在式"が漂っている。
 
「考える事は同じ‥‥か!」
 
 反射した炎弾を、同じく『反射』の自在式で殴り返す。
 
 その瞬間、炎弾の色は群青から、黒へと染まる。
 
(まず、い‥‥!)
 
 信じられない速さの自在式の構築に驚愕したヴィルヘルミナは、しかし冷静に、『反射』の壁を構える。
 
 その、特大の炎弾が、
 
「割れろ」
 
 無数に分裂し、
 
「っな!?」
 
 『反射』の盾を素通りし、ヴィルヘルミナの周囲を囲むような位置でピタリと止まり‥‥‥
 
「終わりだ」
 
 悠二が掌を握り込むのに合わせて、その全てがヴィルヘルミナに直撃する。
 
 
 ‥‥はずだった。
 
 
「っ!?」
 
 突然、凄まじい速さで接近してきた気配、それと同時に、『自分を包む一つの気配しか感じられなくなる』。
 
「っーーー!!」
 
 僅かそれに気をとられるが、構わず掌を握り込むが、
 
 ドドドドドォン!!
 
 その一瞬で、ヴィルヘルミナは自身の体を純白のリボンで包み込んでいた。
 
(あの一瞬で、あれだけの反の‥‥‥)
 
「ぶぁっ!?」
 
 気配が掴めないまま、横から、思い切り殴られた。
 
(フィレス‥‥!?)
 
 その拳撃の主を見つけ、
 
(まず僕を三人がかりで仕留めようってつもりか‥‥‥!?)
 
 即座に理解する。
 
(ここにいきなり飛んできたのは『ミストラル』で、"これ"は、『インベルナ』か‥‥!)
 
 自在法・『インベルナ』。
 
 相手を"フィレス自身たる風"で包み、それ以外の気配を一切感じさせなくする。感覚が鋭敏な悠二にはまさに天敵と呼べる自在法。
 
「ぐっ!」
 
 悠二の、ガラ空きになった背中を、『トーガ』の獣が両手で強烈に殴り付ける。
 
「がっ‥‥!」
 
 フィレスの、手甲をつけた拳撃が、再び頬を捉える。
 
 悠二の推測は正しい。
 
 フィレスは、三人がかりでまず悠二を仕留めれば、後は四対二になり、シャナが抜け出せば五対二になる、と考え、かつ、こうやって悠二を囲んでいれば、ヘカテーもあんな無茶な攻撃は出来ないだろうと考えた。
 
 そして、悠二と自分の相性の良さも理解していた。
 
 そう、それらのフィレスの分析は正しい。
 
 ただ、同様に、悠二もその事に気付いていた。
 
 それだけが、誤算だった。
 
 ゴッ!!
 
 フィレスの体重を乗せた重い一撃が入り、悠二の体が後ろに下がる。
 
 その、
 
(‥‥‥?)
 
 殴った後の引き手の中途で、フィレスの手首が掴まれていた。
 
 大剣を持つ悠二の右手ではない。自在法を練る悠二の左手でもない。
 
 "悠二の左肩口から生えた、銀色の鎧の腕に"、だ。
 
「うっ!?」
 
「なっ!?」
 
 掴まれたフィレスも、"それ"を見たマージョリーも、驚愕に目を見開く。
 
 ただ、フィレスにはそんな暇は無い。
 
「あ‥‥‥‥」
 
 手首を掴まれた状態で、気配も何も関係ない。
 
 渾身の力を込めたにも関わらず、悠二は平気そうな顔で大剣をぐっ、と握る。
 
(やば‥‥‥!)
 
 咄嗟に風を放とうとする、手首を掴まれて逃げられないフィレスを、
 
 
「捕まえた‥‥!」
 
 
 悠二の、遠慮容赦の無い斬撃が、襲った。
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/06/10 00:02
 
「あ‥‥‥‥」
 
 左肩から袈裟斬りに斬撃を受けたフィレス。その体が、パラパラと琥珀の火の粉となって散っていく。
 
「これで、"本物のフィレス"がここを目指す『目印』も消えた。シャナが"あれ"から抜け出さない限り、これで三対三だ」
 
 散っていくフィレスの火の粉を背に、悠二が淡々と告げる。
 
 そう、フィレスとヨーハン、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』は、『闘争の渦』の可能性を懸念され、事実として幾度も大きな戦いの起こっている御崎市の警護としてギリギリまで残り、ヴィルヘルミナ達に同行していた『傀儡』を目印にして突入直前に合流する手筈だった。
 
 『天道宮』に突入する前に、こんな接触があるなど想像すらしていなかったのだから、仕方ないといえば仕方ない。
 
「タイマンなら勝てるみてーな言い草だなぁ、オイ」
 
「ミステスごときが、いい気になってんじゃないわよ!?」
 
 凶暴に吠えるマージョリー。だが、悠二はそんなマージョリーの性質を知っている。
 
「そうやって暴れるフリをして冷徹にこっちの様子を観察してる。怖い人ですよ、マージョリーさんは」
 
 そんな余裕とも見える態度が、またマージョリーを苛立たせる。
 
「"さっきの腕"‥‥」
 
 そう、冷静になりきれない事情があった。
 
 かつての仲間と戦う、それのみではない。
 
「‥‥どういう事よ。何で"それ"が、今ここにあるのよ‥‥」
 
 自分の中で割り切ったはずのものが、またも不可思議な形で目の前に在る。
 
「何であんたの炎は"銀"だったの。あんたは‥‥一体何を隠し続けてきたの‥‥」
 
 それをぶつける相手も、
 
『八つ当たりでも構わない。何度でも受けとめてやる』
 
 目の前にいる。
 
「答えろ! ユージ!!」
 
 
 
 
「さっきも言ったけど、実力の違いはわかってるからね。しっかり"カスタマイズ"済み!」
 
 指先でくるくると遊ばせていた金色の鍵を、メリヒムに向けてビシッと見せ付ける。
 
(‥‥‥何だ、あれは?)
 
 先ほど、不可視の衝撃波の直撃を受けた事から、ことさら警戒に務めるメリヒム。
 
「教授の『デミゴールド』っていう自在法を定着させる金属を使った宝具・『非常手段(ゴルディアン・ノット)』って言うんだけど‥‥」
 
 かつて、ヘカテーが御崎を去る際に使われたのもこの宝具。正確には、『我学の結晶』の一種とも言える。
 
 あの時は、『星黎殿』への『転移』が込められていた。
 
「これと、私の『オルゴール』を合わせると‥‥」
 
 その金色の鍵を、平井は自身の胸元へと向け、スゥ、と溶け込むように差し込み、回す。
 
 それは胸元に点る灯り。彼女の宝具・『オルゴール』。
 
「こー‥‥なる!」
 
 言ってかざした平井の両手から、さっきまで『非常手段』に込められていた自在法が放たれる。
 
 それは、"翡翠色の粒子の濁流"。
 
「っ『マグネシア』だと!?」
 
 
 
 
「答えろ! ユージ!!」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 怒りをぶつけるような咆哮と、猛攻をかけるマージョリー。
 
 だが、それは初めて戦った時のような暴走とは程遠い。炎弾や分身を無数に撒き散らす、巧みな攻撃。
 
 それを、悠二は少しだけ驚いた、そして、安心したような顔で見る。
 
「喰らえ」
 
 降り掛かる炎弾、襲いくる群青の獣達を無視して突き出した左腕に、複雑怪奇な自在式が巻き付き、次の瞬間には轟然と燃えて放たれる。
 
 悠二の『蛇紋(セルペンス)』。黒炎の大蛇が。
 
「っ!?」
 
 前方広範囲から迫っていたマージョリーの攻撃全てを、黒炎の大蛇が渦を巻くように奔り、一掃する。
 
 そのまま、マージョリーに向けて襲いかかり‥‥
 
「え‥‥‥?」
 
 素通りする。そして、そのまま下方へと、ヴィルヘルミナへと襲いかかる。
 
(最初から‥‥こっち狙いでありますか!)
 
(緊急回避!)
 
 凄まじい炎の大蛇の猛勢に構えるヴィルヘルミナ。
 
 ヴィルヘルミナのリボンを焼き払い、喰い千切り、それをヴィルヘルミナが紙一重で躱す。そんな激しい攻防の上空で、複雑な大蛇の動きを制御しているとは思えない涼しい顔で、悠二はマージョリーと対峙する。
 
 大蛇の炎は、確かに少年の左手に繋がっている。
 
 マージョリーは、そんな悠二へと、最大の疑問を投げ掛ける。
 
「あんたはあの時、『まだ教えない』、『いつか話す』。そう言った‥‥」
 
 以前なら在った、抑えきれない熱さに浮かされたような殺意が湧き上がらない。
 
 自分でも拍子抜けするような嘘寒い感覚だけがあった。
 
「話してもらうわよ。力づくでもね」
 
 そして、まるで自身のその感覚こそが許せないような反発が、マージョリーの足を進める、戦う力となっていた。
 
 その反発が、返る悠二の言葉で、弾ける。
 
「‥‥もう、話す必要が無くなった」
 
「っーーー!!」
 
 ギリッ、と痛いほどに強く歯を食い縛り、猛然と飛び掛かる。
 
 同様に、無数の分身を生み出して。
 
「答えろ! "銀"って一体何なの!? やっぱりあんたが"銀"だったの!?」
 
 問いながら、今度は迂濶に近づかない。全ての『トーガ』が等しく悠二から距離を取り、包囲した陣形から‥‥
 
『バハァアアアーー!!』
 
 一斉に、群青の炎を吐き出す。
 
「くっ!」
 
 逃げ場などなく、悠二は溢れかえる猛火の津波に包まれる。
 
 確かに、包まれた。
 
 
「本当に、まだ拘っているんですか?」
 
 ドォオン!!
 
「っ!?」
 
 強烈な破裂音を響かせて、群青の猛火が吹き飛び、中から飛び出した無数の炎弾が、周囲の『トーガ』それぞれに命中、爆砕する。
 
(さっきから、"こう"やって防いでるのか!?)
 
 自分にも当然飛んできた炎弾を『トーガ』の豪腕で払いのけて、見極める。
 
 攻撃が直撃する瞬間、自らの体からも同様に炎を噴出させて相手の攻撃を吹き散らす。
 
 単純な理屈なようで、相手より遅く、かつ相手より強力な力を発現させなければならない、高等技術、そして『力』だ。
 
 だが、その力量以上に、悠二の言葉、そちらに気持ちが揺れる。
 
「何‥‥言ってんのよ、あんた」
 
 目の前の少年は、自分と"銀"の事など十分に知っている。
 
 直接、過去を覗かれた事すらある。だからこそ、さっきの言葉の真意がわからない。
 
「あなたは、あの『革正団(レボルシオン)』との戦いで"銀"を討滅した。そう言った」
 
 言葉を紡ぐ悠二の左手から黒炎が離れ、
 
(爆ぜろ!)
 
 下方にて、海岸を埋め尽くすほどの爆炎を溢れさせて、黒炎の大蛇が弾け飛んだ。
 
「っ!」
 
 その攻撃を受けていたはずのヴィルヘルミナの方に慌てて目を向けたマージョリーだが、
 
「それでも、自分を見失わず、"そこ"に在る」
 
 構わずに続ける悠二の言葉に、すぐさま目の前の相手に向き直る。
 
「もう、"あなたに『銀』は必要ない"」
 
「っ‥‥‥あんたに、何がわかるってのよ!?」
 
 言われ、一瞬言葉に詰まった、言い返せなかった事を自覚もせずに、ただ、"決め付けられた事"に対する怒りのまま、『トーガ』の"群れ"を放った。
 
(わかるよ‥‥)
 
 無造作に垂れ下がっていた悠二の左手、その指先がパチンと弾かれ、そこから十重二十重に黒の自在式の波紋が広がる。
 
「"これ"は、もう何度も見たよ」
 
 波紋は全ての『トーガ』に触れ、跳ね返り、その存在を術者たる悠二に伝える。
 
「そこか!」
 
 "本物のマージョリー"を、真っ直ぐに睨んだ悠二が、そのまま"上に飛ぶ"。
 
「『星(アステル)』よ!」
 
「っ!?」
 
 上に飛んだ悠二の背後から突如として飛んできた光弾の雨が、無数の『トーガ』の群れを、瞬く間に吹き散らす。
 
(っぅわ!?)
 
 それを、何とか悠二同様に上昇して躱したマージョリー本人の、
 
「う‥‥‥‥!」
 
 目の前に、緋色の衣と竜尾を靡かせる少年の、左手があった。
 
 驚愕を感じる間すらなく、
 
 視界も、意識も、全てが黒に呑み込まれた。
 
 
(わかるよ‥‥‥)
 
 黒炎に燃えて、落ちて行く女傑に寂しげな瞳を、少年は向ける。
 
 
(それくらい‥‥‥)
 
 
 
 
「ぐ、あっ!」
 
 全身にかかる大圧力。まるで鑢がけされるような打撃の濁流。
 
 自在法・『マグネシア』。
 
 本来は『星黎殿』の守護者・"嵐蹄"フェコルーの持つ鉄壁の自在法。それが今、透き通るような翡翠の色を帯びて、"虹の翼"メリヒムを嵐に巻き込んでいた。
 
(鬱陶しい!)
 
 微細な粒子の嵐は、ただメリヒムに強烈な滝のような打撃を与えるだけではない。
 
 見た目の数十、数百倍はあろうかという重さのそれが、メリヒムの服に体に細剣にこびりつき、枷となっていた。
 
 さらに、粒子とは違う、巨大な立方体がメリヒムに向かって飛んでくる。
 
「舐めるな!」
 
 吠えたメリヒムの体から七色の翼が展開され、こびりついた粒子の幾分かを消し飛ばし‥‥
 
「っはあ!」
 
 一閃させた細剣の軌跡に沿って、強力無比な虹刃が飛び、巨大な立方体をスパッと斬り裂く。
 
「これで、俺の『虹天剣』を封じたつもりか!?」
 
「いいえ、でも、かなり邪魔は出来てるでしょ?」
 
 平井の声と同時、一瞬、嵐が止んだかと思えば‥‥
 
「がっ!?」
 
 鈍い痛みを頬に感じて、
 
「ぐっ!?」
 
 すぐさま、嵐の濁流に叩き込まれる。
 
(くそっ! この嵐の外に‥‥‥)
 
「逃げられないよ」
 
 また、嵐が一瞬止み‥‥‥
 
「ぐあっ!」
 
「私の方が速いんだから!」
 
 サッカーのオーバーヘッドキックのような動きで繰り出された蹴り、平井のアサルトブーツの白鉄の脛当てが肩にめり込んで、焼けるような痛みが走る。
 
 そして当然、また嵐に呑まれる。
 
「っおおおおお!!」
 
 振り返り様に繰り出したメリヒムの『虹天剣』が、粒子の嵐をものともせずに奔る。
 
 だが、こんな状態で、さっきから『虹天剣』を躱していた平井に当たるわけもない。
 
「さすがに、凄い威力だね」
 
 それも当然、平井の狙いのうち。
 
「でも、当たらなきゃ意味が無い。だから、"当たらないように出来る"私が、メリーさんの相手をする事になった」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 平井の言葉と、さっきからの戦いで、この状況をメリヒムは正確に理解する。
 
 元々、嗜好や考え方が非常に単純な男であるがゆえに錯覚しがちではあるが、馬鹿ではないのだ。
 
 今も変わらず滝のような粒子の濁流を浴び続けるメリヒムは、しかし毅然とその場に止まり、細剣の切っ先を向ける。
 
「なるほどな」
 
 そして再び、その背中に、七色に輝く光背を広げる。
 
(また、来るかな‥‥?)
 
 翡翠の嵐の中、自身の周囲だけには平静を保つ平井が、メリヒムの動きに警戒を示す。
 
 とはいえ、こびりつき、常に大圧力を与え続ける粒子を受け、集中力や反応が鈍くならざるを得ないメリヒムの『虹天剣』を躱す事は、先ほどまでより遥かに容易ではある。
 
(ま、それでも撃つしかないか)
 
 と、判断する。
 
「だったら‥‥‥」
 
 だから、メリヒムの次の狙いは、予想外だった。
 
「これなら‥‥どうだ!」
 
 またも『虹天剣』、爆発的な光輝の力が、一気に放たれる。
 
 ただ、"狙いは平井ではなかった"。
 
(っ何‥‥‥!?)
 
 嵐を削り飛ばし、向かった閃虹の先で、
 
 ドォオオオオン!!
 
 直撃し、その一面を、粉々に吹き飛ばす。
 
 当たったのは、悠二が構築した銀の牢獄。
 
 
 そこから一つ、影が飛び出す。
 
 
 色は、紅蓮。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/06/10 23:48
 
「‥‥随分、無茶するね。下手したら中のシャナも危なかったよ?」
 
 銀の牢獄は、その修復が追い付かずに捕らえた者を逃がし、そして、すでにその役割を失った殻は、術者の意思に従って崩壊していく。
 
「ふん、この程度、博打ですらない。強運を引き寄せる事も、『強者』たる資質の内だ」
 
 そこから飛び出した紅蓮の光は、一直線に黒い炎を撒き散らす少年へと向かって飛んでいく。
 
「『強者』‥‥か。私が言うのも何だけど、シャナに悠二の相手が務まるとは思えないけど?」
 
「‥‥‥‥‥」
 
 目の前の平井、戦いに関して、素人同然のミステスの言葉に不興を覚えるが、メリヒムも、それについて思う所がないわけではない。
 
 事実、フィレスとマージョリーが、すでに悠二の手によって戦闘不能の事態に陥っている。
 
「どっちにしろ、これで三対三。押してるのはこっちの方だよ」
 
「‥‥ふん、大層な物言いだな」
 
 確かに、平井の言う事も正しい。こちらは二人が倒され、向こうは一人として倒れていない。いや、まともな傷すら負っていない。
 
 だが、
 
「すぐに、三対二になる」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥」
 
 斬っても斬っても湧いてくる西洋鎧の群れ。紅蓮の巨腕で傷つけても修復してしまう殻。炎による大破壊が、海水によって使えない自分。
 
 そんな不愉快な消耗戦が、突然吹き飛んだ。
 
(シロの、『虹天剣』‥‥‥)
 
 殻に閉じ込められている間も、状況の把握には務めていた。
 
(『弔詞の詠み手』と、"彩飄"がやられた)
 
 "敵"は、一人もやられていない。
 
 誰か一人を野放しにするわけにはいかない。
 
 自然、一対一が三つという構図になる。
 
(‥‥‥ヴィルヘルミナは、まだ大丈夫)
 
 それは、正しい判断だ。
 
 だが‥‥‥
 
「アラストール、行く!」
 
「うむ」
 
 何故ヘカテーではなく悠二に向かって行ったのか、その理由はわからなかった。
 
 自分が迷わずに坂井悠二に向かっていった、その事に、気付きもしなかった。
 
 
 
 
「くっ‥‥うぅ!」
 
 黒炎の大蛇の攻撃を避け続ける事は何とか出来た。
 
 だが、大蛇の至近での爆発までは躱しきれない。
 
 何とかリボンの壁を作って防御する事が出来たのは、"これ"を元々知っていたという事が大きい。
 
 だが、威力は殺しきれなかった。
 
(‥‥マージョリー・ドー)
 
 上空で爆発的に放出された炎の波から、一つの影が放り出され、落ちていく。
 
「っふ!」
 
 それが地面に落下する前に、リボンで編んだハンモックのような物で受けとめる。
 
「傷は?」
 
「容体報告」
 
 と、訊きながら覗き込むが、訊くまでもなく見ればわかる。
 
「気ぃ失っちゃいるが、大した事ぁねえよ。それより‥‥上だ」
 
 マルコシアスに促され、見上げれば、マージョリーを倒し、ついさっきまで自分とも戦っていた悠二。
 
 そして、先ほどやられたフィレスの傀儡を追ってきた、ヘカテー。
 
 確かに、マージョリーを気に掛けている場合ではない。
 
(‥‥傷はそれほど浅くないのでありますが‥‥)
 
(粉骨砕身)
 
 
 
 
 構えた細剣、七色の翼を生み出す背中、そして、膨れ上がる『虹』。
 
(まずい!)
 
 咄嗟に『マグネシア』を使い、その切っ先の方向に巨大な翡翠の立方体を展開させる。
 
 だが‥‥
 
 ボンッ!!
 
 それは一瞬『虹天剣』を止めただけで、貫かれる。
 
 その虹が向かう先は、平井ではない。
 
「悠二ぃーー!!」
 
 大声で叫んで、その破壊の猛威が迫る少年に知らせる。
 
 しかし、当の悠二は言わなくてもわかっていると言わんばかりに、軽く躱す。
 
(‥‥そっか、感知能力高いんだよね)
 
 ほっ、と息をつくが、安心など出来る状況ではない。
 
(もう‥‥避けてばっかりも、いられないか)
 
 メリヒムは、自分に『虹天剣』が当てにくいと悟って、向こうで戦う悠二やヘカテーにも狙いをつけたのだ。
 
「っはあ!」
 
「わっ!?」
 
 悠二に気を取られた隙に、粒子の嵐を貫いて、またも『虹天剣』。
 
 自分に隙を作らせるために、それに、それで悠二達を倒せれば言う事はないのだろう。
 
 一石二鳥の戦略。とはいえ、メリヒムにも当然余裕などない。
 
 未だに『マグネシア』の大圧力を受け続け、平井の攻撃を幾度も受けているのだ(特に、初撃の『獅子吼』が効いている)。
 
 だが、この作戦は、予想以上の成果として、平井に"精神的に"追い詰めていた。
 
(これじゃ‥‥足止め役にもなってない)
 
 相手は歴戦の、一騎当千の強者達。自分に出来るのは、この特異な力を駆使して、時間を稼ぐ事。
 
 そう、"過不足なく"自身の力を自覚していた、そのつもりだった。
 
(メリーさんの攻撃から悠二達を遠ざけなきゃ、意味無い)
 
 以前、悠二やヘカテーの身の上を知った。
 
 自分に出来る事を考えて、外界宿(アウトロー)に足を踏み入れた。
 
 それでも結局、肝心な所で、一緒に居られない存在だと、知らずわからされていた。
 
 それでも、"そこ"に居ようとして、そして、結果として『人間』を失った。
 
『うわぁああああああああああああああああああああああああああああああぁ!!』
 
 あるいは、最悪の形で。
 
(いつまでも、足手まといのままじゃない‥‥!)
 
 人間という枠から外れた。その重さと、力も手に入れた。
 
 それなのに、まだ力が足りない。
 
『守れなかった‥‥‥!』
 
 悠二に、この道を選ばせた原因が自分にもあるのだとしたら、なおさら‥‥‥‥
 
(もう、傷つけさせない‥‥‥)
 
 『パパゲーナ』を向け、力を目一杯溜めて、構える。
 
(泣かせない!)
 
 
 
 
 思えば、初めて交わしたのも、剣だった。
 
 ギィン!
 
 大剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』の特性を知っている。だから、まともに剣を合わせず、受け流す。
 
 先ほどの坂井悠二の決意も、あの牢獄の中から、フレイムヘイズの聴覚で聞いていた。
 
「っく!」
 
 頬が一筋、斬り裂かれる。
 
「っだあ!」
 
 ガッ!!
 
 斬撃を大太刀で受け止め、斬り返した斬撃を、今度は逆に受け止められる。
 
 そして、体中に幾筋もの斬り傷がつけられる。
 
(いなし、切れない!)
 
 剣技や体術はほぼ互角。
 
 だからこそ、『吸血鬼』やあの竜尾の力を持つ悠二に太刀打ち出来ない。
 
(接近戦は、不利‥‥!)
 
 後ろに下がりながら、足裏に力を溜めて、爆発させ、一気に離れる。
 
「っ!?」
 
 それを、"全く同じように足裏を爆発させた"悠二が、まるで離れず、追っていた。
 
「っだあ!」
 
「っ!!」
 
 ガァン!!
 
 思い切り勢いをつけた悠二の、重く、鋭い斬撃を、咄嗟に盾にした『贄殿遮那』で受け止めるが、体ごと、軽々と弾き飛ばされる。
 
 ズバッ!
 
「く、ああ‥‥!」
 
 先ほどとはまるで深さの違う傷が、肩に、腕に、足に、腹に刻まれる。
 
 そんなシャナに一切構わず放たれた黒の炎弾を、
 
「くぅ‥‥ああああ!!」
 
 懸命に振り上げた大太刀から奔った紅蓮の大本流が呑み込み、そのまま悠二に襲いかかる。
 
「喰らえ!」
 
 その紅蓮の大本流に向け、悠二の左掌から『蛇紋(セルペンス)』が放たれ、紅蓮にぶつかり‥‥
 
「爆ぜろ」
 
 黒炎の大蛇が弾けて、炎を溢れ返らせ、相殺する。
 
「っ‥‥‥‥‥‥」
 
 黒い衣服に全身から流れる血が染み込み、さらに黒ずんでいく。
 
(あの時は‥‥‥)
 
 戦いながら、剣をぶつけながら、『こいつは敵じゃない』、そんな事が、わかったのだ。
 
(それから、ヴィルヘルミナやシロの話を聞いて、同じ街で暮らすようになって‥‥‥)
 
 少しずつ、色々な事を知った。
 
 自分はフレイムヘイズ。それは揺らぐような事ではない。
 
 だが、知らないものはたくさんあった。
 
 "持たない事でわからなかった"事もあった。
 
 持って、わかったものもあった。
 
 それは、今も『炎』として、この手に在る。
 
 
「何で‥‥‥‥」
 
『君はシャナ。もう、ただのフレイムヘイズじゃない』
 
 そう言ってくれたのに‥‥‥
 
『"討滅の道具でしかない"あなた達の運命も、変えてみせる』
 
 
「何で‥‥‥そんな事言うの‥‥‥‥」
 
 
 
 
「っはあああああ!!」
 
 咆える平井の全身を、ざらついた質量の翡翠が包んでいく。
 
(無茶だってのは、わかってる)
 
 それは、今までとは硬度がまるで違う、角錐のような形の翡翠の質量の塊。
 
(でも、"無謀"じゃない。もう、これ以上時間をかけて、悠二やヘカテーの邪魔をされるわけにもいかない!)
 
 その穂先が、未だ翡翠の嵐の中に在るメリヒムに向けられ、そのまま凄まじい速度で飛んでいく。
 
(やはり、素人か‥‥)
 
 平井の行動は、メリヒムによって誘導されたもの。
 
 ずっと、真っ正面からぶつかる事を避け、メリヒムの破壊力を封じる戦法を取っていた平井。
 
 だが‥‥‥
 
(こんなに簡単に、掛かって来てくれるとはな)
 
 ちょっと揺さ振っただけでこれだ。
 
「寝ろ」
 
 その背に虹の光背を展開し、向けた切っ先から、爆発的な光輝の『虹天剣』を放つ。
 
 圧倒的な威力を誇るそれは、翡翠の嵐をまるで苦にせず突き進む。
 
 その先には、平井を伴う翡翠の角錐。
 
 ドッ!
 
(ぐ、うぅうう‥‥‥!)
 
 『虹天剣』と『マグネシア』がぶつかり、鉄壁を誇る防御の力が、ジリジリと削り取られていく。
 
 だが、そんな中でも構わず、平井の前進は続く。
 
 それは、力を流すのに適した、『角錐』の形状にしたためである。
 
(痛‥‥‥い!)
 
 虹の激流を流す左側面が削り取られ、平井の腕に痛みと熱を与え、終には消える。
 
「う‥‥うううう!!」
 
 削り飛ばされるのは、当然『マグネシア』だけではない。
 
 『盾』を失った平井の左腕や肩が、ズタズタにされていく。
 
(伊達に‥‥‥!)
 
 それでも構わず、前進する。否、さらに加速する。
 
(一回死んでないっての‥‥‥!!)
 
「っ!?」
 
 ここに来て、その表情に驚愕を表すメリヒム。
 
 その眼前にまで迫り、『マグネシア』を維持出来なくなった平井の‥‥左腕は消滅していた。
 
「っああああああ!!」
 
 失った左腕の代わりに、その歯で、メリヒムの、細剣を握る右手に噛み付く。
 
 気を抜くと気絶してしまいかねない激痛を、歯を食い縛って耐える要領で力一杯噛む。
 
 そうやって剣を封じ‥‥‥
 
「ぐあっ!」
 
 残った右手、そこに握った鉾先舞鈴を、メリヒムの腹に突き立てる。
 
(こ、こいつ‥‥‥!?)
 
 腹に灼くような痛みを感じながら、メリヒムは驚愕する。
 
 ただの無謀な突撃ではなかった。
 
 『虹天剣』の威力を削ぐ狙いと、片腕を失う激痛に耐える覚悟があった。
 
(舐めてたのは、俺の方か‥‥‥!)
 
 剣を握る右手を抑えられ、そこを全力で噛み締められる痛みに、次の行動を迷ったメリヒム。
 
 感じたのは、自在法発現の気配。
 
 場所は、自分の腹。突き立てられた短剣。
 
(く‥‥そ‥‥!)
 
 ドォオン!
 
 ゼロ距離から傷口に炸裂した翡翠の炎弾に弾かれるように吹き飛んだメリヒムは、虹色の火の粉を撒いて、海に落ちていく。
 
 
「はあ!‥はあっ!‥‥どうだ‥‥」
 
 傷口を押さえ、声を震わせてそれを見下ろす平井が‥‥
 
「残りカス舐めんな、コンニャロォーー!!」
 
 
 勝利の雄叫びを上げた。
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/06/12 21:27
 
(悠二‥‥‥)
 
 光弾の雨が降り、仮面の討ち手がそれから逃れ続ける。
 
 さすがに防御・回避能力に優れたフレイムヘイズ。紙一重で『星(アステル)』を躱しながら、少しずつ距離を詰めてくる。
 
『守れなかった‥‥!』
 
 悠二だけじゃ、ない。
 
 自分もあの場にいて、戦って敗れ、気絶していた。
 
『たった一人の女の子さえ、守れなかった!』
 
 それが悠二の心にあんな重荷となっている事に、気付かなかった。
 
(私は‥‥‥)
 
 悠二は、自分を迎えに来てくれた。大好きだと、一緒に歩いて行こうと言ってくれた。
 
 だと言うのに‥‥
 
(ゆかり‥‥‥‥)
 
 悠二が『大命』を願う、その一番根底に在るものが、自分ではない。
 
 ゆかりは、自分にとってもかけがえのない存在。
 
 それでも、その事に胸の痛みを覚える自分に、猛烈に自己嫌悪が湧き起こる。
 
 一番求めていたものを得て、なおもこんな想いを抱く‥‥自分の貪欲さが嫌になる。
 
(でも‥‥‥‥)
 
 それ以上に強い想いも、同時に胸に満ちていく。
 
 悠二の願い。
 
 大切なものを守りたい。もう失いたくない。
 
 そんな彼の願いそのものが、嬉しかった。
 
『この世の本当の事を変えてやる』
 
 そして、自分の中に湧き上がる気持ち自体が、嬉しかった。
 
 いつものように悠二に甘えるのではない。
 
 "悠二の"願いのために‥‥
 
 力になりたい。
 
 力を振るえる。
 
 その事が、嬉しい。
 
『君と一緒に歩いていく。そのためにも、願いを果たす』
 
 願いの先で‥‥
 
(きっと悠二は‥‥)
 
 もっと、穏やかに笑ってくれる。
 
 
 己の、神の眷属としての存在意義のために生きていた少女の、目指すものは変わらない。
 
 だが、それを願う理由は、かつてとは大きく変わっていた。
 
 
 
 
 ヒュッ!
 
 仮面の表面を灼くほどに近く、光弾が通り過ぎる。
 
 だけではない。全身のどこに着弾しても全く不思議のない星の雨を、舞うように躱し、あるいはいなして、『戦技無双の舞踏姫』は飛ぶ。
 
(行ける)
 
 確かに凄まじい威力だが、要は当たらなければいい。
 
(もう少しで私の‥‥)
 
(射程距離)
 
(であります)
 
 ただ躱すだけではない。躱しながら、光弾を放ち続けるヘカテーに接近している。
 
 当然近づけば近づく程回避は困難になるが、ヴィルヘルミナはそんな素振りは微塵も感じさせない。
 
(接近に際して、後退して距離を取ろうとする素振りを見せようものなら‥‥)
 
(好機)
 
(その隙を突いて、こちらのリボンを伸ばすのであります)
 
 遠距離から光弾を撃ち続けるヘカテー、それを躱し続けるヴィルヘルミナ。
 
 傍目には実に単純な戦いに見えるが、これほどの光弾を撃ち続けられるヘカテーと、それを躱す事が出来るヴィルヘルミナ。とんでもなくハイレベルな戦闘である。
 
 そして、単調な構図だからこそ、
 
(‥‥‥‥‥?)
 
 ドンッ!
 
(っ!?)
 
 僅かな駆け引きが、勝負を分ける。
 
(これはっ!?)
 
 光弾を躱していたヴィルヘルミナの体が、突如としてガクン、と打たれる。
 
 それが、ヘカテーが『星』に混ぜて放った突風であると気付く余裕はない。
 
(っまずい!!)
 
 ただでさえ紙一重の攻防。一瞬止まったヴィルヘルミナ。それは、今の状況では致命的な隙になる。
 
 しかし‥‥
 
「ふっ‥‥」
 
 数発、着弾しそうになった左肩を、そのまま引いて、
 
「はああ!!」
 
 リボンの端で捉え、独楽のように回転して投げ返す。
 
 それは当然のようにヘカテーには届かず、別の光弾に着弾して連鎖的な融爆を引き起こす。
 
 爆炎と爆煙に満たされた視界では、いかにヴィルヘルミナといえども後続の『星』を躱せない。
 
(間に合え!!)
 
 しかし、融爆の連鎖で僅かに出来た時間で、瞬時に『反射』の盾を形成する。
 
 ギリギリで間に合ったそれが、ヴィルヘルミナに当たる範囲の『星』を、四方に弾き返していく。
 
(危なかった‥‥!)
 
 そう、"ヴィルヘルミナに当たる範囲の『星』だけを"。
 
「弾けよ!」
 
 ヘカテーの声に呼応するように、"ヴィルヘルミナの脇を通り過ぎようとしていた"無数の光弾が、目を灼くような光を放って、強烈な連爆を巻き起こした。
 
 
 
 
「‥‥何で‥‥そんな事言うの」
 
 誰にも聞こえない。小さな、小さな呟き。
 
 ただ、胸元のペンダントだけには、届いていた。
 
 
「世界を、"変えてやる"?」
 
 炎髪に、灼眼に、力を込めて睨み付ける。
 
「何様のつもり? おまえの言ってる事は、単なる願望でしかない。それを世界に押しつけて、救世主にでもなったつもり!?」
 
 少年の願いは理解出来る。
 
 理解出来て、しかし納得する事は出来ない。
 
「自惚れるな! 坂井悠二!!」
 
 大太刀を左手に持ち換えて、右手を腰溜めに掻い込んで‥‥
 
 ゴッ!!
 
 気合い一閃、拳を突き出すと同時に、紅蓮の巨腕を、巨大な拳撃として、繰り出した。
 
「‥‥そうだね」
 
 悠二は慌てず騒がず、竜尾を自身の前に振り、ひゅるひゅると曲線に展開させて‥‥
 
 ガァンッ!!
 
 凄まじい轟音を響かせて直撃した巨腕の一撃を受け止める。
 
 しかし、曲線に展開した竜尾が拳撃の威力を殺し、そのままバネの要領で、勢いに逆らわずに後方に吹っ飛ぶ。
 
 その中でも、言葉は続く。
 
「そう‥‥確かにこれは、僕のわがままだ」
 
「っ‥‥‥!」
 
 シャナの胸元に在るアラストールは、その言葉の響き、迷わず、誇る姿に‥‥‥‥
 
『だって私たちは‥‥』
 
 "彼女"とは欠片ほども似ていない、
 
『自己満足が第一の、酷い奴らだから』
 
 その姿が一瞬だけ重なり、どうしようもない怒りが湧き上がる。
 
「でも‥‥‥」
 
 続けようとする悠二の言葉を、
 
 ガァン!
 
 紅蓮の双翼を広げて追っていたシャナの蹴りが切る。
 
 それでも悠二は黙らない。
 
「自分の大義を押しつけてるのは、君達だって同じだ」
 
 大太刀・『贄殿遮那』に炎を纏わせ、溶解と火炎による紅蓮の大太刀を生み出し‥‥‥
 
「黙れ!!」
 
 斬り掛かる。
 
 悠二も同じ、黒炎の刃を、大剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』に上乗せして‥‥‥
 
「『草薙』‥‥‥」
 
 ッガン!!
 
 破裂にも似た音を立てて、正面からぶつかる。
 
 刃と刃を交叉させる二人の顔を、弾けた紅蓮と黒の火花が照らし合う。
 
「ッシャナ! 離れろ!!」
 
 魔剣・『吸血鬼』の性質を危惧したアラストールが叫ぶが、
 
(っ‥‥‥‥!)
 
 無理だ。悠二の斬撃に押しつけられるように後足が地面にめり込み、退がれない。
 
(腕力が、違う‥‥!)
 
 ドォオン!!
 
 轟音を立て、斬撃が"シャナの脇に"落ちる。
 
 退がれないと判断したや否や、刃の角度を変えて、受け流したのだ。
 
 しかし‥‥‥
 
 ビチャアッ!!
 
「っくう‥‥‥!」
 
 受け流しはしても、『吸血鬼』の能力までは殺しきれない。
 
 またも全身を斬り裂かれ、吹き出した血が路面を赤に染める。
 
(っ‥‥‥!?)
 
 すぐさま飛び退いたシャナの足下が、ふらつく。
 
(血を流し過ぎた‥‥)
 
 傷自体は、戦いの妨げになるほどには深くない。
 
 だが、傷から流れた血や、消耗した体力は大きい。
 
「これは僕のわがまま‥‥願いだ」
 
「‥‥うるさい」
 
 もはや、少年の言葉全てが、苦痛。
 
「そう、他の誰でもない、僕自身の願い」
 
「うるさい」
 
 拒絶の意思が、握る大太刀に籠もる。
 
「フレイムヘイズの使命。そこに、君の‥‥"君だけの君"はどこにいる?」
 
「うるさい!!」
 
 言わせず、黙らせようと繰り出した紅蓮の大太刀が、悠二を両断、爆砕する。
 
「っ!?」
 
 その、"悠二の脱け殻"が黒い炎になって散る。否、自在式となってシャナに向かってくる。
 
「うあっ!?」
 
 大振りの直後のそれを躱し切れず、縫い付けられたように動きを止められる。
 
「使命だけしか、戦う理由が無い。そんなうちは‥‥‥」
 
 本物の悠二は、シャナの真横。
 
「ぐっ!?」
 
 顎を蹴り上げられ、飛びそうになる意識を、歯を食い縛ってつなぎ止める。
 
 ダンッ!!
 
 ビルの横面に着地、跳び上がって、追って来ていた悠二に大太刀を向ける。
 
「「っあああああ!!」」
 
 キィイイ‥‥ィン
 
 やけに、高い音が響く。
 
 何故か、そんな事に最初に気付いた。
 
(‥‥‥‥‥あ)
 
 次に、それが剣のぶつかりあった音、自分の大太刀が弾かれた音だと気付いた。
 
 ゴッ!!
 
 その直後に、頬に強烈な打撃を受け、殴り飛ばされたのだと知る。
 
 そのまま"飛ばされるより一瞬早く"、
 
 バシィ!!
 
 殴られ、宙に泳いだ体が、鋼鉄の鞭となった竜尾によって、軽々と叩き落とされる。
 
 ドガァアアアン!!
 
 そのまま、ビルを派手に割って、中に叩き込まれる。
 
「君には、負ける気がしない」
 
 
 
 
 初めて会った時、剣を交わした。
 
 剣は届いた。
 
 互いを知った。
 
 炎を得た。
 
 また剣を合わせれば、何か通じるかと思った。
 
 
 また‥‥‥‥
 
 
(どうして‥‥‥?)
 
 自分の体によって空いたビルの亀裂から覗く、陽炎の空。
 
 そこに見える少年に、手を伸ばす。
 
 何かを、求めるように。
 
(‥‥‥剣も、炎も、届かない)
 
 黒い塊が、どんどん大きくなる。
 
(どうして‥‥‥?)
 
 それが、特大の炎の弾だと気付けない。
 
 それほどに、意識が混濁している。
 
(届けば、止められると思ったの‥‥‥?)
 
 炎が、迫る。
 
(私‥‥‥)
 
 目に見える光景、全てが黒に染まった。
 
 
 
(‥‥‥どうしていいか、わからない)
 
 
 



[7921] 水色の星T 四章エピローグ『想いの閃光』
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/09/25 19:44
 
「ぐ‥‥‥うぅ!」
 
 ギュッときつく、無くなった左腕に包帯を巻く。
 
 死ぬほど痛かったが、今は麻痺しているのか、妙に鈍くなっている。
 
 とはいえ、これ以上血を失うわけにもいかない。力いっぱい血止めしておかないといけない。
 
(悠二は‥‥心配ないか。ヘカテーは、今決着着いたかな?)
 
 巻き添えを食らわない程度に離れた岩場で、平井は自身の傷に応急措置を施していた。
 
 いくらなんでも、あのまま二人の援護に回る事など出来ない。
 
(‥‥正直、きついな)
 
 というか、今でも余力など無い。
 
 これで決着が着いたなら、願ったり叶ったりである。
 
(‥‥‥‥ん?)
 
 一度は臨戦体制を解いていたヘカテーが、再び『トライゴン』を構えて海面を見据えている。
 
(‥‥あ〜〜、しんど)
 
 まだ、勝負は着いていないらしい。
 
 出来れば休んでいたいが、ヘカテーはさっきからかなり無茶苦茶に『星(アステル)』を撃ち続けている。
 
 自分とは違って、ヘカテーには余力を残しておいてもらわないといけない。
 
(もう一頑張り、行きますか‥‥!)
 
 
 
 
 
(危なかった)
 
 ギリギリでリボンを張って防御したが、それでも、このダメージだ。
 
(他の、二人は‥‥?)
 
 メリヒムはともかく、シャナが気になる。
 
 自分とマージョリーの二人を相手に互角に渡り合う、あの坂井悠二。
 
(‥‥‥いずれにせよ、あのまま"頂の座"を他の二人の援護に行かせるわけにはいかないのであります)
 
(浮上)
 
 勢いをつけて海中から飛び出し、頭上にいるはずのヘカテーに目を向ける。
 
「っ!?」
 
 そして、当たり前に浮かぶヘカテーとは違う、街の方から、"そこにいてはいけない"人影を、見つけてしまう。
 
(彼がここにいる‥‥という事は‥‥‥)
 
(正気維持!)
 
 漆黒の竜尾と、緋色の凱甲を靡かせる、少年。
 
 
("シャナ"!)
 
 
 
 
(ゆかりと交代に来たつもりだったんだけど‥‥)
 
 あの『星』の流星群を向けられて、よくまだ立っていられるものだ。
 
 自分なら躱しきれない。いや、防御しても粘り負ける自信がある。
 
(そういえば、ゆかりとメリヒムは‥‥?)
 
 実力的に、平井が一番危ないと思っていたのだが、見当たらない。
 
(どっちもいな‥‥いや、いた)
 
 メリヒムは海中。平井は‥‥隠れているのか。
 
 メリヒムがあんな所にいる理由、そして‥‥力の消耗具合。
 
(ゆかりが‥‥倒したのか?)
 
 予想外‥‥いや、今は経緯などに気を払っている場合ではない。
 
「ヘカテー、怪我はない?」
 
 ひとまず、まだ戦っているらしいヘカテーに近寄り、声を掛ける。
 
「はい」
 
 海中に向けていた冷厳な表情が一変、花が咲いたような可憐な笑顔をこちらに向ける。
 
(‥‥変わったな)
 
 いつからか、こんな風に自然で柔らかい笑顔を見せてくれるようになった。
 
 その事の嬉しさと、目の前の笑顔の可憐さに目を細める事のも数秒、悠二もヘカテーも、戦いの表情に戻る。
 
 ぎゅっ
 
「っ!!」
 
 そっと手を握ると、せっかく引き締めた表情を破顔させて赤らめるヘカテー。
 
 そんな仕草もたまらなく可愛らしいのだが、悠二は別にイチャついているつもりではなかった。
 
「さっき、『銀時計』でアテをつけておいた。"いける"?」
 
「‥‥‥‥はい」
 
 湯気が出そうなほどに真っ赤になってふらふらと左右に揺れるヘカテーに、悠二はややの不安を隠せなかった。
 
 
「こっちは、任せて」
 
 
 
 
「あの子を、どうしたのでありますか!?」
 
 激昂し、向かってくるヴィルヘルミナだが、明らかに動きが鈍い。
 
(さすがに、無傷とはいかなかったか)
 
 悠二も、『大命詩篇』を稼働させ続け、歴戦の強者と連戦しているため、それほど余力があるわけではないが、怪我自体はほとんどしていない。
 
「どうかな。自分で確かめればいい」
 
 焦るヴィルヘルミナを、さらに精神的に揺さぶり、隙を作ろうとする。
 
 だが、そんな必要は無かった。
 
 
「っ!」
 
「な‥‥!?」
 
 突然、悠二とヴィルヘルミナの間、そしてそのままヴィルヘルミナを広範囲に囲むように、翡翠の粒子の嵐が展開される。
 
「終わりですよ、カルメルさん。ヘカテーをフリーにした時点でね」
 
 悠二に気を取られたヴィルヘルミナの斜め下方の砂浜。気配を極力殺して接近していた、平井によって。
 
「っ! ‥‥‥ゆかり、その腕‥‥‥!?」
 
「話は後! タイミング、間違えないでね!」
 
 翡翠の嵐にヴィルヘルミナを閉じ込めた平井が、少し離れた位置で目を瞑るヘカテーに目を向け、身構える。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 悠二から伝えられた、『銀時計』が指した場所の斜め上空に浮かぶヘカテー。
 
 この下に、『天道宮』が在る。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 本当に、不思議だ。
 
 あれだけの『星(アステル)』を放ち、力も相当に消耗しているはずなのに、
 
(‥‥さっきと同じ)
 
 胸の奥、体の芯、足の先まで、力が漲る。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 見開いた瞳、強い水色を湛える瞳を、海中深くに沈んでいるはずの『天道宮』へと向け、大杖・『トライゴン』を振るう。
 
(力が湧く‥‥)
 
 周囲を舞う水色の光点が輝きを増し、錫杖の先に集まっていく。
 
 そして、『天道宮』に向けて三点、光弾・『星(アステル)』を生み出す。
 
「星よ、紡げ‥‥」
 
 その三つの点が、線で結ばれ、『面』を生み出す。
 
 それは、人間大の大きさの、光り輝く水色の三角形。
 
(何でも、出来る!)
 
 
 悠二と再び出会って、芽生えた力。
 
 一緒に歩いていく想い。
 
 それらが生み出す、絶大な力を‥‥‥
 
 解き放つ。
 
 
 
 
(あれは‥‥‥)
 
 粒子の嵐に霞む景色の先で輝く水色の光。
 
 それ以上に、フレイムヘイズとしての感覚に、肌に痛いほどに感じる凄まじい力の集中と膨張。
 
 それは、こちらに向けられているわけではない。
 
(まさか‥‥!)
 
 海へ、向けられている。
 
 彼らがここに現れた理由。
 
 想像する事など、さして難しくない。
 
 その想像が今、身震いするような確信となって襲い掛かる。
 
「やめ‥‥‥‥!!」
 
 その叫びは、自分の故郷の一つ。
 
 大切な場所への想いが、そうさせたのかも知れない。
 
 
「『冥三星(カトゥルス)』よ!!」
 
 
 陽炎の世界全てが、呑み込まれるような水色に照らされ、一拍後に、大地を震わせる轟音が響き渡る。
 
 海を砕いて、水色の爆発が見えて、それが治まった後に、爆発に吹き飛ばされた海水が、こちらに向かってくる。
 
 比喩や類似現象ではない。
 
 正真正銘の、"津波"だった。
 
 
(あ‥‥‥)
 
 その輝きが、ヴィルヘルミナにあらゆる衝撃を一気に自覚させる。
 
 坂井悠二、平井ゆかり、ヘカテーの望んだ道。
 
 悠二がここにいる意味、シャナの安否。
 
 平井がここにいる意味、メリヒムの安否。
 
 眩しい光の爆発、それを受けたはずの『天道宮』。
 
 
 全てが、ヴィルヘルミナを襲った。
 
 光の爆発を境に"『マグネシア』が消えていた事に"すら気付かないほどの茫然自失。
 
「っ‥‥‥!!」
 
 その瞬間をこそ、狙っていたのだろうか。
 
 振り向いた背後に、拳を振り上げる、緋色の衣の坂井悠二。
 
 ガァン!!
 
 拳撃を受け、仮面の半分が壊れるほどの一撃が、ヴィルヘルミナを遥か下方の砂浜にまで落下させていく。
 
 ドォオオン!
 
 落下の衝撃で呻くヴィルヘルミナ。
 
 意識が保てたのはそこまで。
 
 迫り来る津波の猛威。
 
 それを見たのを最後に、ヴィルヘルミナは意識を失った。
 
 
 
 
 封絶が解け、街が、海が、砂浜が元の姿を取り戻した世界に、一人の少年と二人の少女の姿は、無かった。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章『この世の運命を賭けて』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:49c8081a
Date: 2009/06/22 21:37
 
「参謀閣下! 『緋願花』の皆様がお戻りになられました! 『盟主』と『大巫女』はほぼ無傷でございますが、『姫』が左腕を失っておられます。ただいま、『存在の泉』の力と『盟主』を含めた数名の自在師の手を借り、傷を癒しておられます!」
 
 ‥‥やはり、三人では荷が重かったのか。
 
「全体の動揺に繋がりかねん。ゆか‥‥『姫』の状態を決して今知る以上の者達に気取られないようにしな」
 
 『転移』は本来、高度で複雑な自在法な上、相当に存在の力を消費する。
 
「‥‥‥で」
 
 例え使えたとしても、移動先で力不足などという事態に陥る事もある。
 
 悠二のように、力の総量と自在法の技巧を兼ね備えた者。あるいは、リャナンシーのように極少量の力で『転移』を行えるほどに卓越した自在師でなければ、そうそう使えない。
 
 急な情報だったため、現地の近場に足手まといにしかならない程度の構成員しかいなかった。
 
 つまり、悠二達が『転移』で目的地に向かう時に同行を拒まれた時点で、悠二達には秘密にして増援を送る事も、監視を回す事も出来なかった。
 
「‥‥『天道宮』の方は、どうなったね?」
 
 つまり、鬼謀の王として知られる"逆理の裁者"ベルペオルも、まだ今回の顛末を知らないのだ。
 
「‥‥『緋願花』の方々は『天道宮』上空にて『炎髪灼眼の討ち手』を含むフレイムヘイズ達に接触‥‥‥」
 
 ‥‥それは、平井が手傷を負ったという事からわかっていた。
 
 接触していなければ、ケガなどするわけもない。
 
「交戦となり、結果として『炎髪灼眼の討ち手』達を凌ぎ、『天道宮』を破壊!」
 
(ふむ‥‥‥‥)
 
 平井が手傷を負って帰って来たという事は、結局適わずに撤退してきたか、手傷は負ったが『天道宮』を破壊したかの二択だが、どうやら後者らしい。
 
 正直、助かった。
 
 感知不可能の『星黎殿』の『秘匿の聖室(クリュプタ)』は、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』に欠かせない、強力な強みである。
 
 それを崩せる要素など、看過出来るはずもない。
 
 結果として平井と、そして“例のヨシダカズミ”とやらの起用が、予想を遥かに超える成果を上げたわけだ。
 
 しかし、悠二は無傷‥‥‥‥か。
 
 いや、それは後でいい。
 
「ゆかりの治療をしている所はどこだい?」
 
 
 
 
『本当に、まだ拘っているんですか?』
 
『それでも、自分を見失わず、"そこ"に在る』
 
『もう、あなたに"銀"は必要ない』
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「よお、気分はどうだ?」
 
「‥‥‥‥最悪」
 
 未だに重い体を起こして周りを見渡す。
 
 傷は、決して深くない。
 
‥‥死なない程度に、手加減された。
 
「無事?」
 
「遅いわよ、あんた」
 
 上半身だけ起こした状態のマージョリーの横に、背中と両腕にヴィルヘルミナとシャナを抱えたフィレスが降り立つ。
 
 ここに一緒に来ていた『傀儡』は消滅してしまい、目印は無くなってしまったはずだが、何とかたどり着いてくれたらしい。
 
「‥‥そこのチビジャリより全然マシよ。私は気にしなくていいわ」
 
 ヴィルヘルミナの方は自分とそこまで大差ないが、シャナがひどい。
 
 力の余力もほとんどなく、全身斬り傷と火傷だらけで血まみれだ。
 
「銀髪は?」
 
「今、ヨーハンが行ってる。多分、あいつも相当重症よ」
 
(死人は0‥‥か)
 
 やはり、手加減されていた。フレイムヘイズや徒は、人間のようにあっさりと死ぬわけではないが、それでも殺すより、"殺さずに無力化"する方がずっと難しいはずだ。
 
 自分も、フレイムヘイズ同士の"喧嘩"なら経験があるから、それはわかる。
 
「‥‥‥フィレス、下ろして。もう、大丈夫であります」
 
 フィレスにおぶさっていたヴィルヘルミナが、消え入りそうな声で呟く。
 
 どうやら、傷そのものよりも精神的なダメージが大きいらしい。
 
 ‥‥無理もないか。
 
 自分とて、衝撃を受けなかったわけではない。
 
 情に脆いこの討ち手が受けただろう衝撃は、想像するに難くない。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 気絶しているシャナは当然として、長いような、短いような、沈黙が流れて、
 
 
「‥‥‥完敗、ね」
 
 
 マージョリーが、一言呟いた。
 
 
 
 
(ふむ‥‥‥)
 
 グーパーグーパー、と手を握り、開く。
 
 左の。
 
(いや、ミステスも中々捨てたもんじゃないね)
 
 それはそうか。元々、フレイムヘイズだって人間としての可能性を捨てた脱け殻のようなものだ。
 
 中身が宝具か紅世の王か、といった程度の違いしかないのではなかろうか。
 
「痛くないですか?」
 
 生えた左腕をさする小っさいのが可愛い。
 
「見ての通りバッチリ! いやぁ、自在師って便利だねえ♪」
 
 普通、フレイムヘイズだって腕が無くなるほどの怪我をすれば、再生にそれなりの時間を要する。
 
 これは、相当量の存在の力と自在師の力の賜物である。
 
「‥‥『存在の泉』、作っておいて正解だったね。今の僕じゃ余力が少ないから、零時を待たなきゃいけない所だった」
 
(う‥‥‥‥)
 
 呟く悠二の声が、やけに冷淡に聞こえる。いや、実際冷淡なのだろう。
 
 悠二は、怒れば怒るほど静かになる。これは、結構やばいと見た。
 
「ま、まあ零時まで待つくらい大した事じゃ‥‥」
 
「さっきまでう〜う〜と唸っていた人の言葉ではありません」
 
「う‥‥!」
 
 今度はヘカテーである。
 
 自分がこれだけ他人のペースに振り回されるのも珍しい。
 
「‥‥お風呂、入ってきます」
 
 ヘカテーが、
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 悠二が、立ち上がり、歩き去って行く。
 
「随分と素っ気ない態度だねえ。さっきまでおまえが大怪我してたって言うのに‥‥‥」
 
「‥‥いいんですよベルペオルさん、そっとしといたげましょう」
 
 無茶をした事を怒っている。というのもあるだろうし、それ以外もあるだろう。
 
「覚悟は出来てた、って言っても、頭のどこかで"直接戦う事は無いんじゃないか"、くらいには思ってたはずですから‥‥」
 
 そう、『天道宮』などという悠二達も知らなかった不確定要素が無ければ、『秘匿の聖室』に隠された自分達が、彼女達と直接戦う可能性は低かったはずなのだ。
 
「‥‥‥まさか、何とか『天道宮』破壊のみを完遂したんじゃなく、わざととどめを刺さなかったんじゃないだろうね?」
 
 ベルペオルは、報告を受けた時から薄々感じていた疑問を指摘する。
 
 相手が相手なだけに、平井の状態はわかる。
 
 だが、悠二やヘカテーが無傷、という所が引っ掛かっていた。
 
「さあ? 少なくとも私は殺すつもりでやりましたよ。"手加減する"余裕なんてなかったし」
 
「‥‥‥なるほどね」
 
 ‥‥やはり、わざととどめを刺さなかったと見るべきだろう。
 
 フレイムヘイズ屈指の使い手が三人。状況次第で敵になりかねない強大な紅世の王が二人。
 
 倒しておけば後の憂いを除けただろう事を考えると、惜しい。
 
 せめて、"『炎髪灼眼の討ち手』だけでも"仕留めておきたかった。
 
 数百年前の『大戦』に参加して生き延びている者ならばわかる。破壊と暴威を撒き散らす、紅蓮の魔神の恐怖を。
 
 破壊不可能な『完全一式』であるはずの『大命詩篇』を容易く砕いた炎の危険性を。
 
「‥‥‥やっぱり、おまえ達に未来を預けるのは危険かねえ」
 
「それも嫌いじゃない、でしょ?」
 
 精一杯の嫌味に、嫌味で返され、しかもそれが的を得ているというのが何とも腹立たしく、そして可笑しい。
 
「あれ? ベルペオルさん、『ウロボロス』は?」
 
「さっき、悠二の後を追って行かれたさ。じゃあ、そろそろ私も退散するとしようかね」
 
 ベルペオルも先ほどの悠二達のように、くるりと踵を返す。
 
「え〜〜、ベルペオルさんまで怪我人見捨てるんだー?」
 
「もう怪我人じゃないだろう? それに‥‥‥」
 
 平井の軽口に返すベルペオルの声に、唐突な真剣味が混じる。
 
「そっとしといた方がいいんだろう?」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 先ほど平井が悠二とヘカテーに使った言葉を、そのまま平井に向ける。
 
 そう、平井だって、同じ立場なはずなのだから。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥ふっ」
 
 一人、誰もいない、やたら広い『星黎殿』の廊下を歩くベルペオルが、突然吹き出した。
 
「はははははっ!」
 
 全く、面白い。
 
 相手は『弔詞の詠み手』と『万条の仕手』、"虹の翼"に"彩飄"、極め付けが『炎髪灼眼の討ち手』である。
 
「あはははははっ!」
 
 可笑しくてたまらない。
 
 確かに、とどめは刺さなかった。
 
 だからどうだというのか?
 
 あの三人はこれほどの使い手を相手に、"手加減して無力化"出来るほどだという事だ。
 
「シュドナイを倒した時点でわかっていたつもりだったけどねえ‥‥‥っくく!」
 
 そう、わかっていたつもりだったが、悠二の力をまだ見誤っていたらしい。
 
 ヘカテーにしてもそうだ。元々、戦闘が彼女の役目ではない事もあり、戦いに関してはシュドナイが要だった。
 
 いや、今でも要には違いないが、今のヘカテーなら、シュドナイにも劣らないのではないだろうか?
 
 平井は足を引っ張ったのかも知れないし、まだ力を測るには不十分だが、それでも嬉しい誤算である。
 
(いける! 坂井悠二という存在は、確実に『大命』への鍵になる)
 
 確信。
 
 どちらかと言えば不安要素だと言えた悠二の存在が、必要不可欠なものになったという確信。
 
「叶いますぞ、『盟主』。我らの悲願が‥‥!」
 
 自分より遥かに早く悠二を見いだしていた盟主に何を言っているのか、と自分の滑稽さを少し笑う。
 
(それに‥‥‥)
 
 自分がこんなに楽しいのは、単なる大きな希望、というわけではない事くらい、わかっているつもりだ。
 
(『炎髪灼眼』‥‥『大命』を妨げかねん破壊神、神をも殺す神)
 
 それが生きている。
 
 それが、これほどに熱くさせるのだろう。
 
 『挑むもの』、それがなければ‥‥"立ち向かう喜び"など味わえない。
 
 
「やはりこの世はままならぬ‥‥‥か、ふふ‥‥」
 
 血沸き、肉踊る、と言っただろうか?
 
 
「そうでなくては、つまらないからねえ」
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/06/24 18:50
 
『っ‥‥‥あんたに、何がわかるってのよ!』
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
『何故‥‥貴方は、自分自身の手で大切なものを守っていたはずであります。なのに‥‥どうして‥‥!?』
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
『自惚れるな! 坂井悠二!!』
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥迷っているのか?」
 
「うおぉ!?」
 
 『星黎殿』のテラスの一つでぼんやりと星空を見つめていた悠二、突然後ろから掛けられた声に驚愕する。
 
 それほど深く考え込んでいたのか、全く気付かなかった。
 
「‥‥驚かせないでくれよ。ベルペオルさんの所にいなくていいの?」
 
 振り返った先に立つ(?)のは、銀色の蛇、ただしあまりリアルではない造形物のような姿、しかもミニチュアである(ある程度体長は変えられるようだが)。
 
「せっかく仮にとはいえこの世に在れるのだ。余にも自由に歩き回る権利くらいあって然るべきだろう?」
 
 言いながら、悠二の体を這い上がって肩に乗っている。
 
「歩き回るじゃなくて、這い回る、だろ? 足無いんだから‥‥」
 
 軽口を叩きながら、先ほど言われた言葉を思い出す。
 
(迷って、いる‥‥?)
 
 そんな風に、思われていたのだろうか?
 
「‥‥迷わないよ。迷うくらいなら、最初からここにいない」
 
 その事は、彼には十分過ぎるほどわかっているはずなのに‥‥‥。
 
「仲間と戦う事が辛かった、と顔に書いているぞ」
 
 言って、ピシリと顔をしっぽで叩かれる。
 
「‥‥‥覚悟はしてたさ。皆が、僕達のやろうとする事を黙って見ているはずがない。『天道宮』の事がなかったって、戦う事は十分あり得たんだ」
 
 まるで、自分に言い聞かせるような悠二の口振りを、『盟主』は当然のように理解している。
 
「泣いても構わんぞ? おまえの女も見ていない。見栄を張る必要もない。余は、受け入れる欲望を律するつもりはないのでな」
 
 言って、またピシリと顔をしっぽで叩かれた。
 
「泣かないって」
 
 お返しにデコピンを食らわせて、椅子も何も無いテラスの床に座り、両手を後ろについて、再び空を見上げる。
 
 しばらくの沈黙、ポツリポツリと悠二は語りだす。
 
 それは、言った所で意味を為さない愚痴のようなもの。しかし、自分のわがままに付き合わせてこんな、世界の運命を左右する戦いに巻き込んでしまったヘカテーや平井には、決して言えない『弱音』。
 
 欲望の肯定者はただ、悠二の言葉に時折相槌を打ちながら、その肩に在る。
 
 重苦しく、湿っぽい独白が、拗ねたような不機嫌で語る、無茶をした平井への愚痴に変わるのに、それほどの時間は掛からなかった。
 
 
 
 
「‥‥‥ふむ」
 
 パラリ、とまた紙を捲る。
 
「さすがに、全世界に散らばっている構成員達を動かしている以上、全く動きを気取られないというのは、無理があるようだねえ」
 
 この情報の提供者は、『吉田一美』。
 
 平井の幼い頃からの親友で、平井が御崎を去る時に、役目を引き継ぐように外界宿(アウトロー)に入り込んだ少女。
 
 今回の『天道宮』の事にしろ、彼女がいなければ知る事など出来ず、予想だにせぬ奇襲を受けていただろう。
 
「しかし、奴らも“各地で徒にやや活発な動きが見られる”程度の情報しか掴めていない。この程度なら大した問題にもならんだろう」
 
 対面に座るシュドナイが、くわえたタバコにボッ! と紫色の火を点す。
 
 その言い草に、ベルペオルは少し呆れる。
 
「何を言ってるんだかねえ、『大命』に備えて討滅の道具共の耳と足を削ぐのは、おまえに課せられた盟約じゃないか」
 
 まあ、この男が道楽にかまけるのは今に始まった事ではないが。
 
 というか、最近はヘカテーも似たようなものだが。
 
「どうせ、悠二はフレイムヘイズにも無用な犠牲を出す気はないだろうさ。結果的には問題ないだろう?」
 
「‥‥‥開き直ったね」
 
 確かに、悠二は『大命』を目指す上で避けられないだろう来るべき『大戦』においても、必要以上の犠牲は望まないだろう。
 
 その悠二の影響を多分に受けたヘカテーもどうだか。
 
「だが‥‥無視出来ない問題がある事も、当然わかってるだろう?」
 
 言って、宝具・『ゲーヒンノム』の灰で形成された地図を、ベルペオルは指す。
 
 それは、中国大陸。
 
「‥‥ヘカテーの座標特定も大分絞り込めて来たからな。さすがにそこを放っておくわけにはいかん」
 
 ベルペオルの意図は、当然のようにシュドナイにも伝わる。
 
「わかっている。それは『将軍』たる俺の務めだからな」
 
 話は終わり、とばかりに深く腰掛けていた椅子から勢いをつけて立ち上がり、背中を向ける。
 
(‥‥‥全く、同情してやるべきなのかねえ?)
 
 ヘカテーの身の安全に異常なほど過敏だった男、今は戦う理由に変化が出ているはずだが、少なくとも、以前の一人よがりなものより、その背中は頼もしく思えた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ここは『星黎殿』のヘカテー城、大浴場である。
 
 プールのような広い湯殿に、ヘカテーがラッコのように浮かんでいる。
 
 と言っても、その細く、流麗な曲線を描く肢体を晒して何やら考え事に浸るヘカテーは、いつもの小動物には見えない。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 仲間達と戦うのは、辛かった。
 
 平井の怪我を見て、胸が痛くなった。
 
 悠二の決意を聞いて、理不尽な嫉妬を抱いたのも、事実。
 
 それでも‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥ふぅ」
 
 ヘカテーは迷わない。
 
 無垢で、純粋であるがゆえに、そこには揺るぎない意思が在る。
 
 しかし、宝石のような心の強さは、弾力の無さ、脆さでもある。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 いくら強くても、悲しいものは悲しい。辛いものは辛い。
 
 そして、ヘカテーの強さは、それを受け流せるほど器用に出来てはいない。
 
 言い訳も出来ない。
 
 理屈も関係ない。
 
 ただ、悠二のために迷わず戦って、そして仲間と戦う悲しみで真正面から傷つく‥‥そういう少女。
 
 バシャッ!
 
 湯殿から立ち上がり、身を震わせて水滴を払う。
 
(‥‥‥‥悠二)
 
 会いたく、なった。
 
 悠二も傷ついているかも知れない。
 
 それでも、一緒にいたかった。
 
 
 
 
 近衛史菜。
 
 日本生まれ海外育ちの日本人で、その正体はとある財閥のご令嬢。
 
 幼い頃から厳しい英才教育を受けてきたが、その偏った教育方針のせいか、一般的な常識にはひどく疎い。
 
 母親は彼女が幼い頃に亡くなり、父親は忙しく仕事に没頭し、彼女は両親との思い出はほとんど持たない。
 
 身の回りの世話はメイドがし、近衛家に長く仕えてきたじいやが親代わり、という環境で育つ。
 
 学校には行かせてもらっていたが、転校が多く、世間知らずな事もあり、友達はあまり出来なかった。
 
 史菜は、自分の生き方に疑問を持たなかったわけではない。しかしそれでも、父親の意向に従い、近衛家の一人娘に相応しく在ろうと努力してきた。
 
 しかし、ある日そんな生活に変化が訪れる。だが、それは史菜が望んでいたような変化ではない。
 
 許婚、の存在である。
 
 それまでまともに口を利く事も少なかった父は、有無を言わさぬ勢いで史菜に言葉を重ねる。
 
 「あれは立派な若者だぞ」、「おまえが彼と添い遂げる事になれば父さんも鼻が高い」、「彼の財閥と手を取り合えば、我が財閥も安泰だ」、「母さんもきっとおまえにそれを望んでいる」。
 
 それらの言葉を受けた史菜は絶望に打ち拉がれる。
 
 寂しくても、辛くても、それでも父の信頼に応えようと頑張ってきたのに、父は自分の気持ちなど全く考えてはいなかったのだ。
 
 家のための、道具。それだけだったのだ。
 
 史菜は逃げ出した。
 
 それも、三十年間、忠実に近衛家に仕えてきたじいやの手を借りて‥‥。
 
 しかし、当然、捜索という名の追っ手が迫る。
 
 逃げ続ける史菜とじいや。遂に逃げ切れなくなった時、じいやは自身を囮にして史菜を外国へと逃がす。
 
 涙の別れを乗り越えて、助けてくれたじいやのためにも必ず逃げ切る事を誓う史菜。
 
 しかし、そこは自分の生国でありながら、記憶の欠片さえ無い土地。
 
 右も左も分からずに途方に暮れる。じいやから渡されたお金は十分にあったが、このままではその事実自体が我が身の危険な事になるのではないか、という不安に駆られる。
 
 そんな近衛史菜の前に、一人の少年が現れる。
 
 名を、坂井悠二。
 
 特別、優れた所も見当たらないような、微妙に要領のいい少年。
 
 何だかんだで困っている人間を放っておく事の出来ない彼は、近衛史菜をとりあえず彼の家に連れていく。
 
 そして、ひたすら人の良い彼の母親によってなし崩し的に坂井家の居候に落ち着いた近衛史菜は、悠二と同じ御崎高校に転校、という体裁を取り、『普通の学校生活』を送る。
 
 今までとはかけ離れた日常。しかしそれは、史菜の心に今まで知らなかった温かさと喜びを与える。
 
 楽しい、楽しい学園生活。
 
 そして、もう一つの感情が芽生える。
 
 新鮮な生活の中、いつも傍にいた少年・坂井悠二との間に‥‥‥。
 
 二人、手を取り合う。
 
 史菜は、新しい人生を生きる事を選んだ。
 
 しかし、再び史菜を悪夢が襲う。
 
 近衛家の追っ手が、遂に史菜を見つけてしまうのだ。
 
 引き裂かれる二人。
 
 再び外国へと連れて行かれた史菜に待つのは、いつか来る、望まぬ相手との結婚、自らの想い人への望まぬ裏切り。
 
 そして、一生彼女を縛る牢獄。
 
 坂井悠二は決意する。
 
 どんな手を使っても、自分が愛した少女を取り戻す事を。
 
 式まで残された時間は少ない。
 
 悠二は親友の平井ゆかりと共に、日本を発つ。
 
 それ以来、姿を見せない坂井悠二、平井ゆかり、そして近衛史菜。
 
 そんな現状に痺れを切らした一人の少女、坂井悠二に想いを寄せる吉田一美は、自らも行動を起こす決意をする。
 
 きっかけは、史菜を日本へと逃がしたじいやの出現。
 
 吉田はじいやからの情報を頼りに、史菜を、平井を、そして悠二を追って今旅立つ。
 
 信頼出来るパートナーと共に‥‥‥。
 
 
 
 ‥‥‥というストーリーが、池速人の頭の中で繰り広げられていた。
 
 
「ちょっ、吉田さんパスポートも無しに海外に行くの!?」
 
「空港とかはマークされてる可能性が高いからな。密入国するのにパスポート何か要るかよ?」
 
 吉田一美、そして池速人は今、海の上にいた。
 
 個人所有扱いになっている、豪華客席に。
 
「あ、あのじいやさんは?」
 
「? 何だそのじいやって‥‥。あのおっさんなら、操舵室だろ」
 
 夜の闇の中、船は動きだす。
 
「っうわ!?」
 
「どうした? 密入国くらいでびびってんなら、今すぐ降りろ。まだ間に合うぜ?」
 
 敢えて挑発的に言う吉田の思惑通りに、池は燃ゆる。
 
「大丈夫。地獄でも付き合う、って言ったからね」
 
 未だ何も知らず、馬鹿な妄想をしている池と、吉田を連れて‥‥‥
 
 
「‥‥んじゃ、行くぞ。その地獄にな」
 
 
 船は向かう。目指すは一路、中国大陸。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:5e3b4af0
Date: 2009/06/27 21:31
 
(悠二‥‥‥)
 
 やはり、落ち込んでいるだろうか。
 
 無理もない‥‥と思う。
 
 思って、しかし自分はそれを気遣うという選択肢を取らないのか?
 
(取ら‥‥ない)
 
 自分一人で抱え込んで、『それが悠二を守る事に繋がる』、と勝手に思い込んで、結局‥‥‥
 
『馬鹿‥‥‥』
 
 一番‥‥悠二を悲しませた。
 
 そんな、馬鹿な自分だから‥‥一人で何とかしようなんて、もう思わない。
 
 せめて、同じ失敗は繰り返さない。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そう‥‥それが正しい事なのだと頭で理解はしても、感情としては複雑だ。
 
 自負は今、そういう"言い訳"を口実にして、悠二に縋りたいだけなのではないだろうか‥‥‥?
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 考えながらも、足は止まらない。
 
 『会えばわかる』、そんな感覚を自然に持って、ヘカテーは動いていた。
 
 そして、自室の扉を開く。
 
 そこに‥‥‥
 
「おかえり、ヘカテー」
 
 虚勢ではない落ち着きと穏やかさをその瞳に宿した、坂井悠二がいた。
 
 
 
 
 翌日。
 
 
「大体、メリヒムがこっちを攻撃しだしたからって『虹天剣』に真正面から突っ込むなんておかしいだろ!?」
 
「‥‥‥‥はい」
 
「"虹の翼"も、おそらく『誘い』のつもりでそうしたはずです。むざむざ罠にかかるような事を‥‥」
 
「‥‥いや、でもほら、虎穴に入らずんば虎児を得ず、って言うし? 実際勝てたじゃん?」
 
「"たまたま"上手くいっただけです」
 
「左腕一本で済んだのだって、運が良かったんだよ? わかってる?」
 
「‥‥‥そりゃ、まあ」
 
 
 カーペットが敷いてあるとはいえ、床に正座させられてお説教をくらう平井である。
 
 よくわからないが、立ち直ったらしい。
 
(まあ、どうせヘカテーはラブパワーなんだろうけど‥‥‥)
 
 悠二の方はどうなのだろうか? 昨日はそんな余裕はなかったと思うのだが‥‥‥まあ、一晩寝て気持ちを切り換えられたのかも知れない。
 
「聞いていますか?」
 
「は〜〜い」
 
 まあ、いつも通りにしてる二人を見ていると‥‥
 
(元気、出たかな)
 
 あとは‥‥‥
 
「大切な事なんだから、適当な返事しない!」
 
「は〜〜い」
 
「伸ばすな!」
 
 このお説教が、早く終わる事を、切に願うだけだ。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 海底を探りに行っているヴィルヘルミナを、ただ砂浜で待つ。
 
 その表情は、石のように固い、無理をしているのが、一目でわかる。
 
 そんな少女の状態を知り、周りの者は何も言わない。いや、今は掛ける言葉も、そんな余裕も、無いだけかも知れない。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 可能性は、無いわけではなかった。
 
 フィレスから聞いた、東京外界宿(アウトロー)総本部での戦い。
 
 詳細な事情はわからなかったが、彼らはあの時点でフレイムヘイズに対して攻撃を仕掛けていた。
 
 『創造神』の名などが出てくる事は想像出来ようはずも無かったが、坂井悠二達がフレイムヘイズに敵対した、という可能性は、十分に予想出来たはずだ。
 
(なのに‥‥‥)
 
 何故、ここまで動揺する?
 
 『天道宮』での突入前に襲撃されるという不測の事態が起きたから?
 
(違う‥‥そんな事、大した問題じゃない。私達にとっては、戦う場所が変わっただけ)
 
 ならば、何故‥‥‥敗北した事が、原因だとでもいうのか‥‥‥?
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 それほど単純なものだとは思えない。いや、もしただの一度の敗戦でこんな風になっているのなら、そちらの方が問題だ。
 
(‥‥‥‥くそ!)
 
 この胸の痛みよ壊れよ、と言わんばかりに自身の胸を叩く。
 
 力が‥‥入らない。
 
 力が‥‥湧いてこない。
 
 
『この世の本当の事を変えてやる』
 
 聞かされた、あるいは実に、彼らしい願い。フレイムヘイズとして看過出来ない、野望。
 
『自分の大儀を押し付けてるのは、君達も同じだ』
 
 自分の傲慢さを、無謀さを、承知の上での覚悟。否定された、戦う理由。
 
『フレイムヘイズの使命。そこに‥‥君の、"君だけの君"はどこにいる?』
 
 否定された、存在理由。そして‥‥‥
 
『君には負ける気がしない』
 
 完敗。
 
 言い返せなかった、言葉で勝てなかった。
 
 届かなかった、力が及ばなかった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 力が、入らない。
 
 心が、静まらない。
 
(シャナ‥‥‥)
 
 『名前』、それをくれた存在は、もう剣を向ける先にいる。
 
(何で‥‥‥‥)
 
 殺さなかった? 邪魔はさせないのでは、なかったのか‥‥‥?
 
(どうして‥‥‥?)
 
 戦いの中で弾き飛ばされた愛刀・『贄殿遮那』。
 
 フレイムヘイズとして立った時から、常に共に戦ってきた戦友。
 
 あの後、いくら探しても見つからなかった。状況から考えて、持ち去られたと考えるべきだろう。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 当たり前に、呼吸するように、"それ"は自分の中に在った。
 
 支え、どころではない。自分自身、そう、自身そのものなのだ。
 
 なのに‥‥‥
 
(‥‥‥私は、フレイムヘイズ)
 
 ‥‥まるで、その言葉に‥‥縋るようだ。
 
 
 
 
「‥‥‥よく、その傷で生きていられるね。随分と頑丈だ」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 掛けられる軽い口調が、無性に癇に障る。
 
「‥‥‥触るな。このくらい何でもない」
 
 もう、腹部から溢れ出していた火花は治まっている。傷自体は、そのうち塞がるだろうが、それは実質的にはあまり意味が無い。
 削り取られた力、そして自らが消耗した力は戻らない。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ここまで舐められたのは、初めてかも知れない。
 
 平井ゆかりが手を抜いた、というわけではないだろう。あの状況で気を抜けば、平井の方が消し飛んでいたのだから。
 
 だが、こちらが全員やられた以上、とどめなら簡単に刺せたはずだ。
 
 気を失っている自分達に近づき、剣を突き立てる。それで事足りたはずだ。
 
 なのにしなかった。あの口振りからして、『天道宮』を破壊するだけの戦いで終わるとは思えない。
 
 この先、あの言葉に見合う大きな戦いがある事は間違いない。
 
 それなのに、とどめを刺さなかった。
 
 "生かされた"、その事が、己の力に対する矜持を些か以上に傷つけた。
 
 だが、それ以上に‥‥‥
 
(‥‥‥シャナ)
 
 未だ、一人佇んで海を見る『娘』。
 
 傍目には、力強い屹立にも見えるだろうが、その頑なさが、逆に心配になる。
 
(‥‥‥まだ、気付いていないのか?)
 
 心の中だけで、問い掛ける。
 
 自分の口から伝えても、無意味なものだと思っていた。
 
 いや‥‥今となっては、気付かない方がいいのかも知れない。
 
(‥‥‥馬鹿馬鹿しい)
 
 そんな無様な考えが頭をよぎった自分にムカッ腹が立つ。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 想いを寄せる相手と、戦う。
 
 自分にとっての"それ"は、内に秘めた燃え上がるような想いと矛盾するものでなかった。
 
 交わす剣も、炎も、全てが喜び。
 
 戦いに際して向き合う度に"彼女"の姿に痺れ、胸踊らせた。
 
(俺にとっては‥‥そうだった)
 
 そこに、矛盾は無かった。
 
 だが‥‥シャナにとっては、どうか‥‥?
 
 自分と全く同じようには当てはまらないのではないか?
 
 そもそも、"自分と同じ"では、同じように苦しむという事ではないか?
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 かつての自分なら、こんな風に、自身に当てはまらない事に考えを巡らせるような事はなかった。
 
 「何故理解出来ない?」、と、それくらいにしか考えなかった。
 
(シャナの事‥‥だからか?)
 
 自分が、そんな事を考えるのは‥‥‥。
 
(それとも‥‥‥‥)
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 まだメリヒムも、シャナに言葉を掛けられる状態ではなかった。
 
 
 
 
 ザバッ!
 
「‥‥‥どうだったわけ?」
 
「‥‥マージョリー・ドー? 何故貴女がここに?」
 
 海底から出てきた直後に現れた意外な人物に、ヴィルヘルミナは不思議そうな声を上げる。
 
 わざわざ出迎えるような性格とは程遠い。
 
「‥‥‥別に? あっちにいるとこっちまで気が滅入ってくるってだけよ」
 
「どいつもこいつもしみったれたツラしてやがるからなあ」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 おそらく、シャナやメリヒムの事だろうと察しをつけ、ヴィルヘルミナはその表情を曇らせる。
 
「ん〜〜な事より、どーなの? 『天道宮』」
 
 その質問で、さらにヴィルヘルミナの表情が曇る。
 
「‥‥狙いが僅かに外れて直撃ではないにせよ、完全に大破しているのであります」
 
「原型維持」
 
 そう、悠二が『銀時計』で特定した場所を、後からヘカテーに口頭で伝える、というアバウトな狙いだったため、直撃はしなかったのだ。
 
 その『天道宮』の損害状況を、ヴィルヘルミナが伝えて、ティアマトーが気休めする。
 
「『カイナ』を備え付け、時を掛ければ修復も可能でありましょう」
 
 宝具・『カイナ』。
 
 本来は徒がこの世に存在しても力を消耗をしないための宝具。だが、この宝具には、"『天道宮』の制御と修復"という副次的な機能が備わっていた。
 
 かつて、『天道宮』が崩壊した際に切り離され、メリヒムの存在を生き長らえさせていたその『カイナ』は、今は『永遠の恋人』ヨーハンの『核』として使われている。
 
 『天道宮』と"直接"繋がっていなかった『カイナ』を再び『天道宮』に備え付け、修復、制御するというのが、ヴィルヘルミナの思惑だった(ちなみに、悠二達が初めて『天道宮』を見つけた時に修復されていなかったのも、切り離されていた事に起因する)。
 
 しかし‥‥‥
 
「‥‥‥あれほど徹底的に破壊されては、『カイナ』の修復を以てしても、相当な時間を費やす事は間違いないのであります」
 
「修復時間過多」
 
「‥‥‥でしょうね」
 
 マージョリーとて、ヴィルヘルミナの顔を見て大体の予想はついてくる。
 
 完全破壊でなかったのは、『天道宮』を故郷に持つヴィルヘルミナ達にとっては不幸中の幸いだったのだろうが、実際には大破。
 
 悠二のあの口振りや、自分達との接触の事を考えると、あまり時間が残されているとも思えない。
 
 要するに、修復に時間がかかってしまう『天道宮』は、実質的に無力化されたようなものだ。
 
 間に合わないのだから。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 そう、感知不可能の『星黎殿』を見つけだすための切り札が、使えなくなったのだ。
 
 悠二達に対して、もう"何も"干渉出来ない。
 
 何を‥‥伝えたくても、もう遅い。
 
「ヴィルヘルミナ」
 
 ふわりと、フィレスがマージョリーの隣に着地する。
 
 それは、ヴィルヘルミナやマージョリーにとっては更に悪い情報。
 
「やっぱりあの子、御崎から消えてるわね。バレるのは最初から承知の上だったみたいね」
 
(やっぱり‥‥か)
 
 『天道宮』の秘密を知る者はほんの数人に限られる。
 
 それが悠二達に漏れていたとなると、考えられる可能性として一番高いのは‥‥‥吉田一美。
 
 最初から、『そういう事』だったのだろう。
 
 いずれにしろ、吉田も、そして悠二達も‥‥
 
「大丈夫よ」
 
「え?」
 
 フィレスの、意味深な一言が‥‥‥
 
「保険は掛けてるって、言ったでしょ?」
 
 場違いに、頼もしく聞こえた。
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/01 20:22
 
「こんな所でのんびりしてて良いのかな‥‥」
 
 "見た目の"年は、十五、六。
 
 年頃の少女には少々不似合いな頑丈な旅拵え、長いブラウンの髪を二つに結って肩の前に垂らしている。
 
「いーのよ別に! ただでさえ最近何か知らないけど徒達が騒がしいんだから!」
 
「異変を感じない時くらいレディとしての時間持ったって罰当たらないわ」
 
 少女の若干申し訳なさそうな呟きに、お下げの先の両端の、鏃の髪飾りから、軽くはしゃぐ声と艶やかな声、色合いの違う女の声が返した。
 
「そう、だね」
 
 デパートに赴いて服の買い物。旅や戦いに際しては今のような旅拵えが習慣化しているが、それはそれ、これはこれ、服の買い物は女性としての娯楽である。
 
 それに、四六時中今のような格好をしているのではない。
 
 しかし‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 確かに、髪の両端に"女性が二人"いるとはいえ、普段は一緒にいる、肝心の人物はここにはいない。
 
 ‥‥まあ、こういう時に付き合ってくれないのはいつもの事なのだが。
 
「ったくあの野暮天も、どうせしみったれた酒をガブガブ飲むだけなんだから、付き合ってもいいのにね!」
 
「‥‥ウートレンニャヤ、それ今日だけで何度目?」
 
「二人共、いいよ、いつもの事じゃない」
 
 ほんの一瞬憂いた気持ちを切り替えて、また服を見始める少女。
 
 
 名を、キアラ・トスカナ。
 
 
 
 
「‥‥‥不味いな」
 
「そう言いながら、ずっと飲み続ける君も中々滑稽だよ」
 
 別段都会でもなく、かといって田舎でもない。そんな街の、派手でも地味でもないバーの隅で、ただ静かに、しかし馬のようにガブガブとウイスキーを飲んでいる男。
 
 ひょろんとした体格にカウボーイハット、厚い外套を纏い、腰にはガンベルト。
 
 要するに、時代遅れで場違いなカウボーイスタイルである。
 
 そんな男が、騒がず喚かず、顔に赤みも差さずに、しみったれた酒の飲み方をしている。
 
「あいつもいい加減子供じゃないんだ。買い物くらい一人で出来るだろ」
 
 相棒が言外に含んだ非難に対して、さも心外という風に返す。
 
 が、その相棒、腰のガンベルトに収まったマリオネットの操具からすれば、それこそ心外である。
 
「都合の良い時だけ"彼女"を大人扱いするのはやめたまえ。全く、そんな無粋な態度では愛想を尽かされても文句の一つも言えない、とは思わないか?」
 
 そんな気障な口調での指摘に、男は鼻をフンと鳴らすだけ。
 
「そりゃ結構。あいつも師匠離れが来たっていい時期だろうからな」
 
 いい加減に、そう言い放つ。
 
 彼は、普段から低いローテンションが酒によってさらに下がったこの平静な状態が好きなのだ。
 
 あまりおしゃべりしたい気分ではない。
 
「はぁ‥‥。君ってやつは、救えないね」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 いよいようるさくなってきたので迷わず無視。
 
 何となく、思考を最近の情勢に巡らせてみる。
 
 外界宿(アウトロー)から聞いた情勢では、徒達が活性化しているのはどうやらこの大陸だけではない。
 
 世界各地、あらゆる所で動きがあるらしい。しかし、そのいずれもが何を目的とした動きなのかは定かではない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 この大陸に来たのは、その動きの情勢があった事、そして、まあ後は近かったのと、『勘』である。
 
 何か、妙な胸騒ぎがする。
 
 徒達が忙しなく動いていて、それでいて具体的な目的を持った動きを何一つ見せていない。
 
 単純に移動、移住しているような情報しかないのだ。遭遇したフレイムヘイズ達も全て、迷わず逃げの一手を打たれている(もちろん、全てを取り逃がしたわけではないが、依然何一つ情報は得られていない)。
 
(‥‥まさか、"親父殿"絡みじゃないだろうな)
 
 
 一番嫌な予想が、頭をよぎった。
 
 男の名は、サーレ・ハビヒツブルグ。
 
 
 
 
「‥‥‥むーーぅぅ」
 
 『星黎殿』の廊下を奇妙な唸り声を上げて歩く少女。
 
 『三柱臣(トリニティ)』が一柱、『巫女』・"頂の座"ヘカテーの副官、"万華響"の平井ゆかりである。
 
 今、ヘカテーは座標特定とやらで忙しく、悠二はシュドナイと鍛練の真っ最中。
 
 シュドナイには近々出陣の予定があるらしく、今回はどちらかと言うとシュドナイのための鍛練だ。
 
 自分も一緒に鍛練しに行ってもいいのだが、少々引っ掛かっている事がある。
 
(むぅうう‥‥‥)
 
 結局、あれから二時間みっちりお叱りを受けたわけだが、ゆかりとしても不満は当然ある。
 
(人の事言えないじゃん)
 
 そう、悠二やヘカテーとて今まで何度も死にかけているし、無茶もしている。
 
 確かに無茶を承知であんな戦法を取りはしたが、悠二達に言われたくはない。
 
 絶対に手の届かない所で、ただ見ている事しか出来ない辛さは、自分の方がずっとわかっている。
 
 大体、これから起きる戦いの事を考えるなら、これくらいの覚悟は決めておいて然るべきだろう。
 
 それは、自分だけではない。
 
 もちろん、悠二やヘカテーもこれからの戦いに命を懸ける場面もあるだろう。
 
「何だって私ばっか‥‥‥‥」
 
 それほど、深く考えていたわけではない。単なるぼやき程度のつもりだった。
 
「理由が、知りたいかい?」
 
「ん?」
 
 そんな独り言を遮るように掛けられた声と、ゆかりの前方にコロコロと転がる‥‥‥
 
(‥‥指輪?)
 
