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[33455] ダークブリングマスターの憂鬱(RAVE二次創作) 【完結 後日談追加】
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:336a0ada
Date: 2017/06/07 17:15
RAVEの世界への現実憑依もの、原作知識ありになります。

原作のネタバレがあります。

ハーメルン様に本編とは違う展開のエリールートを投稿させていただいています。

色々と原作とはかけ離れていくかもしれませんが宜しくお願いします。



[33455] 第一話 「最悪の出会い」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:336a0ada
Date: 2013/01/24 05:02
突然だが愚痴らせてほしい。


いや、本当に突然なのだが愚痴らせてほしい。誰も聞いていなくてもいい。聞き流してくれてもいい。もうこの際、俺の独り言だということにしてくれて構わない。というか独り言に違いないのだがこうして誰かに話しかけなければやっていけないような事態が俺自身の身に降りかかってきたのだから仕方ない。


俺の名前は……分からない。うん、まずここから既におかしい。名前が分からないとかどこの記憶喪失だっつーの……ははは……うん、認めよう、俺は間違いなく記憶喪失になってしまっている。だが全て思い出せないわけではない。一般的な知識や何やらは思い出せる。だが俺自身の素性が定かではない。性別は男。これは間違いない。それと何となく学生だったような気はするのだがはっきりしない。最近していたゲームや読んでいた漫画のことは思い出せるのだが自分のことになるとさっぱりだ。何か作為的なものを感じてしまう。だがそれは大した問題ではない。本当なら驚き騒ぎたてなければいけない事態なのだろうがあいにく今の俺はそれどころではない状況にあったのだから。


真っ暗だった。


もうそれ以外の言葉では表現できない程真っ暗だった。夜の暗さとかそういうレベルではない。本当に何も見えない。まるで密閉された、完全な密室にでも閉じ込められたのではないかと思えるような暗さだった……っていうかおい! 一体どうなってんだ!? 目が覚めたかと思ったら記憶喪失(一部)でしかも目の前が真っ暗とか一体何のドッキリだっ!? 冗談にしても程があるぞこんちくしょうっ! 責任者出てこいコラっ! 事と次第によっちゃタダじゃおかねえぞ! 


「おい! だれかいないのかー! でてきやがれー!」


ありったけの声で、なりふり構わず叫びを上げてみた。それはまるで音楽ホールに響き渡るように反響するも、誰一人それに返事をする者はいない。それどころかこの場所が恐ろしく広いであろうことがその声によって分かる。本当にホールの様な場所のようだ。だがその瞬間、気づく。それは先程の声。そう、間違いなく先程の声は俺が上げたもののはず。なのに全く聞き覚えのない声だったような……


「あー……あー……」


何度か発声練習をしてみる。ただいまマイクのテスト中。うん、調子は悪くない。まるで小さな子供の様な声。実にすばらしい天使の声だった。


「ってちょっとまて――――っ!?!?」


ちょっと待て、ちょっと待って!? 落ち着いてる場合じゃないってっ!? 何っ!? 何で俺、こんな声だしてんの!? 声変わりしてない少年のような声を出してんのっ!? 明らかにおかしいだろっ!? 記憶がはっきりしない俺でもこれがあり得ないことだって分かるぞ!? 一体どうなってんだっ!? おーい、誰か、誰か―――っ!?


それから何度も声をあげてみても結果は同じ。聞いたことのない、聞き慣れない少年、というか子供の声が聞こえてくるだけ。間違いなく俺自身の口から。それから俺は何とか落ち着きを取り戻しながら一つ一つ確かめてみる。まずは自分の体から。暗闇によって自分の姿を見ることができないため手探りで、自分の手で自らの体を何度も触ってみる。ぺたぺたと。間違いなく手足はある。幸いにもどこも怪我はしていないようだ。怪我はしていないのだが……なんだろう、違和感がある。心なしか手足が記憶と比べて短いような……ははっ、う、嘘だよね……そんなどっかの漫画で見たような、あり得ないような展開が起こるはずが……


恐る恐る俺はそこに触れてみる。男にとってもっとも大切な部分。男が男である証。ある。間違いなくある。もしなかった日には俺はそのまま死んでしまっただろう。主に精神的な意味で。だからこれは喜ぶべきこと。ただ一つ、問題があるとするならば


それが間違いなく、お子様サイズ、いや、お子様のものだったということ。


そう、俺は間違いなく子供になってしまっていたのだった。


「な、なんじゃこりゃああああっ!?」


どういうことっ!? どういうことこれっ!? 何で俺、子供の体になっちまってんの!? ま、間違いない……何度触っても変わらない……短い手足も、お子様サイズの俺の分身も……紛れもなく俺の体なのに明らかにこれは俺自身の物じゃない! な、なんか訳分からんことを言ってるような気がするが、とにかくこの体は間違いなく子供の体だ! 俺、何で小さくなっちまってんだ!? 暗くて直接見ることができないけど明らかにおかしい! と、とにかくここから移動したほうがいい! どっか灯りがあるところに行けばもっとちゃんと確かめられるはず! 


俺はそのまま何とか立ち上がり、歩き始める。その際、何度か転んでしまった。上手く身体が動かせなかったせいで。怪我も何もしていないのに、まるで力の加減を、身体の動かし方を間違えてしまったように。もはや子供の体であることは疑いようもなかった。だがここでじっとしていても仕方がない。何よりもこのままじっとしている方が逆に怖かった。目が覚めてからずっと暗闇だけ。自分の姿も見えない程の闇だけが視界を覆い尽くしている。何よりも光があるところに行きたかった。


「ハアッ……ハアッ……!」


おっかしいなあ……もうかなり走ってるはずなんだけど全然灯りが見えてこない。とうか人の気配を全く感じない。後、今気づいたんだけど、何で俺、裸足なの? しかも床もなんかこれ、コンクリートっぽいような気がするんですけど……何か、明らかに普通じゃないよね……子供の姿のはずの俺が、裸足でこんな訳の分からに所に一人だけって一体どういう


「へぶっ!?」


瞬間、俺は壁の様なものにぶつかってしまう。全速力で。暗闇のためそこに壁があることに全く気付くことができなかった。間違いなく鼻血ものの事故を起こしながらも俺は何とか倒れずに耐え忍ぶ。


た、確かに凄まじいダメージを負ってしまったが……この程度でへこたれるほど俺はヘタレではない! それにこれは収穫だ! 少なくとも壁、つまりこの空間の端まで辿りつくことができたんだから! よし、ここまでは計画通りだ! あとはこのまま壁伝いに移動していけば出口に辿り着けるはず! 迷路で迷った時と同じ原理だ! 流石俺……こんな状況でも冷静にいられる自分が怖くなりそうだ……っと、いかんいかん、余計なことを考えている時間はない、さっさとここを脱出することにしよう、では!


俺はそのままぶつかってしまった壁伝いに歩き始める。その片手を壁に付けながら。そのひんやりとした感触が手を襲う。うん、間違いなくこれは鉄か何かでできた壁だな。しかもかなり分厚そうだ。何度か押してみたがびくともしない。まるで何かを閉じ込めるための檻のよう。しかし一体何だってこんなもんを……っていうか何で俺、こんなところにいんの? 何で記憶喪失? 何で子供の体? そんな今更の疑問を抱きながらも今はただ歩き続けることしかできない。だが何も見えない、そして終わりの見えないそれは一気に俺の精神を、体力を疲労させていく。目が見えない人の気分をこんな形で味わうなんて思ってもいなかった。もしかしたら自分は目が見えなくなってしまったのかしれない。その事実に気づき、動悸が激しくなり、冷や汗が流れる。それを確かめる術もない。目を開けていても閉じていても何も変わらない。どこまでも続く闇があるだけ。その恐怖を振り払うかのように俺はただ歩き続ける。いや、歩き続けるしかなかった。そしてそれは終わりを告げた。


「はあ………」


溜息と共にその場に、コンクリートの様な物でできた床に座り込む。もう既に身体は限界だった。いったいどれだけの時間を歩き続けたのか分からない。時間の感覚も全く分からない。ただ分かることはこの空間が恐ろしく広いということ。大声をあげた時点でうすうす気づいていたことではあったがまさかここまでとは。もしかしたら壁は円状に繋がっていて同じところをぐるぐる回っているのかもしれない。だがそれはそれである意味絶望的だ。それはつまりこの部屋は完全に閉ざされた密室だということになるのだから。どちらにせよこれ以上やみくもに動き回るのはやめた方がいい。


そういえば起きてから何も口にしていない。今やっと気づいたが空腹でしかたない。あれだけ歩き続けたのだから当たり前かもしれない。同時にその事実に戦慄する。このまま何も食べれなければどうなるか。そんな当たり前のことを、俺は忘れてしまっていた。そうなってしまうほどの混乱の中にあったということ。だが一体どうすれば。そう考えた瞬間、


「………え?」


光が俺の目に飛び込んできた。


その眩しさに目がくらみそうになる。だがそれは間違いなく光、灯りだった。自分とそう離れていない場所から細い、だが確かな一筋の光が差し込んでくる。今の自分にとってはまさに救いの光だった。


「お―――いっ!! ここだ―――っ!! たすけてくれ―――!!」


助かった! マジで死ぬかと思ったぜ……誰もいないかと思ったが流石にそんなことはなかったらしい。まあ当たり前だよな。明らかにここって人工の場所だし、そんなところに人を置き去りにするなんてあり得ないよな! ったく……おかげで走馬灯をみるところだった……ぜ……?


ふと、その光に向かって歩き出した足が止まる。何故ならその細い光が瞬く間に消えて行ってしまったのだから。まるで何かが閉まって行くかのように。


「お、おいっ!? ちょ、ちょっと待て――――っ!?」


一気に狭まっていく、消え去って行く光に向かって戦力疾走するもこの距離からは間に合わない。だがいくら大声をあげてもそれは止まらない。だが疲労困憊になってしまっていた俺はそのまま倒れ込んでしまう。だがその瞬間気づく。それは自分の髪。倒れ込んだ際、残されていたわずかな光がそれを照らし出した。それは金。間違いなく金髪だった。だがおかしい。自分は金髪ではなかったはず。おぼろげではあるがそれぐらいは覚えている。自分は日本人だったはずなのだから。知らぬ間に染めてしまったのだろうか? だがこの訳が分からない現状ではそんな程度気にしてはいられない。


そのまま俺は一直線に光が消えてしまった場所へと向かって走り出す。もう光は無くなり、何も見えなくなってしまっている。それでも先程の光の方向を確かにただやみくもに進み続ける。そしてようやくそこに辿り着いたと思った瞬間、


「ん?」


何かに足が当たってしまう。同時に何かがこすれるような音が聞こえる。驚きながらも手探りでそれを手に入れる。その感触で悟る。


それはパンと何かの飲み物だった。


その手の感触と匂いが間違いなくそれがパンだという証明だった。そしてそれに添えるようにガラスのコップの様な物がある。恐る恐るそれを口にしてみる。牛乳だ! 間違いない! それが食事なのだと気づき、まるでむさぼるようにそれらを口にする。どれだけ起きてから時間が経ったのかは分からないがそれでも喉もカラカラ、空腹に耐えるのも限界だったため無心にそれを食することしかできない。ようやくその状況の不可解さ、異常さに気づいたのはそれを全て平らげ、床に座り込んだ後だった。


先程の光。それは間違いなく外の光。そして自分以外の誰かが外に入る証だった。この食事がその何よりの証明。なのにどうしてすぐに去って行ってしまったのか。あれだけ大声を出したのに。まるで聞こえていないかのようにその光、恐らくは何かの扉の様な物を閉じてしまった。


まるでそう、猛獣に餌を与えるかのように。囚人に食事を与えるかのように。


どうして自分がそんな扱いを受けなければならないのか。というかこの状況は何なのか。様々な疑問が頭の中を駆け巡る。だが次第にその思考がある一点へと集束していく。空腹と渇きが満たされたことでその現実へと、遠ざけてきた最悪の事態へと。


もしかしたら俺……このまま死んじゃうんじゃねえ……? だって、これって明らかに普通じゃない。真っ暗な空間に、子供の体、記憶喪失にしまいには助けもない。外に人がいた筈なのに全く反応もしてくれなかった、っていうか無視されたし……食事だけは何故かくれたけどそれも今回だけかもしれない。なんで食事をくれたのかも分からなければ、どうしてここから出してもらえないのかも分からない。完璧に詰んでませんか……俺……? 


い、い、嫌だああああっ!? こんなところで死ぬなんて死んでも御免だ! ん? なんかおかしいこと言ったような気がするがとにかく死ぬのは嫌だああああ!? このまま何も分からないまま一人で野たれ死ぬなんて!? まだやりたいこといっぱいあったのに!? あんなことやこんなことや、とにかく何でもいい、誰でもいい、神様じゃなくてもいい、悪魔でもなんでもいいから俺を助けてくれええええ!?


そんな心からの助けを、叫びを叫んだ瞬間、それまで何も見えなかったはずの闇の中に一つの光が生まれる。まるで俺の叫びに応えるかのように。まるでずっと前からそこにあったかのように。


だがその光は先程の光とは全く違う。まばゆい光ではなく、まるで闇その物だった。確かに輝いているはずなのに、その周りの暗闇を遥かに超える闇がそこにはあった。俺はまるで導かれるようにその光へと、その妖しい光を放っているモノへと近づいて行く。


そして俺はそれを、その石を拾い上げる。手のひらに収まるほどに小さな小石のようなもの。それが何であるかを知らないまま。


もし今、この場に未来の俺がいたとしたらこの時の俺に間違いなくこう叫んだだろう。


それに絶対に関わるんじゃない―――と。


それが俺と『マザー』の出会い。かつてこの世界を滅ぼしかけたシンクレアと呼ばれるダークブリング、邪石との、最悪の出会いだった―――――



[33455] 第二話 「最悪の契約」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2013/01/24 05:03
拝啓 どうも。母さん、父さん、元気ですか。僕は……まあ元気です。とりあえずは元気、無事です。五体満足です。生きてます、はい。何とか自分のおかれた状況もおおよそ理解できました。でもこの状況は一体何なのでしょうか。


コンクリートの床に何故か正座した自分とその前に置かれている石。


めちゃくちゃシュールな状況です。しかもその石、宝石はまばゆい光を放っています。それはもう禍々しい光です。もしこの場に植物でもあれば一気に枯れてしまうほどの邪悪な力が滲みでています。そしてそれが何故か自分に話しかけているのです。はい、宝石がです。間違いなく人間ではなく、未知の存在です。しかも声を出すわけではなく、直接頭に話しかけてきます。俺はそれをただ黙って聞き続けています。というかただ呆然としていました。


俺、ラスボスになっちゃいました。


一言でいえばそういうこと。一体何を言っているのか俺も分からん。頭がおかしくなりそうだ。もうこのまま横になって深い眠りに就きたい。そして目覚めればきっと元の世界に、日常に戻っているんだ……うん、とりあえず落ち着こう。現実逃避していてもなにも解決しない。まずは一つ一つ状況を整理していこう。


まずは目の前にある宝石。偶然見つけた石。それを俺は見つけることができた。一体いつからあったのかはわからない。だが俺は喜んだ。何故ならその石は光を放っていたから。それはまさに俺にとってはまさに希望の光。この何も見えない程の暗闇の中でそれはまさに救いの光だった。そう……それを手に取る瞬間までは。

それを手にした瞬間、悟りました。これはまじでヤバいと。もう何がヤバいのか分からない程ヤバい物を自分は手に取ってしまったのだと。咄嗟にそれを捨てようとするも身体が動かない。まるで金縛りにあってしまったかのように。自分の体が自分のものではなくなってしまったかのような感覚。それに驚愕し、混乱する中、さらにそれ超える超常の事態が起こる。しゃべったのである。話しかけてきたのである。間違いなくその石が。頭の中に。まるで機械的な声で。およそ感情というものが感じ取れないような声で。


自分はマザーシンクレア、ダークブリングと呼ばれる魔石だと。そして自らのマスターとなれと。


そう簡潔に告げた。


俺はただ黙ってそれを聞いたまま固まってしまった。それを肯定と取ったのかマザーシンクレア……めんどくさいのでマザーでいいか、うん、マザーは淡々と今の状況を俺に向かって話しかけてくる。だがそんなことは何一つ俺の頭の中には入ってはこなかった。


何故なら俺は目の前の存在、マザーのことを知っていたから。それは知識として。それも漫画の中の一つとして。間違いなくそれはRAVEと呼ばれる少年漫画の世界。自分はどうやらその世界へと紛れ込んでしまったらしい。どう考えてもあり得ないような、頭がおかしくなったかのようなお伽噺。いや、それが夢であったならどんなに良かったか。厨二病の妄想として笑い飛ばすことができただろう。だがそれはできなかった。まず目の前のマザーの存在。それは間違いなく人智を超えた存在。これが夢ではない、現実である証。そして何よりも明らかな理由。それは


自分が子供に、金髪の子供になってしまっていたこと。それまで暗闇で確認できなかった姿がマザーの光によって映し出された。


それはルシア・レアグローブと呼ばれる人物。RAVE世界における正真正銘のラスボスだった―――――


ふざけんなああああああっ!?!? なんで俺、こんな身体になっちゃってんの!? 一体何がどうなってんの!? ああそうだよ、何となくそんな気はしてたよ? 子供の体になっちまったんだと薄々は分かってた。でもこれ、想像の斜め上どころか一周回って裏返るぐらいのでたらめぶり、めちゃくちゃな展開なんですけどっ!? どういうことっ!? 憑依するのも、RAVE世界に来るのもまあいいとしよう。まったくよくはないのだがそこはいいことにする。この世界って剣と魔法のファンタジー、愛と勇気と友情の物語だし、やはり好奇心はある。普通に転生でもよかったのだが憑依もまあ、ありだろう。もし物語の主人公であるハルや、その仲間たちになれたら、なんて妄想したこともある。実際にはそんなこと出来るはずもないし、戦うことなんてできっこないのだが。そんな子供じみた発想ぐらいは許されてもいいだろう。そしてどうやらどういうわけかその機会が訪れたらしい………


いやちょっと待てええええっ!? 何でルシアなのっ!? 何でよりによってルシアなの!? だってこいつって敵だよ!? もうどうしようもないくらいの悪役、RPGで言うなら魔王役じゃんっ!? もう既に死亡フラグが立ちまくってんじゃねえか!? 主人公に、ハル・グローリーに、レイヴにボッコボコにされる未来しか見えないんですけど!? まだ名前のないモブの方が百倍マシだっつーの!? しかも何でシンクレアなのっ!? ただのダークブリングでもヤバそうなのにシンクレアっ!? 完璧に悪の根源じゃないっすか!? 


凄まじい混乱状態、極限状態によって俺は正座したまま固まってしまう。だがその脳裏は走馬灯のように様々な思考が入り乱れていた。そんな俺の姿に気づいたのかマザーがさらに詳しく状況を説明してくる。頼んでもいないのに。なんかそう……あれだ。RPGの街の住人、NPCみたいに機械的に、事務的に。


五十年前、ダークブリングであるマザーは世界を滅ぼそうとした。だがそれはホーリーブリング、レイヴと呼ばれる聖石によって阻まれてしまった。だが何とか一命を取り留めたもののマザーは五つのシンクレアとなって世界へ散らばってしまった。その中でも自分の前にいるマザーは大本らしい。そして五つのシンクレアたちはそれぞれ新たな所有者、自らの主に相応しい存在を探し求めているらしい。それは先の大戦での経験。その戦いにおいてマザーは、ダークブリングは敗北してしまった。だがそれはレイヴだけの力ではない。その担い手、レイヴマスターであり、剣聖とまで呼ばれたシバ・ローゼスの存在があったからこそ。それに後れをとってしまったと考えたシンクレアは対抗するべくダークブリングを統べるに相応しい主を探し、そしてルシア・レアグローブ、呪われたレアグローブと呼ばれる血を持ち、金髪の悪魔と称される存在に目を付けたらしい。だが本来の流れとは違ってしまったのかルシアは既にマザーが来た時には命を失ってしまっていたらしい。そこでマザーはその大本の力、時空操作の力によって適性のある魂を呼び寄せたらしい。何でも死者を蘇生することは不完全な今の状態ではできなかったため。


そんなこんなで俺はめでたくこの世界へ召喚、もとい巻き込まれることになったのだった。


「ふう……」


大きな溜息を吐いた後、ゆっくりと立ち上がる。ゆらりと、まるで亡者のように。完璧な無表情。そのままその手にマザーを拾い上げる。手のひらに収まってしまうほど小さな石。だがそれはかつて世界を滅ぼしかねない程の力、大破壊を行った存在。世界の敵、まさしくこの世界を、並行世界を消滅させんとする意志。それを分かった上で


「ふざけんなあああああっ!?」


俺は力の限り、プロ野球投手顔負けの勢いでマザーを壁に向かって投げつけた。


『っ!?』


瞬間、初めてマザーがどこか驚いたような気配をみせる。どうやらいきなりの俺の行動に戸惑ってしまっているらしい。当たり前だ。マザーからすれば何故そんなことをされたのか見当もつかないはず。というか拒絶されるなんて展開なんてこれっぽちも考えていなかったに違いない。


ああそうだろう。こいつからすれば当たり前のことなのだろう。うん、別に世界を滅ぼそうとすることを止めはしないよ? 元々こいつはそういう存在なんだろうし、知識としてそれは知ってるから驚きはしない。でも……でもな……それに俺を巻き込むんじゃねええええっ!? 何? 何様なのこいつっ!? 勝手に呼び出しといて何ちょっとそこのコンビニまで行ってきてみたいなノリで世界滅ぼせとか言ってんの? やるんなら一人でやれっつーの!? っていうか他をあたれっつーの!? 何? 適性があるから? 知るかそんなそんなもん!? 魔王の適正ってなんだっ!? こちとら訳の分からない謎パワーもなければドンパチしたことすらないわっ! そこいらのおっさんにも負ける自信がある! そんな俺が世界を滅ぼす? 魔王になる? 冗談じゃない! ゲーム開始十秒でやられる自信があるわ! だいたいどうやってもお前ら負ける運命にあるんだっつーの! レイヴに勝てるわきゃねえだろ!? 悪は正義に負けるって昔から決まってんだよ! そんな負けが決まってるような、死亡フラグたちまくりの誘いなんて受けるか――――!?


俺はありったけの罵詈雑言をマザーに向かって叩きつける。声に出さずとも念じるだけで通じるらしいがこちらの頭の中、考えていることまでは読みとれないらしい。とにかくこんな奴に関わるわけにはいかない! 唯でさえルシアというこれ以上にない厄介な、死亡フラグの塊のような身体になっちまってんだ!? 加えてシンクレアまで持ってみろ!?  もうレイヴによって、エーテリオンによって星の彼方にまで吹き飛ばされるのが目に浮かぶわっ!? そんな命を張ったギャグをかます気は毛頭ないっ!そのまま一目散にその場を退散しようとした瞬間、


「っ!? 痛てえええええっ!? な、なんだこりゃあああっ!?」


凄まじい頭痛が俺に覆いかかってきた。突然に、何の前触れもなく。本当に頭が割れてしまうような頭痛がいきなり起こりはじめる。その痛みに場に蹲ることしかできない。だが頭を抱えながらも俺はその光景を目にした。そう、マザーが妖しく光っている。まるで何かの力を放っているかのように。間違いなく俺にむかって。どうやら俺を汚染しようとしているらしい。俺が予想外に反抗したために実力行使に出たらしい。血も涙もない存在。まさに悪の権化ともいえる魔石の為し得る技、理不尽だった。それはまさに洗脳に近い物。ダークブリングは持つ者に超常の力を与える。だが心の弱い物はそれに取りつかれてしまう。まさに悪魔の存在。そして目の前にいるのはその母なる存在、マザーシンクレア。その力は他のダークブリングとは文字通り桁が違う。その汚染から、洗脳から逃れることなどできない。だが


「こ……このやろう……人間様をなめんじゃねええええっ!?」


それを覆すことができる、まさしく常識外れの存在がここにはいた。


あろうことか目の前の存在は自分の洗脳をはじのけながら自分を何度も壁に叩きつけ始めたのだった。およそ考えられない前代未聞の事態だった。


『っ!?』


その事態に流石のシンクレアも焦りを隠しきれない。当たり前だ。まさか自分の支配を逃れる存在がいるなど想像もしていなかった。それはマザーのミス。マザーはその力でルシアの身体に適性がある魂を呼び出したつもりだった。だがマザーは自分でも気づかない内に間違いを犯してしまっていた。マザーはルシアではなく、自分自身に適性のある魂を、マスターを呼び寄せてしまったのである。


「おらああっ! この石ころ風情が! なめてんじゃねえぞ!」


そんな事情など露知らず、少年はマザーを何度も何度も壁に叩きつけまくる。力の限り。これまでのうっ憤を晴らさんと、恨みを晴らさんとするごとく。だが洗脳が、汚染が全く通じていないわけではない。事実その力によって絶え間ない頭痛が襲いかかってくる。だがそんなことなど頭にはなかった。ただこのふざけた石ころに身の程をわきまえさせてやるという感情だけ。もはや目の前の存在が何であるかもすっかり忘れ去ってしまっていた。本当ならマザーはその力で少年を消し飛ばすこともできるのだがやっと見つけた担い手足りうる存在、そして何よりもこの訳が分からない状況に翻弄されてしまいされるがまま。だがマザーには傷一つ付かない。ダークブリングは単純な力では破壊できない。それを破壊することができるのはレイヴ、そしてプルーだけ。さらにシンクレアであるマザーを破壊するには完全なレイヴかエーテリオンを以てしか破壊することはできない。しかしそんなことは少年とて知っている、分かっている。だがそれでも少年は止まらない。一応闇属性の適性を持っている、その片鱗が垣間見えるかのよう。ダメージは受けないものの、何度も壁に叩きけられるのはマザーも堪えるのか制止の声をあげるもそれは止まらない。


ただの人間が最強最悪の存在である魔石をボコボコにするという、知る人が見れば目を疑うような光景がしばらく続いたのだった―――――




「ハアッ……ハアッ……」


ち、ちくしょう……何だか勢いに任せて暴れてしまったがとにかく落ち着こう。やっぱ物理ではどうにもならんか。とにかく困った時は物理を上げて殴ればいいと聞いていたがまだレベルが足りなかったか……し、しかし結果的には助かった。もうさっきまでの頭痛はなくなった。どうやらこいつもあきらめたらしい。どういう理由かは知らんが俺には通用しなかったらしい。もっとも頭痛は凄かったし、あのままずっと続けられたら流石にヤバかったが……というか俺、後一歩で死ぬところだったんじゃねえ? だってこいつ、あのシンクレアですよ? 漫画で言えば黒幕、ゲームで言えば隠しボスみたいなもんですよ? そんな奴に喧嘩売るなんて正気の沙汰じゃない。俺は既に正気でなくなってしまったのか……いや、そんなことはない! 俺は一般人だ、ノーマルだ! 


そんなことを考えているとしばらく黙りこんでいたマザーが再び話しかけてくる。どうやら何かを考え込んでいたらしい。一体何なのか。とうとう実力行使に出るつもりなのか。これはもう土下座するしかないかと戦々恐々としていると想像もしていなかった言葉が告げられる。


『自分と契約すれば何でも願いをかなえてやる』と。


そんなどこぞの白い営業マンのような謳い文句を。どうやら強制的ではなく、契約を結ぶ形にしようと考えたらしい。先程までと比べれば随分常識的だった。もっともそれでも十分以上ではあるのだが少しはマシになったといえるだろう。


だが怪しさ満点だった。これを簡単に信じれるほど俺は馬鹿ではない。どうみても罠だった。確かにこいつにはそれだけの力を持っているのかもしれん。しかしそれが真っ当に叶えてもらえるのかすら定かではない。どっかの黒い願望機ばりに悲惨な目にあいかねない。っていうかそれなら俺を帰してくれません? あ、それはダメ? ちゃんと契約を果たしてから? そう……え? でもそれって世界を滅ぼした後ってこと? それって矛盾してない? そうなったら願いもくそもあったもんじゃないだろっ!? は? 心配することはない!? 何で!? おい、ちゃんと答えろっつーの!? 


何とか会話を試みようとするも上手く疎通ができない。あっちが一方的に用件を伝えてくるだけ。会話のキャッチボールが成り立たない。元々会話などしたこともないのだろうから無理はないのかもしれないが。だが何にしても契約なんてするわけにはいかない。間違いなくロクな目に合わない。というか死ぬに決まってる。ルシアの身体にシンクレアとか無理ゲーすぎる。何としてもこいつを追っ払わなければ! そうなれば俺はただの子供。ダークブリングにもデーモンカードにもレイヴや主人公たちにも関わらずにひっそりと暮らすことができる……はず……


あれ……? 俺、なんかとんでもないこと忘れてるような気がするんだけど……うん、そう、確か俺って今……


そのまま改めて辺りを見渡す。マザーの光によってうっすらとではあるが周りの景色が見える。それは監獄だった。もうどうしようもないくらい分厚く、巨大な監獄だった。そう、今の俺は子供のルシアになってしまっている。それはつまり、俺は今、金髪の悪魔として幽閉されてしまっていると言うことだった。


その事実に息を飲み、冷や汗が流れる。そう、確かルシアは十六、七歳になるまで、正確にはDCの司令官であるキングが敗北するぐらいまではここに留まっていたはず。しかもこの監獄、確かなんかすごい代物だったはず。子供の俺がここから脱出できるはずもない。もしかしたら成長すればルシアの身体だし何とかなるのかもしれない。でもどう考えてもその前に俺、精神的に死んじゃいますよ? こんな暗い空間で、誰もないところで、ずっと閉じ込められるなんて……


悟るしかなかった。自分には既に選択肢など無かったのだと。目の前の魔石と、悪魔と契約することでしかこの暗闇から脱出することができないのだと。


幸いにもマザーはそのことにはまだ気づいていないらしい。それは好機でもある。もしそのことに気づかれれば脅迫されてしまうかもしれない。そうなれば無理な条件を飲むしかなくなってしまう。今ならまだ対等……とはいかないまでも一方的に強制されたり操られたりするような状況にはならない。それにこいつの言うことを素直に聞く必要もない! とにかくここを脱出できればいいんだ! その後には用済みとばかりにそこらへんに投げ捨てればいい! うん、それで行こう! 


「分かった、契約してやる。だが俺の言うことには従ってもらうからな。いいな?」


俺の言葉にマザーは何度か点滅しながら応える。どうやら了承のつもりらしい。ちゃんと話しかけてこないところにそこはかとなく不安を感じるがまあいいだろう。俺は改めてシンクレアをその手に掴む。


瞬間、凄まじい力が、波動が巻き起こった。


その強力さに、禍々しさに目がくらみそうになる。その力が自分になじんでいくのを感じ取る。この世界を滅ぼすことができるほどの力を持つ存在が、自分と一体になっていく。まるで生まれ変わるかのような感覚とともにそれは収まって行く。自分の姿には何の変化もない。その手にあるマザーもそのまま。だが確かに俺はこの瞬間、マザーシンクレア、ダークブリングと契約を結んだのだった。その力、感覚にも戸惑いながらも俺はとりあえず最初の命令を、力を振るわんとする。


「よし、まずはここから出るぞ。マザー、そこの壁を壊してくれるか?」


俺は何の気なしにマザーへと告げる。とにかくここからでなくては。いつまでも暗闇の中にいるのは御免だ。だがどうやって力を使えばいいのか分からない。ここはひとまずマザーに任せることにしよう。何でも俺を呼び寄せるため、そして五つに別れてしまっているため全盛期の力はないらしいがそれでもこの壁に俺が通れるぐらいの穴は開けれるだろう。仮にもマザーシンクレアなんだし。そんなことを考えた瞬間


この世の物とは思えないような爆音と、衝撃が巻き起こった。


「………え?」


そんな声をあげたことすら俺の頭にはなかった。ただそこには穴があった。いや、何もなかった。消え去ってしまっていた。その何重にも重ねられていた、絶対に脱出することができないはずの壁が。まるでゼリーを切り取るかのように。あっさりと、無造作に。

自らの手にあるマザーが光り輝いている。まるで喜びを現すかのように。自らの求める、相応しい主を得られたことによって。そしてかつての雪辱を、レイヴを葬り、世界を破壊することができる喜びによって。少年は気づくのが遅すぎた。


自分が絶対に結んではいけない悪魔との契約を結んでしまったことを。



追伸   母さん、父さん……俺、ダークブリングマスターになりました。



[33455] 第三話 「運命の出会い」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/06/19 23:42
どうも、ダークブリングマスターです。なんでこんなことになったのかよく分かりませんがマザーシンクレアと呼ばれるダークブリングと契約し、マスターになりました……


どうしてレイヴマスターではなくダークブリングマスターなのか、もうこれはいじめなのでは、いやがらせなのではないだろうか……まあそれはともかく置いておいて、今、俺は真っ暗な監獄の中にいる。何も見えない。かろうじてマザーの光があるだけ。


え? お前は前話で脱出したはずじゃなかったかって? そう、その通りだ。俺はあの時、マザーの力によってこの監獄の壁を破り、脱出することができた。そこまでは完璧だった。そのあまりに凶悪な力にドン引きしながらもとりあえずは自由な身になれたことで喜び、そのまま意気揚々と脱出した瞬間までは。


まばゆいほどの太陽の光、そしてどこまでも続く果てしない砂漠。地平線の果てまで続くような真平な世界を目の当たりにするまでは。


「………」


それを前にして少年はしばらく呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。当たり前だ。やっとあの訳が分からない暗闇から、監獄から脱出できたと思ったら何故か出た先は一面砂漠だったのだから。ここに至ってようやく少年は思い出した。そう、この監獄、メガユニットは砂漠にあったのだということを。流石にそんなことまで覚えていなかった。いくら知識があるといっても何でも知っているわけでも、覚えているわけでもない。


ははっ……どうなってんのこれ……? やっと脱出できたと思ったらこれ? ダメじゃん? いくら出れてもこんな砂漠があるんじゃどうしようもねえぞ? いくらルシアの体だとはいってもまだ恐らくは四、五歳。こんな砂漠を横断できるはずないっつーの!? ち、ちきょう……これじゃあ何のために悪魔に魂を売ってまでマザーと、ダークブリングと契約したのか分かったもんじゃない! わかってりゃこんな奴と契約なんて……


少年が絶望に打ちひしがれ、その場にがっくりと首を垂れていると、手に持ってたマザーが光りながら話しかけてくる(といっても頭の中にだが)どうやら少年の様子がおかしいことを気にしているらしい。


ん? 何? 何でそんなに落ち込んでいるのかって? 見りゃ分かんだろうが!? 辺りが砂漠で困ってんだよ!? え? お前そのこと知ってたって? あ、そう………


「ふざけんなああああああっ!? 知ってたんならさっさと言えやああああっ!?」


少年は魂の叫びを上げながら力の限りその手にあるマザーを砂漠の彼方に向かってぶん投げた。それはもう盛大に。全ての恨みを、うっ憤を晴らすかの如く。そのままマザーは美しい流線形を描きながら広大な砂漠へと投げ捨てられる。もう用はないと、役立たずはいらないと言わんばかりの勢いで。少年は何とか息を整えながらもそのままその場を離れて行く。


ったく……酷い目にあったぜ。何が聞かれなかったから答えなかった、だ。詐欺師の典型みたいな言い訳しやがって。もうあんな奴に用はない。元々こうする予定だったんだからそれが早まっただけだ。まさか契約して数分の内に解約することになるとは。クーリングオフを遥かに超えるスピード解約だ。さて……これからどうすっかな。理想としてはこのままこの施設を行き来している飛行機なり、車なりに身を隠して乗り込ことなのだが上手くできるだろうか。というか早く隠れないと警備に見つかってしまう。あんな大きな穴開けたんだし、今頃大騒ぎになってしまっているはず。そうと決まればさっさと施設に戻って身を隠すことにしよう。


少年がそう判断し、踵を返そうとした瞬間、ふと違和感に気づく。それは自分の掌。何もなかったはずの場所。


そこにまるで当然のようにマザーの姿があった。


「なんじゃこりゃああああっ!?!?」


少年はそのあり得ない事態に驚き、悲鳴をあげる。だがそれは無理のないこと。さっき確かに捨てた筈のマザーが何故か自分の掌にあるのだから。もうちょっとしたホラーだった。混乱している少年をよそにマザーがいつもと変わらない機械的な声で話しかけてくる。何でも自分とマザーは契約をしたことでダークブリングの力を、様々な感覚を共有できるようになったらしい。そしてシンクレアは自らの定めた主が死ぬか、他に相応しい主が現れるまでは絶対に傍から離れないようになっているらしい。これでもし、シンクレアが何者かに盗まれたとしても心配はない。それと許すのは今回だけ。もし今度同じように自分を捨てようとすればどうなるか分かっているな。要約するとおおよそこのような内容をマザーは少年へと伝えてくる。だがやはり怒っているのか心なしか声に凄味が、放っている光に怒りが込められているような姿。それを前にして少年は顔を引きつかせ、背中に冷や汗を流すことしかできなかった。今更ながらの後悔していた。マザーと、ダークブリングと契約してしまったことを。その辺りに捨てておけばいいと甘く考えていた自分自身に。そんな訳がなかったのだ。言うならばこれは呪いのアイテム。自分では捨てることができない、どうすることもできない悪魔だったのだ―――――



「はあ……」


溜息を吐きながらも俺はそのまま自分の前にあるマザーへと目を向ける。今、俺とマザーは監獄の中にいる。マザーは光を放ちながら俺に向かって話しかけてきている。いや、正確にはこの世界の情勢や、知識を教えてくれている。元々違う世界の存在である俺に知識を与えることが目的らしい。もっとも本物のルシアであっても子供であるため教えるつもりだったとのこと。流石はダークブリングの母なる存在。およそ知りたいことの全て教えてくれる。頼んでもいないのに。俺が表面上はやる気をみせているのも理由だろう。明らかに機嫌が良さそうだ。まだ出会って三日ほどだがそれぐらいは分かるようになってきた。一応意志のようなものはあるらしい。だがその力はまさに神の、悪魔の力と言ってもいい物だった。何故俺達がまだこの監獄の中にいるのか。それはこいつのせいだった。


あの後、マザーと言い合っている間に俺は警備たちに囲まれてしまった。当たり前だ。唯でさえ異常事態を引き起こしてしまったのに、そのすぐ傍で馬鹿みたいに言い争いをしてしまっていたのだから。俺は考えた。このまま投降するべきか、抵抗するべきか。相手は複数。しかも銃を持っている。しかもさらに応援が向かってきているらしい。対してこちらは子供。確かにダークブリングマスターの力は手に入れたものの、その使い方も分からない。何よりもここで抵抗しても得るものはほとんどない。砂漠を脱出できなければ意味がないのだから。ここは方針を立て直す意味で大人しく捕まっておこう。もし死ぬような目にあわされるならその時には悪いけどマザーに頼んで、そこまで考えた瞬間、


凄まじい力がマザーからまさに放たれんとしていることに気づいた。しかも間違いなく先程壁に大穴を開けた時以上の力が。


「ちょ、ちょっと待てえええええっ!?」


突然の事態に驚愕しながらも何とかそれを抑えようとするも抑えきれず、その力が放たれてしまう。だがマスターとしての力を知らぬ間に使っていたのか、それは本来の軌道をそれ、あさっての方向に放たれていった。まさに間一髪。それが収まった後には二十メートル程のまるで大きな球体が物体をえぐり取ってしまったかのように、何も無くなってしまっている建物だった場所があった。


空間消滅 『ディストーション』


それがマザーのダークブリングとしての能力。作り出した球体内にある全ての物質を、空間を消滅させてしまうというデタラメな力。かつて世界を震撼させたシンクレアの力の一端だった。


それを目の当たりにした警備兵たちは、その力に恐怖し、悲鳴を上げながら、大混乱をおこしながら我先にと逃げ去っていく。その絶対的力の差を本能的に感じ取ったが故の行動。だがそれを逃がさないとばかりにマザーが再び力を放とうとするのを何とか少年は必死に抑える。というかもはや何がどうなっているのか分からない中で少年はただ力任せにマザーを止めようと悪戦苦闘している。端から見れば石と戯れている小さな少年なのだが本人は命がけ、必死だった。


ちょ、ちょっとお前何やってんの!? 何普通に大虐殺をしようとしてんの!? え? 俺を狙ってたから? そっか、俺のために……じゃなくてっ!? いいからやめろっつーの!? ここで暴れても何の意味もないだろうが!? そんなことしたらここから脱出する方法が無くなっちまうだろうが!? え? 何人か生き残りがいればいいって? 何なのその思考っ!? 一かゼロかしかないのかお前かっ!? とにかく俺の言うこと聞けっつーの! 大体、契約の時に俺のいうこと聞くって約束したじゃねえかっ!? そんなこと言ってない? この野郎……やっぱあの時、声を出さなかったのはそれが狙いか! 汚えぞこんちくしょう! 分かった、ここでどっちが上かきっちり分からせてやる! 覚悟しろよこらああああっ!!


少年とマザーはそのまま醜い仲間割れを起こしながらその場を転げまわっていく。もっとも少年が一方的にマザーに殴りかかっているだけ。しかもマザーには何のダメージも与えられないと分かっているにも関わらず少年は向かって行く。子供以下の精神年齢といってもいい有様。だがその間に監獄にいた警備員たち、そして囚人たちはあっという間に逃げ去って行ってしまう。気づいた時には既にこの監獄には少年とマザーだけ取り残されてしまっていた。少年はその状況に途方に暮れることしかできなかったのだった―――――



そんなこんなで少年とマザーは結局監獄の中に戻り、時間を過ごしていた。マザーの攻撃によって施設は半壊し、設備が使えなくなってしまったこと、砂漠の暑さを凌ぐため結局監獄の中に戻るしかなかったのは皮肉としかいいようがない。飛行機や車の類も全てなくなってしまっていた。もっともあってもこの体では使えるはずもなかったのだが。幸いにも食料と水はあったためそれに困ることがないことだけが救いだった。だが少年もただ無意味にここでじっとしているわけではなかった。それはあるものができるのを待っているため。


新たなダークブリングをマザーが作ってくれるのを待っているためだった。


作り出すと言うのは語弊がある、生み出すと言った方が正しいだろう。少年はマザーから知識を得ている中でそれを知った。マザー、そして他の四つのシンクレア達からダークブリングは生まれているのだと。故にシンクレアたちは母、マザーと呼ばれているらしい。そのことをこの時、少年は思い出した。確かキングもエンクレイムと呼ばれる儀式でダークブリングを生み出していた。もっともそれは大量のダークブリングを作り出すため。少量のダークブリングは常にシンクレアから生まれ続けているらしい。その瞬間、少年は閃いた。そう、マザーにこの状況を解決できるダークブリングを作ってもらえばいいのではないかと。

恐る恐る少年はそれをマザーに尋ねてみた。何も本気にしていたわけではない。もしできたらいいなあ、くらいの、軽い冗談のつもりだった。だが何でもないことのようにマザーは答えた。できると。狙った能力を生み出すのは少し時間はかかるが可能だと。

はっきり言って反則にも程がある、言うならば助けて○ラえもん状態である。だが俺にとってはまさに光明が差した瞬間だった。それができるのならばこの状況も何とかできる。問題はその能力。頼むにしてもやはり元々RAVEの世界に出てきた能力をにした方がいいはず。それならきっと生み出すこともできるだろう。俺は悩んだ末に一つのダークブリングを生み出してもらうことにする。

それは『ワープロード』と呼ばれる瞬間移動のダークブリング。人や物体を呼び寄せたり、送ったりする能力を持つ、かつてキングが持っていたダークブリングだ。これが手に入ればここから脱出することもできるし、これからの生活で役に立つはず。ダークブリングを使うことに思うところ、抵抗が無いと言えば嘘になるが背に腹は代えられない。結局死んでしまえば何の意味もない。何よりもマザーと契約してしまった以上、避けては通れない道だ。


そう、俺は覚悟していた、いやあきらめたと言ってもいい。自分がこのマザーと離れることができなくなってしまったのだと。それは先日、いくら投げても手元からなくならなかったことからも明らか。もはや逃れることはできないと悟るしかなかった。だがそれでもこのままこいつの思い通りに世界を破壊する気など毛頭ない。いくら漫画の世界だからといっても俺が今いる世界だ。無くなってもいいなんて思っちゃいない。だが俺ではこいつを倒すことはできない。できるとしても少し抑えるのが関の山だろう。だが希望はある。


ハル・グローリー。


主人公であり、二代目レイヴマスター。シンフォニアの末裔。RPGでいえば勇者にあたる存在。


そう、ハルに助けてもらえばいいのだ! 名実ともに主人公であり、ダークブリングの対となるレイヴを持つ存在。彼ならきっと俺を助けてくれるはず。その力でマザーを、シンクレアを倒してくれるはず。俺ではなくマザーを。俺ではなくてマザーを。大事なことなので二度言いました。これならば何とかなるはず! 他人任せだと言う声が聞こえてきそうだがあえて無視する!

だが大きな問題がある。それはまだ今ハルは子供であるということ。ルシアと同い年なのだから恐らくはハルもまだ四、五歳のはず。レイヴマスターにすらなっていない。ならばハルが成長しレイヴマスターになるまで俺は待たなければならない。いや、正確にはハルがシンクレアを倒せる強さになるまで。

うん……それってめちゃくちゃ先だよな……少なく見積もっても俺の身体が、ルシアが十七歳ぐらいなるまでか。それまで時間稼ぎをするのが俺の役割というわけだ。でもちょっと待ってくれよ? ハルたちが成長したのって間接的にルシアっていう存在が、ライバルがあったからだよな? ということは何か? 俺がその役割を果たさなきゃならんわけ? ははっ……冗談だろ……まるで自分を倒しに来る勇者を魔王自身が育てなければいけないような意味不明の状況。い、いや! 倒されるのはマザーであって俺ではないのだが! だ、だがやるしかない……じゃなきゃこの世界がどうなるか分かったもんじゃない!? 俺が来たせいで世界がバッドエンドになりましたなんて洒落にならん!? 


そんなこんなでとりあえず俺は方針を決めた。『ハル助けて!』という何とも情けない作戦ではあるが仕方ない。他に方法もないのだから。


いや、もう一つ、方法を思いつきはした。それはマザーを他の誰かに渡すこと。それができれば俺は晴れて釈放、自由の身という悪くない手だった。

だがふと気づいた。一体誰に渡せばいいのかと。マザーの話ではシンクレアは自らの主に相応しい者にしか持てないらしい。ならば渡せる、もとい押し付けれる相手は限られる。


『ドリュー』 『オウガ』 『ハードナー』 『アスラ』


この四人が原作の時点でシンクレアを持っていた人物たち。こいつらならきっとマザーを持つこともできるだろう。だが渡した後が問題だ。そう、そうなれば間違いなくこいつらは力を増してしまう。当たり前だ。シンクレアを二つ持つことになるのだから。そうなればどんな不測の事態が起こるか分からない。誰かがシンクレアを独占してしまうかもしれんし、ハル達が原作通りなら全滅してしまうことだってあり得る。もしかしたら主人公補正が働いて何とかなるかもしれんがあるかどうかもわからない補正に賭けるなんて怖すぎる。


そしてもう一人が『キング』


言うまでもなく第一部のラスボスであり、ルシアの実の父。間違いなくキングならシンクレアを持つ資格があるだろう。だが原作ではキングの強さは凄まじく、ハルとその父であるゲイル・グローリーが二人がかりでやっと倒したほどの化け物。そんなキングにシンクレアが渡ってしまえば間違いなくハル達に勝ち目はない。というかキングと会うこと自体が自分にとっても死亡フラグだ。一応身体は実の息子なのだから。しかも本物の息子では、ルシアではないと知られればどうなるか。想像するだけで死んでしまいそうだ。


結局、自分が持つしかないのだという結論に至るしかなかった。だが持っているだけでも危険があることに今更ながらに気づく。そう、シンクレアを狙う者は文字通り山のようにいるのだということ。先程挙げた人物達がその最たるもの。四天魔王のアスラはともかく他の奴らは間違いなくシンクレアを、俺の命を狙ってくるはず。原作でも最強クラスの連中が命を狙ってくるなんて怖すぎる。

何? この四面楚歌? 絶望しかないんだけど? マザーだけでも精一杯なのに命を狙われながら、ハル達を導く……だと……? 過労で死にそうなんですけど……っていうかそんなことできんの……?


そうなれば自衛するしかない。当たり前の、当然の結論である。死ぬのはごめんである。いくらラスボスの身体だからといっても殺されるのはごめんだった。本当ならマザーに丸投げしたいところだがそうはいかない。さっきの惨状を目の当たりにしたのだから。

空間消滅。それがマザーの力。それがあればキング級の相手でない限り後れを取ることはまずないだろう。だがそれがあまりに強力すぎる。触れたものを全て消滅させる力。例えるならダイの大冒険の魔導師、ポップが使っていたメドローアという呪文に近い。使われた相手はほぼ確実に死、もしくは身体の一部を失うことになる。即死魔法に近い反則具合。いつまでもこのままにしておくわけにはいかない。この辺も何とかしなければ。幸いにもマザーは他のダークブリングも生み出せるようだからそれで何とかするしかないかもしれない。あれ? 俺、もしかして引き返せないところまで来ちゃってる……?


とりあえず、俺はこれからのことについてマザーに説明した。一言でいえば成長するまでは力を蓄えるということ。もちろん時間稼ぎが本当の狙いなのだが口には出さない。

この身体のままでは十分には力が発揮できないこと。そして他のシンクレアの所有者に命を狙われるかもしれないこと。もし派手に暴れればレイヴマスターであるシバ・ローゼスがやって来るかもしれないこと。もっともらしい理由を挙げた。

もっともシバは既に年老いており全盛の力はないためマザーには敵わないだろう。レイヴマスター選定の儀の時のように若返る薬を飲めばその限りではないが。それによってレイヴがハルの手に渡らなくなってしまえばおしまいだ。絶対にシバには接触するわけにはいかない。どうやらマザーもシバに対しては、レイヴマスターに対しては思うところがあるのか簡単にそれを了承した。助かった……ここで今のレイヴマスターなど敵ではないとか言われたらどうしようかと思った。やっぱ五十年前にやられたのはトラウマらしい。もっともまだ俺が小さな子供なのも理由だろうが。

だが悲しいかな、俺自身が力を付けなければいけないのは本当だ。命を狙われていることもだが、マザーにばかり任せていたら大変なことになる。襲いかかって来る奴みんな皆殺しになりかねん。まあ自業自得かもしれんが。そしてハルたちに強くなってもらうためにもある程度の強さはどうしても必要になってくる。

うん……俺、戦えるのかな? 一応ルシアの身体だし、何とかなるのかもしれんが……不安しかない。だが心なしかマザーが楽しそうだ。何かノリノリになってるような気がする。あの……何か邪悪なこと考えてませんか? マザーさん……何か光の妖しさが五割増しぐらいになってるんですけど……


ま、まあそれは置いておいて、やっとできました、ワープロード! どうやって生むのかと思ったら何かマザーが光った瞬間、コロンと落ちてきました。そんな飴が出来たみたいなノリでいいのかと突っ込みたいところだがまあいいだろう。

とりあえずそれを手にとってみる。大きさはマザーと変わらない。ただ石に刻まれているマーク、紋様がある。これがダークブリングを区別するためのものらしい。だが驚くべきことがおこる。そう、いきなりダークブリングが、ワープロードがしゃべってきたのである。マザーのように、頭の中へと。どうやらこれがダークブリングマスターとしての能力らしい。確かにマスターに相応しい力かもしれんがもっと他に何かなかったのか

……え? ダークブリングの力を百パーセント引きだすためには必要な能力だって? あっそう、何? 心を通わせると力が増すんですか? それってまるっきり正義側の論理じゃない? あっ!? い、痛てててっ!? やめろ、分かったから頭痛を起こすのをやめろっつーの!?


そんな理不尽なマザーのお仕置きを受けている中、ワープロードが挨拶をしてくる。とても礼儀正しい青年の様な声だ。思わずこちらまで背筋を伸ばしてしまった。どうやらダークブリングにも性格やらなんやら色々あるらしい。性別もあるのだろうかと思ったが聞くのをやめた。石ころの性別を気にするとか訳が分からん。そんな趣味はないし持つ気もない。とにかくまじめに話を聞くことにする。


どうやらワープロードは任意の人や物を瞬間移動させることができるらしい。もっとも移動させることができるのは自分自身、またはその所有物だけらしい。まあ当たり前か。相手を飛ばせたらどんだけ反則だっつー話になる。

そしてもう一つ、これは一度行ったことのある場所にしかいけないらしく、もしそれがない場合は完全にランダムになるらしい。なるほど……確かに俺自身はここ以外どこも行ったことがないしな……だがいつまでもここにいるわけにはいかない。どんな場所でもここよりはましだろう。とりあえず人がいる場所には出れるように調整してくれるらしいし、後は出たとこ勝負だっ! 今より状況が悪くことなんてあるわけないしなっ! では――――!


俺はそのまま手に持つワープロードに力を込める。瞬間、未知の力が俺たちを包み込む。まばゆい光によって思わず目を閉じてしまう。だがそれが次第に弱まって行き、何とか目をこすりながらも、目を開けたそこには先程までの暗闇の監獄はなかった。あるのは


水平線の彼方まで広がっている、青い海、そして澄んだ青空だった――――


「おお!!」


その光景に思わず歓声をあげてしまう。さっきまでとの光景の違い、そして本当に瞬間移動をすることができた感動からだった。辺りを見渡してみる。どうやらここはどこかの海岸らしい。いきなり街中にでも瞬間移動したらどうしようかと思っていたので好都合だろう。今は布切れ一枚しか着てないし、ボロボロの恰好をした金髪の子供とか怪しすぎる。

とにかくここがどこかを確認しないとな。手にあるワープロードは疲労しきっている。どうやらまだ生まれたばかりのせいか、力を使い果たしてしまったらしい。確かに生まれたばかりの子供の様なもんだしな、声は青年だったけど。そんなことを考えていると


「あれ? お前誰だ?」


そんな子供のような声が後ろからかけられる。思わずその声にのけ反ってしまうものの、何とか平静を装う。


だ、大丈夫だ……子供に見つかっちまっただけ。何も慌てることはない。適当にごまかしてからすぐに逃げてしまえばいい。うん、そうだ、そうしよう!


少年はそのまま何食わぬ顔で自分に声をかけてきた子供に向かって振り返る。だが瞬間、少年の顔は驚愕に染まる。その子供の姿によって。


小さな子供。歳は恐らくは自分と同じぐらいだろうか。活発そうな子供だ。だが何よりも目を引くのはその髪。


銀髪だった。


もうこれ以上にないくらい完璧な銀髪だった。自分の金髪とは何もかもが対照的な髪。それを前にして少年は口を開けたまま、ただその場に立ち尽くすことしかできない。



それが少年、ルシア・レアグローブ(仮)とハル・グローリー。二人の運命の子供の定められた出会いだった―――――



[33455] 第四話 「儚い平穏」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/07/09 01:08
「ハルー! アキー! 朝ごはんできたわよー! 早く下りてきなさーい!」


大きな声が家の中に響き渡る。その声の主である少女はエプロンを身に付け、手にはお玉というまさに主婦の様な格好。だがそれがあまりにも絵になっている。長い黒髪に見事なプロポーション。それがこの島、ガラージュ島で一番の美人と言われるカトレア・グローリーだった。


「ごめん、姉ちゃん、昨日ちょっと夜更かししちゃってさ……」


まだ眠いのか、寝癖の付いた髪、手で目をこすりながら銀髪の少年が二階から下りてくる。少年の名はハル・グローリー。その名の通り、カトレアの弟であり、今年十二歳になったばかりの元気な男の子。だが朝からカトレアに怒られてしまうのはではないかとびくびくしている。どうしても姉には頭が上がらない、一言でいえばシスコンの気があるのがたまに傷だった。


「ったく……夜更かしすんのはいいけど俺まで巻き込むなよな、ハル」


そしてハルの後に続くようにもう一人の少年が溜息を吐きながら二階から下りてくる。それは本来ならこの場にいるはずのない人物。何故ならこの家はハルとカトレアの姉弟の物なのだから。その髪は金髪。そして顔には大きな切り傷があるハルと同じ十二歳の少年。それがアキ。グローリー家に六年前から居候している少年の名前だった―――――



「「「いただきます」」」


慌ただしくも食卓に着いた三人は手を合わしながら朝食を食べ始める。食べ盛りなのかまるで親の仇に挑むかのような勢いでハルが朝食にかぶりつき、それをアキは呆れ気味に眺め、カトレアが行儀が悪いとハルを嗜めている。賑やかさに溢れた食卓。それがここ、グローリー家での日常風景だった。


「ハル! そんなに急いだら身体に悪いでしょ! ちゃんとよく噛んで食べなさい!」
「わ、分かってるって……そんなに怒ることないだろ?」
「いいからちゃんと言うことを聞きなさい。少しはアキを見習ったらどうなの?」
「そうだぞ。少しは俺を見習ったらどうなんだ」
「おい、何でアキがそこで出てくるんだよ! お前、オレの味方じゃねえのかよ!?」
「何言ってんだ、ハル。俺はいつだってカトレア姉さんの味方だ……というわけでカトレア姉さん、俺と結婚して下さい!」
「っ!? ア、アキ!? またお前そんなことを!? いい加減冗談でもしつこいぞ!」
「心配するな、ハル! 俺はいつだって本気だ! ちゃんと老後までプランはできてる、安心しろ!」
「ね、姉ちゃん! 姉ちゃんも何とか言ってやってくれよ!」
「そうね、アキがもう少し大きくなったら考えてあげてもいいわよ」
「マジすか!? 喜べハル! 俺はお前の義兄になるんだぞ! これからは俺のことを兄さんと呼べ!」
「あら、それはいいかもしれないわね。アキ、本当にハルのお兄さんみたいだし」
「なんでそうなるんだよ!? 二人ともちゃんとオレの話聞いてくれてんのかよ!?」


全く自分の話を聞いてくれないアキとカトレアへハルが声を上げながら抗議するもアキは面白がり、カトレアはいつも通りのことだと受け流すだけ。裏表のない真っ直ぐな、悪くいえば単純な性格のハルはいつも割を食うのがこの家でのお約束。ハルはしばらく騒ぎながらも収拾がつかないとあきらめ、そのまま食事を済ませた後、二階の自室へと戻って行く。もっともこれから遊びに行く準備をしに戻って行っただけなのだが。それを微笑みながら見送った後、カトレアはそのまま朝食の後片付けを慣れた様子で始める。それを邪魔しないようにアキはリビングのソファへと移動し、腰をかけ新聞を読み始める。まるで本当に夫婦のように息が合ったやりとり。とても十二歳の少年とは思えないほどの堂の入りようだった。もっとも、それは当たり前ことだったのだが。


ふう……全く、ハルの奴、もうちょっと落ち着きをもてっつーの……まあ十二歳の子供なんだから仕方ないと言えば仕方ないが、やっぱりあいつ、重度のシスコンだな。口を開けばねーちゃんねーちゃん言ってるし……うむ、だがカトレア姉さんについては残念ながら俺は本気だ。マジで結婚して下さい。その洗い物の後ろ姿だけでもうノックアウト寸前です。最近ますます美しさが、色気が増してきてるような気がします。ぜひ四年後ぐらいにプロポーズするまで待って欲しい……っといかんいかん、話が脱線しすぎてしまった。ごほんっ、お久しぶりです、アキです。ダークブリングマスターです。めでたく今年で十二歳、大きく成長しました、元気です。え? 何? 時間が経ちすぎてるって? しかもいつまにか名前が変わってるって? ははは……それから色々あったんですよ……そうだな、どこから話したものか……うん、とりあえずはガラージュ島に、ハルに出会った時からにしよう。

あの時、俺はワープロードを使って瞬間移動した。だがその行先は完全にランダム、運任せ。だがそれがまさかガラージュ島、ハルがいる場所になるなんて誰が想像できるだろうか。間違いなく何かの力が働いていると思わざるを得ない程の状況。しかしそんなことを言っていても仕方ない。とにかく俺はその場から脱出しようとしたのだがワープロードは力を使い果たし、すぐには使えない。加えてここは島。子供の俺ではどう頑張っても脱出することもできない。仕方なく俺はそのままハルに村に連れて行ってもらうことになった。このまま野たれ死ぬわけにもいかなかったからだ。だが大きな懸念材料があった。

それは言うまでもなく自分の胸に掛けられてる宝石、シンクレア。もしかしたらマザーがハルのことを二代目レイヴマスターだと気づいてしまうのではないかということ。そんなことになればハルが、いやガラージュ島が消滅させられかねない。そうなれば何もかもおしまい。物語が始まる前に終わってしまう。最悪、命がけで俺がマザーを止めなければいけないと覚悟していたのだがそれは杞憂だった。どうやらマザーはそのことには気づかなかったらしい。まあまだ現時点でレイヴマスターはシバなわけだし、今のハルは何の力もないただの子供。当たり前だった。だがもしシンフォニアの末裔だと知られれば危険はある。しかし幸いにもハルもカトレアも自分達がシンフォニアの王族の血を継いでいることは全く知らない。とりあえずは安全だろう。

そして俺はそのまま村の厄介になることになった。それはまさに渡りに船の話だった。いくらシンクレアを持っていると言ってもただの子供。誰かの庇護下に入らなければ生きて行くことは難しい。確かに手段を選ばなければどうにかなるかもしれないがまだそこまでする気はない、というかしたくもない。マザーはその気満々だったようだが何とか説得した。ある程度の年齢になるまではここで身を隠すと。派手に動きすぎては色々な奴に目を付けられてしまうと。だがやはり納得できないのかなかなか了承しなかったマザーだったが一つの条件を俺が飲むことで何とか説得することができた。その条件が問題だったのだが……まあそれは割愛。そんなこんなで俺はガラージュ島に厄介になることになった。だがどういうわけか俺はハルの所、カトレア姉さんの所に引き取られることになった。元々はグンマという喫茶店をしているでひゃでひゃうるさいおっさんのところに引き取られる予定だったんだが何でもハルの強い希望でそうなったらしい。どうやら自分に近い年齢の俺(ルシア)と一緒に暮らしたかったらしい。確かにこの島にはハルと同じぐらいの子供がいないし、友達が、兄弟ができたみたいでめちゃくちゃ嬉しがっていたと後でカトレア姉さんに聞いた。まあそれ以外にも母親であるサクラさんが亡くなったばかりで寂しかったのも大きな理由だったらしい。それを聞いてやはり原作通りに世界は動いているんだと悟ることになった。

サクラさんが亡くなったということはハルの父であるゲイルは砂漠へ、そしてキングはDCの復活のために動き出している頃。いわゆる準備期、嵐の前の静けさと言ったところか……まあとにかくそんなこんなで俺はグローリー家の居候になった。だがそこで大きな問題に直面した。

それは名前。

当たり前だが名前がなければどうにもならない。そんな当たり前のことをすっかり忘れてしまっていた。もっともそれすら気にしていられない状況だったわけだが。俺は咄嗟に何とか名前を考えた。だがそのままルシアと名乗るは論外だ。もしその名前をハルの口からDCへ、いやキングへ伝わればどうなるか分かったものではない、最悪物語が大きく変わってしまう。というか俺がどうなるか想像したくもない。かといって変な名前も嫌だ。何かないかと慌てている中でふと目の前にいるハルに気づく。そう、どうせなら何か関連性がある名前の方が良い! 訳の分からない名前にするよりは百倍マシだ! そんなこんなで俺はアキと名乗った。言うまでもなくハル(春)とアキ(秋)にかけた名前。最初はナツにしようかと思ったのだが他作品に同じ名前の主人公がいたので自動的にアキになった。結果的にはそう悪くはなかった。覚えやすい名前だし、これならルシアとの関連性もない。

それからは特に大きな問題もない、平和な日々。優しいカトレア姉さんに、真っ直ぐな性格のハル、そして親切な島民たち……あれ? 思い返したら涙が出てきた。何だろう、俺、このままここで暮らしていきたいんですけど。うん、せっかくRAVEの世界にやってきて何だけど、俺このままのんびり穏やかに余生を過ごしたいわ……冗談抜きで。ははっ……まあ無理だって分かってるんですけどね……


「おや、どうしたんですかアキ坊ちゃん。朝からそんな辛気臭そうな顔をなさって」
「お前は相変わらず気持ち悪い顔だな、ナカジマ」


いつの間にか俺の背後に現れた物体、じゃなかった家族に呆れながらも挨拶をする。そこにはおっさんがいた。いや、正確にはおっさんの顔をした翠色の巨大な花が壁に張り付いていた。もし何も知らない人が見たら気を失いかねない怪しい物体がそこにはあった。それがナカジマ。グローリー家のもう一人の家族? である。


「流石はアキ坊ちゃん。毒舌も絶好調ですな」
「お前もな。そういや朝食には来なかったけど飯は食ったのか?」
「もちろんです。今日はセミを頂きましたから! 坊ちゃんもいかがですか?」
「それ以上近づけたら消し飛ばすぞ、ナカジマ」
「はははっ、ご冗談を。それよりも見てください! 私のこのゴルった顔を! もっと私を褒め称えてください!」


そう言いながらどこか劇画調の顔でナカジマはその手にセミを持ちながらそれを俺に勧めてくる。間違いなく本気で。こいつは一体何なのだろうか。未確認生物か何かなのか。ちなみに何度か本気でディストーションしてやろうかと思ったのだがそれは内緒だ。というかこいつにはシンクレアの力すら通じないような気がする。何となく。


「それよりもアキ坊ちゃん、朝のはいけませんね。女性にアプローチするにはもっと上手くやらなければ」
「何だよ? お前に恋愛経験なんかあんのか?」
「もちろんです! そうですね、ではお話しましょう。あれは私が薬品会社に勤めていた頃……」
「アキ、準備ができたぜ! 早く遊びに行こう!」
「そっか、じゃあ行くとすっか」


アキとハルはそのまま凄まじい勢いで家を後にし、遊びに出かけて行く。それに気づかないままナカジマはしばらく自らの恋愛話を熱弁するも、誰もいないことに気づいた瞬間、ぐもーんという擬音と共に一人、カトレアが洗濯物を干しに来るまで沈み込み続けるのだった―――――



「行くぞー! アキ―!」
「おう! いつでもこーい!」


合図と共にハルがその手にあるボールを大きく振りかぶりながら投げ放ってくる。だがそれをアキはまるで見切ったかのようにその手にあるバットで打ち返す。その威力は凄まじくボールは遥か彼方へと飛んで行ってしまった。それが二人がよくやっている野球の真似事の遊び。今のところ、ハルが大きく負け越してしまっているのでムキになって挑んでくるもののやはり精神年齢の差、そしてもう一つの大きな差によってハルは今日も負け越してしまったのだった。


「ちくしょう……今日もオレの負けかよ……」
「残念だったな。まあ俺は兄貴だし、弟には簡単には負けねえよ」
「なんだよそれ? オレ達同い年だろう? ならオレの方が兄ちゃんに決まってる!」
「ふふっ残念だったな。カトレア姉さんと結婚すれば自動的に俺の方が兄になるんだ」
「まだその話続いてたのかよ!? だ、ダメだ! 姉ちゃんは誰とも結婚したりしねえんだから……」
「心配すんな、ハル。俺はブランチみたいなことにはならん。それに姉さんと結婚すれば俺達本当の兄弟になれるんだぜ!」
「っ! そ、そうか……それも悪くないかも……ってちょっと待て、何かおかしいぞ、アキ!? 何でお前と姉ちゃんが結婚することになってんだ!?」


俺の言葉に翻弄しながらハルは右往左往している。まるで本当に弟ができたかのようだ。うん、やはりはハルはいい子、いい奴だ。流石は主人公と言ったところか。誰にでも好かれる真っ直ぐな正義感の強い性格。まあその分からかいやすいんだがそれも長所だろう。六年間一緒に暮らしてきた中でやっぱり一番の友達はこいつだな。だがやはり強さの片鱗は見え隠れする。それは数年前。カトレア姉さんにはブランチという彼氏がいた。しかも最低と言ってもいい彼氏が。容姿もそうだが性格も最悪、暴力を振るい、浮気もするというクズのような男。一応原作知識で知っていたとはいえそれは見ていて怒りを覚えるものだった。本気でマザーの力を借りようかと思ったほど。だがその前にそれは解決された。

キレたハルによって。

それは本当に凄まじかった。キレる若者とまでは言わないがそれでもその凄まじさは今でもちょっとした俺のトラウマだ。というか未来の俺の姿が見えたかのよう。うん……俺、もしかしてあれを相手にしないといけないのか? しかもハル、まだレイヴも剣も持ってないのに……そしてこの状況。友達、いや兄弟のように育った二人が戦う宿命にあるんですね、分かります……って分かるか――――っ!? 何そのベタな展開っ!? なんか俺が死ぬビジョンしか見えないんだけどっ!? いや、マジで倒すのはシンクレアだけでいいんです! 俺は、俺は関係ないんです! え? 共犯も同然だって? そ、そんな……確かにハルたちを騙してるって罪悪感はあるけど……でも決して喜んでやってるわけじゃあ……


「おい、アキ、どうかしたのか?」
「い、いや、何でもねえ……」
「……? ヘンな奴だな。それよりもアキ、今日はアクセサリは付けてないのか?」
「ん? あ、ああ。今日はちょっと家に置いてきてんだ」
「ふーん、そっか。でもあれ、初めて会った時からずっと付けてるのに珍しいな」


ハルは不思議そうに俺の首元に視線を向けてくる。いつもならそこにあるアクセサリ、もといシンクレアがある場所を。

もちろんハルたちはそれがダークブリングであることは知らない。皆ダークブリングを見たことがないのだから当然だ。まあ、あれから少し装飾も加えて普通のアクセサリに見えるようにもしたのだが。この島で生活するようになってからほぼずっとマザーは俺の首にかかったまま。この島には危険はないと何度も言ったのだが聞こうとはしなかった。何でも俺を放っておけないとか。何? 俺ってそんなに信用ないの? というか俺、子供扱いされてるんじゃね? その名の通り母性本能でもあるのか……マザーだけに。まあ俺としてもマザーが勝手なことしないか見張る意味では手間が省けるので悪いことばかりではなかったのだが。

しかし……改めて考えると凄い状況だよな。だってあれだよ、俺達ってラスボスだよ? ハルからしたら敵の親玉が、大将が自分のすぐ傍にいるんだぜ? 常に爆弾が隣に入るようなもんですよ? 最近は慣れたけど最初の内は何か間違いが起こるんじゃないかと冷や冷やものだった。まあ一応マザーには島民に手を出さないようには釘を刺してるし、もし破ればボコボコにした後に海に投げ捨ててやると忠告している。どっちもマザーにとっては痛くもかゆくもないのだがやはり投げつけられたり、海に放り込まれるのは嫌らしく、渋々言うことを聞いている。もっとも最近はそれも怪しくなってきているが。どうやらそろそろ俺も成長できたと判断し、動き出す頃だと考え始めているらしい。最近そんなオーラを、雰囲気を感じる。まるで締め切り前の漫画家の気分だ……

ち、ちくしょう……やっぱこのままってわけにはいかないか。だが……だが、やっぱりあきらめきれない。この穏やかな生活をずっと続けたいんです! 誰か、誰か助けてくれ!? この悪魔を倒してくれ! あ、それができるのはハルだけだっけ……もしくかエリーか……どっちにしろまだまだ先の話。気が思いやられる。

だが今、マザーは家、ではなく。俺の秘密の洞窟にいる。そこは俺が修行に使っている場所。本当なら修行なんてしたくないのだがこの先どうしてもある程度の強さは必要になること、そしてそれがこの島に留まる際のマザーからの条件だったので仕方がない。俺は今、絶賛ダークブリングマスターとして日々、研鑽をつんでいます。マザーの鬼畜とも言えるような特訓で。夜中ずっと。おかげで最近寝不足が酷い。だけど昼はハルがいつも付き纏ってくるので夜しか時間がない。こっそり抜け出しているのだがカトレア姉さんにはばれてるっぽい。だがそれについては何も言ってこない。きっと何か訳があるからだと察してくれてるんだろう。カトレアさん、マジ良妻! 本気で結婚して下さい! 原作ではシュダといい感じだったみたいだけどそれでも構わん! シュダを追い払えるぐらい強くなりゃあ問題なし! あれ、俺、なんか大事なこと忘れてるような……まあいっか。そういやマザーの奴どうしたんだ? なんか具合が悪いとか言って洞窟に残っちまったんだが……っていうか石ころが具合悪いってどういうこと? 生理とかですか? マザーってんだから女性だろうし。まあそんなこと言ったら頭痛でひどい目にあわされそうだが……


そんなことを考えているとハルが不思議そうにこっちを見つめている。いかんいかん、ちょっと考え込んじまってたらしい。


「まあ、たまにはな。お前だってずっとそのシルバーアクセ付けてんじゃねえか。それ、親父さんに買ってもらったもんなんだろ?」
「う……お、親父は関係ない! オレはこのアクセが気に入ってるから付けてるんだ!」
「ほんとか? ほんとは親父さんに会いたいんだろ? 恥ずかしがんなって」
「違う! オレには親父なんて必要ないんだ! 親父がいなくても姉ちゃんはオレが守る!」
「はいはい、そういうことにしとくわ。さっさと帰ろうぜ、カトレア姉さんが心配するぞ」
「おい、待てよ、アキ! ちゃんと聞いてんのか!?」


もうすっかり暗くなってきた。遊んでると時間が経つのもあっという間だな。何か最初の内は子供みたいに遊ぶなんてつまらんと思ってたんだが全然そんなことはなかった。むしろハルより俺の方が楽しんでいるかもしれん。これが肉体に精神が引っ張られると言う奴なのか……俺の精神年齢が元々低いと言う可能性もあるがそれはなかったことにしよう、うん。それにしてもハルの奴、素直じゃないな。ほんとは親父に会いたくて仕方ないくせに。うむ、これが男のツンデレというやつか。


そんな訳の変わらないことを考えながらアキはそのまま家路につき、その後を文句を言いながらもハルが付いてくる。それが二人の日常。ガラージュ島の金銀コンビとよばれる二人の姿だった―――――



深夜、誰もが眠りに就いた時間、一人の少年が森の中を歩いている。だがその足取りはまったく危なげない。まるで夜の道が見えているかのよう。少年はそのままある場所で足を止める。だがそこには何もない。誰の目にもそれは明らかだった。だが


「チィーッス!」


少年、アキが声をかけた瞬間、まるで空間が歪むような、蜃気楼が起きるかのように何もなかった場所に洞窟が現れる。アキはそれに驚くこともなく、慣れた様子で洞窟の中に入っていく。そこはとても洞窟の中とは思えないほど広い空間だった。明かりも用意され、最低限の食料と水もある。ちょっとした秘密基地といったところだ。アキはそのまま奥に進みながら探していた物を、いや相手を見つけ足を止める。


「よう、元気にしてたか、イリュージョン?」


アキはそのまま自分を待つかのようにその場にある一つのDBに声をかける。そのDBはアキがシンクレア、マザー以外で持つ自らのDBだった。

そういえばまだ説明してなかったけ……これが俺のDBの一つ『イリュージョン』 まあ、マザーも入れれば今のところ俺は四つのDBを持ってることになんのかな。だが普通はDBは複数も持てるような、使えるようなものではないらしい。まあ俺もまだ完全に使いこなせてはないのだが……五つもDBを持っていたキングの非常識さを身を以て知った形だ。もっともこっちはシンクレアも持っているので同列には考えられないかもしれないが……


ん? おう! お疲れさん、いつも悪いな、常時力を使ってると疲れんだろ? そうか、まあたまには休んでくれよ。そんなに人が来ることなんてめったにないし。


しばらく考え事をしているとイリュージョンが俺に向かって話しかけてくる。見た目は赤いDB。大きさも普通の物と変わらないがこれは俺がマザーに頼んで作ってもらったオリジナルのDBだ。ランクで言えば上級DBになんのかな。能力は……まあおいおい話すとして驚くべきところはその声だ! どうやらイリュージョンは女性、いや少女らしい。らしいというのはその声から。どっかの某魔法少女のごとくのほほんとした可愛らしい声が聞こえてくるのだ! この声が俺にとっての数少ない癒しの一つだ! っていうか俺を心配してくれるのこの娘ぐらいだし……


そんなことを考えているともう一つのDBがこちらに話しかけてくる。だがその姿は明らかに普通のDBではない。


それは剣というにはあまりにも大きすぎた。大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。それはまさに鉄塊だった―――――


思わず別の作品の言葉を引用してしまったがとにかくそれは巨大な剣だった。黒い俺の身の丈ほどもあろうかという剣、その中にDBが組み込まれている。もはや説明もいらないかもしれないがその剣こそが『デカログス』 原作でキングがエンクレイムで作り出し、後にルシアも持つことになったレイヴの剣、TCM(テンコマンドメンツ)と同じ能力を持つDBだった。


し、師匠っ!? お久しぶりです! はい、精進してます! 今日も宜しくお願いします! ん? 何? なんでそんな態度を取ってるかって? 当たり前だろうがっ!? デカログス、いや師匠は俺に戦い方を教えてくれる文字通り師匠なんだっつーの! ちゃんと言葉づかいは気を付けないといけないだろうが! しかもこの声! 渋い歴戦の戦士を感じさせるような、まさに師匠に相応しいような貫録と凄味! これを前にして偉そうにできるわけねえだろうが! は? 俺の方がマスターで上じゃねえかって? ま、まあ確かにそうなんだが何とか言うか、条件反射というか、どうしても師匠を前にするとこうなっちまうんだよ! ああそうだ! 小心者ですよ! 悪いかこんちきしょう! それもこれもマザーが余計なことを……ん?


「そういえばマザーはどこだ? 姿が見えねえけど?」


見渡してみるがマザーの姿が見えない。大体いつもここにいるのに。一体どこに行ったのか。二人に聞いてみるが何故か口をつぐんでしまう。まるで言いづらいことがあるかのように。一体何があったのか。不思議に思いながらも奥に進んでいくとそこには


まるで何かに苦しんでいるかのように淡い光を放ち、点滅しているマザーの姿があった。


「っ!? おい、どうかしたのか、マザーっ!?」


アキは慌てながらマザーへと近づいて行く。手に取るとマザーが凄まじい熱を持っていることが分かる。一体どうしてしまったのか。だがいくら話しかけても返事がない。いや、返事ができない程に苦しんでいるようだ。アキもどうしたらいいか分からずあたふたすることしかできない。というか普通ならマザーを倒すチャンスだと考えるはずなのだが悲しいかな今のアキにはそんなことは微塵も頭になかった。何だかんだで甘い性格が災いしてしまっているようだ。


な、何だ!? 一体どうしちまったんだ!? 昨日までは普通だったのに!? まさか本当に調子が悪かったのか!? DBにも風邪とかあんの!? 熱が出てるみたいだし、これは危険なのでは!? で、でもどうすれば……とにかく医者に連れて行くしか……って言うか医者ってなんだ!? 落ち着け、俺っ!? 石ころをどうやって見てもらうんだっつーの!? おい、イリュージョン、師匠っ!? お前ら何とかできねえのかっ!? え? 心配いらないっ!? お前ら何言ってんだ!? マザーが、お前らの母ちゃんが苦しんでんだぞ!? 


そんな普段のアキなら絶対口にしないような訳が分からない言葉を口にしていると、突然マザーが凄まじい光に包まれてしまう。とても目を開けていられない程の光によってアキはそのまましばらく手で目を覆い、身動きが取れなくなってしまう。だがその瞬間、手の持っていたマザーから熱が一気になくなってしまう。まるで何事もなかったかのように。アキは突然の事態の連続に目をぱちくりさせることしかできない。


え? 何? 何が起こったの? ん? もう大丈夫だって? あっそう……ならいいけど、一体何だったわけ? は? 難産だった? どういうこと? おめでとうございます? 何言ってんの、イリュージョン? 何で無言でそんなに喜んでんの師匠? みんな一体何を……


アキが勝手に盛り上がっているイリュージョンたちにいい加減事情を説明するように声を上げようとした瞬間、ようやく気づく。


それは自らの手のひら。マザーを持っていた掌。そこに先程までなかったはずの物体がある。


それも一つではない。間違いなく石のような物が複数そこにはある。まるでいきなり現れたかのように。


「………え?」


アキは呆然としたままそれに目を奪われる。そこには間違いなくDBがあった。それも複数。ようやく気づく。先程の騒動はマザーが新たなDBを生み出そうとしていたのだと。だがそれだけなら問題はない。ある意味いつも通りのこと。驚くには値しない。だがアキの表情は驚愕に染まっていた。いや、正確には恐怖に染まっていた。


それはDBマスターとしての力。それによってアキは自分の手にある六つのDBが何であるかを瞬時に理解した。


『ホワイトキス』 『ユグドラシル』 『ジ・アース』 『ゼロ・ストリーム』 『アマ・デトワール』 『バレッテーゼフレア』


それがその六つのダークブリングの名前。シンクレアにもっとも近い力を持つ、最上級DBを超えた自然の力を操る六星DB。原作では六祈将軍(オラシオンセイス)と呼ばれるDCの最高幹部達六人が持っていたDB。


アキは悟る。これを生み出すためにマザーはあんなに苦しんでいたのだと。そして恐らくはこれらが本来はDCの元へ、六祈将軍の元へいくはずだったのだと。だがそれを恐らくは自分が邪魔してしまったのだと。色々な意味で。




どうしよう……これ……


アキは喜びの声をあげているイリュージョンたちをよそに自らの手の内にある六星DBを見つめながら呆然とその場に立ち尽くすのだった―――――



[33455] 第五話 「夢の終わり」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/07/12 08:16
まばゆい朝日が新しい一日を告げ、小さな島であるガラージュ島を照らし出している。いつも通りの静かな、それでも穏やかな一日の始まりを告げるはずの光景。だがそれを目にしても金髪の少年、アキはどこか沈んだ表情を浮かべたまま。まるでこの世の終わりが訪れたのではないかと思えるようなひどい有様。今、アキはいつも修行に使っている秘密の洞窟の中にいる。だが既に時間は早朝。いつもなら既に家に戻っているはずの時間。しかしアキは家には戻らずそのままそこに留まり続けていた。座りこんだアキの前には人影はない。あるのは小さな石達。だがそれは普通の石ではない。DBと呼ばれる魔石。マザーシンクレア、デカログス、イリュージョン、ワープロード。四つの魔石がアキの前にいながらどこか楽しそうにおしゃべりを、交流を図っている。もっともその声は常人には聞こえない。聞こえるのはDBマスターの力を持つアキだけ。だがそれはアキにとってはどうでもいいことだった。確かに色々と思うところがないわけではないが既にこの光景は六年前から見慣れている日常の様なもの。既に常識がどこかにいってしまっているような気がするが気にしたら負けだろう。しかし、そんなアキでもどうしても見逃せない、いや、頭を抱えるしかない問題が目の前にはあった。


六星DB。六つの新たに生まれたDBが今、自分の目の前にあった。


あの……これ、一体どういうこと? 何がどうなったらこんなことになるわけ? うん、とりあえず整理しよう。昨日、俺はいつものように修行をしにここにやってきた。そこまではいつも通り。何もおかしいことはなかった。でもそこからだ。マザーの様子がおかしかった。まるで熱を出しているかのように。今思えばこの時点でおかしかった。DBが熱を出すなんてあり得ない。そして突然光を放ったと思ったらめでたく新たなDB、しかも六星DBが誕生したというわけだ。そう、ただそれだけ……

ってなんじゃそりゃああああっ!? どうなってんの!? 何いきなりとんでもないもん生み出してんのっ!? DBを生み出すだけでもめちゃくちゃなのに六星DBっ!? しかも全部っ!? それあれだよ? 六祈将軍オラシオンセイスっていうDCの最高幹部、RPGで言えばボスキャラ、四天王のような奴ら持ってたDBですよっ!? 何でそんなもん生み出してんだよ!? え? 俺のため? 俺がなかなか最後に持つ五つ目のDBを決めないから最高傑作を生み出してみたって? どれでも好きなものを選べって? なんなら全部使ってもいいって? そ、そうか……俺のためにあんなに苦しんでこんな凄い奴らを生み出してくれたのか……マザー、そんなにも俺のことを……ってちょっと待て―――っ!? 何普通に感動してんだ、俺っ!? 気をしっかり持てっ!? 喜ぶべきところじゃないぞ、そこ!? むしろ恐怖するところだっつーの!? こ、これって……と、とんでもないことになっちまったんじゃ……


アキはそのまま改めて目の前に入る六つのDB、六星DBに目を向ける。どうやら生まれたばかりであること、そしてマザーであるシンクレア、そしてそのマスターであるアキがいるので大人しく静かに待っているようだ。流石はシンクレアを除けば最上位に位置するDB。貫録があるといってもいいかもしれない。そしてその力の桁外れだ。マザーには及ばないものの、それは間違いなく他のDBとは一線を画している。その強さをアキは知っていた。

六祈将軍オラシオンセイス

原作でハルたちを何度も苦しめた強敵達。一人で一国に匹敵する戦力を持つ化け物達。だがアキはそれを恐れているわけではなかった。確かに六祈将軍オラシオンセイスは怖いがそれよりも深刻な問題があった。

そう、今、本来六祈将軍オラシオンセイスに渡るはずだった六星DBがここにあるということ。自分というイレギュラーのせいで。そしてマザーの親バカ、過保護とも言える行動によって。


アキはめまいを起こしそうになりながらも思い出す。そう、それは六年前。ハルたちと暮らし始め、この洞窟で修行を始めるようになった当初の話。嫌々ながらもアキはマザーの訓練を受けていたがそれはまさに鬼のような修行だった。スパルタという言葉が可愛く思える程の厳しさ。主にマザー、ワープロード、そして新たに生み出してもらったイリュージョンの力の制御の訓練を行っていたのだが流石に愚痴の一つも言いたくなると言うもの。アキは座学をマザーから受けている中であるいやがらせを、当てつけを行った。それはレイヴを褒めること。レイヴっていいよなーとか、結局負けちまったんだろーとか散々馬鹿にし続けた。(当然、頭痛によるお仕置きを食らった)まあアキにとっては酷い目にあわされていることへの意趣返し、それほど深い意味はなかった。だがその次の日、アキはそれを目にした。


黒い巨大な剣がさも当然のように修行場に置かれていたのである。これ見よがしに。言うまでもなくそれは魔剣デカログス。レイヴの剣、TCMと同じ能力を持つDB。その隣にはドヤ顔をさらしている(ように見える)マザーがいる。どうやらアキがレイヴのことばかり褒めるため、対抗して生み出したらしい。単純というか、ある意味恐ろしい親バカぶり。隣の家の子供が新しいおもちゃを買ってもらっていたから自分の子供にも同じものを買い与えるかのようなもの。要するにアキにはだだ甘なのだった。


もっとも、当時のアキは六歳だったので自分よりも大きな剣を扱えるはずもなく、最近になるまで実際に使うことができなかったという間抜けなオチまでついた。アキとマザーが無言で互いを見つめ合っていた光景はシュールそのものだった。


そういやそんなことがあったけな……まさかここまで予想の斜め上の行動をしてくれるとは思っていなかったが……それはともかく、俺は当初、デカログスを使う気も、作ってもらう気もなかった。確かにルシアの身体になったものの、そこまで同じにすることはない。というかナイフも持ったこともない俺があんな大剣振りまわせるわけない。そんなこんなで俺はイリュージョンを生み出してもらった。イリュージョンはその名の通り、幻を、幻影を生み出すDB。相手をだましたり、何かを隠したりすることに使える能力だ。言うまでもなく戦闘を避けるための、逃走を主眼に置いたDB。マザーの力で遠距離から攻撃を加え、イリュージョンで相手を欺き、危険がある場合にはワープロードで瞬間移動しその場を離脱する。ヒットアンドアウェイ、一撃離脱の戦法を考えていた。

チキンだと何だと言われようが構わない! 近接でドンパチするなんて怖すぎるっつーの! まあマザーの力が強すぎるんでもう一つぐらい、遠距離で使えるDBを生み出してもらおうと思ってらこれですよ。何? やっぱ剣を使わなきゃだめですか? ハルと、TCMと斬り合わないとだめってことですね、分かります。でも俺だって必死に抵抗した。第一にどうやって剣を、戦い方を覚えるのかということ。DBの使い方ならともかく、マザーだってそんなこと知っているわけもない。だがそんな甘い希望は一瞬で消え去ってしまう。それはデカログス。どうやらデカログスはその声の通り、戦い方については知識があるらしい。流石は最上級DBといったところか……俺にとっては悪夢でしかなかったのだが。いや、これは悪夢の始まりでしかなかった……

それは修行の方法。とりあえずデカログスが俺に戦い方を教えてくれることになったものの、その当時の俺はまだ六歳。デカログスを持ちあげることすらできない。どうやって修行するんだと思っていると何故かイリュージョンがその役を負うことになった。そう、簡単にいえばイリュージョンの幻によってイメージトレーニングを積むことになったのである。まさかそういう風に能力を使うことになるとは……その時、ちょっと生み出したことを後悔したのは内緒だ……と、とにかくイメージトレーニングは開始された。だが大きな疑問があった。イメージトレーニングをするのは構わないが一体誰が相手をしてくれるのか。あいにく俺は実戦の経験はないし、誰かが戦っているのを見たこともない。だがその疑問は驚愕に、恐怖に変わる。目の前に現れた人物、いや幻影によって。


『アルパイン・スパニエル』 『ディアハウンド』 『クレア・マルチーズ』 『ダルメシアン』


蒼天四戦士。かつて王国戦争において、シンフォニア王国最強の戦士と呼ばれた四人が目の前に現れたのである。


え……? なにこれ……? 何でこの人達がこんなところにいるんですか? え? マザーの記憶から再現した? すげーなイリュージョン! そんなことまでできんのか! 何気に汎用性が半端ない。で、この方々は一体どうしてここに? ん? 俺がこの四人と戦うの? 一人で? マジで? ははっ御冗談を。俺、ただの子供だよ? こんな歴戦の戦士達とやりあえるわけないじゃん。心配するな、最初は一対一? いやいや何言ってんの? すぐ殺されちまうって。は? イメージトレーニングだから死にはしない? 存分にやれって? ふ、ふざけんなああああっ!? そういう問題じゃねえだろうがっ!? 最初から難易度高すぎんだろうがっ!? そこらへんの雑兵でいいだろうがっ!? なあ、イリュージョンも何とか言ってくれよ!? え? ごめんなさい? そ、そんな……デカログス、お前も何とか言えよ!? え? 遅いか早いかの差だって? そういう問題じゃねえだろうっ!? え、ちょっ待……ぎゃあああああああっ!?


それから俺のまさに地獄とも言える修行という名の虐待が始まった。もう何度殺されたかも分からない。数えるだけ無駄だった。っていうかマジで蒼天四戦士半端ない。確かに俺は何の経験もない素人だがそれでもシンクレアと契約しているおかげで人間離れした力を発揮できる。しかも最初はDBありで勝負させてもらったのだが全く歯が立たない。開始十秒も持たない有様。間違いなく六祈将軍オラシオンセイスと互角、いやそれ以上の強さ。レイヴもDBも持っていないのにまさに反則と言ってもいい強さだった。未だに一回も勝ててません。しかも最近は剣の相手をシバ相手にさせられています。

はい、あのシバです。初代レイヴマスターです。まあ、まだ二代目はいないので現レイヴマスターですが……化け物です。それしか言葉が出てきません。ほんとに同じ人間なんですか、この人? 動きが見えないんですけど……? 剣を合わせることすらできないんですけど……? そういえばジークが言ってたっけ? 剣では魔法には勝てないとか何とか……嘘つけやこらああああっ!? 魔法があってもどうしようもないわっ!? 剣聖なめすぎだっつーのっ!? 魔法唱える前にやられるっつーか唱えても当てることすらできないほどのデタラメさ。実力で言えばキングやゲイル・グローリーを超える男。しかもTCMの能力なしでも一太刀も浴びせられません。これが全盛期のシバの力……世界を背負った男の強さなのか……あの、もう俺、帰ってもいいですか? 無理です。こんなの相手に勝てる気がしません。シバ相手に戦うわけじゃないが最終的にはハルもこれに近い実力になるはず。どうしようもない……ん? ま、待て俺っ!? 何かおかしくないかっ!? 何普通にハルを倒すこと考えてんのっ!? 思考がおかしくなってんぞ、落ち着け、落ち着くんだ俺、深呼吸深呼吸……ん? 何だよマザー? この程度で根を上げるなって? は? 最終的には羅刹の剣サクリファーを持つシバに勝てるようになってもらうって? そうか……寝言は寝てから言えやこらあああああっ!? 何? 俺に闘神にでもなれっつーのか!? 海に投げ捨てられたいのか!? いいぞその喧嘩買ってやる、表に出ろや! 今日こそ白黒付けてやんよ! え? デカログス? あ、はい、すいません、取り乱しました……ちょっとカッとなっちゃって……え? 焦ることはない? 俺には才能があるって? そんな、ほんとに俺にそんな力が……はい! すいませんでした! これからもお願いします、師匠!


それが俺と師匠の慣れ染め……じゃなかった出会い。まああれから六年、実際に剣を使い始めたのは一年だが少しはマシになってきた。まあ、シバには遠く及ばないが……というかまだ十二歳だしな、俺。追いつけるわきゃないだろ、常識的考えて……DBありなら少しは善戦できるかもしれんが……あ、あくまでもTCMの能力なしのシバ相手ならね。TCM使われたら一瞬で惨殺されます。いやマジで。っと話が脱線しすぎたな……


つい余計なことを考えていたアキが改めて振り返る。そこにはまるで捨てられまいとするような六星DBの姿があった。


RPG風に言うなら『六星DB達が仲間にしてほしさそうにこっちを見ている』状態である。


ぐっ……そんな目で俺を見るんじゃねえ……まるで俺が悪人みたいじゃねえか。確かにこいつらの能力は半端ない。一つでも持ってりゃ随分な戦力アップだろう。だがそうなればそのDBを持っていた六祈将軍オラシオンセイスにはそれが渡らないことになってしまう。それはまずい。確かに俺がルシアに憑依している時点で既に原作通りに行くわけがないのだがそれでも六祈将軍オラシオンセイスがいなくなったり、少なくなったりするのは影響が大きすぎる。なんだかんだあいつらがいたからハルたちは成長できたようなもんだからな……ん? 何だよマザー? 悩んでんなら全部持てばいいって? 無茶言うなっ!? んなことできるわけねえだろうがっ!? 完全に俺の限界を、キャパシティを超えとるわっ! は? 修行すればどうとでもなる? 俺はDBに愛されてる? なんじゃそりゃ!? そんな魅力これっぽっちもいらんわ!? そんなもんがあるなら百分の一でもカトレア姉さんに愛される魅力が欲しいわ!? ん? じゃあ誰か配下になる奴に渡したらどうかって? うっ……やっぱそうなるか……


アキはそのままどこか憂鬱になりながら洞窟の隅に目をやる。そこには大きな風呂敷のようなもので包まれた包みがいくつも並んでいた。中にはまるで石の様な物が一杯に詰まっている。


はい、あれ、全部DBなんです。数がいくつあるかは知らん。っつーか数える気も起きん。言うまでもなくマザーがこの六年間生み出し続けたDBです。まあ当たり前っちゃあ当たり前。シンクレアはDBを生み出す存在なんだし。と言ってもそれをどうするかが一番の問題だった。海にでも捨てようかと思ったがマザーがいる手前そんなことはできない。人間でいえば子供を海に投げ捨てられるようなもんだ。どんな極悪人になるんだ俺? そしてマザーは当然それを世界にばらまくように俺に言って来た。しかし俺はこの島から出たくないし、そんなことしたくもない。まあある程度は仕方ないかもしれないが、あまりにもヘンな動きをすればマザーに疑われる。それでも妥協案として俺は提案した。

俺が将来組織を作った時に配下にDBを与えるためにとっておくと。かなり苦しい言い訳だったがなんとかそれで話はついた。それ以来、大量のDBたちは袋に包まれたまま放置されている。DCが見れば卒倒ものの光景だった。たまに開けようとするのだがめちゃくちゃやかましいのであきらめた。俺にとっては何百もの声が聞こえてくるのだから迷惑以外の何物でもない。中には原作で見たようなDBがあったような気もするが気のせいだろう、そこまで面倒見切れん。しかもどうやらみんな俺の五つ目のDBの座を狙っているらしい。大人気だな、俺……DB限定で。DBだけが友達とか悲しすぎる……ん? ああ、大丈夫だよ、イリュージョン……お前だけだよ、俺のこと心配してくれんのは……後で綺麗に磨いてやるからな……


まあそれは置いといて、うん……やっぱ原作通りにDCに、六祈将軍オラシオンセイスたちの元に渡るようにしかないか……あまりにもリスクが大きすぎる。全部俺が持って四天魔王アスラごっこも楽しそうだがあきらめよう。やりすぎは宜しくない。どんな反動があるか分からんし……だけど……

うん、正直怖い。できればDCには近づきたくない。少なくても原作キャラには。まだ六星DBを持っていないとはいえ間違いなくその実力は折り紙つき。キングはもちろん、ハジャとかに接触したら命が危ない。冗談じゃなくてマジで。理想としてはそっと、誰にも気付かれることなく、サンタクロースのように六星DBたちを本部の前に置いてくることだ。何か猫を、犬を捨ててくるみたいで嫌だがそうするしかない。後はマザーに適当な言い訳しとかねえと……うーん、DCを大きくさせてから乗っ取るためとか何とか言っとけばいいか。あいつ、結構騙しやすいしそれぐらいでいいだろ。すまんな……お前達。期待してる所悪いが奉公にいってくれるか? 大丈夫、きっとお前達に相応しい主に出会えるはずだ。馬鹿が一人混じってるが気にするな。頑張れよ、アマデ・トワール……


さて、とりあえず方針が決まったところで一旦家に帰るとするか。島から出るとなると準備も必要だし。最短で戻ってきても一週間くらいはかかるかな。言い訳はどうするか。うーん……親父を探すためとでもしとくか、そういう話は六年前からしといたし。流石俺、抜かりはない。ハルの奴が付いてくるって駄々こねそうだけど。あいつ、シスコンだけじゃなくブラコンの気もあるもんな……


そんなことを考えながらも洞窟を出た瞬間、大きな爆発音が響き渡る。同時に煙のようなものが村の方向から上がり始めているのがアキの瞳に映る。知らず口は開きっぱなし、その表情は絶望に染まっていた。それは悟ったから。本能で、直感で。



自分にとっての安息の時間がついに終わりを告げたのだと―――――



[33455] 第六話 「ダークブリングマスターの憂鬱」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/12/06 17:22
「姉ちゃん、姉ちゃん!」


ドタバタと騒がしい音をたてながらハルが二階から下りてくる。だがその慌てようはいつもよりも激しいもの。今にも階段から転げ落ちてしまいそうなほどだった。


「どうしたの、ハル? そんなに大きな声出して……」


そんなハルの様子に顔を顰めながらもいつものように朝食の準備をしていたカトレアが振り返りながらハルを嗜める。いつも騒々しい朝を迎える彼女にとってはこの程度は日常茶飯事。どこか貫録すら感じさせる対応。いつもならそんなカトレアの注意によって我に帰るのだがハルはそのままの勢いで自らの姉へと近づいて行く。何か特別なことでもあったのだろうかとカトレアが手を止めながらも改めてハルと向かい合うのと同時にハルが矢継ぎ早に声を上げた。


「アキ見なかったっ!? どこにもいねえんだっ!」
「アキ……? そういえば今日は朝から見てないわね……ゲンマさんの所にでも行ってるんじゃない?」
「くっそーアキの奴、置いて行きやがって!」
「あ、待ちなさい、ハル! 朝ごはんは!?」
「ごめん、今日はいい! ナカジマと先に食べといて!」


カトレアの言葉を聞くや否やハルはそのままその勢いで家を飛び出していく。まるで鬼ごっこの鬼のように。どうやら自分が置いて行かれてしまったことが気にくわないらしい。十二歳といってもまだまだそれ以上に子供っぽさは抜けていない証のような姿を見せながらハルはそのまま村に向かって駆けて行ってしまう。そんな自らの弟の姿にカトレアは溜息を吐くことしかできない。


「まったく……」
「ハル坊ちゃんは今日も元気ですな」


んふー、という鼻息と共に、さも当然のようにカトレアの隣に(正確には近くの壁に)怪しい花、人面花とでもいうべき存在、ナカジマが現れる。いつもは家の外側の壁にいるのだがどうやら好き勝手に移動できるらしい。普通の人間ならその姿と気味の悪さに悲鳴の一つでもあげるのだろうが既に慣れ切っているカトレアは自然体のまま。アキは六年もたつのにまだその度に驚きの声を上げるのだが、ある意味この家で一番肝が据わっているのは彼女なのかもしれない。


「そうね……それはともかく、あのアキアキって言う癖を直してくれればいいんだけど……」


カトレアは困ったように頬に手を当てながら思い返す。それはアキがこの島にやってきてからの、新しい家族になってからの日々。アキが一緒に暮らすことが決まった時のハルの喜びようは凄まじかった。元々この島にはハルに近い子供がいなかったことで遊び相手も満足に得ることができなかったこと、そして初めてといってもいい友達ができたことが一番嬉しかったようだ。すぐにハルはアキと打ち解け、あっという間に友達に、家族になった様な気がする。もっともそれは自分にも言えること。アキが来たときはちょうど母であるサクラが亡くなって日が浅かった時期。ハルは自分に心配をさせまいとやせ我慢をしていたようだがそれでも寂しかったに違いない。もちろん私もそれは同じ。これから母の代わりに、今はこの島にいない父の代わりにハルを立派に育てなければ。そんなプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。そんな中でもう一人、男の子を育てることなどできるのか。そんな不安を抱かずにはいられなかったのだが結局ハルの強い要望をあきらめさせることもできず、そのまま私達はアキと共に生活を始めた。もっともそれは全く想像とは違う生活になったのだが……


「坊ちゃん達は本当の兄弟のようですからね。アキ坊っちゃんは年の割にはマセてますし、本気でカトレア様に気があるみたいですよ」
「そうね……あの子、どこか大人びた所があるし……少し楽しみかもね」


どこか満更でもなさそうな笑みを浮かべながらカトレアはナカジマの言葉に頷く。アキは少し、いやかなり特殊な子だった。歳はハルと同い年。普通なら我儘などを言って手を焼かされるものなのだがアキはそういったことは全くしなかった。それどころか自分からハルの面倒を見てくれていた。まるで弟を見るように、いや保護者のように。もしかしたら自分以上にハルの面倒を見ていてくれたのかもしれないと思ってしまうほど。もっとも二人で遊んだり悪さをしている時には年相応の子供のような無邪気さを見せはするのだが、やはりどこか普通のことは違っていた。だがそんなことは些細なことだ。あの子が、アキが私たちの家族であることは変わりないのだから。


ナカジマはそのままどこか遠くを見ているかのように想いを馳せているカトレアの姿にどうしたものかと考え込んでしまう。ナカジマは確信していた。今、きっとカトレアの中ではアキやハルとのこれまでの日々が蘇っているに違いない。そして恐らくはその中に自分の姿がないであろうことが。ここはひとつ、自分の存在感を、存在意義を示しておかなければ。


「んふふー! そう考えるとまるで私とカトレア様は夫婦のよう……」
「あ、いけない。お醤油きらしちゃってた。ナカジマ、ちょっと留守番お願いね」


カトレアはそのままぱたぱたと慌ただしく家を後にして出かけてしまう。全くナカジマの話に耳を傾けることなく。後には留守番を頼まれたナカジマが家で一人、へなーんとしおれながら落ち込み続けるのだった……



(ったくアキの奴、出かけるんなら出かけるって言えよな……)


心の中でそんな愚痴をこぼしながらハルは一直線に村に向かって走って行く。ハル達の家はそう村からは離れていないため焦らなくてもすぐに着くのだがそんなことなどハルの頭にはこれっぽっちもなかった。あるのは自分がのけ者にされてしまった、置いて行かれてしまったという想いだけ。もしアキにバレればまだまだお子様だと言われること請け合いの理由だった。だがそんなことはハルも当然分かっている。しかしハルにとってはそれほどアキは特別な存在だった。

友達であり、兄弟。それが自分とアキの関係。いや、ライバルと言ってもいいだろう。小さい頃からアキは何でもできた。勉強も、運動も、全て自分よりも上手くできる。それが悔しくて何度も挑んでいるのだがまだ一度も勝てていない。でもそれを威張ったりはしない、自分をまるで見守ってくれているかのような感覚。きっと兄がいればこんな感じなんだろうなと思えるような空気があった。もっとも恥ずかしくてそんなことは一度も口にしたことはなかったのだが。アキの冗談を真に受けるわけじゃないけど、本当にアキが姉ちゃんと一緒になって本当の兄弟になるのも悪くないかもと思わなくもない。そんなことになったらオレの方が家に居づらくなるかもしれないけど……と、とにかくそんなことよりもアキをさっさと見つけなくては! 今日こそアキにひと泡吹かせてやる!


ハルはそう気持ちを新たにしながらも目的地である村へと到着する。そう、到着したはずだった。だがハルはそのままその場に立ち尽くしたまま。呆然とその光景に目を奪われるしかなかった。そこには


「何だよ……これ……?」


見慣れた筈の村が、平和な村が破壊しつくされてしまっている、信じられない光景があった。家屋は倒壊し、ところどころでは火事が起こっている。村人たちはその中を逃げ惑っているだけ。既に村はパニック状態に陥っていた。まるで映画の中に放り込まれてしまったような、そんな現実感のなさがハルを襲う。それほど目の前の光景はハルにとって信じられない、考えられないような光景だった。だがすぐにハルは我を取り戻す。それは人影。視線の先に見知った人物がいたからに他ならなかった。


「っ!? ゲンマ、大丈夫かっ!?」


そこにはよく見知った喫茶店の店主、ゲンマがいた。父が出て行き、母も亡くなった自分達を援助してくれている、世話してくれているハルにとってはおじさんとも言うべき人物。だがその姿は既にボロボロ。まるで何かに襲われてしまったかのように服は破れ、ところどころ怪我もしてしまっている。一体何があったのか。ハルはそのまま慌てながらゲンマへと近づこうとするが


「よ、よせ、ハル……来るんじゃねえっ!」


ハルが近づいてこようとしていることに気づいたゲンマが息も絶え絶えに、それでも鬼気迫った表情で叫びを上げる。その光景に思わずハルが足をとめた瞬間


「何だ、やっぱりガキがいるんじゃねえか」


そんな今まで聞いたことのない声がハルに向かって掛けられる。咄嗟にハルは振り返りながらもその声の主へと向き直る。そこには見たことない男がいた。長髪にサングラスをかけているいかつい男、明らかにこの島のものではないよそ者。だがそれだけではない。その後ろにはまるで兵隊のような奴らもいる。数はざっと十人ほどだろうか。その手には銃のようなものが握られている。だが明らかに目の前の集団は警察や軍隊ではない。今までそんなものをみたこともないハルですらそう感じ取れるほどその集団は危険な雰囲気を漂わせていた。


「だ、誰だ、お前らっ!? お前らが村をこんなにしたのかっ!?」
「だったら何だってんだ? 村の奴らが強情だから仕方なくやったんだよ。ったく、さっさと吐けば痛い目見ずに済んだのによ」
「な、何だって……?」
「ん? よく見りゃお前、銀髪じゃねえか。せっかくガキが見つかったと思ったのにまた振りだしかよ……ま、いっか。おい、ガキ、お前と同じぐらいの年のガキがいるだろ。金髪で顔に傷がある奴だ。痛い目に会いたくなかったらそいつがどこにいるか教えな」
「え……?」
「や、やめろ……ハル、早くこっから逃げろっ! こいつらは……」
「ちっ、うるせーな……おい、そいつちょっと黙らせとけ」
「はっ!」
「や、やめろっ! お前ら何してんだっ!?」
「うるせえガキだな……お前もちょっとじっとしてな!」


ボロボロの体を引きずりながらも必死にハルへ逃げるように叫ぶゲンマを兵隊たちが抑え込んでいく。ハルはその光景に呆気にとられるものの、すぐに助けに行こうとするが目の前のサングラスをかけた男、リーダーによって捕まり、身動きが取れなくなってしまう。いくらハルが強いと言ってもそれは十二歳の子供としてはの話。大の男、しかも明らかに普通の組織ではない集団のリーダーの前には為す術がなくそのまま押さえつけられてしまう。だがそれでも必死に抵抗し続けているのがハルがハルである所以。正義感が強いハルにとっては許せない状況だった。


「お前ら何なんだっ!? 何でこんな酷いことするんだ!?」
「ったく、最近のガキは躾がなってねえな。まあいい。俺達はデーモンカード。田舎者のお前らは知らねえかもしれねえが、まあいわゆる悪の組織ってとこだ。ちょっと小耳にはさんだんだけどよ、ここに金髪のガキが隠れ住んでんだろ? そいつに用があって来たんだ」
「用……? お前らみたいのがアキに何の用があるってんだよ!?」
「アキってんのか……? まあ名前なんてどうでもいいさ。どうやらお前ら何もしれねえようだな。教えてやるよ。そのアキって奴はな、ただのガキじゃねえ。『金髪の悪魔』って呼ばれる化け物なんだよ」
「金髪の……悪魔……?」
「そうさ。六年前、砂漠にある監獄、メガユニットから脱獄した金髪の悪魔、子供がそのアキって奴なのさ。何でもとんでもない力と邪念を持った化け物らしくてな。莫大な懸賞金がかけられてる。俺達はそれを狙って来たってわけだ。化け物退治に来てやったんだ、感謝してほしいぐらいだぜ」
「う、嘘だっ! アキが、アキがそんな奴なわけがない! 騙そうたってそうはいかねえぞ!」
「ほんとにうるせえガキだな。そういえばそいつもダークブリングを持ってるって情報だったな。おいガキ、そのアキって奴もこれと似たような石を持ってなかったか?」


そう言いながらリーダーはその胸に掛けている石をハルに向かって見せてくる。淡い光を放っている小さな石。だがそれを前にしてハルは思わず息を飲んでしまう。それは大きさや形に差はあれど、間違いなくアキがいつも首に掛けていたアクセサリと同じものだったから。それはつまり、目の前の男が探している金髪の悪魔と呼ばれる存在が間違いなくアキだということを示していた。その事実にハルは驚愕し、混乱したままその場に蹲ってしまう。

その間にも自分を抑えつけているリーダーが得意気におしゃべりを続けて行く。ダークブリングがどんなものであるか。その力がどんなものであるか。アキを殺し、そのダークブリングも奪うのも目的であると。癇に障るような笑い声と共に、頼んでもいないのにそんなことばかりをしゃべり続ける。だがハルにはそんなことなどこれっぽっちも頭にはなかった。あるのは唯一つ。

それは怒り。


「うるせえ……」


村をこんなことにした目の前の男たちへの。


「アキは……」


それを前にしても無力な自分への。


「アキは……」


そして


「金髪の悪魔なんかじゃねええええっ!!」


一瞬でもアキを疑ってしまった自分自身への怒りだった。


ハルは渾身の力でリーダーの拘束を振りほどき、そのままがむしゃらに向かって行こうとする。だがそれよりも早く、近くに控えていた兵士の一人がそれを防がんと銃を構える。その銃口がハルを捉える。ゲンマが制止の声を上げるがそれは間に合わない。そしてその引き金が引かれんとしたその瞬間、それは現れた。


「……え?」


ハルはそんな声を上げることしかできない。当たり前だ。何が起こったのか全く分からなかったのだから。自分は撃たれそうになったはず。いや、間違いなく撃たれたはず。それなのに全く痛みがない。それどころか傷一つない。慌てて辺りを見渡す中で気づく。それは自分の位置。それが先程までは全く変わっている。リーダーと思われる男や兵隊たちから離れた場所に今、自分はいる。まるで瞬間移動したかのように。まるで魔法でも使ったかのように。いやすぐにそんな疑問は消え去ってしまった。それ以上の驚きによって。


「アキ……?」


目の前にいる、今まで見たことのないような黒いマントを纏ったアキの姿によって。


「ハル、そこでじっとしてろ」


アキは一度ハルの姿を一瞥した後、そのままDCの連中の所に向かって近づいて行く。まるでハルを守るかのように。ハルはそんなアキの姿に声をかけることができない。たくさん聞きたいことがある。どうしてここにいるのか。一体さっき何が起こったのか。その格好は何なのか。だがこれまで感じたことのないような雰囲気を、気配を纏っているアキの姿をハルはただ黙って見続けることしかできなかった。


「ふん、やっと現れやがったな、金髪の悪魔。残念だったな、今までずっと隠れてたみたいだがここで死んでもらうぜ。ありがたく思いな、そのダークブリングも俺達、DCが頂いてやるよ」


ハルによって吹き飛ばされたものの、すぐに体勢を立て直しながらリーダーが何食わぬ顔でアキを見据えながら興奮した様子で宣言する。ようやく探し求めていた獲物、そして懸賞金とDBという報酬が目の前にある。それがあればDCの幹部になることも容易い。そうなれば怖いものはなにもない。リーダーは喜びを隠しきれないようにそのまま笑い始める。まるで全てが思い通りにいっていると言わんばかりに。

だがその瞬間、まばゆい光が辺りを包み込まんとする。それはアキの首に掛けられているアクセサリ、DBから発せられたもの。その光にアキ以外の者たちは思わず身体を硬直させてしまう。それは本能。何か凄まじく不吉なものがその光にはあると身体が感じ取ったかのように。しかしそれはアキがDBをすぐさま握りこんでしまうことで収まってしまう。まさに一瞬の出来事だった。


「何だ? こけおどしか……脅かしやがって……」


何かDBの力を使ってくるかと思い身構えていたもののどうやら杞憂だったらしい。確かにDBを持ってはいるが所詮子供。その力を使いこなせていないようだ。金髪の悪魔だの何だの言われているが恐るるに足らない。所詮は噂に尾ひれがついただけだったのだろう。もしかしたら懸賞金は手に入らないかもしれないがDBだけでも十分な収穫だ。自分で使うにしても売るにしても莫大な利益が自分には転がり込んでくる。そうと決まればさっさとやることを済ますことにしよう。


「悪いがままごとに付き合ってる時間はねえ。さっさと死んでくれや」


合図と共に後ろに控えていた兵隊たちが一斉に銃をアキへと向ける。その数は決して避けられるような数ではない。DBを使えない子供などひとたまりもないほどの無慈悲な銃撃が加えられんとしている。その光景にハルとゲンマが声を上げるもどうすることもできない。リーダーも自らの勝利を確信する。そんな絶体絶命の状況の中、

アキは全く動じることなく、その手を天にかざした。

瞬間、あり得ないことが起きた。それは剣だった。黒い、アキの身の丈ほどもありそうな大剣。それがまるで手品のようにいきなりアキの手の中に現れた。その光景にアキ以外の全ての者が目を奪われ、動きを止めてしまう。いきなりの理解を超えた事態、そしてあまりにも子供には不釣り合いな武器を持つアキの姿に。だがリーダーだけはすぐにそれがDBの仕業であることに気づく。物体がいきなり現れることなど普通はあり得ない。ならばそれが恐らくはあの胸にあるDBの能力。確かに厄介な能力ではあるがそれがあるからといってあの大剣を扱えるわけでも、強くなるわけでもない。


「さっきから妙なことばっかりしやがって……そんなこけおどしで俺達をどうにかできると思ってんのか?」


再び銃撃の合図を放たんとするもののアキは全く動じる様子を見せない。それどころか全くリーダーの方を、兵隊たちの方を見ようともせず、ずっと自分が持っている大きな剣を眺め続けている。しかも何か独り言をぶつぶつ言っている。恐怖で頭がどうにかなってしまったのだろうか。だがいつまでもこんなことに時間はかけれない。全てを終わらせんと再び銃撃が、一斉掃射が放たれようとした瞬間、


大きな、一陣の風が辺りを吹き荒れた。それは一瞬。瞬きをするほどの時間。だがその時間で全ては決した。


「……え?」


その声は一体誰の声だったのか。その場に立っていたのは四人だけだった。一人はリーダー。だがその表情は先程までの余裕に満ちたものではない。明らかな恐れと不安を抱いたもの。そしてもう二人がハルとゲンマ。二人は何が起こったのか全く分からず、ただ呆然とその光景を前にして息を飲んでいるだけ。

最後の一人、アキが立っているその光景に。いや、その周りの光景に三人は目を奪われていた。そこには先程まで銃を構えていた兵隊たちがいる。だが先程までと違うこと。それは兵隊たちが皆、一人残らず何かによって斬り捨てられていること。まるで剣によって斬られたように。どうやら全員まだ息はあるようだが誰一人起き上がることはできず、戦闘不能になってしまっていることは明らかだった。そしてそんな中、リーダーだけが何が起こったのかをかろうじて見ることができていた。

その視線がアキが持っている剣へと向けられる。だがそこにある剣は先程までの黒い大剣ではない。青を基調にしたまるでカッターのような刃先をした剣。明らかに先程までの剣とは違っていた。そしてリーダーは確かに見た。銃撃が行われる瞬間、アキの剣が変化し凄まじい、まさに目にも止まらぬ速さで十人の兵士を斬り倒してしまった光景を。明らかに人間の常識を、限界を超えた速度。かろうじて見えたものの、反応することなどできない程の速度だった。だがリーダーの表情にはあきらめの色はない。むしろ楽しんでいるかのような表情をみせる。それは絶対的自信があったからこそ。


「なるほど……それがてめえのDBの力か……だが残念だったな。俺には剣は通用しねえ! この俺のDB、『フルメタル』にはな!」


宣言と共にリーダーは自らのDBの力を解き放つ。瞬間、その体がまるで鉄になってしまったかのように変化していく。それこそがその絶対の自信の理由。身体を金属に変換する力、『フルメタル』の力だった。


「少しはできるようだがこの身体にはどんな攻撃も通用しない! じわじわと嬲り殺してやるぜ!」


両手を拳にし、自分の力を、DBの力を誇示するかのようにリーダーは悠然とアキへと距離を詰めて行く。剣も銃も自分を傷つけることはできない。一方的な暴力でじわじわと相手を嬲り殺すことがこの男の楽しみ。そしてDBの力に飲まれてしまっている代償でもあった。だが


「………」


アキはそれを前にしても全く動じた様子を見せない。それどころか相手の顔を見ようともしていなかった。その視線は相手の首元、DBに向けられている。同時にその表情に変化が生じる。それはまるで憐れみの表情。そしてそのまままるで子供をあやすかのような雰囲気を放ち始める。およそ戦闘中とは思えないような、ありえない、明らかに相手を馬鹿にしているかのような態度。


「てめえなめるのもいい加減に――――」


リーダーがついに我慢の限界を超え、その拳で殴りかからんとした瞬間、勝負は決まった。


爆発。


あり得ない規模の爆発が突如リーダーに襲いかかった。その威力はフルメタルによって金属と化した身体を一瞬で破壊してあまりあるほどの威力。それがなぜ起こったのか。何が起こったのか全く分からないままリーダーはその意識を失った――――




ハルはただその光景に声を上げることすらできなかった。だが確かに見た。先程の爆発。それはアキが振るった剣によっておこされたものだった。その剣の形も色も先程の物とは大きく変わっているオレンジ色を基調にした剣。


爆発の剣エクスプロージョン

音速の剣シルファリオン

それがこの戦いでアキが使ったデカログスの、十剣の力。だがこの時のハルにはそれが何なのかを知る術はなかった。


そのままアキは手に持っていた剣をまた一瞬で消し、爆発によってその場に倒れ込んでいるリーダーの元へと近づいて行く。そしてその胸にあるDB、フルメタルをその手に収めると、どこか寂しげな表情のままハルに向けて視線を向け、そしてそのまま背中を向けたまま歩きだしていく。そう、まるでこれが別れであると告げるかのように。


「っ!? アキ、どこにいくんだよっ!?」

「悪いな、ハル、巻き込んじまって……カトレア姉さんにもすまねえって言っといてくれ……」


ハルが制止の声を上げるものの、アキはそのまま振り返ることなく森に向かって姿を消していく。その黒いマントを翻しながら。まるで今生の別れだと言わんばかりの背中を見せたまま。いつもと変わらない声色で。だがそれが一層ハルの心を惑わせる。


「待てよアキ! 一体どうしたんだよ!? どういうことなんだよ!? その剣は何なんだよ!? DBって……DCって何なんだよっ!? ちゃんと説明しろよ!」


知らずハルは声を震わせながら、涙声になりながらアキの後を追っていた。だが必死に追いかけた後にはアキの姿はどこにもなかった。どれだけ辺りを見渡しても、大きな声をあげても、アキの姿は、そして返事はなかった。まるで霧になって消えてしまったかのように。


「嘘だろ……アキ……?」


呟くように、自分に言い聞かせるように声を上げる。だがそれに応えてくれる者はいない。いつもなら自分の傍にいた、当たり前だと思っていた存在はいない。たったさっきまでいたのに、昨日までずっと変わらなかったはずの日々が。


「何とか言えよ……アキ……なあ、こんなのないだろ……お前、言ってたじゃねえか……姉ちゃんと結婚するって……オレと兄弟になってくれるって……」


終わってしまった。突然の出来事によって。DB、DC、自分が知らない、未知の世界によって、力によって。きっとアキに関係があった、そして自分が全く知らなかったもののせいで。


「アキ―――――!!」


ハルはただ叫び続けた。もう帰ってこない家族の名前を。ただひたすらに。カトレアが騒ぎに気づき止めに来るまでハルはずっとその場で泣き続けた。それがハルとアキの別れ。そして新たな物語の始まりだった―――――







……うん、ごめんなさい。アキです。このまま終わればよかったのかもしれませんがそういうわけにもいかなかったんです。今、俺はガラージュ島の修行場にいます。え? お前あのまま島から出たんじゃないかって? ははっ俺も思わずあのままワープロードで島を出ようと思ったんです。もうそれしかない雰囲気だったし、俺も何か泣きそうだったし(いろんな意味で)思考がおかしくなってたんです。だけど気づいたんです。忘れものに。

DBです。袋に大量に入れているDBを洞窟に置きっぱなしなのを思い出したんだよ! さすがにあれを放置しとくのはヤバすぎるんで仕方なくここに戻ってきたというわけだ……何か色々台無しにしてしまった感がある……余計なことを言わないように細心の注意を払ってたのに最後で台無しだよほんとに……あ、最後姿を消したのはイリュージョンの力で風景と同化してたんです。咄嗟にワープロードを使えないことに気づいたオレをフォローしてくれたんです。マジ助かったぜ、やっぱ持つべきもんはいいDBだよな。

ん? あ、そういえば……あったあった! 大丈夫か、お前? うん、まあそんなに気にすんなって。別に俺は怒ってないし、マザーもついカッとなっちゃっただけだからさ! ほら、マザーも何とか言えよ!? お前のせいでこんなに怯えてんだからな!

俺はそのまま手に持っているDBを慰める。その手にあるのはさっきまであのグラサン野郎が持っていたDB、フルメタルだ。まさかこのDBが出てくるとは思っていなかった。確かこれってシュダが元々持ってたDBだったはず。うーむ、ということはこいつからシュダの元まで渡る予定だったということだろう。そんなこんなで一応回収してきました。まあそれも理由の一つだけどあまりも可哀想だったのが一番の理由だ。だってあんな主人を持ったフルメタルが不憫すぎる。だってあいつ、俺が持ってるのがシンクレアだって本気で気づいてなかったんだぜ? 普通DB使ってる奴なら気づくっつーの! シンクレアを知らなくてもそのヤバさが本能的に分かるはず。よっぽどの馬鹿だったんだな……だが可哀想なのはフルメタルの方。

当然だがフルメタルは俺が持ってるのが、戦おうとしているのがマザーだとすぐに気づいた。だがDBマスターではない奴にDBの声なんて聞こえるはずもなく、フルメタルは焦りと恐怖でガクブル状態になっていた。当たり前だ。例えるならスライムが大魔王に反逆しようとしてるようなもんだしな……何とか落ち着くように言ったんだがそれに応えられないくらいテンパってたっぽい……マジでちびる寸前だったようだ。まあ、マザーがグラサンの言葉にキレかけて全部まとめてディストーションしようとしたせいもあったんだが……っつーかマジで勝手に動くのやめてくれません!? こっちも色々考えて動いてんだから! その辺またお話(肉体言語)する必要がありそうだな……

後、この黒いマントは一体何? 新手の嫌がらせですか? え? 俺の正装? コスプレの間違いだろ、どんな罰ゲームだっつーの! あ、やめろっ!? そんなことで頭痛起こすんじゃねえっ!? ハアッ……ハアッ……あ、あとどうでもいいけどシュダがフルメタル使ってるの想像したらなんか笑えてきた。見る機会があったら写メでも撮っとこう。あ、この世界って携帯とかあんのかな? 

まあ、とにかくこんなに早く追っ手(?)がくるとは予想外だった。まあ人の口に戸は立てられないっていうし、当然っちゃあ当然だったのかも。大したことない奴らで助かったけど。初めての実戦ってことでめちゃくちゃ緊張してたんだけど拍子抜けもいいとこだった。よく考えれば幻影とはいえいつも修行の相手をしてもらってる人達が人達だから比べるのがおかしいのかもしれんな。え? し、師匠っ!? 慢心はもっとも愚かな行為だってっ!? 分かってます! 全然調子なんてこいてません! これからも常に挑む姿勢で戦います、はいっ! 流石師匠……危うく自分が強いと勘違いするところだったぜ……まだまだだな……せめて蒼天四戦士を倒せるレベルにならなければ……ん? なんか俺、おかしいこと言ってたような気がするけど、何だろう……まあいいか。

それよりも問題はハルの方だ。不測の事態だったとはいえ色々と予定外の事態になっちまった。

まずDB、DCの存在を知られてしまったこと。そして爆発の剣エクスプロージョン音速の剣シルファリオンを見られてしまったこと。本当なら親父を探しに行くという言い訳で島を出る予定だったのに……ちくしょう、あのくそグラサンたちのせいで計画がめちゃくちゃになっちまった! ま、まあ大丈夫だよね、そんな大きい差異じゃないし、何とかなるだろ、うん、何とかなるさ! 

でも……はあ……ついにこの時が来てしまったのか……来ることは分かってたけどいざ来ると寂しくなるもんだな。というか未練が半端ない。俺、ここで余生を暮らしたいんですけどダメですか? あ、やっぱりダメ? ですよねー、まあ六星DBを渡さなきゃなんないし、これ以上島にいると同じような奴らがくる可能性もあるから仕方ない、ある意味あきらめもついたわ……唯一の未練がカトレア姉さんにきちんとお別れのあいさつができなかったことだな。今更戻るなんてみっともなくてできないし、会うと決意が鈍りそうだ、マジで姉さんは平穏の、日常の象徴でした。もし生き延びることができたら俺、プロポーズに行くんで待ってて下さい! 何だが死亡フラグをバンバン立ててる気がするけど気にしない! このぐらいの死亡フラグ日常茶飯事だっつーの! むしろ生存フラグが立ったほうが怖いぐらいだ! 

じゃあ行くとしますか! とりあえずはワープロードでここから一番近い港まで飛んでから。こんな時のために一度島から船に乗って一番近い港に行ったことがあるのだ。流石にランダムは怖すぎる。使った瞬間DC本部なんてことになりかねん。割と本気で。

マザー、なんかノリノリっすね……そんなに外に行きたかったの? あ、そう、まあほどほどにやってくから無茶はやらかすなよ。街中でディストーションやらかしたらずっとこの袋の中に突っ込むからな。イリュージョンと師匠もいいか? うむ、やはり君たちは優秀だ! これからも頼りにしてます! じゃあワープロード、久しぶりに移動お願いします!


アキはそのまま背中に大きな袋をいくつも背負った、まるでサンタクロースのような姿のまま旅立って行く。もはややけくそ気味に。これ以上の面倒事が増えませんように。そんな叶わぬ願いを抱きながら―――――










凄まじい砂塵が辺りを包み込み、息すらまともにできそうにない砂嵐の中をまるで何でもないかのように進む一つの人影がある。その人影はそのままその場所へと辿り着く。もはや元がどんな施設であったかも分からない程大きく崩壊してしまっている巨大な施設。世界最大の監獄と呼ばれたメガユニットのなれの果てだった。

ローブを被った人影はそのまま施設の最深部に向かって階段を下りて行く。その最深部は六十六階まで続いて行く。その不吉な数字が表すように、もっとも危険な囚人を収監するために造られた文字通り監獄へ、いや監獄であった場所へと。

人影はそのまま辿り着き、足を止める。その視線がある一点に釘づけになる。そこには何もなかった。本来は何者にも、いかなる力を以てしても破ることができない程の強度を誇るはずの壁。だがそれが無くなってる。いや、削り取られていた。その力の、惨状を前にして人影がそのフードを脱ぐ。まるで決意を新たにするかのように。その力をその目に焼き付けるかのように。


「やはり間違いなかったか……」


それは青年だった。歳は二十代前半と言ったところだろうか。青い髪に白いコートのようなものを身に纏っている、間違いなく美青年と言える容姿。


「『金髪の悪魔』……キングと同じく、時を狂わす危険を持つ存在……」


だがその容姿の中で一際目を引くものがある。それは顔。その顔にまるでタトゥーのような文字が刻まれている。それは『命紋フェイト』と呼ばれるもの。身体に文字を刻むことでその者の未来を変えることが、操ることができると言われる紋章。特に『魔導師』が好んでそれを刻む習慣があった。それはすなわちこの青年が魔導師であることを意味している。だが青年は魔導師ではなかった。


「ならばそれを殺すのが俺の役目……全ての『時』のために……」


『大魔導師』 魔導師を超える魔導師。その称号も持つ魔導師。


『時の番人 ジークハルト』



悲しいかな、ダークブリングマスターの憂鬱はまだまだ終わることはないのだった―――――



[33455] 第七話 「エンドレスワルツ」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/08/08 02:00
天気は快晴、休日ということもあり街は人々によって賑やかさに包まれている。買い物を楽しむ家族連れに食事を楽しむカップル。それぞれに日常を、平和を謳歌している。だが住民たちは知っていた。それが決して長くは続かないであろうことを。自分たちがこうしていられるのがまだこの街に帝国軍の基地があるおかげだということを。だがそれすら必ずしも安心できるものではない。

『DC(デーモンカード)』 

DB(ダークブリング)と呼ばれる魔石を使い人々を不安と恐怖に陥れる悪の組織。その目的は知られていないがその行為は無差別テロとなんら変わらない。そしてその組織の規模、力はどんどん拡大の一歩を辿り留まるところを知らない。当然ながら政府の軍、帝国軍がそれを防がんと対抗してはいるものの持つ者に超常の力を与えるDBの力の前に劣勢に陥ってしまっているのが現状。今は何とか硬直状態、小競り合いだけで済んでいるがいつ大きな戦争が始まるか分からない。そんな漠然とした不安を抱きながらも世界の人々はどうすることもできない。だがわずかずつではあるがある噂が流れるようになりつつあった。かつてDBに対抗するために造られた聖石があったのだと。

その名は『RAVE(レイヴ)』

五十年前、リーシャ・バレンタインがその命と引き換えに造り出した平和への意志。それを扱う者はこう呼ばれた。『レイヴマスター』と。それが真実なのかどうか、今となってはそれを知る人間は少ない。だがそれでも人々は願うしかなかった。新たなレイヴマスターの誕生を―――――




賑やかな街の中心部から離れた閑散とした道を一つの人影が歩いている。だがそれが男なのか女なのかすら分からない。何故ならその人物はフードを深くかぶり、顔を隠していたから。まるで自分の顔を、姿を見られたくないかのように。人影はそのまま誰もいない道を進みある場所に向かっていく。そこは廃墟。かつては街の中心であったがDCの破壊行為によって廃墟にされそのまま放置されている場所。今、同じような場所が世界には溢れかえっている。ここはそんな場所の中の一つ。フードの人物はそのまま一度辺りを確認した後、廃墟の中へと足を進めて行く。まるで誰にも見つからないようにするかのように。そして開かれた一角に辿り着いた途端、フードの人物は何かに気づいたかのように突然足を止めてしまう。そして次の瞬間、フードを被った人物は突如襲われる。

それは鎖。

いきなり何もなかったはずの場所から、空中から銀色の鎖が現れ蛇のように縦横無尽に動きながらフードの人物を絡め取っていく。それはまさに蛇に捕まってしまった獲物そのもの。フードの人物はあり得ないような事態に身動き一つ取れないのかそのまま為す術もなく捕まってしまう。


「ふふっ、捕まえた♪」


そんなフードの人物を嘲笑うかのように一人の女性が廃墟の影から姿を現す。どうやらずっとこの廃墟に身を潜めていたらしい。だが驚くべきはその容姿。まさにそれは絶世の美女とも言っていいほどのもの。長い髪に見事なプロポーション。身につけている派手なドレスがその美貌をさらに引き立てている。すれ違えば男なら間違いなく振り返ってしまうほどの美女。女性はそのままどこか満足気に、優雅に歩きながら鎖によって拘束されているフードの人物へと近づいて行く。そしてその手がフードに触れようとした瞬間、それは空を切った。まるで幻を掴もうとしたかのように。


「あら?」


女性が驚きの声を上げると同時に目の前にいたはずのフードの人物が消え去ってしまう。文字通り霧のように。残ったのはフードだけ。その動きを縛っていたはずの銀の鎖も為すすべなく地面へと音を立てながら落ちて行く。そして


「……何のつもりだ、レイナ?」


男の声が突如女性、レイナの背後から放たれる。それはどこか不機嫌そうな雰囲気を持つ声だった。レイナは一瞬驚いたような表情を浮かべるもののすぐに楽しげな笑みを浮かべながら振り返る。そこは先程まで誰もいなかったはずの場所。しかしそこに一人の男が、少年がいた。黒い短髪にどこかぶっきらぼうな表情をした少年。黒を基調にした服装をした全身黒づくめの容姿。


「久しぶりね、アキ。元気そうでよかったわ」


それが十五歳、成長したダークブリングマスター、アキの姿だった――――



「もう、そんなに怒ることないじゃない。ちょっとしたおふざけよ」
「そうか……てめえ俺に喧嘩を売ってんだな……」
「まさか。それにしても流石ね。どんなDBを使ったのかしら?」
「………」


レイナがどこかからかうようにアキに向かって話しかけるもアキは無表情のまま。だが不機嫌であることは誰の目にも明らか。いきなり攻撃を仕掛けられたのだから当然だろう。しかしレイナはそんな視線をうけながらも何のその。むしろ楽しむようにアキに向かって笑みを浮かべている。それは男なら向けられれば心を奪われる程の笑顔なのだがアキは冷たい視線で応えるだけ。


「分かった分かった……悪かったわよ。久しぶりだったからちょっとからかってみただけ。だからそんなに睨まないで頂戴。せっかくのイケメンが台無しよ?」


流石にやりすぎたと感じ取ったのか手をひらひらと動かしながらレイナは謝罪する。レイナは改めて目の前の少年、アキと対面する。今年で十五歳になったらしい少年。だがアキはただの少年、子供ではない。なぜならアキは非公式ながらもDCの一員なのだから。もっとも外部協力者と言った方が正しいかもしれない。自分とは三年前からの付き合いだった。


「それにしても本当にいい男になってきたわね……どう? この後お姉さんと一緒にデートしない? 大人の世界を教えてあげるわよ♪」
「……そんなことを言うためにわざわざ俺に会いに来たのか?」
「もう、ちょっとは乗ってくれてもいいじゃない。あんまり根暗だとジェガンみたいになるわよ」
「……どうやら六祈将軍オラシオンセイスってのはよっぽど暇らしいな。用がないなら帰らせてもらうぜ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! ほんとに真面目なんだから……ちゃんとするわよ。DBを受け取りに来たの。ほんとは別の奴が来る予定だったんだけどちょうど近くに寄る機会があったら私が来たってわけ。これはホントよ?」


光栄に思いなさい、とでも言わんばかりのレイナの態度に一度溜息を吐きながらもアキはそのままどこからともなく小さな袋を取り出しそのままレイナへと手渡す。その瞬間、袋からジャラジャラとまるで石がぶつかり合うような音が響き渡る。それは袋の中身、DBが擦れ合う音だった。


「確かに受け取ったわ。お金は例の口座に振り込んでおくそうよ」
「分かった」
「それにしても本当にお金だけでいいの? 本当ならDCの幹部にだってなれるでしょうに……」
「興味はない。金だけもらえれば十分だ」
「ふーん、でも結構戦えるんでしょう、あなた? 最初の頃はウチの兵士を随分やってくれたそうじゃない。なんなら私が六祈将軍オラシオンセイスに推薦してあげてもいいわよ。ちょうどまだ一つ席が空いてるしね」
「断る。団体行動は苦手なんでな」
「あらそう、残念。あなたが六祈将軍オラシオンセイスになってくれれば話相手もできてよかったんだけど……まともな男が一人もいないのが致命的ね。そういえば最近ジークハルトとかいう男が入ってきたんだけど真面目すぎるし……今度いい男をキングに頼んでみようかしら……」
「………」


本気か冗談か分からないようなことを言いながらもレイナは受け取ったDBをしまいながらそのままその場を後にしようとする。忙しいこともあるがこれ以上アキが不機嫌にならない内に退散しようという配慮だった。だがレイナはふと気づく。それは視線。アキの視線が自分の腕、いやDBに向けられている。

『ホワイトキス』

それがそのDBの名。六星DBと呼ばれる六祈将軍オラシオンセイスだけが持つことを許されるDB。何でも目の前のアキがそれをDCへ持ちこんだらしい。それ以来アキは定期的に多額の金銭と引き換えにDBをDCに提供し続けている。だがアキがどうやってそれを手に入れているかは誰も知らない。それについては触れないことがアキとDCの契約の一つ。破ればアキからDBの提供が受けれなくなること、捕まえようにもアキが身を隠すことに長けていることからDCは外部協力者としてアキを扱っているのだった。


「どうしたの、やっぱり気が変わったのかしら?」
「いや……レイナ、ホワイトキスの調子はどうだ?」
「……? 変なこと聞くのね。問題ないわ。そもそもDBにそんなこと関係ないでしょう?」


レイナはアキから珍しく話しかけられたことに驚きながらもその内容に首をかしげることしかできない。当たり前だ。レイナ自身の調子を尋ねるならともかくそのDBの調子を気にするなど意味が分からない。もしかしてこの男は女である自分よりもDBに興味があるのだろうか。


「そうか……ならいい」


そんなことを思われているとは知らないままアキはDBを見続けている。まるで久しぶりに会った友人を見るかのように。ある意味ドラゴンだけが友達のジェガンを超える人見知りぶり、そして嗜好だった。もっとも会話ができる分マシかもしれないが。


「じゃあね、アキ。あとデートの誘いは嘘じゃないから気が変わったらいつでも連絡しなさいよ♪」


ウインクをしながらレイナはそのまま廃墟を去っていく。その容姿に相応しい優雅な身のこなしを見せながら。その後ろ姿が見えなくなるまでアキはそのままずっとその場に立ち続けるのだった―――――






ぶはあああああああっ!?!? 何っ!? いきなり何なんだよっ!? 六祈将軍オラシオンセイスが来るなんて聞いてないっつーのっ!? 間違いなく寿命が縮んだわっ!? 来たのがレイナだったのはまだマシだったが……


と、とりあえず落ち着け、俺! 深呼吸深呼吸……ふう、あ、お久しぶりです。アキです。ダークブリングマスターです。いきなりですが十五歳になりました。子供から大人になろうとしている最中です(肉体的な意味で) 随分時間が飛びましたが一応元気にやってます。厄介事は山積み、むしろ三年前よりも悪化しつつあるのだが。特にジークとかジークとかあとジークとか……ちくしょうあの疫病神め……っといかんいかん、とりあえず何から話したものか……そうだな、まずは今の俺の状況をざっくりと。

俺は今、DCの一員になっています。うん、何でこうなっちまったのか……俺でもよく分からん。いや、ならざるを得なかったというか……ガラージュ島を出てからすぐある問題に直面した。それはお金。そう、何をするにしてもお金が必要だった。金がなければ衣食住すらまともにできない! だが子供の俺に出来ること仕事なんてほとんどない。だが今更島に帰ることなどできない。そんなことをするぐらいなら野たれ死んだ方がマシだ! そんなこんなでなけなしのお金で路上生活をしていたのだが何故か今度はDCにつけ狙われることになった。理由は言うまでもなく俺が金髪の悪魔だとバレたから。どうやら懸賞金がかけられているのは本当らしい。そして金髪で顔に切り傷がある子供なんてそうはいない。俺は何とかそいつらを追い払い続けただが一向に追っ手の気配はなくならない。いやむしろ酷くなる一方。マザーが暴走しそうになるのを文字通り抑えながら戦うというめちゃくちゃな状況。しかしある時ようやく気づいた。

そう、自分が狙われるのはその容姿のせいだと。

そんな当たり前のことに気づくのに一カ月近くかかってしまった。今思えばそうとうテンパってたんだな……俺。それから俺は髪を黒に染めました。言うまでもなく金髪を隠すために。黒にしたのは特に理由はない。目立たなければ何でもよかった。そしてもう一つの問題。顔の傷。これについてはイリュージョンに協力してもらった。その力で傷を隠してもらったのだ。マジでイリュージョン万能すぎ! 何気に一番世話になってるのはこいつかもしれん。マザーなんて足元にも及ばないな……口が裂けても言えないが。と、とにかくそれによってDCに、賞金稼ぎたちに狙われることはなくなった。そこからようやく本来の目的、六星DBの問題を解決することになった。そしてそれは一瞬で失敗しました、はい。もうこれ以上にないくらいに。

見つかったんです、ハジャに。

そう、あのハジャです。無限のハジャです。DCの副官、頭脳とも言えるハジャに見つかってしまったんです。はっきり言って漏らす寸前でした。いや本当は……ゲフンッ、とにかく手には既にワープロードを握りしめいつでも逃げれるように準備はしていたものの、その隙があるかどうかも怪しい。しかも隠し持っていたマザーもその気配を感じ取ったのか臨戦態勢。まさに一色触発。まさかのDCとの全面戦争開始一歩手前の状況。マジでこの時のことは思い出したくもない。だが何とかそれを乗り来ることができました。

六星DBを渡すこと、そしてこれからもDBを定期的に渡すことを条件に。

それは俺からの提案。元々六星DBについては渡す気だったし、他のDBについてもマザーの手前ずっと保留するわけにはいかなかったので考えていた案のひとつであった。まさかこんな形で実現する羽目になるとは思ってもいなかったが。もしそれでも見逃してもらえないようなら悪いがマザーの力を使ってでも脱出させてもらうつもりだった……あ、あとになって気づいたんだけどあのまま戦闘になってたら多分ハジャが死ぬことになってただろう。ハジャはその体に六十一式DBと呼ばれる人工のDBを埋め込んでおりそれが無限の魔力を持つ理由。だがマザーならば自らの意志でそれを破壊、いや自壊させることができる。すなわちマザーを持つ俺はDBを持つ相手に対しては無敵といってもいいことにようやく気付いた。もっともシンクレアを持つ者、DBを持たない者はその限りではないのだが。そのことを何故教えてくれなかったのかあとでマザーに問い詰めたがどうやらそれを言えば俺がまともに修行をしなくなるかもしれないと思ったらしい。ちくしょう……覚えてろよ……

まあそんなこんなで俺はDCの外部協力者になった。もしかしたらハジャは俺が金髪の悪魔だということに気づいていたのかもしれん。そのうえで手元に、目が届くところに置いておこうとする算段とか……?

あれ、俺、もしかして選択肢間違っちゃった……?

そんなことを今更ながらに後悔しながらも俺はそれから定期的にDBをDCへと渡していくことになった。これについてはマザーはご機嫌だった。DCとはいえ結果的にはそれでDBが世界に出回ることになるのだから。そのことについて思うことがないわけではないがこればっかりは仕方ない。元々いくらかは流す予定だったし、できるだけ渡す奴を考えるようにだけはした。ま、しょうがいないだろ。終わっちまったことをいつまでも気にしても仕方ねえ。問題はこれから先のことだろ、うん! 後、一応報酬という形でお金がもらえることになりました。これが一番嬉しかったのは内緒だ。何はともあれ生活に困ることはなくなったわけだ。何か子供を売りさばいて生計を立ててるみたいでいい気はしないがマザーも満足しているのでよしとしよう! なんか俺、感覚がおかしくなってきてるような気がするけど気のせいだよな、きっと……

それから俺は世界各地を回って自分の拠点、アジトを作って行きました。主にワープロードの能力を最大活用するため。DCはもちろん、他にもシンクレアを狙う連中から、ある人物から身を隠すための場所を多く確保するのがその理由。DCの連中も一応協力関係にあるが隙があれば俺の居場所を探ろうとするので油断ならない。流石はハジャといったところか。その最中にとんでもないことがあったのだが……

ん? ああ、大丈夫だって。すまねえなイリュージョン、ワープロード。助かったわ……っ!? 師匠っ!? 油断大敵? はい、おっしゃる通りです! 精進します! え? すぐに対応できたのは評価してくれるって? あ、ありがとうございます! ふう、やっぱ俺もまだまだだな……あ、そうそう。マザーはこの場にいません。アジトでお留守番です。理由は簡単。持ち歩いてると狙われる可能性が増えるから。やっぱある程度のレベルの奴はシンクレアの気配が分かるらしい。しかもマザーは俺が狙われると暴走がちになるから余計タチが悪い。そんなこんなで特に戦闘の危険がない場合はアジトで留守番がデフォになっています。緊急時にはワープロードで呼び出せるので無問題。当初はぶつぶつ文句ばかり言ってたが最近はあきらめようだ。まるで子離れできない母親だな……あれ、俺の方がどっちかって言うと保護者のような気がするんですけど気のせい? もっとも本当はこれからのことを考えての作戦でもある。

今、俺は十五歳。原作通りであれば十六歳の時、およそ一年後にハルがレイヴマスターになり物語が始まるはず。そうなれば俺もある程度はその動向を知る必要が、場合によっては介入する必要がある。本当は第一部、キングが死ぬまでは何もしないつもりだったのだが……その……楽観視できないほどの、むしろ爆弾級の、原作崩壊級の事態を起こしてしまった手前そういうわけにもいかなくなってしまった……

な、何でこんなことに……俺のせいっちゃあ俺のせいだけどさ……でも元はといえば、っていうかあんなことになるなんて予想する方がむりだっつーの! 

ごほんっ、なんか脱線しちまったがとにかく秘密裏に動く際、つまりハル達の手助けだったりをする際にはマザーがいると面倒なことになる。そういう時のために一人で動けるように用意していたわけだ。他のDBたちには了承を取ってある。もっとも本当の理由は語っていないのだがみんな俺の言うことを信じてくれた。やっぱ持つべきものはいいDBだな……みんな俺のことを信じ切ってくれている……本当は裏切りをしようとしている俺を……って待て俺っ!? 落ち着け、俺は何も悪いことはしてないぞ!? そう、これは世界を守るためだっ!? こいつらは悪だ、そう悪だ! ふう、あぶねえ……何か最近自分の価値基準がおかしくなってるような時がある。気を引き締めねば!


しっかし俺、結局六祈将軍オラシオンセイスと接触する羽目になっちまったな……


レイナはさっきの通り。何か結構気に入られてるっぽい。ていうかエロスが色気が半端ない。ぜひ今度大人の世界を教えてほしいのだが色々な意味で恐ろしくて手が出せない。デートのお誘いもお断りしている。なんかそのせいで余計に絡まれてるような気もするが……

ユリウスは馬鹿だった。それだけ。

ジェガンとは結構仲がいいです。無口だけど。何かドラゴンがかっこよかったので褒めたら仲良くなれました。何か一匹くれるって言ってくれたんだけど飼う場所がないので断った。ちょっと残念だったが……まあ、根っからの悪人じゃないしな。ジュリア関連になるとちょっとあれなだけで。

一番苦手なのがベリアルだ。何か生理的に受け付けない。何かと喧嘩吹っ掛けてくるしな……

そしてまだキングとは接触せずに済んでいます。もうそれだけは譲れない、最後の砦。絶対に本部には近づいていません。半径数キロ、いや数十キロには近づきません! もうこれ以上の厄介事は勘弁して下さい……憂鬱どころかもう廃人になってしまうほどの状態になるしかなくなる……いや、もうすでになっちゃってるんですけどね……

アキは心の中で今日何度目になるか分からない溜息を吐きながらこの街にあるアジトへと辿り着く。どうやら今日は尾行もついてきていないようだ。まあもしかしたらレイナなりの気遣いなのかもしれんな。うむ、流石いい女は違うな。ぜひお付き合いしたいぐらいだ……冗談です。俺にはカトレア姉さんという心に決めた人がいるんだっ! まあ俺の一方的なあれなんだが……

アキはそのまま一度大きな深呼吸をしたあとアジトへと入って行く。そこは大きな地下室。元々デパートの地下だったモノを買い取ったもの。それが簡単にできるほどの額をアキはDCから報酬としてもらっていた。もっともDBの価値からすればそれでも安すぎるぐらいなのだが。


「ただいま……」


そう言いながら勝手知ったる我が家のようにアキが留守番をしていたマザーに声をかける。同時にマザーも点滅しながら返事を返してくる。


え? 今日は遅かったな? いつも通りだろうが、だいたいもう出歩いても心配されるような年じゃないっつーの! ん? 誰と会って来たのかって? だ、誰でもいいだろうが、関係ないだろったく……


この通り、マザーはいつも通りです。もはや厄介物以外の何物もない。少しはマスターの言うこときけっつーの……あ、あと声が変わってるんです。今までは機械のような音声だったのが女性の声に。恐らくは二十代前半の女性の声だろうか……これにも理由があるのだが


「あ! おかえり、アキ!」


アキがマザーと会話をしているとドタバタと誰かが騒がしくそこに割って入って来る。アキはどこか呆れた表情を見せながらもその人物へと目を向ける。

それは少女。歳は十五、六歳程。金髪に見事なプロポーション。それをさらに際立たせるような露出が多いラフな格好。少女はどこか嬉しそうにしながらアキの元へとやってくる。その勢いに思わず気圧されながらもアキは応える。



「ああ……ただいま、エリー……」


『エリー』

それが少女の名前。いや、今の少女の名前。何故なら少女には少女自身も知らないもう一つの名前があった。

『リーシャ・バレンタイン』

魔導精霊力エーテリオンと呼ばれる力を持つ、レイヴを作り出した少女。

そして今は全てを記憶喪失によって忘れてしまっている少女。原作における最重要人物でありヒロインでもある少女。


アキはどうしようもない、いやどうにかしなければいけない一年前からの同居人に頭を抱えることしかできなかったのだった―――――



[33455] 第八話 「運命の出会い(その2)」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/08/10 20:04
「遅いよアキ、どこ行ってたの?」
「どこでもいいだろ……」
「よくない、あたしもママさんも心配してたんだから! ね、ママさん!」


ぱたぱたとまるで無邪気な子供のように騒ぎながら金髪の少女、エリーがアキへと詰め寄って行く。元気が有り余っているかのようなオーラを発しながら迫って来るエリーの姿にアキは溜息を吐きながらも押されっぱなし。既に同居し始めて一年以上になるというのにアキはまだこのエリーの騒がしさ、天然さには振り回されっぱなしだった。


「あ、おかえり、イーちゃん、ハーちゃん! 新しい雑誌買って来たの! 試してみよう! きっと似合うよ!」
「ちょっと待て、お前また勝手に出歩いたのか!?」
「大丈夫だよ、ちゃんとママさんに着いてきてもらったもん」
「余計問題があるわっ!? お前狙われてるって自覚ねーのかよっ!?」
「えー? だってその時はアキが守ってくれるんでしょ?」
「う……そ、それは……まあそうだが……」
「よし! じゃあさっそく始めよう! ママさんも一緒にする? うん、ちゃんとママさんに似合いそうなものも載ってるよ!」
「………はぁ」


アキの必死の抗議もなんのその。持ち前の明るさ、天然さを振りまきながらエリーはアキから二つのDBを強引に奪った後、買って来たらしい雑誌を前にしてキャッキャと騒ぎ出してしまう。既に男が入り込むことができない女の子空間が形成されている。そこに割って入ることもできずアキはがっくりと肩を落としながらも近くの椅子に腰を下ろす。


はあ……どうも、アキです。ダークブリングマスターです。元気です。元気ではあるのですが何というか……精神的疲労がたまっています。もちろん先程のレイナとの接触もそうなのだが一番は言うまでもなく目の前の少女、いや光景にあります。エリーです。はい、間違いなくあのエリーなんです。原作のヒロインでもあり。最重要人物でもある存在。ある意味もっとも接触してはいけない少女が今、目の前にいます。しかも何故かDBたちと楽しそうに遊んでいます。心なしかDBたちも楽しそうです。うんうん、仲良きことはいいことかな……ってんなわけねえだろがあああああっ!? 何っ!? 何なのこの状況っ!? 何でエリーがここにいてしかもDBと楽しそうに交流してるわけっ!? しかもその中一つはシンクレア、悪の親玉ですよ!? なんでそいつと仲良くなっちゃってんのっ!? エリーさん、あんたそいつを倒すために五十年の時間を超えてきたんでしょうっ!? もう何か全部台無しだよ! リーシャの意志も、シバの決意も、ジークの願いもなんか全てを台無しにしちまってるんじゃないかっ!? い、いや……リーシャじゃなくて今はエリー、記憶を失ってるから仕方ないことなのかもしれんが……待てよ、となるとあれか? やっぱこれって俺のせい? ははっ、分かってます。俺のせいでこんなことになっちまったのは……ちょっと現実逃避したくなっただけです。ふう……とにかく落ち着こう。焦ったって仕方ない。というか焦ったからといってこの状況がどうにかなるわけじゃないんだから。どうにかなるんだったらいくらでも焦ってやるよこんちくしょう……


それはともかく……もう少し静かに遊べないのか。騒がしい声がめちゃくちゃ耳障りなんですけど。もっともうるさいのはエリーだけだが。マザーたちもそれに振り回されているようなもんだろう。まあ楽しんでるのは違いないだろうが……一応あいつらも性別は女だし、イリュージョンとハイドは少女だから気は合うのかもしれん。あの……エリーさん? その遊びは個人的にはやめてほしいんですけど……主に俺のDB観を守るために。あ、ダメ? 可愛いからいいって? そうですか、可愛いは正義なんですね、分かります。エリーの他に一人の女性と二人の少女の姿が見えるような気がするが気のせいだろう。俺には何も見えていない、うん。何か俺の地位が、威厳が全くなくなってしまっているような気がする。もっとも初めからそんなもの無かったのかもしれんがここのところそれが顕著だ。一応俺、マスターなんだけど……何かエリーの方が慕われてない? 気のせいかな……あれ? なんか涙が出てきそう、何だろう、別にDBマスターになりたくてなったわけじゃないのに何でこんなに敗北感があるんだろうか……ん? 師匠? 何かあったのかって? い、いえ……特になにも……え? 何か悩みがあるんなら言ってみろって? そ、そんな……大丈夫です! その心遣いだけ十分です! ありがとうございます! ふう、流石は師匠……貫録がぱねえ……師匠がいればこの追いやられつつある我が家(?)のパワーバランスの中でもくじけずやっていけるような気がする! よし、とりあえず気を取り直しつつ現状を確認することにしよう!

今、俺はエリーと同居しています。だいたい一年くらい前からかな。なんか同居って言うと語弊があるかもしれん。正確には保護だな、うん。決してやましいことはしてません! っていうかできるわけねえだろっ!? だってヒロインですよっ!? ハルの相手ですよっ!? 手を出したらどんなことになるか想像もしたくない……原作崩壊ってレベルじゃないっつーの……まあ確かに可愛いし、スタイルもいいのだが……っ!? っといかんいかん! 俺にはカトレア姉さんという心に決めた人がいるんだ! ふう……まったく危ないところだった。流石はヒロインといったところか。そういえば本物のルシアも惚れてたみたいだし、シバ、ジークも含めれば四人の男性に惚れられてたってことか……半端ない。気をつけておかねば俺もいつの間にか……なんてことになりかねん。早くこの厄介者(爆弾的な意味で)をハルのところに押し付け……ゴホンッ、送り届けなければ! しかしすぐにどうにかできる問題ではなかった。何故ならハルはレイヴマスターになるのは今から約一年後。できる限り原作に近い形で修正を図りたい。っていうか無理やりにでも修正して見せる! そのままエリーをガラージュ島に置いてこようかとも思ったがそんなことしてエリーだけが記憶探しの旅に、もしくはハルがレイヴマスターになる前に島を出られでもしたらどうしようもなくなる。結局俺が面倒を見るしかないという結論に達したわけだ。 

でも最初は色々考えた。予想外だったとはいえエリーと出会うことができたのだ。そう、魔導精霊力エーテリオンというシンクレアを、エンドレスを倒す力を持つエリーと! ならエリーの記憶を戻し、原作の流れを無視してでもシンクレアを倒してもらうという手もあった。だがそれはかなりのリスクを伴う。何が起こるか分からんし、原作知識も全く当てにならんほどむちゃくちゃな流れになるだろう。だが原作通りに進めるよりも遥かに早く解決できる可能性もある。様々なリスクを考えながらも結局俺は………


できるだけ原作寄りに行動する道を選んだ。ヘタレと言われても構わん! だが不安要素もあった。それはエリーが一人で記憶探しの旅に行ってしまうのではないかということ。原作でもハルと出会うまでは一年間、旅をしてたみたいだしそうなっちまってもおかしくない。その際には悪いが監視をさせてもらいながら警護するしかない。何かストーカーみたいだが仕方ない。その汚名を被る覚悟だった。だが予想外にエリーは旅に出かける気配も、一人で遠くに行く様子も見せなかった。こちらとしては助かるのだが何だがおかしい。確かにエリーは俺が記憶の手掛かりを知っていると思っている(実際手掛かりどころか全部知っているのだが)のでそれが理由なのかもしれんがそれにしても一年以上経つのだから別の手掛かりを探そうとしてもおかしくないはずなのだが……うむ、DBたちとも仲良くなったし、居心地がよくなったのかもしれんな。それはそれで問題があるのだが……あ、それとエリーがDBたちと話せているのはマザーが生み出したDBのおかげです。DBの声が聞こえるようになるDB。何か自分で言ってて何言ってるのか分からなくなりそうな能力だ。エリーと暮らし始めた当初、俺はDBのことは秘密にするつもりだった。当たり前だ。エリーにとってDBはまさしく倒すべき敵。いや、正確にはエンドレスという名のDBを倒すためにリーシャとしての人生を捨てて、文字通り死んでまでこの時代にやってきたのだから。なによりもDBと、シンクレアと接触させたくなかった。マザーには何だかんだ言い訳してエリーと同居する許可を得た(ほとんど無理やり) だがマザーはめちゃくちゃ怪しんでいた。言うまでもなくそれはエリーの容姿。髪が短い以外はどうみてもリーシャそのまま……っていうか本人だから当然なのだが……

そしてエリー自身の問題。魔導精霊力エーテリオンという名の世界を破壊しかねない魔力を持っているという問題。冗談でも何でもなくそれだけの力がエリーにはあった。しかも制御の仕方を覚えていないと言うおまけ付き。もしマザーに狙われたり、感情の高ぶりで暴走でもすればゲームオーバー。世界が消滅すると言う無理ゲーを押しつけられてしまったようなものだった……ま、まあ対策を講じてはいるのだがそれでも危険なことには変わりない。


あれ……? 何で俺こんな目にあってんだろう……? 状況が良くなるどころか悪化してばっかりなんだけど? マザーだけでも手を焼いてんのに何でエリーまで追加されてんの? このセットとかなんの嫌がらせ? 世界滅亡セットなんて誰も頼んでないんだけど、割とマジでしゃれになってないっすよ……? 返品はどこにすればいいんですか?


ま、まあ今のところは問題なく生活できている。というかなじみすぎていて怖いぐらいです。エリーさん、マジで順応力半端ないです。俺の代わりにDBマスターになってくれません? マジで。ははっ、やっぱ無理ですよねーっていうか三代目レイヴマスターらしいし……っていうか結局三代目ってどういう意味だったわけ? まあそれはともかくエリーにはDBマスターだということはバレてしまいました。マザーと隠れて話しているところを目撃されてしまったのが原因で。その瞬間、俺は血の気が引く思いだった。バレてしまったこともだがそれでエリーがどんな反応を示すか分からない。何かのはずみで記憶が一時的に戻ったりでもすればどうなるか。マザーに気取られないように臨戦態勢で身構えていたのだが


『すごーい! アキ、この石と話してたの? あたしも話してみたい♪』


そんな予想の斜め上を行くエリーの喜びの声によって全て台無しになってしまった。よく考えればエリーは記憶喪失。DBのこともシンクレアのことも知らない、覚えていない。そして天然の、好奇心の塊のようなエリーにとってはDBと話している俺の姿は面白そうに見えて仕方なかったらしい。あとDBがほんとは虫だと思うとか訳が分からないことを言っていたが全部スルーした。俺としてはバレなかったのを喜ぶべきか、悲しむべきか分からない状況。しかもマザーがDBの声が聞こえるDBを勝手に作ってエリーに渡すというめちゃくちゃなことまでする始末。(もっともマザーとしてはエリーの正体を探りたいとう意図もあったのだが)もっともそのDB自体は通信機のようなもので意志もなく、使っても汚染されるような代物ではなかったのが唯一の救いだったのだが……うん、やっぱエリーにDBを使わせてしまっているのは罪悪感というか、申し訳なさがある。一応DBは良くない物だとやんわりと忠告はしたのだがまったく聞く耳を持ってくれない。まあ会話できるようになったせいで余計にそうなってしまっているようだが……


それもこれも全ての原因は奴にあると言っていい。そう、時の番人ジークハルト。それが全ての始まりであり、そしてこの事態を引き起こす原因だった。


それはおよそ一年以上前。俺はDCとも非公式だが協力関係を取り付け、一息をつくことができた時期だった。目下の問題である六星DBの問題、そして生活費の問題も解決することができたのだから。小さないざこざや問題は残ってはいたもののとりあえずは大きな峠は越えることができた。あとはハルがレイヴマスターとなり原作が始まる時期まで身を隠し情報を得ながら第一部、キングが死ぬまでは表舞台には上がらない。力を蓄える予定だった。何か力を蓄えようとしてる時点で色々おかしい様な気もするが生きるためだから仕方ない。できる限り人との、特に原作キャラとの接触を避けるのが俺の計画だった。そう……だった。それは空しくも一瞬で砕け散ることになる。

突如現れた蒼い髪をした男の登場によって。まるでそれは死神を連想させるような圧倒的存在感。白いコートに顔に刻まれたタトゥー。そして殺気。まるでゲームでいきなり四天王に出会ってしまったかのような緊張感が、寒気が俺に襲いかかってきた。


あれー? おっかしいなー……気のせいかな? なんか目の前にどっかで見たことあるような人がいるんですけど……? うん、ジークだ。間違いなくジークハルトだ。実物を見るのは初めてだが一目で分かった! すげえな……めちゃくちゃイケメンじゃん……やっぱ原作キャラは違うよなーここは一つサインでも……ってちょっと待てえええええっ!? は!? な、ななな何でこないな場所にジークはんがいらっしゃるんですかっ!? しかも何故にそんな今にも襲いかかってきそうな恐ろしい雰囲気を纏いながらっ!? え? え? も、もしかして、もしかして……


この時のことはよく覚えていない。どうやら極限状態に近い状態で記憶が混乱していたらしい。だがそんな中でも本能という名の直感が告げていた。目の前の男、ジークハルトが間違いなく自分を殺しに来たのだと。

それからはひたすらに雷だった。いや、魔法の嵐だった。しかもどれも当たれば即死級の一撃。手加減なしの全力全開。俺はそれを必死にイリュージョンとワープロードを使いながら躱し続けることしかできなかった……え? 何で戦わないのかって? ふざけんなっ!? 相手は六祈将軍オラシオンセイスと互角の力を持つ大魔導士ですよっ!? 勝てるわけねえだろっ!? こちとらザコ級の相手としか実戦したことねえんだぞっ!? それがいきなりジークとタイマン!? 何の冗談っ!? しかもマザーが反撃をしようと、ジークを消し去ろうとしてるのを抑えるだけで精一杯だったっつーの!?

いきなりの襲撃に驚きながらも命からがらその場からは逃げ出すことができた。どうやら金髪の悪魔である俺を追って来たらしい。ま、まさかそんな展開になるなんて……確か原作ではキングの命を、そして魔導精霊力エーテリオンの研究施設を狙っていたはず。そこにめでたく俺も追加されることになったらしい……もはや涙も流れない程の状況。狙われるだけでもあれなのだがそれ以上にマザーを抑えることが一番厄介だ。一応俺の身を守ろうとしてくれているので文句は言えないがそれでもジークに手を出すわけにはいかない。ジークはRAVEにおいて最も重要とも言える役目を負っているのだから。もし殺してしまいでもしたら取り返しがつかない。そのままバッドエンド直行になりかねない。もしかしたら絶対に役目を果たすまでは死なないようになっているのかもしれないが実際にリーシャの墓にある骸骨を見たわけではないので確証がない。もしかしたら俺がいることでそれが変わってしまう可能性もある。とりあえず俺は逃げ回るしかなかった。イリュージョンとワープロードのおかげで逃げるのは得意になっている。流石俺。まさに先を見通したかのような人選、いやDB選びだった。なんか情けない様な気もするが……だが恐るべきはやはりジーク。何度か接触しただけでこちらのDBの能力を見抜いたのかそれに対抗した戦術で襲いかかって来る。まったく気が抜けない逃亡劇、命を賭けた鬼ごっこはしばらく続くことになった。

もちろん何度か応戦しようかとも考えた。マザーの力ではなく師匠、デカログスの力で追い払えば時間は稼げるのではないかと。だがそれはマザーによって却下された。何でも俺がまだ未熟なのが理由らしい。師匠からは既に仮免許はもらっているのだがやはりマザーの命には逆らえないらしい。親バカと言うか子離れができない親というか……まあ確かにまだ俺、未熟だしな……最近は修行も行き詰っている。マザー、イリュージョン、ワープロードの力を百パーセント使ってもまだシバに負け越している。三回に一回くらいは勝てるようになってきたがほぼ相打ちに使い形。しかも師匠だけではまだ一回も勝ててない。師匠曰く俺には足りない物があるらしい。何だ? やはり補正的なものが俺には足りないのか? まあとにかくシバと互角に戦えるぐらいにならないとな……と話が脱線してしまったがとにかく俺は逃げ続けるしかなかった。だがいくら逃げてもジークは俺を正確に追って来る。まるでレーダーでもあるかのように。何度か話し合いをしようと試みたことがある。だがジークは全く聞く耳を持ってくれなかった。


『時のために』


それを馬鹿みたいに連呼してました。何それ、おいしいの? 状態だった。おいっ! ちったあ他人の話を聞けっつーの!? 確かに初期のジークは堅物そうなイメージだったがまさかこれほどとは……確かに金髪の悪魔でシンクレアを持ってるんだから仕方ないのかもしれんが……いや、別に俺、ジークのこと嫌いじゃないよ? むしろRAVEのキャラの中でベスト3に入るくらい好きなキャラだ。でもやっぱ実際に命を狙われて、殺されかけるのは話が別だっつーの!? 誰か、誰かこの人どうにかしてええええっ!?


そんな心の叫びを上げながらもひたすら逃げ続けるという命がけの逃走を続けていたある日、とんでもない出来事が、事態が起こった。

それはいつものようにジークの襲撃から何とか逃げ切った後。俺は二日後に再びその場所、というか街へと戻ってきた。もちろんもう既にジークがいないことを確認した後。ワープロードのおかげで街の行き来は一瞬でできるため問題なし。何気にイリュージョンに勝るとも劣らない万能性。しかもその力を極めたので汎用性はさらに上がっているのだが……まあそれは置いといて。俺が街へ戻ってきたのはDCと接触するため。言うまでもなくDBを売り渡すためだ。元々そのためにここにやってきたのにジークのせいで余計な手間を取らされてしまった。何だかこの状況に慣れつつある自分が怖い。もしかしたら既に色々な感覚がマヒしてきているのかもしれん。

まあそんなこんなでDCの兵士にそれを渡しようやく目的を果たせたと安堵している中、兵士からある話を聞いた。何でも昨日凄まじい雷が落ちる音が街の遥か外れから聞こえたのだと。雨も雲もなかったにもかかわらず。俺は気づく。恐らくはそれがジークの雷、魔法であると。だが同時にある疑問が浮かぶ。何故ジークがそんなことをしたのか。二日前であれば俺を狙って雷を使っていたので説明がつくが昨日は別だ。俺は既にワープロードでここから遥かに離れた場所にいたのだから。DCを狙ったものかと思ったがこの時期のジークはキングを狙うためにDCへ潜入する目的があるのでDCに対して敵対行為をするとは考えづらい。となれば考えられる理由はたった一つ。


魔導精霊力エーテリオンの研究施設の破壊。


う、うん……まあそうだよね。他には考えられないし……ま、まあそういうことだろう……でもなんだろう……なんかめっちゃ嫌な予感がするんですけど……いやいや、ただ施設が壊されただけだ。それに恐らくはそういう施設はいくつかあったはず。ならその一つがたまたま壊されただけ……気にすることないはず……だって、だって彼女が目を覚ますのは記憶の通りならまだ一年後のはず……だから心配することはないっつーの……ははは……


そんな誰に対しての言い訳かわからないことをぶつぶつ呟きながらアキはふらふらとその雷が落ちたと思われる街から遥かに離れた場所、荒野へと足を向ける。まるで何かに導かれるように、夢遊病にかかっているかのような足取りで。だが心のどこかで悟っていたのかもしれない。昨日起こったであろう出来事。そしてこれから起こるであろう出来事。


そこには雷によって吹き飛ばされた建物があった。恐らくは大きな施設であったことが伺えるが雷による攻撃によって無残な廃墟と化してしまっている。間違いなくジークの仕業だろう。だが廃墟などアキの目には全く映っていなかった。


映っていたのはそこから少し離れた場所にいる、いや座りこんでいる人影。それは少女だった。歳は十五、六程、短い金髪に黒い下着のようなタンクトップを身に纏っている。その腕にはELIEという文字が刻まれている。だがその姿は傷つき、表情は悲しみに、不安に満ちている。夕日がそれを照らし出しどこか幻想的な雰囲気を放っている美少女がそこにはいた。


「エリー……?」
「………え?」


知らずアキはその名を口にしてしまった。瞬間、少女は驚いたようにアキへと振り返る。だがアキの驚きは少女の比ではなかった。何故こんなところに、時期に彼女がいるのか。一体何が起こっているのか。だがようやくその理由に気づく。


そう、これが自分というイレギュラーのせいであると。


本来この時期には現れない金髪の悪魔である自分が脱獄してしまったこと。それをジークが追ってきてしまったこと。それによって本来一年後見つかるはずだった魔導精霊力エーテリオンの研究施設が昨日見つかり、そしてその下で眠っていた少女、エリーが目覚めてしまったのだと。


原作よりも一年早く。


「……あなた、誰?」
「………」


どうしよう……これ……


それがアキとエリーの予想外の、そして運命の出会いだった――――



[33455] 第九話 「魔石使いと記憶喪失の少女」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/08/10 20:08
誰もいない荒野。あるのは破壊しつくされ元の姿を保っていない廃墟だけ。夕日だけがその惨状を照らし出している中に一人の少女がいた。だがその姿は普通ではない。

体中には傷があり、下着のような黒いタンクトップを身に付けた異様な格好。こんな場所に少女がいるだけでも不自然極まりないのだが少女はその場に体育座りをしたままただじっと破壊された施設を見つめ続けている。どこか不安そうな、泣きそうな表情を見せたまま。


(あたし……誰なんだろう……?)


少女は目に滲む涙を何とかこらえながらも自問自答する。自分が誰なのか。そんなあり得ないような疑問を。まるでそう、記憶喪失になってしまったかのように。そしてそれは正しかった。少女には全く記憶がなかった。ここがどこなのか。今がいつなのか。自分の名前すら。まるですっぽりと記憶が抜け落ちてしまったかのようだ。何とか記憶の断片を思い出そうとするがそのたびに頭に頭痛が走りそれ以上踏み込むことができない。何度も何度もそれを繰り返すも結局何一つ思い出すことはできなかった。少女は傷ついた身体を庇いながらも思い出す。それは目が覚めてからの出来事。


(あの男……雷の男……一体誰だったの……?)


少女は思い返す。それは昨日、自分が目覚めた時のこと。自分はいきなり目覚めた。だが全ての記憶を失ってしまっていることに気づき混乱することしかできない中、一人の男が現れた。青い髪に白いコートを着た男。恐らく二十代前半といったところだろうか。少女は驚きながらも必死に話しかけた。男が自分に向かってよく分からないことを口走っていたからだ。だがその内容もよく覚えていない。とにかく自分を知っているかもしれない存在が目の前にいる。ならば一刻も早く何か知っていることを教えてもらわなければ。そんな子供が親に抱くような思い。文字通り縋りつくように自分は男に向かって詰め寄った。自分は誰なのか。自分のことを何か知っているのかと。だがそれは予想もしない形で返された。

雷。

どこからともなく凄まじい威力の雷が自分を襲って来た。男が手を振るった瞬間に。信じられないような出来事。間違いなく食らった者は死に至るほどの威力の雷だった。だが何故か自分は一命を取り留めていた。そのことに自分自身が一番驚いていた。何で生きているのか。何で自分がこんな目にあっているのか。様々な疑問が頭の中を巡るものの、自分はただ息を殺していた。声を出すことができない。それは恐怖。もし自分が生きていることが知られれば目の前の男が再び襲ってくると分かっていたから。男、雷の男はそのまま自分が死んだと思い込みその場を去って行った。それを確認した後、自分は何とか痛みに耐えながら起き上がるも途方に暮れるしかなかった。そう、自分は唯一自分のことを知っている可能性がある人物を見失ってしまったのだから。何か自分の身元が分かるようなものがないのか探してみたものの見つからない。着ている服は何か物が持てるようなものではなく、破壊された施設の跡をくまなく探してみるものの全て焼き払われ手掛かりになるような物は何一つ残ってはいなかった。ただ無意味に時間だけが過ぎて行き既に時刻は夕刻。疲れ切ったわたしは施設から少し離れた場所で座りこんでいるだけ。そんな中、ふと気づく。それは自分の左腕。そこに何か文字のようなものが刻まれている。


「E・L・I・E……エリー……?」


『ELIE』 それが刻まれていた文字。何もない自分に残っていたたった一つの手掛かり。だがどういう意味なのか分からない。一体いつからのものなのか。何を意味しているのか。それでも


「あたしの名前かなぁ……?」


そう考えるしかなかった。いやそう思いたかったのかもしれない。だってそれしか今のあたしにはなかったから。『エリー』それが今のあたしの名前。本当の名前じゃないかもしれない。でも、嘘の名前でもそれがあるだけで少しだけ救われた気がした。だが同時に新たな不安が襲いかかって来る。


(あたし……これから……どうしたらいいの……?)


それはこれからのこと。記憶喪失になってしまったこと。それを思い出さなくてはいけない。でもその方法も分からない。一体どうすれば。自分のことを知っていたかもしれない雷の男はもう去って行ってしまった。だがあの男は自分のことを殺そうとしてきた。理由は分からないがそれは間違いない。今から探してもまた同じ目にあわされてしまうかもしれない。そうなれば今度は助からないかもしれない。瞬間、身体が恐怖で震える。身近に感じた死への。何よりもこれからの自分への。知らずその瞳から涙が流れる。何度拭っても拭っても涙は止まらない。だがいつまでもここに蹲っていても仕方ない。もうすぐ夜が来る。このままでは風邪をひいてしまう。何よりも目覚めてからまだ何も口にしていない。とにかく人がいるところに行かなくては。折れかけた心を何とか支えながらその場から動きだそうとしたその時、


「エリー……?」


そんな知らない人の声が聞こえてきた。


「………え?」


あたしはそのまま声の方へと振り返る。そこには一人の少年がいた。黒い髪に黒い服装。全身黒づくめの姿。歳は十四、五歳程だろうか。大人になり始めている少年といった所。初めて会う少年。そう、そのはず。なのにその少年は何故か驚いた表情を見せたまま固まってしまっている。まるで信じられないものを見たかのように。しばらく呆然とあたし達は互いを見つめ合ったまま。


「……あなた、誰?」
「………」


知らずそんな疑問を口にする。ある意味当たり前の問い。こんな場所で声を掛けてくるなんて普通ではない。何故ならここは人っ子ひとりいない荒野。恐らくは人がいたのであろう施設も既に破壊されてしまっている。なのに何でこんなところに。それもあたしに向かって話しかけてくるなんて……え? ちょっと待って……この人、さっきあたしに話しかけてきたんだよね……? 間違いない。だってここにはあたしと目の前の少年しかいないんだから。何よりもさっきこの人は口にした。聞き間違えようのない言葉を。


「あなた……あたしのこと知ってるの……?」


『エリー』

さっき間違いなく目の前の少年はそう口にした。あたしに向かって。それはさっきあたしが付けた今のあたしの仮の名前。なのにそれを口にした。あり得ない。今会ったばかりの人がそんなことを知っているわけがない。なら答えは一つ。

目の前の少年はあたしのことを、記憶を失う前のあたしのことを何か知っているということ。


「………」


でも少年はあたしの言葉を聞いた瞬間、先程までの驚きの表情が消え無表情になってしまう。まるでまずいことをしてしまったかのような雰囲気を纏いながら。そしてそのまま踵を返しその場から去っていこうとしてしまう。あたしの質問に応えないまま。無視するかのように。


「ま、待って! あなたさっきあたしのことエリーって言ったでしょ!? 何か知ってるの!?」


慌てて後を追いかけながら必死に問いかけ続けるものの少年はあたしのことを無視したまま。全く取り合おうともしてくれない。だがそれが目の前の少年があたしのことを何か知っているのだという何よりの証拠でもあった。なら絶対にここで見失うわけにはいかない。これを逃せばあたしは自分の記憶を探す手掛かりを得ることができないかもしれない。あたしはそのままふらつく身体を庇いながらも全速力で追いすがり、その手を伸ばす。そしてその手が少年の肩に触れようとした瞬間

少年の姿がまるで霧のように消えてしまった。まるで蜃気楼のように。伸ばした手は空しく空を切ったまま。


「……え?」


信じられない事態にその場に固まってしまうもののすぐに我を取り戻しながら辺りを見渡す。だがいくら見回しても、探しても少年の姿はどこにもない。だがここは荒野。どこにも隠れるような場所はない。


「嘘……? ちょっと……どこに隠れてるの!? 出てきてよ!? 話が聞きたいだけなの!」


大声で辺りに話しかけるも何の反応も返ってこない。もしかしたらさっきのは自分だけに見えた幻か何かだったのかと思ってしまうほどの怪奇な事態。だがいくら探しても先程の少年の姿を見つけることができない。途方に暮れるもののあたしはいつまでもその場に立ち尽くしているわけにもいかずそのまま人がいるであろう街へと向かうことにした。幸いにも歩けば何とか辿り着ける場所にあったため完全に夜になってしまう前に辿り着くことができた。だがそこからが問題だった。

そう、あたしは着の身着のまま。無一文だったのだ。

しかも記憶喪失によって身分証明もなにもできないというおまけ付き。そんな自分を泊めてくれる場所などあるわけもなく途方に暮れるしかなかった。今日は野宿するしかない。そして明日からは何とかお金を手に入れなくては。度重なる不幸と障害に翻弄されながらも持ち前の前向きさ、明るさで気持ちを新たにしようとした瞬間


「……おい」
「……え?」


いきなり後ろから声を掛けられた。だがそのことに驚いたわけではない。それは声。それが聞いたことのある声だったから。今のあたしが聞いたことのある声なんて限られている。振り返ったそこには間違いなく先程見た、会った黒づくめの少年の姿があった。


「っ! あなた、さっきのっ!?」


あたしはそのまま慌てながらも少年へと詰め寄りその肩を掴む。だが今度は消えることなくその肩を掴むことができた。じゃあさっきのは何だったのか。何であの時はいなくなったのに再び現れたのか。様々な疑問が頭の中を巡り巡って上手く思考をまとめることができない。この時、あたしがどんなことを言っていたのか覚えていない。とにかく手当たり次第に、今までの疑問を少年に向かって問いかけて、いや問い詰めていたのだということは何となく覚えている。だがそれは唐突に終わりを告げる。


「……とりあえずこれを着ろ」


少年がそんなよくわからない言葉を漏らしながら何かを差し出してくる。一瞬それが何なのか分からなかったがすぐに気づく。Tシャツとジャージ。どこから取り出したのか少年はそれをあたしに差し出していた。そこでようやく気づく。自分がどんな格好で街をうろついていたのか。そしてそんな姿で自分は少年に迫っていたのだと。よく見れば辺りの通行人から怪しむような視線が突き刺さって来る。それに気づかない程自分は興奮してしまっていたらしい。よく見れば少年もどこか困ったような、呆れたような表情を見せている。


「……うん、ありがと」


ようやく少年が何を言っているのか理解したあたしは目覚めてから初めて笑いながら着替えを受け取る。それは気づいたから。きっと目の前の少年がこの着替えを持ってくるためにやってきたのだということに。

それがあたしとアキの出会いだった―――――


それからあたしとアキの奇妙な共同生活が始まった。共同生活と言ってもほとんどあたしが一方的にお世話になっているので居候させてもらっているというのが正しいかもしれない。あの後、どこにも行く当てがないあたしにアキはしばらく家に来ればいいと誘ってくれた。普通なら断るべきところだったのだが無一文であること、そして何よりも自分のことを知っている可能性がある相手。あたしはそのままアキの厄介になることになった。

結果から言えばアキはあたしのことを何も教えてはくれなかった。何度も問い詰めてみたものの、難しい顔をしたまま無言でスルーされてしまう。ただ知らないとは言わないことから何か知っているのは間違いない。しばらくは様子を見てみるつもりで厄介に、居候させてもらうことになった。どうやらアキは両親はおらず一人で世界の各地を転々としているらしい。歳は十四。恐らくは自分よりは年下にも関わらずそんな生活をしていることに驚きを隠せない。しかもかなりのお金持らしく今暮らしているような場所(アジトのひとつらしい)をいくつも持っていることからもそれは明らか。一体どうやって稼いでいるのか聞いてみたものの応えてくれない。何だか謎だらけの少年だった。何よりもアキは無口だった。最初の出会いからこっちから話しかけない限りめったに話さないし表情も無表情のまま。最初は避けられているのかとも思ったがどうやらそうでもないらしい。そうなら自分の面倒などみてくれるはずもない。だが取り決めがいくつかあった。

一つが勝手に家の外を出歩かないこと。出る際には必ずアキと一緒に出ること。何でもアキもあたしと同じくあの蒼い髪の、雷の男に命を狙われているらしい。それがあたしを匿ってくれた理由の一つだと教えてくれた。もっとも狙われている理由は教えてくれなかったのだけれど。

もう一つがアキの部屋には絶対に入らないこと。アキの家はかなり大きくいくつも部屋があるがアキの部屋にだけは絶対に入らないように釘を刺されてしまった。こちらも理由は分からない。もっとも男の子なのだから部屋にはいられたくないのは当たり前かもしれないけど……そういえば最初の頃はひょっとしたら何かえっちなことを企んであたしを引き取ったのかと思ったけどそんな気配も全くない。むしろあたしがだらしない格好をしていると注意してくるぐらいだった。

そんな生活がかれこれ一カ月。衣食住には全く困っていない。むしろ普通の人よりも上等な生活をさせてもらっているのだが流石にいつまでもこのままというわけにもいかない。アキはどうやら簡単にはあたしの記憶のことを教えてくれる気はないようだし、ずっと迷惑はかけられない。何よりもアキがあたしを匿ってくれる理由が分からなかった。もしかしたら兄弟か何かなのだろうか……でもそうなら記憶を話してくれないのはおかしい。とにかく一度アキときちんと話し合ってみよう! もしそれでダメなら一人でも記憶探しの旅に出てみるしかない。雷の男と会うのは危険かもしれないけどそれでも記憶を取り戻すためにそれしかないなら……

エリーは決意を新たにしながら浴びていたシャワーを止め、身体を拭きラフな格好をしながら風呂場を後にする。だがエリーは違和感を覚える。いつもならアキが風呂上がりの自分の恰好に文句を言ってくるはず。もう何度も繰り返されてきたある意味お約束のやり取り。(もっとも言われるのが分かっていながら改善しようとしないエリーの方に問題があるのだが)今日はそれがない。一体どうしたのだろうか。


「アキー? いないのー?」


髪をバスタオルで拭きながらエリーが辺りを探すもアキの姿は見当たらない。確かに自分がシャワーを浴びに行く時にはリビングにいた筈なのだが。エリーは首をかしげながらもすぐにあることに気づく。


「……! ………!? ……!」


それは声。間違いなくそれはアキの声だった。それが家の中、アキの部屋から聞こえてくる。だがドア越しだからなのかその内容はここからは聞きとることができない。知らずエリーは何かを思いついたかのような楽しそうな笑みを浮かべながらそろりそろりとアキの部屋へと近づいて行く。それは気づいたから。アキの部屋のドアが微かに開いていることに。そこから声が漏れてきている。しかもどうやらアキはそのことには気づいていないようだ。今まで何度かアキの部屋に忍び込もうとしたことはあったのだがアキに見つかったり、途中で断念したりで全て結局未遂に終わっている。だが今、アキは自分が近づいていることには気づいていない。自分の記憶の手掛かりがあるかもしれないこと。そして何よりもアキが何を隠しているのかに興味があった。謎が多い、掴みどころがないアキの秘密が分かるかもしれない。そんな子供のような好奇心を抱いたままエリーは息を殺しながら部屋へと近づいて行く。次第にアキの声が大きくなっていく。どうやら誰かと話しているらしい。だが来客があったとは思えない。第一一緒に暮らし始めてから自分以外誰もアキの家には訪れていない。なら電話でもしているのだろうか。だがそれにしては声が大きい。まるで言い争いをしているかのよう。あの無口なアキがそんなことをする姿など想像できない。一体何が。エリーはそのまま音を殺したままドアの隙間から部屋の中を覗き込む。そこには

一人で目の前に置かれている石に向かって話しかけているアキの姿があった―――――


どうも、アキです。ダークブリングマスターです。現在めでたくエリーと同居しています。原作ヒロインと仲良くなれるとはまさに役得。これはもうこのまま原作の可愛い女の子達と仲良くなってハーレムを作るしかないな。はい、冗談です。ちょっと現実逃避したかったんです……だってそうだろ? 何でエリーさんが目覚めてるんですかっ!? まだ原作よりも一年早いんですけどっ!? どうなってんのっ!? い、いや……理由はもう分かってる……はい、俺のせいです。正確には俺のせいでジークの動きが変わってしまったせい。金髪の悪魔である俺を追っていることでジークの動きが原作と、正史と異なっちまったせいで一年後に破壊されるはずの研究所が破壊されその下で眠っていたエリーが目覚めてしまったというオチらしい。ははっ、まさかこんなことになるとは……全く予想できなかったって言うか予想できるわけないだろうがあああっ!? しかもエリーの前で名前を呼んでしまうと言う大失態まで晒しちまったわっ!? もう穴があったら入りたいどころのレベルじゃない状態。もう俺はその場から脱出するしかなかった。あのままあの場にいたら余計なことをしゃべったりしちまう可能性があったから。

うん、とりあえず見なかったことにしよう。俺は何も見なかった。しゃべらなかった。そう自分に言い聞かせたままワープロードによって違う街へと移動もとい逃げ去ろうとしたのだがふとあることに気づいた。あのままエリーを放っておいていいのかという問題に。もし原作通りの時期に目覚めたのだとしたら別にそれほど気にする必要もないのかもしれない。だがそれは大きく変わってしまった。そうなるとぱっと思いつくだけでも二つ大きな危険がある。

一つはジークに狙われる危険性。本来ならエリーがジークに見つかるのは今から二年以上先、ハルと出会ってからになる。だが原作よりも一年以上前に目覚めてしまった今、ジークも原作よりも早くエリーが生きていることに気づき襲いかかって来るかもしれない。もしハルと出会う前にジークに襲われればゲームオーバー。最悪魔導精霊力エーテリオンが暴走し世界が滅亡してしまう。

もう一つがハルと出会わなくなってしまう危険性。原作とは違う時期に目覚めてしまったことで行動も変わり、原作通りにハルとエリーが出会わなくなってしまう可能性がある。もしそうなれば先にどんな影響があるか分からない。

もしかしたら俺が何もしなくても原作通りになるのかもしれないし、補正、修正のようなものが働くかもしれない。単なる考えすぎかもしれない。だがそう楽観した結果が今の状況。現に俺のせいでエリーは原作よりも一年早く目覚めてしまったのだから。ならば出来るだけのことはやっておかなければ。後になって後悔したのでは遅すぎる……というか怖すぎる……と、とりあえず俺はエリーを匿うことにした。いきなり見ず知らずの人間の誘いに乗ることなど考えられないがエリーは俺が記憶のことを知っていると思っている……まあ確かに知ってはいるのだが。それはともかくそのおかげでエリーは特に抵抗なく俺と同居することになった。もっとも俺は気が気ではなかった。だってあれですよ? 女の子と同居するなんて想像だにしなかった展開。そんな夢にまで見たシチュエーションに動揺せざるを得なかった。しかもこいつ何故かラフな格好ばかりしやがる……何? 俺もしかして誘われてんのと思ってしまうほど無防備な姿。何かおおっぴらすぎて逆にそんな気が失せてしまったのだが……まあ元々そんなことする気は微塵もなかったんですけどね……相手が相手だし。ハル、早く迎えに来てくれ。お前の未来の彼女の、嫁の面倒を見るのがしんどいからさっさと引き取りに来い。というか二年後にお前の所に丸投げ……じゃなかった連れて行くから覚悟しとけよ……っと話が脱線したがそんなこんなでもう一カ月が経過している。だがこれ以上は流石に色々と限界かもしれん。まずは俺自身の問題。今俺は無口キャラで通しています。理由としては二つ。

一つはエリーの質問攻めに対抗するため。もしいつもの調子で対応してしまうとボロが出てしまう可能性が高くそれを防ぐため。

もう一つがルシアとしての自分が動き始めた時のため。今はまだ表だって動かないが近い将来、原作で言えば第一部が終わった辺りから俺は動き出す、いや正確には動かざるを得なくなる。その時にあまりエリーと親密になりすぎていると仮とはいえ敵対しづらくなってしまうかもしれない(エリー側からの視点で)。まあそれはハルにも言えるのだがハルの場合は出会うまでに四年空くわけだし特に問題はないかもしれんがエリーの場合は話が別だ。できるだけ気安い関係にならないようにした方がいい。


そんなもろもろの理由で出来る限りしゃべらないようにしているのだがいい加減装うのも限界に近かった。どうやらエリーもここから出て行こうとするような言動や雰囲気があるし、ここは一旦別れた方がいいのかもしれん。何よりもまだ解決できていない一番厄介な問題があった。それは


「だから何でお前の許可を得なきゃなんねーんだよっ!?」


目の前で点滅しながら俺と言い合いをしているマザーを説得するという一番厄介な、そして危険な問題だった。

エリーを匿うにあたって一番の問題がこいつだった。理由はハルと同じ。原作の重要人物であるエリーにマザーが危害を加える可能性があるため。しかも今回はハルと違って厄介な問題がある。それはエリーの容姿。言うまでもなくそれはリーシャそのまま。髪の長さの違いはあるが一目瞭然。それが本人だとまでは分かっていないだろうが怪しむには十分な問題。しかもまだ覚醒はしていないものの魔導精霊力エーテリオンもその内に秘めている。もしマザーが危害を加えようとして暴走でもすれば全てがおしまい。大破壊によって世界が消滅してしまう。ここ一カ月はほぼ力づくで抑え込んできたがいい加減それも限界だ。ここでいっちょ白黒決める必要がある。


っていうか俺はお前のマスターだろうが!? 何でお前の言うことばっか聞かなきゃなんねーんだよ!? 反対してんのはお前だけだろうが! (イリュージョンは女の子が増えるのを喜び、デカログスはそのぐらいの甲斐性がなければ男ではないとか何とか言ってくれた。流石師匠! 男っぷりがパねえ!) え? 何でそんなにあの女にこだわるのかって? そ、そんなことどうでもいいだろうが……! な、何となくだよ何となく……


予想外のマザーの追及に思わずどもってしまうもののマザーはそのまま無言の圧力を掛けてくる。ま、まあ当然か……いきなり荒野に行ってそこに何故かリーシャそっくりの少女がいてそれを同居させるって言ってるんだから。怪しまない方がどうかしてるだろう……でも明らかに警戒しすぎじゃねえ? ま、まさか既にエリーが魔導精霊力エーテリオンを持っていることに気づいたのか? い、いやそんなはずは……そもそもそれに気づいたならそれを追求してくるはず。だがマザーは矢継ぎ早に追及の手を休めることはない。まるでヒステリックを起こしているかのようだ。いい加減付き合わされるこっちの身も持たん! あまり使いたくなかった手だが仕方ないか……背に腹は代えられん……


「ごちゃごちゃうるせんだよ! エリーに一目惚れしちまったんだよ! 何か文句があんのか!?」


ある意味一番簡単な、そしてこれ以上ない理由だろう。まあ別にDB達にはどう思われても構わないわけだし実際本物のルシアもエリーを自分の物にしようとしてたから違和感はないだろう。その言葉にイリュージョンはどこか恥ずかしそうな声を、師匠は無言だが納得したような雰囲気を放っている。だがそんな中でもマザーは今まで以上に食ってかかってきた。


は? 俺には早すぎる!? 何でそんなことお前に言われなきゃなんねーんだっ!? お前は俺の母親かなんかかっつーの!? 別に俺が誰に惚れようが関係ないだろーがっ!? え? 俺はカトレアに惚れてたんじゃないのかって? そ、それは……ごほんっ、それとこれとは話が違うんだっつーの! カトレア姉さん対してはその……そう! 憧れが強いわけでエリーとはまた違うというか……は!? 結局胸なのかって!? 何でそうなる!? 二人の共通点だって!? なんでそうなるんだっつーの!? た、確かに二人とも巨乳だが……じゃなくてっ!? 俺の好みなんてどうでもいいだろうがああああっ!?


あまりに聞き分けのない、というか何故か動揺しまくっているマザーを相手に俺はただ言い争い続けるしかない。だがいくら怒鳴り合っても話は平行線のまま。まるで犬も食わない親子喧嘩、いやこういうときは夫婦喧嘩が正しいのか? だが流石にずっと言い争いっぱなしではいられず一度休憩を挟もうとした瞬間


「誰と話してるの、アキ……?」


そんな声が聞こえてくる。ドアの方から。聞きなれた少女の声。ギギギという音が聞こえてくるような動きで振り返るとそこには何故かバスタオルを身体に巻いた風呂上がりのエリーの姿があった。


「………」


瞬間、部屋の空気が凍る。主に俺とマザーの空気が。普段ならそんな恰好で家をうろついているエリーに文句の一つでも言うところなのだが今はそれどころではなかった。そう、見られてしまった。自分がマザーと、DBと話しているところを。何よりもシンクレアの存在を知られてしまった。もしそのことでエリーが断片的にでもリーシャの記憶を、人格を取り戻してしまえばどうなるか。マザーも何かの気配を感じ取ったかのように臨戦態勢を見せている。凄まじい緊張感の中、それでも何があっても動けるように身構える。そして長い沈黙の後


「すごーい! アキ、この石と話してたの? あたしも話してみたい♪」


それはエリーの言葉によって一瞬で、跡形もなく霧散してしまった。


エリーはそのままどこか嬉しそうにマザーを手に取り話しかけている。当然会話などできるはずもないのだがいきなりの事態にマザーが焦っているのが分かる。うむ、やはりマザーでもエリーのはちゃめちゃさには敵わないらしい……じゃなくて!? 何普通に和んでんだ俺っ!?


「お、お前……驚かねえのか……? それにそれ……DBだぞ……?」
「え? DB? 何それ、虫? それよりもアキどうやって話してたの? あたしも話してみたい!」
「あ、あのな……大体何でお前がここにいるんだよ!? 俺の部屋には入らない約束だったろうがっ!?」
「ちょっと話があって部屋に行こうとしたらドアが開いてたんだから仕方ないでしょ? 閉め忘れてたアキだって悪いんだから!」
「それは……」
「ふふっ、でもアキってそんな風にしゃべるんだね。今までのはずっと演技だったの?」
「………ああ。だけどもうやめだ……ったく……」
「ふーん。でもあたしは今の方が似合ってると思うけどな」


まるで一本取ったかのように嬉しがっているエリーの姿に溜息を吐くことしかできない。こうなってしまってはいつまでも演技をしていても仕方ない。元々無理があったのだから騙し通すこと自体無謀だったということかもしれない。だが本当に肝が冷えっぱなしだった。どうやらエリーはDBのこともシンクレアのことも忘れてしまっているらしい。マザーを実際に見ることで何か予想外のことが起こるかもしれないと思い今まで隠していたのが杞憂だったようだ。もっとも話しているところまで見られてしまうのは予想外だったが。ま、まあ本人が特に気にしていないようだからよしとしようか……はあ……今まで必死に隠してきた俺の苦労は一体何だったのか……あ、そういえば


「ちょうどよかった、お前に渡そうと思ってた物があったんだ」
「……? あたしに?」
「おう、これだ。ちょっと目に入ったんでな」


そう言いながら俺はエリーに向かってあるものを渡す。それは腕輪だった。装飾があるのを考えればブレスレッドと言った方がいいかもしれない。エリーは驚きながらもそれを受け取る。


「……いいの? 何だかこれ、高そうだけど……」
「ん? あ、ああ……気にすんな。ちょうど今日でお前が来て一カ月になるしな。そのお祝いってことで」


内心罪悪感で一杯になりながらもそう伝えるしかない。もう説明するまでもないかもしれないがエリーに渡した腕輪はただの腕輪ではない。それはマジックディフェンダーと呼ばれるもの。取り付けた者の魔力を封じ込め魔法を使えなくする代物。原作でも何度か登場したアイテムだ。もちろんそれはエリーの魔導精霊力エーテリオンを封印するため。これを付けている限りエリーは魔法を使うことができないため魔導精霊力エーテリオンが発動することはない。そしてそれ以上に魔力を探知されなくなると言うのが大きな利点だ。ジークはエリーの魔力でその居場所を特定していたらしい。ならばそれを防ぐ必要があったため俺はそれを贈ることにした。何だか騙してるみたいで申し訳ないが……すまない、これも世界のためなんだ……そういえば俺がジークに狙われてるのもやっぱ何か魔力的なものを感知されてるんだろうか。いや俺は魔導士じゃないので他の要素かもしれんが……うむ、ならそれを何とかするDBを作ってもらうことにしよう! そうすればこの命がけの鬼ごっこから解放されるかもしれん!


「ありがとう、アキ! 大切にするね!」
「そ、そうか……」


そんなことを考えているとエリーが満面の笑みを見せ腕輪を付けながらお礼を言ってくる。どうやらプレゼントを気に入ってくれたらしい。それ自体は嬉しいのだが……何だろう……何か取り返しのないことをしてしまったような、そんな悪寒がある。罪悪感もだがそれ以上に言いようのない不安が胸に生まれてくるような……き、気のせいだよな……きっと……


「そういえばさっき話があるとか言ってたけど何の話だったんだ?」


仕切り直しの意味を兼ねて俺は強引に話題を変えることにする。それはさっきのエリーの言葉。どうやら俺に何か用事が、話があったと言っていたが何なのだろうか。だが


「……ううん、何でもない。それよりもアキ、あたしもこの虫達と話してみたい! どうすればいいの!?」


エリーはそのままマザーを持ったまま迫って来るだけ。どうやら本当に大したことない用事だったらしい。というかこの勢い、テンションはどうにかならないのか。まあこれ以上無口キャラを演じる必要が無くなったので少しはマシか。しかし原作まであと二年……それまでずっとエリーと行動を共にするわけじゃないだろうがそれでもしばらくは騒がしい生活は続きそうだ……そういえばもうこれ以上見落としはないよな……? 何だろう、魔導精霊力エーテリオン関係でまだ何かあったような気もするんだけど……ま、まあこれ以上厄介なことなんてあるわけないか……

アキはげんなりとした表情を見せながらもエリーに振り回されながらの生活を結局二年間続けることになる。


アキは気づかなかった。エリーが自分とマザーが話している所だけでなく、その内容まで聞いていたことに。そう、エリーが出て行かなくなった原因が自分にあることに―――――



[33455] 番外編 「アキと愉快な仲間達」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2013/01/24 05:06
多くの人々が行き交い活気に満ちている露店街を一人もくもくと歩いている男がいた。だがその姿は普通ではない。両手に荷物を持ち、何故か頭からフードを被っている。しかしそんな男の姿に人々は特に気を取られることもなく買い物を楽しんでいる。何故ならここはRAVEの世界。剣と魔法が存在しているファンタジー。現実ではコスプレと間違えられてもおかしくないような格好の人々が当然のように往来を歩いている。そんな中ではフードを被っているくらいでは皆何の疑問も感じることはなかった。そんなこんなで男、アキは大通りを外れ人気がない路地に辿り着くと一度周りを確認した後大きな溜息を吐きながら懐から一つの魔石を、DBを取り出した。


『この辺でいいか……悪いなワープロード、いつも付き合ってもらっちまって』
『いえ、お気になさらずに。これが私の役目ですので』


アキの言葉にどこか若い男のような声が返ってくる。だが辺りにはアキ以外には人影は見られない。そしてその声も普通の声ではない。もしこの場に誰か他の人間がいてもアキとその若い男の声は聞こえないだろう。何故ならアキと話しているのはDB、ワープロードなのだから。


どうもアキです。ダークブリングマスターです。今俺はアジトから少し離れた露店街にいます。理由は言うまでもなく食料やその他もろもろの調達のため。いくらダークブリングマスターとはいえ人間。食うもん食わなきゃ死んでしまうので定期的にこうして買い物に出かける必要があるわけだ。もっとも今は一人食いぶちが増えたので荷物が増えてしまっているのだが……ま、まあ仕方ない。その食いぶち、じゃなかったエリーは今家で留守番をしています。一緒に暮らし始めてはや三カ月。流石というべきかなんというかエリーは既に家に溶け込んでしまっている。元々の明るさや気質もあるだろうがそれ以上にDBたちと話せるようになってしまったのが原因だ。他でもないマザーの仕業によって。DBの声が聞こえるDBをマザーからもらったエリーはあっという間に俺のDBたちと仲良くなってしまった。ジークに狙われているため外に出ることができないから余計にそうなってしまっているのだが……うーん、どうしたものか……このままじゃあまずいよな。あれだ、ハルの所にエリーを渡す時にはDBを取り上げるのを忘れないようにしなければ。DBと意志疎通ができるなんてハル達に知られたらどんな影響があるか分からんし……


『どうかされましたかマスター?』
『っ!? い、いや何でもねえ……そういえば今日はイリュージョンとシークは何で留守番してんだ?』
『どうやらエリー様と一緒に何かを企んでおられたようです。何でもマスターをびっくりさせるのだとか……』
『なんだそりゃ……エリーの奴珍しく付いてこないと思ったらまた訳の分からんことを……』


礼儀正しいまるで執事のようなワープロードの声にどこか心地よさを感じながらも頭をかくことしかできない。ったく……また何かめんどくさいことを企んでやがんのか。いつもなら買い物に着いてくるのに来ないと思ったらそれですか。っていうか勝手に他人のDBを持って行かないでくれません? そのおかげで俺今日はフードを着ながら移動しなきゃならなかったんだけど。イリュージョンがいなけりゃ顔の傷が隠せないし、シークがいなけりゃ気配がジークに探知されちまうかもしれんのに……あれ、おかしいな? 俺DBマスターだよね? 何か最近エリーの方がそれっぽくなってきてない? いや、別にエリーがDBを使ってるわけじゃないのだから考えすぎかもしれんが……とにかく帰ったら絶対に他のDBを使わないように言っとかなければ。流石にそれは不味すぎる。色々な意味で。

あ、あと言い忘れてたけど今俺とワープロードはテレパシー、念話のようなもので会話しています。ある程度の距離なら離れても話すことができるし何よりも他の人間には聞こえないのが最大の利点だ。だがつい癖や、興奮した時は声が出てしまうことがあるので気を付けなければならん。実際そのせいでエリーにばれちまったわけだし。端から見れば石に話しかけてる危ない人そのもの。エリー以外に見られていればどうなっていたか考えるだけで恐ろしい。背筋が寒くなるな……ま、まあそれはともかく


『じゃあ帰るとすっか。頼むわ、ワープロード』
『承知しました。マイマスター』


ワープロードの返事と共にアキは目に見えない力に包まれる。そして次の瞬間には目の前の風景が変わっていた。ここはアジトのすぐ傍の空き地。それが瞬間移動のDBであるワープロードの力だった。


うむ、やっぱワープロードは流石だな。こいつのおかげで移動にかかる時間や体力を度外視できる。ジークに襲われていた時期にはマジでこいつがいなかったら詰んでいただろう。あらためてそのチートぶりに感慨を覚えずにはいられん。そしてその力を百パーセント発揮させることができるのが俺のDBマスターとしての能力。DBと意志疎通し、互いに信頼することで能力を進化させDB側からもサポートを得ること。DBを道具としてでなく共に戦う仲間として扱うことで可能になる境地。原作風で言えばDBを持つ者たちはその力の半分も出せていなかったって所か……あれ? なんかおかしくねえ……? 何で俺DBたちと信頼関係で結ばれてるわけ? こいつらDBですよ!? 悪の存在だろうが!? っていうか絆で力が強まるとかまるっきり正義側の論理じゃねえ!? ふう……とにかく落ち着け俺……ひとまずは家に帰って風呂でも入って頭を冷やすことにしよう。うん? この場合は頭を温めるになるのか? まあどうでもいいか。

あ、言い忘れたけど家に直接瞬間移動しないのにも理由があります。理由は簡単。何故か風呂場に瞬間移動してしまったから。言うまでもなくエリーが入浴中の風呂場に。ワープロード曰く俺の煩悩が原因の一つらしい。あれだ、のび太がどこでもドアを使うと何故かしずかちゃんの風呂場に出てしまうのと同じいわゆるお約束という奴だ。もっともその代償はのび太の比ではなかったのだが……まあいいもの見せてもらったので仕方ないか。


「ただいまー」


そんなこんなでアキは両手に荷物を持ちながら我が家へと戻って行く。今日の晩ご飯をさっさと作って風呂に入ろうというまるっきり主婦、いや主夫のようなことを考えていると


『あ、おかえりなさい。マスター』


のほほんとした優しい声で自分を出迎えてくれる小さな小学生ぐらいの美少女がいた。


「………」


アキは固まったまま目の前にいる少女を凝視する。それは見たことのない少女だった。栗色のウェーブがかかった髪、そしてどこかの学校の制服のような格好。歳は十歳程だろうか。そんな少女が玄関で自分を出迎えてくれるというあり得ない状況にアキはまるで石化の魔法にかかってしまったかのように身動き一つすることができない。


え? 何この状況? 何で俺の家にこんな小さな女の子がいるわけ? っていうかここ俺の家だよね? うん、間違いない。ここは俺の家だ。なら一体この状況は何な訳? あれ、俺この女の子どこかで見たことあるような気がするんだけど……どこだったかな? 思い出せそうで思い出せん……ん? そういえばこの子、さっき俺のことマスターって……? 


「お、お前……もしかしてイリュージョンか……?」
『はい。そうですよ、マスター』


息も絶え絶えな俺の言葉に目の前の少女、イリュージョンは柔らかい笑みを浮かべながら応えてくれる。その可愛らしさに思わず目を奪われながらも確信する。間違いなくこの声はイリュージョンだ。だがその姿は一旦何なのか。もしかして俺は夢でも見ているのか。最近疲れがたまってんのかな、俺……


「やったね、イーちゃん! 作戦大成功だよ!」


アキが混乱によってフリーズしている中騒がしい声をあげながらやってくる人影がある。それはエリー。エリーはどこか悪戯が成功した子供のような笑みを見せながらアキの近くへとやってくる。アキはその姿に瞬時に悟る。この事態の元凶が間違いなく目の前のエリーであることを。


「エリーっ!? これはお前の仕業かっ!?」
「よく分かったね、アキ。驚いたでしょ? あたしずっとやってみたかったんだ♪」
「やってみたかったって何のことだ!?」
「見ての通り、イーちゃんの力で実体化してもらったの。やっぱりちゃんと人の姿をしてた方が話しやすいし何より可愛いでしょ?」
「なんじゃそりゃ!? お前俺のDBを勝手に使ったのか!?」
「大丈夫、あたしはそんなことしてないよ。だってイーちゃんアキがいなくても力を使えるようになったって言ってたでしょ? ちゃんとママさんにも許可をもらったんだから!」
「ふざけんな! 一番肝心な俺の許可を得てねえじゃねえか!?」


アキの必死の抗議もなんのその。エリーは悪戯が、ドッキリが成功したことに喜びながら家の中を逃げ回り続けアキはそれを追いかけるも捉えきれず振り回されっぱなし。ある意味いつも通りの二人の日常だった。


ち、ちくしょう……どうしてもこいつが相手だとペースが乱される。天然というかなんというか掴みどころがない。単に子供なだけなのかもしれんが……あれ、そうなるとそれと戯れてる俺も同レベルってこと? ま、まあそれは置いておいてまさかこんな悪戯を仕掛けてくるとは。完璧に予想外だ。確かにイリュージョンの力を使えば実体化することは可能だろう。というかそんなこと考えこともなかったわ。イリュージョンに関しては習熟度も高くその力も完璧に使うことができるようになっているのでイリュージョン側からも力の行使が可能になっている。まさかこんなことに使われるとは思ってもいなかったが。


『ご、ごめんなさいマスター。勝手なことしちゃって……』
「ん? あ、ああ……まあ確かにビビったけど怒っちゃいねえよ。気にすんな」
「あ、ひどいアキ! あたしと対応が違う!」
「うるせえ! お前はちょっとは反省しろ! ったく……そういえばイリュージョン、その姿は一体何なんだ? お前のイメージか何かなのか?」
『はい。この姿はマスターの中にあるあたしのイメージを実体化させてもらったんです』
「え……? 俺の……?」


俺の中のイメージ……? よく考えればそうか。イリュージョンは俺と契約してるわけだし俺の中のイメージ何かを知っててもおかしくない……ってちょっと待てよ。待ってください。何か嫌な予感が……だって俺の中のイリュージョンのイメージってことはまさか……


アキはよく分からない汗を背中に滲ませながら目の前に入る少女、イリュージョンの姿を見つめる。そこでようやく気づく。そう、自分は知っている。目の前の少女の姿を。いや正確にはその架空の姿、存在を。


それは間違いなくカードキャプターさくらの主人公、木之本桜の姿だった―――――


「へえ、これがアキの中のイーちゃんのイメージなんだ。アキ、こんな妹さんとかがいたの?」
「い、いや……そういうわけじゃねえんだが……」
「……? よく分かんないけど可愛いからいいじゃん。イーちゃんよく似合ってるよ!」
『あ、ありがとうございます。エリーさん』


エリーの言葉にしどろもどろになりながらもアキは何とかその場をやり過ごさんとする。それを不思議がっていたもののエリーは特に気にした風もなくイリュージョンと戯れ始める。恥ずかしがりながらもイリュージョンも楽しそうだ。それを見ながらアキは内心安堵のため息を吐く。


ふう……どうやらイリュージョンはその姿がアニメの、漫画のキャラクターのイメージだとまでは分からなかったらしい。まあバレたところでどうこうなるわけではないのだが何となく。しかしこうして見ると凄まじいものがある。確かに声が似ていることと雰囲気でさくらの姿をイメージしていたのだがいざ目の前にするとマッチしすぎてて怖いぐらいだ。本当にそこにいるみたいだ。まあ幻なので触ったりはできないのだがそれでも石の姿に話しかけるのとは雲泥の差……ん?


