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[34934] ソードアート・オンライン 逆行の黒の剣士(SAO)
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:bdfb8406
Date: 2012/11/26 22:54
※原作のネタバレが多分に含まれています。
原作未読の方はその点を踏まえましてお読みください。




目の前で守ると決めた、愛する少女が光となり消えた。
彼女は死んだ。最愛の人をかばって……。

「これは驚いた。スタンドアロンのRPGのシナリオみたいじゃないかな?」

彼―――キリトは彼女を殺した男の声を耳に入れながらも、その男の言葉が意識には届いていなかった。
絶望だけが深く、彼をのみこんだ。

SAO―――ソードアート・オンライン―――と呼ばれるゲームの中の仮想世界。ここに彼らは囚われていた。
彼の目の前に立つ男、ヒースクリフことこの世界の創造主にして、希代の天才にして狂人、茅場晶彦。

二年前、彼は一万人もの人間をこの世界に閉じ込め、その命を握った。ナーヴギアと呼ばれる装置を使い、現実世界からこのゲームの、SAOの世界にプレイヤーを幽閉し、そのアバターのライフポイントが尽きた瞬間、現実世界の人間の命をナーヴギアが奪うと言うデスゲームを敢行した。
一万人のうち、二年で四千人近い人間が命を落とした。

脱出する方法はただ一つ。このゲームをクリアすること。
その最中、彼らは偶然にこの事件の首謀者である茅場晶彦が自分達と同じようにアバターとして存在することを知った。
彼は彼らのすぐ傍らにいたのだ。必死にあがき、このゲームをクリアしようとする彼ら嘲り笑うかのように、彼らのすぐ隣に、仲間として、最強のギルドの最強の剣士として存在したのだ。

その正体を見破ったのは、キリトと言う名前の少年。彼は二刀流の剣士だった。おそらくは茅場晶彦が生き残った数多のプレイヤーの中でも、最もお気に入りの剣士。
だからこそ、正体を見破った彼に茅場は一つの報酬を出した。一対一の決闘で見事勝てば、このゲームをクリアしたとみなし、全員を解放すると。

条件を同じにし、今まで誰にも知られずにいたシステム的不死をも解除し、同じ土俵で戦うと。
キリトはそれに同意した。
周囲はここは一度引くべきだと主張した。相手は公平をうたっているが、ゲームマスターであり、自由にプログラムを改変できるのだ。どんな卑怯な手を使うかわからない。

しかしキリトはそれを聞かなかった。絶対の勝算を持っていたからではない。ただ許せなかったからだ。
自分達をこのゲームに閉じ込め、デスゲームを強要したからだけではない。目の前の男が、彼の最愛の人の心を傷つけたから。このデスゲームのせいで、彼女がどれだけ苦悩し、苦しみ、涙を流したか。
そう思うだけで、わがことのように彼は憤慨した。だから退かなかった。退けなかった。

周囲の人間は彼を止められなかった。止めれるものなら止めていた。しかし茅場晶彦がキリト以外を動けなくさせていた。
決闘はほぼ互角だった。いや、互角に見えていても、キリトが不利な状況だった。ゆえにキリトは最後の最後でミスをした。

培った経験や力ではなく、最後に茅場晶彦の作ったシステムの援護を切り札にしたためだ。
茅場晶彦は創造主。ゆえにこの世界のすべてを知る。システムに頼った攻撃はすべて彼の作り出したものであり、予想も、予測も必要なく、すべて知り尽くしていたのだ。

だからキリトは敗北した。敗北の代償は自らの命……ではなく、最愛の人の命だった。

(なんで……)

茅場の権限で、キリト以外は動けないはずだった。けれども彼女は動いた。奇跡でも起きたかのように……
だがそんな奇跡、キリトは望んでいなかった。深く愛し、失いたくない、守りたいと心の底から願った少女が、自分の目の前で砕け散ったのだ。

この世界の死は現実世界とは違う。死と言うものは同じだが、死ねばアバターを形成していたポリゴンが砕け散る。
彼の腕の中で彼女は砕け散った………。

「あ、ああ、あああああああ………」

声にならない声がキリトの口から洩れる。嘘であってくれ。夢であってくれ。そう願う。願わずにはいられない。

「アスナ、アスナ、………アスナ、アス、ナ」

でもそれは現実だった。どうしようもない、現実であった。
カランカランと、転がった彼女の愛用していた細剣をつかむ。これだけが彼女が今まで存在していた証……。

彼女を殺したのは自分だ。また、守れなかった。また失った。
胸が締め付けられる。もう何も考えられなくなる。
そのあと、キリトは自分でも何がしたかったのか、何をしたのかわからなかった。

気が付けば絶叫とともに剣をヒースクリフに、茅場晶彦に向かって振り続けていた。剣技なんてものではない、ただ闇雲に、意味もなく、剣を振り回していた。

「……残念だよ、キリト君。君は私にとってみても、アスナ君と同じでお気に入りのプレイヤーの一人だったのだがね」

お前が彼女の名前を口にするな! 心の中で彼は叫ぶ。

「君とは彼女とともに最上階で相対したかった」

本当に残念そうに彼はつぶやく。その顔には慈愛とも、慈悲とも取れる表情が浮かぶ。遥か高みから、人間を見る神のごとき姿。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!

「あああああああああっっっっ!!!!」
「本当に、残念だよ」

彼の剣がキリトを切り裂く。同時にその手に装備した盾で彼を弾き飛ばす。衝撃でキリトは遥か後方へと何度もバウンドしながら弾かれる。
彼の命の証たるゲージが減り続ける。そしてついにそれは消えた。
それが意味することは………
キリトを構成していたものが、ポリゴンの欠片となり四散する。

二〇二四年、十一月七日。SAO世界、アインクラッド七十五層、黒の剣士キリト、血盟騎士団副団長<閃光>のアスナ……死亡。




死と言う物を、キリトは驚くほどあっさりと受け入れていた。薄れゆく意識の中で、彼が願ったのは生への執着ではなかった。
ただ、彼女に会いたいと、それだけだった。

(アスナ……)

自分を庇い、死んだ少女。この世界に囚われ、傷つき、壊れかけていた心を救ってくれた最愛の少女。
お互いがお互いを必要とし、愛し、ゲーム内ではあるが結婚までした。二週間と言う短い時間ではあったが、その蜜月の時間は、何よりも尊く、愛おしい時間だった。
その間にいろいろあった。本当の娘と思える少女ともであった。

でもすべて失った。
彼女の顔が思い浮かぶ。笑った顔が、怒った顔が、幸せそうな顔が………。
キリトは願う。もう一度、彼女に会いたいと。彼女の顔が見たい、声が聴きたい、彼女に触れたい……。

それが決して叶わぬ願いだとしても………。




リンゴーン、リンゴーンと言う、鐘の音がキリトの意識を覚醒させた。

「えっ?」

キリトは数秒の間、その音が意味することを理解できなかった。周囲を見渡す。そこには自分以外にも大勢の人間がいた。それも全員が眉目秀麗な男女ばかり。
巨大な石畳、街路樹と中世を思わせる街並み。

「はじまりの街……」

声が漏れるここは確かにアインクラッド最下層にある最初の街だ。だが、なぜ自分がここにいる。自分は死んだはずだ。

「お、おい、大丈夫か、キリト」
「えっ? ………クラ、イン?」

声をかけられ、キリトは隣を見る。そこには一人の男が立っていた。つい先ほどまで一緒に戦っていた仲間であるカタナ使いの男。
だが違う。彼の顔が。のぶし面とバンダナがトレードマークの男だったが、今の彼はのぶし面ではない。
おかしいと思った。これはまるで、あの時の、二年前の……。

だがキリトのそんな混乱を前に、周囲の様子はあわただしく変化していく。
キリトはできの悪い映像を見せられているかのようだった。二年前のあの日とまったく同じ光景が目の前に現れた。

空から現れる茅場晶彦を名乗る巨大な赤い血のような色のローブを着たアバター。
彼の口から告げられる宣言。何もかもあの日のまま。あの日の再現。

(どういう、ことだ)

何から何まで同じだった。手鏡のアイテムにより、本来の自分の姿に強制的に戻されるところも。

「おめぇが、キリトか!?」

隣でクラインが絶叫し、あり得ないとかなんでこんなことができるんだと叫んでいる。それは周囲も同じだった。
またなぜこんなことをするんだと、クラインは言う。それはこの場にいる全員の思いだっただろう。
いや、唯一キリトだけが違う。

(どうして、俺はここにいるんだ? それともこれがゲームオーバーした人間の末路なのか?)

キリトの頭にその可能性が浮かぶ。HPが尽きれば死と言うのも、茅場晶彦が言っただけで、誰もそれを証明した者はいない。
ならば死ねば最初のステージに戻ってやり直し……。なるほど、確かにゲームとしてはありだろう。

(けど本当にそうなのか?)

わからない。それを確認するすべはない。それに隣のクラインの反応。
このSAOと言うゲームはオンラインゲームなのだ。それも体感型ともいうべき、自らの意識をゲームの中にダイブさせるゲーム。
つまりこの一万人ものプレイヤーにはそれぞれに意思があり、考え、行動する。彼らが全員茅場晶彦が作り出したNPCのはずがあり得ない。

それともこれはあの時からすべてのプレイヤーの行動を記録し、再現しているとでも言うのか。
無理だ。そんなことできるはずがない。ためしに、いくつかの言葉をクラインに投げかけた。簡単な質問だが、クラインはそれらのすべてに答えた。NPCにはできないことだ。
けどもし、死んでも最初からやり直しと言うのがこのゲームの仕様なら……。

(アスナも、ここに戻ってきている?)

それはキリトにとって希望だった。死んだはずの彼女がもしかしたら自分と一緒でこの場に戻ってきている可能性。
その考えに至った瞬間、アバターの体であるため、本来あるはずのない心臓がどくんと跳ね上がったような気がした。
もう一度、彼女に会えるかもしれない………。

(アスナ、アスナ、アスナ!)

周囲を見渡す。一万人近い人間の中で一人の特定人物を探し出すなんてことは不可能に近い。でも今のキリトにはそんなこと関係なかった。気が付けば、彼は走り出していた。

「お、おい! キリト!」
「ごめん、クライン!」

クラインの言葉を聞きながらも、キリトは広場の中を駆け回る。
前の、最初の時もほかのプレイヤーを見捨て、生き残るために、自分自身の命を優先させるために、この街を後にした。
だが今は違う。今のキリトを突き動かすのは、最愛の少女に会うためだけ。

(アスナ、アスナ、アスナ……!)

混乱する広場の中、公式配信前のβ版をプレイした人間が誰にも気が付かれないように、この広場を抜け出しているのが見える。
自分も本来はあの中の一人だった。でも今は己の強化など後回しだ。人の波をかき分け、彼は探す。探す。探す。
息が荒くなる。どこだ、どこにいるんだ!
そして……。

「あっ……」

キリトは見つけた。その少女を。

「あ、ああ……」

涙が出る。長いつややかな栗色の髪。脳裏に浮かぶ彼女のさまざまな顔が移り変わる。

「アスナ……」

一歩ずつ近づく。また彼女に会えた。また、彼女とともに生きられる……。
手を伸ばす。もう少しで彼女に触れられる。
だが彼女の表情に気が付いた時、キリトは不意に足を止めた。彼女は呆然としている。それは仕方がない。自分もこの光景を見た瞬間、何が何だかわからなかったのだ。
混乱するのも無理はない、と思った。だが何かが違う。何か、よくわからないが、自分の知る彼女とは違うような気がした。

何か、嫌な感じがした。ざわり、ざわりと何かが訴え抱える。やめろと、声をかけるなと。
もう一度会いたいと願った、守ることができなかった少女が目の前にいる。抱きしめたいと思った少女がそこにいる。なのに……。

「アスナ……」

彼女の名前をつぶやく。不意に彼女がこちらを見る。よかったと思った。彼女が生きていてくれた。それだけでキリトは救われた気がした。
だが次の瞬間、彼女の口から放たれた一言に、キリトは凍りつくことになる。

「君、誰?」
「えっ?」

キリトは目の前の少女が何を言っているのか、理解できなかった。おびえるような目で、彼女は聞き返す。

「なんで、私の名前知ってるの?」

なんだ、これは? 何の冗談だとキリトは思った。この世界で出会い、深く愛した少女から投げかけられる疑問。

「おぼえて、ない、のか……」

震えながら、何とか声を絞り出す。嘘であってくれ。間違いであってくれ。あの時と同じように、目の前で砕け散った少女に心の中で願う。

「知らない。ねぇ、それよりもこれって、何かの冗談だよね? 出られないとか、嘘だよね?」

アスナはすがるように、キリトに聞いてくる。弱弱しいアスナの姿。自分の知る彼女と違う彼女。いや、結婚してからまれに見ることがあった、彼女の一面。それをあの時のアスナは表に出すまいと、キリトに見せまいと努めていただけだ。これもまた彼女なのだ。

問われるキリトは何と答えればいいのかわからなかった。いや、彼も混乱のさなかにあったのだ。
再び会うことができた最愛の少女は自分の事を忘れていた。いや、忘れているのではない。知らないのだ。
これは罰、なのか。かつてギルドの仲間を見殺しにした自分への。最愛の少女を守れなかった自分への。

あはははと、嘲笑が自分の中に生まれる。
混乱にあったキリトの頭が次第に冷静さを取り戻す。自分でも信じられないくらいに。

「だい、じょうぶ。きっと、出れるよ」
「ほんと? 本当に?」
「ああ、絶対に、出れる」

攻略開始から二年経っても、クリアできずその前に死んだキリトだが、それでも目の前の少女の心を救うために、こんなことを言うしかできなかった。
だが同時にぐっと拳に力を込める。同時にこの世界を作り出し、閉じ込めた茅場晶彦を憎む気持ちが沸きあがった。

(やることは、決まった……)

いや、決まっている。あの男を、ヒースクリフを、茅場晶彦をこの手で殺す。

「大丈夫。俺が絶対に、このゲームを攻略する」

キリトはそう宣言すると、ギュッとアスナの体を抱きしめた。

「えっ?」

驚いたような声を上げるアスナだが、キリトはそれを無視する。下手をすればハラスメントコールを使われそうだが、幸いにも、アスナがそれを使うことはなかった。いや、知らなかっただけかもしれないが。
心の中で、キリトはいくつかの言葉を紡ぐ。

ごめん、君を守れずに。
ありがとう、俺に生きる目的をくれて。
さようなら、今度こそ、君だけは絶対に死なせない。

アスナを解放すると、キリトは何とか涙を堪え、精一杯の笑顔を浮かべる。

「きっと大丈夫だから」

彼女に背を向け、キリトは走り出した。

「あっ、待って!」

呼び止める声が聞こえる。本当は彼女と一緒にいたかった。でも自分にはできない。彼女は自分のせいで死んだのだ。自分が、彼女を殺した。
怖かったのだ。また彼女を自分のせいで殺してしまうかもしれないことが。

それにあのアスナは自分の知るアスナとは違う。自分の愛した少女は死んだのだ。もういない。もし今の彼女にあの彼女を重ねるのなら、それは彼女への裏切りに思えてしまった。

だからキリトは二度とアスナに会わないことにした。彼女もいつか攻略をめざし、攻略組に姿を現すかもしれない。それを阻止する手段は今の自分にはない。
それでもできることはある。
自分にはほかのプレイヤーにはない、絶対的なアドバンテージがあるのだ。

(はは、ほんと、ビーターなんて目じゃないな)

知識としてのアドバンテージ。それは途方もない。βテストの時の二か月の比ではない、知識が、経験がキリトにはある。
レベルも取得スキルも武器も何もかもがない中で、知識のアドバンテージがどれだけ大きいか。それは以前のプレイでも証明されている。

しかし今のキリトにはそれを独占する理由はない。だからこそ、わかる限りで、自分には必要のない情報やアイテム、イベント、攻略方法を開示する。
確かに必要で絶対に漏らしてはならない情報や、あの男に勝つために優先させなければならない必須スキルはたくさんある。

特にこの世界において、全十種類しかないユニークスキルの一つである<二刀流>。どうやって取得したのか、手に入れた当時はわからなかったが、ご丁寧にあの男は取得条件を教えてくれた。

『二刀流は全てのプレイヤーの中で、最高の反応速度を持つものに与えられる』

ヒースクリフ、茅場晶彦は言った。二刀流を持つ者が、このゲームの中で勇者の役割を与えられると。
もう一度、拳に力を込める。ああ、なってやる。なってやるさ。俺がお前を倒す。今度こそ、アスナを、絶対に死なせない。たとえ、自分の罪が許されなくても。彼女を死なせたという結果が残ろうとも、今度こそ、絶対に彼女をここから助け出す。

決意を新たに、キリトは走り出す。途中、街を出る前にクラインを探す。すでに初期スロットルに入るスキルの索敵は選択している。まだ熟練度はあってないようなものだが、人探しには役に立つ。むろん、本当に狭い範囲しかなく、かなり走り回った結果だが。

「クライン!」
「キリト! おめぇ、どこ行ってたんだよ!?」

心配したようにクラインがキリトに駆け寄る。

「悪い、クライン。俺は先に進まなくちゃならない」

あの時とは違う、さらに強い思いを胸に……。できる限りのことをレクチャーしたかったが、時間がない。
最初に必要なことだけ、キリトは簡単ながらもこの世界の本に書き込み、クラインに渡した。

「キリト、これ……」
「すまない、クライン。今の俺には、こんなことしかできない」

キリトはすまなさそうに言う。

「できる限りの情報は、優先的にお前に回す。だから、頼みがある。できる限り、大勢のプレイヤーにこの情報を渡してくれ」

一番いいのは、βテスト出身者がこの場に残り、始めたばかりのプレイヤーを導くことが、死者を少なくする最善の方法だろう。
しかし今のキリトは、一分、一秒でも惜しかった。レベルを上げ、攻略を目指す。
二刀流を取得していればまだしも、一人でボスは倒せない。それでも今は少しでも早くに必要な技能を取得しなければならない。

それに自分はソロプレイヤーとして長かったし、人を導くリーダーなんてものには向かない。
付け加えれば、おそらくこれからは前以上にビーターと言う侮蔑の言葉を投げつけられるだろう。
でも構わない。

「できる限り、集めた情報は送る。攻略やほかのプレイヤーに必要な情報を。だから、頼む、クライン」

頭を下げる。そんなキリトにやめてくれと、クラインは頭を上げさせる。

「何があったか、知らねぇが、わかった。男の頼みだ! 俺に任せとけ!」
「……ありがとう。じゃあ、俺はこれで」

背中を向け、キリトはクラインの下から離れようとする。

「キリト! おめぇ、本物は案外かわいい顔してやがんな! 結構好みだぜ俺!」

その言葉に、キリトは軽く笑うと、以前と同じように……。

「お前もその野武士ヅラの方が十倍似合ってるよ!」

言って、キリトは走り出す。もう一度、あの道を、今度は失わないように……。




あれから二週間。
キリトは前以上にレベル上げに執着した。βテストから、そしてあの二年で培った経験や知識で、キリトは他者を、それこそβテスターからも隔絶したほどのレベル上げを行った。

最初はヒースクリフを見つけて、正体を露見させ決闘を申込み、勝てばここから出せと言えばとも考えた。

だがすぐにその考えを捨て去る。
そんなことをしても意味はない。そもそも決闘しようにも、相手のレベルに自分のレベルが追い付かない。

お互いにユニークスキルを持っていない、今の状態なら対等かと思われたが、向こうはそれを上回る切り札をいくつも持っている。

それにあの時、あれは自分がプレイヤーの中で唯一、最初にユニークスキルを発現させ、それも勇者の役割を果たす二刀流、さらにヒースクリフの正体を最初に見破ったことで、彼の中にあった興味を増大させ、あんなふうな報酬を提示したのだ。

もし今、同じことをしようとすれば、即座に自分は殺され、口封じをされるだろう。
確かに開始直後、正体を見破った人間として驚愕を与え、大きな興味をひかれるだろうが、ゲーム開始早々、そんなことを言い出す謎の人物を見つければ、茅場晶彦はできたばかりのこの世界を混乱させる異物として、排除を行うはずだ。

そういう確信にも似た予感があった。

だからこそ、機会を待つ。奴が接触してくるのを。奴が、こちらの決闘条件を飲むように、興味を持たせ、自分の願いなら、多少なりとも聞き入れるようにするために。

それがビーターであり、攻略組の最強の存在であり、二刀流のユニークスキルである。

もし茅場晶彦がGMとしての権限をフルに使えば、プレイヤーは誰も彼に勝つことはできない。

しかしこの二年間で、茅場晶彦の性格をおぼろげながらに理解していた。ヒースクリフとの会話もそれを後押しした。

このSAOは基本的に公平さを貫いている。さらにはこのゲーム自体、基本を外さない。それは茅場晶彦の性格によるものだろう。

だからこそ、付け入る隙は十分にある。

あの七十五層での戦い。もしあそこでソードスキルを使わずに、単純な技量と自らの経験とセンスだけで戦っていれば、勝機をつかめたはずだ。

最初の決闘の際、オーバーアシストを使ったのは、自分の正体が露見するのを恐れたからだ。

ゆえに露見した後では、あの男は裏技を使わない。自らのプライドとこのSAOという存在にかけて。

何の根拠もない、勘に過ぎない考えだが、方法はそれしかないと思った。

それともあの二十二層で出会ったアスナとの娘のユイに協力してもらえればとも考えたが、茅場晶彦に直接そむいたわけでもないのに、自分たちを救うために力を使い、消去されてしまった。

その心は、あの時は完全に消される前に救うことができたが、今回はどうなるかわからない。

だからこそ、今自分が考えられる一番の方法を取る。
そのためのスキルの取得。レベル上げ。
基礎能力が低いことには、この世界では何もできない。

すでに第一層にしてレベルは二十に到達していた。
単独でボスに挑んでもよかったが、無理はできない。それにこの一層のボスには取り巻きがいる。一対一ならばまだしも、取り巻きがいる状態で単独でボスにあたるのは自殺行為だ。特に今の装備とレベルならば余計に。

(スキルは今のところ、何とか順調だな。反応速度をどんどん上げないと……)

これから自分に必要な、そしてソロで戦っていくために必要な技能の習得。早い段階での熟練度のコンプリート。熟練度はポイント制ではなく、使えば使うほど上がっていく。
知識による効率化。食事や睡眠を削ってのレべリング。それこそ、あの月夜の黒猫団を全滅させてしまい、生き返らせることができると言うアイテムを入手するために力を上げていた頃にも似ている。
自分が知る限りの情報もクラインを通じて流している。休憩している間でもスキル向上と覚えている限りの必要情報を書き出し、公開している。

PKと言う今はまだ表面化していない問題もあるが、それについても早急に明記し、配布した。これで死ぬ人間、殺される人間は少なくなるだろう。
今、始まりの街ではのちのアインクラッド解放軍のリーダーであるシンカーが、この情報をもとに今は、街の統率に努めているらしい。

キリトの行動により、前以上の変化が起こっている。βテスター達の多くは相変わらず単独行動が多いが、キリトの流した情報をもとに、早い段階からグループを作り、攻略に向けて準備をしている。
前の時は第一層でその命を散らしたディアベル。彼も元βテスターと言うことと、キリトが流した情報で早い段階からレベルを上げ、チームをまとめ上げていた。

噂ではシンカーと協力して、非βテスターのための育成や、治安の維持などに努め、現時点でのこのゲームの攻略の要と言われ、希望を抱かれている。
キリトはそれでいいと思った。ディアベルがもし第一層で死ななければ、間違いなく今後の攻略でも中核を担って行ったはずだ。
それに軍になった後でも、彼とシンカーがいれば、前のように軍が無茶をしたり、横暴を振るったりはないはずだ。

だから、汚れ役や嫌な役は全部自分が引き受ける。妬み、恨み、蔑み、僻み……。
自分は前にそれだけのことをしたのだ。
だから、ただ前に進む。あの男を殺し、このゲームをクリアする。それだけが今の生きる目的であり、意味であり、キリトに与えられた唯一の事だから。

(だから……)

キリトは一度だけ目を閉じ、すぐに意識を切り替える。
これから第一層攻略会議。以前よりも二週間も早い。当然だろう。そこに行くまでの道筋はキリトがすでに公開した。ボスの情報、ボス能力、取り巻きの有無。βテスト時とそこからの変化の可能性。現時点ではボス攻略には人数が必要とも付け加えている。
全部知っていることだ。

それに死者の数も最初に茅場晶彦に殺された二百人近いプレイヤーを合わせても、五百人に届いていない。
何もかも、あの男の思い通りにさせてたまるものか。
こうして黒の剣士の二度目の歩みは変わる。それがどんな道なのか、彼にはまだ、知る由もなかった。




はじまりの街。とある宿屋の一室。
そこにその少女、アスナはいた。ベッドの布団を頭からかぶり、蹲っていた。
すでに二週間が経過したが、状況の変化はない。救いの手が差し伸べられることはなかった。

彼女と同じように大勢の人間がはじまりの街から出ようとしなかった。その中でも現状を何とか収集しようと、リーダーとして立ち上がった人間がいた。
シンカーと呼ばれる男だ。彼はこのゲームのβ版をプレイしたあるβテスターからもたらされた情報と資金をもとに、ここに残る大勢の人間がこれ以上パニックを起こさないように、事態の収拾に努めた。

まだ二週間ではあったが、彼に賛同し、協力しようと何人かの人間が組織として行動を起こすようになった。これにより、何とかはじまりの街は表面上の平穏を保っている。
だが攻略を目指すプレイヤーからはまだ百ある階層のうち、一層を攻略したと言う情報はもたらされていない。

二週間しかたっていないから、仕方がないと言えるかもしれないが、このペースではどれだけの時間がかかるか分かったものではない。
それでもすでにボスの部屋は発見され、今日にでも攻略がなされると言ううわさが流れているため、街に残る大勢の人間はそれをわずかな希望として待ち望んでいる。

そんな中、アスナは一人違うことを考えていた。
あの始まりの日に出会った、一人の少年の姿。自分の名前を呼んだ、その少年の顔。その時はパニックになっていたため、深く考えなかったが、よく思い返せば、今にも泣きそうな顔をしていた。
あれはなんだったのだろうか……。それに自分がこのゲームをクリアすると言っていた。

「名前、聞くの忘れちゃった……」

彼の名前を聞きそびれた。でもなぜだろう。彼の顔を思い出すたびに、胸が熱くなってくる。同時に切なく、苦しくなる。
初めて会ったはずなのに、どこか懐かしく思える。名前を呼ばれたのを思い出すと、どこか安心する。
彼は一体……。

ギュッと彼女は手に握った一つの涙のような輝くクリスタルを見る。これは彼女が気が付いた時、彼女の装備品の中に入っていた。これも初めて見るはずなのに、どこか懐かしく思えた。
なぜか、知らず知らずのうちに涙が出てくる。自分はなんでこんなにも悲しいんだろう。さびしいのだろう。
そんなことを考えながら、彼女は眠りに落ちる。眠りに落ちる少女の口から、小さなつぶやきが漏れる。

「……キリト君。ユイちゃん……」

はじまりの街に第一層が攻略されたと知らせが届いたのは、その翌日の事だった。
そして、ビーター・黒の剣士の誕生の報も同時に届けられるのだった。



あとがき
仕事につかれ、ほかの小説ほったらかして、最近アニメ見てはまった、SAOを何となく書いてみたネタ。
原作再構成は神作がその他版にあったので、今まで見たことなかったキリト逆行を書いてみた。
まあ続きも書いてますが、三話か多くても五話以内には終わる中編を予定。
アインクラッド編で終了予定。フェアリィダンスまでは書く予定なし。



[34934] 第一話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/09/16 19:22

一万人近いプレイヤーがSAOに囚われてから、三カ月が経過した。
その間にも、さまざまな理由でこの世界、同時に現実世界から退場するプレイヤーが後を絶たなかった。死者の数は八百人を超えた。

モンスターに殺されるもの、自ら命を絶つもの、同じプレイヤーに殺されるもの。
しかし前回を知るキリトからすれば、この数は決して多いものではない。前回の記憶では、たった一ヶ月で二千人が死んだのだ。それを思えば半分以下に低下していた。

この頃には後の殺人ギルドとして名高い、ラフィン・コフィン(笑う棺桶)の暗躍もあった。
本来の歴史において、彼らの結成はゲーム開始から一年後であったが、それ以前からも彼らは暗躍を行っていた。第二層の頃から暗躍していたのだ。

そしてこの世界において、彼らの誕生はさらに早かった。キリトのもたらした情報が、彼らを逆に刺激したのだろうか。
ラフィン・コフィンの結成は早まった。開始二ヶ月目で、彼らは結成されたのだ。尤もその規模や装備はかつて程ではなく、ラフコフのリーダーに心酔する、十名近いメンバーが結成を宣言し、プレイヤー狩りを行っただけだが。

しかしその手口の大半は、前もってキリトが警告しておいた。
特に圏内においての殺人に対して、またはプレイヤーによる危険な行為に対して書かれたガイドブックにより、彼らの手口の大半は封じた。

それでもラフィン・コフィンのリーダーたるPoHはそれをも超えるやり口で、幾人ものプレイヤーを葬った。
三桁とは行かずとも、少なくとも十数人のプレイヤーが彼らに殺される事となる。

だがラフィン・コフィンの暗躍はリーダーを失うことで終息を迎えることになる。
約一週間前、リーダーとその腹心であった二人の人間が、黒鉄宮に安置されている、全プレイヤーの名前が書かれた石碑の中で、横線を引かれた。

PK(プレイヤーキル)。その噂はたちまち広がった。そして誰もが疑問を浮かべた。誰がその三人を殺したのか。
犯罪を犯したプレイヤーのカーソルはグリーンからオレンジ色になる。このゲームにおけるルール。犯罪者は圏内には立ち入れない。

しかし当然抜け道が存在する。カーソルをオレンジからグリーンに戻すクエストが存在するのだ。

その情報はラフィン・コフィンが壊滅した後に、情報屋によって流された。むろん、それがどんなクエストなのか、その詳細はまだ不明だがクエストが複数存在するというのは確定情報だった。

疑惑の目を向けられたのは、ビーターと呼ばれ、大勢のプレイヤーから嫌悪されている黒の剣士であるキリト。

ビーター・黒の剣士キリト。

それがプレイヤーの間で広がりを見せたのは、第一層攻略後からだった。
彼は第一層のボス攻略の折、自らをβテスターの中で最も上の階層まで進み、この世界の誰よりも多くの情報を知る者と名乗りを上げたのだ。ゆえにこのボスがドロップするアイテムも知っていたと。

彼が大勢のプレイヤーから嫌悪されるきっかけとなったのは、攻略の指揮を執っていたディアベルがボスに単独で攻撃を仕掛けようとした際、それを押しのけ横からボスに攻撃を加え、相手を倒したからだ。

大勢のプレイヤーはそれを見て、その後の彼の宣言で彼の言葉が真実だと思った。
それもある意味では事実である。
キリトはこれが二度目である。七十五層までの知識と経験がある。茅場晶彦についで、この世界を知るものと言えるだろう。

この戦闘において、死ぬはずだったディアベルを救うと同時に、彼が元βテスターであると言う柵から解放されるように、そしてほかのβテスター達が協力しやすいように、自分一人に憎悪や嫉妬などを集めるための発言を行った。

これ以降、彼はヒールの役割を背負うことになる。

周囲からは彼を非難する声が上がり、誰かが言い出したベータのチート、ビーターと言う言葉をキリト自身がいい名前だと肯定し、名乗り始める事でそれは加速する。

むろん、彼がなぜそんな発言をしたのか理解した者たちもいる。ディアベルもその一人である。
彼はボスの動きがβテスト時と違うことを、キリトに助けられることで気が付いた。彼もまた、ボスがドロップするアイテムを狙っていた。

それは私利私欲ではなく、リーダーとしてほかのプレイヤーを導くためには、どうしても強くなる必要があり、強力なアイテムが必要だったからだ。
しかしそれはキリトが先に入手した。ディアベルはならば彼をリーダーにと考えたが、キリトの発言が彼の思惑を打ち砕いた。

そしてディアベルはそのまま攻略を目指すプレイヤーの中心人物となり、以降、アインクラッド解放軍と呼ばれる、最大規模ギルドの攻略隊長として名を馳せることになる。

そんな前回と違う流れが起こる中、唯一、キリトだけが前以上に苦難の道を歩んでいた。
ラフィン・コフィンの壊滅に関しても、キリトが疑われるのは必然だった。

キリトが攻略の際にグリーンのカーソルで現れ、オレンジになっているのを一度も目撃されていなかったが、彼以外に考えられないと言うのは、大多数の認識だった。

そしてそれは間違ってはいなかった。
キリトは三人を殺したのだ。これ以上、殺戮が起こらないように。彼らにより、攻略が遅れないように。

キリトは後に攻略組とラフィン・コフィンの間に血みどろの闘争が起こることを知っていた。それにより、双方に多数の死者が出ることも。
ラフィン・コフィンのメンバーは自業自得だが、攻略組の人間が死ぬのは容認できない。そのせいで、どれだけ攻略に支障をきたした事か。

だからこそ、キリトは手を汚した。どうせすでに人を殺したことがあるのだ。以前のラフコフ討伐でも二人を殺した。アスナを守るために、クラディールを殺した。
今更、目的のために何を躊躇する必要がある。

信用できる情報屋――すでにこの頃から優秀な情報屋だった鼠のアルゴ――に情報をもらい、口止めを行い、決行した。彼らの居場所を突き止め、圏外で彼ら三人を殺したのだ。

アルゴは売れる情報はなんでも売ると言う元βテスターの女性だったが、彼女自身もラフィン・コフィンの危険性は理解していたのだろう。
キリトの事を思ってか、最初は渋っていたが、最後には協力してくれた。その後も、キリトが彼らを殺したと言う情報は誰にも売っていない。

ビーターとしての知識と培ったスキルで、難なく彼ら三人を打ち取ることができた。
もしもう少し実行を遅らせれば、これほどたやすくはいかなかっただろう。

特にリーダーのPoHの剣技は凄まじく、もし強力な武器を持たれていたら、キリトに二年のアドバンテージがなければ、彼自身もただでは済まなかっただろう。
しかし二年のアドバンテージと、キリト自身が彼らの力をある程度知っていたため、さほど労せず彼らを葬り去った。

彼らの散り際に、取り巻きの赤目のザザの人殺しと言う呟きと、同類を見るかのようなPoHの笑った素顔が印象に残った。

だがキリトには何の感慨も浮かばなかった。殺しの経験は、彼らと同じですでにある。それに自分はかつて一つのギルドを自らのミスで全滅させているのだ。
これから殺される人間の数を天秤にかければ、攻略組に多数の死者が出て、攻略の邪魔になるのであれば、連中を殺すことをどうして躊躇しようか。

黒鉄宮に送るなどと言う生易しいことはしない。キリトの実力なら、殺さずに黒鉄宮に送ることも、不可能ではなかっただろう。しかしそれは不可能ではないと言うレベルであっても、決してたやすいことではなかった。

キリトはあの三人の、特にPoHの恐ろしさを身をもって知っている。ゆえにもし生かしておけば、仮に幽閉されていても、何らかの手段を使い、再び殺戮を繰り返すのではないかと考えたのだ。

だから殺した。躊躇なく。冷酷に、冷徹に……。

(………そうだな。俺もお前らと同類だよ)

人を殺すこともだが、大切な人の命を犠牲にし、生き永らえた。そういう意味では、彼らよりもさらに性質が悪いだろう。
砕けたポリゴンを見ながら、あのクラディールを殺した時のことを思い出す。

しかし、深い感慨は浮かばない。人を殺したんだと言う実感も……沸かなくなっていた。

(ああ、そうか。こんなんだから、あいつらは何の躊躇もなく、人を殺せるのか)

少しだけ、理解してしまった。ラフィン・コフィンやその考えに同調する人間が人を殺す理由が。
この世界は、この世界に囚われている人間にとって、今の自分自身は現実であり、生きているのであろうが、赤の他人、それも自分に関係ない者など、本当にゲームのキャラクターの延長戦でしかないのだ。

相手を刺しても血が流れない。自分も相手も殴っても衝撃こそあるが痛みを一切感じない。現実に近いリアルでありながらも、現実のリアルではないゆえに、人間の倫理観や理性が麻痺してしまうのだ。

この世界での死はポリゴンが砕け、アバターが消滅するもの。死体は残らない。血も流れない。死に際にプレイヤーが負の感情をその表情に浮かべても、一瞬でそれは消え去る。返り血を浴びることもない。

ゆえにゲーム。ゲーム感覚で人を殺す。それに本当にアバターが砕ければ、死ぬかどうかも分からない。
極限状況の中、これだけの現実とかけ離れた状況が出来上がれば、人はたやすく道を踏み外す。

壊れてしまうのだ。人が持つはずの、持たなければならない、理性、常識、良心などが…。
いつ出れるかもしれない先の見えない監獄の中、自らの欲望を爆発させる。理性のタガが外れれば、人はたやすく獣になる。いや、獣よりも遥かに劣る畜生へと堕ちる。

キリトもかつてこの世界で人殺しを経験した。人は慣れてしまうのだ。非日常も時間がたてば日常になる。ちょうどこの世界に閉じ込められた大半の人間が、二年でこの世界を受け入れたように。

キリト自身も慣れてしまったのかもしれない。人を殺すことに……。
自分が壊れていく……。
不意に、キリトはそんなことを考えてしまう。

いつからだろう。笑えなくなったのは。
いつからだろう。一人が当たり前に思えてしまうようになったのは。
いつからだろう。他人が怖くなったのは。

(・・・・・・・関係ない。俺にはもう、アスナの隣にいる資格はないんだ。誰かを求めちゃ、いけないんだ)

月夜の黒猫団にアスナ。自分が守りたいと思った人達は彼の前からみんないなくなった。守れなかった。自分のせいで、彼らは死んだ。
だからもう、自分が仲間を、大切な人を求めるのはダメなのだ。

今の自分に許されるのはただあの男を倒すこと。このゲームを一日でも早く攻略し、アスナを開放する。それだけが今の自分に許された贖罪。
立ち止まれない。もう、あの頃には戻れない・・・・・・・。

だって、キリトが愛したアスナは、もうどこにもいないのだから・・・・・。
そう考えながら、キリトは攻略へと戻る。次の攻略はある意味で転機となる攻略だから。



キリトは次の攻略会議が行われる場所へと向かう最中、すれ違うプレイヤー達からは白い目を向けられた。

曰く、どのプレイヤーよりも多くの情報を持つ卑怯なチーター。自分さえよければそれでいい、自分勝手なソロプレイヤー。貴重なアイテムを独占する身勝手な剣士。

悪い噂はどんどんと人の口を介して、大きくなり伝わっていく。
さらに悪名高いラフィン・コフィンとは言え、ほかのプレイヤーを殺したかもしれない人間と共闘するなど、大多数のプレイヤーには難しかった。

キリトが攻略会議に姿を見せれば、ビーターと言うこともあり、誰もが彼を避ける。しかし攻略組の中では最強の剣士が参加しないとなれば、それだけで攻略は遅れる。

事実、彼の力と情報があったからこそ、三カ月で二十四層まで攻略できたのだ。
三カ月で約四分の一。このペースならば、一年で攻略が可能となる。さらに攻略における犠牲者も今のところ少なく、攻略のノウハウも構築されてきている。これもキリトがいたからこそだ。

だからこそ、ほとんどの人間は彼を煙たがりながらも、攻略の場に立ち会ってもらわなければならないと認識していた。

「みんな、揃ったみたいだな。じゃあ今回の攻略会議を始めよう」

進行役に努めるのは、同じ制服を身にまとった集団の中でも、少し多めの目立つ装飾を施された服を着込む男。アインクラッド解放軍と名前を変えた組織の攻略部隊隊長にして元βテスターであるディアベル。その横では、この世界でもβテスターのことを毛嫌いしていたキバオウの姿がある。

余談だが、キバオウはディアベルが生きていることの影響が大きいのか、元βテスターに対しての偏見が薄れている。むしろ、リーダーたるディアベルに心酔し、彼のために、また多くのプレイヤーのために攻略を目指すと言う志を抱いていた。
むろん、キリトに対してはその限りではない。前以上に、キリトを毛嫌いしている。

そんな視線を受けつつも、端の方でキリトは攻略会議の会話に耳を傾けながら、目線だけを動かし、周囲を眺める。
攻略会議はそれなりの人数が集まれる広場で行われている。攻略による犠牲者の数は皆無と言うわけではなかったが、両手で数える程だ。だからこそ、ここまで大勢のプレイヤーが前線に残っている。

付け加えると、キリトのもたらした情報によるレべリングとギルド内、ギルド間での結束が前回以上に大きいこともあるだろう。大小いくつものギルドがこの場に集まっている。あのクラインの率いる風林火山の姿も見受けられる。

その中でも最強のギルドの名を争っているのは三つのギルド。
アインクラッド軍、聖竜連合、そして憎むべきあの男が率いる血盟騎士団である。

顔をうつむかせ、ぎりっと歯をこすり合わせる。
血盟騎士団団長・ヒースクリフ。憎むべき相手がこの場にいる。第三層であの男を見た時、思わず斬りかかりそうになった。

だが何とか自制することができた。今はその時ではない。抑えろと。必死に言い聞かせる。攻略会議があるたびに、あの男が傍にいるたびに、抑え切れない大きな感情がキリトの中に生まれる。しかし彼は必死に抑える。もうこれで何度目だろうか。

ここであの男を不振がらせるのは得策ではない。興味は持たれても、こちらの考えを、感情を読まれるわけにはいかない。
だから距離を置いた。血盟騎士団だけではない。不自然にならないように、ほかのギルドからも。

最もビーターと言う悪名のせいで、彼をパーティーやギルドに誘おうとする酔狂な人間はほとんどいない。
確かにキリトの力や彼の持つ知識やアイテムは貴重であろうが、彼を招き入れた結果、仲間内にいらぬ亀裂を入れたり、他のプレイヤーやギルドから白い目で見られることを恐れたのだ。

しかしそんなキリトに話しかけてくる物好きもいたりする。

「よう。またこんな端っこか」
「……あんまり俺に話しかけると、あんたまで白い目で見られるぜ、エギル」

キリトの隣に立つ大柄のスキンヘッドの男。かつてと同じで第一層から付き合いが続く、かつてキリトが信頼していた人の一人である。

「なに。俺もあぶれ組みだからな。それよりもお前もいい加減に一人に拘るな。顔がどんどん悪くなってるぞ」
「・・・・・・・・元々こんな顔だよ」

そう言ってそっぽを向く。キリトはこの世界でもエギルとは以前ほどではないにしろ。それなりの交流を持っていた。
それは彼が信頼できる人物でもあったのと、彼が商人であった事も大きい。彼に手に入れた多くのアイテムを安く売り払い、それをエギルが他のプレイヤーに売る。

そして彼はその利益の大半を最前線よりも下の中間層のプレイヤーの育成に当てていた。
これにより、プレイヤー全体の育成が進み、モンスターなどの戦いで命を落とすものが減ったり、また彼らが力をつけて最前線の攻略組みに参加できるプレイヤーが増大した。

無論、キリトはエギルが必要以上のやっかみを受けないように、彼以外にも不要なアイテムを売る相手は複数存在する。しかし出来る限りエギルにはその時手に入る最高のものを流すようにしていた。

「お前のおかげで俺は大もうけだからな」
「・・・・・・・・そうか」
「ったく。もう少し愛想よくすれば誰もお前のことをビーターなんて蔑んで呼ばないぞ。お前の情報や資金、それに剣士としての腕でここまでみんなを引っ張ってきたんだからな」

エギルは言う。ここまで彼らが結束しているのは、キリトのおかげだと。キリトがビーターと名乗った後も、情報を独占せずに多くの情報をプレイヤーに提供した。
装備やアイテムでも、必要外の最低限もの以外は、どんなレアアイテムでも手元には残さずに放出し、様々なプレイヤーに安く行き渡るようにした。

他にも彼が攻略を一人進める姿に、あいつ一人に負けてなるものかと、多くのギルドが結束を固め、または協力し、攻略を加速度的に進める結果となった。
またビーターと言う悪名の影響か、キリトの流す情報は間違っていなくても、何か裏があるのではないか、何らかの偽情報ではないと確定させるために、他のプレイヤー達は普通以上に情報収集に力を要れ、不必要な犠牲が発生するリスクを下げていた。

「余計なお世話だよ」

エギルはキリトを気遣うが、当の本人はまったくそれを受けようとはしない。そんなキリトの姿にエギルは深くため息をつく。

「・・・・・・・・何がお前をそんな風に追い詰めるのか知らないが、もう少し肩の力を抜け。じゃないといつか取り返しのつかない事になるぞ」

その言葉にキリトは心の中で、もう遅いと呟く。
後悔なら山ほどした。守れなかったと何度も涙を流した。結局、どれだけ粋がっていても、どれだけ強くなろうとしても、大切な人一人さえ守れなかった。

「エギル。俺に構うな。俺は一生ソロでいいし、このゲームをクリアすることだけが、今の俺の目的だ」
「だからそう一人で抱え込むなって。ほかにもこのゲームの攻略を目指してるやつは大勢いる。ここにいるメンツはそうだ。それに……」
「おう! 俺もいるぞ、キリト!」
「……クライン」