 呑気な疑問は‥‥
 
(っ‥‥やば‥‥‥!)
 
 ドォオオン!!
 
 転がる指輪の撒き散らす白の爆炎、という形で断ち切られる。
 
「くぅっ‥‥‥!」
 
 爆発直前に後ろに跳んだまま吹っ飛ばされ、床をゴロゴロと転がる。
 
「‥‥‥随分、いきなりですね」
 
 そのまま、手でバンッと床を叩いて跳ね上がり、爆煙の先に挑むように語り掛ける。
 
 同時に、翡翠の炎のよぎる陽炎のドームが、その辺りの一画を包み込む。
 
「おや、戦いとは常にいきなりであるべきさ。もっとも、無粋な対応はあまり歓迎しないがね」
 
 白いスーツと炎を纏う美青年が、晴れた煙の先からその姿を現す。
 
(‥‥"狩人"、フリアグネ)
 
 どういうつもりかわからないが、元々、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』にとっても自分達は不確定要素。
 
 まして、フリアグネは単なる客分に過ぎず、悠二やヘカテーに敗戦したという過去まで持つ。
 
(もしフリアグネさんの独断なら、『仮装舞踏会』を敵に回すよりはまだマシ‥‥‥)
 
 いくらフリアグネが強大な紅世の王でも、『仮装舞踏会』の本拠地でいきなり暴れだすような浅慮をするわけがない。
 
 ‥‥という事までは思考を巡らせる時間も無いまま‥‥
 
「っ!」
 
 フリアグネの右手から、無数の指輪が弾丸のように放たれる。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 肝心な時に役に立てない。その事に対する苛立ちがあった。
 
 想う少女(行動からいって、おそらく間違いない)を追って、この街を飛び出した友人と、その親友である友人。
 
 少し前に、意気込んで向かった東京外界宿総本部での、信じがたい形での再会。
 
 その少年達を助けだすために、各々の想いを抱いて旅立ったフレイムヘイズ達。
 
 ‥‥‥そして、先ほど掛かってきた電話。
 
 
(‥‥わけわかんねえ)
 
 坂井悠二が、平井ゆかりが、ヘカテーが、敵?
 
 笑えない冗談だ。
 
 今までの、今までの事は一体‥‥‥
 
(何だったんだよ‥‥‥)
 
 マージョリーから伝えられた話は今イチ要領を得ず、ひどく現実味の無い感覚があった。
 
 マージョリー自身、詳しく話は聞かされていないのかも知れない。
 
 何といっても"敵"なのだから。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 それまで同じ日常の中にいると思っていた坂井悠二に、戦う力がある。
 
 自分が憧れた女傑と同じ場所に立てる力がある。
 
 その事に、長い間羨ましさが、妬みがあった。
 
 自分も、そう在りたいと思い続けた。
 
 だが、今は違う。
 
 自分の出来る事で、自分の出来る全てでマージョリーを生かす。
 
 そんな覚悟が出来た。
 
 気持ちだけは、悠二に追い付けたつもりになっていたのだ。
 
 それなのに‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 一番身近な、目標だったのに。
 
(‥‥‥田中には、言うべきか?)
 
 田中が、紅世に関わる事に対して拒否反応を持っている事はわかっている。
 
 だが、今回は悠二達‥‥‥"田中の日常"に直結する事だけに、どうするべきか悩む。
 
(でもどうせ‥‥マージョリーさん達が戻ってきたらいくら田中でも訊くよな‥‥‥)
 
 その時により強い衝撃を受けるくらいなら、今伝えておいた方がマシかも知れない。
 
(って、何で俺が悪い方にばっかり考えてんだ!)
 
 いや、そんな考え自体が甘いのか‥‥‥。
 
「ああっ! ‥‥くそ!」
 
 覚悟を決めても、決意を固めても、相変わらず何一つ役に立てない現状に、佐藤啓作は苛立ちを募らせる。
 
(‥‥‥とりあえず、吉田ちゃんには、教えとかないとな)
 
 
 
 
「‥‥だから、別に変だとか言ったわけじゃないだろうが」
 
「そう言う問題じゃないと思うけどな」
 
「そうよそうよ! 大体、あんただっていい加減その無精髭どうにかしなさいよ!」
 
「俺の事は関係ないだろ」
 
「あんたの隣を歩くキアラの事も考えて欲しいわね」
 
「あの、師匠? 私も出来れば無精髭は‥‥‥」
 
「あ〜〜〜うるさい!」
 
 
 その日、サーレ・ハビヒツブルグは逃げ出した。
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/07/02 23:30
 
「‥‥封絶?」
 
「巫女様巫女様! 大した事ではございませんから」
 
「‥‥でも、悠二と"千変"が鍛練している封絶とは、別の封絶です」
 
「ちょっと"耽探求究"が実験してるだけです! あ、ほら、それより私達のお部屋にいらっしゃいませんか?」
 
「‥‥‥マリアンヌと、"狩人"の部屋、ですか?」
 
「そうですそうです! フリアグネ様の趣味で色々なコスチューム揃えてありますから!」
 
「こすちうむ‥‥?」
 
「そうです! 可愛らしい巫女様がお召しになれば盟主も目の色が変わるに違いありませんよ!」
 
「目の、色‥‥‥?」
 
「見た瞬間に抱きついて来ますよ!」
 
「抱きつく‥‥!」
 
「はい! というわけで封絶何か放っておいて私達の部屋に参りましょう!」
 
「はい」
 
 
 
 
「はっ‥‥はっ‥‥はっ‥‥‥!」
 
 大した時間戦っているわけではない。それなのに、もう全身が汗でびっしょりだ。
 
「どうした? まだ君は私に一撃入れる事も出来ていないのだけどね」
 
「わかってます‥‥よ!」
 
 一声咆えて、右手に握った『パパゲーナ』を力一杯振るう。
 
「『胡蝶乱舞』!」
 
 翡翠の羽根吹雪が舞い、白の狩人を呑み込まんと轟然と雪崩込む。
 
「行け、『コルデー』よ!」
 
 フリアグネも、かざした右手から無数の指輪を放ち、それが呑まれたかと思われた瞬間に弾け、連鎖的な融爆を巻き起こす。
 
 そして、『星黎殿』のだだっ広い廊下の、馬鹿高い天井に、爆発に紛れて平井ゆかりが舞い上がる。
 
「もらい!」
 
 そして、フリアグネの真上から特大の炎弾を放り投げる。
 
 が‥‥‥
 
「『アズュール』よ!」
 
 それはフリアグネに届く直前に、結界に阻まれて嘘のようにかき消される。
 
(悠二の、『アズュール』!)
 
 この火除けの指輪は元々フリアグネの物であるが、御崎市での戦いで坂井悠二の手に渡り、そして再びの御崎市での闘争という数奇な運命をたどり、再びフリアグネの左手に在る。
 
「相手の能力がわからない」
 
 淡々と言うフリアグネの指先から、今度は無数に分裂したカードの怒涛が押し寄せてくる。
 
 だだっ広い、といっても所詮は廊下の天井。
 
(逃げられない!)
 
「っはああああ!」
 
 咄嗟に全力で炎を放出してそれらを焼き払う。
 
「地の利が無く、自慢のスピードが活かせない」
 
 また、淡々と声が響いて、ゆかりが背にしていた天井がいきなり爆発し、瓦礫が降ってくる。
 
「っ痛!?」
 
 咄嗟に反応するも避け切れず、人間大の岩塊が背中を強打する。
 
(いつの間に、天井に指輪を仕込んだ‥‥?)
 
 悠長に、思考を巡らせる時間もない。
 
「っこの!」
 
 素早く金色の鍵・『非常手段(ゴルディアン・ノット)』を取り出し、自身の中に在る『オルゴール』に『強化』の自在式を刻む。
 
「情報不足で適切な対処がわからず、せっかくの特異な能力も宝の持ち腐れ」
 
「そりゃどーも!」
 
 昇ってくるフリアグネを迎撃すべく、一気に加速して距離を詰める。
 
(接近戦は、得意じゃなかったはず!)
 
 『強化』した自分なら勝てる。そう考えて、鉾先舞鈴を突き付けて突撃する。
 
 その、切っ先に‥‥
 
 バチンッ!
 
「っ!」
 
 フリアグネが袖口から伸ばした金色の鎖、その先端に付随するコインが磁石のように張りつき、さらに鎖が『パパゲーナ』に絡み付く。
 
 自身を『強化』したゆかりに、フリアグネの腕力では適わない。だが、別に力比べなどする必要はない。
 
 ぐいっ!
 
「わっ!?」
 
 鎖を横に引っ張り、短剣の軌道を少し流す。
 
 それだけで‥‥
 
「隙だらけだよ」
 
「っあ、ぐ!」
 
 ゆかりの突進に対して同様に加速したフリアグネの膝が、カウンターの要領でゆかりの鳩尾に深々と食い込む。
 
 苦しみに身動きの取れないゆかりの背中に、
 
 ドンッ!!
 
「っうあ!!」
 
 至近距離からの炎弾がたたき込まれ、そのまま床に激突する。
 
(この、ままじゃ‥‥)
 
 鈍い動きで地に手をついて起き上がろうとするゆかり、その鼻先に‥‥‥
 
「チェックメイトだね。お姫様」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 吹き飛ばされた拍子に手放してしまっていたらしい、そして『バブルルート』の鎖に絡め取られていたゆかりの『パパゲーナ』が今、フリアグネの手で、突き付けられていた。
 
「さっき私が言った事は全て、『実戦』では当たり前の事だ」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 両者ピクリとも動かずに、ただフリアグネが言葉を紡ぐ。
 
「君の能力は多彩だが、ひどく不安定だ。"虹の翼"に勝てたのも、その応用力のおかげ。しかし‥‥対応がわからない相手には、その特異な能力を満足に発揮出来ない」
 
 ‥‥‥反論、出来ない。
 
「そして、未知の能力を持つ相手との戦いが常である実戦で、君はそれに対応するための経験が、絶対的に不足している」
 
 たった今、身を以て味わわされたのだから。
 
「坂井悠二達が過剰に心配するのも当然だよ。『何で私ばっかり』? 君が不安要素だからに決まっているだろう」
 
「っ‥‥‥‥!」
 
 確かに、悠二やヘカテーに追い付いたと思っていたわけではない。
 
 だが‥‥‥
 
「今まではそれで良かったかも知れない。だが、この先は今までのような戦いとは違う。私やマリアンヌも、利害の一致から行動を共にしている以上、"足手まとい"には退席してもらいたい」
 
 ‥‥‥一緒に、戦えるようになったと思っていた。
 
「後方支援でも、やれる事はいくらでもある。ただ、坂井悠二達と同じ場所で戦う、というのは、諦めた方が良い。君のせいで、彼らが傷つくのを見たくないならね」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 フリアグネが言いたい事は、理解出来る。
 
 かつて、自分が佐藤啓作に告げた言葉も、それに近いものだった。
 
「私は‥‥‥‥」
 
 それを、理解しているはずなのだ。
 
(でも‥‥‥)
 
 
『‥‥ホントはね、ずっと、皆一緒にいたいって、思ってたの。人間とか徒とか関係なく、皆でずっと‥‥‥‥』
 
『この世の本当の事を変えてやる』
 
『たった一人の女の子さえ、守れなかった!』
 
 
(いやだ!)
 
 腕も、足も、指一本の動きも見逃さない気概だったフリアグネ。そのフリアグネにして、予想外の事態が起きる。
 
 腕も、足も、指一本動いてはいない。
 
 フリアグネの注視していたその部位は、毛ほども動いてはいない。
 
 その代わり、毛が動いた。
 
「?」
 
 あまりに不可思議な現象に、フリアグネは一瞬状況を掴みかねた。
 
 ゆかりの頭の両端からチョロリと伸びている触角が、くにゃりと曲がって‥‥‥‥
 
 ビビッ!!
 
 その両先端から、翡翠の光線を発射した。
 
 バチッ!
 
「っぐ!?」
 
 その光線の一本は眼前の『パパゲーナ』を弾き、もう一本はフリアグネの二の腕を貫く。
 
(今!)
 
「ぐあっ!」
 
 立ち上がりざまに蹴り上げた踵が、フリアグネの顎に決まる。
 
 『強化』されたゆかりの身体能力による強烈な一撃が、フリアグネの体を軽々と吹き飛ばした。
 
 さらに、追撃で炎弾を放つが、それは『アズュール』の結界によってかき消される。
 
「私の秘密兵器、バージョン2ですよ」
 
 そう、以前外界宿(アウトロー)東京総本部での戦いでヘアゴムを焼失してしまったゆかりは、悠二にプレゼントしてもらった髪留めが戦いで傷つかないように、戦闘用によく似た模造品を作っておいたのだ。
 
 しかも、ただの模造品ではなく、教授特製の"我学の結晶"である。簡単に言うと『ビーム』が出せる。
 
「‥‥‥フリアグネさんの言いたい事、理解出来るつもりです。でも‥‥‥」
 
 自分の言葉が、悠二に今の道を、戦いを選ばせたのなら、それを『助ける』という事事態が間違っている。
 
 例えきっかけに過ぎないのだとしても、他人事に手を貸すようなスタンスには立てない。
 
 悠二を中心に置いて、自分のやる事を探すのなら、フリアグネの言葉が正しい。
 
 だが、違う。
 
 自分を中心に置いて、悠二に対して何かをぶつける。
 
 そう在らねばならない。
 
 そう在りたい。
 
 感情論だとわかっていても。
 
 
「ここで退いたら、私は絶対に後悔する。フリアグネさんに、ヘカテーに、悠二に何を言われても、答えは変わらない」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 だからこそ‥‥‥
 
「フリアグネさんは私を足手まといだって言うけど、結果として、勝機を逃してこうして私と対峙してる」
 
 自らの、存在そのものを懸ける。
 
 
「力が足りないって言うなら、今度こそ証明しますよ。 ‥‥‥あなたを倒してでもね」
 
 
 ゆかりの、あまりにも露骨な決意に、忠告のつもりで戦いを挑んだフリアグネは‥‥‥
 
「はぁ‥‥‥‥」
 
 呆れたように、あるいは降参したように、軽くて重い溜め息をついた。
 
 
 
 
 うろうろうろうろ
 
「はぁ〜〜〜‥‥‥」
 
 フリアグネによる、ゆかりへの『指摘』。
 
 これからの戦い、万全の準備は整えておきたいし、世に名立たる"狩人"をきちんと味方につけておきたいという思惑もある。
 
 だからこそ許し、"二つ目の封絶"への接触を構成員達に禁じてもいる(悠二とヘカテーには内緒)。
 
 が、
 
「手荒な真似をしなければ良いのですが‥‥‥」
 
「奴は宝具に目が無いらしい、という話も聞いているな」
 
「や、やはり私が直接止めに行った方が‥‥‥」
 
「焦るな、我が参謀よ。これから始まる大きな戦いに、今のままの平井ゆかりでは不安が残るも事実だ」
 
「しかし、しかし〜〜!」
 
 自室で、ベッドの上の小さな蛇と悩むベルペオルだった。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/04 22:09
 
「お゛えぇ、う゛ええぇ‥‥‥!」
 
「いつまでゲロゲロやってんだテメエは!」
 
「ほほ! 船がダメならダメと初めに言って下さればよろしいものを。まあ、言って頂いても方針を変える事など出来ませんが」
 
「‥‥‥いえ゛、船っていうか乗り物全部ダメなんで‥‥‥」
 
「‥‥‥余計アウトじゃねえか」
 
 
 吉田一美、池速人、そして『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『捜索猟兵(イエーガー)』"聚散の丁(しゅうさんのてい)"ザロービ、中国大陸上陸。
 
 ‥‥からしばらく経つが、池速人は未だに乗り物酔いから立ち直っていない。
 
(ま‥‥前よりひどくなってるかも)
 
 この池速人、実は極度に乗り物に弱い。せいぜい観覧車程度なら大丈夫なのだが、遊園地などしばらく行っていないから今ではそれも少々怪しい。
 
「おまえ、夏に電車で海行った時もそんなだったよな。よくそれで付いてくるなんて言えたもんだ」
 
「に゛、人間やれば出来る‥‥‥」
 
 確かに、半死人状態でも何とか海を渡っているのだから、大した執念である。
 
「減らず口叩く元気があるなら問題ないな。とりあえず昼だ。本場のラーメンが食いたい」
 
「よ、吉田さん。僕ちょっと今、食欲無いんですけど‥‥‥」
 
「食え」
 
 
 未だ、池速人は何も知らない。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 外界宿(アウトロー)への報告は済ませた(ヴィルヘルミナが)。
 
 いずれ、"世界中のフレイムヘイズ"も動き始めるだろう。
 
(‥‥ヴィルヘルミナは、どうするんだろ。もし『兵団』が編成されるなら、『万条の仕手』に協力要請が来ないはずがない)
 
 そのヴィルヘルミナや自分は、御崎市にすら戻らずに、『天道宮』の眠るこの街に未だ滞在している。
 
(シロは、力を消耗し過ぎてる。『約束の二人(エンゲージ・リンク)』は、『戦争』に手を貸すほどの理由は無い)
 
 今の段階では、動きの取り様がない。
 
 だからか‥‥‥
 
(こんな、馬鹿馬鹿しい事を考えるのは‥‥)
 
 自分がどの行動を取るかなど、もう決まっているようなものだ。
 
 その上でこんな事に頭を巡らせても意味がない。まだ、外界宿からの返事すら届いてもいない。
 
(‥‥‥‥私)
 
 何かしていないと、余計な事ばかり考えてしまいそうだ。
 
 だが、鍛練をするにしても、今という時期に余計な力の消耗は極力避けるべき。
 
 だからこそ、苛立つ。
 
(‥‥‥どうしていいか、わからない)
 
 何か、何かしていないと‥‥‥!
 
「シャナ」
 
「っ!」
 
 別に、珍しい事ではない。自身の胸元に常に在る契約者からの呼び掛けに、相当に驚く。アラストールが"そこ"にいた事すら失念していた。
 
「おまえの道は、おまえが決めろ」
 
「っ!!」
 
 何の事を言っているかわからない反面、"図星を突かれた"ような痛みが胸を刺す。
 
(アラストール‥‥)
 
 彼は、紅世における世界法則の体現者、真性の魔神である。
 
 その持てる権能は、『審判』と『断罪』。双方の世界に仇なす存在を裁く『天罰神』。
 
 それゆえ、彼の志は何を於いても揺るがない。そんな彼がこんな物言いをする意味を、シャナは理解した。
 
(‥‥私を、信じてる)
 
 もう、嫌というほど思い知らされた。
 
 自分は、坂井悠二を討滅したくない。"それ"を考えると、胸が引き裂かれるように痛むのだ。
 
 アラストールも、それに気づいているのだろう。気づいて、それでも先ほどのような言葉が言えるのは、自分が使命を貫く事を信じているからに他ならない。
 
(フレイムヘイズの、使命‥‥‥大義)
 
 自分を支える、『自分自身』。
 
 
『私は、ずっと疑ってきたの。フレイムヘイズが、この世のバランスを守るために"紅世の徒"と戦う、っていう大義を』
 
 かつて人間であった頃から抱いていた、疑念。
 
『今日、初めて"紅世の徒"に出会って確信した。あれは、アラストールたちの言うとおりの者、この世を恣に捻じ曲げる者だって事を。それに対する事ができるのは、フレイムヘイズのみだってことを』
 
 初めての徒との邂逅。晴れた迷い、そのはずだった。
 
 でも‥‥‥
 
 
『来い、"フレイムヘイズ"』
 
『うん、そういうことなら、俺もさ』
 
『温かな人と倒すべき敵。両極端な二つしか知らないあなたは、これからもっとたくさんの"人間"について知るでしょう』
 
『"徒"さえ、敵となる可能性を持っているだけの、"人間"なのだと‥‥』
 
『‥‥会いたかった、ヨーハン。今すぐ‥‥"そこ"から出してあげる』
 
『‥‥私は、死にたかったのね‥‥‥』
 
『悠二と歩く。一緒に、どこまでも‥‥‥』
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 あの時、紅世の徒の全てを理解し、決意したつもりだったのに‥‥‥
 
(‥‥‥何だか、わからなくなってきた)
 
 
 ガチャ
 
(ん?)
 
 ノックも無しに扉を開けて入ってくる。ヴィルヘルミナなら決してあり得ない。
 
「シロ‥‥‥」
 
 振り返れば、不自然に視線を合わさない銀髪の青年。
 
 『天道宮』を修復、起動するという用途を失った『カイナ』の上に、これ以上の力の消耗を避けるために『約束の二人』共々(嫌々)座しているはずのメリヒムが、何故ここに‥‥。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 何も言わず、返事もせず、ドカッと椅子に腰掛けて外を見ている。
 
「‥‥‥シロ?」
 
 何をしに来たのだろうか。現状で出来る事がないのはメリヒムとて同じ。いや、徒であり、力の消耗を抑えなければならないメリヒムは、立場的にも状況的にも自分よりする事(出来る事)がないはずである。
 
(そういえば‥‥‥)
 
 メリヒムは、どうなのだろうか?
 
 "紅世の徒"であり、世界のバランスを守るという使命も持たず、かつ、無害な徒として自分達と一緒にいるメリヒム。
 
 そんなメリヒムは、今、何を考えているのだろうか。
 
 あの時の坂井悠二の言葉から、近いうちに必ず世界を巻き込んだ大きな戦いが起こる。
 
 極端な話、メリヒムはその戦いに加わる理由もないのだった。
 
 『約束の二人』と違って、あまりに自分と近しいために完全に失念していた。
 
 余力もそれほど無いはず‥‥。しかし、メリヒムの性格からいって‥‥‥
 
「シロ?」
 
 そんな事を考えながらメリヒムを見ていたシャナの方に、突然メリヒムが向き直り、立ち上がる。
 
 そして‥‥‥‥
 
「っシ、シロ!?」
 
 ベッドに腰掛けていたシャナの手を、優しく、柔らかく、取っていた。
 
 全く、意図が読めない。不可解な行動の真意を問いただそうと口を開こうとした時には、もうメリヒムは扉に向けて歩を進めていた。
 
「シロ‥‥‥」
 
「シャナ」
 
 呼び掛ける声を制して、メリヒムから呼び掛けられた。
 
「覚えておけ」
 
 振り向きもしない。そのまま扉を開いて、出ていく。
 
「忘れるな」
 
 それだけを、言い置いて。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 『星黎殿』の至る所で、やけに熱の籠もった声が上がる。
 
「聞いたか!? 『緋願花』のお三方の活躍を!」
 
 こんな雰囲気は、自分の知る限りでは初めてだ。
 
「おうよ! 討滅の道具共も一網打尽さ!」
 
 『仮装舞踏会』自体がこれほどの動きを見せる事自体が、数百年ぶりなのだ。
 
(おそらく、『天道宮』を使ってこの『星黎殿』に侵入を企てた連中と『緋願花』の戦いの影響なのだろうな‥‥‥)
 
 情報を無闇に漏洩しているわけではない。『天道宮』の秘密について知っている者はほんの一握りだろう。
 
 だが、その辺りの事実は伏せたまま、『緋願花』の活躍を広め、全体の士気の向上を促している。
 
(さすがは参謀閣下、といったところですか)
 
 いや、そんな『事実』を生み出した『緋願花』こそを評すべきか。
 
 いずれにしろ、その効果は絶大だ。
 
(無理もない)
 
 と思う。
 
「はっはっは! 『炎髪灼眼』何するものぞ! 我らには『創造神』様が付いておられる!」
 
「全くだ! 我々を阻めるものなど何一つありはしない!」
 
 盟主達が制した使い手のいずれもが世に名立たる強者。
 
 中でも『炎髪灼眼の討ち手』の脅威は、『大戦』以前からの古参ならば『天罰狂いの女騎士』の悪夢として嫌というほど理解している。
 
 そして、そんな古参の猛者達の騒ぎが、ピラミッド式に部下達にも広まっていく。
 
 子供のようにはしゃぐ構成員達の様を微笑ましく見ながら、気になる事もあった。
 
 『天道宮』の上空にて『緋願花』と相対した者達の中に、それまで聞かなかった、それでいて聞き逃せない名前が、あった。
 
 
("虹の翼"‥‥メリヒム)
 
 
 
 
(シロはあの時、何を伝えたかった?)
 
 ホテルのベッドに寝転がりながら、メリヒムに握られた手を、握り、開き、握り、また開く。
 
『覚えておけ』
 
『忘れるな』
 
(‥‥‥どこかで、聞いた事がある)
 
 いや、それだけではない。その前、握られた手、"あそこ"に在ったものは、初めてのものではなかった。
 
(シロに手を握られた事なんか、そんな何度もあるわけない)
 
 と、断言できる。
 
 戦いの師、そして弟子としての十数年だったのだ。
 
 たとえ接触があったとしてもそれは、"握られた"のではなく"掴まれた"というべきだろう。
 
(あの言葉も‥‥‥)
 
 メリヒムは、白骨となっていた時に言葉を発した事は一度としてない。
 
 ならばやはり、今の姿を見せた後‥‥‥
 
(あっ!)
 
 思い、出した。
 
 
『手、握ってくれ』
 
『覚えておけ。ここにあるものは、"紅世の王"さえ一撃で虜にする力を生む、この世で最強の自在法だ』
 
『いつか、自分で、見つけろ‥‥‥』
 
 
(‥‥‥あの時だ)
 
 崩れ落ちる『天道宮』、"フレイムヘイズを目指す日々"の最期に待っていた初めての"真剣勝負"。
 
 そして、別れの時。
 
(そうだ、あの時だ)
 
 消えゆくメリヒムが、最期に伝えようとしてくれた『何か』。
 
 あの時と同じ言葉、同じ、手。
 
 あの行為は、メリヒムが自分にしたわけではない。自分がした事を、メリヒムが導いてくれたもの。
 
 それをなぞるように、自分も手を握ってみる。
 
 硬く、強く‥‥
 
(違う‥‥‥こうじゃない)
 
 また開いて、今度は柔らかく優しく、握り締める。
 
(そう、"これ"だ)
 
 温かい、手だった。
 
 
 "ここ"に在る"何か"を、メリヒムは自分に教えようとしてくれた。
 
 きっとそれには、とても大切な意味がある。
 
 最期の時、そう確信していた時に伝えられた事。
 
 そして、今というこの時に再び指し示された事。
 
 
(‥‥最強の、自在法)
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/07 04:58
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 天頂部の開けた『秘匿の聖室(クリュプタ)』の向こうに、本物の星空が広がる。
 
 一切の気配を遮断する異界たる『秘匿の聖室』は、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』にとって欠かせない武器だが、今、この時に限っては少女の力を妨害する枷となる。だからこそ、天頂部を開放しているのだ。
 
 少女・"頂の座"ヘカテーは神秘的な水色の髪を靡かせて、同色の瞳で空を見つめる。
 
 これはヘカテーにしか出来ない事、他の誰にも真似出来ない事。
 
 この作業を、ここずっとヘカテーは継続的に続けてきた。そして今、それらの努力は実を結ぶ。
 
 
「‥‥‥見つけた」
 
 
 
 
「‥‥‥行ったか?」
 
「おそらく」
 
(‥‥近衛財閥からの追っ手か?)
 
 観光にも似た中国大陸密入国ツアーの最中、突如としてザロービが動揺、大急ぎで反対側の通りに逃げ、ビルの物陰から元いた通りを睨む。
 
「‥‥‥本当に、あんたと居て大丈夫なんだろうな?」
 
「はあ‥‥まあ、私なら視認でもされない限りは問題ないはずですが‥‥‥」
 
「さっきのに本当に見られてないのかって訊いてんだよ」
 
「‥‥吉田さん? さっきのカウボーイが何かやばぶっ!?」
 
「やめろ、噂なんかして聞こえたらどうすんだ!」
 
 
 ‥‥自分が所詮一般市民であり、半ば無理矢理首を突っ込んだのは認めるしかない。
 
 しかし、吉田とて一般市民だろうに‥‥‥何だろう、この疎外感。
 
 池の虚しい感慨も余所に、吉田とザロービは遂にひそひそ話に突入する。
 
(元は外界宿に関わっていたとはいえ、あなた方だけでの行動は危険だという事は理解しているはずです!)
 
 そう、ザロービがいなければ、中国に密入国する事すら出来ていない。
 
 しかし‥‥‥
 
(‥‥そのあんたのせいで見つかったら結局全部パーだろうが)
 
 それも事実。
 
(先ほども申し上げた通り、視認でもされなければ私は見つかりません。何より、『仮装舞踏会』には人間の構成員はおりません。ご容赦頂きたい)
 
(見つからないって‥‥言い方変えたら、もし見つかった時はあんた役に立たないって事だろうが!)
 
(ご安心を、私とてただ非力なだけの徒ではございません。ちょっとした"特性"があるのでございますよ)
 
 言って、やや自己陶酔気味な笑みを浮かべるザロービに、さらに不安を掻き立てられる吉田。
 
 なんと言っても、万一の事があれば只では済まないのは自分だけではない。
 
 自分から何も知らずについて来たとはいえ、池速人も巻き添えを食らうのだ。
 
 そうは言っても‥‥
 
「‥‥まあ、今はあんたにしか頼れないからな。よろしく頼む」
 
 もう引き返せない。引き返すつもりもない。
 
 そして結局、人間である自分には、こんな小物くさい徒でさえ全安全を委ねなければならない存在なのだ。
 
「んじゃ、上手くやり過ごせた所で、そろそろ行こうか」
 
 気を取り直して歩きだす吉田の後ろで、
 
(‥‥『あんたしか頼れない』‥‥『あんたしか頼れない』? ‥‥僕の立場って一体‥‥‥‥)
 
 
 地味にショックを受けていた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 近衛史菜‥‥ヘカテーが消えてから、自分の周りは変わってしまった。
 
 普通のクラスメイト達からすれば、それはあまり気になる問題ではなかったのかも知れないが、特に親しい『グループ』だった自分にとっては大きな変化だった。
 
 それから二ヶ月近く経った後、坂井悠二と平井ゆかりも消息を断つ。理由は想像するに難くない。
 
 当然、寂しさはあった。また、友達が何も言わずにいなくなった事に、悔しさも感じた。
 
 それでも、「あの三人が一緒にいる」、あるいはそう在ろうとしている。それ自体にはどこか安心感のようなものも感じていた。
 
 ヘカテーがいなくなった後の二人は、見ていられなかったから‥‥‥。
 
(ヘカテー‥‥‥かあ)
 
 入学式から一月くらい遅れていきなり現れた不思議な少女。
 
 特殊な外見、転校初日に教師をチョーク一本で昏倒させ、いきなり坂井悠二をファーストネームで呼んだ少女。
 
 表情がよくわからないくせに好奇心旺盛で、常識に疎く、授業を乗っ取って教師の真似事をするのが好きで、そして何故か悠二にいつも一緒にいた。
 
(自覚なかったみたいだけど、初めからバレバレだったよね、あれ)
 
 わかりやすい少女の行動を思い出して、クスリと笑う。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 不思議な少女だ。
 
 彼女の登場で、自分の周りは大きく変わり始めた。
 
 その後しばらくして似たような現れ方をしたシャナ・サントメールも、きっと無関係ではないだろう。
 
(ヘカテーって、一体何だったんだろ?)
 
 あまりに普通の常識が当てはまらない少女。
 
 だから、冬休みが終わって学校に来れば、もしかしたらまたひょっこり三人揃って現れるかも知れない。
 
 そんな風に、淡い期待も持っていた。
 
 だが、実際にはそんな事はなかった。
 
 逆に望まぬ形で、またもや常識が覆されたのだ。
 
「おはよう」
 
 教室の扉を開いて中に入る。さすがに、クラス全体に活気が無いように見えた。
 
(‥‥‥うちのクラスって、こんなに普通っぽい感じだったんだ)
 
 いつの間にか、「うちのクラスは変わっている」という認識を快く感じていた自分を自覚する。
 
「おはよーオガちゃん。今日も朝練だったんだ?」
 
 コスメ雑誌を眺めていた中村公子が、緒方真竹に声を掛ける。"今の"一年二組では彼女はかなり明るい部類に入る。
 
「まあね、そろそろ私も後輩持つんだし、しっかりしないといけないから」
 
 緒方とて元々が竹を割ったようなカラッとした性格だが、状況が状況だけに今一つ元気に欠ける。
 
 正直、中村のような無遠慮な性格はこういう時にはありがたい。
 
「‥‥ん〜〜、やっぱ、クラスのムードメーカーがこぞっていなくなると、皆元気無くなるねえ」
 
「‥‥‥ん」
 
 こういう事を、何でもない事のように言ってくれるから、助かるのだ。
 
「‥‥"六人"、だからね」
 
 しばらく前に、池速人と話した事を思い出す。
 
 悠二を中心としたヘカテーやゆかり、佐藤達が、何かを自分達に隠している、その事を知らない自分達が、少し寂しい、と。
 
 あれから、また何かが変わったという事なのだろうか?
 
「‥‥‥佐藤と田中、今日は遅刻かな」
 
 
 年を明け、長いようで短い休みを終えて久しぶりに来た学校‥‥
 
 シャナ・サントメール、そして吉田一美と池速人の三人が‥‥姿を消していた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥ちょっと、狭いんだけど」
 
「‥‥‥‥なら、おまえ達が消えろ」
 
「一人占めはずるいなあ」
 
 
 『天道宮』上空での戦い以降、力の消耗を避けるために取っている措置。
 
 メリヒム、フィレス、ヨーハンの三人が、存在の力の消耗を免れる水盤型の宝具・『カイナ』の上に座り続ける事。
 
 ‥‥なのだが、言うまでもなく三人も入ると狭い、ギリギリだ。
 
 しかも、二代目・『炎髪灼眼の討ち手』を見いだし、育てるための数百年の間、アラストールが座していた水盤。
 
 メリヒムにとっては不快極まりない。
 
 極めつけに、一緒にいるのが‥‥‥
 
「ヨーハン、これからどうなるんだろ?」
 
「‥‥悠二の言っていた事が気になるな」
 
「‥‥やっぱり、大きな戦いが始まるのかしら‥‥」
 
「大丈夫。何が起こっても、僕達二人なら大丈夫さ」
 
「ヨーハン‥‥」
 
「フィレス‥‥」
 
 
(うっとうしい!)
 
 シリアスな会話の端々に桃色の空気を漂わせるバカップルである。
 
 メリヒムでなくとも我慢ならない状況と言える。
 
「あ、あんたどこに行くの?」
 
「貴様らのいない所だ!」
 
「あまり長く出てない方が良いよ。君が一番消耗が激しいんだから」
 
 元凶の一人がしれっと言う事にやたら憤りを感じつつ、メリヒムは部屋を出る。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 同ホテル、マージョリーの部屋。
 
 俯いて、両手でグラスを持ったメイドの前に並ぶワインの空き瓶、その全ての首が鋭利に切り落としてある。
 
(娘や旦那のいない所だとすぐこれ、ってわけね)
 
 元々が情に生きるフレイムヘイズ。あんな事があったのだ。心配をかけたくない対象の目のない所に来ればこうなる事は予想出来た。
 
(‥‥何か、私ってそういうイメージで定着してるのかしら)
 
 マージョリー自身は、それほど動揺してはいない。
 
 相手の立場がわかった。相手の目的がわかった。これからの動きも、大筋決まっている。
 
 やる事は変わらない。
 
 ブン殴って、言う事を聞かせる‥‥お互い、命懸けで。
 
 今度は負けない、それだけだ。
 
 こんな風に前向きに割り切った考えが出来る事自体、以前の自分とは違うのだとわかってはいるが‥‥‥別にそれを嫌だとは思わない。
 
 
『もう、あなたに"銀"は必要ない』
 
(‥‥‥‥そうかもね)
 
 少し頭を冷やせば、自分を見つめ直せば、そうやって簡単に受け入れられた。
 
 自分は変わった。
 
 そうわかっているからこそ、このまま放っておくわけにはいかない。
 
 
 そんな風に、マージョリーはもう心の準備は出来ていた。
 
 今すぐにでも戦える。
 
 しかし‥‥‥
 
(‥‥‥これ、どうしようかしら)
 
 
 そうでもなさそうなのもいる。
 
 
 
 
「頼んだよ」
 
「わかってる」
 
 悠二も、ヘカテーも、ゆかりも、この場には呼んでいない。
 
 "座標特定"が済んだ今、こればかりは必要不可欠だという事もはっきりした。
 
 いくら『秘匿の聖室(クリュプタ)』があろうと、これから為すべき事の大きさを考えると、放置しておくのは危険過ぎる。
 
 "双方の"犠牲を最小限に止めるためには短期決戦。
 
 それが悠二の方針だという事もわかっている。
 
 ‥‥どちらにしろ、『これ』は自分の仕事だ。
 
 
「シュドナイ」
 
「っ!」
 
 呼んだ覚えのない三人、『緋願花』の面々が、少し離れた正門の上にいつの間にか現れていた。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 あの三人の覚悟を疑う、というわけではないが、何となくこの場は見られたくなかった。
 
 黙って行こうとしていた事の罰の悪さも相まって、つい目を背ける。
 
 そんなシュドナイの頭上から‥‥‥‥
 
「‥‥任せる」
 
 認めた男からの信頼と、
 
「‥‥こちらの準備は整いました。後は、共に、大命の成就を目指すのみ」
 
 守ると決めた少女からの、かつてない激励と、
 
「お土産よろしくお願いします♪」
 
 そんな二人を支える新たな仲間からの軽口が、掛けられる。
 
 
 それが‥‥‥
 
「く、くく」
 
 どうにも、こうにも、嬉しくて‥‥‥
 
「はぁーっははははは!!」
 
 隠しもしない笑いを上げる。
 
 ひとしきり笑うと、ズンッと足下の岩盤を砕くほどに力強く片膝を着き、頭を下げてから、背を向ける。
 
 その礼は、悠二に向けられたものか、それとも悠二の左手に在る『ウロボロス』に向けられたものか。あるいは、その両方か。
 
 その事自体にはあまり意味がない。
 
 シュドナイ自身が心から認めた相手にしか、決して取らない礼であり、悠二も、『彼』も、そこに含まれているのだから。
 
 
 闘争心、使命感、そして新たに生まれた妙に弾む気持ちを抱き、その背で語り、
 
 
 『将軍』・"千変"シュドナイ、出陣。
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 八話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/08 20:35
 
『あとは、私とアラストールでやるわ』
 
(待って‥‥‥)
 
 仲間だと、一緒だと言ったくせに‥‥‥。
 
『ここから先は、"一緒"でも意味がない‥‥』
 
 紅蓮の女は、馬鹿にする風に笑う。
 
『別に、死にに行くわけじゃない。駆け抜ける命が、あそこで尽きるだろう、ってだけのこと。死ぬのは、ただの結果よ』
 
 いつもいつも、勝手な事ばかり‥‥‥
 
『背中を預けるのに、あなたたちほど安心できた戦友はなかったわ』
 
 そして女は、背を向ける。
 
『さよなら、ヴィルヘルミナ、ティアマトー。今までありがとう』
 
 舞い上がる。
 
『あなたたちに、天下無敵の幸運を』
 
 突然、光景が変わる。
 
 たった今舞い上がり、自分たちに別れを告げた女騎士が、青の天使の前に立っている。
 
 明らかに戦う力など残っていない、それでも、彼女は立っていた。
 
 絶対の敵を前にして、何故か彼女は振り返る。
 
 "これ"を、自分は見た事は無い。しかし、知っていた。
 
 振り返る女騎士の顔が突然ぼやけて、変わった。
 
 自分が育てた、可愛い、可愛い、とても可愛い少女。
 
『‥‥天破、壌砕』
 
 
 
 
「っーーー!!」
 
 目に見えるのは、馴染みのない、白い天井。
 
「顔面蒼白」
 
 ベッドの横のタンスの上から聞こえる、パートナーの声。
 
(‥‥‥夢?)
 
 体を起こし、周りを見渡し、ようやく状況を理解‥‥‥しつつある。
 
(確か私は、マージョリー・ドーの部屋で一緒に飲酒を‥‥‥)
 
 自分の行動を思い返そうとして、
 
「っ!」
 
 『夢』の事が、再び頭に浮かぶ。
 
(‥‥‥マティルダ)
 
 只の夢ではない。夢の初めは、実際にあった過去の記憶。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 彼女がああする事はわかっていた。
 
 だから、それをさせないために、奇跡に懸けるために、一緒に戦ったのだ。
 
 誰が何を言おうと、彼女が聞き入れるはずはなかったのだから。
 
「感しょ痛っ!?」
 
「‥‥うるさいであります」
 
 相棒の一言が何故か無性に腹立たしく思えて、珍しく頭上にいないヘッドドレスをひっぱたく。
 
 夢の最後の瞬間、突然変マティルダから変わった顔が、頭を重くもたげる。
 
 ‥‥‥わかっている。
 
 何故こんな夢を見たのかを。
 
 今は、"そういう時"なのだ。
 
(‥‥‥‥もう、失いたくない)
 
 いつもそうだ。世界そのものが自分を嘲笑うかのように、大切なものを奪っていく。
 
 酷過ぎる現実が、いつも襲いかかってくる。
 
 御崎市での出会い。
 
 坂井悠二、平井ゆかり、ヘカテー。
 
 彼らとの邂逅によって、失ったと思っていた大切なものを、取り戻せた。
 
 フィレス、ヨーハン、そしてメリヒム。
 
(それなのに‥‥‥)
 
 今度は、その坂井悠二達が自分の敵として、現れた。
 
 よりによって、愛娘の、自覚のない想いを受ける存在として‥‥‥。
 
(もう、嫌だ‥‥)
 
 わかっている。
 
 それでもどうせ、自分は何も捨てられない。
 
 戦うしかないのだ。あの時のように。
 
 フレイムヘイズとして戦い、『世界の敵』を連れ戻す。
 
 不可能としか思えない事を成すための戦いを。
 
(もう、失いたくない)
 
 グッと握った手に、決意を新たに固める。
 
 そこで、
 
(‥‥?)
 
 握った掌の中に、少し何かが紛れ込んでいる感触を感じて、手を開いてみる。
 
(これは‥‥‥)
 
 女性のように長く、細く、繊細な、銀髪。
 
 そうだ。自分はマージョリーの部屋で酒を飲んでいたはずなのに、自分の部屋にいる事自体がおかしい。
 
 手に在る銀髪の意味するところを理解して、再び掌を握り、まるで抱くように、両手で胸へとやる。
 
(大丈夫)
 
 ティアマトーの目も、完全に忘れていた。
 
 
(今度は、あなたも一緒だから‥‥)
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 今は、シャナに一人で考える時間を与えたかった。
 
 自分が傍に在るという状態自体が、シャナを縛る枷になりかねないという判断からである。
 
 だからこそ、本当なら頼みたくなどない傲慢な徒の手を借りてこんな所にいるのだ(場所は別に自分で選んだわけではない)。
 
 水槽の底から、上方を泳ぐ熱帯魚を見上げる。
 
 人間がどういうわけか水と戯れたがる気持ちが少しだけわかる。思いの外、落ち着くのだ。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 彼、"天壌の劫火"アラストールは、自らの使命は必ず果たす。
 
 しかし、物心つく前からの親の一人として、短い間だが、共に一つのフレイムヘイズとして戦ってきたパートナーとして、シャナの事を信じ、大切に思っていた。
 
 だからこそ、シャナ自身の意思と覚悟で、決めて欲しかった。
 
 フレイムヘイズとして‥‥‥。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 愛した女は言った。
 
 
『この、厳しさでしか他人に当たれないくせに、本当は優しくて優しくてたまらない、可愛らしい大魔神に‥‥‥』
 
 その言葉は、信じてもいい。
 
 いや、彼女の言葉だからこそ信じよう。少なくとも、彼女にとってそれは真実だったのだから。
 
 だが‥‥‥
 
『知ってるよ? 隠さなかったでしょ? 私も、大好き。みんな大好き』
 
 ‥‥決して形になる事がないのなら、その優しさに意味などあるのだろうか?
 
 事実、
 
『おまえのためじゃない‥‥‥ああ、誰がおまえのためになんか!!』
 
 メリヒムは、マティルダが言った『それ』を、決して認めていない。見ればわかる。
 
 そして、その事に関しては、甚だ不愉快だが、自分もメリヒムと同意見だ。
 
 そんな"優しさ"を肯定された所で、自分は結局、その優しさを、愛を、全てを省みずに、志を選ぶのだから。
 
 
『さようなら。あなたの炎に、永遠に翳りのありませんように』
 
 いや、それも違う。
 
『もう一度だけ、言わせてね』
 
 自分にとって、いや、"自分と彼女に"とって‥‥‥‥
 
『愛しているわ、"天壌の劫火"アラストール、誰よりも‥‥‥』
 
 
 志と愛は、一つのものだった。
 
 
 
 
 いきなり、抱き上げられた。
 
 仲間との戦いで悲しい気持ちになった自分。悠二に会いたいと思って自室に来た自分を、悠二が突然抱き上げたのだ。
 
 そして、そのままベッドに運び、寝かせて、悠二自身も布団に入る。
 
 いつもなら、自分が寝た後に悠二が布団に入ったり、悠二がいる布団に自分が潜り込むのが常。
 
 一緒に布団に入る時も、大抵自分が布団に引っ張り込むのだ。
 
 だから、これは異例。
 
 悠二から添い寝を求め、さらには抱き締めてくれているのだから。
 
(んぅ‥‥‥‥)
 
 小さなヘカテーを包み込むように、抱き締める。
 
 すっぽり悠二の胸に収まったヘカテーは、ぬくもりの中で、先ほどまで感じていた辛さを思う。
 
 消えは、しない。
 
 事実は消せない。それに、まだ何一つ終わってはいないのだから。
 
 だが、悲しみの上から温かくて大きなものが包んで、覆い隠してくれるような感覚を覚えた。
 
 悠二は、何か特別な事を言ったわけではない。
 
 自分の決意を再度表明して、ヘカテーを奮い立たせたわけでもない。
 
 ただ、胸の中で身を任せるヘカテーの頭や背中をゆっくりと、何度も撫でながら‥‥‥‥
 
「‥‥‥頑張ろう」
 
 一言、そう告げただけだった。
 
 ヘカテーは、悲しさも、嬉しさも、寂しさも、決意も、色んな気持ちがごちゃ混ぜになって、しかしその全てを、温かな安心感に包まれているのを感じながら。
 
「‥‥‥‥はい」
 
 少年の腕の中で、瞼を閉じて、身体を預けた。
 
 寄り添い、想いが募る。
 
 いつしか、何かたまらなくなった自分は、下から少年の顔を見上げ、身をよじって伸ばし、その唇を‥‥‥‥
 
 
「ヘカテー!」
 
「‥‥(ビクッ)!」
 
 隣からの、ゆかりの突然の大声に正気に帰る。
 
 少しだけ前の事に想いを馳せていたらしい。
 
「‥‥全く、すぐに妄想に浸るんだから。そんなんじゃそのうちアホの子認定されるよ?」
 
 ‥‥夢想している自覚はあるが、それは今している作業やゆかりの発言のせいである。
 
 決して自分は阿呆ではない、断じて。
 
「私はアホの子ではありません」
 
 ゆえに、キッパリと否定しておく。
 
「巫女さまのサイズに合うお召し物が少し少ないですね」
 
「このマネキンの標準サイズ、私でもちょっと大きいもんね」
 
「‥‥‥帰っていいかね?」
 
「だーめ♪」
 
 
 フリアグネは、その趣味ゆえ、自身の燐子に着せる衣装のバリエーションに富んでいる。
 
 それは先日ヘカテーが確認し、ゆかりに伝わった事実。
 
 フリアグネ・マリアンヌルームには、様々な(普通は売ってない)衣装が存在し、それが別な意味の"狩人"であるゆかりに露見したのである。
 
 ヘカテー、ゆかり、マリアンヌ、そしてリャナンシー(は、強制連行)に占拠されたフリアグネルーム。
 
 今この場所は、男子禁制の乙女の花園と化していた。
 
 その花園の入り口のすぐ外で‥‥‥‥
 
「う〜〜〜、う〜〜‥‥‥!!」
 
 混ざろうか、混ざるまいか、むしろ混ざるのはアリかどうかに悩む妙齢の美女が一人、悶えていた。
 
 
 
 
(師匠の事だから、あの場所かな‥‥)
 
 長年共に戦ってきた師である男、サーレ・ハビヒツブルグを探して、キアラ・トスカナは奔走していた。
 
 これも別に珍しい事ではない。
 
 彼の無精髭を剃るだの剃らないだの、という小さな理由で喧嘩してしまったのだ。
 
 珍しくもない、いつもの事。小さな、わりとどうでもいい事である。
 
 だが‥‥‥
 
(どうせ大した問題じゃないんだから、剃ってくれてもいいのに‥‥‥)
 
 と、キアラは思う。
 
 サーレが同様に「なら剃らなくてもいいだろうが」と考えている事は敢えて無視する。
 
 何だかんだ言ってもそれなりに頑固なキアラであった。
 
(前に一回、来た事がある)
 
 些細な事で逃げたとはいえ、サーレも強力なフレイムヘイズ。
 
 昨今の、少々不穏な空気を感じる徒たちの動きがわかっていないはずはない。
 
 それら、フレイムヘイズの常識から導きだされる手掛かりの下、キアラはサーレを連れ戻しに、以前一度だけ訪れた事のある外界宿支部に向かっていた。
 
 まあ、他に手掛かりらしい手掛かりがないとも言う。それゆえ、キアラはそうすぐにサーレを見つけられるとは思っていなかった。
 
 せいぜい、「見つかればいいな」くらいの気持ち。見つからなければ捜索願いも頼んでおこう、そんな考えだったから‥‥‥
 
「! ‥‥‥師匠!?」
 
 外界宿に到着する前の曲がり角の辺りで見慣れたカウボーイ姿を見つけた時には、予想をいい意味で裏切られた。
 
 いや‥‥あるいは、悪い意味と言えたのかも知れない。
 
「あれ? 逃げないわね」
 
「てっきり、脇目も振らずに逃げると思ったのに」
 
 ウートレンニャヤとヴェチェールニャヤの言葉同様、キアラも妙に感じていた。
 
 サーレはこちらに振り向きもせず、慌てもせず、ただ帽子の鍔を少し下げて、通りを曲がった先、自分には見えない方ジッとを見ていた。
 
 様子がおかしい事に気付いたキアラは駆け足でサーレに近づき‥‥‥
 
「師‥‥‥」
 
 そこで、サーレが何を見ていたのかに気付いた。
 
 
 かつて一度だけ訪れた外界宿の支部。
 
 そこに、"何もなかった"。
 
 初めから存在していなかったように。
 
 当然、そんな話は聞いていない。
 
 
「‥‥‥少し、厄介な事になりそうだな」
 
 サーレが小さく、呟いた。
 
 



[7921] 水色の星T 五章 九話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/09 23:01
 
 ‥‥一体、これは何なのだろうか?
 
「準備は整いましたか?」
 
「まだ、もうちょっと」
 
 中国に渡ってから二週間。自分が想像していたような展開に則したように時々、異様な緊張感を漲らせていた吉田だが、実際にしていたのは観光だった(少なくとも、自分から見たらそう思えた)。
 
 てっきり、悠二たちの居場所が掴めないから慌てず騒がず、という事なのかと思っていた。
 
 が、
 
「あの、吉田さん? これからどこに?」
 
「サバイバル」
 
 自分も、吉田も、背中に大きな荷を背負い、迷彩服にその身を包んでいる。
 
 じいや氏も迷彩服だが、首に巻いた赤いスカーフが何ともミスマッチである。
 
「‥‥‥今から、ここに入るの?」
 
 目の前に広がる景色と今の自分達の格好から、予想がついてはいたが‥‥。
 
「ご心配なさいますな。あなた方の身の安全はこの私めが保証させて頂きます。これも我が身に余る栄誉ある務めなれば、全身全霊で以て当たるつもりでございます」
 
「じ‥‥じいやさん」
 
 こんな、こんな何のために来たのかもわからないような子供にそこまで‥‥。
 
 おまけに『務め』。これは、いよいよ自分の憶測が信憑性を帯びてきた。
 
 池の予想(妄想)は実際は"要点としては"概ね正解である。
 
 吉田や池自身がヘカテーの実家の関係で動いている事も、ザロービがヘカテー(仮装舞踏会)のために手助けをしている事も。
 
 ただし、じいやではない。
 
 そして、吉田は池に真相を話すつもりはこれっぽっちもない。
 
 何も知らない少年・池速人、
 
「んじゃ、行くぞ」
 
 今、とても普通の人間が入るとは思えない樹海に、足を踏み入れる。
 
 
 
 
 『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルからの緊急の書簡に書かれていたのは、あまりにも突拍子もない事だった。
 
 直接的で積極的な闘争行動を数百年もの間とらなかった紅世の徒最大級の集団、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』。
 
 その『仮装舞踏会』が今、放逐された『盟主』、"祭礼の蛇"の力を操る『代行体』たる"ミステス"の少年をその玉座に据えて、再びかつての望みを果たすべく動きだした。
 
 即時、全世界のフレイムヘイズに伝令を回し、その対処、野望の駆逐に全力を注げ。
 
 まるで子供の空想、タチの悪いイタズラとさえ取れる文面であった。
 
 この情報の出所が、『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルでなければ‥‥‥。
 
 それでも、情報の伝達と対処は驚くほどに、いや、あるいは当然のように鈍かった。
 
 紅世真正の魔神、"天壌の劫火"直々の要請も、ほとんど効果無し。
 
 彼が『炎髪灼眼の討ち手』と共にその大威令を誇ったのは数百年も前の事、今では外界宿(アウトロー)の中枢部に彼をよく知る者が、人間はもちろん、フレイムヘイズすらほとんどいなかったためである(シャナだけが知る事だが、アラストールはこの零落がかなりショックだったらしく、しばらく意気消沈していた)。
 
 ただ、全く運がなかったわけでもない。
 
 同じ国に、事情をよく把握、納得出来て、かつ今のヴィルヘルミナ達よりも信用度が高く、何より、直接外界宿に詰めていた者がいたからだ。
 
 それが‥‥最も早く、この情報に食い付き、それを大々的に広めたのが、『輝爍の撒き手』レベッカ・リード。
 
 自身の"直接的"な邂逅や、ヴィルヘルミナとは数百年来の知己である事もあり、そのあまりに信じ難い情報を、すぐさま公式な物として布達した。
 
 それでも、伝達はともかく、対処は鈍い。
 
 それも無理からぬ事。
 
 信用できるのはせいぜい情報の出所たるフレイムヘイズの名前だけ。内容はお伽話に近く、要請は全世界規模。
 
 そんな状況で、そう簡単に動けるわけがない。しかしそれでもフレイムヘイズも少しずつ用意が整っていっていた。
 
 ただ、その遅々とした進みは、それに掛かる時間は、今という状況ではあまりに大きい。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 会えばわかる。何の根拠もなしに、そう思っていた。
 
 ヘカテーが消えてから、いや、違う、きっと坂井悠二に出会ってから、ずっと胸の中で燻っていたもやもやしたものに、形を持たせられると。
 
 自分が考えていたものとは違っていたが、それは結果として為し得たのかも知れない。
 
 それは、「会えばわかる」などという曖昧な形のものではない。
 
 自分、坂井悠二、ヘカテー、今まではその特殊な在り様ゆえに目を瞑っていた‥‥違う、目を背ける事が出来ていたものを、明確に見せ付けられたからだ。
 
 『倒すべき敵』という明確な関係となった事で、目を逸らさずに見るしかなくなったのだ。
 
 自分を、悠二を、ヘカテーを‥‥‥。
 
 
(‥‥坂井、悠二)
 
 思えば、最初から気に入らないやつだった。
 
 いきなり出てきて、こっちの在り方を否定してくる、生意気なミステス。
 
 反発のような出会い、『監視』という大義名分を掲げて、彼らの近くで過ごすようになった。
 
 最初は、純粋に監視という目的だった、と思う。
 
(でも‥‥‥‥)
 
 自分は、フレイムヘイズになるために、そのためだけに育てられ、自らも選び、その道を歩いてきた。
 
 そんな自分から見た時、坂井悠二達は、自分の知らないたくさんのものを知っていた、持っていた。
 
 そして、いつしか自分も少しずつ、そんな流れの中に身を置き、それを心地よいと感じるようになっていた。
 
 ただ、それでも坂井悠二にある種の不快感をいつも感じていた。いつも、一定以上に近づかないようにしていた気がする。
 
 いつもヘカテーやゆかりと一緒にいる悠二を、冷めた目で見ていた気がする。
 
 でも‥‥‥
 
(違う)
 
 ヘカテーが消えても、その不快感は消えなかった。むしろ、大きくなったとさえ言えた。
 
 そして、今度はゆかりと一緒に悠二までも消えた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、どうしたらいいのかわからなくなった。
 
(私は‥‥‥‥)
 
 そして、敵として自分の前に現れた悠二の隣には、あの二人がいた。
 
(私はずっと、目を背けていた‥‥‥)
 
 この世に害を為さない存在として、"フレイムヘイズ以外として対する"存在だった彼らに対して抱いていた想いから、目を背けていた。
 
 自分でも理解していなかった、だがそれは言い訳だ。
 
 自分は、無意識の内に"逃げていた"のだ。
 
(理解出来なくて、でもフレイムヘイズとして対処出来ずに、ただ惰性の先に逃げていた)
 
 そうする事に、何の問題もなかったから。
 
 そうしていても、何がどうなるわけでもなかったから。
 
 だが、変わってしまった。
 
 少年は、目の前で自分に、剣を突き付けていた。
 
 その隣に、少女もいた。
 
(私、だったんだ‥‥!)
 
 あの時を経て、理解した。
 
 それまで、悠二が悪いのだと、だから自分が不快になるのだと思っていた。
 
(‥‥でも、違った)
 
 自分が、悠二に他の女性と一緒にいて欲しくなかった、仲良くして欲しくなかったのだ。
 
 だから、いつもヘカテーやゆかりと一緒にいる悠二に、怒りにも似た感情を抱いていた。
 
 原因は自分の、悠二に対する気持ちだったのだ。
 
 掛けられる言葉、居心地の良さ、困ったような微笑み、時々持つ事があった、二人だけの時間。
 
 それらが全ての原因だった。
 
(だから、私は‥‥‥)
 
 距離を取ったのだ。
 
 悠二の傍にはいつも、ヘカテーがいたから。
 
 近づけば傷つくと、ヘカテーやゆかりとの近さをわかってしまうと。
 
 そう思ったから。
 
(逃げた‥‥‥)
 
 羨ましかった。
 
 自分はあれほど悠二の近くにはいなかったから。
 
 恐かった。
 
 自分はあの二人よりずっと遠かったから。
 
(なんて、無様な‥‥!)
 
 自分がそんな醜態を晒している事にすら、気付いていなかった。
 
 自分に剣を向けた悠二と、その傍らを見て、ようやく理解出来たのだ。
 
 
(‥‥‥私は、フレイムヘイズ)
 
 そんな自分の今の状態、それ自体がフレイムヘイズとして許されるのかどうかすらわからない。
 
 まして、坂井悠二は今や世界のバランスどころか理すらもねじ曲げようとしている、フレイムヘイズの敵。
 
(‥‥ヴィルヘルミナ)
 
 自分を育てたフレイムヘイズの顔が、頭に浮かんだ。
 
 
 
 
「話せ、シャナ」
 
 呼び出され、しばしの沈黙を破るように、メリヒムが口火を切る。
 
 この部屋には今、シャナ、ヴィルヘルミナ、アラストール、ティアマトー、そしてメリヒムがいる。
 
 皆、『天道宮』での日々の中でシャナを育てた者達。
 
 シャナの抱えていた憂い、呼び出された意味、皆、その全ての意味を理解している。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 閉じていた瞼を開くシャナ。その目に強い決意を見て取る。
 
 前の戦いで悠二に斬り掛かった時のような薄っぺらな意思ではない、強い芯を感じさせる決意の色。
 
 そのシャナが、単刀直入に、はっきりと告げる。
 
「破壊はしない」
 
『っ!?』
 
 「何を」、そんな事は皆理解していた。
 
 シャナが『それ』を抱えて苦しんでいた事に育ての親たる彼らが、理解していた分、あるいはシャナ以上に胸を痛めていたのだから。
 
 シャナも、それを理解している。
 
 その上で続ける。
 
「私はフレイムヘイズ、世界の変革なんて、させない」
 
 何を言われても決意を言い切る、そんな頑固さが感じられる。

 
「使命は果たす、でも坂‥‥"悠二"を壊したくない。どっちも私、どっちが欠けても私じゃない」
 
 力が、決意が、シャナの言葉に、瞳に宿っていた。
 
 決意を言葉として紡ぐ、その内に湧き上がる言い様の無い熱い感覚に、体が奮える。
 
 
『自分を誤魔化すのはおしまい。貴女と貴女を一つにする時が来たのですよ』
 
『おまえの道は、おまえが決めろ』
 
『忘れるな』
 
「私は、『私』の信じる戦いをする。そう決めた」
 
 咆える少女の心に呼応するように、その髪と瞳が煌めく紅蓮に染まった。
 
 
『じゃあ、君はシャナだ』
 
『君はシャナ。もうただのフレイムヘイズじゃない』
 
 
 その言葉が、嬉しかったから‥‥‥
 
 
「『炎髪灼眼のシャナ』として!」
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 十話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/11 17:33
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 全く、呑気なものだと思う。
 
 いや、こういう時にあれほどお気楽に振る舞えるのは、ある意味大物だと言えるのかも知れない。
 
 『大命』の第二段階の準備は完了している。あとはシュドナイの働きを待たなければ次の行動が取れないのだから、確かに今は目立つような真似さえしなければ何をしてもいい時期。
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』全体にも、「来るべき大戦に向け、英気を養え」とは伝えているが、中核を為すあの三人がああも奔放では何か締まらない。
 
 考えている間に、ヘカテーが何やら可愛らしい服を着て、ネコ耳としっぽまで付けて足取りも軽く駆けて行く。
 
 もう頭を痛める事もない。「それが彼らだ」と割り切っている。ゆえに軽い溜め息だけに止める。
 
「今という時を理解しているからこそ、であろう。切り替えの早さなら『緋願花』の右に出る者はおらん」
 
 そんな参謀・“逆理の裁者”ベルペオルの肩に、ちょろりと搭乗する宝具・『ウロボロス』。
 
「‥‥あの者たちは、失う辛さと、今在る平穏の尊さを知っています。だからこそこの王道を往き、まただからこそ、ああして精一杯『今』を謳歌しているのでしょう」
 
 『彼』が気に掛けてくれた事に少しだけ狼狽したが、その言葉の意味を飲み込んで、自分の思う三人を口にする。
 
「失う辛さ‥‥か」
 
 それに返るのは、自嘲のような、あるいは憂いのような呟き。
 
「おまえにも、永く悲痛を与えたな‥‥」
 
「いえ、そのような!」
 
 自分は、まだマシな方だと思っている。
 
 反射的に慌てて否定し、盟主を立てようとするベルペオル。
 
 その眼帯を、肩からひゅるりと伸びた小蛇の頬が、そっと、優しく撫でた。
 
「もうすぐだ。今度こそ、成し遂げてみせる」
 
 石のように固まるベルペオルに、構わず言葉は続けられる。
 
「この右眼に‥‥報いるためにもな」
 
 そこでハッと我に返ったベルペオルは、しかしまともな言葉が出てこない。
 
 ただ一言、
 
「は‥‥‥」
 
 それだけを、返していた。
 
 
 
 
 『それ』は目標と共に海を渡り、増殖するように広がった。
 
 しかし元となったものがその拡大していく流れから外れた事を確認する。
 
 もととなったものを基点とするにはあまりに危険な要素が多いという事は初めからわかっていた。
 
 だから、別の基点から生み出し、直接的に探り出す事にした。
 
 “見当をつける”、その意味ではすでに目標は十分に役割を果たしていた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 たまに、自分を手放しで褒めたくなる時もあるのだ。
 
 黒を基調として白を重ねたシンプルなデザインを、沢山のフリルで飾った可愛らしい服‥‥‥
 
「ゴスロリ?」
 
 そういう名前なのか‥‥を着た上にネコ耳としっぽまで装備したヘカテーが現れたのである。
 
 自分が怪しげな性癖を持っているわけではない(はずだ)。
 
 全国万人、あのヘカテーを可愛らしいと思わない人間はいまい。
 
 だから別に自分はおかしくなどない。
 
 などと自己弁護しながら、自画自賛する。
 
 ヘカテーは未だに自分の容姿に自覚がなく、だからこそ、あんな格好をされるとこっちは困る。
 
 ヘカテーは何も知らない。誘惑に負けてはならないのだ(悠二は、ヘカテーがそのテの教えを受けた事を知らない)。
 
「いいじゃん。ヘカテーだって嫌がんないって♪」
 
 いやいやいや、いくら恋人同士とはいえそれじゃまるで騙してるみたいで‥‥‥‥って!
 
「‥‥ゆかり、勝手に人のモノローグに割り込まないで」
 
 大体、ヘカテーにあんな格好をさせたのもゆかりなのだ。
 
 自分が不屈の精神力を発揮した直後、ドアの隙間からビデオカメラ片手に現れたのである。
 
 何故か日本の巫女さんの衣装で。
 
 大方、自分の恥ずかしいシーンでも撮ろうとしていたのだろうが、一体あんな衣装をどこで仕入れてくるのやら‥‥‥。
 
「あ、悠二タケノコ見っけた! 帰ったらタケノコ御飯にしよ!」
 
 聞いてないし。
 
「観念したまえ、坂井悠二。少々の騒動があろうと、今の君の立場は実に恵まれているものだ。自覚した方が良い」
 
 変わらず振り回される悠二を慰めず、敢えて諭すのは“螺旋の風琴”リャナンシー。
 
「‥‥うん。それはわかってる」
 
 人間を、もう二度と取り戻せない大切な日常を失った自分が、それでも今、どれだけ恵まれているかは、わかっているつもりだ。
 
「それより師匠まで、何で?」
 
「‥‥‥そんなこといちいち訊くから、青いというのだ」
 
 悠二、ヘカテー、ゆかり、リャナンシーは今、気分転換に地表に降りていた。
 
 何故か、先ほどの格好のままで。それはリャナンシーも同様だった。
 
 こんな大自然に直接入るのは初めてで非常に新鮮な気分なのだが、三人の服装はどうにも場違い感が拭えない。
 
 ‥‥いや、可愛いのだけれど。
 
「それに、冬場には悪くないぞ?」
 
「いや、そりゃそうかも知れないけど」
 
 今のリャナンシーはバニーガール‥‥‥ではなく、白うさぎの着ぐるみ少女である。
 
 元々ヘカテーとどっこいどっこいの小柄サイズなのでぬいぐるみみたいでよく似合う。
 
「それより、大した余裕だな」
 
「余、裕?」
 
 少しリャナンシーの言葉に真剣味が籠もり、その言葉の不可解さと合わせて首を傾げた。
 
「これから始まるのは、全世界史上における未曾有の大戦だ。それを前に、普段と変わらない態度に見える、強がりにも見えん」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 自分でも、それはわかっていた。
 
 しかし、自身驚くほどに今の状況に緊張していない。
 
(もしかして、ピンと来てないとか‥‥‥?)
 
 覚悟を決めたつもりだったのに、もしそうならショック‥‥以前に最低だ。
 
 その説を自身で否定しながら、リャナンシーに応える。
 
「‥‥まあ、今慌てたところでやる事は変わらないし‥‥もしかしたら『大命詩篇』の影響で『彼』の貫禄の影響受けたりしたのかも‥‥‥‥」
 
 自分で言っている内に、自説に信憑性を感じ始める。
 
 最近は慣れて、表層的な態度には現れにくくなってきてはいるが、やはり『同調』している時の、“自分が曖昧な感覚”は依然として在る。
 
 それが平時にもちょっとした影響を与えていてもさほど不思議ではない。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 その返答に、リャナンシーは少しだけ難しい顔をする。
 
 リャナンシーは複雑怪奇な『大命詩篇』に干渉出来る数少ない存在である。
 
 その彼女の見立てが正しければ、悠二の説は少々疑わしい。
 
 確かに、あんな不完全で不安定な『大命詩篇』が素体である悠二の意思総体にどんな影響を与えるかは自分にすら予想がつかない。
 
 しかし、そもそもそんな不完全な状態で『同調』出来た、という前提があるのだ。
 
(坂井悠二が“祭礼の蛇”の影響を受けたというより、元々そういった部分が共通していたからこそ共鳴しあえた、と見るべきか‥‥‥)
 
 と、リャナンシーは一人納得する。
 
 全く、目の付け処は悪くないのに、詰めが甘いとでもいうか。
 
 まあ、教えたら調子に乗りそうだから敢えて教えないが。
 
(何だろ、黙って‥‥?)
 
 訳知り顔で竹林を眺めるリャナンシーを数秒訝しげに見た後、
 
(まあ、いいか)
 
 悠二も気分を切り替える。今は遊ぶ時である。
 
 そういえば、ヘカテーはどこに行ったのだろうか?
 
「悠二、こんなのいました」
 
「ナイス、ヘカテー!」
 
 ヘカテーの嬉しそうな声と、ゆかりの楽しそうな合いの手に振り返って見れば‥‥‥
 
「っうわ!?」
 
 何やら巨大なのの上に、ゴスロリ衣装のヘカテーがちょこんと座っていた。
 
 耳が丸くて、体もやや丸くて、そして全体的にオセロなカラーリング。
 
「パン‥‥ダ?」
 
 様々な異形の徒がいる『仮装舞踏会』で慣れていなければ大騒ぎしている所である。
 
「あっちの方で笹の葉を食べていました。乗っても怒りません」
 
「そうか、別に中国の秘境みたいな所だし、いても不思議じゃないか」
 
 しかし、乗っても怒らないのはヘカテーが動物に好かれやすいからだろう。
 
 野生のパンダなど熊と変わらないだろうし、雑食でもある。
 
 ヘカテー以外は襲われても不思議はな‥‥‥
 
「私も乗るー♪」
 
「ちょ、やめた方が‥‥」
 
 忠告を発する前に「わーい!」とパンダによじ登ろうとしたゆかりが‥‥‥‥
 
「グワァッ!!」
 
「はうっ!!」
 
「ゆかりーーー!?」
 
 ベア・ナックルを食らって見事に吹っ飛ぶ。
 
「な、何で‥‥‥?」
 
 何事も無かったかのように起き上がったゆかりが悲しげな瞳で訊いてくるが、残念ながら弁護できる言葉を悠二は持っていない。
 
「‥‥いきなりよじ登ろうとしたらパンダも怒るって、普通」
 
 ヘカテーもおそらく普通によじ登ったのだろうが、それがこの世の理不尽さである。
 
「ゆかりを殴ってはいけません」
 
 ヘカテーがパンダの頭をポカッとはたく。
 
 何故かパンダは怒らず、耳を少し垂れて気落ち。
 
 それはまあ、見過ごせる。
 
 御崎市でもこんな事はたまにあった。
 
 しかし‥‥‥
 
「だから、青いというのだ」
 
 そのヘカテーの後ろにうさぎの着ぐるみが何食わぬ顔で乗っていたのは、少々ショックだった。
 
 
 
 
「バイバイ!」
 
「因果の交叉路で、また会いましょう」
 
 先ほどのパンダと別れる頃には、もう日が落ちて暗くなり始めていた。
 
 探検の結果、中々に広い場所を偶然発見していたのは、悠二たちにとっても有益な情報だった。
 
「よし! 今からバーベキューやろ!」
 
 ゆかりによる、またも破天荒な提案。
 
 しかし、皆が皆、こんな風に切り替えが出来るわけではない。
 
 『大命』遂行を前に、不安に駆られている者たちも多数いるはずなのだ。
 
 だから、
 
「うん、いいね」
 
「賛成です」
 
「ホルモンも焼こう」
 
 誰も、反対しなかった。
 
 
 
 
「これで、十七か」
 
 タバコの先端に紫の火を点しながら、シュドナイは呟く。
 
 十七とは、中国外界宿(アウトロー)支部を彼の率いる軍勢が壊滅させた数だ。
 
 自在師主体の編成で、平井ゆかりが起用したという『吉田一美』とやらの情報もあり、効率よく次々と支部を落としていった。
 
 しかし、何か気に入らない。
 
(少し、スムーズ過ぎるな)
 
 初めの十五箇所は、まあ予想通りの戦果だ。異変を気取られない速さで、反撃を与えない慎重さで潰してきた。
 
 だが、最後の二ヶ所。自分が直接行ったわけではなく、部隊長たる『巡回士(ヴァンデラー)』に任せた支部だが、少々呆気なさすぎる。
 
(いくら何でも、異変に気付いて警戒を強める頃合いのはずが、報告によれば一番初めの二つより反応が鈍かった)
 
 いや、もしかしたら呆気なかったというよりも、支部自体がほとんどもぬけの殻だったのではないか?
 
(だとすれば、奴らの狙いは戦力の集結、か)
 
 各個撃破の方がこちらとしてはやりやすかった。
 
(さすがに、そこまで甘い相手でもないか)
 
 だとすれば、時間を敵にくれてやるのは惜しい。
 
「将軍、如何なさいますか?」
 
 傍ら、シュドナイに心酔する“獰暴の鞍(どうぼらのくら)”オロバスの問いかけに、シュドナイは口の端を上げる。
 
「予定を繰り上げる。目標は『傀輪会』、外上海外界宿総本部だ」
 
 牙を剥き、濁った紫の炎を吐息のように軽く吐いた。
 
 
「戦いが、俺たちを待っている」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 十一話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/13 21:56
 
「‥‥ああ、ああそうだよ。おまえこそ、フレイムヘイズ全体の移動の要なんだ。状況次第じゃ真っ先に潰されるぞ? せいぜい気を付けな」
 
 フリーダーはガタガタとうるさいが、話を信じていないわけではない。
 
 むしろ、その“最悪なケース”に備えて準備を進めてくれている。
 
 だが、やはり文書の通達による無益で無駄極まりないやり取りが続けられるだけ、『兵団』としての体勢を取れるのはいつになるかもわからない。
 
 ドレル・クーベリックが改革した現在の外界宿(アウトロー)は以前に比べれば格段にその能率を上げているため、ちゃんと全体に危機感が伝われば迅速に動けるだろうが、この状況は正直焦れる。
 
 “別動隊”の動きがわかっているだけに、尚更。だから、ちょっと国際電話で相談してみたのだ。
 
 この自分が相談、という陳腐な事態をからかわれた時は爆撃してやりたくなったが、それは自分の役割と責任をわかっている証拠だ、と言われた時は嬉しかった。
 
 結果として、彼の意見は意外にも賛成。以前、自分に部隊長なんてものを頼み込んだ男の発言とは思えなかった。
 
「気障野郎が‥‥‥」
 
 彼なりに考えて、そう言ってくれたのだろう。考えが一致した、というのが何より嬉しかった。
 
 大体、自分は元々他人を使うのも、大勢に混じって戦うのも向いていない。
 
 『あっち』の方が肌に合いそうだ。
 
(ま、それだけでもねえけどな)
 
 といっても、率直に言えばただの『勘』である。
 
 全体の戦局を、頭の中で整理して、活路を見いだしたのが『ここ』。
 
 レベッカは、それをただの勘、とは思わない。むしろ、この勘こそが自分を今まで様々な戦いから生き残らせてくれた、最も信用すべきものだと考える。
 
 だからこそ、それに準じた行動を取る。
 
 
 ‥‥‥‥‥‥‥
 
 
「待て、レベッカ・リード! 自分の立場がわかっているのか!? 『万条の仕手』の言葉を信じるなら尚更、おまえにはこれから‥‥‥」
 
「立場なら‥‥わかってるぜ?」
 
 追いすがる、またもうるさいフリーダー。まあ、言っている事は尤だし、もし同調者などが続出すれば目もあてられないだろう。
 
「だから‥‥‥‥」
 
 こうすれば、スッキリ行動出来る。
 
 ドォオオン!!
 
「ぐあっ!」
 
 桃色の爆発が、廊下の一画を黒焦げにして、フリーダーを吹っ飛ばす。
 
「これで良し」
 
「いいわけがあるか!」
 
 レベッカの突然すぎる暴挙に、フリーダーは当然噛み付く。
 
 が、レベッカは聞く耳を持たない。
 
「これ以上邪魔すんなら、次は外で騒ぎになる威力でぶっ飛ばす」
 
「冷静になれ! もし本当に『仮装舞踏会(バル・マスケ)』が動けば、対『革正団(レボルシオン)』戦争や『内乱』以上の戦いになるんだぞ!」
 
「駄目よフリーダー君! 分かってるでしょ、レベッカちゃんの宣告は、絶対に脅し文句じゃないんだから!!」
 
「っ! ‥‥‥‥」
 
 フリーダーの胸ポケットに納まるブリギッドからの必死の制止に、フリーダーは口をつぐみ、レベッカはニヤリとを笑みを作る。
 
「オレも、別の場所で戦うだけだ。そっちも持ち場を離れん‥‥‥‥」
 
 と、言葉の途中でスプリンクラーの水を頭から被って‥‥‥
 
「‥‥‥なよ!」
 
 わざわざ切れた所から不機嫌に言い直して、レベッカは飛び出した。
 
 
「あ、あの‥‥‥バカ爆弾が!!」
 
 完全無欠に自分の事を棚に上げたレベッカの捨て台詞に、フリーダーは声を荒げて怒鳴った。
 
 
 
 
「ふぅ」
 
 見晴らしの良い高原の丘に、丸顔、四十過ぎほどの女性が一人、立っていた。
 
 黒い貫頭衣に純白のベールといった装いの修道女である。
 
「こんな隠居同然のおばあちゃんまで駆り出そうなんて、世界っていうのは厳しいわ」
 
「誰しも、いつまでも腑抜けてはいられない、そういう事でしょうな、ゾフィー・サバリッシュ君」
 
 ゾフィー、と呼ばれた女性を諭すのは、彼女の額にある、刺繍の青い星である。
 
「ええ、分かっていますよ‥‥‥いえ、分かっているつもりですよ、タケミカヅチ氏」
 
 彼女、『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュは、近代の椿事にして惨劇たる『革正団』との闘争の中で、生涯の友たる二人のフレイムヘイズを失い、隠居同然の暮らしをしていたのである(御崎市に現れた『革正団』は、思想や行動を隠していた残党、と言える)。
 
 しかし、隠居同然の身とはいえ、その実力や指揮能力は数百年前の『大戦』で『フレイムヘイズ兵団』の総大将を務めたほど。
 
 尤、それは戦場指揮・軍略の話であり、集団の細々とした運営などは今は亡き二人の戦友に任せていた(彼女自身は、人間時代に権力闘争に嫌気が差して修道院に入ったという過去を持つ)。
 
 いずれにしろ、今という時節に野放しにしておける人材ではないのである。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 そんなゾフィーの手にあるのは二枚の手紙。
 
 一枚は、現代の外界宿を束ねるフレイムヘイズ、ドレル・クーベリックからの直筆の書簡。
 
 そしてもう一枚は、外界宿を通さずに直接送られてきた、知己からの手紙。
 
「‥‥‥シャナ・サントメール、ね」
 
 数年前に出会い、師事した、あまりに世間知らずな、名も無き少女。
 
 あれから数年、何の連絡も寄越さなかった少女だが、数ヶ月前からポツポツと手紙をくれるようになっていた。
 
 大半は、短期間のうちに異様な頻度で徒やフレイムヘイズが現れる、『闘争の渦』とも思えるミサキ市についての報告だったが、手紙の最後に『名前』があった事には驚いた。
 
『要らない』
 
 自分が『それ』を訊ねた時に返ってきたのが、そんな応えだった。
 
 だが、今は違うようだ。実直に過ぎる文面の端々から、今の少女の在り方が滲み出てくるようだった。
 
 それでもまだ幼すぎる、早すぎる少女は今、己の戦いと、世界の戦いに同時に挑まねばならない。
 
「‥‥‥行きますか、タケミカヅチ氏」
 
「そうですな、ゾフィー・サバリッシュ君」
 
 自分も、ぐずぐずしてはいられない。
 
 
 
 
「ああ、あれほどの討ち手が集っていても、こういう事態になってしまいましたか」
 
「ふむ、警戒はしておったのにぬかったの。彼女たちを信用し過ぎたのか、いや、『闘争の渦』という話も、あながち間違いではなかった、という事だったのかも知れんの」
 
 麦わら帽子を被った小さな少年が、この世の歪みを正す少年が、手にした書簡と、それに連れられるように激しく波打つ世界の時流を感じる、そんな錯覚を覚えながら、空を仰ぐ。
 
 
 ゾフィーや、レベッカのみではない。
 
 確かに、突拍子もない布達に、世界中のフレイムヘイズが迅速な対応を取れているわけではない。
 
 それでも幾人かの討ち手たちは、各々が、それぞれの理由で、動きだしていた。
 
 
 
 
「かんぱーーい!!」
 
 そこかしこから炭火焼きの匂いが漂う。
 
 ただいま『仮装舞踏会』バーベキューパーティー開幕中。
 
 今や『仮装舞踏会』の看板となった盟主、巫女、姫の三人組、通称『緋願花』主催のパーティーだ。
 
 来るべき大戦に向けて英気を養おう、というのが一応の名目、もちろんそれもあるが、発端はゆかりの思いつきである。
 
「皆、楽しんでいるようですね‥‥‥」
 
「‥‥‥うむ」
 
 『ウロボロス』の存在が公になると『盟主』の威厳的な問題が生じるため、皆から少し離れた所で見守るベルペオル。
 
 もちろんバーベキューには参加しているが、今は『彼』と話すためである。
 
 人の姿や異なる形、騒ぐ者、ヤケ食いのように食べまくる者、黙ってひたすら酒を飲む者、様々取り取りな情景がそこにあった。
 
 誰も彼もが浮かれている。
 
 また同時に、浮ついてもいる。
 
(不安、か‥‥‥)
 
 これから始まる戦いに対するものだけではない。
 
 『創造神』に付き従う誰もが直面する、『世界の変革』に本質的な覚束なさを抱かされている。
 
 己が存在というものを自覚的に維持する生き物、“紅世の徒”であればこその、大きな不安を。
 
 いや‥‥‥‥
 
「ヘカテー、ピーマンもちゃんと食べなさい」
 
「ヤです」
 
「悠二の口移しなら食べるって♪」
 
「ゆかり! 怒るぞ!?」
 
「くちうつし?」
 
 
 ‥‥例外もいるようだ。
 
「ふふ‥‥‥」
 
 薄く微笑んで、二の腕に巻き付いた『ウロボロス』の口元に、焼き肉を持っていく。
 
「はのもひいほほは、やあい、あえくあいのよううああけえばあ(頼もしい事だ、やはり、あれくらいの余裕がなければな)」
 
 頬いっぱいに肉を頬張って、“祭礼の蛇”は言う。
 
「はい」
 
 きっと、あの姿は他の構成員達の心をも癒すだろう。
 
 口元にピーマンを押しつけられてイヤイヤと首を振るヘカテーを、楽しそうにピーマンを食べさせようとするゆかりを、ヘカテーを応援しながらもしっかり羽交い締めにしている軽く鬼な悠二を、二人、静かに見守っていた。
 
 
 
 
「頑張りました」
 
 オレンジジュースでピーマンの苦味を誤魔化しながら、悠二に期待の視線を送るヘカテー。
 
「うん、頑張ったね」
 
 よしよしと頭を撫でる悠二。少々物足りないが、“とりあえずは”これで許してあげようと思う。
 
「ねえヘカテー、前から気になってたんだけど‥‥」
 
「?」
 
 ヘカテーの袖を引っ張るゆかりが、視線をベルペオルに固めたまま、質問開始。
 
「眷属、ってよくわかんないけど親子みたいなもの?」
 
「‥‥はい、それに近くはあります」
 
 ゆかりに倣って見る先で、丁度、ベルペオルによる「あーん♪」が敢行されていた。
 
「‥‥‥親子であれは、アリ?」
 
 確かに、少しアブノーマルなのでは? と、傍らの悠二もふと思った。
 
「それを説明するには、論理よりむしろ詩情が必要となりますが‥‥例を挙げて分かりやすく言えば‥‥‥‥」
 
 久しぶりのヘカテー先生の講義を傾聴する悠二&ゆかり。
 
「ゆかりの今の体を構築したのは悠二ですが、ゆかりは悠二を父親だと考えますか?」
 
「全然!」
 
 ‥‥なるほど、理屈抜きで凄まじい説得力である。
 
 にしても‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーが今、それを口にする時、実に軽い調子で言いながら、こっちの顔色はしっかり窺っていた。
 
 あえてその話題を軽い調子で言う事で、自分が気にしないように配慮したのか、それとも、まだ気に病んでいるのかを心配してくれたのか、いずれにしろ‥‥‥‥
 
(成長、したなぁ‥‥)
 
 と、素直に思う。
 
「黙ってどしたの? パパ♪」
 
「パパって言うな!」
 
 それは、ゆかりも同じ。
 
(頑張ろう)
 
 自分も、こんなに強くて優しい二人に、負けてはいられない。
 
 共に歩むと、決めたのだから。
 
 
 
 
「宝を探し、火を求め、茨の坂に身は弾む‥‥」
 
 宴を見守る美しい月を、星を仰ぎながら、ロフォカレはリュートを掻き鳴らす。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 十二話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/15 20:45
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 迂濶に声を出す事も許されない、極限の緊張状態。
 
(動けば、やられる‥‥)
 
 いや、動かなくても同じか。そもそも、自分はこいつの動きにまともに反応する事が出来るのか。
 
 目の前に立ちはだかるのは、獰猛な虎。今まで生きてきて、これほどのプレッシャーを感じる存在と直面したはない。
 
(どうする?)
 