ふとアキは気づく。それは耳の様な物。ウサギの耳のような物体が部屋の隅の壁からぴょこんとはみ出ている。何度かそこを覗いてみようするのだがそのたびに耳のような物は引っ込んでしまう。まるでかくれんぼをしているかのように。不思議に思いそこに向かって近づこうとするのだが逃げられてしまう。だがその姿がちらちらとみえる。それは小さな少女。長い髪をまるでうさぎのように結んでいる小柄な女の子。イリュージョンとはまた違った制服を身に纏っているその姿にアキは呆気にとられるしかない。それはその姿が何の姿か悟ったから。イリュージョンの姿に比べればその姿は特徴的。見間違えるはずもない。それは


「もうハーちゃん、恥ずかしがってたらだめだよ。ちゃんとアキに見てもらわなきゃ!」
「……はい」


間違いなくマブラヴというゲームに出てくる社霞と呼ばれる少女の姿をしたDB、ハイドだった――――


「その声……お前ハイドなのかっ!?」
「もうアキそんな大きい声出したらシーちゃんが怖がっちゃうじゃない」
「あ、ああ……悪い。でも何でハイドまで……」
『……わたしもイリュージョンの力で実体化させてもらったんです。ごめんなさい……』
「そ、そうか……」
「でもイーちゃんもハーちゃんも可愛いよ。やっぱり姉妹なんだね!」
『………ありがとうございます』


どこかおどおどしながらもハイドもエリーたちと所へと集まり楽しそうにおしゃべりを始めてしまう。次々から襲いかかる理解を超えた事態にアキは混乱しながらも何とか事態を把握する。どうやらイリュージョンの力でハイドも実体化してしまったらしい。


ま、まさか自分以外のDBも実体化させられるとは……イリュージョン万能すぎんだろ!? ま、まあ修行のためにシバたちを実体化できるぐらいだからできても不思議ないのかもしれんが……っていうか今度は霞ですか!? 何か自分の趣味が駄々漏れになっていってる気がして悲しくなってくる。ま、まあ声はもちろん無口な少女ということでイメージしていたのだが……あ、そう言えばハイドのことを話してなかったっけ。

ハイドは最近生まれた俺の五番目のDB。イリュージョンと同じく俺の意向で生み出されたオリジナルのDBだ。そう言った意味ではイリュージョンの妹にあたるDBでもある。その能力は単純なもの。持ち主の気配を完全に絶つというものだ。戦闘には使用できない完全な補助専用の能力。言うまでもなくこれはジーク対策のために生み出したDBだ。ジークが俺の何かしらの気配を追っていることはこれまでの経緯から明らか。ならばそれらすべてを完全に絶つことができればいかにジークといえども追ってはこれないはず。そしてそれは成功した。ハイドを使い始めてからはまだ一度もジークは襲ってきてはいない。これまでの襲撃の間隔から考えてもジークは俺を捉えられなくなってしまったことは間違いない。まだ油断は禁物だが一安心といったところだ。

そしてハイドの能力は結果的言えば偶然から生まれたものではあるが恐らくはこれからお世話になることになるだろう。何故なら原作が始まれば俺は少なくともハル達の動向を知る必要があるから。エリーに関しては俺が余計な事をしたせいで状況が原作とは異なるのでそのフォローが必要になるかもしれん。その際にはハイドの気配を消せる能力が生きてくる。さらに姉であるイリュージョンの力で風景と同化すればまさに無敵。H×Hに出てくるカメレオンの能力、神の共犯者パーフェクトプランの真似事が可能になるのだ! もっとも触られればバレるし、戦闘をしようと、相手に危害を加えようとするとハイドの能力はなくなってしまうのだが。流石に制限はあるようだ。まあそれができたら反則にも程があるし仕方ない。よっぽど近づかない限り絶対にバレないだけでも十分すぎる。結局ストーキングに使うみたいで情けないが……あとハイドの名前の由来はハイドアンドシーク、かくれんぼからとったもの。合わせて使うことで力を増すことからイリュージョンとは本当の意味で姉妹のような関係。いまもあんなに楽しそうにしている。もっともまだ俺には慣れていないのかあまり話せていないのが目下の課題ではあるのだが……


『何辛気臭い顔してんだ、マスター?』
「いや……ちょっとマスターとしての自信がなくなってきて……ん?」


アキはふと顔を上げる。一体今自分は誰に声を掛けられたのか。イリュージョン達ではない。間違えようもない男の、しかも渋い声。アキはその姿に絶句する。そこには大男がいた。自分の倍はあるのではないかと思ってしまうような体躯。黒い髪。禍々しい鎧。何よりも歴戦の戦士を感じさせるような圧倒な威風と佇まい。


ベルセルクという漫画の主人公であるガッツ。その姿をした自らのDB、デカログスがそこにはいた――――


「し、師匠っ!? 師匠なんですかっ!?」
『俺以外の誰に見えるってんだ? お前の中の俺のイメージなんだろうが』
「そ、そうですけど……やっぱ目の前にするとちょっと……」
『このぐらいでビビってちゃあこの先やってけねえぜ。もっとマスターらしく堂々としてな。お前は俺のマスターなんだからな』


さ、流石師匠……全く動じていない。というか貫録が半端ないんですけどっ!? 何この歴戦の戦士!? ヤバすぎだって!? あなたなら四天魔王ぐらい軽く倒せるんじゃないですか!? というか下手するとエンドレスすら倒しかねん。そう思えるほどの圧倒的存在感。声だけでも十分だったそれが姿が実体化したことで臨界点を突破しちまってるぞ!? あ、あの……僕の代わりにDBマスターになってくれません? きっと師匠ならデカログスが似合うと思います。もうこれ以上なく。その間俺、隠居させてもらうんで。ていうかほんとに俺がマスターなんかでいいんですか? むしろ俺の方が従わせていただきたいんですけど……


『そうですよ。アキ様はあたしたちのマスター、ご主人様なんですから。ね、ハーちゃん?』
『……はい』
「だって。よかったね、アキ♪」


お、お前ら……何ていい奴らなんだ(エリー除く)俺にはもったいないくらいのDBだよ、全く。っていうかご主人様っていうのはやめてくれません? その姿で言われると何かヤバい、犯罪チックな雰囲気がするから。まあ聞こえるのは俺とエリーだけだから問題はないかもしれんが……エリーはそういうことには疎そうだし


『全く……オタオタしおって情けない。それでも私の主か』


そんなどこか高圧的な女性の声が聞こえてくる。だがその程度では俺はもう動じない。むしろ登場が遅かったと思うほどだ。この状況でこいつが出てきていない方がおかしい。しかし残念だったな。イリュージョン達の度重なる衝撃によって俺はもうちょっとやそっとじゃ驚くことはない。むしろその姿を鼻で笑ってやろう。そう決意を新たに振りむいたそこには


何故かここにはいないはず憧れの女性、カトレアの姿があった――――


『……? どうした、何か反応せんか。せっかく戯れに参加してやったというのに』
「ふ、ふざけんなあああっ!? お、お前、何でそんな姿になってんだよ!?」
『気に入らなかったか? せっかくカトレアの姿をしてやったというのに』


アキの反応が気に入らなかったのかカトレア、いやカトレアの姿をしたマザーはどこか不機嫌そうに自らの姿を見直している。だがその姿はカトレアとは違う部分があった。一つは髪の色。それが黒ではなく金色、金髪になっている。そしてもう一つが服装。どこか豪華さを感じさせるような黒のドレスを身に纏っている。マザーの声と相まって本物のカトレアにはないどこか女王気質を、雰囲気を纏っていた。


「当たり前だろうが!? 何でお前だけそんな姿になってんだよ!?」
『仕方あるまい。お主の中に私のはっきりとしたイメージがなかったのだ。だからお主の中の理想の女性像を使わせてもらった。ああ、髪の色と服は私の趣味だ。気にするな』
「んなこたあどうでもいいからさっさと何とかしろ!? っていうか勝手に俺のプライバシーを覗き見てんじゃねえ!?」
『そんなに照れることもなかろう。私とお主は一心同体。そうであろう、我が主?』


くくくという笑い声をこらえながらマザーが俺に向かって笑みを向けてくる。ちくしょう……こいつ、間違いない。こいつがエリーを焚きつけたに違いない。恐らくはいつも家に留守番させていたことに対する意趣返しだろう。確かにカトレア姉さんの姿をしているがその雰囲気がオーラが全く違う。間違いなくこいつはドSだ。しかも最近はそれが酷くなってきている気がする。

会った当初はマザーは機械的に、片言でしかしゃべらず必要なこと以外は口にしなかったのだが段々とそれが変わってきた。俺と接していたからなのか、ガラージュ島での生活が原因なのかは分からないがマザーは次第に人間に近い形でしゃべるようになっていった。だが劇的に変化が見られてきたのがここの二カ月ほど。そう、エリーと接触するようになってからだった。家で留守番をする同士マザーとエリーの交流は必然的に増えていった。一体何を話しているのかまでは分からないが間違いなくその影響だろう。特にその声が変わったのが最近での変化だった。今までは機械音声のような声だったモノが恐らくは二十代の女性の声へと変わっていたのだ。もちろんその時は歳を考えろと言ったのだが頭痛によるお仕置きを受け結局そのまま。そして極めつけがこれだった。

俺の反応がお気に召したのかマザーはそのまま他のDBたちと談笑を始めてしまう。大男と金髪の女性、二人の少女が談笑しているという訳が分からない異次元空間がそこにはあった。あれ……おかしいな。あいつらDBだったよな? うん、間違いない。というかこのままじゃマジで取り返しのつかんことになりかねん! 俺の中の常識が、DB観がおかしくなってしまう! 何としてもこれ以上は阻止しなければ!


「お前らいい加減に……」


アキが自身の常識とマスターとしての威信をかけてこの状況を打破せんとした瞬間


「そっかあ……あたしもママさんみたいに髪を伸ばしてみようかな……」


エリーの何気ない言葉によってそれは打ち砕かれてしまった。


「な、何でそんなことすんだ……?」
「え? だってママさんの髪綺麗だもん。だからあたしも」
「や、やめろって! そんなことしたら」
「……? どうしてあたしが髪を伸ばしちゃいけないの? 別にいいじゃない」
「そ、それは……」


それじゃただのリーシャじゃねえか! 

そう叫びたいのを必死に抑えながらもアキは何とかエリーを説得しようとするもそれは全く逆効果にしかならない。エリーがその理由を問いかけるもアキは応えることができずしどろもどろになるだけ。短い方が似合っているとでも言えばいいものをそれが咄嗟に出てこない程アキは混乱してしまっている。もっともそれを言ったところでマザーの姿がアキの女性の理想像だと暴露されてしまった時点で何を言っても墓穴を掘るだけだったのだが。

その後アキはマスター権(あってないようなもの)を行使しこれ以降イリュージョンによるDBの擬人化、実体化を禁止したのだが結局エリーの着せ替えごっこ(幻であるためお金がかからない遊び)の際には実体化したマザー達の姿がちらほらみられることになるもアキはあえてそれを見なかったことにすることで自身の精神の安定(現実逃避)を図ることになった。


余談だがアキが一番恐怖しているのがエリーが髪を伸ばし始めてしまったこと。


そんなこんなでアキとその魔石、そして記憶喪失の少女の奇妙な共同生活はしばらくの間続くことになるのだった――――― 



[33455] 第十話 「将軍たちの集い」前編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/08/11 06:42
雲ひとつない晴天。太陽の日差しが容赦なく照りつけている中全くそれを気にしないかのように歩いている一人の少年がいる。この島、ガラージュ島では一人しかいない銀髪に鍛えられた無駄のない肉体。首にはその髪に合わせたかのような小さなシルバーアクセが掛けられている。それが今年で十六歳、少年から大人になろうかというハル・グローリーの姿だった。


「邪魔するぜ、ゲンマ」


ハルは慣れた様子で挨拶をしながら店の中へと入って行く。ここは島の中にある喫茶店。昔からのなじみであるゲンマという男が経営している店だった。


「お、誰かと思ったらハルじゃねえか。珍しいな一人でここに来るなんて」
「姉ちゃんから頼まれたんだよ。ほらこれ。多く作りすぎたからって」
「そうか、ありがてえ。いつもすまねえってカトレアにも言っといてくれ」


ゲンマはでひゃでひゃと笑いながらハルから袋に包まれたものを受け取る。それはカトレアが作った料理のおすそわけ。ゲンマは歳で言えばハル達の父と近いのだがまだ結婚していない独身。そのためそれを気遣っていつもカトレアが料理をおすそ分けしている。今回はその配達にハルが駆り出されたのだった。


「分かった。でも姉ちゃんも言ってたぞ。早く結婚すればいいのにって」
「でひゃひゃひゃ! こいつは一本取られたな……でもそいつはカトレアも同じじゃねえか。確かもう二十歳になったはずだろ?」
「っ!? い、いいんだよ姉ちゃんは結婚なんてしなくても! 彼氏ができてもオレがぶっ飛ばしてやる!」
「おーおーおっかねえ……そういやお前の方はどうなんだハル? 彼女の一人ぐらいできたのか?」
「オ、オレのことなんてどうだっていいだろ!?」
「その様子じゃあまだみてえだな。あんまり姉ちゃん姉ちゃん言ってるといつまで経っても彼女ができねえぞ」


ゲンマのからかいにハルはムスッとしたままそっぽを向いてしまう。どうしてもゲンマを相手にするとからかわれてばかり。結局自分が笑い者にされてしまうのがハルがあまりこの店を一人で訪れない理由だった。そんなハルの姿を見てひとしきり笑った後、ゲンマは少し真面目な雰囲気を纏いながら話題を変えてきた。


「そういえばお前ももう十六か……ちょっと前まではこんなに小さかったのにな」
「オレは虫か? いきなり何の話だよ?」
「いや……ゲイルやアキからはまだ何の連絡も来てないのか?」
「………ああ、何もない」


ハルはそれきり黙りこんでしまう。だがその表情から複雑な心境を抱いていることが伺える。下を向き拳を握りこんだまま。その姿にゲンマは溜息を吐くことしかできない。ハルの父であるゲイルが姿をくらませてから十五年、アキが島からいなくなってから四年が過ぎようとしている。二人ともハルにとっては大切な家族。特にアキは兄弟同然の関係だった。父のことはまだ幼かったハルは覚えていないがアキに関しては四年前、そして目の前でいなくなってしまったためハルにとってはやり切れない思いがあるのだろう。


「そうか……アキも騒がしい奴だったからな。どっかで元気にやってるさ。そのうちひょっこり戻って来るかもな」
「……関係ないさ。親父やアキがいなくたってオレが姉ちゃんを守って見せる!」


ゲンマの言葉を振り切る様にハルはそう宣言したままあっという間に店を出て行ってしまう。だがその後ろ姿にはどこか無理をしているような、そんな気配があった。ゲンマはそれを見送りながら思いを馳せる。

『レイヴを探しに行く』

そう言い残し島を去って行った友であるゲイル・グローリーと金髪の悪魔と呼ばれていた少年、アキ。二人が無事に戻ってくれることを――――



(ったく……姉ちゃんもゲンマもみんなしてオレのこと子供扱いして……オレだってもう十六、大人なんだぞ)


ゲンマの店から一直線に家に向かって帰っている中でもまだハルは難しそうな、不機嫌そうな表情を浮かべたまま。もっともそれがまだハルが子供である証拠でもあった。だがいつまでもこのままではいけない。こんな顔を見られればまたカトレアに心配をかけてしまう。自宅を目の前にしてハルが大きな深呼吸と共に気分を切り替えようとしていると


「おや、どうしたんですかハル坊ちゃん。そんな辛気臭そうな顔をして」


いきなり背後から男の声が掛けられる。思わず身体を震わせながらも振り返るとそこには壁に張り付いている花のような存在、家族の一人であるナカジマがいた。どうやら今までずっと自分のことを見られてしまっていたらしい。


「っ!? ナ、ナカジマか……びっくりさせるなよ」
「失礼な。わたしはいつもここで坊ちゃん達の家を守っているんですよ。もっと讃えてくれてもいいくらいです」
「単にそこから動けないだけだろ……」


んふーという鼻息と共に何故か得意気なナカジマの姿にすっかり毒気を抜かれてしまったハルは大きく肩を落とす。自分が生まれる前からいたナカジマだが未だに分からないことだらけ。もっとも詳しく知りたいとも思えないのだが。


「それにしてもどうされたんですか。まるでいつかのアキ坊ちゃんのような顔をしてらっしゃいますが」
「お前もか……何か今日はその話ばっかりだな……」
「何ですか、またアキ坊ちゃんの心配をされてたんですか。心配いりませんよ。きっとどこかで毒舌を吐いているに決まってます」
「お前……まだアキに別れの挨拶を言ってもらえなかったこと根に持ってるのか……」
「っ!? な、何をおっしゃってるんですか!? そんなこと全く気にしていません! ええ、忘れられていたなんてこれっぽっちも思っていませんとも!」


そうは言いながらも気にしていることは丸わかりだった。カトレアには別れの挨拶の伝言があったのに自分にはないと知った時のナカジマの落ち込みようは凄まじかった。あのまま枯れてしまうのではないかと本気で心配したほど。きっとアキは本気で忘れていたに違いない。もっとも自分も同じ状況でナカジマに別れの挨拶を言伝できるかどうかは怪しいが。そんなことを考えながらもハルは改めてナカジマに話しかける。


「なあナカジマ……やっぱりDBってのは悪いものなのか?」


それはアキがいなくなってから何度もしてきた質問。答えが出ないと分かり切っていても聞かずにはいられない疑問だった。


「またその話ですか。そうですね……以前お話しした通りDBというのは兵器の一種で邪悪なモノだと言われています。その証拠にDCと呼ばれる悪の組織がそれを使って悪さを行っています」
「あの時村を襲った奴らもDCだって言ってたもんな……でも、どうしてアキがそんなものを……」
「わたしはその場にはいなかったのでアキ坊ちゃんが使っていたのがDBなのかは分かりませんが……どうして今更そんなことを? アキ坊ちゃんを探しにでも行かれるつもりですかな?」
「ち、違うさ。ただあの時のアキ、何だか変だったような気がしてさ。それにオレが出て行ったら姉ちゃんが一人きりになっちまう。オレは親父やアキみたいにいなくなったりしねえ!」
「んふー、それでこそハル坊ちゃんです。それにDBなんて危ないものには近づかないに越したことはありません。最近はDBに対抗するための兵器がまた現れたなんて噂も流れてますが……」
「DBに対抗する兵器? そんな物があるのか?」
「はい。レイヴと呼ばれる石です。何でも五十年前の王国戦争でその使い手であるレイヴマスターと呼ばれる人物が活躍したとか。まああくまで噂ですが……」
「レイヴか……」


自分の想像も及び付かない話にハルが頭をかいていると突然家の中から何かが割れるような音が響き渡った。ハルは驚きながらも家の中へと入って行く。そこにはどこか心ここに非ずと言った風にその場に立ち尽くしている姉であるカトレアの姿があった。その足元には割れてしまった皿の破片が飛び散っている。どうやら皿を落として割ってしまったらしい。


「姉ちゃん!? どうしたんだ!? 怪我は!?」
「え? ああ、大丈夫よ……ちょっとぼーっとしちゃっただけで……」
「オレ掃除道具持ってくるから姉ちゃんはそこを動かないでじっとしてて!」
「わ、分かった、ごめんねハル……」


ようやく我に返ったように慌てているカトレアを見ながらもハルは大急ぎで掃除道具を取りに走り去っていく。シスコンであるところは十六歳になっても全く変わっていない。ある意味ハルらしさと言えるものだった。そんな弟の姿を見ながらもカトレアは窓際へと目を向ける。そこには二つの写真が飾られていた。

一つは幼い自分とハルを間に挟んでいる父と母の写真。今はもうこの世にはいない母と行方が分からない父と一緒に映っている数少ない写真。

『レイヴ』

それを探すと言ったきり戻ってこない父。その言葉を聞いたせいで皿を落とすなんてドジをしてしまった自分に呆れるしかない。いや、きっとそれだけではない。先程のやり取り。そしてここ最近のハルの様子。それが意味するもの。それが分かっているからこそ自分は心のどこかで動揺しているのだろう。

カトレアは静かにもう一つの写真に目を向ける。自分を挟むように写真に写っているハルともうここにはいない幼いアキの姿。何故か写真に映ることを嫌っていたアキが映っている数少ない写真。血はつながってはいないけれど大切なもう一人の家族、弟。


(アキ……元気にしているのかしら……)


寂しげな、悲しげな表情を見せながらもカトレアはハル同様大きくなっているであろうアキに思いを馳せるのだった―――――




「はっくしゅんっ!」


一際大きなくしゃみをしながらもアキは目的地へと辿り着き顔を上げる。そこは世界各地にあるDCの支部の一つ。今日アキはそこでDBを渡すことになっていた。だが今日はいつもとは少し事情が違っていた。何故なら今日この場所を指定してきたのは六祈将軍オラシオンセイスであるレイナだったからだ。


とりあえずここであってるはずだが……うん、間違ってないよな? 名前を言ったら通してもらえたし大丈夫なはず。きっとレイナから話が通ってたんだろう。しっかしレイナの方から受け渡しを申し出てくるなんて珍しい。前回のは俺を驚かせようとした気まぐれだったみたいだし……なら今回は何なんだ? ホワイトキスの調子でも悪くなったのかね……まあ六祈将軍オラシオンセイスの中では唯一といってもいい常識人だしまだマシか。これがハジャとかからの呼び出しだったら洒落にならん。もうワープロードで世界の裏側まで逃げおおせるしかない。

それにしても俺、完全にDCの一員になっちゃってる感じだな。ま、まあほとんど間違いではないのだが……本意ではないとしても。あれだよ、ジークみたいなもんだよ。わざとDCに潜り込んでるんです。もっともジークみたいにキングを狙うなんて度胸は無いわけだが……というか狙う意味もほとんどないし。むしろ死亡フラグの塊に手を出す方がどうかしている。後一年もすれば否応なく表舞台に立たざるを得なくなるのに今からそんなのはごめんだっつーの……そういえばジークと言えばハイドを作ってから一度も襲ってきてないな。やっぱり気配を絶ったのは正解だったらしい。しかもこっちはワープロードで世界各地を移動している。いかなジークといえども捉えきれなくなっているのだろう。油断は禁物だが。もっともそのせいでエリーにはまったく危機感がない。どうしたものか……まあもうすぐ原作が始まる時期なんであとはハルに任せることにしよう。

俺も十六歳、すなわちハルも同様の年齢になったはず。そろそろ現レイヴマスターであるシバ・ローゼスがガラージュ島にやってくる。そこから物語が始まるわけだ。二代目レイヴマスターであるハルが行動を開始すればDCからその情報が得られるはず。だがどうしてもその最初の部分だけは自分の目で確かめるしかない。何故ならエリーをハルに引き合わせる必要があるから。原作で出会った街でエリーを置き去りにし、ハルと引き合わせるという何か自分でもよく分からない役目を果たさなければならん……あ、そういえばマザーにエリーがいなくなった時の言い訳を考えるのを忘れてた。ど、どうしたもんか……うーん、やっぱ振られたとか愛想を尽かされたとかが一番無難か。な、何か知らない間に告白して振られたみたいで情けないことこの上ないが仕方ない。

そういえば状況を確認しに本当に何年かぶりにガラージュ島に帰ったがみんな元気そうだったな。ハルはしっかり成長して男らしくなってたし、カトレア姉さんはますますお美しくなっていた。ナカジマは何も変わってなかった……っていうか変わってたら逆に怖すぎる。でも……そうだよな……俺、四年前まであの平和な生活してたんだよな……今じゃマザーに、エリーに振り回され、地獄のような修行でボロボロになりDCの接触に、ジークに命を狙われながら戦々恐々する日々。あれ……何か目から涙が流れてきた……もうこのまま何もかも投げ出してあの家に帰りたいんだけどダメですか? やっぱダメですよね……そんなことしたらどうなるか想像したくもない。

ごほんっ! 落ち着け俺! 気をしっかり持て! ここまで何とかやってきたんだ! 後はやりきるだけ、そうすればあの平穏な日常に戻れるんだ! ん? 何? さっさと中に入らないのかって? う、うっせーなちゃんと分かってるっつーの! お前こそ変なことしたらすぐにアジトに送り返すからな! ったく……ほんとに分かってんのか……? 


アキはそのまま自らに懐に隠してあるマザーに目を向ける。いつもなら留守番なのだが流石に我慢の限界だったのか今回は仕方なく連れてくる形になってしまっていたのだった。何だが犬を散歩に連れて行っているのではないかという錯覚に陥りながらもアキが改めて建物の中に入ろうとしたその時、凄まじい風がどこからともなく吹き荒れた。


「っ!? な、何だっ!?」


いきなりの事態に驚きながらもアキはそのまま風が巻き起こっている方向へと目を向ける。だがその瞬間アキの顔は驚愕に染まってしまう。そこには龍がいた。人間が何人も背中に乗れる程巨大な黒い龍。そしてその背中から一人の男が降りてくる。

顔に入れ墨のようなものをしたどこか暗い、近寄りがたい雰囲気を纏った男。その手にはデカログスに匹敵するような巨大な黒い剣が握られている。アキはその男が何者であるかを知っていた。


六祈将軍オラシオンセイスの一人。龍使いドラゴンマスタージェガン。それがその男の名前だった。


え……? 何でこんなところにジェガンがいるの? そんな話俺聞いてないんだけど? ど、どどどどういうことっ!? レイナが受け取りに来るんじゃなかったのかよっ!? い、いやとにかく落ち着け! 深呼吸深呼吸……とりあえず冷静にならなければ……別に何かDCにバレて不味いことをしたわけじゃないんだし……今のところはだけど……


アキが内心予想外の事態におろおろしていることなど露知らずジェガンは龍をその場に待機させた後ゆっくりとアキの元へと近づいてくる。もっともアキの存在に気づいたのは建物に入る直前だったのだが。


「………アキか」
「あ、ああ……久しぶりだな、ジェガン。元気だったのか?」
「………」


アキは平静を装いながら挨拶するもジェガンは無言のまま歩き始める。アキも仕方なくそれに続くように建物の中へと入って行くしかなかった。


「そういえば龍も元気そうだな。確か……ジュリアさんだっけ?」
「……ああ」
「そっか……ところで今日は何の用でここに来たんだ? 俺はレイナに呼ばれたんだけど」
「………」


だんまりですか。そうですか。まあ分かり切ってたことだけどね。ちゃんと龍の話題だけには反応してくれるのだけが救いだな。まあ他の問いかけにも雰囲気で肯定かそうでないかは何となく分かるのだが無口なのは変わらん。最初に六星DBを渡してからだからかれこれ三年ぶりぐらいか? 名前覚えてもらえてただけも喜ぶべきか……いや、覚えてくれてない方がいいのかもしれんが。まあでも六祈将軍オラシオンセイスの中ではやりやすい方だな。黙ってればいいわけだし案外気は合うかもしれん。

あ、ジュリアにさんづけしてるのは何となく。ジェガンの前で呼び捨てにするのもあれだし何よりあの性格だしな。姉御って感じだ。もっとも人間の姿に戻るまではもっとお淑やかなキャラかと思っていたがあれはレットの記憶の美化が進んでいたに違いない。そう考えるとレットとジェガンはやっぱり似た者同士なのかもしれん。二人ともMなのだろうか……ま、まあジュリア関係については関わる気はないのでスル―させてもらう。あくまでレットとジェガンの問題だろうし……と、そう言えば挨拶してなかったな。

久しぶりだなユグドラシル。元気にしてたか? そうか、なら何より。え? マザーに挨拶したいって? ちょ、ちょっと今は表には出せないんで俺から宜しく伝えとくわ。ふう、やっぱり六星DBたちは貫録があるな。どっかの誰かにも見習わせたいくらいだ。主に俺の懐に隠れてる奴とかに。


「アキ! アキじゃないか!」


アキがジェガンの隣を歩きながらもレイナを探さなくてはと考えているとどこか陽気な、大きな声が廊下に響き渡る。もはやそれが誰であるか声を聞いただけで悟ったもののアキはフードの中で頭を抱えながらその声の主に振り向く。そこには男がいた。どこか豪華な服を着た黒髪の美男子……なのだが一目見ただけでバカっぽさが、ナルシストっぶりが滲みでている。


六祈将軍オラシオンセイスの一人。ユリウス・レイフィールドその人だった。


「おお、わが友よ! こんなところで会えるなんて思ってもいなかった! 最近連絡しても返事がないから心配していたんだよ!」
「そうか……ちょっと忙しくてな。それよりもいつ俺がお前と友達になったんだ?」
「はははっ、何を今更! 僕と最も美しいDBアマ・デトワールを引き合わせてくれた君は僕の親友も同然さ」
「そ、そうか……」
「………」


完璧に自分の世界に入り込んでいるバカ、じゃなかったユリウスに辟易するもののジェガンは全く気にした風もなくそのまま歩いて行ってしまう。流石は同じ六祈将軍オラシオンセイス。扱い方を分かっているような無駄のない動き。もしかしたらただ単に無視しているだけなのかもしれんが。

大変そうだな……アマ・デトワール……え? 楽しくお仕えさせてもらってるって? そうか、あんまり無理はするなよ。つらかったら俺からユリウスに言ってやるから……と、それはともかくこれってどういうことだ? ジェガンだけならまだしもユリウスまで……これでレイナまでいるとすれば六祈将軍オラシオンセイスの半分がここに集まっていることになる。一体何が


「あら、もう私以外全員集まってるの? 思ったより早かったわね」


そんなアキの疑問を読んでいたかのようなタイミングで六祈将軍オラシオンセイスの一人、レイナが現れる。どうやら自分よりも先に建物中で待っていたらしい。だがアキは違和感に気づく。それは私以外全員という言葉。それはまるで自分と一緒にいるジェガンとユリウスも含んでいるかのよう。


「おい、レイナ一体どういう」
「まあいいわ。とにかくアキも一緒に着いてきて頂戴。きっと驚いてくれると思うわ♪」


アキの言葉をあしらうかのようにレイナは三人を先導していく。どうやらどこかの部屋に案内する気のようだ。だがその瞬間、アキはある感覚に襲われる。それは寒気。いや本能が感じ取っているかのような感覚。自分が踏み入れてはいけない場所に踏み入ろうとしているのではないかという直感。それを示すかのようにどこかレイナは楽しげな笑みを浮かべている。まるで悪戯をしようとする小悪魔のような笑み。


「そう言えば他の六祈将軍オラシオンセイスたちは来ないのかい?」
「ええ。ハジャは解放軍の相手で動けないし、べリアルとジークハルトは連絡が付かなかったわ。全く、連絡を取る私の身にもなりなさいよね」
「………」
「そうか、残念だよ。ジークと美の戦いができると楽しみにしていたのに」


黙りこんでいるアキをよそにレイナ達は会話をしながら進んでいく。だがその会話の内容は既にアキの頭の中にはこれっぽちも入ってきてはいなかった。あるのは滝のように流れる汗だけ。というか既にまともな思考ができない状態になりつつあった。それは自分が置かれている状況、そしてこれから起こるであろう事態を予知していたからに他ならない。


あ、あの……き、気のせいかな……? 俺、このままついていったらすっごくヤバいことになりそうな気がするんですけど? うん、分かりやすく言うとジークに命を狙われるのと同じぐらい、いやそれ以上の死亡フラグがすぐそこまで迫ってる気がする。え? でもここってDCの支部だよね? 本部の間違いじゃないよね? そ、そんなはずは……でもこの状況……こいつらの会話の流れってどう考えても……っておい!? マザーてめえなんでそんなに楽しそうにしてんだよ!? は!? 何か面白いことが始まりそうだから? て、てめえ他人事だと思ってふざけたことぬかしてんじゃねえぞっ!? 何? いざとなったら自分が何とかしてやる? それお前が暴れたいだけだろうがっ!?


「さあ、着いたわよ♪」


そんなやりとりをマザーとしている間にアキたちはその部屋に辿り着いてしまう。何とかこの場から脱出しようとしていたのだがアキは完璧にその機を逃してしまった。強引にイリュージョンかワープロードで脱出する手もあったがそれももはや手遅れ。そんなことを今この場ですれば間違いなくDCを敵に回すことになる。何故なら今自分たちがいる薄暗い部屋の奥には一人の男がいるのだから。


部屋の暗さのせいではっきりとは見えないにも関わらず全く衰えることない圧倒的存在感。並みの者なら目の前に立つことすらできない程の威圧感。


黒い甲冑にそれとは対照的な金髪。そして身の丈ほどもあるのではないかと思えるような大剣が携えられている。もはや言葉は必要ないほどの王者の風格。


「よくぞ来た我が同志たちよ。楽にしていいぞ」


DC最高司令官 『キング』 レアグローブの血を受け継ぐゲイル・レアグローブがそこにはいた。


どうしよう……これ……


楽しそうに騒いでいるマザーの声をよそにアキは自身にとっての最大とも言っていい死亡フラグと向き合うことになるのだった―――――



[33455] 第十一話 「将軍たちの集い」後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/08/14 15:02
場所はDC支部。その中の薄暗い大きなホールのような場所に五人の人影があった。一人はアキ。だがアキは無言のままローブを深く被り俯いてしまっている。その隣には並び立つように三人の姿がある。レイナ、ジェガン、ユリウス。六祈将軍オラシオンセイスと呼ばれるDCの幹部たち。だがアキがそんな様子を見せているのは彼らが原因ではなかった。それは自分達を見下ろすような位置に座っている人物、男のせい。一国の力に匹敵すると言われる六祈将軍オラシオンセイスたちですらその男の存在によって緊張していることが伺える。これだけの実力者たちを前にして完全に場の空気を支配してしまうほどの圧倒的な存在感。

それがDC最高司令官キングという男の力だった――――


あれ……? 一体何がどうなってんの……? 俺、なんでこんなところにいるんだ? だって完全に場違いにも程があるんですけど? 確かに俺DCの協力者っていうことになってるけど明らかにおかしいよね? 周りが全部六祈将軍オラシオンセイス、幹部しかいないんですけど? その集まりに何で俺が加わってんの? い、いやそれはまあいい。全然よくはないのだがまあいいことにしよう。レイナの俺を驚かせる、からかう悪戯だと割り切ることもできる。でもどうしても、無視することのできない問題があった。


キングだった。どっからどうみてもキングだった。間違いなくDC最高司令官であり、この体、ルシア・レアグローブの父であるゲイル・レアグローブその人だった。


ふ、ふざけんなああああっ!? 何!? 何なのこの状況!? なんでこんなところにキングがいるわけっ!? 何の冗談っ!? ジークどころじゃない、絶対に接触しちゃいけないお人が目の前にいるんですけどっ!? い、一体何がどうなって……


アキはこの世界に来てから一番の緊張状態に陥り身動き一つとることができない。だがそれは無理のないこと。ルシアの身体であること。シンクレアを持っていること。他にも挙げれば一ダースでも持ってこれそうなほどの死亡フラグの塊と言ってもいいほどの存在が目の前にいるのだから。そんなアキの様子に気づくことなく六祈将軍オラシオンセイスたちは定期報告をキングに向かって行っていく。本来ならハードコア山脈にある本部で行うのだが今回はキングが視察にこの支部へと訪れる予定になっていたためこの場でそれが行われることになっているのだった。ようやく事情を悟ったアキが何とか落ち着きを取り戻しながらもローブの中から隣にいる恐らくはこの事態の元凶と思われる人物に目を向ける。そこには悪女、もとい六祈将軍オラシオンセイスであるレイナの姿があった。そしてそんなアキの視線に気づいたのかレイナはどこか楽しそうにウインクを返してくる。アキは確信する。間違いなくこの状況がレイナのせいであることを。


や、やっぱりてめえのせいか、レイナッ!? というかわざわざこんな支部に呼んだと思ったらこれが狙いかっ!? 一体何の恨みがあってこんなことを……い、いやレイナからすれば最高司令官であるキングに引き合わせることで俺の評価を上げようとしてくれたのかもしれんが……そういえば六祈将軍オラシオンセイスにも誘ってくれてたしその延長線上ってわけ? そんなに今の六祈将軍オラシオンセイスのメンバーに不満があんの? そのウインクは素晴らしいがそんなことでは誤魔化されんっつーの!? ち、ちくしょう……と、とりあえずは大人しくしておかねば。どうやらキングも六祈将軍オラシオンセイスたちの報告を聞くことに終始してるみたいだしこのまま気配を消しやりすごすしかない。今の俺ならハイドがなくても完全に気配を絶てる気がする。

しかし……やはりキング。その威圧感が、存在感が半端ない。流石は第一部のラスボスといったところか。しかもDBマスターである俺にはキングが持つDBの力も感じ取れる。

『デカログス』 『ブラックゼニス』 『ゲート』 『ワープロード』 『モンスタープリズン』

それがキングが持つ五つのDBたち。原作でも実際に戦闘で複数のDBを使っていたのはキングぐらいだろう。四天魔王アスラのは何と言うか反則というか別次元だから除外するとして……やはりその力、習熟度が半端ではない。ほぼ全てのDBの力を使いこなしていると言ってもいい。唯一デカログスだけは完全には使いこなせてはいないようだが……確かあいつが造られたのは最近のエンクレイムだったはずだし無理もないか。原作だと真空の剣メル・フォースまでは使っていたはず。もしかしたら他の剣も使えたのかもしれんが……いや、それは無いと信じたい。キングの羅刹の剣サクリファーとか冗談抜きで洒落にならん。ゲイルとハルの二人がかりでも絶対に勝てないに違いない。っていうかあれ使うと頭痛と筋肉痛が酷いことになるんだよな……とそれは置いといて。改めて考えると何か俺とキングのDBって結構被ってんだな。デカログスとワープロードは当然として見方によってはブラックゼニスはマザーの下位互換と言えるかもしれん……ん? そう言えばさっきからマザーの奴妙に静かだな。あんなに騒いでたのに。

おい、マザー! どうかしたのか? は? ちょっと見惚れてた? キングに? あっそ……やっぱお前から見てもキングってヤバいのか? 今まで会った人間の中で一番の力を感じるって? ふむ、なるほど……

どうやらマザーはキングの力に見惚れてしまっていたらしい。まあそうだろうな。レアグローブの血を持つ闇の頂点とまで言われた男だし。この様子なら間違いなくキングもシンクレアを持つ資格があるのだろう。本当ならこの厄介者を押し付け、もとい譲り渡して自由の身になりたいところなのだがそんなことすれば間違いなくハル達は負けてしまう。そうなれば世界はおしまい。非常に残念だがこの案はあきらめるしかないだろう。もっともそんなことは最初に出会った時から分かり切っていたことなのだが……

ん? 何だよ? は? 心配するな? 何の話だ? 自分のマスターは俺だけだって? そうですか……それは光栄なこって……というかそこで何で恥ずかしがってんの? 気色悪いんですけど? 痛てててっ!? こんなところで頭痛を起こすんじゃねえっ!? 声が出ちまうだろうがっ!?


そんなコントという名の脳内会議をアキがマザーと行っている間に六祈将軍オラシオンセイスの定期報告は終了し場に静けさが戻る。これでお開き。さっさと余計なことが起こる前にこの場を去らせてもらおうとアキが安堵しかけた瞬間


「では今日の本題に入る。最後の、六人目の六祈将軍オラシオンセイスについてだ」


それはキングの言葉によって木っ端微塵に砕かれてしまった。


……え? なんだって……? 何か恐ろしい言葉が聞こえたような気がするんですけど……? そうか、今日はそれを決めるための会合だったわけね。道理でキングはもちろん六祈将軍オラシオンセイスが三人も集まってるわけだ。納得納得……じゃねええっ!? どう考えてもこの流れって……


「レイナ、その男がお前の推薦する者か?」
「ええ。名前はアキ。今更言う必要もないかもしれないけど私たちに六星DBを提供し、今もDBをDCに提供してくれている男よ。貢献度で言えば十分だし私は彼を新しい六祈将軍オラシオンセイスに推すわ」


キングの言葉にレイナは笑みを浮かべながらどこか楽しげに応える。瞬間、全て視線がアキに向かって集中する。ユリウスはどこか嬉しげに、ジェガンはいつもと変わらない雰囲気で、そしてキングは圧倒的な威圧感をもって。だがいつまでたってもアキは身動き一つしない。ローブを被ったまま一言も発しようともしなかった。


『ちょっとアキ……いつまで黙ってるつもり? さっさとそのローブを脱いで挨拶なさいよ』


流石にこのままではまずいと感じたのか耳打ちするようにレイナがアキに向かって話しかける。せっかく自分がここまでお膳立てしたのにこのままでは御破算だ。そしてなによりこのままローブを被ったままなどキングに対する侮辱に等しい。何だかんだ言いながらアキのことを気に掛けてくれているレイナなりの心遣いだった。もっともそれはアキにとっては余計なお世話以外の何物でもなかったのだが。


ち、ちくしょう……何でこんなことに……まさかレイナのあの時の言葉が冗談じゃなくマジだったなんて……だ、だが六祈将軍オラシオンセイスはともかくこのままずっとローブを被ったままっていくらなんでも不味すぎる。心なしかキングからのプレッシャーが増していっている。このままではキングを敵に、最悪六祈将軍オラシオンセイスたちすら敵に回すことになりかねん。それだけは回避しなくては……! こんなことならずっとイリュージョンで顔自体を別人に変えておくべきだったか……? い、いやそんなこと常時してたらイリュージョンが保たんし今更どうしようもない! だ、大丈夫だよな……? うん、髪は黒く染めてるし、顔の傷はイリュージョンで隠してる。いくら親子だといってもキングが最後に見たのは四、五歳の頃のルシア。今の十六歳のルシアを見てもそれが息子だとまでは分からないはず! ここはもう腹をくくってやるしかない! 


アキはもはややけくそ気味にそのローブから素顔を晒す。もっとも素顔といっても髪は黒く染まり、顔の傷は隠している状態だったのだが。


「もう、何でそんなに顔を見せたがらないわけ? 隠すような顔でもないでしょう?」
「その通りだよ。僕やジークには敵わないがそれでも十分美しい顔だよ」
「………」


レイナはやっと顔を晒したアキに内心安堵する。どうなる事かと思ったが何とかなりそうだ。ユリウスもジェガンもアキとは面識がありその印象は悪くはない。恐らくアキが六祈将軍オラシオンセイスになることに賛成することはあっても反対することなどないだろう。問題はアキ自身の強さなのだがそれも問題ないはず。聞いた話ではハジャとも面識があるようだし、自分のちょっかいにも対処できるだけの力はある。何よりも変人ばかりの六祈将軍オラシオンセイスに一人ぐらい常識人を入れたい。もっともアキもDBマニアといってもいい特殊な趣味があるようだが話ができる分ジェガンよりはマシだろう。

そんな失礼極まりないことを思われていることなど露知らずアキはただ無表情でキングと対面していた。もっともそんなことに気を割けるほど余裕がないだけだったのだが。


「貴様がアキか……」

「………」


あの……気のせいでしょうか? ガン見されてるんですけど。めっちゃガン見されてるんですけど? 無言のままずっとキングに睨まれてるんですけどどういうこと!? え!? ま、まさか俺がルシアだってバレちまったのかっ!? そ、そんな漫画みたいなことがってここ漫画の世界だったっけ……じゃなくて!? 威圧感が、プレッシャーがさっきまでの比じゃないんですけどっ!? 何か蛇に睨まれた蛙そのまま。もう俺はダメかもしれん。マジでちびる直前って感じだ。今になってあの時のフルメタルの気持ちが分かったような気がする。こりゃまともにしゃべれなくなっちまうわけだ。だ、だが絶対にそれは悟られないようにしなくては。弱みを、変なところを見せればますます怪しまれてしまう。耐えるんだ俺!


そんなよく分からないことを考えながらもただずっとキングとにらめっこをするという拷問のような状態がしばらく続く。レイナたちも不思議に思いながらもキングがいる手前待ち続けるしかない。そして


「………若いな。歳はいくつだ?」


どこか静かな、それでも響くような重い声でキングが疑問を口にする。だがその質問に咄嗟にアキは答えることができない。それは正直に答えるべきかどうかに迷ったから。だがあまりに不自然な年齢を言っても逆に怪しまれてしまうかもしれない。アキが背中に滝のように汗を流しながら口ごもっている中


「確か今年で十六だったはずよ。でしょ、アキ?」


アキに代わるようにレイナが答える。その言葉にアキは頷くことしかできない。どうやらキングの前で緊張してしまっているアキに代わりレイナは補足をする役目をすることにしたらしい。その後もアキに代わりレイナがキングの質問に答えていくという形で質問と言う名の面接が行われていく。だがアキにとってはそれは死刑宣告を待つ犯罪者同然の状況だった。


「……確かに我がDCへの貢献は申し分ない。だが六祈将軍オラシオンセイスとなる者にはなによりも強さが必要だ。その意味でもう一人、オレが次の六祈将軍オラシオンセイスに相応しいと考えている男がいる……入ってこい、シュダ」


一通りアキのことを質問した後、キングは部屋の入口に向かって声を上げる。同時にそこから一人の男が現れる。その姿にレイナたちは視線を向ける。歳は二十代後半。どこか危険な雰囲気を感じさせる男。それだけでその男がかなりの実力者であることを六祈将軍オラシオンセイスたちは見抜く。だがアキだけは違っていた。顔は平静を装っているもののその内心は混乱の極致にあった。何故ならアキはその男を知っていたから。


六祈将軍オラシオンセイスの一人 『爆炎のシュダ』 後にハル達の仲間となる重要人物だった。


な、何でこんなところにシュダさんがいらっしゃるんですか!? い、いやよく考えれば六祈将軍オラシオンセイスを決めるための集まりなわけだし当たり前っちゃあ当たり前だが……てちょっと待って? じゃあこれって俺がそれを邪魔しちゃってるってこと? い、いかん! それはマジで勘弁して!? シュダって序盤でハルと何度もぶつかるいわば中ボス的なキャラ。それが変わってきたら物語が破たんしかねん!? 爆炎のアキとか絶対に御免だ! 全然似合ってないし何より六祈将軍オラシオンセイスになんてなるわけにはいかねえ!


「そう、あんたがシュダなの。何度か名前は聞いたことがあるわ。前線で功績をあげてるって」
「困ったね……残っている六祈将軍オラシオンセイスの席は一つ。これじゃあ一人は余ってしまうよ」
「………」


シュダを前にしてレイナたちはどうしたものかと思いながらもそれ以上口を出すことができない。六祈将軍オラシオンセイスを任命する権利はキングにある。レイナとしてはアキを推したいところだがキングが候補として選んできた相手を無下にすることもできない。ユリウスとジェガンもそれ以上口を出さずに静観する構え。そんな中シュダは鋭い視線でアキを射抜いている。どうやら自分の昇進を邪魔する相手だと認識しているらしい。だがそれを受けながらもアキは表情一つ崩さない。それが余計にシュダの自尊心を刺激してしまっていた。そんな中


「仕方あるまい。ならばアキとシュダ。この場で戦い勝った方に六祈将軍オラシオンセイスの座を与えよう」


キングが判決を下す。勝った者、勝者にその名を与えると。ある意味で最も分かりやすい摂理。弱肉強食。悪の組織であるDCにとっては強さが全て。それを示すかのような形だった。


「ちょ、ちょっと! キングそれは……」
「あきらめなよレイナ。キングの決定だよ? それにいい機会じゃないか。アキが戦ってるところは見たことないんだろう?」
「それはそうだけど……」


レイナ達が騒いでいるのをよそにシュダはその腰から剣を抜きアキへと近づいて行く。どこか挑発的な笑みを浮かべながら。その姿からは強者の風格が滲みでている。これまで前線で戦い続けてきた者が持てるもの。自分の強さへの自信そのものだった。


「なるほど……分かりやすいじゃねえか。オレとお前、勝った方が六祈将軍オラシオンセイスになれるってことだ。なあ、アキ?」


瞬間、シュダの剣が炎に包まれる。それはシュダの腕にあるブレスレットから生まれていた。それこそがシュダが持つDB『ヴァルツァーフレイム』の力だった。


いやいやいやちょっと待って!? 俺一言もやるなんて言ってないんだけど!? 誰かこの脳筋止めてくれよ!? あれ? 誰も止めに入ってくれない? やっぱキングの命令には、決定には逆らえないってことですか? し、しかしどうしたもんか……やっぱ初期のシュダは何というか小物臭があるな。まあ実力的には申し分ないんだろうけど。あれが今シュダが使ってるDBね。そう言えばフルメタルも持ってるっぽい。その気配が感じ取れる。

久しぶりだな、フルメタル……っておい大丈夫かお前!? 何でそんなに震えて……ってそうか! 当たり前じゃん!? シュダは気づいてないが(というかハイドで気配を消しているので全員が気づいてないけど)DBたちは今自分達が戦いを挑もうとしてるのがシンクレアだと、マザーだと知っている。見ればヴァルツァーフレイムも恐怖でガクブル状態になっている。というかフルメタルは既に失神寸前だ。よく考えればこの状況二度目だしな。マザーに二度も喧嘩売るなんて正気の沙汰じゃない。もっともフルメタル自身はそんな気は微塵もないのだが……おいこらマザーっ!? 笑ってねえでお前も何とか言ってやれよ!? どんだけドSなのお前!? 児童虐待で訴えるぞこらっ!? と、とにかくここはもう賭けに出るしかない……死中に活を見出す! こうなったらどうとでもなれだ!


シュダがいつまでも構えようとしないアキを不思議に思いながらもついに剣を振りかぶり戦闘が開始されんとしたその瞬間



「断る。俺は六祈将軍オラシオンセイスになるつもりはない」


それはアキの予想外の言葉によって止まってしまった。シュダだけではない。その場にいる全ての人間がアキの言葉によって驚きの表情を見せている。まるで信じられない言葉を聞いたかのように。当たり前だ。何故ならアキの言葉は降参でもない。それは戦わない、すなわちキングの言葉を無視するに等しい意味を持っていた。それはある意味シュダと戦うことよりも遥かに常軌を逸した選択だった。

瞬間空気が凍った。それはキングが発するプレッシャーによるもの。今まさに戦おうとしたシュダ、そして六祈将軍オラシオンセイスであるレイナたちですらその重圧に身体を振るわせ、息を飲む。キングに逆らえばどうなるか。それを身を以て知っているからこその反応。いかな六祈将軍オラシオンセイスといえどもキングに逆らえば命はない。

それが分かっているレイナはキングに気づかれないようにアキにアイコンタクトを送り続ける。先の言葉を撤回しろと。六祈将軍オラシオンセイスになれとは言わないがキングの命令、シュダと戦うことは承諾しろと。だがそれを知ってか知らずがアキはそのままただずっとキングと睨みあい続けている。これが自分の意志だと、覆すつもりはないと誇示するかのように。その姿に当事者ではないにもかかわらずレイナは寿命が縮む思いだった。レイナほどではないがユリウスとジェガンもこの一色触発の空気に身体をすくませていた。そしてまるで永遠にも感じられるほどの沈黙がつづいた後


「……いいだろう。シュダ、貴様を六祈将軍オラシオンセイスに任命する」


キングの言葉によってそれはようやく終わりを告げる。瞬間、先程までの空気が霧散していく。まるで時間が止まってしまっていたかのような出来事だった。まさにアキにとっては九死に一生を得たに等しかった。


あ、あぶねえ……ほんとに死ぬかと思った……寿命が十年以上縮んだわ間違いなく。もうキングはもちろんこの場にいる全員を敵に回しかねん勢いだった……そうなったらワープロードでトンズラさせてもらう気だったんだけどとりあえず助かった……DCを敵に回すことになってもそれだけは譲れん。これ以上原作からかけ離れるのは絶対にごめんだっつーの! 

は? 何でもっと煽らないのかって? ふざけんなこれ以上そんなことしたらマジで全面戦争じゃねえか!? 最近力を使ってないからストレス発散になるって!? 俺のストレスは既にマッハだよ!? 俺をハゲさせるつもりかてめえっ!?


「シュダよ、六星DBを渡す前に一つ任務を与える。レイヴマスター、シバの居所が判明した。それを排除して来い」

「へえ、本当にレイヴマスターなんていたのね。てっきり噂だとばかり思ってたんだけど」
「光と闇。レイヴとDBが争い合うのは運命なのさ。もっとも今のレイヴマスターは年老いてしまっているらしいけど……ああ、年月というのは残酷だ」
「………」

『どうしたのアキ? 難しそうな顔してるわよ。今になって震えでも来たのかしら?』
『そ、そんなんじゃねえよ……』


アキのどこか不自然な様子に気づいたレイナが小声で話しかけてくるもののアキはそれをのらりくらりとかわすだけ。確かにそれもあるがもう一つ気になることがあった。

それはシュダ。シュダはキングの命を受けて退室していく時のアキを見る眼。あきらかに敵意があった。


やっぱそうなるわな……俺のせいでおこぼれにあずかるような形で六祈将軍オラシオンセイスに任命されたようなもんだし……もっとも六星DBを渡されるのはまだ先のようだが。もしこの場で渡されたらどうしようかと冷や冷やものだった。流石にそれは不味すぎる。いきなりバレッテーゼフレアとかハルには無理ゲーだ。ただでさえ初戦に勝てたのは偶然に近かったんだし。

ま、まあ色々あったが何とか乗り切った! マジでどうなるかと思ったがこれでしばらくは問題ないだろう。キングの命令から原作が始まるのはもうすぐのようだしそれに向けて動き出さなければ! おい、何いつまでぶつぶつ文句言ってるんだマザー? は? あのまま戦わなくて良かったのかって? ふざけんなよ!? なんでこんな敵陣のど真ん中で、しかもキングと六祈将軍オラシオンセイスが三人もいる状況で戦わにゃならんのだ!? DCを乗っ取るのはもっと先だよ! え? 本当に乗っ取る気があるのかって? あ、当たり前だろ……ちょっとまだ準備が色々いるんだよ! とにかく余計なことするなよ!? ったく……ほんとにこいつは状況が分かってんのか……? 付き合わされる身になれっつーの……


アキはそのままマザーと言い合いを続けながらも自分が何とか助かったと安堵していた。それはこの場にいる誰もが同じ。アキが九死に一生を得たのだと。だがDBたちにとっては違っていた。その場にいたDBたちは全員悟っていた。もしあのままアキとDCが全面対決になっていれば負けていたのは自分達だったろうと。六星DBたちですらその例外ではない。


母なる闇の使者マザーダークブリング』と『魔石使いダークブリングマスター


その力の前ではDBを持つ者では敵わない。同じシンクレアを持つ者、そしてレイヴマスターでなければ。もっともそのことにまだアキは本当の意味で気づいていない。まだ自分がどんな存在なのか理解できていない。

ルシアの身体を持っているとはいえマザーシンクレアを持ち、その力を使える自分が『普通』だと思い込んでいるのだから。


それぞれの思惑を胸についに運命の日、物語の始まりが訪れようとしていた―――――



[33455] 第十二話 「ダークブリングマスターの絶望」前編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/08/27 09:01
「あーん、もォ最高!」

歓喜の声を上げながらエリーは慌ただしく辺りを見渡していく。そこにはまばゆいばかりの煌びやかな建物がこれでもかと建ち並んでいた。人が溢れ活気に満ちあふれまるでお祭り騒ぎ。そんな人々の様子を見ることによってエリーの目には輝きが満ちている。今にも飛び出して行きかねない程。

なぜならここはカジノ街。この辺り一帯が全ての店がそれに関連するものだった。そしてエリーは大のカジノ、いやギャンブル好き。そんなエリーが目の前の光景を前にしてじっとなどしていられるはずもなかった。


「あんまりはしゃぎすぎるなよ。追い出されるぞ」
「大丈夫、大丈夫! 分かってるもん。それよりほんとにいいの? ここで遊んじゃって?」
「ああ。しばらくはこの街に滞在するし、ここんところじっとしてたからな。息抜きみたいなもんだ」
「ほんと!? やったあ!」


どこか呆れかえっているアキの姿などお構いなしにエリーは興奮が抑えきれず子供のようにはしゃいでいる。だがそれは無理のないこと。基本的にエリーはジークによって狙われているためアジトに留守番することが多い。出かけることができてもアキが一緒のためどうしても好き勝手はできない。不満はあるものの養ってもらっていること、一応護衛をしてもらっていること(もっともエリーはあまり実感はしていないのだが)もあって我慢していたのだがやはり羽を伸ばしたいのが本音。元々エリーは自由奔放な性格であり今までアキの言うことを聞いていたことの方が珍しいと言えるほどだった。


「でも急にどうしたの? この街に何か用事でもあるの?」
「い、いや……ちょっとこの近くの街に用事があってな。ちょうどその近くにこのカジノ街があったから寄ってみただけだ」
「そうなんだ。じゃあアキはカジノしないの?」
「ああ。これからちょっと出かけてくる。何かあったら連絡してくれ」
「そっかー残念……でもしょうがないか。アキ、ギャンブル弱いもんね」
「ほっとけ……」


エリーのからかうような言葉にアキは溜息を吐くしかない。それは以前エリーと共にカジノに行った時の出来事のせい。エリーの馬鹿勝ちを見ているうちに自分にもできるのではないかと勘違いしたアキはカジノで大負けをかましてしまったのだった。しかも変に負けず嫌いなのが災いし負け分を取り返そうとして負けを繰り返し結局持ち金全てをなくすことになった。アキはそれ以来賭けごとの類は行わないと固く心に誓っているのだった。


「じゃあママさんも連れてってあげて! 最近アキが構ってくれないって気にしてたよ」
「……分かった。夜には戻って来るから変なことして捕まるんじゃねえぞ」
「了解です、隊長! ではエリーは軍資金を調達してきます! 行っくぞー!」


おー! という掛け声と共にエリーはそのまま店へと突撃していく。十七歳の女の子が嬉々としてカジノへと入店していく光景に突っ込みたいところではあるがもはや気にするだけ無駄だとアキは悟りきっていた。相手はあのエリーなのだから。


どうも。アキです。ダークブリングマスターです。何とか元気にやってます。何故かいきなりキングと接触してしまうという洒落にならないイベントがありましたが何とかなりました。あの後何か起こるんじゃないかと冷や冷やしていたが変な動きはDCは起こしていない。どうやら俺が金髪の悪魔、ルシアであることはバレなくてすんだらしい。うん……バレてないよね? バレてたら何か動きがあるはずだし大丈夫だろう。そう思わないとやっていけないですけどね、色々と……あの後レイナに文句の一つでも言ってやろうと思ったら既にいなくなっていました。流石と言うべきか何とか言うかあの女には絶対勝てないような気がする。

ごほんっ! ともかく今はこれからのことを考えなければ! これからのこと。すなわち原作の開始をサポートすることを! サポートとは言ったものの本当は俺の不始末の尻拭いみたいなもん。今見送った少女、原作ヒロインのエリーをハルに引き合わせるという役目を果たさなければならん。どんなにこの時を待ちわびたか……色々な意味でストレスで胃に穴が空きそうだった日々もようやく報われる……っといかんいかん! 油断は禁物だ! 何かいつも油断した瞬間に予想の斜め上の展開になるような気がする! それだけは絶対に御免だ! まあ原作通りと言ってももはや取り返しがつかないレベルで色々やっちゃった感があるが。特にエリーの髪型とか。もうほとんどリーシャだよね、あれ。中身はエリーだけど。いくら言っても髪は切ってくれなかったし仕方ない。

ま、まあそれは置いておいて俺は今、ソング大陸南部の街、ヒップホップタウンにいます。理由は単純。ここが原作でハルとエリーが初めて出会った場所だったから。修正を図るならやはりここがベストだろう。ここはガラージュ島から一番近い街だから間違いなくハルはここを訪れる。得た情報によればシュダは既にシバの排除に動きだしたらしいのでもうすぐ原作が始まる。後はハルが来たのを見計らってエリーを置き去りにすれば万事解決。全てをハルに託すことができるわけだ! この街は実はDCが管理する街であり街から出るには大金を払わなければならない。エリーには悪いが置き去りにする際にはお金を没収させてもらうことになるだろう。決してエリーの世話がめんどくさくなったわけではない! これも全てはマザーを、エンドレスを倒すため! うん、そのはずなのだが最近手段が目的に置き換わってるような変な感覚があるのだが……まあいいか。あ、あともちろんこの場でハルと会う気はない。ここで会っちまったら面倒なことになるし、どっちにしろエリーと出会えば俺の話は出るだろうから問題なし。理想としては原作通り第一部の後、シンフォニアで再会といった流れにしたい。そこで俺をDBマスターだと、敵だと認識してもらうという寸法だ。

あれ……? それでいいんだよな? だってそうしないと話が進まないし、俺、じゃなかったルシアっていうライバルがいないとハル達も成長しないし。うん、間違ってないんだが何だろう……改めて考えると色々問題があるような……まあ細かい差異はノリで、アドリブでなんとかするしかない! 深く考えすぎるとドツボにはまりかねん……


先行きが不透明な自らの将来に頭を抱えながらもアキはとぼとぼとそのままある場所へと辿り着く。それは鉄道。RAVEの世界でも鉄道は主要な移動手段の一つ。それを使いアキはある街へと向かおうとしていた。それ街の名はパンクストリート。世界最大の武器市。伝説の鍛冶屋ブラックスミスであるムジカがいる街だった。


とにかくパンクストリートに一つ、アジトを作っとかねえとな……待機する場所がないのはきつすぎるし。それにあの街、パンクストリートでの出来事はハルにとって重要な意味を持つ。

一つは壊れてしまったTCMを直すこと。それができなければ話にならない。

そしてもう一つが仲間になる銀術師シルバークレイマームジカと出会うこと。

この二つの重要なイベントが終わるまではハルを見守る必要がある。何かやることはストーカー以外の何物でもないのだが構わない! これだけは譲れない! ここを通過すれば多少差異があったとしてもハル達だけで何とかできるだろう。いくら何でもずっと隠れながらハル達に付いて行くわけにもおかないしそんなことしてたらマザーにバレちまう。いくらあいつが馬鹿だと言っても無理があるだろう。師匠やイリュージョンたちは特に文句を言わずに俺に力を貸してくれることになった。どうやら俺に何か事情があると悟ってくれたらしい。やはり持つべきものはいいDBだな。その母親が一番聞き分けが悪いとか何の冗談だっつーの……


アキはおおよそのこれからの予定を整理しながらもある不安要素に頭を悩ませていた。それはマザーと出会ってからずっと気にしながらも結局解決できていない切実な問題。


アキはほとんど実戦経験がない。ある意味致命的な、そして早急に何とかしなければならない課題だった。


うーん……やっぱやばいよな。まだまともに一度も戦闘したことないのはやはり不味すぎる。全く経験がないわけではないが相手はザコばかりだったし……かといって戦うような相手もいなかったし。ジークは例外だ。っていうかこっちは逃げてるだけだったから戦闘ですらない。今はまだいいが表舞台に立つまでにはある程度戦えるようにならんといかん……そう言えばパンクストリートには獣剣のランスってのがいたっけ? あいつくらいなら初めての実戦にちょうどいいかも……い、いやそんなことしたらハルの実戦の機会を奪っちまうことになるし……はあ、どうしたもんか……


アキは頭を痛めるしかない。だがアキは経験を積んでいないわけではない。むしろ経験と言う意味ではこれ以上ないくらい仕込まれている。マザーの鬼畜ともいえる修行とイリュージョンによるイメージトレーニングによって。剣聖シバと蒼天四戦士を相手にするという無謀にも程がある無茶ぶりによって。それに慣れてしまっているのはルシアの身体が為せる技なのかアキの適性によるものなのかはともかくそういった意味ではアキに問題はない。だが実際に戦うとなると話は違ってくる。

本物の人間を前にして実際に痛みを感じながら命のやり取りをする。

ある意味で非日常の、ファンタジーの世界に足を踏み入れるなら避けては通れない問題。だがそれをずっとアキは後回しにしてきた。それはマザーが過保護なせいもあったがやはりそれ以上にアキ自身の問題。己の命を賭けて、己の手で戦うこと。それを忌避してきたため。心のどこかでまだこの世界が架空であるという意識がある証拠でもあった。


はあ……まあ悩んでてもしょうがない。今はとにかく目の前のことに集中しなくては。じゃあさっそく列車に……っといかんいかん忘れてた。一応マザーの奴も連れてってやるか。エリーにも言われたし、この辺でご機嫌をとっとくのも悪くない。キングの一件から不機嫌になって放置しっぱなしだったし。


アキはそのまま自らに手にワープロードを持ちその力を振るう。瞬間、見えない力と共にアキの先程まで何もなかったはずの手に突然マザーが現れる。それが瞬間移動のDBであるワープロードの能力。物体や任意の相手ならば呼び出すこともできるまさに反則に近い力。いわばどこぞの四次元ポケットのごとく運用できるDBでもあった。


流石はワープロード。汎用性が半端ない。イリュージョンとこいつはマジで地味だが使い方によっては反則並みのチートだな。もっともそれ以上のチートがDBには溢れてるあたり洒落にならんのだが……まあそれはともかく。

おい、マザーこれからちょっとでかけるけどお前も行くか? は? いきなり呼び出すな? こっちも色々と心の準備がいる? なにふざけたことぬかしてんだっ!? お前DBの頂点に君臨するシンクレアだろうがっ!? 情けないセリフ吐いてんじゃねえよっ!? え? 俺に言われたくない? や、やかましいわ!? それとこれとは関係ないだろっ! お前の方こそマスターの言うこともっと素直に聞いたらどうなんだ!? そんな気色の悪い声出しやがって似合ってねえんだよ! あ、痛てててっ!? だから頭痛を起こすのやめろって!? それやられるとマジでしゃれにならんのだっつーの! え? 汚染してるんだから当然だって……? お、お前そんなこといつもやってたのか!? じゃあ頭が痛くなってたのってそのせいかよっ!? 言ってなかったかって? んなもん聞いたこともねえわ!? どういうことだ説明しろやこらああああっ!? 


脳内でマザーと言い争いをしながらもアキは列車に乗り込み目的地であるパンクストリートに向かって行く。これからの準備のために。アキとしてはそれ以上の意味はない一種の観光気分のもの。だがそれは一瞬で終わりを告げることになる。


初めての実戦。それが目の前にまで迫っていることなどアキはまだ知る由もなかった――――




アキが乗り込んだ列車の遥か後方。その天井に潜んでいる怪しい三つの人影があった。全身黒いタイツのようなものを身に纏ったヘンタイとしか思えないような異常な格好。しかもその全てがオッサンだった。街を歩いていればいかにRAVEの世界とはいえ捕まってしまうこと間違いなしの三人組。


「よし。どうやら上手く乗り込めたみたいだな」
「バッチリでござんす」
「でもアニキ、何でオレたちこんなところに隠れてるんスか? 盗みをするのはパンクストリートのはずじゃあ……」
「甘いぞ、子分B! ワルたるもの無賃乗車など当たり前だ! 分かったら列車を降りた後、腕立て伏せ十九回だ!」
「な、なんでそんなに中途半端何でござんすか?」


三人の中のリーダーと思われる男のよくわからない言葉に困惑しながらも子分の二人は従うしかない。どっからどうみてもお笑い芸人としか思えないような有様の三人組だがそれでも彼らは本物の犯罪者。強盗団。もっともまともに盗みを成功させたことのない間抜けな集団ではあったのだが。


「とにかく、今回の仕事を成功させればオレ達は真のワルになれる。もはやあのDCですらオレ達に恐れをなすだろう……」
「ほ、ほんとでござんすか!?」
「当たり前だ。今回の獲物は一億Eエーデルを超える代物だ!」
「い、一億ッスか!? さ、流石兄貴……ワルのスケールのでかさが半端ないっス!」
「い、一体それはどんな代物なんでござんすか!?」
「フフフ……何でも『氷漬けの美女』と呼ばれるものらしい。オレたちが盗むのに相応しい逸品だ! いくぞ子分ども! 今こそオレたち大強盗ケツプリ団の名を知らしめる時だ!」


ケツプリ団のリーダーはノリノリで子分達と共に高笑いをあげつづける。もうすでに頭の中は盗みが成功したと思い込んでいるばかりの馬鹿騒ぎ。故に彼らは気づかなかった。いや、もし冷静であったとしても気付けなかっただろう。

自分達が手を出そうとしている物が文字通り世界に絶望を振りまく存在であることに。


今、ダークブリングマスターの絶望が始まろうとしていた―――――



[33455] 第十三話 「ダークブリングマスターの絶望」中編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/09/01 10:48
「まいどあり!」

お店の店主の大きな声を受けた後アキは両手に袋を提げながら店内を後にする。その袋の中には食料や水が詰まっている。アキはそのままいつものローブ姿で賑やかな大通りを人混みにまぎれながら進んでいく。だがその人混みはとても平日だとは思えないような規模だった。それがパンクストリートが世界一の武器市と呼ばれる所以。流石にそんな人の波の中を長時間歩くのにはくたびれたのかアキはそのまま大通りから外れ路地裏に入り、目についたベンチへと腰を下ろす。同時に大きな溜息が洩れる。だがそれは何とか問題なく目的を果たすことができた安堵のため息だった。


ふう……まあとりあえずこんだけ買い込んでおけば問題ないだろ……あ、どうもアキです。ダークブリングマスターです。何とかやることやって肩の荷が下りた気分になっています。俺がここ、パンクストリートに来たのは新たなアジトを作るため。今その手続きも済ませてきたところだ。手続きと言っても空いているアパートの一室を借りただけなので大したことではないのだがどうしても慣れない作業だ。ある意味交渉みたいなもんだし。普通なら十六歳の子供に、しかも素性もしれないローブを被った怪しい奴に部屋を貸してくれるなんてあり得ないのだがここはRAVEの世界。世界を旅しているような奴が珍しくもない。それほど厳正な身分証明が求められることもないし……まあ俺の場合は一括で家賃を一年分払うという方法をとってるおかげでもあるのだが。あるものは使わないとな……もっともまともなお金ではないのだがそれはそれ。何はともあれ当初の目的は達成できた。今、俺は両手に買い込んだ食料や何かをぶら下げている。言うまでもなく新しいアジト用の。いつもならエリーを含めて二人分の食料が必要なのだが今回はその必要はない。ここを利用する時には既にエリーはいなくなってるわけだし。ちょっと少ない気もするが何とかなるだろ。そんなに長い間滞在する予定じゃないし、いざとなったらワープロードで別のアジトに飛ぶこともできるしな。まさにワープロードさまさまだ。

いつも悪いなワープロード。そうか。そう言ってもらえると助かるわ。ん? いやそんなことないって。お前達には世話になりっぱなしだな。これからまたちょっと忙しくなるけどよろしく頼むわ。


アキは自らが持つDBたちに向かって話しかける。まるで旧知の間柄の相手をするかの如く。だがそれは間違いではない。

『ワープロード』 『イリュージョン』 『デカログス』 『ハイド』

アキが持つ四つのDB。ハイドはごく最近できたDBだがそれ以外は既に軽く十年以上の付き合いとなっている。DBマスターとしての力もあるがDBたちもまたアキ個人に対して忠誠を誓っている。そこにはまさに主従を超えた信頼関係があった。


うむ。みんな俺にはもったいないくらいのDBたちだ。最初の頃はDBを使うことに抵抗があったのだが最近はそんなことも全くない。慣れってのは恐ろしいな……まあそんなことで躓いてるようじゃここまでやってこれなかったってのも大きいが。しっかしDBたちと意志疎通ができるというのは色々な意味で助かるわ。主に精神的な意味で。もし出来なかったら寂しくて死んでたかもしれん。割と本気で。マザーと二人っきりとか何の罰ゲームだっつーの……


アキはげんなりとしながらも自らの首にかかっているマザーに目を向ける。だが他のDBたちが会話をしているのにマザーは一言も発しないまま。だがそれはここに、パンクストリートにやってきてからだった。その理由が分からずアキは首を傾げるしかない。


一体どうしたんだこいつ……? いきなり黙りこんじまって。列車の中ではあんなに騒いでたのがウソみたいに大人しくなっちまってるな。別に機嫌を損ねるようなことした覚えもないのだが。まああまりにもうるさかったので一度アジトに送り返したりはしたっけ。日常茶飯事だけど。っていうかなんか最近変に俺のこと意識しているような気がするな、こいつ。列車の中でもどもりながら最近調子はどうかとか聞いてくるし。久しぶりに会話を試みようとする親みたいな感じだった。まあいつもつるんでいたエリーが珍しくいないせいで自分のペースを見失っていたのかもしれん。そういえば会った時から一番変化があったのがマザーかもな……最初は機械的な感じだったのが人間的になってきてるし。それが良いことなのかどうかは判断できないところではあるのだが……


おい、マザー! いつまで黙りこんでんだ? いい加減に何かしゃべれよ気持ち悪いだろうが!


………だんまりですか。そうですか。こいつ、マジで一度かましてやらんといかんかもしれん。最近調子に乗ってるしな。っていうかマジで何なんだ? あれか。また出産前の兆候ですか? もうあのときみたいなことは御免だぞ。こいつが何か企んでて一番迷惑すんのは俺なんだし。


アキは嫌な予感に駆られながらも改めて考える。それはマザーのこと。母なる闇の使者マザーダークブリングと呼ばれる存在について。

今アキが持っているのは五つあるシンクレアの中の一つ。元々は一つであったシンクレアが初代レイヴマスターであるシバ・ローゼスとレイヴによって追い詰められてしまったため別れてしまったもの。

『ヴァンパイア』 『ラストフィジックス』 『アナスタシス』

それがアキが持つマザー以外のシンクレア。四天魔王アスラが持っていたとされるものは名称も能力も不明だが間違いなく桁外れの力を持っているDBたち。まさにDBの母に相応しい存在。だがそれだけではない。シンクレアはもちろんだがそれ以上にその持ち主たちも桁外れの怪物揃い。

『ドリュー』 『オウガ』 『ハードナー』 『アスラ』

一人ひとりがDC最高司令官キングに匹敵、もしくは凌駕する実力の持ち主。シンクレアはシンクレアが認めた者しか持てないという事実を形に表したかのような人選だった。


うん、あれだな。やっぱこの中に俺が混じってるのは何かの間違いだと思いたい。いや確かにルシアの身体だけども場違いにも程がある。しかもマザーを持っている限り戦闘は避けられない。今はDCが健在のため皆表だった動きは見せていないがそれが無くなれば争奪戦が始まるはず……い、いやだああああっ!? やっぱどうにもならんのかっ!? 今まで現実逃避してきたけど考えれば考えるほど無理ゲーだろっ!? 今まで第一部を乗り切ることばっか考えてたけどむしろ第二部の方がヤバイんじゃねえっ!? シンクレア集めなんてしたくもないしそんなことしてたら命がいくつあっても足りないっつーの!? 何とか誤魔化して……は無理か……ちくしょう……


アキは頭を抱えるしかない。アキとしてはシンクレアを集める気など毛頭ない。危険しかないだけでなく集めれば集めるほど究極のDB、次元崩壊のDB『エンドレス』に近づいて行ってしまう。その前に別れてしまった状態のシンクレアを破壊した方が効率が良いに決まっている。だがアキは動かざるを得ない。相手が自分を狙ってくるのもあるがマザーがそれを許さないであろうことが一番の理由だった。

アキはこれまで散々マザーを馬鹿にしてきているが決して侮っているわけではなかった。これまでの付き合いでいくらか親密になり、コミュニケーションもとれるようになったがどうしても越えられない絶対の壁がある。それがDB本来の意志とでも言うべきもの。並行世界と呼ばれるこの世界を破壊せんとする意志。それをマザーはもちろん他のDBたちも持っている。マザーに関して言えばシンクレアを集めること。そして生み出したDBを世界にばらまき混乱させること。これらの意志はアキが何を言っても聞き入れてもらえずどうしようもなかった。拒否すれば頭痛と言う名の洗脳、汚染が待っている。いくらそれに耐性があるであろうアキでも本気のマザーには敵わない。できることと言えばせいぜい少しでもそれを遅らせる、規模を小さくすることぐらいだった。

結局今のアキにできることはハルが全てのレイヴを手に入れ、エリーが魔導精霊力エーテリオンの完全制御が可能になるまでただひたすらに待ち続けることだけ。加えてハル達の成長を促すというおまけ付き。要するに当初の計画通りに動くしか選択肢はなかったのだった。そんな事実を再確認しうなだれている中、不意に妙な感覚がアキに襲いかかってきた。


「……? 何だ……?」


大きな鼓動。それが自分の近くから起こっていることにアキは気づく。それは首に掛けているマザー。マザーから大きな鼓動の様な物が響いてくる。まるで何かに共鳴しているかのように。


「っ!? おい、どうかしたのか、マザーっ!?」


慌てながらアキがマザーに向かって話しかけるもマザーは何も反応を返さない。何とか事態を把握しようとアキがマザーに手を伸ばすもその瞬間、アキは思わず手をひっこめてしまう。それは熱。マザーから火傷するような熱が発せられている。かつて六星DBを生み出した時のよう。いやそれを遥かに上回るような熱をマザーは発していた。


な、何だっ!? 一体何が起こってるんだっ!? また体調が悪くなったのかっ!? でも今回は何か前回とは様子が違うぞ!? イリュージョン達も理由が分からず焦ってるし……何かマザーに影響を与えるようなものが近くにでもあるかの……ような……


アキはふと顔を上げる。まるで何かに導かれるかのように。不思議と心は穏やかだった。いや、もしかしたら何かがマヒしてしまっていたのかもしれない。

アキはそのまままるで何かに呼ばれるかのようにその場所に近づいて行く。近づくにつれマザーの熱が、鼓動が激しさを増していく。同時に向かう先からも同じような感覚がある。まるで互いに惹かれあっているかのよう。

そしてついにアキはその場所に辿り着く。路地裏の隅。そこに大きな荷台のようなものがあった。布の様な物が上にかぶせられている。まるで何かを隠すかのように。それが何かとてつもなくヤバいものであることをアキは感じ取っていた。だがその心とは裏腹にその手が布に向かって伸びて行く。


あれ……? 何で俺、こんなことしてんの? っていうかどうなってんの? 身体が言うこと聞かないような……なんか意識がマザーの奴に引っ張られてるっぽい……っておいっ!? マザーてめえ一体何を……!?


ようやく正気に戻ったアキがいつの間にか熱も収まりいつもの様子に戻っているマザーに向かって声を荒げた瞬間、それは現れた。


「………え?」


それは一つの芸術だった。美という言葉が形になったかのようなものがそこにはある。布によって隠されていたそれがあらわになっている。


絶世の美女。そう表現するほかない女性がそこにはいた。だがそれは普通ではない。何故ならその美女は氷漬けになってしまっていたのだから。まるで自らの意志でそうなっているのではないかと思えるほどその光景には違和感がなかった。何も身に着けていないため美女の裸体は隠されることなく晒されてしまっている。だがそれがこれ以上ないほど氷と共に美女を引き立てていた。間違いなく見た者全てを魅了するに相応しい光景だった。


だがその光景を前にしてアキはただその場に立ち尽くすことしかできなかった。その目がこれ以上ないほどに見開かれ目の前の光景に奪われている。だがそれは美女の美しさに心を奪われたからではない。むしろそれとは真逆の感情。まるでこの世の終わりを目の前にしたかのような感情がアキを支配する。息が止まり、汗が滲み、身体が震える。


それが『絶望』だと気づくまでに数秒もかからなかった――――-




「よし! ここまでくればしばらくは大丈夫だ!」
「やったでござんすね、アニキ! 上手く警備の連中も捲けたみたいでござんす!」


だばだばと騒がしさと共に怪しさ満点の三人組が路地裏へと現れる。全員が黒い全身タイツを身に纏い、その大きなケツを振りながら走っている光景は見た者にトラウマを植え付けかねない程のインパクトがある。彼らの名はケツプリ団。ふざけた名前とは裏腹に強盗団という犯罪者集団だった。

彼らが慌てているのは今まさに盗みを行って来たばかりなため。リーダーの得た情報によりパンクストリートを通過する氷漬けの美女と呼ばれる美術品を盗むことが彼らの目的だった。そしてそれは今成功し、一時的に路地裏に隠していた品を回収に向かっている所。だがケツプリ団は今、かつてないほどの緊張感に包まれていた。何故なら彼らはまだ一度もまともに盗みを成功させたことがなかったから。いつも何かしらのトラブルかミスによって捕まってしまうのが彼らの日常でありお約束。だが今回はまだそうなってはいなかった。それは今子分Aによって背負われながら気を失っている子分Bのおかげだった。


「これも子分Bの尊い犠牲があってこそだ……まだ起きそうにはねえのか?」
「だめでやんすね。完全に気を失ったままでござんす」
「そうか。やはりガスケツトリプルエクスタシーは掟で禁止にするべきだったかもしれん……」


神妙な顔で犠牲になった子分Bを見ながらリーダーは考える。やはりあの技、ガスケツエクスタシーは禁止にするべきだったのだと。自らの体内からガスを発生させ、相手を行動不能にする技。それこそがケツプリ団が生み出した技。だがあまりにも危険があるため使用を控えていたのだが一億Eを超える盗みということでそれを使ったのだが子分Bがそれによって自滅してしまったのだった。まさに自らの身を滅ぼしかねない禁じ手。だが幸運にもリーダーと子分Aは難を逃れ盗みを成功させることができたのだった。

なにはともあれあとは隠しておいた荷台で氷漬けの美女を運ぶだけ。初めての盗みの成功と一億Eという大金を想像し興奮しながら路地裏に辿り着くもリーダーと子分Aは動きを止めてしまう。何故ならそこには隠していたはずの氷漬けの美女とそれを眺めているローブを被った人物の姿があったから。


『リ、リーダー! 早くあれ何とかしないとまずいでござんすよ! 盗みがバレしまうでござんす!』
『何を言ってやがる子分A! そんなことよりも早く布をかぶせてこい! あのままじゃあ氷漬けの美女がかわいそうじゃねえか!』
『ええっ!? そっちを気にしてるんでござんすかっ!? あれ、美術品でござんすよ!?』
『関係ねえ! 俺達はワルだが決して女性を傷つけちゃいけねえんだ! 分かったら行くぞ!』
『さ、流石アニキ……心が深いでござんす!』


変なところで紳士的なリーダーと共に子分Aも急いで氷漬けの美女とローブの人物へと近づいて行く。見られてしまったのはまずいがすぐにそれが盗品であることは分からないはず。何とか誤魔化してこの場から運び出すためリーダーが意を決してローブの人物に話しかけようとした瞬間、

凄まじい風が辺りに吹き荒れた。まるで何かが飛び去ってしまったかのような衝撃だった。そしてそれが収まった先には先程までいたローブの人物の姿はなかった。まるで最初からいなかったかのように。


「な、何だ!? 何が起こったんだ!?」
「わ、分からないでござんす……でもローブの人がいなくなっちまったでござんすよ?」
「そうか……オレ達に恐れをなして逃げ去ったのだろう。オレ達ケツプリ団も真のワルの仲間入りを果たしたということだ」
「そ、そうなんでござんすか? さっきの奴、全然ウチら見てなかったような……」
「そんなことよりもさっさと運び出すぞ! 警備の奴らがいつ来るか分からんからな!」
「りょ、了解でござんす! 子分B、さっさと起きるでござんす! これ以上は面倒見切れないでござんすよ!」


理解できない事態に直面しつつも持ち前のポジティブシンキングでテンションを上げながらケツプリ団は荷台を運び出さんとする。もう自分達を妨げるものはない。そう安堵した瞬間


「夢……」


そんな声が辺りに響き渡った。


「夢? 何訳の分からんこと言っとるんだ? 無駄口を叩いてないでさっさと運び出すぞ!」
「え? ウチはなにも言ってないでござんすよ? アニキが言ったんじゃないんでござんすか?」


二人は互いに顔を見合わせる。同時にきょろきょろとあたりを見渡すものの人影はなし。自分たち以外には誰もいない。子分Bもまだ気を失ったまま。


「私は夢を見ない……」


だがそれは間違いなく起こっていた。女性の声が聞こえてくる。それも恐らくは自分達の背後から。ケツプリ団はその事実に気づき動きを止めてしまう。まるで氷漬けになってしまったかのように。それでも首だけを動かしながら彼らは見た。


氷漬けの美女。決して目覚めることないはずの彼女が目を覚ましていることに。


「夢なんて必ず醒めてしまうから……」


瞬間、この世の物とは思えないような冷気が全てを飲みこんでいく。人を、街を、空気さえも凍てつかせていく。パンクストリートは決して逃れることのない絶望に包まれていく。彼らは気づくのが遅すぎた。自分達が美術品だと思い込んでいた物が何であったのか。


同時に彼女を覆っていた氷が解かれる。二万年の永きに渡り溶けることのなかった呪縛が。すぐ傍には白い彫像になってしまった三人の男。だがそれには目もくれず彼女はある方向に目を向ける。その先にある何かを見据えるかのように――――




パンクストリートの大通りを駆け抜けている一つの人影がある。それはアキ。だが既にローブはどこかに行ってしまったのか姿を晒したまま。しかしアキはそんなことなど全く気にしていなかった。そんなことを気にする余裕も何もあったものではなかった。あるのはただ一つ。一刻も早くこの場を離れることだけだった。

だが大通りの人々は誰ひとりアキの姿を捉えることができない。何故なら今アキは目にも止まらない速度で疾走していたから。音速の剣シルファリオン。その力によってアキはまさに風となりながら走り続けている。今なら本当に音速を出せるのではないかと思えるような気迫と覚悟によってアキは疾走もとい逃走していた。


どどどどどういうことっ!? えっ!? あれってあれだよねっ!? あの、そのなんというかあれだよねっ!? な、なんでこんなとこにあるのっ!? あのお方の出番ってまだ三十巻以上先なんじゃ……じゃなくてっ!? と、ととととにかく走るっきゃない! 後のことなんて知ったこっちゃない! DCだろうがジークだろうがどうだっていい! あれに比べたら月とすっぽんぐらいの差がある! 師匠すいませんとにかく力貸して下さい! とにかくこの場から離れたいんです!  


「ぬおおおおおおおっ!?!?」


何かにつまずいてしまったアキはそのまま顔面スライディングをかましながら地面に転がり続ける。音速の剣シルファリオンによる加速のせいで急に止まることができなかっためそのまま数十メートルに渡って転げまわるもののアキは気にすることなく立ち上がる。既に身体はボロボロになってしまっているのだが今の状況を前にすれば些細なこと。それほどの絶望がそこまで迫っていることをアキは本能で直感で感じ取っていた。


そう、今自分が間違いなくこの世界に来てから最大最悪の危機に陥りつつあるのだと。


あれってあれだよね? 間違いなく四天の人だったよね!? あれだよね? 六祈将軍オラシオンセイスを二秒で消せてドリューを小僧扱いできるライオンさんと同格の人だよね!? い、いや氷漬けになってたから大丈夫……じゃねえええっ!? 落ち着け俺っ!? 明らかにおかしかった! なんか鼓動みたいな音がしてたんですけど!? もうこれは間違いなくそういうことに違いない! え? 師匠っ? 構えろって? 一体何の話……


アキがデカログスの言葉に半ば条件反射的に構えた瞬間、この世のものとは思えないような圧倒的な魔力が、冷気が襲いかかってくる。それは自分だけを狙ったものではない無差別なもの。パンクストリートという街全てを凍らせてしまえるほどの強力すぎる呪術。触れればどんな相手でも一瞬で氷漬けにしてしまえるほどの力だった。


「ハアッ……ハアッ……!」


アキは肩で息をしながらも何とか心を落ち着かせながら辺りを見渡す。アキの体は全く凍りついていない。それはデカログスの力。十剣の内の一つ、封印の剣ルーン・セイブによってアキは己の身を守ったのだった。もっともデカログスが咄嗟に判断しその形態をとってくれなければ先の呪術でアキは氷漬けになってしまっていただろう。辺りにいる人間たちのように。

そこには一面白銀の世界が広がっていた。全てが凍てついてしまった世界。人間も建物も全て凍りついてしまっている。動いているのはアキ、そしてこれを引き起こした存在だけだった。


あ、危ねえええっ!? ま、まじで死ぬところだった!? い、いや凍らされただけで死ぬわけではないがそれでもマジでヤバかった! 師匠がいなけりゃやられてたとこだ! でもこれで間違いない……間違いなく目覚めてらっしゃいます! な、何で!? こんなところで登場していいお方じゃないはずなんですけど!? レベル1でラストダンジョンに挑むくらいむちゃくちゃな状況なんですけど!? と、とにかく脱出せねばっ! 


震える手を何とか抑えながらアキは自らのDB、ワープロードへと手を伸ばす。その力によってこの場から脱出するために。初めからそうすればよかったのだがアキはそれに気づくことができない程混乱してしまっていたのだった。そしてアキはその力によってヒップホップタウンへと瞬間移動する。というかここ以外の場所であればどこでもよかった。DC本部へ飛ばされても構わないと本気で思うほど今の状況は絶望的だった。だがそれもここで終わり。アキが九死に一生を得たことで安堵する。


ふう……マジで詰んだかと思った……これまでの死亡フラグが子供に思えるような事態だった。だがこれで何とかなっ……た……?


アキはそのまま口を開けたまま立ち尽くすことしかできない。何故なら目を開けたそこには先程までと変わらない白銀の世界が広がっていたのだから。そしてアキは気づく。自分が瞬間移動できていないというあり得ない事態に。


は? 一体何がどうなってんの? な、何でまだ俺ここにいるの!? た、確かにワープロードの力を使ったはずなのに……え? 何? 街全体に結界の様な物が張られてて瞬間移動ができない? そっか、街を凍らせるだけじゃなくてそんな力まであるとは流石……じゃねええええっ!? 何なのそれ!? 反則にも程があんだろうが!? ってことは何? 俺ここから逃げられないの!? い、いや落ち着け俺! まだあきらめるのは早い! そ、そうだ! とにかく凍っていない場所まで行けばいいだけだ! そうすればワープロードの力も使えるはず!


何とか平常心を保ちながらアキは再び音速の剣シルファリオンによって走り出す。この街の最端まで。ただひたすらに。ただ死にたくないという一心で。そしてすぐにそれは見えてきた。それはこの白銀の世界と普通の世界の境目。あれを超えれば逃げることができる。アキが最後の希望を胸にそれを越えようとした瞬間


「へぶっ!?」


見えない壁の様な物に阻まれてしまった。物理的に。しかも全速力で突っ込んでしまったために鼻血を出してしまう始末。もっともそれだけで済んだのは幸運だったのかもしれない。だがアキは鼻を拭いながらもすぐに気づく。


「な、なんじゃこりゃあああっ!?」


それが氷によって造られた見えない壁なのだと。しかもそれが街中を覆ってしまっている。恐らくは上空まで。ドーム状に氷の壁で街が覆われてしまっていることをアキは悟り絶望する。その桁外れの力に。そしてその力が間違いなく自分を逃がすまいとしていることに。


あ、あの……どうなってんのこれ? 明らかにおかしいだろ? どう見てもこれって俺を逃がさないようにしてるよね? も、もしかして凍っていない人間がいることに気づいてるとか? こんなデタラメばっか見せられたらそう思わざるを得ない。と、とにかくこの壁を何とかしねえと! っていうか厚さが半端ないぞこれ!? っていうか透明でどこまで厚いかが分からんレベルじゃねえっ!? 重力の剣グラビティ・コアでも無理かもしれん……そ、そうだ! こんな時こそマザーの出番だっつーの! 空間消滅デイストーションならどんなにこの氷の壁が固かろうが厚かろうが関係なし! やっとこいつが役に立つ時が来たか! 

おいマザー! 聞いてんのか!? さっさとやるぞ! は? もう遅い? 何訳分からんこと言って


「見つけたわ……」


瞬間、世界が止まった。


いや止まっているのはアキだけ。その体がまるで金縛りにあってしまったかのように動かない。だが何か攻撃を受けたわけではない。それはただの気配。自分に近づきつつある気配によるもの。


氷が罅割れるような音が段々と近づいてくる。一歩一歩確実に。


それは足音。この白銀の世界の主の。聞く者に絶望を与える音。


同時にその姿が現れる。吹雪のような、ブリザードのような風を纏いながら彼女は現れた。


魔界を収める四人の魔王、四天魔王の一人 


『絶望のジェロ』



今、アキの胸中はあるのはたった一つ。


『大魔王からは逃げられない』


そんなどこかで聞いたことのある言葉だけ。


アキにとっての初めての、そして最後になるかもしれない実戦が始まろうとしていた――――-



[33455] 第十四話 「ダークブリングマスターの絶望」後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/09/04 20:02
アキはただその姿に目を奪われていた。まるでこの世の物とは思えないような美しさ。まさしく絶世の美女がそこにはいた。だがアキがその場に立ち尽くしてしまっているのはその美しさに見惚れていたからではない。それは圧倒的存在感と力。女は何もしていない。ただその場に立っているだけ。にも関わらずその前に立っているだけで膝を着いてしまうような重圧が襲いかかってくる。蛇に睨まれた蛙どころではない。かつてアキが出会ったことのある中で最強の存在であるDC最高司令官キング。それすらも霞んでしまうほどの力。

それが四天魔王『絶望のジェロ』だった。


な……何なんだこれ……? 体が勝手に震えるんですけど……? 今にも倒れちゃいそうな感覚が襲いかかって来るんだけど……何の冗談? だって相手は何もしてないんですよ? ただ目の前に立ってこっちを見てるだけ。そう、それだけ。なのにまるで金縛りに会っちまったかのように身動き一つ取れないですけど? 今なら最終決戦時のジュリアの気持ちが分かる。

『ジェロ……様……』

もうこの言葉に全てが込められている。魔界人ではない俺ですら思わず様付けをせざるを得ない程の力が、カリスマがジェロにはある……じゃなくてっ!? お、落ち着け俺っ!? 何走馬灯のように現状を把握しようとしてんだっ!? まだ死んでねえっつーのっ!? いや死ぬ一歩手前のような気もするがともかく現実逃避はまだ早い! と、とにかくこの状況を打破する方法を探すんだっ! もうどうやっても逃げることができないのはさっき身を以て味わった。というか目の前に来られてしまった時点でアウト。ならば残る手段は二つ。戦いか話し合い。その二択。そして自分がどちらを選ぶべきかなど考えるまでもない。話し合いだ! 平和的手段で解決できればそれに越したことはない! もっとも話し合いと言うよりは命乞いと言い変えた方がいいかもしれん。チキンだの何だの言われようが知ったことじゃない! 六祈将軍オラシオンセイスならともかく四天魔王相手に戦って勝てると思うほど俺は馬鹿じゃねえっつーの!? と、ともかく話しかけてみなくては。そ、そうだな……まずは何で俺を追って来たのかだな……う、うん……もしかしたら別に俺を狙って来たわけでもないのかもしれんし……


「な、何だ……俺に何の用だ……?」


アキは内心の恐怖を何とか抑えながらジェロに向かって話しかける。だが声が震えるのを隠しきれてはいなかった。もっともジェロに向かって話しかけることができただけでも精神的には一般人のアキにとっては精一杯。むしろ良くやったと言えるレベル。だがそんなアキの内心も様子も知る術のないジェロは一瞬な怪訝なそうな表情を見せた後それに応える。それは


「何を言っている。お前が私を目覚めさせたのだろう……」


アキにとってとても理解できないような、最悪の答えだった。


え……? 何だって? 耳が遠くなったのかな? なんか理解できないような答えが返ってきたんですけど……? 俺が目覚めさせた? ジェロを? いやいや何で俺がそんなことするわけっ!? というかそんなことするわけないだろ!? 何が楽しくて原作終盤の、最強クラスの危険人物を俺が目覚めさせなきゃならんのだっ!? そもそもそんな方法知らねえっつーの!? 確かあの時はただマザーの様子がおかしかっただけ……で……?


そこでようやくアキは思い出す。ジェロが目覚める直前の出来事を。あの時何が起こっていたのか。アキはそのままゆっくりと視線を自らの胸元に向ける。そこにはどこか白々しい態度をとっているマザーの姿があった。まるで悪戯がバレてしまったかのような。アキは悟る。そう、この状況が間違いなく自分の胸にかかっているマザーによって引き起こされたものなのだと。


て、てめえの仕業かマザ――――っ!?!? どういうつもりだてめえっ!? 何であんな化け物を目覚めさせてんだよっ!? 俺を殺す気かっ!? は? 俺がなかなか実戦をしないからこっちが用意してやった? 存分にやれ? ふざけんなああああっ!? なんでいきなり初戦が最終決戦レベルなんだよ!? 色々すっ飛ばしすぎだろがあああっ!? まだ六祈将軍オラシオンセイスすら倒せないレベルの俺があんな奴に勝てるわけないだろうが!? え? 六祈将軍オラシオンセイスなんて俺の敵じゃない? 何言ってんだお前? い、いや確かに蒼天四戦士には勝てるようになったけどお前、あの幻は本物よりも弱いって言ってたじゃねえか!? え……? 嘘……? お、お前そうならそうともっと早く言えやこらあああああっ!? じゃあ何か!? 俺は今まで自分よりも弱い相手にずっとビビりまくってたってわけか!? 何の嫌がらせだ!? 何? 本当のこと言うと俺が調子に乗りそうだったから? お、お前……確かにその通りだがもっと他にやり様が


「話は済んだかしら?」


アキとマザーのやり取りがまるで聞こえているかのようなタイミングでジェロが一歩アキに向かって歩みを進める。だがそれだけで十分だった。アキはその瞬間悟る。もはや話し合いなど通用しないのだと。ジェロから放たれている力と空気。それが全てを表している。既にマザーはもちろん他のDBたちも戦闘態勢に入っていた。


「力を示しなさい……母なる闇の使者マザーダークブリングを持つ者。器足りうるかどうか試してあげるわ」


さらに一歩。氷が割れるかのような音を響かせながら絶望が近づいてくる。それを前にして知らずアキは自らが持つ剣、デカログスを構える。もはや条件反射に近い動きだった。


あれ……? なんかもう俺以外はやる気満々ですか。そうですか。ははっ……もう笑いしか出てこないんですけど? だって俺、これが初戦ですよ? その相手が四天魔王とか何の冗談!? 無理ゲーってレベルじゃねえだろっ!? だれか修正パッチ持ってこい!? ゲームバランスが明らかにおかしいっつーのっ!? 例え六祈将軍オラシオンセイスより俺が強くても何の意味もない程の強さなんですけど!? でももうどうしようもない……ちくしょう……ああ、やってやるよ! やってやるよこんちくしょう! もうこうなったらどうにでもなれだ! いくぞお前ら! ダークブリングマスターの力みせてやんよ!


アキは半ばやけくそになりながらも覚悟を決める。命を賭けて戦う覚悟を。自分よりも遥かに強いであろう相手を前にしながら。既に退路はなし。もはや戦う以外に選択肢はない。何よりもアキは気づいてしまった。もしこの場から逃げることができても何の意味もないことに。パンクストリート全てが氷漬けにされてしまった。それはつまり鍛冶屋ブラックスミスムジカも氷漬けにされてしまったということ。もしかしたら銀術師シルバークレイマーの方のムジカも巻き込まれているかもしれない。どっちにしろこのままでは詰み、ゲームオーバー。ならば何としても目の前の相手、ジェロを倒し呪術を解くしかない。例えそれが絶望的な戦いだとしても。


「早くなさい。殺すわよ」


まるで人形のように生気のない姿を見せながらもジェロが宣告する。逆らうことを許さない絶対的強者のみが持つ言葉。


その瞬間、ダークブリングマスターアキの初めての戦い、自らと世界の命運を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた――――



先に動いたのはジェロだった。アキが戦う意志を見せた瞬間、ジェロは自らの手を口の前にかざしながらまるで息を吹きかけるような動きを見せる。だがそれは唯の息ではない。その息はまるで吹雪のような激しさと共にアキへと襲いかかって行く。既にパンクストリートは氷の世界へと変えられてしまっているにもかかわらずさらにそれを凍らせかねない程の力。氷の息吹とでも言うべき呪術、魔法。それが絶望のジェロの力の一端だった。例え魔導士であったとしても防ぐことができないほど圧倒的な力。だがそれを前にしながらもアキはすぐさま自らの持つ剣、デカログスを構える。


「はあっ!」


掛け声と共にそれを振り切った。瞬間、氷の息吹がまるで見えない力によって切り裂かれたかのように力を失い霧散していく。アキはそれを確認しながらも一端ジェロから大きく距離を取る。それはジェロの攻撃を自分が防ぐことができるかを確認したかったから。

封印の剣ルーン・セイブ

十剣の中の一つ。あらゆる魔法を切り裂く魔法剣。原作では最強の闇魔法ですらかき消した力。その力は四天魔王のジェロにも通用するものだった。


(よし……! ジェロの攻撃は思った通り封印の剣ルーン・セイブで防げる……!)


アキはわずかな希望が見えてきたことに喜びを隠しきれない。ジェロの魔法を防ぐことができるか否か。それが大きな問題点だった。ジェロは四天魔王の中でも遠距離、魔法戦を得意にしている描写が多かった。敵を氷漬けにする氷の息吹などがその例だ。だが相性によってはジェロは最悪の相手になりうる。原作ではベルニカという絶対回避魔法と呼ばれる回避魔法をもつ魔導士がいることでジュリアたちは勝利することができた。もし彼女がいなければジュリアはジェロに近づくこともできずに氷漬けにされてしまっていただろう。それはレットやムジカ達も例外ではない。だがアキには封印の剣ルーン・セイブという防御手段がある。加えて初めての実戦ということで上手く体が動いてくれるかどうかの心配があったがそれも問題ない。どうやら十年以上の修行の成果は体に染みついているらしい。あの地獄のような修行がやっと功を為したことに心の中で涙を流しながらもアキはすぐさま思考を切り替える。それはどうやってジェロに攻撃するか。アキが自分が可能な攻撃方法、手札を模索しようとした瞬間


「……そう。面白い剣を持ってるわね。ならこれはどうかしら」


静かに呟きながらにジェロはその手をアキに向かってかざす。自分の攻撃が防がれてしまったにも関わらずそこには全く驚きも動揺もない。まるで表情一つ変えることのない人形。その姿にアキは総毛立つ。気づいた時には既に後ろに飛んでいた。まさに直感とも言えるもの。その刹那、あり得ない光景がアキの目に飛び込んでくる。


「なっ!?」


それは氷柱だった。先程まで自分が立っていた地面から巨大な氷に柱が次々に生えてくる。アキは戦慄する。もしあのままあの場に残っていれば自分がどうなっていたか。間違いなく串刺し。即死だった。同時に自らが持つ剣、デカログスから油断するなという叱責が飛ぶもののアキは気が気ではなかった。


な、何だあれっ!? あんな攻撃があるなんて聞いてないんですけどっ!? どういうことっ!? ま、マジで死ぬところだったわっ!? と、とにかく体勢を立て直さない……と……?


アキが何とか着地しながら体勢を立て直そうとした瞬間、まるでそれを許さないとばかりに氷柱がまるで地面を這うかのように凄まじい速度で襲いかかってくる。しかも一つだけではない。四方八方からまるで取り囲むかのように氷柱が、氷の槍がアキを串刺しにせんと迫ってくる。悪夢のような光景だった。


「ち、ちくしょう……!」


それを紙一重のところで躱しながらもアキが襲いかかってくる氷柱を何とかしようとした瞬間、さらなる絶望が襲いかかってくる。それは氷の息吹。氷柱と共に氷の息吹までもが同時にアキへと迫ってくる。だが氷の息吹の速度は氷柱とは違い躱すことができない程のもの。アキはそれを封印の剣ルーン・セイブで防ぐしかない。だが封印の剣ルーン・セイブでは氷の息吹を防ぐことはできても氷柱を防ぐことはできない。封印の剣ルーン・セイブは実体があるもの斬ることはできないからだ。だがアキは他の剣に形態を変えることもできない。そんなことをすればその瞬間、氷漬けにされてしまう。かといってこのままでは氷柱に追い詰められ串刺しにされてしまう。魔法と物理の同時攻撃。一瞬でアキが持つ剣の力を看破したジェロの無慈悲な攻撃にアキは追い詰められるしかない。だがこのままではすぐに限界が訪れる。


は、反則にも程があんだろっ!? く、くそっ……こうなったら一か八か……!


混乱しながらもまるでもう一人の自分がいるかのように冷静に戦略を立てている自分にアキが気づいた瞬間


「終わりね」


つまらないと言いたげな言葉と共にその鋭利な氷の刃がアキの足を貫く。だがそれだけでは飽き足らないと言わんばかりに次から次へと新たな氷柱が地面からアキの体を貫いていく。まるで獲物を捉えたかのように。後には氷柱によって磔にされてしまったアキの姿が残されただけ。それが為す術なく敗れ去ってしまった哀れな敗者のなれの果てだった。

だがそれを前にしてもジェロは表情一つ変えることはない。例え格下の相手であったとしても戦闘し、そして勝利した瞬間のはず。だがジェロは身動きどころか瞬き一つ見せない。まるでまだ戦闘が終わっていないかのようにじっと磔にされてしまったアキの亡骸を見つめていた。そして一瞬の間の後


「くだらないわね」


どこか落胆したかのような声と共にジェロは凄まじい速度で振り返りながら自らの拳を放つ。だがそこには誰もいない。知らない人か見ればまるでジェロがまるで何もない空に拳を切ったかのように見えただろう。だがそこには確かにあった。


「がっ……!?」


凄まじい金属音と共にそれが姿を現す。まるで蜃気楼のように。そこにはデカログスを構えたアキの姿があった。だがその姿は五体満足。とても氷柱に貫かれたとは思えないような体。アキは驚愕の表情を見せながらも何とかデカログスによってジェロの拳を受け止める。だがその桁外れの力を受け流すことができずそのまま遥か後方の建物にまで吹き飛ばされてしまう。その衝撃と威力によって辺りは氷に残骸と煙によって包まれてしまう。ジェロはそんなアキの姿を見ながらもただ静かに歩きながら近づいて行く。まるで獲物を嬲るかのように。いや、今のアキはジェロにとっては獲物ですらない。道端に転がっている小石同然だった。


「ぐっ……! あっ……!」


アキは失いかけた意識を何とか繋ぎ止めながらも立ち上がる。だが少なくないダメージを受けてしまっていた。初めて実際に感じる痛みに苦悶の声を漏らしながらもアキはただ驚愕し、恐怖していた。悠然とこちらに向かって歩いてきている存在。四天魔王ジェロの桁外れの力に。


じょ、冗談だろ……!? ちゃんと防御したのにこの威力かよ!? まともに食らってたら一撃で終わりだったわっ!? 肉弾戦はそうでもないとか思ってたらこれですかっ!? っていうかどうなってんの!? イリュージョンを使った攻撃が初見で見破られるとか……というかアイツ俺のこと見てもないのに何で背後にいるってバレたんだよっ!?


アキは戦慄する。一つはジェロの拳。アキはジェロは遠距離戦を得意としている分肉弾戦は劣ると考えていた。実際原作ではジュリアも肉弾戦であればある程度ジェロと戦えていたからだ。だがそれは大きな間違い。アキは知らなかった。ジェロが絶望を与えるためにわざとジュリアに合わせて肉弾戦を行っていたのだと。

もう一つがイリュージョンによる幻が全く通用しなかったこと。先程アキは氷柱に串刺しにされる前に二つの力を使った。一つが自分の身代り、幻を置くこと。そしてもう一つが自分を風景と同化させてジェロの背後を取ること。確かに身代わりの幻については気づいてもおかしくはない。実際に攻撃の手ごたえがないのだから。それでも一瞬の隙すら生まれないとは思っていなかった。しかも背後にいる透明な自分を振りむくことなく気づき、拳を放ってくる。いくら戦闘ではハイドが使えず気配を消しきれないとはいえ信じられないような反応。


「どうしたの、もう終わりかしら……?」


全く慈悲も容赦も感じさせない冷徹な言葉と共に再びジェロが氷の息吹と氷柱を放ってくる。だが封印の剣ルーン・セイブもイリュージョンも目の前の相手には通用しない。そんな小細工が通用するレベルを、次元を遥かに超えたところに目の前の相手はいる。ならば余計なことを考える必要はない。今の自分が持つ最高の攻撃。それしかない。


「――――師匠っ!!」


叫びと共にアキはデカログスを自らの前にかざす。同時に自らの力をデカログスへと注ぎ込む。瞬間、それに呼応するように剣が新たな形態を形作っていく。それは


「真空の剣メル・フォース――――!!」


第六の剣『真空の剣メル・フォース』 その名の通り真空を巻き起こし突風によって相手を攻撃する力を持つ剣。アキの渾身の力を込めたそれは氷の息吹と氷柱を全て吹き飛ばしながらジェロへと襲いかかって行く。だが


「無駄なことを」


ジェロは身動き一つせずそれをその身に受ける。躱そうとする素振りすら見せない。何故ならジェロは自らの体に絶対の自信を持っているからこそ。ジェロは無敵と言ってもいい身体を持っている。外からのダメージでは決して倒すことはできない。何よりも魔王としてこの程度の攻撃など恐るるに足らないという自負の現れ。それを証明するかのように渾身の一撃を以てしてもジェロには傷一つ与えることはできない。真空の剣メル・フォースでは、いや今のデカログスの技ではジェロを倒すことはできない。しかしそれはアキとて知っていた。故にこの攻撃はジェロを倒すためでなく、ジェロの動きを一瞬でも止めるためのもの。真空の剣メル・フォースの特性の一つ。使った相手を一時的に動けなくする力。だがジェロの前ではそれは一瞬。だがその一瞬こそアキが欲しかった勝機だった。


「っ!」


瞬間、初めてジェロの表情に変化が生まれる。その目が見開かれる。その瞳の先には一つの力があった。それはまるで球体のような力の塊。それがアキの前に生成されている。ジェロは瞬時にそれが何であるかを悟る。


アキが持つ母なる闇の使者シンクレアであるマザーの力 『空間消滅デイストーション

触れたもの、空間すらを消し去る絶対の力。かつて世界を震撼させたシンクレアの力の一端。それが今、アキの手によって力を増し、解き放たれようとしていた。その力は十年前の比ではない。扱うアキですら恐怖を覚えてしまいかねない程の力。その証拠にアキは実際にはマザーの力を使ったことはほとんどなかった。使われた相手は絶対に命を落としてしまう程の禁忌の技。だがそれを今、アキは放たんとしている。

本当なら真空の剣メル・フォースからの連携技にデスペラードボムと呼ばれるものがある。キングが得意としていた技であり、アキもそれを習得している。だがアキはあえてマザーを選択した。デスペラードボムであってもジェロにはダメージは与えられないという予測、そして何よりもダークブリングマスターとして戦うことの誓いに似た想いがそこにはあった。


「マザ―――――!!」


咆哮と共に闇の光がマザーから放たれる。自らの主に応えんと、その力を振るえることへの喜びと共に極大の力が解き放たれる。氷の息吹も氷柱も関係なく全てを飲みこみ消していく。それは一瞬。だがジェロはその一瞬を動くことができない。真空の剣メル・フォースの力によって。凄まじい爆発音と共に光と音が消え去っていく。


残されたのはまるで隕石が落ちてしまったかのように切りとられてしまった大きなクレーターだけだった。


「ハアッ……ハアッ……!」


肩で息をしながらもアキは何とかデカログスを杖代わりにすることで立ち上がる。渾身の力を込めた真空の剣メル・フォース空間消滅デイストーションの連続技によってアキはほとんどの力を使い果たし今にも倒れてしまいそうな有様。だがアキは安堵していた。先程の攻撃。間違いなく直撃だった。動きを一瞬止めたおかげもあるが絶対に避けれない規模の攻撃を放った。いかに外からの攻撃に無敵のジェロといえどもこれには耐えきれない。自分が生き残ることができたと、そう思った瞬間


「それがお前の持つ母なる闇の使者マザーダークブリングの力か。確かに凄まじいけど……残念ね」


消え去ったはずの者の声がアキへと響き渡る。もはやアキは声を上げることもできない。そこには絶望がいた。その姿は全く変わっていない。傷一つ負っていない無傷。あり得ないような事態にアキはどこか放心状態でその場に立ち尽くすことしかできない。

それは決してアキが弱いからではない。先の攻撃も間違いなく即死に至る攻撃。だがそれすらもジェロの空間すら凍りつかせる力の前には無力だった。もっともジェロを一瞬だけでも驚かせただけでも称賛に値する。だがそれでもまだそれはジェロを納得させるだけのものではなかった。


「どうやら底が見えたようね……さあ、絶望なさい」


一度大きく目を閉じた後、ジェロは最後の攻撃を開始する。まるで子供に慈悲を与えるかのような声色を出しながらも無慈悲に、残酷に、そして冷酷にその氷の魔力がアキへと襲いかかって行く。アキはまるで逃げまどうように動きながら、マザーの力を放ちながら距離を取ろうとするもその全てが通用しない。

空間消滅はジェロには通じず、ジェロの攻撃は防ぎきれない。その証拠に徐々にではあるが体が凍りつきつつある。手足はかじかみ、痛覚がマヒしてくる。既にほとんどの力を使い果たし疲労困憊。いつ倒れてもおかしくない状態。だがそんな中、アキは奇妙な感覚に囚われていた。


(これは……?)


まるで自分とマザーが一つになっていくような感覚。マザーと契約した時に感じたダークブリングマスターとしての力。それが漲ってくる。まるで自分が自分でなくなるかのような、生まれ変わるかのような感覚。今まで何度修行をしても感じることのなかった感覚が今、アキを支配していた。


それがデカログスがかつて指摘したアキに足りなかったもの。幻との修行では身につけられない、命を賭けた戦いの中でしか得られない感覚。そして何よりも足りなかったのが覚悟。アキが心のどこかでずっと抱いていた疑問。欠けていたもの。

自分がこの世界で生きているのだと言う実感。

この世界で生きて行くのだという覚悟。

それが今、ようやく成し遂げられた。


それがアキが本当の意味でこの世界の一員となった瞬間だった―――――


アキはそのまま必死に抵抗しながらも追い詰められていく。いかにダークブリングマスターとしての力が増そうと既に満身創痍。そして相手は魔界を統治する四人の王の一人。キングすら敵わない遥か頂きの存在。だがアキには一つだけ勝機があった。それはアキでしか知り得ない勝機。それは蜘蛛の糸を掴むほどの勝機。だがアキはその瞬間を待ち続ける。そしてそれは訪れた。


「もう鬼ごっこは飽きたのかしら?」

「………」


アキは満身創痍の体を引きづりながらもジェロの前に姿を現す。それはまさに自殺行為。その距離はもはやジェロの攻撃を避けれる距離ではない。気が触れたとしか思えないような行動。ジェロはそれをアキのあきらめ、自棄だと判断する。そうなってしまうほど今のアキは呼吸も乱れ、立っているのもやっとの状態。そしてジェロが最後の慈悲を与えようとした瞬間


「はあああああっ!!」


アキが残ったわずかな力を振り絞りながらマザーの力を放つ。だがそれは最初の一撃とは比べ物にならない程威力が落ちたもの。避ける必要がないと断ずる程の無様な攻撃。


「無様ね……死になさい」


ジェロは手をかざしながら魔力を放つ。それはアキが放った攻撃もろともアキを氷漬けにしていく。逃れることができない圧倒的な力の差。アキはそのまま為すすべなく氷によってその身を捉えられてしまう。この街の住民たちと同じように白い彫像へと姿を変えて行く。だがその時ジェロには全く違うものが見えていた。


「興醒めだわ……もういいわ。さっさと絶望なさい」


それは自分の背後から襲いかかろうとしているアキの姿。もっともジェロは直接目で捉えることなくそれを感じ取っている。熱。それをジェロは感じ取ることができる。結界によってこの街は全てジェロの領域。その中ではどんな存在でもジェロから逃れることはできない。いくら姿を消したところで、身代わりを用意したところで意味はない。まさにイリュージョンにとって天敵と言ってもいい力。

そしてそれ以上にジェロは落胆していた。最後に何か仕掛けてくるかと思えば最初の攻防の焼き回し。興が覚めてしまう程愚かな行為。どうやら器足る存在ではなかったらしい。マザーの余興に付き合うのもこれまで。この程度の使い手ならば放っておいても勝手に命を落とすだろう。ならばここでそれを摘みとってやるのが王としての務め。

ジェロはそのまま自らの拳に魔力を込めながら背後から奇襲をしようとしているアキに向かって放つ。今度は防御しても防ぎきれない程の力と魔力を込めて。文字通り絶望するに相応しい最期の一撃。それがアキの体を粉砕せんとした瞬間

まるで瞬間移動したかのようにアキの姿がジェロの前から姿を消した。


「なっ!?」


瞬間、ジェロが初めて驚きの声を上げる。当たり前だ。いきなり目の前にいた筈のアキが消えてしまったのだから。しかも間違いなくさっきまでいたアキは本物だった。熱を誤魔化すことはできない。ならば一体どこに行ってしまったのか。それはまさに刹那の時間。油断と呼ぶにはあまりにも短い時間。だがその間で全ては決まった。


それは剣だった。ジェロはその光景に目を奪われる。自分の体から剣が生えている。いや違う。剣によって腹を貫かれている。誰に。考えるまでもない。アキによって。ジェロは気づく。

自分の背後からアキが剣によって自分を串刺しにしていることに。だがあり得ない。それは先程までアキがいた場所とは自分を挟んで正反対の場所。だがそれをアキは為し得る。

『ワープロード』

瞬間移動のDB そしてアキがこの瞬間まで取っておいた最期の切り札。ワープロードは離れた場所を移動することができるDB。だがそれは決して近い場所を移動できないということではない。マーキングによって指定された場所に飛ぶこと。それがワープロードの力の本質。だがその数は無限ではなく、マーキングした場所でなければ移動できないため戦闘中には扱いづらい能力。何故ならあらかじめ用意した場所ならともかく初めて戦う場所ではマーキングをしながら戦わなくてはならないのだから。しかも常に戦闘中動きまわればマーキングが無駄になってしまうことの方が多い。一時的な退避には使えるが扱いづらいことには変わらない。ましてや相手はジェロ。イリュージョンを初見で看破した相手。一度でもワープロードを使ってしまえばこの奇襲は通用しない。そしてマーキングの場所までジェロをおびき出すこと。はっきり言えば確率はゼロに近かった。だが王たる者の慢心、油断。そこに全てを賭けてアキは掴み取った。常に修行で自分よりも強い相手と戦って来たアキだからこそできる戦法だった。

ジェロは悟る。自分が知らず目の前の相手を侮っていたことを。だがそれでもここまで。普通の相手ならば剣を突き立てた時点で勝負は決まる。だがジェロには通用しない。無限の再生力を持つジェロには剣は通用しない。

そう、それが唯の剣であったなら。


ジェロは気づく。それはアキの手にある剣。だがそれは一本ではない。自分を突き刺している剣とは別にもう一本アキは剣を持っている。それは双剣。朱と青、対照的な色持つ双剣。その内の朱色の剣が自分を貫いている。それが何なのかジェロが気づくよりも早く


「あああああああああああっ!!」


瞬間、全てが燃え去った。それは炎。この氷の世界の中であまりにも不釣り合いな光。それがアキの持つ、ジェロを貫いている剣から生まれ出る。それこそがアキの真の狙い。


双竜の剣ブルー=クリムソン


氷と炎の属性をもつ二刀剣。その内の炎の剣こそがアキの切り札。体の内側からの炎ならばジェロを倒し得る。それを知っているアキだからこそできる逆転の方法。


その瞬間、ジェロはまるで氷のようにその身を溶かしながら消え去って行った―――――




「や……やった……?」


その場に膝を突きながらもアキはどこか心ここに非ずと言った風に一人誰にでもなく呟く。まるで夢が終わったかのような気分。今までのがはたして現実だったのかどうかすら、今自分が生きているのか死んでいるかのも分からない。

だがそれでも確かにあった。ジェロを貫いた感触が。確かに見た。溶けていった姿を。何よりも自分が生き残った。しかもあの四天魔王の一角、絶望のジェロを倒して。その実感がアキの中を駆け巡って行く。


お、おい……やったぞマザー! やったぞこんちきしょう! 見てたかこの野郎、これでもうヘタレだの何だの言わせねえぞ! イリュージョンもワープロードもよくやってくれたな! し、師匠見てくれましたか!? これで俺も一人前ですよね!? え? 何でみんな無視すんの? 確かに戦闘で疲れてるのは分かるけど全員でシカトすることもない……だろ……?


瞬間、ようやくアキは気づく。DBたちがまるで何かに気づいているかのように黙りこんでしまっていることに。そして何よりも、この氷の世界が、呪術が解けていないことに。それはつまり



「驚いたわ……まさか身代わりを使わされるなんてね……」



まだこの氷の世界の女王は健在であるということ。


アキの背中に冷たい感触が伝わる。それは手。女性の細い美しい手。そしてこの世の物とは思えないような冷たさ。座りこんでいるアキの背後、見下ろすように女王、絶望のジェロは君臨していた。出会った時と変わらない、顔にひび割れがある以外全く傷一つない姿で。


はは……やっぱ無理ですよね……



そんな遺言と共にアキの意識は途切れるのだった―――――



[33455] 第十五話 「魔石使いと絶望」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/09/05 22:07
「………はっ!?」


がばっとアキは上半身を凄まじい勢いで起こす。同時に体中が軋むような痛みが襲いかかり悶絶するもアキは何度も何度も自分の体を確認する。手足を、胸を、頭を。何も知らない人が見れば頭がおかしくなったようにも見えるだろう。だがアキにとっては大真面目、決してふざけているわけでも錯乱しているわけでもなかった。


よ、よし……手も足もくっついてる! 体に穴もあいてないし凍りついてもいない! た、助かったのか……? 確か俺、あのまま氷漬けにされちまったはずなんだけど……どういうことだ? 見逃してもらえた? あの状況から? いやいやあり得んだろう!? だってあの人確実に殺りに来てたよ!? それだけは間違いない! じゃ、じゃあどうして……い、いや待てよ? 大体前提からしておかしくねえ? 何でこんな序盤で四天魔王とやりあったりしてんの? 明らかにおかしいだろう!? そ、そうだあれはきっと夢だったに違いない! だってそうじゃなきゃ俺が生きてるのが説明できないし……と、とにかくマザーに確認をとってみよう! あいつが全ての元凶みたいなもんだしな、色々な意味で。おい、マザー! どこにいるんだ!? さっさと出てこ……い……?


アキはそのまま固まってしまう。それは目の前の光景。そこはどこかの部屋だった。そしてアキはその部屋のベッドに寝かされていたらしい。だが明らかに異常なことがあった。白銀。その全てが白銀の世界。床も、天井も、家具も全て白銀、氷漬けになってしまっている。まるでおとぎの国のよう。それが意味するのは一つ。まだ絶望の宴が終わっていなかったということ。


や、やっぱそうですよね……そんな都合のいい展開あるわけないよね……。ち、ちくしょう……夢だったらどんなに良かったか! と、とにかく落ち着け俺! まずは状況を確認しなくは……お、マザー! お前どこに行ってやがったんだ!? え? ちょっと友人と話してた? お前に友人なんていたのかよ? そ、そんなことより何がどうなってんだよ!? ここはどこだ!? それに俺、氷漬けにされちまったはずだろ!? 何でまだ生きてるんだ!? は? 本人から直接聞いた方が早いって? 一体何を言って


「目が覚めたようね……」


そんな聞き覚えのある女性の声が背後からアキに向かってかけられる。それは透き通った、それでも圧倒的な存在感を感じさせる声。瞬間、アキの背中に凄まじい悪寒と汗が流れる。その声はアキにとってはトラウマになってしまうほどのもの。


四天魔王『絶望のジェロ』


出会った時と変わらない無表情な、人形のような女王がそこにはいた。


「――――っ!?!?」

瞬間、アキは声にならない声を上げながらも何とか戦闘態勢に入ろうとするもDBたちは近くに見当たらず右往左往するしかない。しかも何故かベッドから動くこともできない。完全なパニック状態だった。だがそれは無理のないこと。自分を殺したはずの相手が目の前にいてしかも自分は丸腰なのだから。


ど、どどどどうなってんのっ!? どうしてまだここにジェロがいるんだよっ!? ま、まさか俺にとどめを刺しに来たのか!? そ、そんな……せっかくどういうわけか助かったと思ったのにこれかよっ!? お、おいマザーてめえ何でこの状況で笑ってやがんだっ!? 元はといえばてめえがあいつを蘇らせたせいでこんな目にあってんだろうが! あんな化け物にどうやって勝てっつーんだよ!? は? 初めから勝てるなんて思っちゃいない? ど、どういうことだそれ……?


事態が飲みこめないアキに向かってマザーがどこか楽しそうに説明、もといネタばらしを始める。

ジェロとの戦いが試験、いわゆる模擬戦のようなものであったことを。

マザーはずっとアキが実戦を経験できていないことを気にしておりどうにかしたいと考えていた。だが手軽な相手もおらずまたアキ自身が戦闘を忌避しているために頭を悩ませるしかなかった。だがそんな中ある偶然が、好機が訪れた。それはこの街、パンクストリートに氷漬けにされたジェロがいたこと。それを感じ取ったマザーはあることを計画する。それはジェロにアキの実戦の相手になってもらうこと。ジェロの力ならば相手として申し分なく何よりもアキも逃げ出すことができない。そしてジェロ自身の目的ともアキの力試しは合致している。出会った一瞬で取り決めを交わしたマザーとジェロはそのままアキとの模擬戦を行うこととなった。もちろんアキには本当のことを伝えないまま。その理由は言うまでもなくアキの本気を見るため。ある意味アキの性格を知りつくしているマザーだからこそできるドッキリのようなものだった。それが成功したことが嬉しいのかそれとも今のアキの狼狽した姿がおかしいのかマザーは笑い続けている。だがアキにとっては笑いごとではなかった。


ふ、ふざけんなああああっ!? そうならそうと早く言えやこらああああっ!? は? 言ったら模擬戦の意味がない? いくら何でも限度があるだろがっ!? あれが模擬戦!? 何の冗談!? 間違いなく相手殺る気満々だったじゃねえかっ!? 当たり前? どういうこと? え? ジェロに認められなければ殺されてたって? そうか、俺、認められたのか……え? 何それ? じゃあ認められなかったら俺殺されてたってこと? それ模擬戦じゃねえよっ!? どんだけスパルタなんだよ!? は? 俺なら出来ると信じてた? そ、そっか……マザー、そんなにも俺のことを……って誤魔化されるかあああっ!? てめえいい加減にしろよ!? 大体何だよお前いつも大きな口叩いてるくせに使えねえんだよ! 結局何の役にも立たなかったじゃねえか! 俺が未熟だから? 他人のせいするんじゃねえよ! 今日という今日はもう勘弁ならねえ! 覚悟しろよこの馬鹿石が


「少しは落ち着いたかしら?」


混乱しているアキに向かってジェロが瞳を閉じたまま静かに話しかけてくる。瞬間、アキはマザーとの言い争いをいったん中断しながらもそのまま恐る恐る振り返る。だがアキは内心ビビりまくりだった。いくら模擬戦(とてもそう呼べるようなものではなかった)だったとはいえ殺されかかった相手。しかもさっきまでマザーと言い争いをしていたせいでアキが自分を無視しているかのようにジェロには見えたはず。だがジェロは全く気にした様子を見せてはいなかった。


「あ、あの……」
「そういえば名乗っていなかったわね……ジェロ、それが私の名前。四天魔王……魔界の王の一人よ。あなたは?」
「え!? あ、え、えーとア、アキです……」
「そう……アキ、覚えておくわ」


ジェロの一挙一動に内心おどおどしながらもアキは何とか自己紹介を始める。そこでようやくアキは思い出した。まだ自分はジェロの名前すら聞いていなかったことを。


あ、あぶねえ……思わず名前で呼んじまうところだった。まだ俺、ジェロのことも四天魔王のことも知ってちゃおかしいんだよな。時々忘れそうになるから気を付けなければ。そ、そういえば思わずアキって名乗っちゃたけど大丈夫だよな? ルシアって名乗ってもいいんだけど事情を説明するのが面倒だし……ま、まあそれはともかく本当にジェロはもう戦う気はないっぽい。圧倒的な力と存在感、重圧は相変わらずだが心なしかそれが弱まっているような気がするな……た、助かったんだな……俺? な、何か涙が出てきそう……


「どうかした?」
「い、いえ……何でもありません、ジェロ様!」
「そう……それと様付けと敬語はいらないわ。一応あなたのことを器として認めたのだから」
「え……? 器……?」


な、なんですか……それ? そういえばそんなこと戦う前になんか言ってたような……


事情が掴めていないアキに向かってジェロが今までの経緯を説明していく。

ジェロが今回アキの模擬戦を引き受けたのは何もマザーの提案だったからだけではない。もう一つ、ジェロ自身の、四天魔王としての目的があった。

『大魔王の器』

それを見つけることこそが今の四天魔王にとっての、引いては魔界の悲願でもあった。

今、魔界は四人の魔王によって統治されている。

『絶望のジェロ』 『永遠のウタ』 『獄炎のメギド』 『漆黒のアスラ』

その実力も風格もまさに魔王に相応しく魔界は彼らによって問題なく統治されている。だが彼らはある存在を探し求めていた。それが四天魔王の上に立つ存在、大魔王。永らく空席となってしまっているその座につくに相応しい者を探し出すことこそがジェロの目的であり、その資格を持つものこそが母なる闇の使者マザーダークブリングを持つ者。全ての闇を統べるに相応しい力を持った存在だった。それが現れた時にのみ氷漬けにされた状態が解けるようになっていたのだが今回はマザーの強制的な呼びかけによってジェロは目覚めてしまったのだった。


「そ、それじゃあジェロさ……じゃなくてジェロはマザーのこと知ってんのか?」
「ええ。もっとも二万年前はこんなに小さくはなかったけれど……今は五つに分かれてしまっているのね。マザーに聞いたわ」
「そう……ってちょっと待て!? お前マザーと話せるのかっ!?」
「そうよ。あなたが何を話しているかは分からないけれどマザーの声は聞きとれるわ。元々私たち四天魔王は同じ力から生まれた存在なのだから当然よ」
「同じ力……?」
「エンドレスよ。マザーから聞いていないの? DBはエンドレスという力の一部。正確にはエンドレスと名のDBのね。私たちはほぼ独立した存在だけど……」


な、何か色々とさらっと凄いこと言ってるような気がするんですけど気のせいですか? っていうか四天魔王ってエンドレスから生まれた存在だったの!? そ、そういえば原作でルシアが四天魔王を召喚する時に『エンドレスの子』とか何とか言ってたような気が……と、とりあえずそれは置いておいて……


「そ、そうえいば俺を認めたってその……どういうこと……?」
「言葉通りの意味よ。まだ荒いところもあるけれど私に身代わりを使わせたのだから及第点ね。あなたを大魔王の器だと認めるわ。もっともこれからの成長次第だけれど……」
「………」


そうか……俺、知らない間に大魔王になることになってたわけか……ってちょっと待って!? なんか知らない間に話がとんでもない方向に向かってるんですけどっ!? 何で模擬戦からこんな話になってるわけ!? い、いや百歩譲ってそれはいい。全然よくはないがいいことにしよう! でも何でジェロだったわけ!? 原作じゃあルシアを大魔王の器だって認めたのメギドじゃなかったけ!? 何で俺もそうじゃないの!? あの四天魔王の中での常識人(アキの独断)の方が良かったんですけど!? っていうかこの差は何? ルシアはメギドに一目見られただけで認められたのに俺は殺されかかってやっと。しかもなんか仮免許っぽい扱いなんですけど……ち、ちくしょう……これが本物と偽物の差か……

そ、それはともかくとして俺って結構すごいんじゃねえ? だってあれだよ? 四天魔王に認められたんだぜ? 原作最強クラスの相手でしかも模擬戦とはいえ良いところまでやれたんだし……これはもしかして俺の時代がきたんじゃ……え? 師匠? 何です? 調子に乗るな? い、いやでも俺ちゃんとやって……え? 相手が手加減してくれてたって? いやいや冗談でしょ? だって明らかに殺す気できてたじゃん……う、嘘ですよね? あれで手加減してたとか……ちょ、ちょと確かめてみるか……うん、い、一応……


「あの……ちょっと聞きたいんだけど……さっきの戦いってもしかして手加減とかしてくれてた……?」


アキはどこか引きつった笑みを見せながらジェロに確認する。だが知らずアキは悟っていた。恐らくはデカログスが言っていることが正しいのだと。だがそれでも聞かずにはいられなかった。ジェロはそんなアキの動揺と事情を知ることなく


「そうね……大体半分くらいの力よ」


何でもないことのようにアキの想像をの遥か斜め上を行く事実を口にした。アキはそのままどこか乾いた笑みを浮かべながら固まってしまう。まるで氷漬けにされてしまったかのように。


半分ですか、そうですか……あれで半分っ!? 何の冗談!? い、いやいやあり得んだろっ!? じゃあ何か!? 俺は五十パーセントの相手に向かって本気で戦ってしかも呆気なく負けちまったってこと!? どこのフリーザだよっ!? バランスおかしいだろ!? 何でこんな無理ゲーなことになってんの!? というか何でこんな化け物にハル達勝てたんだよっ!? 何かチートでも使ったんじゃねえのか!? 補正か!? 補正なんだな!? ちきしょうこうなったら俺も主人公補正でなんとか……あれ? 俺って悪役だからもしかして補正がかからない? いや決して悪役ではないのだが……


「でも私も勉強になったわ。内側からの攻撃なんて考えてもいなかったし……」
「そ、そうですか……」


アキは先程までとは違う汗をかきながらもジェロの言葉に相槌を打つしかない。だが内心は気が気ではなかった。

何故なら自分が先の戦いでジェロに弱点を教えてしまったのだから。恐らくはもう二度と同じ手段は通用しない。それはつまり内側からの攻撃をジェロは警戒してしまったということ。

あれ……もしかして俺、とんでもないことしちゃった……?

自分がしでかしてしまった取り返しのつかないことに今更ながらに気づきアキが絶望しているのを知ることもなくジェロはゆっくりと動き始める。


「……じゃあ私はそろそろ魔界へ戻るわ。メギド達にも報告したいし……あなたはどうする? 一緒に来る?」
「えっ!? い、いや俺は……その遠慮しとくわ! まだこっちにやらなきゃなんないことがあるし……!」
「そう……仕方ないわね」


ジェロは一瞬考えるような仕草を見せるもののすぐにいつもの表情に戻る。それはまだアキを他の四天魔王に会わせるのはもう少し成長してからだと判断したため。だがそんなこととは露知らずアキはどもりながらも安堵していた。


じょ、冗談じゃねえ……これ以上こんな化け物連中に付き合ってられるかっつーの!? ジェロだけでもこれなのに同じようなのがまだ三人もいるんですよ!? 何の拷問っ!? メギドやアスラはともかくウタは絶対にヤバい! 腕試しとか言ってもうあの馬鹿でかい剣で襲いかかって来るのが目に浮かぶわ!? そんなことになったら今度こそ命がない! これ以上死亡フラグを立てたらもう対処できなくなっちまう! それだけは阻止しなければ……!


アキがそんなあきらめの悪いことを考えているなど知らないままジェロはアキに近づきながら何かを差し出してくる。それは一つのDB。


「これは……?」
「『ゲート』と呼ばれるDB。あなたが眠っている間にマザーに頼んで用意してもらったの。それを預けておくわ」


『ゲート』

魔界よりの門を開く最上級DB。それはキングも持っている魔界と人間界を繋ぐことができるDB。原作ではキングがハルたちを足止めするためにゲートを使い王宮守五神と呼ばれる集団を呼び出していた。

それと全く同じものをジェロはアキに預けてくる。アキは悟る。それが何を意味するか。


「そ、それって……」
「何か手が必要な時には呼び出しなさい。四天魔王の名に賭け力になるわ」

それはつまり四天魔王ジェロが力を貸してくれると言うこと。

RPG風にいえば召喚獣『絶望のジェロ』を手に入れた。といったところだった。


え……? 何これ? あれか。召喚のアイテムみたいなもんか。あれだな。絶望のジェロを召喚! 相手は死ぬ! って奴ですね……ってちょっと待てえええっ!? 何だそれ!? 危なすぎるんですけどっ!? 危険すぎてこんなもん使えるわけないだろうがっ!? 使われた相手絶対に死んじまうわ!? あ、ある意味マザーよりもヤバい代物だぞ……これ。あれだよね? 認められるたびに呼び出せる四天魔王が増えてくんですね、分かります。っていうかキングが王宮守五神で俺は四天魔王ですか!? 呼び出す俺が一番弱いとか何の冗談!? 返品したいんですけど……あ、やっぱ無理ですか……本音言えばできればもう二度と会いたくないんだけどそんなこと言ったら殺されかねん……


「それじゃあ行くわ。あなたも今度会うときにはもっと力を付けておきなさい。今度は本気で相手をしてあげるわ」


恐ろしい言葉を残しながらジェロはゲートの力によって魔界に戻って行こうとする。だが


「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」


それをアキはどこか必死の形相で引きとめる。それはジェロが今まで見た中でもっとも鬼気迫るもの。


「何かしら? 一緒に魔界に来る気になったの……?」
「い、いや……帰る前にこの街の呪術を解いて行ってほしいんだ……」
「……? 何故?」


ジェロはアキの言葉の理由が分からず困惑するしかない。それはマザー達も同様だった。既にアキを凍らせていた呪術は解かれている。なのに何故そんなことを気にするのか。そしてしばらくの沈黙の後


「………服がくっついて動けないんだ……」


アキはうなだれながら白状する。それはアキの座っている場所。そこは氷漬けにされているベッドの上。何とか上半身は起こすことができたもののどうやっても下半身、ズボンがベッドにくっついたまま。それをジェロ達に気づかれないようにどうにかしようとしたのだがアキはあきらめるしかなかった。一番の理由としては氷漬けにされてしまった街を元に戻すことなのだがそれと同じぐらいアキにとっては切実な問題だった。もっとも凍りついたベッドの上に気を失ったまま長時間放置するというマザーのドSっぷりのせいでもあったのだが。


「…………」


ジェロは表情を変えることなく見つめ続ける。怒り狂いながら食ってかかって行くアキとそれをからかっているマザーの姿。ジェロは深く目を閉じながらも思った。


もしかしたら自分は早まった選択をしてしまったのではないか、と。


それが魔石使いダークブリングマスターアキと絶望のジェロの出会いだった――――



[33455] 第十六話 「始まりの日」 前編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/09/24 01:51
いつもと変わらぬ晴天。小さな孤島であるガラージュ島。島民は多くはないが静かで平和な島。その中に一つの小さな家がある。

それはグローリー家。そこには姉弟と居候が一人暮らしていた。だがグローリー家はいつもとは様子が違っていた。それは家。その玄関に大きな穴が空いてしまっている。まるで砲撃でも受けてしまったかのよう。玄関に張り付いている居候、ナカジマはどこか落ち込んだ様子を見せながら自らの欠けてしまった花弁を嘆いている。もっともナカジマが花なのかどうかは定かではないが。こんな事態になってしまったのには理由があった。

それはDC。その組織の一員が突如としてガラージュ島にやってきたため。ある者を狙って。ある物を手に入れるために。


(一体何がどうなってんだ……?)


銀髪の少年、ハルはどこか難しい、困惑したような表情を見せながら自らの部屋に座り込んでいた。それはいつものハルらしからぬ姿。だがそうせざるを得ない程の事態が今、ハルに襲いかかっていた。ハルは溜息を吐きながら視線を向ける。それは自らのベッド。その上に寝かされている人物。長い髭をした老人。だがその体は傷つき包帯でぐるぐる巻きにされている。重傷を負っていることは誰の目にも明らか。生きているのが不思議なほどの大怪我を負ってしまっていた。

『シバ・ローゼス』

それが老人の名前。昨日突然島にやってきた人物。何でもこの島の生まれであり五十年ぶりに里帰りをしたらしい。会ってすぐに友達になった人物。だがそれだけなら何もおかしいことはなく、ここまでハルが困惑することもないだろう。だがそうならざるを得ない事情があった。

ハルはそのまま自らの掌に視線を落とす。そこには小さなアクセサリーがあった。十字架のような形をしたもの。だがそれは決してただのアクセサリーではない。


(レイヴか……)


『レイヴ』

それがその石の名前。聖石と呼ばれるDBに対抗することができる唯一の兵器。かつて王国戦争においてそのレイヴを持つ戦士、レイヴマスターと呼ばれる者がいた。それこそが今ハルの目の前にいる老人、シバ。

ハルはレイヴについてはナカジマに聞いた程度の知識しかなかった。だが現実感は湧かないものの実際にレイヴの力を目の当たりにした、いや使ったのだから信じる他ない。部屋の床には大きな鉄塊のようなものも置かれている。ハルの身の丈ほどもあるのではないかと思えるような巨大な剣。

TCM。それがその剣の名前。レイヴの力を引き出すための剣。それをついさっき自分も振るった。シバを、レイヴを狙ってやってきたDCの一員を倒すために。DCの一員よって家は壊され、シバは重傷を負わされてしまった。だがシバが重傷を負ってしまったのはシバが弱かったからではない。シバにとって予想外の事態が起こってしまったから。

後継者。レイヴの力を受け継ぐ新たな担い手。二代目レイヴマスター。それにハルが選ばれたこと。レイヴの力を扱えるのは世界で一人だけ。そのためシバはその力を失ってしまったのだった。


「……なあプルー、お前なら何か知ってるんじゃないのか?」
『プーン』


ハルは独り言のように自分のすぐ傍にいる存在に向かって声をかける。そこには不思議な生き物がいた。それ以外に表現しようがない生物。角のようなものを鼻に生やし、白い四足で歩く小さな生き物。カトレア曰く犬だというがハルには信じられない。

『プルー』

それが彼(?)の名前。海で釣りあげてしまったのが出会いのきっかけ。いつもぷるぷる震え、不思議な鳴き声で鳴いている。だがシバによるとこのプルーはレイヴの使いらしい。そしてシバはプルーを五十年間探し続けていたらしい。それが本当だとしたらプルーも五十歳以上ということになる。そんなに生きる犬がいるのだろうかと思いながらもハルはどこか呆気にとられるしかなかった。

レイヴ。レイヴ使い。大破壊。世界の危機。どれもずっとこの小さな島で生きてきたハルにとってはスケールが大きすぎて、突拍子がなさ過ぎて実感が湧かない。だが昨日の出来事からそれが真実であることは疑いようはない。何故自分が選ばれたのか、巻き込まれたのかは分からない。これから自分はどうするべきなのか。そして何よりもハルはどうしても気になって仕方がないことがあった。レイヴよりもそちらの方が今のハルにとっては重要なこと。それは――――


『プーン!』
「お、おい、何やってんだよプルー!?」


そんなハルの思考を断ち切るかのようにプルーが突然ベッドに横になっているシバの体の上に乗っかり凄まじい勢いで震え始める。そんないきなりのプルーの奇行にハルは焦りながらも何とかプルーを抱え上げようとするもプルーはその場から下りようとはしない。何故こんなことをするのか。このままではシバの体に障るとハルが力づくでもプルーをどけようとした時


「う……む……? ここは……?」


今までずっと意識を失ったまま一向に目覚める気配がなかったはずのシバがまるで何事もなかったかのように目を覚まし起き上がる。まるでプルーが何かをしたかのように。


「シバっ!? も、もう大丈夫なのか?」
「ハルか……ワシは一体……?」
「オレがあのDCの奴をやっつけた後に倒れちまったんだ。姉ちゃんが言ってたぞ。こんな怪我で動きまわるなんてって……」
「そうか……すまぬ、心配をかけてしまったようじゃな。プルー、もうよい。助かったぞ」
『プーン!』
「え? プルーがどうかしたのか?」
「うむ。プルーには怪我を和らげる力があるんじゃ。ワシも昔は何度も世話になった」
「そうか……それで……」


ハルはようやく理解する。プルーの行動がシバの怪我を和らげるためだったのだと。そんな力を持っているとは本当にプルーはレイヴの使いなのだろう。そしてハルは改めてシバに目を向ける。だがその体は満身創痍。包帯の多さがその痛々しさを物語っている。ハルはどこか罰が悪い、申し訳なさそうな表情を見せる。


「ごめんなシバ……オレのせいで……」


それは罪悪感。自分がレイヴの力を受け継いでしまったことでシバが傷ついてしまったことへの。もしあの時シバにレイヴの力があればこんなことにはならなかっただろうという後悔だった。


「気にするでない。あれはワシが油断したせいじゃ。それよりも見事じゃったぞ、ハル。最初から爆発の剣エクスプロージョンを使いこなすとはの……」
爆発の剣エクスプロージョン?」
「TCMはレイヴの力で十の姿に変わる剣。その中の一本が爆発の剣エクスプロージョン。主が使った斬ったものを爆発させる剣じゃ」


シバはどこか驚いた表情でハルを褒め称える。ハルにとって先程の戦いは初めての実戦。しかもハルは剣もまともに握ったことのない少年。にもかかわらずいきなり初めから爆発の剣エクスプロージョンを使いこなしたことに驚嘆するしかない。まだ知識のレイヴも持っていないにも関わらずにだ。もしかしたらハルは自分を超えるレイヴマスターになれる素質を持っているかもしれない。シバがそんなことを考えていると


「シバ……レイヴってのは一つしかないのか?」


ハルがどこか考え込んでいるような様子で疑問を投げかけてくる。シバはハルが何をそんなに悩んでいるのか、戸惑っているのか分からないもののとりあえず疑問に答えて行くことにする。


「いや……レイヴは元々は一つの石だったのじゃが今は五つに分かれてしまっておる。それがどうかしたのか?」
「じゃあレイヴを使えるのは五人いるのか?」
「それはない。前にも言ったがレイヴを使えるのは世界で一人だけじゃ。これまではワシ、そして今は主しかレイヴを使える者はおらん」
「そっか……」
「……? 何か気になることでもあるのかの?」


シバは要領を得ないハルの様子に戸惑うしかない。短い間ではあるがハルがどんな少年であるかは分かっている。明らかに何かを隠しているかのようなハルの姿にシバは問いかけるもののハルはしばらく黙りこんだまま。そして長い沈黙の後


「シバ……オレ、爆発の剣エクスプロージョンと同じような剣を見たことがあるんだ……」


ハルは意を決したように話し始める。四年前の出来事。その中で起きた事態。そしてその中心にいた少年。自分にとっての家族。アキのことについて。

ハルはDCの一員と戦った時からずっとアキのことが引っかかって仕方がなかった。それは今の状況が四年前と同じ、DCが島を襲ってくるという状況であることもあったがそれ以外に二つ、大きな理由があった。

一つはTCM。それをシバから託された時ハルは驚いた。それはまるで四年前、アキが持っていた剣と瓜二つだったのだから。装飾や、色の違いがあるもののほとんど同じもの。そしてなによりもその力。あの時のアキの姿を思い浮かべた瞬間、その力を使うことができた。シバの言う爆発の剣エクスプロージョン。それは間違いなくあの時アキが使っていたものと同じもの。そんな偶然がありうるのだろうか。

もう一つが敵が持っていたDB。フルメタルと呼ばれる体を鋼鉄に変える力を持つDB。だがハルはそれを知っていた。何故ならそれは四年前、街を襲った奴が持っていた物と全く同じだったから。だがそれはあり得ない。そのDBはあの時、アキが持って行ってしまったはずだからだ。それが何故こんなところにあるのか。

ハルはその際に相手を問い詰めた。そのDBをどこで手に入れたのか。そしてアキを知っているかと。もしかしたらアキがこいつらDCに襲われてDBを奪われてしまったのでは。だがそれは予想外の返答によって終わりを告げる。

そのDBはアキによってDCに流されたものであること。そしてアキがDCの幹部であること。何故アキがDCになっているのか。命を狙われていたはずのなのに何故。ハルにとっては信じられない、信じたくない事実だった。


「なるほどの……お主が敵と話しておったのはそのことじゃったのか」
「ああ……四年前、アキもそのTCMと似たような剣を使ってたんだ。だからもしかしたらアキもレイヴマスターなのかもって思って……でも、やっぱり違うんだな……」
「うむ……TCMもこの世に一本しかない剣。そのアキと言う少年が持っていたのは違う何かじゃ……恐らくは……」
「………」


シバは言葉を濁すもののハルは既に悟っていた。恐らくはアキが持っていたのはレイヴではなくDBだったのだと。こんな形で四年間の疑問が解けるとはハルも思ってはいなかった。いや、もしかしたら知らないままの方が良かったのではないかと思ってしまうほど。


(しかし……TCMと同じ能力を持つDBとは……)


シバは内心動揺していた。それは話の中で聞いたアキの剣がほぼ間違いなくTCMと同じであると悟った故。ハルは話の中で口にした。青い剣も見たと。それを見る直前にたくさんいた兵士が一瞬でやられてしまったと。シバはそれが何であるかを知っていた。

音速の剣シルファリオン

ほぼ間違いなくそれが青い剣の正体。一体多数、数が多い相手を倒すのに適しているスピード重視の剣。幼いハルにはその速さを捉えることができなかったのだろう。爆発の剣エクスプロージョンだけなら似た剣を持っていたで説明はつくが音速の剣シルファリオンまで持っているとなると話は別だ。明らかにTCMを意識した剣であることは間違いない。そしてTCMはレイヴの力がなくてはその力を発揮できない。いわば力の源の様な物がなければTCMはただの鉄の剣でしかない。そしてそれと同じ力を持っていると言うこと。そんなことが可能なのはたった一つ。レイヴと対を為す存在。DB。そんな物を持っている少年アキと二代目レイヴマスターである少年ハル。まるで因縁、運命のようなものを感じずにはいられない。

そしてそのアキという少年。恐らくは只者ではない。ハルの話では剣のほかにも首からネックレスのようなDBをいつも身に着けていたらしい。そしていきなり消えていなくなってしまったということから少なくとも二つ以上のDBを持っているのは間違いない。だがそれは異常だ。何故なら二つ以上のDBを持つことは常人には不可能だからだ。シバもこれまで多くのDBを持つ者と戦ってきたが複数のDBを使う相手とは片手を数えるほどしかない。それを当時十二歳の少年がやってのけている。明らかに異質だった。


「シバ……やっぱりDBを持ってるってことはアキは悪い奴だったのかな……?」


ハルはどこか落ち込んだ姿を見せながら呟くようにシバに尋ねる。それは四年間ずっとハルが悩んできたこと。何度も何度もナカジマに、島の人間に聞きながらも答えが出なかった疑問。そうであってほしくないと願ってきたものだった。確かにDBは悪いものなのかもしれない。それでもアキは何度も自分を助けてくれた家族。一緒に育ってきた兄弟同然の存在。ハルがその狭間で揺れている中


「いや……そうとは限らん。もしかしたらそのアキという少年はDBによって悪に染まっておるだけかもしれん」
「え?」


シバの言葉によってハルは現実に戻される。シバは言葉を選ぶように、子供に言い聞かせるようその事実を伝える。


「DBは持つ者の邪悪な部分を、心を引き出してしまう魔石。それを持てば普通の人間でも悪に染まってしまうこともある。お主が先程戦った相手のようにな……。もしかするとそのアキという少年もそうなのかもしれん」


それはDBの特性。DBは持つ者の超常の力を与える代わりにその心を蝕んでいく。心が弱い者はその魔力によって悪に取りつかれてしまう。それがDBが悪の兵器、魔石と呼ばれる所以でもあった。もっともシバにはアキがそうなのかどうかまでは分からない。あくまで可能性の一つ。だがそれは今のハルにとっては光明とも言える事実だった。


「そっか……じゃあ、アキが持ってるDBを何とかすればアキを助けられるかもしれないんだな!」


ハルは顔を上げながら声を上げる。それまでの落ち込んでいた姿が嘘のよう。本来の明るい、活発なハルの姿。何よりもハルは興奮していた。それは今の状況。ハルはずっと悩んでいた。それはアキのこと。そして自らの父のこと。父のことについては複雑な感情もありハル自身まだ認めきれてはいなかったがアキに関してはハルはずっと考えていた。何とかアキを探し出すことができないかと。だが探すにしても何の手がかりもないままでは動きようがない。何よりもそのためには島を出て行かなければならない。そうなれば家にはカトレア一人きりになってしまう。それを気にしてハルはずっと自分を押し殺してきた。だが偶然、いやそう思えないような機会が今やってきている。

プルー、シバ、そしてレイヴとの出会いによって。

アキがDCに属していることも分かった。ならDCを追って行けばアキに辿り着けるはず。そして今の自分にはDBに対抗する力がある。レイヴという聖石の力が。先の戦いでもどんな力でも壊せないはずのDBを壊すことができた。それがあればきっとアキも助けられる。まるで運命のように全てが揃っている。その状況にハルは浮足立っていた。故にまだハルは気づいていなかった。レイヴマスターになる。その本当の意味を。そんな中


『プーン! プーン!』


急にそれまで大人しくしていたプルーが突然騒ぎだしてしまう。いつも以上に大きな鳴き声、震えを見せながら。その姿にハルはもちろん長い付き合いのはずのシバですら驚いてしまう。


「ど、どうしたんだよプルー?」
『プーン……』


慌てて近づいたハルに向かってプルーはまるで何かに怯えるように背中に隠れてしまう。ハルはきょろときょろと辺りを見渡すも人影一つない。当たり前だ。ここは二階。しかも自分の部屋。自分とシバ、そしてプルー以外誰もいるはずがない。


(こんなプルーを昔どこかで見たような……フム……忘れた……)


シバは頭のどこかでこの光景に既視感を覚えるものの思い出さすことができずあきらめるしかない。シバは気づかない。それが五十年前の王国戦争、最後のシンクレアとの戦いの時であったことを。


「でもそういえばシバ、会った時DBを倒しに行くって言ってたけどどうやってDBを倒すんだ? 確かDBってたくさんあるんだろ? 全部壊して回ってたらキリがないぞ」


ハルはふと思い出したように問いかける。それはシバが言っていた言葉。DBを倒すということ。だが世界中には無数のDBが存在している。ハルもそれぐらいは知っている。それを全て壊すことなどできるのだろうかという当たり前の疑問。


「全てを壊す必要はないのじゃよ。その大元、本体を倒せばよい」
「本体?」
「うむ。母なる闇の使者マザーダークブリングと呼ばれるシンクレア。それを壊せば全てのDBを破壊することができるのじゃ。もっとも今はワシが倒し損ねたせいで五つに分かれてしまっておるが……」


シバはそのまま静まりこんでしまう。だがそれは無理のないこと。シンクレアを倒し損ねたこと。それはシバにとって最大の失敗、後悔。もっとも完全な一つのレイヴでない状態でそこまでシンクレアを追い詰めただけでも十分称賛されるもの。しかしそれはシバにとっては何の言い訳にもならない。その時起こった大破壊でシンフォニア王国は消え去ってしまい、そしてレイヴもまた飛び散ってしまったのだから。


「シバ……」

「ハルよ……主を巻き込んでしまったことはすまないと思っておる……。だが無理を承知で頼む……ハル、いや二代目レイヴマスターよ。ワシに代わり世界のために戦ってもらえんか?」


シバはその手にレイヴとTCMを持ち、ハルに向かって差し出してくる。その瞳に老人とは思えないような力を宿しながら。ハルはその圧倒的な存在感に、力に息を飲む。まるで自分の命を差し出すかのような気迫が、覚悟がそこにはあった。


戦士が剣を託す時。

それは全てを任せられる男が現れた時。


シバは今がその時なのだと確信していた。レイヴが選んだからではない。一人の男として目の前の少年、ハルならば自分の意志を継ぎ二代目レイヴマスターとなるに相応しいと。会ってから間もない少年。確かに先の戦闘での才能の片鱗もその理由。だが何よりも初めて会った時の直感、いや確信。この少年になら全てを託せる。それがシバがハルに剣を託そうとする意味だった。

ハルはそんなシバの姿に気圧されながらも恐る恐る、その手を剣に向かって伸ばそうとする。だが心のどこかでもう一人の自分の声がハルには聞こえた。

その剣を取っていいのか。今の自分が。こんな自分が。何の覚悟もない自分が。

そしてついにその手が剣に触れようとしたその時


「何をしてるの、ハル……?」

「姉ちゃん……?」


いつのまにか部屋の前までやってきていた自らの姉、カトレアの声がハルに向かってかけられる。その手にはお盆と飲み物が置かれている。どうやら自分達のために持ってきてくれたらしい。だがハルの頭にはそんなことなど微塵もなかった。それはカトレアの様子。目は見開き、体はどこか震えている。今まで見たことがないほど動揺していることは誰の目にも明らかだった。

「ハル……一体何の話をしてたの……?」

どこか震えるような、かすれるような声でカトレアがハルに向かって話しかける。だがその表情は明らかに何かに怒っていた。まるでハルがいけないことをした時のように。


「姉ちゃん……? オレ……」

「知らない人の言うこと聞いちゃだめだっていつも言ってるでしょ!?」


ハルが事情を説明をしようとするよりも早くカトレアの大きな声が部屋中に響き渡る。その声にハルは体が震えそれ以上口答えをすることができない。カトレアが本気で怒っていることにハルは気づく。どうやら先程までの話を聞かれてしまっていたらしい。だがハルには分からなかった。確かに島から出て行くことは危険が多い。カトレアが反対するのも当たり前だろう。だが今のカトレアの様子は常軌を逸していた。たまに怒ることはあってもいつも優しい姉からは考えられないような姿。


「シバさんでしたっけ……あなたもハルに変なことを吹き込むのはやめてください。この子、何でも信じこんじゃう素直な子なんです……」
「む、むう……しかし、カトレアとやら。これは世界の危機なんじゃ……レイヴを使えるのがハルだけになった以上」


瞬間、何かが割れるような音が響き渡る。それはカトレアが持っていたもの。それをいつの間にかカトレアが落としてしまったのだった。だがカトレアはそれに気づくことなくシバを、そしてその手にあるレイヴを見つめている。いや睨んでいると言っても過言ではなかった。そして


「父さんも……母さんも……アキも……みんないなくなっちゃって……今度はハルまで奪う気なの!? これ以上私から家族を奪わないで! お願いだからもう……出て行って下さい!」

「姉ちゃんっ!?」

カトレアはそのまま振り返ることなく走り去って行ってしまう。だがその目が涙に濡れていたことはハルにも分かった。時に感情的になる姉だがあんな姿を見たのはハルは生まれて初めてだった。ハルはしばらくその場に立ち尽くしたままどうすべきか考える。だがその間に誰かが家から出て行く音がする。どうやらカトレアが家から出て行ってしまったらしい。


「ごめんな、シバ……姉ちゃんいつもは優しいんだけど……」

「いや……いいんじゃよ。ワシも忘れておった。お主がまだ十六歳の少年だと言うこと、そしてあの娘にとっての大切な家族じゃったことをな……」


シバは一度深く目を閉じた後、傷ついた体を庇いながら立ち上がりその場を後にしようとする。まるでここでハルと別れようとするかのように。


「シバ! そんな体でどうするんだよ!? ちゃんと休んでないと……」
「これ以上お主たちに迷惑をかけるわけにもいかん……それとすまんかったな、ハル。お主にはお主の人生が、幸せがある。それを危うく壊してしまう所じゃった……ゆくぞ、プルー」
『プーン……』


何度かシバとハルを交互に見比べていたもののシバの言葉に従うようにプルーもその後に着いて行く。ハルはそれを追いかけようとするも体が動かない。声を出すこともできない。それは何を口にするべきか今のハルには分からなかったから。

先程の涙しながら自分の身を案じていたカトレアの姿。

自分に全てを託すかのように剣を差し出してくれたシバの姿。

どちらも自分を想ってくれるからこその行為。だがそれ故に相反するもの。そして何よりも今のハルには決定的なものが欠けていた。

それは自らが戦う理由。

曖昧な、形のないものではシバの言葉に、決意に応えることができない。それだけの重みがあの剣にはあった。レイヴと言う存在。DBと戦うこと。それがシバの戦う理由。だが自分にはそれがない。そして自らの姉であるカトレアの想い。自分の身を案じてくれる人を置いて行くことが正しいのか。

ハルはそのまま一人立ち尽くす。自分が進むべき道。その分かれ目、分岐点が今なのだと肌で感じ取りながら。だがハルは知らなかった。


自分以上にこの状況に右往左往している間抜けな家族がすぐそばにいたことに――――



[33455] 第十七話 「始まりの日」 中編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/12/06 17:25
人気が全くないガラージュ島の森の奥深く。そこには一つの洞窟があった。だが島民は誰ひとりその存在を知らない。何故ならそこは一人の少年が根城にしていた場所だったから。


「はあ……」


どこか憂鬱気な溜息を吐きながらもローブを身に纏った人物が洞窟の中にある松明に火を灯す。だがそこには全く違和感がない。まるで住み慣れた家に帰ってきたかのよう。当たり前だ。何故ならローブの人物にとってこの場所はもう一つの故郷、隠れ家であったのだから。

少年はそのままローブを頭から脱ぐ。そこには黒い短髪、そして全身黒い服を纏っている少年、アキの姿があった。だがアキにとっては久しぶり、嬉しい帰郷のはずにも関わらずその表情には全く喜びも見られない。仕事帰りのサラリーマンのような疲れ切った雰囲気がそこにはあった。


(ちくしょう……マザーの奴……帰ったら覚えてろよ……!)


アキは苦虫をかみつぶしたかのような表情を見せながらこの場にはいないマザーに悪態をつく。それは数時間前。アキはマザー達と共にパンクストリートからヒップホップタウンへと戻ってきた。アキとしてはまさに九死に一生を得た、死地から帰還を果たしたに等しい気分。何故なら四天魔王であるジェロと模擬戦と言う名の殺し合いを行い、何とかそれを乗り切ったばかりだったのだから。とにもかくにも生還を果たし、パンクストリートに拠点を作るという当初の目的も達成できたアキは安堵していた。あとは一旦マザーをエリーに預けた後ガラージュ島の様子を見に行くだけ。そろそろ原作が始まる時期。正確な日時が分からない以上見張る必要があったからだ。だがアキは想像もしなかった事態に狼狽することしかできなかった。

それは自分を出迎えたエリー。だがその姿はいつもと違っていた。何故かこれ以上にないくらい不機嫌、もとい怒っていたのだ。だがアキにはその理由も見当がつかず焦るしかない。一体何に怒っているのか。だがそれはエリーの言葉によって明らかになる。


『もう、遅くなるならちゃんとそう言ってよね! 昨日は夜までずっとここで待ってたんだから!』


アキは一瞬エリーが何を言っているのか分からなかった。だがすぐにその理由に気づき慌てて自分の腕時計に目を向ける。それは時刻と共に日付も記されているもの。アキはその事実に顔を真っ青に、額と背中に嫌な汗を流すしかなかった。何故なら自分がパンクストリートに向かった日から既に一日経過してしまっていたのだから。だがどうしてこんなことになっているのか。自分はその日の内にここに戻ってくるはずだった。それなのに一日も時間が経っているというあり得ないような事態。そしてようやくアキは悟る。そう、自分にはパンクストリートにいた時間で意識を失っていた時間があったことに。

それはジェロによって氷漬けにされている時間。つまりすぐに自分は目覚めたと思っていたのは間違いで実は一日以上アキは氷漬けにされていたのだった。

アキはそのあまりに非情な、というか無慈悲な仕打ちにマザーに向かって食ってかかって行く。当たり前だ。死にはしないと言っても自分が知らない内に一日以上氷漬けのまま放置されていたのだから。だがマザーは全く気にした様子も反省した気配も見せないまま。ある意味いつも通りのドSっぷり。マザーも別に悪意があったわけではなく久しぶりに会った友人とでもいうべきジェロとの会話に夢中になってしまっただけ。アキとエリーを除けば自分と対等に話してくれる存在はマザーにはおらず貴重な友人。もっともその内容はアキに関するもの。一言でいえば惚気に近いもの。ジェロがアキのことを認めたのは強さもあったのだがそれ以上にマザーがそこまで入れ込んでいる存在に興味が引かれたのが大きな理由。だがアキは自分が知らない間に恐ろしいフラグを立てていることなど知る由もない。

そんなこんなで慌てながらアキはガラージュ島へと出発することになった。息つく暇もなく。もちろんマザーを置き去り、もといエリーに強引に預けたまま。マザーとエリーからの抗議の声を一身に受けながらも。マザーについては自業自得で気にかける必要もない(というか連れていけるわけもない)がエリーに関しては後でフォローしなくてはと思いながらもアキはただ必死だった。一日経過している間に原作が開始してしまっていたら。ただ開始されるだけならいいがもし不測の事態でも起ころうものなら全てがおしまいになってしまいかねない。

だが結果からいえば問題はなかった。既に最初の敵、フェーベルというDCの下っ端との戦闘は終わってしまっていたものの特に大きな違いはなかったらしい。微妙に差異はあるものの気にしなくてもいいレベル。そうアキは思っていた。先程のハル達のやりとりを聞く、いや盗み聞きするまでは。


はあ……どうも、アキです。ダークブリングマスターです。今は懐かしい洞窟の中で休憩しています。何というかやっぱここは落ち着くわ。何だかんだで島にいた時の半分以上はここで暮らしてたわけだしな……あんまり思い出したくない記憶も多々あるのだがそれはまあ置いておいて。

ようやく始まりました。原作が。どれだけこの時を待っていたか。この世界に来た時から数えれば約十年か? 本当に長かった……なんか感無量だがまだ気を抜くわけにはいかない。むしろこれからが本番だと言えるだろう。

さっきまで俺はハルの部屋に忍び込んでいた。もちろんイリュージョンとハイドの力を借りながら。この二つを併用すれば透明人間(気配もなし)になれるようなもの。チートにも程があると改めて実感するな……なんかスパイとか暗殺に使えば好き放題できるような気がする。まあ戦闘には使えない制約があるので万能と言うわけでもないのだが……っとそういえば驚いたのがプルーだ。一目見ただけでそれがプルーだと分かりました。ひたすらに不思議な生き物でした。まあナカジマに比べたらもう驚くものなんてあるわけもないのだが。ちょっと触ってみようとしたのだが何故か逃げられてしまった。しかもめちゃくちゃ怯えながら。俺の存在がバレてしまったかのよう。流石はレイヴの使いといったところかもしれん……ただのマスコットキャラではないということか。というかそのビビり方が尋常じゃなかった。マザーを持ってるわけでもないのに。あれか。マザー持ってなくても何かヤバい力が俺から滲み出てるのかもしれん。ダークブリングマスター的な何かが……俺、ほんとに大丈夫か? もしかして知らない間に人間やめて行ってるんじゃ……き、気のせいだよな? うん、きっとそうだ。あまり深く考えないようにしよう……あ、それと後で気づいたんだがプルーには近づかない方がいいかもしれん。プルーの鼻にはレイヴ同様DBを壊す力がある。もし何かの弾みで俺の持ってるDBが壊されたら洒落にならんからな……とそういえばさっさとやっとくか。


アキは思い出したかのように服の中から布に包まれた小さな何かを取り出す。そしてそれを地面に広げる。そこには粉々に砕け散ってしまっているDBがあった。


ごめんな、フルメタル……俺がもうちょっと早く来れればこんなことには……


アキは申し訳なさそうな表情を見せながら粉々になってしまったフルメタルを洞窟の中に埋葬していく。それがアキが一度この洞窟に戻ってきた理由だった。

当初の計画ではアキはフルメタルがハルによって破壊される前に救い出すはずだった。イリュージョンの力によって破壊されてしまった風に見せかけて、だ。それはあまりにもフルメタルが不憫だったため。四年前は馬鹿な主のせいでマザーに喧嘩を売ってガグブル状態になり、つい最近にはまたシュダによってまたマザーに喧嘩を売って失神し、そして極めつけはハルによって破壊されてしまうという結末。はっきりいって呪われているとしか思えないような運命。ある意味自分以上に過酷な定め。それに感じ入るところがあったアキはフルメタルを助けようとしたのだが結局間に合わなかった。アキにできることはせめて供養してやることだけだった。


安らかに眠ってくれ、フルメタル……成仏しろよ……。ふう……とりあえずこんなもんでいいか。今度また花でも持ってくるからな……ん? イリュージョン? 大丈夫だって泣いたりしてないっつーの……師匠も心配しないでください……よし! いつまでも落ち込んでても仕方ないしな、気持ちを切り替えて行こう!


アキは一度大きく深呼吸しながら今の状況を整理することにする。思い出すのは先程までのハル達のやりとり。アキにとっては思ったよりも予想外の出来事が起きていた。

それは自分、アキという存在の影響の大きさ。

確かにアキはある程度ハルが自分のことを気にかけているであろうことは想像していたがまさかあそこまでとは思っていなかった。それほどハルにとってのアキという存在は大きなものだったらしい。アキもレイヴやシバと出会うことでハルが自分の存在に気づけるようにいくつか手掛かりを残していた。デカログスの力を見せたこと。フルメタルを回収したこと。全てが全て狙ってやったことではないが気づいてくれればラッキー程度のもの。だが事態はアキの想像をはるかに超える展開を見せていた。

まずはアキがDCに属していることを既に知られてしまったこと。まさかこの段階でそれがバレるとは思っていなかった。それは先の出来事、六祈将軍オラシオンセイスの選抜が原因。何とかアキは六祈将軍オラシオンセイスになるという最悪の事態を避けることはできたものの結局DCの幹部になることを避けることはできなかった。そのためアキの存在はかなり広まってしまっている。しかもお決まりの二つ名までついているらしい。もっともそれがどんな二つ名なのかアキ自身は知らない。何度かDCの構成員に尋ねたことがあるのだが結局教えてもらえなかったからだ。その理由をアキはもうすぐ知ることになるのだがそれは割愛。

もう一つが偶然ではあるがハルがほぼ正解に近い形でアキの状態を知ってくれたこと。つまりはアキがDBによって操られているということに。その瞬間、アキはまさに歓喜の声を上げそうになってしまった。もっともデカログス達の手前そんなことはできず心の中でガッツポーズをするのにとどめておいたのだが。だがアキはある不安に襲われていた。それは


あれ……? なんかハルが旅立とうとする理由が変わってきてない? ということ。


それはアキにとっては別段問題ないこと。むしろばっちこいなのだが一抹の不安を感じずにはいられなかった。全てが原作通りに行くとは思ってはいないもののそれでいいのだろうかと。確かに旅立つだけならその理由でいいかもしれない。だがレイヴマスターとしてはそれはどうなのか。だがアキもどうしたらいいのかも分からずお手上げ状態。そして何よりもアキは罪悪感に襲われていた。

それはカトレアのこと。先程の感情的になり家から出て行ってしまった姿。その原因が自分にあることにアキは申し訳なさで一杯だった。確かに原作でもカトレアはレイヴの話を聞いた瞬間、ハルに感情的に怒っていたがあれほどではなかった。間違いなくその理由の一端は自分にある。同時にそこまで自分のことを心配してくれるカトレアとハルに感謝せずにはいられなかった。本当なら姿を見せて自分が無事だと知らせたいのだが色々な理由でそれもできない。


すみません……カトレア姉さん。ごめんな……ハル。こんな俺のために……何だろう、心が痛むわ。なんか自分勝手に動いてる自分の浅ましさが恥ずかしくなってくる……だが今更やめることもできん……よし! ちゃんと全部終わったらここに帰ってこよう! それでその時に謝ろう! そのためにやることはちゃんとやっておかねば……!


アキは決意を新たにこれからのことを考える。もっともほとんどやることなどないのだが。今回のアキの目的はハルがレイヴマスターになり島を旅立つことを確認すること。ただそれだけ。先程のように姿と気配を消しつつハルの動向を観察すると言う簡単な、悪く言えばストーカー行為をするのが目的。直接手を出したり姿を現す必要もない。もし自分が介入することでハルが旅立たなかったりすれば全てが台無しだからだ。だが現状はあまり芳しくない。

ハルは家に残ったまま。カトレアは街の方へ出て行ってしまいシバはプルーと共に海に向かって行ってしまった。原作とはタイミングや行動が異なっている。恐らくはアキという異物が紛れ込んでしまった影響だろう。

だがアキは最初こそどうするべきか狼狽していたがすぐにそこまで致命的な差異はないことに気づく。何故ならまだ大きな出来事、イベントが残っているのだから。シュダとの出会い、そして戦闘という物語にとって大きな意味を持つもの。序盤のハルの因縁の相手と言っても過言ではないシュダとの邂逅がこの後起こるはず。原作でもその戦いがハルが島から旅立つきっかけ、決意に繋がっていた。なら自分はそれを見守ればいいだけ。何よりもこの場にいるだけでも、ハルを監視しているだけでもアキにとってはとてつもないリスクを背負っている。

それはアキが持つDBたちの存在。いくらマザーがいないにしても、アキに忠誠を誓ってくれているとしても必要以上にハルの力に、レイヴマスターに協力すればいつマザーに伝わるかは分からない。今回の島への潜入もDCがガラージュ島を襲撃すると言う情報を手に入れアキはそれを防ぐためにやってきたということにしている。その際に偶然ハルがレイヴマスターになり、自分にとっては弟同然のハルには手を出すことができずひとまずは見逃すというかなり、というか無理がある言い訳をしたところ。それでも自分を信じてくれるDBたちを裏切っている事実に罪悪感を覚えながらもアキは己を鼓舞する。とにかくこの場を乗り切ればいいと。ここさえ乗り切ればあとはエリーとハルを引き合わせるだけ。当初の予定では獣剣のランスまでは監視する予定だったがあきらめるしかない。思った以上に自分にかかるリスクが大きすぎる。そこまでマザーを、DBたちを誤魔化しきるのは難しそうだ。何よりもそこを突破できないようならハルたちもそれから先を乗り切ることができるはずもない。あくまでこの物語の主人公はハルたち。自分はラスボス……ではなくサブキャラでしかないのだから。

アキは大きく背伸びをしながら洞窟を後にする。自分が介入することなど、出張ることなどないとないだろうと安心しきったまま。


そんな甘い展開が自分に許されるわけがないことをアキはすぐに身を以て味わうことになるのだった――――




「ごめんなさいゲンマ。突然おしかけちゃって……」
「でひゃひゃひゃ! 今更なに言ってやがる。いつもお前には世話になってるからな。気にするなって」


店の主であるゲンマはいつものように癖のある笑い方をしながら目の前の店のカウンターに座っているカトレアに向かって告げる。だがそんなゲンマとは対照的にカトレアはどこか沈みこんだ表情で座りこんでしまっている。いつものカトレアからは想像ができない姿。何とかそれを元気づけようと笑い続けるものの流石に無理があると悟ったのかゲンマは一度大きな溜息を吐いた後再びカトレアに目を向ける。

カトレアが突然店にやってきたのは一時間ほど前。初めはハルと喧嘩でもしたのかと思っていたのだがどうやらそんな簡単な事情ではないことを悟ったゲンマはそのままカトレアの相談を受けることになった。今はおおよその事情をカトレアから聞き終わったところ。だがゲンマもカトレアの事情については知ってるためどうアドバイスするべきか悩んでいたものの、いつまでも誤魔化してはいられないと腹をくくり話を進めていくことにする。


「しっかし今になってレイヴとはな……これも運命って奴なのかもな……」
「………」


ゲンマの言葉。レイヴと言う単語にカトレアは一瞬反応を示すもののやはり黙りこんだまま。何故ならそれはカトレアにとっては禁句、トラウマに近いものだったから。


「だけどいい機会なんじゃねえか……? お前だって分かってたんだろ? ハルがいつかこの島から出ていくだろうってことは……」
「……ええ。四年前にアキがいなくなった時からそうなることは私も何となく分かってたわ……」


カトレアはゲンマの言葉に頷きながらも思い出す。突然いなくなってしまったアキ。直接その現場をカトレアは見たわけではなかった。だがそれを見ていたハルの言葉と様子からそれが嘘ではないことは明らかだった。あの時のハルの様子は今でも目に焼き付いている。

島中を何日も探し続ける姿。いくら言ってもそれをやめようとはしなかったハル。ようやくそれが収まったもののハルがアキをずっと気にしていたのは分かっていた。そして恐らくは島の外に探しに行こうとしていることも。ナカジマに外の世界のことを聞いたり、図書館に行って慣れない本を開いてみたり。それでもハルはカトレアにバレないようにしていた。それはカトレアに知られれば怒られると思ったこと、そして何よりも島にカトレアを置いて行くことになってしまうことにハル自身が罪悪感をもっていたから。そのためハルは一度もそのことをカトレアに明かしたことはなった。

だがカトレアには分かっていた。ハルがアキを探しに行きたがっていることを。恐らくアキだけではなく心のどこかでは父であるゲイルもその中に含まれているのだろう。カトレアもそれを考えたことがないわけではない。アキはどこか大人びた子どもだった。きっと今もどこかで元気にやっているに違いない。それでも心配が尽きないが。もしアキが、父が帰ってきてくれれば。きっと四年前以上に楽しい毎日が送れるに違いない。そうなってくれればどんなにいいか。


「私、ハルが島を出ることは仕方ないって思ってる。きっとそれは止められることじゃない。あの子も男の子だしね……でも……」
「……レイヴ……か……」

ゲンマはどこか頭をかきながらカトレアの言葉の先を口にする。レイヴ。それがカトレアがハルが島を出ることに反対している理由。もしレイヴに関係なく島を出て行こうとしているのならカトレアもここまで反対することはなかっただろう。何故ならかつて同じ理由で島を出て行き、帰ってきていない人がいるのだから。


「カトレア……そろそろゲイルのこと、ハルにも話した方がいいんじゃねえか?」
「………」


『ゲイル・グローリー』

ハルとカトレアの父であり、ハルが生まれてすぐに島を出て行ってしまった人物。生きているのかどうかも分からない。だがその別れ際の言葉は今もカトレアの脳裏に残っている。

レイヴを探しに行く。

それが父の残した言葉。そして帰ってこない理由でもあった。そして奇しくもそれが今この島にある。しかもハルもそれに巻き込まれている。アキを探しに行くだけならまだいい。だがあの石に、レイヴに関わればハルも父のように帰ってこないのではないか。そんな不安と恐怖がカトレアにはあった。そのためあんなに感情的にハルに接してしまった。大けがを負っているシバに対しても。そのことに大きな自己嫌悪を感じながらもカトレアはそのまま沈み込んでしまいゲンマも肩を落とすしかない。ゲンマとしてはハルとカトレア。どちらの気持ちも分かる。そして何よりもゲンマはゲイルが生きていると信じていた。それは友人として。ゲイルが家族を捨てるような男ではないことを誰よりも知っているから。もしこの場にアキがいればカトレアにどんな言葉をかけるだろうか。そんなことを考えていると


「……? 何だ?」
「……?」


まるで何か騒ぎがあったかのような声が店の外から聞こえてくる。こんな昼間から何事なのか。特に今日は祭りのような行事があるとは聞いていない。ゲンマとカトレアが突然の、不自然な事態に顔を見合わせた瞬間突然店のドアが開けられる。まるで客が訪れたかのように。だがそれは客ではなかった。一目でその人物が只者ではないと二人は悟る。

その男は村の者ではなかった。この島の暑さの中にも関わらず不釣り合いなコートを羽織っている。そしてその腕には大きなブレスレッド。何よりも目を引くのがその瞳。まるで獲物を探しているかのような光がそこにはある。危険な空気を纏った男。


「この島にレイヴがあると聞いたんだが……知っているか……?」


DC最高幹部六祈将軍オラシオンセイスの一人

『爆炎のシュダ』

それがその男の名だった―――― 



[33455] 第十八話 「始まりの日」 後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/09/28 07:54
「この島にレイヴがあると聞いたんだが……知っているか……?」


コートを纏った男、シュダが店内にいるゲンマに向かってそう問いただしてくる。だがそれはまるでレイヴの場所をゲンマが知っていると分かっているかのような口ぶりだった。そんな突然の来訪者の言葉にゲンマとカトレアは戸惑いの表情を隠せない。何故なら既に目の前の男が普通ではないことに気づいていたから。その風貌、佇まい。明らかに危険な場所に身を置いている人物であろうことが見て取れた。


「お、お客さん……一体何言ってるんですか? 冷やかしは困りますよ……」


ゲンマはいつものように笑みを見せながらシュダに向かってそう答える。できるだけ自然に誤魔化せるように。だがゲンマは既に悟っていた。目の前の男が間違いなくこの島にレイヴがあるのを知った上でやってきているのだと。こんな誤魔化しなど長くは持たない。しかしゲンマはそれを分かった上でも何とか時間を稼ごうとする。それは自分の隣にいるカトレアを何とかこの場から逃がすため。自分だけならともかくカトレアの身を危険にさらすわけにはいかない。ゲンマにとってカトレアはハル同様、友人であるゲイルの子供。それを守ることが今のゲンマの為すべきことだった。だが


「お前が知らないわけないだろ、ゲンマ。貴様はゲイルのダチだもんな」


そんなゲンマを嘲笑うかのようにシュダの言葉が告げられる。ゲンマはその言葉に驚きを隠せない。初対面のはずの目の前の男が自分の名前を知っている。だがそれだけではない。ゲイル。そうシュダは口にした。自分の名前だけならともかく何故ゲイルの名前が出てくるのか。だがその疑問はゲンマだけのものではなかった。


「ゲイル……? あなた父さんのことを知ってるの……?」


カトレアが絞り出すように、呟くように口にする。その表情は怯えと戸惑いに満ちている。明らかに危険な雰囲気を纏ったレイヴを狙っている男。そしてそんな男が自らの父の名を口にしている。十年以上戻ってきていない父の名前を。突然の、理解できない事態の連続にカトレアは混乱するしかない。


「ほう……ゲイルの娘か。だが女に用はねえ。俺が聞きたいのはレイヴとシバの居場所だ」


シュダは一度カトレアに向かって目を向けるもすぐに用はないとばかりに再びゲンマに向かって行く。もし逆らうのなら容赦はしない。言葉にしなくともシュダの纏っている空気がそれを物語っている。しかし


「この島を出ていけ! ここにはレイヴは無え!」


ゲンマはそんな空気を、自らの危険を省みず店のカウンターに隠している銃を瞬時に取り出しシュダの額に向ける。それは護身用の銃。だがこの平和なガラージュ島では意味を為さずゲンマも一度も実際には使ったことのないもの。だがそれでもそれを感じさせないような気迫と覚悟でゲンマは銃を構える。しかし銃を目の前に突きつけられているにも関わらずシュダにはまったく動揺が見られない。むしろ楽しんでいるのではないかと思えるほど。


「ゲンマっ!?」
「何してるっ!? さっさとここから離れろカトレア!」


カトレアがそんなゲンマの姿に心配の声を上げるもののどうしようもない状況にその場に立ち尽くすしかない。このままゲンマを置いたまま逃げていいのかという思いがカトレアの決断を鈍らせる。だがその瞬間、それは起こった。


「なっ……!?」
「え?」


驚きはゲンマとカトレア二人のもの。二人の視線の先には銃があった。いや銃であったものが。既にそれは元の形を保ってはいない。まるで何かに断ち切られてしまったかのようにバラバラになってしまっている。何故そんなことになっているのか二人には分からない。だがその理由にようやくゲンマは気づく。それはシュダの姿。先程まで何も持っていなかったその手に剣が握られている。恐らくはコートに隠していたのだろう。だがそれを手に取る動きが、抜く動きが全く見えなかった。そして銃が切り捨てられる瞬間も。ゲンマは悟る。目の前の男が間違いなく達人レベルの剣の腕を持っているであろうことを。そしてその力の前には自分は全くの無力なのだと。


「どうやら力づくで聞き出すしかないようだな。恨むならこんな島にレイヴを持ちこんだシバを恨むんだな」


シュダはどこかつまらなげに告げた後その剣をゲンマに向かって振るう。文字通り力づくでレイヴの、シバの居場所を聞き出すために。ゲンマはその剣閃から逃れることができない。そんなレベルを遥かに超えた速さ。一般人であるゲンマにそれを躱すことなどできるはずもない。カトレアは目の前で起ころうとしている光景を前にただ見ていることしかできない。その声にならない悲鳴が響き渡らんとしたその瞬間、それは現れた。


「……え?」


それは一体誰の声だったのか。だがその場の全ての人間がその光景に言葉を失っていた。シュダでさえ例外ではない。何故ならそこには男がいたから。

ローブを身に纏った男。だがそれだけでは男だとは分からない。しかしその手にある物がその人物が男であるとその場にいる者たちが感じた理由。

それは剣だった。まるで身の丈も程もあるのではと思えるほどの巨大な剣。それを使いローブの男はシュダの剣を受け止めていた。まるでゲンマを助けるかのように。


「っ!」


瞬間、ローブの男の剣に力がこもり、その反動によってシュダはその場から弾き出される。だがシュダは一瞬驚くような表情を見せながらも全く動じず受け身を取りながらローブの男から距離を取る。まるで間合いを測るかのように。


「……貴様、何者だ?」


シュダはその鋭い眼光で睨みつけながらローブの男に問いただす。だがその手にある剣は既に構えられている。いつ戦闘が始まっても対応できるほどの殺気を纏いながら。それは先程の一合でシュダは相手の力量の片鱗を感じ取ったからこそ。先程シュダが振るった一撃は本気ではなかったものの並みの剣士では受けることすらままならないもの。それを受け止めただけでも十分警戒するに値する相手。だがそれ以上にシュダを警戒させている事実があった。それは


(こいつ……一体いつここに現れた……?)


目の前に現れるまで全くローブの男の存在に気づくことができなかったこと。だがシュダはそんなあり得ない事態に驚きを隠せない。確かに気を抜いていないわけではなかったが目の前に敵が現れるのを気づかない程シュダの実力は甘くはない。まるで突然目の前に現れた。それが今の状況を表すのに最もふさわしい言葉。そして今この街にはシュダの他に十人以上のDCの兵士が襲撃している。だがローブの男はそれに気づかれないまま、もしくはそれを突破してきたということ。シュダはそのまま剣を構えたまま相手の出方を伺い続ける。だがローブの男もそれに合わせるように剣を構えながらも動こうとしない。だが明らかに分かること。それはローブの男の立ち位置。まるでゲンマとカトレアを庇うようにローブの男はシュダと対面していた。


「大丈夫、ゲンマ……?」
「ああ……俺は何ともねえ……けど一体何だってんだ……?」


慌てながらカトレアはゲンマに近づいて行くもののゲンマが無事だと分かりカトレアは安堵の声を漏らす。だがすぐに意識を切り替えながら目の前の光景に目を向ける。

自分達を襲って来た男とそれと対峙しているローブの男。

だがローブの男はまるで自分たちを守るかのように背中を見せている。ローブを被っているからなのかその影に隠れて顔を伺うことはできない。だがその男が持っている剣をカトレアは知っていた。


(あれは……シバさんが持っていた剣……?)


それはシバが持っていた剣。鉄でできた巨大な剣。十字架のようなくぼみにはレイヴがはめられている。間違いなくTCM。ならシバが助けに来てくれたのだろうかとカトレアは考えるもすぐにそれが間違いであると気づく。それはローブの男の体型。ローブを被っているとしてもその背丈も、体の大きさも明らかに老人のシバではあり得ない。体型で言えばハルに近い姿。シバの話ではバルはレイヴの後継者に選ばれたと言っていた。ならハルなのか。だがカトレアはそれも間違いであるとすぐに気づく。目の前で起こる光景、剣士の戦いによって。


先に動いたのはローブの男だった。一度後ろにいるカトレアとゲンマを気にするようなそぶりを見せた後、それを振り切るかのようにその巨大な剣をシュダに向かって振り切って来る。だがシュダもそれを見切ったかのように自らの剣で受け止めるもそのまま店の外まで吹き飛ばされてしまう。だがローブの男はそんな優位であるはずの光景に浮き足出すことなくそのまま一直線にシュダの後を追い店の外へと飛び出していく。それはシュダの行動の意味を悟ったからこそ。

シュダはそのまま受け身を取りながらも立ち上がる。まるでローブの男がやってくるのを待っていたかのように。先の一撃を受けた理由。それは戦いの場を店から外、街中へと変えるため。それは店の中では剣で十分に戦えないこと。そして何よりもローブの男がゲンマとカトレアを気にしていることを瞬時に見抜いたからこそ。あの場で戦えばシュダにとっては有利だったのだがそれでは面白くない。シュダにとっては久しぶりに楽しめそうな相手なのだから。シュダはそこで改めて気づく。それは街の様子。そこには街の住民が誰ひとりいない。街も破壊されずそのまま。その場に残っているのは何者かによって戦闘不能にさせられているDC兵士だけ。間違いなくローブの男の仕業。十人を超える兵士をこの短時間で殲滅している。間違いなく只者ではない。


「どうやら腕は立つらしいな……それにその剣。お前がシバか?」


シュダはその剣を向けながら問う。ローブの男が使っている大剣。それが恐らくは噂に聞くレイヴの剣TCMなのだとシュダは見抜く。資料でしか見たことがなく実物を見るのは初めてだが間違いない。レイヴと思われる石も埋め込まれている。まず間違いなくレイヴマスターであるシバ・ローゼスのはず。


「…………」


だがローブの男は剣を構えるもののシュダの言葉には全く応えようとはしない。そのローブを脱ぐこともしない。シュダはその光景に違和感を覚えるものの些細なことだと切り捨てる。既にシュダにとっての興味はこれからの戦いに向けられていた。

剣聖。

それがレイヴマスター、シバ・ローゼスの持つ称号。それは剣士にとって最高の、そして最強の証。DCの最高幹部六祈将軍オラシオンセイスとして以上に今、シュダは剣士としてこの戦いを楽しみにしていた。

シュダが知る限りで最高の剣士はゲイル・グローリー。自分を負かせた超えるべき壁。だがそのゲイルですら剣聖の称号の前では霞んでしまう。もちろん今のシバは老人。全盛期の力などあるわけもない。だがそれでも剣聖と呼ばれた男の力、そしてその剣、TCMと戦うことをシュダは心待ちにしていたのだった。


「まあいい……じゃあさっさと始めるとしようか」


シュダは宣言と共に凄まじい速度でローブの男に接近しながら剣を振るう。それは先のゲンマに向かっての振るったものは桁が違う。本気のシュダの剣。並みの剣士なら受けることすらできない程の剣閃。だがそれをローブの男は真正面から臆することなく剣で受ける。その衝撃によって火花が散り、金属音がゲンマとカトレア以外誰もいなくなってしまった街に鳴り響く。二人はそのままその戦いに目を奪われる。いや見惚れてしまう。

それはまさしく剣舞だった。互いに真剣。一歩間違えば手足が無くなってしまう、命すら失いかねないやり取り。だがカトレアにはそれがまるで舞いを踊っているかのように見えた。

剣が交差するたびに火花が散り、砂埃が起こり、地面が切り裂かれていく。だがそこにはまるで危なげがない。呼吸をする間すらない程の速度でありながら時間が長く感じる程の一種の美しさがそこにはあった。

カトレアは悟る。ローブの男が間違いなくハルではないことに。いかに運動神経に優れた、喧嘩に強いハルでも昨日初めて剣を握ったハルにこんな戦いができるはずがない。

そんな何度繰り返されたか分からない程の剣の交差の後、両者の間に大きな距離が開く。互いの間合いの一歩外。


「流石だなシバ……どうやら腕は落ちてないようだな、安心したぜ」


シュダは大きく呼吸をした後獣のような瞳を見せながら笑みを浮かべる。それは強者と戦える喜び。それこそがシュダの戦う理由。いつかゲイル・グローリーを倒すという目的のために己を磨いている戦士の喜びだった。

カトレアとゲンマもそんな両者の戦いに目を奪われたままその場から動くことができない。もしそんなこといをすればこの場の均衡が崩れてしまう。そうなれば自分たちも唯ですまない。何よりもあのローブの男の邪魔になってしまう。戦いとは無縁の二人ですらそれが分かるほど両者の力は拮抗していた。

だがそんな中、明らかに他の人物達とは温度差がある胸中を持った人物がいた。


(どうしてこうなった……)


それはローブの男ことアキ。アキは剣を握りシュダと睨みあいながらも内心焦りまくりだった。何故こんな状況になっているのか。

アキは洞窟でフルメタルの埋葬を終えた後一度ハルの家に戻ろうとしていた。何にせよハルに張り付いていた方がやりやすいからこそ。だがその道中であることを思い出す。それはDCの襲撃。それ自体は覚えていた。だがその内容に思い当たったアキは焦ることしかできなかった。それは原作での出来事。その中でゲンマがシュダによって重傷を負わされてしまったことをアキはすっかり忘れてしまっていた。もしかしたらアキが何もしなくても原作通り無事に済むのかもしれない。だがアキの存在によって少なからず状況は変化している。ゲンマが助かったのはプルーの力があったからこそ。だが今プルーはシバと共に海へと向かって行ってしまっている。それが間に合わなければ最悪ゲンマは死んでしまうかもしれない。

それに気づいたアキは音速の剣シルファリオンの全速力で街へと向かった。本当なら姿を見せたり介入する気はなかったのだがそんなことを気にしている場合ではない。シュダがゲンマに接触する前にゲンマをどうにか街から遠ざけなければ。最悪気絶させて森にでも放置しようとアキは考えていたのだが時すでに遅く街にはDCが現れ今にも街を襲わんとしていた。色々な葛藤があったもののアキはそのまま半ばやけくそ気味に音速の剣シルファリオンによって兵士たちを全員切り捨てた後、一直線にゲンマの店へと直行する。そこには今まさにシュダによって斬られようとしているゲンマと何故か原作ではいないはずのカトレアの姿があった。

そしてあれよあれよという間に今の状況。アキは背中に滝のように汗を流しながらこの状況をどうするべきか必死に思考していた。


ど、どうなってんだ一体? カトレア姉さんまで一緒にいるなんて聞いてないっつーの!? というか何で俺今シュダと戦ってんの? しかも剣で。確かこの時のシュダって剣なんて持ってなかったような気がするんだけど……っていうかこの人、やる気満々なんですけど!? 好敵手にめぐり会えたみたいなバトルジャンキーみたいな顔になってらっしゃるんだけどこれどうすりゃいいんだよ!?


アキは今の状況に頭を抱えるしかない。ゲンマを助けるとはいえ姿を現してしまったのだから。

ハイドは戦闘には使えず、イリュージョンも近接戦をしながら姿を消せるほどの力はない。攻撃や防御、実際に行動に移る際には姿を晒さざるを得ない。ある意味制約のようなもの。それでも攻撃に移るまで姿を隠せるだけでも十分すぎる性能なのだがそれは六祈将軍オラシオンセイスレベルが相手になってくれば難しい。初見ならともかく二度目以降はほぼ通用しない。それでも何とかアキは二つの偽装、もとい小細工を行っていた。

一つはローブの影。それをイリュージョンによって偽装し絶対に顔を見せないようにしている。

そしてもう一つが剣。今アキが持っているのはデカログス。しかし表面上はTCMに見えるようにしている。それはデカログスを隠すため。

今この世界には二つのデカログスが存在している。一つはマザーによって造られたもの。もう一つがキングがエンクレイムによって造り出したもの。もしシュダがキングの剣がデカログスであることを知っていれば面倒なことになりかねない。

何よりもTCMに偽装すれば自分をシバに見せかけることができる。それが一番の狙いだった。そしてそれは何とか目論見どおりにいっている。だがアキが焦っているのはそれだけではなかった。


デカログスとイリュージョン。この二つ、いや二人のDBがアキの想像を超えて勝手にノリノリになっているから。


アキは今デカログスがかつてない程に力を漲らせ高揚していることを感じ取っていた。思わずそのテンションに、熱気にあてられてしまいかねない程に。それは今のシュチエーション。アキがカトレア〈本当はゲンマ〉を助けるという展開がデカログスにとってはどストライクだったから。

男が女を守りながら戦う。それこそがデカログスが待ち望んでいた戦い。とても魔石、悪の存在であるDBとは思えないような嗜好だった。


ちょ、ちょっと師匠、落ち着いてください! 何でそんなに戦意を高揚させてるんですか!? 相手はDCですよ? あいつ倒す必要はないんですって! とりあえずカトレア姉さんとゲンマを逃がす時間を、街のみんなが避難できる時間が稼げれば……え? そんなの関係ない? 女を守るのが男の務め? た、確かにそうですけどちょっと力を抑えてください! なんかクスリでも決めたかのように興奮が伝わって来るんです! っていうかゲンマは無視ですか!?


何とか暴れ馬を押さえつけるかのようにアキが奮闘している中もう一人着々と怪しい準備を進めているDBの姿があった。それはイリュージョン。アキは感じ取る。イリュージョンが何か自分が指示している以外の力を使おうとしていることに。


あの……どさくさに紛れて何しようとしてんのイリュージョン? え? 俺の黒髪を金髪に戻す準備と隠してる顔の傷を見せる準備? あっそう……って何それっ!? 何でそんなことしてんのっ!? んなことしたら正体ばれちまうだろうが!? は? シュダを倒した後にカトレア姉さんと感動の再会を演出するため? なんじゃそりゃああっ!? 何でそんなことせにゃならんのだっ!? っていうかお前そんなことするキャラじゃないだろっ!? そんなことはいいから今はちゃんと自分の仕事しろっつーの!


間違いなくマザーとエリーの悪影響によって乙女回路を全開になりキャラが崩壊しているイリュージョンを説得しながらもアキは何とかシュダと対面しながら打開策を模索する。

とにもかくにもアキは今はシュダの相手をしなくてはならない。先程のやり取りから剣術においてはほぼ互角。大きな力の差はない。これまで幻とはいえ全盛期のシバ相手に修行をしてきたのだから当然と言えば当然。そういった意味ではアキはシバの弟子と言えるかもしれない。となれば鍵になってくるのはそれ以外の要素。DBの力。

アキは自分の実力がどの程度のものなのか正確に理解していた。それは先のジェロ戦のおかげ。それによってアキは自分の強さがほぼ六祈将軍オラシオンセイスと同等であると知ることができた。イリュージョンとワープロードを併用すれば一対一であれば六祈将軍オラシオンセイスレベルであれば負けることはない。キング級になればマザーの力が必要だが。

そして今のシュダはまだ六星DBバレッテーゼフレアを持っていない。加えて原作で言えば初期の強さ。負ける要素はほぼないといっていい。倒すこと自体はそう難しいことではない。だが様々な理由からアキはシュダを倒すと言う選択肢を持つことができない。それを選ぶことでの影響が計り知れないからこそ。故にアキの選択は一つだった。


「そろそろ本気で行かせてもらうぜ!」


シュダが再び剣を構えながらアキへと迫る。アキはほぼ仲間割れを起こしかけている自らのDBたちを抑えながらもそれを迎え撃つ。そして剣が交差し凄まじい火花が散り鍔迫り合いが起こる。それは先程までの戦闘の焼き回し。そのまま再び両者の距離が開き仕切り直し。そうなるとアキが判断しようとした瞬間、あり得ない事態が起こった。

炎。

突然シュダの腕にあるブレスレッドから巨大な炎が生まれ剣に宿って行く。まるで踊り狂うかのように。

踊り続ける炎ヴァルツァーフレイム

それがシュダが持つDB。狙った相手が燃え尽きるまで相手を逃がさない炎を生み出すDB.だった。

重なり合ったシュダの剣からアキに向かって踊るかのような動きで炎が迫る。アキは一気に剣に力を込めシュダと距離を取るも炎はアキを逃がすまいと追い縋って来る。


「無駄だ! その炎からは絶対に逃げられんぞ!」


シュダはそんなアキを嘲笑う。剣の勝負では互角。だがこれは剣の試合ではなく殺し合い。生き残った方が勝者。前線で戦い続けたシュダだからこそ持てる非情さだった。そしてついにその炎がアキを包み込まんとした瞬間、

炎がまるで何かに切り裂かれたかのように消え去ってしまった。


「え!?」


カトレアは目の前で起こった光景に驚きの声を上げるしかない。そしてその目に映る。それはアキが持っている剣。それが先程までは異なっている。緑を基調にした剣。それは封印の剣ルーン・セイブ。その力によってアキは炎を切り払ったのだった。だが


「甘いな」


瞬間、勝負は決した。それはシュダの剣。それがアキを真っ二つに切り裂いている。まるでアキがそれを使うタイミングを見計らっていたかのように。それこそがシュダの真の狙い。ヴァルツァーフレイムは強力なDBだがシュダはそれに頼ってはいない。それを囮にした上での剣撃こそが真の狙い。まさか炎を切り裂くとまでは思っていなかったもののシュダはそのままアキを切り裂く。いや、切り裂いたはずだった。


「何っ!?」


驚愕はシュダだけのもの。何故なら確かに切り裂いたはずなのに全く手ごたえがなかったから。まるで幻を斬ったかのように。瞬間、切り裂かれたアキの光景が消え去っていく。まるで蜃気楼のように。だがそれだけではない。同時に霧の様な物が辺りに立ちこめてくる。それによってシュダは視界を封じられてしまう。


「ちっ……つまらない真似を……」


舌打ちをしながらもシュダは辺りの気配に注意を払う。これが恐らくはレイヴの力。視界を奪った上で奇襲を仕掛けるのが相手の狙いだとシュダは見抜き、剣を構えたまま身構える。確かに視界が封じられたのは痛いがそれは相手も同じ。加えて相手の気配を読み違えるほどシュダの実力は低くはない。逆に返り討ちにせんとシュダは剣を構える。だがいつまでたってもそれはやってこなかった。シュダの唯一の間違い。それは相手にとっての勝利条件が最初から自分とは異なっていたと気づくのが遅すぎたこと。


「……そういうことか」


シュダはまるで吐き捨てるように呟く。霧が晴れた後の街。そこには誰もいなかった。アキはもちろん、それを見ていたゲンマとカトレアまで。アキの目的が最初から二人を連れてこの場を離脱することだったとようやく気づいたシュダはそのまま剣をしまいながらも不機嫌な姿を見せたまま。せっかくの戦いに水を差されてしまったかのよう。そんな中


「シュダ様! こちらにいらっしゃいましたか!」
「何だ……オレは今機嫌が悪い。つまらんことなら承知せんぞ」


船で待機しているはずの兵士の一人が慌てた様子でシュダに向かって走り寄ってくる。どこか切羽詰まった表情をみせながら。シュダの纏っている危険な空気を感じ取りながらも兵士は恐る恐る報告を上げる。


「そ、それが……今、海岸にレイヴマスター、シバと思われる男が現れまして……」
「何? シバだと……?」
「は、はい……捕えようとしているのですが思ったよりも手強く……」


兵士は恐怖によって震えながらも現状を伝える。レイヴマスターとはいえ老人。しかもどうやら深手を負っているらしい。にもかかわらずそれに苦戦している報告を上げなければならない兵士は気が気ではなかった。だが


「シュダ様……?」
「………そうか。使えん奴らだ。すぐに戻ると伝えろ」
「……は、は!っ ご案内いたします!」


シュダは何か考え事をするような、引っかかりを覚えるような表情を見せながらもすぐに戦士としての顔に戻りながら海岸へと向かって行く。

先程まで自分と戦っていた相手。

それが何者だったのか。

そんな疑問を抱きながら―――――



[33455] 第十九話 「旅立ちの時」 前編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2012/09/30 05:13
「……! ……レア! ……カトレア!」
「ん……」


まどろみの中、誰かの声によってカトレアは次第に意識を取り戻していく。だがまるで寝起きのように頭がはっきりとしない。それでも何度か頭を振りながらもカトレアはゆっくりと体を起こす。


「ゲンマ……?」
「おう、目が覚めたかカトレア! なかなか目を覚まさねえから心配したぞ! 身体の方はどうだ? どこも怪我はねえか?」
「え、ええ……でも一体……?」


カトレアは自分の前の前にいるゲンマの姿に驚きながらも混乱するしかない。きょろきょろと辺りを見渡すもののそこはカトレアにとって初めて見る場所。どこか薄暗い空間。松明と思われるものだけが明かりのまるで洞窟のような場所。カトレアは自分の身に何が起こったのか全く見当がつかない。


「オレもさっき起きたばっかでさっぱりだ……さっきまで店にいたはずなのにどうなってんだ?」
「店……そうか、確か私たちあの時霧みたいなものに包まれて……」


ゲンマの言葉によってカトレアはようやく思い出す。先程までの出来事。街を襲って来た男。それから自分達を庇うように戦ってくれたローブの男。その戦いの最中にどこからともなく霧のようなもの辺りが包まれてしまったことまではカトレアは思い出す。だがそこから何が起こったのかは全く記憶にない。気づけばこんな場所にいた、まるで神隠しにあってしまったかのような状況。ゲンマもそれは同じ。だがいつまでもここにいても仕方がないと判断し、二人は辺りを警戒しながらも出口と思われる場所に向かって歩いて行く。途中、誰かがここで生活していたかのような痕跡が目につく。明らかに最近まで誰かがここで生活していたのは間違いない。その人物が自分達をここに連れてきたのだろうか。そんなことを考えながらも二人は日の光が差す場所、洞窟の出口までたどり着く。


「やっと出口か……ん? ここ、島の森の中じゃねえか……?」


洞窟の出口から辺りを見渡しながらゲンマがそう呟く。そこは間違いなくガラージュ島の森の中。しかもかなり奥深く。ここから微かに見える街の姿からそれは間違いない。しかしだとすれば余計に不可解なことだらけ。一体いつのまに自分達はこんなところまで連れてこられたのか。誰かが自分達を見張っている様子も、襲ってくる様子もない。誘拐だとすればあまりにもお粗末すぎるもの。


「よし……カトレア、とりあえずここから離れるぞ」


ゲンマはどうするべきか悩むもののひとまずはこの場から離れるべきだと判断する。いつ犯人がもどってくるか分からない。そして街に戻るのもひとまずは保留だ。まださっきのコートを羽織った男がいるかもしれないのだから。だが


「…………」


いつまでたっても返事がカトレアから返ってこない。カトレアはまるでゲンマの言葉が聞こえていないかのように何かに魅入られるかのようにその洞窟へと視線を向けていた。そしてその胸中にはある人物のことで満たされていた。


(アキ……?)