いつの間にか、キリトとエギルのそばにクラインがやってきていた。

「ったく。相変わらず暗い顔してるな。前はもう少し可愛い顔してたのに」
「……うるさい」

本人としては男に可愛い顔と言われてうれしい筈はない。

「お前も俺なんかに構うなよ。余計なやっかみが来るぞ。アルゴから聞いたぞ、俺が渡した情報のせいで、前にほかのプレイヤーと揉めたって」
「揉めたって言っても、あれは向こうが一方的に絡んでいちゃもんつけただけだからな」

キリトがクラインに頼んで広めてもらった情報。あれにより大勢のプレイヤーが救われた。ただ一部のプレイヤーからは、キリトの情報で重要なものをクラインが独占しているのではないかと勘ぐられたのだ。

ネットゲーマーは嫉妬深い。このゲームの中に閉じ込められても、その本質は変わらず、むしろ一部のプレイヤーは疑心暗鬼に囚われ、他者を信じられずに街に閉じこもっているらしい。

「それにお前のくれた情報のおかげで、大勢のプレイヤーが死なずに済んだんだぜ。お前の事、すげぇ感謝してるやつだっているぞ。俺もその一人だし」
「やめてくれ。俺は誰かに感謝される資格なんてないんだ」

吐き捨てるようにキリトは言う。感謝なんてされるためにしたわけじゃない。誰かに認めてもらいたくて、褒めてもらいたくてしたわけじゃない。
ただ気に食わなかったから。あの男の思い通りになるのが。ただ悔しかったから。前と同じ状況になるのが。
同じ状況なら、自分は決してあの男に勝つことができないのではないかと思ってしまうから。

それに少しでも多くのプレイヤーが生き残れば、それだけで攻略も優位になる。確かにMMORPGはプレイヤー間のリソースの奪い合い。システムが供給する限られた金、アイテム、経験値をより多く取得したプレイヤーだけが強くなれる。

そのためにプレイヤーの数が少なければ少ないほど、その得られる恩恵は多い。つまり早期に二千名ものプレイヤーが前回に比べて、今回はそのリソースの独占できる割合が少なくなっている。

それでもキリトはきっちり前回以上に力をつけているし、ほかの前線メンバーもかなりのレベルにはなっている。
これはアインクラッド事体がかなり広大であるのと、生き残ったプレイヤーでも本気で攻略を目指したり、上の階層に進もうとする人間が極端に増えていないためであろう。

さらに付け加えると、戦うこと、つまり命のやり取りを忌避する者たちは、職人クラスや商人クラスを選択した。それが前回よりも多かったのだ。
前はせいぜい数百人クラスだったが、今では千人以上にも達している。

これは物資や金が定期的に送られてくるのと、軍におけるシンカーやディアベルの提案で、補給線を確保しようと言う話が持ち上がっためである。

商人クラスは商品や素材を入手するためにも前線に出なければならなく、その専門スキルゆえに戦闘では苦労を強いられるために、あまりなり手がいなかったが、軍がきちんと機能し、さらにシンカーの運営能力もあり、軍に所属さえしていれば、優先的に商品や素材を回してもらえると言うことで、戦闘に出ないで済むと言うメリットが生まれた。

さらには欲しい素材も軍に頼み、いくつかの条件や契約を結び、報酬を提示すれば彼らが直接、あるいは護衛をつけると言うこれまた一種の商売にしてしまった。
このため、今でははじまりの街や、攻略された街に数多くの職人、商人が存在し、その地位を確固たるものにしている。

また数の少ない女性プレイヤーなどは、積極的に料理スキルを取得し、はじまりの街でレストラン経営を営んでいるものが多い。
基本的にこの世界のNPCキャラの運営するレストランはあまりおいしくない。さらに付け加えれば、この世界の娯楽と言えば料理くらいしかない。

釣りや狩りなども娯楽と言えるかもしれないが、モンスターと戦うのが当たり前の世界で狩りと言うのは趣味とは言えない。
つまり戦うことができない、または苦手な人間ははじまりの街で手に職をつけて、その日その日を生きている。

そしてスキルが上がったり、上の階層が攻略されるたびに、有志や希望者を軍が上の階につれて、新しい店を作らせる。
前線攻略組にしても、こうした料理や武器、装備、アイテムが気軽に手に入ったり、ほかのNPCプレイヤーよりも良いものがあれば、そちらに飛びつくだろう。

もっとも商売の場合は足元を見られたりもするが、中々にいいアイテムが流通するために、こちらも前線に出るプレイヤーには重宝されている。
キリトが図らずともした行動がこのアインクラッドでいい方向に向かい流れている。

しかしそれでもキリトの心は晴れない。
そしてキリトは孤独であった。孤独であろうとした。
壁を作り、他者を自分の内側に入り込ませようとしない。

こうやって心配してくれているエギルやクラインにも、前以上に壁を作り極力会話をしないようにしている。
そうでなければ、自分はきっとこの二人に頼ってしまうから。そうしなければ自分はアスナを守れなかった弱い自分よりも強くなれないから。



だから………

(俺は一人で戦う)

第二十五層・クォーターポイント。

他のエリアとは隔絶した難易度を誇る。抜きんでた巨体と戦闘力を保持し、キリトの一度目の記憶ではこの二十五層では軍の精鋭がほぼ全滅させられ、弱体化を余儀なくされた。

このエリアのボスは人の何倍もの大きさを誇る双頭巨人型モンスターであり、その巨体から繰り出される圧倒的攻撃力と、巨体ゆえの防御力と膨大なHPを誇る。

盾装備の、重武装のプレイヤーですら、直撃を受ければ一撃でHPのほとんど削られ、当たり所が悪ければ一撃死すらあり得る凶悪な敵だった。

だがキリトからすれば、まだ可愛いものだ。強敵ではあるが、まだ二十五層であるため、スピードがそこまで早くない。さらに攻撃自他も大振りであり、俊敏性の高いプレイヤーなら避けるのも難しくはない。

と言っても、そんなプレイヤーの防御力は盾装備や重武装型に比べればひどく脆い。当たれば即死なんて当たり前だ。
一度でも死ねば終わりのデスゲームで、そんな攻略をしたくはない。大半のプレイヤーの思いは一緒だった。

ただ一人、キリトを除いては。

「おぉぉぉぉっ!」

二十五層攻略戦。キリトは一人、遊撃剣士となり、ボスに接近戦を挑む。キリトの防御力では一撃でも直撃を食らえば死ぬ。たとえHPが万全であっても。
それでも彼は斬りかかる、まるで命など要らないとばかりに。

「無茶だ! やめろ、キリト!」
「そうだ! みんなでスイッチを繰り返して、攻撃をするんだ!」

クラインやディアベルなどはキリトの行動を見かねて下がるように言う。しかしキリトはそんな声を無視する。
攻撃など当たらなければいい。

キリトは極限まで意識を集中する。相手をその『眼』で隅々まで観察する。反応速度を上げ、攻撃速度を上げ、相手の弱点を見つけ出す。

キリトが巨人の意識を引き付ける。その間に周囲は攻撃を繰り返す。キリト以外に意識が向きそうになれば、即座にキリトが攻撃を仕掛けて敵の照準をこちらに向ける。

側面からの攻撃で少しずつ、少しずつ敵のHPは削られていく。
敵の意識がキリトに集中しているからこそ、ほかのプレイヤーはほとんど攻撃を受けることなく、ボスを攻撃できる。

だがそれを一人でさばくキリトの疲労は尋常ではない。攻撃をかわし、あるいは受け流す。一瞬でも集中力を切らせれば、一度でもミスをすれば、それだけで死につながる。

キリトに余裕などない。キリトの今のレベルでも、キリトの今の力量でも、クォーターポイントのボスを余裕を持って相手をするなどできない。
だが……。

(それでも、あの男に勝つためには、これぐらいできないと、話にならない!)

神聖剣。攻防一体にして、圧倒的な防御力とこちらの攻撃を受け流す剛・柔兼ね備えた戦いを行えるバランスのとれた、シンプルでいながら、それでいて完成された剣技。

あれに勝つためにも、自分はこんなところでつまずいてなどいられない。
激闘は一時間を超え、そしてようやく終わりを告げる。

「うおりゃぁぁぁぁ!!!!」

キバオウが雄叫びとともにボスに向かい大型の剣を振りぬく。その一撃が決め手だった。
ボスモンスターの赤く表示されたHPラインがゼロになり、その巨体を四散させる。

「うおぉぉぉっ! ワイが倒したでぇぇぇっ!!!!」

雄叫びを上げながら勝利宣言をするキバオウ。その後ろではアインクラッド解放軍の面々が同じように歓声を上げる。

ほかのギルドの面々はそれを若干恨めしそうに見るが、この階層のボス戦も犠牲者なしにクリアできたことに安どしているようだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

そんな歓声の中、キリトは一人、部屋の壁に背中を預け荒い息を繰り返す。開始からずっと一人ボスの注意を引いていた。その集中力は凄まじかったが、その分消耗も激しい。

HPこそレッドにはなっているが、まだ多少余裕がある。と言ってもその比較はあの七十四層のボスとの戦いと比べればであるが。
意識を飛ばさないだけでも大したものだ。

違う。あの時には二刀流で、軍がボスをのHPを削っていた状態とはいえ、半ば一人で倒した。
このボス相手にこの人数で、この時間がかかった。
自分の力が足りないからだ。足りない。これでは足りない。もっと早く、もっと鋭く、もっと強く……。

「キリト、おめぇ……」

何か言いたそうなクラインを横目に、キリトは笑みを浮かべる。

「これが俺の戦い方だ」
「キリト。お前、死ぬのが怖くないのか?」

エギルも今回の戦いは今まで以上にキリトが無理をしていた感じたのか、いつも以上に怖い顔をしている。

「怖いさ。このゲームを攻略できずに死ぬのはさ」
「攻略って、お前! 死んだらそれで終わりなんだぞ! あんな戦い方して、もし一撃でも食らってたら!」
「結局食らわなかった。俺はビーターだ。だから大丈夫だ」

クラインの怒りの言葉をキリトは嘲笑うかのような笑みを浮かべながら言う。

「ビーターってのは、そこまでのものか? キリト、お前、何をそんなに焦ってる?」
「別に焦ってなんかいない。それに攻略は一日でも早い方がいいだろう。ここに閉じ込められている九千人以上のプレイヤーはそれを望んでいる」

エギルの指摘にそう答えると、息を整え、剣を背中の鞘に納めると、キリトは立ち上がりそのまま転移結晶を手に取る。

「悪いが俺はもう行く。アクティベートは軍がやるだろう」

ちらりと見るとキバオウがうれしそうにはしゃいでいる。どうやらレアアイテムでもゲットしたようだ。周囲に見せびらかし、ディアベルはそんなキバオウを苦笑しながら眺めているが、悪い気はしていないようだ。それにキバオウもディアベルはん、見てくださいとそれなりにいい関係を築いているようだ。

軍がここで壊滅せずに済んだのは幸いだ。今のところ、軍はきちんとその本来の理念を見失わずに、大勢のプレイヤーにとって必要なギルドとなっている。
ほかのギルドもそれに対抗しようと努力している。軍が暴走さえしなければ、ほかのギルドも暴走はしないだろう。

ラフィン・コフィンはすでになく、キバオウもあの調子なら、ディアベルやシンカーを押しのけてTOPになろうと考えないだろう。

前回とは違う。この世界は確実によくなっている……。

(でもここには俺の居場所はない……)

もし隣にアスナがいてくれれば。
不意にそんなことを考えてしまう。その考えを浮かべた自分自身をキリトは激しく嫌悪し、即座にそれを捨て去る。未練は捨てる。そんな考えを浮かべること自体、彼女への裏切りだ。

キリトはそのまま、転移結晶でこの場を後にした。





第二十二層。

その大部分は常緑樹の森林と無数に点在する湖で占められた、アインクラッドでも有数の自然があふれる場所であろう。主街区も小さな村と言ったところだ。

そこに一人の少女がいた。白い服に、腰には細剣を携えた栗色の髪の少女―――アスナ。

彼女は軍にその身を置いていた。女性と言うこともあり、最初は料理スキルを主体にした、後方支援として、活躍を望まれた。

しかしそれに反して、彼女は剣を持ち、戦うことを選択した。むろん、料理スキルも取得した。なぜだろう。これから必要になるような気がして。

アスナの成長は凄まじかった。レベルこそ、そこまで高くないが、その剣技や身のこなしは、これが初めてMMORPGを、それもフルドライブのゲームをする初心者のものではなかった。

まるで何年も戦っていたかのような、そんな歴戦の剣士を彷彿とさせた。もう少しレベルがあがり、各種のスキルの熟練度も上がれば、間違いなく軍の最前線の攻略組の中でもTOPクラスの、いや、全攻略組のプレイヤーの中でも十本の指に入るのではないかと噂されている。

そんな彼女だったが、ずっと悶々とした気持ちを抱いていた。
自分でも不思議なくらい、細剣が手になじんだ。戦い方もすぐに自分のものにした。体が思うように動かない違和感があったが、レベルが上がるにつれ、それも徐々に少なくなってきた。

今は攻略されたこの階層に一人で来ていた。途中、同じく軍に入り友達となったリズベットやシリカが一緒に行こうかと聞いてくれたが、一人がいいと断った。
どうしても、ここに来なければいけないと思った。
そしてそれは決して間違いではなかった。

「ここ、覚えがある」

はじめてきた場所のはずなのに、どこか懐かしい気がする。まるで以前にここで暮らしていたかのような、そんな気がする……。
森の中を歩く。そこには多少距離が離れているが、いくつものログハスが点在した。

「あっ……」

アスナの中で、何かがよみがえる。
ここで、誰かと一緒に暮らした。ここで誰かと一緒に笑った。
うっすらと、ぼんやりと霧の中に浮かぶ光景のようだが、アスナの脳裏にその姿が浮かび上がっていく。

その時、彼女の手に持っていたクリスタルが光り輝いた。

「えっ……」

そして彼女の前に、白いワンピースを着た一人の少女が姿を見せるのだった。



あとがき
ここのキリトさんは悪い意味で前に進んでいます。と言うより暴走してますね。
ディアベルとキバオウはここでは基本的にメインに近いサブキャラですね





[34934] 第二話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:9d53e911
Date: 2012/09/16 19:26

「・・・・・・ト君」

誰かが自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

「・・・・・リト君。・・・・・・・起きてよ」

その声は段々と大きくなってくる。

「キリト君。ねぇ、キリト君ってば」
「えっ・・・・・あっ・・・・・・」

ゆさゆさとキリトは自分の身体が揺らされているのに気がついた。
ハッとなり、目を開けるとそこには一人の少女の姿があった。

「ア、 スナ・・・・?」
「寝ぼけてるの? もうお昼前だよ?」

言って、時計をキリトに見せる少女――アスナ。時刻は十一時半。上半身をガバッと起き上がらせ、キリトは周囲を見渡す。
そこは小さな木でできた家。キリトは今、ベッドの上にいた。
おかしい。自分はさっきまで、仮の寝床で剣を抱えたまま、座って眠りについたはずだ。

「ここは・・・・・・」
「もう。今日のキリト君は本当におかしいよ。せっかくの新婚だって言うのに」
「しん、こん?」

鸚鵡返しのようにキリトは聞き返してしまった。

「酷い! いくら寝ぼけてるからってそれも忘れちゃうの!?」

キリトの言葉にアスナは声を大にして怒りをあらわにする。

「わぁぁっ! ごめん、アスナ! 俺、すっごく寝ぼけてた!」

咄嗟に両手を合わせ平謝りするキリト。そんな姿にまだ頬を膨らませながらも、アスナはしぶしぶ怒りの矛を収める。

「本当に酷いよ、キリト君。せっかくキリト君と気持ちが通じ合ったって思ってたのに」

どこか悲しそうに言うアスナの姿に、キリトの胸が激しく痛んだ。

「ごめんって、アスナ。その、俺だってアスナと気持ちが通じ合って、その・・・・・すごく嬉しい」

キリトの口から漏れる嘘偽り無い言葉。それを聞いて、アスナは笑顔を浮かべる。

「うん。許してあげる。じゃあお寝坊さんは早く着替えてね。今からご飯にしよう」

そういいながら、アスナはキリトに背を向け、キッチンの方に向かっていく。
そんなアスナの姿にキリトもまた笑顔を浮かべる。

ああ、あれは夢だったのか。自分はどうやらずいぶんと寝ぼけていたらしい。
そうだ。アスナが死ぬなんてことがありえるはずが無い。彼女は強い。
それにその彼女を自分が守るのだ。 絶対に彼女を死なせるはずがない。
だからアレは夢・・・・・・・・。
今のこれが現実・・・・・・。

「ねぇ、キリト君」

歩みを止め、振り返りアスナはキリトの名前を呼ぶ。

「?」
「大好きだよ、キリト君。ずっと一緒だからね。だから、一人でどこにも行かないでね」

心配そうな表情を浮かべるアスナ。そんな彼女に苦笑しながらも、キリトはこう告げる。

「ああ、絶対にアスナを一人にしない。ずっと一緒にいよう、アスナ」

キリトはベッドからおり、アスナの傍まで歩くと彼女を抱きしめようと腕を伸ばす。彼女との距離が縮まり、彼女をその手に抱こうとした。
だが・・・・・・・。

「えっ?」

彼女の身体を腕がすり抜ける。

「アスナ?」

驚き、アスナの顔を見る。彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「・・・・・・・・・ごめんね、キリト君。約束、守れない・・・・・・・」
「・・・・・・アスナ?」

彼女の姿が消えていく。光の粒子となり、キリトの前から徐々にその身体が失われていく。

「アスナ!? 待ってくれ! アスナ!」

消え行く彼女を必死で掴もうと腕を振るが、キリトの腕は彼女の身体をすり抜けるだけだった。

「さようなら、キリト君・・・・・・・・」

最後にパリンと砕け散るような音が響き、彼女の姿がキリトの前から完全に消え去った。

「アスナぁぁぁぁっっ!!!」

キリトの絶叫が周囲へと響き渡った。



「!?」

キリトは自身の身体を激しく震わせ、知らず知らずのうちにその手を虚空に向けて伸ばしていた。
もしこれが生身だったら、キリトは全身に汗を大量にかいていただろう。
はぁ、はぁと息を荒くしながら、キリトは伸ばした己の腕を見る。

「はは、ははははは、あはははははは・・・・・・・・」

笑いがこみ上げてくる。何が夢だ。アスナを失ったのは現実だ。それから目を逸らし、都合のいい夢を見るなんて、何てバカらしい事か。
心のどこかで、まだアスナを求めている。彼女が自分の傍にいてくれたら。
そんな資格、今の自分にあるはずが無いのに・・・・・・・。
それに今の何も知らないアスナを隣において、それで幸せになれるのか。なれるはずが無い。

「どこまで馬鹿なんだろうな、俺」

立ち上がり、剣を背負う。ウインドウを開いて時刻を確認する。三時間は眠れた。これでも多いほうだ。今日はあんな夢を見たから、少し寝すぎてしまったようだ。

第二十五層をクリアしてから十日。攻略は順調である。
アインクラッド解放軍、聖竜連合、血盟騎士団の三大ギルドに加え、他の有力ギルドの連携で、あれ以降はキリトもあまりボス攻略戦では活躍していない。
これは他のギルドがキリトにばかり頼る現状では後々に、彼に万が一のことがあれば、それだけで戦術が崩壊すると言う危惧から来るものであった。

これを提案したのがディアベルとそしてヒースクリフだった。
前者はそれもあったが、純粋にキリトを心配しての物だった。あまりにも二十五層でのキリトの戦い方が自分の身を省みないものであったため、強制的にでも一度下がらせる必要を感じたからだ。
それにディアベルよりもまだ幼いキリトが、あのような無茶をするのを見ていられなかったと言うのもある。

以前からディアベルはキリトがビーターと名乗った後でも、彼を擁護し続けてきた。
キリトのもたらす情報やアイテムの重要性や、キリト自身の力によるところも大きかったが、それでもディアベルは他のプレイヤーが嫉妬や嫌悪感を顕にする中、エギルやクラインと言うメンバーと共に、彼がこれ以上孤立しないように手を回してきた。

同じアインクラッド解放軍のリーダーであるシンカーにも協力を要請し、悪い噂を駆逐、あるいは悪名が広がらないように、キリトの功績を広く伝え彼の立場を回復させようとした。

だが悪い噂や悪名は、得てして功績よりも広まりやすい。特に嫉妬深いネットプレイヤーの、それも前線に立つ人間からしてみれば、その強さは嫉妬の対象以外の何物でもなかった。ゆえにキリトの孤立は止められなかった。

もっともキリト自身、そんな状況に自分自身を追い込むようにしていたのだから、ディアベルやシンカー、クラインやエギルがいくら頑張ろうがその流れは止まる事はなかった。

そしてヒースクリフ。彼もディアベルと同じように、キリト一人が突出する事態はあまり好ましくないと意見し、彼抜きでも戦い抜けるように全体の更なるレベルアップや攻略方法の確立を優先すべきだと主張した。

この結果、キリトは一時的にボス攻略や前線から離れる事になった。いくらキリトが突出した強さを誇ろうとも、たった一人でボス攻略は出来ない。
彼が囮役を引き受けることは出来ても、一人で決定打を放つことは出来ない。まだ二刀流は習得できていないのだ。

(・・・・・・・・あの男に勝つにはシステムスキルに頼ってちゃだめだ。システム外スキルの構築。それさえ出来れば・・・・・)

そう。キリトは何度も何度もあの戦いをシュミレーションしなおしていた。二度の決闘。あの状態のヒースクリフとならば、裏ワザやGM権限さえ使われなければ、さほど隔絶した差は存在しない。

もしヒースクリフが百層の最終ボスの魔王ヒースクリフ状態で現われたのなら、一対一で勝利を収める可能性は極めて低いが、それでも勝つための筋道を作る。

(俺がこれだけ一人で突出しすぎたせいで、最強の騎士の称号は今の所、あいつじゃなくて俺のものだ。あの男が言っていた最終的なシナリオの流れを考えるなら、絶対にどこかで一度俺に勝負を挑んでくるはずだ)

このソードアート・オンラインのシナリオでは、九十五層でヒースクリフはその正体を露見させる。あの時、ヒースクリフはそう言った。
最強の騎士であり、最強の騎士団を指揮するユニークスキル『神聖剣』の使い手たる、プレイヤーの希望を一身に背負う存在が、一転して最強最悪の敵として君臨する。

確かにシナリオとしては盛り上がるだろうが、このデスゲームに強制的に参加させられているプレイヤーからすれば、これ以上の悪夢は無いだろう。
だが現状、まだヒースクリフは神聖剣のユニークスキルを発現させていない。まだ時期ではないと言うことだろう。
発現させれば、キリトを超える最強のプレイヤーになるだろう。

しかしそれでも他のプレイヤー達は納得しないだろう。
ビーターであり、これまで数限りない活躍を見せたキリトと神聖剣を発動させただけの一介のプレイヤー。

これがキリトの記憶にある前回の五十層での、ヒースクリフがたった一人で前線を維持し伝説となった攻防戦後であれば話は違うだろうが、それまでならば誰もが疑問を浮かべるだろう。

果たしてどちらが最強騎士なのか。

そうなればあの男の正体を露見させる第一段階は達成される。
ヒースクリフにしてみても、最強の騎士の称号は今後のシナリオのためにも是が非でも手中に収めておきたいところだろう。

仮に五十層後であっても、キリトもヒースクリフに負けないほどに力を上げるつもりなのだから、客観的に見てそこまで隔絶した差があるようには見えないだろう。

ゆえに一対一の決闘と言う流れに持って行きやすい。
最強の騎士の称号を懸けて、とでも言えば向こうも話には乗るだろう。
仮にキリトとしてはそこでは敗北してもいい。否、敗北が前提なのだ。ただしそれは神聖剣の能力を分析とオーバーアシストの使用と言う二つを達成させてからだ。

特にオーバーアシストの使用は、ヒースクリフの正体である茅場晶彦に迫るヒントの一つとして、相手に提示するためのものだ。

これを使われないと、何故正体に至ったのかと言う道筋が立てられない。他にも幾つかヒースクリフから情報を引き出す努力はするが、今回は圏内事件が起こる状況にはすでにないため、GMしか知り得ない情報を引き出すと言う手も使えない。
むしろこちらが口を滑らせてしまう可能性も十分に考えられる。

(今のうちにスキルのアップだ。ボス攻略中じゃ出来ないシステム外スキルの発動の割合も増やさないといけないからな)

そう考えながら、キリトは迷宮区を進む。すべてはあの男に勝つために・・・・・・。




(ふむ。これはどうしたものかな)

ヒースクリフこと、茅場晶彦は一人手元のある情報を見ながら考え事をしていた。
手元に映し出されたのは、一人のプレイヤーの情報。言うまでもなくキリトである。
突出した力を持つ黒の剣士。βテスト経験者。

だがキリトはあまりにもこの世界を熟知している。知りすぎていると言っても過言ではない。あまりにもイレギュラーな存在だった。
何らかのズルを行っているのかとも考えた。しかし監視やデータを検証したが、彼が何らかの不正行為を行った形跡はない。
このゲームのルールにのっとり、キリトは力を上げている。

不正アクセスによる、データの回覧。その可能性を考え、システムの根幹であるカーディナルも念のためにシステムを洗いなおした。
しかしそのような事実は無い。それにこのSAOはベータ版よりもさらに容量を増し、新しい項目やシステムを積み込んでいる。さらにはモンスターの能力や出現も変化を起こさせている。

自分以外に、この世界の情報を完全に把握するものはいない。この世界は茅場晶彦が一人で作り上げたのだ。
ハッキング以外のやり方で、この世界の情報を知る手段は無い。ゲームソフト自体の解析も不可能。それにそれをしようにもプレイヤーはこの世界から脱出する方法などはクリアする以外に無いのだ。

(本来ならあまり見過ごせないことだが………しかし)

ヒースクリフは口元を面白そうに吊り上げる。なぜだろう。心が躍ると言うのだろうか、彼をもっと見てみたいと思う気持ちが沸きあがる。

GMとしてみるなら、この世界の安定と公平さを望む立場からすれば、キリトの存在はあまり面白い存在ではないはずなのに。
どちらかと言えば、早急に何らかの手段を持って排除しなければならない。

(いや、違う。私は求めているのだ。こういう私自身が想像しえない、私の思惑の外の存在を……)

自身の内心を、茅場晶彦は考える。
彼は天才であった。昔から並大抵のことは一通りこなせた。むろん、苦手な分野という物は存在するが、こと自分が進んだ分野においてはほかの人間の追随を許さなかった。

自らの知識を、能力をフルに使い作り上げたこの世界。この世界の創造こそ、創造してからの鑑賞こそが彼の目的であり、夢であった。
しかしわかりきった事象など何の面白味もない。自分だけが何もかも知っていると言うのは、確かに優越感を得られるだろう。神のごとき視点で他者を見る。これ以上の快楽はない。

だが逆にそこには未知に対する期待も新しいことを成し得た、知った時に生まれる感嘆や驚愕、感動もない。
停滞した世界しか存在しなくなる。
俗にいえば、ロマンがない。

茅場晶彦は科学者であり、狂人であり、異端児ではあったが、彼は彼なりの美学を持ち、独自の感性を持っていた。
このアインクラッドを想像したことからもわかるとおり、彼はロマンチストでもあった。

子供のころからの夢。この空想の世界を現実のものにする。
仮想世界の存在であっても、どこかに本当にこの世界が、このアインクラッドと言う城が存在するのではないか。そんな想像を掻き立てられる。
そんな中に、彼の予想を、予測を上回る活躍をする人間が現れた。

ゲームとしてみれば、本当に異物でしかないかもしれない。しかしだからこそ面白い。
自分の城に、世界に現れた未知の存在。
彼は今後、いったい、どんな行動を取るのだろう。どんな予想外な事態を見せてくれるのだろう。起こしてくれるのだろう。
ああ、面白い。

「本当に君は面白い」

小さくつぶやく。
本来なら、最強の騎士の称号は、ヒースクリフと言う名の存在に与えられるはずだった。
最強のギルドの称号ともに、神聖剣という名の称号とともに。
しかし、それは現在、彼自身のものだ。

勇者。
孤独であり、孤高である姿に、いっそヒースクリフは美しいとも思えてしまった。
彼ならば、間違いなく自分を倒し得る十のユニークスキルのうちの一つを必ず取得するだろう。どこか確信めいた予感があった。

MMOに魔王と戦うオンリーワンの勇者は必要ないし、存在してはいけない。そしてゲームバランスを破壊する可能性があるユニークスキルもまた、本来は存在してはならない。
逸脱した力であるユニークスキル。神聖剣だけならば、シナリオ上必要だ。
天地逆転する驚愕のストーリーを盛り上げるためにも、そう言った舞台装置は必要なのだ。
残り九個のスキルはあってはならないはずなのだ。そして本来ならたった一人の勇者の存在など不要のはずだ。

「……私は求めているのだろうな」

彼――-茅場晶彦がほかに何を求めているのか。それを知るのは、本人のみ。

「さて。私もそろそろ本腰を入れるとしよう。彼にばかり活躍されては、このヒースクリフの意味もない」

立ち上がり、ヒースクリフは装備を身に纏う。

「私は高みで待とう、キリト君。本当なら、君のためにもう少し難易度を上げたいところだが、それは公平ではない」

キリト自身の正体がつかめず、ある意味チートであり、あまりにも知りすぎているため、何らかのペナルティや少々難易度の変更を行いたいところだが、それでは今のこの状況を、ほかのプレイヤーを一気に失いかねないし、何より今のまま彼を見続けていたと言う葛藤が彼の中に生まれたからである。

「上がってきたまえ。そして見せてくれ、私の世界で君がどのような物語を紡ぐのか」

ヒースクリフ、最強の盾にして剣、神聖剣が動き出す。



このゲームが開始されてから四か月。
あの二十五層攻略から一か月。最前線は多少キリトの離脱により攻略速度を落としたものの、すでに三十八層まで進んでいた。

攻略は順調である。前線メンバーも、極端に大きな被害を受けることもなく進んでいる。だが時折、調子に乗ったプレイヤーのミスで被害がでることもあり、ここまでに聞いた話では二人が命を落としたらしい。全体の死者も九百人を超えた。
それでもだんだんと死者の数は少なくなってきており、この世界の情勢も落ち着いてきた。

索敵スキルを鍛えつつ、この世界に流通する新聞に目を通すキリト。彼が大きく目を引いたのは、ヒースクリフの記事。

血盟騎士団団長・ヒースクリフが神聖剣を取得したと。
思ったよりも早かった。そう考えながらキリトは記事を端まで見る。
前回、あの男がユニークスキルを発現させたのは、もう少し後になってからだと記憶している。
いや、あれは発現と言うよりも解禁と言う方が正しいだろう。それを早めたのはキリトの存在が影響しているのは想像に難くない。

対して自分はまだ二刀流を取得していない。あれはゲーム開始から一年後のことだった。まだ半年も経過していないから、気が早いのは理解できるがそれでも一刻も早い取得が望まれる。
二刀流の熟練度を早いうちから高めなければならないのと、二刀流によるソードスキルに頼らない戦術を構築する必要があるからだ。
しかし………。

「最強騎士、そして最強ギルドの称号を取得なるか、か」

記事の見出しにはヒースクリフが神聖剣を得たことにより、今まで最強のギルドの名を争ってきたアインクラッド解放軍と聖竜連合から一歩抜きんでることになった。
デイアベルと聖竜連合のリーダーもプレイヤーとしては優秀だが、ヒースクリフには劣る。

記事にはビーター・黒の剣士キリトと神聖剣・ヒースクリフ、果たしてどちらが強いのかと書かれている。
現状では、キリトはヒースクリフに勝つのは不可能だと思っている。
神聖剣に勝つには、あの圧倒的防御力を打ち抜く、圧倒的な手数と攻撃力が必要となる。唯一、二刀流だけがそれを成し得る可能性を秘めている。

もし片手剣のみならば、否、二刀流以外ならば、あの防御を突破することはおそらく不可能だろう。
全十あるユニークスキルの残り八つがどんなものかはわからないが、あれを完全に上回るスキルは存在しないだろう。

「いや、これは俺の役目だ。俺があいつの神聖剣をつぶす」

拳を握りしめ、キリトは感情を高ぶらせる。
だが不意に、キリトは血盟騎士団の団員紹介の項目に目を通し、疑問を浮かべた。

「……やっぱりアスナの名前はないか」

そこには副団長から上位十名の名前が書かれた項目があったのだが、アスナの名前がそこに乗っていなかった。
前回の彼女は副団長として血盟騎士団にその身を置いていた。今回は自分が攻略に参加していた時はまだ彼女の姿を見ることはなかった。

自分が大きく動きすぎたことで、以前とはだいぶ流れが変わっている。攻略自体も順調だし、彼女自身が攻略に参加しない、まだ参加していないと言うのは十分に考えられるが……。

キリト自身、なぜこんなことを考えるのか理解できなかった。
彼女が前線に出なければ、それだけで彼女が危険な目に合うことは少なくなる。自分自身も彼女を目にすることで、あのアスナを思い出さなくて済む。重ねなくて済む。
そういう意味ではこの状況はキリトの望み通りのはずなのに。

「なんで、まだアスナを求めてるんだよ、俺は……」

うつむき、顔を隠す。
やめろよ、思い出すなよ。
心の中でつぶやく。あんな夢を見たからか。あの幸せだった、二十二層での思い出が、キリトの中にあふれ出る。

一人が当たり前になったのに。一人の方が落ち着くようになったのに。
どうしてこんなにも胸が締め付けられるように苦しいんだ。どうしてこんなにも涙が出てくるんだ。

やめろ、やめてくれ……。
本当は気づいてた。本当は、一人が嫌だと言うことを。気付かないようにしていた。気付いていないようにしていた。
自分はただ怖いだけなんだ。傷つくことが、失うことが。

あの時、はじまりの街で彼女に言われた言葉。
自分を知らなかった、最愛の少女。
もしまた、彼女に拒絶されたら。もしまた彼女を失ったら。
きっと自分は生きていられない。きっと自分は、もう立ち上がることができない。

だからそうならないように、必死に弱さを隠してきた。強さを求めていた。
でも不意に一人になることで、その弱さは露呈する。
攻略を続けていた時は、周囲から嫌われ、白い目を向けられていても、まだ他人とのつながりを感じることができた。

ボスを倒すためと言う目的を掲げることで、それ以外のことを考える必要がなかった。
それにエギルやクライン、ディアベルと言う、自分を気にかけてくれる人がいると言うのを感じるだけで、キリトは知らず知らずのうちに救われていた。

だが今の、一人の状況が長く続くと、考えてはいけない、考える事が許されない思考が浮かんできてしまう。
弱い自分があふれ出す。キリトは両手で自分の体を抱きかかえる。
あまりにも情けなく、あまりにも弱い自分が嫌になる。

求めるな。願うな。望むな。
もう今更だ。もうどうあっても、自分は彼女と共に歩む事は出来ない。
ビーターと言う悪名は、彼女との接点をより無くすためのものでもあった。前以上に悪名を轟かせれば、彼女は決して自分を好きにはならない。

多分、彼女に恨んで欲しかったのかもしれない。彼女を守れなかった自分を罰して欲しかった。
逃げ道を自らの手で潰した。そうする事で、強くなろうとした。
なのに・・・・・・・

「何でだよ、何で・・・・・・・。アスナ、俺・・・・・・・」
それでもキリトはアスナを求めてしまう。
彼女の声が聞きたい。彼女の笑顔が見たい。彼女と一緒にいたい・・・・・・・。

『大丈夫だよ、パパ』

不意に、声が聞こえる。
ハッとなり、キリトは顔を上げる。周囲には誰もいない。今、キリトがいる場所は、他のプレイヤーが知るはずもない場所。
まだ情報を開示していない、キリトだけが知っている場所なのだ。
そこに声が聞こえるはずが無い。誰かが来るはずが無い。

しかし彼の索敵スキルがこちらに近づいてくる存在を察知している。
数は一人。真っ直ぐにこちらに向かっている。かなり速い速度だ。
キリトは背中に剣の鞘を回し、右手で剣を抜き構える。何者であろうとも、すぐに対処できるように・・・・・・。

だが近づいてくるものの姿を見た瞬間、キリトは驚愕の表情を浮かべ、その動きを止めた。
キリトの目に映る存在。白い純白の服を着て、腰に細剣を携えた一人の少女。
全力で走ってきたのか、キリトの姿を確認すると立ち止まり、少々肩で息をしながらも、呼吸を整え、彼女は満面の笑みを浮かべ・・・・・・。

「・・・・・・・・ただいま、キリト君」

少女―――アスナはキリトにそう告げるのだった。





[34934] 第三話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/09/23 19:06

――――ただいま、キリト君。―――――

耳に届いた声が幻聴ではないのかと思った。
目に映る少女の姿は幻覚なのではないのかと思った。
まだ自分が都合のいい夢を見ているのではないかと思った。

彼の目の前にいる少女―――アスナ。
彼女の笑顔がキリトの目に映るたびに、かつての穏やかな時間の思い出があふれ出る。

一度目のこのSAOの世界での、出会ってから記憶が。
意見の食い違いで対立したことも、衝突したこともあった。
協力したこともあった。パーティーを組んだこともあった。

いつしか、彼女を好きになっていた。彼女の隣にいるだけで幸せだった。彼女と一緒にいた時間は、今まで生きてきた中で、それこそ十六年と言う時間、この仮想世界ではない、現実世界の時間とも合わせた中でも、最も満ち足りた、幸せになれた時間だった。

でもそれはあっさりと崩れ去った。
失った。
もう一度再会し……そして絶望した。

二度とその名前で呼んでもらえないはずだった。
二度と彼女の、自分に向けてくれる優しい笑顔を見ることができないと思っていた。
二度と一緒に生きることができないと思っていた。

なんで……
どうして……

今、キリトは自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
驚愕、困惑、疑問、さまざまな感情が入りまじり、到底冷静な状態にはなかった。
目の前に立つアスナが本当に自分の知る彼女なのか、それともいまだに都合のいい夢の続きなのか、それすらも判断できなかった。

何かを言おうにも言葉も出ない。
そんなキリトの姿にアスナも苦笑する。
アスナは思い出す。あの日、すべてを思い出した日の事を……。




第二十二層で、アスナはその少女と出会った。否、再会したと言った方が正しいだろう。
かつて、この場所で最愛の人とともに出会い、三日と言う短い時間だったが、家族として共に過ごした少女。

ユイ。
その正式名称はYui-MHCP001
このゲームにおいてメンタルヘルス・カウンセリングプログラムと呼ばれる存在。
精神状態に問題を抱えるプレイヤーのケアを目的として作り出された存在である。
かつて、キリトとアスナの前に姿を現れ、二人の娘になった少女。

そして二人を守るために能力を振るい、この世界の管理システムに抹消されてしまった少女。
それでも何とかキリトがユイが保有していたGM権限を使い、ぎりぎりで完全消滅を免れた。
しかしもう二度と、このSAOの世界では出会うことがない筈だった。

「あなた……」

アスナは必死に少女の事を思い出そうとする。
知っている。知っている! 自分は彼女を知っている!
でも思い出せない。とても大切なことのはずなのに。自分にとって、彼にとって、何物にも代えられない子のはずなのに。

「……えっ、彼って」

自分の脳裏に浮かんだ少年の姿。黒い服を身に纏い、剣を振るう一人の少年。
アスナの脳裏に次々に情景が浮かんでくる。
彼の姿が、彼との会話が、彼と歩んだ時間が……。

それでもまだ駄目だった。何かが足りない。もうあと少し、ほんのあと少しですべてを思い出すと言うのに。
そんな時、不意にユイがアスナの体に触れる。

「えっ?」
「大丈夫だよ、ママ」

ギュッと、かつて自分がアスナからしてもらったように、最後の別れの時、彼女の体に抱きしめられていたように、ユイは自分よりも大きなアスナの体を抱きしめる。

「あっ……」

フラッシュバックする記憶。思い出していく。自分の記憶を。覚えている。彼の事を。この世界で好きになった大切な人の事を。生まれて初めて好きになり、愛し、ずっと一緒にいたいと願った最愛の人の事を。

彼の笑った顔が、困った顔が、寝顔が……。
生きていると、実感したあの時間が思い出される。そして目の前のこの少女の事も思い出した。

「ユイ、ちゃん?」

アスナは自分を抱きしめる少女の名前を口にする。

「うん、うん。そうだよ、ママ」
「ユイちゃん……」

彼女の事を認識したアスナは、両目に大粒の涙を浮かべる。彼女もまたユイを抱きしめ返す。

「うん、うん、ママっ……!」
「ユイちゃん!」

お互いに涙を流し、再会を喜ぶ。ひとしきり涙したところで、アスナはゆっくりとユイを抱きしめた腕を放すと、彼女と同じ目線まで腰をかがめ、今の自分の状況を確認しようとする。

「私、ユイちゃんとまた会えてうれしい。でもどうして……」

ユイはあの時、消えたはずだ。それに自分もあの時、キリトを守って死んだはず……。

「キリト君! そうだ、キリト君は!?」

すべてを思い出したアスナは最愛の人の名前を口にする。

「落ち着いて、ママ。パパは今、もっと上の階層にいるの……」
「教えて、ユイちゃん! キリト君が今どこにいるのか!?」

必死なアスナにユイはどこか悲しそうな表情を浮かべる。

「ユイちゃん?」
「ダメです、ママ。今すぐには無理なんです……」

ユイは自分がわかっている範囲でアスナに説明を試みる。

「パパは今、カーディナルに監視されています」

その言葉にアスナはハッとなった。

「なぜこの世界に私やパパやママが記憶を持ってさかのぼったのか、それは私にもわかりません。メンタルチェックでも、ほかのプレイヤーにママやパパと同じような精神状態の人はいませんでした」

ユイは語る。彼女はペンダントの形でアスナとともにあったが、開始から一か月あたりで覚醒したそうだ。

「それから私はこの世界の情報を、カーディナルに見つからないように集めました。ただこの状態では何もできないうえに、下手をするとすぐにカーディナルに探知され消去される可能性があったので、この世界の私と同期することで、それを回避しました」

この時はまだこの世界のユイは壊れていなかった自分に、自分自身を上書きすることで問題点を解消した。
そしてすぐさま、カーディナルに異物として存在を抹消されない範囲で、彼女は情報を集めた。

「パパの事もずっと見てました。でも……会いに行くことはできませんでした」

キリトはその異常性ゆえにカーディナルが常に監視を行い、それを茅場晶彦も見ていた。
また今までカーディナルが、たった一人のプレイヤーを監視するなどと言う事態などありえなかった。
何らかの不正行為を働いていないか、何らかの不正アクセスをしていないかどうか。カーディナルは、そしてGMは調べていたのだ。

「カーディナルを通して、誰かがパパの情報を見ていると言うのを知りました。だから私は……」

泣きそうになりながら、ユイは語る。
できればすぐにでもキリトの下に行きたかった。しかしそれはできなかった。監視されていたのと、カーディナルの命令があり、今の状況では動くに動けなかった。

ユイを味方にして、この世界の情報を回覧している。そう判断され、キリトが排除されてもおかしくはない。

「幸い、パパは一切の不正行為を行っていないので、監視状態で留まっています。それにカーディナルでも私を通して感情を詳細に感知することはできても、記憶や思考までは知ることはできません」

キリトはソロであるために、自分が二度目にこの世界を経験することを誰にも話していない。言ったところで信じてもらえないと言うのもあるだろう。

「だからパパは無事です。でも……」

ユイは今、キリトがどんな精神状態なのか知っている。
以前のキリトの精神状態を知っているがゆえに、壊れていくようなキリトの心を知るたびに、苦しく、悲しく、つらくなっていった。
早くパパを助けてあげたい。でも自分が行けば、間違いなくパパは大変な目に合う。

監視された状況下で自分が赴けば、どうなるかは想像に難くない。
かつてと同じ矛盾した状況。そこに感情と言う不確かな、曖昧なものが絡む。
ユイのシステムはエラーを起こした。しかしそれもすぐにカーディナルに修復される。だがその一瞬の隙を突き、ユイはカーディナルから自身に関するプログラムの一部を書き換えることに成功した。何とか実体化することに成功したのだ。

「キリト君……」

アスナも心がつぶされそうだった。キリトは今、一人で頑張っている。たった一人、かつて以上にビーターと言う誹りを受けながらも、このゲームを攻略するために。

不意にアスナはあの第一層で再会した時のキリトの姿が脳裏に浮かんだ。
瞬間、アスナは自分の顔が青ざめていくのを感じた。
あの時、キリトは何と言った。

『おぼえて、ない、のか……』

「どうしよう、私のせいだ……」
「ママ?」
「私が、キリト君にあんなこと言ったから……」

『知らない』

自分はキリトにそう言ったのだ。キリトは覚えていた。覚えていてくれた、自分の事を。
でも自分は忘れていた。それがキリトをどれだけ傷つけたことか、想像に難くない。

もし自分が逆の立場だったら多分、自分は生きていけない。
アスナは両膝を付き、涙を流した。

「キリト君、ごめん、ごめんね、私……」

ここにはいないキリトに謝罪するアスナ。自分ではどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
心の中ではキリトに会いたいと願っている。今すぐに彼に会いたい。彼に触れたい。彼と話をしたい。

