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[5752] 「風の聖痕・転性・転世界」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2010/08/17 17:08
神の子ですら孕み、より強い存在を生み出す能力をもつ一族。それが宿神一族。

そんな一族に男として生まれてしまった優希は、宿神一族の運命により、ある日少年から少女へと変化してしまう。

理不尽な運命を呪う優希だったが、それから数年後。宿神一族は何者かに襲撃され、優希は逃亡の為に一族が祭る神の力を借りる事に。

しかし、逃げ延びた先は何故か「風の聖痕」の世界で……?

Luck値最低レベルの主人公が巻き込まれる、エレメンタルストーリー!




注意書き

※チラシの裏から移転。主人公tueeee・TS等の要素有りです。

※更新は不定期になります。

※感想・ご指摘を頂けると、作者は画面の向こうで狂喜乱舞します。

※文章の練習という意図もあるため、文体が変わる事があります。



[5752] プロローグ 「全力全開で逃げてみる」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/10/23 13:44
『貴方は特別な子なのよ』

にこにこと笑いながら、そう母さんは言った。
ああこれは夢だ。思い出したくもない悪夢だ。
そう自覚してもこの悪夢は止まらない。
あの頃の僕は、無邪気で控え目な愛らしい子供だったからその時、訳が分からずに聞いたんだ。「何で」って。
だって、当時の僕は自分で言うのもなんだけど「瞳がオッドアイに銀髪で無駄に美形」だったり「世界最高の魔力・頭脳を持った天才少年」なんて事はなく、一般人とは決して言えないものの、僕を取り巻く世界の中では、至って平凡な少年に分類されたからだ。

……冷静に考えれば、別にこの会話が事の原因になった訳じゃない。

それでも、僕はこの記憶を普段は思い出さないようにしている。
だって。
だって。

『貴方は誰よりも強い子供を産む事が出来るんだから』

この時から僕は、自分の運命を呪う事になったんだから。




「はっはっはっはっはっ」

逃げろ逃げろ逃げろ。逃げなきゃ捕まってしまう。
呼吸が乱れる。僕は追われていた。
意識がぶれて、僕という存在を襲撃者から隠してくれている認識疎外の術が解けそうになる。あぶねぇ
現在,この屋敷は襲われていた。

家は二つの一族が共生している一族なのだが、襲撃者の狙いは僕らの一族のようだ。根拠はある。
現に家の女連中は皆捕まっているし、逆に家の一族と共生しているあの戦闘馬鹿一族は悉くが殺されている。
襲撃者の人数は分からないが、いずれもかなりの実力者達だ。じゃなきゃ、こんな時にしか役に立たないあいつらが、あっさりとやられるものか。

「ちっ」

思わず舌打ちが漏れる。ただでさえ体力が限界なのに、馬鹿一族の死体が道を塞いでいるのだ。さっさと退いてよ 邪魔だからっ!
踏みつけて転んだら元も子もないので、死体を軽やかにジャンプして避ける。何だか見たことがある顔のような気がしたが、どうせ人の事を「オカマ」呼ばわりしていた馬鹿者の一人だ。気にしない。というよりも気にしている余裕が無い。
無駄に長く入り組んだ廊下を右に曲がった。既に屋敷は半壊状態の為、酷く歩き辛い。しかも全力で駆けても、明らかに身体能力は向こうの方が上で、おまけにか弱い方の一族である僕が、まともにやって逃げ切れるわけが無い。

だけど、諦めて捕まって、人体実験やら自主規制の入る禁展開になんてなってたまるものかっ

他の女達は諦めて無抵抗だったかもしれない。けれど、僕は違う。
既に平凡は望めない存在だけれども、それでも僕は幸せを諦めない。諦めたくない
だから必死に走る。先程から常に維持し続けている認識阻害の術が途切れたら、勿論僕の幸福な未来とやらは終わりな訳だが、向こうも家と同じ常識外れの存在達だ。
向こうはこの屋敷の結界を破壊して、人間をやめた身体能力に霊力を持った家の馬鹿一族を殲滅してくれるような、ファンタジーな存在なのだ。こちらを術で補足してくる可能性は十分にある。一刻の猶予も無い。
外に逃げても無駄だ。女の一人が捕まっている間に偵察の為に放った式神は、屋敷の塀を越えた辺りで外に待機していた襲撃者の仲間に打ち落とされた。ていうか恐らく霊的強化を施した物とはいえ、ファンタジーの存在が拳銃使ってんじゃねぇよ 頼みますから少しくらいハンデを下さいなっ
そんな事を涙目になりながらも考えつつ走っていると、ようやく目的地である蔵の前に付いた。
扉に掛かった鍵を、持っていたトンカチで物理的にぶち壊し、密かに蔵を守護していた結界を大急ぎで解呪して中に入る。扉を閉めた途端に結界を駆けなおすのは忘れない。

「……はぁっ」

一気に力が抜けて気絶してしまいそうになるが、必死に堪えて呼吸を整える。ここはこの屋敷の奥に位置する、貴重な呪具や骨董品がしまってある本殿だ。そして、僕が起死回生の一手を打とうと画策している場所でもある。

「すぅー、はぁー。すぅー、はぁー」

ようやく乱れた呼吸が収まった所で、僕は捜索を開始した。といっても、僕が探すそれは物ではない。

「……あった」

そこは本殿の地下にある。呪的封印が施された地下への扉を開けて、ようやく姿を現す場所だ。

「ここが封印された祭祀場……か。こんな黴の生えたような場所に自分の命運を託すのは正直嫌なんだけど、これが文字通り僕の『最後の希望』だからね」

そう、ここは我が宿神スクガミの一族が「神」と交信する場所だった。
ちなみにこの場合の「神」とは、天災級の力を持った高位存在の事を示すのであり、一神教の神とは関係が無い。
神の子ですら孕み、新たにより強力な存在を生み出す能力を持った一族。それが宿神の一族だ。
その祖先がかつて、正真正銘の神の子を生み出した時に、神直々に褒美として与えられたのが、この祭祀場……らしい。
なにせ聖地を通り越して、半ば伝説となっていた場所だ。真偽の程はわからない。
それに僕は、この一族の中でも異端である。正統後継者すら滅多に訪れることが出来ないこの場所に関する情報を、僕ごときが手に入れるのは難しかったのだ。
さて、一縷の希望を抱いてここまで来た僕だが、正直幾らこの家がファンタジーな家系だからって、神だなんて物が存在するとは信じられない。
そもそもこの世界に存在する霊なんてものは、アニメに出てくるような現実に影響を与えて物質を破壊出来るような物ではなく、あくまで精神的なダメージを与えてくるという、嫌がらせ程度の力しか持たない物なのだ。数百、数千の霊魂が集まって、ようやく疲れている人に幻覚を見せることが出来るレベルである。
霊的存在の及ばせる力がその程度な、この現実世界において、神との対談を望むだなんて事は正直馬鹿げている。だから、これは起死回生の一手であると同時に、一世一代の大博打なのである。
でも、やるしかない。
とにかく、やるのだ。

「神殿を構築。……完了。光体を構築。……完了。精神世界の神殿と、現実世界の神殿を同調。……完了」

失敗は許されないので、慎重に行動することにした。これが魔術の準備である。
簡単に説明するが、世間一般で言う「魔術」、……家では秘術と呼ばれているが、それは先ず己が世界に神殿を建てることから始まる。
自分の心の中というのは、一つの大きな世界である。そこに神殿と呼ばれる特殊な空間を創造することが、その第一歩。
次に、その神殿で行動する自分自身。つまり「光体」を創造する。それが第二歩だ。
それが出来たら、いよいよ魔術を行使する段階になる。神殿の中央にて魔術を組み上げるのだ。神殿の中には個人別に記号が存在する。それを意味を持つ物へと形作るのである

「よし」

準備は整った。正式な発動方法なんて全く知らないから、今行ったのはこっちの人間なら誰でも知っているような、極普通の儀式魔術のやり方だ。だが、発光している魔法陣を見るかぎり問題は無さそうだ。

「よかった。取り敢えずは一安心だ」

僕はそっと安堵の溜息を吐いた。それと同時に、上から何かを壊すような音が聞こえてくる。
もう見つかったらしい。
正直焦るが、どうせ成功の確率の方が少ないのだ。襲撃者はこの際無視してやる。
ていうか無視しか出来ない。
こっちは人間の身で、今から神に、全身全霊の命乞いをする所なのだから。余裕は零だ。

「さてと、宿神優希、一世一代の頑張り物語の始まりだ! 」

萎えそうな気持ちを震わせる為に好きな作品の台詞を真似る。少し元気が出た。
そうして僕は、組み上げていた秘術を現実に反映させた。この場の空気が変わる。それに伴って急速に気が吸われていく。

〈やばい。意識が墜ちる〉

魔法陣の中で僕は崩れ落ちる。
――そして、世界は輝いた。




[5752] 第一話 「逃げ延びた先が安全だとは限らない」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/05/31 00:00
目が覚めると、そこは奇妙な空間だった。
具体的に言うのなら、一面が真っ白で上下の感覚もない、そんな不思議な空間である。
優希の目には正直、チカチカして痛かった。

「……えーと、取り敢えず助かった、のかな?」

独り言を口に出すのは、不安だからだった。
優希は目をしばしばと瞬かせながら、辺りを見渡す。そして、必死に声を張り上げ、自らの存在を主張すした。
「ここが神のいる場所だというのなら、どうか私を助けて下さい」と。
しかし、やはりこの白い空間に変化は訪れない。

(失敗だったのかな)

心が沈んでいくのを感じた。

「そもそもが無茶な話だった」

口に出して、呟く。そんなことは考えたくなかった。
だが、現状は当然の結果だと、当たり前のように納得している自分がいて、涙が出そうになる。
魔術的な構造も知らない物を、雑な構成の儀式魔術で起動する。そんなことをすれば、転移事故くらい起きても、不思議ではなかったのだ。
だけど、優希にも言い分はあった。

(まさか、あの儀式でこんな異空間に飛ばされるとは思う訳ないじゃないか。ていうか、祭儀場と名の付いている場所にある魔法陣が人を飛ばしてんじゃねぇよ! 予想不可能だったよ! 交信ってこんな意味かよっ! 止めてよ、泣きたくなるじゃないか……)

自分以外に何もない世界。体内時計を信じるなら、もう一時間以上は立っただろう。
空虚な世界で一人、優希は深い溜息をついた。
あの場で襲撃者に、捕まらなかった事は僥倖だった。けれど、それと引き換えに、こんな所で死ぬのは嫌だった。
もしも、今のこの体が精神体、もしくは魂魄体なら、まだ希望はあったのだ。何故ならそれは、実体ではない以上疲労する心配も、餓死を気にする必要もないからだ。寧ろ、今気が付いたのだが、こちらの感覚を麻痺させる程に、妙に力に溢れたこの世界なら、その内に人という存在を捨てて、高位生命体になれたかもしれない。

(……人から外れた時点で、もうそれは僕じゃないんだろうけど)

しかし、随分とリアルに疲れを訴える目かも察せられるように、この身体は現実の肉体である。この状態が続くようなら、優希は間違いなくそのうちに死ぬ。

「全く笑えないよ」

(もう終わりなのかな。諦めるしかないのかな。――最初から、幸せになんてなれなかったのかな)

「どうせだったら、最後に思いっきり遊んでみたかったな」

(最後に、もう一度くらいカラオケに行ってみたかったな)




優希が中学2年生の男の子だった時から、宿神の宿命により「女性化」が始まる事は、予想されていた。
しかし、その変化は優希が当初予想していたような、緩やかなものでは決してなく、急激にその進行を開始したのである。
そしてそれを期に、それまではある程度許容されていた、優希の「普通の子供」としての生活は終わった。
放課後には、必ず一族の監視が付く事になった。勿論寄り道は許されなかった。
友達は少年から少女へと変わり始めた優希に対し、拒絶の眼差しを向けた。
それは「気持ちの悪い物を見る眼」だった。いじめすら起きなかった。優希はいないものとして扱われた。
そんな状況だ。優希に男としての第二次性長期が来ていたら、男から女への変化に耐え切れず、優希は自殺していたかもしれない。
もしくはこの身体に訪れる女性化が、一般的な女性への変化だったら。……やはり優希は、自殺していただろう。
だが、幸いにもこの身体は特別製であり、生理が訪れる事は無かった。しかも、個体差なのかどうかは分からないし、歴代にも存在した優希のような異端児(つまり『男から女へと変わる存在』)が皆そうだったのかは知らないが、優希の胸は「つるぺったん」であり、成長する兆しが一切見られなかった。
その貧乳っぷりは、あれから時が立ち、高校生になった現在も「スポーツブラすら必要ないのではないか?」と思うほどだ。
それでも、文字通り「相棒」がなくなり、それを受け入れる為の「穴」が自らに出来たときには、しばらく食事も喉を通らず、自室に引きこもる日々が続く程に悲観にくれた。精通を迎えていなくても、少年には少年の矜持があるのである。
しばらくは、他者の視線を極端に気にするようになり、掛けられる声に対して異常にびくつくようになった。
性格は、めっきりネガティブな物に変わった。
そう。優希の心は折れる寸前だったのだ。

しかし、ここから優希は大きく変わっていく事になる。
とある日。ちょうどネガティブ真っ最中だった優希は、月の綺麗な晩。食事を終えて自室に戻ろうとしていた。
なんせ二つの一族が一緒に住んでいる屋敷である。家の食事用の部屋から自室までの距離はそれなりにあった。
そんな時、優希がいつもの様にとぼとぼと廊下を一人歩いていると、そこに奴が現れた。
それは優希の一族と共生している、戦闘用(馬鹿)一族の「神裂(カンザキ)」が次期正統後継者。神裂龍真だった。
女系家族である宿神の一族は、宿神の一族の血を残す物を除き、大抵の女は神裂の一族の嫁になる。それが通例だ。
その為、通例どおり宿神の母を持つ龍真は生まれから恵まれていた。ワイルドで端正な顔立ち。高い身長にがっしりとした身体。それにプラスして高い霊力。……殴りたくなるほど羨ましい人間だった。
龍真と優希には、向こうの方が私よりも年上だった事もあり、あまり接点が無かった。そんな龍真が、優希の部屋の前に立っていたのだ。優希が疑問を持つのも当然といえるだろう。
だから、傷心の優希は勇気を出して話しかけた。扉の前に立たれたら邪魔だとおもったのである。

「あっ、あの! ……退いてくれますか? そこ、僕の部屋なんです」

「ああいいぜ」

こちらの緊張を他所に、奴はにたりと笑うと、扉を開け一歩横に退いた。
「明確な線引きはないとはいえ、家族ごとに住居の区画分けはされているのに、何で人の部屋の前にいるんだろう? 」とも、僅かに疑問に思ったが、退いてくれたのに突っ立っているのもなんだと思い、優希は部屋に入り――。

――部屋の扉を内側から閉めた龍真に、ベッドへと突き飛ばされた。

「……えっ?」

優希は混乱していた。何故自分がこんな状況に陥っているかが分からなかった。更に言うなら「こんな状況」がどんな状況なのか、まだ女としての自覚が足りなかった優希には分かっていなかった。

「いやさ、まだ女としての自覚の少ないお前をさ、一人前の女にしてやろうと思ってよ」

はははっ、と龍真は笑った。優希を見つめながら、確かにそう笑った。
それは下卑た笑いだった。明らかな強者として、龍真は優希を喰らおうとしていた。
その様を見て、優希の身体にかつて無いほどの悪寒が奔る。
ここまであからさまに、優希に対して欲情の視線をぶつけてきた相手は今までにいなかったのだ。それと同時に優希は、やっと自分がどういった状態に置かれているのかを理解した。

(こいつは、僕を犯そうとしているのだ!!!)

それは途轍もない侮辱だった。これ以上にない屈辱だった。
優希の身体がわなわなと震えた。身を焦がす屈辱に震えた。
そして、優希はそのとき確かに、自分の中で「ぷちっ☆」と何かが千切れる音を聞いたのだ。

「安心しな、よくしてやるからよ」

そういいながら、龍真は服を脱ぎだした。上半身の服をあっという間に脱ぎ去り、ジーパン姿で股間を膨らませながら一歩、また一歩と龍真はこちらに近づいてくる。
その歩みはやけに遅く、恐らく、こちらの恐怖心を煽るための速度だということを、優希は推測していた。
しかし龍真は、その余裕が致命的な過ちだとは、気づいていないようだった。
そのとき既に、優希はベットの横にある小棚からある物を取り出していたのである。

――それは「符」だ。

前にも話した通り、本来魔術の発動は手順を踏み、集中して行うべき物である。しかし、それでは有事の際に事に間に合わない可能性がある。それに対応する為に生まれたのが符だ。
霊力を込めて、魔術的な意味での下地を作った紙に、組み上げた術を封印する技術。封印された術は、極めて僅かな時間で解放される。
いうなれば、装填済みの拳銃。それが符だった。
龍真がジーパンを脱ぎ、優希への最後の一歩を踏み出した。
その瞬間。優希は今までに貯めていた破魔の符(物理的・霊的の両方に衝撃を与える効果がある)を全て発動させた。
優希の身体から、全力で開放された気が立ち上る。それは優希の符に注ぎ込まれ、符は龍真に向かい次々に飛翔した。
一枚の符の衝撃は精々、子供が全力で投げるドッジボールの一撃程度である。大した事はない。
そう。繰り返し言うが、一枚なら大したことは無い。
だが、優希がストレスから地面に「のの字」を書く感覚で作り続けた符の枚数は、増えに増え、その時には既に、二十二枚もの枚数になっていた。
さて、ここで問題である。
その数の衝撃が一人に向けられた場合、一体どうなるだろうか?

「おぶ! ちょっ! まて!! うわっ!!! ……げふっ」

龍真には強い霊力と、強靭な肉体がある。従って、残念ながら死にそうには無い。
だが、効果が無いわけではなかった。
次々に形を変えていく端正な顔に、何だか潰れた音がした下腹部。サンドバック状態のその姿は、優希にゾクゾクとする快感を与えていく。
数分後、蚊の泣くような声でボロ雑巾が僕に話しかけてきた。

「ゆるして、くだはい。た……すえてぇ」

「……えっ、許してください? 助けてくださいって?」

あまりにも哀れな掠れた声。そこに以前の龍真の、傲慢な態度は見られなかった。
それは哀れな光景だ。余りにも哀れすぎる光景だ。
だから、優しい優希はもう、彼を解放してあげることにした。

「しょうがないなぁ」

その言葉を聞いて、龍真は喜色満面といった表情を浮かべる。

(よかったね。……でも)

「正当防衛だとは思うんだけどね。このこと誰かに話されて、大事にされても困るからさ」

(うん。そんなめんどくさい自体に陥るのはごめんだ。だから、さ)

「ちょーっと龍真君の、恥ずかしい撮影会をしたら終わりにしよっか」

龍真の顔が、先程の表情から怯えた物に変わる。その様子を見て優希の笑みは自然と深まっていった。

(おかしいな。楽しいな)
 
そうして、男として(寧ろ人として)の尊厳を踏みにじるような写真を、フィルム二本分は取った結果。
龍真は優希に近寄らなくなり、優希もネガティブな精神状態から回復できた。一石二鳥。
と言うわけである。めでたし、めでたし。

(……あれ? 悲しい気持ちだったのに、途中から変なことを思い出した所為か楽しくなってきた!)

不思議と、気力が回復した。今なら、生き残れる気がする。

「そういえば、『風の聖痕』もまだ全巻読んでないんだよね。続き見なきゃ」

そう呟いた。それに今日はまだ、ニコ動にアクセスしていなのだ。

(こんな不思議空間にいつまでもいられない。文化的な生活に戻らなくちゃっ!)

――そんなくだらない事を考えていると、空気が変わった。

それは、急速に膨れ上がっていく強大な力だった。
その凄まじさに、優希が腰を抜かして驚いていると、頭の中に直接、聞こえてくる声があった。

『我が愛したヒトの末裔達よ』

その声を聞いて、優希は「この空間そのものが神だった」と言う事に、ようやく気づいた。そもそも神が定形を持っていると考えていたのが間違いだったのだ。
どういった原理かは分からないが、それは魂に直接ビリビリと伝わってくるように聞こえてくる。

『汝が望みを叶えよう。行くが良い。……良い夫婦になるのだな』

「僕が目覚めてから今まで何で出てこなかった!」とか良いたい事は色々あったのだが、流石は神様。傍若無人である。人の話を聞きやしない。
その声は威厳ある声から、最後に微笑んだような声音になるとそういって、優希の耳には遂に、何も聞こえなくなった。

――世界が一際大きく、白く染まる。

(これで現実に戻れる)

瞬間的に目を瞑った優希は、何の疑問も無くそう思い、笑みを浮かべた。
異変を待ちわびていた優希を、浮遊感が襲う。そして直ぐに、それはアスファルトの感触に変わった。

(……戻れたんだ!!!)

降り注ぐ太陽の光。優希は狂喜する心を必死に押さえ、取り合えず此処を現実だと判断した。
嬉しさのあまり、涙が零れていた。
そして、そんな優希を嘲笑うように、綺麗に切断された大きなホテルが自身を潰そうと、空から迫ってきていた。





[5752] 第二話 「悪いことは重なる物だったりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/05/31 00:01
『Q, 空から輪切りにされた建築物が落ちてきました。貴方はどうしますか?』

(こんな質問をされた場合、テレビの前の君はどう答えるのかな☆ )

死が間近に迫っている為に生じる危機感の所為か、加速した優希の思考には、そんな事が浮かんできた。 

(……僕がどう答えるかって? そんなの決まってるじゃないか)

優希はその突然の疑問に、悩みもせずに瞬時に答える。

『A, 逃げる』

それが、優希の出した答えだった。

(これしかないでしょ。常識的に言って)

寧ろこの考えこそが、至って論理的で、人として正しい行動だと優希は思う。
だが残念ながら、優希が此処から逃げる事は、容易ではなさそうだった。
今の優希は、思考が加速している。
しかし、思考が加速していても、身体は思考の速度についていけない。秘術の行使をするにも、ここまで絶望的な状況をどうにかするような手段を、優希は思いつく事ができなかった。

(誰かに『嘘だっ!』て言って欲しいなぁ。 襲撃者からようやく逃げ延びたと思ったら、次の瞬間には空から巨大な建築物とか、無いよね。マジで。……しかも異常に強い妖気を感じるし、ついでに異常に強い霊気も感じるし。 本当なんなのかなぁ、この人外魔境は)

そんな事を考える優希の前方、数十メートル先に、ふわりと空から人が舞い降りた。だけど優希は、その事を意識の外に追いやる。
後から思い返せば、その時は優希は混乱していたのだろう。というよりも、混乱しない方が難しい状況だったのかもしれない。とにかく、優希は目の前の脅威を乗り切ることに専念していた。
一から魔術を組み上げている時間は、なかった。そして「即行が可能な手段」という制約がついた現状で、優希が取れる手段は限られていた。即ち、符を使う事である。

頭部を象徴し、対象を透明化し、霊気をも隠す「隠形符」
右手を象徴し、対象を治癒する「治癒符」
左手を象徴し、対象に衝撃を与える「破魔符」
右足を象徴し、対象を強化する「強化符」
左足を象徴し、対象に結界を張る「結界符」
胴体を象徴し、対象の構造を解く「解呪符」

これが優希の使える、宿神家に伝わる符の大まかな物だった。人体をセーマン(五芒星)に見立ててある為に、五体に胴体を足した六つの符が存在する。これらはそれぞれ、霊的にも物理的にも効果のある代物だった。
ちなみに正式名称もあるのだが、別に「発動する為には技名を言わないといけない!」なんてお約束はもちろん存在しないので、優希は符を本来の物から、効果を想像し易い簡単な名前に変えた。その際に中身の術式が優希の趣味により弄ってあるのは、頭の固い一族の人間には秘密だった。

(伝統が尊いのは分かるけど、かといって絶対に守らなければならない物でもないだろうに)

というより隠形符の事を、とある焼き鳥っぽい名前の少年が活躍する漫画に習って、「認識阻害の符」だなんて言っていた事があるという事実からも、そこにこだわりが無いのは、良く分かる。
と、そんな軽い思考の逃避をした所で、優希は再び現実に意識を向けた。

(考えろ! どうすれば生き残れる!?)

優希の取れる、現状で最善と思われる行動は、先程も言ったとおり「符を使って逃げる」という物だ。
何故ならこれは、魔術を発動するよりは短時間で行えるからだ。
だが、手持ちの符は持ち運び用の特殊な箱に入れてあり、今は紐で硬く結ばれている。この箱から出さない限りは、符は使えないようになっているのだが、この箱を開くには数秒の時間が掛かる。そしてそれでは、紐を解いている間に潰れて死んでしまう。だからこの選択は、却下するしかない。
次に優希が考え付いたのは、符を使わず「直接、術を組み上げて逃げる」というプランだった。符を用いないで術を組み上げるのには、普通ならどんなに急いでも数十秒は必要だが、今の加速した思考でなら多少は短縮して、半分ほどの時間で魔術を組み上げ、発動する事が出来るだろう。
だが、これも却下だ。空から輪切りの建築物が落ちてくる現状で、数秒とはいえ立ち止まってなんかいたら、間違いなく圧死する。
そう。こんな状況では「魔術師」としての優希がどんなに思考をめぐらしても、取れる選択は無かったのだ。
だから優希は、ただの「人間」として全力で走り出した。

(逃げる事は決定事項。だったら、余計な事を考えずに足掻くしかない!)

走りながらも優希は、自身の全身に気を廻らせる。少しでも身体能力を跳ね上げる為に。

(……ぐだぐだ考えてないで、最初から取り合えず走ってれば良かったよっ!)

優希の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。それは現状に対する恐怖と、物事を頭で考えすぎるきらいのある自分を叱責してのものだった。
けれど、その足は止まることなくより速度を上げていった。
数秒後にはホテルが完全に落下して、地上に被害を与えることは確実なこの状況で、優希が進める予定距離は約50メートルといった所だろうか。はっきり言って、それは直撃を免れたとしても、破片やら衝撃やらに確実に巻き込まれ、大ダメージを負うであろう距離だが、このまま被害の中心地に立っているよりは良い。
しかし、地上を疾走する優希は、突如として吹いた風によって「持ち上げられた」。

「なっ!!! 何これ!? 」

優希は思わず悲鳴を上げる。確かに優希の体重は軽い方だが(同年代の女子と比べても)、流石に「自然現象の風」で飛ばされるほどに軽くは無い。
台風の時のそれよりも遥かに強い力で、優希は何者かの手によって、空を移動する。
しかしそれはお世辞にも丁寧とは言えない物だった。というよりも、酷く乱暴な物であった。

(目が回るーっ! 空飛んでるーっ! ちょ、どっちが上なのか分かんない! ……やばい。吐く)

なんかもう、優希の脳裏には「自分は大人しく捕まっていた方がマシだったのではないか?」なんて考えまで頭に浮かんできていた。というより、優希としては正直もう、今すぐ意識を手放して、死んでしまいたかったりしていた。
しかし優希を包む風は、空中できりもみ回転しては時折、直撃しそうになる破片を弾き飛ばし、優希の身体に「外傷」がつかないようには、守ってくれていた。これは、優希にとっては間違いなく、嫌がらせだったと言えるだろう。

(あっ、視界が、視界が暗く……、胃が熱い。もうダメかも。内臓いた……かあ、さ、ん)

そして輪切りにされたホテルが完全に落下し、その衝撃や破片が舞い止んだあと。
横浜ランドマークタワーは、ほぼ完全に崩壊した。
そして、轟音を子守唄にしながら、優希も完璧に気絶してしまった。

「兄様! 一体どーするんですかっ! 確かに怪しいと言えば怪しいかもしれないですけど、ここまでしなくたって良かったでしょう! 」

「あー。だけどなぁ、煉。襲撃されたあとにいきなり転移してくる奴がいたら、普通殺るだろ」

「普通は殺りませんっ! ……可哀想に、相当顔色悪いですよ。この人」

「無力化しただけなんだから問題ねぇよ。 つーか相手が女だからって油断するのは良くないぞ」

「それはっ、……確かにそうかもしれないですけどぉ」

意識が目覚めた優希に聞こえてきたのは、そんな声だった。思想に危険な陰が見え隠れするのは青年の物で、それに説教をしている可愛らしい声が少年の物だ。

(ていうか、人を空中でシェイクしてくれたのはお前か! )

そう声に出して怒鳴ろうとしたが、身体に力が入らず、目もうっすらとしか開かない状態なので、諦める事にした。

「むー。だいたい兄様は! 」

少年が兄様と呼ぶ青年に向かって、更なる説教を繰り出そうとする。しかし、そこで青年の表情が変わった。酷く冷たく、恐ろしいものにと。

「――まぁ待て、煉。……目覚めたみたいだし、直接話を聞けばいい」

一つ言わせて貰えば、どう見ても優希は話を出来る状態ではない。
だが、青年に容赦はないようだ。青年はそう言うと、にっこりと微笑みながら優希の首を軽く掴んだ。

「起きたんだから話を聞かせて貰うぞ。……ちなみに、意味は分かるよな?」

首に掛かる力が僅かに強くなった。勿論これは「従わないとポキッ、と折っちゃうぞ☆ 」という意味である。
正直、優希としては分かりたくも無かった。

(分かりたくないよっ!)

優希はぐったりとしたまま顔を上下に振った。理不尽な状況に怒りが湧いてくるが、命にはかえられない。命は大事。とっても大切。警察だって、自分のような美少女が死にそうになっていたら、身をていして止めてくれるに違いない。
優希は冷静になろうと努めながらも、混乱していた。
少年が、不安げな眼差しでこちらを見てくるその愛らしい姿が、今の優希の精神衛生上、唯一の救いである。

「じゃあ取り敢えず話し合いといこうか。 さて、……お前、何者だ?」

怒りはあった。怒鳴りたかった。みっともなくも喚き散らしたかった。
しかし。

(殴りたいけどこいつ、怖いよ)

自分を見つめるその瞳が、まるで「風景を見ているかのように」空虚な物に見えた優希には、恐怖の余り何もすることが出来なかった。
青年の尋問が、始まる。

「――で結局の所、お前は自分があそこに現れたのは、偶然だと言いたい訳か」

青年は優希に向かい、微笑みながら言うが、その視線は冷たい。
10分以上掛けて行われた話し合いという名の尋問は、靴すら履いていなかった優希の唯一の私物。流し着と鞄の中身を漁られ、多大な精神的負担を優希に与えて終わった。
その際に「自分の一族が何者かの襲撃にあったこと」「自分以外は恐らく全員捕まったこと」「逃亡の為に一族の『神』を頼り、その結果転移した場所が偶々あの場所だったこと」は話したのだが、青年の態度は淡々としていた為に、優希には青年が何を考えているのかが分からない。

(本当、今日は厄日だ)

というより、これだけの事が連続して起きた今日が厄日で無いとしたら、これから待つ人生を生きていく自身が優希にはない。
優希は青年を睨んだ。尋常ではない具合の悪さと最悪な精神状態に陥っている優希には、最早青年の視線なんて恐くない。
開き直っているのである。そこにあるのは理不尽に対する怒りだ。

(何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ!)