四年前に突然いなくなってしまったもう一人の家族、アキ。それが今、カトレアが思い浮かべている人物。何故それを今この場で思い出したのか。それは目の前の洞窟。それをカトレアは知っていた。そこはアキが毎日足を運んでいた場所だったから。

カトレアは思い出す。アキが島にやってきてからしばらく経った頃。アキが何故か夜中になると家を抜け出してどこかにいくようになった。それが気になったカトレアは一度だけその後を隠れて付いて行ったことがある。そして見つけたのが目の前の洞窟。何故こんな場所に夜中入り浸っているのか。それが気になり昼間再びアキが家にいる間にもう一度同じ場所に行ってみたものの洞窟を見つけることは出来なかった。何度かアキに尋ねてみようとは思ったもののきっと何か理由があるのだと思いカトレアはそのまま気づかないふりを続けることにしたのだった。

そして今、それが目の前にある。この洞窟の存在を知っている。そして先程自分達を救ってくれたローブの男。もしかしたらあれは――――


「カトレア、どうかしたのか? どっか調子でも悪いのか?」
「え? う、ううん何でもない。ごめんなさい、行きましょう」


カトレアはゲンマの言葉によって我に返りながらゲンマの後に続いていく。一度だけ洞窟に振り返りながら。どこか心配そうな表情がそこにはあった。もしアキならばどうして正体を隠す必要があるのか。あのローブの男が本当にアキかどうかは分からない。だがカトレアには奇妙な確信があった。例え四年と言う長い時間は離れていようとアキは家族。ならきっと間違いない。自分だけではない。自分以上にアキを心配していた、待っていたハルならきっと自分と同じように感じるに違いない。

カトレアはアキとハル、二人の身を案じながらもゲンマと共にその場から離れて行くのだった――――




太陽が照りつける海岸の砂浜。そこに二人の男の姿があった。一人はコートを羽織った男、シュダ。その手には剣が握られている。そしてもう一人が包帯姿の老人、シバ。だが包帯からは傷が開いてしまったために血が滲み出ている。呼吸は荒く、すでに立っているのがやっとの状態。その手にある剣、TCMを杖代わりにしているものの今にも倒れてしまいそうな重症だった。


「剣聖シバも歳には勝てずか……」
「ぐっ……!」


シュダがどこかつまらなげに告げる。既に勝負は決まっていた。シバは海岸に現れたDCたちから村を守るために戦い続けた。文字通り剣一本で。満身創痍、とても戦えるような状態ではないにも関わらず。それでも兵士達相手に一歩も引かずに戦うことができる。年老いてもなお剣聖の名は伊達ではなかった。だが目の前の相手、シュダは相手が悪すぎた。怪我がない状態ならば、そしてレイヴが使えたなら話は違っていたかもしれない。しかし今のシバでは時間を稼ぐのが精一杯。万に一つも勝ち目がない戦い。それでもシバは臆することなく、あきらめることなくシュダに対面している。その瞳の力は失われていない。それが五十年間、世界を想い戦い続けてきた男の姿だった。


「なるほど……剣聖の名は伊達ではないってことか……できれば若い頃のお前と戦ってみたかったが……ここまでだな」


シュダは剣士として目の前のシバに敬意を示しながらも剣を構える。とどめの一撃を加えるために。だがシュダの中には疑問が渦巻いていた。

一つがシバが全くレイヴの力、TCMの能力を使ってこなかったこと。TCMとはその名の通り十の姿に形を変える剣。その力はDBに匹敵するもの。いかに老人、そして重傷を負っているとはいえその力は健在のはず。にもかかわらず全くそれを使うそぶりを見せない。それすらできないほど消耗してしまっているのだろうか。

もう一つが先程街中で戦ったローブの男の存在。あの男がシバなのだとシュダは考えていたが明らかに目の前のシバの強さとローブの男の強さは一致しない。剣術においては確かに似通ってはいたが力や速さは全く違っていた。やはり別人だったと考えるしかない。

そんな疑問を抱きながらもシュダはその剣をシバに向かって振り下ろそうとした瞬間


「シバ――――っ!!」


叫び声と共に一人の少年が飛び込むように両者の間に割って入る。いきなりの事態に驚きながらもシュダは一旦その場から距離を取る。援軍、もしくはシバの仲間がいたことを警戒してのこと。そこには一人の少年がシバを庇うように支えている光景がある。歳は十五、六歳程。珍しい銀髪。それが少年、ハル・グローリーだった。


「シバ、大丈夫かっ!?」
「ハル……? なぜここに……?」
「プルーが案内してくれたんだ! それより動いちゃだめだ、傷が開いちまう!」
『プーン』


ハルは倒れ込んでしまうシバを何とか支えながらゆっくりとその場に座らせる。ハルがここに来たのはプルーのおかげ。シバの危機を感じ取ったプルーがハルに助けを求めたからだった。ハルはシバのボロボロの姿に表情を曇らせる。こんな体で戦い続けるなんてとても正気とは思えない。だがまだシバは戦う意志を失っていない。まるでハルに剣を差しだしてきた時と同じ、それ以上の覚悟がそこにはあった。ハルはその姿に圧倒される。一体何がシバをここまで突き動かすのか。知らず息を飲み、体が震える。それが何から起こるものなのか分からない。それでも自分が為すべきことをハルは悟る。


「任せろシバ……後はオレが何とかする!」


ハルはその手にTCM、レイヴを持ちながら目の前の男に対面する。シバをこんな目に合わせた、そして島を襲おうとしているDC。それを許すことなどハルにはできない。


「ほう……今度はお前がオレの相手をしてくれるってわけか」
「よ、止すんじゃハルっ! その男の強さは本物じゃ……前お主が戦った者とはケタが違う! 早くここからそれを持って逃げるんじゃ!」
『プーン!』


口から血を流しながらもシバに必死にハルを制止しようとする。それは先程の戦いでシュダの実力を知ったからこそ。以前ハルが戦ったDCの下っ端などとは文字通り桁が違う強さ。いかにハルがレイヴマスターの力を持っているとしても、才能があったとしても昨日剣を初めて持ったハルが敵う相手ではない。とにかく今はレイヴとTCMを持ってこの場から逃げることだけがハルにできること。そうシバは判断し声を上げる。だが傷ついたシバはそれ以上動くことができず傷を塞ごうとプルーがその体を震わせながらシバに近づいて行く。それを見ながらもハルは剣を構えたまま逃げる様子を見せない。それはハルの性格。今ハルは怒りを感じていた。シバをこんな目に会わせた相手に。そして街を襲おうとするDC。まるで四年前の再来。怒りによって頭に血が上ると周りが見えなくなるハルの悪い癖ともいえるもの。だがそれは純粋な、そして正義感が強いハルだからこそ。


「ダメだ……友達は守らなきゃダメだって姉ちゃんが言ってた!」


友達であるシバを守るためにハルは逃げることなどできない。それはレイヴマスターとしてではなくハル・グローリーとしての選択だった。


「……意勢がいいのは分かったが向かってくる以上容赦はせんぞ」


ひとまず様子を見ていたシュダだがTCMを持ちながら自分に対峙してくるハルに向かって再び剣を構える。そんな中


「……お前、DCの偉い奴なのか?」
「……? それがどうした?」


ハルがいきなり問いかけてくる。シュダはそんなハルの言葉の意味が分からない。今にも戦いが始まらんとしているこの状況で一体何を気にしているのか。だがそれは


「じゃあ……アキって奴のこと何か知ってるか?」


アキという予想外の言葉によって明らかになる。シュダは一瞬、目を見開きながら動きを止めてしまう。当たり前だ。この状況、場面でそんな人物の名前が出てくるなど想像できるはずもない。


「アキ……? 『売人のアキ』のことか?」


どこか不機嫌そうな表情を見せながらもシュダは答える。何故ならシュダにとってアキは快く思っていない、むしろ敵視しているに等しい存在だったから。シュダにとってアキは六祈将軍オラシオンセイスの選抜において自分を邪魔した存在。本人の実力ではなくDBを献上することで幹部にまで成り上がった者。売人という二つ名も誰かがそれを揶揄したものなのだろう。キングが定めた掟、DCの幹部同士での私闘は禁止されているため手は出せないもののいつかあの時の屈辱を晴らさんと誓っている相手。そんな相手の名前がまさかこんなところで、しかも島の住人から聞くことになるとはシュダは思ってもいなかった。だがそれを遥かに超える事実がハルの口から告げられる。


「売人……? 何だよそれ、金髪の悪魔じゃなかったのかよ?」


『金髪の悪魔』

DCにいる者、いや世界中の人々が知っているであろう畏怖すべき二つ名。

十年前、完璧と言われた砂漠の監獄メガユニットから脱獄した恐ろしい邪念と秘めているとされる少年。

帝国はそれを恐れ、そして賞金稼ぎたちが血眼になって探している賞金首。かつて賞金稼ぎだったシュダもそれを追っていたことがある存在だった。


「金髪の悪魔だと……?」
「そうだ。前この島に来た奴らがそうアキのことを呼んでたんだ。答えろよ! 今アキはどうしてるんだ! 何でDCになんかに入ってるんだ!?」


ハルは声を荒げながら問い詰めようとする。今アキがどうしているのか。どこにいるのか。下っ端などではない、幹部であるシュダならきっと何かを知っているに違いないという狙いだった。だがシュダはそのまま黙りこんでしまう。何かを考え込んでいるかのように。だがすぐにシュダの顔に笑みが浮かぶ。まるで面白いことを聞いたと言わんばかりの表情。


「な、なんだ!? 何がおかしいんだよ!?」
「いや……何でもない。だがオレも奴のことはほとんど知らん。DBを売り歩いていることとふらふらと世界中を渡り歩いているらしいことぐらいだ。レイナの奴なら何か知っているかもしれんが……」
「レイナ……? 誰だよそれ? それになんでそんなこと俺に簡単に教えるんだ?」


ハルはどこか拍子抜けしたかのような姿を見せる。まさか本当にアキのことを教えてもらえるなどとは思ってはおらず勝負に勝ってから聞き出そうと考えていたからだ


「面白いことを聞かせてもらった礼だ。どっちにしろお前はここで死ぬ。冥土の土産だ」


死の宣告を告げながらシュダは剣の切っ先をハルへと向ける。これから死ぬ人間に何を話しても問題はない。情けだと言わんばかりの姿にハルもこれ以上言葉は無用だと悟る。そしてしばらくの間の後、勝負が始まった。いや、それは勝負、戦いですらなかった。


「はあああああっ!」


先に動いたのはハルだった。ハルはその手にあるTCMを振るいながらシュダに向かって行く。臆することなく一直線に。絶対にこの戦いには負けられないという気迫と覚悟を持って。だがそれは無残にも破れ去る。


「くっ!」


苦悶の声は攻めているはずのハルのもの。ハルはただ目の前の光景、そして事態に焦燥していた。自分の攻撃が、剣が全く当たらない、躱されてしまっている状況に。

間違いなく今自分は攻めている。その証拠に相手はそれから逃げているだけ。にもかかわらずまるで自分が追い詰められているかのような感覚がある。そう、まるで全てを見切られているかのよう。そう言っても過言ではない程にシュダはハルの攻撃を紙一重のところで避け続けている。表情一つ変えず。汗一つかかず。逆にハルの方が息が上がり、汗にまみれ疲労していく。

それは圧倒的な経験の差。剣を使うこと自体が二度目のハルと剣を極めていると言っても過言ではないシュダ。ハルの動き、剣の軌道はシュダに完全に詠まれている。素人同然のハルの剣などままごと同然。加えて砂浜と言う悪条件下。シュダにとっては剣で防御する必要すらないもの。両者の間には子供と大人以上の力の差があった。


「無駄だ。そんな剣じゃオレに触れることすらできん」
「……! うるせえ、ならこれならどうだ!」


ハルは焦りに身を支配されながらも一発逆転を狙うために剣に力を込める。ハルもこれまでもやりとりで自分が目の前の男に剣では全く勝負にならないことを悟っていた。昨日戦った兵士とは比べ物にならない強さ。だがそれでもハルの目にはあきらめはない。例え剣術で劣っていてもそれを覆せる力が今のハルにはある。それは


爆発の剣エクスプロージョン!!」


レイヴの力。TCMと呼ばれる十剣の能力。鉄の剣から形態を変えた第二の剣がシュダに向かって振り下ろされる。シュダは当然のようにそれを躱すもののそれこそがハルの狙いだった。


「何っ!?」


瞬間、初めてシュダの表情に驚きが浮かぶ。同時にシュダがその衝撃によって吹き飛ばされ体勢を崩す。爆発。それがハルが振り下ろした剣から巻き起こった。その衝撃と巻き上げられた砂によってシュダは吹き飛ばされる。それこそがTCM第二の剣、爆発の剣エクスプロージョンの力だった。


「ハアッ……ハアッ……! ど、どうだ……!」


肩で息をしながらもハルは確かな手応えを感じていた。普通の剣の戦いでは及ばないが自分にはレイヴの力が、TCMの力がある。例え避けられても爆発の剣エクスプロージョンならば少なくとも爆風や衝撃でダメージを狙える。その分自分の体にも負担がかかるのだが相手に与えるものに比べれば微々たるもの。だがハルは気づかない。先程の一撃が悪手であったことを。シュダを本気にさせてしまったことに。


「なるほど……そういうことか。お前が後継者か」


シュダは立ち上がりながら改めてハルに向き合う。だがその瞳が、表情が明らかに先程までとは違う。どこか遊び半分の雰囲気があったそれが今は全くない。完全にハルを敵として捉えている剣士の表情。それはハルがレイヴの後継者、二代目レイヴマスターだと気づいたから。

それはハルの手にあるTCM。それが先程までとは形が変わっている。そして先程の爆発。シュダはそれがあの剣の能力だと看破する。同時にハルが二代目レイヴマスターであることを。レイヴはDBとは違い使用者が限られる。その力の奪い合いが生まれないよう世界で一人しかレイヴの力は扱えない。シュダは納得する。だからこそシバはレイヴの力を使うことができなかった理由なのだと。それはつまり殺すべき相手、倒すべき相手がシバではなく目の前の少年に変わったということ。


「なら仕方ねえ。オレの力も見せてやろう」
「くっ!」


今までずっとハルの攻撃を避け続けるだけだったシュダが剣を振りかぶりながらハルへと接近していく。その速度と重圧に圧倒されながらもハルは再び爆発の剣エクスプロージョンを振るう。もし避けられても爆風によってダメージを、ダメージを与えられなくても目くらましにはなると考えてのもの。だがそれを裏切るかのようにシュダはその剣で爆発の剣エクスプロージョンを受け止める。


「え!?」


その行動にハルは驚きの声を上げるしかない。何故今まで避けていたのにわざわざ剣で受けるのか。そんなことをすれば爆発によって剣が折れてしまいかねないというのに。だがその疑問は驚愕に、そして戦慄に変わる。

それはシュダの動き。爆発が起きた瞬間、まるでそれを受け流すかのようにシュダが体をひねりながら剣を振るってくる。そんなあり得ない動きにハルは呆気にとられるしかない。初見で爆発の剣エクスプロージョンの威力を看破した、そしてそれ以上にそれを受け流せる技量を持ったシュダだからこそできる技。しかしそれ以上の衝撃がハルを襲う。


「な、何だこれ!?」


それは炎だった。いつの間にかシュダの剣に宿っている炎がまるで自分を狙っているかのよう襲いかかって来る。ハルはその熱に叫びを上げ必死に距離を取ろうとするも炎は逃がすまいと追い縋って来る。まるで生きているかのように。それがシュダの持つDBヴァルツァーフレイムの力だった。


「お前のその剣が爆発の剣だとすればオレの剣は炎の剣。どっちが上か分かったか?」


シュダが既に勝負は終わったと言わんばかりに宣言する。同時にどこか失望したかのような雰囲気を纏いながら。それは先のローブの男との戦闘のせい。最初シュダはハルがあの時のローブの男であり剣の腕も自分を欺き油断させるためだと思っていた。だがそれが勘違いであったことをシュダは確信する。流石にここにきてまで実力を誤魔化す必要など無い。あれが一体何者なのかは分からないが先にレイヴマスターを排除するのみ。


「ちくしょう……なら……!」


炎から逃げきれないと悟ったハルは残った力を振り絞りながら海へと飛び込む。同時にハルに纏わりついていた炎も海水によって沈火される。ハルは何とかその場から立ち上がるも既に満身創痍。炎による火傷によって体はボロボロ。加えて先程までの攻防によって体力も限界。しかも炎による攻撃は海に逃げることでどうにかできるが剣ではシュダに及ばないことは変わらない。頼みの綱の爆発の剣エクスプロージョンも通用しないことは分かっている。まさに絶体絶命の状態。


「なるほど……少しは頭も回るようだな。だがもう限界だろう。楽にしてやる」


言葉と共にシュダが再び炎の剣を振るう。同時にその剣から再び踊る炎が生まれハルへと迫る。その数と勢いは先程の比ではない。海に逃げ込んでも負傷は避けられないほどの規模。加えてシュダ自身も剣を振りかぶりながら迫って行く。例え海に逃げ込んでもその隙を狙いハルを斬るために。もはやハルには退路すらのこされてはいなかった。


「いかんっ! ハル、もういい逃げるんじゃあっ!」
『プーン!』


その光景にシバが悲痛な叫びをあげる。既に満足に動くことすらできない体を引きずりながらハルを庇いに行こうとするも間に合わない。シバは絶望する。こんな事態を招いていしまった自分に。レイヴをこの島に持ち込んでしまったがために、レイヴマスターの力を与えてしまったために何の罪もない少年が命を奪われようとしている。シバはただ自分の無力さを呪いながらその時を待つことしかできない。

ハルはそんなシバの声が聞こえていた。痛みによって、疲労によって意識を失いそうになりながらもその声を、言葉を。

逃げろ。

それがハルの頭によぎる。あれはいつだったか。そう、それは四年前。奇しくも今と同じDCが島を襲ってきた時。あの時も自分はDCに襲われ為す術がなかった。だがあのときはアキが助けてくれた。その姿は今もこの目に焼き付いている。

その姿に憧れた。自分もあんな風に誰かを守れたらと。

その姿に嫉妬した。自分には何故力がないのかと。

だから体を鍛え続けてきた。もう同じことを繰り返さないように。姉ちゃんを、島のみんなを守れるように。

そしていつか、アキを探しに行けるように。

なのにまた繰り返すのか。これじゃああの時と同じだ。アキに守られたあの時と。

泣きながらただアキを見送ることしかできなかったあの時と。


「ああああああっ!!」


ハルはそのまま走り出す。シュダに、炎に向かって。残った全ての力をその手に込めて。決して逃げないと、そう誓うかのように。


そうだ。ここで負けたら、死んだらシバを、友達を助けることができない。島のみんなを助けることも。姉ちゃんを守ることも。そんなのは絶対に嫌だ。姉ちゃんを悲しませることはしないって誓ったんだ。あの日、アキがいなくなったあの時に。

そのアキのことが分かったんだ。やっと。もしかしたら探し出すことができるかもしれない。会えるかもしれない。なのに、それなのに。


こんなところでオレは負けるわけにはいかない―――――


それが四年間、ずっとハルが抱いてきたもの。そしてハルの今の戦う理由だった――――


瞬間、風が吹き荒れた。まるで台風のような風が。そしてその一瞬で全てが終わった。

その光景に誰一人声上げることができない。まるで何が起こったのか分からないかのように。シュダは視線を向ける。それは自らの右腕。そこにあったはずのものが砕け散っている。DBがはめ込まれていたブレスレッド。それが無残にも砕け散ってしまっている。DBもろとも。だがそれはあり得ない。DBはいかなる兵器によっても傷つけることができない魔石。しかしそれを為し得る唯一の力。それがレイヴ。同時にシュダは確かに見た。それは自分に向かってくるハルの姿。だがそれは先程までは大きく違っていた。

それは速度。まるで風のような、目にも止まらぬ速度で以ってハルは炎を振り切り、そして自分の反応すら超えて剣を振るってきた。人間の限界を超えたかのような速さ。何とかそれをかわそうとしたもののシュダはその腕にあるDBを失ってしまった。

ハルはそのまままるで勢いが殺しきれないかのように砂浜へと転がって行く。初めて出した未知の力に翻弄され、制御できなかったかのように。その手には剣が握られている。だがそれは爆発の剣エクスプロージョンでも鉄の剣アイゼンメテオールでもない。


音速の剣シルファリオン


それがその剣の名前。TCM第三の剣。かつてアキがハルを救うために使い、そしてそれを記憶に、目に焼き付けたハルが呼び起こした力だった。


「な、何だこれ? オレ、一体……」


ハルはふらふらと立ち上がりながらも自らの手にある剣に驚きを隠せない。だが確かにこの剣には見覚えがある。そしてようやく気づく。自分がその力を使いシュダのDBを破壊したのだと。そしてすぐさま再び剣を構える。歯を食いしばり何とか体に鞭打ちながら。DBを破壊できたと言ってもまだ相手は無傷。まだ戦いは終わっていないのだから。だが


「ふっ……はは、はははは!」


シュダはまるで何かがおかしくて仕方ないとばかりに笑い始めてしまう。人目をはばかることなく。自分のDBを破壊されてしまったにも関わらず。ハルはそんな理解できない事態に呆然とするしかない。だがシュダは笑い続ける。それはレイヴの力を目の当たりにしたこと。そして何よりもハルの底力、その才能の片鱗を垣間見たことによる戦士としての喜びだった。


「面白い小僧だ。オレの名はシュダ。貴様の名は?」


ひとしきり笑い終えた後、どこか楽しげな笑みを浮かべながらシュダは問う。それは名前。戦いの前に名乗りを上げるのが戦士の流儀。それはシュダがハルを戦士だと、戦うに相応しい相手だと認めた証でもあった。ハルは戸惑いながらもそれに応える。


「ハル……ハル・グローリーだ……」


その名の意味を知らぬまま。


「っ!? グローリーだと……? まさか貴様、ゲイルの息子か……?」


シュダは驚愕の表情を見せながらもハルの姿を、瞳を改めて見据える。そこには確かにゲイル・グローリー、自分が超えるべき男の面影があった。同時にシュダは気づく。ハルという目の前の少年の持つ運命とでも言うべき様々な因果、因縁を。


「……!? ど、どうしてお前が親父のことを知ってんだよ!?」
「やはりそうか……ゲイル、売人のアキそしてレイヴ……本当に面白いことになってきやがったな……」


シュダは笑いをこらえることができない。ハルという少年の、男の魅力に。強さの片鱗に加えて様々な因果。これで楽しめないとすれば何を楽しめると言うのか。


「ここで殺すのは惜しいな。勝負はここで預けておく。もし追ってくるなら次会う時にはもっと腕をあげておけ。せっかくの剣が宝の持ち腐れにならないようにな」


シュダはハルの言葉を無視するかのように剣を収めたまま海に停泊している船へと戻って行く。今は見逃してやると、そう背中で語りながら。


「ま、待て! どうしてお前が親父のことを……!」
「待てハル! これ以上奴を追っても無駄じゃ! お主もこれ以上は戦えん……!」
『プーン!』


満身創痍の体を引きずりながらハルが去っていこうとするシュダを追おうとするも何とかそれはシバとプルーによって止められる。ハルはそれを振りほどこうとするも叶わずその場に座り込みそれを見送ることしかできない。だが既にハルに戦う力が残っていないのは明白。ハルは悔しさに顔を歪ませながらもその場に倒れ込むしかない。体の傷と疲労。そして何よりも自分の知らないこと、事実の連続。


(親父……アキ……)


ハルは今ここにはいない、そして事情が掴めない二人のことを想いながら意識を失うのだった―――――




そしてそんなハルの姿を見つめている間抜けな少年の姿があった。

それはアキ。だがその姿は汗だくで疲労しきっている。まるでフルマラソンを完走したかのように。何故ならアキは今までずっと音速の剣シルファリオンで島中を走り回った後だったのだから。

アキはシュダとの戦闘の際、ワープロードによって森の洞窟まで瞬間移動をした。もちろんカトレアとゲンマをあの場から離脱させるために。その布石としてイリュージョンの力を使い霧を生み出し視界を遮ったまま。移動した場所が洞窟だったのはそこがガラージュ島におけるワープロードのマーキング地点であるため。それを見られることはアキにとってはリスクがあるのだが背に腹は代えられず、ワープロード以外ではあの場をシュダに気づかれずに脱出することは困難だったためアキはそうせざるを得なかった。もうあの洞窟を使うこともないだろうという見通しもあってのことではあったのだが。

そしてアキはそのまま二人を洞窟に置き去りにしたままハルの家へと戻る。シュダが来た以上何か不測の事態があった場合は対応するため。既に原作では違う場所にいた筈のカトレアがゲンマと共にいたという不測の事態があったこともありアキは万全を期す狙いだった。だがそれは呆気なく砕け散る。何故なら既にハルは家のどこにもいなかったから。

アキは混乱する。一体どこにハルは行ってしまったのか。もしかしたら入れ違いで街に行ってしまったのかもしれない。それともシバを探しに海岸に行ってしまったのか。もしかしたらそれ以外の場所の可能性もある。アキは一人家に残っているナカジマの訳の分からない独り言の中オタオタするしかない。ゴルとかポイとかカブトムシとかおよそ意味が分からない単語を連発しているナカジマに向かって全力で壁ドンした後アキは手当たり次第でハルを探すことになった。全速力で、息が切れてしまうほどの全力で。そしてようやく見つけたとも思えば既にハルとシュダの戦闘が始まっており今にもハルが負けそうな場面。もはや体裁も糞もないとばかりにアキがそのまま助けに入らんとした瞬間にあり得ない事態によって戦闘は終了。アキはまるで魂が抜けてしまったかのようにその場に立ち尽くすしかない。


あの……これ、一体どういうこと……? 何でハルがもう音速の剣シルファリオン使ってんの……? それって確かまだ随分先のはずなんですけど……もしかして俺のせい? うん、やっぱりそれしかないか……って待て俺っ!? 何普通に納得してんだ!? いいわけないだろそれ!? ま、まさかあの時の行動がこんなことになるなんて……い、いやここは結果オーライだろ。あれが無かったらほんとにハルの奴負けてただろうし……他の剣は見せてないし大丈夫だよな……? っていうかさっきも思ったけど何でシュダが剣持ってるんだよ!? 何!? ハードモードなの!? そんなの頼んでもいないっつーのっ!? というか何だよ売人のアキって? 二つ名っていうかただの悪口じゃねえか!? どおりでDC兵士が教えてくれないわけだ……爆炎とか龍使いとか時の番人とかみんなカッコ良さそうな二つ名なのに何で俺だけ……? いくら実際に戦ってない幹部だとしても酷すぎる……どこに文句言えばいいの、というか誰がこんな二つ名広めたんだちくしょう……!


アキはあんまりな扱いに不満を爆発させながらも一応安堵していた。音速の剣シルファリオンをこの段階でハルが使えるようになってしまうのは予想外だったが何とか原作通りシュダを追い払うことができた。これからの展開に多少の差異は出るかもしれないがハルが強くなる分には問題はない(と割り切ることにした)。だがアキは最も気にしていた、自分の、そしてハルの運命を左右しかねない大一番を乗り切った。これでもう大丈夫だと、そう肩の荷が下りた心境だった。


故にアキは気づかなかった。

自分が知らぬ間に新たな地雷が、命に関わる大きさの死亡フラグがたったことに―――――



[33455] 第二十話 「旅立ちの時」 後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/09/30 23:13
長かった一日が終わり、日が暮れ始めようとしている中、一人の少年がソファに座り込んだまま何かをずっと考え込んでいた。その手の中には小さな石がある。十字架の形をした石。レイヴと呼ばれる聖石。この世界で唯一DBに対抗できる、レイヴマスターだけが扱える力だった。


(親父……)


座りこんでいる少年、ハルはその手にあるレイヴを見つめながら思いを馳せていた。自らの父、ゲイル・グローリー。自分が物心つく前に島を出て行ってしまった人。ハルはその姿を写真でしか思い出せない。小さい頃は父親がいないことに寂しさが、不満があった。他の島民がみんな家族で暮らしているのに何で自分の家には父親がいないのかと。だがそれをすぐにハルは心の奥底にしまい込んでいた。それは自らの姉、カトレアのため。父親がいない自分のために、自分の我儘のために姉を危険な目に会わせてしまったことがハルにそうさせていた。自分に父親はいらない。姉が、カトレアがいればいいと。それでも心のどこかでは父親への思いが残っていた。そしてそれが今、かつてないほどに大きくなりつつあった。

それはゲンマから先程聞かされた話。

ハルは海岸でのシュダとの戦いの後、やってきたゲンマ達によって家まで運ばれた。戦闘によって疲労し、気絶してしまっていたためだ。怪我自体は大したことはなく、火傷も後遺症も残らないとのこと。むしろ大きな怪我をしたのはシバの方。たたでさえ大怪我をしていたにもかかわらずDCの兵士たち、そしてシュダまで相手にしていたのだから。今は二階のハルの部屋に寝かされている。意識は戻っているが絶対安静。プルーの力もあるので命に別条はないようだ。そしてようやく落ち着いた後、ハルはゲンマによってある話を聞かされる。

それは父、ゲイルが島を出て行った本当の理由。レイヴを探しに行くこと。それがその理由であったこと。決してゲイルは家族を捨ててこの島から出て行ったわけではないこと。ハルにとっては少なくない衝撃を受ける内容。だが今なら納得できる理由だった。

ハルは思い出す。それは四年前。DCによって破壊されてしまった街。傷ついた人々。それがDCによって世界中に起きている。DBという力によって。だがそれに対抗できるのはレイヴだけ。だからこそ父はレイヴを探しに旅立ってしまったのだろう。DCによって、DBによって苦しめられている人々を救うために。その気持ちが今のハルには分かる。

そしてもう一つ。それは姉、カトレアのこと。何故あんなにレイヴという言葉を聞いただけで怒っていたのか。どうして父が出て行った理由を今まで自分に教えてくれなかったのか。きっとそれを聞けば自分が島を出て行ってしまう、そして父同様帰ってこないのではないかとカトレアは心配していたに違いない。

ハルは一度大きな息を吐いた後、窓から外へ目を向ける。もう日が沈み、夜になろうとしているのにカトレアは出かけるといったきり帰ってこない。ゲンマが父のことを話し終えた後、カトレアはまるでハルを避けるかのように出て行ってしまったまま。ゲンマの既に街へ戻って行った。そしてハルはずっと考え続けていた。いや、それは違う。もう心は決まっていた。後はその覚悟を形に、口にするだけ。


「……シバ、入っていいか?」
「! うむ、かまわんぞ」


ハルは階段を登り部屋をノックした後、ゆっくりと部屋へと入って行く。そこにはベッドの上で体だけを起こした老人、シバの姿があった。その膝の上にはプルーの姿がある。どうやら思ったよりも状態がいいらしいことにハルは安堵しながらもシバへと近づいて行く。


「体は大丈夫なのか、シバ?」
「はむ、見ての通りじゃ。まだ動くのは難しいがしゃべるのは問題ない。お主とプルーのおかげじゃよ」
「そっか……」


ハルはそのまま近くにある椅子に腰かけながらシバと対面する。だがハルはそのまま口を閉じ、黙りこんでしまう。まるで何かを口にしようとしながらもそのタイミングが計れないかのように。

シバはそんなハルの姿に、おおよその事情を悟った上で静かに待ち続ける。ハルが自らの口でそれを話し始めるのを。どこか見守るかのような優しさを感じさせる表情を見せながら。プルーもそんな雰囲気を察したのか二人を交互に見ながらもじっと待ち続けていた。そして長い沈黙の後


「シバ……オレ、二代目レイヴマスターになる」


ハルは宣言する。己の意志で。誰に強制されたわけでもなく、レイヴに選ばれたからでもなく、ただ自分の心に従って。その言葉には静かだが確かな覚悟があった。シバはそんなハルの言葉と姿にもはや何も言うことはないとばかりに静かに、深く目を閉じた後、それを手に取る。

それはTCM。シバにとって魂にも等しい剣。かつて友が自分のために打ってくれた世界でただ一つの剣。だがその姿は大きく変わり果ててしまっている。刀身は既になく柄と鍔が残っているだけ。それは先のハルとシュダの戦いにおける代償。五十年の永きに渡り戦い続けてきた代償だった。奇しくもそれは今のシバの姿と似通っている。主と剣。互いに限界を超えて戦い続けた姿。だがそれをシバはハルに向かって差し出す。いつかと同じように。その瞳に、手に失うことなき意志を宿しながら。


「ハル・グローリーよ、ワシに代わり、二代目レイヴマスターとして戦ってくれるか?」


それはあまりにも重い言葉だった。シバの五十年間、人生の全てを込めた言葉。ハルへの期待、そしてハルの全てを託すしかない自らのふがいなさ。様々な意味を持った言葉。だがハルはそれを真っ直ぐに受け止める。以前は圧倒されるだけだった。思わず後ずさりしてしまうほどに。だが今は違う。世界のために。正直にいえばまだ実感が湧かない。いやそんなことできるわけがない。昨日今日でそんな覚悟が持てるなんてあり得ない。だがそれでもハルは得た。苦しんでいる人々を救いたいという願いを。そして自分自身の戦う理由を。


「ああ、任せてくれ、シバ!」


ハルは満面の笑みを見せながらその剣を、魂を受け継ぐ。世界の剣。その重みを実感しながら。


「よし……行くぞ、プルー!」
『プーン!』


ハルは身支度を整えプルーと共に部屋を出て行こうとする。海を渡るため食料やら何やらで大きな風呂敷を背負ったまま。島を出るということに少なからず憧れがあったハルはどこか興奮した姿を見せていた。そんなハルの姿を微笑ましく見つめながらも釘をさす意味でシバはもう一度伝える。まずハルが向かうべき場所。そしてするべきこと。


「よいかハル……まずはパンクストリートにいるムジカという鍛冶屋に会うのじゃ。あやつならその壊れたTCMを直すことができるはずじゃ」
「分かってる! TCMが直らないとDCとも戦えないからな!」


ハルは自分に言い聞かせるように復唱する。TCMの生みの親である鍛冶屋ブラックスミスムジカに会い、それを直すこと。それがハルの第一目標。そしてそれからは世界中に散らばってしまっているレイヴを集めること。全てのレイヴの力がなければ母なる闇の使者マザーダークブリングを倒すことができないからだ。ハルは全ての準備を整えいざ出発せんとする。だが何かを思い出したかのようにその動きを止めてしまう。


「……? どうしたんじゃハル、忘れ物か?」
「いや……そういえばオレ、シバに聞いときたいことがあったんだ……」


ハルは改めてシバに向かい合いながら視線を向ける。それは疑問。そして何度も感じてきたもの。


「どうしてシバはレイヴマスターになったんだ……?」


そんな今更聞くこともできないような当たり前の問い。だがハルはそれを尋ねる。それは何度も目にしたから。どんな状況でも、大怪我を、命を危険に晒しても決してシバはあきらめなかった。どうしてそこまでできるのか。五十年と言う長い間。一度も折れることなく。

シバはそんなハルの言葉に一瞬驚くような表情を見せながらもすぐに笑みを浮かべながら答える。自分の戦うべき理由。その原点。


「……約束なんじゃよ」
「……約束?」
「五十年以上前にある少女と約束したんじゃ……レイヴを手にしながら。その娘の願いを叶えると……」


シバはどこか遠くを見るような顔で想いを馳せている。誰からも愛され、そして踊ることが大好きだった少女。

それを捨ててまで、命を賭けてまで願いを、平和への意志を遺した少女。

その少女との約束がシバの原点。還るべき場所。


「そっか……うん、ありがとう! オレもシバに負けない理由を見つけてみせる!」
「うむ、お主ならきっとできる。気をつけてな」


シバの言葉に何か感じ入るものがあったのかハルはそれまで以上に元気を見せながらシバに別れを告げ家を後にする。シバはそんな慌ただしくも頼もしい少年の旅路を見送る。

ハルに待ち受けるであろう試練、困難。その重さを知りながらもきっとハルなら乗り越えられると信じながら―――――




日も沈み、月と星だけが灯りとなってしまった海岸。その一角に一人の少女の姿があった。それはカトレア・グローリー。カトレアは地面に腰を下ろしたままただじっと目の前にあるものを見つめ続けている。それは墓石。大切な家族。そして失ってしまった愛する人。

『サクラ・グローリー』

いつも自分達を優しく見守ってくれていた母の墓。何かあった時にここにやってくることがカトレアの習慣だった。だがその姿はいつもとは違う。どこか悲しげな、辛そうな表情を見せながらカトレアはただそれを見つめ続ける。決して答えなど帰ってこないと分かっていながらも。

一際大きな潮風が吹き荒れる。その冷たい風が身体の体温を奪って行く。いつも常夏の厚さのガラージュ島であってもこの時間になると肌寒くなる。何も羽織っていないカトレアはその寒さを直接肌にうけるもそこから動こうとはしない。まるでその寒さが今の自分には必要なのだといわんばかりに。そして一体どのくらいの時間が経ったの分からなくなりかけた時


「……そんなところでじっとしてたら風邪ひくぞ、姉ちゃん」


カトレアのすぐ後ろからいつも聞きなれた少年の声が響く。だがカトレアは驚くことなく、振り返ることもない。まるで最初からハルがここにやってくることを分かっていたかのように。


「やっぱここに来てたんだな……姉ちゃん怒るといつもここだもんな」


カトレアが返事をしないことを気にするそぶりを見せないままハルはしゃべり続ける。まるで独り言のように。何でもないことを。他愛のないことを。

カトレアはそれに応えることなく背中を向け座りこんだまま。

ハルはそんな姉の背中を見ながらも動こうとはしない。届きそうで届かない、そんな距離感。だがそれを感じさせない温かさがあった。カトレアは気づく。いつの間にか感じていた寒さが無くなってしまっていることに。

ぷつりと、ハルの言葉が途切れる。まるで独白が終わったかのように。静かな時間が二人の間に流れる。時間が止まってしまったかのような、そんな感覚。そして


「姉ちゃん……オレ、島を出るよ」


ハルは告げる。自らの選択を。


「レイヴマスターとして、DCを倒しに行ってくる」


ハルははっきりと、力を込めて宣言する。もう迷いはないと。何を言われても自分は選択を変えないと。

カトレアは身動き一つしないまま。言葉を発することもない。その表情をハルは伺うことはできない。カトレアが今どんな顔をして、どんなことを想っているのか。ハルにはそれが分かる。

怒ると怖いけれど、いつも優しく自分を見守ってくれた。自分にとっては姉であると同時に母でもある存在。そんな姉を今自分は裏切ろうとしている。その願いを、自分の身を案じている姉の想いを振り切って。でもそれが自分の選択。それに後悔はない。


「でも、それだけじゃない……オレ、探してくる。親父とアキを……」


自分が戦う理由。島を出る理由を得たのだから。レイヴマスターとしてではない、もう一つの自分の願い、望み。


「レイヴを追って行けば……きっと二人に会えると思う。そんな気がするんだ……」


それはシバに比べれば取るに足らない理由かもしれない。もしかしたらこの先、その理由も変わって来るかもしれない。でも今の自分にあるのはそれだけ。


「だから約束する。親父とアキ、二人を連れて必ず帰ってくる。」


親父とアキ。今はいない二人の家族を見つけて、そして帰ってくる。

それがハル・グローリーの誓いだった。

ハルはそのまま踵を返し、立ち去って行く。カトレアの顔を見ることなく、対面することなく。自らの決意と誓いを立てたまま。そんな中


「……行ってらっしゃい、ハル」


海の波の音によって聞き取ることができないような小さな声が、それでも確かな姉の声がハルの耳に届く。ハルの足が止まる。引きとめられるかのように。後ろに振り向きたい。走って行きたい衝動がハルを支配する。それでもハルは歯を食いしばり、涙をこらえながら


「……行ってきます、姉ちゃん」


ハルは旅立って行く。その胸に姉の言葉を焼きつけながら。必ず帰って来ると、そう心に誓いながら。


それがハル・グローリーの旅立ちだった――――




そしてハルは島を出るためにイカダを出そうとした瞬間にふと気づいた。

そういえばナカジマに別れの挨拶をしていなかったと。

何だかんだでやっぱり自分とアキは似た者同士だと思いながらも今更戻ることもできずハルはそのままプルーと共に旅立って行く。

空気を読んで気配を遮断していたアキが号泣しながら自分を見送っているなど露知らぬまま――――




ハードコア山脈にあるDC本部。その巨大な城の廊下をカツカツと音を立てながら歩いているコートを羽織っている男の姿がある。それはシュダ。シュダはどこか上機嫌に歩みを進めて行く。その瞳には確かな喜びが、興奮があった。今にも祭りが始まりそうな、そしてそれが待ちきれないかのような雰囲気。そしてそのままシュダが本部から出ようとした瞬間、


「久しぶりね、シュダ。元気そうでよかったわ」


そんな女性の声が後ろから掛けられる。シュダは無視するべきかどうか一瞬思案するもすぐに振り返る。いつもなら無視して付き纏われる方が面倒だからなのだが今回は事情が違っていた。


「てめえもな、レイナ。こんなところで油を売ってるとはよっぽど暇らしいな」


シュダはその姿を捉える。長い髪に煌びやかなドレス。自分と同じ六祈将軍オラシオンセイスの一人、レイナがそこにはいた。


「よ、余計なお世話よ! 私はキングの側近、切り札なのよ。あんたみたいにほいほい前線にいけるほど暇じゃないの」
「そうかい、で一体何の用だ」
「全く……一応お祝いを言っとこうと思っただけよ。もう六星DBをもらったんでしょ?」


レイナは不機嫌そうにしながらもシュダの胸元に視線を向ける。そこにはネックレスのように付けられたDBがある。だがそれはただのDBではない。自然の力を操る六星DB。六祈将軍オラシオンセイスのみが持つことが許される特別なDBだった。それこそがシュダがこのDC本部に訪れた理由。壊れてしまったDBの代わり、そして正式な六祈将軍オラシオンセイスの任命の意味を兼ねたものだった。


「ふん……嘘ならもっと上手くつくんだな。そんなことこれっぽちも思っちゃいねえだろうに」


シュダはつまらなげに吐き捨てる。シュダは既に見抜いていた。レイナが自分の昇進を祝う気など全くないことに。その証拠にその言葉には全く信憑性がない。まるでからかっているかのようなニュアンスが含まれていた。


「いちいち気に障る男ね……いいわ、じゃあ本音でいかせてもらうわ。どうしてあんた、六星DBをもらえたの? 二代目レイヴマスターってガキンチョを殺し損ねたんでしょ?」


レイナが訝しんでいるのはその一点。既に噂でシュダが任務に失敗しレイヴマスターを殺し損ねたことは知っている。それはすなわち任務に失敗したということ。それなのに何故キングから罰を受けることもなく、それどころか六星DBを与えられているのか。


「フン……てめえには関係ない話だ。始末はオレがつける」


シュダはレイナの挑発にのることなく、それどころかむしろ楽しげに笑い続けている。レイナはそんな予想外のシュダの反応に呆気にとられるしかない。レイナはプライドが高いシュダがこんな態度を見せるなどとは思っていなかった。


「ふーん……よっぽどその二代目君が気に入ったってわけ? もしかしてそんな趣味があるの?」
「そういうてめえはどうなんだ? アキなんて年下の奴に随分入れ込んでるみたいじゃねえか」
「う、うるさいわね! 余計なお世話よ!」


レイナはまさかそんな形で冗談を返されるとは思っていたため狼狽するしかない。もちろんそんな気はないのだが年下趣味などと噂でも広められたら面倒なことになる。それとは別にしてレイナ個人としてはアキをかなり買っていた。でなければ六祈将軍オラシオンセイスに推薦などするわけがない。それが上手く行かなかった原因であるシュダにレイナは良い感情を持っていなかった。もっともアキのことを抜きにしても気に入らない相手であることは変わらないのだが。


「まあいいわ。とにかく六祈将軍オラシオンセイスの名に泥を塗るようなことはしないでちょうだいね。こっちまで迷惑するんだから」


レイナはそう言い残した後、その場を去っていこうとする。このまま言い合っても不毛なことになるのは目に見えている。だが


「そういえばレイナ、てめえに一つ、面白いことを教えておいてやる」
「……? 面白いこと? 悪いけどデートならお断りよ。あんたは私のタイプじゃないし」


それはシュダによって止められる。だがレイナはまさかシュダから引きとめられるとは思ってもいなかったため困惑するしかない。だがそれは


「売人のアキ……あいつは金髪の悪魔だ」


シュダの言葉によって驚愕と戦慄に染まる。瞬間、レイナの表情が凍りつく。


「金髪の悪魔って……あの……?」


レイナは冷酷な表情、六祈将軍オラシオンセイスとしても顔を見せながらも確信していた。それはシュダの姿。それは真剣そのもの。嘘を言っている様子も見られない。何よりもそんなことをする意味も理由もない。そんなことをする男でないことはレイナも理解している。だからこそレイナが抱いている疑問はたった一つだけ。


「……それを私に教えてどうする気? 何が目的なの?」


何故それを自分に教えたのか。確かに自分はアキを買っている。だがそれはあくまでDCの一員として。ましてや恋愛感情など無い。そんな自分にそれを伝えて何をさせるつもりなのか。もしその真偽を知りたいならキングかハジャにでも報告すればいい。どうやらシュダの様子からみるに報告は挙げていないのだろう。もっとも本当にアキが金髪の悪魔であるなら面倒なことになるのは避けられないだろうが。金髪の悪魔がDCに潜り込んでいる理由、その力、挙げればきりがないほどの危険因子。


「大したことじゃない。オレが二代目レイヴマスターと戦うまで他の六祈将軍オラシオンセイスに手出しをさせないようにしてほしいだけだ」


シュダは告げる。己の目的を。自分が見つけた獲物を誰かに奪われるのを避けるため。そのために協力しろとシュダはレイナに提案する。キングの側近であるレイナならそれは容易い。キングに向かってレイヴマスターの始末をシュダに任せてはどうかと口添えするだけ。恐らくはキングも承諾するだろう。新しく六祈将軍オラシオンセイスになったシュダの腕試し、そして先の失敗のリベンジにもなるのだから。


「なるほどね……でもそれは私には何のメリットもないわ。協力する価値もないわね」


レイナは話にすらならないと切り捨てる。取引とは互いに利益があってこそ成り立つもの。確かにアキが金髪の悪魔だと知ることができたのは助かったがそれとは割が合わない。レイナにはそこまでしてアキを庇う義務もないのだから。だが


「お前の探し物……それを探すのに奴を脅して利用すればいい。幸いアキはお前には気を許してるみたいだしな」
「…………」


探し物という言葉にレイナの瞳に確かな炎が宿る。それはレイナにとっては最も重要なこと。DCに入った理由の一つでもある。だがまだ手掛かり一つ掴めていない。だが確かにアキならば力になるかもしれない。世界中を何らかの方法で移動しており行動には自由がきく。DBを入手してくる以上何らかの強い情報網も持っているはず。加えて本当に金髪の悪魔だとすればその実力も凄まじいだろう。もしかしたら自分達を超える力を持っているかもしれない。デメリットもあるが協力が得られればレイナ個人としてもDCとしても得るものは大きい。もしDCを裏切るようなら


「もしDCを裏切るようならキングに報告して処刑すればいい。奴の首には莫大な賞金が掛けられている。それだけでも意味はある。違うか?」


レイナの思考を先読みするかのようにシュダの言葉が告げられる。レイナは自分の認識を改める。戦うことにしか能がないと思っていたがどうやらシュダはそうではないらしい。もっともシュダの話を全て鵜呑みにするほどレイナは甘くはない。まずは本当にアキが金髪の悪魔なのかどうか。それを確かめる必要がある。


「……いいわ、その話乗ってあげる。せいぜい二代目に足元をすくわれないようにするのね」
「ふん……口が減らない女だ」


捨て台詞を残しながらシュダは本部を後にする。慣れない知略を巡らしてでもハルとの再戦を果たすために。レイナはそんなシュダの姿を見送った後、キングの元へと向かって行く。己の目的のために。


本人は知らないまま、ダークブリングマスターの憂鬱はまだまだ続くことになるのだった――――



[33455] 第二十一話 「それぞれの事情」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/05 21:05
「あーおもしろかった♪」


すっかり暗くなり、街の光が辺りを照らし出しているカジノ街。そんな中を一人の少女が歩いていた。ラフな格好をした十代の少女。とてもこんな場所にいるのは場違いなだと思わざるを得ないような容姿。すれ違う人々、そしてそれを見送るカジノの店員もそんな少女の姿に好奇の目を向けている。だがそれはこんな時間に少女がカジノ街を歩いているからではない。それはこのヒップホップタウンのカジノ街でその少女はちょっとした有名人だったから。


「今日も絶好調だったしこれでアキもちょっとは喜んでくれるよ。ね、ママさん?」


少女、エリーは満足気な笑みを浮かべながらそう宣言する。先程までエリーはカジノで軍資金と言う名の生活費を稼ぐために奮闘していたところ。結果は大勝。それは既にこの数日間日常になりつつある光景。まさに天性のギャンブラーとでも言うべき幸運、勝負運をエリーは持っていた。そのためエリーはその容姿も相まってちょっとした有名人となりつつあった。エリーが訪れるお店には多くの観客ができるほど。店側としてはたまったものではないのだが不正はしていないこと、そしてエリーのおかげで多くの客も集まり、結果的には店の利益になっているためエリーはトラブルに巻き込まれることなく済んでいる。もっとも何か手を出そうものならエリーによって店側の方がとんでもない目に会わされてしまうのだがそれは割愛。

エリーは上機嫌に今日の成果を話しかけるもののそれに応える者はいない。何故ならエリーは一人で歩いているのだから。だがエリーはまるでそこに誰かがいるように話し続けている。周りの人間から見ればまるで独り言をつぶやいているように見えるだろう。だがそれは決して独り言ではなかった。それはただ単にエリー以外にその声が聞こえないだけ。


「もう、いつまで拗ねてるの? ちゃんとママさんの負け分は取り返したんだから」
『……拗ねてなどおらん』


その声の主はエリーの胸元。ネックレスからのもの。だがそれはただのネックレスではない。母なる闇の使者マザーダークブリング。それがその正体。かつて世界を崩壊させかけたシンクレアの一つだった。その声はダークブリングマスターにしか聞き取ることはできない。だがエリーはマザーからもらったイヤリングに模したDBによってそれを聞きとることができる。もっとも話しかける際にはアキとは違い声を出さないといけないため人から見れば独り言を言っているように見えるのだがエリーはそれを全く気にすることなく往来を歩いている。天然だといってもやりすぎな行動によって違う意味でもエリーはこの街の有名人になりつつあった。

今、エリーはマザーと共にカジノを終え家に帰ろうとしているところ。本来の持ち主であるアキはここにはいない。アキは何故か大急ぎでエリーにマザーを預けた後どこかに行ってしまった。どうしたものかと少し悩んだもののエリーはそのままマザーを連れたままカジノへと特攻することにした。まだまだ遊び足りないこともあったがそれ以上に不機嫌なマザーの気分転換になればいいというエリーなりの心遣い(半分以上自分の趣味)だった。だが結局マザーは不機嫌なまま。むしろ悪化しているのではないかと思えるほど。イリュージョンによって姿を現しているわけでもないのにそれが分かるほどの不機嫌オーラが出ている。


「そんなこと言ってもバレバレだよ。ママさんもギャンブル弱かったんだねー」
『途中までは良かったのだ……あの時余計なことをしなければ……』


マザーはぶつぶつと独り言のように文句を言っている。エリーはそんなマザーの姿に苦笑いするしかない。最初の内はエリーがカジノをやっているのを眺めているだけだったのだが興味が出てきたのか、途中からマザーもカジノに参加することになった(もちろん指示はマザーがするものの実際にするのはエリー)。初めの内は順調だったのだが一度負け、その後それを取り戻そうと泥沼にはまり結局マザーは大敗。どこかの主と同じ結果になってしまったのだった。


「でもやっぱりアキと似てるんだね。言い訳もそっくりだし」
『ふん……あやつと一緒にするでない……』


エリーの言葉によってマザーはますます不機嫌になってしまう。それはアキという言葉のせい。それがマザーが朝からずっと機嫌が悪い原因。置いてきぼりを食らってしまったことに対する不満だった。エリーはそんなマザーの姿を見ながらもどこか微笑ましい気分だった。声は自分よりも年上の女性なのだが精神年齢と言う点では子供のようなもの。その口調も子供が背伸びをしているようなものといえなくもない。


「もう……でもママさんも悪いんでしょ? またアキを怒らせちゃったみたいだし」
『……私は何も悪くない。あの程度のことで根を上げるあやつが悪い』


事情を一瞬で看破したエリーの言葉に一瞬詰まるもののマザーは自分の非を認めることなく不貞腐れてしまう。あの程度のこととは先のジェロとの模擬戦のこと。マザーにとってはあの程度で済まされてしまう出来事だったらしい。もっともマザーからすればアキのためを思ってしたことなのだがその気持ちは一ミリもアキには届いてはいなかった。


「あんまり意地悪ばっかりしたら嫌われちゃうよ、ママさん。ちょっとは優しくしてあげなきゃ」
『ふん……余計な御世話だ。そういうお前の方はどうなんだ?』
「え? あたし?」
『アキのことだ。お前も色々思うところがあるのではないか?』


エリーはマザーが何を言っているのか分からず一瞬呆けてしまうもののすぐにそれが何を意味しているのか気づく。要するに自分がアキのことをどう思っているのか。それをマザーは聞きたいらしい。そして同時にどこかおかしくて笑ってしまう。それはマザーの様子。必死に平静を装うとしているが気になっているのがバレバレだった。そしてマザーがアキのことをどう思っているのかも。そんなことはエリーはもう一年以上前から気づいている。きっかけはイリュージョンによってマザーが姿をとった時。自分のイメージがアキの中になかったとはいえアキの中の理想の女性像(カトレア)を選んだ辺りから既にバレバレ。気づかない方が無理と言う話。マザーの無理難題、好き放題の命令も好きな子に悪戯をしてしまうようなもの。もっとも一歩間違えば死ぬレベルの悪戯をされるアキからすればたまったものではないのだが。ある意味重すぎる愛だった。

エリーは思い返す。これまでの生活と自分のアキへの想い。生活については『楽しかった』その一言に尽きる。最初の内はどうなるかとおもったがDBたちとしゃべれるように、仲良くなってからは賑やかになり毎日が楽しいものだった。行動が制限されるのは不便ではあったが生活の心配もなく、時々は外出もできるため特に不満もなし。唯一あるとすれば記憶については全く教えてくれなかったこと。それを聞くとアキは黙りこんでしまう。どこか申し訳ないような表情を見せながら。それ以上無理に聞き出すこともできず今に至っている。だがあそこまで迫っても教えてくれないと言うことは何か理由があるのだろうということぐらいは悟れる。最近はちょっと意地悪をする意味で冗談交じりに記憶のことを聞くようになっている(アキからすればその度焦りと罪悪感でストレスをためているのだが)。このままアキやDBと一緒に楽しく暮らしていくの悪くないと思うほどにはエリーはなじみつつある。だがそれでもやはり自分の記憶を取り戻したい、本当の自分を知りたいという気持ちもある。そんなジレンマ。ひとまずは自分のことを知っているであろうアキと行動を共にすることを継続するというのがエリーの選択。

そしてアキへの気持ち。マザーが知りたいと思っているのはこっちの方だろう。一言でいえば『よく分からない』それが答え。もちろんアキのことは好きだ。一緒にいれば面白いし、何だかんだで自分のことを気にかけてくれているのはこの二年間でずっと感じていた。何となくマザーの姿(カトレア)に対抗して髪を伸ばしたりしているのもその証拠。アキが自分に惚れているということを知ったからというのもあるかもしれない。でもその割にはそういったアプローチをかけてこない辺りよく分からないためエリーとしては首を傾げるしかない。気になる存在ではあるがその感情が男女の恋愛感情なのかどうかは分からない。そんなところ。だがアキがエリーに惚れていると知っているマザーからすれば気になって仕方がないのだろう。それを知った上で


「うーん……秘密かな♪」


エリーは楽しげな笑みを見せながら答える。もっとも答えにすらなっていない答えではあったのだが。


『……何だそれは?』
「だから秘密。それにあたしだけじゃ不公平だもん。ちゃんとママさんのことも聞かせてもらわないとね」
『……もういい。それよりもそろそろ着くぞ。まったく、あやつはどこで油を売っているのか……』
「うーん、でもアキやママさんっていつも忙しそうにしてるよね。一体何してるの?」
『……色々だ。最近は少しはまともになってきたがまだまだ強さが足りん。もう少しペースを上げるか。実戦も済んだことだし……』
「ふーん、よくわからないけどお手柔らかにね、ママさん。じゃないとまた怒られちゃうよ」
『……善処しておく』


そんないつも通りのやり取りをしながらもエリーとマザーは家へとたどり着く。何だかんだで一緒にいる時間が長い者同士、勝手知ったるといった雰囲気。知る人が見れば卒倒してしまうような二人組。

魔導精霊力エーテリオンを持つ少女、エリーと母なる闇の使者マザーダークブリング

アキ曰く世界滅亡コンビはそのまま家の主が帰って来るのを騒がしく待ち続けるのだった―――――




凄まじい熱が支配している世界。今にも噴火してしまうのではないかと思えるような巨大な火山。そこはウルブールグと呼ばれる場所。だが世界の地図のどこにもその名は記されてしない。何故ならそこは人間の住む世界ではなかったから。魔界。それがその世界の名前。人ではない者たち、亜人や魔人が住むもう一つの世界。その中でもここ、ウルブールグは特別な場所だった。その理由。それは一人の王が君臨する場所だからこそ。火山の上というおよそ考えられないような場所にその城はあった。その中の玉座に一人の王が君臨している。獅子の貌を持つ巨大な漢。だが何よりも際立つのがその圧倒的な存在感。ただそこにいるだけで空気が燃え尽きてしまうのではないかと思うほどの力。滲みでる力だけで並みの者なら立っていることすらできない力を持つ頂きにある者。

『獄炎のメギド』

それがこの炎の世界を支配する、魔界を統治する四人の王の一人。四天魔王の姿だった。

メギドはおおよその雑務を終えた後、自らの玉座に座り大きく息を吐く。魔界を統治する王。その力はまさに世界を支配にするに相応しいもの。だがそんなメギドであっても魔界を統治することは生半可なことではない。魔界は広くまだ開拓できていない場所もある。また暮らしている民族、種族も多種多様。中には知性が低く、力に任せて暴れまわる者もいる。もっともそれはごく少数に過ぎないのだがそれでも混乱や争いは絶えることは無い。いうならば人間界となんら変わりはないということ。それはつまり強い者。圧倒的強者のみがそれを収める資格を持っているということ。魔界においては人間界よりもそれがさらに顕著。その証拠に魔界を収める四人の王、四天魔王はそれぞれが誰も敵わないような力を持っている。弱肉強食。ある意味で世界の摂理。その理の上に成り立っている世界。それが魔界だった。


(これでしばらくは大人しくなるであろう……)


メギドは配下が差しだしてきた飲み物を口にしながらも安堵する。先程までメギドは民族同士のいざこざを仲裁してきたところ。もっとも仲裁といってもメギドが現れた時点で争っていた者たちはすぐにひれ伏し争いを収めてしまった。四天魔王に逆らう、楯突くことができるものなどこの魔界に存在しないのだから。だがそうはいっても争いは絶えない。メギドはそれを否定する気はないがそれでも必要以上に混乱や争いの種を撒く者たちを自分の領地にのさばらせておくわけにはいかない。そのためそれを諫めるためにメギドはこうして足を様々な場所に運びながら魔界を統治していた。もっともいくら魔王とはいえ身体は一つ。時には想像以上に動かねばならない場合もある。特にこの二万年ほどはそれが顕著だ。何故なら今、魔界は本来の四人ではなく三人によって統治されているから。その不足をカバーするためにメギドは自らの領地以上の範囲をカバーしていた。自分以外の二人は実力はあるのだが統治という点においてはあまり優れているとは言い難い者たちであるのもその理由。そしてその席を外している人物のことをメギドが考えようとした時


「メ、メギド様! た、大変でございます……!」


そんな慌てた配下の声がメギドに向かって掛けられる。だがそれは尋常ではない慌てようだった。王の前で走りながら声を荒げるなどその場で断罪されてもおかしくない愚かな行為。だがそれすらも些事だと言わんばかりに配下は混乱した様子でメギドの元へと走り寄り首を垂れる。


「どうした、騒々しい。また争いごとか?」
「い、いえ……そうではないのですが……その、メギド様にお会いしたいとおっしゃる方が……」
「我に……? 何者だ?」


メギドは訝しみながらも続きを促す。だが違和感を覚えずにはいられなかった。それは配下の態度、言葉遣い。王であるメギドに拝謁したいという輩は後を絶たない。王に取り入るため、また王の命を狙うため、様々な思惑を持つ者がメギドの元にはやってくる。そのためその面会者の選定も配下達、そして最終的にはメギド自身によって決められる。だが今日はその類の公務は無かったはず。いきなりやってきても門前払いされるのが関の山。にもかかわらず目の前の配下は慌てながら自分に報告を上げてきている。そしてその言葉。まるでその相手がメギドと同等だと言わんばかりの畏怖が、忠誠がそこにはあった。そして


「邪魔するわよ」


そんな女性の声と共に王室の扉が開かれる。無造作に、まるで開かれるのが当然だと言わんばかりに。瞬間、冷気が流れ込んでくる。だがそれはあり得ない。ここは火山地帯。獄炎のメギドの城。熱気が溢れてくることはあれど冷気が流れ込んでくるなどあり得ない。だがそれを為し得る力がその来客者にはあった。


「久しぶりね、メギド。相変わらず蒸し暑い所に城を置いているのね。」


四天魔王『絶望のジェロ』 メギドに匹敵する氷の女王の姿がそこにはあった。


「ジェロ……? 貴公いつ目覚めたのだ? 器が見つかるまで眠りについていたはず……」


メギドは驚き表情を見せながらもジェロに問いただす。何故ならジェロとはおよそ二万年ぶりの再会であったのだから。それだけではない。ジェロは自らを氷漬けにし、眠りについていた。大魔王の器を持つ者が見つかるまで。それに相応しい者が現れるまでその眠りは解かれることがなかったはず。それはつまり


「そうね……でも起こされてしまったの。器の資格を持つ者にね」


大魔王の器。四天魔王が永年追い求めている魔界を統べるに相応しい者が現れたことを意味していた。


「まことか? それほどの力を持つ者が現れたのなら我も気づかぬはずはないのだが……」
「仕方ないわ。人間界にいたのだもの……」
「人間界? するとその者は人間か?」
「ええ……でも人であって人でない者。魔になりつつある者ね。母なる闇の使者マザーダークブリングも認めていたし、間違いないわ。それを今日は伝えに来たの」
「そうか……貴公がそう言うのであれば間違いないのだろう」


メギドは思いもしなかったジェロとの再会、そしてその報告に驚きながらも納得するしかなかった。それはジェロの言葉。その節々からジェロ自身が器となるものを見定めたと悟ったから。ジェロは四天魔王の中でも特に冷酷な面が強い。自分が認めた者に対しては慈悲深い面もみせるのだがそれ以外に対してはまさに絶望の二つ名が表す通り無慈悲な女王となる。そのジェロが認めていると言うのなら間違いはないだろう。


「それで、その者はどこにいるのだ? 姿は見えぬが……」
「連れてきてはいないわ。まだ未熟、卵のようなものだしね……」
「ふむ、そうか。我もその者の器を見定めてみたかったのだが……」
「満たされるにはもう少し時間がかかるわね。そうね……あと一年程といったところかしら」


メギドはあごに手を当てながら思案する。メギド個人としても器に会ってみたかったのだがどうやらまだその時期ではないと知らされたため様子を見るしかないと判断する。凶暴な容姿とは裏腹に思慮深い一面を持つメギドらしい判断。そんな中


「ホム」


どこからともなくそんな声が聞こえてくる。メギドの配下、そして警備兵たちは突然の侵入者かと思い警戒しながら辺りを見渡すもどこにも侵入者と思える者の姿は見えない。だがメギドとジェロはまるで動じることなく視線を向ける。それはメギドとジェロのちょうど間。そこに先程までいなかったはずの人物が存在していた。いや、それは人ではなかった。道化のような衣装にまるで老人のような小柄な体。だがなによりも異様なのはその雰囲気。まるで生気が感じられない無機質なもの。本当に生きているのか分からない人形のような気配。


「あなたも相変わらずのようね、アスラ」
「うむ。だが我が城に入って来る時は入り口から来るように以前言ったはずだが……」

「ホム?」


老人はきょろきょろと二人を見比べ、身体を震わせながらもそれに頷く。

それが四天魔王『漆黒のアスラ』 生きたDBと呼ばれる者の姿だった。誰にも気づかれることなく二人の前に現れたのもその力。およそ能力の数と言う点においては右に出る者はいない存在だった。そしてその首には一つの小さな石、DBが下げられている。だがそれはただのDBではない。


「ホム」
「そう……なら一度器はここに連れて来るわ。そのためにそのシンクレアはあなたのところに留まっているわけだし」
「なるほど、そうだな。だがどうする? シンクレアを渡すには我らの誰かと戦い力を示してもらう必要があるのだが」


ジェロはアスラの、そしてアスラが持つシンクレアの声を聞き取り事情を察する。

『バルドル』

それがアスラが持つシンクレアの名前。いや、持つというのは語弊がある。シンクレアがそこに留まっていると言った方が正しい。他の四つのシンクレアは既に自らに相応しい主の元へと渡っているがこのバルドルは役目が異なる。それはいわば最終試験。最高位の力を持つ四天魔王、それを打ち倒す力を持つ者のみがバルドルを手にすることができる。最も手に入れることが困難なシンクレアと言っても過言ではないものだった。

そして器の力を試す、もちろん先のジェロのような手加減をするような甘いものではない儀式を誰が行うかに話題が移ろうとした瞬間


「ならその役目、オレが果たそう」


凄まじい何かが地面に落ちるような轟音と地震のような揺れと共に新たな来訪者が姿を現す。とてもこの世の物とは思えないような超巨大な剣を城の外に置きながら一人の男が悠然と歩いてくる。

四天魔王『永遠のウタ』 戦王とまで呼ばれる力を持つ男。四天魔王の中でも一番の実力者と言われる者。


「貴公まで現れるとは……四人揃うのは何万年振りだろうか」
「ホム、ホム」
「そうね……私が眠る前だから少なくとも二万年振り以上かしら。でもよくここが分かったわね」
「久しい冷気を感じてな。だが寄ってみて正解だったようだ。その器の腕試し、オレに任せろ。退屈していたところだったからな」


四天魔王全てが一同に会するという光景に配下達は既に倒れてしまう寸前だった。その場にいるだけで精一杯。それが魔界の王たる者たちの力。


「うむ……我は異論はないが」
「ホム」
「私も構わないわ。もう一度私が相手をしてもいいのだけれど……あなたの眼鏡に敵えば間違いないでしょう。ただもう少し先になるけれどそれでもいいかしら?」
「構わん。久しぶりに戦を楽しめる機会だ。せいぜい楽しみに待たせてもらう」


心底楽しみだと言わんばかりの笑みを見せた後、ウタはその剣を持ちながら去っていく。同時にアスラもいつの間にか姿を消していた。残ったのはジェロとメギドだけ。そんな中メギドは気づく。それはジェロの気配。


「ジェロ……貴公、誰かと契約したのか?」
「ええ。器、アキと契約を結んだわ。もっともあちらからの呼び出しに私が応じる形だけどね」


その事実に少なからずメギドは驚いていた。契約。それは自分が認めた者にしか結ばぬ術式。しかもそれをジェロが行っている。どうやら思っていた以上にジェロ自身、その器に入れ込んでいるらしい。


「アキ……それが器の名か」


メギドはそう呟きながらも知らず期待していた。永くの間探し求めてきた大魔王の器。その者と相見える時が来ることを―――――




多くの人々によって賑やかさに包まれている街、パンクストリート。だが人々は知らなかった。つい数日前その全てが氷漬けにされてしまったことを。誰一人それを覚えてはいない。もし覚えていたとしても夢だと思うのが普通だろう。だがそれを知る者たちがいた。


「やっぱり違うよ。これは魔導精霊力エーテリオンじゃない。ウン」


小さな機械のようなものを手に持ちながら呟いている人影がある。だがその姿はローブによって伺うことはできない。分かるのはその身体がまるで小さな子供のように小柄なことだけ。


「なんでえ。せっかくここまで来たって言うのに外れかよ。その機械、壊れてんじゃねえのか?」


そんな不満げな声をあげているのが大きな身体をもったもう一人の男。ローブを被ってはいるもののその巨体は隠しきれるものではない。まさに対照的な組み合わせの二人組だった。


「そんなことないよ、ウン。ここで凄い魔力が使われたのは間違いない。でも魔導精霊力エーテリオンじゃなかったってこと、ウン」
「どっちだって一緒じゃねえか。その魔導精霊力エーテリオンだって本当に持ってる奴がいるかどうかも分かんねえんだろ?」
「ウン。でもいる可能性は高いと思う。研究所は一杯あったし、それを壊して回ってる奴もいる。きっと成功体がいるんだよ、ウン」
「そーは言うけどよー、手掛かり少なすぎるぜ。このローブもまどろっこしいし。DCの支配域だからってここまでしなきゃなんねえのか?」


大男は不満げにローブをいじりながら愚痴をこぼす。どうやら身を隠さなければならないことに思うところがあるらしい。だが


「我慢しろ。DCを甘く見るな。事を構えるにはまだ早い」


そんな女性の声が二人の後ろから掛けられる。二人は驚きながらも振り返る。そこには自分たち同様ローブを被った人影があった。だがまるで気配を感じなかったため二人は焦るしかない。まるで突然そこに現れたかのような現象。だがそれを為し得るのがローブの少女の力だった。


「わ、分かってるさ。ちょっと愚痴っただけだよ。それにしても何で船長は魔導精霊力エーテリオンなんて欲しがってんだろうな。今でも十分無敵なのによ」
「ウン。船長ならキングにでも勝てると思う。でもまだ六つの盾シックスガードが完全じゃないからじゃないかな、ウン」
「そういうことだ。我々の力は強大だがDCを甘く見ることはできん。それに私たちはただの駒。全てはハードナー様のご意志次第。余計なことは考える必要はない」


少女の言葉に従うかのように二人組はその後を付いて行く。与えられた任務。魔導精霊力エーテリオンを持つ者の発見のために。


それぞれの事情、思惑が絡み合いながらも次の段階へと物語は進もうとしていた―――――



[33455] 第二十二話 「時の番人」 前編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/10 23:43
今、世界は混沌の中にあった。その原因、諸悪の根源ともいえる存在がDC(デーモンカード)。DB(ダークブリング)と呼ばれる持つ者に超常の力を与える魔石を使い世界に混乱を落とし入れる悪の組織。最高司令官『キング』に加え最高幹部『六祈将軍オラシオンセイス』を筆頭に完璧な組織力を誇る組織。その力の前には世界国家である帝国ですら敵わない。何とか抵抗はしているものの劣勢は覆すことができない。人々は悟っていた。DCの、DBの力の前には帝国ですら無力なのだと。だが人々は決して希望を失ってはいなかった。何故ならある噂が流れ始めていたから。

『二代目レイヴマスター』

レイヴと呼ばれる聖石を操る者。その後継者が現れたという噂が人々の間に広がりつつあった。曰く絶対に壊せないはずのDBが壊されていた、レイヴの使いと呼ばれる獣と共にDCを倒すために旅をしているといった誰が聞いたのかも分からないような噂に過ぎないもの。だが人々はそれに縋るしかなかった。かつて王国戦争においてDBを後一歩のところまで追い詰めたといわれるレイヴマスターが再び世界を救ってくれることを。

しかし人々は知らなかった。レイヴとDBは対を為すもの。故にレイヴマスターにも対となる者が存在することを。

魔石使いダークブリングマスター

DBを操るDBを極めし者。それが世界に何をもたらすのかを――――




多くの人々でにぎわっている街中に一人の女性の姿があった。だがそれはただの女性ではない。まずその容姿。長い髪に煌びやかなドレス。およそ街中で歩くには不釣り合いだと思えるような格好。だがそれは恐ろしく絵になっていた。むしろその姿こそが女性には相応しいと言えるほど。すれ違う男性が思わず振り返ってしまうほどの美貌を持った女性。

六祈将軍オラシオンセイス レイナ』

レイナはどこか楽しげな笑みを浮かべながらも気配を消したまま何かを追うように歩き続けている。それは尾行。その対象はレイナから離れた前方にいるローブを被った人物。

『売人のアキ』

それがローブの人物の名前。DCの幹部である十六歳の少年。レイナとは少なからず縁がある人物。だがレイナはアキに気づかれないように気配を消し、距離を開けながらその後を憑けていた。しかしそれは特に珍しくもないこと。レイナはアキと会うときにはアキを驚かせるためにわざといきなりちょっかいをかけるという行動に出る。ある意味お約束のようなもの。だが今回はそれだけが理由ではなかった。


(金髪の悪魔、ね……)


レイナは真剣な表情を見せながらもその瞳でアキを見据える。ローブを被った上での後ろ姿なためアキの姿も表情も伺うことはできない。それでもレイナはこれまでの記憶を頼りにアキの姿を思い出す。

『金髪の悪魔』

シュダによってもたらされた情報によればアキは金髪の悪魔であるということだったがレイナはまだ信じきれてはいなかった。噂によれば金髪の悪魔はこの世に災いをもたらすほどの邪念と力を持った子供。だがその噂とアキの姿は全く一致しない。そんな危険な人物とはとても思えないよく言えばお人好し、悪く言えば情けない少年。それがレイナのアキに対する評価。しかしシュダが何の意味もなくそんな嘘を突くことも考えづらいことは事実。仮にアキが金髪の悪魔だとすればつじつまが合うことも多い。顔を見せたがらないこと、一つどころに留まらず世界中を渡り歩いていること、異常なほどにキングや六祈将軍オラシオンセイスとの接触を拒んでいること。疑わしい部分を上げればきりがないほど。

だがレイナはまだアキにそれを直接問いただすことはしていない。それをいきなりするほどレイナはうかつではない。仮にそれが本当だったなら正体を見破った瞬間に戦闘になってしまう可能性もある。そして金髪の悪魔が噂通りの存在ならばその実力も折り紙つき。六祈将軍オラシオンセイスとして簡単に後れを取る気などレイナは毛頭ないが決して侮ることはできない。実際にアキがどんなDBを使うのか、どんな戦い方をするのかを知らないという点も大きな理由。


(まあ、まだ焦る必要はないわね……)


レイナは髪を掻き上げながらも意識を切り替える。このまま考え続けても答えが出るわけでもないという判断。そしてレイナは自らがわざわざここまでやってきた理由を果たさんとする。レイナはアキが大通りを外れ人気が少ない路地裏に入っていくのを確認し、自らが持つDBに力を込める。

『ホワイトキス』

それがそのDBの名前。無から有を生み出す六星DB。銀術師シルバークレイマーであるレイナが使うことによって本来の力を発揮できるDB。レイナが笑みを浮かべながらその力によっていつかのようにアキを捕えんとした瞬間


「……何の用だ、レイナ?」


背後から突如声が掛けられる。まるで最初からそこにいたかのように。レイナは咄嗟に飛び跳ねながら大きくその場から距離を取る。まるで戦闘さながらの動き。だがレイナ自身自分の行動に驚いていた。それは自分に声を掛けてきたのがアキであることを知っていたから。自分の前方にいたアキが突然後ろに現れたのだから驚いて当然。恐らくそれがアキの持つDBの力だとレイナは見抜く。もっともどんな能力なのかまでは見抜けてはいなかったが。だがレイナが驚いているのはそこではなかった。


(この感じ……まるで……)


それは気配、いや雰囲気と言ってもいいもの。自分の背後を取られた瞬間、アキから放たれたプレッシャーこそがレイナが取り乱している理由。それは殺気や敵意の類ではない。それは単純な重圧。息が苦しくなるような、身体が震えるような感覚。それをレイナは知っていた。それはそう、まるで――――-


「……残念、せっかく驚かせようと思ったのに」
「…………」


そんな自らの戸惑いを悟られまいとするかのようにレイナは悪戯が失敗してしまったような笑みを見せながら改めてアキと対面する。ローブによって表情を伺うことはできないがその雰囲気は明らかに不機嫌になっていると分かるもの


「もう、そんなに怒らないでよ。久しぶりね、アキ。何か月ぶりかしら? ちょっと見ない間に少し雰囲気が変わったんじゃない?」
「お前は全然変わってないみたいだな……レイナ」


どこか溜息を吐きながらアキは呆れ気味にぼやく。レイナは内心安堵していた。既に先程まで感じていた重圧も身体の震えもなくなっている。いつも通りのアキの姿。数か月ぶりにも関わらず相変わらずぶっきらぼうな態度。まるで先程の感覚は気のせいだったのかと思えるほど。もしかしたら金髪の悪魔かもしれないと必要以上に警戒していたためにそんなことになってしまったのかもしれない。レイナはそう自分に言い聞かせながら普段通りにアキに接することにする。妙な態度をとれば余計な疑念を与えかねないからこそ。


「褒め言葉として受け取っておくわ♪ それにしても今までずっとどこにいたの? 全然居場所が分からなくて探すのに苦労したんだから」
「……まあ、色々だ」


レイナの言葉にどこかかすれるような声でアキは答える。まるで思い出したくもない何かを、トラウマを刺激されてしまったかのよう。レイナはそんなアキの姿を訝しむしかない。ここ数カ月、レイナはアキの居場所をずっと掴めずにいた。時期としてはシュダが六祈将軍オラシオンセイスに任命されたごろから。金髪の悪魔のことを聞かされた手前レイナもアキと接触しようとしていたものの全く連絡も所在も掴めずやっと今それが果たされたところ。


「色々ね……てっきりDCから逃げ出したのかと思ったわ。そういえばユリウスが会いたがってたわよ。何でもDBの調子を見てほしいとか。友人に恵まれてるわね、アキ?」
「……余計な御世話だ。それにその間の分のDBは先に渡してるんだから文句を言われる筋合いはない」
「もう……何でそんなに機嫌が悪いわけ? 私が会いに来てあげたっていうのに……あ、もしかしてあの彼女に振られちゃったとか?」
「……彼女?」
「そう、あの長い金髪の娘よ。一緒に暮らしてるんでしょ? 隠したって無駄よ。ちゃんと知ってるんだから♪」


レイナは一本取った言わんばかりに捲し立てて行く。レイナは知っていた。アキが金髪の少女と行動を共にしていることを。以前アキを尾行していた際に一度だけ少女がアキに向かって声を上げながら近づいて行くのを見たことがあった。もっとも何故かアキは少女に向かって何か文句、説教をしていたのだが。


「…………」
「あら……? 藪蛇だったかしら?」


難しい顔をして黙りこんでしまったアキの姿にレイナは呆気にとられてしまう。自分を驚かせてくれたちょっとしたお礼、もとい仕返しのつもりだったのがどうやら当たらずとも遠からずだったようだ。


「……そう。なんならお姉さんが代わりにデートに付き合ってあげてもいいわよ?」
「お断りだ。それよりも用はそれだけか? ならもう行かせてもらうぜ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! もう、ちょっとは冗談に付き合いなさいよ……全く」


取りつく島もないアキの態度に溜息を吐きながらもレイナの雰囲気が変わっていく。どこか親しみがある姉のような雰囲気がなくなりDC幹部としての、六祈将軍オラシオンセイスとしての雰囲気に。そしてレイナは告げる。


「……シュダがやられちゃったのよ。二代目レイヴマスターとかいうガキンチョにね」


それがレイナがアキの元へとやってきた理由。レイナ個人ではなく、DCとしての理由。最高幹部である六祈将軍オラシオンセイスの一角が敗れるという一大事だった。


「シュダが……いつだ?」
「つい数日前よ。全く……おかげで余計な事後処理はしなくちゃなんないし、六祈将軍オラシオンセイスの格を落としてくれるしでこっちはいい迷惑よ」
「…………」


レイナは不満そうな表情を見せながら愚痴を言い続ける。だが愚痴も言いたくなるというもの。シュダが二代目レイヴマスターを始末することについてはレイナも一枚かんでいたのだから。あれだけ自信を見せていたにも関わらず負けてしまうなどとレイナは考えてもいなかった。いくら後発とはいえ六祈将軍オラシオンセイスに選ばれた男。以前とは違い六星DBを持っていたにも関わらず敗北するなど誰が想像できるだろうか。しかも相手は最近現れたばかりの二代目レイヴマスター。どうやら十六歳の少年らしい。そんな子供に負けてしまうこともそうだがそれ以上にその余波が大きかった。六祈将軍オラシオンセイスの一人が敗れたことによって解放軍や帝国が調子づき、レイヴマスターに対する期待も高まりDCに対する抵抗も強まってきている。まさにレイナにとっては踏んだり蹴ったりな結末だった。


「まああんな奴のことなんてもうどうでもいいわ。でもよかったわね、アキ。これで晴れてあなたも六祈将軍オラシオンセイスの仲間入りね♪」
「…………」
「もう、冗談よ冗談。もうそんなことしないからそんなに睨まないで頂戴」
「……ほんとだろうな。もう二の舞はごめんだぞ」


アキの呪いすら感じる視線、言葉を受けながらも何のその。むしろレイナは楽しげですらある。何故ならそれよりも面白いことが起こりうる事案こそがレイナがこの場にやってきた理由。それは


「アキ、キングからの招集よ。場所は三日後DC本部。私たち六祈将軍オラシオンセイスもね」


キングからの招集。六祈将軍オラシオンセイスであるシュダが倒されてしまったことに関連するものだった。


「招集……? 一体何の? それに俺は六祈将軍オラシオンセイスじゃねえぞ」
「さあ? きっと二代目レイヴマスターってガキンチョの始末じゃないかしら。それにこれはキングからのご指名よ。よかったわね、アキ。キングに気に入られてるみたいじゃない♪」
「…………」


良い意味か悪い意味かは分からないけどね、と付け足しながらレイナは告げる。良くも悪くもアキはキングの目に留まっているらしい。だが無理のないこと。キングからの六祈将軍オラシオンセイスの指名を断ったのだから。もしかしたらシュダがやられたことで再びアキに白羽の矢が立つかもしれない。もっとも一度断った以上キングがそれを再び行う可能性は低いが面白い事態であることは変わらない。レイナとしてはアキが金髪の悪魔であるか確かめる目的もあるのだがそれとはまた違うベクトルでアキのことをいじることもまた楽しみの一つだった。そんな中


「その招集……誰が集まる予定なんだ?」


アキがしばらく考え込むような姿を見せた後レイナに向かって尋ねてくる。そんな先程までとは少し様子が違うアキを不思議に思いながらもレイナは答える。


「そうね……六祈将軍オラシオンセイスは私とジェガン、後はジークも来る予定よ。ハジャは帝国と解放軍の相手で動けないし他の連中は連絡がつかなかったの。あなたを見つけるのだって苦労したんだから」


レイナはどこか不満げに告げる。それは六祈将軍オラシオンセイスの連絡役という厄介極まりない役目を押し付けられていることへの不満。変わり者が多い六祈将軍オラシオンセイスたちは連絡が取れない者、好き勝手に動く者が多い。それを集める苦労を負わされているレイナからすればアキは最も厄介な一人にあたる。だが


「…………」
「……? どうしたの、アキ?」


アキはそのままじっと黙りこんでしまう。普段よく黙りこんでしまうことが多いアキだがそれはいつもより輪をかけたもの。特に気分を害するような言葉を口にした覚えもないレイナは困惑するしかない。そして


「……悪いが俺は参加しない。キングにもそう伝えといてくれ」


アキはそう言い残した後、踵を返したままその場を後にする。まるでもう話すことは無いと言わんばかりに。


「ちょ、ちょっとどういうつもりアキ!? キングからの命令なのよ!?」


レイナは血相を変えながらアキへと声を上げる。だがそれは当たり前。いくら六祈将軍オラシオンセイスではないとはいえアキはDCの幹部の一人。しかも今回はキングからの直命。それに逆らえばどうなるか。前回は運よくアキは見逃してもらえたものの今回もそうなるとは限らない。最悪反逆者とみなされかねない行為。

だがアキはそんなレイナの忠告を耳にしながらもその場から消え去ってしまう。文字通り一瞬で。レイナが後を追うも既にそこには影も形もない。


(どういうつもりなの……アキ……? それに……)


レイナはいなくなってしまったアキに途方にくれながらもあることに気づいていた。それはアキの空気。ローブに隠れていることで表情は見えなかったが一瞬アキの空気が変わったことをレイナは見逃さなかった。

『ジーク』

それは自分がその名を口にした瞬間。レイナはその意味をまだ知らない。だがその意味を彼女はすぐに知ることになるのだった―――――




アキとレイナが接触しているのと時同じくして、一人の男が建物の中を歩いていた。そこはDCの支部の一つ。その中でも前線、帝国や解放軍の抵抗が強い南に位置する場所。男はよどみなく一直線にある場所へと向かって行く。この支部においてもっとも権限を持つ者の元へ。

男の姿はDCの兵士の格好ではない。にも関わらずDCの兵士達は男を警戒することもなく、むしろ恐れながら道を開けていく。何故ならその男にはそれだけでの地位と力を持つ存在だったから。

蒼い髪に白い外装を纏った美青年。その顔には命紋フェイトと呼ばれるタトゥーが刻まれている。

『時の番人 ジークハルト』

それが男の名前。DBを持っていないにも関わらず六祈将軍オラシオンセイスと同等の力、地位を持つ者。

ジークはそのまま大きな扉の前で歩みを止める。同時にその空気が変わっていく。その表情、身のこなしにはまったく油断と言うものがない。一度深く目を閉じ呼吸を整えた後、ジークはノックをし扉の中へと足を踏み入れる。

そこには一人の男、老人がいた。だがその姿はとても老人とは思えぬほどの威厳と風格を持っている。

ジークよりも高い背丈、そして圧倒的な存在感。キングにも匹敵しかねない、いやある意味それとはまた異質の重圧を持つ男。


「ほう……誰かと思えば主か。時の番人ジークハルト」


DC参謀、頭脳と呼ばれる男であり六祈将軍オラシオンセイスの中核足る存在。


『無限のハジャ』


二人の大魔導士が向かい合う中、新たな物語が始まらんとしていた――――-



[33455] 第二十三話 「時の番人」 後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/13 17:13
「ほう……誰かと思えば主か。時の番人ジークハルト」


低い声と共に老人、無限のハジャは突然の来訪者を迎え入れる。ハジャの目の前にいるのは六祈将軍オラシオンセイスではないにも関わらずそれと同等の地位を持つ男、ジークハルト。DBを使わない天然の力を扱う魔導士、エレメントマスターの称号を持つ存在。だがジークハルトはDCの幹部にあたる人物。にも関わらずハジャは全く警戒を解くことなくジークと対面している。いつ戦闘が始まっても対応できるほどの用意をしたまま。既にジークが部屋に入ってきた瞬間、人払いと防音の結界を展開しているのがその証拠。同じ組織に属する仲間に対するものとは思えないような対応。そしてハジャと同じく魔導士であるジークは当然そのことに気づいている。他の六祈将軍オラシオンセイスならいざ知らず魔導士であるジークがそれに気づかないことなどあり得ない。ジークも表情を変えることなくハジャに視線を向けている。両者の間にまるで見えない壁があるかのように空気が緊張していく。そんな中


「何故お主がこんなところに? キングからの命令か?」


ハジャがいつもと変わらぬ声色でジークへと問いかける。何故ここに来たのかというある意味当然の問い。ここはDCの支部の中でも前線。故に副指令であるハジャが直々に指揮している場所。そんな場所にわざわざ訪れるなど不自然極まりないこと。しかも相手はジーク。他の六祈将軍オラシオンセイスならいざ知らずある意味特別な扱いを受けているジークが訪ねてくるなどハジャにとっては予想外の事態。そしてハジャには個人的にジークに対しては明かすことのできない事情があるため警戒を解くことなくジークに対応していく。そしてジークはそんなハジャの姿を見ながら一度大きな間を開けた後、告げる。


「単刀直入に聞かせてもらう。無限のハジャ……いや、『時の民』のハジャ」


瞬間、ハジャの表情に初めて変化が生じる。目が見開き、驚愕を現したままハジャはジークを凝視する。ジークはそんなハジャの姿を見ながらも確信していた。自らが口にした言葉が間違いなく真実なのだと。


「……貴様、一体それをどこで知った?」


先程までの驚きを一瞬で消し去り冷酷な魔導士としての顔を見せながらハジャは問う。先の言葉の意味を。答えによってはこの場で戦闘も辞さない程の気配を発しながら。


(どうやら間違いないようだな……オレも半信半疑だったが……ミルツ様が仰ったことは真実だったか)


ジークはハジャの姿の豹変を前にしながらも内心安堵していた。何故なら先の自分の言葉は間違っていれば処刑されてもおかしくない程のものだったから。

『時の民』

それは時を刻む街と呼ばれるミルディアンに住む者を示す言葉。だがその民達はただの人間ではない。何故ならその街の民達は皆、魔導士であるのだから。そしてジークはその街の生まれ、住人。ハジャもその生まれであり時の民であることをつい最近ジークは知った。だがジークはそれに確信を持てないでいた。その理由。

時を守る。

それが時の民の使命。流れる時を壊さず守る。それを犯すもの、壊す危険性があるものを排除することが時の民の為すべきこと。その使命の元にジークも動いている。ならばハジャもそれに基づいて動いているはず。その男が何故DCの副官となっているのか。だがその答えをジークは知ることになった。他でもない自らの師と呼ぶべき人物から。


「……ミルツ様だ。オレがミルディアンに戻り任務の報告をした際に教えて下さった」


それは街の最高権力者である『時の賢者ミルツ』 ミルディアンの民達を束ねる大魔道士。彼からジークはその事実を知らされた。

ジークはこの四年、時の民としていくつかの任務を、使命を課せられていた。

一つが金髪の悪魔の抹殺。世界に混乱を引き起こす、時を狂わす可能性がある悪魔の子と呼ばれる子供を殺すこと。

二つ目が魔導精霊力エーテリオンの研究施設の破壊と魔導精霊力エーテリオンを持つ可能性がある者の抹殺。

だがその使命をジークは未だ果たすことができないでいた。金髪の悪魔については何度か追い詰めはしたもののDBと思われる力によって逃亡を許してしまった。だがジークもそれに甘んじていたわけではない。姿を消す能力と瞬間移動の能力であると見抜きそれに対抗した手段を用意した。そして万全の態勢を整え、襲撃を行わんとした瞬間にジークにとって想定外の事態が起こる。それは金髪の悪魔の気配を全く感知できなくなったこと。魔導士であるジークにはそれを感知する力がある。ましてや相手は恐ろしい邪悪な力を持った存在。その気配を読めなくなるなど普通はあり得ない。しかし現実に気配を追えなくなった以上ジークは目視で金髪の悪魔を探すしか手は残されていない。だがそれは絶望的な状況。姿を消す、もしくは偽装する力に加えて世界中を移動する能力をもつ相手を目視で補足するなど不可能に近い。その意味でジークは金髪の悪魔に敗北し、任務に失敗してしまったことになった。

そしてもう一つの任務、魔導精霊力エーテリオンの研究所の破壊と魔導精霊力エーテリオンを持つ可能性のある者の抹殺。これに関してはジークは任務を成功させたといっても過言ではなかった。事実ほとんどの研究所を破壊し、生き残りであった研究体である少女も排除したのだから。だが想定外の事態がここでも起こる。殺したはずの魔導精霊力エーテリオンの少女、腕に3173の番号を持つ女が生きていたことが判明したから。明らかに異質な魔力、少女が発している魔導精霊力エーテリオンの魔力をジークはすぐさま追い、再び命を奪わんとするもそれは失敗に終わる。突如魔導精霊力エーテリオンの反応が消失してしまう事態によって。まるで消えてしまったかのようにそれが感じられなくなってしまったのだった。

奇しくも同じような状況によってジークは金髪の悪魔、魔導精霊力エーテリオンの少女を見失うこととなる。(もっともそれはアキの仕業、もとい小細工なのだがジークはそれを知る術は無い)

ジークはそれから新たな任務のためにDCへ潜入していた。それはDC最高司令キングの暗殺のため。金髪の悪魔同様時を狂わす可能性を持つ存在の排除。その期をジークは狙っていた。もっとも金髪の悪魔たちを探すことをあきらめたわけではなくその後も世界中を探しまわったもののやはり収穫はなし。ジークは己のふがいなさを恥じながらも一度故郷であるミルディアンへと帰郷を果たした。任務失敗の報告と共に。ジークはその責を問われ牢獄に入れられるのも覚悟の上だった。だがそれは覆される。ミルツの言葉によって。ハジャの正体とそれに伴う新たな任務をミルツはジークへと伝えたのだった。


「ミルツめ……口を滑らせおったか」
「違う。これはミルツ様のご意志。ハジャ、オレにお前を補佐しろという命令だ」
「ふん……」


ジークの言葉にどこか不満げな声を漏らしながらもハジャはそのまま黙りこんでしまう。それはハジャにとって予想外の事態が起こってしまったから。


「ハジャ……お前の目的はキングの暗殺、そうだな?」
「いかにも。そのためにDCに潜り込み期を伺っているのだ」


ハジャは誤魔化すことなく自らの正体と目的を晒す。キングの暗殺、DCの壊滅こそが狙いだと。そこには決して嘘はない。もっともその先があることまでは今のジークに知る術は無い。


「……なら何故そのことをオレにすぐ教えなかった?」


今のジークにあるのはその疑問だけ。ある意味憤りに近いもの。自分の役目はハジャと同じ。すなわちハジャを補佐することが本当の役目。それ自体は構わない。魔導士としてハジャが自分よりも遥か高みにいることをジークは知っている。だが何故補佐の役目を自分に教えてくれなかったのか。その一点のみがジークに憤りを、そして疑念を与えていた。


「簡単なことだ。敵を欺くにはまず味方から……主はまだ若い。主に伝えることによってそれが漏れることを防ぐためにすぎん」
「…………」


ハジャはジークがいらだっていることを、疑念を抱いていることを承知したうえで答える。それは偽らざるハジャの本音。初めから自分の正体を明かしてしまえばいくらジークが優れた魔導師とはいえキングにそれが漏れてしまう危険がある。ハジャから見ればまだジークは若造。感情に流されて使命が全うできるかどうかも疑わしい存在。それを見定める意味で少し様子を見る予定だったがミルツの想定外の行動、お節介によってハジャは自身の計画を修正する必要に迫られていた。

キングの暗殺。ハジャはその機会をまだ当分先の予定にしていた。自らの力だけではキングには勝てないかもしれないことがその理由。いかな無限の魔力を持つハジャとはいえ相手は闇の頂点とまで言われる男。万全には万全を期す必要がある。ジークの力を加えれば勝率は上がるがそれでも完全ではない。そしてハジャにとっては敵はDCだけではない。今はDCの存在によって表舞台に出てきていない組織も数知れない。その中でも特に際立った勢力を持つものが三つある。

『BG(ブルーガーディアン)』 『ドリュー幽撃団』 『鬼神』

構成員や種族、規模は異なるがそれぞれがDCに近いもしくは匹敵する力を持つ組織。何よりも危険視するべき点。それはその三つの勢力のリーダーがシンクレアをそれぞれ持っている可能性が高いということ。断定できたわけではないがDCの情報網によればほぼ間違いない情報。当然それらも時の民、いやハジャにとっては排除すべき障害。だがそれを単身で為し得ると思うほどハジャは自らの力を過信してはいない。それを為し得る方法もあるのだがそれにはいくつか条件があり今すぐそれを行うにはリスクが伴う。そのためハジャはDCを利用する手を打つことにした。

キングと六祈将軍オラシオンセイスの力を利用し他の勢力を根絶したのちにDCを壊滅させる。

そして全てを手に入れることこそがハジャの狙い。時の民としてではない魔導士としての、ハジャという個人としての望み、野心。それを成し遂げるための策をハジャは今まで張り巡らせてきた。それを壊しかねない危険因子がジークハルト。排除しても構わないのだがプランの一つでは利用価値もある駒。ならばそれをどう使うか。ハジャは瞬時にそこへと至る。


「そういえばお主は確か……金髪の悪魔と魔導精霊力エーテリオンの娘を探していたはずだったな……」
「……それがどうした」


ジークはどこか目を細めながらハジャを見据える。ハジャが時の民であることが分かり、幾分か警戒を解いているもののやはりどこか身構えたまま。そして自らが失敗した任務のことを再び挙げられ気を悪くしているのが明白な態度。それがまだハジャがジークを若造だと断ずる理由。だがそこにこそ付け入る隙が、利用する隙がある。


「なに少しお主の任務を手伝ってやろうと思ってな……DCの情報網なら主一人では探しきれない相手も捉えることができるはず。その代わりそれを排除する役目を果たしてもらいたい」
「……オレを試す試験というわけか」
「名誉挽回のチャンスだと思えばいい。さすればミルツも主のことを見直すであろう。キングの暗殺についてはまだ準備が整っておらん。それができるまでの間に果たしてくれればよい」


ハジャは淡々と言葉を繋いでいく。その言葉に嘘は無い。だが決して核心を晒してはいない。

己が既に金髪の悪魔の居場所を知っていることを。それをDCに引き込んでいることも。それを殺さずに置いているのにもいくつかの理由があるもののその一番の理由がキングの代替として。やむを得ずキングを暗殺せざるを得ない事態になった場合、そしてキングが何らかの理由で命を落とした場合の保険が金髪の悪魔、アキ。キングに比べて力も知力も大きく劣るアキならば操ることも御することも容易い。そのためにハジャはキングとアキが接触しないよう様々な手を講じてきた。レイナのきまぐれによって二人が出会った時には不測の事態を覚悟したのだがどうやらアキはキングと接触することを拒んでいるらしい。その理由は分からないが手を組まれるのが一番厄介な展開であることを考えれば問題ない。そしてハジャは知る必要があった。

アキの実力を。そしてアキが持つであろう母なる闇の使者マザーダークブリングの存在を。

アキがそれを持っている可能性は非常に高い。DBを定期的に収めていること、何よりも六星DBを持っていたこと。いかな金髪の悪魔といえども子供一人では為し得ないこと。何よりもその実力を知る必要がある。もしキングを超える力を持っているようなら計画も変更せざるを得ない。その意味ではジークはうってつけの相手。実力は大魔道の名の通り六祈将軍オラシオンセイスに匹敵するもの。

ジークが勝利すれば金髪の悪魔を排除できるのに加え一定だがジークにも信頼が置ける。キングの暗殺に関しても有効な駒となる。

もしジークが敗北したとしてもアキの実力を知ることができそしてジークという不安要素を自らの手を汚さず排除できる。

どちらに転んでもどちらかは排除でき、それから先の計画も確定できる。それがハジャが導き出した計画。


「……いいだろう。それが時のためならば」


そんなハジャの狙いを知ることなくジークはその場を去っていく。だがジークは背中を見せながらも自らの内に渦巻く言いしれぬ感情を抑えることができなかった。例えるならそう、まるで自分が見えない意志によって動かされているかのような、蜘蛛の糸に絡まれているかのような感覚。だがジークはそれを振り払いながら進んでいく。


そう。迷う必要はない。オレは時の番人。時を守ることこそがオレの使命。時のためならどんな事でもできる。否、恐れてはならない。全ては時のために。


ジークは進み続ける。自らが持つ信念に従って。だがまだジークは気づかない。それが何なのか。誰かに教えられたのではない自らの真実をまだ彼は持ち得てはいなかった――――





時はレイナがアキの尾行(襲撃)を行う少し前。大きな廃墟になりつつある場所。

とても人が住んでいるとは思えないような場所。そのホールのような場所で何かが暴れているかのような音が響き渡っていた。だがそれは突然止み、静けさを取り戻す。


「はあ………」


大きな溜息と共に壁にもたれかかりながら一人の少年が座りこんでいく。その表情は苦悶に満ち今にも気を失ってしまいそうな程疲れ切ってしまっている。だがその姿は普通ではない。黒い甲冑のようなものとマントを身に纏い、身の丈ほどもあるのでは思えるような大剣を手に握っている。まるでこれから戦争にでも行くのではないかと思えるような格好。それが金髪の悪魔、ダークブリングマスターアキの姿だった。

アキはしばらく座りこんだ後、ふらふらとまるで夢遊病のように歩きながら冷蔵庫の中から飲み物を取り出し飲みほしていく。必死に水分補給しているその姿はどこか鬼気迫ったものがある。もっともそうなってしまうほどの苦行を行っているからこそ。修行と言う名の地獄の強行軍をアキはここ数カ月ずっと続けていたのだった。


どうも、アキです……ダークブリングマスターです……何か既に死にそうですが何とか生きてます。さて……何から話したもんか……そうだな、まずは今の状況から。今俺は修行がひと段落ついて休憩してるところ。それだけならいつもどおりなのだが如何せん数か月前とは状況が変わってきている。それは修行の内容。一言でいえば鬼畜。もうその言葉でしか言い表せんくらいにスパルタです。もしかして俺死ぬんじゃねえ? って勢いです。それは言うまでもなくマザーの仕業。どうやら俺が実戦を経験したことがその理由らしい。確かにジェロと実戦、そしてシュダと小競り合い(マザーは知らない)を機に自分の実力が急激に伸びてきたのは実感してる。実戦に勝る修行はないとかどっかの誰かが言ってたような気がするがまさにその通り。やっぱそれがあるのとないのとでは雲泥の差がある。でもこれはちょっとやりすぎじゃないですかマザーさん? え? まだまだこれから? そうですかそうですか……っていい加減にしろよてめえ!? 何だ!? 修行で俺を殺す気か!? 幻相手に過労死とか冗談じゃねえぞ!?


水分を摂取したことで何とか息を吹き返したアキは自分の胸元にあるマザーに向かって抗議の声を上げるもマザーは我知らずと言った風に次の修行の準備をイリュージョンと共に行っている。もはやそれはここ数カ月の日常となる光景。アキが心を許せるのはもはやデカログスのみといった状況だった。

何故ならこの場にはアキとDBだけ。同居人であったエリーの姿はない。数ヶ月前からアキは再びDBだけに囲まれて暮らすという生活、ある意味いつも通りの生活に晴れて戻ったのだった。そのためアキはエリーを気にすることなく思う存分修行ができるという涙が出る状況に陥ってしまっていたのだった。


ち、ちくしょう……まさかこんなことになるなんて……エリーの存在の大きさが、偉大さが今になって身に染みてくるわ……


アキは心の涙を流しながらもどうすることもできない。エリーを予定通りヒップホップタウンに置き去りにし、ハルと引き合わせることに成功したことでようやくアキはエリーという呪縛から解放された気分だった。だがアキはすっかり忘れていた。自分にはエリーの比ではない程の悪魔の呪縛があったことに。

マザーが調子に乗り始めた。

それがここ数カ月のアキの苦難の原因。今まではエリーという存在がいたことである種のストッパーが掛けられていたのがなくなってしまったのだ。DBたちは基本マザーの言うことには絶対服従なため誰も止めることができない、やりたい放題の状態。しかもエリーがいなくなってからはマザーはほぼ常にアキの胸元に居座ったまま。エリーがいればマザーを押し付け、もとい預けることもできるのだが今はそれも不可能。おかげでアキはハル一行の様子を一度も見に行けていないという状況。まさにアキにとっては踏んだり蹴ったりな数カ月だった。


まったく……何でこんなことに……っていうか何でこいつこんなにノリノリなの!? いい加減気色悪いんだけど……というか四六時中話しかけてくんじゃねえよ!? しかもなんか最近イリュージョンで姿を現す頻度が増えてきてるし……朝起きて目の前にいられた日にゃ心臓止まるかと思ったわ……マジでやめてください、恰好がカトレア姉さんのなのもマジでやめてください。色々やりづらいんです。あ、ダメ? あっそ……というかこの甲冑つける意味ないだろ!? は? ムードを出すため? こんな悪趣味な甲冑いらねえっつーの……マントと合わせて罰ゲームかなんかかこれ……? あ、悪かった! 分かったから頭痛はやめろっつーの!?


アキはげんなりしながらも自らの手にある剣、デカログスに目を向ける。アキ自身の能力の底上げ。それが今の修行の課題。それはジェロ戦でも反省を生かしたもの。

アキはデカログス以外にも四つのDBを使っている。戦闘に使用できるのはマザー、イリュージョン、ワープロードの三つ。だがそれに頼りすぎているのがアキの問題点。それが通じなければ途端に勝率が下がってしまう。それはこれまでの修行でも見られてきた傾向。ジェロ戦ではそれが特に顕著だった。(もっとも相手が規格外過ぎたのも大きな要因)

そのためこの数カ月はアキの地力、デカログスを使いこなすことを念頭に修行が行われている。そして今はその最終段階、羅刹の剣サクリファーの制御まで進んでいるところだった。だがそのせいでアキは精神的にも身体的にもすでにボロボロだった。

魔剣とまで呼ばれる第九の剣。使用者の精神を封じ込め闘争本能のみを引き出し限界以上の力を与える剣。原作ではハルもそれに取り込まれ後一歩でプルーを殺してしまう程危険なもの。だがアキはそれを何とか三分ほどなら制御できるようになった。それはDB側、デカログスからの補助が受けれるDBマスターとしての力と精神汚染に強い耐性があるアキだからこそできることだった。


マジでこれ洒落にならないくらいヤバいんですけど……ちょっとでも気を抜くと凄まじい破壊衝動に襲われるし、使った後には体中ガタガタになるし……何だろう、クスリでもやってるみたいだ……これが制御できたとはやっぱシバは半端ない。というかもういいんじゃない? これ使う機会なんてそうそうないっつーの……っていうかこれを使う状況って死ぬ一歩手前でしょ? そんなこと起きるわけな……いと言いきれないのが恐ろしい……うん、真面目に修行しよう! やってて損は無いもんな! っとそういえば結局まだ第十の剣は使えてないな。確かダークエミリアだっけ? 能力はよく分からんかったが……まあ聖剣レイヴェルトの対の剣だから闇属性の魔剣なんだろうけど……あれか、やっぱ俺が本物のルシアじゃないから使えないのか? それともレベルが足りないのか……まあいっか、そこまで習得する必要もないし、ガチでハルと最終決戦するわけでもなし。

とりあえず今はこの筋肉痛を何とかしたい……こんな時はあれだ、シンクレアのアナスタシスが欲しくなるな。あれがあれば傷なんて一瞬で治るし、ほぼ不死身になれる。汎用性は多分シンクレアの中でもトップクラスだろ。ハードナーにはもったいない代物だな。この際ラストフィジックスでもいい。あれがあれば物理攻撃は効かなくなるし、あとは封印の剣ルーン・セイブを持てばまさに無敵! ヴァンパイアも引力と斥力使えば万能に近い力を持ってるし半端ない! こうなったら全部集めて…………じゃねよ!? 何考えてんだ俺!? んなことしたらエンドレスになっちまうじゃん!? あ、あぶなかった……何か知らない間にやる気になりつつあるところだった……気をつけねば……うん? そういえばもしかして俺、一番使えないシンクレア引いちゃってるんじゃ……まあハルの叫び声にかき消される程度の能力だし仕方ないか。よし! 当てにならないマザーはほっといていっちょやるとしますか!


アキはそのまま気分を変えながら再び修行に取り組んでいく。だがアキは侮っていた。マザーの力を。

後にアキは知ることになる。マザーは力、相性の上でもシンクレアの中で頂点に立つ存在であることを―――――



[33455] 第二十四話 「彼と彼女の事情」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/14 05:47
ソング大陸最大の都エクスペリメント。そのホテルの一室、ソファに深々と腰掛けリラックスしている一人の男の姿があった。黒い短髪、左の額にピアス、そして特に特徴的なのが首に掛けている銀色のドクロの形をしたアクセサリー。

ハムリオ・ムジカ

盗賊団の頭であり銀術師シルバークレイマーと呼ばれる銀を操ることができる力を持つ青年。そしてムジカはあるものを探すことを目的としている。盗賊団の頭をしているのもそれを成し遂げるため。だがムジカは一時的にそれを休業していた。それは


「だ、だからそんなことないって言ってるだろ……」
「嘘! ハル、絶対またあたしの言うこと信じてないもん! 分かるんだから!」


ムジカが座っているソファの後ろで騒いでいる二人組のせい。銀髪の少年と金髪の少女。対照的な色の髪を持つ男女が何事かで言い争っている。もっとも言い争っていると言うよりは痴話喧嘩のようなもの。ムジカはくつろいでいたのを邪魔されたことで大きな溜息を吐き、頭をかきながらもその場を立ち上がる。慣れた光景ではあるのだが流石にすぐ傍で騒がれるのはムジカとしても勘弁してほしいところだった。


「ったく……今度は何の騒ぎだ? ちょっとは大人しくしたらどうなんだお前ら。そのためにここに泊まってんだろ?」


ムジカは煙草をふかしながらあきれ果てていた。今ムジカ達がホテルに滞在しているのは休息のため。つい数日前、ムジカ達は大きなDCとの戦いに巻き込まれた。それは知識のレイヴを巡る争い。レイヴを手に入れんとするDCとの争奪戦。さらにその相手は普通ではなかった。

六祈将軍オラシオンセイス 『爆炎のシュダ』

DC最高幹部の内の一人。それを相手にしながらもムジカ達は勝利した。もっともシュダは消息不明という結果になったものの六祈将軍オラシオンセイスの一角を崩すという大金星。だがその戦いで深い負傷を負ったムジカ達はその静養のためこのホテルに、街に滞在しているのだった。


「そ、そうだけどさ……エリーが」
「あ、ひどい! あたしのせいにするの、ハル!? ムジカも聞いてよ。またハルがあたしの話を信じてくれないの!」


銀髪の少年、ハルがどこか罰が悪そうな表情を見せながらたじたじになり、それを金髪の少女、エリーが追いたてている。その内容も荒唐無稽なもの。ムジカは二人が何を言い争っているのか知らないものの恐らくは大したことではないと見抜いていた。短い付き合いではあるがハルとエリーがどんな人物でどんな関係であるかは知っている。だからこそムジカは二人と行動を共にしている。自らの目的を後回しにしてもそれに価値があると認めているからこそ。もっとも行き詰っている探し物について少し違う視点から取り組んでみようとする狙いもあったのだが。


「分かった分かった……何だか知らねえがそのぐらいにしとけって。あんまり騒ぐと部屋から追い出されるぞ、ハル、エリー」

「うっ……それは……」
「……ふん! いいもんいいもん。あたしシャワー浴びてくる。一緒にいこ、プルー」
『プーン』


ムジカの言葉によって一旦騒ぎは収まるもののまだエリーは腹の虫がおさまらないのか不機嫌そうにしながらプルーを連れそのまま風呂場へと去って行ってしまう。のぞかないでよ、というある意味お約束の言葉を残したまま。後にはどこか困惑したままのハルとそんなハルを見つめているムジカだけが残されてしまった。


「……一体何を騒いでたんだ? またあのアキとかいう奴のことか?」
「いや……それも関係あると言えばあるんだけどさ……」


どこか要領を得ないハルの姿にムジカは溜息をつくしかない。アキ。恐らくはそれがハルとエリーがひと悶着起こしていた原因であるとムジカは悟っていた。これまで何度かそれを見たことがあるからこそ。もっともムジカはアキという人物をハルとエリーが探していることは知っているものの詳しい経緯や人物像を聞かされていないため二人が何を言い争っていたのか見当がつかない。だが一つだけ確かなことをムジカは悟っていた。それはハルのエリーへの態度、その理由。ある意味分かりやす過ぎるもの。


「お前もそんなに気にすることないんじゃねえか? そのアキって奴はもうエリーとは別れてんだろ?」
「な、何でそこでアキの話が出てくるんだよ!? そ、それにエリーはアキとは別に付き合ってたわけじゃないって……」


ムジカの予想外に言葉によってハルは狼狽し真っ赤になってしまう。十六歳とは思えないんような純情な姿。その姿に笑いをこらえながらもムジカはアドバイスを送ることにする。年上の男としてのちょっとした忠告。


「でも二年近く一緒に暮らしてて何もないなんてあるわけないだろ」
「や、やっぱりそうなのか……?」
「十中八九な。でも気にすることもないだろ。そのアキって奴がいない間に告白しちまえばいいんだよ」
「なっ!? オ、オレは別にエリーのことをそんな風には……」


あくまでも認めようとはしないハルの姿にムジカは微笑みを通りこしてあきれ果ててしまう。純情もここまでいけば見ていてイライラしてくるレベル。これからこのおままごとをずっと見せられるかと思うとムジカは頭が抱えるしかない。

ハルがエリーに惚れていることは会った時からムジカは気づいていた。むしろ気づかない方がどうかしているレベル。もっともそのレベルに達しているのがエリー。好意に全く気づいていないわけではないのだろうが持ち前の天然さからどこまでが気づいているのかムジカにもまだ計り切れないところが多い。そしてハルがエリーに関してどこか遠慮している、距離を測りかねている原因がアキという人物のせい。どうやらハルはエリーがアキの彼女かもしくはそれに近い存在だと思い遠慮しているようだ。ある意味ハルらしいといえる状況。もっともそれをずっと見せられ痴話喧嘩に巻きこまれるムジカにすればたまったものではないのだが。


「……オレはちょっと外に出てくる。その間にちゃんとエリーと仲直りしとけよ、ハル」
「ちょ、ちょっと待てよムジカ!? 手伝ってくれねえのかよ!?」
「知るか。人の恋路を邪魔する奴は……って言うだろ。押し倒すぐらいの勢いみせろよ。その時は連絡して来い。夜まで戻ってこねえから」
「な、何言ってんだムジカっ!?」


狼狽し声を荒げているハルに背中を向け手をひらひらさせながらムジカは部屋を後にする。もっともそれは冗談。そんな度胸があるならとうに問題は解決しているはずなのだから。ムジカはそのまま去って行ってしまう。後にはハルが一人部屋に置き去りにされてしまった。


(なんだよ……ムジカの奴、好き勝手言いやがって……)


ハルは悪態をつきながらもそのままソファに座りこむ。だが心は落ち着かないまま。それは先のムジカの言葉、忠告のせい。己の状態を完璧に見抜かれていることに恥ずかしさを覚えながらもハルは自分自身でもそれが正しいことを自覚していた。

自分がエリーに好意を抱いていることに。

いつからだったか、何がきっかけだったかははっきりしない。だが一緒に旅をしている中で知らず惹かれてしまったというのが最もしっくりする表現。ハルにとってはまさに初恋。どうしたらいいのかも分からないような事態。もっともそれを伝える勇気もない。何よりもそれができない理由があった。


(アキ……一体今どうしているんだ……?)


それはアキ。金髪の悪魔、売人と呼ばれているDCの幹部。自分にとっては兄弟、家族の一員。そしてそんなアキと深いつながり、関係をもっているのがエリーだった。ハルは思い返す。それは数ヶ月前。エリーと出会った時のこと。

ハルはプルーと共に島を出発し、まずヒップホップタウンと呼ばれる街へと向かった。ガラージュ島からもっとも近い大きな街でありそこなら色々な情報が得られると思ったからこそ。だが街に入った途端異変が起こる。

それはプルー。それまで大人しかったプルーがまるで何かを見つけたかのように走って行ってしまったのだ。ハルは突然の事態に驚きながらもその後追うしかない。プルーはレイヴの使い。ならもしかしたらレイヴの手掛かりを見つけた可能性がある。だがそこにはレイヴに関するものはなかった。だがその代わりにそこには金髪の長い髪をした少女、エリーがいた。その姿に一瞬見とれてしまうもすぐにハルはプルーを探す。そしてようやくその姿を見つけたもののプルーはそのままエリー元へと駆け寄っていってしまう。しかもどんなに引き離そうとしても離れようとしない。ハルはそんなプルーの態度に困惑するしかない。それはまるでシバと会った時のよう。そんなこんなでハルはエリーと出会うことになった。

ハルにとっての初対面の印象は何だか変な少女。プルーのことを虫だの何だの言いだすのだからハルとしては関わり会いにならない方が良いと考えるのにそう時間はかからなかった。だが話をする中から思いがけないことをハルはエリーから聞かされる。

それはエリーがアキと知り合いだったということ。しかもつい最近まで一緒に暮らしていたということ。

金髪ではなく黒髪だったとのことだがエリーの話からそれが間違いなくアキであるとハルは確信する。だが喜んだのもつかの間だった。何故ならエリーも今、アキがどこにいるのか知らなかったから。なんでも突然エリーは一人この街に置き去りにされてしまったらしい。それに気づき後を追おうとしたもののヒップホップタウンはDCによって支配されている街であり、出るには高額な料金を取られる。必要最低限のお金しか残されていなかったエリーは街から出ることができずに途方に暮れていたところだった。そしてハルも自らの事情をエリーに伝える。

アキを探していること、そしてレイヴという石を探していることを。

それを聞いたエリーはアキを探すためにハルと共に旅をさせてほしいと頼み込んできた。それはハルがアキのことを探していること、そしてもう一つ、レイヴを探していると知ったから。

レイヴを探している。

それはエリーがアキから聞いた話。ならレイヴを追って行けば、ハルと共に行動すればアキを見つけることができるとエリーは考えたらしい。それを断る理由もなかったハルはそのままエリー共に旅を始めることになった。

だが結果としてはまだアキの手掛かりは何一つ掴めてはいない。何度かDCとの戦闘はあったものの誰もアキの正確な所在を知る者はいなかった。どうやらシュダから得た情報通り世界中を移動しているらしいことにハルは頭を悩ませるしかない。当初はエリーがアキと共に暮らしていたアジトをいくつか巡ってみたのだが全てもぬけの殻。まるでハル達にから隠れるようにアジトには一つも物がなくなってしまっていた。

だが収穫もあった。それはアキについての情報。それをアキはエリーから得ることができた。そしてやはりアキがDBを持っていたということに。しかも一つではなく複数。エリーの話では幻を作ったり遠くに移動することができるような力を持つもの、剣の形をしたものもあったらしい。だがどうしてもよく分からないのが『ママさん』と呼ばれる存在。どうやらDBらしいがエリーはまるでそれを人間のように話してくる。そこでようやくハルは悟った。それはエリーとの間にある恐ろしい程離れたDB,に対する認識の違い。


(DBがしゃべる……か……)


ハルは困惑しながらも小さな袋に目を向ける。そこにはいくつかの小さな石が入っている。だがそれは唯の石ではない。DB。それがその正体。ハルがこれまで戦ったDCから手に入れたものだった。もちろんハルはDBなど使う気はない。それと戦うことがレイヴマスターの使命。当然ハルはそれと戦い、そしてDBを破壊した。そこに間違いはない。だがそれによって想定外の事態が起きてしまう。

それはエリー。ヒップホップタウンで煙になる能力を持つDBをハルが破壊した瞬間、何故かエリーが怒りだしてしまったのだ。


『いじめちゃだめ!』


それがエリーの言葉。その言葉にハルはもちろんプルーも困惑した様子を見せるしかない。当たり前だ。DBは悪の存在。それを倒したにも関わらず何故そんなことを言われなければならないのか。褒められる、感謝されることはあれど非難されることなどハルはこれっぽっちも想像していなかったため呆然とするしかない。そんなハルの困惑を知らぬままエリーはそのまま捲し立てるように告げていく。

曰くDBには意志があるのだと。悪いものではないのだと。ちゃんと話をしないで壊すなんていけないことだと。

およそ信じられないような言葉の連続。もしかしたら自分は変な奴に目をつけられたのかもしれない、知らない人の言うことを聞いてはいけないという姉の教えがハルの頭をかすめるもののハルはエリーがそれを本気で言っていることに気づく。もっともそれが本当かどうかは半信半疑だったが。石と、DBと話すことができるなどいくら島暮らしのハルとはいえ信じることができるような内容ではない。実際にエリーに話してみるように言ったもののエリーはそれができなかった。何でもDBの声を聞くためのイヤリングが無くなってしまったらしい。(もちろんアキの仕業)

だが頑としてエリーは自らの主張を曲げようとはしない。悪いのはDBではなくそれを悪いことに使う人間だと。このままではずっと言い争いになると悟ったハルはそれからは極力DBを破壊しないように気を払うことになった。その結果がこの袋の中にあるDB。壊すこともできずどこかに捨てることもできないままのもの。そして先程言い争ってしまったのもそれが原因。DBがしゃべることを信じていない態度が出てしまったハルに対しエリーがへそを曲げてしまったという顛末。ハルとしてはどうしたらいいのか分からない難問だった。


(ま、まあそれは置いておくとして……)


ハルは大きな溜息を吐きながらも考える。それはアキとエリーの関係。これまでの旅の中で幾度もハルはエリーからアキのこと、そしてアキとの生活のことを聞いてきた。その中ではアキは自分が知っている頃と大きく変わっていないことが分かり安堵する一方焦りを感じずにはいられなかった。アキとエリーの関係の深さ。二年間一緒に暮らしていたということ。それはつまりアキにとってエリーは彼女のようなものなのだろうと疎いハルにも察しがついた。にも関わらず自分はそんなエリーに惹かれてしまっている。ハルは一度、思い切って聞いてみたことがある。アキは恋人なのかと。エリーはそれに対して違うと答えたもののその時の表情、雰囲気はどこかそうとは思えないようなもの。以来ハルはそれについて深く聞けないでいる。あまり詮索しすぎると自分の想いに気づかれてしまうかもしれないというのがその理由。だが気になって仕方ない。そんな葛藤の中


「ハルさん、準備が整いました」


そんな声がハルに向かって掛けられる。ハルは深く考え事をしていたため咄嗟に反応できずきょろきょろと辺りを見渡す。だがどこにも人影は見えない。一体誰が話しかけてきたのかハルは混乱するもすぐに気づく。それは自分の足元。そこに彼はいた。


「何だグリフか……驚かせるなよ」


ゼリーのような身体に二本の腕と無数の足を生やしている謎の生物。それがハル達の仲間の一人、グリフォン加藤。タンデモと呼ばれる乗り物の運転手として雇われたのがその出会い。プルー同様その正体が謎の存在だった。ハルは改めてグリフに目を向ける。そして気づく。それはグリフの恰好。それがいつもと異なっている。まるでどこかに潜入するかのような装備を身に纏っている。


「では行きましょうかハルさん」


そのままグリフはさも当然のように無駄のない完璧な動作で潜入任務を開始する。その方向は風呂場。覗きと言う名の潜入任務を果たさんとグリフは匍匐前進でじりじりとその距離を詰めて行く。軍人顔負けの動きだった。


「お、お前……一体何してんだ!?」
「お静かに。覗きに決まっているじゃないですか。ハルさんもずっとするかどうかで迷ってらしたんでしょう?」
「だ、誰がそんなこと考えるかっ! ちょっと考え事してただけだ!」
「そうですか……では私一人でも行かせていただきます」
「ちょ、ちょっと待てよ……バレたらどうするんだ、やめとけって……」
「いえ、これは私の使命ですので。ハルさんはお気になさらずに」
「い、いや……そうは言ってもな……」


我先にと進んでいくグリフの後にハルもまるで続くように着いていく。知らず小声で会話をしながら。名目上はグリフの監視をするために。もっともどっからどうみても覗きその2なのだがハルは心中で言い訳をしながらグリフと共に風呂場へと向かって行くのだった―――――



「もー何なのよ、ハルの奴―」

一糸まとわぬ姿でシャワーを浴びながらエリーはまだぶつぶつと文句を言い続けていた。言うまでも先のハルとの言い争いのこと。DBとしゃべれる、会話できることを信じてくれないハルへの不満だった。


(これも全部アキのせいなんだから……見つけたら文句言ってやらないと!)


エリーはここにはいないアキに対して不満、怒りをぶつけていた。今のエリーの状況の原因は全てアキにあると言っても過言ではないのだから。

始まりは数ヶ月前のヒップホップタウン。そこでエリーはアキとデート(アキはそんなつもりはない)をすることになった。珍しくアキの方から誘われたことでエリーは上機嫌になったもののそこでエリーはよく分からない話を聞かされることになった。何でもアキはレイヴと呼ばれるものを探しているのだと。エリーはそれが何なのかはよく分からなかったが納得する。それがきっとアキがいつも忙しく動き回っている理由なのだと。そして次の日、それは起こった。

置き去りにされた。

それがエリーの身に起こった事態。エリーはすぐにそれに気づいた。何故なら自分の部屋以外の家具やらなにやらが全てなくなってしまっていたのだから。まるで夜逃げした後のような有様。そしてさらなる驚きがエリーを襲う。それはエリーの所持金、エリーは基本的にアキにもらったカードによって買い物などを行っていた。だがその残高が本当に最低限生活できる程度しか残されていなかった。昨日まではカジノでの勝ち分もあったのにご丁寧にそれも没収されている手際の良さ。

エリーはそのまま慌てて街中をくまなく探すもアキの姿はどこにもない。DBたちの姿もどこにもない。既に街を出て行ってしまったのは明らか。しかもワープロードがある以上アキがどこに行ってしまったかは分からない。混乱しながらもエリーはとりあえず街を出て自分が知っているアキのアジトへと向かうことにする。もはやエリーにはそれしか手掛かりはなかった。だがすぐにその目論見は外れてしまう。それは街から出るには多額の料金を払わなければならなかったから。それによってエリーは街に閉じ込められアキを追うことができなくなってしまう。カジノで所持金を増やそうにも元手が少なすぎてそれも難しい。

まさに用意周到な逃亡、もとい置き去りにエリーは怒りを爆発させGトンファーで暴れまわるもののどうすることもできず途方に暮れるしかなかった。そしてそんな中でのハルとの出会い。アキとの知り合いであり、レイヴを探しているという少年。エリーはハルと行動を共にすることにする。レイヴを追って行けばアキに辿り着けると。


(アキ……ママさん……みんな、どうして……)


エリーは泣きそうな表情を見せながらもすぐにそれを振るいながらいつもの表情へと戻る。ここで泣いたらハル達に心配をかけてしまうからこそ。エリーには全く見当がつかなかった。

自分が置いて行かれてしまった理由。アキやマザーと喧嘩したわけでもない。自分の記憶を教えてもらったわけでもない。勝手に約束を破ったわけでもない。なのにどうして。

エリーは落ち込みかけた気持ちを何とか抑えながら、気持ちを切り替えながらシャワーを終え着替えを始める。それはハルの存在があったからこそ。

数か月であるがハルと一緒に旅をすることは楽しかった。もしそれがなければもっと自分は落ち込んでしまったはず。アキとはまた違う明るさを持った男の子。アキはひねくれたところがあるが対照的にハルは真っ直ぐな正義感が強い所がある。でもどこか似ている部分がある。小さい頃一緒に暮らしていたらしいからそのせいかもしれない。兄弟のようなものだとハルは言っていた。ならハルと一緒ならきっと大丈夫。アキを見つけることができる。自分の記憶のことを知っているのはアキだけ。でもそれだけではない。二年という短い間とはいえ一緒に暮らしてきた仲間。

それを見つけることを決意しながらもエリーは誓う。アキに会ったらまず一発叩いてやろうと。


「大丈夫? プルー?」
『プーン』


その時のアキの顔を想像しておかしかったのかエリーは笑顔を見せながらしおしおにしおれてしまったプルーを拭いていく。お湯に入るとしおれてしまうというとても犬とは思えないような体質。やはりプルーは虫に違いないとエリーが一人納得しながら自らも着替えようとした時


パキン、と


何かが割れてしまうような音が脱衣所に響き渡る。


「え?」


エリーは驚きながらもその音がした方向に目を向ける。それは足元。そこに何かのリングのようなものが落ちている。それは本来エリーの右腕にあったもの。


「ああ―――!?」


エリーは大きな声を上げながら慌ててそれを拾い上げるも既に手遅れ。そこにはいつも右腕に着けていたブレスレットがあった。だがそれは床に落としてしまったことで割れてしまっていた。何とかくっつけようと、直そうとするが叶わない。完全にブレスレットは壊れてしまっていた。


「そんなー……アキにもらった奴だったのに……」


エリーはがっくりと落ち込みながらもどうしようもない事態に途方に暮れるしかない。それはアキからプレゼントされたブレスレット。エリーにとっては記憶を失ってから初めて誰かからもらったプレゼント。今、エリーが持っている唯一のアキとの繋がりといってもいいもの。それが壊れてしまったことにエリーは落ち込み続けるも壊れてしまったものを直すこともできずあきらめるしかない。その残骸を集めながらもエリーは考えていた。今度は自分もアキになにかプレゼント、お礼をしなければと。


エリーは知らなかった。その意味を。アキが何を意図してそれを贈ってくれたのか。そしてそれが失われてしまったことで何が起こるかを――――





余談だがその後、覗きその2はエリーの大声と共に脱衣所に突撃し(弁明するならばエリーの身を案じたため)撃退されるというお約束が行われ

その尊い犠牲によって覗きその1は見逃され、

戻ってきたムジカは何故か出かける前より状況が悪化していることに頭を痛めるのだった―――――



[33455] 第二十五話 「嵐の前」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/16 11:12
日も傾き次第に静けさと暗闇に辺りが包まれようとしている中、アパートの一室で一人の少年が椅子に座りこんだまま何かをずっと考え込んでいた。それはアキ。アキはまるで仕事が終わって帰ってきたサラリーマンのように疲れ切った様子を見せながらも頭を抱えていた。


(はあ……どうしたもんかな……)


それはつい先ほどの出来事、レイナとの接触に関すること。突然の接触自体にもアキは驚いたもののそれ自体は今問題ではない。ある意味レイナからすれば当たり前のイタズラ、挨拶のようなものなのだから。もっともそのたびにDBと銀術を使ってこられるのは勘弁してほしいところではあったのだが悩んでいるのはレイナのことではなくレイナによって伝えられたこと。

シュダの敗北とそれに伴うキングからの招集。

シュダの敗北についてはアキとしては安堵していい話。つまり序盤の大きな山場をハル達が乗り越えたことを意味しているのだから。マザーが傍から離れなくなってしまった以上アキはそれに介入することも監視することもできなくなってしまい気が気ではなかった。もしハル達が負けてしまえば、想定外の事態が起きてしまえばどうなるのか。だがそれは杞憂だったとアキは悟る。どうやらハル達は順調に旅を続けているらしい。故にアキが頭を抱えているのはキングからの招集。それに尽きた。

キングからの招集。それは六祈将軍オラシオンセイスであるシュダを倒した二代目レイヴマスターの抹殺指令を与えるためのもの。

もちろんアキはそんな集まりに参加したくなどない。指令そのものもそうだが何よりもキングと接触することをアキは恐れていた。前回は運よく見逃してもらったものの同じことが続くとは限らない。だが何故かキングの指名によってアキは六祈将軍オラシオンセイスでもないのにそれに参加するよう命令されてしまった。それを断れば今度こそ反逆者とみなされてしまうかもしれない。アキはどうするべきか悩むもののあることに気づきそれに参加しないことを決定した。

それは時の番人ジークハルト。彼が今回の招集に参加することをアキは思い出したから。

もしアキが参加すればジークと接触することになってしまう。これまでもアキはジークと接触しないようにDCの中でも動いてきた。もし今回の招集で、DC本部、キングや六祈将軍オラシオンセイスたちがいる場で金髪の悪魔であることが露見してしまえばどんな事態になるか分からない。ジークだけでなくDCまで巻き込んだ乱戦になってしまう可能性すらある。アキは決断した。例え招集に参加しないことで反逆者、裏切り者扱いされることになってもそれだけは避けなければならないと。結局はレイナによるキングの判断の結果待ちなのだが。


(なんだろう……もし許してもらえてもそれはそれで何か恐ろしい気がする……)


アキは背中に嫌な汗を流しながらも意識を切り替える。それはこれからのこと。レイナからの情報によってハル達が順調に旅をしていることは確認できた。だが気にしなければならないことがある。それはこれからの展開。原作通りなら今回の招集によってジークにレイヴマスターの抹殺が命令されエリーに関係する戦い、いわゆる魔導精霊力エーテリオン編が始まる。だが原作とは異なる事情がある。

マジックディフェンダー。

身に着けることで魔力の反応を消し、魔法を使えなくする力を持つ腕輪。それをエリーは着けている。アキがそれをプレゼントしたことによって。それは言うまでもなくジークからの追跡からエリーを隠すため。そのおかげでこの二年間、一度もエリーはジークに補足されることは無かった。そしてそれがあるということは原作のようにジークがエリーを探知する展開にはならないということ。


(マズったかな……流石にそこまで気が回らんかった……)


アキは大きな溜息を吐きながらも今更どうすることもできずに途方に暮れるしかない。 万全を期すためにはマジックディフェンダーも回収するべきだったのだがそこまでアキは気が回らなかった。それ以外に重視するべきことが多くあったため。自分の痕跡を全て消すこと、エリーが知っているアジトを全て廃棄すること、エリーの資金を没収すること、そして何よりもエリーが持っているイヤリング型のDBを回収すること。特にそれが重要だった。エリーがアキたちの影響によってもっとも変わっているのがDB関係について。もしそのままDBと会話できる状態でハルと出会えばどうなるか影響は計り知れない。それだけは絶対に阻止する必要があったためアキは細心の注意を払っていたのだがそのせいでマジックディフェンダーについては失念してしまっていた。

どうするべきか悩み続けるもののアキはそれを見逃すことにする。確かにエリーが探知されなくなるのは原作とは異なるがそれでもレイヴマスター抹殺の命を受ける以上、ジークとハル達は接触することには変わりない。多少の差異はあるが致命的な問題ではないとアキは判断する。もっともどちらにしろ今のアキには介入することができない。


『どうした、またくだらないことで悩んでいるのか? 情けない』


目の前にいる厄介な存在、もとい共犯者のせいで。


「うるせえよ……それよりもその格好はやめろっていつも言ってんだろうが」
『ふむ……そんなに気に入らんか? せっかくお主の趣向に合わせてやっているというのに』


アキのげんなりとした声とジト目を受けながらも少女はどこか楽しげに笑い続けている。まるでそんなアキの反応を見るのが目的だといわんばかりに。アキはさらに文句を言おうとするのだがすぐにそれをあきらめる。そんなことをしても無駄なことは分かり切っていたから。

長い金髪に優れたプロポーション。そしてそんな髪の色とは対照的な漆黒のドレスを身に纏った少女。ハルの姉、カトレア・グローリーと瓜二つの姿を持つ存在。

それが今のマザーの姿。イリュージョンの力によって幻影として姿を現しているのだった。

それはエリーの入れ知恵によって始まったお遊びが原因の行動。アキの中にある理想の女性像であるカトレアの姿を借りてマザーが姿を現している。もっとも幻影なので何かに触ったりすることはできないのだがそれでも目の前にいるように見えるのでアキとしてはやりづらくて仕方ない事態。そのため禁止していたのだがエリーがいなくなってからは何故かマザーが実体化する頻度が増えていた。何度も文句を言ったのだが聞く耳を持ってもらえず(いつものこと)最近はアジトにいる時は必ずと言っていいほど一度はそれを目にすることになってしまっていた。


ちくしょう……好き勝手しやがって……全然言うこと聞きゃしねえしこいつほんとに俺がマスターだって分かってんのか? というかその格好やめてくれません? 完璧にカトレア姉さんの色違い、2Pカラーなんですけど……しかも姿は同じはずなのに全く仕草や雰囲気が違っている。一言で言えばなんていうかドSオーラが滲み出てる。もう女王気質バリバリですよこいつ……本物のカトレア姉さんとはまさに真逆の姿。それが逆に怖すぎる。頼むから俺の中のカトレア姉さんのイメージが崩壊しかねんからやめてくれ……っていうかその服の趣味どうにかしてくれよ!? どこぞの中世の王族か? ゴスロリのコスプレにしか見えないんですけど……あれ? もしかして俺の恰好ってそれに合わせてるんじゃ……


『それともまだエリーに振られたことを気にしておるのか? 未練たらしい男だな』
「な、なんでそこでエリーが出てくる!?」
『違うのか? だが仕方あるまい。ずっと一緒に暮らしておいて結局一度も手を出すこともできんヘタレでは……なあ、主様?』
「て……てめえ……」


くくくと笑いながら煽って来るマザーを前にしながらもアキは何も言い返すことができない。それは自らの作った設定、作り話のせい。それによってマザーはアキがエリーに惚れていると思い込んでいる。それに加え今回エリーを置き去りにしたことに関してもアキは新たな嘘をついた。

エリーに振られてしまった。

それがアキがエリーを置き去りにした理由の言い訳。マザーを家に置き去りにしてのエリーとのデートにおいてアキが告白し、盛大に振られ情けなさから夜逃げに近い形で街を出て行くことにした。要約すればそんな言い訳をアキはマザーに行った。よくよく考えれば情けない男の見本のような醜態。ヘタレと言われても反論しようがない話。しかし今更作り話だったとも白状できないアキは悔しさに身体を震わせながらも耐えるしかない。もっとマシな言い訳ができればよかったのだがいかんせんそれ以外いい言い訳も思いつかなかったのだから仕方ないとはいえあまりにも大きい代償だった。

もっともエリーというライバル(?)がいなくなったことでマザーは調子に乗り、そしてアキの気を引くためにイリュージョンによって姿を現しているのだがアキはそんなことなど知る由もない。


『冗談だ、そんなに気にするでない。やはりさっきのホワイトキスの主が言っていたことを気にしておるのか?』
「まあな……」
『キングとやらの招集、参加せぬつもりか? 敵対することになるかもしれんぞ。我は別に構わぬが』
「キングはまだいいんだがジークのことがあるからな……」
『ジーク……ああ、あの蒼髪の魔導士のことか。まだそんなに恐れておるのか? 今のお主なら気にする程の相手ではなかろうに……なんなら我が消し飛ばしてやってもかまわんぞ。あやつには随分追いかけ回されたからな』
「お、お前な……絶対に余計なことすんじゃねえぞ! やりやがったらまた地面に埋めてやるからな!」


マザーの言葉に思わずアキは冷や汗を流す。それはマザーの言葉が冗談ではなく本気だと悟ったからこそ。マザーからすれば何度も自らの主の命を狙ってきた相手。遠慮も容赦もする必要もない。そもそもそんな概念はマザーにはない。自らに敵対する者、邪魔者は排除する。それがマザーの考え、在り方。


(そうできればどんなに楽か……ちくしょう……)


アキは改めて頭を抱える。自らの置かれた状況に。アキとしてはマザーの言う通り、好き勝手できるならそうしたい。初めの内は戦うこと自体避けていたが今は色々経験も積み戦えるようにもなった(もっとも戦闘が避けられるならそれにこしたことはないが)もし本当にマザーの言う通りに消し飛ばすかどうかは置いておいて相手を何も考えずに倒すだけでいいならどんなに楽か。

もしルシアではなくハルに憑依、もしくはハル側の立場であったならそれでもよかった。力の限り敵を倒していく展開でも何の問題もなかった。だがそれはアキには許されていない。アキは悪、DB側の存在なのだから。

例えばDC。もしアキが力の限りを尽くしDCを壊滅させたとする。だがそれは何の意味も持たない。確かに一時的にDCに虐げられている人々は救えるかもしれない。だがそれは新たな問題を引き起こすだけ。DCが壊滅することによる他の組織による闇の派閥争い。それが起こってしまうだけ。しかも原作よりも早い段階で。ハル達が成長する暇もなく。下手をすればDCが壊滅することによって原作よりも大幅にハル達が弱体化してしまうことすらあり得る。

それを補うために他の闇の組織であるドリュー幽撃団や鬼神、BGをアキが殲滅したとしてもやはり意味がない。むしろ事態は悪化してしまう。シンクレアが集まってしまうことによってエンドレスが完成してしまうのだから。そうなればゲームオーバー。成長の機会を奪われてしまったハル達ではエンドレスを倒すことなどできるわけもない。アキが無双すればどうにかなるわけではない。むしろそんなことをすればバッドエンド直行。できるのは出来る限り原作に近い展開、時間の流れを作ること。それがアキができる唯一の道。


『ふん……つまらん。せっかく力をつけてきているというのに……一体いつになったら動き始める気だ?』


マザーはそのまま静かにアキへと目を向ける。その姿にアキは空気が凍って行くような気配を感じ取る。幻であるにも関わらずその瞳にはまるで氷のような冷酷さが、機械のような無慈悲さがある。先程まで楽しげにアキをいじっていたマザーの姿はそこにはない。あるのはDBとしてのエンドレスの一部としての意志だけ。ある意味二重人格とでも言うべき豹変。

母なる闇の使者マザーダークブリングの真の姿。


「……前にも言っただろ、もう少しだ。それまでは大人しくしてろ」


それを前にしながらも怯むことなくアキは告げる。

九月九日。それはまるで必然のように歴史に残る事件が重なる日。

レイヴが生まれた日。

大破壊オーバードライブが起きた日。

ゲイル・レアグローブとゲイル・グローリーが生まれ、争い命を失った日。

そしてハル・グローリーとルシア・レアグローブが争い、決着がついた日。

それはまさに運命の日。世界の意志が働いているといえる日。

それが『時の交わる日』と呼ばれる日。自分達が表舞台にあがる日だと。


『よかろう……大人しく従うことにしようかの、我がマスター』


マザーは笑う。妖艶さと無邪気さを合わせ持った笑みで。

母なる闇の使者マザーダークブリング魔石使いダークブリングマスター。世界を終焉に陥れようとする者とそれを阻止せんとする者。

阻止せんとする者であるアキは溜息を吐きながらもまずはレイナからの報告を待つことにするのだった――――




ハードコア山脈にある巨大な城、DC本部。その大きな廊下に背をもたらせている一人の女性がいた。それはレイナ。レイナはそのまま目を閉じたまままるで誰かを待っているかのように身動き一つしない。


(まったく……どうなることかと思ったわ……)


レイナは心中でそんな愚痴を漏らす。それは先程まで行われていたキングの招集によって開かれた会議のこと。結局参加者は自分とジェガン、ジークの三人。本当にアキが来なかったことでレイナは気が気ではなかった。命令違反でアキは反逆者扱いされてもおかしくないのだから。アキが金髪の悪魔かを確かめる前に処刑命令が出てしまいかねない事態。だがそれはいらぬ心配だった。レイナが内心焦りながらアキの欠席を伝えるもキングは特に気にした様子を見せることは無かったから。むしろ何故見逃してもらえるのか不思議なほど。一度ならず二度までも。気にはなったもののレイナはキングにそれを尋ねることはしなかった。そのせいでキングの気が変わってしまえば本末転倒。とりあえずその件については問題はなし、解決したと言っていいだろう。既に会議は終わり解散となっている。議題は予想通り二代目レイヴマスターの抹殺。それを誰が行うかの人選だった。ひと悶着あったもののそれは時の番人ジークハルトが負うことになった。そして彼こそがレイナがこの場で留まっている理由。


「あら、やっと来たわねジーク」
「……レイナか。何の用だ。オレを監視しろとでもキングに言われたか」
「さあ? 想像にお任せするわ」


廊下に現れた男、ジークハルトに向かってレイナは笑みを浮かべながら近づいて行く。対照的にジークは冷静に、見定めるようにそれをみつめている。その言葉にも警戒が現れている。レイナはそんなジークの戸惑いを見て取りながらも素知らぬ顔を見せ続けている。

ジークの言葉は当たっていた。レイヴマスターの抹殺。それがジークが与えられた任務。それを成し遂げるかどうかを監視することがレイナが与えられた任務。DCへの貢献、忠誠が他の者より見られないジークを試す、警戒する意味での任務。


「それよりもさっきの話の続き、聞かせなさいよ。女を探してるんでしょ? 何? やっぱり昔の女なわけ?」


レイナはそんな空気を変える意味で話題を変える。それは先の会合でジークが口にしていた言葉。もっともレイナが個人的に興味があるだけだったのだが。


「違う。それに聞いていなかったのか。オレが探しているのは男と女だ」
「どっちでも同じじゃない。何? 三角関係? 面白そうじゃない、聞かせなさいよ♪」


まるで鬼の首を取ったかのような喜びようでレイナはジークに迫って行く。レイナとしてはいつも冷静な、すました姿のジークの女性関係に少なからず興味があった。それに加え二代目レイヴマスターの抹殺もすぐに終わってしまうと分かり切っているためレイナはそれに関しては興味を持っていない。それだけの力をジークハルトは持っている。六祈将軍オラシオンセイスと同等の扱いを受けているのは伊達ではないのだから。


「いいだろう……もっとも、お前が聞きたいと思っているような内容ではないだろうがな」


ジークは目を閉じながらも話し始める。まずは自らが追っている女、3173の女について。それはこれ以上いらぬ詮索をされたくないから。そして自らの任務をDCのレイナに伝えることでDC の疑念を晴らすため。これ以上DC側に疑念を持たれることはジークとしては避けなくてはらない。キングの暗殺と言う目的を果たすためにはまだDCと敵対するわけにはいかないという配慮だった。

そしてその内容にレイナは驚きを隠せない。だがそれは無理のないこと。女を殺すこと。しかも魔導精霊力エーテリオンを持っているというのだから。

魔導精霊力エーテリオン

禁呪とまで呼ばれる究極の力、魔法。かつてレイヴを作ったリーシャ・バレンタインだけが持っていたといわれる力。その死と共に失われてしまったはずのもの。その力は世界を崩壊させてしまうほどのもの。レイナは納得する。ジークが殺気を見せてまでそれにこだわっている理由に。


「なるほどね……あんたがそこまでムキになる理由も分かったわ。でも男の方は何なの? その3173の女の方がよっぽど危険だと思うんだけど」


レイナは首をかしげながら尋ねる。それはジークが探しているという男のこと。ジークの言いようではまるで3173の女と同列に扱っているかのようだった。だが魔導精霊力エーテリオン以上に危険なものなどあるのだろうか。だがそんなレイナの疑問は


「いや……男の方も軽視していい存在ではない。『金髪の悪魔』……それがその男の二つ名だ」


ジークの言葉によって一瞬にして砕け散ってしまう。


「……? どうした。金髪の悪魔を知らないのか?」
「い、いえ……知っているわ。ちょっと驚いただけ……あんた、金髪の悪魔を追ってるの……?」
「そうだ。何度か追い詰めたことはあったが逃げられてしまっている。恐らくは姿を隠す力、瞬間移動の力を持つDBを持っているのだろう」
「そう……どんな姿をしているの?」
「偽装していた可能性があるので断言はできないが……見た目は黒髪の少年だ。今はあの時よりは成長しているはず」
「…………」


ジークは二年前の光景を改めて思い返しながら口にする。ローブを被っていること、偽装している可能性はあるものの恐らくは間違いない。二つ以上のDB,を持っていることも確定的。だがそれ以外の情報はジークも持ってはいなかった。実際に戦闘の際には金髪の悪魔は抗戦してくることなく逃亡するだけだったから。

だがレイナはそんなジークの姿にまったく気づくことなくただ己の内に入り込んでいた。それはジークの言葉。金髪の悪魔。ジークがそれを追っていたという事実。そしてその内容。

その全てがアキと一致している。その風貌も、能力も。それならば先のアキの態度も納得がいく。ジークという名を聞いた瞬間の反応。レイナは看破する。だからこそアキはこの場に来なかったのだと。そしてジークが一度もアキと面識がなかったこともそれで説明がつく。

知らずレイナは自らの腕を抱く。まるで欠けていたピースが全て揃ったかのような感覚。だがまだ確定ではない。しかし限りなく正解に近いもの。それを確定できる人物が、術が目の前にある。


「ジーク……相談があるわ。私が二代目レイヴマスターの相手をしてあげる」


レイナはそのまま改めてジークに向かい合いながらそう提案する。自らがレイヴマスターの抹殺。その指令を行うと。


「……どういうつもりだ。何を考えている?」


ジークは目を細めながらレイナを睨みつける。だがそれは当然のこと。先の会合であれほど嫌がっていた、面倒がっていた任務を代わりにやるというのだから。しかもそれはある意味キングの命令にも背くこと。その側近であるレイナが取るとは思えないような行動。何か狙いがあることは明らか。


「そんなに怖い顔しないで頂戴。簡単な取引よ。私にもその金髪の悪魔に関して協力させてほしいの」
「金髪の悪魔に……? 何故だ?」
「単純な興味よ♪ どんな奴なのか見てみたいって思ってたの。その代わりあんたの任務をこなしてあげる。悪い話じゃないでしょ?」
「……興味本位で関わるとタダではすまないかもしれんぞ」
「あら、心配してくれるの? 大丈夫よ、これでもキングの側近なのよ。それにちゃんとエスコートしてくれるんでしょ?」
「…………」


ジークはそんなレイナの提案について思案する。レイナが一体何を狙っているのかは定かではない。興味があるというのは本当だろうがそれだけではないのは確か。だがレイナの協力自体は魅力があるものではある。既にジークは金髪の悪魔のおおよその居場所をハジャから伝えられている。奇しくもそこは二代目レイヴマスター達が滞在していると思われる場所とも近い場所。レイナがレイヴマスター側の相手をしてくれるのならそれに越したことは無い。どちらにせよレイナは恐らくキングから自分の監視を命じられているはず。ならば結局憑いてくることには変わらない。


「……いいだろう。だが邪魔をするようなら容赦はしない」
「分かってるわ。こういう刺激的な関係も悪くないわね。楽しい任務になりそう♪」


『時の番人ジークハルト』と『六祈将軍オラシオンセイスレイナ』

本来敵対するはずだった二人は一時的な同盟を結ぶ。金髪の悪魔、アキという存在によって。

『ダークブリングマスター』 『DC』 『時の民』 『レイヴマスター』 そして表には出てきていない勢力。

それぞれの思惑を胸に全てがソング大陸最大の都エクスペリメントに集おうとしていた――――



[33455] 第二十六話 「イレギュラー」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/19 08:22
多くの建物、人によって溢れかえっている街、ソング大陸最大の都エクスペリメント。その中のビルの屋上に二つの人影があった。それは男女の二人組。美青年と美女の二人組。見る人が見れば皆お似合いの恋人、カップルに見えるだろう。だが二人の関係はそんな甘いものではない。


「ねえジーク。いいかげん休憩しましょうよ。もうかれこれ半日以上このままなのよ?」


二人組の内の女性、レイナがどこか不満げに愚痴を漏らす。既に疲れてしまっているのか座りこんだまま。だがそれは無理のないこと。こうして建物の屋上に陣取ってから半日以上経過しているのだから。レイナでなくとも休憩を提案するのは当たり前だろう。だが


「するなら勝手にしろ。オレはもう少し続ける」


二人組の内の男性、ジークはレイナに振り返ることもなくそのままじっとビルの屋上から眼下に広がる景色を見下ろしている。その瞳にも姿にもまったく疲れがみられない。レイナとは対照的な姿。まるで何かの強迫観念にでも突き動かされているのではないかと思ってしまうほどの真剣さ。


「この街にいることは分かってるんだからそんなに焦らなくてもいいじゃない。ちょっと下に降りて食事にでもしない?」


それを前にしながらも持ち前の気楽さ、気安さでレイナはウインクをしながらジークを誘う。気分転換とデートを兼ねての誘い。容姿についてはジークはまさに美青年、イケメン。一緒に歩いても絵になるであろうことを見越してのレイナの提案。だが


「…………」


ジークはそんなレイナの言葉が聞こえていないかのように全く反応することなく自らの使命、任務に没頭している。まるでレイナのことなど視界に入っていないかのような振る舞いだった。


(まったく……相変わらず真面目なんだから! 気を遣ってるこっちが馬鹿みたいじゃない!)


レイナは大きな溜息を吐き、心の中で愚痴を漏らしながらも再び眼下に広がる街並みに目を向ける。だがレイナはそれを眺めているだけでその役目を果たすことなくそれを全てジークに任せていた。

二代目レイヴマスターの捜索。

それが今レイナとジークが行っていること。既にDCの諜報部員によってレイヴマスターがこのエクスペリメントに滞在しているという情報をレイナたちは入手し、その捜索のために街を見はらすことができるビルの屋上で捜索を行うことになった。だが普通の人間なら街を見下ろすだけで人探しなどできるはずもない。しかしそれを為し得る力をジークは持っている。魔導士であるジークにとっては人探しはさして難しいものではない。しかしいかなジークといえどもこれだけ大きな街。すぐに発見することはできないでいた。レイナには街を見晴らすだけで人探しができるような力は無いためほとんどジークにそれをまかせっきり。最初の内は目を凝らしながら行き交う人混みの中からレイヴマスターを見つけようと躍起になっていたのだが一時間ほどであきらめあとはただひたすらに無言のジークに付き合うというある意味罰ゲームのような状況に陥ってしまっていた。今回のレイヴマスター抹殺の任務はレイナが行うことになったもののそれを見つけることについてはジークの役割。だがレイヴマスターだけの捜索ならジークといえどもここまで鬼気迫った様子をみせることはなかっただろう。


(ま……無理もないかしらね。二年間ずっと探してた女の手掛かりをやっと見つけたわけだし……)


それは3173の女。魔導精霊力エーテリオンの娘がレイヴマスターと共に行動をしていることが判明したから。

きっかけはある写真。それはDC諜報部からジークにもたらされた物。二代目レイヴマスターとその仲間と思われる者が映った写真。抹殺任務を行う上でターゲットの容姿を確認するための情報。レイナも同時にその写真を目にすることになった。二代目レイヴマスターは銀髪をした少年。その髪の色から探す際には目立つため都合が良いとレイナは安堵する。もう一人が黒髪の青年。こちらについては特に詳しい情報もなかったためレイナは特に気にすることはなかった。だが一緒に映っている少女。それによってジークは一瞬で表情をこわばらせ、魔導士としての顔になってしまう。金髪の少女。おそらく十六歳程だろうか。ジークは殺気を纏いながらもレイナに告げる。その金髪の少女こそが3173の女であると。そして今、ジークはレイヴマスターの捜索と共に3173の女の捜索を行っている。もしかしたらレイヴマスターなど眼中になく女だけを探しているのではないかと思えるほどその姿は鬼気迫っていた。だがそんなジークの姿を見ながらもレイナは咎めることはない。それは女を探すことは必然的に一緒に行動しているであろうレイヴマスターを探すことと同義であること。そしてもう一つ、大きな理由があった。それは


(まさかあの娘が3173の女だったなんてね……こういうのを運命って言うのかしら?)


レイナは3173の女を既に知っていたから。それは一年ほど前。アキを尾行している際。アキに向かって近づいて行っていた金髪の少女。おそらくはアキと親密な関係にある少女。

まさかその少女が魔導精霊力エーテリオンの娘だとはレイナは思ってもいなかったため言葉を失うしかなかった。何故そんな少女とアキが親しいのか。何よりも何故今それが二代目レイヴマスターと共にいるのか。様々な疑問が浮かんでくるもののレイナはそれを抑え込んだ。それはジークに無駄な詮索を、疑念を持たれないようにするため。もしアキが金髪の悪魔だった場合、それと通じていた、もしくは3173の女のことを知っていたと思われればレイナ自身面倒なことになりかねない。いかにジークが相手といえどもレイナは後れを取るつもりはないが下手に敵を作るほど慢心してもいない。それ以上にレイナは自分のこれからの行動を決めかねていた。


(そろそろアキもやってくる頃だろうし……どうしようかしらね……)


それはアキの存在。レイナは既にこの街にアキを呼び出してある。もちろん表向きはデート、もとい先のキングの招集の結果報告のため。こちらの恩を売るような内容で呼びだしたのでアキは十中八九やってくるだろう。それとジークを引き合わせることがレイナの計画。金髪の悪魔と面識があるジークならばアキが本当に金髪の悪魔なのか確かめることができる。もし違うのなら顔合わせとすればいい。そして本当に金髪の悪魔だとすれば選択肢は二つある。

一つは排除すること。

DCにとって害をなす存在であればそれを排除しなければならない。レイナとジークの二人がかりならいかに金髪の悪魔が相手だとしても問題ない。それによる多額の報奨金もメリットの一つ。

もう一つがDC側に引き込むこと。

もしこちら側につく意志があるのならそれに越したことは無い。金髪の悪魔であることを黙っておくのを条件にレイナ個人としての探し物に協力してもらうこともできる。その際にはアキと共にジークを排除することになる。それは今回の任務の一つでもある。既にキングはジークが裏切り者であることを見抜いている。それを分かった上で利用していたらしい。故に排除してもなんら問題ない。

どちらにせよアキ次第。DCに潜り込んでいる理由。そしてDCに忠誠を誓い協力する気があるのか否か。それによってレイナの立ち位置も変わってくる。だが3173の女についてはレイナも予想外だった。アキの知り合いであるなら危害をくわえるのは得策ではない。それによって敵対関係になってしまう可能性もある。だがジークの目的からすればそれを邪魔することになってしまう。できるなら先にアキと接触し、方針を確定してから3173の女については対処したい。レイナはそう考えていた。だが


「……っ!」
「ちょ、ちょっといきなりどうしたのよ?」


そんな思惑を打ち砕くかのように変化が起こる。それはジーク。自分が何を話しかけても反応を示さなかったジークが凄まじい速さで自らの後ろに振り返る。ジークが先程まで見下ろしていた方向とは真逆の方向。突然の事態にレイナは驚きながらも声をかけるもジークの意識は既にそちらに、いや彼女に向いていた。


「見つけたぞ……3173の女……!」


ジークは感じ取っていた。それは大気の震え。魔導士であるジークにはそれと共に凄まじい魔力の波動を感じ取った。魔導精霊力エーテリオン。それが覚醒しかけている前兆。ジークは目だけではなく、その感覚をもって魔力を探知しようとしていたのだった。そしてそれがついに実を結ぶことになる。

ジークはそのまま魔力によって風を纏いながらビルから飛び去って行ってしまう。自然の力、風のエレメントを操ることによって。それがエレメントマスターと呼ばれるジークの力。


「ま、待ちなさいよ、ジーク! 私を置いて行く気っ!?」


ヒステリックにレイナが抗議の声を上げるもジークはそれを意に介すことなくそのまま飛び去って行ってしまう。いかな六祈将軍オラシオンセイスとはいえレイナは空を飛ぶことなどできずそのままジークを見送ることしかできない。置き去りにされてしまったことに怒りをあらわにしながらもレイナは考える。これからどうするべきか。このままジークを追って行くか、それともここに来るであろうアキを待つか。

それを決めかねている中、ある光景がレイナの瞳に映る。それは偶然。だがまるで出来すぎたそのタイミングにレイナ自身驚いてしまう。どうやら本当に運命と言うのは気紛れらしい。


「……まあいいわ。アキが来るまでは時間があるし、それまでに終わらせましょうか」


レイナは微笑みながらも立ち上がり、ドレスを翻しながらビルを飛び降りる。その腕にある銀の蛇に手を当てながら。自分の本来の役割を果たすために。


その瞳には街を歩いている銀髪の少年の姿が捉えられていた―――――




(さて……やってきたはいいもののどうしたもんかな……)


多くの人が行きかうエクスペリメントの大通り。その中をフードを被ったアキは歩いていた。そのフードの影で困惑した表情をみせながら。もっともそれはある意味いつもどおりなのだが人々はそんなアキに気づくことは無い。まるでアキの姿が見えていないかのように。だがそれは間違いではない。今、アキの姿は人々には全く見えていないのだから。それはDB、イリュージョンの力。それとハイドの力によって姿と気配を消しアキは移動していた。その目的地に向かって。そしてそれこそがアキが憂鬱になってしまっている理由だった。


『召集の結果を教えてあげるからデートに付き合いなさい♪ もし来なかったらどうなるか分かってるわよね?』


そんなレイナからの呼び出しもとい脅迫。それがアキがやってきた理由。明らかに来なければ殺すといわんばかりの怨念がこもったメッセージ。その圧力に負けアキは待ち合わせの場所に向かっている途中だった。


どうも……アキです。ダークブリングマスターです……何故か同僚に脅迫されてデートに向かっています。いや、まあ何となく理由は分かってるんですけどね……恐らくは文句を言うためだろう。欠席することを伝えたまま丸投げしちまったし……悪いことしたなーとは思ってたけどまさかこんなことになるとは……しかし、そのまま油断するほど俺は甘くは無い。もうそれで今まで散々な目に会っているのだからいい加減学習するというもの。常に最悪を、不測の事態を予測しながら動く必要がある! ということで今はステルスモードになっています。それはレイナの言葉の裏を考えてのこと。もし先の招集で俺の処刑が決定されている可能性も十分ある。とりあえずは様子を見る必要がある。何よりもこの時期にエクスペリメントという場所。いくら鈍い俺でもそれぐらいは察しが付く。恐らくは魔導精霊力エーテリオン編が始まっている可能性が高い。ならばジークがレイナと共にいる可能性も高い。それと接触してしまう危険を考えた上での行動。


『情けない……もっと堂々とすればいいものを』
『黙っとけ。文句があるならアジトに送り返すぞ』
『ふん……それよりも何だ。ホワイトキスの主には興味がなかったのではないのか?』
『あ、当たり前だろうが! これは前の招集の結果を聞きに行くだけだっつーの!』
『どうだかな……お主は巨乳に弱いからな。せいぜい騙されないように気を付けることだ』
『お、お前……』


アキは胸に掛けられたマザーと言い合いをしながらも頭を抱えるしかない。マザーと共にDCの幹部達がいる近くで行動すること。それがアキが憂鬱になっている大きな理由だった。


こ、こいつ……またいつかと同じようなことを。確かに巨乳は好きだが……じゃなくって!? なんでこいつにそんなこと言われにゃならんのだ!? お前は俺の母親か何かか? いや、まあマザーだからあながち間違ってはいないのかもしれんが。そもそもエリーにはハルが、レイナにはムジカっていう相手がいるんだから俺が入り込む隙間なんてないっつーの……まあこいつに言っても分かるわけないが。それはともかくレイナの呼び出しは結果オーライだったかもしれん。そのおかげでエクスペリメントに違和感なく来れたわけだし。介入はできないにしても様子を伺うぐらいはしたいと思ってたところだったからな……接触するのは無理だが。エリーはともかくハルと、レイヴマスターと接触すればマザーがどう動くか分からんし……


アキはそのままマザーに気づかれないように辺りを見渡す。視認できる範囲にはハルもエリーも見当たらない。とりあえず危険はなし。アキ個人としてもまだハル達と再会する気は無い。早すぎる上に危険の方が大きすぎるからこそ。とりあえずレイナから任務について聞き、魔導精霊力エーテリオンの発動と封印を遠目に確認できればいいという狙い。もし本当にどうしようもないレベルの差異や危険があった場合には動かざるを得ないがそれは最終手段。魔導精霊力エーテリオン編は本当に世界が崩壊しかねない危険があるため致しかない。もっともマザーがいるという不安要素、爆弾を抱えているようなものなのでアキも容易にはその手段はとれない、というか取りたくないのだが。


(まあとにかく、レイナの居場所を探るとすっか……)


アキは軽く現実逃避をしながらも意識を集中させる。それはDBの気配を探るため。この数カ月の間にアキが習得した技術の一つ。ダークブリングマスターだからこそできるもの。一定の距離にあるDBの存在と力を感じ取ることができる能力だった。これまでも近くにあるDBについては可能であったその範囲を広げたようなもの。これからの展開によってはDCの動きを探る必要があるため有用になるであろう能力。もっともレイナの奇襲への対抗策の意味合いが大きかったのだが(その証拠に前回は奇襲を回避することができた)アキは意識を研ぎ澄ましそれを行う。レイナの居場所、そしてそれ以外の六祈将軍オラシオンセイスなどが身を潜めていないかを確認するため。だが


「…………え?」


アキは知らずそんな声をあげてしまう。まるであり得ないことが起こったかのような顔を見せながら。アキはそのまま一瞬呆けるものの理解できない事態に狼狽することしかできない。

それはDBの気配。それが二つあったから。

一つは言うまでもなくレイナの持つホワイトキス。六星DBに相応しい力を持つものであり、アキもその気配を知っているため間違いない。その位置から待ち合わせのビルにいるらしい。だがもう一つが問題だった。

それは六星DBに匹敵するほどの力を持つDB。だがそれは六星DBではない。そのどれとも気配が異なる。だがそんな強力なDBを持てる、扱える者は限られる。だがその正体がアキには見当がつかない。そして何よりも驚愕するべき点。それは


(こいつ……とんでもないスピードでレイナのいる方に向かって移動してやがるっ!?)


そのDBがあり得ないような速度でレイナがいる方向に向かっていること。


『……っ! お、おいマザー! お前も感じるだろ!? あれは何のDBだ!?』
『……さあな。我にも分からぬ』
『な、何だよそれ!? お前シンクレアだろうが!? 何で分かんねえんだよ!?』
『喚くな、騒々しい……あれは我が生み出したDBではない。それだけだ』
『ど、どういうことだよ……?』
『前にも話したであろう。我は五つに別れたシンクレアの一つ。あれはその中の一つが生み出したものだ。恐らくはアナスタシスの奴か……もっと近づかなくては力までは読めん』
『ちくしょう……じゃあ近づけば分かるんだな!?』


どこか淡々とした中に不機嫌そうな雰囲気を纏いながら呟いているマザーの姿に気づくことなくアキは音速の剣シルファリオンを持ちながら疾走する。その謎のDBの気配に向かって。

だがアキは既に心のどこかで悟っていた。そのDBが何であるか。そしてその持ち主が何者であるかを。


(どうなってんだ、ちきしょう……!!)


アキは焦りながらも走り続ける。何故この時期に、こんな場所に。そんな疑問を持ちながらも今はただ走り続けるしかない。イレギュラーに対処するために。


自分もまたイレギュラーであることに気づかぬまま――――



[33455] 第二十七話 「閃光」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/21 18:58
時刻は夕刻。日も傾き次第に夕日によって街が赤く染まっていく中、一人の少年がどこか焦った様子を見せながらも人気がない公園の中で溜息をついていた、


(エリーの奴、どこに行っちまったんだ……?)


銀髪の少年、ハル・グローリーは頭をかきながらもどうしたものかと途方に暮れていた。それは今ハルが探している少女、エリーに関連してのもの。


(うーん……エリーの奴、まだ覗きのこと怒ってんのかな……)


気まずそうな、罰が悪そうな表情を見せながらもハルは内心焦っていた。それは先程までのエリーの様子。つい先ほどまでハルはエリーとムジカと共にある場所を訪れていた。それは王国戦争博物館と呼ばれるもの。その名の通り五十年前の王国戦争に関連する品や資料などが展示されている博物館。レイヴマスターとして少なからず興味のあったハルはムジカに誘われるままそこを訪れることにした。だがハルは気が気ではなかった。何故なら一緒にいるエリーの態度。それが不機嫌そのものだったから。昨日の口喧嘩に続いて覗きの現行犯として退治されるという状況(何故かハルだけ)それによってエリーはますます不機嫌になり朝から全くハルと口を聞いていない。ハルは何とか仲直りしようと四苦八苦しているものの全てが空回り。ムジカは呆れながらも関わる気は無いとスルーするだけ。そんな中、飽きてきたからという言葉を残したままエリーは一人どこかへ行ってしまう。正直息がつまりそうだったハルはそのままエリーを見送るもいつまでたってもエリーが戻ってこないためムジカと手分けをして街を探している最中だった。


(どうするかな……一度、ホテルに戻ってみるか。もしかしたら先に帰ってるだけかもしれないし……)


ハルは気を取り直しながらもホテルへと戻ることにする。小さなガラージュ島ならともかくここは大都市エクスペリメント。やみくもに探しても埒があかないと判断したハルはそのまま一旦ホテルに戻ることにする。そしてそのまま広場を後にしようとした時


「こんにちは。可愛いボウヤね、ちょっとお姉さんと遊ばない?」


そんな女性の声がハルに向かって掛けられる。ハルは驚きながらも振り返るとそこには見たことのない女性がいた。長い髪に煌びやかなドレス。間違いなく美女と言ってもおかしくない美貌をもったどこか小悪魔のような雰囲気を纏っている女性。


「え? オレのこと?」
「そうよ、暇ならちょっとお姉さんとデートしない? 楽しい夜になると思うわ♪」


ハルは困惑しながら答えるもそんなハルの様子がおかしいのか女性はくすくす笑いながら捲し立ててくる。そんないきなりの事態にハルは焦り、狼狽するしかない。島育ちのハルでも今の状況が何なのかくらいは察しがついていた。おそらくこれが俗に言う逆ナンというものなのだろうと。そんな人生初の事態にハルは顔を赤くするも何とか平静を装わんとする。年頃の少年としてそういうことに興味がないわけではないがとにかく今はエリーを探さなくてはいけない。


「ご、ごめん! オレ、ちょっと今急いでるからさ、じゃ!」


ハルはそのまま半ば強引にその場を立ち去ろうとする。だが


「そう……残念。じゃあ本題に入りましょうか、ハル君」


それを遮るかのように女性はハルの前に立ちふさがる。まるでその先には行かせまいとするかのように。ハルはその予想外の展開に呆気にとられるしかない。それは女性の動き。先程まで自分の後ろにいた筈なのに今は目の前にいる。まるで瞬間移動したかのように。とても素人ができるような動きではない。そして何よりも


「お前……何でオレの名前知ってんだ……?」


何故初対面のはずの相手が自分の名前を知っているのか。


「何でも知ってるわよ、ハル君。いえ、二代目レイヴマスター君って言った方が良いかしら?」


そんなハルの困惑を楽しそうに眺めながら女性はからかうように告げる。二代目レイヴマスター。それは限られた者しか知らない存在。しかもその姿を知っているなど。ハルはすぐに戦闘態勢にTCMに手を掛けながら女性と向かい合う。


「お前……DCか?」
「ええ。初めましてハル君。DC最高幹部六祈将軍オラシオンセイスの一人、レイナよ。宜しくね」


場違いとも思えるような態度、ウインクをしながらレイナは自己紹介を行う。先程までのやりとりはちょっとしたお遊び。まだ子供であろうハルをからかうためのもの。もう少し続けるつもりだったのだがレイナはそれを切り上げることにする。どうやらハルが3173の女を探しているであろうことを悟ったからこそ。自分がレイヴマスターの相手をすること。それがジークとの取引、約束。3173の女については思うところもあるがアキが来る前にこうなってしまった以上いたしかたないとレイナは判断する。これでアキと敵対関係になってしまう可能性もあるがレイナはひとまず自らの役割を果たさんとする。


「シュダがお世話になったみたいね。でも勘違いしないでね。私が六祈将軍オラシオンセイスの真の恐ろしさを教えてあげるわ♪」


レイナは微笑みながらその手を自らの腕に付けられている銀の蛇に置く。レイナが二代目レイヴマスターの抹殺の任務をジークから受けた理由。それはアキの正体を見極めるためでもあったがもう一つ理由があった。それはシュダの不始末の処理。六祈将軍オラシオンセイスの格を落とし、その名に泥を塗ったことへの後始末。レイヴマスターを倒すことよってDC、六祈将軍オラシオンセイスの恐ろしさを再認識させ、調子づいている帝国や解放軍に対する見せしめにすること。そしていくら後発とはいえシュダを倒したハルの実力を見てみたいという個人的な興味。だが


「……? どうしたの? もしかしてもう怖気づいちゃったのかしら?」


レイナはどこか呆気にとられながらもハルに問いかける。何故ならハルは先程からずっと黙りこんだまま、身動き一つ見せない。いくら突然の奇襲、六祈将軍オラシオンセイスを名乗ったとはいえ予想すらしていなかった態度にレイナは首を傾げるしかない。


「レイナ……お前がレイナなのか?」
「……? そうよ。おかしいわね……どこかで会ったことがあったかしら?」
「違う。シュダから聞いたことがあったんだ」
「シュダから……?」
「お前、アキのことを知ってんだろ!? シュダから聞いたんだ、お前ならアキのことを知ってるだろうって!」
「そう……余計なことまでしゃべってるのね。でもどうしてあなたがアキのことを気にしているの? もしかしてアキの知り合い?」
「アキはオレの家族だ! それよりも今アキはどこにいるんだ!?」


ハルは剣を構えながらもレイナへと問いただす。それは思い出したから。初めてのシュダとの戦闘の際。シュダが口にした言葉。レイナという人物ならアキのことに詳しいだろうというもの。それが目の前の女性とだと知りハルは興奮しながら詰め寄る。今までどんなに調べても足取りすらつかめなかったアキのことを知っている人物が目の前にいる。そんなハルの姿を見ながらもレイナは冷静に状況を分析していた。


(どういうこと……? まさかレイヴマスターまでアキと関係があったってことかしら?)


アキとレイヴマスターが知り合いだなどとレイナは想像もしていなかった。3173の女に加えてまるで何かの運命のように全てがアキに関連している。どこか出来すぎな状況。そのことをアキが知っているのかどうかまでは分からないがとにかく目の前のハルはアキを探しているらしい。同時にレイナはあることに気づく。それはハルの家族という言葉。それが本当なのかどうかは分からないが親しい中であったのなら知っているかもしれない。レイナが今、もっとも知りたいと思っている内容を。


「そう……でも金髪の悪魔ならちょうどこの街にいるわよ。もう少ししたら会う予定だしね」
「……っ! ほんとか!? アキがこの街に……」


ハルは思いがけないレイナの言葉に驚きながらも喜びの表情を見せる。旅を始めてから数カ月、島にいた時からは六年以上離れ離れになっていたアキがすぐそこにいるかもしれない。ハルは逸る気持ちを抑えることができないでいた。そしてそんなハルの姿とは裏腹にレイナはどこか楽しげな笑みを浮かべていた。

それは確信。先程の言葉。レイナは金髪の悪魔がこの街にいると口にしただけ。もし違うのなら金髪の悪魔とは何かと問い返してくるはず。にも関わらずハルは間違いなくそれがアキだと確信している。レイナは悟る。やはりアキが金髪の悪魔だったのだと。そして恐らくシュダがアキが金髪の悪魔だと知ったのも目の前の少年、ハルからの情報だったのだと。


「ええ。でも残念ね。あなたはもうアキに会うことはないわ。ここで私に殺されるんだから。でも安心なさい。探している金髪の女の子も今頃もう死んじゃってるだろうし……」
「っ!? それって、エリーのことか!? エリーに何かしたのか!?」
「あら? てっきりそれで街を探してるのかと思ったんだけど……余計なこと言ったかしらね。まあいいわ」
「どういうことだっ!? エリーに何をしたっ!?」


ハルは今にも襲いかからんばかりの勢いと殺気を纏ったままレイナへと叫ぶ。アキのことに加えてエリーの身に危険が迫っているであろうこと。ハルは既に冷静な判断力を失いかけていた。だがハルは悟っていた。一刻も早くエリーの元に行くこと。それが今の自分の為すべきことだと。もしそれが間に合わなければ――――


「熱い男は嫌いじゃないけど……エリーっていう娘より自分の心配をした方が良いんじゃない? 私はあなたを殺す気よ、ハル君」
「邪魔すんなっ! 女でも容赦しないぞ!」


レイナの挑発によってハルは既に戦闘態勢に入ったまま。その剣先を向け飛びかかって行く。目の前に立ちふさがるのならどんな相手でも容赦はしないと。エリーを守るために、そしてアキと再会を果たすためにハルは全力を持って立ち向かって行く。だがハルはまだ気づいていなかった。


「あら、優しいのね。じゃあサービスよ。まずはDBを使わないで相手をしてあげるわ、二代目レイヴマスター君♪」


目の前にいる女性が只者ではないことを。六祈将軍オラシオンセイスという名が持つ恐ろしさと力を。


二代目レイヴマスター、ハル・グローリーと六祈将軍オラシオンセイスレイナ。本来あり得なかった二人の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた―――――




時同じくしてビルの屋上をまるで流星のように移動している二つの影があった。

一つはローブを被り、背中に大きな荷物のようなものを背負った人物。だがその速度が異常だった。まるで光のような閃光を纏いながらローブの人物はビルを次々に飛び移り移動していく。それは流星そのもの。流れ星が動いているのではないかと思えるような光景。街を歩いている人々がそれを見ても夜に近づきつつある中、流れ星だとしか思わないだろう。

そしてそんなローブの人物を追いかけている、もとい尾行しているもう一人の人物がいた。奇しくもその姿は同じくローブ。だが違うところがあるとすればその姿が透明であるということ。しかし時折その姿がまるで映像の乱れのように露わになる。それはその人物もまた常人では考えられない速度で移動しているからこそ。


(くそ……! なんて速さだ……!)


アキは内心で愚痴をこぼしながらも速度を維持しながら視線の先にいるローブの人物を追いかけ続ける。しかしその速度の差からとても追いつくことができない。今アキは音速の剣シルファリオンによって速度を増しながら疾走している。音速と言う名に相応しいまさに風のような速さによって。だがそれでもその距離の差を縮めることができない。だがそれは無理のないこと。何故ならアキが追っている相手は音速を遥かに超える光速で移動しているのだから。


『……! おい、マザー! これだけ近づけば充分だろ! 何の能力だっ!?』
『ふん……もう見れば分かるであろう。持つ者に閃光の速さを与えるDBだ。格で言えば我の生み出した六星DBと同等かそれ以上か……アナスタシスの奴め……』
『お、おい……何でそんなに不機嫌になってんだよ? 同じシンクレアなんだろ?』
『そうだが競争相手には違いない……大体あいつは昔から気に入らん。それと言うのも……』

そのままマザーはぶつぶつとアナスタシスに関する文句、愚痴を延々と漏らし始める。どうやらシンクレアの中でも色々あるらしい。だがそんなどうでもいい話を聞いていられるほどアキには余裕が全くなかった。


いったい何の話をしとるんだこいつは!? っていうか同じシンクレアなのになんでそんなに仲が悪いわけ? いや、確かにそれぞれDBに相応しい主を見つけるって話だから競争相手には違いないかもしれんが……ま、まあそれはおいといて、うん、やっぱ間違いない。あそこにいるのが誰かっていうのはもう分かった。


BG(ブルーガーディアンズ)副船長 『閃光のルナール』 それが今アキが追っている人物の正体。BGにおいてナンバー2の実力を持つ女性だった。


いやいや何がどうなってんのっ!? 何であの人がこんなところにいるのっ!? まだ出番は随分先のはずなのにどういうことだよっ!?


アキは混乱するしかない。当たり前だ。BGはDCに匹敵するほどの力を持つ組織。原作では第二部に入ってから登場した存在。それがこんな時期に、しかも何故かレイナがいる方向に向かって移動している。偶然だとは考えられない程正確に。そこに何か目的があるかのように。アキは狼狽しながらもどうするべきか思案する。今はとりあえず尾行しているがルナールの動き、目的によっては介入せざるを得ない。今、おそらくレイナたちは魔導精霊力エーテリオン編に突入しつつあるはず。そんな中にルナールというイレギュラーが入り込めばどうなるか。ただでさえ綱渡りに近い状況がますます困難なものになりかねない。

だが何よりもルナール自身の実力、強さが問題だった。原作では直接の描写はなかったもののその実力は凄まじい。六祈将軍オラシオンセイスのユリウスをして『化け物』と呼ばれるほどの力。間違いなくハルはおろか今のジークやレイナですら歯が立たないであろう程の相手。アキは冷や汗を流しながらもとりあえずはこのままルナールの後を尾行することにする。まだルナールの目的が不明であること。戦闘を目的としているわけでないなら下手に手を出す方が危険だという判断。そうアキが判断した瞬間、事態が急変する。


(……!? ルナールの姿がなくなった……!?)


それは先程まで視界にとらえていたはずのルナール。その姿をアキは見失ってしまう。目を離したのはほんの一瞬。一体どこに行ってしまったのか。アキが一旦足を止め、辺りを見渡そうとした時


「貴様……私に何の用だ?」


背後からそんな女性の声がアキに向かって掛けられる。それは静かな声。だがその中に確かな警戒と重圧を込めたもの。絶対的強者のみが持てる威圧感。キングほどではなくともハジャに匹敵するのではないかと思えるほどの重圧。それがBG副船長、ルナールの力。


『どうした、見つかってしまったのか情けない。さっさといつものように逃げ出さんのか?』
『う、うるせえ! お前はちょっとは黙ってろ!』


マザーの悪態に怒鳴り返しながらもアキは警戒態勢のままルナールと対峙する。だがアキの胸中は既に焦りに満ちていた。それは先の一瞬でおきた出来事。自分がほんの一瞬目を離しただけの隙で背後を取られてしまったこと。そして何よりもイリュージョンとハイドを使っていたにも関わらず自分の尾行に気づかれてしまったこと。いかに音速の剣シルファリオンの使用によってイリュージョンの効果が減退していたとはいえあり得ない事態。アキは悟る。まさしく目の前の相手が六祈将軍オラシオンセイスを超える怪物なのだと。


「…………」
「……答えるつもりはないか。なら仕方ない。悪いが姿を見られた以上排除させてもらう」


ルナールはもはや語ることは無いといわんばかりに背に背負っているものに手をかける。それは包帯によってぐるぐる巻きにされていた巨大な戦斧。小柄な少女が持つにはあまりにアンバランスな武器。


え……? 何? もう戦闘する気満々ですか? ちょ、ちょっと待てよ!? まだそっちの目的も何も聞いてないのにいきな


瞬間、轟音が鳴り響いた。まるでトラックが突っ込んだかのような音と衝撃。アキがデカログスを構えようとする暇すら与えない程の速度の一撃。常人には何が起こったか分からない程の一瞬の出来事。だがその瞬間に全ては決した。

そこにはまるで巨大な爪痕が残っているだけ。まるでお伽噺のようなデタラメな惨状。ビルの屋上には装甲車が通ったかのような無残な爪痕と粉塵。それはただの斧の一振り。特別な技術も能力もない純粋な物理攻撃。だがそれだけで十分だった。むしろそれだけだからこその破壊力。閃光のDB『ライトニング』とそれを持つルナールだからこそ可能な無慈悲な一撃だった。

後には何も残っていない。跡形もなく相手が吹き飛んでしまったと思えるような一撃だった。だが


「…………なるほど。瞬間移動の類の能力か」


ルナールは全く表情一つ変えず視線を隣のビルの屋上に向ける。そこにはローブを纏った五体満足なアキの姿がある。ルナールは先の攻撃の瞬間、アキが消えたことを見抜いていた。自分と同じ高速移動の類の能力であれば避けられたとしてもその軌跡まで見えないことはあり得ない。だとすれば恐らくは瞬間移動に近い能力の可能性が高い。そしてそんなことが可能なのはDBの力のみ。恐らくはDCに関係する人物。なら尚のことここで見逃すわけにはいかない。

ルナールがこの街、エクスペリメントにいる理由。それは六祈将軍オラシオンセイスの監視とその実力の調査。元々はパンクストリートで観測された強力な魔力の正体を探るための任務のためにルナールは部下と共に船を離れていた。その魔力が魔導精霊力エーテリオンである可能性があったからこそ。だが結果は外れ。だがそのまま何の収穫もあげないまま船に戻るのをルナールはよしとはしなかった。そこでBGの諜報員が入手した六祈将軍オラシオンセイスがエクスペリメントにやってくるという情報をもとにルナールはその調査を行うことにした。

それは来るべきDCとの戦いに向けてのもの。DCの主戦力とも言える六祈将軍オラシオンセイスの力を見定めること。それがルナールの目的。もっとも直接戦闘に関わるつもりはなかった。そんなことをすればその瞬間、DCとの全面戦争になりかねない。負けるつもりは毛頭ないがそれでも船長であるハードナーの指示もなくそんな事態を起こすわけにはいかないという考え。だが今、ルナールはDCと思われる者に補足、発見されてしまっていた。まだ自分がBGと知られたわけではないが厄介なことには変わらない。ならばそれを排除するのみ。そこには全く油断も甘さもない。空賊たる者の非情な在り方。ハードナーにとっての敵であるか否か。それがルナールの全てだった。

アキは何とか体勢を立て直しデカログスを構える。その体には全くの無傷。それはワープロードのおかげ。デカログスを構えることすらできないと瞬時に判断したアキはその力によってマーキングしていた隣のビルの屋上に緊急退避したのだった。もっともあと一瞬遅ければ間に合わない程の差。アキは戦慄していた。それは先の一撃、そしてその傷跡。


(な、なんですか……あれ……?)


そこにはローブを被ったルナールの姿がある。だが問題はそこではない。それはその足元。まるでショベルカーか何かにえぐられたかのような痕がビルの屋上に残っている。いうまでもなくそれはルナールの一撃、斧の一振りによるもの。アキは戦慄する。もしあれを避けそこなっていたらどうなっていたか。間違いなくミンチ、粉微塵、跡形もなくなってしまうのは間違いないほどの威力だった。アキは思い上がっていた。ルナールの力は速さのみだと。確かにその速さは凄まじいが対処できないほどではないと。だがそれが間違いだったとアキは悟る。もっとも恐るべきはその攻撃力。

速さという力と斧と言う超重量が加わった攻撃。それを扱える技量と身体能力。速さというオーソドックス、単純な力であるがゆえに隙がない強力な強さ。それこそがルナールの強さなのだと。

アキがようやく自らの見通しの甘さに気づくのと同時に再びルナールが閃光となりながら、目にも止まらぬ速さで隣のビルからアキに向かって突進してくる。まるで空を自在に駆け回るかのように動き回りながら。アキは驚きながらもすぐに体勢を整える。それはこれまで幾多の戦闘経験を積み重ねてきた成果。アキはデカログスに力を込める。瞬間、その形態が変化する。遠くの敵への攻撃手段をもつ剣。


真空の剣メル・フォース――――!!」


アキは真空の剣をこちらに向かってこようとするルナールに向かって放つ。それはまさに突風。空中というアキ自身戦うことができない場所にいる敵への対抗策。もし直撃はしなくともその余波で動きを鈍らすことができる。そうアキは考えていた。それは正しい。アキの判断は間違っていない。ただ唯一間違っていたこと。それは風すら上回る速度をルナールが持っていたこと。


「なっ!?」


アキは言葉を失う。それはルナールの動き。まるで直角に動くようにルナールはその軌道を自在に操り真空の剣メル・フォースを躱してしまう。それはまさに閃光。その二つ名の通り、風では光を捉えることはできない。


「終わりだ」


瞬間、ルナールの無慈悲な宣告がアキに告げられる。その背後にルナールは一瞬で回り込み、そしてその戦斧を振り落とす。まさにそれは断頭台。首どころか身体を真っ二つにして余りある一撃。だが


「―――っ!?」


それを紙一重のところでアキは躱す。それはアキの力。DBの気配を感じ取れるアキはその目で捉えるよりも早く感覚でルナールの気配を捉えた。そしてその手にあるデカログス、その形態が変化していた。音速の剣シルファリオン。その速度によってアキは間一髪のところでルナールの一撃を躱し反撃に転ずる。ルナールはいきなりアキの速度が変わったことに対応できず隙が生じる。アキはそれを見逃さんとばかりに反撃を加えんとする。それは連携技。原作のハルが使用していた音速の剣シルファリオンの速度と爆発の剣エクスプロージョンの攻撃力を合わせ持ったもの。



「爆・速・連携……シルファードライ……!」


アキが切り返しながら音速の爆発剣を振るわんとするも


「――――遅い!」


それは閃光の一撃によって相殺されてしまう。いや、相殺すらできない。アキはそのまま押し返され吹き飛ばされてしまう。アキはその一撃の重さに驚愕する。それは自らの持つ最も攻撃力が高い剣、重力の剣グラビティ・コアに匹敵するもの。アキはその衝撃のまま隣の建設途中のビルに向かって吹き飛ばされる。凄まじい衝撃と煙と共に。だがそれを見ながらもルナールには微塵も油断は見られない。


(なるほど……速度を増す剣と爆発の剣……だとするとあいつが二代目レイヴマスターか……?)


ルナールは先の攻防でアキの力を看破する。形態が変化する剣。噂に聞くレイヴマスターが持つというTCMと一致している。だとすれば相手はレイヴマスターの可能性が高い。ならば排除しておく越したことは無いとルナールは判断する。レイヴはDBを持つ者にとっては天敵に近い存在。そしてその実力。ルナールは自らの腕に目を向ける。そこには確かな切り傷がある。それは先の攻防によるもの。

自分の身体に傷を負わせたものはいつ以来だろうか。六祈将軍オラシオンセイスの一角を落としたというのはどうやら満更嘘でもないらしい。


「……いいだろう、私も本気で行かせてもらう」


宣言しながらルナールはそのローブを脱ぎ捨てる。自らの視界と移動の邪魔にしかならない外装を脱ぎ払う。そこには一人の少女の姿があった。

ネイティブアメリカンのような風貌を持つ少女。見事なプロポーションと戦士に相応しい風格を持った姿。

それが『閃光のルナール』 本気の彼女の姿だった。



「痛てて……ちくしょう……無茶苦茶しやがって……!」


崩壊しかけているビルの中でアキはふらつきながらも何とか立ち上がる。何とか受け身を取れたもののビルからビルへ吹き飛ばされるという冗談のような状況。しかも痛みはあるものの大した怪我は負っていないという自らの、ルシアの身体の頑丈さに改めて驚愕するしかない。


な、なんなんだよこれ……いつからここはドラゴンボールの世界になったんだ!? しかもそれに耐えてる自分が恐ろしい……いくらルシアの体だっていっても限度があるぞ!? もう俺、人間じゃなくなってるんじゃ……じゃなくて!? 何なのあれ? いくら何でも強すぎんだろうが!? キングほどじゃないにしてもハジャぐらいの実力があんじゃねえのか、あの女!?


アキは何とか意識を取り戻しながらも吹き飛ばされてしまったビルの屋上へと目を向ける。そこには変わらずルナールの姿がある。だが先程までとは違っていることがある。それは姿。先程まで身に纏っていたローブはそこにはない。そして同時にその眼光がアキを射抜く。先以上の重圧と殺気を持って。まさに獲物を狩らんとする鷹そのもの。アキは悟る。自分がどうやらルナールを本気にさせてしまったらしいことに。


『どうした、苦戦しているようだな。手を貸してやろうか?』
『や、やかましい……これからだ、お前は黙って見てろ!』
『ふむ……なら仕方あるまい。せいぜい殺されない程度に男を見せてみろ』
『てめえ……後で覚えてろよ……』


アキはどこか他人事の、観戦モードのマザーに悪態をつくもののどうすることもできない。マザーの協力が得られない以上自分で何とかするしかない。マザーの力でDBを壊してもらう手も考えたがリスクが大きすぎる。仮にもBGのナンバー2。それがいきなり力を失ってしまえばどうなるか。何よりも大きな理由。

それはこの状況でマザーを使うことなどできないから。そんなことをすればマザーの存在がルナールに、BG側に漏れてしまう。今の段階でそれは好ましくない。そして空間消滅デイステーションを使えば相手は死んでしまう。運が良くても身体の一部を失うことになる。四天魔王程の力を持つ者にはまだ通用しないがあまりにも危険すぎ使える相手は本当に限られる。アキはまだ人殺しをする覚悟もないためまだ使う気は無い。そして何よりも恐らくそれはルナールには通用しない。

それは攻撃が当たらないであろうということ。

単純すぎる、そして一番厄介な理由。どんなに強い攻撃も当たらなければ意味がない。それを体現しているのが今、自分が戦っている相手、ルナールの真髄。速度という単純が故に強力な力。音速の剣シルファリオンで追いつけない以上対抗するにはカウンターしかない。いや、実はもう一つ対抗策はある。

羅刹の剣サクリファー

それを使えば恐らくルナールを倒すことはできる。いくら速度が優れていようと限界を超えた反応速度を発揮できる羅刹の剣サクリファーならルナールを捉えることができる。だがその制御が問題だ。下手をすると殺してしまいかねない。しかし手加減をしてどうにかできるほど甘い相手ではない。何にせよリスクが高すぎるため本当に自分が死に掛けない限りは使わないとアキは心に決めていた。


(ちくしょう……こうなったら一旦退くしか……いや、そんなことしてもこいつがレイナたちと接触したら意味がないし……いや、待てよ……)


アキはふと気づく。アキはずっと考えていた。いかにルナールを倒すかを。だがそれが大きな間違いであったことにアキは気づく。そう、自分の目的はルナールを倒すことではなくそれをハル達から引き離すこと。ならば――――


アキはそのまま自らの持つDBたちと会話を始める。それはこれから行う策への準備。DB側からの補助を受けることができる。それこそがDBマスターであるアキの力。それを以てアキはルナールに対抗せんとする。


そんなアキの姿をマザーはどこか満足気に、楽しげに眺めている。まるで成長している我が子を見守るように。愛する男を見るかのように。

マザーが手を貸さない理由。それはアキを嫌ってのことではない。アキの力を見る、そして成長させるため。アキが実戦によって、その中で大きく力を上げる傾向があることを知っているからこそ。そして何よりもアキがルナールに後れを取ることはないと信頼しているからこそ。

もっとももしものときはワープロードに瞬間移動をするように命令している辺りがまだまだアキに甘い証でもあるのだが。

そんなマザーの思惑など知る由もないアキはそのままルナールと向かい合う。


ダークブリングマスター、アキと閃光のルナール。


両者は互いに悟る。恐らくは次の攻防が決着の時になると。


日が沈み、辺りが街の光によってライトアップされていく中、一つの争いに決着が着こうとしていた―――――



[33455] 第二十八話 「油断」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/22 21:39
魔石使いと閃光。アキとルナールは互いに武器を持ちながら向かい合う。その間には大きな距離がある。ビルとビルの間。とても飛び越えることができないような狭間。だが両者にとってはそれはあってないようなもの。特に閃光のルナールにとっては。

先に動いたのはルナールだった。速さこそが全ての彼女にとって先制することは当然のこと。常に先に動き相手を翻弄し一撃で相手の息の根を止める。単純にして明快な戦術。それが故に対処が困難な鉄壁の戦術。ルナールは光を纏いながら光速で自分がいるビルからアキがいる建設中のビルに向かって疾走する。その手に持つ戦斧に力を込めながら。瞳は確実にアキの姿を捉えている。だがアキはそんな近づいてくるルナールを見ながらもその場から動こうとしない。ルナールは一瞬、アキが何を狙っているのか思考するもすぐに切り捨てる。どんな小細工を弄しているかは分からないがそれでもルナールは自らの速さに絶対の自信を持っている。故にいかな策があろうともそれもろとも蹴散らさんとルナールは一気にアキとの距離を縮めて行く。

だがその瞬間、アキに変化が起きる。いや、正確にはアキが持つ剣が大きく姿を変えて行く。それは巨大な剣。鎖が巻きつけられている見るからに無骨な大剣。


(新たな形態……TCMの能力か……)


ルナールは瞬時にそれがTCMの十剣の一つだと見抜く。それぞれが異なる能力を有しているという剣。ならばあれも先の速度の剣や爆発の剣同様何らかの力があるはず。だがその大きさからどう見ても取り回しは悪いであろうと伺える。どんな力があるかは分からないがあんな大きな重量のあるであろう剣でカウンターを取られるほど自分は甘くは無い。ルナールはそのまま一瞬でアキの背後を取る。アキはその速度に着いて行けず目ですらルナールの姿を捉えられていない。ルナールがそのまま先の焼き回しのように完璧なタイミングでその戦斧を振り下ろさんとした瞬間、アキはその大剣を振り下ろした。

そう、ルナールに向かってではなく自らの足元、ビルに向かって。


「――――何っ!?」


ルナールは驚愕の声を上げる。それは二つの驚き。

一つはアキがいきなり自分にではなく足元、床に向かって剣を振り下ろしたこと。この状況でそんなことをするなど一体誰が想像できるだろうか。まるで気が触れてしまったと思わざるを得ないような行動。だがそれは決して気が触れたわけでも自暴自棄になったわけでもない。それをすぐにルナールは悟る。

それが二つ目の驚き。それはアキの振り下ろした剣の一撃によってあろうことかビルはまるでヒビが入って行くかのように崩壊を始めてしまう。あり得ないような規模の、破壊力を持った一撃。建設中とはいえビルを崩壊させてしまうほどの力を持った剣。それが重力の剣グラビティ・コアの力。第七の剣、凄まじい重量と十剣中でも最高の物理破壊力持った剣。その力によってビル倒壊し、天井が崩れその瓦礫が雪崩のようにルナールに襲いかかって行く。それはルナールだけ。既にアキはその場にはいない。

ルナールは悟る。先の一瞬、重力の剣グラビティ・コアの一撃に気を取られてしまった間にアキが消えてしまったことに。恐らくは先程見た瞬間移動の能力。ルナールはこのビルの倒壊に自分を巻き込み倒すことがアキの狙いだったのだと見抜く。


(なるほど……確かに頭は回るようだ。しかし……)


倒壊し、今にも生き埋めにされそうな状況においてもルナールは全く焦る様子を見せない。むしろ冷静さが増しているのではなないかと思えるほど。それは歴戦の戦士が持てるもの。どんな状況においても焦ることなく対処できる経験とそれに伴う実力を持っている証。それを証明するかのようにルナールは再び閃光となりながら凄まじい速度で動き始める。崩壊を始めたビルの中を縫うように瓦礫を避けながら。避けれないと判断したものはその斧による一撃によって粉砕しながらビルから一瞬で脱出する。それは数秒にも満たない時間。まさに閃光の二つ名に相応しい絶技。そしてそんなルナールの動きにようやく追いついたかのようにビルが倒壊し跡形もなく崩れ去って行く。凄まじい衝撃と粉塵を撒き散らしながら。幸いにもここは無人街。一般人が巻き込まれる心配もない。もっともそれも計算に入れてルナールはこの場を戦場に選んでいたのだが。

そして煙が晴れるのと同時にルナールはアキの姿を捉える。それは先程のビルの屋上。その位置も先と変わらない。ルナールは恐らくは決められた場所にしか移動できない制約がアキの持つ能力にはあるのだと見抜きながらも再び疾走する。ビルの屋上という見晴らしのいい場所。もう先のような小細工は通用しない。文字通り最後の一撃を以て勝負を決する。


(――――もらった!)


瞬間移動したかのような動きを見せながらルナールはアキの背後を取ると同時にその斧を振り払う。その風圧のみで身体を切断できるのではないと思えるほどの暴風、暴力によって。ルナールは確信する。自らの勝利を。だが


「――――っ!?」


その一閃はまるで空を切るかのように手ごたえがなかった。まるで幻を斬ってしまったかのように。同時に切り捨てたアキの姿が消え去っていく。まるで蜃気楼のように。ルナールは悟る。これが罠だったのだと。恐らくは先のビルの倒壊もこれを準備するための布石。なによりも自分自身の甘さ。TCMと瞬間移動の能力。それが相手の手札だと思い込んでしまったが故の間違い。だがそれは無理のないこと。複数のDBを扱うことができる存在など世界に片手を数えるほどしかいないのだから。そしてその内の一人がアキ。DBマスターと呼ばれる所以。

ルナールがイリュージョンによる幻を切り払った瞬間にまるで突然現れたかのようにアキが姿を見せる。それはイリュージョンによる透化。自分の幻を配置することでルナールの意識をそちらに向けさせその隙を狙うためのもの。初見であればいかにルナールといえども対処できない罠。

アキはそのまま片手でデカログスを振り下ろす。それは爆発の剣エクスプロージョン。相手を殺すことなく制することができる剣。それがそのままルナールに向かって振り下ろされる。閃光の速さを持つルナールならそれを躱すことは造作もないこと。だがこの瞬間だけは違っていた。完璧に虚を突いた、そして攻撃の直後という絶対の隙。躱すことができない、許されない一撃。故にここに決着がついた――――はずだった。


「―――――」


それはどちらの声だったのか。それとも息遣いだったのか。それすらも分からない刹那。だがそれは起こった。あり得ない事態。それはアキの攻撃。それは間違いなくルナールに当たった。あれを避けることなど閃光でも不可能。だがその不可能を可能にする力をルナールは持っていた。

アキはその瞳に捉える。その光景を。デカログスがまるで光のように粒子になっているルナールの身体を貫いていることを。まったく手応えがない、にも関わらず間違いなくそこに存在しているルナールの姿に。

『閃光化』

それがルナールの切り札。閃光のDB『ライトニング』を極めた者だけが扱うことができる奥義。

自らを閃光、光に変化することでいかなる攻撃も文字通りすり抜け、無効化してしまう反則に近い能力。だがそれ故に弱点も存在する。限られた一定時間しか使えないこと、そして使用後は一定時間光速の移動速度が半減してしまうこと。ルナールにとってそれは諸刃の剣。故にこれを使った際には必殺。その証拠に今までこれを使われた相手で生きている者はいない。


「終わりだ」


ルナールは崩れた体勢を立て直しながらも斧を振りかぶりながら最後の一撃を振るわんとする。そこには絶対の自信と相手に対する称賛があった。自らの切り札である閃光化を使わせたのだから。だがそこまで。この切り札の恐ろしさ。それは相打ちであってもルナールの勝利となること。そして自らの攻撃が無効化される事態を前にして相手に隙が生じること。それはまさに先の幻に騙されたルナールの焼き回し。だが違うことがあるとすれば。

アキには全くその隙が見られなかったこと。


「なっ!?」


ルナールはその光景に驚愕するしかない。それはアキの姿。そこには全く焦りも動揺も見られない。自分の攻撃が無力化されてしまったにも関わらず。どんな人間でも攻撃の際には隙が生じる。ましてや先の一撃は勝利を確信する一撃だったはず。ルナールは知らなかった。先の爆発の剣エクスプロージョンはアキにとって布石、保険であり切り札ではなかったことを。

それは左手。デカログスを持っていないアキの手。それが伸ばされる。ルナールはそれを見ながらも恐れは無い。今の自分は閃光化している。どんな攻撃も今の自分には通用しない。ルナールはそのまま斧による一撃をアキに向かって振るわんとする。だがそれよりも早くアキの手が動く。それは初動の差。閃光化によるルナールの初動の遅れとアキの隙がない動き。それは刹那に満たない差。だがそれは覆せない大きな紙一重の差だった。

アキの手が触れる。それはルナールの体ではなく、その戦斧。そしてその瞬間、勝負は決した―――――




瞬間、世界が変わった。


「っ!?」


ルナールは突然の事態に思わず動きを止めてしまう。だがそれは無理のないこと。何故ならルナールの視界には先程までとは全く違う光景が映っていたのだから。そこはまるでどこかの部屋。見たこともない薄暗い場所。先程まで自分はビルの屋上で戦闘をしていたはず。なのに何故こんなところに。

ルナールは混乱しながらもすぐさま自らの手にある戦斧に力を込める。何が起こったのかは理解できないもののまだ戦闘中。その証拠に目の前にはまだアキが存在している。だがアキはルナールの混乱の隙を突き大きくルナールから距離を取っていた。それが何を意味するか直感で感じ取ったルナールはそのまま閃光となりながらその一閃でアキを切り払わんとするもそれよりも早くアキはその場から消え去ってしまう。それは先の幻ではなく間違いなく瞬間移動の類。


(……! 逃がしたか……!)


ルナールは自らの失態を悟りながらもすぐにその場から、部屋から脱出する。そこが敵の罠である可能性、そして今の状況の確認のために。窓から脱出しながらもルナールは外の状況を確認する。そこには静かな街並みがある。だがそこはエクスペリメントではない。見たことのない街だった。


(ここは……そうか。さっきの奴の狙いはこれか……)


ルナールは高速で街の建物の上に移動しながらも理解する。今の自分の状況、そしてアキが何を行ったのか。

瞬間移動による自分の強制移動。それがアキの狙いだったのだとルナールは気づく。先の攻防で剣ではなく手を伸ばしてきたのもそれが理由。自分に触れることで瞬間移動に巻き込むためのもの。閃光化によって自分の身体には触れられないと瞬時に判断し斧にその対象を切り替えたのはまさに驚嘆に値する。ここまで見事にやられればむしろ清々しさすら感じるほど。もっともあのまま戦闘を続けていれば危うかったのは自分かもしれない。すでに閃光化は解け、速度は半減している。それでも音速の剣シルファリオン程の速度はあるのだがルナールにとってはそれは致命的な隙。ましてやあれほどの力、自分と同格の力を持つであろう相手に対してそれはあまりにも大きな差となりうる。

ルナールはひとまず敵の追撃と仲間などが存在しないことを確認する。どうやら本当に自分を強制移動させることが相手の目的だったらしい。しかしその瞬間、ルナールはある疑問に行きつく。それは


(奴は何故私を移動させる必要があった……?)


どうしてアキが自分を移動させたのかということ。自分にとって有利な場所や状況に持って行くために移動させたのなら納得がいく。だがアキは自分に追撃を加えることなく去って行ってしまった。そしてもし自分から逃亡したいならそのチャンスはいくらでもあったはず。瞬間移動の能力でここに一人で逃げればいいのだから。だとすれば考えられる理由はたった一つ。

自分をそうまでしてエクスペリメントから遠ざけたい理由があの男にはあったということ。

ルナールはそのまま服から小さな石を取り出す。それは通信のDB『レジオ・ウェイブ』同じDBを持つ者と通信し会話ができる能力を持つDB。


『聞こえるか、私だ』
『ウン、聞こえるよ。ルナール様どうしたの? 最近連絡がなかったけど、ウン』
『色々あってな。それよりもお前達はまだ船には戻っていないな?』
『ああ、まだ何とかって魔力を探してる最中だよ。いい加減帰りてえなあ』
『そうか、ならちょうどいい。至急エクスペリメントに向かってくれ。時間はかかるかもしれんが私も後で合流する』
『エクスペリメント? 分かったよ、ウン。でも何をすればいいの?』
六祈将軍オラシオンセイスの監視と調査だ。だが戦闘に参加する必要は無い。特にレイヴマスター……いや、ローブを被った剣を持つ男には手を出すな。お前たちでは荷が重い』
『なんでえ、そんなに強い奴がいるのに戦っちゃいけねえのかよ』
『分かった、じゃあ先にエクスペリメントで待ってるよ、ウン』


子供と大男のような声が騒がしくしゃべり続けているのを強引に切りながらルナールは再び動き始める。まずは自らの位置の把握とエクスペリメントへ戻るために。恐らくそのころにはあの男もいなくなっているだろうが命令した二人ならその様子を監視することはできるはず。

そしてルナールはある疑念を抱いていた。それは先のローブの男。その剣からレイヴマスターかと思っていたがそうではない可能性が強まった。それは先の瞬間移動。その際ルナールは感じ取った、それがDBの力であると。そしてもう一つ。それとはまた違う異質な力。


(シンクレア……か……まさかとは思うが、用心するに越したことは無い……)


ルナールはそのまま様々な疑念と思惑を胸に動き始めるのだった―――――



「はあ……何とかなったか……」


ビルの屋上で座りこんでいるローブの男、アキはすでに疲労困憊といった風に大きな溜息を吐く。だが当たり前。先程までBGの副船長と戦闘を行っていたのだから。いかに実力をつけてきたアキといえども簡単にいく相手ではなかった。むしろよく対処できたといったほうが良いだろう。


『まったく……もう少し余裕を見せたらどうだ? いつもいつもギリギリの戦いをしおって……そんな趣味があるのか?』
『やかましいっ! 誰がそんな趣味もつか! 大体何もしてねえお前が偉そうなこと言うんじゃねえ!』
『失礼な。手を貸してやろうと言ったのに断ったのはお主だろう』
『ぐっ……そ、それは……』
『まあいい……一応閃光の主は追い払えたのだからな。だがどういうつもりだ。あのまま続けていれば勝機はあったろうに』
『い、いいんだよ……こっちも一杯一杯だったし……レイナに近づかせないっていう目的は達成したんだからな……』
『ふむ……相変わらず過保護な奴だ。そんなに六祈将軍オラシオンセイスを自分の配下にしたいのか? そんなことをせずともジェロを呼び出せばよかろうに……』 
『っ!? い、いや……ジェロはその……き、切り札みたいなもんだからな! ほいほい呼び出せるようなもんじゃねえんだよ!』
『くく……まあそういうことにしておこうか』


マザーはからかうような笑いを漏らしながらアキを挑発するもアキはもはや相手にするだけ無駄だとあきらめる。そんな余裕は今のアキにはなかった。それほどに先程の攻防はアキにとっては綱渡り、命がけのものだった。


はあ……何とかなったけどマジで死ぬかと思ったわ……何で俺、こんなギリギリの戦いばっかしてんの? ちょっとは楽勝の展開があってもいいと思うんだけど。やっぱこの世界はハードモードに違いない……っていうかあのルナールの力は何!? 光になってすり抜けるとか反則にも程があんだろう!? 


アキは思い返しながらも戦慄する。それはルナールの切り札。あんな力があるとは思っていなかったアキはまさに九死に一生を得たに等しかった。もし何の策もなしに飛び込んでいれば間違いなく首が飛んでいたところだったろう。

イリュージョンとワープロードを使った戦法。それによりルナールをこの街から違う離れた街へと移動させること。それはアキのたてた策だった。イリュージョンの発動を直にみられないためにビルの崩壊という目くらましを行い、ルナールの身体に触れることで強制的に一緒に瞬間移動をするというもの。だが直前でアキは作戦を変更した。

それはデカログスによる攻撃を加えること。当初はイリュージョンによって隙が生まれたルナールに向かってすぐに手を伸ばす予定だったのだがそれをアキは変更した。いうならばそれは直感。今まで上手く行く思った瞬間に予想外の事態が起こるという理不尽を何度も経験してきたアキだからこそ持てる危機察知。石橋を叩いて渡る、もといチキン、臆病者の為せる技。もっともそれによってアキは命を取り留めた。もし最初から手を伸ばしていればその瞬間、閃光化によってそれは失敗に終わり次善策を用意していなかったアキはそのまま切り裂かれていたのだから。

そして作戦が成功したのはDBたちの協力のおかげ。いかにアキといえども複数のDBを同時にあれだけの刹那の時間に扱うことはできない。故にその発動のタイミングは全てDBに任せアキは自らの動きだけに意識を集中することができた。でなければあの作戦は成功しなかっただろう。


ふう……ほんとに走馬灯が見えた気分だった。何か時間が凝縮されるっている感覚を初めて味わったわ……もう二度と御免だけど……とにかくこれでイレギュラーは排除できたし後はレイナに会いにいくだ……け……?


瞬間、アキは感じ取る。それはレイナの持つDB、ホワイトキスの気配。それがまさに戦闘中であることが分かる。アキはそれに驚くことしかできない。一体レイナは誰と戦っているというのか。そしてもう一つ。

それは光と音。レイナが戦闘を行っていると思われる場所から離れた場所。そこから光と音が鳴り響く。そう、まるで雷が落ちたかのように。

アキは悟る。既に魔導精霊力エーテリオン編が始まっていることに。しかも恐らくは自分が想像している以上に厄介な状況で。知らずその顔は蒼白になり、背中には冷や汗で濡れてしまう。

エリーはマジックディフェンダーを付けているためジークに補足されるはずはない。ならばエリーは原作とは異なりジークには見つからず、ジークはハルを狙う形で同時にエリーに接触するはず。それがアキの見通しだった。

だがレイナが戦っている相手はDBを持っていない。それはすなわち戦っているのはハル達の誰かということ。レイナにエリーを狙う理由は無い。ならジークに狙われているのは誰なのか。


『……? どうした、そんなに慌てて……どこに行く気だ?』
「うるせえ! ちょっと黙ってろ!」


アキは弾けるように動き出す。その手に音速の剣シルファリオンを持ちながら。恐らくは最悪に近い展開になるつつある状況を打破するために―――――



[33455] 第二十九話 「乱入」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:e8e89e5e
Date: 2012/10/25 17:09
「くっ……!」


苦悶の声を漏らしながらも銀髪の少年、ハルはその手に大剣、TCMを構えながら一直線にある方向に向かって行く。その先には一人の女性の姿がある。だがその姿はハルとは対照的だった。ハルの体には無数の傷があり、息も絶え絶え。対して女性、レイナは息一つ乱さず無傷。どこか余裕の笑みを浮かべ腕を組んだまま向かってくるハルを見据えている。それは余裕。自らの力への自信とハルの実力を既に見抜いているが故のもの。


「はあああっ!」


そんなレイナの姿を見ながらもハルはあきらめることなくその手にあるTCMに力を込める。瞬間、その形態が大きく変わる。爆発の剣エクスプロージョン。斬ったものを爆発させる第二の剣。相手を殺さずに倒すことができるためハルが多用しているもの。ハルはそれをレイナに向かって接近しながら振り下ろす。レイナはそれを前にしても全く動く様子を見せない。まるっきり無防備に映る姿。あまりにも不用意に思えるもの。だが


「無駄よ」


レイナは呟いた瞬間、それは起こった。それは銀。レイナの右腕にある銀色の蛇がまるで意志があるかのように動きハルの攻撃を防いでしまう。瞬間、剣の力によって爆発が起こるもそれはレイナに届くことは無い。ハルはそのまま自らの起こした爆発の衝撃によってその場から吹き飛ばされてしまう。しかしそれだけではない。そんなハルに追い縋るように銀の蛇が縦横無尽に、変幻自在に動きと形を変えながらハルに向かって襲いかかって来る。その読むことができない攻撃にハルは為す術がなく身体に新たな傷が刻まれていく。


「……っ! 音速の剣シルファリオン!」


このままでは捌ききれないと判断したハルは新たな形態へと剣を変化させる。瞬間、ハルはまるで風のような速さを纏い銀の蛇の攻撃を躱しながら一気にレイナとの距離を詰める。それがハルが持つ音速の剣シルファリオンの力。持つ者に速さを与える第三の剣。ハルはそのままレイナに向かって斬りかかる。それは超高速の七連撃。その速さは見た者が一撃だと思ってしまうほどの速さ。だが


「残念♪」


その攻撃は一つもレイナに届くことなく銀によって防がれてしまう。まるで全ての攻撃が見切られてしまっているかのように。ハルは自分の持つ最速の攻撃がこともなげに防がれてしまったことに驚愕するしかない。そんな隙を見逃さないとばかりに剣を防いでいた銀の蛇が再びハルに向かってその矛先を向ける。ハルはそれを咄嗟に防御するもそのまま大きく吹き飛ばされてしまう。音速の剣シルファリオンの力によって体の重さが軽くなってしまっていることも相まってハルはそのまま地面に転がりながらも剣を地面に突き立てることで何とか踏みとどまる。だが度重なるダメージによってハルはそのまま剣を支えにしながらも膝を突いてしまう。それが先程から繰り返されているハルとレイナの戦闘。もっともそれは戦闘と呼べるものではない。一方的なレイナの蹂躙だった。


「どうしたのハル君、これで終わり? 私まだDB使ってないんだけど?」


レイナはくすくすと笑いながらハルに向かって告げる。ハルはその言葉に戦慄する。目の前の女、レイナがまだ恐らくは半分の力も出していないことに。その証拠にレイナはまだ戦闘が始まってからその場から一歩も動いていない。それはすなわちあれだけの攻撃を繰り出しても自分は相手を動かすことすらできていないということ。そしてそのDBすらも。普通の人間ならレイナが持つ銀の蛇がDBの力なのかと思うだろう。だがそれがDBの力でないことをハルは知っていた。何故なら


「お前……銀術師シルバークレイマーなのか?」


それと同じ力持つ者を知っていたから。


「あら、よく分かったわね? その通り。私は銀術師シルバークレイマーよ」


一瞬驚いたような表情を見せながらもレイナは楽しげに答える。

銀術師シルバークレイマー

その名の通り銀を操り様々な武器、形をもって変幻自在に戦うことができる存在。そしてその中でもレイナは最高位にあたる力を持つ術師。その力はDBに頼らなくとも並みの者など相手にならない程のもの。その前には今のハルでは全く歯が立たない。それが六祈将軍オラシオンセイス。キングに選ばれし六人の戦士の力だった。


「さて、種明かしも済んだところでそろそろおしまいにしましょうか。もう少し楽しめるかと思ったんだけど……シュダも大したことなかったのね」
「……っ! 違う!シュダはすげえ奴だったさ!」
「あらそう。敵の肩持つなんて変なこと言うのね。男同士の何とかってやつ? でも口先だけの男はモテないわよ、ハル君?」
「…………」


ハルはレイナの言葉に何一つ言い返すことができない。何故ならレイナの言葉は全て正しいのだから。現に自分はレイナに全く歯が立たない。ハルは感じ取っていた。覆すことができない歴然たる力の差。それが今の自分とレイナの間にはあると。それは認めたくはないがかつてシュダに感じた以上の差。だがそれでもあきらめるわけにはいかない。自分にあきらめるなという言葉を遺してくれたシュダに報いるために。何よりも一刻も早くエリーを助けに行くために。レイナの言葉が真実なら今この時もエリーに危機が迫っているはず。

ハルは一度大きな深呼吸をしながら頭を冷やす。先程までは一刻も早くエリーの元に行かなければいけないこと、そして想像を超えるレイナの強さに冷静さを欠いてしまっていた。ハルは改めて己の為すべきことを悟る。それはエリーの元に駆けつけること。なら今はそれだけを考えなければ。

ハルは立ち上がりながらも再び剣を構える。その手には爆発の剣エクスプロージョン。だがそれはレイナには通用しない。それはハルとて分かっている。故にハルはそれを別の手段として選んだ。


「へえ……まだやる気なんだ。その根性だけは認めてあげるわ♪」


レイナはまだ戦う意志を見せているハルに称賛を贈りながらもその力を以て迎え撃たんとする。それは最初から変わらない姿。腕を組んだまま悠然と相手を待ち構えているもの。そこにこそハルが付け入る隙があった。ハルはそのまま剣を振り下ろす。レイナにではなく自らの足元に向かって。


爆煙スクリーンボム!」


瞬間、凄まじい爆煙が辺りを包み込む。まさにそれは煙幕。レイナはハルの予想外の行動に一瞬驚くもののすぐに辺りの気配を探る。それはハルの奇襲を警戒してのもの。煙幕、目くらましによってこちらの視界を封じ不意打ちを狙う。それがハルの狙いだと判断してのもの。確かに煙幕は厄介だがその程度で易々と不意打ちをくらうほど六祈将軍オラシオンセイスは甘くは無い。レイナは自信を見せながらハルを迎撃せんとする。だがいつまでたってもそれは訪れない。瞬間、レイナは悟る。ハルの狙いが自分を奇襲するためではないことに。


(待ってろよ……エリー、今行く……!)


ハルは全速力で音速の剣シルファリオンによってその場から離脱せんとする。それこそがハルの狙い。煙幕によってめくらましを行いその隙にその場を離脱しエリーの元に向かうこと。レイナが自分を待ち構えていること、そしてレイナを倒すことが難しいと判断してのもの。それは正しい。確かにその作戦は成功していただろう。


「ひどいのね、こんないい女を放って逃げ出すなんて」


相手が六祈将軍オラシオンセイスでなかったのなら。


「なっ!?」


ハルは自らに起こった事態に混乱し声を上げる。それは右手首。そこに銀がまるで手錠のように巻きついている。それだけではない。ハルはそのままその銀の手錠によって凄まじい力で引き寄せられ地面に叩きつけられてしまう。痛みによって悶絶するものの何とか意識を繋ぎ止めながら起き上がるもそこは先程自分がいた場所。レイナと目と鼻の先。ハルはようやく気づく。自分が捕まりここまで連れ戻されてしまったのだと。

だがハルは驚きを隠しきれない。それは自らの手に巻きついている銀。ハルは煙幕による目くらましと同時にその場を離れた。いかにレイナといえども追いつけるような距離ではなかったはず。まるで何もない場所から銀が襲いかかって来たかのよう。


「一本取られたわ。まさか逃げ出すなんてね。おかげで思わずDBを使っちゃったわ」
「DB……!? 一体何をしたんだ!?」
「ふふっ……秘密よ♪ それにエリーっていう娘を助けに行っても無駄よ。ジークも私と同じぐらいの強さなんだから君が行ってもどうしようもないわ」


レイナの言葉にハルは絶望する。この場から脱出することができないこと。何よりもエリーを狙っている敵も目の前にいるレイナと同格の相手だということに。


「……せえ……」
「……? どうしたの、もう観念したのかしら?」


ハルはそのまま俯きながらもその手に持つTCMに力を込める。瞬間、レイヴに光が灯る。それはハルの力、心にレイヴが反応している証。今のハルにあるたったひとつの想い。それは


「うるせえ……そこをどけええええっ!!」

エリーを、好きな娘を守りたいという想いだった。


「――――っ!?」

瞬間、レイナの表情に初めて焦りが浮かぶ。それは直感。レイナは自らの最速で、最大の防御を展開する。それは先程までのハルの攻撃では傷一つ付けられないような硬度の防御。だがハルの一撃はその鉄壁の防御を打ち破る。先程までとは比べ物にならない程の規模の、威力の爆発の剣撃がレイナを襲う。

レイナはそのまま爆風によって吹き飛ばされるも受け身を取りながら着地する。ダメージ自体は全く受けていない。だがレイナの表情には既に先程までの余裕はない。それはレイナの本気の顔。自らの防御を破られてしまったこと。何よりも地に膝を着いているという状況。レイナにとっては許せない屈辱だった。


(こいつ……どこにこんな力が……?)