でもそんな資格が自分にあるのか。アスナは思う。
きっと彼を傷つけた。ひどいことをした。
キリトを守ると言ったのに、ずっと一緒にいると誓ったのに……。
だがそんなアスナをユイはそっと抱きしめた。

「大丈夫だよ、ママ。パパはずっとママの事を思ってくれてる」
「ユイちゃん?」
「パパはママのために頑張ってる」

キリトの心の中で、復讐やこのゲームのクリアと言ったものの先には、アスナに対する深い思いがあった。
アスナのために、彼女だけでもと。その想いは暖かいものだった。キリトは今でもアスナを想っている。
それをユイの口から聞くと、さらにアスナは涙を流した。どれくらい涙を流していたのだろう。もし現実なら、アスナは目を赤々と腫れ上がらせていただろう。

「ユイちゃん。私、決めた。キリト君に会いに行く。それで謝ろうと思う」

忘れていてごめんなさいと、先に死んでしまってごめんなさい。なんだか謝ることばかりだなとアスナは思った、

「うん。でも今のママじゃ、パパのいるところに行けないんです」
「……レベルの問題ね」

真剣な表情になるアスナに、ユイもコクリと頷く。今のキリトは前以上にトッププレイヤーと言うよりも、プレイヤーの中で最強なのだ。レベルも技能も、こと戦闘に関して言えばあのヒースクリフでも現在のレベルでは神聖剣を使わなければ勝てないほどに圧倒的に高いのだ。

その彼がいるのは、最前線も最前線。常に迷宮区にもぐり、誰よりも強くなろうとしている。
そこに今のアスナが足を踏み入れるなど自殺行為以外の何物でもない。キリトと会う前に、彼女は死んでしまうだろう。

それでは意味がないし、キリトの生きる目的や希望を完全に絶ってしまう。下手をすれば今以上に自暴自棄になりかねないと、ユイは指摘した。

「わかってるよ、ユイちゃん。私は、もう死なない。死ねないもんね」

キリトのためにも、死ぬわけにはいかない。と言うよりも、彼に会う前に死んでたまるものか。謝らなければならないことが山ほどあるのだ。
いや、と言うよりも彼に会いたい。それはもう、ものすごく。できることならば本当に今すぐにでも。

「じゃあ早くレベルアップをしないと」
「それとカーディナルもいつまでもパパを監視はしていないみたいです。少しずつパパの監視は緩くなると思います」

カーディナル経由で得た情報では、メンタル情報の提示はあとひと月程度で終了となっていた。
おそらくはカーディナルを扱うGMがそのように命令を出したのだろう。

これは茅場晶彦が常に彼の行動を知っていては、面白味がないと判断したためだ。
キリトが不正をしていないと言うのならば、こちらも常日頃の監視を行って情報を得ているのは公平ではないと言う彼の理念によるものだった。

「そっか。あとひと月か……。ちょっと長いな」

あとひと月。確かにレベル上げを行うのならば、熟練度を上げるのなら、それくらいの時間は必要になる。それでもおそらくキリトとの差を縮めることは難しいだろう。

「もちろんその時はユイちゃんも……」

一緒に行こうと言ったアスナだったが、ユイは首を横に振った。

「ごめんなさい、ママ。私は一緒に行けないんです」

その言葉にアスナは驚愕の表情を浮かべる。

「もし私がママと一緒にパパのところに行ったら、それだけでカーディナルの削除対象にされかねないんです。それにまた、パパやママに監視が付く可能性も……」
「ユイちゃん……」
「私もパパやママと一緒にいたい! でも! でもっ!」

そのせいで自分だけではなく、二人を窮地に立たしかねない。いくらカーディナルの監視の目が離れられても、また同じようになっては意味がない。だから……。

「ごめんなさい、ママ」
「ううん。いいの、いいんだよ、ユイちゃん」

そっとアスナはユイを抱きしめる。

「私の方こそ、ごめんね。ユイちゃんもキリト君に会いたいのに、私が無理ばっかり言って……」
「ママ、私は気にしてません。それよりもパパを……」
「うん、わかってる。キリト君は絶対に私が守るから。でもいつか、また三人で一緒に暮らそうね。あの二十二層の家で」
「はい! 楽しみにしてます!」

ユイはそのままアスナにクリスタルを預かってほしいと言うと、プレイヤー達のメンタルデータのモニタリングを続けると。そこで二人の優しい気持ちに触れていると。
聞けば今回はキリトの活躍のおかげで、前よりもプレイヤー達の恐怖や絶望と言った感情が少ないらしい。

だがそれに反してキリト一人に向けられる負の感情が多くなっているのは、ユイとしては不本意どころか怒りすら覚えることだった。
もともと負の感情に慣れていないユイだが、大好きなパパであるキリトをそんな風に思われるのは我慢ならない。

だから、何としてもユイはキリトの手助けをしたかった。キリトの心を助けたかった。
そのためにもアスナには何が何でも記憶を取り戻してもらいたかった。
もともとアスナにもキリトと同じで記憶があることはメンタルパターンから推測で来ていた。あとはきっかけだけ。
そしてようやく、キリトを助けることができる。

「じゃあ行ってくるね、ユイちゃん。見てて、すぐにキリト君を助けるから」

こうして再びアスナは己の力を高めるために努力を重ねた。
かつてと同じように、否、それ以上に。
だがそれは以前のような脅迫概念からではない。
ただ愛する人の下へ行きたいから。愛する人を助けたいから。愛する人に謝りたいから。

だから……。

「待っててね、キリト君!」

こうして、閃光のアスナが再びこの世界に生まれることになる。
ちなみに、いきなり豹変とはいかないが、レベル上げに執着し、ものすごい速さで強くなっていくアスナに対して周りからは『バーサークフェンサー』などとあまりありがたくない名前で呼ばれ、それはやめて欲しいと懇願したとか。



そしてようやく、この日がやってきた。
キリトの居場所はユイが教えてくれた。カーディナルの監視も弱まった。
茅場晶彦ことヒースクリフは前線で活躍しだしたこともその原因だろう。

ヒースクリフはキリトが次に自分と会うとき、どんな風に現れるのか、どれだけの力を得てくるのか、またはユニークスキルを手に入れるのか、それを楽しみにしていた。

だからこそ、監視を一時中断した。知らない、未知と言うなの想定外の事態を待ち望んでいるかのように。

アスナは走った。ようやく、ようやく会える。キリトのいる場所は最前線よりも一つ下の迷宮区。まだマッピングされていない場所の、安全エリア。
それでもモンスターのレベルは高い。アスナは一人でそこに向かう。途中、何度もモンスターに遭遇した。時には危うい場面もあった。

アスナは思う。キリトはいつもこんな状況を一人で乗り越えてきたのかと。前回も、そして今回も。それに今回はキリトが血路を開き、攻略をしてきたようなものだ。

第二十五層以降は、各ギルドがその主導権を握ったが、そこまではキリトの尽力が大きい。
それをアスナは凄いと思った。キリトは一人で今も頑張っている。何とか彼を支えたい。アスナは心の底から思った。

そしてアスナはキリトと再会した。ただいまと、彼に向かい言った。
キリトはいまだに混乱しているのか、何とも言えない顔をしている。その姿を見ると、アスナは思わず少し笑ってしまった。

だがすぐにキリトに会えたうれしさが込みあがってくる。知らず知らずのうちに涙が出てくる。

「ようやく、ようやく会えたよ、キリト君」
「……アスナ? 本当に……あの、アスナ、なのか?」
「うん。キリト君を好きになったアスナだよ」
「そんな。でも、あの時は……」

キリトが言っているのはこの二度目のゲームがスタートした時の事だった。それを言われるとアスナも胸が痛んだ。自分は忘れていたのだ。あの二年間の事を、キリトの事を。
それがどれだけキリトの心を傷つけたか。

「ごめん、ごめんね、キリト君。あの時、私、忘れていたんだ。あの二年間の事、何もかも」

でも今は違うとアスナは言う。全部思い出したとアスナは言う。
ゆっくりとアスナはキリトに近づく。また二人で一緒に……。

「来ないでくれ!」
「えっ?」

顔をうつむかせ、キリトは声を張り上げた。

「キリト君?」

どうしてとアスナは言おうとした。でも言えなかった。ああ、やっぱり怒っているのだ。勝手に死んで、忘れていたことが許せなかったんだ。

「……そう、だよね。私、キリト君の事忘れてたもんね。キリト君は覚えていてくれたのに。それに勝手に死んで……キリト君が怒っても無理、ないよね」

悲しそうな顔をするアスナ。でも仕方がない。彼には恨み言を言う資格が……。

「違う! そんなんじゃない! そうじゃないんだ、アスナ! 俺は……、俺はもう君と一緒にいる資格はないんだ!」

吐き捨てるようにキリトは言った。

「俺は、俺は君を守れなかった。あの時、俺はっ!」

キリトは感情を爆発させた。アスナに再会し、記憶を取り戻したと彼女が言った時、うれしかった。歓喜した。あのアスナが、自分の知るアスナが生きていた。自分と同じように戻ってきていた。
今すぐにでも駆け寄りたい。アスナも自分を求めてくれている。足を動かそうとして、だがその足を止めた。

今の自分を振り返る。ビーターと呼ばれ、多くのプレイヤーから疎まれている。そうなるように仕向けた。
その自分と一緒にいれば、彼女も同様の扱いを受けかねない。
それに怖かった。もしかしたら自分のせいでまた彼女を失ってしまうのではないか。また自分のせいで彼女が死んでしまったら……。

そして自分は逃げてしまうのではないか、と思った。
あの二十二層の記憶。あの時のように、何もかも忘れ、放り出し、攻略そのものを投げ出してしまうのではないか。
今の自分がひどく不安定なのは、キリトは自覚していた。アスナがいてくれれば、それでいい。彼女とともにこのゲームの攻略など目指さず、誰かが攻略してくれるのを待つ。

そんな愚かな考えが浮かんだのだ。
そうすればアスナは死ななくて済む。自分も彼女といられると。
だがそれはいつか破綻するもの。現実の肉体の限界。それは前の時間軸でもアスナと話し合った。おそらく十年も持たない。前は二年は持ったからその程度なら大丈夫だろうが、五年はわからない。

攻略組も確かに自分がいなくとも立派に攻略を進めている。ディアベルが生きていることも大きい。
しかしそれもいつまで順調に続くかわからない。
いつかは自分も攻略に戻らなければならない。
だが逃げてしまいたいと思ってしまった。アスナと一緒に……。
そんなこと許されないはずなのに……。

たぶん、アスナに触れてしまえば、もう彼女を放したくないと思ってしまう。彼女とともに静かに暮らしたいと思ってしまう。
きっと自分はこの状況から逃げてしまう。だから……。

「俺は、もう……君とは、一緒にはいられない。だから……ごめん」

顔をうつむかせながらキリトは拳を握り、声を絞り出す。言った後、アスナに背を向ける。涙がとめどなくあふれる。止めることができない。
苦しい。胸が締め付けられる。

「………キリト、君」

アスナもキリトに言葉に何を言っていいかわからない。一緒にいたい。ただそれだけなのに……。背を向けるキリトにアスナは手を伸ばそうとする。
しかしできない。自分が彼を追い詰めた。そう思っているアスナは、自分には彼の隣にいる資格はないと、キリトと同じように考えていた。

「………そっか。ごめんね、キリト君。キリト君の気持ちも考えずに、私一人舞い上がっちゃって………」

だからアスナも顔をうつむかせ、何とか言葉を選びながらキリトに言う。

「でも本当にキリト君が気にすることはないの。悪いのは全部私だから……」

だからごめんなさい。
そう言ってアスナは走り出した。その眼から大粒の涙を流しながら。
気配が遠ざかって行くのを感じながら、キリトはどさりと両膝を地面に着いた。
アスナに記憶が戻ったことをうれしいと思う気持ちと、そんな彼女を拒絶した悲しい気持ちが入りまじり、キリトは嗚咽を漏らす。
これでよかったのだと、キリトは自分にいい聞かせる。これでよかったのだと……。

「これで、よかったんだ……」

だが涙は止まらない。苦しいと思う感情はなくならない。

「……アスナっ」

キリトは最愛の少女の名前をつぶやくのだった。



アスナは迷宮区の中を走っていた。
彼女もまた、涙を止めることができなかった。キリトに再会し、また一緒にいられると喜んだ。
でもそれはできなかった。
キリトは一人でいることを選んだ。

自分は前と同じように、彼の隣にいることはできない。
あの時、最後の瞬間まで一緒にいると約束してくれた時とは違う。
もうあの時には戻れないのだと、アスナは思った。それを理解した時、アスナの心は悲しみに支配された。

ユイと約束したのに。今彼女はどんな気持ちなのだろうか。
それとも強引に、キリトの所に残るべきだったのだろうか。
わからない。どうしたらよかったのか、どうすればいいのか……。

「キリト君、ユイちゃん……私、私どうしたら……」

立ち止まり、アスナは涙を何度もぬぐう。決して止まることのない涙を……。
しかし彼女は忘れていた。ここが迷宮区の一角であり、決して油断していい場所などではないことを。

そしてそれは彼女に襲いかかった……。





[34934] 第四話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/10/07 19:11
涙がようやく止まったのを見計らい。キリトは自身の目元を拭った。
散々泣いて、少しは楽になった。
アスナへの想いは確かにこの胸にある。今も尚、と言うよりは、さらにと言ったところだろう。
彼女が自分の知るアスナであった。戻った、と言うべきなのか。
彼女は生きていた。生きていてくれた。それだけが救いだった。
彼女を拒絶したのことは、辛かった。アスナにも辛い思いをさせてしまった。

それでもこれが最善だとキリトは自分に言い聞かせる。今の自分と行動を共にすれば、アスナは必ず嫉妬の対処になる。ビーターの悪名の被害を受ける。
彼女が他の誰かから誹謗中傷を受けるのは、断じて認められない。もしそんな事をいうやつが目の前にいれば、即座に殴りかかるかもしれない。

「でも良かった。アスナが無事で。生きててくれて・・・・・・・」

無事生きていたと言っていい状況なのかは不明だが、それでもキリトは救われたような気がした。
彼女のためにも、攻略を急ぐ必要がある。彼女を無事に、今度こそ絶対に、この世界から助け出す。

本当は隣にいて欲しいと思っているが、あの光景がキリトの脳裏に浮かぶ。
ヒースクリフの攻撃から自分を守るために、その身を犠牲にしたあの時が……。

—――キリト君は、わたしが守る―――

彼女は自らが口にした通りに、キリトを守った。
でもキリトは彼女を守りきれなかった。
何かを失うのは、もう嫌だ……。大切な人なら、なおさら。

「俺は大丈夫だから、アスナ……」

しかしキリトは気が付いていない。否、理解が足りていなかった。キリトにとってアスナが何ものにも代えられない程に大切な人であったように、アスナにとってもキリトは何ものにも代えられない人であると言うことを。
その彼女が現在、どれだけ傷ついているかを、彼は甘く見ていた。




アスナの前にそれは突然姿を現した。
その身にあまり似合わないナイフを持った猿人。三十五層の森に出現するドランクエイプに似ているが、こちらはそれよりも小柄であり、メイスではなく小さなナイフを持っていると言う違いがある。

これも迷宮区に出現するモンスターの一種である。キリトがいたのは、安全区ではあったが、迷宮区の中であった。
アスナはそこから離れたのだが、キリトからもたらされた拒絶の言葉に動揺し、混乱した結果、来た道ではなく、未だマッピングの済んでいない場所に迷い込んでしまった。

今のアスナでもこの程度が一体ならば難なく倒せる。それだけの安全マージンは取り、この層までやってきたのだ。
しかしいくらレベルが高くても、スキルが高くても、このゲームで生き残るのは簡単ではない。

このフルダイブゲームにおいて、そのプレイヤーの精神状態が戦いを左右すると言っても過言ではない。
焦りや油断、慢心と言った感情が、プレイヤーの命を奪う。これは現実でもゲームでも変わらない。

アスナの今の精神状態は最悪と言っていいものだった。動きにキレがない。頭では戦わなければと思っているのに、何度も何度もキリトの姿が脳裏をよぎる。
彼からの拒絶の言葉が、アスナの精神を揺さぶる。

(ダメ……集中しなきゃ)

自分に言い聞かせるが、心は一向に落ち着かない。
相手はナイフと言うこともあり、リーチはこちらが上だがその分俊敏性が早かった。むろん、アスナよりも早いと言うことはないが、重武装タイプのプレイヤーならばかなり苦戦するだろう。

―――もう、一緒にはいられない――――

キリトに拒絶された言葉が頭から離れない。
私はずっとキリト君と一緒にいたいのに……。
キリトがあんなことを言ったのには訳がある。それをアスナは理解している。かつて所属していたギルドが自分のせいで全滅したと言う話をキリトから聞いている。
それがトラウマとなり、以降はずっと一人で行動していた。

アスナがキリトの心を癒し、二人で行動を共にするようになった。ともに支えあい、お互いが切り離すことのできない存在になったとアスナは思っていたし、事実その通りだった。
それがアスナの死という物に触れたことで、刺激され、再び誰かといることに恐怖を感じるようになった。

キリトの場合はすでにアスナの事を想いながらも、自分の意思を固めていた。それが歪で自己満足的なものでしかなくとも。
だがアスナの場合は、心の整理をする時間がほとんどなかった。ゆえに今の状況を招いた。
結果、彼女は命の危機を迎える。

いつもの彼女なら、難なく倒せるであろう相手。しかし勝てない。ならば離脱しかない。転移結晶は現在、アスナは持っている。もしもの時のために用意しておいた。
思考がまとまらない中、何とか離脱と言う選択肢を頭に思い浮かべることができた彼女は、まだ自暴自棄になってはいなかった。

しかし彼女の不運は続いた。
転移結晶を手に持ち、転移を試みようとした瞬間、わずかに敵の攻撃がアスナの体に触れる。それだけならばたいしたダメージはなかったが直後、アスナは自身の体の自由を奪われた。

(っ、麻痺!?)

剣と結晶を手から落としてしまう。掠っただけで麻痺。あまりにも強力な麻痺だった。もともとアスナは俊敏性を上げるために防御力を犠牲にしていた。さらに装備も同じで動きやすいものを選択していたことが仇となった。
鎧ならば麻痺効果のナイフを通さなかっただろうが、アスナの装備ではそれを防ぐことはかなわなかった。どさりと仰向けに倒れこむ。

麻痺状態の時はシステムメニューを開けない。動かせるのは口と左手の肘から下のみ。
こういった場合、左側のポーチに解毒結晶や転移結晶を用意し、それを使用すると言うのがセオリーだ。

アスナもその例に倣い、常にこの二つを左手のポーチに入れている。尤も転移結晶は麻痺のせいで落としてしまったが、まだ解毒結晶は残っている。
アスナは何とか動く左手で、解毒結晶を取出し、解毒を試みる。
だがそんなアスナの動きに反応したのか、猿人は仰向けに倒れるアスナに馬乗りとなった。

デジタルのデータとはいえ、猿に馬乗りにされると言うことにひどい嫌悪感を抱くことになったが、それを考えている余裕はなかった。
そのまま猿人は連続でナイフをアスナに向けて振り下ろす。解毒が終わった直後にまたしても麻痺が発生した。
解毒結晶は一つしかなかった。それに複数用意していたとしても、この状況では意味がない。

「っ!」

何とか唇をかみしめ、恐怖に耐える。こんな状況は今までに経験したことはなかった。動けないまま、攻撃を受けた経験などない。今まで麻痺状態になっても、近くには必ず誰かいた。
けれども今は一人。

アスナは怖いと思った。死と言う物が、身近に近づいてくる気がした。
何度もその体をナイフがえぐる。それ自体の攻撃力は大したことはないが、何度も連続して体に突き刺さられると言う行為が、アスナの精神を削っていく。
痛みはないが、じわじわとライフを削られていくことに、焦燥感は増していく。グリーンからイエローに……。ついにレッドにまで、ライフが落ち込む。

(ダメ、これ以上は!)

あと数回、ナイフを振り下ろされれば死ぬ。
しかし何もできない。何とか動く左手でナイフを止めようとするが、アスナの筋力パラメーターでは何もできなかった。猿人の腕を止めることも、ナイフを止めることも。

絶望だけが広がる。もう終わりは近い。
ああ、私死ぬんだな……。
あきらめにも似た気持ちがアスナの中に広がる。
キリトが自分が死んだと知れば、どう思うだろう。
悲しむだろうか。苦しむだろうか。

不意に、キリトの今にも泣きそうな顔が浮かぶ。何度か見たことがある、彼の辛そうな顔。
黒猫団の死を語る時。逃げたいと言っていた時。
強い彼と弱い彼。そのどちらもキリトだった。
うぬぼれではないが、多分自分が死ねばキリトは傷つく。きっと自分のせいにしてしまうはずだ。

(……ダメ、それだけは絶対!)

だから死ねない。諦めない。何とか、何とか生き残る。最後の最後まで……。
あの時、麻痺から回復した時のように、何とか動いてとアスナは必死に願う。
しかし根性論だけでは、精神論だけでは、奇跡など起きない。

あれは本当の奇跡。あるいはアイテムとなったユイの心が起こした事象だったのかもしれない。
簡単に起きないからこそ奇跡。
もうライフがゼロに限りなく近い。後一撃、振り下ろされただけで終わる。

(本当に、これで終わりなの? ……キリト君!)

ごめんなさいと、目を閉じキリトに謝るアスナ。
直後、疾風が駆け抜ける。黒の疾風が……。

「えっ?」

アスナに乗りかかっていたモンスターが宙を舞った。宙を舞う猿人はそのままポリゴンを四散させた。
自らにかかってていた負荷が消えたのを感じ、目を開ける。そこには剣を振りぬいた黒の剣士、キリトがいた。
その顔は蒼白となっており、どこか息も荒いような気がした。

「アスナ! 生きてるよな、アスナ!?」

なんか似たような事が前にもあったかなと、アスナは場違いなことをお一瞬考えてしまった。あの時とは立場が逆だが。
キリトは即座に回復結晶を使い、アスナのHPを全快にする。

「キリト、君?」
「よかった。アスナが無事で、よかった」

本当に安心したような顔をしながら、キリトは気が抜けたのかガクリと膝をついた。

「ごめん、アスナ。俺のせいでアスナをこんな目に……」
「ち、違うよ、キリト君! これは私のせいでキリト君のせいじゃ……。それよりもどうしてここに?」

アスナは自分が思った疑問を口にする。キリトがここに駆けつける理由がわからない。
前回、キリトのピンチをアスナが救えたのは、訓練のために出かけた彼の位置をマップでをモニターしていて、同行者の反応が喪失したため、何かあったと思い彼の下に向かったからだ。
今回はキリトとお互いにメンバー登録をしていないので、位置や情報を知るすべはなかったはず……。

「ユイが、教えてくれた」
「ユイちゃんが?」
「ああ。パパの馬鹿って、怒られた。本当に馬鹿だよな、俺」

どこか自嘲しているようなキリトのつぶやきにアスナは、何と言って良いのか言葉に困った。

「ユイがある程度事情を教えてくれた。俺に接触するのは危険だから今まで何も言えなかったってことも、アスナが俺の所に来れた理由も」

短い時間だったが、キリトは実体化したユイからあらましを聞いた。茅場晶彦に目をつけられた場合、どうなるかお互いに理解している。
仮にユイがアスナの下に出向いて、モンスターを消去すると言う方法を取れなくもなかったが、そちらの方がリスクが大きすぎた。カーディナルに、茅場晶彦に目をつけられるどころではなく、エラーとして報告され、確実に彼らの目に留まる。
ユイは確実に削除され、そこからアスナに、その前に接触していたキリトに波及するのは目に見えていた。

ならばまだリスクが少ない方を選ぶ。またアスナを拒絶したキリトに文句の一つも言いたかったと言うこともあるし、二人をこのままにしておけなかったと言うこともある。

「でもアスナがヤバいって。だからユイは危険を承知で俺の所に来てくれた」
「そんな! じゃあユイちゃんは!?」
「いや、今のところ大丈夫だって言ってた。監視も今はないし、ログもある程度誤魔化せるって……」
「そう、なの?」
「わからない。けど俺の事は自業自得だ。それよりも……アスナが死ぬ方が何倍も嫌だ」

アスナが死ぬかもしれないと言われた時、全身に悪寒が走ったような気がした。恐怖した。自分が死ぬことよりも、彼女が死ぬことが何倍も怖かった。
だからキリトは走った。以前、自分を助けに来てくれたアスナのように、俊敏パラメーター補正の限界を超えていただろう。
あの時のアスナもこんな気持ちだったのだろうか。
とにかく、アスナを見つけ、モンスターを撃破し今に至ると言うわけだ。

「とにかく、ここは危ない。一度転移結晶でどこか安全なところに」
「うん。そうだね。……ねぇ、キリト君。少しだけでいいの。キリト君のそばにいていい?」
「アスナ?」
「迷惑なのはわかってる。でもほんの少しだけでいいから」

迷惑なんかじゃない。そうキリトは言いたかったが、言えなかった。代わりにできたことは頷くことだけ。
そのあとはお互いに無言で転移結晶を使った。行先は、あの思い出の場所、二十二層だった。



二十二層の森の中。キリトとアスナはお互いに装備を解除し、無言のまま歩いていた。
アスナは実にひと月ぶりであった。キリトはここに来ると思い出が多すぎて泣いてしまいそうだったので、極力来ないようにしていた。最後に来たのは、この層を攻略した時以来だろう。
ここに来た理由はモンスターが出ないこと。あまり人がいないこともあったが、けじめをつけるならばこことお互いが思ったからだろう。

「懐かしいね、ここ」
「そうだな」

うれしそうに微笑むアスナに、キリトも心なしか表情を和らげていた。昔みたいに笑うことはまだできていない。でもほんの少しだけ、あの頃に戻ったような気がした。

「あの頃は、本当に楽しかったね。今でも時々思い出すの。夢のような時間だったって。キリト君がいて、ユイちゃんがいて。本当の家族みたいで。ずっとあの時間が続けばいいなって思ってた」

キリトもアスナの言葉にそれがずっと続けば、どれだけ幸せだっただろうかと思った。

「でも二週間で終わったよな」
「うん。それですぐあの戦いだったもんね」

お互いに思い出す七十五層の戦い。ヒースクリフの正体の露見と決闘。そしてアスナと自分の死。

「ごめんね、キリト君。私のせいで、またキリト君にいろいろと背負わせて。一緒に背負うって言ったのに……」
「違う。全部俺のせいだ。君を守るって言っておいて、結局君に守られて、君を、見殺しにした!」

叫ぶようにキリトは胸の内を吐露する。

「俺は何も守れなかったんだ。黒猫団もサチもアスナも!」
「違うよ、キリト君! あれは私が勝手に! キリト君はなにも悪くないよ!」

叫ぶキリトにアスナは必死に悪くないと言うが、キリトは聞き入れない。なおもキリトは自分のせいだとアスナに謝罪する。
だがアスナはそんな言葉聞きたくなかった。キリトにこれ以上苦しんでほしくなかった。

「キリト君!」

アスナがキリトの名を呼んだ時、アスナは思わずキリトの体を抱きしめていた。

「もうやめて、キリト君! どうしてそんなに自分を責めるの!? なんで全部背負おうとするの!?」

アスナは泣いていた。すべてを一人で背負おうとするキリトに。自分が悪いと子供のように駄々をこねているようなキリトに。

「そんなキリト君、見たくないよ! あの時の、クラディールの時もそうだよ! キリト君が悪いなら私はどうなの!? 一緒に背負うって言ってキリト君に背負わせてばかりの私は!?」

キリトに影響されたのか、アスナも今まで心のうちにためていた思いを吐き出した。

「私が守りたかったのは、キリト君の命もだけど、キリト君の全部を守りたかった。優しいキリト君を守りたかった! でも結局またキリト君を傷つけて、つらい思いをさせて」
「アスナ……それは俺が」
「もう嫌! そんなの聞きたくない! 私はキリト君に笑っていて欲しかった。私も、笑ってるキリト君が一番好きだった! でも私はそんなキリト君の笑顔を奪った!」
「待ってくれ、アスナ! それは絶対に違う!」

泣きじゃくるアスナの肩をつかみ、少しだけ彼女を離れさせる。そしてそのままキリトは彼女の顔を見据える。

「違う。本当に違うんだ、アスナ。アスナのせいじゃない。それは、本当なんだ。だから頼む。泣かないでくれ。アスナが泣いてるところなんて、見たくないんだ」
「私だって同じだよ、キリト君。キリト君がつらい顔をしてるところなんて見たくない」

お互いにお互いを大切に思っている。それは昔も、今も変わらない。
それが感じ取れるだけに、キリトも何も言えなくなった。なんとなく、叫んでた自分がガキっぽく思えてしまった。
そして思う。やはり自分はアスナを求めてしまうと。アスナが好きだ。愛している。
思わず、今度はキリトからアスナを抱きしめた。

「キリト君?」
「………アスナが死んだとき、何も考えられなくなった。さっきもすごく怖かった」

もう一度アスナを失う。それも自分が知っているアスナを。本当に怖かった。これ以上の恐怖はないと思える程に。

「自分が許せなかったんだ。アスナを守れなかった自分が……。また守れなかったらどうしようって」
「……それは私も同じだよ、キリト君」

自分を抱きしめるキリトの体にそっとアスナも腕を回す。

「記憶が戻ってからこの一か月、キリト君にどう謝ったらいいのかって、ずっと考えてた。私がキリト君につらい思いをさせたから……」
「アスナ……」
「どうしたらいいのかなって、ずっと考えてた。どうすればキリト君は許してくれるのかなって、ユイちゃんにも相談してたんだよ」
「許すも何もアスナは何も悪くないって」
「そうやってすぐ自分が悪いって言う」

アスナの言葉にキリトは知らず知らずのうちに苦笑した。

「キリト君と再会できてすごくうれしかった。また一緒にいられるって考えたら、もうほかに何もいらないって思える程に」

そう言ってアスナはよりキリトを抱きしめる腕に力を込めた。もう話したくないと言わんばかりに。

「でもそれは私のわがままだったんだね」
「それは違う」

キリトは自分でも驚くほどにすぐにアスナの言葉を否定した。

「俺もうれしかった。アスナが俺の名前を呼んでくれて。もう二度とないって思ってた。もう俺が大好きだったアスナは死んだんだって思ってたから。結局、自分の事だけ考えて、アスナの気持ちを考えてなかったんだ」

その結果、アスナは命の危険にさらされた。

「自分でもどうしていいのかわからないんだ。でも怖いんだ。また君を失ったらどうしようかって。俺と一緒にいて、君までほかのプレイヤーから嫉まれたらどうしようかって……」
「………ありがとう、キリト君」
「アスナ?」
「ずっと私の事を考えてくれてたんだね。私も本当はね、怖かったんだよ。キリト君がいなくなったらどうしようかって。多分、もう耐えられない。前に言ったでしょ、自殺するって。もしキリト君が死んだら、私も後を追おうって、本気で考えてたんだから」
「……やっぱり、本気だったんだな」
「うん。今はまた背負わせちゃうって思うから、やりたくはないけど気持ちとしては本当かな。毎日に絶望するよ。キリト君がいない世界なんて、もう考えられなかったから」

その思いはキリトもよくわかる。ヒースクリフとの戦いでアスナを死なせた時に、キリトは嫌と言うほど味わったから。

「ねえキリト君。私はキリト君と一緒にいたい。これからもずっと。この気持に嘘はつけないから」
「俺も……アスナと一緒にいたい」

自然とそんな言葉が出てきた。キリトもアスナと同じだった。この気持に嘘はつきたくない。
一緒にいられないとアスナに言っておきながら、現金なものだとキリト自身も思うが、もうアスナを放したくはなかった。
キリトの言葉にアスナは驚きの表情を浮かべた。

「な、なんだよ。そんなに驚かなくても」
「ううん。あ、その、すごくうれしいんだよ!? でもまたダメって言われるかなって思ってたから。あっ、その場合は、ちゃんと離れるつもりだったんだよ。でも勘違いしないでね。私のキリト君への想いがこれくらいで無くなるはずないから。ただ離れて私も軍でキリト君をサポートしていこうって思ってたから」
「あれ? 今ってアスナは軍の所属なの?」
「そうだよ。攻略組一歩手前で記憶が戻ったの。それにキリト君が今まで頑張ってくれたおかげで、今の軍は凄くいいギルドなんだよ。まあ大きすぎていろいろと大変みたいだけど」

今回は血盟騎士団には入るつもりはないとアスナはきっぱりと言った。あのギルドに対して思いがないわけではないが、すべてを知った後では不信感しか出てこない。

「別に副団長とかの役職もないから、抜けるのは簡単だし。キリト君と一緒にいられるなら、私はずっと一緒にいたい」
「……ありがとう、アスナ」

もう一度、アスナを強く抱きしめる。アスナもうれしそうにキリトのぬくもりを感じる。

「キリト君。次は絶対にキリト君を残して死なないから」
「俺も……今度こそ絶対に君を死なせない。一緒に、現実世界に帰ろう」
「うん。大好きだよ、キリト君。一緒に戻って、ずっと一緒にいようね」

二人の距離が縮まり、どちらともなく口づけをかわす。
この日、この世界において一つの転機が訪れる。
のちに夫婦剣、最強夫婦、白黒夫婦などと語られる黒と白のコンビの再誕であった。




ゲームが開始されてから半年が経過した。
キリトが前線から抜け、アスナが再会してから二カ月が経過していた。
その間に各ギルドは順調にレベルを上げ、攻略に対してもある程度の余裕を持てるようになってきた。

それに伴い各ギルド間のいざこざも増えるようになってきた。特に血盟騎士団とアインクラッド解放軍、聖竜連合の三陣営の争いが活発化してきた。
軍は数こそ多いものの、最前線に参加できるほどのプレイヤーは五十人程度である。

ディアベル、キバオウの二人を先頭にかなりの実力者ぞろいではあるが、神聖剣を擁するヒースクリフとその彼が鍛えている血盟騎士団の団員達の前では一歩劣ってしまうのが現状だった。
キバオウはヒースクリフの事もあまり好きではない。それは嫉妬に似た感情であろう。

「けっ、すかしやがって」
「まあまあキバオウさん。落ち着いてください」
「せやけどディアベルはん。あいついっつも同じような表情でわいらを見てるんやで。なんつうか見下してるみたいな。あんなチートなスキルがあるからって、わいらの事を馬鹿にしとんのや」

いつも表情を崩さずにいて、偉ぶることもない。そんな彼に好感を抱くプレイヤーが多いが、キバオウは逆にその余裕の態度が癪に障る。
ギルドの長としても、ほとんどすべてを副団長以下部下に任せている。自ら命令を発することはほとんどない。

「そうかな。俺はあの人はいい人に思えるんですけど。話してみると結構話の分かる人ですよ、キバオウさん」
「かぁー! ディアベルはん! 騙されたあかん! あれは絶対に腹に一物抱え取るタイプやって! わいが言うんやから間違いない!」

自信満々に言うキバオウにディアベルは苦笑するしかない。途中から最近は出しゃばらんようになったけど、あのビーターの小僧も絶対に憎たらしい奴やから、気を許したらあかんとしきりにディアベルに言う。そんな光景に軍の面々は笑いをこぼす。

現在は五十層。ゲームも中盤に差し掛かったところである。半年で半分。かなりいいペースであろう。
攻略の糸口が見え、このまま進めば一年。長くても二年かからずにこの世界から脱出できる。それが希望となり、多くのプレイヤー達は絶望せずにこのゲームに挑んでいる。

職人クラスも攻略の手助けをと、自らのスキルを上げていく。そして日ごとに最前線へと参加するプレイヤーも増えていく。

「よう、クライン。お前も今回は参加するのか?」
「おっ、エギル。まあ俺達も一応は攻略組のギルドだし」

軍や血盟騎士団から少し離れた場所で、いつも通り会話をしているのはエギルとクラインだった。
この二人はキリトと言う共通の話題もあり、会えばしきりに会話をしていた。またクラインはじめ、風林火山の面々はエギルのお得意様と言ったところであった。

「最近はどうよ。まーたあこぎな商売して儲けてるんじゃねぇの?」
「おいおい。人聞きの悪いことを言うな。こっちはいつでもお客様第一の良心的な商売だぜ」
「じゃあこの間のあれ、まけてくれてもよかったじゃん」
「それはそれ、これはこれだ」

などと二人して笑いあう。が、不意にクラインは話題を変えた。

「ところで、エギル。最近キリトの奴そっちに顔を出してるか?」
「………いや、最後に来たのは一月ほど前だ。だがなんつうか、どこか憑き物が落ちたような顔をしてたぞ」

エギルはあの時のキリトの顔を思い出す。何か大量にいろいろと仕入れて帰って行った。それもどこかうれしそうに。ついでに少し金が必要になったと、集めてきたレアアイテムを換金してくれと頼んだ。

「なんつうか、あいつが笑うのを初めてみた」
「笑った!? キリトが!?」

エギルの言葉にクラインが驚きの声を上げた。クラインがキリトの笑ったところを見たのは、はじまりの街で別れる直前だ。
それ以降、キリトが笑う所をクラインは見たことがなかった。

「それにあいつ、今回に限って交渉してきたぞ。いつもは俺の言い値でいいって言うのに。つうか、なんかいつもに比べておかしかった。いや、あれの方が前よりもマシだが。本当にキリトかと疑ったぞ」

まるで信じられないものを見たと言う顔をするエギルに、逆にクラインも心配になってきた。

「……何があったんだ、キリトの奴」
「………わからん。女でもできたか?」
「あのキリトに限って?」
「………」
「………」
「………」
「………」
「ないな」
「自分で言っといてなんだが、そりゃないわ」

と二人してうんうんと頷く。あのキリトに女など。ただでさえコンビも組もうとしない人間不信に近いあれを攻略するなど、一人でボスに挑むようなものだろう。色香に迷うと言う可能性もなくはないが、このゲームでは性欲など発生しないのだ。

まあ一応男女の営みをできなくはないが、ほとんど隠しコマンドみたいなもので、知っている人間はまだ多くない。
だから二人はキリトは本当に大丈夫なのかと思った。攻略から外され、やけになってなければいいが。

「まあやけになってるって風には見えなかったから、それだけは安心だと思うが」
「それならいいけど。エギル、またあいつが来たら、それとなくフォローしてやってくれよ。あいつ、危なっかしいから」

そう言ってクラインは頭を下げる。彼からしてみれば、キリトは生意気な弟のようなものだった。
そんなクラインにエギルは笑みを浮かべる。良い奴だとは知っていたが、中々どうして。彼自身もクラインが頼まなくてもキリトの事を助けるつもりだった。

お得意様と言うことだけではない。キリトがどれだけ努力し、苦労しているかを知っているからだ。
それに大人として、子供を助け見守るのも務めであろう。

「任せとけ。あいつのためなら、俺もなんだってしてやる」

キリトの知らぬ間に、男達はできの悪い弟を助けるために協力することを約束する。

「準備は整った! みんな、行こうか!」

ディアベルの号令で、この階層のボスの攻略が始まる。敵は金属製の仏像めいた多腕型ボス。情報収集の段階でこのボスの強さが尋常でないと言うことは知られていた。
それぞれのギルドの偵察部隊が必死に集めた情報だった。
その結果、この敵は動きも早いうえに、攻撃速度、威力、手数とも今までの比ではないと判明した。

これを受け、大人数によるそれぞれに役割を分担した攻略に挑むことで決定した。三大ギルドのリーダーが無茶を言い出すタイプではなかったのが幸いだった。
五十層攻略が開始される。




[34934] 第五話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:9d53e911
Date: 2012/10/15 16:58

第五十層攻略戦。
大小、いくつものギルドによる共同戦線。
キリトが抜けてからの二十層以上にも及ぶ戦いで、彼らはかなりの戦力アップを果たしていた。

またキリトの努力により、この世界は前の世界よりもサポート面でしっかりとしており、情報、アイテム、職人による支援などで最前線の攻略ギルドはかなり強力化していた。

特に軍の構築した支援システム。大ギルドであることを生かし、戦うことを忌避する多数のプレイヤーを職人、あるいは商人クラスにすることで、最前線のプレイヤーが強力な武器や必要なアイテムを大量に補給できるようにしていた。

軍にはいくつかの部隊が存在する。
まずはディアベルやキバオウを中心とした最前線で戦う攻略組。数は五十人前後で、血盟騎士団には多少劣るものの、それでもトップクラスプレイヤーを数多く要し、攻略にはなくてはならない集団である。

二つ目に調達部隊。これは武器をはじめとした装備品やアイテムを調達、あるいは強化・作成のために必要な素材を入手することを目的とした集団であり、最前線より下で活動する集団である。ここは比較的安全な狩場でレベルを上げることを目的や、あるいは攻略にまでは行きたくはないが、モンスターと戦うこともやぶさかではないといった者たちが所属する。数は五百人にも及ぶ。

三つ目に鍛冶師や商人などをはじめとする職人部隊。
これは最大規模の千人以上にも及んだ。
もともと大多数の人間は命のかかったゲームという物に恐怖した。死ぬかもしれない。戦いたくない、死にたくないと言う人間が数多く存在した。

そんなプレイヤー達にシンカーやディアベルは呼びかけを行った。必要な素材や情報などはこちらで用意する。前線に出ずに後方支援を担当してほしい。そのスキルを磨いてほしいと。

SAOでは初期に選択できるスキルスロットは二つである。レベルが十上がることに一つずつ増えていくが、戦うことができないプレイヤーはその二つを容易に増やすことなどできない。

ならば最初から後方支援スキルを選択してもらい、それの熟練度を上げてもらう方が効率がいい。このゲームにおいて熟練度はポイント制ではなく、使った分だけ上がっていく。

つまり鍛冶スキル、料理スキル、裁縫スキルなど後方支援のスキルはそれを行えば行うほどに高くなる。
軍により素材がある程度定期的にもたらされ、優先的に回してもらえるならば、それだけを鍛えて儲けた方がいい。そう考えるプレイヤーは多かった。

それにスキルが向上し、よい物を作り出せるようになればそれだけで金儲けになる。
武器、装備、多くのプレイヤーには必要不可欠だ。
それにスキルの数もある意味膨大で、料理、釣り、裁縫、音楽スキルなども存在する。さらにここはゲームと言うこともあり、確かにスキルを上げるには努力をしなければならないが、現実と違いやればやるほど上達し、才能も必要としない。つまりやる気と根気さえあれば、だれでも上達するのだ。

ならばと、多くのプレイヤーはシンカーやディアベルの言葉に乗り、スキルを磨いた。
娯楽の充実に加え、最前線には彼らが作成した武器や装備品が次々に回され、攻略の最大の支援となった。

またディアベルやシンカーはあまり欲深い人間ではない。どちらかと言えば協調性を重んじ、ほかのプレイヤーの事を心配する所謂良い人であった。
そのため軍で独占するのではなく、ほかのギルドにも格安と言うわけではないが、商人クラスを通じて流通するようにしている。

四つ目に自警団。
ラフィン・コフィンは壊滅したが、その思考を受け継ぐ、あるいは模倣する人間と言うのは少なからずいる。と言うよりも人間の本性と言うのは、えてして醜いものだ。
そのため、何らかの犯罪を犯したプレイヤーや集団に溶け込むのが嫌な者などが、強盗と言った行為に手を染める者は後を絶たなかった。

もっともラフィン・コフィンのPoHや赤目のザザ、ジョニー・ブラックほどのプレイヤーはさすがに存在せず、初期に彼らに賛同した者はキリトが皆黒鉄宮にある監獄エリアに飛ばしている。
それでもこのような犯罪者集団はなくなることを見せず、SAO世界に少なくとも千人は存在しているのではと言われている。

だがラフィン・コフィンの壊滅で、殺人を行うほどのプレイヤーの数はさすがに多くはない。それを推奨していたPoHはもういないし、悪質な殺人プレイヤーには黒の剣士の報復が訪れると言う噂が流れていたためだ。

さすがにラフィン・コフィンの壊滅を知る多くのプレイヤー達は、それがはったりであるとは思えず、噂にある黒の剣士・ビーターならばあり得ると妙な納得がなされ、積極的に殺人を行う者は皆無に近かった。
殺人はしないと言っても、これに対処しないわけにはいかない。と言うことで、調達部隊の中から交代制でこの集団に人数が振り分けられる。
はじまりの街を中心としてこちらも五百人ほどが所属する。

情報収集部隊。これはいささか少なく数百人程度であった。
情報は何よりも貴重である。特に軍の後方支援リーダーであるシンカーが特に力を入れている部署である。もともとシンカーは現実世界では国内最大のネットゲーム情報サイトMMOトゥディを運営していた。そのため、情報は何よりも大事と言うことを理解していた。

荒事にはとんと向かない性格であったが、ディアベルとは気が合い、お互いにこのゲームの攻略を目指すために、各々でできることをしようと言うことで、彼らは役割分担を行い、見事それがいい方向で進んだ。
前線をディアベルが、後方をシンカーがまとめることで、軍は飛躍的に強大になった。

血盟騎士団もアスナが居ないものの、軍の攻略組からヘッドハンティングや、最前線に参加するプレイヤーにヒースクリフが積極的に声をかけることにより、その規模を拡大させていた。