その思いは優希を強くし、青年に対して言葉を捻り出した。今なら神様だってど突き倒せる気分だ。……無論錯覚だが。

「嘘は言っていないし、圧倒的に実力差のあるお二人に喧嘩を売るつもりはありません。ですから、いい加減に僕を解放して下さい!」

「ダメだ」

即答である。精神的にハイになっている割には、酷く低姿勢な内容だったが、客観的に見て、いたいけな少女の言葉を平然と跳ね除けるこの青年。
正に外道である。

「あのなぁ、別に俺はお前を虐めたい訳じゃないんだ」

胡散臭さ全開の笑みを浮かべて、青年は言った。勿論優希はその表情に騙されたりしない。
まだ出会って間もなかったが、この青年が一般的な「善人」からかけ離れているのは優希自身、身をもって知っていた。
しかしそうは言えども、一縷の希望を持っているしまうのは無理も無いことだろう。恐る恐る優希は尋ねた。

「じゃあ、帰してくれるんですか……?」

「いや、俺ってばこれから凄ぇ精神的に疲れるイベントが残っててな」

「……はぁ?」

質問には明確な答えが返ってこなかった。思わず優希から間の抜けた声が漏れる。

(だから何だって言うのさ?)

良い感情の芽生えようが無いこの青年が、どれだけ疲労したところで、優希は全く困らない。寧ろ「ざまぁみろ! 」と高笑いするだろう。それが自分を帰してくれない理由になるのが分からない。
しかし、青年は邪悪に笑った。

「日本には素晴らしい言葉があるよな。……例えば『死なば諸共』とか、な」

「……いやぁーーーーー!!!」

悲痛な声が響く。やはり青年は外道だった。作者にももう、これ以上に青年を表す言葉が見当たらない。
ちなみに全くの予断だが、これが優希の初めて上げた、女らしい悲鳴だった。






[5752] 第三話 「そこは一般人でさえ、死亡フラグが乱立する世界」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/05/31 00:00
「ううっ、なんで僕がこんな目に遭わなきゃ……」

青年に恐ろしい一言を放たれ、不覚にも女性らしい悲鳴をあげてしまった優希は、ホテルのベッドに縋るような体勢で泣きべそをかいていた。唯一優希の味方になってくれそうな少年が、「自宅に連絡する」と言って席を離れてから五分余りが経過しているが、その間ずっとこの状態である。

ちなみにその原因になった青年は、その五分間ずっとニヤニヤとしながら楽しそうに優希を見ていたが、いい加減飽きてきたのか、表情を元に戻すと優希に話しかけた。

「おいおい、酷い嫌われようだな」

「この状態で貴方に好感をもってたら、その方がおかしいですから」

「あー、そりゃあそうだ」

もっともな話である。しかし青年は、優希から吹き出ている拒絶の空気を白々しく無視して、話を続ける。

「まぁ、許せって。お前だって、命の危険がある状態で不審人物が近づいてきたら、殺るだろう? 」

「一緒にしないで下さい。しませんよ。……多分」

青年はそれが、まるで一般常識のように言う。優希はそれを完全否定したかったが、出来なかった。この辺りは優希も大概、異常なのかもしれない。

「多分、ねぇ。お前って結構、俺に近いのかもな。気のせいかもしれんが」

「ええ、全くの気のせいだと思います」

「即答かよ。ここはフラグの立つ所だろう? ……まあいいが、真面目な話をするぞ」

優希が「フラグ」発言の件で非常に剣呑な顔に変わったのを見て、青年は話を真面目な物に変えた。その表情は既に真剣な物になっている。

「現状、お前は不審人物だ。しかも実力も見たところ、精々が一流止まりだ。俺の敵じゃねぇ」

「取り合えず普通は、一流の評価は悪い物じゃないと思いますけど。……というか、そう判断してるなら、さっさと僕を解放してくださいよ」

「まぁ待て。だがしかし、お前が敵じゃないという保障もどこにもない訳だ。……という事で、この一件にはしばらくお前も行動を共にして貰う。その結果、お前が完全に白だと証明されれば、その時は神凪っていう家がしっかり報酬を払ってくれるから安心しろ」

「という事で」の件から、青年の言葉には真剣みが薄れ、所々に面倒臭そうな態度が出ていたのだが、優希はその点を頭から追い払い、その内容を真剣に判断した。

(逆らっても無駄みたいだし、こいつの話す条件を飲むしかないかな)

そして、そう思ったところで、見過ごしてはならない一言が会話の中にあった気がして、優希は思わず、青年に向かって問いかけた。

「あのー、何だか最後の一言に、凄い見過ごしちゃ行けない言葉がまぎれている気がしたんですけど? 」

「……『即答かよ。ここはフラグの立つ所だろう? 』」

「ちげぇよ! そこじゃねぇっ! その後っ、ずっと後ですから!」

「あー。『その結果、お前が完全に白だと証明されれば、その時は神凪っていう家がしっかり報酬を払ってくれるから安心しろ』? 」

「そうっ、そこ! ……ていうか神凪!? 神凪ってあの神凪!? 」

「まぁ、多分お前の考え通りの『神凪』だと思うぞ。有名だしな」

思わず叫んでしまった優希だったが、青年のその言葉は、優希にとって最悪ともいえる答えだった。優希の表情が絶望に滲む。

青年の答えが真実だというなら、それはこの世界が優希のいた世界とは別物だと言う事になる。それも、信じたくは無いが「風の聖痕」というライトノベルの中の世界だという事になるのだ。そう断じる理由は幾つかある。

まず、現在の状況の流れと「風の聖痕」の話の流れが一致する事だ。優希が存在する為、細部まで完全では無いが。

ランドマークタワーが切断された後に崩壊するというのが、その一巻の内容だったのだ。好きな作品だったという事もあるが「思いきった事をするなぁ」という感想を持った為、この辺りはよく覚えている。

それに目の前にいる、強力かつ純粋な風の精霊を引き連れる青年と、その弟の、これまた強力かつ純粋な炎の精霊を引き連れる少年。これは「風の聖痕」のメインキャラクターの設定と同一であるのだが、その存在はありえないのである。

世界は精霊で出来ている。これはある意味真実であり、少し調べてみれば、そこいらの書店で買える黒魔術の本にも載っていることだ。そういう意味で見れば、目の前にいる彼らが現実に存在しても、一応おかしくはない。

だが、ここで一つ問題がある。それは直接、精霊と交感出来る人間など存在しないという事だ。少なくとも優希の知る世界では、そんな人間の存在は認められていなかった。精霊とは最小の粒子。カットされた宝石である。だが、人間は魔術という手段をもって、宝石の原石を見つけることは出来ても、それをカットする術は得られなかった。つまりはそういうことであった。

(美少年が兄様発言で、兄様は外道で、主人公勢は全員チートキャラのあの『風の聖痕』の神凪? そんなの)

「……えない」

「ん? どうした?」

青年が尋ねるが、どうしたもこうしたもないのである。優希は搾り出すように声を出した。

「ありえない」

「……何だか知らんが、現実は受け止めるべきだと思うぞ」

青年はやる気の無い表情でそう言う。しかし今の優希には、その表情に対して苛つく余裕も無い。

「一人にして下さい」

「だめだな。立場を考えろ」

「じゃあ完全に気配を消してください」

「我侭だな。……しょうがないか。だが、煉が戻ってきたら出発するんだ。もう時間は無いぞ」

「それでいいです」

ふう、と溜息を吐いて青年の姿は掻き消えた。その身から発する気配ごとである。それを確認した上で、優希は自らの霊的な感覚をオフにした。

ここは虚構の世界の中なのか、それとも「風の聖痕」の話に良く似た、いわゆる並行世界という物なのか。考える事も、叫びだした事も山ほどある。だけど時間は優希の為にその歩みを止めてはくれない。

優希は自身が縋るベッドのシーツを、ぎゅっと強く掴んだ。




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にゃー。バイト疲れた。でも今日もバイト。
あーもう、もっと良いお仕事はないものか。



[5752] 第四話 「中二病なお宅訪問」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/05/29 00:00
「たっ、高い。怖い!」

「にっ、兄様っ。もうちょっとゆっくり低い高度で飛べませんかっ? 」

優希は少年と共に、青年の作り出した風の結界に、青年に縋るような形で包まれ、東京都の上空を高速で飛行していた。
慣れない空のフライトに、優希と少年は瞼をぎゅっと閉じて怯えていたが、結界内には風圧どころか日差しすらも感じさせない。こんな所に、結界を作り出した青年の、術者としての技量の高さが見られていた。

「安心しろ。落ちることは無い。それに狙われる可能性があるからわざわざこうしてるのに、のんびりいったら何の意味もねぇだろうが」

青年が若干の呆れ声で言った。優希たちも、そう言われてしまえば納得する他に無かった。よくよく考えてみれば、それももっともな話なのだ。
しかし、空を飛ぶという事に慣れていない二人には、頭では分かっていても、自然と浮かんでくる恐怖の感情を抑えることは難しかった。二人の青年を掴む力が更に強くなった。
さて。優希が「この世界は自分にとって異世界である」と判断し、平静を保とうとしてから数分後。少年は優希の心情など知らずに、笑顔で帰ってきた。始めは少年の自宅である神凪家に事情の説明をするも、随分と話が混迷していたようだが、どうやら無事に用件は伝わったらしい。少年曰く、神凪陣は「歓迎の用意をして待っている」そうだ。
「風の聖痕」の内容を知っている優希としては、正直「歓迎」という言葉の意味する物が不気味に思えてしょうがない。「風の聖痕」の話の中では青年――「八神和麻」が神凪邸を訪れた時、彼は神凪の術者たちに問答無用で攻撃されたのだ。これは、和麻の態度が多分に挑発的だったというのも原因だと言えるが「もし自分が攻撃されたら」と考えると、とても恐ろしい。
優希は現状無力なのだ。万が一攻撃された場合、それを防ぐ手立てが優希にはない。一応魔術が使えるからといっても、元々魔術は実戦で使うような物じゃない。……平然と空間転移だなんて荒業をこなす、この世界の一部の魔術師と比べないで欲しいのだ。
本来の「風の聖痕」の話の流れと違い、優希と同じ様に青年にしがみつく少年――「神凪煉」が無事で、なおかつ事前に話を通してあるので、いきなり戦闘にはならないと思う。だがそれでも、優希の不安は消えなかった。

「おい、着いたぞ」

思考に没頭していた優希に、和麻から声が掛けられた。気が付くと目の前には巨大な屋敷が立っていた。どしりと居を構えるその光景は、優希の自宅である宿神家の屋敷を連想させたが、それよりも随分と大きい。誰に向けるでもなく、優希は思わず言葉を漏らした。

「立派なお屋敷ですね。家よりも大きいです」

「ありがとうございます」

煉は照れくさそうに微笑みながら、優希の漏らした声に答えた。自分の家が褒められるというのは、やはり嬉しい物なのだろう。優希からみても、どうみても美少女にしか思えないほどに、その笑みは可愛らしかった。「花が綻んだような」とはこのような笑みを指すに違いないと、優希はそう思った。

「どうでもいいが、もう出迎えが来てるぞ」

しかし、優希がその笑みに癒されていると、邪魔するかのように和麻の声が届く。良く見てみると門は既に開き、数人の女性達が礼をしてこちらを伺っていた。あの体勢で待たせる訳にもいかないし、急ぐべきだろう。

「あっ、はい。それじゃあ行きましょうか」

慌てたような煉の声に従って、優希達は神凪邸へと入っていった。




「失礼いたします。客人を連れて参りました」

「入りなさい」

優希達が案内された部屋に入ると、そこには静かな風格を漂わせる初老の男性がいた。この人物こそ神凪宗家が宗主。神凪重悟である。
各々が一礼と共に腰を下ろしていくなか、優希も緊張しながらも姿勢正しく畳に腰を下ろす。しかし一同のその様子を見て重悟は気さくに声を掛けた。

「そう畏まらなくて構わんよ。無事で何よりだ、煉。それと、今日はよく来てくれたな。和麻。……そちらのお嬢さんも、大体の事情は聞いておるよ。皆、楽にしなさい」

その落ち着いた声によって、場の空気が和らいだ。重悟は一つ微笑むと、先ずは和麻に対して話しかけた。

「一応、この場はお前が釈明する為に設けられた物だ。私個人に言わせれば、お前が一連の事件の犯人だと疑うなんて馬鹿馬鹿しい事だが。これも面倒ごとを避ける為だ。……という訳で、聞くぞ和麻。お前は犯人か? 」

「違う。以上」

あっさりと和麻は答えた。人によっては馬鹿にしているのかと思う態度だが、重悟は気にしていないようだ。言葉を続ける。

「ならよい。こんな時期に行うのもどうかと思っているのだが、夜には広間で宴会がある。それまで二人で話さんか? 積もる話もあるだろう」

「いいぜ。俺も、一度ゆっくり話してみたいと思ってたしな」

この男にしては珍しく、和麻は穏やかに微笑んだ。それを見た重悟も微笑む。そして、とてもすまなそうな顔をして優希と煉に顔を向け、謝罪した。

「煉もお嬢さんも、わざわざ付いてきて貰ったのに大変申し訳ないのだが、……席を外して貰えないだろうか? 頼む」

常識で考えればそれはとても失礼な事だったが、重悟の態度には謝罪の意思と誠意が溢れていたので、別段優希が気分を害すことは無かった。それに優希自身、色々と考える時間が欲しかったので、重悟のこの申し込みは寧ろ都合が良いと言えるだろう。
そう考えると、優希は重悟に話を切り出した。

「私は構いません。ですが、出来ればこの屋敷内での行動をある程度認めて頂けるとありがたいのですが……」

「ありがたい。勿論、客人として貴女が不自由ないように手配しましょう。――周防」

「失礼します」

優希の言葉に安心したような重悟の声と共に、襖を開けて一人の男が入ってきた。意図的に個性という物を薄めているかのような、存在感の薄い男だ。

「客人に持て成しを頼む」

「畏まりました」

周防と呼ばれたその男は、重悟に一礼すると優希に身体を向けた。

「それでは、これから女中をお付けいたします。なんなりとお申し付けください」

それは聞き取りやすく、静かな声だった。優希は少し考えると、周防の言葉に頷いた。

「じゃあ、行きましょうか、優希さん」

そこで、今までずっと静かに話を聞いていた煉が優希に話しかけ、エスコートするようにその手を取った。煉の手に引かれて、優希達は重悟の私室を出る。
襖が閉められる前にちらりと見た和麻の目は、感傷に細められていた。





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更新。
リアルが不幸すぎて困ってます。
けど、頑張る。



[5752] 第五話 「理不尽な運命に好かれているのかもしれない」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/05/31 00:01
「ふぅ。気持ち良い」

重悟の私室を出た後、手配された女中によって、優希は先ず風呂に案内された。優希としてはこんな状況で、しかも他人の家で入浴する気など全く無かったのだが、襲撃事件と転移後のランドマークタワー崩壊事件によって、血と埃に塗れた優希の格好を見た女中は、これを改善する事を己が使命だと受け止めたらしい。まだ二十歳そこらに見えるその女中は、微笑を浮かべながらも半ば強引に優希を浴室へと押し込めた。
その態度に、先程から直ぐにでも思案に入りたかった優希は、一瞬苛立ちを覚えるも「考えてみれば浴室は考え事をするのに最適といえるだろう」と考え直し、その細く色白な身体にタオルを巻くと、檜で出来た風呂に足だけ浸ける形で思考を始めた。
ちなみに、足を浸すというのは神凪邸の浴槽が、ユニットバスではなく銭湯の浴槽に近いからこそ出来る事だった。
心地よさに包まれながら、優希は情報を整理する。
そもそもの始まりは、宿神家が何者かに襲撃された事にある。
向こうの世界では最高峰ともいえる霊力と、それに付随する戦闘力を兼ね揃えた宿神と神裂の両家を、無傷とはいえなくも簡単に制圧してきた襲撃者達。何らかの組織であることは明白だが、一体どこの組織だったのだろう?
……しかし、これはもう、考えてもしょうがない事だ。優希は既にあの世界からこちらの世界に来ている。何者であろうがこの身を追いかけることは既に不可能だろう。もしも襲撃者達が神に俗する物の加護得ていたとしても、優希一人の為に世界を渡る事にメリットなどない。向こうとしても精々が「貴重なモルモットを逃した」程度で、残念がるだけだろう。だから優希は、もう襲撃者達に襲われる心配をする必要が無い。
そう考えると、あの「神」が仕出かした現状は悪い物ではない。優希個人としての死亡フラグは永遠に取り払われたのだから。かえって良かったのかも知れない。
だが、やはり問題はあった。それは「神」によって飛ばされたこの世界が、一般人でさえ死ぬ確立が非常に高い「風の聖痕」の世界だったという事だ。殆んどの設定がこの世界と合致する以上、この世界は「風の聖痕」。もしくはそれに準じる並行世界だという事を認めざるを得ない。そして、それを認めたなら、優希は更なる覚悟をしなければならない。それは「戦う覚悟」。そして「殺す覚悟」である。
優希は一般人と比べたら外道気味な思考回路を持っているが、それはさておき。
それは世界的に見ても平穏な国、日本に生まれた優希が、本来ならする必要が無かった覚悟だ。勿論、優希には今までに人を殺した経験など無い。だが、この世界ではそうしなければ自分の身など守れそうに無いのだ。

「この身体に宿る力。……ばれたら陵辱程度じゃ済まされないよね」

この世界は霊的な存在が大きな力を持つ世界。そしてそんな世界は、優希から見れば破格の力を持った魔術師や異能者を生み出した。それらが優希の力に気づいたならば、優希はこれまでとは比べ物にならない程の悪意ある者に狙われることになる。先程、少し試した様子だと魔術自体はこの世界でも問題なく使う事が出来た。それも、この世界では精霊の力が強いのか、生み出した魔術は元の数倍の力を発揮した。
しかし、その程度ではとても足りないのだ。今なら数刻前に和麻の言った言葉の意味がわかる。

「精々が一流」

そう、たかだか数倍、優希の戦闘力が上がった程度じゃ、この世界では生き延びられない。ただの日本の廃墟に吸血鬼が潜む世界だ。平然と空間転移をこなす魔術師が跋扈する世界だ。精霊喰いなどという、世界の敵が存在する世界なのだ。

「しかも、近日中には『風の契約者』ですら勝てない妖魔が襲ってくる事が確定事項。……ははっ、全く笑えないよ」

なんで飛ばされたのがこの世界だったのか。いや、恐らく自分が「神」の居たあの空間で「風の聖痕の続きが読みたい」などといったのが恐らく理由なのだろうが。

「どうせなら『らき☆すた』の世界がよかったなー」

温まっているはずがいつの間にか冷え切った身体を、両腕で抱くようにしながら、優希は自身を誤魔化すように軽口を叩いた。
とりあえず、生き延びられたら絶対「神殺しの槍」を作り上げて、くそったれな神様を打ち殺してやると、心に誓いながら。


優希が冷え切った身体を温めなおし脱衣所を出ると、そこには濯された優希の流し着と下着が、綺麗に折りたたまれて置かれていた。その横には入浴前と同じ様に優希の鞄が置いてある。
「自分がお風呂に入っていた時間内で、どうやって洗濯と乾燥を終えたのだろう? 」と優希は軽く驚いたが、これが名家の持て成しかと感心すると、下着を着け、流し着に袖を通した。やはり、慣れ親しんでいる服の為か、着心地が良い。軽く髪を乾かすと、優希は脱衣所の外で待機していた女中に話しかけた。

「僕の服、綺麗にしてくれてありがとうございます」

「いえ、当然のことですから」

優希の感謝の言葉は微笑みと共に受け止められた。二次創作小説では、たいてい神凪はアンチの対象になっていたし、優希自身「碌な一族じゃねぇ」と思っていたのだが、この女中を見ているとその考えも変わりそうだ。一応「お嬢様」である優希に言わせれば、女中など使用人の格というのは、その主人の格を表している事が多い。そういえば先程の周防という男も中々良い佇まいをしていたし案外、神凪は良識的な一族なのかもしれない。……もちろん本編に出てきた一部を除いての話だが。

「優希様。そろそろ宴会の用意が出来ますがもう広間に向かいますか? 優希様がお望みであればこちらで何か着物を用意させますが……」

「いえ、私はこのままで構いません。準備が出来たのなら、もう行きましょうか」

「そうですか。畏まりました。それではご案内いたします」

女中は優希に向かい礼をすると、「こちらです」と歩き出す。優希もそれに続いた。


宴会会場となる広間は、既に賑やかだった。色鮮やかな料理が並べられ、席には大勢の者がついている。この光景だけを見せられたのなら、ここが一流旅館の宴会場だといわれても、優希は全く疑わなかっただろう。それだけの光景だった。
女中に促された優希は上座に設けられた席に座る。その隣には和麻がいた。

「よぉ」

「ども」

軽く挨拶をし、することも無いので雑談に入る。そうしてしばらくすると、宴会が始まった。そこかしこから乾杯の音頭がきこえてくる。優希の視界に入る誰もが、無理やり気分を盛り上げるかのように、陽気に浮かれ騒いでいた。
隣で料理に手もつけず呆れた顔をしている和麻が言うには、この宴は謎の襲撃者に狙われ、苛立ちと不安が募っている神凪一族の憂さ晴らしとして開かれたらしい。宗主である重悟は反対したのだが、長老達の総意に押し切られ、開催が決定したようだ。それを聞いた優希も思わず呆れた。

「なんていうか。馬鹿らしいとしか思えませんね」

「全くだな。いっそのこと、長老制なんて廃止しちまえば良いのに」

和麻があっさりと言う。だが、その言葉に優希は異を唱えた。

「現実問題そんなこと出来ないでしょう? 因習というのは中々変えられないものですよ」

「いやいや、だからこそこの機会にさくっ、とだな」

とても黒い笑みを浮かべる和麻。しかし、そろそろ和麻の言葉が基本的に冗句だという事に気づいた優希は、目の前にある刺身をパクつきながら淡々と言葉を返した。

「殺っちゃまずいでしょう、流石に。それに『宗主の器じゃない』とまでは言いませんけど、あの方は人が良さそうですから、そんな手段は取れないでしょうし」

「まあな。そこがあの人の良いところでもあるんだがな」

和麻は苦笑した。それを見た優希も、咀嚼しながらも微笑む。そこで優希はふと気づいた。
特に意識したわけではないが、気が付くと和麻とは割かし良好な関係が築づかれている。まあ、そもそも八神和麻は外道であるからにして、この程度の友好では、有事にはあっさり見捨てられてしまうのだろうが。
それでもライトノベルのキャラクターとこうして会話しているという事実は、優希に不思議な感慨を起こさせた。

「『現実は小説より奇なり』か。全く、昔の人は上手い事を言ったものだよね」

「ん。何の話だ?」

「いえ、こちらの話です。お気になさらず」

「ふむ。まあいいか。それより煉がこっちにくるぞ」

和麻が顔を向けた方を見ると、そこには子犬のような雰囲気を全開にして、こちらに向かってくる煉がいた。それにしても本当に可愛らしい。これでは「『風の聖痕』の真のヒロイン」と一部で呼ばれてもしょうがないだろう。

「兄様ー!」

ぽすん、と軽い音を立てて、煉は和麻の腕の中収まった。和麻もこれを邪険には出来ないようで、困った様子を見せながらも、煉の頭を撫でてやっている。

「えへへー。兄様ー」

ぎこちなさは残る物も、それは暖かな兄弟の構図だった。思わず優希の顔も緩む。

とそこで、優希は今更ながら大事なことに気づいた。自分が現れたことで本来の「風の聖痕」の歴史から外れ、煉が攫われることは無かった。ということは、そもそも和麻と妖魔の本体が対決する事が無かったという事だ。
そうなると、風牙衆が犯人だという事が、まだ宗主に伝わっていない事になる。すなわち、神凪一族が一同に揃っているこの状況は、リスクも高いものの、襲撃の絶好の機会なのだ。

「……やばい。まじでやばい」

「突然どうしたんだ?」

「大丈夫ですか?」

優希の顔色が突然真っ青になったのを見て、先程までじゃれあっていた和麻と煉が声を掛けてきた。
優希はこの危機をどう伝えるべきか焦り、纏らない思考の中、それでも必死に口を開こうとして――。

「きゃーーーー!!!」

――そのタイミングを狙ったかのように響いた悲鳴によって、最悪の事態を迎えたことを知った。








[5752] 第六話 「決戦、神凪邸」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/05/31 13:01
風巻流也を媒介にした強大な力を有した妖魔が、神凪の一族が宴会を開く広間を襲った。いや、それだけではない。
流也には劣る物も、百鬼夜行と見間違わんばかりの数の妖魔と、反旗を翻した風牙衆もそこにはいた。
優希は唇をかみ締める。「考えが足りなかった」と言うしかなかった。
広間の天井は半壊し、その役目を果たしていない。それどころか、神凪邸そのものが既に半壊状態だった。
自分という存在が介入すれば、本来の話の流れとは違いが出る。よくよく考えてみれば、それは当たり前の事だ。
それなのに、分かっていたつもりでも、優希はここが「風の聖痕」の世界だと言うことを、本当の意味で理解できていなかった。心の何処かで、今いる此処と物語の世界を区別していた。つまりはそういうことだったのだろう。

「敵襲だっ! 敵襲だぁっ!」

大きな声で、男が叫んでいる。
ちなみに、先程響いた女性の悲鳴は、もう聞こえなくなっていた。何故なら彼女は、既に風の刃によって切り刻まれ、哀れな肉塊とかしていたからだ。弱者として神凪一族によって虐げられていた風牙衆は、積年の恨みを晴らすかのように、その力をここに示していた。そして、神凪の名を持つ人々は、妖魔相手ならいざ知らず、人を殺すには「たかが風牙衆」の放つ風の刃で十分だという事を、身を持って知る羽目になった。
最初の悲鳴から数秒後。襲撃者の攻撃によって、既に神凪陣営の死傷者は数十人に上っていた。

「落ちつけぃっ! 息があるものは私の元へ!」

重悟が巨大な紫炎を妖魔の軍勢に向かって放ちながらも、声を張り上げた。

「ちっ」

突然のことに上手く反応できないでいる優希の隣で、和麻は焦りと苛立ちを混ぜたような表情をしながら立ち上がる。それと同時に、和麻に向かって膨大な量の風の精霊が集まっていった。
そして、空中で何かが弾けるような音が断続的に響く。和麻が放つ風の刃が、妖魔の放つ風の刃を相殺しているのだ。

「おい宗主! 俺一人じゃあの妖魔には勝てねぇぞ! どうする!」

そう叫びながらも、和麻は風の刃を相殺し続けていた。

「……お前はこのまま敵の攻撃を防いでくれ。私は宗主として一族を守らねばならん。先ずは皆をここに集め、結界を発動する」

「防御に専念しても、もたねぇぞ。時間はっ!?」

「十分……いや、五分で構わない。間に合わなかった者は切り捨てる」

「了解だ。いくぜっ!」

和麻が空へと上っていく。直接対峙するつもりなのだろう。それを見届ける前に、重悟は信頼の念を置く、自分の部下へと指示を出した。

「周防、炎陣結界を発動する! 主要な術者を集めろ! その上で余裕があれば、ここにいない者を含め生存者を私の元へ!」

「畏まりました」

一瞬でどこからか現れた周防は、重悟の命令を受けて、また掻き消えるように姿を消した。それを見た重悟は一つ頷くと次に、和麻とは別に押し寄せる妖魔の軍勢を相手にしていた己が娘。神凪綾乃を呼んだ。

「綾乃!」

「はいっ、お父様! 」

それは太陽のような輝く霊威を放つ、長い黒髪の少女だった。綾乃は重悟の声に小気味良い返事をした。

「私は今から結界を構築する。お前は、和麻と共に敵を迎撃してくれ。……出来るな?」

重悟の言葉の最後には宗主としてではなく、死地へと赴く娘を思う、父としての気持ちが込められていた。その思いを正しく受け取った綾乃は嬉しそうに笑い、力強く宣言する。

「任せて、お父様! あの和麻さんだって戦ってくれてるんだもん。私だって……。あんな奴消滅させてやるんだから!」

そして強力な炎術師であり、次代の神凪を担う炎の姫巫女、神凪綾乃は走り出した。
正直に言えば状況は最悪だ。あれだけの妖魔は、綾乃と和麻が協力しても倒せないかもしれない。ましてや、綾乃は和麻の実力を話でしか知らない。不安は募るばかりだ。
それでも、綾乃の戦う意思は折れなかった。なぜなら自分は炎雷覇の継承者であり、次代の神凪家宗主なのだから。


その姿を見届けた重悟は、己の周りに集まった者たちを見回した。元から広間にいた者も、この場にいなかった者も。術者も唯の使用人も、大勢の物がいた。
それを見る重悟の姿は、威厳ある宗主としてのものに変わっていた。
強力なあの二人が迎撃に向かったとはいえ、悠長にしている時間は無い。だからこそ、急がなくてはならなかった。重悟は何とか無事だった術者達の顔を見渡して、に声を上げた。

「今から炎陣結界を発動させる。それぞれ陣を組め! 誇りある神凪の術者たちよ! 一族の命運、この一戦にあると知れ!」

「「はっ!!!」」

術者達は重悟の言葉に力強く答えると、それぞれの呼べる限りの炎の精霊を召喚した。宗家も分家も関係なく、唯ひたすらに。その中には煉の姿もあった。
そうして呼ばれた精霊の量は、火山の火口に集まる精霊の量を遥かに超えていた。それは仮に精霊が具象化し物質的な炎と化したならば、この場から半径500メートル内にいる者が、一瞬で蒸発してしまう程の量だ。
この集まった精霊を攻撃に使い、和麻たちに加勢すると言う手段もあったが、守る立場である重悟としてはその方法は取れなかった。術者だけなら討ち死に覚悟の総力戦をすることも出来たが、非戦闘員である女、子供が一緒である以上、そうはいかない。一族を守る為には、次代に繋がる女、子供を見捨てるわけには行かないのだ。
だから、重悟は当初の予定通り結界を発動する為に、精神を深く集中させていく。これほどの炎の精霊は幾ら宗主である重悟であっても制御しきれない。それを制御下に置く為に、熟練の術者たちは重悟が結界を構築する為の下地を作っていく。そして、その下地を元に重悟が結界を構築していく。重悟の口から、真言が響き始めた。

「ナウマクサラバタタ、ギャテイビャク」

深く精神を集中させた状態で、重悟は呪文を唱えていく。呪文自体に霊的な意味はさして無い。重悟にとっての呪文とは、自己暗示のキーワードだ。
手の空いている者は、和麻と綾乃の隙を縫って襲ってくる者を迎撃していた。

「サラバボッケイビャク、サラバタタラタセンダマカロシャダケン」

通常、複雑な術は呪文と起動手順を、セットで覚えることによって反射行動化する。何千回、何万回と繰り返すことによって、呪文を唱えることと起動手順をこなすことをイコールで結ぶのだ。

「ギャキギャキ、サラバビキンナンウン」

重悟を中心として、溶岩のような緋色の線が地面に魔方陣を描いていく。そして魔方陣が完全に描かれると、床一面が緋色で塗り替えられた。

「タラタ! カン!」

重悟はこの数分の間に随分と疲労していた。自分の呼べる精霊の範囲内の力ならいざ知らず、今行っているのは一族総出で行う大規模術式だ。無理も無い。

「マン!」

そして、重悟の一声と共にその陽炎はやがて密度を増し、硝子で出来たようなドームを作り上げた。それこそが美しくも強大な、触れる物全てを消滅させる結界。神凪宗家が秘術。炎陣結界だ。
愚かにも、その結果胃へと突き進んだ妖魔が、その身を溶けるかのように消失させた。