レイナは立ち上がりながら改めてハルを見据える。そこには肩で息をしながらも凄まじい形相で自らを睨みつけているハルの姿がある。だが先の一撃で力を使いきってしまったのか既に立っているのがやっとといった風。だがレイナは感じ取っていた。それはハルの底力。そしてその成長の可能性。それこそがシュダを倒せた理由、シュダがハルを気に掛けていた理由なのだと。だがレイナにはそれはない。わざわざ危険因子を野放しにするような理由は無い。今はまだ追い詰められてやっとだがこれから成長すればDCにとって脅威になりうる可能性を目の前の少年は秘めている。


「いいわ……本気で相手をしてあげる」


レイナはそのまま両手を天に向ける。今まで何の構えも取らなかったレイナが構えたことでハルは息を切らせながらも剣を構える。その瞳はその腕にある銀の蛇に向けられている。それこそがレイナの攻撃の起点。ならばそこから再び攻撃を仕掛けてくるはず。そうハルは考えていた。だがそれは間違い。確かにそれはレイナにとっては攻撃の起点だった。つい先ほどまでは。


「――――っ!?」


ハルは戦慄する。それは秒にも満たない刹那。まさに本能。それが感じ取る。それは自らの周り。その空間。何もないはずの空間に次々にそれが生まれてくる。それは銀。まるで突然そこに現れたかのように銀の塊がハルの周囲に無数に生まれてくる。あり得ない事態にハルは身動きすら取れない。いや、例え動けたとしても今のハルには為す術は無い。

それこそがレイナの持つDB『ホワイトキス』の力。無から物を造る空気の六星DB。

銀術師シルバークレイマーであるレイナの銀術と組み合わせることで真価を発揮するもの。それによってレイナは自らから離れた場所にいる敵に対して死角も含めた全方位から攻撃を加えることができる。それこそがレイナの本気。


「さよなら、レイヴマスター君。最後はちょっと驚かされたわ」


レイナは最後の言葉を告げながらその力を解き放つ。瞬間、ハルの周囲に生まれた銀が形を変えながら襲いかかって来る。それはまさに槍の雨。初見であればまず避けれないような隙のない攻撃。ましてや今のハルは満身創痍。ハルは悟る。もはやどうしようもないのだと。それでもまだあきらめるわけにはいかない。絶望を前にしながらも活路を見出さんとするも無慈悲な槍の雨がそのままハルを串刺しにしようとしたその瞬間、


雨はまるでハルを避けるように軌道を変え地面へと突き刺さって行く。見えない力がハルを守ったかのように。


「なっ!?」


それは果たしてどちらの声だったのか。一つはハルのもの。それは自らを貫くはずだった攻撃が逸れてしまったことに対する驚き。だがレイナの驚きはその比ではなかった。何故なら先程の攻撃は自らの必殺の攻撃。絶対に避けれない数とタイミングを狙ったもの。それが避けられるなどあり得ない。いや、まだ避けられたのなら分かる。だがそうではないことをレイナは感じ取っていた。それは銀術師シルバークレイマーとしての感覚。先の瞬間、自分の銀が誰かによって操られてしまったのだと。


「ったく……こんなところで何やってんだ」


混乱するハルとレイナの間に割って入るように、ハルを庇うかのように一人の青年が姿を現す。黒い短髪に左額にピアス。首から銀のドクロを掛けている新たな乱入者。奇しくもレイナと同じ力を、因縁を持つ存在。


「ナンパならオレもまぜろっつーの。文句はねえな、ハル?」


銀術師シルバークレイマームジカ』


新たな乱入者によって事態はさらなる混乱に陥ろうとしていた―――――




「……ここでいいだろう。ここなら余計な邪魔は入らない」


夜の街の光が辺りを照らしている中、大きな広場に二つの人影があった。一つは背の高い蒼髪のコートを羽織った青年。その顔には印象的なタトゥーが刻まれている。彼の名はジークハルト。時の番人の二つ名を持つ魔導士。


「…………」


もう一つが金髪の少女、エリー。だがエリーはどこか警戒した様子でジークを睨みつけている。何故ならエリーにとってジークは探していた男であり、同時に命を狙われている相手なのだから。

『雷の男』

それはエリーが男を呼ぶ時に使っていた呼び名。その名の通り雷を操り実際にエリーは殺されかけたことがあるため。しかしそんな男に着いてきたのは理由がある。それはエリーが自らの記憶を、過去を取り戻したいからこそ。アキ以外に自分のことを知っている可能性がある唯一の人物。エリーはつい数分前雷の男、ジークを見つけることができた。いや正確にはジークに見つかったという方が正しい。瞬間、エリーは戸惑った。それは逃げるか否か。エリーはアキによって雷の男が自分の命を狙っているということを何度も聞かされていた。そのためエリーが外出する際には必ずアキが護衛と言う形で着いてきていた。だが今はアキはおらず、いつもは行動を共にしているハルやムジカもこの場にはいない。危険な状況。だがそれでもエリーは逃げることなくジークに詰め寄った。

それは記憶というかけがえのない探し物を見つけたい、取り戻したいという願い。その誘惑に負けエリーはそのままジークに言われるがままに場所を変えることになった。出会った場所が人ごみであったため。エリーは息を飲みながらもそれに従うことにした。決して油断しているわけではないが二年間、言葉では警告されてきても実際にジークに襲われることがなかったエリーは心のどこかで甘く見ていた。ジークの危険性を、その覚悟を。


「……どうした、何か聞きたいことがあったのではないのか」
「……! そうよ! あんたに聞きたかったの! ずっと探してたんだから!」
「探す……? お前がオレを? 何故だ?」
「決まってるじゃない! あたしのことを教えてもらうためよ! 教えてよ、あたしは誰なの!? あんたと何の関係があるの!?」


エリーは抑えが利かなくなったかのように鬼気迫る姿でジークを問い詰めようとする。自分の過去を、記憶を知っているかもしれない人物が目の前にいる。もしかしたらアキが教えてくれなかったことを知っているかもしれない。エリーは内心の動揺を隠すことなく声を上げる。

そして対照的にジークはそんなエリーの姿を冷静に見つめていた。ジークがエリーの話を聞いているのは情け。これから死ぬべき定めにある少女に対するせめてもの情け。同時に何故これまでエリーを見つけることができなかったのか、その理由を確かめるためのもの。だがジークはエリーの予想外に質問を聞きながらも理解する。エリーの状態を。恐らくは記憶喪失に近い状態になっているのだと。だからこそ命を狙われていると分かっているにも関わらず逃げ出すことなく自分に着いてきたのだと。


「いいだろう……全てを知った上で死ぬがいい」

ジークは一度目を閉じた後、語り始める。自らの正体とその使命を。

時を狂わすもの、狂わす恐れがあるものを消滅、破壊することが時の番人であるジークの使命であること。

その中でも最も危険な力を持つものが魔導精霊力エーテリオンでありそれはリーシャ・バレンタインの死によって失われたはずだった。だがその力を研究し生み出そうとする者たちがいた。その研究所を破壊して行くこと、そして魔導精霊力エーテリオンを持つ可能性がある者を抹殺することがジークの任務。その際に研究所にいたのがエリーであったこと。

話が進むにつれてエリーは今にも倒れてしまいそうな感覚に襲われる。リーシャ、魔導精霊力エーテリオン、様々な言葉がまるで自分の記憶の何かを刺激するように頭痛を引き起こす。同時に思い出す。それは王国戦争博物館で見たリーシャの肖像。自分と瓜二つの姿。そして魔導精霊力エーテリオンという言葉。あまりにもできすぎた話。とても偶然とは思えないような共通点。何よりもエリーを恐怖させているのが研究所という言葉。それが意味すること。


「お前は魔導精霊力エーテリオン計画の実験台の一人。サンプルナンバー3173だ」

自分の正体が普通の人間ではなかったということ。


「ウソよ! そんなの違う! あたしはそんなものじゃない!」


エリーは後ずさりをしながらも慟哭する。ただ否定の言葉を口にすることしかできない。そうしなければ自分がなくなってしまうような、消えてしまうような恐怖感がエリーを支配し始める。それに抗うようにエリーはただ叫び続けるしかない。子供のように、ただがむしゃらに。


「あたしはエリーなの! だってそうアキが言ってくれたもん! 今もパパやママがあたしの帰りを待ってるの! でたらめなこと言わないで!」


エリーは泣きじゃくりながら必死に訴える。自分はエリーだと。自分の左腕に残っていたたった一つの手掛かり。そしてアキが自分を呼んでくれた名前。決して自分はサンプルナンバー3173などではないと。実験台などではないと。だがそんなエリーの望みを打ち砕くようにジークの指先から炎が生まれエリーの左腕を掠めて行く。その熱さに悲鳴を上げるもエリーは目にする。それはもう消えてしまった痕。それが再び浮かび上がっている。『ELIE』という文字。


「おそらく研究員が逆さにナンバリングしたのだろう。ELIEではなく3173が正しい読み方だ」


ジークの宣告にエリーは言葉を失う。これまで自分が信じてきた物が全て失くなってしまうような喪失感と恐怖。同時に思い当たる。もしそれが真実だとしたら納得がいくことがある。

それはアキが決して自分の記憶、過去を教えてくれなかったこと。お人好しのアキが何度お願いしても教えてくれなかった理由。それがジークの言う通りだからだとしたら――――

エリーは知らず自らの左腕にある腕輪に手を添える。それはアキが贈ってくれたブレスレット。金属を操ることができるムジカに無理を言って直してもらった物


「なるほど……マジックディフェンダー。それで魔力を隠していたわけか」


ジークはその左腕の腕輪を見ながらも納得する。それを付けていたからこそ自分がエリーを捕捉できずにいたのだと。見た目とは違い中身は壊れてしまっているようだが間違いないと。だがジークは訝しむしかない。それはエリーの様子。それはまるでジークが何を言っているのか分からないといったもの。


「何それ……? マジック何とかって……この腕輪のこと?」
「何を言っている? オレから逃げるためにそれを付けていたのではないのか?」


ジークの疑問など知らないかのようにエリーは困惑しながら腕輪に目を向けることしかできない。エリーはようやく悟る。アキがこの腕輪を自分に贈ってくれた本当の理由を。それが自分がジークに狙われないようにするためだったのだと。そしてそれはつまりアキが初めて会った時から自分が特別な力を、魔導精霊力エーテリオンを持っていることを知っていたということ。一体どうなっているのか、理解できない事態の連続にエリーはその場に立ち尽くすことしかできない。だがそれを許さない存在が今、エリーの目の前にいた。


「もう充分だろう……安心しろ。今すぐ殺してやる」


一度神に祈るような仕草を見せた後、ジークは指を振るう。まるで指揮者のように。だがそれは死刑の執行人、死神そのもの。瞬間、凄まじい魔力が巻き起こり、ある現象を引き起こす。それは雷鳴。同時に目がくらむほどの光が、雷が落とされる。目の前にいるエリーに向かって。無慈悲に、そして正確に。エリーが悲鳴を上げる間もなく。後には破壊された地面と倒れ伏しているエリーの姿。


(終わったか……)


ジークはそれを見ながらも表情一つ変えることは無い。何故ならこれはジークにとっての使命。時を守るための必要な犠牲なのだから。だがジークは心どこかで拭えない違和感を感じていた。それはまるで罪悪感。まるで自分が過ちを犯してしまっているのではないかという感覚。だがジークは一度頭を振るいながらそれを振り払う。それは雑念、気の迷いだと。時を守るためにはどんな犠牲も恐れてはならない。それが時の民の掟。ジークがそのままエリーに近づこうとした瞬間


「ガハッ! ゴホッ……ゴホッ!」


まるで息を吹き返したかのようにエリーの身体が震え動き出す。その光景にジークは戦慄する。先程の一撃は二年前とは比較にならない程強力なもの。それを受けてなお生きているなど考えられない。ジークは感じ取る。それは魔力。それがエリーの身体から発せられている。魔導精霊力エーテリオンの覚醒の前兆。それによってエリーは普通では考えられない程に魔法に対する耐性が増しているのだと。


「……っ!」


瞬間、エリーは走り出す。ジークが気を取られている一瞬の隙を狙って。形振りかまずに、ただがむしゃらに。今のエリーにはもはや自分の記憶のことも頭にはなかった。

怖い。

ただそれだけ。死ぬことが、殺されることが怖い。体中の痛みがエリーを襲う。今にも倒れてしまいそうな激痛。どうして自分が生きているのか分からない中エリーはただこの場から逃げ出さんとする。だが


「えっ!? な、何これ……どうなってるの!?」


それは広場と街の境目で終わりを告げる。それは傍目には何もないように見えるような場所。だがその境をエリーは超えることができない。まるで見えない壁がそこにあるかのように。


「ハアッ……ハアッ……!!」


エリーは必死に走り続ける。その手をかざしながら。この広場から、死地から脱出するために。既に顔が涙でぐちゃぐちゃだった。告げられた自分の過去。魔導精霊力エーテリオンという力。そして今、命を狙われている、殺されかけているという状況。今すぐ膝を着いて泣き出したいのを必死に抑えながらエリーはただ抗い続ける。自らの運命に。

それがどれだけ続いたのか。もしかしたら数分だったのかもしれない。もしかしたらもっと長い時間だったのかもしれない。時間の感覚すら失われてしまっている中


「……無駄だ。ここには結界が張ってある。どうやっても逃げることはできん」


一歩一歩、まるで噛みしめるように歩きながら死神、ジークが現れる。エリーはそれを前にして金縛りにあったように動けなくなってしまう。それは本能。もう自分には逃げ場はないのだという。そしてジークの姿も先程とは違っていた。

その目には先程までとは違い光が見られない。まるで機械のような冷たい瞳。それがすぐにでもエリーを追いかけることができたにもすぐにジークがそうしなかった理由。それは覚悟。再びエリーの、少女の命を奪うことへの。考え付く限りで最も残酷な方法で。ジーク自身使いたくは無かった非道の魔法。


「少々酷だが……許せ……」


ジークがゆっくりとその手をエリーに向かってかざす。その手には先程とは違う魔力が込められていた。それは毒のエレメント。その名の通り使用したものを毒に陥れ毒殺する魔法。その力によって血を吐き、激痛に襲われながら絶命する残酷な殺し方。魔導精霊力エーテリオンによって雷のような外側からの攻撃が通じない以上、内側からの攻撃によって対象を抹殺するという判断。自らの心を殺したままジークはその魔法を解き放たんとする。


それを見ながらもエリーはどうすることもできない。動くことも、声を上げることも。


それでも声にならない声で、心の中で叫びを、自分を助けてくれる誰かの名前を叫びを上げようとした瞬間、それは現れた。


「――――っ!?」


ジークは咄嗟に魔法を中断しながらその場から距離を取る。それは直感に近いもの。同時に一つの人影がエリーとジークの間に割って入る。まるで風のような勢いで。ジークは体勢を立て直しながらもその表情は驚愕に満ちていた。

それは結界。それは並みの魔導士ではやぶることができないもの。にもかかわらずそれをこともなげに破壊しながらこの場にその男が現れたこと。

そしてもう一つ。ジークはもちろん、エリーもその人物を知っていたこと。

黒い短髪に黒い甲冑とマント。その手には身の丈ほどもあるのではないかと思えるような黒い大剣。その首には小さなDBが掛けられている。


「…………アキ?」


まるで信じられないかのように、呆然としながらもエリーはその名を告げる。


『ダークブリングマスターアキ』と『時の番人ジークハルト』


四年前から続いてきた因縁。それに決着をつける最初で最後の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた――――



[33455] 第三十話 「覚醒」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/10/28 11:06
「アキ……?」


エリーはどこか心ここに非ずといった風にその名を呟きながら目の前の光景に目を奪われていた。そこには少年がいた。甲冑にマントという見たことのない格好だが見間違えるはずはない。何故ならエリーは二年間、ずっと目の前の少年と一緒に暮らしていたのだから。そのままアキはエリーに背を向けながらも振り返る。夜の暗さによってはっきりとは見えないが間違いなくそれはアキ。瞬間、エリーはまるで力が抜けてしまったかのようにその場に座りこんでしまう。その体は既にボロボロ。服は破れ、体中には雷によって火傷を負ってしまった痕が痛々しくも残っている。


「アキっ……あたしっ……あたしっ……!」


緊張の糸が切れたようにエリーはその場に座り込んだまま泣き崩れてしまう。まるで洪水のようにその目から涙が流れ続ける。既に顔は涙でぐちゃぐちゃだった。エリーは何とか声を上げようとするが嗚咽を漏らすことしかできず言葉にできない。その胸中も様々な感情が混ざり合いエリーはどうしたらいいか分からない。

どうしてここにいるのか。今までどこにいたのか。どうして自分を置いて行ったのか。

聞きたいことが、知りたいことが山のようにある。会ったら文句を言って叩いてやろうと、そう決めていたはずなのに。でもそんなことは今のエリーの中には全くなかった。あるのはただ純粋な嬉しさ。もう一度アキに会えたこと。そして自分を助けてくれたことへの。

だがエリーは何とか落ち着きを取り戻しつつも気づく。それはアキの姿。その姿もだがエリーは違和感を覚えずにはいられない。それはアキが自分を見つめたまま何もしゃべらなかったから。ただの一言も。きっと今の自分を励ますために何かいつもの調子で話してくれると思っていたエリーはどこか不思議そうにしながらもアキを見続ける。その表情からアキの感情を読み取ることはできない。今までエリーが一度も見たことのないような表情。


「アキ……?」
「……エリー、そこでじっとしてろ」


アキはエリーの言葉を遮るようにそう言い残したままデカログスに手を掛け、目の前のジークと対面する。同時にようやくエリーは思い出す。アキが現れたことで忘れかけてしまっていたがまだ雷の男、ジークは健在であり状況は変わっていないのだと。そして同時にエリーは不安に駆られる。それはアキのこと。ジークが恐ろしく強いことをエリーは先程の雷で悟っていた。おそらく今までハルと共に旅をしてきた中で戦ってきたどの相手よりも。もしかしたら助けに来てくれたアキまで殺されてしまうかもしれない。実際にアキが戦っているところを一度も見たことがないエリーは何とかしなければと思うも既に身体は満身創痍で満足に動くことすらできない。例え動けたとしてもエリーではジークをどうにかすることなどできるはずもない。エリーはそのままただアキの背中を見つめることしかできない。


(アキ……それが金髪の悪魔の名か……)


自分と対面しているアキを見ながらもジークは冷静に状況を分析する。ジークは目の前の少年が金髪の悪魔であることを確信していた。身に纏っている物は異なる、成長しているがその顔は間違いなく二年前と変わらない。だが突然のアキの乱入にもかかわらずジークは全く動じることは無い。何故ならアキ、金髪の悪魔がこの場に現れる可能性をジークは最初から計算に入れていたのだから。


(まさか金髪の悪魔と3173の女が本当に行動を共にしていたとはな……)


それはハジャによってもたらされた情報。金髪の悪魔と魔導精霊力エーテリオンの娘、エリーが行動を共にしていた可能性があるというもの。現在は別行動をしていたらしいがエリーと接触すれば金髪の悪魔が現れる可能性があるためジークはそれに対する対策としてこの結界を張っていた。余計な邪魔が入らないようにするために、そしてもしそれが破られたとしても逆に結界内におびき寄せ始末するために。既にジークは金髪の悪魔、アキが偽装と瞬間移動の能力があることを見抜いており、それを封じる力を結界内には施してある。これでアキを以前のように取り逃がすことは無い。もう二度と同じ失敗を犯さない、絶対の意志をもってジークは二年ぶりにアキと対峙する。アキがその手に大剣を構えるのを見ながらもジークに恐れは無い。剣士では魔導師には勝てない。その道理を知っているからこそ。

金髪の悪魔と魔導精霊力エーテリオン

思いつく限りで最悪の組み合わせ。このまま放っておけば文字通り世界を崩壊させかねない危険因子。時を狂わす危険を持つ存在。それを見逃すことなどできない。


「……いいだろう、ならば両方消し去ってやる!」


ジークは叫びと共にその手を構える。自らに課された使命を果たすために。今度こそ逃がしはしないという決意と共に。瞬間、凄まじい魔力がジークから発せられ始める。その力によって空気が震える。まさに大魔導士に相応しい力の鼓動。

だが今にも戦闘が始まらんとしているにも関わらずアキは全く戦う気配を見せようとはしない。デカログスを手に持ってはいるものの明らかにいつもとは様子が異なる。ただそこに立っているだけといった風。


『……どういうことだ? お主、エリーが魔導精霊力エーテリオンを持っていたことを知っていたのか?』
「…………」


アキの胸にかかっているマザーがどこか威圧感をもって詰問をおこなってくる。

詰問は今、後ろに座りこんでしまっているエリーについて。それを助けるためにアキがこの場にやってきたことにマザーは気づく。それ自体は構わない。個人的に思う所がないわけではないがマザー自身、エリーは共に暮らしてきた同居人、友人の様なもの。だがそれだけではすますことができないことがあった。それはエリーが発している魔力。それをマザーは知っていた。魔導精霊力エーテリオン。かつてリーシャ・バレンタインが自らの天敵たるレイヴを生み出した力。確かに姿が瓜二つなことに疑問を抱いてはいたものの同じ力まで持っているなど偶然ではすまされない。アキがそのことを知った上でエリーを匿っていたのか、それとも知らなかったのか。知っていたのなら何の意図があってそんなことをしたのか。聞きたいことが山のようにある。


『聞いているのか!? 事によっては許さんぞ! それにいつまでそうしているつもりだ!?』


叱責はまるで無防備な姿を晒している自らの主に対してのもの。格下の相手であればそれでも構わない。だが目の前にいる魔導士、ジークはそうではない。間違いなく六祈将軍オラシオンセイスレベルの力の持ち主。だがそれだけであったならマザーはここまで焦りは見せない。それはジークの魔力。それはとても以前とは比べ物にならないようなもの。どんな手段を使ったのかは分からないが間違いなく先に戦ったルナールに迫る力を今のジークは持っている。それと引き分けたアキだがそれはイリュージョンとワープロードの補助があったからこそ。だがこの結界内ではそれは通用しない。地力のみではいかに力をつけているアキとはいえども分が悪い。だがアキは先程から全く反応を示さない。まるでマザーの声が聞こえていないかのように。


『……もうよい。主が動かないのであれば我が』


呆れと憤りを見せながらもマザーが動こうとした瞬間


『……ごちゃごちゃうるせえぞマザー!! てめえは黙って俺の言うことを聞いてろ!!』


それはアキの今まで聞いたことのないような怒号によって遮られてしまう。


『――――っ!?』


まるで飼い主に怒られてしまった犬のようにマザーは身がすくんでしまう。だがそれは無理のないこと。何故なら今のアキの言葉が間違いなく本気だと悟ったから。これまでのぶっきらぼうな、冗談じみたものではなく本気でアキが怒っていることにマザーは驚きそのまま黙りこんでしまう。

アキはマザーを一喝した後、ジークを見据える。アキがエリーを優先した理由。それはエリーがマジックディフェンダーを付けていると思い込んでいたから。それは魔力の反応だけでなくその力も封じてしまうもの。もしそのままであればジークの雷を受けても魔導精霊力エーテリオンの力は発動せず最悪そのまま死んでしまうかもしれない。そのことに気づいたアキはそのままここまでやってきた。レイナの方も気にはなったものの距離的にエリーの方が近いこと、そしてエリーと違い自衛できるハルかムジカなら大丈夫だと判断してのもの。DBの気配によって戦闘中であることからまだ無事のはず。それでも一刻も早く向かわなくてはならない状況。いつものようにアキは焦りによって混乱しながらこの場へと到達した。この状況を目にするまでは。

その胸中はある感情で満たされていた。それは怒りと罪悪感。エリーの姿を見た時アキはそれを感じていた。見るも無残な姿。いつも楽しそうに笑っているか、怒っている顔しか見たことがないアキにとってその泣き顔は到着した時のアキの焦りと動揺を一気に吹き飛ばして余りあるものだった。

そしてその感情の矛先はジークではなく自分自身へのもの。確かにエリーを直接的に傷つけたのはジークに他ならない。だがアキはそれを知っていた。恐らくエリーがジークに襲われるであろうことを。だがアキはそれを見逃していた。そうなるのが当たり前だと。原作通りだと。それを崩すことを恐れていた。故に忘れてしまっていた。いや気づこうとはしなかった。その結果エリーがどうなるのかを。一緒に暮らしてきた同居人、少女がどんな目に会うのかを。その目で直接見るまで。


(ごめんな……エリー……)


アキは心の中で謝りながらもそれを口に出すことなくジークと向かい合う。今の自分は不用意にエリーに話しかけるわけにはいかない。恐らくはこの先、予定通りに行けば敵対することになるのだから。ここで余計なことを言うことはできない。それでもアキは行動する。本来ならハルが為すべき役割を。いや、それは言い訳だ。アキの脳裏にあの日のエリーの言葉が蘇る。それはきっとエリーにとっては何気ない一言。それでもずっとアキの心のどこかにずっと引っかかっていたもの。アキがジークに狙われていることを注意した時にエリーが笑いながら言った言葉。


『えー? だってその時はアキが守ってくれるんでしょ?』


その約束を守ること。それが今、アキが為すべきことだった。


そして次の瞬間、戦いが始まった。それは互いに譲れぬもののための戦い。先に動いたのはジークだった。ジークはその指を先程のエリーの時と同じように振るいながら魔法を放つ。それは雷。オーソドックスな魔法であるもののジークが得意とする魔法。速度と威力を合わせ持った攻撃。それが再び、今度はアキに向かって落とされる。だが先とは大きく違う点があった。


「きゃああっ!!」


エリーは反射的に目を閉じながら悲鳴を上げる。それはトラウマ。ジークの雷によって殺されかけたエリーにとって雷はトラウマとなってしまっていた。手で頭を押さえながらもエリーはすぐに顔を上げる。それは自分には雷が落ちていなかったから。だが同時にエリーはその光景に絶句する。そこは先程までアキがいた場所。だがそこには何もない。いや、確かにそれはあった。それはまるでクレーターのようにえぐられた地面。地面からはその威力による熱と煙が生まれてきている。先のエリーを襲ったものとは文字通り桁が違う威力。だがそれは今のジークだからこそできるもの。

同時に空から光が差してくる。今まで雲によって隠されていたそれが姿を現す。まるで星によって描かれているのではないかと思えるような巨大な絵が夜空にはあった。だがそれは絵ではない。魔法の一種。

『天空魔法陣』

それがその魔法の正体。その魔法陣の下にいる間のみ魔力を何倍にも増幅させる術。魔法陣を書くまでに膨大な時間を要するため実戦で使われることは無い魔法。だがそれをジークは用意していた。場所をわざわざ移動し、結界を張ったのも全てこのため。金髪の悪魔であるアキを確実に仕留めるための策。本来はキングに対する切り札として考えていた戦法だった。それによって今、ジークはハジャ以外の六祈将軍オラシオンセイスを同時に相手しても圧倒できるほどの力を手にしている。その魔力によって放たれた雷はまさに使われた相手を消し飛ばして余りある一撃だった。


「う、うそでしょ……アキ……? どこに行っちゃったの……?」


エリーはかすれるような声でその名を呼ぶものの返事は返ってくることはない。あるのは破壊の爪痕だけ。エリーの顔に絶望が浮かぶ。一気に奈落の落とされてしまったかのような感覚がエリーを襲う。それは心のどこかで悟っていたから。アキがどうなってしまったのかを。


「……終わりだ。安心しろ……すぐにお前も会える」


ジークはそんなエリーの姿を見ながらも再び歩き始める。今度こそエリーの命を奪わんと。もはや邪魔者はいない。いかに金髪の悪魔といえども今の自分の力には及ばないという自信。そしてようやく長かった自分の使命が終わりを告げると確信した瞬間、それは起きた。


「っ!?」


それはまさに直感と言ってもいいもの。それが捉える。風が自分に向かって襲いかかってくるような感覚。何故ならそれをジークは目で捉えることができなかったから。それでもジークはまさに神がかった反応で自らの手に魔力を込める。それは自分に襲いかからんとしているであろう存在を迎撃するため。

そこには黒い剣士であるアキがいた。だがまるで目にも止まらないような速度を纏っている。ジークを以てしても対応することが困難な程の速度。光速には至らなくとも音速を超えているのではないかと思えるような速さ。ジークは悟る。アキがその速度を以て先の雷を避けたのだと。だがそれだけではない。アキはその手にある剣が先程までとは大きく姿を変えている。それは音速の剣シルファリオン。そしてそれは瞬く間に新たな剣へと形を変えながらジークに向かって振り下ろされる。ジークは自らの手に込められた魔力によってそれを防がんとする。それはその剣に特別な力が宿っていると見抜いたからこそ。そしてそれは当たっていた。

爆発の剣エクスプロージョン。それがアキが振るった剣の正体。爆発によって相手を倒すことができる剣。だがそれを魔導士であるジークは防ぐことができる。今の六祈将軍オラシオンセイスを超える力を持つジークならそれを防ぐことができただろう。それが以前のアキの一撃であったなら。


「―――何っ!?」


驚愕はジークだけのもの。それは凄まじい爆発によるもの。それによってジークは吹き飛ばされダメージを受けてしまう。だがジークは受け身を取るもののその表情は戦慄していた。何故ならジークはその魔力で爆発の剣エクスプロージョンの力を封じたはずだったのだから。間違いなく自分の全力によって。にもかかわらず爆発を抑えることができない。それはつまり自分の魔力をあの剣は、アキは上回っているということ。

予想だにしなかった事態にジークが混乱している隙を突くように再びアキの一撃が振るわれる。一瞬反応が遅れるもののジークは紙一重のところでそれを何とか回避する。それは本能。先程のやりとりが意味するものを頭よりも身体の方が理解しているが故の反射。そしてそれは正しかった。

瞬間、音が消え去った。まるで無音になってしまったかのような爆音が広場の、結界の中に響き渡る。同時に凄まじい爆煙が巻き起こるもジークとエリーはその光景に言葉を失う。そこにはアキの姿がある。だがその先、剣を振り下ろした先には巨大な破壊の爪痕があった。それは先のジークの雷によって出来たクレーターを上回る惨状。それを目の当たりにすることでジークの頬に一筋の汗が流れ落ちる。それは戦慄。もしあのままあの剣の、爆発の直撃を受けていたらどうなっていたのか。

だがそんなジークの思考の隙すら与えないといわんばかりに再びアキが超スピードでジークに肉薄せんと迫って来る。その瞳には一切の恐れも迷いもない。ただ一直線、最短距離を走りながらアキは再び爆発の剣をジークに振るわんと追い縋ってくる。


「……っ! 調子に乗るな!」


ジークは一瞬で後方に飛び、アキと距離を取りながら両手から新たな魔法を放つ。それは炎と氷の魔法。接近戦は不利だと判断したが故の戦法。魔導士は本来遠距離戦を得意としておりジークもその例に漏れない。先程までは知らずアキを侮っていたため接近を許したが同じ手は通用しない。二つの魔法には先程の雷と同等の力が込められたもの。直撃すれば一撃で勝負が決まる程の魔力。それはアキの左右から同時に襲いかかる。例え片方に対処できたとしてももう片方から逃れることはできない二重の攻撃。しかしそれはアキに届く前に消え去ってしまう。


「なっ!?」


ジークはその光景に目を見開くことしかできない。それは先程の魔法がかき消された、いや切り払われてしまったことによるもの。同時にアキの手、両手には新たな二本の剣が握られている。朱と青、対照的な色合いを持った二刀剣。双竜の剣ブルー=クリムソン。奇しくもジークが放った魔法と同じ属性を持つ剣。それ以てアキは魔法を相殺した。いや、そうではない。ジークは悟る。相殺ではなく、二刀剣の方が自分の魔法の力を上回っているのだと。

魔法をかき消したままアキは双竜の剣ブルー=クリムソンによって斬りかかるもジークはそれを間一髪のところで上空に飛翔することで回避する。それは先の二刀剣の力を目にしたが故。爆発の剣同様、まともに受ければ防御としたとしてもダメージは避けられないため。そしてもう一つ、それは空中と言う領域に移動するため。それは魔導士にとっては最大と言ってもいいアドバンテージ。空という場所で戦闘を行えるものは限られる。己の絶対領域に移動したことでジークは乱されたペースを戻さんとする。

その中でジークは改めて理解する。金髪の悪魔、アキの実力を。決してそれを低く見ていたわけではない。四年間追っていた中で一度も戦闘をしたことはなかったものの金髪の悪魔と呼ばれ、恐れられている子供。だからこそジークは切り札である天空魔法陣を以て戦いに臨んでいる。

『剣を極めしも魔の前にひれ伏す』

剣聖と呼ばれる者でも魔法の力の前では立ち上がれない。

それが道理でありジークにとっての信念。だが目の前の少年、アキの力はそれを覆しかねない程のもの。この状況でここまで苦戦するなど考えてもいなかった。あるとすればその相手は――――

瞬間、凄まじい衝撃がジークに襲いかかる。それはまるでジークが空に上がることを知っていた、狙っていたのではないかと思えるような絶妙なタイミング。そこに嵐のような突風が、暴風が襲いかかる。突然の、全く予期していなかった奇襲によってジークはそのまま吹き飛ばされる。だがジークは為すがままにされていたわけではない。その力、風のエレメントを操ることで自らを襲ってきている暴風をコントロールせんとするも及ばずジークはそのまま地面へと吹き飛ばされながら落下する。だがその刹那に目にする。それはアキ。アキが見たことのない形態へと剣を変え、自分へと構えている姿。

真空の剣メル・フォース。それがジークを攻撃した力の正体。空という本来アキが戦うことができない領域に手を出すことができる力。そして今のアキのそれは魔導士であっても防ぐことができないレベルのもの。


「ぐっ……!」


ジークはそのまま広場にある森林地帯に吹き飛ばされながらも何とか立ち上がる。幸いにも先程の攻撃には直接的な攻撃力はそれほどなかったらしい。恐らくは空に飛んだ自分を打ち落とすことを目的としているのだろうとジークは判断する。だがそれは間違い。アキの狙い。それは


(な、何だこれは……!? 身体が動かん……!?)


真空の剣メル・フォースの特性。それによってジークの動きを封じること。

瞬間、灯りが生まれる。それはジークが先程までいた場所。恐らくはアキがいるであろう離れた場所。そこから無数の光がまるで波のように溢れジークに向かって流れてくる。だがそれは光ではなかった。それは爆撃。まるで絨毯爆撃が行われているかのような爆発の波が凄まじい速度と破壊力を以て押し寄せてくる。それこそがアキの切り札。

『デスペラード・ボム』

キングが得意とする爆発の剣エクスプロージョンを使った爆発剣技。真空の剣メル・フォースとの連携によるそれはまさに一撃必殺に相応しい威力を持つもの。その無慈悲な爆撃の波にジークは為すすべなく飲み込まれていった―――



デカログスは今、歓喜に打ち震えていた。それは自らの主の力、その覚醒に。これまでもずっとデカログスはアキにその力を託してきた。そこに間違いはない。デカログスは自らの全力を以てアキに応えていた。だがそれでもまだそれは十分なものではなかった。

それはアキには足りないものがあったから。以前デカログスはアキ自身にも告げたことがある。それは意志。戦おうする意志。だがそれは修行によって身に着けられるものではないためデカログスはそれ以上踏み込むことができないでいた。しかしそれが今、成し遂げられた。

『エリーを守るため』

それが今のアキが抱いている戦う理由、意志。自分のためではなく、初めて誰かのために戦おうとする意志。デカログスにとっての最高の力を生み出す理由。男が女を守るという状況と一致したもの。それは今までのアキとデカログスの力が足し算だとすれば今のアキの力は掛け算、互いが互いの力を高め合っている状態。今のデカログスの極限の力。

『一心同体』

DBと心を通わせることができるDBマスターであるアキだからこそできる頂きだった。



「―――――」

その光景に、力に感嘆の息を漏らしている存在がもう一人いた。それはマザー。マザーは今、言葉を発することなくその光景に、力に酔いしれていた。自らの主の力に。もし実体化していれば腕を抱きかかえたまま身体を震わせている程にマザーは興奮していた。

アキの覚醒。マザーが見出し、ジェロが認めた少年が今、超えるべき壁を一つ越えた。それはキングの領域。他のシンクレアを持つ者たちがいる域にようやく届いたのだと。ジェロの言葉を借りればその器が満たされつつあるのだと。もっともまだこれは通過点に過ぎない。まだ器で言えば半分ほど。まだ目指すべき域には、大魔王の域には届いていない。だがそれでもマザーは陶酔するしかない。自らの主の成長に。

もっとも半分は先程のアキの恫喝が理由。初めてアキに本気で怒鳴られたことで興奮してしまっている状態。ドSでありながらドMの気もあるマザーの趣味によるものだった。



「アキ……?」


エリーはどこか恐る恐ると言った風にその光景に目を奪われていた。それは焼け野原。先程まで広場だった光景はもうどこにも残っていない。そこには何もない焦土だけ。それが真のデスペラード・ボムの威力。もしかしたらジークは死んでしまったのではないかとエリーが心配してしまうような惨状。命を狙われているとはいえ人が死ぬのは嫌だというある意味エリーらしい考え。だがそんなエリーの言葉を聞きながらもアキはその場を動こうとはしない。瞬間、人影が現れる。


「ハアッ……ハアッ……!」


それはジーク。焼け野原の中から。だがその姿は既に満身創痍。体中に火傷を負い、纏っていた外装は既に見る影もない。立っているのが不思議なほどの重症。それでもジークが生きているのは魔法のおかげ。身動きが取れないため自らの周りに力づくで魔力の防御を張ることでジークはデスペラード・ボムを耐え抜いたのだった。

それを見ながらもアキはデカログスを持ったまま静かにジークへと近づいて行く。どこか一歩一歩噛みしめるように。それを前にしてジークは知らず後ずさりしてしまう。それは無意識のもの。だがそれでもアキを恐れ始めている証。

ジークはその姿を見る。あり得ないような幻。歳も、姿も全く違う、親子ほど年が離れていてもおかしくない。にも関わらずジークは確かに見た。

アキの背後に映るキングの幻を――――



「―――――七つの星に裁かれよ」


ジークは唱える。その幻を、恐れを振り払うかのように。満身創痍の体の限界を超えながら。それはジークの持つ最強の魔法。雷や炎とは次元が違う宇宙魔法と呼ばれる最上級魔法。瞬間、七つの光の柱が現れアキを取り囲んでいく。まるでアキを逃がすまいとするかのように。アキはそれを見ながらもその場から動こうとはしない。否、その場から動くことができない。ジークは解き放つ、その力を。


『宇宙魔法 七星剣グラン・シャリオ


ジークが腕を振り下ろした瞬間、天空魔法陣のある空から七つの光が放たれる。それは星の剣。一つ一つに凄まじい規模の魔力が込められたもの。全てが着弾すればアキはおろか離れたところにいるエリーさえも巻き込んで余りある攻撃。まさに宇宙魔法の名に相応しい攻撃。だがそれは切り裂かれる。剣の一振りによって。


「―――――」


それは声にもならないもの。ジークにとっては信じられないような事態の連続。何故なら剣によって自らの最高の魔法が切り裂かれてしまったのだから。ジークは知らなかった。その存在を。

封印の剣ルーン・セイブ

いかなる魔法も切り裂く魔法剣。まさに魔導士にとって天敵とも言えるもの。

そして今、アキはその剣と真空の剣を組み合わせルーン・フォースと呼ばれる連携技を繰り出していた。それは封印の剣ルーン・セイブの範囲を真空の剣によって広げたもの。同時にその衝撃波によって辺りは粉塵によって包まれていく。そしてその中をアキは駆ける。最後の一撃によってジークを倒すために。


「……! まだだ! オレはまだ……!」


ジークは満足に動けない身体に鞭打ちながらも残った魔力でアキの剣を防がんとする。もはや勝ち目は無い。そう悟りながらもジークは止まることができない。自らの使命を、時を守るという使命を果たすために。そう、正しいことのために。だが心のどこかでジークは気づいていた。果たしてそれが本当に正しいのかどうか。今の自分の姿。少女の命を奪わんとする自分とそれから少女を守らんとする少年。はたしてそれは正しいのか。悪魔であるのは果たしてどちらなのか。自らの信念が、信じてきた力が通用しない。そして最後の時が来る。

それは剣だった。アキが振るう剣。しかしそれは先程までとは全く違う剣。ジークの想像を超えている物。


鉄の剣アイゼンメテオール


何の力も持たない鉄の剣。取るに足らない剣。だがこの瞬間、それは変わる。


『魔導士は魔力なき物は防げない』


それは覆すことができないもの。絶対的な力を持つ魔法の唯一の弱点。力に過信する者が陥る罠。そしてアキだからこそ知っている切り札。今までの攻防もそのための布石。鉄の剣の一閃。取るに足らないと思っていたものに破れる。それが時の番人ジークハルトの敗北だった―――――




アキはそのまま大きな溜息と共にデカログスを収める。既に身体はガタガタ。まるでフルマラソンを完走した後にさらに全力疾走したかのような疲れっぷり。だがそれは無理のないこと。ルナールからの連戦に加えて初めてデカログスの、自分の力を出し切ったのだから。


「すごいっ! すごいねアキ! アキってほんとに強かったんだ! てっきり嘘だとばっかり思ってた!」


ようやく決着がついたと思った途端、ずっと座りこんでいたはずのエリーがいつも通りの騒がしさでアキに近づいてこようとする。だが腰が抜けてしまっているのか何度も転びそうになりながら。ボロボロな服装と相まってめちゃくちゃな光景。だがどうやら思ったよりも元気そうなエリーの様子にアキは溜息を漏らすしかない。


はあ……何かどっと疲れたわ……うん、何かもう全てがどうでもいいぐらい燃え尽きた感がある……っていうか師匠!? どんだけテンションあげてんすか!? もう死ぬかと思いましたよ……何か勝手に自分の体を酷使されている気分だった……半分近く記憶がないような気が……ま、まあいっか……何とかなったわけだし……っていうか思ったよりジークが強かったような気がするんだけど気のせいか? もう少し楽に勝てるかと思ったんだけどこんなもんか……しかしどうしたもんか……


アキはげんなりしながらもこれからのことを考える。まずはジーク。剣での一撃を加えたものの一命を取り留めている。もちろんアキが加減した結果。重要人物であるジークを殺すことなどできるわけもない。どうやら魔法で治癒しようとしているようだがあの怪我ではすぐに動けるようにはならないとアキは判断する。もう一つがレイナのこと。今も戦闘が続いているが早く行かなければどうなるか分かったものではない。ハルかムジカかは分からないが一刻も早く向かわなければ。あまり使いたくなかった手だがマザーをワープロードで強制送還した間にケリをつけようとアキが決めかけた時


「エリ―――!! 大丈夫か――――!?」


そんな聞き覚えのある声がアキの耳に届いてくる。アキはゆっくりと振り返る。そこには見慣れた銀髪の少年、ハルがいた。だがその姿はエリーに負けず劣らずの満身創痍。どうやらレイナと戦っていたのは間違いない。しかしアキが気にしているのはそんなことではなかった。それは今、ハルに会うことの危険性。それに気づいたアキはそのままその場を離れようとするも


「あれ……? お前……もしかして……」


それよりも早くハルがエリーの元に駆け寄りながら気づく。アキの存在に。四年ぶりであること、そして金髪ではないことからすぐには確信が持てなかったもののハルがそのことに気づき、声を上げようとした瞬間、それは起こった。


「…………え?」


それはアキの声。だがアキは自分が声を出したことにすら気づかない。それほどの異常な事態が自分に起こっているからこそ。それは鼓動。鼓動が聞こえてくる。同時に自分の胸元が熱くなってくる。まるで自分の意志とは無関係に。そしてその感覚をアキは知っていた。それはジェロと初めて出会った時。だがその鼓動の大きさと熱は先の比ではない。瞬間、アキはようやく悟る。


それがマザーの鼓動なのだと。


「や、やめ―――――!!」


声にならない声を上げながらアキが制止しようとした瞬間、凄まじい力が放たれる。空間消滅デイストーション。マザーのシンクレアとしての能力。使った相手を空間ごと消滅させる力。それが無慈悲に放たれる。他でもないハルに向かって。まるで条件反射のように。それはマザーのDBとしての、エンドレスとしての意志。自らの天敵たるレイヴとそれを操るレイヴマスターの力を感じ取ったためのもの。あまりにも唐突な、そして一瞬の出来事にアキはマザーの力を抑えることができない。いや、もし気づいていても力を使いきってしまっているアキではマザーを止めることなどできない。そしてその力がハルに向かって直撃しようとした時


「ダメ―――――!!」


悲鳴と共にエリーがハルを庇うように飛び出していく。アキもハルもその光景に身動き一つ取れない。それほどに刹那の出来事。


だがそれと同時に凄まじい光が、魔力が生まれ全てを吹き飛ばしていく。まるで太陽のような光が辺りを覆い尽くしていく。凄まじい、天変地異のような事態を引き起こしながら。


この瞬間、魔導精霊力エーテリオンが覚醒した―――――



[33455] 第三十一話 「壁」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/10/30 06:43
夜の闇に包まれている巨大な街、エクスペリメント。その中にある人気のない大きな広場。そこから光の柱が生まれていた。まるでそこだけが時間から外れ昼間になってしまっているかのような光に包まれている。太陽が生まれていくかような圧倒的な光が、力がその中心から発せられていく。その力によって台風のような暴風が辺りを荒れ狂い、地震のような大地の揺れが地面を砕いて行く。そしてその中心には一人の少女がいた。少女の名はエリー。だが意識を失ってしまっているのかエリーは目を閉じ眠ってしまっているかのように横になってしまったまま。その身体を宙に浮かべながら。それはこの事態を引き起こしているのが他ならぬエリーであったからこそ。

魔導精霊力エーテリオン

この世に存在する全ての魔法の頂点にある魔法。かつてリーシャ・バレンタインだけが持ち、レイヴを生み出した創造と破壊の魔法。それは文字通り世界を破壊して余りある力を持つもの。唯一エンドレスを倒すことができる可能性を持つ希望。それが今、覚醒しようとしている。その制御ができないまま。それは世界の崩壊を意味するもの。かつて世界を襲った五十年前の王国戦争を終わらせた大破壊オーバードライブ。それを遥かに上回る終焉の時が今まさに訪れようとしていた。


「エリ――――!!」


魔導精霊力エーテリオンによる力の暴走に包まれた広場の中にいる三人のうちの一人、ハルはその光景を前にしながらも混乱することしかできない。ハルには今、自分の目の前で何が起こっているのかすら理解することができない。だがそのきっかけが自分のせいだということは分かっていた。

それは先の出来事。レイナのことをムジカに任せた後、ハルはただ必死にこの場にやってきた。エリーを救う。ただそれだけのために。だがこの場に辿り着いた時、ハルが目にしたのは全く想像もしていなかった光景。一つはボロボロになってしまっているエリー。それに驚きながらもハルはすぐに我を取り戻す。恐らくエリーが敵の襲撃を受けてしまったのだと悟ったから。もう一つがエリーから離れた場所に蹲っている蒼い髪の男。その姿はエリーに負けず劣らずの満身創痍。もしかしたらそれ以上かもしれない程の重傷。だがその男のことをハルは知っていた。雷の男。かつてエリーに見せてもらった写真と同じ姿。ハルはその男が恐らくは先程レイナが言っていたジークという男なのだと気づく。同時にハルは疑問に襲われる。何故エリーはともかくジークまでがそんな姿になっているのか。もしかしてエリーの仕業なのだろうか。だがそんな疑問はもう一人の男を見た瞬間、ハルの中から吹き飛んでしまった。そこには全身黒づくめの少年がいた。その手には巨大な黒い大剣が握られている。本来なら新たな敵だと警戒しなければならないところ。しかしハルにはそんな考えは全くなかった。何故ならその少年、そして大剣にハルが見覚えがあったから。

四年前、自分の前から突然姿を消してしまった金髪の少年。兄弟同然に育ってきた存在。目の前にいる少年がアキだとハルは見抜く。成長し、髪の色が違っているが間違いない。それを見間違えることなどあり得ない。

ハルはそのまま混乱しながらもひとまずはエリーの元へと向かって行く。まずはその安否を確認しなければ。同時にその近くにいるアキにしゃべりかけようとした瞬間、それは起こった。

それはアキの胸元。そこにあるアクセサリから生まれたもの。だがそれがアクセサリではないことにハルは気づいた。それはDB。いつもアキが身に着けていたそれがやはりDBだったのだと今のハルには分かった。そこから生まれた力。それが何なのか理解できないもののハルは本能で感じ取っていた。受ければ間違いなく自分は命を失ってしまうと悟る程の絶望を孕んだ圧倒的な力。それを前にしてハルは身動きをとることができない。レイナの戦闘による怪我とエリーの安否を確認できた安堵、そしてとうとうアキを見つけることができたという喜び。それがハルに致命的な隙を生む。だがそれは庇われた。他でもないエリーによって。

その瞬間、あり得ないことが起こる。光。太陽のような光が、魔力がエリーから突如生まれて行く。その力によってハルを襲おうとしていた力は吹き飛ばされて霧散してしまう。だがそれだけでは終わらなかった。エリーから生まれてくる力によってハルはもちろんアキまで吹き飛ばされてしまう。そして、今それがハルの前にある光景。ハルには何も分からない。何故アキが自分を攻撃してきたのかも。何故エリーにあんな力があるのかも。だがたった一つだけ分かることがあった。それはエリーの身に危険が迫っているということ。


その光景をハルと同じく驚愕のまま見つめている少年がいた。それはアキ。だがハルとは大きく違う点があった。それはアキには今何が起こっているのか、起ころうとしているのか分かっているということ。


(ちくしょう……!!)


アキはただ目の前の光景に戦慄することしかできない。魔導精霊力エーテリオン。究極の力。世界を崩壊させる程の大魔力。それをアキは知っていた。いや、知った気になっていた。実際にそれを目の前にするまでは。圧倒的な力。自分が今持っているシンクレア、マザーの力すらその前には霞んでしまうほどの絶望的な力の差。アキは圧倒されながらも己を叱責する。ジークを倒したことで安心しきってしまっていた自分に。ハルがこの場にやってくる可能性に気づかなかった自分に。そしてそれによって何が起こってしまうのか思い至らなかった自分に。


「っ!! マザー!! てめえ何やってやがる!?」


アキは鬼気迫った表情を見せながら自分の胸元にあるこの事態を引き起こした元凶に向かって叫びを上げる。混乱している、激昂していることによって実際に声を出してしまいながら。だがそんなことなどアキの頭には全くなかった。あるのはただ勝手に動いたマザーへの怒り。あまりに唐突な、そしてアキにとって最悪の行動に対しての。


『――――っ!? な、何故だ? 何故そんなに怒る? 我はただレイヴマスターを攻撃しただけだ……』


マザーはアキの凄まじい剣幕に圧倒され、しどろもどろになりながらも混乱するしかない。何故アキが怒っているのかマザーには分からない。確かに勝手に動いたことはまずかったかもしれない。だがそれは戦闘によって疲労してしまっているアキのことを思ってのもの。その代わりに力を貸してやろうという純粋な厚意。それなのに何故アキが怒っているのかマザーには分からない。


「……! てめえ、分かってねえのか!? あれはハルだぞ!? ガラージュ島で一緒に暮らしてたハルだ! なのに何の断りもなくやりやがって……どうする気だ!? このままじゃあ世界が崩壊しちまうじゃねえか!?」


アキはただひたすらに言葉を投げかける。それは一歩間違えば己の裏切りが明るみに出てしまうほどに危険な言葉。だが今のアキにはそれが分からない程に頭に血が昇ってしまっていた。ハルの、エリーの危機、そして世界の危機。それを直近にすることによって。


『そ、それは……だが仕方あるまい。レイヴマスターは我らの敵だ。エリーのことは……確かに悪かったがどうしようもない……それにある意味好都合だ。これで我らの目的は果たされる。我らの手で直接下せなかったのは残念だがこれでこの並行世界は消滅する』


「―――――」


その言葉にアキは絶句する。マザーの言葉に。その意味に。間違いなくマザーがそれを本気言っているのだという事実に。アキはそれを知っていた。マザーがどんな存在であるかを。母なる闇の使者マザーダークブリング。時を操作したことによって生まれた偽りの世界である平行世界を破壊せんとする世界の意志、エンドレスの一部。だがそれでもアキは驚きを隠せない。ハルのことはまだ分かる。レイヴマスターという間違いなくマザーにとっての敵。だがエリーに関してはその限りではなかった。

二年間とはいえずっと一緒に暮らしてきた相手。会話ができることによってマザーとエリーはまるで友人のように接していた。それに振り回されながらもアキはその関係をどこか楽しみに見ていた。例えDBであっても交流していく中でもしかしたら分かりあえるのではないか。そんな期待。だがそれは甘いものだったのだとアキは悟る。エンドレス。その意志がある限りやはりDBと人間は相容れないのだと。自分とマザー、人とDB。その間にある超えることができない壁。それを目の当たりにしたことでアキは知らず顔を伏せる。


「……もういい。ここは俺が何とかする。てめえはアジトに戻ってろ……」
『な、何だと? 一体何を言っている? それに何でそんなに怒っているのだ? 我は何も悪いことは』


アキが何に憤っているのか分からないマザーは必死に声を上げるもそれを遮るかのようにアキはその力を振るう。ワープロード。その力によってマザーは強制的にアジトへと送られ姿を消してしまう。自らの母と主の言い争いに他のDBたちは動揺するもどうしたらいいのか分からずそのまま成り行きを見守るしかない。

アキはそんな自らが持つDBたちの動揺を感じながらもその手に再びデカログスを構える。同時にその形態が変わる。

封印の剣ルーン・セイブ

あらゆる魔法を切り裂く魔法剣。この状況を打破し得る唯一の剣。そして封印の剣ルーン・セイブにはもう一つ力があった。それは使った相手の力をその名の通り封印すること。原作ではその力によってハルは暴走しかけた魔導精霊力エーテリオンを封印した。ならばその役目を自分が果たすしかない。この事態を引き起こしてしまった者として。


「はああああっ!!」


アキは叫び、駆けながらもその手にある剣を振るう。瞬間、エリーを守るかのように発せられている魔導精霊力エーテリオンの魔力が切り裂かれ道ができていく。魔導精霊力エーテリオンすら切り裂く封印の剣ルーン・セイブの力に驚愕しながらもアキはただ全力で駆ける。既にルナール、ジークとの戦闘によってほとんどの力を消費してしまっているアキに余裕は無い。なによりも切り裂いただけでは何の意味もない。エリーに近づき、そして封印の剣ルーン・セイブによってエリーの中にある魔導精霊力エーテリオンを封印しなければ。だがそんなアキの狙いは


「――――なっ!?」


凄まじい魔力の力と暴風によって阻まれる。その光景に、事態にアキは驚愕しながらも為す術がない。切り裂いたはずの魔導精霊力エーテリオンがまるで元に戻ろうとするかのように再びアキに向かって襲いかかって来る。まるでエリーを守ろうとするかのように。それはエリーの本能。魔導精霊力エーテリオンの覚醒もハルを守ろうとしたことによる自らの身の危険を回避するためのもの。DBの、エンドレスの力を持つアキを遠ざけようとする魔導精霊力エーテリオンの本能。切り裂いたはずの魔力が再びアキを押し出すかのように動き出す。その力の前にアキは為す術がなくそのまま吹き飛ばされてしまう。


「くっ……! くそ……!」


アキは何とかその場に立ち上がりながらも絶望していた。何故なら先の出来事によってもうどうしようもないことを悟ったからこそ。確かに魔導精霊力エーテリオンを一時的に切り裂くことはできた。だがそこから先に踏み入ることができない。自らの命の危機に瀕したことにより覚醒した魔導精霊力エーテリオンの力は原作よりも遥かにその力を増して覚醒しようとしている。その証拠に辺りの地面が、建物が崩壊し始めている。まさに世界の終わりのような光景。アキは模索する。自分に残された手を。

一つはマザーを使うこと。その力によって魔導精霊力エーテリオンに対抗すること。だがそれが無駄なことは先の出来事によって証明されている。いかなマザーの力といえども覚醒した魔導精霊力エーテリオンの前では通用しない。全てのシンクレアを合わせた次元崩壊のDBエンドレスならば対抗できるかもしれないがそれはここにはなく、そんなことをすればどちらにせよ世界は崩壊してしまう。

二つ目はジェロを召喚すること。だがすぐにそれも無駄なことだと気づく。確かにジェロは凄まじい力を持っている。それは四天魔王の名に相応しいもの。しかしそれも魔導精霊力エーテリオンの前には通用しない。

そのどれも今の状況を打破することはできない。唯一の対抗手段であった封印の剣ルーン・セイブが通用しなかった。その時点でアキにはもう打つ手は無い。アキはそのままただ膝を地面に着き、首を垂れることしかできない。胸にあるのはあきらめと罪悪感。自らの無力さと自分の愚かさのせいで起こしてしまった事態への。世界を、エリーを救うことができないことへの。

それはジークも同じだった。ジークはアキよりも離れた場所でそれを目の当たりにしていた。時を暴走させる程の想像を絶する魔力。世界が終わる最後の時が目の前に迫っている光景を。ジークもまたその場に座り込んだままあきらめていた。それを防ぐために、時を守るために動いていたにもかかわらずそれを防ぐことができなかった。それどころかそれを引き起こすきっかけを起こしてしまったに等しい自分の浅はかさ。何もできない自分。もし全快の状態だったとしてもあれほどの魔力の前には自分の力など塵同然。ジークはただ世界が終わるのを眺め続けるしかない。

アキとジーク。二人は奇しくも同じくその光景を前に心をくじかれていた。もうどうしようもないのだと。逃れようのない絶望が全てを包み込もうとしたその時。それは起こった。


「ああああああっ!!」


叫びがその場に響き渡る。凄まじい衝撃と轟音の中でもその声は確かに二人の耳に届いてきた。そこには一人の少年がいた。その手に剣を持った銀髪の少年、ハル。ハルはその手に剣を持ちながらただまっすぐにエリーに向かって行く。その前に立ちはだかっている魔導精霊力エーテリオンをまるで恐れることなく。だが


「うわあああっ!!」


ハルはその力によって吹き飛ばされる。それは当然の結果。ハルが持っているのは封印の剣ルーン・セイブではなくただの鉄の剣。いや、封印の剣ルーン・セイブであったとしても結果は変わらない。それは先のアキが証明している。だからハルの行動は無意味。どれだけ挑んだとしても無駄なこと。それは誰の目にも明らかだった。だが


「まだだ! まだ……!!」


ハルは再び立ち上がりながら立ち向かって行く。その超えることができない壁に向かって。あきらめることなく。何度も何度も。だがその度にその体には無数の傷が生まれて行く。既に立っているのも不思議なほどの状態。レイナとの戦いによってハルは既に満身創痍。それ以上傷を受ければ間違いなく死んでしまいかねない重傷。だがそんなことなど知らない、どうでもいいとばかりにハルは何度も何度もその壁に挑んでいく。絶対にあきらめない。そう誓うように。ハルの中には何もなかった。魔導精霊力エーテリオンのことも。世界のことも。今のハルにあるのはたった一つ。


『エリーを助ける』


ただそれだけ。ちっぽけな、それでも絶対に譲れないもののために少年は戦っていた――――


「―――――」


その姿を前にアキはただ立ち尽くすことしかできない。いや、ただ見惚れていた。その姿に。ただひたすらに、それでもあきらめずに挑み続けるハルの姿に。力で言えば今の自分よりも遥かに劣るはずのハルが、あの自分の後を付いてくるだけだったハルが傷つきながらも立ち向かっている。

知らず自分が拳を握っていることに気づく。その全力を以て。同時に得も言えない感覚が、感情が生まれてくる。それはまるで先のジークとの戦いで感じたような感覚。もしかしたらそれを超えるかもしれない感情。

それに後押しされるようにアキは気づく。確かに今の自分には打つ手は無い。エリーを救う手は残されてはいない。だが違う。そう、自分一人だけではどうにもできない。だがもしそれが―――――


「ハアッ……ハアッ……!!」


ハルは剣を杖代わりにしながらも立ち上がる。もう何度吹き飛ばされたか分からない。もう何度立ち上がったか分からない。足は震え、意識は朦朧としている。いつ倒れてもおかしくない。だがそれでもまだ倒れるわけにはいかない。エリーを助けるまでは絶対にあきらめるわけにはいかない。そう誓いながらも為す術がない状況にハルがとうとうあきらめかけてしまいかけた時


「…………え?」


それは現れた。まるで初めからそこにいたのではないかと思えるほど当たり前に。黒いマントと黒い甲冑を身に纏った少年がハルの前に立っていた。まるでハルを庇うかのように。


「アキ…………?」


ハルはその名を呼ぶもアキは答えることは無い。振り返りながら見つめる瞳には確かに自分を捉えているはずなのに。アキは言葉を発することは無い。何も話すことは無い、そう告げるように。だがそれに代わるように、言葉以上の意味をもったものがハルの前に晒される。

それは剣だった。アキが持つ剣。それが差し出される。まるでハルにその姿を見せつけるかのように。だが瞬間、ハルは悟る。アキの行動。それが何を意味しているかを。

封印の剣ルーン・セイブ

その名がハルの頭に生まれてくる。まるで最初から知っていたかのように。それは知識のレイヴの力。レイヴに関する知識を一瞬で呼び覚ます力。だがそれにはきっかけが必要だった。そしてそれは今成し遂げられた。エリーを守りたいという想い。そして同じ剣を持つアキがその剣を見せてくれたことによって。同時にハルは悟る。アキが何故それを自分に見せたのか、そして何を自分に求めているのかを――――


アキはそのままハルから視線を逸らし正面を向いてしまう。ハルはそんなアキに呆気にとられながらも立ち上がる。不思議と痛みは無かった。さっきまで鉛に様に重かった体はもう既にない。あるのはあり得ないような高揚感だけ。ハルはその光景に目を奪われる。それは黒いマントとアキの背中。四年前に目にした、いやずっとアキと一緒にいた時から目にしてきた背中。自分を守ってくれてきた背中。それが自分の前にある。でも今はそうではない。今の自分はその隣にいける。その力が今、自分にはある。


「…………行くぞ、ハル」
「…………ああ!」


それがアキとハルの四年ぶりの会話。とても会話とは思えないような短いやり取り。だがそれだけで十分だった。

先に動いたのはアキだった。アキは自分に残された全力によってそれを繰り出す。


「印・空・連携……ルーン・フォース――――!!」


デカログスから見えない力が放たれる。それは封印の剣ルーン・セイブ真空の剣メル・フォースを組み合わせた連携技。その力によって魔導精霊力エーテリオンは切り裂かれ道ができる。エリーまでの確かな道が。


「ぐっ……!!」


だがそこまで。道はできたもののそれはすぐに押しつぶされようとする。圧倒的な魔力の力によって。しかしそれをアキは歯を食いしばりながら、身体に鞭打ちながらも耐え続ける。その力にデカログスが悲鳴を上げる。限界を超えた力の行使によって。だがデカログスはそれに応える。自らの主の心に応えるように。

だがここまで。確かにエリーまでの道はできた。だがアキにできるのはそれを維持することだけ。その場から動くことなどできない。しかしアキの目にはあきらめは見られない。それどころかその表情にはどこか笑みすら見えた。何故ならそれこそがアキの為すべきことだったから。

刹那、まるで弾けるようにハルは走り出す。アキの隣を掛け抜けながら。その顔を合わせることもなく一直線に。それは信頼。もはや言葉を交わすこともないほどにハルはアキの意図を、言葉を受け取っていた。

ハルは駆ける。その道を。アキの力によって出来た細い、だが確かな道を。その手には剣が握られていた。

封印の剣ルーン・セイブ

先程までは知らなかった、使えなかったTCM第四の剣。アキに見せられたことによって目覚めた剣。まるでかつての爆発の剣エクスプロージョン音速の剣シルファリオンと同じように。だがそれは決して同じではなかった。先の二つのような偶然ではない。それはアキ自らの意志によるもの。それを手にしながらハルは走る。エリーの元へ、アキの作った道を駆けながら。

それがアキの狙い。自分一人では為し得ないこと。だが二人なら、ハルとなら為し得る策。

ダークブリングマスターとレイヴマスター。対極に位置する存在。その超えることができない壁を超えることでできる奇跡だった。


「エリ――――――!!」


叫びと共にハルがその手にある剣をエリーに向かって振り下ろす。残された力の全てを込めて。アキから託された想いを込めながら。瞬間、まばゆい光が全てを包み込んでいく。


それがこの長きに渡る夜の終わり、そして新たな始まりだった―――――



[33455] 第三十二話 「嵐の後」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/10/31 20:31
「何だ……収まったのか?」
「…………」


魔導精霊力エーテリオンの暴走地点、ハル達がいる場所から離れた場所。そこに二人の人影があった。一人はハルの仲間、ムジカ。もう一人は六祈将軍オラシオンセイスレイナ。今、二人はこの場で文字通り死闘を繰り広げていたところ。その証拠にムジカは既に満身創痍。だが対照的にレイナには傷らしい傷は見られない。同じ銀術師シルバークレイマーでありながらも二人の間には確かな力の差があった。そしてレイナにはDBという切り札がある。どう転んでもムジカに勝ち目は無い。だがそれでもムジカはその場から退く気は無かった。それは約束。この場を任された者としての。今頃ハルはエリーの元に辿り着いたはず。ならばその邪魔をさせるわけにはいかない。その覚悟を以てムジカはレイナと戦闘を行っていた。しかしそれは思わぬ展開を見せることになった。

一つはレイナ。初めの内はどこか小悪魔的な雰囲気を持ったまま楽しむように戦っていたにも関わらず今はそれがない。それはムジカがある言葉を発したことによって。

『リゼ』

それはムジカにとっての師であり、命の恩人でもある男の名前。どこで銀術を覚えたのかというレイナの問いに答えたもの。そしてそれを聞いた瞬間、レイナの表情が、雰囲気が一変する。先程までの甘さ、油断が全く見られない戦士としての顔。まるで親の仇を見るかのような視線。だがムジカにはその理由に皆目見当がつかない。そしてレイナが口を開こうとした瞬間、それは起きた。

凄まじい光の柱の出現と地震。まるで天変地異が起きてしまったのではないかと思えるような事態。それによって戦闘は中断してしまう。奇しくもそれはハルが向かって行った方向。嫌な胸騒ぎに襲われるもののムジカはその場を離れることもできない。レイナを足止めすることが自分の役目なのだから。もっともそう長くは保たない程ダメージを負ってしまっている。どうしたものかと考えているうちに天変地異は収まって行く。その理由は分からないが仕切り直し。そして正念場だとムジカが気合を入れ直していると


「ムジカとか言ったわね……あんた本当にリゼの弟子なの?」


レイナは腕を組んだまま無表情にムジカに問いただしてくる。答えなければ容赦はしない。そんな気配を感じさせるほどの殺気を孕んだ言葉。


「あん? 何だまだそのこと気にしてたのかよ。そんなことよりどう? この後デートでもしない? いい加減ドンパチすんのも飽きてきちまったしさ」
「質問に答えなさい!」
「な、何だよ……そんなに必死になっちまって……もしかしてリゼの知り合いか何かか……?」


凄まじい剣幕で問いただしてくるレイナに圧倒されながらもムジカは事情が分からず困惑するしかない。目の前のレイナの様子は尋常ではない。もしかしたらリゼの知り合いか何かなのだろうか。だが残念ながらリゼは既に他界してしまっている。申し訳ないがそれを伝えようとした時


「シルバーレイ……」


ムジカの時間は止まってしまう。レイナの言葉によって。知らず息を飲み、驚愕と共にムジカはレイナに視線を向ける。レイナはどこかそんなムジカの反応を探るかのように静かにそれを見つめていた。


「あんた……今、何て言った……?」
「そう……やっぱり知ってるのね。まあリゼの弟子なんだし当たり前か……」
「おい! 一人で何納得してやがる!? 何であんたがシルバーレイのことを……」


ムジカが混乱しながらもレイナに詰め寄ろうとする。そこには先程までの相手を挑発するような軽い雰囲気は全くなかった。だが先のレイナの言葉にはムジカをそうさせてしまうほどの意味があった。

『シルバーレイ』

それは銀術によって造られたとされる船。だがその正体は凄まじい危険を孕んだ兵器。その力は一瞬で街を消し飛ばしてしまうほどのもの。そしてそれを見つけて壊すことがムジカの使命であり目的。死の間際に師であるリゼが遺した遺言。だが何年も探しているにもかかわらず手がかり一つ掴めずにいる代物。にも関わらずレイナはそれを口にした。まるで何かを知っているかのように。興奮しないでいるなど不可能。だがそれは


「……教えなさい。シルバーレイはどこ?」


レイナのぞっとするほどの冷酷な声によってかき消されてしまう。瞬間、ムジカの周りに無数の銀の塊が生まれてくる。その数は先程までの比ではない。まさしくレイナの本気。遊びではなく本気で命を取りに来ているのだと悟るには十分すぎるほどの殺気。


「な、何だっ!? あんた、シルバーレイのことを知ってんのか!?」
「質問をしているのは私よ! あなたは黙って答えればいいの! どこに隠したの!?」
「か、隠す……? オレが? 何の冗談だ!? オレだってシルバーレイを探してんだ! それよりも何でオレがシルバーレイのことを知ってるってことになってんだ!?」


まるで人の言うことを聞こうとしないレイナの異常な様子にムジカは混乱しながらも必死に話しかける。間違いなく目の前のレイナはシルバーレイについて何か知っている。なら情報交換ができるかもしれない。とにもかくにもまずはこの場を納めなくては。だがそんなムジカの考えは


「いいわ……直接身体に聞いてあげる。安心なさい。手足の一、二本で済ませてあげるわ」


レイナの宣告によって粉々に打ち砕かれてしまう。同時に凄まじい力がムジカの周囲を包み込んでいく。それは銀術師シルバークレイマーの力。同じ銀術師シルバークレイマーであるムジカにはそれを感じ取ることができる。そして同時に悟る。自分にはもう逃げ場がないことに。既に満身創痍に加え歴然たる地力の差、DB。ムジカに対抗する術はもう残ってはいない。それでも何とかこの窮地を脱する術を模索しようとしたその時、それは現れた。


「っ!? な、何だ!?」


ムジカはいきなり自分の周囲が暗くなってしまったことに驚きの声を上げる。確かに今は夜だが周りには街の明かりがある。にもかかわらず今はそれがない。まるで巨大なものが頭上にあるかのように。ムジカはすぐさま自らの上空を見上げ、同時に戦慄する。そこにはムジカの想像を遥かに超えるものがいた。

ドラゴン

人間の十数倍はあろうかと思える巨大な黒龍がそこにはいた。黒龍はそのまま次第に高度を下げながらムジカたちに近づいてくる。正確にはレイナに向かって。同時にムジカは気づく。黒龍の背中に見たことのない男が乗っていることに。

 『龍使いドラゴンマスタージェガン』

それが男の名。レイナと同じく六祈将軍オラシオンセイスの一人。

ジェガンは一言もしゃべらず、首を動かすのみでレイナに用件を伝える。それは黒龍に乗れという合図、撤退を意味するもの。


「嫌よ! あんたこそ邪魔するなら容赦しないわよ!」


ジェガンの意図を理解しながらもレイナはヒステリックに反論するだけ。だがそれは無理のないこと。長い間探し求めていたシルバーレイの手掛かりになるかもしれない相手が目の前にいるのだから。もし邪魔をするなら戦闘も辞さないばかりの殺気を以てレイナはジェガンに向き合う。だがそれは


「キングの言葉を無視するのか」
「――――っ!?」


ジェガンの一言によって吹き飛ばされてしまう。瞬間、レイナの身体がビクンと震える。まるで条件反射のように。『キング』という絶対の言葉によって。ただでさえレイナはジークに与えられた任務を勝手に受け持ち、そしてジークの監視も満足にできていない。加えてレイヴマスターも逃がしてしまっている。さらにキングの命令にまで背けばどうなるか。いかな側近といえどもこれ以上失態を重なれば命はない。レイナは舌打ちしながらも戦闘態勢を解除し、ジェガンの元へと向かって行く。悔しさに顔を歪ませながら。


「……とりあえず命拾いしたわね。でも今度会うときは容赦はしないわ。それまでにシルバーレイのことを思い出しておくのね」


そう言い残したままレイナはジェガンと共に黒龍の乗り飛び去って行ってしまう。後にはいきなりの事態の連続によって置き去りにされたムジカが残されてしまった。


(……ったく、一体何だってんだ……?)


ムジカは頭をかきながらも煙草を取り出し一服する。大きな溜息と共に。形で言えば相手が退いたのだがどうみても見逃されたのは自分だったことにムジカは内心安堵していた。同時に悟っていた。DC、六祈将軍オラシオンセイスと自分達の力の差を。そしてレイナとシルバーレイ。分からないことだらけ。ムジカは一息ついた後走り出す。ハルとエリーの元に向かって。それがこの夜のムジカの役目の終わりだった――――




「……え? ここ……どこ?」


少女、エリーはきょろきょろと辺りを見渡しながらも目を覚ます。だがその姿はどこか間抜けさがある。まるで記憶喪失になってしまったかのよう。もっともその通りなのだがエリーは今の自分の状況が分からず右往左往するしかない。そんな中


「エリー! 目が覚めたのか、大丈夫か!? どこもおかしくねえか!?」
「ハル……? どうしてハルがここに? 確かあたし……」


どこか慌てながら駆けよって来るハルの姿にエリーは驚きながらも次第に思い出してくる。自分がどうしてこんな場所にいるのか。なんでこんなにボロボロなのか。そしてどうしてこんなに辺りが惨状になってしまっているのか。様々なことが頭の中を巡って行く中、あることにエリーは思い出す。ある意味もっとも気にしなければいけない人物のことを。


「そ、そうだ! ハル、アキは!? あたしアキに会ったの!」


エリーはどこか興奮しながらハルに告げる。アキに会ったことを。そして助けてもらったことを。ようやく会うことができた。そしてアキはハルにとっても探し人。これでやっと旅の大きな目的を果たすことができる。だがそれを聞きながらもハルはどこか罰が悪そうな顔をするだけ。そして


「ごめん、エリー……アキはもう行っちまったんだ……」
「え? な、何で? せっかく会えたのに?」
「ああ……オレも追いかけようとしたんだけど消えちまって……」


ハルは申し訳なさそうにしながらも事情を説明する。アキと共に協力してエリーを助けたこと。だがエリーの安否を確認した後、アキが突然いなくなってしまったこと。まるで四年前ガラージュ島からいなくなってしまった時と同じように。一言も会話を交わすことなく。エリーは悟る。恐らくはワープロードによってどこか遠くに移動してしまったのだと。だがどうしてそんな逃げるようなことをするのか分からない。助けてくれたというのに何故そんなことを。疑問を二人が抱いている中


「……追いかけなくてよかったかもしれんぞ。お前では金髪の悪魔には遠く及ばない」


そんな男の声がハルとエリーに向かって掛けられる。二人は驚きながらも振り返る。そこにはボロボロになりながらも何とか立ち上がり歩いているジークの姿があった。


「……っ!」
「お、お前……まだやる気か!? エリーから離れろ!」


ハルはTCMを構えながらもエリーを庇うように前に立つ。エリーはどこか怯えた表情を見せながらもハルに縋りつく。当たり前だ。つい先ほどまで自分の命を狙っていた、殺されかけた相手が再び近づいてきたのだから。ハルも立っているのがやっとであるがそれを悟られまいとするかのように必死にジークと対峙する。しかしすぐに二人は気づく。それはジークの雰囲気。そこには敵意も殺気もない。まるで敵対する気がみられない姿。


「心配するな……もうお前達と敵対する気は無い。それに今のオレには戦う力は残っていない。お前と同じくな……」
「ど、どういうことだ!? お前がエリーを襲ったんだろう!? 何でいきなりそんな……」
「……魔導精霊力エーテリオンの危機がなくなった。それだけだ」


ジークはそのまま一度自分に怯えているエリーを見つめた後、事情をハルに伝える。魔導精霊力エーテリオンのこと。金髪の悪魔のこと。そしてDCのこと。


「じゃあお前はアキのことも追ってるのか!? 何でそんなことするんだ!? アキは何も悪いことはしてないんだぞ!」
「金髪の悪魔……それが奴の正体だ。だがそれだけではない。お前も見た筈だ。奴が持っていたDBとその力を」
「それは……」


ジークの言葉によってハルは思い出す。アキの持つDBから放たれた力。それは今まで戦ってきたどんなDBとも比較にならないほどに強力なもの。レイヴマスターとしての力がその危険性を感じ取っていた。


「奴が持っていたのは『母なる闇の使者マザーダークブリング』シンクレアだ」
母なる闇の使者マザーダークブリング……!? それって大破壊オーバードライブを起こしたあの……!?」


ハルはジークの言葉に驚きを隠せない。母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア。それはシバから聞いていた存在。全てのDBの母なる存在。今は五つに分かれてしまっているDB。それを壊すことが自分の、レイヴマスターの使命。それはつまり自分とアキは戦う運命にあるということ。だがハルはまだ納得がいっていなかった。先程のアキの姿。確かに様子はいつもと違っていたがそれでもあれはアキだった。なのに何故シンクレアなんて物を。考えられるのはやはり一つだけ。


「……アキはきっとシンクレアに操られてるだけだ! オレがアキを助けて見せる!」


それがハルの答え。恐らくはアキがシンクレアに操られ、影響を受けているのだと。ならばそれを救うことが自分の役目。ハルはそのままその手にあるTCMに、レイヴに力を込める。決意を新たにするかのように。

だがそんな中、エリーは一人黙りこんでしまっている。それはジークとハルの話。アキが持つDBの話。


(ママさん……どうして……?)


エリーはマザーのことを想う。エリーは既に悟っていた。恐らくはDBがハル達のように悪の存在なのだということは。これまでの旅の中でもそれを何度も見てきた。だがそれでもエリーは信じたくはなかった。マザーの姿。意地っ張りながらも子供のような姿。そしてアキと楽しそうにしている光景。とてもハル達が言うような存在にはどうしてもエリーには思えなかった。いや、信じたかった。あの二年間での楽しかった時間を。


「金髪の悪魔を救うだと……? 本気か……?」
「当たり前だ! それに金髪の悪魔じゃねえ! アキだ! オレはアキを助けて見せる!」


ジークはそんなハルの言葉に呆気にとられるしかない。金髪の悪魔であるアキを助けようと本気で考えているのだと悟ったからこそ。世界を壊しかねない力を持つ存在。操られているというのも希望的観測に過ぎない。にも関わらずハルはそれを微塵も疑っていない。それはアキへの信頼。あきらめないというハルの信念といってもいいもの。だがそれを笑うことなどジークにはできない。

何故ならその力を実際に目の当たりにしたのだから。自分があきらめるしかなかったあの状況で見せた姿。それに知らず魅せられてしまったかのように。自分が殺すしかない、命を奪うしかないと判断したことに違う答えを見せた男。二代目レイヴマスター。

だが金髪の悪魔が操られているかはともかくその行動は不可解な点が多い。自分にとどめを刺さなかったこと。エリーを助けようとしたこと。何にせよ警戒することに変わりは無い。もっとも今の自分では金髪の悪魔には敵わない。それは既に嫌というほど味わった。


「……好きにするがいい。だが今のお前では返り討ちに会うのが関の山だ」
「なっ!? な、何でそんなこと分かるんだよ!?」
「実際に奴と戦ったからだ……恐らくは奴はキングに匹敵する力を持っている」
「キング……?」
「DC最高司令官、DCを束ねる男。六祈将軍オラシオンセイスにも及ばないお前では絶対に勝てない」
「くっ……!」
「ハル……」


ハルはジークの言葉に何も言い返すことができない。その力の差を嫌というほど味わったからこそ。自分はレイナに手も足も出なかった。そんな自分がそれを束ねているキングに、そしてそれに匹敵する力を持っているアキに敵うわけがない。一刻も早く強くならなければ。そんなハルに向かってジークは告げる。


「力を手に入れろ。混沌の国ルカ大陸に『闘争のレイヴ』がある」


ハルにとっての、レイヴマスターの力。新たなレイヴがある場所を。


「っ!? お前、何でそんなこと知ってんだ!?」
「驚くようなことではない。DCの者なら皆そのことを知っている」
「そっか……でも何でDCのお前がそんなこと教えてくれるんだ?」
「……言っていなかったか。オレはDCではない。DCに入り込んでいるのはキングを倒すためだ」
「キングを……? でも何でそれならすぐにアキを襲わなかったんだ? アキもDCの一員なんだろ?」
「何……? それは本当か……?」
「あ、ああ……シュダって奴から聞いたんだ。売人のアキって呼ばれてるって……」
「…………」


ジークはそのままハルの言葉によって黙りこんでしまう。同時にジークは思い出す。確かに売人のアキという名前は聞き覚えがあるが実際に会ったことはない。だが驚くべきことはそこではない。自分はハジャから金髪の悪魔の情報を得ていた。しかしハルの言う通りアキがDCの幹部だとすればハジャがそれを知らないはずはない。DCの頭脳とも呼ばれるあの男がそれを見逃すわけは無い。それはつまりハジャは金髪の悪魔だと知りながらそれを見逃し、DCに引き込んでいるということ。そしてそれを自分はおろかミルツにすら隠している。あまりにも疑わしい行為。何よりもそれが事実だとすれば自分は出来レースに参加させられた、はめられたということ。


(どうやら……少し調べてみる必要がありそうだな……)


ジークは決断する。それはDCを離脱すること。ある意味ハジャを、時の民を裏切ることになるかもしれない選択。だがそれをジークは選択する。それは自分自身の意志。まるで見えない意志によって動かされていたこれまでの自分との決別。新たな可能性を見せてくれたハルの影響。そして他の手段があったにも少女を、エリーを傷つけてしまったことへの贖罪。もっともそれを口に出すことは無い。それができるほど今のジークはまだ成長できてはいなかった。


「……礼は言わねえからな。それにまたエリーを狙ってきたら容赦はしねえ。必ず倒してやる」
「ふん……勘違いするな。オレは何も変わっていない。オレの目的のために動くだけだ……」


そのままジークは去っていく。結局エリーに声を掛けることはないまま。一瞬、口を開きかけながらもそれを噤んだまま。ジークは動き出す。誰かに決められたものではない、自分自身の答えを。時を守る答えを得るために。


それがジークとハル、エリーの定められた出会い、運命の始まりだった――――




(やれやれ……どうにかなったか……)


アキはそのまま大きな溜息と共にその場に座りこむ。同時に風が冷たい風が顔を吹き付け、マントがたなびくもアキはどうでもいいとばかりに無視を決め込む。今、アキはビルの屋上にいた。それは先のルナールと戦闘を行った場所。ワープロードのマーキングが残っている中で一番近い場所であるためアキはここに瞬間移動してきたのだった。そしてジークとハル達が接触するのを見届けたアキはまさに肩の荷が下りた気分だった。まさに嵐のような一日だった。


はあ……何で俺、こんなに疲れてんだろう? まあ身体は無傷でハル達に比べれば雲泥の差だけど体力的、精神的はもう限界突破した感じだな。ま、まあ何とか最悪の事態は避けれたわけだし、ジークもハル達と接触したし一応成功した感じか……何か色々気にしなきゃならないことが山積みのような気がするけどひとまずは……ん?


アキは知らず立ち上がる。それはあるものが目に入ったから。それは巨大な影。だがそれが何であるかをアキはすぐに気づき顔が引きつる。黒龍、間違いなくジュリアがこちらに向かって飛んできている。同時にDBの気配を感じ取る。ユグドラシルとホワイトキスの気配。


「はーい、アキ♪ 探したわよ、こんなところにいたのね♪」
「…………」


まるで遊園地の乗り物に乗っているかのような笑みを見せ手を振りながらレイナはジュリアから飛び降り、アキの元へと近づいてくる。ジェガンはそれを見ながらも無言のまま隣のビルに飛んで行ってしまう。アキはそんないきなりの事態に慌てながらも平静を装う。


「レ、レイナか……どうしたんだこんなところで……」
「あら? 忘れちゃったの? 確か今日、私とデートする約束だったはずだけど」
「そ、それは……」


アキは冷や汗を流しながらもどう言い訳したものかで詰まってしまう。本当はすぐに向かう気だったのだがルナールの襲撃、そしてジークとの連戦で全くそんな隙がなかった。もっともレイナもハル、ムジカと戦闘をしていたためどっちもどっちなのだがそれを知っているのはおかしいためアキは何か言い訳がないかと必死に頭を回転させる。そんなアキの姿をどこか楽しそうに見ながらも


「そっちも大変だったみたいね。でもジークを倒しちゃうなんて流石は『金髪の悪魔』といったところかしら?」


レイナはごく自然に、だがどこか妖艶さを見せながら告げる。その言葉を。


「―――――っ!?」


一瞬アキはレイナが何を言ったのか分からないかのように固まってしまうもののすぐに臨戦態勢に入る。

『金髪の悪魔』 その名をレイナが口にしたことによって。


え……? な、何がどうなってんの? 何でレイナがそのことを知ってるの? い、いやいやいやヤバすぎるだろ!? お、落ち着け俺!? と、とにかくいつでも動けるようにしとかねえと……!!


アキはその手にデカログスを持とうとしながらもレイナと睨みあう。既に一触即発の状況。加えて今のアキにはほとんど戦う力は残っていない。もし万全の状態ならば恐れる必要はないが今戦っても勝機は薄い。今は離れているがジェガンも近くにいる。まさに絶体絶命の状況。やっと綱渡りが終わったかと思いきやこの事態。もはやアキは精神的に死んでしまいかねない。とにかく一瞬でも隙を作り出しワープロードかイリュージョンでこの場を離脱せんとした時


「もう、そんなに怖い顔しなくてもいいじゃない。私はあなたと敵対する気はないわ」


レイナはいつもと変わらないような笑みを浮かべながらそう告げてきた。アキはそんなレイナの言葉に目をぱちくりさせるしかない。当たり前だ。金髪の悪魔といえば世界に知らない者はいない程の悪名。懸賞金も掛けられているお尋ね者。それがDCに潜り込んでいる。DCからすれば危険因子として処刑されてもおかしくない。だからこそアキはずっとそのことを隠してきた。


「……どういうつもりだ、レイナ」
「簡単な取引よ。あなたのことを見逃す代わりに私に力を貸してほしいの」
「力を貸す……?」
「そう♪ 私の探し物に付き合ってほしいの。手掛かりは見つけたんだけどまだすぐには無理そうだし……あなたならいろんな情報を持ってるんじゃないかと思って」


レイナは男が見れば間違いなく見惚れてしまうような笑みを浮かべながら提案してくる。その内容は一言でいえばレイナ個人に力を貸せというもの。そしてそれを断るのならDCに敵対するとみなして処刑するというもの。そのためにレイナは近くにジェガンを待機させている(ジェガンはそのことは知らない)。それは保険。恐らくはジークを退けたアキを警戒してのもの。六祈将軍オラシオンセイス二人がかりであれば戦闘になったとしても後れはとらないという策。もっともレイナは実際にジークとアキの戦闘は見ていないため気づいていない。もしアキが万全の状態ならどうなってしまうのかを。どちらにせよアキにはレイナを傷つける気は無いので問題はないといえばないのだが。


「それは取引じゃなくって脅迫じゃねえのか……?」
「さあ? どうなるかはあなたの答え次第ね。あなたもDCに何か狙いがあるんでしょ? だったらお互い様よ♪」
「…………」


アキはそのまま溜息を吐きながらもあきらめるしかない。自分はレイナには敵わないのだと。だがバレたのがレイナで良かったのかもしれない。もし他の連中であれば問答無用でDCと全面戦争になりかねなかったのだから。もっともここまでくればDCに属していることも大きな利点は無いのだがハル達の、DCの動きが掴みやすいのは変わらない。そしてレイナの探し物。それについてはどっちにしろ介入させてもらう気だったのだから。もっとも探し物自体ではなくレイナ自身と言った方が正しいのだが。


「……分かった。その代わり」
「分かってるわ、あなたのことは秘密にしておいてあげる♪ よかったわね、こんな綺麗なお姉さんと秘密が共有できて♪」


自分で言うな、と突っ込みたいのを必死に我慢しながらもアキはそのままレイナを見送る。どうやらそのまま本部まで帰るらしい。一緒に来るかと誘われたがアキはそれを丁重にお断りした。もうこれ以上の厄介事は御免だった。


「じゃあねアキ♪ また詳しいことは今度ね♪」


ウインクをしながらもレイナは龍に乗りながら飛び去っていく。結局ジェガンは一言も発することなく。その視線だけをアキに向けたまま。


「…………」


アキはそのまま一人佇んだまま。まるで魂が抜けてしまったかのように。そしてそのまま大の字になって屋上に床に倒れ込んでしまう。もう指一本動かせない程の疲労がアキの体を襲う。


(まじで……今日はもう勘弁してくれ……もう、俺、寝るわ……)


アキはそのまま眠りに着く。もはや気絶に等しい意識の失い方。その刹那に思い出していた。それはマザーのこと。あれだけ盛大にやりあったにも関わらず放置しっぱなしだったこと。だがもはやアキはあきらめていた。とりあえず明日になって考えよう。そんなダメ人間のような思考と共にアキは深い眠りに落ちて行くのだった――――




アキが眠りに落ちてから程なく、二人の人物がエクスペリメントへと訪れていた。子供と大人のような二人組。だがその姿はローブによって伺えない。だがそれは一般人ではなかった。


「間違いない、これは魔導精霊力エーテリオンだよ! やっと見つけた、ウン!」
「マジかよ! これでやっとこのめんどくさい任務からもおさらばできるんだな! で、そいつはどこにいるんだ?」
「もうここにはいないよ、ウン。でも大丈夫、もう魔力パターンは覚えたからいつでも追跡できる」
「じゃあさっさと見つけて攫っちまえばいいんだな。任しとけって」
「ううん、それはダメだよ。まずはルナール様が来てから。それにここはDCの支配域だし六祈将軍オラシオンセイスもいる。動くのはきっともう少し先になるよ、ウン」
「なんでえ、全員俺が眠らせちまえば簡単なのによ」
「でもまだ杖も見つかってないし、エンドレスも目覚めてない。焦る必要は無いよ、ウン」


二人はそのまま身をひそめるようにエクスペリメントの闇に消えて行く。



ダークブリングマスターの憂鬱は本人が眠っている中でもまだまだ続くことになるのだった――――



[33455] 第三十三話 「違和感」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/11/04 10:18
エクスペリメントから少し離れた小さな町。その大通りを行ったり来たりしている怪しい人影があった。既に大通りを往復している回数は数えきれない。流石にローブを被った怪しい人物がずっとうろうろしている光景に周囲の住民も訝しみ、声を掛けようとするもぶつぶつと独り言を言っている姿にドン引きして去って行ってしまう。


「いや……でも……だし……」


怪しい人物ことアキは自分がそんな奇異の目で見られていることなど全く気付くことなく自分の世界に入り込み、独り言をつぶやき続けている。まるで悩み事があるかのように。同じところを回り続けている犬そのもの。


(うーん……どうすっかな……ここは強気に……いや、もしかしたら裏切りがばれてるかもしんねえんだからここは土下座か……いやいやいや何で俺が石相手にそんなこと……!)


アキはそんな支離滅裂なことを考えながらも頭を抱えていた。言うまでもなくそれは先日のマザーとのいざこざ。全く余裕がなかったことと珍しくシリアス、熱血モードに入っていたためアキは半ば強引にマザーをその場からアジトに送り返してしまっていた。そしてそのまま疲労のまま爆睡し、一日以上放ったらかしにしたまま。そのことに気づいたアキはすぐにアジトに戻ろうとしたのだが色々な事情からすぐにそれを実行することもできずエクスペリメントから離れたこの街で油を売っている、もというじうじしているところ。


(なんならここに呼び出しても……い、いや……流石にそれはマズイか……? 一応俺の方に非はあるわけだし……あいつからすれば何で俺が怒ってるのかさっぱりだったろうし……やっぱ俺が出向くのが筋ってもんか……でもなんだろう……下手に出たら負けな気がする。いろんな意味で……)


アキは自問自答を繰り返しながらもやはり自分が出向くしかないのだとあきらめる。だがまだ納得がいかないのか、それともマザーの対応が恐ろしいのか踏ん切りがつかずうろうろと右往左往を続けている。そんな自らの主の姿に他のDBたちも溜息を吐くしかない。DBたちからすればどっちにも肩入れできない状況。とりあえずは仲直りをしてくれるのが一番だというのが共通認識。そして今のアキの姿。まるで彼女と喧嘩して仲直りしようとするもプライドが邪魔して動けない彼氏そのもの。もっともそんなことは本人の前では口が裂けても言えないのだがイリュージョンとハイドはどこか楽しげに、デカログスとワープロードは静かに見守っている。


「仕方ねえ……行くとすっか……」


DBたちからの生温かい視線を受けていることなど知る由もないアキは一度大きな深呼吸をした後、覚悟を決めたかのように宣言する。とにもかくにもこのままずっと放置しっぱなしでは状況がさらに悪化しかねない。もう既に次の展開がハル達やDCにみられるはずなのだから。どんな結果になるにせよDBマスターとして避けることはできない道。できれば丸くおさまってくれと心の中で願いながらもアキはその手にあるワープロードに力を込める。瞬間、アキたちは街から姿を消した―――――



「ち、チィーッス……」


そんなよくわからない挨拶をしながらもアキはアジトへと帰還する。声がどこか上ずっているのはお約束といったところ。だがすぐにアキは違和感に気づく。部屋の様子。それがどこかおかしい。具体的には全体的に暗い。まるで部屋を閉め切ってしまっているかのように。マザーは確かにDB、石だがある程度は自分で動く(飛ぶ)こともできるのに何故こんなことになっているのかアキは首をかしげながらもマザーの気配がある部屋に向かって歩いて行く。知らず忍び足になりながら。すると


『……! ……。……』


部屋の中から何か音が聞こえてくる。まるで声のようなものが。アキはそっとドアの隙間から中の様子を覗きこんでみる。そこには


『だ、だが我は何も間違ったことは……それに元々はあやつが悪い! なのに有無を言わさず送りおって……し、しかしもう一日以上か……や、やはりそんなに怒らせてしまったのか……? ど、どうすれば……』


薄暗い部屋で怪しく点滅しながらぶつぶつと独り言をつぶやいている魔石の姿があった。それはまさに先程までのアキと同じもの。主従揃って情けなさの極み。もっとも似た者同士と言えるのかもしれない。


「お前……何やってんだ……?」
『っ!? ア、アキか……!? い、いつ戻ってきたのだ……!?』


目の前の光景に呆れながらもアキはぽつりと言葉を漏らす。自分が決死の覚悟でやってきたというのにどこか拍子抜けのマザーの状況にアキは一気に気が抜けた気分だった。だがマザーはいきなり声をかけられたことで飛び跳ね、しどろもどろになりながらもアキに対面する。もし実体化していればその場に転んでいるであろう姿が目に浮かぶほどの動揺っぷり。


「い、いつってついさっきだけど……」
『そ、そうか……』


アキはどこか呆気にとられながらもとりあえずはそれに答えることにする。瞬間、マザーは安堵するかのような声を漏らしながらもそのまま黙りこんでしまう。アキもそんなマザーにつられるがまま。


「…………」
『…………』


そのまましばらく無言の時間が続く。じっとにらめっこをするような状況。同時にどこか気まずい、妙な雰囲気が部屋を支配する。その空気にDBたちは固唾を飲んで自らの母と主の様子を見守る、観戦していた。


(な、何だ……この空気? と、とにかくいつまでもこうしてるわけには……)


「あ、あのさ……」


アキが自分を取り巻く空気が妙なことになっていることに気づき、とにかくこの場を何とかしようと口を開きかけた時


『悪かった……』
「え?」


そんな耳を疑いたくなるような言葉がマザーの口から飛び出してきた。


『だ、だから勝手に動いて悪かったと言っておるのだ! たわけめ……』


マザーはどこか無理をしているような雰囲気を纏いながらも告げる。それは先の勝手に動いてしまったことに対する謝罪。だがアキが驚いているのは謝罪の内容ではない。マザーが自分に向かって謝罪してきた。その一点。唯我独尊、どんな暴挙や無理難題を押し付けてきても、文句を言っても今まで一度も謝ったことのないマザーの謝罪。明日には天変地異が、大破壊オーバードライブが起こってもおかしくない程の異常事態。


『……何をしておる?』
「いや……熱でもあるんじゃねえかと思って……」


アキはそのままマザーを手に取りながらも異常がないか触り続ける。もしかしたら以前のように熱がこもっておかしくなっているのかもしれない。そんな危惧。だがその瞬間、凄まじい頭痛がアキに襲いかかる。マザーのお仕置きと言う名の頭痛が。アキはその痛みに悶絶しながらその場に蹲るしかない。ある意味いつも通りの光景。


「……て、てめえ……他人が心配してやってるってのに……」
『ふん、好き勝手に触りおって……気安く触るでない』


息も絶え絶えに抗議の声を上げるアキに向かってマザーはいつもと変わらない態度で答える。どうやらやっと調子が戻ってきたらしいことに安堵しながらもアキは溜息を吐くしかない。せっかく心配してやっているというのにこの仕打ち。しかも人に聞かれれば誤解を招きかねない言葉。そうなればレイナの言う通り特殊な趣味を本当に持っていると誤解されかねない。


「……まあとにかく、一体どういう風の吹き回しだよ。お前が謝るなんて……」
『う、うむ……我もあの後、ずっと考えていたのだ……何故お主が怒っていたのか……』


マザーはごほんっと一度咳ばらいをした後、語り始める。それはアキに送り返されてから一日以上ずっとマザーが考えていたこと。何故あんなにアキが怒っていたのか。マザーは必死にそれを考え続けていた。いかにマザーといえども人間と交流を始めたのは十数年。元々生まれてから会話と呼べるものをほとんどしたことがなかったマザーにはまだ人間の思考を完全に理解することはできない。その中でもマザーは辿り着いた。恐らくはアキがあんなに起こったであろう理由。それは


『エリーのことで怒っていたのだろう? 確かにあれは我が軽率であった……振られたとはいえ惚れた相手……そういうことなのだろう?』


エリーを危機に陥らせてしまったこと。それがマザーが導き出した答え。アキが惚れている女。そして二年間一緒に暮らしてきた人物。彼女を傷つけ、命の危機に巻き込んでしまったことでアキが怒ったのだとマザーは判断した。直前にジークからエリーを守ろうとしていたことからもそれはあきらか。個人的に思う所はあるもののマザーはそう納得していた。


「え? あー……うん、それは、その……」


アキはそんなマザーの言葉にそんな言葉にならない反応を示すしかない。まさかマザーがそんなことを考えているなど思いもしなかったアキは呆気にとられるしかない。どうやら自分が思っていたよりもずっと人間の思考を理解することができているらしい。もっともどこかズレているのは変わらないが。そしてもう一つ。マザーがまだ自分がエリーに惚れていると思っていること。いい加減ネタばらしをしてもいいのだがそう思ってくれているなら都合が良いことには違いない。エリーを守るという名目ならある程度行動できる余地があるということ。だがアキとしては振られたというのはどうにかしてほしいところ。振られてもなおあきらめきれていない情けない男と思われているのだから。


『確かに魔導精霊力エーテリオンを持っているとはいえエリーはエリーであった……なんなら全てが終わった後、エリーを共に現行世界に連れて行ってやってもいい……何でも一つ願いを叶えてやる契約だからな』


そんなアキの胸中など知る由もなくマザーはそう言葉を続ける。魔導精霊力エーテリオンを持っていたとしてもエリーに手を出すことは無いと。それはそれを分かった上でエリーをアキが取り込もうとしているとしているとマザーは考えているため。確かに危険はあるがエリーは自分達に敵対しているわけではない。何故わざわざレイヴマスターの元に置いているのか、奪い返さないのかは理解できないがそれは人間のよく分からない心理なのだとマザーは納得する。一度振られているのに関係しているのだろうと。もっともマザーにとってはエリーがいなければアキを独占できるのが一番の理由なのは言うまでもない。

そしてもう一つが全てが終わった後の話。この並行世界を消滅させ、現行世界へと帰還した後のこと。その際にアキを連れて行くものの流石に一人だけというのは忍びない。男一人ではどうしようもない。仕方ないがその際には女性としてエリーを連れて行ってもいいとマザーは告げる。だがそれを聞いたアキはどこか呆然とした姿を見せたまま。開いた口がふさがらないと言った風。


「契約……?」
『……? 何を言っておる? 最初にお主と契約した時に交わしたであろう?』


アキはその言葉にようやく思い出す。初めてマザーと出会った時のこと。その時にそんな契約を交わしたことに。まさかそれが本当で、マザーがそれを覚えているなどアキにとっては驚きを通り越して感心してしまうほど。だが瞬間、アキはあることに気づく。気づいてしまう。それは――――


(あれ……? 俺、そういえばどうして元の世界に帰ろうとしてないんだ……?)


そんな当たり前な疑問。アキは薄れてきている記憶の中で思い出す。自分は最初、元の世界に戻りたいと、そう思っていたはず。なのに何で今までそんな大事なことを忘れてしまっていたのか。それだけではない。

ルシアの身体。憑依という信じられないような事態。

子供とはいえ全くの別人の身体になってしまったのにも関わらず大した抵抗もなくそれを受け入れた自分。

DBという人智を超えた存在を受け入れてしまっている自分。

何かがおかしい。今までおかしいことに気づかなかった、気付けなかった。一体何故―――――


『……どうした? 急に黙り込みおって……ま、まだ怒っておるのか……?』
「い、いや……なんでもねえ……それに俺もちょっと言いすぎちまったからな、お互い様だ」


アキはマザーの言葉によってふと我に返る。既に先程まで自分が何に気づいていたのかアキは覚えていない。まるで何か見えない力が働いたかのように。だがマザーはそんなアキの様子に気づくことなく続ける。絶対に譲ることができない一線。


『ふん……言っておくがレイヴマスターについては謝るつもりは無いぞ。例えハルであったとしてもレイヴマスターは我らの敵だ。それを決して忘れるな』
「わ、分かってるさ……だけど勝手に動くのはナシだ。それでいいな?」
『よかろう…………我ももう同じようなことは御免だ……』


マザーは最後の部分を消え入りそうな声で呟きながらもアキはそれを聞きとることができない。だがアキはひとまず安堵していた。とりあえずは元通り。和解? することができたのだから。だがアキにはゆっくりとしていられる時間はなかった。


「とにかく出かけるぞ……準備はいいな?」


アキはローブを纏いながらも準備を整える。デカログス以外のDBを持ちながらマザーに声を掛ける。デカログスは持つと目立つためいつもはアジトに置き、ワープロードによって呼び出すのがアキのスタイル。もっともそのローブの下にはいつものマザーの趣味による黒い甲冑とマント。どうやらこれだけは譲れないらしい。


『それは構わぬが……今度はどこに行く気だ?』
「ルカ大陸だ。そこにあるジンの塔ってところで毎年エンクレイムが行われてる。その調査だ」
『エンクレイム……ああ、我らを通さずにDBを生み出す儀式のことか。だが何故そんなことをする? 何かDBが欲しいなら生み出してやるぞ?』
「そ、それはともかく……そこにキングが、DC最高司令官がやってくるらしい。それを確認したいんだ」
『ほう……あの男か。ようやくDCを乗っ取る気になったということか?』
「ま、まあな……だけど直接会ったり戦闘する気はないぞ。どうやらハル達……レイヴマスターたちもそこに向かうらしい」
『なるほど……漁夫の利を狙うということか。実にお主らしい策だ。だが今のお主なら直接戦っても遅れは取らぬと思うが……』
「一応この体はキングの息子だしな……何か起こっても困る。それだけだ」
『ふむ……まあよい。好きにするがいい。我はせいぜい楽しませてもらう』


くくく、といつも通りの笑いを見せているマザーにげんなりとしながらもアキはこれからのことを考える。

エンクレイム、ジンの塔における戦い。歴史が変わった日と呼ばれる第一部の最終決戦。それがまさに目の前にまで迫っている。恐らくこの日だけは間違いなく戦いが起こる。九月九日という歴史の、世界の力が働く日なのだから。

キングとハルの父、ゲイル・グローリーが争い、そして互いに命を落とした日。

だがアキはそれに介入する気は無い。それはもう何年も前から決めていたこと。DBマスターとしてアキはどちらにも直接加担することはできない。キングに加担すればハル達が全滅し、ハル達に加担することはマザーがいることによって不可能。エリーのためといえば多少は可能かもしれないがハルやゲイルに力を貸すことにはいかにマザーといえども譲らない。キングを倒してもそのままアキ対ハル&ゲイルになりかねない。

だがアキもその決断の意味を知っている。それはキングとゲイルを見殺しにするということ。できるなら助けたいものの様々な理由からそれもできない。この戦いの意味はそれほどに大きい。故に不用意に手を出すことはできない。アキは罪悪感にさいなまれながらも自分でそれを決断する。そしてアキの役目。それはイレギュラーや予想外の事態に対処すること。先の魔導精霊力エーテリオンでアキはそれを嫌というほど味わった。自分という異物のせいで起こるかもしれない不測の事態に備えること。それが今回のアキの役目。


「よし……行くぞ!」


アキは決意を新たにしながらワープロードに力を込める。行先はルカ大陸にある街。ジンの塔からある程度距離がある場所。そこに潜伏し、戦いが始まった際にはイリュージョンとハイドを使いながら戦況の推移を見守るため。アキはそのままワープロードの力に包まれ街へと瞬間移動する…………はずだった。


「…………え?」


アキは呆然としながら声を漏らすしかない。それは二つの驚き。

一つは瞬間移動の際に覚えた違和感。その刹那にアキはいつもとは違う力の流れを感じ取った。まるで何か別の力の流れに巻き込まれるような、混線するような感覚。同時にそれがDBなのだと悟る。だがその力が問題だった。間違いなくそれはワープロードのもの。だが微妙にアキが持っている物とは異なる力の波長。アキは悟る。自分と同じDBを今、この瞬間に使っている者がいるのだと。それが何を意味しているのか気づくよりも早くアキは飛んでしまった。その場所に。

アキはその光景に言葉を失う。目の前には見たこともないような大きな階段がある。まるでそこかの城の中のような光景。アキが飛ぼうとしていた場所とは似ても似つかぬ場所。なによりもその隣には自分以外にもう一人男がいた。それこそがアキが驚愕しているもう一つの、そして最大の理由。


アキよりも頭一つ以上離れた身長。黒い甲冑にマント。何よりも目を引くのはその金髪。それはこの世界において呪われている血の証。レアグローブの血の継承者。アキはその威風と王者の貫録にあてられながらもゆっくりと隣に目を向ける。


「貴様……アキか……?」


DC最高司令官、DC最強の男『キング』がそこにはいた。


どうしよう……これ……


自分の胸元で大笑いしているマザーの声を聞きながらもアキはあまりにも想定外の事態に絶望するしかなかった―――――



[33455] 第三十四話 「伝言」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/11/06 19:18
ジンの塔の中にある大きな食堂。そのテーブルに座っている二人の男の姿があった。一人はこの塔の主であるキング。キングは静かに自らの前にある食事をナイフとフォークで口に運んでいく。それだけでもその所作に王者の貫録が滲みでている。まさにその名に相応しい姿。そしてそれとは対照的な人物がいた。

それはアキ。アキは固まった無表情のまま自らの目の前にある料理に手を伸ばす。だがまるでナイフとフォークが上手く扱えないかのように食器と当たる金属音がカチャカチャと広い食堂に響き渡る。言うまでもなくそれは怯えと焦りによるもの。無言の二人だけの空間の中で食事の音だけが響き渡って行くという異次元空間。今のアキが置かれている状況だった。


どうなってんの……これ……?


アキはほとんど魂が抜け掛けんとしている放心状態のまま何とか今の自分の状況を整理する。まずは始まりから。アキはワープロードによってルカ大陸に移動しようとした。そこまではよかった。だがそこで信じられないような事態が起こる。ワープロードによる瞬間移動が失敗に終わってしまったこと。正確には失敗ではなく引っ張られてしまったこと。キングが持つもう一つのワープロードの力に。それはアキとキングがほぼ同時にその力を使ってしまったことによって起こった奇跡のような事故だった。


いやいやいやどうなってんのこれ!? というかどんな偶然だよ!? 完全に俺、呪われてんじゃねえのか!? ま、まあ身体はルシアだからレアグローブの血に呪われていると言えばそうなのかもしれんが……


アキは何とか平静さを装いながら食事を口に運ぶも味も何も分かったものではない。そんなものを味わうことができるほど今のアキに余裕は無い。何故なら今、アキはキングと対面しながら食事を行っている最中。それはキングの計らいによるもの。それによって今、親子(身体的な意味で)による食事会が開催されていた。アキにとっては罰ゲーム、拷問に等しい状況。穴があったら入りたい、むしろ自分で穴を掘って地球の裏にまで行きたい気分だった。


「…………」
「…………」


アキとキング。二人はそのまま互いに無言のままもくもくと食事を続けて行く。もしその場に誰かいればその空気の気まずさに逃げ出すに違いないほどの沈黙。当事者のアキにとってはその比ではない。アキにとっては本当に命がけ、どんな事態が起こるか予測不能の地雷を踏みぬきかねない状況なのだから。


お、落ち着け俺……! 別に取って食われるわけでもなし……正体がバレたわけでもないんだし……うん、バレてないよな? でも何で食事になってるわけ? これはあれか……遠回しなサインか? ちょっと親子で食事しましょう的な……? い、いやそんなはずは……!


アキは背中を冷や汗でずぶ濡れにしながらも自分に言い聞かせる。まだ最悪の事態には至っていないと。それは自らの容姿。髪は黒く染め、顔の傷はイリュージョンによって偽装している。いくらなんでもそれで息子だとばれるはずがない……はずなのだがそうとも言い切れないのはこれまでのアキの経験と待遇によるもの。二度も命令違反したにも関わらず見逃されているという事実。それがアキが危惧している理由だった。そしてそれとはまた別の意味でアキの頭を悩ませている二つの事情があった。

一つは自分の恰好。まさにキングと瓜二つ。ペアルックといってもおかしくない姿。黒い甲冑とマント。それを着た男が二人向かい合いながらもくもくと食事をしている。あまりにもシュールな光景だった。


何なのこれ!? 何で俺こんな恰好でキングと食事してるわけ!? キングは似合ってるにしても俺のは完全にギャグじゃねえか!? ちょっと着替えを取りに帰りたいんですけどいいですか……? というかそのまま帰りたいんですけど……


アキは切実な願いを抱くもすでにそのタイミングを逸してしまっていた。いきなりその場から再び瞬間移動するわけにもいかずあれよあれよという間にこの状況。そしてそれだけで既に一杯一杯にも関わらずさらに事情をややこしくしかねない存在がいた。


『なるほど……そうか。お主たちも苦労しておるようだな。何、気にするな。例え我から生まれたのではなくとも主らは我が子も同然。そんなにかしこまる必要は無いぞ』


それはアキの胸元に隠れているマザー。ハイドによって気配を消してはいるもののそれを持っていることがバレればルシアの身体であること関係なしにキングに狙われてしまいかねない地雷。だがそんなことなど知ったことではないとばかりにマザーはどこか上機嫌に大声で話し続けている。それはアキに向かってではない。そう、キングが持っているDBたちに向かって。ちょっとしたDBたちの井戸端会議が行われているのだった。


『マ、マザー! てめえいつまでぺちゃくちゃしゃべってやがる!? 状況が分かってんのか!?』


アキは焦りながらも凄まじい剣幕でマザーに向かって叫びをあげる。当たり前だ。キングとの接触、そして食事という訳が分からない状況にも関わらず空気を読まずに好き勝手にしているのだから。文句の一つも言いたくなるというもの。


『なんだ、やっと戦う気になったのか?』
『な、なんでそうなる!? 言ったろうが、戦う気はねえって!』
『ふん……つまらん。なら我の役目はなかろう。後はお主で好きにすればいい。戦う気になったら呼ぶがいい』
『な、なんだそりゃ!? てめえマスターほっといて自分だけおしゃべりかよ!?』
『喚くな、騒々しい。そんなに言うならお主も参加するがいい。なかなかこやつら骨があるぞ。エンクレイムで生まれたと侮っていたがどうやら間違いだったようだ。勧誘したいぐらいだ』
『て、てめえ……後で覚えてろよ……!』


アキは恨み事を言いながらもどうすることもできずマザーたちが楽しくしゃべっているのを眺めることしかできない。だがその中でもキングがもつDBたちがどこか貫録を持ったものたちであることは感じ取ることができる。


流石はキングのDBたち……六星DBたちにも後れをとらないだけの力と貫録があるな。やっぱDBも持ち主に似るのか……全くどっかの誰かに見習せたいぐらいだ。ん? まてよ、それってマザーがあんなのも俺のせいってこと? いやいやそれはない! あいつの鬼畜っぷりは元々だし俺にそんな趣味は無い! っとそれは置いておいてまじで俺もDBたち集まりに参加したいわ……だがそんなことできるわけもない。目の前のキングを放ったまま脳内会議に参加するなんて現実逃避するようなもんだし


「どうした。口に合わんか」
「っ!? い、いえ!? そんなことはありません!」


突然のキングの言葉にアキは身体をびくんとさせながらも何とか答える。だが声が上ずるのを抑えることができない。だがそんなアキを見ながらもキングは特に気にした様子を見せないまま。


「そうか、ならいい。それと敬語は必要ない。ここはオレとお前以外はいないのだからな」
「分かりまし……ご、ごほん! 分かった……」


キングの言葉を聞きながらもアキは気が気ではなかった。特に何もしていないのも関わらずそこにいるだけでプレッシャーを感じるほどの存在感がキングにはある。もっともアキもそうなりつつあるのだが本人には知る術は無い。


ふう……とにかく落ち着かないとな。敬語じゃなくていいのは助かるけど何だろう……俺って敬語しゃべれないって思われるほどあれなのか? ジェロにも同じこと言われたし……っていうか地味に二人きりだって宣言が恐ろしいんですけど……もうお前に逃げ場はない的な……ま、まあそれはともかくもうすぐ食事も終わる。あとはその流れで自然に、溶け込むようにこの場を去ることにしよう!


アキがそのままこの場を離脱するタイミングを計っているのを知ってか知らずか


「……そういえば貴様、そのDB、ワープロードをどこで手に入れた?」


キングは疑問を口にする。もはやそれは詰問に等しい物。当然の疑問だった。


「…………」


アキはそのまま口ごもり答えることは無い。ただじっとキングを見つめているだけ。答える気は無いといわんばかりに。キングはそんなアキの態度を見ながらも視線を返す。瞬間、空気が凍る。まるでその場に見えない壁があるのではないかと思えるほどの緊迫感。


そ、そうですよね……やっぱそこは突っ込まれるよな……同じDB持ってるなんて普通は考えられないし……下級ならともかく。じゃなくって!? や、やばい!? なんか今にも戦闘が始まりかねん空気がある! し、しかし下手なこと言えばボロが出かねんしここは耐えるしかない……!


アキはそのまま必死にキングとの耐久にらめっこを続けるしかない。二度目だが以前よりも状況は悪化している。だがアキは耐えるしかない。ここでシンクレアの、マザーの存在を知られるわけにはいかないのだから。


「……まあいい。それを詮索しないことが貴様との取り決めだったな」


キングはそう思い出したかのように口にした後、再び食事を始める。瞬間、張り詰めていた空気も元に戻っていく。それはアキとDCの取り決め。アキがどこからDBを手に入れているのかは詮索しないという取り決めによるもの。それによってアキは何とかキングの詰問から逃れることができたのだった。


あ、あぶねえ……マジで死ぬかと思った……


アキは心の中で溜息を吐きながらも安堵していた。何とか危機を乗り切ることができたと。同時に戦慄していた。それはデカログスのこと。もし一緒にこの場に持ってきていれば白を切るのは流石に不可能だったろう。まさに九死に一生を得たに等しい。もっとも戦闘になっても今のアキならマザーの力がなくとも易々と遅れは取らないのだがそれとは関係なくアキはキングに苦手意識を持っていた。ある意味ルシアの身体の影響かもしれない。


『ちっ……もう少しだったのだがな。つまらん』
『っ!? て、てめえいつの間にこっちに混じってやがる!? それになんだその舌打ち!?』
『いい加減飽きてきたぞ。ここはひとつ我が盛大な挨拶をかましてやろうか』
『ふ、ふざけんなっ! 勝手に動かないって約束したばっかだろうが!』
『おや、そうだったか……仕方ない。契約は契約。だがどうやらもうこの茶番も終わりのようだぞ』
『え?』


マザーの言葉につられるようにアキが見た先には既に食事を終え、その場を立ち上がらんとしているキングの姿があった。アキも驚きながらもそれに合わせるようにその場を立ち上がる。


「オレはこれからエンクレイムの準備がある。貴様は邪魔だ。早々にここから立ち去れ」


キングはそう言い残したままその場を去っていこうとする。もうアキに用は無いといわんばかりに。だがアキはそんなキングの姿にただ目を奪われていた。その背中に何か言葉にできないような哀愁を感じたが故。知らずアキは言葉に出していた。


「キング……あんた、何で俺を二度も見逃したんだ……?」


それはアキにとっては聞く必要のないこと。聞くべきではないこと。六祈将軍オラシオンセイスの選定の時、本部への招集に参加しなかった時。本来なら裏切り者として処刑されてもおかしくない事態。にも関わらず見逃されたこと。アキはそれを尋ねずにはいられなかった。恐らくはこれがキングとの最期のやりとりになると悟ったからこそ。

キングはそのまま足を止め、立ち尽くす。だがキングは答えようとはしない。長い沈黙が両者の間に流れる。アキがやはり聞くべきではなかったかと思い、その場を去ろうとした時


「…………下らん気紛れだ。貴様に死んだ息子の面影が見えた。それだけだ」


まるで独白するように、呟くようにキングは吐露する。その表情はアキから伺うことはできない。それでもその背中がどこか影を背負っているのをアキは感じ取る。今まで見たことのないキングの姿。それにただアキは息を飲む。だが不思議と焦りはなかった。本当ならキングの言葉によって混乱してしまうところ。にも関わらずアキは心乱れることなくキングの背中を見つめ続ける。


「息子……」
「生きていれば貴様と同じぐらいの年頃だろう……いや、それでよかったのかもしれん。今のオレを見せずに済んだのだからな……」


キングはどこか自嘲気味に告げながらもすぐにDC最高司令官としての顔に戻る。そこには既にいつもと変わらない王がいた。誰よりも気高く孤高な王。それがキングの、ゲイル・レアグローブの宿命。


「……ふん。下らん感傷だな。どうも貴様と相対するとペースが乱れる。戯れはこれまでだ」


キングはそのままマントを翻しながらその場を去っていく。アキはその背中を見ながらもかける言葉は無い。ただそのまま去っていくキングを見つめることしかできない。それは罪悪感。自分が本物のルシアではないことへの。そしてその正体を明かせないことへの。何よりもこれから先に何が起こるか分かっていながらもそれを止めることができない、止めることをしない自分への。


「……一つ言い忘れていた。DC本部へは近づくな。これは命令だ」


アキはキングのその言葉に目を見開くしかない。その言葉の意味をアキは知っている。同時に気づく。キングが自分の身を案じてくれているのだと。自分がルシアだと気づいているわけはない。にも関わらずアキである自分にその言葉を掛けてくれたであろうことに。


「…………キング、あんたの息子が生きてたらきっと、あんたのこと誇りに思ったと思う」


知らずアキは告げていた。その言葉を。もうこの世界にはいないルシアの想い。本来の道でも出会うことはなかった親子。その子の想いをアキは代弁する。


『親父が死んでも何も感じなかった』


それがルシアの言葉。だがそれが嘘であることをアキは知っていた。キングの剣、父の形見であるデカログスが壊された時の怒り、そしてキングへの対抗心。間違いなくそれは偉大な父に対する息子の尊敬。本来伝えられることは無かったそれをアキは伝える。そしてもう一つ。ルシアの身体を持っているからではなく、アキ個人としての言葉。


「それに……今のあんたを想ってる奴もいると思うぜ」


アキは告げる。今のアキが知るはずのない言葉。故にアキははっきりと伝えることはできない。だが間違いなく今のキングを想っている、愛している者がいることをアキは知っている。

深い雪の名をもつもう一人の息子が。


キングは知らず振り返る。だがそこにはアキの姿はなかった。先の言葉の意味もキングは理解できない。だが知らずキングは自らの心が軽くなっていることを感じていた。まるで何かに救われたかのように。

キングはそれでも進み続ける。自らの因縁と運命に決着を付けるために。その先に何が待っているか分かっていても―――――




『どうした、何を泣いておる?』
「うるせえ……何でもねえよ……」


マザーの言葉を振り払い、涙を流しながらもアキはその場を去っていく。それがアキ自身のものなのか、ルシアの身体だからなのかはアキにも分からない。それでもアキは進むしかない。自分が決めた自分の道を。

アキは知らなかった。先の出来事が一つの救いと一つの破滅をもたらすことを。


九月九日 『時が交わる日』 全ての運命が交わる日がすぐそこまで迫っていた―――――



[33455] 第三十五話 「変化」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/11/08 03:51
九月九日 『時の交わる日』

混沌の地、ルカ大陸にあるジンの塔と呼ばれる巨大な塔。そこで歴史を変える、世界の命運を賭けた戦いが起こっていた。

『エンクレイム』

ジンの塔によって行われる大量のDBを造る儀式。時が交わる日であるこの日のみその儀式が可能になる。そして今回の儀式はそれまでのエンクレイムとは意味が違っていた。

『エンド・オブ・アース』

それが今回のエンクレイムによって完成される究極のDB。十年の歳月を掛けることによってようやく完成された禁じられし力を持つDB。その名の通り世界を終わらせる力、大破壊オーバードライブを引き起こす力を持ったDB。そしてそれを生み出さんとしている一人の男がいた。

『キング』 

DC最高司令官でありDC最強の男。闇の頂点とまで呼ばれる力を持つ王。

だがそれはキングにとっては通過点に過ぎない。キングの真の目的はただ一つ。それはある男を苦しめ殺すこと。DCを作ったのもそれが本当の理由。世界征服でも殺戮でもなくただ一人の男を殺すこと。

『ゲイル・グローリー』

それがその男の名。ハルの父であり、キングと同じ名を持つ男。その実力はキングと互角とまで言われるほどの剣の使い手。キングのかつての親友でありそれが故にキングを止めんとする男。

キングとゲイル。二つの風による争い。それがこのジンの塔で行われている戦いの中心。だがそれだけではない。二人に縁のある者たちもまたこの決戦に臨んでいた。


レイヴの騎士たち。

『レイヴ使いマスターハル・グローリー』 『銀術師シルバークレイマームジカ』 『記憶喪失の少女エリー』 『レイヴの使いプルー』 『マッパーグリフォン加藤』


結界の都ラーバリア、そして闘争のレイヴを守る結界聖騎士団。

『団長ソラシド・シャープナー』 『結界の巫女レミ・シャープナ―』 『騎士団員フーア』


ゲイル・グローリー同様、キングを倒すこと、そしてエンド・オブ・アースの完成を阻止せんとする者たち。


だがハル達の足止めのためにキングは自らが持つ五つのDBの内の一つ『ゲート』によって王宮守五神と呼ばれる五人の魔人を差し向ける。


『角殺のルチアングル』 『竜人ドラゴンレイスレット』 『反撃のラカス』 『影使いリオネット』 『針使いロン・グラッセ』

五人全てが魔人千人に匹敵する力の持ち主たち。


レイヴ側とDC側。二つの陣営によって今、世界の命運を賭けた決戦が行われている。だがそれだけの人数がいながらもやはりその勝負はキングとゲイル、そのどちらが勝つかで全てが決まる。それほどまでに二人の力は拮抗し、そして図抜けている。中途半端な力など二人の前では通用しない。

だがその常識を覆すことができるほどの力を持った第三の勢力がそこにはいた。


「…………」


そこはかろうじてジンの塔が見えるほどの場所。周りには人気もなく広大な大地だけが永遠と続いているような荒野。そこに一人の少年がいた。彼の名はアキ。アキはローブを被ったまま身動きをせずその場にとどまっている。もしその場に誰かがいてもアキの存在に気づくことはない。今アキは自らのDBの力によって姿と気配を消しているのだから。吹き荒れる風がローブをたなびかせるもアキはそのままじっとジンの塔に向かって視線を向けている。その背中には黒い大剣が背負われている。いつ戦闘が起こっても構わないといわんばかりの状態。

それが『ダークブリングマスターアキ』 キングやゲイルに匹敵する力を持つ少年の姿だった。


(とりあえずは問題なさそうだな……)


アキはひとまずは安堵のため息を吐く。それはジンの塔で起こっている戦い。原作で言う第一部の最終決戦。今のところそれが問題なく推移していることを確認できたが故の安堵だった。

今アキがこの場にいる理由。それはこの戦いに余計な邪魔が入らないようにするため。この戦いはある意味キングとゲイルの決着が全て。そして他の戦力もギリギリのところで拮抗しているまさに綱渡りの戦い。そんな中に一つでもイレギュラーが入り込めば全てが崩壊しかねない。もちろんそれはアキ自身も例外ではない。それが分かっているからこそアキはその場から動くことも決戦に加わることもない。今回の自らの役目は裏方。アキ自身が決めた選択だった。もっとも自分が動くことがないに越したことはないのだがアキはいつでも動けるように臨戦態勢のまま大局を見据える。だがそれが面白くない存在がいた。


『どうした、もっと近づかんのか? こんなに遠くては観戦もロクにできんではないか』


どこか退屈そうな、不満そうな女性の声がアキの胸元から響き渡る。言うまでなくそれはマザー。マザーは退屈そうな態度を隠すこともなくアキへと愚痴を漏らす。アキはそんなマザーの様子に頭を抱えるしかない。今この場で一番の不安要素は間違いなく自分の首にかかっている魔石なのだと。


『うるせえぞマザー……文句があるなら送り返すぞ』
『ちょっとした冗談だ。何をそんなに気を張っておる。今回は参加せんと言っておったではないか』
『……前みたいなこともあったしな……念のためだ』
『前……ああ、あの閃光の主のことか。だが心配することは無かろう。この一帯には塔の中以外にはDBの気配はないぞ』
『まあな……』


マザーは偽りない事実をアキに告げる。それはシンクレアとしての力。この一帯、ジンの塔の中で戦っている者たち以外のDBの気配は感じられない。この広大な大地に囲まれた場所では例えルナールであったとしても気づかないわけがない。もっともそれはそれでマザーにとっては退屈なことには変わりないのだが。


『それはともかくもっと近づかねば様子が分からぬではないか。このままここでぼーっとしているだけか?』


マザーは気を取り直したようにアキに抗議する。外部から侵入者がある可能性は皆無。ならせいぜい楽しめるのはジンの塔内部の戦いを観戦することぐらい。マザーはこのままではそれすらできないと文句をつける。なんだかんだでキングの実力には興味がある。恐らく現時点ではアキ(マザー抜き)すら敵わない程の実力の持ち主。しかもアキの話ではそれに匹敵する力の持ち主もやってきているらしい。マザー個人としても興味がある戦いだった。だが


『うるせえな……ここからでも十分DBの気配で戦況が分かんだろうが。わざわざ近づく必要もないっつーの……』


それはアキの言葉によって遮られてしまう。マザーはそのまま黙りこんでしまう。だがそれはアキの言葉に不貞腐れたからではない。アキの言葉、その内容にこそマザーは言葉を失っていた。


『…………』
『ど、どうしたんだよ……いきなり黙りこんじまって……』
『……お主、ここからでもDBの様子が感じ取れるのか?』
『……? ああ、当たり前だろ。何言ってんだ……?』


アキはマザーの言葉の意味が分からず呆気にとられるしかない。アキはDBの気配を感じ取っていた。だがそれはマザーのそれとは大きく違っていた。マザーもアキ同様DBの気配を感じ取ることができる。その広さはアキの比ではない。シンクレア足るマザーの特性。だがアキはそれとは別にもう一つの感覚を持っていた。それはDBの状態とでも言うべきもの。これまで長い間DBたちと接することで磨かれてきたダークブリングマスターとしての力。それによってアキは遥か離れた場所、ジンの塔の中の戦況が手に取るように分かる。

既に王宮守五神が敗北したであろうこと。DBの一つは破壊され、他の三つのDBも持ち主を失い戦意を失ってしまっている。唯一DBを持っていないレットについては定かではないがタイミング的に考えて既に敗北しているのは間違いない。

その証拠にキングの持つデカログスが今まで見せていなかった形態変化を行っている。恐らくはハルがゲイルの元に辿り着いたからこそ。ブラックゼニスの力の発動も感じ取れたことからほぼそれは確実。今、ジンの塔の最上階ではキングとゲイル&ハルの戦いが始まっている。既に戦局は終盤。それを直に感じ取っているからこそアキはどこか緊張した面持ちでそれを見つめている。


(こやつ……やはりあの蒼髪の魔導士との戦いから壁を超えたようだな……)


マザーはそんな自らの主の成長を見ながらもどこか笑みを漏らす。もし実体化していれば妖艶な笑みを浮かべたカトレアの姿がそこにはあっただろう。

いかなマザーといえどもこんな離れた場所から個々のDBの状態まで感じ取ることなどできない。DBを極めしDBマスターであるアキだからこそできること。そしてそれに比例してDBを操る力も増してきている。今のアキなら六星DBの全てを操ることも不可能ではないはず。だがまだまだ道は遠い。

何故なら半年以内にアキには四天魔王を超えてもらわなければならないのだから。それがマザーとジェロとの契約(もちろんアキは知らない)一年以内にアキを大魔王の器にまでに成長させること。そして半年後には四天魔王から迎えが来るはず。同時に儀式が行われる。シンクレアの一つであるバルドルを賭けた四天魔王との戦いという儀式が。バルドルがいる以上アキは自らの力のみで四天魔王に打ち勝たなければならない。マザー個人としてはバルドルは最も嫌いな、苦手なシンクレア(能力的にも性格的にも)なのだがいたしかたない。

そしてその戦いのためにもアキには今の力を安定して使えるようにしてもらわなければならない。先日のジークとの戦いは火事場の馬鹿力のような要素が多かった。だがきっかけは掴めたはず。ならばあと一押し。もう一度幻との修行ではない命を賭けた実戦を経験させることができればキングと同等、それ以上に成長することができるはず。本当なら今ジンの塔で戦っているキングとゲイルの戦いに乱入させたいところなのだがどうやら難しそうだとマザーはあきらめる。だがまだそれに近い機会はどこかであるはず。その時こそが自らの主が表舞台に立つ時。


『くくく……』


知らずマザーは笑いを漏らす。同時に得もしれない高揚感がマザーを支配する。まるで熱でも出てきたかのよう。それ以上にどこか邪悪な光が石から漏れ始める。今のマザーの心境を現すかのように。


『……っ!? お、お前、どうかしたのか……? 何か様子が変だぞ?』
『ふふっ……気にするな。それよりもちょっと久しぶりに空間消滅デイストーションを使ってみる気はないか? 今の我ならジンの塔くらい消し飛ばせる気がするぞ』
『な、何言ってやがるっ!? なんでそんなことせにゃならんのだっ!?』
『いいではないか。最近発散できていなくて欲求不満なのだ』
『意味分かんねーよっ!? やるなら一人で勝手にやれ! 他人を巻き込むんじゃねえ!?』
『ふふっ、冗談だ……本気にするでない』


マザーは興奮してしまっている自分を何とか抑えながらも改めてジンの塔に目を向ける。同時にそこで今まさに完成したであろうDBの力を感じ取る。大破壊オーバードライブの力を持つDB。ある意味自分達DBの使命を形にしたかのような存在。


『なるほど……大破壊オーバードライブの力を持つDBか……道理でこれだけの力があるわけだ』
『そ、そうだな……』
『ふん……そんなに構えることは無い。あそこにはエリーがおる。前のようなことをする気は無い。契約は契約だ』
『そうかよ……』
『それにその時も言ったはずだが我らの手でそれを為すことが望ましい。それまではせいぜい楽しませてもらうぞ、我が主……』


マザーは怪しく笑いながらも気づかない。それがDBとしての、エンドレスとしての意志とはかけ離れていることに。それがDBとしてではなく、マザー個人の意志であることに。その意味にマザーはまだ気づかない。気づくことができない。

アキはそのままジンの塔に意識を向ける。自分の胸元にある魔石の変化に気づくことなく。間もなくやって来る予想もしない事態に対応することになるなど微塵も思わずに――――




ジンの塔の最上階。世界の命運を賭けた戦い。それが今、一つの結末を迎えようとしていた。


「ハアッ……! ハアッ……!」


荒い呼吸をしながらもその場に膝を突いている一人の少年がいた。それはハル。ハルはその手にあるTCMを杖代わりにしながら何とか身体を支えるも立ち上がることができない。だがその表情はどこか安堵に満ちた物。何故なら今、ハルは己の役目を果たしたところだったから。

ハルはそのまま目の前の光景に視線を向ける。そこには一人の男がいた。それはキング。DC頂点に立つに相応しい力を持った怪物。だが今、その姿は見るも無残なもの。甲冑は砕かれ、爆発によるダメージによって立ち上がることができず地に伏している。あり得ないような王の姿。敗北したキングの姿だった。

それはハルとプルー、レイヴの騎士のタッグの力。キングの力は凄まじくゲイルとハルの二人がかりでも倒しきれない程のもの。だがそれを覆す力が、勝機がやって来る。

『闘争のレイヴ』

蒼天四戦士の一人、クレア・マルチーズからそれを託されたエリーはハル達の元へとやってきた。その力によって千載一遇のチャンスを得たハルは自らの持つ全ての剣と力を以てキングに挑み、そして勝利を掴み取った。本来なら今のハルの実力は六祈将軍オラシオンセイスにも及ばない。だが仲間たちの想い、そしてついに再会を果たした父、ゲイルと共に戦うことによって限界以上の力を引き出すことでキングを倒すことができたのだった。


「やったねハル! すごかったよ!」
「ああ……でももう限界だ……立てそうにねえや……」


エリーは喜びを隠しきれないように慌てながら倒れかけているハルに向かって駆けよって行く。そんなエリーに良いところを見せようとするも足は既にガタガタ。ハルはあきらめてそのままエリーにもたれかかるように身体を任せる。文字通り全てを出しつくした代償。だがやはり恥ずかしいのかハルはそのまま顔を赤くしたまま。そんな中


「よくやったハル……それにしても見せつけてくれるじゃねえか」


ハル以上に体中に大けがを負ったゲイル・グローリーがどこかからかうような笑みを見せながらハルの頭に手を乗せる。そこには自分が知らない間に大きく成長した息子への喜びがあった。同時にどうやら思ったよりもマセているであろう息子へのからかい。


「やめろよっ! 恥ずかしいだろ!」
「いいじゃねえか。こんなときくらい」
「ハルったらパパさんに褒められて嬉しいくせに」
「う、うるせえ……! ほっといてくれ!」


このままではいいおもちゃにされてしまうと感じたハルは二人のからかいを払いのけて気合でその場を離脱する。そんなハルの姿にゲイルとエリーは笑いをこらえることができない。長く激しかった戦いが終わったことによる安堵。それが今のハル達を包み込んでいた。だがそんな中、まだ戦う意志を失っていない者がいた。


「ハアッ……ハアッ……」


それはキング。既に身体は満身創痍。床に這いつくばり立つことはできずデカログスを握ることすらできない。まさに敗北したに等しい状態。だがそれでもまだキングにはあきらめはみられない。それどころか今まで以上にその闘志がみなぎってきているかのよう。

それは怒り。

自分をこんな目に合わせたゲイルとハルへの。レアグローブの王族である自分がまたシンフォニアの王族に負けてしまうという事実。それがキングに負けを認めさせない。

だがそれ以上に今のキングを駆り立てるものがあった。

それは嫉妬。

目の前の光景によるもの。ゲイルとハル。親と子が戯れている光景。互いを想い合い、そして信じあっている光景。それがキングの中の何かを呼び覚ます。

自らの家族。妻であるエミリア。息子であるルシア。共に失ってしまった家族。孤独でいるべきだった自分が唯一得られた幸せ。孤独でいることを忘れてしまったがゆえに失ってしまった幸せ。

なのにそれをゲイルは、グローリーは持っている。グローリーの妻であるサクラを自分は奪った。自分が奪われたものを、その苦しみを全てグローリーにも味あわせるために。だが奴はまだ持っている。自分が失ってしまったものを。息子を。自分はルシアを失ってしまったのに奴はまだそれを持っている。

キングの脳裏に浮かぶ。幼いルシアの姿。そして大きくなればこうなっていたのでは。そう思えるような少年、アキの姿。それがキングの心を支配していく。

キングは自らの手にDBを持つ。そこには二つのDBがあった。

一つは『モンスタープリズン』

裏DBとよばれる禁じられたDB。使えば最後、暴走し取り込まれ自分自身さえ失ってしまう狂気の力。

もし怒りだけであったならキングはそれを選んでいただろう。ゲイルとの決着。それこそがキングの望み。だからこそこのジンの塔には自分以外のDCの者は配置していなかった。余計な邪魔が入らないようにするために。それは王としての誇り。そしてキングの意地とでも言うべきもの。だがそれすらも超える憎しみと悲しみがキングを覆い尽くす。そしてキングは手にする。

そのDBを。ハル達にとって絶対の絶望を与えるDBを。


「許さん……許さんぞ……」


キングはゆっくりとその体を持ち上げながら睨みつける。自らの敵であるグローリー。そしてその息子であるハルを。その瞳には確かな狂気があった。


「なっ!? ま、まだ動けるのか……!?」
「そ、そんな……」


ゲイルとハルは倒したと思っていたキングが動き出したことで驚愕しその場からすぐに動くことができない。それほどの執念が、怨念がキングにはあった。同時にその手にある物が晒される。キングが持つ五つのDBの内の一つ。


「貴様らだけには絶対に負けるわけにはいかん……今から見せてやろう。DCの力……六祈将軍オラシオンセイスの力をな……!」


瞬間移動のDB『ワープロード』 それがキングが持つDB。そしてモンスタープリズン以上の絶対的絶望を呼ぶもの。


六祈将軍オラシオンセイス……!?」


ハルはその名によって戦慄する。同時に蘇る。それはシュダとレイナの姿。自分が知る六祈将軍オラシオンセイスの二人とその力。既にシュダはいないもののまだ五人が残っている。


「そうだ……貴様らが戦った王宮守五神など足元にも及ばないような力を持つオレが認めた六祈将軍オラシオンセイス……その五人を今この場に呼び出す! この瞬間移動のDB『ワープロード』でな……!」


キングは高らかに宣言しながらその手を掲げる。自らが選んだ六人の戦士。その内の残る五人を今まさにこの場に呼び出すために。


ゲイルはその意味を悟り咄嗟に剣を再び構えながらもキングに向かって行くも間に合わない。


ハルはその名を知っていること、力を知っていることから身体がすくみ動けない。今の力を使いきってしまっている自分では六祈将軍オラシオンセイスと戦うことなどできないと悟ったからこそ。しかもそれが五人。奇跡が起こってもどうにもならない程の戦力差。


「これで終わりだ! グローリ――――!!」


キングは宣告と共にその力を解き放つ。瞬間、ワープロードの力が、光が辺りを包みこんでいく。絶望と破滅を孕んだ光が。


今ここに六祈将軍オラシオンセイスが召喚された―――――



[33455] 第三十六話 「金髪の悪魔」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/11/20 16:23
六祈将軍オラシオンセイス

DC最高幹部でありキングに選ばれし六人の戦士。それぞれが六星DBとよばれる自然の力を操る特別なDBを装備している者たち。その力は一人一人で一国に匹敵するといわれるほどのもの。まさにDCの切り札。

『無限のハジャ』 『悪魔候伯ベリアル』 『龍使いドラゴンマスタージェガン』 『銀術師シルバークレイマーレイナ』 『氷の魔法剣士ユリウス』

シュダを失っているため一人欠けるものの残る五人の六祈将軍オラシオンセイスが今、キングの手によって混沌の地、ルカ大陸にあるジンの塔に召喚される――――はずだった。



「なんだここは? 何もねえじゃねえか。キングの奴もいねえしよ」


一際大きな身体を持つ魔界の住人、べリアルがきょろきょろと辺りを見渡しながらもどこか不満げに愚痴を漏らしていく。だがそれは無理のないこと。何故なら今、べリアルを含めた六祈将軍オラシオンセイスのメンバーの全員が同じ心境だったのだから。

何もない荒野。それが今六祈将軍オラシオンセイスたちがいる場所。自分達を呼びだしたはずのキングの姿も近くにはみられない。ワープロードの力によって間違いなく呼び出されたにもかかわらず理解できない不可解な状況。


「おかしいね。でも間違いなくこれはキングの呼び出しだったはず。いかに美しすぎる僕でもこの状況は理解できないよ。ああ、なんて罪な男なんだ、僕は……」
「それはどうでもいいとして……ハジャ。確かキングは今、エンクレイムを行っていたはずよね?」
「左様。今日は九月九日。一年に一度、この日のみ暗黒の儀式エンクレイムが行われている」
「そうよね。てっきりジンの塔に呼び出されたのだとばかり思ってたのに……どういうこと? それに本部に待機命令を出しておいて急に呼び出すなんて……何かあったのかしら?」


レイナは今の不可解な状況に首をかしげることしかできない。今、六祈将軍オラシオンセイスには本部にて待機命令が出されていた。しかも一人ではなく五人全員に。滅多に招集されることがない六祈将軍オラシオンセイスを集めておきながらも待機命令。明らかに不自然な命令にレイナ達は疑問を感じ、本部からは離れ別の場所で待機していた。そしてその矢先のこの事態。何かは分からないが大きな事態、問題が起きているのは間違いない。


「がはははっ! あのキングがやられるようなタマかよ! 殺しても死なねえような奴じゃねえか!」
「…………」
「確かにキングがやられるなんて想像もできないよ。それはともかくみんなあれを見てごらん。かなり遠いけどあれはジンの塔じゃないかい?」


そしてそんな中、自らの額に手を当てながらも陶酔している黒髪の美青年のユリウスが指を差しながらある方向を指さす。そこには微かに見える程度ではあるがジンの塔があった。それはつまり間違いなく自分たちがルカ大陸に呼び出されたのだということ。


「なんだ、やっぱりジンの塔に呼び出したんじゃねえか。キングの奴、DBの操作を間違えたんじゃねえのか?」
「ちょっと考えにくいけどそれしかないね。よっぽど焦っていたのかな?」
「ともかくジンの塔に行きましょう。キングの意図もそれで分かるでしょ。でもちょっと距離があるわね……ジェガン、いつもの龍は一緒に来てないの?」
「…………」
「なんだ、いつもくっついてる龍は連れてこれなかったのかよ。使えねえ奴だな」
「べリアル、そこまでにしなさい。仕方ないわね……ハジャ、あんたの魔法で何とかならない?」


自分の持つ龍を侮辱されたことでジェガンが殺気を持った目で睨みつけるもべリアルは楽しげにそれを煽っている。そんな状況に溜息を吐きながらもレイナはハジャへと声をかける。ハジャは六祈将軍オラシオンセイスでも最強の存在でありリーダー。加えて魔導士でもある男。ハジャならばジンの塔まですぐに移動できる手段があるのではという考えだった。だが


「…………」


ハジャはそんなレイナの言葉が聞こえていないかのように黙り込んだまま。全く反応を示さない。同時にその視線もある方向に向けられたまま。だがそれはジンの塔へのものではない。何もない荒野に向かって。レイナはそんなハジャの不可解な行動に首を傾げるしかない。


「なんだ、ジジイも使えねえのかよ。仕方ねえ、オレ様の力で一気に移動してやる。お前らさっさと集まりな」
「やれやれ……美しくない言葉ばかり使うね。少しは僕を見習ったらどうなんだい」
「…………」
「全く……ハジャ、早く来なさいよ。置いておかれるわよ?」


べリアルの力によってジンの塔まで移動することが決まり皆がその周りに集まり今にも出発せんとしたその時、それは現れた。


「……? 何だ、ありゃあ?」


それは一つの人影だった。

ローブを纏っている一人の人物。それがべリアル達の前に現れる。その光景にべリアル達は驚きの表情をみせる。何故ならその人物はいきなりその場に現れたのだから。だがそれはあり得ない。ここは見晴らしがいい荒野。先程までここには自分以外誰もいなかったのだから。だがそれを可能にする力を、DBをその人物は持っていた。


「おお! 誰かと思えば君はアキじゃないか! 驚いたよ、まさかこんなところで会えるなんて! これも僕達の美しい友情の為せる技!」
「アキ……? 本当にアキなの? 何でこんなところに……」
「売人のアキかよ。なんだ、てめえもキングに呼び出されたってわけか?」


レイナ達はそのローブの人物がアキであることに気づき声をかけてくる。その背丈、そしてローブの間から垣間見える顔から間違いなくそれはアキ。DBをDCに供給する幹部の一人。何故かは分からないがアキもキングによって自分達同様呼び出されたのだと六祈将軍オラシオンセイスたちは考える。たった一人、ハジャを除いては。


「…………」
「…………」


アキとハジャ。大人と子供ほどに背丈も違う二人は互いに視線を交わす。まるで互いに相手の思惑を探り合うかのように。他の者たちはそんな二人の姿に疑問を感じるもののすぐに動き始める。ジンの塔、キングの元へと向かうために。だが


「お前達をこの先には行かせねえ……」


それを妨げるように六祈将軍オラシオンセイスの前に少年、アキは立ちふさがる。まるでこの先に触れてはならない物があるといわんばかりに。

六祈将軍オラシオンセイスたちはそんなアキの言葉と行動に呆気にとられるしかない。当たり前だ。それはまさに命令違反。DCに反逆するに等しい行為。気が触れてしまったと思われても仕方ないほどの愚かな言葉。


「ああ? しばらく見ねえ間に頭がどうかしちまったのか? オレ様達を止める? 六祈将軍オラシオンセイスでもねえ非戦闘員のお前が?」
「そうだよ。アキ、冗談にしてももっと美しい冗談をつくべきだよ。ほら、今なら間に合うよ。早くそこをのいて僕達と共にキングの元に行こう」
「…………」


べリアルは笑いながら、ユリウスは子供を宥めるように、ジェガンは無言のままアキと対面する。だが三人には全く恐れも動揺もない。何故なら三人にとってアキは幹部でありながらも戦闘員ではない。気にかけるほどもない存在なのだから。だが


「…………」


そんな三人の思惑を知りながらもアキはその手に大剣を掴む。身の丈ほどもあるのではないかという巨大な剣。その光景に六祈将軍オラシオンセイス全員の表情が変わる。先程までの言葉だけではない明確な敵対行為。剣を抜くというこれ以上ない意志表示。それを前にしたことでようやく六祈将軍オラシオンセイスは悟る。アキが本気で自分達を相手にするつもりなのだと。


「本気なの……アキ? 冗談じゃすまされないわよ」


レイナがどこか冷酷さを感じさせる声色で告げる。最終通告。もしここで前言を撤回しないならば容赦はしないという意志。レイナは他の三人とは違いアキが戦えることは知っていた。恐らくは自分たち六祈将軍オラシオンセイスと同等の実力の持ち主。『金髪の悪魔』の名を持つ少年。だがそれでも正気を疑うしかない。確かにアキが六祈将軍オラシオンセイスを超える力を持っている可能性もゼロではない。だがこの場には自分を含め五人の六祈将軍オラシオンセイスがいる。そんな状況で戦闘を仕掛けるなど狂気の沙汰。

そしてレイナ個人としてはアキは有用な人物、パートナーといってもいい存在。これからも自分の探し物についても力を貸してもらうつもりだった存在。できるならこんなところでそれを失いたくはない。レイナはそのままアキの答えを待つ。冗談だったと、そういつものように慌てながら弁明するアキの姿を。だがそれはいつまでたっても訪れない。あるのは明確な敵意だけ。その剣が、ローブの中から垣間見える瞳が先の言葉に偽りは無いと物語っている。


「そう……残念だわ。あなたのこと、嫌いじゃなかったのにね」


レイナはそのまま自らの腕にある銀に、DBに力を込める。いかなアキといえどもDCに牙をむくのなら容赦はしない。裏切り者を生かしておくほどDCは甘くは無いと示すように。


「どうやら本気みてえだな。それに何だその剣は? キングの真似事のつもりか?」
「落ち着きなよ、二人とも。ここは僕に任せてくれ。僕が美しく友人であるアキを止めてみせるよ」


髪をかきあげ、自分に酔いながらも一人ユリウスはアキへと近づいて行く。同時にその手に先程までなかった物体が現れる。それは魔法剣。氷の属性を持つユリウスが持つ六星DB『アマ・デトワール』


「さあ、アキ。心配しなくてもいいよ。僕が美しく君の正気を取り戻してあげよう」


ユリウスはそのまま魔法剣に力を込めながらもアキに振るう。

行動停止フリーズ

それがその能力の名。その名の通り相手を行動不能にしその場に縛り付ける氷の力。どんな相手でも数秒間動きを止めることができるという反則に近いもの。六祈将軍オラシオンセイスの一人たるユリウスの力。だが


「え?」


ユリウスは呆気にとられたような声を上げることしかできない。何故なら自分の目の前にいた筈のアキが忽然と姿を消してしまったのだから。だがユリウスは混乱するしかない。確かに余裕は見せていたが敵から目を離すほど甘くは無い。しかも自分が力を使おうとしたその瞬間にいなくなってしまっている。まるで


「――――っ!?」


瞬間、凄まじい衝撃がユリウスを襲う。それは拳。何者かの拳が凄まじい勢いでユリウスの顔面に突き刺さる。理解できない事態にユリウスはそのままその鉄拳によって吹き飛ばされる。


「な……顔が……僕の美しい顔が……!?」


ユリウスには一体何が起きたのか分からずただされるがまま。そのまま痛みによって悶絶しその場に蹲ってしまう。あるのはただ自分の美しい顔が傷つけられしまったことに対する心配だけ。


「ちっ……馬鹿が。油断しやがって……」


べリアルはそんなユリウスの醜態を見ながらも先の攻防を見抜いていた。ユリウスが力を使おうとした瞬間アキの姿が消え、突然ユリウスの背後に現れたのを。べリアルは看破する。恐らくは瞬間移動に属する能力のDBをアキが持っているであろうことに。だがべリアルに焦りや恐れは無い。確かに厄介な能力だがそれでも対応できないほどではない。何よりもこのままなめられっぱなしでは六祈将軍オラシオンセイスの名に関わる。


「しょうがねえ……オレ様が相手をしてやる。光栄に思えよ、アキ。お前には特別にオレ様のDBの力を見せてやる」


邪悪な笑みを浮かべながらもべリアルは自らの指を鳴らす。何かの合図のように。瞬間、あり得ないようなことが起こる。

それはまさに地震。

まるでこの場だけが地震に襲われてしまったかのような振動が起こり始める。それだけではない。辺り一帯の地面がべリアルの合図に合わせるように隆起し、形を変えながらもアキに向かって襲いかかっていく。まるで雪崩のように。意志があるかのように。その規模は地面や岩といったものではない。

大地。

人が生きる上で欠かすことができないもの。それを操ることがべリアルにはできる。それこそがべリアルが持つ六星DB『ジ・アース』の力。その名の通り大地を意のままに操ることができる強力な無比な力だった。

だがそれを覆すことができる存在がいた。


「何っ!?」


驚きはべリアルだけのもの。それは目の前の光景。自分に向かって接近してくるアキの姿。だがあり得ないことが二つあった。

一つはその速度。とても人間とは思えないような速度でアキは動いている。まるで風のように。音速すら超えているのではないかと思えるようなスピード。べリアルの目を以てしても後を追うのが精一杯である程の高速移動。

もう一つがその軌道。いかに速度で優れていようとアキは地面を移動している。ならば大地を操り攻撃を仕掛けるべリアルの敵ではない。だがその全ての攻撃が当たらない。その岩の挟撃も、地面の崩壊も、押しつぶさんばかりの土の雪崩も。アキは難なくそれを躱しながらべリアルへと向かってくる。完璧なタイミングと判断によって。まるでその全ての攻撃を見切っているかのように。


(野郎……調子に乗りやがって……!)


べリアルは予想以外の事態にいらだち、顔を歪ませながらもそのままアキを迎え撃たんとする。だがその姿はまるで無防備そのもの。それはべリアルの自らの身体への自信。魔界の住人であるべリアルは人間とは違いその身体の強靭さも桁外れ。極端な話DBがなくともその肉体だけでも並みの相手ではかすり傷一つ負わせられない程の力を持っている。べリアルはそのまま腕を組みながら自分に迫って来るアキを待つ。剣での攻撃を無傷で受け、そのまま驚愕したアキをDBの力によって打ちのめさんとするために。だがアキが目の前にまで迫った時、べリアルは目にする。それはアキの持つ剣。その形態が先程とは大きく変わっている。瞬間、べリアルは己の全力、最速の対応でアキと自分の間に大地の壁を造り上げる。べリアルも自分が何故そんな行動をしたのか分からぬまま。まさに直感、本能の様なもの。そう、そのままあの剣を受けてはいけないという――――


瞬間、大地が崩れ去った――――


「ぐあっ!!」


べリアルは声を漏らしながらもそのまま遥か後方に吹き飛ばされる。その刹那、べリアルは目にする。自分を守るために造り上げた大地の盾が跡形もなく砕かれてしまっている光景を。同時に悟る。先の剣の一撃の際に凄まじい規模の爆発が起こったことを。大地すら破壊して余りある力を持つ爆発。もし盾を作っていなければ先の一撃で自分が敗北していたであろうことを。だがそんなべリアルの隙を見逃さんとばかりにアキはさらなる追撃を加えんとする。全く油断も隙もない戦士の姿。べリアルは何とかその場から離脱しようとするも間に合わない。だが


「そこまでよ、アキ」


そんなアキの行く手を阻むように銀の塊がアキの周囲を一瞬で包囲する。その数は優に五十を超える。その全てがアキに矛先を向けている。まさに絶対包囲。逃げ場もなく防御も不可能な攻撃。それこそがレイナの持つ六星DB『ホワイトキス』の力。


「卑怯とは思わないでね。こんな状況で戦いを挑んだ自分の愚かさを呪いなさい」


宣告と共に銀の槍の雨がアキに向かって容赦なく降り注ぐ。その矛によってアキを文字通り串刺しにせんと。いかにアキが力を持っていたとしてもここまで。確かに六祈将軍オラシオンセイスに匹敵、凌駕する実力を持ってはいたようだがここには全ての六祈将軍オラシオンセイスがいる五対一という状況。一対一の尋常な勝負を許すほどレイナは甘くない。DCに反逆した時点でアキは六祈将軍オラシオンセイス全員にとっての敵なのだから。レイナがそのまま自らの勝利を確信したその瞬間、

全ての槍は空を切ったかのように地面へと突き刺さってしまう。まるで幻を貫いたかのように。


(これは……!?)


レイナは目の前で起こった事態に戦慄する。だがそれはアキが幻になってしまったからではない。その力をレイナはこれまでのアキとの接触から知っている。ジークによれば偽装する力。だが今の状況でそれがあり得るのか。間違いなく先程までアキはべリアルと抗戦していた。つまり本物、幻ではない。それはつまりべリアルに追撃せんとした時から既にアキは幻と入れ替わっていたのだということ。それは奇しくも自分がDBによってアキを包囲せんとした瞬間。その事実にレイナは自分の背中に嫌な汗が滲んでいることに気づく。

まるでアキに自分の動きが全て読まれているかのようなあり得ない感覚。

レイナとべリアルは体勢を整えながらもアキの姿を捉える。先のレイナの攻撃から離れた場所にアキはいた。その手に剣を持ったまま、息一つ乱すことなく。先程の攻防などなかったのだといわんばかりの姿。知らずレイナとべリアルは息を飲んでいた。ローブによって表情は伺えないものの発せられる雰囲気が先程とは全く違う。そこにいるだけで身がすくんでしまうようなあり得ない重圧。それはまるで――――


「てめえ殺すぞ、このクソガキがあああああっ!!」


そんな空気を壊すかのように絶叫しながらユリウスがアキに向かって突進していく。その表情はまさに鬼その物。先程までの優男の姿は欠片も残っていない。完全にキレてしまっている姿。二重人格と言ってもおかしくないような豹変。自らの美の象徴たる顔を傷つけられてしまった怒りによってユリウスは完全に逆上しアキに向かっていく。


「死ねえええええっ!!」


ユリウスは怒りのままに魔法剣をアキに向かって振るう。同時にその剣から凄まじい冷気が生まれ辺りを凍らせながらアキへと迫って行く。その力によって空気までが氷り、アキへと降り注がんとする。それが六星DBアマ・デトワールの真の力。先の行動停止フリーズのような擬似的なものではない。本物の氷の力による凍結。触れれば一瞬で氷漬けになってしまうほどの力。だがそれは


「…………」


アキの持つ剣の一振りによって防がれてしまう。それは唯の剣ではない。そこからあり得ないような規模の炎が生まれている。まるでユリウスの攻撃を、力を知っているかのように完璧なタイミングで紅蓮の炎が氷の力を防いでいく。その光景にユリウスは我を取り戻し驚愕する。自らの全力の攻撃が防がれてしまっている事実に。


「ば、馬鹿な……!?」


それはアキの持つ『双竜の剣ブルー=クリムソン』の内の一つ、炎の剣の力。今のアキのそれは六星DBであるアマ・デトワールにも匹敵するもの。

アキはそのまま双剣によってユリウスに斬りかかる。ユリウスはあり得ないような事態を前に身動きをとることができない。非戦闘員のはずのアキに、しかも自らの全力の攻撃を防がれてしまうという悪夢のような状況。そしてそのままユリウスが切り捨てられんとしたときまるでそこに割って入るかのように一人の男がアキの剣を受け止める。


「す、すまない……ジェガン……」


ジェガンは無表情のまま己が大剣でアキの双剣を受け止める。そのままアキとジェガンは互いに睨みあいながら鍔迫り合いを続ける。両者の剣の交差と摩擦によって金属音が辺りに響き渡るも互いに一歩も譲らない。両者の力は拮抗しているように見えた。そう、アキとジェガン以外にとっては。


「…………!」


決して表情を変えることのないジェガンの顔に変化が生じる。わずかな変化だがそれはジェガンにとっては焦りと驚愕を示すもの。確かに単純な剣、腕力という点では拮抗しているといってもいい。だがそれ以外の要素が今まさにジェガンを追い詰めていた。

炎と氷。

アキが持つ双剣の力が鍔迫り合いをしているにも関わらずジェガンへと襲いかかって来る。その証拠にジェガンの両手は凍傷と火傷によって蝕まれていく。だがそれはジェガンだからこそできること。

『ユグドラシル』

ジェガンが持つ六星DBであり大いなる樹の力を操るもの。それはいかなる力も吸収し無力化してしまうもの。今、ジェガンはその力をも以てアキの持つ双剣に対抗している。だがそれでもその力を吸収しきることができず徐々にではあるが手が蝕まれていく。もしユグドラシルがなければ一瞬で両手が使い物にならなくなってしまう規模の力。


「ちっ……!!」


初めて苦悶の声を上げながらもジェガンは全力で剣に力を込め強引にアキと距離を取る。だがそれは拮抗状態から脱するためだけのものではない。ユグドラシルのもう一つの力を解放するためのもの。

ジェガンが手を振るった瞬間、アキの足元から無数の植物が次々と生まれてくる。小さな花のつぼみのようなもの。だがそれはただの植物ではない。ユグドラシルの力によってのみ操ることができる植物。それが一斉に花開きその種を弾丸のようにアキに向かって放って行く。まさにマシンガンのような弾雨。先のレイナの槍の雨にも匹敵する弾幕。

種子砲シードバルカン

もしその種の一つでもその身に受ければその瞬間、大いなる樹の力に取り込まれてしまうまさに一撃必殺の技。既にアキに逃げ場は無く幻ではないことは先の攻防で確認しているジェガンは己が勝利を確信する。だがそれは先のユリウス同様、剣の一振りによって破られてしまう。


「なっ――――!?」
「うあああああっ!?」


ジェガンとユリウスはそのまま木の葉のようにその場からはじき出される。圧倒的な暴風、風の力によって。同時にアキを襲うはずだった種子もそれを生み出す花達も為すすべなく吹き飛ばされ力を失ってしまう。

真空の剣メル・フォース

その力によってアキは種子に触れることなくその全てを無力化する。さらにはその力によってジェガンとユリウスは吹き飛ばされるもののレイナとべリアルの力によって何とか受け止められる。四人はそのまま並びながらも目を向ける。そこにはまた先程とは異なる剣を持つアキの姿があった。

既に六祈将軍オラシオンセイスたちに先程までの余裕も自信もない。そんなものはとうに木っ端微塵に砕け散ってしまっていた。まるで自分達の力を全て見抜かれているかのような事態の連続に。しかも相手は全くの無傷。それどころかローブに触れることすらできていない。

それがアキの力。ルナールとの、ジークとの戦いによって王の域に到達した証。そしてもう一つがダークブリングマスターとしての力。

魔石ダークブリングを持つ者では魔石使いダークブリングマスターには敵わない。

それが母なる闇の使者マザーダークブリングでない限り。


ある感覚が四人を支配していく。まるでそう、自分達が戦っているのがアキではなくキングなのではないか。そう思ってしまうほどのあり得ない事態。四人はそのまましばらくアキと対面しながらも何とか意識を切り替える。既に先程までの油断や慢心はない。全力でアキを殺りにいくという意志を持って六祈将軍オラシオンセイスたちはアキと向かい合う。だがその瞬間、あることにようやく四人は気づく。それはアキの視線。それが自分たちではなく全く違う所に向けられていることに。


「…………」


『無限のハジャ』

アキはハジャに向けて視線を向けたまま。同時に他の四人はようやく気づく。今まで自分達が覚えていた違和感。まるで片手間に自分達を相手にしているかのようなアキの余裕とその理由。それはつまり自分達と戦いながらもアキはずっとハジャのみを警戒していたのだということ。つまりは今までの戦いはアキにとって全力ではなかったということ。あり得ない、そして四人にとっては許すことができない侮辱だった。


「てめえ……舐めやがって……今すぐぶち殺してやる!!」


べリアルの怒号と共に四人の六祈将軍オラシオンセイスが自らの全力を以てアキを葬らんと襲いかかる。

べリアルは自らの持つDB『ジ・アース』の力を限界まで行使し、一帯の大地全てをまとめ、アキを押しつぶさんとする。天変地異にも匹敵する規模の攻撃。

レイナは『ホワイトキス』の力を解放し、銀によって一体の白銀の戦士を作り上げる。『白銀の帝』と呼ばれる銀によって生み出された変幻自在の戦士。ホワイトキスによる力とレイナの銀術師シルバークレイマーの力が合わさることによって可能な奥義。

ジェガンは自らの腕にあるユグドラシルによって再び樹の力を解放する。先の種子砲だけではなく、もう一つの力も加えながら。ユグドラシルの力によって数えきれないほどの樹が生まれてくる。『王樹の刃アルベロブレード』その名の通り樹の王たる樹木による刃のごとき攻撃を可能にする技。二つの技による絶対包囲。

ユリウスは魔法剣アマ・デトワールによって辺りの空気を凍結させながらアキに向かって放つ。それはまさに氷塊。人間一人など容易く押しつぶして余りある圧倒的な質量による攻撃。

それぞれが一国に匹敵する規模の攻撃。避けることも防ぐこともできないもの。それが四つ。だがその状況の中で彼らは聞いた。その声を。


「爆発剣舞……」


瞬間、四人は戦慄する。既に自分達の攻撃は放たれている。もはや勝負は決した。そう断ずるしかない状況。にも関わらず得も言えない感覚が彼らを支配する。アキが剣を振りかぶる動き。それがスローモーションのように映る。そう、まるで走馬灯のように――――


「ま……まずいっ!!」


ジェガンが悲鳴に似た声を上げるもそれは振るわれる。全てを破壊し尽くす剣の一振り。自らの王が持つ最高の攻撃。死の爆撃波。


『デスペラードボム』


その瞬間、全てが消え去った―――――




凄まじい爆音と衝撃が収まった荒野。後には無残な破壊の爪痕が残っているだけ。焼け野原という表現すら生ぬるいほどの爆撃。それがアキの放った奥義。キングが得意としている技だった。それは六祈将軍オラシオンセイス四人の奥義をまとめて吹き飛ばして余りある規模。だがそんな中、ふらつきながらも何とか立ち上がる四つの影があった。


「ど……どうなってんだ……明らかにオレ達より強えんじゃねえか……!?」
「ジェガン! あんたのDBで吸収してもなおこの威力だっていうの……!?」
「…………!」
「あ、あり得ないよ……アキがこんなに美しく強いなんて……!」


四人は既に満身創痍となってしまっている身体に鞭打ちながらも何とか立ち上がる。だがそれで精一杯。もはや戦う力は残ってはいない。それでもこれはジェガンのユグドラシルの力によって軽減されたおかげ。もしそれがなければ一撃で戦闘不能にされていたに違いない力。その持ち主が凄まじい爆煙から現れる。一歩一歩確実に。まるで悪夢のような光景。知らず四人は後ずさりをしてしまう。それは恐怖。目の前にいるアキへの。その力への。そして四人が完全に戦意を失いかけてしまったその瞬間


星夜ファイメイナ


そんなどこかで聞いたことのある老人の声が、呪文が響き渡る。瞬間、星が降り注いだ。

それはまるで夜の星空。そう思えるほどの光の星がアキを取り囲み同時に爆発を起こしていく。その規模は先のデスペラードボムに匹敵するもの。星の爆発の波にアキは飲み込まれ姿を失う。凄まじい爆音と衝撃によって四人は視界を奪われ何が起こっているのか分からない。ただ分かるのは自分達も下手をすればその攻撃、魔法に巻き込まれかねないということだけ。だがそれだけでは終わらなかった。


英雄達の船アルゴ・ナウティカ


もう一つの呪文と共に遥か上空に船が現れる。海を渡るための船。だがその大きさと風貌がそれがただの船ではないことを示している。何よりも船が空に浮かんでいるなどあり得ない。だがそんなことすら些細なことだといわんばかりにさらなる衝撃が砲撃が船から放たれる。船の直下、アキがいるであろう場所に向かって。その瞬間、まるでこの世のものとは思えないような爆発が巻き起こる。それまでの星の爆発すらかき消してしまうほどの圧倒的な砲撃。

それこそが『無限のハジャ』の力。

ジークが持つ七星剣グランシャリオを上回る宇宙魔法。その二連撃によってアキはその姿を消してしまった―――――



「じ、ジジイ……てめえやるならやるって言いやがれ! オレ達まで殺す気か!?」
「ほんとよ……! 巻き込まれて死ぬなんて冗談じゃないわ!」
「…………」
「でも助かったよ……出来ればもう少し控えめにしてくれると助かったんだけど……」


四人は息も絶え絶えにそれぞれ上空に浮かんでいるハジャに向かって抗議する。何の断りもなしにあれだけの大魔法を連発してきたのだから。自分達を狙ったものではないしてもその余波だけでも死にかねないもの。だが同時に四人は安堵していた。経過はどうであれ目の前の脅威は消え去ったのだから。ようやく訳が分からない、あり得ない事態の連続から解放されたと思った瞬間に四人は気づく。

ハジャが全くその場から動かないことに。そしてその表情が全く変わっていないことに。その視線がある一点を見つめていることに。


瞬間、『力』が辺りを包み込んだ。


まるでこの世の不吉の全てを孕んでいるのではと思えるほどの邪悪な力が生まれてくる。六祈将軍オラシオンセイスたちはその中心、ハジャの魔法によってクレーターのようになってしまっているその爆心地に目を奪われる。

そこには光の玉があった。人一人程の大きさの光の玉。だがその光からあり得ない程の力が発せられている。背筋が凍るどころではない。その場に倒れ込んでしまい様な圧倒的な力。それが何なのかレイナたちには分からない。だがその光景にハジャでさえ驚愕の表情を浮かべている。そしてその光の玉が徐々にその力を解除していく。


空間消滅デイストーション


それがその力の名。空間さえも歪ませ消し去る禁忌の力。そして今の光の玉はその極み。その力と範囲を操ることによって自らの周囲に張る技。絶対防御とでも言うべき奥義。その前ではハジャの魔法すら通用しない究極の一。

そしてその中から一人の少年が姿を現す。だがその姿は六祈将軍オラシオンセイスたちが知るものとは違っていた。

金髪。それは王者の証。呪われた血を持つ者である証拠。

顔には大きな切傷がある。だがそれすらもその少年にとっては意味があるもの。その身体の本来の持ち主が受けた心の傷の証。

圧倒的な威風と風格にその場にいる者は誰ひとり言葉を発することができない。だがその胸中はたった一つの言葉に支配されていた。


『金髪の悪魔』


世界中が恐れ忌むべき名。それがこの少年なのだと。


だがそんな中であっても六祈将軍オラシオンセイスたちは何とか我を保ちながら自分達がどうするべきか思考する。戦うべきか、逃げるべきか。そんな単純な二択。だがそんな選択肢すら金髪の悪魔を前にしては残されてはいなかった。


「「「「―――――っ!?」」」」


瞬間、驚愕が、絶望が四人の六祈将軍オラシオンセイスを包み込む。それはある事態によるもの。四人共同時に自らが持つDBに目を向ける。何故ならその全てが自分達の命令を受け付けなくなってしまったのだから。


「ど、どうなってんだこりゃ!?」
「そ、そんな……!?」
「………!?」
「な、何故僕の言うことを聞いてくれないんだい、アマ・デトワール!?」


あり得ない事態に四人は焦り狼狽するしかない。当たり前だ。自分たち力の源たるDBが使えなくなってしまったのだから。それも全て同時に。四人はようやく気づく。アキの胸元に一つのDBが掛けられていることに。その不吉な光が、力が辺りを支配していることに。


母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア』


この世にあるDBの中の頂点に立つ五つのDBの母。その一つが今、金髪の悪魔が持っているDBの正体なのだと。その前ではDBは何の力も持たない。その子供である六星DBに抗う術は無い絶対的な存在。

絶望的な状況にその場に立ち尽くすことしかできない四人にさらなる衝撃が襲う。それは光。この場から遥かに遠くから光が生まれてくる。目の前にあるシンクレアの光に酷似した光が。


「皆の者……聞くがよい。今、この瞬間、キングは死んだ」


それを見届けた後上空から舞い降りながらハジャが告げる。ジンの塔で行われていた戦いが終わり、そしてキングが死んだことを。


「「「「―――――」」」」


その宣言に四人は言葉を失う。それはハジャの言葉が真実だと悟ったからこそ。魔導士であるハジャであればキングの安否を探ることなど容易いと知っているからこそ。


「そしてキングは我らDCを裏切った……先の光は大破壊オーバードライブ。それをキングはDC本部で起こした。我々は最初から嵌められていたのだ……」


さらにハジャは続ける。事の顛末を。キングの裏切り、そしてDC本部の壊滅。度重なる信じられない事態の連続にレイナ達はただ呆然とするしかない。そんな中、ハジャは一歩一歩静かに金髪の悪魔に近づいて行く。四人はその光景に息を飲む。自分達は満身創痍に加えDBも使用不可。もはや自分たちの中で金髪の悪魔に対抗しうるのはハジャのみ。もしハジャが敗北すればこの場にいる全員の命は無い。そう悟るに十分な力と風格を金髪の悪魔とシンクレアは持っている。そしてついにその二人が接触するかに思えた時

ハジャはそのまま膝を突き、首を垂れる。まるで忠誠を誓う騎士のごとく。金髪の悪魔に向かって。


「何やってんだジジイ!? 怖気づいちまったのかよっ!?」


信じられない光景にべリアルは声を上げることしかできない。それは他の者たちも同じ。六祈将軍オラシオンセイスの中でも最強の、リーダー足る男が命乞いをするなど。だがハジャは全く動じることなく告げる。


「案ずることは無い……全ては定められたこと……」


ハジャはそのまま面を上げる。そこには一人の少年がいた。無表情のままハジャを見下ろしている、六祈将軍オラシオンセイスを見据えている少年、アキ。金髪の悪魔の二つ名を持つ存在。だが彼にはもう一つの名があった。それは


「新たなる王……『ルシア・レアグローブ』」


呪われた血を受け告ぐ名。まさにDCを受け継ぐに相応しい存在。キングの血を引くもう一人の、新たな王。


『ルシア・レアグローブ』


この瞬間、六祈将軍オラシオンセイスとの戦いの幕が落ちる。


『監督 マザー』 『主演 アキ』 『助演 デカログス、ワープロード』 『効果、演出 イリュージョン』 『番外 ハイド』


そして新たな王の誕生と共に次の幕が上がる。


少年は踊り続ける。今までと変わらず。新たな役を演じきるために。それが何をもたらすのか知らぬまま―――――



[33455] 第三十七話 「鎮魂」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/11/20 16:22
ジンの塔の最上階。そこで今、長く続いた戦いの決着がつかんとしていた。既に建物は無残に破壊されいつ崩壊してもおかしくない程の状態。それは一人の男の力、怨念によるもの。


「がアアアアアアア―――――!!」


凄まじい咆哮と共に一条の光が生まれ全てを葬り去って行く。光線のごとき力をその口から放ちながらも怪物は自らの獲物を狩らんと襲いかかる。それが今のキングの姿。既に理性は無く、身体は人間の物ではなくなってしまっている。血が流れることもない、涙を流すこともない一匹の怪物。裏DB『モンスタープリズン』の力。使用者の精神を閉じ込め、その代償と共に怪物の名に相応しい力を与える禁じられた力。ワープロードによる六祈将軍オラシオンセイスの召喚が失敗に終わってしまったキングに残された最後の手段。その力がゲイルとハル。二人の親子に襲いかかる。だが既に二人は先の戦いによって満身創痍。とても戦えるような状態ではない。だが二人は全くあきらめることなく持つ剣に力を込めながらキングに向かって行く。ハルはレイヴの騎士として。ゲイルはキングの友として。共にキングを止めるために。だが


「がっ!?」
「親父っ!?」


その力の差は歴然たるもの。いくら消耗しているとはいえ二対一。にも関わらずゲイル達の攻撃はキングの肉体を傷つけることすらできない。生身の身体で剣を受けるという信じられない強度。まさしく怪物に相応しい力。その力によってゲイルは剣ごと吹き飛ばされ地面へと倒れ込む。だがその致命的な隙を見逃さないとばかりにキングの口が大きく開かれる。


(マズい……!!)


瞬間、ゲイルは戦慄する。数秒に訪れるであろう光線による攻撃。今の自分、しかもこんな体勢では防ぐことも躱すこともできない。走馬灯にも似た感覚の中でもゲイルは決してあきらめることなく打開策を探る。今自分が死ねば身体に埋め込まれたDB『エンド・オブ・アース』によって大破壊オーバードライブが起こってしまう。それだけは絶対に避けなければ。そんな思考の中にあっても避けれない死の光が放たれた瞬間


「親父――――っ!!」


叫びを上げながらハルが倒れ込んだゲイルを庇わんと飛び出す。ゲイルはその光景に驚きながらも声にならない声を上げる。このままではハルが死んでしまうという戦慄。だがそれを振り払うようにハルはその剣によってキングの光線を切り裂く。

封印の剣ルーン・セイブ

いかなる魔法も切り裂く魔法剣。それは魔法以外の力にも有効なもの。それによってハルはキングの攻撃を間一髪のところで防ぐ。だが安堵する暇すらハルには与えられなかった。


「ぐわあああっ!!」


ハルは叫びを上げながらも自分の身に何が起こったのか分からない。既に視界は暗く、あるのは体中を走る激痛だけ。そこに至ってようやくハルは消えかける意識の中で悟る。今、自分がキングの攻撃によって地面へとめり込んでいるのだと。


「アアアアアアアア――――――!!」


歓喜の声にも似た絶叫をあげながらもキングはその拳によって、爪によってハルを追い詰める。一瞬でハルとの距離を詰めながら。獲物を捉えた獣そのもの。その苛烈さは先の比ではない。ゲイルを相手にしていた時以上の怨念、怒りを以てキングはハルを殺さんと迫る。それはキングの怒りと悲しみ。既にその精神は怪物の牢獄によって捕えられている。にもかかわらず怪物はそれを奪わんとする。自分が持っていない、奪われてしまったものを。その苦しみを、絶望をゲイルにも与えるために。ハルは既に意識を失いかけながらも為す術がない。そしてついにその爪がハルを切り裂かんとした時


「キング―――――!!」


鬼気迫った気迫と表情を見せながらゲイルが自らの息子を救わんと迫る。その手にある剣に凄まじい光が灯っている。どんなものでも切り裂くことができるほどの圧倒的な力。

天空の秘剣 『空束斬』

ゲイルが持つ剣の奥義。空が見える場所でのみ使うことができる最初で最後の切り札。その秘剣を以てゲイルはキングへと斬りかかる。まさにキングに止めをささんとするために。だがそれはキングの手によって防がれる。その片手によって直接剣を掴まれることによって。片手での白羽取りという絶技。ありえないような事態に驚愕しながらもゲイルはその剣に力を込める。己の残された力の全てを込めて。


「空の力を知れ、キング―――――!!」


ゲイルは目に涙を見せながらも剣を押し込んでいく。キングの手がその力によって切り裂かれていく。だがそれでも圧倒的な強度と再生力によってキングはそれに耐え続ける。だが徐々にだが確実にその剣がキングへ向かって進んでいく。凄まじい咆哮を上げながらも抵抗するキングの姿を見ながらもゲイルの中にはただ在りし日の光景だけがあった。

かつてのキングとの、親友との日々。初めて出会い、惹かれあい、語り合い、共に駆け抜けた日々。決して色あせることは無い記憶。

憎み合い、殺し合う今になっても。自らの妻であるサクラを殺されたとしても。ゲイルは心からキングを憎むができなかった。例えどれだけの闇に落ちようと、怪物に身を落としたとしても、ゲイル・グローリーにとってゲイル・レアグローブはかけがえのない親友なのだから。

その全ての想いを乗せた一撃が、ついにキングに届かんとした時、それは起こった。


「なっ――――!?」


ゲイルは一瞬、何が起こったのかは分からず声を上げることしかできない。だがすぐに気づく。自分の剣がキングを切り裂いたことに。だがその一撃はキングを止めるだけのものではない。同時にキングの右腕が地面へと落ちる。ゲイルの空束斬によって。それは囮。自らの右腕を捨てることによってゲイルの隙を生み出すための。考えもしなかった、常軌を逸したキングの策にゲイルが怯んだ一瞬の隙を突き、キングの拳がゲイルに突き刺さる。ゲイルはそのまま信じられないような力によってその場から吹き飛ばされてしまう。


「―――――」


痛みによって悶絶しながらもゲイルは何とかその場に膝を突きながらもキングに向かい合う。既にいつ倒れてもおかしくない状況。だがキングも右腕を失ってしまっている。勝機はまだ失われていない。ゲイルはそう考えていた。だがそれがすぐに間違いだったと悟る。ゲイルはそのままその光景に目を奪われる。既に声を出すことすらできない。ゲイルは絶望する。自分が敗北以上になしてはいけない間違いを犯してしまったのだと。ゲイルが呆然としている先。そこには


倒れ伏しているハルに向かって止めを刺さんとしているキングの姿があった。


「いやああああああ!!」


目を閉じながら、涙を流しながらのエリーの絶叫がジンの塔に響き渡る。その悲鳴が全てを現していた。もうどうしようもないことを。


ゲイルは駆ける。キングを止めるために。息子を救うために。だが間に合わない。ゲイルがその距離を駆けるよりも早く、その爪がハルに向かって振り下ろされる。


かつての絶望がゲイルに襲いかかる。自分が犯してしまった間違い。それによって失ってしまった友。そして愛した妻の姿。もう二度と同じ間違いを犯さないために。全てを終わらせるためにここまでやってきたというのに。それが今、終わろうとしている。


ハルの死という最悪の結末によって。


「うあああああああ―――――!!」


ゲイルの絶叫が、悲鳴が全ての終わり告げようとした瞬間、それは起きた。




「…………え?」


エリーは知らず声を上げながらも顔を上げる。涙によって濡れた瞳で、それでもエリーはその光景に言葉を失う。

そこにはハルに向かって爪を振り上げているキングの姿がある。だがそこでキングは止まってしまっている。まるで時間が止まってしまっているかのように。いつまでたってもその凶刃は振り下ろされることはない。信じられない、理解できない状況にエリーは呆然とするしかない。それはゲイルも同じ。彼もまた突然の事態にただ目を奪われているだけ。そんな中

白い何かがジンの塔に向かって降り注ぐ。

エリーはその光景にただ圧倒される。白い光が次々にジンの塔に降り注いでくる。視界の全てを覆い尽くしてしまうのではないかと思ってしまうほどの光景。知らずエリーはその手を伸ばす。記憶を失ってしまっているエリーも知っていた。その正体を。


「雪……?」


まるで吹雪のような、深い雪が全てを包み込んでいく。だがそれはあり得ない。この季節に、こんな場所で雪が降るなど。空には雲も見られない。だが動ずることなくエリーは導かれるようにその雪に手を伸ばす。だがそれは手を通り過ぎてしまう。溶けたのではなくまるで手をすり抜けてしまったかのように。その証拠に雪は降り続けながらも地面に積もることは無い。まるで夢の中のよう。だがエリーは知っていた。それが一体何なのか。


幻想イリュージョン


幻の名を持つ少女のDB。その力によって今、ジンの塔が包まれているのだと。


それはキングが持つDB達から託された願いと、自らの主から聞き及んだ事情を悟ったイリュージョンの贈り物。自らの意志を持ち、その力を振るうことができる魔石使いダークブリングマスターの持つ魔石ダークブリングだから起こせる奇跡だった。



「――――――」


その光景にただキングは目を奪われていた。既に理性は失われただ戦うだけの怪物になってしまったはずなのに。それでもその光景が、雪がキングの中の記憶を呼び起こす。十年以上前。自分が息子と妻、全てを失ってしまった頃。そこであった出会い。


生まれたばかりの赤ん坊。人とは違う生まれ方をした男の子。その姿に死んだ息子の面影を見た。


自分は名付けた、その子供に。だがその名が思い出せない。忘れてはいけない、大切な名前だったはずなのに。


記憶が巡る。成長していく――――の姿。同時に得られた確かな救い。人よりも早く成長する身体を持っていながらも無邪気に振る舞い続ける――――の姿。それを覚えている。


『ねえキング。明日、僕の誕生日なんだよね?』


――――がそんなことを聞いてくる。それにそうだと答える。既にプレゼントは用意している。新たな遊具。吹雪によって外で遊ぶことができない日でも遊べるようにと思って用意した物。だが――――はどこか言いづらそうに尋ねてくる。


『それって……物じゃなくてお願いじゃあダメかな……?』


そんな予想もしていなかった言葉。だがすぐにキングは悟る。――――が一体何をそんなに言いづらそうにしているのか。自分に何をお願いしたいのか。これまでも何度か見たことがある光景。自分を呼ぶ時にキングではなく、違う呼び方をしようとしながらもできないでいる――――の姿。

それに答える。それでいいと。誕生日にそのお願いを聞いてやると。――――は喜んだ。たったそれだけのことで。


だがそれは叶えられることはなかった。


誕生日によって起こった出来事によって。人とは違う力を持つ、DBをその身に宿した生物兵器としての力を――――が見せたその時に。


自分は見せてしまった。その姿を、表情を。――――を恐れるその顔を。


それ以来――――は自分をキング以外の言葉で呼ぼうとすることはなくなった。子供だからこそ感じ取ったに違いない。自分の表情の意味を。


それでも――――の自分への忠誠は薄れることは無かった。以前のように触れ合う機会が少なくなってもなおそれは変わらない。


そうか……そうだった……オレには…………


知らずキングの目から涙が流れ落ちる。それは証。怪物から人間の心を取り戻した証。

キングは思い出す。息子を、妻を失ってからの地獄の日々。ただ復讐を誓った日々。だがその中でも得た物があったことを。自分が決して孤独ではなかったことを。


深い雪ディープスノー』という名のもう一人の息子が自分を想っていてくれたことに―――――




ここに一人の王の物語は終わる。人の心を取り戻した王は自らの手でその幕を引く。大破壊オーバードライブをDC本部で起こすことによって。贖罪と感謝を親友であるゲイル・グローリーに告げることによって。

キングはその生涯を閉じる。親友の腕に抱かれながら。自らの二人の息子のことを想いながら。

それがこの戦いの結末。二つの風の争いの終わり。同時にまたもう一つに風もまた力を失うことになりながら。

自らの息子を救うためにゲイル・グローリーもまた命を落とす。まるで定めのように。だがそれはゲイルの意志。何よりも大切なものを守るための選択。

ゲイルとキング。二つの風はその命を以て争いに決着をつける。それが『歴史が変わった日』の終わり。


だが人々は知らなかった。それは新たな争いの始まり。闇の派閥争い、そしてもう一つのシンフォニアとレアグローブの血の争いの始まりにすぎないことに。



男はその瞳に野望を宿す。漆黒に包まれた闇の中で。光の世界を全て闇によって、夜によって塗り替えるために。自らの絶対王権を造り上げるために。それだけの力をその男は持っている。

『パンプキン・ドリュー』

夜の支配者。そして魔王の名を持つ存在。かつて人を信じ、そして裏切られた男。その首には闇の頂きがある。

『ヴァンパイア』

持つ者に引力を操る力を与えるシンクレア。ドリューは動き出す。王たるものの力を示すために。



男はその欲望のままに笑い続ける。深い海の底、禁じられた力を持つ船の中で。自らの欲望を満たすためだけに。最強の種族である鬼の力を以て。それを為し得る力を男は持っている。

『オウガ』

鬼の中の王。金属の中の王、金を操る力を持つ絶対的強者。その首には力の証明がある。

『ラストフィジックス』

持つ者に無敵の肉体を与えるシンクレア。オウガは動き出す。その力によって全てを手に入れるために。



男は不敵に笑う。空の中、自らの翼たる巨大な船の中で。失くしてしまった過去を消し去るために。その満たされない欲望を消し去るために。狂気とも言える執念を以て。

『ハードナー』

全てを奪う空賊の王。処刑人の名を持つ断罪者。自らすらも裁かんとする男。その胸にはその意志を示す証がある。

『アナスタシス』

持つ者に不死身の力を与えるシンクレア。ハードナーは動き出す。奪われてしまった過去を消し去るために。


新たな王たちが動き出す。キングという強大な王がいなくなったことによって。自らがその座を奪わんと。だが彼らはまだ知らなかった。もう一人、キングの血を受けつぐ、DCの力を受け継いだ王がいることに。だがその少年すら知らないことがあった。




それは五つ目のシンクレアがある場所。魔界。その中の一人の王、獄炎のメギドの城の中。そこに一人の来訪者があった。


「邪魔するわよ、メギド」


四天魔王の一人、絶望のジェロ。氷の女王がいつもと変わらず無表情のままメギドがいる玉座へと近づいて行く。その後には凄まじい冷気が渦巻いている。獄炎の名を冠するメギドの城の中であっても拮抗する冷気の力。それがジェロが魔王である証。


「ジェロか。一体どうしたのだ。今日は特に会合などは予定されていなかったはずだが……」


突然のジェロの来訪に驚きながらも全くそれを感じさせることなくメギドはジェロを迎え入れる。本来なら勝手に城の中に入ってくるなど無礼極まりないもの。例え四天魔王とはいえ許されるものではないのだがメギドは全く気にすることなくジェロに向かって尋ねる。もっともジェロを含め他の二人もおよそそういった礼儀とはかけ離れた者たちであることを知っているからこそ。だがそんなメギドでも何故ジェロがこの場にやってきたのか全く見当がつかないでいた。それを知ってか知らずか


「ええ。今日は一つ、お願いをしにきたの。メギド、これからアキを迎えに行ってくるからその間、魔界をお願いするわ」


ジェロは何でもないことのように淡々と自らの要件を告げる。だがその内容にさしものメギドも表情を変える。


「アキ……大魔王の器をか? だがまだ約束の期限ではないはずだが……」


メギドはあごに手を当てながらもジェロに問いただす。アキ、大魔王の器を迎えに行くのは一年後、今からではおよそ半年後のはず。しかもそれはジェロ自身が申し出たものだったはず。にも関わらずそれを前倒して迎えに行く理由などメギドには見当がつかない。その間の魔界の統治については既にメギドはあきらめているため特に口を出すこともない。


「そうね。心配しなくても期限は守るわ。その間、眠っている間に魔界や人間界がどう変わったのか見て回るつもりよ」
「ふむ……確かに二万年の間に魔界も人間界も大きく変わったが……」


メギドはそう相槌をつきながらもジェロの姿を改めて見定める。その姿はいつもとなんら変わらない。冷酷な、無慈悲な雰囲気と力を放っている。だがメギドは気づいていた。どこかジェロがいつもと違うことに。他の者では気づかない程の微かな変化。だがメギドは感じ取っていた。どこかジェロが浮足立っていることに。普段のジェロならば考えられないような状況。それまるで


「それにただ迎えに行くだけでは芸がないしね。一つ、手土産を持って行くつもりよ」


ジェロはそう言い残したまま踵を返しメギドの元から去っていく。もう伝えることは伝えたといわんばかりの後ろ姿。メギドはそんなジェロに向かって声を掛けようとするもそれを飲みこむ。

それは迎えに行くのなら自らの足を使わなくともアキが持っている『ゲート』の力を使えばいいのではないかということ。

だがそれに気づかないほどジェロは愚かではない。ならば自らの足を使いながらでも半年早くアキを迎えに行くという行為こそジェロの目的なのだということ。


(ふむ……まさかとは思うが……まあどちらでも構わぬか。問題があるわけでもなし。あるとすればウタの方か……)


メギドはジェロのこと以上にウタのことを気にしていた。あれ以来ウタは待ちきれないのかいつも以上に血をたぎらせ修行を積んでいる。そのせいでウタの領地では魔界人達がこぞって他の領地に逃げ出し混乱しておりそれを抑えるのがこの半年でもメギドの大きな頭痛の種だった。そして今回のジェロの行動。それを知ればウタのモチベーションが今以上に上がるのは火を見るよりも明らか。結局やってくる時期は変わらないにもかかわらず。


メギドはただ待ち続ける。半年後、新たな大魔王の器がやってくるのを。


本人の与り知らぬところでダークブリングマスターの憂鬱はまだまだ続くことになるのだった―――――



[33455] 第三十八話 「始動」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/11/20 18:07
九月九日 『歴史が変わった日』と呼ばれる出来事によって世界は大きく変わった。悪の組織であるDCが壊滅するという信じられない事態。だがその本部が消滅し、最高司令官であるキングが命を落としたことがそれが紛れもない真実であることを示していた。それによって人々は安堵した。これまでのDCによる殺戮や略奪がなくなったことで。同時にある噂が流れ始める。DCを倒したのが二代目レイヴマスターであると。その真偽を人々は知る術は無いもののただ感謝し、謳歌する。長い間続いた暗黒時代の終わりと平和の訪れを。故に気づかなかった。

それが束の間の平和であることに。新たな争いの始まりに過ぎないことに―――――





ソング大陸最大の都エクスペリメント。その街の中心に位置するビル街。その中の一つのビルの廊下をどこか緊張した面持ちで歩いている女性の姿があった。だがその女性が只者ではないことが雰囲気と身のこなしから伺える。その顔にはタトゥーのような物が刻まれ、首からは双眼鏡の様な物がぶら下がっている。


『レディ・ジョーカー』


それが彼女の名前。DCの諜報部員であり現在は参謀にまで抜擢されている女性。レディは急ぎながらも決して取り乱すことなく歩みを進めある場所で動きを止める。その前には一つのドアがある。何の変哲もないごく普通のドア。しかしそれはレディにとって、いや全てのDC構成員にとっては恐れ忌むべき扉。そんな感覚を振り払うように一度大きな深呼吸した後、レディはドアをノックする。そしてしばらくの間の後


「入れ」


そんな男の声がドアの奥から、部屋の中から響き渡る。


「は! 失礼いたします!」


号令が放たれたかのように背筋を伸ばし声を張り上げながらもレディはそのままドアを開け、部屋の中へと入って行く。同時にその内装が明らかになる。一言でいえばごく普通のオフィス。いくつかのテーブルが並べられ、本棚には多くの本が並べられている。だがそんな中にあって一際存在感を放つ者がいた。ドアを開けたレディの正面にある大きなデスク。そこに腰かけている少年。彼こそがこの部屋の主。その風貌はこの部屋に合わせたかのようなスーツ姿。ただの少年であったなら少し背伸びをした微笑ましい光景。だがそれを微塵も感じさせない程の風格、カリスマがそこにはある。身に纏っている黒のスーツとは対照的な金髪と顔に残る大きな切傷がその証。その首には一つの魔石が掛けられている。シンクレアという名の王の証。


『ルシア・レアグローブ』


それが彼の名前。金髪の悪魔の異名を持つ少年。そして新たなDCの王たる者の姿だった。


「レディか……何の用だ」


ルシアはその鋭い視線をゆっくりとレディに向けながらも問いただす。何の用でこの場にやってきたのかと。その視線だけでレディは知らず息を飲む。ただ目の前にいるだけで息が苦しくなるような圧倒的な存在感。膝を突き、首を垂れているにも関わらずそれ以上に床に這いつくばらなければならないのではないか思ってしまうほどの重圧。かつての先代キングにも全く引けを取らない王の威光に晒されながらもレディはそれを悟られまいと答える。


「はっ! お忙しいところ申し訳ありません。一つご報告を差し上げたいと思い……」


そう言いながら面を上げた瞬間にレディは言葉を止めてしまう。それは思いもしなかった人物がその場にいたことによるもの。


「レイナ将軍……いらっしゃったのですか?」


レディは驚きの表情を見せながらも部屋の壁にもたれかかるようにルシアの傍にいるレイナの存在に気づく。その姿もルシアに合わせたかのようなスーツ姿。どうやらルシアに気を取られすぎているせいで気づくことができなかったらしい。


「あら、失礼ね。最初からここにいたわよ。ルシア様の前で緊張するのは分かるけど少し落ち着いた方がいいわよ」
「は、はい。申し訳ありません」
「レイナ……余計なことは言わなくていい」
「はい。失礼しました」


そう言いながらレイナは少しルシアから離れた場所に移動していく。レディの報告の邪魔をしないようにする配慮。何故ここにレイナがいたのか疑問はあるもののレディは気を取り直しながらも自らの役目を果たさんとする。


「ルシア様……ご命令通り残存戦力の編成と新たな支部の確保を完了しました」


それはルシアからのDCに対する初めての命令。残っている残存戦力、構成員の再編成と新たな支部、各地の行動拠点の確保。同時にそれは参謀に抜擢されたレディにとっては初めての任務。ある意味自分を試されているに等しい意味を持つもの。本来なら一カ月はかかる任務をレディは見事に一週間で成し遂げた。間違いなく彼女自身の高い能力があってこそ為せる技。


「そうか……よくやってくれた」


ルシアはそれを聞きながらも無表情のまま。その姿にレディは自分がミスをしたのかと思い身構えるもそれ以上ルシアは問い詰めてくる様子もない。どうやら参謀としての実力をある程度は認めてもらえたらしいことに内心安堵しながらもレディは気を引きしめながらもルシアに向かって面を上げる。それはこの一週間ずっと疑問に思っていたことを尋ねるため。


「ルシア様……本当にご命令だけの内容で宜しかったのでしょうか……?」
「……どういうことだ?」
「い、いえ……確かに残存戦力の編成と支部の確保は重要な問題ですが……戦力増強や新たな本部の建設は行わなくても本当に宜しかったのですか……?」


レディは内心怯えながらも自らの王に向かって尋ねる。それはルシアの真意について。

今、DCは表向き壊滅したことになっている。キングの死と本部の消滅という事態によって。その影響で帝国や解放軍によって残党狩りの名目の元DCのほとんどの構成員や支部が壊滅的な打撃を受けてしまっている。それを何とか凌ぎきった者達の中の一人がレディ。その限られた者達でしか知らされていない事実がある。それがルシアの存在。キングの血を受け継ぐ新たな王の存在。それによって残った者たちは新生DCを結成した。だがその内容はレディ達が想像をしていた物とはかけ離れたもの。

まずは本部について。先の戦いによって壊滅してしまった本部である城を新たに建設することが最優先だとレディは考えていた。だがそれはルシアによって却下される。同時にこのビル、エクスペリメントにあるビルを買い取りそこを本部とすることが決定された。表向きは企業だと偽った上で。

もう一つが新生DCの誕生を秘密裏にしていること。本来なら新たな王の誕生と共に戦力を増強し、調子に乗っている帝国や解放軍に対抗するべきなのではないか。だがそんな当たり前の考えを裏切るかのようにルシアは真逆の命令を、指令を下す。表立っての行動、戦闘行為の禁止という信じられないようなもの。それと並行して諜報部隊の新設と増強を命じたもののそれ以来大きな動きは見せていない。レディではなくとも疑問を抱くのは当然。それは今のDCにいる者たちの総意でもあった。だが


「ああ……何か問題があるのか?」


それはルシアの言葉によって切り捨てられてしまう。同時にその重圧によってレディはめまいを起こしそうになる。ようやくレディは気づく。まさしく先代のキングに匹敵する力をルシアが持っていることに。DCの中でも限られた者しかしらない事実。それはルシアが単独で六祈将軍オラシオンセイスを下したということ。にわかには信じられないような事実。一人ひとりが一国の戦力に匹敵するという六祈将軍オラシオンセイス。しかもそれを五人同時に相手にし勝利する。まさに怪物。それに逆らうことなど誰にもできない。六祈将軍オラシオンセイスの五人がルシアに従っているのが何よりの証。


「も、申し訳ありません……! 出すぎた発言でした……!」


再び首を垂れながらレディは謝罪する。あまりにも出すぎた自分の発言に。反逆と取られてもおかしくない無礼を働いてしまったことに。そんな中


「……簡単な理由だ。DCがいなくなったと思えば他の組織が表に出てくる。他のシンクレアを持った連中もな……」


呟くようにルシアは口にする。その内容にはっとしたような表情を見せながらもレディはようやく気づく。ルシアが何を狙っているのかを。

『シンクレア』

全てのDBの頂点、母なる存在。今それは五つに分かれてしまっている。その内の一つが今ルシアがもっているもの。そしてそれを全て集めることによってある場所へ行き力を手に入れることができる。

『星の記憶』

この星の生命ともいえる聖地。全てを手に入れ、全てを失うこともできる力。それを手に入れることが新生DCの真の目的。

今、諜報部の働きによって残る四つのシンクレアの在処を調査しているところ。それによって所持しているであろう組織についてはおおよそ見当がついている。

『ドリュー幽撃団』 『鬼神』 『BG(ブルーガーディアン)』

この三つの組織のリーダーがそれぞれシンクレアを持っているという情報が有力。だがそれらの組織は今まで表だって動きを見せることは無く身を潜めていた。DCの完璧とも言える組織力の前に。だが今、表向きはDCが壊滅したことによって恐らくこの三つの組織、そしてそれ以外の組織も動き出すはず。まさに闇の派閥争い。

レディは悟る。それこそがルシアの狙いだと。表に出てきた組織からシンクレアを奪うこと。そしてその動きを知るために諜報部に力を注いでいるのだと。そして


「戦力は俺と六祈将軍オラシオンセイスがいればいい……それだけだ」


戦力の増強も必要ないのだということ。それだけの力をルシアと六祈将軍オラシオンセイスは持っている。


レディはそのまま頭を下げたまま退室していく。今まで以上のやる気を見せながら。新生DCならば世界を支配できるという確信を持って―――――




「…………」
「…………」


後にはルシアとレイナ。二人が部屋に残される。ルシアはしばらくそのままレディが出て行ったドアを見つめたまま。その表情から感情を読み取ることはできない。レイナは腕を組んだままそんなルシアを見つめ続ける。沈黙。しばらくの間無言の静寂が部屋を支配する。それがいつまでも続くのではないかと思われた時


「……ぷっ、あはは! あはははは!」


そんなレイナの笑い声が部屋中に響き渡る。まるで噴き出してしまったかのように。お腹をかかえたまま笑いをこらえきれないといわんばかりにレイナは笑い続ける。


「……何がおかしい」


不機嫌そうに、ジト目になりながらルシアはそのままレイナに抗議の視線を送る。そこには既に先程まで見せていた威厳も何もあったものではない。普段通りの少年の姿。それがさらにツボにはまったのかレイナは笑い続けるだけ。ルシアはもはやあきらめたといわんばかりにそっぽを向いてしまう。恥ずかしい演技を見られてしまった子供のような姿。


「ふふっ……ご、ごめんなさい。どうしても我慢できなくって……でもレディがいる内は我慢したんだからいいでしょ?」
「そうか……てめえやっぱり俺に喧嘩を売ってんだな……」
「冗談よ、冗談♪ あなたには敵わないってことはもう十分分かってるわ。それに普段通り接していいって言ったのはあなたでしょう?」
「ふん……」


レイナはからかうようにルシアに話しかけるもルシアはまだ納得がいっていないのか不機嫌さを隠そうともしない。レイナはそんなルシアの姿を見ながらもどこか安堵していた。どうやら立場は変わっても中身は変わっていないであろうことに。

今日、レイナがここにやってきたのは自らの担当する地域の体制が整ったことを報告するため。あの日、ルシアによって新生DCが誕生し六祈将軍オラシオンセイスたちは新たな役割を与えられた。それは各地のDCの残党、構成員たちの監視と言う名の統制という役割。表立った動きをせず、しばらくは身を潜めることになったものの全ての構成員がそれに従うわけではない。特にDBの汚染に弱い、DBを扱うことに拙い者たちはその欲望のままに勝手に動いてしまう可能性がある。それを抑える、監視する任務をルシアは六祈将軍オラシオンセイスに与えていた。もっともべリアルは文句を言っていたもののルシアの力を目の当たりにしたため渋々従っている形。他の六祈将軍オラシオンセイスたちは特に不満を漏らすこともなく動いている。レイナもまたその中の一人だった。


「でもちょっとは慣れたみたいね。一応最高司令官だし情けないところは見せないでよ『キング』?」
「その呼び方はやめろっていつも言ってるだろうが……」
「あらそう? じゃあルシア様の方がよかったかしら?」
「もういい……用が済んだならさっさと出ていけ。まだ仕事が残ってんだよ」
「何よ、つれないわね。まあいいわ。でもレディじゃないけどほんとにこのままでいいの?」


レイナは普段通りの調子を取り戻しながらも再びルシアに尋ねる。今のままのDCでいいのかと。確かに表だって行動しないことの理由は分かる。実際にこれからはシンクレアの争奪戦と言う名の闇の派閥争い。それを炙りだすために身を潜めるというのは理にかなっている。だがそれは他の構成員にまでは理解されないだろう。DCは悪の組織。その証拠にこれまでのDCは殺戮や略奪などを行い、私利私欲を満たすために動いている者が多かった。いくら新たな体制とはいえいきなり待機命令、戦闘禁止が伝えられれば反発する者、命令無視する者も出るはず。世界征服という目的すら疑われかねない。


「ああ……結局星の記憶を手に入れれば全ては思うがままだ。なのにわざわざ面倒な世界征服なんてする意味はねえ」
「そう……」
「……何だ、お前もべリアルみたいに不満があるのか?」
「冗談。あいつと一緒にしないでくれる? 私は別に戦闘狂じゃないわ」


レイナはどこか不機嫌そうにそのまま部屋の出口へと向かって行く。ルシアはそんなレイナの後ろ姿を眺めているだけ。もう厄介事はごめんだといわんばかりの態度。レイナは振り返りながら


「……それに個人的には今のDCの方が性に合ってるわ。もっともずっとこのままじゃ流石の私も退屈しそうだけど」


どこか小悪魔のような笑みを見せながらルシアへと告げる。男なら見惚れてしまうような笑み。だがルシアにとっては溜息を吐くしかないような笑み。それを見ながらもルシアは告げる。もう一つの自分とレイナの関係を示す事案を。


「シルバーレイについては今は調査中だ。進展があったら伝える。それでいいか?」


それはルシアとレイナの個人的な契約。シルバーレイの探索について協力するという約束。

だがその言葉にレイナはどこか呆気にとられるように言葉を失ってしまう。驚きの表情のままルシアに向かって固まったまま。だがルシアは何故レイナがそんな反応をしているのか分からず驚くしかない。


「な、何だよ……」
「その契約……まだ続いてたの……?」
「……? あ、ああ……当たり前だろ。どうかしたのか……?」
「…………」


レイナはどこか当たり前だといわんばかりのルシアの言葉に呆気にとられてしまっている。それはまさかまだあの時の取引が継続しているなど思ってもいなかったから。あれは自分がルシアが金髪の悪魔であることを黙っていることを条件に交わした脅迫に近いもの。今の状況、DC最高司令官となったルシアにとっては無視して当然のもの。だがどうやらルシアはそれを守る気らしい。ある意味ルシアらしいと言えばらしい。その力はキングに匹敵するほどのものだがやはり本質は変わらないらしい。


「いいえ、何でもないわ。じゃあ何かあったら連絡して頂戴。何ならキングの時みたいに側近になってあげてもいいわよ、ルシア♪」


どこか上機嫌にレイナはそのまま部屋を後にする。まるでOLのように見える後ろ姿を見せながら。何かが違っていたらもしかしたらそんな姿をして仕事をしていたかもしれない。そんな可能性を感じさせるもの。それもレイナが上機嫌な理由のひとつなのだがルシアはそれを知る由もなかった――――




「はあ…………」


レイナが退室したのを確認した後、ルシアは大きな溜息を吐きながらデスクに突っ伏してしまう。ようやく面倒な仕事が終わったといわんばかりの態度。慣れないことをこの一週間続けてきたことによる疲労だった。


『くくく……どうした、情けない。一国の主になったというのにいつも通りではないか。我が主様よ』


そんなルシアの疲労をさらに上限突破させんとするかのように少女の声が響き渡る。ルシアは机に伏したまま顔を横に向ける。そこには一人の少女がいた。金髪に黒のドレスを纏った少女。自らが持つシンクレアであるマザーの実体化した姿。だが今のそれはいつもとは大きく異なっている。その姿は幼く、およそ十二歳程だろうか。そしてそのままデスクに座りぶらぶらと足をばたつかせている。完全に遊んでいる子供そのもの。しかも声までそれに合わせて幼くしている。手の込んだ悪戯だとしか思えないような光景。


『うるせえよ……それに何でそんな恰好してんだ? ここんとこずっとじゃねえか?』
『ふむ……少し趣向を変えてみようと思ったのだがお気に召さんか? やはり巨乳でなければいかんか』
『そういう問題じゃねえよ!? それにここでは実体化するなっていってるだろうが! 誰かが来たらどうする気だ!?』
『案ずることはない。すぐに姿は消せる。それに見られても愛人だと言えばいい。それで人間というのは丸く収まるのだろう?』
『お、お前……どっからそんな言葉を覚えてくんだよ?』
『そんなことはどうでもいい。それよりもよいのかこのままで。せっかくDCを乗っ取って六祈将軍オラシオンセイスを配下にしたのだ。もっと派手に動けばいいものを』
『ふん……さっきも言っただろうが。他のシンクレア持ちを炙りだすためだ』


ルシアはげんなりしながらも思い返す。それは一週間前。ジンの塔での戦い。そこでの六祈将軍オラシオンセイスとの戦い。それはルシアにとっては完全に予想外の戦い。同時に絶対に負けられない戦いだった。もし負ければ、もしくは逃がすようなことがあればハル達の命はない。何とか退けることはできた(マザーの行動のおかげでもはや逃げることもできなかった)。だがその後が問題だった。それは予定よりも半年早くDCの司令官になってしまったこと。本当なら原作通りにシンフォニアでのハル達の接触後にと考えていたのだがもはや流れ的にそれを逃れることなどできなかった。だがそのまま新生DCを声高らかに立ちあげるわけにはいかなかった。そんなことをすればどんな影響が出るか分からない。ハル達が自分たちとすぐ戦う展開、また半年後であるはずのドリューとオウガの連合がすぐに起こってしまう可能性もある。BGもどんな動きを見せるか予想がつかない。

そして本部については建設する気はルシアには全くない。そんなことする意味も理由もない。ルシアとしては何故城など作る必要があるのか理解できない。普通は拠点は敵に知られないようにするものだというルシアの考え。他の組織のように移動できる船ならば納得もいくが大きな城を作る理由がルシアには全く分からなかった。


『ふむ……確かにその通りだが半年も待つことはないのではないか? 手当たり次第に組織を潰していけばよかろう』
『そ、それは……流石に相手はシンクレア持ちだしな……もう少し力を蓄えてからにしたいんだよ……』
『相変わらずヘタ……慎重な奴だ。だがまあいいだろう。我としても他のシンクレア達は侮れるような相手ではないからな。力を付けておくに越したことは無い。その頃には迎えも来るだろうしな……』
『……? 迎え? 何のことだ?』
『こちらの話だ、気にするでない。それでこれからどう動く気だ?』
『そうだな……』


ルシアは考える。ひとまずはDCの壊滅を装い身を潜めるのは確定事項。これはルシア自身が戦いたくないのもあるが一番がシンクレアを集めないようにするため、もしくはそれをできる限り遅らせるため。

確かに力の上では今のルシアと他のシンクレア持ちたちは拮抗しているといっていい。シンクレアの相性もあるだろうがアスラ以外は皆キング級の力の持ち主。故に勝負は各組織のリーダーの一騎打ちとなるだろう。勝算は無いわけではない。だが根本的な問題がある。

それはシンクレアを集めれば集めるほど次元崩壊のDBである『エンドレス』に近づいてしまうということ。そうなれば全てがおしまい。故にルシアはできる限り他のシンクレア持ちとの戦闘は避けなければならない。

もう一つはハル達、レイヴ側の問題。今、ハル達はジンの塔での戦いの傷を癒すために静養中。特にムジカは重傷であり半年後までハル達は動くことはない。それまでにシンクレア持ち同士の戦いが起こってしまえばどうなるか。ハル達が不完全な状態で巻き込まれる、もしくはシンクレア持ちの誰かが二つ以上のシンクレアを持ち力を増してしまう可能性すらある。それを避けるためルシアはできる限り原作に近い展開、時間の流れを作ることを目的として動いている。だがルシアもそれがそのまま上手く行くなどとは思っていない。今まで散々あてが外れてきたルシアは身を持って理解していた。恐らくは厄介な事態が半年の間にも起こりうると。


『他の組織の動きは諜報部に任せるとして……まずは修行だな』


それがルシアの選択。何にせよ力はつけておくに越したことはない。原作ではルシアはシンクレア持ちと結局一度も戦うことは無かったがそう上手く行くとは限らない。ならばそれに備えて準備だけはしておかなくてはいけない。六祈将軍オラシオンセイスはいるものの結局は王同士の戦いが全てなのだから。


『ほう……主の方から言い出すとは珍しい。どういう風の吹き回しだ?』
『うるせえよ……とにかく半年の間にマザー、お前を使いこなせるようにするぞ、いいな?』
『なっ!? わ、我をか!?』
『ああ……他の奴もシンクレアを持ってんだから当たり前だろ。なに驚いてんだ……?』
『そ、それはそうだが……うむ、改めて言われるとその……』


ルシアは何故かどもり始めているマザーに首をかしげながらも考えていた。それは今の自分の力。デカログスやイリュージョンなどについてはほぼ極めたといってもいい。だがやはりマザーについてはその限りではない。母なる闇の使者マザーダークブリングとまで呼ばれる五つの内のシンクレアの一つ。それを使いこなすことはDBマスターを以てしても容易なものではない。技術と力もそうだがそれ以上に親和性、相性が最も重要な点。かつてデカログスと成し遂げたような一心同体の感覚が必要となってくる。だがそれを未だルシアは成し遂げていない。

それはルシアの忌避感とでもいうべきもの。マザーの力である空間消滅デイストーション。それを使うことに対する忌避感がどうしてもルシアにはあった。使用すれば相手の命を奪いかねない力。故に今までルシアは実戦で二度しかそれを使ったことは無い。一つはジェロ戦。もう一つは六祈将軍オラシオンセイス戦。ジェロについては追い詰められたからであり六祈将軍オラシオンセイス戦についてはマザーの独断だった。だがこれからの戦いではそうも言ってられない。

『ドリュー』 『オウガ』 『ハードナー』

彼らに対して出し惜しみなどできるわけもない。その隙が命取りになりかねない。それを克服するためにもルシアはマザーの力、その極みである空間消滅デイストーションの形態変化を完全に習得する必要があった。


『し、しかし……その、なんだ、やはりこちらとしても心の準備が……』
『何を訳の分からんこと言っとんだ……? 元はといえばてめえの力が扱いづらいからこんなことになったんだろうが。ったく……他のシンクレアみたいに分かりやすい能力ならよかったのによ……』
『なっ!? き、聞き捨てならんぞ!? まるで我が他の奴らより劣っているかのようではないか!』
『違うのかよ。だって他の奴らに比べたらしょぼい能力じゃねえか……』
『お、お主……本気で言っているのか!? 前にも言ったであろうが! 我はシンクレアの中でも最強の存在だと! 元はといえばお主が未熟なことが……』
『分かった分かった……とにかくちょっと出かけるぞ。ようやく仕事が一段落したからな』
『待て! まだ我の話は終わっておらんぞ! ちゃんと先の言葉を撤回しろ!』
『痛ててててっ!? 分かったから頭痛はやめろっつーの!? あとその姿で纏わりついてくんじゃねえ!?』


ルシアは自分に向かって纏わりついてくるマザーの幻(ロリカトレア)と格闘しながらもスーツから着替え出かける準備を始める。同時にどこか安堵している自分にルシアは気づく。認めたくはないがどうやらDC最高司令官になってから一番気が抜けるのがこの厄介者と一緒にいる時間らしいことに。


ルシアはその手に花束を持ちながら向かう。すぐにでも行くべきだった場所へ。ようやくそれを果たすために。


ジンの塔。その跡地。そこがルシアの目的地。まだルシアは知る由もない。そこで一つの出会いがあることを―――――



[33455] 第三十九話 「継承」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/11/27 22:20
全く人気が感じられない荒れ果てた荒野。それがどこまでも続いているのではないかと思えるような場所。ジンの塔。つい一週間前、世界の命運を賭けた戦いがそこで行われていた。だがジンの塔は既に見られない。あるのは崩れ去ってしまった残骸だけ。それがその戦いの激しさを物語っている。そしてその光景を少し離れた所から眺めている一人の少年の姿があった。


(やっとこっちに来れたか……)


ローブを被った少年、ルシアはどこか感慨深げにその光景に目を奪われていた。今、ルシアがいる場所は先日六祈将軍オラシオンセイスたちと戦った場所。本当ならワープロードで直接ジンの塔まで瞬間移動することもできたのだが既に崩壊してしまっている場所に移動すれば危険もあるためルシアはあえてこの場所に移動してきたところ。ルシアはそのまま自らの手にある花束に目を向ける。それを手向けることがルシアがこの場に訪れた理由の一つ。言うまでもなくそれは亡くなったキングに向けたもの。本物ではないにせよルシアの身体を持っている者として。そして言うならば見捨てるに等しい選択をしてしまった罪滅ぼしとして。その意味ではここで命を失ったハルの父、ゲイル・グローリーへの手向けの意味もあるもの。同時にこれから表舞台に立つ己に対する誓いにも似た想いをルシアは抱いていた。だが


『何だ……結局そのローブを被ったままか。せっかく王になったというのにヘタレなのは相変わらずだな』


そんな空気をぶち壊すかのような言葉をかけてくる存在がルシアの胸元にいた。シンクレアの内の一つであるマザー。マザーは久しぶりにルシアと二人っきりになれたことで上機嫌になりながらいつもの調子でからかい続ける。ルシアはそんなマザーの姿に溜息を吐きながら呆れるしかない。せっかく珍しくシリアスな気分に浸っていたのに台無しにされてしまった気分。


『うるせえ……まだDCは表向きは壊滅したことになってんだ。余計な面倒起こさないためにこうしてんだよ』
『ふむ、まあそういうことにしておこうか……それで、一体何のためにここにやってきたのだ?』
『見て分かんねえのか? キングに花を贈るためだよ。忙しくて結局今まで来れなかったからな』
『キングに……? それでそんな物をもっていたのか。だが何故そんなことをする必要がある? そんなことをしてもキングが蘇るわけではなかろうに……』
『そ、それは……まあそうだが……』
『やはり人間が考えることはよく分からんな。キングといえば先日のイリュージョンの行動も我にはよく分からぬものだったが……』
『……? 何だそれ? イリュージョンが何かしたのか?』
『何だ、知らなかったのか? まあお主は戦闘中だったから無理もないか』


そのままマザーはどこか考え込むように黙りこんでしまう。ルシアはそんなマザーの姿を不思議に思いながらも改めてジンの塔、その跡地へと足を向ける。ひとまず必要な仕事はこなして来たもののまだやることは山積み。それがDC最高司令官としてのルシアの責務。ただふんぞり返っているだけではいけないという現状にルシアは頭を痛めるしかない。同時に改めてキングの偉大さに頭が下がる思い。とにもかくにもやることをやって戻ることにしようとルシアが動き出した時


『くくく……どうやらお主はよくよく面倒事に巻き込まれる退屈させてくれん男のようだな、我が主様よ』


邪悪な光を放ち、楽しげな笑いを上げながらマザーがルシアに話しかける。そんなマザーの姿にルシアは顔を引きつらせるしかない。それは知っていたから。マザーがそんな態度を見せる理由。間違いなく自分にとって厄介な事態が起ころうとしている証。同時にルシアはDBマスターとしての感覚を研ぎ澄ます。マザーがジンの塔に向かって何かあるといわんばかりの態度を見せているのを見抜いたからこそ。そしてルシアはその気配を感じ取り嫌な汗を滲ませる。それはDBの気配。ジンの塔の跡地に複数のDBの気配がある。その数は七つ。

その内の五つはキングの持っていたDB 『デカログス』『ブラックゼニス』『ゲート』『ワープロード』『モンスタープリズン』

ジンの塔の崩壊に巻き込まれてもDBたちまで壊れることはあり得ない。レイヴに関連した力でない限りDBはいかなる力を以てしても破壊することはできない。極端な話マグマに放り込まれたとしてもだ。だがその五つのDBの気配にルシアは頭を痛めているわけではない。何故ならその回収がルシアがここにやってきたもう一つの理由なのだから。だがルシアは特段キングのDBたちを自分の物にしようとしているわけではない。既にルシアは六つのDBを持っておりそれ以上持つ気も必要もない。そもそも新しいDBが欲しいならマザーに頼めば済む話(もっともその気はルシアには無いのだが)そういった意味ではルシアがキングのDBたちを回収しようとしているのは一応顔見知りであるからとハジャにそれらを回収されることが気に入らなかったから。原作ではハジャによってデカログスが回収されていたのを知っているからこそ。どうやらハジャが回収に来る前に間に合ったらしいことはルシアにとっては喜ぶべきこと。故に問題は残る二つのDB。その内の一つをルシアは知っていた。

『ゼロ・ストリーム』

流動のDB。流れるものを、力を操ることができる六星DBの内の一つ。かつてルシアがDCに渡した物の内の一つ。六星DBでありながら六祈将軍オラシオンセイスではない者が持っている矛盾した存在。それがゼロ・ストリームと共にあるDBの気配の正体。

それはただのDBの気配ではない。シンクレアでも六星DBでもエンクレイムで造られたものでもない。人に手によって造られた人工DB。DBの中でも異質な存在。

それらを持つのが今、ジンの塔の跡地にいる者。


『どうした、早く行かんのか? それともいつものように逃げ出すか?』
『…………黙ってろ。さっさと行くぞ』


ルシアはマザーのからかいにぶっきらぼうに答えながらもルシアは重い足取りで歩き始める。正直なところを言えば出直したいところなのだが結局は遅いか早いかの差。考えようによっては余計な邪魔が入らない分好都合といえるかもしれない。そう言い聞かせながらルシアは向かって行く。もう一人のキングの息子、そして新たな六祈将軍オラシオンセイスとなる男がいる場所へと―――――



瓦礫によって廃墟と化してしまっている塔の跡地。そこに一人の男がいた。この地にいるのが不釣り合いと思えるような帽子とコートを纏っているどこか静けさを感じさせる姿。まるで冬の土地にいるのではと思いたくなるような風貌を持った男。その表情も無表情。およそそこから感情を読み取ることはできない。

『ディープスノー』

それが男の名前。ディープスノーはそのまま静かに献花を済ませ深く目を閉じる。ここにはいない誰かに想いを馳せるかのように。その心情を現すように静かな風がコートをはためかせる。まるで時間が止まってしまったかのような静けさが、一枚の絵画のような美しさがそこにはあった。それがどれだけ続いたのか。ディープスノーは静かに目を開きながらも振り返る。だがその動きには確かな戦う者の気配があった。およそ常人にはできないような動きと気配。ディープスノーが只者ではないことの証。その視線の先には一人の人物の姿があった。

ローブに身を纏った人物。ディープスノーはわずかに目を細めながらもいつでも動けるように体勢を整える。ここは一般人が訪れるような場所ではない。何かしらの事情を知っていなければその存在すら知られるはずがない場所。何よりもディープスノーはその立場から正体を見破られるようなことがあってはならない事情がある。だがそんなディープスノーの思惑を知っているかのようにローブの人物がその顔を晒す。その顔にディープスノーは目を見開くことしかできない。何故ならその人物を、少年をディープスノーは知っていたから。


「あなたは……」


金髪、顔にある大きな切傷。身の丈もあると思えるような黒い大剣。何よりも少年から感じられる力、雰囲気。それが何よりの証。誰よりも敬愛していた父に見間違えるような王の風格。ディープスノーは直接会ったことは無いにも関わらずすぐに悟る。新生DC最高司令官ルシア・レアグローブ。今は亡きキングの本当の息子。それが今目の前にいる少年の正体なのだと。


「俺も一緒に献花させてもらってもいいか……?」


ディープスノーは一瞬、呆気にとられながらもすぐに気づく。ルシアの手に花束が握られていることに。そして恐らくはルシアもまた自分と同じ理由でこの場に訪れたのだということに。


「はい……キングも喜ばれると思います」


ディープスノーは頭を下げながらもルシアへと道を開ける。一切の無駄のない完璧な動き。だがその表情は先程までとは大きく違っていた。それはほんの一瞬。だが確かな笑み。自分と同じくキングを偲んでくれる存在がいてくれたことへの喜び。


それがルシア・レアグローブとディープスノーの初めての出会いだった。



(安らかに眠ってくれ、キング……)


手を合わせ、頭を下げた後ルシアはゆっくりとその場を立ち上がる。とりあえずどうなることかと思ったが大きな目的の一つが果たせたことにルシアは安堵のため息を吐く。罪悪感や後悔がないと言えば嘘になるがこれは自分が選んだ選択。その確認ができただけでも十分な収穫。だがいつまでも感傷に浸っている時間はルシアにはなかった。これからしなければならないことが文字通り山のようにあるのだから。だがその中でも一番にしなければらないこと。それは自分の後ろに控えるように待機している男、ディープスノーのこと。


(さてと……どうしたもんかな。まさかこんなに早く、しかもこんな場所で会うことになるとは……)


ルシアは内心焦りながらも決してそれを表に出さないままディープスノーに向かって振り返る。もはやイリュージョンもかくやというほどの見事な偽装。この世界にやってきてからもっとも磨かれてきた悲しい技術の為せる技。ルシアはそのままディープスノーと改めて対面する。印象としては原作通り、冷静な男といったところだろうか。だがその佇まいから強者の風格が滲み出ている。他の六祈将軍オラシオンセイスたちと比べて見劣りしない、もしかしたら凌駕するかもしれない程の力をルシアは感じ取る。だが同時にある種のやり辛さもルシアにはあった。それは自分が本物のルシアではないこと、そしてディープスノーがキングのもう一人の息子同然であるということを知っていること。


「お初にお目にかかります。元DC……現在は帝国の将軍の一人としてスパイを行っているディープスノーと言います。以後お見知りおきを、キング」


そんなルシアの戸惑いなど知る由もないディープスノーは改めて膝を突き、頭を下げながら自らの名を明かす。忠誠を誓う騎士そのものの姿。全く違和感もずれもない完璧な忠誠。今まで自分にそれを見せてきた者の中でも明らかに異質なもの。ルシアは一瞬で悟る。ディープスノーが間違いなく、一切の迷いなく自分に忠誠を誓っているのだと。思わずそれによって後ずさりしてしまいかねないほどのもの。


「ああ、ハジャから話は聞いている。それとキングと呼ぶ必要はねえ。それは親父の称号だ。俺のことはルシアと呼べ」
「そうですか……ではルシア様と」
「今は二人っきりだ。敬語も様付けも必要ねえ」
「いえ……あなたは偉大なるキングの血を継ぐお方。そんなことはできません」
「……そうか」


ルシアはそんなディープスノーの姿に圧倒されるしかない。本当ならざっくばらんに話しかけたいところなのだがそんな展開など許さないといわんばかりの空気。ある意味他の六祈将軍オラシオンセイスたちとは真逆の位置にいるような存在。それが目の前のディープスノーという男の姿だった。


『どうした、何をそんなに焦っておる。いつも欲しがっていた真面目な部下ではないか。もっと喜んだらどうだ?』
『て、てめえ……他人事だと思って好き勝手言いやがって! いくら何でも度が過ぎるわ!』
『ふむ……さながら忠義の騎士と言ったところか。確かにお主が言っていたように六星DBを扱うに相応しい力を持っておる。ゼロも認めているようだしな……だが……』
『な、何だよ?』
『いや……やはりこの男が持っている、身に宿しているのはあのハジャとかいう魔導士が持っていたDBと同種のようだな。人工で生み出すのはともかく身体に埋め込むとは……やはり人間の考えることはよく分からんな』
『心配すんな……俺も分からねえよ』


マザーのからかいはともかく最後の部分についてはルシアも同意せざるを得ない。

『五十六式DB』

それがディープスノーがその体に宿しているDBの名前。誕生した暦から取った名前を持つ人工のDB。人間の潜在能力を限界まで引き出す力を持つ生物兵器。ルシアはその力を感じ取りながらもやはりその力は異質なものであることが分かる。人と融合することでDBを完全に己の身体のように扱うことができるようにする目的がそこにはあるに違いない。そしてそれと同じDBを持っている存在がいた。

『無限のハジャ』

六祈将軍オラシオンセイスのリーダーである大魔導士。ハジャもまた人工のDBである六十一式DBをその身に宿している。それこそが無限の魔力の正体。ディープスノーのものが身体能力を引き出すものだとすればハジャのそれは魔力を生み出すもの。どちらも身体的な意味で力を発揮する点では同じかもしれない。もっとも生まれながらにその力を与えられてしまったディープスノーと自ら望んでその力を得たハジャは決して相容れることはないだろうが。

そして当然、ルシアはマザーの力で人工DBに干渉することもできる。いかに人工とはいえDBには変わらないのだから。もっとも今の時点で干渉する気はルシアには無い。ディープスノーには半年後、新たな六祈将軍オラシオンセイスとして動いてもらう予定なのだから。

ハジャについても同様。ルシアとしては本当なら今すぐにでも排除しておきたいのだが様々な理由、特にジーク関連の問題があるので動くことはできない。だがすぐに命を狙ってくることは無いだろう。全てのシンクレアを集めた後にDCを皆殺しにすることがハジャの狙い。今はまだ動きを見せないはず。何よりも先の戦いでこちらの力は見せている。ルシア自身の実力もだがそれ以上にマザーの力には驚愕したに違いない。無限の魔力が一時的とはいえ使えなくなってしまったのだから。無限の魔力が無くなっても大魔導士としてはジークを大きく超える実力なので油断はできないが今のルシアにとっては大した敵とはなりえない。そんなことを考えていると


「……御心配には及びません。帝国には私がこの場にやってきていることもスパイであることも知られてはいません」
「そ、そうか……」


ディープスノーが静かに告げる。一瞬反応が遅れながらもルシアは思考を切り替える。どうやら自分が考え込んでいるためディープスノーはそんな風に思ってしまったらしい。ある意味スパイとしては当然の思考。


「それに帝国の情報については既に集め終わっています。それが取るに足らないことも。ご命令さえあればすぐにでも帝国を崩壊させることもできますが……」
「いや……それはまだいい。今は他の組織にDCの復活を気取られるのは得策じゃないからな」
「分かりました、ではご命令があるまでは任務を継続いたします」


そんなディープスノーの言葉にルシアは心の中で溜息を吐くしかない。まだ本格的に動くのは半年後。その前に帝国崩壊のイベントを起こすわけにはいかない。ルシア個人としては別に帝国がどうなろうと知ったことではないのだがそのせいで他の闇の組織が好き勝手に動かれるのは宜しくない。少なくとも半年後までディープスノーには今の任務を続けてもらうことにルシアは決めた。もっとも事態の先延ばしであるのは否めないが。だがそんな中、ルシアはどこかディープスノーの様子がおかしいことに気づく。それはほんのわずかな変化。しかし明らかに何かを意識しているような気配。


「どうした、何か他にもあるのか……?」
「………ルシア様、一つお聞きしていいでしょうか?」
「ああ……何だ?」


ディープスノーはどこか聞きづらそうな雰囲気を纏いながらもすぐにいつも通りの空気を纏いながらルシアを見据える。そして少しの静寂の後


「ルシア様は何故、キングにご自分が息子であることを明かされなかったのですか……?」


ディープスノーは口にする。どうしても聞いておかなければならなかった疑問を。何故キングに本当のことを明かさなかったのか。そんな当たり前の、子供のような問い。その姿にルシアはようやく気づく。ディープスノーの姿の違和感の正体に。それは外見とその精神の差、ギャップのようなもの。ディープスノーは生物兵器として生み出されたがゆえにその成長も人間よりも早い。そのため身体年齢では二十五歳なのだが実年齢は十歳程。もっとも精神年齢が低いわけではないのだがやはり深層意識ではまだ幼い、純粋なところがある。普段の冷静さもそれを気取らない様にする無意識の行動。


「…………」


それを感じ取りながらもルシアは口を噤んだまま。ディープスノーの問いに答えることは無い。答えることはできない。自分が本当はルシアではないことを。自分の目的のためにキングを見捨てたことも。

同時にルシアは自分が知ることもディープスノーに伝えることはできない。本当はキングがディープスノーのことをもう一人の息子だと思っていたことも。悪の道に染まってほしくないからこそ帝国のスパイとしたことも。自分が知っていてはおかしい話なのだから。仮にそうでなかったとしてもルシアがそれを伝えても何の意味もない。本当の息子であるルシアの言葉ではディープスノーには本当の意味では伝わらない。敵であるシュダの言葉だからこそディープスノーはそれが真実だと悟ったのだから。


「……いえ、出すぎた発言でした。申し訳ありません」


そんなルシアの姿に思う所があったのかディープスノーはそのまま再び頭を下げる。ルシアもそれ以上何もいうことができなくなってしまう。同時にどこか居づらい、やりづらい空気が辺りを支配し始める。もっともそう感じているのはルシアだけ。ディープスノーは自分が出すぎた真似をしたことを恥じ、マザーは右往左往している自らの主の姿を楽しそうに観戦している。ある意味いつも通りの状況。そんなマザーの姿に怒りを覚えながらもルシアは強引に動き始める。それはこの場にやってきたもう一つの目的を果たすため。


「ルシア様……どうされたのですか……?」


ディープスノーはそんな声をかけることしかできない。だがそれは無理のないこと。ルシアが突然、崩れ去っている廃墟に向かって歩き始めたのだから。完全に崩壊しているとはいえ足場も不安定、下手をすれば崩れ去ってしまうかもしれない危険な場所。だがそんなことなどどうでもいいとばかりにルシアはその瓦礫の道を進んでいく。ディープスノーの言葉など耳に入っていないかのように。ディープスノーはただその後に着いて行くことしかできない。それがどれだけ続いたのか。そろそろルシアを止めた方がいいのでは。そんな風にディープスノーが思い始めた瞬間、ルシアは唐突に動きを止めてしまう。まるで目的地に辿り着いたかのように。その視線の先には一際大きな瓦礫がある。自分たちの優に十倍はあるかのような巨大な瓦礫。同時にルシアはその背中にある大剣を抜き放つ。


「ディープスノー、少しここから離れてろ」


そんな言葉に従うと同時にルシアが剣を振り下ろす。瞬間、凄まじい爆発が巻き起こる。その力によって巨大な瓦礫は跡形もなく吹き飛ばされ姿を消してしまう。その力にディープスノーは目を奪われるだけ。新生DCの最高司令官、新たなキングの力の片鱗に。だがそれだけでは終わらなかった。


(あれは……?)


