前書き(番外編には、常につけようと思います)
1・一人称に三人称作品です。
2・更新が滞っているにも拘らず、番外編です(すみません)。
3・次の話への、クッション的な内容です。
4・そしてこれが最も重要ですが、前回の番外編のような膨大な量は避けられました。
5・若干修正しました。
――――――
BLUE SKY BLUE ANOTHER SKY・INTERVAL
潮風が、凪ぐ。
日はどっぷりと沈み、漆黒に染まった水面は、ただ月と星の光だけを小さく揺らして映す。それは、月さえも飲み込むように深く深く染まり、だが、その筈なのに、反射された若干“紅み”を帯びている光が幻想的に誘惑する。
落ちたら戻っては来られないだろう。“だが、それも悪くはない”。そう“錯誤”させられてしまう空間が完成していた。
それは夕方に、この海の上に現れた巨大な波動が弾けた影響。膨大な量の波動の一部が微弱ながらに、このユースタス・ポートにも届いていた。
そして、当事者たちの意思とは関係なく、今この場所は、酷く心を痛めた者を引きずり込む魔の空間に成り果てている。もし、自殺願望のある者がここを通れば幻想的な光の誘惑に耐え切れず、その身を投じる事になろう。
ただ。
それは完全に仮定の話だった。
何故そう言い切れるのかと言えば、実際のところ自殺志願者は見事なまでにその場におらず、精々通りかかったカップルが、『わー、きれいだ』と話の種にしばし足を止める程度だからだ。
その上、当事者たちは、そんな海の存在すら知らず、建物の隙間から何とか見えなくもないではないギルドの三階の一室にいる程、その海の存在は今回の話と全く関係なかったりする。
「ボクのターン、ドロー!! 6のペア!!」
「言ったもん勝ちじゃねぇんだよ、順番はじゃんけんで決めんだ。それとドローって……ルール分かってんのか?」
「…………何ごっこ?」
サトウ=スズキはドアを開けた途端見えた光景に、一瞬固まってしまった。
ギルドの部屋の中にいたのは、ついさっき合流して今は眠っていたはずのカラスマ=カイ。そして、カイとテーブルを挟んでラナことラナニア=マーシャルがいる。
お互いの手には数枚のトランプが握られているのに、何故かテーブルゲームをしている気がしない。
何故か。
それは、二人が“熱くも”椅子についていないからだ。
「ん? ああ、今は5枚で大富豪……って、スズキか。何所行って……ああ、またか」
カイは妙にサッパリしているスズキを見て、口を紡ぐ。“どうせ”、自主練とやらの後の風呂上りなのだろう。
「もう目、覚まして大丈夫なのか?」
「ああ。別に今回は体の負荷じゃないし」
手を敢えて激しく開閉するカイを見ながら、スズキは適当に椅子を引いて腰をかけた。この部屋は、カイとスズキの部屋だったりするが、中々に広い。部屋の中央に置いてあるテーブルを挟んで二人が立ち上がっていられる位には。
「けど、目を覚ました途端……」
「あがったよ」
「あのさ、俺パスって言ったか?」
カイの視線が、手札を出し終わって満足げなラナに向く。
「じゃ、次何しよっか。スズキ君も来たし」
もうあらかたやりつくした感はあるが、ラナは次のゲームを考え始めた。能天気そうな顔付きからは、今にも鼻歌が流れ出しそうだ。
遊びをせがむ子供のように。
そうなのだ。カイが目を覚まし、何となくギルド内をふらついているところをラナに見つかったのが運のつき。
何故か今の今までトランプで遊ぶ羽目になっていた。戦歴が五分五分だというのも、勝負が長くなっている要因の一つだろう。
「なあ、スズキ。俺腹減ったんだけど……レイはまだなのか?」
カイのげんなりした表情を向けた先の時計は、九時を指していた。カイが目を覚ましたのは七時頃であることを考えると、相当な時間トランプゲームメドレーをやっていることになる。
「ああ、レイたちなら今、厨房借りて何か作ってるよ。節約はしつつ、お前が戻ってきた記念とか何とか言って」
「やっとか……」
カイは、胃を押さえながらトランプを机に置いた。ラナと遊んでいる中、様子を見に来たレイに空腹を訴えてから早一時間。勝手に食べに行かずラナと遊んでいるようにと言われたカイは、今まで黙々とトランプを切り続けたのだから、流石に止めても文句は無いだろう。