「……綺麗」

今まで恐怖に怯えていた、和服を着たおかっぱ頭の少女がそう呟いた。実際、その光景は少女の心からそれ以外を締め出すほどに美しかったのだ。

「たとえ流也の身体に宿った妖魔であろうとも、これは破れまい。風牙衆なぞ論外だろう」

今まで術を組み上げるのに協力していた術者の一人が、脱力しながらも、顔を綻ばしてそう言った。
その様子をみてようやく肩の力を抜き、その場にへたり込んだ煉はあることに気が付いた。

「……あれ? 優希さんは?」

先程まで傍にいた筈の優希の姿は、どこにも見えなくなっていた。









[5752] 第七話 「怒り狂う僕は最強だと錯覚してみたりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/06/06 10:28
神凪一族。それは始祖に炎の契約者(コントラクター)を持つ、歴史ある炎術師の一族である。
神凪一族。それは誇り高き精霊との共生者達の一族である。
しかし、そんな彼らの住む神凪邸は現在、血と悲鳴が飛び交う戦場と化していた。優希の目には、そこに誇りなどという物が存在しているようには、とても見えなかった。

「……ふざけるな」

けれど、そんなことは取り合えずどうでもいい。優希は顔を強張らせながら、俯きがちに呟いた。
状況を考えれば、それは致命的な隙になったが、今の優希にはそんなことを気にしている余裕は無かった。
優希の拳が、ぎゅっと強く握られた。

「ざけんなっ。ふざけんな」

今の優希の心の、大部分を染めているその感情の名は怒りだった。その湧き上がる強い感情によってかみ締めた歯が、嫌な音を立てる。
目の前で人が次々と死んでいく。血が噴出し、腕が飛び、切り刻まれ、妖魔によって貪り食われる。
生理的嫌悪を呼び起こすような光景が、まるでそれこそが当然であると言うように、優希の眼前に広がっていた。
人が死ぬ所を見るのが、初めてだという訳では無かった。ここまで凄惨ではなかったが、これに似たような光景はつい最近にも見ていた。それは優希の住んでいた、宿神家での光景だった。
ふと、優希は怒りに狂いそうになる思考の中で、その時の事を思い出す。
――思い出されるのは、血と悲鳴と、絶望と諦観の入り混じった表情。家族ではない、同居者である彼らが浮かべていた、あの醜い表情。
優希はそこに、守るべき価値は無いと感じた。だから、周りの人間を見捨てて逃げる事にした。生き残る為に、他を見捨てて逃げる事にした。
それが間違った判断だったとは、今でも優希は思わない。優希は別に聖人君子ではないし、悪人とまではいかなくても、性格は良くないほうだと自覚していた。
だからその時も、見捨てた者に対して幾ばくかの罪悪感こそ抱いたが、その感情も自分の行動を論理で武装する事によって、正当化する事が出来たのだ。
だけど、やはり優希も人間である。情というものは存在した。それでも彼らを見放せたのは、結局の所、優希にとって見捨てた彼らが大切な者でなかったからだ。
彼らは優希に、愛情を与えてくれず、愛情を受け取ってもくれなかった。彼らと優希の関係は「家族」では決して無かった。
正直に言えば、自分は彼らを憎んでいたのかもしれない。優希はそう思った。
いや、きっと憎んでいたのだろう。母が死んだあと、養うことこそしたものも、愛情をくれなかった彼らを、優希は憎んでいたのだ。
それは、家族でないどころか、きっと農家と家畜のような関係だった。
そこまで考えて、再び優希の心に大きな怒りが湧き上がった。

「ふざけんな」

孤独な生活。そんな中で、優希がなんとか一般的な人としての良識を持っているのは、ひとえに母親のお陰だった。
正確に言うなら、母親の死後も色褪せることのなかった、母と過ごした記憶のお陰だった。
たとえマザコンといわれても構わない。それ程に優希は母親を愛していた。
それなのに。

「ざけんな!」

騒がしい、地獄絵図と化した広間。立ち竦む優希の前には、年頃の娘が持つには少々おかしな、少年向けの可愛らしいデザインの鞄が、ボロボロの、無残な姿で転がっていた。
それは、母親が生前に作ってくれたものだった。そしてこれが、優希を憤怒させている原因だった。
優希は思い出す。
――当時の優希は「こんなに凄いものを作れるなんて、お母さんはなんて凄いんだろう」と鞄を作ってくれた母親を、ひたすらに尊敬した物だった。それは優希の中に残る、大切な記憶だった。
そして、その鞄はそんな、たくさんの思い出がある、大切な鞄だった。
――それが、壊された。
思い出の詰まった鞄は、さしたる理由も無く壊された。
優希の顔は、先程から歪んでいる。あえて自分を誤魔化さずに言うのなら、優希の心には怒りだけではなく、悲しみも同じくらい存在したのだ。優希の瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
しかし、泣いて終わる訳にはいかなかった。そんな事は許されなかった。

(右の頬を殴られたのなら、左の頬を殴り返せ)

大人しく殴られてやるなんて冗談じゃない。優希はキリスト教に興味など無い。罪に与えるのは温情では無く罰なのだ。
だから、優希の心に宿る悲しみは、静かに怒りへと変換されていく。
それは自分の心を守る為の手段だったのかもしれないし、そうじゃないのかも知れない。そんなことは、今の優希には意味の無いことだ。だって、優希の心は叫んでいる。

(許せない。いや、許すことなどできる訳がない!)

そんな状態でも、理性は言っていた。「だったらどうする? このままだと死んでしまうぞ」と。
後ろには重悟たちが集まって、結界の構築をしている。このまま彼らの元へと歩むのならば、優希の生存確率は大幅に上がるのだろう。

(だけど、それがなんなのさ)

優希は前へと進んだ。鋭い眼差しで前を睨み、戦場への一歩を踏み出した。
死んでやるつもりなどない。
そんな危険性など、今の優希は考えない。
だから、優希はありったけの思いを込めて叫んだ。

「――フルボッコにしてやんよっ!」

戦場に、悪鬼が降臨した。

綾乃は悔しさの余り顔を歪ませていた。次代の宗主として、そして父親の信頼に応える為に勇んで飛び込んだ戦場にて、綾乃が出来ることは精々がアシスト。言い方を悪くすれば「猫の手」程の活躍しか出来ていなかった。
その事実が、これまで才能に恵まれすぎていた綾乃のプライドを傷つけていたのだ。
しかし、これは別に「綾乃が弱い」のが理由では無かった。力量で言えば宗主や数麻には及ばないものも、綾乃は既に一流などという段階は軽く超えていた。
問題は、綾乃の戦闘スタイルにあったのだ。
炎雷覇は刀剣状の神器である。ならば当然、その最も効率の良い扱いは敵を「斬る」ことになる。と言う訳で、当然それを扱う綾乃の戦闘スタイルは接近戦となっていたのだが。

「降りて来い! この卑怯者ぉっ!」

流也に憑いた妖魔は、空中戦が可能だという、自らのアドバンテージを手放そうとはしなかったのだ。その大妖は、中に浮いたままその無尽蔵ともいえる再生力と、驚異的な速さを生かして、綾乃と和麻の二人を休み無く攻撃していた。
その結果、人として当然、空を飛ぶ手段を持たない綾乃は、本来の力を発揮できないでいたのだった。

「このぉっ!」

だが、綾乃も列記とした戦士である。何もせず、手をこまねいていた訳ではなかった。
時折自らを目指して飛んでくる風の刃は、全て防ぎ、その後に本体から分かれて攻撃してきた流也の右腕は、燃やし尽くしてやった。
無謀にも自分達の邪魔をしてくる雑魚妖魔や、風牙衆の人間はもう、何度も消滅させているし、流也に対しては極大のプラズマと化した、炎の塊を幾度と無く放っていた。……その結果は、殆んどが避けられてしまうという物だったが。
だが、それでも和麻からしたら、綾乃の存在は予想以上に役に立っていたのだ。少なくても、綾乃が存在することで和麻には随分と余裕が出来ていた。ちなみに和麻自身、流也の相手だけではなく、相当な数の敵を斬滅させていた。
しかし、それでも圧倒的に状況は不利だった。どんなに強大な力を有していても、人間の体力には限界がある。そして、それは二人にも例外なく訪れようとしていた。

「和麻さん、まだいける!?」

『悪いが、このままだとあと二十分持たねえ、といった所だな』

「……そっか。なんか方法あります?」

呼霊法と呼ばれる、風を使った和麻の声が、綾乃に届けられる。
和麻から返ってきた言葉は、綾乃にとって理想的なものとは言えなかったが、綾乃にしても和麻が十分以上に奮戦しているのは分かるので、その口から罵りの言葉が出ることは勿論無かった。
優希の意図しない所で、和麻と綾乃。二人の関係は原作よりも良好な地点から始まっていた。

『時間が足りねぇな。決め技出す時間が作れねぇ。決め技出そうとしたら、向こうに先に殺られるしな』

「……責めてあいつが地面に降りてくれれば、私が一撃入れられるのに」

『確かに、お前がフォワードに専念してくれれば、俺が勝負をつけられるんだがな。まあ、無いものねだりはしてもしょうが……』

そこまで言いかけて、和麻の言葉が止まった。その表情も不敵な笑みを浮かべている。それを見た綾乃は、思わず和麻に問いかけた。

「和麻さん? どうし『やみくもな援護は止めて、力を蓄えておけ。どうやら援軍が来たようだぞ』」

綾乃の言葉は和麻に遮られる。訝しげに思いながらも襲ってくる雑魚妖魔を燃やし、綾乃は和麻の顔の示す方を見た。
意識は大妖に向けているが、それでも綾乃には分かった。
――そこにいたのは鬼だったのだ。
そこに数分前までの面影は、あまりない。
手入れもされていないのに艶やかだった長い黒髪は、所々血に塗れカピカピになっていた。それ以前の問題として、般若のような表情で髪を振り乱しながら歩くその姿は、見るものに凄絶な恐怖心を植えつける物となっていた。
般若の正体は優希だった。

(……ぶっころす)

切れていた。優希はこれ以上無いほどに、ぶち切れていた。そしてその怒りのままに、自分の敵を全て滅ぼしてやろうと行動していたのだ。
大事な事なので繰り返し言うが、今の優希は切れていた。
現状を気分的に表すなら、史上最強。端的に言うならそれは、最高にハイってやつである。
そんな状態の優希に、無謀にも向かっていく影があった。鮫に似た姿をした妖魔だった。
その妖魔は、愚かにも怒れる優希を喰らおうと、口を大きく広げて優希に齧り付こうとして。

「邪魔!」

優希の一喝と共に指から放たれた、三枚の破魔符によって、光り輝いた。

「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」

瞬間。断末魔の叫びを上げて妖魔は弾け飛ぶ。
だが、その光景を作り出した優希は、そんな事には欠片も意識を向けずに前へと進んだ。
そして、その手には新たな破魔符が握られていた。

「死ねぇ!」

そう叫びながら優希に向かい、風牙衆の男が一人飛び掛ってきた。だが、優希は男になど視線を向けない。
優希の手から破魔符が二枚飛ぶ。一枚は男が放った、されど男とは逆方向から飛んでくる風の刃を消滅させ、もう一枚は直接男に張り付き、軽い衝撃音と共に男の意識を刈り取った。
優希は再び、新たな符を握っていた。

「――なんていうか、凄い」

その光景を見た綾乃は呟いた。戦力的には自分の方が、彼女の何倍も強いと思う。しかし今の優希には、綾乃ですらちょっぴり引いてしまう程の、ある種の迫力があったのだ。
そんな風に、綾乃が場を静観している間にも、敵の被害は優希によって着実に増えていた。
優希の戦闘スタイルは簡単な物だ。今までに作り続け、溜め込んだ破魔符によって目に映る障害を排除する。それだけである。
しかし、単純なだけにその攻撃は早く、戸惑いが無い。
一人。一体。また一人。優希はひたすらに目の前の敵を殲滅していく。
しかしその途中で優希は少し冷静になった。
敵の数が多すぎるのだ。このままだと破魔符のストックが無くなってしまう。盛大に使われた破魔符は、元はキリ良く百枚あったにも関わらず、今はその残りを、半分以下の四十六枚にまで減らしていた。
風牙衆は「風の聖痕」では50人前後の集団だという設定だったはずだが、どう見積もっても和麻と綾乃の手によって、それくらいの数は倒されている筈だ。
それなのに、戦場にはまだ多くの敵が存在する。さてさて、傭兵でも雇ったのだろうか?

(まあいいか)

そこまで考えて、優希は思考を放棄した。考えてもしょうがないことだ。答えが分かったとしても、この状況は変わらない。

(けど、どうしようかな?)

怒りをぶつける対象が多い事は喜ばしい事かもしれないが、それにしてもいかんせん、数が多すぎる。
そこまで考えた所で、優希は格好の獲物を見つけた。それは、敵の切り札にして最強の存在だった。

「風巻流也……。あんたを殺せば、風牙衆はバッドエンド確定だよね」

こいつを滅ぼせば自分の勝利だ。優希は若干短絡的になっている思考でそう結論づけると、口を大きく吊り上げてにたりと笑った。
そして、拍手で小気味良い音を打ち鳴らすと、精神を深く集中させ呪文をつむぎ始めた。

「カケマクモカシコキ、イザナギノオオカミ」

優希の周りを囲むように、符が浮かびあがる。優希は目を瞑った。
残念ながら、優希単体では自身の最強の術を使った所で、流也を倒す事など出来ないだろう。
雑魚妖魔を打ち払うだけでも、三枚から四枚の符が必要なのだ。それなのに、和麻たちが冷や汗を流すほどの妖魔を、彼らと比べれば格段に戦闘力に欠ける優希が倒す事など、不可能だ。
しかし今、流也が相手をしているのは「風の聖痕」では自らを打ち滅ぼした相手である。和麻たちは、能力的には十分勝利可能な二人組みなのだ。それなのに何故、彼らは責めあぐねているのか?

「チクシノヒムカノタチバナノ、オドノアワギハラニミソギタマイシトキニ」

呪文が進むと共に、浮かび上がった符はゆっくりと優希から離れ、円陣を作り上げた。円陣は白く発光し形を変え、魔法陣を描いていく。

「ナリマセルハラエドノオオカミ」

それは、綾乃が参戦できていない事。流也が空中にいる事が原因なのだ。

「モロモロノマガゴト、ツミケガレヲアランヲバ」

それが分かれば、流也を滅ぼすのは簡単な話である。つまり、……届かぬなら、落とせば良いのだホトドギス。

「ハライタマエ、キヨメタマエトモウスコトヲー 」

魔法陣の中心となる優希の頭上に、エネルギーが集まっていく。優希は歯を食いしばった。
優希の身体からごっそりと気が抜け落ちていった。

(ぐっ、ちょっとキツイ。かも)

凄まじい疲労感が優希の意識を奪おうと襲い掛かってくるのだ。だが、ここで気絶するわけには行かない。
なぜならば。
なぜならばっ。

(――まだこの怒りは晴らされていないのだから!)

「キコシメセト! カシコミ! カシコミモウス!!!」

優希の声が一段張りあがり、呪文を紡ぎ終える。ようやく訪れた呪文の終わりと共に、優希の術は完成した。

(あー、やっぱ、これきついかもー)

意識が朦朧とする。それなのに頭痛がする。
痛い。眠い。
それらを必死に堪えて、優希は標的を探す。視界は霞んでいた。完成した術を維持するだけで、かなりの負担が優希を襲っている。
だが、そんな視界の中で優希はようやく風巻流也を見つけ、そして顔をゆがめて笑った。

(み・つ・け・た!)

それは、きっと声に出していたのなら、おぞましい物を感じさせるような、声だった。
けれど、思念は相手に伝わらない。優希の準備は、完全に整っていた。
今から放つ術は宿神一族の人間が見たら、完璧に優希のオリジナルだと勘違いする術だ。それは、残りの破魔符に込められた霊力を、全て一撃に収束させるという術だった。
その原点は、某魔法少女の放つ、桜色の砲撃にある。だから、オタクでもない限りきっと、元ネタは分からないだろう。
優希は指で刀印を作ると、ゆっくりと流也に向ける。
その頭上で、白い星が一際強く瞬いた。そして、狙いを完全につけ終わると、優希は全力を持ってこう叫んだ。

「――スターライト、ブレイカーぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

――星は、白い流星となって、流也を貫いた。
その一撃の余りの苛烈さに、強く身を流也は身をよじる。だが、流星は触れた物全てを、問答無用に浄化していった。
生半可な一撃ならともかく、浄化の概念の篭ったこの砲撃は、流也にとっても無視できないダメージを与えたようだ。優希の一撃によって、身体に大穴の開いた流也は墜落しかけた。しかし大妖は、尋常ではない再生力の賜物か、地面に衝突する事こそぎりぎりの所で免れ、空中で静止した。
だが、今までずっとタイミングを見計らっていた綾乃にとっては、それで十分だった。

「今だ綾乃ぉ!」

「はいっ!」

和麻の双眸が蒼く染まった。
和麻に言われてから、綾乃はずっと力を溜め込んでいた。自らの気を、最大限の集中力を持って練り上げていた。
そうして生み出されたのは朱金の炎。神炎と呼ばれる最高位の浄化の炎だった。
――綾乃の神炎が、炎雷覇に注ぎ込こまれていく。

「だぁぁりゃぁぁぁっ!!!」

次の瞬間。綾乃は残像さえ残さない神速の踏み込みをもって流也の前に出現し、裂帛の気合と共に渾身の斬撃を叩き込んだ。
流也は凄まじい反射神経によってその斬撃に反応するが、無駄だった。朱金の輝きを宿した炎雷覇は、防御に使われた両腕ごと、容赦なく流也を真っ二つに切断する。溜まらず距離を取ろうとした流也だったが、綾乃はそれを許さず更に肉薄すると流也の胸に炎雷覇を突き立て――。

「滅! 」

――爆散させた。
しかし、そこまでの攻撃を食らっても、まだ流也は滅びなかった。粉々に飛び散り原型を留めなくなった肉片は、まるで粘土のような物に変化したが、その内に秘める妖気は些かも衰えていない。

「……嘘でしょう?」

その様子を見て、綾乃の身体は緊張に強張った。間違いなく自身の最大最高の力を発揮したにも拘らず、凶悪にその存在を主張する妖魔。
それじゃあ、自分のしたことは無駄だったのだろうか?

「そんなことないっ!」

綾乃の心は一瞬絶望に囚われた。しかし、綾乃は即座にその感情を否定する。
どんな物にだって終わりはある。そして何より、綾乃は精霊魔術師なのだ。精霊魔術の力。精霊と交信する力とは、世界の歪みである妖魔を討つ為に与えられた力なのだ。
それならば、精霊魔術師である綾乃は妖魔相手に怯むことは許されない。綾乃は炎雷覇を握る手に力を込めた。身体は緊張で強張ったままだ。
――ぽすん。

「ふぇ!?」

だが、そこで綾乃の身体は、温かい何かに包まれた。不意打ちだったので、綾乃の口からは、奇妙な声が漏れ出てしまう。「暖かい何か」とは和麻の身体だった。
それに気が付いた綾乃は、顔を赤くして和麻に抗議をしようとした。だが。
和麻の双眸を見て声を失くす。澄み切った青空のような輝きを宿す、その瞳に綾乃は目を奪われていた。

「よくやったな。後は俺に任せておけ」

声が出なかった。理由は分からない。けれど、和麻の腕の中にいるという事実は、綾乃に深い安らぎを与えた。
ただ、ただ心が暖かかった。
和麻の周囲を流れる風が、薄蒼い輝きで染まっている。
その蒼い気流は、流れこそ緩やかな物の、そのうちに莫大なエネルギーを秘めていた。それには神凪一族にのみ与えられた筈の浄化の力が宿っている。

「さぁ、終わりにしようか。そろそろおやすみの時間だぜ?」

――蒼の奔流が全てを浄化する。
和麻の宣言と共に、蒼い風が流也を、そして神凪邸全てを包み込んだ。
数秒後、神凪邸で起こった戦闘は完全に停止した。哀れな老人とその息子の存在は、この世から消滅していた。





[5752] エピローグ(おまけ)
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/06/06 19:13
おまけ(後日談的なもの)

襲撃の後日。復興目指して精力的に活動中な神凪邸にて、黒髪の少女と威厳ある壮年の男が対峙していた。
二人が互いを見つめる眼差しは、真剣そのものである。そんな光景を横で見ている綾乃と煉にも、緊張が走っていた。
黒髪の少女は、髪こそ長い物も、どこか中性的な雰囲気を持ち合わせており、美しい。壮年の男もまた、積み重ねた年月の重さを伝えるような、そんな魅力を持っていた。
――だが、そんな二人が真剣に話す内容は、どこまでも俗物的だったりする。

「だから、宗主。報酬は一億円だと先程から言っているでしょう? 何度も言わせないでください」

「いやいや、確かに優希殿にも活躍してもらったようだが、やはり一億円というのはちと高い。もう少しなんとかならないものかね」

「じゃあ、九千五百万」

「五千万!」

「ありえない。九千万!」

「六千万!」

「うっさい! 一億っ!」

「何故戻る! 七千!」

「一億二千っ!」

「増やすなっ! 七千五百!」

「お父様……」

「元気出してください。姉様」

黒髪の少女の名は優希。壮年の男の名は重悟。
屋敷の修繕費に苦しむ重悟と優希の、こんな会話があったとか



[5752] プロローグ 「二巻の開始=新たな死亡フラグ」
Name: 平凡眼鏡◆b6f4c63e ID:d60f1d5a
Date: 2009/07/05 11:37
風牙衆の反乱から二日後。復興作業に追われていた神凪邸は、その活力を徐々に取り戻してきていた。
そしてそんな中。優希はあてがわれた客室にて、顔を曇らせると、ふと溜息をついた。

「さてと、これからどうしようかなぁ」

優希はベッドにダイブすると、枕をぎゅっと抱きしめながら、そう呟く。そして、瞼を閉じると同時に思考に入った。

(……眩しいなぁ)

窓から入り込む日の光すら、今の優希にはうっとおしかった。
――優希は今年で十六歳になった。それは言い換えれば、優希が未だいたいけな少女だと言うことでもある。
つまり、社会的に見るならば優希は「ただの子供」なのだ。そんな優希には、考えるべき「これから」が多く存在した。
簡単にあげるなら、今のところ問題は二つある。
まず第一の問題として、優希にはそもそも、この世界の戸籍が存在しないという事があげられる。これはまずい。
日本は先進国の中でも、そういった点には厳しい国なのだ。住居を構えるにも、いちいち戸籍が必要なのである。魔術を扱える優希ならば、それはさして、深刻に考えるような問題ではないかもしれない。だが、それでもあるに越した事は無いだろう。という訳で、戸籍を用意するのは確定事項だ。
そして、第二の問題。特に、これが重要なのだが。風の聖痕、第二巻の始まり。つまり「大神操の暴走」は、優希の記憶が確かならば、風牙衆の事件から、一週間後の宴会から始まる。そして、その結果は千人規模の人間が死ぬ、大事件となるのだ。
悲しい事に、自分の運の悪さを自覚している優希としては、仮に原作への介入を避け、東京から避難をしたとしても、自身が巻き込まれる予感がしていた。
という訳で、正直とても嫌なのだが。優希はこの事件の発生を、止めるべく動く事にした。

(まあ、戸籍はともかく。操……さん、の件は、和麻に一言注意を呼びかけておいたら、大丈夫だとは思うんだけどね)

そうは思うのだが、不安はぬぐえない。

「よいしょっと」

優希は枕を放すと、辛い体に鞭を打って「さっ」と立ち上がった。
若干おっさん臭さがかもし出されているが、そこはご愛嬌である。
優希は着ている流し着を男らしく脱ぎ捨てると、備え付けられたクローゼットの中に用意された洋服の中から、動きやすいキュロットスカートと、シンプルな茶色のブラウスを取り出した。
そして、およそ女性らしからぬ速さで身支度を整え始める。
本当はジーパンにTシャツという格好をしたかったが、あいにくそれらの服は用意されていなかったので仕方がない。スカートは、ひらひらとした布が腿を擦れる感覚が嫌いなので、滅多に履かなかった。
というよりも。

(男共の視線が気持ち悪いから、いや)

それが、一番の理由だったりする。
それから数分後。優希は戦闘後に修理した、大切な鞄を手に持つと部屋を出た。
向かうは重悟の下。その理由は、先日の報酬を貰いに行く為である。

(先立つ物は、お金だよね)

少し目つきが悪くなっている気もするが、優希の足取りに迷いはない。
――数時間後、部屋に戻ってきた優希の手には、大金の入ったアタッシェケースが掴まれていた。
こうして、優希は予定通り、当面の資金を手に入れたのである。

それから五日後。「お金さえ貰えば用は無い」といわんばかりに、報酬を受け取ったその日から、都心から少し外れたビジネスホテルに移住していた優希は、熱心に誘われた事もあって、神凪での宴会に出席していた。ちなみに開催場所は、件の事件でほぼ全壊していた、あの広間だったりする。

「屋敷の修繕を祝って!」

「風牙衆壊滅を祝って!」

「「乾杯!」」

状況は、殆んど原作どおりだった。
そこかしこから聞こえてくる台詞は、多少は原作と違った気もしたが、風牙衆をこけおろしながら酒を飲む者が殆んどである事に、変わりはない。

(こうも原作どおりだと、自分がいるこの世界が作り物のような気すらしてきますね)

そんな彼らを上座から眺めている優希の視線は、酷く呆れていた。
優希は女中さんの質の高さから、神凪家を若干、見直しかけていたのだが、そんな状況で見たのがコレである。神凪への評価は再び急下降していた。

「宗家の人々は、あまり騒いでないようですけど。それでもこれは……」

「まあ、馬鹿が多いからな。仕方がない」

溜息と共に呟かれた優希の言葉に、横に座っていた和麻が反応する。
時間通りに現れた和麻に即効、抱きついてきた煉を膝に乗せながらも、その口からは、痛烈な批判が飛び出た。

「そもそも、無能では無かった風牙衆を奴隷のように扱い、追い詰めたのは神凪だ。反乱を起こされても、文句は言えねぇだろう」

「ごもっともで。まあ、僕は風牙衆の受けてきた痛みなんて知りませんけど。……それでも彼ら。神凪みたいのが上司だったら、さぞかし辛いだろうとは思いますね」

「全くだな。というか、何故あいつらが被害者面をしているのか、俺は理解に苦しんでいるぞ?」

「至極同感ですね」

「……ていうか、今気づいたんだが。お前って『ボクっ子』だったんだな。知らんかった」

「余計な事を突っ込まなくてもいいです。あっ、この漬物おいしい」

そんな事を二人で話し合っていると遂に、優希が先刻からさりげなく様子を伺っていた、彼女が動き出した。
内心どきどきの優希を他所に、その女は楚々とした佇まいで和麻の目の前に跪くと、深々と礼をする。

「操と申します。和麻様のお世話を仰せつかっていますので、なんなりと申しつけ下さい」

大和撫子を連想させる、二十歳前くらいの着物を着た、和風の美女。そして。

(和麻を逆恨みする、この物語のキーパーソン)

神凪家が分家。大神操が、ようやく物語に登場した。

――数時間後、ホテルの自室のベッドには、疲れからか、死人の様に眠る優希の姿があった。
結論から言うと、優希の緊張は徒労に終わったのである。
宴会は、全部が全部、和やかな雰囲気で終わった訳ではなかった。
操は「嫌々この場にいるのだ」という態度を隠そうとしていなかったし、和麻は神凪家に対して鷹揚な態度は見せなかった物の、下種な台詞は吐かず、綾乃を可愛がっていた。
綾乃に至っては、原作どおり和麻に向かって、気で強化された箸を投げつけたぐらいである。
(ちなみに、綾乃本人は照れ隠しのつもりで箸を投げつけたらしい)
だが、それでも優希の存在によって何かが変わったのだろう。操は結局、短刀を和麻に向ける事をしなかったし、和麻や綾乃の物言いも、原作に比べれば若干、柔らかな物になっていた。未来は確かに、いい方向へと変化を見せていたのである。

(和麻には『アルマゲスト』がこっちに来ていると、忠告もしておいたし、大丈夫だよね?)

あの時の和麻の表情は恐ろしかった。やっぱりなるべく会いたくないなぁ。
そう最後に思考して、優希は深い眠りに落ちていった。
東京の何処か暗い所で、自身を狙う者がいる事に気づかずに。





[5752] 第一話 「久しぶりの買い物と勉強をしたりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/07/05 11:39
 一般人には決して辿り着けない店、トリメギトスという名の店が存在する。
 都内に存在するそのマジックショップにて、優希は「むむむっ」と可愛らしく唸り声を上げながら、手に持った二冊の魔導書を見比べていた。

(アガルス・フェイバー著作の『魔学の歴史と衰退』に、ウィリアム・L・アドニス著作の『西洋魔術概論』。ううっ、どっちも欲しい、けど高い! アーティファクトとしての効果もないただの本の癖に、一冊で百万以上するなんて、詐欺だ!)

 そう。一月に数回「客の都合など一切気にしないぜ!」と言わんばかりに不定期に開かれるこの店で、優希は只今、絶賛買い物中だったりする。
 そして、その理由は風牙衆の反乱により、優希の手持ちの符がほぼ無くなってしまった事にあった。
 けれど、いきなり輪切りにされたビルが落ちてくるような世界で、最低限の自衛の手段も持たずに、のんびりと生きていられる程、優希は楽観的な性格ではない。従って優希は、ホテルに移動してからずっと、インターネット等を活用し、魔術用品を取り扱う店を探していた。
 その結果ようやく発見したのがこの店だ。所詮ネットと舐めてはいけない。この世界では、魔術師やら異能同士がコミュニケーションを取るサイトが、色々と存在しているのだ。
 二つの本を見比べる優希。その見つめる視線は、真剣そのものだ。
 既に優希の買い物カゴの中には、数十冊もの魔導書やら魔術の触媒やらが、無造作に詰め込まれていた。

 (これ全部買ったら、マンションならともかく一軒家は買えなくなる……)

 しっかりと神凪から、報酬を受け取ってはいた優希だったが、それにしてもこれらの品々は高額である。これだけの数を買えば、報酬の半分は消える事になってしまうだろう。だが。

 「あーもう、面倒くさい! どっちも買っちゃえっ!」

 そこは何だかんだ言っても、生粋のお嬢(?)様な優希である。
 「欲しい物は欲しいのだ!」と呟くと、二つの本はカゴの中へと放り投げられた。
 そして、その様子をずっと観察していた店主は、店の奥に引っ込むとにやりと微笑んだ。そして思う。

 (こいつは上客だ!)