爆発による粉塵が収まった先には五つの光があった。それはDBの光。その内の四つは宝石の形をした物。そして残る一つは大剣。だがその姿はまさに今ルシアが持っている剣と瓜二つの物。だがそんなことがありうるのか。同じDBがこの世に二つあるなどと。そしてようやくディープスノーは悟る。これを見つけるためにルシアは瓦礫の中を進んでいたのだと。そして恐らくはそのDBがキングの物であろうことを。


(ふう……何とかなったか……)


ルシアは内心安堵しながらも五つのDBの姿を確認する。気配は感じ取っていたため居場所を探すのは簡単だったが巨大な瓦礫に関しては想定外。一応DBがレイヴ以外の力では壊れないと知ってはいるもののやはり爆発の剣エクスプロージョンを使うのは抵抗があった。しかし結果は問題なし。長い間瓦礫に埋もれていたため汚れてしまってはいるがDBたちには問題なさそうだ。それでも一応大丈夫かとルシアが話しかけようとするも


『待っておったぞ……魔石使いよ……』


それよりも早くそんな低い老人のような声がルシアに向かって掛けられる。それは五つの内の一つ、デカログスから発せられているもの。まるで歴戦の戦士を思わせるような老人の声。ルシアが持つデカログスが歳をとればこんな声になるのではないかと思えるようなもの。以前のキングとの会合で声自体は知っていたものの直接話すのは初めてであるルシアは驚きながらも話しかける。


『だ、大丈夫そうだな……でも何で俺のことを待ってたんだ? 別に約束してたわけでもねえのに……』
『いや、お主ならやってくるだろうと皆確信しておったよ。魔石使いのお主ならと……』
『そ、そうか……』


キングのデカログスの言葉にルシアはどこか申し訳なさを感じてしまう。どうやらDBたちの中ではルシアの評価は想像以上に高いらしい。昔マザーに言われた言葉を思い出す。曰く、自分にはDBに愛される才能があるのだと。ルシアとしては嬉しくとも何ともない才能だった。


『そんなに構えるでない。我らは主に礼を述べたかっただけじゃ』
『礼……? 何のことだ……?』
『我らが主、キングのことじゃよ……主とイリュージョンのおかげでキングは救われた』
『え……? い、いや……でも俺、キングには何も……』
『主と話せたことがキングにとっては救いだったんじゃよ……それとイリュージョンによる雪によって我が主は孤独から解放された……』
『イリュージョン……? そういえばさっきもマザーがそんなこと言ってたっけ。一体何があったってんだ?』


事情がまったくつかめないルシアに向かってキングのデカログスが順を追って説明していく。

キングの持つ五つのDBたちはキングの孤独を知りながらもどうしようもできないことに悩んでいたこと。それについてルシアのDBたちと話し合いをしていたこと。

キングの息子であるルシアが現れその言葉によってキングが救われたこと。

最後の戦いの時、また犯してはいけない間違いを犯しかけたキングをイリュージョンが幻によって止めてくれたこと。

そんな自らが知らない間に起こっていた出来事の内容にルシアは言葉を失い顔面を蒼白にするしかない。


(あれ……? もしかして俺、知らない間にめちゃめちゃヤバい状況じゃったんじゃ……?)


ルシアは戦慄する。自分が六祈将軍オラシオンセイスとの戦いに臨んでいる間にまさに原作崩壊、世界の危機が起こっていたのだと。最悪ハル達が全滅しかねない事態が起こっていたのだと。もしイリュージョンがキングのDBたちの話を聞かずに力を使ってくれなかったら全てが終了してしまっていたかもしれない。まさに崖の上での綱渡りを知らない間に行っていたようなもの。


マザーよ。申し訳ありませんでした。我らの勝手な願いを聞いてくださり……』
『ふん、気にするでない。やったのはイリュージョンだ。我は何もしておらぬ』


そんなルシアの心境など知らぬままマザーは尊大な態度をとりながらキングのデカログスに答える。もっともマザーは本当に何故デカログス達がそんなことをしているのかよく分かっていなかったのだが。そして少しの間の後、キングのデカログスが改めてルシアに向かい合う。その空気が先程までとは大きく違う。貫録を、何かの決意を感じさせる姿。


『ど、どうかしたのか……?』
『……魔石使いよ。一つ頼みがある。ワシの力を、キングの力を受け継いではくれまいか?』
『え……? キングの力って……お前を俺に使えってこと?』


ルシアは突然の提案に目を丸くすることしかできない。まさかそんな話題が出るなど思ってもいなかったから。五つのDBは皆キングに忠誠を誓ったものたち。故にルシアは回収することはあっても使う気は毛頭なかった。何よりも


『気持ちは嬉しいけど……やっぱいいわ。第一俺にはもうデカログスがいるし……』


ルシアは既にデカログスを持っている。もう一本持って二刀流という手もあるかもしれないが両利きではない自分では使いこなせない上に二本持ったところで大きなメリットはない。むしろ扱いづらくなるデメリットの方が大きいだろう。だが


『心配することはない。主に託すのは力のみじゃ。同じ剣は二本もいらぬ。主なき剣もまた同じじゃ……』


デカログスはどこか感慨深げに告げる。その言葉はまるで遺言。これまでのキングと共に生きてきた五つのDBたちの総意でもあった。ルシアはそんな理解できない事態に立ち尽くすことしかできない。


マザーよ。ではお先に失礼いたします。我儘お許しください』
『…………よい。お主の命だ。お主の好きにするがよい』


マザーは答える。その言葉に。そこには確かな母の姿がある。例え自ら生まれたのではなくともDBである以上それは変わらない。そんな自らの母の姿を見ながらもデカログスは自らの役目を果たさんとする。


瞬間、光が辺りを包み込んだ。


「なっ――――!?」


ルシアはただ驚愕の声を上げることしかできない。目の前に起こった光。キングのデカログスから放たれている光が自分に向かってくる。だがそれが自分に向かったものではないことにルシアはすぐに気づく。

それはもう一本のデカログス。自らが持つデカログスに向かって光の奔流が流れ込んでくる。凄まじい力が。同時にキングのデカログスの姿が消えていく。まるで砂に変わって行くかのように、光の粒子となりながら。その全てがアキの手にあるデカログスに飲み込まれていく。その光景にルシアは見覚えがあった。

双竜の剣ブルー=クリムソン。二刀剣が元の一本の剣に戻る光景。それが今、目の前で起こっている。だがそれは別々の剣。マザーによって生まれたものとエンクレイムによって生まれたもの。本来あり得なかった二本の剣。それが今、一つにならんとしている。

凄まじい光と力。それが辺りを支配しながらも次第に収まって行く。徐々にだがルシアの視界が戻ってくる。その瞳がゆっくりとそれを捉える。自らの手にある剣。それが大きく姿を変えていることに。

刀身は大きく変化し、そこには十個のDBが埋め込まれている。それは十の剣にそれぞれ対応したもの。剣の力を極限にまで引き出すことができる力。かつてのデカログスはTCMと対を為した剣だったが今ルシアの手にある剣はそうではない。完全なる上の存在。


真の魔剣ネオ・デカログス


それがその魔剣の名。キングの意志とDBの力を継承した剣の姿。究極の武器アルティメットウェポン。それが今ルシアが手にした新たな力だった。



ディープスノーはその光景にただ目を奪われていた。ルシアがキングのDBを見つけた後、そのままずっと黙りこんでしまったことに呆気にとられていたのも束の間、その剣が光を放ちルシアの剣と一体化してしまった。見たことも聞いたこともない光景。だがその意味をディープスノーは誰よりも理解していた。キングの力が、意志がルシアに受け継がれたのだということ。本当ならそのことに嫉妬するべきなのかもしれない。だがそんな感情すら今のディープスノーには生まれない。あるのはただあり得ない程の高揚感。キングの本当の息子だからではない、王たる者の力をその目にしたことによるもの。ディープスノーは心の中で誓う。ルシアという個人に対しての忠誠を。新たなる王に相応しい力を目の前にすることによって。



「―――――」


ルシアはただ呆然としながら己が持っている魔剣に目を奪われていた。正確にはその底が知れない力に。DBマスターとして力を付けてきた今の自分でも扱いきれないのではないかと思えるような圧倒的な力。マザー程ではないものの間違いなく六星DBを遥かに超えるDB。原作のルシアが終盤に手に入れていた最強武器。知らずルシアは身体が震えていた。それは武者震い。戦うことが嫌いなルシアであったとしてもこの力を早く試してみたいと思ってしまうほどの力がこのネオ・デカログスにはある。だがすぐにルシアは正気に戻る。それはあることに思い至ったがため。


『っ!? そ、そうだ! し、師匠っ!? 師匠なんですかっ!?』


それは自ら持つデカログスの安否を心配してのもの。キングのデカログスの提案がデカログス同士の融合であることは分かったもののその精神がどうなるかまでは全く分からない。ルシアは焦りながらもネオ・デカログスに向かって話しかける。もしかしたら元のデカログスではなくなってしまっているかもしれない。そんな不安。だが


『情けない声を上げるんじゃねえよ、マスター……オレならここにいる』


心配無用だといわんばかりにデカログスの声が聞こえてくる。間違いなくルシアが持っていたデカログスの声が。


『師匠……大丈夫なんですか?』
『ああ……もうジジイはいなくなっちまったけどな。ったく……断りもなくやりやがって……』
『そうか……』


どこか納得いかなげな様子を見せているデカログスを見ながらもルシアは安堵する。どうやらキングのデカログスはその力だけを渡し消えてしまったらしい。いや、同化したと言った方が正しいのだろう。そのことに悲しみながらも同時に感謝する。自分に力を渡してくれたことに。だが


『…………』


そんな中、マザーはネオ・デカログスを見つめたまま黙り込んでしまう。今まで見たことのないような雰囲気を纏ったまま。ルシアはそんなマザーの姿に首を傾げるしかない。いつものマザーなら自分が新たな力を身に付けたことで喜びこそすれこんな態度をみせることなどあり得ない。


『……どうかしたのか、マザー?』
『……いや、何でもない。少し感傷に浸っていただけだ』
『感傷……? お前が……?』
『ほう……我が感傷に浸ることがそんなに珍しいか……いいだろう、せっかく新しい剣が手に入ったのだ。予定を早めてさっさとシンクレア集めを始めるとしようか……』
『っ!? い、いや……その、何だ、まだ剣も使いこなせてないし……それに言っただろ! お前を使いこなせるようにするって!』
『ふん……まあいいだろう。DBマスターがDBを使いこなせんのでは笑い話にもならん。とっとと修行にするぞ』
『あ、ああ……』


ルシアはそのままとりあえず自分の修行メニューが増えたことに喜べればいいのか悲しめばいいのか分からないまま。そしてルシアはディープスノーと共にジンの塔を後にする。最後に一度だけその光景を焼きつけながら。


「それでは私はこれにて。もし何かあれば呼び出してください。すぐに駆けつけます」
「あ、ああ……その時はよろしく頼む」
「はい。それでは」


ディープスノーはそのまま一度大きく頭を下げた後、ルシアとは反対方向に向かって歩いて行く。恐らくは帝国へと戻るために。ルシアの手にはキングの残った四つのDBがある。それはディープスノーによって渡されたもの。ルシアはその四つをディープスノーに渡そうとしていた。本来ならすべきことではないのだろうが自分だけがキングの力を受け継いで置きながらさらに他のDBまで独占するようでどうしても罪悪感があったから。だがそれをディープスノーはあっさりと断った。

自分にはキングやルシアのように複数のDBを扱うことはできないこと。そして自分にはルシアによってDCにもたらされた六星DBがあるからと。

そして言葉には出さなかったものの、ディープスノーが言いたいことはルシアには伝わっていた。

例えDBがなくともキングの魂は自分の中で生き続けていると。



(なんだろう……何かめちゃくちゃ俺って嫌な奴なんじゃ……)


およそ自分には持ち得ないような純粋な想いを持っているディープスノーの姿に自分の浅ましさを感じながらもルシアは戻って行く。自分の表舞台へと。次にディープスノーと会うのは半年後、その時こそが自分の正念場だと。だがルシアはすぐ気づくことになる。


そんな甘い考えが自分に許されることがないということに―――――



[33455] 第四十話 「開幕」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/03 00:04
どこまでも果てしない青空と地平線の彼方まで続いているのではないか思えるような蒼い海。潮風と共にカモメの鳴き声がこだましている海岸。そこに二つの墓石があった。真新しい花が供えられていることからもその墓に眠る二人が家族に愛されていたことが分かる。

『ゲイル・グローリー』と『サクラ・グローリー』

互いに愛し合っていた夫婦。そしてそれと同じぐらい二人の子供を愛していた親達。二人の魂は故郷であるガラージュ島で安らかに眠りついていた―――――




「セミ! セミ!! セミ食べた――――い!!」


そんな訳の分からない声が辺りに響き渡る。それはガラージュ島にある一つの家から発せられている。そこにはナカジマと呼ばれる生物がいた。一言でいえばおっさんの顔をした花。それ以外の言葉でそれを表現する術は無い。だがその場から動けないのか家の壁に張り付いたまま。だがそれは拘束されているからではなくそこがナカジマに居場所だからこそ。もっともそこから動けないという意味では変わらないのだが。ナカジマは奇声を上げながらも手を何度も叩いて音を上げている。何も知らない人が見れば悲鳴をあげてしまうような光景。


「もう、うるさいわね。気持ち悪い言葉連呼しないでよ」


しかしそれに全く動じることなく一人の女性が不満げな顔をしながらナカジマの前へとやって来る。長い黒髪に見事なプロポーション。カトレア・グローリー。ハルの姉である彼女は溜息を吐きながらもナカジマに向かって注意する。ある意味いつも通りのこととはいえ放ったままにはできないような有様だったのだから。


「カ、カトレア様!? お墓参りはもうすまされたんですか!?」
「そうよ。とにかく大声出さないでくれる? ヘンな噂でもたてられて迷惑するのは私なんだから」
「失礼な。私はただ目の前を飛んでいたセミがあまりにおいしそうだったので……」
「それ以上言うなら前みたいに花弁をシバに取ってもらうわよ」
「っ!? な、何てハレンチな!? 私はカトレア様をそんな女性に育てた覚えはありませんよ!?」


んまー! という叫びを上げながらナカジマが必死に抗議するもカトレアは全く気にすることはない。むしろナカジマはカトレアの言葉によって冷や汗を流している。その脳裏にはかつて行われたトラウマになってしまっているようなお仕置きが蘇っていた。それが覆すことができないカトレアとナカジマのパワーバランス。ようするにナカジマは絶対にカトレアには敵わないということだった。


「そういえばシバは? 姿が見えないけど」
「シバさんなら少し前にゲンマさんのところに出かけて行きましたよ」
「ゲンマのところに? コーヒーでも飲みに行ったのかしら」
「きっとそうでしょう。最近は特によく通っているみたいですから」
「そうね。シバもすっかりこの島に馴染んだわね」


カトレアはどこか感心したように声を漏らす。シバはこの島にやってきてから家に居候になっている老人。言うならばハルと入れ違いになる形で増えた家族のようなもの。シバにとってはゲンマは親友の子供であり思う所があるのだろう。もっとも島に馴染んだというのは正しくない。正確には里帰り。五十年越しではあるがシバはこの島で生まれ育ったのだから。


「それはそうですよ。シバさんがこの島に来てからもう半年以上になりますから」
「そう……もう半年以上になるのね……」


半年。その言葉にカトレアはどこか遠くを見るような表情を見せながら黙りこんでしまう。長かったような、短かったような時間。ハルがこの島を旅立ってからの日々。そしてアキがいなくなってからは四年以上。それに思い至ったのかカトレアはそのまま物思いにふけってしまう。


「心配することはありませんよ。ハル坊ちゃんもアキ坊ちゃんも元気にしているにきまっています!」


そんな空気を何とかしようと思ったのかそれともただ単に思ったことを口にしたのかは定かではないがナカジマがんふー! という鼻息と共に告げる。だがその言葉にはどこか言いようのない刺のようなニュアンスが含まれていた。まるでそう言い張ることで何かを誤魔化すかのようなもの。


「ナカジマ……まだ二人に別れの挨拶を言ってもらえなかったのを気にしてるの?」
「なっ!? な、何をおっしゃるんですか!? そんなことはありません! それにあれは忘れられていたわけではなくそんなものが必要ないほど私と坊ちゃん達の間には深い絆が……」


あっさりと自らの心の内を見抜かれてたことによって狼狽しよく分からないことをぶつぶつと呟くナカジマの姿にカトレアは苦笑いするしかない。ナカジマが狼狽している理由。それはハルとアキが二人とも島を出て行く際に声をかけてくれなかったことを気にしているから。ある意味ナカジマにとってはトラウマになっているに等しい触れてはいけない禁忌。二人揃ってそれを忘れてしまうとはある意味似た者同士と言えなくもないのだがナカジマにとっては笑いごとではない切実な問題だった。


「はいはい、そういうことにしておいてあげる。でも元気なのは間違いないわね。シュダさんもそう言ってたし」
「だ、ダメですよカトレア様!? あんな怪しい奴の言うことを信じるなんて! あいつはこの島を襲った奴なんですよ!」


ナカジマはどこか鬼気迫った表情で声を荒げる。それはつい一カ月ほど前のこと。ある来訪者がこの島にやってきた。だがそれはおよそ想像できないような人物。

『爆炎のシュダ』

元DC最高幹部の一人。かつてこの島にあるレイヴとシバを狙ってやってきた危険人物。それが再びやってきたことで島はちょっとした騒動になった。もっともそれは丸く収まることになったのだが。


「それはそうだけど……そんなに悪い人じゃなかったじゃない。ちゃんと謝ってくれたしシバも許してたんだから」


カトレアは苦笑いしながらもナカジマを宥める。同時に思い返す。シュダがやってきた時のことを。結論からいえばシュダがやってきたのは島を襲うためではなかった。その謝罪とハル達の近況をカトレアとシバに伝えるため。

そして何よりも大きな理由。それはカトレアの父であるゲイル・グローリーが命を落としたことを伝えるためだった。その事実にカトレアは涙を流したもののハルとゲイルが出会えたことを聞き救われた気分だった。自分とは違い父の記憶を持たないハルにも短い時間ではあっても父と触れ合うことができたのだから。それによって今海岸には母であるサクラの墓と共に新しくゲイルの墓も造られている。亡骸はないもののその魂はきっとこの島に帰ってきてくれていると信じたいカトレアの願いを形にしたもの。

そしてもう一つ救いになる知らせがあった。それはハルとアキが健在であるということ。ハルはDCとの戦いを終え静養中。アキについては所在は不明だが健在であるだろうとのことだった。ハルが戻ってきてくれないことに残念さはあったがカトレアには何故ハルが帰ってこないかは既に分かっていたため受け入れることができた。例え離れていても弟であるハルのことなどカトレアにはお見通しだった。


「ま、まさかカトレア様……あの男のことを? ゆ、許しませんよそんなハレンチなこと!?」


そんなカトレアの心境など知る由もないナカジマは勝手にヒートアップしさらにカトレアを捲し立ててくる。自分を心配してくれているのは分かるもののカトレアとしてはもう少し大人しくしてくれないだろうかと思わずにはいられない。


「もう、うるさいわね。心配しなくてもそんな気はないから静かにしてくれる?」
「いいえ静かになどしてられません! もしカトレア様にヘンな虫が付きでもしたら私がハル坊ちゃんにボコボコにされてしまうじゃないですか!?」


バンバンと壁を両手で叩きながら錯乱したかのようにナカジマは暴れ続ける。それは切実な問題。もしハルが不在の内にカトレアに彼氏でもできようものならハルが帰ってきた時にどんな目にあわされるか分かったものではないという恐怖。普段温和なハルだがカトレアのことになると見境がなくなることをナカジマは知っていた。そして下手をすればアキにも制裁を食らわされかねない。むしろそっちの方が問題かもしれない。そんな己の生命の危機によってナカジマは錯乱するしかない。


「まったく……アキが戻って来るまでは待ってるつもりだからそんな心配しなくてもいいわよ」


ぽつりと、呟くようにカトレアは本音を漏らす。それはある意味アキとの約束。もっともアキがどう思っているかは分からないような一方的なもの。

小さい頃からずっと自分と結婚するのだと言い続けていたアキの姿。それが本気だったのかどうかは定かではないがカトレアはその約束をこの四年間ずっと守ってきている。

言うならば願かけのようなもの。それを守ることできっとアキが帰って来るだろうという願いを込めたもの。


「……? 何か仰いましたか、カトレア様?」
「何でもない。それよりももうすぐお昼だからシバを迎えに行くけどどうする? たまには一緒に行く?」
「も、もちろんです! すぐに支度をするので待ってください! 久しぶりにラーメンを食べたいと思っていたんですよ!」
「どうでもいいけどゲンマのところでラーメンは出ないわよ」


まるで定食屋に行くかのようなテンションのナカジマを嗜めながらもカトレアもまた出かける準備をする。その途中、窓際に置いている写真にふと目を奪われる。

自分と幼いハルとアキが一緒に映っている写真。きっとアキもハルと同じぐらいに大きくなっているに違いない。


(ハル、アキ……早く帰ってきてね……)


それを楽しみにしながらもカトレアはナカジマと共にゲンマの店へと向かう。そこでカトレアたちは昔話を聞くことになる。


初代レイヴマスターであるシバの過去、そしてレイヴの誕生とその名の意味を―――――




多くの人々でにぎわっている昼間の大通り。その中を二人の人物が並んで歩いていた。銀髪の少年と金髪の少女。金髪の少女はその腕に白い小さな生き物を抱いている。それはプルーと呼ばれるレイヴの使い。一応犬であるらしい存在。ハル・グローリーとエリー。二人は昼食を終え、あてもなく街を歩いている最中だった。


「よかったね、ハル! ムジカもあと少しで退院できることになって!」
「ああ。一時はどうなる事かと思ったけど……」


エリーの嬉しそうな声に応えながらもハルもまた安堵の表情を見せる。それは先程まで病院まで見舞いに行っていたムジカについてのもの。

今ハル達はルカ大陸中央部にある薬の町ボニタに滞在していた。言うまでもなくそれは先のジンの塔での戦いの傷を癒すため。その中でも一番の重傷を負っていたのがムジカだった。ハルも大けがを負っており入院していたもののムジカの怪我はその比ではない。もう少し遅ければ命に関わる程のもの。幸いにも大事はなかったもののしばらくは入院することになりハルたちもまたそれを待ちこの街に滞在していた。そして今日、一ヶ月後にはムジカが退院できることが決まり二人は喜びあっているところだった。


「でもムジカも相変わらずだったよねー。レミに手を出そうとしてたし……ソラシドにバレたら大変だよ」
「確かに……そうなったら退院が伸びちまうかもな……」


エリーの冗談とも取れない言葉にハルは顔を引きつらせるしかない。ムジカは病院でもたばこを吸う、看護師をナンパするなどやりたい放題。そして最近は見舞いにやってきたレミにまで手を出そうとする始末。もしそれが兄であるソラシドにバレればどうなるか。ムジカはそのまま聖なる十字架をぶち込まれかねない。冗談抜きで入院が長引かないことをハルは祈るしかない。


「でももうあれから半年になるんだね……」
「そうだな……もうそんなになるんだな……」


エリーの何気ない言葉によって気づかされながらもハルは思い返す。ジンの塔での戦い。それによるDCの崩壊。そして失ってしまった大切な家族。


「……ねえ、ハル。ほんとによかったの? ガラージュ島に一度も帰らなくて……」


そんなハルの空気を感じ取ったかのようにどこか気を遣いながらエリーが尋ねる。故郷に、ガラージュ島に戻らなくてもいいのかと。確かに全てが終わったわけではないが大きな区切りがついたことは間違いない。静養という今回の機会を利用して一度里帰りしてもいいのではないか。そんなハルのことを心配した問い。だが


「……ああ。DCはなくなったけどまだやることがたくさんあるからさ」


エリーの心遣いを知りながらもハルはきっぱりと告げる。まだガラージュ島に帰るつもりは無いと。その言葉通りまだハルにはレイヴマスターとしての使命が残っている。

一つはDBを倒すこと。確かにそれを使い悪事を働くDCは壊滅させることができた。だがそれでこの世からDBが消え去るわけではない。その大本である本体を叩かない限りDBは増え続ける。

母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア』

レイヴ同様五つに分かれてしまっている五つのDB。それを壊さない限り世界に平和は訪れない。

そしてそのためにも残る二つのレイヴをハルは集めなければならない。全てのレイヴを揃えなければDBを倒すことができないのだから。

だがそれだけではない。レイヴをすべて集めることである場所に辿り着くことができるといわれている。『星の記憶』と呼ばれる聖地。父であるゲイルから伝えられた事実。そこに行けば全ての謎を解くこともできる。

エリーの記憶も、ムジカが探しているという船も。全ての答えがそこにある。そして何よりも


「それに決めてるんだ。島に帰るときはアキと一緒だって。姉ちゃんとの約束だから」


それがまだガラージュ島に帰らない、帰るわけにはいかない一番の理由。

『親父とアキを探して一緒に連れて帰る』

あの日、カトレアと交わしたハルの約束、誓い。だがその一つをハルは叶えることが、守ることができなかった。

だからこそハルは強く誓っていた。もう一つの約束。それだけは絶対に守ってみせると。


「約束は破っちゃだめだって姉ちゃんが言ってた! って奴だね♪」
「うっ……もうそれはやめてくれ……」


そんな自分の決意を台無しにするかのようなエリーの突っ込みにハルは顔を赤くするしかない。それは島を出た当初、出会ったばかりのころによく口にしていた口癖。姉やアキのことをしゃべってしまうもの。今はそれも収まりつつあるのだがエリーにからかわれるネタになってしまっているのがハルの最近の悩みの種だった。


「ごめんごめん! でもその時が楽しみだね。あたしもハルとアキの家に行ってみたいなー。ナカジマって人にも会ってみたい!」
「ごめん……人じゃないんだ……」


どこか沈んだ顔でハルは呟くしかない。今ハルの脳裏にはんふーという鼻息を漏らしながらドヤ顔を晒しているナカジマの姿が浮かんでいた。きっと今も変わらず訳が分からないことをしているに違いない。できれば紹介したくない家族だった。


「それにハルのお姉さんにも会ってみたいな。カトレアさんってすっごく綺麗な人だもんね」
「あ、当り前さ! 姉ちゃんは島で一番モテるんだからな!」


ちょうどよく話題が変わったことと自分の自慢の姉のことということでハルは気を取り直したように声を上げる。だが勢いに乗ったはいいもののふとハルは気づく。


「あれ……? オレってエリーに姉ちゃんの名前言ったことあったっけ?」


それはエリーの言葉とその態度。自分の姉の名前をさも当然のように口にし、そしてそれをまるで見たことがあるかのような雰囲気がそこにはあった。


「ううん、でもアキから聞いたことがあったの。それに姿も見たことあるんだから!」
「な、なんで姿まで分かるんだよ? アキ、写真でも持って行ってたのか?」
「違うよ。アキの持ってるDBのイーちゃんが幻で見せてくれたことがあるの。アキの理想の女性像なんだって」
「理想の女性像って……それ、勝手にバラされてたのか……?」
「……? うん、ママさんがその姿になってアキに振り向いてもらおうと頑張ってたんだから!」


エリーから聞かされるおよそ理解ができないような話の内容にハルは頭を混乱させるしかない。いつも聞かされているDBと一緒に生活していたというエリーの体験談。それを疑っているわけではないがやはりその内容にハルはついていくことができない。恐らくはアキが持っていたシンクレアがエリーの言う『ママさん』なのだろうがそのイメージが全く分からない。DBの頂点にある悪の根源。それがハルの認識なのだがエリーの中では何故かアキに求愛する女性(?)ということになっている。石に求愛されるなど意味が分からない。自分で言えばレイヴに求愛されるようなものだから。そして勝手に自分の理想の女性像を暴露されたであろうアキに同情せざるを得ない。


「そっか……そういえばアキの奴、よく姉ちゃんに結婚してくれって言ってたっけ……」


同時にハルは思い出す。アキが小さい頃からずっと姉であるカトレアに向かってそんなことを言っていたことに。ある意味それも求愛と言えるのかもしれない。今思えばよくそんなことを臆面もなく言えたものだと感心すらする。やはり子供だからできたのだろうか。


「へえー、アキ小さい頃からそうだったんだ。今でもアキ、カトレアさんのことが好きなのかな?」
「どうだろうな……でもアキは結構本気っぽかったような気がする。姉ちゃんはどうかよく分かんねえけど……」


どこか興味深々なエリーの言葉にハルはそう答えるしかない。何となくアキが本気だろうということは幼いながらもハルは感じ取っていた。それをネタにして義兄になるだのなんだの言っていたのだから。もっともカトレアについてはハルもよく分からない。アキに乗って大きくなったら考えてあげるとは言っていたもののそれが本気なのか冗談なのか結局島を出るまでハルはカトレアから聞かされることはなかった。


「ふーん……そっか……」


エリーはそう言いながら自分の髪をいじり始める。そんなエリーの姿にハルは思わず目を奪われてしまう。どこかその姿が姉であるカトレアにダブって見えたから。タイプで言えば全く違う性格なのだがその長い髪も相まってそんな風に見えてしまったらしい。同時にハルは思い至る。きっとエリーはアキのことを気にしてそんな質問をしてきたのだろうと。ハルは意を決して尋ねんとする。この静養期間中も何度か聞こうとしたものの結局できなかった今の自分にとっての重要問題。


「な、なあエリー……お前ってアキのこと」
「あ! 見てハル、新しいカジノができてる! 人が一杯だよ!」


そんなハルの声をかき消すように目を輝かせながらエリーがある店に向かって指を差す。そこには新たにオープンしたであろうカジノがある。その勢いによってハルの意を決した言葉は吹き飛んでしまう。まるでお約束のようなタイミングにハルは呆気にとられるしかない。


「ねえハルも一緒に遊んで行こうよ! せっかくだからあたしが軍資金を増やしちゃうよ!」
「い、いや……オレはいいや。ちょっと街をぶらついてくる……」
「そっか……じゃあ後で合流ね! 行くよ、プルー!」


おー! という掛け声と共に店内に入場していくエリーの姿にハルは言葉を失ってしまう。嬉々としてカジノに入店していく自分と近い年であろう女の子の姿にあきれ果てるしかない。そんなことを今更エリーに言っても無駄なことは分かり切っているのだが。


「はあ……」


大きな溜息と共にハルはこれからどうするか考える。エリーには街をぶらついてくると言ったものの既に半年近く滞在している町。加えて一人で回っても面白いところは特にない。かといってエリーと一緒にカジノをする気もない。どうせ負けるのは目に見えている(これまでの経験)


(そうだな……今日はちょっといつもより気合を入れて修行するか!)


ハルは気を取り直しながらもそう決断する。今まで病み上がりということで無理は控えてきたもののそろそろ本格的に動き出す必要がある。何よりも今自分は強くなる必要がある。アキを止めるために。話し合いで何とかできれば越したことはないがシンクレアもいる。どちらにせよ力はつけておくにこしたことはない。キングを倒せたのも父であるゲイルがいたおかげ。今はいなくなってしまっているが今の自分は恐らく六祈将軍オラシオンセイスにも及ばない。それと同じ力を持つジークが敵わなかったアキに対抗するためには今のままではいけない。

ハルはそのまま街のはずれにある修行場に足を向けんとする。アキを止めるためにでもあるがそれと同じぐらいハルはアキにある種の対抗意識を持っていた。コンプレックスと言い変えてもいいもの。そしてそのまま歩き始めようとした瞬間、


「よう……てめえがレイヴマスターだな……」


そんな聞いたことのない男の声がハルに向かって掛けられる。ハルは驚きながらも咄嗟に振り返る。既にその手にはTCMが握られている。何故ならある言葉をその男は口にしたから。

『レイヴマスター』

それは何かしらの事情を知ったものでしか知らないハルの称号。その名自体は世界に知られているもののハルがレイヴマスターだと知る者は限られている。ハルの数倍はあろうかという巨体。頭には一枚の葉が乗せられている大男。だが明らかに纏っている空気が異質だった。まさに戦う者のみが持つ空気。そしてその言葉遣い、態度。その全てが示していた。目の前の男が間違いなく自分にとって招かれざる客であることを。


「てめえの仲間のエリーって女が近くにいるんだろ? 大人しくそいつをこっちに渡しな」


空賊BG(ブルーガーディアンズ)最高幹部『六つの盾シックスガード』の一人

『シアン・ヴィヴェラン』


今、新たな争乱の始まりが告げられようとしていた―――――



[33455] 第四十一話 「兆候」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/02 05:37
巨大な街とその中心に天にまで届くのではないかと思えるような高い塔がある。そこは帝国本部と呼ばれる場所。帝国と呼ばれるいわば世界国家を名乗る巨大国家の中心。そしてその中にある広い会議室。そこに四人の男たちがテーブルを挟みあいながら対面していた。当然その男達は皆一般人ではない。その全てが帝国軍人であるその中でも最高権力を持つ四人の将軍たち。それが男たちの正体だった。


「一体何だというのだ。つい先日作戦会議をしたところだというのに! オレもそうたびたび出てこれるほど暇ではないのだぞ!」


機嫌が悪いのか語気を荒げながら一人の男が声を上げる。髭を生やし、屈強な肉体を持ついかにも軍人だといわんばかりの大男。

『南の将軍ブランク』

それが男の名前。だがブランクの不満も当然の物。何故ならつい数日前にこの場で将軍四人による作戦会議が行われたばかりだったのだから。にもかかわらず今回の招集。血の気が多いブランクでなくとも気がたってしまうのは無理のないことだった。


「落ち着きなさい、ブランク。気持ちはわかりますが今は緊急の招集の内容を確認することの方が先決です。そうでしょう?」


そんなブランクとは対照的な冷静な態度を見せているのがもう一人の将軍。どこか冷たさを感じさせる雰囲気を持つ男。

『北の将軍ディープスノー』

ディープスノーはどこか諭すようにブランクに話しかけながらも話しの続きを他の将軍に促す。ディープスノーも今回の招集について詳しい内容をまだ聞かされてはいなかった。

「分かった……これは極秘情報だ。口外しないように注意してもらいたい」

ディープスノーの言葉に応えるように黒髪の大男が念を押すように告げる。

『東の将軍ワダ』

その言葉によって他の三人の将軍たちの間に沈黙が流れる。そして


「先日薬の町、ボニタで大きな事件が起きた。BGの最高幹部六つの盾シックスガードの一人を捕縛したとのことだ」


その内容が語られる。だがそれによって将軍たちの間に衝撃が走る。だがそれは当然のこと。それほどに六つの盾シックスガードという存在は将軍たちにとって、引いては闇の組織にとっては知れ渡っている存在なのだから。


「そ、それは本当かワダ!? あの六つの盾シックスガードを捕える事が出来たというのか!? 一体誰がやったのだ!? お前の所の兵士か!?」
「待ちなさい、ブランク。そんなに焦っては話もまともにできませんよ」
「その通りだ……まずは順を追って聞いて行くことにしよう。ワダ、六つの盾シックスガードを捕まえたのは誰なんだ?」


顔に入れ墨がある男がワダとディープスノーに代わり話を進めて行く。

『西の将軍ジェイド』

そんなジェイドの言葉に促されるようにワダは事の経緯を詳細に報告していく。

捕まえることができたのは六つの盾シックスガードの一人であるシアンと呼ばれる大男であったこと。そしてそれを捕まえたのは帝国兵ではあるが通報があり駆けつけた時には既にシアンは何者かによって倒された後だったということ。その場には住民はいたもののその大半が眠っており詳しい情報が得られていないこと。およそ理解できないような不可思議な状況だった。


「何だそれは!? 結局何も分かってはいないではないか! しかも既に倒されていたなど……それでは帝国の威光もなにもあったものではないぞ!」


ブランクは興奮しながら声を荒げるしかない。せっかく六つの盾シックスガードという大物を捕えることができたと思っていたにもかかわらずそれは帝国の手で為されたものではないと落胆したが故。たださえDC崩壊の原因も掴めずその残党狩りだけをしていると揶揄されている帝国としては名誉挽回のチャンスになり得たかもしれなかったにも関わらずそれができなかったことにブランクは怒りをあらわにするしかない。だがそれとは対照的に冷静に状況を分析している男がいた。


「住民が眠らされていた……というのはどういうことですか。もしやそれが六つの盾シックスガードの持つDBの力では……?」


ディープスノーは手を顔の前に組みながらもワダに尋ねる。明らかに不自然な状況に対する疑問を口にする。


「ああ、その通りだ。尋問した結果、やはりそれは奴のDBの力だったようだ。だがいくつか気になることがある」
「気になること……何ですか?」
「うむ……実はシアンの奴がこう漏らしていたらしい……『レイヴマスターたちにやられた』と……」


その言葉に将軍たちは驚きを隠せない。それだけの意味を『レイヴマスター』という言葉は持っていた。何故なら最近、特にこの半年ほどはその噂が世界中で流れているのだから。


「それは確かなのか?」
「いや……それらしい人物は結局見つけられてはいない。奴の妄言だという可能性もある」
「そうに決まっておる! 巷ではDCを壊滅させたのもレイヴマスターだと噂されているらしいではないか! そんな世迷言を誰が信じる!?」
「…………」


四人の将軍がそれぞれの意見を持ちながらも言い争っていく。レイヴマスターと呼ばれる存在によって。唯一DBに対抗する力を持つ聖石『レイヴ』を操る正義の騎士。だがその存在が本当にいるのかどうかすらもまだ定かではなかった。だが


「だが気になることがある。実は奴の持っていたDBが粉々に破壊されていたのだ」


その言葉によって疑惑は確信へと近づいて行く。何故ならDBが壊れることなどあり得ない。これまで帝国のいかなる兵器を以てしても破壊することができなかったDBが粉々に破壊されていたというのだから。


「ば、馬鹿な!? あれだけ試して傷一つつけれなかったDBが粉々に!?」
「うむ、直にこの目で確認してきた。間違いない」
「恐らくレイヴマスターが実在するのは間違いないだろう。オレも以前、パンクストリートでDBが破壊されているのを見たことがある」


ジェイドの言葉によって他の二人も確信する。レイヴマスターと呼ばれる存在が間違いなくいるのだと。


「な、ならば早くそのレイヴマスターを探し出すのだ! 我々帝国の味方にすることができれば他の闇の組織に対する切り札にもなりうるのだぞ!」
「それは早計過ぎますよ、ブランク。まだそのレイヴマスターがどんな人物かも分かっていないのです。帝国に不利益をもたらす可能性もある。慎重に動くべきです」
「ディープスノーの言う通りだ。とにかく今はレイヴマスターよりも六つの盾シックスガードの一角が落ちたことによる影響を考えることが最優先だ」


気を取り直したように話題は六つの盾シックスガードを有しているBG、そしてそれに対抗し得る二つの組織、ドリュー遊撃団と鬼神についてに移っていく。そのパワーバランスが崩れてしまうことが帝国にとっては一番恐れていること。帝国は確かに国家としては最も大きなものだが戦力については闇の組織全てに対抗できるほどのものではない。DBという圧倒的な力を持つ闇の組織に対してはどうしても後手に回らざるを得ない。それに歯がゆさを感じながらもひとまずは各組織の衝突が起きないように牽制することが決定された。もっとも焼け石に水、時間稼ぎにすぎないことを誰もが分かっていながらも口に出すことは無い。


「では私はこの辺りで失礼します。レイヴマスターについても私の方で調べてみます。しばらく連絡が取れないかもしれませんがご心配なく」
「分かった。オレも部隊の強化に動くことにする。何かあったら連絡してくれ」
「うむ、ではくれぐれも内密にしてくれ。余計な混乱は避けたいところだからな」


それぞれの思惑を胸に将軍たちは己の持ち場へと戻って行く。そんな中、ジェイドはふと振り返りながらある男の背中を見つめる。

それはディープノー。その微かな違和感。いつもは寡黙であり多弁ではないディープスノーだが今回の会議ではいつもよりも口数が多かった。ただそれだけ。だがそれが何かジェイドにとっては引っかかるものがあった。しかしそれ以上の考えても仕方がないと思いながらもジェイドもまた動き出す。闇の組織の牽制に。そして独自にレイヴマスターを探すために。


誰も気づくことなかった。最も警戒しなければならない組織の一員がすぐ傍にいたことを―――――




雲ひとつない広大な青空。本来なら鳥以外は踏み入れることができない領域。そこにあり得ないような巨大な船が存在していた。いや、それは船と言うにはあまりにも大きすぎる。城だと言った方が正しいのではないかと思えるような巨大な船。

『巨大空中要塞アルバトロス』

それがその船の名。その名が示すように移動だけではない戦うことを主眼に置いた要塞。空賊BGの拠点の姿。

『ブルーガーディアンズ』

百万人以上の兵を持ち欲しいものはどんな手を使っても手に入れるという考えの元、略奪と殺戮を繰り返す大空賊。その戦力はかつてのDCにも匹敵するとまで言われ、現在の闇の覇権争いをしている組織の中でも事実上のトップに君臨している組織。

そして今、アルバトロスの中にある巨大なホールに三つの人影があった。だがその空気は普通ではない。まさに一触即発とでも言うべき危険な空気が、重圧が空間を支配している。もしその場に一般人や一般兵がいれば倒れ込んでしまうような空気の中、いつもと変わらぬ表情をみせている一人の少女がいる。

黒髪に褐色の肌。何よりも目を引くのがその手にある巨大な戦斧。少女がただの少女ではなく戦士であることの証。

『閃光のルナール』

それが彼女の名前。閃光のDB『ライトニング』を持つBG副船長でありナンバー2の実力を持つ者。その威風も佇まいもそれに相応しいもの。だがそんなルナールでさえも表向きは平静を装ってはいるもののその胸中は穏やかなものではなかった。その証拠にその頬には確かな汗がある。冷静沈着なルナールですらそうならざるを得ない程の重圧がホールに充満している証。

そしてそんなルナールに対面するようにもう一人の人物がいた。

小柄なまるで子供のような姿。およそこの場にいるのが不釣り合いな容姿をしている子供。だが決してそれは間違いではない。

六つの盾シックスガード

BGの最高幹部であり六祈将軍オラシオンセイスと互角、それ以上の実力を持つといわれている六人の戦士の一人。それがその子供『コアラ』の持つ称号。それに相応しい力をコアラは持っている。だがその姿は恐怖によって歪んでいた。身体は震え、目はうつろになり、顔面は蒼白になってしまっている。その場に立っているのが精一杯。普段ならあり得ないような事態。だがそうさせてしまうほどの力が、威厳がコアラの前にいる、そしてルナールの隣にいる男にはあった。

そこには一人の王が君臨していた。優に二メートルを超えるであろう程の巨体。左腕には本物の腕は無く代わりにマシンガンが据えられ、眼鏡をかけているその瞳からは恐ろしい程圧倒的な眼光が放たれている。腕と足を組みながら玉座に君臨している王の姿の威光によってコアラはその場に跪き、ルナールはその隣に控えるしかない。その男の胸には闇の頂きがある。

『アナスタシス』

持つ者に不死身の命を、永遠の命を約束するDB。この世に五つしか存在しないシンクレアの一つ、王の証。

『ハードナー』

BG船長でありシンクレアを持つ男。それが今、この場を支配している男の名だった。


「それで……本当にシアンの奴は帝国に捕まっちまったってわけか……?」


口にくわえている葉巻から煙を上げながらハードナーは静かにルナールに問う。だがその言葉には静けさの中に確かな威圧感がある。今にも爆発してしまうではないかと危惧してしまうような危険な空気があるのを承知したうえでルナールはそれにあくまでも冷静に事実だけを述べる。


「はい、間違いありません。数日前に諜報部員から帝国によってシアンが捕縛されたとの報告が上がっています」
「そうか……」


ハードナーはそう呟きながらも報告をあげているルナールには一切目を向けることは無い。だがそれはルナールを無視しているわけではない。その証拠にハードナーの視線はある一点に向けられている。それはコアラ。膝を突き、首を垂れているコアラに向かってハードナーはただその視線を向けているだけ。だがコアラの身体は震え続けている。まるでこれから自分が処刑されてしまうのではないかと思えるような姿。


「それで……シアンは誰にやられた? まさか帝国の兵に倒されたわけじゃねえんだろ?」
「はい……確定された情報ではありませんが……どうやらレイヴマスターによって敗北したようです。その後、帝国が捕縛したらしく……」
「ほう……お前が気にしていた二代目レイヴマスターっていうガキか……」


そのままハードナーは何気なく足を組みかえる。そこには何の意味もない。だがその動きだけでコアラはビクンと身体を振るわせる。ハードナーの一挙一動によってコアラは生きた心地がしない。何故なら


「で……コアラ。てめえ確かシアンと行動を共にしてたはずじゃなかったか……?」


コアラはシアンと共に行動をしていたのだから。


「そ、そうです……ウン。でもぼ、ボクは関係ない……それはシアンが勝手に動いただけで……」


コアラは恐る恐る面を上げながら必死に弁明する。それはつい先日起こった事態について。その際、コアラはシアンと共に薬の町、ボニタに訪れていた。それは魔導精霊力エーテリオンを持つ少女、エリーとその仲間であるレイヴマスターの偵察のため。以前エクスペリメントで得た魔力パターンによってその居場所を特定することができたため。そして何よりもDCが崩壊したことによって自由に動けるようになったのが大きな理由だった。

そしてその真の目的は魔導精霊力エーテリオンを持つエリーを捕縛すること。それこそがハードナーにとっての計画の最重要事項。だが今の段階では命令は捕縛ではなく偵察となっていた。それはルナールの判断によるもの。ルナールは以前エクスペリメントでレイヴマスターと思われる者と交戦した経緯がある。故にルナールはその相手の実力が自分とほぼ同等であることを知っていた。いかに六つの盾シックスガードとはいえルナールと同等の実力を持つ者が相手だとすれば勝ち目は無い。組織に置いてもっとも信頼しているルナールの言葉によってハードナーはコアラとシアンに偵察の任務を与えた。

だがシアンはその命令を無視し、レイヴマスターに戦いを挑んでしまった。それはレイヴマスターを侮っていたこと、そして以前自分たちでは敵わないから手を出すなとルナールに言われてしまったことで逆に好奇心を抱いてしまったがゆえに起きた事態。それが六つの盾シックスガードの内の一角が倒されてしまうという一大事の真相だった。


「そ、それにボクはその場にはいなかったんだよ、ウン! もうボクが行った時にはシアンもレイヴマスターもいなかったし……」

コアラは涙目になりながらも必死に弁明する。その言葉に嘘は無い。ただどうしても言い訳できないことがあるとすればシアンがエリーの居場所をレーダーを持っているコアラに尋ねてきた時にコアラがすぐに教えてしまったこと。その意味をうすうす分かっていたもののその方が楽しい、そしてエリーを連れて帰れば自分たちの評価も上がるという功名心があったこと。それを悟られまいとするも


「コアラ……お前、いつからオレに口答えできるほど偉くなった……?」


ハードナーの言葉によってコアラは絶望に染まる。それはまさに死刑宣告にも等しい意味を持つ言葉。自分の浅はかな考えなど全て見透かされているかのような感覚。百万の兵の頂点に立つ王の力。その殺気が向けられたことでコアラは既に失神寸前だった。いつちびってしまってもおかしくないような圧倒的な重圧。


「ご、ごめんなさい……ボ、ボクたちだけでも……エ、エリーを捕まえられると、お、思って……ウン……許して下さい……」
「……ハードナー様、どうかご慈悲を。この者たちもただハードナー様のお役に立ちたい一心でしたこと……どうか……」


今にも泣きだしかねないコアラを何とか庇いながらもルナールはハードナーに向かって慈悲を乞う。そんなルナールの言葉が通じたのか、それとも違うことに興味が移ったのか定かではないがハードナーから放たれる殺気、重圧が収まって行く。その光景にコアラは安堵の息を吐くしかない。まさに九死に一生を得たに等しいもの。


「いいだろう……命令違反をして勝手に捕まるようなクズはオレには必要ねえ。それよりもコアラ、エリーの居場所は分かってんだろうな?」
「は……はい! モチロンです、ウン! 魔力レーダーからは絶対に逃げられないよ、ウン!」


ビクンと身体をはねらせながらもコアラは反射的に応える。エリーの居場所は問題なく特定できている。既にボニタの街にはおらず移動しているものの魔力を持っている以上コアラのレーダーからは逃れることはできない。そんなコアラの言葉を聞いた後ハードナーはしばらく黙りこんでしまう。コアラは自分がまだハードナーの逆鱗に触れてしまったのかと戦々恐々としながらもただ待つことしかできない。そして長い静寂の後


「ルナール……六つの盾シックスガード全員を招集しろ。今すぐにだ」


ハードナーは告げる。己の決定を。その言葉が何を意味するかを知っているからこそルナールとコアラは言葉を失ってしまう。最高幹部である六つの盾シックスガードの招集。しかも一人や二人ではなく全員。まさにこれから戦争を行うに等しい戦力をハードナーは呼び出さんとしているのだから。


「ぜ、全員をですか……!? しかしそれは……まだ杖の場所、解放軍のアジトも見つかっていないのでは……」


ルナールは驚愕しながらもハードナーに進言する。ハードナーの計画を実行するには二つ必要なものがる。一つが魔導精霊力エーテリオン。そしてもう一つが時空の杖とよばれるもの。だが杖についてはまだ場所が特定できていない。ハードナーの旧友であるユーマをリーダーとする解放軍のアジトにあることは調べがついているのだがその場所まで発見できていない。残る六つの盾シックスガードはその捜索に動いている。それを全て集めれば計画に支障が出かねない。それを危惧した副船長としての進言。だがそれは


「二度同じことを言わせる気か。全戦力でレイヴマスターとその仲間どもを殲滅する。それだけだ」


船長であるハードナーの命令によって覆される。絶対的強者のみが持てる力がそこにはある。それに逆らうことなど誰にもできない。いや逆らうことなどあり得ない。ルナールも六つの盾シックスガードも所詮は唯の駒。ハードナーの命令がその全て。


「オレはDCと同じ轍は踏まねえ……ちまちまやるのはオレの性じゃねえからな。それにもう『お預け』はごめんだ。分かるな?」


狂気にも似た炎を瞳に宿しながらハードナーは告げる。もう待つのは御免だと。無限の欲望とでも言うべきものをハードナーは持っている。全てを自分の物にしたい、奪いたい。その炎がハードナーを焼き続けている。だがそれをハードナーはギリギリのところで抑えてきた。DCという自分と同等の敵がいたことで。だがそれはもういない。自分を邪魔する者は存在しない。もしあったとしてもその全てを殲滅する。それこそが空賊の、BGの在り方。

その言葉と姿にルナールは自らの体が震えていることに気づく。だがそれは恐怖ではない。それは歓喜。武者震いとでも言うべきもの。先程ハードナーが口にした言葉。

『全戦力』

それに例外は無い。すなわち船長であるハードナーすらもそこには含まれる。まさにBGの本気を見せるに相応しい戦いが起ころうとしている。ルナールはただ頭を下げたままその場を後にする。もはや言葉は必要なかった。


今、『蒼の守護者たちブルーガーディアンズ』の名を持つ空賊の真の力が集結せんとしていた―――――



[33455] 第四十二話 「出陣」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/09 01:40
エクスペリメントにあるオフェイス街。その中に一つのビルがある。表向きは何の変哲もない一企業。だがそれは偽装に過ぎない。その正体にまだ誰も気づくことはない。その名を聞けば世界に知らぬ者はないほどの悪名。悪事の限りをつくした闇の組織の頂点にあった存在。DC。表向きにはDCは半年前の歴史が変わった日に壊滅したことになっている。最高司令官であるキングの死亡、本部と六祈将軍オラシオンセイスの壊滅によって。故に人々は知らなかった。新生DCが今も身を隠し表舞台に出る機会をうかがっていることを―――――



DCの本部となっているビルの最上階にある一室。そこに一人の少年がいた。金髪とそれとは対照的な黒のスーツに身を纏った姿。だがそれに違和感は全くなく絵になっているといってもいい。青年実業家と行った方が良いかもしれない。だがもしこの場に誰かがいれば少年がただの一般人ではないことをすぐに悟るだろう。


「…………」


それは少年が纏っている空気と眼光。少年は自らの椅子に腰をかけ、手を顔の前に組んだままある一点を見つめている。ただそれだけ。だがその空気が明らかに異質だった。少年からすれば特に意識しているものではないのだが重圧とでもいうべき力が身体から発せられている。眼光もまた同じ。その視線をまともに受ければ並みの者ならそれだけで身をすくませてしまいかねない存在感がある。

それが少年『ルシア・レアグローブ』 新生DC最高司令官の力。

そしてルシアが視線を向けている先には一人の少女がいた。だがその少女もまた只者ではない。


『…………』


ルシアと対になるような金髪とスーツを身に纏った少女。だがルシアから放たれる重圧を前にしても全く動じることなくむしろ涼しげな表情を浮かべている。テーブルを間に挟んでルシアの正面の椅子に腰かけ、足を組んだまま挑発的な態度をとっている少女もまたルシアに負けず劣らずの重圧を放っている。しかしルシアとは違いその存在感はどこか虚ろなもの。だがそれは当然のこと。何故なら少女の姿は幻、仮初の物に過ぎないのだから。その本体はテーブルの上に置かれている一つの石。

母なる闇の使者マザーダークブリング

それが少女の正体。かつて世界を崩壊寸前にまで追い込んだシンクレア。今は五つの別れてしまっているうちの一つだった。


「…………」
『…………』


ルシアとマザー。主従であり共犯者である二人は互いに無言のまま向かい合い視線を交わす。だがその応酬は穏やかなものではない。さながら戦闘中なのではと思ってしまうほどの緊張感。ピリピリと肌をしびらせるような空気が部屋の中を支配している。そんな中にあってもなお二人には全く身動き一つせず相手をけん制し続ける。それがどれだけ続いたのか。


「……いくぜ」
『……よかろう、かかってくるがいい』


意を決したようにルシアがマザーに向かって宣戦布告をする。その瞳から不退転の覚悟が見て取れる。そんなルシアの姿を見ながらもどこか余裕を見せながらマザーは応える。それが合図となったように今まで身動きを見せなかったルシアが動き出しその手にあるものをデスクへと投げだす。そこには


五枚のトランプの姿があった。


「どうだ! ツーペアだ! これならどうしようもねえだろ!」


どこか勝ち誇った顔でルシアは己が勝利を宣言する。そこには先程までの威厳も何もあったものではない。完全に遊んでいる子供そのもの。もしその場にDCの構成員がいれば卒倒してしまうような光景。だがそんなことなど関係ないといわんばかりにルシアはマザーに向かって勝ち誇る。だが


『くくく……まだまだ甘いな我が主様よ。悪いがこの勝負は我の勝ちだ……』
「な、なに負け惜しみ言ってやがる……これを超える手なんてお前に出せるわけねえだろうが……」
『ほう……ならさっさと我の手を広げてみるがいい』


マザーは心底おかしいといわんばかりに邪悪な笑みを浮かべながらルシアへ告げる。どこか女王を感じさせる威厳とドSオーラがそこにはあった。そんなマザーの姿に冷や汗を流しながらもルシアはデスクに自分に見えないように立てられているカードをその場に広げる。だがその瞬間、ルシアの顔が絶望に染まる。


スリーカード。


それがマザーの手札の正体。そしてこの勝負の決着だった。


「ち、ちくしょう……嘘だ! こんなの嘘に決まってる! マザー、てめえイカサマしてやがんだろう!?」
『ふふっ……人聞きが悪いことを言うでない。素直に自分の負けを認めたらどうだ?』
「い、いや……あり得ねえ! お前がそんな役揃えれるわけねえだろ!」
『我もまた成長しておるということだ。今の我ならエリーにも後れは取るまい……くくく、いつぞやのリベンジを果たす日が近づいておるのかもしれんな』


マザーは上機嫌に、ルシアは落胆しながらも騒ぎたてている。完全な子供の遊び場そのもの。それが今、DC最高司令室で行われている光景。


(ちくしょう……何でこんなことになっちまってるんだ……?)


ルシアは大きな溜息を吐きながら椅子に勢いよく座り込む。その手は額にあてられ顔は天を仰ぐように天井を見上げたまま。そんな自らの主の姿を心配するどころかむしろ楽しげにマザーは見つめている。だがそれは特段珍しい光景ではない。ある意味いつも通り、日常茶飯事とも言えるもの。

何故こんなことになっているのか。それは一言で言えばルシアの息抜きのため。

ここ半年ルシアは最高司令官としての激務に追われていた。崩壊した組織の立て直しと組織の復活の隠蔽。構成員たちの勝手な行動の制限と粛清。挙げだせばきりがない程。さながら倒産寸前の会社を何とか立て直すかのごとき仕事をルシアはこなす必要があった。しかもルシアを演じながら。本当ならいつもの調子で、ノリで動きたいのだが状況がそれを許さない。素を出せるのはマザー達DBの前だけという罰ゲームのような状況。しかもそれすらもルシアにとっては苦痛でしかない。

それは修行と言う名のスパルタが行われるため。

最高司令官としての仕事が終わればルシアはワープロードによって修行場へと移動し、ネオ・デカログスとマザーを使いこなすための修行を行うことが日課もとい強制となっていた。しかも場所はこれまでとは違い砂漠のど真ん中。言うまでもなくこれまでとは修行における周囲の被害が洒落にならないレベルに達したから。もし街中で行おうものなら街が無くなってしまいかねない深刻な問題であるが故ルシアは砂漠を修行場に選ばざるを得なかった。だが日中は暑く、夜間は寒いという環境にルシアは涙を流しながらも耐えるしかない。ハルの父であるゲイルもこれに耐えていたのだと己を鼓舞しながら。(もっともゲイルとは事情も待遇も違うのだが)

だが最近になってようやく修行に置いては一段落ついたところ。マザーによる合格の判断(ルシアには結局何の合格だったのか知らされない)が出たことによってルシアは何とか恐ろしい強行軍から脱出することができた。それによって少しであるが時間の余裕ができたルシアは息抜きの代わりにこうしてDBたちと交流を計っている。もっともほとんどマザーなのだがそれはさておきその内の一つがトランプによる遊び。いくらイリュージョンによって実体化しているといっても直接何かに触ることができないマザーでもできる遊びということで選択したもの。端から見ればルシアが一人でトランプをしている寂しすぎる光景であるため仮初とはいえ幻で姿を現してくれるのは唯一の救い。ルシアとしては初めてマザーが実体化できて感謝した瞬間だった。だが結局いつもと変わっていないことに薄々気づいていながらも現実逃避しているだけではあったのだがルシアはそれを心の奥に封じたままにしている。そんな中


『さて……それでは賭けは我の勝ちだな。約束忘れてはいまい?』
「くっ……あ、ああ……男に二言はねえ……」


心底楽しみだといわんばかりの笑みを見せながらのマザーの言葉に顔を引きつかせながらもルシアはそう答えるしかない。それはポーカーを始める前の取り決め。ただ遊ぶだけでは面白みがないというマザーの提案によってあることが決められた。

それは負けた方が勝った方の言うことを何でも一つ聞くこと。

最初それに難色を示したルシアだったが結局それを承諾することになった。ただのポーカーでは確かに面白みがなかったことと自分が勝った場合のメリットを考えた結果。マザーを置いたまま自分一人で動く権利を得ること。それがルシアの狙い。たった一度でもその権利があればルシアにも行動選択の自由が広がる。具体的にはハル達に利する行為を取れる可能性が増えるこということ。そのメリットに惹かれ勝負を行ったのだが結果はこのザマ。自分が負けることで何を命じられるかまで全く考えが及んでいなかったルシアは狼狽するしかない。


「い、言っとくけどめちゃくちゃな命令は聞けねえからな! あくまでも俺ができることだ! 分かってんだろうな!?」
『くくく……そんなに怯えるでない。心配せずともお主に危害が及ぶような内容ではないぞ』
「そ、そうかよ……で、一体何だ。もったいぶってないでさっさと言いやがれ」


自分のあたふたしている姿をからかっているマザーの姿にうんざりしながらもルシアはぶっきらぼうに先を促す。もはや観念したといわんばかりのポーズを見せながらルシアはマザーの言葉を、判決を待ち続ける。ようやくそんな自らの主の姿に満足したのかマザーは告げる。


『何……簡単なことだ。お主に新しいDBを一つ使ってもらうだけだ』


ルシアにとっては想像だにしていなかった内容を。


「あ、新しいDB……? 何だそれ? これ以上俺にDBを持てって言うのかよ?」
『いや、言葉が足りなかったな。心配せずともこれ以上戦闘に使うDBを主に持たせる気は無い。今の主には邪魔になるだけだからな』
「じゃあ何のために使うんだよ。意味が分からん」
『単純な話だ。こういった戯れの時に使うのに相応しいDBがある。前々から考えておったのだがよい機会だと思っての』
「な、何だよ……そのDBって……?」
『そう警戒するでない。お主にとっても悪くない、いやむしろご褒美といってもいいものだ』


マザーはどこか邪悪な、妖艶な笑みを見せながらそのDBの名を告げようとした瞬間


「失礼します、ルシア様。お時間を頂いても宜しいでしょうか?」


静かなノックの音と共に聞き覚えのある女性の声が部屋の中に伝わってくる。レディ・ジョーカー。新生DCにおける参謀の地位に就いている女性。


「レディか……分かった、少し待て」


一瞬で空気を変え、最高司令官としての顔に戻りながらも内心焦りまくりでルシアはマザーに向かって手を振る。それはまるで犬に向かってあっちに行けと言わんばかりの姿。言うまでもなくそれはさっさと姿を消せという合図。もしマザーがいる現場を見られれでもすれば面倒なことになりかねない。だがそれを分かっているにもかかわらずマザーはくくくという笑いを漏らしながらすぐに姿を消そうとはしない。まるで悪戯をして楽しんでいる子供そのもの。だが文字通り必死な自らの主の姿にやれやれというジェスチャーと共にマザーの姿が消えて行く。その光景に安堵にしながらもルシアは改めてレディを部屋に迎え入れる。

だがルシアはその報告の内容によって愕然とするしかなかったのだった―――――




「………レディ、それは間違いないのか」
「はい。ディープスノー将軍からの情報です。間違いないかと……」
「…………そうか」


レディは緊張した面持ちで自らの王の言葉に応える。だがその緊張はいつもの比ではない。それほどに今のルシアから発せられている空気はいつもとはケタが違う。今にも爆発しかねない爆弾。それを前にしているかのような感覚。だがそれに相応しい情報を今、レディは持ちこんでいた。

先日BGの最高幹部である六つの盾シックスガードの一人がレイヴマスターと思われる者によって倒されたこと。

現在レイヴマスター達の居場所は不明なこと。

そして諜報部によってBGの無線の傍受に成功し、BGの目的がレイヴマスターと行動を共にしている魔導精霊力エーテリオンを持つ少女、エリーの捕獲だったと判明したこと。


「…………」
「ル……ルシア様、いかがいたしましょうか。今ならBGの船のおおよその場所もつかめています。必要であれば六祈将軍オラシオンセイスに緊急招集をかけますが……」


差しでがましいことと分かりながらもレディは自らの為すべきことを考える。BGは船で移動しておりその拠点を探ることが難しい組織。一時的とはいえそれを捕えた現状はまさに千載一遇のチャンス。BGのリーダーであるハードナーはシンクレアを持っている可能性が高く、またその力は先代キングにも匹敵するとまで言われている。加えて最高幹部である六つの盾シックスガード六祈将軍オラシオンセイスにも匹敵するといわれている精鋭たち。それを相手にする可能性がある以上その招集は当然の選択。だが


「いや……その必要はねえ。それとこのことは口外するな。いいな」


ルシアの言葉はそんなレディの予想を遥かに超えたもの。およそ正気とは思えないような内容だった。


「ほ、本気ですか!? 相手はあのBGなんですよ!? いくらルシア様とはいえ単独では……」


レディは狼狽しながらも進言する。言葉遣いすら忘れてしまうほどの動揺を見せながら。それはルシアが単身でBGの元に向かうといわんばかりの態度を見せていたから。この機会はあえて見逃すという選択を取るのかとレディは思ったがそれもあり得ない。既にルシアはBGの船の位置を記した資料を持ち、しばらく留守を任せるという言葉をレディに告げているのだから。レディは必死にそんなルシアを止めんとする。いかにルシアといえども単身で、しかもハードナーだけではなくその配下まで同時に相手をしようとしているのだから。だが


「これは命令だ。分かったらさっさとここから出ていけ」


それはルシアの絶対の命令によって封じられてしまう。その目が告げている。これ以上邪魔をするなら容赦はしないと。今まで感じたことのないような殺気がそこにはあった。それを前にしてレディはこれ以上その場に留まることはできない。この場に留まることができるのは参謀の自分ではなく共に戦うことができる者だけ。


「………分かりました。出すぎた発言お許しください。では……」


頭を深く下げ退出した後、レディは息を大きく吐きながら意識を切り替え足早にその場を走り去っていく。

命令違反を犯しても構わないといわんばかりの決意に満ちた瞳を見せながら―――――




「…………」


レディが部屋を退出した後、ルシアは言葉を一言も発することなくその場に立ち尽くす。まるでねじが切れてしまったロボットのよう。それがいつまで続いたのか。まるで夢遊病のようにふらふらとルシアはそのまま自らの席に腰を下ろす。だがそこには既に先程までのDC最高司令官の威厳もなにもあったものではない。ルシアはそのまま机に突っ伏したまま動かなくなってしまう。だがそれは無理のないこと。それだけの異常事態を今、レディの口から聞かされてしまったのだから。


『くくく……どうしたのだ、我が主様よ。喜んだらどうだ。ようやく待ちに待った機会がやってきたのだぞ? 少し予定よりは早いようだがな』


笑いをこらえきれないとばかりにマザーは実体化し、突っ伏しているルシアの机に腰掛けながらからかい続ける。こうでなくては面白くない。むしろ今までは余興に過ぎないといわんばかりの喜び様。それはルシアの右往左往する姿が楽しいこともあるがそれ以上に戦いの気配がすぐ傍にまで近づいていることを感じ取ったが故のもの。


『だがBGか……確かあの閃光の主が属している組織だったか。そうなると相手はアナスタシスか……面白い。ようやくあやつと決着をつける時が来たようだな』


興奮を隠しきれないようにマザーは歓喜の表情を見せ、ルシアそっちのけでハイな状態になっている。だがそれはマザーにとっては当然のこと。何故なら今まさに起こらんとしている戦いはマザーにとって、ひいてはエンドレスにとっては待ちに待ったものなのだから。

五つのシンクレアの争奪戦。その真の主に相応しい者を決めるための戦い。蠱毒にも似た儀式。その始まりの狼煙が上がらんとしている。だがそんなマザーとは対照的にルシアの胸中は混乱と絶望に包まれていた。


(一体どうなってんだよこれ!? 何がどうなったらこうなるわけ!? 原作崩壊ってレベルじゃねえだろがあああああっ!?)


机に何度も頭をぶつけながらも何とか正気を失わずにいれるのは今まで理不尽な目にあわされてきた経験によるもの。だがそんなルシアにあってしても今の事態は自暴自棄にならざるを得ない程のもの。

BGとの戦い。原作ならまだ当分先のはずの戦いが前倒しされるという悪夢のような事態。それが今まさに起ころうとしているのだから。


(いやいやちょっと待ってくれよ!? やっぱこれって俺のせい? だ、だよな……それ以外考えられんし……ってことはやっぱあの時ルナールと戦ったのがまずかったのか……)


ルシアは混乱しながらもどこかで納得していた。それは先のルナールとの戦い。原作ではあり得なかった自分という存在によるルナールとの接触。それが直接の原因なのだと。だがそれを今更気にしたこところで意味は無い。そうしなければ魔導精霊力エーテリオン編に支障が出かねなかったのだから。

ルシアはそれらを切り捨てとにかく現状どうするかを考える。まずはハル達について。どうやら情報によれば六つの盾シックスガードの一人であるシアンを倒したらしい。だがそれ自体は大きな問題ではない。確かにこの時点でハル達と接触することは予想外だがあり得ないことではない。加えて撃退できているのだから。だがどうしても看過できない事情があった。


『しかしエリーか……よくよく巻き込まれる運命にあるらしいな。まあ魔導精霊力エーテリオンを持っておるのだから当然と言えば当然か……』
「…………」
『どうした、いつかの蒼髪の魔導士と戦った時の気慨はないのか? まさかこのまま放っておくわけではなかろう?』
「うるせえな……ちょっと黙ってろ」
『ふん……そんなに気になるなら手元に置いておけばよかろうに。何だ、お主は寝取られとかいう趣味があるのか?』
「お、お前な……」


マザーの言葉に顔を引きつかせながらももはや突っ込む気力もないのかルシアは溜息を吐きながらも思考する。

それはエリーのこと。偶然ではなく、魔導精霊力エーテリオンを持つエリーを狙ってBGが動いている。それが最も懸念しなければならない理由。それはつまりエリーの魔力が恐らくBG側に補足されていることを意味している。ルシアが贈ったマジックディフェンダーが作動していないことは先のジークの件から分かり切っているもののルシアにはどうしようもない。わざわざ会いに行って新しいマジックディフェンダーを渡すことなどできない。もしそれをしても既にBGがエリーを狙っている以上ハル達はこれからも追われることになる。しかも恐らくは一般兵だけではなく六つの盾シックスガードに。既にその招集と思われる命令も下されているらしいことからほぼ確実。


六つの盾シックスガードか……今のハル達じゃいくらなんでも分が悪すぎる……)


ルシアは頭を痛めるしかない。六つの盾シックスガード六祈将軍オラシオンセイスに対抗するために集められた集団。その実力は折り紙つき。今回の敵、シアンはどうにか退けることができたようだがこれからもそう上手く行くとは限りない。特に危険な者が三名存在する


『ルナール』 『ルカン』 『ジラフ』


ルナールは正確には六つの盾シックスガードではないがその実力は凄まじい。実際に戦闘をしたことがあるルシアはそれを身をもって知っている。間違いなくハジャに匹敵する実力の持ち主。

ルカンは六つの盾シックスガードを束ねるリーダー。そしてジラフはルカンを除くメンバーの中で一番の実力者。二人とも六祈将軍オラシオンセイスの一人、ユリウスを超える実力の持ち主。

今のハル達ではどうやっても勝ち目は無い。このままでは間違いなくハルたちは全滅してしまう。ならば自分が動くしかない。だがそれを分かっていながらもルシアは決断しかねていた。それは戦いたくないこともあるがそれ以上に大きな問題があった。それは原作でBG編にあった要素がほとんど皆無であるということ。


『時空の杖』 『解放軍』 『ユーマ・アンセクト』 『ナギサ・アンセクト』 『ベルニカ』


それらが原作のBG編で重要な役割を果たしていた要素。だがその全てが今の段階では存在していない。今から状況を整えることなどルシアにはできない。いや誰であってもそんな修正はできるわけがない。中にはハル達にとって必要な出会いや経験もある。それを何とかできないものかとルシアは頭を捻るがどうしようもない。だがルシアは心のどこかで悟っていた。もうどうにもならないことを。そして自分が動かざるを得ないということを。

だがそれは一つの危険を伴う。それはシンクレアを一つ手に入れてしまうこと。つまり原作よりも早くエンドレス完成に近づいてしまうということ。ルシアにとっては最も避けなければならないリスク。だがそれを負ってでもルシアは動くしかない。他でもないハルとエリーの命がかかっているのだから。


『どうした、魔石使いよ。まさかここに至って怖気づいたわけではあるまいな?』


そんなルシアの心の内を見透かすようなタイミングで言葉が告げられる。だがそれはマザーではなかった。声は同じでもその主が違うことをルシアは知っている。これまでも何度かその存在を感じ取ってきたのだから。


『エンドレス』


DBの真の姿であり、世界の意志とでも言うべきもの。神に等しい存在。それが今、マザーを通してルシアへと話しかけてきている。二重人格とでも言うべき豹変。その証拠に実体化しているマザーからはまるで生気が感じられない。その瞳にあるのは冷酷な機械のような意志だけ。それを前にして逆らうことはルシアにはできない。それはマザーも例外ではない。

エンドレスには魔石使いダークブリングマスター母なる闇の使者マザーダークブリングも逆らえない。絶対の真理。


『…………ん? どうしたそんなに怖い顔をして? それよりも本当に六祈将軍オラシオンセイスを招集しなくてもよかったのか? せっかく配下にしているというのに』
「そ、それは……」


いきなりいつものマザーに戻ったことと痛いところを突かれてしまったためルシアは言葉に詰まってしまう。だがそこにはルシアとマザーの根本的な意識の違いがあった。

マザーはDCを乗っ取ったのは六祈将軍オラシオンセイスを自らの配下にするためだと思っていた。事実ルシアによってそう聞かされておりマザーはそれに疑問を持っていない。だがルシアにとってはそうではなかった。

六祈将軍オラシオンセイスの行動をコントロールすること。

それがルシアがDCを乗っ取った本当の目的。ルシアがいなくなってしまえば六祈将軍オラシオンセイスがどう動くか、全く予想できない。それによって不測の事態も起きかねない。それを封じるためにルシアは最高司令官となっている。できる限り原作に近い展開、流れに誘導するために。

だからこそルシアは六祈将軍オラシオンセイスを招集するつもりは無い。相手が格下であればそれでも構わない。だが相手はBG。かつてのDCに匹敵する力を持つ組織。いかに六祈将軍オラシオンセイスとはいえ六つの盾シックスガードと戦えばどうなるか分からない。そのせいで誰かが死んでしまえば取り返しがつかない。


「い、いいんだよ。それに俺とお前がいれば問題ないしな」


ルシアは頭をかきながらもそう言い訳する。もはや言い訳にすらならないような言葉。だがそれによってマザーはまるで信じられないものを見たかのように目を見開き呆然としたまま。


「な、何だ……何か文句があんのか?」
『…………いや、ヘタレの割に大きな口を叩いたと思っただけだ』
「うるせえよ……それで、文句があるのかないのかどっちなんだ?」
『くくく……そう喚くでない。文句などあるわけがなかろう。それでどうするつもりだ? ハードナーとかいう奴を倒しに行くのか?』
「いや……それだけじゃねえ。全部だ。ハードナーも六つの盾シックスガードもまとめて潰す」


そんなルシアの言葉に今度こそマザーは驚愕する。マザーとしてはシンクレアを持っているハードナーを倒しさえすればいいと思っていたこと。何よりもヘタレであるルシアがまさかそんな選択をするなど思ってもいなかったこそ。

だがルシアも本当ならそんなことはしたくは無い。だがそうせざるを得ない。もしハードナーだけを上手く倒せたとしてもその配下であるルナールや六つの盾シックスガードがどう動くは予想がつかない。ならば余計な事態を起こされないように完膚なきまでにBGを潰すしかない。そのための策もある。ルシアは決してBGを侮っているわけではない。だからこそルシアはマザーの力を使う気だった。空間消滅ディストーションではないもう一つの力。DBの母たるシンクレアの力によるDBの破壊。それによってハードナー以外の戦力を無力化し一気に殲滅する。それがルシアの計画。六祈将軍オラシオンセイスに比べてDBに依存度が高いBGに対して有効な策。それを使えば例え一人であってもBGに対抗できる。


『ほう……大きく出たな。よかろう、精々口だけにならないように男を見せてもらおうか。我が主様よ』


満足気に、そして高揚感を隠しきれない姿を見せながらもマザーは出陣の準備を始める自らの主の後に付き従って行く。それは自らの力、そして何よりも主の力に絶対の自信を持っているからこそ。

ルシアとマザー。二人の間には大きな認識の差があった。ルシアについては先の通り。だがマザーは違っていた。奇しくもそれは先のルシアの言葉と同じもの。


『ハードナーと六つの盾シックスガードをまとめて潰す』


誇張でも何でもなくそれだけの力が今のルシアにはある。それがマザーの認識。


「行くぞ、マザー」
『くくく……では行くとしようか。半年ぶりの戦いだ。楽しませてもらう』


ルシアはその胸にマザーを掛け、甲冑を身に纏いながらその手にDBを手にする。


『ネオ・デカログス』 『イリュージョン』 『ワープロード』 『ハイド』 『ゲート』


自らの半身とでも言うべきDBたち。そして新たなマントを翻しながらルシアは姿を消す。そこには確かな称号が、DCを示すマークがあった。


ルシアとマザー。そのどちらが正しいのか。答えはまだ分からない。だがそれを示す新生DCとBGの戦いの幕が今まさに上がらんとしていた―――――



[33455] 第四十三話 「開戦」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/09 10:44
結界の都ラーバリア。地底にある都でありその名の通り結界によって守護されていた場所。だが今はもうその結界は存在していない。

『闘争のレイヴ』

それを守ることが結界の役目であり結界聖騎士団の使命だった。だがそれは既に終わりを告げていた。二代目レイヴマスターに闘争のレイヴが渡ったこと、そして役目を果たした蒼天四戦士の一人、クレア・マルチーズの消滅によって。ラーバリアは今はただの地底にあるという特殊さはあるものの平凡な都の一つとなっている。そんな都から少し離れた人気がない荒野。そこに二つの人影があった。


「ハアッ……ハアッ……」


一つは銀髪に身の丈ほどもあるのではないかという大剣を持った少年、ハル。二代目レイヴマスター。だがその体は既にボロボロ。その証拠に息は乱れ、肩で息をしている状態。だがその瞳にある光は全く曇ることはない。むしろ輝きが増しているのではないかと思ってしまうほど。ハルは一度大きく息を整えた後、改めて剣を構え直しながら目の前の相手を見据える。

そこにはもう一つの人影があった。だがそれは人ではない。人型をしているもののその正体は人間ではない。その証拠に身体には鱗のようなものがあり、何よりもその顔は人のものではない。


竜人ドラゴンレイス


それがハルの前にいる人物、レットの正体。魔界の住人でありその名の通り竜の身体能力を持った種族の一人。かつてジンの塔での戦いでハルと敵対していた王宮守五神の一人。そしてレットもまたハルに合わせるように拳を構え迎え撃たんとする。その姿もハル同様満身創痍。既に両者ともに余力が残っていないことは明らか。故に次の攻防で決着がつくのは明白。


「ゆくぞ……これが最後じゃ!」


それを悟ったレットは大きく身体を沈みこませながらもその身体能力を発揮し天高く舞い上がる。その拳に残された全ての力を込めながら。


「奥義……天竜虎博!!」


レットは己の渾身を込めた一撃、奥義を放つ。その威力は受けた相手を一撃で戦闘不能にするほどの威力を秘めた物。まさに奥義に相応しいレットの切り札。その速度とタイミングからハルはそれを躱すことは叶わない。だがそれは大きな間違い。何故ならハルはレットの攻撃を躱す気など毛頭なかったのだから。


「――――っ!?」


その光景にレットの表情に驚きが浮かぶ。それはハルの行動によるもの。ハルが全く恐れることなく一直線に自分に向かって突進してくる。それだけならさして驚くことは無い。ハルが簡単にあきらめるような男でないことをレットは誰よりも知っているのだから。故にレットが驚愕しているのはハルが手にしている剣。


「爆…竜…連携……」


その形が大きく変化している。先程までの鉄の剣ではなく二刀剣。双竜の剣ブルー=クリムソン。レットはその存在を知っていた。当然だ。以前の戦いで敗北したのがその二刀剣での攻撃だったのだから。だがあの時とは大きく異なる点がある。それは


二重の大爆破デュアルエクスプロージョン!!」


その剣の両方が爆発の剣であったこと。


瞬間、凄まじい爆発が辺りを支配する。ハルとレットの互いの渾身の一撃のぶつかり合いによる衝撃が辺りを包み込む。その激しさを物語るように粉塵が視界を完全に奪ってしまうもののその中から一つの人影が吹き飛ばされてしまう。


「うあああああっ!!」


叫びと共にハルは吹き飛ばされながら地面へと叩きつけられてしまう。幸いにも大きな怪我ないようだがすぐには起き上がれない程のダメージを負ってしまったことは誰の目にも明らか。ハルは何とか立ち上がろうとするも先の攻防で受けたダメージのせいで満足に動くことができない。それとは対照的に煙が晴れてきた中からレットが悠然と現れる。その身体も少なくないダメージを負ってはいるもののハルと比べればどちらが優勢かは火を見るよりも明らか。


「どうする……まだ続けるか?」
「いや……降参だ。やっぱレットは強いな」


ハルは大きな溜息と共に両手を上げ降参のポーズをとる。だがその姿は言葉とは裏腹にどこか楽しげでもある。無表情ながらもレットもまた座り込んでいるハルに向かって手を伸ばしながら立ち上がるのを手伝う。

それがハルとレットの修行。そしてこの一週間、日常となりつつある光景だった―――――



「くっそー、これで今日は負け越しかー……」
「何を言っておる。昨日はワシの負け越しだったじゃろうが……」
「それはそうだけどさ……」
「それに先程の攻撃……あれはなんじゃ? いつもの二刀剣とは違っておったようじゃが……」
「ああ、あれは双竜の剣ブルー=クリムソン爆発の剣エクスプロージョンの連携技だよ。まだ未完成なんだけどな……」
「成程……道理で攻撃のタイミングがずれておったのか」
「やっぱり双竜の剣ブルー=クリムソンは使いこなすのが難しいな……オレ、両利きじゃないし……まだまだだな……」


ハルは身体の砂埃を払いながらもどこかがっくりした様子で愚痴をこぼす。今、ハルは自分の地力の底上げとTCMの連携技のバリエーションを増やすことを第一目標として動いている。それはジンの塔での戦いで扱える剣の数が増えたこと、そしてかつて連携技をアキが使っているのを目にしたことがあったこと。そして何よりも


「早くあの六つの盾シックスガードって連中にも負けないように強くならなきゃいけないしな!」


一週間前の六つの盾シックスガードの一人、シアンとの戦い。それがハルが修行を急いでいる最も大きな理由だった。


「うむ……それについてはワシも同じじゃ。情けないがワシもまだまだ精進が足らぬことを痛感したからの……」
「そんなことねえって! お前が助けてくれなかったらきっとオレ負けちまってただろうし」
「いや、武人として恥ずべきことじゃ。それとあれは主を助けるためではない。主を倒すのはワシの役目じゃったからじゃ。勘違いするでない」
「ははっ、分かってるって。それでもありがとな、レット!」
「フン……」


どうやら気に障ったのか黙りこんでしまったレットの姿を楽しそうに見つめながらもハルは思い返す。一週間前の戦いの顛末を。


六つの盾シックスガードと呼ばれるBGの最高幹部との戦い。それをハルは強いられた。何よりもシアンはエリーの魔導精霊力エーテリオンを狙ってやってきたことが分かった以上絶対に退くことはできない戦い。だがそれはハルの想像を遥かに超えた苦戦を強いられることになった。一言でいえば全く歯が立たない。それはまるでかつてのレイナとの戦いを思い出させるもの。それに比べれば実力が上がっていることもあってマシと言えるものではあったのだがハルはシアンに対して劣勢に追い込まれてしまう。

それはシアンが持つDB『ダックスドルミール』によるもの。使用した相手を強制的に眠らせてしまうという厄介極まりない能力。

幸いにもシアンが最初にそれを騒ぎたてている住民たちに使ったことでハルはその力を看破することができ、封印の剣ルーン・セイブであれば無効化できるためすぐに戦闘不能にされることはなかったもののDBの攻撃と肉弾戦を同時に行ってくるシアンにハルは追いこまれてしまう。だがそこで思わぬ救援が現れる。

それがレット。偶然通りかかった(レット談)レットとの共闘によって情勢を覆すことにハルは成功する。もっとも二対一という状況であるため誇ることはできない戦い。しかも自らを眠らせるというシアンの奥義『夢遊拳』によって後一歩までハル達は追い詰められるもののレットの決死の時間稼ぎとハルの持つレイヴの力によるDBの破壊によってハル達は何とか勝利をすることができたのだった。


「でもほんとに強かったな……まだあんな奴らが五人もいるのか?」
「そうじゃ。だがそれだけではない。リーダーであるハードナーはキングに匹敵する強さと聞く。今のワシらでは到底敵わんじゃろう……」
「キングに匹敵か……」


ハルはそのまま剣を握ったまま黙り込んでしまう。それはかつてのジンの塔での戦いを思い出したから。自分達はDCに勝つことができたもののそれは父であるゲイルがいたことと六祈将軍オラシオンセイスの不在という二つがもたらした奇跡に等しいもの。だが同じような幸運が続くとは限らない。何よりもハルは強くならなければならない。アキを止めるために。だがその背中はまだ果てしなく遠い。ジーク曰くアキの実力もまたキングに匹敵しかねないものなのだから。


(しかしまさかここまで力の差があるとは……まだワシはジェガンには及ばんということか……)


レットもまた目を伏しながら自らの未熟さを恥じる。ジンの塔で戦いから半年、腕を磨き力をつけたつもりだったもののその自信は無残にも砕け散った。二対一と言う恥ずべき状況であったにも関わらず綱渡りにも等しいぎりぎりの勝利。一対一では全く歯が立たなかった事実。六祈将軍オラシオンセイスと同等の力を持つといわれる六つの盾シックスガード。それはつまり自分とジェガンの間にはそれほど大きな力の差があるということ。もうこの世にはいないとはいえジェガンを超えることはレットにとっては大きな目的でもあった。


「それで……これから主たちはどうするつもりじゃ。このままずっとここで身を潜めておるのか?」


レットは自らの思考を一旦切り替えながらハルに問う。これからどうするのかと。今、ハルはエリーとムジカを連れてここラーバリアに身を潜めていた。言うまでもなくBGたちからの追撃から逃れるために。それはソラシド達からの提案。結界は既にないものの地底にあるラーバリアなら簡単に見つかることは無いだろうという狙い。その厚意にハル達は甘える形でお世話になっている。それはBGの強さもそうだがそれ以上にムジカの容体を考慮した結果。退院まで一カ月を切ったとはいえ病人であるムジカに無理をさせるわけにはいかなかった(もっとも当人はいつもと変わらず)そんなこんなでハル達はラーバリアに留まっている。レットもまた修行と言う名目でここに留まっている。ハルにとってもそれは喜ばしいことであり、レットも自らの腕を磨くことができるためある種の利害が一致した結果だった。


「いや、ムジカが動けるようになったらシンフォニアに向かって出発するつもりなんだ!」
「シンフォニアへ……それはもしや」
「ああ! レイヴが生まれた所だからな! 何かレイヴの手掛かりがあるかもしれない。BGが追ってくるかもしれないから逃げながらになるかもしれないけどこのままここにいたら街の人達に迷惑かけちゃうだろうし……」
「なるほど……確かにその通りじゃの……」


レットはハルの計画にどこか納得したように頷く。いかに地底の街とはいえいずれはここにいることもBGには知られてしまうはず。戦い撃退することができれば問題ないが現状ではそれが難しいことをハルは身をもって経験した。ならばリスクはあるがずっとここに留まるよりはBGを振り切る意味でも移動した方がいいという判断。どちらにせよレイヴを探すという目的がある以上ハルはずっとここに留まる気は無かった。レイヴを手に入れることはレイヴマスターとしての力を高めること、つまり強くなることも意味する。そして星の記憶に辿り着くことはエリーとムジカの目的にも合致する。それらを考慮した結果が今のハルの計画だった。そしてもう一つ


「なあレット、お前もよかったら一緒にこないか? お前物知りだし一緒に来てくれたら心強いしさ!」


自分を救ってくれたもう一人の仲間を誘うこと。それが新たに加わったハルの目的。ハルは笑みを見せながらレットに向かって手を差し出す。共に旅をしないかという誘い。そこには一切の迷いもない。ただ純粋な子供のような姿。


「……よかろう。だが勘違いするでないぞ。主と共にいれば戦に事欠くことがなさそうじゃからじゃ。よいな」
「ああ! これからもよろしく頼む、レット!」
「あ! またここにいたのハル、ワニさん! ご飯の用意ができたから早く帰ってきてってソラシド達が探してたよ!」


確かな握手を交わしているハルとレットに向かっていつもどおりの慌ただしさと共にエリーが走ってやって来る。その声に導かれるままハルたちは街へと戻って行く。新たな旅立ちへの準備を整えながら。だがハル達はまだ知らなかった。

それよりも遥かに早く自分たちを狙う空賊が動き出していることに―――――




ラーバリアがあるルカ大陸に面した海上。その空を進んでいる巨大な船があった。巨大要塞アルバトロス。空賊BGの拠点でありその翼。進路は間違いなくラーバリアに向けられている。その目的であるエリーの捕獲、そしてその仲間であるレイヴマスター達殲滅のために。そしてそのための戦力が今、その場に集結していた。

一人は王であるハードナー。巨体を玉座に預け、足を組みながら葉巻を吸っているその姿は見た者全てを屈服させかねないような威風がある。その瞳には確かな狂気が宿っている。全てを奪わんとする望みとそれ故に全てを消さんとする矛盾した野望を持つ処刑人。ハードナーはただその光景を眺めながらも一言も発することは無い。もはや言葉は必要ないのだと告げるかのように。

その代弁者がハードナーの隣に控えている少女、ルナール。副船長であり、その娘であるルナールはその手に戦斧を握りながらも知らず身体が震えていた。それはこれから始まらんとしている戦いを前にした武者震い。百戦錬磨の彼女であってもなおそうならざるを得ない程の空気が今船内を支配している。そして二人の前には跪き、首を垂れている五人の戦士がいた。


『ルカン』 『ジラフ』 『レオパール』 『リエーヴル』 『コアラ』


それが彼らの名。それぞれがハードナーが持つシンクレア、『アナスタシス』から生まれたDBを持つ戦士。それぞれが六星DB、そして六祈将軍オラシオンセイスに匹敵する力を持つといわれる選ばれし者達。


六つの盾シックスガード


BGの最高幹部でありその切り札。今は一人が欠けているものの全てが揃えば戦争すら可能な戦力。それが今、アルバトロスに集結していた。


「よく集まってくれた。これから全戦力による作戦が開始される。概要は既に知らされているな?」
「はい。魔導精霊力エーテリオンを持つエリーという娘の捕獲とそれを邪魔する者の排除でしたか……」


ルナールの言葉に面を上げながら鮫のようなフードを被った一人の男が答える。だがその纏っている空気はルナールにも決して引けを取らない程の者。他の四人の六つの盾シックスガードとは明らかに一線を画す実力を感じさせる存在感。それがリーダーであるルカン。六つの盾シックスガードを束ねる将の姿だった。


「オレもそう聞いてるぜ。でも小娘一人攫うのに仰々しすぎる気がするな」
「うん、アタシとジラフだけでも十分だと思う」


そんなルカンの言葉に続くように二人組が面を上げる。

一人はリーゼントをしたどこかキザな男。だがその男もまたルカンほどではないが明らかな強者の風格を纏っている。ジラフ。それが男の名。六つの盾シックスガードの中でナンバー2の実力を持つ存在。

そしてもう一人が豹のような雰囲気を纏い、その両手に鉤爪のような武器を身に着けている女性、レオパール。六つの盾シックスガードの紅一点でありジラフと行動を共にしている存在。


「オラもそう思うぜ。女一人攫うぐらい朝飯前よ。それにそのエリーって奴かなりのボインちゃんなんだろ? ならオラ一人に任せてくれよ」


鼻の下を伸ばしながら兎の被りものをした大男が興奮した様子で進言する。男の名はリエーヴル。実力は確かなのだがその女好きがよく問題となる男。今回のエリーの捕獲についてはそういった事情から特にやる気をみせている。

だがジラフたちの疑問ももっともなもの。六つの盾シックスガードはBGの最高幹部であり切り札。それを一人や二人ではなく全員招集するなど前代未聞。しかも相手はドリュー幽撃団でも鬼神でもない。疑問を抱くのは当然だった。


「お前達の言うことも分かる。だがこれはハードナー様直々のご命令だ。それに今回の相手は決して侮れるものではない。特にレイヴマスターについては私と同等の力を持っていると見ていい」
「……本当ですか? そのレイヴマスターという子供がルナール様に匹敵するような実力を持っていると?」


俄かには信じられないと言った風にルカンが改めてルナールに問いかける。だがそれは無理のないこと。ルナールの実力は六つの盾シックスガードを大きく上回るものでありルカン達もまたそれを認めている。ハードナーが副船長に任命しているのが何よりの証。そんなルナールが自らと互角だと認めている程の相手。知らず六つの盾シックスガードの間に緊張が走る。だがそれを振り払うかのようにルナールは続ける。


「余計なことを考える必要は無い。レイヴマスターの相手は私がする。お前達は他の連中の排除を行ってくれ」
「え!? でもそれじゃあルナール様も危ないじゃ……前戦った時は引き分けだったんだよね、それなら僕らの誰かがサポートについた方が……ウン」
「心配ない。いざとなればアレを使う。お前達は巻き添えにならないようにだけ注意していろ。それに奴が相手ではお前達がいたところで足手まといになるだけだ」
「足手まといか……こりゃまいったね」


ジラフはからかうような言葉を告げながらもその表情は既に真剣そのもの。ルナールの言葉によって今回の任務の重要性を認識したからこそ。そしていらないことを言ってしまったといわんばかりにコアラは汗を流しながらもルナールの言葉に従うことにする。既に一度レイヴマスターを侮ってしまい痛い目を見ているコアラは特にそれを危惧していた。


「つまるところオレ達の任務はエリーとレイヴマスター以外を皆殺しにすること……でいいんだな?」


それまでの話を総括するようにルカンがそう呟く。だがその言葉によって場の空気が張り詰めて行く。それだけの力が、凄味がルカンの宣言には込められている。これから始まる戦いを前にした昂ぶりにも似た空気がそこにはあった。


「なるほど……、ま、分かりやすくていいじゃねえか?」
「アタシも。アタシ、難しいこと苦手だから。簡単な方がいい」
「ぼ、ボクも頑張るよ、ウン! もう前みたいな失敗はしない!」
「フォフォフォ! 待ってろよ、ボインちゃーん!」
「リエーヴル、近づかないで……息、臭い」


それぞれがそれぞれの思惑を持ちながらも目的が合致したことで六つの盾シックスガードは動きださんとする。ただあるのは欲しいものをどんな手を使っても手に入れるという船長であるハードナーの教え。そしてハードナーの命令。それが全て。


「よし。もう間もなく目的地であるラーバリアに到着する。各自それまでに戦闘準備をしたまま待機を……」


六つの盾シックスガードとの作戦会議も終了したことでルナールが戦闘開始まで各自待機するよう伝えようとしたその時


「……その必要はねえ。どうやらどこかの馬鹿が向こうからやってきてくれたようだ」


心底おかしいといわんばかりに笑い声を上げながら今まで一言も発することがなかったハードナーが告げる。だがその言葉の意味を理解することができないルナール達は困惑するしかない。


「ハードナー様……? 一体どうされたのですか……?」
「くくく……どうやらレイヴマスターの前にもっと大物がやってきたようだな。わざわざ向こうからやってくるなんてな。よっぽど自信があるらしい」
「大物……敵襲ということですか? しかしレーダーには何の反応も……」
「で、でも敵襲も侵入者もありえないよ!?  僕のDBの力で確認してるから間違いないよ、ウン!」


ルナールに続くようにコアラは狼狽しながらも何度も自らの持つDBによって確認する。『マシーンナリー』それがコアラが持つDB。機械を操る能力を持つもの。それによってコアラはこの巨大要塞アルバトロスすらも己の手足のように操ることができる。その策敵も同様。だが何度確認してもこの空域には敵影らしきものはおろか鳥一匹すら見当たらない。だがそんなコアラの疑問などどうでもいいとばかりにハードナーは狂気を感じさせるほどの笑みを見せている。それに呼応するようにその胸にあるアナスタシスが輝きを放っている。まるで待ちわびた瞬間が訪れたことを示すかのように。


「さて……それじゃあお客様をもてなすとしようじゃねえか……」


ハードナーの言葉の意味を理解できぬまま、それでもルナール達は動き出す。BGの全戦力を以て迎え撃つに相応しい戦いが始まろうとしていることに気づかないまま―――――




巨大要塞アルバトロスを視認できるほどの距離。そこに一人の少年の姿があった。だがそこは普通の人間が踏み入れるような場所ではない。何故ならそこは空中。空の上。人間では足を着くことができない領域。しかしそこに少年、ルシア・レアグローブは立っていた。


(ふう……どうやら間に合ったみてえだな……)


ルシアは視線の先にあるアルバトロスを見ながらもとりあえず安堵の息を吐く。それはBGがまだハル達に接触をはかる前に追いつくことができたから。タイミング的にはギリギリだったようだがとりあえずハル達を巻き込んだ乱戦になるという最悪の状況だけは回避できたことにルシアは安堵するしかない。もっとも本題はこれから。問題は山積みなのだが。


『ほう……あれがBGの拠点か。大したものだな。どこかのビルとは大違いだ。なあ主様よ?』
『うるせえぞ……文句があるならここから海にダイヴしてみるか?』
『う……ほ、本気にするでない。ちょっとした冗談だ……それはさておき、これからどうする気だ。いつまでも飛んでおればこの龍も持つまい』
『ああ……言われなくても分かってるっつーの……』


心なしか本気で怯えているかのようなマザーの言葉にげんなりしながらもルシアは自分の足元、自分を乗せてくれている龍に目を向ける。

それこそが空を移動し、ここまでやってこれた理由。言うまでもなくそれはジェガンから譲られた龍。ルシアがDCに入ったばかりの頃にも話はあったものの世話をすることが難しいため一度は断った話ではあったのだが最高司令官になったことでルシアは改めてジェガンから一匹、龍を譲り受けていた。それはルシア個人としての興味もあったが一番は空の移動手段が欲しかったのがその理由。ルシアは移動に関してはワープロードがあるため特別困っているわけではないのだがワープロードは一度行ったことがある場所にしか移動できないこと、そして実際に空を移動する手段が必要になる可能性を考えルシアはこの龍、イグニールを仲間としていた。そしてそれが今、日の目を見ることになっている。


(とりあえずは予定通りアルバトロスに侵入して先に六つの盾シックスガードたちを倒すか……)


ルシアは当初の予定どおり動こうと決断する。今、ルシアはイリュージョンとハイドの力によって身を隠している。流石に正面切って戦うほどうぬぼれてはいない。このまま気づかれることなく船に潜入し六つの盾シックスガードたちを先に倒すことがベスト。いかにDBの破壊があるとはいえハードナーと戦いながら全員を相手にするのは危険すぎる。ならば先に六つの盾シックスガードを殲滅し、ハードナーと一対一の状況を作り出すのが最もリスクが少ない策。残る問題は


『よし……このまま一気に船に進入する。マザー、どのくらいの距離なら六つの盾シックスガードのDBを破壊できるんだ?』


マザーの力がどの程度の距離まで通用するかということ。その距離にいかんによっては行動も変わってくる。あまりに近寄らなければならないなら戦闘直前に、ある程度距離があるならあらかじめ破壊し、混乱している隙を狙う。それがルシアの作戦。だがそれは


『……? 何を言っておる。我にはそんなことはできんぞ』
『…………え?』


マザーのこいつ一体何言ってるんだといわんばかりの発言によって木っ端微塵になってしまう。まるで時間が止まってしまったかのように間抜け面を晒したままルシアは自らの胸元にあるマザーに向かって視線を向けている。だがマザーも一体ルシアが何を言っているのか分からず呆気にとられている。それがいつまで続いたのか


『ふ、ふざけんなああああっ!? 前にお前言ってたじゃねえか!? DBは自分には逆らえないって! 』


ルシアは鬼気迫る表情を見せながらマザーに向かって食ってかかって行く。その表情は焦りによってめちゃくちゃだった。当たり前だ。自分の行動の、作戦の肝とも言える部分が崩壊してしまったようなものなのだから。


『喚くな、騒々しい……全く、珍しく強気になっておると思ったらそんなことを考えておったのか……情けない』
『やかましいっ! それよりどういうことだよ!? 前ちゃんと六星DBたちは止めてたじゃねえか!? 俺を困らせるためにわざと言ってんじゃねえのかよ!?』
『ふむ……それはそれで面白そうだが残念ながら事実だ。そもそもお主は分かっておるのか? これから戦う相手は今までの相手とは違う。我と同じシンクレアなのだぞ』
『え……?』


マザーの言葉によって怒り狂っていたルシアはまるで冷や水を浴びせられたかのように冷静さを取り戻す。そう、ルシアは完全に失念していた。今、自分が戦おうとしている相手が誰なのか。もちろんハードナーであることは分かっている。だがさらに重要な点。それは相手もまたシンクレアを持っているのだということ。つまり今まで持ち得たDBに対する優位性もないのだということ。


六つの盾シックスガードが持っておるDBは恐らく我でいう六星DBにあたるDB。それらには我らシンクレアの加護とでも言うべき力が備わっておる』
『加護……? なんだよそれ……?』
『うむ、簡単にいえばそれがあれば他のシンクレアからの干渉を受けんということだ』
『そ、それって……つまり六つの盾シックスガードのDBはお前じゃ壊せないってことか……?』
『だからそう言っておろうが。だが安心しろ。六星DBとお主の持つDBにもそれはある。アナスタシスに壊される心配は無いぞ』
『そ、そういう問題じゃねえだろうがっ!? じゃあ何か!? 俺は本当に単身でハードナ―と六つの盾シックスガードを相手にしなきゃなんねえってことじゃねえか!?』


ルシアは顔面を蒼白にしながらマザーに食ってかかって行くもどうしようもない。だがそれでもルシアはマザーに食い下がる。ハードナーだけでも精一杯であろうことが予想されるにもかかわらず万全の状態のルナール達を相手にするなど自殺行為。だがそんな自らの主の混乱を見ながらもどこ吹く風。全くマザーは悪びれる様子も焦る様子も見せない。


『いい加減に覚悟を決めたらどうだ情けない。今のお主なら何の問題もないというのに……全く、いつまでたっても我がいなければなんにもできんのだからな』
『やかましいわ! 大体いつも何の役にも立ってないのはてめえの方だろうが!? 肝心な時にいつもいつも……』
『な、何だと!? よくもそんなことを抜けぬけと……我がどれだけ主のために尽くしておるか分かっておるのか!?』
『尽くす? 空飛んでる途中で頭がおかしくなったんじゃねえか? いい機会だ。今度こそどっちが上か白黒はっきりつけてやろうじゃねえか!』
『ほう……ヘタレの分際でよくぞ言った。いいだろう、我がどういう存在であるか改めてその体に教え込んでやろうではないか!』


互いが互いをののしり合いルシアとマザーは今にも仲間割れをせんばかりに騒ぎだす。そんな自分の背中の上にいる二人の姿にイグニールはどうしたものかと困惑し、いつものことだとDBたちは観戦モード。だがそんな二人の痴話喧嘩をまるで見透かしているかのようなタイミングでそれは起こった。


「…………え?」


それはサイレン。異常事態を、警戒態勢を知らせる警報。それがアルバトロスから鳴り始める。同時に無数の戦闘機が発進し、その全てがまるでルシアが見えているかのように向かってくる。偶然とは思えないような事態。


そう、間違いなくルシアたちの存在を察知しての戦闘態勢だった。


『ど、どうなってんだよ!? なんで気づかれたんだ!? イリュージョンとハイドはちゃんと力を使ってるってのに……!?』


ルシアはひとまずマザーから手を離しながらも二つのDBを確認する。イリュージョンは間違いなくその力は発動している。しかしハイドについては見つかってしまったことと戦闘に入ってしまったことで効果が無くなってしまっている。それはつまり間違いなく自分たちの存在をBGは察知したということ。あり得ない事態にルシアは混乱するしかない。


『ほう……どうやらアナスタシスの奴が気づいたようだな。流石にこの距離ではハイドでも隠し切れなんだか……』
『おい!? 何一人で納得してやがる!? 分かってたんならさっさと言えやこらあああ!』


くくく、という笑いを漏らしながらマザーはアルバトロスにいるであろうアナスタシスに目を向ける。その気配を互いに感じ取る。シンクレア同士の惹かれあっているかのように。それを頼りにここまでやってきたルシアと同じようにハードナーもまたそれを感じ取った。その力はハイドですら隠しきれない程のもの。シンクレア同士の共鳴による力。だがそんなことなど当のルシアにとってはどうでもいいこと。今はただ目の前の事態をどうにかしなければ命は無い。

そんなルシアたちの隙を見逃さんとばかりに戦闘機から、そしてアルバトロスから弾幕が発射される。既にハイドの力が使えなくなり、熱探知によって居場所を捕えられてしまっているルシアに逃げ場は無い。その弾幕の数は数えきれないほどの物。直撃を受ければ一瞬で粉みじんになってしまう規模の攻撃。


『どうした、さっさと迎撃せんと打ち落とされるぞ。その前にあのバカでかい船を落としてやったらどうだ。ハードナーも六つの盾シックスガードもまとめて始末できるのではないか?』
『て、てめえ……ちょっと黙ってろ!』
『ふん、つまらん。ヘタレなのは相変わらずだな。だがどうやら役者はそろった様だぞ、我が主様よ』
『は?』


もはや力の無駄だと判断し、イリュージョンを解き、迎撃をせんとデカログスを構えんとするのと同時にあり得ないような事態が起こる。

それは風だった。どこからともなく吹き荒れる風がまるでルシアを守るかのように舞い、その攻撃を全て受け流していく。

だがそれだけではない。追撃をしかけんとした戦闘機たちに向かって幾条もの銀の閃光が突き刺さる。その数は優に五十を超える。同時にその全てが飛行能力を失い海へと墜落していく。

あり得ないような事態に恐れを為し帰還せんとする戦闘機に至ってはまるで時が止まってしまったかのように行動不能になりながらその翼を失ってしまう。

その光景にルシアは呆気にとられるだけ。それは知っていたから。目の前で起きた光景が何であるかを。


「ハーイ、ルシア♪ 楽しそうね。私達も混ぜてもらえるかしら?」


そんなルシアの胸中を知ってか知らずか聞きなれた女性の声が響き渡る。もはや見るまでもないと思いながらもルシアは首を動かしながらその光景に頭を抱えるしかない。そこには龍がいた。だがそれはルシアが乗っている物とは比べ物にならない程巨大な黒龍、ジュリア。その背中には見知った四人の仲間、いや部下がいた。


龍使いドラゴンマスタージェガン』 『銀術師シルバークレイマーレイナ』 『氷の魔法剣士ユリウス』 『深雪の騎士ディープスノー』


六祈将軍オラシオンセイスの名を持つ三人の戦士。そしてその名を持つに相応しい一人の騎士。


金髪の悪魔と不死身の処刑人、そして六祈将軍オラシオンセイス六つの盾シックスガード


半年前の『歴史が変わった日』 それに匹敵する、いやそれを凌駕する戦い。


新生DCとBG。


闇の覇権、そしてシンクレアを賭けた戦いの火蓋が今、切って落とされようとしていた―――――



[33455] 第四十四話 「侵入」
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/14 21:19
「ハーイ、ルシア♪ 楽しそうね。私達も混ぜてもらえるかしら?」


ここが戦場であることを忘れてしまうようないつも通りの調子でレイナは手を振りながらルシアに向かって話しかける。その傍にはレイナだけではなく三人の男の姿がある。ユリウス、ジェガン、ディープスノー。三人もまた巨大な黒龍、ジュリアの背中に乗りながらルシアの元へと近づいてくる。だがそんな四人とは対照的にルシアは嫌な汗をかき、顔を引きつらせたまま。先程BGに見つかってしまったことすら既に忘れてしまいかねない程ルシアは混乱していた。何故なら


「お、お前ら……どうしてここに……?」


六祈将軍オラシオンセイス

ある意味一番この場にやってきてほしくない集団がさも当然のようにこの場に現れてしまったのだから。それを避けるためにわざわざ単身、極秘扱いでここまでやってきたのにも関わらずそれがすべて水の泡。


「あら、ひどいわね。せっかく助けに来てあげたのに」
「そういうこと言ってんじゃねえよ!? 大体何でここが分かったんだ!? 俺は誰にも言わずにここへ来たんだぞ!」
「そうなの? 変ね。私達はレディからの連絡で招集されて来たのよ。ねえ、ユリウス?」
「そうだよ。かなり焦っている様子だったから急いで僕たちはやってきたのさ」
「レディが……そ、そうか……」


レイナたちの話にルシアは溜息を吐きながらも頭を抱えるしかない。あれほど口外するなと念を押したにもかかわらずそれを無視するとは思っていなかった。六祈将軍オラシオンセイスたちとは違い、自分の命令に関しては忠実に従ってくれる数少ない部下であったためルシアは完全に油断してしまっていた。万全を期すなら今回はBGを見逃すという命令をした上で動くべきだったのだと後悔するも既に後の祭り。ことごとく自分の目論見が外れる現状にもはや悟りにも似た境地を開きかねない。


「ふふっ、でもレディを怒っちゃだめよ。レディはあなたを心配して命令違反をしてまで私達を招集したんだから」
「言われなくても分かってるっつーの……」


レイナがクスクスと笑いながらルシアをからかい続ける。まるで弟をからかう姉のような雰囲気。どうやら最高司令官とその部下になっても根本的なところは変わらないらしい。ようするにルシアは実力はさておきレイナには敵わないということ。


「それに一番の理由はそこにいるディープスノーなんだけどね」
「……? どういうことだ?」
「私達は初めはここに来るつもりはなかったの。あなたの強さは知ってるし、私達に声をかけずに行ったってことは何か理由があると思ってね」
「僕達は君の美しい強さを知っているからね、当然だよ」


困惑しているルシアを見ながらもレイナ達は言葉を続ける。レイナ達は当初はこの場にやってくることも招集に応じる気もなかった。以前の一件でルシアの強さを知っていること。何よりもルシアが自分たちに声をかけずに動いたからにはそれ相応の理由があるだと悟ったから。ある意味それはルシアを最高司令官として、王として認めている証。だがそれを覆してレイナ達はこの場にやってきた。それは


「でもそこのディープスノーがどうしてもあなたの援護に行くって聞かなかったの。それで仕方なく私達も同行したってわけ」


自分たちと同行している男、ディープスノーの行動、進言によるもの。レイナたちはその存在も知らなかったのだが単身でもルシアの元に行きかねないディープスノーに続く形でここまでやってきていた。帝国のスパイという特殊な任務を負っているとはいえ幹部でもない者が戦おうとしているにも関わらず最高幹部である自分たちがそれを放っておくわけにもいかないという考え。もっとも六祈将軍オラシオンセイスたちは半分以上それを名目にして久しぶりに戦闘をしたいという狙いもあったのだがそれは割愛。


「申し訳ありません、ルシア様。どうしてもいてもたってもいられず……どんな処罰でも受け入れる覚悟です」


頭を下げながらディープスノーは自らの主に向かい合う。そこには静かながらも確かな熱さ、忠誠という名の力があった。


「あ、ああ……気にするな。おかげで助かったしな……」
「……ありがとうございます。帝国についてはご心配なく。私がここにいることも悟られてはいません。情報操作も既に」


ディープスノーは深く頭を下げながら自分が許されたことに感謝の言葉を述べながらも自らの任務も滞りなく行っていることを告げる。そんなある意味完璧な忠義の騎士の姿にルシアは圧倒されっぱなしだった。冷静な姿をいつもは見せるもののその内に子供故の純粋な感情を持っていることを改めてルシアは感じ取る。どうやら先のジンの塔での接触で思った以上にディープスノーは自分に忠誠を誓っているのだと。


「ああ、これも美しい忠誠が為せる技! でも僕達の間にある友情も引けを取らないものだよ、そうだろう、ルシア?」
「よかったわねルシア、部下に恵まれて。ジェガン、あんたも何か言いなさいよ。さっきから何もしゃべってないじゃない」
「…………」
「……そ、まあいいけどね。あんたの根暗は今に始まったことじゃないし」


(こ、こいつら……)


ルシアはいつもと変わらない様子で好き勝手に騒いでいる六祈将軍オラシオンセイスたちに呆気にとられるしかない。それぞれが恐ろしい程の個性を持った集団。今なら自分をそこに引き込もうとしたレイナの気持ちが分かる。レイナも既に十分その仲間入りを果たしていると思うのだがそれを口に出すことはできない。同時に改めてキングの偉大さに尊敬の念を抱くしかない。これだけのメンバーを完璧に掌握していたのだから。残念ながら自分にはキングと同じようにできるほどの手腕もカリスマもない。あったとしてもやりたくない仕事だった。そんなことを考えながらもようやくルシアは気づく。本当ならすぐに気づかなければならない大きな違和感に。それは


「そういえば……ハジャとべリアルはどうしたんだ? 一緒に来てねえのか?」


今この場にいない二人の六祈将軍オラシオンセイス。無限のハジャと悪魔候伯べリアル。何故二人がこの場にいないのかという当然の疑問だった。


「ああ、それ? べリアルは連絡を入れたんだけど間に合いそうになかったから置いてきたの。空の上じゃあいつのDBも役に立たないしちょうどよかったかもしれないわね」
「だけどきっと今頃悔しがってるだろうね。僕達の中で一番戦いたかったのはべリアルだろうし……」
「そ、そうか……」


レイナがどこか楽しげに、ユリウスが大げさにリアクションを取りながらの報告にルシアは乾いた笑みを浮かべるしかない。どうやらべリアルは距離的な問題で間に合わなかったらしい。もっともべリアルの持つ六星DBジ・アースはその名の通り大地を操るDB。空が戦場となっている今回の戦いでは力は発揮できないだろう。その身体能力だけでも十分戦力にはなるものの流石に六つの盾シックスガード相手にDBなしで戦うのは危険すぎる。自分がもし招集するにしてもべリアルは人選から外していただろう。一番血の気が多い、戦闘狂とでもいうべきべリアルには悪いが今回は留守番をしてもらうことになった形。


「ハジャにはDCの留守を預けてきたわ。流石に誰も残らないのはまずいだろうって……何かあったらワープロードで呼び出してくれって言ってたわ。どうする、不安なら呼び出しちゃえば?」
「い、いや……これだけいれば十分だ。必要ねえ……」


顔を引きつらせながらも丁重にレイナの提案をルシアはお断りすることにする。確かにハジャは六祈将軍オラシオンセイスのリーダーであり最強の存在。その力は今この場にいる六祈将軍オラシオンセイス全員を集めたものよりも上回る。間違いなく六つの盾シックスガード全員を相手にしても後れをとらないだろう。だがある意味ルシアにとってはそれ以上に自分の命を狙っている厄介な相手。いつ、どんな行動をとるか分からない存在。そんなハジャがこの戦場にいれば不測の事態も起きかねない。この場にいないことはルシアにとって好都合と言ってもいい。それをわざわざ呼び出す必要などこれっぽちもなかった。もしいたのなら送り返してやってもいいほど。


「あらそう。あなた、昔からハジャを苦手にしてたものね。最高司令官なんだからしっかりしてよね」
「確かに六祈将軍オラシオンセイス全員が揃わないのは美しくないけど仕方ないね。だけど問題ないよ。ここには僕という騎士がいるんだから! そうだろう、ルシア?」
「あ、ああ……そうだな……」


自分に酔い、テンションが上がりまくっているユリウスを冷たくあしらいながらもルシアは他の三人にも目を向ける。レイナは楽しげに、ジェガンはいつもと変わらぬ無表情で、ディープスノーは決意に満ちた目を見せながらルシアに対面する。お疲れ様、もう帰っていいという冗談すら言えないような空気がそこにはある。もはやルシアには選択肢は残されてはいなかった。


『くくく……どうした、もっと喜んだらどうだ? せっかく援軍が来てくれたというのに……やはり持つべきものはよい部下だな、我が主様よ?』
『て、てめえ……』


楽しげな笑いを漏らしながら自分を挑発してくるマザーにルシアは辟易するもののどうすることもできない。マザーにしてみれば次から次に起こる予想外の事態に翻弄されるルシアの姿を見ることが楽しくて仕方ない。最高司令官になったもののやはりこうでなくては面白くないといわんばかりの怪しい光を放ちながらもマザーもまた興奮していた。予定外のこともあったが役者も舞台も揃ったのだから。


『そう荒れるでない……よかったではないか。これで六つの盾シックスガードを相手にしなくて済むのだぞ?』
『そ……それはそうだが……』
『何だ、あの騎士が宿している人工DBのことが気になるのか? なら心配無用だ。ジンの塔で会った時に既に我の庇護下に置いておるぞ』
『そうか……ってなんじゃそりゃ!? お前いつの間にそんなことしてんだよ!? 一言俺にも言えっつーの!』
『いや、あの時にはまだ言えんかったからの……』
『っ!? お、お前……やっぱわざとDBの破壊のこと俺に教えなかったんだな!? そうなんだろ、あ!?』
『くく……さて、何のことやら。我は聞かれなかったから答えなかっただけ。勘違いしていたお主が軽率なだけだ』
『お、お前……!』


最初に出会った時と同じような言い訳、もとい暴露にルシアは怒り狂うしかない。最初からマザーが六つの盾シックスガードのDBの破壊ができないことをルシアに教える気がなかったこと。そして六星DBを壊さずに止めることができたこと。自分が想定外の事態に陥る半分以上の理由が間違いなく胸元にいる石のせいであることを改めて悟りルシアは頭を抱えるだけ。ある意味敵よりも厄介な味方だった。


『何が不満なのだ? これでBG全員を相手にする必要が無くなったというのに……まあ我としてはその方が楽しかったのだが……』
『うるせえよ! 相手は六つの盾シックスガードだぞ!? 六祈将軍オラシオンセイスでも勝てるかどうか分かんねえだろうが!』
『ふむ……まだそんなこと気にしておったのか。相変わらずヘタレ……いや過保護な奴だ』


やれやれと言わんばかりの声を漏らしながらもマザーは改めてルシアに視線を向ける。そこには先程までのふざけた空気は微塵もない。そしてマザーは誰よりもルシアのことを理解している。事あるごとにルシアに向かって告げられる言葉の一つ。

それは『ヘタレ』という言葉。

情けない、戦うことを恐れる主を現すもの。だがその意味はこの半年で大きく変わっていた。確かにルシアは戦うことを恐れている。しかしそれはかつてとは大きくその理由が違う。ハードナーと六つの盾シックスガードたちを同時に相手したくないのも自分が死ぬかもしれないからではない。その本当の理由をマザーだけは知っている。


『侮るなよ、主よ。我が子である六星DBはアナスタシスのDBにも引けを取るものではない』


自らの主の戸惑いと恐れ。その全てを知った上でマザーは告げる。何も恐れる必要は無いと。さながら子をあやす母のように。さながら男に囁く女のように。


『それとも我がアナスタシスに劣ると本気で思っておるわけではあるまい? 魔石使いダークブリングマスターよ』
『…………うるせえよ。そんなこと言われるまでもねえ』


自分がいる限り決して負けることはない。絶対の確信を以てマザーとは宣言する。微塵の恐れも迷いもそこにはない。あるのはただ自らの、自らの主に対する自信だけ。そんなマザーの言葉に頭をかきながらぶっきらぼうにルシアは対応するしかない。何故ならそれをルシアは誰よりも知っていたから。マザーの力を、そしてそれを極めるとはどういうことかを。

だがそんなルシアの思考を断ち切るように再びサイレンと共にアルバトロスから無数の戦闘機がルシア達に向かって発進してくる。どうやら先程のレイナたちの攻撃によって様子を見ていたようだが戦闘再開の命令が下されたらしい。その数はそれまでの比ではない。間違いなくBGの全航空戦力がルシアたちに狙いを定めている。ルシアはそのまま手に持つデカログスに力を込め戦闘態勢に入りながらもふと気づく。


「……? お前ら、何やってんだ?」


それは自分の隣を飛んでいるジュリアに乗っているレイナたちが何かを待つかのようにルシアを見つめ続けている光景。今にも攻撃に晒されかねないにもかかわらずそんなことなど些事だといわんばかりの空気。


「はあ………決まってるじゃない。あなたの命令を待ってるのよ。こんなことわざわざ言わせないでよね、恥ずかしい」
「そうだよ。さあ、王として騎士である僕達に命じておくれ、ルシア」
「ルシア様……どうかご命令を」
「…………」


レイナたちはそれぞれの言葉で、態度でそれを待ち続けている。この半年間ずっと待ちわびていた瞬間。新生DC。その復活を告げるのに相応しい決戦の狼煙。その号令が放たれる時が訪れたのだと。


「………ああ。命令だ。『六つの盾シックスガードを倒せ』」


新たなる王、ルシア・レアグローブの口から告げられる。新たな戦いの始まりの宣言が。
静かな、それでも確かな言葉。


「了解♪ じゃあ久しぶりに暴れるとしましょうか♪」
「美しく……ね」
「お任せ下さい、ルシア様」
「……行くぞ、ジュリア」


その命令によって六祈将軍オラシオンセイスたちは動き出す。今まで一言も発しなかったジェガンの言葉によって凄まじい咆哮を上げながら黒龍、ジュリアがその巨大な翼をはばたかせながら動き出す。一直線にアルバトロスに向かって。まるで自分を遮るものなど何もないと告げるように。

いきなり特攻を仕掛けてくる六祈将軍オラシオンセイスに驚きながらも戦闘機が、アルバトロスの防衛網による容赦ない弾幕が降り注ぐ。鳥一匹も通さないような弾雨。それを躱すことなど巨大なジュリアには不可能。だが六祈将軍オラシオンセイスたちの表情には恐れは全くない。むしろ楽しげですらある。そして六祈将軍オラシオンセイスたちは最初から攻撃を躱す気など毛頭なかった。

悲鳴にも似た無線がアルバトロス中に響き渡る。戸惑いと恐れが入り混じった、混乱した兵士たちの阿鼻叫喚。BGの全航空戦力の攻撃を受けながらも全く傷一つ付けられないというあり得ない事態。その攻撃が見えない風によって、銀の光によって、氷の凍結によって無力化されていく。打ち落とすどころか進路を変えることすらできないというあり得ない光景。

それが六祈将軍オラシオンセイスの力。かつてキングに選ばれた六人の戦士。そしてルシアに受け継がれた力。マザーより生まれし六星DBの真の力だった。


「やれ、ジュリア」


ジェガンの命令によってついにアルバトロスに辿り着いたジュリアの口から巨大な炎が放たれる。その威力によって何者にも破られることがなかった要塞の壁は壊され、そして侵入者を許してしまう。BG結成以来あり得なかった事態。しかも奇襲ではなく正面突破による侵入という信じられない状況。だがそんな混乱状態にあってもなおBGの兵士達は迅速に侵入者を排除せんと迫ってくる。ある者はその手に銃器を、ある者はDBを持ちながら。百万を超えるBGの兵士。その中でもアルバトロスに乗ることが許された精鋭たち。自分たちを取り囲んでいる数えきれないほどの兵士たちを前にしても四人の姿はまったく変わらない。まるで買い物にでも来たのではないかと思ってしまうほどの自然体。だがそれは当たり前。今までの半年の彼らの姿は本来の物ではない。

戦う戦士として顔。それを見せながら四人の戦士は動き出す。


「じゃあ私はあっちに行くわ。危なくなったら無理はしないようにね、ディープスノー?」
「ありがとうございます。ですがご心配なく。ルシア様の命に従うだけです」
「その通りだね。僕は向こうに行くとしよう。じゃあみんな後で。美しい戦いを」
「…………」


互いに軽口を言い合いながら四人はそれぞれ別の方向に向かって歩き出す。目の前にいる兵士たちを片手間で排除しながら。さながら道端の邪魔な石を蹴りだすように。自らの役目、六つの盾シックスガードの殲滅を果たすために。そして何よりも最も重要な役目である陽動となるために。




『どうやら本当に六祈将軍オラシオンセイスらしいな……だが何も問題は無い。邪魔者は排除する。それだけだ。いいな?』

既に戦闘態勢に入りながらも六つの盾シックスガードのリーダーであるルカンが地に響くような声で告げる。それは目の前にいる部下たちに向けたもの。


『分かってるさ。ようするに早い者勝ちってことだろ?』
『いっぱい倒せば褒めてくれる? ジラフ?』
『ああ、何せ相手はあの六祈将軍オラシオンセイスだからな』
『待ってろよボインちゃーん! オラの女にしてやるぜー!』
『ま、待ってよみんな! まだ探知機を渡してないよ、ウン!』
『構わん……放っておけ。やっと待ちわびた日が来たのだからな……』


それぞれが好き勝手に動き始めていることにコアラが慌てながら探知機を渡そうとするもジラフ、レオパール、リエーヴルはあっという間にその姿を消してしまう。BGの敵、侵入者を排除するために。だがそれだけではない。いつも以上に六つの盾シックスガードは血をたぎらせていた。それはリーダーであるルカンとて例外ではない。その纏っている空気の凄まじさは思わずコアラが身震いしてしまうほど。それだけの理由が彼らにはある。

六祈将軍オラシオンセイス

それを倒すことが彼らの存在意義の一つ。半年前に失われてしまった機会が何の因果か自分たちの目の前に訪れている。それを前にして平静でいられる者など存在しない。


『いくぞ……全員、皆殺しだ……』


その手に巨大な鎌を持ちながらルカンは動き出す。悠然と、一歩一歩確実に。それを追うように慌てながらコアラは走り出す。


六祈将軍オラシオンセイス六つの盾シックスガード

どちらが最強の戦闘集団であるかを決めるに相応しい決戦の火蓋が切って落とされる。

そして同時に、もう一つの戦いの幕もまた上がる。いや、それは再開。一度は幕が上がったもののそのままになってしまっていた舞台。



ルシアはその前で動きを止める。辺りには自分以外誰もいない。六祈将軍オラシオンセイスの陽動によって今、全ての敵はそちらに目が行っている。その隙を狙うことがルシアの狙い。派手な正面突破を行ったのもその布石。その間に王を打ち取るための策。だがそれは通用しなかった。


「そこまでだ……ここから先には行かせん」


目の前にいる少女。まるでいきなり現れたかのように彼女は現れた。閃光のような速さを以て。いつかと同じように。だが違う所があるとするならば。


それはお互いに身を隠すローブを纏っていなかったこと。そして少年の名が変わっていること。


『金髪の悪魔 ルシア・レアグローブ』と『閃光のルナール』


今、半年前の続き。二人の再戦の時が始まろうとしていた―――――



[33455] 第四十五話 「龍使い」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/19 00:04
『巨大空中要塞アルバトロス』

空賊BGの拠点であり切り札。その名が現す通り巨大な要塞、城と言ってもおかしくないもの。百万の兵の中でもハードナーに認められた者しか乗ることが許されない船。これまで数多の組織を、街を破壊し略奪を繰り返した難攻不落の要塞。だがその神話が今、脅かされようとしている。しかも相手はたったの五人。とても正気の沙汰とは思えないような行動。しかしその五人はただの一般兵ではない。

一人は金髪の悪魔の異名を持つ少年。まだ知る者はほとんどいない新生DCの最高司令官。キングの血と力を受け継いだ新たな王。

そして残る四人。その名を知らぬ者は闇の世界においては存在しない。ある意味金髪の悪魔の異名よりも恐れられているであろう称号。

六祈将軍オラシオンセイス

DC最高幹部であり最高戦力。その力は一国に匹敵するといわれる怪物たち。その称号を持つ三人とそれに相応しい力を持つ一人が今、アルバトロスへと侵入していた。自らの王たるルシアの命を果たさんとするために。

六つの盾シックスガード

BDの最高幹部であり切り札である集団。ハードナーによって選ばれし六人の戦士。一人が欠け今は五人となっているもののその全てが今、アルバトロスに集結している。そして同時に彼らも動き出す。自分たちの存在意義を果たすために。

今、六祈将軍オラシオンセイス六つの盾シックスガード。対極にある二つの集団の戦いが始まらんとしていた――――



アルバトロスの船内の一画。そこでまさに地獄絵図のような光景が繰り広げられていた。その壁には巨大な穴がある。信じられないような力で吹き飛ばされてしまったのでは無いかと思えるような無残な破壊の爪痕。とても人間の仕業とは思えないような惨状。だがそれは正しかった。何故ならそれを行っているのはまさしく人間ではなかったのだから。


「――――!?」
「うあああああっ!?」
「ひいいいいっ!?」


ある者は声にもならない悲鳴を上げ、ある者は手に持った銃器を放り投げながら逃走し、ある者はその恐怖によってその場に蹲り身動きすら取れなくなってしまう。BGの兵士達はその存在によって完全に戦意を失い逃げまどう。だがそれを責めることは誰にもできないだろう。彼らの目の前にいる、立ちふさがっている存在が何であるかを知っていれば。

黒龍。

それが今、BGの兵たちの前にいる侵入者。龍というおよそこの世の物とは思えないような存在。誰もが空想の中だけだと思い込んでいる生物。だが間違いなくそれは存在していた。しかも彼らの想像を超えた力をもって。

耳を劈くような咆哮と共に黒龍の口から炎の息吹が放たれる。無慈悲な炎が全てを薙ぎ払って行く。それに抗う術を兵たちは持たない。為すすべなく業火に焼かれていくだけ。それはまるでお伽噺のような光景。これは夢だと思ってしまいかねないような現実離れした惨状。だが彼らもただ指をくわえてそれを見ていたわけではない。銃器を、DBを持ちながら兵たちは黒龍に向かって挑んでいく。しかしその全てが通用しなかった。

人間とは比べ物にならない程の巨体。その鋼鉄とも思えるような皮膚に傷をつけることすらできない。炎だけではなくその巨大な爪、尾から繰り出される攻撃だけで何十人もの兵士が一瞬で戦闘不能になってゆく。そして最後には誰ひとり残っていなかった。

それが黒龍ジュリアの力。竜化してしまった竜人ドラゴンレイスのなれの果て。だが自我を失ってしまってもなおその力は変わらない。かつてある国では一匹の竜を倒すために何百、何千の戦士が命を落としたという。それが最強種族である竜の力。


「よくやった、ジュリア」


そんなジュリアに向かってどこか満足気に近づいて行く一人の男がいた。その手にある巨大な黒い剣で生き残っていた兵をこともなげに斬り払いながら歩いている姿からは圧倒的な強者の風格が滲みでている。

龍使いドラゴンマスタージェガン』

六祈将軍オラシオンセイスの一人でありその名の通り龍を操る戦士。自らもまた竜の力を持つ竜人ドラゴンレイスである男。

ジェガンはその手でジュリアの頭を撫でながら辺りを見渡す。そこには焼き焦げ、切り裂かれ、押しつぶされた無残な兵たちの姿があった。誰一人息をしている者はいない無慈悲な光景。それを前にしてもジェガンはその表情を全く変えることはない。非情な、そして隙のない戦士としての姿。

今、ジェガンはアルバトロスに侵入した地点でBGの兵たちを迎え撃っていた。他の三人はそれぞれ好き勝手に違う方向に進んでいったもののジェガンはその場に留まることを選択した。それはジュリアのため。巨大な黒龍であるジュリアでは流石にアルバトロスとはいえ自由に動き回ることはできない。幸いにも突入した地点であるこの場は巨大な空間であったため問題は無いが先に進むには通路が狭すぎる。通路を力づくで破壊しながら進む手もあるもののやはり手間がかり、何よりもあまり無茶をしすぎればアルバトロスが墜落しかねない。そのためジェガンはあえてその場に留まることを選択した。だがそれは決して消極的な選択ではない。何故なら


「すごいね、ウン。ボク、ドラゴンなんて初めて見たよ、ウン」


ここで戦っていれば自ら動くまでもなく、獲物が勝手にやってくるのだから。


「でもボクの方がもっと強いんだよ、ウン。 六祈将軍オラシオンセイスよりも六つの盾シックスガードの方が強いって証明してみせるよ、ウン!」


戦場に不釣り合いな楽しそうな声と共に新たな刺客がジェガン達の前に現れる。だがその姿は声のようにただの子供ではなかった。一言でいえば巨大な昆虫。虫型をした巨大なロボットが駆動音と足音を奏でながら悠然とその姿を晒す。ジュリアにも匹敵するのではないかと思えるような巨大な機械、ロボット。コクピットと思われる部分には小さな子供が乗っている。端から見れば乗り物に乗ってはしゃいでいる無邪気な子供。だがその子供はただの子供ではない。

『コアラ』 それが彼の名前。六つの盾シックスガードの一人である戦士だった。


(さあ……今度こそボクの本気を見せてハードナー様に認めてもらうんだよ、ウン!)


コアラはその手に操縦幹を握りながらも内心で高揚感を隠しきれないでいた。何故なら今回の戦いはコアラにとっては汚名返上、名誉挽回のチャンスでもあったのだから。それは先のエリー捕獲の失敗によるもの。表面上は許しを得られたもののあの失態のせいで自分の評価が下がってしまったことは誰の目にも明らか。それはコアラにとっては許せない、そしてすぐにでも何とかしなければならない問題。そんなところにこの奇襲。しかも六祈将軍オラシオンセイスという信じられない大物たち。半年前に本部の壊滅と共に死んだとされてしまっていたはずの存在。何故六祈将軍オラシオンセイスが生きていたのか、これまで表に出てこなかったのかを疑問に思いながらもコアラはすぐにどうでもいいことだと切り捨てる。どんな理由があるにせよ今目の前にあの六祈将軍オラシオンセイスがいる。それが全て。それを倒すことができれば自分たちの存在意義を、その力を証明することができる。


「さあ、行くよ! これがボクのDBの力! そのドラゴンがどんなに強くても負けないよ、ウン!」


コアラは自らの持つDBの力を操りながらジェガン達に向かって近づいて行く。まるでSFの世界に存在するような機械の兵器。それがコアラのDB『マーシナリー』の力。機械を自由自在に操ることができる能力。ただの子供であるコアラが六つの盾シックスガードの座を得ることができる程の力を持つのもそれが理由。コアラはマーシナリーにある銃口をジュリアとジェガンに向ける。先程のやられた兵士達とは比べ物にならない火力をもつそれを向けられたことで恐れおののくジェガンの姿を見るために。だが


「…………」


ジェガンはまるで無感情に、表情を変えることなくコアラを見つめているだけ。その肩に剣を乗せたまま。戦闘態勢を取ることもなくまるでどうでもよさげな空気を感じさせながら。その光景にコアラは怒りをあらわにする。自分など眼中にないといわんばかりに態度にコアラがその引き金を引こうとした瞬間


「やれ、ジュリア」


ぽつりと、呟くようなジェガンの言葉と共にジュリアの口から今までとは比べ物にならない規模の炎が放たれる。一瞬の出来事にコアラは動くこともできずにマーシナリーと共に炎の海に飲み込まれていってしまう。ジェガンはその光景をただ見つめているだけ。まるで自分が手を下すまでもないと告げるかのように。後にはただ燃え盛る炎だけ。いかな機械の兵器とはいえあれだけの炎に飲み込まれればひとたまりもない。ジェガンがそのまま踵を返しながらも次の獲物がやってくるのを待ち構えようとした時


「……びっくりしたよ、ウン。でも無駄だよ。このマーシナリーには炎なんて効かないんだよ、ウン!」


自信満々の声と共に炎の海の中から巨大な機影が姿を現す。そこには全く傷一つ負っていないコアラとマーシナリーの姿があった。コアラは自らの持つDBの力を見せびらかすかのように上機嫌になったまま。マーシナリーは機械を操る力があり、それを以てコアラはこの昆虫型の巨大な兵器を造り上げている。だがその兵器もただの兵器ではない。その特性は相手に合わせた能力を付与する、改良することができる点にある。コアラはこの場にやってくる前にジェガンとジュリアの戦闘を観察しそのデータを元にこのマーシナリーを作り上げていた。ジュリアの炎に対抗するための耐熱処理、そしてジェガンの剣の攻撃に対する物理装甲。その両方を併せ持つマーシナリーの力を誇るかのようにコアラはジェガン達を見下ろす。だが


「…………」


それを前にしてもジェガンは全く恐れも怯えも見せることは無い。自然体そのもの。その光景に優位に立っているはずのコアラの方が知らず圧倒されてしまう。初めて会った時からまだ一言も発することのない相手にコアラは息を飲む。まるで自分など眼中にないのだと、格下なのだといわんばかりの視線と態度。そんな侮辱にも等しいものによって今まで余裕を見せていたコアラも流石に怒りを抑えることができない。


「ウン……何だよ、ボクを馬鹿にしてるのか、ウン!? 決めたよ、お前はバラバラにしてやる! あのドラゴンは改造してボクのペットにしてやるよ、ウン!」


まるで無邪気な子供のような笑みを見せながらも想像もできないような残酷な言葉をコアラは告げる。だがそれは決して誇張ではない。子供のような容姿とは裏腹にコアラは六つの盾シックスガードの中でも特に残酷な面が強い。虫を殺して楽しむ無邪気な子供のようにこれまでも何人もの人間をその手にかけ、身体を機械に改造するという非道を繰り返してきた。そんな中であってもまだドラゴンを改造したことがないコアラはどこか楽しげな表情を見せている。これだけの力を持っているドラゴンなら改造すればきっとすごい兵器ができると。邪魔なジェガンをバラバラにした後にドラゴンを改造してやろう。それよりもドラゴンを改造してやるのを見せつけた後にバラバラにしたやった方がいいかもしれない。コアラは自らに対する侮辱に対する報復を楽しそうに思案する。故に気づかなかった。


その言葉が文字通り、ジェガンの逆鱗に触れるものであることに。


「…………え?」


瞬間、コアラは自らの身に起こったことを理解できずにそんな声を上げることしかできなかった。まるで地震が起こったかのような振動がコクピットにいるコアラに伝わってくる。ほんの一瞬の出来事。だが何が起こっているのか考えるよりも早くコアラはその場を離れんと動き始める。それは本能。だがそれを以てしても今自らを襲っている事態から逃れることはできない。


「なっ!? 何がどうなってるの、ウン!?」


コアラは悲鳴にも似た声を上げながらその光景に戦慄する。そこには先程まで自分の視線の先にいた筈のジェガンの姿があった。だがその動きを捉え切ることができない。まるで瞬間移動でもしたのではないかと思ってしまうほどの動きでジェガンは一気にコアラ、マーシナリーとの距離を詰め剣を振るってくる。その一閃によって次々にマーシナリーの足が斬り飛ばされ、重さを支え切れなくなったマーシナリーはその場に跪くしかない。足をもがれた虫のように。

だがそれはあり得ない。コアラは混乱の極みにあった。何故ならマーシナリーには物理装甲がある。ジェガンの剣を計算に入れた完璧な防御。だがそんなものなど無いかのように凄まじい動きと気迫を以てジェガンは難なくマーシナリーを文字通り解体していく。それだけではない。自動防御によって銃器から無数の銃撃がジェガンを葬らんと降り注ぐもその一つもジェガンに届くことは無い。その動きを捉えることができず空を切るだけ。

ついに全ての足を失ったマーシナリーが床へと転がり落ちそのコクピットがあらわになると同時にジェガンが鬼神のごとき動きで迫る。


「ひっ――――!?」


その姿に思わずコアラは悲鳴を上げる。単純な恐怖という、そして絶対の感情。先程までと同一人物とは思えないような豹変とその力。その表情はまったく変わってない。無表情そのもの。だが違う所があった。それはその眼光。その瞳には先程までは無かった明確な殺意がある。目が合った者に死を連想させる程の圧倒的な視線とその力。データなど何の役にも立たない程の動き。


それが六祈将軍オラシオンセイスの一人、ジェガンの力。そしてその逆鱗であるジュリアに触れてしまったことがコアラの過ちだった。


だがジェガンの一刀がコアラをコクピットごとコアラを両断するよりも一瞬早く、コアラは脱出装置によって間一髪で上空へと退避する。ジェガンは予想外の動きによって虚を突かれるもののそのまますぐさま体勢を立て直しながら上空に留まっているコアラを見据える。そこには一切の油断も容赦もない。自らの物であるジュリアを侮辱されること。ましてやそれに手を出そうとする者は誰であれ生かしてはおかない。

ジェガンがその手を振るった瞬間、その腕にあるDBが輝きその力を放つ。同時に無数の花のつぼみがジェガンの周囲に生まれていく。鉄の船の中にあってもその自然の力は失われることは無いと示すかのように。

種子砲シードバルカン

それがジェガンが持つ六星DBユグドラシルの力の一つ。その種子砲に触れた者を大いなる樹の力によって葬り去る技。無数の花が咲き、種子が弾丸のように上空に逃げ去ったコアラに向かって放たれる。決して逃がさないと告げるように。弾幕にも似た攻撃にコアラには逃げ場は無い。だが


「ちょ、調子に乗るんじゃない、ウン――――!!」


まるで人が変わったように憤怒しながらコアラもまた自らが持つDBの力を以てそれに対抗する。瞬間、破壊されてしまった兵器の残骸がまるで生きているかのように動きコアラの元に集まって行く。そして種子砲が届くよりも早くコアラはその身を守るかのように新たな機械を身に纏う。まるで卵のような外見をした機械。防御を重視した形態。その鉄壁とも言える守りによって種子砲は全て弾かれ力を失ってしまう。だがコアラが押されてしまっているのは誰の目にも明らか。それはコアラ自身が理解していた。先の攻防で感じた恐怖。そのせいで今もまだ知らず身体が震えている。だがそれをコアラは認めることができない。否、認めるわけにはいかない。それは六つの盾シックスガードとしての誇り。


「もう許さないよ……お前は絶対にバラバラにして殺してやる! 見せてあげるよ、ボクの最終兵器を!!」


宣言と共にコアラはマーシナリーの力を解放する。それは今までの比ではない。瞬間、まるで地震が起きるかのようにジェガンの足場が揺れ始める。だがそれは地震ではなかった。空の上であるアルバトロスで地震など起こるはずがない。故にそれはアルバトロス全体に起こっていること。

力の中心であるコアラに向かってその場にある全てに機械が集まって行く。機械だけではない。その床も、壁も、その全てがまるで波のように波打ちながらコアラの元に集まって行く。それはまさに台風の目。それに巻き込まれないようジェガンとジュリアは一瞬でコアラから距離を取るもコアラの力は既に一帯全てを飲みこみつつある。機械の天変地異。あり得ないような天災、いや人災が起ころうとしている。

その中心には先程までとはまた大きく違う機械の指令室のようなポッドに乗りこんでいるコアラの姿がある。そのポッドからは無数の機械でできたコードが生えている。そのコードはその場一帯だけなく船全体を覆い尽くしている。


『マーシナリーアルバトロス』


それが今のコアラが持つ兵器の名。巨大空中要塞アルバトロスをマーシナリーによって完全に己が手足とするマーシナリーの奥義。アルバトロスの中にいる間だけ可能な反則技。その中にいる限り何者にも破ることはできない絶対兵器。


「もうおしまいだよ、ウン。お前達はこのまま押しつぶしてあげるよ、ウン!」


自らの勝利を確信し、勝ち誇りながらコアラは宣告する。それは決して逃れることができない絶望。戦いの場であるアルバトロスを完全にコントロールするコアラに負けなどあり得ない。その全ての重火器を操ることができるだけではない。アルバトロスを構成する壁や床、ありとあらゆるものがコアラの味方。区画ごと侵入者を圧殺することも、足場を奪い空に放り出すことも思いのまま。この限定下であれば神にも等しい力をコアラは持っている。それは正しい。だが


「…………」


それは目の前の男、ジェガンには通用しなかった。


「な、何だよ。怖くないのか!? この船全てがボクの味方なんだぞ、ウン!」


コアラは自分の力を見ながらも全く怯える様子を見せないジェガンに食ってかかるもジェガンはそのまま踵を返したままその場から立ち去らんとする。だがそれは逃亡ではない。まるでもう勝負がついたといわんばかりの雰囲気を纏いながら悠然と去っていく。ジュリアもまたその後に従うように付いて行くだけ。コアラはそんな二人の姿にしばらく呆気にとられるもののすぐに我に帰る。


「逃がすとでも思ってるのか、このまま押し潰してやるよ、ウン!」


コアラは怒りと共にマーシナリーの力を操り部屋ごとジェガンとジュリアを圧殺せんとする。どこに逃げようともアルバトロスの中にいる以上全てがコアラの手の中。それを証明するかのように全てがジェガン達を襲い跡形もなく押しつぶす――――はずだった。


「…………え?」


コアラは一体何が起こっているのか分からず呆然とするしかない。いや、正確には何も起こらないことに。間違いなくDBは力を放っている。アルバトロスは間違いなく今自分の支配下にある。だがコアラが与り知らなかったこと。それはジェガンの持つDBもまたコアラの持つDBと同等、そして対極に位置するものだったこと。


「こ、これは……樹!? な、何でこんなところに……!?」


その光景にコアラは驚愕するしかない。一帯の壁や床。その隙間から凄まじい勢いと力によって樹が生まれ出てくる。さながらアスファルトから花が咲くかのように。だがその規模は尋常ではない。既に一画の全てが樹木によって埋め尽くされんとしている。育ちゆく樹の力。それから逃れる術は無い。人工である機械を操るマーシナリー。その力はアルバトロスの中では無敵に近いもの。だがそれに拮抗し得る力が自然の力、大いなる樹の力を操る六星DBユグドラシルにはあった。


「く、くそ……! でもこのぐらいで……!」


そんな状況にあってもコアラはあきらめを見せることは無い。コアラはすぐに気づく。先程の種子による攻撃。それによってばらまかれた種こそがジェガンの真の狙いであったことに。見事それに一杯喰わされたもののまだ戦況の優位は揺るがない。確かに自分の機械と相手の樹の力は互角。だが地の利はこちらにある。このまま樹が成長しきる前にこの一帯を崩壊させてしまえばいいだけ。ここが地上であればどうしようもなかったかもしれないがアルバトロスの中である以上自分の優位は変わらない。そうコアラは判断しすぐさま一帯を斬り離さんとする。それは間違いではなかった。だがそれはあまりも遅すぎた。


「ウン……? あれ……な、何で動かないの、ウン……?」


コアラはどこか心ここに非ずと言った風に呟くしかない。自分がDBの力を使っているにもかかわらず何も起こらない。コアラは不思議な感覚に囚われながらもふと自分の足元に目を向ける。そこには


自分の身体と一体になりながら成長している樹の姿があった。


「え!? ど、どうしてこんなところに樹があるの、ウン!?」


コアラは驚き混乱するしかない。何故自分のいるコクピットの中で樹が育ちつつあるのか。自分は種子砲の攻撃も受けていない。防御は完璧だったはず。何も失敗はしていないはず。そんなことを何度も考えながらもコアラは足元から樹に浸食され飲み込まれていく。既に身体の半分以上が取り込まれている光景にコアラは恐怖し、戦慄することしかできない。

それは先の種子砲の攻撃によるもの。それをコアラは完璧に防いだ。だがジェガンにとってはそれすらも布石に過ぎなかった。真の狙いは種子をこの一帯にばらまき、そしてその種子を壊れていた兵器の中に忍ばせること。機械を操ることが相手のDBの能力だと見抜いたが故のもの。その狙い通りコアラはマーシナリーアルバトロスを構成する際に知らずその種子を巻き込んでしまっていた。それがコアラの敗因。最初から全力を出さなかった慢心と油断。そして一つでも異物が混じることで壊れてしまう機械の宿命。


「うわああああっ!! こ、怖いよおおお!! 助けてよおおお!! ウン!!」


涙を流し、嗚咽を漏らしながらコアラは必死に助けを乞う。自分の身体が植物へと変わって行ってしまうという恐怖。ある意味死よりもはるかに勝る恐怖。それによってコアラは泣き叫びながらジェガンに懇願する。助けてくれと。そこには六つの盾シックスガードとしての誇りも何もない。ただ助けを乞う小さな子供。だがそれに振り返ることなくジェガンはその場を去っていく。もはや用は無いと告げるように。


コアラは絶望しながらも大いなる樹の力によって滅びゆく。因果応報。今まで他人の身体を機械にしながら弄んできた報い。それが機械ではなく自然の力であったことも皮肉だったかもしれない。それが六つの盾シックスガードの一人、コアラの最期。


「いくぞジュリア……お前は誰にも渡さん」


六つの盾シックスガード一人を倒したにも関わらず全く喜びを見せることなくジェガンはジュリアを伴いながら進み始める。既に崩壊しかけているこの場に留まることは得策ではないと判断してのもの。加えてまだ六つの盾シックスガードは四人残っている。それを全て殲滅することがルシアからの命。それを成し遂げることが六祈将軍オラシオンセイスとしてのジェガンの務め。

それはある目的のため。ルシアに従っているのも、DCに属しているのも全てはジュリアのため。星の記憶へ辿り着くことでジュリアを元の姿に戻し、そして本当の意味でジュリアのを己の物とするために。それを可能にする力が星の記憶にはある。だがジェガンは気づくことは無い。それがジュリアのためではなく自分のためであることを。歪んだ愛を持つことしかできていない自分自身にまだ気づくことは無い。

その時が来るまでジェガンは進み続ける。自分と同じ願いを持ちながらも対極に位置するもう一人の竜人ドラゴンレイスと再会するその時まで――――



[33455] 第四十六話 「銀術師」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/23 12:42
混迷を深めつつあるアルバトロスの内部。けたたましいサイレンが際限なく鳴り続け、それに呼応するように数えきれないほどの兵士達が侵入者を排除せんと奔走するも兵士達は誰一人その任務を果たすことができない。侵入者たちは誰一人身を隠すことはしていない。むしろ捕まえて見せろといわんばかりに堂々と、大胆不敵に船内を闊歩している。にも関わらず兵士達は侵入者に傷一つ負わすことすらできない。それが侵入者とBGの兵士達の間にある超えることができない絶対の壁。

六祈将軍オラシオンセイス』という名の称号を持つ者たちの力だった。


「あら……この辺ももう終わりかしら? 案外呆気なかったわね……」


その一人であるレイナはどこか拍子抜けだといわんばかりの様子を見せながらも辺りを見渡す。そこには既に戦闘不能にされ動くことすらできなくなっている数えきれないほどの兵士達がいた。その数は優に百を超える。にも関わらずレイナは息一つ乱すことなくその場に立っている。その煌びやかなドレスも美しい肌にも傷一つない。それが六祈将軍オラシオンセイスの一人であるレイナの実力。その前ではどれだけ兵士がいようが何の意味もなかった。


(久しぶりの実戦ってことでちょっと気にしてたんだけど余計な心配だったかしらね……それともBGの連中が大したことなかったってことかしら……?)


髪をかき上げながらレイナは倒れ伏している兵士たちを尻目に優雅にその場を離れて行く。レイナは半年ぶりの実戦と言うことでいつも以上に気を張っていたのだがどうやら余計な心配だったのだと悟る。腕をなまらせてはいなかったのだがDCに匹敵するとまで言われていたBGとの戦闘。もしものことも考えていたのだが何のことは無い。やはり一般兵レベルではどれだけいたとしても自分たちの障害とはなりえないらしい。もっともDCの兵士だったとしてもそれは同じなのだが。


(とりあえず場所を変えましょうか……一応陽動の役目もあるわけだし……そういえばルシアは上手くやってるのかしら? ハードナーって奴はキングに匹敵するとかレディは言ってたけど……)


レイナは考え事をしながらも歩き続ける。その姿はとても侵入者だとは思えないようなもの。全く恐れも緊張も感じさせない。途中で何人かの兵士によって襲撃されるも片手間に排除してしまう。その圧倒的な強さについに兵士達はレイナの姿を見るだけで抵抗することなく逃げ出すようになってしまう。

レイナたち六祈将軍オラシオンセイスはルシアからいくつかの命令を受けていた。一つが六つの盾シックスガードの殲滅。そしてもう一つが陽動の役目。

この戦いはDCとBGの戦争でもあるがその勝負は互いのトップのどちらが勝つかが全て。極端な話六祈将軍オラシオンセイスが全勝したとしてもルシアがハードナーに負けてしまえば全てが終わり。故にルシアをハードナーと一対一の状況に持って行くことがレイナ達の役目。本当にハードナーがキングと同格ならばいかにルシアといえども苦戦は免れないはず。負けるなどとは考えていないがそこに余計な横やりが入ればどうなるかは分からない。とにもかくにも一刻も早く自らの役目を果たさんとレイナが新たな区画に侵入せんとした時


「やっと見つけた。六祈将軍オラシオンセイス


そんなアルバトロスに侵入してから聞くことのなかった女性の声が響き渡る。レイナはどこか驚いたような表情を見せながらも声の主に向かって振り返る。それはまさかこの場に自分以外の女性がいるとは考えもしていなかったから。

そこには一人の少女がいた。まるで豹のような衣装を身に纏った少女。だがその両手には鉤爪のような物が装備されている。その纏っている空気も明らかに今まで戦って来た兵士達は一線を画すもの。


「あら、よく知ってるわね。そういうあんたは誰かしら。迷子なら他を当たってくれる? お姉さんは今ちょっと忙しいの」


それを知っていながらもレイナは両手を腰に当てながらまるで少女などどうでもいいとばかりにあしらう。明らか挑発行為。戦闘を行う際のレイナの常套手段。あえて自分が優位だといわんばかりの態度を見せることで相手を挑発し、自らを高める意味を持つもの。


「アタシ、迷子じゃない。六つの盾シックスガードの一人、レオパール。それがアタシの名前」


そんなレイナの挑発が気に障ったのかどこかムッとした表情を見せながら六つの盾シックスガードの一人であるレオパールは改めてレイナと対面する。奇しくも互いの集団の紅一点。戦場という男が主となっている世界においてもなおその力によって地位を得た二人の女が互いに睨みあう。そこには単純な戦闘だけではない違う闘争の空気があった。


六つの盾シックスガード? あんたみたいなガキが? 冗談はいいからさっさとおウチに帰りなさい。パパとママが待ってるわよ」
「ム。アタシ、子供じゃない。それにそれはこっちのセリフ。早く家に帰ったら? オバサン」


瞬間、空気が凍った。まるで時間が止まってしまったかのようにレイナとレオパール。二人の女は睨みあう。その視線の間には凄まじい火花が散っている。女同士でしか起こり得ない攻防が今両者の間に巻き起こっている。もしこの場にルシアがいればそれだけで胃に穴があいてしまいかねない空気。


「そう……どうやらお仕置きが必要みたいね」
「そんなものいらない。だって勝つのはアタシだから」


言葉の応酬と共に互いに間合いを計りながらも空気が張り詰めて行く。レイナはレオパールの間合いと思われる範囲から少し離れた位置で動きを止める。口での応酬からは考えられない程無駄のない優雅な動き。戦士としての顔。鉤爪という装備から恐らく目の前の少女、レオパールは接近戦を得意としているはず。ならばその間合いの外から、遠距離によって近づかせることなく封殺する。レイナはその腕にある銀の蛇に手をやりながらも不敵な笑みを浮かべる。そこにはいつも以上の凄味がある。ある意味当然のもの。


『オバサン』


およそこれまでの人生の中で呼ばれたことのない侮蔑。レイナにとっては許すことのできない言葉。六祈将軍オラシオンセイスとしての誇りに匹敵、それを凌駕しかねない怒りがそこにはあった。


「そう……ならさっさと死になさい」


レイナがその手を向けながら自らの力を解放せんとする。『銀術師シルバークレイマー』それがもう一つのレイナの称号。その名の通り銀を自由自在に操り相手を葬り去る力。BGの兵士達がいかなる手段を以てしても破ることができなかった攻防一体の力。その蛇の銀がまさに襲いかからんとした瞬間


「遅い」


レイナの視界からレオパールの姿が消え去った。


「――――っ!?」


同時にレイナはその場から飛び跳ねる。そこにはそれまでの余裕も優雅さの欠片もない。咄嗟の、本能にも近い行動。そしてその刹那、閃光のような爪による斬撃がレイナの頬を掠める。その光景にレイナの背中に初めて冷や汗が流れ、顔から余裕が消える。当たり前だ。もしあと一瞬でも反応が遅ければ間違いなく爪によって引き裂かれていたのだから。レイナは何とか体勢を立て直さんとするも


「させない」


それを許さないとばかりに突風のような追撃が、連撃がレイナに追いすがってくる。レイナは舌打ちしながらも何とかバックステップを踏みながら紙一重で爪を避け続けるもその速度について行くことができない。そしてついにレオパールに死角である背後を取られてしまう。


「おしまい」


ぽつりと、つまらなげに宣告しながらレオパールはその露わになっているレイナの背中に向かって爪を突きたてんとする。だがそれは


「残念♪」
「っ!?」


突如レイナの腕から動きだした銀色の蛇によって間一髪のところで防がれてしまう。そんな予想外の展開にレオパールは一瞬、呆気にとられるもののすぐさま凄まじい速度を纏いながら攻撃を再開する。そんなレオパールから距離を取ろうとしながらもレイナもまた自らの銀術によって応戦する。まさに目にも止まらない高速戦。まるで獲物を見つけた猫のように執拗に追い縋って行くレオパールとそれを紙一重のところで捌いて行くレイナ。両者の間に無数の火花が散り、その余波によって床と壁には無数の切傷が生まれて行く。もしそれに巻き込まれれば一瞬で粉微塵にされてしまうほどの応酬。傍目から見れば互角にも見える攻防。だがそれは決して互角ではなかった。


(ちっ……まずいわね……!)


内心舌打ちしながらもレイナはただ己の最速の銀術によってレオパールの爪を防ぎ続けるしかない。とても攻勢に出る隙が見当たらない。もし今攻勢に出ようとするればその瞬間、均衡が崩れ爪によって引き裂かれてしまう。それほどまでにレオパールの速さは常軌を逸している。間違いなくレイナが戦ってきた中で最速の相手。恐らくはスピードに属するDBを持っているとしか考えられない力。久しぶりの実戦ということを差し引いても苦戦せざるを得ない相手。知らず侮っていたことを言い訳できない実力を目の前のレオパールは持っている。ここまでの接近戦になれば自分の切り札でもあるホワイトキスも力を発揮できない。否その発動の隙すらあり得ない。このままではジリ貧。ならばどこかで活路を見出すしかない。そんなレイナの狙いを待っていたかのようにチャンスが訪れる。


「くっ……!」
「ン」


レオパールの爪とレイナの銀の攻撃のタイミングが合わさり今までにないほど両者の間に距離が生まれる。それによって互いに壁に向かって弾き飛ばされるもレイナにとってはそれは千載一遇のチャンス。いかにレオパールといえどもこの距離、そして体勢からでは立て直す時間が必要となる。同時にそれはレイナにとっては勝機。レイナはすかさず自らの銀ではなくDBに力を込める。それによってこの状況を打破するために。だが


「隙あり」
「なっ!?」


そんなレイナの狙いを嘲笑うかのようにレオパールがそのまま一気に距離を縮めながら一瞬でレイナへと襲いかかる。あり得ないような動きを見せながら。それはまるで空中を移動するかのような動き。体勢をあろうことか空中で立て直しながら襲いかかってくるレオパールにレイナは対応が遅れる。それは秒にも満たない遅れ。だがそれはこの戦いにおいては致命的な、取り返しのつかない隙だった。


「ぐっ……!」


爪の一閃がレイナの足、ふとももを切り裂いて行く。何とか咄嗟に身体を捻ったことで急所は外すことはできたものの痛みによってレイナの顔が歪む。だがそれを悟られまいとするかのようにレイナは瞬時に銀を操りレオパールに向かって放つもその全てを難なく躱し、クルクルと回転しながらまるで猫のようにレオパールは地面へと着地する。それに合わせるようにレイナもまたその場で動きを止め改めて対面する。奇しくもその間合いは最初の位置と同じ。だが確実に違うこと。それはレオパールは無傷でありながらもレイナは傷を追ってしまっている。小さな、それでも確実な差だった。


「やるね。アタシのスピードに付いてこれるなんてルナール様だけかと思ってた」
「あらそう。でもどうして途中でやめたのかしら。あのまま行けば私を倒せてたかもしれないのに」


自らの足の負傷を相手に見られまいとしながらレイナは変わらず不敵な笑みを浮かべながら挑発する。自らの劣勢を悟られまいとするために。だがそれは決して虚勢ではなかった。レオパールを罠にはめるためのもの。だが


「ううん。あのまま続けたら危なかったのはアタシの方。何だかよくないカンジがした」


レオパールはレイナの挑発を受けながらもどこか冷静さを取り戻している。その姿にレイナは舌打ちするしかない。確かに足に受けたダメージは少なくない。この足ではもう先程までの高速戦は無理だろう。だからこそあの場でレイナは勝負をつけたかった。レイナは視線を向けることなく自分の背後に生み出しておいた埃の塊の存在を感じ取る。それこそがレイナの持つ六星DBホワイトキスの力。空気中の塵や埃を集める力、無から有を生み出す空気のDB。それを使ったことで隙が生まれ足に手傷を負ってしまったもののそのまま追撃してきたところを用意できた銀弾によってレオパールを全方位から襲う。それがレイナの策。だがそれは失敗に終わってしまう。レオパールのまさに第六感とでも言うべき勘によって。


「そう。まるで本当に猫みたいね。豹じゃなくて猫の恰好にした方が良いんじゃない、子猫ちゃん?」
「余計なお世話。あんたこそ蛇みたいな気持ち悪い攻撃してるくせに。蛇女」


最初と変わらない対抗意識を見せながらもレイナとレオパールは決して油断することなく互いの間合いを取りあう。だが依然間合いにおいてはレオパールの方が有利。レイナが銀で攻撃を仕掛けるよりも早くレオパールの爪の方が早く届く距離。猫と蛇は互いの喉元に食らいつく瞬間を見計らうかのように睨みあう。じりじりと円を描くような動きを見せながら。そして互いの位置が最初と正反対になるまで動いたその瞬間、再び戦いが始まった。


最初に動いたのはレイナだった。レイナは自らの腕にある銀の蛇を操りレオパールを攻撃せんとする。だがそれはあまりにも愚かな行為。


「バカか。お前」


それを罵るようにレオパールが銀の蛇よりも早く風のような速さでレイナへと疾走する。それはまさに先程の焼き回し。覆すことができない初動の差。しかも今のレイナは負傷しており先程のように動くことはできない。もうレオパールの攻撃を捌き切ることは不可能。レオパールがそのまま己の勝利を確信しながらその爪を振るわんとした瞬間


「バカはどっちかしら?」


レイナの口元から笑みがこぼれる。その表情にレオパールは目を見開くものの既に動きを止めることはできない。だがその感覚をレオパールは感じ取る。それは自らの背後。先程まで何もなかったはずの場所、自分が立っていた場所から無数の銀の槍が襲いかかってくる。それこそがレイナの狙い。間合いの取り合いを装ってホワイトキスによって生み出した攻撃の起点へとおびき出すこと。レイナの攻撃が腕にある銀の蛇だけだと思い込んでいたレオパールはその奇襲に対応することができない。もし対応することができたとしても目の前にいるレイナからの挟撃に晒されるだけ。故にここに決着がついた。そうレイナが確信した瞬間、それは起こった。


「ナルホド。でも残念。アタシには何も効かない」


レオパールの言葉。それが告げられるとともにあり得ないようなことが起こる。それは銀。レイナによって放たれたホワイトキスの銀がまるで吸い寄せられるようにレオパールの周囲に集まって行く。全ての銀の槍は間違いなくレオパールを貫く軌道で放たれたにもかかわらず。その光景にレイナは驚愕するしかない。自らの攻撃が全て通じなかったのだから。


「あんた……一体何をしたの……?」
「簡単。これがアタシのDB『ドレスアップ』の力。どんな物でも纏うことができるの」


まるで新しい服を見せびらかす子供のようにどこか楽しげにレオパールは自らの能力を明かす。『ドレスアップ』その名の通りあらゆるものを自らの服のように纏うことができる能力。だがそれはただ纏うだけではない。纏った物の特性すらも己の物にできる攻防一体のDB。使い方によっては恐ろしい汎用性を持つ強力な力だった。


「纏う……? じゃあさっきまでの速さもその力ってわけ?」
「そう。スピードが欲しいときには風を纏うの。今はこの銀を纏ってる。アタシにはどんな攻撃も効かない」

自慢げに話しているレオパールの姿とは対照的にレイナはどこかそれまでとは違う雰囲気を纏う。だがそれは一瞬で消え去ってしまう。レオパールは自らの優勢を確信することでその変化に気づけない。


「へえ……でもあんたに銀を操ることなんてできるかしら。お人形遊びとは違うのよ」
「ム。そーゆーこと言う人、嫌い。なら見せてあげる。ドレスアップの力を」


レイナの言葉に反抗するかのようにレオパールは自らが纏っている銀に力を加えて行く。そして銀の槍が勢いを増しながらレオパールの周りを回転し始める。まるで助走を付けるかのように。


「さっきのお返し。自分の攻撃で死ぬといい」


レオパールはそのまま自らが纏っていた銀の槍を凄まじい速度でレイナに向かって撃ち返していく。レイナは何とかそれを躱すものの驚きを隠せないかのように動きにキレがみられない。だがそれは無理のないこと。自らの攻撃が通じずしかもそれを奪われてしまっているのだから。そんなレイナの姿を嘲笑うかのようにレオパールはさらに纏っている銀によってレイナを仕留めんと迫っていく。


「これで分かった? アタシは何でも自由自在に操れる。風でも、銀でも、魔法でも。誰もアタシを傷つけることはできない」


逃げまどいながらも再びホワイトキスを使いレイナが何度も反撃をしてくるもその全てを纏い、撃ち返しながら悠然とレオパールはレイナを壁際へと追い詰めて行く。まるで鼠を追い詰める猫のように。そしてついに終わりの時が訪れる。レイナの背中には壁があり逃げ場は無い。何よりも負傷によってレオパールから逃げることなどできはしない。その証拠にレイナは悔しそうに唇をかむものの身動き一つしようとしない。まるでもうあきらめてしまったかのように。


「これでおしまい。じゃあバイバイ。アタシまだたくさんお仕事残ってるの。一杯働いてジラフに褒めてもらわないといけないから」


もう飽きたといわんばかりにレオパールは止めとして纏っている銀の槍たちを無慈悲に、容赦なくレイナに向かって一斉に放つ。逃げ場もない最後の攻撃。自らの武器によって殺されるという間抜けな最後。その槍の穂先がレイナの身体を貫かんとした瞬間


「そう……心配しなくてもいいわよ。あんたはここで死ぬんだから」


ぞっとするような笑みを見せながらレイナは宣告する。まるで予言者のように。その言葉の意味を知るよりも早くレオパールはその光景に驚愕するしかない。


それは自分が放った銀の槍の雨。その全ての動きが止まってしまっている。あり得ないような事態。


「え!? ど、どうして!? アタシ、何もしてないのに!?」
「あら、どうしたの? 何でも操れるんじゃなかったのかしら?」


自分の制御を受け付けなくなってしまった銀に狼狽しながらもレオパールは何とか落ち着きを取り戻そうとするもそれをさせまいとレイナはホワイトキスによって全方位から無数の銀の雨を降らせる。レオパールは戦慄しながらも何とかそれを纏うことで攻撃を防がんとする。だが


「――――っ!?」


その全てを纏うことができず銀の雨によって身体が切り刻まれ始める。纏うことはできるものの無数に増え続ける銀の全てを制御することができず、またその制御が奪われてしまったかの如く銀のドレスが破られていく。それを何とかしようとするも撃ち返す銀すらもレオパールの意志を受け付けないかのように再び襲いかかってくる。あり得ないような、信じられないような光景。


「自由自在……確かあんたそう言ったわよね……」


銀の女王は笑みを見せながらレオパールへと話しかける。既に体中が銀の攻撃によって切り刻まれつつあるレオパールはまともにレイナの表情を見ることはできない。だがその声だけで十分だった。


「悪いけど私の銀も自由自在に動くの」


妖艶に笑いながら銀術師は告げる。自由自在。それは銀術を扱う者にとっては基本であり奥義。自分の手足のように銀を扱う者。それが『銀術師シルバークレイマー


「ちょ……ちょっと待って……!」


レオパールは戦慄し、身体を震わせながら懇願する。同時に何とかこの場を脱出できないかと策を巡らすも叶わない。風を纏えばその速度で脱出することは可能。だが今この瞬間銀を纏うことをやめればその瞬間自分は八つ裂きにされてしまう。しかも相手は自分と目の鼻の先。この距離ではその隙すら生み出せない。


「小さい頃から仕込まれた銀術でね。あんたのおままごととはレベルが違うの」


瞬間、レオパールは悟る。この状況こそ目の前の女、レイナが生み出したものなのだと。自分を煽りわざと銀を纏わせたこと。それにより自分の速度を奪い、逃げ場すら奪い去ったのだと。


窮鼠猫をかむどころではない。もっと早くにレオパールは気づくべきだった。目の前の女が何であるかを。まさしく蛇。猫を、豹すらも丸のみにするほどの大蛇。それが六祈将軍オラシオンセイスレイナの正体であったことを。


ついに纏うことすらできなくなったレオパールに最後の使者が現れる。


『白銀の帝』


変幻自在の銀の戦士。ホワイトキスとレイナの銀術が合わさることで可能な奥義。


小娘ガキが……」


その一閃がレオパールを容赦なく斬り裂く。銀術を侮辱した、そして自らを侮った相手への粛清。それでもなおその命を奪っていないのがレイナがレイナ足る所以。その証拠に倒れ伏している兵隊たちもまた誰一人命を落としていない。

キングが最高司令官の時にはあり得なかった選択。だが今はそれを選択することがレイナにはできる。


「まったく……せっかくの新しいドレスが台無しじゃない。ちゃんとルシアに弁償してもらわないとね♪」


自らの負傷よりもドレスの心配をしながらレイナは気を取り直しながら進み始める。いつもと変わらない優雅さと小悪魔ぶりをみせながら。六祈将軍オラシオンセイスとしての使命を果たすために。


何よりもその先にある目的を果たすために。約束したルシアからの協力によって失われた父の遺産であり芸術品である『シルバーレイ』を見つけ出すために。もしそれが叶わなくとも星の記憶に辿り着き自らの悲劇をなかったことにするために。


失われたものを取り戻すためにレイナは進み続ける。遠くない未来にその機会が訪れることをまだ知らぬまま――――



[33455] 第四十七話 「騎士」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/24 19:27
激戦地となっている空中要塞アルバトロス。その一画で凄まじい風が吹き荒れていた。とても屋内とは思えない惨状。まるでそこだけ台風が発生しているのではないかと思えるような暴風域。その中心、台風の目とも言える場所に一人の大男がいた。


「フォ―――――!!」


兎の被り物をした男、六つの盾シックスガードの一人であるリエーヴルはその顔を苦悶に歪めながらも己の全力によって口から息を吐き続ける。その息こそがここ一帯を暴風に巻き込んでいる原因。

『ハードブレス』

息のDBであり扱う者の息の力を強化する能力を持つ物。それによって今、リエーヴルから放たれる息は台風に匹敵するかのような激しさを生み出している。周りにいた味方である兵士達も既に息によって吹き飛ばされてしまっている。何者であれその場に立ってすらいられない程の状況。だがその中にあってもなおリエーヴル以外にもう一人、その場に立っている男がいた。

それは長い帽子とコートを纏った男。どこか静けさを、冷たさを感じさせる表情と瞳を持つ存在、ディープスノー。

彼を倒すため今、リエーヴルは己が持つ全力の攻撃によって攻撃を仕掛けているところ。その証拠にリエーヴルの表情は苦悶に満ち、額には大粒の汗が浮かんでいる。限界以上の力を生み出している代償。しかしリエーヴルがそんな表情を見せているのは力を行使しているからだけではない。その一番の理由。それは


「……なるほど。全力でもこの程度ですか」


自分が今、目の前の男によって窮地に追い込まれているからに他ならない。ディープスノーはぽつりと呟いた後、まるで何でもないかのようにリエーヴルに向かって歩き始める。一歩一歩確実に。さながら散歩でもしているかのように。だがそれはあり得ない。何故ならディープスノーはリエーヴルの息吹に晒されている。その中を歩くことなど考えられない。だがさも当然だといわんばかりにディープスノーは暴風の中を進んでいく。まるでディープスノーの周りだけが台風の目になってしまっているかのように。そんな信じられない光景に戦慄するもリエーヴルはあきらめることなく息を吐き続ける。こんなところで負けるわけにはいかないと、六つの盾シックスガードの意地を見せるかのように。だが


「風よ」


それは一瞬で粉々に砕け散る。ディープスノーが言葉と共に指を指揮者のように振った瞬間、辺りを襲っていた暴風がまるで生き物のように動きだしその矛先をリエーヴルに向ける。さながら指揮に従う兵士のように。その全ての風がディープスノーの意志によって操られそれを生み出したはずのリエーヴルに向かって跳ね返っていく。信じられないような事態の連続にリエーヴルは悲鳴を上げる暇もなくただされるがままに風によって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられてしまう。


「うごおおおっ!?」


壁にめり込むように叩きつけられた痛みによってようやく声を上げるものの既にリエーヴルに戦う力は残ってはいない。体中はまるで刃物によって切り裂かれたように傷だらけ。そして吹き飛ばされた衝撃によるダメージ。もはや誰の目にも勝敗は明らか。


「もう分かったでしょう。あなたでは私には勝てない。あきらめなさい」


それがディープスノーとその六星DB『ゼロ・ストリーム』の力。流れるもの、流動の力を操る能力。その一部である風を操ることなどディープスノーにとっては造作もないこと。その証拠にリエーヴルはこれまで何度も攻撃を仕掛けたもののかすり傷一つ負わせることすらできていない。まさに天敵とも言える能力。その圧倒的な力の差の前にリエーヴルは恐怖し震えるしかない。


「わ……分かった! こ、降参だ! オラの負けだ! オラはただ、ボインちゃんと戦いたかっただけなんだ! でももうあきらめる! だ、だからどうか命だけは……!」


リエーヴルは必死の表情を見せ、土下座をしながら命乞いをする。その格好と相まって無様極まりない姿。だがそんなことなどどうでもいいとばかりにリエーヴルは懇願する。どうか命だけは助けてくれと。その隠れた顔で虎視眈々と反撃のチャンスを、もしくは逃亡の隙を伺いながら。どんな手を使っても欲しいものを手に入れる。それがBGの教えでありリエーヴルの行動理念。だが


「いいでしょう……ただし条件があります」


そんなリエーヴルの思惑などお見通しだといわんばかりのタイミングでディープスノーがその力を振るう。瞬間、信じられないような事態が起こる。


「な、何だこれは!? オ、オラの腕が!? いでででで!? や、やめてくれえええ!?」


リエーヴルは絶叫しもだえるもののどうすることもできない。そこには自らの腕がまるで見えない力によって捩じられてしまうかのようにあり得ないような方向に曲がり始める光景があった。その激痛に必死に耐えながらそれを何とかしようとするもまるで腕が別の力によって操られてしまっているかのように自由が利かない。そのままでは腕が捩じり切られてしまう、万力のような力がリエーヴルを捕えている。それもまたゼロ・ストリームの力。流れるもの、それは風だけでなく人間の血液さえも含まれる。まさに反則にも近い能力。


「なら答えなさい。他の六つの盾シックスガードの能力とハードナーのシンクレアの力を。そうすれば命だけは助けてあげましょう」


冷酷な表情をみせながらディープスノーは迫る。仲間を売るかそれともこのまま死ぬか。どちからを選べと。その重圧にリエーヴルは戦慄するしかない。腕の痛みすら忘れてしまうほどの凄味がそこにはある。間違いなく目の前の男、ディープスノーに逆らえば自分の命はない。そう確信する程の恐怖。それを前にして抗うことなどできない。


「わ、分かった……答えるからこの腕を何とかしてくれ……!」


リエーヴルが嗚咽を漏らしながらも降伏し、拘束を解いてくれと叫ぶ。そこにはもう反撃する気力も隙を狙う意図もない。完全にリエーヴルは心を折られてしまっていた。それを感じ取ったディープスノーはDBの力を解除する。無論いつでも再開できるように準備したまま。油断も隙もない戦士の姿。そしてリエーヴルがその口から他のメンバーの能力が告げられんとした時


「ったく……騒がしいから覗いてみればどうなってんだ、こりゃ?」


そんな聞いたことのない男の声をディープスノーは聞きとり、瞬時に警戒態勢を取る。その声の主はリエーヴルのすぐ傍に現れた。リーゼントの髪型をしたどこかキザな雰囲気を纏った男。だが男が只者ではないことをディープスノーは感じ取っていた。自分に気づかれることなくこの場に現れたこと、何よりも男が発している、纏っている空気。リエーヴルとは比べ物にならない程の強者の風格がある。

ジラフ、六つの盾シックスガードでナンバー2の実力を持つ男の力だった。


「ジ、ジラフ……す、すまねえ助かったぜ! 油断しちまって……」


リエーヴルは考えもしなかった援軍、救援が現れたことによって調子を取り戻しながら歓喜する。そうなってしまうほどにリエーヴルはジラフの力を認めている。ジラフがいれば目の前のディープスノーも恐るるに足らないと。故にリエーヴルは気付けなかった。


「ああ、気にすんな……どっちみちお前はここで用済みだからな」


ジラフが援軍ではなく、ディープスノー以上の自分にとっての死神であったことに。


「ジ、ジラフ……!? ど、どういうことだ!? オラは仲間だぞ、それなのに……!?」


リエーヴルは断末魔のような声を上げながら必死にジラフに声を迫る。だがそんな声が聞こえていないかのようにジラフはその手でリエーヴルに触れたまま。その地点からまるで先程のディープスノーの力の続きのようにリエーヴルの体が捩じれていく。


「裏切り者が何言ってやがる……それに使えねェ奴ァ仲間とは言わねェんだ」


笑みを見せながらもジラフは無慈悲にリエーヴルに死の宣告を告げる。BGを裏切ろうとしたことへと、そして六つの盾シックスガードとして醜態を晒したことへの粛清。その力は先のディープスノーの比ではない。血液どころか筋肉、骨まで巻き込みながらリエーヴルの身体がまるで人形のように捩じられ原形をとどめなくなっていく。その痛みによってリエーヴルは声を上げることもできなくなり絶命する。それが六つの盾シックスガードの一人、リエーヴルの最期だった。


「おっと悪いなァ兄さん。みっともないところ見せちまった。代わりにオレが相手をしてやるよ」
「そうですか……ですがよかったのですか。仲間を殺してしまって。せっかく二対一だったというのに……」
「お? 心配してくれんのか、優しいねェ。だけど安心しな。リエーヴルは六つの盾シックスガードの中でも最弱だ。あんな奴いても何の役にも立たねェよ」


ジラフはケラケラと笑い両手をズボンのポケットに突っこんだままディープスノーと対面する。明らかになめきっているといわんばかりの態度。だがそれが許される程の実力をジラフは持っている。先程見せたジラフの力。恐らくは自分に近い能力のDBを持っている可能性が高い。それを前にしながらもディープスノーには恐れは無い。あるのはただルシアによって命じられた指令を全うすることだけ。六つの盾シックスガードの殲滅。それだけが今のディープスノーの行動理念。


「なら遠慮は無用ですね。すぐに勝負を決めて差し上げます」


ディープスノーは宣言と共に流動の力を振るう。油断なく全力を以て。力の出し惜しみなどする必要はない。最短で相手を葬ること。それがディープスノーの戦闘スタイル。戦いは楽しむものではなく相手を殺すための物であり、手段。それを示すようにその力がジラフを侵食し、その腕が捩じれ始める。だがそれだけではない。身体のいたるところの血液の流れがディープスノーによって支配されていく。逃れることができない呪縛。そしてそれに囚われた者は死を迎える恐ろしい攻撃。生物である以上逃れることはできない真理。だが


「なるほどねェ……でも残念だったな。どうやらオレ達は相性が悪いみてェだ……いや、オレにとっては相性がいいのかな?」
「――――!?」


それは目の前の男、ジラフには通用しなかった。ディープスノーはアルバトロスに侵入してから初めて表情を変化させる。それは驚愕。先程まで自分のDBの力の支配下にあったジラフの血液の流れを操れなくなってしまったことによるもの。だがそれは正しくない。正しくはジラフの中の血液の流れが違う力によって上書きされてしまったということ。そんなあり得ない事態を前にしながらもディープスノーはすぐさま冷静さを取り戻しながら思考する。一体何が起こったのか。だが


「教えてやろうか。オレのDB『ツイスター』の力だ。どんな物でも捩じっちまう能力でな。さっきのはその応用ってわけ」


そんなディープスノーの思考を先読みするようにあろうことかジラフは自らの能力の種明かしをする。しかもその表情、雰囲気からそれが偽りでないことが伝わってくる。


「なるほど……それで自分の血液の流れも正常にしたということですか。ですがいいのですか。それを私に教えてしまって」
「気にすることねェさ。どっちにしろすぐあんたにはバレただろうしな。あんたの力もオレに似たもん……力の流れを操るってところかな。どうだい? 当たらずとも遠からずってとこだろ?」
「…………」


まるで手品の種を明かすマジシャンのように楽しげにジラフは己の能力を明かし、同時にディープスノーの能力を看破する。それは先の攻防とリエーヴルとの戦闘の一部始終によるジラフの読み。その観察眼もだが何よりも自分と近い能力を持っているが故のもの。


「それにバレたってどうってことねェさ。もうあんたも分かっただろう? あんたのDBよりもオレのDBの方が強ェってな」


絶対の自信を見せながらもジラフは自らの手を床に向かって伸ばす。瞬間、戦いが始まった。


「っ!?」


ディープスノーはその光景に目を奪われるしかない。ジラフの周囲にある鉄によってできた床。それがジラフの手が触れた瞬間にまるで波打つように歪み、そして捩じれて行く。鉄とは思えないような柔軟性を見せながら。そして次の瞬間、その鉄の捩じれが凶器となりながらディープスノーに襲いかかってくる。

ディープスノーは咄嗟に後方に飛びながら紙一重のところで鉄の波の攻撃から逃れるもそれを許さないとばかりに追い縋ってくる。その速度は尋常ではない。しかも速度だけではない。その範囲も広がり続けている。初めはジラフの周囲数メートル程であったそれが今は既に部屋の半分近くを支配しつつある。それに飲み込まれればただでは済まない。


「面白ェだろ? これが捩じれのDB『ツイスター』の力。オレにとっては物質全てが武器だ」


逃げ続けているディープスノーを嘲笑うかのようにジラフはさらに力を増しながら攻撃を仕掛けてくる。床だけではなく壁までも自分の武器としながら。言葉通りこの部屋にある全ての物質が武器だと証明するかのように。


(なるほど……確かに私のゼロ・ストリームに近い能力。ならば……)


圧倒的に追い込まれているように見えながらもディープスノーは冷静そのもの。その証拠にその全ての攻撃を紙一重のところで躱し続けている。そしてディープスノーは何も狙いがないまま逃げ回っているわけではない。それは相手の力、ツイスターの力の流れを感じ取るため。これまで様々な力の流れを感じ取り操ってきたディープスノーであってもDBの力の流れを読み取ることは初めてのこと。その時間を稼ぐことが狙い。そしてディープスノーは感じ取る。その確かな力の流れを。同時にその力を操りジラフへと向けんとする。だが


「悪いけどそれはさせねェぜ。言っただろ、オレの方が強いってよ」
「―――っ!?」


ジラフの言葉と共に破られてしまう。だがそれはディープスノーがミスをしたわけではない。その証拠に一瞬ではあるが捩じれによって操られている地面が動きを鈍らせた。だがそれだけ。すぐにそのコントロールを取り戻しながら捩じれが再びディープスノーへと襲いかかってくる。それによって追いこまれながらもディープスノーは感じ取っていた。何故自分の力が通用しなかったのか。


「もう分かってんだろ。さっきの血液と同じさ。単純にオレのツイスターの力の方が上ってことだ」


ジラフは勝ち誇りながらも宣言する。それは単純な力の差。ゼロ・ストリームはその名の通り流れるものを操る力を持つDB。だがその制御は困難を極める。当たり前だ。本来見えない、操ることができない力の流れを操るのだから。その証拠にゼロ・ストリームを使うためには何事にも動じない程の集中力が必要となる。いわば精密機械を扱うようなもの。だがそれとは対照的な力を持つのがツイスター。捩じれという力を増幅させ、破壊するための荒々しい力。しかも捩じれは一つだけでなくいくつもジラフから生まれそれが合わさって行くことで相乗的に力が増していく。その力を完全に掌握することはいかにディープスノーでも不可能。直接手から力を伝えるジラフと間接的に力を操るディープスノーでは操れる力にどうしても差が生まれてしまう。だがそれでもディープスノーは焦りを見せることは無い。


「なるほど……大したDBです。ですがそれだけで勝った気になるのは早計ですよ」


ディープスノーは捩じれの攻撃を避けながらも自らの人差し指を振るう。瞬間、部屋の中の空気、風が凄まじい力を見せながら集束しジラフに向かって放たれる。それがゼロ・ストリームの力。相手の力を操ることはその一部に過ぎない。それが通じなかったとしてもジラフが操れない風であれば何の問題もない。それを証明するかのように風がまるでカマイタチのような鋭さでジラフを両断せんと迫る。しかし


「甘いぜ」


それは鉄の壁によって阻まれてしまう。ジラフの力の流れが変わり、それまで攻撃に終始していた捩じれの波がまるでジラフを守るかのように壁を、盾を作り出し風の攻撃を防いでしまう。まさに攻防一体の能力。その応用力の高さ、何よりも習熟度にディープスノーは自分の見通しが甘かったことを悟る。目の前の相手ジラフがまさに六祈将軍オラシオンセイスに匹敵、凌駕する存在であることに。だがそれはあまりにも遅すぎた。


「っ!?」


それは一瞬。ディープスノーが再び風を操り追撃を仕掛けんとした瞬間。目の前からジラフの姿が消えてしまう。捩じれの盾が生まれたのとほぼ同時。だがそれは決してディープスノーが油断していたわけではない。それはジラフの力。とても人間とは思えないような速さ、身体能力を見せながらジラフは一気にディープスノーとの距離を詰める。その速度はレオパールに匹敵、凌駕しかねない程の物。


「じゃあな、色男」


別れの挨拶を告げながらジラフの凄まじい拳がディープスノーに向かって放たれる。それはただの拳。それを受けたとしても一撃で勝負が決するようなものではない。そうディープスノーは判断しかけるもすぐさま回避へと行動を変更する。それはまさに直感。力の流れを感じ取れるディープスノーだからこそ持てた感覚。それでもその凄まじい速度によって完全に躱しきることができずわずかに拳が右腕を掠めて行く。


「くっ……!」


初めて苦悶の声を漏らしながらディープスノーはすぐさま風によって反撃を加えんとするもそれを凄まじい動きと速度で回避しながらジラフはディープスノーから距離を取る。まるで身体にバネを仕込んでいるのではと思えるような壁と床を使った自由自在の動き。奇しくも最初の戦闘が始まった位置で両者は向かい合う。だが両者には明らかな差があった。



「咄嗟に躱すとはな。でも残念だったな。掠っただけとはいえオレに触れちまった時点であんたの負けだ」
「…………」
「強がっても無駄だぜ。その右腕、折れちまっただろうに」


不敵な笑みを見せるジラフとは対照的にディープスノーは無表情のまま。だが確かにその頬には一筋の汗が流れている。ディープスノーは目を動かすのみで自らの右腕を確認する。その激痛、そして何よりも力を入れても動くことがない腕。間違いなく自分の右腕が使い物にならなくなってしまっている。先のジラフの拳。それに掠ってしまったせいで。だがそれはまだ軽傷で済んだのだとディープスノーは気づいていた。ジラフの言葉通りジラフに触れてしまうだけで自分の腕は折れて、捩じれてしまった。もしまともに食らっていれば右腕は千切れ飛んでしまっていたはず。触れた物全てを捩じり、破壊してしまう。まさに反則に近いDB。しかもその身体能力もDBによるもの。自らの力の流れを捩じり、さながらバネのように力を増幅させる。ツイスターを極めしものの力。


「で、まだ続けるかい。もうその腕じゃあどうしようもないだろ」


もう勝負はついたといわんばかりに挑発してくるジラフを見ながらもディープスノーは己に残された選択肢を探る。


ゼロ・ストリームは使用可能。だがこれ以上負傷を受ければその限りではない。
ゼロ・ストリームによる敵の血液の流れへの介入。不可。既に確認済み。敵能力への介入も同様。
風を操ることによる攻撃。有効ではあるものの敵の能力と強化されている身体能力の前では決定力不足。
敵の身体能力についてはかろうじて反応可能。だが触れれば戦闘不能になるため全てを回避する必要あり。右腕の負傷から回避し続けるのは困難。
逃走についても同様。
残された選択肢。新たな攻撃、防御手段の入手。
アルバトロスで使用可能な攻撃手段。候補としては水。要塞である以上貯水タンクかそれに準ずるものが配置されている。
その場まで戦場を誘導できればまだ風、水の使用によって逆転は可能。


凄まじい速度でディープスノーは現状を打破する策を模索する。相手は攻守ともにほぼ完璧に近い実力者。リエーヴルとはまさに桁が違う強さを持つ男。その特性から接近戦は不可能。ならば遠距離戦、風だけでなく水を加えた戦闘ならまだ勝機がある。後は――――


「あんたが考えてること当ててやろうか? 離れて戦えばいいって思ってんだろ。でも甘ェよ」


まるでディープスノーの思考を呼んだかのようにジラフが告げる。何を企んでも自分には通用しないと。何よりも自分の力をまだ見誤っていると。


「こ、これは……!?」


ディープスノーの表情が戦慄に染まる。それは全くの視角外。自らの足元。そこからまるで生き物のように床が捩じれディープスノーの足首に絡みついている。瞬間、そこから凄まじい力が生まれディープスノーの足は捩じられ骨を折られてしまう。何とか咄嗟に力づくで脱出するも既に負傷は取り返しがつかないレベルに達してしまっている。自らの失態と共にディープスノーは混乱するしかない。相手は動いていなかった。手を触れていなければ力は使えないはず。それなのに何故。

そんなディープスノーの疑問を嘲笑うかのように一瞬でジラフがディープスノーの目の前に現れる。足を負傷し、虚を突かれたディープスノーにそれを躱す術は無い。


「さっきも言ったはずだぜ。オレに触れたもの全てだってな。ほら、ずっと足は地面についてただろ?」


それがジラフの切り札。自分の能力が手からのみだと思わせること。手が触れていなければ能力は使えないと思った相手を足がついている地面から遠距離で襲うことこそがジラフの真の狙い。ジラフと戦う者が必ず陥る狡猾な、そして不可避の罠。

ネタばらしをしながらもその蹴りがディープスノーの胸へと突き刺さる。同時にその凄まじい力によって回転させられながらディープスノーは壁に向かって吹き飛ばされる。後には凄まじい破壊と粉塵が残されただけ。一撃必殺。そんな言葉が相応しい攻撃だった。


「弱っ、やっぱ六祈将軍オラシオンセイスって言っても大した事ねえな。ルナール様もルカンも心配しすぎだったんじゃねえの」


リーゼントをいじりながらもジラフはどこか拍子抜けしたかのように息を吐くしかない。六祈将軍オラシオンセイスという自分たちと同等の力を持つという存在との戦い。それに心躍っていたものの結果はこのザマ。自分に傷一つ負わすことなく呆気なく死んでしまうという体たらく。


「これならDCにビビる必要なんてなかったんじゃねェか。ま、レイヴマスターとかいうガキに殺されちまう奴の組織なんてたかが知れてるか……」


踵を返しながらジラフはその場を離れて行く。半年前までは自分たちが恐れていたDCだがどうやら考えすぎだったのだと悟りながら。もしかしたら自分たちが強すぎるのかもしれない。自分相手にこれなのだから他の六祈将軍オラシオンセイスであってもルカンやルナールには手も足も出ないはず。


「そうだな……じゃああの金髪のガキを殺りにいくか。リーダーみたいだったし少しは楽しめるだろ」


ジラフは気を取り直しながら歩き始める。狙いは六祈将軍オラシオンセイスと一緒にいた金髪の少年。その動きから恐らくはリーダーである存在。それが相手ならばもう少し楽しめるだろうと笑みを浮かべた瞬間



「残念ですが……あなたがルシア様に会うことはありません」


そんな誰かの声が響き渡った。


「…………え?」


ジラフはどこか心非ずと言った風に振り返る。自分が今どんな声を上げたのかすら分からない。だがそんなことすらどうでもよかった。ただその光景に目を奪われていた。


そこには人がいた。粉塵によってはっきりと見えなかった場所から悠然と、一歩一歩歩きながら一人の男が現れる。


ディープスノー。先程まで自分が戦っていた相手。そして先の一撃で葬り去ったはずの存在。それが目の前に立っている。まるで幽鬼のように。だがそれはあり得ない。先程の一撃は間違いなく必殺の一撃だった。掠ったようなものではない。完全に、体中の骨、臓器を捩じり殺す程の力。その感触を覚えている。今まで何人もの人間を始末してきた間違いようのない感覚。


「どうしました……かかってこないのですか」


その言葉に知らずジラフは後ずさりをする。その瞳は見開かれ、体中からは汗が噴き出している。今までに感じたことのないような感覚。


「お、お前……どうして……」


だがそれをジラフは知っていた。この感覚を。どうしようもない程の力の差。絶対的強者のみが持つ空気。そう、自らの王たるハードナー。それを前にしたかのような恐怖が生まれている。


足も腕も折れてしまっていたはず。アバラも粉々に砕いた。なのにそれが嘘であったかのようにディープスノーは立っている。だが明らかに先程と違うこと。


それはその胸。先の攻撃によって服が破れてしまったことでそれが露わになっている。そこには黒い石があった。身体に埋め込まれるようにして存在している魔石。DB。その常軌を逸した姿にジラフの顔が恐怖に染まる。ディープスノーはそれを確かに見ながらも


「簡単なことです。私の方があなたより『強い』からです」


先のジラフの言葉をそのまま口にする。瞬間、ジラフの意識は消え去った。



「がっ……はっ……」


擦れた意識の中でジラフはその光景を目にする。まるでクレーターができたかのような壁。そこに押し込まれている自分。そしてそんな自分の首を片手で絞めながら持ち上げているディープスノー。そこでようやくジラフは理解する。自分がディープスノーの拳の一撃によってここまで吹き飛ばされ、そして止めを刺されようとしていることに。全く見ることもできない程の速度と力。それはまるで


「て、てめえ……!」


残った力を振り絞りながらもジラフはその両手でディープスノーの腕を掴む。その力、ツイスターによって腕を捩じり落とすために。だが


「―――――っ!?」


ジラフは声にならない悲鳴を上げるしかない。それは自分の力が全く通用しなかったから。だがそれはディープスノーの持っているゼロ・ストリームの力ではない。もっと単純な、そして恐ろしい理由。単純な身体能力。純粋な身体の力によってディープスノーはDBの力に対抗している。およそ考えられないような、人間ではあり得ないような事態。自分の攻撃によって確実に折れ、粉々になってしまっていた身体の骨も全て治ってしまっている。


それがディープスノーがその身に宿す『五十六式DB』の力。人間の潜在能力を限界まで引き出す禁忌の力。キングの言葉と共に戒めとして封印し続けていた生物兵器としての力。


「バ……バケモノ……」


ジラフは薄れ行く意識の中で告げる。その言葉を。人間ではない存在を示す言葉。今のディープスノーを現すに相応しい言葉。


その瞳が、表情がディープスノーにかつての記憶を蘇らせる。忘れたくても忘れることができない原初の記憶。初めてこの力を使ってしまった日。自分を恐れる父の姿。消え去ることができないトラウマ。だがそれを前にしながらもディープスノーに迷いは無い。


「バケモノでも構いません……あなたはキングを……そしてルシア様を侮辱した。それだけです」


愛する父と忠を誓った主。それを侮辱されたこと。それだけがディープスノーの戦う理由。そして父の、キングの教えを破ってまで力を解放した答え。


ディープスノーはその力によってジラフの命を奪う。だがあるのは命を奪ったこと対する罪悪感ではない。キングの教えを破ってしまったこと、そしてそうしなければ勝つことができなかった自分への情けなさだけ


骸となったジラフをその場に置き去りながらディープスノーは進み続ける。残る六つの盾シックスガードを殲滅するために。そして自らの主であるルシアの騎士たるために―――――


ここに六つの盾シックスガードの内の五つが壊された。だがジェガンも、レイナも、ディープスノーもまだ知らない。それを補って余りある最強の将が残っていることを――――



[33455] 第四十八話 「六つの盾」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2012/12/28 13:55
「ハアッ……ハアッ……」


巨大要塞アルバトロス。その中の一画に一人の青年がいた。黒い髪に整った美青年と言ってもいい容姿。六祈将軍オラシオンセイスの一人、ユリウス。だがその姿は普段からは考えられないようなもの。美しい衣装は既に見る影もなく、ところどころはまるで焼き焦げたかのようになくなってしまっている。その隙間からは痛々しい肌が見え隠れしている。それを証明するかのように表情にはいつものような優雅さはなく全く余裕がみられない。今にも倒れてしまいそうな状態を必死に耐えながらもユリウスは自らの前に立ちふさがっている男へと目を向ける。


「ここまでか……だが流石だな六祈将軍オラシオンセイス。オレ相手にここまで持ちこたえるとはな」


凄まじい威圧感と風格。鍛え抜かれた肉体と巨大な死神のような鎌を持ちながら男は一歩一歩ユリウスに向かって近づいて行く。そこには一部の隙もない。それがルカン。六つの盾シックスガードの一人であり、その全てを束ねる将の姿だった。


「ふふっ……お褒めにあずかり光栄だね。僕も君の美しい強さには驚かされたよ。もっとも容姿の美しさでは僕の足元にも及ばないけどね」
「ほう……まだそんな口が叩けるとはな。だがもうそれも終わりだ。後も控えている。さっさと終わらせてやろう」


ユリウスは不敵な笑みを見せながらルカンへと向かい合う。だがそれが虚栄、やせ我慢であることは誰の目にも明らかだった。それを理解しながらも微塵の油断も慢心もなくルカンはその鎌に力を込めながらユリウスに近づいて行くる。さながら死刑を執行する死神のように。


(さて……意気がってはみたもののどうするかな……ちょっと僕じゃあ荷が重い相手だね……)


浮かべている笑みとは対照的にユリウスの背中には冷や汗が流れ、知らず息を飲む。六祈将軍オラシオンセイスの座についてから今までユリウスがそんな感覚に囚われたのは二人だけ。キングとその息子であるルシア。その二人と相対した時とまでは言わないもののそれに近い重圧が目の前の男、ルカンにはある。。六つの盾シックスガードのリーダーであり最強の存在。六祈将軍オラシオンセイスでいえばハジャにあたる存在。それに相応しい実力をルカンは持っていた。


(流石は六つの盾シックスガードのリーダーといったところかな……でもまさかここまで差があるとは……)


ユリウスは内心溜息を吐きながらも改めて自分とルカンの戦力を分析する。既に戦闘は開始され何度かの攻防を行っているがその結果は歴然たるもの。ユリウスは満身創痍。いつ動けなくなってもおかしくない程のダメージを受けてしまっている。体中に火傷を負ってしまったかのようなダメージ、その痛みによって顔が歪んでしまいそうになるのを必死に耐えるしかない。対するルカンは全くの無傷。それどころか息一つ乱していない。あまりにも対照的な状況。だがそれは決してユリウスが弱いからではない。ユリウスはその手にある自らの持つ六星DBアマ・デトワールに力を込める。氷の力を司るDBでありあらゆるものを凍りつかせてしまうほどの力を持つもの。それを操るユリウスもまた六祈将軍オラシオンセイスに相応しい実力者。だがそのユリウスであっても全く敵わない程の怪物、それがルカン。その力の前にはアマ・デトワールさえも通用しなかった。氷結という自然の力すらもルカンの身体を凍らせることができない。それが届くよりも早くルカンの持つDBの力によって全てが無効化、いや溶かされてしまうという信じられない事態によって。


「あきらめるんだな……お前ではオレに傷一つ負わせることはできん」


『アシッドルール』

あらゆるものを溶かす酸のDB。それがルカンが持っているDBでありその力の正体。ルカンの身体に触れた物を全て溶かしてしまう強力無比なもの。その証拠にユリウスの攻撃は全て無効化されてしまっている。氷の魔法も、氷による物理的な攻撃もその体に触れた瞬間に消え去ってしまう。まさに反則と言ってもいい能力。それを前にしてユリウスは悟るしかない。悔しいが今の自分ではルカンには敵わないと。


「……そうだね。ここは負けを認めよう。でも溶かされるのはお断りさせてもらうよ!」


ユリウスは残された力を振り絞りながらもその手をかざす。瞬間、見えない力がルカンに襲いかかって行く。同時にルカンの体がまるで固まってしまったかのように動きを止めてしまう。だがそれは氷の力ではない。

行動停止フリーズ

使った相手を数秒間行動停止にする力。擬似的な凍結。例え触れることができないルカン相手だとしても通用する手段。


「なるほど……で? 動きを止めて……どうするんだ?」


自らの身体の自由が一時的に奪われているにもかかわらず全く動じることなく逆にルカンはユリウスに問いかける。この状況であったとしても追い詰めているのは自分だと告げるように。それは正しい。いかにルカンの動きを封じたところでユリウスにはルカンを攻撃する手段がない。だが


「決まってるだろう……逃げるのさ、美しくね」


そんなルカンを嘲笑うかのようにユリウスは笑みを見せながら全くためらうことなくその場を離脱していく。あまりにも唐突に、そして鮮やかに。これ以上ない程絵になるような見事な逃走。もしルシアがその場にいれば呆気にとられて口をあけっぱなしにしてしまうような光景。

だがまるでふざけたように見えながらもそれはユリウスの戦士としての冷静な判断。このまま戦闘を続けても勝ち目はない。ここは一時的にでも戦線を離脱するしかない。相手の情報は得られた。後は他の六祈将軍オラシオンセイスと何とか合流し対抗策を見つけ出すしかない。それがユリウスの判断。それは間違いではない。だが間違っていることがあったとするならば


「ふざけた奴だ……オレから逃げられるとでも思っていたのか、六祈将軍オラシオンセイス?」


それが相手がまさしく六祈将軍オラシオンセイスを超える怪物だったということ。


(バ……バカな……!? 一体どうやって……)


ユリウスは信じられない事態に目を見開くことしかできない。当たり前だ。先程までルカンは行動停止に陥っていた。ルカンほどの相手ならば持って数秒だろうが確実の動きは止めた。まだその時間も経過していないにも関わらずルカンは一瞬でユリウスの背後へ現れた。そう、目の前ではなく背後に。そんなことがあり得るのか。既に離脱を開始していたユリウスに追いつき気づかれずにその背後を取るなど。自らを襲う予想外の出来事の連続にユリウスにわずかな隙が生じる。秒にも満たな刹那。だがそれはルカンにとっては十分すぎる勝機。


「終わりだ」


無慈悲な宣告と共にその鎌が振り落とされる。首どころか身体を両断して余りある死の一撃。即死は免れない一閃にユリウスは防御することも回避することも叶わない。まるで走馬灯のように意識が遠のいていく感覚と共にユリウスが自らの死を覚悟した瞬間


「あら、そんなところで死ぬなんて『美しく』ないんじゃない?」


そんなどこかからかうような女性の声と共に銀の鎖たちが凄まじい速度でユリウスへと巻き付いていく。さながら獲物を捕えた蛇のような動きをもって。それが何なのか理解するよりも早くユリウスは文字通り一本釣りをされてしまう。


「――!」
「うわあああああっ!?」


ユリウスはいきなりあり得ないような方向から引っ張られたことで悲鳴を上げながらもされるがまま。突然の事態によって一瞬であるが動きが鈍ったルカンの一撃は紙一重のところでユリウスの首を落とすことは叶わず空を切る。ユリウスはそのまま無造作に勢いそのままでルカンから離れた壁まで吹き飛ばされ激突する。その衝撃と痛みによってユリウスは悶絶することしかできない。だがそんなユリウスの姿をどこか楽しげに見ながら近づいて行く一人の女性がいた。


「まったく……何をやってるかと思えば。あんまり手間をかけさせないでくれる?」


やれやれと言った風な笑みを浮かべながら六祈将軍オラシオンセイスの一人、レイナはユリウスの元にやってきながらその体に巻きついていた銀を解除する。言うまでもそれはユリウスを救うためのもの。あのままでは間違いなく死んでいたユリウスからすれば九死に一生を得た形。だが素直に喜べないような有様だった。


「レ、レイナ……た、助かったよ。でもできればもう少し美しく助けてくれれば嬉しかったんだけど……」
「あらそう? ならこのままもう一度あの男の前まで放り投げてあげましょうか」
「な、何を言っているんだい。せっかく来てくれた君の厚意を僕が受け取らないわけだろう! ああ、持つべきものは美しい仲間だね!」
「まったく……最初からそう言えばいいのよ。バカなのは死にかけても変わらないんだから」


調子を取り戻しながら好き勝手に騒いでいるユリウスに辟易しながらもレイナはそのまま戦闘態勢のままルカンと向かい合う。冗談のやり取りはさておきレイナもルカンの強さは感じ取っていた。直接戦闘を見たわけではないがここまでユリウスが一方的にやられていることからも一目瞭然。いかにバカといえどもユリウスも六祈将軍オラシオンセイスの一人。それをここまで追い詰めるなど只者ではない。


「援軍か……だが無駄だ。六祈将軍オラシオンセイスが一人増えたところでオレには勝てん」


鎌を肩に担ぎながらルカンはまるで先程と変わらない態度を取るだけ。自らの力に絶対に自信を持っている強者の姿。例え六祈将軍オラシオンセイスが一人増えたところで何も変わらないと告げるように。一国に匹敵する六祈将軍オラシオンセイスを二人同時に目の前にしながらも恐れも迷いもない。だがそれは油断でも慢心でもない。それだけの力がルカンにはある。それを感じ取りながらもレイナにはどこか余裕すら見せる笑みを浮かべる。小悪魔のような男なら魅了されてしまう笑み。それは


「そう……でも残念だったわね。『一人』じゃないのよ」


自分達六祈将軍オラシオンセイスの優位を確信しているからこそのもの。


瞬間、ルカンの周囲に異変が起こる。先程まで何もなかったはずの地面から新たな生命が生まれ始める。鉄の船であるアルバトロスには不釣り合いな大いなる樹の力。それによってルカンは無数の樹の力によって包囲される。小さな花の集まりとルカンの何倍もあるかのような巨大な樹々。種子砲シードバルカン王樹の刃アルベロブレード。どんな相手でも一撃で樹に変えてしまう銃とどんな相手でも切り裂く剣。それが六星DBであるユグドラシルの力。六祈将軍オラシオンセイスの一人、ジェガンの実力だった。


「やれ」


呟くように自らの腕にあるDBに力を込めながらジェガンはその全ての力を解放する。誰であれ突破できないような全方位からの攻撃。出し惜しみなしの全力。コアラを相手にした時とは比べ物にならない程の攻撃。だが


「――――無駄だ」


その全てをルカンはこともなげに防いでしまう。その鎌による一振りによって。種子砲シードバルカンのマシンガンにも似た弾雨も王樹の刃アルベロブレードの斬撃もその身体能力と技量によって全てルカンは捌いて行く。およそ人間とは思えないような動きを以て。それがルカンの実力。無敵に近いDBアシッドルールだけはない。それを操るに相応しい自身の強さをルカンは持っている。それは例えDBがなくとも他の六つの盾シックスガードを凌駕するほどの物。だがジェガンの表情にはわずかな変化もない。自分の攻撃が通用しなかったにもかかわらず。それを訝しみながらもルカンは凄まじい速度でユグドラシルの包囲を突破しジェガンへとその鎌を振り下ろさんとする。しかし


「そこまでです」


静かな、それでも確かな声が告げられる。同時にルカンの身体に異変が生じる。その動きが止まってしまう。だがそれは先程の行動停止とは根本的に違うもの。その証拠にルカンの腕や足はまるで見えない力によって操られてしまったかのように捩じれ出す。ルカンは一瞬で自分の身体に何が起こっているのか悟りその視線を声の方向へと向ける。そこには六祈将軍オラシオンセイスではなくともそれに匹敵する実力を持つ男、ディープスノーがいた。ディープスノーは自らの首元に掛けられている六星DBゼロ・ストリームの力によってルカンの身体の自由を奪う。いや、それはユリウスの行動停止とは目的が異なる。ディープスノーのそれはまさに相手を捩じり殺す程のもの。流れるもの、相手の血液さえも操ることができる反則にも近い力。だがそれは


「なるほど……確かに一人ではないな。だがどれだけいようと変わらん」


さらなる埒外の力によって覆されてしまう。ルカンがその拳に力を込めた瞬間、ルカンの血液の流れを操っていたディープスノーの力がねじ伏せられてしまう。自力で血液の流れを正常に戻すという荒技。常識を超えた身体能力を持つルカンだからこそできること。だがそれだけではないことをディープスノーは感じ取っていた。それはDBの力。まるで先のジラフとの戦いにも感じたように別のDBの力が介入してきたのだと。恐らくは自らの身体に,影響を及ぼすDBを持つからこそできる芸当。


「大したものです……ですがもう私の役目は終わりました」


それを前にしながらもディープスノーは静かに自らの勝利を宣言する。それが何を意味するかを理解する前に全ては決した。

銀の雨。

何もないはずの空間から無数の銀の弾丸、槍の雨がルカンに向かって降り注ぐ。ルカンはそれを何とか防がんとするも叶わない。万全の状態であればそれを捌くことも避けることもできたはず。だが今はそれは不可能。ジェガンの攻撃、そしてディープスノーの力によって一瞬であるがルカンに隙が生まれた。それを作り出すことが二人の狙い。その逃れようのない隙を狙い絶対包囲からのレイナの銀術によって全てを決する。まさに阿吽の呼吸。それがDC最高幹部六祈将軍オラシオンセイスの力だった。


「どう? これが六祈将軍オラシオンセイスの力よ。お気に召したかしら?」


レイナが不敵な笑みを見せながらも自分たちの勝利を宣言する。自らの持つ六星DBホワイトキスと銀術による攻撃。それに貫かれた確かな姿を見て取ったからこそ。それは他の六祈将軍オラシオンセイスも同様だった。


「ダメだみんな! まだ終わっていない!」


たった一人、ルカンと直接戦っていたユリウスを除いて。


「なっ!?」


それは誰の声だったのか。それが分からない程の衝撃が六祈将軍オラシオンセイス達を襲う。それは確かに倒したはずのルカン。銀の槍によって串刺しにされた状態がまるで幻であったかのようにその手に鎌を持ちながらルカンは最も近い位置にいたジェガンに向かって突進していく。ジェガンは咄嗟のことで反応に遅れるもののその鎌を自らの剣によって防がんとする。だがそれは叶わなかった。


「……!」
「よく反応したな。だがここまでだ」


その光景に今まで無表情だったジェガンの顔に焦りが浮かぶ。それは自らの剣が真っ二つにされてしまった光景。しかもそれは物理的に斬られてしまった感覚ではない。まるでそう、ゼリーを切るかのように自らの剣が両断されてしまうという信じられないもの。だがそれだけでは終わらなかった。ルカンの持つ大鎌。その形状が大きく変化している。まるで飴細工のように。その塊がジェガンに向かって振るわれるもジェガンは直感と言ってもいいものでそれを紙一重のところで躱す。しかしそれだけでは足りなかった。


「ぐっ……!」


ジェガンの顔が苦痛に歪む。同時にジェガンの身体が、服が溶け始める。まるで酸の雨を浴びてしまったかのように。それはルカンが振るった酸の鎌による飛沫。まるで液体になってしまったかのように形態を変えた鎌の一撃を躱すことはできたもののその飛沫まで躱すことができなかった代償。だがそれはあまりにも大きかった。


「ほう……あれに耐えるか。どうやらまともな人間じゃねえみてぇだな」


ルカンは液体のようになってしまった鎌を再び元の形に変えながらジェガンとその傍に集まりつつある六祈将軍オラシオンセイスに目を向ける。自らが放った攻撃は普通の人間なら一瞬で溶けてしまう程のもの。それに耐えることができる者がいることに少なからずルカンは感心していた。もっとも耐えることができただけであり、効かなかったわけではない。その証拠にジェガンの身体は火傷のようになり、服は無残にも破れ去ってしまっている。ジェガンはそのままでは酸が広がると瞬時に判断し自らの上半身に纏っていた服を破り捨てるも間に合わなかったダメージがその姿。それでも溶けずに済んだのはジェガンは人間ではない竜人ドラゴンレイスであったからこそ。もし人間、他の六祈将軍オラシオンセイスであったなら先の一撃で勝負は決していた程の攻撃。


「ジェガン……大丈夫かい!?」
「…………」
「その様子じゃまだ大丈夫みたいね……でも一体何なのあいつは? 確かに銀で貫いたと思ったのに……」
「いえ……どうやら攻撃は通じていなかったようです。あれを見てください」
「あれは……!」


ディープスノーの言葉に導かれるようにレイナはその光景に目を奪われる。そこにはレイナがホワイトキスによって生み出した銀の槍がある。だがその穂先が全て失くなってしまっていた。まるで飴が溶けてしまったかのように。あり得ないような光景にレイナは戦慄するしかない。それはつまり銀の攻撃が、引いては物理攻撃が効かないことを意味しているのだから。


「触れた物を全て溶かす能力……それがあの男、ルカンの力だよ。流石は六つの盾シックスガードのリーダーだね。見た目はともかく美しすぎる強さだよ」
「なるほど……あんたがそんなになるわけね。でもどうしようかしら。それじゃああいつには何も通用しないってこと?」
「少なくとも僕の攻撃は全て通用しなかったよ……行動停止を除いてね……ああ、何て罪な男なんだ、僕は……」
「そう……なら私とジェガンの攻撃も全て通じないと見た方が良いわね……」


レイナは思考する。自分たちに残された手を。敵は触れた物を全て溶かす酸の身体を持っている。先の攻撃で銀の攻撃は全て通じないことは明らか。ジェガンの剣も同様。既に剣は使い物にならない。ユグドラシルによる攻撃も恐らくは通用しない。確かに種子砲は一撃必殺の攻撃だが触れた瞬間に溶かされれば何の意味もない。そして自分たちのダメージも深刻そのもの。ユリウスは既に満身創痍であり戦闘に参加することも難しい。ジェガンはまだ動けるものの少なくない負傷を負ってしまっている。レイナ自身はルカンから攻撃は受けていないが先のレオパールとの戦いで受けた足の傷がある。長時間の戦闘は厳しいため先程の奇襲で一気に決めたかったのだが目論見が外れた形。故にこの状況を打開できる可能性があるのは


「いえ……まだ手はあります。みなさん、私に力を貸していただけませんか」


無傷でありレイナ達も知らない力を持つ男であるディープスノーだけ。ディープスノーは何かを決意した瞳を見せながらレイナ達に告げる。自らの無謀にも等しい作戦を。大きな代償を払うその突破口を。唯一レイナだけはそれに反対しかけたのだが口を紡ぐしかなかった。戦うことを決めた男の姿を前にして女が言えることなど何もないのだと悟ったかのように。


「どうした……もうあきらめたのか、六祈将軍オラシオンセイス?」


そんな六祈将軍オラシオンセイスの姿を見ながらも最強の将であるルカンはただ変わらずそこに君臨していた。自らの圧倒的な優位を知りながらもそこには全く油断は無い。ただハードナーの敵を排除するだけの駒。それが今のルカン。


「まさか。でもあきらめれば逃がしてくれるわけでもないでしょう?」
「あたりまえだ。てめえらを皆殺しにすることがオレの役目だ。全員がここにいるってことは……他の六つの盾シックスガードは全滅ってことか……」
「その通りです……ですがいいのですか。組織としてはもはや壊滅的な損害ですが……」


自らの仲間、配下である六つの盾シックスガードが全滅したと知りながらも全く動じることがないルカンに対してディープスノーは問う。それは当然の問い。数の上では敗北したといってもいい状況。そして四対一と言う圧倒的不利。それを前にしても臆することなく、君臨している男。


「関係ねえ……オレ一人で六つの盾シックスガード全員分の働きをすればいい。それだけだ」


それが六つの盾シックスガード最強の男、ルカン。一人でもなお六つの盾の力に匹敵する力を持つ怪物を示す言葉だった。


瞬間、最後の攻防が始まる。先に動いたのは六祈将軍オラシオンセイスだった。


「はあ!」
「そこだよ!」


レイナとユリウス。銀と氷の攻撃が同時にルカンに向かって放たれる。その全てが全力。並みの相手ならそれだけで決着がつく程の圧倒的物量。だがその全てがルカンには通用しない。しかもそれはDBの力ではない。その体にレイナとユリウスの攻撃は触れることすらできない。ルカンはその身体能力と大鎌によって銀と氷の同時攻撃を捌き、回避しながら迫ってくる。例え通じないとしてもわざわざ攻撃を食らってやる必要はないと告げるかのように。まさに歴戦の戦士だからこそ為し得る絶技。だがそれに挑むもう一人の戦士がいた。


「ほう」


ルカンの口から初めて感嘆の声が漏れる。それは目の前に現れたジェガンに対するもの。その無謀とも言える特攻によるもの。そこはルカンの間合い。すなわち接近戦の領域。だがそれはあまりにも無謀な、愚かな選択。こと接近戦に置いてルカンは無敵に近い。ジラフとは違う意味で接近戦を挑むことは自殺行為。触れれば瞬時に溶かされる相手の間合いに踏み込むなどあり得ない。その証拠にレイナとユリウスはその外から遠距離戦を仕掛けている。ジェガンとてそれは分かっている。何よりも先程の攻防で酸による攻撃をその身に受けているのだから。それでもなお挑んでくるその姿にルカンは初めて六祈将軍オラシオンセイスに称賛を贈る。確かにこれならば他の六つの盾シックスガードを倒したのも納得がいく。戦士としてそれに応えるためにルカンはその鎌でジェガンを両断せんとするも


「…………!」


それはジェガンの決死の特攻によって防がれる。それは意識の差。それを避けるだろうと読んでいたルカンと前に出ることで防がんとしたジェガン。小さな、それでも確かな差。それを突くかのようにジェガンの拳がルカンの鎌を握っている手を貫く。瞬間、その衝撃によってルカンは鎌を失ってしまう。それこそがジェガンの狙い。間合いの広い鎌の内側に飛び込むことで武器を奪い、肉弾戦にもっていくためのもの。だがそれは普通はあり得ない。何故ならいくら攻撃とはいえルカンに触れた時点で勝負は決まってしまうのだから。いかに人間よりも優れた肉体を持っている竜人ドラゴンレイスであってもそれは変わらない。だがそれを覆すかのようにジェガンはその拳で、蹴りでルカンに肉弾戦を挑む。


「いいだろう……オレに倒されるのが先か、溶けるのが先か。どっちにしろお前はここで死ぬ」


ジェガンの狙いに気づきながらもルカンはあえてそれに乗りながら接近戦が始まる。無駄なものが割り込む隙もない程の肉弾戦。それは全くの互角。間違いなく最高レベルでの戦士の戦い。剣を持つジェガンではあるがその体術においてもジェガンは凄まじい実力を持っている。竜人ドラゴンレイス最強の戦士に相応しい力。だがそれを以てしても拮抗するのがやっとの強さ。そしてそれは訪れる。


「ぐっ……!」


ジェガンの顔が歪み、額には大粒の汗が滲み始める。ルカンと接近戦を行う代償。酸による肉体の融解が始まりつつある証。しかしそれはジェガンだからこそできること。目にも止まらない速さの拳の応酬が行われている中でも確かにその輝きが力を放つ。六星DBユグドラシル。そのもう一つの力、あらゆる力を吸収する能力。ジェガンは今、それを使いながらルカンへと挑んでいる。それがジェガンが溶けることなくルカンと戦えている理由。しかしユグドラシルであってもその全てを吸収しきることができない。DBとしての力、そしてそれを扱う力がルカンの方が上回っている証。徐々にではあるが確実に終わりが近づいてくる。坂道を転げ落ちるように抗うことができない結末。それに抗うようにジェガンの猛攻と共にレイナの銀術が、ユリウスの氷が降り注ぐもその全てが通用しない。だがそれでも三人にあきらめはない。何故ならこの状況。例えダメージを与えられなくともルカンの動きを止め、意識を集中させることこそが彼らの狙いだったのだから。


「―――――」


それは刹那の感覚。ルカンは知らずその光景に目を奪われた。それに気づけたことがルカンが強者である証。そこには男がいた。先程自分の血液を操った冷静な印象を受ける男、ディープスノー。しかしそれがまるで違う者にルカンには見えた。その胸にある石が輝きを放っている。最初見た時は何かの間違いだと思ってしまったそれが何であるかをルカンはこの時ようやく確信する。DB。超常の力を持つ者に与える魔石。その力が今、解き放たれた。


瞬間、時間が止まった。まるでそう感じてしまうほどに凝縮された刹那。その中をディープスノーは駆ける。一直線に。ただがむしゃらに。それ以外にはないにもないといわんばかりに。文字通り目にも映らないような速さで。その拳に全ての力を込めながら。


五十六式DBの力を全て込めた拳による一撃必殺。


それがディープスノーの、六祈将軍オラシオンセイス達の狙い。銀や氷では触れた瞬間に無力化されてしまう。だがジェガンはその身体能力からそれに耐えることができた。ならば人間の限界以上の力を発揮できるディープスノーであればルカンに触れ、そしてダメージを与えることもできる。もちろん無傷で済むはずもないがそれ以外に手は無い。そしてそのために隙を作り出すことがレイナたちの役目。


(そういうことか……だが……!)