数は前回では三十人前後だったが、現在では七十人にも及ぶ。しかもその誰もがレベルの高い強力な剣士である。
これはヒースクリフがキリトの存在と軍があまりにも強力になったことを危惧しだした事が原因だろう。

最強の剣士の称号だけではなく、最強ギルドの団長の地位まで無くせば、このSAOにおける彼の考えるシナリオが狂ってしまう。
自らの目的のために、このような狂気の計画を実行したヒースクリフこと茅場晶彦だが、ゲーム内において、ゲームマスターとしては公平であるべきと言う意思を持っており、己の都合で軍を壊滅させるのは理不尽であると考えた。

その結果、彼はギルドの数と質を強化することにした。もともとは最終的には三十人程度の予定だったが、七十人にまで増えたのはいささかやりすぎたかと考えたが、キリト程ではないが、ヒースクリフの目に留まるプレイヤーが多かったのと、軍から引き抜いて少しでも軍を弱体化させればと思ったからだ。

これならば別にずるはしていないし、無意味にプレイヤーの命を奪っていない。交渉であるゆえに、公平である。
神聖剣を発動させたヒースクリフから声をかけられたプレイヤー達は、その異名と本人からヘッドハンティングを受けたことに舞い上がり、多くのプレイヤーは血盟騎士団に入団した。

これは血盟騎士団の方が名前も服もカッコいいと言う、どこか情けない理由もあったが、それも致し方がない。軍の制服は一部から不評であったから。
今度は職人を集めてもう一度制服のデザインを考え直そうと言う話し合いも出されている。

余談だが、軍にはSAOでは参加者が少ない女性プレイヤーの半数が参加していた。その全員の制服はミニスカートか、それともロングスカートかと言うことで議論が紛糾したと言うのは、のちの軍における黒歴史である。

「お前ら! 散々軍に世話んなっといて、今さらギルド替えすんのか!?」

引き抜きの際には、キバオウはかなりいきり立った。

しかしディアベルなどは逆にそれを認めた。しかも笑顔で見送った。

「なんでや!?」
「いや、キバオウさん。別にギルドが変わっても攻略を目指す仲間には変わりないじゃないですか。それにヒースクリフさんが直々に鍛えてくれれば、それだけで攻略組の質も上がります」

と、ヘッドハンティングされたプレイヤーは運がいいと言う始末だった。

「ならばディアベル君。君も血盟騎士団に入団するかね? 君ならば安心して副団長を任せられるのだが」
「ちょっ! おまえ、あほか!? ディアベルはんまで引き抜くつもりかいな!?」
「いやー、大変ありがたいお誘いなのですが、自分はこのギルドが気に入っています。それに俺まで抜けたら、シンカーが過労死しちゃうでしょうし」
「ふむ。残念だ」
「はん! ディアベルはんがお前みたいなやつの片腕になるかい! それにディアベルはんの副長はワイやし、お前みたいなやつにディアベルはんは負けへんで!」

と言うやり取りがあったりもした。
これらのギルドの競い合いで、強化された攻略組により、今回の攻略もうまくいく。誰もがそう思っていた。
しかし、そんな彼らの予想はボスとの戦いが始まってすぐに打ち砕かれることになる。

「下がれ! 下がるんだ!」
「すぐに回復結晶を使え! 負傷者を転移結晶で転移させろ!」

攻略組は恐慌状態に近かった。五十層のボス。金属製の多腕型の仏像めいたモンスター。
その情報はある程度前もって入手していた。今回は重武装型を前衛に出し、攻撃を受け止めているうちに、ほかのメンバーが側面から挟撃すると言う手はずになっていた。

前衛もスイッチを繰り返し、交代することで損耗を抑え長時間の戦闘を継続することが考えられていた。
人数が多ければ多いほど、こういった交代制での戦いという物ができるようになり、それに伴うメリットも高くなる。

だがボスの強さが予想以上だった。情報収集の段階で、その威力が高いことはわかっていた。そのため聖竜連合の最強クラスの防御力を持つプレイヤー十人が、中央から陣形を整え向かった。彼らはそのままボスを引き付けるはずだった。

戦略が瓦解したのは開始から数分も経たないうちだった。
ボスは前衛を務めるプレイヤーをその六本の腕で攻撃した。しかしその攻撃の仕方が問題だった。
まるでハエ叩きのように、頭上から幾度もその腕をたたきつけたのだ。

基本、重武装タイプと言うのは動きが鈍い。防御力が高い弊害である。逃げようとしてもほかの腕に捕捉され、逃げるに逃げられない。一人、また一人とライフを削られていく。

ほかのプレイヤーが攻撃を加えても、敵のライフバーは多く、今までの階層の敵よりもさらに一本多かった。しかも金属製の仏像めいているゆえか、防御力もほかの階層のボスよりも段違いに高かった。

移動速度こそ遅いが、攻撃速度は早く、その腕を巧みに動かし、叩き落とすだけではなく、薙ぎ払うなどの攻撃も行い、側面にも対応される。
奥に回り込もうにも、腕で阻まれ回れない。何とか俊敏性の高いプレイヤーが背後に回り込み攻撃を繰り返すが、敵のライフを大きく削ることはできずにいた。
変わりに味方の被害が増す一方だった。

前衛を張っていた聖竜連合はライフが危険域に近づくと即座に結晶を使い離脱した。
それが五分もしないうちにである。その後もボスの猛攻は続く。次々に危険域にライフを削られ、緊急脱出を繰り返す多くのプレイヤー達。
最初にボスの部屋に突入した五十人ものプレイヤー達のほとんどが離脱を果たす。幸い、ディアベルやヒースクリフの活躍で、ぎりぎり死者は出ていない。

「くっ! このままじゃ……」
「ディアベル君。このままでは戦線が崩壊する」
「ええ、ヒースクリフさん。このままじゃまずい」

ディアベルとヒースクリフは隣り合わせで立ちながら、ボスを睨みつける。お互いに剣と盾を持つタイプの剣士であり、戦い方も似ている。
ただしお互いの防御力には大きな差が存在する。神聖剣のボーナス得点で、ヒースクリフはかなり防御力が追加されている。

それでもディアベルはその判断能力と巧みな戦い方で、何とかライフポイントを維持しているがすでにイエローゾーンのそれもレッドに近い。クリティカルを貰えば、おそらくはライフを削りきられるだろう。対してヒースクリフは未だにグリーンゾーンである。

「ここは私が引き受けよう。君は後方で指揮を執ってほしい」
「ヒースクリフさん、あなた一人ではさすがに無理だ。俺も残ります」
「無茶はやめたまえ。君の副官のキバオウ君も離脱してしまっているし、後方は恐慌状態だ。これではまともに攻略などできないだろう」

ちらりと二人はボス部屋の入口を見る。多くのプレイヤー達がそこにいるが、それでも部屋に入ってこようとする人間はほとんどいない。
攻略において、スイッチを繰り返し攻撃を繰り返す手はずだったが、すでに彼らの戦意は喪失していると言っても過言ではない。

皆がボスの強さに恐怖したのだ。今までの攻略が順調に行き過ぎた。苦戦したことはあったし、死者を出したこともあった。
それでもここまでの大人数を用意して、ここまで圧倒的に攻略組がやられたことはなかった。

本来なら二十五層においても、このような状態になるはずだったのだが、キリトのおかげでそれは防がれていた。
たった一人の突出した剣士。エース、ストライカー、あるいは勇者と呼ばれるかもしれない。

一人の英雄が、意識せずとも周囲を引っ張っていく。キリトの行動は図らずとも攻略組に希望を見出させていた。
しかし今キリトはおらず、仮にいたとしても二十五層のような戦い方は通用しないだろう。
結果、多くのプレイヤー達はその強さに恐怖し、動けずにいた。

「君は後ろで指揮を執り、プレイヤーを落ち着かせてもらいたい。その間は私がこの場を維持しよう」
「いくらなんでも無茶だ!」
「なに。無理でも無茶でも誰かがやらねばなるまい。それにキリト君は二十五層で一人、獅子奮迅の活躍を見せた。この神聖剣を持つ手前、それくらいできなければ彼に示しがつかない」

ヒースクリフはどこか楽しそうに笑いながら、盾と剣を構える。これから絶望的な戦いに赴くはずの男は、どこまでも余裕の表情を崩さず、実に楽しそうであった。
紅白の鎧が舞う。数多の手による攻撃をヒースクリフはその盾ですべて受け止める。相手の攻撃に盾を合わせ、受け止め、受け流し、同時に剣でほかの腕をさばく。
神業と言えなくもない攻防。たった一人で攻略組を圧倒した敵を抑え込んでいる。

「くっ! ヒースクリフさん、すぐに戻ります!」

ディアベルは自身のライフポイントも危険域に近いこともあり、一時撤退を行う。と言ってもボス部屋の入口に退避し、回復を行う程度である。

「第二陣! 用意はどうだ!?」

ディアベルの言葉にほとんどのものは顔を見合わせる。誰もが怖いのだろう。当然と言えば当然だった。
攻略組と言っても、ハイレベルでもヒースクリフやディアベルのような豪胆なプレイヤーの数はそう多くはない。それにこれまでが比較的安全な攻略を続けてきたせいで、彼らの胆力と言うべき精神的な成長と言うのは少なかった。

窮地に陥った時に本来の自分の力が出し切れるか。命のかかった場において、それができる者はあまりいない。
すでにそう言ったプレイヤーは第一陣に志願している。レベルの高い第一陣がなす術もなく敗退したのを見て、また勝ち目がまだ見えない状況で死ぬかもしれない突撃をする勇気のある人間は少なかった。

敵の強さが今まで見たボスよりも隔絶していたと言うのも大きかった。
攻略組に参加していても、自分が進んでと言う意思を見せる人間は少なく、お前が行けよと視線を巡らせるものが大半だった。
第二十五層を含め、ほとんど犠牲を強いることなく攻略を続けてきたが故の弊害。多くなりすぎた攻略組の弊害と言うべきだろうか。

だがそれでも自ら勇気を奮い立たせ、前に出ようとする者はいる。
すっとディアベルに続こうとプレイヤー達が前に出る。

「クライン、お前も貧乏くじか?」
「へっ、そういうエギルも。たまにはいいとこ見せないと、キリトに合わせる顔がねぇからな」

エギルとクライン。そしてクラインの仲間でもある風林火山の面々がそれぞれ武器を構えて前に躍り出た。ほかにも第二陣以降に待機していたソロプレイヤーや少人数のギルドがそれに続く。

「すまない、みんな。何とか戦線を維持してくれているヒースクリフさんを援護。左右、背後から攻撃を繰り返す。少しでもいい、相手の注意をそれぞれに引き付けて、敵を攻撃してくれ」

ディアベルは第二陣に志願してくれたメンバーに指示を出す。残りのメンバーは後方で待機し、援護をと命令を出す。

「このボス攻略に参加する勇気が出せない者は仕方がない。このボスは今までとはレベルが違う。だから俺もこれ以上無理にとは言わない。だができるなら、この場に残ってサポートを頼む。回復アイテムの保持、傷ついた仲間への使用、情報収集、なんでもいい。皆、自分にできることをしてくれ! じゃあ行くぞ!」

指示を出し終えると、ディアベルはクラインやエギルをつれ、ボスに向かい戦いを挑む。
ヒースクリフの努力もあり、何とか戦線は維持できているが決定力が足りない。手数が足りない。

「ぐあっ!」
「エギル!? ちくしょう!」

エギルが吹き飛ばされるのを見て、クラインが叫びながらソードスキルを放つ。それは仏像に直撃するがHPはわずかに減る程度である。
すでに戦闘開始から半時間は経過していると言うのに、まだ相手のHPはイエローゾーンに突入したばかりである。

先が長すぎる。すでに転移結晶などで離脱した者も戻り、回復アイテムで回復しローテーションに参加しようとしているが、アイテムの残りも三分の一を切っている。
それにボスの恐怖にやられたのか、幾人かが戦線を離脱した。

いくら攻略組でも人間である以上、恐怖を感じるのは致し方ない。それに負けてしまうのも理解できる。
だからこの場にいるリーダークラスはそれに対して文句は言わない。言えるはずもない。できるのは彼らがこの後、攻略組に残ってくれることを祈るだけだ。

「どりゃぁぁぁっ! ぐへぇ!」
「キバオウさん! 無理な突撃はダメだ!」

戻ってきて早々吹き飛ばされ、ライフをほとんど削られたキバオウに向かい、ディアベルは駆け寄る。

「せやけど、ディアベルはん! このままやと先にこっちが参ってまうで! それにあの団長にだけやらせてるとか、ワイは我慢できん!」

キバオウが見据える先にはずっと一人で戦い続けるヒースクリフの姿があった。彼はほかの面々が何度も後ろに下がり回復を繰り返す中、一人前に出続け一度も回復せずに、休まず敵の攻撃をさばき続けている。

もし彼が下がれば、それだけで戦線は完全に崩壊する。
彼とキリトではまったくタイプが違う。防御の要と攻撃の要。どちらも希望を見出させる存在ではあるが、敵の攻撃を防ぐだけでは、前には進めない。
いや、ヒースクリフが最前線でしのいでくれているからこそ、ほかのプレイヤー達も彼だけにはやらせられないと勇気を振り絞れる。

その意味でもヒースクリフと言う存在は必要不可欠である。
しかしいくらヒースクリフがすごいと言っても、彼にも限界は来るだろう。それが早いか遅いかの差。涼しい顔をしているヒースクリフだが、それを皆はやせ我慢だと思っていた。

「俺がもう少し強かったら……」

ぐっとディアベルは拳に力を込める。

「……ディアベルはん。ここはワイが突撃して隙を作りますんで、その間に攻撃を頼んます」
「キバオウさん!?」
「へっ! ワイも軍の副官。それにビーターのガキやあのいけ好かない紅白野郎に負けてちゃ、ワイの立つ瀬がないってもんや」

回復薬を飲んだキバオウは、両手剣を持ち直しボスを睨みつける。

「ほな、頼んます! うおりゃぁぁぁぁっっ!」
「待つんだ、キバオウさん!」

ディアベルの静止を振り切り、無謀な突撃を行うキバオウ。

「あのバカ!」

それを見たクラインは馬鹿野郎と思いながらも、あることを考えていた。キバオウ一人に狙いを集中させれば、即座にライフを削りきられる。
だがもう一人いれば。前線にいるヒースクリフと突撃するキバオウ。そして自分の三人なら……。

「へっ、キリトの馬鹿がうつったのかよ……。お前ら、エギルを運んで一度後ろに下がれ!」
「リーダー!?」
「俺は前に出るぞ!」

ギルドの仲間に指示を出すと、クラインもまた叫びながら前に出る。
無謀な突撃とは理解しているが、それでも見殺しにはできない。
ヒースクリフを援護するかのように彼らは左右から攻撃を加えるべく、大きく回り込む。

巨大な腕が二人に迫る。キバオウは両手剣で、クラインは刀でそれを受け止めるが、衝撃は受け止めきれない。二人はパリィで受け流そうとするが、威力が高すぎて受け流しきれない。しかも相手の腕は二つではないのだ。

キバオウ、クラインが体勢を崩している中、次の腕が彼らに狙いを定める。振り上げられる腕。そこから放たれるであろう致死性の攻撃。防御は間に合わない。
誰もが二人の死を予想した。

しかしその時、それは戦場に現れた。ボスの部屋の人の波をかき分け、彼らはやってきた。
ボスの振り下ろされそうな二つの腕にめがけて放たれる剣撃。
さらにボス本体に向けて放たれるソードスキル。その二人の“三本”の剣から放たれるソードスキルにより、ボスがノックバックしたのだ。

誰もが一瞬、唖然となった。何が起きたのか、即座に理解できる者は、この場にはいなかった。
あのヒースクリフまでもが、一瞬動きを止めたのだから。

それは一組の男女。白を基調としたロングコートに身を包み、細剣をその手に持った栗色の長い髪の少女と、黒いロングコートを身に包み、“両手”に剣を持った少年。

アスナとキリト。

アスナは初めて、キリトは約二か月ぶりに攻略の場に姿を現した。
二人の攻撃で目に見えて、ボスのHPが減少した。まだまだ敵のライフゲージは多かったが、それでもこれまでにない、減少率だった。

ボスが体勢を崩したのを、彼らは見逃さなかった。お互いに言葉はいらない。どちらからともなく、動いた。
動きが回復するまでの刹那の時間、その間にも彼らは攻撃を繰り返す。ダメージが次々に通り、相手のライフを削っていく。

しかしボスもされるがままではない。ノックバックから回復すると、即座に二人に目標を変更し、攻撃を繰り出す。
腕が二本なら捌ききる自信がある二人だったが、さすがに六本にもなると話は別だ。キリトとアスナは即座に距離を開ける。アスナはその持前の俊敏速度で。キリトは敵の攻撃を少しだけ利用し、激突と同時に後ろに飛びのき回避する。
回避した後はお互いにすぐに隣に立ち、武器を構える。

「お、おい、あれって……」

誰かがつぶやく。黒の衣服に身を包んだ少年。最強の剣士として名高い、ビーター・黒の剣士キリト。
ここ二カ月、ほとんどの攻略組プレイヤーに目撃されていなかった。それに彼は今、剣を二本持っている。
いや、それだけではない。いつもソロで活動し、誰とも組もうとしなかった人物の隣にほかのプレイヤーが存在する。しかもかなりの美人。美少女である。

「無事か、クライン?」
「き、キリト、なのか?」

ボスを睨みながらも、どこか心配そうにつぶやくキリトに、クラインは混乱しながらも尋ねる。

「俺以外の誰に見えるっていうんだよ」
「い、いや。そうじゃなくて……」

何かが違う。クラインはそう感じた。今までのような張りつめた空気が存在しない。攻略の場において、ボスと戦いにおいてキリトは常に張りつめた空気を纏っていた。

抜身の刀のように、触れれば切れると言うような空気を。壁を作り、誰も近寄らせようとしなかった。すべてボスを倒すことだけに意識を向けていた。
なのに今のキリトはどこか穏やかな空気すら纏っている。いや、ボス戦ゆえに張りつめた空気は纏っているが、誰も近づけないような雰囲気ではない。

「それよりもここは俺“達”が引き受ける。クラインは後ろに下がって回復してくれ」

達と言う言葉にクラインは驚く。ハッとキリトの横に立つ少女を見る。おそらくクラインだけではなく、この場にいる全員が多くの疑問を浮かべているだろう。
キリトの変化に対して。キリトが持つ二刀に対して。そしてキリトの横にいる少女に対して。

疑問や突っ込みどころが多すぎて、どこから言えばいいのかわからないと言うのが、彼らの心境であろう。
そんな心境を察したのか、アスナは苦笑している。まあこうなることは予想していたが、あとで何と説明しようかなーと内心どこか楽しんでもいたりする。
キリトは逆にこの空気、そしてあとの説明どうしようかなと困っていたりもする。

だが今優先させなければならないのはボス攻略だ。
今も二人は警戒を解いていない。ボスは先ほどの攻防で、若干後ろに下がっている。突然の乱入者である二人をボスのAIが警戒しているのかもしれない。
ボスのライフは先ほどの攻防でそれなりに削れた。それでもライフバー五本のうち、残り二本に突入しただけ。まだ先は長い。

それでもキリトに不安はない。恐怖はない。
ちらりと横に立つアスナを見ると、彼女も気負いのない顔でキリトを見つめ返す。
ただ隣に彼女がいるだけで、こんなにも安心できる。負ける気はしないし、負けることは許されない。

今の自分は自分一人の命を背負っているわけではない。
全プレイヤーの命ではないが、それに匹敵、否、それ以上のものを背負っている。
二度と死ぬことは許されない。
彼女を守り、このゲームをクリアする。何があろうとも、アスナだけはと思っていた前回とは違う。何があろうとも、二人で必ずこのゲームから脱出する。

「大丈夫だよ」

不意に、アスナが声をかける。

「キリト君は私が守るから」
「ああ、俺も絶対にアスナを守る」

それだけ言うと、二人は笑みを浮かべる。それを見ていた全員が砂糖を吐きかけたのは、言うまでもない。
と言うか、キリトが自嘲や嘲笑以外で笑う所を初めてみる者や、クライン、エギルと言った知り合いでもキリトの表情を見て、えっ、あいつマジ誰? と言う感想を抱いたのを当人は知る由もなかった。

「………キリト君」

そんな二人の桃色の場違いな雰囲気を切り裂き、ヒースクリフが声をかける。

「ヒースクリフ」
「久しぶりだね。君とこうやって肩を並べるのは二十五層以来か」
「……ああ、そうですね。・・・・・・手は、貸しますよ」

雰囲気を正し、警戒するようにキリトは言う。横でアスナがキリト君とたしなめるように彼の名前を呼ぶ。
キリトとアスナは知っている。この男がこの世界を作り、自分達を閉じ込めた張本人である茅場晶彦だと。だから警戒を解くわけにはいかない。

しかしだからと言って、無用に壁を作っていれば余計な疑いをもたれる。おそらく、これからまたキリトは、そして突然現れたように見えるアスナは監視されるだろう。
二人はこれから攻略を続けるうえで、できる限りヒースクリフに不審に思われないように注意しようと話し合っていた。

キリトとしてみれば敵対心が消えるわけではない。この男にはアスナの件も含めて言ってやりたいことが山ほどあるが、今はそれを表に出す時ではない。

「頼めるかな。そちらの御嬢さんも。良ければ名前を聞いてもいいかね?」
「アスナです。キリト君とはコンビを組んでいます。よろしくお願いします、ヒースクリフ団長」

コンビを組んでいると言う言葉に、一瞬ヒースクリフは驚きの表情を浮かべるが、それもすぐに収まる。

「わかった。キリト君、アスナ君。二人には聞きたいことが多くあるが、すべて後回しだ。どうやら向こうも、もう待ってはくれないようだからね」

ヒースクリフは視線を移しボスを見る。彼も二人同様、警戒を怠っていたわけではない。今はボスが動かなかったので、二人と会話をしていたのだ。

「私がボスの注意を引こう。君たち二人はボスのライフを削ってくれ」
「了解」
「わかりました」

奇しくも、第七十五層の時と同じように、彼らは並び立つ。
最強クラスのプレイヤー。キリト、アスナ、ヒースクリフ。
この光景を見たプレイヤー達は語り継ぐ。この日、この攻略で希望と呼ばれるプレイヤー達の姿を見たと。

そこから先は、先ほどとは打って変わった。
ヒースクリフが敵の一部を引き受け、キリトとアスナが敵へと肉薄する。
二人の加入は、戦いの天秤を大きくプレイヤー側に傾かせる。
二人は言葉を交わさず、視線すら合わせないが阿吽の呼吸でボスとの戦いを繰り返す。

キリトが攻撃を仕掛けるとアスナはそんな彼に迫る腕をソードスキルで弾く。逆にアスナが攻撃を仕掛けるときは、キリトが全力で彼女をサポートする。
二人で一人、一つであるかのように、その動きには一切の無駄が無い。それが当たり前のように、二人の動きはシンクロしていた。

他のプレイヤー達は命のやり取りをしているはずなのに、まるで踊っているかのようだと評した。
三人のハイレベルプレイヤーの活躍で、徐々に攻略組みも平常心を取り戻し始める。

何とか崩れかけた戦線を維持し直し、ボスへの攻撃を続けていく。
徐々に削られていくボスのライフ。七十五層のボスのように一撃死判定がこのボスに無いのが救いだろう。
だからこそ、キリトも大技を出せる。

「スターバースト・ストリーム!」

二刀流のソードスキルを発動させる。十六連撃と言う、おそらく現在では最強クラスの攻撃。煌く光が二刀を纏い、それが敵とぶつかり合う事で更なる光を飛び散らせる。
もっと速く、もっと鋭く、もっと強く。

ソードスキルと言う普通の攻撃のさらに上位の破壊力を持つ攻撃に加え、圧倒的な手数による攻撃。見る見るうちにボスのライフが削られていく。
だがボスも成す術もなくやられているわけではない。その腕で攻撃を繰り出し、キリトの動きを止めようとする。

しかしそれをアスナが防ぐ。今のアスナも正確さと速さだけならば、キリトの上を行く。敵の攻撃が完全に相殺できないのならば、少しだけその攻撃を逸らしてやる。それでキリトへの直撃は防げる。

またヒースクリフもキリトの攻撃の邪魔はさせないとばかりに、盾と剣を使い、ボスの腕を防ぎ、いなし続ける。
決着の時。

「うおぉぉぉぉっっ!」

キリトの十六連撃の最後の一撃がボスの身体を貫く。ボスのライフゲージがゼロになり、その身体が粉々に砕け散る。

『congratulation』

ボス戦への勝利の証明。それがウィンドと共に出現する。
第五十層攻略戦は、ここに終結した。




[34934] 第六話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/10/15 17:03

第五十層攻略完了。
キリトはボスが倒れ、勝利宣言が出されたのを確認すると、一度だけ息を吐き、緊張を解いた。

何とか勝つことができた。二刀流を取得したことや、アスナが隣にいたこと、ヒースクリフの援護などもあり、勝利できるとは思っていたが、やはりクォーターポイントのボスは強敵だ。
ぎりぎり、スターバースト・ストリームを使える熟練度に達していたからよかったものの、あれがなければ、最後のライフを削りきるのはかなり苦労しただろう。

ピシッ

嫌な音がキリトの耳に届いた。自分の握っている二本の剣を見る。二本とも刀身にひびが入り、それが全体に広がっていく。全体に広がりつくすと、剣は粉々に砕け散った。

やはりと、キリトは思った。
この剣もかなりの耐久値を持っていても、今の二刀流の技を使うには無理があった。ボス戦を含む戦闘中の耐久値切れによる破損を防ぐため、できる限りの強化を施してはいたが、それでもスターバースト・ストリームには耐えきれなかったか。
むしろ、よくここまで持ってくれたと言うのが、正直な感想だった。

(ありがとうな)

ここまでともに戦い続けてくれた武器に礼を述べる。

「剣、壊れちゃったね」

自らの剣を鞘に納めながら、アスナがキリトの隣にやってくる。

「まあ、仕方がないかな。さすがにここのボスの防御力と二刀流のソードスキルに耐えるのは、あの剣じゃ無理があったみたいだし」

アスナの言葉にキリトは苦笑しながら答える。
愛用した剣が無くなったのはつらいが、このボス戦でのラストアタックボーナスで得た武器もある。
前の世界でも最後まで愛用していた、黒の片手剣「エリュシデータ」。このボス戦においてドロップした物は、今回もキリトのストレージに収納された。
操作を行うと、即座に背中に剣が装備される。やはりこれが一番なじむ。

「アスナもお疲れ様」
「キリト君も」

お互いに労いの言葉をかける。このまま二人だけの世界に突入しかけようとしたが、周囲からの多くの視線がそれを邪魔した。

「………これ、説明しないとダメかな」
「あははは。ほんと、どうしようか」

視線を集めているキリトとアスナはどうしようかとお互いに顔を見合わせる。

「ええと、キリト、だよな、お前? 双子の兄弟とかそんなんじゃないよな?」

いつの間にか、キリトのそばにやってきたクラインが、怪訝そうな顔をしながら訪ねてくる。隣にはエギルもいるが、こちらも困惑している。

「いや、本人だよ。って、なんでそんなこと聞くんだよ?」
「いやいやいや。お前、マジ何があった!? 前と全然違うじゃねぇか!?」

ビフォー、アフターと、クラインが前のキリトと今のキリトの姿を浮かべながら、キリトに詰め寄る。

ビフォー。

誰とも組まず、近寄りがたい雰囲気をだし、口数も少なく、どこか影を落とした表情を作っていた。さらに目に生気もあまりなく、どちらかと言えば病んでいるイメージが強い。

アフター。

隣に美少女をはべらせている。雰囲気も良くなっており、近寄りがたいオーラもない。口数も以前に比べると多い。表情も明るくなっており、笑顔まで浮かべる始末。目には生気が宿り、しかも桃色空間まで発生させる始末。

「いや、なんだよ、美少女をはべらせたり、桃色空間って」

キリト自身突っ込みを入れるが、クラインは説明しろこら、とさらに詰め寄る。周囲もうんうんと頷いている。

「あー。まあ、その、いろいろあって」

少しだけ視線を逸らしながら、キリトは頭をポリポリとかく。
本当に色々あった。アスナとの再会やら、一緒のレベル上げやら、新婚のやり直しやら……。

「って、マジでお前その美人は誰だ!? つうか、あの剣二本はなんだ!? ああ、もう! 突っ込みどころが多すぎて、何から突っ込んでいいかわからねぇ!」

クラインはキリトに詰め寄ったもの、聞きたいことが多すぎて混乱している。この場にいたほかの面々も同じであった。
疑問が多すぎて、何がなんやら。今回のボス攻略の話が霞むくらいに、今のキリトの状態に対する疑問が大きすぎた。

「まあクライン君、待ちたまえ。こう矢継ぎ早ではキリト君も説明しにくいだろう」
「そうだな。じゃあ済まないが、また俺が仕切らせてもらってもいいかな? 多分、ここにいる全員が君にいろいろと聞きたいことがあるだろうから」

ヒースクリフとディアベルがそれぞれに代表して話をすることで、今の話を進めようとした。
キリトもディアベルならばと頷く。

正直なところ、ディアベル程リーダーに向く人間をキリトは、この世界で知らない。ヒースクリフの場合もそうだが、人間性と言う意味ではディアベルの足元にも及ばない。

と言うか、茅場晶彦だし。ぶっちゃけ嫌いだし、とキリトは内心で思った。

ディアベルが司会進行してくれるならば、話も進みやすいしあとあとのフォローもしてくれるだろう。
と言うよりもフォローしてくれなければまずい。キリトは自分の事はよくてもアスナにさまざまな火の粉が飛び散るのだけは、何としても阻止しようとしていた。

この世界には男が大半ゆえに、女性であるアスナに対する反感は少ないとは予想している。
アスナの性格が、いわゆる最低系であるならばまだしも、人当たりもいいし、自分の容姿や能力を鼻にかけたり、他人を見下したりもしない。
ならば向けられる反感はキリト一人になると予想される。

それでもディアベルのフォローがあるのとないのでは、かなり話が違ってくる。
比喩でもなんでもなく、ディアベルはこの世界において最も影響力があるプレイヤーの一人なのだ。

攻略組で指揮を執り、軍においてもシンカーと並ぶリーダーの一人。さわやかで人当たりもよく、面倒見も良くてイケメンで腕も立つ。女にはモテモテであるし、それを鼻にもかけず、女性とのお付き合いを断り、ただ仲間のために攻略を目指すと言うその姿勢が、ほかのプレイヤー達から好感を得ている。

彼に心酔するキバオウのような人間が、それこそこのアインクラッドには山ほどいるのだ。
本当に、前の世界では惜しい人物を初期に失ったものだ。
その彼がフォローしてくれれば、アスナに対する風当たりはかなり小さくなる……。

(いや、待て。もしディアベルの機嫌そこなえたら、かなりやばい?)

そこで不意に思い浮かぶ。もう一度今の自分の状況をキリトは考えなおす。

一つビーター。
前から言われていた、大勢のプレイヤーから忌み嫌われる悪名。自らが名乗ったこともあるし、七十五層までの知識があるから仕方がないし、悪名でも色々と役に立つから重宝している。

二つ最強の剣士。
レベルも前線を離れたが、アスナと共にかなり上げた上に、スキルも必要なものの熟練度はコンプリートかその手前に近いものが大半だ。おそらくレベルも未だにトップであろう。

三つ二刀流。
アスナとのレベル上げで、ようやく取得したユニークスキル。神聖剣と同じで残り九千人以上のプレイヤーの中でも、たったの十人――神聖剣を除けばあと九人――しか取得できない、最高クラスのスキルの一つ。

四つアスナ。
最高のパートナーにして、キリトの嫁、奥さん。美人であり、強い。しかも料理スキルもコンプリートにこそ至っていないが、最高クラス。

(………やばい、もし俺じゃない誰かだったら、絶対に嫉妬してる。つうかむしろ殺意まで沸くぞ、これ)

ネットゲーマーは嫉妬深い。それは肌身に感じている。
客観的に見て、キリトの今の状況は完全に勝ち組通り越して、まさしくチートである。いや、客観的に見なくても十分チートだ。
キバオウではないが、こんな奴が目の前にいたら、自分でもなんでや! チートや! と叫びたくなる。 

ダラダラと汗が全身に吹き上がる気がした。アバターであるために、そんなことない筈なのに。
おかしい。こんな状況は前から慣れていたはずなのに。一層から前線を離れる二十五層までずっと白い目で見られて耐性がついていたはずなのだが……。

その考えに思い至って、若干顔を青ざめさせながら、ディアベルを見る。少しだけ難しい顔をしている。
ディアベルも人間なのだ。嫉妬心がないわけではないだろう。今までは攻略に必要であり、キリトの事をずっと擁護してくれていたが、二刀流に美人のパートナーまで連れてきたら、果たしてどんな気持ちを抱くのか。

キリトは今までディアベルが自分を擁護してくれたのは、命を助けたことによる恩返しと、幾ばくかの同情ゆえではないかと考えてきた。
キリトのおかげで、元βテスターの大半は恨みを買わずに済んでいる。元βテスターと知られても、キリトと言う明確な嫌悪の対象がいるため、ほかの人間に向けられる感情は少なかった。

しかし今はどうだ。完全に勝ち組である。少しでも勝ち誇ったことを口に出せば、即座に集団でPKしかねない。
いや、多分やる。仮にヒースクリフがそんな立場なら、自分は迷わず殺しにかかる。ほかのプレイヤーも同じだろう。

(これ、もしかしなくても詰んだか………)

そんなキリトの心配をよそに、ディアベルが話を進めていく。

「まずは最初に、キリト君。今回は援護ありがとう。君が居なかったら、この攻略はきっと失敗していたし、キバオウさんはじめ、大勢の仲間が死んでいたはずだ。ありがとう」
「い、いや、俺も遅くなって、そのすいませんでした。もう少し早く来れたらよかったんですが……」

できる限り丁寧に言う。ここでディアベルはじめ、全員の機嫌を損ねれば、即座にPK。そんな考えが思い浮かんだがゆえに、キリトは今までにないほどに下手に出る。
そんなキリトに周囲は……。

「あれ、本当にビーターか?」
「つうか、性格変わりすぎじゃねぇか?」
「いや、そもそもあの隣の美少女マジ誰?」

など口々に言う。

「そんなことはないさ。元々君を前線から遠ざけたのは俺達なんだ。その君に感謝こそすれ、文句を言うのは筋違いさ。君へはこの攻略の話を持って行ってなかったんだから」

ディアベルはどこまでも穏やかに言う。君には何の責任もないと。

「そう言ってもらえると、助かります」
「じゃあ済まないが、いくつか教えてくれ。色々と聞きたいことが多いんだけど、ええと、どれからにしたらいいのか」

ディアベルも何から聞いていいのか、迷っているようだ。そりゃ、これだけ聞きたいことが多ければ仕方がないかもしれないが。

「ふむ。ならばまずは私から質問してもいいかな?」

迷っているディアベルの横から声をかけたのは、ヒースクリフだった。キリトは無言で頷く。さて、何を聞いてくるか。やはり二刀流のことか。

「そちらの女性、アスナ君だったか。彼女との馴れ初めを聞きたい」
「はっ?」

一瞬、キリトは変な顔をした。てっきりヒースクリフの事だから、二刀流の事を先に聞いてくるのかと思った。彼としてみれば、最強の剣士の地位を脅かす新しい脅威をキリトが引っさげてきたのだ。予想はしていたが、先にこちらを聞くものだとばかり予想していたが。

「馴れ初め、ですか?」

隣のアスナも聞き返す。ヒースクリフはうむと首を縦に振る。

「おそらくはこの場にいる全員が思っていることだろう。私としても晴天の霹靂だった。キリト君はずっと一人でソロプレイを続けるものだと思っていたからね。私としてはいつか君をギルドに勧誘したいとは常々思っていたが……。それが突然パートナーをつれて来るとは」

本当に君は予想外だよと笑っているが、なぜだろう。目が笑っていない気がした。
しかもアスナはなぜか、ヒースクリフがこの泥棒猫! と目で訴えているような気もした。いや、あの団長がそんな事を思うはずがないと、自分の勘違いだとアスナは言い聞かせる。

「ああ、その、アスナとは二十五層を離れた後に迷宮区で出会って、色々あって、そのままコンビを……」
「ふむ。そのままコンビを組んで結婚したと」
「ええ、まあ……」
「「「「「「「「「「な、なにぃぃぃぃぃぃっっっっっ!!!!!!!???????」」」」」」

怒号が響き渡った。思わぬ声の衝撃に、キリトは顔をしかめた。周囲が一斉に驚きの声を上げたのだ。

「け、結婚ってキリト、お前……、って本当だ!? 左手の薬指に指輪が!?」

今まで気が付いていなかったクラインが代表して声を上げる。周囲の全員がキリトとアスナの左手の薬指を注視する。そこには銀色に輝く指輪がはめられていた。

「ちょっ、待て、キリト! お前、本当に何があった!? 攻略を外されて、自暴自棄になったからってそんな! いや、マジでうらやましいけどな!? こんな美人で可愛い女の子と結婚とか! しかもすげぇ強いし! いやいや、それでもありえねぇ!?」

キリトの肩をつかんで前後に揺さぶるクライン。いや、混乱しすぎだろとキリトは内心突っ込む。

「ま、まあアスナの事はそんな感じだ。話し出すと長くなるし、さすがに出会ってから、ここまでの事をいちいちこと細かく説明してる時間はないだろ」

それに話せない内容が山ほどある。出会って二年以上ですとはさすがに言えない。今回、アスナは前とは違い、第一層攻略時には居なかった。彼女の存在を知る者は少ないだろう。
軍に所属していたと言っても、ディアベルもキバオウも前線に常に出ており、女性プレイヤーとは言えいちいち、中層から下層のプレイヤー全員を覚えてはいまい。

と言うか、語りだしたら赤裸々な新婚生活まで話さなければならなく、間違いなくのろけ話も含まれそうだ。言う方も嫌だろうし、聞く方も嫌だろう。
いや、周囲はもっと情報寄越せと視線で訴えかけているが、それをディアベルが制した。

「よし、わかった。アスナ君って言ったか。俺はディアベル。軍の攻略担当だ。キリト君とコンビを組むってことは、これからは攻略組の仲間だな。よろしく頼む」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」

ディアベルの言葉にアスナは頭を下げる。

「キリト君をよろしく頼む。彼は何かと無理や無茶をするからね。俺達がいくら言っても聞いてはくれなかったが、君が言ってくれれば大丈夫だろう。さっきの攻略戦も凄かった。俺にはあんな戦い方はできない。これからも俺達に力を貸してほしい」

ディアベルも頭を下げる。それを見るとキリトも同じように頭を下げた。

「……ディアベル、今までその、色々とありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」

その光景に、また周囲は

「おい、ビーターが頭を下げたぞ!?」
「ディアベルさん、マジぱねぇ!」
「美少女最高! でも人妻……」
「つうかビーター、爆発しろ!」
「おい、壁もってこい!」

などと口々に言い合う。

「てか、あの子、マジでヤバくね?」
「あのビーターを骨抜きにしたのか!?」
「いや、あれはデレさせたのでは?」
「ビーターを攻略した、だと?」
「なんでや!? そんなのチートやないか!?」

と周囲は騒然としたものだった。
なぜかヒースクリフはどこか苦虫をすりつぶしたような顔をしていたのだが、気のせいだろうか。

「ああ、一緒に攻略を目指そう! それと俺に対しては今までどおりの口調でいい。攻略の仲間には変わりはないからな」

笑顔を浮かべて言うディアベルに、あんたどこまでいい人なんだとキリトは思った。前の世界の第一層で、少しだけ裏工作をされたりはしたが、それもこのゲームを攻略するために必要な行為だったからだ。
ディアベルの本質は、やはり他人の事を第一に考えるタイプなのだろ。
じゃあ口調は崩すとキリトは言った。やはりキリトはある程度崩したしゃべり方の方がらしい。改まったしゃべり方など、違和感しかないと周囲も思っていた。

「けどやっぱり俺達には君の力が必要だ、キリト君。今回の攻略戦でそれが証明された。君とアスナ君、そしてヒースクリフさんの三人が前線にいてくれれば、それだけでみんなの希望になる」
「いや、俺はそんな大層なものじゃ。それに希望って言えばディアベルの方が……」
「俺は君たちほど強くはない。みんなを何とか纏められても、今回みたいに犠牲者を出しかけた。俺は前にも言ったけど気持ち的にナイトはできても、やっぱり勇者はできないさ」

何とかなく、キリトはあんたの方が勇者っぽいと言うか、勇者の中の勇者で勇者王な気がするんだけどと言いかけたが、口に出さないようにした。
代わりにキリトは首を横に振った。

「そうでもないと思う。やっぱりほかのプレイヤーには俺みたいなのより、ディアベルの方がよっぽど必要なはずだ」

今もなお、こうして自分のようなプレイヤーを排斥せず、仲間だと言ってくれる男。やはりこの世界にはディアベルが必要だ。彼こそ、英雄になるべきだ。

「はは、ありがとう、キリト君。じゃあこの話はここまで。みんなも二人の関係は気になるとは思うが、結婚までしていると言うのは、相当な関係だ。二人の信頼関係がうかがえると俺は思う」
「………確かに結婚すればストレージが共有化される。レアアイテムの独占もできない。もっともキリト君は今までレアアイテムの独占などしていなかったから、その限りではないだろうが」

しかしあのキリト君が結婚か……、などとぶつぶつ呟くヒースクリフ。あんたもどうした、とキリトは疑問を浮かべる。そんなに俺がアスナと結婚したのがおかしいか。
最後に一方的に離婚を切り出された場合はどうすればいいか、アドバイスまでくれる始末。大きなお世話で、そんなことは絶対にないとキリトは言い切ったのだが。

「これからもレアアイテムの独占はしない。情報も同じだ。俺とアスナの必要な分は確保するが、それ以外は今までどおりにする。約束する」
「いや、俺は別に疑ってないさ。みんなもそれでいいね!」

ディアベルに言われては何も言えない。ここで意見できる人間はそう多くはない。

「じゃあ次はその二本の剣についてだ。ソードスキルまで使っていたが……」
「エクストラスキルの二刀流。ついこの間、取得したところなんだけど出現条件は不明なんだ。スキルの出し方がわかっていれば、すぐにでも公開したいんだけど」

そうすれば攻略組全体のレベルが飛躍的に、それこそ段違いに上がるはずだったからだ。
その言葉に周囲がざわざわと騒ぎ始める。

エクストラスキル。
これまでにもいくつか確認されている。体術、カタナなど、十種類以上あり、さまざまだが、取得条件が難しく、強力なスキルが多い。
その中でも二刀流と言うのは、今まで誰も聞いたことがない。情報屋のリストにも載っていない。

ユニークスキル。
神聖剣と同じ、たった一人しか取得できない能力。その可能性が高い。
だがこの場にいるほとんどの人間は恨めしそうにキリトを見るが、あのビーターならばあり得ると心の中で思っていた。

彼の強さ、能力、知識、情報はそれこそ隔絶していた。前線を離れた後でも、彼と鼠のアルゴのもたらす情報は、大勢のプレイヤーに重宝されていた。
キリトが嘘をついていると言う可能性も否定できないが、これまでも多くのレアアイテム、レアスキルの情報を惜しげもなく放出していることから、その可能性は低いと考えられた。

これはキリトの意図しないことだったが、彼が自分に本当に必要ないものは、仮に装備できても手を付けずに情報を回したり、入手したレアアイテムでも即座に他人に安価で売買していたためであった。
ゆえにキリトを毛嫌いしているプレイヤーも、その言葉に嘘はないだろうと考えたのだ。

それでも羨ましいと思う気持ちはある。あのスキルが欲しいと嫉む気持ちはある。
しかしそれを言葉にすることはできない。しつこく聞くこともできるかもしれないが、相手はあのビーターである。下手につついて、これ以降の情報が回されなくなれば、それこそまずい。
であるからこそ、プレイヤー達は歯ぎしりして睨むしかできない。

(羨ましい)
(欲しい)
(あのビーターがっ)
(どれだけチートなんだよ)
(美人の奥さん)
(俺も彼女が欲しい)
(なんでや)
(私のキリト君が)

などなど、様々だった。ある意味、ラフィン・コフィンをキリトがつぶしておいて正解だったかもしれない。
もしPoHが生きていれば、大勢のプレイヤーの心理を巧みに操り、キリトを殺す、あるいは絶望させようと暗躍しただろう。

あるいは赤目のザザ、ジョニー・ブラックがいれば、それこそカップルには死を! などとあの手、この手で大勢のプレイヤーを巻き込んでキリト達を殺しにかかっていただろう。
キリトはあまり褒められはしないが、ラフィン・コフィンを殲滅したことで、ほかの大勢のプレイヤーを救うと同時に、自らの身をも守ったと言うのは皮肉な話である。

「そうか。わかった。俺達も取得できればそれだけで攻略は進むのに、残念だ」
「ああ。俺もそれは思う。何かわかったら、すぐに公開する」

そう言うキリトだが、本人はそれがユニークスキルだと言うことを知っているため、それが公開されることはないと、内心謝罪する。
しかしこれでようやく並び立った。ちらりとヒースクリフを見ると、キリトと目があった。
先ほどとは打って変わり、どこか楽しそうな笑みを浮かべている。
どこか不快感をキリトは感じつつも、それを表に出さないようにする。