 ――笑顔の店主の視線の先で、優希の買い物はまたまだ続く。結局、優希が会計を済ませたのは、それから二時間程後の事だった。


 「一杯買ったなぁ。ていうか、正直買いすぎたかも」

 所変わって、夕方過ぎのビジネスホテル。
 自分が先程買った大量の荷物を鞄から取り出し、整理していた優希は、その量の余りの多さに思わず苦笑していた。

 「……買い物なんて、久しぶりだったもんなぁ」

 感慨深い、という表情を浮かべた優希の口から、溜め息が溢れた。
 中学卒業後から、優希は宿神家によって、半ば軟禁されているような生活を送っていた。
 そして、そんな劣悪な環境下で心を守る為に、自分はネットの世界に逃げていたのだと、今の優希は思う。

 (自分はオタクだから、インドア派だから大丈夫。外に興味なんて抱かない)

 そんな風に、自分の惨めさから目を反らしながら生きてきたのだ。

 「そんな自分が今は、物語の世界にいるんだから、人生って分からない物だよね」

 ほんの表紙をなぞりながら、優希は呟いた。既にホテルに「これから先、自分の部屋に一切立ち入るな。電話をかけるな」と連絡はしてある。
 優希は目を細めると、深呼吸をし、魔術師としての自分へと意識を切り替えた。
 一秒を一分に、一分を一時間に、一時間を一日に。
 それが、魔術師の集中力。異端の世界に生きる者なら、程度の差はあれど、誰でも最低限は習得しているはずの力だ。
 優希は事件の後から、ずっとこの訓練を重点的にやってきた。独学には限度があり、最低限の教材がなければ魔術の勉強は進まない。だから、教材を得た時に効率よく学べるように、優希は努力をしていたのだ。
 その結果、今の優希は万全の状況で集中すれば、一秒を十分程に感じるレベルに達していた。あれから数日で、そこまでのレベルに向上した事を考えれば、正直、自分は天才なのではないかと優希は思う。
 けれど、その度に自分よりも遥かに高みに生きる彼らを思い出して、優希は慢心しないように自分に言い聞かせるのだ。

 「さて、と……」

 優希は呟くと、速読をするような速さで本を捲っていく。
 次々にページを読み進めていくその目は、まるで硝子のように澄んでいた。

 ――それから三日後の昼過ぎ。優希は自らの身体の上げる悲鳴に気づき、ようやく集中から醒めた。
 
 (……一応、買ってきた本は一通り、読み終えることが出来たな)
 
 指一本を動かす事さえ億劫な状態で、優希はぼんやりと視線をめぐらせた。その行動に特に意味は無いが、衰弱している体とは裏腹に、優希の心はある種の充実感で満ちている。
 本から得た知識。それらは大いに、優希を成長させていたのである。
 先ず、優希のいた世界とこの世界では、やはり差異がある事が分かった。この世界は物理法則と「それ以外の法則」。つまり「例外法則」との、二つによって構成された存在であるらしく、更にこの世界においては、物理法則と例外法則には貴賎が無く、片方の法則で起こる事象は、必ずもう片方の法則で再現できるというのだ。
 それはつまり、科学で達成可能なことは魔術でも再現可能であるし、魔術で達成可能な事は、科学でも再現可能だという事である。優希のいた世界と比べると、この世界の魔術は可能性に満ちているといえるだろう。
 また、魔術が科学と肩を並べる存在である故に、この世界では「魔学」という分野が発展しており、魔術学校なるものまで創設されているというのだ。秘匿され、一部の特殊技術であった優希の世界の魔術とは、これもやはり、大きく異なっている。
 それら「世界」に関する知識のほかにも、優希は様々な知識を手に入れた。魔力に魔術、概念と伝承、西洋魔術に異界、普遍的無意識に下層世界。それらの定義等。それは短時間で覚えるには、膨大すぎる知識だった。従って、まだ整理しきれない情報も多い。
 だが取りあえず、今はもう、優希の身体は限界を訴えていた。

 「……おなかすいた」
 
 その言葉ともに、優希はお腹に手を当てる。
 優希はのろのろと立ち上がると、ルームサービスを取る為に電話を取った。



[5752] 第二話 「災厄から逃げたつもりでも捕まってたりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/07/24 23:07
時刻は夕方の四時過ぎ。
優希は衰弱した身体を癒す為に湯船につかり、ルームサービスで食事を取り、つかの間の急速を取っていた。
本音を言えば、術を使って手っ取り早く、体力の回復に努めたかったのだが「風邪の聖痕」原作二巻での敵は、美少年の姿をした外道の魔術師と、その使い魔であるスライムだ。しかもそのスライムは、生気を吸い取る能力を持っていて、一般人より遥かに強い気を持った優希には、奴らに狙われる危険性があった。
その為、優希は自身の気が周囲に気取られないよう、極力気を抑え、自らの自然治癒力に任せ休息を取っていたのである。

「それにしても、残念だなぁ」

優希はベッドにごろりと横になりながら、呟いた。
疲労していた優希には都合の良いことに、このホテルにはマッサージ師がついていたのだが、その事を知り嬉々としてフロントに電話した所、マッサージ師は男だということが判明。
「男に身体を触らすだなんて、とんでもない!」と、いう結論に達した優希は、泣く泣く全身マッサージを諦めたのだ。

「……おばさんだったら、触られても大丈夫なのになぁ」

もう一度ごろりと回転すると、優希は溜息をはいた。
しかし、いつまでもぐちぐちとしていも、しょうがない。優希は改めて自分の体調を確認した。

(うーん)

やはり、まだ快調とは言いがたい。意識が少しずつまどろんでくる。
はっきり言うと、眠い。まだおやつの時間を過ぎたばかりだというのに、眠すぎる。

(まあ、一応お風呂の後だし、歯も磨いたし、いっか)

こんな時間に寝るのもどうかと思ったが、身体は正直である。優希は余計な事を考えるのを止め、疲労を訴える体の要求通りに、急速に意識を手放した。
翌日の四時過ぎ。まだ眠っていた優希は、フロントからの電話で起こされた。

「神凪綾乃様がフロントにお見えになっております」

「……ええっ!?」

予兆など無かった。残念ながらこんなときに限って、優希の巫女としての霊感は働かないらしい。
――覚醒した優希の意識に、発炎筒よりも分かりやすい、綾乃の強大な気が知覚された。

「なんでこう、貴女って言う人は……っ」

一般人である友人、篠宮由香里と久遠七瀬を連れた綾乃は、申し訳なさそうな顔に、ぎこちない笑顔を貼り付けながら、非常に不機嫌そうな顔をした優希の前に、その姿を現した。

「いやー、突然ごめんなさい。覚えてるかな? 前にちょっと、一緒に戦った事があるんだけど。あっ、私は神凪綾乃っていいます」

「……覚えてますけど。ご用件はなんでしょうか」

無表情で抑揚を抑えた声を使う優希の態度に、気まずい空気が場に満ちる。言いたい事が色々と出来た優希では、大人げないとは思っても、どうしても綾乃に寛容な態度を取れそうに無い。

(ていうか、人が回復魔術使うのも我慢して身を隠しているときに、何を太陽みたいな存在感全開なんだよこの人はっ! それ以前に仕事の話なら、一般人を連れてくるんじゃねぇっていうか! あー、もう! これだから世間知らずのお嬢様は嫌いなんだよっ!)

自分もれっきとしたお嬢様である事を忘れ、優希は内心で悪態をつく。ちなみに現在、由香里と七瀬はロビーの少し離れた場所に座っていた。此方をちらちらと窺う表情からは、申し訳なさそうな雰囲気が滲み出ている。

「あー、友達を連れてきてしまって、本当にごめんなさい。あの子達、どうしても付いていきたいって聞かなくて。――その、私。今日は仕事の話で来たんです」

「……わかりました。お話を窺いましょう」

あまりにも「ごめんなさい」と言う雰囲気を表に出してくる綾乃に、気勢をそがれた優希は、綾乃の話の続きを促す。
だが、やはり寛容にはなれそうにない。自然と優希の態度は傲慢なものになる。
しかし、そうしていても、優希は内心で冷や汗をかいていた。嫌な予感がするのだ。
そうして語られたのは。

「実は二日前から、この東京で原因不明の衰弱死を向かえるものが、続出しているんです。被害者は、いずれも若く健康的な人間ばかり。私たちは彼らの生気を奪った何者かが存在していると予想しているのですが……」

「相手は中々尻尾を見せないと。そういうことですか?」

「はい。そうなんです。それで、宿神さんの力を借りられないかと思って、ここにきたんです。陰陽術を使える宿神さんだったら、相手の居場所を占う事も出来るんじゃないかと思って」

「なるほど。経緯はわかりました」

大体、優希の予想通りの展開だった。しかし、綾乃の言葉には、若干の疑問が残る。

「でも、すっごい疑問があるんですけど」

「はい? なんでしょうか」

先ほどからずっと、優希は仕事用なのか、お嬢様じみた態度で会話を進める綾乃に、違和感を抱いていたが、これは中々に真面目な話である。
優希はその事は気にせずに、自分の疑問を伝える事にした。
したのだが。

「和麻はどうしたんですか?」

優希のその言葉に、綾乃の作り笑いに亀裂が走った。

「和麻がいれば、私なんか必要ないですよね?」

綾乃はぷるぷると震えている。その様子を見て、即座に優希は状況を理解した。

「もしかして『邪魔だから』と置いてかれて連絡がつかないとか。それで和麻の鼻を明かしてやる為に、僕の力を借りようと思ったとか?」

綾乃の反応を見るに、大方優希の言葉通りの事があったのだろう。
何だか楽しくなってきた優希が、更に言葉を重ねようとした所、遂に綾乃が切れた。

「――うっさいわねっ! そーよ! どぉーせ、私は直接戦闘以外脳の無い女ですよ! 何よ、和麻さんとおんなじように、アンタまで私を馬鹿にするわけ!?」

ふぅ、ふぅと、息を盛大に荒げて語り終えた綾乃は、何だか危険な目つきで優希を睨みつけた。

「いや、ごめんなさい。なんか、すっごい僕が悪かった」

怯える優希が、謝罪する。綾乃はふんと、鼻息を荒げた。
こうなると、とびっきりの美少女であっても般若に見えるから不思議だ、と、優希は内心で呟く。

「それで、宿神さん。この依頼、受けて貰え――っ! 何!?」

少し気分を落ち着けた綾乃が話す最中に、突如として空気が変わった。
綾乃は言葉を途中で中断し、周囲への警戒を始める。向こう側では、由香里達を含め何人かがあたりをきょろきょろと見回している。それは霊感の有る無しではなく、生物であるのなら、まず気づくであろう違和感だった。
綾乃はソファーから飛び上がると、友人である由香里たちを守る為に、駆けた。そして。
――世界は一変し、ホテルは異界へと包まれた。





[5752] 第三話 「思わず口を出る言葉が合ったりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/07/26 03:00
友人の綾乃が見知らぬ少女と、なにやら真剣に話をしている間。
そこから少し離れた場所で、由香里と七瀬の二人は、のんびりとお茶を啜っていた。

「やっぱり、迷惑だったかなぁ」

「だろうね。なんか、相手は不機嫌なようだし」

二人はそう呟くと、偶然、ほぼ同時にコップをテーブルに置いた。
元々この二人は、随分と前からこの日、綾乃と遊ぶ約束を入れていたのだ。だが、それにも拘らず突然「急用ができた」と予定をキャンセルしようとした綾乃に不満を感じた彼女達は、必死に説得する綾乃をやりこめ、半ば強引にその「急用」とやらに付いてきたのだった。だが。

(……まずかった、かなー)

微笑みすら浮かべている由香里の顔に、一筋の汗が流れる。どうやら、この「急用」とは、なにやら綾乃の実家関係の大事な話らしい。思っていたよりも重々しい事態が展開されていることを感じ、由香里は不機嫌そうに綾乃と対話している、中性的な釣り目の美少女を見て、もう一度溜息をついた。

「綾乃ちゃん。怒ってないかなぁ」

「怒ってはいないだろうけど、後で謝るべきだろうね」

不安そうに呟いた由香里に対し、重々しく七瀬が頷いた。
何せ、由香里達は綾乃の事が大好きなのである。綾乃をからかう事は大好きだが、もしも本当に嫌われてしまったのなら、由香里たちはこれ以上ないくらいの悲しみに陥るだろう。
そう。黙っていれば、どこからどう見ても深層のご令嬢と呼べるような、たおやかで美しい外見をしているにも拘らず、その実。烈火のような気性の激しさと、身体能力を含めた(由香里たちの見ているだけでも、綾乃が病院送りにしたナンパ男どもの数は数十に及ぶ)圧倒的な強さを持つ綾乃という存在は、その輝きを持って由香里たちの心を離さないのである。
由香里は自分に「運命の赤い糸」とやらが存在するとしたら、綾乃たちと繋がっていれば良いのに。と思うぐらいに、親友二人との絆に価値を見出していた。

(綾乃ちゃんの実家って、多分ヤ○ザさんだよねー。実家関係だっていうなら、あの子もヤ○ザさん家の娘なのかなー)

由香里は綾乃が聞いてい場合、顔を真っ赤にして怒りそうな誤解をしながらも、七瀬との他愛もない話を進めていく。

「でもでも、このホテル。ビジネスホテルの割には大きいよねー。都心から離れてるし、土地代が安いのかな」

「いやいや。もしかしたら、曰く付きの土地を安く買い叩いて作ったのかもしれないぞ」

「キャー、コワーイ」

「見事なまでの棒読みをありがとう」

そうして、学校内のあらゆる情報を把握し、教頭の不祥事から用務員の昼食の内容まで幅広く掌握している由香里は、一つの決意した。

(もしも私たちが原因で、この会談が決裂しちゃったら。……結構危なそうだけど、あの子の弱み探らなくっちゃー)

どこからどう見ても人畜無害だと思われるような、ふわふわの髪をした少女の思考はその実、常識からは遠くかけ離れていた。由香里の頭の中は、既に「どうやってあの子の情報を集めるか」という思考に覆われていく。
そして、なんとなくだがその思考パターンを把握している少女、七瀬は。

(さて、どのタイミングで止めるべきだろうか)

ある意味毎度の展開に、特に慌てる事もなく、落ち着いた表情でお茶を飲みながら、由香里との会話を続ける事にした。二人とも、傍から見てはその内心を全く感じさせ所が恐ろしい。
――結局の所、この二人は綾乃の一番の友人。親友である。
たとえ本人達が否定しようと、普通からは逸脱しているのは、ある意味当然の事だった。
さて、それから数分後。
由香里は、奇妙な胸騒ぎを感じてあたりを見回した。七瀬を見ると、彼女もまた、同じ様に辺りを見回している。

(……なにこれ?)

具体的に説明しろと言われても難しいのだが、確かに気のせいではない違和感を由香里たちは感じていた。

「……ねぇ、七瀬ちゃん」

由香里は目を細めて、周囲をよく観察する。どうやら異変を感じている者と、感じていない者。どちらが多いかというと、感じていないものが多いようだ。しかし、向こうに座る綾乃と少女は、この異変に気づいているらしい。

(地震、かな。無意識に振動を感じているから、こんな状況に陥っている?)

由香里の頭に一瞬、そんな考えが浮かぶ。だが、彼女はそれを即座に否定した。これはそんな物ではない。

(違う。これは)

平穏を生きる者には、決して向けられる事がない筈の、強大な悪意。隠す事すらしない。此方の様子を楽しむような、残酷な感情。

「悪意だ」

由香里を守るように立ち上がった七瀬が、由香里の心の声に応えるように、呆然とした様子で呟く。

――世界が、悪意に覆われた。

綾乃は結界がホテルを覆った瞬間。目の前の優希のことも忘れて由香里たちの下へと飛び出した。結界が明確に展開された瞬間、おぞましい、妖魔の気配がそこら中から放たれたからだ。

(ちっ、冗談じゃないわ!)

舌打ちを一つする。オリンピック選手の世界記録さえ塗り替えて、綾乃は友人達の下へと跳躍した。勿論全力である。
由香里たちはそのあまりの速さに驚いているようだが、残念ながら今は、そのアフターケアをしている余裕はなさそうだ。

「ぎゃああぁぁっっ!」

そして、その予想は的中した。
無色透明の身体を持つ妖魔。スライム。おぞましく、全てのまっとうな生命に生理的嫌悪を感じさせるような、それは。

「たっ、助け! 誰か助け」

偶々玄関の傍に立っていた従業員の男の、半身を取り込むという形で、観客達にその脅威を見せ付けたのだ。
男の全身がずぶずぶとスライムに埋まっていき、遂には頭部までもがそれに包まれ、言葉を発する事さえ出来なくなっていく。
そして、見る見るうちに男は干からびていき、遂にはミイラとなって。
――溶けた。

「きゃぁっー!」

その衝撃的で、グロテスクな光景を見てしまった周囲から、次々に悲鳴が上がった。しかし、そんな餌の感情など意に介さないと言うように、入り口からはスライムが続々と、滲み出るように出現していた。
そこで、綾乃は友人達を見た。

「二人とも、大丈夫?」

「……なに? なんなのっ、あれ!?」

「……落ち着いて、由香里!」

由香里はあまりの光景に最初、地面に座り込み呆然としていたが、動揺し感情を爆発させるだけの余裕はあるらしい。
珍しく声を荒げた七瀬の方は、顔色こそ随分と悪いものの、冷静さは失っていないようだった。
行幸だ。これなら、何とか走る事は出来そうだ。

(とはいっても、ここは狭いホテルの中。それも、かなり強い結界の中だ。走って逃げても、安全な場所なんてある筈がないっ)

状況は、絶望的といえた。そこで、綾乃は決断を迫られる。
即ち。自分が異端であると言う事を、大切な友人二人に知られながらも状況打開の為に全力を尽くすか。
それとも、なんとかばれないように消極的に行動して、事なきを得ようとするかを。
しかし、綾乃には直ぐにその答えを出す事が出来なかった。何故なら、綾乃の心は珍しく、恐怖と言う名の感情に怯えていたからだった。

(恐い、怖い、恐いよ。……もしも、もしも二人が、私をあんな目で見たら)

そうして、綾乃は思い出す。
神凪として仕事をこなした綾乃に、依頼主たちが向けてきた、あの眼差しを。

(嫌悪、畏怖、憧憬、拒絶)

あまりに強大な力は、それがたとえ、己に対して向けられた物では無くても、人に脅威を感じさせる。それゆえに、依頼を受けた立場の綾乃でさえ、人々から嫌悪や怯えの視線を向けられる事はしょっちゅうだった。だが、綾乃はこれまで、それらの感情に押しつぶされる事なく生きてきた。
確かに、その視線が気にならないといえば嘘になった。だけど、彼らの感情は綾乃も理解できたし、ならばその視線とは「そういう物」なのだろうと、既に綾乃は結論付けていたのだ。
しかし、その視線を向けるのがもしも、由香里と七瀬だったとしたら?
綾乃が怯えている物の正体。それは「絆の喪失」だったのだ。

(どうすればっ。どうすればいいのよっ!)

決断のつかない綾乃。スライムは、まるでこちらを怯えさせるように、ゆっくりと増殖し、逃げ場を塞いでいた。時間は無い。今すぐにでも動かなければならなかった。けれど、何時までたっても綾乃の身体は動こうとはしない。動く事が、出来なかった。
――そんな時、綾乃の迷いを断ち切るかのように、ロビーに凛とした少女の声が響いた。

「――汝、精霊の加護を受けし者よ! その力は誰が為に!?」

「っ!」

凛とした声。その言葉が耳に入ると共に、綾乃の鼓動が、どくん、と大きく跳ねた。
綾乃の耳に、炎の精霊たちの声が聞こえた。世界に満ちる、同胞の存在を綾乃は全身で感じとっていた。
綾乃には炎術師として。そして友として、果たすべき責任がある。優希の声は、そのことを綾乃に思い出させたのだ。

(私はっ。私は『神凪』綾乃として――)

増殖に増殖を重ねたスライムたちが、壁という壁を伝い世界を自分達で染めていく。その結果、人々は追いやられるようにロビーの中心へと集まっていった。
そして、まるでその時を狙っていたかのように、充分な量を揃えたスライム達は、遂に上下左右から獲物を貪る為に、一斉に綾乃たちの下へと跳躍した。

「きゃぁー!」

悲鳴が響く。だが。今の綾乃にもう、迷いはない。

「――我が力は護る為に!!!」

世界が一瞬、輝いた。
ばんっ、と、凄まじい衝撃音とともに、綾乃から湧き出た黄金の炎の波が、襲い掛かるスライムを一瞬にして消滅させたのだった。

「あや、の……?」

綾乃の衝撃波は一人として傷つけることなく、正確にスライムを打ち払った。その為、怪我人は一切出ていない。
七瀬の呆然とするような声が聞こえたが、流石に今の綾乃には振り返る勇気が無かった。だから、綾乃はただ、今この場で一番、自分を睨みつけている少女に返す言葉を続けた。
――貴女の言葉は、確かに届いたのだと。

「――精霊の協力者として世の歪みたる妖魔を討ち、理を護るが我らの務め。しかして人たることも忘れず……」

綾乃は堂々とした態度で、言葉を続けた。
更に吹き上がる黄金の炎。それは、綾乃の手で凝縮され、降魔の神剣。炎雷覇が出現する。
しかし、それでも吹き上がる黄金は、その勢いを衰えさせる事無く綾乃の下へと集束していった。限界など無いかのように、綾乃から湧き出る力は上昇を続けた。
そして、綾乃はようやく二人の友人の顔を見た。

「二人とも、恐がっても良い。怯えられても良い。だけど――護るから。絶対に、護るから」

呆けたような表情をする友人に、綾乃は優しく語り掛ける。自分の声が、頭に届いているかは関係ない。ただ、少しでも荒れた精神が和らげば良いと、綾乃はそう思って微笑んだ。
――黄金が更にその輝きを増し、遂に炎雷覇が朱金の輝きを纏う。
そして少しの間、二人の顔を見つめていた綾乃は、正面を見据え、炎雷覇を強く握り締めると。

「だから。だからこの力は! ――大切な人を護る為にっ!!!」

点を突くように、その全ての力を解放した。轟音と共にホテルに炎柱が立ち上る。
一切の歪みを認めない強大な力は、完全に結界を消滅させ、世界はあるべき姿へと戻っていった。軽々と結界を打ち破り、現実世界のホテルすら打ち抜いて、それは余波だけで周囲の妖魔を殲滅していった。
――その後。自分の発言の痛さに転げまわる一人の少女と、空からにやにやと現場を見下ろす青年がいたという事実があるのだが、それは全くの余談である。



[5752] 第四話 「行動の結果が最良だとは限らない」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/10/23 13:32
 全てが終わった後、和麻は悠然とした態度で僕たちの前に姿を現した。奴は腹正しいほど爽やかに、ゆっくりと此方に足を進めてくる。
 正直ふざけるな、と思う。
 だって、偶然というには余りにも、タイミングが良すぎる。まるで、狙ったかのようじゃないか。
 いくら和麻が最高の風術師だと言っても、小説での描写から推測するに、風による移動の速度が新幹線を越える程だとは思えない。にも拘らず、この結界が解けた直後に和麻が間に合うというのは、少しおかしい。
 つまり、この男は結界が張られる前から、もしくは張られた直後から空で事態を観察していたという事である。全く、度し難いと思う。
 優希はそんな複雑な感情、大雑把に言うのなら「怒り」が篭った視線を和麻に向けた。だが、向けられた方はといえば、まるで視線に気がついていないかのように振舞っている。そうして、ついに和麻は優希の目の前にたった。

「よぉ」

 その様子を見て優希は、この男にそんなことを言った所で、全くの無駄だということを、改めて気づかされた。
 はぁ、と思わず溜息が出る。だが、優希は疲れた心に鞭打つと、背筋を伸ばして和麻へとしっかり向き直った。対等な存在でいようとしても無駄なのは理解したが、良いように扱われるのも癪なのである。
 すると、和麻は一瞬何かを考えたかのような素振りを見せ、唐突にこう言い放った。

「つー訳で、犯人の居場所が分かった。今からぶちのめしてくるわ」

 何言っているんだ、こいつ。
 優希の視線があほの子を見るようなものへと変わる。そして、色々なものを諦めて、再び溜息をついた。
 先程も結論付けたとおり、この男を相手に張り合おうとした所で、その報酬は全く労力に見合わないのである。つまり、時間の無駄。体力の無駄だ。
 だったら、適当に話を合わせてしまおう。どうせこの男は、人がどのレベルで癇癪を起こすか分かっていてやっているんだろうし。わざわざ和麻のからかいに反応してやる筋合いはない。
 そうして見ると、優希は和麻の視線がふと、自分ではなくここから少し離れた場所で、友人達と話をしている綾乃の法を向いている事に気がついた。優希と和麻の今いる場所からでは、その詳しい内容こそ聞こえない。だが。
 だが、遠目からでも、彼女らの友情がこれからも続いていくだろうということは、場の雰囲気で把握できた。
 いいなぁ。
 優希は横目にその光景を見て、内心でそう呟く。女性化していく奇怪さなどで孤立し、中学卒業後は宿神家で軟禁状態にあった優希に友達などいない。だからこそ、遠めで見る彼女らの青春劇は、優希にとって羨ましい限りだった。
 こういう光景を見てしまうと、心のどこからか優希にとっては未知である、高校生活への憧れという物が出てしまう。
 そんな風に考えていると、表情でも歪んでいたのだろうか。既にこちらに向き直っていた和麻が、自分を観察していることに気づいた。 あっ、駄目だ。
 気づいてしまってはもう駄目だった。今の自分はきっと、物欲しそうな表情をしていたに違いない。
 優希はこほん、と喉を鳴らすと、再び和麻に向き合った。
 
「……それで、その場所はどこなんですか。糞チートさん?」

「まあいいが、お前も結構口が悪いな。俺としては、別に構わんが。……あー、そんな目で睨むな。場所は、池袋にある教会だ。ちなみに操は無事だぞ。――ああ、それと、伝えなきゃならないことがあってな」

 そういうと、和麻はにやりと笑った。それを見て、優希の中の巫女としての素質が警鐘を鳴らす。
 あれっ、何やらおかしいぞ。逃げろ、と。本能がそう伝えてくれた。
 ――つまり、これはまずい事態なのである。即ち、一刻も早くこの場から離れなくてはならない。

「そうですか。それは良かったです。それに、やっぱり場所は教会でしたか。分かりました。では、僕もちょっと修行中で本調子ではないので、帰らせて貰いますね、いやー、トラブル続きだと疲れますね。あー、報酬は気にしないでいいですよ、前に言ったとおりただの善意ですから。そういえば明日の天気はどうでしょうか。僕としては麗らかな晴れた日だといいなー、なんて。……ここ最近ニュースの確認してなくってー。……というわけで、ここら辺で失礼しまっす!」

「まあ、ちょっと待てや」

 自身の感覚を信じて、取りあえず、適当に言葉をまくし立てて逃げようとした優希は、服の襟をがしっ、と捕まれて捕縛された。

「はっ、放してください!?」

「まだ話すことがあるんだ。逃げるなよ」

 止めてくれ、と優希は思った。先ほどから感じる嫌な予感が、足早に自分に迫ってきているのを感じるのだ。
 何がいけなかったのだろうか、と、とうとう逃亡を諦めた優希は、襟首を和麻に摘まれ脱力した状態で考える。それというのも優希にはもはや、ひとつの確信があったからだ。
 つまり、恐らく和麻は自分を決戦の場所に連れて行こうとしているのだという、そんな確信が。それは自身の霊的な感覚と、これまでの経験から導き出された物だった。
 でも、それは何故なのだろうか。
 和麻が警護を行っている今、アルマゲストの魔術師が操に接触するのは無いだろうとは思っていたし、事実、操は無事だった。そして奴の拠点も見つかって、和麻はこれからそこに乗り込むつもりである。
 だったら、優希が巻き込まれる必要性なんて、ないではないか。
 綾乃クラスならともかく、自分の力量じゃあのレベルの魔術師には敵わない。付け焼刃の修行で上がった程度のレベルでは、俺tueeeeeをするには不十分なのだ。そしてそれならば、足手まといの優希が戦場に赴く必要などありはしない。そう、足手まといなのだから、寧ろつれてかない方がいい。
 そんな事実、和麻程の人間ならば、ちゃんと理解している筈だ。それなのに、何故?
 そんな風に考え込む優希を見下ろして、和麻は笑った。

「おっ、もう俺の言いたいことは分かっているようだな。理解が早くて何よりだ」

「……そういうおべっかはいいですから、早く僕を連れてく理由を教えてください」

 褒められたが、何も嬉しくない。寧ろ憂鬱ですらある。
 そんな感情が思いっきり現れていたのだろう。心底嫌そうな優希の態度を見て、流石の和麻も苦笑した優希の頭を撫でた。

「まあ、俺が言うのもなんだが、少し元気出せ。……お前に話っていうのはな、宗主からの依頼なんだ。『お前に依頼内容を伝え、納得させてほしい』っていうな」

「あの糞ダンディっ!!」

 瞬間、優希の身体から強烈な怒気が発される。
 そうか、この流れはお前の仕業か。明日から悪戯で済む程度の呪いを延々掛け続けてやるからな、覚悟しろ。
 優希は口の中で小さく、そんな恨み言を呟きながら、重悟の姿を思い描いた。想像の中でデフォルメされた重悟は、こちらを見て好々爺といった表情を浮かべ、笑っている。ああ、なんて腹立たしいのだろう。
 気に入られたのか、それなりに使えると判断されたので、使い潰そうとしているのか、優希にもそれは分からない。
 だが、その思惑は兎も角として、和麻経由で逃がさないように、断れないようにして依頼をしてくるとは、流石非常識集団である神凪の宗主。とんでもない奴である。
 優希は唇を少し噛んだ。

「分かりました、受けますよ。その依頼」

「おっ、本当にいいんだな?」

「もういいです、いいんです。そっちがその気なら、こっちだって考えがありますから」

 絶対、搾り取ってやる。
 優希は心の中に生じた、めらめらと燃える何かを握り締めるかのように拳を閉じて、そう誓った。
 すると、優希がある意味で決心をつけたと見たのだろう。和麻は少し真剣な表情を作った。

「じゃあ、依頼内容を伝えるぞ。――風牙衆の娘が魔術師に捕まった。そのうえ、その娘を助けようと神凪宗家の男が単独行動。結果、あっさり捕らえられたらしい。お前の任務は、綾乃と協力してそいつらの救出をすることだな。……ちなみに今回の事件には、警察の特殊資料整理室が熱烈に援助を申し出てきたらしいから、ある程度の雑務はそいつらに任せていいそうだ」

「……それって、マジですか?」

「ああ、真剣(マジ)だぞ」

「なんでそんな事態に!? ていうか、貴方はどうするんですかっ?」

 優希は盛大に取り乱した。操が救えたと思ったら、こう来たか!
 頭痛を抑えるかのように手を頭に乗せ、空を仰ぐ。どうして、彼らが選ばれたのか、その真相はわからない。だけど、彼らが選ばれる原因の一部には、間違いなく自分の行動がある。優希が情報を和麻に伝えなければ、被害者は操だけだった筈なのだ。
 今回は操が無事ならいいと、優希はそう考えていた。だが、それは随分と楽観的な考えだったらしい。事件は予期せぬ方へと進んでいた。
 先程まで「これでようやくゆっくり出来る」と思っていた優希は、溜息をついた。

「当初の神凪は自分たちだけで事件を抑えようとしたようだが、結果は大失敗。様子見に出された風牙衆3人が死亡。神凪分家の人間も、一人死んだ。その報告を受けた神凪は、復興途中の現在の戦力では、無駄な犠牲が出ると判断。それなりの実力と、信頼が置ける術者を綾乃に付けて、二人を救出させようって話になったらしいな。ああ、お前が選ばれたのは、前回の事件での功績が認められたんだろう。組織に無所属で交友があり、戦闘面で神凪の補助が出来る術者なんてのは、そうそういないからな。ちなみに魔術師の相手は俺がするから、そこは気にしないでいいぞ?」