「俺だって食べてないんだぜ? ま、期待して待ってよう」
「いようっし」
カイが、脱力して机に突っ伏そうとした時、同じく夕食を食べていないはずなのに何時も以上に元気なラナが立ち上がった。
表情は、目を瞑り、何かのイメージを頭の中で練り上げているかのよう。そして、その表情のまま両拳を胸の前で作り、
「うん」
「待て。何を頷いた?」
机から顔だけ上げたカイの言葉も聞かず、ラナはあっさりと部屋を出て行く。それも、何所か上機嫌で。机の上にはラナ自身が持ってきたはずの遊び道具が散乱していた。
「…………あいつが何を考えてるのか分かんねぇ」
「いや、分かり易いと思うけどな」
スズキは、トランプを机の上でまとめていく。
「ま、ラナちゃんだけじゃなくて、皆だけど。……ポーカーでいいか?」
お前もやるのか、という意味合いの溜め息を吐きながらカイは起き上がった。たが、久しぶりなのだし悪くはない。
「ああ。って、どういう意味だよ?」
「そのまんま」
「?」
カイは怪訝な顔をして、カードを受け取った。
「何か最近、色々なことをやりたいと思ってるみたいだ。これも成長なのかね」
「成長……ねぇ」
カイはこの旅の目標の一つを思い出す。
ラナの心を強くすること。
『心を強くする』なんていうのはどういうことなのか、カイにははっきり言うことは出来ない。しかし、寝起き直後に空腹と戦いながら遊び続ける羽目になったカイにしてみれば、ラナは以前のままのような気もする。
ただ。
出会ったばかりのことを思い出すと、確かにラナは変化している。
ただひたすらに、両親の敵の“あのチーム”を向いていた彼女の“我”は、段々と磨耗しているような気もしないでもない。確かに、無くなってはいない。だが、フェイルと戦った時のような、無鉄砲でどこまでも尖った“我”。一方のだけを向いていた、鋭く、しかしその所為で今にも折れてしまいそうだったその形は、今は少しだけ丸みを帯びている。
実際に旅をして、世界を知って、人付き合いというものを覚え始めて。彼女にとっての“世界”が一気に広がっている。そんな中で、自分の“我”を形さえ変えずに保ち続けるのは、難しいことなのだろう。
ただカイは、それは成長だと言っていい気がしていた。
「ま、確かに今ははしゃぎ過ぎてるみたいだけど、さ。遊び相手が戻ってきて嬉しいんだろ。相手してやってくれよ」
「遊び相手、ねぇ」
「皆色々大変だったんだぜ? ほら、家族サービスってやつだ」
「……お前、やっぱり嘘吐いてたな。バカンスは何所行ったよ?」
スズキは涼しい顔で流す。
カイは配られたカードを見た。1つペアが出来ている。
「それだけ頼りにされてるってことだろ」
「はいはい」
照れ臭くなって、カイは投げるように3枚を捨てた。
「コトリちゃんだって、さっきまで疲れきって寝てたのに……何時の間にか厨房にいたよ。お前がいない間、ずっと部屋に閉じ篭ってたのが嘘みたいだ」
「コトリが?」
「ああ」
「…………」
意外そうな声を出した後、カイは考え込んだ。
自分の知っている、コトリ=ヘヴンリーという少女。彼女は素直で、どこまでも真っ直ぐで、それ故に心を痛めることも多い。
“だけど進める”。そういう心の持ち主だ。
そんなコトリの最大の異変は、カイが知っているうちではノーブコスティの博物館でのことだ。
その時初めて、“我”を確りと口に出したコトリ。その所為でカイとぶつかったりもしたが、それ以上の問題がその後に待っていたようだ。
マイムから救い出した時、コトリは震える声で“逆らいたい”と口にした。
そして、今日のコトリの様子。今まで以上に、“必死さ”が違ったように感じる。
今でもコトリの前には壁がそびえているのかもしれない。
問題は、解決するのだろうか。
「レイも、心が強くなってた」
「……ああ、そうだな」
幼馴染の女の子、ミナモ=レイ。彼女も元の世界より、何所か頼もしくなっている。
この数日会わなかった中でも、カイには彼女が少し大人びて見えた。抱えた何かを今解決しなくとも、遠回りに力をつけることを“選んで”、いずれ解決する。
そうすることで、心の余裕が出来る。
カイもレイも、そういう考え方の持ち主だ。