(俺がユニークスキルを取得するのを待ってた、もしくは予想してたのか。ああ、お前を倒す二刀流を手に入れてきたぜ)

これで条件の一つはまたクリアされた。あとはヒースクリフと決闘を行い、相手の正体を露見させるだけ。

(問題はタイミング。前と同じで七十五層後でもいいが、それだと犠牲者が出すぎる)

前回の七十五層戦は十四名もの犠牲者を出した。TOPクラスの実力を持つメンバーがである。
ならばその前のタイミング。
だが今はまだ早い。熟練度がコンプリートしていないし、ヒースクリフの神聖剣を攻略するためのシステム外スキルの構築も終わっていない。

焦る必要はない。まだゲーム開始から半年だ。前の世界では二年で七十五層到着。今のペースならばあと半年、長くても一年以内にそこまで到達できる。
半年もの猶予があるし、まだプレイヤーの死者もぎりぎり千人に届くか届かないか位だ。

さすがにこの先一年で、前と同じほどの死者が出るとは考えられないが、救える命なら救いたいと思う。
アスナと合流してから、どうにも心に余裕が戻ってきたようだ。

(別に英雄になりたいわけじゃないんだけどな)

心で息を吐き、そしてもう一度表情を引き締める。
それから先はいくつかこまごました質問をされたが、答えられるところは答え、言えない個所は言葉を濁した。
そうしてそれなりの長い時間を質問攻めにあったキリトとアスナは、ようやく解放されることとなる。

「じゃあ質問はこれくらいでいいか?」
「ああ、みんなも大体これでいいかな? あと最後に俺からの頼みだ!」

ディアベルは声を最後に声を張り上げた。

「おそらくほとんどのみんなはキリト君に思う所があるだろう。俺も結構複雑だ! けどそれでも彼はこれからも必要な人間だ! 彼が、そして彼女がいなかったら、俺も含めて、大勢がここで命を落としただろう!」

その言葉に多くのプレイヤーは何も言えない。キバオウとクラインは二人が乱入しなければ、間違いなく命を落としていた。
仮にこの場を二人の犠牲だけで退いても、またこのボスの攻略の際にも必ず犠牲者が出ただろう。

「だから彼に対して無意味に突っかかるのは極力やめて欲しい。妬みや嫉み、不快感は絶対にあるとは思う。俺だってそうだ! それでも彼は攻略組の仲間だ。ギルドが違っても、ビーターであっても、大勢のプレイヤーをこの世界から解放しようと頑張っている、俺達の仲間だ! だからその感情はこのゲームがクリアされるまで、胸の内にしまっていてくれ!」

その演説にキリトは目頭が熱くなるのを感じた。そんなキリトの手をアスナは優しく握る。

「おい、ビーター!」
「キバオウ……」
「ビーター。わいはお前が嫌いや。前からもそうやったし、これからもたぶんそうや。でもジブンに命を助けてもらった恩を忘れるほど、わいも子供やない。まあディアベルはんと違って、わいはお前を絶対に認めへんけどな!」

キバオウはそれだけ言うとキリトに背を向けた。

「それでも一緒に攻略を目指すって言うのは認めたる。それと……すまんかったな。助けてもろて」

最後の方はどこか照れくさそうに、言うキバオウはわいが言いたいのはそれだけや! と言いながら、ずかずかとどこか恥ずかしそうにボスの部屋を後にする。それに苦笑しながら軍の面々も後に続く。ディアベルも苦笑しながら、ではこの場は解散しようと告げて、彼らの後に続く。

ほかのギルドもディアベルの言葉に理解は示していたが、納得はできないのかどこか苦々しげな表情を浮かべる者が多かったが、この場で騒ぎ立てるつもりもないと、それぞれが攻略の場を後にしていく。

「キリト君。次の攻略でも君と肩を並べられることを願うよ。そしてアスナ君。君とも長い付き合いになるだろう。……君の活躍も楽しみにしているよ」

ヒースクリフもそれだけ言うと血盟騎士団をひきつれて、この場を後にする。
ぞろぞろとボス部屋から出ていくほかの面々を見ながら

「アクティベートは誰がやるんだよ」

と小さく呟くと、横からクラインに小突かれた。

「んなもん、お前に決まってんだろ、キリト」
「ったく。お前は本当においしいところを持ってくな、キリト」

クラインの隣にはいつの間にかエギルもやってきていた。

「クライン、エギル」
「みんな、お前の事を認めてるんだよ。そりゃ、嫉妬深い奴とか、未だにお前を毛嫌いしてるやつはいるだろうけど、全員が全員じゃねぇよ」
「そう言うことだ。今回の事も、お前ならあり得るってみんな思ってるだろ。まあお前が女を連れて来るとは誰も予想してなかったがな。しかも結婚までとは……」

クラインがキリトをフォローしたのを見て、エギルも口を開く。エギルの方はどこか呆れているが。
ある意味、結婚までしていたから、周囲の嫉妬は小さかったのかもしれない。
この世界での結婚は、ストレージ共有化と言うメリット同時にデメリットも存在するシステムに変更される。

仲のいい恋人でも、結婚に至るまでにはならない。女性プレイヤーが少ないと言うのもあるが、結婚と言うのはそれなりの重みがある。それは現実でも、この世界でも変わらない。
むしろ彼女を持っている男は妬ましいが、結婚した男はあまり妬ましいとは感じないと思うのに似ているかもしれない。

もしこれが女性ばかりのギルドにキリトがいたり、アスナと結婚しておらず、ただの恋人だったなら、嫉妬の嵐は今の数倍以上に膨れ上がっただろう。

「ったく。一月前にうちに顔を出した時は、もうアスナちゃんがいたのか?」
「あー、その、実はそうなんだ。その、ありがとうな、クラインもエギルも。特にエギル、この間の売買で結構なコルを出してくれて」

照れ臭そうに頬をかきながら、キリトは礼を述べる。そんな姿にクラインは一丁前に恥ずかしやがりやがってと、うりうりとキリトの頭を撫でる。
ほんの少し前までは、キリトとこんなやり取りができるとは思っていなかった。キリトもやめろよと口で言いながらも、どこかそれを受け入れていた。
本当に別人じゃないかと思う位の変わりようだ。それができたのは……。

「どうかしましたか?」

クラインとエギルはアスナを見る。彼女がこのキリトをこんな風に変えたのか。いったい何をどうすれば、こんな風にできるのか。
結婚しているエギルにしてみれば、女は男を変えると知っているだけに、ただただ苦笑するしかない。ただそこに至るまでは、並々ならない苦労があっただろう。

「いや、なんでもないですよ、うん。って、キリト、マジで美人だな、おい」

キリトとクラインは未だにじゃれ合っているのを、アスナは楽しそうに眺める。エギルもこの二人のこんな光景が見れるとは、本当に想像できなかった。

「なにはともかく、キリト、アスナちゃん、お疲れ様だな」
「ありがとうございます、エギルさん。クラインさんもお疲れ様です」

あれ、そう言えば自己紹介したかと二人が疑問詞を浮かべていると、アスナは「キリト君からお二人の事はよく聞いています」と笑顔で答えた。
どんな話か気になったが、今度またじっくり聞いてやろうと、エギルとクラインは顔を見合わせた。

「まあそれはともかくアスナさん。キリトをよろしくお願いします。まあ知ってるとは思いますが、こんな奴なので」
「こんな奴とは失礼な」

どこかぶっきらぼうに言うキリトにアスナも苦笑する。

「そう言うなって、キリト。本当に少し前のお前は酷かったんだからな」

キリトもアスナと合流する前の自分をかんがみて、確かにあの時は荒れていたからなと、何も言えなくなった。

「はい、任されました」

笑うアスナにキリトはそんな笑わなくてもと文句を言う。そんな姿にクラインもエギルも笑う。

こうして、一つの幕が閉じ、新たな幕が開く。
キリトとアスナの新しい攻略がまた、始まる。




[34934] 第七話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/10/28 23:08

「な、なにこれぇぇっ!?」

次の日の朝、二十二層の家に戻った二人だったのだが、食事をしながら読んでいた新聞を見たアスナが、絶叫を上げた。
同じ新聞に目を通したキリトは苦笑している。

「なになに……。ビーター攻略される。お相手は謎の美少女、か」

新聞の見出しにはアスナに関する記事が一面にでかでかと載っている。いつの間に撮られたのか、攻略戦の時のアスナの写真も掲載されている。
プライバシーの侵害だとアスナは怒っているが、まあ仕方がない。前回の血盟騎士団の副団長の時にも、こんな風に新聞に持ち上げられた事は多々あったが、今回はそれに輪をかけて酷い。

記事の内容はアスナに関するものばかりだ。五十層攻略成功だとか、ビーター復活だとか、二刀流スキル現るだとか、色々掲載されているが、それらは新聞の端の方に小さく載っている程度だ。

「さすがアスナ。話題を全部かっさらって行ったな」

しかし攻略されるかーとポツリと漏らすが、間違ってはいない。アスナを好きになったが、確かに攻略されたのは自分であろう。
いや攻略してくれたことには本当に感謝している。ラッキーどころか、自分はよくよく幸運で幸福である。
先日までならともかく、今はアスナのいない生活など考えられない。

「笑い事じゃないよ、キリト君! どうしよう……。これじゃあ街も出歩けないよ」

前以上に気軽に街を歩けないと嘆くアスナ。なんか芸能人の気分が少しわかると言っているが、前も、今回も彼女はこのSAOではアイドルのような存在であるとキリトは思った。

(前回、俺よく生きてたな。そのアスナを血盟騎士団から引き抜いたんだもんな)

クラディールではないが、自分を殺そうと団員が動いてもおかしくない状況だろう。紅一点の彼らにとってのアイドルの副団長と結婚し、さらに半ば引き抜いていったのだ。

(うん、間違いなくPKされる要素がバリバリだな)

いやー、今回はアスナは血盟騎士団の所属ではなかったし、ほかの所も何とかディアベルのおかげで無事に切り抜けられたけど、前回あのまま二週間ほど姿を消さずに血盟騎士団に出会ってれば、絶対に闇討ちされていただろな~。
とキリトはどこかのほほんと思い返した。

今回の新聞は実によく売れるだろう。それだけの話題性が十分にある。
ビーターまさかの結婚! とも書かれている。
これを期に、起こるか結婚ブーム!?
もてない男よ、夢を見ろ!
ラフィン・コフィンの悪夢再び!? オレンジギルド、しっと団結成!?
なんて言う項目もある。

(なんだよ、しっと団って。しかもなんでオレンジギルドって書いてるのに、新聞に団員募集広告が載ってるんだよ。そもそも掲載するなよ、そんなもの)

突っ込みどころが多すぎるだろうが、と小さく呟くキリトとその横では、どうしようどうしようとあたふたしているアスナ。
今日のアスナはいつもより可愛いなと、キリトは思っていたのは、彼だけの秘密である。

しかし、クォーターポイントで攻略部隊が危うく壊滅の憂き目に合いかけたとか、ヒースクリフが一人で前線を維持したとか、キリトが復帰したとか、二刀流スキルが出現したとか、話題には事欠かないばかりか、そのどれもが新聞の一面を飾ってもおかしくない、話題性のある話なのに、それを押しのけてアスナの話が新聞の大半を埋め尽くされていると言うのは中々凄まじい。

この場合、ヒースクリフは涙目だろう。確か前の世界では崩壊しかけた戦線を、たった一人で支えたヒースクリフの話が、次の日の新聞の一面を飾ったはずだ。
その記事は本当に端も端、隅っこの小さなところに、神聖剣のヒースクリフ、一人で五分、戦線を維持! と書かれている。しかも前よりも一人で維持した時間が少ない。

今頃ヒースクリフはどよーんとへこんでいるだろう。それを想像して、キリトはざまぁみやがれと内心スカッとした。
アスナはどうしようどうしようと未だに慌てふためいている。キリト自身もあまりにもアスナが有名になりすぎたので、どうしようかと困ってはいるのだが、彼も新聞の話の内容が面白すぎて、意識がそちらに向いてしまう。

謎の美少女剣士アスナの華麗な剣技とか、最強剣士ビーター黒の剣士・キリトがパートナーに認めさせたとか、ビーターをデレさせたとか、結婚したとか、これこそまさにチート! などなど…。

コメントも載せられ、ディアベルやヒースクリフまでコメントを発表していた。

ディアベルはアスナを絶賛する旨と、攻略組にキリトと一緒に参加してくれることで、これからの攻略も順調に進むだろうと、すべてのプレイヤーに希望を与えるコメントを出していた。

ヒースクリフはアスナの活躍に期待すると言いつつ、いつの日にか、二人を血盟騎士団に入団させたいとコメントしたそうだ。
あの二人も律儀なものだが、ヒースクリフの場合、自分達を裏切った後の血盟騎士団を押し付けるのではなかろうなと勘ぐってしまう。

記事にはアスナを悪く書いているところがなかったので、ひとまずは安心だった。
それでも彼女に嫉妬する人間と言うのは、少なからずいるだろう。キリトを独占し、アイテムや情報を得るために彼を誑し込んだと思う人間もいるだろう。
そう言った輩から、キリトは何としてもアスナを守らなければならない。

本来なら、キリトやアスナの所にも情報屋やら追っかけやら、野次馬やら大勢が詰めかけてきそうなものだが、彼らは騒がれるとわかっていたので、そそくさと主要な街を抜け、姿を消した。

追跡されないようにも気を付けたり、この二十二層が特定されないように、いくつかのダミーのねぐらも用意した。
そうでもしなければ、ここに大挙として情報屋が押し寄せてくるだろう。

(まっ、ビーターの悪名でも出せば、アルゴ以外は黙らせられるんだけどな)

情報屋の大半はキリトからいろいろ情報を格安で買っている。そのため、彼には頭が上がらないのだ。だから下手に嗅ぎまわったら、もうお前の所に情報を渡さないと言えば、彼らは簡単に引き下がるだろう。

アルゴの場合、ギブ&テイクの関係なので、その限りではないし、彼女の場合は売れる情報はなんでも売るようなやつなので、かなり注意しないといけない。

「ううっ、まさかこんなに話が大きくなるなんて。てっきり私の話なんて、新聞の片隅に乗る程度だと思ってたのに」
「いや、そりゃ無理だろ。アスナの場合、話題性になることは普通にしてても多いのに、今回は俺の影響とか突然の登場とかあったからな」

自分でもあの登場の仕方と、ビーターのパートナーで結婚までしているとあらば、話題性になるだろう。
SAO内での女性比率は少なく、おおよその数は知らないが、女性の人数は千人には達していない。六百から七百人程度であると思われる。
その中でも美人・美少女ならばさらに低くなる。
とすればアスナの場合はそれだけで話題にあがるのだ。

「ほとぼりが冷めるまで、ここに隠れているしかないかな」
「でもここも見つかったら……」
「……それはまずいな」

ここは彼らにとって神聖な場所だ。そこに遠慮なく入ってこられるのは、さすがに二人も容認できない。

「………ただ、お客さんのおもてなしはしないとな」
「えっ?」

キリトが窓の外を見ながらつぶやくと、アスナも同じように窓の外を向く。

「よう、お二人さん。久しぶりだナ」

そこには出来ればこの場では会いたくない、情報屋の鼠のアルゴが立っているのだった。



三十九層。血盟騎士団本部。
田舎町の片隅に、そのギルドの本部はあった。以前よりも大きくなった血盟騎士団だが、始まりは前回と同じでこの三十九層の田舎町だった。
団員達は狭い狭いと文句を言いつつも、どこかこの雰囲気が気に入っていた。

しかし人数もかなり増えてしまったので、近いうちに移転しなければならないと言うのは、ヒースクリフを除く、全員の意見であった。
そのヒースクリフも皆に任せると指示をだしたため、団員達はどこか良い所はないかと、本部移転の準備に勤しんでいる。
そんな中、ヒースクリフこと茅場晶彦は一人団長室で新聞を読んでいた。

「まったく。君は本当に私を驚かせてくれる。いや、この場合君の連れか」

キリト達と同じく、新聞のアスナの記事に目を通す。
ノーマークも良い所か、今まで名前すら聞いたことがなかった。ハイレベルのプレイヤーの名前はすべて覚えているのだが、一度も前線に来なかった彼女の事は、まったく知らなかった。

GM権限で全プレイヤーのデータを表示し、上位レベル者を回覧していれば、これに気が付くこともできたが、それだとキリトのデータも一緒に回覧することになるためにその方法を取っていなかった。

しかし驚きの連続である。キリトとアスナのレベル。
共に八十台だ。キリトは八十四、アスナは八十。ヒースクリフでさえ未だに七十四であることを考えれば、そのさら上をいかれた。しかもスキルの熟練度も高い。
それだけなら、ビーターにくっついて寄生プレイをしているだけと考えることもできる。

だが違う。彼女の強さは本物だ。
この作り物の世界で本物の何もないかもしれないが、彼女の強さは寄生しただけのプレイヤーの強さではない。
あの五十層の戦いで見せた彼女の動き。キリトとの連携。見事と言う以外にない。
おそらく自分がキリトと組もうとも、あんなふうに戦うことはできない。
レベルが高いもの同士の連携などと言うレベルを遥かに超越している。
キリト同様、自分を実に驚かせてくれた。

最初はキリトを取られたと嘆いたりもしたが、今は回復している。最初は本当にどこの馬の骨かと思った。
キリトは孤高であるからこそ、美しいと思っていた反動であろう。

「キリト君が選び、そばに置いているのもわかる気がする」

しかし何故だろう。心の奥底で、なぜか彼女に対して言い表せない不快感を抱いている。
言っておくがヒースクリフこと茅場晶彦は同性愛者ではない。茅場晶彦は考える。この感覚は言うなれば、お気に入りの玩具を取られた感覚に似ているのではないかと。

「彼は孤独であり、孤高であるからこそ美しい。そう考えていたのだがね」

先の攻略のキリトを思い出す。
強さ、と言う分には申し分ない。予想通り、ユニークスキルまで取得してきた。
しかも魔王ヒースクリフを倒す勇者の役割を担う二刀流スキル。このゲームには勇者も主人公も存在しないはずだが、彼にはそれらがよく似合うと思えた。
物語を盛り上げる舞台装置。魔王ヒースクリフと二刀流の勇者キリト。
知らず知らずのうちに口元がゆがむ。

「スタンドアロンRPGのシナリオや展開を作ったつもりはないのだが、まさかこの世界がそんな風に進むとはね。いやはやこういう想定外の展開もネットワークRPGの醍醐味か」

君は本当に楽しませてくれる。いや、だからこそか。彼女と言う存在を、彼が傍に置くのは。

「主人公、英雄の傍には常に美しい女性がつきもの。そういう意味でも彼女の存在は必然なのかもしれないな」

アスナのデータを見終わると、手を前に組み彼は考え事を始める。

「英雄には悲劇がつきもの。悲劇があってこそ、物語が盛り上がり、英雄が輝く」

ポツリ、ポツリとヒースクリフは呟く。

「幸福な時間が長ければ長いほど、人々が二人の存在を認め、祝福すれば祝福するほど、その効果は大きくなる」

ヒースクリフはこのソードアート・オンラインと言う物語のシナリオを、大幅に書き換えようとは思っていない。
あくまで定められた既定路線のまま、この物語を進める。
第九十五層でヒースクリフがその正体を露見させ、プレイヤーの希望を一身に背負う存在から、最悪の魔王へとその存在を変貌する。
そう、正体を露見させる時に、物語をさらに盛り上がらせる趣向を凝らす。

本来なら、最強の騎士団の最強の騎士と言う称号が、それをさらに盛り上げるはずだったのだが、キリトとアスナにことごとく邪魔されてしまった。
しかし今のヒースクリフにはそんな称号が不要であるほどに、物語を盛り上げる、彩らせることができる舞台装置がいくつもあった。

「アスナ君。君には本当に期待しているよ。キリト君と同様、君もこの世界の物語には必要不可欠なプレイヤーだ」

これからが実に楽しみである。これからも攻略は続く。自分が裏切るまで残り四十五層。その間は彼らと肩を並べ、共に戦い続ける。
このゲームにいる大勢のプレイヤー達は、キリト、アスナ、ヒースクリフの三人に希望を見出し、ゲーム攻略を期待し、勇気を与えられるだろう。
それが九十五層で大きく覆る。
ああ、実に盛り上がる展開ではないか。

「本当に楽しみだよ。だがその前にもいくつか仕込みはさせてもらわなければならないな。それに……」

ヒースクリフは自身のデータをチェックしなおす。今の彼は自らの意思ひとつでほかのプレイヤーにはできない操作を行うことができる。

システムによるオーバーアシスト。プレイヤーに出せる限界速度を凌駕する動きを可能とする、GMのそれもヒースクリフと言うキャラクターにのみ与えられた能力。
もう一つは不死属性。破壊不能オブジェクトとして、ヒースクリフは設定されている。HPラインもイエローゾーンより下に落ちることは決してない。

公平さを信念とする茅場晶彦としては、本来ならこの二つを持たせたくはないのだが、グランドクエストの最終ボスであるヒースクリフと言うキャラクターが、万が一にでも途中で消滅してしまわないための、やむを得ない処置だった。

だが同時にこれは危うい設定でもある。
ヒースクリフのHPがイエローよりも下に落ちない。これは神聖剣と言うユニークスキルがあることや、彼自身のプレイヤー能力が高いことから、それほど疑われることはないと思っていた。

もしこれがHPがまったく減らないのであれば、それこそ疑ってくれと言っているようなものだが、今のところその兆しは見えない。

(いや……。彼ならばもしかすれば気付くかもしれない)

茅場晶彦はキリトの存在を認め、楽しむ傍ら、最大級の警戒をしていた。彼はこの世界にとって最大の不確定要素。何をしでかすかわからない存在である。
その彼ならば、あるいは自分の正体に九十五層以前で気が付くかもしれない。
なぜか、そんな予感が茅場晶彦の胸中に浮かぶ。

「何を馬鹿な、と普通ならば思うだろうが、彼の場合はその限りではない」

これまで幾度となく自分の予想をいい意味でも悪い意味でも裏切ってくれてきた。特にアスナを連れてきたことなど、予想すらもしていなかった。

「これはある程度、設定を変更しておかなければなるまいな」

不死属性の変更。これはしておいた方がいいだろう。今のところ、彼に疑われているとは思わないが、何らかの疑惑をもたれたら。そこにHPがイエローに入ったことがないと言う疑問と合わされば……。

「彼は勘も鋭そうだ。それに行動力もある。疑惑を持てば、隙を見てそれを検証しようとするかもしれない。私も最大限の注意を払うのが得策だろう」

不死属性の設定を変更する。どれだけ攻撃を受けてもHP1から減らないと言う設定にしようかとも考えたが、余計に疑惑が生まれそうだ。
不死身のヒースクリフ……。

「ありと言えばありなのだが……。これも万が一を考えて、やめた方が無難かな」

バグキャラのように何の装備もなく、身一つで強固な敵と戦い勝利する。ある意味、心動かされる。
しかしバクキャラなど必要ないどころか害悪でしかない。憧れは憧れとして、心のアルバムに仕舞っておくべきだろう。
ただでさえユニークスキルと言うゲームバランスを崩す能力を導入しているのだ。これ以上、ゲームバランス崩壊の危険は避けた方がいい。

後日、彼はユニークスキルを導入したのを、少しだけ後悔する。五十一層ボス戦で、キリト、アスナ、ヒースクリフがあっさりとボスを倒してしまったのだ。
周囲からもゲームバランス崩壊だろとささやかれた。まあ彼らとしては攻略が簡単に進み、このゲームからの脱出が早まるのだから、問題ないのだが。

(やりすぎた。と言うよりもキリト君がバグキャラすぎる。いや、ユニークスキルがか)

攻撃の要と防御の要。ユニークスキルのうち、この二つが早い段階で発現したのは、茅場晶彦にとっての誤算だろう。しかもアスナとの連携がそれをより強力にした。
と言うよりも二度目のキリトとアスナのせいであろう。一度目なら、二刀流を持ったキリトでもここまでバグキャラにはならなかっただろうに。

(いや、これもネットワークRPGの醍醐味として諦めよう……)

と、彼がキリトの予想通り、どよーんと沈んだのは彼だけの秘密である。

「ふむ。残念だが不死身のヒースクリフはやめておこう」

小さく呟きながら、設定をいじる。

「やはり設定はレッドゾーンから下がらずにするのが一番マシか。あとは【Immortal Object】の表示の不可視化を……」

破壊不能オプションと表示が出ないように設定を修正する。
だが茅場晶彦はそれを卑怯と考える。ゆえに何があろうとも、非表示の状態であろうとも、破壊不能オプションの表示を発動させないように注意することを心に誓う。

ほかにプレイヤーがHPが無くなれば死と言うリスクを背負うように、自分自身もリスクを背負おう。
たとえGMであろうとも、グランドクエスト用のキャラクターであろうとも、茅場晶彦と言う人間が操る存在が万が一、ほかのプレイヤー同様、死と言う状況にまで直面すれば……。

「キリト君、私自身も覚悟を決めさてもらおう。それが君やほかのプレイヤーに対する礼儀であろう」

それは茅場晶彦と言う人間のかすかな変化の始まりだった。





「いやー、まさか噂の二人がこんなところに住んでるとは思わなかったヨ」

ずずずとアスナに差し出された飲み物をすするアルゴ。アスナとキリトは彼女の座る椅子の前に隣り合わせで座る。

「よく言う。それを簡単に見つけ出したくせに。いや、もう少し前から調べがついていたのか?」
「さあ、どうだろうネ。その情報は五百コルで売るヨ」

何でも商売にする鼠にキリトは辟易しながらも、どうしたものかと考える。

「しかしキー坊。ほんとにキー坊カ? 変わりすぎだヨ!」

オイラびっくりだ! とアルゴはバンバンとテーブルを叩いた。

「それ、昨日の攻略戦の後でも言われたな」
「いや、話には聞いていたけど、ほんと、何があったんダ? この二ヶ月で劇的ビフォーアフターだヨ」

アルゴもキリトのこの変化に驚きを隠せない。実際に会うまで、まさかとこの情報が信じられなかったのだ。
アルゴの場合、キリトが前線を離れた後は、彼が負担していた前線の情報収集を積極的に行っていた。

二十五層までは共同で行ってきたのだが、ハブられた後は彼女への負担が一気に増えた。前線出入り禁止と告げられたかのようなキリトを、無理やり連れて行くわけにもいかない。
ならば自分が動くしかない。アルゴは攻略組に情報を売りまくった。

キリトとアルゴとの仲は、この世界でも一層のころから続いた。と言うよりも、キリトが早々にアルゴに接触した。
犠牲者の数を減らすため、また攻略をスムーズに進めるために。いくらキリトでも情報がすべて前と同じと言う自信が持てなかった。
だからこそ、アルゴの情報と自分の持つ情報を合わせ、整合性を持たせようとした。
アルゴも元βテスターとしての負い目もあったし、キリトの事を多少なりとも知っていたので、お互いに協力した。

(しかしあのキー坊が、まさか結婚とはネ……)

アルゴは思い返す。最初にキリトに出会ってから、二十五層までの彼を。
日に日に彼は病んでいくかのようだった。それに比例し、彼は強くなっていったが、アルゴから見てもそれは危うい強さに思えた。
自分が教えようとしない、広めようとしなかった体術スキルの存在すら知っていて、それをあっさりと習得した。

さらにアルゴでさえ知りえない情報さえ、彼は数多く知っていた。
同じβテスターのはずなのに、この差、この違いはなんだ。アルゴはキリトに興味を抱いた。それからずっと、アルゴとキリトの関係は続いた。

しかしそれは半ば一方通行でしかなかった。普通なら、飄々な態度で相手を煙に巻くアルゴでさえ、キリトは常に表情を変えず、先手を打たれ続けた。彼には知らないことなどないのではないか、そう思えてしまった。

攻略から外されても、彼は大勢のプレイヤーに数多の情報を流し続けた。情報屋からすれば、そのお株を奪われるかのようだったが、彼はそれで商売をしようともしなかった。

ただあくまでも攻略だけを望み、それ以外を、自分自身さえもどうでもいいかのように扱った。
そのくせ、人にはぶっきらぼうな割には優しく、助けを求めている相手は助け続けた。ラフィン・コフィンの件もアルゴはキリト一人に背負わせすぎたと後悔していた。
だからなのか、情が沸いたのは。何とかしてやりたいと思ったのは……。

(けど、これはおねーさん、なんだかやりきれないヨ)

キリトが幸せそうで、それでいてかつてのように病んでいない。それはアルゴとしてもうれしい限りなのだが、なぜだろう。どこか心が痛む。

「……いろいろあった。ただそれだけだ」

その言葉に、どれだけの意味が込められていたのだろうか。アルゴはキリトを見る。どこか、少年だった彼が大人びて見える。

「アルゴ、悪いけどそのあたりの情報は売れない。売るつもりもない。ついでにお前にここの情報を売られるわけにもいかない」
「ほう。ならどうするネ? 口止め料でも払うカ? それとも、オイラも殺すカ?」

本気ではない、アルゴの言葉。しかしキリトは首を横に振る。

「アルゴを殺す、なんてことはしない。ラフィン・コフィンだけで十分だよ、もう人を殺すのは」
「キー坊!」

アルゴはキリトの言葉に声を張り上げる。それは誰にも知られてはならない話。アルゴもこの情報だけは、何があっても、どれだけコルを積まれようが、情報屋としてのプライドや自らの信念を曲げようとも、誰にも売ろうとはしなかった。

キリトが殺したのではと言うのは専らの噂ではあったが、所詮は噂でしかない。本人が肯定しなければ、また情報屋としてアルゴが売らなければそれは噂の域から出ない。

しかしそれをキリトは語った。第三者、アスナが居る前で。アルゴとしてはあり得ないと思った。それを彼が他人の前で肯定するなど、してはならないはずだ。
これを聞けばどんなプレイヤーでも嫌悪感を抱くはずだ。アスナが噂は所詮噂として受け止めていたとしても、真相を知ればキリトを拒絶する可能性もあった。

「大丈夫ですよ、アルゴさん。全部知ってますから。キリト君が今までしてきたことも、背負っているものも。全部知ったうえで、キリト君と一緒にいます。キリト君が背負っているものを、少しでも背負いたい。そう思って、彼と一緒にいるんです」

だがアスナの反応は違った。彼女は全部知っていた。キリトが話したのか? 知ったうえで、その上でキリトと一緒にいようとした……。
しかも……。

(にゃはは。こりゃ、オイラじゃ勝てないヨ……。背負うとか、そんなセリフ真顔で言うやつになんテ……)

アルゴはアスナを甘く見ていたことに気が付かされた。はじめはどんな奴だと思った。キリトの情報を独占しようとする寄生プレイヤー。美人であることを武器に、キリトに取り入ったのかと勘ぐった。
そうであるならば、全力で排除しようとも考えていた。
けど違う。彼女は違う……。

(嘘ついてるわけでもなイ。本気で心の底から、言ってるんだろうナ……)

情報屋を続け、多くの人間と接してきた。だからだろうか、この年でそれなりに人の嘘を見抜けるようになったのは。
そもそも相手の思惑を読み取れないようでは、この商売などやってられない。
だからわかってしまう。アスナの言葉に、嘘偽りがないと言うことが。本気でキリトの事を想い、一緒にいて支え、そして一緒に背負って行くと言っている。

あまりにも重い言葉にアルゴは思えた。少なくとも自分なら、軽々しくそんな言葉は言えない。特にここは、ゲームであっても命のかかったデスゲームの世界。さらにキリトはその中でも多くの物をたった一人で背負い続ける人間なのだから。
それを一緒に背負う……。ああ、本当に自分には無理だ。
本当にキリトとは違う意味で可笑しなプレイヤーだ。そもそもそんな相手じゃなければ、キリトも決して自分の隣にいさせようとはしなかっただろう。

(まったく。キー坊のくせに、良い相手見つけるじゃないカ。おねーさん、本当に妬いちゃうヨ)

だがこれで諦めもついた。気持ちの整理には時間がかかりそうだが、これでいいとアルゴは自分自身を納得させる。

「そう言う事なら、もうオイラは何も言わなイ。まあキー坊にはここの情報の口止め料を定期的に貰わないとダメになったけどネ」
「………やっぱりかよ。ったく、足元見るよな、本当に」
「にひひ。それがオイラだ。まあキー坊だから安くしとくヨ。これからも攻略の上での重要な情報とか、色々なイベントの情報とか貰わないといかないからネ。昔からのよしみとオイラからのご祝儀ダ」
「だったらタダにしろよ」
「それは無理な相談だヨ。と言うか、今のキー坊と話してると、かなりの違和感があるんだよネ。いや、ほんと、変わりすギ」
「慣れろ、以上」

バッサリと切り捨てるキリトに、アルゴは意地悪な笑みを浮かべながらアスナの方を向く。

「ひどい旦那だネ、奥さん」
「いえ、慣れてますので」

その前のキリトの発言に対しての皮肉であろうか。アスナの言葉にキリトは顔をしかめる。

「お前らなぁ……」

キリトの言葉に「あははは」「にひひひ」とアスナとアルゴは笑う。
アルゴは思う。これでいいと。少なくとも、この思いは実らなくとも、前以上に良い関係が築けると。
だから願う。彼らがいつまでもこうあって欲しいと。
アルゴは心の底から思うのだった。




[34934] 第八話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/11/13 21:34
あれから一か月が経過した。
現在も攻略に向けての会議である。
攻略は順調に進み続け、現在は五十七層を攻略中である。
ただ一月で六層は今までのハイペースぶりからは遅いと思われるかもしれないが、これにもきちんと理由があった。

それは第五十層で浮き彫りになった問題の改善を全ギルドで行いながら、攻略を進めると言う方針に転換されたからだ。
今までの攻略ペースが速すぎた弊害もあり、前線メンバーのレベルは高くても、それらに伴う各種スキル、またはシステム外スキルの構築と言うことが疎かにされがちだった。

キリト、アスナの合流で、その戦力は大幅に上がった。五十一層ではほとんどキリト、アスナ、ヒースクリフの三人が見せ場を奪うほどであり、ほかの面々はさして労せずにボス攻略を完了させた。
それは攻略を目指す全プレイヤーからしてみれば、何ともありがたい話なのだが、これでは後々、またまずいことになるんじゃないかと懸念の声が上がり始めた。

二十五層でキリトを外したのは、彼一人に頼りすぎては、彼に何かあった場合、後の攻略ができなくなるのではと言う懸念からだった。
今はチート戦力のような三人がいるが、この先この三人でもどうにもならない場面が現れるのではないか、もし何らかの事故などでこの三人のうち誰か、あるいは全員が死亡、あるいは攻略に出れなくなれば、それだけで攻略はとん挫する。

そのためディアベルが再び、彼らを攻略から排除はしないが、ペースを少しだけ落とし、各々のプレイヤーが自らを鍛えながら進むべきだと主張した。
ディアベルも先の戦いで自分の無力さを痛感したのだろう。だから少しでも強くなるために、攻略以外の自らを鍛える時間を欲したのだ。

その意見にキリトとしては何も言えなかった。ディアベルの主張は間違っていないし、彼には多大な恩がある。ここで自分がごねても問題しか出ない。
キリトとしては攻略を急ぎたいところだし、彼としてみれば、何も百層まで行かなくとも途中でヒースクリフの正体を暴き、デュエルで彼を打倒しこのゲームをクリアする予定であるため、ほかの面々のレベルアップはあまり気にしてはいなかった。

だがディアベルにこういわれては、賛成するしかない。それはアスナも同じだ。
しかしそれでほかの攻略を望むプレイヤー達から不満の声は出ないのかと、キリトは意見を出した。
キリトとしては反対するつもりではないが、ここで攻略の速度を故意に落とせば、軍の内部でもディアベルに対して、不満を募らせるのではないかと懸念したからだ。

「確かに絶対に出ないとは言えない。だがそこまで俺は心配していない。シンカーとも話し合ったことだが、今の軍には職人クラスのプレイヤーが大勢いる。その中でも歌などの娯楽関係を中心にスキルを上げている人たちが大勢いるんだ。その彼らに協力してもらって、少しでも不満を和らげようと思っている」

なるほどとキリトは思った。現実世界でもよくある手である。これは軍が前回よりも巨大化し、しかも職人クラスを大量生産したからこそ打てる手である。
また軍は健全化したままだし、攻略速度を多少落そうとも攻略自体は順調であり、半年しかたっていないのにもかかわらず、すでに半分を攻略した。

前回は五十層が攻略されたのは一年以上経ってからの話だ。それにそこまでいくまでに軍の精鋭は壊滅。攻略を目指すプレイヤーもかなりの数が死亡した。
それ以上に全体を見れば三千人を超すプレイヤーが死んでいた。
だから大勢のプレイヤーはこの世界から出ることは諦めてしまっていた。その日、その日を死なずに過ごすと言うことしかできずにいた。

しかし今は違う。早期に攻略のめどが立ち、死者の数も千人と決して少なくはないが、まだ絶望するほどではない。さらにキリト、アスナ、ヒースクリフと言う明確な希望を見出せるプレイヤーも存在する。

やっかみも多いが、それ以上に戦えないプレイヤーから見れば、彼らは自分達を助けてくれる救いのヒーローのようなものだ。
よくある勇者の物語にある、困ったときの勇者様、という物だ。
それでもこの世界においては希望となり、絶望を打ち消す大きな光である。前回はそんなプレイヤーがヒースクリフしかいなかった上に、攻略自体も順調ではなかった。
ゆえにヒースクリフに期待していても、儚い希望と言うようなものでしかなかった。

だが今回はキリトのビーターと言う悪名と二刀流、ヒースクリフと神聖剣、そしてそれを支えるアスナと言う三つの矢が存在するため、その期待は大きくなり、儚い希望ではなく、確かな希望として存在している状況だ。

「それに事情も新聞などで説明するから、ある程度の反発はあっても、大きなものにはならないと思う。それに後方でシンカーがイベントなどを行って、みんなの不安や不満を解消すると言うことになっている」
「イベント?」
「ああ。攻略組も交えた模擬決闘やスキル別対抗大会とか。軍が主催して、優勝者には賞金や賞品を出す方針だ」

主にスキルは生産スキル系統から料理や釣り、歌と言った項目だなとディアベルが説明すると、キリトは感心した。

「へぇー」

キリトは本当に今の軍は凄いと思う。それならば不満もある程度解消できるし、職人クラスは自らの力を見せられるし、名前も売ることができる。
それに軍も商品や賞金を出すと言えば、ほかのギルドも参加するだろう。金額やアイテムにもよるが、軍は今までに結構な額の貯蓄をしているはずだ。
前回と違い今回はキバオウが暴走していないので、そのあたりはきちんと管理されていた。

またレアアイテムも買い手や使い手が見つからない、または保留となっている物もいくつかある。
それを放出しようと考えているようだ。
それに模擬決闘。これはかなりキリトにとってありがたい。ヒースクリフとの一騎打ち。

前はアスナの一時退団を懸けた勝負だった。今回は最強の称号を懸けるつもりだったが、軍がそれを主催してくれれば手間が省ける。
それにその場合、大勢のプレイヤー達はキリトとヒースクリフの戦いを見たいと思っているだろう。
だからこそ使える。大勢の前でヒースクリフの不自然さを露見させることも可能だろう。

「いいじゃん、それ」
「キリト君もそう思うか? 俺としても攻略組のみんなの強さをほかのプレイヤーに伝えることも大切だと思っているからね。まあ君やヒースクリフさん、アスナ君みたいな強さはないが、全員が腕試しをしたいと思っているだろう」

周りはうんうんと頷いている。

(いや、全員、お前をぼこるみたいな目で俺を見てるんだけど……)

キリトはこの場にいる大勢が、合法的にキリトをボコボコにできるかもしれないと息巻いているのではないかと感じた。
レベル差、スキル差はどうするんだと考えるが、その場合、ハンデをつけろと言ってくるかもしれない。
実戦ならともかく、こう言う場合は確かにキリトやアスナ、ヒースクリフはハンデをつけて参加と言われる可能性の方が高いだろう。見世物ならば特に。

(あんまり見世物にはなりたくないけど、ヒースクリフと一騎打ちができるんなら、出るしかないよな)

ちらりとヒースクリフを見る。彼も何か考えているようだ。おそらくはキリトと戦う合法的な場所を見つけたからであろう。
しばらく考えた後、ヒースクリフが口を開いた。

「私もそれに同意しよう。血盟騎士団の全員が参加するかは未定だが、希望者はできる限り参加させるようにしよう。むろん、私は参加させてもらうが」
「いえ、ヒースクリフさんが参加してくれるとなれば、みんな盛り上がるでしょう」

ここで攻略をさぼるなと怒る人間はいないだろう。別にさぼるわけではないし、今後もきちんとペース配分を決めて攻略を続けるとすでに決まっている。

「キリト君は……やはりこう言うイベントへの参加は嫌かな?」

ディアベルもどこか遠慮勝ちに聞いてくる。キリトの性格的に、こう言う大勢がいる舞台と言うのは苦手だろうと思ったのだろう。
だがキリトは首を横に振る。

「俺も参加させてもらいます。色々と興味もあるので。それとその場合、デュエルの時は、二刀流は使わずに片手剣だけで戦います。さすがに二刀流は俺自身も反則だと思うので」

その言葉に周囲がどよめく。これは下剋上のチャンスと思っているプレイヤーも少なくない。
ただキリトの場合、片手剣だけでもチートくさいレベルに到達しているのだが、二刀流のインパクトが強いせいで、それを忘れている、もしくは知らないプレイヤーも多い。
そう言ったプレイヤーはあとで泣きを見ることになる。

「私も参加します。デュエルよりも私はほかのスキル対抗の方にですけど」

アスナの場合、キリトと一緒と言う意見をこの場で出すとまた色々と言われると思ったので、当たり障りのない意見を述べる。
尤もアスナは料理スキル対抗に興味を惹かれていた。なんとなく、一度やってみたかった。
ただSAOの料理は簡略化されすぎて面白味にかけるが、それでも料理バトルは楽しそうだ。

「アスナの場合は料理か?」
「そうだよ。あとは裁縫かな。こっちはまだスキルがそんなに高くないから、ちょっと無理かもしれないけど」

と話しをする二人にヒースクリフは聞き耳を立てる。

(なるほど。これは使えそうだ)

と心の中でヒースクリフは呟いた。

「よし! じゃあ攻略組も賛成で構わないかな? もし何か意見があるなら、あとで各ギルドの長に言ってくれ! それを俺が聞かせてもらう! ソロプレイヤーは直接頼む。けど結構この企画は楽しいと思うぞ!」

デスゲームの中にいるからこそ、彼らは娯楽に飢えていた。
しかし前回の一度目はこんなことを主催する余裕など、誰にもなかった。
あのキリトとヒースクリフとの決闘はそれなりのイベントとなったが、それでもあんなイベントは稀だ。

こんな風に、大勢のギルドが参加する平和的なイベントなど、前回なら考えられなかった。
あるいはこれがデスゲームではない、本来のソードアート・オンラインの楽しみ方の一つではないかとキリトは考える。

もしデスゲームになってさえいなければ、あのヒースクリフとの決闘のようなイベントが頻繁に行われ、多くのプレイヤー達が熱狂し、ゲームを楽しんでいたことだろう。

軍が巨大化し、健全であること。ラフィン・コフィンが壊滅していること。そして攻略が順調であるからこそ、できる事であろう。
こうして会議を進めつつ、各々が自己鍛錬と強化を行うことで話はまとまった。



「攻略が若干遅れるかもしれないけど、悪い話じゃないな」
「そうだね」

キリトとアスナは迷宮区の攻略を続けながら、会話を行っていた。
アスナはキリトから今後の方針を聞いていた。だからこそ、ヒースクリフと決闘を行うタイミングを探していたのだ。

「あとはうまくやるさ。それよりも問題は……」

ちらりとキリトは己の剣を見る。

「やっぱりエリュシデータに見合うだけの剣はないね」

キリトの悩み、それはエリュシデータと釣り合う武器がないと言うことだ。キリトは重い武器を好んで使う。それなりの武器を探しているのだが、やはり未だに見つけられない。

今は間に合わせの剣などを使っているが、やはりバランスが悪すぎる。ボス戦の時は、同じ武器を強化して使っているが、前回同様ソードスキル発動の場合、一気に耐久値を削られ、武器が壊れてしまう。

エリュシデータの方が威力は高いが、やはり二刀流の場合、左右でバランスのとれた武器を使わなければ、能力をフルに発揮することができない。
今後の事を考えれば、早急にキリト自身に見合う武器をもう一本入手しなければならない。

「ああ。モンスタードロップ待ちじゃ、いつになるかわからないからやっぱりプレイヤーメイドだな」

キリトとしては当てがないわけではない。と言うよりも当てはある。

「けどな~、俺が欲しい武器が作れるかどうか」

ガシガシと頭をかく。あれはリズが作ってくれた彼女の最高傑作と名高い武器だ。前の世界でも死ぬ直前まで愛用した白の剣『ダークリパルサー』。
それを製作できるプレイヤーが、今いるかどうか。