「いや、その。まあ、救出がメインなら別にいいんですけど」

「そうか? 俺から見てお前、あんまり『オッケー』っていう顔には見えないがな」

「……だって」

 優希は和麻の言葉に言いよどんだ。だって、過大評価だと思うのだ。
 この世界に来て、いや、恐らくだが世界に『再構成』されて、優希の能力値はこの世界の基準値とすり合わされ、変更された。その結果、仮にも次期宿神家の当主である優希は、この世界で生まれていたであろう自分としての、飛躍的なパワーアップを遂げていた。これは推測だが、もしも和麻たちが優希の元いた世界に呼ばれたとしたら、その実力は優希の場合と同じように、世界に修正され現在の数分の一になるのだと思われる。恐らくそれこそが、世界移動の際のルールなのだと思う。
 だから、少し観察してみても、現状での綾乃と優希の霊力の生成量に、さして差があるようには見られない。けれど、それは戦闘力とは別物だ。
 こと攻撃という一点において、綾乃は一の霊力から万の破壊を成すことが出来る女なのである。そんな綾乃と自分では、一時的な協力体制ですら足をひっぱる恐れがある。そもそも、優希は戦闘など碌に体験したことのない人間なのだ。
 優希は自分の魔術師としての才能には、正直疑いを持っていない。だが、一人の戦士としての自分の実力を信じきれずにいたのである。
 優希の胸にひやりとした風が入り込んだ。そして、疲れた表情で和麻に苦笑を見せる。

「なんかもう、平和が恋しいです」

「お前、幸薄そうだもんなぁ」

「しゃらっぷ。余計なお世話です」

 そう言うと、優希は会話を切り終えて自室へと戻った。
 なんだか、疲れることばかりだけれど、もう少しだけ頑張ろう。全部終わったら温泉にでも行こう。
 そんな事を考えながら、優希は荷物をまとめる。
 だが、運命は優希に更なる追い討ちを用意していた。

 ――最悪の再開は、刻一刻と近づいていたのだ。



[5752] 第五話 「ふと心の隙間に気づいたりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2009/11/29 23:11
 腹は括った。準備も出来た。
 綾乃たちと肩を並べるには相応しくない装備だが、それでもないよりは遥かにマシである。優希は装備を整えると、和麻達と共にようやく、敵の拠点がある池袋の公園前へと辿り着いていた。
 
「さて、と。ようやく着きましたね」

 公園は既に封鎖されているようで、警官たちの姿はちらほら見えるものの、そこに一般人の気配はない。黄色いテープを乗り越えて、優希達は公園内へと侵入した。
 静かだな。
 ちらりとそんな事を考えながら、案内板を見る。それによるとどうやら、件の教会は公園に隣接しており、散歩コース沿いに入る事が出来る造りになっているらしい。という事は、公園の入り口であるここからでは、まだそれなりの距離があるのだろう。はぁ、と優希は溜息をついた。
 自分が「流れ」のような物に巻き込まれているという自覚がある。それを人は「運命」と呼ぶのかもしれないし、端に面倒ごとに巻き込まれやすい性格なのかも知れない。ともかく、優希にはそういう自覚があった。
 だからこそ、本音を言えばさっさと教会に突入して、全てを終わらせてしまいたい。面倒だし、疲れた。人並み程度の良心はあるので、半ば自分の所為で巻き込まれた筈の神凪の少年と、風牙衆の少女を助けたいという気持ちはある。
 それでも、もうこれ以上心労を増やしたくなかったのである。
 だが、そうはいっても強行突入など、現実的に考えて余りにも無謀な行動である。だから優希は焦る気持ちを抑え、努めて冷静になるよう心がけた。
 今すぐ乗り込んだ所で、良い結果が待っているとは思えない。ただでさえ地力で劣っているのだから、冷静に状況を把握できなくなったらお仕舞いだ。驕る事も焦る事もせず、冷静に。優希はそう自分に言い聞かせる。

「君達、何をやっているんだ」

 すると、生真面目そうな警官が、公園内に進入した優希達へと声を掛けた。それに綾乃が丁度良いとばかりに反応する。

「初めまして。神凪綾乃と申します。……少しお願いがあるんですけど、上の方に連絡つけて貰えるかしら?」

 堂々と、お嬢様然とした態度で綾乃はそう言った。警官はそのあまりにも自然な要求の仕方に、少々納得のいかない表情をしながらも、無線を耳に当てる。
 そんな訳で、優希達は教会からはまだ少し離れた、公園内に設置されたキャンプを訪れていた。勿論、この場合のキャンプとは、酒とバーベキューが付き物のキャンプを指すのではない。事件が起きた際、簡易司令室の役割を果たす場所の事である。
 先程の生真面目そうな警官は、連絡を終えると更に態度を硬化させ、まるで壊れ物を扱うかのような丁重さで優希達をここに案内したのだ。彼は案内役という任務を終えるとさっさと持ち場に戻ってしまったが、優希としては是非ともああいう警官にこそ出世して欲しいと思う。
 優希はぐるりとキャンプ内を観察する。無線機など、優希には検討もつかない多種な機材と、幾ばくかのオカルト的な道具。その相反する方向性を持った二つの道具が、組織の装備として適切に配備された場所。そしてこれから行われる作戦の実行に向けて、精力的に働く警官たち。凄いな、と素直にそう思う。
 それらを内包するこの場所こそが、警視庁の保有する対霊的部署「特殊資料整理室」が設立したキャンプだと考えると、仮にも異世界出身の優希としては感慨深い物がある。

「申し訳ありません、少々お待ち下さい」

 現場責任者を呼んでくる、とキャンプ内にいた警官がその場を去った。その背中には若干の緊張が滲んでいる。それが今から正念場を迎える事件の所為か、無線越しに報告されたであろう彼の上司の「丁重に扱え」という言葉ゆえかは分からない。が、もしもそうなら自分よりも年下相手に緊張していた彼に、多少の不憫さを感じる。
 警官の姿が見えなくなると、今回は会話に余り参加しない和麻を放って置いて、優希と綾乃は顔を見合わした。

「なんていうか、僕。実はあんまり警察に期待してなかったんですけど」

「うん、あたしも正直『特殊資料整備室』って言う名前すら、忘れてたんだけど」

「「こういう設備を見ると、少しは信用できそう(よね・ですね)」」

 うんうんと、二人は頷きあう。
 聞き様によってはというか、どう聞いても上から目線の大分失礼な台詞だったが、本人達に悪気は無い。無遠慮に二人はキャンプ内の施設や警官たちを観察すると、それをネタに会話に花を咲かせている。
 まあ、仮にも国の保有する霊的機関であるのだから、資金も潤沢だろうし、何より組織としての練度も取れている筈。それを考えれば順当な結果だとも言えるが。あんまり、というか、全く期待していなかった物がそれなりに役立ちそうなのである。これは棚からぼた餅。喜ばしいことだと言えるだろう。そう考えて優希は素直に、緊張に強張っていた胸を撫で下ろしていたのだが、それでもその感想が失礼な事に変わりは無い。この心の声をとある女性が聞いたのならば、思わず米神をひくつかせていただろう。

「……ねー、臭いわよねー」

「臭いですねー」

 何を話しているのかは分からない。だが何だかんだで、優希は綾乃と楽しそうに雑談に興じていた。
 和麻と言う最強の風術師が傍にいる以上、敵からの奇襲を恐れる必要はない。そして顔見知り程度の仲だとはいえ、話し相手となる同年代の女子がいるにも関わらず沈黙を貫くのは、綾乃にとっては不自然なことだったのだろう。その程度の推測はつくし、ビジネスライクな会話ならともかく、同年代の女子と話すのに自分の態度や話題がこれでいいものか、などと考えると、引きこもりのニートのような存在であった優希としては、少し緊張で冷や汗が出ているような気さえする。

「それでねっ、お父様ったら本当に心配性で……」

「そうなんですかー。あは、はは……」

 だが、会話の主導権こそ綾乃が握っている物の、第三者から見れば二人は、同い年かつ同性であることも手伝ったのだろう。生活習慣上、対人スキルの低下を危惧していた優希の内心など他所に、綾乃は大分優希の事を気に入っているように見えた。
 優希としても、霊視すれば文字通り「光り輝く」ような美少女である綾乃と話すのは、緊張こそするものの至極楽しかったのである。
 思い返せば、優希は誰かとの会話に飢えていたのであろう。宿神家の中では必要最低限の会話しかしなかったし、返事も返ってこなかった。
 もとより宿神家は女系一族であり、多産であるが故に常に一族としての体裁を保っていた。そんな女ばかりの家の中にちらほら存在する男は、殆んどが共生する神裂家から婿としてやってきた人間であり、元から男として生まれた者は極めて少ない。また逆に、神裂家へと嫁に行った者からは、殆んどの場合男児が生まれ、そのバランスゆえに両家は存続してきたともいえるのである。。
 だが、優希は偶然男児として生まれながらも、その余りにも強く豊かな宿神の血ゆえに、その血を生かす為に少女へと最適化された。
 長い歴史の中でこういう事例が発生し、当主になった例は確かにあるし、それゆえ優希は次代の当主になるものとされていた。だが、理性で納得できても、感情は納得いかなかったのであろう。優希は宿神家の女たちから異端であるとされ、本来受けるべき待遇を受けることなく、孤独で物だけは与えられる生活を送っていたのである。
 だからこそ、優希はネットに嵌ったのだ。会話が出来て、買い物が出来て、動画や画像という形ではあるが、遠い空の移り変わりでさえ見ることが出来るネット。そしてその為に必要な、パソコンという名の魔法の箱。それらを友として過ごす仮初の幸せな日々。その生活は遠い昔の話ではない。つい数日前の話なのである。
 なのに、それが今はどうだ。
 今、こうして自分は超絶美少女と会話をしている。それはもう、きゃっきゃうふふな会話である。花は咲き誇り、二人の話す光景は写真に収めても絵画にしても良いほどに美しいものであろう。優希はそう心の中で暴走した思考を展開して、そしてふと思い直した。
 いや、止めよう。冗談めかさずに、素直に言おう。
 優希は綾乃との会話を突然中断すると、胸に手を当てた。細められた瞳から、そっと涙が零れ落ちる。いきなりの事に綾乃はぎょっとして慌てるが、優希は直ぐに泣き止むと、見るものを惚かすような幸せそうな笑顔を浮かべた。
 だって、嬉しいんだ。
 楽しくてしょうがないんだ。
 もう一度、友達と他愛のないお喋りに興じて、校庭を駆け巡っていたようなあの時間を。もう一度取り戻したくてしょうがなかったんだ。

 「ごめんなさい、突然。……ちょっと僕、情緒不安定みたいですね」

 綾乃は其れを見て、何を感じ取ったのだろう。それは優希には分からない。だが、綾乃は飾り気は無いが質の良いハンカチを取り出すと、何も言わず優希に手渡した。優希は一つ例を言い、少し照れたように綾乃に微笑みかける。其れを見た綾乃は、今度は慌てることなく優希に微笑み返した。
 そして、少女たちが楽しげに会話を交わすその光景を、静かに、そして普段のやる気の無いものとはまた違う、虚ろな瞳に映していた和麻は。
 己の友にして従者である風の精霊と意識を繋げながら、もう目前といって良い距離にある、憎き『アルマゲスト』の魔術師が存在する教会を睨んでいた。
 優希も綾乃も気づかない。和麻の心に巣食ったモノの強大さは、今はまだ誰にも気づかれていない。
 和麻の口がそっと動いた。声は出ていない。心中で呟かれた言葉だから、誰にも聞こえ等しない。でも、読唇術が使える者がいたら、きっとその言葉ははっきりと分かっただろう。
 ――消してやる。
 呪いの言葉。憎悪の言葉。その時の和麻の表情は、悪鬼羅刹を超えて人に恐怖を抱かせるものだった。
 そこに込められた感情を真に理解する事は、きっと誰にも出来ない。今はまだ。
 だけど。
 精霊たちは歌っていた。まるで、和麻の心に応えるように。

 それから数分後。いや、数十分後だろうか。優希たちの前に、一人の女が姿を現した。
 細身のパンツスーツにサングラスを掛けた、モデルのようにすらっとした体系の女は、つかつかと此方に向かってくると、サングラスを取り耳通りの良い声で一礼をする。サングラスの下の素顔も充分に美人と呼べるもので、発する空気はとても華やかだった。
 もしも彼女がファッション紙の表紙を飾っていても、優希はそこに違和感を抱かなかっただろう。

「お待たせしました。警視庁特殊資料整理室、室長を努める橘霧香です。――今日はよろしくね!」

 そう言って、霧香は悪戯に微笑んだ。優希は目の前の女性があの橘霧香かと、この世界に来てから何度も味わってきた複雑で小さな感情を抱く。
 そして、綺麗だな。と思った。
 霧香という女性の笑顔は、単純な美醜を抜きにしても、とても魅力的だったのである。
 だが、同じように対応された隣に立つ綾乃はというと、小さく奇妙な悲鳴をあげていた。その顔は明らかに嫌そうで「何でこいつが此処にいるのか」という敵意を含んだ感情がありありと浮かんでいる。

「あらやだ。そんなに怖い顔をしないでよ、綾乃ちゃん。今日は仕事よ。し・ご・と!」

「別に怖い顔なんてしてないわよっ!」

 しまった、既にラブホ街で面識が出来ていたか。これでは、綾乃は霧香と和麻が付き合っていると誤解してしまう。変える努力こそしなかったものの、綾乃の霧香への態度に優希は意味もなく焦っていた。
 そして霧香の挑発に、綾乃は目尻を吊り上げながら、あっさりと乗ってしまった。霧香を睨む表情は、まるで「ぐるるるる」とうなり声まで聞こえてくるようで。
 いや、その表情を怖くないとは言えないだろう。
 優希は少し後ろに下がりながら、こっそりとそんな事を思う。

「ゆぅーきぃ、……なんか言ったかしら?」

「いえっ、何でもありません!」

 だが、恐るべきは野生の本能か、優希の内心を見抜くように「ぎんっ」と、鋭い視線が優希に向いた。
 いやいや止めて。怖すぎるから。
 優希は思わず震え上がる。先ほどまでの和やかな雰囲気は、もう幻のように掻き消えていた。
 そして、そんな綾乃の過剰ともいえる反応に、流石にやりすぎたと思ったのだろうか。霧香は綾乃に目線を合わせると、苦笑しながら謝罪を口にした。

「悪かったわ、ごめんなさい。ちょっとからかいが過ぎたみたいね。――お礼にいい事を教えてあげる」

「なによっ」

 完全に機嫌を損ねた様子の綾乃。霧香はもう一度苦笑すると、その口を綾乃の耳元へと近づける。
 そして、興味無さそうな顔で少し離れた所にいる和麻に聞こえないように、霧香は綾乃に呟いた。

「私と和麻は恋人同士でも『大人の関係』でもないわよ。安心してね?」

 ごにょごにょと途中で言葉に詰まりながらも、綾乃は顔を真っ赤にして声を荒げた。

「……そっ、それがどうしたって言うのよ! あんたと和麻さんが恋人だろうが、その、……おとなの、かんけい、だろうがっ! 私が気にする訳ないでしょう!」

だが、少女のそんな癇癪は霧香には通用しない。霧香はわざとらしい位に優しく微笑むと、遂に綾乃を落としにかかった。

「じゃあ、どうして綾乃ちゃんは私のことそんなに嫌ってるのかな?」

「そっ、それは! さっきっからあんたの口調が失礼だからよっ。他意はないわ!」

「そっか、それじゃあごめんなさい。これからは気をつけるわ。本当にごめんなさいね。……これで、許してくれないかしら?」

「むー。あーもう、いいわ。私も何だか苛ついてたし。水に流してあげるわよ」

「嬉しい! ありがとう綾乃ちゃん!」

 そうして、霧香は綾乃を抱きしめるとまた微笑んだ。その笑みはまるで某新世界の神が浮かべた物にそっくりである。
 綾乃さん、騙されてるよ。客観的に見ていた優希はそう思ったが、口には出さない。いや、出せない。何故なら綾乃を抱きしめながら、霧香は視線をこちらに向けているからだ。その目は「黙れ」という言葉を明確に物語っている。
 女は怖い。ここで優希は一つの心理を知る。
 その後、綾乃と一応の仲直りを果たした霧香は、反応の薄い和麻を放っておいて、優希を資料整理室に勧誘し始めたりしたのだが、優希はきっぱりと断わった。

「そっか、なら仕方ないわね」

露骨に残念がる霧香。その姿はとても儚げに見えたが、騙されてはいけない。

「――それなら、アルバイトでもしてみない!?」

 綺麗な薔薇には棘がある。彼女はとても逞しい生き物なのである。
 閑話休題(それはさておき)。
 それからしばらく雑談を交えていると、話が今回の戦闘に関する物になった。

「ごめんなさいね。本当ならうちからも一人、戦闘要員を出すつもりだったんだけど……」

「どうかしたんですか?」

 申し訳なさそうに苦笑する霧香に、優希は内心で「足手まといになるから、寧ろいない方がいいんじゃ?」などという、失礼な事を考えていたのだが、その後に続く言葉に思わず、綾乃と共にツッコミを入れた。

「彼、どうしても『見せ場が来るまで参加しない』って言い張っちゃって」

「「って、おいっ!?」」

 どう考えても色々とおかしいだろう、それは。というか舐めてるな、お前。
 二人のそんな殺気混じりの視線を受けて、霧香は重いため息を吐いた。

「本当にごめんなさい。でも彼、この件だけは断固として諦めないのよ。この事件はこっちとしても良い機会だから、命令もしたし脅しも掛けてみたんだけど、もう駄目駄目。何を言ってもさーっぱり。嫌になっちゃうわ」

「よっぽどのこだわりでもあるんですかね?」

「さあ? 理由を聞いても愛の為だとしか言わないし、普段はどちらかというと冷めた子なんだけど、今日はバグりまくってるわね」

「もういいわ。そんな訳分かんない奴いなくても、私と優希だけで十分な位だし。……それに、和麻さんもいてくれるしね」

「じゃあ、そろそろお願いできるかしら」

 他愛のない会話にふと間が空いたのを見計らって、霧香は気負いのない様子でそういった。
 そう、もう準備はとっくに出来ていたのである。

「さて、そろそろ行きましょうか」

「私たちは人質の確保だったわね」

「俺は魔術師をやるぞ。――邪魔はするなよ」

思い思いの言葉を吐いて、優希たちは戦場へと進んだ。



[5752] 第六話 「少女×2とドラゴンと変態と」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:b311b762
Date: 2010/01/29 19:29
 そして、優希達は敵の拠点である教会――本来なら唯一神への賛美を行う聖域だった筈のその場所は、瘴気に塗れ哀れな犠牲者達の怨嗟の声を響かせる、おぞましい魔界へとその姿を変えていた――の敷地内へ進むと、後一歩という所でその足を止めた。理由は単純。臭いのだ。呼吸が苦しくて、身体が蝕まれる。これが本物の瘴気か、と優希は盛大に顔をしかめた。
 瘴気を味わうのは、これが初めてではない。元の世界でも少しは経験したことがあったし、前回の風牙衆での事件では散々、血と瘴気の臭いを味わった。だが、あの時は母の作ってくれた大切な鞄を壊された事もあって、怒りに我を忘れていたのだ。だから、臭いなんて全然気にしてなかったし、気にならなかった。けど、今の優希は冷静だ。鼻が利く。だから思った。これは酷い、と。
 こんな濃厚で醜悪な瘴気、元の世界では一生御目にかかれなかっただろう。

「別に見たかった訳ではないですけどね」

 優希は吐き捨てるようにそう言った。優希は今、陰陽道に属する特殊な呼吸法にを使用する事で、身体への瘴気の影響をかなり抑えていた。しかも、綾乃の浄化の力が無意識レベルで瘴気を焼き清めてくれているから、これでも随分マシにはなっている筈なのだ。それにもかかわらずこの臭い。常軌を逸脱しているとしか表現できない。もしも自分が単体で突入していたら、戦闘以前に悪臭に耐え切れず倒れてしまったかもしれない。綾乃がいて良かったと、優希はそう嘆息した。
 しかし、それでもキツイ事に変わりは無い。

「幾らなんでもこの瘴気、禍々しすぎませんかね?」

「ええ、この分だと報告書通りの犠牲者の数、って訳じゃなさそうね」

 優希の独白に、流石の惨状に顔をしかめた綾乃が追従する。それに和麻が応えた。

「ああ、あのスライムは本来なら、捕食したものを欠片も残さず吸収する代物みたいだからな。俺の推測だが、本当の犠牲者はここ数日で、1000を余裕で超えているだろう……。それに」

「それに?」

「お前達を襲ったスライムが滅びると同時に、各地に散らばっていたスライムが急激に活性化してな。最後っ屁とばかりに、秘匿も糞もなく一般人食い散らかしてた。俺の見てるだけでも300は喰われてたな。まあ、見逃した奴もいるだろうし、実際はもっと多いだろうが」

「「そういうことは早く言えっ!!!」」

 和麻の遅すぎる告白に、同時に動いた綾乃と優希の平手が和麻を襲う。が、和麻は少し身体を傾けるとだるそうに、かつ危うげなく、それらを全て避けてみせた。ちょい、待て避けるな! 優希は追撃を試みるが、和麻のからかう様子もなく、本当にただ面倒くさいような表情を見て、行動を止めた。
 駄目だコイツ。手に負えない。優希は自分のこめかみが引くついているのを感じたが、クールになれと自身を鎮めた。突っ込みは、きちんと受けてこそが礼儀だと思う。けどコイツはこういう人間なのだ。その人格はきっと、優希程度の人間では矯正不可能なのだろう。
 そう、この男を変える可能性があるならば、それはきっと。

「……何よ?」

 優希は綾乃に視線をやった。だが優希は直ぐにその視線を逸らす。

「なんでもないです。じゃあ、本当にもう行きましょうか」 

「――ああ、それじゃあ、始めるぞっ!」

 そうして納得のいかない様子の綾乃が、再度優希に問いかけようとした瞬間。無数の、いや、幾千もの風の刃が教会を切り刻んだ。不可視の斬撃。けれどこの時ばかりは、例えその刃を視認する事が出来たとしても、回避することは不可能だっただろう。風の刃は容赦せず、教会だけでなくその敷地内にあるもの全てを、平等に切り刻んでいたのだから。優希と綾乃は突然起きた暴虐の嵐を呆然として見つめるが、二人もまた立場は違えど魔術師である。和麻が何を狙っているのかは直ぐ分かった。和麻は場に仕掛けられた罠を、全て取り払おうとしていたのだ。
 魔術師は攻めるよりも、拠点防衛の方が力を発揮する生き物である。何故なら、いかに強大な魔術を行使できる魔術師でも、その魔術を行使するには構築する為の時間を稼ぐ必要があり、戦闘においてそのタイムラグは、相手に絶好の機会を与えてしまうからだ。だからこそ魔術師は、地脈から魔力を得て、幾十もの魔術的・物理的な罠を張り、侵入者に対して絶対の優位性を得た上で戦闘に臨む。それが魔術師の必勝法なのである。だが、そんな小細工が和麻の風に何の意味があるのだろう。
 優希がこの世界に来てから買った魔術書は、精霊魔術をこう評していた。曰く「こと戦闘においては、発動速度・概念の収束率・エネルギーの変換効率などを含め、圧倒的な優位性を誇る魔術である」と。そしてその戦闘向けの魔術を扱うのは、その道の頂点である契約者、八神和麻なのだ。
 ――ならばその風が、たかが魔術結社の幹部にすらなれない魔術師の術に、負ける訳がない!
 物理的に固められた風ではなく、強靭な意思を注ぎ込められた神秘の刃。それはあらゆる物を断罪する。それによる罠の一掃はある意味王道、いや、戦闘においては定石だと言えるだろう。だが、ちょっとマテ。待ってくれ、大切な事を忘れている。人質はどうした?
 生きてる? 無理じゃね? 優希は既に微塵切りとなりかけている教会を見る。……無理だ。これはもう、絶対にやり過ぎだっ。
 
「あの和麻さん、なんていうか、罠どころか教会すら切り刻まれて、廃墟というか遺跡の跡地みたいになってきているんですけど……」

「私たち一応、リョウって子とミコトって子を助けにきたんですけど……?」

 不安げに、そして顔を引きつらせて、優希と綾乃は恐る恐る和麻に話しかける。

「心配するな。――まだ、手ぬるい」

 だが、それはもう手遅れだった。ここで二人は遂に、和麻の様子がおかしいことに気づく。二人から見える和麻の横顔、それは凍りついたように無表情で、それでいてその視線はぎらついていたのだ。それを見て二人は息を呑むが、綾乃だけは恐れを飲み込むようにして、意を決すると和麻に話しかけようとした。だが、それももう遅い。
 ――和麻の右手が何かを掲げるように天に向き、そして、一気に振り落とされた。

「「きゃぁぁぁぁぁっ!!!」」

 少女たちの叫び声。ズガァァァァァン、と凄まじい衝撃音と、立っていられない程の地響きが鳴り響く。
 ダウンバースト現象。自然界で稀に起きる「局地的かつ木々をなぎ倒す程に強い下降気流」が生じる気象現象。和麻は意思を注ぎ込んだ風に形を与え操作し、まるでミサイルのように、人工的な強化ダウンバーストを教会に向けて叩き込んだのである。巨人の鉄槌のようにも見えたそれは、一瞬で全てを粉砕する。正しく必殺の一撃だといえるだろう。だが。

「くっ、やっぱり!」

 優希の懸念は当たっていたのだ。和麻は人質の存在など、綺麗さっぱり無視している。それどころか、本気で眼中にないのではないだろう。普段どおりに見える和麻の表情を見て、優希は自身の背に冷たいものが這うのを感じた。

「ちっ!」

 そして粉塵が立ち込める教会を、和麻が舌打ちと共に一瞥する。一陣の風が吹き、視界をクリアにした。
 そこで優希達の見たものは。

「……更地?」

「木っ端微塵、って感じですね」

 瓦礫の後すらめり込んでいる、更地となった大地だった。教会に、大地に、そして敷地内の空間に仕掛けられていた罠は、全て粉砕されたのだろう。酷い。強い。怖い。色々な感情が錯綜して、少女たちは呆然とする。
 そしてそんな二人を尻目に、和麻は風の精霊に語りかけると、空高くへと飛び立った。

「おい! 自分だけ逃げようとしてる奴がいるから潰してくる。お前達はそいつ、とっ捕まえとけ。炎で妖気だけ浄化すれば一発だろ。――じゃあな」

 そういって、和麻の姿は遂に見えなくなった。後に残されたのは、二人を除けば無人の荒野だけである。
 いや、違う。
 優希と綾乃はお互い顔をあわせると、静かに戦闘態勢へと入った。そうして、二人は敷地内に入る。あの和麻が「そいつを捕まえとけ」といったのだ。ならばここには見えないだけで、まだ確かに、何かがいるのである。それが嘘だという可能性は、この状況において存在しない。
 そうして警戒する二人。すると隠れても無駄だと悟ったのか、遂にそいつは気配を現した。
 
「出ましたね」

「サポート任せたわよ」

 更地となった敷地の、二人の丁度10メートルほど前。教会が立っていた筈の地面から、ぐずぐずと何かが染み出していた。それは黒く禍々しく、もしも「霊感持ち」を自称するような、耐性の少ない一般人が視てしまったなら、きっと発狂してしまうだろう、と思わせる程の凶悪さを秘めている。敷地内の瘴気は和麻の風で切り刻まれ、浄化よりは遥かに効率の悪い方法で正常化されていたものの、粘液の出現と共に再び澱み始めていた。うわ、止めろ、気持ち悪いっ。
 綺麗なものを汚された時特有の嫌悪感に顔をしかめながら、優希は両の目に霊力を通すと、魔術行使の為に集中状態へと入ろうとした。だが、そこで気づく。粘液は、徐々に膨れ上がりその体積を増大させると、繭のように球体を形作り、脈動を始めた。そしてそれは、「二つ」の何かを大本の触媒として、産み出されようとしていたのである。 これは、まずいっ!