何かの出来事を乗り越えて、若しくは、ツケを払う事を承知の上に、乗り越えないことを“選ぶ”ことで、人は成長する。
そんな話を、カイは以前聞いたことがあった。
レイの成長は、あるいはそういうものなのかもしれない。
この世界にいて変わっていくこと。それは、いくらでもある。
ただ、自分たちという、この世界の“異物”が、影響を受けている最たるものだろうということを、カイは自覚していた。
こんな成長は、絶対に元の世界では起こりえない。
やらなければならない状況を強制されて、初めて自分たちは“旅”という行動を採ったのだ。
何かに強制されて成長する、というのも確かに気になることではあるが、この“流れ”から生み出た成長は、プラスのことであるのだと、カイは思った。
「ま、それがこっちの状況だ。そっちはどうだった?」
それを聞いて、カイはようやくこれが近況報告だったことに気付いた。スズキなりに見た、このチームの変化。確かに、自分よりスズキはそういうのが得意そうだ。
ただ、一人分足りない。
「……まだお前の話を聞いてないだろ?」
目の前の、サトウ=スズキ。彼は、この世界で何を得ているのだろう。
何時も楽しそうに笑い、反面、何所か自虐的にも見えるスズキ。その笑い方は、元々持っていたようで、この世界に来た時からとも考えられる。
今も、困ったような、それでいて、“楽しそうな”笑みをスズキは浮かべるのだ。
本当に、彼は何を得ているのだろう。
スズキはもう一度ふっと笑って、カードを1枚交換した。
「俺は、必死だったよ。……“終わらせないよう”に」
どこか疲れたようなスズキの表情は、手元のカードだけを追っている。
「……?」
“終わらせない”。
その言葉は、一体何を紡いでいるのだろう。
そして、何に紡がれていくのだろう。
「……ほら、2ペアだ」
「あ、悪い。フルハウス」
「オーバーキル!?」
あっさり勝利したスズキは再びトランプをまとめ始めた。
やはり、遠目に見た限りでは、スズキは本当に楽しそうに笑うのだ。
それなのに。
“カイの位置”からだと、手放しでそう見えない。
彼も何かを抱えている。
だがカイは、深入りする事を選ばなかった。
「でもお前も、“修行”なんて訳の分からないことしてきたのに、よく“変わらず”戻ってきたな」
「は……?」
スズキは、今度はちゃんと笑っていた。
今度は自分の近況報告をしようとしていたカイは、その言葉に素直に疑問符を投げかける。
自分はちゃんと、“変わった”はずだ。
異常を治し、爆発的にとは言わないが、“高み”に向かって確実な一歩を踏み出し、強くなった。それだけの経験を積んできている。
だが、スズキは、台詞を変えるつもりは無さそうで、
「久しぶりの会話でも、こんな風に、前のままだ。変わってない」
カードだけに視線を向けながら、もう一度呟いた。
「……相変わらずよく分からないこと言う奴だな」
少しだけ、カイには分かった気がした。だが今は、これでいい。
「まだ言ってなかったな。おかえり」
「ああ。俺は、もう言ったよな?」
スズキは“変わらず”『ははは』と笑う。
「ああ、これでようやく、元通りだ」
そこで。
カイは、スズキからバトンを渡された気がした。スズキは口ではなんと言っていても、このチームを実質的に導き、守っていたのだろう。そして今、その役割が自分に戻された。自分がこの先“止まらない”ようにして、そして一歩踏み出して、戻ってきた自分に。
先に進むことと責任は付随する。それが、“リーダー”という存在なのかもしれない。ただ、カイはそれが重荷だとも不快だとも思わなかった。
不安はある。ただ、それ以上の“何か”も、確かにあるのだ。
「さあカイ、本題だ。これから何所に行く?」
「……今のポーカー必要あったか?」
「特には……無い、かな」
どこか含みのある言い方のスズキに、無駄に負けたカイは溜め息一つ吐いて窓から空を見た。随分とクセの多いメンバーのリーダーになったもんだと、笑いながら。
ただ、この先のプランは決めてあった。
「ひだ……北西の大陸。……こっからだと西か。そっちに行こう」
「エースさんの家で聞いたのか?」
「ああ」
カイは空を見る目を強めた。カイの脳裏には、“育て屋”に飾られてあった×マークの入った地図が浮かぶ。