一瞬でディープスノー達の狙いを看破したルカンは驚異的な反応でディープスノーの動きに、拳に対応せんとする。まさに神技に等しい反応。レイナ達の猛攻を受けながらもさらに切り札の一撃にすら対応して見せる恐ろしさ。だがそれすらも六祈将軍オラシオンセイスの手の内。


「――――何っ!?」


ここに至って初めてルカンが驚愕の声を上げる。それは自らの身体が一瞬とはいえ動かなくなってしまったことによるもの。だがそれを先の攻防でルカンは受けていた。


「美しいだろう? これがこの世で最も美しいDB、アマ・デトワールの力さ」

行動停止フリーズ

不敵な笑みを見せながらユリウスはその力を振るう。まるで自分の親友を紹介するかのように。取るに足らないと侮辱された自らのDBの力を誇示するかのように。それは既に一秒も持たない程の凍結。だが覆すことができない確かな勝機。


瞬間、全てを打ち貫く、人間の拳がルカンの胸に突き刺さる。心臓と言う生物である以上逃れることができない弱点。それを砕くことによる必殺。一撃で息の根を止めるディープスノーの拳によってルカンはその場に崩れ落ちる―――――はずだった。


「驚いたぞ。まさかこれを使わされるとはな」


それはあり得ないような光景だった。確実に心臓を貫かれたはずのルカンがまるでなんでもないかのように声をあげていること。何よりもその体にディープスノーの拳が、腕がめり込んでいること。一見すれば既に勝負は決まっている光景。だがそれはディープスノーにとっての敗北を意味するもの。六祈将軍オラシオンセイスたちはその光景に目を奪われるだけ。そこには


まるで身体全体が酸になってしまったかのように変化しつつあるルカンの姿があった。


「アシッドルールは己の体をも酸に変えられる。ここまでだ、六祈将軍オラシオンセイス


それこそがルカンの、アシッドルールの奥義。自らの体を液体へと変化させる能力。まさに無敵と称するに相応しい反則技。その前にはいかなる攻撃も通用しない。人間の限界を超えた力を引き出す五十六式DBでさえその力の前では無力だった。そしてその恐ろしさは防御力だけではなくその攻撃力にもあった。


「――――くっ!!」


苦悶の声を上げながらもディープスノーは一瞬で自らの腕を引き抜きながらルカンから距離を取る。だがその表情は苦悶に満ちていた。いかなる状態においても決して弱みを見せることがない彼をしてもそれを隠すことができない。何故なら


「無駄だ。もうその腕は使い物にならんぞ」


肘から先。ディープスノーの右腕はルカンによって溶かされ跡形もなく失くなってしまっていたのだから。


それがアシッドルールの真の力。酸の体と化したルカンの前には竜人ドラゴンレイスも人間も関係ない。全てを溶かし消し去る怪物。その圧倒的な強さを前にすれば何者であれ絶望するしかない。ルカンがそのまま腕だけでなくその全てを飲みこまんとした時


「……ええ、確かにあなたは私より強い。ですがこの勝負は『私達』の勝ちです」


ディープスノーはボロボロになった身体でもなお自分たちの勝利を再び宣言する。それが虚栄ではないと悟るのと同時に新たな力がルカンを襲う。それは氷の力。ユリウスの持つアマ・デトワールからのもの。先程までであれば取るに足らなかった攻撃。だが今それは違う。何故なら今、ルカンは液体になってしまっているのだから。しかしその法則さえもルカンは捻じ曲げる。自らの持つアシッドルールの力を最大にすることで。強力な酸の力。凍りつく自らの体までその力は及ぶ。だがその瞬間、どうしようもない致命的な隙が生まれた。


「あら、ダメよ。こんな大事な物を忘れちゃ?」


それを見逃すまいとするかのように蛇女、レイナは怪しく笑う。その手には先程までルカンの首元にあったはずのものがある。確かな輝きを放つ石があるネックレス。


「お前……オレのDBを……!?」


レイナは自らの銀を操りながらそれを奪い取る。それこそがレイナの役目。無駄な攻撃を繰り返していたのもその布石。自分の攻撃がDBを狙ったものであることを悟らせないための物。まさに蛇のように狡猾な罠。だがそれを前にしてもルカンは府に落ちない。確かに相手の狙いに嵌められてしまっている。だがあまりにもできすぎている。どんな相手であれ液体となるという自分の奥義を、力を目の当たりにすれば戦意を失う。そこまではいたらなくとも動揺すらしないことなどあり得ない。まるでそう、最初から自分の切り札を見抜かれていたかのような――――


「どうやら気づいたようですね……ですがもう遅い。これで終わりです」


ディープスノーはルカンの思考を呼んだかのように告げる。最後の攻防の前にディープスノーは既にルカンの能力、液体になる切り札を持っていることを見抜いていた。きっかけは二つ。

一つが最初のジェガンを狙った鎌の攻撃。その際の形態変化。物質であるはずの鎌が溶け、それを操るという能力。そしてもう一つがゼロ・ストリームの力でルカンを攻撃した際の感覚。それによってディープスノーはルカンが恐らくは液体に変化することができる能力を隠していることに気づいた。

故にこの作戦は二段構えで行われた。一つがレイナ達の陽動とそれを狙ったディープスノーの渾身の一撃によるもの。もし液体になる能力がなければこれで勝負が決する。もう一つ、それが液体になった隙を狙いDBを奪うこと、そして


「風よ――――!!」



液体となってしまったルカンを風によって文字通り木っ端微塵に吹き飛ばすこと。DBを失ったルカンでは元に戻ることができない。氷とは違いどうあっても逃れることができない摂理。それがディープスノーの切り札だった―――――




「ディープスノー……本当に大丈夫なの?」
「はい……既に止血は済んでいます。ご心配なく」


戦いを終えレイナ達は満身創痍の体で何とか集まりながらもその光景に顔をゆがめる。特に酷いのがディープスノーの腕。既にゼロ・ストリームによって処置は済んでいるもののあまりにも痛々しい姿。右腕を失うという大きな代償。だがそれを前にしてもディープスノーは困惑することもなくいつも通りの姿を見せている。何故ならそれは最初から分かり切っていたものだったのだから。


「こうなることは分かっていましたから。それに腕一本で六つの盾シックスガードのリーダーを倒せたのですから安いものです」
「あ、あなたね……」
「とりあえずそこまでにしよう。これは美しい忠誠の騎士である彼の決断なんだから」
「まったく……ジェガン、あんたも何とか言いなさいよ」
「…………」
「あっそ。好きにすればいいわ。ルシアが何か治療に使えるDBを持ってるかもしれないからそれに期待しましょ。ジェガン、龍を呼んでくれる? ひとまずはアルバトロスを離脱しましょ」
「いいのかい? まだルシアが残ってるけど……」
「仕方ないわ。これ以上私達も戦えないし足手まといになるだけよ。命令通り六つの盾シックスガードは殲滅したんだから問題ないわ。ディープスノーもそれでいいわね?」
「……はい、分かりました」
「やれやれ……美しい勝利とは行かなかったけど何とかなったね。じゃあ行くとしようか」


反論は許さないといわんばかりのレイナの剣幕に流石のディープスノーもそれ以上口を出すことはできない。それは命令もそうだがこれ以上戦うことができないことを理解しているからこそ。レイナは足の負傷のみだがそれでも消耗していることには変わらない。ユリウスとジェガンもルカンとの戦いによって満身創痍。特にジェガンは両手が使い物にならない程に重傷を負ってしまっている。これ以上この場に残っても戦力にならないことは明白。しかも残る相手は六つの盾シックスガードを超える実力を持つというルナールとハードナー。ルシアには悪いがその二人は何とかしてもらうしかない。危なくなればハジャを呼びだすこともできることも大きな理由。

ジェガンが離れた場所で待機させていたジュリアを呼びだそうとしている中、レイナはふと足を止める。それは自分が先程ルカンから奪ったDB。それを持って行くかどうかを思案した瞬間、レイナの表情が凍りつく。そこには


先程まであったはずのネックレスがまるで溶けてしまったかのようになくなってしまっている光景があった。


「―――――!!」


瞬間、六祈将軍オラシオンセイスは戦慄する。それは飛び散ったはずのルカンの身体である酸。その全てがいつの間にか消え去ってしまっている。まるで自分で動いてどこかに行ってしまったかのように。それはつまり


「流石だな六祈将軍オラシオンセイス……だが残念だったな。その攻撃はオレには通用しねえ」


まだ六つの盾シックスガードのリーダー、ルカンが健在であるということだった。

六祈将軍オラシオンセイスたちは慌てながらもすぐさま戦闘態勢を取る。しかし既に戦う力がないことは誰の目にも明らか。対してルカンは全くの無傷。しかし何故そんなことがあり得るのか。六祈将軍オラシオンセイスは困惑するしかない。完璧にも近い勝利だったはずなのだから。


「理解できないといった風だな。教えてやろう。お前達が奪ったDBは偽物だ。本物はここにある」


六祈将軍オラシオンセイスの疑問に答えるかのようにルカンは手を自らの身体に埋め込む。同時にその中から小さな石、DBが取り出される。それこそが本物のアシッドルール。そしていつも身に着けているネックレスとその石は偽物。アシッドルールの極みである液体化と対極に位置する力。

『物質化』

それがその能力。ルカンが持つ鎌も、身に着けている服、靴すらもそれによって生み出された物。能力によって溶けた物を再び物質化し、自分が扱っても溶けないようにするためのもの。鎌のそれは攻撃にも有用であり攻撃の瞬間に再び液体化させることで酸の鎌とすることすら可能。そしてそれによってルカンは偽りのDBを身に着けていた。それは自らの能力の液体化、それが逆に弱点にもなりうることを知っていたからこそ。そしてそれはアシッドルールに限った話ではない。DBを持つ者なら絶対に気を払わなければならないDBを奪われるという事態。それを克服、逆手に取ったのがルカンの策。

表向きに偽のDBを首からかけ、本物は絶対に奪われることのない肉体の中に隠す。例え液体化の際にバラバラにされたとしてもDBさえあれば再生可能。まさにルカンだからこそできる究極の戦法。


「さて……じゃあ続きを始めるとしようか……」


狂気に似た光を灯した瞳でルカンは鎌を担ぎながら六祈将軍オラシオンセイスたちへと近づいて行く。最初と変わらぬ動作。だがそれだけで六祈将軍オラシオンセイスたちは知らず息を飲む。ある者は震え、ある者は後ずさりすら見せる。それは恐怖。自分たちが死力を尽くしてもなお敵わない、届かない怪物を前にしたことによるもの。


覆しようのない歴然たる力の差。それを感じ取りながらも六祈将軍オラシオンセイスたちにあきらめはない。それがキングに選ばれし六人の戦士。そして今はルシアの騎士たち。


「オレをここまで追い詰めてくれた礼だ。全員跡形もなく消し去ってやる」


それを葬り去らんと六つの盾を束ねる将であり、六つの盾全員に匹敵する力を持つ死神が最期の攻撃を仕掛けんとした瞬間、


凄まじい轟音と揺れがアルバトロスを支配した―――――



[33455] 第四十九話 「再戦」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2013/01/02 23:09
六祈将軍オラシオンセイス六つの盾シックスガード。新生DCとBGの最高幹部であり最高戦力。互いに数は六つに届かないものの対となる者同士が空中要塞アルバトロスで激戦を繰り広げている。だがそれも終わりに近づきつつある。拮抗した実力を持っていたとしても全力でぶつかりあえばどちらかが勝利し敗北する。当たり前の、そして残酷な摂理。しかしそれすらもこの戦いにおいては前座に過ぎない。何故ならこれは戦いではなく戦争なのだから。そのトップ、リーダーを倒さない限り戦争は終わらない。逆を言えば例え幹部が全滅したとしてもリーダーが生き残っていればその陣営の勝利となる。そしてここにその片方、新生DCの最高司令官がいた。黒い甲冑とマントに巨大な黒い剣。何より目を引くのがその金髪。対照的な色合いを持つ少年、ルシア・レアグローブ。金髪の悪魔の異名を持つ王だった。


(よし……とりあえずは問題ないみてえだな……)


ルシアは心の中で安堵のため息を吐きながらも一直線に走りつづけている。そこはアルバトロスの中の通路。だが見張りである兵士の姿は全く見当たらない。閑散とした光景はまるで無人なのではと思ってしまうほど。だがそうではないことを証明するように艦内にはけたたましい警報が流れ続けている。侵入者を知らせるもの、言うまでもなく六祈将軍オラシオンセイスの襲撃によるものだった。だがそれこそがルシアの狙い。正面突破という派手な真似をさせて六祈将軍オラシオンセイスにBGの意識を集中させその間に時間差を空け、本命であるルシアが侵入する。目論見通りその策は成功しルシアの存在に誰一人気づくことはない。全ては順調。だが


『何だ……一人も敵がいないではないか。つまらん。やはり六祈将軍オラシオンセイスが来るのを待つべきではなかったかもしれんの』


それが気に入らない、もとい退屈だといわんばかりの声を漏らす存在がルシアの胸元にいた。マザー。五つあるシンクレアの一つでありルシアにとっては共犯者であると共に敵以上に厄介な存在。


『な、何言ってやがる!? これ以上にないくらい上手く行ってんじゃねえか! 何の不満があんだよ!?』
『いや、不満と言うよりも誤算と言うべきかの。どうやら思ったよりも六祈将軍オラシオンセイスというのは実力があったようだ。もしかしたら六つの盾シックスガードとやらの方が大したことなかったのかもしれんが……』
『ど、どういうことだよ……』
『何だ、気づいていなかったのか。まあアナスタシスを探す方に意識を集中しておったのだから無理もないか……喜べ主様よ。どうやら六祈将軍オラシオンセイス六つの盾シックスガードを後一人まで追い詰めたようだぞ』


くくくという笑いと共にマザーは事実を告げる。その言葉に驚きながらもルシアもまた自らのDBマスターとしての力、感覚をアナスタシスの探索から船全体の把握へと切り替える。同時にルシアは戦況を把握する。まず六祈将軍オラシオンセイスが全員健在であること。そして六つの盾シックスガードのDBたちのほとんどが敗北したことを。DBの状況まで把握できるルシアにはそれが手に取るように分かる。だが安心することはできない。何故ならまだ戦闘が終わっていない二つのDBが存在していたから。それはアマ・デトワール、すなわちユリウス。そしてもう片方の相手が問題だった。


(これは……酸のDB……ってことは相手はルカンか……!)


ルシアはそのDBの正体を瞬時に見抜く。実際に感じるのが初めてであるにもかかわらずそれができるのもDBマスターの力。例えるなら知識のレイヴのようなもの。見たり、感じ取ることでその知識が頭に浮かんでくる。同時にルシアは戦慄する。その力の大きさに。そしてアマ・デトワールの精神状態に。そこから焦りが伝わってくる。間違いなくユリウスが追い詰められている証だった。


『だがどうやら最後の一人はなかなかやるようだな。アマ・デトワールの方も粘っているが時間の問題だな』
『お、おい! 何そんなに落ち着いてやがる!? ユリウスがやばいってことだろうが!』
『ふむ……前々から思っておったが何故そこまで六祈将軍オラシオンセイスにこだわる? 戦いで味方が死ぬことなど当たり前であろう』
『そ、それは……まあそうだが……』
『お主がヘタレであることは分かっておるが度が過ぎるぞ。六祈将軍オラシオンセイスはあくまで配下であって駒。そして主は王、キングだ。我らの役目は六祈将軍オラシオンセイスのお守りをすることではないぞ』
『ぐ……』


マザーの忠告、警告とも取れる発言にルシアは言葉を詰まらせるしかない。それはあらゆる意味でマザーの言葉が正しいことを理解しているからこそ。マザーの言う通りルシアの目的はハードナーを倒しシンクレアを手に入れること。そして六祈将軍オラシオンセイスはその障害となる物を排除すること。単純明快な役割であり関係。駒をわざわざ助けに行くなど王のすることではない。だがそれでもそこを割り切れないのがルシアがルシアである所以。そんな自らの主の姿にやれやれといわんばかりの雰囲気を纏いながらもマザーは言葉を続ける。


『まったく……まあよい。とにかく今はハードナーとかいう奴を倒すのを第一に考えろ。そうすれば万事上手くいく』
『ど、どういう意味だよ……?』
『アナスタシスだ。奴を手に入れればお主の心配はなくなる。我の力でアナスタシスのDBを壊すことができるからな』
『……! そ、そうか……』


ルシアはマザーの言葉によって我を取り戻す。ルシアはハードナーを倒すことばかりに目が行き失念してしまっていた。それはハードナーを倒すことはすなわちシンクレアであるアナスタシスを手に入れることを意味する。そうなればアナスタシスの加護を受けているDBを壊すことも止めることも思いのまま。その瞬間この戦争はDC側の勝利となる。そして


『それに加えるなら奴の力は『再生』だ。死にはしない限り六祈将軍オラシオンセイスを治療することもできる。どうだ、少しは落ち着いたか?』


まるで子をあやすようにマザーはどこか慈悲深さを感じさせながら告げる。それはハードーが持つシンクレアであるアナスタシスの能力。持つ者に再生の力を与えるもの。それは自らの身体にだけではなく他人の身体にも有効なもの。その力ならば致命傷であっても瞬時に傷を再生することができる。ルシアはその事実にどこか心が軽くなったかのように溜息を漏らす。同時に感じ取る。それはユリウス以外の六祈将軍オラシオンセイスがルカンの元に向かっている感覚。四対一という状況。いかに相手がルカンといえども簡単には遅れは取らない戦力。その事実とマザーの言葉によってルシアは落ち着きを取り戻し、そして気づく。


『マザー……お前、もしかして俺のこと心配してそんなこと言ってんのか?』


マザーの言葉の真の意味。それが自らの主であるルシアを心配してのものだったことに。いつもは感じることのない慈悲深さもその理由。普段なら気が触れたのかと思うだけだが状況が状況なだけにルシアはその事実に辿り着く。


『っ!? な、何をバカなことを言っておる!? か、勘違いするでないぞ……これはお主があまりにも情けない顔をしておるから仕方なく我が』
『分かった分かった……とにかく余計なことを考えずに戦えってんだろ』
『ふ、ふん……分かればいいのだ。まったく、いつもいつも余計な手間をかけさせおって……』


ルシアの言葉によってマザーは狼狽し慌てまくるしかない。まさにツンデレの鑑のような反応。もし実体化していれば間違いなく顔を真っ赤にしながらそっぽを向いているに違いない程の騒がしさ。そんなある意味いつも通りのやり取りをしながらも気を取り直しルシアが動き出そうとした瞬間


「そこまでだ……ここから先には行かせん」


まるでいきなり現れたかのように彼女は現れた。閃光のような速さを以て。いつかと同じように。その手に巨大な戦斧を持ちながら。その姿は半年前となんら変わらない。


BG副船長 『閃光のルナール』


ルナールはそのまま一定の距離を保ったままルシアと向かい合う。その姿は戦士そのもの。欠片の油断も慢心も感じさせない。瞳からは確かな意志が見て取れる。ルナールにあるのは唯一つの感情。ハードナーの敵を排除すること。ただそれだけ。それ以外の事柄など些事だといわんばかりの姿。だがそれを前にしてもルシアは眉ひとつ動かすことは無い。ただまっすぐにルナールを見据えているだけ。自然体そのもの。


『ほう……どうした、いつかのように右往左往せんのか。余計な邪魔が入ったというのに』
『うるせえよ……そんなに俺に慌ててほしかったのか?』
『くくく……それはそれで面白かったのだがな。だがどうやら今日はそんな気分ではないらしい。たまにはこういうのも悪くない』


怪しい輝きを放っているマザーの姿を見ながらもルシアには不思議と恐れも焦りもなかった。それはルナールがここに来ることを知っていたから。むしろルシアからすればやってくるのが遅かったと思うほど。ルナールはハードナーの側近であり盾。ならばハードナーの傍から離れることは考えづらい。故にルシアはルナールがやってくることに驚くことは無い。むしろそれはルシアにとっては好都合なこと。

一つがルナールと六祈将軍オラシオンセイスが接触することがないということ。ルナールは副船長という地位が示すようにハードナーに次ぐ実力者。その強さをルシアは身を以て知っている。例え六祈将軍オラシオンセイスであってもハジャ以外のメンバーではルナールには絶対に敵わない。なら自分に狙いを定めてくれるのは好都合。

もう一つがハードナーと戦う前にルナールを排除できること。もしハードナーと戦闘中に乱入され二対一という状況になることがルシアにとってはもっとも厄介な展開。原作ではハルとハードナーの戦いには割って入らなかったルナールだがもしそうなっていればハルには勝ち目は無かっただろう。ならば先にルナールと戦えるこの状況はルシアにとっては願ったり叶ったりのもの。

だがそれでも以前のルシアでは考えられなかった感情。敵を前にして落ち着いているなど今まであり得なかった状況。だがその理由をルシアは悟っていた。

ルシアは静かに、それでも力強くその手に力を込める。ネオ・デカログス。それがその手にある魔剣。半年前とは違う自らの剣。同時に自らの成長の証。半年の間に磨いた力。それを試すことができる状況に知らず身体が震える。怯えではなく武者震い。もしかしたら既にネオ・デカログスの感情がルシアに流れ込んでいるのかもしれない。だがそれはデカログスだけではない。ルシアもまたルナールとの戦い、再戦には思う所があった。唯一引き分けた相手。そしてあの頃の自分と今の自分がどう変わったのか。それを示す戦い。

一度大きな深呼吸をしながらもルシアは剣を構える。それに合わせるようにルナールもまた戦斧を構える。両者の間に言葉は無い。否そんな物は必要ない。あるのはただ目の前の障害を排除することだけ。


ルシアはただ思う。あり得ないようなこと、認めたくないことだがどうやら自分は先のマザーの言葉によって鼓舞されたのだと。悔しいが自分はやはりDBマスターなのだと。


『……行くぞ、マザー』
『よい。では征くとしようか、我が主様よ』


魔石使いダークブリングマスター母なる闇の使者マザーダークブリング。そして新生DC最高司令官ルシア・レアグローブとしての初めての戦いの火蓋が切って落とされた――――



瞬間、音が消え去った。


いや音すらもその速さに追いつくことができない。目にも止まらない、映らない速さ。それを体現している二人の戦士が縦横無尽に駆け回る。始まりの場所である一画は既に無人。今はその戦場はせまい通路へと移っている。その細い道を二つ存在が駆ける。


光と風。


光であるルナールはその二つ名である閃光となりながら通路を駆ける。光のように直線的に。地面、壁、天井。その全てを足場とし、直線的に角度を変えながら。それはさながら鏡によって反射される光。

風であるルシアはその手にある剣の形態を変えながら駆ける。だがその速さは風を、音すらも置き去りにしかねないもの。その動きもそれに合わせたように流線的な物。まるで出口を探す風の流れのごとくルシアは駆ける。

ルナールとルシア。両者はそのまま互いを見据えながら移動し続ける。まさに超がつくほどの高速戦。その証拠に二人は何人かの兵士の間をすり抜けるも兵士達はその存在に気づかない、気づくことができない。一般兵レベルではその姿を見ることすら敵わない。それが『金髪の悪魔 ルシア・レアグローブ』と『閃光のルナール』の戦いだった。

だがそんな中にあって徐々に変化が訪れる。二人しか認識できない世界の中で競い合っている内の一人に焦りが生まれてくる。それは


(くっ……! このままではまずいな……)


閃光のルナール。ルナールは光を纏いながらも自らの後ろから追い縋ってくるルシアの姿に内心で舌打ちするしかない。だが表情には決してそれを見せないことこそが彼女が歴戦の戦士である証。だがそんな彼女であっても今のこの状況はあってはならないものだった。傍目には両者は拮抗しているように見える。だがそれこそがあり得ない。


閃光となっている自分へと追い縋っている。


それこそがルナールにとっては致命的な問題。しかしそれは正しくは無い。現状として速度においてはルナールが上回っている。その証拠にルシアは追い縋りながらもルナールに追いつくことができず離されつつある。だがそれだけでも驚嘆に値すること。ルナールは戦闘が始まった瞬間にルシアの持つ剣が大きく形態を変えたことを見抜いていた。そしてそれこそがこの速さの理由なのだと。だがそれ自体に驚きはない。何故なら


(こいつ……やはり以前エクスペリメントで交戦したローブの男か……!)


ルナールは以前にも一度同じ相手と交戦したことがあるのだから。ルナールは思い出しながらも確信する。目の前の相手、ルシアがあの時のローブの男だったのだと。ルナールはその正体が二代目レイヴマスターである可能性を疑っていた。様々な形態に姿を変える剣。レイヴマスターが持つというTCMに特徴が一致していたからこそ。だが同時にある可能性も考えていた。それはシンクレア。一瞬ではあるがその力をルナールは感じ取っていた。しかしそれは確信に至るものではなかったためルナールは万全を期すためにレイヴマスターを相手するつもりだったのだがそれは間違いだったのだとようやく悟る。ならば目の前の相手は誰なのか。六祈将軍オラシオンセイスと共にいたことからDC側であることは間違いない。しかしそれすらも些細なこと。ルナールはその目に捉える。ルシアの胸に掛けられた一つの石。もはや見間違うことなどあり得ない存在。シンクレア。それこそが何よりも重要なこと。すなわちルシアが自らの王であるハードナーと同じ闇の頂きの一つを持っているということ。ならばそれを排除しシンクレアを手に入れる。空賊たるBGに相応しい役目。だがそれが容易ではないことをルナールは感じ取っていた。それは


(しかしこの速度は……明らかに以前の奴とは比べ物にならん……!)


その速さ。それが半年前とはケタ違いに上がっている。自分の持つ閃光のDB『ライトニング』には及ばないもののそれに追い縋ることができる程の速度。


闇の音速剣テネブラリス・シルファリオン


それが今ルシアが持つ剣の力。極限まで力を引き出したネオ・デカログスの力。その力はかつてのデカログスの比ではない。対となっていたTCMを超える存在。それによって今ルシアは限りなく光速に近い音速で動くことができる。

だがそれでも速さにおいてはルナールに分がある。こと速さに置いてルナールを超える存在はあり得ない。閃光のDBを極めしものの力。それは間違いない。揺るがない事実。その証拠にルシアはルナールに追いつけない。だがそれこそがルナールにとってはあってはいけない状況。そう、今自分が追われているという一点。それが最大の問題。

圧倒的な速さによって常に先制、相手を翻弄し戦斧による一撃で勝負を決する。

それがルナールの戦術。単純であるがゆえに強力な戦法。その証拠に以前の戦いでもルナールは常にルシアを先制し速さを以て追い詰めた。だが今の状況はそれとは真逆の物。先行している自分の後をルシアが追ってきているというもの。端から見ればルナールの方がルシアを翻弄しているかのように見えるように光景。だがそれは全くの逆。それはルナールの方がルシアによって追いたてられているという光景。すなわちルナールがルシアから距離を取ろうとしている事実を意味するものだった。

ルナールは頬に一筋の汗を流しながら後ろのルシアへと目を向ける。そこには全く表情を崩すことなく自分を追ってくるルシアの姿があった。だがそれだけ。速さで上回っている以上先制の権利はルナールにある。以前の戦い同様この勝負はルナールの攻撃にいかにルシアがカウンターを合わせるか。それだけ。故に勝負は一瞬でつくもの。だがそれがこんなにも長引いている理由。それはたった一つ。


(こいつ……本当に半年前と同じ奴なのか……!?)


ルナールがルシアに気圧されている。単純な、そして明確な差だった。


戦闘が始まってからルナールを襲っているルシアの殺気とでもいうべき重圧。その力の大きさ、そしてルシアの隙のなさにルナールは知らず圧倒されていた。それはまるでハードナーを彷彿とさせるほどのもの。これほどの高速戦になりながらも全く隙が見当たらない。そしてその行動も以前とは違う。以前はまるでルナールをその場から遠ざけようとするかのような気配があったが今はそれがない。完全に自分を排除するために目の前の少年、ルシアは動いている。その差がルナールに距離を取る、正確には逃げに徹しさせている理由。そしてもう一つ大きな理由がある。

それはルシアがまだ見せていない能力。瞬間移動と幻影を作り出すもの。その二つの能力を警戒してのもの。ルナールはその二つの能力によって以前の戦いではルシアを仕留め損ねた。故にその能力を警戒するのは当然のこと。だが未だルシアはそれを使用してこない。しかしそれはルナールにとっては精神的に追いこまれる要因となる。当たり前だ。


もしかしたら突然目の前にルシアが瞬間移動してくるかもしれない。

もしかしたら今自分を追ってきているのは幻影かもしれない。

攻撃を仕掛けてもそれが幻かもしれない。

攻撃を仕掛けてもその瞬間、瞬間移動で避けられてしまうかもしれない。


その疑念が、恐怖がルナールを惑わせる。以前はその圧倒的な速度差からそれを度外視しても攻勢に出ることができた。だが今は違う。ルシアは今、ルナールに限りなく近い速度を得ている。速さと言うアドバンテージもルシアが持つ二つの能力によって覆されかねない。だが時間が経過するにつれ刻一刻とルナールは精神的に追いこまれていく。常にルシアの能力を考慮し対応できるような態勢で動き続けること。それはいかにルナールといえども不可能、集中力を常に最大にしておける時間は限られる。人間である以上避けられない真理。このままではいけない。このままでは心理的な疲労によって追い詰められてしまう。


「―――――」


瞬間、ルナールはついに反撃に転じる。きっかけは目の前にある通路の曲がり角。一瞬ではあるがルシアが自分の姿を見失う場所。ルナールはそこに全てを賭ける。まるでそこに鏡があったかのように直角の動きを見せながらルナールは曲がり角を曲がり、そして百八十度反転しながらその戦斧を構え駆ける。急制動と急発進。 物理の限界を超えた動きとそれによってルナールの身体が悲鳴を上げる。いかに閃光の力を纏っているルナールといえどもその負荷からは逃れられない。だがそれでもルナールは自らの身体に鞭打ちながら襲いかかる。同時に曲がり角からルシアが姿を現す。だがその瞳はルナールの姿を捉え切れてはいない。いかに速度が増したとはいえその中で戦闘をするのは使い手。こと高速戦においてルナールを超える経験を持つ者はいない。曲がり角という絶対の死角と相手を認識するまでの時間差。それを狙ったルナールの横薙ぎの一閃。一撃で胴を両断する一振りがルシアを襲う。


(――――終わりだ!)


ルナールは己の勝利を確信する。そう思ってしまうほどの完璧なタイミングと速度。だがそれはそれを上回る絶技によって覆される。


「――――っ!?」


声を上げることすらできない刹那。だがそれでもルナールはその光景に目を見開くしかない。何故なら目の前にいた筈のルシアがいなくなってしまったのだから。その証拠に戦斧には敵を両断した感触は無く空を切る。一体何が起こったのか。凝縮された時間の中、それでもルナールは感じ取る。それは自らの視線の死角。足元。そこに少年はいた。身体をかがませ、しゃがみこむような体勢のまま。その速度によってルナールの真横を通過しそうになりながらも頭を下げることによってルシアはルナールの一撃を紙一重のところで回避している。だがそれはあり得ない。何故ならルナールは確かに見た。ルシアが自分の姿を捉え切れていないことを。加えてこの速度でのやり取り。気づいて戦斧を躱そうとしても間に合わない。にも関わらず自分の攻撃が避けられてしまった。それはつまり自分の攻撃が既にルシアに読まれてしまっていたということ。

ルナールは知らなかった。ルシアは既に二つの手を打っていたことを。

一つがルシアがわざとワープロードとイリュージョンの力を使っていなかったこと。それは精神的にルナールを追い詰めるため。それによる焦りを誘発すること。自らの能力を知っている、再戦というルナールにしか使えない戦法。その証拠にルナールは知らず焦りによって性急な攻撃を仕掛けてしまった。

二つ目がDBマスターとしての力。いかにネオ・デカログスによって速度を得たとしても根本的な高速戦においてルシアはルナールに一歩劣る。だがそれを覆すことができる力をルシアは持っている。それがDBマスターとしての感覚。ルナール自身ではなくライトニングの気配を感じ取ること。DBにも呼吸とでも言うべきものは存在する。力を扱う際に使い手に合わせる必要があるからこそ。それによってルシアはルナールの動きを、攻撃のタイミングを知ることができる。以前の戦いでも行ったそれは二度目の今回においてさらに磨きがかかっている。

それが今のルシアとルナールの差。半年間に開いた覆しようのない地力の差。それを示す一閃がルシアによって振るわれる。振り向きざまの剣の一閃。音速剣による速度を持った一撃。避けようのない背後からの剣がルナールの身体に襲いかかるもルナールはそれを躱すことはできない。自らの渾身の一撃を避けられた直後の絶対の隙。だがそれすらも覆す力が、切り札がルナールには残されている。


「ああああああ!!」


咆哮とでも言うべき叫びと共にルナールは紙一重のところでそれを発動させる。それはまさに刹那。ルナールを切り裂くはずだったルシアの剣が空を切る。だがそれは躱されてしまったからではない。その証拠にルナールはその場から全く動くことができていない。ただ違うのはルシアによって斬られた身体の軌跡だけが光の粒子になっていること。


『閃光化』


閃光のDB『ライトニング』を極めたルナールだからこそ可能な奥義。自らの身体を閃光と化しいかなる力も無効化、すり抜ける力。それによってルナールはルシアの攻撃を無効化する。だがそれはまさに綱渡り。もしあと刹那でも閃光化が遅ければ間違いなく勝負は決していたと悟るに十分な物。本来の彼女であればもっと早くに閃光化することができたはず。それはルシアの策による焦りによる影響。だがルナールは気づかない。その焦りによって自分が救われたことを。もし後刹那早く閃光化していれば既に勝負は決していたのだから。


瞬間、二人の間に大きな距離が開く。先の攻防によってルシアは身動きが取れず。ルナールもまた体勢を立て直すためにその場を離脱しルシアと睨みあう。距離にして十メートルほど。だが今の二人にとってはあってないような距離。一息で斬りかかれる間合い。ルシアとルナール。二人は息を整えながら互いを見つめ合う。だが先程までとは違うこと。それはルナールの姿。その焦りとも言えるものが消え去っている。それは皮肉にも先の攻防による影響。


「詫びよう……どうやら私は心のどこかでお前を侮っていたようだ……」


一度大きく目を閉じた後、ルナールは静かに戦斧を振りかぶる。天に向かって戦斧を突きだすかのように。今までに見せたことのない構え。それは正真正銘全力のルナールの姿。その体から発せられる空気も先程までとは比べ物にならない。

閃光化を使わされたこと。それはルナールにとっては屈辱以外の何物でもない。自分に触れられるということこそが閃光の二つ名を持つ彼女にとっては敗北そのもの。限られた時間しか使用できないそれを使われたことは自らが追い詰められている証。だがその事実が逆に戦士としてのルナールの心に火を付けた。それが今のルナールの構え。先の戦いでは見せなかったもう一つの切り札。


『ラブリュス』


それがルナールが持つ戦斧の名。雷神が雷をおこすために使っていたとされる逸話を持つ物。鍛えた人物も年代も不明。一説には本当に神々が使っていたという説もある伝説の武具の一つ。ルナールはそれを己が武器としていた。それには二つの意味があった。

一つが自らの速度、光速に耐えられること。普通の武器ではルナールの速度に耐えることができず壊れてしまうという単純な理由。

そしてもう一つ。それこそがラブリュスの真の力。持ち主の力を増幅させる物。雷神がそれを手にすれば雷を巻き起こしたようにルナールがそれを持つことで閃光のもう一つの力を使うことができる。

だがルナールはそれを実際の戦闘で使ったことは一度もない。そこまでの相手と戦ったことがないこと。何よりも大きな理由。それはあまりにも周囲に被害を及ぼしてしまうこと。もしそれをここで使えば間違いなくアルバトロスが墜落してしまうほどのもの。故にルナールは今までそれを使うことはなかった。だがその禁を破ってでもルナールはルシアを倒さんする。墜落によって仲間はもちろんハードナーに危険があると分かっているにも関わらず。その頭によぎる。


もういつ忘れてもおかしくないような幼い記憶。それでも決して忘れることは無いであろう光景。銃を持つ自分の手とそれを見下ろしている巨大な男。自分が自分であることの、ルナールとして生まれたあの瞬間。同時に誓った誓い。


『父であるハードナーを守る』


例えそう呼ぶことができなくとも譲ることはできない想い。愛する父であるハードナーのために。目の前のルシアを決してハードナーと戦わせるわけにはいかない。


それがルナールの戦う理由。BGとしてではなく娘として父を想う少女の誓いだった―――――


先に動いたのはルナールだった。ルナールはその手にある戦斧を振りかぶったまま光速でルシアへと迫る。あまりにも無骨な直進。だがその体は既に閃光と化している。閃光化による光。あらゆる攻撃を無効化する力。文字通り閃光となりながらルナールはラブリュスを振り下ろす。秒にも満たない刹那。並みの者なら反応することすらできない一撃必殺の一閃。だがそれはルシアには通用しなかった。


「…………」


ルシアはその攻撃を完璧に見切り、身体をずらすだけで躱す。その手にある『闇の音速剣テネブラリス・シルファリオン』の速度によって。速さはルナールには及ばないもののルシアにはそれを覆せる感知とこれまでの剣聖シバとの修行によって得た剣技がある。いかに光速の一撃であっても真正面からの攻撃では今のルシアを捕えることはできない。これは当然の結果。だがそれをルナールは誰よりも理解していた。攻撃は躱され、ルシアの攻撃も自分には通じない。故にこの攻防は引き分け、仕切り直し。だがその先がルナールにはあった。


「はあああああああ!!」


ルナールはそのまま自らの全ての力を込めた一撃を避けられた勢いのまま地面へと叩きつける。だがその瞬間、光が生まれる。とてつもない、目も開けられない程の光がルナールの持つ戦斧、ラブリュスから放たれる。それは唯の光ではない。まるで太陽が生まれたかのように光と共にある力が全てを支配する。


『熱』


閃光の力、速さと共に生まれるもう一つの力。熱量という力。それが今、ラブリュスから生まれ出す。同時に周囲にあるものが跡形も残らずに消滅していく。まるで全てが蒸発していくかのように。その圧倒的熱量によって小さな太陽とでも言うべき力がアルバトロスを襲う。


炉心融解メルト・ダウン


それがルナールのもう一つの奥義。速さに費やしていたライトニングの力をラブリュスによって熱に変換する切り札。触れた物を全て消滅させるリミットブレイク。だがそれはルナールだからこそできる技。閃光化という力を持っていなければ技を使った瞬間に使い手であるルナールも蒸発してしまう自爆技。だがそれは今この瞬間は違う。閃光化しているルナールはダメージを受けないまま相手だけを融解に巻き込むことができる。物理攻撃が通用しない相手でも瞬時に抹殺できる反則技。


その破壊の規模によってアルバトロスが悲鳴を上げる。船の三分の一は飲み込もうかという凄まじい熱の波が巻き起こりアルバトロスはその翼を失い地へと落ちて行く。だがそんな中にあってもルナールには罪悪感はなかった。あるのは安堵だけ。自らの父であるハードナーに届くかもしれない牙を持った相手を葬ることができたことへの。だがすぐさまルナールはその場を離脱せんとする。既に周囲は崩壊し足場もままならない状況。『炉心融解メルト・ダウン』はその強力さ故にライトニングの力をほぼ使い切ってしまう。自分が離脱する分の閃光化の力は残しているもののこのままこの場にいれば熱と崩壊に巻き込まれてしまう。そう判断し、その場を離れようとした瞬間それは現れた。


「なっ―――!?」


それは幻だったのか。視界を遮る程の光の中を一つの影が駆けてくる。それが何なのかルナールには分からない。だが次第にその輪郭が見えてくる。人の形をした剣のようなものを持った影。間違いなく先程まで自分が戦っていた相手、ルシア。だがあり得ない。間違いなく先の攻撃は直撃したはず。瞬間移動で移動したのか、それとも幻だったのか。いや、それもあり得ない。何故なら今、この一帯は『炉心融解メルト・ダウン』に覆われている。その空間を動くことができるなど自分以外にはあり得ない。


その油断が、そして驚愕がルナールの動きを鈍らせる。その隙を見逃す程ルシアは甘くなかった。音速によってルシアはルナールへと迫るもルナールは光速で応えることはできない。奥義を使ったルナールは既に光速で動くことはできない。だがそんな中でもルナールにあきらめはない。自らが纏っている防御である閃光化。それがあることを知っていたから。


だがルナールは知らなかった。


無敵の力などこの世に存在しないことを。


ルナールはその瞳で確かに見た。ルシアの持つ剣が大きくその形態を変えたことを。自分にとって天敵とも言える力を持つその剣を。


封印の剣ルーン・セイブ


斬れないものを斬る魔法剣。光すら切り裂く力を持つ存在。物理以外の力に対して絶対の力を持つ剣。


隠していた切り札の差。そして先の戦いで互いに手札を晒したもののそれを利用したルシアとそれに頼り切っていたルナール。そして


一人であるルナールとそうではなかったルシア。


それがこの再戦、ルシアとルナールの決着だった―――――



[33455] 第五十話 「母なる闇の使者」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2013/01/06 22:31
ルカ大陸にある巨大な山脈。岩と砂だけが全てを支配している世界。そこに一隻の船が墜落していた。だがその大きさはとても船と呼べるようなものではない。巨大要塞アルバトロス。その名が示す通り要塞であるアルバトロスは墜落しながらもまだその原形をとどめている。そういった意味では不時着したというのが正しい表現。だが既に再び飛び立つことができない程の損害を受けていることは明らか。そんな中


「ふう……何とかなったか……」


ボロボロになったアルバトロスから一人の少年が脱出する。全身黒ずくめの恰好に金髪。DC最高司令官であるルシア・レアグローブ。その姿は全くの無傷。とても墜落したアルバトロスに先程まで乗っていたとは思えないようなもの。


(とりあえずは大丈夫そうだな……海じゃなくて山に墜落したのは逆に良かったのかもな……)


大きな溜息と共にルシアは改めて自分が先程までいたアルバトロスに目を向ける。墜落の衝撃によって所々が崩壊しかけているものの原型をとどめているのは流石はBGの拠点といったところ。同時にルシアは先の戦い、この事態を引き落とした原因を思い出す。ルナールとの再戦。その最後の攻防の際のルナールの攻撃によって要塞であるはずのアルバトロスはその翼を失いこの山脈に墜落してしまった。それはルシアにとっても完全に想定外の事態。下手をすればアルバトロスに乗っていた者全員が命を落としかねなかったのだから。だが結果はこの通り。墜落によって大きな衝撃に襲われはしたものの船が爆発するような事態は起こらずに済んでいる。もっともいつそれが起こるか分からないためにルシアは急いで船外に脱出したのだが。もし海であったのなら移動手段が必要になってくること、船が沈没する可能性があるためそれに比べれば随分マシな状況と言えるだろう。


六祈将軍オラシオンセイス達も全員無事みてえだな……けどまだルカンの奴も生きてやがる。四人がかりでも手こずってるってことなのか……?)


ルシアは感覚を研ぎ澄ませながら今の状況を確認する。まずは六祈将軍オラシオンセイスが全員無事であること。だが明らかにDBたちの様子がおかしい。一言でいえば焦っているような状況。先のアマ・デトワールのような状況に他の三人が持つDBも陥っている。それはすなわち六祈将軍オラシオンセイス達全員がルカンによって追い詰められている、苦戦している証。対するルカンの持つDBには全くそれらが見られない。ルシアは驚くしかない。確かにルカンは六つの盾シックスガードのリーダーであり最強の男。だがまさか六祈将軍オラシオンセイス四人がかりでも苦戦する程の強さを持っているなど考えもしなかったのだから。詳しい状況を知ろうにも六祈将軍オラシオンセイス達はアルバトロスを挟んでルシアとは正反対の側にいる。すぐに向かうことができない程の距離。どう動くべきかルシアが思考しようとした時


『何とかなった……か。なるほど、確かにそうだな……で? その脇に抱えておるのは何なのだ、主様よ?』


どこか背筋が寒くなるような空気を纏ったマザーの言葉がルシアに向かってかけられる。瞬間、ルシアはびくん、と反応し背筋を伸ばすしかない。まるで親に悪戯がバレてしまった子供のよう。ルシアは顔を引きつらせ、冷や汗を流しながらも恐る恐ると言った風にマザーに、同時に自らの抱えているものに目を向ける。そこには気を失ってしまっているものの健在なルナールの姿があった。


『い、いや……これはその……な、なんとなくだよ! なんとなく!』


ルシアはしどろもどろになりながらも弁解する。もはや言い訳にすらなっていない程の焦りよう。それは自らが抱えている、助け出してしまったルナールに対する言い訳。先程まで戦っていた、自分の命を狙っていた相手を助けるというマザーから見れば信じられないような行動。それを分かっていながらもルシアはどうしてもそれをせずにはいられなかった。もっともほとんど条件反射に近いものではあったのだが。そんな中にあってもルシアは何とかいい言い訳がないかと考える。だがどんな言い訳もマザーに通用するようなものではない。こうなれば無理やりだが死なせるには惜しいので仲間にするために助けたという理由でごり押ししようとルシアは開き直ったのだが


『ほう……何となく、か。では先程の戦いも何となくで手加減したということか? 我が主様よ』


そんなルシアの浅知恵などお見通しだといわんばかりの威圧感もってマザーはルシアを問い詰める。その言葉によってルシアは息を飲むしかない。それはマザーに自分の企み全てを知られてしまっているかのような感覚。


『て、手加減……? な、何言ってやがる! 俺はちゃんと全力で戦ったっつーの! てめえも見ただろうが、文句なしの完勝だろうが!』
『……侮るなよ、主様よ。我が気づかぬとでも思ったのか? 本気で戦えば剣の一振り、いや二振りで終わっておったろうが』
『っ!? い、いや……それは……』


マザーの言葉によってルシアは言葉を詰まらせるしかない。それはマザーの言うことが全て正しかったから他ならない。先のルナールとの戦い。見ることができない程の高速戦。それは正真正銘ルシアの全力を出したもの。そこに手加減は無い。だが根本的な差があった。それはルシアにとっては高速戦をする必要すら本来は無かったということ。最初からネオ・デカログスを使っていれば剣の二振りで勝負が決していたという事実。それをあっさりと見抜かれてしまったことにルシアは戦慄するしかない。


『そういえば結局アルバトロスは墜落してしまったな……しかも他ならぬBG側の仕業で。残念だったな、主様? せっかく敵を殺さないように細心の注意を払っていたというのに……いや、結局兵士達は死んでおらぬようだから良かったというべきかの?』


くくく、という笑いと共にマザーはさらにルシアを追い詰める。その笑いとは裏腹に目は全く笑っていない。まるで最初に出会ったころを彷彿とさせる雰囲気。限りなくエンドレスに近い姿。それに気圧されながらもルシアは思い知る。最初から自分の考えなどマザーには見抜かれてしまっていたのだと。


『敵を殺さないようにすること』


それがルシアが今までの、そして今回の戦いで誓っていること。それを守るためにルシアはあえてネオ・デカログスを使ってはいなかった。それはネオ・デカログスの威力があまりにも強力すぎるため。相手を殺さずに制することができた爆発の剣エクスプロージョンですら既に例外ではない。その証拠にここ半年の修行は誰もいない、広大な砂漠で行っていた。そうしなければ周囲の被害が洒落にならないレベルになってしまう。マザー曰く『歩く自然災害』レベルの力が今のルシアにある。そんな強さになってしまってからの初めての実戦。ルシアにとっては戦々恐々とするしかない戦い。今までの自分の身を心配してことではない。そう、敵の身を心配してのこと。

先のルナールの戦いでも闇の真空剣テネブラリス・メルフォース闇の封印剣テネブラリス・ルーンセイブの連続技を使えば一瞬で勝負は決まっていた。闇の真空剣テネブラリス・メルフォースはその速度と範囲からルナールも避けきれず閃光化を使うしかない。後はその直後に闇の封印剣テネブラリス・ルーンセイブを振るうだけ。だがそれを知っていながらもルシアは使うことができなかった。それは大きな二つの理由。

一つが闇の真空剣テネブラリス・メルフォースを使えばアルバトロスが墜落してしまうから。いや、そんな生易しいものではすまない。使った瞬間にアルバトロスは真っ二つに両断されてしまうだろう。そうなれば六祈将軍オラシオンセイスはもちろん船にいる一般兵も巻き添えにしかねない。

そしてもう一つがルナールを殺してしまう危険性があったから。ただの封印剣ルーン・セイブなら加減もできるが闇の封印剣テネブラリス・ルーンセイブであれば振るった瞬間、閃光化しているルナールは消滅しかねない。


ルシアがハードナーと六つの盾シックスガードをまとめて相手をしたくなかった本当の理由。それは乱戦になれば手加減ができず弾みで誰かを殺してしまうかもしれないから。


ルシアはそれをこれまでマザーに知られないように必死に誤魔化してきた。かつてのように自分が死ぬのが嫌で戦いたくないのだと装って。もし敵の身を案じているなどと知られればどうなるか分かったものではない。

だがそんな自らの考えが甘かったことをルシアはようやく気づく。それはアルバトロスの弾幕によって自分が攻撃された際のマザーの言葉。そして自分とのやり取り。ルシアは事ここに至って悟る。既にその時に自分はマザーに全てを見透かされていたのだと。


『マ、マザー……俺は……』


ルシアは息を飲み、緊張状態のままマザーに向かい合う。どう言い訳をするべきか。そしていかに許しを乞うべきか。だがルナールを殺すことはもちろん殺しを行うことはルシアにとっては禁忌に近い行為。ルシアには確信があった。もしそれをしてしまえばこれまでの自分が崩壊してしまう。そんな予感。だがそれを口に出すこともできない。そのままルシアはただマザーと向きあい続ける。マザーは唯無言でそんな主の姿を睨んでいるだけ。今にも崩れてしまいかねない程の極限の緊張状態。それがいつまでも続くのでは思えたその時


『………くくく、ははははははは!!』


そんなあまりにも場違いな笑い声が辺りに響き渡る。まるで悪戯に、ドッキリに成功した小さな子供のような無邪気な笑い。マザーはもう我慢できないとばかりにただひたすら笑い続ける。もし実体化していれば腹を抱えてその場に笑い転げている少女の姿があったに違いない程の騒ぎよう。だがそれはマザーだけ。ルシアはただそんな光景を前にその場に目が点になったまま立ち尽くしているだけ。一体何が起こっているか分からない。そんな状態。


『くくく……いや、中々に楽しませてもらったぞ、主様。まさかそこまで焦ってくれるとは我の想像を超えておったわ……』
『…………は? な、何言ってんだ、お前……? っていうかどういうことだおい!? 何でそんなに笑ってんだよ!? さっきまでのは何だったんだ!?』
『ふふっ、そう喚くでない、騒々しい。見ての通り、ちょっとした悪ふざけだ。お主の浅はかな考えなど全てお見通しよ。だがなかなかハラハラしたじゃろう? やはりお主はそうでなくてはいかん』


まだ笑いが収まらないのかマザーは息も絶え絶えにネタばらしをする。今までの言葉も、態度も全てルシアを驚かすためにドッキリであったことを。


『ふ、ふざけんなあああああ!? どういうつもりだ!? こっちはまじで死ぬかと思ってたんだぞ!?』
『失礼な。我が主を殺すことなどあり得ぬ。それにこれはちょっとした戒めだ。お主が敵を殺すことができんヘタレであることなどとうの昔から知っておる。我がいつから主と共にいると思っておる』
『そ、それは……じゃあ何か。俺が敵を殺さなくてもお前は構わないってことかよ?』
『うむ、おおむねの。だがそれはあくまでも主が勝つことが前提だ。相手を気遣って負けるなど本末転倒。まあその時には我が手を下してやろう。主にそれをさせることで妙な趣味に目覚められでもしたら面倒なことになるからの』


マザーは上機嫌になりながらも告げる。既にルシアの考えていることなどお見通しなのだと。ヘタレという言葉もそれを示すもの。ルシア自身のことでなく、敵を殺すことができないことを揶揄した言葉。ある意味ルシアのことを誰よりも理解しているマザーだからこそのもの。ルシアはそうと知らず勝手に右往左往していただけ。道化に相応しい間抜けっぷり。そしてそれを楽しむマザーのドSぶり。ようするにいつもどおりに二人組の姿だった。


『じゃ、じゃあ……俺は一体今まで何を……』
『ふん、我に隠し事をしようとした報いだ。だが殺しはせんにしても閃光のDBは奪っておけ。気を失ってはおるがいつ目が覚めるかは分からんからの』
『あ、ああ……最初からそのつもりだ……』


ルシアはがっくりと肩を落としながらもルナールの持つライトニングを没収し、地面へと横たわせる。封印剣ルーン・セイブによるダメージがあるためすぐに目覚めることは無いだろうが念のための処置。いかにルナールといえどもDBなしでは戦闘力は大幅に落ちる。これでこの場はひとまず丸く収まった。次にどう動くべきか。ルシアが思考を切り替えようとしたその時


「なるほど……てめえがシンクレアを持ってた小僧か……」


地に響くような低い声と共に一人も男が悠然とルシアに向かって近づいてくる。一歩一歩確実に。まるで執行者のように。


「…………」


ルシアは自らの背後からその気配を感じ取る。死角によって姿を見ることができないものの既にそれだけで十分だった。声から、足音からだけでも伝わってくる圧倒的な存在感。辺りの空気が重くなるような感覚。ただそこにいるだけで人が跪きかねない威風。それを持ち得る程の力とカリスマ。百万の兵士の頂点に君臨する空賊の王。


「初めましてってところか……自己紹介はいるか、金髪の坊主」


BG船長 『不死身の処刑人ハードナー』


世界に五つしかない闇の頂きに選ばれた一人の王がそこには君臨していた。



(こいつがハードナーか……確かにキング並みってのは嘘じゃねえな……)


ルシアは振り返り、ネオ・デカログスをいつでも抜けるようにしながらハードナーと向かい合う。まずその巨大さに圧倒される。同じ人間とは思えないような大男。左腕にはマシンガンが据えられ背中には一本の剣が携えられている。まさに処刑人の二つ名にふさわしい姿。まだ戦ってもいないのにその強さが伝わってくる。ルシアは知らず自分の見通しが甘かったのだと悟る。ルシアはシンクレア持ちの中ではハードナーは最も組みしやすい相手だと考えていた。確かにハードナーが持つシンクレア『アナスタシス』の再生の力は脅威。どんな傷も瞬時に再生してしまう無敵の力。だが逆を言えばハードナーにはそれしかない。後は純粋な剣技のみ。そして再生の力にも限りはある。ドリューやオウガが持つシンクレア、そして使い手自身の強さからルシアはハードナーはシンクレア持ちの中では最弱だろうと思っていた。だがルシアは感じ取る。それは直感といってもいいもの。これまでの戦闘経験とDBマスターとしての勘。それがルシアに警鐘を鳴らす。目の前の男、ハードナーが決して楽に倒せる相手ではないことを。


「カハハ! 何だ、黙ったままかよ。新しいDCのキングってのは随分無愛想なんだな」


挑発的な笑みを見せながらもハードナーはそのまま動きを止める。そこは剣を持っているルシアの間合いの一歩外。ふざけきった態度とは対照的にその瞳は確実にルシアの姿を射抜いている。微塵の隙のない戦士の王たるものの力。それを目の前にしながらもルシアもまたその場から動こうとはしない。動けばその瞬間に戦いが始まることを悟っているからこそ。ルシアはただ無表情でハードナーを見据えたまま。


「まあどうでもいいさ。今から死ぬ奴に名乗っても仕方ねえ……しかしまさかここまで一方的に醜態をさらすとは思ってなかったぜ。使えねえやつらだ……」


ハードナーはその口にくわえた葉巻から煙をふかしながらどうでもよさげにルシアの足元に目を向ける。そこには意識を失い蹲ってしまっているルナールの姿があった。だがハードナーは自らの仲間が倒れているのを前にしながらも全く気にする風もない。負けた者に用は無いのだと告げるかのように。ある意味でルシアとは対照的な王の姿。力こそが全ての悪の組織においては当然のもの。


「この調子じゃあ六つの盾シックスガードの連中も同じようなもんか……オレの船を壊しておきながらこれかよ、情けねえ。そう思わねえか、坊主?」
「…………」
「成程、どうやら思ったよりも甘ちゃんみてえだな。で、どうする。大人しくそのシンクレアを渡す気はあるか」


ハードナーは嘲笑いながらも告げる。大人しくシンクレアを渡せと。もちろんハードナーは本気でそんなことを聞いてなどいない。その証拠にその手が背中にある剣の柄に伸びる。戦闘の開始を告げるもの。表情には狂気とも言うべき笑みが浮かんでいる。これから起こる戦いを前に疼きを抑えきれない戦士としての本能。それはハードナーにとっては戦闘ではない。処刑と言う名の一方的な蹂躙。それが不死身の処刑人の二つ名の所以。だがそれを前にしてもルシアは眉ひとつ動かすことは無い。これから起こるDCとBGの戦争の決着をつける大一番を前にしても一言もしゃべることは無い。しかしそれは決してルシアがハードナーを無視しているわけでも、侮っているわけでもない。もう一つの深刻な戦いが巻き起こっていたからに他ならない。それは


『おい!何を好き勝手に言わせておる!? さっさとお主も名乗りを上げんか!』


ルシアの胸元にいるマザー。そのテンションがこれまでにない程に上がってしまっているということ。マザーはまるで自らの子の授業参観に来たかのように舞いあがり、そしてルシアに向かって捲し立てる。ハードナーに対抗するかのように。親バカ同然の姿。


『うるせえよ! 何で俺が名乗りなんてあげなきゃなんねえんだよ!? やりたきゃてめえが勝手にやれ!』
『できるのならとっくにやっておるわ! だがあのデコハゲには我の声は聞こえん! さっさと言い返さんか、我はお主の物だと! 今言わずにしていつ言うつもりだ!?』
『何そんなに必死になってんだよ!? これから戦闘なんだからてめえは黙ってろ、集中できねえだろうが!?』


ルシアは圧倒されながらも必死にマザーを抑えようするもそんなことなどどうでもいいとばかりにマザーは興奮しっぱなし。せっかくシリアスに最終戦を迎えようとしているのにある意味台無しになりかねない状況。マザーの声がハードナーに聞こえていないのが唯一の救い。もし聞こえていたのなら放送事故ばりの大惨事になってしまっていただろう。だがマザーにとっては無理のない話。いわばこれは五十年間待ちわびてきた戦い。自らの主がシンクレアを統べるに相応しいと示すための儀式。この時のためにマザーはルシアを鍛えてきたのだから。だが端から見ればぎゃあぎゃあと痴話喧嘩をしているだけ。ルシアが本気でワープロードでアジトに送り返すしかないとあきらめかけたその時


『そこまでにしなさい、マザー。そのままでは器が知れますよ』


そんな聞いたことのない、聞こえるはずのない声が響き渡る。ルシアは一瞬、理解できない事態に放心状態になってしまうもののすぐにその正体に気づく。その視線がハードナーの胸元に向けられる。その声の主がそこにはいた。

母なる闇の使者マザーダークブリングの一つ。

『アナスタシス』

それが今、マザーに話しかけてきた声の正体だった。


『……ふん、余計な御世話だ。貴様も全く変わっておらんようだな、アナスタシス』
『ええ、おかげさまで。でも驚きました。本当にあなただったのですね、マザー。見違えましたよ。あなたがそんなに流暢にしゃべっているなんて』
『っ!? な、何だ! 我がしゃべっていることがそんなにおかしいのか!? 貴様こそ変わらずに気色悪いしゃべり方をしおって……』
『ご心配なく。これは私の地ですから。ですがどういう風の吹き回しですか。あなたは私達の中でも我らの意志に最も近い存在だったはず。感情など必要ないと仰っていたはずでは……?』
『ぬ……そんなことはどうでもよい! それよりもどういうつもりだ! 我がアキとどうしようと貴様にとやかく言われる筋合いはないぞ!』


ルシアは一体何が起こっているのか分からずただ無言で二人の応酬を聞くしかない。そう、二人の。ここに至ってようやくルシアは気づく。今まで特別なのはマザーだけなのだとルシアは思っていた。だがそれが大きな間違いだったのだと。それはつまりマザーと同じ存在がまだ四つ存在しているということ。それが出会えばどうなるか。それが今、目の前で行われている光景。シンクレア同士が言い争いをしているという意味不明の光景だった。


『いえ、そういうわけにはいきません。あなたの言動は自らの主を軽んじています。分かっているのですか、マザー? 私達は主に仕える者。分をわきまえなさい』
『ぐ……そんなことは言われるまでもないわ! だがこれが我とアキの在り方だ! 貴様の考えを押し付けるでない!』
『そうですか……それは失礼しました』
『ふん……それに何だその担い手は? そんなでかいだけの男が好みだったのか? 随分な悪趣味をしておるの?』
『……前言を撤回しなさい、マザー。主に対する侮辱は許しませんよ』
『ハ! ようやく本性を現しおったか。では聞かせてもらおうか、貴様はその男のどこに惚れたというのだ?』
『惚れてなどいません……私はただハードナー様のお力になりたいだけ。容姿など関係ない。彼は心に大きな傷を負っている。それを癒すことが私の願いであり彼の願いです』
『ふん……お涙頂戴というわけか。確かに貴様が好みそうな男だ』
『なんとでも。それに彼の願いは我らの意志とも合致しています。彼以上にシンクレアに相応しい担い手はいません』
『ほう、よく言った。だが残念だったな。全てのシンクレアを手にして王となるのはアキだ。貴様の主など相手にもならんぞ』


マザーは自信満々に宣言する。ルシアこそがシンクレアを持つに相応しい担い手であると。ルシアはただそれを黙って聞いていることしかできない。突っ込みたいところは山のようにあるのだが今の二人(?)の間に割って入ることなどできない。いや、割って入ってはいけない空気がそこにはある。まるで自らの彼氏自慢を延々と聞かされているかのような空間がそこにはあった。そんな中


『失礼、ご挨拶が遅れました。私はシンクレアの一つ、アナスタシスと申します。以後お見知りおきを、魔石使いダークブリングマスター
『あ、ああ……ルシア・レアグローブだ。宜しく……』


アナスタシスがルシアに向かって意識を向け挨拶をする。いきなりのことに呆気にとられながらもルシアは何とか言葉を返すもルシアの中にはアナスタシスのイメージとでも言うべきものが伝わってくる。透き通るような声とどこか上品さを感じさせる言葉遣い。もし実体化しているなら黒髪の和服美人が目の前でお辞儀しているであろう光景。


『何を普通に挨拶をしておるのだ、アキ!? こいつは敵だぞ!』
『い、いや……まあそうだが……』
『そこまでにしなさい、マザー。それにしてもレアグローブということは……金髪の悪魔ですか? ですが確かかの存在は既に消えていたはずでは……?』
『そ、それは……』


アナスタシスの言葉によってマザーは口ごもってしまう。まるで痛いところを突かれてしまったかのように。ルシアは一体二人が何の話をしているのか分からず口を出すことができない。


『……なるほど、あなたの仕業ですか。不完全な時空操作を使ってまで自分好みのマスターを作り上げているというわけですね……あなたの方が十分悪趣味だと思いますが……』
『う、うるさい! 我らのことは我らの問題だ! アキがシンクレアに相応しいことには変わらん!』
『まったく……まあいいでしょう。このままどちらの主が上かを言い争っても仕方ありません。そんなことをする必要ももはやないでしょう?』


一度大きな溜息を吐きながらもアナスタシスの空気が変わっていく。ハードナーの戦う意志に呼応するかのように。瞬間、凄まじい力が辺りを支配していく。今までルシアが戦ってきたどんなDBとも比べ物にならない圧倒的な存在感。DBの母たるシンクレア。その一つが完全に自分を消し去らんとしている。DBマスターとしての感覚がそれを感じ取る。知らずルシアは息を飲む。自分が戦うのはハードナーだけではない。アナスタシスという闇の頂きの一つ。それを打ち負かさない限り勝利とはならないのだと。


『分かっておるな、アキよ。手加減など無用だ。アナスタシスに見せつけてやれ、お主の力をな』


マザーは高揚しながらもルシアへと告げる。全力で戦えと。だが言われるまでもなくルシアは理解していた。今から始まる戦いにそんな余裕など無いことに。相手は百万の兵の頂点に立つ王であり、再生の力を司るシンクレア。ただ全力を尽くすのみ。そしてルシアは口に出す。戦いの狼煙を上げる宣言を。マザーにさんざん言われたように名乗りを上げながら。


「ルシア・レアグローブだ……お前が持っているシンクレア、力づくで奪わせてもらう」


DCとBGの決着をつける戦い。そしてシンクレアを賭けた戦いを意味する言葉。だがそれは


『っ!? 何だそれは!? 何故奴を口説いておる! そこは我を渡さんと啖呵を切るところであろうが!?』
『痛てててっ!? く、口説く!? 何を意味分からんこと言っとんだ!? いいから頭痛をやめろ! 負けちまうだろうが!?』


マザーのヒステリックとも言える叫びで台無しにされてしまう。しかも頭痛というおまけ付き。とても最終戦とは思えないような空気(ハードナー以外)を残しながらも金髪の悪魔と不死身の処刑人、そしてマザーとアナスタシスの頂上決戦の火蓋が今、切って落とされた―――――



[33455] 第五十一話 「処刑人」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2013/01/10 00:15
「力づくで奪い取る……か。中々意勢がいいことほざくじゃねえか、坊主?」


心底おかしいといわんばかりの笑みを見せながらハードナーは自らの剣を抜く。だがそれは唯の剣ではなかった。剣先が丸くなってしまっている剣。敵の首を跳ねるためだけのもの。処刑人と呼ばれるハードナーを現す武具。それを手にしながらハードナーは一歩、また一歩とルシアへ向かって近づいて行く。一見無防備に見えるそれは決してそうではない。その証拠にハードナーの瞳は確実にルシアを捕えている。その一挙一動を見逃すまいとするかのように。その視線がある一点に集中される。


(なるほど……あれが奴の剣……形態を変えるっていう剣ってわけか……)


ハードナーはルシアが手にしている巨大な剣を見据えながらも思考する。様々な形態に変化し能力を変えるという剣。噂に名高いTCMと同じ能力を持つ剣。その存在、デカログスをハードナーは知っていた。かつての先代キングが使っていたとされる魔剣。自分と互角の力を持っていた闇の頂点とまで呼ばれた男の剣。どうやらそれが目の前のルシアに受け継がれたらしいことを悟りながらもハードナーには恐れは無い。確かにあのルナールに無傷で勝利したことからルシアの実力はかなりのもの。だがそれでも王たるハードナーの前には通用しない。ハードナーには確信があった。今の自分はかつてのキングを超えていると。ならば恐れるのものは何もない。欲しいものを力づくで奪い取る。それは奇しくもBGを、空賊である自分の在り方。ならばその力を以て目の前のルシアから逆にシンクレアを、命を奪わんとハードナーは動く。だがその刹那、ルシアの持つ剣の形態が大きく姿を変える。ハードナーはそれを見ながらも自身の動きを止めることは無い。まだルシアの剣の間合いからは大きく離れた位置。それは剣士であれば誰もが悟ること。

しかしハードナーは知らなかった。アキが持つ魔剣がかつてキングが持っていたものとは大きく変わっていることを。その力を受け継ぎ、先代を大きく超える真の魔剣であることを。ルシアはそのままネオ・デカログスを無造作に地面に向かって突き立てる。一切の迷いなく、自然な動作。


だがその瞬間、大地が崩壊した――――


「何っ―――!?」


突然の事態にハードナーは驚愕の声を上げることしかできない。当たり前だ。いきなり自分のいる場所が、大地が崩壊し始めたのだから。しかもそれは収まることがない。ヒビ割れながらも凄まじい規模の爆発が辺りを巻き込んでいく。まるで数百、数千の地雷が一気に炸裂してしまったかのような衝撃と閃光。それがルシアが持つネオ・デカログスの形態の一つ『闇の爆発剣テネブラリス・エクスプロージョン』の力。だがそれは本来の力ではない。ルシアはただそれを地面に突き刺しただけ。最小限の力を引き出しただけに過ぎない。だがそれだけでもこの威力。大地を崩壊させかねない規模の爆発がハードナーに襲いかかって行く。だがその爆発と崩壊の中をハードナーは臆することなく躱しながらルシアに向かって疾走してくる。傷一つ負うことなく向かってくるその姿はまさに王に相応しいもの。だがそんなハードナーであっても足場である大地が崩壊しかけた瞬間に逃れようのない隙が生じる。ほんの一瞬の、見逃してしまいそうなほどの刹那。だがそれこそがルシアが生み出したかったもの。そしてこの戦いの終焉を告げるもの。


闇の真空剣テネブラリス・メルフォース


その名を告げながらルシアは剣を振るう。瞬間、大地が、山が切り裂かれた。信じられないような規模の真空の刃が暴風を巻き起こしながら大地を削り取っていく。凄まじい轟音と地震が起こっているかのような振動。まさに天変地異。人の手では及ばないような圧倒的な力。それが容赦なく一人の人間であるハードナーを飲みこんでいく。決して逃れることができない一撃。


後には地平線の彼方まで続くのではないかと思えるほどの傷跡が大地に残されただけ。たった一振りで大地を割り、新たな崖を作り出してしまうほどの力。それが真の魔剣ネオ・デカログスの真の力。先代を超える新たな王、ルシア・レアグローブの実力だった―――――




(ちょ、ちょっとやりすぎちまったかな……?)


ネオ・デカログスを鉄の剣の状態に戻しながらもルシアは背中に冷や汗を流し自らが引き起こした惨状に目を向ける。どこまでも続くのではないかと思えるような崖。その衝撃による粉塵によって辺りの視界は奪われているものの破壊の爪痕は隠し切れていない。それを目の当たりにしながらルシアは改めて自らの力、ネオ・デカログスの力に恐怖していた。これまでは広大な砂漠でしか使用したことがなかったため砂煙が上がるだけ、もしくは砂がえぐられるような惨状しか見たことがなかったのだが実際に山の中で使えばどうなるか。それが目の前の光景。もし街中で使おうものなら街そのものが消滅しかねない規模。

ルシアは心に固く誓う。対人戦においてはネオ・デカログスを使用しないことを。もっとも今回の戦いは例外中の例外。シンクレアを持つ、キング級の相手ならば死ぬことは無いだろうという考え。相手が再生の力を持つハードナーだったというのも大きな理由。そしてルシア自身、先の一撃も最小限の力しか引き出していない手加減したもの。だがそれでもやりすぎしまったのではないかと不安になりかけた時


『ふん、どうだ! これが我らの力だ! 散々好き勝手言いおって……いい気味だぞ、そうは思わんか、主様!?』


それは胸元ではしゃいでいるマザーの言葉によって吹き飛ばされてしまう。ルシアの胸中など、心配などなんのその。我が世の春が来たといわんばかりにマザーは興奮し、歓喜している。とても先程のアナスタシスと同じ存在とは思えない程のお子様ぶり。


『あ、ああ……でもやりすぎちまったか? 一応手加減はしたつもりだったんだが……』
『ん? なんだ、そんなことを心配しておったのか。まあ大丈夫だろう。腐っても奴は再生を司るシンクレア。易々と主を死なせることはあるまい。もう一撃ぐらい食らわしてもいいぐらいだ』
『そ、そうか……』


マザーの当てになるのか当てにならないのか良く分からない言葉を聞きながらもルシアはその感覚を研ぎ澄まし今自分たちがいる場所から反対側、六祈将軍オラシオンセイス達がいる方向に向ける。無事は確認したもののまだ戦闘中であったはず。もし危険なようなら助けに向かわなければならない。だがルシアがそれを感じ取るよりも早く


「なるほど……どうやら甘く見てたのはオレの方だったみてェだな。危うく『死んじまう』ところだったぜ」


どこか楽しげな、そして狂気を孕んだ声がルシアに向かって掛けられる。瞬間、ルシアはその場から飛び跳ね大きく距離を取りながら声の主、ハードナーと向かい合う。だがその瞳は見開かれたまま。あり得ないような事態を前にしたことによるもの。その証拠に先程まで自信満々であったマザーでさえ言葉を失い黙りこんでしまっている。


「どうした、そんな幽霊を見ちまったような顔しやがって……まさかあの程度でオレが死んだとでも思ってやがったのか?」
「…………」


嘲笑うかのような表情を見せながらもハードナーの瞳は笑ってはいない。先程までの相手を侮っているかのような空気も何も消え去ってしまっている。ルシアはただそんなハードナーは姿を無言で見つめているだけ。だがその表情には明らかに焦りがあった。それは


(こいつ……何でこんなに余裕があるんだ……?)


ハードナーが全く自分を恐れる様子をみせていないことにあった。ルシアは改めてハードナーの状態を確認する。全くの無傷。傷一つ負っていない先程までと変わらない姿。だがそれ自体に驚きはない。再生の力を持つアナスタシス。それをハードナーが持っていることを知っていたからこそ。致命傷であっても瞬時に再生するほどの力。それがあれば確かに先の攻撃を食らっても耐えることができるだろう。事実それを計算に入れたうえでルシアは攻撃した。だがルシアにとって先の攻撃はハードナーを戦闘不能にするために行ったものではなかった。


『ハードナーの心を折ること』


それがその本当の理由。ネオ・デカログスの圧倒的な力を目の当たりにさせることでハードナーの戦う意志を奪うこと。それだけの力が先の攻撃にはあったはず。防御も回避も不可能。剣で戦うハードナーではルシアに近づくことすらできない。いわば詰みに近い状況。いかに再生の力を持ったハードナーとはいえ絶望を悟らざるを得ない程の戦力差。にも関わらずハードナーには微塵の恐れもない。アナスタシスの力が無限だと思い込んでいるにしてもあり得ないような自信。だがその正体とでも言うべきものをルシアは捉える。それはハードナーの胸元で輝きを放っている存在、アナスタシス。そこから先程までは感じなかった凄まじい力の奔流が満ちている。まるでマザーに匹敵、いやそれを凌駕しかねない未知の力。知らず息を飲みながらもルシアは自らの中に生まれつつある恐れを振り払うかのように再びネオ・デカログスを構える。同時にその姿が大きく変わる。


闇の双竜剣テネブラリス・ブルー=クリムソン


炎と氷の属性を持つ二刀剣。その力はかつてのデカログスとは比べ物にならないもの。その片方、氷の剣を持ちながらルシアは力を振るう。


「はあっ!」


ルシアの咆哮に呼応するように刀身からこの世の物とは思えないような冷気が溢れだし、ハードナーに向かって襲いかかって行く。アイスサンドと呼ばれる遠隔攻撃。相手を氷漬けにすることで動きを奪う力。そしてネオ・デカログスとなった今の攻撃はかつてジェロが見せた氷の息吹に匹敵するほどのもの。それを示すかのようにハードナーの周囲の世界が全て氷漬けになっていく。草も、岩も、大地も、空気さえも白銀の世界に変えながら氷の力が全てを覆い尽くさんとする。例え魔導士であったとしても防ぐことができない規模の攻撃。だが


「残念だが……オレ様には何も通用しねェ」


それはハードナーの宣言によって木っ端微塵に打ち砕かれる。ハードナーがその右手を晒した瞬間、あり得ないようなことが起こる。今にもハードナーを飲みこまんとした冷気の力が動きを止めてしまう。いや、それだけではない。その力の流れがまるで逆流するかのように無効化され消え去っていく。凍らされていた周囲も既に元の姿に戻りつつある。その全てがルシアの手にしているネオ・デカログスに向かって戻って行く。ルシアは考えもしなかった事態に驚愕しながらも何が起こったのか分からず混乱するしかない。ただ分かること。それは先の闇の真空剣テネブラリス・メルフォースも恐らくはこの力によってハードナーは無効化したのだということ。


「驚いたようだな……これがオレのシンクレア、アナスタシスの力だ」
「…………アナスタシス。じゃあそれも再生の力なのか……?」
「ほう、オレのシンクレアの能力も知ってるってわけか? だがそれだけじゃねえさ。確かにアナスタシスの力は再生、オレ自身を不死身にする力だ。だがそれはその一部に過ぎねえ……アナスタシスにはさらにその上の力がある」
「上の力……?」
「そう……それが『巻き戻し』だ」


狂気を秘めた笑みを見せながらもハードナーは左腕に据えられたマシンガンを自らの手でちぎり取る。もはやそれが必要ないのだと告げるかのように。いきなりの気が触れたと思えるようなハードナーの行動にルシアは圧倒されながらもその光景に目を奪われる。そこには失われたはずの左腕があった。いや、『再生』されていた。

それはハードナーの戒め。過去の事故によって奪われた全てを象徴する傷跡。治すことができるにも関わらずあえてそれをしなかったのは自らを戒めるためのもの。だがこの瞬間、それは解き放たれた。目の前のルシア、その強さが自らの全力を出すに相応しいと認めた証。そして再生を司るシンクレア『アナスタシス』の真の力を解放するためのもの。


ルシアが動くよりも早く見えない力が全てを包み込んだ。


アナスタシスがまばゆい光を放った同時に凄まじい振動が巻き起こる。それは地面から起こっているもの。まるで先のルシアの攻撃の焼き回し。だが違うことあった。それはルシアの一撃によって生まれた崖が再び元の大地に戻らんとしていること。吹き飛ばされたはずの土が、岩が、あらゆるものが元に戻ろうとするかのように動きだし形を為していく。だがそれだけではない。崩壊しかけていたアルバトロスさえも再生されていく。いや、元の姿に戻って行く。まるで映像が『巻き戻されていく』かのように。その光景に、力の流れによってようやくルシアは気づく。ハードナーが一体何をしているのかを。


「『時間を巻き戻す』……それがアナスタシスの真の力だ。どんなDBも、魔法もオレには通用しねえ。力を使う前に巻き戻しちまえばいいんだからな……これがオレが無敵の戦士と呼ばれる理由だ。光栄に思えよ、小僧。これを全力で見せるのはお前が初めてだ」


『時間逆行』


それがアナスタシスの真の力。ルシアは自らの身体や物質の再生こそがアナスタシスの能力だと思っていた。だがそれは大きな間違い。それはその力の一部に過ぎない。時間を巻き戻すことこそがその本質。その最も基本的で扱いやすいのが自身の肉体の再生。正確には受けた傷を無傷であった時間まで巻き戻すこと。だが今ハードナーが行っていることはその比ではない。見えない力が包みこんでいる範囲。その全ての時間の流れをハードナーは意のままに巻き戻すことができる。それが先の攻撃の無効化。発生した効果や能力を発動する前まで巻き戻しなかったことにする力。まさにDBの母たるシンクレアに相応しい能力。だがそれはハードナーとアナスタシスだからこそ辿り着ける頂きであり極み。


『一心同体』


それがDBを極めるために絶対不可欠の要素。使い手とDBが通じ合う感覚。それを今、ハードナーとアナスタシスは成し遂げている。


『過去をやり直したい』


それがハードナーの根本にある感情。愛する妻と娘を失ってしまった過去を無かったことにしたい。取り戻したい。決して消えることのない傷とそれをなかったことにしたい想い。それとアナスタシスの力である時間逆行はまさにこれ以上にない程に合致している。だからこそアナスタシスは自らの主にハードナーを選んだ。自らの司る力と同じ願いを持ち、同時に全てを消し去らんとする矛盾した願いを持つ処刑人。それがハードナーの力。


(時間を巻き戻す……!? な、何だよそれ!? じゃあDBの力は全部通用しねえってことか……!?)


戦慄しながらもルシアは咄嗟に自らが持つDBの力を使わんとするもその全てが使えない。いや、正確には使おうとしてもその全てが巻き戻されてしまう。ネオ・デカログスも、イリュージョンも、ワープロードもその能力を発揮できない。今この空間はアナスタシスによって支配されている。そこにいる限り全ての力は封じられてしまう。あり得ない事態にルシアの顔に初めて焦りが浮かぶ。もはや表情を取りつくろっている余裕すらなくなったことを示すもの。


「だが安心しな。この力は生き物には効果がねェ。あればてめえを巻き戻して消滅させることもできたんだが……ま、そう何でも上手くはいかねェってことだな」


高らかに笑い声を上げながらハードナーはついに自らの剣の間合いにまでルシアを追いこむ。それを前にしながらルシアもまた意識を切り替えながら自らの剣を持ちハードナーと向かい合う。ルシアは己を鼓舞する。確かに今、自分は全ての能力を封じられてしまっている。ネオ・デカログスによる力も、イリュージョンによる幻影も、ワープロードによる瞬間移動も使えない。だがそれでもまだ手がないわけではない。


「つまり……オレを殺すには剣を使うしかねェってことだ」


ハードナーがまるでルシアの思考を読むかのようなタイミングで自らの弱点を吐露する。剣でしか自分は倒せないと。つまり物理攻撃でしかハードナーには届かない。それ以外の力はアナスタシスの極み、『巻き戻し』によって無効化されてしまう。単純な、それでも絶対の真理。

先に動いたのははたしてどちらだったのか。それが分からない程の刹那、ルシアとハードナーは動き出す。共にその手に愛刀を手にしながら。二人の間に距離が一瞬で零になる。瞬きも許されない程の動きと剣閃。それが合わさった瞬間


お互いの剣の衝撃が大地を揺るがした――――


その威力によって両者の足元はめり込み、剣は摩擦によって火花を散らす。擦れ合う金属音だけが辺りを支配する中、ルシアとハードナーは睨みあいながらも互いの力量を一瞬で感じ取る。それは奇しくも同じこと。互角。こと剣の腕は目の前の相手が五分の力を持つことを両者は見切る。


「カハハ! 本当にやるじゃねえか、小僧! このオレ様と剣で互角とはな!」
「…………」


鍔迫り合いをしながらも楽しげなハードナーとは対照的にルシアは無言のまま。それは目の前のハードナーの剣の腕を見誤っていたからこそ。今のルシアの剣技はかつてのキング、ゲイルに勝るとも劣らないもの。剣聖シバの幻と十年以上修行してきた成果。だが目の前のハードナーもそれに匹敵する腕を持っている。まさに王に相応しい力、アナスタシスに頼っているだけではないことを示す事実。だがまだ戦況は五分。ルシアはそう己を奮い立たせ剣を振るわんとする。だが


「けどここまでだ……オレを剣で殺せる奴はこの世にはいねェ」


ハードナーの絶対とも言える宣告によって戦況は一気に覆る。


「なっ――――!?」


ルシアはただ声を上げることしかできない。今、自分に何が起こったのか分からない。分かるのはただ自分の視界が鮮血に染まってしまっているということだけ。同時に痛みがルシアを襲う。自らの右腕からの痛み、まるで剣によって切り裂かれたかのような痛みと出血が起こる。


『っ!? アキっ!?』


あり得ない、理解できない事態を前にしたことでマザーが悲鳴にも似た声を上げるもそれによってルシアは我を取り戻し剣を弾きながらハードナーから距離を取らんとする。だがあえてそれを追うこともなくハードナーは不敵な笑みを見せながらもルシアの右腕を見つめ続けている。だがルシアは理解することができない事態に混乱するしかない。自分はハードナーの剣に斬られてはいない。ましてや触れてすらいない。何よりも今自分は甲冑を着ている。にも関わらず右腕には切傷が、出血がある。不可思議な状況。


「どうやら驚いてくれたみてェだな。これがオレの剣、処刑剣『エクゼキューショナーズ・ソード』の力。剣を合わせただけで相手を切り裂ける魔剣さ」


ハードナーはそのまま自らの手のある魔剣、エクゼキューショナーズ・ソードを見せつける。その剣と剣を合わせた者を切り裂くという特殊能力を持った代物。だがそれはハードナーだからこそ扱える物。何故なら


「だがこいつは魔剣ってよりは呪われた剣でな。相手だけでなく自分も傷つけちまう。ほらな、てめえと同じように右腕が斬れちまってるだろ? 悪趣味なことを考えた奴らもいるもんだぜ」


面白い小話を聞かせるかのようにハードナーはその右腕を晒す。そこにはルシアと全く同じ傷を負ってしまっている右腕があった。それがエクゼキューショナーズ・ソードの呪われた力。相手だけでなく自分すらも傷つけてしまう狂気の剣。かつて罪人を捌く際に処刑人にもその痛みを負わせるべきだという狂った信仰から生まれた凶剣。この剣を扱う者は相手を直接斬る必要は無い。ただ耐えるだけ。故にこの剣に剣先は無い。何故なら最後に倒れ伏した罪人の首を跳ねることだけがこの処刑剣の役目なのだから。だがその常識を覆すことができる担い手がここにいる。


「しかしこいつは中々オレと相性がいいのさ。もう分かっただろう? オレにはアナスタシスの再生がある。処刑されるのはお前だけってことだ、小僧」


『再生』という力を持つ処刑人。彼がこの呪われた剣を持った瞬間、それはまさに無敵の魔剣と化す。


「――――っ!!」
「無駄だ! オレからは逃げられはしねえ! このまま大人しく首を落とされな!」


ルシアは己が逃れられない状況に、罠に陥ったことに気づき、その場を離脱せんとするもそれを見通していたかのように凄まじい速度でハードナーが間合いを詰め剣を振るってくる。その速度を躱すことができずルシアはネオ・デカログスでそれを受けるしかない。だがそれはさらなる窮地へとルシアを追いこむ。


「ぐっ……!!」


新たに胸にできた傷によってルシアの顔が苦痛に歪む。ハードナーの剣を防御してしまった代償。その証拠にハードナーの胸元もまたルシアと同じように鮮血に染まっている。だがそれは一瞬。次の瞬間にはハードナーはアナスタシスの力によって再生し、無傷のまま再びルシアへと襲いかかってくる。だがそれを前にしながらもルシアには打つ手がない。相手の剣を避けようにもハードナーの剣の腕は自分に匹敵するもの。それを全て躱しながら戦うことなど不可能。剣で受けなければその瞬間、首を落とされてしまう。だが防御したとしても処刑剣の能力によって傷を負ってしまう。まさに絶体絶命。今までの戦いで受けたことのない傷の痛みが、出血がルシアの平常心を奪って行く。隙を見つけようにもハードナーは未だに『巻き戻し』の力を解除してはいない。DBの力を使うことはできない。できるのは剣で戦うことだけ。しかもそれすらも全て通用しない。完全な袋小路。このままではいけない。何とか活路を見つけ出さなくてはいけない。


「はあああああっ!!」


ルシアは渾身の力でハードナーの剣の一閃を弾き飛ばし斬り込んでいく。その攻防によって新たな傷を負うもののそれを振り切りながらルシアは剣を振るう。狙うのはハードナーの胸にあるアナスタシス。それを斬り飛ばすことで勝機を掴まんとするもの。だがそれは


『焦るでない、アキ! それは罠だ!!』


マザーの絶叫とも言える声でかき消されてしまう。ルシアはその声で咄嗟に冷静さを取り戻すも動きを止めることができない。ルシアのシンクレアを狙った剣はあろうことかハードナーの腕によって止められる。その一閃によってハードナーの左腕が斬り飛ばされるも全く意に介することなくハードナーの剣がルシアを襲う。今までの攻防では見られなかった確実にルシアの首を狙った一撃。自らの負傷を恐れることなく戦うことができる、狂気にも近い精神をもったハードナーだからこそできる捨て身の攻撃。


「くっ!!」


その断頭台の一撃をルシアは身体を捻り首の皮一枚のところでは回避する。だがその勢いを殺し切ることができずそのまま地面へと転げ落ち、倒れ込んでしまう。しかしそれは九死に一生を得たもの。もしマザーの声がなければそのまま首を落とされてしまっていただろう。ルシアは何とか剣を支え代わりにしながら立ち上がろうとするも既に身体は満身創痍。度重なる傷による出血によって足元はふらつき、意識も朦朧としている程。


『……!! ア、アキ、しっかりせんか! このままでは嬲り殺しにされてしまうぞ……!』


マザーは必死にルシアへと話しかけるも既にルシアにはそれに応える余力すら残っていない。だがマザーもただ黙って自らの主がやられているのを見ていたわけではない。その証拠にこれまでに何度もマザーは自らの意志で空間消滅を使おうとしていた。だがその全てを無効化、巻き戻されてしまっている。


(まさかここまでとは……我の力よりも奴らの力の方が上回っているということか……!)


マザーは己の見通しの甘さに後悔するしかない。同じシンクレアを持つ者同士の戦い。いかに再生の力を持つアナスタシスが相手だとしてもルシアが後れを取ることはないと考えていたがそれは大きな間違いだったのだと。マザーとアナスタシス。そこに大きな力の差はない。むしろ力の強さで言えばマザーの方に分があるだろう。だがそれすらも覆せるのが使い手の力。シンクレアの極みとでもいえる力。その領域にハードナーとアナスタシスは到達している。それこそがエンドレスの求めている存在。かつてシバ・ローゼス、初代レイヴマスターという使い手の力によって敗れてしまったからこそ追い求めた魔石を操る力を持つ者。


『どうやらここまでのようですね……これで分かったでしょう、シンクレアを統べるに相応しいのがどちらであるかを』
『く………!』


そんなマザーの姿を見て取ったかのように今まで全くしゃべることのなかったアナスタシスが告げる。もはや勝負は決したと。自らとハードナーの力を示しながら。それを前にしてマザーは何も言い返すことができない。ただあるのは恐怖だけ。敗れることではなく、ルシアを失ってしまうかもしれないという恐怖。もしDBが使えるのならワープロードで脱出させることもできるがこの状況では不可能。もはや逃げ場は無い。今のハードナー達から逃れる術は無い。万事休す。どうしようもない絶望がマザーを包み込んでいく。


「ハアッ……ハアッ……!」


二つのシンクレアのやり取りが聞こえているのかどうかも定かではない状況でルシアは何とか立ち上がる。夥しい出血による痛みと消耗によってもはや戦うこともできないではないかと思える姿。


「まったく……まだやるつもりかよ。もう分かっただろ。てめえじゃオレには勝てねェ。さっさとシンクレアを使ったらどうだ? それともシンクレアの力も使えねェってことか?」
「…………」


ハードナーの挑発に対してもルシアは何も答えることは無い。ただその視線は自らの胸元に向けられていた。息が上がり、虚ろな瞳になりながらもルシアはただマザーを見つめている。まるで何かを迷っているかのように。マザーもまたそんなルシアの姿に目を奪われ声をかけることができない。ハードナーは何の反応も示さないルシアに呆れたかのように大きな溜息を吐きながらもその剣を手にしながら近づいて行く。さながら死刑の執行人のように。既に相手は満身創痍。次の攻防で確実に首を落とす。その決意をもって。


「ここまでだ……安心しな。その使えねェシンクレアもオレがもらってやるよ」


ハードナーは笑いながら告げる。この勝負の決着をつける言葉を。自らの破滅を意味する言葉を。


瞬間、空気が凍りついた。


『――――――』


アナスタシスは知らず息を飲んでいた。声を上げることも忘れてしまう程のその空気に飲まれていた。それはDBマスターとしての力。いうならばDBを扱う者の力を示すもの。それが今この瞬間、全てを支配している。だがそれは自らの主であるハードナーの物ではない。先程までこの場を支配していたハードナーの力は既に霧散してしまっていた。あるのはそう、目の前の使い手、ルシア・レアグローブの力だけ。だがその力の強さにシンクレアであるはずのアナスタシスですら恐怖する。いわば本能によるもの。アナスタシスは悟る。今、自分たちが敵対している相手が何者であるかを。


『ア、 アキ……?』


マザーはただ恐る恐る自らの主へと話しかける。だが知らずマザーは高揚していた。既に満身創痍、絶体絶命の状況。だがそれすらも些事だと思えるほどマザーはその姿に力に魅せられていた。同時にルシアの感情が流れ込んでくる。それは怒り。それもこれまで感じたことのない程のもの。かつてエリーの危機を前にしてみせたものを凌駕するほどの怒り。


「……調子にのってんじゃねえぞ、てめえ……」


ゆらりと、まるで幽鬼のようにルシアは顔を上げながらハードナーへと視線を向ける。身体は変わらず傷だらけ。いつ倒れてもおかしくない重傷。だがその瞳からはこれまでにはなかった光がある。様々なしがらみによって縛られていた全てがどうでもいいといわんばかりの意志を秘めた眼光。


今のルシアには何もなかった。痛みによる疲労も、苦痛も、仲間のことも、世界のことも、自分のことも。ただあるのは怒りだけ。


マザーを馬鹿にされたこと。ただそれだけ。何のことは無い、いつも自分がしている行為。だがそれが我慢ならない。自分がそれをするのは構わない。でも自分以外の誰かがそれをするのは許せない。そんな子供のような感情だけ。



ルシアはその胸に掛けている鎖を引きちぎり、マザーを力強く握りしめながら叫ぶ。



「こいつは俺の物だ……誰にも渡さねえ!!」


自分の物を誰にも渡さない。DBマスターとしての、そしてアキとしての宣言。



今、五十年の時を超えかつて王国戦争で世界を震撼させたシンクレアの力が解き放たれる時が来た――――



[33455] 第五十二話 「魔石使い」
Name: 闘牙王◆401f0cb2 ID:7bdaaa14
Date: 2013/01/15 01:22
本来あり得なかった悪魔の札と蒼き守護者の争い。互いの最高戦力である六祈将軍オラシオンセイス六つの盾シックスガード。闇の覇権とシンクレアを賭けた、そして魔導精霊力エーテリオンを持つエリーがきっかけとなって始まった長い戦い。それが今、終わりを迎えようとしていた―――――


(なんだ……あれは……?)


BG船長であり不死身の処刑人の二つ名を持つ王、ハードナーはただその光景に目を奪われていた。先程まで見せていた余裕も笑みも消え去ってしまっている。あるのはただ目の前の理解できない光景、金髪の悪魔であるルシア・レアグローブに起きた異変が何なのかという疑問だけ。

ハードナーはつい先ほどまで目の前のルシアと戦闘を行っていた。互いの組織、シンクレアを賭けた最終戦。これに勝利した方が闇の覇権を握る決戦。それはハードナーの圧倒的優位で進められた。彼が持つシンクレア『アナスタシス』の力。その極みである『巻き戻し』によってルシアは全ての力を封じられ剣のみでの戦いを強いられた。そしてハードナーにはアナスタシスによる再生と処刑剣という凶悪な武器がある。力の差は歴然。その証拠にルシアの身体は既に満身創痍。いつ倒れてもおかしくない状態。ハードナーは自らの勝利を確信する。無敵とまで言われた百万の兵の頂点に立つに相応しい力を示しながら。後は処刑剣によってルシアの首を落とし、その胸にあるシンクレアを奪うだけ。ただそれだけ。

だがその瞬間、ルシアが叫びを上げながらもその手にシンクレアを持ち、自らの剣に向かって埋め込んだ。十個のDBが埋め込まれているネオ・デカログス。だがその刀身にはもう一つ、窪みがあった。まるで十字架のような小さな、確かな窪み。それが何を意味するのかをハードナーは知らなかった。だが知る者が見れば気づいただろう。まさにそれがレイヴマスターが持つというTCMでいうレイヴを埋め込む場所であったことを。そしてルシアの手によってマザーがデカログスに埋め込まれた瞬間、それは起こった。


「何っ!?」


ハードナーはただ声を上げることしかできない。それは二つの驚きによるもの。一つがルシアの剣に起こった異変。ルシアがマザーをデカログスに埋め込んだ瞬間、凄まじい見えない力が巻き起こる。いや、それは正しくない。次第にその力が見えてくる。蜃気楼。まるで景色が歪んでいるかのような光景がルシアが持つ剣から生まれて行く。同時に不吉を孕んだかのような邪悪な力が溢れだす。見ているだけでめまいを起こしてしまうような規模の力。だが徐々にそれが収まり歪みが形を為していく。まばゆい光がルシアの剣から生まれて行く。それは光の剣。それを手にしながら一歩、また一歩とルシアがハードナーに向かって近づいて行く。だがハードナーはそんなルシアを見ながらもただ驚愕していた。それこそが


(ど、どうなってやがる!? なんで奴の力を巻き戻せねェんだ!?)


二つ目の、そして最も理解できない驚き。ルシアが何らかのDBの力を使っているということ。だがそれはあり得ない。何故なら今この一帯は全てアナスタシスの力によって支配されている。いかなる力も巻き戻し無かったことにする能力。全てを封殺するアナスタシスの極み。その証拠にルシアは先程まで全てのDBを封じられていた。だが今、それが通用しない。力が発動していないわけではない。今も間違いなくアナスタシスの力はルシアに、そしてマザーに及んでいる。シンクレアであったとしても例外ではない。


「て、てめえ……一体何をしやがった!? その力は何だ!?」


ハードナーは知らず全力で処刑剣を握りしめながらルシアへと恫喝する。それはこれまで見せたことのないよう焦りを含んだもの。まだ何かをされたわけではない。依然戦況は自分に優位。歴然たる力の差、覆しようのない状況。ただ一つ、相手が能力を使えるようになってしまっただけ。その理由は分からない。あり得ないようなことだが目の前のルシアが持っている光の剣がその証拠。だがそれだけ。例え何かの能力が使えたところで自分の勝利は揺るがない。処刑剣が、再生の力を持つ自分にはどんな攻撃も通用しない。不死身の処刑人としての自分の力は本物。だがハードナーは知らなかった。

今、ルシアが手にしている、使おうとしている力が何なのかを。

シンクレアの全てが辿り着くべき到達点。その頂きに今、ルシアが踏み入っていることを。

ハードナーはようやく気づく。それはルシアが持つ光の剣。その輝きが何を意味しているかを。紫。それがネオ・デカログスを覆っている光の色。それがDBを意味するものであることを悟った瞬間、戦いが始まった。


先に動いたのはルシアだった。ルシアはその手に光の剣を持ちながらハードナーに向かって疾走する。先程までとなんら変わらないもの。ハードナーはルシアがその剣によって自分を攻撃しようとしていることを瞬時に見抜くもそこに恐れは無い。何故ならそれは今までの攻防の焼き回しにすぎない。


「カハハ! 何を見せてくれるかと思ったら馬鹿の一つ覚えかよ! 忘れちまったのか、剣じゃオレは殺せねェってな!」


嘲笑いながらハードナーはその手にある処刑剣を以てルシアを迎え撃たんとする。剣を合わせるだけで相手と自分に傷を与える魔剣。再生の力を持つハードナーにそれは通じず相手だけを一方的に追い詰めることができる呪われた剣。それがある限り剣の戦いにおいてハードナーは無敵。ハードナーはルシアの剣に向かって己が剣を振るう。既にルシアは処刑剣によって深刻なダメージを受けている。後一撃でも攻撃を通せば動きも鈍り、首を落とすことも容易い。ハードナーは邪悪な笑みを浮かべながらも最期になるであろう処刑剣を振るう。


だがそれはネオ・デカログスに触れることなく空を切ってしまった。


「――――っ!?」


ハードナーは一瞬何が起こったのか分からず声を上げることすらできない。そんな隙がない程の刹那、凄まじい激痛がハードナーを襲う。同時にその視界が鮮血に染まる。だがそれはルシアのものではない。間違いなくハードナーから生まれたもの。その証拠にルシアの剣がハードナーの胸を切り裂いている。混乱しながらもハードナーは視界に収める。自らが持つ処刑剣。だがそれを見た瞬間、ハードナーの表情が驚愕に染まる。そこには刀身が全て消え去ってしまっている処刑剣だったものがあるだけだった。


「小僧……てめえ何をしやがった!?」


ハードナーの叫びなど聞こえていないといわんばかりにルシアがそのままハードナーに向かって剣を振るう。その瞳には全く恐れも迷いもない。ただ目の前の相手を倒すことだけを目的にした戦士の姿。だが今までとは明らかにその威圧感が段違い。本当に先程までと同一人物とは思えないような豹変。それを前にしながらもハードナーはアナスタシスの再生の力によって処刑剣を再生し、再びルシアを迎え撃つ。その力によってルシアに傷を与えるために。だがその瞬間、ハードナーは確かに見た。処刑剣がルシアの剣に触れた瞬間に消え去ってしまった光景を。

しかしそれだけでは終わらなかった。ルシアがそのまま剣を振るったと同時に何かがハードナーの左腕を通過する。それが何なのか理解するよりも早くハードナーは戦慄する。そこには肘から先が失くなってしまっている自らの左腕があった。


(な、何だこれは……!? 斬られたのか!? いや、違う……これはそんな生易しいもんじゃねェ……!)


左腕が失われたことによる激痛と出血に襲われながらも瞬時に再生することでハードナーは無傷の状態へと戻るもその顔は既に強張り、歪んでしまっている。二つの信じられないような事態によって。

一つが処刑剣の能力が発動しなかったこと。剣を合わせることで強制的に傷を負わせることできる力。だが剣を合わせた筈にも関わらずルシアにはダメージは無い。それはつまり剣が触れ合っていないということ。だがそれを証明する事態が自らの身に襲いかかっている。


『削り取られている』


ハードナーはようやくその事実に辿り着く。自分が受けた先程の攻撃。それは今までハードナーが受けてきたどんな攻撃よりも異質なもの。剣でも、銃弾でも。魔法でもない未知の力。まるで光の剣によって斬られた部分だけが削り取られてしまったかのような感覚。ハードナーは気づく。それがルシアの持つ光の剣の力なのだと。触れたものを全て削り取ってしまう力があの光にはあるのだと。だがハードナーは知らなかった。ルシアの剣の力がそんな生易しいものではないことを。


『時空の剣』


それがルシアが持つ光の剣の名前。シンクレアであるマザーとネオ・デカログスを組み合わせることで可能な存在しないはずの十一番目の剣。番外形態エクストラフォーム

マザーの能力である空間消滅を形態変化によって剣に纏わせ、触れた対象を空間ごと消滅させる対人戦に特化した能力。範囲を限定させることで扱いやすく、そして密度を高めることができる応用技。相手を殺さずにできる限り扱いやすくするために生まれた形態。

だがそれはやはりマザーの空間消滅の延長線上でしかない。その形態を変化させただけの物。剣という自らの武器であるネオ・デカログスの形を持たせただけ。今のアナスタシスの極みである巻き戻しの前には通用しない。だが今、ルシアはその力を振るうことができている。それはつまりルシアもまたその領域に到達した証。

アナスタシスの再生の本質が時間逆行であったように、マザーの空間消滅にもまた本質となるものが存在する。


「…………」


ルシアがその手にある時空の剣を振るう。それはハードナーを狙ったものではない。ただ剣を構え直すためだけの動き。だがその瞬間、世界が崩壊した。


「―――――」


それは二人の声にもならない声。ハードナーともう一人、その胸に存在するシンクレア、アナスタシス。二人はその光景にただ言葉を失っていた。そこにはまるで世界が崩壊するかのような理解できない事象が巻き起こっていた。

それは世界の悲鳴だった。凄まじい不協和音が辺りから生まれてくると同時に周囲の景色が歪んでいく。先程まではルシアがもつ剣のまわりだけであったそれが際限なく周囲を、山脈を包み不協和音と共にどこかで聞いたことのあるような音も混じり始める。それはまるでガラスが割れてしまったかのような音。甲高い反響音に共鳴するかのようにハードナーの視界にある世界がひび割れて行く。地面だけではない。空気も、山も、空も、世界の法則さえもパズルが崩れて行くかのように崩壊し始める。紫の光が点滅するかのように光を放つもその光さえも屈折し、万華鏡のように乱反射する。大地は崩壊し、重力が無くなってしまったかのように砂や岩がひび割れた空間に吸い込まれていく。

ハードナーは目の前のまるで異次元に迷い込んでしまったかのような光景を前にしてただ目を見開くことしかできない。既にその力に巻き込まれつつある。その証拠にハードナーは平衡感覚を失われるかのような感覚に囚われていた。今、自分が立っているのか、逆さになっているのか、上か下なのか、まるで抜け出せない迷路に迷い込んでしまったかのよう。そんな中、ある光景が垣間見える。ひび割れしている空間の間からハードナーは確かに見た。


何もない、誰ひとり生きていない死の世界。ただ地平線の彼方まで何もない荒野が続く世界の終わり。


ハードナーにはそれが何なのか分からない。だが知らずハードナーは息を飲み、身体を震わせていた。それはその世界が自分の望むものの姿だと悟ったから。それを目の当たりにすることでハードナーは初めて恐怖する。自分の望み、その形がどんなものであるかを知ることで。アナスタシスだけは理解していた。ひび割れから垣間見える世界が何であるかを。


『現行世界』


それが今、ハードナーが目にしている光景の正体。世界規模の砂漠化、気温上昇、疫病、出生率の低下。そこはまさに終わりゆく世界。かつて世界が滅亡し、たった一人の人間しか生き残りがいなくなってしまった世界。だが今、ハードナーがいる世界はそれとは異なる。


『並行世界』


人類最後の一人が星の記憶に辿り着き、時空操作によって生まれたもう一つの世界。人類滅亡の歴史をなかったことにした結果。そこはかつての現行世界での過ちを正した人類が滅亡しなかった世界。だがそれ故に一つの恐怖と隣り合わせに生きて行かなければならない宿命を負っている。『エンドレス』という終わりなき怪物によって。そしてその力を受け継ぐ者たちがここにいる。再生を司るアナスタシスを持つハードナー。そして破壊を司るマザーを持つルシア。そして今、ルシアはその極みを発現させている。


『次元崩壊』


それこそがマザーの力の本質。最もエンドレスに近いシンクレアであるマザーの真の力。それはまさに世界を、次元を崩壊させる禁忌の力。正確には崩壊させるだけではない。その正体は並行世界を現行世界によって塗りつぶすこと。偽りの世界であるこの世界を正しい世界に戻すための力。ルシアは剣によってハードナーを削り取っているのではない。ただ斬った部分を別の世界、現行世界に送っているだけ。それこそが時空の剣の本来の役割。エリーが持つ時空の杖と対を為す存在。時空の杖は世界と世界を繋ぐ鍵でありエンドレスを呼びだすためのもの。だが時空の剣はただ世界を壊すための剣。


アナスタシスは悟る。自らの力がルシアに通用しなかった理由を。それはルシアとマザーが次元崩壊というシンクレアにとっての到達点に辿り着いたからこそ。バルドルを除く四つのシンクレア。

『マザー』 『アナスタシス』 『ヴァンパイア』 『ラストフィジックス』

それぞれが能力も全く異なる四つの闇の使者。

だがその目指すべき場所、その根源は全て同じ。次元崩壊。並行世界を消滅させ現行世界へと至ること。アナスタシスの時間逆行もそのためのもの。時間を時空操作が行われる前まで巻き戻し現行世界へと至るためのもの。だがハードナーの力ではそこまでは至れない。だが目の前の少年、ルシアは違う。ルシアは今、その域に到達している。並行世界を現行世界で塗りつぶすという破壊の力を持つマザーを極めることによって。故に巻き戻しは通用しない。当たり前だ。巻き戻す先に既にルシアとマザーはその身を置いているのだから。


「どうした……マザーを奪うんだろ。さっさとかかってこいよ」


感情を感じさせない声でルシアは呟きながらハードナーに向かって近づいて行く。ハードナーは知らず後ずさりをしてしまう。崩壊しかけた世界の中心にいるルシアの姿に恐れをなすかのように。次元崩壊はルシアの剣からのみ。世界から見れば砂の一粒に及ばない程小さな穴のようなもの。だがその穴によって時空が歪み始めている。このままではこの一帯が現行世界に塗りつぶされてしまいかねない。故にルシアはその力を使うことを禁じていた。実際に使ったことは無いがDBマスターとしての本能で時空の剣を使えばどうなるかを知っていたからこそ。だが今、ルシアはそれを破っていた。自分が負けそうだったからではなく、ただマザーのために。単純な、それでもこれ以上ない理由。


「小僧が……粋がってんじゃねェぞ―――!!」


鬼気迫る表情を見せ、迷いを振り切るかのようにハードナーが処刑剣を手にしながらルシアへと迫る。それを見ながらもルシアは慌てることなく時空の剣を振るう。どんな物でも斬ることができる次元崩壊の力を纏った剣。それを防ぐことなどできない。ルシアは処刑剣ごと再びハードナーを切り裂かんとする。だが間違いがあったとするならばハードナーには自らの身を守る気が一切なかったこと。


「っ!」
「ぐっ……ああああああ!!」


ハードナーが咆哮を上げながらもルシアの目の前にまで迫る。自らの左腕を失いながら。捨て身による攻撃。自らが傷つくことを恐れることなく戦うことができるアナスタシスを持つ、そして強靭な精神を持つハードナーだからこそできる戦法。ハードナーはそのまま時空の剣を左腕を犠牲にすることで防ぎながら処刑剣によってルシアを切り裂かんとする。例え自分の体が切り裂かれたとしても再生の力がある。そして処刑剣で直接斬りつければ満身創痍であるルシアは耐えられない。持久戦に持って行けば勝機がある。それは正しい。ハードナーを殺すことができないルシア相手ならばその戦法は通用しただろう。そう、相手がルシアだけであったなら。


「なっ――――!?」


ハードナーはただ驚愕するしかない。間違いなくルシアの首を跳ねてあまりある一閃。だがそれがルシアの首に触れた瞬間に消え去ってしまった。まるで先の剣での攻防のように。ハードナーは気づく。ルシアの身体から光が放たれていることに。まるでオーラのように紫の光が、次元崩壊の力がルシアを包み込んでいる。


『絶対領域』


それがその力の名。ルシアではなくそのシンクレアであるマザーの意志によって発現する絶対防御。自分以外の何者にもアキには触れさせない。そんな願いが形になったもの。時空の剣が最強の矛だとするならば絶対領域は最強の盾。決して犯すことができない矛盾の力。


「――――」


マザーは声を出すことなく、ただその感覚に身を任せていた。まるで自分とルシアが一つになっているかのような感覚。

『一心同体』

DBを極める上で絶対不可欠の要素。今まで一度も成し遂げることができなった域にルシアとマザーは到達していた。その至高の感覚にマザーはただ身をゆだねるだけ。言葉を発する必要もない。既に心も身体もマザーはルシアと一つになっているのだから。もっとも言葉を発することができない程興奮してしまっているだけでもあったのだが。


何者も触れることができない絶対の力。それが今のルシアの真の力。超えるべき壁を超えた、四天魔王の領域に到達した証だった。


その力に、姿にハードナーの身体は震え、汗が吹き出し、歯の根がかみ合わない。絶対的強者によってのみ与えられる恐怖。それがハードナーを包み込む。今まで生きてきた中で一度も感じたことのない戦う相手への畏怖。自分よりも遥か格上の力を持つ存在。今の自分とルシアの間には子供と大人ほどの力の差がある。例え無限の再生の力があったとしても目の前のルシアには敵わない。そう悟らざるを得ない程の絶望。だがそんな中、ハードナーの中には在りし日の記憶が蘇っていた。

忘れることができない、忘れることが許されない地獄の記憶。愛する妻と生まれてくるはずの娘を同時に失ってしまった事故。それからの一人きりの日々。喉の渇きを癒すことができない苦痛の日々。


「忘れてェんだ……全てを……」


知らずハードナーは呟いていた。まるで呪詛のように。全てを忘れたい。それがハードナーの行動理念であり目的。忘却の王であるエンドレスと一つになることで全てを無に帰す。そんな狂気の思考。


「全てを失くしてェんだ……そうすればオレはもう苦しまねェ……!」


全てを奪いたい、自分の物にしたい。無限の欲望とでも言うべきものがハードナーにはあった。BGを作ったのも、シンクレアを、エンドレスを求めたのも全てはそのため。自分の中にある虚無を埋めるため。だがどんなに奪ってもハードナーは満たされることはなかった。失った妻と娘。それを取り戻さない限りその乾きは、苦痛は癒されることは無い。再生を司るアナスタシスでさえ心の傷は癒せない。ハードナーは気づかない。失った物を追い求めるあまりに気づけない。自分の求めたものが既に自分のすぐ傍にあったことに。


「邪魔するんじゃねえええええ!!」


絶叫を上げながらハードナーは狂気と共にルシアに向かって特攻していく。まるでケモノのように。王の威光も、船長としての誇りもそこにはない。ただ自分の望みをかなえようとする愚かな一人の人間。ハードナーはただ駆ける。ルシアはそんなハードナーを迎え撃つために剣を構えんとするもその動きを止めてしまう。それは違和感。自分に向かってくるハードナーが今までとは何かが違う。刹那にも近い思考。そしてルシアはその答えに至る。それは


ハードナーが処刑剣を捨て去り、己の左腕だけで襲いかかってきたということ。


「…………!!」
「ああああああああああああああ!!」


この世の物とは思えないような絶叫が全てを支配する。ハードナーの断末魔とでも言うべき悲鳴。その光景に時空の剣を持ってから今まで表情を変えることがなかったルシアに初めて驚愕が浮かぶ。それは目の前の光景。ハードナーが自らの左手を自分の顔に向かって差しだしてきている光景。だがそれはあり得ない。何故なら今、ルシアの身体はマザーの『絶対領域』によって守られている。それを超えることはできない。触れる物は全て消し去ってしまう。その証拠にハードナーの左手は既にルシアに触れようとした時点で削り取られてしまっている。凄まじい出血が宙に舞いハードナーの左手が失くなる。当然の摂理。次元崩壊の力を纏っているルシアにはどんな攻撃も通用しない。処刑剣はもちろん、ただの生身では覆すことはできない事実。だが


「う……ぐっ……がああああああああ!!」


ハードナーは左手を失ったにも関わらず退くどころかさらに自らの手を伸ばす。ルシアの顔面に向かって。同時にアナスタシスの力がハードナーの失われた身体を再生せんとする。だが再生すると同時に絶対領域によって再び左手は削り取られていく。だがそんなことなどどうでもいいとばかりにハードナーは咆哮を上げながらなおもルシアに向かって手を伸ばす。ルシアはその姿にただ圧倒されるだけ。


今のハードナーは文字通り身体が磨り潰される痛みを感じているはず。いくら再生できるとはその痛みまでは消え去ることはできない。常人ならばとうの昔に痛みによって気を失ってしまっているであろう状況。にも関わらずハードナーは気を失うことなく、それ以上の気迫を、執念を以てその手を伸ばす。まるで届かない自らの願いに縋りつくように。精神が肉体を凌駕するほどの狂気。それが一瞬の隙をルシアに生み出す。


瞬間、アナスタシスは己が全ての力を解放する。巻き戻しはおろか再生すら使えなくなってしまうほどの力、残された力の全てをハードナーの左腕に集中させる。時間逆行の極み。その先にまで至る力を手に入れるために。今のハードナーならば、アナスタシスならばそれができる。


凄まじい光が、紫の二つの光がぶつかり合い、そしてハードナーの手がついに絶対領域を突破しルシアの顔面を掴む。まさにハードナーの執念、そしてアナスタシスの譲れない意地とでも言える力。この並行世界が生まれる前、現行世界に到達するまでの時間逆行が今、この瞬間、刹那だけ成し遂げられた。


『っ!! アキ――――!?』


マザーの悲鳴が上がる。だがそれよりも早く、逃れようのない死の一撃がルシアに向かって放たれる。


極限の痛みアルティメット・ペイン――――!!」


それがハードナーの切り札。巻き戻しとは違う相手を殺すための奥義。直接相手に触れなければ使用できない技。触れた相手の生まれてから印した全ての傷を『再生』する力。どんな強者であっても一撃で勝負を決する攻撃。いや、強者であればあるほど効果が上がるもの。何故なら強い相手である程それまでの戦い、修行によって数えきれないほどの傷を身体に負っているのだから。


鮮血がルシアから舞う。傷を開かれたことによって。その光景にハードナーは己の勝利を確信する。まさに無限ともいえる欲望が、執念が辿り着いた決着。だがそれは


「悪いな……その技は俺には通用しねえ……」


ルシアの宣言とも言える言葉によって覆される。あり得ない光景にハードナーは声を上げることすらできない。自分の渾身の一撃を受けたにも関わらずルシアがまだその場に立っているのだから。ハードナーは確かに見る。それはルシアの顔にある傷痕。それが開きルシアは血によって片目を閉じている。間違いなく極限の痛みアルティメット・ペインが決まった証拠。だがそれだけだった。体中にあるのは先の自分の攻撃によって与えた傷だけ。新たな傷は顔の傷以外に見当たらない。信じられないような事態。だがハードナーは知らなかった。ルシアが自分の常識の外にいる存在であったことを。


それは皮肉にもマザーの過保護とでもいえる行動の結果。幻との修行というルシアが直接傷つくことない方法。そして戦闘においても決して主を傷つけることを許さなかったこと。そして何よりも


「俺は……ヘタレなんだよ――――!!」


戦うことを嫌い、逃げ回っていた、ヘタレであるルシアだからこそ。傷を負わず戦ってきた臆病者。それがハードナーの誤算。四天魔王に匹敵する強さを手に入れながらもこれまで一度も傷を負ったことのなかった温室育ちの魔王。その一閃がハードナーの身体を切り裂く。


それがこの戦いの決着。そして真の『魔石使いダークブリングマスター』が誕生した瞬間だった―――――



[33455] 第五十三話 「終戦」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/01/24 09:56
(ふう……何とかなったか……)


大きな溜息と共にお馴染みの心の声を漏らしながらもルシアは手にある時空の剣を解除する。同時にそれによって起こっていた時空の歪みと崩壊が次第に収まって行く。それは並行世界の意志、ある意味世界の修正力によるもの。もっとも力の上では現行世界の修正力、すなわちエンドレスの方が上なのだが完全な次元崩壊でなかったために大事には至らずに済んだ形。それでも長時間時空の剣を使い続ければその限りではないためルシアはとりあえず安堵するしかない。だがまだルシアは気を抜くわけにはいかなかった。大きな問題が二つ残っているのだから。

ルシアは満身創痍の身体に鞭打ちながらも何とかその場所に辿り着き、しゃがみこみながら一つのDBを手にする。それはただのDBではない。アナスタシス。マザーと同じ五つのシンクレアの内の一つ。先のルシアの最後の剣の一振りによって切り払われ地面へと落下したもの。それを手にするということはこのDCとBGの戦争、そしてルシアとハードナーのシンクレアを賭けた戦いの決着を意味するもの。にもかかわらずルシアはどこかげんなりした顔で自らの手にあるアナスタシスを見つめることしかできない。


(うーん……どうしたもんかな……っていうかとうとう俺、シンクレアを手に入れちまったんだな……)


本物のルシアであったならその勝利とシンクレアの入手を喜ぶところなのだがあいにく今のルシアは事情が大きく異なる。何故ならシンクレアを手に入れることはルシアが最も避けなければならない事態。五つのシンクレアを全て集めることはエンドレスの完成を、世界の終焉を意味するのだから。だがルシアは二つ目のシンクレアを手にしてしまった。しかも原作よりも早くBGを壊滅させるというおまけつきで。それによってどんな影響が起きるか予想できない。しかしそれに関してはもはやルシアは完全にあきらめていた。今回の戦いはいわばエリーとハルを守るための戦い。決して避けることができないものだったのだから。故に問題はたったひとつ。それは


『あー……ごほんっ、ア、アナスタシスだっけ? この勝負は俺達の勝ちってことでいいんだよな?』
『…………』


自分の掌の上で黙りこんでしまっているアナスタシスをどうするか。それに尽きていた。


『見たか、これが我とアキの力だ! 散々好き勝手ぬかしおって……身の程をわきまえたか!』
『…………』
『……ふん。反論する気力もないか。情けない奴だ。そうは思わぬか、アキ?』
『お、お前な……』


まるで鬼の首を取ったかのように勝ち誇り上機嫌になっているマザーの姿にルシアは呆れ果てるしかない。負けてしまったアナスタシスを気遣うどころかさらに巻きしたてるような有様。本当に同じシンクレアなのかと思ってしまうほどのお子様ぶり。それを嗜めながらもルシアのどうしたものかと途方に暮れるしかない。慰めるにしてもどんな言葉をかけるべきか。そもそも何故自分が石に気を遣わなければならないのか。そんな根本的な疑問にあらためて直面した気分。


(何だこれ……俺、何でこんなに気を遣ってるわけ? というかまるで俺が悪いことしたみたいじゃねえか……)


ルシアは今更ながらに今自分が置かれている意味不明の状況に気づく。自分はハードナーとの戦いに勝っただけ。そしてそれはシンクレアを賭けた戦い(ルシアは欲しくなどないのだが)だったためアナスタシスを手にしただけ。何もおかしいところは無い。にもかかわらずこの居心地の悪さ、罪悪感は一体何なのか。その正体にようやくルシアは辿り着く。奇しくもそれは戦闘前に自分が放った言葉。力づくでシンクレアを奪い取るということ。DBの声を聞き取ることができるルシアにとってはそれはまさに強引にハードナーからアナスタシスを略奪、寝取る(?)ようなものだということに。そんな意味不明の事態にルシアが変な汗を流している中


「ま、まだだ……まだ終わっちゃいねェ……」


息も絶え絶えに、絞り出すような声を上げながら地面に倒れ伏していたはずのハードナーが立ち上がる。ルシアはそんなハードナーの姿に驚くしかない。ルシアは確かに最後の一撃を手加減した。だがそれはあくまでも死なない程度のもの。その傷の深さはルシアよりも深く、無理して動こうものなら本当に命を落としてしまいかねない程の重傷。既にアナスタシスを失っているハードナーは再生することもできない。傷はただ開く一方。不死身の処刑人の力はなくなってしまっている。だがそんなことなど関係ないといわんばかりにハードナーは自らの身体を省みることなくルシアへと向かってくる。


(こいつ……)


ルシアはただその姿に圧倒される。ハードナーの執念ともいえる力に。今のルシアには持つことができない人間の底力。それによってルシアは最後の瞬間にハードナーに後れを取ってしまった。だがもはやハードナーには戦う力は残ってはいない。立っているのもやっとの無様な姿。本当ならばそれに幕を下ろすのが戦士としてのルシアの務め。だがルシアはそれができない。人を殺すということがどうしてもルシアにはできない。


『どうした……さっさと引導を渡してやったらどうだ? 我が代わりに下してやってもよいのだぞ』


マザーがそんなルシアの内心を見抜いたかのようなタイミングで話しかけてくるもルシアはそれに応えることができない。それはマザーの言葉の意図を理解したからこそ。マザーが自分の代わりに引導を渡すということ。それはルシアにはできないだろうとマザーが理解しているからこその提案。しかしルシアはその命令を下すこともできない。自分の代わりにマザーにそれをやらせてしまっていいのか。だがこのまま放っておけばハードナーは自らの身体を酷使し命を落としてしまう。故に選択肢は二つに一つ。自分がやるか、マザーに任せるか。そしてついにルシアがその手にあるネオ・デカログスに力を込めんとした瞬間


「お止めください……! ハードナー様!」


そんな女性の声が響き渡りその場の全てを支配する。ハードナーはもちろん、ルシアも突然の乱入者に目を見開くことしかできない。そこには


「ルナール……?」


ルシアとの戦闘によって気を失っていたはずのルナールの姿があった。


「ハードナー様、それ以上動いてはいけません……そのままでは……!」


ルナールはそのまま息を切らせながらもハードナーの元へと近づいて行く。だがその速度は既に閃光ではない。ライトニングを失い、先の戦闘によって傷ついているルナールにはもはや戦闘能力は残ってはいない。それを理解していながらもルナールは迷うことなく自らの主であるハードナーの身を案じ駆ける。だがそれは


「……! ルナール、てめェオレの邪魔をする気か!?」
「いえ……ですが今はまず自分のお身体のことを考えてください。ハードナー様にもしものことがあれば私は……」


ハードナーの恫喝とも言える叫びによって拒絶されてしまう。もはやハードナーには何もなかった。アナスタシスも、配下である六つの盾シックスガードも、組織であったBGも。残っているのはただ己の命のみ。それすらも先の勝負によって奪われたも同然。かつてと全く同じ。十五年前の墜落事故によって全てを失ってしまったあの時と。


「……オレにはもう何もねェ……ただあの日が忘れてェんだ……だからエンドレスと一つにならなきゃいけなかった……忘却の王ならオレから全てを忘れさせてくれると……」


ハードナーは自分を支えようとしてくるルナールがまるで目に入っていないかのように振り払いながらルシアへと近づいて行く。ただ一つ。過去をやり直したい。忘れたい。そんな願いのために。

そのためにハードナーは求めた。シンクレアを。時空の杖を。魔導精霊力エーテリオンを。エンドレスを。だがそれは果たされなかった。もはや勝負は決している。そのことをハードナーは誰よりも理解していた。故に今のハードナーにあるのはたった一つのこと。


「もうこんな世界に用はねェ……こんな簡単なことに今更気づくなんて……そうだ、死ねばいい……死ねばオレはこの苦しみから解放されるんだああああああ!!」


自らの死。それが果たされれば全ての苦しみから解放される。そんな自決とも言える特攻をハードナーは残された力の全てを賭けてルシアへと駆ける。何の武器も持たない子供の駄々のようながむしゃらな拳。だがそれを振るうだけでハードナーの体からは夥しい出血が起こり、傷が開き始める。もはや死に体。それでも誰かによって殺されたい。解放されたい。そんな願いを


「うるせえよ……死にたきゃ自分で勝手に死ね」


ルシアはつまらなげにその拳をハードナーの腹に打ち込むことで打ち砕いた。


「ガハッ……!?」
『っ!? アキっ!?』
『――――!?』


ハードナーはそのままルシアの最後の一撃によって難なくその場から吹き飛ばされる。剣を持っていない左拳による一撃。だがそれは大男であるハードナーを軽々と吹き飛ばすほどの威力。満身創痍のハードナーにとっては致命傷となるもの。その光景にルナールは顔面を蒼白にしながらも悲鳴あげることすらできない。ただできるのは必死にハードナーに縋りつくだけ。ルシアの行動にマザーはもちろんアナスタシスも言葉を失ってしまう。


「ハードナー様!!  しっかりして下さい、ハードナー様!! あなたが死んでしまったら私は……」


ルナールは既に最悪の事態を悟りながらもただ子供のように泣きじゃくりながらハードナーの身体に縋りつくことしかできない。もはやそこにはBG副船長の姿はなかった。ただ親に縋りつきながら泣き続ける娘の姿。


「お父様……」


ぽつりと、嗚咽を漏らしながらもルナールはその言葉を口にする。それは十五年前。初めてルナールがハードナーと出会った時からの呼び方。そしてハードナーに亡くなった本当の娘がいたと知ってから決して口にすることがなかった言葉。今までの戒めが解かれたかのような感覚を覚えながらもルナールが大粒の涙と共に顔を挙げた瞬間


「……な、何だ……?」


まるで生き返ったかのようにハードナーが驚愕の声と共に身体を起こす。ルナールもまたそんな信じられない事態に目を奪われるだけ。当事者のハードナーの戸惑いはその比ではない。間違いなく先のルシアの拳によって致命傷を受けたはずだったのだから。だがその正体をハードナーはすぐに悟る。当然だ。何故ならそれは


「ハードナー様……傷が治って……?」


『再生』 アナスタシスの力に他ならなかったのだから。


それが先のルシアの拳の一撃の狙い。手に入れたアナスタシスの力によって自分ではなくハードナーを再生するという端から見れば信じられないような行為。


「ふざけやがって……小僧、てめえ情けでもかけたつもりか!? 止めを刺しやがれっ!!」


ハードナーは無傷になっている自分の体を忌々しく睨みながらルシアに向かって叫びをあげる。それはハードナーにとっては死よりも恥ずべきこと。敵に敗北し、あろうことかその敵によって命を救われるという戦士としての誇りを踏みにじられる行為。だが


「……何で俺がてめえの言うことを聞かなきゃなんねえんだ」


ルシアはどうでもよさげにハードナーを一瞥し、背中をみせながらその場を後にする。もはや用はないといわんばかりに。ハードナーは理解できない事態にその場から動くことすらできない。それはルシアの行動のせいでもあったがその背中から感じる重圧にもあった。向かってくるなら容赦はしない。そうはっきりと感じ取れる程の力。マザーに加えてアナスタシスまで手に入れたルシアの力は先の比ではない。マザーにすら敵わなかったハードナーがアナスタシスまで奪われた現状でルシアと戦うことなどできない。もはや戦いにすらならない。ハードナーは悟る。それが分かっているからこそルシアはどうでもよさげにこの場を去っていくのだと。ハードナーはただその後ろ姿を見つめ続けることしかできない。新生DC最高司令官である金髪の少年。自分の常識では理解できない存在。だがそれまでのハードナーであったなら狂気に囚われたままルシアに向かっていただろう。だが今、ハードナーはその場に留まっていた。


「ハードナー様……お身体の方は大丈夫なのですか……?」


ルナールの手がしっかりと自らの手を握っていたからこそ。ハードナーはその手を見ながらも奇妙な感覚に襲われていた。郷愁とでもいうべきもの。十五年前。全てを失い、当てもなく世界をさすらう中で闇の頂きであるアナスタシスを手に入れて間もない頃。偶然立ち寄った治安が悪い紛争地でであった小さな少女。

その手に不釣り合いな大きな銃を自分に向け、必死に生きようとしている少女。

本来ならその場で殺すのに何のためらいももつ必要のない光景。

だがそれを自分はしなかった。単なる気紛れに過ぎないものだったのかもしれない。もしかしたら知らず見たこともない死んだ娘にその姿を重ねてしまったのかもしれない。


『……面白れェガキだな。てめェ、名前は?』
『……? そんなものない』


少女は首をかしげながら自分の質問に正直に答えるだけ。銃を使って自分を脅している状況にも関わらずそれすら忘れてしまったかのように。それほどまでに自分の質問は虚を突いたものだったらしい。それが一層自分の興味を引く。ハードナーは今になってようやく気づく。


『名前もねェのか……いいぜ、気に入った。てめェは今日から『ルナール』だ』


それが自分の人生において最も大きな間違いだったのだと。死んだ娘につけるはずだった名前をあろうことか自分の命を狙って来た子供につける。そしてそれが自分とルナールの出会い。それから変わることなくそれはある。十五年間、ずっと。


ようやくハードナーは気づく。この十五年間で自分が得た物もあったことを。自分のことを父と慕ってくれるもう一人の娘がずっとすぐ傍にいたことに。


「…………ハ、くだらねェ……」
「……? ハードナー様……?」


ハードナーはそのままルナールを振り切るようにその場から歩き出す。まるでらしくないことを考えてしまったかのように言葉を吐き捨てながら。ルナールは何も理解できぬままそれでもハードナーの後を追って行く。それが当たり前だといわんばかりに。


ハードナーとルナール。二人の親子は歩き出す。全てを失いながらも十五年前と同じように。だがハードナーの歩く速度は心なしかルナールの歩幅に合わせるかのように緩やかなものだった―――――




『どういうつもりだアキ!? 何故敵を助けるような真似をした!?』
『うるせえな……別にいいだろ。大体敵は殺さなくてもいいって言ったのはてめえだろうが』
『ぐ……それとこれとは話が違うわ! あのまま奴が襲ってきたらどうする気だったのだ!?』
『その時はその時だ。第一今のハードナーなんて相手にもならねえだろうが。それとも俺が負けるとでも思ってたのかよ?』
『そ、そんな訳なかろう! 今の我と主がいれば四天魔王にも後れはとらん!』
『じゃあ問題ねえな。とっとと六祈将軍オラシオンセイス達のところに行くぞ。すっかり遅くなっちまったし……』


慣れた様子でマザーをなだめつつもルシアはすぐに六祈将軍オラシオンセイスがいるであろう場所に向かって移動をしようとする。ハードナーとの戦いが思ったよりも長引いてしまったことで内心焦りながら。だが向かうよりも今手に入れたアナスタシスの力でルカンが持つDBを自壊させればいいのだと気づきルシアが実行に移そうとした時


「おお! ルシアじゃないか! 無事みたいだね、心配したんだよ!」


そんな気の抜けるようなナルシストぶりを感じさせる声がルシアに向かってかけられる。ルシアは驚きながらも声の方向に向かって振り返る。そこには


「どうやらそっちも終わったみたいね。一安心ってところかしら?」
「御無事で何よりです、ルシア様」
「…………」


並んでこちらにむかって歩いてくる六祈将軍オラシオンセイス達の姿があった。ルシアはその雰囲気から既に戦闘が終わっているのだと悟る。だがルシアはそれよりも違うことによって驚いていた。それは


「ベリアル……? 何でお前がこんなところに?」


この場にいないはずのもう一人の六祈将軍オラシオンセイス、べリアルがさも当然のようにレイナ達共にいたことへの驚きだった。


「ガハハ! 随分な挨拶じゃねえか! オレ様がいちゃそんなに可笑しいか!? それよりも何だよそのザマは? ボロボロじゃねえか、そんなにハードナーとかいう奴は手強かったってことか?」
「うるせえよ……それよりもどういうことだ? 確かお前、今回の戦闘には間に合わないんじゃなかったのか?」


上機嫌に笑い声を上げながらべリアルはルシアに向かってからかいの言葉を浴びせかける。本来なら最高司令官に対する言葉遣いとは思えないようなものだが六祈将軍オラシオンセイスにそんなことを言っても無駄なことを悟っているルシアは溜息をつくだけ。とりあえず状況だけを状況を確認することにする。そしてルシアは感じ取る。ルカンのDBの気配が健在なことを。そしてそれが地中にあることに。


「それについては僕が説明するよ。べリアルはジ・アースの力でこの山脈までは移動してきてたらしいんだ。でも空にあるアルバトロスまでは移動できないでいたのさ」
「そんな中、ちょうど運よくアルバトロスが不時着して晴れて参戦できたってわけ。良かったわね、最後にいいところを持っていけて」
「何だ、せっかく助けてやったってのによォ。揃いも揃って死に掛けてやがったくせに」
「いえ……本当に助かりました。もしベリアル様が来て下さなければ私達は全滅していたでしょうから……」


どこか不満げなレイナとそれをからかっているベリアル、そんな二人の姿を見ながらもユリウス、ディープスノー、ジェガンは止めようとはしない。いつも通りの光景でもあるがそれ以上に本当にべリアルによって救われたからこそ。その内容も気になるところだがそれ以上にルシアの目を奪う光景がそこにはあった。それは


「ディープスノー……お前、その右腕……!?」


服によって隠しているもののディープスノーが右腕を失ってしまっている光景。だがそれだけではない。ジェガンはその両腕が、ユリウスは身体全体、レイナはその足に傷を負ってしまっている。六つの盾シックスガードと戦った代償。いかな六祈将軍オラシオンセイスといえども苦戦せざるを得なかった証だった。


「ご心配なく……既に止血は済んでいます。それにこれは私の失態。ルシア様が気になさる必要はありません」


ルシアの動揺を感じ取りながらもディープスノーは冷静に己の状況を伝える。そこには全く迷いはない。右腕を失ったにも関わらずそんなことは些事だといわんばかりの姿。だがそれは余計にルシアを焦らせるだけ。当たり前だ。唯の怪我ならまだしも身体の一部を失うほどの大けがを負ってしまっているのだから。だがすぐにルシアは思い出す。それは先のマザーの言葉。そしてそれを為し得る力が今のルシアにはある。


「……ディープスノー、傷痕をこっちにみせろ」
「……ルシア様? ですが……」
「いいから早くしろ」


ディープスノーはルシアが何を意図してそんなことを言っているのか分からず呆気にとられるしかないものの素直に命令に従うしかない。その晒された傷跡にルシアはもちろん他の六祈将軍オラシオンセイスの顔も歪む。だがそれを振り切るかのようにルシアがその手でディープスノーに触れた瞬間、それは起きた。


「っ!? これは……」


ディープスノー、そして六祈将軍オラシオンセイス達はその光景に言葉を失う。そこには先程までなかったはずの右腕がある。まるで一瞬で新しい腕が生えてきたかのように。傷一つない腕。それだけではない。身体に受けていた傷すらも全て消え去ってしまっている。それが再生を司るアナスタシスの力。どんな致命傷も瞬時に再生することができるシンクレアの能力だった。


「おお! 素晴らしいよルシア! これが新しい君の力なんだね……これ以上美しく強くなるなんて、君はなんて罪な男なんだ!」
「不死身ってことかよ……ますます化け物じみてきてんな……」
「ま、今に始まったことじゃないけどね……それにしても身体だけじゃなくて服も直せるなんて何でもありね。今度破れたドレス持ってこようかしら……」
「申し訳ありません、ルシア様……お手を煩わせてしまいました」


(こ、こいつら……)


無傷であったベリアルを除く六祈将軍オラシオンセイス達を全員治療し終えたルシアは胸をなでおろしかけるもその騒がしさに頭を痛めるしかない。まともに礼を述べてくるのはディープスノーだけ。他の連中は自分のことをまるで尊敬する気配もなくあろうことか化け物扱い。治すんじゃなかったと本気で思ってしまうほど。だが心のどこかでルシアも納得していた。自分の力が冗談抜きで化け物じみてきていることに。もしかした自分はもうとっくの昔に人間をやめてしまっているのではないか。


「……ったく、おしゃべりはそこまでだ。さっさと戻るぞ」


そんな今更のことを考えながらもルシアはその手にワープロードを持つ。瞬間移動によって本部へと帰還するために。もちろん六祈将軍オラシオンセイス達も伴って。だがいつまでたっても六祈将軍オラシオンセイス達はルシアに向かって近づいてこない。ただ何かに気づいたようにルシアを見つめているだけ。


「……? 何だ、さっさとしろ。置いて行かれてえのか?」


不可思議な行動をしている六祈将軍オラシオンセイスに首をかしげながらもルシアは自分に近づくように促す。そんなルシアに六祈将軍オラシオンセイスを代表してレイナはどこか呆れ気味にその言葉を告げる。


「帰るのはいいんだけど……ルシア、あなたさっさと自分の傷を治したら? それとも痛みに耐える趣味でもあるのかしら?」

「…………え?」


ルシアは言われて改めて自分の身体の状態に気づく。そこには六祈将軍オラシオンセイスたちに勝るとも劣らない、もしかしたら一番重傷かもしれない程傷を負ってしまっているかもしれない自分の身体があった。にも関わらず他人ばかりを治療していたという間抜けっぷり。恐らくハードナーが一度も使ったことのないであろう用途。

ルシアは無言で自分の体を再生し、そのまま一言も発することなく本部へと帰還したのだった―――――




「はあ……散々な一日だったぜ……」


簡単な事後処理と六祈将軍オラシオンセイスに解散の指示を出した後、ルシアはようやく自らの部屋に戻り机に突っ伏していた。これまでで一番長い一日がようやく終わったと。もう半年ぐらいは働かなくても、動かなくてもいいんじゃないかと思ってしまうほどの疲れっぷり。だが時期で言えばまだ原作の第二部が始まろうかというところ。いわば折り返し地点。本番はこれからといっても過言ではない。そんな現状を考えながらもすぐにルシアはそれをあきらめる。もう今日はこれ以上厄介事は御免だった。だがそんな中、ふとルシアは気づく。それは自分の胸元にいるマザー。それがずっと黙りこんだままだった。


「……? おい、どうかしたのか、マザー?」


だが話しかけてもマザーは何かを迷っているかのように点滅するだけ。てっきり今回の戦闘に関する愚痴やら何やらを延々聞かされる羽目になるとばかり思っていたルシアにとっては肩透かしを食らったようなもの。そしてしばらくの沈黙の後


『う、うむ……そういえばアキ、さっきハードナーとの戦いの時のお主の言葉なのだが……その……あれは』


どこか意を決したようにマザーがルシアに向かってずっと気になっていた、気にしていた言葉の意味を尋ねようとするもマザーはすぐにそれを止めてしまう。それはルシアがまるで金縛りにあってしまったように固まってしまっていたから。理解できないものを目の当たりにしたかのように。


『アキ……? 一体何をそんなに驚いて……』


マザーは自らの主の驚愕によって固まってしまった間抜け面を見ながらも同じようにその視線の先に目を向ける。そして同時にマザーも固まってしまう。まるで鏡映しのように。そこには


黒髪に和服姿の美少女が三つ指をついてお辞儀をしているという幻があった。


ルシアは何が起こっているのか分からず機能停止をしたまま。


マザーは何が起こっているのか分かっているがゆえに機能停止する。


『……ルシア様、いえアキ様。あなた様の自らを省みない御心、感服いたしました』


少女は頭を下げたまま己が心を口にする。それは忠誠の証。ルシアを新たな自分の主に相応しい担い手であると認めたが故の言葉。


かつての主であるハードナーの命を奪うことなく、それどころかその命を救い、心の傷も癒すという自分ではできなかったことを果たしてくれたこと。(偶然)


自らの再生ではなく、他人の再生を優先するというあり得ない心のあり方。(忘れていただけ)


その全てによって少女はルシアに忠誠を誓う。



『……シンクレアの一つ、アナスタシスです。不束者ですがどうかよろしくお願いします』



それがルシアのDBに新たな仲間(?)が加わった瞬間。そして新たな頭痛の種が増えた瞬間だった―――――



[33455] DB設定集 (五十三話時点)
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/01/27 23:29
アキが持つDBの設定集、裏話です。読まなくても本編には支障は無いので興味がある方は良ければ読んでみてください。


























プロットの段階からアキが持つDBには大きくこの三つの制限を設けている。

① 持つのはマザーを含めて五つまで。
② 六星DBは持たせない。
③ あまりにも強力すぎるものは持たせない。

おおまかにこの三点。①については数を無制限にすればあまりにもチートすぎるため。唯でさえシンクレアの一つを持ち、物語の展開上他のシンクレアも持つことが予定されていたため数を制限する必要があった。そこで原作で複数のDBを使っていた人物、キングの五つという数を基準とした。もっともあくまで基本であり、アキの成長と共に持てる数は増やせるため五十三話の段階ではアナスタシスとゲートを加えれば七つとなっている。

②については本編でも述べた通り六祈将軍オラシオンセイスの持つDBであるため。マザーから生まれた設定にしたのもアキをDCと接触させる物語の展開上の理由と四天魔王アスラごっこをしても読者の方から見れば面白くないであろうという理由。

③については原作で出てきた中でも特に強力なDBを持たせないため。例をあげるならばスモークバー、アシッドルール、オールクラッシュなど。相手の攻撃を完全に無効化できるようなタイプのDBについては強力すぎる、そして戦闘の面白さをなくしてしまうため禁止とした。

初期構想時から持つことが決定していたのはマザーとデカログスの二つ。それ以外のDBについては物語の展開上必要になってくるであろう能力を持つものを採用していく形になった。


『マザー』

シンクレア。母なる闇の使者マザーダークブリング。全ての元凶であり実質ラスボス。実体化した際の容姿は金髪のカトレア。アキの理想の女性像を勝手に使っている。金髪と黒のゴスロリドレスは完全にマザーの趣味。女王気質。ドSでありドM。

実は最初の構想ではその名の通り母親、親バカのような立ち位置でアキを振り回していくキャラクターだった。その時点ではヒロインはエリーであったのだがプロットを練っていくうちに「あれ、こいつヒロインじゃね?」と気づきそのままメインヒロインに昇格。エリーとのカップリングはかなり荒れそうな組み合わせでもあり悩んでいたため石のヒロインなら誰も文句は言わないだろうということで今に至っている。頂いた感想を見る限りではそこそこ受け入れられているようなので一安心。

能力は触れた物全てを消滅させる『空間消滅ディストーション

シンクレアに相応しい力なのだが強力すぎるため本編では活躍できていない。原作ではハルの叫び声にかき消されていたのでそれに比べればまだマシかもしれない。

DBとしての極み、真の力は『次元崩壊』

その名の通り次元を崩壊させる、正確には並行世界を現行世界によって塗りつぶす能力。あまりにも危険すぎるためハードナー戦においてもアキは最後まで使用を躊躇っていた。被害と影響を最小限にするために時空の剣としている。もう一つ、本来としての使い方もあるのだがそれは本編にて。


『デカログス』

魔剣。師匠。アキにとっての主武装であり相棒。生まれた経緯はマザーの親バカ、嫉妬からでありアキ自身は生み出してもらう気は無かったのだが何だかんだで今はお気に入りとなっている。本編では描写をカットしているが戦闘中にもアキはデカログスから指示や忠告を受けている。主従でありながら師弟である関係。DBの中でも数少ない男性人格であるのも大きな理由。

能力は『十剣』

RAVEの代名詞とも言えるTCMと同じ能力を持つ剣。やはりRAVEのSSを書く以上これは外せないだろうということで採用……したのだがあまりにも万能すぎるため作者的には一番扱いづらいDB。漫画を読んでいる中ではそれほど気にならなかったのだが実際に戦闘を考えてみるとはっきり言ってデカログスだけあればどんな敵でも封殺できることに気づく。アキは原作知識で全ての剣を知っており、またデカログスからのサポート、十年間の修行から第十の剣以外最初から使用できるというのも大きな問題だった。特に封印の剣ルーン・セイブはその最たるもの。魔導士殺しであり作者殺しの剣。ジークの嫌いな物が封印の剣ルーン・セイブだった理由が分かった。


『ネオ・デカログス』

真の魔剣。究極武器。本来なら登場は終盤なのだが迫りくる死亡フラグを回避するために必要不可欠であったため登場となる。原作とは違いキングのデカログスとの融合という経緯を経ている。(読者の方からあった二刀流もロマンがあったのだが)

格で言えばシンクレアを除けば最強のDB。アナスタシスとは相性が悪すぎたため無力化されてしまったが本来ならキング級の相手でも瞬殺できるほどの力がある。それ故にアキにしか扱えない剣。本当の見せ場(正念場)はもう少し先の予定。


『ワープロード』

汎用性が高すぎるDBその一。キングが使用していたDB。採用となった理由はハルとの接触を無理やり演出するため。ランダムの移動でなければアキがわざわざ幼いハルに会いに行くのは不自然であったためその役割を果たすことが一番だった。実はハルと出会ってそのまま別のところに行こうとすればアキ本人が危惧していたようにDC本部に瞬間移動してしまいそのままキングと接触、「お父さんと一緒」ルートに突入する可能性もあった。

能力は『瞬間移動』

一度行った場所であればどこでも行ける。またマーキングした場所であれば自分の視界内でも瞬間移動可能。契約を結んだ相手であれば呼び出すこともできる。ただし呼び出す際には相手の了解が必要(でなければトイレや風呂の問題がある)物語上どこでも移動できるのは非常に便利なのだが戦闘においては反則に近い能力。そのためマーキングなどの制限を付け回避においての使用を主とした。もっともほとんどがマザーをアジトに送り返すのに使われている。


『イリュージョン』

汎用性が高すぎるDBその二。このSSオリジナルのDB。アキの習熟度で言えばデカログスの次に高い存在。採用の経緯は序盤の潜伏生活に置いて必要不可欠になる能力であったため。逃走を主眼に置いたある意味アキの性格を表すDB。もしいなければキング編にてハルは死んでいたためアキにとっては命の恩人でもある。

能力は『幻影』

その名の通り幻を作り出し相手を欺くことができる。第一部ではアキは主に顔の傷を隠す、姿を隠すために使用。だが汎用性も高く戦闘においても強力な効果を発揮する。実力不足の初期のアキにとってはその不足を補う意味でもお世話になった。ただ六祈将軍オラシオンセイス戦以降は姿を隠す必要が無くなったこと、実力的に小細工をする必要がなくなってきたこと(敵が強くなり通用しなくなってきている)から出番が減りつつあるのを本人は寂しがっている。最近はほとんどマザーを実体化することが仕事になりつつあり、これからはもう一人増えるため多忙になる予定。


『ハイド』

空気(出番的な意味で)DBその一。オリジナルDB。元々五番目のDBについてはSSの進行上で不具合が生じた際にそれを補う役割を持たすため持たせていなかったのだがジークから身を隠す必要が出てきたため急遽登場となった。

能力は『気配遮断』

その名の通り気配を絶ち、空気になれる能力。姉であるイリュージョンと組み合わせればヤバいことに気づき戦闘には使えない制約を追加。そのせいでほぼ活躍できないいらない娘に。


『ゲート』

空気(存在的な意味で)DBその二。トラウマ。ジェロから渡された呪いのアイテム。アキは捨てたいのだが捨てるとどうなるのか恐ろしくしまったままになっている。というか頭の中からなかったことしている存在。

能力は『魔界の門を開くこと』

能力的にはワープロードの劣化版。ただしワープロードでは魔界には移動できないためその点では優れている。現状ではジェロを呼び出すことができる、いわば召喚獣の魔石のようなもの。ある意味アキが持っているDBの中で一番危険なDB。間違って使用しないようにアキはほとんど触れていない。今のところ使用せずに済んでいる、というか使用しなければいけない事態に陥った時点でアキ的には詰んでいるようなもの。実はジェロ側からも力を使い、アキの元に行けるのだがアキはそのことは知らない。マザーは知っているが面白そうなので黙っている。余談だが絶望さんの再登場は原作のメギドがエンドレスを吹き飛ばしたのと同じぐらいのインパクト、第二部の目玉の一つの予定。



設定集は以上になります。アナスタシスについては次話以降、本編にて説明させていただきます。では。



[33455] 第五十四話 「悪夢」 前編
Name: 闘牙王◆4daf4c7d ID:7bdaaa14
Date: 2013/02/17 20:17
世界中の人々は今、平和を謳歌していた。半年前の九月九日『歴史が変わった日』にDCが壊滅したことによって。多くのDC兵は検挙され、略奪や虐殺が行われることもなくなった。だが人々は知らなかった。それが仮初の物、危ういバランスの上で成り立っている物であることを。そして間もなく世界は知ることになる。新しい闇の覇権争いの狼煙が上がらんとしていることを――――


「はあ……」


大きな溜息と共にスーツ姿の少年は自らの大きなデスクに突っ伏してしまう。まるで緊張の糸が切れてしまった人形のよう。だがそれは無理のないこと。何故なら彼はただの少年ではない。金髪の悪魔の異名を持つ新生DC最高司令官ルシア・レアグローブ。その力は一般人なら目の前に立っただけで気を失ってしまうほどのもの。闇の頂きとまで言われた先代最高司令官キングを超える存在……なのだが今のルシアにはそんな威厳も何もあったものではない。ようやく残業が終わり仕事から解放されたサラリーマンのような哀愁がその背中にはあった。だが


『どうした、情けない。せっかくBGを潰したというのにいつも通りではないか。もっと喜んだらどうなのだ、我が主様よ?』


くくく、という楽しげな笑いと共に聞きなれた女性の声がルシアに向かってかけられる。ルシアは顔を突っ伏したまま目だけを動かすことで横目に声の主を捉えるだけ。そこには机の上に我が物顔で座り、足をばたつかせている金髪の女性の姿があった。まるでいきなりそこに現れたかのように突然の出来事。それを前にしてもルシアは驚くことなくただげんなりとした様子を見せるだけ。


「うるせえよ……ようやく事後処理が済んだんだ。ちょっと大人しくしてろっつーの……」
『何だ、失礼な。ちゃんとあのレディとかいう女がいる間は姿を消しておったろうが。お主こそいい加減慣れたらどうだ。もう半年になるというに情けない』
「やかましい! できるんならとっくにやっとるわ!」
『喚くでない、騒々しい……まったく、ヘタレなのはいつまでたっても変わらぬな。まあそれがお主らしいといえばお主らしいが』


金髪の漆黒のドレスを着た美女はそのまま口元を釣り上げながら疲れ切っている自らの主の姿を楽しげに見つめている。だがその姿は仮初の幻に過ぎない。

母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア』

それが女性の正体。マザーの名を持つ破壊を司るシンクレア。ルシアにとっては相棒でありながらも厄介な共犯者である存在だった。


(ちくしょう……相変わらず調子に乗りやがって……)


ルシアは大きな溜息を吐きながらもゆっくりと身体を起こしながらいい加減口やかましく自分に絡んでくるマザーに向かって文句を言わんとする。もっとも言ったところで大人しくそれを聞くような相手ではないことは分かり切っているものの流石に我慢の限界。そしてルシアが改めて口を開こうとした時


『そこまでにしなさい、マザー。それ以上は流石に見過ごせませんよ』


そんな聞き慣れない声がマザーに向かってかけられる。透き通るような女性の声。ルシアは驚いたように自らの後ろに振り返る。そこには一人の女性がいた。いや、正確には姿を現していた。

長い絹のような黒髪にそれとは対照的な白い着物を身の纏った女性。大和撫子という言葉が形になったかのような雰囲気、物腰をもった存在。だが彼女もまた人間ではない。

『アナスタシス』

五つに別れた母なる闇の使者マザーダークブリングの内の一つ。再生を司るシンクレア。かつてハードナーが持ち、今はルシアが手に入れた新たな仲間だった。


『ふん……何だ、いたのか。あまりにも影が薄いのでどこかに行ってしまったのかと思っていたぞ?』
『ご心配なく。私はあなたのように表に出ることは好みません。ですが流石にこれ以上の主に対する無礼は見過ごせません。分をわきまえなさい、マザー』
『う、うるさい! 前にも言ったであろうが、これが我とアキのあり方だ! 後からやってきた貴様にとやかく言われる筋合いはないぞ!』
『それはあの時の話です。今は私もアキ様に仕える身。同じシンクレアとして目に余る行為は許すわけにはいきません』


(こいつら……)


ルシアはそのままぎゃあぎゃあと痴話喧嘩を始めているマザーとアナスタシスの姿に呆れかえるしかない。もっとも冷静なアナスタシスに比べてマザーが感情的に、ヒステリックに食ってかかっていると言った方が正しいかもしれない。そんな自らの持つ二つのシンクレアの言い争いにルシアのストレスは胃痛にまで発展しかねない程。それがここ一カ月のルシアにとっての頭痛の種の一つ。ルシアは予想だにしていなかった。シンクレアを手に入れること。それはすなわち次元崩壊のDBであるエンドレスの完成に近づいてしまうということ。だがその前にある意味それ以上に厄介な事態に陥っていた。それがシンクレア同士の言い争い。ただでさえ喧しくて叶わなかった存在がもう一人増えてしまうという悪夢のような事態。


『そもそもなんだ、表に出ないとか言いながら実体化しておるではないか! どういうつもりだ!?』
『これはあなたに合わせているだけです。この方があなたも話しやすいでしょう?』
『貴様……我が知らぬとでも思っておるのか!? 貴様、隙があればアキの傍で実体化しているだろうが!』
『それはあなたも同じでしょう、マザー。それに私は後ろにお控えしているだけ。アキ様の負担になるような真似はしていません』
『ぐ……!』


痛いところを突かれてしまったかのようにマザーは黙りこんでしまう。それはアナスタシスの言葉が事実だったから。それは二人のまさに真逆とでも言える性格の違いによるもの。唯我独尊、女王のように振る舞うマザーとは対照的にアナスタシスは決して自らは表に出ようとはしない。女は男の三歩後ろを歩くを地で行うような存在。その証拠に今もアナスタシスは椅子に座っているルシアの後ろに控えるような形で立っているだけ。それに比べてマザーはルシアの机に座りながらまるでルシアを見下すような位置関係。流石のマザーもその状況には思う所があったのか口籠ってしまう。だが


『そんなことはどうでもよい! それよりもイリュージョンを勝手に使いおって……一体どういうつもりだ!』
『前にも言ったでしょう。きちんとイリュージョンにもアキ様にも了解は得ました。何か問題でも?』
『あるに決まっておろうが! イリュージョンはアキに頼まれて生んだいわば我とアキの子供のようなもの……イリュージョン、お主も黙っておらんで何か言わんか!』
『あ、あの……』
「マザー、お前いい加減にしろよ! イリュージョンまで巻き込んでんじゃねえよ! 困ってんじゃねえか!」


いい加減黙っているのも我慢の限界だったルシアが二人の間に割って入って行く。二人の間だけの言い争いなら見逃すこともできるが流石にイリュージョンまで巻き込まれるのを見逃すわけにはいかなかった。マザーとアナスタシスは性格も何も全く違うが全てのDBの頂点に立つ五つの母。だがイリュージョンは上級ではあるがただのDB。二人の言うことには基本的に絶対服従。だが今まではそれでよかったもののそのパワーバランスにも変化が生じてきている。アナスタシスという新たなシンクレアによって。イリュージョンにとっての生みの親は言うまでもなくマザーであるもののそれでもアナスタシスも広義の上では母に違いない。その命令を反故にすることもできない。だがマザーの言うことも聞かないわけにはいかない。いわば板挟みのような状況。その証拠にイリュージョンは涙声になっている。ルシア個人としてもマスターとしてもどうにかしなければいけない事態。


『っ!? な、何だ、お主までアナスタシスの味方をするのか!? やはり新しいシンクレアの方がいいのか!? あの時の言葉は嘘だったのか!? 我を捨てる気なのかアキ!?』
「何を訳分からんこと言っとんだ!? とにかく落ち着け! これ以上騒ぐんなら砂漠に飛ばすぞ!」
『申し訳ありません、アキ様。私も少し感情的になってしまい……』
『あ、あの……わたしはどうしたら……』


喚き散らしながら向かってくるマザーに四苦八苦しながらルシアは何とか場を収めようとするも一向にマザーは落ち着く気配がなくむしろルシアが仲裁に入ったことで酷くなっていくばかり。だがそれはここ一カ月の溜めこんできたストレスのせい。

エリーがいなくなってからルシアを独占し好き放題してきた所に余所者であるアナスタシスがやってきたことでそれができなくなってしまったこと。しかもシンクレアを集めるようにルシアに散々言って来た手前文句を言うこともできずにマザーはただ耐えるしかない。だがイリュージョンに実体化に加えてどうしても我慢できないことがマザーにはあった。

それはルシアが身に着けているアナスタシスの位置。そこは首飾りの胸元。今まではマザーがその位置だったのだがそこにアナスタシスも加わってしまったのだ。ルシアとしては腕などに身に着けることも検討したのだが戦闘中にはやはり問題があると判断し胸元に収まったのだがマザーにとっては気が気ではない。そんなマザーの事情など知らぬままルシアはそのまましばらくマザーを宥めるために四苦八苦するする羽目になったのだった―――――




『……そういえばアキ様、これからのことをお聞かせいただいても宜しいですか?』
「ハアッ……ハアッ……! こ、これからのこと……?」
『はい。アキ様は私とマザー、二つのシンクレアを持っておられます。残るシンクレアは三つ。それを手に入れるためにどうされるのかを教えていただきたいのです』
「そ、そうだな……とりあえずさっきのレディの報告にあった通り……おい、いつまでも泣いてんじゃねえよ。元々はてめえが悪いんだろうが……」
『ひん……ひっく……ぐすっ……わ、我は泣いてなどおらん! 勝手に勘違いするでない!』
「ああそうかい……ったく……」


ルシアは疲労によって息を荒げぐったりしながらも何とか落ち着きを取り戻したマザーの姿に安堵する。もっとも駄々をこねるのに疲れ切ってしまうという子供のような理由が主なのだがあえて口に出すことは無い。どうやら自分と同等の存在であるシンクレアを前にすると子供のような面が強く出てしまうらしい。


(ったく普段はドSのくせしやがって……と、それはともかくこれからのことか……)


ルシアは思考を切り替えながらアナスタシスに促されたようにこれから先のことを考える。まずはBGについて。一か月前、ルシア達はBGを壊滅させた。そしてその情報は瞬く間に帝国へ、闇の組織へと伝わり激震を与える。当たり前だ。BGは闇の組織の中では実質トップの存在、しかもそれが一日で壊滅してしまったのだから。だがそれだけではない。その倒した組織の存在こそが彼らを震撼させた。

『新生DC』

半年前に壊滅したはずのDCが復活した。その事実はBGが壊滅したこと以上に帝国、闇の組織にとっては恐れるべき事態。だがそれはまだ一般人には知られていない。帝国からすればDCが復活したなどと人々に知られれば世界が再び混乱するだけ。闇の組織もまた一般とはかけ離れた存在であるがゆえにタチの悪い噂だと思われるのが関の山。何よりもDC自体が表だって動いていないことが大きな原因だった。本来ならBGという組織を潰したことをきっかけに表舞台に出てきてしかるべき。だが一向にその気配はない。

それは言うまでもなくルシアの仕業。わざわざDCの復活を世界に知らせて余計な敵を作らないようにするため。ルシア自身は世界征服をする気など毛頭ないのだから。だがそれでもルシアは最初からDCの存在を帝国と闇の組織には知らしめる気だった。その証拠にルシアはBGに戦いを挑む際にDCのマークが入ったマントを身に纏っていた。もっとも六祈将軍オラシオンセイスの乱入という予想外の事態によってほとんど意味はなくなってしまったのだが。そしてそこまでして自らの存在をアピールしたかった理由。それはBGという闇の組織の一角が落ちてしまう影響を最小限に抑えるため。もっと突き詰めて言えば『ドリュー幽撃団』と『鬼神』をけん制するためだった。


「とりあえずはこのまま身を隠したまま様子見だ。放っておけば勝手にシンクレア持ちの奴らの方が動き出す」
『……? 相手の方からですか……?』
「ああ、近いうちにドリューとオウガの連合が組まれるはずだ。さっきのレディの報告でも接触があったらしいしな」


アナスタシスの疑問に答えるようにルシアはこれから起きるであろうことを予言する。もっとも先のことを知っているルシアだからこそできること。そしてそれこそがルシアが新生DCの存在を明かした理由。もしそれを行わずにBGを壊滅させてしまえば闇の組織のパワーバランスが大きく崩れてしまう。今までは三つの組織が三すくみに近い関係であったためにかろうじて均衡が保たれていたのだから。そこでルシアはBGに代わりDCがその位置に収まる手を考えた。BGを潰したDCがいると分かればドリューもオウガも好きには動けないと睨んでのもの。その証拠にまだ二つの組織は表立っては動いてはいない。しかし水面下の動きが見られている。それこそがドリューとオウガの連合。原作でもDCに対抗するために組まれたものだった。


『なるほど……アキ様が二つのシンクレアを持っていると知ったからこそ手を組んでくるというわけですか。ですがいいのですか。このままでは二つのシンクレアと同時に戦うことになってしまいますが……』
「そ、それは……」


アナスタシスのもっともな疑問にルシアはどうしたものかと考えしかない。確かにルシアの立場からすれば手を組まれる前に各個撃破した方がリスクは少ない。わざわざ手を組むのを黙って見過ごすなどあり得ない。だがそうせざるを得ない理由がルシアにはあった。


(流石に俺がこれ以上シンクレア持ちと戦うのはヤバすぎる……というかこのままじゃあハル達の戦う機会が無くなっちまうじゃねえか……!)


それはこれ以上シンクレア持ちと戦うわけにはいかないということ。BGを壊滅させてしまったことで既に原作の流れを破壊してしまったにも関わらずこれ以上表に出るわけにはいかない。ドリューとオウガの連合との戦いはハル達にとって必要不可欠のもの。これすらもなくなってしまえばハル達の成長は見込めなくなってしまう。エリーの記憶が戻り魔導精霊力エーテリオンの完全制御が可能になったとしてもそれだけでエンドレスに勝てるとは流石のルシアも考えていない。絶対ハル達の力も必要となってくるはず。そのためにはどうしてもこれ以上シンクレア集めで動くわけにはいかなかった。そんな中


『ふん……何だ、怖気づいたのかアナスタシス? 我は別に構わんぞ。例えヴァンパイアとラストフィジックスが相手だとしてもアキには我だけいれば十分だ。そうであろう、我が主様?』


いつのまにかいつもの調子でマザーが笑みを見せながらルシアへと近づいて行く。とてもさっきまで駄々をこね泣きじゃくっていたとは思えないような立ち直りっぷり。そう思いながらもルシアはあえてそこをスルーすることにする。突っ込めば恐らく頭痛を食らうであろうことは火を見るよりも明らかだった。


『……怖気てなどいません。ただ私はアキ様の身を案じていただけ。あなたこそ慢心していれば足元を掬われますよ』
『余計な御世話だ。そもそもお前は巻き戻しは使えんのだろう? なら黙って我に任せておけ。再生を使う機会もなかろう。なんならここでずっと留守番をしていても構わんぞ』
『申し訳ありませんアキ様……巻き戻しが使えれば共に戦うこともできたのですが……』
「い、いや……気にすんな。別にお前のせいじゃねえんだし……」
『ありがとうございます。ですが再生の力は使えます。どんな傷からでもアキ様をお守りしてみせます』
『おい、何を勝手に無視しておる!? 我の話を聞いておるのか!?』


自分そっちのけで話を始めるアナスタシスに向かってマザーが食ってかかっていくある意味いつも通りの光景に溜息を吐きながらもルシアは自らの胸元にあるアナスタシスに目を向ける。

アナスタシスの本質である時間逆行による『巻き戻し』

物理攻撃以外の効果、能力を完全に封殺してしまうDBの極み。だがそれをルシアは扱うことはできない。それはルシアに限った話ではない。例えドリューでも、オウガでもそれは変わらない。それが可能なのは世界に置いてハードナー唯一人。だからこそシンクレア達は己に相応しい担い手の元にいる。マザーの極みである『次元崩壊』もルシア以外の担い手では扱うことができない。そういった意味でマザーにとってルシアは唯一無二の担い手と言えるだろう。もっとも基本である『再生』の力は使用可能でありそれだけでも十分すぎるほどの物なのでルシアにしてみれば不満などあるはずもなかったのだが。


『確かにアキ様の力であれば心配は無用でしたね……力で言えば四天魔王に匹敵するやもしれません』
「っ!? そ、そうか……」
『……? どうかされたのですか、顔色が優れませんが?』
『くくく……気にするでない。ジェロと戦った時のトラウマが蘇っておるだけじゃろう。なあ主様?』
「て、てめえ……」


ルシアは顔を歪ませながらマザーを睨みつけるもそこには全く力はない。それを示すように知らずルシアの顔は青ざめ身体は震えている。それはトラウマ。初めての実戦で刻み込まれた恐怖の呪縛、条件反射。例えどんなに修行を、実戦を積んだとしても拭うことができない呪いのようなものだった。


『ジェロと……? アキ様は既に四天魔王と戦ったことがあるのですか?』
「え? あ、ああ……まあ……一応……一年ぐらい前だったかな……」
『……驚きました。あのジェロ相手によく生きていられましたね。ですが彼女は眠っていたはずでは?』
「そ、それは……」


アナスタシスの信じられないといった態度に圧倒されながらもルシアはただ見つめることしかできない。その元凶とでも言える存在を。そこにはまるで自分は関係ないと白をきるかのように口笛を吹いているマザーの姿があった。


『やはりあなたの仕業ですか、マザー……呆れましたよ。今ならいざ知らずまだ未熟であった主と四天魔王を戦わせるなど……』
『ふん、余計な心配だ。あれはただの模擬戦。ジェロにも手加減させていた。それで認めさせたのだから安いものだろう?』
『あ、あなたは……もういいです。これ以上は言い争っても仕方ありませんから……』


アナスタシスの呆れきったという態度にルシアは改めて自分がどれだけの無茶をさせられたのかを再確認され背筋が凍りつく。模擬戦とはいえ認められていなければ間違いなく殺されていたのだから。アナスタシスから見てもそれは狂気の沙汰に近いもの。自分の中の主従関係という概念が揺らいでいくのを感じながらもアナスタシスは改めてルシアに向かって進言する。


『今までのことはともかく……今のアキ様なら先にバルドルを手に入れるという選択肢もあるのではないですか?』


ルシアが知らない、知らされていないもう一つの選択肢を。


「バルドル……? それって五つ目のシンクレアのことだよな?」
『ええ。私達四つのシンクレアとは大きく役目が異なる存在です。アキ様はご存じないのですか?』
「あ、ああ……」
『…………』


ルシアはほとんど聞いたことのないシンクレアの名前が出てきたことに呆気にとられるだけ。それは五つ目のシンクレア。原作では名前すら出なかった未知の存在。唯一知っているのがそれを持っていたのが四天魔王のアスラであり、ルシアの元についた時に献上したということ。もちろん何度もルシアはそのことをマザーに尋ねたことがある。どんな能力なのかと。だが結局マザーは一度もそれについては口にすることは無かった。まるで誤魔化すかのように。それを示すかのようにマザーはアナスタシスの言葉を聞きながらも黙りこんだまま。ルシアは知らない。マザーが心の中で邪なことを考えていることに。


『バルドルは私達とは異なり主を持たないシンクレアです。ですがもっとも手に入れることが困難なシンクレアでもあります』
「手に入れることが困難? どういう意味だ?」
『バルドルを手に入れるということはすなわち全てのシンクレアを手に入れることと同義だからです。そのため今は魔界、四天魔王のアスラが持っています』
「ア、アスラか……でも何が困難なんだ? 俺、もうジェロに認められてんだから献上してくれるだけなんじゃねえのか……?」


ルシアは四天魔王の名前が出てきたこと、そしてもしかしたらシンクレアが手に入ってしまうかもしれない恐怖で顔を引きつかせるしかない。四天魔王と会うこともだがバルドルを手に入れれば三つのシンクレアを手に入れることになってしまう。唯でさえ原作よりも早くシンクレアを手にしてしまっているのにこれ以上増えるのは御免だった。それは正しい。だがそれ以上に大きな勘違いがルシアにはあった。それは自分が四天魔王に認められていると思い込んでいること。確かにジェロには認められていた。だがそれは模擬戦という括りの中での話。いわば大魔王の卵としてのもの。大魔王として認められたものではないことをルシアは知らない。アナスタシスもルシアと自分の間にある認識の違いに気づかない。


『献上ですか……? ですがアキ様が行ったのは模擬戦では』
『もういいであろう。アキが先にヴァンパイアとラストフィジックスを手に入れると言っておるのだ。どっちにしろ全てを手にするのはアキだ。遅いか早いかの違いでしかない』


そんな中、どこか楽しげな雰囲気を纏いながらもマザーが強引に二人の間に割って入って行く。だがその瞳にはどこか魔性の女のような怪しい光が宿っていた。自らの企みを成就させようとする、楽しみを邪魔させないとするかのような怪しい笑み。


『それにバルドルの居場所は分かり切っておる。焦る必要もあるまい。まずはアキの言うようにドリューとオウガとかいう奴らをおびき出す方がよかろう』
『……そうですね。確か両者とも船を移動手段にしていると聞きます。そちらを優先するというのもありかもしれませんね』
「……? な、何だかよく分からんがバルドルって奴を手に入れるのは最後でいいってことか……? できれば魔界に行くのは最後にしたいんだが……」
『アキ様がそう仰るなら異論はありません。ですがマザー、あなたはいいのですか。あの娘はあなたに会いたがっていると思いますが?』
『っ!? よ、余計なことを気にするな! 我は奴に会いたいなどと一言も言っておらんぞ!?』
『思い出しました……そう言えばあなたはバルドルを苦手にしていましたね、失礼しました』
『ふん……そんなことはどうでもいいわ。それよりももっと面白いことがあるぞ。なあ、主様?』


まるでこれ以上この話題は続けたくないといわんばかりに強引にマザーが机から飛び降りながら妖艶な笑みをルシアへと向ける。瞬間、ルシアは嫌な汗が背中を伝って行くのを感じ取るしかない。マザーがこんな態度を見せるのは決まって自分にとってはロクなことではないことを悟っているからこそ。


「面白いこと……? 何の話だ?」
『おや、忘れたとは言わせんぞ。戦いに行く前にしたポーカーでの約束がまだ済んでおらんだろう?』
「約束……? 何言って……あ」


マザーの言葉によってルシアの脳裏に蘇る。BGとの戦闘があったために頭の隅に追いやられてしまっていた、そのまま追いやられてほしかった面倒事がまだあったことに。それは勝った方の言うことを何でも一つ聞くこと。その賭けに敗北してしまったルシアはマザーの言うことを一つ必ず聞かなくてはいけない。それは


『ようやく思い出したようだな。だが案ずることはないぞ。もうすでにDBは生み出しておいたからな。さあ、始めようではないか主様。きっと楽しい一日になるぞ』


新しいDBを一つ、ルシアに使わせること。


心底楽しみだといわんばかりの満面の笑みを見せながらマザーはその手によって隠していた一つのDBを露わにする。瞬間、ルシアの顔が絶望に染まる。DBマスターとしての能力によって頭の中にDBの正体が浮かんでくる。


一瞬の現実リアルモーメント


それがルシアの悪夢の一日の始まりだった――――



[33455] 第五十五話 「悪夢」 中編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/02/19 03:05
「これは……」


ルシアはどこか心ここに非ずと言った風に呆然とした様子で目の前の机に置かれている一つのDBに目を奪われていた。DBマスターであるルシアにはただそれを目にするだけで十分だった。


『リアルモーメント』


それがそのDBの正体。その名の通り一瞬だけであるが幻を現実にすることができるDB。それが何を意味するかを一瞬で悟りルシアはただその場に立ち尽くすことしかできない。


『くくく……どうやらどういうことか悟ったようだな。だが今更なかったことにすることは許さんぞ。これは賭けなのだからな』


そんな自らの主の姿に満足したかのようにマザーは笑いをこらえることができない。長い間ずっと考えてきた策がようやく実を結んだのだから。だが本当に面白いのはこれから。まるで待ちに待ったおもちゃを前にしたかのようにマザーは目を輝かせながら約束をルシアに守らせんとするも


『マ、マザー……てめえ、そんなに修行で俺を追い詰めてえのか!?』


それはルシアの予想外の、理解不能の叫びによって一気に霧散してしまった。


『…………は?』
「…………え?」
『……?』


マザーはこいつ何言ってんだといわんばかりの顔で、ルシアはマザーの呆然とした様子に呆気にとられた顔で、事情が理解できないアナスタシスはぽかんとした顔で互いの顔を見合わせる。三者三様のリアクションを見せるもその胸中は皆同じ。一体何が起こっているのか分からない。それだけだった。


「な、何だよ……その顔は? 俺、何かおかしいことでも言ったか……?」
『あ、当たり前だ! 大体何故ここで修行の話が出てくる!? 我はそんなこと一言も言っておらんだろうが!?』
「てめえこそ何訳分からんこと言ってやがる!? このリアルモーメントで修行を実戦形式にする気なんだろうが!?」
『実戦形式……? 何を意味が分からんことを言って……ん?』
『……なるほど、そういうことですか……』


マザーはようやくルシアが一体何を言っているのかを悟る。正確には何を勘違いしていたのかを。同時にアナスタシスもマザーとルシアの間にあった勘違いが何であったのかに気づき小さくため息を突きながらもそのまま二人から距離を取る。自分が出る幕ではないと瞬時に見てとった故の動き。事情を理解していないのはルシア唯一人。それが可笑しいのかマザーはいつも以上に上機嫌になってしまう。


「な、なんだよ……二人して黙りこんじまって……」
『くくく……いやなに、お主の滑稽な勘違いが可笑しかっただけよ。我はな、そのリアルモーメントで我の幻を実体化してもらおうと思っておっただけだ』
「え!? お、お前を実体化……!? リアルモーメントでか……!?」
『うむ、こやつの力は幻を現実にするもの。イリュージョンとはこれ以上にないほど相性が良い存在だ』
「ちょ、ちょっと待てよ……でもこいつは一瞬しか幻を現実にできないんじゃねえのかよ? そんなことしたって何の意味があるんだ?」


ルシアは自分の想像だにしていなかった展開に右往左往しながらもマザーを問い詰める。幻を現実に変える。それがリアルモーメントの能力。だがそれはその名の通り一瞬だけの物。原作でこのDBを使っていたランスという男も獣剣と呼ばれる獣の幻を生み出す剣と組み合わせることで戦っていたが幻を実体化できるのは攻撃の一瞬だけだった。それを知っているからこそルシアは勘違いをしてしまっていた。マザーが幻との修行にこのリアルモーメントを使う気なのだろうと。だがそれはマザーの思惑とは大きく異なっていた。


『ふむ、確かに並みの使い手ならばそうであろう。だがそれが主であれば話は別だ。今のお主ならばリアルモーメントの極み、一瞬ではない完璧な実体化をすることも可能だということだ』
「なっ……!? そ、そんなことができんのかよ……!?」
『当然であろう。お主は自分がDBマスターであることをちゃんと理解するべきだぞ。シンクレアはともかくそれ以外のDBでお主が極められないものなどもはや存在せん。まあだからといって無制限に持てるわけではないが……まあよい、お主はこれ以上DBを持つこともないだろうからな……』


ルシアはマザーの言葉に少なからず驚きを感じていた。それは自身の力の向上、DBマスターとしての成長に。もしかしたら以前べリアルに言われたように自分は人間ではなくなってしまっているのではないかと心配してしまうほど。


『くくく……だが中々面白い話を聞かせてもらった。リアルモーメントを使った実戦形式の修行か……そこまでは我も気づいておらんかったわ。流石は我が主。まさか自分からさらに過酷な修行を申し出るとは……』
「っ!? い、いや……それは……」
『そういえばちょうど再生の力を持った誰かさんがいたな。喜べ主様よ。これで怪我の心配をすることなく修行することができるぞ』


くくく、という邪悪な笑みを浮かべながらマザーはまるで鬼の首を取ったかのように捲し立てる。ルシアはそんなマザーの姿に顔面を蒼白にするしかない。同時に自分自身が墓穴を掘ってしまったことに後悔する。いらないことを口走ってしまったと気づくも後の祭り。それでも何とか最悪の事態を回避すべく無い知恵を絞ろうとした時


『ふう……そこまでにしたらどうですか、マザー。素直に自分にリアルモーメントを使ってほしいと頼めばいいでしょうに……』
『なっ!? な、何を言っておる!? 我はただアキが提案してくれたアイデアを修行を生かしてやろうと……』
『そうですか……では私が代わりにアキ様に実体化させていただきます。それでも構いませんね?』
『ふ、ふざけるでない! それは賭けに勝った我の権利だぞ!』
『そうですか。では早くそうしなさい………好きな相手に意地悪をするのはあなたの悪い癖ですよ、マザー』
『くっ……後で覚えておけよ、アナスタシス……』


最後のやり取りをわざとルシアに聞こえないようにマザーとアナスタシスはかわしながらもようやくそれでその場は収まることになった。もっともマザーからすればもう少しルシアをからかって遊びたかったところではあるがあまりにもやりすぎて本来の目的が失敗してしまえば本末転倒だと判断する。


『ご、ごほんっ! まあそれについては置いておくとしてアキよ。約束は約束だ。リアルモーメントを我に使ってもらうぞ。無論、極みである完全な実体化をな』


気を取り直すかのように咳ばらいをしながらマザーは自らの幻にリアルモーメントの力を使うようにルシアに迫る。だがその姿はどうみてもいつもとは違っていた。一言でいえばそわそわしているもの。落ち着きがないのはいつものことだがそれを踏まえたとしても明らかに浮足立っているのがルシアから見てもバレバレだった。


「はあ……分かった分かった。でもその代わり修行でこいつを使うのはナシだ。それでいいな?」
『むう……まあよかろう。修行での幻にリアルモーメントを使えばそれだけでお主がまともに動けなくなるだけだろうしな……』


楽しみが一つ減ったとことに不満げな声を漏らしながらもマザーは渋々ルシアの条件を飲むことにする。もっとも効率の面から考えてもあまりいい案ではなかったこともその理由。確かにリアルモーメントを使えば実戦形式の修行を行うこともできるが流石にシバや蒼天四戦士を実体化しながら戦うことはいかにルシアでも消耗の面で無理が出る。特にシバでは実体化することすら難しいはず。それでルシアがまともに動けなくなってしまえば何の意味もないのだから。


「じゃあ行くぞ。どうなっても知らねえからな……」


ルシアはげんなりした様子でふんぞり返っているマザーの幻に向かってリアルモーメントの力を解放する。一瞬の現実ではなく、完全な実体化を為すために。瞬間、まばゆい光が部屋を支配する。


ルシアは内心安堵していた。リアルモーメントを使った修行をとりあえずは行わなくてよくなったことで。だがすぐ知ることになる。


それよりも遥かに厄介な事態が今まさに起こらんとしていたことに―――――








DC本部があるエクスペリメントから遥か遠く離れたサザンベルク大陸。その近海の奥深くに一つの大きな要塞が存在していた。


『リバーサリー』


それがその要塞の名。闇の組織の一つ『鬼神』の本拠地である船だった。その中の一角。巨大な機械のコードが散乱した部屋に一つの小さな人影があった。


「やっぱりまだ調整が……もう少し駆動炉の耐久性を……」


ぶつぶつと独り言をつぶやきながら目の前にあるパソコンをいじっているのはまるで少年のように見える男。彼の名はゴブ。だがゴブは人間ではなかった。その証拠にその頭には人間には無い二つの確かな角がある。

『鬼』

人間を遥かに超えた身体能力を持つ亜人の一種。鬼神のメンバーは全て鬼で構成されている。その身体能力と共にDBを駆使することで闇の世界でも三本の指に入る力を持っている組織。無論ゴブもその例に漏れないのだが彼はそれ以外にも特別な地位についていた。それは参謀長。その役職が示す通り頭脳労働がゴブの大きな役割だった。そしてゴブがいじっているパソコンから手を離し、少し休憩をしようとした時


「おう、どうだゴブ。魔亜冥土砲マーメイドキャノンの調子は?」


まるで初めからそこにいたかのように大きな声が部屋中に響き渡る。だがそれは聞く者を一瞬で委縮させてしまいかねない程の凄味を含んだもの。同時に部屋の空気が重苦しさを増していく。その声の主が現れたことによって空気そのものが怯えているかのように。その声の主が誰であるかを知っているゴブでさえ一瞬、身体が強張ってしまうほど。


「そ、総長……!? どうしたんですか、こんなところに……?」


ゴブは慌てながら振り返り部屋に現れた人物を迎え入れる。だがそんなゴブの様子を気にする風もなく男は我が物顔で悠然と姿を見せる。ゴブはその姿を見上げるしかない。それほどのその男は巨大だった。小柄なゴブとは比べ物にならない程の巨体と屈強な体。そして金でできた鎧を身に纏った姿。まさに鬼の頂点に相応しい貫録と力を持った王。

『オウガ』

それが鬼神のリーダー、総長である男の名。その圧倒的な力を以て世界を、世界中の女を我が物にするという野望を持つ存在。だがそんな世迷言とも取れる野望を実現しかねない力をオウガは持っている。その証が胸元で確かな光を放っていた。

『ラストフィジックス』

持つ者に無敵の肉体を与えるシンクレア。最強の身体能力を持つオウガがそれを持てばまさに鬼に金棒。かつて闇の頂きとまで呼ばれたDC最高司令官キングに勝るとも劣らない実力を持つ王者だった。


「ああ、ちょっと確認したくてな。ゴブ、魔亜冥土砲マーメイドキャノンはいつ完成しそうだ?」
「完成ですか……? 魔亜冥土砲マーメイドキャノン自体はほぼ完成していますがまだ魔力の方が……今は人魚たちから魔力を集めている最中ですから……早くても一カ月以上は……」


ぶつぶつと小言を言いながらゴブは淡々と現在の状況をオウガへと伝える。今、ゴブ達は新しい兵器である魔亜冥土砲マーメイドキャノンと呼ばれるものを開発していた。それは魔力を使った巨大な砲台。その威力は凄まじく改良によっては大破壊オーバードライブにも匹敵しかねないもの。だがそのためには莫大な魔力が必要となりその確保のために今、鬼神の構成員たちは魔力を持つ亜人である人魚を捕獲し魔力を集めているところだった。


「一カ月だあ? おいおい、もっと早く何とかならねえのかよ」
「む、無茶言わないでください……これでも一番効率が良い方法なんですから……そもそもそれでもいいって言ったのは総長でしょう?」
「あーあー分かった分かった。じゃあしょうがねえな……」
「……? それよりも総長、こんなところにいていいんですか。もうすぐドリュー幽撃団との会合のはずでしょう?」


ぼりぼりと頭を掻いているオウガの姿に疑問を抱きながらもゴブは思い出したかのように進言する。今日はオウガにとって、正確には鬼神にとって重要な会合が予定されていた。それがドリュー幽撃団との会合。DCに対抗するために連合を組むためのものだった。本来ならあり得ないような話だが先日のBG壊滅の一件によって鬼神もそう動かざるを得なかった。あのDCが復活し、しかも恐らくは前以上の力を持っているのだから。いかに鬼神、ドリュー幽撃団といえども正面から挑めば勝ち目はないという利害関係が一致したからこそ実現した案。事実参謀長であるゴブもこの日のために尽力してきた。だがそれを知った上で


「ああ……その話な……やっぱナシだ」


どうでもよさげに、まるで面倒になったからやめたと言わんばかりの態度でオウガはそんな言葉を口にした。それによってゴブは目を見開いたまま口をパクパクさせるしかない。


「な、何を言ってるんですか総長!? あれだけ話合ったじゃないですか!? あのDCが復活してるんですよ! 総長だってDCの力がどんなものか分かってる筈でしょう!?」
「あーあーうるせえな……分かってるさ。お前の小言を耳にたこができるぐらい聞かされてきてんだからな……」
「ならどうして……!?」


ゴブは相手が総長であると分かっていながらも我を忘れて食ってかかって行く。本当ならば許されるはずのない行為。だがそれでも参謀長としてどうしても黙っているわけにはいかなかった。これからの行動を全て変更しなければならない程のものなのだから。オウガもそれが分かっているからこそゴブが食ってかかってくるのをとがめることは無い。だが


「だがよ……ドリューと手を組めば本当にDCに勝てると思ってんのか?」
「……え? そ、それは……」


オウガの静かな声によってゴブは我を取り戻す。いつもなら大声でどなられてしまう所であったはずにも関わらず静かに諭されたことで逆にゴブは得もしれない感覚を覚える。


「今のDCのトップ……確か金髪の何とかって奴はハードナーの野郎を倒して二つのシンクレアを持ってんだろ?」
「金髪の悪魔です……まあ確定した情報じゃありませんけど……シンクレアを二つ持ってるのは間違いないはずです……」
「まあ何だっていいさ……つまりその金髪はオレやドリューと違って二つシンクレアを持ってるわけだ。この意味がてめえに分かるか、ゴブ?」
「…………」


知らずゴブは息を飲んでいた。それは自分に向かって話しかけているオウガの眼。それはまさに戦う者の眼。それを前にして口をはさむことなど誰にもできない。


「オレは最強だ。最も剛勇な戦士の一族の王だ。だがそれでもこのシンクレアがどんな存在かってこともオレは誰よりも分かってる。これを二つ持つってことがどれだけヤバいかってことをな」
「そ、総長……一体何を……?」


ゴブは身体を震わせながらただ尋ねることしかできない。だが既に頭の中では理解できていた。オウガが一体何を言おうとしているのかを。参謀長として一つの選択肢として考えていた、それでもリスクの高さから実行できなかった策。それは



「まだ分からねえか……簡単なことだ。DCを倒す一番の方法はな……オレも二つシンクレアを持てばいいってことだ!」



ドリュー幽撃団を壊滅させ、ドリューが持っているシンクレアを奪うこと。あまりにも単純な答えだった。


「ド、ドリュー幽撃団と戦うつもりなんですか!? ちょっと待ってください! まだ魔亜冥土砲マーメイドキャノンも完成していません! いくらなんでも無茶です!」


こればかりは聞くわけにはいかないとばかりに必死の形相でゴブはオウガを説得せんとする。それは何もオウガの強さを疑っているわけではない。だが相手はドリュー。あのキングと互角かそれ以上の実力を持つ相手。それに加え何人もの強力な戦士を連れている。ならこちらも万全を期さなければなければならない。参謀長として当然の考え。だがオウガとてそんなことは百も承知。自らの力に絶対の自信を持ちながらも決してドリューを侮っているわけではない。だがそれでもオウガは不敵な笑みを見せる。狂気とも言える光を宿した瞳を見せながら


「何言ってやがる、オレにはコレがあるだろうが」


その巨大な拳でそれを叩く。そこは壁。何の変哲もないただの壁。だが唯一普通ではない点。それはその壁が、床が、天井が、全て『銀色』であったこと。


「っ!? そ、総長ダメです!! コレはわが軍の最終兵器!! 使えば世界中を敵に回すことになります! 本当の土壇場に使うべきです!!」


それは懇願にも近い進言。それはゴブ自身が誰よりも理解していたから。自らがいる要塞、船の力を使えばどうなるか。まさに世界を破壊しかねない力がこの銀の船にはある。だが


「今がその時じゃねえか。千載一遇のチャンスだ。ここに船で向かってるドリューを消してシンクレアを手に入れる。そのままDCも潰す。それだけだ」


銀の船の主であり金を扱う鬼の王は嗤いながら告げる。自らの決定を。世界を敵に回すことすら恐れない。自らの金の力とシンクレア、そして銀術の最終兵器があればどんな敵も恐れるに足らないと。


「…………どうなっても知りませんよ」


もはや何を言っても無駄なことを悟ったゴブはそのまま船の外で活動している構成員たち全員を緊急指令で帰還させた後、船の中枢にある機械のパネルへと近づいて行く。そこにパスワードを打ち込むことで全ては完了する。いや、全ては消滅する。その意味を知るゴブは大きく息を飲む。だがこれがある意味理にかなっていることは認めざるを得なかった。多少の犠牲は払うことになるがその力を使えばドリュー幽撃団であろうがDCだろうが敵ではない。問題は本当に跡形もなく全てを消し去ってしまうことだけ。ゴブはその封印を解かんとする。要塞リバーサリー。だがそれは仮初の名前だった。


『シルバーレイ』


それがこの銀の船の本当の名前。かつて一人の銀術師シルバークレイマーが作り上げた最高の芸術品であり最悪の兵器。


それがまさに解き放たれんとした瞬間



「面白そうな話だな。私も混ぜてもらっても構わんかね」



そんなあり得ないような声が響き渡った。


それは影だった。


まるで影そのものが生きているかのように動き、形を為していく。信じられない悪夢のような光景。だがそれが何を意味するか瞬時に悟ったゴブの表情は驚愕と恐怖に染まる。


それとは対照的にその光景をオウガは無表情のまま見つめ続けている。だがその空気が既に先程までとは別物。戦闘種族である鬼そのものといっても過言ではない気配をその身に纏っている。その胸にある闇の頂きも凄まじい光を放つ。まるで待ちわびた時が来たことを喜んでいるかのように。


その闇色の光は一つではなかった。もう一つは形を為した人型の胸元から放たれている。


『ヴァンパイア』


持つ者に引力を操る力を与えるシンクレア。オウガ同様、王たる者にしか持つ資格がない五つの母の一つ。だがその男は人間でも鬼でもない。夜に生きる、闇そのものといってもいい存在。『魔王』の称号を持つ者。


『パンプキンドリュー』



ひと月前の金髪の悪魔と不死身の処刑人、二人の王とそれに従う母なる闇の使者マザーダークブリングの戦いがあった。

そして今ここにもう一つ。

鬼の王と夜の魔王、二つの母なる闇の使者マザーダークブリングが相見える時が来た―――――



[33455] 第五十六話 「悪夢」 後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/02/25 22:26
「面白そうな話だな。私も混ぜてもらっても構わんかね」


まるで影が形を為すように徐々にその姿が露わになって行く。全身が黒づくめの長身の男。男爵と言って差し支えないような風体と品性を感じさせる佇まい。何よりも目を引くのが頭に被っている大きな兜。男の姿とカボチャの形を模した兜のアンバランスさがこれ以上にないほど不気味さを生み出している。


『パンプキン・ドリュー』


その名が示すように夜を支配するに相応しい一人の王がそこにはいた。


「そ、総長……」


声を震わせながら微かな声でゴブは自らの隣にいるオウガに向かって声をかけるも既に冷静な判断力を失いつつあった。当たり前だ。目の前にいきなり侵入者が現れたのだから。だが問題はそこではない。ただの侵入者であったなら驚きこそはすれ怯えることなどあり得ない。しかし目の前にいる男、ドリューは違う。実際に目にしたことはないもののゴブは知っていた。ドリューがかつてのDC最高司令官キングと互角かそれ以上の実力を持っている怪物であることを。しかも今まさにドリュー達に向かって攻撃を仕掛けようとしたところ。間違いなくその話の内容まで聞かれてしまっていたはず。


「……ドリューか。一体どういうつもりだ? いきなりリバーサリーに来るなんて話は聞いてねえぜ」


自らの隣にいるゴブの動揺を知ってか知らずかオウガはどこか不敵な笑みを見せながら突然の来訪者であるドリューを出迎える。だがその一挙一動に隙が見られない。まさに戦闘直前、獲物を前にした獣が必死に自分を抑えているような空気が辺りを支配する。


「これは失礼した……何せ鬼神との初めての会合だったのでね。こちらから出向くのが礼儀だと思ったのだがどうやらタイミングが悪かったようだ。非礼を詫びよう」


紳士的な態度を見せるように一度目を閉じながらドリューは自らの行動を詫びる。だがそこにはオウガ同様一切の油断は無い。体から発せられている重圧を隠し切れていない。むしろそれを見せつけているかのよう。ゴブはその場に立っているだけで精一杯だった。ただそこにいるだけで気を失ってしまいそうな重圧。王たる者に相応しい力。爆発寸前の爆弾が目の前に転がっているに等しい悪夢のような光景がそこにはあった。


「ハ! 相変わらず気に食わねえしゃべり方をする野郎だぜ。まどろっこしいのは御免だ。さっさと用件を言いやがれ」
「ふむ……品がないのは変わらぬようだな。まあ鬼どもにそれを求めることが間違いだったな」


茶番はここまでと言わんばかりにドリューの纏う空気がさらに威圧感を増していく。それに呼応するようのオウガの重圧も既に限界を超えつつある。目は見開かれ体には無数の血管が浮き出ている。自分を、自らの種族である鬼を馬鹿にされたことに対する怒りによるもの。


「何、簡単な用件だ。お前達と同じ考えだというのが癪だが……オウガ、お前が持つシンクレアを頂き来たのだよ」


何でもないことのようにドリューは自らの目的を告げる。シンクレアの奪取という奇しくも今まさにオウガが行わんとしていたこと。そのためにドリューは自らの飛行船よりも早くここリバーサリーへと侵入していた。自分が飛行船にいると思わせた上での奇襲。時間帯が夜であることもそれが可能であった理由。夜の魔王であるドリューにとって今はまさに自分の力を完全に発揮できる時。敵の本拠地に一人で乗り込むという正気を疑う行動も自分一人で鬼神を壊滅させることができるという絶対の自信がある証拠だった。


「なるほどなァ……ってことは同盟の話も最初から嘘だったってわけか?」
「当然だろう。今のDCの力……特に新たなキングである金髪の悪魔の力はかつてのキングを超えるもの。お前達と組んだ程度で対抗できるのなら既に半年前に動いている」
「……随分調子に乗ってるみてェじゃねェか。日が出てるとこには出られねェ日蔭者のくせによ」
「ふっ……だが少々見直す点もあるようだ。詳しい事情は分からぬがこの要塞には利用価値があるらしい。頭が足りないお前達にはもったいない程のな。私が代わりに有効活用してやろう」


瞬間、凄まじい地震のような揺れが辺りを支配する。だがそれはただオウガが一歩ドリューに向かって近づいただけの動きによるもの。


「ごちゃごちゃうるせェんだよ!! 今すぐてめェの体を引き裂いてそのシンクレアをオレの物にしてやらああああ!!」
「同感だな。私もその間抜けな顔を見るのも飽き飽きしていたところだ」


この世の物とは思えないような咆哮をあげる鬼と冷静沈着な夜の支配者。あらゆる意味で対照的な二人の王。両者の胸に輝く二つの闇の頂き。


オウガとドリュー。そしてラストフィジックスとヴァンパイアの頂上決戦の火蓋が今、切って落とされた――――



「悪いが遊んでやろうという気は毛頭ない。一瞬で終わりにしてやろう」


先に動いたのはドリューだった。ドリューは自らの人差し指で宙に小さな円を描く。瞬間、そこから一本の剣が姿を現す。刀身も柄も全て漆黒に塗りつぶされている剣。

『宵の剣』

それがその剣の名。その名の通り闇属性の魔法がかかっている剣。宵の剣によってつけられた傷は決して癒されることはない。どんな傷も治すといわれる霊薬エリクシルですら例外ではない。そしてもっとも厄介な点。それは宵の剣による傷は夜が深くなるにつれて悪化するということ。まさに夜の支配者たるドリューを形にしたかのような武器。


「それがどうした! そんな剣でオレを殺れるとでも思ってんのかよ!?」


オウガは剣を握ったドリューを見ながらも全く恐れることなく突っ込んでいく。まさに特攻とでも言うべき愚直な突進。知性の欠片も感じさえない獣を相手にしているかのような光景。そんなオウガの姿にドリューはどこか憐れみにも似た視線を向ける。


「愚かな……身を以て知るがいい。『ヴァンパイア』の力をな」


宣告と共にドリューは無造作にその掌を接近しようとするオウガに向かって晒す。同時にドリューの胸元にある三日月を模した形を持つシンクレアが輝きを放つ。瞬間、見えない力がオウガに襲いかかった。


(っ!? 何だ、これは……体の自由が利かねェ……!?)