「っ! 綾乃さん、先制攻撃!」

「――りょぉーっかい!!!」

 見た目のグロさは半ばフェイク。粘液はその内部で複雑な魔術回路を構成し、強力な妖魔を精製しようとしている。優希はそのスライムが完成系になる前に、綾乃に攻撃の指示を出した。繭という形状からして、恐らくあれは「原作」に出てきたドラゴンではないのだろう。だが、だからといって完成系が弱いという保障はない。
 勿論、綾乃に断る理由はなかった。綾乃はその声に力強く応えると、炎の精霊に語りかける。そうして生まれたのは高温の余りプラズマ化した、破邪の火球。綾乃は雄たけびを上げながら、邪悪な繭目掛けてそれを全力で打ち込む!
 それは至高の炎術師一族である神凪の、時期当主である綾乃が手加減抜きで放った本当の全力だ。下級妖魔どころか、中級妖魔ですら喰らえば致命傷になる筈の、容赦なしの破邪の一撃が繭へと着弾する。だが。

「きっ、効かない!?」

「……手遅れですか」

 綾乃の一撃は全て繭に受け止められ、そして霧散した。

「どうなってんのよこれっ! 幾らなんでもここまで手ごたえ無いの、初めてよ私!?」

「落ち着いてください。恐らくですが、あれには人質だった二人が『素材』として使われています。神凪宗家と風牙衆という優秀な術者を、怨念で染まった1300以上の人の霊力で強化、改造した存在。それがあの妖魔の正体でしょう。……防火能力、防風能力は相当なレベルでしょうね」

「なんですって!? あーもう! そんな奴相手にどうすればいいのよ!」

 喚く綾乃に優希は、ホルダーから触媒となる三枚の紙片を取り出し怒鳴り返すと、そのまま破魔符の術式を刻み込んで繭へと放った。その紙片はマジックショップ「トリメギトス」で購入した、霊樹から作り上げたという特別製の紙である。
 本来の優希は、破魔符の作成にそんなものは使わない。普通の和紙に霊力を破れないように注ぎ、強化した後に術式を刻み込み、術式の特性により「本来の許容分以上の霊力」を注ぎ込むことで、破魔符は完成するのだ。だが今回、破魔符の作成よりも自身の知識の増加を優先した為に、優希にはそんな面倒な手順を踏んでいる時間がなかった。という訳で、優希は触媒の質を上げることで、普段よりも多少質は劣るが、急な破魔符の作成を可能としたのである。
 ――そうして生まれた破魔符は、狙いを逸らさず全て繭へと着弾した。だが綾乃の一撃が効かないというのに、優希の一撃が通る訳がない。無常にも繭は全くの無傷だった。優希は舌を打つ。

「ちっ! ……うっさいですよ、こういう時こそ浄化の炎でしょう! 和麻さんもさっき言ってましたよ。『妖気を浄化すれば一発』だって。という訳で、相手の防火能力を上回る意志力で、妖気だけを燃やしてください! 貴女ならできる!」

「出来るわけ無いでしょう、そんな高等技術!」

「あーもう! この熱量任せの馬鹿力っ!!!」

「そっちこそ五月蝿いわよ! 悪かったわねっ!」

 まずい、どうしよう。こんな所は原作どおり。綾乃に妖気は燃やせない。だから人質の奪還は無理。そんな嫌な結論が出た所で、遂に繭が孵化をする。膨れ上がった黒い繭にひびが入り、圧縮された瘴気が辺りを包んだ。

「……ぐぅっ!? これは、きついですね」

「あたしはまだ平気だけど、でもコイツの妖気、強すぎる……」

 その余りの強大さに、優希と綾乃は小さな弱音を吐く。大地を腐らせ、空気を腐らせ、世界を腐らせる。それは正しく妖魔という、世界に生まれた癌細胞を体現していた。
体表はびっしりと白銀色の鱗で覆われ、鋭い爪を持った生物学上無理の無いフォルムは、まるで神話の再現のようで芸術性さえ感じさせる。
  ――だが、そうして生まれたモノをみて、綾乃と優希は釈然としない顔をする。

「……ドラゴン?」

「……なんで繭から龍が生まれるんですか?」

 おいおいそれはないだろう、と二人は残念な声を上げた。繭から出てきたのはこれまた原作どおりの、RPGに出てきそうな双頭のドラゴンだったのだ。

「あたし、モ○ラと戦うつもりだったんだけどなー」

「奇遇ですね。僕もキン○ギドラと戦うつもりじゃ、ありませんでした」

 いや、一応理解は出来るのだ。使い魔として構成する為の術式が、恐らく原作と同じなのだろう。考えてみれば、原作のドラゴンを創る術ですら充分に強大な術だったのだから、それ専門の研究でもしていない限り、あれだけの術のストックは他に無かったのだと予想できる。だから、理解は出来る。
 ……出来るのだが、納得はいかない。

「なーんかやる気が下がったわ」

「意外と余裕なんですね。綾乃さん」

 視線はドラゴンから逸らさず、会話を交わす二人。瞬間、目を開けていられない程の風がドラゴンを中心に放たれる。
 
 ――今度こそ、戦闘開始である。綾乃がドラゴンへと飛び掛った。


 「はぁ、はぁ、はぁ。何だってのよあいつ! 炎術が効かないどころか、滅茶苦茶硬いじゃないの! 中々切れないし、切っても直ぐ回復するしっ!」

 「ぜぃ、ぜぃ、ぜぃ。……それ以前に僕、攻撃を避けるだけで、体力が、尽きそうです。もう、駄目かも」

 「しっかりしなさい、止まったら死ぬわよ。――近距離戦は爪と牙。中距離は風術。離れれば炎術か。打つ手なしね」

 「いや、二人の影響はある、みたいですが、妖魔なだけあって正確には、精霊魔術では、ないようです」

 「報告ありがと、でもその情報を生かせる気がしないわね」

 「なんとか、してください」

 「無茶言うなっ」

 あれから数十分。脅威のスペックを誇るドラゴン相手に二人は苦戦していた。何せ、頼みの綱である綾乃の攻撃が有効打にならず、優希が逆転の魔術を何とか組もうとしても、立ち止まった瞬間に炎が優希を襲うのである。これでは事態の好転は望めない。特に綾乃も疲れてはいたが、ニート生活+襲撃+修行で体力の落ちていた優希の消耗は激しかった。このままでは、優希が火葬されてしまうのは「火を見るよりも」明らかだ。

 「ふっ、つまらない、駄洒落を疲労、しちゃいましたよ……」

 「あんたこそ、意外と余裕あんのね。そんじゃあまぁ! もう一頑張りしてもらうわよっ!」

 「――りょー、かいっ」

 相変わらず視線はドラゴンに向けたまま、二人は軽口を叩き合う。そうして、綾乃は少し乱れた呼吸を整えると、再びドラゴンへと肉薄した。

 「でりゃぁぁぁぁぁっ!!!」

 降魔の真剣炎雷覇の刀身が、白銀のドラゴンを襲う。それは綾乃の技術と合わされば、このドラゴンにも傷を付けられる現在唯一の攻撃手段だった。だが、だからこそドラゴンも大人しくはしてくれない。綾乃の振るう刀身に力が乗らないように、綾乃自身を殺せるように、その力強い爪と牙が、綾乃を襲う。
 けれど、綾乃も歴戦の戦士である。決して才能に胡坐を掻いていただけの雑魚ではないのだ。綾乃は訓練により身についた感覚で最小限の動きを使い、それらを避けていく。そうして幾ばくかの接戦の後、綾乃は遂に好機を得た。果敢な攻撃の結果、ドラゴンに隙が出来たのだ。

「チャンスッ!!!」

 だが、それこそがドラゴンの策略だった。炎雷覇を大きく振りかぶり隙を生んでしまった綾乃に、元の妖魔としての本性を現したのか、ドラゴンから生えた無数の触手が綾乃に突き刺さろうとする。しかし、そんな事を優希が許す筈がない。

「……舐めてんじゃ、ないですよ」

 衝撃。ドラゴンから硬質な鈍い音が響き渡り、その体勢が崩れた。綾乃はその瞬間に気を爆発させ移動、優希の一撃によって間隔が空いた触手の隙間を、縫うようにして脱出する。良かった。優希は無事に脱出した綾乃を見て胸を撫で下ろした。
 だが、優希の行動。その代償は大きい。

「――きゃぁぁぁぁぁっ!!!」

 自身を襲った危機に冷や汗を流しながらも、再度戦闘を開始しようとした綾乃は後方から響いた悲鳴に驚き、慌てて後ろを振り返った。そして優希へと、膨大な熱量を宿す火球が迫っているのを知る。
 綾乃は自身の危険は省みずに、全力で優希の下に向かう。が、間に合わないっ!

「ゆぅきぃぃぃぃぃっ!!!」

 綾乃の悲鳴。爆音。舞う粉塵。綾乃の視界から優希が消えた。
 
 ――紅蓮の火球と、綾乃の必死の表情を見て優希は理解してしまった。これは助からない。ああ、僕死ぬんだな。優希はそっと両目を閉じた。
 瞬間、優希は力強い何かに抱きしめられたような感覚と共に、風と重力が自分から離れていくのを感じた。……ああ、奇妙な感覚だけど、これが死なのかな。だったら、暖かくて安心できて、何だか良い感じなのかもしれない。優希はそんな風に考えた。だけど、予想していた苦痛も衝撃もやってこず、それどころか冷静になり、自分が誰かに抱きかかえられて救出されたのだという事実に気づいて、優希は安堵した。和麻だろうか、それとも警察の人? いや、誰だか知らないけど、お礼を言わなくては。
 急に緊張が解けた所為か、力の入らぬ体で優希は恩人をぎゅっとつかむと、礼を言うためにゆっくりと目を開いた。しかし、その人物の正体に気づいて優希は唖然とする。ありえない。ありえてほしくない。というか、あっちゃいけない!
 優希は感謝の念も忘れて、その表情に嫌悪感を滲ませる。何故なら、何故ならそこにいたのは。

「――優希、お前を助けに来たっ!!!」

 黒色の短髪に、男らしく端正な顔立ち。そして力強い身体と、内包する強大な霊力。
 ――男の名は神裂龍真。二度と会いたくなかった婚約者(仮)、その人だったのである。





[5752] 第七話 「不可能を可能にする人間でありたいと思ったりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2010/01/29 22:12
「――優希、お前を助けに来たっ!!!」

「っ、離せぇぇぇぇぇっ!!!」

 優希は絶叫と共に頭部に気を込めると、歯を輝かせて笑いかける龍真に向かって全力のヘッドバットをお見舞いした。気分は最強、威力は上々。がんっ、びしゃん、と音を立てて優希の額が、黒髪が鞭のようにしなりながらも、龍真の顔を追撃する。おでこが少し赤くなった気がするが、今はその件はスルーだ。
 優希は龍真の腕の拘束が緩まったのを確認すると、身体を捩るようにしてお姫様抱っこの体勢から抜け出した。更に言うなら、自分の頬も少し赤く染まっている気がするのだが、それもスルーする。全く持って気のせいだ。
 本来なら、優希よりも圧倒的に身体能力の高い龍真が、優希如きの攻撃を喰らうはずが無い。だが、抱きかかえている相手からの攻撃。それに加え(これは優希の勘だが)何か不埒なことを考えていた龍真には、回避は不可能だったのだろう。
 顔を歪め、泣きそうな表情をしている龍真の表情は、酷く痛そうだった。とはいえ、ノーガードで喰らえば流石に重症だ。立っていられるわけが無い。という事はつまり、龍真は反射的に気を廻らせて、ガードをしていたのだろう。なので、実際の肉体的ダメージはそれ程でもない筈だ。

「うぅ」

 その筈、なのだが。うめき声が聞こえた。予想以上に強烈だったのだろうか。声の方に優希が目をやると、龍真が深刻な雰囲気を漂わせて俯いていた。それを見て優希は思う。
 やばい、やり過ぎた? ……でも、悪いのはあいつだよね。いきなり「お姫様抱っこ」とか、難易度高すぎだし。そもそもあいつ、元強姦魔(未遂)だし。心配する必要も無い? いや、でも一応、助けて貰ったし。って、あれ?

「いやいや、ていうかその前に。――なんであいつが此処にいる!?」

 そこまで思い至った所で、優希は様子を見ようと龍真へと近寄った。
 だが厄介なことに、龍真の登場に警戒していたのか、先程まで止んでいたドラゴンの攻撃が、再び開始されようとしていた。火球が、風が、様子見とばかりに続々と飛来する。やばい、危険だ。
 綾乃も戦闘のプロだ。一度心配そうな目で此方を眺めたが、再び前線へと駆けていった。それでいい。もしも優希を心配して綾乃が此方に駆けつけたのなら、盾役がいなくなった僕たちは全滅してしまうのだから。
 優希は龍真に視線を戻した。未だに敵意はある。あいつのやろうとした事は最低で、報復は既にした物の、許してやる必要など無いし、するつもりもなかった。二度と会いたくないと、死んでいればいいな、とまで思っていた。
 だけど、こうして再会してみると不思議なことに、優希の心に生まれた感情は、郷愁の念だったのだ。皮肉なことに、この世界で、この場所で、優希に真実共感できるのは、多分あいつだけだという事なのだろう。

「あーもうっ! あの馬鹿! 戦闘中に何立ち止まってるんですかっ!」 

 だから優希は、龍真を見捨てられない。悪態をつきながらも優希は、飛来してきた攻撃を避けながらスピードを上げた。それは、少しの龍真への心配と命のお礼。そして「色々と湧いた疑問を晴らそう」という思いゆえの行動。それに複雑な心境が重なったからの行動だ。だが。

「くそぉっ、何故だ!? 研究に研究を重ね、絶好のタイミングで現れたにも拘らず、何故お前はデレないんだっ!」

 龍真の目の前まで来た所で、優希はまさかの発言に、盛大にこけた。折角のシリアスが台無しである。
 あれ、こいつ、こんな奴だっけ。いやいや、確かにしばらく会っていなかったけど、こんな奴じゃなかった気がする。少なくとも、もっと普通にいけ好かない男だった気がするんだけど。
 あまりといえばあまりの台詞に、思わず虚をつかれた表情になる優希。嫌な奴だとはいえ、久しぶりにあった(実際には数週間ぶり程度なのだが)故郷の人間が「これ」である。優希の中からは色々な感情が消えていった。ああ、心配して馬鹿みたいだ。放っておけば良かった。そして、そんな優希の様子にも気づかず、龍真は盛大に落ち込んでいた。

 ――あの日、襲撃のあったあの日。偶々外出していた龍真は、帰ってくるなり奇妙な物を見つけた。それは自分の家を取り囲む、呪具や銃器を携帯する怪しげな集団だった。
 おいおい、一体どうなってる。あいつら、何をしてやがる?
 思わず隠れて聞き耳を立てた龍真は、冷や汗を掻きながらも状況を観察する。そして片手を携帯に伸ばし、普段は滅多に入力することが無い番号「110」を入力し、警察に連絡する準備を整えた。本当は今すぐにでも名乗り出て、胸倉を掴み上げながら事情を聞きだしたい。自分の力で、感情のままに行動したい。だが龍真には、それは許されない。
 勝てるなら良い。確かに、龍真は強いのだ。野生の獅子や虎、その他の猛獣を含めて、龍真は一頭くらいだったら確実に、武器も使わず殺すことが出来る。龍真には、オリンピック選手でさえ狙える身体能力に加え、神裂一族に伝わる戦闘用魔術だってあるのだ。それくらいは容易いだろう。
 だが、目の前の集団はどうみても、猛獣レベルの危険ではありえない。組織だった行動に加え、何よりも銃器を所持している。ならば龍真に迂闊な行動は許されない。チンピラ100人が相手ならば躊躇うことは無い。だが、龍真には次代の当主としての責任があるのだ。
 だから、動くな。落ち着け。冷静になれ。脳裏に家族の、友人の、知り合いの姿を思い浮かべながら、龍真は自分に言い聞かせていた。
 けれど、そこまで考えながら。

「はい、分かりました。――優先度A『宿神優希』を捕縛しだい、撤退します」

 集団の中からその言葉が聞こえた瞬間、龍真は思わず飛び出していた。無線機越しの会話。なぜこの家が狙われているのか、自分の家族は、友人はどうなったのか、そんな思いはもう消えていた。龍真の身体を突き動かしていたのは、過去に自分を撃退し、屈辱を味あわせた、一人の少女の姿だった。

「なっ、なんだ!?」

 だが、動いてしまったものはしょうがない。ここで立ち止まるのは愚策。集団は龍真を発見したその時から、呪具や銃器に手を伸ばしている。だから、龍真はもう躊躇わない。

「――戦闘術式『護法戦衣』!」

 龍真は走るその勢いのまま、魔術を展開する。戦闘術式、護法戦衣。神裂家に伝わるその魔術は、身体能力に加え、霊的な防御力・攻撃力を向上させる神秘の術だ。身体に覚えこませた魔術は、龍真の意思のもと滑らかに発動する。
 一瞬の閃光。それとともに、黒い文様が蔓のように龍真の身体に巻きつき、同時、龍真は凄まじい勢いで加速した。それは、自転車からバイクに乗り換えたかのような、人間では不可能な程の加速。龍真はその力を持って、集団に襲い掛かる。
 集団はその加速に驚いたようだったが、慌てた所でもう遅かった。集団の中には、女も、子供に見える者もいた。だが、龍真は容赦する気など、さらさら無かった。
 集団は五人。龍真はまず、一番手前にいた男に狙いを定め、加速で得た勢いを殺さぬように、殴り飛ばした。男の後ろには銃器を構えた女がいたが、そいつも道連れだ。男は狙い通り、女諸共飛んでいく。そして、勢いよく塀にぶつかり、血だるまとなった。これで、あと三人。
 続いて、龍真は呆気に取られた様子の少年に目をつけると、全力の回し蹴りを喰らわせた。しかし、龍真の足は少年にぶつかる瞬間、突如として現れた半透明の人形(人型の霊体だと思われるが、それにしては生気が濃い)に受け止められた。人形に捕まれた足は動かない。これは、まずい。そう判断した龍真は、片足の文様から勢いよく霊力を噴出させ、人形の拘束が緩んだ瞬間に足を引き抜いた。だが、遅かった。その判断は恐らく、間違ってはいなかったのだろう。それでも、多人数を相手にしている状況で生まれたその隙は、殺してくれと言わんばかりに致命的なものだったのだ。
 ――龍真の耳に、ずだん。と、そんな音が聞こえた。
 それからのことは、あまり覚えていない。
 気がつけば、龍真は重症の血まみれで、東京都内にある、とある病院の中で寝かされていた。そして、目の覚めた龍真が真っ先に思い浮かべたのは、やはりというべきか、何故か優希のことだった。
 優希に会いたい。龍真はベッドの中で、そんな気持ちを膨らませる。

「この気持ちは、何だ?」

 自問する龍真。そして、それから数分後。龍真はようやく答えを見つけたのである。
 それは即ち。

「この気持ちは、恋だ!」

 ……ということである。
 だが、龍真の頭の中が如何に平和であろうと、現実は甘くない。怪しすぎる状態で発見された龍真の辿る道は、警察からの取調べだった。
 そこで龍真は、愛の名のもとに何とも迷惑な行動力を発揮させ、その結果紆余曲折を経て、キャリアウーマン風の美女。霧香に提案を持ちかけられ、今に至るのである。
 ――そんな、ある意味ドラマのような展開を乗り越えて、ようやく巡ってきた優希との再開が、コレである。あくまでも、龍真にとっては、だが、落ち込むには充分な理由だといえた。
 そして、隙を見て優希の隣にまで移動した綾乃は、若干引きつった顔で優希に話しかけた。その視線は痴態を繰り広げる龍真に注がれていた。

「――ねぇ、優希。あの何だか色々と可哀想な人は誰?」

「……知りません。ただの変態です。気にしないで下さい」

「いや、気にするなって言う方が無理じゃない?」

「無理じゃないです。いいんです。あれは気にしちゃ行けません。ていうか、気にするな」

 綾乃は優希の顔を見る。その表情は、酷く疲れたものになっていた。

「口調、変わってるわよ……。気持ちは分かるけど」

「すみません。ていうか、気にしないでください」

 訪れる沈黙。そうして、二人の意見が重なった。

「……何か、とんでもない奴ね」

「ええ、とんでもない奴です」

 綾乃の呟きに、同意する優希。ええ、その通り。とんでもない。僕もまさか、こんな奴になっているとは、思っていませんでした。優希は遠い目をして昔を思い出す。しかし。

「だけど、使えるわ」

「へっ?」

 その後に続く綾乃の台詞に、優希は言葉を失った。

「ちょっとあんた、優希に良いトコ見せたいんだったら、このあたしに協力しなさい!」

 まさかの台詞。女の感というべきか。見てれば分かるというべきか。綾乃は龍真の思いを見抜いていた。そして告げる。この場を切り抜ける上で、最善だと思われるその言葉を。

「……いいだろう、神裂家次代当主、神裂龍真の力っ、見せてやる!」

 そして、予想通りに龍真は咆えた。優希の意思などお構い無しに、とんとん拍子に話が進む。
 元々、潔癖症で勝気な少女である綾乃は、性犯罪者や女性軽視の考えを持った男が嫌いである。だが綾乃は、龍真が過去に仕出かした事件など知らない。そして現状から、綾乃は龍真のことを「恋に一途な男」だと判断した。だったら、少しは信用できるだろう。
 それに、この龍真という男。その身から発される霊力は、充分に戦力となるレベルだ。加えて、身のこなしからも武道の心得があるように思える。
 手詰まりの感があるこの状態で、龍真が参戦することは喜ばしいと綾乃は考えたのである。
 
 「優希、あんたは二人を救える魔術を構築してっ! 時間は、……私たちが稼ぐ!」

 「任せろっ! 俺がいる限り、お前に傷など一切負わせん!!!」

 そう言って、二人は再び、戦場へと飛び出した。
 全く、無茶を言ってくれるよ。後方に一人取り残された優希は、そう考えて苦笑した。だが、それも信頼されていると思えば。

「悪くないかもね」

 そう呟いて、優希はゆっくりと、腰についたホルダーに手を伸ばした。妖魔に取り込まれた人間を助ける。本当に無茶な頼みだ。だが、自分は魔術師。不可能を可能にする、その可能性を秘めた人間なのだ。だったら、どうする? どうすればいい?
 今欲しいのは、発想。煌くような、素敵で突飛な一級の発想だ。だったらどうする? 探せばいい。「スターライトブレーカー」を再現した時のように、自身の無駄なオタク知識から、それに該当する物を探し出せばいい。数多の知識の中には、数多くの魔術と神秘が存在するではないか!
 そうして、ホルダーに伸ばされた指が、何か硬い物に触れる。
 ああっ、これだ! 
 そこから取り出されたのは、美しく一転の曇りもない、黄金色に輝く蜂蜜を固めたような大粒の宝石、琥珀だった。子供の握り拳ほどの大きさがある、その琥珀の内部では、視ただけで分かるほどの強い霊力が渦巻いている。それも当然だ。
 近年では若者向けとして安価な琥珀が出回っている為、琥珀を安価な宝石だと思うものもいるかも知れない。だが、それは間違いだ。現在市場に出回っているのは、大概が人口琥珀や再生琥珀といった偽者、あるいは簡単に作られた物である。本物の琥珀とは、長い年月を掛けて樹液が大地で結晶化した物のことをいう。その輝きは美しく、自然に鍛えられた琥珀の霊力は、他の宝石と比べても決して劣る物ではない。
 その中でも優希が取り出したこの琥珀は、本物のマジックショップで見つけた掘り出し物。その分値段も張ったが、その価値は計り知れない。これほどの質と大きさの琥珀は滅多に見つけられないため、優希はいずれ、これを杖(魔術師の拡張メモリ兼デバイス等々)に加工するつもりだったのだが……。
 細かいことを気にするのは止める。杖ではなく魔術の触媒として使えば、この琥珀は恐らく消失する。それはとても勿体無いことのようにも思えたけれど、今は、自分の出来る精一杯をしてみたい!

「――神殿構築、光体構築、同調開始、精神集中っ!」

 優希の瞳が閉じられる。呟きと共に、その華奢な身体が花緑青に発光した。それは漏れでた霊力の輝き。琥珀が掌から、優希の眼前へと浮かび上がった。優希が今から行おうとしている魔術。それは浄化の魔術。イメージは固まっている。だが、言ってみればそれだけの、練習したことも試してみたことも無い、ぶっつけ本番の無謀な挑戦だ。だが、優希の前には綾乃がいる。お馬鹿で邪魔な変態もいる。
 だったら。

「信じて戦ってくれてる人がいるのに、この僕に出来ない筈が無いっ!」

 優希の中で、時間がずれる。一秒が歪み優希の中で時間の感覚が曖昧になる。処理されるのは大量の情報、一瞬の間に何度も行われる試行錯誤。伝承を利用し、体質を利用し、場所を利用し、触媒を利用し、時間を、方角さえも利用する。手探りで、全力で、足りない知識は想像し、間違えてたなら修正し、優希はひたすらにイメージした魔術の完成へと足を進めていく。
 
「きゃぁぁぁぁっ!!!」

 形状すら原型を留めなくなった敵の、なりふり構わない猛攻に綾乃が悲鳴を上げる。苦痛に歪む声が聞こえた。どうやら傷を負ったらしい。瞳を閉じた優希では、その程度の判別しか出来ない。そもそも、時間の感覚がおかしくなっている優希には状況を判断している余裕は無い。それでも、綾乃が危険だということは分かった。冷や汗が頬を伝った。だが、優希はそれでも集中を解かない。
 それは、優希なりの信頼の証。そしてそれに答えるように、龍真は綾乃の前へと颯爽と躍り出ると、殆んど豪雨の様に迫る触手の矢をその爪で切り刻んでいく。力強く、正確に、躊躇なく繰り広げられるその爪の奇跡は、まるで演舞を踊るかのように美しい。だが、足りない。苦境を乗り越えるには、これじゃあ足りない。そう思ったのだろうか。
 龍真は更に前へと一歩を踏み出すと、腹に力を込め。

「俺の愛をっっっ、舐めるなぁっ!!!」

 凄まじい咆哮を上げ、爪を乱舞させる。そこで、龍真に変化が起きた。龍真の気迫に答えるように、その爪に紫電が奔る。更に、紫電は乱舞する爪を覆うようにその体積を増し、遂には爪の一つ一つが巨大化な太刀と化したのだ。
 計十本の紫電の太刀は、襲い掛かる触手を全て断ち切ると、その勢いのままドラゴンの体表を削り取っていく。そして綾乃の声に気づくと、全力で後方へと下がった。

「こんなパッと出の奴に負けてぇっ、堪るもんですかぁぁぁぁッ!!!」

 負傷した筈の綾乃は、傷口に手を当てて文字通りの「手当て」を済ませると、炎雷覇を正眼に構えていた。気の大きさに任せた数秒程度の、応急処置にもならないような手当てでは、痛みなど微塵も減っていないだろう。だが、綾乃は戦士だった。痛みに耐えながらも、出血さえ止まればいいと、再び戦闘へと加わるっていた。
 綾乃は考える。自分が何をするべきか。痛みを堪えて考える。本来なら、自分が妖気だけ燃やすことが出来たのならば、全てが上手くいったのだ。だが、未熟な自分ではそれは叶わない。火力を上げることは得意。調節だって及第点だし、剣術には自信がある。だけど、綾乃は浄化の秘力をコントロールすることだけは、余り得意ではなかった。
 だけど、だけど今は、自分の出来る精一杯を!
 同年代の少女への対抗心もある。次代当主としての思いもある。だが今は、素直にその思いが、綾乃を突き動かしていた。
 高めて、高めて、高めて。炎の精霊に声を伝える。綾乃の声は、どこまでも大きく、美しく響き渡る。神凪の巫女として、一人の炎術師として、そして何より、彼らの友として。綾乃は支配ではなく、全力で訴える。
 『お願い力を貸して』と。
 構えられた炎雷覇が、朱金に輝いた。綾乃はそのことに気づかない。極限の集中の中で、そんな「些細な事」に構っている余裕は無い。だから、今は力を集中させる。
 そして、力は放たれた。正眼に構えられた炎雷覇の輪郭が、陽炎で揺らいだ。綾乃は朱金の、限りなく浄化の秘力が高められた状態の炎を、ドラゴンへと振りかぶった。

「ghyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」

 ドラゴンの悲鳴が上がる。翼が燃え落ち、尻尾も溶け、全身の輪郭が揺らいでいた。綾乃の会心の一撃。それは確かにドラゴンにダメージを与えていたのだ。
 それでも本来なら、神凪宗家の炎術師を、其れに加え特殊な調整の施された術者を取り込んだドラゴンなら、この攻撃を耐えることも出来るはずだった。だが、体表の多くが削られ、炎への抵抗力が落ちたところに襲い掛かる朱金の炎。神炎。それは今のドラゴンにとっては堪らない一撃だったのだ。
 ――更に、追撃は終わらない。

「僕のこと忘れたら、駄目ですよ?」

 不敵な声に、ドラゴンの硝子球のような瞳が後方へと向く。そこには優希と、いつの間にか避難していた綾乃と龍真の姿があった。優希は不敵に笑ってみせるが、顔面は蒼白と言っていい程に青褪めている。しかしその両目は、ぎらぎらとした生命の輝きで溢れていた。
 優希の足元に花緑青の魔方陣が浮かぶ。優希は琥珀を掴んだ手を、ドラゴンへと向けた。
 そして、物語に終焉を告げる魔弾が放たれる。

「これで最期です! ――『フラグーン』!!!」

 ――金色の軌跡を残して、黄金の魔弾がドラゴンに着弾する。

「ghyaaaaaaaaaauuuuuuuuuu!?」

 轟音、衝撃。そして世界は緑色に輝いた。
 ドラゴンに着弾した琥珀は閃光を放つと、まるで植物かのようにドラゴンに根を生り、苗床としたドラゴンの妖気を、瘴気を養分にドラゴンの内部へと強固な根を張ると、「発芽」を始めた。ぐんぐんと伸びる芽は茎となり、茎は幾重にも絡まりあって、瞬く間に幹と化すと、枝を広げ、青々とした葉を茂らせ、更に蔦を伸ばし、絡ませてドラゴンの全身を覆った。
 ドラゴンも抵抗を試みるが、触手も身体も蔦に絡み取られ、炎を吐き出しても風を操っても、それを上回る速度で琥珀樹は成長し続ける為に、その包囲からは逃れられない。しかもその成長には自身の力が費やされる為、次第にドラゴンの動きは鈍り、抵抗は止んで。
 ――最期には樹齢1000年は越すであろう大樹の姿だけがそこにあった。

「全く。たいしたもんだ」

「……凄い、わね。ていうか、二人は大丈夫かしら?」

 完全にドラゴンが沈黙したのを確認した二人は、その余りの光景に、呆れたように呟いた。目の良い龍真が大樹のてっ辺を見ると、二人の男女が裸で、すやすやと眠っている。龍真が気を利かせてそのことを綾乃に伝えると、綾乃はほっと溜息をついて、背筋を伸ばした。

「これで、一件落着ってことかしらね。……そういえば、優希は?」

「――しまったっ、優希ぃぃぃぃぃ!?」

「……元気ねぇ」

 力を使い果たして、倒れてしまった優希の下に駆け寄る龍真。自身の疲労も相当だろうに、と思いながらも、重傷を負っている綾乃も、後は龍真や警察に任せて、意識を飛ばすことにした。

「もう、だめ……」

 ゆっくりと、地面へと倒れる綾乃。だが、その身体を何か、優しい風が包んでくれた気がした。



[5752] エピローグ
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:d60f1d5a
Date: 2010/02/05 13:07

 東京都内にある、とある病室。
 その一室の中で、暖かな日差しがカーテン越しに降り注ぐのを感じて、優希はゆっくりと目を覚ました。

「……んー。ぬゅぅっー」

 人に聞かれたなら、恥ずかしくて頬を赤らめたであろう声を上げて、優希は背筋を伸ばす。随分とよく寝た気がする。
 身体の汚れは気にならなかったが、頭皮の汚れと、乾燥し雑菌が繁殖しているだろう口の中が気持ち悪かった。優希はベッドから降りると、室内を見渡して呟いた。

「ここはどこかな。ってまあ、十中八九、病院だろうけど」

 目を覚ましたばかりの優希には、この場所がどこなのか分からなかった。だが、白いカーテンにベッド。全体的に清潔感を感じさせる内装と、病院独特のこの、生と死が混在するような異質な感覚。何より自分が、テレビで入院患者が着るような、薄いクリーム色の服を着させられていることから、優希はここが病院だと推測する。

「うーん。魔術を放った瞬間にはもう、気絶してたからなぁ。……全員無事だといいんだけど」

 というより、あの魔術は成功したのだろうか。優希の脳裏に不安がよぎる。
 ぶっちゃっけ本番も良いトコだが、使った触媒は超一級品だし、霊力も根こそぎ持っていかれたのだ。髪に溜めていた霊力までなくなっているし、今の霊力は通常時の半分を切っている。綾乃とあの男が死んだとは思えないが、これで「妖魔に取り込まれていた二人は、残念ながら死にました」などと告げられたら、全く持って割に合わない。
 そんなことを考えながら、優希は備え付けの洗面所で顔を洗う。元お嬢様な優希は気づかぬことだったが、この病室は一級品の洗面所にクローゼット。冷蔵庫に液晶テレビまでもついている、一泊の料金で国内旅行が出来る程度には値が張る個室だった。

「ふぅ、すっきりした」

 ぶくぶく、がらがら。用意されていた歯ブラシを使って歯も磨いた優希は、少しすっきりした表情でそう言うと、ベッドの横に垂れ下がるナースコールを押した。準備は出来た。報告を受けよう。
 優希はゆったりと、ベッドに腰掛けた。

 それから数分後。
 急ぎ足で駆けつけた看護師と会話し、医者を呼びつけ(半ば無理やり)退院の許可を得た優希は、届けられていたアタッシュケースの中から黒のジーパンに白いシャツ、黒のジャケットを取り出して着替えると、車で神凪邸へと向かっていた。医者も心得たもので、優希が目覚めた報告を受けたときから、神凪へと電話をしていたらしい。迎えの車は直ぐに来た。

(向こうから来ればいいのに)

 そうも思ったが、報酬も貰うことだし、別に用事がある訳でもない。自分を納得させた優希は、大人しく車に乗り込むと、それから数十分の時間をかけてようやく神凪邸へと辿り着く。そしてそのまま客間に通されて、お茶を飲むこと二十数分。