 どうもこうもない。自分に課せられた使命、役割を果たすだけだ。
 
(自分で決めた、事だ!)
 
「ガルルルルル!」
 
 中国奥地の樹海で、今まさに池速人は絶体絶命の危機に陥っていた。
 
 じりっ
 
 動かない。
 
 じりっ
 
 まだ動かない。
 
 ザッ! ‥‥パシッ!
 
 冷や汗でびしょびしょになりながらも、太くて握りやすそうな棒を拾う。
 
 眼前の虎は警戒しているのか、池が走り出した瞬間、ビクッと反応したのみだ。
 
 だが、逆に今ので完全にスイッチが入ってしまったようだ。
 
 牙を剥き出して唸り、少し重心を落とした、まさに飛び掛かるための予備動作のような構えになった。
 
(多分、次に動いたら、その瞬間に食い付かれる‥‥‥)
 
 逃げるにしても何にしても、それはおそらく同じだろう。
 
 こんな木の棒で虎の力を防げる自信は無い。だが、上手く鼻とかに当たれば怯んで、逃げてくれるかも知れない。
 
(どっちにしろ、命懸けには変わりないか‥‥)
 
 木の棒を無事に手にできただけ、幸運だと見るべきだろう。
 
 後ろを、一瞬振り返る。
 
(吉田さん‥‥‥)
 
 前方の虎のプレッシャーのせいで、表情を確認する事は出来なかったが、それでも後ろに彼女がいる。
 
 彼女だけは、絶対に助からなければならない。
 
(結局、坂井達の事は見届けられなかったけど‥‥‥‥)
 
「吉田さん、走って!!」
 
(僕は結局、皆の事情を知る事さえ出来なかったけど‥‥‥)
 
 吉田が逃げるのを確認もせずに、虎に向かって飛び掛かる。
 
(君を守れるなら、本望だ!)
 
 決死の覚悟を決める池‥‥の横を、
 
「ほーーー!!」
 
 人間大の影が猛スピードでよぎり、
 
「グァウ!?」
 
 虎の鼻にクリーンヒットした。
 
 その正体は、池が今まで半ば意識的に認識から除外していた‥‥
 
「じいやさん!?」
 
 じいや‥‥ではなく、"聚散の丁"ザロービのドロップキックである。
 
「この場は私めにお任せを、池殿は吉田殿を連れて安全な所へ‥‥ぬあ!?」
 
 無茶をしようとする池を吉田共々避難させようとするザロービに、虎がのしかかる。まさに、今すぐにでも喉元に食い付かれてしまいそうな状態。
 
「う、うわあああ!」
 
 そんな虎に向けて木の棒を振るおうとする池、よりも速く、
 
「「ほーーー!!」」
 
「へ‥‥‥‥?」
 
 またも、意識外からの闖入者が現れ、再びのドロップキック、しかもダブルである。
 
「なっ!?」
 
 池が驚愕の声を上げるのとほぼ同時に、
 
「「ほーーー!!」」
 
 さらにダブルで現れ、虎のしっぽを踏ん付けた。
 
 池が動揺するのも無理はない。
 
 たった今ザロービを助けた二人‥‥否、四人が、"ザロービと全く同じ姿をしている"のだ。
 
 唯一の違いは、迷彩服に不似合いな、首に巻いたスカーフの色がそれぞれで違う、という事くらいである。
 
『ほっ! ほっ! ほっ!』
 
 同じ顔の中年五人が虎を囲んで構えを取り、それを池が呆然と見ている背後で、
 
「五つ子だ」
 
 ジャキッという音と共に、吉田の落ち着き払った声が聞こえ、
 
 ドンッ!
 
 森に銃声がこだまして、先ほどから戸惑いまくっていた虎は、その音が決定的となって逃げ出した。
 
「吉田さん!?」
 
「大丈夫だって、素人の腕じゃ、この距離でも当たんないだろ。単なる威嚇だ」
 
 誰も虎の心配などしていない。というか、その理屈で言えば誤って自分たちに当たる可能性もあったのでは?
 
 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をする池を見て、吉田も訂正し直す。
 
「それも冗談、空砲だ」
 
 池としては、「本物じゃなくてオモチャだ」と言って欲しかったが、今の言い方からして本物ではあるらしい。
 
「「「「では、我々はまたフォーメーションを組み直しますので」」」」
 
「ああ、周囲の警戒よろしくな」
 
 虎去りし後、ザロービ*4も散り散りになっていく。
 
 どうやら、今までも彼らが見えない所でサポートしてくれていたようだ。
 
「‥‥吉田さん、あの人たち‥‥‥」
 
「五つ子」
 
「‥‥‥‥その銃は?」
 
「本物」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 先ほど、命懸けの覚悟を決めはした。しかし‥‥‥‥
 
(何か、やっぱり‥‥)
 
 それはそれとして、自分たちは何か、とんでもない事に首を突っ込んでいる、と再認識する池であった。
 
 
 
 
「はあっ‥‥はあっ‥‥はあっ‥‥!」
 
 地の利はこちらにあった。自分たちが永く守り続けてきた、この上海の地だったのだから。
 
 支部を各個撃破する、という敵の思惑に気付き、総本部に討ち手らを集結させた。これも、適切な判断だったはず。
 
 何より中国のフレイムヘイズは集団戦闘に長ける、という特性を持ち、有能な指揮官も同時に存在していた。
 
(万全の状態で迎え討った‥‥‥)
 
 そのはずなのに、結果は惨敗。
 
 こちらの戦力集結の意図を敵に看破され、信じられない事に、敵の『軍勢』の総数はこちらを軽く上回っていた。
 
 それだけではない。地の利を得、集団戦闘に長ける、と自負していた自分たちの用兵を容易くいなし、逆に虚を突き、士気に溢れ、敵勢総崩れを狙って襲撃した敵の部隊長を相手に、こちらのフレイムヘイズは全敗を喫した。
 
 個の力、集団の結束、連携、全てに於いて悉く上を行かれたのだった。
 
 勝てる自信があったからこそ、他国に応援を求める、という選択肢を取らなかった。いや、応援を呼んだとしても、間に合ったかどうか‥‥‥。
 
(『傀輪会』を逃がせただけでも、良しとするしかないか‥‥‥)
 
 もはや大勢は決し、上海外界宿(アウトロー)総本部は陥落した。
 
 その中枢たる『傀輪会』は、人間のみで構成されている、という特色を持っていた。
 
 だから逃がした。逃げ場を完全に塞がれる前に、人間であるという特色を活かして。
 
 そして、自分という囮を用いて。
 
 フレイムヘイズ、『剣花の薙ぎ手』虞軒は今、それこそを自分の目的としていた。
 
 万全の態勢で迎撃した屈強な中国のフレイムヘイズを、容易く壊滅させた強大に過ぎる敵の情報を、一刻も速く同胞たちに知らせる必要がある。
 
 そして、
 
(項辛、お前は‥‥逃げ切れたのか‥‥‥?)
 
 自分を愛してくれた、人間の男も、生かしたかった。
 
『今、我らが真に為すべき事を考えろ』
 
 偉そうに説教を垂れて‥‥‥‥
 
『案ずるな、奴らの気を引く事さえ出来ればそれで良いのだ。むざむざやらるなどしない、上手く逃げ仰せてみせるさ』
 
 不敵に笑った。
 
 
 上手く笑えたつもりだったが、長い付き合いだ。気付いていた可能性はある。
 
 事実として、逃げ切るのは難しい。
 
 これほどの相手。そう易々と逃がしてくれるとは思えな‥‥‥
 
「っ!?」
 
 考えながら建物の屋上を跳び渡っていた虞軒、その一帯を丸ごと、陽炎のドームが包み込んだ。
 
(馬鹿な、早すぎる!)
 
 斥侯に目撃されたとしても、それから本体が動くにはあまりにも早すぎた。
 
 斥侯が独断で攻めてきたわけではない。気配の大きさ、封絶の大きさでそれはわかった。
 
(! ‥‥これは)
 
 そして、さらにもう一つ気付いた。
 
 封絶を埋める炎、その色である。
 
 濁った、紫。
 
(よもや、こやつら‥‥)
 
 向かう先のビルの上でだらしなく足を投げ出して寝転ぶ男を、見つけた。
 
(『仮装舞踏会(バル・マスケ)』とはな)
 
 男は傍らにあった槍を取り上げて立ち上がり、一跳び、虞軒の向かいのビルに跳び移る。
 
 その後ろに、黒服の男と白服の女が追従していた。
 
 その大敵を前に、まずは虞軒の腰にある直剣・『昆吾』に意識を表出させる"奉の錦旆"帝鴻が賞した。 
「久しいな、"嗤尤"。古にはない並み居る猛き討ち手らを、古にはない起伏間隙の戦場を、よくぞ討ち平らげた」
 
 対する男、"千変"シュドナイはその古めかしい言いざまゆ逆に笑う。
 
「古にはない、か。これでも大分、当世かぶれしてるつもりなんだが、な」
 
 それに対して今度は虞軒が、シュドナイの行動を笑った。
 
「だが、大将自らがこんな所まで出て来ようとはな。悪癖は相変わらず、か」
 
 言い、腰の直剣を抜き放ち、突き付けた。
 
「悪癖とは随分だな、機を見るに敏、と言って欲しいもんだ。事実、もうお前たちしか残っていない。深追い、という状況でもないだろう?」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 分かり切っていた事実を口に出され、今さら動揺はしない。
 
 ただ、シュドナイの言う『全滅させた連中』の中に、『傀輪会』の大老が、項辛が混じっているかどうかだけが気になり、しかし当然確認など取りはしない。
 
 ただ、せめて一矢報いんと剣を構える。
 
 シュドナイもその意気を理解し、槍を一回し、ドシッと脇に掻い込んだ。
 
「"嗤尤"、か。未だその名を呼んでくれる知己を失うのは辛いな、だが、せめて‥‥‥‥」
 
 その仕草だけで、見る者を身震いさせるほどの剛力が見て取れた。
 
「スッパリ、気持ちよく別れるとしよう」
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 十三話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/17 19:16
 
 戦勝した将軍と、敗残の強者との一騎討ち。
 
 わざわざ自らが追っ手となってここまで来て、さらに追従してきた二人の徒の力を借りるつもりもないらしい。
 
 機を見るに敏、確かにそうとも言える。『捜索猟兵(イエーガー)』を放ち、その帰還を待ってから新たに、自分を仕留められるだけの部隊を編成してから追わせる、という過程を経れば、今という状況では致命的な時間を食ってしまうだろう。
 
 だから、こちらの狙いを看破したシュドナイ自らが出向いた、最も速く、最も確実な手段として。
 
 当然、万が一にも敗残の討ち手に『将軍』が討たれる危険を孕んだ、普通ならばまずしないリスクはある。
 
 だが、それを平気でやってのけるほどの自信があり、そしてそれは自惚れではない。
 
 それだけの実力を、この『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の将軍は備えているのだった。
 
 今、それを身を以て、再認識させられる。
 
 
「ぬっ!?」
 
 直剣が弾け飛び、散らされた紅梅色の霞が、再び剣の柄を握って、天女の姿となる。
 
 東洋屈指を誇るフレイムヘイズ、『剣花の薙ぎ手』の戦闘形態・『捨身剣醒』である。
 
 しかし‥‥‥まずい。
 
「やるものよ、嗤尤」
 
「一世紀余の一人働き程度では、差配の腕も錆びぬということか‥‥」
 
 二人で一人の『剣花の薙ぎ手』は、ただ戦士として、目の前にいる将軍を認めていた。
 
 変幻自在に姿を変え、剛槍を振るう猛虎、初撃からこちらの動きに追い付き、灼熱の霞を払い、幾度となく剣を弾いた。
 
 だが、問題はそれだけではない。
 
(まずい‥‥)
 
(後、何合打ち合える‥‥‥?)
 
 シュドナイの体から変化した異形を斬り裂き、焼き払うも、それはシュドナイ自身にダメージらしいダメージを与えてはいない。
 
 何より、戦うにつれ、こちらの動きを掴んできているらしい。
 
 このままでは、確実に捉えられる。
 
 そんな圧力を感じる虞軒とは裏腹に、対峙するシュドナイには余裕さえ出てきていた。
 
「虞軒、全くお前は運がいい。『神鉄如意』の全力を、目の当たりに出来るぞ」
 
 両手で剛槍を腰溜めに構えたシュドナイが、息を一吸いし、
 
「ッゴァアアアアア!!」
 
 全力で、突き出した。
 
 それは只の刺突ではない、回避も防御も困難な、無数の槍の穂先に紫の炎を纏わす槍撃だった。
 
「っ!!」
 
 紅梅色の天女を散らし、直剣を当然のように巻き込んだその刺突は、眼下のビル二軒を貫き、
 
「ふんっ!」
 
 シュドナイの一閃によって、シュレッダーにでも掛けたように、横に“オロされた”。
 
 ガラガラと崩れ落ちるビルだった物に、かろうじてその一撃に耐えた直剣・『昆吾』が埋もれる。
 
(このまま、何一つ出来ぬままやられるわけには‥‥‥‥)
 
 自身の余力の無さも、今自分を見下ろす男の実力も十分に理解して、それでも虞軒の心は折れはしない。
 
 再び剣の柄を起点に、紅梅色の天女が生まれ‥‥‥‥
 
(?)
 
 その中途で、
 
(っう!?)
 
 怖気を誘うものが、虞軒の目に移った。
 
 シュドナイの『神鉄如意』に斬り裂かれたビルの断面に、まるでカビのように、無数の眼と口が生えていた。
 
「ちぃっ!」
 
 咄嗟に瓦礫を貫いて脱出する虞軒。
 
 それを追うように、“ビルの断面に生えたシュドナイ”全ての口から吐き出された濁った紫の炎が、大気を灼いて迫る。
 
「佳人の薄命は、花の散るように人を魅せる、か」
 
 
「っ!」
 
 その炎から逃げる虞軒、それを待ち構えていたように、シュドナイは数十倍の大きさに変化した『神鉄如意』を、上に振り上げた状態で“溜めて”いた。
 
 前後から迫る脅威に、虞軒は避けられない。避けられるタイミングではなかった。
 
「嗤尤ぅうーーー!!」
 
 玉砕覚悟、否、全力で前に向かうしか無いと知って、虞軒はただがむしゃらに力を振りまいて突進する。
 
 その潔さに、シュドナイは口の端を上げ、眼をギラつかせて、全力で応える。
 
「散れ! 『剣花の薙ぎ手』!!」
 
 両腕で構えた巨大な剛槍、まさに今、虞軒を容赦無用の一撃で両断しようと、それを‥‥‥
 
(っ!?)
 
 振り‥‥下ろせない?
 
 まるで中空に縫い付けられたように、『神鉄如意』が動かなかった。
 
「将軍閣下!」
 
 オロバスの呼び掛け、その意味を、戦いに身を置く者として理解し、しかし採る行動は同じ。
 
「っ‥‥ふん!!」
 
 何かに縫い止められた『神鉄如意』を強引に振り抜く。ブチブチと何かが切れるような音を立てながら、剛槍が空を裂いて奔る。
 
 しかし、シュドナイが奪われた一瞬の時間は、致命的な時間だった。
 
 全速で猛進する虞軒は、本来なら自身を粉々に粉砕したはずの一撃を、一瞬の差で突っ切って‥‥
 
「ぐっ、あああ!」
 
 シュドナイの肩口に深々と食い込み、その傷口を灼熱の霞が焼いた。
 
「ぐっ‥‥‥!」
 
 槍の柄を回し、その石突きで直剣を弾くと同時に、ビルの瓦礫の断面に張りつかせた自身の目に、二つ、映った。
 
 一つはまるで何かに吊り上げられるように浮かび上がる、露店。虞軒に放たれていた炎の怒涛に直撃し、阻んだらしい。
 
 もう一つは、雨。空から間断無く降り注ぐ、光の雨。
 
 それが、崩壊したビルの瓦礫に降り注ぐ。当然、槍を握る人型から切り離され、ビルの断面に張りつかせた、“千変”シュドナイにも‥‥‥。
 
 ドドドドドドォン!!
 
 ビルの瓦礫を、切り離されたシュドナイもろとも、凄まじい轟音を立てて吹き飛ばした。
 
 自身の一部を丸ごと吹き飛ばされたシュドナイの耳に、
 
「怪我は無いかい? マドモワゼル(お嬢さん)」
 
「あんたがこんな所にいるって事は‥‥総本部はもう手遅れか?」
 
 気障ったらしい声と、重大なはずの事を淡々と言う、どこか無気力な声が響いた。
 
 続いて、
 
「キアラ! 気を抜いちゃダメよ!」
 
「生半可な相手じゃないわ」
 
「は、はい!」
 
 三者三様の女性の声が響いた。
 
(‥‥‥無用な戦闘を極力避けて外界宿を潰していたのが仇になったか。まさか、こんな連中がこの大陸に渡っているとは‥‥‥)
 
 距離を取る意味で、手近な屋上に着地したシュドナイの左右の斜め後方に、オロバスとレライエが降り立つ。
 
 一騎討ちの体裁は取っていたが、それは単にシュドナイ個人の嗜好に依るもの。相手がそれを破った所で、腹を立てる事はない。
 
 ただ、
 
(無粋だな‥‥‥)
 
 と思うだけである。
 
 虞軒のような直接的な知己ではないが、シュドナイは“この二人”についてそれなりに知っていた。
 
「横槍は歓迎しないな、“鬼功の繰り手”サーレ・ハビヒツブルグ、“極光の射手”キアラ・トスカナ」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 自分は今、こうして『星黎殿』でのんびりと過ごしている。
 
 自身が手を下していないだけで、今この時も、シュドナイによる外界宿の孅滅は進んでいる。
 
 確実に、自分の願いがもたらした結果として。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 割り切ってはいる。
 
 それでも断固として成し遂げる、と。
 
 だが‥‥‥そう、何となく、感傷的になっていた。
 
(子供じみた、願い‥‥)
 
 だが、それを為せるだけの根拠が‥‥力がある。
 
 ヘカテーに出会わなければ、ただの無力なトーチとして消え果てていただろう自分。
 
 まさに自分の存在そのものを否定され、あの頃の『自分の世界』は壊された。
 
 自分の在り方を理解してはいても、それでも、それまでと同じ日常にしがみついた。
 
(皮肉なもんだな)
 
 ヘカテーと共に訪れた非日常、それを変えるための力は確実に、他でもないヘカテーと一緒にいた事で得られた。
 
 全く、数奇な運命だと言える。
 
(日常、か‥‥‥)
 
 『日常の中の非日常』
 
 その中で、得たものも大きかった。それこそ、それまでの日常に劣らぬほどに。
 
 だが‥‥‥‥
 
(自分で、壊した)
 
 わかっていた。彼女たちが、自分の願い、その行く先を認めはしない事。
 
 自分の願いは、結局は自身の望む在り方を世界そのものに強いる、“世界一のわがまま”なのだとも、わかっていた。
 
 “この状態で”出会って、ああなる事は必然。
 
 “銀”の正体を告げないと言った時のマージョリー。
 
(戸惑いながら、怒ってた‥‥‥)
 
 仮面を叩き割った時の、ヴィルヘルミナの顔。
 
(泣いてた‥‥‥)
 
 そして、シャナ。
 
(何か、消えてしまいそうな‥‥‥‥)
 
 迷うつもりはない。
 
 実際、かつての仲間を前にしても、自分は躊躇わなかった。
 
(甘い、かな‥‥‥)
 
 だが、殺さなかった。
 
 
 彼女たち、特にシャナは、『大命』の大きな障壁になる可能性があるのに。
 
(『天破壌砕』、か‥‥‥‥)
 
 『炎髪灼眼の討ち手』のみに許された秘法。
 
 『紅世の王』は、持てる力の総量が多いというだけの、徒の同一種だ。
 
 そして紅世の神も、通常ならばその存在は、紅世の王と大差はない。
 
 ただ一つの違い、それが『神威召喚』。
 
 供物を捧げ、祝詞を歌い、“神としての顕現”を行う行為だ。
 
 これによって初めて紅世の神は、本当の意味で自身の力と権能を発揮出来る。
 
 そしてその力は、かつての『大戦』で、“祭礼の蛇”の御業たる『大命詩篇』を粉々に打ち砕いている。
 
 ‥‥‥器たる『炎髪灼眼』もろとも。
 
 だから、『炎髪灼眼の討ち手』は、『仮装舞踏会』にとって最も具体的で、脅威的な障害なのだ。
 
 なのに、殺さなかった。
 
(あれが、精一杯‥‥‥)
 
 他の皆にも言える事だが、シャナにはそれを徹底して行った。
 
 必要以上に精神的に追い詰め、力の差を見せつけ、戦う気力を根こそぎへし折る。
 
 シャナが精神的な支柱の一つにしているであろう大太刀・『贄殿遮那』を奪い去ったのも、その一環だった。
 
 『大命』の阻止に来る事を防ぐため、来るべき大きな戦いで、万が一にも命を落とさないようにするため。
 
 彼女たちには、この戦いに参加して欲しくなかった。
 
 理屈の面でも、感情の面でも。
 
 もし、『大命』成就を左右する局面で再び戦う事になれば、今度はきっと、手加減なんて出来ない。
 
 今度こそ、殺す事になるだろう。
 
(‥‥‥やめよう)
 
 やるべき事はやった。
 
 後はなるようにしかならない。
 
 なにより、自分には今さら感傷にふけるような資格はないだろう。
 
「悠、二‥‥‥」
 
 ヘカテーが、目を擦りながらやってくる。
 
 起こしてしまったらしい。
 
 ただ、夜中に窓から外を眺めていただけなのだが‥‥‥。
 
 ぽすん、と体ごと悠二にもたれるヘカテー。そのまま安らかな寝息が聞こえてくる。
 
(寝呆けてるだけか‥‥)
 
 そのまま抱き上げ、抱き締める。
 
 ヘカテーは腕の中で「むにゃ」と幸せそうに呻く。
 
 すぐにベッドに戻してあげるべきだ、という理屈はわかっている。
 
 だが今は、もう少しの間、こうしていたかった。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 十四話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/20 05:29
 
「‥‥何故、おまえ達がここに?」
 
 状況は理解している。
 
 今、この二人の助力を得られた事は望外の幸運であり、おそらく彼らが来なければ、自分はあの一撃で確実にやられていただろう。
 
 だから、横槍を入れられたという虞軒の不満は、声色だけに反映される。
 
 当のサーレはそんな事は気にも留めない。
 
「何、ちょっとここの所、徒の動きがおかしかったからな、様子をうかが‥‥‥‥」
 
「キアラと喧嘩して逃げてきたの」
 
 それらしい返答をしようとしたサーレの言葉を、ヴェチェールニャヤが、切った。両方とも、事実には違いない。
 
 サーレとしては少々言いたい事はあるが、今はそんな事を言っている場合でもない。
 
「‥‥あんたの事は噂で聞いてる。ま、今回は"護衛遊び"じゃないらしいけどな」
 
「今という時節に、どういう風の吹き回しだい? "主無し"の『仮装舞踏会(バル・マスケ)』」
 
 口調は軽いが、声色は神妙だ。
 
 これほどの事態だとは、全く想像していなかった。
 
「"主無し"‥‥か。全く、勘違いしてるやつが多くて困るな。まあ、"あの時代から"生きているやつなど数えるほどしか残ってはいないから、無理もないか」
 
「しかし、それこそ我々にとって好都合というものですわ。東洋外界宿(アウトロー)の要たるフレイムヘイズですら、まるで事態を理解していないのですから」
 
「レライエ! 将軍閣下の舌戦に口を挟むとは‥‥!」
 
 そんなサーレの言葉に、シュドナイはやや残念そうに呟き、レライエがいけしゃあしゃあと会話に混じり、オロバスがそれを嗜める。
 
 当のシュドナイはオロバスの古めかしくてお堅い指摘をこそ軽く手で制した。
 
(『仮装舞踏会』の、主?)
 
 その言葉に、虞軒は記憶を巡らせる。
 
 一つは、永く世界を生きた自分にとってもお伽話というほどの昔に世界の狭間に放逐されたという、『創造神』。
 
 もう一つは、半年近く前に、自分たちの許に協力者として現れた、子供たち。
 
 他でもない、シュドナイと同じ『仮装舞踏会』の『三柱臣(トリニティ)』、巫女・"頂の座"ヘカテーが、全く予想外の姿、態度、そして仲間たちと共に現れたのだ。
 
 子供のように、一人の『ミステス』の少年を恋い慕っていた。
 
(『仮装舞踏会』の、巫女が‥‥慕う?)
 
 それらの情報が頭の中で整理され、
 
「!!」
 
 一つの結論に、行き着いていた。
 
(そもそも"頂の座"が下界に姿を現す事自体が希少‥‥まさか本当に‥‥?)
 
 情報が足りなさすぎて、それは漠然としたイメージしか作れはしない。
 
(いや、あり得ん! 『仮装舞踏会』はそもそも人間すら使わない純粋な徒だけの集団。トーチが構成員‥‥ましてや主であるなど‥‥!)
 
 あり得ない、という当然の認識と、自身が結び付けた仮説への奇妙な信憑性がせめぎ合う。
 
 そんな虞軒をよそに、話は進む。
 
「こちらもおまえの話は"奴"の助手から何度か聞かされたぞ、"『合体無敵超人』"?」
 
 それまでも強気な笑みを作ってはいたシュドナイだが、そこで本当に可笑しそうに笑った。馬鹿にしているのだ。
 
「事実は事実だが‥‥そのネーミングまで真似しなくいでくれ」
 
「互いに品位を落とすだけだからね」
 
「くく‥‥それは失礼」
 
 『強制契約実験』。
 
 かつて教授・"耽探求究"ダンタリオンが、『契約のメカニズムの研究』と称して、文字通りに人間と紅世の徒を強制的に契約させた、その実験の事である。
 
 紅世の徒からすれば、一時の興味で大量の討滅の道具を生み出し、また同時に、契約を望まぬ王や徒を無理矢理人間という器に引きずり込み、果ては契約の途上で世界の狭間で多数の徒を迷わせ、殺した‥‥虐殺という名の最悪の背信行為だった。
 
 当然、望んでもいないのに人外の存在へと変貌させられた『元人間のフレイムヘイズ』たちの末路も悲惨なものだった。
 
 まともな契約すらしなかった彼らは異端の中の異端、世を荒らしてはフレイムヘイズに殺され、何も知らぬまま徒に殺され、果ては人間に追われ、自殺、発狂する者すらいた。
 
 要するに、教授以外誰も喜ばない実験である(教授は興味本位でこういう事を平気でするから、全種族問わず、敵が多い)。
 
 そして、その過程で生まれ、これまで生き残ってきた例外中の例外たる存在。
 
 それが"絢の羂挂"ギゾーのフレイムヘイズ、『鬼功の繰り手』サーレ・ハビヒツブルグ。
 
 その別名が、"我学の結晶"エクスペリメント13261『合体無敵超人』なのである(ちなみに、教授曰く"失敗作")。
 
 
 シュドナイは、サーレに向けていた目を、さっきから微動だにせずに光の弓をこちらに向けている少女に向ける。
 
「‥‥そいつが"二代目"か? "破暁の先駆"ウートレンニャヤ、"夕暮の後塵"ヴェチェールニャヤ」
 
 シュドナイに、今度は一切の表情はない。
 
 数百年前の『大戦』。その際に『副将』を勤めた初代『極光の射手』カール・ベルワルド。
 
 恐ろしく強かった、『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の『九垓天秤』の一角を倒すほどに強かった、それゆえに敵を甘くみた彼を、全く容易く葬ったのが、今ここにいる"千変"シュドナイ。
 
 キアラには直接的には関わりは無い。だがその契約者たる"姉妹"にとって、シュドナイはカールの仇なのである。
 
 姉妹の憤り、あるいは気負いを感じたサーレが、"それ以外の理由から"制するように口を開いた。
 
「さて、おしゃべりはここまでにしようか。虞軒が戦ってた時間、今俺たちが喋ってた時間、"単独先攻した指揮官"に部下たちが追い付くのも時間の問題だ」
 
 サーレのその言葉に、シュドナイは軽く鼻を鳴らす。
 
 どうにもやりづらい手合いなようだ。
 
 だが、自分としても、このままおしゃべりでは興が醒める。
 
「行くよ、二人とも!」
 
「ええ!」
 
「思いっきり、歌うわよーー!」
 
 三人にしての一人の『極光の射手』は、そんなシュドナイの期待通りに力強く叫んだ。
 
 
 
 
「ぇやあ!!」
 
 左手に形成した弓から、キアラの極光が奔る。
 
 一発、それに続いてまた無数に。
 
「っふ!」
 
 シュドナイは、別段大きさを変えてもいない剛槍を回転するように振り回し、濁った紫からなる炎の渦が、その光の嵐を呑み込む。
 
(っ!)
 
 キアラは驚愕する。攻撃を払われた事、というよりも、目の前で力を発現された事によって露骨に振りまかれた、『将軍』の異常なほどの存在感に、である。
 
「キアラ! 『ゾリャー』を!」
 
「分かってる!」
 
 キアラは、フレイムヘイズからすればそこまで戦歴の長い方ではない。
 
 ここまで強烈で獰猛な気配の持ち主には未だかつて出会った事はない。
 
 とはいえ、やる事には変わりない。
 
("あの時"と同じ轍は踏まない)
 
(キアラ、一瞬も気を抜いちゃダメよ!)
 
 契約者の声無き声に、キアラは行動で応える。
 
 普段は髪留め、そして今は弓の両端に在る神器・『ゾリャー』を、"合わせた"。
 
 『極光の射手』真の顕現。
 
 それはオーロラ、緑から赤紫、さらには白までをも、朧に揺らす極光。
 
 それによって構成された、馬より大きな、鏃。

 
 その上面から、解けた髪を靡かせたキアラの頭が覗く。
 
 陽炎のドームの中を貫くその鏃の光跡は、一本の長大な極光の矢。
 
 それが、"千変"シュドナイに向けて一直線に飛んでいく。
 
(来たか‥‥‥!)
 
 その姿に目を見張るシュドナイは、剛槍を横に軽く振った。
 
 その振る中で、『神鉄如意』は変化する。とんでもない、城の尖塔ほどもある巨大なものへと。
 
 今まさに、極光の矢と化したキアラを迎え討たんと振り抜かれようとしているあまりに巨大な斬撃を、三人で一人の『極光の射手』は待たない。
 
 鏃の両端から展開されるオーロラの翼が、一際その輝きを増す。
 
 それは爆発的に、色を失うほどに凝縮される。
 
 『極光の射手』、最強の自在法。
 
「『グリペンの咆』!」
 
 一筋、
 
「『ドラケンの哮』!」
 
 二筋、極光の両翼から超速の流星が繰り出される。
 
「っ!?」
 
 その力の発現、その威力を感じ取ったシュドナイは、それでも一切構わずに、長大な『神鉄如意』を振り抜いた。
 
 
 二人の間の中点を中心に、極光と紫の破壊の渦が、周囲一帯を埋め尽くした。
 
 
 



[7921] 水色の星T 五章 十五話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/07/22 05:42
 
 封絶に広がるオーロラの光と、紫の火炎。
 
 "以前のような"生温い牽制ではない、初手から全力の、『極光の射手』最強の自在法を叩き込んだのだ。
 
 だが‥‥‥
 
(生きてる‥‥‥)
 
 巨大な気配が、爆炎の先にそのまま感じられる。
 
 どの程度効いたのかはわからないが、確実に生きている、それをキアラは見て取る。
 
 だが、そもそも相手は自分だけではない。
 
 爆炎の先の先、シュドナイの背後から一つの影が、否、霞が躍り出た。
 
「『捨身剣醒』」
 
 神器・『昆吾』が横回転を始める、早め、より早め、直剣を取り巻く霞が剣閃に付き従う。
 
 その輪舞が生み出すのは、紅梅色の円刃。
 
「っはああああ!!」
 
 虞軒の持つ最強の一撃が、シュドナイの影を正確に捉え、それは命中した‥‥ように思えた。
 
「二人とも、なかなかの美技だ。だが残念‥‥」
 
 両腕を、やたらと太い虎のものへと変えたシュドナイが、円刃を剛槍で真っ向から受け止めていた。
 
「俺の心にも命にも、届かんな」
 
 そしてそのまま剛槍一閃、霞の攻撃全てを虞軒ごと弾き飛ばした。
 
 結果として距離を取った虞軒、そしてキアラが呆然と、見た。
 
「う‥‥そ‥‥」
 
「馬鹿な‥‥」
 
 先ほどまでと変わりなくそこに浮かぶシュドナイを。
 
 『極光の射手』、『剣花の薙ぎ手』の最強の攻撃を受けて、シュドナイ自身にも、剛槍・『神鉄如意』にも、傷一つついてはいなかった。
 
 その表情を察したシュドナイは、くるりと槍と腕を元の大きさに戻しながら応える。
 
「俺たち『三柱臣(トリニティ)』の宝具は特別製でな。この『神鉄如意』は、俺が望まない限り、折れも曲がりもしない」
 
 その驚異的な特性に、キアラと虞軒が戦慄する中、それでも冷静に戦況の推移を窺っていたサーレが、
 
(ん‥‥‥?)
 
 一つの事象を捉えた。
 
 否、正確にはそれを捉える事に集中するために、今まで手を出さなかったというべきか。
 
 
「キアラ!」
 
「っ!」
 
 師の呼び掛けに、考えるより早く体が動くキアラ。
 
 反射的に、再び『ドラケンの咆』と『グリペンの哮』をシュドナイに放つ。
 
(今だ!)
 
 その隙を突こうと再び攻撃に移ろうとした虞軒、その中核たる神器を、"見えない何かが"無理矢理引っ張った。
 
 見ればキアラも、自分の攻撃の効果のほども確認せずに背を向けている。
 
 そのまま、キアラと、そして自分を引っ張るサーレが、一つの方向に全速で飛んでいた。
 
 虞軒が何か口に出す。それより先に‥‥‥
 
("糸"にかかった。これ以上ここにいると囲まれる)
 
 サーレが小声で、簡潔に説明する。
 
(糸‥‥‥そういう事か‥‥‥)
 
 虞軒も、そんな説明で大筋理解する。
 
 『鬼功の繰り手』の力は、不可視の糸で周囲のあらゆるものを繋ぎ止め、操る事。
 
 サーレはその糸を広範囲に巡らせて、気配を隠して迫る敵に対するセンサー代わりにしていたのだ。
 
 その糸に敵がかかった、という事はつまり、すでに敵本隊による包囲網が敷かれつつあるという事。
 
 単独行動に出ている敵の総大将を討ち取る、自分たちにとっても千載一遇のチャンスだっただけに、惜しまれる。
 
 だが、それ以前に‥‥
 
(逃げ、切れるのか‥‥?)
 
 こちらは三人、全員が全員、世に知られた使い手揃い。とはいえ、相手は『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の将軍。さらに副官らしき徒が二人、付いている。
 
(手間取っていては、あっという間に囲まれるぞ‥‥‥)
 
 自分たち中国フレイムヘイズを、驚くべき迅速かつ正確な用兵で攻め落とした敵の手腕が脳裏に蘇り、虞軒に焦りが生まれる。
 
 当然、シュドナイはそれを追う。
 
(逃げる、か!?)
 
 シュドナイにしてみれば、突然の撤退である。
 
 向こうにしてみても、この状況で自分と戦えるのは好都合であるはずなのだから。
 
(逃がさん!)
 
 "何故包囲に気付けたか"は知らないが、別に自分が彼らを逃がす理由もない。
 
 背を向けながら次々に極光を飛ばすキアラを最後方にした三人を、飛び来る極光を弾きながら追う。
 
 そのシュドナイが、とある一画に差し掛かった、瞬間‥‥‥
 
「っ!?」
 
 シュドナイを挟んで両脇のビルが二つ、突然、菫色(すみれいろ)に燃え盛り、罠にかかった獲物を潰さんと‥‥‥‥
 
 ドガァアアアン!!
 
 その距離を、0にした。
 
 さらにダメ押しとでも言うように、キアラが逃げながら放った『ドラケンの咆』と『グリペンの哮』が、シュドナイをビルごと吹き飛ばす。
 
 『極光の射手』の力はメリヒムの『虹天剣』にこそ及ばないが、連射や誘導が自在であるがため、汎用性は非常に高い。
 
(くそっ!)
 
 粉々に吹き飛んだ瓦礫をはねのけて、シュドナイが飛び出す。さっきの一撃、ビルが目隠しとなった事で『神鉄如意』で払いのけるといった反応が出来ず、それなりのダメージを受けてしまった。
 
(ちっ、もうあんな所まで‥‥)
 
 しかも、その間に大分距離を稼がれてしまった。
 
 変幻自在の『神鉄如意』を以てしても、少しばかり間合いが遠すぎる。
 
「オロバス!!」
 
 叫ぶと同時に、その姿は変質する。
 
 二足歩行の腕ばかり太い虎、だが、その膝から下は鷲の足、背に生えるのは蝙蝠の羽、虎の頭には角と鬣、おまけに蛇の尻尾まで生えている、という、"千変"の真名に相応しい、異形のデーモンの姿へと。
 
「はっ!」
 
 呼ばれ、まさにそれをこそ待っていたとばかりにオロバスは跳び上がる(レライエは距離を取りつつ、サーレ達を逃がすまいとその気配を捉えている)。
 
 そして、その蛇の尻尾にがっしりとしがみついた。
 
(よし‥‥‥‥)
 
 準備が整い、シュドナイは"湧き上がる力"を、太くなった腕にさらに込め、巨大化させる。
 
 同時に膨らんだ『神鉄如意』の大きさは紫と橙の炎を混ぜ、先ほどの、城の尖塔ほどの大きさのそれを優に上回る、桁外れな大きさとなる。
 
 これが"獰暴の鞍"オロバスの能力。
 
 自身の体と接触している対象の能力を強化する力である。本来ならば、この力は彼が『人化』していない本来の姿、黒い軍馬の上に対象を騎乗させるのが常套手段なのだが、残念ながら今のシュドナイと『神鉄如意』に乗られたら、オロバス自身が潰れてしまう。
 
 だから今、オロバスは人の姿でシュドナイの尻尾に必死にしがみつく、という少々格好の悪いやり方しか取れないのである。
 
 その、オロバスによって強化されたシュドナイの『神鉄如意』、今度こそサーレ達を間合いに捉えた長大に過ぎる剛槍が、振り下ろされる。
 
 ドォオオオオン!!
 
 大気を震えさせる、その怖気を呼ぶほどに強力な一撃は、シュドナイがいる位置から封絶の端までという恐るべき広範囲を煉獄に包み込み、焦土と化す。
 
 しかし‥‥‥
 
「将軍! 右です!!」
 
 一拍置いて発せられたレライエの言葉で外れた事を知り、すかさず『神鉄如意』をそのまま右に払う。
 
 腕の振りに合わせて、街が一瞬で廃墟ですらない塵へと変わる。
 
 しかし、今度はシュドナイ自身が手応えで捉えた。否、正確には捉えなかった。
 
「レライエ! 封絶の外か!?」
 
 叫ぶシュドナイに、返事は返らない。その意味を瞬時に理解したシュドナイは、オロバスに強化された自身の力で、さらに封絶の範囲を広げる。
 
 果たして、そこにレライエはいた。レライエしか、いなかった。
 
「何があった?」
 
 レライエに飛んで近づきながら、シュドナイは状況を確認する。
 
 あのタイミングで隠れる事など出来ない(そもそも隠れる場所などあの一帯にはすでに無かった)。
 
 封絶の外に突っ切る以外に回避する事は不可能だったはず。だが、おそらく常にサーレ達を見張っていたであろうレライエ、しかここにはいない。
 
 シュドナイの言いたい事は百も承知の上で、しかしレライエは呆けたような応えしか返せなかった。
 
「‥‥わかりません。奴らを追って封絶を飛び出した時にはもう‥‥姿はありませんでした」
 
「‥‥‥‥ふん」
 
 レライエの言葉に、シュドナイは少し考え込むように唸った。
 
 自分が派手な攻撃をしたせいでレライエの追跡が多少は遅れたかも知れないが、新たに展開した超広範囲の封絶の外に逃げ切るなど、普通なら不可能。
 
 気配を消して隠れるにしても‥‥‥‥
 
「っふん!!」
 
 剛槍一閃、再び街を破壊する。やはり、それらしい手応えはない。
 
「『転移』か何か‥‥方法はわからんが、どうやらまんまと逃げられたらしいな‥‥‥」
 
 スッパリキッパリ、思考を切り替えたシュドナイが、レライエに言う。
 
「申し訳ありません。私が見張っていながら‥‥」
 
「気にするな。今回は奴らが一枚上手だった、というだけの事だ。それに、もはや奴らの生存如何で変わる戦況でもない」
 
 レライエの謝罪を軽く笑い飛ばしたシュドナイが、ポケットから一つ、香水瓶を取出し、振り撒いた。水滴は紫の火の粉となって、戦いで傷ついた街が、とんでもない早さで癒されていく。
 
 余った"それ"、存在の力の結晶をぐいっと飲み干したシュドナイの目に、ようやく現れた自軍本隊の構成員達が映る。
 
「オロバス、もういいぞ」
 
「あ‥‥はっ!」
 
 オロバスがシュドナイの尻尾から離れ、封絶の規模が元の大きさに戻る。
 
 人の姿に戻ったシュドナイが、すぐさまタバコに火を点した。
 
 自軍の集結を眺めながら、副官たちに語り掛ける。
 
「すまんな。ここ一番の大戦に、将軍たる身が外す事になる」
 
 すでに、否、初めから決定事項として決まっている事に対して、詫びた。
 
 未踏に踏み入れ、目指す彼ら『仮装舞踏会』。その先を切り開く事こそが『将軍』たる自身の役目だと考えているからこその言葉だった。
 
「こちらで戦う我らは、大命に赴かれる『三柱臣』ご一同を守る盾として配されているのです。お気に病まれる必要はありません」
 
 シュドナイのその言葉を、オロバスが馬鹿丁寧な口調で否定した。
 
 シュドナイは軽く笑う。
 
「くくっ、お前たち、少し言葉遣いが大時代的すぎる。少しはテレビでも見ろ」
 
 ふと、その視線がレライエの掌の上に行く。
 
 そこに在るのは、魚の鱗。
 
「デカラビア、仮に大軍が踊り入ったとしても、『秘匿の聖室(クリュプタ)』に守られる『星黎殿』が易々と見つかるはずもない。だが、何が起こるかわからんのが戦だ。何度も言うが、用心してかかれ」
 
 その言葉にあからさまに顔をしかめるオロバス、そしてそれを見て吹き出すレライエ。
 
「作戦方針は、了解しております。私が統括する以上、心配無用」
 
 "鱗の先で"言葉を受けた、"今からの"征討軍総司令官は、気負う感情の一片も見せず、簡単に請け負った。
 
 予想通りの反応に、溜め息が漏れる。
 
「無駄に兵を殺すなよ」
 
 一言だけ告げて、今度はこの場にいる二人に言う。
 
 今度は、念押しではなく鼓舞。
 
 今ここにいる者たちは、大命に向かう盟主の言葉を聞く事は出来ないのだ。
 
 
「このまま、準備が整う前に勝負をかける」
 
 本当なら、自分こそがその先頭に立ちたかった。
 
「軍の体裁など取らせるな。『傀輪会』壊滅の報を聞き、奴らが危機感を覚える間も与えずに潰せ」
 
 既定方針を軽く伝え、離れる統率者としての責務を果たす。
 
 そして、ある意味一番大事な事。
 
「俺たちの帰還まで、頼んだ」
 
 
 使命を託したシュドナイの手に、光り輝く黄金の鍵が握られる。
 
 



[7921] 水色の星T 五章エピローグ『両界の狭間へと』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/23 07:30
 
「‥‥‥この世の本当のことを、変える?」
 
「そ」
 
 中国大陸、その広い、広い空を、高く、高く、渦巻く何かが飛んでいた。
 
 高すぎて、凍えるように寒い。だからこそ、下界の何者も彼女らを見いだせない。
 
 何より、その速度はあまりにも速すぎる。
 
「やはりあの、ミステスか‥‥‥」
 
 渦巻き、空を貫く琥珀の中に在る一人、『剣花の薙ぎ手』が、考え込むように頷いた。
 
「あら、あなた悠二と面識あったんだ? だったらヴィルヘルミナの報告の後にすぐ動いてよね」
 
 虞軒の言葉に、軽く嫌みで返すのは、この特殊な空間を先頭で操る、"彩飄"フィレス。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 それに、虞軒は反論せずに口をつぐむ。虞軒には、その報告は届いていない。
 
 『傀輪会』と他組織間との軋轢や、外界宿(アウトロー)自体の伝達の悪さ、想像すれば理由は幾らでも思い付くが、この百年、『傀輪会』の大老に限らず、人間の構成員に世事や些事を任せっきりにしていた自分たちフレイムヘイズに大きな落ち度があったのは確か。
 
 何より、言い訳など無意味だ。結果として中国フレイムヘイズは壊滅したのだから。
 
 そして、それがまず間違いなく、世界規模の戦いの流れを、大きく敵に傾けてしまったのだから。
 
「‥‥子供のわがままか。そんな理由に世界ごと付き合わされる俺たちにとってはいい迷惑だ」
 
「夢を見るのは結構だが、過ぎた妄想は少しばかり無様だね」
 
 虞軒と違い、二人で一人の『鬼功の繰り手』は憮然として言う。
 
 サーレに至っては大した気負いも憤怒もない。彼は教授の『強制契約実験』によって生み出されたフレイムヘイズ。
 
 それゆえに、通常なら紅世の王が契約の際に目印にし、そして契約後も利用する、強烈な感情、あるいは戦う理由が無いのだった。
 
 それでも彼がフレイムヘイズとして戦っているのは‥‥実は今でも大して理由など無い。
 
 強いて言うなら、『ただなんとなく』である。
 
 ちなみにキアラは話のスケールの大きさに、口をパクパクとさせて黙っている。
 
 ‥‥何も言えなくなっているの間違いか。
 
「さっきまで全然信じてなかったくせに、今度はやけにあっさり信じるのね」
 
 フィレスは、つい先ほどの戦い、その封絶にサーレ達が飛び込む、否、"サーレ達を放り込む"前の事を思い出して言う。
 
 初めから、フィレスは脱出に備えて封絶の外で待機していたのだ。この自在法・『ミストラル』の力で。
 
「そりゃ、"あれ"見た後じゃ信じるしかないでしょ?」
 
「それで? 信じたんなら、さっきの提案受け入れろって言いたいわけ?」
 
 金魚になっているキアラに代わり、ヴェチェールトニャヤとウートレンニャヤが訊く。
 
「そう、"あの時"と同じよ。利害の一致、あなた達にとっても、悪い話じゃないでしょ?」
 
 言ったフィレス、言われた二人にして五人のフレイムヘイズは、過去へと思いを馳せる。
 
 遠くハワイの地で、片や酔狂な約束、片や討ち手としての戦い、双方の目的の為に共闘した事があった。
 
 だが、フィレスのその言葉に、サーレは引っ掛かる。
 
「"利害"‥‥ねえ。お前さん達が『戦争』に加担するって事自体、俺たちからすれば眉唾物だ」
 
 言外に、『理由を話さなければ信用出来ない』、と含ませる。
 
 対するフィレスはあっさりしたものだった。
 
「別に? 私たちの『零時迷子』、他人任せにして壊されでもしたらたまらないしね。それに、ちょっと放っておけない娘がいるのよ」
 
「えっ、と‥‥‥‥?」
 
 フィレスの言う『放っておけない娘』、の意味が今一つわからずに首を傾げるキアラの頭をポンと叩いて、
 
「それじゃ、"私"の所に向かうわよ!」
 
 サーレ達の返事も待たず、フィレスは空を切って飛ぶ。
 
 
 
 
 緋色の衣と漆黒の竜尾を靡かせて、一人の少年が夜空を見つめていた。
 
 『盟主』、"祭礼の蛇"坂井悠二である。
 
「‥‥‥よし」
 
 夜に溢れる光の下、身の奥底で力を充溢させてゆく。呼応するように、黒い火の粉が周囲を漂う。
 
 悠二の隣で、自らの功績から期待の眼差しを向けるヘカテーの頭を、くしゃくしゃと撫でる。
 
 くすぐったそうにそれに身を委ねるヘカテーに目を細め、再び空に目を向ける。
 
 その黒い瞳が、月も星も越えた先に在るものを捉えんと、光を吸い込んでいる。
 
 遥かな太古に"祭礼の蛇"を放逐した秘法・『久遠の陥穽』によって生じた微かな歪みが、月日と共に漂いきたのが、この地。
 
 それを、ヘカテーがその、誰にも真似出来ない力で見つけたのだった。
 
 炯炯たる黒を宿した瞳が夜空の一点を捉え、悠二はゆっくりと腕を差し上げた。
 
 明るい星天をすら塗り潰す力、創造神の証たる黒き炎が、その掌から溢れ出し、渦巻いてゆく。
 
 その光景を見つめるのは、悠二やヘカテーだけではない。
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の全ての徒が、この創造神の御業を見ていた。
 
 黒き炎は既に、頭上一円の空を埋め尽くす。暗雲とは異なる渦巻く力感が、闇ではない黒の在る事を、見る者の目に、心に刻み付ける。
 
 悠二は、その力の充溢を全身に感じて、歓喜のままに、差し上げた腕を引き戻し、胸元で拳を作る。
 
 拳には、鋼をも容易く握り潰す剛力が宿っていた。
 
 悠二の左手の『ウロボロス』にその意識を表出させる真の盟主も、感情が高まるのを抑えられない。
 
 まさに、まさに今、この時のために必要だった、代行体。その役割を引き継いだ少年が今、『大命』への道を創り出す。
 
 誰もが、黒天の空を見上げる。
 
 天を埋める黒い炎は、緩く深い脈動を、大気に伝えている。
 
 脈動と合わせて、悠二は胸元で握った拳に、全力を込めた。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 黒い炎と時の刻みが同調し、迫る予感が、確信へと変わる。刹那‥‥‥
 
「命ず‥‥‥」
 
 拳が、
 
「『神門』よ、在れ」
 
 指の一差しとなって、中天を突く。
 
 ズンッ
 
 と、脈動が強く大気を震わせて、『仮装舞踏会』の徒たちが沸き立つように喝采を上げる。
 
「ひゅう♪ 惚れるねぇ悠二!」
 
「ふっ‥‥」
 
「これは‥‥‥!?」
 
「大丈夫、なんですか!?」
 
 傍にいた仲間の内の何人かも、興奮からか口々に騒ぐ。
 
 黒く燃え立つ空が、指を差され、窪んだ一点に向かって、収縮を始める。
 
 爆縮とも見える現象は渦も巻かず、ただ引き込むように炎を呑み、月と星の空を蘇らせた。
 
 残されたのは、要塞にほど近い宙に浮く、漆黒の珠。
 
 その輪郭から銀の炎がほとばしり出た。
 
 目を煌きに焼く炎は一頻り暴れると、凍り付くように固まり、流麗壮美な銀細工の縁取りと化す。
 
 珠もいつしか平面となり、その全貌は、何物も映さず、返さない、巨大な黒き鏡へと形作られていた。
 
(何か、私の『銀沙鏡(ミラー・ボール)』に似てる‥‥)
 
 その『神門』の姿に、ゆかりは自身の自在法に近しいものを感じた。
 
 それが、自分が悠二によって生まれ変わった存在だからなのか、それとも悠二の願い‥‥その象徴となった自分がイメージに反映されているからなのかは、よくわからない。
 
 だが、何となく繋がりを感じて、嬉しくなった。
 
 
「っ! ‥‥‥‥」
 
 『神門』の完成から間を置かず、時は零時を迎え、悠二はほぼ全て放出した力をすぐさま取り戻す。
 
 ふわり、と、悠二が舞い降りた。
 
 今立つ尖塔よりも幾らか低い、半円形のテラスの突端部へと。
 
 悠二の周りにいた者たちもそれに倣う。
 
 舞い降りる少年に照らされて、地に、銀影の輝きが映った。
 
 空を黒天に染めた者が、今、地を銀影に染めて、『仮装舞踏会』に告げる。
 
 彼らを束ねる者として‥‥‥。
 
「心に、予感は在るか?」
 
 ここにいるのは、征討軍を除いた、『星黎殿』の守備隊と直衛軍のみ。
 
 それでも悠二は、彼の兵らに向かって傲然と、燃え立つ喜悦を込めて、声を投げ掛ける。
 
「身に、戦きは在るか?」
 
 悠二の言葉に、一度は静まり返っていた空気が、また爆発を堪えるように淀み始める。
 
「それが、余と進む者の証だ」
 
 興奮が、張り裂けんばかりであるようだった。
 
「余は、これより自身、大命の第二段階を敢行する。すなわち頭上、創造せし『神門』を抜け、『久遠の陥穽』の彼方で待つ、我が義父‥‥『創造神』"祭礼の蛇"の神体を帰還させる!!」
 
 鈍い響きが、遂に緊張を破って、興奮を露にしていく。
 
「残される汝らに命ず! 余の帰還の時まで、この『星黎殿』を守り抜け! そのために、研ぎ澄ませた剣を振るえ、牙を剥き出して咆えよ、熱くたぎる炎を燃やせ、知勇を振り絞り駆けよ!! 存在だ、存在し顕現する身の証に、全てを奮い起こせ! 戦え! 戦え!!」
 
 今まさに爆ぜる寸前だった全軍が、圧倒されて静まり返る。
 
 ただ、次なる行為への準備だけは万全であった。
 
「さすれば、大命の最終段階、世界の変革へと手は届く! 今度、こそ!!」
 
 いつの間にかヘカテーと繋いでいた手とは逆の片腕を、悠二は野望のまま振り上げた。
 
 一拍、
 
 空気の爆ぜるような歓呼の声が、沸き上がった。
 
 
『創造神"祭礼の蛇"万歳!!!』
 
 
 その一声のみを合わせて、後はもう、言葉にならない大狂熱の轟音が、醒める事なく響き渡る。
 
 悠二の周りも、旅立ち前に言葉が交わされる。
 
「ちょっと、演出過剰じゃない?」
 
「いや、これからの戦いへの鼓舞にするなら、あれくらいで丁度良いくらいさね」
 
 茶化すゆかり、それを笑って否定するベルペオル。
 
「フェコルー、俺たちの出立後の事、任せたぞ」
 
「はっ、プルソンらもおります、後事はお任せを」
 
 シュドナイとフェコルーが、最終確認をし、
 
「ふふ、いよいよ面白そうになってきたね。私の可愛いマリアンヌ」
 
「え、はい! でもちょっと不安が‥‥‥」
 
 フリアグネが子供のように目を光らせ、マリアンヌが怖じ気付く。
 
「おじ様、不測の事態への対処、くれぐれも宜しくお願いします」
 
「んーっふふふ! ルゥーックヒア! 心配はナァーッシンです! 起ぉーこり得る事象も全てっ! こぉーの"我学の結晶"ェエークセレント252548『論誼のぉー笈』により『大命詩篇』との照合を‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーが念を押し、教授が怪しげな機器類を山ほど背負って騒ぐ。
 
 最後に、どういうわけかリュートを奏で歌っている楽師・ロフォカレを視界に認め、悠二は一度目を瞑り‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥」
 
 再び開く。
 
 視線の先には、黒の『神門』。
 
(自分が人間じゃなくても、ちっぽけなトーチでも‥‥徒でだって、関係ない)
 
 その先にこそ、道は在る。
 
(‥‥‥やってやる)
 
 決意を新たに胸に抱いて‥‥‥
 
「いくぞ!」
 
 悠二は舞い上がった。
 
 それに、ヘカテーが、ゆかりが、ベルペオルが、シュドナイが、フリアグネが、マリアンヌが、教授が、ドミノが、ロフォカレが続く。
 
 
 旅立ちを知った軍勢のあらん限りの歓声に送られて、舞い上がる。
 
 その中で、旅立つ者たちだけに聞こえる声で、ヘカテーが呟いていた。
 
 
「未踏も遼遠も、越えてみせる‥‥今こそ!」
 
 
 その呟きに皆が微笑み、悠二がその手を取った。
 
 
 
 
 願いを抱き、その成就を目指して、少年たちは突き進む。
 
 
 向かうは『神門』、両界の狭間へと‥‥‥。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章『黒蛇への旅路』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/24 12:54
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 柔らかく、温かい。
 
 自分が今まで当たり前に受け入れていた物が、実はかけがえのない物だと思い知らされる瞬間である。
 
(ここは樹海でもジャングルでもない。寝袋も、野生の動物にも恐がる必要もない、ごく平凡なホテルの一室‥‥‥)
 
 昨日今日樹海を抜けたわけでもないのに、この目覚めるか目覚めないかという一時には、こんな思いでいっぱいになる。
 
 だから‥‥‥
 
(あと、5分‥‥‥)
 
「起きて‥‥池君‥‥」
 
(ん‥‥‥‥?)
 
 耳元で囁く、聞き慣れた声の‥‥懐かしい口調。
 
「よっ‥‥‥よよよ吉田さん!?」
 
「もう‥‥鍵開いてたよ、無用心なんだから☆」
 
 これは‥‥一体何なのだろうか?
 
 確かに、今までも‥‥というか今も、普遍的な高校生から逸脱した冒険をしている自覚はあった。
 
 もう大抵の事には驚かないという自信があり、それを裏付けるアクシデントにも遭遇してきた。
 
 しかし、これは‥‥
 
(ア、ア‥‥アクシデントのベクトルが違う!!)
 
 朝の眠気に抗う中、好きな女の子が、耳元で優しく起こしに来てくれる。
 
(これは‥‥‥夢か!?)
 
 今までも、確かに寝起きに吉田が現れる事は確かにあった。
 
 それはベッドの上のジャンプから繰り出されるスーパーエルボードロップだったり、寝袋ごと川に放り込まれたり、色っぽい展開とはかけ離れたものだったが‥‥それでも自分は幸せだった。
 
 それが‥‥今日のこれは何だ?
 
(何‥‥だと? 一体、何が‥‥)
 
 両手で自分のほっぺたを力いっぱいつねる、さらに思いっ切り引っ張る。
 
 ‥‥‥痛い。
 
「あははっ、池君面白い顔! 遊んでないで、早く支度してね、朝ごはんにしよ☆」
 
 ‥‥‥‥‥痛、い?
 
(夢じゃ‥‥ない、のか?)
 
 信じがたい現実は、池の理解を越えて雪崩込む。
 
「ほ・ら☆ 早くしないと、その分、今日の"デート"の時間が減っちゃうよ?」
 
「デ、デデデ、デート!?」
 
 動揺が動揺を呼び、もはや池の頭の中は収拾がつかない。
 
(そ、そうなのか? 僕は自分でも知らない間に、吉田さんともう何回もデートを? あれは‥‥シティーデートだったのか? サバイバルデートだったのか‥‥‥?)
 
 もはや、自分たちが中国に渡って来た理由すら忘れかけている池である。
 
「それじゃ、急いでね☆」
 
 にこやかに微笑んで、吉田は部屋を後にする。
 
 完全に放心状態の池を残して。
 
 
「ふぅ‥‥‥」
 
 一度自分の部屋に戻った吉田。吉田自身の準備も、後一歩という所で済んでいない。
 
「遅かったかも知れんけど、やらんよりはマシだろ‥‥‥多分」
 
 
 その十分後、何やらいつも以上に身なりに気を遣って現れた池速人を出迎えたのは、機動性抜群の迷彩服に身を包んだ吉田一美であった。
 
 
 
 
 秘法・『久遠の陥穽』。
 
 太古のフレイムヘイズが、『創造神』を封じるために編み出した、対象物をこの世と紅世、両界の狭間へと追放する究極の"やらいの刑"である。
 
 秘法、とは言っても、作動させるための手間が大掛かりなだけで、その原理自体は然程難しいものではない。
 
 通常、徒らが紅世からこの世に渡り来る際に使う(と、いうほどに意識すらしない)『狭間渡り』の術法の応用だった。
 
 通常、『狭間渡り』は、紅世からこの世に渡る際には『人間らの感情』、逆にこの世から紅世に帰る際には『同胞らの渦巻く力』、それぞれとの共振を以て道標とする。
 
 これら共振が、闇夜の灯台、あるいは太い引き綱となって、海=両界の狭間が荒れていようと、泳ぎ着く先を示し、引き寄せる力となるのである。
 
 ちなみに、フレイムヘイズらが危惧する『歪み』とは、この『海』が荒れてしまう事を指す。
 
 秘法・『久遠の陥穽』は、この共振を遮断した状態で、対象物を両界の狭間に転移させてしまう。
 
 つまり、目隠しをしたまま大洋に迷うも同然、広大無辺の彼方を、永遠に彷徨うしかない。
 
 だからこその、破られるはずのない、不帰の秘法。
 
 それが、数千年の時を経て、破られる。
 
 
「おおぉー! これが『詣道』! 意外と地味だけど、天然のトンネル?」
 
 まず、ゆかりが好奇心丸出しの、やたら嬉しそうな声を上げた。
 
 霞んで失せる何処までも、全てが大地という、"天の無い世界"。
 
 足下、左右、頭上、前方、その全てに、大地が在る。
 
 両界の狭間に創られた、彼方に眠る神の本体へと至る道。大きく曲がりくねった管の内面、その全てが大地で構成されていた。
 
 両界の狭間には、物理的な距離や位置関係は存在さない。
 
 ここは、いつか必ず帰る自身を、眷属らが見つけやすくするために"祭礼の蛇"が、『創造神』の力を振るって作りだした道‥‥名を、『詣道』。
 
 それを見てはしゃぐゆかりを見て、悠二の左手の『ウロボロス』から声が上がった。
 
「フレイムヘイズは誰一人として知るまいが、余はあの秘法に飲み込まれる寸前、余の『軍師』より『旗標』を受け取った上で放逐されたのだ」
 
 何やら得意気に語りながら、ベルペオルの方にチラリと視線を向ける。
 
 話を継ぐように、今度はベルペオルが続ける。
 
「その『旗標』の所縁を巫女たるヘカテーが手繰り寄せ、『託宣』として受け取っていたのが、数千年掛けて編み出し続けた自在式・『大命詩篇』。それによって、多少風変わりな形にはなったが、『盟主』がこの世で力を振るう『代行体』‥‥まあ、今の悠二になったわけさね」
 
 知っている者、知らない者、等しくその言葉に耳を傾け、『詣道』を眺める。
 
 否、そんなおとなしい反応をしない者もいた。
 
「ェエーックセレント! ェエーッキサイティング! 素ぅー晴らしいっ規模! 確ぃーっかなっ存在感! 在ぁーっり得ない事を在らしめる、前代未聞空前絶後奇ぃー妙奇天烈摩訶不思議の、まっ、さっ、にっ! 神のぉーっ御業!!」
 
「そうだ。余が業を振るい、作った、余に至る‥‥細く、小さく、脆い道だ」
 
 傍らの大回転、やや自嘲気味な左手のブレスレット、双方に目をやった後、悠二はヘカテーに訊く。
 
「ヘカテー、どう?」
 
「‥‥このまま、前へ」
 
 錫杖を前に翳し、告げる。
 
 今度は、その行動に対して、フリアグネが反応した。
 
「前へも何も、大きな一本道だけじゃないか。さっさと行って、終わらせてしまった方がいいと思うけどね」
 
 全く、当然の疑問。傍目に見れば、大きな一本道を前に、小さなヘカテーが「このまま真っ直ぐ!」とやっている姿は、ややシュールですらある。
 
 その疑問に、悠二が応える。
 
「この『詣道』は、見たままの単純な道じゃない。距離なんて概念は存在しない。"そこ"に至る業苦や艱難、あるいは不可能という"状況"を、神の力で『道』という形に"実体化"した仮初の物だ」
 
 つまりは、何が起こっても何の不思議もない、全く予測不能の地。
 
 『三柱臣(トリニティ)』をはじめとする、相当な大戦力をこちらに割いたように見えて、実際はこれでも十分な戦力だという確証は全く無いのだった。
 
 言って、緋色の衣と凱甲が、漆黒の竜尾が解け、悠二の姿がミステスのそれへと戻る。
 
「そういう事だから、ヘカテーからあんまり離れすぎない」
 
「はうっ!?」
 
 やや先行して駆け出そうとするゆかりの首根っこを引っ掴む。
 
 その様を、ベルペオルがほんの少しだけ険しく見て取った。
 
「『大命詩篇』の持続時間、どこまで延ばせたね?」
 
 訊かれ、一瞬何の事かと思案した悠二は、すぐにそれが『彼』との共鳴時間を指している事を悟って、応える。
 
「‥‥うん、ただ同調したまま立ってるだけなら、一時間くらいは持続出来る。‥‥まあ、戦いの状況次第で、どれくらい縮むかわからないけど‥‥‥」
 
 それを聞いて、ベルペオルは少し、表情を明るくした。『詣道』に入ってすぐに解くから、もっと短時間しか変われないかと思ったのだ。
 
「ふむ‥‥まあ、せいぜい肝心な時にしくじらないようにしておくれ」
 
「はいはい」
 
 悠二の通常時の能力と合わせて、一応の安心を得るベルペオル。そして、何となくうやむやになったフリアグネの疑問には、シュドナイが応えた。
 
「つまり、ただ真っ直ぐ進んでも行程は捗らん。『旗標』の大きな指針、そしてヘカテーの共振による小さな指針を頼りにして初めて、俺たちは確かな道を行ける、そういう事だ」
 
 悠二、そしてシュドナイの言葉を言葉を耳に入れて、今度はゆかり。
 
「‥‥ドミノの機械は、そのため?」
 
 見ればゆかりの視線は、ドミノの背負った機器類、その内に見えるメーターの様な物に向けられていた。
 
「はいでございますです、姫様。現在、この地の『詣道』は実体化率にして54%、ごくごく初期の作例につき、狭間の状況によっては39%まで落ち込むようでございますです。現状では、方向さえ確認していれば、所に迷う危険性も少ないかと〜」
 
 ピーッと蒸気を吹きながら、くるくると目を回すドミノ。何となく、その上にゆかりが搭乗する。
 
 先ほどの「離れすぎない」発言に反応してか、ヘカテーが悠二にぴったりと寄り添う。
 
 こんな時にも相変わらずな二人に苦笑しながら、悠二が一歩を踏み出した。
 
「行こう、先は長い」
 
 そんな悠二も含めて、暢気だと呆れるシュドナイとベルペオルが、顔を見合わせて肩をすくめ、忠告に従い、マリアンヌの手を取って遅れないようにフリアグネが続く。
 
 はしゃぐ教授は、ゆかりを乗せたドミノが気に掛ける。
 
「人間たちよ、陽気にやろう♪ くよくよ嘆くは愚の骨頂♪ ふところ具合は悪くとも、回る世界は踊るが勝ちさ♪」
 
 最後尾を、リュートを爪弾くロフォカレがフラフラと歩きながら、一行は未踏の『詣道』を行く。
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/26 14:09
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 中国フレイムヘイズがほぼ全滅したと言っていいほどの惨状を向かえ、予期せぬ加勢によって九死に一生を得た、『剣花の薙ぎ手』虞軒。
 
 そのまま連れてこられた島国にて、そのまま、既に兵団の結成に先んじてこの国に腰を据えている、とあるフレイムヘイズを訪れるため、新幹線に揺られている。
 
 中国外界宿(アウトロー)を取り仕切っていた『傀輪会』の大老を逃がしはしたが、今なら自分が直接行った方が早いかも知れない。
 
 何より、無事に大老たちが逃げられたという完全な保障などない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 着いた先で待機していた壮々たる面々、そしてその企図を聞かされた時には驚愕したが、実際にあの『仮装舞踏会(バル・マスケ)』と戦った身としては、そんな無茶な方針も、やむを得ないと思えもする。
 
 ただ‥‥‥
 
(信用、出来るのか‥‥‥?)
 
 あの場にいた面々の中に、徒が二人、ミステスが一人、“彩飄”フィレスに関しては、確かに一度助けられはしたが、あの後、東京総本部に連れて行って欲しいと頼んだ時の反応‥‥‥‥
 
『イヤよ。“私たち”、別にこの大戦の顛末自体には興味無いもの』
 
 ‥‥軽い言い方だったが、明らかに本気だった。『約束の二人(エンゲージ・リンク)』は、状況次第によっては味方とは呼べない危険性がある。
 
 もう一人に至っては‥‥‥実際に数百年前の『大戦』でフレイムヘイズに敵対した強大な紅世の王。
 
 そして、その三者を擁護しているのが『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメル。
 
 “頂の座”ヘカテーや、例のミステスの監視を任され、そして結果としてこの事態を未然に防げなかった‥‥ヴィルヘルミナである。
 
 今さら彼女の討ち手としての能力を否定するわけではないが、今回ばかりはその言葉の信頼性は低い。
 
(‥‥‥だが、そう言ってもおれん状況、か‥‥)
 
 自分たち中国フレイムヘイズでさえ、世界単位でまとまってなどいなかった。
 
 『フレイムヘイズ兵団』とて、まともに編成されているとは思えない。
 
 おそらく‥‥いや確実に、総力戦で勝つ事は、もはや不可能。
 
 自分たちにまだ残されている手段があるとすれば、それは『大命』とやらの阻止、その一点。
 
 そして、それはヴィルヘルミナたちのようなやり方でしか、為し得ないのかも知れない。
 
(『鬼功の繰り手』や『極光の射手』があの場に留まったのも、おそらくそう考えたから、か‥‥‥)
 
 ならば、自分は自分のやるべき事をするだけ。
 
(『仮装舞踏会』の企みを阻止出来たとしても、討ち手が全滅ではな‥‥)
 
 ふと浮かんだ、最悪の予想、それが実現する可能性が極めて高い現状に、虞軒は唇を噛む。
 
 
 
 
「質問!」
 
「はい、ゆかり」
 
 最初は砂に埋もれて朽ちた石積みが所々に見え隠れする、といった、荒涼とした砂漠同然の景色しか無かった『詣道』。
 
 道を進める毎に時流も進み、その土台たる『詣道』も確かな物へとなっていく。
 
 崩れて風化した煉瓦の素組み、骨のように居残る、彫刻を施された石柱群、巨大建造物を支えていたであろう、折れたアーチ、円と球のラインを基礎に構えられ、未だ残るドーム、外見は質実簡素、内部は精緻な細工に満ちた身廊、どこまでも派手に複雑に、宙へと突き立てられた尖塔群。
 
 そうやって景色と状況が変化していく『詣道』を、盟主一行は進む。
 
 そんな中、持参したおにぎりをパクつくゆかりが、ヘカテーに疑問をぶつけてみる。
 
「存在の力なんて元々『狭間』には無いはずなのに、パパさんはどうやって『大命詩篇』だの『詣道』だのを作れたの?」
 
 『神』だから、では説明がつかない。
 
 神の力を求める者と供物がなければ『神威召喚』は成立しないし、その一点を除けば、『創造神』とて強大な紅世の王とさしたる性質的な違いは無いからだ。
 
「簡単な事さね。この両界の狭間でも、存在の力を得る方法があった、という事さ」
 
 ヘカテーの出鼻を挫くようにベルペオルが説明し、ヘカテーがややむくれるが‥‥すぐに挽回のチャンスはあった。
 
 あるいは最悪の形で、だが‥‥‥。
 
「??」
 
 両界の狭間などで徒が存在の力を得られるなら、そもそも人が喰われる事などないのではないか?
 
 ゆかりが次に発する質問、「どこから?」と、“もう一つの事象”を察知したヘカテーが、
 
「“あれ”です」
 
 錫杖『トライゴン』で前方を指した。
 
 その指す先に在る『者』らの姿を認めて、先頭に躍り出た悠二が、その手に大剣を握む。
 
「やっぱり‥‥簡単にはいかないか」
 
 一閃、斬り裂く。それが、戦闘開始の合図となった。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 『星黎殿』直衛軍に所属し、また、征討軍総司令という大役を任されている大魚。
 
 “びょう渺吏”デカラビアは、常からそうであるように、冷静沈着に戦局を“見極めていた”。
 
 自在法・『プロビデンス』。
 
 自身の魚鱗を介して、彼は“世界中を”見聞きし、言葉を発し、自在法まで発現出来る。
 
 その冷静極まりない性格と合わせて、指揮官としてこれ以上ない能力の持ち主なのだ。
 
 ただ、その合理的で無感動過ぎる性格ゆえに、彼を快く思わない者も少なからずいる。
 
 しかし、彼はそれら好悪に分かれる自身の印象にすら、さしたる興味もない。
 
(‥‥“千征令”や“道司”もいれば、さらに編成は組み易かったが、致し方あるまい)
 
 ここ数年のうちに次々と欠けた、組織の重要な構成員らが惜しまれる。
 
 それぞれが強大な王であり、また単純な力だけでなく、軍勢をまとめる統率力と智謀をも兼ね備えた、千軍万馬の将帥だった。
 
 『仮装舞踏会』の側は誰一人知りはしないが、数年前、“道司”ガープは史上最悪のミステス・『天目一個』に、そして“千征令”オルゴンは、メリヒムの『虹天剣』によって討滅されていたのだ。
 
 徒やフレイムヘイズの戦いと人間の戦いの大きな違いは、強力な個人の力が戦局を覆す事がままある、という点にある。
 
 個人個人の力の高低が、人間同士の場合とは比較にならないのだ。だから、有能な将は非常に得難い。
 
 しかし、すでにいない者の事を考えても仕方ない。
 
(参謀閣下の既定の方針通り、東西のフレイムヘイズの拠点を潰し、反抗の余力を‥‥奪う)
 
 この東西の拠点は、『フレイムヘイズ兵団』が“曲がりなりにも”成立している地であり、この『大戦』に限らず、外界宿(アウトロー)の重要拠点である事には変わりなかった。
 
 ゆえにこその、標的。
 
(そして、ろくに集結もしていない“野良”を、軍として機能する前に狩る)
 
 悠二が生み出した『神門』は、世界に対する干渉。その規模は『星黎殿』の『秘匿の聖室(クリュプタ)』でも隠せず、同時にその歪みがフレイムヘイズらに危機感をも与えたはずだ。
 
 だからこそ、万が一にも『星黎殿』の位置を悟られぬよう、同じ国内に在る中国外界宿を真っ先に叩き、『神門』を生み出すと同時に攻勢に出るのだ。
 
 今、デカラビアを総司令とした外界宿征討軍が、動きだす。
 
「攻撃、開始」
 
 
 あまりに無感動、無感情に、世界の命運を左右する未曾有の大戦は、切って落とされた。
 
 
 
 
「まさか、貴女からの助力が得られるとは思わなかったのであります」
 
「意外爆弾」
 
 今から起きる、あるいはすでに起きている世界規模の戦いを、フレイムヘイズの側では誰よりも知る『炎髪灼眼』一行。
 
「なんか色々面倒だしな、もう友達の方に手ぇ貸す事にしたんだよ」
 
 しかし、彼女らは『フレイムヘイズ兵団』の戦列には加わらない。
 
 『炎髪灼眼の討ち手』、『万条の仕手』、『弔詞の詠み手』、そして『鬼功の繰り手』、『極光の射手』、終には『輝爍の撒き手』。これほどの使い手たちが、『兵団』に加わらない事は、確実に全体の力を下げている。
 
「んで、準備は出来てんのか? フィレス」
 
 それでも、皆がここにいるのはそれぞれ、そうするに足る理由があるからだった。
 
「ええ、時間も無いんだろうし、行くならさっさと行きましょう。‥‥っていうか、馴れ馴れしいわね、あなた」
 
 ヴィルヘルミナは、自分たちの作戦、というより方針に賛同し、助力してくれるフレイムヘイズを求め、外界宿(アウトロー)に要請を出していた。
 
 しかし、旧知とはいえ、今や東京総本部に詰めていた『輝爍の撒き手』レベッカ・リードが手を貸してくれるとは思っていなかったのだ。
 
 実際、あまりに無茶で現実性に欠ける方針なため、他に協力を買って出る者はいなかった。
 
 サーレとキアラの場合は、運良く直接説得出来る機会が出来た事と、彼らの性格そのもの、そしてフィレスの機転がもたらした偶然に過ぎない。
 
(‥‥もっとも、今という時に、この程度の運を味方に出来ないようでは、この先の戦いに勝つなど‥‥‥‥)
 
(不可能)
 
 
 娘のような、大切な少女。その想いも、決意も、覚悟も知った。
 
 フレイムヘイズたる自分が、少女の戦いと世界の命運を天秤に掛けている、と認めざるをえない。
 
 坂井悠二を止める事が、この大戦の本質的な勝利を意味する、という事実がなければ、許されない事だろう。
 
(殺す、それが一番正しいはずでありますが‥‥‥)
 
『破壊はしない』
 
 少女はそう言った。
 
 そして、自分もその言葉に喜んでしまった。
 
 だが、きっと、シャナは全力で戦うだろう。
 
 想いを寄せる少年が相手だからこそ、一切の手加減を、自身に許さない。
 
(元々、手を抜いて勝てるような相手ではないはずでありますが‥‥‥)
 
 少し前に、『天道宮』を求めて訪れたこの地で、完膚無きまでに叩きのめされた記憶が蘇る。
 
(しかし‥‥‥)
 
 今度は、あの三人だけではない。『三柱臣(トリニティ)』をはじめとする、『仮装舞踏会』の徒たちが敵に回る。それでも‥‥‥‥
 
(準備は、整ったのであります)
 
 “突入”に際して必要な最低限。
 
 小隊規模の戦力が、揃った。
 
 
 戦いでは紅蓮に燃える髪と瞳を、今は黒に冷えさせる少女が、遠く、高い空を見つめる。
 
 その胸にあるのは憂いか、あるいは想いか、誰にも、少女自身にもわからなかった。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/07/29 06:37
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『姫』・"万華響"の平井ゆかりの指示と起用によって、ヨシダカズミが外界宿から探り出した情報、それをまとめた書簡がある。
 
 
「まったく、『姫』の手回しの良さには頭が下がるな」
 
「あら? 少し前まで『大巫女と盟主の腰巾着の成り上がり』って陰口叩いてたくせに」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 オロバスのやる気に水を差す白衣の女、彼の副官を務める"朧光の衣"レライエである。
 
 フレイムヘイズにとって重要な東西の二大拠点、外界宿(アウトロー)東京総本部と、『アンドレイ要塞』。
 
 しかし、オロバスやレライエが率いる部隊はその双方の戦線についているわけではない。
 
 ギリシャ戦線からほどよく離れたとある地で、ひっそりと身を潜めていた。
 
「意気込むのは結構だけど、"将軍の悪い癖"の真似なんかしないでね。『征討軍総司令様』に何を言われても、私は庇わないから」
 
 レライエは言って、掌に在る魚鱗・『プロビデンス』をこれ見よがしに見せつけ、意地の悪い笑みを作った。
 
「‥‥‥わかってる」
 
 レライエのその物言いと、掌の魚鱗、その先でこの状況を見ているであろういけ好かない上官の存在に、オロバスは渋い顔をする。
 
 デカラビアの事を除いて考えても、こうやって挑発すれば、オロバスは指摘された事を出来ない事を、レライエはよく知っていた。
 
 気付かれないように薄く笑って、先ほどのオロバスの言葉、そして自分たちの役割を反芻する。
 
 未だ、まともな集結をみていなかった『フレイムヘイズ兵団』。
 
 だが、『神門』の創造による歪みは、多くのフレイムヘイズに異変と危機感を与えた。
 
 今まで呑気に構えていたフレイムヘイズたちが行動を起こし、集結する事は"わかっていた"。
 
 フレイムヘイズの交通運行を統括する大組織・『モンテベルディのコーロ』。
 
 その『コーロ』が"こういう場合において"使用するであろう運行ルートを、吉田から受けた情報から、ゆかりが割り出し、位置だけを示した簡潔な書簡が、今、レライエの手元に在る。
 
 これがオロバスとレライエの部隊の役目。
 
 未だ、ろくに『兵団』としての体裁も取れていないフレイムヘイズたち、"今さら"集結しようとしているフレイムヘイズたちが、『アンドレイ要塞』に向かうルートを押さえ、バラバラである内に悉く孅滅する。
 
 もちろん、こちらは充実した兵力、有能な指揮官、充実された士気を以て、である。
 
 彼らはその役目を受け持った遊撃部隊なのだった。
 
 その視界に、ゆかりが読んだ通りに、フレイムヘイズたちの気配を捉えた。複数の自在師を陣の外円に展開させているため、向こうはこちらに気付いていない。
 
 黒衣の青年の姿のオロバスは『人化』を解き、その姿を黒い軍馬へと変化させ、咆えた。
 
「我らはこれより、敵に戦力を備えさせないための戦いを開始する! 我々の大命の妨げとなる道具どもの集結を許すな! 散在する奴らを一気に蹴散らせ!!」
 
 オロバスは、十分な力を持っているにも関わらず、未だ『王』を名乗れてはいない。
 
 それは武功を立てる機会に恵まれなかったため、その力を示す事が出来なかったからだ。
 
 この戦いで、それはきっと変わるだろう。
 
 オロバス自身も、周囲の者も、そして何より、オロバスの心棒する『将軍』も、そう考えていた。
 
 
「全軍、突撃!!」
 
 
 
 
 東京都心部は、自在法・『封絶』によって世界から欠落していた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 地上二百メートル余の高さを誇る新宿住友ビルの展望フロアを数階ぶち抜いて作られた臨時の指揮所の窓際で、巨大な三本角の甲虫・リベザルが、ポツリと呟く。
 
「以前、パリで『革正団(レボルシオン)』どもを蹴散らした時も思ったが‥‥‥‥」
 
「え?」
 
 訊き返すのは、ぶかぶかのローブを纏い、大袋を背負う子供、彼の相棒の『捜索猟兵(イェーガー)』・"蠱溺の杯"ピルソイン。
 
 リベザルは東部方面主力軍の司令官であり、ピルソインはその副官なのだ。
 
「いや、人間ってのは、俺たちなんぞ比べ物にならんほど、世界の占拠に貪欲な生き物だ、とかそういう感想‥‥気分か? なんだ、つまり‥‥もういい」
 
 制止した世界有数の大都会を眼下に眺めて、珍しく何やら殊勝な事を言っていたリベザルは、結局感じた事を上手く言葉に出来ず、象ほどもある巨体をドカンと座らせる事で、その不機嫌を誤魔化した(つもりになった)。
 
 その反動で、ぴょんと体ごと浮き上がる中、ピルソインはくすりと笑う。
 
「なに、今さら人間に敬意でも表して『人化』でも使う気になった? 暇潰しの妄想にしちゃ、悪くない案だね」
 
「よせやい。"そんな姿"、ドスが効かねえったらありゃしねえ」
 
「‥‥‥今の姿でも十分、大巫女や姫に遊ばれてたじゃないか」
 
「う‥‥うるせえ!」
 
 「それより」、と座ってなお見下ろす形で、リベザルは言う。
 
「一当て二当ての戦闘で、さっさと籠城か。さすがに『クーベリックのオーケストラ』が出張ってるだけある」
 
「対応、早いよね」
 
 彼らの標的は、今や東部の最重要拠点たる東京外界宿総本部。
 
 そこには、今や『フレイムヘイズ兵団』の総司令たる『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリック率いる、『クーベリックのオーケストラ』が詰めていた。
 
 『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリック。
 
 人間であった時に築き上げた人格と運営能力で、組織的に紅世の徒を狩る、という方式を広め、それまでの外界宿の在り方に革新的な変化をもたらした、"戦闘以外で"初めて名を馳せたフレイムヘイズである。
 
 その彼が率いる幕僚団『クーベリックのオーケストラ』は、『フレイムヘイズ兵団』結成に先んじて、この東京総本部に詰めていた。当然、兵団のトップとして。
 
 本当なら、開戦前に彼ら率いる『ドレル・パーティー』だけでも潰しておきたかった所ではあるが、『神門』創造まではこちらの動きを極力悟られないようにするのが『盟主』の定めた方針、それに敬愛する参謀・"逆理の裁者"ベルペオルまでが首を縦に振ったのだ。是非もない。
 
 それに、結果としてこの方針は相応の成果を上げている。
 
 事前に警戒されるような事例が少なかったため、『神門』創造と同時の襲撃は"奇襲"の要素を多分に含みんだせいか、敵の戦力は不十分、重要拠点に集結しようとしているフレイムヘイズも、悉く遊撃部隊に潰されているという報告がある。
 