「チーム・クリエイトが解散した地、ウィッシュ・ボーン」
それが、この世界でカイが一番興味のある地名だった。エースが『昔話は趣味じゃない』と言い放った所為で、リンスに教えてもらったその地名。そこは、自分の育ての親があっさりと解散を言い渡した場所だった。“情報を集めるために”世界各地を回るつもりなら、目的地のあった方が動き易い。
再び、海を渡る。当然旅費もかかるだろうが、南東の大陸は行ったばかりだ。行くなら西、というのも理に叶っている。
「ま、俺も賛成だよ」
一方、エースにその地のエピソードを聞いたスズキも、確かにそこが一番興味のある場所だった。かつて、“最強”と“最強”が戦った場所。その戦禍の所為で、そこは今や“乖離の地”とさえ呼ばれる程らしい。
色々と楽しめそうだった。
ただ、
「それに、」
「あのさ、カイ」
言葉を紡ごうとしたカイにスズキが静止をかける。
「ん?」
振り返るカイに、スズキは何かを堪えるように腕を組んでいた。
「一応言っとくけど、そっちは南だからな」
「……あのさ、今そういう空気じゃないってこと分からなかったか?」
スズキは遠慮無しに笑いながら、
「変わってないな」
そう、嬉しそうに繰り返した。
――――――
「なあ、えっと、」
「何も言わないで、とりあえず食べて」
カイの正面に座ったレイは、スズキのように視線を外しながら呟いた。
ここは、ギルド内の食堂の隅。六人掛けのテーブルに、チーム・ストレンジの面々が全員着席していた。
カイの目の前には、大皿に乗った海鮮パスタ、フライドチキン、スープ、サラダetc。港とかけているのか、好みの量を取り分けるバイキング形式だ。下手をすれば、節約がてらと言っていたにも拘らず、費用が余計にかかっていそうな程豪勢で、レイが『久しぶりに本気を出したわ』と言うだけはあって、非常に食欲をそそられる夕食―――
―――の手前、それとは別に、そう、明らかに別に用意されている小さな皿が三枚あった。それらは全て別の皿が上から被せられており、中が見えない。
「なあ、俺腹減ってるんだ」
空腹の限界を超え、一旦納まり、そしてまた胃が焼けるように熱くなる。その空腹の周期のスパイラルを幾千も超え、カイの目はフライドチキンから離れない。しかしそれを阻むように、小皿三枚はカイの前に佇んでいるのだ。
「えっと、事情を説明するとね、」
この皿を越えずには夕食にはありつけないらしい。是非そうしてくれと、正面に座っている厨房組の三人にカイは乗り出した。
「ラナが厨房に来て言ったのよ。料理を作ってみたいって」
「……ほう」
レイは何故かそこで、少し視線を外した。どうもチリチリと、カイの首筋辺りを嫌な予感が撫でる。
「で、もうメインの料理は終わっちゃってたから、簡単な料理を作る事になって……それで、折角だから……三人で同じのを作って二人に……食べ比べ?……みたいな?」
「……あれ? 俺も当事者なのか?」
スズキの意外そうな声を聞いて、カイはスズキのズボンを強く掴んだ。
逃がしてなるものか。
カイは、レイの両隣の二人に視線を送る。コトリは恥ずかしそうな、それでいて困っているような何とも複雑な表情を浮かべ、ラナは相変わらず上機嫌を保っていた。
そしてどうも嫌な予感は、ニコニコ笑っている方から漂ってくるのだ。
「で、とりあえず、ガッ! と食べて。お腹減ってるでしょ?」
レイもコトリと同様、複雑な表情を浮かべていた。しかしそれが困ったことに、どうしても、この空腹を抑えられる程に、カイを冷静にさせるのだ。具体的に言えばガッ! といけないくらいに。
別に、いいのだ。空腹なカイにとって料理が増えるのは喜ぶべきことだし、誰かからの手料理というのはそれだけで嬉しい。ラナが料理に興味を持ったというのも同様だ。
ただ、どうしても、不安がまるで静電気を帯びたビニール袋のように、カイの頭から離れていかない。
「一応聞くけど……何を作ったんだ?」
「あ、卵や……むぐっ!?」
「“卵料理”よ、“卵料理”。そうでしょ?」
答えようとしたコトリの口を、レイは瞬時に塞ぎ、“卵料理”を強調する。コトリは、一瞬止まり、直ぐにコクコクと頷いた。その時ちらりとラナの方を見たのをカイは見逃さなかったが。
「なあ、今、コトリが卵焼きって言おうと……」