「すまない、待たせたな」

 散々に待たされた優希は、遂に重悟と向き合った。

「久しいな、優希殿。変わりは無いかな?」

 穏やかな顔で微笑む重悟。

「ええ、怪我はありませんよ。貴重な触媒を無くした事と、霊力の大半を失った事は痛かったですけど」

「会って早々それか……。全く、がめつい奴だ」

 それに楚々とした笑顔(に見える)を返しながら、優希は言った。重悟は呆れたような溜息をこぼす。
 けれど優希は動じない。

「お金が全てとは言いませんが、お金がないと何も買えませんからね」

「それはそうだが、全く。……まあいい。では、早速報酬の話を始めるか?」

 重悟がそう話を切り出した所で、優希は首を横に振った。

「あっ、いえ、それはまた後で。それよりも先に、事の顛末を教えてください」

「ふむ。そういえば、優希殿は魔術行使と共に気絶していたそうだな。分かった。それでは、――何から話そうか」

 そうして、重悟は語りだした。結果からいうと、今回の事件はハッピーエンドで終わったらしい。
 先ず、人質となった神凪宗家の少年「神凪燎」と、風牙衆の少女「風巻美琴」の二人は無事救出された。二人は極度の衰弱状態に陥っているものの、それも点滴を受け、一月も入院すれば全快するレベルのものだそうだ。
 次に、綾乃と龍真の二人だが、こちらもまた無事生還。二人とも怪我を負っており、特に綾乃の負傷は酷かったようだが、高位の治癒魔術を施された事により、その傷も完治。傷跡も残っていないらしい。
 最期に「神秘の秘匿」という問題に関してだが、これもまた、問題はなかったそうだ。元々あの場所には、事前に「人払い」などを含めた多様な結界が張り巡らされていたし、それに加え、警察による周辺住民の監視もあった為、現場に近づけた人間もいなかった。従って、「事件に気づいた一般人は、まず存在しないだろう」これが現場の判断だった。また、見た目が派手な、優希の魔術によって生まれた大樹に関しても、瘴気や妖気を吸収する特性はあるものの、あの後すぐに派遣された神凪の術者により、跡形もなく燃やされたらしい。「正しい力」である精霊魔術。炎術の前には、その特性も無駄だったと言うことだろう。
 
「本当に、よくやってくれた」

 そう重悟が語り終えようとした所で、優希は疑問を口にした。

「あれ、ちょっと待ってください。和麻さんはどうしたんですか?」

「……和麻も無事だ」

 優希の問いに、暗い表情で重悟が答える。

「いや、そりゃあ無事でしょうけど。犯人は捕まえたんですか? まさか逃したなんて事は無いでしょう?」

 しかし、優希の問いに重悟は答えない。その態度に苛ついて、畳み掛けるように再び問おうとした所で、優希は気づいた。

「どうして答えてくれないん……って、そっか。和麻さんが、アルマゲストの魔術師を生かす訳が無い、ですよね」

「……優希殿が、どこまで事情を知っているのかは知らん。だが、想像通りだ。和麻は犯人である魔術師を捕縛後、拷問。更に呪具を使い、脳から情報を取り出すと、散々いたぶった挙句に殺したらしい。気を使って和麻の行動を監視してくれていた警察の見者が、退職を願い出るほどに凄惨な光景だったようだ」

 場に静寂が訪れる。優希は思わず見者の視た光景を想像してしまい、背筋を凍らせる。しかしそれも、数秒の事だった。
 重悟は突然姿勢を伸ばすと、優希に向かって深々と頭を下げた。

「――頼む。正直、私にはあの子が抱えている闇が大きすぎて、いつか、あの子自身を滅ぼすのではないかと、心配でしょうがないのだ。だから、無理を承知で頼む。教えてくれ。優希殿は知っているのだろう。あの子の事情を。ならば、話してくれないだろうか? 今更なのは分かっている。忙しさにかまけて、救える立場にいた筈の私は、気がつけばあの子を見捨てていた。そして今、あの子はそれを恨んでないし、世間の人間も父親ではない私に、そこまでの責任は求めていない。だが、それでも私は、あの子を救いたい。宗家の重悟としてではなく、あの子の親代わりとして、私はあの子を救いたいのだ。……だから、頼む。あの子の事を。この神凪という名の、狭い世界を出て行った後のあの子の事を、どうか教えてはくれないだろうか?」

「――頭を、上げてください」

 どこまでも誠実で、悲しみと、愛情と、優しさと。そんな色々な思いが篭った声で、そう願われて、優希の気持ちは大いに揺らいだ。
 だが、それは出来なかった。助けてあげたい。教えてあげたい。重悟の態度には、優希にそう思わせるだけの思いは、充分に篭っていた。だけど、出来ない。

「僕も、出来ることなら教えてあげたい。でも、それは無理です」

 優希は、頭を下げたままの重悟から目をそむけると、告げた。

「……どうしても、駄目か」

「はい。どうしても、教えることは出来ません」

「理由を、聞かせて貰えないだろうか?」

 沈痛な顔で、それでも頭を上げた重悟に、優希は告げる。

「僕は一度、その事であの人に殺されそうになりました。……何をされた訳じゃありません。ですが、あの時の殺気は。僕に、事情を知っているのか、と尋ねた時のあの人の顔は、鬼でした」

「鬼、か」

「ええ、鬼です。きっとあれは、地獄の深い所から来た鬼だと。そう錯覚するくらいの殺気を、僕はあの人に『事情を知らなければ行わないはずの助言』を与えただけで受けました。あの時僕が殺されなかったのは、多分その助言が有用だったという、それだけのことでしょう。もしも僕が、このことをみだりに話すようならば、僕はきっと、――和麻に殺されます」

 そう言って、優希は己の震える身体を抱きしめる。あの時の光景を、脳裏から追いやるように。

「ごめんなさい。それは、和麻から直接聞いてください。お願いします」

「……ああ、無理を言って悪かった」

 客間からは、秋晴れの空が見える。だがそれとは対照的に、二人の心には、重い何かが纏わりついていた。



[5752] プロローグ 「三巻の始まりとサービスサービス」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:df378d0a
Date: 2010/08/12 19:05
 都内某所に存在する、とあるビジネスホテル。高すぎず、そしてそれなりに質が高い事で通に有名なこのホテルの一室では、このホテルの客としては似つかわしくない、高校生位の年齢だと推測できる一人の少女が、現状では最高級の性能と値段を誇るノートパソコンをベッドの上で使用しながら、奇妙な歌を口ずさんでいた。
 凛とした印象を受ける、少し目つきの鋭い少女だ。それでいて動作のあちこちから、育ちのよさが伺える。

「――ドーマンセーマンドーマンセーマン、助けても○おう陰陽師ー」

 歌のタイトルは「笑顔の擬音でお馴染みの合唱曲」。はっきり言って美少女だと形容できるその少女には、似つかわしくないようなオタクな曲だ。一般人が見れば何か残念な気持ちが沸いてきそうだが、当人は幸せそうなのだから、問題はないのだろう。(ちなみに予断だが、少女の背筋と腹筋はベッド上でのパソコンの使用により、鍛えられている為、筋肉は意外とついている)。
 少女の名は優希といった。異世界における日本の呪術集団の中でも、名家である「宿神」家の宗家の一人であり、宗家が謎の組織に奇襲を受けた現在では、恐らくそのたった一人の生き残りでもある。
 流れるような黒髪に、白くきめ細かい肌。少し中性的な雰囲気を感じさせる、現在16歳の少女である。病院から退院したあと、住処を亡くした優希は神凪家の誘いを断りこのホテルに泊まっていた。

「――ああ、幸せぇ」

 パソコンの前で体を揺らしながらノリノリで歌っていた優希は、曲が終わると共に満足そうに呟いた。

「誰にも命を狙われない。血も暴力も見ない。発火もしないし、風も起きないし、スライムも現れない。無茶な魔術を組み立てる必要もない。……何より、ベッドの上でごろごろできる! これを幸せと言わずなんと言おうか!」

 優希はパソコンを閉じ、ごろんとベッドに身体を預けると、手の平でシーツの感触を存分に味わう。

 (ああ、幸せだぁ)
 
 優希が今着ているのは、新しく買った着流しだ。男性物の、藍色で無地。安くはないが、高級品と言えるほどの物でもないそれは、普通の少女が着ていたのならば、まるでコスプレをしているかのような違和感を抱かせただろう。だが、優希にはそれがない。あまりにも自然に着こなしているその姿からは、着慣れている事実がよくわかった。
 しかしそれも、室内での着用と言うことで随分と着崩れていて、優希は半分、素肌でシーツの感触を味わっているような状態だった。本人に自覚はないが、男性に性的興奮を覚えさせるには十分な光景である。どこかの龍真が見たのなら、間違いなく鼻血を出しそうな姿だった。
 だが、そんなことは露とも思わず。幸せそうにゴロゴロとしていた優希は、あることを思い出して唐突に顔を曇らした。

「――確か、年が明けたら数日で『三巻』の内容が始まるはず。関わらないのが自分にとっては一番、だけど……。そしたら、石蕗(つわぶき)によって生まれた人造の少女『石蕗あゆみ』は間違いなく死ぬ、かぁ」

 (あーあ、どうしよ)

 優希はパソコンを地面に下ろすと『ぼふん』と枕に頭を落とし、考える。自分は一体、どうすればいいのかと。
 戦闘に参加して、助ける? 言うのは簡単だ。だが、自分が参加したところで何ができるというのだろうか?
 優希は今までに何度もしてきたように、冷静に、そして客観的な視点から自分を見つめて、それは無理だと結論付けた。才能の有無を問われれば、『ある』と断言できる。魔術の才能。魔力量。自身の、そして一族の特性。優希はそれらを理解しているし、これから先もっと高みに至れる魔術師だと、自分を評価している。
 だが、優希の才能とは、言ってしまえばそれだけだ。
 優希は魔術師、つまり「学者」としては優秀かもしれないが、戦闘においては初心者。つい一月程前までは、血すら碌に見たこともない人間なのだ。魔術師としての精神修練によって、確かにこれまでの惨劇にも、暴力にも耐えることはできた。だが肉体的なスペックは、一般的な女子の中では身体能力が高い程度。しかも武術の経験はなく、あるのは演舞の経験だけという有様だ。
 そんな人間がこの世界に来てから生き残れたのは、今までの戦いでは綾乃がいて、和麻がいて。戦闘に参加したとはいっても、安全な場所から攻撃をするだけの役割でいて良かったからである。だが、これからはそうはいかない。
 三巻の敵は、巨大な山の精。日本でも最も高名な山であろう「富士山」の精なのである。それは正しく圧倒的な存在で、神を相手にするに等しい無謀。「風の聖痕」の内容を思い返しても、ただでさえ強力な山の精「ゼノン」に加えて、その僕であろう沢山の「光線を放つ石蛇」が出現し、絶望的な状況が描写されていたように思えた。

「軟禁生活をずっと行ってた『引きこもりニート』な僕に、山の中で神様相手に暴れろって? ……いやいや、無理だってば」

 ふて腐れたように、優希はベッドを軽く叩く。
 そもそも、仮に戦闘に参加したとして。原作よりも石蕗あゆみの消耗が軽くなったとする。だが、それでどうするというのだ。
 自分が死ぬ思いをしても、少女の延命できる時間は精々、数ヶ月。それ以上の延命など、少女が特殊であるとはいえクローン人間であり、無理な成長をさせたせいで遺伝子から崩壊が起きていることを考えると、不可能ではないかと思える。

「そもそも、難易度を無視して考えるなら、この世界の不老長寿へのアプローチは『自身を霊的存在にシフトする』か『テロメア等を物理的に劣化させないようにする』かのほぼ二択。もしくは、その混合。それ以外の方法は、ていうか詳細な方法すら、魔術書にもあまり乗ってなかった。……そういえば、老化を抑えて若返るっていう『回春術』の方法なら、比較的詳しく乗っていたけど」

 優希は数多の知識の中から、回春術に関する事柄を思い返す。

 (でも、これから一ヶ月で回春術を覚えるにしても、あの子を救うことは出来るとは限らない、かぁ)

「――ああ、本当(マジ)でどうしよ」

 戦闘に参加するかも、少女を救うかどうかにも、答えは出ない。
 実を言うと、自身の強化案も幾つかあるにはあるのだが「出来るならしたくない」というのが本音だ。

「ていうか、事件が多すぎるんだよぉ……」 

 疲れたような優希の嘆きは、ホテルの壁に遮られて、誰に届くこともなく消えていった。
 ――かに思えた。

「どうした優希っ!?」 

 唐突にドアを蹴破り現れた龍真の姿に絶句する。
 
「ゆっ、優希! どうしたんだその格好はっ! まっ、まさか俺を誘って……。すっ、すまない。お前の思いに気づかな――」

「――死ねぇぇぇぇぇぇっ!!!」

「ぐぁぁぁぁぁー!」

 はだけた優希の艶姿に興奮したせいだろう。明後日の方向に向いた、意味不明の言動を繰り広げる龍真に対し、優希の咆哮が轟く。

「……あーあ、チェックアウトしなきゃ」 

 それから数分後。アタッシュケースを引きずりながら、のんびりと町を歩く優希の姿がそこにあった。
 予断だが、崩壊したホテルの一室には、幸せそうな表情のまま気絶した男が一人取り残されたという。



[5752] 第一話 「切っ掛けなんて些細なことだったりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:df378d0a
Date: 2010/08/17 17:08
 神凪邸の一室。そこで優希は布団の上に寝そべり転がっていた。
 退院してから三日が経ったが、ホテルを変える度に突撃してくる龍真から逃げる為には、もうこれしか方法が無いと判断した優希は、龍真の魔の手(熱烈なアプローチ)から逃げる為、不本意ながらも再び此処への居候を決めたのだ。ちなみにその際、重吾が見せた笑顔がとても癪にさわったのは、ここだけの秘密だ。
 まあ、結果的には宿泊費も浮くし、和食中心とはいえ食事までついてくる良環境なのだが。残念なことに優希は、この世界に来てから自覚したのだが、お金に執着するというよりも「稼ぐのが好き」なタイプのようだった。その為、あまりそのことに感動を覚えられなかったのである。いや、それどころか、囲われているようで居心地の悪さすら覚えている。

「ある意味、恩知らずな奴だよねぇ」

 優希はベッドの上で苦笑する。ただで居候させてもらっておいてのこの感想。我ながら性格が悪い、と優希は思う。
 それというのも、優希の見る目が変わったからだ。始めは神凪に対して悪いイメージしか持っていなかった。小説の中の粗暴な彼らが、優希の知る彼らだったからだ。だが、何度かここの住人と話して、こうして居候させてもらって気づく。
 彼らは別に悪人ではないという、当たり前の事実を。
 戦闘や救助を手伝ったという実績があったから、そういう理由は勿論あるだろう。自分がその、何だ、認めるのは少し癪だが「女だから」というのも理由にあるだろう。だけど多分、優希が邪険にされない一番の理由は、優希が和麻じゃないから、ということなのだ。
 彼らには誇りがある。炎の精霊王に選ばれた一族としての誇りが。そして神凪の大多数である分家の彼らには、嫉妬がある。宗家への嫉妬が。
 そして、和麻は宗家でありながら炎が使えず、親に守られているともいえない存在だった。けれど彼は各方面での努力を続けており、プライドは決して低くなかった。
 そして、彼には明確な庇護者がいなかった。両親よりも重梧の方が和麻のことを考えているといわれた位だ。
 彼らにとって和麻は、才能が無いくせに高慢で生意気な、目障りな男だったのだ。
 だから、和麻は苛められた。人の良識を飛び越える行為が、和麻に対しては許されるような、そんな錯覚に陥ってしまった。そういうことなのだろう。
 それにそもそも、過激な虐めをしていた人物は、原作でも数人しか描写されていなかった。それで神凪全体を高慢な悪だと判断するのは、早計だというものだろう。
 優希はそう考えると気分を変える為にノートパソコンを取り出した。そして立ち上げて「ネットサーフィンでも楽しむか」とマウスを握ったところで。

「あの、優希さん。ちょっといいでしょうか?」

 襖越しに、少年の声が響いた。
 優希は一瞬硬直し、溜め息を一つ吐くと「どうぞ」と声を出す。

「突然すみません。折角ですし、僕も優希さんと色々お話してみたくて」

 申し訳無さそうに笑う少年は、その名を神凪煉といった。彼は和麻の弟であり、才能溢れる宗家の炎術師である。年の頃はまだ小学生ぐらいだろうか、テレビに出ているタレントが霞んで見える程の美少年だった。というか実際、一見しただけでは少女にしか見えない。声変わりもまだ始まっていないだろうし、彼なら女風呂に入っても悲鳴は上がらないだろう。

「いえ、そういえば煉さんとは前に少しお話しただけでしたし、構いませんよ。私も暇を持て余していた所ですから」

「ありがとうございます。あっ、あとそんなに硬くならなくてもいいですよ。僕の方が年下ですし、気楽にしてください」

 煉はそう言うと、優しく微笑んだ。とても魅力的な表情だ。同時に「こんな子の前で醜態をさらしていたのか」と、優希は和麻にビルで虐められていたことを思い出して赤面する。

「あー、分かりました。んー、……じゃあこれでいいかな。僕もこの方が楽だし、似非敬語もなれてはいるんだけどね。基本的に僕、話し方こうだから」

「ええ、構いません。というか、なんか親しくなった気がして嬉しいです」

 えへへ、と照れたように煉は笑う。その余りの可愛さに、優希の中の何かが刺激された。ショタの素晴らしさを垣間見た、とでもいうべきか。
 彼にはずっとそのままでいて欲しい、等と優希はさりげなく思う。それが本人の望みからは離れていることを知りながら。
 煉との会話は楽しかった。年の割りに聡明で控えめ、加えて最近不足していた常識人である煉との会話は、ネットサーフィンなどよりもよほど実になるものだ。
 だがしばらくして、話が煉の学校から綾乃の話題に移ってきた辺りから、優希は彼の表情が冴えないことに気づいた。

「んーと、何か話したいことがあるんだったら、聞いてもいいけど?」

「えっと、……分かっちゃいましたか」

 煉は情けない、といった風な微笑みを浮かべた。

「実は僕、最近ずっと悩んでいて。兄様が帰ってきてから、風牙衆の事件があって、この前もうちの人間がさらわれて。その時、僕は何も出来なかったんですよね。いや、分かっているんです。僕は子供で、皆とは修行してきた時間が違うんだからしょうがないんだ、って。でも、僕は強くなりたい。兄様は風の契約者だし、姉様は炎雷覇の後継者。父様も当主も神炎使いです。皆と比べれば僕は、一人の人間としても術者としても、あまりにも中途半端なんです……」

 泣きそうな顔で煉はそう言う。だが、優希としてはコメントのしようが無かった。
 実際どう客観的に見ても、煉には才能があるのだ。それは優希と違って「未来」を知らない他の人間に聞いてみたところで変わらない評価だろう。にも関わらず、周囲の人間と比べて自身を喪失している人間に対して、何を言えばいいのか。まだコミュニケーション能力に若干の不安がある優希には、思いつかない。

「それで、凄い魔術師の優希さんに相談してみようと思ったんです。何も出来ない僕とは違って、魔術師であり力と知恵のある優希さんからなら、何かいいアドバイスが貰えるんじゃないかと思って」

「随分と過大評価してくれてるけど、普通に戦ったら君の方が強いと思うよ。ていうか、瞬殺されると思う」

「そんなことないです。風牙衆に使っていたあの符術も凄かったですし、僕が勝っている所なんて単純なパワーだけです」

 煉は意見を変えなかった。真剣な瞳で優希を見据えている。それを見て優希は戸惑った。こんなに真っ直ぐで人の言葉を聞かない子供相手に、どうすればいいのだろう。

「優希さん、僕はどうすればいいのでしょうか。良い修行法があるなら、教えてください。お願いします」

「どうしたらって、……僕は炎術師じゃないし、そんなの分からないよ」

「……そう、ですよね。あはは、すみません。気にしないでください」

 望んだ答えを与えられなかったからだろう。煉は目に見えて落ち込んだ。
 けど、だからこそ、優希には思う所があった。

「そもそも君、何で強くなりたいの?」
 
「えっ?」

「だって、急ぐ必要ないじゃない。炎雷覇の正当後継者は決まっているんだし、ライバルがいるわけでもない。復讐したい相手だっていない。今までの修行は君を確実に強くしてきた。ほら、急ぐ必要が全く無い。どうして君は、慌てて強くなろうとしているの?」

「っ! だって、今のままじゃ僕は役立たずじゃないですか! 皆が前で戦っているのに、自分だけ後ろで応援してるだけなんて、そんなの嫌です! 僕だって戦いたい、皆と肩を並べたいっ。そう思っちゃいけないんですかっ!」

「いけなくないけど、理解できないだけだよ。『皆と肩を並べたい』、うん。その気持ちは分からないわけじゃない。けどさ、それって君らしい望みじゃなくない? 会って数分だけど、君はプライドの為に強くなりたいの? これまでの発言からすると、僕はそう思っちゃうんだけど。大体冷静に考えて、君の今の実力で足手まといになるような事件が、ほんとにそうそうあると思う?」

「それはっ……」

「いいんだよ。向上心があることは。たださ、世の中には楽しいことが一杯あって、だから僕は、問題にぶち当たってからそれを解決するために魔術の腕を磨いたような物だからさ。来るかどうかも分からない事件の為に、性急な強さを求める気持ちが分からなくて。ちょっと気になっただけ」

 優希は魔術が嫌いじゃない。けれど、それと同じような感覚で日常を生きることが嫌いじゃない。パソコンがあれば一日の娯楽には事欠かないと思っている位だ。
 だから、優希には煉の焦燥が理解できなかった。少し話しただけでも優しさを感じさせるこの少年が、何故こんなに焦っているのか。優希は気になったのだ。

「優希さんには、分からないかもしれませんね。……大声出して、すみませんでした。ただ、強くなることは僕らの義務のような物なんです。僕ら精霊術師は、妖魔を討つ為に力を与えられています。それは歴史ある神凪も同じこと。いえ、歴史と力のある僕ら神凪は、より大きくその義務を背負っています。だから――」

「真面目なんだねぇ」

 茶化すつもりはなかった。けれど思わずといった風に、優希はそんな言葉を漏らす。

「からかってますか?」

「いや、からかってないけど。そうだね。でも、真面目だとは思う。ていうか、ちょっと硬いのかな。肩に力が入っているって言うか。精霊だって、そんなにがちがちになって欲しいとは思ってないだろうに」

「……精霊の声なんて、聞こえないくせに」

 煉は彼にしては珍しく、不満げな声で軽い態度の優希をねめつける。だが、優希はその程度で怯まなかった。というか、煉のその態度が酷く可愛らしく思える。

「声なんて聞こえないよ。だけどさ、君には声が聞こえるんでしょう。聞いてみればいいのに。その中に『早く強くなれ』なんて怒る精霊はいるの。いないんじゃない?」

 精霊にどれほどの自我があるのかは知らないけど。そう心の中でだけ優希は呟く。
 煉はというと、優希の言葉を聞いて一瞬驚いたかのような表情をすると、耳を澄ますようにして目を瞑った。

「精霊、怒ってるの?」

「……いえ。怒ってないようですよ。みんな笑ってます」

「ならいいんじゃないの?」

「あはは、そうかもしれません」

 適当に答える優希に、煉は明るく笑った。けれど快活なその姿は、先ほどまでの悩みこんだような表情の何倍も素晴らしい。

「ちょっと悩みすぎていたのかもしれませんね。正直問題は解決してませんが、気持ちは楽になりました」

「そうそう。気楽にいけばいいよ。愚痴くらいなら聞いてあげるからさ」

「聞いてくれるんですか、何だか似合いませんね。お金でも取られそうです。あはは、嘘です。ありがとうございます。あっ、そろそろ稽古の時間なので、失礼しますね。今日は本当にありがとうございました」

「いいよ、気にしなくて。それじゃあまあ、頑張りなよ」

 はい、といって、煉は部屋を出て行く。優希はそれを適当に見送ると、布団の上に再び横になる。

「偉そーに。何を言ってるんだか」

 優希には何の責任もない。けれど、少年に訪れるであろう苦難を知っている癖に、何もしていない自分が情けなく感じられる。
 優希は部屋の隅に置かれた、二つのアタッシュケースの内の一つに目をやる。あの中には報酬として手に入れた幾つかの触媒と、優希と相性の良いそれなりの質の琥珀が入っている。
 そして、それをどう使うかは優希の意思一つで変わるのだ。
 
 ――少しだけ、練習でもしてみようかな。

 小説のキャラクターではない「神凪煉」との会話を終えて、優希は小さく呟いた。



[5752] 第二話 「時は金なりの精神を習得する」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:df378d0a
Date: 2010/08/20 19:08
 優希は考え事を寝所でする癖がある。だから今もこうして、布団に寝そべりながら思考を廻らせていた。
 優希には才能がある。人よりも少ない力で、難題を解決できる可能性がある。だから少しだけ、急いで強くなろうかと思った。
 神凪煉。少し話しただけの少年。だけど彼は生きていて、人間らしい悩みを抱えている。その人間らしさが自分の世界に対する認識を変えてきていた。いや、人と触れ合う度に、優希は少しづつこの世界の生き物になってきていた。頭では理解していた事実を、無意識の領域から理解しようとしていた。

「柄じゃない気もするけど、やんないと後悔する気がするしね」

 後悔とは毒だ。どんなに楽しい時間を過ごしていたとしても、忘れるように努めていても、それはある日、突然思い出しては自分をさいなむ。猛毒なのだ。だから、優希は愚痴を言いながらも、何かを思い切り罵倒しながらも、自分が後悔するようなことから逃げ出したくないと思う。
 それは、ネットサーフィンをしたり、ごろごろすることとは別の問題だ。その時間を楽しむために、怠惰を満喫する気ならそれでいい。だけど、逃げる為に怠惰になっては、自分を好きでいられなくなる。
 だから優希は、部屋の隅から魔術用品の入ったアタッシュケースを持ち出すと、布団の横に置いた。中から取り出されるのは、沢山の魔道書だ。
 正直、不安も悩みもある。そこまでしてやる義理はないとも思う。だけど、気に入った人間の悲しむ顔を見たくないというのは、きっと人として当たり前の感情だろう。

「今度は10億ぐらい請求しようかな。煉くん当てで」

 ああ、それがいい。惚れた女を救うためだ。それ位の出費は痛くも無いだろう。
 優希はそう思い直すと、意外と簡単に重大な指針を決めた自分に苦笑しながら、自身の強化案を作成する。
 さて、と。

 ――先ずは、時間を作ることから始めよう。

 それが例え超常の力を操る魔術師であっても、肉の身体をもって動いている以上、睡眠は欠かせない。それは身体的にも特殊だといえる優希であっても、同じことだ。だが、だからこそ、優希はそのくびきから逃れる方法を探していた。
 ゼノンとの戦いまで、あと一月半もない。だから時間を引き伸ばす手段が必要だった。そして、見つけた。方法を探すこと自体はそう難しくなかった。寧ろ、優希の技量なら覚えていなかったのが不思議に思われるほどだ。何せ、市販の大した価格でもない、一般的で浅い内容しか載っていないような本にすら、それは書かれていたのだから。
 本に載っていた方法は、簡単だった。就寝前に自らに眠りの呪文をかけるという、それだけの話しだった。優希はそれを知って、何で直ぐに思いつかなかったのだろう、と嘆いた。
 深く眠れば肉体はその分、回復する。当たり前のことだ。だから「強力で時間制限をつけた眠りの呪い」を自分に掛けることが、この世界の魔術師にとっての、効率よく睡眠をとる一般的な方法だった。だが、優希はまだこの世界に存在し始めてから長くない。だからこそ、高い能力を持ちながらもどこかアンバランスな優希は、その術を理解すると、己の手に入れた知識と組み合わせて新しい術の作成にかかった。
 人間に関わらず一般的に生物は、肉体と精神、魂によって構成されていると考えられている。これを三位一体論というらしい。魔術師の視点から考えて、根源ともいえる魂に干渉するのは難しいといえるが、肉体や精神に干渉するのはそれに比べれば大した難度ではない。勿論、何事も突き詰めれば、それが基本的なことであっても難しくはなるのだが。だがこのレベルなら、実践不足の優希でも行える自信があった。
 優希は考える。理想とするのは、全身の筋肉疲労と脳の疲労、呪力の回復を短期の睡眠で行えるようになることだ。一時間で十時間分の睡眠がとれる、ドラえもんに出てきた睡眠圧縮剤が欲しいところだが、望んだところで彼はいないのだから、自分で作るしかない。

「取り合えず、呪力の回復は後で考えるとして、脳と全身の筋肉の回復を先に考えようかな。普通に深い睡眠をとる方法と、肉体に干渉して直接的に疲労を取り払う方法があるけど。今回は、深い睡眠をとる方法でいこうかな。まだ直接的に干渉するのには、力量的に不安が残るし」

 そう結論づけて、優希は精神を集中させる。精神世界である神殿を構築し、自身の写し身である光体を構築し、光体と同調を開始して魔術の作成にかかる。大まかな構成が出来上がり、優希はその出来を判断する。
 自身の内に刻み付ける事で、呪文詠唱の省略に成功できる。4時間ほどの睡眠で、恐らく9時間分の睡眠はとれる出来栄えだ。それに加えて、周囲の呪力を回収して自身の物とする。
 それが優希の作った魔術。一般的に言えば、初めて作ったにしては上出来といえるだろう。だが、優希は不満だった。

 (必要な睡眠時間が長すぎるし、呪力の回復も大雑把過ぎる。これじゃあ使えない)

 精気と呪力には関係がある。このままでは必要睡眠時間の長さには目を瞑っても、呪力を吸われることで精気がなくなった寝台や部屋の空気は腐ってしまうだろう。だから、優希は更なる改良を試みた。
 術式の構成を複雑かつ繊細にすることで、より深い眠りに入れるようにする。同時に睡眠時には、肉体を癒すための回復魔術が発動するようにして、必要睡眠時間の短縮化を狙う。回復魔術も改良して、少ない呪力で強い効果を発揮できるようにする。強いとはいっても優希が符に組み込んでいるような、怪我を目に見えて癒していくような魔術ではないこともあり、これは無理なく術式に組み込むことができた。
 続いて呪力の回復だが、これを考える前に知っていて欲しい事実がある。
 
 新たに手に入れた知識を元に魔術師に言わせれば、魔術など神秘を行使するのに必要なのは「呪力」であり、呪力とは「肉体と精神から振り絞る精気(オド)」と「魂から振る絞る霊力」、それに加え「世界に満ちる力である魔力(マナ)」の総称である、という事だ。これはこの世界のオカルトに関連する者でも間違えることがあるくらい、初歩的で間違いやすい事実らしい。
 まあ、その影には思想の違いや、扱う神秘の種類によって使う力の配分が異なるという理由があるのだが。ちなみにこの理論で考えると、優希が今まで霊力だと判断していた物はオドと霊力の混合物だということになる。
 そしてそれを念頭に考えに考えて優希は、寝ている間に呪力を完全回復させることを諦めた。
 今の優希では、良い方法が思いつかないし、そもそも優希には呪力を貯蓄する術がある為に、必要性が薄くなったこともある。しかし何よりも、優希は

 (とはいえ、周囲のマナを緩やかに自分の周囲に集めるぐらいの術式は、混ぜてもいいかもしれない。気休め程度かもしれないけれど、少しでも呪力を回復できるならそれに越したことはないしね)

 それはどちらかというと、風水の分野だ。だが、優希に風水の知識は少ない。だからどちらにしても、大規模なマナを地脈を利用して自動で集めるような術式は生み出せなかった。
 だけどマナを集めるということは、規模を小さく考えれば魔術師なら誰でも出来ている技術。

 (だから、きっと出来る)

 優希は真剣に術式をいじっていく。そして改めて思った。
 自分は魔術が好きで、一人の人間であると同時に魔術師なのだ、ということを。
 何度も繰り返される試行錯誤。ようやく完成したと思ったら、より良い魔術にする為に改良版の作成に取りかかる。
 そうして、精神世界での時間は延々と過ぎていく。納得のいく物を生み出す為に。