 
「結局、参謀閣下が数千年に渡って唱えてこられた『組織としての強さ』で、俺たちが敗けるわけがねえ、って事だ」
 
 語らう間に、燐子砲兵の準備が整っていた。
 
 複数の徒たちが共同して作る、大筒型の燐子である。
 
 大威力の炎弾を力の続く限り撃ち放って消滅する、という至極単純な型だが、複数の徒が共同して作る分、威力は高い。
 
「第一射、ファイア(撃てぇ)!!」
 
 眼下に捉えるフレイムヘイズの前哨陣地たる公園に、燐子砲兵の特大の炎弾が、一斉に放たれた。
 
 
 
 
 前方に在るモノ、それは薄く色づいた人影と見えるそれらが、一斉に槍の穂先を突き出してくる。
 
「ふっ!」
 
 それら全てを掻い潜り、自身の間合いに『敵』を捉えた悠二は一閃、『吸血鬼(ブルートザオガー)』の一振りで敵を薙ぎ払った。
 
 千切れ飛んだそれらは煙のように薄れるが、悠二の背後にまた人型となって現れる。
 
 悠二は騒がず、慌てず‥‥‥
 
「はあっ!」
 
 振り向き様に放った銀の炎弾で、今度こそ霧散させた。
 
「な、何こいつら!?」
 
 若干動揺したゆかりが、前方の集団に特大の炎弾を放り込みつつ、叫んだ。
 
「フレイムヘイズさ、太古のね」
 
 この事態を予測していたベルペオルが、説明する。
 
「こいつらは、遥か昔、盟主を放逐するために使った秘法・『久遠の陥穽』の余波に巻き込まれたフレイムヘイズだ」
 
 シュドナイが言って、巨大化させた『神鉄如意』を振るい、その太古のフレイムヘイズらを叩き潰した。
 
 悠二が戦っているのに珍しく、ヘカテーは動かない。突然戦場と化した『詣道』の中で、ヘカテーの周囲だけが別世界のような静けさを保っている、と錯覚してしまうような空気を帯びていた。
 
 『久遠の陥穽』に巻き込まれた、太古のフレイムヘイズ。
 
 彼らは巻き込まれ、行く先も無い狭間で"祭礼の蛇"と共に彷徨う結果となっても、フレイムヘイズの契約を解かなかった。
 
 永い時の中で、その意識を鈍化させ、その回復し続ける力を以て、『久遠の陥穽』を作用させ続けたのである。
 
 また、目隠しされて放り込まれた大海でも、両界のどちらかに流れつく可能性も、極微ではあるが、確かにゼロではない。
 
 その時、即座に秘法を再発動させる、という命懸けの保険でもあった。
 
 だが、結果としてそれは完全に裏目に出た。
 
 "祭礼の蛇"は、秘法発動の瞬間、逃れられない事を瞬時に悟り、残された力の全てを、"秘法の構造変容"に当てたのだ。
 
 自らに作用し続ける『久遠の陥穽』、そのためのフレイムヘイズの力が、ほんの微かずつ、自身に流れ込むように。
 
 こうして、フレイムヘイズらにとっては真に皮肉な形で、『久遠の陥穽』を維持する力は、『詣道』や『大命詩篇』の創造に当てられ、"祭礼の蛇"帰還の血肉となった。
 
 彼らが今、こんな茫漠たる状態となっているのは、その内側に確たる存在を作る『詣道』が、狭間に在る他のものを隔離しているためである。
 
 そのフレイムヘイズたちが、もはやどこまではっかりしているのかすら怪しい意識の中で、悠二たちに牙を剥く。
 
 
「要するに‥‥敵だね!」
 
 腰に差した鉾先舞鈴・『パパゲーナ』を抜きながら言ったゆかり。
 
 その、説明の意味が無かったのではないかという発言が、この状況下で皆に、小さな笑いを呼んだ。
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/05 08:49
 
 何も知らない、しかしこの世の先住たる人間たちがいつもと変わらない日々を過ごし、その一方で紅世に関わる者たちがこの世の命運を左右する戦いを続ける中で、異能を持つ、世に知られた使い手たちが、一つの街を訪れていた。
 
 この一年、あり得ない頻度であり得ない戦いを引き寄せ、この『大戦』の“引き金”を生み出した、おそらくは‥‥『闘争の渦』。
 
 名を、御崎市という。
 
 
 
 
「あの‥‥『ヒラルダ』を渡そうとした時、もう疑ってた、って事?」
 
「まあね、大体、好きな男を探すために外界宿(アウトロー)に入ったような娘が、せっかく再会したのに、伝えるメッセージが連れへの『負け犬』なんて、どう考えても不自然でしょ?」
 
 この街で関わりを持った少年たちには、姿を見せていない。
 
 長居するわけでも、今から死にに行くわけでもない、少し前に済ませた旅立ちの延長のようなもの。
 
 自分たちにとっても、少年たちにとっても、不要な接触だという判断である。
 
 知った所で、何が出来るわけでもない。要らぬ心労をかけるだけだ。
 
 
「まあ、こんなにフレイムヘイズ側が“こっち”に動きを合わせてくれるとは思ってなかったから、けれで一握りの勝ち目が少しはマシになってくれたかな?」
 
 同じ国の中で、世界規模の戦いが繰り広げられている、という『現実』があって、また、ここでのんびりとコーヒーを飲んでいる使い手たちがいる、という『現実』もあった。
 
 どちらにしろ、『次』が進むまでは動く事は出来ない、気を張るだけ損というものだ。
 
「ま、そんなやり方しか出来ないほど追い込まれてる、って事でしょ。それすらわからない無能が総司令じゃなかったのが救いってもんよ」
 
「ま! そりゃあ一人一党の代名詞みてーなどっかの酒杯(ゴブレット)ほどひでえ指揮官なんざそうはいねえだろうぜ、我がさすらいのロンリー・ウルフ、マージョリー・ドーよぶっ!?」
 
 フィレスとヨーハンが言い、マージョリーとマルコシアスが肯定する。
 
 口調こそ軽いが、これは相当に深刻な話である。
 
 『兵団』の総司令が認めたという事は、『フレイムヘイズそのもの』に、こんな危険な、博打のような手段しか残されていないという事を指しているからだ。
 
「‥‥世界のために、なんて柄じゃないんだけどね」
 
「ま、“建前”としちゃ一級品だ、素直にもらっとけ、我が麗しの酒杯?」
 
「「同感」」
 
 自嘲めいたマージョリーのぼやきをからかうマルコシアスに、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』が声を揃えて便乗した。
 
 
 
 
(これも、ダメか‥‥)
 
 今は閉鎖され、地下の食品売り場くらいしか機能していない、旧依田デパート。
 
 その高層フロアに放置されたおもちゃの山に、黒髪黒服の少女が佇んでいた。
 
 おもちゃの山を漁り、時々その中から武器らしき物を拾い上げては、眺めたり、振ったり、叩いたりして‥‥また放り捨てる。そんな作業を繰り返していた。
 
「やっぱり‥‥高望みしすぎなのかな?」
 
「むぅ‥‥程度の違いこそあれ、いずれも宝具だ。通常の武器よりは遥かにマシなはずだがな‥‥」
 
 少女・『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールは、自身の首に下がる神器に何となく訊ね、神器に宿るアラストールも、全く当たり前に質問に応えた。
 
 シャナは、以前の『天道宮』を巡る戦いに敗れ、その結果、フレイムヘイズとして旅立った時から常に共に在った愛刀、あるいは戦友たる神通無比の大太刀・『贄殿遮那』を奪われた。
 
 そして、自身がその場にいたわけではないが、この街で起きた数々の事変の発端とも言える徒、“狩人”フリアグネがこの場所を拠点としていた事を聞いていた事を思い出し、愛刀の代用品を求めてここに来たのである(わざわざ一行がこの街を訪れた主な理由はこれだ)。
 
 以前、悠二たちが探した時は、“とある宝具”による騒動のせいで中断せざるを得なかったが、そのしばらく後、平井ゆかりの武器として拾った鈴型の宝具を形にすべく再び捜索した結果、武器型の宝具がいくつか発見され、その内の短剣が新生『パパゲーナ』の材料にされた。
 
 それを活かして、自分も、せめて『贄殿遮那』を取り戻すまでの代用となる武器を探しに来ているのだが‥‥‥‥
 
 ヒュン! ブンッ!
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 “宝具を含めて”、中々しっくりくる物がない。
 
 『贄殿遮那』は、史上最悪のミステス・『天目一個』の核たる比類なき名刀。
 
 シャナは、フレイムヘイズの身体能力を手にした時から、その『贄殿遮那』しか使った事が無い。
 
 たとえ宝具であろうと、他の武具が見劣りしてしまうのは仕方なかった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 また一本、手にとって、振るう。
 
 『贄殿遮那』との差異は確かに大きい。だが、あんな刀は二振りと無い、理想を求めすぎた所で、無い物は無いのだ。
 
「ん‥‥これにする」
 
「良いのか?」
 
「どうせ、“狩人”自身が持って無かった、って程度以上の宝具はあるはずが無いし、それにこの剣、長さだけなら『贄殿遮那』とほとんど同じだから」
 
 言って、シャナ自身が言った通りの飾り気の無い、長さだけは『贄殿遮那』に酷似した剣を一本、黒衣・『夜笠』に収める。
 
 強度や切れ味に関して贅沢は言わないが、間合いの感覚だけは狂わせたくなかったのだ。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 おもちゃの山から離れ、窓などない壁際に歩み寄り、眼下に広がる街を見下ろす。
 
 自分が変わった、あるいは、自分を変えた街。
 
 以前のままの自分なら、こんなに悲しい気持ちで戦いに赴く事はなかっただろう。
 
 以前のままの自分なら、使命以外の何かに揺れる事などなかったかも知れない。
 
(それでも、今は‥‥)
 
 
『炎髪灼眼のシャナとして!!』
 
 
(そんな道を、信じた)
 
 なんて、甘い。
 
 自分でも可笑しくなる。
 
 相手は世界を変えようとしている、正にフレイムヘイズにとっての仇敵。しかも、自分たちは一度、完膚無きまでに負かされているというのに‥‥‥。
 
(でも‥‥‥‥)
 
 自分のそんな答に、
 
 
『お前の道はお前が決めろ』
 
(‥‥アラストール)
 
 誰より使命に忠実なパートナーが、
 
『私が信じているのは、まぎれもない貴方自身なのでありますから』
 
 自分をフレイムヘイズとして育て上げた、大好きな養育係が、
 
『‥‥‥それでいい』
 
 自分に戦いを教えてくれた師が、そう言って肯定してくれた。
 
 
(もう‥‥私は迷わない)
 
 しかし‥‥‥‥
 
 
『君には負ける気がしない』
 
(‥‥‥‥‥‥‥力が、足りない)
 
 ヴィルヘルミナほどの技巧があるわけでもない、メリヒムほどの破壊力もない、マージョリーのような自在法など適性すらないだろう、炎使いたる自分には、フィレスのような能力の幅もない。
 
 おそらく、今この街に集った使い手たちの中で、総合的な実力では、自分が一番弱い。
 
 当然、そんな使い手たちを手玉にとった坂井悠二にも、遠く及ばないだろう。
 
 ‥‥初めて会った時は、自分の方が強かったというのに。
 
 
(力が欲しい)
 
 今まで『炎髪灼眼の討ち手』たる少女は、明確に大きな力を欲した事がなかった。
 
 戦いに臨んでは技巧の粋を凝らして死線を潜り抜け、咄嗟の機転によって敵を阻んできた。
 
 倒れ苦しんでも、それは自分の未熟と弱さの結果であると“受け入れて”きた。
 
 フレイムヘイズとなるべく育てられた、特殊な生い立ちがあるため、彼女は契約後の最初期から技術的には一定の完成をみている。
 
 だから、元々の『今在るものを的確に使う』という実用本位な性格と合わせ、己が認識する以上の力を引き出そう、などと思う事はなかった。
 
 工夫や錬磨はしても、曖昧な懇望には無縁な存在で、彼女は在り続けた。
 
 それが、結果として彼女自身の力に蓋をしてしまっているという事にも気付かずに。
 
 唯一の例外は、坂井悠二という少年。それによって引き出された炎と‥‥名前。
 
(また届かないのは‥‥‥‥嫌だ)
 
 だが、今は違う。
 
 瞳を閉じて、静かに佇むように見える少女。だがその心は真逆のもの。
 
 今や『炎髪灼眼の討ち手』シャナは、がむしゃらに、執拗に、ひたすら必死に、自らの中に在る全てを大きく浚って、より大きな力を掴み出そうとしていた。
 
 必要だから、足りないから、絶対に無くてはならないから。
 
 全ては、一人の少年と、もう一度‥‥‥否、今度こそ向き合うために。
 
 想い、求める間に、少女から溢れだす、小さな紅蓮の恒星のような濃密度の炎。
 
 その光景に、心底からの感嘆と歓喜を覚える“天壌の劫火”へと、目を閉じたまま、少女は告げる。
 
「アラストール」
 
 あるいは今さらな、しかし、言わなければならない言葉。
 
「私、悠二が好き」
 
 アラストールにも、それはわかりきっていた。だから、それを告げた時に返す言葉もまた、決まっていた。
 
 想うのはただ、一人の女性‥‥‥先代、『炎髪灼眼の討ち手』。
 
「‥‥フレイムヘイズも、人を愛する。何事にも阻めぬ。何者にも否めぬ」
 
 己が契約者が二代続けて難儀な相手に惚れてしまう事に、苦笑が漏れる。
 
(よりにもよって‥‥なんという恋をするのか)
 
 “観念”した契約者に、シャナは温かな気持ちを抱く。
 
 使命と逸脱しているかも知れなかった自分の想いを、誰よりも使命に忠実な彼が肯定してくれた事が、何より嬉しかった。
 
 未だ瞳を閉ざし、己が心と向き合っているシャナに、しかしアラストールは敢えて『現実』を向ける。
 
「お前は‥‥坂井悠二をどうしたいのだ? あるいは、坂井悠二にどうして欲しいのだ?」
 
 そう、坂井悠二という存在が、世界の理に手を伸ばしている事は揺るがざる事実。
 
 しかしシャナはそれに笑って応えた。
 
 応えられるだけの強さを、すでに持っていた。
 
「それはまだ、わからない」
 
 曖昧な答え、否、答えにすらなっていない。
 
 だが、続く言葉は、アラストールが求めた以上のものだった。
 
「でも、私は悠二が好き。今はそれだけ‥‥」
 
 ゆっくりと、少女は瞳を開ける。
 
「そう‥‥‥‥」
 
 その開眼に呼応するように、
 
「それだけで戦える!」
 
 
 少女の背後に、煌めく紅蓮の瞳が一つ、開かれた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/07 06:09
 
「ヴィルヘルミナよぉ、さっきの電話で、言いたい事は大体わかったけど、何でこんな近くに集まんなきゃなんねえんだ?」
 
「黙るのであります」
 
「沈黙強制」
 
 黙らされたレベッカが、辺り‥‥というより至近を睥睨する。
 
「‥‥‥"贄殿の"ぉ」
 
「‥‥シャナでいい」
 
 数年前に、共に戦った少女に助けを求めてみるが、呼び方を間違えた(以前は"贄殿の"と呼んでいた)。
 
 こういうの、あんまり好きじゃない。というか、ヴィルヘルミナも嫌いだと思っていたのだが‥‥。
 
「けど‥‥こういうのも結構楽しいですよね?」
 
「‥‥さっさと終わらせてくれ」
 
 キアラが空気を読まずに和やかに笑い、サーレが本心からそう言った。
 
 シャナは‥‥この行為の意味をわかっていないのだろう。興味深そうに参加している。
 
 ヴィルヘルミナといいシャナといい‥‥前と大分印象が違う。
 
「ま、いいんじゃない? お祭りみたいで」
 
「カーニバルか。これが終わったら、今の時期でやってる所を探してみようか、フィレス」
 
 『約束の二人(エンゲージ・リンク)』は、まあ大体予想通りの反応。
 
「‥‥‥‥面倒ねえ」
 
「ヒャーヒャッヒャ! 照れてやがるぜ! 我が純情なブッ!?」
 
 マージョリーまで、微妙に違う気がする。
 
 そして何より‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 短い付き合いながら少しは理解した‥‥"こういう事"が死ぬほど嫌い(という風にしか見えない)な男が、何も言わずに参加しているのが異様な違和感を醸し出している。
 
 いや、"虹の翼"メリヒムの事を差し引いても違和感だらけなのは変わらないのだが‥‥。
 
「‥‥‥ったく、ある意味縁起でもねえぞ? "こういうの"」
 
 言って、レベッカも渋々ながら手を伸ばす。
 
 これほどの使い手たちが円を囲んで並び、差し出した手の先から炎を伸ばし、それが全員の中点で交ざり合う。
 
 何処の風習なのかわからない。というか、ヴィルヘルミナは妙に偏ったおかしな知識を持っているだけに、何かを間違って理解している可能性も否定できないが‥‥‥残念ながら、自分も参加しなければ終わらないらしい。
 
「‥‥‥"虹の翼"に」
 
 一人、思い切り真剣なヴィルヘルミナが始め、
 
「『炎髪灼眼の討ち手』に」
 
 一番差し障りのない場所に並んでいたメリヒムが続け、
 
「"彩飄"に」
 
 ヴィルヘルミナの真剣な様を汲んだシャナもまた、真剣に続け、
 
「『永遠の恋人』に」
 
 フィレスが、その通称に限りない愛情を注いで続け、
 
「『鬼功の繰り手』に」
 
 それを微笑みで受けたヨーハンが、視線を隣に向けて続け、
 
「‥‥‥『極光の射手』に」
 
 なし崩し的に参加させられているサーレが続け、
 
「『弔詞の詠み手』に!」
 
 自分の番を待っていたらしいキアラが元気に続け、
 
「‥‥‥『輝爍の撒き手』に」
 
 『柄じゃない』と思いながらマージョリーが続け、
 
「『万条の仕手』に‥‥‥‥」
 
 もうここまで来たら乗らなきゃ嘘だ、と割り切ったレベッカが、またヴィルヘルミナに戻した。
 
 "出撃"前に、これをやりたがったヴィルヘルミナの意図に、何だかんだで皆付き合ったのだ。
 
 ‥‥‥それも悪くはないだろう。
 
 今から始まるのは、世界史上最大の大戦、その結末を左右する最重要の局地戦なのだから‥‥‥
 
 そして、皆の声が重なる。
 
 
『天下無敵の幸運を!』
 
 
 
 
「「っはあああ!!」」
 
 悠二とゆかり、二人同時の、神速の踏み込み、そして斬撃から一拍遅れて、たった今二人が通り過ぎた場所にいた人影が千切れ飛ぶ。
 
「っふ!」
 
「『コルデー』よ!」
 
 すかさず、フリアグネが両の手に、『トリガー・ハッピー』とは違う、もっと近代的なオートマチック式の銀色の二丁拳銃を構え、マリアンヌが指輪型宝具・『コルデー』を飛ばす。
 
 白い爆炎と爆発が、千切れた太古のフレイムヘイズを四散させた。
 
「今回のは、悪くないね」
 
 手にした宝具、否、"我学の結晶"をフリアグネが短く評した。
 
 『アエトス』、使用者の炎の威力を増大・凝縮して弾丸とする、『炎弾』の派生のような、シンプルな性能ながら使い勝手の良い武器である(教授作)。
 
 ちなみに、フリアグネが褒めたのはデザインに関してである(少し癪だが、性能に関しては最初から疑ってない)。以前フリアグネが持っていた細剣『スクレープ』は、フリアグネの美的感覚に合わなかった。
 
 しかし、肝心の教授はフリアグネの賛辞を聞いていない。
 
「んーっふふふ! 宝のぉーっ山! ザァークザックと掘ぉーり起こす、そぉーの土すらも砂ぁー金の如し! こぉーれ全てっ、我が糧、我が水、我が命!!」
 
 周囲に広がる『詣道』を測定しながら、眼鏡を輝かせて走り回っている。
 
 フリアグネという名前すら、今は忘れているのではなかろうか?
 
「"徒"たちは 嬉しくもまた悲し 夢に届くは遥か先♪」
 
 同様に、ではないが、
 
「調子外れの自在法 足取り拙く 踊るワルツも台無しさ♪」
 
 瓦礫や、人影が放つ炎弾をぴょんぴょんと跳ねて逃げ回りながら、ロフォカレが歌う。
 
「お二人とも、危ないから、あんまりウロウロしないで欲しいんでごはひはふへふ!?」
 
 教授をひっ捕まえて駆け抜けるドミノに、ロフォカレも追い立てられる。
 
 教授は捕まえられながらも、ドミノのほっぺたをつねるのは忘れない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 不満たらたらのフリアグネの肩を、慰めるようにポンと叩いたシュドナイ(ちなみに、全くありがたくない)が、
 
「っふん!」
 
 一気に前に飛び出し、太さを数倍、長さを数十倍にした『神鉄如意』の一撃で、自分たちを包囲しかけていた一角を薙ぎ倒した。
 
 ボンッ!!
 
 そこからさらに一拍、
 
 シュドナイを背後から襲おうとした人影が、銀の炎に包まれて蒸発するように消滅した。
 
 人影を消し去った張本人たる少年・坂井悠二は、そのままシュドナイの背中合わせに降り立ち、魔剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』を構える。
 
「狭間に落ちて数千年、時という感覚すら失っているだろうに、よく精神が保っている‥‥‥まったく、その執念には頭が下がる」
 
 シュドナイのぼやきに、悠二の左手首のブレスレット・『ウロボロス』が応えた。
 
「しかし、こ奴らがおらねば、我が創造も帰還も成らなかったのだ。行く路に多少の手間が在るとて、感謝の念は、確と注がねばなるまい」
 
 それに、今度は悠二自身が困ったように言う。
 
「気が早いよ、まだ貴方自身に会ってもいないのに」
 
「ふっ‥‥怖じ気づいたか?」
 
「まさか」
 
 シュドナイのからかいに悠二も笑って応え、二人同時に飛び出した。
 
「どうだい? ヘカテー」
 
 ベルペオルとヘカテーの周囲を廻り巡る鎖、拘鎖型宝具・『タルタロス』によって守られるヘカテー。
 
 唐突に刮目し、動きだす。
 
 役目を終えたと判断したベルペオルが『タルタロス』を解いて離れる。
 
「歪みの途切れる創造の確定部が、正面にいる一団の背後、尖塔を結ぶ渡り廊下の奥に見えます。あそこを越えれば、彼らも当分は近づく事ができなくなるはずです」
 
 大杖・『トライゴン』で“そこ”を指しながら響くその声が、皆に届く(教授は聞いてない)。
 
「よし、ヘカテー! 先に行って皆の目印に‥‥」
「星(アステル)よ」
 
 先にヘカテーを行かせようとした悠二の言葉を、ヘカテーが遮り、そして‥‥‥‥‥
 
 ドォオオオオン!!
 
 正面の一団が、明るすぎる水色の光の渦に呑まれ、存在の欠片も残さず掻き消えた。
 
『‥‥‥‥‥‥‥』
 
「? 急ぎましょう」
 
 皆の沈黙の意図が読めないヘカテーは構わず、悠二を抱き抱えて自身が特定した安全圏へと飛ぶ。
 
『‥‥‥‥‥‥‥』
 
 連れ去られる悠二を含めたその場の全員(やはり、教授とロフォカレは除く)が、視線と首肯で『ヘカテーを怒らせるな』を確認しあい、続く。
 
 歌いながら、まずロフォカレが、その後に教授を抱えたドミノの首根っこを掴んだゆかりが、マリアンヌ、フリアグネと続き、最後尾に残ったのはシュドナイとベルペオル。
 
「助けは?」
 
 シュドナイは、まずベルペオルに一瞥し、その後に追い迫る古強者らを睨む。
 
「いるものかね」
 
 ベルペオルは軽く笑って、彼女の周囲を取り巻く拘鎖を一巡し、結節させる。
 
「『タルタロス』、隔離せよ」
 
 その一声で鎖の内外は切り離され、迫りくる刃も、炎も、全て弾かれた。
 
 薄く笑ったベルペオルはさらに、鎖の輪を一つ割る。
 
 その中に封じられていた巨大な植物型の燐子を殿軍に残して、ベルペオルは居残っていたシュドナイに悠々と合流を果たす。
 
 シュドナイは、可愛げのない参謀に軽く嘆息し、もう何度目か、剛槍・『神鉄如意』の猛撃で追っ手を捌いて、後に続く。
 
 "祭礼の蛇"坂井悠二を筆頭に、一同は『神』の帰還を果たすべく、未踏の迷路を進んでいく。
 
 
 
 
 通常の空輸挺身よりも高く、移動式の封絶を張る事で『人間』に無用な警戒と関心を惹かぬ形で、ひっそりと、彼女らはそこに在った。
 
「『大戦』に『革正団(レボルシオン)』の抗争、そして今回の『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『大命』。どうして世界は、こういう局面で私にばかり重要な役を任せるのでしょうね?」
 
「始める前からの弱音は感心しませんぞ、ゾフィー・サバリッシュ君?」
 
「ええ、わかっていますとも、タケミカヅチ氏」
 
「"ああ"、東京総本部やアンドレイ要塞を"囮にしてまで"立てた作戦です。無駄には出来ないでしょう」
 
「"ふむ"、まあこんな状況を作り出してしまった事自体が手抜かりというものじゃが、今言っても仕方ないか」
 
 傍らの老爺の言葉に、ゾフィーはあからさまに眉をしかめた。
 
「囮などではありませんよ。彼の拠点が落とされれば、"後の世界の安定"すら覚束なくなります。だから徹底して守備に務めるとドレル・クーベリック総司令は判断されたのです」
 
 詭弁、そう、言ったゾフィーを含めて全員が思った。
 
 世界の命運を左右する局面を打破する、という目的自体には、こんな手段しか残されていないのが現状なのだから。
 
 だからか、敢えてゾフィーの言葉を流して、黒いスーツの女性が言う。
 
「奴らに開戦の痛撃を許したのも、敵を侮り慢心した我ら中国フレイムヘイズに責がある。望みを託すのが、せめてもの償いだ」
 
 言って女性・虞軒は、華美な直剣を抜く。
 
「ああ、我々は、今出来る最善を尽くすしかないでしょう。」
 
 言って、幼い少年と見える老爺・カムシンは、背負った鉄棒の巻き布を解く。
 
 そしてゾフィーは、
 
「『何人にも哀れまれず、罪を犯して省みず‥‥』」
 
 素早く十字を切り、両掌を胸の前で組み、
 
「『存在もならぬ無に堕ちる我らに、せめて勝利よ輝け‥‥』」
 
 "自分自身"に祈る。
 
「『アーメン・ハレルヤ・この私』」
 
 
 祈るゾフィーの体の縁から、眩ゆい紫電がほとばしる。
 
 
 標的は一つ、"事前に知らされていた"切り札という名のか細い希望。
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/07 21:30
 
(ふむ、万事滞りなく、順当)
 
 征討軍総司令であるデカラビアは、自身は『星黎殿』直営軍を指揮し、中国中南部に軍を展開していた。
 
 同時に、例え地球の裏側にまで離れていても、自らの知覚を担ってくれる自身の魚鱗・『プロビデンス』の力で、各征討軍に的確な指示を飛ばしていた。
 
 オロバスやリベザルは、少々極端な忠誠心、すなわち感情で動くきらいがあるため、多少扱いづらくはあったが、概ね順調に戦局は運んでいた。
 
 アンドレイ要塞を攻める“煬煽”ハボリムの部隊など、予想以上の戦果を上げてくれている。
 
 ただ、気に掛かる事もある。
 
(いかに中国フレイムヘイズを壊滅させてから間を置かずに行軍したとはいえ、些か対応がおとなしすぎる)
 
 いや、むしろ『フレイムヘイズ兵団』に中国壊滅の報が届いていないのならなおのこと、もう少し攻勢に転じても良いのではないか?
 
 確かに、軍の総数ならば圧倒的にこちらが上だが、いつまでも守り切れぬ事くらいわからないわけがない。
 
(何より、上海総本部を壊滅させた時に取り逃がした討ち手三者の姿が、どこにも見当たらぬ)
 
 それも、状況判断を迷わせる一因となっていた。
 
 もし『剣花の薙ぎ手』あたりが東京総本部で奮闘していたならば、フレイムヘイズ兵団は確実に中国壊滅を知っている事になる。
 
 『炎髪灼眼の討ち手』や『万条の仕手』に関しても、『緋願花』の三者によって完膚なきまでにやられ、戦意を削がれたという仮説もあるにはあるが、やはりどこにも姿がない。
 
(っ‥‥‥!?)
 
 そんな疑念の中、『星黎殿』周囲に複数箇所仕掛けておいた『プロビデンス』の一つに、一瞬だが見過ごせないものが映る。
 
 動揺しつつも、有能な指揮官たる彼は、即座に対応していた。
 
 
 
 
「ああ、相変わらず派手な出撃ですね」
 
「ふむ、まあ、飛び出す前に一言あっても良かったかも知れんの」
 
「‥‥‥我らも続こう。今のは実質的な『開戦』だ」
 
 ゾフィーの飛翔に伴って放電された、眩い紫電の稲妻、その衝撃を受けて、前面にいたフレイムヘイズたちが軒並み吹っ飛ぶ。
 
 軽々とした跳躍でいなしたカムシンと虞軒を除いて、否、もう一人、『犀渠の護り手』ザムエル・デマンティウスを除いて、吹っ飛んだ。
 
「自在式・『カデシュの血印』を展開」
 
 地に突き立てられた『メケスト』と言葉に合わせ、カムシンの周囲の大地や岩肌に、褐色の自在式が数十、一斉に燃え上がる。
 
「起動」
 
 そして、カムシンが褐色の心臓・『カデシュの心室』に包まれ、周囲の自在式から、暴れ回るワイヤーにも見える炎が、『心室』へと繋がる。
 
「自在式・『カデシュの血脈』に同調」
 
 炎のワイヤーが引き寄せられ、繋がり、束ねられ、そして、生まれる。
 
 褐色の炎を撒き散らし、その内に少年と見える太古のフレイムヘイズを包んだ、『瓦礫の巨人』。
 
「うわっ!?」
 
「は、離れろ!!」
 
 先ほどのゾフィーの飛翔以上の轟音と粉塵、崩壊を撒き散らすカムシンから、味方のフレイムヘイズが慌てて離れる。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 瞳を閉じ、力を集中させた虞軒は、穏やかな笑顔と共に、力の解放を告げる。
 
「『捨身剣醒』」
 
 虞軒の体が、溶け消えていく。
 
 否、霞となって散っていく。
 
 霧散した霞が、唯一残された直剣・『昆吾』へと集約し、“掴んだ”。
 
 そこにいるのは、優美な盛装を象った、紅梅色の天女。
 
「ああ、行きましょうか」
 
「『孤児(シロッツィ)』、戦況の判断は任せる。出来得る最善の地に“出城を作ってくれ”」
 
「いいだろう、おまえたちは思う存分に暴れろ。特に『儀装の駆り手』、味方を巻き込むなよ」
 
「ああ、極力善処しましょう」
 
 カムシンの非常に物騒な台詞を皮切りに、
 
“『星黎殿』攻略部隊”の侵攻が始まる。
 
 
 
 
 紫電に包まれたゾフィーは、曲線軌道を描いて飛ぶ上空から敵先遣隊の総数におおよその当たりを付ける。
 
 その中、巨体に異形、人間に物と様々の“徒”を認め、狙いを定めた。
 
「っきますよ‥‥‥」
 
 その標的目掛け、修道服の裾を引き絞り、飛行体勢を反転させる。
 
「だぁらっしゃあーーっ!!」
 
 後方に膨大な輝きを放つ稲妻を引いて、両足による跳び蹴りが叩き込まれた。
 
 狙い違わず、彼らが待ち構えていた山の頂に。
 
 噴火と全く逆向きのエネルギーの奔流を受けて、岩山は紫電そのままの軌道に亀裂を走らせ、峰はその力に耐えかねて、中から一気に爆発する。
 
 驚愕する徒らの、巨体を持つ者が受け止めようとして潰れ、小さな者は紫電の余波に巻き込まれ、慌てて走る異形は転げる岩塊に打たれ、武器を構えた者は抗うことを許さない崩落に巻き込まれる。恐るべき殺戮の嵐が、先遣隊を翻弄した。
 
 その中、残った岩山、まるで剣のように尖った頂に、ゾフィーは舞い降りる。
 
(さあ、行きなさい)
 
 大半はダメージを受け、しかし当然無傷の者もいる。
 
(‥‥‥可愛い子)
 
 新たに迫る徒らを眼下に敷いて、『震威の結い手』は笑う。
 
 
 
 
(どういう、ことだ‥‥‥‥?)
 
 デカラビアの“眼”に、信じられない光景が映っていた。
 
 感知不可能の『秘匿の聖室(クリュプタ)』に隠された『星黎殿』。
 
 『神門』創造の歪みから、万が一にも特定されぬよう、事前に中国からフレイムヘイズを追い払い、さらに、その事実から特定されぬよう、間を置かず開戦した。
 
 自分たち直衛軍も、優秀な自在師によって気配を断っていた。
 
 “ここにフレイムヘイズがいる事自体”あり得てはならないのだ。
 
 だが‥‥‥
 
(あれは、ゾフィー・サバリッシュ)
 
 フレイムヘイズ兵団の切り札の一人が、わざわざこんな地にやってきている。
 
 どうやら、『剣花の薙ぎ手』、『儀装の駆り手』、そして『犀渠の護り手』も、部隊を率いて現れている。それも、大軍と呼べる規模で。
 
(間違いない‥‥‥)
 
 どういうわけか、“フレイムヘイズ陣営は『星黎殿』の正確な位置を知っている”。
 
 位置を特定されない為に、当初の方針すらも変えて幾重にも方策を巡らせたにも関わらず、だ。
 
 信じがたい事ではあるが、自身の魚鱗を通じて得た感覚は、紛れもない事実だった。
 
 また一つ、『プロビデンス』の向こうで、雷を纏う修道女が笑い、指を差された直後に紫電が閃き、感覚が消える。
 
(よもや、『星黎殿』直衛軍での戦闘を演じる無様を晒す事になろうとは‥‥‥‥)
 
 この驚愕の事態にも、その冷静沈着な性質で以て対処しようとするデカラビアは、この『現実』をすぐに受け入れた。
 
 そんな、彼の確信を裏付けるものが、遥か高い空を往く。
 
 
 
 
「よく見つけられたもんだな」
 
「まあ、運良く“雲に穴が空いてた”からね」
 
 ゾフィーたちが使用した空輸挺進よりも、さらに遥か高く、異常なまでの高度の“そこ”を、琥珀の竜巻が貫く。
 
「着いた、ここが“真上”よ」
 
 気配など、下界から察知出来るはずもない。もちろん、シャナたちも下界の気配も、『星黎殿』の位置も掴めない。
 
 “事前にこの風を知っていた”ただ一人を除いて。
 
「全速力出すわよ、用意いい?」
 
「メリヒム、余力は如何でありますか?」
 
 突入直前という今、ヴィルヘルミナは訊ねる。
 
 余力があろうが無かろうが、何を言っても意見は変えないだろうが‥‥。
 
「‥‥‥全力で三発、といった所だな」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥案ずるな」
 
 相変わらず、こんな時にも“こんな事”を気にする女性に、やはり振り向きもせずに、“気遣った”。
 
「死ぬつもりも、ない」
 
 何故か心底嫌そうに、しかし覚悟を決めた表情をするメリヒム。
 
 
「行くよ!!」
 
 渦も作らず、空に穴を穿つが如く、琥珀の『ミストラル』が急転直下を始める。
 
 九人もの強力を使い手乗せて、それは通常の落下などとは比較にならない速度で雲を穿つ。
 
 眼下、戦場でこの光景に慌てふためく直衛軍の姿など見えはしない。
 
 だが、“何も無かったはずの空間”に、自分たちの姿に脅威を感じてか、臙脂色の嵐が展開された。
 
「『マグネシア』よ!」
 
「“彩飄”、竜巻の前を開けろ!!」
 
 竜巻の形状が変化する。
 
 フィレスを先頭にしたドリルのようだった竜巻は、その口を大きく広げて先行し、フィレスに代わり、三者が前に出る。
 
 
「いっ、行きます!」
 
 すでに神器・『ゾリャー』に搭乗するキアラ。
 
「私は、竜巻を『飛焔』で燃やす」
 
 灼眼を、嵐の先に在るはずの神殿へと向けるシャナ。
 
「『鉄壁』か‥‥笑わせる」
 
 不敵に笑って細剣をかざしたメリヒム。
 
 
 その他の者が背後で見守る中‥‥‥‥
 
 
「「「っはああああああ!!!」」」
 
 
 竜巻の中心を、虹の光輝が奔り、それの周囲を巡るように二筋の極光が連なり、さらにそれらを包んだ竜巻全てが、紅蓮の炎に燃え上がった。
 
 メリヒムの『虹天剣』。
 
 キアラの『ドラケンの咆』、『グリペンの哮』。
 
 そして、シャナが以前習った、“名称をつける事で認識の手助けとする”という教えの下に名付けた、紅蓮の大奔流・『飛焔』。
 
 
 “破壊力を誇る”強大な三者による渾身の一撃は束ねられ紛れもなく天空を貫く最強の槍となって、突き下ろされた。
 
 
 大気を震わす強大な炸裂の気配を撒き散らし、
 
 衝突の瞬間、嵐から壁へとその性質を変化させた『マグネシア』を、その変化をものともせずに砕き散らし、
 
 そして、“それ”を世界から覆い隠していた異界の殻をも、粉々に吹き飛ばした。
 
 
「あれが、『神門』!?」
 
 その存在を目にし、真っ先にシャナが叫んだ。
 
「‥‥‥‥っは!」
 
 メリヒムが、いきなり『神門』に向けて全力の『虹天剣』を放つ。
 
 その一撃は、咄嗟に展開された『マグネシア』を貫いて爆発的な光輝を撒き散らすが、『神門』そのものには傷一つついてはいない。
 
「‥‥‥‥ちっ」
 
「『‥‥‥‥ちっ』じゃないわよ! あんたいきなり何やってんの!?」
 
「うるさい」
 
 喚くフィレスを無視して、メリヒムは愛娘へと目を向ける。
 
 それは、彼女を育てた十数年の日々と同じ、厳しい師の目であった。
 
「‥‥いけるな」
 
「うん」
 
 シャナも短く、はっきりと返した。
 
「“こいつら”は俺がやる。おまえは、おまえの戦いをしてこい」
 
「‥‥“俺たち”、でしょ。あんた、ホントいい加減にしとかないと骨に還すわよ」
 
「まあまあ」
 
 メリヒムは眼下でざわめく『星黎殿』守備隊を睨んでそう言い、フィレスはその言い草に青筋を浮かべ、それをヨーハンが宥める。
 
「メリヒム‥‥‥」
 
「行け、シャナを頼んだ」
 
 自分の身を案じてくれるヴィルヘルミナにそれだけ返して、メリヒムは眼下に舞い降りる。
 
 それに『約束の二人(エンゲージ・リンク)』が続く。
 
 シャナは、メリヒムの言葉を受けて、その身に力を充溢させる。
 
 まるで紅蓮の恒星のような輝きを纏う少女は、叫んだ。
 
「中天に浮かぶ、黒き鏡の名は『神門』!!」
 
 少女の声が、両軍将兵の頭上に、朗々と響き渡る。
 
「創造神“祭礼の蛇”をこの世に帰還させるため敷かれた道への入り口! 代行体と『三柱臣(トリニティ)』は彼の中、旅路の途上にある!」
 
 驚愕、喜色、畏怖、憤怒、宣言を聞く者らの様々な感情を受ける。
 
「我らはこれより、その阻止へと向かう!!」
 
 
 
 
 誰かが呟く、『炎髪灼眼の討ち手』と。
 
 そして誰かが呟く、『シャナ』、と‥‥‥。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/08/09 06:24
 
「く、『秘匿の聖室(クリュプタ)』が‥‥‥」
 
 信じられない。
 
 『仮装舞踏会(バル・マスケ)』に永い間仕え、参謀・"逆理の裁者"ベルペオルの副官として、この『星黎殿』の守護を任されている"嵐蹄"フェコルーは、あまりに突然な、衝撃的な出来事に半ば放心していた。
 
 直衛軍がフレイムヘイズと抗争を開始した、というだけでも信じがたい事態だったというのに‥‥。
 
 抗争が始まり、そちらに全軍が気を取られた、まさに一瞬の隙に、神速の、『星黎殿』の真上の、空からの襲撃。
 
 反応出来なかったわけではない。
 
 『秘匿の聖室(クリュプタ)』の隠蔽能力に頼りすぎず、敵の衝突を見極め、『マグネシア』で防御した。
 
 それが、"真っ向から突き破られた"。
 
 不覚な事だが、以前にもたった一度だけ、『星黎殿』への侵入を許してしまった事はあった。
 
 消えたヘカテーを取り戻すべく、坂井悠二と平井ゆかりの二人が攻め入ってきた時だ。
 
 だが、あの時も『マグネシア』や『秘匿の聖室』が突破されたわけではない。『転移』によって防壁を越えられたにすぎない。
 
 正面から『マグネシア』を突破された事は、鍛練での、ゆかりの『銀沙鏡(ミラー・ボール)』を除けば、これが初めてだった。
 
(な、なんという失態‥‥‥!)
 
 世に『鉄壁』と謳われる自在法・『マグネシア』。だが、彼自身はその性格上、一度もそれを誇った事は無い。
 
 だが、『三柱臣(トリニティ)』や『緋願花』からの全幅の信頼によって任された大任である。
 
 ゆかりや、悠二に破られる事は、別に構わない。何せ味方だ。
 
 しかし、よりにもよって、生涯最大の不覚を、こんな時に取ってしまうとは。
 
 しかも、この最悪はまだ底ではない。
 
 『星黎殿』岩塊部にある司令室・『祀竈閣』の据えられた竈型宝具・『ゲーヒンノム』の前に立つフェコルー。
 
 そのフェコルーの眼前で、どす黒い灰で映しだされた全体像が渦巻き、表した。
 
《フェ、フェコルー様!!》
 
 さらに、要塞守備兵から送られた映像に戦慄する。
 
 『秘匿の聖室』を破壊したと思われる銀髪の剣士が、その剣を"ある物"へとかざしていた。
 
(ままままま、まずい!!)
 
 咄嗟に、向けられた先、『神門』を『マグネシア』で覆うが、再び爆砕される。
 
(あ、あれが‥‥"虹の翼"の『虹天剣』)
 
 『神門』が『創造神』の御業によって生み出された、『完全一式』たる力を有しているとはいえ、絶対ではない。
 
 結果として『神門』は無傷だが、万が一に備えて『神門』と『星黎殿』を守るのが自分の使命だというのに‥‥
 
(なんと、なんという無力な‥‥‥!)
 
 『神門』への攻撃を許してしまった。
 
 "あり得たかも知れない最悪の未来"が、刹那、頭をよぎる。
 
 生まれてからこれまで、これほど自分の無力に腹が立った事はない。
 
 "何をしても無駄"
 
 そんな絶望感に茫然自失となりかけたフェコルーを‥‥‥
 
《フェコルー様! 気を確かに持たれよ!!》
 
 まるで見ていたかのようなタイミングで、自在法越しの怒声が打った。
 
 それを受けて文字通り、叩かれるようにフェコルーは覚醒する。
 
「プ、プルソン‥‥?」
 
《次が来ますぞ!》
 
 言われ、『ゲーヒンノム』と、守備兵からの映像に目を向ける。
 
「我らはこれより、その阻止へと向かう!!」
 
(『炎髪灼眼』!?)
 
 そして、その姿以上に、その言葉の意味する事実に恐怖した。
 
 やはり狙いは『神門』、そして盟主。
 
 『星黎殿』の位置、盟主たちの動向、そして『神門』の存在まで、何故フレイムヘイズ陣営がこれほど事態を把握しているのか?
 
 わからない事だらけではあるが、今はそんな事を考えている暇は無い。
 
 すかさず、『神門』を再び、臙脂色の粒子の濁流が包み込む。
 
 『マグネシア』に守られた『神門』。
 
 そこに、三度の『虹天剣』が放たれた。
 
 
 
 
「私から離れないで!」
 
 七色の爆光を弾けさせて、またも『虹天剣』が『マグネシア』に風穴を開ける。
 
 紅蓮の炎を纏い、双翼を広げるシャナのすぐ後ろに、世に名立たる討ち手たちが続く。
 
 『虹天剣』に穿たれた嵐の穴に、粒子がまた集結していく。その先に見えるのは、何物をも映さない黒き鏡。
 
(っ‥‥‥間に合わない)
 
 『マグネシア』の再構築の方が僅かに速い事を悟ったシャナは、しかし速度を一切緩めずに、黒衣・『夜笠』から一本、剣を抜き放ち、両手でしっかりと柄を握って、脇に掻い込んだ。
 
 見る間に塞がる風穴、その先に在る『神門』を真っ直ぐに見つめるシャナが、その灼眼を見開いて、剣を突き出した。
 
「『断罪』」
 
 剣の切っ先から奔る炎によって顕現した紅蓮の大太刀、灼熱の巨大な刃が、『マグネシア』を灼き貫く。
 
(悠二‥‥‥!)
 
 そして再び姿を現した『神門』へと、世界のバランスを守る討ち手らは飛び込んでいく。
 
 
 
 
(くっ! ‥‥‥結局三度までも、やはり侮れない)
 
 三度『マグネシア』を突破された。だが、そんな事は問題ではない。
 
(『炎髪灼眼』が、盟主の居られる『詣道』に‥‥‥!)
 
 脳裏に蘇るのは数百年前な『大戦』。紅蓮の軍勢を生み出し、操る、"天罰狂いの女騎士"の姿。
 
 そして何より、ブロッケンの山上に聳え、全てを焼き尽くす‥‥紅蓮の化け物。
 
 それが今、『三柱臣』や盟主のいる『詣道』へと乗り込んだ。自分たちは、それを許してしまったのである。
 
 他のどんな失敗よりも許されない、致命的な落ち度であった。
 
(大体、何故これほど敵に情報が漏れている? まさか‥‥‥)
 
 刹那浮かんだ考え、"坂井悠二や平井ゆかりの離反"を、それを考えた自分にどうしようもない嫌悪感が湧き上がった。
 
(何を馬鹿な事を! 盟主や姫が『大命』の阻止を望んだとしたら、他の手段などいくらでもあった。それに、何より‥‥‥)
 
 自分は、今まで悠二やゆかりを見ている。あの姿が全てだ。
 
(後悔も悔恨も、今は必要ない。今我々に出来る事をするよりない‥‥‥)
 
 本来なら、フレイムヘイズたちが『詣道』に入ったとしても、その性質からいって、盟主たちに追い付けるはずはない(と、出発前にベルペオルから聞いている)。
 
(だが、すでに彼奴らは幾度もこちらの想定を上回っている。その前提も、当てにならない‥‥)
 
 と言っても、先と同様の理由で、自分たちが『詣道』に入ってフレイムヘイズたちを追う事も、おそらくは難しい。
 
 何より、盟主たちが少数精鋭で向かった『詣道』に軍勢を送り込んでも、兵を無駄死にさせる危険性が極めて高い。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 いくら考えても、万全の策が浮かばない。
 
 結局、今自分たちに出来るのは‥‥‥
 
「総員迎撃!! プルソン、ウアル、出て下さい!」
 
「了解!」
 
「お任せあれ」
 
 最悪中の最悪、この場で『天罰神』を顕現され、『神門』の破壊に及ばなかっただけ幸運、と割り切るしかなかった。
 
 
 
 
「今ので、打ち止めかい?」
 
「‥‥‥さっさとやれ」
 
「あんた、何で死にかけのくせに偉そうなのよ」
 
 『星黎殿』の尖塔に立つメリヒム。
 
 その全身から、圧倒的な力を示す七色の火の粉が散る。
 
 残された僅かな薪を一気に燃やす、短く、強烈な炎の充溢。
 
「ったく、死んでも知らないわよ!!」
 
 『神門』へと『炎髪灼眼』を送り出したメリヒムたちに、『星黎殿』を任された守備隊が迫りくる。
 
 だが、あまりに軽率。メリヒムたちの狼藉に頭に血が上って向かってくる徒らに向けて、フィレスが宙に舞い、右手をかざした。
 
 同時にヨーハンが、自身の周囲に琥珀色の自在式の障壁を展開させる。
 
「『黒い嵐(カラブラン)』!」
 
 メリヒムたちに向かって飛び掛かった徒たちの視界が横転する。いや、正確には、彼らの体が宙に泳いだ。
 
「何だこりゃあ!?」
 
「くっそ! 上手く飛べねえ!?」
 
「一旦下がれ! なんかやべえ!!」
 
「思うように動けないんですよ!」
 
 ビリビリと『星黎殿』を揺らす暴風に巻かれた彼らは、振り回される中、"それ"が地を浚う巨大な竜巻であると気付いた。
 
 そしてその気流の渦が、明らかに意図的に途中から流れを歪めて、彼らを急速に中心へと吸い込んでいる事も、同時に。
 
 そして目にする。
 
 渦の中心で、残された力を一気に吐き出すように燃やす、虹の剣士を。
 
「に‥‥‥‥‥!」
 
 渦に巻かれる徒、その内の一人が、何かを言おうとして、言えなかった。
 
 他の者もまた、同様。
 
「‥‥‥‥‥ち」
 
 小さな、舌打ちが聞こえて、
 
 吸い寄せられた徒たちが、バラバラに斬り刻まれた。
 
 抵抗どころか、断末魔の叫びすら上げる事も出来ず、幾人もの徒が一瞬で絶命し、バラバラになったそれらの肢体が燃え散‥‥‥らなかった。
 
 絶命し、統御不可能となった徒らの炎全てが糸のように伸びて、"吸い込まれて"いた。
 
 メリヒムの、口へ。
 
「‥‥‥‥ぺっ」
 
 ひとしきり吸い込み、最後に火の粉をベッと吐き出した。
 
 本来ならば、出来ても、こんな事は絶対にしない。
 
 メリヒムが先代『炎髪灼眼』であるマティルダに誓ったのは『人を喰わない事』。
 
 だから、これは誓いを侵す行為ではない。
 
 だが、人間が人間を食べたりしないように、普通なら"こんな事"はまずしない。
 
 当然、メリヒムも。
 
 だが、それをするほどに、そうまでして力を求めるほどに、メリヒムは覚悟を決めてこの戦いに臨んでいた。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
『"炎髪灼眼のシャナ"として!』
 
 誓いのためだけに、その身を白骨に変えてまで永らえてきた。
 
 他に何も必要なかった。
 
 だが‥‥‥‥
 
『嫌なやつ』
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 
 新たな生きる理由が、
 
 戦う理由が、出来ていた。
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 八話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/10 05:53
 
 その姿に、その行為に、その意味する所に思考が追い付いて、堪えようのない、凄まじい激情に駆られた。
 
 だが、ダメだ。
 
 自分の役目を、居場所を思い出せ。
 
 自分は、違うのだから。
 
 同じになるなど、絶対に認めるわけにはいかないから。
 
 だから、歯を軋むほどに食い縛ってその激情を抑え込み、その視線を逸らした。
 
 
 
 
「これが、『詣道』‥‥‥‥」
 
 前も、後ろも、下も、上も、右も、左も、その全てが大地。
 
「殺風景なもんね、世界の狭間ってのも」
 
「ヒャーハッハ! 観光に来てんじゃねーんだからよ、あんま贅沢言うもんじゃねえぜ、マージョリーよお」
 
 砂と無骨な瓦礫のみで構成された、無辺の景色を見て、二人で一人の『弔詞の詠み手』が軽口を叩く。
 
「‥‥この景色は固定されたものではないはず、であります」
 
 それに応えるヴィルヘルミナ、その表情も声音も、"ある程度彼女と付き合いのある者"ならわかるほどに沈んでいる。
 
「ヴィルヘルミナ」
 
 その中でも、最もヴィルヘルミナの心情を理解するシャナが、言う。
 
「シロなら大丈夫」
 
「っ!?」
 
 気の利いた言葉でも、根拠に基づいた言葉でもない。
 
 あまりに簡潔な、しかし確信の籠もった、"理屈抜きの信頼"だった。
 
 そんな、『強い』少女の姿に‥‥‥‥
 
『シャナを頼んだ』
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 自分が、とんでもない無様を晒してしまったのだと気付かされた。
 
(狼狽無様)
 
(うるさいであります)
 
 パートナーの指摘(しかも、珍しく感情を込めて"呆れ"た)を受けて、自分の頭ごとゴンッと殴った。
 
「‥‥‥ま、勝手に居残り役になった男にゃ、全部終わった後で文句言ってやりゃいいさ。つっても、フレイムヘイズでもない奴らが手ぇ貸してくれてるだけでもありがてえんだけどな」
 
「"わ、私の、お、男"など! そそそそのような者では!?」
 
「‥‥‥‥‥いや、誰もそんな事言ってねえよ」
 
 フォローのつもりで言ったレベッカの言葉に興奮して墓穴を掘るヴィルヘルミナ。それを見たキアラが好ましげに微笑む。
 
「だが、ここまで予定通りに、いや、それ以上に都合よく上手く行くと、却って怖いな」
 
「かーっ、何でこの男はこういう時にわざわざ盛り下がる事言うのかしらねえ」
 
「少しは空気読みなさいよ、サーレ」
 
「言っても仕方ない事で士気を下げるのは感心しないな、たとえそれが今のような少数部隊だとしても、ね」
 
「いや、だから警戒を促す意味で‥‥」
「怖がらないで素直に喜びましょう!」
 
 難しい顔して溢したサーレの言葉をウートレンニャヤとヴェチェールニャヤが叩き、ギゾーまでが諌め、なおも抗弁しようとしたサーレの言葉を、キアラの元気な激励が遮った。
 
 この、サーレ自身の契約者も含めた三人の王は、基本的にキアラの味方なのだった。
 
 
「ヴィルヘルミナ・カルメル。首尾はどうだ?」
 
 そんな各々の反応の中で、ヴィルヘルミナが平常心を取り戻すのを見計らって、アラストールが訊く。
 
 あるいは、『これ』こそが命運を決めると言っても過言ではない。
 
「了解であります」
 
「? 何だい、それは」
 
 言ってヴィルヘルミナが背にした背嚢(今回は小さい)から取り出した物を見て、バラルが訊ねる。
 
 背嚢に手を回したヴィルヘルミナの手に握られていたのは、およそこの場にそぐわない、緊張感をぶち壊す代物。
 
 何故かアヒルでデザインされた『風見鶏』だった。
 
 それがくるくると回って、一つの方角を指し示す。
 
「問題、ないようでありますな」
 
「うん、行こう」
 
 
 
 
 幾人もの構成員たちが、突如として発生した暴風に巻かれ、呑まれ、そしてその先で絶命していった。
 
(あの竜巻の中で、何が起こっている!?)
 
 『祀竈閣』で『星黎殿』守備隊を指揮するフェコルーは、その光景に狼狽えながらも、真っ先にすべき事を行う。
 
 もはや『秘匿の聖室(クリュプタ)』を失い、敵全てにその姿を晒す『星黎殿』、そして『神門』、その全周を、臙脂色の粒子の嵐が包み込んだ。
 
 内に在る火種は当然まだ在り、これでは援兵も呼び込めはしないが、この先、この『星黎殿』を侵そうとするであろう新たな敵勢を阻むためにこれは不可欠だった。
 
 少なくとも、奇襲を受けた、そして本来なら守備隊より早く敵勢と対するはずの『星黎殿』直衛軍が形成を巻き返し、"こちらの援兵のみ"を呼び込めるようになるまでは。
 
 フェコルーが『星黎殿』の守護者たる役割を果たす、その上では、他の構成員たちが、彼らの役割、"侵入者の排除"を果たすべく奮闘していた。
 
 
「馬鹿ども、いつまで取り乱しているつもりかああ!!!」
 
『!?』
 
 琥珀の暴風渦巻き、臙脂色の嵐に包まれた『星黎殿』の内側を、腹の底を叩く大音声が叩いた。
 
 突然の敵の猛攻に、逆上し、混乱していた『星黎殿』守備隊がビクッと体を震わせ、頭に上った熱を一気に下げる。
 
 声を発した王、前線指揮官たる美麗の獅子は、兵たちの一応の鎮静化を見て取ると、この混乱の一番の原因に目を向ける。
 
 『マグネシア』の突破、『炎髪灼眼』の『神門』突入、一気に倒された同胞、混乱の原因はいくつもあるが、当面の最大の弊害は‥‥‥‥
 
(あの女‥‥‥"彩飄"フィレス!)
 
 次々と同胞を巻き込むこの竜巻、その自在法の使い手である。
 
 美麗の獅子・プルソンに一喝された守備兵たちは、近くの尖塔に隠れたり、己が自在法で対処したり、超重の体躯を持つ徒が手を貸したりして冷静に対処しているが、根本的な解決にはなっていない。
 
「ッゴァアアアアア!!」
 
 一気に息を吸い込んだプルソンが、それを吐き出すように大喝した。
 
 途端、ボッと妙な音がして、琥珀の竜巻に穴が空いた。
 
 それを、その穴の向こうにいたフィレスは見ていた。
 
(っ! やば‥‥)
 
 咄嗟に、ほとんど反射で、瞬発的に出せる最大の風を纏った拳を、その穴に向かって突き出した。
 
「っくあ!」
 
 ッバァン! と空気が弾ける音がして、否、実際にフィレスの目の前で空気が爆発して、フィレスは弾かれるように吹っ飛ぶ。
 
 ドォン! と派手に轟音を立てて、その身が尖塔にめり込んだ。
 
 その時点で自在法・『黒い嵐(カラブラン)』の制御は解け、荒れ狂っていた暴風は止んでいた。
 
 すかさず、他には目もくれず、プルソンはフィレスがめり込んだ尖塔の対面の尖塔の頂に跳び上がる。
 
「少々狼狽が過ぎますな。お三方」
 
「‥‥‥それは、お互い様でしょ?」
 
 掛けられた皮肉に肩をすくめて、フィレスはめり込んだ尖塔から身を起こす。
 
 気の抜けた挙措に見えるが、いつ攻撃されても対応出来る気力がその身に充実している。
 
 それをわかっているからこそ、プルソンも不用意な不意打ちを仕掛けはしない。
 
「"こちらに残られた"三者の内、貴女が一番我らにとって脅威とお見受けしましたので。私は"哮呼のしゅん睨"プルソン、お相手願いましょうか?」
 
「嫌だ、って言ってもダメなんでしょ?」
 
「いかにも」
 
 互いに不敵な笑みを浮かべて対峙する。
 
 その中、プルソンは一つの違和感に気付いていた。
 
(‥‥一人、足りない‥‥‥?)
 
 
 
 
 太古に発動された秘法・『久遠の陥穽』。
 
 その際に秘法に巻き込まれた当時のフレイムヘイズたち。
 
 元々が"祭礼の蛇"を放逐するために発動された秘法、巻き込まれたからと言って、彼らが未熟で非力だったというわけではない。
 
 当然、中には強力なフレイムヘイズも"いる"。
 
 
「『星(アステル)』よ!」
 
 ドドドドドドオン!!
 
 眩ゆい水色の連爆が巻き起こり、『詣道』の中にある尖塔、遺跡、街路が砕け、吹き飛んだ。
 
 だが、
 
「っ!」
 
 その水色の光を裂いて、影が一つ飛び出した。
 
 幾つも並んでいた他の影は四散したが、その影、否、フレイムヘイズは依然としてその存在を保っている。
 
 茫漠とした人影ながら、それは二メートルを越える巨躯、さらに手にした棍のような武器は、その巨躯をさらに二回りも上回っていた。
 
 光弾を放ったヘカテーに飛び掛かり、その棍を振りかぶるフレイムヘイズ、その左右から‥‥‥
 
「させ‥‥」
 
「ません!」
 
 ゆかりとマリアンヌの、翡翠と白の炎弾が挟撃で放たれた。
 
 だが、それを受けた人影は予期していたのか、振りかぶった体勢のまま振り回した棍でそれらを容易く叩き散らした。
 
(まともに受けるのは、まずい‥‥‥!)
 
 それを至近で目にしていたヘカテーは、その、傍目には単調な物理攻撃としか映らない打撃に秘められた威力を悟って後退しようとするが‥‥‥
 
 ギュルッ!
 
 炎弾を散らした動作の延長から流れるように滑らかな、芸術的な動きで、背に回して突き出された棍、長い間合いを持つその一撃が、ヘカテーの後退以上の速度で放たれた。
 
(避け‥‥‥)
 
 られない、という思考が追い付くよりさらに速く、"ヘカテーの体が後ろにすっ飛んだ"。
 
 ガキィイン!
 
 重い金属音が響いて、その棍の打撃は、一本の大剣に止められていた。
 
 ヘカテーの襟を掴んで後ろに引っ張った、今はヘカテーの前で大剣・『吸血鬼(ブルート・ザオガー)』を構え、全身から黒い火花を派手に撒き散らす坂井悠二によって。
 
 その実行力に一拍遅れて、姿が変化する。
 
 緋色の凱甲、緋色の衣、後頭から伸びる漆黒の竜尾。
 
 見上げる少年の前髪の下から、あまりに深く、大きい何かを宿した黒の瞳が、太古の討ち手を捉えた。
 
 ギャリッ! と刃を滑らせて、悠二が踏み込む。
 
 自身の間合いの内に入られたと悟ったフレイムヘイズが、棍を手放して繰り出した拳撃。
 
 それを、まるで撫でるように軽く、無造作に、悠二の左手が受け止めていた。
 
「眠れ‥‥」
 
 次の瞬間、黒き炎を纏った『吸血鬼』の斬撃が、人影を真っ二つに断ち斬っていた。
 
 その炎を宿した物に強力な"斬撃"の性質を与える、悠二固有の自在法・『草薙』。
 
 
「ふぅ〜〜、いつになったら着くんだろ? もうどれくらい歩いたっけ?」
 
 一息着ける事を悟ったゆかりが、うんざりと文句を言う。
 
「ゆかり、あんまり愚痴らない。言ったって距離が縮むわけじゃないんだから」
 
 それを、悠二が困ったように笑う。笑う中で、その姿が揺らめくように元に戻った。
 
「でも、今みたいな強敵も出てくるようになってきたし‥‥」
 
「盟主との共振が、随分顕著になってきています。もう、それほど遠くはないはずです」
 
 悠二に助けられた体勢からそのまま悠二の腕に寄り添うヘカテーが、微笑んで告げる。
 
 その頭を撫でる悠二、指をくわえて羨ましがるゆかり、そしてその後ろでも話を聞いていた仲間たち。
 
 皆が、『大命』の成功を意識して、密かに、あるいは露骨に、胸踊らせた。
 
 
「今日の幸せ 二度とは来ない 喜びの薔薇も色褪せる♪」
 
 そんな一行の最後尾で、ロフォカレは歌いながら、リュートの音色を奏で続ける。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 九話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/10 13:56
 
 もはやその姿を隠す異界を失い、代わりに臙脂色の嵐に守られた『星黎殿』を、デカラビアは見上げていた。
 
《聞こえますか、デカラビア外界宿(アウトロー)征討軍総司令官》
 
 その嵐の内側にも複数存在する彼の魚鱗・『プロビデンス』から、『星黎殿』の守護者・“嵐蹄”フェコルーの声が届いた。
 
 今この瞬間に於いて、任された役割の重さから、デカラビアはフェコルーと同等の権限と、責任を持っている。
 
「聞いて、見ている」
 
 唯一のイレギュラーだったはずの『天道宮』の不安要素が無くなり、真に万全だったはずの『星黎殿』。
 
 それを守る最強の盾を、驚くべき速さと威力で、瞬く間に突破されたのだ。計算外もいい所である。
 
 だが、互いに相手の手抜かりを責め立て、無用の混乱や不和を生み出す愚は犯さない。
 
 この通信はあくまで、目の前に在る現状への対処のためである。
 
《私たちは『星黎殿』を隔離し、内に入り込んだ賊の討伐に全力を注ぎます。直衛軍は早急に、“外の敵勢”を押し返して下さい》
 
「承知した、形勢逆転後、一度の連絡の後、『星黎殿』を包む『マグネシア』を解かれよ」
 
 この事態にも変わらず、デカラビアの淡々とした指示が下され、フェコルーは「了解しました」と手短に通信を切った。
 
 すかさず、デカラビアは別の『プロビデンス』を発動させる。
 
 自身が指揮する直衛軍の最前線。『震威の結い手』は長時間は戦えないその特性からか、今は姿が見えないが、代わりに厄介なのが二人。
 
 先頭で直衛軍を、その直剣と霞で次々に斬り、焼き、薙ぎ払う紅梅色の天女・『剣花の薙ぎ手』虞軒。
 
 そして何より、先頭どころか、自軍から明らかに孤立し、敵勢のど真ん中に屹立する、瓦礫の巨人。
 
 その圧倒的な破壊の情景が、『プロビデンス』越しに映る。
 
 
「『セトの車輪』を」
 
「うむ」
 
 静かに告げたカムシンの声に従って、周囲に数十の褐色の自在式が浮かび、そこから伸びた炎の糸が全て、瓦礫の巨人が握る鞭・『メケスト』の柄の先端へと伸び、繋がった。
 
 異変に気付き、猛攻を仕掛ける直衛軍の攻撃を受けながらも、褐色の炎を吹き上げて依然佇む瓦礫の巨人が、それを“回した”。
 
 自在式が浮かんでいた瓦礫や岩塊を引きずりだし、炎の糸は怖気を誘う大質量の回転を生む。
 
 全体としては、遊園地のメリーゴーランドのように、見た目にはいつ振り撒かれるかわからない暴虐の塊として。
 
 そして、あっさりと炎の糸が“伸びた”。
 
 瓦礫の巨人を包囲していた直衛軍が潰れ、吹き飛び、爆砕される。
 
 それでも構わず、伸びた炎の糸を回転させるカムシンによって円形に褐色の破壊の暴威を巻き起こされる。
 
 徒の絶命を表す炎の四散と、圧倒的な破壊の跡の中心で、ただ瓦礫の巨人だけが立っていた。
 
 敵も味方も、愕然とその光景を見る中で、瓦礫の巨人は足裏から褐色の炎をジェット噴射のように吹き出して飛んだ。
 
 また、敵勢に向かって、思わず怖気付いた直衛軍らを全く無視して、一人の男が、カムシンが作った空白の大円に飛び出した。
 
 立て襟のオーバーコートに革手袋、将校帽のような無印の帽子を被り、顔の左側に負ったひどい傷によって左目を失っている男、『犀渠の護り手』ザムエル・デマンティウスである。
 
「っおおおおおお!!」
 
 そのザムエルが、神器たる親指大の銀杯・『ターボル』を大地に向けて打ちつけた。
 
 そこを中心に、複雑怪奇な自在式が大規模に展開され、次の瞬間、カムシンがメチャクチャにした地盤や瓦礫をも取り込んで、その場が変質し、“築城”した。
 
 『犀渠の護り手』によって形成された、出城へと。
 
 後続のフレイムヘイズらがその出城に乗り込み、上手い具合に制圧拠点と化す。
 
 さらに、いつの間に乗り込んでいたのか、出城の一画からパリパリと紫電の稲妻が見えた。
 
 危機を理解したデカラビアが、指示を下そうとした瞬間、『プロビデンス』の視界全てが褐色に呑まれ、その効力を失った。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 形勢は思わしくない。
 
 こちらが直衛軍のみとはいえ、兵数自体では決して引けを取ってはいない。
 
 しかし、フレイムヘイズ陣営もこの局面にこそ活路を見い出し、決戦兵力を投入してきたのだろう。
 
 古からの怪物たる壊し屋・カムシンや、『大戦』で総大将を担っていたゾフィーを筆頭に、虞軒、ザムエル、その他の討ち手の能力も侮れない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 元々が、盟主帰還という『大命』の第二段階を果たした後の『大命』の最終段階の布石として、万一にも数千年前と同じ轍を踏まぬよう、事前にフレイムヘイズから反攻勢力を削ぎ落としておく事が、この作戦の目的。
 
 実際、盟主帰還の後は、全兵力を『星黎殿』に集結させて“守り抜く”という方針だった。
 
 理由はわからないが、『星黎殿』の座標が知られていた時点で、この作戦は頓挫している。
 
 ‥‥もはや、既定方針に沿って動く意味もない。
 
 そう判断し、『プロビデンス』を二箇所同時に展開する。
 
 負担が大きいため普段はまず使わないが、状況が状況である。
 
「通達。これより、緊急の通達を行う。他の何を措いても、まず答えるべし。東部方面主力軍司令官“驀地しん”リベザル、西部方面主力軍司令官“煬煽”ハボリム」
 
 外界宿征討軍の司令官三者による協議の場を作り、特段の気負いも引け目も感じさせない、いつもの調子で状況説明を終えて、返ってきたのは案の定‥‥‥
 
《せ、『星黎殿』に敵の侵入を許し、ゾフィー・サバリッシュ率いる主力軍も至近に迫っているだと!? 貴様いったいそこで何をやっていた!?》
 
 ようやく危機的状況を知らされたリベザルによる怒声である。
 
「全軍の指揮だ」
 
 またも常の調子で応えたデカラビアに激昂するリベザル、
 
「貴様‥‥‥!!」
「それで、征討軍総司令官は、我々にどうせよと言うのか」
 
 それを遮り、実の無い会話を断って、あくまで冷静なハボリムが核心に触れた。
 
「東西戦線の戦闘は今や徒事である。全軍撤退し、『星黎殿』の防衛、および敵主力軍の包囲に加わるべし」
 
 ハボリムは当然の事、リベザルもこういった事に私情を挟む男ではない。
 
 気に喰わないのは確かだが、その作戦の妥当性を理解し、承諾した。
 
 この時点で東京総本部も、アンドレイ要塞も、もはや陥落寸前、撤退に際してフレイムヘイズ陣営からの追撃もあり得はしない。
 
 デカラビアは、三者での協議を終え、同様にオロバス率いる遊撃部隊にも撤退を命じる。
 
 
「堅守の上にも堅守、さすれば勝つ。この攻勢を一時凌ぎ、待てば良いのだ。我らが神の帰還を」
 
 
 常には無い、自分を鼓舞するように、デカラビアは呟いていた。
 
 
 
 
「凄、い‥‥‥」
 
 距離も、事前の外観も関係なしに次々と移り変わる景色に、キアラは思わず感嘆の声を漏らしていた。
 
「敵を褒めてどうすんのよ、今から“これ”を作った奴と戦うのよ?」
 
「まったくこの子は」
 
 そんなキアラを、契約者が二人して呆れる。
 
「で、その『代行体』とやらは、実際そんなに厄介なのか?」
 
 その少し前で、サーレがシャナ、ヴィルヘルミナ、マージョリーに訊く。
 
 『三柱臣(トリニティ)』や“狩人”、教授が危険なのは重々承知しているし、『創造神』など、サーレにとってもおとぎ話の存在だ。
 
 今までの話で一番不明瞭なのがその『代行体』だった。
 
「多分、『三柱臣』より厄介よ。実際に戦ってみりゃわかるわ」
 
 と、過去の敗戦に拘るつもりのないマージョリーが短く応える。さらに、
 
「もう一人、お付きでミステスがいるはずだけど、こいつもちっとやり辛え。一回戦ったんだけどな」
 
 レベッカが、平井ゆかりについて捕捉した。
 
「‥‥“親父殿”が直接戦うような事はないにしても、それでもこっちが数で負けてるか」
 
「こちらが追い詰められているのは、はじめからわかっていたはずであります」
 
「事前情報」
 
 アヒルの風見鶏を凝視しながら、ヴィルヘルミナがサーレの甘言を叩く。
 
 そんな『詣道』を行く一行の先頭を飛ぶシャナが‥‥‥
 
「っ!」
 
 微弱な違和感を感じて、一度目を閉じ、さらに開いた。
 
「『審判』」
 
 と、同時にシャナの背後に轟と煌めく一つの瞳が現れていた。
 
(よし)
 
 通常ならば気配・流れるイメージとして感じ取る事しか出来ない存在の力が“見えて”いた。
 
 まるで『玻璃壇』のように。
 
 それがこの『詣道』でも使える事を確認して、安堵する(無論、ここに来るまでに力の確認は終えてある)。
 
 この自在法・『審判』は、他のシャナの自在法、『飛焔』や『断罪』のような、今まで使っていた自在法、それが強力になり、名付けただけの物とは違う。
 
 以前の自分には全く無かった、新しい自在法だった。
 
 その自在法による灼眼で、力の流れを睨み、見つけた。
 
「何かいる!」
 
 『夜笠』から剣を、抜き、『それ』に向かって構えた。
 
 力の流れは見えているのに、肉眼で捉えるのと同様、妙に霞がかっている。
 
 そんな『人影』たちは、シャナたちに襲い掛かるでもなく、ただ立ったまま、ある一点を指差した。
 
「あれは‥‥!」
 
 そして、同じ方向を、ヴィルヘルミナの風見鶏も指している。
 
「‥‥おそらく、秘法・『久遠の陥穽』に巻き込まれた太古のフレイムヘイズたち、であろう」
 
 その行動、姿、今までの情報から、アラストールが推測し、そしてそれは事実だった。
 
『‥‥‥‥‥‥‥』
 
 その姿に、誰も、何も言えずに沈黙が下りる。
 
 ただ、彼らが指す先へと急ぐ。それだけが、彼らのあまりに純化された使命感に報いる唯一の方法。
 
「シロたち‥‥‥」
 
 そんな沈黙を、シャナが小さく破った。
 
「ここに来なくて良かったかも知れないね」
 
「そうで、ありますな」
 
「‥‥‥まあ、もう敵と味方をまともに判断出来そうもねえからな。徒ってだけで間違いなく攻撃してきそうだ」
 
 冷たく聞こえるかも知れない、しかし厳然たる事実を口にする。
 
 
 悠二たちを阻んだ狭間のフレイムヘイズたちの妨害を受けず、その時間をこそ貴重として、シャナたちは急ぎ、追跡する。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 十話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/11 11:41
 
(あの衝撃波‥‥)
 
 尖塔の上で対峙するフィレスとプルソン、先ほどのプルソンの一撃に、メリヒムは見覚えがあった。
 
 以前、『天道宮』の上空での戦いの際に、平井ゆかりが自分に食らわせた自在法と同じ。
 
 まず間違いなく、ゆかりの『非常手段(ゴルディアン・ノット)』とやらに自在式を刻んだ張本人だろう。
 
(狙いは“彩飄”‥‥‥舐められたもんだ)
 
 フィレスの『風』の汎用性が、集団である『星黎殿』守備隊にとって脅威だという理屈はわかるが、やはり軽く見られるのは気に入らない。
 
「っふ!」
 
 そんな自分に向けて、プルソンの鎮静を受けた守備隊が、淀みのない連携で一斉に炎弾を放ってきた。
 
 すかさず、塔から飛び降りる、一拍遅れ、塔の上層が炎上する。
 
(近寄らせないつもり、か‥‥‥)
 
 連携の取れた連続射撃。あの数相手でも、力負けしない自信はある。
 
 “徒を喰らう”事は人間を喰うのとは、一度に取り込める力の量が桁が違う、先ほどの徒たちだけでもそれなりの力は得たが、これからの戦いを考えると不安が残る。
 
 敵の狙いも、それだろう。
 
(“消耗戦”に付き合うわけにはいかんな)
 
 雑魚相手にチマチマと戦うのは性に合わないが、仕方ない。
 
(あの獅子頭の判断を、後悔させてやる)
 
 『星黎殿』に無数聳える尖塔、城、建物の根元を縫うように走り、敵の攻撃を逃れながら走るメリヒム。
 
 その不規則で無軌道な動きに、姿の見えないメリヒムを見失う守備隊の隙を突いて、細剣を手にして接近したメリヒムが斬り掛かる。
 
 
 
 
「何だ、貴さ‥‥!」
 
 大声を上げようとした獣人然たる姿の徒の口を塞ぎ、そのまま爆砕する。
 
「ふぅ、上であれだけの騒ぎが起こってるのに“こっち”の警備も厳重な辺り、流石だなぁ」
 
 『星黎殿』の地下に当たる岩塊部を走る『永遠の恋人』ヨーハンは、現実として過酷な事を、まるで全く大した事じゃないように、小声で呟いた。
 
 別に舐めてるわけではない。言うなれば、性分であろうか。
 
「まあ、無事に事が済むとも思ってなかったけど」
 
 傍目にはフレイムヘイズ陣営の大逆転、というように見えなくもないが、そもそも最初から兵の総数が違うのだ。
 
 今の優勢も、あくまで“奇襲”の要素の濃い、勢いに頼ったものにすぎない。
 
 おそらく時間が立てば、外界宿(アウトロー)に攻めていた別動隊も集結し、外の、ゾフィー率いる決戦兵力も押し返され、『星黎殿』に援軍も送り込まれ、そうなれば、フェコルーも『マグネシア』を攻撃にも使うようになるだろう。
 
 そうなれば、今ここにいる自分たちも一たまりもない。
 
 今のうち、勢いを味方に出来ている今のうちに、決定的な一手を打たなければ負ける‥‥いや、死ぬ。
 
(この『星黎殿』を、落とす)
 
 今、他でもないこの『星黎殿』を守るために戦っている、『星黎殿』直衛軍の真上に、である。
 
 『星黎殿』と『天道宮』が元々一つの宝具であり、同じ性質を持っているなら、必ずその制御を司るものが何処かにあるはず。
 
 そして、その奪取と操作を、世に名立たる自在師たるヨーハンが受け持った。
 
(後は、“どこにあるか”だな)
 
 『星黎殿』を制御するような重要な宝具なら、外に面している不用意で目立つ城塞部より、地下である岩塊部だろうと踏んだのだが‥‥‥
 
「あ」
 
 『気配隠蔽』の自在式を掛け、走り、探すヨーハンは、少し広い大広間に出た。
 
 何の用途があるかわからないが、特別、大規模というほどの広さではない、所々に柱が立ち並び、まるで舞踏場のような石の『リング』が中央に在る。
 
 ヨーハンは知らない事であるが、悠二たちが鍛練に使用していた一室であった。
 
 どう見ても、特別で重要な装置のあるような場所ではないが、もっと重要なモノがあった。
 
「城塞部での闘争に姿が見えないと思えば、このような場所にまで潜っておいででしたか、『永遠の恋人』殿」
 
 リングの中心に立つ、埴輪のような鎧、そしてそれが持つ『王』の気配。
 
「いかに隠蔽しようと、この『星黎殿』は我らが膝元、いつまでも隠れていられるとお思いか?」
 
「まあ、そこまで簡単に考えちゃいなかったんだけどね」
 
 軽くおどけるヨーハンと、静かな怒りをうちに隠す王は、向かい合う。
 
「申し遅れましたが、私‥‥“駝鼓の乱囃”ウアル。自ら称すも憚りながら、“紅世の王”にございます。お覚悟を」
 
「何の覚悟か知らないけど、慎んで遠慮しておくよ」
 
 
 
 
 飛ぶ。多少の力の消耗など無視して、今出来得る最速を以て、シャナたちは『詣道』を飛ぶ。
 
 悠二たちの目的が『創造神』の帰還であり、この道の先にそれが在るのなら、時間こそが最大の要だとわかっているからである。
 
 力の消耗を惜しんで『創造神』と合流などされでもしたら目も当てられない。
 
 ヴィルヘルミナの手にする風見鶏、そして狭間に追いやられた太古のフレイムヘイズの指し示す先を目がけて、脇目も振らずに飛んでいく。
 
「‥‥何、あれ?」
 
「戦って、ますね」
 
 進む先に見える、剣を槍を構えて戦う人影と、金色の炎を撒き散らす巨大な植物型の燐子。
 
「あの炎の色‥‥“逆理の裁者”の燐子のようでありますな」
 
「うむ、やはり確実に奴らに近づいているとみて、間違いなかろう」
 
 それをヴィルヘルミナが見極め、アラストールがその意味する所を指した。
 
「良かった。急いでも、距離が詰められてなかったら意味がない」
 
 シャナが言って、さらに紅蓮の双翼の輝きを増し、皆より僅か先行するように加速した。
 
「どいて」
 
 短く、人影群に告げて‥‥‥
 
「燃えろっ!!」
 
 剣先から、自在法・『飛焔』‥‥紅蓮の大奔流を繰り出し、凄まじい灼熱の炎が巨大な植物型の燐子を一瞬で焼き散らす。
 
 炎が散る先には、まだまだ続く『詣道』、その奥へと続く道。
 
 後ろに続く、世に名立たる使い手たちが、その威力に小さく感嘆する。
 
 それは、ヴィルヘルミナやマージョリーも例外ではない。
 
(あのチビジャリ、何か火力が上がってない?)
 
(まあ、ようやく吹っ切れたってトコだろうぜ)
 
(自己の認識の変化、という事でありますな)
 
(成長期)
 
 半ば絶望的な状況で頼もしくさえ思って、さらに奥へ奥へと突き進む。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 シャナは口数少なく、ただ真っ直ぐに『詣道』の奥、そこに在る者へとその灼眼を向け続けていた。
 
 
 
 
「っはあああああ!!」
 
「ッオオオオオオ!!」
 
 フィレスの右拳から放たれる琥珀の竜巻、プルソンの口から発せられる音の衝撃波。
 
 両者の自在法が、中点で激突する。
 
(くっ‥‥うぅ‥‥‥!)
 
 辺りに暴風を巻き起こす拮抗も数秒、竜巻の中心を貫くように、音の弾丸が迫る。
 
「っと!?」
 
 咄嗟に横に動いて、その直撃を避ける。
 
(ふ、む‥‥‥)
 
 プルソンはそれを見て、フィレスの認識を上方修正した。
 
 プルソンの自在法・『獅子吼』は、本来ならば余波だけでも相当な威力がある。あんな避け方をして、フィレスが平気な所を見ると、あの竜巻で威力の大半が相殺されていたという事だろう。
 
(っ危なぁ〜〜)
 
 対してフィレスも、プルソン以上に相手の評価を上げる。
 
「あなた、やるわね。ちょっと舐めてたかな?」
 
「いえ、私も正直、今の一撃を無傷で躱されるとは思っておりませんでした」
 
 どうやら、並みの王ではない。
 
(パワー勝負じゃ分が悪い‥‥‥か!)
 
 二人一定の距離で対峙する形から一変、フィレスが真横に飛び、さらに下、また上、とにかく縦横無尽に飛び回る。
 
「逃がしませんよ!」
 
 それを逃がすまいと、プルソンは破壊の咆哮・『獅子吼』を立て続けに放つ、が‥‥‥
 
(速い!)
 
 なかなか当たらない、かなりのスピードだ。
 
(下手をすれば『姫』と同等か‥‥あるいはそれ以上!)
 
 またもフィレスの評価を上方修正するプルソンに向けて、琥珀の風の弾丸や竜巻が、襲いかかる。
 
「くっ!」
 
 何とか躱す。あのスピードから放たれる飛び道具は、止まったまま放たれるのとは感じ方がまるで違う。
 
 しばしの間、衝撃波と風の応酬を続ける中で、フィレスはプルソンをじっくりと観察していた。
 
 速さで勝るフィレスには、その余裕があった。
 
(私の攻撃を、全部後ろか横に避けてる。向こうから間合いを詰めてくる気配もない)
 
 自在法自体は厄介だが、プルソンはそれを活かすための、典型的な遠距離タイプ。
 
(不可視の衝撃波って言っても、『風使い』の私にはそれほど意味はない)
 
 ともすれば、プルソンの衝撃波は、威力は高くとも、距離さえ取れば単調な直接攻撃。
 
 そんな風に考えるフィレスの前で、
 
「?」
 
 プルソンが大きく優雅に、腕を開いた。
 
(何か仕掛けてくる‥‥?)
 
 警戒するフィレスの目に、それは映る。
 
 プルソンの広げる腕と腕の間から、宙へと並べるように、旗の付いた長いラッパが幾つも現れていた。
 
 そのラッパという形状と、プルソンの能力、その二つの要素がフィレスの脳裏で瞬時に結びつき、そしてそれはすぐさま現実となる。
 
「謳え、『ファンファーレ』!」
 
「っ!!」
 
 
 プルソンの『指揮』するラッパ隊全ての筒先から、高らかに、破壊の衝撃波が放たれた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 十一話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/12 05:28
 
 目の前、埴輪のような鎧が、剣の切っ先を向けて突っ込んでくる。
 
「おっ、と」
 
 首を捻って、頭を狙ったその一撃を避けると同時に、鎧の兜にそっと手を添えて‥‥‥
 
 ドン!
 
 零距離から放った琥珀の炎弾が、兜を破砕させて鎧を吹っ飛ばした。
 
「危ないな」
 
 仰向けに倒れた鎧が、桧皮色の火の粉となって散っていく。
 
 もはやこの光景も何度目か。
 
(ほら来た)
 
 と、うんざりするヨーハンの予測通りに、柱の陰からワラワラと、埴輪の鎧が"また"現れた。
 
「いい加減、顔を見せてくれないかな。あまり時間を掛けてられないんだ」
 
 と、とりあえず目の前の埴輪に向かってヨーハンは言う。
 
「恥ずかしながら、私は『王』にあるまじき臆病者でございまして、貴方のような方の前に出るには相当に勇気が必要なのですよ」
 
 と、鎧のウアルが、丁寧な口調でいけしゃあしゃあと言い放つ。
 
「やっぱりダメか」
 
 はじめから期待していないヨーハンは、しかし挑発に乗るでもなく、ポリポリと頭をかく。
 
 実を言うと、焦っているのはむしろウアルの方であった。
 
 埴輪の鎧を、始めはやや舐めて、後に全力で襲い掛からせて、そんな攻防がもう随分続いているのに、この華奢でなよなよしいミステスは傷一つ負ってはいない。
 
 ミステスだからと舐めてはいけない。
 
 それは、坂井悠二や平井ゆかりが『星黎殿』に攻めてきた時にわかっていたつもりだったが、やはり目の前の光景には、王としての矜持を傷つけられる。
 
「しかし、確かに"このまま"続けていても、互いに時間の無駄ですな。私も、上で同胞たちを待たせている身。我が全力を以て、お相手致します」
 
 言って、変わらずヨーハンを攻め続けていた埴輪の鎧たち、その全てが一斉に床を蹴り、距離を取った。
 
 その埴輪の空っぽの内に、桧皮色の炎が巻いて、幾千もの小さな塊となって飛び出す。
 
 それは中空で蜂の形となり、空間に広がって黒い雲を作り出した。
 
「いいよ」
 
 それら、蜂の大群を前にして、ヨーハンは涼しげな態度を崩さない。むしろ‥‥‥
 
「こっちも、準備は出来たから」
 
 悪戯を企む子供のような笑みを浮かべていた。
 
 
 
 
(はあ‥‥さて、どうするか‥‥‥)
 
 咄嗟に全力の竜巻を形成して、無数のラッパから放たれる破壊の衝撃波を防御した‥‥にも関わらずこの様である。
 
 大気が爆発するように弾け、殺しきれなかった威力に吹き飛び、余波で崩れた三つほどの尖塔。
 
 フィレスは今、その崩れた尖塔の瓦礫に埋もれていた。上手い具合に、瓦礫と瓦礫の隙間に逃れている。
 
(あのラッパ、『ファンファーレ』‥‥かあ。手数が増えただけ‥‥言うだけなら簡単だけど‥‥ねえ!)
 