「リズに頼んでみようか?」

「それが一番だと思うんだけど、今のリズのレベルで作れるかな。まあ素材のある場所と取り方は問題ないんだけど、あればっかりは運の要素もあるからな」

あれの素材は五十五層で手に入る。取り方も知っている。現在は五十七層なので、二つ前の層で入手可能だ。
しかしあれはマスタースミスがいなければダメなクエストでもある。

たとえ巣に落ちても、マスタースミスがいなければ、あの素材は出現しない。後の検証で証明されたことである。
大量に素材を手に入れておけば、まあ一度くらいは成功するかもしれない。だがあれを今すぐに作れるかどうかは疑問である。

作り手のレベルももちろん、時期やタイミング、運の要素も多分に含まれる。
あの一回であれだけの物が作れたのは、ひとえにリズの能力も大きいが運にも左右されたのだろう。あるいはキリトは知らないが、リズの想いがシステムに何らかの影響をもたらしたのか。

「それに素材集めにもマスタースミスがいないとダメだからな。リズ、今のレベルってどれくらいなんだ?」
「わからない。聞いてみる」
「頼む。今の軍は大きいから、後方支援の連中って前線に出るほどレベル上げてないはずだから、リズも最前線近くに参加できるほどじゃないだろうし。その場合、鍛冶スキルは前と同じかそれ以上ってこともあるかもしれないけど。鍛冶スキルが高い場合、ある程度は経験値も入ってレベルも高いんだけどな」
「そうだね……。でも安全マージンよりもかなり低かったら、さすがに私とキリト君がいても、万が一ってこともあるよね」
「今回の場合、ドラゴンの相手をしないといけないしな。前回のやり方と変えたとしても、万が一ってことはあるし。この間のシリカの時みたいにはいかないだろうな」

前回の五十層の攻略前にあった事件を思い出す。キリトとアスナが攻略に遅れた理由がそれだったのである。
前回、あのクエストに参加した時は、それよりも八も上の階層まで攻略が進んでいた時だった。

今回は先日攻略されたばかりの階層だ。最前線に近い階層に、攻略組でもない鍛冶職人を連れて行くのは、かなり無謀だろう。

「でも一応話だけしてみるね。リズもそろそろ戻ってきて、直接話をしろって言ってるし」

この世界でもアスナの友人であるリズは、あの新聞を見て以来、しつこく事情を説明しろと言ってきていた。
しかし攻略組であり、かなり騒がれていたため、今日までリズの所に顔を出すことができなかったのだ。

幸いにもアルゴの協力で二十二層のことは話題に出ていない。ほかにもアルゴは二人のために色々と手を打ってくれている。

「了解。あとその時は俺、どっかに雲隠れしてるから」

なんとなーく嫌な予感がするので、キリトは逃げると宣言した。だがガシリとアスナに腕をつかまれた。

「ダメだよ、キリト君。奥さんをおいて出かけちゃ」
「い、いや、別に遊びに行くわけじゃ。それに女の子同士の会話に男が混じるのはどうかと」

しどろもどろになりながら、キリトは何とか逃げるための言い訳を考える。
しかし大魔王……もといアスナからは逃げられない。

「だーめ。あっ、もし逃げたらしばらくごはん抜きね」
「!?」

キリトは雷に打たれたかの衝撃を受けた。

「そ、それだけはご勘弁を!」

アスナの料理なしでは生きていけない。いや、最近はマジで餌付けされた感が否めなくなったキリトだが、アスナの料理が食べられないなど、考えるだけでも恐ろしい。

「じゃあキリト君も一緒に来てね」
「りょ、了解です……」

ドナドナとどこからか聞こえてくる気がした。
キリトは思う。もうアスナに逆らえないんだなと……。

「ふふ。ごめんごめん、キリト君。意地悪する気はなかったんだけど」
「ううっ、アスナがいじめる」
「だからごめんって。でもそんなに嫌なの? 私の料理が食べられなくなるの?」
「アスナの手料理無しとか、俺に死ねとおっしゃいますか!?」

アスナとしては、そんなに効果的とは思っていなかったようだ。不思議そうに聞き返してきたが、キリトにとっては死活問題だ。くわっと大層な表情を浮かべ、アスナに抗議する。

「も、もう。大げさなんだから」
「大げさなもんか! アスナの料理を一食抜くだけでも、精神的に大ダメージなのに、しばらく抜きとかそんな生活に俺は耐えられない!」

うがーっと叫ぶキリト。もしここに第三者がいたら、あれ、マジでビーターのキリト? と疑問に思っただろう。
と言うよりもオレンジギルド『しっと団』に連絡を入れていたことだろう。

キリトの言葉にさすがのアスナも焦る。そんなに嫌だったのかーと、ちょっと悪いことしたなと彼女自身も反省する。
だが同時にそんなにも自分の料理を喜んでくれるキリトに、内心すごく喜んだ。これも前も含めた努力の成果だとアスナは心で拳を握りしめた。

(料理スキル、取っててよかった)

と、かつての自分を褒める。

「だからこれからも俺にご飯を作ってください」
「ふふ、困った人ね。うん、わかった。これからもキリト君に毎日ご飯作るから、心配しないで」

その言葉を聞き、キリトは良しとガッツポーズをする。そんな姿にアスナは苦笑する。
ここで一言、お前ら、末永く爆発しろ。





第三十五層・ミーシェ
現在、リズベットとシリカは未だにこの街に留まっていた。
軍に所属している二人だったが、それでも以前同様自分たちのスキルを上げ、中層にてさらにレベルやスキルを上げていた。

前の世界でもそうだったが、今回は軍の進軍にあわせてと言ったところだ。
はじまりの街には今も大勢のプレイヤーが駐在している。
ナーヴギアの年齢制限に引っかかるだろうと言う、子供たちも多数存在したが、それは軍が積極的に保護した。
女性プレイヤーの中の有志が子供達の面倒を見ている。
その中でもサーシャと言うプレイヤーが中心となり、彼らの母親代わりを務めている。

余談だが、ここにはキリトも匿名で資金を援助している。以前の記憶にもあった場所であり、金が必要でなかったキリトが、軍以外にコルを回す場所と決めていた。
ここの子供たちも何人かは軍について中層に赴いている。サーシャは危険だと反対したが、やんちゃな子供たちはあまり聞き分けがよくなかった。

そしてシンカーの副官でもあり、軍の女性代表であるユリエールに相談した結果、軍内部の協議で比較的安全なフィールドに軍の護衛をつけて向かわせると言うことで話が付いた。
下手に強制し、変な行動を起こさせるよりもある程度こちらでルールを決め、それを守らせて行動させた方がいいと言う考えからだ。遠足と同じようなものである。

と言ってもサーシャとしては気が気ではないが、子供たちが目をキラキラと輝かせているのを見ると、それを止めることもできなかった。
理由としてはキリトの影響であった。
彼の噂は良くも悪くもアインクラッド中に広まっている。
悪い噂も多いが、良い噂や、彼を英雄視する話もある。

一人でフロアボスを攻略したとか、一人で軍の精鋭全員に勝利したとか、一人で百を超えるモンスターに囲まれながらもそのすべてを倒したとか。
そんな嘘か本当かわからない話だが、それを聞いた子供、特に男の子達は俺もそんな風になりたい! と影響されまくっていた。

これもある意味、前とは違う攻略が順調に進んだ弊害だろう。
いつ解放されるかもわからない世界ではなく、明確な希望があり、軍と言う彼らを守る国や警察のような存在がいる。
その中で、精神的な余裕を取り戻した好奇心旺盛な子供たちが、行動を起こそうと考えるのは、別段不思議ではない。

そんな中で引率を務めるのが、リズやシリカだった。と言っても、これも交代制であり大半は軍の中層を活動拠点にする男プレイヤーである。
リズとシリカは街に籠るのも性に合わず、それなりの冒険もしてみたいと言う好奇心も後押しし、はじまりの街にとどまらず、中層に進出した。
まあレベル上げに夢中だったアスナの影響も少なからずあったのだが。

「じゃあアスナさん、今日これから来るんですか? キリトさんも?」
「そうそう。二人で来いって言っておいたから。アスナもようやく観念したみたい」

あの新聞が出て以来、リズはしつこくアスナにメールを送った。それはもう毎日毎日。
しかし返事はあまりいいものではなかった。リズもアスナが想像以上に騒がれているのは知っていたし、攻略組として忙しいことも理解している。
だがそれはそれ、これはこれである。

一か月前、シリカのためにアスナが戻ってきて、その際にキリトを連れてきたときは、事情をあまり聞くことができなかった。
一緒に行ったシリカだけが、二人と多く話をしたし、ある程度の話も聞かされていた。

「ったく、結婚ってなによ。それにお相手があのビーターの黒の剣士なんて、どんな冗談よ」

ビーター・黒の剣士の噂はリズも耳にしている。おそらくは尾ひれや背びれがついた話だろうが、色々な噂が存在する。
しかしまさかあんな自分と年もそう変わらない、下手をすれば年下の少年が噂の剣士だったとは。

「キリトさんはいい人ですよ。全然怖くなかったです」
「けど全然強そうに見えなかったのよね……。本当に強いの、あいつ?」
「すごかったですよ!」

目をキラキラを輝かせながら語るシリカに、リズは胡散臭そうな目を向ける。あれが本当に強いのか。シリカが嘘をついているとは思えないが、リズには想像できなかった。

「人は見かけによらないって言うけど、あれはないわよ」

前に会った時の事を思い出す。散々こき下ろしたのだが、あれがまさか名実ともに最強プレイヤーとされる男だったとは……。

(うん、全然見えなかったな。でも納得する部分はあるのよね)

短い会話と、彼が見せたいくつかの表情。リズの脳裏に今もはっきりと浮かぶ。

「はぁ、しかしアスナはよくあんな奴と知り合って、コンビを組むことにしたわよね。聞いた話じゃ、今まであいつ、誰とも組んでなかったって話じゃない」
「でも二人ともすごく信頼し合ってましたよ」

あれはカップルと言うよりも夫婦だ。いや、結婚してるのだから夫婦なのは当然か。
シリカは一月前の事を思い出しながら、笑みを浮かべた。少し、いや、かなり羨ましいと思ってしまった。

今まで男の子と会話することもそう多い方ではなかったシリカ。この世界に来てから、男のプレイヤーに言い寄られたり、お付き合いや結婚を申し込まれたこともあった。
それらはすべて断ってきたが、キリトとアスナの関係を見て、自分も二人のようになりたいと思ってしまった。

(もしアスナさんよりも先にキリトさんに出会っていたら、私もキリトさんとあんなふうになれたのかな……)

と、思い出して顔を赤くしてボンと煙を上げる。あううっ……とシリカは呟きながらぶんぶんと頭を振る。
その頭の上でまったりしていた、復活したピナは振り落とされそうになるが、何とかしがみついて振り落とされないようにする。

それに気づかないシリカはいやいやと頬に手を当てて、何かを妄想しながら、さらに首を左右に振る。
ピナはいや、ちょっと、あっ、ダメ、と思いながら、ぎりぎりで頑張り続ける。

「ちょっと、シリカ。何考えてるのか大体わかるけど、あんまり自分を安売りしちゃだめよ。それと頭のそれ、落ちるわよ」
「えっ、リズさん。私は別に……。って、ああ、ピナ!」

頭の上からずり落ちそうになっているピナに気が付き、シリカはピナを両手で捕まえて自分の胸元に引き寄せる。
ふぅっ、酷い目にあった、と言うような表情を浮かべながら、ピナはシリカの腕の中でまったりし始める。

と、その時、二人がいた部屋の扉がノックされる。
来たわねと、キラーンと目を光らせるリズ。シリカもまた二人に会えると思い、わくわくとその後に続く。

「リズ、久しぶり」
「……お邪魔します」

そこには変装をしたキリトとアスナがいた。
そんな二人を見ながら、リズは満足げな表情を浮かべる。

「いらっしゃい。さあ、色々と話してもらうわよ」
「お、お手柔らかに」

と苦笑するアスナとキリトであった。




最前線から下の階層。
鼠のアルゴは今日もまた情報収集と情報の売買に勤しんでいた。

「まいど~」

あるプレイヤーに情報を売り終え、アルゴはまた次の依頼人の下へと向かう。優秀な情報屋であり、ビーターであるキリトともよくつるむ彼女の事を疎ましく思うプレイヤーは多い。
しかしそれ以上に優秀な彼女の情報が仕入れられなくなるのはつらく、キリトと同じく扱いにくい存在として大勢のプレイヤーに認識されていた。

(しかしこの間食べたアーちゃんの料理はうまかっタ)

先日訪れた二十二層のキリトとアスナの家でごちそうになった料理を思い出す。
まさかこの世界でマヨネーズとしょうゆを味わうことになろうとは。
久しぶりに食べたさしみはおいしかった。あれならば、頑張れば寿司も作れるのではないか。
思い出しただけでよだれが出そうになる。間違っても女である自分がよだれなど出しはしないが!

(キー坊はずるいヨ。あんな料理を毎日食べられテ。はっ! まさかこれがオイラとの差カ!? むむむ、やはりキー坊も家庭的な相手の方がよかったカ……)

いや、実際に自分もアスナのように料理スキルが高く、戦闘も強い異性なら、クラッといきかねない。それほどまでにアスナの料理は絶品だった。

(あれでまだ料理スキルをコンプリートしていなのだから恐れ入ル。あそこからまだ上がるのカ)

これからさらにおいしい物を作るだろう、アスナに戦慄すら覚える。聞けばしょうゆもマヨネーズも自分で色々と解析し、研究して再現したと言うのだから、キリトとはまた違ったチートだろう。

(オイラも料理スキルを取っておいた方がよかったかナ。いや、今さらそれを言ってもしかたがないカ。にゃははは、オイラもずいぶんと未練たらたらだナ)

似たもの夫婦とはよく言うが、ここまでチートくさい夫婦もそれはそれで珍しい。と言うかなんかひどい。

(けどオイラは定期的に家に行く権利を貰ってるから、いつでもあの料理をごちそうになれル)

これで楽しみはまた増えた。本当にキー坊様様である。

(っと、楽しみは後にして、今は次の依頼をこなさないとナ。今度の依頼人は……ええと、ギルド・月夜の黒猫団、カ)





[34934] 第九話
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/12/10 22:21
「ふーん。まあ事情は大体わかったわ」

アスナは散々リズに質問され、真っ白に燃え尽きていた。
いや、喋れない内容などは隠し、できる限り一度目のエピソードを交えて話をした。

そしてあまり使いたくはなかったが、リアルで若干の面識があると言う禁じ手も使用した。
この世界において、リアルの話はご法度と言う暗黙の了解は、この二度目の今回も同じように広がっていた。

だからこそ、これを出せばリズも引き下がるしかない。
さすがにリズにも全部が全部を語るわけにはいかないし、言ったところで信じてもらえるかどうかも怪しい。

さらに茅場晶彦がこの会話を聞いていないとも限らない。だからこそ、嘘ではあるが、リアルで多少面識があったと言う逃げ道を用いた。

「ま、まあこんな感じかな。リズも納得してくれた?」

アスナは恐る恐るリズに聞くが、リズは難しい顔をしたまま考え込む。隣のキリトはと言うと、なぜかピナとじゃれ合っている。

単調なアルゴリズムでしか動かないはずのモンスターが、まるで本当に生きているかのように、キリトと戯れている。その姿にアスナは癒されなくもないが、少しはこっちも助けてくれと言いたくなる。

キリトはキリトでリズに口撃されるのが嫌なのか、これ幸いとじゃれつくピナとそれを楽しそうに眺めるシリカの相手をしている。

「うーん。なんでこんなにもなつくのかな。まるで本当のペットみたいだし」

猫や犬を撫でるように、ピナを撫でるキリト。くすぐったそうにしているが、嫌がっているようには見えない。

「私以外でこんなに懐くのはキリトさんが初めてですよ! リズさんにだって、ここまでなつかないのに」
「ピナ……って言うかSAOでテイムできるモンスターって、基本単純なアルゴリズムでしか動かないはずなのにな。シリカを守ったって言う時もそうだし、この行動も……。プログラムにしても、高度すぎるよな」

いささか疑問を覚えなくもない。茅場晶彦の差し金かと思わなくもないが、あの男がこんな事をする理由もない。
監視するだけならば、こんな方法を使わなくてもやりようがいくつもあるのだ。

「きっとピナはキリトさんに感謝してるんですよ。助けてくれたって」
「うーん、どうかな。それに俺は手を貸しただけで助けたのはシリカだし」
「そんなことないですよ」

キリトはシリカと会話を続けながらも、頭の中でピナについて考える。

(まさか中の人とかいないよな……。あれ、何言ってるんだ、俺?)

とどこか電波を受信した。

「しかしあんたたちもよく結婚したわね。この世界じゃ、恋人関係も少ないって言うのに、結婚って」
「まあね。でも楽しいよ、結婚生活」
「はいはい、のろけ話はもうおなか一杯よ」

と、アスナとの会話の中でのろけ話も出ていたのだろう。リズはバッサリと切り捨てた。

「もう。そんな風に言わないでよ。あっ、それで話は変わるんだけど、今のリズの鍛冶スキルってどれくらい?」
「なによ、いきなり。まあそれなりにはあるわよ。今で六百くらい」
「六百か……」
「何よ、これでも鍛冶職人の間じゃ高い方よ」
「うん、それは分かってる。でも今、私たちが探してるのは、マスタースミスなの。ちょっとキリト君の剣をね」
「剣って……、ああキリトって二刀流だったのよね。新聞で見たわ」

アスナの言葉にリズは思い出したように呟く。

「そうなの。一本はモンスタードロップであるんだけど、それに見合うもう一本がないの。で、その剣を作るために素材を取りに行きたいんだけど、入手条件にパーティーにマスタースミスがいないとダメって縛りがあるのよ」
「なにそれ。そんな情報どこから……。そう言えばキリトってビーターで色々知ってるんだっけ」

不意にリズが漏らした一言に、アスナは表情をきつくした。
ビーターはキリト自身が名乗りだしたし、今なお使い続けているが、リズの口からキリトがいるこの場所で聞きたくはなかった。

「アスナ、表情がきつくなってるぞ。別に俺がビーターだっていうのは事実なんだから」

アスナの頭に軽く手を置く。それに振り返るアスナの顔は、どこかキリトに抗議しているようだった。

「別にリズも悪気があって言ってるわけじゃないだろうし」
「ちょっと、いきなり呼び捨て?」
「あっ、ごめん。気に障った?」

キリトはつい以前の癖でリズの名前を呼んでしまった。以前に比べて随分と緩んでいるようだ。これではいけないと、キリトは気を引き締める。

「いいわよ、もうそれで。あたしも呼び捨てだし。それよりもそれってどこで手に入るの?」

鍛冶職人として、素材アイテムの情報はそれなりに興味があるようだ。しかもビーターであるキリトが持ってきた情報。
つまりはかなりのレアアイテムか有望なアイテムと言うことになる。

「五十五層の西にある山」
「ぶっ! 五十五層って、最前線近くじゃないの!」
「そうだよ。だからマスタースミスでレベルの高い奴を探してるんだけど」
「悪かったわね、マスターでもレベルが高くもなくて」
「いや、別にそんなこと言ってないんだけど……」

リズの言葉にキリトはたじろぐ。あれ、リズってこんなにきつい性格だったか? とキリトは思った。
まあ最初は結構きつかったが、仲良くなってからのイメージが強いため、どうしても違和感が生まれる。

リズとてもともと性格的にきつい方ではない。鍛冶職人として接客も行う彼女からしてみれば、自分自身でもそう思うほどきつい態度だろう。

(何やってるんだろうな、あたし……)

アスナもシリカでさえもキリトの事を信用し、信頼している。それは彼の事をよく知るからだろう。
アスナは三ヶ月も行動を共にして、夫婦にまでなった。

シリカはピナの件でキリトに多大な恩があり、また短い間ではあったが行動を共にした。
自分だけが、キリトと言う人間をよく知らない。人づてに聞いた話や噂などはよく知っている。

でも目の前の男を見ていると、どうにもそれらと結びつかない。
なんとなく、自分だけがのけ者にされているような、そんな気がしている。
この感情はなんなのだろうか。

「……とにかく、鍛冶職人の中でもマスターの称号を持っている人はいないはずよ。多分よくてもあたしよりも百位上ぐらいだろうから」
「じゃあこのクエストは無理だね。剣は他のを探すしかないか」
「でもこれ以外にめぼしいのを知らないんだよな。プレイヤーメイドでもエリュシデータに匹敵するのは今のところないだろうし」

アスナの言葉にキリトもお手上げだと漏らす。

「今まで作ったあたしの剣じゃダメなの?」
「うーん。たぶん無理かな。エリュシデータは五十層のボスのドロップアイテムだから、ボーナス性もあって、現状じゃプレイヤーメイドの剣じゃ話にならない。唯一同等のものが作れる可能性があるのが、さっき言った素材からだし」

リズの言葉にキリトは残念そうに返す。今回も試してもいいが、前回同様ポキポキと折りそうで、さらに彼女を怒らせそうでやめることにした。

「それじゃあお手上げね。あたしも鍛冶スキルは上げるから、その時まで待ってもらえれば同行するけど、それじゃあ遅いのよね?」
「……できれば早い目がいいけど、こればっかりはどうにもならないからな。今はマスタースミスが現れるのを待つよ」
「それかアルゴさんに頼んで情報を流して、誰かに取ってきてもらってからそれを買い取る?」
「それしかないかな。できればしたくないけど」

ダークリパルサーの性能から考えて、あれはランダム作成でも製作できる数が限られている武器のような気がする。
さすがにあの階層のアイテムで一本限定と言うことはないだろうが、それでも二ケタに届く数が作成できるかと言われれば疑問である。

「まっ、この話はおいおいだな。一応、アルゴには頼んでおくか」
「そうだね。あっ、そう言えば今日ってアルゴさんが来る日じゃなかったっけ?」
「そう言えば定期的に情報を渡す日だったな。戻るのもあれだし、今日はここに来てもらうか」

この階層ならば、それなりの店もあるだろう。いや、キリトとしてはアスナの料理が食べたいのだが、たまには休んでもらう日も作るべきだろう。

「なんだったら、この階層のうまい料理屋にでも行くか。俺が出すよ」

ストレージ共有のため、お金も共有になってしまうのだが、そこは目をつぶってもらうしかない。

「いいよ、キリト君。今日も私が作るから。それに前にアルゴさんにリクエスト貰ってるし」
「あいつ、アスナにリクエストまで出してたのかよ」

にはははと笑う髭の顔を思い出し、キリトは難しい顔をする。アスナは俺の奥さんだぞと、内心呟く。
いや、アルゴは女だから別に嫁を取られる心配はないのだが、それでもアスナに関して言えば独占欲が強い。

男として狭量かもしれないが、それはそれ、これはこれである。
キリトとしては一度アスナを死なせてしまったと言うトラウマもあるため、その傾向が強いのかもしれない。

「そう言えばアスナって料理スキル上げてたわよね」
「うん。今は九百目前かな」
「ぶっ! どんだけスキル上げてるのよ!? しかもそれで攻略組って……」

スキルの向上は反復を続けなければならない。アスナはかつて料理スキルをコンプリートした時の味を取り戻すために、日夜修練に明け暮れている。
それでいて攻略に必要なスキルも上げているのだから、キリトとしては頭が下がるばかりだ。

尤も、SAO内においてスキルでもこう言った娯楽関係のスキルは割とポイントが上がりやすくなっていた。
これは茅場晶彦が非生産系スキルをほかの戦闘系、あるいは戦闘補助系や武器や防具作成などの生産スキルと同じに上昇率にすると、それを取得しようと考えるプレイヤーが少なくなると考えたからであろうか。

それともそれ以外の思惑があるのかはわからないが、それら三つのスキルよりも上昇しやすくなる仕様である。ゆえにアスナでも戦闘系スキルを上げながらの合間でも、それなりに上昇させることが可能なのである。
キリトがかつて、釣りスキルを取得してからそんなに時間が経っていない間でも、八百を超える数字になれたのが証拠だ。

「うーん。毎日キリト君に料理を作ってあげたり、合間を見て研究をしてたりしたら、いつの間にかね」
「……キリトも大概だと思ったけど、あんたも十分おかしい。うん、おかしいわ」

大事なことなので二度言いました。

「ひどいな、リズ」
「でもまあ、おかげで俺はアスナのおいしい料理を毎日食べられるんだけど」
「あー、もう! このバカップルめ! イチィチャなら余所でやれ!」

なんだか無性に腹が立ってきたリズ。そんなリズに苦笑しながらもアスナは彼女をなだめる。

「ごめんね、リズ。じゃあお詫びに今日は私がご馳走するから」
「そう? じゃあキリトがおいしいって言う料理、堪能させてもらおうじゃない」
「シリカちゃんもキリト君もいい?」
「あ、はい。私もアスナさんの料理食べたいです!」
「シェフにお任せします」

アスナの言葉にシリカとキリトも同意する。

「うん。じゃあ期待しててね」

こうして簡単な晩餐が行われることになる。

「ちょっ、なにこれ!?」
「お、おいしいです!」

晩餐に出されたのは、変哲もない料理だが味付けが違う。リズもシリカもこの世界に来てしょうゆやマヨネーズを使う料理を食べたことはなかった。
特にしょうゆ。
日本人ならばこれの虜になるのは当然である。

さらにこの世界に本来標準として取り扱われていない調味料。
刺身などを食べようにも、しょうゆがなければかなり残念な味になる。
しかしアスナは今回はしょうゆを取り出した。そのほかにも煮付けなども出す。日本人ならば涙目になる食事ばかりだ。

リズもシリカもおいしいおいしいと箸を進めている。キリトなどは黙々とアスナの料理を堪能している。

「すごい、よくこんなに完璧に再現できるわね」
「アインクラッドにあって、現在見つかってて手に入る調味料が味覚再生エンジンに与えるパラメーターを解析して作ったの」

どこか自慢げに言うアスナ。実際、これは前の世界でも一年の修行と研鑽の成果なのだから当然だ。
まあこれもキリトが以前に案内してくれた、ラーメンのようなものを食べたのがそもそもの始まりだ。

「これ、売り出したらすごく儲かるわね……」
「それはダメだ!」

リズの言葉に横合いからキリトがいきなり反論した。

「俺の分が無くなったら困る!」

と割と真顔で言う姿にシリカとリズはあっけにとられながらも、数秒して笑い出した。

「もうキリト君てば……」

そんなキリトにアスナも呆れ顔をする。

「けどもうすぐこれの作り方も流すわよ。別に私しか作れないわけじゃないし、ある程度料理スキルを上げてて、調味料さえそろえば誰でも作れるから」

でも次の軍主催のイベントまでは隠していたいと言うのがアスナの本音だった。今は味噌の味も再現しようと頑張っている。

「っと、そろそろアルゴが来る時間だな。って、あれ?」

キリトは自分の視界にメッセージが届いたと言う表示が出た。差出人はアルゴだった。

「アルゴさんから?」
「あ、ああ。ええと、少し話があるから出てこれるか、だって」
「キリト君一人で?」
「そうみたいだ。三十五層には来てるみたいだから、少し出てくる」

おそらくは情報屋の仕事に関する件だろう。ここにはリズやシリカもいる。アスナだけならばともかく、この二人に対してはアルゴは心を許していないだろう。
いや、キリトとアスナに関しても心を許しているかと言われれば疑問である。

「アスナはここで待っててくれ。たぶん、そう時間もかからないから」
「わかった。あとアルゴさんにも料理ありますって伝えといてくれる?」
「了解」

キリトは俺の分も残しておいてと念を押しながら、部屋を後にする。
だがこの時、キリトはまだ気づいていなかった。アルゴの話が彼にとって、過去と再び向き合わなければならないものであると言うことに。



「悪いネ、キー坊。わざわざ出てきてもらっテ」

宿屋から少し離れた一角。人通りのない場所で、キリトとアルゴは落ち合っていた。

「別に。こっちも色々としてもらってるんだ。それにこんな場所でってことは、厄介ごとなんだろ?」

キリトもアルゴがこんな人通りの少ない場所に自分を呼んだことから見て、まず間違いなく厄介ごとであると想像できた。

「いや、厄介ごとは厄介ごとなんだけどもネ。今回はいつもと少し違うんだヨ」
「いつもと違う?」

アルゴの言葉にキリトは首をかしげた。

「そっ。別に誰かに聞かれて困るってことはないケド、クライアントの事も含めて他のプレイヤーに聞かれることは避けたかったカラ」
「まあアスナ以外もいたからな」
「ところで第二十五層の迷宮区はキー坊も知ってるよナ?」
「ああ。クォーターポイントでそれなりの難易度が高かった場所だな」

クォーターポイントと言うこともあり、ボスだけでなく迷宮区事体も今までに比べれば、格段に難しいエリアだった。
そこは以前の記憶などを頼りに、何とか短時間で攻略できたのだが、それでも一度目の世界ではそれなりに犠牲者が出ていた。
さらに聞いた話では隠しイベント的なダンジョンも存在していたらしい。

「そこがどうしたんだよ?」
「そうだネ。じゃあちょっと順を追って話すヨ。オイラは今回、ちょっと変わった依頼を受けタ。いつものような交渉の類なんだケド、武器の売買や情報の提供と言ったものじゃなイ。純粋なクエスト達成の依頼だっタ」
「クエスト達成?」

キリトは首をかしげる。確かにプレイヤーがほかのプレイヤーにクエスト攻略を依頼することはある。報酬はアイテムだったりコルだったり様々だが。

「そう。二十五層であるクエストが発生しタ。それをクリアして欲しいと言う依頼」
「そりゃアルゴに依頼するのはお門違いだろ? それともあれか。クリアできそうなプレイヤーをアルゴに探して欲しいってことか?」

だがそれにしてもアルゴに頼むのは珍しい。こう言う場合は新聞広告に出すなり、大規模ギルドに頼むなり、方法は数多くある。
特にこの世界では軍において、そう言ったクエストをこなす専用の部署が存在している。軍に依頼すればクエストの内容によって、適任のプレイヤーが派遣される。

難易度が高ければ、一時的にせよ最前線の攻略組からプレイヤーを呼び戻し、クエストに当てることもある。
血盟騎士団や聖竜連合も、レアアイテムや資金集めのためにこう言った活動には熱心とまではいかずとも、それなりに参加しているはずだ。

「キー坊は察しがよくて助かル。そう言う事だヨ。裏も取ってきてるんだが、今までそのクエストに挑んですでに十人以上が断念してル。元々依頼を出したギルドでは手に負えず、ほかのプレイヤーに協力を頼んだらしイ。けどそれも失敗。さらに軍でも手に負えなかったらみたいダ。最前線組もナ」
「ちょっと待て。さすがにそれはあり得ないだろ。最前線ならともかく、二十五層程度で攻略組がクリアできないクエストなんて発生するのか?」

キリトの疑問も尤もだ。アルゴでさえ、そんなクエスト存在するはずがないと思っていた。
何かの間違いや、イベントに挑んだプレイヤーのレベルが低すぎたのではないか、彼女もそう考えていた。

「けど事実だったんだヨ。それに血盟騎士団や聖竜連合の一部のプレイヤーでも無理だったようだシ。あっ、もちろんヒースクリフ団長とかはチャレンジしてないケド」
「………そりゃそうだろ。あいつはボス攻略以外興味ないからな」

ヒースクリフはこういった類のイベントには一切参加しない。レベル上げやアイテム確保は自力でしており、GMとしてのズルはしていないが、キリトと同様に自分に最も最適な装備やアイテムの類だけを選り好み、レべリングも効率化している。

またGMであり、ゲーム内におけるクエスト用NPCであるからこそ、特殊クエストをはじめとするボス攻略以外のカーディナルが作成するイベントには不参加を決め込んでいる。

前の世界においてのラフコフ討伐の時でさえも、ヒースクリフは動かなかった。GMとして公平であるべきと言う信念の下に。

「けどそれ以外にも優秀なプレイヤーは多いだろ。今の最前線の平均レベルは六十以上だ」
「問題はそのクエストの内容。ソロでしかイベントを受けられなイ」
「それにしてもおかしくないか? ソロイベントなんて珍しくもなんともないし、攻略組の連中でもクリアできないイベントなんて」

「……クエスト内容がおかしすぎなんだヨ。二十五層に発生するイベントにしては内容が難しすぎル。七匹の小人型モンスターを撃破。レベルも高い上にそれをソロで攻略せヨ。しかもエリアは結晶無効化エリアときたもんダ」
「なんつうクエストだよ。けどそれだとかなりのレアアイテムも期待できるんだろ?」
「いいや、アイテムやコルでの報酬は無しみたいだヨ。モンスター撃破の際の経験値やコルはあっても、それ以外は一切ナシ」

いや、それイベントとしてどうなんだとキリトは思った。じゃあ何のために行うクエストだ。

「キー坊の疑問も当然だネ。実はこのクエストはプレイヤー救出イベントなんだヨ」
「プレイヤー救出イベント?」
「そう。依頼してきたギルドのメンバーの一人が、そのクエストの発生に巻き込まれ、囚われタ。内容は説明したとおり。メンバーではソロでの救出は不可能。軍をはじめ、ほかのプレイヤーにも依頼を出したが、ことごとく失敗。で、オイラに白羽の矢が立ったわけダ」
「つまり俺への依頼か?」
「そう言う事。しかも時間制限ありで、クエストの期間は一月。それを過ぎるとクエストが自動的に消滅。囚われたプレイヤーがどうなるかハ、まああまりいい予感はしないナ」

クエスト失敗で囚われたプレイヤーは強制的に排除。このゲームでならありそうだ。

「向こうとしては何とか仲間を助けたいケド、すでに大多数は失敗。現時点でこのクエストへのうまみはほとんどない上に、攻略の難しさからほかのプレイヤーも二の足を踏んでル。ましてや結晶無効化エリア。余程の強さじゃないと、すぐにゲームオーバー。最初にクエストに挑んだギルドのメンバーは運が良かっタ。結晶無効化エリアだと気が付いた後、敵に吹っ飛ばされて、イベントホールからたまたま外に出たっテ。悪運が強いネ」

何というか、それは悪運が強いと言うか、出来過ぎと言うか。とにかく死者が出ないようで何よりだ。

「だからこそ、キー坊への依頼ダ。最強剣士として名高く、二刀流の使い手。ただ向こうとしてももう報酬にできる物が何もないから、直接話し合いで交渉したいそうダ」
「アルゴへの支払いもあるだろうからな。俺は別に良いぜ。二刀流もあるから、まあ何とかなると思う」

と言うよりも人命救助の依頼ならば、キリトとしても無下にするつもりはない。おそらくは今の自分ならばそう難しくはないだろう。

「交渉もせずに即決カ。アーちゃんと会う前だったら、こんなに簡単には言わなかっただろうネ」
「うるさい。とっとと相手に連絡しろよ。明日にはクエストを受けに行くって。俺はとっとと戻ってアスナの飯の残りを食うんだよ」

アルゴの分もあるとアスナからの伝言も忘れない。

「それは楽しみだネ。メッセージを送るから、少し待ってて欲しイ」
「あいよ。ところでその依頼人はどこの誰なんだ? クエストを受けるのを承諾したんだ。名前くらい教えて貰わないと」

キリトは軽い気持ちでアルゴに聞いた。

「ああ、ギルドの名前は月夜の黒猫団って言うそうダ」

直後、彼女の口から出たギルドの名前にキリトの表情は一変した。

「どうかしたのか、キー坊?」
「い、いや。アルゴ、依頼人の名前はもしかしてケイタって奴か?」
「よく知ってるネ。そうそう。クライアントからは名前は明かしていいって言われてるから、あとで教えるつもりだったケド」
「じゃあ、あと一つだけ教えてくれ。……そのクエストに囚われているプレイヤーの名前は」
「ああ、サチって名前のプレイヤーダ」

その名前を聞いた直後、キリトの表情は完全に消え失せた。





[34934] 外伝1
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/11/26 22:47

「……あっ」

朝、キリトはゆっくりと目を開き、驚きの表情を浮かべた。
自分の隣で、布団をかぶりすやすやと眠る少女。見た瞬間、きれいだと心の底から思ってしまった。
キリトの隣で幸せそうな寝顔を浮かべる少女、アスナ。その顔を見ると、知らず知らずのうちにキリトも穏やかな表情が浮かぶ。

昨日はあの後、二十二層の主街区の宿を借りて、そこに一泊した。
本当ならあの家に戻りたかったが、今は購入資金がないため諦めるしかなかった。

(そういえば、昨日は一緒のベッドで寝たんだっけ……)

別に昨日はそう言うことはしていないのだが、離れ離れになりたくないとお互いが思っていたこともあり、こんな状況になった。
と言うよりも、二十二層にいる時はずっと二人で一緒のベッドを使っていた。それを考えると、この状況は今さらな気もする。

(あれ? そう言えば、俺ってアスナの寝顔ってあんまり見たことない?)

新婚の二週間はほとんどすべて、アスナの方が先に起きていて、彼女の寝顔を見た覚えがなかった。
そう思えば少し、いや、かなりもったいない事をしたと思った。なぜ自分はこの寝顔を見るために少しでも早起きをしなかったのか。

(けど、本当に夢じゃないんだよな……)

アスナを起こさないように、少しだけ彼女の顔に触れる。夢じゃない。確かに彼女はここにいる。
あの頃に戻ったかのようだった。荒んでいた心が癒される気がした。寝顔を見ているだけなのに、なぜか飽きない。このまま何時間でもこうしていたい。そんな気さえしてくる。

「んっ……」

そんな時、不意にアスナが声を漏らす。ゆっくりと瞼を開けるアスナ。

「おはよう、アスナ」
「あっ、おはようキリト君……って!」

何かに気が付いたアスナはガバッと上半身を勢いよく起こした。
それを見たキリトは何もそんなに驚かなくても。と言うか、そんな反応されるとなんだけへこむと朝からブルーになった。

「な、なんでキリト君が私より先に起きてるの!? って、あのね、違うの! 驚いたのは驚いたけど、これはそのね!」

キリトの反応にあたふたとするアスナに、キリトは少しだけ噴出した。
逆にアスナはキリトの反応にどこか頬を膨らます。

「もう。なんでいつも起きるの遅いのに、今日は早いのよ」

ぶつぶつとアスナは小言を漏らす。せっかく久しぶりにキリト君の寝顔を見ようと思ったのに、これじゃあ台無しだよー、と漏らしたのは幸いにもキリトに聞かれることはなかった。

「ごめんごめん。なんか最近のくせかな。睡眠時間をずいぶん削ってたから」
「危ないよ、それ。前の私みたいに倒れちゃうよ。あの時はキリト君が運んでくれたからよかったけど」
「大丈夫だよ、もう無理はしないさ」
「絶対だからね」

念を押すようにアスナが言うと、キリトもアスナとの約束を破る気はないよと笑う。
不意にアスナの頬にキリトは手を伸ばした。

「キリト君?」
「夢、じゃないよな、アスナ。本当にアスナはここにいるんだよな?」

どこか怖がっているようにも見えるキリトに、アスナはその手を自分の手で覆い、優しく微笑む。同時にもう片方の手をキリトの頬に持っていく。

「夢じゃないよ。大丈夫。私はここにいるから。もうどこにも行かないから」

アスナの言葉を聞き、キリトはまた涙を流した。心配そうにアスナはキリトに近づくが、キリトは大丈夫と自分の目元をぬぐう。

「ごめん、みっともないところ見せて。なんだかずいぶんと涙腺が緩んでるみたいだ」
「キリト君は一人で無理しすぎなんだよ。今までずっと一人で全部抱え込んで……」

アスナはキリトを抱き寄せ、そっと両手でキリトの頭を抱きかかえた。

「もう大丈夫だから。キリト君は一人じゃないから」
「……ああ。ありがとう、アスナ」

アスナの腕に抱かれながら、キリトは目を閉じる。
戻ってきた非日常の中の日常。
キリトは願う。こんな日がいつまでも続くことを。
キリトは決意する。もう二度と彼女を失わないと。
アスナも同じだった。
もう二度と離れない。この人と一緒に現実世界に帰ると。
二人は、もうしばらくお互いのぬくもりを感じ合っていた。




「さてと。できればアスナとゆっくりあの新婚生活の続きをしたいけど、そう言うわけにもいかないか……」

キリトとアスナは着替えた後、簡単な食事を取り、装備を確認する。

「そうだね。今は時間を無駄にできないし、できる事はやっておきたいものね」

キリトもアスナも名残惜しいが、先に片づけておかなければならない問題を片づけることにした。

「やっぱりキリト君はあのスキルを?」
「ああ。あれがないと、何も始まらないから」

また監視される可能性を考え、できる限り危険な単語は出さないように気を付ける。
アスナもキリトが何を求めているのか知っている。

二刀流。
ヒースクリフこと茅場晶彦を倒せる可能性のあるユニークスキル。これがなければ、神聖剣を打ち破り、ヒースクリフを倒すことは限りなく困難だろう。

「それに最前線に復帰するためにも、レベル上げは行っておきたい。ハブられてるけど、五十層の攻略には戻るつもりだったから」

今は三十八層が攻略されたから、まだしばらくは時間がある。しかし第五十層はクォーターポイントであり、ボスの力を知る身としては、できる限りのスキルとレベルを上げておきたい。

欲を言えば、それまでに二刀流を取得したいが、それは高望みしすぎかもしれない。
すでにアスナとはフレンド登録を行っている。当然その先の結婚と言う選択肢を考えている。いや、それは当然だと二人は思っている。

しかし今は少し待ってほしいと、キリトはアスナに切り出した。
それを聞いたアスナはまるでこの世の終わりのような顔をした。キリトはあわててフォローを入れる。

「い、いや、違うぞアスナ。結婚するのはする! それは絶対! でももう少し。ほんの少しだけでいいから待ってくれ! 頼む!」

とキリトは掌を合わせ、アスナに頭を下げる。必死のキリトの様子に何かを感じたのか、アスナもわかったとこの場は引き下がった。

「うん、待ってるから」

と笑うアスナの顔が印象的だった。

(結婚指輪買うまで待ってくれって、さすがに言えないからな)

キリトもすぐにでも結婚したかったが、彼も男である。好きな女の子にはそれなりの物を送りたい。
前回は手持ちの財産をほとんど換金して何とか家と指輪を購入したが、今のキリトはあまり手持ちがない。しかもあれはアスナから出してもらったものもある。
昨日アスナと合流する数日前に、キリトは不必要なアイテムをすべて売り払っていたのだ。しかもその金のほとんどはほかの弱小ギルドや軍に渡している。

まさかこんな風にアスナと合流して結婚しなおすとは考えていなかった。以前のバーサーカー状態のアスナ以上に攻略の鬼となり、必要最低限のもの以外はすべて、それこそ食事や宿も空腹が紛れれば、雨風がしのげればそれでいいと考え、金もアイテムもすべて放出していた。
ゆえに金がない。貯蓄もない。アイテムもない。

甲斐性無と思われるのは嫌なので、せめて指輪代くらいは自分で稼ぎたかった。結婚してストレージ共有になれば、自分の力だけで指輪を購入するのも難しくなる。
できなくもないが、共有のストレージのアイテムを売ったお金で購入と言うのは、なんとなくプライドに触る。

(少しくらい見栄を張りたいからな。くそ、エギルにあれを売るのをもう少し後にすればよかった)

そうすればすぐにでも指輪の代金を用意できたと言うのに。しかも前以上のものをアスナにプレゼントできたと言うのに。
今さらエギルに割増しで金を請求もできないし、彼の場合は儲けのほとんどを他のプレイヤーの育成に当てているので、手元にも残っていないだろう。
キリトは自分に当たる以外にできず、悔やんでも悔やみきれない状況だった。

「どうしたの、キリト君?」

様子がおかしいキリトにアスナは声をかけた。

「あっ、いや、何でもない」

何とか誤魔化すキリトにアスナは変なのと、不思議な顔をする。

「と、ところでアスナの今のレベルってどれくらいだっけ?」
「私? 今のところ四十四だよ。安全マージンは十分とは言い切れないけど」

と言うことは昨日キリトがいた迷宮区には安全マージンぎりぎり、下手をすれば足りないレベルで突撃してきたのか。

「いや、アスナ。さすがにそのレベルであそこに来るのは無謀じゃ……」
「……そうだね。でも少しでも早くキリト君に会いたかったから」

そう言われると何も言えなくなる。うれしい反面、もしも彼女に何かあったらと考えてしまう。ただアスナは前の二年間の経験と知識もある。それならば、多少のレベル差は何とかなるかもしれない。

「アスナ。その、うれしいけどこれからはやめてくれ。君にもしものことがあったら、俺」
「うん。もうしないから。絶対にキリト君を残して死なないよ。約束したもの」

アスナの言葉にキリトもそうだなと答える。

「俺も約束破らないようにしないとな」
「絶対だからね、キリト君」
「ああ、わかってるって。じゃあしばらくはレベル上げだな」
「そういうキリト君は?」
「俺? 俺は今は六十五だよ」

その言葉を聞いて、アスナは絶句した。現在の最前線は三十八層である。安全マージンを考えるなら十の上積みが必要だったが、キリトはその二十以上も上であった。

「い、いくら何でもレベル上げすぎじゃない?」
「ハブられる前は最前線、それ以降は昨日までずっと、レベル上げをしやすい場所とかで活動してたからな」

睡眠時間や食事の時間をはじめ、ありとあらゆる無駄と思われる時間を削った。βテスト時代、そして一度目のアインクラッドで得た知識、経験を生かし、どこまでも効率化した結果、ここまでのレベルへと到達した。
もし一度目ならば、同じ時間をかけても効率の問題などで、ここまでのレベルには到底到達しなかっただろう。