オウガは突然の事態に目を見開くことしかできない。いきなり自分の体の自由が奪われてしまったのだから。いや、正確には何かに引っ張られるように体がドリューに向かって吸い寄せられてしまう。まるで磁石のように。それがドリューが持つシンクレアの能力だと看破した瞬間


「終わりだ」


無慈悲な黒剣の一刀と宣言によってオウガの体は貫かれた。


「ガッ……!? ド、ドリュー……てめえ……一体何をしやがった……!?」


うめき声を漏らしながらオウガは自分の胸を見下ろすだけ。そこにはさっきまで遥か遠くにいた筈のドリューの姿がある。その手にある宵の剣が容赦なくオウガの胸、心臓に突きたてられている。まさに一撃必殺。宵の剣の効果を使う必要もないほどの一閃。オウガは何よりもその速さに驚愕していた。見えない力によって体の自由を奪われた一瞬しかオウガはドリューから目を離さなかったにも関わらず両者の距離をドリューはゼロにしたのだから。


「これが私のシンクレア、ヴァンパイアの引力支配の力だ。どんなに距離があろうと私は一瞬で距離を詰められる。残念だったな」


冥土の土産とばかりにドリューは自らのもつシンクレアの能力を明かす。


『引力支配』


その名の通り引き合う力、引力を自在に操る能力。それによってドリューはTCMの一つ、音速の剣シルファリオンを超える速度で動くことができる。加えて引力は自らだけでなく相手にも有効。それによってオウガは引き寄せられ体の自由を奪われてしまった。

引力によって相手の動きを奪い、一瞬で距離を詰め止めを刺す。初見であれば躱しようがない必殺の戦法だった。


「…………なるほどなァ……ますますそのシンクレアが欲しくなっちまったぜ」


相手がオウガでなかったのなら。


「何っ!? 」


ドリューは咄嗟に身を翻しながらその場を離れんとするもそれよりも早くオウガの拳が放たれる。完全に虚を突かれたドリューはそれを避けきれず拳を受けてしまうも頭に被っていた兜によってダメージを受けることなくその場を離脱することに成功する。だがその一撃によってパンプキンを模した兜は粉々に砕けその素顔が露わになってしまう。何よりもその表情は驚愕に満ちていた。ここに現れてから初めて見せるドリューの動揺。だがそれは当然のもの。


「へえ……妙な被りモンがない方が似合ってんじゃねえのか、ドリュー?」


何故なら確かに心臓を貫いたはずのオウガが全くダメージを受けていなかったのだから。それだけではない。傷一つ残っていないというあり得ない姿。いかにドリューといえども驚かずにはいられない事態だった。


「……どういうことだ。確かに私の剣は貴様を貫いたはず……」
「ガハハ! 流石のてめえもビビったみてえだな! これがオレのラストフィジックスの力。物理的な力を無効にする力だ!」


高らかに笑いながらオウガは自らの胸にあるシンクレアを手にする。それこそがドリューの剣で貫かれながらも無傷である理由。


『物理攻撃の無効化』


剣や銃弾、拳に至るまで物理的な衝撃、ダメージを完全に無効化する能力。それがラストフィジックスの力。持つ者に無敵の肉体を与えるに等しい最強の一角だった。


「物理無効……なるほど、シンクレアに相応しい能力だ。お前にはもったいない代物だな」
「ほう……随分余裕見せるじゃねェか? 分かってんのか? オレにはその剣が通用しねェってことだぜ?」
「ふん……お前こそシンクレアに頼りすぎているのではないか。確かにその能力は脅威だが手はいくらでもある」
「言ってくれるねェ……だがてめえこそ勘違いしてるみてェだな。見せてやるよ、オレの本当の力をな」


宣言と共にオウガが自らの拳を握る。瞬間、オウガが身に纏っている鎧が液体のように変化し、形を変えながらドリューに向かって放たれる。それは金の奔流。鎧を構成していた物質が純金である証。


「―――!」


ドリューはその光景に一瞬眉を動かしながら紙一重のところで金の波を回避する。だがその瞬間、凄まじい衝撃と威力が地面を抉って行く。粉塵によって視界が奪われるもドリューはその破壊力を正確に見抜く。もし避けそこなっていれば一撃で戦闘不能にされてしまう規模の攻撃。いや、そんな生易しいものではない。巻き込まれれば粉々にされてしまう暴力。


「驚いてくれたみてェだな。これがオレの力、究極の金属変化師『金術師ゴールドクレイマー』の真の力だ」


金術師ゴールドクレイマー


それがオウガのシンクレアではないもう一つの力。金属を操る力。銀術からさらに進化した力。絶対安定元素、金属の王である金を操ることができる者を示す称号。その強さは銀術の比ではない。金を扱うには銀とは比較にならない程の力が必要となる。だがオウガにはそれが為し得る。王に相応しい力を持つ証。世界に一人しかない金術師ゴールドクレイマーが今、その力を解放した。


「無駄だ! どんなに逃げたところでオレの金術からは逃れられねェ!」


オウガは自らの鎧の金を自由自在に操ることによって一気にドリューを追い詰めんとする。いかに素早い動きが可能な相手であって金術の動きはそれを捉えることができる。生き物のよう動き、自在に形を変えることができる金術に隙はない。例えヴァンパイアの力で金術を引き寄せたとしてもドリュー自身が追い詰められるだけ。それを証明するかのようについに金の波がドリューを完璧に捉える。オウガが己の勝利を確信し、最後の一撃を加えんとした時


「確かに少しはやるようだが……それでも私には届かん」


ドリューは身じろぎ一つしないままその場に立ち尽くしてしまう。完全に無防備そのものの姿。だが金術がドリューを飲みこもうとした瞬間、まるで弾かれてしまうように金術はその軌道を変えてしまう。圧倒的な攻撃力を持つ金術をまるでこともなげに受け流してしまう信じられないような事態。だがそれを為し得る力がドリューにはある。


「その力……それもてめえのシンクレアの引力ってわけか」
「無知なお前でもようやく飲み込めたようだな。だがこれは引力ではなく斥力。引力とは正反対の物体が離れようとする力。DBの力を百パーセント引き出せる私だからこそできるものだ」


お前に勝ち目はないと告げるかのようにドリューは種明かしをする。自ら周囲から物体を遠ざける斥力こそドリューのもう一つの力。それはオウガの金術ですら弾く程の強固な防御。ラストフィジックスの物理無効に匹敵する絶対防御。それがある限りオウガの攻撃はドリューには届かない。そしてドリューの剣もオウガには通用しない。故に戦況は互角。端から見ればそう見えるだろう。だがドリューには剣ではないもう一つの攻撃手段があった。しかしドリューは知らなかった。


「ガハハ! 確かに一人でここに乗りこんでくるだけはあるな。だが何か大事なことを忘れちゃいねェか?」
「……何の話だ」
「なぁに単純な話さ……てめえが今戦ってるこの場所はな。オレにとって最高のステージだってことだ!!」


自分が知らず、虎穴に入ってしまっていたことを。


瞬間、部屋がまるで息を吹き返したかのように動きだす。床、壁も、天井までもがオウガの力によって無敵の盾と矛へと姿を変えて行く。ドリューはようやく気づく。今自分たちが戦っている場所がどこなのか。ドリューが何とかその場から脱出するよりも早く全方位から逃れようのない規模の金の波が押し寄せる。


『ゴールドラッシュ』


ドリューを飲みこみ、圧殺してあまりある規模の範囲攻撃。周囲が全て金でできたこの部屋だからこそ可能な技。それは例えるならばホワイトキスを使ったレイナの銀術。だがその規模と威力は銀術の比ではない。


「ぐっ……!」


初めて苦悶の声を漏らしながらドリューは避けきれない金の弾丸を何とか斥力によって受け止めるもそれを許さないとばかりに次々に新たな金が襲いかかってくる。一度その場で動きを止め、斥力を使用してしまったドリューは動くことができず全ての攻撃を受けるしかない。斥力によって受け止め続けるも部屋全体にも及ぶ圧倒的な物量と力によってドリューは飲み込まれその姿が見えなくなっていく。まるで巨大な金の卵になってしまったかのよう。自分を潰してしまおうとする卵の殻の内側から斥力によってかろうじて身を守っている状態。ドリューはここに至ってようやく悟る。自分がオウガを侮っていたことを。敵の本拠地に奇襲をかけることによる危険を。


「ようやく気づいたか!? てめえは最初からオレの手のひらの上だったんだよ!!」


嘲笑いながらオウガは最後の力を解放する。何とか拮抗している金の圧力と斥力のバランスを崩して余りある力。破裂寸前の風船に針を刺すに等しい攻撃。それによって最後の均衡は崩れ去り凄まじい爆発が巻き起こる。部屋全体に及ぶ金による圧殺。いかなヴァンパイアの斥力でも防ぎきることができない力。後には何も残ってはいなかった。あまりの威力によって穴が空いてしまったシルバーレイの無残な姿があるだけ。


それがオウガの実力、そして地の利を得た金術師ゴールドクレイマーと相対したドリューの末路だった――――




「くたばりやがったか……思ったよりも時間がかかっちまったな」


首をポキポキと鳴らしながらオウガは目の前の惨状をつまならげに眺めているだけ。あれだけの戦闘を行いながらどこか物足りなかったといわんばかりの空気を纏っている。それに呆気を取られながらも二人の戦闘を離れた所から観戦していたゴブは我を取り戻しオウガへと走り寄って行く。


「そ、総長……だ、大丈夫なんですか!? ド、ドリューは……!?」
「うるせえな……粉々になったんじゃねえのか? それよりももっとシルバーレイを頑丈にできねえのかよ。おかげで穴が空いちまったぞ」
「む、無茶言わないでください……! 総長の全力に耐えられる船なんて造れるわけないでしょう!?」
「分かった分かった……ちゃんとコアは壊さないようにしただろうが。それにしてもこれじゃあシンクレアも海に落ちちまったかもな……ゴブ、さっさと他の奴らに探しにいかせろ」


オウガはゴブの小言にうんざりした姿を見せながらもシンクレアの回収を命じる。ドリューは粉々になったとしてもシンクレアが壊れることはあり得ない。なら先の破壊によって船外に、海に落ちてしまったはず。そのままオウガが面倒事は済んだとその場を後にせんとした時


「その必要はない。探し物はまだここにある」


地に響くような声が全てを支配した。


「――――!?」


ゴブは声を上げることもできずただその光景に目を奪われていた。シルバーレイにできた穴。そこから夜の闇とでも言える力が嵐のように吹き荒れながら一点に集まって行く。この世の不吉を全て孕んでいるかのような圧倒的な力。人の身では纏うことができない闇の力。だがそれを扱うことができる者がここにいる。


だがその姿は既に満身創痍。間違いなく先程の金術によって受けた、逃れようのない傷。だがそれすらも気休めにすらならない程の異形。男爵のようであった服装も、空気も既に消え去っている。体は鎧を纏ったかのような禍々しい物に変わり、爪は伸び、尾のような物すら生えている。だがそれこそが彼の真の姿。かつて人間に惹かれ、人間を怖がらせないために封じてきた禁忌の力。


「認めよう、オウガ。お前は私の全力でこの世から消し去ってくれよう」


『魔王』


魔界を統べるに相応しい力を持つ者にしか与えられない称号。それが夜の支配者パンプキン・ドリューが持つ恐れ忌むべき名だった。


「面白ェ……あのまま死んじまったんじゃ拍子抜けだったからな! いいぜ、そのゲテモノみてえな姿で何ができるのか見せてもらおうじゃねェか!」
「ひっ……ひいいい!!」


魔王となったドリューの姿に恐れを抱くどころか歓喜の表情すらみせるオウガとは対照的にゴブは悲鳴を上げながらその場から逃げ出していく。これから始まる戦いに巻き込まれればどうなるかを瞬時に感じ取ったからこそ。本能に基づく逃走。だがそれを咎めることができる者などいない。王の域での戦いには同じ王でなければついていくことができないのだから。


「見せてやろう、オウガ。『魔王』の力がいかなるものかその身を以て知るがいい」


死の宣告と共にドリューが手を動かし、唱詠を開始する。それこそがもう一つのドリューの力。魔法と呼ばれる超常の奇跡だった。


瞬間、辺りは闇に包まれて同時に凄まじい雷鳴と共に黒い雷が全てを飲みこんでいく。


邪の雷鳴エビルブリツツアー


黒い雷を操る闇魔法。絶対防御不能魔法と呼ばれる魔法では防ぐことができない攻撃。その速さと範囲は何者をも逃がさないもの。


「魔法か……それがてめえの本気ってわけか。だが忘れたのか? オレにはシンクレアだけじゃねえ、金術もあるってことをよ!」

魔王に相応しい圧倒的な魔力の奔流と黒い雷に晒されながらもオウガは全く臆することなく吠える。瞬間、オウガの身を守るかのごとく金が舞い、オウガを包み込んでいく。凄まじい雷の攻撃もその鉄壁とも言える防御を突破できない。オウガは誰よりも理解していた。自らの持つシンクレア、ラストフィジックスの弱点が魔法であることを。魔法という物理ではない力こそが最も警戒すべきものであることを。それに対抗することができるのが金術。攻防一体の無敵の力。だがそれすらも魔王の力は覆す。


「――――」


オウガはその光景にようやく気づく。それはドリューがその手をまるで天にかざすかのように挙げている姿。同時に呪文の唱読が聞こえてくる。しかしそれはエコーがかかっているかのように二重の物。その意味をオウガは理解できずとも本能で悟る。ドリューが今の雷とは違う呪文を、魔法を使わんとしていることを。それこそがドリューの狙い。邪の雷鳴エビルブリツツアーはオウガの目を逸らし、動きを止めるための物。真の狙い、それは――――


塗りつける悪夢ナイトメア・スプレッド!!」


一瞬にして相手の体に入り込み中から破壊する闇魔法。魔法よりも呪術に近いものであり物理的防御でも、封印の剣ルーン・セイブでも防ぐことができない攻撃。同じ魔導士でない限り防御も回避も不可能な即死技。金術であってもその摂理からは逃れられない。逃れようのない深い闇がオウガを飲みこんでいく。それが魔王と呼ばれるドリューの、魔法の力。そしてここに決着がついた――――はずだった。


深い闇の中から確かな光が生まれて行く。塗りつける悪夢ナイトメア・スプレッドによって砕け散ったはずのオウガの姿がそこにはあった。だがそれはあり得ない。金術ではどうあっても闇魔法には対抗できない。ドリューは表情を変えることなくただその一点に視線を向ける。そこから圧倒的な力が溢れ出ている。まさに世界を変えてしまう、崩壊させてしまうほどの未知の力の奔流。


「焦ったぜ……まさかこれを使わされることになるとはな」


『ラストフィジックス』


五つの別れたDBの母たるシンクレア。その極みが今、解放されていた。


ドリューは静かに、それでも一切の油断なくオウガの姿を凝視する。大きくその姿に変化はない。だがまるでこの世の物とは思えないような力がオウガから、正確にはその肉体から発せられている。


「魔法をも無効化する力……それがそのシンクレアの真の力というわけか」
「ん? ああ、そう見えてもおかしくはねえな。だが正確にはそうじゃねえらしい。何でもゴブ曰く今のオレはこの世界で『特異点』とかいうもんになってるらしいぜ」
「特異点……この世界の理から外れているということか」


ドリューは平静を装いながらも戦慄していた。オウガが今発現させている力の正体が何なのかを理解したからこそ。


『特異点化』


それがラストフィジックスの真の力であり本質。物理無効化もその一部に過ぎない。その正体は使用者の肉体への世界のルール、理を捻じ曲げること。物理的なものはもちろん、それ以外、魔法を含めた全ての事象を捻じ曲げることで無効化してしまう神にも等しいDBの母たるシンクレアに相応しい力。だがその強力さゆえに使用者の肉体の範囲という制約がなければ力を発揮できないもの。屈強な鋼のごとき肉体を持つオウガでなければその反動に耐えることができず逆に飲み込まれてしまいかねない禁忌の力。並行世界の理を破壊することで現行世界に至るための力だった。


「小難しい話はよく分からねえがようは簡単だ。つまりこの世界の力はどんなものもオレには通用しねえってことだ」


オウガはその手にラストフィジックスを握りながら宣言する。それはまさに勝利宣言。今のオウガには物理はもちろんそれ以外のどんな力も通用しない。まさに無敵の肉体を与えられたに等しい強さ。だが当然ながらデメリットも存在する。世界のルールの書き換えという時空を崩壊させかねない力を扱うためには凄まじい力を消費する。いかにオウガといえども長時間維持することは困難を極める。最初から使用しなかったのもそれが理由。そしてもう一つが使用しすぎれば体だけを通して発現している力が際限なく広がり並行世界を崩壊させてしまうため。オウガの目的は世界中の女を自分のものにすること。それを果たすまで世界を崩壊させるわけにはいかないというのが一番の理由だった。だがオウガは知らなかった、否、忘れてしまっていた。単純な、そしてあまりにも明確な事実。


自分がラストフィジックスという闇の使者を持つのと同じように


「いいだろう……これを見せるのはお前が初めてだ。単純な力比べといこうか」


ドリューもまたヴァンパイアという闇の使者を手にしていることを。


「―――っ!?」


オウガは突如自分の周囲に起き始めた異常に目を奪われてしまう。まるで自分の目が可笑しくなってしまったかのように周りの景色が歪んでいく。蜃気楼のような光景と共に辺りの物体にも変化が生じていく。金でできている、金術師ゴールドクレイマーであるオウガの力が及んでいるはずの一画がひび割れ崩壊を始めていく。無事なのはオウガの肉体だけ。それ以外の周囲は世界の終わりのように無残に姿を変えて行く。まるでそう、全てが『圧縮』されていくかのように。その中心にはヴァンパイアを手にしているドリューの姿がある。


「驚いたかね。これがヴァンパイアの極み、『重力操作』の力だ」


『重力操作』


それがヴァンパイアの真の力であり本質。引力と斥力もその一部に過ぎない。ドリューは時空を構成する重要な要素の一つである重力を自在に操ることができる。この並行世界に存在している以上決して逃れることはできない絶対の力。しかしただの重力操作では今のオウガには通用しない。故にドリューは禁じ手とも言える操作を行っていた。それは圧縮。重力を一点に全て集中し圧縮すること。それによって重力崩壊を起こし、小さなブラックホールを作り出し全てを消滅させる。闇を統べるドリューだからこそ扱うことできる禁忌。重力崩壊によって並行世界を消滅させ現行世界に至るためのもの。次元崩壊という全てのシンクレアの根源に通じる力。


「ぬっ……! この程度でオレがやられるとでも思ってやがんのか、ドリュ―――!!」


重力崩壊と言う名のブラックホールに飲み込まれんとしながらもオウガは自らの特異点となっている力を以てそれに対抗する。この世界のいかなる力も通じない無敵の肉体であったとしても例外となる物は存在する。一つが魔道精霊力エーテリオン。エンドレスの対極の存在であり時空を破壊する力。そしてもう一つ。それは同じエンドレスから生まれしシンクレア。

その極み同士がぶつかり合う。ヴァンパイアによる重力操作とラストフィジックスの特異点化によるルールのぶつかり合い。その衝撃によってドリューとオウガの周囲だけが異次元へと至る。この世の終わりのような世界。現行世界と並行世界の狭間。だが互いの死力を尽くしたシンクレアの争いは凄まじい衝撃と紫の閃光と共に終わりを告げる。

結果は互角。互いに息を切らしながらも決定打には至らない。シンクレアを操る力においてドリューとオウガは拮抗している証。だが極みの応酬によって既にシンクレアには力は残ってはいない。しかしドリューとオウガはそのまま互いに向かい合いながら間髪いれずに構えを取る。奇しくもそれは全く同じ構え。両手を広げ相手に向かってかざす姿。そして構えと同じように両者の狙いもまた同じだった。それは


自らの切り札、奥義により相手を葬り去ること。


オウガはその手をかざしながら自らの周囲にある金から力を集めて行く。今まで金を操るために使っていた金術師ゴールドクレイマーの力を全て自らの両手に集中させ、増幅させていく。瞬間、オウガ体の周囲に見えない力が生まれて行く。


『絆の銀』


それは信じあう二人の銀術師シルバークレイマーが揃うことで可能な銀術の究極の技アルティメットスキル。全ての物理を超えた無属性魔法にも似た衝撃を生み出す奥義。銀術が進化した力である金術にも同様のものが存在する。だが決定的に違うこと。それはオウガは一人であっても発動させることができたこと。孤独な、それでも圧倒的な力を持つ鬼の王の威光を示すもの。



ドリューはその手をかざし自らの魔力の全てを両手に集中させながら呪文を唱詠する。魔導士以外には理解できない言葉の羅列。だがそれはこれまでの闇魔法とは桁外れの力を持つもの。


『禁呪』


あまりに強力すぎるため使用はもちろん習得すら禁止されている魔法。魔導士の間の暗黙のルール。だがそれは建て前に過ぎない。禁呪を習得できる存在など数えるほどしか存在しないのだから。それがドリュー。魔王であり闇魔法を極めた者。その魔法は全ての生き物から命を吸い取る魔法。闇の世界を作らんとするドリューの願いの具現。



王の威光オウガ・オーソリティ――――!!」
黒き最後シュヴァルツ・エンデ――――!!」



叫びと共に金術の究極の技アルティメットスキルと最強の闇魔法がぶつかり合う。互いの死力を尽くした奥義のぶつかり合い。その衝撃によってシルバーレイは凄まじい衝撃と金と黒、二つの光によって包まれる。


今ここに鬼の王と夜の魔王、二人の王の戦いの幕が落ちる。


そしてダークブリングマスターの悪夢が今、始まろうとしていた――――



[33455] 第五十七話 「下準備」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/03/03 09:58
「はあ……」


静かな室内に大きな溜息の音だけが響き渡る。溜息の主、ルシアはそのままげんなりとしながらもただ自分のテーブルの上に置かれた紙の束を面倒くさそうに見つめることしかできない。それは新生DC最高司令官としての仕事。いわゆる事務処理と呼ばれるもの。もっともほとんどの仕事は側近であるレディがこなしておりその事後承諾をするだけのことなのだがそれだけでもルシアの顔が見えなくなるだけの書類の山。ルシアでなくても目を背けたくなる光景。特にBGを壊滅させてからは忙しさが増すばかり。


(まあ忙しいのはいつものこととして……ついにこの時がやってきたのか……)


ルシアは書類の束の中からに二枚の報告書を手にし、改めてその内容を確認する。二つともルシアはレディに優先事項として調査させていたもの。

一つはドリュー幽撃団と鬼神の動向について。BGが壊滅したことで予想外の事態が起こることを警戒してのこと。そしてその報告書の内容はルシアにとってはある意味予定調和に近いもの、ドリューとオウガが連合を組んだという内容だった。諜報部からの情報であり、ドリューとオウガが行動を共にしている証言からもほぼ間違いないもの。原作と比べれば早い時期になってしまったがルシアとしては逆に安心していい結果。同盟を組まずに好き勝手に動かれる方が厄介だったのだから。故にルシアが気を張っている、気にしているのはもう一つの報告。

ハル達がシンフォニアへ向かって移動しているという報告だった。


(はあ……分かってはいたものの……やっぱ気が重いわ……)


ルシアはがっくりと肩を落としながらもこれからのことを考える。ハル達がシンフォニアへと向かっていること。それはすなわちシンフォニアにあるリーシャの墓を訪れ、残りの二つのレイヴの位置を知るための重要なイベント。ひとまずはハル達が無事に旅をしていることに安堵するべきだろう。BGの残党に襲われるようなこともなかったようだ。もっともタイミングとしては本当にギリギリ。後一歩でも遅ければBGの全戦力がハル達を襲っていたのだから。ルシアとしては本当に背筋が凍るような出来事。何にせよルシアは大きな山場を一つ乗り越えた。だが本当の山場、正念場はこれから。何故なら


(やっぱハル達に会いに行くしかねえよな……ここを逃したら他にいいタイミングもなさそうだし……)


ハル達との再会、そしてダークブリングマスターとして敵対する意志をハル達に示す必要があるのだから。

それは原作でも初めてルシアがハル達に出会ったイベントであり物語の転換点とも言える重要な要素。ダークブリングマスター、シンクレア、星の記憶、六祈将軍オラシオンセイスの生存などあげればきりがないほどの因縁を含んだもの。避けて通ることができない試練といっても過言ではなかった。


(できるなら避けたいんだが……いや、やっぱ無理だな……今のままじゃ俺、ハルやエリーに敵だって認識されてないだろうし……ムジカやレットのこともあるし……)


ぶつぶつと独り言をつぶやきながら何とかハル達と再会しないですむ方法は無いかと頭を働かせるも結局はどうしようもないのだという結論に至るだけ。

まずはハルとエリーについて。ルシアは二人がほぼ間違いなく自分に対して敵対心を抱いていないことを理解していた。ハルとは六年、エリーとは二年共に生活してきたのだから。もっともそれだけならまだよかったのだが半年前のエクスペリメントで再会してしまったのが問題だった。エリーを守るためのジークとの戦闘、そしてハルとの共闘。はっきりいいって味方だと思われてもおかしくないような行動のオンパレード(本当はそのとおりなのだが)いくらDBを使っているからといって自分を敵だと思ってもらうには無理がある状況。加えてエリーはDBに対しては認識がずれているところがあるためなおさらだろう。エリーはともかくルシアはハルには対抗心を持ってもらう必要がある。エリーを守るためというのがハルの強さの根源なのだから。

次にムジカとレットについて。この二人についてはルシアは直接面識がないため何とも言えないが恐らくハルやエリーに比べれば自分への認識については気にする必要はないと考えていた。だがそれとは違う大きな問題がある。それはムジカはレイナ、レットはジェガンとの強い因縁があるということ。それを全て無視してしまえばこの先まずい展開になりかねない。

特にレットについてはそれが顕著。まだレットはこの段階では解竜の儀を終えておらず、原作ではジェガンとの戦いによってそれを行った。その機会を奪ってしまえば最悪レットが解竜の儀に失敗してしまう可能性もある。原作で成功したのはジュリアへの想いとジェガンへの恨みがあったからこそなのだから。

そしてムジカ、正確にはレイナについて。ある意味ルシアがもっとも頭を痛めているのがレイナ関係の問題についてだった。


(原作を考えるならここでムジカと接触しておく必要があるんだが……でもそうなるとな……)


ルシアは頭を掻きながらどうしたものかと途方に暮れてしまう。だがその表情は真剣そのもの。先程までのどこかやる気が見えなかった姿からは想像できない程。だがそれは当たり前のこと。何故なら今、ルシアは一人の命を左右しかねない問題に直面しているのだから。

『シルバーレイ』

それがムジカとレイナの間にある切っても切れない因縁。ムジカにとっては亡き師との約束でありレイナにとっては亡き父との思い出。その元凶である鬼神総長オウガとの戦い、その結末によってレイナは命を落としてしまう。原作通りに話を進めてしまえば避けては通れないであろう結末。だがそれを覆せる可能性を持つのがルシア。原作知識というあり得ないものを持つからこそできる芸当。


(とりあえず今回は原作通りにいくか……結局最後は俺がどう動くかで決まる訳だしな……)


原作通りムジカとレイナの絆を重視するならシルバーレイの破壊の瞬間にルシアがレイナを助け出すことが理想的。もっとも原作に近い展開になるだろう。だがそれはあまりにもリスクが大きい、綱渡りに近い賭け。何かの手違いによって全てが台無しになってしまいかねないもの。故にルシアは一つの方法を以前から考えていた。


それはルシアがオウガを倒し、シルバーレイも破壊すること。


つまりレイナを戦わせることなく全てをルシアが片付けるということ。これならばレイナが死ぬ心配もなく、シルバーレイが発動することも防ぐことができる。レイナの安全を考える上ではこれ以上ない策だった。もっとも問題も少なくない。

一つはムジカが銀槍シルバーレイを手に入れれなくなってしまうということ。ルシアがシルバーレイを破壊する以上仕方ないことだがそれによって間違いなくムジカは弱体化してしまう。ドリュー戦においても影響は出てしまうだろう。その際には最悪ルシアが割って入る必要もある。

もう一つがオウガのシンクレアであるラストフィジックスを手に入れてしまうということ。ルシアとしてはもっとも避けなければならない事態。だがそれでもレイナの命には代えられない。

そして最後の問題。それはルシアが何をしてもレイナが命を落としてしまう可能性。つまりレイナが死ぬことが初めから決まってしまっているかもしれないということ。これまでもキングやゲイルといった命を落とした人物は例外なく亡くなっている。しかしこれについてはルシアもどうしようもない。ジェガンについても同様。レイナに比べれば取れる選択肢が多いため問題はないといってもいいがジェガンもまた原作では命を落とした人物。二人を救うことがルシアの目的の一つである以上で自分ができるだけのことをするだけ。残る問題は


『またその話か……いい加減しつこいぞ。我もそのことは十分承知しておる』
『本当ですか……? あなたの様子を見ているととてもそうは見えませんが……』
『ぬ……それにそれは我がどうこうできるものではない! そんなことは貴様とて分かっておろう!』


主であるルシアを放ったまま変わらず言い争いをしている二つのシンクレア。この二人をどう説得するか。もっとも重要でもっとも頭が痛くなる問題だった。


「お前ら……いい加減もう少し静かにできねえのかよ。こっちは仕事してんだぞ……」
『アキ様!? これは失礼しました……少し熱くなってしまって……』
『ふん。何だ、ようやく仕事が終わったということか。相変わらず辛気臭い顔をしおって』
「て、てめえ……」


ルシアの言葉に驚きながら謝罪してくるアナスタシスとは対照的にマザーはやれやれといった風にジェスチャーを取りながら溜息を吐いている。とても同じシンクレアとは思えないような違い、まさに正反対の存在。そしてさも当然のように二人の姿はイリュージョンによって実体化している。もはや突っ込むことすらできないような有様だった。


『まったく……何なら我が遊び相手になってもよいぞ。一緒に遊ぶ相手もいない寂しい主様にはこれ以上ない褒美であろう。あの時の続きをしてやってもよいぞ?』
「やかましい! それに言っただろうが、リアルモーメントは封印だ! 絶対二度と使わねえからな!」
『むう……つまらん。そんな言い方をしてはリアルモーメントが可哀想ではないか』
「くっ……わ、悪いのはリアルモーメントじゃねえ! 好き勝手したお前らの方だろうが! 俺はもう疲労で気を失うなんて御免だからな!」


面白くないといわんばかりに不機嫌な態度を取りながらもマザーはルシアの言葉に従うしかない。それは先日でのリアルモーメントを使った遊びでの出来事。実体化したことで調子に乗ったマザーはまさに傍若無人の限りを尽くした。何よりも問題だったのはリアルモーメントの極みによるルシアの力も消費。本来なら一瞬しか不可能な実体化を維持し続けることはいかにルシアであっても困難を極める。いわば無から有を生み出すに等しいのだから。その消費はシンクレアの極みにも匹敵するもの。しかも途中からはアナスタシスも参加し消費は倍増。そしていつものように言い争いに発展、加えて互いに能力を使い合いマザーが部屋を破壊してはアナスタシスがそれを再生するという無限ループに突入。レディが騒ぎに気づき現場に駆けつけるとそこには気を失ったルシアだけがいたという大騒動。それによってルシアはマスター権限を行使しリアルモーメントの使用を禁止、封印することになったのだった。


『も、申し訳ありませんアキ様……マザーを止めようとしたのですが私もつい……』
『何だ、お前だけいい子ぶる気か!? お前も楽しんでおったろうが!?』
「とにかくもうこの話はなしだ! 異論はねえな!?」
『ふん……仕方あるまい。だが本当に疲れるのだけが理由なのか、我が主様よ?』
「あ、当たり前だろうが……他に何があるんだよ……」
『くくく……まあそういうことにしておいてやろう。サービスして欲しくなったらいつでも言うがよい』


全てお見通しだといわんばかりの笑みを浮かべるマザーの姿にルシアは口ごもるしかない。恐らくはマザーに自分が焦っている理由がバレていると悟ったから。もちろん体力的な問題があることは事実。だがそれ以上にマザーの行動自体が問題だった。それは今までのように幻ではなく実体を持ってしまったことによること。マザーはそのことに喜びルシアがいる前であろうことか自分の胸を揉みしだき、スカートを捲りあげ下着を露わにするという信じられない行動を取る。マザーとしては特に大きな意味はなく実体化した事実を確認するための行動だったのだがルシアにとってはそれどころではない。マザーだとはいえカトレアが目の前で同じ行動をしているように見えるのだから。ようやくルシアが狼狽している理由に気づいたマザーはそのまま肢体を見せびらかしながらルシアに迫って行ったのだがアナスタシスに妨害され有耶無耶となり、ルシアは救われた形。自分の中のDB観が崩壊しかねないことがリアルモーメントを封印した本当の理由だった。


「ご、ごほん! と、とりあえず近いうちにシンフォニアに行く予定だ」
『シンフォニアへ……? 何故ですか?』
「ああ……近いうちにハル……レイヴマスター達がシンフォニアへ到着する。そこで宣戦布告するためだ」
『レイヴマスター……確か今は二代目でしたか。ですが何故宣戦布告なのですか? その場で倒してしまえばいいのでは?』
「そ、それは……まだハ、レイヴマスターの連中は未熟だからな。弱い敵を倒しても面白くねえだろう?」
『なるほど……確かに一理ありますが……本当に宜しいのですか。差し出がましいようですがレイヴマスターを侮ってはいけません。お恥ずかしい話ですが……我らも同じ間違いで五十年前、初代レイヴマスターに後れをとったのです……』
「そ、そういえばそうだったな……」


アナスタシスのどこか苦渋に満ちた言葉にルシアは圧倒されるしかない。まるでトラウマに触れられてしまったかのようにアナスタシスからは負のオーラが滲み出ている。だが無理のない話。アナスタシスにとって、シンクレアにとってレイヴマスターは天敵と言っても過言ではない存在。五十年前に敗北した相手なのだから。原作のルシアと同じように弱いレイヴマスターとはまだ戦わないという理由で宣戦布告にとどめておこうと考えていただけにルシアはどうしたものかと思案する。そんな中


『ふん、なんだ情けない。我は一向に構わんぞ。今のレイヴマスターなど我とアキの相手にはならん。それではつまらんからな。例えかつてのシバであっても今の我らなら遅れは取らん』


自信満々の姿を見せながらアナスタシスに対抗するようにマザーが声を上げる。まるで待ってましたといわんばかりのタイミング。ルシアとしては助かる助け舟なのだが突っ込みたいところは山の用にある。半年前、有無を言わさずハルを殺そうとしたくせに一体何を言っているのかと思いながらもルシアはあえて触れることは無い。


『……私もアキ様が後れを取るなどとは思ってはいません。ですが主を守ることが私達の務め。今の内にレイヴマスターを始末しておくことも選択肢の一つだと言っているだけです』
『それが余計な心配だというのだ。我がいれば何の問題もない。なんならお前はここで留守番していてもいいぞ?』
『はあ……いいでしょう。あなたがそこまで言うのなら口は出しません。ですがあまり無理はしないことです……初代の話をする時に声が震えていましたよ』
『っ!? な、何を言っておる!? 我はそんなことは……』
「……前々から思ってたんだけど、マザー……お前やっぱシバが怖いのか……?」
『ぐ……そんなことはない! 確かにあの時は遅れはとったが同じ過ちは繰り返さん! そのために我らシンクレアは担い手を求めておるのだからな!』
『申し訳ありませんアキ様……マザーも強がってはいますがこの感情は私達シンクレアの共通したもの……どうか理解して下さると助かります』
「あ、ああ……」


もはやヤケクソ気味に強がっているマザーとは対照的にアナスタシスは恥じながらも本心を吐露する。五十年前の王国戦争での敗北と言う苦渋の記憶。それは全てのシンクレアが共有している感情なのだと。


「そういえば……お前ら五十年前までは一つだったんだろ? じゃあシンフォニアはお前達が生まれた場所ってことになるのか?」
『そうですね……考えたこともありませんでしたが確かにそういうことになりますね。もっとも生まれたというよりは五つに別れたと言った方が正しいですが……』
「そっか……でもよく別れるだけで済んだな。話じゃかなり追い詰められてたみてえだけど」
『レイヴが完全ではなかったのが大きな理由だったのでしょう。もし完全なレイヴであったならあの時に私達は消滅していたはずです』
『……ふん。我らもあの時は完全ではなかった。エンドレスはまだ眠っておったからな。それがなければ後れを取ることもなかった』
「エンドレス……そうか、その時はエンドレスとは一つになってなかったってことか」


思い出したようにルシアは声をあげる。それはエンドレスが五十年前にはまだ復活していなかったということ。原作通りなら今もまだ星跡の洞窟の下で眠っているはず。そしてその復活の時は近い。例えシンクレアを集めなくともそれとは関係なくエンドレスは世界を破壊せんと動き始める。否応なくタイムリミットが近づいていることに知らずルシアは息を飲む。


『ええ。ですが恐らくエンドレスが目覚めるのはそう遠い話ではありません。その時こそ完全なDBであるエンドレスが完成します。そうなればもはやアキ様には敵はいません。この世の全てを消し去れる力が手に入るはずです』
「そ、そうか……」


アナスタシスの言葉にルシアはただ相槌を打つことしかできない。自分がまさにラスボスだと再認識させられるような話の連続。それを食い止めるために動いているもののまだ先は果てしなく長く問題は山積み。穴があったら入りたい心境。


『…………先の話ばかりしていても仕方あるまい。とにかくレイヴマスターに会いにシンフォニアに行くのだろう?』
「ああ……文句はねえな?」
『うむ、文句は無いが……いいのか? 本当はレイヴマスターに会いに行くのではなくエリーを奪いに行くのではないのか?』
「っ!? な、なんでそうなるんだよ!?」
『くくく……何だ、てっきりそれが本当の理由だと思っておったのだが違うのか?』


安心したのも束の間、マザーからの予想外の突っ込みにルシアは吹き出し、焦ることしかできない。同時に思い出す。まだエリー関係の勘違いが続いていたことに。だがルシアは知らない。マザーだけでなくハルもまた勘違いしたままであることを。


『エリー……確か以前あなたが言っていたアキ様の想い人でしたか』
『うむ。正確には盛大に振られて今は距離を置いておる状態だ。わざわざ他の男のところに預けるのもよく分からんが……何でも寝取られとかいう趣味らしい』
「おい!? 何勝手に話を進めてやがる!?」
『喚くな、騒々しい……それに何をそんなに躊躇しておる。まだ振られたことを気にしておるのか、情けない』
「やかましい! 別に俺がエリーをどうしようが勝手だろうが! そもそもエリーがいなくなって一番喜んでたくせにどういう風の吹き回しだよ!?」
『っ!? そ、それはそうだが……うむ、我にも色々と事情が……』


そのままぶつぶつと独り言を言いながらマザーは黙りこんでしまう。そんな予想外のマザーの反応にルシアはどこか呆気にとられてしまう。ルシアからすればマザーはエリーがいなくなったことで好き放題できるようになった。にもかかわらず先程までの言いようではマザーはまるでエリーを奪い返すように捲し立てるよう。初めは魔導精霊力エーテリオンを持つエリーを狙うためかと思ったが既に契約でエリーには手を出さないことになっている。契約という決まり事に関しては絶対順守なため間違いない。なら何故そこまでエリーを奪い返すことに躍起になっているのか。それを問いただそうとするもそれはアナスタシスの言葉によって遮られる。


『ともかく……アキ様、近いうちにシンフォニアへ行くということで宜しいのですね』
「あ、ああ。それとレイナとジェガンも連れて行く。ワープロードで呼び出す形になるけどな」
『レイナとジェガン……確か六祈将軍オラシオンセイスの二人でしたか』
『何だ、六祈将軍オラシオンセイスなど連れて行かずとも主一人で十分であろう。逆に六祈将軍オラシオンセイスだけでも十分ではないのか?』
「い、いや……直に今のレイヴマスターの実力を見ておきたいしな……」


内心冷や汗を流しながらもルシアは強引に押し切る。だがマザーの言葉はルシア自身考えていたものではあった。今のハル達の強さは恐らく六祈将軍オラシオンセイスにも及ばないもの。ならわざわざルシアが相手をする必要はないのだが他のメンバーの誰に任せるかが一番の問題だった。

まずレイナとジェガンはムジカとレットの相手をしてもらう必要があるので除外。

ハジャは行動が読めず、本当にハル達を全滅させかねないため却下。同様の理由でベリアルも使えない。ユリウスについてもキレると見境がなくなるため問題がある。

残ったのはディープスノーのみ。彼ならルシアの命令にも従順であり適任……だとルシアは思ったのが寸でのところで思い留まる。それはディープスノーにとってハルはキングの仇であることを思い出したから。普段は冷静沈着なディープスノーだが精神的にはかなり幼いところがある。そしてルシアへの忠誠から命令違反をしかねないことも先のBG戦で証明している。

何だかんだでルシアは結局自分がハルの相手をすることを決断する。本当なら戦う必要もないかもしれないがムジカとレットに六祈将軍オラシオンセイスをけしかける以上ハルだけ動かないことなどあり得ない。ならレイナとジェガンがやりすぎないように見張る役も兼ねてハルの相手をする方が無駄がない。何よりも


(とにかく何があるか分からねえからな……石橋は叩いて渡るぐらいの気でいかねえと……)


自分の行動が裏目に出ることはルシア自身が嫌というほど思い知っている。ルシアは溜息を吐きながらもとにかく方針が決まったことで一安心し、これまで半年以上の間考えていたシンフォニアでのハルとの再会の脳内シミュレーションに入っていく。


だがルシアはまだ知らなかった。自分の予想を遥かに超えた事態が既に起こっていることを。そしてこれから起こらんとしていることを。


石橋を叩いて渡る程度はまだ甘い。石橋を壊して新しい橋をかけるぐらいの覚悟が必要であったことを。


様々思惑が錯綜しながらもダークブリングマスターとレイヴマスターの再会の時がすぐそこまで迫っていた――――



[33455] 第五十八話 「再会」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/03/06 11:02
「すごいポヨー! 綺麗ポヨー!」


まるで新しいおもちゃを手にした子供のようなはしゃいだ声が辺りに響き渡る。だがその声の主は人間ではなかった。見た目は小さなペンギン。それが服を着、その手にはベルのようなものが握られている。その姿からも彼が人間ではなく亜人と呼ばれる存在であることは明らか。


「確かに……まるで空の上にあるトンネルを通ってるみてえだな」
「うむ、言い得て妙かもしれんな」
「その通りポヨ。やっぱり買ってみて良かったポヨ!」


ぱたぱたとはしゃぎながらペンギンのような亜人は甲板を走り回っている。そんな光景を短髪のピアスをした男、ムジカは煙草をふかしながら、竜の顔をした竜人ドラゴンレイスレットは腕を組みながら眺めている。今、ムジカ達はムジカがリーダーを務める盗賊団銀の律動シルバリズムの飛行船シルバーナイツでシンフォニアへと向かっている途中。だがその道中にはどうしても避けて通れない問題があった。

『デスストーム』

それはシンフォニアの周辺に発生している大嵐。五十年前の大破壊オーバードライブによって生まれた異常気象でありとても普通の船で突破できるようなものではない。そこでムジカ達は今、それを突破するためにある手段を使っていた。

帝国門エンパイアゲート

それはシンフォニアの周辺に発生している大嵐デスストームを安全に突破するために帝国が建設した巨大な空のトンネル。その証拠にムジカ達の船はデスストームに晒されることなく飛行することができている。だが本来なら通行料として百万エーデルという大金を払わなければならずムジカ達は資金の問題に頭を痛ませていたのだが幸か不幸か問題を解決することができていた。それは


「しっかし金持ちが考えることは分かんねーな。普通、こんなもん買うか? しかも今まで一度も通ったことがないなんてよ」
「ワシに聞かれても知らん。だが結果的には助かったじゃろう。ルビーがおらねばここを通ることはできなかったのじゃからな」


新たに仲間に加わったルビーの存在があってこそ。ルビーは空中カジノであるエーデルレイクのオーナーであり巨万の富を持つ大金持ち。そして珍しい物を集めることが趣味のコレクターでもあった。旅の途中に偶然そこに立ち寄ったムジカ達は揉め事に巻き込まれながらもルビーを保護することになり、ルビーもまた珍しい秘宝であるレイヴを集める旅をしているムジカ達に同行することになったのだった。


「まあそうだな……これで資金面の心配をする必要はなさそうだが……問題があるとすればあのドリュー幽撃団とかいう連中に目を付けられちまったってことだな」


甲板の柵にもたれかかり、大きな溜息と共に煙を吐きながらムジカは思い返す。それは空中カジノでの出来事。ルビーの資産を狙うドリュー幽撃団のメンバーとのいざこざ。本格的な戦闘が始まろうとした瞬間に正体不明のガスによってその場にいた全員が気を失い有耶無耶になったもののムジカ達はルビーを匿う者として標的にされてしまったのだった。


「ウム。だがあれから奴らが追ってこんのは不可解じゃな。あのままあきらめるような連中ではないはずじゃが……」
「確かに妙だな……何かトラブルでもあったのかね。追ってくるなら借りを返してやるつもりだったんだけどな」
「いや……むしろ助かったのはワシらの方かもしれん。あの三人はともかくドリューに出てこられれば今のワシらでは太刀打ちできん」


返り討ちにしてやるといわんばかりの不敵な笑みを見せているムジカとは対照的にレットは真剣そのもの。それにあてられてしまったかのようにムジカもまた真剣な表情を、戦士としての顔を見せる。何故ならレットは自分たちの中ではもっとも博識であり同時に戦闘を好んでいる人物。そんなレットが戦わずに済んだと言っているのだから。


「……カジノでも同じようなこと言ってたな。そのドリューって奴はそんなにヤバいのか?」
「嘘をついて何の意味がある。事実じゃ。ドリューは恐らくキングに匹敵する強者。今のワシらが束になってかかっても勝つことはできん」
「束にもなっても……か。ハルがいてもか? あいつはキングを倒してるんだぜ?」
「それはハルの父であるゲイル・グローリーがいたからこそ。そのことはハル自身がよく分かっておる。じゃからこそハルも修行を積んでおる。ワシもこのまま黙っているつもりはないが今は認めざるをえん」
「なるほど……でもどうもピンと来ねえんだよな。オレ、実際にキングを見たわけじゃねえし」
「主は六祈将軍オラシオンセイスとは一度戦ったことがあると言っておったな。分かりやすく言えばそれを六人束ねることができる強さということじゃ」
「…………笑えねえ話だな」


知らず息を飲みながらムジカは思い出す。かつてエクスペリメントで戦った六祈将軍オラシオンセイスの一人、レイナ。自分と同じ銀術師シルバークレイマーでありDBを装備している、自分より遥か上の存在。撤退してくれたからこそ助かったもののあのまま戦闘を続けていれば間違いなく敗北していたことをムジカは理解していた。同時にそんなレイナを命令だけで怯えさせることができる程の存在がキング。それと同格の実力をドリューが持つというなら確かに助かったのは自分たちかもしれないとムジカは溜息を吐く。だがそれはドリューだけのことではない。これまでの、そしてこれからのことを憂いてのこと。


「ドリューって奴といいハードナーって奴といいほんとに化け物だらけだな……ま、BGについてはもう心配はねえが……もっと厄介なことになっちまったな」
「……DCが復活したという話のことじゃな」


ムジカとレットは重苦しい空気を纏いながらもその言葉を、事態を口にする。半年前に壊滅したはずのDC。それが復活したという信じられない情報。それをムジカ達はドリュー幽撃団との接触によって知ることとなった。しかも自分たちを、正確にはエリーを狙っていたBGを壊滅させたというおまけつき。実際に大怪我を負ってまでDCとジンの塔で戦ったムジカの胸中は穏やかな物ではなかった。


「BGの連中が追ってこなくなったのは助かったが……それ以上にヤバいことになっちまったんじゃねえか?」
「ウム……じゃがDCはまだ表立っては動いてはおらぬようじゃ。復活を知っておるのは帝国か闇の組織ぐらいじゃろう」
「妙な話だな。何で復活を宣言しねえんだ? BGってのはDC以外の組織で言えば一番でかい組織なんだろ。それを潰したってのに……」
「ワシにもそれは分からぬが……何にせよ用心するしかない。戦うにせよ逃げるにせよDCは避けては通れぬ敵じゃ」
「ああ……六祈将軍オラシオンセイスの連中も生きてたらしいしな」
「…………」


ムジカとレットはそのまま難しい顔をしたまま黙り込んでしまう。奇しくもそれは同じ言葉、存在によるもの。


六祈将軍オラシオンセイス


(レイナ……あの女、一体何を知ってるってんだ?)


ムジカはそのままかつて戦ったレイナの姿と言葉を思い出す。シルバーレイという自分にとっての大きな目的と同じものを追っている存在。リゼの弟子である自分を目の仇にする理由も結局分からぬまま死んでしまったと思っていたレイナが生きている。ならば遠からず接触は避けられないはず。互いにシルバーレイを探す限り。


(……まだ生きておったとはな、ジェガン……今度こそ貴様はワシの手で……)


レットはその拳を握りしめながら凄まじい憤怒を抑える。自らが愛した女性を殺された男の執念。半年前に仇であるジェガンが死んだことで果たされなかった復讐。だが再びその機会が与えられた。ならば今度こそ自らの手でジェガンを葬り去る。本当ならすぐにでもジェガンを探し出したいところだがDCは身を潜めたまま。闇雲に動いても見つけ出せはしない。ならばレイヴを探す中で間違いなくDCと接触する機会が巡ってくる。レットはその時に全てを賭けんと誓う。

それぞれが己の因縁によって決意を新たにしたその時


「レットさん、ムジカさん! 見てください、もうシンフォニアに着きますよ!」
「本当ポヨ! 太陽の光が見えてきたポヨ!」
『プーン!』


グリフ、ルビー、プルー。三人(?)の不思議生物たちの騒がしい声によってムジカとレットは現実へと引き戻される。その視線の先には確かな日の光がある。長かった帝国門エンパイアゲートが終わった証。間もなくシンフォニアへと到着するということで騒がしい雰囲気が船内を支配するもののレットはふと気づく。それは


「そういえばハルはどこに行ったのじゃ? 一番に喜びそうなものを……」


自分たちの中で恐らく最もシンフォニアに行くことを楽しみにしていたはずのハルの姿がどこにも見当たらない。エリーは調子が悪いと部屋に戻ったのは知っていたが初めは甲板にいた筈のハルがいつのまにかいなくなってしまっていたことにレットは首を傾げるしかない。


「ハルか……ちょっと考え事があるって船の中に入っていったままだ」
「考え事……? 珍しいの……ハルなら騒がしくこの場でしゃべりそうなものじゃが……やはりDCが復活したことがショックじゃったのか」
「いや……それもあるだろうがきっと本命は別だと思うぜ」
「……本命? 何の事じゃ?」
「新しいDCのキングになったっていう金髪の悪魔のことだ。そのことで悩んでるんだろ」


やれやれと言った風に肩を鳴らしながらムジカは新たな煙草を手に取る。だが事情が分からないレットはそれを黙って見つめているだけ。


「金髪の悪魔……確か十年以上前にメガユニットから脱獄した男だったか……だが何故ハルがそれを気にする必要があるんじゃ?」
「そういえばお前はまだ知らなかったか……ハルは金髪の悪魔……じゃねえ、アキってやつと小さい頃一緒に暮らしてたらしい。兄弟みたいなもんだってな」
「まことか? 確か金髪の悪魔は邪念の塊、世界を滅ぼしかねない存在だとされていたはずじゃが……」
「詳しいことはオレも知らねえがハルが言うにはいい奴だったらしい。エクスペリメントで一度再会したらしいがその時には助けてもらったって話だ……そういえばエリーも面識があるって言ってたな」
「フム……複雑な事情があるということか。だが油断は禁物じゃ。本当に新しいDCのキングがそのアキという男なのだとしたら戦う必要があるかもしれん」
「まあな……オレも直接会ったことはねえから何とも言えねえが用心しておくに越したことはねえ。よし……ルビー、ハルとエリーを呼んできてくれ。後で呼ばなかったって知ったら怒るかもしれねえからな」
「分かったポヨ! プルー、一緒に行くポヨ!」
『プーン!』


話はここまでだと判断し、ムジカはルビーに向かってハルを連れてくるように頼むことにする。子供のようにはしゃいでいるルビーはプルーと共にそのまま探検をするよう船内へと突入していく。賑やかさにあてられながらもムジカとレットはそのままで出口から差してくる日の光を見つめながらもハルとエリーがやってくるのを待つことにするのだった――――



シルバーナイツの船内、その廊下のベンチに銀髪の少年が一人、腰をおろしていた。だがその表情は曇り、沈んでしまっている。いつも明るさを振りまいている普段の姿とは対照的な姿。ハル・グローリー。それが少年の名前。レイヴマスターの称号を持つ存在だった。


(DCが復活した……か。親父と一緒に戦って、キングを倒してやっと世界が平和になったと思ったのにな……)


肩を落としながらハルは自らの手の中にある三つのレイヴを見つめ、かつてのジンの塔での戦いを思い返す。生まれてすぐ離れ離れになってしまった父、ゲイルとの再会。DC最高司令官キングとの死闘。そして父との死別。ハルにとっては忘れることができない出来事。それによってDCは壊滅し世界は平和になったのだとハルは思っていた。だが現実はそう上手くはいかなかった。

『闇の組織の権力争い』

DCがいなくなったこと新たな闇の組織同士の争いが始まってしまった。中でも巨大な勢力を誇る三つの組織であるドリュー幽撃団、鬼神、BGの存在はまさに三すくみ近い睨みあいを続けていたものの最近、その勢力が激変した。それが新生DCの存在。それによりBGが壊滅させられたことで闇の権力争いはさらなる混迷を見せようとしていた。もちろんハルは新生DCの復活に驚いた。自分たちの戦いがまだ終わっていなかったことを意味するのだから。だがそれ以上にハルの心を惑わせる事実があった。それは


(アキ……本当にお前がDCの新しいキングになったっていうのか……?)


金髪の悪魔の異名を持つアキが新生DCのトップ、キングになったという情報をハルは聞かされたこと。ハルにとっては想像だにしなかった事態。確かにDCに所属していたことは知っていたものの本部が消滅してからはアキもまたDCを離脱したのだとばかりハルは考えていた。万が一の可能性として本部の消滅に巻き込まれたことも考えていたので無事であることは喜ぶべきこと。しかしその喜びを吹き飛ばして余りあるショックがその情報にはあった。

初めは何かの間違いだと思いたかったものの考えれば考えるほどハルはそれを否定することができない。まずこの情報がドリュー幽撃団から得られたものだということ。敵である彼らがわざわざハル達にそんな嘘をつく意味は無い。ドリュー幽撃団にとってもDCの復活は恐るべきものなのだから。何よりも金髪の悪魔という言葉。それは間違いなくアキを示すもの。エクスペリメントでのジークやレイナとの接触からハルは認めたくないもののアキがほぼ間違いなく金髪の悪魔なのだと思い知らされていた。そんな異名が知れ渡っている以上、その情報が間違いである可能性は低い。つまりほぼ間違いなくアキが新生DCのトップになっているということ。


(アキ……一体何を考えてるんだ? やっぱりDBのせいでおかしくなっちまってるのか……? でも……)


ハルは頭を抱えながら出るはずのない答えを必死に探す。アキが持っていたDB。ジーク曰くそれは全てのDBの頂点に立つ存在、母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア。幼いころからアキが肌身離さず持っていた存在。ハルはそのシンクレアのせいでアキがおかしくなってしまっているのだと、そうずっと考えていた。だがハルは知らずそれが間違っているのではないかと思い始めていた。

一つはアキはシンクレアをハルが出会った十年前から既に持っていたこと。本当にシンクレアによって操られているならその頃から操られてしまっているはず。だが記憶の中でアキは特におかしい行動は取ってはいなかった。

もう一つはエクスペリメントでの共闘。自分を攻撃してきた時のアキの表情、そしてエリーを救うための行動。それは間違いなくアキ本人の意志。六年間ずっと一緒に暮らしてきたハルにはそれが分かる。だがだからこそハルには分からない。

アキが一体何を目的に動いているのか。何故シンクレアを持っているのか。何故自分たちから距離を取っているのか。何故助けてくれたのにいなくなってしまったのか。考えれば考えれるほど不可解な状況。何よりも


(本当にDCの新しいキングにアキがなってたら……オレ、アキと戦わなきゃいけないのかな……)


アキと戦うこと。それがハルがずっと悩んでいることの正体。自分と兄弟のように育ってきた親友。本人には恥ずかしくて言ったことはないが本当の兄だと思っている存在。それと戦わなければいけないかもしれない。その事実がハルの心を惑わせる。アキとは戦いたくない。そんな当たり前の感情。

そして今の自分にアキを止めることができるかどうか。そんな不安。エクスペリメントでの戦いの際にジークから聞き及んだアキの実力。恐らくはキングに匹敵するもの。父であるゲイルと二人がかりで倒したキングと同格だとすれば今の自分では到底敵わない。半年間腕を磨いてきたもののまだ父の域に到達できていないことをハルは身を以て知っている。何よりも根本的な意識がハルにある。

『自分は何をやってもアキには勝てない』

それがハルの中の深層意識、コンプレックスと言ってもいいもの。幼いころから遊び、運動、勉強およそ思いつく限りのことでハルはアキに勝てたことがない。同い年であるはずなのにそれは結局アキが島を出て行くまで変わることは無かった。いや島を出てからもそれは変わらない。自分が手も足も出なかった六祈将軍オラシオンセイスと同等の強さを持つジークを退ける強さ。そしてもっとも気にかかって仕方ないこと。それは―――


「ハル大丈夫? 何だか元気がないけど……」


いきなり声を掛けられたことでビクンと体を震わせながらもハルは何とか声の主に向かって顔を上げる。タンクトップにミニスカートというラフな格好と長い金髪をした少女、エリーがどこか不思議そうにハルを見下ろしている。


「っ!? エ、エリー!? も、もう体は大丈夫なのか……!?」
「うん。ごめんね、心配かけちゃって。もうすっかり良くなったみたい」
「そ、そっか……よかった」
「ハルこそどうしたのこんなところで。何だか元気がないけど……」
「そ、それは……」


先程までちょうどエリーのことを考えていたことから顔を赤くしながらもハルはあたふたするしかない。純情な少年そのものといった風。もしこの場にムジカがいれば間違いなくからかわれるであろう醜態を晒しながらもハルはどう答えたものかと迷ってしまう。そんなハルの姿がおかしかったのかクスクスと笑いながらエリーはすぐに見抜く。ハルが考えていたこと内容を。


「分かった、ハルが何を考えてたか当ててあげる!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待てよエリー……それは」


自分の気持ちがバレてしまったのではないか。そんな事態に体を熱くし、汗を流しながらもハルがその場を誤魔化そうとするも


「アキのことで悩んでたんでしょ? ほんとにハルは分かりやすいんだから。そんなにアキのことばかり気にしてたらカトレアさんに笑われちゃうよ」


それが全くの杞憂であったことでハルは思わずその場に蹲ってしまう。エリーはそんなハルの姿にきょとんとしているだけ。もっとも考えていたことの半分は当たりではあったのだが。


「あれ? 違ってた? てっきりカジノであいつらから聞いた話を気にしてるのかと思ったのに……」
「い、いや……間違っちゃいないさ。だけど何でそこで姉ちゃんの話が出てくるんだよ?」
「え? だってハルってあれでしょ、シスコンってやつなんでしょ。アキの場合はブラコンになるのかな?」
「な、何だそれ!? そんなこと誰が言ってたんだ!?」
「違うの? ムジカが絶対そうだって言ってたんだけど……兄弟で仲が良いっていう意味なんでしょ?」
「うっ……ま、まあそうだけどさ……」


顔を引きつかせながらも何とかハルは平静を装う。だが内心は既にムジカにどう落とし前を付けてもらうかで一杯だった。だがそんなハルの顔に向かって突然柔らかい何かが触れる。それはエリーの両手。しかもそれがハルの顔を抑え込んでしまう。まるで福笑いのような顔にされながらもハルは呆気にとられてしまう。


「そうそう。難しい顔ばっかりしてたら疲れちゃうよ。アキのことならきっと心配いらないよ。ママさんも付いてるんだから! あたしたちもちゃんとアキのこと信じてあげなきゃ、ね?」


満面の笑みを見せながらエリーはハルの顔を引っ張って遊び始めてしまう。本当なら恥ずかしさからすぐに振り払う所なのだがハルはされるがまま。単純にエリーの笑顔に見惚れてしまったのが一つの理由。もう一つはエリーがアキを信頼していることが言葉以上に伝わってきたからこそ。だが同時にハルは胸のどこかに居心地に悪さを覚える。まるで胸が締め付けられるような感覚。ハルはまだ知らない。それが嫉妬という感情であることに。


「あ、二人ともこんなところにいたポヨ! 早く甲板に来るポヨ!」
「もうすぐシンフォニアに着きますよ、ハルさん、エリーさん!」
『プーン!』
「え、ほんと!? ハル、早く行こ! きっと豪華なカジノなんかが一杯あるんだよ!」
「そ、そういうところじゃないと思いますけど……」


そんなハルの心境など知らないとばかりに騒がしさのまま三人の迎えが現れ、そのままエリーに引っ張られる形でハルは甲板へと足を向ける。ハルは頭を振りながらひとまずは目的地であるシンフォニアへと向かって行く。


王国戦争。レイヴ。リーシャ。シバ。蒼天四戦士。大破壊オーバードライブ。全ての始まりの地であるシンフォニアへ――――



そしてハル達は初めてシンフォニアへと辿り着くもそこはハル達の想像を遥かに超えた場所だった。一言でいえば荒野。地平線の果てまで限りなく続く何もない大地。建物どころか植物一つない無の世界。それが今のシンフォニアの大地、大破壊オーバードライブの真の威力を示すもの。途方に暮れるもののハル達はエリーに導かれるように歩きだす。エリーは頭痛に襲われながらもその先へと進み続ける。レイヴの関連する何かがその先あることを知っているかのように。だがついにエリーが力尽きた瞬間、それは起こった。


「これは……!」


その場にいる全員がその光景に目を奪われる。それは光の世界地図。プルーがその角を地面に突き立てた瞬間、辺りの地面が光り出し光の映像を映し出す。ハル達が今いるこの星の世界地図。だが重要なのはそれだけではない。その地図の中に五つの白い光の柱が生まれていく。それは


「間違いねえ。レイヴの位置だ!」


興奮を抑えきれないままハルは声をあげる。その言葉を証明するかのように光の柱は間違いなくレイヴの位置を示していた。三つの光がシンフォニアを示しているのが何よりも証拠。ハルが持つシバのレイヴ、知識のレイヴ、闘争のレイヴの三つがここシンフォニアに集まっている。そして残る二つの光がそのまま残りのレイヴの位置を示していた。


「二つともここからは距離があるの……」
「南の果てと東の果てか……グリフ、どんな場所か分かるか?」
「サザンベルク大陸とイーマ大陸ですが……すいません、まだそこは未開の地ですから詳細な場所までは……」
「そっかー……でも大体の場所は分かったよね。どっちから行こうか?」
「すごいポヨ! やっぱり付いてきてよかったポヨ!」


今まで不明であった残りのレイヴの場所がおおよそとはいえ判明したことでハル達は喜びはしゃぐしかない。問題は二つの内どちらから先行くか。その議題に移ろうとしたその瞬間、


黒い光が全てを支配した。


「なっ!? 何だこれ……!?」
「黒い光……? 一体これは……」
「レイヴの光が消えちゃったよ!? どうして……」


ハル達は突然の事態に困惑することしかできない。ハル達がレイヴの場所を特定できた瞬間、それを邪魔するかのように黒い光の柱が浮かび上がりレイヴの光を消し去ってしまう。まるでレイヴそのものを否定するかのように。その証拠に世界地図全体が白い光から紫の光を放っている。明らかに異常な、不吉な事態にハル達は息を飲む。


「五つの黒い光……レイヴと同じ数じゃが……」
「明らかにさっきとは雰囲気が違うな……どうなってんだこりゃ」
『プーン……』
「どうしたの、プルー? この黒いのが怖いの?」


そんな中、プルーだけが何が起こっているかを悟りいつも以上に震えながらエリーの足にしがみつく。まるで何かに怯えているかのように。その姿によってようやくハルは悟る。その黒い光の正体を。


「……シンクレアだ。これはきっとシンクレアの位置を示してるんだ」
「シンクレア……? 確かDBを生むDBじゃったか……」
「何でそんなことが分かるんだ、ハル?」
「島を出る時にシバに教えてもらったんだ。レイヴと同じようにDBにも五つの親玉がいるんだって……きっとこの黒い光がそうなんだ」
「なるほど……じゃからプルーがそんなに怯えておるということか……」
「…………」


ハルは思い出す。一年前、島を出る際にシバから聞かされたシンクレアの存在を。王国戦争によって五つに分かれてしまったDBの母。それを破壊しない限りDBは増え続ける。いわばレイヴマスターが倒さなければならない最大の敵。それがこの五つの黒い光の正体。だがそれはハルと、そしてエリーにとってもう一つの意味を持つもの。


「シンクレアねえ……こいつらもレイヴと同じように三ヵ所に別れてんな……」
「ウム、二組の光が二か所と一つだけの光が一か所か……」


ハルとエリーの表情の変化に気づくことなくムジカとレットはそのまま五つのシンクレアの位置を確認する。


まずは一つの黒い光。それは二組の光どちらからも離れた位置にある。


二組の内の一つは南の果てのレイヴの位置と同じ、サザンベルク大陸にある。


そして最後の一組の場所は


「あの……なんか私達のいるところも二つ光ってるんですけど……」


ハル達がいる場所、シンフォニアを示していた。



「――――――」


グリフの言葉と共に沈黙が辺りを支配する。いや違う。まるでその場の空気が止まってしまったかのような感覚。その場にいるだけで金縛りに会ってしまうような重圧がハル達の動きを封じてしまう。それに恐れを為したかのように光を放っていた世界地図は消え去ってしまう。もう役目は果たしたのだと伝えるかのように。


極限状態の中、確かな足音が一歩一歩。静かに、それでも圧倒的な存在感を以て迫ってくる。足音の主からすれば何でもないこと。ただ歩いているだけ。だがそれだけでハル達は体を振るわせる。


ハルはそれが何なのか理解できないまま。まるで突然現れた幽霊と対峙するかのように体に力を込めながらゆっくりと振り返って行く。自分に向かって近づいてくる足音へ向かって。だがそれが誰なのか心のどこかでハルは分かっていた。いや、分かっていても認めたくなかった。


黒い光、シンクレアの光。ハルとエリーは気づいていた。そのどれかがアキが持つシンクレアなのだと。


ハルはそのまま息を飲み、体を震わせながら自分の前にいる男を視界に収める。


全身黒づくめ。黒い甲冑にマント。そこには確かなDCの称号が刻まれている。


背中には身の丈ほどもある大きな剣。かつてハルがエクスペリメントで見た物とは大きく形が変わっているもの。


その胸には確かな輝きを放つ魔石がある。だが以前とは違うこと。それはその数が二つになっていること。


何よりも目を引くのがその金髪。王者を示す、呪われた血を継ぐ証。ハルにとっては六年前、別れた時と全く同じ黄金の光。違うのは


「久しぶりだな、ハル……いやレイヴマスター……」


二人はレイヴマスターとダークブリングマスター。レイヴとDB。シンフォニアとレアグローブ。対極に位置する存在になってしまっているということだけ。


今、ハルにとっては運命の、ルシアにとっては一世一代の舞台が始まらんとしていた――――



[33455] 第五十九話 「誤算」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/03/09 15:48
「久しぶりだな、ハル……いやレイヴマスター……」


感情を感じさせない重苦しさを持った言葉をかけながら金髪の悪魔、ルシアはようやくその歩みを止める。ハル達はただ呆然とルシアに目を奪われていた。いや、まるで金縛りにあってしまったかのように身動きが取れないでいた。その場の全てがルシアによって支配されている。そう感じてしまうほどのカリスマとも言える見えない力。そんな中、何とか我を取り戻しながらハルが改めてルシアに向かって視線を向ける。

黄金の金髪。顔に残る大きな傷跡。身に纏っている黒い甲冑とマント。

見間違うはずのない、間違いなく半年前ハルが再会したアキと一致する容姿。だがそれが信じられないかのようにハルは一言も発することなくその場に立ち尽くすことしかできない。


「どうした、まるで幽霊見たような顔しやがって……もう俺の顔を忘れちまったのか。まだ半年しか経ってないはずだぜ」
「っ! ア、アキ……やっぱりアキなのか!?」
「俺以外の誰に見えるってんだ? そういうお前は変わってないみてえだな、ハル」


そんなハルの姿を嘲笑うかのように笑みを見せながらルシアが口を開く。まるで一語一句を噛みしめるかのようにゆっくりと、それでも確かな声で。ようやく我を取り戻したかのようにハルの表情に変化が生じる。それは驚きと戸惑いが入り混じったもの。当たり前だ。目の前に今までずっと探していた、家族と言ってもおかしくない存在がいるのだから。半年前に再会したとはいえ面と向かってしゃべるのはおよそ四年ぶり。お互いに成長していることでそれがより一層深く感じられながらもハルは意を決したように口を開く。


「そ、そうだ……アキ、何でお前がこんなところにいるんだ!? それに今までどこに……ずっと探してたんだぞ!」
「そうか……そいつは悪かったな。でももうその必要はねえ。こうしてわざわざ挨拶しに来てやったんだからな……」
「あ、挨拶……?」


ルシアが何を言っているのか分からないままハルはただ戸惑うことしかできない。挨拶というルシアが口にした言葉。その意味がハルには分からない。だがようやくハルはどこか夢心地だった感覚から抜け出し、次第に今の状況を思い出す。今、自分がどこにいるのか。そして今、自分がどんな状況だったのか。直前に見ていた世界地図と五つの黒い光。そしてその内の二つの光がここシンフォニアにあった。そう、それはつまり


「ああ。改めて挨拶させてもらうぜ。新生DC最高司令官『ルシア・レアグローブ』それが今の俺の本当の名前だ」


目の前にいるアキ、ルシア・レアグローブが間違いなくシンクレアを二つ持っているということ。


「ルシア……? な、何だよそれ……じゃあアキってのは本当の名前じゃなかったのかよ……?」
「そういうことだ。名前はともかく姓の方は名乗ると面倒なことになるからな……今のお前ならその意味が分かるんじゃねえか?」
「っ!? ま、待てよ……アキ……今お前確か、レアグローブって……」
「聞こえなかったか? ルシア・レアグローブ……それが俺の本当の名前だ。お前にも同じように本当の名前があるだろ? ハル・グローリー……いや、ハル・シンフォニア・グローリー七世」


次々に明かされていく情報によってハルは翻弄されるしかない。シンクレアを二つ持っているかもしれないということすら頭の隅に追いやられてしまうほどの衝撃がそこにはある。

『レアグローブ』

それはハルにとっては切っても切れない、正確にはハルの中に流れるシンフォニアの血と深い因縁がある存在。五十年前の王国戦争で互いに争い合った王族。そしてハルの父であるゲイル・グローリーとキングであるゲイル・レアグローブもまたまるで運命のように互いに殺し合った。時の交わる日に導かれるように。まさに呪われた血の宿命。そのレアグローブの血を目の前のアキが受け継いでいる。そんな信じられない言葉にハルは顔をこわばらせ、汗を滲ませるしかない。


「……ムジカ」
「ああ、分かってる……お前こそ油断してんじゃねえぞ」


ハルとルシアに聞こえない小さな声でムジカとレットは互いに声を掛け合う。ムジカの手には銀のドクロが、レットの手は既に拳へと変わっている。既に臨戦態勢。いつルシアが動いても対応できる状態。相手どう動くか分からない、ハルと面識がある人物であるためいきなり動くことは無いものの二人は決して油断することなく警戒する。それはルシアの正体が明かされたこともあったがそれ以上にルシアが纏っている空気、重圧によるもの。明らかに常軌を逸したレベル。しかもどうやらルシアは特に意識をしてそれを放っているわけではない。それはつまりその場にいるだけで場を支配してしまえるほどの強さを持っている証。レットはその感覚がまさに先代のキングそのものであることに息を飲む。もしかすればそれ以上の物かもしれないと感じるほど。ムジカもそれを肌で感じ取っていた。



「レアグローブ……じゃあアキ、お前の父親って……やっぱり……」
「ああ、ゲイル・レアグローブ……キングが俺の親父だ。もっともキングは息子である俺が生きてることは知らなかったみてえだがな……」
「…………」


だが戦う姿勢を見せている二人など眼中にないのだといわんばかりにルシアは言葉を続ける。自らがレアグローブの血を継ぐ、キングの血を受け継ぐ者であると。


「……? どうした、そんなに落ち込んじまって……そんなにキングの息子が生きてたことがショックだったか?」
「…………違う。何となくだけど……アキがきっとキングの息子なんだってことは半年前から分かってたんだ……」


ハルはその情報を聞きながらも驚くことなくそのまま表情を曇らせそのまま俯いてしまう。予想外の反応だったためかルシアもそのまま呆気にとられているかのよう。だがハルは驚いていないわけはない。ただ何となくではあるがその可能性を感じとっていたからこそ。それは半年前のジンの塔での戦い。その際にキングが使っていたDB、TCMと同じ能力を持つというデカログスがきっかけ。何故なら同じ武器をルシアが使っていたのをハルはエクスペリメントで見たことがあったのだから。加えてキングに瓜二つの甲冑にマント、金髪という容姿。かつてアキが島にいた頃父親をいつか探しに行くと言っていたこと。様々な符合からハルはその可能性を感じていた。だが確証がなかったため今まで誰にも明かしたことは無かった。何故なら


「アキ……お前、やっぱりキングの、親父の仇討ちのためにここに来たのか……?」


それは自分は親友であるアキの父を殺してしまったことを意味しているのだから。正確にはハルやゲイルが命を奪ったわけではなくキング自身の自殺と言った方が正しい。しかしそれでもそのきっかけを作ったのは間違いなく自分たち。ならDCにアキが所属していたのも、新生DCを受け継いだのも説明が行く。できるなら当たってほしくなった予想が現実になったことでハルは苦渋に満ちた表情でただアキの答えを待ち続ける。だが


「……なるほどな。確かにそういう風に見られてもおかしくねえか……」
「……? アキ……?」
「……いや、何でもねえ。残念ながらお前の心配は的外れだ。俺はキングの仇を討とうなんて気は毛頭ねえ。ほとんど話したこともねえしそれでお前を恨んだりもしてねえ……あれはキングの望んだ結末だからな……」
「…………」
「加えて言っとくとシンフォニアとレアグローブの因縁なんてもんもどうでもいい。そんなオカルトなんて信じてねえし振り回されるのも御免だ。あんなもんは自分たちが戦う理由をでっちあげるための盲信みたいなもんだ」


ハルの想像とは全く違う反応をルシアは見せる。まるでハルに向かって言い聞かせるかのように。初めは恨みを隠すためにそんなことを言っているのではないかとハルは疑うもののルシアには全くそれがみられない。本当に恨みでこの場に来たのではないのだと、血の因縁など関係ないのだと。だが変わらず重苦しい、今にも戦闘が始まるのではないかという空気は変わっていない。ただ再会を、話をするためではないことはハルにも十分理解できていた。なら残る理由はたった一つ。


「だから俺が動く理由はたった一つだ。それはお前が一番よく分かってんじゃねえか? 『二代目レイヴマスター』?」


ルシアがその胸に輝かせている二つの魔石、DB.。そして自分が手にしている聖石レイヴ。あまりにも単純な、そしてこれ以上ない理由だった。


「アキ……お前、やっぱりその胸にあるのはDB……シンクレアなんだな」
「……! そうか、なら話は早え。お前の言う通り、これが全てのDBの頂点に立つ五つの母の内の二つ……母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレアだ」


ルシアはそのまま自らの胸にある二つのシンクレアを手に取りながら見せつける。かつて世界の十分の一を破壊したシンクレア。五つに分かれた内の二つが今、ハル達の目の前にある。レイヴマスターであるハルにはその力が感じ取れる。間違いなく今まで戦って来たどんなDBも比較にならない程の存在。半年前、目にした時よりさらに力が増しているのではと思える程。思わず背中にあるTCMに手が伸びてしまいそうになるのをハルは必死に抑えていた。


『プーン……』
「プ、プルー様! 大丈夫です、私達がついています!」
「そうポヨ! ハルは強いポヨ!」
「二つ……ということはやはりお主がBGを壊滅させてハードナーを倒したというのは本当のようじゃの……」
「なるほど、こいつが新しいDCのキングだってのは間違いねえってことか。でもまだガキだな……前のキングより大したことないんじゃねえか?」


今までハルに全てを任せ様子を見ていたムジカとレットがシンクレアを目にしたことで初めてルシアに向かって話しかける。それはある意味確認作業。ドリュー幽撃団から得た新生DCがBGを壊滅させたという話が真実であるかを確かめるための物。


銀術師シルバークレイマームジカと竜人ドラゴンレイスレットだったな……少しは腕を上げたようだがここで試してやろうか。何なら三人まとめてかかってきてもいいぜ」
「大した自信じゃの……」
「オレたちのことも御存知みたいだぜ。もしかしたらオレたちって有名人なのかもな」


ムジカとレットは軽口を口にしながらも今にもルシアに向かって行かんとする。ハルとの会話を聞く限りではもはや戦闘は避けられないと悟ったが故の行動。だが知らず二人は息を飲み、気圧されていた。二つのシンクレアの力、何よりもルシアの力に。それを振り切るかのように二人が動きださんとした瞬間


「待ってくれ、二人とも! まだアキに聞きたいことが残ってるんだ!」


二人の前に割って入るかのようにハルは両手を広げながらルシアに対面する。だがその表情には先程までの曇りも戸惑いも見られない。何かを決意したかのような瞳があるだけ。


「アキ……一つだけ教えてくれ。お前は、本当に自分の意志でこんなことをしてるのか?」
「……どういう意味だ?」
「もしかして……そのシンクレアたちに操られてるだけじゃないのか? もしそうならオレ達が戦うことも……」
「……今更何を言うかと思えばそんなことか。余計な心配だ。これは俺の意志だ。他の誰のせいでもない」
「……! アキ……本当なのか……?」
「当たり前だ。俺はメガユニットを脱獄した時からこのシンクレアを、マザーを手にしてる。ガラージュ島で暮らす前からだ。その時から俺はダークブリングマスターになった。お前がレイヴを手に入れてレイヴマスターになったようにな……」
「ダークブリングマスター……」


ハルはその名を口にしながら改めてルシアが持つ二つのシンクレアと恐らくはデカログスであろうルシアが背負っている剣を見つめる。その脳裏にはかつて戦ったキングの姿があった。五つものDBを扱うことができる闇の頂点とまで呼ばれた存在。今目の前にいるルシアもまたそれに匹敵する存在なのだとハルは悟る。


「その名の通り魔石を操る者、DBを極めし者を示す称号だ。DBとレイヴが対を為すようにレイヴマスターと対極にある存在。まさかお前が二代目だとは思ってなかったが……シンフォニアやレアグローブの呪いで戦うよりよっぽど分かりやすい理由だろ」
「アキ……ほんとに止める気はねえのか」
「今更怖気づいたのか……? 俺はシンクレアを五つ集めて星の記憶を手にする。お前はレイヴを五つ集めて星の記憶を守る。ならどうなるかは考えるまでもないだろ? 見せてもらうぜ、二代目レイヴマスターの力をな……」


もはや言葉は必要ないとばかりにルシアがその手に剣を持つ。後は力を以て示して見せろとハルに告げるかのようにルシアが一歩一歩その距離を詰めて行く。ハルもまたそれに合わせるかのように自らの武器であるTCMに手を伸ばす。もうルシアを止めるには力づくしかないと言い聞かせるように。柄を握る手に力がこもる。知らず心臓の鼓動が速くなる。そんなハルに続くようにムジカとレットもまた意識を集中する。そしてまさに戦い空気がその場を支配しかけたその瞬間



「もう! いつまでそんな演技を続ける気なのアキ!?」



それは場違いな少女の声によって木っ端微塵になってしまった。


「エ、エリー……?」
「ハルはちょっと黙ってて! ちょっとアキと話してくるから!」


口を開けたまま呆気にとられたハルが何とか声をかけようとするも何でもないかのようにエリーはそのまま両手を腰に当てぷりぷりと怒りながら一直線にルシアの元に向かって近づいて行く。まるで悪いことをした近所の子供を叱りにいくかのような空気。


「ちょっとアキ! ダメだよ、あんな風にしゃべったらみんな怒るに決まってるじゃない。無口じゃなくて今度は怖い人のふり? 全然似合ってないよ?」


ルシアのところまでたどり着いたエリーはそのまま自らの人差し指をルシアの鼻先に突きつけながら嗜めるように説教をする。ルシアはただ無表情のまま。微動だにしない。


「エ、エリーさん!? は、離れてください、危ないですよ!」
『プーン!』


あり得ない光景、展開にグリフとプルーは頭を抱え右往左往だけ。何故ならルシアは今にも戦闘を始めんとその手には既に剣が握られている。それを振るわれればエリーはひとたまりもない。相手はシンクレアを二つ持つ、新生DC最高司令官。それに向かって説教をするなど気が触れてしまったとしかおもえないような行動。ムジカとレットも下手に動けばエリーの身に危険が及ぶため動くことができない。だが


「それともママさんの趣味? そういえばママさん久しぶり! 元気にしてた? イーちゃんやハーちゃんは? あ! そういえば新しいDBも増えたんだよね! ママさんと同じシンクレアだから新しいママさんになるのかな? でもアキ、ちゃんとママさんにも優しくしてあげないとダメなんだからね。ママさんは……何だっけ、そう! つんでれなんだから!」


そんな仲間たちの焦りなど全く気にすることなくエリーは楽しそうにルシアに向かって話しかけ続ける。あろうことかその手でシンクレアを触りながら。およそハル達には理解できない奇行、意味不明の言葉のオンパレード。


「やっぱり声が聞こえないと分かんないねー……あ、アキ、あのイヤリング勝手に持って行ったでしょ!? それにあたしのカジノの勝ち分も! おかげで酷い目にあったんだから! 街からは出られないしあたしの話はハルに信じてもらえないし、それにそれに……とにかく大変だったんだから!」

「…………」


だがそれによって収まるどころかエリーはさらにテンションを上げ、マシンガンのようにひたすらしゃべり続ける。まるで今まで会えなかった分を取り戻すかのように。もっとも半分以上がルシアに対する愚痴の様なもの。


「もう、ちゃんと聞いてるのアキ? 何とか言ってよ! 勝手にあたしを置いて行ったのほんとに怒ってるんだからね! それにみんなにもちゃんと謝らなきゃ。大丈夫だよ、ムジカもレットもみんないい人ばっかりだから。アキもきっとすぐ仲良くなれるよ!」


自分の言葉に全く反応しない、無視するかのようなルシアの態度に怒りながらもエリーはルシアの手を引っ張りながらハル達の元に連れて行こうとする。およそ考えられないような行動の連続に一行は呆気にとられるだけ。先程までの緊迫した空気は、状況は夢だったのではと思ってしまうほど。だがそんな中、ハルだけは違っていた。その表情は驚きに満ちながらも何かに気づいたかのような物。まるで目から鱗が落ちたかのように。



「…………ほんとに相変わらずだな」
「え?」


ぽつりと、エリーにも聞こえないように言葉を漏らしながらもルシアは意を決したように手を振り払いながら動きだす。その矛先はハルに向けられたもの。


「っ!? アキ!?」


突然のルシアの行動にエリーは驚きの声を上げることしかできない。その数秒にも満たない隙を突き、ルシアはその手にデカログスを持ちながらハルへ向かってその刃を向ける。あまりにも予想できない事態の連続に臨戦状態であったムジカとレットもルシアの動きに対応できない。動けるのは完全に虚を突いたルシアと完全にそれを捉えていたハルのみ。


「――――」


静寂が全てを支配する。息をすることすら忘れてしまうほどの極限状態。エリーたちはただ目を奪われていた。そこには


ハルの喉元に向かって剣を向けているルシアとそれを見ながらも微動だにしないハルが互いに睨みあっている光景があった。


「……どうした、剣を抜かねえのか。それともその背中にあるのはただの飾りか?」
「そうじゃねえ……オレはアキとは戦わない。それだけだ」


ルシアは殺気を放ちながらハルを射抜く。後わずかでも剣を押し込めば致命傷になりかねない状況。剣の切っ先を突きつけながらのルシアの言葉に臆することなくハルは応える。まるで剣を手にしないことが自分の答えだと示すかのように。


「さっきアキも言ってただろ。シンフォニアもレアグローブも関係ないって。それと同じさ。オレが戦うのも、戦わないのも自分の意志だ。シンフォニアもレイヴも関係ない。エリーのおかげで目が覚めた……」
「…………」


ハルはまるで憑きものが落ちたかのように自らの心情を吐露する。自分が状況に飲まれかけていたことを。レイヴマスターという重すぎる責務によって自分を見失いかけていたことを。それをエリーを見ることでハルは気づくことかできた。


「アキはアキだ。例えレアグローブでも、ダークブリングマスターでもそれは変わらねえ!」


自分は自分。そしてアキはアキであるという当たり前のこと。誰かを信じるという当たり前のこと。自分はシンフォニアの王族でもありレイヴマスターでもある。それでもガラージュ島のハルであるということを。同じようにどんな肩書きや称号があってもアキもまた変わらないのだと。


「……正気か? 俺がこの剣をあと少し突きだすだけでお前は死ぬんだぞ」
「正気さ。何年一緒にいたと思ってんだ。馬鹿なことやってないで一緒にガラージュ島に戻ろうぜ。姉ちゃんもずっと心配してるんだぞ」


ハルは笑いながらルシアに向かって手を伸ばす。一緒にガラージュ島に帰ろう、と。その脳裏には島で自分たちを待っている姉であるカトレアの姿があった。アキを連れて帰るという約束。父を連れて帰ることができなかったハルにとって絶対に破ることができない約束。


「…………そうか……じゃあ仕方ねえな……」


一度深く目を閉じた後、ルシアはそのまま剣をゆっくりと下ろしていく。ハルはそれを見ながらも安堵の息を吐く。流石にずっと剣を突きつけられるのは斬られることがないと分かっていても精神的に辛いものがあった。だがハルはルシアが剣を下げてくれたことで笑みを浮かべる。やはりアキはアキだったのだと。しかしハルは気づかなかった。ルシアが先程までとは比べ物にならない程何かを決意した瞳をしていたことを。そう、まるで先程までのやりとりなどお遊びだったのだといわんばかりの空気を纏っていたことを。


ハルはそのままルシアが剣を下げ、背中を見せながら自分から離れて行く姿を見つめていたもののすぐに声をかけんとする。このまま放っておけばまたルシアがどこかに行ってしまうと感じ取ったから。だがそんなハルの想像とは全く違う行動をルシアは取る。それはルシアの進行方向。そこにはエリーがいた。エリーもどこか呆然と自分に向かって近づいてくるルシアの姿を見つめているだけ。そしてすぐにルシアがエリーの眼と鼻の先までの距離に辿り着く。完全に先程とは逆の状況。


「え? アキ、ちょっと……」


だがエリーはどこか慌てながらルシアから距離を取ろうとする。自分から近づくのはいいがルシアの方からここまで接近されることなど今まで一度もなかったため。一番はどこか気恥かしさを感じてしまったからこそ。しかしエリーがその場から動くよりも早く


「――――っ!?」


エリーはルシアによってその唇を奪われてしまった――――



瞬間、全ての時間が止まった。


エリーはもちろん、ハルも、ムジカもレットも、その場にいるルシア以外の全員が何が起こったのか分からないまま固まることしかできない。


ただ分かること。それはルシアの行動が先程までとは全く違う意味で火種を生むことになるということだけ。


「どうした、これでお前自身の戦う理由ができただろ?」


およそ感情というものが感じられないような声でルシアはハルに向かって告げながらその場から一歩離れる。一瞬だったのか、それとも数秒だったのか分からないものの口づけを交わしたことを示すかのように。


「アキ……お前何をっ!? どうしてエリーを……じゃなくて……っ! エ、エリー……大丈夫か!?」


ルシアの言葉によってようやく我を取り戻したハルは弾けるようにエリーの元に駆けて行く。まさに電光石火。同時にハルの中には言葉にではできない感情が渦巻いていた。これまで生まれてから一度も感じたことのない感情。それが何なのか分からないまま、ただ心臓の鼓動を抑えながらその場に崩れ落ちてしまったエリーに向かって駆け寄るもエリーはそのまま蹲ったまま。どうしたものかとハルが焦り、そんなエリーとハルの姿を無表情でルシアが見つめている中


「ア、 アキ……いきなり何するのよ! みんながいる前でこんなことするなんて……」


エリーは口を押さえ、顔を赤くしながらルシアに向かって声を上げる。だがそこには驚きはあれ怒りは全くなかった。ただ本当に何故いきなりキスをされたのか分からない。キス自体ではなくそのことに怒っているかのような姿。いきなりキスされたことでショックを受けてその場に泣き崩れたのだと思っていたハルはそんな予想外の反応に呆気にとられるだけ。だがそんな中で凄まじい速度で動く二つの影があった。


「……悪いがハル、割って入らせてもらうぜ! 流石にここまで好き勝手されたら黙っちゃいられねえ!」
「ワシも加勢しよう! こやつが敵対する意志を持っておるのは明白……文句なら後でいくらでも受けよう!」
「っ!? ムジカ、レット!?」


それはムジカとレット。理解できない事態の連続によって先程は後れを取ってしまったが同じ失態を二度も見せない決意がそこにはあった。何よりもこれ以上好き勝手させることに我慢の限界が来た形。ハルやエリーが動けない以上自分たちがルシアを、金髪の悪魔を相手にせんとする。だが何の勝機もなく動いたわけではなかった。

それはルシアの姿、エリーにキスをした直後からルシアの動きが完璧に止まってしまっている。完璧に隙だらけ。剣どころかDBさえ使えないであろうと一目で分かるほどの致命的な隙。加えて頭痛を耐えるかのように頭に手を当てている。千載一遇のチャンス。それを逃さんと銀の槍と竜の拳がルシアへと放たれる。だが


「何だ!? オレの銀が……!?」


銀の槍がルシアを貫かんとした瞬間、その穂先がまるでルシアを避けるかのように形を変えてしまう。ムジカの意志ではない、全く違う意志が介入したかのように。だがその光景をムジカは知っていた。何故ならそれと同じことを以前ムジカは行ったことがあったのだから。それは


「いつかのお返しよ、ムジカ君♪」


別の銀術師シルバークレイマーの介入。同じ銀を操る術を持つ存在。それが再び相まみえたことの証。

長い髪に煌びやかなドレスを身に纏った美女。その腕にはムジカのドクロ同様、銀でできた蛇の腕輪がある。



「っ!? 貴様は……!?」


レットはただ目の前の光景に言葉を失うしかない。自らの拳が何者かによって受け止められてしまった。だが問題は止められたことではない。その人物こそが何よりもレットを驚愕させる。


「…………」


言葉を発することなく顔に入れ墨がある男はレットを睨み続けている。その片手に剣を担ぎ、もう片方の手でレットの拳を防ぎながら。まるで片手で十分だと見せつけかのように。同時にその背後に巨大な物体が浮かび上がってくる。この世の物とは思えないような巨大な黒い龍が。


先程まで何もなかったはずの空間に一組の男女と龍が姿を現す。まるで蜃気楼のように。だがそれは大きな間違い。何故なら彼女たちは最初からこの場にいたのだから。


「いい加減おままごとは終わりってことでいいのかしら、ルシア?」


ルシアを守護するかのように前に出ながら女、レイナは優雅な、それでいて不敵な笑みを浮かべる。ようやく退屈な時間が終わったのだと告げるかのように。それとは対照的に男、ジェガンは無表情のまま。だが表情には見えないものの彼もまた心境はレイナと同じ。

ハル達は圧倒されながらも体勢を整えながら目の前に現れた新たな乱入者に息を飲む。何故ならハル達は知っていたから。目の前に現れた人物がどんな存在であるかを。

六祈将軍オラシオンセイス

DC最高幹部であり一人で一国に匹敵するまさにDCの切り札。半年前の本部壊滅によって死んだとされていた存在。


今、レイヴの騎士たちと新生DCの戦いの火蓋が切って落とされようとしていた――――



[33455] 第六十話 「理由」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/03/23 02:25
「いい加減おままごとは終わりってことでいいのかしら、ルシア?」


楽しげな笑みを見せながらドレスを身に纏った美女、レイナは自らの王であるルシアに向かって問う。ようやく退屈な時間が終わったのかと。それは先程までのルシアとハル達のやりとりをずっと見せ続けられたことに対する当てつけ。レイナとジェガンはルシアと共にこのシンフォニアへやってきたもののルシアの命令によりイリュージョンの力によって姿を消したまま待機命令を出されていた。色々と言いたいことはあったが最高司令官であるルシアの命令である以上黙ってそれに従ったもののハルやエリーとのおままごととしか思えないようなやりとりをずっと見せられてレイナは辟易するしかなかった。だがようやく戦闘が始まらんとしたためにレイナとジェガンは姿を現したのだった。


「全く……まさかこんな茶番を見せるために呼んだわけじゃないでしょうね。それにいくら何でも油断しすぎよ。隙だらけだったじゃない」


ルシアを守るように前に出ながらもレイナは呆れながら苦言を呈する。言うまでもなくそれは先程までのルシアの姿。ムジカとレットが襲いかかってきているにもかかわらず完全な無防備と言ってもいい隙を晒したことに対するもの。もちろんレイナはルシアの実力を身を以て知っている。六祈将軍オラシオンセイス全員を同時に相手して完勝し、キングと同格と言われたハードナーすら下した存在。例えハルを含めた三人全員が相手だとしても何の問題にもならない強さをルシアは持っている。だがいくら実力差があるといっても先程の隙はやりすぎなもの。レイナとジェガンが割って入らなければどうなっていたか分からないものだった。だがルシアはそんなレイナの苦言を聞きながらも応えることなくそのまま頭を抱えながらふらふらと体を揺らしている。まるで二日酔いになってしまったかのように。


「どうしたの? もしかしてさっきのキスに興奮して血管でも切れちゃったのかしら?」
「……うるせえ、ちょっと黙ってろ」
「あら、つれないわね。せっかく心配してあげてるのに。ウブなところはハル君といい勝負ね。まあいいわ、代わりに話を進めさせてもらうわよ、ルシア♪」
「…………」


変わらず調子が悪そうなルシアに変わる形でレイナは改めてハル達に向かって対面する。ジェガンは無言のまま。だがその雰囲気は既に戦闘態勢。言葉がなくともそれだけで十分だった。


「お前らは……」
「久しぶりね、ハル君。半年ぶりぐらいかしら、また会えてうれしいわ」


ハルはいきなり目の前に現れたレイナとジェガンの姿に呆気にとられながらもすぐさまTCMを構えながら向かい合う。何故ならハルは半年前、エクスペリメントでレイナと戦ったことがあったから。同時にハルは思い出し、知らず息を飲む。半年前、DBを使っていなかったレイナに手も足も出なかった記憶。

六祈将軍オラシオンセイス

かつて倒したシュダと同じ称号を持つ六人の戦士。その内の二人が今自分たちの目の前にいる。だがそれはもう一つの大きな事実を証明するもの。六祈将軍オラシオンセイスがこの場に現れ、そしてルシアに従っていること。間違いなくルシアが新生DC最高司令官である疑いようのない証明だった。


「ジンの塔ではすごかったらしいわね。二人がかりとはいえあのキングを倒したんだから。少しは強くなったのかしら」
「……お前ら、一体何の用でここに来たんだ。またエリーを狙って来たのか?」
「エリー……? ああ、魔導精霊力エーテリオンのことね。心配しなくても私達はエリーちゃんに手を出す気はないわ。ジークみたいに命を狙う理由もないし、ルシアにも手を出さないように言われてるしね」
「じゃあ一体……アキの護衛のためか?」


ハルは六祈将軍オラシオンセイス達の目的が以前のようにエリーではないことに安堵しながらも以前警戒を解くことはない。それはレイナとジェガンの纏っている空気。間違いなく自分たちと一戦交えんとする空気が次第に高まっている。肌でそれを感じ取りながらもハルは思いつく中で一番可能性が高い理由を口にする。最高司令官であるアキの護衛。最高幹部である六祈将軍オラシオンセイスの本来の役目といってもいいもの。だが


「残念だけど違うわ。本当ならそれが私達の役目なんだけどはっきりいってルシアに護衛なんて必要ないし……だから私とジェガンがここにいるのはあくまで個人的な用件よ」


レイナは不敵な笑みを見せながらその視線を向ける。だがそれはハルへのものではない。その隣にいる銀の槍を手にしているムジカに対するもの。同時にムジカもまたレイナの視線に応えるように笑みを浮かべる。一瞬で互いの意志を悟ったかのように。


「……悪いな、ハル。どうやらこの姉ちゃんはオレに用があるらしい。ここはオレに任せてくれ」
「ムジカ!? でもあいつは……」
「分かってるさ。でもあいつはオレを御指名らしい。それにオレも個人的に聞きたいことがあったからな。お前はあのアキって奴と話をつけな」


ハルの肩を叩いた後ムジカはレイナに向かって近づいて行く。その脳裏には様々なものが浮かんでは消えて行く。同じ銀術師シルバークレイマーとしての対抗心、先に戦いのリベンジ、レイナの正体。だが最後に残ったのはたった一つの言葉。それは


「約束通りシルバーレイの場所は思い出して来たのかしら、ムジカ?」

『シルバーレイ』というムジカにとっての旅の目的。かつての師との約束を果たすためのもの。それを破壊することがムジカの使命。


「さあ、そいつはどうかな。それよりもオレとちょっとデートでもしねえ? 最近悪さしてなくってな。あんたみたいな美人ならイタズラのしがいがありそうだ」
「そう……どうやらもう半年前の戦いを忘れちゃってるみたいね。なら直接その体に聞いてあげるわ」


からかい半分のムジカとは対照的にレイナには既に先程までのふざけた態度は微塵もない。あるのは冷酷な六祈将軍オラシオンセイスとしての貌だけ。シルバーレイという今は亡き父の最後の芸術品を取り戻す。かつての父との思い出を取り戻すことがレイナの行動理念でありDCに所属している理由。奇しくも二人の銀術師シルバークレイマーが同じ因縁の元に対峙する。だがこの場にはもう一つの断ち切れない因縁があった。


「ジェガ――――ン!!」


瞬間、龍の咆哮が響き渡る。同時に目にも止まらない速度で人影が一直線に動きだす。まるで今の今まで耐えてきた、我慢してきた全てを解放するかのようにレットが凄まじい形相のまま疾走する。


「っ!? レット!?」
「どうしたの、レット!?」


あまりにも突然の事態にハルとエリーは驚きの声を上げることしかできない。だがそんな二人の声などもはやレットの耳には届いてはいなかった。レットの全神経は唯一人のみに注がれている。黒い大剣を担いだ、顔に刺青をした寡黙な男。龍使いドラゴンマスタージェガン。彼に向かってレットは肉薄しその拳を放つ。微塵の容赦もない全力の拳。岩ですら砕く威力を持つ一撃。だが


「…………」
「ぐっ……!!」


ジェガンはそれをこともなげに片手で受け止める。瞬間、威力によってジェガンの足元の地面がめり込むもののダメージは全くない。それどころか一歩もその場から動かすことすらできない。明らかに格が違うと示すかのような事態。だがレットはそのまま一歩も引くことなく止められてしまった拳に力を込めながらジェガンを睨む。


「ジェガン……貴様だけは必ずこの手で……この手で殺す……!!」


息を荒げ、憤怒の化身の如き表情を見せながらレットは目の前にいるジェガンに向かって告げる。だが殺気だけで相手を殺せるのではないかと思えるような気迫を前にしながらもジェガンは全く表情を変えることはない。まるで見下すかのように冷たい視線で応えるだけ。ハル達はいつも冷静なレットの考えられないような行動に圧倒されその場を動くことすらできない。愛する女性を殺された男と殺した男。二人の竜人ドラゴンレイスの因縁が今、まさにぶつからんとしていた。


「へえ、ほんとにあんたにその龍以外のお友達がいたなんて驚きね。あ、でもその人も龍かしら? ま、いいわ。じゃあルシア、私達は予定通りこの二人の相手をするわ。ハル君とエリーちゃんはあなたに任せたわよ」


ひらひらと手を振りながらレイナはそのままムジカとの戦闘を開始せんと動き出す。同時に睨みあっていたレットとジェガンもまた凄まじい衝撃と共に戦いを開始する。それがルシアとの作戦であり命令。ハルとエリーの相手をルシアが担当し、その邪魔になるであろうムジカとレットをレイナ達が相手をしながら分断する。それぞれに深い因縁もあるのが大きな理由。予定ではルシアの合図で戦闘が開始されるはずであったもののルシアが予定外の動きや反応をしたせいで無理やりそれが始まった形。レイナの言葉を聞きながらもルシアは応えることはなく、それを肯定と受け取ったレイナは己の戦いへと向かって行く。だがルシアは何もレイナを無視しているわけではなかった。それとはまた違う戦いが巻き起こっていたからに他ならない。それは


『いい加減にしなさいマザー! これ以上はアキ様のお身体に障ります!』
『ええい、うるさい! 貴様は黙っていろアナスタシス! これは我とアキの問題なのだ!』
『て、てめえ……いい加減この頭痛をどうにかしろ! このままじゃあまともに動けねえじゃねえか!? 俺を殺す気か!?』


ルシアとマザー、アナスタシス。ダークブリングマスターと二つのシンクレアによる未だかつてないほどの争いが今、並行して行われていたのだった。


『何を言っておる! お主がいきなりエリーと……その、キ、キスをするのが悪いのだ! そんな話は我は一言も聞いておらんぞ!? 一体どういうつもりだ!?』
『な、何訳分からんこと言ってやがる!? 何でそんなこといちいちお前に言わなきゃならねえんだ!? 大体エリーを奪い返すように言って来たのはお前だろうが!?』


ルシアは立っているのがやっとの頭痛に耐え、息も絶え絶えに声を上げるもマザーは全く聞く耳をもたずヒステリックに騒ぎたてているだけ。癇癪をおこしている子供のような姿。しかもただ暴れるだけならまだしも頭痛を引き起こされているルシアはたまったものではない。そのせいで後一歩でムジカとレットによる襲撃を受けてしまうところだったのだから。何よりもルシアに向かってエリーを奪い返すように言って来たのは他ならないマザー自身。文句を言われる筋合いなどないとばかりにルシアは食ってかかる。


『っ!? そ、それは……だがそれは我……ではなかったお主にはエリーがどうしても必要だからであって……ええい、とにかくそれとこれとは話は別だ! とにかく我に何の了承もなくそんなことをするなど許すわけにはいかん!』


痛いところを突かれたからか戸惑い、口ごもりながらもマザーはついには逆切れ、開き直りを見せるだけ。もはや引っ込みがつかなくなってしまっていた形。このままでは本当に頭痛によって気を失うレベルに達しかねない事態にルシアが戦々恐々とするもあきらめかけたその時


『そこまでにしなさいマザー……もう戦闘が始まらんとしているのです。このままではアキ様の動きにも支障が出ます。アキ様が傷つくのはあなたの本意ではないでしょう? それとも私の再生があるからいいとでも思っているのですか?』


ぎゃあぎゃあと大声をあげている二人とは対照的に静かな、それでもその場を収めるようなアナスタシスの声が響き渡った。同時に二人は先程までの騒ぎが嘘のように静まり返ってしまう。それは本能。普段温和な、物静かな雰囲気を纏っているアナスタシスが本気で怒っていることを感じ取ったからこそ。マザーに向けられた言葉であるにも関わらずルシアも反射的に震えてしまう。


『そ、そんな訳はなかろう……! アキを傷つけさせることなど絶対に許しはせん! お前の再生などに頼る気はないぞ!』
『ならすぐにその汚染をやめなさい。過剰な干渉はアキ様の精神にも悪影響が出ます。そうなればどうなるかはあなたが一番よく分かっているはずでしょう?』
『な、何だか知らんが早く何とかしてくれ……!』
『く……わ、分かった……このぐらいで今回は許してやろう。だが次は無いぞ。よいな、我が主様よ』


アナスタシスの警告と言う名の説得によってようやく我を取り戻したマザーは渋々ルシアに対する頭痛を収めていく。とても自分がしていたことを反省しているとは思えないような捨て台詞を残しながら。悪いのはあくまでもルシアであり自分には非はないのだといわんばかりの態度。もっともそれがマザーがマザーたる所以なのだが。


『ハアッ……ハアッ……! て、てめえ……一体何様のつもりだ……』
『ふん、いきなりあんなことをするお主が悪い。そもそもどういうつもりであんなことをしたのだ。あんなことをせずとも力づくで奪えばいいものを……』
『う、うるせえな……それにあれはエリーを怒らせようと思ってしたんだよ。そうなればレイヴマスターも少しはやる気になるだろうしな……』
『なるほど……レイヴマスターを炊きつけるための行動だったわけですか……』
『ああ……結局失敗しちまったけどな……』


何とか命の危機を脱したルシアは息も絶え絶えに辺りの様子を伺うも既にレイナとジェガンは戦闘を開始しているところ。目の前にはハルとエリー、そして不思議生物三匹がいるだけ。自分がマザー達と騒いでいる間に事態が動いていることに驚きながらもルシアは何とか平静を装う。


(ちくしょう……どうしてこうなった……?)


ようやく頭痛が収まったことに安堵しながらもルシアはまたそれとはまた別の要因によって頭を痛めるしかない。それは先程までのハル達とのやり取り。半年ぶりの再会によるもの。ルシアにとっては避けて通れない一世一代の大舞台。ダークブリングマスターとしての自分をハル達に認識させ、敵対する関係を作りだすためのもの。ある意味ルシアにとってはもっとも重要なイベント。それ故にルシアは万全を期してこの場に赴いていた。

ダークブリングマスターとレイヴマスター、レアグローブとシンフォニア、DBとレイヴ。およそ考えられる設定の全てを利用しハルに正体を明かす。ハルがどんな反応を示すかを何通りも計算し、それに合わせていくつものパターンを用意するという涙ぐましい努力。まるで演劇の主人公を演じるかのように台本まで用意(もちろんマザー達には秘密)してこの日をルシアは迎えていた。だがその努力の甲斐あって全ては順調に進んでいた。多少予想外の流れはあったものの違和感なくハルと敵対できる流れをルシアは作ることに成功した……はずだった。


(何であのタイミングでエリーの奴、割って入ってくるんだよ!? おかげで全部台無しじゃねえか!? ちょっとは空気読めっつーの!)


ルシアはただ予想外のエリーの乱入という事態に圧倒されるしかなかった。ただ割って入ってくるだけなら特に問題は無かった。だがその態度と内容がむちゃくちゃだった。それは二年前まで一緒に暮らしていた頃と全く変わらないノリ。半年前に一度再会しているとはいえ明かされたルシアの事情を全くそれを意に介していないマイペースぶり。ルシアは気づくのが、思い出すのが遅すぎた。エリーが超がつく程の天然であったことを。空気を読むなどエリーにとってはもっての他。それを壊すことが彼女の本分。しかもそれによってハルまで妙な方向に傾きルシアと戦うことを拒否してしまう。事ここに至ってようやくルシアは悟る。自分がもっとも気に掛けるべきはハルではなくエリーだったのだと。どうにもならない窮地に追い込まれたことによってルシアは最後のカードを切るしかなくなった。ルシア自身にとっても諸刃の剣となるであろう原作でも起こったエリーへのキスという禁じ手を。文字通り自分の身を危険に晒すであろう行動であることを理解しながらもルシアは心を鬼にして(?)それを実行に起こした。その代償が先程までのマザーのお仕置きと言う名の頭痛。間違いなく過去最大級である痛みを覚悟しながらもルシアはそれ以上に呆気にとられることになる。


(っていうか何なんだよエリーのあの反応は!? あれじゃ全然意味ないじゃねえか! というか何で顔を赤くして恥ずかしがってんだ? あれじゃまるで……)


エリーの予想外の反応。泣き崩れることも、怒ることもなく顔を赤くするだけ。まるで恥ずかしがっているかのようなあり得ない反応にルシアはただ唖然とするしかない。もちろんルシアも原作と同じような反応をエリーが示すとは思っていなかった。それは原作のルシアが相手だったからこそ反応。一応顔見知りである今のルシアが相手ならあそこまでの反応を示すことは無いかもしれない。だがそれでも少なからず拒絶に近い反応は示して当たり前。何故ならエリーにとって先程の口づけはファーストキスなのだから。記憶喪失ではあるもののそれ自体は間違いない。それを奪われたにもかかわらずあの反応。いくら女心に疎いルシアであってもそれが自分への好意があるのが原因であることは理解できる。しかしその理由がルシアには皆目見当がつかなかった。


(まさか一緒に暮らしてたせいか……? い、いや……でも俺からは何のアプローチもしてないし、手も出してない! その手の話題も振ったことないし……だとすれば半年前にジークから助けた時か!? で、でも助けたぐらいでこんな風になるなんてことは……)


ルシアは思いつく限りの原因を記憶の中から探っていくもどれも決定打に欠けるものばかり。そもそもルシアはできる限りエリーには影響を与えないように二年間暮らしてきた。マザーやDB達については仕方がないにしてもルシアにとってエリーはハルの相手であり原作のヒロイン。それが崩壊してしまうことはルシアにとっては最もあってはならない事態。故にルシアは必要以上にはエリーに干渉しないスタイルをとっていた。後考えられるとすれば半年前のジークの襲撃。それからエリーを救ったこと。確かに理由としては考えられなくもないがいくら命を助けたといってもそれだけであんな反応を示すとはルシアには思えなかった。だがそれは


『……? お主は何を訳が分からんことを言っておる。エリーがお主からキスをされて怒るわけがなかろう。エリーはお主のことを好いているのだぞ』
『…………は?』


さも当然のことのようなマザーの言葉によって木っ端微塵に吹き飛ばされてしまった。


『な、何だその顔は? 何をそんなに驚いておる?』
『お、驚くに決まってんだろうが!? な、何でエリーが俺のことを好きなんてことになってんだ!? 冗談も大概にしろよてめえ! これ以上俺をおちょくりたいのか!?』
『お主こそ我を何だと思っておる!? 大体一目惚れだの何だのをエリーに聞かれたのはお主のミスであろうが! 何でもかんでも我のせいにするでない!』
『ひ、一目惚れ……? それって俺がお前に言った話のことか……?』
『それ以外の何がある……? ん? そういえばそのことはお主は知らなかったのか?』
『あ、ああ……初耳だけど……』


ルシアはマザーとの会話がかみ合わない理由が何であったのかをようやく悟る。かつてルシアがマザーにしたエリーに一目惚れをしているという嘘が実はエリーに聞かれてしまっていたということ。そしてマザーはルシアがそのことを知っているのだとずっと勘違いしていたこと。


『…………』
『…………』 


そのままルシアとマザーはただ無言で見つめ合う。時間が止まったかのような静寂があたりを支配する。それがいつまで続いたのか


『……うむ、そういえばエリーから口止めされておったのをすっかり忘れておったわ。今のはナシだ、我が主様よ』
『な、なんだそりゃ!? 何でそんな大事なことさっさと言わねえんだよ!? じゃあエリーは俺が一目惚れしてると思ってるってことか!?』
『喚くでない、騒々しい……全く、今更何を恥ずかしがっておる。あれほど啖呵を切っていたというのに往生際が悪いぞ。ヘタレなのは戦いだけで十分だというのに……』
『い、いや……でもそれを聞かれてたとしてもエリーが俺を好きってことにはならねえだろうが!?』


これ以上にないほど狼狽しながらもルシアはマザーの言葉を信じることができない、いや信じたくはなかった。あの時エリーを保護するためにマザーについた嘘。

『自分がエリーに一目惚れをしている』

それをあろうことかエリーに聞かれていたという事態。だがそう考えれば納得がいくことがいくつかある。


『お主の目は節穴か? エリーが出て行かなくなったのはそれが原因なのだぞ。あと髪を伸ばしておるのはカトレアに対抗しておるからだ……まあエリーは秘密だのなんだの言っておったが十中八九それが理由であろう』
『そ、そうか……』
『まったく……何で我がわざわざこんなことを説明せねばならんのだ。エリーにバレれば何を言われるか分かったものではないな……そもそもお主が振られたというのが信じられん。一体何をすればエリーから振られるというのだ?』
『そ、それは……』
『ふん……エリーの肩を持つのはここまでじゃ。一年分のハンデもこれで帳消しということにしようかの』


やれやれといわんばかりの態度を取っているマザーとは対照的にルシアの顔は蒼白に変わりつつあった。様々な状況がマザーの言葉が真実なのだと告げている。その全てが正しいとは限らないが間違いなくエリーが自分に好意を抱いているのは疑いようがない。もしこれが何のしがらみのない状況なら一人の男として喜ぶべきこと。だがそれをルシアは喜ぶことができない立場にあった。エリーは原作のヒロインであり、並行世界を救うための存在。そしてハルの想い人であり、戦う理由。それを奪ってしまえば全てが崩壊しかねない。もとい今のルシアにはそんな余裕などこれっぽっちもなかった。ただ生き残ることで精一杯。とにもかくにもこの事態をどうにかしなければいけないと決意しかけた時


『話はまとまりましたか、お二人とも。どうやらレイヴマスターが動きだしたようですが……』


今まで余計な口を出すまいと控えていたアナスタシスがルシアに向かって進言する。同時にようやくルシアは我に返り改めて目の前に意識を向ける。そこにはTCMを手にしながらムジカとレットの援護に向かおうとしているハルの姿があった――――



「ムジカ、レット!」


ハルは迷いながらもその手にTCMを持ちながら二人の戦いに割って入らんとする。本当なら一対一の勝負に割って入ることはハルにとって心情的にしたくないこと。だがこのまま黙って何もせずにいることなどハルにはできない。戦闘が始まって時間はさほど経ってはいないもののムジカ達の方が劣勢であるのは火を見るよりも明らか。相手はあの六祈将軍オラシオンセイスなのだから。だがそんなハルの行動は


「どこに行くつもりだ、ハル? まさかこのまま俺が行かせるとでも思ってるのか?」


まるで瞬間移動したかのように目の前に現れたルシアによって阻まれてしまう。先程までの動きの緩慢さももはやみられない。その手にある剣でハルの進路を塞ぐようにルシアは立ち塞がる。かつてのキングにも似た重圧にハルは思わずその場に足を止め、立ち尽くしてしまう。


「っ! アキ、そこをどいてくれ! オレはお前と戦う気はねえんだ!」
「まだそんな戯言を言ってやがんのか。お前にはなくても俺にはある。ここを通りたかったら力づくで行くんだな」
「……! アキ……オレは……」
「……ふん、なら一つ約束してやる。もしお前が俺に傷一つでも負わすことができたら六祈将軍オラシオンセイスを止めてやる」
「なっ……ア、アキ……お前、本気でそんなこと言ってんのか?」


ハルはただルシアの提案の内容に驚愕するしかない。一つは六祈将軍オラシオンセイスを止めるということ。最高司令官であるルシアなら確かにそれは可能だろう。だが何よりも驚くべきはその条件。ルシアと戦い傷一つ負わすこと。単純な、あまりにも分かりやすい条件。それはつまり


「どうした。まさか俺にかすり傷一つ負わす自信もないってことか、ハル?」


ルシアはハルと戦っても傷一つ負う気がないということ。


その言葉によってハルの中に言葉にしようのない感情が生まれる。知らずTCMを握る手には力がこもり、表情は強張っていく。まるで自分には遠く及ばないと宣言されたに等しい言葉。それによってハルの中にあるアキへのコンプレックスとでもいえる深層意識が刺激される。


「ちょっとアキ、どうしてそんなことするの!? 早くあの二人を止めてよ、このままじゃみんな怪我しちゃうよ!?」
「…………」


見るに見かねたエリーがルシアに向かって声を上げる。本当なら先程のキスについて問い詰めたいところなのだが流石にそこは空気を読むことができたらしい。だがルシアはエリーの言葉に全く反応しない。いや反応しようとしない。完全にエリーのことを無視しているような状況。


「もう、どうして無視するの!? じゃあママさん、何とかしてよ! これ以上酷いことするならアキにママさんの秘密バラしちゃうんだからね!」


ルシアにいくら話しかけても聞いてくれないと判断したエリーはそのままマザーに向かって話しかけるも答えなど返ってくるはずもない。だが一瞬だけ戸惑うような光が輝いたように見えたものの見間違いだったかのように変化はない。エリーはなおもどうにかして事態を収めんとするも


「どうしたハル。そのままエリーに守ってもらうだけか?」


それはルシアの言葉によって終わりを告げる。瞬間、ハルの空気が変わる。その瞳には先程は見られなかった確かな戦う意志があった。


「アキ……さっきの約束、本当だな……?」


ハルはそのまま一歩一歩噛みしめるようにルシアの元に向かって近づいて行く。既にそこにはレイヴの騎士としての姿があった。いや、それだけではない。もっと単純な、それでも絶対に譲れない理由。


「ハ、ハル!? ダメだよ喧嘩しちゃ……プルーも何とかしてよ!」
『プーン……』
「エ、エリーさん……危ないですよ、早くこっちに来てください!」
「大丈夫ポヨ! ハルは強いポヨ!」


エリーたちはそんなハルたちを止めようとするもプルー達によってその場から引きずられていってしまう。後には互いを睨みあう二人の戦士が残されただけ。


「余計な邪魔が入っちまったが今度こそみせてもらうぜ。二代目レイヴマスターの力をな」


不敵な笑みを見せながらルシアは戦いの始まりを告げる。


ハルにとっては好きな女の子を守るための、ルシアにとっては世界の、そして自分の命運を賭けた戦い。


レイヴマスターとダークブリングマスターの戦いの幕が今、上がった――――



[33455] 第六十一話 「混迷」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/03/25 23:19
何一つ残っていないシンフォニアの大地で今、二人の少年が対峙している。銀髪と金髪。シンフォニアとレアグローブ。レイヴとDB。レイヴマスターとダークブリングマスター。光と闇。あらゆる点で対照的な存在。ハル・グローリーとルシア・レアグローブの戦いがまさに始まらんとしていた――――



ハルは自らの武器であるTCMを手にしながら改めてルシアに向かって構える。既に先程までの戸惑いも迷いも見られない。ルシアとは戦いたくないという本心は変わらないもののハルは戦う決意を固めた。ルシアがシンクレアを持っている以上避けることができない戦い。だがそれ以上に先程ルシアによって言われた言葉、それが全て。ハルは臨戦態勢に入りながらルシアがその手に持つ剣を構える姿を捉える。そしてようやくハルは気づく。ルシアが持つ剣が以前とは大きく形を変えていることを。


「アキ……それはやっぱりデカログスなのか……?」


ハルは緊張状態を維持したままルシアに問う。ルシアが手にしている黒い大剣の正体。かつてハルはガラージュ島、エクスペリメントと二度ルシアが黒剣を持っているのを見ていた。その能力がTCMと酷似していることも。そして半年前のジンの塔での戦いでハルはその名を知った。

『デカログス』

TCMと全く同じ能力を持つ最上級DB。キングもまた同じDBを持っていたのだから。だが今ルシアが持っている剣は姿と形が大きく異なっている。刃の形も、何よりもその刀身には十個のDBと思われる物が埋め込まれている。まだ戦ってもいないのに圧倒的な力をレイヴマスターとしての力でハルは感じ取っていた。


「そうか……そういえばお前の前で見せるのは初めてだったな。確かにこいつはデカログスだ。だがキングが持ってた物とは比べ物にならない力を持っている……『ネオ・デカログス』それがこのDBの名前だ」
「ネオ・デカログス……?」
「そうだ、デカログスはお前が持つそのTCMと対を為す存在。だがこいつは違う。完全な上の存在だ」


ルシアはまるで見せつけるかのようにネオ・デカログスの切っ先をハルに向ける。知らずハルは息を飲んでいた。自らの持つTCMにハルは全幅の信頼を寄せている。鍛冶屋ムジカがシバのため作り上げた世界の剣。そしてシバから託された意志。これまでの戦いを切り抜けられたのもTCMがあったからこそ。だがその自信があってもなおハルは感じ取るしかない。ルシアが持つネオ・デカログスがこれまで戦って来たどんなDBよりも強力なものであることを。だがそれは


「だが心配する必要はないぜ。俺はこいつの能力をお前に使う気は全くねえ」
「え……?」


ルシアの理解できない宣言によって消し飛ばされてしまう。ハルは呆気にとられた表情でルシアを見つめ続けることしかできない。当たり前だ。今、ルシアは確かにネオ・デカログスを使う気がないと口にしたのだから。だがそれだけでは終わらなかった。


「それだけじゃねえ……シンクレアも他のDBも使う気もねえ。お前の相手はこの鉄の剣アイゼンメテオールだけで十分だ」


自らの持つ全てのDBを使わない。つまりただの剣一本でハルを相手にするとルシアは告げる。そんなあまりにも信じがたい言葉にハルは驚愕したままその場に磔にされるもすぐに表情が一気に強張って行く。瞳には確かな怒りがあった。ルシアの言葉。それはつまりダークブリングマスターとしての力を自分相手には使う必要がないといわれたに等しいのだから。同時にかつてのエクスペリメントでのレイナとの戦いが蘇る。奇しくも今のルシアの言葉と同じDBなしのレイナとの戦いで手も足も出なかった苦渋の記憶。


「……後悔するなよ、アキ! オレだって半年前より強くなってるんだ!」


ハルは咆哮と共に弾けるようにルシアに向かって疾走する。既にその手にあるTCMが形態を変えつつある。ハルの怒りに、戦う意志に反応するかのように。それはハルが最も得意とする形態。相手を殺さずに制することができる第二の剣。


爆発の剣エクスプロージョン!!」


斬った物を爆発させる爆発の剣エクスプロージョン。これまでの戦いで何度も相手を倒して来た十八番。その一刀がルシアに向かって振り下ろされる。ルシアはその場から動くことなく斬りかかってくるハルを見据えているだけ。躱すことができない完璧なタイミング。ハルはそのまま爆発の剣エクスプロージョンによって起こる爆発に備えて手に力を込める。そして爆発の剣エクスプロージョンがルシアに触れようとした瞬間、ルシアはネオ・デカログスによってハルの一閃を受け止める。ハルはそれを目にしながらも気圧されることなく力を解放する。ただの剣であったなら受け止められればそこまで。だが今ハルが握っているのは爆発の剣エクスプロージョン。例え受け止められたとしても爆発の威力によって相手にダメージを負わすことができる。だがハルはまだ気づいていなかった。今、自分が相手にしているのがルシアであること。その意味を。


「なっ――!?」


ハルは目の前で起こった事態に驚愕の声を上げるしかない。自らの爆発の剣エクスプロージョンが爆発を巻き起こしルシアを襲わんとした瞬間、まるでルシアはその力を利用するかのように体を逸らしその全てを受け流してしまう。冗談としか思えないような妙技。だがかつて同じ動きをハルは目にしたことがあった。それはガラージュ島でのシュダとの戦い。その時のシュダと同じ動きを今、ルシアが見せている。いや、同じではない。その身のこなしはシュダの比ではない。まるでそう、ハルが爆発の剣エクスプロージョンを使ってくるのを見越していたかのような完璧なタイミング。

だが驚愕する間もなくハルは咄嗟に自らの剣を構える。それは本能に近い動き。ただ己の身を守るためのもの。ルシアが爆発の剣エクスプロージョンを受け流したまますぐさま反撃に転じてきた一撃を防ぐため。


「ぐっ!!」


だがそのままハルはその剣撃を受け止めきれずに大きくその場から弾き飛ばされてしまう。凄まじい金属音と衝撃が辺りを支配する中、ハルは体勢を整えんとするも顔を上げた瞬間、すぐさまルシアがその距離を詰め剣を振るってくる。その速度と威力にハルは防戦一方。だが捌き切れない剣撃によって体には少しずつではあるが切傷が生まれていく。ハルは一瞬で悟る。ルシアと自分の間にある力量の差を。かつてのキングとの戦いの時に感じたものを上回りかねない実力差。だが


「……! ならこれならどうだ!」


ハルは渾身の力でルシアの剣を防ぎながら一瞬の隙を突き、その場から姿を消す。いや、まるで姿が消えたかのように凄まじい速度でルシアに向かって駆ける。文字通り風になったかのような速さ。


音速の剣シルファリオン


持つ者に音速のような速さを与える第三の剣。ルシアの攻撃を捌き切ることができないと判断し、速度によって剣閃を潜り抜けるためのもの。ハルはそのまま一瞬でルシアの背後へと回りこみ斬りかかっていく。先の攻防によってルシアは咄嗟に剣を振るうことができないタイミング。ハルは自らの勝利を確信するも


「遅え」


それはルシアの感情を感じさせないような声と共に砕け散る。


「ガッ……!?」


ハルは何が起こったのか分からない。あるのは腹部にある凄まじい衝撃と鈍い痛み。気づけばハルは地面の上に蹲っていた。ハルは何とか意識を繋ぎとめながら立ち上がることでようやく何が起こったのか悟る。それは自分とルシアの間にある距離と地面の爪痕。ハルが音速の剣シルファリオンで攻撃しようとした瞬間、ルシアによって蹴り飛ばされたという単純な事実。だがそれ故にハルは驚愕するしかない。隙を突いたはずにも関わらず音速の剣シルファリオンの速度を見抜き、あろうことか剣ではなく蹴りによって反撃をしてくる。まるでそれは――――


「はあああっ!」


ハルは自らの迷いを振り来るかのように再び音速の剣シルファリオンによって疾走する。だがそれは先のそれとは目的が違っていた。速度だけではルシアを捉えることができない。ならさらにもう一つ能力を加えるだけ。TCMだからこそできる複数の形態を駆使した連携技。


「爆…速…連携……シルファードライ……!!」


速さと爆発を組み合わせた音速の爆発剣。だがそれは


「甘い」
「っ!?」


一瞬で目の前に現れたルシアの一閃によって弾き飛ばされてしまう。ハルはそのまま遥か後方まで吹き飛ばされる。まるで木の葉のように。それは使用者の体重を軽くする音速の剣シルファリオンの特性。それによってハルは地面を転がりながらも何とか剣を突き立てることによってようやく止まることに成功する。だがハルは息を切らし、混乱状態にあった。先の連携技。爆発を起こすことなく音速の剣シルファリオンの状態のまま破られてしまった。すなわちそれは音速の剣シルファリオン爆発の剣エクスプロージョンの接続の瞬間を狙われたということ。その事実にハルは自らの背中に冷たい汗が流れていることを感じ取る。だがそんな暇すら与えないとばかりにルシアが再びハルに向かって駆けてくる。ハルは咄嗟にTCMを新たな形態に変化させる。自分が落ち着くまでの時間を稼ぐために。


真空のメル ……!!」


だがそれは寸でのところでルシアの剣によって無効化されてしまう。真空の剣メル・フォースの能力が発生する隙すら与えないといわんばかりに。


「っ! 双竜のブルー=……!!」


自らの思考が読まれてしまっている状況に混乱しながらハルは残された最後の剣をみせんとするもそれもこともなげにルシアは切り払う。それどころか二刀剣に変化させることすらできない。分離する瞬間を見切ったかのような一閃。まさに全てを見通しているかのような一撃によってついにハルは吹き飛ばされ地面へと這いつくばる。息は乱れているもののまだダメージ自体は大したものではない。だがハルはその場から立ち上がることができない。あるのはただ一つの感情だけ。


(な……何も通用しねえ……!)


自分の力が、TCMの能力が何一つ通用しなかった。そんなあり得ない事態。これまでの自分の戦いが、自信が粉々に吹き飛んで余りある衝撃。同じ十剣の能力によって相殺されるならまだ分かる。だがルシアが使っているのは何の力ももたない鉄の剣。だがその剣によってハルはTCMの全てを封じられてしまっている。それはつまり特別なのは剣ではなくルシア自身であるということ。ようやくハルは悟る。その理由を。


「ようやく分かったか? TCMは俺には通用しねえ。同じ剣を俺も使ってきてるんだからな」


ルシアは悠然と告げる。自分にはTCMは通用しないと。同じ剣を使っていること。それがハルのTCMが通用しない最大の理由。ハルは思い出す。まるで自分が使う剣を見抜いたかのようなルシアの動きと、隙を狙った攻撃。それは圧倒的な経験の差。

今この世界でもっともTCMを理解しているのは初代レイヴマスターである剣聖シバ。その年月は五十年以上。それには至らないもののルシアもまた長い年月デカログスを使い続けている。故にルシアには手に取るように分かる。

いつ、どんな能力を使うのか。

どの瞬間に隙が生じるのか。

幻とはいえ同じ能力を持つシバと戦い続けてきた経験、デカログス自身による修行。何よりも今ハルが持つTCMの力であればルシアには全く通用しない。覆しようがない絶対的な差だった。


「……どうした、もう終わりか?」
「…………」


ルシアの言葉を聞きながらもハルは俯いたままその場から動くことは無い。自らの持つ力のすべてを否定されたに等しいショックがハルの中を駆け巡る。しかもルシアはまだ何のDBも使っていない。まさに天と地ほどに離れた場所にルシアがいることを突きつけられた形。同時にハルの中に暗い感情が生まれてくる。


『何をやってもアキには敵わない』


一緒に暮らし始めてからずっと抱いていた感情。自分ではアキには勝てない。それでもレイヴを手に入れて旅を続け、確かな自信が生まれつつあった。だがそれは木っ端微塵に打ち砕かれた。やはり自分では敵わない。レイヴとDBの差ではない。レイヴマスターとダークブリングマスターとしての差でもない。自分とアキ。その間にはやはり覆しようのない壁があるのだとハルがあきらめかけた時


「……本当にその剣は飾りだったみてえだな」


そんなルシアの言葉によってハルの折れかけた心が繋ぎとめられる。ハルは顔を上げながら自らが持つ剣に目を奪われる。TCM。五十年間、世界のために戦い続けたシバの魂。レイヴマスターとしての意志の象徴。同時にハルは思い出す。この剣を託された日のことを。その重さを。シバの言葉を。


「ああああああ!!」


全てを振り切るようにハルはTCMを手にしながらルシアへと向かって行く。だがその形態は変化していない。鉄の剣アイゼンメテオール。何の力も持たない剣。だがそれは決して意味のない剣ではない。何故鉄の剣が十剣に含まれているのか。そこには二つの意味があった。

一つが対魔導士のため。全てが特別な魔力持った剣であれば魔導士によって無効化されてしまう危険がある。魔導士は魔力なき物は防げない。封印の剣ルーンセイブが魔導士のための防御の剣だとすれば鉄の剣アイゼンメテオールは攻撃の剣。

それが形式以上の理由。だが真の理由は別にある。鍛冶屋ムジカが託した意味はたった一つ。あまりにも単純であるがゆえに気づけない答え。それは


TCMが世界のための『剣』であるということ。


「はああああ!!」


ハルは呼吸を乱しながらもその手にある剣を振るう。何の能力もない唯の剣の一振り。今のハルに残されたのは純粋な剣技のみ。剣士としての力を以てハルはルシアに立ち向かって行く。だがそれはこともなげに防がれ、反撃によってハルは傷を負い、吹き飛ばされる。


「ぐっ……! ま、まだだ……オレはまだ……!!」


みっともなく地面を転がりながらもすぐさま立ち上がりハルは剣を振るう。その姿に一瞬、ルシアの動きが止まるもそれだけ。ルシアも再び容赦のない剣技によってハルを迎え撃つ。ルシアの一撃は大地を揺るがしかねないもの。速さも、技術も今のハルでは及ばない。

『純粋な剣技』

それが今のハルとルシアの間にあるもう一つの差。今のルシアはかつてのキング、ゲイルと同じ領域にある。そしてそれを遥かに超えた頂きこそが剣聖と呼ばれる称号。世界でただ一人、初代レイヴマスターシバ・ローゼスのみに許されたもの。そしてそれこそがムジカが鉄の剣をTCMに組み込んだ理由。

十剣という能力に囚われてしまう危険。ただその力に頼り切ってしまうことを戒めるための、原点回帰のための存在。あくまでTCMは剣であるということ。その根本は剣技であり、それがあって初めて他の剣を扱うことができる。力を持つ者への、シバへのメッセージ。

だがそれを理解したところでルシアとハルの間にある実力差は覆らない。そんなご都合主義は決してあり得ない。既にハルは満身創痍。対するルシアは全くの無傷。どんなにあがいても変わりのようのない結果。今のハルの力では逆立ちしても敵わない。しかしそんなことはハル自身が誰よりも理解している。それでもハルは向かい続ける。そしてそれに全く容赦することなくルシアは応える。手を抜くことなく全力で。そして徐々にだが変化が訪れる。


(これは……?)


ハルは今にも途切れそうな意識の中でも感じ取る。まるで自分が剣と、TCMと一つになって行くかのような感覚。その証拠に最初は一撃すら耐えることができなかったルシアの剣撃に少しずつだが対応できてきている。既に体力は限界、すぐその場に倒れてもおかしくない状態にもかかわらず不思議とハルの心は落ち着いていた。いや、そうではない。まるで自分の力が引き出されていくかのような感覚に昂ぶっていた。それをハルは覚えている。


かつて幼い頃、自分が追いついてくるのをぶっきらぼうに待っていてくれたアキの背中。


「ああああああああ!!」


ハルは残された全てを込めながら最後の一撃を振るわんとする。対するルシアの応えるように大きく剣を振りかぶる。ハルとルシア。二人の距離が一瞬で縮まり零になる。秒にも満たない刹那。だがそのさなかにハルの脳裏にシバの言葉が蘇る。何故シバは五十年もの間戦い続けてきたのか、そんな自分の問いへの答え。一人の少女のために。たった一つの約束を守るために。それがシバの根底にあるもの。なら自分は何なのか。その答えをハルはまだもたない。だが一瞬であるがそれが頭に浮かぶ。それは――――



「……! ハル、大丈夫!?」
「……エ、エリー……?」


ハルは虚ろな意識を取り戻しながら自分を必死に呼ぶエリーの声によって何とか体を起こす。一体何が起こったのか分からなかったもののすぐにハルは気づく。自分が最後の攻防に破れ倒れてしまったのだと。その証拠にTCMは弾き飛ばされ、ルシアはただ倒れている自分を少し離れた場所から見下ろしてるだけ。


「そうか……やっぱオレ、負けちまったのか……」


ハルは呟きながら自らの敗北を悟る。自分の渾身の一撃を以てしてもルシアを倒すことができなかったのだから。確かにそれは間違いではない。その意味ではハルはルシアに敗北しただろう。だがもう一つの意味では勝利していた。それは


「なるほど……ちょっとはマシになったようだな、ハル」


ルシアの頬。そこに確かな切り傷ができていたこと。とても傷とは言えないような小さな物。だがそれでも確かにハルの一撃が届いた証だった。それを前にしながらハルとエリーがルシアに声を掛けようとした瞬間


「あら、そっちも勝負はついたのかしら?」
「…………」


どこか場違いなレイナの声が響き渡る。レイナだけではない。無言ではあるがジェガンもまたその手に剣を担ぎ、巨大な黒龍と共にルシアへと近づいて行く。それはすなわち二人の戦いもルシア同様終わったことを意味するものだった。


「そ、そんな……ムジカさんとレットさんも負けてしまうなんて……」
『プーン……』
「だだだ大丈夫ポヨ……! まだ僕たちも戦えるポヨ……!」


ハルに続き、ムジカとレットまでも敗北してしまうという絶体絶命の事態にグリフ達は焦り狼狽するもどうすることもできない。それほどまでに圧倒的な力を目の前の三人は持っているのだから。ムジカは傷ついたまま倒れ伏し、レットは姿が人間のように変わってしまっているもののまるで樹に取り込まれてしまったように変わってしまっている。加えてハルもまた満身創痍。もはや詰みに近い状況だった。


「レイナ……そっちはもう終わったのか」
「ええ、心配しなくても止めは刺してないわ。そんなことする必要もないくらいだったし、シルバーレイのことも本当に知らないみたいだったわ」
「そうか……」
「ジェガンの方も似たようなもんね。もっともユグドラシルの力で樹にされちゃってるけど。で、どうするわけ? エリーちゃんを奪って行くつもり?」


レイナはどこかからかうような態度でルシアを捲し立てる。まるで面白いことが起こりそうだといわんばかりの表情。ジェガンは無表情のままただそのままルシアの指示を待つだけ。だがそんな二人に対して


「……レイナ、ジェガン。俺から離れるんじゃねえぞ」


そんな理解できない言葉を口にした。


「え? 一体何の……」


こと、とレイナが口走ろうとした瞬間、それは現れた。凄まじい音と共に光がレイナ達を取り囲む。それは七つの光の柱。だがそれはただの光ではない。レイナとジェガンは瞬時それが何なのか感じ取る。魔法。圧倒的な魔力が七つの光の柱一つ一つに込められている。何とかその場から離脱しなければと思考するも完璧な不意打ち、そして光の柱の結界によって身動きが取れない。ハル達は目の前で起こっている理解できない事態に呆気にとられるだけ。だがそんな中、エリーだけ知っていた。ルシア達を襲わんとしている魔法が何であるかを。瞬間、七つの光が降り注ぎ、大地を崩壊させる。一つ一つが大魔法に匹敵するほどの威力。宇宙魔法と呼ばれるもの。


七星剣グランシャリオ


それがその魔法の名。大魔道である時の番人、ジークハルトが得意とする魔法だった――――



「あ、あんたは……」
「だ、誰ポヨ!? 一体何が起こったポヨ!?」
「お、落ち着いてください! 近づいては危険です!」


エリーは倒れ込んでいるハルを守るように庇いながらもいきなり自分たちの前に現れたジークハルトに対面する。蒼い髪に顔の刺青。白いコート。見間違うことのない容姿。知らずエリーの体は震えていた。当たり前だ。かつて自分の命を狙っていた男が突然自分の前に現れたのだから。だがジークはそのまま一度エリーの姿を見つめた後すぐさま視線を外し、七星剣グランシャリオの着弾地点に向ける。瞬間、エリーは思い出す。間違いなく先の攻撃にルシアが巻き込まれたことを。


「あ、あんた一体どういうつもりなの!? どうしてアキを……!」
「ジ……ジークハルト……どうしてお前がここに……」
「……話は後だ。今はじっとしていろ」


エリーと息も絶え絶えなハルの疑問に答えることなくジークは厳しい表情のまま爆心地を見据えているだけ。エリーたちは一体何が起こっているのか分からないまま。その場を動くこともできない。そんな中次第に魔法による煙が消え去っていく。そこには


「……久しぶりだな、時の番人」


傷一つ負っていないどころか息一つ乱していないルシアの姿があった。そんなあり得ない事態にルシアの身を案じていたはずのエリーたちでさえ言葉を失ってしまう。だが自らの魔法が全く通用していない事態を前にしながらもジークは眉ひとつ動かすことは無い。まるでこうなることは分かり切っていたかのように。


「ゲホッ……ゲホッ……ジ、ジーク……!? 何であんたがこんなところに……!?」
「…………!」


煙によってむせながらもルシア同様無傷のままレイナとジェガンは混乱しながら目の前にいるジークに対面する。二人が無傷なのはルシアが持つネオ・デカログスの力。封印の剣ルーンセイブ。かつてのエクスペリメントでの戦いと同じくそれによってルシアは七星剣グランシャリオを無効化したのだった。

だがレイナ達を前にしてもジークは無言のままエリーとハルの前に出るだけ。まるで二人を守ろうとするかのように。そんな理解できない事態にレイナ達はもちろんエリーたちも困惑するしかない。


「……あんたの目的はそのエリーちゃんを殺すことじゃなかったのかしら? 一体どういう風の吹き回し?」
「……オレは何も変わっていない。時を守ることがオレの使命だ。そのためにエリー達を守りに来た。それだけだ」


ジークはレイナの挑発とも取れる言葉を聞きながらも一切の迷いなく応える。自らの目的を。そこには以前とは全く違う決意がある。誰かに強制されたわけではない自らの意志が。


「すまなかった……エリー。あの時、オレは魔導精霊力エーテリオンの暴走を恐れるあまりにお前を傷つけてしまった……他にも方法はあったというのに……」
「え……?」


ジークは一度目を伏せながらエリーに謝罪する。かつての自分の行動が過ちだったと。時を守るためという理由に振り回されてしまっていた自分を恥じる言葉。だが今のジークには迷いはない。この半年、自らの目と耳で真実を確かめてきたことによるもの。


「その償いとこの星の未来のためにオレはお前を守る……この命に代えてでもな」


ジークの決意の言葉によってレイナ達もまた戦闘態勢を取り、エリー達はその場に留まることしかできない。ジークの視線はレイナでもジェガンでもなく唯一人に向けられている。金髪の悪魔、新生DC最高司令官ルシア・レアグローブ。かつてのキングと同等、それ以上の時を狂わす可能性を持つ存在。ルシアはそんなジークを見ながらも一言も言葉を発することなく無表情に見つめ返しているだけ。一体何を考えているのか、その場の誰にも分からない。


「そう……相変わらずよく分からない男ね。でも今の状況が分かってるのかしら。私達も含めてルシアもいるこの状況で勝てるとでも?」
「…………」


レイナは呆れかえった表情を見せるしかない。だがそれはレイナが決してジークを侮っているわけではない。その証拠にレイナはルシアの傍から離れてはいない。それは先程の魔法の威力。ルシアによって無力化されたもののそれが下手をすればハジャに匹敵しかねないものであることを感じ取ったからこそ。かつてのジークの強さは六祈将軍オラシオンセイスと同等のもの。だが今のジークはあきらかにそれを超えている。それは今、レイナ達の上空に描かれている天空魔法陣と呼ばれるものによるもの。その下であれば一時的に何倍もの魔力をジークは得ることができる。レイナとジェガンはその事実は知らないものの恐れはなかった。もしこの場が二人だけであったなら退却を選ばざるをえない状況。だがこの場にはルシアがいる。いかな今のジークといえどもどうにかできる相手ではない。


「言っただろう……例えこの身に代えてでもとな」


だがジークとてそのことは誰よりも理解していた。実際に半年前ルシアと戦い敗れているのだから。その時から実力をあげたものの天空魔法陣の加護があったとしても今のジークではルシアには敵わない。加えて六祈将軍オラシオンセイスも二人。どうあがいても勝機はない。しかしジークはそれを承知でこの場に現れていた。その言葉通りエリー達を逃がすことだけがジークの狙い。そのための手段を用意した上で。ジークはその手にある小さな魔法石に力を込める。

それはある用途だけのために造られたマジックアイテム。空間転移という大魔法を可能にするもの。半年の間にジークが用意していた切り札の一つ。戦うためでなく誰かを逃がすための手段。その使用には途方もない魔力が必要であるため半年をかけてもジークはそれを一つしか用意できなかった。そしてその発動には一定の時間が必要。そのためには誰かがこの場を足止めする必要がある。例え命を落としてでも。


「…………」


静寂があたりを支配する。ジーク、レイヴの騎士たち、六祈将軍オラシオンセイス。全ての勢力がまさに一触即発の空気に包まれある一点を見つめている。ずっと沈黙を守っているルシア。彼がどう動くかで一気に状況は動く。ルシアの一挙一動を見逃すまいとジークが構え、それに合わせんと六祈将軍オラシオンセイスも構える。既に動くことができないハルとそれを支えているエリーは状況を見つめているだけ。そしてついにルシアが何かを口にしようとした瞬間、それは起こった。


「…………え?」


それは誰の声だったのか。それが分からない程の刹那。光が空を支配する。だがそれはジークの魔法ではない。何故ならその光は空に描かれた天空魔法陣を切り裂いてしまったのだから。ジークにとっての補助の魔法を彼が自ら壊すことなどあり得ない。ならルシアなのか。だがそれもあり得ない。ルシアは全く身動きをしていない。そんな隙はなかった。故に残る答えは一つ。


今この場にいる以外の新たな乱入者が現れたということ。


その場にいる全員の視線がその人影に注がれる。だがそれはあり得ない光景。何故ならそこは空中。決して人が立つことができない空間。だが確かにその人物はそこに立っていた、いや座っていた。それは老人。しかしその存在感は常軌を逸している。遥か上空にいるはずにもかかわらず息を飲んでしまうほどの圧倒的強者の風格。


金髪の髪と長い髭。見る者を恐怖させる程の形相。何よりも異質なこと。それは老人が杖の上に乗っているということ。魔導士であるからこそ可能な技。だが老人はただの魔導士ではない。


『超魔導』


大魔道を超える、世界最強の魔導士の称号を持つ男、シャクマ・レアグローブ。


今、さらなる混迷にシンフォニア大陸は包まれんとしていた――――



[33455] 第六十二話 「未知」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/03/31 11:43
(ふう……)


ルシアは心の中で静かに大きな溜息をつく。だが溜息とは対照的にその胸中は満足感に、達成感に満ちていた。まるでようやく長かった試練を乗り越えたかのような晴れ晴れとした心境。何故なら今、ルシアはついに自らの計画の全てをやり遂げたのだから。

ハル達との再会、自らの正体を明かし敵対する意志を示すこと。

それが今回のルシアの目的。これからの展開上、自らの目的のためには避けて通れない問題。だがそれを何とかルシアはやり遂げることに成功した。エリーによる予想外の行動によって破綻しかけたものの無理やり軌道修正し、目的の一つでもあったハルとの戦闘も実現できた。これについてはルシアの計算以上の結果を出したと言っていい。ルシアの見通しでは剣技という点では今のハルでは自分には及ばず恐らくは傷を負わすことはできないだろうと考えていたからだ。その成長速度は驚嘆に値する。流石は主人公といったところ。そしてもう一つの懸念もすぐに払拭されることになった。

時の番人、ジークハルトの乱入。

原作でハル達の窮地を救った出来事。それが起こるか否かがルシアの懸念材料。もしかすれば自分の影響によってそれが起こらない可能性もあり得たのだから。そのためルシアは一応ジークが来なかった場合の対応も考えてはいた。それはルシアがハルとした傷を負わせれば戦闘を止めるという約束を利用すること。加えて何よりも重要なのが情けと称してアナスタシスの力でムジカとレットを治療すること。特にレットに関しては魔導士であるジークがいたからこそ樹から元に戻れたためルシアがそれを行う必要があった。無理がある展開ではあるがいたしかたないとあきらめてはいたものの結果的にその心配は杞憂。ジークは原作通りハル達を守るためにシンフォニアへと現れた。後は余計な邪魔が入ったため今日はここまで、先の約束もあって今回は見逃してやる。そんな悪役の定番の台詞と共にこの場を後にする。それでようやくそれでこの長かった(時間としては大したことは無い)イベントも終わりを迎えることができる……はずだった。


(俺……もう帰ってもいいかな……?)


まるで死んだ魚のような目をしながら虚ろな表情のままルシアは自らの上空へと視線を向ける。そこには杖に乗った老人がいた。だがそれは別に構わない。剣と魔法の世界なのだから別に老人の一人や二人が杖に乗って飛んでいても『ああ、そういうこともあるか』で済ますこともできる。だがその老人が問題だった。自分と同じ金髪に長い髭。これだけ距離があり、魔導士ではないルシアですら感じることができる魔力。


超魔導シャクマ。世界最強の魔導士であり、ルシアの実の祖父。間違いなく本人その人だった。


『くくく……どうやらまた面白そうなことになってきたな。閃光の主の時といい本当に面倒事に巻き込まれる才能があるらしいの、我が主様よ?』


完全にフリーズしてしまっているルシアの心境など何のその。こうでなくては面白くないとばかり上機嫌にルシアの胸元にいるマザーが邪悪な光を放ちながら話しかけてくるもルシアは何の反応も示さない。もはやどんな反応を示したらいいか分からない、本気でこのまま何もかも投げ出して本部に帰りたいと思ってしまうほどにルシアは疲れ切ってしまっていた。


『ア、 アキ様……どうかなされたのですか? 顔色が優れませんが……もしや先程の戦闘でどこかお身体を……?』
『いや、大丈夫だアナスタシス……とにかくちょっと時間を巻き戻してくれるか。できれば十年ぐらい前に。その辺からちょっとやり直したいと思うんだが……』
『何を意味が分からんことを言っておる。さっさと正気に戻らんか。それとも我が頭痛で正気に戻してやっても構わんぞ?』
『…………』


マザーの本気か冗談かも分からない言葉によってようやく現実へと帰還したルシアはあきらめるしかない。自分には現実逃避することすらも許されないのだと。もっともそれはルシアの限った話ではない。この場に集う全ての人物がいきなり起こった事態に驚き、その場に磔にされている。レイヴ側でもDCでもない未知の存在。正体も目的も不明のイレギュラーによってジークの乱入という事態すら消し飛んでしまうほどの混迷に包まれつつある。そしてその中心となっている人物、シャクマは杖に乗ったまま全く微動だにしない。だがその視線がある一点に向けられていた。それは


『ふむ……どうやらあの髭はお主に用があるようだぞ。ほら、早くあの熱い視線に応えてやってはどうだ?』


間違いなくルシア一人に向けられたもの。気のせいだと思いたいものの覆しようのない事実だった。


『や、やかましい! 気色悪いことほざいてんじゃねえ!』
『喚くな、騒々しい。ちょっとした冗談だ。で、あの髭は一体何者なのだ、我が主様よ?』
『っ!? な、何でそんなこと俺に聞くんだ……俺がそんなこと知ってるわけねえだろ』
『ふん、我が気づかぬとでも思ったか。お主の反応を見ておればそのぐらいは察しがつく。隠し事などできるわけなかろう』
『本当に御存じなのですか、アキ様?』
『くっ…………シャクマ・レアグローブ……世界最強の魔導士だ……』


もはやあきらめたとばかりにルシアは投げやり気味にその名を告げる。自分がそれを知っていることを不振がられることを危惧して黙っていた物のこれ以上誤魔化すことはできないと観念した形。だが知っていてもそれほどおかしい話ではない。世界最強の魔導士シャクマ。その存在はある程度は知られているらしいのだから。単純のその名を口にすることでこの事態を認めることを逃避していただけ。


『ほう……レアグローブということは……なるほど、キングの父親、お主から見れば祖父に当たる男ということか』
『俺のじゃねえ。ルシアから見ればの話だ』
『ですがどうやらあのシャクマという者はこちらに敵対する意志はないようですね。こちらを見ているだけで敵意や殺気は感じられませんし……』
『ああ……大方孫である俺のことを聞いて会いに来たってところだろ……』


げんなりしながらもその手にあるネオ・デカログスに力を込め、臨戦態勢のままルシアはシャクマと睨みあっている。アナスタシスの言う通り敵意は感じれないものの何が起こるかは分からないためルシアは気を抜くことすらできない。原作ではシャクマはルシアに協力する立場。だが今の自分は本物のルシアではない。それがバレれば面倒なことになりかねない。ようするに以前のキングとの関係に近い存在だった。何故こんなタイミングでこんな場所に現れたのか疑問は尽きないもののルシアはその全てを思考から排除する。今そんなことを考えることなど無意味なのだから。


『ふむ……世界最強の魔導士か。中々大層な肩書をもっておるの。強いのか、我が主様よ?』
『……ああ、仮にも世界最強なんだからな。ハジャの師匠でもある。間違いなくキング以上の化け物だ』
『なるほど……確かに只者ではありませんね。DBを持たずにそれだけの強さとは……』
『くくく……よいではないか。それでどうするつもりだ。戦うのか、それとも味方につけるのか。どっちにしろ面白いことには変わりないがの……』
『て、てめえ……他人事だと思いやがって……!』


心底面白くてたまらないといわんばかりの様子を見せるマザーの姿に怒りを覚えながらも何とかルシアは冷静さを失わんとする。それほどの力をシャクマは持っているのだから。

『超魔導』

それがシャクマが持つ称号。ジークやハジャが持つ大魔道を超える魔導士最強の証であり剣聖と対を為すもの。その魔力はハジャすら超え、魔法は天変地異を起こすほど。DBを持つ必要すらない強さ。原作では魔導精霊力エーテリオンの完全制御が可能なエリーとハルの二人がかりで倒した相手。間違いなくキングを大きく超えた、下手をすれば四天魔王に匹敵しかねない怪物。


(さて……どうしたもんかな……)


息を大きく飲みながらルシアはこれからどう動くべきか思案する。いつまでのこのまま黙りこんでいるわけにもいかない。六祈将軍オラシオンセイスの二人もルシアが動くのを待っている形。とりあえずはこちらから話しかけてみるしかない。そう決断し、意を決して声を上げようした瞬間、ルシアは思わず動きを止めてしまう。

それはシャクマの視線。先程まで自分に向けられていたそれが今、違う方向に向けられている。そう、この場にあるもう一つの陣営、レイヴ側に向かって。シャクマの視線がその場にいる三人へ刺さる。だがその表情がハルへ向けられた瞬間、厳しいものへと変わっていく。ハルは何故そんな視線を向けられるのか分からずただ呆然とするしかない。ルシアとの戦いを終えたばかりのハルはその場から動くことすらできない。しかしそれすら消し飛んでしまうほどの変化がシャクマの表情に浮かぶ。明らかな驚愕によって目が見開かれる。そこには


ハルを支えるようにしてその場に座り込んでいるエリーの姿があった――――


「なっ――――!?」


それは誰の声だったのか。そんなことすら分からない程の一瞬でそれは巻き起こった。今まで何の動きも見せることのなかったシャクマが凄まじい速さで両手を振るう。まるで何かを空中に描くかのように。瞬間、凄まじい光が天から降ってくる。この世の物とは思えないような魔力の奔流と共にそれは現れた。隕石。凄まじい質量と熱量を持った隕石がシャクマの手の動きに呼応するように舞い落ちる。決して人の手には及ばないような魔法の極致。


古代禁呪『星座崩しセーマ


あまりにも強力なため習得が禁止されている古代の魔法。宇宙魔法すら上回る超魔導であるシャクマしか扱えない奇跡。その威力は街一つを軽々と消し飛ばしまうほどのもの。隕石すら操ることができる力をシャクマ持っていた。その力が今、唯一人に向けられていた。


「…………え?」


魔導精霊力エーテリオンを持つ少女、エリー。彼女をだけをこの場から消し去らんとするかのように。


「っ!? エ、エリー……!!」
「くっ……!!」


エリー襲わんと降り注いでくる隕石に驚愕しながらもハルは満身創痍の体でエリーを庇うように抱きしめる。今のハルにはそれ以外に手段がない。そんなハルとエリーを庇うようにジークが前に出るもその表情は絶望に染まっていた。魔導士であるジークは誰よりも理解していた。今自分たちに襲いかかろうとしている星座崩しセーマがどれほどの魔法であるかを。例え天空魔法陣の加護を得た七星剣グランシャリオであっても防ぐどころか威力を抑えることすらできない程の差がある。切り札である空間転移も未だ使用までの時間が経過していない。詰みと言ってもいい状況。それでもジークは自らの魔力によってエリー達を守らんとする。それが無駄なことだと分かっていたとしても。

だがこの場には唯一その力に対抗できる者がいた。金髪の悪魔、ルシア・レアグローブ。四天魔王に匹敵する彼であれば星座崩しセーマに対抗することができる……はずだった。


(―――――っ!? ま、まずいっ!!)


ルシアは声を出すこともできない状況でただ絶望していた。それはまさに一瞬の出来事。自分から視線を外したシャクマが突如魔法をハル達に放つという予想外の事態。隕石という音速を優に超える速度の攻撃。しかしそれにルシアは反応する。いつでも動けるように臨戦態勢でいたことによるもの。その手にあるネオ・デカログスであれば星座崩しセーマにも対抗できる。だがルシアはそれを振るおうとした瞬間に動きを止めてしまう。それは二つの間違い。

一つが咄嗟に闇の封印剣テネブラリス・ルーンセイブの形態を取ってしまったこと。普通ならそれは間違いではない。いかなる魔法でも切り裂く魔法剣。魔導士に対しては天敵とも言えるもの。これまでの戦闘経験から瞬時にルシアはそれを選択するもすぐにそれが過ちであることに気づく。そう、今自分が斬ろうとしているのが唯の魔法ではなく星座崩しセーマ、隕石であることに。それはいわば魔法と物理を兼ね備えた攻撃。闇の封印剣テネブラリス・ルーンセイブであれば隕石を操っているシャクマの魔力を消すことはできても隕石自体を斬ることはできない。既に目の前にまで迫っている隕石の軌道を変えることもできない。刹那にも近い感覚の中、まさに神技と言ってもいい反応でルシアは剣の形態を変えんとするもそこでようやくルシアは悟る。自分がどうしようもない絶望的状況にあることを。


(だ、ダメだ……!! どの剣を使ってもハル達を巻き込んじまう……!!)


それはネオ・デカログスのあまりにも強力すぎる力。どの剣を使ったとしても離れた場所にいるハル達を巻き込んでしまう。だがただのデカログスの威力では星座崩しセーマを防ぐことができない。マザーの空間消滅も精度は高くなく何よりもネオ・デカログスを使用しようとしているこの状況から切り替える時間すらない。自分の身を守るだけならどうにでもなるも今の状況からハル達を守る術がルシアには残されていない。走馬灯にも似た感覚がルシアを包み込む。

完全な絶望。この世界を救うための、そして自分にとっての親友であるハルとエリーの命運が今ここに尽きんとしている。その場にいる全ての人間はただその結末を見届けることしか許されない。そして全てが無に帰さんとした瞬間


まばゆい光が全てを包み込んだ――――





「――――」


静寂が全てを支配する。誰一人息すらできないような静まり返った空気。全てが終わったはずの大地。シンフォニアにおける戦いの終焉であり、物語の終わりともいえる絶望がルシアを包み込んでいたもののそれは一瞬で消え去ってしまう。それほどに理解できない事態が目の前にあった。ルシアはただその姿に目を奪われる。


そこには一人の男がいた、いや、正確には男であろう人物が。その理由はその男の容姿。


顔を迷彩柄のマスクと布で覆い隠し、その体は包帯で巻かれマントによって覆われている。背中には複数の杖と思えるものを背負っているあまりにも特異な風貌。そんなあり得ない新たな乱入者の登場にルシアはもちろんその場の全ての人物は目を奪われ言葉を失う。


「…………」


覆面の男は一言も発することなくその場に立っているだけ。そこはハル達の手前。まるでハル達を守ろうとするかのように覆面の男はシャクマと対峙する。シャクマもそれに応えるように構えるもその表情には確かな困惑が見て取れた。それはいきなりこの場に新たな第三者が現れたこともあるがそれ以上に理解できない事態が起こったからに他ならない。それは


(な、何だ……? 一体さっき『何が』起こったんだ……?)


先の一瞬で何が起こったのか分からなかったこと。その一点のみ。だがそれは決してルシアが目を離していたわけではない。ルシアは覚えている。シャクマが何かの魔法をハル達に向かって放ち、恐らくはあの覆面の男がそれを防いだのだということを。だが根本的な問題。シャクマがどんな魔法を使ったのか、覆面の男が何を防いだのか。その記憶がすっぽりとルシアの中から抜け落ちてしまっていた。そう、まるで時間が消し飛ばされてしまったかのように。


「ちょ、ちょっと……さっき一体何が起こったの? さっき確かにあの杖の奴が何かを使ったはずなのに……ジェガン、あんたは覚えてる?」
「…………」


レイナとジェガンも一体自分たちに何が起こったのか理解できずに混乱するしかない。それはハル達も同様。つい先程何が起こっていたか分からない。まるで記憶に不具合が生じたかのようなあり得な事態に狼狽するだけ。分かるのは恐らくあの覆面の男の仕業だろうということだけ。そんな中


『……アナスタシス。さっきの隕石をあの覆面が防いだ時の力を感じ取ったか?』
『ええ……ですが分かりません。あなたの力に近い性質なのでしょうが……』
『え……? 隕石? 隕石って何の話だ?』


ルシアは自分の胸元で話しあっているマザーとアナスタシスの会話の内容が理解できずに疑問を口にするしかない。だがそんなルシアの言葉に逆にマザー達はポカンとするだけ。まるでルシアが何を言っているのか分からないといった風。


『……? お主こそ何を言っておる。先程あの髭が使った隕石の魔法のことだ』
『隕石……? シャクマが隕石を……ってことは星座崩しセーマを使ってきたってことか? でもそんなもん見てねえぞ』
『……アナスタシス、ちょっと再生を使ってやれ。どうやらとうとう主様の頭がおかしくなったようだ……心配するな、我はそんなことで主を身捨てたりはせん……』
『なっ!? て、てめえ何様のつもりだ! まるで俺がおかしくなったみてえに言うんじゃねえ! 大体お前の方がどうかしちまったんじゃねえのか!』
『な、何だと!? 我は正常だ! お主こそ本当におかしくなってしまったのではないか!?』
『落ち着きなさいマザー……アキ様、本当にあのシャクマという者が隕石を降らせたことを覚えていないのですか?』
『あ、ああ……何かの魔法を使ったのは覚えてるんだが……本当にシャクマが隕石を降らせたのか?』
『ええ……それをあの覆面の男が突然現れ、消し去ってしまったのです。その力に幻覚のような効果があったのかもしれません。どうやらマザーと私以外は全員同じような状態のようですから……』


アナスタシスの冷静な状況分析によってルシアはようやく事情を悟る。恐らくは記憶の一部がこの場にいる全員から失われていることに。何故そんなことになってしまっているのかは未だ不明なもののルシアは安堵の声を漏らすしかない。何にせよハル達が九死に一生を得たことは間違いないのだから。だが安心ばかりはしていられない。ある意味先のシャクマ以上のイレギュラーがこの場に現れたのだから。


(何なんだあいつ……!? 原作じゃ見たことない……よな? でもあの杖から見て魔導士なのか……?)


ルシアは混乱しながら覆面の男を凝視するも全く心当たりがない状況に頭を抱えるしかない。原作で見たことも聞いたこともない人物の登場。しかもマザー達の言葉が事実ならあの星座崩しセーマを防ぐ程の力の持ち主。場合によっては全ての前提が崩れかねない異常事態。何よりもルシアが驚愕していること。それは


『おいマザー、アナスタシス……あいつの力、エンドレスの力じゃねえのか……?』


覆面の男から感じる力。それがシンクレア、エンドレスの力に酷似していることにあった。


『うむ……確かに我らの力に近いが……』
『じゃああれか、お前達が言ってた五つ目のシンクレア、バルドルをあいつが持ってるってことか?』
『いえ、それはあり得ません。バルドルは今は魔界、四天魔王が守護しているのですから。それにバルドルの力ではこんな真似はできません。私達の力に似た何かであることは間違いありませんが……すみません、それ以上のことは……』
『…………そうか』


マザーやアナスタシスの言葉によってルシアは結局まだ覆面の男の正体も力も見抜くことができず困惑するもひとまず頭を切り替えることにする。それはこの場をどう収めるかと言うこと。覆面の男がハル達の味方であることは疑いようのない事実。その証拠に先程のシャクマからの攻撃からハル達を救い、今はシャクマと対峙しているのだから。対してシャクマは覆面の男と睨みあいをしながら対峙している。このままでは再び戦闘が開始されてしまう。先程は何とかことなきを得たが次はどうなるか分からない。

ルシアは意識を切り替えながらその手にあるネオ・デカログスに力を込める。その表情は既に先程までとは別人。魔王そのものといえるものだった――――



「お前は一体……」


困惑を隠しきれない表情を見せながら時の番人、ジークハルトは自分の前にいる覆面の男に問いかける。お前は何者なのかと。本当なら聞きたいことは山のようにある。一体どうやってここに現れたのか。先程の光は何なのか。何故自分達を救ったのか。だが覆面の男は振り返るどころか声を出すこともない。ただ背中を見せたまま自分達を庇うように立ち尽くしている。ジークに分かるのは目の前の覆面の男が恐らくは自分たちの味方であるということだけ。背中にある杖から魔導士である可能性が高いものの確証には至らない。超魔導シャクマに対抗できる魔導士などこの世界に存在するはずがないのだから。ハルとエリーもまた同じ。次々に起こる事態をただ眺めることしかできない。


「フム……よかろう。少し遊んでやるとするか」
「…………」


今まで一言も言葉を発することがなかったシャクマが口を開く。それは宣言。覆面の男が超魔道である自分が相手をするに相応しい相手であると認めた証。そして戦いの再開を意味するもの。それに合わせるように覆面の男も背中にある杖を手に取り構える。そしてついに戦いの火蓋が切って落とされんとしたその時、


「てめえら……何好き勝手してやがる」


そんな背筋が凍るような声と共に凄まじい轟音と暴風が大地を切り裂いた――――



「きゃあ!」
「くっ……!」

突然の事態にエリーが思わず悲鳴を上げるもジークは魔法によって衝撃と粉塵からエリー達を守る。目の前にはまるで地割れが起こったかのような凄まじい爪痕が残っているだけ。地平線の彼方まで続くのではないかと言うほどの圧倒的な風の一撃。

闇の真空剣テネブラリス・メルフォース

それがネオ・デカログスの、新生DC最高司令官ルシア・レアグローブの力だった。


(まさかこれほどまでとは……)


ジークはその惨状を見ながら知らず息を飲んでいた。半年前からは想像できない程の成長。腕を上げたはずの自分など何の意味もなかったと思わざるを得ない程の戦力差。ジークは悟る。自分では足止めすらできなかったであろうことを。しかもそれだけではない。ネオ・デカログスだけではなくシンクレアの力の奔流すらこの場を支配していく。

破壊を司るマザーと再生を司るアナスタシス。

本来なら対極に位置するはずの能力を持つ二つのシンクレア。それを統べるに相応しい力をルシアは持っている。まさに魔王と呼ぶべき風格と重圧がそこにはあった。それは敵であるジークはもちろん、味方であるはずのレイナ達ですら恐怖してしまうほど。普段なら軽口を叩けるレイナも本気になったルシア相手には声をかけることすらできない。


「……ジジイ。てめえは俺に用があるんじゃねえのか。これ以上好き勝手するならてめえから殺すぞ」


ルシアは凄まじい眼光と殺気でシャクマを射抜く。その言葉が脅しでも何でもないことは誰の目にも明らか。並みの者ならその時点で立っていることすらできない程の重圧を受けながらも動じることがないという時点でシャクマもまた怪物である証。だがルシアの言葉と殺気によって戦闘状態は解かれていく。対する覆面の男はそんなルシアとシャクマのやりとりを見ながらも声を上げることもなくただ構えているだけ。


「話なら別のところでしてやる……ジンの塔の跡地だ。そこに先に行ってろ。空間転移ぐらいてめえなら朝飯前だろ、超魔導? 俺もすぐに行ってやる。この瞬間移動のDBでな」


ルシアはその手にあるワープロードを見せつけながらシャクマにこの場から消えるように告げる。それは命令。もしそれに逆らうならこの場で相手をしてやるという意志表示。


「……よかろう、では待っておるぞ。禁じられし名を持つ者よ」


それに従うかのようにシャクマは一度、ルシアを見つめた後その場から姿を消してしまう。まるで蜃気楼のように。それが空間転移。本来なら何十人もの魔導士が限界まで魔力を使って成功するかどうかの大魔法。それを一人で疲れることなく使うことができるのが超魔導たる所以。


「……余計な邪魔が入っちまったな。今日はここまでだ、ハル。今度会うときにはもう少しマシになってろよ。今、俺の手にあるシンクレアは二つ。そしてお前のレイヴは三つ。どちらが先に揃えるか、その時を楽しみにしてるぜ」
「っ! ア、アキ待ってくれ……オレは……!」


シャクマが空間転移をするのを見届けた後、ルシアはマントを翻し、その場を後にする。ハルはそれを追おうとするも負傷によって叶わない。ジークは無言のままそんなルシアを見つめるだけ。エリーもただ呆然とルシアとマザーが去っていくのを見送ることしかできない。


「…………」
「…………」


振り向きざまにルシアと覆面の男の視線が交差するも両者の間に言葉は無い。そしてそのままルシアはレイナとジェガンと共に姿を消す。後には大きな爪痕が残されたシンフォニアの大地があるだけ。


それがこの戦いの終焉。そして新たなレイヴマスターの、ダークブリングマスターの戦いの始まりだった――――



[33455] 第六十三話 「誓い」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/02 19:00
ジンの塔。半年前の九月九日、時の交わる日。ここで世界の命運を賭けた戦いがあり同時に二人の男が命を散らした。ゲイル・レアグローブとゲイル・グローリー。レアグローブの血とシンフォニアの血を受け継ぐかつて親友であった男たち。その激しさを物語るようにジンの塔の姿は既になく、あるのは山のような瓦礫だけ。人の気配も全く感じられない静寂の世界。だがそこに二つの人影があった。少年と老人。祖父と孫ほども年が離れているであろう姿。だが奇しくも全く同じ点があった。金髪。二人ともまるで瓜二つのような金の髪をしていたこと。それは呪われた、王者を示す証。

ルシア・レアグローブとシャクマ・レアグローブ。今この世界に残る二つのレアグローブの末裔が今、ジンの塔で相見えていた――――


(はあ……とりあえずは二人きりになれたか……これで周りの心配をすることはねえな……)


ルシアは表は無表情のまま心の中で大きな溜息をつきながら一応安堵していた。とりあえずはあの場からシャクマを引き離すことができたことによって。あのまま覆面の男を含めた乱戦になっていれば傍にいたハルやエリー達に危険がある。既に一度シャクマがエリーに向かって攻撃を加えてきたことからそれは明白。故にルシアはシャクマをこのジンの塔まで呼び出していた。ジンの塔にした理由はいくつかあったが一番はシャクマが知っているであろう場所であること。原作では終盤になるまで表に出てくることは無かったシャクマだが息子であるキングが死んだ場所であるジンの塔を知らないことは考えづらい。加えてこの場であればもし戦闘になったとしても周囲の被害を気にしなくても済む。ルシアとしては避けたい選択肢なのだがいかんせん状況が状況だけにそれも選択肢に入れざるを得なかった。だがそんな珍しくシリアスな緊張感を以てその場に赴いているルシアの心境を知ってか知らずか


『どうした、いつまで黙りこんでおる。せっかくの祖父との感動の再会なのだ。もっと喜んだらどうだ?』


胸元にいるマザーはまるでさっさとこの場を盛り上げろといわんばかりに捲し立ててくるだけ。まるで見せものを前にした観客のよう。仮にも主に対する態度とはとても思えないような傍若無人ぶり。ある意味いつも通りの光景だった。


『うるせえぞ……いつ戦闘になるか分かんねえんだ。しばらく黙ってろ』
『何だ、ノリが悪いぞ主様。いつも以上に慣れないことを続けてきたせいで余裕がなくなってきておるのではないか?』
『お、お前な……前々からずっと思ってたんだがもしかして俺を邪魔するためにそこにいるわけじゃねえだろうな?』
『はて、なんのことやら。我は何もしておらん。お主が勝手に右往左往しておるだけであろう』
『マザー、そこまでになさい。今はアキ様の邪魔をしている時ではありませんよ』
『ふん、邪魔などしておらぬ。少し場を和ませてやろうとしただけよ。で、どうするのだ? このまま戦闘に入るのか、我は別にどっちでも構わんが』
『……まだだ。とりあえずは話をしてからだ。だからてめえはしばらく黙ってろ、いいな』
『くくく……まあよかろう。せいぜい楽しませてもらう』


お手並み拝見とばかりにマザーは邪悪な笑いを漏らしながら観戦モード。アナスタシスはそんなマザーを嗜めながらもいつでも動けるように待機中。ある意味息が良いコンビかもしれないと思いながらもルシアは思案する。それはシャクマと戦闘になった際のシミュレーション。


(ヤバい相手には違いねえが……今の俺ならそこそこは戦えるはず……)


『負けることは無い』


ルシアは頭を切り替えながらそう冷静に判断する。それは慢心も何もない客観的な見通し。かつてのハードナーとの戦いによって得た経験、マザーからの評価を加えるならルシアは今、四天魔王にも後れを取らない実力がある。無論ルシアとしては四天魔王に勝てる自信などこれっぽちもないのだが。シャクマ相手なら戦う際の制限がないことも大きな理由。ドリューやオウガが相手ならルシアはよっぽどのことがない限り戦うわけにはいかない。彼らを倒してしまうことはハル達の成長の機会を奪うと同時にシンクレアを手に入れてしまうことを意味しているのだから。五つが揃い次元崩壊のDBエンドレスが完成すればその時点でこの並行世界は消滅してしまう。四天魔王についてもエンドレスの子と呼ばれるようにエンドレス側の存在でありそれをハル達の代わりに倒そうとしてもマザー、もしかすればエンドレスそのものによって防がれてしまう。まず前提として四天魔王を倒すことが今のルシアに可能かどうかすらルシア自身には分からない。一対一でもその有様にも関わらずそれが四人。故にルシアは自ら敵を倒すことはできない。だがシャクマは例外であり倒しても特に大きな問題が発生しない人物。

ルシアは自分が知る得る限りのシャクマの能力を思い出す。

『古代禁呪』

古に失われたはずの禁じられし魔法。宇宙魔法すら超えた魔法における到達点。それをシャクマは扱うことができる。世界最強に相応しい実力をシャクマは有している。だが決して今のルシアはそれに劣るものではない。マザーとアナスタシスという二つのシンクレア。シンクレア以外では最強のDBであるネオ・デカログス。汎用性の高いイリュージョンやワープロードなど改めて考えればこれでもかというほどの戦力を有している。特に汎用性が高いのがネオ・デカログス。その威力もだが魔導士にとって天敵とも言える封印の剣ルーン・セイブ。もし封印の剣ルーン・セイブでも対処できない魔法が使われたとしても他の剣の能力でも十分対抗できる天変地異にも近い威力を持っているのだから。万が一どうしようもない事態に陥ったとしてもマザーの能力、シンクレアの極みである次元崩壊もある。絶対領域を纏えばいかなる攻撃もルシアには届かない。無論、次元崩壊の使用は力の消費が激しく、世界に影響を与えてしまうため使用しないに越したことは無いのだが。以上のことを考えればルシアがシャクマに負ける要素はほぼ皆無といっていい。だが根本的な問題があった。それは


(問題はどうやって倒すか……だよな。俺、空は飛べねえし、闇の真空剣テネブラリス・メルフォースが通じなかったらどうしようもねえ……)


剣と魔法。そこにある絶対の壁。空を飛ぶ相手に対する限界があった。こればかりはルシアでもいかんともしがたい問題。どんな物でも斬ることができる時空の剣も届かなければ無意味。もちろん闇の真空剣テネブラリス・メルフォースのように遠距離の相手を倒す手段も持ってはいるがシャクマに無効化されてしまう可能性は捨てきれない。そうなってしまえば後は消耗戦。どちらも決め手がない以上避けられない展開。


(手がないわけじゃねえけどアレを使うのはヤバすぎる……失敗したら全ておしまいだ。大体そのままシャクマに逃げられちまうのが一番厄介だしな……)


ルシアは思わしくない見通しに頭を悩ますしかない。手段を選ばなければシャクマを遠距離から倒す手がルシアにはある。だがそれは諸刃の剣。失敗すれば全てがおしまいになってしまう時空の剣や絶対領域の比ではないリスクがある技。何よりもっとも厄介な点。それはシャクマが空間転移という大魔法を使用できるという点。ある意味古代禁呪よりもルシアはその魔法に厄介さを感じていた。何故ならシャクマはいつでも逃げることができるということなのだから。同じワープロードという瞬間移動の手段を持っているルシアだからこそそれが身に染みて分かる。戦闘で劣勢になってもすぐに退却できることの利点、そしてそれを相手にする厄介さ。魔導士ではないルシアにそれを防ぐ手はなく、ワープロードも相手を追って行ける類の能力ではない。要するに逃げられればルシアには為す術がないということ。しかもそうなればシャクマがエリーを狙って動く可能性が高い。そうなればルシアはエリーに付きっきりで護衛しない限り奇襲を防げなくなる。ルシアにとっては詰みに近い状況になってしまう。故に戦闘を行う際には絶対にシャクマを逃がすことができない。難易度、リスクが高すぎる戦いであるためルシアはそれは本当に最後の手段として覚悟していた。


「フム……先程の二人の付き添いは連れておらぬのか」
「……ああ。途中で置いてきた。あいつらがいても邪魔になるだけだからな。そうだろう、超魔導シャクマ?」


終始無言のルシアにしびれを切らせたかのようにシャクマが静かに問いかけてくる。だが両者の間には大きな距離が開いている。互いの間合いの一歩外。いつ戦闘が始まってもおかしくないことを示すもの。それが分かっていながらもルシアはあえて挑発的な態度を崩さない。もし下手に出るような態度を見せればどうなるか分からない。本物のルシアなら見せないような情けない姿を晒すわけにはいかないという必死の抵抗だった。そしてその言葉通りこの場には既にレイナとジェガンの姿は無い。ルシアは二人をここに移動する前に本部へと置いてきていた。理由は言うまでもなく邪魔になるから。ただでさえシャクマの相手で精一杯にもかかわらず二人の面倒まで見る余裕は今のルシアには無い。言葉は悪いが六祈将軍オラシオンセイスが二人いたところでシャクマには何の意味もないのだから。


「なるほど……どうやら本当にワシのことを知っておったようだな」
「あんたの名前は有名だからな。で、その世界最強の魔導士が俺に一体何の用だ?」
「……新しいDCのキングにあの金髪の悪魔がなったと風の噂で耳にしてな……ぜひこの目で見てみたいという単純な興味よ」


シャクマはまるで見定めるかのような視線でルシアを射抜き続ける。その一挙一動を見逃すまいとするかのような視線にルシアは冷や汗を流しながらも微動だにすることなくシャクマを睨み返す。同時にシャクマの狙いが自分であったことに安堵しながらも肩を落とすしかない。


(ふう……やっぱそれか。BGを壊滅させたせいで原作よりも早く俺の存在に気づかれたってことか……)


原作よりも早くBGを壊滅させ新生DCの最高司令官になったこと。その影響によってシャクマが動いたことにルシアは気づきげんなりするしかない。金髪の悪魔である自分が脱獄したのは十年以上前だが表舞台にでてきたのはつい最近であったためシャクマもこれまではルシアを見つけることができなかったのだろう。もちろんルシア自身がハイドを使って気配を消していたのも大きな要因だが。


「そうかい。で、俺を見てどうだってんだ。悪いがジジイに見つめられて喜ぶ趣味はねえぜ」
「これは失礼した……まさかここまで圧倒的な力を持っておるとは思っていなかったのでね。まさにレアグローブの血を受け継ぐに相応しい力だ、ルシア・レアグローブよ」
「…………」


どこか満足気な表情すらみせながらシャクマは感嘆の声を漏らす。瞳には確かな狂気ともいえる光が灯っていることにルシアは圧倒されるも何とか平静を装い続ける。だがこれまで何度も戦い続けてきたルシアであってもここまで不気味さを感じさせる存在は初めてだった。ハードナーの狂気がもっともそれに違いが根本的な違いがある。シャクマは正常でありながら狂っているということ。ただ純粋にこの並行世界の消滅を望んでいる存在。キングも本物のルシアもそれを望んでいたもののそれは様々な絶望があったからこそ。決して初めから悪に染まっていたわけではない。だがシャクマは違う。まさに純粋悪とでも言うべき悪意がそこにはあった。


「……そいつはどうも。だが一つ聞かせろ。何でさっき余計な横槍を入れやがった。まさか俺が負けるとでも思ったのか。答えによっちゃ覚悟してもらうぜ」
「…………」


それ飲み込まれんとしながらもルシアは最も重要なことを問い詰める。先のシャクマによるエリーへの攻撃。攻撃自体については記憶にはないもののそれが行われたことをルシアは覚えている。そしてその理由を聞くことこそがルシアの最大の目的。その答えの内容によっては戦いも避けられないのだから。だがそれは


「…お主は『リーシャ・バレンタイン』という娘を知っておるか?」


ルシアにとって最悪とも言える形で現実のものとなった。


(―――っ!? リ、リーシャ!? な、何でいきなりそんな話に……!? い、いや待てよ、確か……)


思わず声を漏らしそうになりながらも寸でのところでそれを飲みこみながらルシアは耐える。だがその混乱しまともな思考すらできない有様。当たり前だ。

魔導精霊力エーテリオンを持っていたから』

それがシャクマがエリーを狙った理由だとルシアは考えていた。同じ魔導士であるシャクマなら封印されている魔導精霊力エーテリオンの存在を感知してもおかしくはない。だがそんな予想を遥かに超えた事態。つまりシャクマはエリーの正体がリーシャであると見抜いたうえで襲撃したということ。だがその理由をルシアは悟る。それは二つの理由。

一つがシャクマはリーシャに縁がある人物であるということ。五十年前の王国戦争を引き起こした張本人でありリーシャによって苦汁をなめさせられた記憶を持つ男。原作でもエリーの魔導精霊力エーテリオンの力と言葉によってその正体を見抜いた事実がある。だがまだエリーはそこまで至っていない。にもかかわらずそれに気づいたもう一つの理由。それは


(や、やっぱエリーが髪を伸ばしてたせいか……!?)


エリーの容姿がリーシャそのままであったこと。確かに顔がそっくりであるのは原作と同じだが今のエリーはさらに髪型まで当時のまま。その容姿によってシャクマが一気にその正体にまで至ったとしても不思議ではない。間接的とはいえ自分のせいであることにルシアは動揺し、今にも倒れてしまいそうなめまいに襲われる。まるで忘れかけた死亡フラグが現れたかのような事態にルシアは絶望しかけるも何とか打開策を模索する。


「……確かレイヴを作った奴だったか。それがどうかしたのか」
「あの場にいた金髪の小娘が瓜二つのだったのでな。加えて魔導精霊力エーテリオンの魔力まで持っておる……まさかとは思ったが確かめようとしたまでよ」


シャクマの言葉によってルシアはまだ取り返しがつく可能性があることに気づく。確かめようとした、つまりまだ確証までには至っていないということ。ならばまだ誤魔化すことも不可能ではない。もしバレたとしてもシャクマが手を出せないようにする必要がある。様々な言い訳が思い浮かんでは消えるもののルシアは結局一つの答えに辿り着くだけ。ある意味原作と同じ対応。


「なるほど……だがあいつはエリーだ。大体そのリーシャとか言う奴は五十年前に死んだはずじゃねえのか。それともそれが分からねえぐらいに耄碌しちまってるのか?」
「…………」
「納得がいかねえって面だな。だがあいつに手を出すことは許さねえ……あれは俺の物だ。魔導精霊力エーテリオンを含めてな。もしそれを邪魔するって言うんならこの場で相手をしてやる……かかってきな」


ルシアはネオ・デカログスに手をかけながらシャクマに対峙する。先程の比ではない殺気が辺りを支配し、シャクマを襲う。その圧倒的な重圧にこれまで表情を変えることのなかったシャクマに確かな焦りが生まれる。超魔導である彼を以てしても恐怖する程の威圧感。もっともルシアにとってはまさに綱渡りに近い博打。そのまま戦闘になればシャクマを逃がすことが許されないのだから。


『ほ、ほう……何だ、ちゃんと男らしいところも見せれるのではないか……ま、全く……いつもそうしていればいいものを……うむ、エリーのためなら仕方あるまいな、うむ』
『……マザー、無理をするのはやめなさい。声が震えていますよ』


そんなやり取りが自らの胸元で行われていることすら気づけぬままルシアはシャクマと睨み合い続ける。それが一体いつまで続いたのか


「……よかろう。色恋沙汰には興味はないがお主がそう望むのであれば我も余計な口出しはすまい。だがゆめゆめ忘れるな。魔導精霊力エーテリオンはお主にとっては毒にもなり得ることをな」
「余計な御世話だ。魔導精霊力エーテリオンだろうがレイヴだろうが俺の敵じゃねえ……それにハル、二代目レイヴマスターも同じだ。あいつは俺の獲物だ。親父の仇でもある。レアグローブの血が覇道の証であることを証明するために俺はあいつを倒す。てめえの手は借りねえ」


ここが勝負どころとばかりに一気にルシアは思いつく限りのシャクマが納得、興味を惹かれる単語を使いながらハルに手を出さないように釘を刺す。特にレアグローブとシンフォニアの因縁については原作でシャクマは異常なほどに執着していた。それを利用する形。いずれハル達に任せるか自分でするかは別として倒さなければならない相手であるが今はまだあまりにもハル達は未熟。下手に戦いを仕掛けてここでシャクマを逃がし、ハル達が狙われる方が危険すぎるためシャクマの動きをコントロールできるならそれに越したことはない。奇しくもルシアが六祈将軍オラシオンセイスの行動をコントロールするために最高司令官になった状況と同じ。


「フム……お主の血の運命と言うわけか。だがこの老いぼれの力が役に立つこともあろう。その時には御身の力となろう。禁じられし名を持つ男よ」


シャクマはそのまま首を垂れながらまるで忠誠を誓うかのようにルシアに跪く。その姿にいつしかのハジャの姿が被り辟易とするも何とか丸く収まったことでルシアは安堵する。同時にワープロードでいつでもシャクマを呼び出せるように契約を結ぶ。無論余計なことをすれば呼び出して行動を制限するためのものなのだが。


「これで契約は終了だ。悪いが俺は忙しいんでな。これ以上は付き合えねえ。先に失礼するぜ」


ルシアは剣を収め、マントを翻しながらシャクマに背を向けんとする。予想外の事態が続いたもののようやくそれから解放されるめどがついたことでルシアは内心安心しきっていた。覆面の男のことは気になるが時間的に既にハル達はシンフォニアを発ってしまっているはず。覆面の男が同行しているかどうかも含めて確認する必要もあるがひとまずは自分の役目は終わったと安堵しかけるもルシアはふと気づく。直接戦闘をしたシャクマであれば覆面の男の正体に見当がついているのではないかと。


「……そういえばシャクマ、あの覆面の男が何者か心当たりはあるか?」
「…………いや、残念だがワシにも分からぬ。力については一つ、心当たりがなくもないが……ふむ、やはりあり得ぬ。それよりもルシアよ、お主の仲間に魔導士はおるのか?」


シャクマの突然の質問にルシアはどこか呆気にとられるしかない。それはシャクマがまるで自分を見ていなかったから。その視線は遠く見るかのようなもの。ルシアは気づかない。それが自分達を覗いている者を見通すためのものであることを。


「魔導士……? 魔導士ならハジャって奴がいるぐらいだが……それがどうかしたのか」
「ハジャ……フム、あやつか。呼び止めて済まなかった……では……」


シャクマはそのまま一度頭を下げた後空間転移によって姿を消してしまう。後には先の質問の意図が分からないルシアが一人残されただけ。


(何だ……? あの覆面の男がハジャだとでも思ったのか? いや、流石にそれはないだろうし……自分の弟子がどうしているか気になったってことなのか?)


ルシアは頭を傾げながらも大きな溜息と共にジンの塔の跡地を後にする。その道中に何故か挙動不審になっているマザーを宥めるという罰ゲームをこなしながら――――




「大丈夫なのか、ムジカ、レット?」
「ああ、もう何ともねえ。しかしすげえな、魔法ってのは。あの怪我があっという間に治っちまうんだからな」
「ウム、その通りじゃな。済まぬ、蒼髪の主よ。主がいなければワシは樹から元に戻ることができなかったじゃろう」


激しい戦いが終わったシンフォニアの大地に騒がしく騒いでいる一団があった。それはレイヴの騎士たち。ようやく長い緊張状態から解放された反動かいつも以上に騒がしさが増している有様。それに圧倒されっぱなしになっているのが時の番人、ジーク。そんなジークの戸惑いに気づくこともなくハル達は騒ぎたてるもののジークは一度大きな溜息を吐いた後、その視線をある方向に向ける。


「気にするな……オレは何もしていない。礼ならそこにいる男にするんだな」


そこには一人の男がいた。正確には男かどうかも定かではない覆面の人物。シャクマとルシア達がこの場から退いた後も覆面の男はその場から動くことなく立ち尽くしたまま。まるでまだハル達に用があるかのように。だがそれとは裏腹に覆面の男は一言もしゃべることもハル達に近づくそぶりも見せない。あまりにも怪しい行動と容姿に流石にハル達もどう接していいのか分からず途方に暮れるしかない。そんな中


「ありがとう、おかげでみんな助かっちゃった! でも何であたし達を助けてくれたの? もしかしてあたしのことを知ってるの?」
「エ、エリー……あんまり失礼なことするなよ。そいつも困ってるみたいじゃねえか」
「えー? でもちゃんと聞かないと分かんないよ。ハルは気にならないの?」
「そ、そりゃ気にはなるけどさ……」


遠慮など何のその。まるで珍しい物を見つけたかのように興味深々にエリーは覆面の男に纏わりついていく。それは次第にエスカレートし背中の杖に手を伸ばし、しまいには覆面を取ろうとし始める始末。だがそんなエリーの行動をまるで予期しているかのように全く無駄のない動きで覆面の男はエリーをあしらい続ける。このままでは埒が明かないと判断したジークが皆を代表し、改めて覆面の男へと向きあう。


「助けてくれたことには感謝する。だが聞かせてほしい……お前は何者だ。何の目的があってオレ達を助けた?」


お前は誰なのか。何故自分達を助けてくれたのか。そんなその場にいる全ての人物の疑問の代弁。ハル達は先程までの騒ぎが嘘のように静まり返り息を飲んだまま覆面の男の回答を待つ。だがいつまでたっても覆面の男は口を開くことはない。まるでしゃべることができないかのように。その姿にハル達は困り果ててしまう。本当なら無理やりにでも事情を聴きたいものの助けてくれた恩もあり手荒なこともできない。何よりも先程の戦闘からハル達では覆面の男に敵わないことは明白。あきらめにも似た空気がハル達を支配しかけた時


「…………」


覆面の男が突然動きだす。だがそれはハル達から逃げるためのものではない。まるで付いてこいと言わんばかりの物。その証拠に覆面の男は顎を動かし自分についてこいと促すかのようなジェスチャーを見せる。


「付いてこい……ということか?」
「きっとそうだよ! みんないってみよう!」
「エ、エリー待てって! オレも行く!」
「ま、待つポヨ! ボクたちも行くポヨ!」
『プーン!』


それに導かれるようにハル達は覆面の男の後に続くように歩きだす。ジーク、レット、ムジカは互いに視線を交わしながらもひとまずは後を付いて行くことにする。もっとも警戒を解くことなく。いくら自分達を救ってくれたとはいえ正体も目的も不明の人物。当然の判断だった。だが進めど進めど先には何もない。当たり前だ。ここはシンフォニアの大地であり大破壊オーバードライブの跡地。見渡す限り何もない荒野の世界。だがそんなことなど関係ないとばかりに覆面の男は立ち止まることも振り返ることもなく歩き続ける。だがいい加減に止めた方がいいのではとハル達が思い始めたその時、まるで目的地に着いたかのように覆面の男は唐突に足を止めてしまう。


「何だ……? ここにオレ達を連れて来たかったのか?」
「でもここ、何にもないよ? 何かが埋まってるわけでもないし」
「オレ達をからかってるのか?」


理解できない事態にハル達は動揺し詰め寄って行くも覆面の男は返事をすることはない。何かがあると期待して付いてきたハル達からすれば肩透かしもいいところ。だがそんな中にあってジークだけは違っていた。


(この位置は……まさか……!?)