 ドォオオオン!!
 
 大して間も置かずいきなり、瓦礫の山が音の暴力に吹き飛ばされた。
 
 寸前のタイミングでフィレスは飛び出し、逃れる。
 
「ホンット、容赦ないわね」
 
「実力を認め、敬意を表している、と言う事ですよ」
 
「嬉しくないわ‥‥よ!!」
 
 フィレスの繰り出す拳撃に引かれるように流れた風が、琥珀色の大瀑布となってプルソンの立つ一帯を呑み込まんと放たれるが‥‥‥‥
 
「無駄!!」
 
 全周に向けられたラッパ・『ファンファーレ』の破壊の音撃は、それすら押し退け、掻き消す。
 
「もうヤダこいつ‥‥」
 
 心底本気で呟いたフィレスは、そのまま横に飛翔しながら、それでも風による攻撃を重ねる。
 
 が、『攻撃は最大の防御』と言わんばかりに、それを衝撃波が撃ち落としていく。
 
 移動しながら攻撃しているフィレスにその衝撃波は当たらない。
 
 しかし‥‥‥
 
「っ!?」
 
 フィレスの逃げる先、その遠く向こうに一つ、ラッパが見えた。
 
「痛ったあ!?」
 
 そこから放たれただろう衝撃波はフィレスの纏う風を貫き、フィレスはそれを躱した。
 
 にも関わらず、フィレスの全身を、鉄棒で万遍なく強打されたような激痛が襲う。
 
(やっぱり、離れてちゃ勝ち目ないか‥‥)
 
 先ほどまでは速さで勝る自分なら、遠距離戦でプルソンと有利に渡り合えるつもりだったが、とんだ隠し玉があったものだ。
 
(接近戦で片をつける!)
 
 確かにあの『ファンファーレ』は厄介だが、全く躱せないわけではない。何とか掻い潜って、勝負をかける。
 
 琥珀の暴風を纏ったフィレスが、凄まじい速さで舞う。
 
 
 
 
(何だ、こいつは?)
 
 よりにもよって『大命』遂行のこの時期に、自分たちにこれほどの損失を与えておきながら、このミステスの態度は何だ。
 
 そして、そのミステスと直接戦っているにも関わらず、この飄々とした、余裕とも見える態度を崩させる事が出来ない自分にも腹が立つ。
 
 だが、腹が立つ以上に不気味でもあった。
 
 事実、軽薄に振る舞っているように見えるが、『永遠の恋人』ヨーハンはまだ傷一つ負っていない。
 
 なまじ、圧倒的な破壊力や存在感などのわかりやすい実力の把握が出来ないだけに、不気味なのだ。
 
(いずれにしろ、今の全力ですぐに決める)
 
 何か企んでいるらしい、という事もある。
 
 急がねば、上の城塞部で戦う仲間の被害が増えるだろう、という事もある。
 
 そして、最初から死に物狂いで倒しにかかれば良かった、とも思った。
 
 とにかく、何か危険なものを感じるこのミステスを、一刻も早く倒さねば、そんな焦燥に駆られる。
 
「覚悟!!」
 
 埴輪鎧から溢れ出した蜂の大群全てが、ヨーハンに迫る。
 
 先ほどまでの鎧の包囲とはわけが違う。避ける空間すらない、完全な回避不能攻撃だった。
 
 それが、荒波に呑まれるようにあっという間にヨーハンを覆って‥‥‥
 
 消し飛んだ。
 
 ヨーハンを守るように巻き付く、緩やかに炎を混じらせる、琥珀の風によって。
 
「な‥‥‥?」
 
「今まで準備に手間取ってたから、こういうの出せなかったんだ」
 
 動揺するウアルを余所に、ヨーハンは何でもない事のように軽く言う。
 
 言って、ウアルの動揺を見逃すつもりは全く無かった。
 
「さすがに瞬間的には難しかったから、先に"これ"を仕上げてたんだ」
 
 コッ、と軽く靴で踏んだ床、その『大円』が、琥珀色に発光した。
 
 それは微細な紋様で綴られた、大きな自在式だった。
 
 それが、ヨーハンがその手に遊ばせていた自在式を、床にパンッと音を立てて叩きつけると、跳ねるように一気に広範囲に広がった。
 
「う‥‥おお!?」
 
 部屋の大扉の外に、蜂の大群で織り成した『気配隠蔽』の力も合わせて隠れていたウアルの本体、緩い衣を纏った直立のヒトコブラクダは、声を抑える事も忘れた。
 
 何故なら、広がった自在式の断片がウアルの体に掛かり、さらにはそれが式全体を引き寄せ、はい上がるようにウアルの全身にまとわりついたからである。
 
「こ、これは『気配察知』と『束縛』の式の複合‥‥‥。私の攻撃を避けながら、密かにこれほどの自在式を床に描いていたのか!?」
 
 ヨーハンは鎧の攻撃を躱しながら、足裏から発する微細な力で以て、床に自在式を刻み続けていたのである。
 
 極めて微細で困難な作業を、敵の包囲攻撃を躱しながら、密かにこちらを窺っているウアルに気付かれずに‥‥。
 
「いや、床に描いたのは単なるブースター。いきなり何も無しに使うのは、ちょっと無理だったから」
 
 しかし、ウアルの間違いを、ヨーハンはやんわりと否定する。
 
 せっかく捕縛したウアルに接近する気配もない。
 
「だから、床の自在陣で制御を簡略化して、実際に僕が直接使ったのは『気配察知』と『束縛』と‥‥」
 
 ドォオオオン!!
 
「‥‥『爆破』の、三つの式の複合術だ」
 
 徹底して姿を隠し続けたウアルは、ヨーハンにその姿を見せる事も無く、隠れた大扉の向こうで爆砕され、桧皮色の火の粉となって散っていった。
 
 
 
 
「むっ!」
 
 人化を解いた小山のような犀が、突撃してくる。先ほどまでなら、突っ込んでくる守備兵を問答無用で斬り倒していたメリヒムだが、その角を細剣で受け止めきれず、敢えてその力に逆らわず、後方に大きく跳躍した。
 
「っ!」
 
 その跳躍の最中、別の徒の放った、自在式で構成された鎖のような物が、メリヒムの腕に絡まった。
 
「はっ!」
 
 一閃、その鎖を断ち切るが、予想通りの後方への勢いを殺され、中途半端に対空するメリヒムに、間髪を入れず、また別の徒の輝く円盤や、鋭い槍が放たれた。
 
 さすがに剣だけでは対処しきれず、剣から幾筋か数色の光線を出し、それらを薙ぎ払う。
 
(あの獅子が暴れだしてから、明らかに兵の質が変わっている。‥‥今まで温存していたか)
 
 まずは自分が先行して自軍の状態を安定させ、兵が十分に力を発揮出来るようになった、ここぞという時に主力を投入してくる。
 
(あのプルソンとかいう徒、大した指揮官だな)
 
 と、心中素直に感嘆を示して、先ほど槍と円盤を向けてきた徒二人の前に躍り出て、まとめて横一閃に斬り飛ばす。
 
 その炎を喰らわんと口を開こうとして‥‥‥
 
「ッオオオオオオ!!」
 
 再び巨犀の突撃が来たので、また跳躍して躱す。
 
(さすがに、もうそんな余裕は無いか)
 
 と、スッパリ割り切って、跳躍からの落下の勢いそのままに、背面から犀の首筋に、細剣を思い切り突き立てた。
 
 剣を深々と刺したその隙を突くように、また徒が五人まとめて飛び掛かってきた。犀が絶命して火の粉となるにも、深々と刺した剣を引き抜くのにも間に合わない。
 
「ちっ!」
 
 小さく舌打ちし、細剣の柄を話して、両の掌から虹色の炎弾を撃った。
 
 至近で放たれたそれを躱せるはずもなく、五人の徒はまとめて七色に焼かれて消える。
 
 メリヒムは倒した彼らには目もくれず、着地と同時に、火の粉になった犀から抜け落ちた細剣を拾い上げ、そのまま転がるように倉庫のような建物の物陰に飛び退いた。
 
 ドドドドドォン!
 
 メリヒムの回避に僅か遅れて、さっきまで細剣が転がっていた地が、無数の炎弾を受けて砕けた。
 
「存外、手強いな」
 
 小さく呟いたメリヒムはしかし、剣を握って、強気にその口の端を上げる。
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 十二話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/08/21 21:23
 
「ふぅ‥‥‥」
 
 背後で桧皮色の火の粉となって散る"駝鼓の乱囃"ウアルの消滅を感じながら、ヨーハンは柱の一つに背を預ける。
 
 表情にこそ出はしないが、相手も流石に"紅世の王"。長時間戦うのは心身共に消耗する。
 
(でも、思ったより力を温存出来た。これなら、上手く動けば行ける‥‥かな)
 
 今のヨーハンは、ほんの少し前のメリヒムよりは遥かにマシとはいえ、それなりに力を消耗しており、回復する当てもない(メリヒムの真似事をする気にもなれない)。
 
 "この後"の事も考えると、力はいくらあっても足りない。
 
(‥‥‥"嵐蹄"、フェコルー)
 
 『星黎殿』の守護者たる、強大な嵐の使い手。
 
 あれだけ派手な突入を掛けたのに、未だにその姿を現さないという事は、この状況でなお、『星黎殿』を『マグネシア』を包んでこれ以上の侵入を阻む事に専心しているという事だ。
 
 おそらく、この『星黎殿』の中核たる指令部‥‥自分がこれから向かう先で、である。
 
「よっ、と‥‥‥!」
 
 勢いよく踏み出し、歩きだす。
 
(ここからが、本当に大変だ)
 
 全く、厄介な友達を持ったものだ、と嘆息しつつ、苦笑する。
 
 大扉を抜け、また長い道を歩く。自分に、鉄壁の『マグネシア』を突破する事は難しいだろう。
 
 "隙を突く"ためには、ここから先は今までよりずっと慎重になる必要がある。
 
 そう、気を引き締めて踏み出す、その中で‥‥
 
「っ!?」
 
 小さな、違和感。だが、何か怖気を誘う感覚に襲われる。
 
(何だ、これ? 足元から‥‥違う、もっと下からだ)
 
 足下から感じるその微弱な気配、その理由が"絶大な力を隠し切れずに漏れだしている"のだという事を、世に知られた自在師たるヨーハンは、即座に感覚で理解する。
 
 "それ"に気を取られていたせいなのか、
 
「これは、随分とまずい所まで入り込んで来たものだ」
 
 それとも、常のヨーハンであっても気付けなかったのかはわからない。
 
 だが、この時、事実としてヨーハンは気付けなかった。
 
(っ! ‥‥‥後ろ!)
 
 声に反応して、普通の使い手ならまず不可能な練度の自在式の防壁を、自身の周囲に取り巻く。
 
 振り向いた時、ヨーハンの自在式は確かに、背後から迫りくる無数の自在式を阻んでいた。
 
 だが、それも一瞬。無数の自在式はヨーハンの防壁に阻まれて、突き破らず、まとわりついて、
 
「なっ!?」
 
 "侵食"する。自在式に巻き付いてその紋様が描き変えられていく。
 
 侵食に連動し、琥珀色のヨーハンの自在式の色も変化する。ヨーハンの周囲を取り巻き、蝕むその輝きは、深い緑。
 
 瞬く間にヨーハンの自在式全てを奪い、捕らえた深緑の輝きは、即座に力を解放する。
 
 ヨーハンの足下から、深緑に輝く水晶がせりあがり、包み込み、鎖す。
 
「"螺旋の"‥‥‥!」
 
 全ての言葉を言い終える事なく、ヨーハンは強大な力と綿密極まる技巧の水晶に封じられた。
 
 残されたのは、一切の自由を奪われたミステスの少年と、その少年に向けて右手をかざす、薄い衣を纏った紫の短髪の少女だけ。
 
「‥‥‥皮肉なものだな。私の手で一度救い出した者を、今度は私の手で封じる事になるとは」
 
 少女・"螺旋の風琴"リャナンシーは、かつて変質した『零時迷子』に封じられた『永遠の恋人』ヨーハンを、坂井悠二の頼みによって救い出した事を思い出す。
 
 そういえば、彼らとの出会いは、ヨーハンがきっかけであった。
 
(悪く、思うな)
 
 ヨーハンに背を向け、リャナンシーは行く。
 
「‥‥さて、行くとするか」
 
 彼方を見て歩を進めるリャナンシーの手に、薄く深緑の輝きを放つ毛糸玉が握られていた。
 
 
 
 
「はぁあああ‥‥‥!」
 
 フィレスの両肩の、鳥とも人とも見える肩当てが、周囲の風を凄まじい勢いで吸い込んでいく。
 
 ひとしきり風を呑み込んだフィレスが、一度軽く目を瞑り、刮目する。
 
「ふっ!」
 
 刹那、琥珀の輝きを舞わす圧倒的な暴風が、フィレスがを中心に渦巻いた。
 
「行くわよ!!」
 
 その風を纏った、力の弾丸と化したフィレスは、そのまま美麗の獅子を標的に定めて飛翔する。
 
「させん!」
 
 それを迎え討たんとするプルソンは、すでに辺り数ヶ所に『ファンファーレ』を潜ませている。
 
「謳え!!」
 
 忍ばせたラッパ、その内の二つから、破壊の音弾がフィレスを襲う。
 
 確実に着弾の軌道にあるその攻撃に、フィレスは避ける素振りも見せない。
 
 ただ、真っ直ぐにプルソン目がけて飛び、
 
(‥‥‥‥‥‥‥)
 
 "それ"が、フィレスの周囲の"風を貫いて"至近にきた途端、
 
「ここぉ!」
 
 先ほど呑み込んだありったけの風を纏った拳、圧倒的な爆圧を伴った拳撃で、音の衝撃波を余波も残さず散らした。
 
(よし、"これ"ならいける!)
 
 力勝負は分が悪い、が、ありったけの風を両の拳一点に集中すれば、対応出来る。
 
 不可視の多角攻撃は、周囲に巡らせた風をセンサーにすれば良い。
 
(後は、接近して『インベルナ』でプルソンを包めば、私の独壇場になる!)
 
 典型的な遠距離タイプに接近出来る確信を得たフィレスは、さらに速度を上げる。
 
「くっ‥‥‥‥!」
 
 プルソンの方も、接近される事の不利と、接近されかねない脅威に当然気付いている。
 
 下がりながら、四方八方から『ファンファーレ』による衝撃波を次々に放つが、悉くフィレスの風を纏った拳に阻まれる。
 
 そして、元々スピードならフィレスが上、逃げ続けられるはずもなく、みるみる距離を詰められていく。
 
(あと二発弾いて‥‥いける!)
 
 後僅かで『インベルナ』を仕掛けられる間合いにプルソンを捉えられる。
 
 その確信を持って、二発音弾を弾いて距離を詰めるフィレス。達人にこそその効力を発揮する必殺の『インベルナ』を繰り出そうとした、まさにその瞬間だった。
 
「っ!?」
 
 僅かに、震えたのだ。
 
 出発前にマージョリーから全員に渡されていた、栞が。通信と、仲間たちに何かあったら反応する自在法が込められている。
 
 メリヒムは、同じ戦場にいる。シャナたちは、まだ悠二たちに追い付いてすらいない。
 
 この状況で、栞が反応する可能性があるとすれば‥‥‥‥
 
(‥‥‥ヨー‥‥ハン?)
 
 最愛の、恋人。
 
 殺し屋・"壊刃"サブラクの手で、一度は限りなく消滅に近づき、幾つもの幸運が重なって奇跡的に自分にの許に帰ってきてくれた‥‥二度と手放したくない人。
 
 その身に、何かがあった。
 
 フィレスにとって何よりも恐ろしい予感が脳裏に浮かんで、一瞬で茫然自失に陥った。
 
 "プルソンの目の前で"。
 
 ドンッ!!
 
「っあ!?」
 
 その胸に、プルソンの『獅子吼』が直撃し、見えない大砲の弾をぶつけられたような陥没が唐突に起こって、フィレスは痛痒すら感じる間もなく吹っ飛ばされた。
 
 下からプルソンを追撃していたフィレスは、上からの衝撃を受けて斜め下に吹き飛ばされ、地をぶち抜いて『星黎殿』岩塊部へとたたき込まれる。
 
「何に気を取られたのかはわかりかねますが、あの局面で気を抜かれるとは」
 
 激痛が全身を蝕み、今まさにプルソンが、自分を殺そうと迫って来ている。その状況下においてなお‥‥‥
 
「ヨー、ハン‥‥」
 
 フィレスの心中を占めるのは、何より大切な一人の少年の安否。
 
「‥‥残念です、このような幕切れとは」
 
 フィレスがたたき込まれた際に空いた穴を、空からプルソンが見下ろす。
 
 そして、大きく息を吸い込む。
 
 絶対絶命の危機に瀕して、フィレスもようやっと自身の‥‥否、"二度とヨーハンと会えなくなる"危機を自覚する。
 
 だが、避けられない。防ぐ事など、もっと出来ない。
 
「さらば、"彩飄"フィレス!」
 
 奔る獅子の咆哮。フィレスにはどうしようも出来ない一撃を、
 
 ドォオオオオン!!
 
 横合いからの破壊の力が、貫き、薙ぎ払った。
 
 七色の光を撒き散らす、圧倒的な光輝の『虹』。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 私情などに振り回されはしない。
 
 自分の使命を理解しているから、その使命に準ずる事を、自分の意思で決めたから。
 
 それなのに、抑えられそうにない。
 
 とどめを邪魔された事に憤激したわけではない。
 
 かつての怒りが呼び起こされたわけでもない。
 
 ただ、剣を構え、長い銀髪を靡かせて立つその姿が。
 
 "立ちはだかる"
 
 自分たちの夢を阻むその姿勢を見せ付けられたように感じて‥‥‥
 
 我慢する事をやめた。
 
 
「"虹の翼"、メリヒム‥‥‥!!」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 助かった‥‥‥らしい。
 
 かなり癪だが、今回ばかりはあの男に感謝せざるを得ない。
 
(‥‥‥‥ヨーハン)
 
 わからない、ヨーハンの身に何が起こったのか。
 
 いつもこうだ。
 
 "あの時"、ヴィルヘルミナと再会し、悠二やヘカテーたちと初めて会った時も、自分はヨーハンの身に何が起こっているのかもわからず、暴走した。
 
(痛ぅう、やっぱりダメかぁ‥‥‥)
 
 立ち上がるどころか、身動き一つ取れない。
 
 プルソンに至近で食らわされた『獅子吼』の威力は、それほどのものだった。
 
(‥‥‥今は、出来る事をやるしかないわね)
 
 ヨーハンの安否はわからない、確認も出来ない。
 
 なら、それを知らない自分に、出来る事をやるだけだ。
 
("こっち"に専念出来るのは、ある意味好都合)
 
 ‥‥‥そして、身動きの取れない自分が、守備兵に見つからないように祈るだけだ。
 
 
 
 
「 されば踊ろう 休まずともに まずは踊ろう 今ここで♪」
 
 
 『詣道』を行く悠二たち一行。
 
 "祭礼の蛇"の神体へと着実に迫る一行の最後尾を、ロフォカレがリュートを掻き鳴らしながら歌い行く。
 
 目深に被った三角帽と襟を立てた燕尾服、上品な白の手袋で肌の一切を隠す"彼女"。
 
 ふと、一瞬、その三角帽の縁から黄緑色の髪が一房流れ、すぐ戻る。
 
 前方を歩く『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の誰一人、その事実に気付かなかった。
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 十三話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/08/23 17:49
 
「いよいよ、なんだな」
 
 シュドナイが、珍しく感極まったように呟く。
 
「感覚としては、目と鼻の先って所かな。もう"僕でもわかる"くらいに近づいてる」
 
「ああ、その通り。ついに手の届く所にまで来た、というわけさ、将軍」
 
 それに微苦笑して、悠二とベルペオルが補足する。
 
「ようやく終わりかい? 初めは珍しかったけれど、やはり私は空がある方が良い。ね、マリアンヌ?」
 
「はい、フリアグネ様」
 
「珍しく同意」
 
 フリアグネ、マリアンヌ、ゆかり、と他愛ない会話を続ける。
 
「っなぁーーにを言ってるんですかぁーっ!? 一見ただの土に見えるこの大地っ! のぉーみならず建造物の構成一つ一つのどれをとっても本来"実現不能"な物質化という、"奴"の神秘の‥‥」
「おじさま、"奴"などという呼び方は改めて下さい」
 
「よい、捨て置けヘカテー。"こういう奴"だ」
 
 教授が騒ぎ、ヘカテーが諭し、『ウロボロス』の声がやんわりと宥める。傍らで、教授の行動を危惧するドミノがピーッと蒸気を吹いている。
 
「ご機嫌みたいだね。やっぱり数千年もじっとしてたのがようやく動けるのが楽しみ? お館♪」
 
「お‥‥お館? いやまあ、『ウロボロス』で動けるようになったとはいえ、やはり本来は動いてなかったわけで、楽しみではないと言えば‥‥‥嘘になるな」
 
「最初にちゃんと"通じた"時も、結構口数多かったもんな」
 
 ゆかりと悠二が『彼』をからかう。
 
 随分とお気楽な行軍と映るが、それも無理からぬ事。
 
 今、この『詣道』に太古のフレイムヘイズはいない。正確には、存在できないのだ。
 
 "祭礼の蛇"の神体に近づくにつれて確固たる物へと移り変わる『詣道』。もはや、その安定はかなりのもの。
 
 そう、いよいよ『大命』の第二段階に手が届くのだ。
 
「‥‥‥‥‥っ!?」
 
 不意に、異常なまでの感知能力を備えた悠二ただ一人が、一つの違和感を捉える。
 
(一つ‥‥じゃないか)
 
 その事自体には、然程驚きはしない。今まで『詣道』内に現れたフレイムヘイズたちも、そのほとんどが集団で攻めてきていたのだから。
 
 だが、この感覚は、違う。"一人一人"の力がかなり大きい。しかも‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 気配の幾つかに、覚えがある。
 
「‥‥皆、"追っ手"か、来てる。やり方はわからないけど、『神門』から侵入されたんだと思う」
 
『っ!?』
 
 皆が悠二の突然の、あり得ない言葉に驚愕する中、悠二はどこか諦めのような、観念のような気持ちを抱いていた。
 
(やっぱり、来たのか)
 
 どうやって『星黎殿』を見つけたのか。直衛軍や守備兵たちをどう突破したのか。どうやって、『詣道』の中で自分たちを追ってこれたのか。
 
 それら様々な疑問があって、しかし悠二は"理屈以前の所"でこの事態を受け入れていた。
 
(やっぱり、ダメだったのか‥‥)
 
 こちらの覚悟と決意を示し、力の差をまざまざと見せ付け、彼女の支えの一つであろう『贄殿遮那』をも奪った。
 
 戦う意思を削ぎ落とし、立ち向かう心を折るため、出来得るる限りの事をした。
 
 それでも‥‥‥
 
(そりゃ、そうだ‥‥‥)
 
 自分でも、考えが甘いと、頭のどこかでわかっていた。"あの時"、彼女らを手に掛けたくなくて、ギリギリの『言い訳』をしたのではないか? と訊かれれば、否定は出来ない。
 
(彼女が、彼女たちが‥‥あんな事くらいで引き下がるはずがない)
 
 今まで、可能な限り避けようとしていた戦いが迫って来ている。
 
 だというのに‥‥
 
(‥‥‥変だな)
 
 妙に、『嬉しさ』が悠二の心に滲んでいた。今から、今度こそ互いに一切の容赦もない戦いが始まるというのに、ようやく手の届く所にまできた『大命』を阻止される要因が出てきたというのに‥‥‥‥
 
(ああ、そうか‥‥‥)
 
 自分でも驚くほど明瞭に、悠二は自身の気持ちを理解した。
 
 自分は、"彼女たちが、全く彼女たちらしい行動をとった"事が嬉しかったのだ。
 
 自分が思った通りの、信じた通りの仲間たちであった事が嬉しかった。
 
 それが、ある意味単純な生き死にの問題以上に大切な事のように思えて、諦めと共に安堵した。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 見回せば、皆一様に表情を固くしている(例によって、教授とロフォカレは除く)。
 
 悠二の一言と共に意識を集中させ、追っ手の気配を掴んだのだろう。
 
「追っ手が来ていても、僕たちがやる事は変わらない、要は時間との勝負だ。ここからは今までほど慎重に進む必要はないから、飛ばすよ。追い付かれる前に、目的を果たす」
 
 悠二同様に覚悟を決めた表情を作るゆかりや、明らかな動揺を隠しきれないヘカテーを含めて、皆が悠二の言葉に耳を傾ける。
 
 
 
 
「解け、『タルタロス』」
 
 ベルペオルの声に従い、眼前に無数並ぶ拘鎖の輪、それら全てが割れ、弾け、金色の火花を散らして、その内に秘めていたものを解放する。
 
『ッオオオオオオ!!』
 
 それは、巨大な植物と見える燐子の群れ。
 
「やれやれ」
 
 軽く息をつくフリアグネが指をパチンと鳴らして、一拍遅れて薄白い炎が一帯を埋め尽くす。
 
 炎が消える頃には、様々な様式のウエディングドレスを着飾ったマネキン人形の群れ、フリアグネの燐子たちが居並ぶ。
 
「『鏡像転移』」
 
 短く唱え、地に手を添えた悠二。銀炎が迸り、先のフリアグネの時と同様に、湧き上がった炎の中から人影が這い出してくる。
 
 違うのは、生まれ出るのがマネキン人形ではなく、歪んだ西洋風の板金鎧、"銀"である事。
 
 悠二、ベルペオル、フリアグネの生み出した燐子や傀儡の大群。それが『詣道』にひしめいている様は、圧巻、あるいは悪夢だった。
 
「これで、少しは時間が稼げるはずだ」
 
 言って、悠二は『詣道』の奥へとその瞳を向ける。
 
「これだけの燐子で"少しは"‥‥‥か。随分と厄介な追っ手だね」
 
 うんざりと言うフリアグネ。悠二もそれを否定はしない。
 
「‥‥‥うん。でも、今の僕たちにはその"少し"で十分だ」
 
 そう、もはやヘカテーだけではなく、悠二も"祭礼の蛇"の存在をその身に感じている。
 
 その悠二が、『この足止めで十分』と判断したのである。
 
 何も、わざわざ正面きって戦う理由はない。目的はあくまで『大命』の成就だ。
 
 
「行きます!」
 
 誰より早く、まるで逃げるように飛び出したヘカテーに続いて、一行は"祭礼の蛇"の神体へと突き進む。
 
 
 
 
「‥‥‥はっ、随分豪勢なお出迎えだなオイ!
 
「足止め、のつもりだろうね」
 
 阻む者無き『詣道』を、休まず真っ直ぐに突き進んできたシャナたち、そして、シャナの『審判』による灼眼が、遂に追い求めてきた世界の敵を掴んでほどなく、爆発的に"増殖"した。
 
 目の前に立ちはだかる無数の燐子を前に、レベッカが毒づき、バラルが補足する。
 
「‥‥つまり、向こうはもうこっちに気付いてる」
 
「‥‥‥うむ、それに、迷わず逃げを取ったという事は、"祭礼の蛇"の神体が近い、という事やも知れん」
 
 目の前の『対応』の意味に、シャナとアラストールが当たりをつけ、
 
「しかし、だとすればなおさら急がねば‥‥」
 
「迅速追跡」
 
 ヴィルヘルミナとティアマトーが、"それでもすべき"事を言い、
 
「それは‥‥そうですけど」
 
「‥‥‥簡単に言うな」
 
 キアラとサーレが、目の前の大群という問題点を指した。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 そんな、フレイムヘイズとしての実用本位な会話が続く中、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーは、ただ黙って燐子の群れに目を向ける。
 
 正確には、その中の三分の一を占める、銀色の炎を撒き散らす歪んだ西洋鎧に、である。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 マージョリーの、人間だった時の全て、『壊すもの』すらも奪い去った、誰もその実体を知らない化け物。
 
 一体、"こいつ"は何なのだろうか?
 
 "銀"が、単純に坂井悠二の生み出す傀儡、などというのは、明らかにおかしい。
 
 坂井悠二という少年は、人間としてこの世に生まれてから十六年程度しか経っていない。
 
 数百年前に自分を傀儡で襲うなど出来るはずがない。
 
 考えられるのは、"壊刃"サブラクが『零時迷子』に打ち込んだ自在式、そして‥‥『仮装舞踏会(バル・マスケ)』。
 
(‥‥‥やめよう)
 
 もう、こんな光景を目にしても、心がざわつきはしない。
 
 もう、壊すものしか残っていなかった頃とも、壊すものすら奪われた頃とも違う。
 
 守りたいものが、戦う理由が、あの時には無かったものが‥‥‥ある。
 
「ま、厳しくてもこいつら片すしかないんじゃない?」
 
 もう、"幻"は追わない。
 
 
 
 
「あ、ぐぁ‥‥‥‥っ!」
 
 どうやってかはわからないが、シャナたちが自分たちを追って来ている事を悟って、最低限の足止めをして、真の『盟主』の許へと急いだ。
 
 何人か知らない気配もあり、自分が知っている以上の戦力である事は予測出来たが、それでも、この距離とあの数の燐子なら、自分たちが『盟主』に辿り着く方が早い。
 
 そう判断した。
 
 もう『詣道』の中に太古のフレイムヘイズが入り込む事は出来ない。
 
 後はただひたすら急げばいい。
 
 その、はずだった。
 
(何、が‥‥‥‥)
 
 後ろ、からだ。
 
 後ろから、坂井悠二の背中を貫き、"内側に潜った"。
 
 腕、だ。感覚でわかる。
 
 そして、同時に一度として感じた事の無い感覚も、感じた。
 
 "自分の核"を、鷲掴みにされている感覚。
 
 悠二の核、『零時迷子』。
 
「私の『零時迷子』、返してもらうわよ」
 
 背中から掛けられた声、そして、自分の目に映る仲間たちの姿、"その中の足りない一人"から、自分の背中を貫いている者の正体を悟る。
 
「ロフォ、カレ‥‥‥?」
 
「人違い、よ」
 
 返ってきたのは、半ば予想していた応え。
 
 悠二には見えていないが、後ろで三角帽と燕尾服が、風に弾けた。
 
 長く艶やかな黄緑の長髪が流れ、悠二の視界の端に映った。
 
 
「悠二っ!!」
 
 聞く側が辛くなるようなヘカテーの悲鳴。
 
 
 それから一拍遅れて、絶叫が響く。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 十四話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/08/23 17:45
 
 自分は、ヴィルヘルミナたちが悠二たちに追い付くための目印。
 
 自分たちには、どうやってもヘカテーのような特別な力の真似事は出来ない。
 
 だから、『詣道』を進むためには、『"彩飄"フィレスの傀儡』という、自分たちにも追える目印が必要だった。
 
 "笑謔の聘"ロフォカレに成り代わった事も、当初の目論見以上の効果を発揮した。
 
 元来が『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の構成員ではなく、その有り様から他者からまるで空気のように扱われるロフォカレの存在は、自分たちにとっては甚だ都合が良かった。
 
 悠二たちに付いて『詣道』に入り込み、随伴する。
 
 ただ、ゾフィーたちの行動を待たねばならなかったという、まず外せない事情があったとはいえ、行動が遅れた。
 
 悠二たちは予想以上に早く、"祭礼の蛇"へと辿り着く気配をみせたのだ。
 
 丁度、その頃『本体』が『星黎殿』でプルソンの一撃を受けて身動きが取れなくなったため、『傀儡』に集中する。
 
 "祭礼の蛇"への距離も近いが、ヴィルヘルミナたちもまた近づいているらしい。
 
 だが、まずい事に悠二たちはそれに気付き、燐子の防壁を足止めにし、"祭礼の蛇"の許へと急ぐ判断を決める。
 
 もはや迷っている時間は、無かった。
 
 手遅れになる前に、少しでも時間を稼がなければならない。
 
 本体から分化した傀儡であるため、力の総量自体は微弱だが、短時間なら本体と変わらない力を出せる。
 
 速さなら、自分はこの場にいる誰にも負けない。こんな風に一行が短い距離に固まっている状態、しかも焦り、一心に前に進む悠二たちの隙を突く事は、決して不可能ではない。
 
 狙いは一つ、かつて"壊刃"サブラクに自在式を打ち込まれ、変質し、そしておそらく‥‥悠二が"祭礼の蛇"の代行者として覚醒したきっかけ‥‥『零時迷子』。
 
 もしかしたら、今や"祭礼の蛇"復活の鍵にすらなっている可能性もある。
 
 幸い、『零時迷子』に『戒禁』を施したのは自分だ。干渉し、抜き出す事も容易い。
 
(後は、ヴィルヘルミナたち次第ね‥‥‥)
 
 望みを託し、繋ぐべく、フィレスはその偽りの装束を剥ぎとる。
 
 
 フィレスの誤算は、二つ。
 
 
 一つは、『零時迷子』に掛けられた"フィレスの"『戒禁』は、かつて御崎市を襲った徒・"戯睡卿"メアの自在法・『ゲマインデ』によって既に破られ、今掛かっている『戒禁』はヘカテーが新たに掛け直したものである事。
 
 もう一つは、『大命詩篇』が幾重にも絡んだ今の『零時迷子』を守る『戒禁』の力を、理解していなかった事。
 
 
 
 
「くっ‥‥‥!」
 
 無理矢理通り抜けようとしたシャナの足が、銀の鎧の手に掴まれる。
 
「っ邪魔!」
 
 すぐさま斬り飛ばすが、その間に、前方の空間を植物型の燐子に塞がれてしまった。
 
「流石に無視して進むってのは無理がありそう‥‥ねっ!」
 
 言ってマージョリーが指す指の動きに合わせて、数十の群青の炎弾が放たれるが、ウエディングドレスのマネキン人形たちが同様に放った薄白い炎弾の雨とぶつかり融爆。辺りに爆炎を撒き散らす。
 
「とはいえ、いちいち相手にしている時間もないのであります」
 
 剣、槍、斧、掌に宿した炎、様々な武器を持って襲いくる鎧や人形を、ヴィルヘルミナが無数のリボンによる舞踏で投げ飛ばす。
 
 違う所でサーレが不可視の糸を繰ると、燐子や傀儡たちがそれぞれ、"互いに"貫き、斬り掛かり、爆砕した。
 
「キアラ、ちなみにおまえだけ抜けても意味ないからな?」
 
「わ、わかってますよ!」
 
 サーレが指摘し、キアラが慌てて否定した。確かに、キアラの『ゾリャー』なら突破も可能だろうが、キアラ一人で追跡した所で結果は見えている。
 
「しゃーねえな‥‥‥」
 
 いつになく静かだったレベッカが、諦めた風に、しかしどこか楽しそうに口を開いた。
 
「こいつらの相手は、オレがやる」
 
 
 
 
 レベッカの言い分を要約するとこうだった。
 
 誰か一人が足止め兼、囮になれば、この大群を抜ける事も出来る。
 
 こんな足止めを用意するくらいだから、向こうもペースを上げているはず。いよいよもって時間が無い。
 
 広範囲爆破を得意とする自分が、この大群相手には一番適している。
 
 自分には倒せなかった"壊刃"サブラクを倒したシャナたちが先に進む方がいい。
 
 おまえ達がいたらあんまり派手な爆発が起こせない。
 
 
 という、ある意味実にシンプルな意見だった。
 
「ひ、一人で大丈夫ですか? レベッカさん」
 
 心配げに訊ねるキアラをこそ、レベッカは軽く笑い飛ばした。
 
「ハッ、人の心配より自分の心配しな。一人で"これ"相手にするより、この先の連中とやり合う方がやべーかも知れねえんだぞ?」
 
 そう、ここにいるのはあくまでも"燐子"。この先にいるのは、それを生み出した"徒"たちなのだ。
 
「わかった、任せる」
 
 レベッカ以上の適任はいない。シャナがあくまで実直に判断して言う。
 
 レベッカの言う通り、複数人とはいえ、この先に進む方が危険かも知れず、そして確かに味方がいては広範囲攻撃は使い辛い。反対する理由は無かった。
 
「こいつら片したらすぐ追い付くからよ。少しは獲物残しといてくれや」
 
「あんまり遅いと約束は出来ないわね」
 
 軽口を叩くレベッカに、マージョリーも軽口で返す。
 
「燐子と言っても、一体一体が並の徒程度の力は持ってる。いらん世話だと思うが、油断するなよ」
 
「あいよ」
 
 サーレが自分で言った通りの余計な忠告を残す。
 
「‥‥無駄にはしないのであります」
 
「多謝」
 
「‥‥‥だから、物騒だからやめてくれ。そういうの」
 
 ヴィルヘルミナの嫌がらせかと思えるような言葉を受けて‥‥‥‥
 
「行きます!!」
 
 キアラが、両の髪飾りだった神器・『ゾリャー』を合わせ、巨大な馬ほどもある鏃へと変える。
 
 その鏃から、緑から赤紫、さらには白までをも朧に揺らすオーロラの両翼が生まれ出る。
 
「師匠!」
 
「わかってる!」
 
 叫び、応える間に、『ゾリャー』を馬にした艝のように、鏃と数人のフレイムヘイズをサーレの不可視の糸が繋ぐ。
 
「今日は、こんな無茶ばっかだな」
 
 わずかぼやいたレベッカの言葉を聞いてか聞かずか、シャナが飛び上がる。
 
「っだぁああああああ!!」
 
 遠慮容赦の欠片もない全力の『飛焔』。
 
 紅蓮の大波のような凄まじい熱量の炎が、前方に犇めく無数の燐子たちを焼き、貫く。その先に一筋、『創造神』へと通じる道が出来た。
 
「今!!」
 
 言って、キアラがゾリャーを奔らせる。それに牽引される勢いを味方につけ、フレイムヘイズたちが続く。
 
 しかし、『飛焔』によって焼き開かれた道に、再び燐子や傀儡が雪崩込む。
 
 超速で翔ぶ長大な矢と化したキアラの『ゾリャー』によってそれらは斬り裂かれ、釣られるように続くフレイムヘイズたちもこれを払う。
 
 しかし、それもいよいよ限界という中で、レベッカと『ゾリャー』を繋ぐ不可視の糸が、切れた。否、切った。
 
「はっ!!」
 
 まずは至近から、桃色の炎が焼き尽くす。
 
 もはやレベッカは"前"を見ていない。続けざまに炎や光球を叩き込み、『ゾリャー』に取りついていた燐子群を焼き払う。
 
「‥‥‥っと、きたきた」
 
 『ゾリャー』を逃がすまいと無数放たれる金、銀、白の炎弾の雨。
 
 慌てず騒がず、レベッカは自身の前で両の手を横一文字に引いた。
 
 そこから生まれた一本の線‥‥"瞼"が、桃色の自在式という形で『開眼』する。
 
「流石に、一人でこれやるのはキツそうだな」
 
「気持ちはわかるけど、自分から言い出したんだから、ちゃんと役目は果たさないとね」
 
「わーってる‥‥‥よっ!」
 
 バラルと短く掛け合う間に、炎弾の雨が瞳を模した自在式に次々と着弾、吸い込まれる。
 
 その瞳が閉じた後に残されたのは、レベッカによってその破壊の力をそのまま変換された、桃色の光球だけ。
 
「はーーぃやさあ!!」
 
 軽快に叫んで、破壊の光球全てを眼下の燐子群に撒き散らす。
 
 次の瞬間、桃色の閃光を奔らせて、何もかもが吹っ飛んだ。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 チラッと後ろを確認したレベッカが、無事に物量の壁を突破して突き進むシャナたちの姿を認め、強く笑って向き直った。
 
「悪いがよ‥‥‥」
 
 これで、心置きなく戦える。
 
「こっからはオレたちの逆襲、ってノリよ!!」
 
 
 
 
 ピシッ
 
 と、何か亀裂のような音がして、
 
「ぅぁあああああ!!」
 
 フィレスの絶叫と共に、坂井悠二の体内に潜り込ませていた腕が、"折れた"。
 
「何、で‥‥‥?」
 
 フィレスには、訳が分からない。自身がヨーハンと共に作った宝具でありながら、今の『零時迷子』について、彼女はあまりに知らなすぎた。
 
「っ‥‥‥このっ!」
 
 そのフィレスに背中から貫かれたままの悠二が、逆手に握った『吸血鬼(ブルート・ザオガー)』で、未だ困惑と苦痛に苛まれるフィレスを貫いた。
 
「ぐっ、うぁ‥‥‥」
 
 今度は叫びすら上げられないフィレス、その、未だに悠二の背に潜り込ませたままの右腕に、再び『戒禁』が発動する。
 
(な、に‥‥‥‥?)
 
 右腕を折られ、体を貫かれたフィレス、その傀儡に備わる存在の力が、『零時迷子』に吸い取られていく。
 
 これは『零時迷子』に組み込まれた『暴君』に備わる、『鏡像転移』の際に周囲の人間を喰らう『吸収』の式がヘカテーの『戒禁』と相互作用した結果生まれた副作用だが、当然、フィレスは知らなかった。
 
 見る間に、傀儡の体は琥珀の炎となって解け、『零時迷子』に吸い取られ、逆にその宿主の力となる。
 
「はあっ‥‥はあっ‥‥!」
 
 肩で荒い息をつく悠二は、混乱の中でも情報を整理していた。
 
 今、わかった。何故シャナたちが、『星黎殿』や『神門』を見つけ、入って来られたのか。何故、ヘカテーもいないのに『詣道』の中を追ってくる事が出来たのか。
 
 一体いつからかはわからないが、フィレスの傀儡が、ロフォカレに成り代わっていた(フィレス当人にしては、あまりに力が小さかった)。
 
「悠二!!」
 
「平気!?」
 
 反射的に駆け寄ってくるヘカテーやゆかり、続いて教授以外の皆も、心配げにこちらを見ていた。
 
「大丈夫、直接攻撃されたわけじゃないみたいだし」
 
 痛みとは別な、何か気持ち悪い感覚はあるが、こんな時に心配は掛けられない。
 
 ことさらに平気な風を装う。
 
『‥‥‥‥‥‥‥‥』
 
 ‥‥‥あまり効果は無かったらしい。
 
 ヘカテーは泣きそうな顔のまま、ゆかりの表情は明らかに固い。他は‥‥あれは呆れているのだろうか?
 
「してやられた、といった所かね。上手く化けたものだ」
 
「だが、これを目印に俺たちを追っていたというなら、もうこれで奴らは俺たちを追えなくなったという事じゃないのか?」
 
 何故かベルペオルが楽しそうに言って、逆にシュドナイが、この事実からの光明を見いだす。
 
 だが、悠二にはわかっていた。
 
「確かに、それは正解だけど‥‥‥一足遅かったみたいだ」
 
 その正答が、無駄になったという事を。
 
「来るぞ‥‥‥!」
 
 
 フィレスは結果として、己の役割を、最高のタイミングで、完全に果たしていた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章 十五話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/24 20:02
 
『たった一人の女の子さえ、守れなかった!』
 
 そう、悠二は言った。
 
 日常の中から、『非日常』に引きずり込まれる。
 
 自分にとっては当たり前の事実が、悠二にとってどういう事なのか、初めの頃はわからなかった。
 
(いや、違う‥‥‥)
 
 きっと、今だって、わかってなどいない。
 
『この世の本当の事を変えてやる。理不尽の可能性を、この世から消し去ってやる』
 
 悠二と、ゆかり。
 
 "あの時"、二人の間でどんな言葉が交わされたのか、自分は知らない。
 
 無様に敗れ、気絶していたから。自分が、訊いてはいけない、踏み入れてはいけないように感じたから。
 
 だけど、きっとあの二人にしかわからない、通じ合えないものがある。
 
 同じミステス、同じ"元人間"‥‥そして、同じ道を歩む者。
 
 みっともなく、その事に淋しさを感じた。悠二が『大命』を志すのが、自分への想いのためであって欲しいと、どこまでも自分勝手に思った。
 
 "人の気も知らないで"
 
 あれから、色々考えた。『大命』遂行に際して、気持ちの整理をつけるため。
 
 そして、気付いた。
 
 悠二の望みは、ゆかりの人間としての死を起因とした、ミステスとして『この世の本当の事』に向き合い、戦ってきた日々の結実。
 
 だとしても‥‥‥
 
(徒とフレイムヘイズの、戦争‥‥‥‥)
 
 "これ"を、悠二が望んだと言うのか‥‥‥?
 
(違う‥‥‥‥)
 
 悠二の望みが『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の『大命』と一致していたとしても、こんなやり方を選ぶはずがない。
 
 "あのまま"なら、『戦争』など考えもしなかっただろう。例え、『大命詩篇』で盟主と通じていたとしても、だ。
 
 あのままでも、やり方はあったはずなのだ。
 
 悠二がいる、自分がいる、『天道宮』の沈む場所もわかっていたから、『秘匿の聖室(クリュプタ)』だって手に入れられたはず。
 
 使命とは無縁の『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の協力なら、得られたかも知れない。
 
 悠二が『神門』を生み出し、『約束の二人』に『秘匿の聖室』で覆い隠してもらい、自分の導きで、ゆかりも連れて三人で『詣道』を進み、『仮装舞踏会』に代わって盟主を復活させ、『大命』を成就させる。
 
 もちろん、『神門』を生み出す事によって異変に気付くフレイムヘイズも現れるだろうし、盟主帰還後、『大命』最終段階の遂行までにフレイムヘイズが攻めてくるのも、まず間違いない。そして、『仮装舞踏会』の軍勢という心強い味方もいない。
 
 自分たちが命を懸ける事も、フレイムヘイズと戦う事も変わらない。それでも、このやり方なら『戦争』などという規模にはならない。
 
 ‥‥悠二やゆかりが、この方法に気付いていないはずがない。いや、もっと優れた作戦も考えているだろう。
 
 なのに、今『仮装舞踏会』の幹部として、戦争を起こし、直接『大命』を行おうとしている。
 
 全部‥‥‥‥
 
(私の、せい‥‥‥)
 
 自分があの時、悠二を守るなどと、何もわかっていない決断をして"逃げ出さなければ"、悠二とゆかりが『星黎殿』に攻め入る事もなかった。
 
 そのまま『仮装舞踏会』に参入した事も、自分が巫女である事と、決して無関係ではないだろう。
 
 そして、二人はその事に関して自分に何か言った事はない。
 
(悠二‥‥‥‥)
 
 大好きな人が、自分のために辛い思いをする事が、この上なく胸を痛める。
 
 ヘカテーは、それを悠二に言いはしない。その事がさらに悠二に罪悪感という痛みを与える事がわかっていた。わかるように、なっていた。
 
 何度も間違えて、泣いて、悠二を傷つけて、それでも、胸に在る言葉は、いつかと同じ。
 
(悠二は、私が守る)
 
 それはいつかと同じ言葉であって、込められた想いはまるで違う。
 
 単純な力関係から『守る』と言っていた頃とは違う。隣を歩き、手を取り合い、支える。想いが通じた事によって、世界が変わったかのように、見えるもの、感じるものが変わっていた。
 
(私が、悠二を守る)
 
 フィレスの傀儡が悠二の『零時迷子』に手を伸ばした時、何も出来なかった、自分自身に腹が立つ。
 
 失いたくない、絶対に守る。彼を傷つける全てから‥‥‥
 
 
(私の存在、全てを懸けて‥‥‥)
 
 
 
 
「風見鶏が‥‥‥!?」
 
 ヴィルヘルミナの手にある、フィレスの傀儡の足跡を辿るヨーハン特製のアヒル型風見鶏が、突然方角を示さなくなる。
 
「‥‥‥"彩飄"が、何か行動起こしたのかも知れないわね」
 
「この期に及んでいきなりバレるっつーのも妙な話だしなあ」
 
 マージョリーとマルコシアスの言う事は、概ね正しい。丁度その時、フィレスは悠二を襲い、『戒禁』によって返り討ちに遭っていた。
 
「どうするんですか!? 次はどっちに‥‥」
「左下、あの石柱のアーチを潜って」
 
 焦るキアラの声を遮ってシャナが言い、極光を纏う『ゾリャー』はその導きに従う。
 
 そのシャナは、紅蓮に燃える灼熱の瞳を背にしている。
 
「わかるのか?」
 
「さっきの"銀"‥‥多分悠二の自在法だと思う。それなら、私の『審判』で辿れる」
 
 サーレの問いに、シャナは淡々と応える。
 
 そう、シャナの『審判』は存在の力の流れを"見る"。
 
 悠二はシャナの新たな自在法を知らないため、仕方ないとはいえ、悠二が足止めとして使った『鏡像転移』は、皮肉にも、シャナを悠二へと導く新たな目印となってしまっていた。
 
「もうすぐそこ、一気に飛ばす!」
 
 『創造神』復活が間近、という実直な理由"だけでなく"、まるで待ちきれないと言わんばかりにシャナは飛び出す。
 
 紅蓮の双翼に、爆発的な力を込めて。
 
 
 
 
「ヘカテー、ベルペオル、先に行って。追っ手が来てたって、僕たちの最優先すべき事は変わらな゛ぁ!?」
 
 もはや逃げ切れないと悟り、大剣を構える悠二。その頭を、三角頭の錫杖・『トライゴン』がしばいた。
 
「っ〜〜〜〜、ヘカテー! 何すぶはっ!?」
 
 それに文句を言おうとする悠二の背中を、さらにゆかりのアサルトブーツの底が勢いよく踏み落とされた。
 
「二人揃って何す‥‥」
「先に行くのは、ゆ・う・じ!!」
 
 悠二の声を遮って一文字一文字強調して言うゆかり、ヘカテーもコクコクと首を縦に振る。
 
「『大命詩篇』の共鳴時間に限りがあるんだったら、"こんなトコ"で無駄遣い出来ないでしょ? 連続で使ったらどれきらいタイム縮むかも、わかってないんじゃない?」
 
 悠二、黙る。図星であった。
 
「‥‥これは、あくまで『大命』の"第二段階"です。悠二は、いざという時のために力を残しておいて下さい」
 
 さらに畳み掛けるようにヘカテーも言う。
 
「いざ、って言ったって、ここで力使わないでいつ使‥‥‥」
「戦争舐めるな! 何が起こるかわかんないのが戦場なんだよ!!」
 
「‥‥‥はい」
 
 再び黙らされる悠二。何で自分より戦歴の浅いゆかりに知ったかぶり気味な説教を受けねばならないのか。
 
 確認も兼ねて、シュドナイの方に目を向ける。
 
「‥‥‥‥まあ、正論だな。奴らがここに来た以上、『星黎殿』が無事かどうかも保証出来ん」
 
「‥‥‥むぅ」
 
 確かに一理、あるような気はする。だがそれにしたって‥‥‥
 
 そんな悠二の迷いを断ち切るように、
 
「‥‥私、いつまでも守られてるほど、弱くないよ」
 
 ゆかりが、
 
「心配無用です。私は悠二より強いです」
 
 ヘカテーが、言う。
 
「‥‥‥‥‥ふ」
 
 小さく笑いが漏れる。
 
 確かに、最近は『自分が守る』事に固執しすぎていたような気がする。
 
 元々はヘカテーに守られているだけの非力なトーチであった自分が、である。
 
 ヘカテーもゆかりも、自分が憧れるほどに強い。
 
 自身の自惚れ具合が滑稽だった。ヘカテーの何か強がる風な仕草の可愛らしさと合わせて、笑う。
 
「‥‥わかった。すぐに戻るよ」
 
 言って、今度はシュドナイとフリアグネに言う。
 
「少しの間、二人を頼む」
 
 これは実力云々以前の問題、言うなれば『男だから』であろうか。
 
 返る応えも簡潔明瞭。
 
「まあ、必要があればね」
 
「頼まれるまでもない、"それが俺だ"」
 
 心強い味方を頼もしく見やってから、ヘカテーの手を引き寄せ、そのまま抱き締める。
 
「無茶、しないで」
 
「‥‥‥‥はい」
 
 たちまち破顔するヘカテーからゆっくりと離れ、周りの視線を気恥ずかしく感じるのを敢えて無視し、ベルペオルに向き直る。
 
「‥‥行くかね」
 
「うん、そうと決めたら善は急げだ」
 
 
 ベルペオル、そして左手に『ウロボロス』を巻いた悠二は飛ぶ。
 
 神体は、最早近い。
 
 
 
 
「‥‥‥行ったか」
 
 飛ぶ悠二とベルペオルを見送るフリアグネの目は、ややの不幸を滲ませる。
 
「随分、調子良く舌が回るじゃないか。力の温存? 単純に坂井悠二を、かつての仲間と戦わせたくなかっただけだろう?」
 
「あ‥‥はは♪ バレバレ?」
 
 フリアグネの指摘を、ゆかりが笑って誤魔化す。
 
 大体、“単純な実力”なら、『大命詩篇』を抜きにしても悠二の方がゆかりより強いのだ。
 
 ‥‥‥そう、今は、いつか『天道宮』の上空で戦った時とは違う。
 
 手など抜けば、こちらがやられる。
 
「‥‥これ以上、悠二に汚れ役、させたくないから」
 
「はあ〜〜〜」
 
 ゆかりの言葉にやや憧れるマリアンヌとは裏腹に、フリアグネはあまり良い顔はしない。
 
「勝手に戦力を落とした責任、どう取るつもりだ?」
 
「勝ちゃいいだけの話でしょ?」
 
 相変わらずなゆかりの物言いに、フリアグネは額を押さえる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 先ほど悠二に抱き締められ、一度緩みきったヘカテーは、今、周りの声など聞こえないと言わんばかりに一点のみを睨んでいる。
 
 今や視界に小さく捉えられる幾つもの輝き、その内の一つ‥‥紅蓮を。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 そんなヘカテーを、シュドナイが後ろから見ていた。
 
『頼まれるまでもない、"それが俺だ"』
 
 そう、それが自分。
 
 いつだって、"その先に在る"ものを守る。
 
 ヘカテーが、坂井悠二と共に歩む事を選んだなら、坂井悠二を己の半身と定めたのなら、それを守るだけ。
 
(悠二と、ヘカテー)
 
 
 どちらも守らなければ、意味が無い。
 
 
 
 
 見据える。
 
 遠く、小さく光る紅蓮を。
 
 その背に、瞳のようなものが微かに見えた。
 
 今まで、あんなものを見た事はない。新たに、魔神の力を引き出したのか。
 
 しかし、何故だろう?
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 あの光に、命のやり取りとは全く別次元の感情を感じる。
 
 
 ‥‥‥恐怖と、怒り。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 六章エピローグ『激突の星炎』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/25 19:05
 
(‥‥‥‥‥‥いない)
 
 遠くから見て、目指し、探してきた少年がいない事を知る。
 
 かつて刃と炎を交えた紅世の王、"千変"シュドナイと"狩人"フリアグネ、そしてその燐子・マリアンヌ。
 
 自在法・『封絶』の雛型を開発するほどの天才でありながら、超のつく変人、以前おぞましい毛虫地獄に自分を陥れた"探耽求究"ダンタリオンとその燐子・ドミノ。
 
 そして、御崎市という街で出会い、初めて出来た"友達"たる少女・平井ゆかり。
 
 だが、その誰よりも目を引いたのは‥‥‥‥
 
「"頂の座"‥‥ヘカテー」
 
 長い間、その使命からか、あるいは初めてで特殊すぎる環境のためか、シャナは自身の気持ちすら掴めていなかった。
 
 だから、だろうか?
 
 自分の気持ちが掴めた‥‥‥
 
『フレイムヘイズも、人を愛する』
 
 もう、自分に正直になれる。それだけで、もう何一つ恐れるものなど無いと、異様な万能感に捕われていた。
 
(私‥‥馬鹿‥‥‥?)
 
 今、ヘカテーを目にするまで、気付きもしなかった。
 
 自分の想いを認める事が出来た"だけ"では、何の解決にもなっていない。
 
 目の前の少女に、自分と同じく坂井悠二に想いを寄せる少女に、自分は勝たなくてはいけない。
 
 戦いも、恋も、である。
 
 それに気付いてもいなかった。間が抜けているにもほどがある。
 
 しかし、そこまで気付いて‥‥‥
 
(やめた)
 
 それらの考え、全てを放棄する。
 
 考え、悩みすぎてもロクな事にならない。それが、シャナがこの数ヵ月で学んだ事だった。
 
 きっと、実際にはもっと‥‥ずっと単純な事なのだ。
 
『私、悠二が好き』
 
『今はそれだけ。それだけで、戦える』
 
『ここに在るのは、紅世の王さえ一撃で虜にする力を生む、この世で最強の自在法だ』
 
 
(‥‥‥そう、それだけで、いい)
 
 自分の抱く想い、その全てを悠二にぶつける。
 
 それが一番大切な事で、それ以外の事は全て些事。
 
 それが、使命を果たす事にも繋がると信じている。
 
 そうと決めてしまえば、目の前にいる少女は、坂井悠二へと続く道を阻む‥‥単なる邪魔者だった。
 
 
「"悠二"の所に、行かせてもらう」
 
 
 
 
(カルメルさんに、マージョリーさん、シャナ、あの二人は‥‥‥‥)
 
「『極光の射手』キアラ・トスカナと、『鬼功の繰り手』サーレ・ハビヒツブルグだ」
 
 ゆかりが戦力分析しているのを知ってか知らずか、シュドナイが言う。
 
「‥‥‥オーケー、どっちもかなりの腕利きって噂だよね。まあ、見ればわかるか」
 
「それは結構」
 
 向こうは手練が五人。こちらはヘカテー、シュドナイ、フリアグネ、マリアンヌ、教授、ドミノ、そして自分。
 
 数の上なら勝っているが、マリアンヌやドミノは主とワンセットと考えると、大体五分。しかも、教授がちゃんと戦ってくれるかかなり怪しい。
 
 というか、紅世の王とはいえ、あの教授がまともに戦えるのだろうか? 見たところ、メカも測定用の"我学の結晶"エクセレント252546『論誼の笈』しか持っていない。
 
 そういえば、すっかり忘れていたがそもそも『大命詩篇』の照合が教授の主たる仕事だった。悠二から離した意味が無い。
 
(‥‥‥‥って言っても、ここで悠二を追い掛けられても困るかぁ〜〜)
 
 アテにもならないが、いないよりマシである(多分)。
 
 と、ゆかりが危惧する中、当の教授が、
 
「サ、ササ‥‥‥」
 
「‥‥笹?」
 
「サササササササササ‥‥‥」
 
 うるさい。
 
「サーレ・ハビヒ-ッツブルグ!!!」
 
 喚き散らす教授の大音量を先読みし、近くにいた全員が全員同じタイミングとポーズで耳を押さえている。
 
 いい加減慣れたのだ。
 
「‥‥‥知り合い?」
 
「生みの子供、と言ったところさ」
 
 なお間断なく喚く教授の言葉は無視して、フリアグネに訊いた。
 
「ああ確か‥‥‥『強制契約実験』だっけ?」
 
 まあ、今はどうでもいい。教授のせいで論点がズレた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 自分が、まだ未熟なのはわかっている。"正々堂々"などと言ったら、間違いなく、敵味方合わせて、この中で一番弱いだろう。
 
(戦い方を知らないあの二人に当たるのは、無謀‥‥)
 
 となれば、やはり知っている中で一番未熟だろうフレイムヘイズ、シャナが思い当たるが‥‥‥
 
(‥‥‥ダメだね)
 
 横を、チラッと見る。
 
 チラッとしか見ないのは、単純に怖いからである。
 
 可愛らしく成長したヘカテーの表情は一切消え、物理的に気温が冷えたかのような、寒気を誘う水色の火の粉が舞っている。
 
 先ほどのシャナの発言が原因だろう。
 
(“悠二”、ねえ‥‥)
 
 確かに、自分も驚いた。前の戦いで、悠二に半殺し以上の重症を負わされ、シャナからすれば完全な裏切り行為を受けた、はずなのだが、前よりも気持ちを確かなものにしたらしい。
 
(ま、理屈じゃないからね‥‥‥)
 
 自身の事にも当てはめて、やれやれと溜め息をつく。
 
 いずれにしろ、シャナはヘカテーが相手する事になるだろう。よく見れば、前とは雰囲気も違う。この組み合わせで良かったのかも知れない。
 
「と、なると‥‥‥」
 
 自分の相手は、一人だ。
 
「教授もアテになんないし‥‥‥‥」
 
 ジリッと後足を下げて、翡翠の羽衣を纏う。
 
「速攻で、終わらせてもらおうかな」
 
 "仲間"に剣を向ける覚悟を決めるゆかりの手に、光り輝く金色の鍵が握られていた。
 
 
 
 
("悠二"‥‥‥‥?)
 
 いつからか、"そういう危惧"は持っていた。
 
 傍から見ても、好意的とは言えないものの、彼女が悠二に対してとる態度や見せる顔は、明らかに他とは違っていたから。
 
 だから、不安になりもした。張り合いもした。
 
(でも‥‥‥‥)
 
 
『君と一緒に歩く。そのためにも願いを果たす』
 
『一緒に行こう。僕の、大好きなヘカテー』
 
 
 悠二は、自分を選んでくれた。
 
 その事に、心から安堵し、歓喜し、満たされた。
 
 だから、結果として想い人"かも知れない"悠二と戦う事になったシャナに対して‥‥‥傲慢にも同情の念まで抱いていたかも知れない。
 
 だが、そんな気持ちは、ついさっきまで抱いていた、"仲間と戦う辛さ"ごと吹き飛んでいた。
 
『"悠二"の所に、行かせてもらう』
 
 あの言葉と目に、ひどく久しぶりの恐怖と危機感を感じた。
 
 あれは、"悠二を奪い取る"という明確な意志。
 
 そして、"自分などただの邪魔者としか考えていない"。そんな無頓着さを感じた。
 
 自分にとっても大切な親友で、初めから想いを抑えるつもりだったゆかりはもちろん、恋敵として自分と真っ正面から向き合った吉田ともまるで違う。
 
 "恋人である自分"を全く無視して、ただ悠二に手を伸ばそうとしている。
 
 自分にとって何より大切な想いを蔑ろにして、自分にとって誰より大切な少年を奪おうとしている。
 
(許さない‥‥‥)
 
 はらわたが煮え繰り返るような、凄まじく強烈な怒りが全身を支配する。
 
 意識してもいないのに、体から水色の火の粉が舞い上がる。
 
(おまえは、ここで倒す‥‥‥!)
 
 
 
 
「『真紅』」
 
 シャナの流麗な炎髪が中途から溶け解けるように広がり、黒衣・『夜笠』の上から緩やかに纏う、二重の外套と化す。
 
 その、目に見えてわかる変化と共に、全身から無茶苦茶な熱と光が迸る。
 
 濃密度の炎を纏うその姿は、まるで小さな紅蓮の恒星。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーの周囲を漂う数多の水色の光点が、みるみる内にその数を増していき、瞬く間に無数の光点から、繋がり、広がり、一つの光となる。
 
 その中心は当然、"頂の座"ヘカテー。
 
 見る者の、眼を灼くようなあまりに明るすぎる水色を発するその姿は、まるで小さな水色の光星。
 
 
(初めて会った時から、感じてた)
 
 シャナは、剣の柄を両手で握り、紅蓮の双翼を広げる。
 
 
(私と似ている。だから、同じように悠二に惹かれるかと思って、怖かった‥‥‥)
 
 ヘカテーは、『トライゴン』を下段に構えて、踏み出す一歩に力を込める。
 
 
(自分と似ていて、価値観が正反対。だから、今の自分を否定されてるような気がした)
 
 一行から突出して、紅蓮の恒星が飛び出す。
 
 
(昔の自分を見ているようで、自分の弱い所を見せ付けられているようで‥‥‥‥)
 
 同様に、水色の光星が飛び出す。
 
 
 両者、互いに"横槍"の事などまるで気にしていない。
 
 もしされても、構わず弾き飛ばすつもりだった。
 
 
((そう、初めて会った時から‥‥‥‥))
 
 剣が、『トライゴン』が、振り上げられ、振り下ろされる。
 
 
((おまえが、気に入らなかった!!))
 
 
 
 
 ただの一合で、爆発するような紅蓮と水色の炎と光が、両界の狭間で弾けた。
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章『交錯する炎』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/08/26 13:57
 
「‥‥‥‥ふん」
 
 つまらなそうに呟いて、細剣を軽く振る。
 
 舐められたのは気に入らないが、おかげで当面必要な力を確保出来たのも事実。
 
 その礼は、しなければならない。
 
(‥‥あの女、突然動きが鈍ったな)
 
 『星黎殿』内にフィレスが叩き込まれた穴に目をやる。あのプルソンとかいう紅世の王がとどめを刺そうとした所を見ると、まだ死んではいないのだろうが。
 
(“取り巻き”は粗方片付いたが、あれで全兵力というわけもあるまい)
 
 出てこない事から、動けないと思われるフィレスの事も考えると、あまり時間は掛けていられない。
 
 軽く、しかし高々と跳躍して、尖塔の頂きに降り立つ。正面にプルソンを捉えるのに丁度良い高さだった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「どうした? さっきまでペラペラと喋っていたくせに、今度は随分と静かだな」
 
 『虹天剣』による横槍以降、一言も言葉を発しないプルソンに、からかうような言葉を掛ける。
 
 今まで軽視された仕返しの嫌み、といった所だ。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 なおも、プルソンは押し黙る。その手が、震えているように見えた。
 
「こっちにはあまり時間が無い。悪いがすぐに‥‥」
「何故‥‥‥‥」
 
 細剣の切っ先を向けて宣言しようとしたメリヒムの言葉を、プルソンの小さな呟きが遮った。
 
 腹の底から沸き立つ怒りを堪え、漏れだしたような呟き。
 
「何故‥‥“貴方”が‥‥‥『両翼』が“ここ”にいるっ!!?」
 
 『両翼』、そう呼ばれるのは随分と懐かしい。
 
 僅かに動揺した。その言葉の意味する事に、嫌な確信があったからだ。
 
「ッガアアアアアア!!」
 
 怒りのまま先に攻撃を仕掛けたのは、プルソンの方だった。
 
 
 
 
 ドンッ!
 
「っおぉ!?」
 
 ガァン!
 
「っわぁ!?」
 
 紅蓮と水色の輝きが舞い、激突する度に、衝撃と爆圧が空間に響き渡る。
 
「あの二人から、一旦離れるわよ!」
 
「巻き添えなんぞ食らいたくなきゃーなあ!」
 
 二人で一人の『弔詞の詠み手』の促しに一同従い、距離を取る。
 
 見れば、シュドナイたちも後退している。まあ、妥当な判断と言える。
 
「む‥‥‥‥」
 
 その後退の中途で反転、一人こちらに、明らかに『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルに向かってくる一つの光‥‥翡翠が見えた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 驚きは、一瞬のものでしかなかった。
 
 わかっている。仲間と戦うのが辛い、という私情よりも、能力を知り尽くしている、というメリットを選んだ。
 
 そういう判断を、平井ゆかりという少女には出来るという事をわかっている。
 
(‥‥遠慮容赦、一切無用)
 
 この場に、坂井悠二と“逆理の裁者”ベルペオルがいない。という事は、間違いなくその奥に、『創造神』の許へと向かったという事。
 
 もはや、何が何でも、誰か一人でも、必ずこの奥へと進まねばならない。
 
 手違いで、自分が『こちら側』に引きずり込んでしまった少女。御崎市に滞在するに当たって、半年以上同居人として過ごした少女。いつしか仲間と呼べるようになった少女。
 
 
 しかし、自分も私情に拘らず、戦闘経験が半年にも満たない、しかもその能力を知っているミステスを倒す事に集中す‥‥‥‥‥
 
「っ!?」
 
 その、決意を固める葛藤の僅かな間に、こちらに向かってきていたゆかりが、とんでもない、信じられない勢いで間合いを詰めて来ていた。
 
 思う間に、もはや目前‥‥‥‥
 
「くっ‥‥!」
 
 突進からの刺突という単調極まるはずの攻撃を、リボンの端で叩いて逃れる。
 
(何‥‥‥‥)
 
 すれ違い様に弾いた一撃の異様さに動揺し、振り返ろうとしたヴィルヘルミナ、の、顔を覆う仮面・『ペルソナ』に、
 
 ドカァッ!!
 
 ゆかりの踵が、叩き込まれていた。
 
 寸での所で反応し、自ら落下する事でその威力を殺す事に成功したヴィルヘルミナが、改めて戦慄した。
 
(動きが、疾すぎる‥‥!)
 
 元々、ゆかりとは同じ街で共に日々鍛練を重ねてきたのだから、そのスピードも当然わかっていた。
 
 確かに、その素質だけは素人ながらにズバ抜けていた、明らかに自分よりも速かった。
 
 だが、こんな無茶苦茶な速度ではなかった。完全に‥‥‥フィレス以上。
 
 ヴィルヘルミナは、今までの数百年の戦歴を以てしても、これほど疾い動きをする相手を見た事がない。
 
「仮面あるから、顔は効果薄いかもね」
 
 淡々と言ったゆかりが、またとんでもないスピードで突っ込んでくる。
 
(今度は、投げる!)
 
 そう、冷静に向き直り、構えるヴィルヘルミナに、ゆかりはそのまま突進のスピードを緩めぬまま、“炎弾”を繰り出した。
 
「!?」
 
 ゆかりの突進の勢いも手伝って桁外れの疾さで飛んでくるそれを、横に動いて躱したヴィルヘルミナ‥‥“その先に”、
 
「っやあ!」
 
 まさに一瞬で回り込んでいたゆかりの『パパゲーナ』が、ヴィルヘルミナを襲う。
 
「くっ!」
 
 上半身を引いて躱すヴィルヘルミナの仮面の表面を、短剣の切っ先が削る。
 
「首、狙ったんだけどな」
 
 小さな呟きがまた聞こえて、横薙ぎに繰り出された斬撃の勢いを殺さぬまま、回る様に放ったゆかりの蹴りが、上半身を反らしたヴィルヘルミナの腹を捉えた。
 
「ぐぅ‥‥‥!」
 
 くの字に曲がって吹っ飛ぶヴィルヘルミナを追うように、翡翠の炎弾が放たれ‥‥‥
 
 ドォオオン!!
 
 今度こそ直撃する。
 
「カルメルさん、私の『オルゴール』の力‥‥忘れました?」
 
 それで倒せていない事をわかっているゆかりが、さらに追いながら言う。
 
(『オル、ゴール』‥‥‥‥)
 
 炎弾の直撃を受け、痛みと衝撃で仮面の下の表情を歪めるヴィルヘルミナは、ふらつく頭でその言葉の意味を追い掛ける。
 
 『オルゴール』
 
 ゆかりの内に宿された、一度刻みつけた自在式を半永久的に奏でる事が出来る、特異な力を持つ宝具。
 
(そう、か‥‥‥)
 
 ゆかりは自分自身の能力に加えて、『オルゴール』で他者の自在法を、その制御に気を払わずに扱える。
 
 しかも、メリヒムの話によれば、複数の自在式を封じて持ち運んでいる。
 
 自分が知っているゆかりの能力値など、最初からアテにはならないのだ。
 
(さしずめ、今使っているのは‥‥‥‥)
 
「そう、今私に込められてる自在法は‥‥『加速』ですよ」
 
 言うと同時に再びゆかりの刃が、ヴィルヘルミナを襲う。
 
 
 
 
「「はあっ!」」
 
 一合打ち合う度に、爆発するようなその衝撃で弾けるように二人は離れる。
 
 そしてまた鏡に写したかのように弧を描いて飛翔し、また爆発するようにぶつかる。
 
 まるで力比べ、意地の張り合いのような攻防。否、攻撃のみ。
 
 ただし、恐ろしいほどの力と速さ、意志を伴った意地の張り合いである。
 
 ギィイイン!!
 
 また弾けるように飛び退いたシャナとヘカテーは、練り上げた力を自在法として解放する。
 
「『星(アステル)』よ!!」
 
「燃えろぉ!!」
 
 無数の水色の流星群・『星』と、灼熱の紅蓮の大奔流・『飛焔』が、膨大な空間を飲み込んでぶつかり、弾けて、さらに広大な空間を埋め尽くす大爆炎を撒き散らす。
 
 ヘカテーとシャナは、その炎の海を無視するように突っ切り、再び剣と錫杖をぶつかり合わせる。
 
 燃え盛る紅蓮と水色の中、鍔競り合いの状態で、額がぶつかるほどに近く、二人は睨み合う。
 
「「‥‥‥‥‥‥‥‥」」
 
 互いに胸中で様々な想いが渦巻き、言いたい事は山ほどあるはずなのに、上手く言葉に出来ない。
 
 その、僅か二、三秒の均衡を破ったのは‥‥ヘカテー。
 
「っ!」
 
 ヘカテーが軽く瞳に力を込めて、僅かに見開いた瞬間、不可視の突風がシャナの体を後方に弾き飛ばす。
 
 この攻撃方法は知っていて‥‥しかし予想以上の威力に僅か驚いたシャナは、紅蓮の双翼から爆火を後方に奔らせ、反転する。
 
 しかし、反転した時には、すでに光弾の雨がシャナに向けて放たれていた。
 
(それが‥‥どうした!)
 
 構わず飛ぶシャナ、その意に応えるように、背にした瞳がその輝きを増す。
 
(見える!)
 
 シャナの『審判』は、通常徒やフレイムヘイズが“感じ取る”事しか出来ない存在の力の流れを、『視覚情報』として“見る”事が出来る。
 
 以前ならば攻撃範囲から飛び出すようにしか躱せなかっただろうその光弾の雨。その軌跡を文字通りに見切って、シャナは流星群を網目を縫うように突っ切った。
 
(っ‥‥避けながら‥‥向かってきた!?)
 
 その事実に驚愕するヘカテーに向けて、シャナの剣閃が振るわれた。
 
 キンッ!
 
 動揺しながらも一太刀受け止めたヘカテーは、しかし‥‥‥
 
(くっ!)
 
 二振り目を避け切れず、切っ先が浅く頬を掠めた。
 
 そこから血のように、水色の火の粉が零れる。
 
「っはあ!」
 
 たまらず『トライゴン』の石突きを振り上げ、シャナの剣を跳ね上げ、懐に潜り込んでその胸を蹴り飛ばす。
 
 蹴られた当のシャナは、あの全身を取り巻く炎の外套のおかげか、まるで効いた風もなく、そのまま宙でくるりと回転して、また剣を向けてくる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 頭が、冷えた。
 
 敵の攻撃のおかげで、というのは皮肉なものだが、先ほど頬を掠めた一撃のおかげで、頭に上った血が下りたような感覚だ。
 
 気に入らない。
 
 対するシャナの方は、自分の決意と目的に迷いが無いのか、感情に全く振り回されていない。
 
 冷静に、ただ純粋に敵の力量を見て取る。
 
(強い‥‥‥)
 
 以前とは全く違う。御崎において最弱のフレイムヘイズとさえ思っていた少女とは、もはや全くの別人である。
 
 
 ヘカテーがそう思うのと同様に、シャナもまた、ヘカテーを分析していた。
 
(やっぱり‥‥強い)
 
 かなりの規模の力を顕現出来る‥‥自惚れでも何でもない、と感じている今の自分の、意地のように捻りだした力に、容易く渡り合った。
 
 元々、能力の応用力では劣る、と密かに認めていたが、自分が“成った”今、力でさえ互角だとは思わなかった。
 
 
 互いに力を認めて、しかし互いにこう思った。
 
 
((でも、絶対に負けられない))
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/08/27 19:47
 
「まぁーたまたまたまたまたまた私の実験を阻みに現れましたねぇーーーー!?」
 
「‥‥‥いや、むしろ教授はおまけじゃん」
 
 遠くでゆかりがポツリと呟いたのは聞こえていようがいまいが完全無視する教授。
 
「まあ、邪魔するつもりなのは確かだが‥‥よくよく縁があるな、親父殿」
 
「世界最高の舞台で戦う事になるのも一つの運命かも知れないな、我らが好敵手?」
 
 こちらも慣れたもの。教授のテンションを、真逆のローテンションで受け流すサーレとギゾー。
 
「キィーーー!! 実験の失敗作風情がナァーーマイキなあっ! 今日という今日こそは明日のためにその減ぇーらず口を叩けなくしてあぁーーげましょう!!」
 
 教授は、目の前にいるサーレと、ついでにベルペオルがしいたけよりも嫌いなのである。
 
 ゆかりの懸念‥‥教授のやる気は、この不幸中の幸いによって多少は解消される結果となった。
 
 教授ジャンプ、身長二メートル以上もあるドミノの丸っこいボディの上に着地し、マジックハンドと化したその右手を高速回転させて、ドミノの頭のてっぺん(つむじ)に一本ある特徴的なネジを回し始める。
 
「ぃいーーーまこそ秘められし封印から解き放たれ、その真の力を見ぃーせ付ける時ぃいーー!!」
 
「はいでございますです!!」
 
 教授の叫びに元気いっぱいに応えるドミノ、その"相変わらず"の眺めを、サーレは苦笑しつつも傍観する気は無‥‥‥
 
 ドォオオン!!
 
「っと!?」
 
 ‥‥かったのだが、横合いから飛んできた白炎の弾丸に阻まれた。
 
「ったく、危、な‥‥‥?」
 
 マージョリーが戦っているはずのフリアグネの妨害に憮然として文句を言うサーレは、しかし、白炎が晴れた先に見えるものに、違和感を覚える。
 
 先ほどまでは半ば肩車のような体勢でネジを回していたはずの教授が、"ちゃんと両足で立って"、しかも両手で全身を使ってネジを回しているのである。
 
 "対比"で、教授がやけに小さく見えた。
 
「見ぃよ!! これぞ我が『成功作』! 最強最適最大最新、の! 究極の"最っ高っ傑っ作ぅーー"!!」
 
 教授のこれ以上ない賛辞に、感極まってピーッと蒸気を吹き出し、オイルを流すドミノ。
 
「"我学の結晶"ェエーーークセレント28・カァンターーテェェ‥‥‥ッドォオーーーミノォオーーーー!!!」
 
 
 教授の演説は相変わらず聞き流しながらも、実際には演説の言葉以上の光景に、サーレは呆然としていた。
 
「‥‥‥‥おいおい、この質量をどっから捻りだしてきた?」
 
「『儀装』の老爺たちの瓦礫の巨人とも違うね。明らかに機械だし」
 
「相変わらず‥‥‥何でもありだな」
 
 そう、呆然と"見上げる"サーレの眼前で、馬鹿のように白けた緑の炎を吹き上げながら、ドミノが『巨大化』していた。
 
 それはもう、瓦礫の巨人など小さな子供に見えるほどに。
 
「んーふふふふ、どぉーです! 長年改良に改良を重ね続け、遂にこれほどパァーーフェクトなフォルムを実現したドォーーミノはぁーー?」
 
 ‥‥‥まあ、これほどの巨体でありながら、弱点のはずの『コックピット(操縦席)』が何故か屋外に設置されているのはお約束ではある。
 
「‥‥‥‥やれやれ、遂に世界規模か」
 
 相変わらず『気合い』などというものとは無縁な態度で、サーレは腰にあるホルスターから、十字操具型の二丁神器・『レンゲ』と『ザイテ』を抜き放つ。
 
 
「傍迷惑にも限度ってもんがあるだろ? 親父殿」
 
 
 
 
「行け」
 
 白の狩人の周囲を渦巻いていた、トランプのカードの群れが、一斉に群青の獣へと突き進む。
 
「バハァアアーー!!」
 
 群青の獣・マージョリーの『トーガ』の牙だらけの口から吐き出された群青の炎の波が、カード‥‥『レギュラー・シャープ』を文字通り、紙くず同然に焼き散らす。
 
 その炎波から逃れたカードたちが『トーガ』に突き刺さるも、マージョリー本人には届かず、炎の衣の中で灰と化す。
 
「まったく‥‥‥、楽しい異世界ツアーももう少しでフィニッシュだったと言うのに、最後の最後で無粋な邪魔者か。最悪の気分だ」
 
「まだまだこれからよ、『最悪』は!」
 
 凶悪に『トーガ』の口の端を歪めて笑うマージョリー。元々が戦闘用の宝具ではない『レギュラー・シャープ』は通じない。
 
「血の気の多いものだ」
 
 呟く間に、フリアグネの両手に、華美ではない程度の装飾を施された銀色の二丁拳銃が現れていた。
 
 その内一つの銃口を、『トーガ』の獣へと向ける。
 
「ご自慢の人形遊びは、さっきので品切れみてーだなあ!」
 
「いい運動不足の解消になるんじゃない‥‥の!?」
 
 言って、マージョリーは特大の炎弾を『トーガ』の口から放つ。
 
 その、特大の炎弾と‥‥‥
 
「っ!?」
 
 『トーガ』の衣さえも貫いて、白い炎弾が通り抜けた。
 
 『トーガ』の内で、炎弾が掠めた頬から血が一筋流れる。
 
 驚愕するマージョリーを無視して、フリアグネはもう一丁の拳銃をサーレに向け、撃った。
 
「そうだね、たまには手持ちの宝具を披露しないと、コレクターの名折れだ。ね、マリアンヌ」
 
「はい、フリアグネ様」
 
 獲物を狙う狩人の顔になったフリアグネと背を合わせて、マリアンヌが、指輪・『コルデー』をはめた右手をかざす。
 
 
 
 
「っふん!」
 
 巨大化した『神鉄如意』が一閃し、尖塔が三本、斬り飛ばされる。
 
 その破壊の嵐を、蛇行するように極光が飛ぶ。
 
「おのれ、チョロチョロと‥‥‥」
 
 舌打ちし、飛びかう極光・『ゾリャー』を睨むシュドナイへと‥‥‥
 
「『グリペンの咆』! 『ドラケンの哮』!」
 
 二筋、超速のオーロラの矢が放たれた。
 
 ドォオオン!!
 
「ぐっ、お‥‥‥!」
 
 巨大化した『神鉄如意』がそれを受け止め、剛槍には傷一つつかない。
 
 しかし、その衝撃がシュドナイを襲う。
 
 その間にも、『詣道』を飛ぶ『ゾリャー』から、光の矢が次々に放たれる。
 
 今度は、威力に押されぬよう、力いっぱい振り抜いた『神鉄如意』で薙ぎ払う。
 
「真っ正面に立つんじゃないわよ!」
 
「あの槍の特性と攻撃力を考えれば、力押しじゃ絶対勝てない。常に横に動きなさい」
 
「了解!!」
 
 ウートレンニャヤとヴェチェールニャヤの指示を聞きながら、解けた髪を靡かせ、キアラ・トスカナは飛ぶ。
 
 
 
 
 いくら『加速』の自在法を以てしても、ヴィルヘルミナが"反応出来ない疾さ"など、得られるものではない。
 
 この疾さとタイミングを覚えられたら、『加速』による優位は全くと言っていいほど無くなる。
 
 まして、相手は『戦技無双の舞踏姫』。
 
 だから、このスピードに、ヴィルヘルミナの感覚が追い付かない内が勝負だった。
 
 
「『胡蝶乱舞』!」
 
 神速で舞うゆかりに翻弄されるヴィルヘルミナを、翡翠の羽根吹雪が包み込む。
 
 ドォオオオン!!
 
 耳に痛い轟音が響いて、翡翠の炎が溢れる。
 
「バレバレ!」
 
 だが、ゆかりは全く様子も見ずに、翡翠の羽衣を前方に螺旋条に展開、自らが生んだ爆炎を裂いて突撃し、その勢いのまま‥‥
 
「やっ!」
 
 ドスッ! と重い音を立てて、鉾先舞鈴・『パパゲーナ』を、"ヴィルヘルミナが展開していた"純白のリボンによる球体に突き刺した。
 
 その切っ先が僅か、防壁の内側に潜る。
 
「はあああああっ!」
 
 その切っ先から炎が奔り、ヴィルヘルミナを密閉空間で焼く‥‥‥と思いきや、全く容易くリボンの球体が弾けて、ヴィルヘルミナに逃げ場を与えた。
 
「く、ぅ‥‥‥!」
 
 それでも避け切れずに炎を浴び、怯むヴィルヘルミナに、ゆかりの蹴撃が飛んだ。
 
(見えた!)
 
 それを数条束ねたリボンで受け、弾いたヴィルヘルミナは、後ろに弾いたゆかりに、追い打ちの、硬化したリボンの槍衾を繰り出す。
 
 それが‥‥‥
 
「遅い!」
 
 さらに、一瞬で加速したゆかりに、掠りもせずに体ごと躱された。
 
「止まって見えるよ!」
 
 そのままヴィルヘルミナの周りを一定の距離を保ちながらぐるぐると飛ぶゆかりは、次々に炎弾を繰り出した。
 
 ドォン!
 
「ぐ!」
 
 ドォオン!!
 
「‥‥っあ!」
 
 避け切れず、何発もの炎弾が被弾する。
 
 さらに‥‥‥
 
(背中、取った!)
 
 炎弾を受け、怯んだヴィルヘルミナの背後‥‥死角から、ゆかりの『パパゲーナ』が襲い‥‥‥
 
 バシッ!
 
 後ろを向いたままの、ヴィルヘルミナのリボンに止められた。
 
 リボンが、ゆかりの腕に巻き付く形で。
 
「ようやく、動きが掴めてきたようであります」
 
「覚悟」
 
 反撃の意思に燃えるヴィルヘルミナの背で、危惧していた事態が起こりつつあると知ったゆかりは、しかし焦らず、騒がない。
 
 初めから、わかっていた事だから。
 
「むっ!」
 
 そのままゆかりを投げ飛ばそうとするヴィルヘルミナ。
 
 ゆかりの腕に巻き付いたリボン。
 
 それが、切断された。
 
 ゆかりの手甲からジャキンッ! と飛び出した刃によって。
 
「もらった!」
 
 ゆかりとヴィルヘルミナの距離は今、手の届くほどの至近。
 
 
 
 
(‥‥確かに、見違えるほど強くなった)
 
 ヘカテーは、その燃えたぎる怒りをその内に押さえ込み、冷静な頭で戦況を見極める。
 
 そう、まるで悠二のように。
 
(でも、戦闘様式が変わったわけじゃない。相変わらず剣技に頼った接近戦と、火力の力押し)
 
「『星(アステル)』よ」
 
 水色の流星が無数飛び交い、シャナを襲う。
 
「ふっ!」
 
「はっ!」
 
 それを掻い潜ってきたシャナ、また『トライゴン』と剣をぶつける。
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 ガンッ! ギィン!
 