「“卵料理”よ。いい? 変な先入観を持たないで。これは、全部“卵料理”、そう、“卵料理”よ」
まるで催眠術でもかけてくるかのようなレイに、カイはばっちり先入観を持ち、もう一度並んでいる皿を見た。中が見えないのが、ここにきても辛い。これも、先入観を捨てるために隠してあるんだろうか。どの皿を誰が作ったのか言わないのも、同様だろう。
ただ確かなのは、目の前の皿を片付けない限り、奥のご馳走にはありつけないということだ。
「とりあえず、食べてみて。先入観を捨てるのよ?」
「レイ、先入観って連呼すると……まあ、もう手遅れかな」
スズキも“それ”を持ってしまったようだ。
そして始まる。
発生原因不明の、チーム・ストレンジの女性陣、手料理品評会が。
一皿目(レイ,コトリorラナ)。
ぱか。
カイは一皿目の皿を開けた。湯気が立ち上る、ということまではなかったが、それでも甘そうな匂いが漂ってくる。その匂いの先、綺麗な狐色が付いた整ったオーソドックスな型の卵焼きが現れた。
見た目は立派な料理だ。確かに、卵焼きなのだから、大失敗する方が難しい。だが、先入観からか、どうも安心出来なかった。
ちらり、とカイは三人の様子を盗み見る。食べるまで決してリアクションを取らないようにしているのか、コメントは誰からも来ない。
「いただきます……って、スズキ、お前も食うんだよ」
「いや、今日の主役はカイだろ?」
明らかに自分で様子を見ようとしているスズキに、カイは問答無用でフタだった皿に卵焼きを切り分け押し付けた。
「とりあえず、食うぞ? 一緒に、だからな。裏切るなよ?」
「はあ……ああ」
「二人とも、結構失礼なことしてるからね?」
料理を箸で掴んでいるにも拘らず、互いを牽制し合い、カイとスズキは口の中に入れようとしない。
こうなれば強引に押し込んでやる、と立ち上がりかけたレイの気配を正しく察知したカイとスズキは揃って卵焼きを口の中へ放り込んだ。
そして、慎重に、噛む。
さあ、誰だ。
「…………レイだろ?」
「うん。レイだな」
「あ、やっぱり分かった?」
ビクビクしていたのが、まるで無駄だった、とカイとスズキは肩の力を一気に抜いた。
口に残る、ほどよい甘味。まるでマグマのように熱かった胃に、ジュッと卵焼きが落ちていく。待ちに待った夕食に、カイは卵焼きをもう一切れ口に運んだ。
「よ、よく食べただけで分かりますね……!」
「ああ。こっちの世界に来るまでは、レイが料理作ってくれてたからなぁ」
「懐かしいねぇ……」
目を丸くするコトリを前に、カイとスズキは頷き合った。別に、独特な味という訳でもない。ただこの味は、二人にとって非常に食べ慣れているものなのだ。レイの作る、オーソドックスな料理なら、二人はもう制覇している。
「ちょっと、感想ぐらい言いなさいよ……!」
「感想って言っても……なあ?」
「いや、何時も言ってる通りだって。うまいよ」
レイは、納得しつつも何所か不満そうだった。だが仕方ない。カイもスズキもレポーターのように、褒めちぎることも、ありとあらゆる言葉で形容することも出来ないのだ。ただ、『うまい』としか形容出来ない。
「もうちょっと、ボキャブラリー増やしてくれれば、作り甲斐ってもんがあるのに」
「うまい、って言ってんだからいいだろ?…………わーったよ。今度勉強しとく」
カイはやはり少し不満そうなレイに、溜め息混じりに言葉を吐き出す。でも確かにこの感動を正確に伝えられるくらいには、語彙は増やすべきかもしれないとカイは考えた。
この、更に食欲が出てくるような“料理”を―――
―――正確に“アタリ”を引き当てられた感動を。
ただ、一皿目で得たことは一つ。
やっぱり見た目が良い料理は、味もいいものなのだ、と。
二皿目(コトリorラナ)
ぱか。
「コトリだろ」
「え!? 今度は見ただけで!?」
カイの目の前には、皿の下から現れた“卵焼き”。レイの料理よりは少々焦げ目が強いようだが、食欲をそそられる甘い匂いは確かに漂ってくる。そして、形。それもやはり少し崩れてはいるものの、立派に“料理”だった。
「失礼なこと考えてるでしょ?」
今度は、ラナのジト目が見えた。それを何とか潜り抜け、カイは半分を渡す。コトリの反応から間違いないと感じたのか、スズキは素直に受け取った。