 ――優希は目を開き、現実の世界に意識を戻した。

 外は夜なのだろう、部屋の中は真っ暗だった。優希は強い疲労に襲われながらも前に百円均一で買った、日付確認が出来る電子時計を取り出す。時刻は12時を少し回ったところ。日付は、まだ変わったばかりだった。
 もう何日もそうしていたような気がしていたが、実質の時間は8時間と少ししか、かかっていなかったらしい。
 作りたい魔術の元がシンプルだった所為か、少し凝りすぎたようだった。というか、戦場で即席で作った魔術よりも地味なのに、総動員された知識はそれよりも多かった気すらする。

「僕って結構凝り性なのかも。まあ、ちょうど良く疲れていることだし、夜だし。……寝ますか」

 お風呂は明日入ればいい。顔を洗わず、歯も磨かないのはどうかと思うが、それもまた後で。
 今は疲れた。寝ることにしよう。

「おやすみなさい」

 そう呟いて優希は布団に入り込む。時間を確認、就寝時間は0時26分だ。
 ――そして優希は、目を覚ました。
 疲労は完全に消えていて、オドは完全に回復。マナも普段の二倍は回復している。すっきりとした目覚めだ。だが、それでも目やにはでるので、優希は目をこすりながら電気をつける。
 そして気づいた。

「――寝た気がしなぁぁぁいっ!!!」

 外は相変わらず真っ暗。時計が示したのは1時25分。期待通りの出来とはいえ、優希は外の暗さに、何かを間違えたような感覚を覚えていた。
 時差ぼけに陥りそうで、心配だ。




…………………………………………………………………………………………………………

行間を戻してみた。



[5752] 第三話 「腕試しに出向いてみたりする」
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:df378d0a
Date: 2010/08/27 21:36
「ご相談があるのですが」

 12月も半ばの雨の日。そう言って、優希は重吾に話を切り出した。

「ふむ、お主が相談とは珍しい。何かあったのかね?」

「いえ、大したことではないと思います。ただちょっと、……仕事を斡旋して欲しくて」

 自分で望みながらも若干嫌そうな優希の言葉に、重吾はあごに手を当てて考える。
 目の前の娘は、綾乃と同年代に見える外見を持つ才能ある魔術師だ。魔術師ならば実年齢と外見年齢に差があることは珍しくないが、「宿神」を名乗る彼女は外見年齢そのままの少女であるように感じる。
 ……宿神、優希か。
 重吾は心の中でそう呟く。重吾には、その名に心残りがあった。
 常に首都から離れた里に隠れ住むという、「こちら」の世界では伝説というか、迷信のような一族。「優れた子孫を産む」という特性を持ち、その特性ゆえにモルモットとして、または次代の苗床として狙われ、遂には根絶したという一族。その一族の名こそが宿神だった。彼らは自身の「神」を信望し、その加護と特性によって育まれた実力を持って、外敵を排除しながらひっそりと生きてきたという。
 そんな迷信のような一族の実在を重吾が知ったのは、重吾が当主となり数年が経ったあとの話。重吾の父であり先代当主、頼道の業績を調べなおしている時期のことだった。
 頼道は炎術師としての才能がない代わりに、謀略の才を持った人物だった。そんな彼が行ってきたアレコレの中には、重吾の治める神凪に禍根を残していることもあるかもしれない。という訳で資料を眺めていた重吾だったが、そんな中に頼道が調べた宿神一族の情報が載っていたのだ。
 ――其処に書いてあったのは、ある意味当然とも言える悲惨な歴史だったのだが。
 簡潔に言えば、宿神一族は滅んだ。数十年前の話だ。彼らは魔術組織「アルマゲスト」によって「捕獲」され、その身と歴史を悲惨な影の中に落としたらしい。彼らがその後、どうなったのかは知らない。
 だが、そんな一族の姓を名乗る彼女が、堂々と(和麻や綾乃によって無理やり連れてこられた感はあったが)この神凪を訪れ、その実力を発揮した事件の数々は重吾にとっても記憶に新しく、また何の因果か仮住まいとはいえこの家で寝食を共にするようになってから、もう一月は過ぎていた。
 そしてその間に重吾は、彼女のことを「おかしな娘だ」と思いながらも、少しづつ理解してきたのである。
 だからこそ重吾は、妙だと思った。

「お主が自分からそう言って来るとは、思ってもおらんかったよ。面倒ごとも、神凪と関わるのも、お主は快く思っていなかっただろうに」

「まあ、確かにそうなんですけどね」

 目の前の優希は、頭をぽりぽりとかきながら、「ばれてたんだ」と呟いた。それに重吾は「隠す気も無かった癖に」と笑う。

「まあ良い。お主の実力は信頼に足る物だし、代打として出した所で神凪の名に恥を塗ることはなかろう。どんな仕事が望みだ? やはり安全な、浄化の仕事にでもしておくか?」

「いえ。それはそれで魅力的なんですが、寧ろ思いっきり危なくて、それなりに敵の数が多い仕事がいいです。あっ、殺しは極力したくないので、妖魔相手のお仕事でお願いします」

「ふむ。まぁ、いいだろう。最近は部屋に閉じこもって色々やっていたようだし、魔術の試運転でもするのかな?」

「そんなところですよ」

 思考を巡らす。重吾からすれば、先ほどからの優希は予想外を連発しており、やはり変だと思う。
 だが、彼女はまだあらゆる意味で「成長期」のようだ。考えが変わることも多いだろうし、本人が望んでいるのだ。叶えてやってもいいだろう。彼女には恩もある。

「分かった。実は風牙衆の事件前から依頼されていた仕事がある。『百鬼夜行の討伐』。忙しいのと人手不足もあって保留していたのだが、依頼主が他の家に任せても、死人が出るだけで解決しない、相当に強力な相手のようだ。家が復旧し始めてきた今こそ、綾乃にでも任せてみようかと思ったのだが。――受けてみるかね?」

「……お願いします」

 一瞬の照準のあと、優希は頭を下げた。重吾は鷹揚に頷く。

「ならば任せた。……お主が無事に帰ることを、信じておるぞ」

 その言葉に、目をぱちくりさせて優希が驚いた。重吾も自分の言葉に、少しの疑問を覚える。だが、そんなことは置いておこう。重吾が秘書である周防に声をかける、と何処からとも無く現れた周防が資料を持ってきた。その中から件の依頼に関する物を優希に渡そうとした所で。

「ふふふ、帰る、ですか。分かりました。ちゃんと帰ってきますね」

 優希は悪戯な笑顔でそう続けて、立ち上がると重吾に背を向けた。囲われるつもりはありませんけど、今回だけは。そんな呟く声が聞こえる。 

「じゃあ、失礼します。詳細はあとで資料に纏めて、部屋に置いといて下さいね。あっ、できれば自分の身を守れる程度の、接近戦が得意な人をお供に付けてくれると嬉しいな。あと報酬が気に入らなかったら呪うから。覚悟しといて。それじゃあ」

 勝手なことを言い連ねて、優希は部屋を後にする。重吾はその姿に苦笑を漏らした。

「話し言葉に少し、地が出ておるぞ。ばか者が」

 静かな和室の中。苦笑しながらも、重吾は穏やかに笑っていた。




 ――それから三日後。優希は煉と共に百鬼夜行を退治する為、長野県にあるとある町を訪れていた。

「ここが依頼主がいるっていう町かぁ。……長かったなぁ」

「新幹線と電車、バスを乗り継いでの旅ですからね。少しお尻が痛いです」

 そう言って煉は、自身の尻を撫でるようにさする。それを見た優希も、んー、と伸びをした。ここまで来るには長かった。そして駅弁は美味しかった。
 精神的には疲れたのだが、肉体的な疲労は優希の魔術のおかげもあり、実際はほぼ零だ。優希と煉は戯れを止めて、依頼主が待つ神社へと向かった。
 そして、以前の物よりも少し大きなアタッシュケースを引きずる優希を、哀れに思った煉が代わりに持つ様になって数十分後。

「ようこそお越しくださいました、神凪のお方。私がここの責任者ですじゃ。神凪のお方、件の妖魔。我々の力ではもはや、抑えること構いませぬ。どうか、どうかあの鬼女を退治してくだされ」

 山奥の神社にたどり着いた二人は、神職の衣に身を包んだ多くの術者に出迎えられ、その奥へと案内された。そこにいたのは、この神社の「現在の」最高責任者でもある、葉霧と名乗る静かな目を持つ老人だ。
 この神社は特殊な使命を持つ為、明階(どこの神社でも宮司がやれるレベル)以上の階位で尚且つ優秀な術者でなければ働けないらしいのだが、この人物はその中でも神職の最高位である浄階であるという。はっきり言って、中々の大物である。
 かなりの高齢に見えたが、よくよく観察してみると「抑えている」印象を受けるにも関わらず、煉と同程度の呪力が感じ取れた。つまり、一般的な術師と比べても相当に高い呪力の持ち主だということだ。優希はそんな人物から受ける依頼の難度を思い計って、内心で溜め息を吐いた。自分で決めたこととはいえ、死地に自分から飛び込もうとしているのだ。覚悟はとうに決めたとはいえ、仕方が無いことだろう。
 そして、「百鬼夜行の討伐」という依頼の詳細を葉霧に聞いた所で、優希は溜め息をはいた。

「――鬼女、紅葉。平安時代に第六天魔王の加護を受けて生まれ、八幡の神より授かった神剣を持った平維茂によって退治された『筈』の妖魔ですか。……そんなものの封印が、どうして解けちゃったのかなぁ」

 疲れたように言う優希に「本性漏れてます」と煉が腕を引っ張って諌める。ごめんごめん、と小さな声で言い、優希は真面目な顔で話を聞く。口調を改め背筋を正す。まずい、最近は地が出てしまっている。
 依頼の詳細を聞いた二人の感想とは「予想以上に大変そうだ」という物だった。紅葉狩という、能の一曲にもなっている伝説。それに出てくる鬼女「紅葉」。この神社ではその存在が封印されていた。しかし、二ヶ月前に封印は解かれ、紅葉は開放されてしまったという。その存在の討伐こそが、百鬼夜行退治の詳細だったのである。

「確かに、滅してしまえば良かったのかも知れんのう。だが紅葉の力は凄まじく、術者としての修練よりも剣士としての修練を積んだ平維茂では、心の臓に神剣を突き刺し続けることによって封印を成すことしか、出来なかったのじゃ」

「実際は、神道の『正邪関わらず神として祀り加護を得る』っていう一つの特性から考えても、鬼女紅葉を『町を守る為の術式に組み込んだ』って所かな。それだけの力を持った鬼が都合よく封印できたんだもの。僕だったらそうするね」

「優希さんっ」

「ああ、そんなに堅苦しくせんでもよいよ」

 それに、その通りじゃからのう。葉霧はそう言って申し訳無さそうに微笑んだ。神木に神剣で縫い付けられた紅葉。当時の術者はその状態の彼女を触媒に、この町を守る術式をくみ上げた。
 そしてそれにより、町を他の妖魔から守り、発展させていったのだろう。

「ほらね?」

「……あとでお説教です」

 悪びれない優希の態度に煉は怒りを示すが、ぷんぷん、と形容できるような可愛らしいそれでは、優希の反省を促すことは難しい。優希は内心で「相手が怒ってないのだから、いいじゃないか」等と思っていた。
 そんな二人を穏やかな目で見た後に、葉霧は疲れたような声で話を続けた。

「わしは術の触媒となり、封印の中で長い時間を過ごした紅葉に若干の哀れみも覚えた。じゃが、我々にも使命がある。この町を守るという使命が。そして術が続く以上、この町の平和は保障された筈だったのじゃ。じゃからこの神社の者は皆、術の維持と町の安寧に身を捧げてきた。……じゃが、それも二ヶ月ほど前の話じゃ」

「何があったんですか?」

 悔しそうに目を細めた葉霧に、煉が聞く。葉霧は話を続けた。

「突如として現れた魔術師により、神剣が奪われてしまったのじゃ。当然、我々は封印を維持する為に全力を尽くしたが、要の神剣無ければ術の維持は不可能じゃった。徐々に綻びは広がり、町の結界は弱まって妖魔が集まった。――そして遂に、紅葉は復活したんじゃ」

「なるほどね、分かったよ。ようするに、どっかの欲深な馬鹿の所為で大迷惑ってことだね。……資料に書いてあった、死人が出たって言うのは?」

 優希はそう言うと、眉をひそめて葉霧を見た。葉霧は一つ頷くと、お茶を一杯すすって言う。

「この神社にはわしを含め12名の術者がいたが、紅葉が開放された際に三人喰われた。残りは紅葉退治の為に雇ったフリーの退魔師が六人、神社本社から来てくれた増援が二人、百鬼夜行を操る紅葉に襲われて死んだようじゃ」

 ふーん、分かった。葉霧の口から犠牲者の数を聞いて、優希は呟いた。

「その魔術師のことも気になるけど、とりあえず。――煉くん、鬼退治といきますか?」

「――ええ、いきましょう。優希さん。これ以上、被害は出させません」

 二人はそう言って立ち上がる。意気込む二人に、葉霧は深々と頭を下げた。

「――宜しくお願いいたします。我らの思い、お二人に任せましょう」

「「我らからも頼みましょう。宜しくお願いします」」

 葉霧に追従するように、隠れて話を聞いていた神社の者達が現れ、また頭を深く下げる。優希と煉は、顔を見合わせた。
 負けるわけには、いかない。



[5752] 第四話 「試し撃ちをしてみたりする」
Name: 平凡眼鏡◆b6f4c63e ID:06be8895
Date: 2010/10/17 11:56

 深夜。人気のない道を、長い黒髪の少女が一人で歩いていた。道沿いの街灯は少なく、月明かりの存在によりかろうじて明るさが保たれている状態だ。
 だが、少女はそんな不気味な道を、怖さなど感じていないように淀みなく歩いていた。

「へくちゅっ」

 けれど、可哀想に。流石に寒いのだろう。凛々しい歩き方とは裏腹に、少女はくしゃみを一つつき、鼻を啜った。
 気温は随分と低く、少女の吐く息は白く染まっている。吹き付ける風は少し冷たかった。
 少女のチャコール色のストライプシャツワンピースは、股下までを完璧に隠していて、ネイビーカラーのジーンズに動きやすそうなブーツを履いている。胸元には赤い宝珠。ユニセックスな小さめのメッセンジャーバックには、多くの物が詰められている事が見て取れた。
 昼間だったらまだ良かったのかもしれないが、現在の気温を考えると少し心細い服装だ。少女は内心で溜め息をつく。

(マフラー、持ってくれば良かったな)

 色々と考慮した上での服装だったのだが、少しまずかったかもしれない。
 そうは思うが、まあ、済んだことを考えてもしょうがない。そのまま歩き続ける。と、そこで気づいた。

(街灯の明りが消えている)

 少ないとは言っても、つい先程までは確かにその存在を主張していた筈の街灯が、消えていた。
 そこで少女は異常に気づいた。

(街灯だけじゃ、ない)

 先程とは、空気が明らかに変わっていた。人気の少ない道だとはいえ、住宅街にも関わらず周りの家々から物音一つ聞こえてこないというのは、流石におかしい。

「きゃあ」

 それだけではない。ぱりん、ぱりんと、明りの消えた街灯が、次々に割れていった。
 同時に全方位から聞こえてくる同じような破砕音。周囲の家々から漏れていた明りも消える。
 後に残されたのは、自然の闇。残る明りは、空に浮かぶ月だけとなってしまった。少女は辺りを警戒しながら身構える。そして次の瞬間ついに。
 
 月が、隠れた。
 
 最後の明りが消えた。
 訪れたのは、突然の闇。ざわざわと風がざわめく。辺りの木々が揺れていた。少女は一人、怯えた表情できょろきょろと辺りを見回す。そして上を見て驚愕した。
 鮫のような姿のもの、虎のような姿のもの、言葉では言い表しがたいぐにゃぐにゃとした姿のもの。そんな異形によって空全体が覆われていたのだ。月さえも隠す数の異形が。
 この世のものとは思えないような光景に、呆ける少女。そんな姿を嘲笑うように、空から異形の一部が群れを成し、雪崩のように襲い掛かった。魍魎、妖怪。そんな異形の存在たち。それらは闇を切り裂くように、あるいは闇そのものが襲い掛かるように、無力な少女を食い殺そうと飛来する。

「きゃぁぁぁぁぁ」

 その存在に気づいた少女の悲鳴が、町中に響き渡る。けれどここはもう、結界の中。常識から切り離された、異形たちの狩場だ。
 少女は既にこの世界に取り込まれていた。だから、助けなど入る筈がない。異形の群れが顎を開く。餌はもうすぐ其処だ。
 けれど。

「――ぁぁぁっ、なんてね?」

 少女は怯えたふりを止めて、にやりと笑った。やっと現れたと、獲物を見つけたという感情の篭った、捕食者の笑みだった。
 それに気づくだけの知能を持った者も、異形たちの中にはいたのだろう。若干だが、群れの統率が乱れたように見えた。だが勢いの付いた群れは急には止まらず、少女へと近づいていく。
 そして、それは致命的な間違いだった。
 少女が舞うようにその場で腕を広げ、指で円の軌道を描く。その指がなぞった軌跡は緑色に輝き、輝く輪となると、そのまま少女の身を守る光の壁と変じて異形の群れを阻んだ。

「「GruuuuuuuuuuuurrrRrraaaaaaAaaaaaaa!!!」」

 壁を避けられた者、被害の少なかった者は、勢いのまま再び上昇し空へと上った。だが自ら壁へとぶち当たった者は、ある者は光の壁と後ろから訪れる異形の圧力によって潰れ、ある者は避けようとして地面へと激突していった。

「ちょっと、邪魔かな」

 そういうと、少女は輝く壁を消し、シャツで隠れたジーンズに取り付けられたポーチから短剣を取り出した。
 柄は瑠璃で出来ていて、黄金の蔦で装飾されている。刀身は蜂蜜色の琥珀で出来ていて、一切の曇りなど無かった。よくよく見ると随所に細かい彫金が施しており、美しいが普通に考えたら実用には耐えそうに無いような短剣だ。
 だが、少女は居合いの体勢を真似るように重心を落とすと、力強く短剣を一閃した。

「「GYRAAaaaaaaaa!!!」」

 一閃した短剣からは、緑色の光線が斬撃のように放たれ、地に落ちていた息のある異形を消し飛ばす。
 少女は笑う。そしてお腹に力を込め、大きな声で宣言した。

「わが名は優希っ。宿神優希! ……雑魚なんかに用はない。僕を殺したいなら、全力で来なっ!!!」

 狩る側と狩られる側が逆転する。少女は無力では決してなかった。少し前の事件から成長した優希の姿が、そこにはあった。
 けれど、そこに絡みつくような女性の声が響く。

『――威勢のいい事子供ネェ。とォっても生意気。だけど、随分と美味しそうねェ』

 再び月が現れる。異形がその女性を敬うように道を明けた結果だった。月を背にして浮かぶ女は、足元まで伸びた長い黒髪の妖艶な女性の姿をしていた。
 但し、街中であっても男は決して声をかけなかっただろう。その女の頭部には二本の角が生えていて、目は赤く爛々と輝いていたのだから。

『溢れる霊力。若さ、嗚呼妬ましい。けど素敵。……本当に美味しソウ』

 舌なめずりをする紅葉。けれど優希はそんな女の姿に怯えず、軽い調子で声をかけた。

「貴女が紅葉さん、だね。散々やらかしてくれたみたいだから、神凪の家に退治の依頼が入ったんですよー。……という訳で、大人しく滅せられてくれない? 面倒ごとって僕、嫌いなんだよね。一撃で済ませてあげるからさぁ」

『ほほほ。愚か、愚か。全くもって、……この愚か者がぁ。お主ごときガ、我を滅すると? 笑わせてくれるワ!!!』

 交渉が決裂するのは早かった。荒々しい第六天魔王の影響を受けているせいもあるのだろう、安い挑発に紅葉が早々と本性を出す。
 口が裂け、美しい女性の顔から般若の相へと変貌すると、紅葉は腕を空に掲げ、振り下ろした。異形、百鬼夜行が優希へと襲い掛かる。
 
「うわー、これ位で怒るとか、マジ更年期障害なんじゃないですか?」

 優希は更に火に油を注ぎながらも、素早く地面に短刀を突き刺す。本来頑丈とは言い難いはずの琥珀の刀身は、コンクリートの地面に深々と突き刺さった。
 更に襲い掛かる百鬼夜行を足止めするために、優希はバックの中一杯に詰まった琥珀の数々から、両手で掴めるだけの琥珀を取り出すと、自身を中心に円を形作るように琥珀を放り投げる。
 そしてそれらを触媒に、先程生み出したものよりも遥かに強固な結界を作り出した。

「GYRrraaaaaaaraaaaaaaaaaarartatAaAsaaa!!!」

『小賢しいッ!』

 再び壁へと激突した百鬼夜行が悲鳴をあげ、その光景を見下ろしている紅葉が悔しそうな声を上げた。だが、優希は不適な笑みを浮かべる。

「謝るなら今のうちですよー。消滅か封印か、今なら二択を選ばせて上げます。ちなみにお薦めは消滅です」

『黙れィィッ!!!』

「HiiGYYYYyyyyyyiiiiiiiiii」

 優希の挑発を受けて更に激昂した紅葉は、百鬼夜行の群れを掴むと潰し、混ぜ合わせ、返成させ、闇色の弾丸を放ち始めた。

「くっ、ちょっとまずいかも」

 空が次々と晴れていく代わりに、異形が弾丸となって優希の結界に突き刺さる。紅葉は狂笑を上げながらその数を増やしていった。
 緑色に輝く結界に、皹が入っていく。
 優希は結界を新たな琥珀で補強しながら考える。もしもこの結界が解けたのなら、優希は結界全面に張り付くようにして圧力を与えている妖魔に食い殺されるだろう。いや、その前に、闇色の弾丸に貫かれるのが早いかもしれない。どちらにしても、その瞬間が優希にとって最期になるに違いない。
 まだだろうか。あと何秒ほど掛かる? 優希の心に焦りが生まれる。

「GHURYyyyyyyyyyeeeeeeeeeiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii」

『ほほほほホッ! こんなものかェ、威勢がいいのも最初だけかェ!』

 百鬼夜行が結界に更なる圧力を加える。闇色の弾丸が更に数を増やす。
 予め霊力を込めておいた琥珀を結界の補強に使うが、障壁の亀裂は治まるどころかどんどんと広がっていく。
 だけど、その圧倒的に不利な状況の中で。

「――きたぁっっっ!!!」

『なっ、何じゃァ!?』

 待ち望んでいた「繋がる」感覚。その時の訪れに、優希は歓声を上げる。
 胸元の宝珠が輝いた。

「『……王者の剣を持ってこの地を征服する。今より此処は我が領地なり。為らばその全ては我の物であり、その力は我が為にのみ使われる』!」

 詠唱と共に輝く宝珠がペンダントから外れ、優希の目の前に浮く。優希はそこに右手を伸ばすと呟いた。

「Set up」

 右手から大量の魔力が流れ、宝珠が魔力を実体化した事で、先に赤い宝珠の付いた透き通った緑色の杖が生まれた。
 その杖を手に取り、優希は試しにぶんっ、と振る。

(上出来っ)

 手に馴染む感覚に、優希はにやりと笑う。
 意志の強そうな眼差しが、意地悪く歪められた。

『何をするつもりかは知らんガ、これで終わりじゃァッッ!!!』

 極大サイズの闇色の弾丸、直径10メートル程のそれが、紅葉の絶叫と共に結界へと振りかぶられる。
 ぱりぃぃんっ、と、硝子が割れるような音と共に結界が破られた。
 次いで、大きく口を開いた妖魔たちがその牙を、爪を振りかぶり優希に襲い掛かった。だが、もう遅い。

「悪いけど、『ここから先は一方通行だ』!」

 優希が杖を軽く振るう。その一振りで、一つが直径1メートルを超える緑色の光線が、優希を中心とした全方位に放たれた。
 悲鳴、悲鳴、悲鳴。鳴り響く破砕音に、響き渡る怨嗟の声。しかしそれも、浄化の概念が組み込まれた優希の砲撃によって、微塵も残さずかき消されていく。
 圧倒的な光景だった。今の攻撃で空を埋め尽くすほどの数がいた百鬼夜行は、翡翠の奔流によってその半分を黄泉へと送られていた。

『貴様、何ダ、何ダその異常な力はァァ! そのような力、人に許される領域を超えているァッ!!!』

「いやいや、本番前の試作品なんですけどね。上手く機能してくれたみたいで何よりです。王権の象徴である黄金と瑠璃(ラピスラズリ)を柄に、僕と一番相性の良い琥珀を使った刀身を大地に指すことで、王の伝承と権威を借りた『空間支配系魔術』。――王や貴族といったものは、時代において神そのものでした。そしてこの魔術を使用している今このとき、僕は紛れも無くこの地の領主であり、この全てのマナは僕の物です」

『馬鹿なッ、人ごときがそのような魔力の制御に耐えうる訳が無い!』

「嫌だなぁ。だからこそ『力の器』と『力の制御』用にもう一つ、『空間支配系魔術対応制御補助魔道具』であるこの杖を使っているんじゃないですか。……それに僕、こうみえても天才ですし血筋もいいんでね。利用する伝承とも相性が良かったんです。いやいやこの時ばかりは自分の生まれに感謝しましたね。ていうか、大体この短剣一本と杖の作成に、幾ら掛かっていると思ってるんですか。一軒家がポンと買えちゃう金額ですよ。これ位の結果を出してくれなきゃ困るってもんですよ」

 優希は軽口を叩きながらも杖を構え、襲い掛かる妖魔たちを次々に屠っていく。
 命の輝きを連想させるような力強い光線は、その反対のベクトルに位置するような百鬼たちに暴虐を知らしめていた。
 けれど、紅葉はその光景に焦りを抱くよりも怒りを覚えたようだった。光線を交わしながらも闇色の衣に包まれ、更に力を高めながら空を飛び回る。

『許せん、許せんッ! 我は人を捨てたというのにッ、我はこうまで捨ててきたというのにッ、何故お主はそうして笑っている。あの男もそうだった。あの女もそうだった。……ああ妬ましい。嗚呼、恨めしイ。我は憎い。彼奴らが、汝が、全てが憎い憎いニクイニクyeeeeniukeeueieeeeeeeeeeeeiii!』

「……誰のこと言ってるかはどうでもいいですけど。僕は僕です。努力も辛い思いもしてきましたけど、それでもこうして生きてます。あんたみたいな庶民生まれの嫉妬深い鬼女とは色々と違うんですよ」

 醜いと思った。汚いと思った。ああはなりたくないと思った。でも、人の心にはきっとあの醜さがある。実を言えば優希にだって、あの醜さはあるのだと知っていた。
 でも、だからこそ優希は気に入らない。神様の横槍があったからといっても、そんな物に負けて、嫉妬して妬んで怨念を撒き散らす鬼女となった紅葉が気に入らない。

「――という訳で、さっさとご退場願いましょうか」

 杖を強く握り締め、先端を空の紅葉へと向ける。短剣を基点に大地から、世界から、更なる魔力を収束した。
 願いの先はきっと暴虐。でもそこにほんの少しの「おやすみ」という気持ちを込めて。

「――術式確認、魔力収束開始、構成完了、標的補足、発射用意完了『ジェードブレイカーEX』、マキシマムシュートッッッ!!!」

 翡翠のごとき浄化の奔流が空を埋め尽くす。閃光が止んだ後には、空に浮かぶものは雲ひとつありはしなかった。



[5752] 【設定メモ】
Name: 平凡眼鏡◆9aa27795 ID:df378d0a
Date: 2010/10/17 11:58
【登場人物】

 ・宿神優希(すくがみゆき):「より強い子孫を生み出す」という特性を持つ一族。宿神の異端児にして当主候補だった。才能(特性)が肉体を凌駕し、男の子から女の子に変化してしまった特殊ケース。 普段の口調は僕っ子で、けちな所も見せるが散財も平気でする「稼ぐのが好き」なタイプ。凛とした雰囲気の中性的な美少女だが、若干つり目。意外と筋肉はついている。魔術師としての破格の才能を持つが、武術の才能と経験は無い。順当に混沌魔術師としての道を歩んでいるが、本人はあまり気づいていない。


【特殊技能】

 ・符術:隠形符、治癒符、破魔符、強化符、結界符、解呪符の六つがある。主に使われるのは破魔符。優希によって定期的にいじられ改良されている。呪力を閉じ込めることが出来るので、発動には殆ど呪力を必要としない。

 ・スターライトブレイカー(仮):物に貯蔵していた呪力をかき集めて、限界を超えた一撃をお見舞いする技。風牙衆戦では、破魔符を利用したこともあり浄化の力が宿っていた。

 ・神聖樹(フラグーン):妖気や邪気などを養分として育つ、木の種を植えつける魔術。その養分とは裏腹に、浄化の力を持つ。相手の妖気が濃ければ濃いほど大樹となる。

 ・快眠魔術(仮):一時間程の睡眠で肉体疲労・内気を全快させ、外気を四割回復させる魔術。また優希は術式を精神に刻み込んでいる為、呪文詠唱の必要が無い。
地味な効果の割りに使われた知識は膨大。「24時間働けますか?」

 ・演舞:日本舞踊の経験。日常動作が若干美しくなる。


【呪力量(MP)】

・それぞれの呪力量(MP量)を簡易的に表すと内訳は(SSS、SS、S、A、B、C、Dというランクだと考えて一般人「C」からスタート)

 ・優希が「霊力:SS」「内気(オド):S」「外気(マナ):SS」 ※(【宿神補正】:ALL++)(【宿神特性】ALL+)(【宗家補正】:霊力+)(【巫女補正】:外気+)
 ・綾乃が「霊力:S」「内気(オド):S」「外気(マナ):S」 ※(【英雄補正】:ALL+)(【神凪補正】:ALL+)(【宗家補正】霊力+)(【肉体修行補正】:内気+)(【巫女補正】:外気+)
 ・和麻が「霊力:SS」「内気(オド):SS」「外気(マナ):SS」 ※(【英雄補正】:ALL+)(【神凪補正】:ALL+)(【各種修行補正】:ALL+)(【宗家補正】:霊力+)(【仙術補正】:内気・外気+)
 ・龍真が「霊力:S」「内気(オド):S」「外気(マナ):A」 ※(【宿神補正】:ALL++)(【宗家補正】:霊力+)(【肉体修行補正】:内気+)


 ※一般的な魔術師の平均を「霊力:B」「内気(オド):B」「外気(マナ):B」とする。
 ※一般的な一般人の平均を「霊力:C」「内気(オド):C」「外気(マナ):C」とする。
 ※上記の値はあくまで呪力量であり、戦闘力は考慮にいれていない。


【メモ】
 ・異世界移動の際、その世界に適応した存在として再構成されるというルールは「ない」。
 ・世界移動を出来るだけの力を持った「神」は珍しい。
 ・襲撃者のリストによると、宿神優希の優先度は「S」ではなく「A」。
 ・世界に貴賎はないが、流れ(方向性)はある。
 ・世界を目的の為、移動している集団も存在する。
 
 ・精霊魔術は戦闘技能としては最上位。
 ・精霊魔術は戦闘技能。魔術は可能性。
 ・現状、綾乃はその力に耐えられる刀があれば、それを使った場合でも炎雷覇装備時と比べ戦闘力はさして変わらない。(結界内など精霊の総数が少ない場合には、大きく影響がでる)
 ・今の炎雷覇は、その力の真髄を見せてはいない。


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