 二合打ち合い、また距離を取る。そのシャナの背に‥‥‥
 
 ドォン!
 
「くっ‥‥‥!?」
 
 シャナが躱し、放置し、ヘカテーが操り、滞空させていた光弾の一つが、直撃した。
 
 水色の炎がシャナの背の瞳を焼く‥‥‥否、素通りする。
 
(なるほど‥‥‥‥)
 
 バレないように力を弱めにし、あの炎の外套もあるせいかほとんど効いていないが、一つわかった。
 
(あの瞳は、サントメールの扱う力が具現化し、視覚化しただけのもの。実際に能力を発しているのは、サントメール自身の灼眼。
 そして、その力はあの瞳が示す通りの視覚系の感知能力。)
 
 だから、背後からの、あんな単調な光弾攻撃を躱せなかった。
 
(つまり、死角からの攻撃に対する対応は、以前と変わらない)
 
 他は、基本的には以前と同じ。
 
 『飛焔』や『断罪』で攻撃力、『真紅』で防御力と速さ、そして『審判』で反応が上がっているだけ(残念ながら、死角攻撃に弱いのは別にシャナに限らず、悠二などの例外を除いたほとんどに当てはまる)。
 
 
(なら、問題ない‥‥‥)
 
 以前と同じような戦い方で‥‥‥‥
 
(こっちの力をさらに上げて‥‥)
 
 以前の鍛練の時と同様、圧倒すればいい。
 
 
(自己に思えば自己の強さに、他に及ぼせば自在法に‥‥‥‥)
 
 それが、存在の力。
 
 
(想いの強さなら、私は負けない‥‥‥!)
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/08/28 15:34
 
「くそっ!」
 
 不可視の音の衝撃派が、そこかしこから放たれてくる。
 
 飛び回り、尖塔や建物を盾にして避け続ける。
 
(あいつ‥‥‥)
 
 直接の面識は無い。
 
 だが、『大戦』の後、白骨となって『天道宮』に籠もった当時は、ヴィルヘルミナも白骨の自分に話し掛けてくる事も度々あった。
 
 結局、自分が一言の返事も返さないからか、ほどなく話し掛けてこなくはなったが、その中に、重要な情報もあった。
 
 主が“天壌の劫火”に焼き尽くされてすぐに、自軍の残存兵力は、援軍として参戦していた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』に収容されたらしい、との事。
 
 そして、プルソンの先ほどの物言い。
 
(『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の、生き残りか‥‥‥)
 
 かつての同胞との、最悪な形での再会に、メリヒムは唇を噛む。
 
 
 
 
「く‥‥‥」
 
 手甲から飛び出した刃がリボンの戒めを斬り、そのまま体勢を崩したヴィルヘルミナの背中を斬る。
 
 しかし‥‥
 
(浅い‥‥‥!)
 
 ゆかりは右手を振り抜いた勢いを殺さず、そのまま全身を回転させて右足による蹴撃を繰り出す。
 
「ふっ!」
 
 ヴィルヘルミナは背中を斬られた痛みなどまるで感じさせない動きで身を捻り、振り返ってゆかりを正面に捉えながら後方に下がる。
 
(流石‥‥‥)
 
 絶妙の間合い、ゆかりの蹴りが僅かに届かず、回避した後に即座に逆撃に移れる状態。そう‥‥普通なら。
 
(でも‥‥‥ね!)
 
「っ!?」
 
 ゆかりの蹴りの先端、アサルトブーツの爪先から、またも仕込み刃が飛び出す。
 
 ザシュッ!
 
「あ、く‥‥!?」
 
 そのままヴィルヘルミナの左肩を、深々と斬り裂く。
 
「舐め、るな!!」
 
 しかし、斬撃を受けてなお怯まないヴィルヘルミナは自身を襲ったゆかりの右足にそのままリボンを絡めて、投げ飛ば‥‥‥
 
「どっちが!」
 
 ‥‥そうとして、今度はゆかりのアサルトブーツに付随する白鉄の脛当てが高圧電流を発して、リボンを焼き切った。
 
 不十分な勢いで放り出されたゆかりが、宙で三回、くるくると回ってヴィルヘルミナに向き直る。
 
「「‥‥‥‥‥‥‥」」
 
 ヴィルヘルミナは幾つもの傷を負い、体力を消耗した。
 
 ゆかりは、『加速』の動きに追い付かれ、強みを無くしつつある。
 
 だが、ゆかりはまだ『オルゴール』に別の自在式を刻んで戦闘スタイルを変化出来る。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヴィルヘルミナは、ゆかりがこうやって戦いに徹する事が出来る事は理解出来る。
 
 だが、それよりもっと『根元』の部分で、理解出来ない事があった。
 
「何故、貴女が‥‥‥」
 
 『坂井悠二に手を貸すのか?』、言葉にしなかった部分も、明確にゆかりに伝わる。
 
 ヴィルヘルミナの知る限り、平井ゆかりという少女は他人に流されるような人物ではない。たとえ‥‥それが大切な人であっても、だ。
 
 自分の道は自分で決め、自分で歩く。“シャナと同じ種類の人間”。
 
「‥‥‥買いかぶり、ですよ」
 
 ゆかりは、自嘲めいた笑いで応えた。
 
 ヴィルヘルミナの言いたい事は理解していた。
 
 『裏切った自分たちを、仲間たちがどう思っているか』。今まで、自分でも呆れるほどに考えていた事だから。
 
「私、ホントに優しくないんですよ」
 
 そして、それに対する応えも、決まっている。
 
「悠二の言う、この世の本当の事を変えるって‥‥『大命』も、シャナの言う、世界のバランスを守るって‥‥『使命』も、本当はどっちにも、そんなに興味ない」
 
 
『‥‥ホントはね、ずっと、皆一緒にいたいって、思ってたの。人間とか、徒とか関係無く、皆でずっと‥‥‥』
 
 
「“あの時”も、無茶な事だってわかってた。“最期の時”に、“好きな人”に思ってる事全部、言っておきたかっただけなんだ」
 
 結局、あの時“全部”は言えなかったけどね。とおどけるゆかり。
 
 ヴィルヘルミナには、“あの時”の話が何なのかわからない。だが、肝心のゆかりの気持ちはわかった。
 
「貴女、も‥‥‥」
 
 その事自体には驚きはしたが、それほど不思議ではない。
 
 今までの彼女を見ていれば、悠二に惹かれても全くおかしくはない。
 
「しかし‥‥‥」
 
 だが、それでもわからない。
 
 ゆかりが、“好きな人だから”と、全てを肯定するとは思えない。
 
 それに、ヘカテーの事もあ‥‥‥‥
 
「“同じ”ですよ」
 
 言うや否や、ゆかりはヴィルヘルミナに飛び掛かる。
 
 言葉は止まらない。
 
「シャナには使命があって、悠二に言いたい事があって‥‥、ヘカテーにも大命と、悠二がいる‥‥」
 
 斬撃、蹴撃、打撃。疾さに任せて猛攻を仕掛けるゆかり。ヴィルヘルミナは“言葉”に押されて、受けに回ってしまう。
 
「カルメルさんだって、そうでしょ?」
 
 短剣が、リボンを断ち切る。
 
「皆、同じなんですよ。自分にとって大切なものがあって、それを守ったり、叶えたりしたいから戦う。そのためなら、命や存在だって懸ける」
 
 アサルトブーツがヴィルヘルミナの足に当たり、脛当ての放電で火傷を負う。
 
「“私たち”の大切なものは同じじゃなかった。ただ、それだけ」
 
 ヴィルヘルミナのリボンがゆかりの両の二の腕、籠手の無い生身の部分を絡め取る。
 
「そして、『こっち側』は“力”がその願いを決める。だから私たちは戦ってる」
 
 ゆかりの髪の両端にある小さな触角から翡翠色の光線が放たれ、ゆかりを縛るリボンを断ち切り、さらにヴィルヘルミナの両の二の腕を貫いた。
 
「ぐぅう‥‥‥!」
 
 仮面の下で、苦悶の表情を浮かべるヴィルヘルミナ。
 
(一体、全身にいくつ武器を仕込んでる‥‥!?)
 
 ゆかりの言葉は止まらない。
 
「私にとってあの二人は‥‥‥世界よりも大切だった」
 
 二の腕に走る激痛に、『戦技無双』の技の冴えも翳りを見せる。
 
「これは、私の戦い。私の、大切なものを守るための‥‥‥」
 
 袈裟斬りに振られた『パパゲーナ』の一閃が仮面を捉え、砕き、仮面の左上四分の一が破壊されて、そこからヴィルヘルミナの目が見えた。
 
 狼狽していたその瞳は、ゆかりの言葉を受け、覚悟と、目の前の相手に向き合う気持ちの変化を映す。
 
「誰にも、否定させたりしない!」
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 今の言い方で、表情で、痛いほどに理解出来た。
 
 やはり、坂井悠二はヘカテーを選んだのだ。
 
 想い人が、別の相手に想いを寄せる。
 
 そして、その想いのために戦って、結果として『側に在る』事だけを得る。
 
「‥‥‥そう、でありますか。ならば、互いに一切遠慮は無用」
 
 どこか自分に似ている道を行く少女の覚悟を聞かされて、完全に迷いが消えた。
 
「私も、私の大切なもののために、戦わせてもらうのであります」
 
「全力勝負」
 
 バシッ!
 
 斬撃を受け止め、投げ飛ばす。
 
「っ! そうこなくちゃ!」
 
 投げられ、叩きつけられかけたたゆかりは、宙空で反転。石柱にバンッと着地して、跳ね返るように飛び掛かる。
 
「はあっ!」
 
 間合いを詰めるのも待たず、翡翠の炎弾を放つ。
 
 だが、ヴィルヘルミナはもう用意が出来ている。
 
 純白のリボンで織り成した盾の表面に、桜色の自在式が点り、ぶつかった炎弾が『反射』した。
 
「っとわ!?」
 
 勢いよく突っ込んでいたゆかりは、いきなり跳ね返ってきた炎弾をかろうじて、横回転で体を捻るように躱す。
 
 全くの偶然だが、勢いをほとんど殺さないままの回避に成功した。
 
「終わりに、するよ!」
 
 ゆかりの足裏から、翡翠の爆火が奔り、今までで最速の、とんでもない疾さの弾丸と化したゆかり自身が、ヴィルヘルミナを刺し貫いた。
 
「!?」
 
 しかし、貫いたはずのヴィルヘルミナから血は流れず、代わりにハラハラと、散るように桜の火の粉が零れ‥‥ヴィルヘルミナが“解けた”。
 
 それは、純白のリボンで編まれた人形。代わりにそこにあるのは、流れるような純白のリボン。
 
 それは『硬化』し、弾け、まるで針鼠のように、ゆかりの全身を貫いた。
 
 
「っぁあああああ!!」
 
 
 
 
「舞え‥‥‥」
 
 先ほどのような力と力のぶつかり合いではない。
 
 明るく輝く水色の光弾は複雑な曲線軌道を描いて乱れ飛び、少しずつその数を増やし、紅蓮の少女を星天の牢獄に取り込んだ。
 
「抱かれよ」
 
 乱れ舞う流星の牢獄は、ヘカテーの一言に応え、一気に内へと力の流れを収束させる。
 
 そう、シャナへと‥‥‥
 
 ドドドドドォン!!
 
 連鎖的な大爆発が巻き起こり、水色の爆炎が視界一杯を埋め尽くす。
 
「う、っああああ!!」
 
 灼眼の『審判』でも見切る事が出来ず、炎の外套・『真紅』でも防ぎ切れずに全身に強烈な衝撃と傷を受けたシャナが、怒りの咆哮を上げて飛び掛かる。
 
「『断罪』!!」
 
 握った剣が燃え上がるように、紅蓮の大太刀を形成する。
 
 高熱による溶解と擬似的な実体化によって、『炎』と『刃』の両方の性質を持つ、純粋な破壊力だけならシャナの持つ中で最も強力な自在法。
 
 その斬撃が、ヘカテーに向けて振り下ろされる。
 
 ギッ‥‥ボォン!!
 
 金属がぶつかる重い音と、炎が弾ける炸裂音がほとんど同時に聞こえた。
 
 ヘカテーが受け止めた。『トライゴン』と『断罪』の衝突。
 
 だが‥‥‥‥
 
(斬れ、ない‥‥‥!?)
 
 身につけた当初、自分でも驚くほどの破壊力と切れ味を見せた自在法。
 
 宝具だろうが関係なく断ち切ってしまうつもりで繰り出した一撃は、断ち切るどころかヘカテーの持つ錫杖に傷一つつけられていない。
 
 今まで何度も一緒に戦ってきたが、ヘカテーに強力な接近戦用の自在法など無かったはず。何より、その発動を感じなかった。
 
 『断罪』でも通用しないはずが‥‥‥‥
 
「‥‥私たち『三柱臣(トリニティ)』の宝具は、普通の宝具とは違います」
 
 目の前で攻めぎ合う剣の紅蓮に照らされて、なおそれに負けない輝きを放つ水色の瞳で強く見据え、ヘカテーは言う。
 
 誇るように、存分に見せ付けるように‥‥‥
 
 
「我ら『仮装舞踏会』を‥‥‥甘く見るな!!」
 
 至近で交わる二人の視線の丁度中間で、水色の光が弾けた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/29 12:32
 
「出て来い! “虹の翼”メリヒム!」
 
 臙脂色の嵐に包まれた『星黎殿』に、獅子の咆哮が響き渡る。
 
「何故、何故貴様が生きている!?」
 
 破壊の分身をあらゆる場所に隠された戦場、そこにメリヒムは潜んでいる。
 
「主が、『九垓天秤』の将たちが、ウルリクムミ御大将が命を懸けて戦ったあの戦いに敗れ‥‥よくもおめおめと生き延びる事が出来たな!?」
 
 メリヒムは『星黎殿』岩塊部には逃げず、プルソンのいる城塞部に潜んでいた、当然、反撃に転じるため。当然、この怒声はメリヒムにも届いている。
 
(よく言う‥‥‥)
 
 ここにいるという事は、あの『大戦』の後に落ち延びたのはお互い様だ。と、メリヒムは“甘く”思った。
 
(以前、あの小娘が使っていたのと同じ自在法か。数は増えたが‥‥‥)
 
 一時の動揺を振り払い、戦局を見極める。自分も、戦う理由があってここにいる。
 
 だが‥‥
 
「知っているぞ!」
 
 次に発せられたプルソンの言葉が、メリヒムの戦略全てを無に帰す。
 
「貴様が、我らが天敵たるあの『魔神憑きの女騎士』に心奪われていた事を!」
 
「っ!?」
 
「情けでも掛けたか!? それとも情けを受けたのか!? ‥‥‥我ら同胞を‥‥アシズ様を売ったのか!?」
 
 
『降伏しろ‥‥‥とは言わん。おまえは絶対に、受け入れますまいからな』
 
『俺は、お前を、愛している。ゆえに、お前をみすみす主の手にかけさせたりはしない。ここで止める』
 
『“愛さえあれば”? あなたらしい言い草だけど、とんだ了見違いよ』
 
『私を進めているのは、私の意志よ。その先にあるものだって分かってるし、そうするしかないアラストールのことも分かっている』
 
 
 かつての事が、メリヒムの脳裏を巡り‥‥
 
 
『さて、あなたの出した条件だったわね‥‥勝った方が相手を好きにする‥‥ったく、女に出す条件じゃないわよね』
 
『いやよ、待たない、さよなら、なの‥‥“虹の翼”、メリヒム』
 
 
 何かが‥‥キレた。
 
 
 ドォオオオン!!
 
「っ!!」
 
 “縦に”、あまりに強力な破壊の虹を受けた尖塔が、蒸発するように消え‥‥‥一人、浮かび上がってくる。
 
「‥‥‥“知っている”だと? 笑わせるな」
 
 剣を携え、銀髪を靡かせ、その瞳に激しい怒りを宿す、虹の剣士。
 
「お前ごときが、俺とマティルダを語るな‥‥!」
 
 
 
 
《突撃〜〜〜!!》
 
 巨大ドミノのパンチが、サーレが立っていた地面を粉砕する。
 
「っこの!」
 
 『レンゲ』と『ザイテ』から無数に伸びる不可視の糸がその腕に絡む‥‥‥が、
 
「ゥウェポン‥‥‥チェイィーンジ!!」
 
《ラジャー!》
 
 糸が絡んだドミノの右腕が変形し、巨大ドリルへとその姿を変える。
 
 ギュィイイイイン!!
 
 全く容易く、不可視の糸は引きちぎられた。
 
(やっぱり、制御を奪うのは無理、か‥‥)
 
 あまり相性が良いとは言えない状況だ。自分にはキアラのような大規模な破壊力は無い。小器用が取り柄のフレイムヘイズなのだ。
 
「手数で何とかするしかない、か!」
 
 言うと同時、無数の糸が周囲の瓦礫に、大地に、尖塔に絡み付き、“それ”を編み上げた。
 
 菫色に燃え上がる、無数の傀儡の軍勢。『鬼功の繰り手』の本領発揮である。
 
(急がないと、本当に時間が無いからな‥‥‥)
 
 
 
 
「ッバハァアアーー!!」
 
 『トーガ』の獣の口から迸り出た群青の炎の大波が、白い恋人たちを呑み込み‥‥‥
 
「火除けの指輪・『アズュール』よ!!」
 
 霧散する。
 
「まったく、せっかく坂井悠二の甘さに救われて、拾った命を、わざわざ捨てに来たのかい?」
 
 言って、構えた二丁拳銃・『アエトス』から、白い弾丸を釣瓶撃ちに放つ。
 
 それは炎の衣を紙のように貫き、群青の獣をたちまち穴だらけにする‥‥が、
 
「そこまで落ちぶれちゃいないわよ!」
 
 貫かれ、散った『トーガ』の火の粉が広がり、無数の『トーガ』の群れへと変化し、展開する。
 
「炎がダメなら、直接ぶん殴るまでよ!」
 
 全方位から襲い来る獣の群れに、フリアグネはマリアンヌと背を合わせる。
 
 ややフリアグネが上に浮かび、上方を、マリアンヌが下方を警戒して、互いの背中を守り、預ける。
 
「“落ちぶれてない”、か。『討滅の道具』がよく言うものだ」
 
「フリアグネ様、背中はお任せください」
 
 一斉に迫る、『トーガ』の獣たち。
 
「「っはあ!」」
 
 その悉くを、フリアグネの白炎弾が射抜き、マリアンヌの『コルデー』が爆砕する。
 
 ただ、マージョリー自身を貫いた手応えも無い。
 
『ハンプティ・ダンプティ、堀に座った!』
 
 そして、フリアグネの横合いの石柱の向こうから、
 
『ハンプティ・ダンプティ、転がり落ちた!』
 
 陽気で凶悪な、二つの歌声が響く。
 
『王様の馬を集めても!』
 
『王様の気配を集めても!』
 
(っ『屠殺の即興詩』!)
 
『ハンプティを元には‥‥‥戻せない!』
 
 石柱が爆発し、咄嗟に『アズュール』で火除けの結界を展開したフリアグネに向けて、“数十の自在式”が飛び散った。
 
(『炎』じゃない!?)
 
 慌ててマリアンヌを連れて飛び退くが、自在式の方が速い。
 
「お下がりください!」
 
 それを悟ってフリアグネの腕を思い切り引っ張り、その身を乗り出そうとするマリアンヌを、逆にフリアグネが引き、後ろに放った。
 
「ぐぁああっ!」
 
 咄嗟に自身を庇ったフリアグネの左腕に自在式が絡み付き、浸透し、渦巻きのように動いて、捻じ斬った。
 
 痛みにもがきながらも、そのまま落下しそうになる『アエトス』の一丁を蹴り上げ、片手で器用に二丁持ち、内一つを長衣に納める。
 
「フリアグネ様!」
 
 悲鳴を上げてすがりつくマリアンヌに、フリアグネはただ優しく微笑む。
 
「マリアンヌ、“もう二度と”あんな真似はしないでおくれ。君がいてこその、私なのだから」
 
「フリアグネ様‥‥‥それは私にこそ‥‥‥」
 
「呑気にイチャついてる暇ないわよ!」
 
 手負いの狩人とその恋人にとどめを射そうと、群青の獣が牙を剥く。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 鎧のおかげか、それとも自分で思っていたよりも身体強化の力が上達していたのか‥‥‥致命傷には到っていない。
 
(‥‥‥思ったより、痛くないかも)
 
 が、そう思った直後に、自分を貫いたリボンにドロリと流れる血の量が目に入る。
 
(あは‥‥何だ、麻痺してるだけか‥‥‥)
 
 そういえば、痛みと同じで体全体の感覚も鈍い。
 
(なんか、こんな場面、前にもあったような‥‥‥?)
 
 
『“身の程知らず”は、足手まといだよ』
 
『君が不安要素だからに決まっているだろう』
 
『よりにもよって、お前が相手か。俺も低く見られたものだな』
 
 
 思い出そうとして、かつての自分や、他人の言葉ばかりが思い出される。
 
 こっちが‥‥本心か。
 
(‥‥偉そうな事とか、わがまま言って付いてきて‥‥‥)
 
 
『ずっと一緒にいるからね!』
 
 
(‥‥結局、これだもんなぁ)
 
 
 実力や経験不足をカバーするために、散々宝具や教授の発明品、他の徒の自在法などで武装したというのに、結果はこの様だ。
 
 今も、鍵一つを弱々しく掴む、小さな手。
 
(私は、弱い‥‥‥)
 
 人間を失い、ミステスになっても、結局“こう”なるのか‥‥‥‥。
 
(‥‥‥‥私は弱い)
 
 認めざるを得ない。
 
(弱い、だから‥‥‥)
 
 でもそれは、“諦める理由にはならない”。
 
 
「だから私には‥‥精一杯強がるしか無いんだよ!!」
 
 
 轟然と、炎が燃え上がる。
 
 その色は翡翠ではなく、燦然と輝く‥‥“銀”。
 
 
 
 
 ゆかりを貫いたリボンが、塵も残さずに燃え散る。
 
 その炎は、坂井悠二と同じ‥‥銀。
 
「これが私の切り札‥‥“『大命詩篇』”」
 
 ヴィルヘルミナは、その姿と言葉に、何かが、頭をよぎる。
 
 
『だから、精一杯強がるしかないんじゃないか!!』
 
「っ!」
 
 それは、初めて平井ゆかりと出会い、坂井悠二と戦った時の記憶。
 
 あの時、未熟なミステスに過ぎなかった悠二が、今のゆかりと同じように全身を貫かれて、同じ言葉を言ったのだ。
 
「行くよ‥‥‥」
 
 ゆかりの左腕に、複雑怪奇な銀色の自在式が巻き付いて、
 
「喰らえ!!」
 
 次の瞬間、轟然と燃える炎となって放たれた。
 
 それは見る間に、輝く鱗と牙を持つ、銀の大蛇を象作る。
 
(『蛇紋(セルペンス)』!?)
 
 今まで何度も見てきた悠二固有の自在法が、ゆかりから放たれた事に驚愕するヴィルヘルミナのリボンを容易く焼き払って、銀の炎蛇が襲い掛かる。
 
 何とか躱すが、それはまた軌道を変え、見た通り、生き物の‥‥蛇のように獲物(ヴィルヘルミナ)を狙い続ける。
 
(っ不味い!)
 
 これが悠二の『蛇紋』と同じ能力を備えているなら、たとえ躱し続ける事が出来たとしても、長く伸びる蛇の体‥‥“炸裂弾という名の檻”に囚われる事になる。
 
 そう考え、一気に上空へと離脱するヴィルヘルミナ、その向かう先で‥‥‥
 
「『草薙』!」
 
 銀色の炎を全身から撒き散らすゆかりが、またもヴィルヘルミナに突撃を掛けてきていた。
 
「芸が無い、でありますな!」
 
 交差法で、再びゆかりを串刺しにせんと、リボンの槍衾が容赦なく放たれた。
 
 ゆかりの『オルゴール』に同時に刻める式は一つだけ、今、ゆかりに『加速』は無い。
 
 避けられるタイミングではなかった。
 
 その思惑通り、リボン全てがゆかりを捉え‥‥‥
 
「っな!?」
 
 一本残らず斬り飛ばされた。
 
 悠二の自在法・『草薙』。その炎を宿したものに強力な『斬撃』の性質を与える力。
 
 今のゆかりは、その体自体が、全てを断ち斬る蛇の神剣と化していた。
 
 ヴィルヘルミナは元々、“触れるもの全てを薙ぎ払う”ような圧倒的な破壊力とはすこぶる相性が悪い。
 
 そして、『加速』を抜きにしてもゆかりの方が速い。
 
「っ、はあああ!!」
 
 今出来る最善の手として、全力の力を注いだ特大の炎弾を放つ。
 
 それを、銀閃の一太刀が断ち斬った。
 
 銀の炎を奔らせて、強大な相手と知ってなお挑み、切り開かんとする強い瞳を向けて向かってくるゆかりの姿が‥‥‥
 
 一人の少年と重なった。
 
 
(あ‥‥‥‥‥‥)
 
 一瞬で過ぎ去った銀の炎に、場違いな懐かしさを感じながら‥‥‥
 
 ヴィルヘルミナの意識は闇に落ちた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/08/31 08:25
 
 羨ましい。そんな感情など抱きはしなかった。
 
 遥か雲の上の存在、自分と比べる事自体、考えつきもしなかった。
 
 主を守る、九人の天秤分銅たち。
 
 ただその許で、同じ理想のために戦う事が出来れば、それだけで満足だった。いや‥‥それも違う。
 
 ただの徒でしかなかった自分は、しかしその役柄上知っていた。
 
 様々な名目、飾り、大義によって覆い隠された‥‥‥『壮挙』の実態。
 
 それは、主‥‥"冥奥の環"アシズと、"彼がフレイムヘイズだった頃"の契約者‥‥そして彼が愛した女性、ティスとの『子』を生み出す、という全くアシズ自身の願いだった。
 
 当然、それを知ってなお、『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の幹部‥‥『九垓天秤』たちはアシズに命を預けた。
 
 この世に渡る徒たちにとっての正義とは、望みを果たそうとする意志‥‥『欲望の肯定』だったから。
 
 そして、何より‥‥
 
 
 皆、主‥‥アシズの事が好きだった。
 
 
 
 
「謳え、『ファンファーレ』!!」
 
 怒りも露にして姿を完全に晒したメリヒムに、周囲から、潜ませていたラッパ・『ファンファーレ』からの一斉射撃が放たれる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 メリヒムはただ、何も言わず、その背に虹色の光背を広げて、一閃‥‥
 
 ボンッ!
 
 破裂にも似た音を立てて、プルソン自身の放った『獅子吼』を断ち斬り、前方に飛び出した。
 
 すぐ後ろで、幾つもの衝撃波同士がぶつかる爆裂音が響く。
 
 メリヒムの握る細剣には、七色の破壊光が輝いており、
 
「死ね」
 
 その一言、一振りと共に、剣閃に沿った『虹天剣』が、プルソンに向かって伸びる。
 
 ドォオオオオン!!
 
 それを上方に跳躍して躱したプルソンの後方で、尖塔が二つ、串刺しのように貫かれた。
 
 その威力に、プルソンは悔しそうに歯軋りする。
 
(発動前の『虹天剣』で、私の『獅子吼』をああも簡単に‥‥‥)
 
 しかも、あの様子では余波を受けたようにも見えない。文字通り完全に"両断"したという事だろう。
 
(おのれ‥‥‥‥)
 
 二つの怒りが、プルソンを蝕む。
 
「ッゴァアアアアア!!」
 
 再び、全力の破壊の咆哮を吐き出すが、先と同様に斬り裂かれる。
 
「お前の自在法は、前に平井ゆかりに何発も食らってる。軌道と感覚さえ掴めば、もう食らわん」
 
 そして、そのまま、またも『虹天剣』。
 
 プルソンの立っていた屋根をバターのように斬り飛ばす。
 
 そのまま両者、通常なら兵の居並ぶ広い空間に着地する。
 
「いい気に、なるなぁ!!」
 
 屈辱にその表情を歪め、『ファンファーレ』による一斉射撃を繰り出そうとするプルソンの前で、
 
「残念だったな」
 
 メリヒムは細剣を天に向かって伸ばし、背に虹の翼を広げた。
 
 カッ! と、そのまま爆発的な光輝の塊を天に向けて放つ。
 
「愚かな、どこを狙っ‥‥‥‥」
 
 今まで胸中に渦巻いていた怒りに任せてメリヒムを罵るプルソンが、驚愕に目を見張る。
 
 視界を次々に虹色の破壊光がよぎり、仕掛けた『ファンファーレ』が次々に破壊されていったのだ。
 
「隠し場所は今までのやり取りで覚えた。あのラッパがなければ、貴様は牙の抜けた獣だ」
 
 細剣を突き付け、先ほどの言葉の返礼をくれてやろうと構えるメリヒム。
 
 その目の前で‥‥プルソンこそが怒りに燃えていた。
 
「許さん‥‥‥‥」
 
 それは、否定。
 
 メリヒムの言った言葉、目の前の光景、力の差。
 
 自身の無力を意地でも否定せんとする怒り‥‥あるいは誤魔化しだった。
 
「許さんぞぉ!!」
 
 怒りを混ぜた『獅子吼』が飛ぶ。
 
「っ!」
 
 それは先と同様に『虹天剣』に裂かれ、逆撃されるが、今度は余波が僅かにメリヒムに届いた。
 
「私は、"王"と呼ばれるようになってから、今の力を得てから、何度考えたか知れん! あの大戦の時、若輩の徒でしか無かった私に今の力があれば、戦力の一角足り得たのではないかと! あんな無様な敗北を喫する事は無かったのではないかと!!」
 
「自惚れるな、貴様ごときが一人増えたところで、あの『大戦』が覆るか」
 
 メリヒムが、プルソンの言葉を、力を、またも切って捨てる。
 
 プルソンは再び『ファンファーレ』を生み出す。
 
 しかし、それは今度は広がり、散らばらない。幾つものラッパが直列して重なり、長大な形を取る。
 
 それはまるで、狙撃銃、あるいは長大な吹き矢のように見えた。
 
「口惜しいのだ! 貴様ではなく私があそこにいれば、主をお守り出来たかもと思うのではないか思うと、悔しくてたまらんのだ!!」
 
 それは、衝撃を重ね、範囲を絞り、プルソン最強の音撃を食らわせるための姿。
 
「あの戦いを終えて、何故貴様が生きている!? 何故『炎髪灼眼』と共に在る!? 何故この『星黎殿』に乗り込んできた!?」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 『とむらいの鐘』の一人として、『炎髪灼眼』を育て上げた一人として、そして、今度は同胞に剣を向ける者として、メリヒムは返す言葉を持たない。
 
 ただ、プルソン最強の一撃を悟って、七色の翼を広げて、剣を奔らせて、駆け出す。
 
「そんな貴様に、私が負けるわけはずがあるかぁあーー!!」
 
 交錯するように至近で、獅子の咆哮と、七色の虹がぶつかった。
 
 驚くほど静かに大気を揺らし、威力を互いに相殺した、メリヒムとプルソン。
 
「何故‥‥‥‥」
 
 直列した幾つものラッパが、二つに断ち割られたラッパが、ガランガランと地に落ちる。
 
「何故、"貴方"ほどの方がついていながら‥‥我らの『壮挙』は潰えたのですか‥‥‥?」
 
 互いに肩をぶつけ合うような体勢で動かない二人。美麗の獅子の背から、彼を貫いた白銀の刃が生えていた。
 
 その全身が薄れるように、火の粉が散っていた。
 
「何故、主を、守、って‥‥下さらなかっ、た‥‥‥」
 
「‥‥‥‥許せ‥‥我が同胞よ」
 
 メリヒムの、何かを堪えるような呟きに、プルソンは何も返さない。
 
 ただ、宙天に浮かぶ黒き鏡‥‥『神門』を、仰ぐように見上げた。
 
「‥‥勝って下され、アシズ様から、ティス様を‥‥我らからアシズ様を奪ったこの世界に」
 
 その言葉は、黒鏡の先、世界の狭間へと向かった‥‥彼の新たな『王』たちへと向けられている。
 
「‥‥変えて下され、我ら全てを戦いにしか導かない‥‥‥この、世界‥‥の理、を‥‥‥‥」
 
 最期の言葉を残し、獅子の体は炎となって散っていった。
 
 
『いいだろう、見せてくれ、貴公の世界を』
 
 
(‥‥俺は‥‥‥‥‥)
 
 散りゆく獅子、その姿に、かつての自分を思い出す。
 
 間違っていたとも、間違っているとも思えない。
 
 今、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』が目指すものも、むしろ自分一人の本心のみならば賛同出来た。
 
 だが‥‥‥‥
 
(‥‥‥俺にはもう、捨てられない)
 
 全てを捨てて、世界を変えようとするには‥‥守りたいものが増えすぎた。
 
「せめて‥‥安らかに眠れ」
 
 プルソンの意志を継ぐ事も、同胞の信頼を裏切った事を償う事も、出来ない。
 
 剣の向きは変えられない。
 
 だから、散りゆく獅子に、こんな言葉だけを贈る。
 
「青き天使の、懐で‥‥‥」
 
 
 
 
 ぶつかって、弾けて、意地の張り合いのように力と想いを攻めぎ合わせて‥‥‥。
 
 
『ただのって言い方、もうやめろよ』
 
「っあああああ!!」
 
 シャナの『真紅』によって具現化された紅蓮の巨腕による拳撃が、ヘカテーを大地にめり込ませる。
 
 
『なら、僕を喰えばいいっ!』
 
 その巨腕を、水色の光がはねのけ、額から血のように水色の火の粉を零すヘカテーが飛び出す。
 
「散れ!」
 
 即座に『星(アステル)』で反撃、さらにそれを分裂させ、回避不能の光の雨へと変える。
 
 
『なら、君はシャナだ。僕は今からそう呼ぶ』
 
 剣を『夜笠』に仕舞い込んだシャナは、『真紅』で紅蓮の巨腕を二本顕現させ、それを十字に構えて、光の雨を防御した。
 
 即座に、『夜笠』から再び剣を抜き放つ。
 
 
『‥‥‥大丈夫、怖くないから』
 
「集え‥‥‥」
 
 ヘカテーの『トライゴン』の先端に、無数の光弾が収束し、渦を巻く。
 
「『星』よ!」
 
 放たれたそれは、無数の光弾が束ねられた星の川のような力の波動。
 
 
『君はシャナ、もうただのフレイムヘイズじゃない』
 
 剣尖に沿って天高く燃え上がる巨大な灼熱の刃・『断罪』。
 
 ヘカテーの『星』を打ち破らんと、その紅蓮の大太刀を、カマイタチのように放った。
 
 それら二つの力はぶつかり合い、もう何度目か、『詣道』を紅蓮と水色に染める。
 
 そして、再び剣と錫杖は交わされる。
 
「邪魔を、するな!」
 
 悠二に会いたい、会って、今度こそ届かせたい想いがあった。
 
 
「絶対、負けない!」
 
 悠二を守る。それが今の自分の全て。
 
 奪われたくない。自分の存在理由となった少年を。
 
 
 同じ想いは、同じ一人の少年に、向けられる。
 
 全く同じに見えるその姿は、しかし鏡に写したように正反対。
 
 そして、拮抗した想いと戦いを続けてきた二人の勝敗を分けたのは‥‥‥絆。
 
 
『僕が、君を‥‥‥』
 
(私が、悠二を‥‥‥)
 
 自在法でも何でもない。ただ、想い切り振り抜いた。
 
(『守る!』)
 
「っ!」
 
 弾かれるように後ろに飛ばされるシャナに構わず、ヘカテーはただただ想いを力に変える。
 
「星よ、紡げ‥‥」
 
 『トライゴン』が添えられた三点に水色の『星』が光り、それは『線』を結び、『面』を作った。
 
「『冥三星(カトゥルス)』よ!!」
 
 
 想いの閃光たる水色の三角形が、弾かれたシャナに迫る。
 
(半端な力じゃ足りない‥‥‥!)
 
 剣を両手でぐっと握り、ありったけの力を練り込む。
 
 負けられない。この先に悠二がいる。
 
(一瞬でいい。"頂の座"の想いを打ち破るための、瞬間的な力でいい‥‥!)
 
 『断罪』が、紅蓮の大太刀が、剣を媒介にしてシャナの手で燃え上がる。
 
(ただ、一撃必殺の‥‥‥‥)
 
「力を!!」
 
 迫る水色の光。あまりに圧倒的な力に、シャナは紅蓮の刃を振り下ろす。
 
 
「っだぁあああああ!!」
 
 『真紅』の外套を、『夜笠』の黒衣を削り飛ばし、紅蓮の大太刀が軋む。
 
 そのヘカテーの想いの閃光を、
 
「っはああっ!!」
 
 シャナは、斬り‥‥‥
 
 
 
 
 そして‥‥‥弾けた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/25 19:36
 
「そらそらどーした! 一っつも当たんねーぞー!?」
 
 ガンッ、と"銀"の兜を踏み台にして、レベッカが跳ねる。
 
 直後、金色に燃える植物の根が、レベッカが踏み台にしたのも含めた"銀"やマネキン人形を叩き潰した。
 
「ハッ! 暴れるしか能がねえのかよ!?」
 
「‥‥‥君が言うと説得力が微妙だね」
 
「‥‥‥‥‥今の酷くねーか? バラル」
 
 軽口を叩いて跳び上がったレベッカ、今は鎖が千切れて胸の前に滞空するブレスレット・『クルワッハ』から、桃色の光条が八方に奔り、燐子たちの隙間を縫うように、石柱に、尖塔に、石畳に、聖殿に命中、即座に桃色の瞳の紋章が灯る。
 
「"これ"でスルーだってんだから、張り合いねーわなあ‥‥‥っと、こっちにも忘れちゃいけねえや」
 
 言って、今度は"天に在る大地"にも、数多の瞳の紋章を宿す。
 
「そろそろ十分‥‥かな?」
 
 今まで同士討ちを誘うように群れの中を跳び回っていたレベッカが、一気に加速、反転‥‥離脱した。
 
 途端、"今まで念入りに仕掛け続けてきた"レベッカの自在法・『地雷』‥‥桃色の瞳の全てが瞬時に収束‥‥‥そして、
 
 ドォオオオオオン!!
 
 桁外れの轟音が鳴り響き、爆炎が『詣道』に溢れ、石が粉々に割れ砕ける。
 
「はーっはーっ!! ブラーヴォー! エウーゲ! ターマヤーッ!!」
 
 悠二の"銀"が、フリアグネのマネキン人形が、ベルペオルの植物型燐子が、桃色の炎に燃え千切れ、爆砕され、"天の大地"から降る瓦礫や岩塊に圧し潰される。
 
「味方がいちゃあそこまで出来ねえからなあ〜! イヤッ‥‥ホーーッ!!」
 
「気分爽快、なんてしてる場合でもないんじゃないかなあ」
 
 言う割りに、バラルの声もイマイチ緊張感に欠ける。
 
「わーってるけどよ‥‥そういや、これからどうしよう‥‥‥‥?」
 
 一応、自分も風見鶏を持たされてはいるのだが、さっき指針を一度失い、"来た方角"を指したのだ。
 
(要するに‥‥フィレスの傀儡がやられて、本体の方を指してる、って事だよな)
 
 すぐに後を追うはずだったのだが、闇雲に進んでもダメ‥‥という話だったはずだ。
 
(さてどーすっか‥‥ここで暇してるくらいなら『星黎殿』に戻った方がマシ‥‥‥‥)
 
 ズッ‥‥‥ンンンン‥‥‥!!
 
「っ‥‥とぉ!?」
 
 思案に暮れるレベッカを‥‥否、『詣道』そのものが地震のような揺れに襲われる。
 
「なんっ‥‥‥!」
 
 しかし、その揺れ以上に看過出来ない"もの"を、レベッカは感じる。
 
 あまりにも強力な、自在法発現の気配。
 
 そして‥‥‥‥
 
「‥‥‥あれか」
 
 石柱のアーチから吹き出すように舞う火の粉‥‥明るすぎる水色。
 
 思わぬ目印が出来た。しかし、あの規模の、水色の自在法‥‥‥
 
(‥‥‥誰か、やられやがったか‥‥‥?)
 
 
 
 
「何よ、これ!?」
 
「見りゃわかんだろーが!? "頂の座"がぶっ放しやがった!」

 
 水色の光が視界全てを埋め尽くすほどに溢れかえり、"全ての大地"が震え、耳が痛いほどの大轟音が響き渡る。
 
 巻き添えを避けて相当に離れていたはずなのに、この衝撃。
 
「‥‥‥あっちも、終わったかな?」
 
 銀炎を纏うゆかりが、流れる血を止める事に務めながら、目を細めて眩しすぎる水色の輝きを見る。
 
 次いで、眼下で血に塗れて落ちていくヴィルヘルミナを見る。
 
(‥‥‥‥これで勝負、あったね)
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 数秒、受け止めていたようだった。あるいは、亀裂を入れた‥‥もしかしたら、斬る事さえ出来たのかも知れない。
 
 だが、結局受け切れはしなかった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 全てが吹き飛び、水色に焼かれた大地に、シャナの姿は見えない。
 
 遥か遠くに吹き飛ばされたのか。あるいは逃げて、身を潜めているのか。それとも‥‥‥絶命して炎となって散ったのか、わからない。
 
(‥‥‥‥シャナ・サントメール)
 
 徒と、フレイムヘイズ。
 
 立場や信念が対極にあった、自分とよく似た少女。
 
(どこかで、少し何かが違えば‥‥‥)
 
 こうして悠二の隣にいたのは、あの少女だったかも知れない。
 
 一つの可能性に胸が締め付けられ、水色に燃える大地を見据える。
 
 悠二やリャナンシーのような自在師がいない今、シャナを見つけるのは難‥‥しくはないだろうが、既に消滅してしまったかも知れない敵を探してはいられない。
 
 それに、もし生きていたとしても、あのタイミングで避け切れるはずがない。
 
 どちらにしろ、深手には変わりないだろう。
 
(‥‥わざわざ見つけだして、とどめを刺す事も無い)
 
 気に入らない少女だが、死んでしまえとは思えなかった。
 
 もう、勝負はついた。これ以上は、悠二を悲しませるだけだ。
 
 既に消滅してしまった可能性がもう一度頭をよぎって、ヘカテーの胸がチクリと傷んだ。
 
 
 
 
「っ‥‥‥‥‥!?」
 
 プルソンを討滅し、その火の粉が完全に消えたかどうか、そんな瞬間だった。
 
 今まで、『星黎殿』でいくら自分たちが暴れていても、(おそらくは)さらなる敵の侵入を阻むために頑として維持され続けてきた鉄壁の自在法・『マグネシア』が、唐突に解かれたのだ。
 
(やった‥‥のか?)
 
 メリヒムは最初、この事態が、自分たちの狙いで下の岩塊部へと侵入させたヨーハンが、『星黎殿』の制御を奪うための過程で、『星黎殿』の守護者・"嵐蹄"フェコルーを討滅したのかと思った。
 
 だが、"もう一つの最悪の可能性"かどうかの確認のために飛び上がり、見下ろして、それが誤りである事を悟る。
 
 結果は、最悪の方だった。
 
(あの小僧、しくじったのか‥‥‥!)
 
 直下を囲む『星黎殿』直衛軍、それを攻め立てる『フレイムヘイズ兵団』。
 
 この構図自体は変わらない。
 
 ただ、カムシンやゾフィー、虞軒らの活躍によって、勢いに乗っていたはずの『フレイムヘイズ兵団』が、押し戻されていた。
 
 理由もすぐにわかった。
 
 『星黎殿』を守る直衛軍、それを攻める『フレイムヘイズ兵団』、さらに、"その外側から"、新たな軍勢が侠撃するように『フレイムヘイズ兵団』へと攻撃を始めていたからだ。
 
「間に、合わなかった‥‥‥!」
 
 
 
 
「ふん、頭でっかちの泥魚め。大口を叩いておいてこの様か‥‥!」
 
「リベザル、今はそんな場合じゃないでしょ?」
 
「ああ‥‥蹴散らす相手は、目の前にいるんだ」
 
 
 虚を突かれ、永年に渡って練られた計画を悉く阻まれてきた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』。
 
 
「『将軍』不在のこの時に、よりにもよって『星黎殿』に踏み込むなど、奴ら‥‥‥!」
 
「オロバス、怒るのはいいけど、冷静さは失くさないで。貴方は指揮官なのよ」
 
「わかってる!」
 
 
 不測の事態が起きても、集団が臨機応変に対応出来る連携。これこそ、ベルペオルが永きに渡って謳い続けてきた、"組織としての強さ"の集大成と言えるのかも知れない。
 
 
「『布告官(ヘロルト)』殿、これより自身、攻勢に出るゆえ、総司令に伝えておいてもらいたい。西方主力軍、これより『直衛軍』、及び『星黎殿』の救援に全力を注ぐ」
 
「了解しました。存分のお働きを」
 
 
 そう、奇襲は奇襲、その最たる戦果たる動揺は、いつまでも長続きはしない。
 
 
「目的を履き違えるな。あくまで我らの目的は『星黎殿を守りぬく事』。『星黎殿』周辺一帯の安全は完璧に確保した。これより先の攻勢は外界宿(アウトロー)制圧部隊に一任し、我らは戦線を維持しつつ、『星黎殿』守備隊への増援を送る」
 
 
 虚を突かれ、分散した所を狙われた『仮装舞踏会』。それが、本来守るべきものの許へと集う。
 
 
「‥‥‥プルソン、ウアル、あなたたちが繋いでくれたこの時、決して無駄にはしません‥‥‥!」
 
 
 黒き蛇を中央に、この世をどこまでも広がり奔る彼ら、『仮装舞踏会』が今、その息を吹き返す。
 
 
 
 
「ああ‥‥‥‥‥‥」
 
 その呟きには、文字通りの万感の想いが込められていた。
 
 傍にいる悠二には、決して真似出来ないだろう、"数千年の重み"がそこには在った。
 
「‥‥‥永く、待たせてしまったな」
 
 喜悦と憂いを混ぜたような奇妙な、しかし異様に深い声が、ベルペオルを包み込む。
 
「‥‥いいえ、狭間に数千年封じられた『盟主』に比べれば‥‥‥」
 
「これも我が甘さが招いた結果よ。甘んじて受け入れるよりあるまい。‥‥‥それにお前たちを巻き込んだのは我が不遇ゆえ」
 
 悠二は、当然口を挟まない。
 
「永く、不便を強いたな。今こそ帰そう、お前が余に託してくれた『旗標』を‥‥‥」
 
 言って、『彼』の眼前にて滞空していた"それ"が、金色の火の粉となって散り、それがベルペオルの眼帯‥‥‥その奥の右眼に浸透するように収束していく。
 
 恭しく、ベルペオルが眼帯を外す。
 
 数千年ぶりに真の意味で開かれた、右の瞳。
 
 "逆理の裁者"ベルペオルの本来持つ、金色の三眼が蘇る。
 
 そう、徒が傷を‥‥特に外面の傷を消せないわけがない。
 
 元々、『眼帯』という物自体が本来なら不要。
 
 だが、それでも右に空いた孔を隠さなければならなかったのは、"傷ではなかったから"である。
 
 失ったのではなく。ずっと、離れた所にちゃんと存在していたから。
 
 遠く、両界の狭間に。彼女の盟主へと辿り着くための『旗標』として‥‥‥。
 
「よくぞ、余の許に来たな‥‥」
 
 その、水晶のような瞳に灯る銀光が、今度は悠二に向けられる。
 
「はじめまして、でいいのかな、"お義父さん"?」
 
 場違いに軽い物言いに、『彼』もその表情を愉快げに歪ませる。
 
「ああ、余が共に歩む者、余の娘を預けし者、ただ一人"この世に生まれし"余の写し身‥‥‥"祭礼の蛇"坂井悠二よ」
 
 方膝をつくベルペオルだが、悠二はあくまで立ったまま、『彼』と対する。
 
 いつか、『彼』が何者かすらわからなかった時からそうしていたように、対等の存在として。
 
 
「急ぐぞ、これ以上、"無駄な犠牲"を出したくなければな」
 
 会話もそこそこに、悠二とベルペオルをその額に乗せて、"祭礼の蛇"がのたうち、奔る。
 
 
 
 
 今ここに、『創造神』"祭礼の蛇"が蘇った。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/03 05:25
 
「ッゴァアアアアア!!」
 
 咆哮と共に繰り出された刺突、それに呼応して、剛槍・『神鉄如意』が巨大化し、数十に分裂して、標的に向けられた。
 
「きゃぁあああ!?」
 
 その穂先の一つが神器・『ゾリャー』を掠めて、キアラはバランスを崩して落下しそうになる。
 
 何とか空中で持ち直したキアラ。一拍遅れて、重量の雨となった槍撃を受けた大地が地響きを立て、紫の炎が煉獄のように溢れかえった。
 
 一歩間違えば、自分があれを受けていたという事実に、キアラは戦慄する。
 
 冷たい汗が、頬を伝う。
 
「いつまでも、逃げてばかりいられると思うなよ?」
 
 タバコに濁った紫の火を点すシュドナイが、「そろそろ覚悟を決めて戦り合おう」と暗に含んで言う。
 
「くっ‥‥‥」
 
(やっぱり‥‥‥)
 
(キアラ一人でこいつの相手をするのは、無理か‥‥!?)
 
 
 
 
「痛たたたっ! ヘカテー、もうちょいソフトに‥‥‥」
「我慢して下さい」
 
 戦いからやや離れ、手早くゆかりの応急措置(包帯巻くだけ)をするヘカテー。
 
「‥‥ヴィルヘルミナ・カルメルは?」
 
「‥‥さあ? 死んじゃいないみたいだけど、どのみち戦えやしないでしょ」
 
 自覚は無いのだろうが、やや眉を下げて訊くヘカテーに、ゆかりが簡単に"戦況"として応える。
 
 そう、フレイムヘイズは『死体』が残る事はない。ヴィルヘルミナが死んではいない事は確かだった。
 
「‥‥‥シャナは?」
 
「‥‥‥わかりません、でも、こちらも生きていたとしても、戦力には程遠いはずです」
 
「やっぱり、ね」
 
 覚悟して臨んだ戦い。
 
 だから、今さら何を言うつもりもない。
 
 むしろ、確実に誰かが死んだと決まったわけでも、何より悠二に仲間を殺させる、という事態に陥ったわけでもない。
 
 予期し、覚悟していた状況よりはマシな方である。
 
「んじゃ、勝負決めに行こっか!」
 
「っ! ‥‥‥ゆかり、その傷でまだ戦うつもりですか?」
 
 ゆかりの発言に、ヘカテーは露骨に眉をしかめる。
 
 致命傷‥‥には届いていないものの、大怪我には変わりない。あの、世に名立たる使い手たちの相手が出来る状態とは思えない。
 
 ただでさえ、ゆかりはまだ実戦経験に乏しいのだ。
 
 そして‥‥‥
 
「ん? まっさかぁ」
 
 ゆかり自身も、それは重々わかっていた。
 
「そんなつもりはさらさら無いよ。ただ、"私の仕事"をしに行くだけ」
 
 今の今まで忘れていたのか、ハッとした顔をするヘカテーの頭を撫でながら、ゆかりは遠方でぶつかり合う炎たちを見つめる。
 
 
 
 
「旦那ー! フリアグネさーん! マリアンヌさーん! 一旦集ー合ー!!」
 
 まるで遠足の引率教師のようなゆかりの物言いに‥‥‥
 
「必要無い気もするがな‥‥‥」
 
 シュドナイが低く呟いて‥‥‥
 
「時間が掛かったな‥‥待ちくたびれたよ」
 
「参りましょう、フリアグネ様」
 
 フリアグネが文句を言いつつ、マリアンヌが素直に従う。
 
「今だ!」
 
「逃げんじゃないわよ!」
 
 シュドナイやフリアグネが背を向けたのを好機と、攻めようとするキアラやマージョリー。
 
 に、向けて‥‥‥
 
「『星(アステル)』よ」
 
 ヘカテーによる水色の流星群が、放たれる。
 
 ヘカテー自身はゆかりの横に立ったまま、シュドナイやフリアグネ、マリアンヌだけを避けて、流星群はマージョリーたちを襲う。
 
「っ!」
 
「っこの‥‥‥!」
 
 流石にそれで易々とやられるマージョリーたちではない。しかし、その間にシュドナイたちはゆかりの傍に降り立つ。
 
「これで一気に、終わらせるよ!」
 
 ゆかりは、既に切り替えた、己の内に宿る自在法を発動させる。
 
「『けい燎原』!!」
 
 言って、ゆかりが手を一文字に振ると、ゆかりの足下から、翡翠の影が広がり伸びる。
 
 それが、シュドナイの、フリアグネの、マリアンヌの、ヘカテーの足から伝い上がって、瞬く間に全身を包み込む。まるで、薄皮を被せたように。
 
 これが、外界宿(アウトロー)西方制圧部隊指揮官でもある、"煬煽"ハボリムの自在法・『けい燎原』。
 
 他者に加護を与え、力をより強く、炎をより熱くする能力。しかも、『軍』と言える規模の人数を同時に『強化』出来る(ドミノはデカすぎた、計算外である)。
 
 今までゆかりが使わなかった理由は実に単純な話、『オルゴール』に同時に刻める式は一つだけ。自力だけではヴィルヘルミナや他の使い手と渡り合えないからだ。
 
 だが、ヴィルヘルミナを倒した事で、ヘカテーがシャナを倒した事で、ようやく使う余裕が出来た。
 
 ヴィルヘルミナとの勝負を急いだ理由も、『加速』の動きに対応されてしまう、という事以上に、こちらが大きな理由だった。
 
 
「‥‥じゃ、私はこれに専念するから」
 
 言って、一足跳びに後ろに退がる。『けい燎原』の有効範囲内に仲間を捉えつつ、ギリギリまで離れて、回復に務める。それが‥‥‥
 
(私に、今出来る事)
 
 見れば、マージョリーが表情を強張らせている。一目で『これ』の性質を見抜いたか、はたまたハボリムを知っていたか、どちらかはわからないが、どうやら『強化』した事には気付いたらしい(サーレは教授の相手に忙しい)。
 
(だからって、有効策も無いでしょ?)
 
 フリアグネやシュドナイの相手をしながら、『強化』の大元たる自分を狙う余裕も無いだろう。何より、大分力を消耗したとはいえ、ヘカテーが大した傷も負わずにフリーである。
 
 ハイレベルで互角の戦力のぶつかり合い、だからこそ、どちらか一方に傾けば、一気に均衡は破れる。
 
 そして、その均衡を加速度的に崩すカードを、こちらは持っていた。
 
「お前たち! やーっておしまい!!」
 
 
 
 
「‥‥おーい、生きてるかー?」
 
 まあ、訊かなくてもわかるのだが、ここは言うところかと思ったわけだ。
 
 所々に燃え移る水色の炎を辿り進み、瓦礫の隙間から、小さく別色の炎を見つけ、掘り返したら案の定である。
 
 見事に満身創痍の、紅蓮の少女。
 
「やっぱり、"贄殿の"をやったのは"頂の座"か? "天壌の"」
 
「‥‥‥‥うむ」
 
 気絶している少女の代わりに、契約者たるペンダントに訊けば、重々しい返事が返ってきた。
 
(にしても‥‥よく生きてられたな‥‥‥)
 
 辺り一帯の惨状を見て、シャナの受けた自在法の威力を想像し、次いでシャナに視線を落とす。
 
「剣を盾にして持ち堪えた、って所か」
 
 気を失っているにも係わらず、シャナの握る剣には紅蓮の炎が宿ったままになっている。
 
 それほどの想いを乗せた、という事か。結果として、それが彼女の命を繋いでいる。
 
「‥‥‥"天壌の"」
 
 とりあえず気絶したままのシャナに応急措置を施しながら、しかし重要な事を訊く。
 
「"贄‥‥‥"、シャナは、あれか? 惚れてんのか? あのミステスに」
 
「‥‥‥話した覚えはないぞ」
 
「分かるっつの」
 
 以前の、"名無しのフレイムヘイズ"を知っていれば、今のシャナとの違いくらい誰でも気付く。
 
 そして、聞かされた今までの御崎市での経緯と照らし合わせれば、分かる者には分かるものである。
 
 普段ならからかって大笑いした所でシャナが剣を抜く、などという軽くて物騒なやり取りをする所だが、今回は正直、笑い事では済まされない。
 
「殺れんのか? いざとなった時、あのミステスを」
 
 そう、この戦い、最悪の場合は『創造神』が相手になる。シャナが敗れた事で、その可能性はまた高まっただろう。
 
 だというのに、同格の存在たる『天罰神』の契約者が、その『創造神』の力を振るうミステスを殺せないとしたら‥‥‥。
 
「"どっちが欠けても私じゃない"。‥‥シャナはそう言っていた。だが、"いざとなれば"‥‥シャナにとって"それ"すらも、想いゆえとなる‥‥だろう」
 
 支離滅裂で何言ってるか非常に分かりにくいが、いざとなればあのミステスでも殺す、という事だろうか。
 
「愛し、想いを向ける事と、剣を向け、命を奪い、別れる事は、必ずしも相反し、矛盾するものではないという事だ」
 
 訊いてもいない事を、何処かシャナを‥‥あるいは別の誰かを誇るようにアラストールは続ける。
 
 ‥‥‥まあ、誰よりフレイムヘイズに近しい契約者がそう言うのだ。
 
「オレも、別に力が余ってるわけじゃねーんだけどな‥‥‥」
 
 信じてみよう。いや、懸けるしかないのだ。
 
 たとえシャナがヘカテーに敗れたとしても、力が足りないのだとしても‥‥‥
 
 最悪の場合、最悪の状況を覆す事が出来るとすれば、『炎髪灼眼の討ち手』‥‥ただ一人。
 
「オレの存在、お前に半分くれてやる‥‥!」
 
 
 
 
 
『あんたは何方!?』
 
『兵隊だあ!!』
 
 朗々軽妙な歌声に呼ばれるように、炎が溢れ、形を作り、
 
『なにをお望み!?』
 
『酒一杯!!』
 
 群青に燃える、狼の群れが現れる。
 
『お金は何処に!?』
 
『置いてきたあ!!』
 
 それらが一気に襲い掛かる。マージョリーお得意の‥‥『屠殺の即興詩』。
 
 しかし、それらは届かない。
 
 濁った紫に燃える、巨大な剛槍の一閃に薙ぎ払われていた。
 
 
「『グリペンの咆!』」
 
 オーロラに光る超速の矢が一筋、
 
「『ドラケンの哮!』」
 
 二筋、放たれる。
 
 それもまた、届かない。
 
 片腕を失った狩人と、その恋人が一丁ずつ握る拳銃から放たれる、全力の白炎弾が、それらを一つずつ撃ち落としていた。
 
 
 元々が、実力伯仲の使い手同士、シュドナイたちがゆかりの『けい燎原』の加護を受けた今、勝負は一方的なものとなる。
 
 まして‥‥‥
 
「『星(アステル)』よ!」
 
 ヘカテーの、水色の流星群までもが、フレイムヘイズを襲うのだ。
 
 しかし、絶望はまだ終わらない。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章 八話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/25 19:42
 
「逃ぃーがすんじゃあーりませんよぉーー!?」
 
《了ー解ー!!》
 
 飛び交う傀儡を無視、サーレ一人のみを教授は、ドミノは見据え、そして放つ。
 
《ガオーー!!》
 
 ドリルと化した、右腕を。
 
「そう来ると思ったよ、我らが好敵手」
 
「進化や革新を謳いながら、気に入った物には拘るからな」
 
 遺憾ながら教授の宿敵であるサーレは、教授の『腕飛ばし(ロケットパンチ)癖』も知っている。
 
 焦らず騒がず、天に在る大地に生える尖塔に糸を絡め、上昇、回避する。
 
 後方で、巨大ドリルが大地をガリガリと削り飛ばす音がした。
 
 間抜けな事に、飛ばした腕が戻って来ない。戦力大幅ダウンである。
 
「‥‥‥飛ばすのに夢中で、後の事に頭が回らなかったのか」
 
「らしいと言えば、らしいけどね」
 
 呆れて呟き、二丁の十字操具・『レンゲ』と『ザイテ』を交差させるように振るう。
 
 繰りに合わせて、無数の傀儡が巨大ドミノに襲いかかる。
 
 しかし、
 
《なんのこれしきーー!!》
 
 ドミノの胴体にガシャガシャと発射口が開き、数十のミサイルが白緑のジェット噴射で飛び出す。
 
 ドドドドドドォン!!
 
 傀儡とぶつかり、菫と白緑の爆炎が広がり奔る。
 
「そらっ」
 
 続けて『レンゲ』をバッと突き出すサーレ。不可視の糸で絡め、型取られた、石の聖殿を材料にした石の腕が、菫に燃える巨大な拳撃をドミノに突き出す。
 
 今度は命中。
 
「ひょげぇええ!?」
 
《うわひゃーー!?》
 
 盛大にひっくり返るドミノと、操縦席で無駄にダメージを受ける教授。
 
(‥‥‥‥ん?)
 
 しかし、ドミノをどついたサーレの方が違和感を覚えた。
 
 今の一撃、サイズ的に、ドミノをひっくり返すほどの事は不可能だと思っていたのだが、実際には見事に転倒。
 
(あ‥‥‥‥まさか)
 
 ドミノが、さっきよりも小さくなっている?
 
 いや、気のせいではない。間違いなくさっきより縮んでいる。
 
 ぴょーーーん!!
 
 巨体な体でコミカルに、軽快に飛び起きるドミノ。
 
「ドォオーーミノ‥‥‥」
 
《キャノン!!》
 
 そのままロケットパンチとなって肘から先の消えた右腕の、切断面‥‥否、『砲身』がサーレを狙う。
 
 ドォオオオオン!!
 
 またも凄まじい白緑の爆発が巻き起こる。
 
 躱したサーレが、余波にさらされて吹っ飛んだ。
 
「くっ‥‥‥だが‥‥!」
 
 やはり、爆発の規模もさっきより小さくなっている。
 
(この原因‥‥‥‥)
 
「そこ、だ!!」
 
 不可視の糸が、ドミノの頭上へと弾かれるように飛ぶ。
 
「無ぅー駄無駄無駄無駄ぁあ!!」
 
 言って、スイッチを押した教授の周りを、金魚鉢のような透明ガラス‥‥しかしその強度はドミノの装甲にも劣らない防壁が包んだ。
 
「こぉーーんな事もあろうかと備え付けておいたインッヴィジブル・アァーマァーー!! んーふふふ、まーるで幼児のような甘い考えですねえ、サァーーーレ・ハビヒッツブルグ!!」
 
(‥‥‥なら、最初から外側に作るなよ)
 
 と、内心で教授の独演にツッコむサーレだが、ともあれ‥‥サーレの狙いは"教授ではない"。
 
 シュルルル!!
 
《ん‥‥‥?》
 
 不可視の糸が絡め取ったのは、ドミノのつむじに一本聳える、大きなネジ。
 
 それを、"教授が回したのとは逆向き"に、凄まじい速さで回転させる。
 
《ぁああ‥‥‥ち、力が‥‥‥》
 
 連動するように、ドミノはみるみる小さくなっていく。
 
「「‥‥‥‥‥‥‥」」
 
 ‥‥狙っておいて何だが、本当にこうなるとは思わなかった。
 
 つまり、この巨大ドミノのエネルギーは‥‥『ネジ巻き式』なのだ。
 
 ‥‥‥普通の徒には絶対に真似出来ないような"我学の結晶"を生み出せるくせに、この随所随所の低スペック具合。
 
(‥‥‥意味がわからん)
 
 むしろ、わかりたくもない。
 
 ともあれ、目の前には通常サイズに戻ったドミノと教授。
 
 当たり前だが、もうネジを回す暇など与えない。
 
 他の戦局の劣勢を考えると、これ以上教授一人に時間は掛けられない。
 
 
「王手(チェックメイト)だ、親父殿」
 
 
 
 
 マージョリーが、キアラが、圧倒的な力の差に圧される。
 
 元々が拮抗した実力(シュドナイはさらに少し上とも言える)な上に、ゆかりの集団強化まで掛かっている。
 
 普通なら、逃げた方が確実に良い状況なのだが、ここで退くわけにもいかない。
 
 そんな局面に、
 
「っ!?」
 
 数十にも及ぶ光条が飛び交い、天から聳える尖塔の根元に無数命中、桃色の瞳の紋章を宿す。
 
「ドッカーーン!!」
 
 ドォオオオオン!!
 
 そして収縮、爆発する。
 
 ガラガラと尖塔が、折り重なるようにヘカテーたちに降り注ぐ。
 
「待たせたな!」
 
 笑い、周囲に桃色の光球を、鋭い楕円軌道に巡らせながら、『輝爍の撒き手』レベッカ・リードが現れる。
 
「待たせたな、じゃないわよ!!」
 
「わ、私たちまで殺す気ですか!?」
 
 まあ、あんな無茶苦茶なやり方で、上手く敵だけを攻撃出来るわけもない。
 
「はっはっはっ! 結果的に無事なんだからいいじゃねーか!」
 
 確かに、マージョリーにもキアラにも当たってはいない。
 
 そして、ヘカテーたちにも当たっていない。
 
 否‥‥‥
 
「ぐっ‥‥‥‥」
 
 『神鉄如意』を振るう、巨大化したシュドナイの右腕が、上から降ってくる尖塔を、その大きさゆえに躱しきれず、痛烈な打撃を受けていた。
 
「‥‥‥ヴィルヘルミナは?」
 
「‥‥多分、あの辺りに転がってるわよ」
 
 言って、マージョリーは離れた、ゆかりとヴィルヘルミナが戦っていた辺りを指す。
 
 実際、かなり大雑把な登場だが‥‥助かったのも事実だ。
 
 あのままでは確実にやられていた。
 
 レベッカ一人で覆せる劣勢とも思えないが、確実に頼りにはなる。
 
 
「ハッ! オーケー、死んでないならその内這い出て来んだろ。んじゃ、こっちも対等に三対三、ってえわけだ」
 
「‥‥あいつら全員、『強化』が掛かってる。舐めてかかる、と‥‥‥‥」
 
 言うマージョリーの声が、尻すぼみに小さくなる。
 
 気配を、感じたからだ。
 
 気配は三つ。よく知る気配と、それによく似たさらに大きな気配、もう一つは、あまり覚えないが推測出来る。
 
 マージョリーだけでなく、レベッカも、キアラも、言葉を失って蒼白となっている。
 
 対照的に、シュドナイやフリアグネが薄く笑い、ヘカテーやゆかりが別の意味の視線を"そちら"に向ける。
 
 何より、この気配が感じられる方向。
 
 自分たちが来た方向の反対側、ヘカテーたちが背にしている方向‥‥‥それの意味するもの。
 
「間に合わなかった‥‥!!」
 
 
 
 
 瞳を閉じ、両足を抱えて座り、丸まる。
 
 その髪も、閉じた瞼の奥の瞳も、黒に冷えている。
 
(力を‥‥蓄える)
 
 ヘカテーに敗れた事に心を割いている余裕はない。
 
 余計な事は考えない。
 
 レベッカが、どういうつもりで力を分け与えたのかは、当然わかる。
 
 フレイムヘイズとして。
 
 だが‥‥‥‥
 
『破壊はしない』
 
 それは‥‥‥
 
『使命は果たす。でも坂‥‥悠二を壊したくない。どっちも私、どっちが欠けても私じゃない』
 
 本当の本当に、どうしようもなくなった時の事。
 
 だから今は、力が要る。
 
 半端な力じゃ、意味がない。
 
 だから、力を蓄える。
 
 
(その時が、来るまで‥‥‥‥)
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 一番痛む傷口に、手を当てる。
 
 べっとりと血糊が手につく。出血は、わかっていた。
 
 抉るように、まるで獣にでも襲われたように、四筋の傷が爪痕のように残っていた。
 
(あの自在法‥‥‥)
 
 自在師でもない自分には、たったあれだけのやり取りで解析する事は出来ないが、おそらくは斬撃の類だろう。
 
(わざと‥‥でありましょうか)
 
 『パパゲーナ』で斬らずに、指先で斬ったから、傷が浅くなっている、のかも知れない。
 
 まあ、出血がひどく、全身にロクに力が入らないのには違いないが。
 
(‥‥‥もし手心を加えたのだとしても、それは"私のため"ではないのでありましょうが)
 
 それでも、場違いな嬉しさは湧く。
 
 しかし‥‥‥‥
 
(‥‥‥間に合わなかった、ようでありますな)
 
 自分たちにとっては絶望の塊である気配を感じて、力の入らない体を奮い立たせる。
 
 身内に甘い、情に脆いと自覚はしていても‥‥‥
 
 結局、自分はフレイムヘイズであるらしい。
 
 
 
 
 『詣道』の奥深くから、巨大な影が見える。
 
 それは、上も下も右も左も地に囲まれた空間をのたうつ、蛇。
 
 鎧のような真黒の鱗を纏い翔ぶその姿は、その巨大な体躯と合わせて、まるで黒龍に身紛う。
 
 『創造神』‥‥"祭礼の蛇"。
 
 そして、その水晶の瞳に光る銀眼、その少し上に位置する額に立つ少年。
 
「悠二!」
 
「お待たせ!」
 
 今まで命を削るような戦いを続けていたヘカテーが、まるで場違いに、花の咲くように頬笑んで、少年に飛び付く。
 
「遅かったじゃん♪」
 
「ごめん‥‥!」
 
 また同様に、弾けるように笑ったゆかりが、その横に並んだ。
 
 明らかに『創造神』より一人の少年を優先させる二人の態度に、敵味方問わず、呆然と眺める。
 
 だが、当の『緋願花』は大真面目。
 
 そして、誰にとっても悠長に構えている暇などない。
 
 
「行くよ‥‥‥」
 
 悠二の全身を黒炎が覆い、緋色の凱甲と衣、そして漆黒の竜尾を靡かせる。
 
「はい!」
 
 ヘカテーの周囲を水色の小さな三角形が無数舞い、その明るすぎる水色の瞳が光を失い、漆黒の闇を宿す。
 
「オッケー!」
 
 ゆかりの手に握られた金色の鍵が、ゆかりの胸に再び旋律を刻み、その全身から銀炎が迸る。
 
 
「何かくるぞ!」
 
「わかってるわよ!」
 
「避けて下さい!」
 
「くそっ‥‥‥!」
 
 レベッカ、マージョリー、キアラ、そしてようやっと教授を追い詰めていたサーレが、『創造神』復活のすぐ後の行動に身構える。
 
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 突き出した悠二の左手に、ヘカテーが両手を重ねる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 また、突き出した悠二の右手に、ゆかりが、両手を重ねる。
 
 三人から溢れでた銀色の炎が、三人の手の先で、踊るように、舞うように渦を巻く。
 
 力の解放と共に、広がり燃える銀。
 
 
 その光景は、花開き、そして散る‥‥‥銀色の花にも似て‥‥‥‥
 
 
「「「『銀染花(ぎんせんか)』!!」」」
 
 
 
 
 銀炎に燃え散る花の輝きが、両界の狭間を染め上げた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 七章エピローグ『再臨の大縛鎖』
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/09/25 19:39
 
「出てきたか‥‥!」
 
 『星黎殿』を包む『マグネシア』が消え、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の徒が次々に現れる中、遠方に臙脂色の嵐が見えた。
 
 すでに『星黎殿』を『マグネシア』で包むのをやめた以上、"嵐蹄"フェコルー自身が出てくるだろう事は予想していた。
 
「はっ!」
 
 メリヒムは一気に加速し、敵の群れに自分から飛び込み、斬り刻む。
 
 これなら、味方も巻き込みかねない『マグネシア』は使えないだろう。
 
 味方ごとやる可能性は否定出来ないが、その時はその時だ。
 
「っふん!」
 
 至近に来た獲物に襲いかかる徒、いきなり距離を詰められて慌てる徒、怯え逃げ出し、背を向ける徒、それらを‥‥‥‥恐ろしく疾い剣閃が薙いだ。
 
「‥‥‥スゥ」
 
 深呼吸するように、血煙のように飛び散る炎を吸い込む。
 
 幸い、フェコルーが味方ごと『マグネシア』を食らわせる様子は無い。
 
 しかし‥‥‥‥
 
「この‥‥‥‥」
 
 群がるような徒たちに飛び込む事自体、いくらメリヒムでも相当に危険な行為だ。
 
「‥‥っ邪魔だ!」
 
 次から次に迫る徒の物量に、苛立たしげに徒の首を斬り飛ばしてメリヒムが怒鳴る。
 
 言い方を変えれば、今はこの徒たちに統制が取れていないという事だが、なにぶん数が多すぎる。
 
「っ!!」
 
 苦戦を強いられるメリヒムが、否、その辺り全ての空間が複雑に歪み、徒たちに動揺が走る。
 
 それは、風。
 
 琥珀色に渦巻く、自在法の風だった。
 
 
「‥‥遅いぞ、ウスノロ」
 
「‥‥少しは、休めたわよ」
 
 立ち直ってきた徒、フィレスも、今回ばかりはメリヒムの悪口に反論しなかった。
 
 
 
 
 銀の光が視界を埋め尽くし、凄まじい光熱が肌を灼き、耳が轟音に麻痺する。
 
 メリヒムの『虹天剣』よりも、ヘカテーの『冥三星(カトゥルス)』よりも強力な‥‥‥
 そう、いつか御崎市に"生まれた"徒・『敖の立像』の光線にも匹敵する破壊の炎が、『詣道』に弾けた。
 
「ドミノ! 教授!」
 
 今の一撃でも、予め万端で構えていた以上、あの使い手たちならば何らかの対応を取れた可能性は高い。
 
 ‥‥そう、"安堵してしまう"自分が、まるで覚悟が決まっていないようで、唇を噛む。
 
 だが、今はそれどころではない。
 
 シャナやヴィルヘルミナの姿が見えなかった事、ヘカテーやゆかりの怪我の具合、全て‥‥今は後回しにする。
 
 竜尾が長く、まさに蛇のように伸び、ドミノと教授を捕まえて引き寄せる。
 
「急げ! いつ持ち直してくるかわからない!」
 
「は、はいでございますです!」
 
 慌てて、ドミノがお腹を開き、一つの宝具を取り出す。
 
 それは、数個のネジを打ち込んだ、マンホールの蓋。
 
 教授の脱出の十八番たる装置である"我学の結晶"エクセレント7931・『阿の伝令』である。
 
「そぉおーーれ!」
 
 それを使うドミノが、地面に"そこに無い穴"を作り出す。
 
「よし、行け!」
 
 そこにまず‥‥‥
 
「放しなさいドォォーミノォオーー! この『詣道』にはまぁーだまだまだまだ調べなければならない研究対象が山のように‥‥‥‥‥」
「お先に失礼させてもらいますです!」
 
 喚く教授をふん捕まえたドミノが飛び込む。
 
「盟主!」
 
「ああ、続け!」
 
 続けて、ベルペオルひ額に乗せたまま、"祭礼の蛇"がその巨躯を踊らせ、飛び込む。
 
 大きさとしては全く足りていない穴は、どういうわけかその体を易々と飲み込んでいる。
 
 しかし‥‥‥
 
 バシッ! ギリッ!!
 
 その体に、無数のリボンが幾条も巻き付き、止めた。
 
 見れば、未だ傷も深い、『ペルソナ』すら被れていない『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルが、その漆黒の巨躯にリボンを絡めていた。
 
 だが‥‥‥‥
 
「くっ‥‥‥ぅあっ!?」
 
 そもそも、ヴィルヘルミナの腕力で竜ほどもある大蛇の力の向きを、無理矢理変える事など不可能。
 
 『戦技無双の舞踏姫』とはいえ、自分に向けられる力を利用するのならともかく、別方向に向けられる力の流れを変えるのは純粋な腕力頼みである。
 
 そのまま、まさしく巨大な生物に飲み込まれるように巻き込まれ、"在るはずの無い穴"へと引きずり込まれた。
 
 いつしか、その黒蛇の巨体も穴の向こうへと消える。
 
 ヴィルヘルミナの事は予想外だが、この際、それに構ってもいられない。
 
「悠二!」
 
 ヘカテーの焦った声、同時に、銀炎の向こうから、フレイムヘイズたちであろう影が見えた。
 
(思った以上に、立ち直りが速い!)
 
「ひゃわっ!?」
 
 ゆかりの首根っこを竜尾の端で掴み、叩き込むように穴に放り込む。
 
 同時に、飛んでくる影に炎弾を放り投げる。
 
 そして、ヘカテーが体当たりするように飛び付いて、そのまま穴に落ちていく。
 
(まずい‥‥!)
 
 このまま行けば、自分とヘカテーは間に合うだろう。しかし、まだシュドナイとフリアグネとマリアンヌがいる。
 
 ヴィルヘルミナのように穴にフレイムヘイズたちを入らせるのは上手くない。
 
 不意に、悠二の顔の横を銀色の何かが通り過ぎた。
 
(どう、する‥‥!?)
 
 思考を巡らせる悠二の左手首。そこに巻き付いていたブレスレットが、解けて、飛び出した。
 
 
 
 
 ほとんど、見た事が無いというほどの破壊力を見せた『緋願花』の自在法の炸裂を受けて、しかしすぐに異変に気付いて飛び出してきたのは、素直に感服する。
 
 だが、こちらにとっては全く以て不都合極まりない。
 
「さて‥‥‥‥」
 
 今から飛び込んでも、間に合わない。
 
 むしろ、『向こう』に歴戦のフレイムヘイズを引き入れてしまうだろう。
 
 飛び込まなくても同じ、奴らの狙いは、あの『阿の伝令』の穴になる。
 
「やれやれ」
 
 プッ、とタバコをふき捨てたシュドナイが、目一杯巨大化させた『神鉄如意』を両腕で構える。
 
「"そっち"は、任せたぞ‥‥‥!」
 
 一人の少年に、届かぬ呟きを溢して‥‥‥
 
「っはぁああああ!!」
 
 一閃。
 
 濁った紫に燃える剛槍の刃が、『詣道』の大地を断ち、斬り裂いた。
 
 轟音と爆炎が晴れる頃には、そこにはもう、"在るはずの無い穴"は存在しない。
 
「ふぅ‥‥‥‥」
 
 どこか吹っ切ったように、また一本タバコをくわえる。ボッと、その先端に小さく紫の火が点る。
 
 『創造神』が去った『詣道』。
 
 紫に燃えるその大地で、小さな銀蛇が熱そうにのたうっていた。
 
 
 
 
「っ‥‥‥!?」
 
「これは‥‥‥‥!」
 
 『星黎殿』に乗り込んだ侵入者を排除すべく群がる徒たちや、『星黎殿』の守護者たるフェコルーと戦っていたメリヒムとフィレス。
 
 が、そんな乱戦の最中にも強制的に意識を向けさせられるような強烈な違和感に襲われる。
 
 それは、シャナたちが突入した『神門』‥‥上からではなく‥‥‥
 
(下‥‥‥‥!)
 
 彼らの直下、『星黎殿』。
 
 ビシッ‥‥!
 
 と、『星黎殿』の城塞部の一部の石畳の地面が割れ‥‥‥
 
『っ!?』
 
 それを見た者全てが驚愕するものが、飛び出した。
 
 『星黎殿』岩塊部の一画に、予め置かれていた‥‥"我学の結晶"7932・『吽の伝令』から、である。
 
 天に飛び立ち、のたうつ、真黒の鱗を纏う巨大な大蛇。
 
「ふふ‥‥ふ、ふ‥‥‥‥」
 
 その黒蛇から、堪えきれないように笑いが漏れる。
 
「ふはあーっはははははははははははは!!」
 
 笑いはすぐに、爆発するような歓喜へと変わる。
 
 そして、己を誇り、見せ付けるように、『星黎殿』よりも遥か上空へと飛ぶ。
 
「これより、余‥‥帰還せし『仮装舞踏会』が盟主・"祭礼の蛇"自らの手で、『大命』の最終段階へと移る!!」
 
 徒にも、フレイムヘイズにも、歓喜と共に告げていた。
 
 その全てに気圧されて、今は‥‥徒は喜びも、フレイムヘイズは絶望も感じる事が出来ないでいた。
 
 呑まれている。とは、まさにこの事を言うのかも知れない。
 
 
 その傍らで、一人の女怪がその金の三眼を光らせる。
 
 
 
 
 その漆黒の体から、黒い炎が滲み出る。
 
「‥‥今度こそ、叶えましょう」
 
 傍らで、女怪は穏やかに語り掛ける。
 
「‥‥この世と紅世‥‥"歩いてゆけない隣"と呼ばれるほどに、相容れない二つの世界」
 
 誰もが、その姿と、行おうとしている事を"わからされて"いた。
 
「‥‥その二つの世界を、"理という名の鎖"で縛り、結び、繋げ、両界の在り方、そのものを変える。我ら『仮装舞踏会』の『大命』‥‥‥‥」
 
 
 そう‥‥世界の、変容。
 
 
 
 
「‥‥"秘法・『大縛鎖』"‥‥‥‥」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章『天壌を駆ける者たち』一話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/04 16:13
 
「目覚めよ‥‥‥」
 
 宙天に浮かび、水色の輝きを放つのは、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の、巫女・“頂の座”ヘカテー。
 
「どかれよ‥‥‥」
 
 その錫杖を振るうに合わせて、『星黎殿』に無数聳える尖塔のうち幾つもが、ズレ動く。
 
「泉よ、溢れよ‥‥!」
 
 そこから、爆発するように、噴火するように、薄く光り輝く水と見える、“存在の力の結晶”が噴き出し、溢れた。
 
 それは天を衝くように駆け昇り、星空にのたうつ黒き大蛇にまで届く。
 
「力よ、注げ‥‥‥」
 
 そして、呑まれるように、融け消えるように、輝く水滴が黒蛇を巡り、舞う。
 
「さあ、起たれよ‥‥」
 
 『存在の泉』の莫大な規模の力が、黒き力に染められ、世界の変容に注がれていく様を見て、水色の巫女は穏やかに微笑む。
 
 
「聞け、『仮装舞踏会』!!」
 
 『星黎殿』を眼下に浮かび、緋色の衣と漆黒の竜尾を靡かせる少年の声が、朗々と響く。
 
「これより『大命』は最終段階に入る! 我が養父が世界の変容に手を伸ばす! よって、今最も守るべきは天に浮かぶ蛇神! 秘法が発動し、『大命』が成就する時まで、盟主・“祭礼の蛇”を守護せよ!!」
 
 言って少年‥‥もう一人の盟主たる坂井悠二は、魔剣を天に向けて振り上げた。
 
 戦場を揺るがす歓呼の声が響き、異形異様の徒たちが、天を目指して飛びゆく。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 少年はその黒の瞳を直下へと向ける。
 
 そこは、彼らの本拠‥‥‥『星黎殿』。
 
 
 
 
 噴き出す『存在の泉』の水柱。『星黎殿』下層から天に向かって伸びる力の結晶。
 
 それが、深緑の結晶に擦るように飛沫を上げていた。
 
 
 
 
 フィレスは、当然メリヒムより先にヨーハンの許へと向かった。
 
 ヨーハンが封じられた水晶の塊は何をやっても破壊出来なかったが、あれなら逆に外から攻撃も出来ない。
 
 当然ヨーハンを“ああした”使い手ならそれも可能なのだろうが、取れる手段もないため、ひとまず水晶ごとヨーハンを移動させた。
 
 そしてとりあえず、メリヒムの救援に向かったのだが。
 
「‥‥‥どーする? 逃げる? 私なら、この状況でも逃げられなくはないけど」
 
「‥‥シャナもヴィルヘルミナもまだ戻ってない、怖じ気づいたなら一人で逃げろ」
 
「あの娘たちが来たら余計逃げられなくなるじゃない」
 
 実際、最早敗北は決したようなもの。諦めにも似た気分で軽口を叩くフィレス。
 
 “ヴィルヘルミナたちの安否はわからないが、祭礼の蛇”が飛び出してきたのが『神門』ではなかった所を見ると、ヴィルヘルミナたちが追い付けなかった可能性もあるし、何より悠二たちがヴィルヘルミナたちと戦うメリットが無い。
 
 来た道を戻って『神門』から出てきた、というよりは、格段にヴィルヘルミナたちが生きている可能性は高い。
 
 ヴィルヘルミナたちを置いて逃げる気もないが、実際ヴィルヘルミナたちが合流した後に“逃げ”を取ってくれるかどうか甚だ疑問でもある。
 
 見極めが非常に難、し‥‥‥‥
 
「な‥‥‥‥‥」
 
 思考に暮れるフィレスの横で、七色に輝く翼が、広がる。
 
「くたばれっ‥‥!」
 
 そして、爆発的な光輝の塊が撃ち出される。徒を無数に消し飛ばしながら向かうその先は、宙天に浮かぶ黒き大蛇。
 
 ドォオオオオオン!!
 