確信を持っていれば、動作も速いもの。
流れるような手つきで、二人は同時に口に運ぶ。
「……少し甘いけど……うまいな……」
「そ、そうですか? やっぱり、お砂糖入れ過ぎだったみたいです……」
それが、焦げが強い原因なのだろう。だが、これは十分に許容範囲だ。
カイは、コトリがレイに料理を習っていることを知っていた。食事の多くをギルドの食堂で済ましているが、それでも長旅中、コトリは料理に興味を持ち、よくレイと厨房を借りている。レイが言うには最初は壊滅的だったそうだが、本人の努力もあって、レベルは段々と上がっているらしい。
「いや、うまいって。レイより素質あるんじゃないか?」
「え……?」
「あんたは何時の話をしてんのよ?」
思い出したのか、スズキが笑い出した。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、実はレイに料理教えたのカイなんだよ」
「ええ!?」
テーブルにいる全員の視線が本人に向くが、カイは首を振る。
「そりゃ、“あの時”は料理作るの練習してたけど、今じゃとっくにレイの方が上だ」
“あの時”のこと。
三人が出会った時のこと。
その時、カイは“間に合わなかった”料理のスキルを持っていた。確かに思えば、料理にレイが興味を持ったのは、カイがレイの家で料理を作った時からかもしれない。
「そん時ゃ、凄かったぜ? 発癌性のありそうだったレイの創作料……」
タンッ。と、レイは行儀が悪いことを自覚しつつ、フォークを逆手にテーブルに突き刺すように立てた。顔は、笑顔だ。目、以外は。
「続きは?」
「……カイ、パス」
「お前自分で収集付けろよ」
「ふふっ……」
そこで、コトリが笑った。
「コトリ? 何笑ってるの?」
「え? ええ!? あっ、ごめんなさいごめんなさい……」
コトリの条件反射を、レイは押さえつけるように止めた。ただ、コトリはもう一度笑う。
「どうしたよ? コトリ」
「え? あ、あの、その、カイさんたちが……“何時も通り”なのが……えっと、嬉しくて」
「……」
その言葉に、レイもスズキも、そしてラナも、同じような表情を浮かべる。どこか、荷が下りたように微笑んだ表情を。
『何時も通り』。それは、コトリからの言葉。
そして、先程カイは、スズキから『変わってない』と伝えられた。
どちらも同じ表情で言われた、同じ意味の言葉だ。
カイにはそれが、正しく感じ取れた。
“強くなる”という、強力な願いを秘めて、皆と離れて行動。
それは、もしかしたら、人が“変化”する可能性がある出来事だったのではないだろうか。人は、環境が作るものなのだろうから。
強くなる、弱くなる、といったベクトルの“変化”ではない。
簡単に言えば“性格”。重く言えば“本質”。
カイのそんなものが“変化”してしまうと、皆潜在的に思っていたのかもしれない。
“実力”を得ることの対価に、“自分”を差し出したのではないか、と。
「変わらねぇよ……」
だったら、ここで、言うべきであろう。
「お前らがいれば、俺は何時でも“ここ”に戻って来れる」
治したのは、“異常”だけ。自分の本質は、変わっていない。それはもしかしたら、エースの“腕”に起因しているのかもしれないが。ただ、“自分が戻ることの出来る場所”があったことも、きっと関係していた。
皆も変わった。だけど、この場所にいる。
それはもしかしたら、自分と同じように、“変わらない”からなのだろうか。
この世界で変わっていくことは、いくらでもある。
変わるべきものが、あるのだろうから。
だけど、変わらないもの。
変わってはいけないもの。
変わりたくはないもの。
それらもあるのだ。
何が正しいのかは、カイには判断出来ない。
だけど、少なくとも。
“この場所”は、支えになる。
ゆっくりと、手を伸ばす。
そこには、自分の望がある気がして―――
「待った」
―――何気なく、“料理”に伸ばした手を、レイに掴まれた。
『くっ、流せなかったか……!!』とカイは腕を戻す。
「何を綺麗にまとめようとしてんのよ。まだ残ってるでしょ」
レイの言葉にラナがコクコクと頷く。
もう、色々とグダグダだった。
三皿目(ラナ・確定!)