「そう言うアスナだって、前線に来てないはずなのに、異様にレベル高いじゃん」
「私の場合も同じかな。それなりに知識はあったから。さすがに睡眠時間とかはあまり削ってないけど」

アスナも一度目の知識があるため、効率よくレベルを上げられたようだ。元々彼女も初心者でありながら、非常に高い適性を持っていた。その気になれば、この程度のレベル上げも余裕なのかもしれない。

「それでキリト君は前線に戻る前に、どれだけレベルを上げるつもりなの?」
「最低でも八十。欲を言えば八十五以上まで上げたい」

前回、シリカを助けた時は最前線が五十五層でキリトのレベルは七十五であった。最低でも、そのレベル以上にまでは達しておかなければ、クォーターポイントのボスと戦うには心もとなかった。
しかしあれはゲーム開始から一年以上後での話だ。今はその半分の時間でそのレベルに到達しようとしている。無茶苦茶だと思われなくもない。

「そっか。私の場合、今の倍近くまで上げないとダメなんだね」
「ああ。二人だと経験値も分散されるけど、ある程度の無茶もできるから、それほど難しくはないかな。それでもかなりの時間を費やさないとダメだけど」

いくら効率化と穴場スポットを知るからと言って、それだけで簡単にレベルが上がるわけもない。まあ経験値がいいねらい目のモンスターも知っているが、その数もそこまで多くはない。やはり時間をかけるしかないのだ。

「たぶん最前線が五十層になるには、まだあと最低でも二、三カ月は必要だと思う。それまでに俺はあと二十、アスナは四十を目標にしよう」
「うん。わかった。じゃあこれからは余計に時間を無駄にはできないね」

笑うアスナにキリトは苦笑する。本当なら、あの新婚生活の時のように、二人でゆっくりと毎日を遊びほうけていたい。
でもそれはできない。現実世界のリミットも存在するし、何よりも二人で現実世界に戻ると約束したのだから。

しかしそれにしてもアスナはうれしそうである。レベルホリックでもないのに、何がそんなに彼女のテンションを上げているのか。

「えっ? だってこれからは毎日、ずっとキリト君と一緒にいられるじゃない」

言われ、一瞬ぽかんとした顔をしてしまった。
そしてああ、そう言えばそうだよなと、今さらながらに気付かされた。
レベル上げだろうがなんだろうが、アスナと一緒にいられる。それを考えると、なぜか顔が赤くなってしまう。

「あっ、キリト君。顔赤くなってるよ」

どこかからかうように言うアスナに、そんなことないと反論しながらも、そっぽを向いてしまった。アスナは余計にくすくすと笑う。
ちくしょーと内心で漏らすが、アスナに口で勝てそうにない。なんか前にもアスナの家で似たようなやり取りがあった気もする。あの時もからかわれた。

「あはは、ごめんごめん、キリト君。機嫌直して」

アスナはキリトの腕に自分の腕をからめてくる。どうにもアスナに主導権を握られてしまっている。いや、前からか……。

「はぁ。こうやって俺はアスナにしてやられ続けるんだろうな」
「もう、拗ねないの」

たしなめるアスナにキリトは、拗ねてないですよと唇を尖らせる。
二人はたわいもない会話を続けながら、街を歩く。かつてのあの時が戻ったかのように、二人に穏やかな時間が流れるのだった。




「あ、アスナ! その、二週間も待たせてごめん。そ、それでその……俺と結婚してください!」

二週間後、レベル上げを続ける傍ら、必死でアスナに送る指輪を買う資金を集めていたキリト。
今まで手つかずでいたレアアイテムの眠る場所だとか、先日までは見向きもしなかった、アイテムがたくさん落ちているダンジョンなどにも赴き、キリトは貪欲に集めまくった。

当然、アスナも一緒だったが、レベル上げの一環と今後のためとかほかのプレイヤーや軍に回すからと、色々と理由をつけた。
アスナも自分がこれだけアイテムを集めるのには、それ以外にも理由があると気が付いているかもしれないが、指輪購入のためとは気が付いていないはず。
いや、気が付いていないで欲しい。

そしてキリトはようやく、ついに念願の指輪を手に入れた。エギルに頼ってもよかったが、いろいろ聞かれそうだったので、別方面に頼ることにした。
と言ってもさすがにビーターである自分が結婚指輪を買いに来た、などと噂になればそれだけで今の時間を失いかねない。できるならアスナの事は前線に戻るまで隠し通していたい。

ゆえに慣れない変装までして、買い付けに出向いた。ちなみに買い付けの際の服装はフルアーマーでもバンダナでも、マスクでもなく、前に二十二層でアスナが主釣りの際にしていた格好に近かった。
さすがにビーター黒の剣士が、こんな格好で指輪を買いに来るとは誰も思っていないだろう。指輪はすんなりと入手できた。

ストレージ共有になる前に、レアアイテムや高額のアイテムをアスナに見つからないように入手し、それを換金し指輪の代金に充てた。
これもまたエギルとは別の店である。その時はビーターの悪名を使い、いつもなら安く売り払う所を、適正値かそれよりも少し上の値段で買い取らせた。

しかしこんなに緊張したのは、いつ振りだろうか。買い出しから始まり、アスナへの求婚。
あの一回目の時、よく言えたものだとかつての自分を褒めてやりたい。
今も声が震えているし、指輪を出す手も震えている。アスナに拒否されるとは全く、これっぽっちも思っていないが、それでも緊張するものは緊張するのだ。

頭を下げているため、アスナの顔は見えない。
どれだけ時間が経っただろうか。たぶん数秒程度なのだが、キリトにとっては永遠にも思えるほど長い時間に感じた。
何の反応もないことに、キリトは冷や汗を流しだす。

あれ、ひょっとして待たせすぎたことに怒ってらっしゃる?
遅すぎるよ! と怒られるのも覚悟しながら、恐る恐る、キリトは顔を上げる。もしかしたら、言葉も出ないくらいにご立腹なのかと思ったが、予想に反して彼女は大粒の涙を流していた。

「お、おい、アスナ? な、なんで泣いてるんだよ?」

すすり泣き、目元を自分の掌で拭っている。そんなアスナの姿に、キリトは慌てふためいてしまった。

「ひっく。だって、キリト君が私にもう一度、プロポーズしてくれたんだもん」

それに指輪までと小さく呟く。アスナもある程度予想はしていたのだろうが、やはり実際に言われるのでは、まったく違う。しかもあまり甲斐性があるとは言えないキリトが、自分に内緒で指輪のプレゼントまでしてくれた。アスナには涙を堪えることができなかった。

泣きじゃくるアスナが泣き止むまで、キリトは困った顔をしながらも、ずっと彼女の体を抱きよせ、彼女のぬくもりを感じ続けた。
しばらくして、泣き止んだアスナは、表情をただしキリトにこう告げる。

「不束者ですが、またよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく、お願いします」

この日、再び二人は夫婦となった。




あれからさらに二週間。レベルも順調に上がり、レアアイテムや資金も順調に集まった。
ストレージが共有になったので、二人にアイテムなどの面では隠し事はできない。
しかし二人には何の問題もない。アイテムの秘匿など、彼らには意味がなかったからだ。

「もう少しで目標額に届くかな?」
「たぶんな。エギルに頼めば、ある程度は高く買い取ってくれると思うから大丈夫だろ」

目下、二人にはある目標があった。レベル上げと並行し、あるものを購入するための資金を集めていた。

「………ようやくまた、あの家に住めるんだね」
「ああ。それでいつかユイも入れて三人で住もう」

二人の、いや三人の思い出の場所。あの場所をもう一度。攻略を目指すなら、あの場所は不要なのかもしれない。切り捨てるべき場所なのかもしれない。
かつての、一人の時のキリトならば、迷わず切り捨てただろう。
しかしアスナと合流した今、それを切り捨てることはできなかった。

もしかしたら足を止めてしまうかもしれない。二度と、あそこから出たくないと思ってしまうかもしれない。
でも……。
キリトの視線に気が付いたアスナは、優しく微笑みかける。彼女もキリトの視線の意味に気が付いている。

「大丈夫だよ、キリト君。私達は逃げるために、あの家に戻るんじゃない。前に進むために、乗り越えるためにもあの家が必要なんだよ」

アスナの言葉に、そうだなと同意する。切り捨てるのでも、逃げるのでもない。それを持ったまま、前に進む。
アスナを、ユイを、そして自分自身を犠牲にせずにこのゲームを攻略する。今度こそ失わずに、ヒースクリフに勝利しこのゲームをクリアする。

「やっぱりアスナは強いな。俺なんかよりずっと」
「前にも言ったけど、そんなことないよ。キリト君の方がよっぽどすごいよ。知ってる? 軍とかはじまりの街でのキリト君の話?」
「知らないけど、どうせビーターの悪名とか悪い噂とかだろ」

かなり派手に行動したからなとキリトは呟く。実際に前以上に悪役を演じたし、公になってはいないとはいえ、ラフィン・コフィンを殲滅までした。
あれの犯人はキリトだと、もっぱらの噂であるし、事実なのだから反論のしようもない。

「違うよ。それも確かにあるけど、半分以上の人はキリト君に感謝してる。キリト君とアルゴさんの情報のおかげで、大勢のプレイヤーが助かったんだよ。ガイドブック、クラインさんに渡したでしょ? あれがすぐに広まってね。クラインさんが必死に叫んで、大勢の人に伝えたの。βテスターがくれた情報がある。死にたくなかったら、これを見ろって」
「その話、アルゴから聞いたよ。俺のおかげって言うよりもクラインのおかげだよ。あいつが必死にみんなに伝えてくれなかったら、いくら情報があっても無駄だった」

野武士面の男の顔を思い出す。死者の数が少なくなったのは、キリトの情報だけではない。クラインがそれを大勢に伝えてくれたのと、それをアルゴが重版し、より大勢に回したからだ。
βテスターの死者も、前回は一月で三百人に上っていたが、今回は攻略が進むのが早かったうえに、キリトの情報のおかげで、その数は現在で総勢百人にまで減った。

それでも百人が死んだ。これはβ版の情報を過信しすぎていたからもある。正式版ではほんのわずかだが、変化が起こっていた。それが徐々に彼らを罠に嵌めるように襲い掛かった。本当に茅場晶彦と言う男は悪辣である。

また同じβテスターであるキリトの情報など、自分も知っているし、当てになどしないと言うプレイヤーも多かったからだ。
逆に一般参加者はキリトの情報を受けて、あまり無茶な行動を起こさなかった。だから死者が大幅に減ったのだ。

「もう、すぐキリト君は自分を卑下する」
「別に卑下してるわけじゃないけど……。それに俺は褒められたいからとか、感謝されたいとかでやったんじゃないから」
「それでもだよ。キリト君の悪い噂も多いけど、キリト君の活躍とキリト君のおかげで死なずに済んだ人とか、大勢いるよ。あと悪い噂を本気で信じてる人って、実はあまりいないみたい。それに前線でも結構人助けもしてたんでしょ?」
「どうだったかな……」

キリトの反応にアスナはキリト君らしいねと微笑む。

「軍とかほかのギルドとかでもキリト君に助けられたって人、多いから。私もそうだし」
「あれは少し違うような……」

あれは当然のことをしたまで……いや、自分がそうしたいから、アスナを死なせたくなかったから、もっと言えばアスナをあのような状況に追い込んだのは、キリト自身だったから。

「ごめん。嫌なこと思い出させちゃって」
「あっ、そんなことないって。俺はもう引きずってないし、アスナも気にしないでくれ」

どうやら表情に出ていたらしい。キリトは即座に否定し、アスナを安心させる。

「まっ、別に噂なんて今さら気にしないからな。前ならともかく、今はアスナもいるし。けどアスナの悪口はなぁ……」

もし言っている奴がいれば、すぐにでもビーターの悪名で黙らせるのだが。

「もう。ダメだよ、そんなことしちゃ。余計にひどくなるし、そもそも私もキリト君と同じでそんなもの気にしないから。私としてはそんな誹謗中傷よりも、キリト君と一緒にいる方が重要なんだから」

だからキリト君も気にしないでと言う。キリトも渋々ながら、わかったと言う。

「さて。じゃあ俺はエギルの所に行ってくる」
「私も一緒に行こうか?」
「うーん。一緒に来てほしいのは山々だけど、絶対アスナを連れて行くといろいろ聞かれる。どうせ後でほかの連中にも知られて説明するんだったら、二度手間になって面倒だし余計な詮索されるのも嫌だから今は秘密にしておきたい」

キリトとしてはエギルが漏らすとは思えないが、二人で一緒にエギルの店に入ったところを見られれば、ほかのプレイヤー達が騒ぎ出すだろう。
ただでさえ、アルゴに見つからないように細心の注意を払っていると言うのに、不用意にアスナを連れて行けば、アルゴをはじめ、ほかのプレイヤーに見つかりかねない。

(アルゴの場合、もしかすれば気が付いてるかもしれないな。接触してこないところを見ると、まだ情報を売ってないってことだろうけど)

アルゴにバレれば、即座にアインクラッド全体に広がりかねない。売れる情報なら、自分の情報でも売るような女である。
ビーターのこんなおいしい情報を、彼女が黙っているはずがない。

(口止めしとかないとな。そもそも口止めできるかな。また金が飛んでいく)

アルゴへの対応を悩みつつも、キリトはアイテムを持って、エギルの店へと赴くのだった。




[34934] 外伝2
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/10/28 23:01


「うわっ、やっぱりここから見る眺めは格別だね」

第二十二層のログハウス。かつて二人が二週間だけ過ごした家に、二人は再び戻ってきた。
エギルの店でレアアイテムを交渉の末、かなりの値段で売却した。その際、いつもは交渉しないキリトが交渉してきたことに、エギルは驚いていた。

「エギル。このアイテムは早々出回らないから、あともう少し上乗せしてくれ」
「そりゃ、お前の頼みだからそれくらいは上乗せはするが、珍しいなお前が交渉するなんて。それにどこか雰囲気も違う……。何かあったのか?」
「ん、まあ色々とな。そのうち話す」

と、穏やかな笑顔を浮かべるキリトにエギルは余計に混乱すると言う一幕があった。

そしてついに目標資金を集め、あの家を購入した。
アスナと合流してから一月。結婚してから二週間の事である。
あの日、二人が前の世界で死んでから約五ヶ月ぶりに彼らはこの家に戻ってきたのだ。

「なんだか、不思議な感じだね」
「そうだな。こう、本当の家に戻ってきたみたいな、そんな感じがする」

南側の眺めのいいベランダに移動し、二人はあの時と同じように外の景色を眺める。

「うん。私も帰ってきたって感じがする。不思議だね。何年もここに住んでたみたいな気がする」
「ずっとここに住めればいいんだけどな」

キリトの呟きにアスナも同意する。
しかしそれはできない。ここは仮想世界。そして現実の体は今、おそらく病院のベッドで栄養を点滴されながら、かろうじて生きている状態だろう。
永遠なんてありえない。ずっとここに、この世界にいることはできない。
だからこそ二人は進む。

「でも今は……」

そっとアスナは自分の体をキリトの体に預ける。

「少しだけ、今日だけはゆっくりしよう。明日からは、また……」

アスナの体に腕を回したキリトは、彼女のぬくもりを感じながら、小さく呟く。
穏やかな日を、今と言う日を、時間を大切にする。
明日からはまた、レベルを上げ、攻略を目指すのだとしても、今だけはこの穏やかな時間を感じていたい。
二人はお互いに体を寄せ合いながら、この美しい光景を、愛する人とともに見つめるのだった。




あれからさらに一か月。
当初の目標通りに二人はレベルを上げた。
うれしい誤算だったが、キリトは一週間前に二刀流のスキルを取得した。ゲーム開始から半年。前は一年後だったが、これも短縮できた。
これで準備は整った。あとは二刀流の熟練度を上げていくだけ。

前は隠れながら二刀流を振るっていた。公にしたのは、死ぬ前の一か月にも満たない短い時間だ。つまり前は圧倒的にキリト自身の二刀流のスキルを上げる時間が少なかった。
戦術や二刀流自体の熟練度は隠れながらに上げたが、ボスとの戦いにはほとんど使わなかった。そのため、経験が片手剣に比べて圧倒的に少ない。

だが今回は最初から全開で使い続ける。熟練度の早期コンプリートは当然だが、それ以外にもシステム外スキルの構築に、ソードスキルに頼らない戦い方や、ソードスキルの再現などなど、やるべきことは多々ある。
それにボス戦で二刀流を使えば、それだけでボス戦での味方への負担が減る。犠牲者も今まで以上に出さずに済むだろう。

前はキリト自身が嫉妬の対象になりたくないと思っていたため、あの七十四層までは人前では絶対に使わないようにしていた。
もしそれ以前に、取得した時点から使っていれば、あるいは攻略をもっと早く、そして犠牲者の数も少なくできたのでないか。そんなことを考えてしまう。
だがそれは今さらだ。何を言っても、終わってしまったことだ。

だからこそ、今回は最初から使う。もうすでにビーターとして嫉妬の対象なのだ。これ以上増えてもそんなに変わりはないだろう。

「さて。新聞の情報によると、明日か明後日には五十層攻略って話だけど」

二刀流のために武器も一本新調し、万全の態勢を整えている。

「そうみたいだね。けど今回は……」
「ああ、クォーターポイント」

アスナの言葉にキリトも前回の記憶を呼び戻す。
攻略組を追い込み、戦線を崩壊させかけた強力なボスの姿。ヒースクリフがいなければ、確実に攻略は失敗していたし、犠牲者の数ももっと増えていただろう。
それほどに強力なボスなのだ。
今の攻略組でもおそらくは苦戦する。いや、下手をすれば壊滅するかもしれない危険な相手だ。
だからこそ、キリトは戻らないといけない。

「まっ、二刀流があるし、アスナもいるからな」
「私は今回が攻略は初めてなんだけど」
「あれ、もしかして緊張してる?」
「まさか。それに今はキリト君が隣にいてくれてるのに、どうして私が緊張するのよ」

失礼ねと、アスナは笑う。

「俺もアスナが隣にいてくれると安心する。と言うか、ここ一月、なんか知らないけど連携がうまくいきすぎる」

以前の七十五層での戦いを思い出す。あの時は、アスナもキリトも思考がダイレクトに接続しているのではないかと言うリニア感と一体感。
あれはなんだったのか。

もしかすればあれは結婚というシステム設定に与えられたスキルなのかもしれない。
今回もそれは感じられた。しかも以前よりもさらに強く。と言うよりも、どんどんと強くなっていく。

「うん。なんて言うのかな、キリト君の考えてることとか、どうしたら良いかって言うのが頭に浮かぶ感じだね」
「そうだよな。でも悪い事じゃないと思う。特にこれからの事を考えると……」
「そうだね。これならキリト君を守れるね」
「俺もアスナを守れる。何というか、いい事尽くめだな。これが茅場晶彦の作ったシステムって言うのが癪に障るけど。と言うか逆に落とし穴がないか疑う」
「どうだろうね。でも多分ないんじゃないかな」
「………まあないだろうな」

茅場晶彦と言う人間は公平さを貫く。色々と悪辣であり、趣味が悪く嫌な奴ではあるが、ゲームに関しては信用できる。
デスゲームになり、ほとんどのプレイヤーが、リスクを負う結婚と言うプレイヤー同士の関係を構築することをためらうなか、そこに至った者たちを罠に嵌めるような卑怯な手は打たないだろう。

それにこの――便宜上二人は〈接続〉と呼ぶ――は、もしかしたら茅場晶彦と言う人間の想定外の事象なのではないかと考えた。
理由は前の世界においても結婚に至ったプレイヤー達から、こんなシステムの情報は一切得ることができなかった、。
数自体も少なかったうえに、戦いにおいて連携するプレイヤー同士の結婚と言うのが皆無に近かったから情報が出なかったのかとも考えられるが、この現象はシステムに定められたものとは、二人にはどうしても思えなかった。

「まっ、どっちでもいい。それよりも今は攻略に戻ることを……」

だがそんな折、アスナにメッセージが届いた。

「メッセージ?」
「あっ、うん。リズからだ。フレンド登録してたから」
「そうなのか。で、なんて?」
「ええと、ちょっと待って」

アスナは即座に送られてきたメッセージを開く。一応、キリトと合流することで軍を脱退することと、コンビを組むことになった旨を伝えてはいた。
ただその際、ものすごく反対された。定期的にメッセージが飛ばして、安心させてはいたのだが、返事にはいつも一度顔を出せと書かれていた。
キリトと離れたくなかったのと、レベル上げなどの諸事情でここまで顔を出さなかったのだが、そろそろリズもしびれを切らしたのか……。

「リズ、怒ってるだろうな……」

と友人の顔を思い出し、アスナは冷や汗をかく。いや、実際にかいているわけではないのだが、釈明が大変そうだと嘆く。

「キリト君!」

しかしアスナはそのメッセージを見た後、声を張り上げた。
何事かと、キリトはアスナのメッセージを見る。
そこにはこう書かれていた。

『シリカが大変なことになった! すぐに戻ってきて!』と。




第三十五層、ミーシェ。

ここにリズとシリカはいた。この二人はアスナの友人であった。前の世界ではアスナとシリカは直接出会ってはいないが、キリトと軍の影響で一緒に軍に所属することになった。
開始から三カ月まではほとんど一緒にいたし、アスナがレベル上げを行っていた一月の間も、何かと行動を共にしていた。

アスナに影響されたのだろうか。二人も下層ではなく中層まで足を踏み入れることも何度もあった。
安全マージンはそれなりに取っている。またソロでプレイするわけでなく、あくまで軍に参加という形である。レベルもアスナのおこぼれ的なものもあり、それなりには上がっていた。
しかし戦闘に関してのスキルが高いかと言われれば、二人ともお世辞にも高いとは言えなかった。

それでも二人は協力して冒険を行った。軍のプレイヤー達と一緒に、あるいはほかのギルドのメンバーとも何度かパーティーを組んだ。
軍は巨大ギルドのため、自分達のところでもパーティーは十分に組めるが、余所と組むのも基本的にはOKだった。

プライドの高い、ほかの有力ギルドならば、軍とはパーティーを組まないと言う所は多いが、小規模ギルドはその限りではない。
今回もそんな中、何人かのギルドの面々とパーティーを組み、三十五層の北部に広がる通称迷いの森であるクエストに参加していた。

ここにも貴重な鉱石がたくさん眠っている。森林フロアゆえに、鉱山などに比べれば少ないが、それでもここでしか取れない鉱石も多数あったのだ。
リズは鉱石を集めることを目的とし、シリカはそのお供だった。この頃には、シリカにも相棒のモンスター、フェザーリドラのピナの姿があった。
この世界においてもシリカは偶然、ピナのテイミングに成功した。それは約三か月前の話である。

今回は簡単なクエストであり、彼女たち二人合わせて六人のパーティーで十分こなせる内容だった。
だが彼女たちのパーティーを、大量のモンスターが襲った。
明らかに通常発生のモンスターの数を超えていた。

MPK。モンスター・プレイヤー・キル。
この世界において、直接プレイヤーを殺害するPKは禁忌とされる。実際に死ねば、現実世界の人間も死ぬ。
だからこそ、ほとんどのプレイヤーはゲームであっても人を殺すことをためらった。

それが崩れたのは、ゲーム開始二ヶ月目。
最悪のギルド、ラフィン・コフィンの登場である。
彼らのせいで、わかっているだけでも十人以上のプレイヤーが殺された。知られていないプレイヤーも含めれば、その数は数倍に膨らむと言われていた。
だがラフィン・コフィンは殲滅された。
誰が手を下したのか、それは闇に葬られたが、ビーター・黒の剣士キリトなのではと言うのが専らの噂だ。

と言っても、大多数のプレイヤーはラフィン・コフィンの脅威を取り除いた相手に、表向きには感謝しないまでも、内心ではありがたいと思っていた。
いつ何時、ラフィン・コフィンに標的にされるのではないか。またどんどんPKが広がるのではないかと懸念されていたからだ。

ラフィン・コフィン壊滅後はPKの話は、まったくと言って良いほど聞かなくなった。噂でPKするプレイヤーには黒の剣士がやってくると言う、都市伝説のような話が広まったからである。

それはともかく、そんなプレイヤー同士の殺し合いが泥沼化する前に終息した事件だったのだが、それでもMPKと言う事件は皆無ではなかった。
直接手を下すわけではないので、犯人が特定されにくい。今までも何度か報告されており、軍でも警戒していた矢先だった。

この迷いの森では転移結晶は使えない。と言うよりも使えてもランダムで森のほかの場所に飛ばされる使用になっていた。
それにランダムなので、転移結晶をそれぞれが使えば全員が別々の場所に飛ばされ、余計に危険なことになりかねない。

このパーティーのリーダーの盾持ちの剣士であるグリセルダが、必死にモンスターを倒しながら、ほかのプレイヤーに声をかける。
今回のクエストは黄金林檎と言う総勢八人のギルドとの共同だった。
シリカやリズがこの誘いを受けたのは、ギルドのリーダーが女性であり、腕の立つ剣士だったからだ。

「シリカちゃん、リズちゃん。大丈夫、これくらい切り抜けて見せるわ」

安心させるように二人に言うグリセルダは、どこか頼れるお姉さんを二人に想像させた。

「カインズ! シュミット! ヨルコ! このまま逃げ切るわよ。お互いに援護できるように距離を取って!」
「はい、グリセルダさん! カインズ、お願い!」

ヨルコと呼ばれる緩くウェーブする濃紺色の髪の毛が特徴的なプレイヤーが声を上げる。

「ああ、ヨルコ。絶対に君は死なせない!」
「ったく。最近付き合いだしたからって、張り切りやがって。それにフラグ立てるなよ」
「おい、シュミット!」

二人の男プレイヤーの掛け合いに、グリセルダはくすくすと笑う。

「そうね。少しはいいとこ見せないとダメね、カインズ」
「リーダーまで。ええい! シュミット! このまま絶対に抑えるぞ!」
「当たり前だ。俺もこんなところで死ぬ気はない!」
「その意気よ、二人とも。じゃあ行くわよ!」

グリセルダとシュミット、カインズが前衛を受け持ち、ヨルコが援護する。黄金林檎の面々は中層プレイヤーの中ではかなり強い部類に入る。特にグリセルダは上層プレイヤーにも届くのではと思われるほどの剣技を有していた。
全員がそれなりにライフを削られたが、まだレッドゾーンではない。回復アイテムもある。
これならば無事に切り抜けられる。全員がそう考えていた。

だがそれが油断につながる。ここは森の中である。生い茂る木々に視界を奪われる。
彼らを襲っているモンスターはドランクエイプと呼ばれる、この森最強のクラスのモンスターである。
そしてその容姿が物語るように猿人である。巨体ではあるが、ある程度の俊敏性も持ち合わせていた。

だから彼らは木の上からも襲い掛かれる。大量発生したドランクエイプの一匹が木の上から襲い掛かったのだ。
全員が虚を突かれた。唯一反応できたグリセルダも目の前の数匹に手いっぱいで援護に回れない。
そして悲劇は起こる。前回の、一度目と同じようにシリカを、彼女の相棒たるピナを。
ピナは襲い掛かってきたドランクエイプの攻撃から彼女を守り、その身を散らせた。

「ぴ、ピナァァァッ!」

そこから先はグリセルダの機転と能力もあり、何とかドランクエイプの大群を一掃できた。
しかしシリカは心に深い傷を負った。




宿に戻り、泣き崩れるシリカ。それを何とか慰めようとするリズだが、ピナが残した一枚の羽根を持ったまま、ずっと泣き続けた。
彼女にしてみれば、友達の一人を亡くしたようなものだから、仕方がない。この三カ月ずっと一緒にいたのをリズはよく見ている。

だから何とかしてあげたいと思った。でも自分一人では無理だ。ならばとリズはアスナに連絡を入れた。彼女も一緒ならば、あるいはと思ったからだ。
だがそれは最善の手だった。アスナとともにやってくる人物こそが、ピナを、そしてシリカを救う手段を知っていたのだから。




「リズ!」
「アスナ!」

三十五層の宿で約二ヶ月ぶりに再会した二人だったが、とても喜んでいられる状況ではなかった。

「何があったの? シリカちゃんが大変って?」
「うん。実は……」

リズは何があったかをアスナに話す。MPKを受けたことも同時に。犯人は分からないそうだ。
誰を狙ったのか、それすらも不明。

黄金林檎の名前を出した時、アスナは驚いた顔をした。そんな彼女に怪訝な顔をするリズだが、それよりも優先させなければならないのシリカの件だ。
そこからピナがシリカを庇って羽根だけを残して死んだと言う。

アスナもシリカがピナと言う使い魔を連れていたことは知っている。なんだか前にキリトがポツリと漏らしたビーストテイマーの女の子って、彼女の事だったんじゃないかと考える。

「それで私だけじゃ慰めきれないから、アスナもいてくれたらって思って」
「うん、わかった。シリカちゃんもきっとものすごくつらいよね」

アスナもよくわかる。自分の場合はキリトだ。もしキリトが自分を庇って死んでしまったら……。想像もしたくない。

「………ちょっといいかな」

と不意にアスナの後ろから声がした。リズは驚いた表情を浮かべながら、そこに立っていた少年と言って良い男の姿を見る。
眼鏡をかけた黒髪の少年。背もそんなに大きくない。服装は初期装備とそう大差ない、茶色のジーンズのようなズボンと同じく茶色っぽいジャケットを羽織っていた。

これはキリトの変装である。変装と言っても別に顔を隠しているわけではない。
彼の場合、黒づくめであるからこそ黒の剣士と言われている。だからこそそれらをしなければ、高確率で彼だとは気付かれない。さらには眼鏡まで装備している。
それに今の彼は最前線にいた時とかなり雰囲気が違う。もし知り合いに会っても、一瞬見ただけではキリトだと気が付かない。
ちなみに眼鏡をかけたキリトを見たアスナは……。

「うっ……、め、眼鏡をかけたキリト君も凄くいい。なんだかいつも以上にキリッとしてるって言うか、凛々しいって言うか」
「あー、それはギャグなのか?」
「ち、違うよ! こ、こう、なんて言うのかな。いつも以上に知的と言うかクールと言うか。ああ、もうカッコいいよ!」

と頬を赤らめながら、ちらちらとキリトを見るアスナ。そんなものかなと、キリトは思いつつも、まあこんなアスナを見れたんだから、良しとするかと前向きに考えることにした。

「誰?」

リズは疑問の声を上げた。

「あっ、この人は私が今コンビを組んでる人でキリト君って言うの」

一瞬、キリトの名前を出してしまったと言う風な表情を浮かべたアスナだったが、リズはそれには気付かなかった。

「コンビを組んでるって……。あんまり強そうに見えないけど」

確かに装備も見た目もハイレベルプレイヤーには思えない。リズの意見は極めて正しい。それにキリトの名前を出しても、反応もしない。

(あれ? 俺の悪名ってあんまり轟いてないのか?)

前線では散々騒がれていたのだが、中層では意外とそうでもないのかとキリトは疑問に思った。
これはキリトの事がビーターやら黒の剣士としての通りなの方が有名であるのと、今の彼の装備が黒系統ではないためであった。

キリトの顔もそんなに出回っていないし、まさかあの悪名高いビーターがこんなところにいるとは誰も思わないだろう。
それにキリトの名前に気が付いても、今の彼の姿を見れば名前を語る偽物か同じ名前の他人としか思われない。

「あー、俺の事は良いとして、その話なんだけど、詳しく聞かせてもらっていいか?」

キリトの言葉にリズは怪訝な顔をする。いくらアスナが連れてきたとは言え、シリカの事はデリケートな問題だ。
見ず知らずの話を聞いただけのプレイヤーが、彼女の心を癒せるとは思えない。

「いや、もしかしたら力になれるかもしれない。そのシリカ、さんだっけ。彼女の使い魔だけど、今ならまだ助けられるかもしれない」
「!? ほんとに!?」

キリトの言葉に驚きの表情を浮かべながら、リズは彼に詰め寄った。

「ああ。その使い魔が死んでまだ時間がそんなに経ってないんだったら、助けることが可能だ。だから少しだけそのシリカさんと話をさせて欲しい」
「………嘘だったら、承知しないわよ」
「わかってる」

リズの言葉にキリトは深く頷いた。



「ほ、本当にピナを生き返らせることができるんですか!?」

リズに案内されたシリカの部屋で、彼女に蘇生クエストが存在することをキリトは告げた。

「ああ。まだほとんどのプレイヤーが知らない情報なんだけど、第四十七層の南の〈思い出の丘〉ってフィールドダンジョンがある。名前の割には難易度がそこそこ高いんだけどね。で、そこのてっぺんに咲く花が使い魔蘇生用のアイテムらしい」

ピナを生き返らせることができると聞いたシリカは、一度は喜んだが四十七層と言う言葉を思い出し、肩を落とした。
今いるフロアから遥か十二層も上であり、まだまだ最前線に近いフロアである。今のシリカのレベルは四十だった。

この世界のプレイヤー達もキリトの情報である程度の効果的なレベルアップが可能となり、シリカも軍に所属し、それなりにフィールドに出ていたこともあり、半年でここまでのレベルに到達した。

ただこのフロアでさえ、安全マージンが足りない状態だった。まあそこは軍のパーティーにいることや、ほかのギルドと協力するからある程度は大丈夫なのだが。
それでも四十七層に行こうと思えば、あと十五以上もレベルを上げなければならない。軍にお願いして、パーティーを組んでもらうこともできなくはないが……。

「ただ時間がない。使い魔を蘇生できるのは、死んでから三日の間だけ。それを過ぎれば蘇生は不可能なんだ。それに花を咲かせるには、使い魔を亡くしたビーストテイマー本人が行かないとダメだって制約もある」

そのキリトの言葉でシリカは再び絶望する。あと三日。もうピナが死んでから一日は経っている。実質あと二日。ここから軍に護衛の依頼を行っても、最前線近くに迎えるプレイヤーをすぐに用意することなどできないだろう。
自分一人では到底無理だ。
せっかく希望が見えたと思ったのに……。
先ほどまで止まっていた涙が再びあふれ出す。

「ちょっとキリト君! その言い方はダメだよ! それじゃあシリカちゃんが泣くのは当然だよ!」
「えっ!? いや、俺はそんなつもりじゃ! その、ごめん、シリカさん。言葉が足らなかった! 俺とアスナが協力するから、一緒にその子を生き返らせに行こう!」

アスナに怒られ、あたふたしながらも、キリトはシリカに謝罪する。同時に一緒に行くと彼は告げた。

「えっ?」
「俺とアスナが一緒なら君を守りながら、丘に行くことはできる。それに一応ある程度の装備があるから、それをシリカさんが装備すれば安全マージンは十分とは言えないけど、何とかなる」

言いながら、キリトはカーソルを操作する。トレード用のウインドウだ。
そこにはシリカも見たこともない装備が浮かぶ。

「これとこれとこれと……。これでレベルは最低五はあげられる。まあ戦闘は俺かアスナのどっちかが担当して、一人は君を守ることに専念すれば全然問題ないんだけど」

言いながら、キリトは即座に操作を終了する。

「アスナもそれでいいよな?」
「私は構わないよ。シリカちゃん、大丈夫だから。絶対にピナを生き返らせようね!」

笑顔で言うアスナにシリカは何とか泣くのを堪え、ありがとうございますと告げる。

「って、アスナ。あんた大丈夫なの!? 四十七層って言ったらほとんど最前線じゃない! それもシリカを庇いながら行くって」

あとこの男って信用できるのかと聞いてきた。

「大丈夫だよ、リズ。それにキリト君は信用できる。ううん、この世界で一番頼りになる人だよ」

笑顔で告げるアスナにリズは本当にこんなのが頼りになるのかと、疑うような目でキリトを見る。

「あ、あのキリトさん、で良いんですよね?」
「ああ、うん」
「本当にピナを助けられるんですか?」
「大丈夫。俺みたいな初対面の男の言葉は信じられないかもしれないけど、今は信じて欲しい」
「いえ。信じます。ピナは私を助けてくれました。今度は私がピナを助ける番ですから」

涙ぬぐいながら、シリカは何とか笑顔を作る。

「じゃあ時間も惜しいし、すぐに準備して出よう」
「はい!」

こうして、キリトは再びシリカの相棒を甦らせるために協力することになる。
ただし前回とは違い、頼もしい相棒とともに。




[34934] 外伝3
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/11/26 22:53
シリカはキリトから受け取った装備品を、宿屋の奥の部屋で装備しなおしていた。
相棒たるピナを失った悲しみは大きい。でも助けることができると聞かされ、彼女は沈んでいた己の心を奮い立たせた。

これから向かう先は最前線に近い四十七層。今の彼女からすれば想像を遥かに超える場所であろう。
最前線の噂は彼女もよく耳にする。軍に所属していることもあり、攻略を目指すプレイヤーと言うのを彼女自身も目にすることがある。

誰もが強そうな装備を身に着けた、シリカよりも五つ以上は年上の男達。どこか身近なプレイヤー達とは違う雰囲気を纏っている。
すぅっと息を吸い、心を落ち着かせるように吐く。

自分もそんな人達と同じような場所へと向かう。怖くないと言えば嘘になる。しかしピナを助けるためならば、その恐怖にも打ち勝つしかない。
それに……

(アスナさんも一緒だし、あの人もいる)

一緒に軍に入り、友人となった年上の女性プレイヤーであるアスナ。彼女の強さをシリカはよく知っている。細剣から放たれる攻撃は、男のプレイヤー達でさえかわすことや防御することができないほどの速さと鋭さを有している。
シリカが知る限りでは、女性の中では最も強いプレイヤーであろう。いや、知り合いの中ではダントツに強いと言える。

二月ほど前、急に会わなければいけない人がいると言って、一人で上層を目指した。シリカやリズは止めたが、それでも彼女の決意は変わらなかった。
それからちょくちょく、メールのやり取りはしていたので、無事であるとは知っていたが。

その彼女がこの世界で一番頼りになると言った男性プレイヤー。
正直、見た限りの印象では強いと思えない。アスナはもとより、知り合いの中層プレイヤーにさえ勝てないのではないかと思える装備と雰囲気だった。
しかしそんなプレイヤーとアスナがコンビを組むはずはないだろうし、頼りになるなどとは決して言わないだろう。

(でも頼ってばかりじゃダメ。私もがんばらなくちゃ!)

決意を新たにシリカは装備を確認し、部屋を出える。

「お待たせしました……って、どうしたんですか?」

シリカが部屋から出ていくと、ずーんと沈んで壁に手を付けているキリトの姿があった。

「えっと、キリト君、リズにいろいろ言われて落ち込んじゃったみたいなの」

疑問に答えたのはアスナだった。

「なによ。私は別に変なことは言ってないわよ」

アスナの言葉にどこか不機嫌そうに呟くリズ。いったい何を言ったのだろうか。

「リズ、キリト君が全然強そうに見えないから、ズバズバといろいろ言ったの。キリト君もあんまり口がうまい方じゃないし、女の子相手に言い返せなくて結局あんな風になっちゃったの」

あんた強いのかとか、本当に二人を守れるのかとか、もし二人にあったらただじゃ置かないからとか。
それだけならキリトもここまで落ち込むことはなかった。
最初の方は絶対に二人は守るとしっかりと答えていたのだが、だんだんと熱くなってきたリズの言葉攻めにキリトの方が先に音を上げた。

元々コミュ障の上、最近はアスナ以外の女性と話しをしていなかったことと、リズの押しの強さと、前の知り合い、それなりに仲の良かった相手にここまで一方的に言われてしまったため、だんだんとメンタルをやられ、結局ずーんと落ち込んでしまった。

「いいよ、いいよ、どうせ俺はビーターだし。どうせ嫌われ者だし。いろいろ言われるのは慣れてるし。見た目もそんなに強そうじゃないし。どうせ女の子みたいな顔だし。背もそんなに高くないし……」

ぶつぶつと小声で何かつぶやいている。聞き耳スキルが高くないと聞き取れないくらいに小声で。
幸いにもこの場にいる人間に彼の呟くが聞こえることはなかった。
以前なら陰口や中傷を受けても、こんな風に落ち込んだりはしなかったのだが、やはりアスナと一緒にいた影響だろうか。それとも以前の知り合いからこんなことを言われたからだろうか。ダメージが思いのほか大きかった。
二ヶ月前の俺はどこに行ったんだ、とキリトは今の自分にため息をつく。

「だ、大丈夫なんですか、キリトさん」

心配そうに言うシリカにアスナは苦笑する。

「あんまり大丈夫じゃないけど、まだ大丈夫かな」

アスナとしてはキリトのこれは落ち込んでいるが、まだ立ち直れる範囲であると判断したから、リズとの会話を見守っていた。
もしキリトが本気で傷つき、トラウマを刺激されたならこんな風にはならず、無言で顔をうつむかせる等の動作をしただろう。

それなりに長い付き合いであるため、アスナはキリトの事をかなり理解していた。まだぶつぶつ小声で言っているレベルは、アスナとしても安心して見ていられる。
と言うより、単純に拗ねている状態である。だからアスナが気合を入れなおせばすぐに立ち直れる。

それにリズも本気でキリトを傷つけるつもりで言ったのではない。ただシリカやアスナを心配しての物で、キリトに対しても大切な友人二人を任せられるか試すような意味もあったのだ。

「はいはい、キリト君もいつまでも落ち込んでないで。シリカちゃんも準備できたから」
「……了解」

アスナに声をかけられ、キリトは何とか立ち直る。

「あ、あのキリトさん。よろしくお願いします」
「あっ、うん。任せておいて。じゃあ行こうか」

頭を下げるシリカに、キリトは気持ちを立ち直らせる。いつまでもへこんでいられない。
そんな状況でもないのだ。
キリトはアスナとシリカを伴い宿を出る。

「本当に二人に何かあったら、承知しないわよ、キリト」
「わかってる。二人は絶対に守るから」
「あんたの命に代えても?」

リズは若干、意地の悪い質問をした。このデスゲームにおいて、皆が平等に命の危険性を持っている。その中でたとえ口約束であろうとも、命に代えてもと言うセリフが出るかどうか。
出た場合は、それが軽口で言っているのかいないのかを推し量るため。出ない場合は、彼が本気で二人を守る気があるのかと問い詰めるため。

「悪いけど命に代えてもって言葉は言えない」
「……そう」

リズはキリトの言葉にどこか落胆した。当然と言えば当然ではあるが、それでもどこかで命を懸けると約束してもらいたいと思っていたのかもしれない。
しかしキリトの言葉には続きがあった。

「約束したから。一緒にこのゲームをクリアしようって。それに俺の命を誰かに背負わせたくないから。代わりに死んで、それで済むならいい。でもそれで生き残ったら、たぶんずっと後悔し続けさせることになると思うから……」

月夜の黒猫団、そしてアスナ。この世界での死を、キリトは何度も見てきた。
守りたかった。守ろうとした。でも守れなかった。
ビーターであっても、二刀流のユニークスキルを持っていても、何一つ、キリトは守り通せなかった。

失って、得て、また失うと言う繰り返し。
もしかしたらまたこの世界でも、アスナを失うのではないか。そんな恐怖にかられる時がある。
決してアスナには言わず、悟られないようにしているが、それでもその恐怖はぬぐい切れない。

その言葉にはどれだけの感情が含まれていたのか。リズはその時のキリトの顔が酷く印象に残った。
自分とそう年の変わらない少年が浮かべる表情。
何かを失い、背負っているかのような表情。その言葉の意味と重さ。

リズはおぼろげながらに気が付く。たぶん、彼はこれまでにこの世界で誰かを失っている。それも彼を庇って死んだのだろう。でなければ、あんな言葉は出てこない。

リズ自身、酷いことを口にしてしまったと後悔した。しかし一度出した言葉をなかったことにはできない。
どう言葉をかけていいのか悩むリズだったが、それを見かねて声をかけたのはアスナだった。

「はい。この話はここまで。リズも心配してくれてありがとう。でも大丈夫。絶対ピナを生き返らせてみんな無事で帰ってくるから」
「アスナ、あんた……」
「キリト君もそんなに思いつめないで」
「………わかってる。ありがとう」

短く言うと、キリトはリズに背を向け、そのまま一人転移門の方へと向かう。

「アスナ、あいつって」
「リズもキリト君を信じてあげて。キリト君はずっと一人でみんなのために戦ってきた。今も、そしてこれからも。そんな彼だから、私は一緒にいるの」
「それってあいつが攻略組ってこと?」
「うん。今度ゆっくり話すから。じゃあシリカちゃん、行こうか。時間もないし、キリト君を待たせても悪いから」

シリカを若干せかしながら、アスナは彼女の背中を押す。

「あっ、はい」
「じゃあ行ってくるから」

未だに何か言いたげなリズだったが、これ以上話をしている時間もないようだ。聞きたいこともまだまだある。二人を心配する気持ちもある。
でも今の自分には信じる事しかできない。リズのレベルでは四十七層に行くことは不可能だ。無理についていけば、それだけでみんなを危険にさらす。