 しかし、それは展開された臙脂色の粒子の濁流に阻まれる。
 
「‥‥次は、止めさせん」
 
「ちょっ、あんた何やってんの!? “あれ”がこっちに目付けたらどーすんのよ!?」
 
 文字通り、神をも恐れぬメリヒムの所業にフィレスが怒鳴る。
 
「どっちにしても、俺たちは『敵』として見られてる。さっきも言ったが、恐かったらあの小僧を連れて失せろ」
 
「小僧って‥‥酷いな」
 
「っ‥‥‥‥ヨーハン!?」
 
 メリヒムの相変わらずの言い草に、“後ろから”応えた少年の声に、フィレスが弾かれるように振り返った。
 
「全く酷い目に遭った」
 
 言いながら少年‥‥『永遠の恋人』ヨーハンは、まだ深緑の結晶の破片だらけの体をはたく。
 
「ヨーハン!」
 
 そんなヨーハンに抱きつくフィレスの背中を撫でる。
 
「さっきの水柱‥‥存在の力を凝縮させた結晶みたいだった。あれだけの力、敵にするのは上手くない」
 
 「それを利用したおかげで僕も“あれ”から抜け出せたんだけどね」、と肩をすくめて、メリヒムに視線を移す。
 
「正直、あとは皆を『神門』から連れ出して逃げた方が無難だと思うよ。元々、『復活させない』のが方針で、もうそれは頓挫してる」
 
 これ以上はナンセンス。言外にそう含ませるヨーハン。
 
「‥‥それを、あの子が承諾するはずがないのであります」
 
『っ!?』
 
 さらに、砕けた石畳の穴から声が聞こえて、“祭礼の蛇”の帰還に巻き込まれた形のヴィルヘルミナが這い出してくる。
 
「こうなった以上、一縷の望みは『炎髪灼眼』。何より、あの子は‥‥まだ“あの子の戦い”を終えていない」
 
 傷だらけ、血塗れの体を包帯で包み、リボンで編んだ純白のワンピースを身に纏うヴィルヘルミナは、傍目には無傷なようにも見える。
 
 だが、その格好自体が手傷を負った証でもあった。
 
「‥‥‥ヴィルヘルミナ」
 
 訊きたい事を訊く前に、その姿と言葉で示したヴィルヘルミナに、メリヒムは背を向けたまま、言葉を投げ掛ける。
 
「‥‥足手まといになるようなら、隅で丸くなっていろ。ここは‥‥俺がやる」
 
 結局、こんな言い方しか出来ないメリヒムの言葉に、しかしヴィルヘルミナは激しく狼狽し、フィレスとヨーハンは、むしろその言葉に含まれた“既定事項”に頭を抱える。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 メリヒムはただ黙って宙天を睨む。
 
 その先には、緋色の衣を靡かせる少年。
 
 
 
 
「‥‥フェコルーも、『彼』の護衛に回って」
 
 と、悠二がポツリと言った。
 
「し、しかしまだ“虹の翼”や“彩飄”が! それに『緋願花』の方々にこれ以上危険な役目を‥‥!」
 
 フェコルーは、言いながら自分でも焦っているのがわかっていた。
 
 兵の指揮や統率、デカラビアとの通信など、間接的にやった事はある。
 
 だが、未だに侵入者は残っており、ウアルも、プルソンも討たれ、自分は直接的には何も出来ていないかのような焦りに胸が張り裂けんばかりだった。
 
(それに、何より‥‥‥‥)
 
 その心の内を、悠二が正確に突いた。
 
「‥‥フェコルー、あなたが『虹天剣』を止められるなら、初めからこんな事態にはなっていない。違うか?」
 
「っ!!」
 
 『星黎殿』の守護者として何より自身を腑甲斐なく感じていた部分を、よりによって『盟主』に突かれ、フェコルーは絶句する。
 
 悠二はそれに気付いて、敢えて構わず続ける。
 
「別に責めてるわけじゃない。ただ、あくまで適格な役割としての話だよ」
 
 実際、その声音には非難の色は一切無かった。
 
「フェコルーの力は、メリヒムの相手には不向きだし、何より‥‥これから秘法阻止のためになりふり構わずに突っ込んでくる『フレイムヘイズ兵団』にこそ『鉄壁』の盾になる」
 
 そこで一度切って、口調を改めた。
 
「“嵐蹄”フェコルーに命ず、世界変容のこの時、最も重要な役目‥‥『創造神』の守護を担え!」
 
「は‥‥はっ!」
 
 勢い、というものもあったが、それでも頷いたフェコルーに少し微笑み、そして再び眼下を見下ろした。
 
「メリヒムとは‥‥僕が戦う」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 中途半端な力では、結局意味がない。
 
 そう考えて、自分は力をひたすら温存させる選択をして、ひとまず仲間たちに任せた。
 
(‥‥‥消えた)
 
 しかし、先ほど自分が受けたもの以上の銀の爆発が『詣道』に満ちて、『創造神』と、他にも幾人かの気配が消えた。
 
(甘かった‥‥‥)
 
 逃げられる、その可能性を全く考慮していなかった。
 
(“千変”と‥‥あと一人残ってる)
 
 だが、坂井悠二ではない。
 
(戦ってる‥‥‥)
 
 まだここに残っている徒たちと、仲間たちが戦っている気配がする。
 
 おそらく、“千変”の妨害に遭っているのだろう。フレイムヘイズとして、『創造神』が復活した今、ここで“千変”と戦う、大局的な利は無いはずだから。
 
(行かなきゃ‥‥!)
 
 向かう先は、マージョリーやレベッカたちの所ではない。
 
 不幸中の幸い、とでも言おうか。離れて回復に努めていたおかげで、“千変”の妨害は受けていない。
 
(悠二‥‥‥!)
 
 フレイムヘイズとしての使命感と、一人の少女としての気持ちが、進むべき道にシャナを駆り立てる。
 
 手には、今はフィレスの本体を指す風見鶏。
 
 向かう先は『この世』へと繋がる『神門』。
 
 
「私は、行かなきゃいけない!!」
 
 
 紅蓮の双翼を広げて、『炎髪灼眼』は飛ぶ。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 二話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/05 11:26
 
(数千ぶりのお目通りが、ほんの僅かな間だった事が、残念ですな)
 
 事実、それも仕方ない事か、とも思う。
 
 あの状況ではあれがベストだと判断したのは自分だ。
 
『‥‥‥勝てるか?』
 
 小さな銀蛇は、短く訊く。
 
(正直に言えば、厳しいでしょうな)
 
 相手は『弔詞の詠み手』、『輝爍の撒き手』、『極光の射手』、『鬼功の繰り手』。
 
 ゆかりの『強化』も解け、フリアグネも片腕を失っている。
 
『‥‥‥振り切って、戻れぬのか?』
 
(それは、尚更難しいですな。今の我らに、『詣道』を進む術はありません)
 
 道筋も覚えていない。
 
(せいぜい、奴らと戦いを楽しむ事にさせてもらいます)
 
 タバコに、紫の火を点す。
 
『‥‥‥‥‥‥‥』
 
 世界の変容、大命の成就、この目で見たかった。
 
(盟主‥‥‥)
 
『‥‥‥‥何だ?』
 
 だが、今はこの戦いを、享楽として受け入れよう。
 
 
(お頼みしたい事が、あります)
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 互いに、無言。戦う意志は、その瞳に、全身に充溢し、火の粉となって溢れ出している。
 
 同じ高さ、『星黎殿』の床面に足をついて向かい合った状態、先に踏み出したのは‥‥メリヒム。
 
(速い!)
 
 だが‥‥‥
 
(ゆかりよりは、遅い!)
 
 十分ついて行ける!
 
 悠二の右手に握られた『吸血鬼(ブルートザオガー)』を、すくい上げるように振り上げ、メリヒムの細剣の切っ先を撥ね上げる。
 
(懐かしいな)
 
 さらにそのまま横薙ぎに振った斬撃を、メリヒムは軽くバックステップで躱した。
 
(初めて、メリヒムに会った時‥‥‥‥)
 
 宝具・『カイナ』を求めて訪れた『天道宮』で出会った、白骨。
 
 同時に戦う事になってしまった“愛染の兄妹”。成り行きの共闘。
 
(癪だけど‥‥憧れだった、かな‥‥‥)
 
 不敵に笑って、堂々と立って、虹の一閃で全てを薙ぎ払う、その姿は、ただヘカテーに守られるだけの無力なトーチだった自分には、強烈な憧れとして映っていた。
 
(でも、今は見える)
 
 切っ先が顔のすぐ横の空気を裂く一撃を見て、すぐに大剣を振り下ろして逆撃する。
 
 躱され、メリヒムの足下が割れる。
 
(ここまで、出来るようになった‥‥!)
 
 憧れた姿に追い付けた、そんな実感が、純粋な喜びが湧いてくる。
 
 誰かを守りたい、望みを叶えたい、それを成せる力がある事が、たまらなく嬉しかった。
 
「ふっ!」
 
 右足を軸に体を回して、全体重を乗せた斬撃を繰り出す。
 
 その大剣の刀身に、不気味な血色の波紋が揺れる。
 
(もらった!)
 
 悠二の『吸血鬼』は、込めた存在の力で触れた相手の体を斬り刻む魔剣だ。
 
 それは、剣や盾で防いでも同じ事。
 
 その悠二の狙い通りに、『吸血鬼』の一撃をメリヒムの細剣が受け止め、血色の魔剣がメリヒムを刻む‥‥‥と思われた瞬間、
 
 ギュィイイイン!!
 
 メリヒムの細剣の刀身が高速で回転し、バチィッ! と火花を上げて剣と剣が弾かれるように離れた。
 
「っ!?」
 
「何を驚いてる? この剣を俺に寄越したのは、お前だぞ」
 
「くっ!」
 
 言いながら、メリヒムの疾い斬撃が五、六度襲っていた。
 
 かろうじてこれを躱し、受け切った悠二が後ろに跳んで距離を取る。
 
(『吸血鬼』の能力が、効かない‥‥‥!)
 
 悠二は、今よりも遥かに未熟な頃から、『吸血鬼』を愛剣として使っている。
 
 この、接近戦の優位を強引に引き寄せる宝具に、無意識に“頼っていた”悠二が、まだ動揺している間に‥‥‥
 
「っ!!」
 
 メリヒムの背に、七色の光背が広がる。
 
 
 
 
「「『星羽連弾(ゆカテー・コンビネィション)』!!」」
 
 水色の流星群と翡翠の羽根吹雪が空に踊り、一点に収束、そして‥‥‥
 
 ドドドドドドォン!!
 
 連鎖的な大爆発が巻き起こり、水色と翡翠の炎が溢れる。
 
 それが‥‥“渦を巻く”。
 
 見る間に炎が晴れて、そこには寄り添い、手を握る恋人たちを中心に、琥珀の竜巻が広がっていた。
 
「フィレスさんも随分ボロボロみたいだし、カルメルさんとメリーさんだけ連れて帰ったらどうですか?」
 
「ホントはそうしたいんだけどね」
 
「君たちも、相当ガタがきてるように見えるよ」
 
「むしろ、ヨーハンさんが無傷過ぎるのが気になるんだけど。何やってたんですか?」
 
 軽口を叩くゆかりと『約束の二人(エンゲージ・リンク)』。そして、ヘカテーは力を練る。
 
「集え‥‥」
 
 先ほどとは違う。一点に集め束ねた光弾が、『トライゴン』の先に渦巻く。
 
「『星(アステル)』よ!」
 
 雪崩込むような星の川が奔り、
 
「「っ!?」」
 
 琥珀の竜巻をぶち抜き、弾かれるように、フィレスとヨーハンは左右に飛んだ。
 
「行っ‥‥くぞぉおーーー!」
 
 間髪入れず、翡翠の羽衣を靡かせたゆかりが足裏を爆発させて翔び、フィレスの右頬を蹴り飛ばした。
 
「いったいわねっ!!」
 
 不意を突かれて一撃もらったフィレスが『インベルナ』にゆかりを取り込もうとして‥‥‥
 
「っりゃあ!」
 
 ゆかりが全身から爆発させた翡翠の炎に弾き飛ばされる。そのまま慌てて離脱。
 
「‥‥手の内知られてるってのは、やりづらいわね」
 
「そのくらいのハンデはもらわないと、ね!」
 
 そしてフィレスの手甲とゆかりの短剣が、ぶつかる。
 
 
 
 
「っわ!」
 
 メリヒムから一直線に放たれた『虹天剣』を、後頭から伸びる竜尾で地面を叩いた大ジャンプで何とか躱す。
 
「っは!」
 
 お返しとばかりに、左手を突き出し、五指から釣瓶撃ちに炎弾を放つ。
 
 飛び来る炎弾群を、メリヒムは右に左に飛び回り、建物や石柱を盾にし、大きく回避し、対処する。
 
 次々と爆発が広がり、黒い炎が溢れかえる。
 
(『吸血鬼』が通用しないなら、接近戦は五分。けど、『虹天剣』があるから遠距離戦は分が悪い、か‥‥‥‥)
 
 過不足なく、彼我の力を見極める悠二。
 
 悠二は自在師、その本領は遠距離戦。だが、距離によって威力が落ちない特性を持ち、何もかも吹き飛ばす『虹天剣』とやり合うのは向かない。
 
 だが、幸い、というか鍛練の成果というか、悠二は体術もシャナやメリヒムと同程度には身につけている。
 
(竜尾が一番活かせる中距離を保って‥‥『虹天剣』はモーションで対応してから距離を潰して‥‥)
 
 常の癖として、互いの能力を分析してから戦闘方針を決める悠二。
 
 その悠二に、黒炎の向こうから七色の光輝の塊が飛んでくる。
 
「甘いっ!」
 
 それを悠二は、横合いに飛んで躱す。元々、感知能力が異常に高いのだ。
 
 炎の向こうから撃ったくらいで易々とは当たらない。
 
 逆に、今の『虹天剣』の方角からメリヒムの居場所‥‥‥
 
「を!?」
 
 ほとんど間を置かず、後ろから飛んできた『虹』を危うく躱す。
 
(『虹天剣』って‥‥こんなに、回転速く撃てるのか‥‥!?)
 
 大砲やレーザー砲、のような印象を持っていたのだが、今のはまるで『連射』だ。
 
(前っ‥‥!)
 
 思う間に、またも虹の爆光。
 
(一度、この炎幕の中から出てメリヒムの位置を掴まないと‥‥‥‥)
 
 避けるので手一杯。いつか、『腕試し』という名目で戦った時と変わらないような攻防に、まるで自分が成長していないような錯覚に捕らわれながらも、悠二は次の一撃を躱して離脱しようと、感覚を研ぎ澄ませる。
 
(右‥‥‥?)
 
 感覚を研ぎ澄ませているにも関わらず‥‥
 
(左‥‥‥?)
 
 イマイチ、その方角をわかりづらく感じる悠二が‥‥‥
 
(っ! 違う!)
 
 信じられない確信を持ち、一拍遅れてそれを目にする。
 
 『虹天剣』が、“同時に”、“左右両方”から襲い掛かってきていた。
 
 
(嘘だろ!?)
 
 
 虹の爆発が、『星黎殿』に弾けた。
 
 
 
 
「はあっ‥‥はあっ‥‥はあっ‥‥!」
 
 左右同時の『虹天剣』、何とか躱したが、余波だけでもかなりのダメージである。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 手を上に向け、指をパチンと鳴らす。そこから広がる黒の波紋が、周囲の異能全てを“探知”した。
 
(‥‥そういう事か)
 
 徒が空に入り乱れているせいで、感知能力だけでは気付かなかったが‥‥今の『探知』でようやく理解した。以前、ベルペオルに聞いていたのだ。
 
 これが、先ほどの『虹天剣』のからくりと、もう一つの事を理解する。
 
「よっ‥‥‥と」
 
 人間ではあり得ない、超がつくほどに大きく跳躍し、土煙を裂いて尖塔の先に着地する。
 
 そして、メリヒムを中空に見つける。
 
 
「それが、『空軍(アエリア)』か‥‥‥」
 
「‥‥お前にしては、よく知っているな」
 
 もう隠す必要もない、とばかりに、『星黎殿』の至る所から、影が姿を現す。
 
 それは、宙に浮かぶ八面体の硝子の盾。‥‥その姿をした、道具タイプの燐子であった。
 
 メリヒムが近年に蘇ってからは、悠二に力を分けられる、という供給方法から、存在の力を無闇に食う燐子を新造してはいなかったが。
 
 かつて、メリヒムの半身とすら呼ばれた、『虹天剣』を自在に反射・変質させる、『攻撃のための盾』・『空軍』。
 
 それが今、ここに在る。
 
「‥‥ゆかりにやられて、力の供給源も無いのに、こんなに燐子を作るなんてな‥‥‥」
 
「‥‥今日一日だけ保てばそれでいい。あのままでは、お前と戦り合うには不足だったからな」
 
 暗に、認められている、という事実が含まれ、少し誇らしく感じられた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 フェコルーが言うには、プルソンはメリヒムにやられたらしい。
 
 おそらく、『ファンファーレ』の多角攻撃を、直線的な『虹天剣』で破壊出来たのも、これの力だろう。
 
 ‥‥本当に、自分が戦う事にして良かった。
 
 これが、『両翼』、“虹の翼”メリヒムの本気。
 
 今のメリヒムは、フェコルーも、ゆかりも、ヘカテーだって勝てない、そんな気がする。
 
「ふふっ‥‥‥‥」
 
 無論、自分だって勝てる自信があるわけではない。
 
 でも、自分が起こしたこの戦いで、自分が生かし、そして牙を剥いた最強の敵を、自分自身で相手にする事に、何処か安堵のような気持ちがあった。
 
「ははっ‥‥‥!」
 
 後は、自分でもよくわからない。
 
 『彼』の影響か、それとも元々これが自分の本質なのか。
 
 憧れ、欲した姿が、圧倒的な力を以てそこに在る。
 
 それを、越えたいと思った。
 
 
「来い、小僧」
 
 メリヒムが不敵に笑って‥‥‥
 
「死んでも、恨むなよ」
 
 
 悠二の顔に、燃え立つような喜悦が浮かぶ。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 三話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/06 09:23
 
「そぉらあ!」
 
「っむん!」
 
 紫と群青の炎がぶつかり、乱れて、弾ける。
 
「っ舐めるな!」
 
 眼前に対するマージョリーに、巨大な剛槍を振り上げる。
 
 その、右腕を‥‥‥
 
「っ‥‥‥!?」
 
 無数の、不可視の糸が絡め取った。
 
(『鬼功の繰り手』!)
 
 さらに‥‥‥
 
(くそっ!)
 
 背後から、自在法発現の気配を感じる。
 
「『グリペンの咆』!」
 
 ドォオオオン!!
 
「っ‥‥‥‥」
 
 咄嗟に亀の甲羅のように変質させたシュドナイの背中を、極光の一筋が砕き、
 
「『ドラケンの哮』!」
 
 二筋目の極光の矢が、砕けた部分を正確に、シュドナイの体を貫いた。
 
「ぐあああああ!」
 
 シュドナイが苦痛に顔を歪める間に、不可視の糸がギリギリと締め付け‥‥
 
「ああっ‥‥!?」
 
 右腕を、ブチブチと嫌な音を立てて引き千切った。
 
「っ‥‥‥‥!」
 
 その苦痛に絶叫を上げる事に耐え、シュドナイは右腕と共に落ちる『神鉄如意』を左腕を海蛇のように変化させて拾い上げた。
 
「くくっ‥‥流石に、やるな」
 
 言いながら、文字通りに肉が這い上がり、右腕が生え、胸に空いた風穴が埋まる。
 
 だが、それは外見だけの事、削られた存在の力は、今この場では戻らない。
 
「いくらあんたと“狩人”でも‥‥本気で私たち全員を止められると思ってんの‥‥‥?」
 
「どうかな? 勝負は最後までわからんさ‥‥‥」
 
 マージョリーの挑発を気にした風もなく返して、シュドナイはその両腕を巨竜のそれへと変えた。
 
「君たちだって、さっきの『銀染花』がかなり堪えてるんだろ? 息が上がっているぞ」
 
 それでも、三対一なら今のシュドナイよりは分が良い。
 
 フリアグネとマリアンヌは、火除けや武器殺しなどの制約を一切受けないレベッカが一人で何とか押さえ込んでくれている。
 
 後は、三人掛かりでシュドナイを仕留めれば決着がつく。
 
「悪いが、これでもこの世界がお気に入りでね。止めさせてもらう」
 
「‥‥そうか、それは“残念だったな”」
 
 サーレの言葉に、“誰か”への絶対の自信と信頼に満ちた言葉を返すシュドナイ。
 
 その、瞬間‥‥‥
 
 ズッ‥‥‥‥ンン!
 
 『詣道』が、揺れた。
 
 薄く笑うシュドナイの左手首には、銀色の蛇のブレスレットが巻かれていた。
 
 
 
 
「く、そぉ‥‥!」
 
 『空軍(アエリア)』に包囲された『星黎殿』‥‥否、坂井悠二。
 
 悠二を中心とした鏡の結界の中で、中世最強を謳われた自在法・『虹天剣』が乱反射を繰り返す。
 
 直線的、という欠点を補い、しかも距離によって威力の落ちない破壊の虹は、絶える事なく悠二を襲う。
 
 文字通りの防戦一方だった。
 
(まず、あの『空軍』を何とかしないと動きが取れない‥‥‥!)
 
「はあっ!」
 
 『虹天剣』を跳び越えて、そのまま中天に浮かぶ八面体の鏡に向け、黒の炎弾を放つ。
 
 しかしそれは、反射された『虹天剣』によって中途で撃ち抜かれる。
 
(よし‥‥‥!)
 
 目論見は外れたが、『虹天剣』が一発、彼方へと飛んでいく。
 
「おおおおおっ!」
 
 最早、この状況ではどこにいても同じ。
 
 大剣を振り、ダンッと重く踏み込んだ悠二が一気に距離を詰める。
 
 その先で、こちらに向けられているのは、七色の輝きを集める切っ先。
 
「ふっ‥‥‥!」
 
 その『虹天剣』を掻い潜って懐に飛び込む。
 
 ギィン!
 
 大剣と細剣がぶつかり、火花を散らす。
 
「ああああああ!」
 
「おおおおおお!」
 
 そのまま、途切れる事の無い斬撃が、両者の間で繰り返される。
 
 火花を散らし、撥ね上げ、受け止め、躱し、躱され、ほんの数秒の間に何十合と打ち合う二人の剣舞は、またも反射・変質して、横合いから悠二だけに向けられた“先ほどの『虹天剣』”によって終わる。
 
 大きく跳躍してそれを躱した悠二の頬を、メリヒムが追うように放った赤い光が掠め、血が伝う。
 
(‥‥さあ、どうしようか‥‥‥‥)
 
 戦えば戦うほどに思い知らされる、“虹の翼”の底知れない実力を知って‥‥‥‥
 
 それでも悠二は、悠然たる笑みを浮かべていた。
 
 
 
 
「ぎゃあああああ!」
 
「くそっ! たった一人に何やってる!?」
 
「たかが道具タイプの燐子一つ壊せないってのか!?」
 
 喚いた徒たちの首を、硬化されたリボンの先が瞬く間に貫く。投げ飛ばす。爆砕する。
 
(メリヒム‥‥‥‥)
 
 相手は、自分とマージョリーを同時に相手にし、結果的にあの時、戦いの場にいた殆どの者を沈めた、坂井悠二。
 
 『創造神』の力を、引き出せる少年。
 
「無事に済む、のでありましょうか‥‥‥」
 
 わかるはずもなく、また、希望の希薄な問いに、ティアマトーはやはり返事をくれない。
 
 自分でも、馬鹿な質問をしたと思う。
 
(今の私に、出来る事‥‥‥‥)
 
 『王』と戦うほどの力は残っていない。
 
 メリヒムと悠二の戦いに手を出しても、足手まといにしかならないだろう。
 
 無論、フェコルーやベルペオル、無数の徒たちに守られる『創造神』に手を出すのも無謀。
 
(『空軍』を守り‥‥メリヒムを助ける)
 
 
 
 
(地震‥‥‥?)
 
 マージョリーたちとシュドナイたちが激戦を重ねる最中、一人『詣道』を飛び、『神門』を目指す紅蓮の少女・シャナが、地響きのような音と、不気味な衝撃を感じ取る。
 
(何か‥‥‥‥)
 
 そもそもこの世ではない『詣道』に、自然災害としての地震など起こるわけがない。
 
 とはいえ、これだけ離れた今、マージョリーたちの戦いの影響がここまで及ぶとも考えにくい。
 
 そして何より、この‥‥体の奥底から湧き上がるような、言葉にし難い感覚。
 
(この『詣道』に‥‥何かが起きてる‥‥‥?)
 
 
 
 
「オオ‥‥‥ッアアアアアアアア!!!」
 
 身震いするような虎の咆哮と共に、濁った紫の炎が燃え上がる。
 
 突如起こった『詣道』の地震とほぼ同時の事態に、フレイムヘイズらはわけもわからぬまま身構える。
 
「ッゴァアアアアア!!」
 
 やがて炎は消え、巨大な“それ”は姿を現す。
 
 巨竜の両腕、膝から下には鷲の足、頭には鬣と角を生やし、背中には蝙蝠の羽、蛇の尻尾、さらには、その体から針鼠のように『神鉄如意』の穂先を並べる‥‥巨大な虎の化け物。
 
 常からシュドナイが好んで取る姿によく似た姿が、先の“祭礼の蛇”にも負けない巨体として顕現していた。
 
(どういうつもりっ!?)
 
 マージョリーは、その凄まじい顕現の存在感よりも先に疑問が先に立っていた。
 
 急に力が都合良く増大するわけがない。シュドナイの力自体はさっきまでと変わらない。
 
 だからこれは、彼が一時的に無理をして、振り絞るように力を振るっているだけ。
 
 だが、そんなもの、長くは続かない。
 
(一気に決めるつもり? それにしたって‥‥‥)
 
 先ほどの『銀染花』と同じだ。いかに強力な力でも、“今から攻撃がくる”とわかりきっていれば、対処のしようはある。
 
 そして、それら全てを、この“千変”シュドナイがわかっていないはずがない。
 
 だからこそ、不可解だった。
 
「っ!?」
 
 思う間に、また地震。
 
 ‥‥‥地震?
 
「‥‥そういう事か。私たちまで付き合わせるとは、いい迷惑だ」
 
 見れば、フリアグネがレベッカとの戦いを完全に放棄してシュドナイに近寄っていた。
 
「悪かったな、お前たちにまで気を回す余裕が無かったのは素直に詫びよう」
 
「‥‥‥いいさ、意地でも生き延びてやる」
 
「‥‥‥フリアグネ様?」
 
 既に何かを察したらしいフリアグネ。
 
 マージョリーの、キアラの、サーレの、レベッカの頭に、嫌な予感だけがよぎる。
 
 そんな中、シュドナイは構わず、その姿でさらに、さらに力を練り上げていく。
 
「この地震‥‥何だと思う?」
 
 ズバリ、嫌な予感の根幹を、シュドナイが指す。
 
 そして応える前に最悪の結論を口にした。
 
「我が盟主が、この『詣道』の維持を手放し、力を解いた」
 
 巨大な虎の全身から濁った紫の炎が吹き出し、力を充溢させる。
 
「この『詣道』が、崩壊するという事だ」
 
『!?』
 
 今度こその決定的な宣告に言葉を失うフレイムヘイズたちは、同時に、シュドナイの狙いにも気付く。
 
 
「盟主がこの両界の狭間から数千年もの間出られなかったのは、秘法・『久遠の陥穽』によって紅世やこの世を目指す術を失っていたからだ」
 
 『神門』へと続く道は、シュドナイによって塞がれている。
 
「俺たちにとって、『詣道』の無い両界の狭間は、通常の『狭間渡り』と何ら変わらん」
 
 逃げ場は、無い。
 
「だが‥‥お前たちにはどうかな? ‥‥“元人間”!?」
 
 わかっていても、言うしか無かった。
 
「逃げるわよ!!」
 
 だが、当然それは叶わない。
 
「元々が不安定で歪な『詣道』。『創造神』の加護を失った今‥‥崩すのも容易だろうさ」
 
 力を溜めるように、紫炎が一瞬、収縮し‥‥‥
 
 
「この狭間に果てろ! 『炎の揺らぎ(フレイムヘイズ)』!!!」
 
 
 尖塔のような巨大な槍撃が、数千にも及ぶ数で、上に、下に、右に、左に広がる大地全てを、貫き、砕く。
 
 
 
 
 『詣道』に在った幾つもの炎が、両界の狭間へと‥‥‥消えた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 四話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/07 20:57
 
「うりゃっ!」
 
 ゆかりが投げた何かが、一直線に向かってくる。
 
「こんな物!」
 
 あっさりと風で弾き飛ばし、フィレスは一気にゆかりとの距離を詰めようとして‥‥
 
「っ!」
 
 一足速く、ゆかりが突っ込んできていた。
 
 そう、身構えるフィレス。
 
 その目に‥‥‥‥
 
「んなぁ!?」
 
 吸い寄せられるように、ゆかりがさっき投げ、フィレスが弾いた物が、再び接近、装着されていた。
 
 それは、パーティーにでも使いそうな鼻眼鏡。
 
「う‥‥‥‥」
 
 当然、普通の鼻眼鏡なわけがない。眼鏡ごしに、花畑で踊る小さな、たくさんのドミノたち、という幻影が見える。
 
 無論、ゆかりはその隙を逃さない。取り出した水鉄砲のような物で、フィレスを射撃、派手な蛍光色のペンキ弾が直撃する。
 
「こん、のぉ‥‥!」
 
 自分の顔ごと鼻眼鏡を殴って割り、怒りのままにゆかりに殴り掛かろうとして‥‥‥
 
「‥‥‥え?」
 
 『星黎殿』の至る所から、無数の投擲武器が飛んでくる。躱しても追ってくる。
 
 フィレスにベッタリ付いた蛍光色のペンキ目がけて。
 
「はあああああ!!」
 
 逃げ惑うフィレスの隙を突いて、ゆかりが特大の炎弾を放り投げ、
 
 ドォオオオオン!!
 
 直撃させる。
 
「あ、あんたねえ〜〜〜!! ふざけてんのっ!?」
 
「大マジです」
 
 言葉通りに大真面目に頷いて、ゆかりはさらに、妙にゆるゆるな靴下を投げつける。
 
 
 
 
(さて‥‥‥‥)
 
 数は数十、『空軍(アエリア)』の包囲の外側から誰かに破壊してもらえると助かるのだが、どうやらヴィルヘルミナが邪魔している。
 
(こういうの、ヘカテーの専門分野だけど‥‥‥)
 
 『虹天剣』を反射させる鏡である。同じ『光』の性質を持つ『星』も弾いてしまう気がする。
 
 それに、ヘカテーとゆかりも『約束の二人(エンゲージ・リンク)』と戦っている真っ最中だ。
 
「自分で何とかするしかない、か‥‥‥!」
 
 言って、目を見開いた悠二の全身から黒炎が湧き上がり、それらは数十の炎弾を形成する。
 
 また、飛びくる『虹天剣』を一跳び躱して、
 
「行け!」
 
 四方八方にそれらを向け、飛ばす。向かう先は、メリヒムの燐子・『空軍』。
 
(させるかっ!)
 
 『虹天剣』の乱反射、そしてメリヒム自身が飛び出し、それら無数の黒炎弾を撃ち落とさんとして‥‥‥
 
「囮だよ」
 
 悠二がぐっ、と握った掌の動きに合わせて、炎弾一つが一点を目指してその力の向きを変える。
 
 その先は‥‥‥
 
「っ‥‥ ヴィルヘルミナ!」
 
 未だゆかりに受けた傷の癒えぬヴィルヘルミナ。
 
(っ‥‥‥‥!)
 
 ヴィルヘルミナはそれを躱し、代わりに『空軍』が一体破壊される。
 
「そっちが、ね」
 
 そして、メリヒムがそちらに僅か気を取られた。
 
 それで、悠二にとっては十分。
 
 ダンッ! と石畳を砕くほどに強く跳躍し、広がる視界に『空軍』を幾つも収め。
 
「はあああああ!!」
 
 クルリ、と軽く横に一回転した悠二の緩やかな動きに合わせ、漆黒の竜尾が『星黎殿』の端まで届くほどに長々と伸長し、薙ぎ払い‥‥‥
 
「っ!?」
 
 『空軍』を、次々に破壊した。
 
(よしっ!)
 
 全部破壊出来たわけではないが、これでさっきのような防戦一方に追い込まれはしない。
 
 そのまま、落下の勢いに任せて、メリヒムに斬り掛かる。
 
「『草薙』」
 
 大剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』が、『斬撃』の性質を持つ黒炎を纏い、切れ味を飛躍的に上昇させる。
 
「舐めるなっ!」
 
 メリヒムが咆え、細剣が青く輝く。
 
 バツッン!!
 
 剣と剣が衝突し、炎と光が弾け、両者跳び退く。
 
「むっ!」
 
 跳び退きながら悠二は軽く首を振る。
 
 漆黒の竜尾が伸び、しなり、メリヒムを襲う。
 
「く、そっ!」
 
 跳び退いた不安定な体勢を狙われ、倒れるようにこれを避ける。たった今立っていた場所を、竜尾の一振りが砕いた。
 
 そこをさらに悠二が狙って、特大の炎弾を放つ。
 
(だから‥‥どうした!)
 
 メリヒムは寝転がるような体勢のまま、細剣を悠二の方に向ける。
 
 他でもない、悠二が放った炎弾そのものを目隠しにして‥‥‥‥
 
「はあっ!」
 
 『虹天剣』が奔り、炎弾を貫き、その向こうに突き抜ける。
 
「ははっ‥‥!」
 
 だが、悠二はそれを読んでいたかのように、炎弾の上に跳んでいた。
 
 燃えるように強く笑って、大剣を振り上げる。
 
 その『吸血鬼』の一撃に先んじて、漆黒の竜尾が空気を裂いてメリヒムに迫る。
 
「ちぃっ!」
 
 リベザルの大角を苦もなく止めてのけるほどの力を持つ竜尾の一撃を、メリヒムの細剣が、黄色に光って払いのけた。
 
 連なるように、悠二の『吸血鬼』が奔る。
 
 それを‥‥‥
 
「うっ‥‥‥!」
 
 斬撃の軌道に飛び出した、緑の光が‥‥弾いた。
 
 宙で大剣を押されてバランスを崩した悠二に、さらに橙色と藍色が向けられる。
 
「もらうか!」
 
 中空で体を捻り、曲芸のように回転しながら、その光を斬り払う。
 
 頭から落下する悠二は、そのまま"竜尾で着地"、"真横に跳躍"し、一気にメリヒムに突っ込む。
 
「「っはあ!」」
 
 黒炎の大剣と閃虹の細剣がぶつかり合い、大気が弾け飛んだ。
 
 そこで剣檄は止まらない。赤、橙、黄、緑、紫、藍、青、と次々に繰り出されるメリヒムの光剣を、悠二の黒く燃える魔剣が捌き、返す。
 
 互いに剣の届く距離で、肌を灼くように火花の嵐が広がっていく。
 
 それでも、剣は当たらない。
 
 『吸血鬼』の能力で、存在の力を流す事も出来ない。
 
 その拮抗が‥‥崩れる。
 
(何‥‥‥)
 
 大剣と細剣がぶつかり、弾けるその瞬間‥‥悠二が黒く燃える左手を構えた。
 
(面白‥‥‥)
 
 メリヒムも同様に虹に燃える左手を構え‥‥
 
(っ違う!!)
 
 ギィンッ!
 
 悠二の‥‥『草薙』を纏った"左手の斬撃"を、咄嗟の判断で左手の炎ではなく、ギリギリで振り上げた細剣で弾いたメリヒム。
 
「ぐっ、むぅ‥‥!」
 
 その、"抉られた左目"から吹き出す七色の火花を、メリヒムは押さえる。
 
「っは!」
 
 そのメリヒムを、悠二は後頭の竜尾を振るって殴り飛ばした。
 
 凄まじい勢いでメリヒムを叩き込まれた尖塔が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
 
 その、崩落と土煙の渦の中から‥‥‥‥
 
「『虹連剣』」
 
 弾かれるように飛び出したメリヒムの剣先から、七色七筋の光条が奔り、悠二を襲う。
 
「なっ‥‥‥!」
 
 左目を抉られたメリヒムの怯まない反撃に驚愕する悠二の左腕を、赤い光条が掠め、血が吹き出す。
 
「くっ、このっ!」
 
 他の六条を躱し、弾いて回避し、反撃に移ろうと大剣を振るう悠二‥‥その後方で、
 
 バチィイ!
 
 一度は躱した青の光条が、『空軍』に反射され、後ろから『吸血鬼』を直撃、弾き飛ばした。
 
「終わりだ」
 
 丸腰になった悠二に向かい、メリヒムは細剣を振って駆け出す。
 
 迎撃として差し向けられた竜尾を飛び越え、繰り出された黒い炎を、同様に七色の炎で止め、悠二に迫る。
 
(跳んで逃げた瞬間、『虹天剣』で狙い撃つ‥‥!)
 
 と、メリヒムは楽観せず、丸腰の自在師相手のセオリーを一瞬で頭の中で組み立てる。
 
 だが、悠二はメリヒムの予想に反して動かない。
 
(あの、斬撃系の自在法だけで斬り結ぶつもりか‥‥‥?)
 
 そんな風に考えるメリヒムの前で、悠二は姿勢を低くし、左の腰元に両手を硬く添える構えを取る。
 
 それはまるで、刀の抜き打ちのような構え。
 
 この状況で、別段焦った様子は無い。むしろ、異様に落ち着いている。
 
「‥‥借りるよ」
 
 小さく呟いて、湧き出た黒い炎の中から、構えた両手に、"それ"は姿を現した。
 
 どこまでも優美な反りを持つ、細くも分厚い刀身。
 
 切っ先は刃の広い大帽子。刀身の皮鉄と刃の刃鉄は、刃文も見えないほどに溶け合う銀色。
 
 強者こそが持つに足る、神通無比の大太刀。
 
("『贄殿遮那』"!?)
 
 ピィ‥‥‥ッ!
 
 一閃。
 
 丸腰の相手に斬り掛かるつもりだったために、間合いを計り違えたメリヒム。
 
 ギリギリで身を反らしたその頬が、浅く斬り裂かれていた。
 
 その傷から、虹の火の粉が零れる。
 
 
「「‥‥‥‥‥‥」」
 
 両者、全く退かない攻防。
 
 全身が燃え上がるように熱くて、攻撃を受け、避ける瞬間、凍り付くように冷たくて、腹の底から何とも言い難い衝動が湧いてくる。
 
 メリヒムは、本当に久しぶりの。悠二は初めての感覚に‥‥‥
 
 知らず、笑みを浮かべていた。
 
 
 
 
「「『双子座(ゆカテー・コンビネィション)』!!」」
 
 ヘカテーの、そして『オルゴール』に刻んだゆかりの『星(アステル)』。
 
 それが、ゆるゆるの靴下に文字通りに"踊らされる"フィレスに放たれた。
 
「フィレス! 靴下を!」
 
「わかっ、て、ひゃっ!? る!!」
 
 ヨーハンが慌ててフィレスに近寄り、自在式の防壁を張る。
 
 通常の時の倍の流星群がそれに直撃、阻まれる。
 
 だが‥‥‥‥
 
「く‥‥‥っ!」
 
 ドドドドドドドォオン!!
 
 あまりに強力な力押しに、敢えなく競り負け、被爆した。
 
「くっ‥‥‥!」
 
「けほっ‥‥‥!」
 
 水色と翡翠の爆炎を裂いて、風の恋人たちが飛び出す。
 
 幸か不幸か、今の一撃で靴下は焼けてしまっていた。
 
「まだ‥‥戻って来ないの?」
 
「正直、きついかな‥‥!」
 
 『神門』を見据え、二人呟く。
 
「フィレス、行くよ」
 
「お願い、ヨーハン」
 
 短く確認しあって、ヨーハンの手の中で自在式が渦巻き、それはすぐにフィレスに掛けられる。
 
 『加速』の自在法。
 
「「っ!?」」
 
 対するヘカテーとゆかりが驚愕するほどの疾さでフィレスは翔び、ゆかりの首を掴んでヘカテーと引き離す。
 
 そして、琥珀の風・『インベルナ』がゆかりを包む。
 
「ゆかり、あなた、"尽くす女"もほどほどにしておかないと、幸せ逃がすわよ?」
 
「っ!」
 
 ちゃんと話してもいない事実、そして心中を語られて、ゆかりは僅か、狼狽し、そして怒った。
 
「余計なお世話! "これ"が私の幸せだ!!」
 
 
 そして、翡翠が弾ける。
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 五話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/08 15:38
 
「アラストール! これは!?」
 
 空気が揺れ、大地が割れ、全てが崩れていく『詣道』。
 
「むぅ‥‥この異界を造り上げた“祭礼の蛇”自身がすでに帰還を果たした以上、もはやこの『詣道』は不要、という事であろう」
 
 崩壊はシャナの後方‥‥シャナは知りはしないが、シュドナイが『詣道』そのものに全力の一撃を叩き込んだ空間から加速度的に進んでいる。
 
「これじゃあ‥‥‥っ‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 マージョリーたちは、とっくに崩壊に巻き込まれている。
 
 シャナはその、最早確定的な事実を、口にする事を躊躇った。アラストールも、何も言いはしない。
 
 何があろうと、何が起ころうと、やるべき事は変わらないから。
 
 
「急げ! いつ『詣道』全てが崩れるかわからん!」
 
「うん!」
 
 
 紅蓮の双翼に爆発するような力を込めて、紅の少女が世界の狭間を奔る。
 
 
 
 
「はあっ!」
 
 悠二の大太刀が奔り、メリヒムの細剣が受け止める。
 
「ぐ‥‥‥‥!」
 
 下から逆袈裟に斬り上げられた一撃を止めたメリヒムの体が、そのまま高々と上方に撥ね上げられる。
 
「っ!?」
 
 そこを狙い撃つように振るわれた漆黒の竜尾が大気を裂いてメリヒムを襲い‥‥‥
 
「ふっ!」
 
 体を丸めるように躱したその後ろで、尖塔が一つ、断ち割られる。
 
(よし‥‥!)
 
 手にくる感覚に、悠二は内心で満足する。
 
 初めて扱う武器だったからやや不安だったが、柄紐が手によく馴染む、長い刀身とバランスを取るように柄は重く、取り回しやすい。何より、剣閃がまるで乱れない。
 
「行くぞ」
 
 メリヒムの着地する場所に先んじて駆け出し、着地の寸前、踏ん張りの効かない一瞬にまた斬りつける。
 
 当然のようにまたも斬撃の勢いに弾かれるメリヒムに向け、炎弾を‥‥‥
 
(っくる!)
 
 放とうとして、もうこの短時間に何度も味わった、背筋の凍る感覚‥‥『虹天剣』の発動を感じ、前に大きく跳躍した。
 
 メリヒムが後ろに弾かれながら放った『虹天剣』が、たった今まで悠二が立っていた空間を灼き貫く。
 
 その上を飛び越えてくる悠二が、今度こそ特大の黒い炎弾を放り投げた。
 
(出来る‥‥‥)
 
 メリヒムが、その炎弾を断ち斬るべく細剣を緑に輝かせる。その、足下には、黒い炎に照らされた‥‥メリヒム自身の銀色の影。
 
(狙うのは、攻撃の瞬間。メリヒムが、炎弾に全ての意識を向ける一瞬‥‥)
 
 そして、“両者の予測通りに”メリヒムが炎弾を断ち斬った、瞬間‥‥‥
 
(今だ!!)
 
 悠二が左手の人差し指と中指を二本、ピッと上に立てる。
 
 それに誘われるように‥‥‥
 
 ドドドドドッ!!
 
「ぐぁあっ!?」
 
 足下の銀影から、同色の銀の槍の穂先が飛び出し、メリヒムの足を、背を、二の腕を刺し、あるいは貫いた。
 
「くっ‥‥‥‥がぁあっ!!」
 
 メリヒムは痛みを食い縛り、忌々しげに銀槍を斬り払う。
 
 そして、間を置かずに、上空から悠二の全力の斬撃が降ってくる。
 
 ガァアン!!
 
「くっ、そ‥‥‥!」
 
 何とか止める、が、そのまま押し切られ、弾かれるように地面を三、四回転転がる。
 
(まずいな‥‥‥)
 
 自在師としての能力の幅広さ、見た目に反した強力な腕力、少ない力で大きな影響を生み出す顕現の実行力。
 
 認めたくはないが、地力の差が出てきた。
 
 と、その時‥‥‥‥
 
「「っ!!?」」
 
 メリヒムに意識を集中していた悠二、そんな悠二を襲った奇襲を目にしたメリヒム、双方が驚愕に目を見開く。
 
 あっという間に、悠二の体を純白のリボンが蓑虫のように絡め取る。
 
 その先には、いつから潜んでいたのかはわからないが、『気配隠蔽』の白装束に身を包んだ『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメル。
 
「っ邪魔だ!!」
 
 悠二の全身から黒炎が迸り、純白の戒めを容易く焼き散らす。そのまま漆黒の竜尾が伸び、
 
「あ、ぐぅ‥‥‥!」
 
 未だ傷深く、体が追い付かないヴィルヘルミナの鳩尾に、その先端が深々とめり込み、ヴィルヘルミナを、ガァン、と轟音を立てて城壁の向こう側にぶち込んだ。
 
 元々、今のヴィルヘルミナが太刀打ち出来る相手ではない。それは、ヴィルヘルミナ自身わかっていた。
 
 わかった上で立ち向かい、そして“想定通りに”やられた。
 
(‥‥‥‥‥っ!?)
 
 全ては、この僅かな時間のため、それを無駄にするメリヒムではない。
 
(避け‥‥‥駄目だ、大きすぎる‥‥!)
 
 ヴィルヘルミナに僅か意識を向け、メリヒムに戻す。
 
 そこには、眩しいほどに輝く虹の翼を広げる、銀髪の剣士。
 
(“出来るか”‥‥?)
 
 自分の右手を、見る。
 
 だが、考えている時間は無い。
 
 
 メリヒムの背にした翼が、発動の予兆として凝縮する。
 
「終わりだ」
 
 一瞬で、複雑怪奇な黒の自在式が悠二の腕に絡み付く。
 
「喰らい尽くせ!」
 
 
 七色の『虹天剣』と黒の『蛇紋(セルペンス)』が、放たれ、ぶつかる。
 
 
 
 
「はあっ、はあっ、はあっ‥‥‥‥!」
 
 やはり、強い。
 
(『加速』って、こんなに厄介な物なんだ‥‥)
 
 少し前に自分が使っていた自在法、いざ相手に使われると対応に困る。
 
(けど、私のスピードとヘカテーの『星(アステル)』があれば、何とかなるか‥‥)
 
 フィレスの方は、自分たちよりも消耗している。このまま行けば、勝てる。
 
 と、そこまで考えたゆかり、だけでなく周囲の皆が‥‥‥
 
 ゾクッ‥‥!
 
 上空で盟主が『存在の泉』の力を使って、秘法を練っているというのに、肌に感じる凄まじい力と力。
 
 見下ろせば、眼下の『星黎殿』で光り、燃える、黒と虹。
 
(‥‥やばい、かな)
 
 おそらく、両者全力の一撃。逃げるつもりも無いように見える。
 
「‥‥‥ヘカテー、少しの間、あの二人を一人で押さえられる?」
 
 ヘカテーだって、今すぐでも悠二を助けに飛んでいきたいのはわかっている。
 
 ‥‥感情が全く入っていないと言えば嘘になるが、これはそれ以上に、『適材適所』の要素が大きい。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ヘカテーも、わかってくれているのだろう。じーっと、数秒探るように見つめた後に、渋々く頷いてくれた。
 
 “戦力的な意味”では迷わずに首を縦に振ってくれるのが、この上なく頼もしい。
 
 
(タイミングが、鍵‥‥!)
 
 
 
 
 今までで最大の、特大の『虹天剣』が飛ぶ。
 
 そして、黒炎で編まれた八岐の大蛇が、同様に襲いかかる。
 
「「っあああああああ!!」」
 
 『蛇紋』と『虹天剣』の衝突が、黒炎と閃虹の衝撃を撒き散らし、尖塔が倒れ、城が崩れ、『星黎殿』全体が軋み、亀裂が奔り、裂けていく。
 
 
(‥‥破壊力で、互角‥‥‥っ!?)
 
 やがて弾け、黒炎と閃虹が嵐のように吹き荒れる。
 
 貫いた感覚は‥‥無い。
 
 受け入れがたい事実を、しかし受け止めて、メリヒムは細剣を構え、足の痛みを無理矢理無視して、炎の中に駆け出す。
 
 自在法の技巧では叶わない。体術も、この傷では長くは保たない。存在の力の総量では勝負にもならない。
 
 唯一優位に立っていると思っていた破壊力も、互角。
 
(この一撃に、全て懸ける‥‥!)
 
 
 
 
(やっ、た‥‥!!)
 
 我ながら半信半疑だったが、『虹天剣』と渡り合う威力を引き出せた。
 
 湧き立つような万能感を感じて、それを燃え立つような喜悦へと変える。
 
 だが、これで終わりでは無い事もわかっている。
 
 両手で握った大太刀・『贄殿遮那』を、右下に構える。その刀身が、黒き炎を纏っていく。
 
(斬撃に、斬撃を重ねる‥‥‥)
 
 『贄殿遮那』は、神通無比と表現されるほどの強度と、恐ろしいまでの切れ味を兼ね備えた業物である。
 
 その刀身に、炎を宿した対象に強力な『斬撃』の性質を持たせる自在法・『草薙』を纏わせ、さらに強く、鋭く、研ぎ澄ませる。
 
(ここで決める!)
 
 そのまま黒く燃える大太刀を構えて、虹の爆炎を突き抜け、走る。
 
 
「「っ!」」
 
 全くいきなり、あるいは呆気なく、両者は対峙する。
 
 互いに炎幕を突っ切り、最短距離を走った結果、容易く互いを見つけた。
 
「ふっ!」
 
 メリヒムが、至近から七色に輝く『虹天剣』を振り下ろし、
 
「はあっ!」
 
 悠二が、『草薙』を纏った『贄殿遮那』を振り上げる。
 
 
 キィイ‥‥‥‥ン‥‥
 
 
「「‥‥‥‥‥‥‥」」
 
 威力にそぐわない、軽い金属音が響く中、長いのか短いのかわからない沈黙を経て‥‥‥‥
 
「‥‥っ‥‥‥!」
 
 カランッ、と硬い音がして、“折れた細剣の刀身”が落ちる。
 
 口から吐血のように虹の火の粉を吹き出すメリヒムの横腹に、大太刀の刃が深々と食い込んでいた。
 
「‥‥‥終わりだ」
 
 冷たい呟きを零して、身を離そうとする悠二。
 
 その後退を、大太刀をぐっ、と握り、胸ぐらを掴む事で、メリヒムが止めていた。
 
「‥‥ああ、そうだ、これで‥‥‥‥」
 
「‥‥‥!」
 
 意識がある限り、まだ向かってくる。そんな風に思っていた悠二は、メリヒムのその言葉に驚く。
 
 しかし、結果的にその驚きは誤り、その前の認識が、正解であった。
 
「今度こそ‥‥これで終わりだ」
 
 掴んでいた胸ぐらを、殴るようにドンッ! と離して、立つのも辛いのか、ふらふらと後退る。
 
「なっ!?」
 
 そこで、悠二は気付き、戦慄する。
 
 いつの間にか、囲まれている。
 
 折れた刀身の代わりに虹の刃を持つ、柄だけの細剣を握り、それを悠二に向けている‥‥‥
 
 たった今まで自分の胸ぐらを掴んでいた『本人』を含めた‥‥‥“七人のメリヒム”。
 
 それら全ての切っ先から、一色ずつ光が流れ、混じって、悠二を囲む虹の輪を作り出す。
 
(これが、本当の狙い‥‥‥!?)
 
 剣と剣の全力のぶつかり合いは、至近で自分を捕らえるための布石。
 
(剣と剣で『贄殿遮那』に敗ける事を想定していた? あのまま斬り殺されててもおかしくないのに‥‥!?)
 
 メリヒムの、あまりに無茶苦茶な特攻戦術に、背筋が凍る。
 
(逃げ場が無いっ、上‥‥ダメだ。いい的になるだけだ!)
 
 思考を巡らせるが、もはや逃げ場も、逃げる間もない。
 
 傷口から派手に散らせながらも、メリヒムは強く笑い‥‥‥
 
 
「『虹輪剣』」
 
 
 悠二の視界が、暗転する。
 
 
 
 
「あ‥‥‥‥?」
 
 虹輪が収縮し、逃げる術の無い悠二を中心に炸裂する。
 
 そのはずだった。
 
(これ、は‥‥‥‥?)
 
 虹の輪が、“それ”にぶち当たり、“消えていた”。
 
 否、呑み込まれていた。
 
 それは、銀鏡が張り巡らされ、それだけで作られたような、銀色の球体。
 
 それが、至る所から翡翠色の炎を迸らせている。
 
 知っている。これと、よく似た物を、自分は知っている。
 
 未だ思考のまとまらないメリヒムの前で、
 
「『銀律万華鏡(カレイド・ミラーボール)』」
 
 銀珠の奥から、少年の声が響いて、直後‥‥パンッ! と鏡が割れ、弾けた。
 
 中から現れた少年は、何故か見慣れた少年の姿をしていて‥‥
 
「“悠二”!」
 
 何故か自分の名前を叫んで‥‥‥
 
 次の瞬間、黒く燃えて向かってくる。
 
 
 
 靡く緋色の凱甲と衣、流れる漆黒の竜尾。
 
 その姿が、何故かメリヒムの目に、強く、強く焼き付いた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 六話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/09 19:46
 
「‥‥どういう事だ?」
 
 力尽きて倒れ、天を仰ぐ。
 
 自分の右腕が宙で、虹色の火の粉となって消えた。
 
 胸を抉るようにもぎ取られた右腕の付け根が、酷く痛む。
 
 戦う力は、残っていなかった。
 
「‥‥さっきのは、"僕じゃない"」
 
 自分の横に、ドサッと腰を下ろした少年が、自分が見上げていたのとは別の天を指差した。
 
 そこには、翡翠の羽衣を纏って飛んでいる、ミステスの少女。その手に、以前鍛練の時に目にした黒い筒が握られている。
 
 確か‥‥‥
 
「‥‥『リシャッフル』、だったか‥‥‥?」
 
「ああ‥‥、僕一人じゃ、勝てなかった」
 
 認めたくない事実を突き付けられ、同時にその言い草が腹立たしくて、舌打ちして顔を反対側に向ける。
 
 そして、顔を背けた向こうで、悠二が立ち上がる気配がして、覚悟し、目を瞑る。
 
「‥‥‥‥‥‥‥?」
 
 しかし、覚悟していた感覚は無く。どこかに歩いていく靴音のみが聞こえる。
 
 訝しげに思って目を向ければ、やはり愛剣の方がしっくり来るのか、『贄殿遮那』はそのままに、さっき弾かれた『吸血鬼(ブルートザオガー)』を拾っていた。
 
 しかも、それをこちらに向けてくる気配は無い。
 
「‥‥‥‥おい、とどめはどうした?」
 
「‥‥‥‥もう立てもしないくせに、何言ってるんだ?」
 
 確かに、最早今の自分は脅威でも何でもないだろう。
 
 だが‥‥‥
 
「っ甘ったれるのも、いい加減にしろ! その程度の覚悟で世界を変えるなど‥‥‥」
「甘いのはそっちだろ。敗けた側に、とどめだの何だの決められると思ってるのか?」
 
 不覚にも、"少年のために"怒鳴っていた自分に腹が立つ。
 
 ‥‥反吐が出る。
 
「手加減なんてしてないよ。メリヒムが死に損なったのは、"お互いに"運が良かったんだ。わざわざ討滅なんてしてやらないよ」
 
 バシイッ!
 
 そう語る悠二の、『吸血鬼』を握る手に、純白のリボンが巻き付いた。
 
 その先に、言わずと知れたヴィルヘルミナ。
 
「‥‥‥それに、とどめ"させなく"なったみたいだし、ね」
 
 悠二が言い終わるか終わらないか、という瞬間‥‥‥
 
 ドォオオン!!
 
 悠二とメリヒムの間を、リボンすらも含めて、紅蓮の力が断ち斬った。
 
 見上げる宙天で紅蓮の翼を広げ、燃える灼眼でこちらを見下ろす‥‥『炎髪灼眼の討ち手』。
 
「シャナ‥‥‥‥」
 
 その背にした黒の『神門』が、砕けた。
 
 
 
 
「ぬおっ!」
 
 臙脂色の嵐が吹き荒れ、直下の、もはやほとんど包囲されたフレイムヘイズ兵団からの炎弾の雨の全てを阻む。
 
「やれやれ、どうしてこの姿を目にして、それを阻もうなどと考えるのかねえ?」
 
 捨て身で飛び込んできたフレイムヘイズたちが、その金色の三眼に睨まれた途端、いきなり金に燃え、消滅した。
 
「ェエーキサイティングッ!! ェエークセレントッ!! こぉーれぞ空前絶後にして前代未聞! こぉーれまで誰一人として成し得ず‥‥ぃ否っ! 実行に移そうともしぃーなかった世界の新・生ぃいーっ!!」
 
 UFOのようなおかしな乗り物に乗っている白緑の科学者がひたすら計測しつつ騒ぎ。
 
「ッオオオオオオ!!」
 
 そして、黒の大蛇が天を仰ぎ、咆える。
 
 天が黒雲よりなお暗い、闇そのもの如き黒に染まり、地がそれに照らされ、銀に塗り潰される。
 
 『創造神』の権能は天を裂き、地を呑み、世界にその力を伸ばしていく。
 
 やがて、天から黒が一筋降り、地から銀が一筋伸び、"二つのもの"を紡いでいく。
 
(見よ、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』‥‥)
 
 炎は、黒蛇を中心に渦巻く。
 
(見よ、『三柱臣(トリニティ)』‥‥‥)
 
 力は、黒蛇を中心に伸びる。
 
(見よ、坂井悠二‥‥‥)
 
 鎖が天と地を、世界と世界を結びつけていく。
 
 
(この世の理を、変えてみせる‥‥‥!)
 
 
 
 
「下がれ! 『仮装舞踏会』の徒たちよ!!」
 
 砕ける『神門』の下、少年の声が朗々と響く。
 
「『大命』成就に手を伸ばすこの今! 最早我らの脅威は"天壌の劫火"のみ! 魔神の供物にされたくなければ、天に昇り、『創造神』の守護に務めよ!!」
 
 『星黎殿』に取り巻く徒たち、今まさにシャナに襲い掛かろうとしていた徒たちが、戸惑い、固まる。
 
「ぐずぐずすんな! ここは私たちに任せてさっさと上がる! 十秒以内!!」
 
 続いて『姫』の怒声が響いて、弾かれたように動き始める。
 
「‥‥貴女たちも、逃げて下さい。これ以上あがいても無駄。後は追いません」
 
 冷たく呟く水色の巫女の周囲を、回避不可能な星の嵐が渦巻いていた。
 
 言われたフィレスは、砕け散った『神門』を見据えて‥‥‥
 
「‥‥そうさせてもらおうかな。もうこれ以上、待つ相手もいなさそうだし。下手すると私でも生け贄にされかねないし‥‥」
 
 そして、『星黎殿』で倒れる青年と、その傷を処置する給仕を見て、最後に紅蓮の少女を見る。
 
「あの二人の戦いを、見届けたらね」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 悠二が、メリヒムやヴィルヘルミナから意識を移した事を確認してから、上空に視線を移す。
 
「アラストール‥‥‥」
 
「‥‥ああ、間違いなくあれが、"祭礼の蛇"。そして‥‥世界の理をねじ曲げる秘法だろう」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 目を閉じて、あの街で『彼ら』に出会うまで、呼吸するように当たり前に認識していた『使命』に、気持ちを向ける。
 
 今、"天壌の劫火"アラストールのフレイムヘイズ、『炎髪灼眼の討ち手』が取るべき行動を、正確に理解して‥‥‥
 
「‥‥わがままでごめんね」
 
 短く、謝って。
 
「悠二!!」
 
 眼下の少年に、叫んだ。
 
 
 
 
(‥‥‥‥‥"悠二"?)
 
 初めての、その呼ばれ方を怪訝に思いながら、悠二はもはや数少ない尖塔の頂きにその足を着く。
 
 そして、シャナの上方で砕けた‥‥『神門』が在った空間を見る。
 
(『詣道』を‥‥崩壊させたのか。シュドナイとフリアグネを助けるために‥‥‥)
 
 つまり、マージョリーたちは‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 気を抜くと千々に乱れてしまいそうになる心を、まるで瞑想のように瞳を閉じて落ち着ける。
 
 全て、覚悟していた事。
 
 メリヒムを殺さずに止める事が出来たのだって、奇跡に近いものなのだ。
 
「‥‥‥ようやく、ここまで来た」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 シャナと戦う覚悟もあった。
 
 だが、何故シャナからこちらに降りてくるのか、意図が読めない。
 
 てっきり、『彼』を討滅しようと上に向かうシャナを阻む形で戦う事になると思っていたのだが、予想に反して、シャナは自分の目の前の尖塔まで降りてきた。
 
 言っている意味もよくわからない‥‥‥が、好都合だ。
 
 
「‥‥シャナの使命はわかってる。でも、ここで止めさせてもらう」
 
 『天破壌砕』
 
 祝詞と供物によって、"天壌の劫火"を『神威召喚』する、『炎髪灼眼の討ち手』にのみ許された秘法。
 
 それは、『神』としての権能を振るう『天罰神』を召喚させる、という性質上、『器』たる契約者‥‥この場合はシャナが、砕け散る。
 
 そして、供物とは"紅世の徒"。徒を生け贄‥‥‥『心臓(コル)』とし、契約者の祝詞で呼び出される事で、『天破壌砕』は発動する。
 
 『創造神』の‥‥『大命』の最大の障害であり、シャナの死を意味する行為。
 
(だから‥‥"僕が"止める)
 
 言い換えれば、供物たる徒がいなければ、この秘法は成立しない。
 
 余計な介入は既に除いた。後は‥‥"ミステスである"自分がシャナを止めさえすれば‥‥
 
 
(全てに、決着が着く)
 
 
 
 
「‥‥フィレス」
 
「‥‥皆、ボロボロね」
 
 一番深手なのは明らかにメリヒムだが、もはや全員、まともに戦える状態ではない。
 
 しかも‥‥‥
 
「「‥‥‥‥‥‥」」
 
 ちょっと離れた所で、ヘカテーとゆかりが睨みを効かせている。
 
「悪いけど、もう私たちの敗けよ。悠二がシャナを戦闘不能にしたら‥‥‥」
 
 それは、シャナに勝ち目がない、と言っている様に聞こえた。
 
 
「私は‥‥この場の全員"攫って"、戦線離脱する」
 
 
 
 
(悠二‥‥‥‥)
 
 剣を向け、今から戦う相手に‥‥"戦意以外の"熱い気持ちが湧き上がる。
 
 矛盾していて、それなのに全く抑えられない気持ちが溢れる。
 
「私は、"貴方"を止める」
 
 自分はいつだって‥‥
 
 
『お前はただのトーチ、私はただのフレイムヘイズ』
 
『勝手に名前を付けないで』
 
『そんな名で‥‥私を呼ぶな!!』
 
『自惚れるな! 坂井悠二!!』
 
 
 気持ちを‥‥巧く言葉に出来た事など無いのだから。
 
 
『私が信じているのは、紛れもない貴女自身なのでありますから』
 
『お前の道は、お前が決めろ』
 
『ここに在るのは、紅世の王さえ一撃で虜にする力を生む‥‥‥‥』
 
 
「行くぞ!」
 
 
 
 
(今度こそ、届かせてみせる‥‥‥‥)
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 七話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/09/10 17:53
 
「っふ!」
 
「ぇやあ!」
 
 すれ違い様、互いの剣がぶつかり、火花を散らす。
 
 悠二の持つ『吸血鬼(ブルートザオガー)』の特性を知るシャナは、衝突から僅か半秒、刃を擦らせ、いなす。
 
 そして、すれ違った次の瞬間‥‥‥
 
「はあ!」
 
 足裏を爆発させ、紅蓮の双翼を輝かせ、逆噴射の要領で、たった今すれ違った悠二に追いすがり、斬り掛かる。
 
 その完全な死角からの斬撃を、
 
「むっ!」
 
 悠二の後頭の竜尾が受け止め、そのまま弾き飛ばした。
 
 体ごと弾かれたシャナはその勢いのまま、紅蓮の双翼の推進力と合わせ、距離を取る。
 
 すぐに追ってくる悠二と、大きく螺旋を描くように両者飛び交う。
 
「はあっ!」
 
 悠二が咆え、黒い炎が数十の炎弾になって、シャナに襲い掛かる。
 
「『真紅』!」
 
 敢えて動きを止め、万全の状態でこれを迎えたシャナ、その左腕の一振りと連動するように、紅蓮の巨腕が黒い炎弾全てを払い除ける。
 
 その、巨腕に‥‥
 
 トン
 
 と、着地した悠二が、そのまま巨腕の上を走って、向かってくる。
 
「くっ!」
 
 咄嗟に振り払おうと巨腕を振るうのと全く同時に、悠二は跳躍、シャナの後方に回り込み‥‥‥
 
「っは!」
 
「ぐっ‥‥!」
 
 悠二から繰り出された斬撃を、何とか剣で受けるが、掠めた肩から血が吹き出す。
 
 反撃の意志を持って振り返った瞬間、悠二の竜尾がしなり、叩き飛ばされる。
 
 『真紅』の炎の外套のおかげで、以前ほどのダメージは受けないが‥‥
 
(強い‥‥‥!)
 
 僅かな攻防で、シャナはその身に戦慄を覚える。
 
 自分はヘカテー、悠二はメリヒムという強大な相手と戦った後なのだから、互いに消耗していて当然。
 
 戦いに勝った者と敗けた者で余力が違うのは当たり前だが‥‥それを差し引いても悠二は強かった。
 
(そうだ、悠二は、シロを‥‥‥)
 
 自分の師であるメリヒム。徒を喰らい、燐子を生み出した万全の状態のメリヒムに倒したのだ。
 
(私だって‥‥‥!)
 
 以前より、力の充溢を感じている。間違いなく強くなった。
 
 だが、以前味わった力の差が‥‥まだ埋まらない。
 
 
『使命だけしか、戦う理由がない。そんなうちは‥‥‥君には、負ける気がしない』
 
 
(今はもう‥‥違う!)
 
 飛ばされる中、ダンッと城の“壁面に着地する”シャナの正面に、既に悠二はいた。
 
「っ!」
 
 一気に距離を詰められ、互いの剣戟が火花を散らす。
 
 剣と剣がぶつかる度に、黒と紅蓮の火花が弾け‥‥
 
「くっ‥‥うっ‥‥!」
 
 悠二の『吸血鬼』に揺れる血色の波紋が、斬撃を受けてもいないシャナの体を浅く、しかし次々と斬り刻む。
 
(疾い、重い! 捌き切れ‥‥‥)
 
 バギンッ‥‥!
 
「っ!!」
 
 不意に、剣の横腹で受けてしまった一撃が、ヘカテーとの戦いからの無茶な力の負荷に耐え切れず、中途から砕け折れた。
 
(この‥‥‥なまくらっ!!)
 
 その頼りない強度に憤るシャナ、その一瞬の隙を悠二は逃がさない。
 
「普段から刀の強度に頼ってるから、そうなる。存在の力を通して武器を強化する事に不慣れだからだ」
 
 言いながら、シャナの顔を左手でガッと掴んで、“落下という名の後退”の終着点‥‥『星黎殿』の石床に、勢いそのままにシャナの頭を叩きつけた。
 
「ぁああっ!!」
 
 轟音を立てて石床が割れ砕け、シャナの体が頭からめり込む。そのままシャナの顔を掴んだ左手に力を込め、0距離から炎弾を炸裂させようとする悠二の、視界の下で‥‥‥
 
「『断罪』!!」
 
 腰溜めに構えたシャナの、折れた剣の柄を媒介にして‥‥紅蓮の大太刀が形成される。
 
「くっ!?」
 
 長く伸びた灼熱の刺突を悠二は『吸血鬼』で受け止めて、そのまま中空に撥ね上げられる。
 
 宙に浮かぶ悠二に向けて、煌めく炎髪を噴き出す血に染めたシャナは、長大な紅蓮の大太刀を振り上げ、そのまま叩きつけた。
 
「『草薙』」
 
 しかし、襲いくる巨大な灼熱の刃は、黒炎を纏った悠二の大剣に受け止め、払われた。
 
(力が、足りない‥‥‥)
 
 おそらく、媒介とした剣の分の威力の違いで、あっさりと払われたのだ。
 
 しかし、こちらの媒介は既に折れた。そうでなくとも、あんな剣では通用しない。
 
 手に握った柄‥‥自分の力を、感情を受け止めきれない武器に、憤激する。
 
(どこ‥‥‥‥)
 
 まだ、悠二に届かない。こんな程度じゃ、何も伝わらない。
 
 力が、足りない。
 
(どこに、在る‥‥‥?)
 
 心の底から、“それ”を求めた。
 
(『贄殿遮那』ぁ!!)
 
 
 
 
「主よ‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥?」
 
 何か、聞こえた気がした。
 
 フィレスやヨーハンは、もうメリヒムやヴィルヘルミナ‥‥そしてシャナを連れて逃げるつもりなようだが‥‥一応、見張らせてもらっている。
 
「‥‥何か、言った?」
 
 訊きながら、何か違う気はしていた。
 
 目の前の四人や、ヘカテーの声とは違う。何か、“口から出してない”ような感じの‥‥‥
 
「っ!!?」
 
 ゆかりの思考を遮るように、唐突に、何の気配も無く、まるで空気のように‥‥“それ”は立っていた。
 
 その手に神通無比の大太刀を握る‥‥隻眼鬼面の鎧武者。
 
 誰も、その気配に気付かない。否、気配などない。
 
 ただ一人、立ち位置と体勢の幸運から、ゆかりの視覚だけがそれを捉えていた。
 
 鎧武者も、自分たちなどまるで目に入っていないように、一切構わず歩きだす。
 
「‥‥‥‥‥え?」
 
 その歩く先に、ようやく気付いた、間の抜けた声を上げた‥‥‥‥
 
「フィレスさん!!」
 
 
 
 
「はあっ!」
 
「ふぅっ!」
 
 悠二の大剣を、シャナの『断罪』の刃が受け止める。
 
 不幸中の幸い、と言うべきか、炎の刃なら『吸血鬼』の力の影響を受けていない。
 
 だが‥‥‥
 
「はあああっ!」
 
「っ!」
 
 大剣に黒炎が奔り、紅蓮の大太刀を散らせ、剣先がシャナの頬を掠めた。
 
 さらに、突き出した悠二の左手に炎が溢れ、収縮する。
 
(っ‥‥‥まだまだ!)
 
 同様に、シャナも左手を突き出す、その掌に紅蓮が収縮し‥‥‥
 
 ドォオオオン!!
 
 両者、掴み合うような距離から、黒と紅蓮の炎弾が弾けて、爆発で二人とも吹っ飛んだ。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「はあっ、はあっ、はあっ‥‥‥」
 
 一気に開いた距離で睨み合う。
 
 悠二の消耗も決して軽くはないが、明らかにシャナの方が傷深く、血を流し、肩で息をしている。
 
「燃えろ!!」
 
 躱すための距離を詰めるために走りながら、折れた剣の柄から紅蓮が溢れ、炎の大波が悠二を包む。
 
(効い、た‥‥?)
 
 しかし、すぐに気付く。シャナの『審判』の瞳が、紅蓮の炎の中に漆黒の球体を見つけて‥‥‥‥
 
 パァアン!!
 
 と、弾くように“悠二を球状に包んでいた竜尾”が解けて、炎を散らした。
 
(これでも、ダメか‥‥‥‥!?)
 
 近寄れば『吸血鬼』や『草薙』の力で押し切られ、離れればあの竜尾に阻まれて攻撃が届きもしない。
 
(どうすればいい‥‥?)
 
 絶望的な戦況に、弱気になりかけて‥‥‥
 
(っ‥‥‥何を考えてる!!)
 
 すぐに振り払う。
 
 もう‥‥‥“あの時”のような思いは、絶対にしたくない。
 
(今度こそ、絶対、悠二に‥‥‥‥!)
 
 
 
 
 そこに、自分の黒い炎ではなく、シャナの紅蓮の炎が燃えていた事は、幸運だった。もし黒い炎だったら、見逃していたかも知れない。
 
 それほどまでに、その存在は希薄だった。まさに、“自分の目を疑った”。
 
(片目の、日本鎧‥‥‥?)
 
 そして、握られた大太刀。
 
 会話の中で、聞いた事がある。
 
 気配を持たず、一切の自在法を受け付けず、ただひたすら紅世に関わる存在を斬り、喰らった化け物。
 
 伝説の化け物トーチと呼ばれた、『贄殿遮那』を核とする‥‥史上最悪のミステス。
 
 
「『天目一個』‥‥‥」
 
 
 
 
「吉田、さん‥‥‥っ! 本当にこんな所に、坂井たちがいる、の‥‥‥?」
 
「‥‥ああ、いるはずだ、流れ弾に注意しろ」
 
 一体、何が起こっているのか‥‥‥。
 
 この、戦争のような轟音は何なのか‥‥‥。
 
 あの黒い空は‥‥銀色の大地は何なのか‥‥。
 
 あの吉田が、冷や汗でびっしょりになっている。
 
 何かにつけて頼もしかったじいやさんも、ガタガタと震えてすっかり怖じ気づいている。
 
(何だ、これ‥‥何だよこれは‥‥‥!?)
 
 何も知らない切迫感と、知らないからこその負担の小ささを等量感じる池は、“守るべき少女”が傍にいる事でかろうじて平静を保っていた。
 
 それでも‥‥‥
 
(しっかり、しなくちゃ、ダメだ!! 吉田さんが頑張ってるのに僕が狼狽えてちゃダメだ‥‥!!)
 
 動揺し、狼狽し、吉田に詰め寄っていないのは、賞賛に値する。
 
 
 その狂乱は、唐突に終わる。
 
 まるで、自分たちの周りだけが隔離でもされたかのように、轟音が止んだのだ。
 
「本当にここまで来るとはな。随分と芯の強いお嬢さんだ」
 
 いつの間にか、本当に気付かないうちに、薄い布を纏った紫の短髪の少女が目の前に現れていた。
 
「まあ、安心するといい。ここからは私が誘導しよう」
 
 軽く、手でじいや氏に指示したように見えた瞬間‥‥‥じいや氏も心底安心したように‥‥またも一瞬で姿を消した。
 
 
「‥‥‥あんたは?」
 
 吉田が、未だ警戒を解かぬままに少女に訊ねる。
 
 得体の知れない恐怖心に堪えながら、震える足で吉田を庇うように前に立つ。
 
 そんな池に、訝しげな視線を一瞬向けて、構わず少女は告げる。
 
 
「“螺旋の風琴”リャナンシー、一応、あの朴念仁の師という事になっている」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 八話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/11 14:29
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 前には、シャナ。そして後ろには、ゆっくりと歩み寄ってくる隻眼鬼面の鎧武者。
 
 考える暇も無い。警戒すらしていないんじゃないかとさえ思える足取りだった。
 
(こっち、だ‥‥!)
 
 思い、鎧武者・『天目一個』を黒の瞳に捉える。
 
 感知能力には自信がある。シャナの攻撃なら、例え死角から受けても何とか対応出来る。
 
 だが、『天目一個』には気配が無い。絶対に視界からは外せない。
 
(おまけに、自在法も効かない)
 
 どういう理由で死んだはずのミステスがここに居るのかわからないが、こんな化け物がいる中でシャナとの戦いなど出来るわけも無い。
 
 そうそうシャナに背中を見せてもいられない。
 
(こんな所で、邪魔されてたまるかっ!)
 
 
 
 
「退け、強き者よ‥‥‥」
 
 まさに、一瞬。
 
 圧倒的な実力の差があったわけでは、もちろん無い。
 
 むしろ、紙一重の差でこちらの首が飛んでいた。
 
 シャナに背を向けてはいられない悠二が、この瞬間に全力で勝負を懸けたからこその、一瞬。
 
 対する『天目一個』は、悠二に対して“敵意など欠片も持っていなかった”。
 
 ただ、“自分の主たる少女の手に己を託す”。その邪魔者として斬り捨てようとしただけ。
 
 ある意味、当然の帰結。
 
 ッッ!!
 
 神速一閃。
 
 紙一重で大太刀を掻い潜った悠二の『吸血鬼(ブルートザオガー)』が、鎧の胴体を横薙ぎに両断していた。
 
(危な、かった‥‥‥!)
 
 そのまま、斬撃の勢いを殺さずに体を半回転させた悠二の裏拳が、両断され、浮いた上半身に叩き込まれ、鎧を粉々に打ち砕く。
 
 体が、思い出したようにその頬に冷や汗を流した。
 
 一瞬にして粉砕された隻眼の鬼面鎧。しかし、その握られた‥‥彼の本体たる大太刀は、衝撃でくるくると宙を舞って‥‥‥‥
 
 パシッ!
 
 一人の少女の手に納まった。まるで、初めからそこが自分の在るべき場所だと言うように。
 
「主よ、御許に‥‥‥」
 
 既に鎧の姿を失った大太刀そのものから、それだけ聞こえて、それはただ一振りの刀へと戻る。
 
「‥‥‥おかえり」
 
 ただ、剣として、己を振るう主の許へと、自身を届けに来た。
 
 その一途に過ぎる在り様の清々しさに、シャナの顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
 
 求め、本当に来てくれた、自分にとっての無二の愛刀を、シャナは強く握り、真っ直ぐに差し上げた。
 
 
「一緒に、行こう」
 
 
 彼女が討ち手として立った時から、常に共に在り、難戦苦闘を踏み越えてきた戦友を手に‥‥『炎髪灼眼のシャナ』が、立つ。
 
 
 
 
「‥‥‥かり、ゆ‥り‥‥!!」
 
(‥‥‥う?)
 
 耳というよりは、頭に直接響くような声に打たれ、意識が呼び起こされる。
 
「‥‥り、ゆかりっ!!」
「っ‥‥‥‥!」
 
 と、さっきまでの虚な感覚から一転、悲鳴に近い声をようやく聞き取り、意識が完全に引き戻される。
 
(‥‥‥あ、ヘカテーだ‥‥‥)
 
 しかし、意識は戻っても、どうにも頭の方は鈍い。
 
 薄く開いた目で、のろのろと辺りを見渡す。
 
「‥‥んむ、ヘカテーの膝枕‥‥‥?」
 
「ゆかり!」
 
 目覚めて最初のやや的外れな発言にも、ヘカテーは泣きながらすがりつく。
 
(あれ‥‥‥、何だっけ‥‥?)
 
 何故、ヘカテーが泣いているのだろうか。というか、何故自分は寝てたのだろうか?
 
 あれ‥‥『大命』してて、何か戦って‥‥寝てる様な状況では無かったはずだったのでは?
 
 と、考えがまとまらないまま、何気なく自分のお腹の辺りに手を置いて‥‥
 
「‥‥‥あれ?」
 
 生暖かいものを感じて見てみれば、手にベッタリと血糊が付いている。
 
 さらによく見れば、お気に入りの青い胸甲鎧は外され、巻かれた純白のリボンに赤黒い染みが浮かんでいる。
 
「っ!?」
 
 慌てて胸に手を当てて、悠二やヘカテーとお揃いの銀色のロケットの無事を確認して、ホッと安堵の溜め息を漏らす。
 
(‥‥‥ああ、そうだそうだ)
 
 その深い斬り傷に、ようやく気絶する前の事を思い出す。
 
 
『フィレスさん!!』
 
 あの時‥‥咄嗟に、フィレスを突き飛ばしたのだ。
 
 そして‥‥斬られて気絶した、という事か。あれだけ無防備に飛び出して命があるだけ幸運、だが‥‥‥
 
「‥‥あれから、どうなった? どれ、くらい‥‥経った‥‥?」
 
 まだ、体に力が入らないし、頭がぼぉっとする。多分、血が足りないのだろう。
 
 起き上がろうとした頭をヘカテーに押さえられると、自分でもびっくりするくらいあっさりとヘカテーの膝に沈んだ。
 
「‥‥ゆかりを斬り倒した後、何事も無かったように立ち去りました。多分‥‥サントメールの所です」
 
「‥‥シカトされて良かった」
 
 ヘカテーがよく逆上しなかったなあ、と思いかけて‥‥自分に施された手当てに思い当たる。
 
 以前のヘカテーなら、感情任せに暴走していただろう所だ。
 
「‥‥‥成長したねヘカテー、お姉さんは嬉しいぞ‥‥‥」
 
「‥‥バカな事言ってんじゃないの」
 
 何やら予想外な所から返事が返ってきたので見てみれば、微妙に罰の悪そうな顔のフィレス。
 
「‥‥フィレスさん、本当にもう逃げたら? シャナならわざわざ連れてかなくても、『生け贄にされたくなければー!』とか理由つけて他の徒から保護出来るし‥‥‥」
 
 シャナが死んだ場合なら尚更、ここにフィレスたちが残る意味は無い。
 
 ゆかりが言わなかった部分も、明確にフィレスには伝わった。
 
 その後ろでヴィルヘルミナも、メリヒムも、何も言わない。
 
 もはや、戦うどころか逃げる力すら残っていない身で、何を主張する権利もなかった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 何を言おうか、どう決断しようか迷い、傍ら、恋人たるヨーハンに視線を向けるフィレスの返事を待たず、ゆかりは今度こそふらつく体を何とか起こす。
 
「ゆかり!」
 
「よし、行こっか。ヘカテー」
 
 怒ったように指摘したヘカテーに寄りかかり、そのまま肩を借りる。
 
 自分がこんな状態でなければ、ヘカテーが今一番心配するのは誰か、考えなくてもわかる。
 
 それに、自分だって‥‥‥‥
 
「悠二の戦いを、見届けに行こう」
 
 
 
 
「‥‥‥‥シャナ」
 
「‥‥‥‥悠二」
 
 両者、円を描くように、一定の距離を保ちながら、歩く。
 
 剣を握る手に、加減は一切無い。
 
「シャナたちが、こうするって‥‥フレイムヘイズの使命のために最後まで戦うって‥‥何となくわかってた」
 
 いつかの戦い、シャナの心を折るために重ねた辛辣な言葉。
 
「それでも、戦いたくなかった。それは‥‥僕の甘さなんだと思う」
 
 もう、止められない戦いの中に在る今、本音を隠す必要も無い。
 
「でも‥‥そんな、『純粋な使命』を果たそうとする君たちだから、“わがままは捨てない”」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 シャナは、自身の事を理解する少年の言葉に胸の内を熱くしながら‥‥‥
 
(でも‥‥足りない)
 
 と思っていた。
 
 少年の声色から、表情から、自分を『ただのフレイムヘイズ』として見ていない事は明白だったが、やはり、自分の『想い』の事には全く気を向けていない。
 
 否、知りもしない。
 
「だから‥‥‥‥」
 
 悠二は言って、シャナも同様に、心の内で同じ言葉を重ねていた。
 
「「絶対に、手加減しない」」
 
 今度は、声となって重なった。
 
 互いに、違う望みのために、同じ手段を以て‥‥全力の戦い。
 
 
「喰らえ!」
 
 悠二の左手に黒の自在式が瞬間、絡み付き、黒炎の大蛇がシャナに襲い掛かる。
 
 襲いくる悠二の『蛇紋(セルペンス)』にシャナは全く退かず、むしろ飛び出した。
 
「『断罪』!」
 
 シャナの両手に強く握られた大太刀が紅い炎を纏い、灼熱の紅蓮の大太刀を生み出す。
 
 その、真に在るべき刀から奔る炎刃が、襲いくる黒蛇の顎を捉え‥‥‥
 
「っだああああ!!」
 
 構わずそのまま前進するシャナの手で、割くように二つに断ち斬られていく。
 
「だったら‥‥‥」
 
 本来の愛刀を得たシャナの『断罪』の威力に臆さず、悠二は炎を纏う左手の指を複雑に繰った。
 
「っ!?」
 
 『蛇紋』を斬り裂き走るシャナが、驚愕に目を見開く。
 
 たった今まで通常の炎の蛇だった『蛇紋』の炎が、まるで溶岩のようなどろどろとした粘性の物へと変質していた。
 
 炎の刃がぬかるむように止められる。しかも‥‥‥
 
「なっ!?」
 
 真っ二つにした蛇の頭が二岐に岐れて、こちらに旋回していた。
 
「弾けろ」
 
 悠二の言霊に誘われて、その溶岩のような蛇の全身が膨らみ、バチャッとシャナを呑み込んだ。
 
「こんな、ものぉっ!!」
 
 直接触れれば骨まで溶かす溶岩の波を、シャナは『真紅』の外套に全力の力を注いで阻み、突進した。
 
 そのまま、紅蓮の力を帯びた左手を突き出す。
 
「『真紅』!!」
 
 その左手の延長に結晶するように、紅蓮の巨腕が生まれ、城壁をも砕く拳撃を繰り出す。
 
「甘い!」
 
 その巨大な拳撃をも、悠二は長々と伸長させた竜尾の一振りで受け止めてみせた。
 
 しかし、止められた巨腕はそのまま大きく横に払われる。
 
 その隙に、シャナ自身が悠二の懐に飛び込んでいた。
 
「はあっ!」
 
 迎え討つ悠二の大剣を、一瞬よりも短い一撃で払ったシャナは、
 
「っ! ‥‥だぁっ!」
 
 咄嗟に振るわれた悠二の左拳を顔面に受け、その怪力に小柄な体を撥ね飛ばされる。
 
 ガリガリと石床を削りながら踏み止まろうとするシャナに向けて‥‥‥
 
 
「喰らい尽くせ!!」
 
 
 八岐の首を持つ黒炎の大蛇が、放たれた。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 九話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/12 11:24
 
「燃えろ‥‥!」
 
 構えた大太刀に、渾身の力を込めて、紅蓮の炎を溢れさせる。
 
(違う! これじゃ勝てない!)
 
 迫る黒き八岐の炎蛇を前に、迸る紅蓮の大太刀に不足を感じる。
 
 シャナの身の丈の数倍にも及ぶ、巨大な灼熱の刃。以前とは比較にならない貫通力と熱量を誇るそれを‥‥‥
 
(もっと、細く‥‥)
 
 全方位から押し込めるように、収束・凝縮させてゆく。
 
(もっと、束ねて‥‥)
 
 それは瞬く間に『贄殿遮那』を一重に包むほどにまで縮められる。刃から煌めく紅蓮が、先ほどまでとは比較にならない。
 
(よしっ!)
 
 シャナが、その身に宿る紅蓮の炎を完全に御しきった瞬間であった。
 
「『断罪』!」
 
 己が契約者の権能の一つでもある名を誇るように叫び、黒き大蛇に立ち向かう。
 
 まるでそれは、自分と少年を阻む最後の壁のように映った。
 
 蠢き、のたうち、迫る八岐の顎門。その動きを、『審判』の灼熱の瞳が捉える。
 
 まず、左右から二匹の黒蛇が喰いついてきた。
 
 シャナはその動きを見切り、左足を軸に回転するように一薙ぎ、同時にその双頭を斬り払う。
 
 先ほどとは違う。顎門を斬った一撃、そこから奔った紅蓮だけで大蛇の全身を消滅させる。
 
 シャナはそれを確認するでもなく、また前に駆ける。
 今度は前方と左右から三つ、大蛇の顎門が迫る、先ほどのように左右の黒蛇を断ち斬り、隙の無い連撃で前方の蛇の眉間に刺突を繰り出し、三匹同時に散るように弾けた。
 
 その、シャナの背後から忍び寄っていた六匹目の大蛇が、後ろからシャナに喰らいついた。
 
「っ‥‥‥‥!?」
 
 ‥‥と、見えた瞬間、脇から通すようにシャナが突いた『断罪』の炎刃に消される。
 
(後、二匹‥‥‥!)
 