「……オチじゃん」
「酷くない!?」
「オチだろ、これ!! オチじゃなかったら、誰も納得しねぇよ!!」
喚きたてるラナに、皿を開ける前にも拘らず、カイは相当程度に非道なことを言い放った。カイの知る限り、ラナは料理を習ってはおらず、また、出来るようにもどうしても見えない。そして、ラナの感性を考えると、結論まで一本道だ。
「カイ。“変わってない”って言ってもね、それは流石に可哀想よ?」
「そうだよ。ボクだってそれ、作るの大変で……」
分かっている。人が折角作ってくれた料理を見もしないで拒絶するのは、あまりに礼儀がなっていないのはカイとて理解している。
ただ、どうしても、だ。
「一応聞きたいんだけど」
離脱の力が段々と強くなっていくスズキの腕を確りと掴んだまま、カイはラナを見据えた。
「材料は?」
「卵と、砂糖と、醤油と、何かだよ」
「アウト」
「何で!?」
「自分で考えろ」
「カ、イ……!」
今度は咎めるように睨むレイに、カイは向き直った。
「レイ。ラナが何を入れたか見たのか?」
「分かったわ。ちゃんと説明する」
言わない限り、フタさえ開けられない可能性があることを感じ取ったレイは、渋々と語りだす。自分が見た光景を。
と言っても、
「私が簡単な作り方を教えたら、何時の間にか作ってたのよ。何を入れたかは見てないの」
これだけなのだ。
嘘は、言っていない。ただ、カイは視線でレイに訴えた。まだ、知っていることがあるだろう、と。
「分かったわ。とりあえず、開けてみて」
これで、真相に近付く。
そう自分に言い聞かせ、カイはフタを開けた。
「……スクランブルエッグ? 卵焼きじゃ……」
「“卵料理”よ。最初に言ったでしょ?」
「やけに量少ないな」
離脱しそうだったスズキは、力を抜いた。量的に、一人分だと判断したのだろう。
「……?」
しかし、カイはこのスクランブルエッグ(もう、形状には拘らない)に大きな疑問があった。所々焦げが混ざっているのは、当然のこととしてなのだが、それ以前に気になる問題が。料理下手の多くは、量が無駄に多くなるのだ。調味料の分量が分からず適当に入れ、材料で調整しようとする結果、無制限に完成品の量が増えていく。
だが、このスクランブルエッグは、スズキが自分は安全だと判断するほどに、一口分しかない。
「えっと、」
カイの疑問を正しく察したレイは、ゆっくりと口を開いた。
「これは、“絶対に食べられないもの”と、“それ以外のもの”を分けたらこうなったの」
「…………ラナ。因みに卵は何個使った?」
「えっと、3~10個くらい」
「何だそのアバウトさ!? そして、食材に謝れ!!」
カイはもう一度、スクランブルエッグを見た。どう考えてもスプーン二さじ前後程だ。これに最大10個の生命が投入されているとなると、『厳選抽出!』のような神聖さが感じられる。
「カイ。もう言っちゃうけどそれ、フライパン一つ犠牲になってるの。だから、お願い。食べてあげて……!」
それは、フライパンに報いるためなのだろうか。
それとも、段々と不安そうな表情を浮かべてきたラナに報いるためなのだろうか。
ただ、どうやら、自分は、材料(消費したもの)にフライパンが含まれる、“これ”を食べる必要があるようだ。いい加減にカイの胃も限界だった。今すぐにでも大皿の料理に取り掛かりたい。
「ね、食べて」
「待ってろ、今集中力を……ああくそ、分かったよ!!」
流石にこれ以上言うと、むくれ始めたラナが可哀想過ぎると考えたカイは、皿を一気に掴んで(匂いは……不気味な程に無い!)、口に流し込んだ―――
コト。そして、皿が置かれる。
「……西へ行こう」
「斬新な感想だな」
「……口の中がさ……スクランブル! って言うか……」
「ボキャブラリー増えたじゃないか」
「味は? 味は?」
カイとスズキのやり取りをあっさりと流すラナは、しきりに感想をカイに求めてくる。どうやら味を直接言え、とのことらしい。
ただ、カイは、今、苦悩していた。
はっきりしていることから言おう。
まず、無駄な期待を避けるために、うまくはなかった、と。
元は甘い料理のはずなのに、口の中を洗いたくなる程、塩辛い。所々ざらついた舌触りは、果たして焦げなのか砕けた卵の殻なのか。
しかし一方、漫画のように、火を吐く程まずかったり、記憶が飛んで並行世界の夢を見たりする程、奇天烈な味だった訳ではない。