「本当に気を付けてね、アスナ、シリカ。それとあいつに言い過ぎた、ごめんって伝えといて」

リズには見送ることしかできない。祈ることしかできない。そんな彼女にアスナは安心させるように笑顔を送る。

「うん。伝えておくから」

リズに見送られ、アスナとシリカもキリトに遅れないように転移門の方へと向かった。

「あれ? あの人……」

アスナは転移門に向かう際中、転移門付近にキリトとは別のプレイヤーがいるのに気が付いた。
アスナはかつて、一度だけその人物を見たことがあった。いや、あれは見たと言うべきなのだろうか。

あの十九層のフィールドの墓標で、アスナとキリトは本来なら決して見るはずのない、見ることができないはずのプレイヤーの姿見た。すなわち、すでに死んでいる、このゲームから退場したプレイヤーの姿を。

「グリセルダさん!」

シリカがその人物の名前を呼んだ。
ギルド・黄金林檎のリーダーであり、かつての世界において指輪事件と呼ばれる事件で殺された女性プレイヤー・グリセルダ。

「シリカちゃん!」

グリセルダもシリカに気が付いたようで、彼女の名前を呼び、手を振る。

「あっ、アスナさんは初めてですよね? 先日から一緒にフィールドに出ていたギルド・黄金林檎のリーダーのグリセルダさんです」

「初めまして。ギルド・黄金林檎のリーダーをやっているグリセルダです。よろしく」

お互いに近くまでよると、グリセルダは挨拶をする。

「私はアスナって言います。以前は軍にいたんですが、今は抜けて別の人とコンビを組んでいます」

と、アスナも挨拶を返す。アスナは不思議な感じがするなと思った。前の世界ではすでに亡くなっており、言葉を交わすことは決してなかった。

「グリセルダさん、どうしたんですか、こんなところで?」
「ああ、うん。昨日のことでシリカちゃんにもう一度謝りたかったの。私のせいであなたの友達を死なせてしまったから」
「そ、そんな! グリセルダさんは悪くありません!」

聞けば、昨日も何度もうなだれるシリカにグリセルダは謝罪し続けたと言う。自分がもっとしっかりしていれば、ピナを死なせずに済んだと。
昨日はギルドの仲間や軍に対する報告で一時的に、シリカ達と別れていた。本当なら、シリカを慰め、力になってあげたかったが、ギルドのリーダーとしての責任も果たさなければならないのと、昨日のMPKの調査、報告も行わなければならなかったため、今の今まで時間を取られていたのだ。

「いいえ。あの場合は、リーダーである私の責任よ。ごめんなさい」

頭を下げるグリセルダにシリカはおろおろとするばかりだ。

「あの、グリセルダさん。昨日のことはもういいんです。それに私たちはこれからピナを生き返らせに行くんです!」
「え? 生き返らせに?」
「はい!」

シリカの言葉にグリセルダは驚いた顔をする。そこからはアスナは説明を引き継いだ。

「実はですね」

四十七層の思い出の丘の話をする。この話はまだほとんどのプレイヤーは知らない話であった。
当然であろう。まだ四十七層が攻略されてあまり時間は経っていない。攻略組は攻略の終わった階層は、基本的に必要最低限以外は放置する。その後を軍の中層組やその他のギルドが攻略すると言う流れなのだ。

以前の世界でも攻略されてから思い出の丘の情報が出回ったのはずいぶんと後である。
話を聞いていたグリセルダは何かを考える表情を浮かべる。

「アスナさん、だったわね。その情報、どこから仕入れたの? 鼠のアルゴさんから?」

その顔はどこか疑っているかのようだった。MPKを受けた後だからだろうか。またはシリカを最前線近くに連れて行こうとするからなのだろうか。

「違います。でも信頼できる情報です」

グリセルダの目を見ながら、アスナははっきりと言う。

「そう。でも場所は最前線に近いのよね? シリカちゃんを守りながら、そのアイテムを手に入れられるの?」
「はい。それに私だけじゃなくてコンビを組んでいる人もいますから」
「コンビを組んでる人って、……彼?」

視線の先にはキリトがいた。だが彼は何かを警戒しているかのような顔をしている。
何かスキルでも発動させているのだろうか。おそらくは索敵スキル。今のキリトの索敵スキルはコンプリート一歩手前だ。もうすぐコンプリートすると本人は言っていたが。

「はい。あっ、見た目は強そうに見えないかもしれませんが、頼りにはなりますよ!」

先にアスナはキリトのフォローを行う。見た目はそんなに強そうには見えないから、グリセルダも心配するかもしれないからだ。

「………彼、強いわね」
「え?」

グリセルダの言葉に、逆にアスナの方が驚いた。

「うーん、なんとなくだけど。見た目も装備もそんなに強そうにはみえない……」
けど、とグリセルダは続ける。

「だからなのかな。あんな装備でこの階層にいる。そしてこれから最前線近くまで行こうとしている。なのに焦ってもいない。すごく落ち着いてる。それってよっぽど自信があるってことよね」

でなければただの愚か者である。しかしHPがゼロになれば死んでしまうこデスゲームで、そんなことをするプレイヤーなど要るはずがない。
だから逆にそれこそが彼が強いと言うことの証明になると、彼女は言う。

(すごいな、この人。ヨルコさん達が言ってた通りだ)

以前に聞いたグリセルダと言う女性プレイヤーの評価。仲間内の身内贔屓な言葉もあっただろうが、こうして話をしてみると、それが事実であったのだと思い知る。
彼女がもし生きていれば、いつの日にか攻略組として一緒に戦った可能性が高い。
ディアベルといい、グリセルダといい、なぜ前の世界では惜しい人ばかりが死んでいくのか。

「・・・・・・・・・ねぇ、私も一緒に行ってもいいかしら?」

不意にグリセルダはアスナにそう切り出した。

「グリセルダさん?」
「私の今のレベルは四十七。安全マージンは足りないけど、邪魔にはならないつもりよ」

アスナはグリセルダの言葉を聞き、考え込む。リズよりもレベルが上だ。
安全マージンが足りないとは言え、レベル四十七ならば転移結晶さえ持っていてもらえれば、大事には至らないはずだ。
四十七層にはトラップエリアは無い。結晶無効化空間も存在しない。
それにキリトに聞いた話では極端にレベルの高いモンスターは存在しないらしい。
だがそれでも万が一と言うこともある。
ゆえにアスナは断ろうとした。

「じゃあ一緒に行きますか」

横合いから、アスナの近くにまで移動していたキリトが先に返事を述べた。

「キリト君?」
「レベルが四十七なら転移結晶があれば何とかなる。戦闘も俺が担当するから。アスナは二人の護衛を頼む。それにもしMPKに遭遇しても俺とアスナなら十分に対処できるし、二人には隙を見て離脱してもらおう。シリカもグリセルダさんが一緒なら離脱しやすいだろうし」

もしソロの場合、あるいは結晶が無い場合、迷いの森や結晶無効化エリアの場合は、さすがにキリトもこんな事は言えなかったが、このメンバーでトラップエリアも無いのであれば問題ないと判断した。

(それに、少し確認したい事もあるから)

小声で、アスナに話しかける。何か考えがあるのだろうと思い、アスナもわかったと返す。

「ありがとう。でもあなたばかりに任せるのは悪いわ」
「俺は別に気にしない、って言うよりも俺一人に任せてもらったほうが気が楽なんで」
「ずいぶんな自信ね。・・・・・・・わかったわ。こちらも無理を言って同行させてもらうのだから、あなたに従うわ」
「どうも」
「あっ、その前にギルドのみんなにメールを送ってもいいかしら?」
「もちろん。詳細も伝えた方がいいな」
「さすがに四十七層に行くって言ったら、みんなに止められるわ」
「それもそうか。じゃあままシリカの使い魔を生き返らせるアイテムがあるから、それを取りに行く程度でいいか」

キリトの言葉にアスナは違和感を覚えた。

(何か、考えがあるのかな?)

アスナが考え事をしている間にも、キリトとグリセルダは会話を続け、メッセージの内容について話をしている。
そしてメッセージを送り終えたのを確認すると、キリトは転移門を起動させる。

「じゃあ行こう。目的の場所は第四十七層フローリア!」

キリトは転移門を起動させるため、行き先の場所を告げた。
こうして奇妙な四人組のパーティーが組まれる事になった。



「うわぁっ!」

フローリアに転移した直後、シリカは歓声を上げた。アスナも同じように歓声を上げ、その光景に見入っている。
一面に広がる色とりどりの花々。煉瓦で囲まれた巨大な花壇。名も知れぬ草花が咲き乱れ、この場所に訪れたプレイヤー達を歓待しているかのようだった。

「この層は通称フラワーガーデンって呼ばれてて、街だけじゃなくこのフロア全体が花だらけなんだ」

キリトは花々に見入っているシリカやアスナにここの説明をする。アスナはここの事を知ってはいたが、実際に来るのは初めてだった。

(綺麗。二十二層とは違う意味で凄いな・・・・・・・)

チラリとアスナはキリトの方に視線を向ける。その先ではシリカに質問をされ、それに答えているキリトがいた。傍から見れば仲のいい兄妹に見えなくも無い。

(ううっ、なんだか羨ましいな。はぁ、どうせなら二人で来たかったな)

と、心の中で愚痴る。以前聞いた話ではここはカップルに人気のスポットで、この世界では中々成立しない恋人同士の憩いの場として活用されていたらしい。
アスナもキリトと一緒に来たいと以前から思っていたが、中々来る機会が無かった。
今回はシリカの件もあり、緊急事態であったためこの層に来たのだが、これが終わり落ち着いたら今度は二人きりで来ようとアスナは心に決めた。

「いいわね、こう言うところ……」

アスナの近くで花々を鑑賞していたグリセルダが不意に言葉を漏らした。

「そうですね。なんだか心が落ち着くと言うか、なごむと言うか」
「本当ね。うちのギルドのみんなにも見せてあげたいな」
「もう少し攻略が進んでレベルが上がってくれば、すぐにでも来れますよ」
「ええ、早くそうなって欲しいわ」

アスナとグリセルダはお互いにたわいのない会話を続ける。

「あの、グリセルダさんって、結婚されてるんですか?」

不意にアスナは彼女へとこう切り出した。

「え、ええ。あっ、この指輪ね? うん、うちのギルドのサブリーダーが私の旦那様」

にこにこと嬉しそうにグリセルダは語る。しかし圏内事件を知るアスナは、どうしても彼女の夫であるグリムロックに対して不信感と不快感しか出てこない。

「その、結婚までされるにはよっぽど好きなんですね、その人のこと」
「それはもちろん。だって私の旦那様だもの」

自慢げに語るグリセルダに、アスナはどうすればいいのか悩んだ。
もしかすれば彼女の言うとおり、グリムロックはこのSAOに囚われるまでは良き旦那だったのかもしれない。
それがこのデスゲームに囚われ、死への恐怖で心を病み、変わっていく妻と変わることができない自分とを比較し、さらに心を壊していったのだろう。

そして彼女に捨てられるかもしれないと言う脅迫概念にかられ、あんな凶行に彼を突き動かしたのかもしれない。
彼がしたことは確かに許されないことだ。いかなる理由があっても、愛した人を裏切り殺すことはあってはならない。
それでもこのデスゲームに囚われさえしなければ、彼らは円満な夫婦でいられたのかもしれない。

かつてアスナはグリムロックに愛ではなく所有欲と言った。人を愛することを知った今だからこそ、余計に許せない。
でも少しだけ、彼の気持ちがわかる自分もいる。自らの我欲のために人を殺すなんてことにはもちろん共感などしない。むしろ怒りしか出てこない。
しかしあの時、グリムロックが言った言葉。

『愛情を手に入れ、それが失われようとした時……』

もし、もしもだ。キリトに別れを告げられたら……。
愛していると言う気持ちが、彼と別れたくない、ずっと一緒にいたいと言う気持ちが、グリムロックのように所有欲になってしまうのではないか。
怖くなる。恐ろしくなる。決して、絶対にない、なんてアスナには言い切れない。

もちろん、自分はこれからもずっと彼を愛し続ける。ずっと彼の隣にいる。
でも彼は、本当にずっと自分を想ってくれるのだろうか。ずっと自分の隣にいてくれるのだろうか……。
グリムロックもそう考えたのだろう。変われない、弱い己とグリセルダを比べてしまった。

誰にも相談できず、己のうちに抱えることしかできず、デスゲームと言う異常な非日常が彼の理性を壊し、彼の感情を狂わせ、最悪の行動を起こさせたのだろう。
グリムロックも最初からグリセルダ―――ユウコに対して愛ではなく所有欲で接していたのではないだろう。

聡明と感じられる彼女が、それを見抜けないはずがない。それとも恋は盲目と言う言葉のとおり、お互いがお互いに見えていなかったのだろうか。
あの墓地で見たグリセルダの姿をもう一度思い出す。彼女は自分を死に追いやったグリムロックを恨んでいたのだろうか。

信じられないことだが、あの時見たグリセルダはどこまでも穏やかだった。グリムロックのしたことに憤りは感じていたかもしれない。
でも決して恨んではいなかったのではないか。あのヨルコへの助言もすべてを白日の下へさらす為。仇を取ってほしいからなどではなかったのではないか。

もしかすれば、彼女はあんなことがあっても、グリムロックを愛していたのではないのか。そう思えてしまう。
アスナには殺されたグリセルダが、その後のグリムロックをどう思っていたのかを知ることはできない。

また今、どうすることが一番いいのかもわからない。
一度グリムロックに会い、問い詰めるか。
いや、自分の知るグリムロックなら問い詰めたところで口を割らないだろう。そもそもこの世界では殺人の依頼など出していないはずだ。

この世界にラフィン・コフィンはすでになく、彼らのような殺人を請け負うような危険なレッドギルドは存在しない。
犯罪者の集まりであるオレンジギルドはこの世界でも多数あるし、中にはMPKを行う連中もいるそうだが、ラフィン・コフィンのように直接手を下すほどの過激なギルドは、今のところ確認されていない。

(えっ、でも昨日はMPKに会ったのよね……。それってまさか)

アスナの脳裏に嫌な予想が浮かぶ。直接殺人を請け負うギルドはいないが、MPKを行う者は存在する。
ならば昨日の一件は、グリムロックがグリセルダを殺そうとして起こしたことなのではないか。

圏内事件を知っているだけに、疑惑は深まるばかりだ。圏内事件では口封じにシュミット、カインズ、ヨルコの三人をラフィン・コフィンに殺させようとした。
ならば今回も彼が仕組んだことではないのか?

(……証拠は何一つないし、これは私の憶測でしかない。指輪事件と圏内事件を知っているから浮かぶ妄想って言う事もできる。でももし、これがこの世界での指輪事件と圏内事件なら……)

グリセルダは殺される可能性がある。ピナを助けることができても、もしグリセルダを狙った事件だったのならば、これはまだ終わらない。

(どうしよう……。私、この事件を甘く考えてた)

何かいい方法はないか、アスナは心の中で考えを巡らせる。

「おーい、そろそろ行こうか、アスナ! グリセルダさん!」
「ええ! わかったわ! じゃあ行きましょうか」

キリトに呼ばれ、返事をするグリセルダ。
アスナは考えを中断せざるを得なかった。胸中には彼女を助けたいと言う思いが広がる。
何とかして彼女を助けなければ……。

(絶対に、この世界ではあなたを死なせたりしません)

アスナは決意を胸に、グリセルダの後ろを歩く。
彼らは向かう。ピナを甦らせるアイテムが存在する場所へ。




それからしばらくのち、四人が広場から離れた後、一人の男が転移門から姿を現す。
男は周囲を見渡し、誰もいないことを確認するとメッセージを飛ばした。
さらに数分後、転移門からぞろぞろと大勢のプレイヤーが姿を現した。

「ふぅん。ここがそうなの。思ったよりも綺麗な場所ね」

その中の一人、真っ赤な髪と赤い口紅を塗った、黒いレザーコートを着た女性プレイヤーが感想を口にする。

「本当にこんなところにレアアイテムがあるんですかね、ロザリアさん?」
「さあね~。でもあるならそれを頂けばいいだけ。まだ攻略されてそんなに経ってない階層のアイテムなら、それだけで高値になるし」
「でも大丈夫なんですか? こんな階層にくるなんて、よっぽどレベルが高いプレイヤーですよ。それにいくら俺らでもこの階層のフィールドに出るのはちょっと……」

仲間の一人がロザリアと呼ばれた女性に尋ねた。

「馬鹿。心配するんじゃないの。何もフィールドの奥にまで行くつもりはないわよ。あくまで圏内と圏外の境目で仕掛けるの。それなら今のアタシらのレベルでも十分よ」

彼らのレベルはあくまで中層レベルであり、この階層のフィールドに出るのは自殺行為だが、境目ならば問題なかった。

「それに相手は四人組でもうち二人は中層プレイヤー。そのうちの片方はまだガキじゃない。そいつを人質にとればほかの三人も動けないし、麻痺毒のナイフだって用意してきたのよ。あたしが話しかけて油断させる」

ロザリアとて無策で挑むつもりはない。上層プレイヤーかもしれないのだ。甘く見ていればこちらが痛い目を見る。

まあその黒髪の男の方はあまり強くなさそうだが。

「で、あとは囲って全員でかかればすぐに済むわよ。そいつらをフィールドに放置してモンスターを引き寄せて終わり。死亡原因からもアタシ達が殺人者って言われる心配もない。これで依頼も終了。で、アタシ達はお金をもらって、連中からレアアイテムをたんまり奪って大儲けよ」
「さすがロザリアさん!」
「ははは、頭を使うのよ、頭を!」

オレンジギルド・タイタンズハンド。
中層を拠点に活動している犯罪者ギルドである。

「けど転移門からどこへ行こうとしてるのかと思ったら、四十七層だったとわね」
「本当ですよ、ロザリアさん。あの女の後をつけてたら、まさかこんなところに来るとは。あの弱そうな剣士が場所を言ってくれたから、どこに行くかはわかったんですけどね。まあ俺の聞き耳スキルがあればこそ、聞こえたんですけどね! ここ重要ですよ、ロザリアさん!」
「ああ、はいはい。あんたは役に立ってるから」
「じゃあ今回の報酬は多い目で!」
「考えておくよ。じゃあお前たち、準備しな! もう一つの依頼の方もきっちりこなすよ!」
「「「「「「おおっ!!!!!」」」」」

タイタンズハンドのメンバーはそれぞれに武器を持ち、広場からフィールドへと向かうのだった。





[34934] 外伝4(New)
Name: 陰陽師◆c99ced91 ID:e383b2ec
Date: 2012/12/10 22:18

「よっ! はっ! ほっ!」

四十七層のフィールドにおいて、現在キリトは 絶賛無双中であった。
防具等は前線装備とは言えないが、武器自体は良い物を使っている。二刀流でない物の、それでもキリトのレベルを考えれば、この程度のフィールドは余裕であった。

エンカウントする不気味な草や花型モンスターをバッサバッサと切り捨てている。ほとんど一撃で倒すその姿に、シリカもグリセルダも唖然としている。
唯一アスナだけは二人の様子を眺めながら、苦笑いをしている。

「キ、キリトさんってすごく強いんですね」

四十七層のモンスターをものともせずにあっさりと倒していくキリトに、シリカは驚きの表情とともにアスナに告げる。

「うーん。キリト君の場合はほとんど病気だからね。あっ、次は群れで来た」

次は五匹ほどのモンスターが団体でやってきた。
しかし数秒後には、キリトによって完全に殲滅されていた。

「強いって思ってたあけど、まさかここまでなんて……」

グリセルダもシリカと同じように驚きを隠せないでいた。
いくら安全マージンを十分にとっていても、ほとんど一撃でフィールドモンスターを蹴散らすなど、普通なら無理だ。
ここは最前線に近い前線だ。攻略されて時間のたった低層ならともかく、ここでこれほどまでの無双を行えるプレイヤーなど、攻略組以外に考えられない。
グリセルダはじっとキリトを見ながら、何かを考え、そしてハッとなる。

「ねえ、アスナさん。彼、キリト君って、言ったわよね?」

何かを確かめるように、グリセルダはアスナに尋ねる。その意図にアスナは当然気づく。

「はい。でも心配いりません。キリト君はキリト君です。それ以上でもそれ以下でもありません」

まっすぐにグリセルダを見るアスナに、彼女も何も言わず見つめ返す。シリカだけは、その意図に気が付いていないのか、不思議そうな顔をしている。

「………そう。わかったわ。ごめんなさい、変なこと聞いて」
「いえ、構いません」

この話題に関しては、ここまでとグリセルダは切り上げる。アスナは内心でほっとした。キリトのビーターと言う悪名は大きい。
たまたまリズもシリカも気付かなかったが、グリセルダは名前とキリトの強さでその正体に気が付いた。
おそらくは今、グリセルダは様々なことを考えているだろう。
何故キリトがここにいるのか。アスナとコンビを組んでいるのかなどなど、疑問は尽きないはずだ。
仮に自分がグリセルダの立場でも、同じ風に考えてしまうだろう。

「……キリト君、本当はすごく優しいんです」

だからだろう。独白にも似た言葉が漏れる。

「優しいから、無理して全部自分一人で抱え込んで、そのくせ悪いことは全部自分のせいにして」

この世界でもう一度やり直す時も、再会した時も、キリトは一人で孤独に戦っていた。もっと違うやり方はあったはずだ。
わざわざ、自分からビーターを名乗らずとも、名乗ったとしても、みんなと協力し、協調していけば、孤独になどならずには済んだはずだ。
だがキリトはあえて自らを追い込んだ。自分の罪であるかのように、罰であるかのように。

「ずっとみんなのために頑張ってきて、今もシリカちゃんのために頑張ってます」

戦闘に関しては病気と言うか趣味と言うか、本人が好きでやっているけど、とアスナは苦笑しながら言う。
無双をするキリトはどこか生き生きとしている。ゲーマーとしては、難易度の低すぎるゲームはつまらないだろうが、たまには無双したい時もある。今のキリトがまさにそれであろう。息抜きの意味も当然あるだろうが。

「そんなキリト君だから、私は支えてあげたい。一緒にいてあげたい……。あっ、ちょっと違うかな。私がずっと一緒にいたいって言うのが正しいです」
「好きなのね、彼の事」
「はい。この世界の誰よりも、キリト君の事が好きです。私がナーヴギアをかぶったのは、この世界に来たのは、キリト君に会うためだったんだなって思くらいに」

表情を和らげながら問いかけるグリセルダに、アスナも満面の笑みを浮かべながら答える。
同じ女同士、さらには好きな男がいる人間であるため、お互いの気持ちがよくわかったのだろう。
しかしアスナとしては複雑であった。グリムロックの件をどうすればいいのか、今の彼女ではいい案が浮かばない。キリトと相談したいところではあるが、グリセルダがいる場所では、あまり話せる内容ではない。

「そう。素敵な人なのね、彼」
「はい!」

まるで我がことのように語るアスナにグリセルダも優しい笑みを浮かべる。
と、いつの間にかモンスターを撃破したキリトが三人の所に戻ってきた。

「お疲れ、キリト君」
「ん。まあこのくらいは、な」

キリトとしてもまったく疲れていない。そもそも現在のレベルが八十を超えているのだ。前線の四十七層と言っても、キリトにとってみれば本当にお遊びでしかない。
それはアスナにも言えることだが。
どこかほくほく顔のキリト。ストレスの発散にもなったのだろう。

「変わろうか?」
「いや、いいよ別に。疲れてもないし。このまま一気に行こう」

どこか楽しそうなキリトにアスナはホッとする。どうやらリズに言われたことをあまり引きずってはいないようだ。
四人は全く問題なままフィールドを進む。

「ねぇ、そう言えばキリト君はどうして今回、シリカちゃんの事を手助けしようと思ったの?」

不意に、グリセルダがそんなことを尋ねた。彼女としてはシリカとアスナが知り合いであることは聞かされたし、そのアスナとコンビを組んでいるキリトが彼女の友人を助けるのも理解できるが、一応理由を聞いておきたかった。
先ほどのアスナの言葉で彼が良い人であることは分かった。

「あっ、それは私も聞きたいかな」

アスナもグリセルダの言葉に乗り、キリトに尋ねる。アスナの場合は、前回もシリカを助けたと言うこともあり、素朴に疑問に思ったのだ。

「困ってる人を見捨てられないから、とか?」

悪戯っぽく聞くグリセルダに、シリカも興味津々な顔をしている。
しかしその言葉にキリトは何とも言えない顔をした。
キリトとしては自分がそこまでお人よしであるとは思っていない。確かにビーターとして名乗りを上げた後、様々な情報やアイテムをほかのプレイヤーに流しているが、別段それは善意などではない。

ただ茅場晶彦の思惑通りになるのが嫌だったから、前回と同じ展開になるのが許せなかったからに過ぎない。
誰かのために、困っている人のためになんて言葉は使えなかった。もし困っている人間を見捨てられないような高尚な人間ならば、最初の時、クラインをはじめ、一般プレイヤーを置き去りにして、一人でレベル上げをしようなどしなかったはずだ。

そんなキリトの心情を察したのか、それとも不味いことを聞いたと思ったのか、グリセルダは慌てて、自らの言葉を謝罪する。

「ごめんなさい。少し嫌なことを聞いたかしら?」

グリセルダとしては、話題を広げようとして話したことだったのだが、逆にそれがキリトに嫌な思いをさせたと感じた。

「あっ、いや、そんなことはないかな。たださっきみたいに困ってる人のためって言うほど、高尚な理由じゃない。アスナの知り合いって言う理由はあるけど……」
「ごめんね、キリト君。その、言いたくないならいいよ、別に」

と、ガシガシと髪をかく。あまり言いたくなさそうなキリトの姿にアスナも同じように謝罪する。

「あっ、違うって。別に気分を害したわけでもやましい理由って言うわけでもないんだけど……」

なおも言いにくそうなキリトに三人は不思議そうな顔をする。

「ああ、もう。なんか雰囲気暗くなったから言うけど、絶対に笑うなよ?」

と、前置きしながら、キリトは少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。
その後も絶対に、絶対だからな、と前置きする。

「その、シリカが……妹に似てたから」

キリトの言葉にシリカは思わず吹き出し、慌てて口元を手で覆った。アスナもグリセルダもほんの少しだけ笑った。

「わ、笑うなって言ったのに! だから言うのが嫌だったんだよ」

前回もシリカに笑われたし、マンガじゃないんだから、こんな理由ないよなとかぶつぶつと呟く。
でもアスナもグリセルダさんも笑わなくてもいいのに、と恨めしそうに呟く。

「ごめんごめん、キリト君。機嫌直して」
「いいよ、別に。どうせ笑われるって思ってたし」

どこか拗ねた口調のキリトにアスナは腕をからめ、どこか楽しそうに謝罪する。

「本当にいい子みたいね。それにしても仲がいいわね、二人とも」
「そうですね。キリトさんの妹に似てるのか……。なんだかうれしいです」
「あら? お兄ちゃんが欲しくなった? でも彼女、手ごわそうよ」

シリカの言葉に冗談めかしながら、グリセルダが言うとシリカもうぅーと嘆く。

「その、アスナさん、すごく美人で強いですから。それになんだかお似合いって言うか」

二人の前を歩くキリトとアスナの姿はどこか自然だった。まるで長年連れ添った夫婦のように。

「シリカちゃんにもきっといい人が見つかるわよ」
「……はい!」

グリセルダの言葉にシリカは同意し、キリトに謝るべく、歩みを進め前を歩く二人に合流する。
その姿はどこか仲のいい、兄妹、姉妹のようにグリセルダは見えた。
そしてその後、無事に彼らはプネウマの花を入手することに成功した。

「これでピナを生き返らせることができるんですね」
「ああ、心アイテムにその花の中に溜まっている雫を振り掛ければいい。でもここはモンスターもまだ出るし、街に戻ってからの方がいい」
「転移結晶を使う? その方が早いけど?」
「……いや、別に帰るだけなら危険はそうないから、逆にもったいない。またモンスターは俺が引き受けるから」
「むぅ。少しは私も手伝うのに……」

アスナとしてはキリトにばかり負担を懸けさせたくないと言う思いからだったが、逆にキリトはそれをやんわりと断る。

「アスナは二人の護衛をしててくれればいいよ。それにこう言うのは男の仕事」
「男の仕事も何もないような気がするけど……。結構楽しんでるでしょ?」
「あっ、バレた?」

アスナの言葉にキリトは苦笑する。最近はレベル上げばかりで、こう言うちょっとした息抜きができなかった。
たまには何も考えず無双したいと思うのは、ゲーマーであり男であるならば当然である。アスナもそれがわかっているだけにあまり強くは言えないが、自分も少しはやってみたいと思う。どうにもずいぶんとアスナ自身もゲームに毒されているようだ。

あとキリトとしてはもう一つだけ理由があった。それは前回のシリカの惨事だ。別に命の危険はなかったが、少しエッチな攻撃を受けていた。
アスナがあんな目に合うとは思えないが、それでも心配である。美少女が触手にさらされたり、唾液をかけられるなど見たいようで見たくない。
いや、男としてみたいと言う気持ちが決してないわけではないが、それでもアスナをそんな目にあわすことはできない。

「だからアスナは休んでてくれ」
「もう、仕方がないな」

アスナも諦め気味に言うと、四人は来た道をまっすぐ戻る。その間は、たわいもない談笑を続けるが、街に近づくとキリトの歩みが止まった。

「キリト君?」

アスナも不思議そうな顔をする。だがキリトの表情は険しい。ただ事ではないと感じたのだろう。アスナもグリセルダも表情を引き締める。

「そこにいる奴ら。隠れてないで出てこいよ」

キリトが低く声を発する。数秒後、周囲からぞろぞろと十人以上のプレイヤーが姿を現した。
その先頭には細身の十字槍を携えた女性プレイヤーがいる。

「へぇ。アタシのハイディングを見破るなんてね。と言うか、こいつらのせいかね」
「姐さん、それは酷いですぜ。俺らと姐さんじゃ、全然熟練度が違うんですから」

女性プレーヤー・ロザリアの言葉に、ほかのプレイヤーが反論する。

「まあどうでもいいよ。じゃあさっそくだけど、あんたらのゲットしたレアアイテムを置いていきな」

いきなりの言葉にシリカは表情をこわばらせる。目の前の女性は一体何を言っているのだろうか。

「オレンジギルド・タイタンズハンド。そのリーダーのロザリアさんか」

キリトが発した言葉にロザリアを含め、全員が驚きの表情を浮かべた。

「……さあ、何のことだい?」
「とぼけても無駄だ。あんたがオレンジギルドの所属ってのは調べがついてる。そして後ろの連中も」
「えっ、でもここにいるのは全員グリーンカーソルですよ!?」

シリカの言うとおり、ロザリアのカーソルはグリーンだった。ロザリアだけではない。ほかの全員もグリーンだ。

「オレンジギルドと言っても全員が犯罪者カラーってわけじゃない。グリーンメンバーが街で獲物を見繕い、パーティーに紛れて待ち伏せポイントに誘導する。ほかにも情報収集や物品の売買や入手で街に入る必要があるから、大半のオレンジギルドはグリーンを半数近く残してる。それに今はカルマ回復イベントの情報も出回っているから、グリーンに戻るのも面倒だけど、不可能じゃない」

それにと、キリトは付け加える。

「タイタンズハンドの構成員数はそれなりに多い。俺が聞いた話じゃ、三十人以上らしい」

すらすらと語るキリト。情報源はもちろんアルゴだ。キリトは前もって、アルゴにメッセージを飛ばし、タイタンズハンドの情報を得ていた。
前の記憶では十人前後のギルドだったが、この世界では三倍以上にも膨れ上がっていた。

理由はラフィンコフィンの壊滅と軍の巨大化故だ。
ラフィンコフィンの壊滅で、彼らに追随しようとしたプレイヤーが行き場を無くした。さらに軍の治安維持部隊の影響で、少数の犯罪者はことごとく取りしまわれた。
ゆえに犯罪者グループはまとまり大きくなる必要があった。それでもギルドとして表に出続けるわけにはいかない。オレンジカーソルならば、即座に軍に取りしまわれる。

だからこそ、今の犯罪者ギルドは何とかカーソルをグリーンに戻そうとカルマ回復イベントを繰り返す。
そのままおとなしくしていれば良いようなものだが、一度堕落し道を踏み外した人間と言うのは、中々正道に戻ることはできない。
圧倒的な力で他者を虐げる楽しみを知ってしまったからだ。

「主な犯罪はレアアイテムの強奪と他プレイヤーへの襲撃。噂ではMPKまで仕掛けてるって話だ」

アスナはその言葉にハッとする。MPK、と言うことは先日の一件も。グリセルダもそれに気が付いたのか、さらにきつくロザリアを睨みつける。

「……この間の三十五層でグリセルダさん達のパーティーをMPKしたのは、あんたたちだろ?」

キリトの言葉にロザリアを含め、誰も何も言わない。ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるだけだ。
当然、彼らは肯定などしない。当たり前だ。誰が自分の犯罪を告白すると言うのだ。代わりに否定もしない。しかし沈黙は時として雄弁に物事を語る。

「前線のこのエリアに来るにはオレンジじゃ普通に上ってくるか回廊結晶を使う位しか方法はない。でもグリーンなら、普通に来ることができる。だからこそ、このメンバーか」

タイタンズハンドでもグリーンのメンバーで、それなりにレベルが高いメンバーをそろえてきたらしい。
確かに数と言うのは力だ。四対十五では確かに向こうが有利。シリカの事を考えれば、実質三人で相手をしなければならない。

「いい手だな。そっちは全員グリーンだから、こっちから下手に手を出せない。麻痺毒を使えばさらにやりやすいだろうな」

「へぇ、そこまで分かってるんだったら話は早いね。大人しくしな。あと、転移結晶を使うんじゃないよ。逃げてもいいけど、その場合、あたしらがどこまでもあんたらを追っていくから」

ロザリアの言葉にシリカは小さな悲鳴を上げる。嫌なやり方である。確かに軍の庇護下にあるシリカや、中層プレイヤーの中では上位クラスのグリセルダにタイタンズハンドが手を出すことは難しいが、決して不可能ではない。
それに彼らにはまだ仲間がいる。この場を切り抜けたところで、その仲間が襲ってこないと言う保証はない。

現実世界において、やくざなどがよく使う手ではある。この世界で軍が機能しているとはいえ、人を完全に守りきるのは難しい。それにタイタンズハンドの構成員も全員を把握しきれていないのだ。

だがそんな中、キリトは一人、ゆっくりと前に出る。その手には片手剣が握られている。

「あっ? 一番弱そうな奴から出てきたね」

嘲笑うようにロザリアが言うと、周りの連中もつられて笑う。
しかしキリトの顔は、目は笑っていない。先ほどまでの表情が消え、どこか怒気をはらんでいる。
さらに彼はカーソルを操作する。直後、彼の装備が変化する。彼の上着が消失し、代わりに漆黒のロングコートがその身を包み込む。そしてオプションである眼鏡も外す。
さらにもう一度カーソルを操作。今度は逆の手に剣がもう一本握られた。
その変化にロザリア達は戸惑うが、すぐに気を引き締めなおす。

「ビビるんじゃないよ! ただ剣を二本持って服が変化しただけじゃないか! 麻痺毒のナイフでやっちまいな!」

剣を二本持つことは可能でも、それではソードスキルもまともに使えない。ただのはったりだとロザリアは叫ぶ。

「それにこっちはグリーンだ! 相手の方からは絶対に手は出せないよ!」

ロザリアの言葉に仲間の数人がキリトに襲い掛かる。それにはさすがのグリセルダも動こうとしたが、手でアスナが制する。

「アスナさん!?」
「大丈夫ですよ」

アスナも表情を硬くしているが、まったく焦ってはいなかった。

「キリトさん!」

シリカが叫んだ。彼女はキリトがやられる未来を想像したのだろう。
三人の男がキリトに襲い掛かる。仕留められる。男達はそう考えた。
しかし彼らの攻撃は当らない。逆にキリトは剣を振るい、相手の毒ナイフに攻撃を当てる。一人の武器が粉々に破壊された。

『武器破壊(アームブラスト)』

キリトが取得したシステム外スキル。対人戦用にさらに磨きをかけたスキルである。
いかにプレイヤーとて体術スキルを取得していなければ、武器がない状態では何もできない。武器の数も限られている。
ゆえに武器破壊。本来なら、ここで全員ライフを削ってもいいが、アスナやシリカ、グリセルダの見ている前でするのは気が引ける。

回廊結晶でもあればよかったが、あいにくとあれは未だに入手できていない。だからこそ、キリトのやり方は限られてくる。
目標は相手の持つ武器。今のキリトは強すぎる。オレンジ相手でも直接攻撃しようものなら、一気にライフを削ってしまう。

特に相手が中層プレイヤーなら一撃でもまともに入れば、おそらくは殺してしまう。
できる限り、キリトは殺しをしたくない。アスナのいない時ならばともかく、彼女の悲しむ顔を見たくはなかった。
だからこそ相手を無力化する方法はこれしかない。

何が起こったのか、ロザリアを含め全員が理解できなかった。突然の黒い疾風を思わせる攻撃。
次々に破壊されていく武器。破壊できなかった物は、例外なく弾き飛ばされていく。タイタンズハンドの全員が動けなかった。
全員の武器が破壊、あるいは弾き飛ばされた後、キリトはタイタンズハンドを睨みつける。

「これで終わりか?」

その言葉に全員が我に返る。

「お、おい。さっきあいつキリトとか言わなかったか?」
「それに黒い服って、まさかあのビーターの黒の剣士!?」

一人がシリカが呼んだ名前を思い出し口に出すと、それは瞬く間にタイタンズハンドに広がっていく。

「う、うそだろ!? なんでそんな奴がこんなところにいるんだよ!?」

ビーター・黒の剣士の悪名はオレンジギルドの方にこそ、影響力が強い。ラフィンコフィンの殲滅の噂もあり、オレンジギルドの間ではその名と存在は危険視されていた。

「は、はったりだ! ただ真似てるだけだ! 名前を偽っているだけだ!」
「で、でもさっきの動きと言い、こっちの武器を破壊するなんて普通の奴ができるはずがない!」

動揺が走る。ロザリアもその言葉にわなわなと震えている。

「……久しぶりに聞くな、その名も。ああ、そうだ。俺がビーター・黒の剣士キリトだ。で、それがわかったんなら、俺がこれからすることもわかってるだろ?」

二本の剣をゆっくりと構えながら、キリトはどすの利いた声で告げる。
全員が蒼白となる。二刀流にまで頭が回っていない。なんでキリトがこんなところにいるかなんてどうでもいい。ただ自分達の未来が見えてしまっていた。
すなわち……。

「う、うわぁぁぁっ!!!」

一人が叫びとともに逃げ出した。それに伴い仲間たちも我先にと逃げ始めた。

「お、おい! お前たち!?」

ロザリアは逃げ出した仲間達を引き留めようとするが、誰もロザリアの言葉など聞いていない。
ロザリア自身、このままではまずいと思い転移結晶を使い逃げようとするが、キリトはそれを許さなかった。

「!?」

気が付いた時には、キリトはすでに彼女の目の前にいた。片方の剣を放し、ロザリアの左手をつかむ。逃げられなくするため、転移結晶を使わせないためでもある。

「ひっ!?」

キリトの顔を見る。ビーターと認識した後のキリトに対して、ロザリアは恐怖を抱く。また今のキリトの表情は明らかに怒りをはらんでいた。
首筋に近づけられる剣。殺されると、ロザリアは思った。
噂に聞くビーター・黒の剣士ならば躊躇なく自分を殺すであろう。

「このまますぐに殺してもいいが、聞きたいことがある。正直に答えろ。さもないと……」

蛇に睨まれたとはまさにこのことだろうか。彼の目が語る。こいつは本当にほかのプレイヤーを殺している。なぜか、そう確信できる。
だからロザリアは懇願することしかできない。

「お、お願いだよ。こ、殺さないで……」
「俺の質問に正直に答えればな。まずは……」

キリトは次々にロザリアに質問をする。彼女たちの拠点、メンバーの数、名前など。
そしてMPKの件に関して。
あらかたの情報を聞き終えたキリトは、ロザリアを解放する。彼女の方は恐怖で放心しているようで、逃げ出そうともしない。

キリトは即座に聞き出した情報をメッセージとして送信する。あて先は軍。
彼は以前から、軍のシンカーと少ないながらも連絡を取り合っていた。オレンジの情報や危険な迷宮区の情報をアルゴ以外にも渡して、広く知らしめるようにしていた。
特に結晶無効化エリアの情報は、早く、そして多くのプレイヤーに伝える必要があった。

軍もその手の事に関しては、それなりに早く行動してくれた。
もしシンカーが現実世界でMMOトゥデイと言うサイトの管理人をしておらず、情報を独占するような相手ならば、キリトも情報を回したりはしない。
しかし今のところ、シンカーはその理念通り、情報を大々的に広めてくれている。今回のオレンジギルドの件も伝えれば、裏付け情報を取った後にでも彼らを捕縛するだろう。

メンバーの名前も割れているし、リーダーであるロザリアの身柄は確保した。幹部クラスの情報もあるので、仮に逃げたところで、これまでどおりにギルド活動を続けることは不可能だろう。

不意にキリトはアスナ達の方を見る。
グリセルダとシリカは呆然としている。それも当然かもしれない。自分の正体を知ったのだ。
一般プレイヤーにもビーター・黒の剣士の名は知れている。リズとシリカは気づかなかったが、知らないと言うことはありえないのだ。

チクリと胸が痛んだ気がした。
別に誰かに疎まれるのも、恐怖されるのも、嫌悪されるのも慣れているはずだ。そうなるように仕向けていたから。
自分はアスナと一緒になって、弱くなったのだろうか。
戦闘力と言う意味ではレベルや二刀流のおかげで強くなったと言える。だが心は?
分からない。もしかすれば弱くなっているかもしれない。

(ダメだな、俺。アスナが居てくれるって言うのに……)

シリカには怖がられただろう。それも仕方がない。
もうこのパーティーはこれで終わり。元々シリカともピナを生き返らせるためだけに一緒に行動を共にしただけ。報酬もなければ、見返りも求めていない。
だから、もう行こう。
もう一つ、しなければならないことができたから。
キリトはロザリアに転移結晶を使用させるように促す。すでにシンカーからメッセージも返ってきた。指定の街に転移させてもらえば、こちらで身柄を拘束すると。

「結晶を使って、今から指定するところへ行け。逃げようと思うな。逃げれば俺がどこまでも追っていく。ビーターの俺から逃げられると思うな? まあ逃げたいなら止めないが、逃げたら……次は殺す」

コクリコクリとロザリアは頷くしかできない。震える手で結晶をつかみ、キリトに指定された行先を告げる。
光に包まれ、彼女はこの場から姿を消した。
それを確認すると、キリトは一人歩き出す。もう一つの事件を終わらせるために。
どこか、悲しそうな背中とともに。



「あ、アスナさん。キリトさんって……」

信じられないと言う顔をするシリカに、アスナはコクリと頷く。

「そうだよ。でも噂みたいな人じゃない」

シリカは聞いた噂と今まで見ていたキリトを思い返し、見比べる。
優しいキリトと先ほどの怖いキリトが浮かぶ。どっちが本当のキリトなのか、シリカにはわからない。

「どっちもキリト君だよ。でもわかってあげて。キリト君は無意味に人を傷つけたりしない。今だってそう。だからお願い。キリト君を怖がらないで。キリト君を嫌わないであげて」

まるで懇願するかのように言うアスナ。
我がことのように、アスナはシリカに告げる。
彼女はキリトが傷つくのが嫌だった。つらい思いをするのが嫌だった。
特に仲良くなった相手に拒絶されるのは。
それは彼から聞いた過去。
かつて一度だけ所属し、そして彼を残して全滅したギルドの話。
皆を守れず、最後に拒絶の言葉を放たれたキリト。その時の衝撃は計り知れない。
もし自分が同じ立場だったなら……。

「………私、キリトさんの事、嫌いになったりしません」
「シリカちゃん?」
「私、さっきは少しだけ怖かったです。でもキリトさんがああしてくれなかったら、私達、今頃どうなってたのかわかりませんよね?」
「……うん」
「それにキリトさんは、ピナを生き返らせるために力を貸してくれました。そんなキリトさんを私は絶対に嫌いになったりしません!」

まっすぐにアスナを見つめながら言うシリカに、アスナはありがとうと返す。

「じゃあ少しキリトさんと話をしてきますね!」

そう告げると、離れていくキリトに追いつこうとシリカは走って行った。その後ろ姿を見て、アスナはどこかほっとした。

「やっぱり彼があのキリト君だったのね」
「はい、グリセルダさん」
「でも噂って当てにならないわね。彼、とってもいい子なのに」

その言葉にアスナも苦笑する。

「キリト君ですから」
「あなたも大変よ。彼の隣にいるのは」
「覚悟の上です。だから私はここにいるんです。キリト君の隣にいて彼を支えます。彼の背負っている物を、少しでも一緒に背負うって決めましたから」
「そう。あなたも彼も強いのね」
「違いますよ。キリト君がいてくれるから。彼がいるから強くなろうとがんばってるだけです」

そう言ったアスナの顔は、今まで以上に美しかった。
アスナは思う。
絶対にキリトを守ると。彼の隣で、支え続ける。
それが自分の使命。自分にしかできないこと。
戻ってきた意味。キリトと一緒にいる意味。
だからもう一度心に誓う。
何があっても、彼とともにあると……。





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