 六匹もの『蛇紋(セルペンス)』を斬り砕いた事で、大太刀に宿る紅蓮の煌めきはややその光を薄れさせている。
 
 だが、まだ終わらない。
 
 目の前に、七匹目の黒蛇がシャナを丸呑みにせんと、その大口を開いた。
 
 当然これを斬り捨てようと構えたシャナの目の前で‥‥‥
 
「っ! ぁああ!!」
 
 黒蛇の口から、銀色の炎の大波を吐き出された。
 
 至近から受けた大威力の炎に曝されて、しかしシャナは、
 
「っどけぇえ!!」
 
 怯まず、退がらず、体を銀炎に焼かれるのも構わずに、膨大な銀炎の波ごと黒蛇を断ち斬った。
 
「悠二!!」
 
 着地も待たずに叫び、求めた少年を見れば、最後の大蛇の体が、魔剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』に絡み付き、猛る黒炎を迸らせている。
 
 
 着地と同時、求めるまま、欲するままに駆け出した。
 
『覚えておけ。ここにあるものは、“紅世の王”さえ一撃で虜にする力を生む‥‥‥』
 
 
(‥‥『最強の自在法』)
 
「「はぁああああ!!」」
 
 黒い蛇剣と、紅蓮の炎刃が奔り、爆発するように大気が弾ける。
 
(っ!?)
 
 悠二は、その違和感に目を見開く。
 
 シャナの一撃は、予想外に熱を感じず、そして予想外の軌道で『吸血鬼』を横から弾くように押さえた。
 
 そして、シャナの体勢に、違和感がある。常なら両手で刀を振るうシャナが、まるで自分のように片手で大太刀を‥‥‥
 
(っ違う‥‥!?)
 
 違う、『吸血鬼』と真っ向からぶつからず、弾いたのは、“『贄殿遮那』ではない”。
 
 素手から形成された紅蓮の大太刀だった。
 
 そして、シャナ自身の体に隠されて、右手に握られた紅蓮に輝く『贄殿遮那』が見えた。
 
(“二刀”!?)
 
 
(悠二‥‥‥)
 
 シャナは、右手の大太刀を握る手に、力を込める。
 
(‥‥最強の、自在法‥‥そう‥『愛』‥)
 
 その刀身には、紅蓮に煌めく『断罪』の炎が宿っている。
 
(私の想いの全部‥‥込める)
 
 剣と炎、それはシャナの想いの全てを映し出したような、『顕現』。
 
(届け!!)
 
 
 
 
「シャ、ナ‥‥‥‥?」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 咄嗟に防御した、『草薙』の炎を纏った左腕が‥‥‥ボトリと落ちる。
 
 叫びたいほどの激痛、しかし、それ以上の衝撃に、悠二は信じられないように呟いていた。
 
 自分でも、全く不可解。
 
 遠慮容赦の一切無い斬撃でありながら、その姿が‥‥まるで、自分を求める時のヘカテーと、重なったのだ。
 
 シャナの斬撃に、ヘカテーの口付けと同じ感情を感じとった。
 
 そして‥‥何よりそれを自分の勘違いとは全く思えない、というのが‥‥本当に不可解だった。
 
「そう‥だった、のか‥‥‥」
 
 そのシャナの横腹に、悠二の後頭から伸び、地中を潜り、背後から細く鋭く貫いた‥‥漆黒の竜尾の先が生えている。
 
「‥‥やっと、届い、た‥‥‥」
 
 満足したように、今まで一度も見た事が無いような穏やかな微笑みを浮かべて崩れ落ちるシャナの体を、悠二は『吸血鬼』を手放して、慌てて支える。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ただのフレイムヘイズ、そう思っていたわけじゃない。
 
 同じ街で過ごして、一緒に戦って‥‥『シャナ』という一人の少女が変わっていた事も、気付いていた。
 
 その上で、あるいはだからこそ、使命を果たす少女‥‥そう思っていた。
 
(でも、違った‥‥‥)
 
 それだけじゃ、無かった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ごめん」
 
 
 長い沈黙の後、それだけを小さく小さく呟いて、そっとシャナの体を横たえる。
 
 斬り落とされた左腕を押さえながら、こちらに駆け寄ってくる水色の少女に目をやる。
 
 
「‥‥‥勝ったよ、ヘカテー」
 
 横たえた少女の体は、炎となって散ったりは、しない。
 
 
 
 
「‥‥‥はあっ、やっぱヘカテー先に行かせるんじゃなかったかも」
 
 頭がふらふらする。足取りも覚束ない。しかし、戦いの気配が止んで、やたらとそわそわするヘカテーを引き止める気にもなれなかった。
 
(悠二は、負けないよ‥‥‥)
 
 自分は、ヘカテーほど焦りはしない。悠二は勝つと、信じている。
 
「あぅ‥‥‥‥」
 
 思う間に、貧血気味によろめく。考えているのとは裏腹に、何だかんだでかなり急ぎ足になっている自分に苦笑する。
 
(今頃、ヘカテーと勝利の抱擁‥‥って所かね)
 
 そんな少年を想って、駆けずり回る自分。それほどまでに自分を惹きつける少年。
 
 ‥‥‥何か、色々と納得のいかないものを感じる。
 
 よくもまあ、あんな可愛らしい恋人を連れて、自分をこうもメロメロにしてくれたものだ。
 
 近づくにつれ、悠二が勝った事を、予感ではなく感覚に捉え、確信する。
 
 
「いよいよ、ハッピーエンドかな‥‥‥」
 
 全く、難儀で、素敵な少年に惚れてしまったと、平井ゆかりは嬉しそうに笑っていた。
 
 
 
 
「ふっ‥‥ひぐっ‥‥!」
 
 泣きじゃくりながら、傷口に包帯を巻くヘカテーの頭を、悠二はひたすらに撫で続ける。
 
「ほら、怪我だけで済んで良かったんだから、泣かないで?」
 
 治療の途中だが、片手で少し強引にヘカテーの体を胸に抱き寄せる。
 
「ヘカテーも、あんまり怪我しないで良かった」
 
「でも‥‥‥‥!」
 
 愚図るヘカテーは、駄々っ子のように見えて妙に可愛らしい。
 
 でも‥‥‥‥
 
「泣かないで」
 
「あ‥‥‥‥」
 
 この瞬間を、自分たちが目指してきたものの結実を、涙で迎えたくはなかった。
 
 だから、抱きしめて、慰める。
 
 悠二の思惑、あるいは期待通りに、胸元から幸せそうな吐息が聞こえた。
 
「上、見て‥‥?」
 
「あっ‥‥‥‥‥」
 
 広がる黒天、銀に染まる大地、のたうつ黒蛇の『創造神』。
 
 二人並んで、目指したものの姿を見上げる。
 
 
 その顔が、蒼白に染まる。
 
 
 
 
 黒天が照らし、銀影が広がり、秘法・『大縛鎖』はその力を伸ばしていく。
 
 このまま、もはや誰一人阻む者などなく広がる‥‥‥『創造神』の権能。
 
 
 ピシッ‥‥‥
 
 そんな中、唐突に、罅が‥‥‥入った。
 
 ピシッ‥‥ピシッ‥‥!!
 
 地割れ、ではない。罅割れ‥‥“空間に罅が入っていた”。
 
 眼下で、圧倒的な劣勢と『創造神』の復活に、半ば絶望を抱きながら炎を振るっていたフレイムヘイズ。
 
 世界の変容に心踊らせていた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の徒たち。
 
 そして何より‥‥秘法を完全に発動させようとしている『創造神』“祭礼の蛇”が‥‥‥‥‥
 
 
 最悪の予感に寒気を感じる。
 
 否、それはもはや予感などではない。
 
 誰もが見た事はなく、しかし知識としては知っていた。
 
 フレイムヘイズに力を貸す王は、本来は絶対に阻むべき対象として。
 
 この世を謳歌する徒は、本当に起こるかどうかもわからない推測、自分たちの自由が脅かされる理由として。
 
 
「見ろ‥‥‥これが、結果だ」
 
 星の神殿でその光景を見上げる銀髪の剣士が、吐き捨てるように言う。
 
「“どうしようもない事を変える”、仲間を殺さずにいたい。お前の望みが、甘さが、子供の絵空事が招いた‥‥これが結果だ」
 
 
 ねじ曲げられたこの世の変質が『歪み』を生み、広がる歪みがいずれ、この世と紅世の両界を崩壊させてしまうのではないか、という危機説。
 
 それが、今、目に、耳に、肌に感じられている。
 
 『創造神』の秘法による極限の歪みがもたらす、世界の崩壊。
 
 
「『大災厄』‥‥‥!」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 十話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/14 06:22
 
「うぁあぁああああ!!」
 
 池自身、自分が何故こんな状態になっているのかわかっていない。
 
 世界を崩壊させようとしているほどに巨大な『歪み』が、異能を持たないただの人間たる池を錯乱させている。
 
 当然、池にそんな事はわからない。ただただ理由なき恐怖と錯乱が、池の全身を支配していた。
 
「うわあぁあ! っあああぶっ!?」
「やかましい!! 正気に戻れ!!」
 
 そんな池の横っ面を、バチィッと、派手な音を立てて、吉田が思い切り張り飛ばした。
 
 たまらず、雪の積もる大地にしりもちをつく。
 
「あ? あ‥‥吉、田さ、ん‥‥‥?」
 
 未だ混乱の極みにある池は、頬を押さえながら、今初めて気付いたように吉田を見上げる。
 
「私がわかるか!? 意識ははっきりしてんのか!?」
 
(あ‥‥‥‥‥)
 
 頬の痛みよりも何よりも、二つの事に意識を惹き付けられた。
 
 常には決してない、必死に怒鳴り散らす吉田の、まるで余裕の無い顔と、震える‥‥両足。
 
「っ! ‥‥大丈夫! もう大丈夫だから!!」
 
 結局、自分は何に怯えているのかもわからないまま、震える歯を食い縛り、足を踏張る。
 
 ここで怖じ気づいていたら、何の為に吉田についてきたのかわからない。
 
「落ち着いたかね?」
 
 そこで、一連のやり取りを静観していたリャナンシーが口を開く。
 
「全く‥‥微妙にしか要領が良くない、というのが、あいつの悪い所だ」
 
 次々と亀裂が走る空間を見て、困ったようにリャナンシーは呟く。
 
「‥‥その部分を補うために、私たちも前々から準備してたんだろ。‥‥ゆかりに言われて」
 
 弱気を振り払うためか、吉田は敢えて軽い口調で言う。最後の部分をやたらと小さく言ったのは、やはり悔しいからだ。
 
「準備‥‥‥ですか」
 
『!?』
 
 突然の声に身構える一同の反応をまるで気にせず‥‥草むらを掻き分け、少年が、一人現れた。
 
 異様な貫禄を漲らせる、鉄の棒を担いだ幼い少年。その頭に、"いつか渡した"麦わら帽子をかぶっている。
 
「‥‥‥いいのか、こんな所でサボってて」
 
 吉田は、久しぶりの再会に挨拶も言わずに、疑問を投げた。何しろ、今は勢力的に見れば『敵』である。
 
「ああ、この状況では"戦争どころではないでしょう"。兵団も、その大半が戦意を喪失しています」
 
「ふむ、もし仮に今すぐ頭上の"祭礼の蛇"を討滅出来たとしても、制御を失った力が暴走、『大災厄』を早める結果になりかねんのでな」
 
 少年は、完全に自分が"事情を全て知っている前提で"話している。
 
(まあ、こんな所にいるんだから、当たり前か)
 
 と、開き直って根本的な質問をする。
 
「‥‥‥で、何でここに来た?」
 
 その問いに、少年は考え込むように数秒黙って‥‥‥
 
「"ここに"、私の良く知る式に近いものを感じたので、少し気になった、という所ですね」
 
「ただ滅びを待ち、暴れ回るよりは余程有意義に思えたのでな。そして来てみれば知った顔‥‥というわけじゃ」
 
「‥‥‥つまり、邪魔する気は無いんだな?」
 
 探るように睨む吉田と、その手に毛糸玉を握るリャナンシー。
 
 その警戒とは裏腹に、少年はあっさり首を縦に振る。
 
 どうあっても、"今より最悪などない"、という事をわかっているのだろう。
 
「‥‥私たちは今、私たちにしか出来ない事をする‥‥‥あんたも一枚、噛んでみるか?」
 
 こうなると、私情を挟まないこの少年の存在は‥‥むしろ心強い。
 
 
「‥‥この世界を守る」
 
 
 足を震わせながら、強気に笑う。その相変わらずの様子に、少年‥‥『儀装の駆り手』カムシンは、その唇の端を僅かに上げた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥世界の、崩壊‥‥‥」
 
 考えていなかったわけではない。だが、考えたくはなかった。
 
 世界そのものを変える。それが、フレイムヘイズが守る『世界のバランス』にどれほどの影響を及ぼすか、想像が出来なかったわけでは、ない。
 
 覚悟は、していた。
 
 それは、悠二や自分たちが"勝手に決めた覚悟"。
 
 だからこその『わがまま』。自分勝手な夢。
 
 そして、"これ"は、両界全ての存在にとっての最悪の結末だった。
 
 それでも‥‥‥
 
「ゲームオーバーには‥‥‥まだ早いよ」
 
 
 
 
(壊れる‥‥世界が、壊れる‥‥‥?)
 
 元々、ヘカテーは『創造神』の巫女たる自身の存在意義、そのために、『大命』を目指していた。
 
 未踏を埋め、遼遠を越える。それを導く本質を備えてはいたが、それは『本質』‥‥そこに『理由』は無かった。
 
 恐れる事も、その理由も無かった。
 
 でも‥‥‥‥
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 頭の中で、千草の微笑みがよぎった。
 
 吉田一美、シャナ、ヴィルヘルミナ、フィレス、マージョリー、緒方、ヨーハン、佐藤、メリヒム、田中、池、中村、藤田、次々と浮かんで‥‥‥
 
『行くぞヘカテー♪』
 
 ゆかりと、
 
『ほら、泣かない』
 
 最後に悠二の顔が、浮かぶ。
 
(怖い‥‥‥)
 
 こんなにも好きになった世界が無くなる。それは、今のヘカテーにはたまらなく恐ろしい事に思えた。
 
(理を越えた、新しい世界‥‥‥)
 
 その世界を、悠二と一緒に歩くのだ。ゆかりも引っ張って、まだ自分が知らない楽しい事を、いっぱいするのだ。
 
(どうか、無事に‥‥‥‥‥)
 
 両の手を合わせ、彼女の神に祈る。
 
 まさに、その時‥‥‥
 
「あっ‥‥‥‥‥?」
 
 背中に軽い衝撃を受けて、何かと思い、開いた目に‥‥それは映る。
 
 自分の胸から、"銀色の刃先が生えていた"。
 
「ヘカテーーー!!」
 
 少女は、自分が貫かれたと気付く前に、少年の悲痛な絶叫を、辛く感じた。
 
 
 
 
「いけるかね?」
 
「ああ、私の式とはかなり様式が違うようですが‥‥」
 
「ふむ、補助と増幅程度ならば手伝えるじゃろうて」
 
「時間が無いなら、早く始めるぞ」
 
「え? え‥‥?」
 
「お前はそっちの左隅!」
 
 莫大な存在の力を内包した毛糸玉を"全ての中心"に据え、その上に展開されたピラミッドのような形状の深緑の結界の四方に、吉田、カムシン、リャナンシー、そして池が立つ。
 
「では、そちらの少年を媒介にした形式で始める」
 
 リャナンシーが静かに言って、皆、目を閉じる。
 
 池も、慌ててそれに倣った。
 
 
「"『調律』、開始"‥‥‥」
 
 
 
 
「ヘカテー!!」
 
 貫かれた胸から、水色の火花が血のように噴き出す。
 
(悠二‥‥‥‥)
 
 悠二が、目に涙を溜めて叫んでいる。
 
(いやだ‥‥‥‥)
 
 悠二が泣いている。悲しんでいる。それが辛い。
 
 それに‥‥‥
 
(死ぬ‥‥‥‥?)
 
 死にたくない。
 
 死んだら、もう悠二の顔が見えない。悠二の声が聞こえない。
 
 大好きな、あの温もりも無くなる。
 
(いやだ!)
 
 ずっと、ずっと一緒なのだ。
 
 一緒に、いつまでも、どこまでも‥‥‥。
 
 これから、新しい世界で生きて‥‥一緒に笑って、手をつないで、たまに喧嘩して、いつも一緒に‥‥
 
(悠二‥‥‥‥!)
 
 "この次に来るもの"を、予感して‥‥‥
 
(ずっと、貴方と‥‥‥!!)
 
 
 でも‥‥‥‥
 
 
「っが!?」
 
 ヘカテーは、手にした錫杖で、悠二を殴り飛ばし、自身から遠ざけた。
 
 
 想いとは裏腹に、ヘカテーは、それを選択していた。
 
 
(悠二は、生きて‥‥)
 
 
「っ‥‥逃げてぇえ!!」
 
 
 途端、紅蓮が視界全てを埋め尽くす。
 
 
 
 
(ごめん‥‥‥‥)
 
 自分が、『これ』をする事を謝るのではない。
 
 これは自分が決め、貫く、恥じる事など無い、誇る道。だから、それを謝るわけではない。
 
(ごめんね‥‥‥‥)
 
 謝るのは、その道を貫くこの今に、それ以外の感情を混ぜずにはいられない‥‥自分の無様さ。
 
(貴方と出会えた、ヴィルヘルミナと、シロと、アラストールと出会えた‥‥この世界が好き)
 
 ただのフレイムヘイズとしてではなく、一人の少女として‥‥願い、果たす。
 
(ごめんね‥‥‥)
 
 自分が投げた大太刀に貫かれた少女に、自分が想いを寄せ、今、自分が砕く少年に、謝る。
 
 
 紅蓮の帳の中心たるシャナの紅い光を受けて、ヘカテーの影が長く伸びている。
 
 異様なまでに黒いそれは、ただの影ではない。"生贄たる者"が持つ、『存在の影法師』だった。
 
(体が、重い!!)
 
 ヘカテーを助けようと急ぐ悠二、しかしその体は、この"『神』を召喚する空間"の力を受けて、緩やかにしか動けない。
 
「くそぉおおおおお!!」
 
 
『荒振る身の掃い世と定め奉る、紅蓮の絋に在る罪事の蔭』
 
 シャナの祝詞が、朗々と響く。
 
 全身を激痛に蝕まれ、胸を撃ち抜く力に苦しみ、灼熱の炎に灼かれて、それでも謝る。
 
 ヘカテーを『心臓(コル)』にせんと、黒い影法師を紅蓮が侵食していく。
 
(ごめん‥‥‥ごめんね‥‥‥)
 
 この世界を、守る。
 
 許して、とは言わない。思わない。
 
『其が罪という罪、刈り断ちて身が気吹き血潮と成せ』
 
 その代わり‥‥‥
 
 
(私も一緒に‥‥消えるから‥‥‥!!)
 
 
 そして‥‥‥‥
 
 
 
 
「『天破、壌砕』‥‥‥」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 十一話
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/13 22:02
 
「今度は何だ!?」
 
「知るか!! もうどうでもいい! 何もかも終わりだ!!」
 
「何泣き言言ってるんですか!」
 
「これは‥‥‥結界!?」
 
 中国中南部に位置する、世界の命運を懸けた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』と『フレイムヘイズ兵団』の戦場。
 
 それを、四方に囲むように位置する都市や土地‥‥その全体が、深緑の光を放つ。
 
 そして、それらを繋ぐように、深緑の光の柱が次々と生まれ、それら全てを光条が紡いだ。
 
 “それ”は、あまりに巨大すぎて、その内に取り込まれた誰一人わからない。
 
 いや、視覚ではなく、感覚で掴む者が‥‥四人。
 
 
「え? えっと‥‥」
 
 今まで、吉田(と池)は、時間を掛けて回った四つの場所、そこに、『調律』の媒体を仕込んでいた。
 
「池君‥‥池君は、私とデートした場所の事なんか、すぐに忘れちゃうんだね‥‥‥」
 
 同時に、紅世に関わらない、“在りのまま”のイメージを、人間たる吉田たちが記憶する。
 
「そんなはず無いじゃないかぁあああ!!」
 
 『調律』、と言っても、以前カムシンが御崎市で行ったものと、このリャナンシーの『調律』では構成が異なる。
 
 吉田でも『調律』の中心になれなくはない。しかし、カムシンの調律とは違い、『この世の本当のこと』を知る吉田の“認識”よりも、本当の本当に何も知らない一般人たる池の方が、遥かに有力な媒介になれる。
 
 僅かな違いで絶大な効果を生む。“紅世最高の自在師”の御業である。
 
「吉田一美さん、彼の集中を乱さないで下さい」
 
「いや、こいつにはこの方が効く」
 
 四つの都市の歪みを正す、『調律』の波動は、その全てが、力の向きを全ての自在陣の中心へと収束させる。
 
 『調律』と『調律』が反応し合い、歪みという歪みを均していく。
 
 その全ての穏やかな安らぎが、一点を目指して収束していく。
 
 
 それは、世界を滅ぼす歪み‥‥『大災厄』の予兆を生む地。
 
 
 
 
(『調律』の自在法‥‥‥‥!)
 
 しかも、見た事も聞いた事も無いほどの、前代未聞の大規模なもの。
 
 これが、ゆかりが以前から手を回していた切り札か。
 
「ッ‥‥‥‥オオオオオオオ!!!」
 
 黒天に咆え、気を抜けば一気に破滅へと向かいそうになる、暴れ馬のような力を全力で押さえ込む。
 
 『調律』の安定と『大縛鎖』の歪みが攻めぎ合う均衡の中、それでも秘法の構築に全力を注ぎ込む。
 
 黒天が広がり、渦巻き、銀影の大地から鎖が立ち上る。同時に、また空間に亀裂が走り、そこから‥‥“完全な無”が顔を覗かせる。
 
(いかん。この程度では‥‥‥‥)
 
 世界を変容させる秘法の制御の甘さに、自身腹が立ち、さらに、莫大な力を己の統御下に置こうと、『創造神』は咆哮する。
 
(余の権能が勝るか、それとも世界の理が勝るか‥‥‥勝負とさせてもらおうか)
 
 全世界を巻き込んだ、紛れもない“最強の敵”との絶望的な勝負に、黒き大蛇は燃えるように笑う。
 
 
 
 
「これが‥‥“天壌の劫火”‥‥‥」
 
 巨大な、漆黒の塊を奥に秘めた灼熱の炎たる衣が、何かの形を取っている。
 
 大きすぎて、この距離では全体の形がわからない。
 
 先ほどまでの出来事、そして目の前の光景を前にして、不思議なほど静かな気持ちで見上げていた。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 愛しい少女を胸に抱いて、ふわりと浮かび上がる。少し昇り、離れれば、“それ”の姿が確認出来た。
 
 『星黎殿』の城を踏み砕く太い足、夜風を裂く鉤爪を生やした長い腕、見る者を圧する分厚い胴体の上には、畏怖を与える角らしきものを生やした頭が見え、夜空を思わせる皮膜を張った翼を広げる紅蓮の魔神。
 
「‥‥不足の事態なのか、それとも‥‥初めからこれを狙っていたのか‥‥?」
 
 それが、遠雷のような戸惑いの呟きを漏らす‥‥それだけで肌を灼くような熱波に襲われる。
 
 まったく、とんでもない化け物だった。
 
「“いや”、僕もこれは考えてなかった。本当に‥‥僕は良い仲間を持った」
 
 悠二の胸には、瞳を閉じ、水色の火の粉を舞わせる少女。
 
「‥‥‥誤算では、無いのだな」
 
 そして、アラストールの胸には、一糸纏わず、まるで母の胎内で眠る赤ん坊のように自身を抱き、眠る‥‥‥紅蓮の少女。
 
「いずれにしても、我はこのまま‥‥貴様らの暴挙を見逃す気などない‥‥!」
 
 その、わかりきった答えを受けて、悠二は目を閉じ‥‥また開いた。
 
「ああ」
 
 その黒の瞳が、紅蓮の輝きに怯まず、この世の何よりも強い光を宿す。
 
(ヘカテー、少し‥‥待っててね‥‥‥‥)
 
 もう一度目を閉じて、愛しい少女の頬に、自身の頬を重ねて、片手きりの腕で、傷に障らない程度に強く、抱き締めた。
 
 そして、ヘカテーを頭上のベルペオルの許へと『転移』させようとした、その時‥‥‥‥
 
 ぎゅっ‥‥‥
 
「っ‥‥‥!」
 
 ヘカテーの小さな手が、弱々しく‥‥“しかし最強の力を以て”、緋色の衣を握りしめていた。
 
「ヘ、カテー‥‥‥」
 
 意識があるのか、そう思って呼び掛けた悠二の声には応えずに‥‥ヘカテーの全身から、淡い水色の光が溢れでる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 不思議と、引き留める力はなく。するりと悠二の腕の中から抜け出たヘカテーは、瞳を閉じたまま両手を組んで、神に祈るような姿で、ゆっくりと天に昇っていく。
 
 すぐ近くに紅蓮の魔神が顕現している、黒き『創造神』が天に顕現している、世界崩壊と、それを止める調律がぶつかっている、徒とフレイムヘイズの戦争が起きている。
 
 これほどの異常な状況下で、誰もが目を奪われる。
 
 理屈も理由も存在しない、それはただどこまでも神秘的な‥‥水色の星。
 
 
『 新しい 熱い歌を 私は作ろう 』
 
 歌が、響いた。
 
『 風が吹き 雨が降り 霜が下りる その前に 』
 
 見る者全ての心を奪うような水色の星から、しかしただ一人の少年に向けて‥‥歌声が響いていた。
 
『 我が恋人は 私を試す 』
 
 そして、少年の上に、雪のように降っていた。少女が愛した‥‥銀色の光の粒が。
 
『 私が彼を どんなに愛しているか 』
 
 
「これ、は‥‥‥」
 
 アラストールは、その歌と、かつての“自分たち”の戦いに半ば無理矢理引き込まれ、自失する。
 
 雪のように降る銀に呼応するように、悠二の胸の灯りが脈動する。
 
『 どんな諍いの種を 蒔こうとも無駄 』
 
 それは、ヘカテーが『大命』のために使わず‥‥少年の消滅を恐れ、秘していた‥‥最後の『大命詩篇』。
 
 消耗しきった悠二の全身に、世界を変えんとしている『創造神』の力が流れ込む。
 
 黒い炎が、少年を中心に渦を巻く。
 
『 私は この絆を 解きはしない 』
 
 
「ッ‥‥‥オオオオオオオ!」
 
 癒える事の無い胸の痛みが、失ってしまった大切な人が、アラストールの胸に鮮明に描かれる。
 
 
『 かえって私は 恋人に全てを与え 全てを委ねる 』
 
 眼前の魔神の紅蓮にも劣らない圧倒的な黒炎が、少年の手に在る魔剣に凝縮されていく。
 
『 そう 彼のものとなっても構わない 』
 
 
「っこの砕け割れる世界を目にして! まだ世の理を変えるなどと戯れ言を並べるか!!?」
 
 自身の‥‥痛みを伴う愛に、今なお胸に眠る娘を重ね‥‥“不覚にも”アラストールは、少女のために叫んでいた。
 
『 酔っているなぞとは 思い給うな 』
 
 
「貴様の願いが過ちであると、“これ”を目にして何故わからん!!?」
 
「わかってる!!」
 
 異常な熱波を撒き散らし、落雷のような怒声を放つ魔神に、悠二は一歩を退かず、叫び返した。
 
 そう‥‥‥“坂井悠二”が。
 
 
『 私が あの美しい炎を 愛しているからといって 』
 
 
「これが、世界そのものを巻き込む勝手な願いだって事も! その結果が、世界崩壊の危険を招いてるって事も! 全部わかってる!!」
 
 叫び、迷わず、剣を魔神の灼眼へと鋭く振り、向けた。
 
『 私は 彼なしには 生きられない 』
 
 
「アラストールだって、そうだろ!? 善も悪も関係ない、自分が信じた道を、自分の大切なもののために歩いてるはずだ!!」
 
 
『 彼の 愛の傍にいて はじめて 』
 
 
「っ‥‥‥‥ならば、“我ら”の生き様も、わかっていような!?」
 
 
 『星黎殿』に山のように聳える紅蓮の魔神の前に浮かぶ‥‥たった一人の少年。
 
 しかし、両者は今、全くの対等な存在だった。
 
 
『 私は 私になれる 』
 
 
 歌声が響き終わり、銀の雪は、少年に降り終えた。
 
 少年の黒が、空を染め上げる。その内側‥‥少年の全身から、淡い銀光が滲み出る。
 
 
「ああ‥‥“僕ら”の道とは違う、今は絶対に相容れない。だから、戦おう」
 
 
 完全稼働を果たした『大命詩篇』。
 
 『創造神』と完全に同調してなお自我を失わない少年と、紅世真正の‥‥紅蓮の魔神。
 
 
 二つの炎が、罅割れる星空を染め上げ、焼き尽くす。
 
 
 
 
「ふぅ‥‥‥‥」
 
 右手の中指に嵌めた、銀色の指輪を見る。
 
 『詣道』から帰還する時に、フリアグネから投げ渡された火除けの指輪・『アズュール』。これが無ければ、巻き添えで丸焼けになっていた所だ。
 
(感謝、しないとね‥‥)
 
 そして、もう一つ‥‥両手でしっかり握った宝具を見る。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 痛む体を、重い空間で必死に動かして、何とか動いた腕と指先で‥‥‥
 
「後は、頼んだよ‥‥‥」
 
 泣かせないと、悲しませないと決めたから。
 
 
「最後は‥‥ビシッと決めてよね‥‥!」
 
 
 ミステスの少女は、引き金を引いた。
 
 
 それは、少なくとも少年にとっての‥‥‥
 
 
 幸せを運ぶ引き金。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 十二話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/09/14 18:57
 
「おぉ‥‥‥!」
 
「あれは‥‥‥」
 
「紅蓮‥‥"天壌の劫火"だ!!」
 
「歪みが‥‥‥『調律』の自在法よ!!」
 
 
 天空を支配する『創造神』、罅割れ、崩れ始める世界、四方から襲いくる魔軍、あまりにも絶望的な状況に、完全に戦意を喪失していた『フレイムヘイズ兵団』。
 
 そんな彼らに、この『調律』と『天罰神』は、希望の光に見えていた。
 
 
「アラ、ストール‥‥‥」
 
 そんな中、かつての戦友、そして短い間旅を共にした少女‥‥二人の炎髪を思って、修道女が十字を切る。
 
 
 
 
「あ、あれは‥‥‥‥」
 
 黒き蛇の傍に在るベルペオルが、かつての『大戦』‥‥青き天使を、破壊不能のはずの『大命詩篇』ごと打ち砕いた紅蓮の怪物を目にして、心底からの畏怖を表す。
 
「案ずるな、我が『参謀』・"逆理の裁者"ベルペオルよ」
 
 それを、今も世界の変容に全力を注ぎ込む『創造神』が、場違いに穏やかな声音で宥めた。
 
「余らは、ただ『仮装舞踏会(バル・マスケ)』皆の願い‥‥秘法・『大縛鎖』の完遂に尽くせばよい」
 
 その水晶のような瞳に映る銀には、憂いは無い。ただ、どこまでも強烈な、燃え上がるような喜悦があった。
 
「はっ‥‥‥‥」
 
 茫然と、その言葉を受けたベルペオルは、しかしその歓喜の中に、いつもとは違う色を見る。
 
 それは、自分自身を誇り、笑うものではなく‥‥‥‥
 
「あの場には、もう一人の盟主が在る」
 
 
 誰かの姿を、喜ぶもの。
 
 
 
 
「目を開けんな! 前じゃなくて過去を見ろ! 記憶と妄想の世界に飛び立て! 得意だろうが!!」
 
「はいぃ!?」
 
 世界を壊す、崩壊の亀裂。それが、四方から雪崩れ込む深緑の光に均され、消えていく。
 
 吉田、池、カムシン、リャナンシーの中心に据えられた毛糸玉が、凄い勢いで解け‥‥『調律』の礎になっていく。
 
 今も、世界の変容へと力を伸ばす『創造神』の権能‥‥爆発的に広がる歪みをも包み込み、癒していく。
 
 それは、全ての存在の命綱にして‥‥希望。
 
 
「まだ、終わんねえのか!?」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 見上げる、頭上で自分を見守ってくれているだろう‥‥水色の星を。
 
(少しだけ、待ってて‥‥ヘカテー‥‥)
 
 そして、目の前の破壊そのもののような紅蓮を撒き散らす『天罰神』を見据える。
 
(もうすぐ、だから‥‥‥‥‥)
 
 歓喜の爆発とも、怒りの慟哭とも聞こえる叫びが‥‥‥
 
「行くぞ! "天壌の劫火"アラストール!!」
 
 
 黒天を、貫く。
 
 
 
 
『単なる復讐‥‥自分への、ね』
 
 少年を中心に、黒い炎濁流が渦巻く。
 
『それとも、あなたの志は‥‥誓い、決意した心は‥‥一人の女との情に流されるような弱いものだったの?』
 
 紅蓮の魔神が、咆哮を上げる。
 
『私は幸せ。他でもない、あなたの為に死ねる‥‥いいえ、命を燃やし尽くせるのだから』
 
 空を塗り潰すような溢れる黒き炎を貫いて、紅蓮の腕が少年を握り潰さんと伸びる。
 
『"あなたのために"、覚えておいて。私は、私の惨めな復讐に果てるんじゃない。あなたの志への敬意から全力を振り絞るんだってことを。だから、私は幸せだったってことを』
 
 握ろうとした掌は、しかし掴んだ感触は無く‥‥裂けた。
 
 晴れた炎の先に在るのは、真っ二つに裂けた右手と、それより遥かに小さな‥‥‥魔剣を振るう少年。
 
「許さぬ‥‥‥‥」
 
 二つに裂けた傷口に紅蓮の炎が流れ込み、腕が本来の姿を取り戻す。同時に、僅か紅蓮の煌めきが薄れた。
 
「世を乱す貴様らの愚行の成就を、"我ら"は決して看過せぬ!!」
 
 魔神の牙だらけの口から、恒星のような紅蓮の炎弾が吐き出される。
 
 それは、同様に放たれた少年の、特大の黒い炎弾とぶつかり、容易くそれを散らして、少年を紅蓮の海に呑み込む。
 
『さようなら。あなたの炎に、永遠に翳りがありませんように』
 
「我が道を阻むな! 我らは世界を滅亡へと導く『創造神』の暴挙を止める! 貴様のような小僧に‥‥‥‥」
「関係ない!!」
 
 咆哮と共に、黒い斬撃の一薙ぎが、溢れる紅蓮の大波を断ち斬る。
 
「自分が何者かなんて、関係ない。たとえちっぽけな、人間の残り滓にすぎなくたって‥‥‥」
 
 そこに、全身を紅蓮に焼かれながら、緋色の衣を靡かせる黒の少年が、毅然と立ちはだかっていた。
 
「僕は僕として、やる事をやるだけだ!」
 
 それは、未熟な少年で、一個のトーチで、夢見がちな子供でありながら‥‥
 
 『創造神』と共に歩むどころか、『創造神』の在り様すらも包含する‥‥脅威の怪物だった。
 
『愛しているわ、"天壌の劫火"アラストール、誰よりも‥‥‥』
 
 
「うっ‥‥ッオオオオオ!!」
 
 
 
 
「何故‥‥わからぬ!?」
 
 怒りのままに振り上げた魔神の右腕を、黒い炎が肩から千切り飛ばす。
 
「この世の理を変えるなど叶わぬ! それは変容ではなく滅亡にしか繋がらぬ! 我が権能‥‥世を乱れから守り、世の理と成りて裁く。我らが生き様を、子供の絵空事で嘲謔するか!?」
「絵空事なんかじゃない。僕一人じゃ無理でも、僕には同じ夢を持った仲間がいる‥‥この状況を見ろ!!」
 
 言って、緋色の衣を翻して、悠二は背後に広がる世界を見せつける。
 
 黒の秘法の力が世界を紡ぎ、それが生み出す破滅の歪みを、深緑の光の波が癒していく‥‥世界。
 
「絵空事なんかじゃない、必ず実現してみせる!」
 
「成就など叶わぬ。我が‥‥‥阻む!」
 
 千切れた右腕を戻さず、アラストールは左拳に紅蓮を燃やし、突き出した。
 
 それに、悠二が思い切り振り抜いた大剣がぶつかり、黒と紅蓮の怒涛が大爆発を巻き起こす。
 
 嵐のような炎の中で、魔神の左腕が弾け飛んだ。
 
「だったら‥‥‥‥」
 
 少年の全身から溢れだす黒炎が、八岐の大蛇を形作り、魔神が息を胸郭一杯に吸い込む。
 
 巨大な炎弾が吐き出され、八岐の黒蛇が襲い掛かり‥‥激突する。
 
「受け入れるのか!? 終わる事の無い存在の乱獲を! 同胞同士の戦いの運命を! 戦いに巻き込まれて‥‥」
 
 
『あなたはトーチ、人間の残り滓です』
 
『あなた次第だと、言いましたから‥‥‥』
 
『もう少し‥‥皆一緒に、いた、かった、な‥‥‥』
 
『逃げてえぇ!!』
 
 
「っ‥‥‥大切なものを失う事を、受け入れるのか!?」
 
「‥‥‥それら全てを受け入れて戦う、それが我らフレイムヘイズだ!! “祭礼の蛇”坂井悠二!!」
 
 黒蛇が燃え散り、紅蓮が染め上げられる。
 
「我は貫く‥‥我が娘が選び、我が女が敬意を抱いてくれた‥‥この歩みを決して止めぬ!!」
 
 魔神の体がさらに一回り膨れ上がり、渾身の力が、その顎門に燃え上がる。
 
「受けよ! 裁きの焔を!!」
 
 全てを焼き尽くす‥‥『天罰神』全力の紅蓮の炎が奔る。
 
「裁いて、みろ!!」
 
 大剣の刀身に、のたうつ蛇のような黒い紋様を浮かばせて、緋色の衣を靡かせ、漆黒の竜尾を翻し‥‥黒の少年が真っ向から紅蓮に飛び込む。
 
 大剣を先頭に、紅蓮を裂いて、しかし炎の波はその勢いを増していく。
 
 
「‥‥世の理を守るとか、戦いの運命を受け入れるとか‥‥‥‥」
 
 それでも、坂井悠二は止まらない。
 
「そんなの、運命って言葉を言い訳にして諦めてるだけじゃないか!!」
 
「っ!!」
 
 
『運命ってのは、言い訳の別名よ』
 
 
「黙れ‥‥‥‥」
 
 魔神の怒りに呼応して、紅蓮の炎がさらに勢いを増す。
 
『これは、この契約は、運命なんかじゃない、私が選択したの』
 
 
「黙れえぇ!!」
 
 途端、全てが弾けた。
 
 魔神の心の隙を突いたように、炎の怒涛が、それに曝されていた少年が、それら全てが、黒と紅蓮に弾け飛んだ。
 
 
「僕は、逃げない」
 
 その中、変わらず少年の声が響いて‥‥‥‥
 
「運命も、理も、越えてみせる」
 
 
 魔神の灼眼に、淡く銀色に光る少年が映る。
 
 
 その大剣が、振り下ろされた。
 
 
 
 
 黒に染め上げられ、紅蓮に焼き尽くされた空。
 
 その炎の及ばぬ天空から、その戦いを見守っていた少女が、いる。
 
(悠二‥‥‥‥‥)
 
 その全身から、神秘的な水色の光を放つ‥‥星の如き少女。
 
 戦いを見届けて気が抜けたのか、その光が弱まり、終には空に留まる事すら出来なくなる。
 
(悠‥‥‥‥‥)
 
 そのまま、真っ逆さまに地上へと落下する少女の体を、
 
「ヘカテー!」
 
 少年が、片手きりの腕でふわりと抱き留めた。
 
 緋色の凱甲も衣も、もちろん漆黒の竜尾も無い。ごく普通の少年の姿。
 
 その姿が‥‥‥‥
 
「大丈夫‥‥‥?」
 
 陽炎のように、薄れていた。
 
「‥は‥‥‥い‥‥‥」
 
 ヘカテーも同様、胸から噴き出す火の粉と共に、彼女の存在そのものが薄らいでいた。
 
 消滅寸前の悠二が、同じく消滅寸前のヘカテーを抱き抱えて、ヘカテーはその胸にそっとすがりついていた。
 
 そんな二人を‥‥‥
 
「お疲れさま」
 
 翡翠の羽衣が、柔らかく包み込んだ。同時に悠二は宙に浮くために使っていた力を抜く。
 
「決着、ついたね‥‥‥」
 
 自分たちを支えてくれた少女・ゆかりに、もはや話すのも億劫な悠二は、小さく頷いた。
 
 ゆかりの手に握られている古風なリボルバー式の拳銃を見て‥‥やはり先ほどの"不可思議な顕現"は、この少女のおかげであると知る。
 
「ほら、見て‥‥‥‥‥」
 
 ゆかりに、促され、悠二と‥‥何とか目を開いたヘカテーが、見る。
 
 全てを呑み込むような黒い天空が渦巻き、それを受けた大地が燦然と輝く眩ゆいい銀光を放つ。その二つを、鎖にも似た光が結び、紡いでいた。
 
 そして、それに押し潰されるように空間に入る亀裂を、穏やかな安らぎに満ちた深緑の光が消していく。
 
 そして、全身に感じるこの感覚。卵から雛が孵る瞬間のような‥‥しかしそれよりも遥かに大きな昂揚感。
 
 確信が、ある。
 
 これから、何が起こるのか。
 
 
「‥‥‥いよいよ、だ‥ね」
 
「‥‥‥‥は、い」
 
 もはや虫の息で、途切れ途切れに‥‥それでも万感の想いを込めて言う、悠二とヘカテー。
 
 明らかに余命幾許もないほどの傷と消耗の二人の妙な余裕に、ゆかりはあからさまに肩を落とす。
 
 
「ほら、悠二、ヘカテー。大命成就の前に、やる事あるでしょ?」
 
 言って、抱き合う二人を後ろからまとめて抱き締めた。
 
 ゆかりの意図を理解して、ヘカテーは身を寄せ、悠二は抱く腕に力を込めた。
 
 
 
 
 そして、時は零時を廻り‥‥‥‥‥
 
 
 
 
 世界が‥‥‥変わる。
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 十三話
Name: 水虫◆70917372 ID:200a6d13
Date: 2009/09/15 16:34
 
(おお、ぉ‥‥‥!)
 
 暴れ回り、世界そのものにすら牙を剥いた秘法の力が、今明確に、一つの指向性を持って収束していくのを感じる。
 
 とある一点、『創造神』“祭礼の蛇”の蛇身の真下に位置する影。
 
 そこに、黒天を無視して、銀の影が集まっていく。
 
(“ここ”を、世界を繋ぐ礎と成す‥‥‥!)
 
 空に広がり満ちる黒に比して遥かに矮小な、直径十メートル程度の銀影の円。
 
 その影から、無理矢理押し込んだような無数の鎖の束が、黒天の至る所に繋がっていた。
 
「束ね、紡ぎ、形と為せ! 『大縛鎖』!!」
 
 天地に轟く黒蛇の咆哮を受けて‥‥‥‥
 
 ズッ‥‥‥‥‥!
 
「紡げ‥‥‥」
 
 ズズッ‥‥‥‥!!
 
「手繰り寄せろ!!」
 
 鎖が引き寄せ、呑み込んでいく。
 
 繋がる黒天を、その銀影の内へと引きずり込んでいく。
 
「ははっ、ははははははははは!!」
 
 感じる。己が身、そして全ての同胞の身が変質していくのを。
 
 いや、それも違う。
 
 変わっているのは自分たちではなく、自分たちを存在させている世界そのもの。
 
 やがて、黒天全てが銀影に呑み込まれ、影から銀が浮かび上がる。
 
 それは、今まで世界を崩壊の危機に導いていたとは思えないほどに、小さい。
 
 十メートル程度の大きさの、輝く銀と闇の黒を漂うように揺らす‥‥『空間の球』。
 
 物質ではない、炎でもない、存在の力でもない、空気ですらない、それは『空間』‥‥“この世の一部”だった。
 
 揺れる黒と銀、その奥から感じられるのは、現象による影響と意志による干渉によって延々と変化し続ける力の渦。“この世とは全く異なる”物理法則を持つそれは、“彼ら”の故郷‥‥‥‥‥
 
 『紅世』だった。
 
 数千年の悲願と、数多の存在の礎の許に成し遂げたのは、こんな小さな繋がり。
 
 しかしそれは、紅世とこの世を隔てる‥‥神さえ無力な両界の狭間をも越えた繋がり。
 
 『歩いてゆけない隣』、その根底すらも覆すもの。
 
(ほんの僅か、この程度の扉で構わぬ‥‥‥)
 
 それで、十分だった。
 
 僅かな繋がりとはいえ、それは“互いの世界が延長線上に在る”事を意味する。
 
 今、二つの世界は、霞のように薄く繋がる‥‥“一つの世界”だった。
 
 身に、心に、感じられる。わかる。
 
 もはや、“紅世の徒はこの世の存在である”と。
 
 隣から渡りきた異物ではないと。
 
 そう、世界が認識していると。
 
「“成った”!!」
 
 
 ここに、『創造神』の大命が実を結ぶ。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「目を、覚まされましたか」
 
「生還」
 
 柔らかい、ハンモックのように張られた純白のリボンの上で、紅蓮の少女は目を覚ます。
 
「わた、し‥‥‥‥?」
 
 自分は、あの時‥‥‥
 
 
『ごめん‥‥‥ごめんね‥‥‥‥』
 
『私も一緒に、消えるから‥‥‥‥!』
 
『天破、壌砕‥‥‥』
 
 
「何で、私‥‥‥‥」
 
 秘法・『天破壌砕』は、生贄を『心臓(コル)』にして、『神威召喚』を果たし、『器』たる契約者は破壊される。
 
 その『器』たる自分が、何故生きている?
 
「『トリガーハッピー』‥‥。フレイムヘイズに眠る王の休眠を、強制的に破る宝具であります」
 
 そのシャナの問いに、まずヴィルヘルミナが原因を、
 
「本来なら、契約した『王』の力を全て解放させ、爆死させる物らしいが‥‥お前は、その偉大なる『器』によって、我の全存在を受け止めたのだ」
 
 アラストールが詳細を教え、
 
「そう‥‥さっき触角娘が言っていた」
 
 メリヒムが、情報源と張本人を告げた。
 
 
 教えられた事を一つずつ理解するように十秒ほど黙り込んだシャナが、未だ混乱の様を隠し切れずに訊く。
 
「じゃあ‥‥『天破壌砕』は‥‥‥‥」
 
「‥‥完全に発動する前に、“天壌の劫火”が“王としての顕現”を強いられ‥‥‥」
 
「不発」
 
 一番わかりやすい、“『天破壌砕』の不発”という答えを得て、ようやく頭の中がすっきりした。
 
「言っておくが、そこの無能は負けたからな」
 
「っ‥‥‥!!」
 
「っ‥‥‥貴様に‥‥人のことが言えるか!!?」
 
 そんなシャナの胸元の『コキュートス』に一言毒づいたメリヒムは、アラストールの激昂はもちろん無視する。
 
 使命と誇りを懸けた真っ向勝負に負けて、それが惨めでたまらないのはわからないでもない。
 
 だが、先ほどの言葉で愛娘に『本当に伝えたい部分』くらいわかれ、と心底思う。
 
「‥‥‥‥見ろ」
 
 メリヒムが『星黎殿』の縁から、眼下を促す。ヴィルヘルミナが、動けないシャナを、白い揺り籠ごとそちらに運ぶ。
 
 そこには、『大命』の成就を表す黒と銀の“空間”。
 
 そして、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の魔軍。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 あれだけの徒がいるのに、徒独特の“『この世に在らざる者』の持つ違和感”が、感じられない。
 
 これが、『大命』‥‥‥‥。
 
(そう、か‥‥‥‥)
 
 この気配は、まるでフレイムヘイズの気配のようだった。
 
 シャナは、全てを理解する。
 
 紅世の徒は、この世の存在ではないが故に、この世に在るためには、この世の存在の力‥‥その中でも自分たちに近しい、人間の存在の力を必要とし‥‥喰らう。
 
 それを止めんとする王たちは、自分たちがそれを止めるために人を喰い、世界を歪める愚行を避けるために、人間という名の、『この世のものである器』を利用する事を考えた。そうして生まれたのが、フレイムヘイズ。
 
 つまり、僅かな、限定的なものでもいい。この世と紅世を繋いで‥‥‥紅世の徒を“この世のものだと認識させる”。
 
 そうして、紅世の徒は、フレイムヘイズと同様の“誤魔化し”によってこの世に存在できる。
 
 そして、徒が人を喰わねば、人は死なない。歪みが起こらなければ、フレイムヘイズを生む必要もなく、同胞同士の戦いも起こらない。当然‥‥トーチという悲しい存在も生まれない。
 
(そういう、事か‥‥‥‥‥)
 
 自分が、想いの全てをぶつけて戦った少年の言葉を、思い出す。
 
 
『シャナたちが、こうするって‥‥フレイムヘイズの使命のために最後まで戦うって‥‥何となくわかってた』

 
『それでも、戦いたくなかった。それは‥‥僕の甘さなんだと思う』

 
『でも‥‥そんな、『純粋な使命』を果たそうとする君たちだから、"わがままは捨てない"』
 
 
 その言葉の意味が、今は理解出来る。
 
 紅世の徒の存在が、世界のバランスを崩すものではなくなったら、その討滅は‥‥フレイムヘイズの大義ではなくなる。
 
 たとえ、世界の崩壊を招き、自分たちに牙を剥いた相手であっても、その討滅に大義はない。
 
 
「‥‥‥シロ」
 
 悠二は、“だから、わがままを捨てない”と言った。
 
「‥‥‥ヴィルヘルミナ」
 
 “『純粋な使命』に戦う自分たちだから”、と。
 
「‥‥‥‥アラストール」
 
 彼には、わかっていたのだ。
 
 たとえ、互いに相容れない理想のために、命を懸けて戦ったとしても‥‥‥
 
 “『大命』が成った瞬間に”、フレイムヘイズとして戦う理由はなくなる。
 
「私、ね‥‥‥‥‥」
 
 
『討滅の道具でしかない君たちも、その中にいる』
 
 
 わかっていたのだ。
 
 世界のバランスを崩す存在ではなくなった瞬間、戦う理由はなくなる。
 
 また、大切な仲間として在れる。
 
 “自分たちなら”、と。
 
 ‥‥‥そう、“戦う理由ごと”へし折られた。
 
 もう、悔しさも湧かない。いっそ清々しいまでの、完敗。
 
 
「負けちゃった‥‥‥」
 
 
 本当に嬉しそうに、穏やかに少女は微笑む。
 
 その、手の甲を眉間に当てて隠した目から一筋‥‥流れる。
 
 自分が流す涙がどんな種類のものなのか、少女にはわからなかった。
 
 
「‥‥‥‥『ミストラル』」
 
 その様を黙って見守っていた恋人たちの片割れが、静かに唱える。
 
 琥珀の風が、その在り様を変えた世界の星空の向こうに、消えた。
 
 
 
 
 何も見えず、何も聞こえず、何も匂わず、何も感じない。
 
 全てが認識出来ない、自分が目を開けているのかいないのか、それどころか‥‥自分の存在に対する自覚すら薄れていく。
 
 恐ろしい。ここがどこなのか、自分が誰なのか、忘れそうになる。
 
 そんな、得体の知れない恐怖の中で‥‥‥
 
 
 鳥が、見えた。
 
 目に見えるわけではない。耳に聞こえるわけでもない。
 
 しかし、確かに在ると思えた。
 
 
 それは優美な翼を広げる、薄白い‥‥美しい鳥。
 
 
 
 
「起きたか?」
 
「‥‥‥‥あんた、こんな所で何してんのよ」
 
「そういうセリフは、ここがどこだかわかってる奴が言うもんだぜ」
 
 相変わらず小憎たらしい小娘の毒舌を聞き流して、気だるげに身を起こす。
 
 同時に、枕代わりに敷かれていた『グリモア』から声がかかった。
 
「全く、悪運が強えーこったな。我が奇跡の生還者、マージョリー・ドーよ」
 
「‥‥‥そりゃお互い様でしょ」
 
 こんな相変わらずなやり取りも、ありがたく感じられた。見回せば、レベッカ、サーレ、キアラの三人も寝転がされている。
 
 そして‥‥‥
 
「悪運、とはまた酷い言い草だね。五人も担いであの歪みに歪んだ狭間を渡るのにどれだけ苦労したか」
 
「すいません‥‥‥フリアグネ様」
 
「ああっ! ごめんよ私のマリアンヌ。君に言ったわけではないんだ」
 
 “狩人”フリアグネとその恋人、マリアンヌ。
 
「ああ、いきなりで事情が飲み込めないのもわかりますが、ひとまず“感じて”ください」
 
 『儀装の駆り手』カムシン・ネブハーウ。
 
「先に言っとくけど、この場で暴れたらあっちのグラサンが黙ってねえぞ」
 
 悠二や佐藤たちの友人・吉田一美。
 
「え、えっと‥‥僕もまだ状況がわからないんだけど‥‥‥」
 
 ‥‥‥‥‥誰?
 
「やれやれ、あまりこんな所に恐面ばかりになるのも都合が悪いのだが」
 
 “螺旋の風琴”リャナンシー。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 そして、少し離れた所でタバコに火を点けながら、遠くを見ている“千変”シュドナイ。
 
 
 ‥‥‥‥全くもってわけのわからない状況ではあるが、カムシンに言われるまでもなく感じている。
 
 紅世の徒の持つ、特有の違和感が‥‥無い。
 
 そのあり得ない現象の理由にも、すぐに思い至った。
 
 この戦いの、根幹となるものだったから。
 
 そして、その意味する所にも。
 
 
「私たちは‥‥負けたのね」
 
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 十四話
Name: 水虫◆70917372 ID:200a6d13
Date: 2009/09/16 20:11
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 戦場からほんの僅か離れた雪原で、マージョリー・ドーは寝転ぶ。
 
『ああ、元々総力戦では勝ち目のない戦いです。彼らに目的を完遂された以上、これ以上は無駄な血が流れるだけでしょう』
 
 カムシンは、『フレイムヘイズ兵団』の撤退の進言と、その援護に向かった。
 撤退の際に、『兵団』が妙に士気を持つのも困るから、自分たちには来てもらいたくない、と言って。
 
『別に君たちを助けたわけじゃないさ。生意気な子供に‥‥以前の借りを返した、っという所かな』
 
 意味深にそう言って、自分たちを狭間から連れ出した張本人たるフリアグネは、マリアンヌを連れて何処かへと去った。
 
『俺は俺の仕事をするさ』
 
 短く言って、剛槍を担いで、シュドナイは『創造神』の許へと向かった。
 止めはしなかった。もはや、シュドナイ一人倒しても状況は変わらない。最悪、怒りに駆られた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の手で兵団が全滅、という可能性もあった。
 
『紅世の徒がこの世を目指す際の目印は、人間の発する強烈な感情。あの時、その強烈な感情を発していたのがこの子たちだった、という事だ』
 
 そう言って、リャナンシーは吉田と池(というらしい)を連れて去って行った。
 どうやら、安全な場所まで送るつもりらしい。
 
 
「‥‥‥あ〜〜〜あ!」
 
 『大災厄』の危機、それを防いだ『調律』、変わった世界、異物ではなくなった紅世の徒、撤退を始めるフレイムヘイズ兵団、敵に助けられた自分たち。
 
 そして、起きたレベッカたちに事情を説明する『お留守番』となっている自分。
 
 ‥‥二度目の、完敗。
 
 
「‥‥‥酒が欲しいわ」
 
 
 何となく、そんな言葉が口を突いて出た。
 
 
 
 
「あのー、吉田さん? 何か色々とわからない事だらけなんですけど‥‥‥」
 
「ああ‥‥帰りがてら教えてやるよ。もう隠す意味も"あんまり"無いし」
 
「‥‥‥‥え? 坂井とかヘカテーちゃんとか平井さん、は‥‥‥?」
 
 ザクザクと分厚い雪を踏みしめて、吉田と池、そしてリャナンシーは帰途につく。
 
 これ以上無用な混乱を避けるため、相応に離れるまでは『転移』は使わない、という方針である。
 
「‥‥‥会っていかなくて良かったのかね? あの朴念仁に」
 
 前を向いたまま、リャナンシーが訊いてくる。
 
 ‥‥‥"こっちの事情"をそれなりに知っているらしいのが、妙に癪に障る。
 
「‥‥いいんだよ。別に、世界のためとか、振り向かせるためにここに来たわけじゃないからな」
 
「ふむ‥‥‥‥」
 
 見た目は自分よりも年下にしか見えないこの少女に、不思議と本音が口に出来た。
 
 外見に沿わない落ち着いた雰囲気のせいだろうか。いや、実際見た目通りの年齢でも無いのだろうが。
 
「ただ‥‥‥」
 
 声が自嘲気味に震える事は、抑えられなかった。
 
 
「自分の、終わった恋に‥‥けじめをつけに来ただけだ」
 
 
 
 
「悲願成就、祝着至極にございます。我らが盟主」
 
 万感の想いを、その静かな声に宿らせて、ベルペオルが宙に膝を着く。
 
「"よくぞ"‥‥成し得た、我が誇りよ」
 
 同じく声は静かに、しかし爆発するような歓喜を滲ませて、"祭礼の蛇"は応える。
 
 眼下、先の盟主の『大命』成就の宣告と、『天罰神』の敗退を目にして、雪崩を打つように歓呼の大歓声で戦場を揺らす同胞たち。
 
 そして‥‥‥‥
 
「‥‥‥完全な勝敗を喫しても、そう易々とは退かぬか」
 
「窮鼠猫を噛む、とでも言いましたか。半ば自棄になっている者もいるようです」
 
 突如出現した『天罰神』が、しかしすぐに姿を消し、『調律』の中で世界の変容は成った。
 
 微かな希望を目の前で打ち砕かれ、絶望の淵に落ちたフレイムヘイズたちとの抗戦は止まらない。
 
 もはや、"必ず防がねばならない企み"が果たされてしまった以上、撤退するのが妥当なはずだが、その兆候は見られない。
 
 それがわからないほど『フレイムヘイズ兵団』の指揮官が無能とも思えないが、絶望と狂熱に駆られたフレイムヘイズたちを御しきれないのだろう。
 
 そう、分析する黒蛇と女怪の前に‥‥‥‥
 
「なら、無理矢理退かせるまでです」
 
 水色の巫女と、
 
「ストラスは、ハボリムの所だよね?」
 
 翡翠の姫と、
 
「ハッタリかけて、頭を冷やさせて、逃げるように仕向けよう」
 
 銀の少年が、姿を現す。
 
 
 その三人、緋願を遂げた花たる子らに‥‥‥
 
「よくぞ戻った、我が誇りよ‥‥‥」
 
 『創造神』は、重く優しく、もう一度呟いた。
 
 
 
 
「頼んだよ」
 
「はっ‥‥!」
 
 異形の鳥男の吐く、大量の砂鉄にも似た不思議な粉を纏った徒らが、その姿を鳥へと変えて、世の何処かへと飛んでいく。
 
 "翠翔"ストラスの持つ、高速輸送の自在法・『プロツェシオン』。
 
 遠方の『アンドレイ要塞』で戦っていたはずの西方主力軍をこの中国中南部に運んだのも、この力である。
 
 今その力は、この、今や不毛な戦いの渦を消すために使われている。
 
 ハボリム、リベザル、オロバス、それら、外界宿(アウトロー)攻略を任された強者たちを殿にして。
 
 そうして自軍を退かせ、"同時に両軍を"撤退させる。
 
 
 所、変わって‥‥‥‥
 
 
「『星黎殿』、起動せよ」
 
 もはや瓦礫と岩の塊のような姿となってしまった『星黎殿』の奥で、その守護者たる悪魔然とした男が、小さく唱えて‥‥‥
 
 移動要塞・『星黎殿』が、動きだす。
 
 
 
 
「世界の敵がぁ! くたばれぇえ!!」
 
「まだだ! まだ我らフレイムヘイズは負けてなどいない!!」
 
「よくも‥‥よくも私の大切な人を!!」
 
 
 まるで死を望むかのように、完全な玉砕攻勢に出る『フレイムヘイズ兵団』(無論、それが全てではない)。
 
 もはや、大半は緩やかな撤退をみせる『仮装舞踏会』との不毛な、全く無駄な攻勢。
 
 その、最中‥‥‥
 
「あ‥‥‥?」
 
「うわあ!!」
 
 蛇が、飛んだ。
 
 天空をのたうつ、『創造神』の蛇身にも似た、黒々と燃える炎の大蛇。
 
 それが、地上に戦う者らを無視して、宙を飛び、阻むものは焼き尽くして、ある一点を目指し、飛ぶ。
 
 そして、目指した一点‥‥‥ザムエル・デマンティウスの自在法・『ジシュカの丘』によって生み出された兵団の出城に喰らいつき‥‥‥
 
 一撃、黒炎の中で爆砕していた。
 
 拠点、という一番わかりやすい『留まる象徴』。頑強堅固なはずの要塞の、たった一撃での消滅。
 
 その爆発を合図にしたかのように、"それら"は戦場に降り立った。
 
 
 北に‥‥‥
 
「さあ、どこまで上手くいくか‥‥‥」
 
「いかせる、さ」
 
 鎧のような真黒の鱗を全身に張りつかせ、その水晶のような瞳に銀光を宿す‥‥‥桁外れに大きな黒蛇。
 
 その額に一人、在る。
 
 緋色の凱甲と衣を装い、後頭から漆黒の竜尾を伸ばす‥‥少年。
 
 
 そして、南に‥‥‥
 
《ジジャーーン!!》
 
「ノォオオオーー!!」
 
「おじさま、ネジの回転をお願いします」
 
 全身から白緑の炎を撒き散らす、ガスタンクのようなまん丸の体に、ネジな歯車でいい加減にそれらしく作られた手足や目、という‥‥冗談のような巨大ロボット。
 
 その頭上に一人、在る。
 
 その手に三角の遊環を鳴らす錫杖を携える、真っ白な帽子とマントに着られたように小柄な、水色の巫女。
 
 
 そして、東‥‥‥
 
「"おいで"! デカラビア!!」
 
「‥‥‥魚意」
 
 現れたそれは、伸ばせば戦場一帯に広がるほどに巨大な、無光沢の鱗に藻の斑を纏う魚身。
 
 長大な体の至る所から、藻を削るように鉄色の炎を撒き散らす大魚。
 
 その額に、一人降り立つ。
 
 傷ついた青い胸甲鎧を身につけ、その上から翡翠の羽衣を揺らす、小さく両端に髪を結う‥‥‥万華響の姫君。
 
 
 あまりにも桁外れな力を前にして、狂熱も冷め、我に帰り、恐怖に駆られ‥‥‥‥
 
「う‥‥‥‥うわぁああああああ!!」
 
 一人が叫んだ恐怖の絶叫に誘われるように、『フレイムヘイズ兵団』に恐怖が伝染、一目散に逃げ出す。
 
 北、南、東に現れた脅威の怪物。残された‥‥そして、もうほぼ敵軍が撤退を完了している西方に、雪崩れ込むように逃げ出していく。
 
 
「恐慌状態‥‥か。ちょっと効きすぎたかな」
 
「元々が逆上しての玉砕攻勢だったのだ。我に帰ればあの反応が打倒だろう」
 
「‥‥‥まあ、撤退の誘導くらい‥‥"あっちの"指揮官に任せるよ」
 
 
 そんな狂騒の中で、世を変えた二人の盟主が、そんな風に、静かな言葉を交わしていた。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥世界の変容、新しい世界‥‥ですか」
 
 撤退の指揮に努める『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュが、ふと、空を見上げる。
 
 次いで、身に、肌に感じる感覚に、意識を向ける。
 
 紅世の徒が初めてこの世に渡り来た太古より数千年もの長い時、ずっと続いてきた理。
 
 人を喰らう紅世の徒、それを討つフレイムヘイズ。
 
 それが、変わった。
 
「もう、これまで通り、というわけにはいきませんね」
 
「‥‥ですな、こうなった以上、我らも‥‥‥‥」
 
 呟いた言葉に、額の星の刺繍に意識を宿すタケミカヅチから声が返ってきた。
 
 そう易々と、数千年当たり前の事として在った、世界の理‥‥‥それに準じた在り方を変える事など出来ない。
 
 それでも‥‥‥変わらなければならない。
 
 
「これから、忙しくなりますね」
 
 見据えた先で、撤退する自軍の尻に火を点けるように、長大な槍が一突き、戦場を貫いて、紫の煉獄を生んだ。
 
 
 
 
 理は変わり、塗り替えられた。
 
 しかし、これで終わるわけではない。
 
 世界に即して、全てが変わる。
 
 紅世の徒、炎の揺らぎ、そして人間。
 
 外れた世界はさらに外れて、未踏の先へと手を伸ばす。
 
 
 変わっていく。変わって前に‥‥進んでいく。
 
 
 



[7921] 水色の星T 八章 十五話
Name: 水虫◆70917372 ID:b2d373ea
Date: 2009/09/17 16:21
 
「よい、しょ‥‥!」
 
 軽く、干していた洗濯物を取り入れる。
 
 ‥‥一人分だと、随分少ない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 庭から、家の二階‥‥息子の部屋の窓を見上げる。
 
 いつの間にか、こんな癖がつくようになっていた。
 
 朝起きる時間も、あまり一般的ではないほどに早い。
 
 朝学校に行く前に、子供たちが稽古(彼らは古風に鍛練と読んでいた)をしていた‥‥それを見守る習慣が、今もしみついているのか。
 
 いや、むしろ‥‥それを忘れないように早く起きているのかも知れない。
 
「‥‥‥‥お昼ね」
 
 ほうれん草を炒めて、パンとベーコンを焼き、目玉焼きを作る。
 
 簡単な昼食。どうにも、自分が食べる分だけを作るのには、あまりやる気が起きない。
 
「ごめんなさい、こんな事じゃ、ダメね‥‥‥」
 
 ふと気付いたようにそう呟いて、自身の‥‥やや膨らんでいるお腹を撫でる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 昼御飯は、学校に行っていて、いない時がほとんどだったから、この風景は以前と同じ。
 
 でも、晩御飯は違っていた。
 
 春に、家の前にいた、そのまま居候になった‥‥娘同然の可愛い少女が、食器を出してくれたり、料理を作るのを横で穴が空くように見ていたり。
 
 息子が、何かにつけてそんな少女に振り回されたり、じゃれつかれたり。
 
 夏のいつからか、そんな二人の親友の少女も、よく遊びに来たり、泊まって行ったりするようになった。
 
 他にも、息子の友人らしい、一風変わった‥‥そして素敵な人たちが訪れるようになった。
 
 
 そんな彼らと一番交流が多かったのが、晩御飯から就寝までの時間だった。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 このソファーで、よくおしゃべりをしていた。
 
 少女二人が並んでテレビを見ていたりすると、外見はまるで似ていないのに、双子のように見えて可笑しかった。
 
 夫との惚気話を聞かせると、息子はいつも通りにやや呆れて、少女たちは目を輝かせて聞いていた。
 
 なんとなく小さい少女に膝枕していると、そのまま寝てしまい、その愛らしい寝顔を見るのが好きだった。
 
「‥‥‥‥よし!」
 
 両手で頬をパンッと叩いて、立ち上がる。
 
 自分は家族の留守に家を守る、専業主婦である。
 
 これから、新しい我が子も生まれる。めげてはいられない。
 
 確か、醤油と洗剤が切れていたから、買いに行こう。
 
 晩御飯は、もっと栄養のある物にしよう。文字通り、自分だけの体ではないのだから。
 
 今日は少し離れたスーパーで安売りだったはずだが、お腹の子の事も考慮して徒歩である。
 
 のんびりと靴を履いて、玄関を出て、門前を抜けて‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥!!」
 
 こちらに、歩いてきている。それを見つけた。
 
 こちらの姿を認めて駆け出す、あの日理由も告げずにいなくなった少女。
 
 慌ててそれを抱き留めて、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝る少女の頭を撫でる。
 
 それを、姉のような目で見守る‥‥あの日以来姿を消した‥‥やはり息子と共に旅立っていた少女。
 
(‥‥‥‥まだ、言わない)
 
 そして‥‥この一年で目まぐるしく変わり、旅立つ時には立派な男の顔になっていた息子。
 
 その息子が、また一回り大きくなって、帰ってきた。
 
「‥‥‥ただいま、母さん」
 
 そうして、ようやく今まで堪えてきた言葉を、口にした。
 
 
「おかえりなさい」
 
 
 
 
「‥‥‥よろしかったのですか?」
 
 今は静かに雪の積もる戦場後に、三眼の女怪は在る。
 
 その目の前、黒と銀を揺らせる、紅世とこの世を繋ぐ象徴たる球体。『創造神』の名付けるその名は‥‥‥『界鎖紋』。
 
「余の不覚で、数千年もの永き時、不自由を強いてきたのだ。何より‥‥余は“縛る事”を好まぬ」
 
 それは、『空間』であるが故に、破壊する事はおろか、触れる事すら出来ない。
 
 たとえ、これを生み出した『創造神』自身でも、『天罰神』でも同じ事。人間にはおそらく見る事も不可能だろう。
 
 とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。
 
「これまで通り、“今の世の”渡り方を徒たちに説いていく。ヘカテーに任せていた仕事を、俺たちで補う、か‥‥‥‥」
 
「‥‥‥特にお前は、道楽にかまけてばかりだったからね」
 
 シュドナイの、今後の『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の方針を告げる言葉を、ベルペオルが茶化す。
 
「なに‥‥今生の別れでもあるまい。余らの因果は強く、深い‥‥必ず再び交叉する」
 
 盟主の言葉を重く受けながら、ベルペオルはゆかりに渡され、使い方を教え込まれた『携帯電話』を見つめる。
 
「この地に、都を作る」
 
 その言葉を聞いて、神の眷属たる二柱は思わず背筋を正した。
 
 全くもって、相変わらずなお方だ、と笑みが零れる。
 
「名は如何に?」
 
「すでに、示してある」
 
 期待通りの応えに、さらに笑みを深くして‥‥従う。
 
「仰せのままに、築きましょう。我らが都・『大縛鎖』を‥‥‥‥」
 
 
 世界を変えた地で、世界を変えた象徴の上に、夢の都を作り上げる。
 
 
 
 
 ざわざわ
 
 ヒソヒソ
 
 
「‥‥‥何か今日、皆落ち着きなくない?」
 
 部活の朝練が終わり、バレーボールやネットを片付けて(暗黙の了解として、それは一年の仕事だ)から体育館を出ると、何やら学校全体‥‥かどうかはわからないが、少なくとも目に映る範囲は随分と騒がしい。
 
 あらゆる所でヒソヒソ話をしていたり、誰かが何かを大慌てで伝え、こぞってどこかに走っていく。
 
「もしかして、何かスクープかな!?」
 
「スクープ、ねえ‥‥‥‥」
 
 部活仲間が眼を輝かせているが、自分は、少し前の事を思い出す。
 
 何かにつけてトラブルを巻き起こしていた、特に仲の良かった友達たち。
 
 色んな意味で規格外だった彼女らがいた頃は、こんな風景も珍しくなかった。
 
 ‥‥‥だから、あまり期待はしていなかった。
 
 スクープスクープと騒いだ所で、拍子抜けするのが目に見えている。
 
「あ〜も〜、オガちゃんノリ悪いー! 見に行こ見に行こ!!」
 
「‥‥え〜〜‥‥‥」
 
「‥‥あ! オガちゃんは朝から彼氏と逢引きですか〜」
 
「あ、そっか、それは失礼致しましたー!」
 
 ‥‥‥む。
 
「行・き・ま・す」
 
 照れ隠し半分、後は‥‥‥最近当の田中はすっかり元気を無くしている事の反発半分に、野次馬参加を了承する。
 
 先ほど、どこかに走っていった二年生の後を追い掛けるように、こぞって走っていく。
 
「あれ‥‥一年生の階?」
 
「何か、転校生とかかな?」
 
 一年生‥‥‥転校生‥‥‥‥?
 
 何か、身に覚えのある単語のような気がする。
 
(まさか、ね‥‥‥)
 
 さらに歩を進める。どんどん、近づいていく。
 
 ‥‥‥自分の、教室に。
 
(本当、に‥‥‥‥?)
 
 そして、見つける。
 
 自分の教室の前に出来ている、人だかり。
 
「っ‥‥‥ちょっとすいません!!」
 
 壁のようになっている先輩や同級生を押し退けて、進む。迷惑そうな声も、今は耳に入らない。
 
 そして‥‥‥‥
 
 
「おー! オガちゃん、おひさあ♪」
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 屋上から見下ろすこの景色も、懐かしい。
 
 久しぶりに来ると、案外自分もこの景色が好きだったのだと気付く。
 
 ‥‥‥ここに来ている事は、当然気配で気付かれているだろう。
 
 気持ちに整理がついたら、一時限目が始まる前には、行こう。
 
 
『君たちだから、わがままは捨てない』
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 これ以上、無様は晒せない。失望など、させられない。
 
(いや、それも違うか‥‥‥‥)
 
 “彼が信じてくれた自分”で在りたい。
 
 義務でも、責務でも、使命でもない。自分の意志として‥‥‥‥‥。
 
 期待以上のもので、応えよう。
 
 『炎髪灼眼のシャナ』として。
 
 
 キィィ‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 屋上の扉が開き、自分と、気を遣って黙ってくれているアラストールだけの空間に、誰かが入ってくる。
 
 いや、誰かは、わかる。
 
 
「‥‥‥‥何の用?」
 
 向こうから来られる、という予定は無かった。
 
 自分がどんな顔をしているのかわからずに、背を向けたまま、ぶっきらぼうに訊く。
 
「‥‥‥‥“シャナ”」
 
「!?」
 
 初めてのその呼び方に、つい振り返る。
 
 見れば、冬の制服を着た水色の少女‥‥‥“想い人の想い人”が、こちらに歩み寄ってきていた。
 
 そして‥‥‥‥‥
 
「ん」
 
 持っていた、やや大きめの紙袋を差し出してくる。
 
「何‥‥‥‥」
「んっ!!」
 
 事情を訊こうとした自分の胸元に、ぐっと紙袋を押し付け、受け取ってしまうと、そのままクルリと踵を返して早足でトコトコと屋上から出ていく。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 全く意味のわからない行動をした恋敵の背中を呆然と見送って、再び静寂を取り戻した屋上で、一分ほど立ち尽くして‥‥‥‥
 
「何だろ、これ‥‥‥」
 
 半ば無理矢理渡された紙袋を、開けてみる。
 
 預けただけかも知れないが、知った事か。事情も話さないあっちが悪‥‥‥
「っ!!」
 
 紙袋の中から、香ばしい香りが漂う。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 そこら中のパン屋のメロンパンが一つずつ、袋一杯に入っていた。
 
「‥‥‥‥‥‥ぷっ」
 
 いくらなんでも、これで全てのわだかまりを捨てられるほど、自分も単純ではない‥‥と思う。
 
「あははははは!!」
 
 でも、可笑しかった。
 
 あの少女の、実にわかりやすい『仲直りの意思表示』が可笑しかった。
 
「‥‥‥‥‥‥はむっ」
 
 とりあえず一つ取って、遠慮なくかぶりつく。表面が固すぎ、中はパサパサしすぎている。まだまだ、選定眼が甘い。
 
 あっという間に一つ平らげて、もう一つ、食い付く。
 
「んむっ」
 
 今度のは、悪くない。表面はカリカリ、中はモフモフ、網目のセンスは50点、といった所か。
 
「あむっ‥‥‥」
 
 ‥‥‥世界が変わったとて、自分は‥‥変わらない。
 
 自分で見極めて、自分で決めて、自分で歩く。
 
 後悔なんて、絶対にしない道を。
 
 
「アラストール‥‥‥」
 
「‥‥‥何だ?」
 
 とりあえず、
 
「私、悠二が好き」
 
 これからはもっと、“自分自身に”素直になろう。
 
 
 
 
 メロンパンをもう一かじりした少女は、満面の笑みを作った。
 
 
 
 



[7921] "水色の星"フィナーレ《完》 『そして世に咲く、緋願花』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/18 19:33
 
 この世と紅世を繋いだ、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』と『フレイムヘイズ兵団』の戦い。
 
 歴史どころか、理すらも変える結果を生んだ‥‥後に『界戦』と呼ばれるようになった戦争。
 
 
 
 
 あれから、六年‥‥‥‥‥。
 
 
 
 
「ここ、久しぶりだね」
 
「あんまり来る用事なかったから‥‥‥‥」
 
「‥‥少し、おもちゃの山が荒らされています」
 
 一人の少年と二人の少女が、今も取り壊しや改築をされていない‥‥‥旧依田デパートを訪れていた。
 
「ここで、ヘカテーとフリアグネが戦ったんだよなあ」
 
「私がまだ何も知らなかった時の話だね」
 
「あの時の悠二は、私の力が流れ込んだショックだけで気絶していました」
 
 何となく感傷に浸る悠二とゆかりをよそに、ヘカテーがやや得意気に小さな胸を張る。
 
 未熟な自分に鍛練をつけてくれていた為か、それとも根っからの教師気取りなのか、未だに教え子扱いな時がままある、という事実に、悠二は少し渋い顔を作った。
 
 一方、自分の知らない二人の話をされても面白くないのはゆかりである。さっさと話を進めようとする。
 
「その後、ヘカテーが御崎高校に転校してきて、『天道宮』に『カイナ』探しに行ったんだよね?」
 
「そこで、"愛染の兄妹"という徒との戦いがありました」
 
「結果的には、そこで『カイナ』と『吸血鬼(ブルートザオガー)』とメリヒムを拾ったんだ」
 
 さすがに、今からあの街にまで行くつもりは無いので、話だけで済ませる。
 
 所変わって、旧平井家アパート付近の住宅路。
 
「‥‥そして、ここが悠二が無謀にもヴィルヘルミナに立ち向かった場所です」
 
「いや、あの時はゆかりの事とか、ヨーハンの事とかあったから仕方なく‥‥‥‥」
 
「うーん、自覚なくても、実際に私が悠二に決定的に惚れたの、この時かも知れないね?」
 
 ストレートな言葉に赤くなる悠二を、ゆかりがからかいつつ‥‥‥‥
 
 御崎アトリウム・アーチ。
 
「マージョリーさんと戦った所、かあ‥‥‥」
 
「私とヘカテーが『リシャッフル』で入れ替わってたから、カルメルさんとタッグ組んだんでしょ?」
 
「‥‥‥浮気?」
 
「「違う」」
 
 懐かしみ半分、純粋に美術品を眺める事半分。
 
 
 かけがえのない街の、思い出を噛み締めるように、三人は巡る。
 
 そして‥‥‥真南川河川敷。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ゆかりと悠二にとっては、特に思い入れの深い場所。ヘカテーはそれを察して、空気を読んでいる。
 
「私が人間じゃなくなった所で‥‥‥‥」
 
 悠二の傷口にそっと触れる。あの『界戦』以来、悠二は自分の浴衣姿を見ても動揺はしなくなった。
 
「私のファーストキスの場所で‥‥‥‥」
 
 今度は、自分の唇にそっと触れて。
 
「私が、貴方と、永遠に在ると誓った場所」
 
 真っ赤になりながら、それでも微笑んで、そう言った。
 
 悠二もまた赤くなり、ヘカテーは背を向けて拗ねていた。
 
 
 また、所変わる。ここを、最後にするつもりだった。
 
 御崎市の街の隅に"近年作られた"、十字架ではなく、三角架を掲げる奇妙な‥‥‥‥教会。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 この場所で、言葉は要らない。
 
 ゆかりがぴょこぴょこと跳ねて、神父が立つ位置に立ってみる。
 
 寄り添い、悠二とヘカテーがそこへと歩く。
 
「悠二‥‥‥‥」
 
「ヘカテー‥‥‥‥」
 
 "あの時"と同じように‥‥‥
 
「「永遠の愛を誓います」」
 
 幾度となく交わした誓いを、また交わして‥‥唇を重ねる。
 
 今度はゆかりが少しだけ寂しそうに笑って、お姫様抱っこして教会の外に向かう二人に続く。
 
 
「やっぱり、ここか」
 
「‥‥‥吉田さん」
 
 外に出ると、待ち人がいた。
 
 
「五時に坂井家の前、だったはずですよ? 坂井君」
 
「あ‥‥あはは、ごめん‥‥‥‥」
 
 つい、時間を忘れてしまっていた。
 
 見れば、吉田だけではない。
 
「悠ちゃん、約束は守らないとダメよ?」
 
 母・坂井千草。
 
「いや、あれは何度やっても良いものだ。私たちもどうだろう、千草さん?」
 
 父・坂井貫太郎。
 
「‥‥こんな時くらい、こっちを優先してもいいと思うぞ、坂井?」
 
 中学時代からの親友・池速人。
 
「‥‥ったく、佐藤も坂井も、いっつも俺の先を行くよなあ」
 
 日常を生きる事を選んだ友人・田中栄太。
 
「‥‥‥それはあんたが奥手っていうか優柔不断だからでしょ」
 
 ボソボソと小さく文句を言う、結局詳しい事情を話す事のなかった‥‥緒方真竹。
 
「すぐに、追い付きますから」
 
 そして、吉田一美。
 
 
 六年‥‥そろそろ、皆変わって、自分たちの外見に違和感が出てきた。
 
 
 恥ずかしくなって慌ててヘカテーを下ろすと、頬を膨らませた。そんな仕草も可愛い。
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 六年、"世界が待ってくれた"この時間が、長いのか短いのかわからない。
 
 いや、このかけがえのない時間を過ごせただけ、幸せだ。
 
「あ‥‥‥‥」
 
「約束は、忘れないでね?」
 
 抱いていた三草を貫太郎に預けて、母・千草が柔らかく抱き締めてくれた。
 
「うん‥‥‥‥‥」
 
 少し、涙が出た。
 
 
「「ふっ!」」
 
 ヘカテーと吉田が、拳と拳を叩き合わせた。この二人のやり取りは、こんな時でも相変わらずだ。
 
 吉田はそのまま、パチンと、あの時のように、ゆかりと手と手を叩き合った。
 
 
 もう、この日に至る日々で、言葉は幾つも交わし合った。
 
 この場に及んで、語るべき言葉は、あまりない。
 
 
 だから‥‥‥‥
 
 
「皆‥‥‥‥」
 
 "これ"だけで、十分だ。
 
 
「「「因果の交叉路で、また会おう」」」
 
 言葉を揃えて、背を向ける。
 
 左にヘカテーが、右にゆかりが、寄り添う。
 
 旅立つ。
 
 先んじて旅立ったシャナたちに遅れて。
 
 
 
 
 紅世の徒が、人を喰らう必要が無くなった。
 
 それでも、徒の欲望は無くならない。
 
 戦いの全てが無くなったわけではない。
 
 "個"というものが在る以上、それは決して無くならないのかも知れない。
 
 それで、良いと思う。
 
 それぞれの意志が在ってこそ、その存在に意味がある。
 
 その中で、互いに手を取り合える道を、探し続ければいいと思う。
 
 そのための、楔は打った。
 
 
 そして‥‥‥‥‥
 
「行こう、ゆかり! ヘカテー!」
 
「‥‥‥うん♪」
 
「はい!」
 
 
 この生まれ変わった世界で、いつまでも一緒に、生きていきたい。
 
 歩いていこうと思う。
 
 未踏を切り開いて、遼遠すらも越えて‥‥‥。
 
 三人、一緒に‥‥‥‥。
 
 
 
 
 そして‥‥緋色の願いを込めた花が、世界に咲く。
 
 
 
 



[7921] 『あとがき』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/18 09:44
 
 はい、こんにちは。作者・水虫です。
 
 まだ、色々と書き足りない部分もあり、そういった話は外伝集・『水色の星0』の方に投稿しようとは思っておりますが、本編の大筋のストーリーとしては、今回を持ちまして最終回となります。
 
 いや『完結』という、SS作家としての一つの目標を遂げる達成感と、これで終わりという寂寥感が混在する、何とも言えない感慨が溢れております。
 
 超大作(長さ的な意味で)、という長さの長編となった本作でありますが、ここまでやって来れたのは、この作品を読んだり、感想をくれたり、時には指摘を下さった読者の皆様のおかげでございます。
 
 原作より先に別の(はずの)エンディングを迎えた本作ですが、数年後に赤面するような結果になったとしても、今まで応援して下さった皆様の誠意を大事にしたいので、後悔はしません。
 
 さて、何かと重いものを背負う事にはなったものの、ハッピーエンドを迎えた本作。実はこの分岐はSの八章エピローグ『赤い涙』で発生しております。
 
 あの時、『もしゆかりが消滅していればルート』があったわけです。
 
 ゆかりが死ぬ直前に悠二に想いを告げ、ゆかりが望んだ『皆一緒に』という目的のために悠二は狂信的に『大命』を目指し、ヘカテーを過剰なまでに守ろうとし、結果として次々に仲間たちは死んでいき、『大災厄』が発生し、吉田の助力もなく、悠二もヘカテーも、歪みに呑まれて消えてしまう。結局変わらなかった世界で、生き残ったシャナは失った者たちを想い、それでも生きていく。
 
 というシビアなルートがあり、それはそれで深い話になるかと思っていたのですが、結局はゆかりミステス化ルートを選びました。
 
 未練はありますが、後悔はしていません。
 
 変わった世界で悠二たちはどんな風に生きているのか? 佐藤やマージョリーは? フレイムヘイズや徒はその後? そしてあれからの学生生活は?
 
 そういった話は、外伝の方に書くとします。最終決戦が終わった後に本編であまり伸ばすのも締まりがないように思えたので。
 
 本編はこれで終わりですが、まだまだ外伝の方に書く事があり、そちらも是非読んで頂けると嬉しいです。
 
 余談ですが、外伝の『メロンパン・ナ・コッタ』は、実は『界戦』終了後の話になります。
 
 随所随所に、S以前の暮らしならあり得ない要素があったりします(ゆかりの触覚ビームとか)。
 
 『水色の星』の後、書き手をやめるか次回作やるかは悩んでおります。
 これだけ長編書いて、文章力とか上がった自覚もイマイチですし。次も完結出来るとも限りませんので。
 
 では、最後にもう一度。
 
 やたら長い長編となった本作を読んで下さった、特にこのあとがきを読む‥‥つまり最後まで本作に付き合って下さった皆様、本当にありがとうございました。
 
 よろしければ、外伝の方もよろしくお願いします。
 
 
 
 


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