“リアクションが、非常に取り難くまずい”。それが、結論だ。
一瞬カイは、ラナの悪戯か、と思った。“敢えて”こんな味にしたのだというのは、日頃のラナの行動からすれば、十分にありえる。
しかし、この味は、料理が壊滅的に下手な人が作る味の範囲に納まらなくもない。
“悪意”と“重過失”。そのギリギリで、何とも微妙なラインの味なのだ。
こんな状況で、自分は何を言うべきなのだろう。カイの悩みはそこだった。
何所か期待と不安が交じり合ったような、珍しい表情をしているラナを見て、悪戯の線は消えた。
ならば、ここは感想を言うべきなのだろう。だが、何と言えばいいか。
今後暴走をさせないために、素直に伝えるべきだろうか。だが、“褒めて伸ばす”という言葉もある。しかし、正直この気持ちを誰かに……特に製作者に強烈に伝えたい気持ちは強い。
ただ、全員の視線が自分に向き、特にレイの目が『空気を読め』と訴えかけてきては、カイの取りうる選択肢は一つだけだった。
「……うまかった。すげぇな」
「やった!」
「でも、次からは、ちゃんと、レイに習えよ?」
確りと、本音は伝えたカイの前に、横からコップの水が差し出された。
「カイ。俺、感動したよ」
カイは、更に上機嫌にコトリと笑い合うラナにばれない程度に、水を多く口に含む。量がもう少しあれば、スズキも巻き込めたのだと惜しみなら。
ただ、もう一度同じようなことがあるとして、量が増えることは、絶対に望むことはしなかっただろうが。
――――――
「それで、」
大皿を全て五人で平らげ、食後のコーヒーを運んできたレイが着席する。
「さっきの何だったの?」
「ん?」
砂糖とミルクを悩みながら入れているコトリと、対照的にドバドバ入れているラナを見比べながら、カイは生返事をした。
「『西へ行こう』ってやつよ。これから私たちはそっちに行くの?」
「ああ。どうせ決めてないんだろ?」
あんな話も拾っていたレイに感心しつつ、カイは確りと頷く。
この進路は変えるつもりは無い。
“これからの進路”、という話に全員が注意を向けた。
「チーム・クリエイトが解散した場所があるんだってさ」
「え……?」
スズキの補足説明は、レイにとって寝耳に水だったのだろう。心底意外そうに抜けた声を出し、反面ラナは目を細めた。
「“乖離の地”・ウィッシュ・ボーンを目指す。ただ、北西の大陸に行くのは、それだけが理由じゃない」
「?」
今度の疑問符はスズキから出た。カイは説明を続ける。“エースから聞いた噂”について。
「皆、腹は括ってくれよ」
歓迎会は、もう終わりだ。この話だけは、切り替えて聞いてもらわなければならないのだから。
このチームが、“変われない”こと。
それは、確かな目標。
チーム全員の“我”が向いているものだけは、変わらないのだ。
もう、カイは皆を止めない。皆を“信じて”説明だけを続ける。
「“最強”チーム・パイオニア。あいつらが本格活動しているのも、その大陸なんだ」
「……!!」
動揺は、当然、全員から生まれた。
“最強”チーム・パイオニア。
自分たちが出会ったのは、自発的なものも含めて、4人。
ペルセ、ドラク、フェイル、マイム。
恐らく彼らも、本格活動している北西の大陸にいる可能性が高い。
「ってことは……」
「ああ」
その情報は、“あの”エースから齎されたもの。“そういう情報”について、ある意味最も信用出来る筋からのものだ。
そして、追う。
つまり、は。
「あいつらとの全面戦闘が、近付いてる……!」
口を付けたコーヒーは、何時の間にか冷めていた。
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後書き
読んでいただいてありがとうございます。
今回の番外編は、前回のぶっ飛んだ量にはならなかったのが、本当に幸いでした。
前書きにも記しましたが、更新が滞っているにも拘らずの番外編なのは心苦しかったのですが、前話の終わり方が続け難かったので、クッション的なものが欲しいと考え、どうせなら三人称の番外編にしよう(何とも微妙な理由ですが)と作成しました。
そして、次回の更新は……すみません、また未定です。構成そのものは出来上がっているのですが、中々時間が取れず、恐らくは遅れてしまうと思います……。
また、ご感想ご指摘お待ちしています。
では…