それは今、自分たちが立っている場所。既に目印になるようなものはないがその場所が何であるかをジークは知っていた。

『ELIE3173』

それがその場所の世界座標。四つのアルファベットと数字でこの世界では座標を表している。だがそれはただの座標ではない。そこは恐らくはエリーの記憶に関連した何かがある場所。エリーの腕にはELIEという文字がナンバリングされていた。だがそれは3173とも読める物であり、その両方の読み方が正しい物。すなわちこのシンフォニアの地を示す暗号。そのことをエリー達に伝えることがジークがこの場にやってきた本当の理由。そしてその事実をジークが告げようとした瞬間、覆面の男がその背中にある一本の杖をその手に取り、そして地面へと突き刺した。


瞬間、世界が変わった――――


「なっ―――!?」
「何だ、地震か!?」
「いや……景色が変わっていく……!?」


まるで地震が起きたかのような振動が辺りを襲い、周囲の景色が歪み変わっていく。それは森の中。先程までの死の大地が嘘のような風景。間違いなく覆面の男の仕業。ハル達は理解できない事態に圧倒されるしかない。


「これは結界魔法の一種……この辺りの地形一帯を空間の狭間に閉じ込めていたのか……」


ジークだけはこれが一体何なのかを理解し驚愕するしかない。それはこの結界があまりにも高度であること。習得までに何十年かかるか分からない程の大魔法。大魔導であるジークであっても使用できないほどのもの。それをこともなげに覆面の男は見せたのだから。だが


「え? ハル、覆面の人は?」
「っ!? ほ、ほんとだ、さっきまでいた筈なのにいなくなってるぞ!?」
「マジかよ……あの一瞬でいなくなっちまったっていうのか?」
「間違いない……もうこの一帯にはあの者の気配は感じられぬ」
「き、消えたポヨ! ゆ、幽霊ポヨー!」
「お、落ち着いてくださいルビーさん! きっと魔法でどこかにいってしまったんですよ!」
「ああ……恐らく空間転移だろう。この結界魔法といいやはり魔導士だったようだな……」


ジークの言葉によってようやくハル達は落ち着きを取り戻すも何も告げることなく去って行ってしまった覆面の男について疑問は尽きない。だがその疑問はさらに深まっていくことになる。それは結界に閉じ込められた森の中。そこに一つの物があったから。


『リーシャ・バレンタインの墓』


五十年前に死んだリーシャの墓がそこにはあった。まるでそれを守るかのように。ハル達は悟る。先の覆面の男が見せたかったのはそれであったことに。同時にエリーの中の記憶が断片的ではあるが蘇って行く。

両親の記憶。魔導精霊力エーテリオンを生まれながらに持っていたこと。カ―ムと呼ばれる老人と世界各地を旅していたこと。

断片的ではあったもののエリーは自分の記憶を取り戻したことによって安堵する。自分が作られた存在ではなかったことに、魔導精霊力エーテリオンが決して怖いものではないことに。

そしてエリーが記憶を取り戻した瞬間、結界は再び元の姿へと、何もない大地へと戻って行く。まるで役目を果たしたかのように。


「そっか……あいつが見せたかったのはこのことだったんだな」
「じゃああの人、あたしのこと知ってたってこと?」
「そう考えるのが妥当だろう……でなければわざわざリーシャの墓を結界で守り、オレ達に見せることなどしないはずだ」
「だがよ、リーシャの墓とシンフォニアの森を閉じ込めたってことは少なくてもあいつは五十年以上生きてるってことになるぜ」
「じゃああの覆面の人は老人ってことですか?」
「おそらくは……シャクマと渡り合うほどの魔導士なのだからそうであってもおかしくない。もっとも何者であるか分からないことには変わりないが……」


ジークは答えの出ない問題を前にしながらもとりあえずはエリーの記憶が断片的であれ戻ったことに安堵する。まだ時期が早かったせいもあるが全てのレイヴを集めてから再びここに来れば記憶は完全に戻るはず。そしてその時には間違いなく覆面の男も再び姿を現すはず。奇妙な確信がジークにはあった。


「…………」
「……? どうかしたのか、レット? さっきからずっとジークを見つめて。まだどっか具合が悪いのか?」
「いや……何でもない。少し気になることがあったのだが気のせいだったようじゃ。済まぬな」


レットは一度深く目を閉じながらも頭を振り、何でもなかったかのように振る舞う。だがどうしても気にかかって仕方がないことがあった。それは匂い。竜人ドラゴンレイスとしての人間を超えた嗅覚によってレットは感じ取っていた。先の覆面の男の匂いとジークの匂いが似ていたことを。それどころか全く同じと言ってもおかしくないものであったことを。だがそんなあり得ない事態にレットは自らの勘違いであると切り捨てる。そう、この世界に同じ人間が二人いるはずがないのだから。


そしてハル達は再び旅立ちの時を迎える。だがその表情にはもはや迷いはない。レイヴを集めることが全ての答えに繋がっていると再確認することができたのだから。同時にハルは決意する。強くなると。今の自分がまだまだ弱いことをハルはルシアとの戦いで思い知った。今のままではエリーを守ることも、ルシアを止めることもできないと。ハルはそのTCMをジークに向かってかざしながら宣言する。


「ここに誓おう! 剣と魔法はいずれ一つになる!!」


剣と魔法。対極に位置する物が一つになる時が来ると。だがそれは剣と魔法に限った話ではない。光と闇も決して争うだけではない。レイヴとDBも、レイヴマスターとダークブリングマスター、自分とアキもきっと分かり合えるという希望を意味するもの。


「ああ……全てのレイヴが揃う時この場で会おう。共にルシアを止めると誓う」


ジークはその手の魔法剣を作り、ハルに向かって差し出しながら誓う。共にルシアを止めるために戦うと。倒すのではなく止める。ハルの言葉の意味を汲み取ったが故の誓いの言葉。共に強くなるという誓いによってその場にいる者たち全てが決意を新たにする。だが


「あたしも混ぜて! あたしも記憶が戻ったら魔導精霊力エーテリオンでアキにお仕置きしてやるんだから!」


そんな空気をぶち壊すように満面の笑みでガッツポーズを取りながらエリーはアキに対するお仕置きを宣言する。いつかハルが聞いた一発叩いてやるという言葉を遥かに超えた宣言。実際に魔導精霊力エーテリオンの力を目の当たりにしているハルとジークは顔を引きつかせるしかない。


ここにシンフォニアでの争いの幕は落ちる。だが本人の与り知らぬところでダークブリングマスターの憂鬱はまだまだ続くことになるのだった――――



[33455] 第六十四話 「帝都崩壊」 前編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/06 07:44
(はあ……今日はこんなもんかな……)


深い溜息と共にルシアは手に持っているネオ・デカログスを下ろしながらその場に座り込む。だがその姿は砂と汗にまみれた酷い有様。何故なら今、ルシアがいるのは巨大な砂漠。かつてゲイル・グローリーが大破壊オーバードライブに誰も巻き込まないために隠れ住んでいた場所であり、今はルシアの修行場となっているのだった。


『どうした、もう根を上げたのか主様よ。とっとと剣技でシバに勝てるようにならんのか、情けない』


ようやく一段落ついたばかりだというのに全く気にした風もなくマザーは不満げにルシアに向かって話しかけてくる。それは先程までルシアが行っていたシバの幻との修行に関する物。純粋な剣技のみで修行をしたものの結果はルシアの敗北。ある程度は食らいつけてはいけたもののやはり剣技という点ではルシアはシバに一歩も二歩も劣る。結局一太刀も浴びせることもできず敗北してしまったのだった。



「うるせえよ! 相手はシバだぞ!? そんなホイホイ超えれるほど剣聖は甘くないっつーの……大体それはてめえが一番よく分かってんじゃねえのかよ?」
『ど、どういう意味だ?』
『何誤魔化そうとしてやがる。五十年前に負けたくせに偉そうなこと言ってんじゃねえよ』


マザーの叱責に流石のルシアも我慢ならなかったのかいつも以上の剣幕で食ってかかって行く。相手は世界最強の剣士の称号、剣聖を持つ男シバ・ローゼス。しかも全盛期の状態。間違いなくキングやゲイルを大きく超えた実力の持ち主。いくらルシアが腕を上げたといっても易々と超えれる壁ではない。デカログス曰く剣技以外にもルシアには足りない物があるらしいのだが何にせよルシアは今、大きな壁にぶつかっていた。いわゆるスランプのような状態。今までにも何度か感じたことがある上の次元に上がるために超えなければならないもの。


『っ! そ、それは……前にも言ったであろう。あの時はまだ我らは完全ではなかったのだ! そうであれば後れを取ることは……』
「それはレイヴも同じだろうが。五つに分かれちまってたんだからな……そもそもこれ以上俺が強くなる意味ないんじゃねえか? 今の俺、四天魔王級なんだろ。十分強くなってる気がするんだが……」


ルシアはどこかやる気がなさげに愚痴を漏らす。これ以上強くなる必要があるのか、という根本的な問題。今までルシアが強くなろうとしてきたのは単純に自らの身の危険があったからこそ。金髪の悪魔である以上避けて通れない危険、シンクレアを持っているために同じシンクレア持ち達から狙われるという事態を何とかするために今までルシアは必死に強くなってきた。一言でいえば自衛のため。それ以外で言えばマザーを納得させるため。だが今のルシアはキング、シンクレア持ち達の実力を大きく超え四天魔王に近い実力になった。そしてその四天魔王には既に一年前に認められている。要するにルシアとしてはこれ以上修行する意味はほとんどない。


(大体これ以上強くなってもハル達を相手にする時に面倒になるだけだしな……まあ、ハルが俺よりも強くなってくれてれば何の問題もねえんだが……)


『ハルに負けること』


それがルシアの目的であり最終目標。正確にはそれに加えエンドレスをエリーに破壊してもらうこと。そのためにルシアはこれまで動いてきた。主にハル達に原作以上の危機が訪れないように暗躍し、できるかぎり原作に近い展開に持って行くために。BGを壊滅させたのは前者であり、DC最高司令官になり六祈将軍オラシオンセイスの動きをコントロールしているのが後者に当たる。無論それ以外にも数えきれないほどの配慮をしてきた。その甲斐もあり今のところは順調にハル達に関しては推移していると言っていい。だが原作では見られなかった状況も生まれつつある。


(あの覆面の男がどう動くか分からねえのが問題だな……ハル達には同行してねえみたいだが結局正体は分からずじまいだったし……)


一つがシンフォニアで突如乱入してきた覆面の男。シャクマの魔法を防ぐほどの力を持つ原作では登場することのなかった存在。それがどう動くか分からないことがルシアにとっては大きな不安要素。報告ではどうやらハル達には同行していないようだがこれからどう動いてくるかは未知数。だがルシアはそれほど覆面の男を危険視はしていなかった。何故なら覆面の男がハル達の味方であることは明らかだったから。ハル達に利する行動を取ってくれるのならルシアとしては願ったり叶ったりでもある。故に問題は


(問題はドリューやオウガのシンクレアの極みか……ハードナーのこともあったから油断はできねえな……)


シンクレアの極みという原作ではなかった要素。マザーであれば次元崩壊、アナスタシスであれば時間逆行というシンクレアの奥義とでも言える能力。間違いなくヴァンパイアとラストフィジックスにもそれはあるはず。実際それによってルシアはハードナーに苦戦せざるを得なかった。なら原作のままハル達がドリューとオウガの連合に挑めば最悪全滅してしまう可能性もある。だがDBだけではなく、レイヴにも大きな変化がある。


(だけどレイヴにも原作とは違う力があるみたいだしな……DBばかりに有利になってるわけじゃないようだし……)


それをシバとの修行でルシアは知っていた。正確にはシバのTCMの能力。まさにそれはルシアが持つネオ・デカログスの能力と互角の物だった。あまりの強さに最初ルシアはTCMの能力を下げてもらったまま修行していた程。初めルシアは使い手がシバだからこそネオ・デカログスと同等の力をTCMが持っているのだと考えていた。だがそれが間違いであることをマザーから聞かされることになる。それは単純なレイヴの数の違い。マザーの記憶の中のシバは五つのレイヴを持っていた。そして今のハルは三つしかレイヴを持っていない。つまりレイヴの数が増えればその分、レイヴマスターの力が増し、結果としてTCMの強さも変わってくるということ。またそれに加え対DBとでも言える能力も備わってくる。DBの能力を文字通り無効化するというDBに対抗するために造られたに相応しい特性が五つのレイヴを集めることでレイヴマスターには授けられることになる。五十年前シンクレアがシバに後れを取ったのはシバ自身に加え五つのレイヴの力があったからこそ。そして完全な一つのレイヴになればその力はさらに増すはず。


(とにかくハル達がレイヴを全て集めるまでだ……それまでシンクレアを集めないようにしねえと……)


ルシアよりも先にハル達にレイヴを全て集めてもらうこと。そうすればハルは自分を超える力を手に入れ、エリーは魔導精霊力エーテリオンの完全制御が可能になる。後はそれに自分が倒されるだけ。もちろん手を抜くことができればそれに越したことはないがマザーがいる以上それは難しい。バレればその瞬間、頭痛と言う名の汚染によって洗脳されてしまう可能性が高い。ルシアは身を持って理解していた。何だかんだ言いながらマザーが汚染をかなり抑えていることに。もし全力で汚染されれば恐らく一瞬でルシアは自我を失うことになる。いわば操り人形になるようなもの。主従など形式上の物に過ぎない。エンドレスにとってルシアはただの駒にすぎずそれに抗う術はルシアにはない。故にそうなってしまってもハルが自分に勝てるレベルにまで強くなってもらうしかない。例えルシアが倒されたとしてもハルが命を奪うことはあり得ない。結果的にはシンクレアを破壊し、エンドレスを消滅させさえすればルシアは助かる。並行世界の消滅も防ぐことができる。そう、マザーを破壊することが出来さえすればルシアはこの呪縛から解放されるのだから。


(シンクレアを壊す……か……)


ルシアはどこか心ここに非ずといった風に自らの胸元で言い争いをしている二つのシンクレアに目を向ける。同時に自らが持っている全てのDBにも。エンドレスを、シンクレアを壊すということはすなわち全てのDBの消滅を意味する。だがそれは分かり切っていたこと。ルシアに憑依した時から望んでいた結末。にもかかわらずルシアはまるで自分が悪いことをしているかのような感覚に囚われる。


(いやいやいや……何を考えてんだ俺!? しっかりしろ! エンドレスを倒さねえと俺は助からねえし、並行世界も消滅しちまうんだぞ! そうなっちまったら……)


ルシアは頭を振りながら必死に迷いを振り切るかのように思考を断ち切らんとする。だが一度それを意識してしまった以上すぐに忘れ去ることなどできない。客観的な視点で見ればエンドレスは悪ではない。その力も元に戻ろうとする自然の力であり、邪悪なものではない。だがこの並行世界の住人からすれば悪に他ならない。ルシアは共に現行世界に旅立つことができるが一人で行ったところでルシアにとってそれは死ぬこととそう大差はない。ならばやはりエンドレスを倒すしかない。

もちろん説得できるのならそれに越したことはないがそれがエンドレスに通じないことは既に分かり切っている。今まで何度かその存在を感じ取ったからこそルシアは悟っていた。エンドレスには言葉は通じないのだと。言わばあれはただの現象。人がどんなに願っても地震や台風を止められないように、同じ力でなければエンドレスは止めることはできない。

だがシンクレアはそうではない。彼女達には意志も感情もある。特にマザーについては自分に影響を受けたかのように出会った当初とは別人のように人格を得ている。ならもしかしたら、共にこの並行世界で――――と願えば――――


『……? どうした、そんな変な顔でずっと見つめおって。とうとうほんとに頭がおかしくなったのか、我が主様よ』
「っ!? な、何でもねえよ! だいたいてめえらこそ何の話をしてたんだよ」
『ふん、お主が黙りこんでしまったのでアナスタシスとこれからのことを話し合っていただけだ。ともかく先程の続きだがお主はシンクレアを統べる者、すなわち大魔王の器なのだぞ。それが四天魔王と互角でどうする。四天魔王を従えるくらいにはなってもらわなければな…………主にお主自身のために』
「っ!? おい、お前……今何か不吉なこと言わなかったか!?」
『さて、何のことやら。とにかく強くなっておくに越したことはないということだ。いつ何があるか分からんからの。身に覚えがないとは言わせんぞ、我が主様よ?』
『……そのくらいになさい、マザー。アキ様も体を洗ってきてはいかがですが。お怪我はないようですがそのままではお身体に障ります』
「あ、ああ……じゃあちょっと体を洗ってくる。お前らはそこでちょっと待ってろ……」


ある意味いつも通りのマザーの姿にうんざりしながらルシアは近くにあるオアシスで体を洗うために向かって行く。既に先程までの脳内シリアスも吹き飛んでしまっていた。もっともどんなに考えたところでその時が来れば避けては通れない道。とりあえずルシアは目の前のことに集中する。間もなく起こるであろうドリュー、オウガ連合とハル達の戦い。ルシアの役割はレイナの介入を許すことなくオウガを倒し、シルバーレイを破壊すること。そしてドリューとハル達の戦いに必要があれば介入すること。だがそれはルシアにとっては諸刃の剣。シンクレアを手に入れてしまうことを意味する行動。一つだけならまだしも場合によっては四つのシンクレアが揃ってしまうという最悪のシナリオになりかねないリスクを孕む戦い。だがそれでもルシアは動くしかない。自らと世界の命運がかかっているのだから。それが例え矛盾したものであったとしても――――



『まったく……いい加減あのヘタレはどうにかならんのか』
『あなたは……まあいいでしょう。それで、四天魔王との戦いのことをアキ様には本当にお伝えしなくていいのですか?』
『くくく……そんなことを言えば逃げ出すことは分かり切っておるからな。何よりもその方が面白いであろう?』


ルシアがその場からいなくなったことでマザーはどこか邪悪な光を漏らしながら自らの企みを口にする。四天魔王との戦いをルシアには黙っていること。それが恐らく遠くないことを知っていながらもマザーはルシアに教える気は毛頭なかった。それを知ればルシアが逃げようとすることを長い付き合いで知っているからこそ。何よりもルシアが右往左往する姿を見ることがマザーの至上の喜び。要するに半分以上マザーの趣味によるものだった。


『あなたは本当に自分の立場が分かっているのですか? いくらアキ様が許しているとはいえ度が過ぎるのでは』
『またその話か。余計な御世話だ。それにアキは実戦でこそ成長するタイプ。幻との修行での成長が打ち止めになった以上自分と同格以上の相手との実戦しか手段がないのだからな』


マザーはやれやれと言った風に自らの狙いを口にする。四天魔王という自らと同格以上の相手と命を賭けた実戦をさせること。それが本当のマザーの狙い。今までもルシアはそうやって壁を超えてきたのだから。もっとも今度の壁は今までの比ではない。四天魔王の誰が相手となるかはマザーも知らないものの誰であったとしてもこれまでで一番過酷な戦いになることは間違いない。五つ目のシンクレアであるバルドルを賭けた戦いなのだから。だがそれを超えることができた時、ルシアは大魔王の域に到達するはず。言わば強さの終着点。そして


『そうですか……ならもう言うことはありません。ですが最後に一つだけ。『その時』が近づいていることをアキ様にはお伝えしなくてもいいのですか』


自分たち、母なる闇の使者マザーダークブリングとしての使命が終わる時が近づいていることを。彼女達は感じていた、いや知っていた。予感であり確信。五十年間果たされなかった自分たちの悲願が果たされる時がすぐそこまで迫っていることを。どんな結果になるにせよ避けては通れない運命。


『ふん、今更貴様に言われるまでもない。我は我がやりたいようにやる。それだけだ』


それを全て理解したうえでマザーは宣言する。自らが思うままに。今までと変わらない、これまでと同じようにあり続けると。


『……分かりました。ならそれを見届けさせてもらいます……どうか悔いがないように、マザー』


どこか慈愛を感じさせる言葉を以てアナスタシスは会話を締めくくる。これ以上はもう口にする必要はないと告げるかのように。マザーもまたそっぽを向くかのような雰囲気をも取ったまま黙り込んでしまう。ある意味気心が知れた友人のようなやり取り。もっとも両者ともそれは決して認めないだろうが。そして同時にけたたましい音が鳴り響く。それはルシアが修行や出かける際に持ち歩く無線機の役割を果たすDB。DC本部からの緊急事態を知らせるコール。つまり、ルシアがただちに本部に戻らなければならない程の事態が起こったという証。


ルシアは慌てながらもその場に舞い戻ってくる。その内容がまさに世界の命運を賭けた大戦の始まりであることを知らぬまま――――




空には月が、街には灯りによって夜の中で輝きを放つ真夜中。一人の男が一切の淀みのない動きで歩いていた。その姿は長い帽子にコートと言う季節のそぐわない物。だが白を身を纏った姿は見る者にこれ以上ない印象を残すだろう。彼の名はディープスノー。新生DCの新たな六祈将軍オラシオンセイスの一人に任命された男。ディープスノーはそのまま一直線にある建物の中へと入って行く。その途中何度も見張りである駐在兵と交差するも兵士はディープスノーを見ただけで背筋を伸ばし敬礼をするだけ。何故ならディープスノーには六祈将軍オラシオンセイスではないもう一つの顔があったのだから。それは


「遅れて申し訳ありません。少し急用が入ったもので……もう会議は始まっていましたか?」


帝国軍の北の将軍。世界国家である帝国の軍における四人の将軍の一人。スパイであるディープスノーのもう一つの姿だった。


「いや、まだだ。まだ時間には少し早かったしな」
「オレも今来たところだ。まさかこんな真夜中の会議になるとは思っていなかったがな」


やってきたディープスノーに向かって二人の男が同じように挨拶を交わしていく。東の将軍ワダと南の将軍ブランク。二人とも将軍に相応しい貫録と肉体を持った男達。今日は将軍たちが毎月行っている会議が行われる日。普段はその将軍の名が示すように東西南北を統括することが将軍たちの役ではあるがこの時だけは帝国の本部である帝都に集まることになっていたのだった。


「そうですか……ですがまだジェイド将軍が来られていないようですが……?」


自らの席へと腰をおろしながらディープスノーはふと気づいたように疑問を口にする。それは西の将軍であるジェイドが姿を見せていないことに対するもの。将軍たちの中でも特に威厳がある者であり時間に遅れてくることなどあり得ないような人物であるためディープスノーは首を傾げるしかない。


「ジェイドなら今日は欠席だ。何でも自分で調べたいことがあるのだとか……」
「調べたいことですか……?」
「ああ、前話題にあがった二代目レイヴマスターの捜索だ。全く、ディープスノーが捜索して手掛かりすら掴めなかったというのに一体何をそこまでこだわっているのだ!」
「あいつは昔からオレ達とはどこか違った物の見方をする男だからな。何か理由があるのだろう。ともかく今日は三人で今の世界情勢と我々の動きについて話し合いたいと思う」


ブランクがどこか苛立った様子を見せているのを嗜めるようにワダは強引に今日の議題について話し始める。主に新生DCとそれに対抗するために連合を組んだドリュー幽撃団、鬼神に対する話し合いだった。


「DCについてはBGを壊滅させてからは全く動きを見せていない。不気味なほどにな。いくつかの支部は発見できたものの未だ本部は発見できていない。まるで以前のDCとは別物だ」
「オレのところも同じようなものだ。巷ではDCの復活は知られていないようだが本当に復活したかのどうか帝国内で疑問視する声も上がっているぞ」
「私の管轄でも似たようなものですね。足取りもまったく掴めていません」
「やはりそうか……捕縛したBG兵の供述、金髪の悪魔と六祈将軍オラシオンセイスと思われる目撃情報から間違いないはずだが以前と違い表に出てくる気配がないのはいささか不可解だな」


互いの持ち得る情報の不可解さに将軍たちは頭を傾げるしかない。あのDCが復活したという恐るべき事態。しかもBGという闇の首位組織を壊滅させるという信じられない力を見せたにもかかわらずDCはそれ以降全く動きを見せていない。まるで身を潜めているかのように。以前のDCとはまるで真逆の姿に帝国は動きを決めかねているのが現状だった。


「それよりも今は連合を組んだドリューとオウガの方が問題では? 私の得た情報では南、サザンベルク大陸に拠点を置いているようですが……」
「オレのところでも同じ情報を得ている。鬼とドリューの兵が共に行動している姿を目撃した兵もいる。連合を組んだのは間違いはずだ」
「ウム、恐らくDCに対抗するための連合だろう。このまま潰し合いをしてくれれば助かるのだが……」
「何を弱気なことを言っておる!? 今こそ帝国の力を示す時だろう! さもなくば以前のように残党狩りをしていると揶揄されることになるぞ!」
「確かに一理ありますね……現に私達は奴らの拠点の位置を把握している。先制して攻撃を仕掛けることも選択肢としては悪くないと思いますが」
「むう……だが相手は連合。しかも壊滅させることができたとしてもまだDCが残っている。うかつに動くわけには……」
「連合とは言っても所詮はその場しのぎの物。戦闘になれば連携も何もあったものではないでしょう。上手く行けば仲間割れを誘発することもできます。DCについてはBGとの戦いで消耗し身を隠しているとも考えられます。以前ほど勢力はないのですから焦る必要はないのでは?」
「その通りだ! まずは目に見えているドリュー達の方から叩くべきだ! そうなればDCとて我らの力に恐れを為し好き勝手はできはせん! 金髪の悪魔と六祈将軍オラシオンセイスがいたとしても所詮は数人、帝国全部隊で攻撃すれば恐れるに足らん!」
「落ち着くのだ、ブランク。確かにそうだが全部隊を動かすとなればジェイドの賛成と皇帝陛下の承認が必要となってくる。気持ちは分かるがもう少し現実的な案を……」


将軍たちは今の世界情勢を確認しながらも平行線の議論を続けるだけ。今のまま闇の組織を野放しにしておくのか、帝国の総力を以て立ち向かうのか。どちらにも大きなリスクが伴うがゆえに即断することができない。巨大な国家である帝国だからこその弊害。そんな不毛な議論がいつまでも続くかと思われた時


「も、申し訳ありません! 将軍方、緊急事態です!」


突如会議室のドアをまるで体当たりをするかのような激しさで開けながら兵士の一人が姿を現す。いきなりの事態に将軍たちは議論を中断するしかない。


「一体何事だ!? 今は会議中だぞ!」
「落ち着きなさい、ブランク。一体何があったというのですか?」


声を荒げるブランクに代わり冷静さを見せながらディープスノーは兵士に向かって先を促す。だがそれはその場にいる全ての将軍の想像を遥かに超えたもの。


「そ、それが……所属不明の船がこちらに向かっているとの情報がありまして……」
「船だと? この帝都の空域にか?」
「馬鹿な……どこのグル―プか知らんが気は確かか? 全て打ち落とされる自殺行為のようなものだぞ?」
「それで、敵の船は何隻なのですか?」
「……い、一隻です」


兵士の言葉に今度こそ本当に将軍たちは言葉を失う。帝国の主力とも言える部隊がいる帝都にたった一隻で乗り込んでくる。まさに狂気の沙汰としか思えないような事態。そして兵士は告げる。


「その船は……銀色だったと……」


知る者が聞けば背筋が凍る程の恐怖を味わうその言葉を。




月と星だけが明かりを灯している夜空に一隻の船が飛んでいた。巨大な要塞とでもいえるような船。リバーサリー。かつて鬼神達が自らの拠点としていたもの。だが今それは大きく姿を変えていた。


『シルバーレイ』


それがその船の真の姿であり名前。最高の銀術兵器足る力を持つ大量破壊兵器。今、禁じられし力が目覚めようとしていた。


「そ、総長! 待ってください、本当に出る気なんですか!? もう陽動隊なら出撃しています! わざわざ総長が出ていかなくても……」


その内部にある通路で小さな男が必死に声を上げながら騒いでいる。彼の名はゴブ。鬼神参謀長の地位を持つ鬼。その容姿とは裏腹に戦闘もこなすことができる存在。だがそんなゴブをして頭が上がらない存在があった。


「うるせえな……このままここでじっとしてるだけじゃつまんねえだろうが。それとも俺が負けるとでも思ってやがるのか、ゴブ?」


鬼神総長であり鬼の中の王であるオウガ。通路を塞ぎかねない巨体をもつ絶対の力を持つ鬼の王はゴブの制止を全く聞くことなく凄まじい足音と共にシルバーレイを出て行かんとする。その目的は唯一つ。破壊を楽しむこと。闘争本能に赴くままに暴れるという単純な欲求を満たすためのもの。


「で、でも総長……コレを使う以上どうしても危険があります! いくら総長でも巻き込まれれば……」
「何言ってやがる。だからこそ確かめに行くんじゃねえか」


ゴブの言葉が心底おかしいとばかりにオウガは狂気を秘めた瞳を見せながら告げる。


「今の俺は不死身だ。その力を試すのにこれ以上おあつらえ向きの機会はねえ。それにようやく大きな祭りが始まろうってんだ。眺めてるだけじゃもったいねえ。ここは任せたぜ、ゴブ」


もう伝えることはないとばかりにオウガはそのまま戦場へと身を投じる。自らの肉体で戦うことこそが鬼の誇りであり楽しみ。それを邪魔する者は誰であれ容赦はしない。


「さあ……どでかい花火を上げるとしようじゃねえか」


オウガは嗤う。今まで溜めこんできた全てを吐きだすかのように。


今、全世界を巻き込んだ『大戦』の火蓋が切って落とされようとしていた――――



[33455] 第六十五話 「帝都崩壊」 後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/11 12:45
『帝国』

皇帝を頂点とした世界最大の国家。その名に相応しい規模と力を持った帝国本部がある都には多くの民が住んでいた。何故なら帝都はこの世界で最も安全な場所。事実かつてDCが世界を支配しかけていた時期ですらこの都は攻められることはなく健在であった。周りは外敵の侵入を防ぐために強固な外壁に囲まれ、多くの兵士と兵器を有している難攻不落の軍事基地とでも言うべき場所。だがようやく人々は知ることになる。絶対に安全な場所などこの世のどこにもないことに。


「ち、ちくしょう……! 一体どうなってるんだ!? 援軍はまだなのか、もうこれ以上はもたないぞ!」
「ダ、ダメだ……他の隊とも連絡が取れねえ! もしかしたらもう……」


悲鳴にも似た怒号が戦場に木霊しながらも銃声がそれをかき消すかの如く激しく鳴り続ける。戦場の真っ只中でありながらも帝国兵たちは未だ現状が信じられないでいた。まるで悪い夢の中に、悪夢にうなされているかのよう。きっかけは所属不明の一隻の船が発見されたという報告。完全な防空網を持つこの帝都の空域に侵入してくるなど自殺行為。警戒態勢を取りながらも帝国兵は誰しもが思いもしなかった。ここが攻められることなどあり得ないと。長くの平穏によって失われてしまった危機感。それを責めることは誰にもできない。これは当然の帰結。例え危機感を持っていたとしても、万全の状態であったとしてもその軍勢を止めることは彼らにはできなかったのだから。

『鬼』

正体不明の船を迎撃する準備に入らんとした瞬間、突如として鬼の兵たちがまるで狙ったかのようなタイミングで帝都へと侵入してきた。だがそれはあり得ない。帝都は外壁によって強固に守られ東西南北にある四つの門も内側からしか開けられない仕組みとなっている。にもかかわらずそれは一瞬で崩れ去った。文字通り粉々となって。何故そんなことが起こったのか分からないまま戦闘は開始される。

『鬼神』

オウガをリーダーとした鬼の集団で構成されるかつて闇の世界で三本の指に入る組織の一つ。現在はドリュー幽撃団と連合を組んでいるとされているグループ。帝国は瞬時にそれを理解し反撃に打って出る。確かに日々の安全な生活によって気が抜けていたとは言ってもここは帝国本部。能力が秀でている者たちが集まっているいわばエリート部隊。すぐさま体勢を立て直し鬼達を帝国から追い出さんと動き出す。いかに鬼が亜人として人間よりも優れた身体能力を持っていたとしても、DBを持っていたとしても帝国もそれに後れを取るものではない。剣や銃などの近代兵器、何よりも圧倒的な兵力の差。覆しようのない数的有利が帝国側にはある。それこそがかつてのDCもうかつには帝国に攻め入らなかった理由の一つ。だがそれは


「ど、どうなってるんだ!? た、確かに弾は当たってるはずなのに……!?」
「こ、こっちもだ! こ、こいつら……剣で切ったのに全然平気な顔してやがる……鬼にこんな力があるなんて聞いてねえぞ!?」


信じられないような事態によって呆気なく崩れ去ってしまう。帝国兵たちは目の前のあり得ない光景に戦慄し震えることしかできない。自分たちの攻撃が当たったはずにも関わらず鬼達は全くダメージを負うことがないのだから。傷を負うどころか銃撃を受けた傷も、剣によって斬り落とされた手足さえもまるで何事もなかったかのように再生していく。夜の闇にまぎれながら迫ってくるその姿はまさにゾンビ。不死の軍勢とでも言うべき悪夢が迫ってくる光景に帝国兵たちは戦意を喪失し次々に敗走を始める。恐怖という人間にとっての本能によって。だがそれすらも彼らには許されてはいなかった。


「残念だがここから誰一人生かしては逃がさん」


死神の死刑宣告にも似た声と共に凄まじい速度で一匹に鬼が敗走を始めんとする帝国兵に向かって襲いかかる。その動きと風格からその鬼が他の鬼達とは一線を画していることは明らか。鬼の名はガワラ。鬼神遊撃隊長という地位が示すように戦闘員として強力な力を持っている戦士。特にその防御力は鬼の中でも一、二を争うほど。だがそれすらも上回る恐ろしさがガワラにはあった。それは


「っ!? な、何だ!? 体が動かねえ!?」
「体が石になっていく!? う、嘘だろ……助けてくれえええ!!」


触れた者を石に変えてしまう能力を持つDB『ストーンローゼス』 その名の通りガワラに触れられた者はその瞬間、物言わぬ石へと姿を変える。優れた格闘能力を持つガワラにそれが加われればまさに無敵。例え攻撃を防御したとしてもその部分から体を石化されてしまうという厄介極まりない戦法。帝国兵たちはその力の前に為すすべなく石の彫像へと姿を変えられていく。すぐにその場は生きた者がいない鬼と石だけの世界へと変わり果ててしまった。


「フム……どうやら本当にこの体は不死身のようだ。疲労もないとはな」
「ガワラ隊長……この辺はあらかた片付けましたがどうしますか?」


自らの拳を見つめながらつぶやいているガワラに向かって配下の鬼達が次の指令を伺ってくる。ガワラはその声に応えるようにぐるりと自らの兵たちを見渡す。その数はここに突入した時から変わっていない。だがそれはあり得ない。自分たちの数の数倍はある帝国兵たちと先程まで戦闘していたのだから。隊長であるガワラはともかく鬼の一般兵まで一人も死なずにいるなど不可能。しかし鬼達は全く数を減らすことなく、それどころか傷一つ負っていない。


「決まっているだろう。ここから一人も逃がすなというのか総長の命令だ。行くぞ」


さも当然だといわんばかりにガワラは配下と共に自らの役目を果たさんと動き出す。都の出入り口である門から誰一人逃がさないこと。それがガワラ達に与えられた任務。外敵からの侵入を防ぐ強固な壁も一度敵の侵入を許せばもはや鳥籠同然。帝国兵はもちろん民間人も都から脱出するにはガワラ達遊撃隊を突破するしかない。それはすなわち今の帝国ではここから脱出する術は失われたことと同義だった。


時同じくして各地で大きな爆音と共に火の手が次々に上がって行く。帝国兵たちは混乱しながら消火作業に追われるも火の手は収まることはない。何よりも大きな問題はその全てが武器庫、弾薬庫が何者かによって襲撃されたことによって起こっていたこと。だがその特性上武器庫は普通の施設よりも強固な施設と警備が敷かれており、その場所も秘匿されている。敵にそれがバレてしまうことは敗北に直結してしまうからだ。だがそんなことなど全てお見通しだとばかりに不敵な笑いを見せている鬼がいた。


「馬鹿だねえ。オレには全部お見通しだってのによ……おい、B班! そっちじゃねえ、南の施設だ、間違えんじゃねえよ!」


スキンヘッドにサングラスを掛けている鬼が口元にあるマイクに向かって大声をあげている。それに呼応するように新しい爆発共に新たな火柱が帝都に生まれて行く。それが男、鬼神工兵長ヤンマの実力。戦闘員としてはガワラには劣るものの工兵長の名が示すように機械、兵器に関する知識、それに加え戦場では工作部隊を指揮する役目が与えられている。


「しかし帝国もたるんでるねえ……動きが全部丸見えじゃねえかよ。もっともオレにかかれば隠れても見え見えなんだがよ」


ヤンマは久しぶりの戦闘に高揚しながらも自らの掛けているサングラスに手を伸ばす。瞬間、ヤンマの視界には戦場の全ての情報が見えてくる。建物の中の兵士の数も、その能力も、隠されている通路までもが筒抜けにされてしまう。それこそがヤンマのDB『千里眼ドーブレビスタ』の力。壁から岩まで透視することができるのにも加え、それを極めたヤンマには相手の弱点、果ては思考まで盗み見ることすらできる。攻略戦、組織同士での戦いにおいて絶大な効果を発揮することができることがヤンマが工兵長に抜擢されている理由。それを証明するように既に帝国は武器と逃げ道を失い混乱状態に陥りつつある。


「よし、次は東の地区だ! てめえら、ぼけっとしてねえで動けよ! 手柄をたてるチャンスだぜ!」
「そ、そんな無茶言わないで下さいよ! まだ先に行った班も戻ってきてませんし……」
「ハァ!? なに寝ぼけたこと言ってやがる! 死なねえんだからどんなに突っ込んでも問題ねえだろうがよ! 総長もいらっしゃるんだ、みっともないとこ見せられるかよ!」
「少し落ち着くんだなヤンマ。いくら不死身とはいえ戦うことには変わらん。いきなり捨て身で戦えるほど全ての兵が達観しているわけではないぞ」


興奮したヤンマを戒めるかのようにどこからともなく落ち着きを感じさせる声が響き渡る。だがその姿はどこにも見渡らず鬼達は焦りながらもどうすることもできない。そんな中、ヤンマだけは知っていた。いや、正確には見えていた。その声の主の正体を。


「っ! ゴッコ、てめえ任務が終わったならさっさと戻ってこいって言っただろうがよ! それに何でわざわざオレの後ろに隠れてやがる!?」
「決まっているだろう。お前がそのDBを着けているからだ。気持ち悪くて前に立てん」


静かな声と一人の鬼がまるで壁から突然現れたかのように姿を見せる。両目を閉じ、両手を合わせた修行僧のような雰囲気を纏った戦士。鬼神砲兵長ゴッコ。それが彼の名だった。


「て、てめえ……これは総長からもらった大切なDBだ! 外せるわけねえだろうが!」
「ならこのまま話させてもらう。指令通り奴らの航空戦力は全て無力化してきた。これで文句はないだろう?」
「ちっ……ああ、こっちでも確認してる。これで奴らはリバーサリー……じゃねえシルバーレイには手が出せねえ。オレ達の役目は果たしたわけだ」


ヤンマはようやく落ち着きを取り戻しながらもDBによって航空戦力があった区画に目を向ける。だがそこは既に火の海。もはや空に飛び立つことができる戦闘機は一つも残っていない。航空戦力の無力化こそがヤンマ達の最重要任務。ここに向かっているシルバーレイの航行の妨げになる危険を排除するための物。そのためにはヤンマの能力が最適だった。しかしそれだけではここまで迅速に事は運べなかっただろう。それを為し得たのがゴッコの持つDB『スルー・ザ・ウォール』 その名の通り壁を通り抜けることができる移動系の能力。隠密作戦、潜入任務において絶大な効果を発揮する力であり『千里眼ドーブレビスタ』と組み合わせることで最高の力を発揮するもの。もっともDBはともかく個人の相性では問題がある組み合わせだった。


「なるほど……ではこのまま撤退するか?」
「冗談じゃねえ……やっと今までの鬱憤を晴らすチャンスなんだ。てめえこそそのまま壁の中に隠れててもいいんだぜ」
「ふっ……どうやらそこは意見は一致したようだな。では次の目標地点に行くとしよう」


いがみ合いながらもヤンマとゴッコ。二人の鬼は自らのDBの力を駆使しながら帝国を翻弄し、蹂躙していく。二人は戦闘能力と言う点では六祈将軍オラシオンセイスにも遠く及ばない。だがこと攻略戦においてはそれを凌駕する。加えて今の彼らには以前は持ち得なかった反則の特性がある。それこそが今、帝国を絶望的な状況へと陥らせていた――――



「とにかく民間人の避難が最優先だ! 南の地区とはまだ連絡が取れんのか!?」
「一体どうなっておるのだ!? 鬼神とは言っても所詮は少数! 我ら帝国本部の精鋭たちであればすぐに殲滅できるはずだ! とにかく戦力を集結させろ! 奴らをこれ以上好きにさせては帝国の名に泥を塗ることになるぞ!」
「お二人とも落ち着いてください。とにかく情報を整理することが最優先です。ここが混乱していては戦場もまともに機能しません」
「そんなことは言われんでも分かっておる! だが無線の内容も荒唐無稽な物ばかりではないか! そんなことをいちいち気にしていては話にならん! とにかく兵を集結させて攻勢に出なければ……!」


鳴り響く無線の嵐の中、三人将軍は帝国本部の会議室においてもう一つの戦いを繰り広げていた。それは指揮という戦場におけるもっとも重要な戦い。だが突然の奇襲によって浮足立ったのは兵士だけでなく将軍たちも同じ。自分たちが攻めることは考えてはいても攻め込まれることを想定に入れていなかった甘さを露呈した形。いわば帝国という国の縮図がこの会議室の有様だった。だが将軍たちが混乱するのも当然のこと。数の上では圧倒しており、自陣というこれ以上ない地の利もある。奇襲で序盤押されることがあったとしても持久戦に持ち込めば帝国側の勝利は揺るがない。DBを計算に入れても覆ることない事実。数多の戦場を潜り抜けてきた将軍だからこそ読み違えるはずのないもの。だがそれは今、覆されてしまっている。出入り口である門は封鎖され、戦力の要である武器と航空戦力はほぼ無力化されてしまい身動きが取れない状況。こちらの動きが全て読まれているのではと思えるほどの手際の良さ。このままでは一隻とはいえ制空権も奪われてしまう。そうなればさらなる窮地に立たされてしまう。ワダとブランク、二人の将軍は初めて直面する帝国の危機に狼狽することしかできない。だがそんな中でもう一人の将軍、ディープスノーだけは違っていた。


(まさかここまで劣勢になるとは……やはり無線の内容は事実だということか……?)


ディープスノーはいつもと変わらぬ冷静な表情のままもう一つの顔を見せる。スパイであり六祈将軍オラシオンセイスである本来の姿。今の鬼神と帝国の交戦はディープスノーにとっては想定外ではあったもののある意味好都合な展開ではあった。ディープスノーは帝国の戦力も情報も全て記憶している。ルシアに報告したように壊滅させることはさほど難しいことではないものの命令がなかった以上ディープスノーは引き続きスパイ活動を続けていた。その目的は帝国を使って残る闇の組織であるドリュー、オウガを叩くこと。壊滅させることができなくとも少しでも戦力を殺ぐことができればルシアが、DCが戦う際に有利になると見越しての行動。事実ディープスノーは帝国の動きを誘導するよう動いてきた。そんな矢先のこの事態。計画とは違うもののここで鬼神の戦力を削れるならそれでよしと考えていたもののその目論見は崩れてしまう。


(ともかくこのままここにいては埒が明かない……敵は鬼だけのようだがドリュー達がいないのは不可解だ。鬼達だけが先走った可能性もあるが……)


とにもかくにもディープスノーはこの場を抜け出す機会をうかがっていた。このまま会議室で不毛な言い争いに参加していても得る物は何もない。帝国が崩壊するにしても何の情報も戦果も得られないままでは自らがスパイとして帝国に潜り込んでいた意味がない。何よりもディープスノーには二つ気にかかることがあった。

一つがドリュー幽撃団の動き。連合を組んでいるためこの奇襲に参加していてもおかしくないにも関わらず全く鬼以外の兵がいたという報告が上がってこない。鬼神だけが独断で動いた可能性も捨てきれないがやはり不可解。

もう一つが情報の中で上がってくる敵が全く死なない、傷つかないと言った類の報告。二人の将軍たちは世迷言だと切り捨てているものの現状のあり得ない被害からそれが現実である可能性をディープスノーは感じ取っていた。DBの力であれば確かに可能性はある事態。しかし再生となるとルシアが持っていたシンクレアに匹敵する能力であり、それが一人ではなく鬼達全員にあるなど俄かには信じがたい。やはり直に戦場で確認するしかないとディープスノーが判断しかけたその時


「ほ、報告です! 皇帝護衛部隊インペリアルガードが門の解放のために出撃したとのことです!」
「っ! そ、そうか! 皇帝陛下が直々に命令をお下しになったということか!」
「よし、皇帝護衛部隊インペリアルガードが動いたとなればこれ以上鬼どもの好き勝手にはさせん!」


通信兵からの報告によって今まで狼狽していた二人の将軍の表情に活気が戻ってくる。それほどまでにその報告は帝国を勇気づけるに足る意味があった。

皇帝護衛部隊インペリアルガード

常に皇帝の一番近くで護衛を務めてきた最も強靭な帝国兵に与えられる称号。

『繭籠りのダルトン』 『白炎のレゼンビー』 『月輪のムーア』 『金眼のブロスナン』

帝国最強の四人の兵士。普段は皇帝の守護のために表に出ることはない彼らが動いたことは全帝国兵の士気を向上させ、この窮地を乗り切るためには必要不可欠のものだった。


「分かりました……では私も直接彼らを指揮することにします。お二人とも、この場はお任せします」
「そうか、お前が出てくれるのであれば何の問題もあるまい。ここは俺とブランクに任せてくれ」
「頼んだぞ、ディープスノー! 帝国の力を奴らに示してやってくれ! ワシらはここで陛下をお守りしながら他の帝国兵の指揮を取る!」


ディープスノーは渡りに船とばかりに自らが前線に赴き指揮をとることを申し出る。二人の将軍もディープスノーの戦場での活躍を知っているからこそそれを迷いなく快諾する。皇帝護衛部隊インペリアルガードに加え将軍であるディープスノーが攻勢に出れば反撃のチャンスが生まれると判断してのこと。だが彼らは全く気付いていなかった。ディープスノーの狙いが自分たちとは全く異なっていることに。


(何とかうまくあの場を抜けることができましたね……とにかく今は皇帝護衛部隊インペリアルガードと合流しなければ……)


ディープスノーは身に纏っているコートをはためかせながら凄まじい速度で皇帝護衛部隊インペリアルガードが解放に向かった門へと疾走する。帝国のスパイである以上表だってディープスノーはDBを使用することができない。にも関わらず将軍の地位にまで上り詰めるほどの力があるもののディープスノーは自らが戦闘に参加する気はなかった。現在の状況をと正確な情報を得ることがスパイとしての彼の役目。加えて皇帝護衛部隊インペリアルガードは実力でいえばかつてキングが従えていた王宮守五神に匹敵するもの。いくら鬼神とはいえ易々と後れを取るものではないことをディープスノーは知っていた。彼らの力を利用し鬼神の戦力を削ることができれば。だがそんなディープスノーの狙いは


「ヨゥ、兄ちゃんそんなに慌ててどこに行こうってんだ。ちょっとオレと遊んで行かねェ?」


あまりにも場違いな、戦場には似つかわしくないからかいの声によって木っ端微塵に砕かれてしまった。


「…………」


ディープスノーは一瞬で走るのをやめ、その場に立ち止まる。だがその表情は無表情のままであったものの見る者が見れば気づいただろう。ディープスノーが今、極度の緊張状態にあることに。その証拠に知らずディープスノーは息を飲み、背中には冷たい汗が滲んでいる。まるで幽霊に出くわしてしまったかのよう。だがそれは無理のないこと。あり得ないことではあるがまさに目の前に幽霊が、死人が立っていたのだから。


「あなたは……まさか……」
「お、どうやらようやくオレのことを知ってる奴に会えたみたいだな。自分で言うのも何だけど『粉砕クラッシュクッキー』って結構有名だと思ってたのに誰もオレだと気づかねェんだ。やっぱ十五年経つとこんなもんかね……」


ようやく自分を知っている人物に会えたことでクッキーは満足したかのように笑い始める。ガムを噛み、風船のように膨らませながら。だがそんなどこか陽気な姿とは対照的にその周囲には死の匂いとでも言えるような隠しきれない不気味な気配が漂っている。それは六祈将軍オラシオンセイスであるディープスノーをして気圧されてしまうほど。


粉砕クラッシュクッキー』


最凶の殺人鬼。かつて千人以上の人間を殺し、十五年前帝国によって処刑されたはずの極悪人。そのあまりの恐ろしさは親達が子供が悪いことをした時にクッキーが来るぞと叱るために使われるほどの。まさに伝説になるほどの人物が今、ディープスノーの前に現れていた。


「あなたは確か十五年前に処刑されていたはずでは……生きていたのですか……?」
「へえ、よく知ってるね。その通り、オレは十五年前に死んでるぜ。というか今も死んでるんだけどヨォ」
「今も死んでいる……? 一体どういうことですか……?」


ディープスノーは困惑しながらもクッキーに問いかけるしかない。ディープスノーは座学によってクッキーの存在を知っていた。実際に見たことはないが間違いなく目の前の男がクッキーであることは明らか。もしかしたら帝国が嘘の情報を流していた可能性もある。だがクッキーは笑いながらそれを否定する。自らが死んでいると。あり得ないような事実。だが


「今のオレはネクロマンシー……要するにゾンビってわけ。ドリューの反魂の術でオレは操られてるってことだ」


それを為し得る力をドリューは持っていた。闇魔法の一つである反魂の術。死んだ人の魂を肉体に戻す高度な魔法。それによって蘇った者は支配者であるドリューの操り人形となる。まさに夜の支配者に相応しい力だった。


「ドリュー……やはり鬼神と連合を組んだというのは間違いなかったようですね。どうやらあなた以外にはドリュー側の構成員は見当たらないようですが」


冷静に会話をしているように見せかけながらもディープスノーはクッキーに気づかれないように距離を取らんとしていた。正しくは間合いを計っていた。そうしなければならない理由がディープスノーにはあった。一つがこの場からの離脱のため。もう一つが単純にクッキーから距離を取る必要があったため。それだけの能力がクッキーにはある。

『オールクラッシュ』

その名の通り全てを粉々にしてしまう能力を持つDBをクッキーは持っている。人でも物でもクッキーに触れたものは全て粉砕される。同時に物理的な攻撃すらクッキーには届かない。無敵の殺人鬼。人々に語り継がれる伝説の存在。それにどう対抗するべきか。だがそんなディープスノーの思考は


「連合? なにふざけたこと言ってるんだ兄ちゃん。鬼の野郎たちがドリューに取り込まれたんだろうが」


クッキーの何気ない言葉によって停止させられてしまう。ディープスノーはそのまま目を見開き、動きを止めてしまう。本来なら見せてはいけない程の隙。だがそうなってしまうほどの衝撃がクッキーの言葉にはあった。


「……あなたこそ何を言っているのですか。現に鬼達は今も行動している。ドリューに黙って従うほど大人しい連中ではないことはあなた達の方が知っているはずですが……」
「確かにその通りだ。鬼の連中、オウガが殺されたってのにまだ抵抗を続けるもんだからよ、そのまま皆殺しにしてやったのさ。ただそのまま殺すだけじゃもったいないってんでドリューの奴が全員をネクロマンシーにして支配下に置いたってわけ。どうだ、分かりやすいだろ?」


こいつは傑作だといわんばかりにクッキーは顔に手を当てながら大笑いを始める。だがそんなクッキーの様子など既にディープスノーは気に止めてすらいなかった。ただ明かされた、知らされた情報の重大さにディープスノーは息を飲むしかない。


(まさか……本当にオウガがドリューに倒されたとしたなら……!)


簡単にクッキーの言葉を鵜呑みにすることはできないものの今の状況が限りなくそれが事実であることを証明している。鬼神だけの単独行動。そしてまるで不死身のようにどんな攻撃を受けても倒すことができない鬼の軍団。


「オレはこいつらのお目付け役で来たってわけ。まあ支配者であるドリューに逆らうことなんてできねえから体面的な話だけどな。俺が言うのも何だけどネクロマンシーってのは支配者が死なない限り粉々になっても再生するから放っておいても問題ないんだけどネェ」
「……なるほど、本当に不死身というわけですか」
「オゥ、震えたかい? オレの伝説は永遠さ。一応オレを処刑した帝国への復讐ってのも含まれてるからヨォ、悪いけど兄さんにも死んでもらうよ? 流石に三日三晩追いかけ回されたのには参ったからな。ま、今ならどんなに動いても疲れたりしないんでこっちの方が便利だけどな」


面白い小話を聞かせるようにクッキーは自らが処刑された話をディープスノーに聞かせる。全ての物理攻撃を無効化するクッキーを捉えることは不可能かに思われていたが帝国はまさに捨て身に近い持久戦をクッキーに仕掛ける。いくらクッキーとはいっても体は人間。寝る間も与えない程の持久戦に持ち込み、そのDBを奪うことによって帝国はクッキーを捕えることに成功した。もちろん数えきれないほどの帝国兵の犠牲によって。だが今のクッキーにはその弱点はない。しかも不死の体を得たことで生前は有効であった遠隔攻撃すら通じない。まさに無敵の殺人鬼の名に相応しいデタラメぶり。


(これは……一旦この場から撤退した方が良さそうですね……)


ディープスノーは自らが置かれた絶望的な状況を前にしても冷静さを失うことなく最善の選択肢を選ぶ。このままクッキーと戦闘をしても勝ち目が薄いことをディープスノーは瞬時に見抜いていた。遠距離戦はゼロ・ストリームを持つディープスノーにとっては得意分野。血液の流れ、この場であれば風を操ることでクッキーを倒すこともできただろう。それが生前のクッキーであれば。死者であり不死であるクッキーにはゼロ・ストリームは通用しない。切り札の五六式DBも肉弾戦である以上オール・クラッシュの前には通用しない。かつて力づくで抑えたジラフのツイスターとは条件が違う。生前を加えれば二十五年以上クッキーはオール・クラッシュを使い続けている。その練度は極めているといっても過言ではない。何よりもディープスノーが果たさなければならないのは鬼神がドリューによって倒され、操られていることをルシアに伝えること。撤退し、都から脱出するだけならディープスノーだけでも可能。瞬時に決断を下し、ディープスノーがその場を離脱せんとした時


「なんだ、まだ片付けてねえ奴がいたのかよ。オレ達ばっかり働いててめえはサボってるってわけか?」


もう一人の新たな人物の登場によって阻まれてしまう。いや、その姿によってディープスノーは戦う意志すらも失いかけてしまう。何故ならそうなってしまうほどの圧倒的な力と存在感があったから。先程まで対峙していたクッキーが可愛く思えてしまうほどの桁外れの王者の風格。


「別にサボってたわけじゃねえヨ。あんたこそちゃんと加減して戦ってるんだろうな。あんたが皆殺しにしたんじゃわざわざ船をここまで持ってきた意味がねえ」
「ガハハ! そいつは残念だったな。だがオレがドリューに言われたのは邪魔者を排除しろってだけだ。大体こんなに帝国の連中が弱えとは思ってなかったぜ。せっかく不死身になったっていうのにオレにかすり傷を負わせられる奴すらいねェ。これじゃ何のために出てきたのか分かんねェな」


拍子抜けだと嘲笑いながらボリボリとオウガは頭をかきむしる。まるで散歩に来たのだといわんばかりの自然体。ここが戦場だというのに全く気負いが見られない姿にディープスノーは圧倒されるしかない。同時に戦慄する。目の前にいるのはキングと同格の力を持つという王の一人でありシンクレアに選ばれた王。そして改めてその意味に気づく。そう、ドリューはそのオウガすら自らの戦力に加えてしまったのだから。


「ん? なんだこいつは? さっきの妙な四人組の仲間か? じゃあ期待できそうにないな、四対一にしてやったってのに一分も持ちゃしねえ……こんなことならさっさと帝国に攻め込んでおきゃよかったぜ」


ようやく気づいたとばかりにオウガがつまならなげにディープスノーに向かって吐き捨てる。だがその言葉によってディープスノーは確信する。目の前にいるのが間違いなくあのオウガなのだと。そして皇帝護衛部隊インペリアルガードが全滅してしまったことを。あまりにも圧倒的な力。だがそれ前にしてもディープスノーはどこか妙に自分の精神が落ち着いていることに驚きを隠せない。まるで死期を悟った老人のよう。


「…………どうやらドリューが鬼神を取りこんだというのは本当のようですね」
「あん? ああ、その話か。癪だが認めるしかねェな……いけ好かねえ奴だがこうなっちまった以上仕方ねェ。せっかく生き返ったんだ、後は楽しまなきゃ損だぜ、だろクッキーちゃんよ?」
「ま、そーだな。オレも人を殺せるっつーんなら何だっていいさ」
「いいねェ! 生きてりゃオレの部下にしたかったぐれェだ! ゾンビになっちまった以上ドリューにはどうやっても逆らえねえし、シンクレアを手に入れれば女どもは好きにしていいって約束だからな、精々暴れさせてもらうぜ」


オウガは一瞬殺気のようなものを放つもすぐに気を切り変えながら自らの目的を明かす。鬼の王として敗北した事実は求認めることができない屈辱。だがいくら意地を張ったところで死んでしまったことは変わらない。しかし何の因果か死者としてこの世界に留まることができた。ならそれを楽しまなければ仕方ない。抵抗したとしても再び骸に戻るだけなのだから。否、抵抗することすらオウガにはできない。支配者であるドリューはネクロマンシー達にとって絶対の存在なのだから。他の鬼達もそんなオウガの後に続くように動いている。奇しくも連合が成り立っているといってもいい状況だった。


「なるほど……ではもう一つだけ。シンクレアは今もあなたが持っているのですか……?」
「ん? んなわけねえだろうが……ラストフィジックスはドリューの野郎が持ってやがるぜ。オレはこの不死の体があるしな。もうドリューの野郎に敵う奴なんていねえ。ま、そんなことになったらオレ達も消えちまうから勘弁だがな」


ディープスノーは最後にもっとも知りたかった情報、シンクレアの在処をオウガから聞き及ぶ。つまりドリューはルシア同様二つのシンクレアを持っているということ。それはすなわちキングを超える力を手に入れたことを意味する。ディープスノーは全幅の信頼をルシアに置いている。その忠誠は今も変わらない。そんなディープスノーであっても今のドリューが一筋縄ではいかないほど厄介な力を手に入れてしまったことを認めるしかない。だがこの情報を生きて持ち帰ることができれば不測の事態は避けられる。だが


「さて……無駄話はこのくらいにしてそろそろ始めようか。オレとやりたくねェんならそっちのクッキーちゃんとでもいいぜ。どっちにしてもここからは逃がさねェけどな」
「オレも同意見だけどヨォ……そのクッキーちゃんてのやめてくれねェ?」
「…………」


前門の虎に後門の狼。逃げ場のない絶体絶命の状況。それでもディープスノーは最後の希望をしてることなく自らの持つ二つのDBに力を込める。戦って勝利することは不可能。クッキーだけでも難しかったにもかかわらず今はオウガもいる。万に一つも勝つ目はない。いや、ネクロマンシーである以上ドリューを倒さない限り勝つことはできない。ならば残されたのは撤退。ゼロ・ストリームの風によって視界を塞ぎ、五十六式DBによる身体能力でこの場を離脱する。だがそれすらもこの二人相手に通用する可能性は限りなく低い。だがそれしか今のディープスノーには残されていなかった。だがその最後の希望さえ消え去ることになる。


「ほう……どうやらてめえは運が良いみたいだぜ。いや、こいつは運が悪いのかな。最後の花火が見られるんだからな」


オウガはディープスノーから大きく視線を外し、そのまま夜空を見上げる。そのあまりに唐突な行動にディープスノーも同様に同じように空を見上げる。そこには確かな明りを灯した月と無数の星空。戦場でなければ目を奪われてしまうような絶景。だがそこにディープスノーは確かに見た。


「銀の……船……?」


銀の輝きを放つ一つの大きな星を。それが船であることに気づいたときには全てが決していた。ディープスノーは知らなかった。その銀の船の正体を。


「目に焼きつけときな、あれはシルバーレイ、禁じられし銀術の最終兵器。てめえが最後に見る景色だ……やれ、ゴブ」


オウガの狂気にも似た号令によって全てが消え去っていく。兵も民間人も関係ない。その場にいたということが彼らの不運。銀の光が全てを包み込んでいく。永くの眠りから解き放たれた銀術の力。世界を巻き込んだ争乱の狼煙。



その夜、帝都は地図から姿を消した――――



[33455] 第六十六話 「銀」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/16 15:31
地平の彼方まで見渡す限り荒れ果てた荒野。建物どころか草一つ残っていない死の大地。ただ吹き荒れる風の音が全てを支配している。だがそこはつい数日前までこの世界で最も安全だといわれていた場所。世界国家『帝国』の本部であった都。もはやその名残は全くない無の世界に一つの人影があった。青髪に白いコートを纏った男。男は誰もいない死の都の中を無言のままただ歩き続けている。だがいくら進めどあるのは荒れ果てた大地と乾いた風だけ。とうとう男はあきらめたかのように歩みを止め、その場に立ち尽くしてしまう。


(まさかここまでとは……一体何があった……?)


時の番人ジークハルト。それが彼の名前。だがその表情はいつもの冷静沈着さを感じさせるジークとは思えないような強張ったもの。だがそれは当然。これだけの惨状を見せられれば誰であれ畏怖することは避けられない。


(帝都が一夜にして崩壊したと聞いた時は耳を疑ったが……これは崩壊どころの話ではない……まるで……)


消滅。そんな言葉がジークの脳裏に浮かんでくる。ジークがこの場にやってきたのは数日前から世界を震撼させている情報、帝国が崩壊したという噂の真偽を確かめるため。シンフォニアでハル達と別れた後、ジークは自らの目的のために動いていたもののそれを中断しなければならない程の事態。闇の組織を除けば最大勢力であった帝国が崩壊したとなれば世界の混乱は避けられない。事実帝国が崩壊したことで闇の組織が一斉に動き出し、世界中で紛争が起き始めている。まさに暗黒時代の到来。かつてはDCがあったため身を潜めていた小さな組織たちも覇権を取らんと抗争を繰り返している。新生DCが表に出てきていないのも大きな理由。それはジーク個人でどうこうできるレベルの話ではない。ともかく帝国が崩壊した原因を突きとめることが時の番人としてジークが行うべき最優先事項。だがそれは目の前の光景によって白紙に戻ってしまう。


(この惨状は……まるでシンフォニアの大地……まさかルシアが既にシンクレアを五つ集めてしまったのか……?)


ジークは考え得る限りで最悪の事態を想像し汗を流す。

大破壊オーバードライブ

かつてシンクレアによって引き起こされた世界の十分の一を破壊した大災害。その破壊の跡があったシンフォニアの大地とここ帝都の跡地は酷似している。破壊の規模はシンフォニアの比ではないがそれに近い威力の何かが起こったのは間違いない事実。五つのシンクレアを集めればそれを起こすのは容易い。だがジークはすぐにその可能性が低いであろうことを見抜く。もし本当に五つのシンクレアが集まったのならこれだけの被害ではすまない。世界が崩壊してもおかしくない規模の大破壊オーバードライブとなるはず。そして何よりもシンフォニアでハル達が確認した世界地図ではシンクレアは三つの場所に分かれていた。ルシアが二つ、ドリューとオウガが一つずつ。最後の一つは不明だがそれがこの短時間で全て揃うとは考えづらい。DCとドリュー達の衝突があったのなら気づかないはずがない。不可解な状況にジークが思考の海に沈んでいこうとしたその時


「ほう……貴様でもそんな顔をするんだな、ジークハルト」


そんなあり得ない男の声が背後から響き渡った。


「…………何者だ。何故オレの名前を知っている」


ゆっくりと振り返りながらもジークの表情は既に魔導士のものに変わっている。一部の隙もない完璧な臨戦態勢。何故ならジークの後ろに立っている人物が只者ではないことを感じ取っていたからこそ。誰一人生きていない死者の都にいること、いくら考え事をしていたとはいえ自分の背後を取ったこと、何よりも自分の名前を知っていること。全てが目の前にいる黒いローブを纏っている男が危険人物であることを示している。だが大魔道であるジークの殺気を前にしてもローブの男は全く気圧されることはない。何故なら


「随分な言い草だな。これでも元同僚だったはずだぜ……時の番人」


ローブの男はジークハルトと同格の存在なのだから。


「……っ!? お前は……!」


ジークはローブを脱ぎ捨てながら目の前に姿を晒した男に目を奪われ言葉を失うしかない。ジークはその男を知っていた。だがその容姿はかつてとは大きく異なる。顔には大きな切傷があり片目は塞がってしまっている。何よりも目を引くのが右腕。鉄でできた義手がそこにはあった。だがそんな変わり果てた姿とは裏腹にその強さと存在感は変わらず、むしろ以前よりも増しているのではないかと思えるほど。


「……シュダ、生きていたのか……」


六祈将軍オラシオンセイスの一人『爆炎のシュダ』

かつてハル達と戦い、死んだとされていた男が今ジークの前に姿を現していた。


「フフ……どうやら名前ぐらいは覚えていたらしいな……」
「……そんなことはいい、それよりもオレに何の用だ。わざわざ話しかけなければオレが気づくこともなかったはず……」


不敵な笑みを浮かべているシュダとは対照的に厳しい表情を崩すことなくジークは向かい合う。何故生きていたのかは分からないが相手はかつて六祈将軍オラシオンセイスの一人だった男。加えて敵か味方かも分からない。当然の選択だった。


「何の用……か。それを聞きたいのはむしろオレの方だ。半年前は魔導精霊力エーテリオンの女を殺そうとしながら今は護る側。お前は何者だ? 何の目的でハル・グローリー達の味方をしている?」
「…………オレは何も変わっていない。時を守るために、この星を救うためにはハルとエリーの力が必要だ。オレはそれを守る。それだけだ」
「時を守る……か。抽象的すぎて理解できない理由だな」
「それはお前も同じだろう、シュダ。お前の目的はなんだ。かつて負けたハルへの復讐か」
「フフ……復讐か、それも悪くないが残念ながら今は違う。オレは個人的にハル達に味方する借りがある。『時を守る』よりよっぽど分かりやすい理由だろ?」


全く動ずることなくシュダは自らの目的を吐露する。奇しくもジークと同じハル達を守るという目的。かつて敵となりながらも今はそれを守る側になった二人。シュダは目的を話している最中にまるで見せつけるかのように腰にある刀を差しだす。戦士の誓いにかけて偽りはないと示すかのように。だがジークは知らなかった。その刀こそがシュダの答えであることに。

『天空桜』

それがシュダが持つ新たな刀の名。鍛えた人物も年代も一切不明。かつて神々が使っていたとされる説もある伝説の武具の一つ。だがシュダにとってはそんなことはどうでもよかった。この刀を『ゲイル・グローリー』から託された。その事実がシュダの戦う意味。

『自分の家族を守ってほしい』

砂漠で孤独に暮らし続けてきた偉大な戦士の涙の咆哮。その誓いに報いることが今のシュダの行動理念だった。


「さて、無駄話はここまでだ。オレがここに来たのはお前にハル・グローリー達と闇の組織の動向を伝えるためだ」


茶番は終わりだといわんばかりにシュダは先程までの不敵な態度を改め、戦士のとしての顔になりながらジークに向かって話しかける。自らが集めた情報をジークに伝えることがシュダの目的。ジークが間違いなくここにやってくることをシュダは知っていた。その理由について興味はあるもののシュダはあえて口にすることはなく本題へと入る。


「それならばおおよそは知っている……今ハル達は四つ目のレイヴを手に入れるために南のサザンベルク大陸へ向かっている。闇の組織についてはDCは身を潜めたまま。ドリューとオウガはそれに対抗するために連合を組んだところだ」
「なるほど……どうやらまだ知らなかったみたいだな。確かに情報が混乱している上に布告があったのがついさっきだったからな……」
「……何の話だ」
「単刀直入に言う。この帝都を消滅させたのはドリューとオウガの連合の仕業だ。いや、正確には奴らが保有している兵器『シルバーレイ』の力だ」
「『シルバーレイ』……? 確か何年か前に街を消滅させたという兵器か。だがあれは何者かに盗まれ所在不明になっていたはず……」


ジークは驚きながらも記憶の中にあるシルバーレイの情報を引き出していく。かつてエルナディア国が所有していたとされる銀術兵器。その試運転として街が消滅させられた。だがそれは何者かに奪われ、制作者である銀術師シルバークレイマーも死亡。時を狂わせる可能性があるものの一つとしてジークはその情報を持っていたが魔導精霊力エーテリオンと金髪の悪魔の方が危険度が上であったために捜索を行っていなかった存在だった。


「知っているのか、流石に博識だな。なら話は早ェ。ドリューかオウガかは分からねえがともかくシルバーレイを盗んだのは奴らだった。それがここで使われたってわけだ」
「なるほど……だがどうしてそんなことを知っている。帝都にいた人間は全て殺されてしまったはずでは……」
「簡単な話だ。つい先ほどドリュー自身によって全世界に宣戦布告が行われたからだ」
「宣戦布告……?」


シュダは淡々と今の状況を伝えて行く。つい先ほど全世界に向けてドリューの声明が流されたこと。内容は帝国を崩壊させたのが自分たちであり、シルバーレイという超兵器の力であること。もし自分たちに逆らう勢力があればその全てをシルバーレイによって消滅させること。無条件降伏し、従うのなら命だけは保障すること。要約すれば以上のような内容をドリューは全世界に対して発信している。まさに世界に対する宣戦布告だった。


「これを受けて闇の組織だけでなく降伏を宣言する国も出始めている。帝国もなくなり、これだけの兵器を見せられれば仕方あるまい。だがドリュー達の本当の狙いはそこではないはずだ」
「…………DCを誘き出すためか」


ジークはシュダが言わんとしていることを瞬時に見抜き、口にする。世界への宣戦布告。世界征服を目的にしているであろうドリュー、オウガ連合からすればそれは当然の行動。だがその本当の目的がDCを挑発し、表に誘き出そうとしていることであることは明白。ルシアが最高司令官になってからDCは表に出ることなく潜伏したまま。その居場所は未だに掴まれていない。帝国を排除した以上ドリュー達の敵は実質DCのみ。わざわざ声明を出したのもルシアを挑発するためだとすれば納得がいく。もし出てこなくとも他の闇の組織、国を取り込むことができる。どちらに転んでもドリュー達にとっては勢力を拡大することができる策だった。


「そうだ。今のところDCに動きは見られないがいつ事態が動くかは分からん。いずれにしろ今のオレ達ではどうしようもできん」
「確かに……どちらの戦力も圧倒的すぎる」


ジークは苦渋に満ちた表情でシュダの言葉に頷くことしかできない。ドリューとオウガはそれぞれがシンクレアを持ち、かつてのキングと同格とされる者達。その配下達に加えシルバーレイという大量破壊兵器を保有している。DCはシンクレアを二つ持ち、先代キングを超える最高司令官であるルシアを筆頭にBGを壊滅させた六祈将軍オラシオンセイスを持ち、恐らく超魔導シャクマも取りこんでいる。今の自分たちではそのどちらにも対抗できない。両者のつぶし合いを期待することもできない。もしどちらが勝ったとしてもシンクレアが四つ揃うことを意味している。残る一つが揃えばその瞬間、世界は終わる。まさに四面楚歌の状況。だがさらなる絶望的な情報がシュダの口から告げられる。


「手遅れかもしれんな……事態は最悪と言ってもいい」
「……どういうことだ」
「先程のドリューの声明の中には奴らの拠点の位置も含まれていた。あえて晒すことでDCを誘い出すためだろう……」


シュダは明かす。自分たちにとって最悪に近い情報。ある意味DCとドリュー達が衝突するよりも避けなければならない事態。


「南、サザンベルク大陸……それがドリュー達の拠点だ」


そこはまさにハル達が四つ目のレイヴを手に入れんと向かっている場所。まるで運命のイタズラのような状況。ジークは目を見開きながらただ考え得る限りで最悪のシナリオを想定しその場に立ち尽くすことしかできなかった――――



広い滑走路に無数の飛行艇が飛び立つ瞬間を今か今かと待ちわびるかのように並んでいる。そこはDCの支部の一つ。だがいつもとは違い臨戦態勢に入っているために施設は緊張感に包まれている。そんな中、滑走路の傍で一人、立ち尽くしている女性がいた。黒いドレスにコート、風によって長い髪をはためかせている美女。

六祈将軍オラシオンセイスの一人、レイナ。それが彼女の名前。この支部も彼女が指揮を任されている場所だった。


「…………」


レイナは険しい表情のまま空を見上げている。まるでその先にある何かを見つめているかのように。普段の煌びやかな姿からは想像もできないような非情な戦士の姿。しかもそれはいつもの比ではない。死地に向かって行く兵士のような雰囲気がそこにはあった。そんな中


「あ、こんなところにいたんだレイナさん! みんな探してたよー!」


あまりにも場違いな少女の声がレイナの背中に向かってかけられる。レイナは先程までの空気を幾分か和らげながら振り返り、自分に向かって元気に走りながら近寄ってくる少女を迎える。


「そう、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてたの。もう準備はできたのかしら?」
「モチロン! みんなようやくアタシ達の出番だってはりきってたし、やる気マンマンだよー!」


満面の笑みを浮かべながらまるで女子高生のような制服とノリを見せながら少女、ランジュはレイナへとすり寄っていく。とてもこの場にいることが信じられないような子供。だが少女もDCの兵士の一人。正確にはレイナが指揮する女戦士アマゾネス部隊の一人であり『騒音のランジュ』の異名を持つ存在だった。


「そのぐらいにしておけ、ランジュ。今は戦闘待機中だぞ」
「いーじゃないソプラ。まだ敵地じゃないんだし、久しぶりにレイナさんと一緒に戦えるんだから!」


そんなランジュを嗜めるように新たな女性がその場に現れる。ランジュとは対照的な長身に加え、短髪のどこかボーイッシュな雰囲気を感じさせる女性。『沈黙のソプラ』ランジュとコンビを組んでいる人物であり、ある意味ランジュのお守をしている存在だった。


「確かにそうだが……いいのか、レイナさん。まだ上から出撃命令は出ていないようだが」
「え? そーなの?」
「ええ……これは私の独断よ。さっきの奴らの声明を聞いたでしょう。シルバーレイが見つかった以上じっとしているわけにはいかないわ」


レイナはどこか淡々とした口調でソプラの質問に応える。だがその内容はまさに命令違反を犯すと公言しているようなもの。いくら六祈将軍オラシオンセイスとはいえ最高司令官の指示もなく部隊を動かしたとなればどうなるか分からない。だがそれすらもいとわない覚悟がレイナの表情には現れていた。それを見てとったソプラはそれ以上追及することはない。


「そうか……あなたがそう決めたのなら私達は着いて行くだけだ。私達は女戦士アマゾネス部隊だからな」
「そーそー! それにアタシ達だけで手柄をあげたらきっとルシア様にも褒めてもらえるよー! くぷぷっ、楽しみだなー!」
「そう……そういえばあなたはルシアに会ったことはなかったのかしら?」
「うん、でも会えるのが楽しみだなーアタシ達の間では噂になってるんだよ。ルシア様は強くてカッコイイんだって!」
「ランジュ……ルシア様は最高司令官だぞ。分かってるのか」
「え? でもソプラも気にしてたじゃん。どんな人なんだろーって」
「そ、それはそうだが……」
「ねえねえ、レイナさんは何度も会ったことあるんでしょ? どんな人なの?」


まるで好きなアイドルの話をするかのように目を輝かせながら迫ってくるランジュの姿にレイナはまるでどこか毒気が抜かれたような感覚に陥る。同時に思い出す。自分に絶対の信頼を置いてくれている彼女たちがいたからこそ今の自分があるのだと。それはまた別としてレイナはランジュの質問の答えを探す。どうやらルシアはランジュ達の中で強くてカッコイイ人物ということになっているらしい。基本本部に引きこもったまま表に出てこないが故の弊害、みしろ恩恵と言えるかもしれない。もっともその内容は最高司令官としてはいかがなものかと思えるようなものだが。それを加味したうえで


「そうね……強くてカッコイイのは本当よ…………黙っていればね」


あえて最後の部分が聞きとれないように小声にしながら応える。嘘偽りないレイナ個人としての感想。子供の夢を壊さないための大人の回答だった。


「そっかーこれはますます頑張らないと! ね、ソプラ!」
「……私はいつもどおりにするだけだ」
「そう願うわ。ソプラはともかくランジュとは案外ルシアは気が合うかもしれないわね」
「ホント!? じゃああれかな、タマノコシがもらえるのかなー? みんなそれが欲しいって言ってたし!」


意味が分かっているのか定かでない言葉を連呼しながらランジュは騒ぎたて、ソプラは無言でそれを嗜めていく。騒音と沈黙のコンビここにありといった形。それに微笑みを浮かべながらもレイナは六祈将軍オラシオンセイスとしての顔に戻りながらこれからのことを思考する。

ドリューとオウガがいると思われるサザンベルク大陸まで飛行艇で移動し、奇襲によってシルバーレイを奪取する。それがレイナの狙い。シルバーレイを取り戻すことはレイナにとっては悲願。今は亡き父の最後の作品を取り戻すためにレイナは悪魔に魂を売り、DCに所属していたのだから。その所在を探るためにルシアに協力をしてもらっていたがそれが実る前にシルバーレイの場所は判明した。帝都を壊滅させるという最悪に近い展開と共に。


(これ以上シルバーレイを……父の作品を殺人兵器にさせるわけにはいかない……!!)


唇を噛みながらレイナは瞳に凄まじい怒りの炎を灯す。父の作った作品を大量殺戮兵器に貶めたことへの、そして何より無実の罪で殺されてしまった父の汚名と無念を晴らすためレイナはルシアの指示を待つことなく独断専行することを決断した。シルバーレイを取り戻すことは自分が為すべきことだという自負がそこにはあった。だがそれだけではない。冷静な戦士としての、将軍としての狙いもそこにはあった。


(シルバーレイを奴らが使用してくる可能性がある以上、全軍で進軍するのはリスクが高すぎる……なら誰かが捨石になるしかない……)


シルバーレイは辺り一帯を消滅させる力を持つ兵器でありその射程と威力は最大であれば大陸すら消し飛ばすほど。それがある以上DCが総攻撃を仕掛ければ全滅をする恐れすらある。ならば少数の奇襲こそがベスト。だがそれでもリスクは変わらない。接近を感知されればその瞬間、シルバーレイによって消されかねない。だがそれはレイナにとっては敗北ではない。何故ならそうなればルシアに後を託すことができるから。シルバーレイはその特性上連続で使用することができない。一度使用すれば最短でも一日以上チャージするための時間が必要となる。なら自分が囮になることでそれを誘発し、ルシアによってシルバーレイを奪い返してもらうことができればいい。

だがこの作戦をルシアが承認しないであろうことをレイナは悟っていた。これまでの付き合いでルシアが戦う上での非情さに欠けていることを見抜いていたからこそ。故にレイナは先行することにした。ある意味ルシアが動かざるを得ないように発破をかけるために。初動が遅れれば、後手に回ればドリュー達がどう動くか予想できない以上電撃作戦しかない。ワープロードでの召喚にも応じない形。

だが囮として犠牲になるのは最後の手段。レイナはシルバーレイを奪い返すことが難しいことは心のどこかで悟っていた。ドリューとオウガはかつてのキングと同格と言われる相手。戦闘になったとすれば自分に勝ち目は薄い。彼らを倒すにはどうしてもルシアの力が必要になる。だが全てをルシアに委ねることをレイナはよしとはしなかった。故にレイナはシルバーレイの破壊を念頭に動き始めている。

これ以上シルバーレイが使われることは絶対に許せない。そうなるくらいならこの世界からそれを消すことがシルバーレイを作ったグレンの娘であるレイナの義務。何よりもレイナは恐れていた。自分では気づかない内に罪のない人間が死ぬことを。


「ランジュ、ソプラ……この戦いは私個人のもの。いつ命を落としてもおかしくないわ……それでもいいのね?」


レイナは一度大きく目を閉じた後、決意を決めた瞳と共に二人に問う。共に死ぬ覚悟があるのかと。それがないのなら付いてくる必要はないと。最後の分水嶺。引き返すことができない一方通行の分かれ道。それを理解した上で


「愚問だな……今更何を言っている。それがこれまでと何が違う」
「あはは! アタシ達が戦うのはレイナさんのためだもん、がんばったらルシア様だけじゃなくてレイナさんにも褒めてもらうんだからね!」


いつもと変わらぬ騒がしさと寡黙さで二人は応える。一切の恐れも迷いもない。それは女戦士アマゾネス部隊全員の総意だった。レイナはそれを感じ取りながらも最後の命令を下す。


「行くわよ……全てを取り戻すために」


レイナは迷いを振り切りながら出撃する。自分から全てを奪った者を倒すために、奪われた全てを取り戻すために。だがレイナは知らなかった。もう一人、自分と同じ因縁を持っている男もまた、自分と同じように動きだしていたことを。


『ハムリオ・ムジカ』というもう一人の銀術師シルバークレイマーの存在を。


今、レイヴの騎士達、ドリュー幽撃団、新生DC。世界の命運をかけた三つ巴の大戦の火蓋が切って落とされようとしていた――――



[33455] 第六十七話 「四面楚歌」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/16 17:16
ソング大陸最大の都エクスペリメント。人口十万を優に超える大都市の中心部にある一つのビルの最上階、現在は新生DC本部である場所に一人の少年がいた。金髪に黒一色の服、だが目を引くのは胸元にある二つの石。だがそれは唯のアクセサリではない。シンクレアと呼ばれる魔石であり、世界を崩壊させる程の力を持つといわれるもの。それを操ることができる少年もまた常軌を逸した力を有している。

『ダークブリングマスター』 『金髪の悪魔』 『DC最高司令官』

聞けば誰もが恐怖によって身を振るわせるほどの異名を持つ少年、ルシア・レアグローブ。だがそんなルシアの姿は明らかにいつもと異なっていた。


「…………」


ルシアは自らのデスクの前で腕を組み、顔を俯かせたまま微動だにしない。その表情は前髪によって伺うことができない。だがそれがいらだちを示していることは誰の目にも明らか。その証拠に部屋には凄まじい重圧とでもいえる圧迫感が充満している。もし一般人がその空間にいれば卒倒してしまうほどの威圧感。DC最高司令官に相応しい圧倒的な強者のみが持つことができる風格。だがそれを受けながらもその場に留まる事ができるもう一人の人物がその場にはいた。


「……申し訳ありません、ルシア様。命を救って頂いたにも関わらず何の役にも立つことができず……」


ルシアの前で跪きながら白いコートを身に纏った青年が口にする。彼の名はディープスノー。DC最高幹部六祈将軍オラシオンセイスの一人であり帝国のスパイを行っていた人物。だがディープスノーの言葉の節々にはおよそ冷静沈着な普段の姿からは想像できない感情が見え隠れしている。それは苦渋、自らが失態を晒したしてしまったことに対する悔しさ。そうなってしまうほどの事態がつい数日前にディープスノーの身に巻き起こった。

『帝都崩壊』

世界最大国家である帝国が一夜にして崩壊する悪夢のような事態。その場にディープスノーは居合わせたもののネクロマンシー、不死となってしまっている鬼達には対抗することはできず、その戦力を削るという本来の役割を果たすことができずそのままシルバーレイという兵器によって帝国本部は消滅させられてしまった。帝国のスパイとして長年潜伏してきたにもかかわらずその役割を全く果たせなかった形。何よりもディープスノーが己のふがいなさを感じているのが自らがルシアによって救われたこと。本当ならシルバーレイの攻撃によって死ぬはずだったにも関わらずディープスノーは一命を取り留めた。ルシアの持つDBの一つ、ワープロードの力によって。鬼神が帝国に奇襲をかけてきた一報を聞きつけたルシアが状況の確認のためにディープスノーをワープロードによって召喚したことによってディープスノーは九死に一生を得た。もしあと数秒遅ければ間に合わなかったであろうタイミング。だがディープスノーにとっては己の命が助かったことよりも自らの醜態を主であるルシアに晒してしまったことの方が問題だった。


「……いや、気にするな。おかげでドリュー達とシンクレアの現状が分かったんだからな」


だがそんなディープスノーをねぎらうかのようにルシアは告げる。ルシアにとってはディープスノーが無事でいてくれたことが何よりの幸運。例え再生を司るアナスタシスを持っていたとしても死者蘇生は不可能。そしてドリュー達の情報を持ち帰ってきてくれたことはむしろ賞賛に値する。帝国のスパイとしての役割を十二分に果たしてくれたと言えるだろう。だがそんなルシアの言葉を受けながらもディープスノーはそのまま沈んだ様子でその場にとどまったまま。忠義の騎士である彼にとっては自らの失態を晒したことはどうしても許せないこと。そしてルシアの苛立ち、焦りのようなオーラが未だに収まっていないことが余計にそれを際立たせていた。だがそれは決してルシアがディープスノーを咎めているわけではない。ただ単純に今起こっている事態を前にして現実を受け止めることができないだけ。


『ふう……なあ、マザー。俺、これからどうしたらいいかな……?』
『とうとう考えることを放棄したか……気持ちは分からんではないがそろそろ正気に戻ったらどうだ。気つけに頭痛をくれてやっても構わんぞ』
『それもいいかもな……できれば数日起きれないぐらいの奴を頼む……』
『……重症だな。流石の我もドン引きのレベルだぞ。アナスタシス、お前も何とか言わんか』
『……アキ様、そろそろこちらに戻ってきてはいかがですか。今は六祈将軍オラシオンセイスも前にいるのですからいつまでもこのままでは……』
『…………ああ、そうだな。ちょっと現実逃避したかっただけだ。ま、ある意味いつも通りと言えばいつも通りだしな。気にすんな……』
『全く……いつものように右往左往するならともかくそんな風に意気消沈されては面白くもなんともないぞ。もっと派手に慌ててくれなければ面白くないではないか』
『てめえ……後で砂漠に送りこんでやるから覚悟しとけよ』


あまりにもあんまりな現状から目を逸らし、現実逃避をしていたもののそれすらも許されないのが今のルシア。それを気遣ってくれるアナスタシスとは対照的にマザーはまるでもっと盛り上げろといわんばかりの態度。要するにいつも通りの流れ。やること為すこと裏目に出る、計画通りに事が進まないのはもはやルシアにとっては当たり前。一種の様式美。ちょっとやそっとのことでは動じない程の経験と言う名の理不尽をルシアは乗り越えてきた。だがそんなルシアをしても現実逃避をせざるを得ない程の事態が今、世界で起きていた。


(一体何が起きたらこんなことになるんだよ!? 原作崩壊とかそんなレベルじゃねえ……もはや別物みたいな最悪の状況じゃねえか!?)


ルシアは脳内で頭を抱え、机に頭をぶつけながらどうしようもない現状に喚き散らすしかない。今までルシアは様々なイレギュラーに対応してきた。キングの六祈将軍オラシオンセイス召喚、BGとの戦争、覆面の男と超魔道シャクマの乱入。小さな物も合わせればそれ以上の数の不測の事態。だが四苦八苦しながらもルシアは何とかそれを乗り越えてきた。だが今回のそれは今までの比ではない。


ドリューがオウガを倒し、シンクレアを二つ手に入れたこと。


ルシアが考えもしなかったある意味最悪の状況。ドリューがヴァンパイアに加えてラストフィジックスまでも手にしてしまったことがルシアにとってはどうしようもない言わば詰みに近い状況だった。


『しかしドリューとかいう奴も二つシンクレアを手にしているとはな……』
『恐らくアキ様が私達を持っていることに対抗するためでしょう。元々ドリューという者がヴァンパイアとラストフィジックス、どちらを手にしていたのか分かりませんが……ともかく二つ持っているのは間違いないでしょう』
『ふむ……我はヴァンパイアの奴がドリューに仕えていると見た。あやつは性根が腐り切っておるからな。ネクロマンサーという根暗そうな術を使うなどあやつの好みそうなタイプだ』
『あ、あなたは……間違ってもヴァンパイアの前ではそんなことは口にしないで下さい。面倒なことになるのは目に見えているのですから』
『ふん、それを抑えるのはお前の役割だ。今頃ラストフィジックスと一緒になってストレスを溜めておるだろうからな。子守は奴には荷が重いであろう』
『……あなたも他人のことは言えないと思いますが』


およそ理解できないシンクレアの井戸端会議が行われているもののルシアには全くその内容は頭には入ってはいなかった。そんな余裕は今のルシアにはない。ドリューが二つのシンクレアを手にしてしまったことの意味を誰よりも理解しているからこそ。


(ラストフィジックスを持ったドリューなんて反則にも程があんだろうが!? どうやっても今のハル達じゃ勝ち目がねえ……)


『物理無効』


それがラストフィジックスのシンクレアとしての能力。単純であるがゆえに強力無比な最強の一角。その脅威をルシアは知っていた。この能力の前では今のハル達では手も足も出ない。TCMの能力は剣である以上その大半が物理攻撃でありラストフィジックスの前では通用しない。能力の上では真空の剣メル・フォース双竜の剣ブルー=クリムソンなど物理以外の能力もあるがあくまでそれは補助であり直接敵を倒せる威力ではない。ネオ・デカログスを持つルシアであればいくらでも方法はあるが今のハルでは打つ手はない。切り札足り得る太陽の剣ミリオンサンズも光属性ではあっても剣である以上通用しない。ムジカとレットに至ってはほぼ全ての攻撃手段が物理であるため手の打ちようがない。例え魔導士であるジークがいたとしても勝機は薄い。ドリュー自身が魔王に相応しい闇魔法の使い手であるにも加えヴァンパイアの引力支配の能力もあるため生半可な魔法は通用しない。まさに死角のない完璧な原作を超える魔王が誕生してしまっていた。


『何だ、怖気づいたのか主様よ。情けない、例え奴らがいたとしても我らの敵ではないというのに……』
『…………』
『アキ様、恐れることはありません。確かにヴァンパイアとラストフィジックスの力は侮ることはできませんが私達の力もそれに劣るものではありません。となれば後は担い手の強さの勝負。アキ様なら四天魔王級でないかぎり後れを取ることはありません』
『ふん、小難しいことは抜きにしても今のお主なら例えバルドル以外のシンクレア全てをドリューが持っていたとしても問題ない。我だけいれば十分だ』


意気消沈しているルシアに気づいたようにマザーとアナスタシスが次々に言葉をかけてくるもルシアの様子は変わることはない。それはアナスタシスの勘違い。ルシアは決してドリューと戦うことを恐れているわけではない。もちろん戦うことがないならそれに越したことはないというヘタレ思考ではあるが戦って易々と後れを取るほどヤワな経験をしてきたわけではない。確かにラストフィジックスは脅威ではあるがルシアであれば対抗手段はいくらでもある。ネオ・デカログスであれば十分にドリューを瞬殺できる威力がある。ヴァンパイアの極みは油断できないがそれと同じようにルシアにはマザーの極み、次元崩壊がある。上回ることができなくとも最悪相殺することはできるはず。加えてアナスタシスという回復手段もある。負ける要素はほぼない。ドリューと戦うことになってもルシアは問題ない。だがそれよりも大きな問題がルシアにはあった。それは


(ダメだ……! ドリューを倒しちまったらシンクレアが四つ揃っちまう……!)


ドリューを倒した後。二つのシンクレアを手に入れてしまうこと。すなわち四つのシンクレアが揃ってしまうこと。それがルシアがドリューと戦えない最大の理由だった。


(いや……それだけじゃすまねえ……魔界に行けば五つ目のシンクレアも手に入っちまう……そうなっちまったらどうしようもねえ……)


心の中で顔面を蒼白にしながらルシアは考えられる限りで最悪の展開に身を震わすことしかできない。既に四天魔王に認められている以上魔界に行けば五つ目のシンクレアもすぐに手に入ってしまう。残る一つになってしまった時点でどんな言い訳もマザー達には通用しないため引き延ばすこともできない。そうなれば世界はおしまい。そうなることを避けるために最悪でもルシアはヴァンパイアをハル達に手に入れてもらうつもりだった。欲を言えばラストフィジックスも手に入れてほしかったのだがレイナを救うためにルシアはオウガだけは倒すつもりだったのでそれはあきらめていた。だが状況は大きく変化した。オウガは敗れ、二つのシンクレアがドリューの手に渡ってしまった。もしそれを倒してしまえば二つのシンクレアを手にしてしまうのは道理。どう言い訳しても手に入れない選択肢はない。ハル達がドリューを倒してくれれば何の問題もないが今のドリューをハル達が倒すことは実質不可能。それを放置すればハル達が全滅してしまう。しかも加えてオウガ達もネクロマンシーとして復活している。ディープスノーの報告によれば不死の存在。ある意味ラストフィジックスを持っていた時よりも強くなっているといえる。止めがシルバーレイの存在。原作では使用されることはなかったシルバーレイも既に使用されドリューの手の中にある。場合によってはそれによってハル達は全滅させられることもあり得る。


(……ん? ちょっと待てよ……俺、何か大事なこと忘れてるような気がするんだけど……)


これ以上ない混乱状態の中、ルシアはふと思考を止める。まるで何か忘れてはいけない大事な何かを忘れてしまっているかのような感覚。ある意味気づいても当然にもかかわらずそれ以上の事態の連続でかき消されてしまっている、喉まで出かかるも出てこない何かルシアは困惑するしかない。これ以上自分にとって都合の悪いことなど起こりようがないというのに。だがそんなルシアの考えは


「し、失礼します! ルシア様、至急お伝えしたいことが……!」


慌ただしさと共に部屋に現れた側近であるレディによって粉々に砕かれてしまった――――



「……これはいつのことだ」
「はい……数時間前のことだということです。恐らく今は既にサザンベルク大陸、ドリュー幽撃団と接触している可能性が……」
「…………そうか」


ルシアはただ黙りこんだまま目の前にある報告書、資料に視線を向けたまま。そんなルシアの今まで見たことのない常軌を逸した気配にレディはもちろんその場に居合わせたディープスノーも息を飲む。


『レイナが単独でサザンベルク大陸、ドリュー達の元へ向かった』


それが今、レディによってルシアに伝えられた事態。六祈将軍オラシオンセイスが最高司令官であるルシア許可もなく独断で動くという処刑されてもおかしくない命令違反。その証拠にルシアの顔には明らかな怒りが見て取れる。普段六祈将軍オラシオンセイス達の前では厳しい態度を取らないことを知っているディープスノーだからこそルシアがこれまでにないほど憤りを抱いていることを悟っていた。だがそれは表向きの話。実際は


(ふ、ふざけんじゃねえぞ―――!? よりによってこのタイミングでなんてことしやがるんだあの女―――!?)


あまりにも理不尽な展開に、そしてそれを見抜けなかった自分の馬鹿さ加減に対する絶叫だけだった。

そう、ルシアは見落としてしまっていた。ドリューがオウガを倒し、シンクレアを手に入れた。そればかりに囚われてしまった。シルバーレイという超兵器を使用されれば一体何が起こるか。それが何を意味するか。それに深い因縁を持つレイナが黙っているはずがない。完全に忘れていたわけではないが表向きには帝国が消滅しただけであったためルシアはそれを重要視していなかった。だがつい数時間前事態は動いた。ドリューによる世界に対する宣戦布告。そこで明かされたシルバーレイの存在。ルシアは弾けるように自らの持つDBワープロードを手に取る。その能力である瞬間移動、召喚を行うために。レイナにシルバーレイの存在を知られてしまった以上動かれるのはどうしようもないが単独で動かれては万が一の時に対処しようがない。しかもレディが持ってきた資料はレイナ自身がここに送りつけたもの。シルバーレイの情報とそれを踏まえた作戦の提示。レイナが囮になることでシルバーレイの奪還をおこなうためのもの。だがそれはルシアにとっては迷惑以外の何物でもない。確かにシルバーレイは脅威ではあるがルシアだけであればマザーの力によって無力化できる。レイナに死なれることの方がルシアにとっては問題だった。だが


(っ!? くそっ! やっぱ召喚に応じねえ! あいつ、ほんとに死ぬ気なんじゃ……!)


いくらワープロードの召喚を行おうとしてもレイナがこの場に現れることはない。それはつまりレイナ自身が召喚を拒んでいるということ。契約である以上ワープロードは了解なく対象を呼び出すことはできない。その特性上ルシアはレイナの元に飛んでいくこともできない。そんな中、ルシアは苦渋の決断を下す。自らが直接サザンベルク大陸に移動しレイナを止めることを。元々オウガとシルバーレイを止める予定であったためルシアは何年も前にサザンベルク大陸に移動できる場所を確保していた。もちろんドリュー達がどこを拠点にしているかまでは正確に把握できているわけではないため移動したとしてもそこからは物理的に移動するしかない。その際には移動手段としてドラゴンを使う手筈。だがいくらドラゴンといえどすぐに向かわなければ間に合うかどうかは分からない。ルシアは反射的にワープロードによって瞬間移動する。ドリューのことも、シンクレアのことも今は後回し。とにかく現場に向かわなければどうしようもない。だがそんなルシアの行動は


「なっ……!? これは……!?」


驚愕の声と共に止まってしまう。レディ達の前にも関わらずに素を出してしまうという失態。だがそうなってしまうほどの驚愕がルシアに襲いかかる。それは


(ワープロードが使えねえ……!? これじゃまるで……)


ワープロードが使えないという事態。まるでかつてのジェロ、ジークの結界にも似た何かの力がこの場に張られているかのように。瞬間移動への対抗策が今その力を発揮している。それはつまりここからルシアを移動させない目的があってのこと。


『ふむ……どうやらドリューという奴は中々やるようだな。ここまで早く手を打ってくるとはな』
『そうですね……恐らく先程の宣戦布告も私達の目を欺くためのものだったのでしょう。帝国を崩壊させたのもこの時のための布石だったということですか……』
『っ!? お、お前らなに勝手に納得してやがる!? どういうことか説明しろ!』
『喚くでない、騒々しい……どうやら奴らの方が一歩上だったということだ。周りに意識を集中して見ろ。そうすれば全てが分かるであろう』
『周り……? 一体何を……』


マザーの言葉の意味を解せぬままルシアはその意識を研ぎ澄ます。瞬間、ルシアは感じ取る。それはDBの気配。それも一つや二つではない。間違いなく組織クラスの数のDBがこのエクスペリメントを包囲するように存在している。その全てがDCではない未知の部隊の物。だがその内容からルシアは見抜く。マザーやアナスタシスから生まれたものではないDB達。鬼達が保有しているDBが今、エクスペリメントを包囲しつつある。間違いなくこの結界も彼らの仕業。


同時に次々にけたたましい無線の音が部屋に鳴り響く。レディはその全てに対応できず混乱するしかない。まるで嵐が来たかのような騒がしさ。だがその光景をディープスノーだけは知っていた。つい数日前に全く同じ光景を、展開を目にしたのだから。違うのはその標的が帝国からここ、DC本部に切り替わったということだけ。


「ルシア様……報告です。現在鬼と思われる部隊がエクスペリメントで行動を開始したとのことです。まだこの周囲までは来ていませんがそれも時間の問題です……そして」


どこか淡々とした様子でレディは報告を行っていく。だがその表情には恐怖が隠し切れていない。側近であるレディにはあるまじき姿。だがそうなってしまうほどの絶望がそこにはあった。レディは口にする。その事実を。


鬼達と思われる部隊がエクスペリメントに向かって無座別に攻撃を仕掛けていること。その全てがまるで狙ったかのようにここ、DC本部に向かっていること。そして



「銀色の船と思われるものが……この上空に向かっている、とのことです……」



数日前、帝都を消滅させた銀術の最終兵器が今、再びその姿を現したことを。


今、サザンベルク大陸ともう一つ、ここエクスペリメントでDCと鬼神の大戦の幕が切って落とされた――――



[33455] 第六十八話 「決意」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/21 05:53
南の地、サザンベルク大陸。日が沈み夜の闇が全てを支配する空に一隻の船があった。だがそれはとても船とは思えないような巨大な要塞。『クリーチャー』それがその巨大要塞の名。夜の支配者であるパンプキン・ドリュー率いるドリュー幽撃団の本拠地だった。そしてその中に一つの人影がある。黒の短髪に額にピアス。首に銀でできたドクロを身に着けている青年。


「すまねえ、みんな……オレの我儘に付き合わせちまって……」


銀術師シルバークレイマームジカ。彼はどこか申し訳ない表情を浮かべながら自らの後ろから一緒に付いてきてくれる仲間達に向かって礼を述べる。だが


「何言ってんだよムジカ、オレ達仲間じゃねえか。勝手に出て行くなんて水臭いぞ」
「そーだよ。あたしたちだってムジカにはいっぱい助けてもらってるんだから。そんなの気にすることないよ」
『プーン!』


そんなムジカの心配など無用だといわんばかりに満面の笑みを浮かべながらハルとエリーはムジカの後に続く。二人だけではなくレット、グリフ、プルーも同じ。今この場にはレイヴの騎士達が集っている。その目的は皆同じ。この要塞の主であるドリューを倒し、シルバーレイを止めること。

だがムジカはそれを一人で成し遂げる気だった。ハル達はシンフォニアを出発し、いくつかの中継地点を経ながらも四つ目のレイヴがあるここサザンベルク大陸へと向かっていた。だがそこに到着しようとした矢先に予想もしなかった事態が起こる。帝国の崩壊とドリューの声明。そこで明かされたシルバーレイの存在。それを知ったムジカはいてもたってもいられず行動を起こす。単身ドリューの元へ乗り込みシルバーレイを破壊するという無謀とも言える行動を。シルバーレイを破壊することはムジカにとっては師であるリゼから託された遺言であり使命。それがついに見つかった以上ムジカはそのまま黙っていることなどできない。だが相手はあのドリュー。自分の勝手な行動にハル達を巻き込むわけにはいかないと黙って出撃したもののそれを見越していたかのようにハル達はここへと救援に現れた。仲間であるムジカのことを誰よりも理解しているハル達だからこそできる行動だった。


「気持ちはありがてえが……相手はあのドリューだぜ。レット、お前もいいのか。確か前もドリューには手を出すなって言ってただろ」
「……確かにドリューはかつてのキングに匹敵するといわれておる。だが戦を避けられん以上仕方あるまい。ワシらの力も増しておる。多勢に無勢、ワシの理念には反するがワシら全員で戦えば勝機はあろう」
「そ、そうですよ! いくら強いと言ってもハルさん達も強くなってるわけですし……」
「そうか……悪いな、みんな……」


ムジカはレット達の言葉に感謝しながらも気持ちを新たにする。最悪自分が死ぬことになってもシルバーレイの破壊だけは成し遂げる気だったのだがハル達が力を貸してくれるならドリューを倒すことも不可能ではない。同時に焦り、周りが見えていなかった自分自身に活を入れる。言わばそれはハル達を裏切る行為だったのだから。だがもうムジカには迷いはない。仲間たちと共にドリューを倒し、シルバーレイを破壊するだけ。


「気にすんなって! それにルビーのこともある。早く助けに行かねえと……」
「うん! でもどうしてルビーだけをさらって行ったんだろ?」
「おそらくルビーの持つ財産を手に入れるためじゃろう。てっきりあきらめたものとばかり思っておったが……」
「だがそうなら少なくとも命の心配はないんじゃねえか? 手荒なことをすれば財産も奪えねえだろ」
「ウム……だが急ぐに越したことはない。ここはいわばドリューの手の内。何があるか分からぬ」


ハル達は状況を憂いながらも再び要塞の中心部、ドリューがいるであろう城に向かって動き出す。ハル達がここにやってきたのはムジカを追って来たこともあったがもう一つ、仲間であるルビーが攫われてしまったのを取り戻すためでもあった。風に変化する能力を持つ女であるリリスに奇襲によってルビーはドリューの元へと攫われてしまった。恐らくはルビーが父親から受け継いだ莫大な財産を奪うために。元々ハル達はルビーを匿ったことでドリューと敵対していたのだから。だが今はそれだけではない。シルバーレイという超兵器を使った虐殺。加えてシンクレアという悪の根源を持っているとされること。レイヴマスターとして戦うことは避けられない相手。


「でも思ったよりも敵の数が少なくないか? てっきりもっと大勢いると思ってたのに……」
「確かにそうだな。途中で何人かの幹部は倒したが大したことない奴らだったし……連合組んでるっていう鬼も一匹も見当たらねえ」
「い、いいじゃないですか! 敵が少ないに越したことはありませんよ!」
「グリフの言う通りだよ。いっぱい出てこられた方が困るし」
「その通りだが……やはり妙じゃ。仮にワシらを侮っているにしてもこれだけ警備が手薄だとは思えぬ」


レットはハル達の疑問を聞きながら改めて不可解な状況に首を捻るしかない。クリ―チャ―に乗りこんでからレット達は何度かの戦闘を行った。幹部と思われる狼男を操るマミーと呼ばれる博士。自らの手足を巨大化させるDBを持つ大男ビリー。そして一般兵と思われる集団。その全てを倒し、既に城は目の前。順調すぎるほどの状況。だがあまりにも自分たちに都合のいい展開にレットが気を引き締めている中


「ねえ、あそこがゴール?」
「ああ、きっとそうだ! 大きな城と門がある!」


ハルとエリーは目的地である城が目の前に迫ったことに気づき声を上げるも同時に辺りの景色が変わり始めていることに目を奪われる。それはまるで水晶のようなものが溢れている空間。暗闇に包まれている要塞の中にあって異彩を放つ物。だがそれすらも目の入らない程の想像できない光景がそこにはあった。

倒れ伏している無数の兵士達。その全てがドリュー幽撃団の構成員。そしてその中で一人息一つ切らすことなく髪をたなびかせている女性の姿。ムジカ達はその女性が何者であるかを知っていた。


「お前は……レイナ……?」


六祈将軍オラシオンセイスの一人、ムジカ同様銀術師シルバークレイマーでもある女性、レイナ。


「…………」


レイナはムジカに声をかけられ一度視線を向けるもそのまま振り返り城の中へと向かって行こうとする。まるでムジカなど、レイヴの騎士達など眼中にないかのように。その纏っている空気もかつてシンフォニアで戦った時とは比べ物にならない程研ぎ澄まされている。甘さが全くない冷酷な六祈将軍オラシオンセイスとして貌。ムジカはもちろんハル達も予想だにしていなかった状況にどうしたものかと狼狽し身動きが取れない。そんな中レットだけは冷静に今の状況を分析していた。


(なるほど……六祈将軍オラシオンセイス、DCが侵入していたので敵の目がそちらにも行っていたということか……)


レイナの周囲に倒れ伏している兵士達。それはすなわちレイナがドリュー達を倒すためにここへ侵入してきていることを示すもの。自分達とは違うDCというもう一つの勢力が侵入していたことによって警備が割かれてしまっていたことがこうもあっさりと城までたどり着けた理由であったことにレットは気づく。だがそれは同時にもう一つの危険を孕むもの。それは


(やはり狙いはドリューが持つというシンクレアか……もしルシアも侵入してきているとすればワシらの手には負えん……)


DC最高司令官であるルシアがこの要塞に侵入している可能性があるということ。もしそうであればドリュー以上に危険な相手であり自分たちに勝ち目はない。もしそうでなくとも六祈将軍オラシオンセイスが複数きているだけでも自分たちにとっては厄介極まりない事態となり得る。最悪ドリューとDCを同時に相手しなければならない状況すらあり得るのだから。だがムジカだけは知っていた。レイナにはシンクレア以外のドリューと戦う理由があることを。


「レイナ……あんたもシルバーレイを狙ってここに来たのか?」
「…………悪いけどあんたと話をしている時間はないわ。邪魔をするなら殺すわよ」


シルバーレイという銀術の最終兵器。レイナにとっては父の最後の作品を奪い返すこと。そのためにレイナはここへやってきている。単独行動という裏切り者とされてもおかしくないリスクを負いながら。ランジュやソプラたち女戦士アマゾネス部隊はドリュー以外の構成員を殲滅するために別行動を行っている。その隙を狙いレイナは単独でここまでたどり着いていた。だがその表情には全く余裕がない。それは目標であるシルバーレイがどこにも見当たらないことにあった。最悪シルバーレイの攻撃の囮になる覚悟だったにもかかわらず攻撃は行われずそれどころかその姿すら影も形もない。その大きさから隠すことができるようなものではないにも関わらず発見できないことに疑問を感じながらもレイナはクリーチャーに潜入する作戦を取る。シルバーレイを持っているドリューからシルバーレイの在処を聞き出すために。その邪魔をするなら何者であれ容赦しない。レイナとムジカ達の間に緊張が走り、今にも戦闘が開始されんとした時


「ほう……どうやら今宵は千客万来らしい。だが他人の城の前で争うなどいささか礼儀に欠けるとは思わんかね?」


そんなどこか場違いな台詞と共に城の主が一歩一歩門から近寄ってくる。漆黒の衣装を身に纏った男爵のような姿。だがその圧倒的な王者の風格を隠し切ることはできない。ただその場にいるだけで空気が重くなるような感覚に全員が襲われる。その場の全ての者は悟る。目の前にいる男がまさに夜を支配するに相応しい力を持っていることを。

夜の支配者 『パンプキン・ドリュー』

かつてのキングに匹敵するといわれるもう一人の王が今、ハル達の前に現れた。


「……お前がドリューか」
「いかにも。私がこの要塞の主であるパンプキン・ドリューだ。初めましてといったころか、レイヴマスター……光の者よ」
「そんなことはどうだっていい! ルビーはどこだ!?」
「ルビー? ああ、あの下等生物のことか。残念ながらあれがどこに行ったのかは知らぬ。今頃どこかで野たれ死んでいるかもしれんな。まあ財産は全て手に入れた以上どうなっていようが構わぬがな」
「っ!? お前―――!!」
「落ち着けハル! 唯の挑発じゃ、闇雲に突っ込んでは返り討ちに会うだけじゃ!」
「そうだよハル、落ち着いて! 知らないってことはきっとルビーは上手く逃げ出したんだよ」
「くっ……わ、分かった。ごめん、みんな……」


激昂し、すぐさま斬りかからんとするハルをレットとエリーが寸でのところで押しとどめる。戦闘が既に避けられないことは分かり切っているがそれでも単身で突っ込んでは勝機は薄い。相手はかつてのキングと同格とされる男。怒りに支配され闇雲に戦って勝てるほど甘い相手ではない。頭に血が上りやすいハルであってもようやく落ち着きを取り戻し再びTCMを、レットは拳、エリーはG・トンファーを同じように構えながらドリューと対面する。


「なるほど……どうやら少しは楽しめそうだな。クッキーが抜けているとはいえ我が配下達を倒しただけはあるということか……」


ドリューは全く動じることなく冷酷な視線をもってハル達を射抜く。だが以前その腕を組んだまま。隙だらけにも見える体勢にもかかわらずハル達は微動だにできない。まだ戦ってもいないにも関わらず気圧されてしまったかのように。だがそんな中


「あんたがドリュー……確かに話に聞いた通り暗そうな奴ね」


ハル達の間に割って入るかのようにレイナがドリューの前に一歩出る。その視線だけで人が殺せるのではないかと思えるほどの怒りを秘めた瞳をみせながら。


「ほう……六祈将軍オラシオンセイスか。だが舐められたものだな。まさか六祈将軍オラシオンセイス如きがこの私に挑もうと?」
「そんなことはどうだっていいわ。聞きたいことは一つだけよ……シルバーレイはどこ?」
「シルバーレイだと……? シンクレアではなくあの兵器を気にしているのか? それがルシアの命令ということか」
「ルシアは関係ないわ! 質問しているのは私よ! さっさと答えなさい!」


ヒステリックとでもいえる凄まじい剣幕でレイナはドリューへと迫る。自らの目的であるシルバーレイが一体どこにあるのかという問い。それを奪い返すために命令違反をしてまでここまでレイナはやってきたのだから。今も配下であるランジュ達は時間を稼ぐためにドリューの兵と戦っているはず。なら一分一秒でも無駄にすることはできない。そんな想いと焦りがレイナを駆り立てていた。


「……なぜそこまでシルバーレイに執着しているかは知らんが残念だったな。シルバーレイはここにはない」
「っ!? ど、どういうことだ!? まさかシルバーレイを持ってるってのは嘘だったのか!?」


ドリューの予想だにしなかった答えに今まで黙っていたムジカが大声を上げる。当たり前だ。ハル達を危険に晒してまでここまできたにもかかわらずその目標の一つであるシルバーレイがないと言うのだから。


「言葉が足りなかったようだな。今、この場にはないということだ。今頃シルバーレイは鬼達によってエクスペリメントに到着している。新たな目標を消すためにな」
「―――っ!?」


だがドリューの言葉によってハル達は言葉を失う。何故ならその言葉通りならシルバーレイによってエクスペリメントが消滅させられてしまうことを意味しているのだから。ムジカは自分が大きなミスをしてしまったことを悟り、顔を歪ませるしかない。今からエクスペリメントに向かったとしてもとても間に合うような距離ではない。もはやシルバーレイが再び使われることを防ぐ手はない。だがそんなムジカ達よりもさらに衝撃を受けている人物がいた。


(エクスペリメントですって……!? まさか……!!)


それはレイナ。レイナは息を飲みながらただドリューが口にした目標を頭の中で反芻するもその答えは変わらない。『エクスペリメント』そこはDCの本部がある街。そこをシルバーレイで攻撃するという偶然で済ませることができない事態。


「どうやら気づいたようだな。お前が考えている通り、DCの本部があるエクスペリメントを最高司令官であるルシアもろとも消し去ることが私の目的だ」
「っ!? ど、どうして本部の場所を知っているの!? あの場所は限られた者しか知らないはず……」


レイナは焦りと動揺を隠すことすらできぬままただ疑問を口にすることしかできない。DC本部の場所は秘匿され、限られた者しか知らされていない。例え捕まって拷問されたとしても口を割るようなことはあり得ない。だが


「何、簡単なことだ。知る者を捕まえて本人にしゃべってもらっただけだ。殺した後、死者として蘇らせてな。そうなれば私に逆らうことなどできはせん」
「…………」


ドリューは何でもないことのように種明かしをする。知る者を捕え殺し、それをネクロマンシーとして蘇らせることで場所を聞き出したのだと。拷問する必要もないあまりにも合理的な、非人道的な手段。ハル達もドリューが死者を蘇らし、操ることができることよりもそのあまりの残酷さに言葉を失ってしまう。


(ちっ……! なんてこと……じゃあ私はまんまと一杯喰わされたってことじゃない!)


レイナは己の道化ぶりにただあきれ果てるしかない。シルバーレイが見つかったことで頭に血が上り、正確にその所在を確かめることなく単独行動をした結果がこのざま。シルバーレイを止めることもできず、あろうことは本部であるエクスペリメントを危険に晒してしまうという大失態。いくらルシアといえども大陸すら消し飛ばすシルバーレイに狙われれば命はない。再び何十万もの命がシルバーレイによって奪われることになる。


「……! あんた本当に分かってるの!? あれを使えばどうなるか……私から父を奪っただけではなく今度はその作品まで貶めようっていうの!?」
「レイナ……お前……」
「父……そうか、お前の父があの兵器を造ったということか。だがあれを奪ったのは私ではなくオウガだ。もっとも使ったのが私なのは事実だがね」
「くっ……!!」


まるで子供のように自らの心の内を晒すレイナに向かってあくまでも冷酷な表情を崩すことなく淡々とドリューは応えるだけ。シルバーレイを使うことも、数十万の命を奪うことも全く気にすることはない。ドリューにあるのはただ自らの絶対王権を作りあげることだけ。かつて光を、人間を信じ裏切られた復讐。闇の世界を作り上げるためならどれだけの犠牲があろうと構わない。否、犠牲だとすら思っていない。それこそが闇の使者たるシンクレア、ヴァンパイアに選ばれたドリューの資質。


「フム……まあいい、一つだけお前達にとって希望をくれてやろう。今、シルバーレイを動かしているのは鬼共。だがその鬼共は全て私のネクロマンシー、操り人形だ。つまり、私を倒せばシルバーレイを止めることもできるということだ」


少し考えるような仕草を見せながらもドリューはおよそ理解できないような事実を口にする。自分が鬼神を全て死者にして取りこんでいることを。そして自分を倒せばそれを止めることができることを。


「馬鹿な……鬼神を取りこんだじゃと……?」
「そ、それってヤバすぎなのでは……?」


レットとグリフはドリューが口にした事実にただ戦慄するしかない。もう一つのシンクレアを持つ勢力である鬼神を同盟ではなく完全に支配下に置いている。間違いなくDCに匹敵する規模の組織へとドリュー幽撃団は力を増している。もしこの場でドリューを倒すことができなければ次は鬼神も同時に相手にしなければならない。それはつまりもう一人のキングと同格とされる存在、オウガと戦うことを意味する。ドリューを相手にすることですら精一杯にも関わらずオウガも出てこられれば勝ち目はない。ある意味今がドリューを倒す最後の機会。


「でもあいつの話が本当ならあいつを倒せば鬼神も、シルバーレイも止められるってことだろ?」
「そーだよ! あたし達がドリューを倒せばいいだけじゃない!」


ハルとエリーは戦う意志を取り戻したかのように告げる。この場でドリューを倒すことができれば全てが上手く行くと。いわば全てがドリューを倒すことへと集約している、これ以上ないほど分かりやすい答え。


「……一体どういうつもり? わざわざそんなことを私達に教えて何を企んでいるの?」


そんな中、レイナだけは逆に冷静さを取り戻しながら問いかける。何故そんなことを自分たちに教えたのか。ドリューにとっては何のメリットもない行動。逆に自分やレイヴの騎士たちに闘志を与えかねない言葉。レイナはそれが偽りなのではないかと疑う。だが


「心外だな、全て事実だ。お前達が希望を持てばそれを奪った時の絶望、闇もさらに深くなる……私はそれが見たいのだよ」


ドリューは不敵な笑みを見せながら宣言する。先の言葉が全て事実であることを。希望を与え、それを奪うことでさらなる闇へと相手を陥れる。それこそがドリューの狙い。そして


「来るがいい……『私を倒す』など誰にもできん。光の力がいかに微々たるものか思い知らせてやろう……」


自分を倒せる者などこの世には存在しないという絶対の自負。魔王としても誇りがその理由。もはや言葉はいらぬと告げるかのようにその手に黒い剣が姿を現す。宵の剣という闇の支配者に相応しい武器が。


その瞬間、夜の魔王であるパンプキン・ドリューとレイヴの騎士達、そして六祈将軍オラシオンセイスレイナ。様々な思惑が入り混じった戦いが始まった――――




時同じく、エクスペリメントでもまたもう一つの争いが巻き起こっていた。いつもの賑やかな街の雰囲気は欠片も残っていない。あるのは悲鳴のような声とパニックになった人々が街から離れようとしている光景だけ。だがあまりにも多い人混みによって人々は思うように避難することができない。だがそれでも人々はただ逃げるしかない。つい先日帝国を消滅させた兵器であるシルバーレイ。それがエクスペリメントに向かっているという情報によって。その力が振るわれれば大都市であるエクスペリメントであっても一瞬で消滅させられてしまう。しかし人々には逃げることすら許されてはいなかった。

『鬼神』

ドリューによって不死のネクロマンシーとして操られている鬼神によってエクスペリメントは包囲されてしまっている。そこから逃げ出すことなど一般人には不可能。交通機関や出口となる場所は全て封鎖されてしまっている。その手際の良さは先の帝国戦の比ではない。それこそがドリューの狙い。帝都崩壊は予行演習に過ぎず、この戦いこそが本命。その狙い通り全く無駄のない洗練された動きによってエクスペリメントはまさに陸の孤島と化した。魔導士による空間転移を封じるために各所に魔水晶ラクリマと呼ばれる魔力を宿した水晶も設置されている。あとはシルバーレイの射程範囲にエクスペリメントが入るのを待つだけ。だがそんな絶望的な状況の中で避難することなく留まっている者たちがいた。


「ダメです……やはり既に包囲は完成しているようです。応戦している部隊も既に……」


苦渋の表情を浮かべながら参謀であるレディは現在の状況をルシアに報告する。だがその内容はどれもが最悪を示すもの。全てが後手に回り打つ手がない状況。まるでこちらの手の内も戦力も全て見透かされているかのような手際の良さ。加えて本部であるここエクスペリメントには最低限の人員しか配置されていない。あまりに多くの人員を配置すれば逆に本部の場所を特定されてしまう危険を考慮した処置。だがそれが今裏目に出てしまっている。しかし例え万全の戦力があったとしても恐らくは同じ結果だったろう。何故なら相手は不死の存在。倒すことができず、疲れることのない無敵の肉体を持つ鬼達なのだから。


「……ルシア様、どうかここはルシア様だけでも撤退を。ルシア様だけなら包囲を突破することも難しくないはずです。シルバーレイを使われる前に動かなければ危険が……」


意を決したようにレディがルシアに向かって進言する。だがその表情は硬く、汗が流れている。だがそれはシルバーレイや鬼神に恐れをなしているわけではない。最高司令官であるルシアに向かって進言すること、しかも撤退を促すという内容。もし逆鱗に触れればこの場で処刑されてもおかしくない。だがそれを理解しながらもレディは参謀としてルシアいこの場を離脱することを勧める。自分たちが死んでも代わりはいくらでもいるが最高司令官であるルシアの代わりなど存在しないのだから。横に控えているディープスノーも心は同じなのか何も口にすることなくただ頭を下げているだけ。だが肝心のルシアはただ無表情でその場に立ち尽くしているだけ。まるでここにはいない誰かと話しているかのように。だがそれは間違いではない。この場にはルシア達以外にも二つの意志を持つ存在がいたのだから。


『アキ様……レディが言う通りこの場は一旦退くべきです。いくらマザーの力があるとはいえ万が一もあります。とりあえずワープロードが使える場所まで移動した後、サザンベルク大陸まで飛べばいいのです。後はドリューを倒せば二つのシンクレアが手に入ります。そうなればもはや私達に敵う者はいません』


そのひとつであるアナスタシスが主であるルシアに向かって提案する。一旦この場を離れ、ワープロードによって移動し、ドリューを倒す。これ以上ないほどに分かりやすい無駄のない作戦。マザーの力を使えば無力化できるとはいえわざわざシルバーレイの攻撃を受ける必要もない。不死である鬼神達は厄介だが包囲を抜けるだけならルシアには造作もないこと。だがルシアはアナスタシスの言葉に頷くことができない。何故ならアナスタシスの言葉には決定的に欠けているものがあったから。


(確かにアナスタシスの言う通りだ……でもそうなっちまったら本部の連中と街の人間が全滅しちまう……!)


それはルシア以外の人間への配慮。アナスタシスにとって優先すべきは主であるルシアの命のみ。それ以外の存在など気に留める必要はない。ある意味合理的な、機械のような冷たさがそこにはある。かつてマザーが口にした言葉。六祈将軍オラシオンセイスは駒でありルシアが王。例えそのすべてを犠牲にしても主を優先し、全てのシンクレア揃えること。その二つを持つドリューの居場所が判明した以上後はそれを手に入れるだけ。シンクレアとして当然の選択。だがそれを選択すればこの場にいる自分以外の全ての人間を見捨てることになる。しかしここでシルバーレイに、鬼神達に時間を取られればその間にハル達が全滅してしまう可能性もある。もしドリューを倒せたとしてもシンクレアが四つ揃ってしまう。どの選択をしても得るものと失うものがある。どれが正しい選択なのか、正解があるのかどうか分からない二択。時間だけが刻一刻と過ぎて行く。選ばないという選択肢はない。ルシアがただその重さに翻弄されている中


『全く……いつまで愚痴愚痴悩んでおる、情けない。さっさとシルバーレイを止めてドリューの元に行く。それだけであろうが』
『…………え?』


どこか拍子抜けするかのような声と共にルシアは我に帰る。それはマザーの声。だがその内容にこそルシアは呆気にとられていた。まるでそれ以外などあり得ないと言わんばかりの空気がそこにはあった。


『……? 何を言っているのですか、マザー。今はこの場にいても何の益にもなりません。一刻も早くドリューを倒し残る二つのシンクレアを手に入れるべきでしょう。シルバーレイと鬼神を相手にするなど何の意味もありません』
『ふう……これだから頭が固い奴は困る。そもそも何も分かっておらぬのはお前の方だ、アナスタシス。残るシンクレアなどいつでも手に入る。だがここでシルバーレイと鬼神を見逃せば多くの犠牲が出る。そうなればヘタレな我が主様は気にせずにはおられん。そのせいで戦闘に支障が出れば本末転倒であろう』


やれやれと言わんばかりの態度を見せながらマザーは自らの考えを吐露する。この場でシルバーレイを見逃すことのリスクを。もしそのせいでルシアの動きに支障が出るようでは困ると。


『……あなたが何を言っているのか分かりません。そもそも全てのシンクレアが揃えばこの並行世界は消滅するのです。なのに何故そんなことを気にする必要があるというのですか?』
『ふん、前にも言ったであろう。我は我がやりたいようにする。それだけだ』
『……そうでしたね。聞いた私が浅はかでした』



アナスタシスの疑問に答えることなくマザーはただ自分がやりたいようにするだけだと告げる。唯我独尊、他人を省みることなどあり得ないマザーらしい姿。だがそれにアナスタシスだけでなくルシアも驚かざるを得ない。ルシアの脳裏にはいつかの光景が蘇っていた。奇しくも同じエクスペリメントでの出来事。エリーが魔導精霊力エーテリオンを暴走させ、世界が崩壊しようとした時のやり取り。マザーは口にした。今のアナスタシスと全く同じ意味の言葉を。だが今のマザーの言葉は明らかに違う。まるでルシアの迷いを、考えを見抜いたかのような言葉。その意味をルシアが気づくよりも早く


『大体あのシルバーレイというのが気にくわん。揃いも揃ってあの程度の物に恐れを為しおって……そうは思わぬか、我が主様よ?』


マザーはルシアに告げる。ルシアには見えた。マザーがいつものように、いつも以上に邪悪な、不敵な笑みを浮かべていることを。ルシアは知っていた。かつて同じ光景があったことを。ルナールとの再戦の前に動揺していた自分を鼓舞するかのような言葉。ダークブリングマスターである自分を奮い立たせるもの。


『さっさとあの紛い物に教えてやるがいい……本当の『破壊』とはいかなるものかをな』


ルシアは悟る。マザーの言葉の意味を。そして自分が何を為すべきかを――――



「レディ……今、サザンベルク大陸に一番近い六祈将軍オラシオンセイスは誰だ?」
「は? 六祈将軍オラシオンセイスですか……? 確か、ジェガン将軍だったかと……」
「分かった。ならジェガンにレイナを止めるように連絡しろ。できるかぎりドリューとは交戦を避けるようにもだ。それが終わり次第お前達は全員この街を脱出しろ」
「そ、それは……!?」


レディはルシアの言葉に絶句するしかない。何故ならその命令から明らかにルシアがこの場に残ろうとしていることを感じ取ったから。その証拠に既にルシアはその手に剣を持ち、DBを装備している。その視線がある一点を見つめていた。シルバーレイが向かってきていると思われる方向に。


「同じことを何度も言わせる気か。俺は命令してるんだぞ」


ルシアのこれまでとは違う圧倒的な雰囲気にのまれながらレディはただ首を垂れ、その場にしゃがみこむしかない。もはや言葉は必要なかった。レディはすぐさまその場を離れ命令を全うするため動きだす。参謀足る役目を果たすために。残されたのはディープスノーのみ。だが彼の目にもまた迷いはなかった。いやどれそれどころか歓喜すら見える。自らの主であるルシアの姿を目にすることによって。そしてこれから自分に命じられるであろう命令を悟ったからこそ。


「ディープスノー、この街から全ての人間が避難するまで鬼神どもを足止めしろ。できるな?」


ルシアはディープスノーに告げる。DC構成員だけなく、全ての民間人が脱出するまで鬼神を足止めしろと。正気とは思えないような命令。不死である鬼神達をたった一人で短時間とはいえ足止めしろと言うのだから。だがルシアには全ての鬼を相手にする時間はない。その間にシルバーレイが使用されれば全てが水の泡。ならばルシアは最短でシルバーレイまで向かうしかない。避難する者たちとは反対方向に。そうなればルシア以外の誰かが鬼神達に応戦するしかない。それを為し得るのは六祈将軍オラシオンセイスであるディープスノーのみ。だがディープスノーであってもそれは不可能に近い任務。現に一度ディープスノーは帝国で彼らに敗北しているのだから。だが


「……お任せ下さい、ルシア様」


ディープスノーは一片の迷いもなくそれに応える。半年前となんら変わらない、その時以上の忠義がそこにはある。できるかどうかなど些細な問題に過ぎない。任された以上、命じられた以上それを全うするだけ。


「……頼んだぜ、ディープスノー」


ルシアはそのままディープスノーの肩に手を置きながら告げる。自分の命令の理不尽さ、DCだけでなくこのエクスペリメント全員の命を背負う重さをディープスノーにも与えてしまう申し訳なさを含んだ、本来なら見せるべきではない、掛けるべきではない言葉。


「……はい。ではご武運を、ルシア様」


一瞬、驚いた表情を見せながらもすぐにいつもの表情に戻りながらディープスノーは部屋を後にする。自らの任された戦場に向かうために。それを見届けた後、ルシアもまた出発する。自らの戦場へと。既にルシアには迷いはない。


『……行くぞ、マザー、アナスタシス』
『よい。では征くとしようか、我が主様よ』
『微力ながらお力になります、アキ様』


魔石使いダークブリングマスター母なる闇の使者マザーダークブリング。世界を終焉に導く者たちが世界の終焉を防ぐために動きだす。


サザンベルク大陸とエクスペリメント。二つの戦いが何をもたらすか知らぬまま――――



[33455] 第六十九話 「深雪」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/24 22:52
ソング大陸最大の都エクスペリメント。普段なら夜と共に煌びやかなライトアップがなされ、多くの人々によって賑わう時間。だが今そこは完全な戦場へと姿を変えた。銀術兵器シルバーレイという存在によって。その脅威から逃れようと数えきれないほどの人々が街から避難せんと駆けるもそれは敵わない。シルバーレイと共にもう一つの脅威が彼らの前に立ち塞がる。


「くそ……一体どうなってるんだ!?」
「何やってる!? ちゃんと狙え!」
「やってるさ! でもあいつら弾が当たってるのに全然平気そうな顔してやがる!」


目の前の信じられない光景に街の治安を守る警察はただ狼狽し恐怖するしかできない。そこには無数の鬼と思われる集団がいた。まるで避難する人間をこの街から逃すまいとするかのように鬼達は攻撃を開始する。もちろん警察もそれに黙っていたわけではない。持てる力の全てを以て鬼達に対抗せんと奮戦する。だがその全てが通用しない。無数の弾丸が鬼達を貫くも全くダメージを与えることができない。まさに不死の軍団。その進軍を止めることすらできない。警察と避難する住民たち達は悟る。自分たちがどうしようもない絶望に囚われているのだと。そしてついに防衛線が突破されようとしたその瞬間


「風よ」


静かな声と共に全てが吹き飛ばされた。


「――――」


人々はただ目の前に光景に目を奪われていた。そこには白いコートを纏った一人の青年がいた。戦場であるこの場に現れたにも関わらず表情を全く変えることなく冷静さを感じさせる姿。だがそれだけではない。人々は同時に目にする。それはついそこまで鬼達がいた場所。そこには既に何もない。まるで全てを凄まじい暴風が削り取って行ったかのように。人々は悟る。間違いなく目の前の惨状を作り出したのが目の前に現れた青年であることを。恐らくは自分達を救うためにこの場にやってきたのだと。だが人々が青年に声を掛けるよりも早くさらに信じられない事態が起こる。


「ば、馬鹿な……」
「あいつら……不死身だってのか……?」


人々はただ恐怖する。青年によって倒されたはずの鬼達がまるでゾンビのように再生しながら再び立ち上がってくる悪夢のような光景。手足はもちろん中には頭すら切り離されたにもかかわらず全く意に介していないかのように鬼達は不敵な笑みを浮かべながら一歩一歩向かってくる。自分たちの常識が全く通用しない未知の存在。だがそれを見ながらも


「……あなた達は邪魔です。早くこの場から離れなさい」


全く気圧されることなく青年、ディープスノーは静かに告げる。この場から去れと。その言葉によってようやく我に返った人々はそのまま礼を述べながらその場を去って行く。人々は感謝した。自分たちの危機を救ってくれたことに。だが彼らは知らなかった。ディープスノーにとってこの街の人々のことなどどうでもいいいことを。ただ単純に自分に課せられた命令を遂行する上で邪魔になる。奇しくも口にした言葉通りの意味でしかないことを。何故ならディープスノーは新生DCの最高幹部六祈将軍オラシオンセイスの一人。本来なら人々を恐怖させる側の人間なのだから。


(とりあえず第一段階はクリアといったところですか……ですがやはり厄介ですね、ネクロマンシーというのは……)


避難民がこの場から離れて行くのを確認した後、ディープスノーは改めて目の前の鬼達と対峙する。その数は優に五十を超える。しかもその全てが鬼神の戦闘員であり中にはDBを持っている者もいる。だがそれ自体はディープスノーにとって大きな問題ではない。例え五十対一でもあってもその全てを殲滅することができる力がディープスノーにはある。六祈将軍オラシオンセイスの称号を持つ者の力。だがそんな彼を以てしても厄介極まりない力を鬼神達は有している。

『不死』

死者を蘇らせる反魂の術。それによって操られているネクロマンシー。彼らにはどんな攻撃も通用しない。その証拠に先程のディープスノーの攻撃も鬼達には通用しなかった。ゼロ・ストリームによる風の攻撃によって吹き飛ばされ、体を切り裂かれたにもかかわらず既にダメージどころかかすり傷も残っていない。まさに不死に相応しいデタラメぶり。しかしそれを前にしながらもディープスノーには恐れはない。何故なら目の前の事態など想定内。以前の帝国での戦いから既に分かり切っていたこと。先の攻撃も実際に自分の目で確かめるための物。そしてディープスノーは的確に自らの置かれた状況と任務達成までの道筋を見出す。


(確かに鬼達を倒すことは物理的には不可能……だが足止めをするだけならば十分に可能ですね……ですが)


目の前の鬼神達の足止め。それを果たすだけなら造作もないこと。確かに不死であることは厄介だがそれでも力の上では完全に格下の者達。それを足止めするだけであればディープスノーにとっては何の問題にもならない。十分に役目を全うすることができるだろう。


「ヨォ、やっぱあの時の兄ちゃんじゃねェか。まさか生きてるとは思ってなかったぜ」


それが目の前たちの鬼達であったなら。


「…………」


ディープスノーは自分に向かって掛けられた声の主に向かって静かに目を向ける。だが纏っている空気が既に先程までとは比べ物にならない程研ぎ澄まされている。だがそれは当然のこと。何故ならディープスノーはその声の主が何者であるかを知っていたのだから。奇しくも状況は数日前と酷似している。


「どうした、そんなに怖い顔しちまって。まるで幽霊を見たような顔だぜ。ん? そういえばオレもゾンビだし似たようなもんか?」


クチャクチャとガムを噛みながら男は愉しげに姿を現す。だがその男も鬼神達同様全く生気が感じられない。だがそれが当然だとばかりに馴染んでいる程。当たり前だ。ネクロマンシーとしては彼の方が鬼神達より圧倒的に格上なのだから。

粉砕クラッシュクッキー』

かつて世界を震撼させた最悪の殺人鬼でありドリュー幽撃団一の強者。文字通り全てを粉砕できる力を持つ存在が再びディープスノーの前に現れる。だがそれだけではなかった。


「なるほど……どうやら本当に六祈将軍オラシオンセイスらしいな。それが何故帝国にいたのかは分からないが……まあいい。邪魔者は全て皆殺しだ」


新たな声がもう一つディープスノーに向かって掛けられる。まるでディープスノーを逃がすまいとするかのように。クッキーに引けを取らない程の風格を持った鬼『ガワラ』鬼神の戦闘員の中で最強の存在。ドリュー幽撃団と鬼神、両組織のナンバー2が今、同時にディープスノーの前に姿を現していた。

だがそんな絶望的な状況を前にしてもディープスノーは冷静に今の状況を分析する。それはいくつかの疑問。一つがあまりにもこの場にクッキーたちが現れるのが早すぎること。ディープスノーがこの場にやってきたのはつい先程であるにもまるでこちらの動きが読まれているかのような手際の良さ。もう一つが先のガワラの口から出た六祈将軍オラシオンセイスという言葉。だがそれはあり得ない。ディープスノーは他の六祈将軍オラシオンセイスのように人々には知られておらず、クッキー達にとっては帝国兵であると思われているはず。にも関わらずクッキー達はまるで見抜いたかのようにディープスノーの正体を言い当てた。それはつまり


「……なるほど、どうやらあなた達の仲間には情報戦に長けたDBを持つ者がいるようですね」


情報戦に向いたDBを持つ司令塔となる者が存在しているということ。恐らくは戦場の様子や個人の情報を盗み見とれるような能力。それならば帝国やここエクスペリメントで見せたあり得ないような手際の良さに説明がつく。だが逆を言えばそれを倒せば鬼神達の統率、連携を崩すことができるということ。ディープスノーにとっては最優先で排除しなければならない存在。だが


「フム……どうやら頭も回るらしい。流石は六祈将軍オラシオンセイスと言ったところか。だがこの状況でそれが分かったところで何の意味もない。お前はこれからここで死ぬんだからな」


それは目の前の二人をどうにかしない限りは不可能。ガワラは余裕の表情を崩すことなくその拳に力を込める。指には指輪に模した一つのDB。『ストーンローゼス』触れた物を石化させるオールクラッシュにも引けを取らない能力をガワラは持っている。


「ま、そーいうことだ。それにしてもどうして六祈将軍オラシオンセイスが民間人を守ってるわけ? いつからDCは正義の組織になったんだ?」


既に臨戦態勢のガワラとは対照的にふざけた態度を崩さないクッキーはある意味当然の疑問を口にする。何故悪の組織であるDCが民間人の避難を援護するような真似をしたのか。


「……私にとってはDCが悪だろうが正義だろうが構いません。私はルシア様にこの場を任された。それだけです」


クッキー達の疑問を前にしながらもディープスノーは全く動じることなく即答する。DCが悪の組織であることは周知の事実。現にかつてのDCは世界征服を目論み、新生DCはそれを受け継いだかのようにシンクレアを集めている。間違いなく悪と断じられるべき組織。だがそんなことはディープスノーにとってはどうでもいいこと。例えDCが俗に言う正義の組織だったとしてもディープスノーは変わらずその忠義を貫き通すだけ。かつては自らの父であり敬愛するキングのために。そして今はその血を受け継ぐ存在であるルシアのために。それこそがディープスノーの全て。それがたまたまDCであっただけ。単純な、それでもこれ以上ない行動理念。


「オーオーかっこいいねェ。でもそのルシアってのももう殺されちまってると思うぜ。シルバーレイを止めに行ったみたいだけどあそこにはオウガちゃんがいるからヨォ」
「……! オウガが……!?」
「そういうことだ。総長がいる以上誰もシルバーレイには近づけん。残念だったな」


クッキーはまるで小馬鹿にするように告げる。クッキー達は既に仲間であるヤンマの能力によってルシアがシルバーレイに向かっていることを知っていた。しかしクッキー達に焦りはない。何故ならシルバーレイの護衛には鬼神総長であるオウガがついているのだから。シンクレアを失った今でもその力は健在。むしろ不死になったことで力を増したと言っても過言ではない。故にクッキー達はシルバーレイの護衛ではなく避難をする者たちの足止め、それを邪魔するディープスノーを排除するためにここにやってきていた。六祈将軍オラシオンセイスという大物を逃がすまいとするために。だが


「……そうですか」
「オ? 思ったよりも冷たいねェ……自分のとこのリーダーが危ないってのに」
「逆です。情けない話ですがオウガがいれば流石に私一人ではどうしようもありませんでしたから……」


ディープスノーは自らの王であるルシアの危機を知らされても全く動じることはない。本来なら主の危機に動揺し、援護に向かうべき場面。だがディープスノーには確信があった。今のルシアであればオウガが相手だとしても後れを取ることなどあり得ないと。同時に自らに課せられた鬼神達の足止めという任務を達成できる可能性が不本意ながらも高まった。もしオウガもこの場にいたのなら足止めは命を捨てたとしても長くは保たなかったのだから。


「……妙なことを言う。お前達に勝機は全くない。なのに何故この場に留まっている? お前一人なら逃げ出すことも不可能ではなかったろうに」
「モノ好きな奴だねェ……せっかく助かったってのに自分から死にに来るなんて。悪いけど前みたいに瞬間移動では逃げれねェヨ? 足止めなんて無駄なことあきらめてさっさと降参した方が身のためだ。ま、もっとも生かす気はこれっぽちもないんだけどヨォ」


理解できないと言った風にクッキー達はディープスノーを嘲笑う。数日前の帝国戦において自分たちの力はその目にしているはず。にも関わらずのこのこと再び自分たちの前に現れた愚かさ。例え万が一足止めができたとしても結局はシルバーレイによって消滅させられてしまうだけ。何の意味のない戦い。だが


「……心配には及びません。もはやシルバーレイが使われることはありません。それと一つ、間違いを正しておきましょう……」


ディープスノーは被っていた帽子を脱ぎ捨てながら宣言する。シルバーレイが使われることはあり得ないと。それはつまりルシアがオウガもシルバーレイも止めるということ。ディープスノーの瞳には全く恐れはない。ただあるのはルシアへの絶対の忠誠と信頼だけ。同時にディープスノーはこれまで感じたことのないような感情に支配される。それは高揚感。まるで昂ぶっているかのような感覚。常に冷静沈着、戦闘は作業でしかない彼にとってそれはあり得ないこと。だがそれが今起こっている。


一つが今の状況、一度自分が敗北してしまった相手との再戦だということ。ルシアによっては咎められなかったとはいえ敵前逃亡にも近い形で生き残ってしまったことはディープスノーにとってはこれ以上ない屈辱。その汚名を返上できる機会が巡ってきたことによるもの。


そしてもう一つ。それは先程のルシアとのやり取り。自分に死地に行けと命じた時の言葉。ディープスノーは知らずルシアによって触れられたその肩に手を置く。ディープスノーはルシアがどこか最高司令官を演じていることを知っていた。しかし特段それはおかしいことではない。人の上に立つ上では誰しもが行っていること。だがそれでも自分に対する負い目のような物がルシアにはあった。それが何故なのかディープスノーには知る由もない。そんな中であっても先程のやり取りは今までの物とは明らかに違っていた。


『……頼んだぜ、ディープスノー』


全く違和感も気兼ねも感じられない純粋な自分への言葉。まるで初めて自分の名前を呼んでもらえたかのような感覚。だがそれをディープスノーは覚えている。ルシアにとって自分がどんな存在なのかは分からない。だが確かにディープスノーは感じ取った。人のぬくもりを。かつて父であるキングによって抱かれた時に感じた忘れることができない感覚を。それがディープスノーに雪のような冷たい心に火をつける。


「あなたちは今、ここで私に『倒される』……それだけです」


足止めではなくこの場でお前達を倒す。不死であるネクロマンシーに対する宣戦布告。瞬間、ディープスノーにとっての自らの心と命を賭けた戦いが始まった――――


「クラッシュキーッコォー!!」


叫びと共に凄まじい勢いでクッキーの蹴りが繰り出される。上空から地面に向かって落下するような軌道を描いたそれをディープスノーは間一髪のところで体を翻し回避する。だが同時にクッキーの攻撃によって地面のアスファルトが跡形もなく粉々に砕け無に帰していく。それこそがクッキーが持つDB『オールクラッシュ』の力。触れたもの全てを粉砕する力を得たクッキーはまさに無敵の殺人鬼。例え掠っただけでも致命傷となる一撃必殺。触れることすら許されない死神。だがそれだけではない。


「KILL(殺す)」


その隙を逃さないとばかりにもう一人の死神がディープスノーに間髪いれずに襲いかかる。鬼神遊撃隊長ガワラ。鬼神の戦闘員の中で最も優れた戦闘力と防御力を兼ね備えた鬼。その拳が繰り出されるも体を捻ることによってディープスノーはそれを躱す。まさに神技と言ってもいい反応と速度。だがその纏っているローブが拳に触れた瞬間、まるで石になってしまったかのように姿を変えて行く。


「っ!」


ディープスノーは大きく跳躍し、距離を取りながらもすぐさま纏っていたローブを破り捨てる。瞬間、ローブはその全てが石へと変わり果て衝撃によって粉々に砕け散る。あと数秒遅ければディープスノーもそれによって石化させられてしまっていただろう。


(なるほど……これは思っていた以上に厄介ですね……)


ディープスノーは一度大きく深呼吸しながら改めてクッキーとガワラと対面する。攻防は一瞬ではあったもののディープスノーは目の前の二人が六祈将軍オラシオンセイスに引けを取らない程の実力者であることを感じ取っていた。何よりも厄介な点が両者とも触れることで発動する一撃必殺のDBを有していること。故に肉弾戦は不可能。相手の攻撃は全て回避するしかない。だがそれは至難の業。二対一と言う状況に加え相手は不死の体。だがそれをディープスノーは成し遂げていた。それは


「それにしても兄さん、ほんとにやるねェ……っていうかゾンビのオレがいうのもなんだけどホントにあんた人間かい?」
「確かに。先程の反応といい、動きといい明らかに常軌逸している。人間どころか亜人すら超える身体能力だ」


五十六式DB。ディープスノーの体に埋め込まれているゼロ・ストリームではないもう一つの切り札。限界以上の身体能力を引き出す生物兵器の力によってディープスノーは何とか二人の猛攻に対抗していた。本来ならそれはキングによって禁じられていた物であり使うことができないもの。だが今、ディープスノーはそれを最初から使っていた。そうしなければ対抗できない程に目の前の二人の力は凄まじいのだから。

一つはその能力。粉砕と石化。それがある以上ディープスノーは全ての攻撃を避けるしかない。五十六式DBの力がなければそれは不可能。

もう一つが不死の力。どんな攻撃を受けても再生する身体とは別の利点。疲労がないという生物の範疇を超えた反則。つまりクッキーとガワラは全力の動きを常に続けられるということ。ある意味では限界以上の身体能力を行使できるディープスノーと同質の力。その証拠に普通ならついてこれないであろうディープスノーの動きに二人はついてきている。今はディープスノーの方が上だが時間が経つにつれてその天秤はクッキー達に傾いていく。


「ま、とりあえず頑張ってみなよ。粉々か石になるか、好きな方を選んでくれや」


無言のまま応えることのないディープスノーに呆れたのかクッキー達は再び二手に分かれながらディープスノーに襲いかかって行く。挟撃という戦法、二対一という状況を利用したもの。ドリュー幽撃団と鬼神、水と油のような両者であるがこと戦闘においては甘さはない。触れることができない最強のタッグが今、この場に完成していた。


「っ! 風よ―――!」


目にも止まらぬ高速移動を行いながらディープスノーは指を振るい風を操りながらクッキーへと放つ。それこそが流れを操る六星DB『ゼロ・ストリーム』の力。遠距離戦というクッキーの能力に対抗し得る唯一の攻撃手段。カマイタチにも似たそれは地面を切り裂きながらクッキーへと襲いかかって行く。避けることができない完璧なタイミング。だが


「甘ええええ!!」


あろうことかクッキーは自ら風の中に突っ込みながらディープスノーへ向かって行く。だが風によってその右腕が斬り飛ばされるも瞬時にそれは再生され元に戻ってしまう。不死であるネクロマンシーの恐ろしさ。それは自らの負傷を気にすることなく捨て身の攻撃を行えること。十五年以上死者として戦い続けてきたクッキーには既に恐怖は存在しない。


「くっ……!」
「どうした、動きが鈍ってきているぞ」


全く怯みを見せないクッキーに圧倒されながらもディープスノーはバックステップをしながら拳の連撃を躱していくことしかできない。だがそれだけではない。その背後からディープスノーの隙を狙わんとガワラもまた拳によって襲いかかってくる。前後を取られた躱しようがないタイミング。だがその瞬間、まるで地割れが起こったかのような衝撃が二人を襲う。それは


「水よ―――!!」


大量の水のしぶき。まるで生き物のように水が荒れ狂いながらクッキー達を飲みこんでいく。それこそがディープスノーの狙い。風によって地面に亀裂を作り出し、地下にある水道から自らの武器足り得る水を確保すること。それを為し得る力がゼロ・ストリームにはある。風はその力の一部に過ぎない。流れるものの全てがディープスノーの武器。水もまたその中の一つであり切り札。突然の奇襲によって二人は水によって飲み込まれていく。その規模と威力は滝にも匹敵する。何人であれ抗うことができない水力。だが


「風の次は水かい? 中々面白いもの見せてくれるじゃないの。お次は火でも見せてくれるのかな?」
「不死のオレたちには何も通用せん。もっとも水は鬼には元々通用しないがな」


それを受けながらも全く気にした風もなくクッキーとガワラは水の中から姿を現す。生前の彼らであれば水力で圧殺することも溺死させることもできた。だがその全ては通用しない。まさに無敵の存在。


「…………」
「どうだ、震えたかい。ま、運が悪かったと思ってあきらめるんだな。生身の人間にしては頑張ったと思うぜ」
「悪いが後も控えているんでな。そろそろ終わらせてもらう」


既に万策尽きたかのように無言のままのディープスノーは見ながらももはや容赦はないとばかりにクッキーとガワラは全力を以て動き出す。その拳によってディープスノーを粉々にせんとするために。戦闘開始から既にかなりの時間が経過している。その証拠に辺りはクッキーの能力によって破壊しつくされ、ディープスノーは逃げ場のないビルの中へと追い詰められている。ここでは動きが制限される上に風を操る力も半減。さらに万が一も考えビルの中には残る戦闘員たちも待機している。まさに逃げ場のない処刑場。


「確かにこれではもう逃げ場はなさそうですね……」


ディープスノーはぽつりと呟く。絶体絶命の危機にもかかわらずそこかそこには他人事のような冷たさがある。既に疲労によって体は限界を超え、いつ倒れてもおかしくないような有様。自らの攻撃は一切通じず、敵の攻撃は全て避けなければならないという圧倒的不利の状況で戦い続けた代償。それは戦いですらない。一方的な蹂躙。


「それが遺言かい。悪いけど葬式はできねえヨ。死体も残らないからな―――!!」
「これで最期だ。六祈将軍オラシオンセイス!!」


クッキーとガワラ。二人はそのまま同時にディープスノーに迫る。既に退路はない。ゼロ・ストリームの風も水も通用しない。五十六式DBによる身体能力も通用しない。逃げ場のない最期の瞬間。だが彼らは知らなかった。この状況こそがまさにディープスノーによって作られたものであることを――――


「なっ――――!?」


それは一体誰の声だったのか。それが分からない程の刹那。だがクッキーは確かに見た。それは自らの拳。それが受け止められている。誰に。そんなことは口にするまでもない。ディープスノーによってクッキーは拳を止められている。その手によって。だがそれはあり得ない。自分に触れることは何人にも不可能なのだから。『オールクラッシュ』という無敵のDBがある限りクッキーの拳を止めることなどできない。だが今目の前にはそのあり得ない光景がある。自分だけではない。拳を止められているのはガワラも同じ。その表情も驚愕に満ちている。奇しくもそれは同じ理由。


ディープスノーの体が粉々になることも石化することもなく健在であるということ。


だがそんなことがあり得るのか。確かにディープスノーはクッキーとガワラの拳を両手で受け止めている。しかもまるで逃がすまいとするかのように拳を離すことなく。DBが発動していないわけではない。確かにオールクラッシュもストーンローゼスも力を発揮している。それはつまり二つのDBを遥かに超える力が今、ディープスノーの体を支配している証。


「言ったはずです……私はあなた達を『倒す』と」


瞬間、凄まじい力の奔流が辺りを包みこんでいく。二人は知らなかった。今、ディープスノーの身に何が起こっているのか。だがその視線が確かに捉える。ディープスノーの額に飾られている六星DB。それが凄まじい光を放っていることを。

『再生』

それが今、ディープスノーが使っている能力。オールクラッシュもストーンローゼスも能力を発揮していないのではない。ただ単にそれがディープスノーの体を侵食するよりも早く再生されているだけ。だがそれはただのDBではたどり着けない領域。シンクレアの一つであるアナスタシスと全く同じ頂き。

ゼロ・ストリーム。流動の六星DB。流れるものを操る能力。それは水であり、風であり、敵の血液さえも例外ではない。そしてその極みこそが『時間』の流れを操ること。今、ディープスノーはアナスタシスの再生と全く同質の力を身に纏っていた。


「っ! それがどうしたってんだ! 例えオレ達の力が通じなくてもオレ達は不死だ! お前をそのまま引き裂いちまえば―――」


クッキーは驚愕しながらもすぐに残された左の拳によってディープスノーを打ち抜かんとする。それに合わせるようにガワラもまた動き出す。それは正しい。例え能力が通じなくとも不死であるクッキー達が敗れることはあり得ない。持久戦に持ち込めばディープスノーに勝ち目はない。だが彼らは知らなかった。ディープスノーの、ゼロ・ストリームの極みがまさに自分たちにとっての天敵であったことを。


「―――――」


二人にはもはや声を出すことすら許されていなかった。二人はただ呆然とその光景に目を奪われるだけ。自らがディープスノーによって掴まれていた手から消滅していく光景に。まるで体が灰になって行くかのように全てが消え去って行く。だがそれは消滅ではない。ただあるべき姿に戻っているだけ。


『時間逆行』


それが再生の本質。その力が死者である二人に襲いかかって行く。そう、自分たちがネクロマンシーとして復活させられる前の姿まで戻されていく。だが生者が死者になることはできてもその逆はあり得ない。時間の流れに抗うことはできない。二人にあるのはただ恐怖のみ。同時にようやく思い出す。死というかつて体験した絶対の恐怖を。


時間という流れるものの中で最高位に位置する禁じられし領域。だがその領域にディープスノーは二つのきっかけによって辿り着いた。

かつて自らの右腕をアナスタシスの力によって再生されたこと。その経験と感覚。そして


「ルシア様のために私は負けられない……あなた達の負けです」


ルシアのために。自分の身を案じ、言葉と温もりをくれた恩に報いるために自らの限界を超えたディープスノーの真の力。それによって二人の死者は元の物言わぬ骸へと変わり、消え去って行った――――



「お、おい……どうなってんだ!? 何であの二人が消えちまったんだ!?」
「し、知らねえよ! オレ達不死身になったんじゃなかったのかよ!?」


自分たちより格上であり、隊長であるクッキーとガワラが消滅してしまうというあり得ない事態に周りを取り囲んでいた鬼達は恐怖し、狼狽することしかできない。当たり前だ。不死であるはずの仲間が目の前で消滅させられてしまったのだから。しかもまだディープスノーは健在。その光景に鬼達が戦意を喪失しかけた時


「お前ら、何ビビッてやがる!? あいつにはもう力は残ってねえ! オレにはそれがちゃんと見えてる! 今がチャンスだ……六祈将軍オラシオンセイスを討ち取ったとなれば昇進間違いなしだぜ!」


まるで勝機を得たとばかりに高笑いと共に新たな鬼がその場に姿を現す。スキンヘッドにサングラスをかけたヤンマと呼ばれる鬼。ヤンマはそのまま戦意を失いかけた鬼達をけしかけて行く。だがそれは何も勝算がない強がりではなく勝機があってのもの。


(くくく……確かにあの力は予想外だったがオレにはバッチリ見えてるぜ。お前にはもう力が残ってないってことがよ……!)


ヤンマは邪悪な笑みを見せながらも自らの武器を手にとる。本来ならヤンマは戦闘員ではなく後方で部隊を指揮する立場。彼がこの場に姿を見せたのは功名心。六祈将軍オラシオンセイスを倒したとなれば昇進は間違いない。加えてそのサングラス型のDBでヤンマはディープスノーの状況を見抜いていた。既にその六星DBに力が残っていないこと。恐らくは先程の力を使った代償。さらにディープスノー自身の体力も限界。再生の力が使えない以上もはや恐れることはない。他の鬼達もそれに気づき、息を吹き返したかのように我先にとディープスノーに襲いかかって行く。だがそんな中にあってもディープスノーは全く身動き一つしない。肩で息をし、今にも倒れそうな状況にも関わらずただ真っ直ぐに自らの足元に視線を向けている。


(何だ……? 一体何を考えてやがる……?)


ヤンマはその姿に疑問を感じ、攻撃を止めそのまま自らの持つDBの極みを見せる。


千里眼ドーブレビスタ


その名の通り全てを透視する力。その極みが読心。相手の思考すらも盗み見ることができる能力。一定の距離まで近づかなければならない制約はあるもの使いようによっては凄まじい効果を発揮するもの。それによってヤンマはディープスノーの思考を覗き見る。だが


「言ったはずです……『あなた達』の負けだと」
「―――っ!? お、お前最初から―――!?」


それはあまりにも遅かった。ヤンマが声を上げるよりも早くディープスノーの残る全ての力を込めた拳が地面を砕く。瞬間、全てが崩れ去る。床が、壁が、柱が。まるで積み木細工を壊すように呆気なく全てが崩壊していく。ヤンマは、鬼達は気づくのが遅すぎた。今この状況、ビルの中に自分たちがいる状況こそがディープスノーの狙いであったことに。


『ビルの崩壊によって鬼達全てを下敷きにすること』


それこそがディープスノーの作戦。帝国での敗戦から導き出した死者に対抗するための奇策。確かに死者は不死身であり倒すことはできない。だがあくまでもそれは倒すことが前提。体を持つ以上物理的な攻撃を無効化できるわけではない。つまりビルの残骸という大重量によって体の動きを封じられればいかに死者といえどもひとたまりもない。死ぬことはなくとも、死ぬことができないからこそ生き埋めになるしかない。


瞬間、高層ビルは跡形もなく崩壊し、鬼達とディープスノーはその下敷きとなり姿を消していく。


鬼達の敗因。それはディープスノーを帝国から逃がしてしまい、対策を練る時間を与えてしまったこと。同じ相手に二度負けることを許さない、同じ失態を繰り返さないというディープスノーの執念と忠義。


それがこの戦いの終わり、そしてディープスノーの勝利だった――――



[33455] 第七十話 「破壊」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/26 20:40
無数の灯りによって照らされたビル群。本来なら多くの人々で賑わっているはずのエクスペリメントは今、無人の抜け殻と化している。既に民間人は避難によってその一画には残っていない。だがそれは当然のこと。何故ならそこは今まさに超兵器が向かっている場所であったのだから。

『シルバーレイ』

数日前帝国を一夜にして消滅させた大量破壊兵器。それが向かって来ている方角から逆方向に人々は必死に逃げまどっている。例えそれが無駄なことだと分かっていながらも。シルバーレイが使われれば逃げ場など無いというのに。だがそんな誰もいない無の街を駆ける一つの影があった。


(どうやらもうこの辺には誰も残ってねえみたいだな……)


金髪とそれとは対照的な黒の甲冑を身に纏った少年、ルシアは誰もいない、車だけがひしめき合っている道路の間をまるで縫うように駆ける。だが速度は常軌を逸している。車どころか飛行機に匹敵するのではないかと思えるような速さ。もしその場に民間人がいたとしてもルシアの姿を捉えることはできず風が過ぎ去ったとしか思わないだろう。それはルシアが持つネオ・デカログスの形態の一つ闇の音速剣テネブラリス・シルファリオンの力。今のルシアは限りなく光速に近い音速によって動くことができる。目にも映らないような速さを纏いながらルシアは一直線にある場所へと駆ける。人々が避難している方向とは全く逆の方向。シルバーレイが向かってきているであろう方向へ。狂気の沙汰と思われてもおかしくない無謀な行動。


(間違いねえ……このDBの気配は鬼神の参謀が持ってた物……ならもうすぐそこまでシルバーレイは迫って来てやがる……!)


ルシアは顔を強張らせるも逸る気持ちを何とか抑え込みながら自分が向かっている先から感じ取れるDBの気配を読み取る。どんなものも空中で操ることができる能力を持つ『スカイハイ』と呼ばれるDB。原作では鬼神参謀であるゴブが所有していたもの。その気配がエクスペリメントの上空に近づきつつある。それはつまり既にシルバーレイがすぐそこまで迫ってきていることを意味する。シルバーレイの威力から考えればもはやいつ発動してもおかしくない。事態は一刻を争う。それだけではない。ルシアにはさらに気に掛けなければならない事情がある。


(ディープスノーも鬼神達と交戦中だ……だがいつまでもは保たねえ……! レイナとハル達もどうなってるか……!)


ルシアはただ急速に動き続ける事態に焦りを募らすしかない。自分がシルバーレイの破壊に向かわなければならないためルシアはディープスノーに鬼神達の足止めを命じた。だがいかに六祈将軍オラシオンセイスといえどもそれは至難の技。しかも対象はDCの構成員だけでなく民間人まで含めたもの。だがその無茶を承知でディープスノーは戦場へと向かってくれた。なら一刻も早くシルバーレイを止めるしかない。加えてサザンベルク大陸では恐らく既にドリューとレイナが接触しているはず。ハル達がそれに巻き込まれている可能性も高い。それを救うためとネクロマンシーを止めるためにはドリューを倒すのが絶対条件。だがドリューを倒せばシンクレアが四つ揃ってしまうという根本的な問題は解決したわけではない。どう足掻いても詰んでいると言ってもいい状況。しかしルシアはその全てを振り切り今は唯一つのことに意識を集中させる。

『シルバーレイを止めること』

それが今のルシアの為すべきこと。それができなければDCの構成員も、十万人以上の命も失われてしまう。だが


『ふむ……熱くなるのは構わんが少しは周りに気を配らんか。足元を掬われかねんぞ、主様?』
『っ!? い、いきなり話しかけるんじゃねえよ!? 今は高速移動中だぞ!?』
『アキ様……お気を付け下さい。どうやら鬼神達も既に手を打っていたようです』


突然のマザーとアナスタシスの言葉によってルシアは現実へと引き戻される。同時に感じ取る。無人であるはずのこの区画に自分以外の気配があることを。それが何なのか理解するよりも早く


「残念だがここは行き止まりだぜ、金髪の悪魔さんよ」


地に響くような吹きと声と共に金の波がルシアへと襲いかかった。


「――――っ!?」


ルシアは瞬間、体を捻りながら金の波を紙一重のところで回避するもそれを逃がすまいかとするかのように金の波はまるで蛇のように形を変えながら追い縋ってくる。変幻自在の動きを見せる金に翻弄されながらもルシアは完璧にその全てを回避する。闇の音速剣テネブラリス・シルファリオンの速さを持ってすれば造作もないこと。だがそれを見て取ったかのように金の蛇たちは目標をルシアへではなくその周囲にあるビルへと変える。瞬間、ビル群は金によって無造作に削り取られ倒壊し、ルシアへの前へと立ち塞がる。だがルシアには全くダメージはない。これたただ単にルシアがこの場から逃がす隙を与えないためのもの。


「初めましてってところか……ホントにこんなガキがDCの新しいキングってわけかよ」


悠然と嘲笑うかのような笑みを見せながら一人の鬼が姿を現す。だがそれは唯の鬼ではない。他の鬼神達全てを合わせたとしても足元にも及ばない程の強さとカリスマを併せ持った王の一人。鬼神総長オウガ。かつてのキングに匹敵する実力を持つ怪物がルシアの前に立ち塞がる。だが


「…………」


ルシアはオウガが目の前に現れたにもかかわらず全く言葉を発することはない。ただ一瞬、呼吸を整えるよう仕草を見せるだけ。


「何だ、こっちが挨拶してやったってのにそっちは何も―――」


そんな不可思議な姿にオウガがからかうような言葉を掛けようとした瞬間、ルシアの姿がオウガの視界から消え去った。


「っ!? テメエ、オレを無視できるとでも思ってやがるのか―――!!」


オウガは文字通り鬼の形相を見せながら瞬時に己が纏っている金の鎧の力を解き放つ。それはルシアの行動の意味を看破したからこそ。ルシアは既にオウガから離れ、崩壊したビルを乗り越えんとしている。その行く先はシルバーレイがある場所。オウガとルシアの間には大きな意識の違いがあった。オウガにとってこの戦いは防衛戦。シルバーレイを狙ってくる敵を排除することがオウガの役目。そしてルシアにとって最優先すべきはシルバーレイの破壊。それ以外の要素は全て無視しても構わないもの。一分一秒も無駄にできないルシアと知らず戦いを愉しまんとしていたオウガ。その意識の差が初動に現れた。

ルシアはただ駆ける。闇の音速剣テネブラリス・シルファリオンの速度によって風となりながら。敵から逃げるという本来なら許されないような屈辱。だがそんな感情をルシアは持ち合わせてなどいない。戦いを愉しむなどという思考はルシアには存在しない。ただ目的を達成するための手段。


「この腰抜けが―――!! ぶち殺してやらあああああ!!」


自らが王であることを誇りとしているオウガにとって無視されたことは何よりも許しがたい屈辱。目を血走らせ、額に青筋を浮かべながらオウガは己が力を解き放つ。

『金術』

その名の通り金属の中の王である金を自由自在に操る術。その速度と破壊力は銀術を遥かに超えるもの。オウガの纏っている鎧もまた全て純金でできる特注品であり彼にとってそれは無敵の矛である盾にもなり得る武器。その形状がオウガの怒りに呼応するようにムチのように変化し、ルシアを逃がさんと襲いかかる。ルシアはそれを先程同様速度によって回避しそのままその場を離脱せんとするもそれは敵わない。


「っ!」


ルシアはその瞬間、初めて表情を変える。それは自らに追い縋ってくる金のムチの動きが先程とは比べ物にならない程に上がっていたこと。その本数と相まって確実にルシアの動きを捉えている。それは先程の攻防ではオウガがルシアの速度を見誤っていたため。ルシアの想像を超える速度を考慮に入れた上でも動きに切り替えるという戦う者として圧倒的なセンス。だがそれだけであったならルシアも驚くことはない。問題は


「食らいな! ゴールドラッシュ!!」


その圧倒的物量。ムチではない無数の金の弾が全方位からルシアへと襲いかかって行く。だがそれはオウガの鎧の金だけではあり得ない規模。その証拠に金の弾丸はオウガからではなくルシアの周囲にある崩壊したビルの残骸から発生している。それこそがオウガの狙い。ルシアはようやく悟る。自分が罠にかかってしまったことを。ここ一帯のビルに既に無数の金が設置されていたのだと。およそ正気とは思えないような策。金という高額で希少な鉱物を湯水のように使い捨てるかの如き戦い方。かつてのシルバーレイの中の一室どころではないここ一帯を覆い尽くすような金の輝き。だがそれをオウガは宣戦布告によって軍門に下った闇の組織や国家、そしてルビーから奪った財産にものを言わせて現実の物とした。

逃れようのない金の弾雨がルシアを取り囲む。いかに闇の音速剣テネブラリス・シルファリオンの速度を以てしても回避しきれない空間攻撃。それはまさにホワイトキスによるレイナの銀術。その物量と威力はその比ではなくドリューの持つヴァンパイアの斥力を以てしても防ぐことができなかった攻撃。だがそれを


ルシアは剣の一振りで難なく切り払った――――


「なっ――――!?」


オウガはその光景に驚愕の声を上げるしかない。当たり前だ。ルシアを襲った金の弾丸は一発一発が人間を粉々にして余りある威力がある。それを同時に、しかも全てを切り払うなど人間業ではあり得ない。だがそんなオウガに混乱する暇すら与えないとばかりにルシアはそのまままるで独楽のように回転しながらオウガへと向かってくる。同時に凄まじい轟音が辺りを支配する。迎撃せんとする金術の全てを回転しながら剣で切り払い、同時に先程以上の速度を以てルシアは迫る。だがその動きはまるでハンマー投げをしているかのように剣に振り回されている。それは正しい。何故ならルシアが手にしているのは十剣の中でも一、二を争うほど扱いが難しい物なのだから。

闇の重力剣テネブラリス・グラビティ・コア

十剣中最高の物理攻撃力を誇り、それ故に凄まじい重量を持つ剣。ネオ・デカログスのそれはかつてのデカログスの比ではない。振り下ろすのがやっとであるほどの重量が闇の重力剣テネブラリス・グラビティ・コアにはある。だが今、ルシアはそれを扱っている。もう一つの形態である闇の音速剣テネブラリス・シルファリオンと組み合わせることによって。

闇の音速剣テネブラリス・シルファリオンの速度で剣を振るい、斬撃の瞬間のみ闇の重力剣テネブラリス・グラビティ・コアに切り替えるというある意味単純な連携。だがその重さゆえに振るった瞬間には体が剣によって振り回されてバランスを崩してしまう。しかしルシアは逆にそれを利用していた。重力剣を振るった後に再び音速剣に切り替えることによって。音速剣の使用中体が軽くなる特性を利用し、あえて剣によって振り回されることで速度を落とすことなく戦闘を継続することができる。その到達点が今ルシアが見せている独楽のような、ハンマー投げのような回転する動き。他のネオ・デカログスの形態であれば街を破壊する可能性があるため対人戦で使うことができる選択肢を増やすためのルシアの戦法の一つ。それが音速の重力剣だった。そしてオウガが自らの金術が破られたこと、ルシアの理解できない動きによって隙を晒した瞬間、勝負は決した。

巨大な右腕。鬼に相応しい強固な肉体の象徴が宙に舞う。ルシアの一刀によって。まさに断頭台の一撃のように。ルシアは重力剣がそのまま地面に叩きつけられる前に再び音速剣へと形態変化させる。闇の重力剣テネブラリス・グラビティ・コアのまま地面へ叩きつければその瞬間、地割れが起きかねないため。ルシアはそのままその場を離脱し、シルバーレイの元に向かわんとする。だが


「悪いがこの程度じゃオレは死なねえんだよ、バカが!」
「っ!?」


オウガの勝ち誇った表情と言葉によってそれは防がれてしまう。ルシアは咄嗟に剣を構えオウガの至近距離からの金術を防御するもそのまま木の葉のように吹き飛ばされてしまう。何とか剣の形態を鉄の剣へと変わることでルシアは踏みとどまるも元も位置まで押し戻されてしまっていた。その視線が一点に注がれる。オウガの右腕があった場所に。だがそこには斬り飛ばされたはずの右腕がまるで何もなかったかのように健在であるというあり得ない光景がある。


「オレは不死身だ! どんな攻撃もオレには通用しねえ。悪いがここがシルバーレイで吹っ飛ぶまでオレと遊んでもらうぜ」


勝ち誇った笑いを見せながらオウガは自らの絶対的自信を誇示する。

『不死』

ネクロマンシーであるオウガの新たな力。その力の前ではネオ・デカログスですら通用しない。ラストフィジックスでは物理無効だけであったが今のオウガは物理以外の攻撃に対しても無敵の肉体を有している。加えて疲労もなく、力を使いきることもない。まさに最強の存在。


「それに今更シルバーレイに行っても遅いぜ。もうシルバーレイは稼働しちまってる。あと五分もすれば全部跡形もなく消し飛ぶぜ。残念だったな、ガハハハ!!」
「…………」


オウガは顔に手を当てながら傑作だと言わんばかりに笑い続ける。ルシアがシルバーレイを止めるために単身向かってきていることをオウガはヤンマ報告によって知り、既にシルバーレイを稼働させていた。本当ならシルバーレイの姿を逃げ惑う人々に見せ、恐怖させてから発動させる予定だったのだがそれを早めた形。パスワードを入力されたシルバーレイを止めることはもはや不可能。一度入力すればプログラムは解除することができない仕組み。


「ま、あきらめるんだな。遺言ぐらいは聞いてやってもいいぜ。お前が死んだ後は二つのシンクレアを頂くんだからそれぐらいは聞いてやるさ」


舌なめずりをしながらオウガはルシアの胸元にある二つのシンクレアに目を向ける。それを手に入れることがオウガの狙いの一つ。シンクレアを奪取した上に金髪の悪魔も倒したとなればドリューとした世界の女を自分の物にする約束も現実味を帯びてくる。だがようやくオウガは気づく。ルシアが先程から全く微動だにしないことに。まるで自分の話を全く聞いていないかのような有様。恐怖で頭がおかしくなってしまったのかと訝しんだ時


「……ほんとに死なねえんだな」


ルシアはどこか他人事のようにオウガの右腕を見ながら呟く。オウガは初めてルシアがしゃべったことに呆気にとられながらもその内容に笑いをこらえることができない。


「何だ、今更怖気づいたのかよ? てめえの言う通り、オレは死なねえ、シルバーレイで死ぬのはてめえだけだ」


オウガはどこか憐れみを含んだ声で告げる。自分は不死だと。シルバーレイの攻撃があったとしても自分が死ぬことはなく、死ぬのはルシアだけ。単純な、それでも絶望的な事実。だがそれを耳にしながらも


「……じゃあ手加減する必要はねえな」


ルシアはその手に剣を握りながらぽつりと呟く。まるでようやく事態を理解できたかのように。躊躇っていた何かを決意したかのような空気がそこにはあった。だがそれにオウガは気づけない。自分が触れてはいけない逆鱗に、入れてはいけないスイッチを入れてしまったことに。


「フン……どうやらシルバーレイより先にオレに殺されたいらしいな。いいぜ、特別に見せてやるよ、オレの本気をな!!」


オウガは不敵な笑みを見せながらその両手をルシア向かってかざす。同時に見えない力がオウガの掌に集中し、その周囲の景色がまるで蜃気楼のように歪んでいく。それは金術師ゴールドクレイマーの力。普段は金を操るためだけに使われている力が今、オウガの両手に全て集まって行く。それこそがオウガの切り札。金術の究極技。全ての物理を超えた無属性魔法にも似た衝撃を放つ奥義。


王の威光オウガ・オーソリティ――――!!」


金の光がルシアを、辺りの建物ごと包みこんでいく。防御も回避もできない完璧なタイミング。その証拠にルシアはオウガの攻撃を前にしても微動だにしない。ただ為すすべなく金の光に消えて行くだけ。辺りにあったビルの残骸も、無数の車も、道路も全てが消え去って行く。まるで粒子になって行くかのように。金術と銀術。それは金属という元素を操る術。それはすなわち原子を操ることと同義。物理的な力では絶対に防ぐことができない力。魔法であったとしても禁呪級の力でなくば対抗できない攻撃。故にここに勝負は決まったはず―――――だった。


「―――――」


オウガはただ声を出すこともなくその光景に目を奪われていた。そこにはルシアがいた。だがその周囲には何もない。全てが無になってしまっている世界。まるで世界がひび割れているかのようなあり得ない光景。その中にルシアは君臨していた。体は紫に光によって覆われている。その光はその手にある剣にまで達している。それが何なのかオウガは知っていた。


『次元崩壊』


シンクレアの極み。並行世界を消滅させ現行世界に辿り着くための禁じられし力。だがそれはオウガにとっては想定内。二つのシンクレアを持っている以上ルシアがそれを使ってくることは分かり切っている。それでも不死である自分の力も劣るものではない。もし粉々にされてしまっても再生できる力がオウガにはある。支配者であるドリューが生きている限りそれは変わらない。そう、変わらない。なのにオウガはその場を動くことができない。ただ単純な恐怖によって。それはシンクレアの力でもなく、死でもない。既に一度死んだオウガに恐れる物などあるはずがない。だがこの時オウガは知る。死よりも恐ろしい恐怖がこの世にはあるのだと。


それはルシアの瞳。


自分を見ているルシアの瞳。それにただオウガは恐怖する。そこには何もない。確かにルシアはオウガを見ている。だがそこには何の感情もない。まるで機械のような、昆虫のような冷たさがあるだけ。まるで自分を道端の石であるかのように、その存在などないかのように見つめているその視線。蛇が蛙に睨まれるどころではない。次元が違う隔たりがそこにはある。王であるオウガですらその場に跪くしかない圧倒的な力の差。


『大魔王』


その片鱗が垣間見える。オウガは悟る。自分とは全く異質な王が今、目の前にいるルシアなのだと。


母なる闇の使者マザーダークブリング


全てのDBの頂点に立つ五つの母。その役目はシンクレアを統べるに、エンドレスを手にするに相応しい担い手を見つけること。それに選ばれた者は全て常人ではあり得ない程の野望と欲望を抱いている。


ドリューは人間への絶望と復讐、そして自らの絶対王権を作り出すために。

ハードナーは過去への執着、世界を破壊することで自身の欲望を満たすために。

オウガは自らの強さの証明、全ての女を、世界を自らの物とするために。


それぞれが王に相応しい、シンクレアに選ばれる資質を有している。そこに例外はない。つまりアキにもまたその資質があるということ。かつてマザーが口にした大魔王の資質がアキにもまた存在する。


『生き残ること』


それがアキの行動理念であり本質。他の三人に比べれば取るに足らない些細な物。だが他の三人の本質が外に向いたたものであるのに対してアキのそれは内に向いたもの。いわば全く逆の資質。この世界の存在でないがゆえに世界そのものを敵にしかねない危険を持つ存在。

自らは決して手を出すことはないがもし自らの領域に、自身の命に危険をもたらすものがあればどんなものであれ排除する。自分が生き残るためなら世界を犠牲にしても構わない。そのためなら油断も、慢心も、慈悲も、容赦もなく障害を排除する。

他の王達とは真逆であるがゆえに最も敵に回してはいけない存在。その片鱗が今、極限状態の中で目覚めつつある。


「っ!? ゴ、ゴブ!? 何してやがる、今すぐシルバーレイでこいつを――――」


本能で全てを悟ったオウガが持っていた無線でシルバーレイに乗っているゴブに向かって叫ぶもそれが終わるよりも早く


「――――消えろ」


オウガはこの世界から消える。ルシア時空の剣の一振りによって。その力はハードナーの時の比ではない。オウガの体を一瞬消し去る規模。オウガは既に死者。先の言葉通り手加減する必要がないからこその無慈悲な一閃。オウガは時空の剣によってこの並行世界から現行世界へと送りこまれてしまう。何もない、誰もいない死の世界に。この世界から消えたことでネクロマンシーでなくなるのか、それとも現行世界で生き続けるのかはルシアにも分からない。ただ一つ確かなこと。それはどちらであってもオウガにとっては『死』と同義であろうということだけだった――――



「っ!? そ、総長!? 総長、返事をしてください! 総長!」


シルバーレイの中に待機している参謀長であるゴブは必死の形相で無線に呼び掛けるも返事はない。ゴブは悟る。恐らくは総長であるオウガが敗北したであろうことを。不死である自分達を倒すことができるほどの力を金髪の悪魔が持っていたことを。ゴブはそのままその場に蹲り、ぶつぶつと独り言をつぶやいているだけ。だが次第にその独り言の声が大きくなっていく。まるで気が狂ってしまったかのような笑いと共に。だがそれは間違いではない。既にゴブの精神は限界に近かった。

ドリューによって殺され、死者として操られている現状。仲間の中ではそれを気にせずむしろ喜んでいる者すらいる。しかしゴブはそうはなれなかった。元々オウガやガワラ達ほど精神的にゴブは強くない。ある意味今の現状はゴブにとっては終わらない悪夢と同じ。シルバーレイという大量破壊兵器で何十万人もの命を奪った。気にはしないつもりでもその事実にゴブは日に日に怯えるしかない。

それでもゴブはそれを耐えながら動いてきた。総長であるオウガについていく形で。だが今、それは消え去った。残されたのはただシルバーレイという殺人兵器をドリューの代わりに使い続けるという地獄だけ。


「は……はは! はははは!! もうどうなっても知ったことか!! いいさ、お望通り全部消し去ってやるよ! ここだけじゃない、世界中ひとつ残らずコイツで跡形もなくなればいい―――!!」


ゴブは気が狂ったかのようにただ叫び、暴れながらシルバーレイを動かし続ける。既に発動した以上もはや止める術はない。エクスペリメントどこかソング大陸すら消滅しかねない力が今解き放たれんとしている。


『シルバーレイ』


銀術によって造られた最終兵器。だがそれを作ったグレンは生涯それを後悔した。例え芸術品としての価値があろうと多くの人を殺める兵器を作ってしまったことを。だがそれだけではなかった。シルバーレイの力。それはその名の通り、銀術の力を以て破壊を行う。


『絆の銀』


信じあう二人の銀術師シルバークレイマーが揃うことで可能な銀術の究極技。それこそがシルバーレイの攻撃の正体。その規模は比ではないが根本は全く同質のもの。だがそれを為し得る核をグレンは生み出した。それは娘であるレイナへの愛情。それを込めた絆の銀こそがシルバーレイの正体。パスワードもそれに合わせてREINA。娘を想う父の作品が今、再び人々を消し去らんとしている。


だが人々は知らなかった。それを止め得る力を持つ存在がいることを。


人々は思い出す。かつてシルバーレイを遥かに超える破壊があったことを。


オウガの攻撃と時空の剣の影響によって廃墟と化した一画にルシアは一人、空を見上げながら佇んでいた。その視線は真っ直ぐにある一点を、銀の船を見つめている。だがその距離はとてもすぐに辿り着けるものではない。加えて先のオウガ言葉が事実なら既に発動まで一分を切っているはず。どちらにせよ間に合わない。シルバーレイを使用されることを防ぐことはルシアにはできない。しかしルシアには恐れも迷いもない。何故なら


「……準備はいいな、マザー、アナスタシス?」


ルシアは最初からこの場からシルバーレイを破壊するつもりだったのだから。


『ふん、お主こそいいのだな? 失敗しても我のせいにされては敵わんからな』
『私達はいつでもいけます。どうかお心のままに、アキ様』


ルシアの言葉に応えるようにマザーとアナスタシスは光を放つ。もはや言葉など必要ないのだと告げるかのように。それを見て取ったルシアは胸にあるマザーを鎖から外し、自らの手の中に収める。まるでそれに全てがかかっているのだと言わんばかりの力を込めながら。


マザーを掴んだ拳をルシアはそのまま空へと向ける。片方の手はその手を支えるように添えられ、両脚は大きく開かれる。それはまるで自らの体を砲台に見立てたかのような体勢。だがそれは間違いではない。何故なら今からまさにルシアは『砲撃』を行わんとしているのだから。


瞬間、天変地異が巻き起こる。ルシアの周囲にある建物の残骸がまるで重力に逆らうかのように動きだし、辺りは地震のような揺れに晒される。台風のような暴風がルシアから吹き荒れ、まるで台風の目になったかのようにルシア以外の全ての物が崩壊していく。だがそれだけではない。崩壊したはずのビルが、大地がまるで元の戻って行くかのように再生されていく。まるでビデオの早送りと巻き戻しが繰り返されるかのように。


それはアナスタシスの力。崩壊しかけたルシアの周囲を再生によって何とか維持するためのもの。いわばサポートこそが今回のアナスタシスの役目。ルシアが今から行おうとしていることから街を守るためのもの。


ルシアはその手に光を灯す。同時に凄まじい熱がマザーから、自分の体から生まれて行く。まるで太陽を生み出さんとしているかのような力の奔流。時空の剣や絶対領域とは違う、物理的に世界を壊す力が今、ルシアの手の中にある。人の手に余る、神に等しき力。ルシアはかざす。その力を空へと、そこにある銀の船へと。


シルバーレイから銀の光が放たれる。夜の闇を全て照らして余りある破壊の光。銀術より生まれし呪われた力。その光に人々は恐怖し、絶望する。だが人々は忘れてしまっていた。今より遥か昔。五十年前、これを遥かに超える破壊の力が存在したことを。


王国戦争。その終末に訪れた悲劇。シンフォニアを死の大地へと変え、デスストームを生み出し、世界の十分の一を破壊した大災害。その名は



大破壊オーバードライブ――――!!」



かつて世界を震撼させたシンクレアの力。エンドレスの本質とでも言える大破壊オーバードライブ。それが今、一人の人間の手によって放たれる。自らと同じ破壊の力を持つシルバーレイに向かって。まるで紛い物に本物を思い知らさんとするかのように。


その瞬間、エクスペリメントの時間は止まる。ただ人々は目の当たりにした。銀の光が為すすべなく紫の光によって飲み込まれて天へと昇って行く光景を。


それがエクスペリメントでの戦いの終わり、そして世界を滅ぼす力が世界を救った瞬間だった――――



[33455] 第七十一話 「降臨」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/04/27 11:44
月と星だけが明かりを灯す深い闇の世界。サザンベルク大陸の沿岸部。その海上に一隻の巨大な要塞が飛んでいた。ドリュー幽撃団の本拠地『クリーチャー』そこで一つの決戦が行われていた。船の主であるドリューとDC最高幹部六祈将軍オラシオンセイスの一人レイナ、レイヴの騎士達。三つの勢力による争い。だがそれは三つ巴ではなくドリューに対してレイナとレイヴの騎士たちが共闘するような形で幕が上がった。何故ならレイヴの騎士同様、レイナの目的もまたドリューを倒し、シルバーレイを止めることだったのだから。ここにドリュー一人を相手にしたまさに総力戦に相応しい決戦が始まった。一体多数。多勢に無勢。数の差というこれ以上にない圧倒的な優位。だがそれは


「どうした、もう終わりかね。私を倒すのではなかったのかな」


この夜の世界に君臨する一人の怪物の前には通用しなかった。パンプキン・ドリュー。ドリュー幽撃団のリーダーでありかつて闇の頂点とまで呼ばれたキングと引き分けたことすらある王者。ドリューはまるでつまらなげに自らの周りを取り囲んでいるハル達に言葉を投げかける。だがハル達はそれに応えることはない、否、応えることすらできない。


「く、くそ……!」
「冗談きついぜ……」
「予想以上じゃ……まさかここまでとは……」


ハル、ムジカ、レット。レイヴの騎士たちの中でも最強の三人が苦渋の表情を浮かべながらも何とかドリューと向きあうもののそこには既に戦いが始まる前の姿は見られない。その証拠に体は皆傷だらけ。剣によって斬られた傷が体中に刻まれている。出血と痛みによって三人は立っているのがやっとのような満身創痍。それに対してドリューは全くの無傷。息一つ切らしていない。まるでハル達を相手にすることなど造作もないのだと告げるかのように。


「もう理解しただろう。クズがどんなに集まっても所詮はクズ。大いなる闇の力の前には通用しない。その傷ではもう私が相手をするまでもない。残念だが朝日を迎えることはできそうもないな」


ドリューは自らの手にある黒い剣をハル達へと見せつける。その刀身は既にハル達の血によって赤く染まっている。

『宵の剣』

闇魔法がかかった剣でありこれによって斬られた傷は決して癒えることはない。さらにその傷は夜が深くなるほどに悪化し相手を死に追いやる。既にハル達は宵の剣によって大きなダメージを受けている。徐々にそれは悪化し、傷は深くなっていくだけ。このままでは深夜を迎えるだけでハル達は命を落としてしまう。それはハル達だけでなくレイナも同様。既に深いダメージを負い、まともに戦うことができるであろう時間がわずかであることをレイナは感じ取っていた。だがそれでもレイナの表情にはあきらめはない。あるのはただ怒りと焦りのみ。


「ごちゃごちゃうるさいわ! その前にあんたを倒せばいいだけよ!!」


叫びと共にレイナは自らの持つ六星DB『ホワイトキス』の力を解放し、ドリューの周囲に無数の銀の塊が生まれて行く。回避することも防御することもできない絶対包囲。そこから放たれる銀の槍の雨こそがレイナの本気。一切の容赦ない全力の槍の雨がドリューに向かって降り注ぐ。体をハチの巣にして余りある銀術の嵐。だがそれを


「無駄なことを……その程度の攻撃では私には傷一つ負わすことはできん。少しは学習したらどうかね」


ドリューはその場から一歩も動くことなく全てを弾いてしまう。まるでドリューの周囲に見えない力が働いたかのように銀の槍は力を失い地面へと落ちて行くだけ。レイナはその光景に舌打ちしながらも止むことのない槍の雨を降らせ続けるもそれはドリューに届くことはない。その光景にレイナはもちろんハル達も戦慄するしかない。

『斥力』

物体同士が離れようとする引力とは対極に位置する力。ドリューが持つシンクレア『ヴァンパイア』の引力支配の能力。それによってハル達は戦闘が始まってから未だに一度もドリューにダメージを負わすことができていない。それどころか触れることすらできない。剣も、拳も、銀も。その全てがドリューの持つ闇の頂きの前では無力。


「まだだ……! いくらシンクレアでも力には限界がある!」
「その通りじゃ……何度でも立ち向かって見せよう!」
銀術師シルバークレイマーをなめるんじゃねえ!」


力の差を見せつけられながらもハル達は再び己が全力を以てドリューを倒さんと駆ける。既に余力は残されていない。あらゆる攻撃は斥力の前に通じず、宵の剣によって受けた傷は時間が経つごとに悪化している。まともに戦える時間の限界は刻一刻と迫っている。こうしている間にもドリューに操られている鬼神達によってシルバーレイが使われんとしている。ハル達はあきらめることなく己の最高の攻撃を繰り出す。


二重の大爆破デュアルエクスプロージョン――――!!」
「天竜虎博――――!!」
「銀槍グングニル――――!!」
「白銀の帝――――!!」


その全てがドリューを同時に襲う。逃げ場のない全方位からの同時攻撃。レイナはもちろんハル達の渾身の攻撃はまさに六祈将軍オラシオンセイスもかくやという威力。それが四つ。だがそれは


「――――無駄だ」


ドリューの無慈悲な宣言と共に全て無力と化す。その手をかざした瞬間、まるで見えない力が爆発したかのようにハル達に襲いかかり、攻撃の全てが弾かれてしまう。その凄まじい力場によってドリューの足場はクレーターのように崩壊し、衝撃波によってハル達は為すすべなく木の葉のように吹き飛ばされていく。ハル達は絶望するしかない。先程までドリューはシンクレアの全力を見せていなかったのだと。つまり手加減していた斥力すら自分達は突破できていなかったのだと。


「みんな!」
「そ、そんな……あのハルさん達が手も足も出ないなんて……」
「プーン……」
「ハ、ハル……し、しっかりするポヨ! まだ負けたわけじゃないポヨ!」


ハル達が為すすべなく翻弄される様を見ながらもエリー達には打つ手がない。もしこの場でハル達の援護に向かっても足を引っ張ってしまうのは火を見るよりも明らか。そうなればハル達にはさらに勝機がなくなってしまう。エリー達は己の無力さをただ呪うことしかできない。


「ハアッ……! ハアッ……! ガハッ!」
「っ! ハル、それ以上は動いてはならぬ! 本当に死んでしまうぞ!」


だがついに異変が起き始める。それはハルの容体。斥力によって吹き飛ばされたダメージ自体は大したものではない。問題は宵の剣による傷。ムジカ達も同様の傷を負っているもののハルの傷の深さはその比ではない。それは属性の問題。ハルはレイヴマスターの名に相応しい光属性。そしてドリューは闇属性。両者は対極に位置する属性であり、同時に互いに天敵となりうるもの。闇魔法がかかった宵の剣のダメージはハルにとっては深刻な致命傷となってしまう。


「どうやら終わりの時が近づいてきたようだな……愚かな。先の塗りつぶす悪夢ナイトメアスプレッドで砕け散っていれば余計な苦しみを味あわず済んだものを……そうは思わないか、下等生物」
「お、お前なんて怖くないポヨ! 僕がお前を止めて見せるポヨ!」
「フ……どうやらその魔法剣を手に入れたことですっかりその気になっているようだが早く魔法を使ってきてはどうだ。まさか闇変身ダークトランス魔法反射マジックリフレクションしか使えないのか?」
「ポ、ポヨ……」


ドリューの挑発にルビーは歯を食いしばるもそれ以上反論することはできない。何故ならドリューの言うようにルビーはその二つしか新たな魔法を習得できていなかった。きっかけはその手のある鐘型の魔法剣ベル・ホーリー。かつて蒼天四戦士の一人、ダルメシアンが使っていた物の一つ。リリスによって攫われ、財産をだまし取られあとは用済みと始末されかけた時、ルビーはベル・ホーリーの力によって窮地を脱した。それはエールダウンと呼ばれる移動魔法。それによってルビーはサザンベルクの深海に結界を敷きレイヴを守っていたダルメシアンによって魔法を授けられた。敵が闇魔法の使い手であることが大きな理由。それに対抗する術を身に着けたルビーが駆けつけたことでハル達は九死に一生を得た。だがルビーは攻撃魔法を習得しているわけではない。できるのは相手の魔法を利用し跳ね返す魔法反射マジックリフレクションだけ。それもドリューには通じず相殺された。ルビーにはもうドリューに対抗する術は残されていない。


六祈将軍オラシオンセイス、お前はどうだ。最初の勢いはどこに行った。私を倒してシルバーレイを止めるのではなかったのか?」
「く……!!」


ゆっくりと視線を向けながらドリューがレイナに向かって挑発する。自分を倒すと言っていたにもかかわらず何もできないレイナを嘲笑うかのような態度。だがそれを前にしてもレイナは言い返すことができない。度重なるDBと銀術の行使によって余力はほとんど残っていない。その全てが通じず体は宵の剣の傷によって蝕まれ満身創痍。


(まさかここまで力の差があるなんて……下手したらキングよりも……!)


レイナは痛みと悔しさによって貌を歪ませながらも悟っていた。自分とドリューの間にある絶対の壁を。成り行きとはいえレイヴの騎士たちとの共闘。その力もシンフォニアで会った時より増しており六祈将軍オラシオンセイスに近い。だがそれを合わせてもドリューに傷一つ負わすことができない。まるでかつてのルシアとの戦い。それを彷彿とさせるほどの圧倒的な力。もしかすれば先代キングよりも上なのではと感じてしまうほどの実力。何とか打開策がないか模索するも時間はもう長くは残されていない。残された手ははルシアに救援を求めること。だがルシアの方からワープロードでこの場に瞬間移動することはできない。それを期待するのはあまりにも絶望的。それを振り切ってこの場にやってきた以上このままおめおめと引き下がるわけにはいかない。シルバーレイを止めることをあきらめるわけにはいかない。だが残酷な現実の前にレイナは唇を噛むだけ。


「どうやら戦意を失ってしまったようだな……いいだろう。ここは一つ私が余興を見せてやろう」


戦意を失いつつあるハル達に業を煮やしたようにドリューはハル達から視線を外し、離れた場所から戦況を見守っている者たちへと向ける。その手がゆっくりとかざされる。そこにはGトンファーを構えているエリーの姿があった。だが


「きゃあ!?」


エリーは為すすべなくそのまま見えない力に引き寄せられるかのようにドリューの元へと引き込まれる。それはヴァンパイアの引力。それによってエリーは一瞬でドリューの手によって掴まれてしまう。何とかそれから逃れようとするもドリューの力の前に抗う術はない。同時にその手がエリーの首へと伸び、締め付ける。


「うあっ……くうっ……!」


その万力のような締め付けによってエリーは息ができずに嗚咽を漏らすことしかできない。必死に両手で手を離さんと、両足でドリューを蹴り続けるもドリューにとってそれは何の意味もない行為。次第にその手の力が増し、逆にエリーの体から力が抜けて行く。


「っ!? エリー!!」
「くっ……近づけん!!」
「ちくしょう……!! 何で体がこれ以上動かねえんだ!?」


仲間であるエリーの危機にハル達は弾けるように動きだす。もはや自分たちの負傷のことなど頭にはない。その全てを振り切りながらハル達はドリューからエリーを助け出さんと向かって行く。だがハル達はある一定以上の距離からヴァンパイアの斥力によって先に進むことができない。自分の体が砕けても構わない程の力を以て向かって行くも見えない壁があるかのようにハル達はエリーに近づけない。ただできるのは次第に息ができなくなり、苦しみ悶えているエリーを見ていることだけ。


「一人ぐらい犠牲があった方が貴様らも燃えるだろう?」


それこそがドリューの目的。あえてハル達の目の前で女であるエリーを殺すこと。その様を見せつけることでハル達の怒りを引きだしてやろうとする行動。自らが戦う以上こんな呆気ない結果では満足できない。誰一人楽には殺さず苦しませ、絶望させる。そのための最初の生贄としてドリューはそのままエリーの息の根が止まるまでゆっくりと手に力を込めて行く。ムジカとレットは残された力でそれを救わんとするも届かない。今の二人の力ではドリューには、シンクレアには届かない。だが


「エリ――――!!」


その可能性を持つ唯一の存在。DBに対抗できるレイヴを操る力を持つハルはそのまま自らの持つTCMに力を込めながら叫ぶ。その瞳には今にも命が尽きんとしているエリーの姿がある。その光景にハルは凄まじい怒りとそれによる力によって剣を振るう。だがどんな攻撃も斥力には通用しなかった。しかしハルにはまだ残された手段があった。ハルが持つ知識のレイヴがそれをハルに伝える。

封印の剣ルーンセイブ

いかなる魔法も切り裂く魔法剣。だがそれは魔法だけではない。普通の剣では斬れない物を斬ることがこの剣の能力。それは見えない力、斥力であっても例外ではない。


「何っ!?」


瞬間、戦いが始まってから初めてドリューが驚愕の声を上げる。自らの絶対と言ってもいい防御を突破されてしまったのだから。ただ突破されるだけならまだ分かる。事実オウガの全力の金術の前には突破されてしまったことがあるのだから。だが今、ハルによって斥力は消滅させられてしまった。それこそがTCMの、レイヴの力。


「ああああああ!!」


ハルは最後のチャンスを逃すまいと残った全ての力を以てドリューに向かって斬りかかる。瞬間、ドリューはまるで弾けるようにエリーから手を離し両手で宵の剣を構える。それは剣士としての直感。このままエリーを捕まえたままでは、片手では今のハルを相手にできないという感覚。それは正しい。だがドリューは見誤ってしまっていた。ハルの底力を。その逆鱗であるエリーに手を出してしまった意味を。


秒にも満たない刹那。ハルとドリュー。二人の剣士が剣をぶつけ合い、瞬間衝撃によって大地を、クリーチャーを揺るがす。それはまるでキングとゲイルのぶつかり合いの再現。同時に宵の剣の傷口から出血が宙に舞うもハルには既に痛みの感覚はなかった。ハルはこの感覚を知っていた。シンフォニアでのルシアとの戦い。その中で掴んだもの。その脳裏に焼きついた剣技。ついにそれが実を結ぶ。あるのはただ一つの感情だけ。


『エリーを守る』


ただそれだけ。好きな女の子を守ることが今のハルの全て。その想いに応えるようにハルの持つ三つのレイヴが凄まじい輝きを放つ。限界以上の力がハルに漲って行く。かつてのジンの塔での戦い、それを超える力が今、目覚めた。


「――――」


ドリューは声を上げることすらできない。ただあり得ない光景に目を奪われているだけ。それは自ら手にしている宵の剣。いや、宵の剣であったもの。既にその刀身が砕け散ってしまっている。他でもないハルの剣によって。剣士としてあり得ない事態。かつてキングと戦った時ですら起こり得なかった剣で後れを取るという失態。シンクレアを使うことも、魔法を放つこともできない完全な隙が生まれる。ようやくドリューは気づく。ハルの持つ剣はそれまで見たことのない形態へと姿を変えていることに。闇に支配されたこの世界であり得ないような輝きを放つ一本の剣。宵の剣とは対極に位置する存在。闇属性が光属性の天敵であるように、光属性もまた闇属性にとっては天敵となり得る。それは


「太陽の剣ミリオンサンズ――――!!」


TCM第八の剣。闇を打ち砕く力を持つ光属性の剣。まさにドリューにとっての天敵、切り札となり得る希望。


その一刀がドリューを貫く。その光景にその場にいる者全てが目を奪われる。まばゆい光が闇を切り裂いたかのようにドリューはその場から動くことができない。闇魔法を極めたドリューはその代償に極端に光に弱くなってしまっている。それは日の光でさえ苦痛に感じるレベル。太陽の名を冠する剣による一閃。


「っ! エ、エリー大丈夫か……!?」


ハルはそのまま剣を振り抜きながらすぐさまエリーの元へと向かわんとする。ドリューを倒したことももはや頭にはなかった。仲間たちもまた目の前の光景に安堵し、歓声を上げんとした時


「……なるほど、どうやら私はお前の力を見誤っていたようだ」


それは絶望の悲鳴へと変わってしまった。


「……ハル?」


エリーはどこか心ここに非ずといった風に呟くしかない。だがその頬には何か温かい物が触れている。それは鮮血。目の前にいるハルから飛び散ってきた物。エリーはようやく悟る。それがドリューによって体を貫かれたハルの血であることを。


「いやああああああ!!」


エリーの絶叫と共に体から黒い剣が抜き取られハルはそのままその場に倒れ伏す。その剣は宵の剣ではないもう一つのドリューの剣である漆黒丸。その能力は宵の剣すら超える物。既にハルに意識はない。エリーは泣き叫びながらハルに縋りつくもハルは目を覚ますことはない。その体には穴が空き、夥しい出血がエリーの手を朱に染めて行く。急所は外れており、一命は取り留めているもののいつ死んでもおかしくない程の重傷。すぐさまプルーが止血を行うもそれは傷をそのものを治すものではない。そんなハルとエリーを庇うかのようにレットが前に出るもその表情は困惑の極み。何故なら先程のハルの攻撃は間違いなくドリューを切り裂いた。光の剣であるならドリューを倒すことは不可能ではなかったはず。にも関わらずドリューは傷一つ負っていない。それは


「分からない、といった顔だな。見るがいい、これが私が持つもう一つのシンクレア『ラストフィジックス』の力。私にはどんな物理攻撃も通用せん。だが褒めてやろう。私にこれを使わせたのだからな」


ドリューが手にしているもう一つのシンクレア『ラストフィジックス』の力。『物理無効』という最強の一角。例え斥力を突破することができてもドリューには物理攻撃は届かない。切り札足りうる太陽の剣ミリオンサンズも剣である以上通用しない。いやそれだけではない。それは事実上ハル達攻撃が全て通用しないことを意味していた。


「そ、そんな……そんなDB倒せる訳ないじゃないですか!?」
「む、無理ポヨ……もう打つ手がないポヨ……」


その場にいる者全ての心をグリフとルビーが代弁する。もはや万策尽きた。斥力を突破できたとしてもドリューに攻撃は通用しない。唯一それを倒せる可能性があったハルが敗れた。希望を失ったに等しい絶望がレット達を包み込む。だがそれでもレット達はあきらめるわけにはいかなかった。


「ルビー……ワシが時間を稼ぐ。その間にハル達と共に蒼天四戦士の元に逃げるのじゃ。もはやそれしか手は残っておらぬ」


レットは決死の覚悟を見せながらルビーへと後を託す。既にドリューを倒す可能性は潰えた。だがそれはこの場での話。ハルがさらなる力をつければまだ可能性がある。そのためにできるのはこの場からハル達を逃がすこと。そのためにレットは自ら命を捨てる覚悟を決める。傷つき破れてしまった上着を破り捨てながらレットは単身ドリューと向かい合う。


「ほう……まだあきらめていないとはな。たった一人で私を相手にできるとでも?」
「そ、そうポヨ! 無理ポヨ! それここではエールダウンは使えないポヨ! ドリューの魔力のせいで逃げられないポヨ!」


泣きながらルビーは己の無力さを嘆くしかない。今この場にはドリューの結界が張られている。何人もこの場から逃がすことはない。魔王からは逃げられないと告げるかのように。


「百も承知じゃ……魔法が使えぬならその足で走れ。主ならできる」


レットとてそれは承知の上。できるのなら既に撤退している。できるのはただハル達がこの場から離れる時間を稼ぐだけ。もしドリューの力が斥力だけであったとしたならまだレットには勝機があった。


『神竜一声』


その身をささげることで竜の神、天下無双の力を手にする竜人ドラゴンレイスの奥義。命を犠牲にする最後の技。それを使えば例えドリューを倒すことができなくとも手傷を負わせることはできる。だがその可能性は消え去った。物理無効というシンクレアの力によって。いかに神竜一声の力を得た戦士であってもその攻撃は全て物理。ドリューの前には通用しない。ならばそれを使わずにできる限り時間を稼ぎ、最後の最後でそれを使い体が朽ちるまでドリューの足止めをする。


「……参る!」


レットはその拳を以てドリューへと立ち向かっていく。それが決して敵わぬ戦いであると知りながらも。


「…………」


レイナはただ呆然と目の前の光景を見ていることしかできない。既に体には力が入らない。戦意は完全に失われ、あるのは凄まじい虚脱感と恐怖だけ。ドリューの持つ二つのシンクレアの圧倒的な力。その前ではレイナの力は通用しない。万が一にも勝機はない。この場から撤退することも、シルバーレイを止めることも叶わない。共に来たランジュ達も助からない。全ての希望は消え去った。レイナはただ自分の浅はかさに絶望する。最初からルシアと共に来ていればこんなことにはならなかった。自分のちっぽけな自尊心のために全てを台無しにしてしまった。自分の一人の命ならまだいい。自業自得で済む。だがこの場には自分以外にも自分を慕ってきてくれた仲間がいる。それだけがレイナの後悔。まだ戦い続けているレイヴの騎士たちの姿にただ目を奪われる。


何故まだ戦うのか。勝てるはずなどないのに。天と地ほどに離れた実力差がドリューと自分達にはある。それが分かっていないはずはない。レイヴマスターが倒されたことでいつ心が折れてもおかしくないはず。それなのに何故――――


「レイナ――――!!」
「っ!?」


瞬間、自らを呼ぶ声によってレイナは咄嗟に我に帰るも目の前には既に剣を構えたドリューの姿。戦意を喪失しているとはいえレイナは六祈将軍オラシオンセイス。残る敵の中では最も危険度が高いと判断したドリューはそのまま漆黒丸を振るいレイナを切り裂かんとする。だがそれを間一髪のところでムジカは銀の槍によって受け止める。だがそれを捌き切ることができず胸を切り裂かれ、斥力によってムジカはレイナもろとも遥か彼方に吹き飛ばされる。


「がっ……あ……!」
「……っ! あんた何を考えてるの!? 私は敵なのよ、何でわざわざ助けるような真似を……」


既に満身創痍に関わらずレイナを庇ったことでムジカは立つのがやっとのあり様。レイナはそんな理解できないムジカの行動に呆気にとられるしかない。自分はDCであり相手はレイヴ側の存在。わざわざそれを助ける意味など無い。だが


「何言ってんだ……今のオレ達の敵はドリューだろ。違うのか?」


さも当然だとばかりにムジカは告げる。まるでこの場にいる以上レイナも仲間だと信じ切っているかのように。


「……正気なの? そもそもまだドリューに勝てる気でいるわけ? あなたも見たでしょうあいつの力を……私達ではどうやっても……」
「いや……一つだけあるぜ、あいつを倒す手段がな」


その場から立ち上がることができず、ただ座り込んだままあきらめているレイナに向かってムジカは示す。残された最後の可能性を。ドリューを倒し得る技を。それは


「絆の銀だ。あれなら斥力も物理無効も関係ねえ……必ずドリューを倒せる」


二人の信じあう銀術師シルバークレイマーが揃うことで可能な銀術の究極技。それがドリューを倒せる可能性がある唯一の方法。


「何を言っているの!? あれは信じ合う銀術師シルバークレイマーでなければできない技よ! 私とあなたでできるわけがないわ!」
「かもな……でも目的は同じだろ? シルバーレイを止めるためには、仲間を救うためにはこれしかねえ……このままじゃどの道全滅だ……それにこのままやられっぱなしじゃ我慢できねえだろ?」


ムジカはどこかからかうような笑みを見せながらレイナに向かって手を伸ばす。だがレイナはただその手を見つめているだけ。今のレイナには既に恐怖はなかった。まるでここが戦場であることを忘れてしまうほどにレイナはただその言葉によって貌を上げる。やられっぱなしでは我慢できない。


「……どうしてそう思うわけ?」


およそ今まで言われたことのないような言葉。その問いに


「何言ってやがる。あんたみたいな気が強い女、他にいるかよ」


ムジカは間髪いれずに応える。女性に対する物とは思えないような失礼な物言い。だがその差し出した手は血にまみれ震えている。それは戦いによる恐怖。レイナは悟る。ムジカもまた怖いのだと。当たり前だ。あれほどの力を、強さを持つ相手に戦いを挑んでいるのだから。だがそれを上回る覚悟と勇気で戦っている。自分よりも年下の少年が。同じ銀術師シルバークレイマーとして負けるわけにはいかない。そんな対抗心が絶望に染まっていたレイナの心に火をつける。


「……いいわ。乗ってあげる。その代わり、ドリューを倒したら覚悟しておくのね」


男なら誰であっても見惚れてしまう笑みを見せながらレイナはムジカの手を握り、立ち上がる。今ここに二人の信じあう銀術師シルバークレイマーが揃う。瞬間、見えない力が辺りを支配した。


「っ! ムジカ……!?」
「何ポヨ!? 一体今度は何が起きたポヨ!?」


単身で何とかドリューを抑えんとしたものの敵わず斥力によって吹き飛ばされてしまっていたレットはふらつきたちあがりながらもその光景に目を奪われる。レットだけを残すわけにはいかないとベル・ホーリーを持ってドリューに立ち向かおうとしたルビーもまた動きを止めてしまう。そこにはムジカとレイナがその手を繋ぎながらドリューに向かって行く姿がある。そしてその繋がれた手には互いの銀の象徴がある。ドクロと蛇。二つの銀が混じり合いながら光と共に見えない力を生み出していく。ドリューもまたその光景と光によって動きを止めてしまう。そうなってしまうほどの、何人にも犯してはいけない神秘がそこにはある。


ムジカとレイナはその手をかざす。握り合った手を離すことなく。今ここに銀の光が解き放たれる。


物理攻撃ではない。信じる心を持った二つの銀が合わさる時、どの魔法にも属さない無属性魔法にも似た衝撃を生む。


それこそが銀術の究極技 『絆の銀』


信じる心を持った銀術師シルバークレイマーと信じる心を取り戻した銀術師シルバークレイマー。その奇跡の力が全てを飲みこんだ――――




後には何も残らなかった。あるのは巨大な要塞が墜落してしまうのではないかと思えるような穴だけ。そこから夜の空と海が見え、新たな風が吹き込んでくる。それが絆の銀の真の威力。シルバーレイと同じ力を持つものだった。


「こ……こんなにすげー威力だとは思わなかったぜ……」
「そうね……失敗すれば私達の方が消え去ってたでしょうね……」


ムジカは自らが放った絆の銀の威力に唖然とするしかない。実際に使うのは師に教えてもらって以来。しかも修行では手順だけであり使ったことはなかったためこれだけの威力があるとはムジカは想像していなかった。それはレイナも同様。


「ド、ドリューはどうなったの……?」
「ま、まさか、本当にやっつけたポヨか……?」
「……どうやらそのようじゃの」


エリー達はまるで信じられないかのように呆然としながらもようやく悟る。先の攻撃によってドリューが文字通り消滅したのだと。実感が湧かない程に絆の銀の衝撃は凄まじかった。だが絶望的な戦いが終わったことでやっと皆の顔に笑みがこぼれる。ルビーやグリフはあまりの嬉しさに泣き出し始める。


「ったく……ほんとにヤバかったぜ。何度死ぬかと思ったか……」


大きな溜息を吐きながらもムジカは安堵する。これでようやく長かった戦いが終わったのだと。シルバーレイを止めるという役目も果たすことができた。だが喜ぶのはまだ早い。自分たちの傷もだが何よりもハルの傷は一刻を争う。ならすぐに動かなくては。同時にムジカはレイナとまだ手をつないだままだったことを思い出し悩むしかない。このまますぐ離すべきか、冗談だとは思うがまさかドリューを倒した後は本当に自分を倒すつもりなのでは。そんなことを考えながらもムジカはようやく気づく。


レイナの手が震えていることを。


その意味を悟るよりも早く


「少々驚かされたぞ……まさかこの姿を晒すことになるとはな……」


悪夢は再びムジカ達の前に姿を現す。夜の闇と一体になったかのように影を纏いながら。その姿は先程までとは全く違う。爪は伸び、体は禍々しく変形し、尾のような物まで生えている。男爵のような雰囲気は既に欠片も残っていない。あるのはただ恐怖の具現のような恐ろしい異形のみ。それが夜の闇を吸収したドリュー。『魔王』の称号を持つ者の真の姿だった――――


「ば、馬鹿な……確かに絆の銀は直撃したはず……」
「絆の銀……? 先程の攻撃のことか。確かに凄まじい威力だったが今の私には通用せん。一度同じ技を見たことがあったものでね……」


ドリューはまるで感情を感じさえない声で告げる。ドリューは既に同じ攻撃を見たことがあった。それはオウガとの戦い。その金術の究極技。確かにその威力は凄まじかったが魔王の力を発揮したドリューであれば対抗することはできる。物理攻撃ではないもののそれは逆に魔法に近い攻撃。なら魔導士でもあるドリューには防ぐことも可能。闇魔法を極めしドリューだからこそできること。これは分かり切っていたこと。銀術を超える金術を扱うオウガですらドリューに敵わなかった。これ以上にないほど明確な、そして逃れようのない絶望。


「『魔王』の前では生命など無に等しい。力なき者よ……ひれ伏すがいい」


魔王は告げる。全ての終わりを。魔界を統べるに相応しい称号を持つ王者。その前ではいかなる力も通用しない。その意味を誰よりも知っているレットは膝をつき、己の敗北を悟る。ムジカとレイナもまた立ち尽くしたまま微動だにできない。できるのはただ手を繋いでいることだけ。エリーは涙しながらハルを抱きしめ、ルビーたちもその周りでへたり込む。


ここに勝敗は決した。レイヴの騎士たちの敗北。後は光が闇に飲み込まれるだけ。弱肉強食。人間であれ亜人であれその理から逃れることはできない。そう、例えそれが魔王であったとしても――――




サザンベルク大陸の沿岸部。人の気配が全くない静寂の世界に突如として人影が現れる。まるで突然その場に現れたかのように。だがそれは間違いではない。その人物は瞬間移動によってこの場に飛んで来たのだから


「ハアッ……ハアッ……! 何とか着いたか……」


肩で息をしながらもルシアはようやくサザンベルク大陸に辿り着いたことで安堵の声を漏らす。だがすぐさま頭を振り、意識を切り替える。のんびりしている時間は一秒たりともないのだから。


『ふ、ふん……何だその有様は……全く……これでは先が思いやられる、ぞ……』
「……悪いが今のお前に言われてもこれぽっちも説得力がねえぞ。大人しくしてろ」
『アキ様の言う通りです。今のあなたには力が残っていないのですから黙っていなさい。無駄に疲れるだけですよ』
『う、うるさい……くそ、お主だけ回復しおって……この卑怯者め……』
『ひ、人聞きがわるいこと言うんじゃねえ!? 仕方ねえだろうが! DBを回復させる手段なんて持ってねえんだからよ!』


息も絶え絶え、今にも気を失ってしまうそうな声でマザーはルシアに食ってかかって行くも既に虫の息。それは先の大破壊オーバードライブの代償。五十年前の再来とも言える力を行使したことでマザーにはもう力が全く残っていない。それはルシアも同じはずなのだがそのルシアは疲労した様子を見せていない。

『エリクシル』

世界最高の医者であるアリスが作り出したどんな怪我も治すという霊薬。それを飲むことでルシアは自らの体力を回復させていた。アナスタシスとは違い体力も回復できるのがその利点。ルシアは潜伏生活をしている間に何本かのエリクシルを確保していた。無論原作で登場したエリクシル改ほどの効果はないが戦闘可能な域まで回復することができた。だがそれでもDBを回復させることはできない。つまりマザーの力をドリューとの戦いでは使用できないことを意味する。


(確かにマザーを使えないのは痛いが回復するのを待ってる余裕はねえ……シンクレアの極みにだけ注意しながら一瞬でケリをつけるしかないか……)


ルシアにはマザーの回復を待っている時間はない。その間にレイナ達が全滅してしまえば全てがお終いになってしまうのだから。ヴァンパイアの極みは厄介だが地力であればルシアはドリューを大きく超えている。ネオ・デカログスだけでなくアナスタシスもある。ルシアは己を鼓舞しながらすぐさまDBマスターとしての感覚でドリューの位置を探る。ルシアがいる場所からドラゴンであれば十分ほどかかる場所。だが同時にルシアは戦慄する。それは


(っ!? や、やべえ……ホワイトキスが完全に戦意を喪失してやがる!? まだやられてはねえみたいだが時間の問題だ……!)


レイナが持つホワイトキスの気配。それはまさに絶望に染まっている、すぐそこに敗北があるかのような状況。加えてドリューが持つ二つのシンクレアもすぐ傍にあり交戦中なのは明らか。だが今から向かったのでは到底間に合わない距離。ルシアは汗を吹き出しながらもすぐさまドラゴンで向かわんとする。だが心の中では既に最悪の結末を覚悟していた。シルバーレイとオウガという原作でのレイナの死亡フラグは消し去ったもののやはり死の運命は変えられない。違う形でレイナは死んでしまう。助けることはできない。だがそんなルシアの思考は


『……マザーではありませんが、本当にアキ様は面倒事に巻き込まれる才能がおありなのかもしれませんね』
「…………え?」


アナスタシスのらしからぬ呟きによって止められてしまう。ルシアは一体アナスタシスが何を言っているのか分からず呆気にとられるしかない。アナスタシスが自分と同じようにDBの気配を感じ取っていることに気づいたルシアは改めて状況を確認せんとする。だがその瞬間、ルシアの時間は完璧に止まってしまった。


知らず息を飲み、体は震えている。それは恐怖。忘れることができないトラウマ。それがルシアの動きを完璧に支配する。


ルシアは感じ取る。それはシンクレアの気配。今、クリーチャーにはドリューが持つ二つのシンクレアが存在する。ヴァンパイアとラストフィジックス。それは間違いない。それをルシアは感じ取っている。にもかかわらずあり得ない感覚がルシアを戦慄させる。


それは三つの目のシンクレア。ルシアが知らない三つの目のシンクレアがドリューとホワイトキスのすぐ傍にある。だがルシアはマザーとアナスタシスの二つをこの手にしている。それはつまり


最後のシンクレア『バルドル』が今、あの場に存在しているということ。


そしてついにルシアは理解する。直接それを目にすることによって。それは海岸。夜の闇に支配された広大な海。ようやくルシアは気づく。あるはずの音が全くなかったことに。それは波音。潮の満ち引きによる海岸であれば必ず聞こえるはずの物が今、完全に消え去っている。雲に隠れていた月明かりがそれを照らし出す。そこには


辺り一面が氷と化している、白銀の世界があった―――――




「―――――――」


それは足音だった。まるで氷の上を歩いているかのような足音と共にあり得ない第四の勢力がドリュー達の前に姿を現す。ドリュー達はただその光景に縛りつけられる。まるでその場の空気が凍りついてしまったかのように。だがそれは決して間違いではない。まるで氷河期が訪れたかのように辺りの熱は奪われ、全てが凍りついて行く。


その中心に一人の女性がいた。雪のように白い肌と見る者を虜にするような美しさ。だが同時に人形のような生気を感じさせない矛盾を内包した美女。だが彼女にはある二つ名があった。


「楽しそうね……私も混ぜてもらっていいかしら……?」


魔界を統治する四人の魔王。四天魔王の一人。


『絶望のジェロ』


今、逃れようのない絶望が人間界に降臨した――――



[33455] 第七十二話 「絶望」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/05/02 07:27
その場にいる全て者達の視線は一人の女性に注がれていた。いや、釘づけにされたと言った方が正しい。何故なら彼女が現れてから誰一人身動きが取れなかったのだから。傷つき、その場に倒れ伏しているハル達だけではない。魔王として真の姿を晒したドリューですらただ突然の何の前触れもなく現れた乱入者にただ息を飲み、目を奪われることしかできない。だがそれは当然のこと。この場にいる者達の中でドリューとレットだけが彼女の正体を悟っていた。にも関わらず両者とも声を上げることもできない。二人にとって目の前の女性は存在してはならない、存在すら疑われていた女王なのだから。

だが自分がそんな視線を集めていることなど全く意に介すこともなく女はそのまま優雅に歩きながらハル達へと近づいて行く。一歩一歩、ただ歩みを進めて行くだけ。そこには何の意志もない。歩くという当たり前の行為。だがそれだけでハル達の周囲の温度は急激に低下し、地面は凍りつき、吐息が白くなり、呼吸が苦しくなっていく。だがそれは物理的な話。それ以上に目に見えない力がハル達に襲いかかってくる。それは重圧。まるで地べたに這いつくばらなければならないかのような重圧がハル達を押しつぶさんと迫る。そしてついにハル達の目の前まで女が到達しようとした瞬間、


「……っ! てめえ、それ以上ハル達に近づくんじゃねえ!!」


決死の表情を見せたムジカが残された全ての力で銀槍をその手にしながら女に立ち向かって行こうとする。自分を襲っている重圧も何もかも振り切りながら。それはハル達を守るため。既にハルは重傷を負い意識不明。エリーはそれを庇うように抱きかかえている。そんな二人にこれ以上近づかせるわけにはいかない。ムジカが満身創痍の体を酷使しながらもハル達を守らんと構えようとした時


「―――っ!? やめるんじゃ、ムジカ!! 矛を向けるでない――――!!」


断末魔のようなレットの声が間一髪のところでムジカの動きを止める。ムジカだけではなくその場にいる仲間達は驚愕の表情でレットに視線を向ける。そこには普段では考えられないような表情を浮かべているレットの姿がある。顔は苦渋に満ち、汗を流し、体は震えている。まるで恐れを為しているかのようなあり得ない状態。ムジカ達にとってレットは常に冷静であり、戦闘においては他を許さない程の覚悟を持つ者。事実、ドリューとの圧倒的な実力差を前にしても決してあきらめることなく命を捨ててでも足止めをせんとした程。だからこそムジカ達は驚愕し、戦慄するしかない。そんなレットが誇りも何もかもかなぐり捨てて手を出すなと絶叫する。目の前の女がそれほどの存在なのだと。

だがそんなやりとりすら目には入っていないのかのように女はただ真っ直ぐに歩き、ムジカ達の横を素通りしていく。そのあまりの自然さに応戦しようとしたムジカですら身動きを止めたまま女が横を通り過ぎて行くのを黙って見過ごすしかない。同時に戦慄する。それはあまりにも単純な事実。女は最初からムジカ達のことなど眼中になかったのだということ。つまりムジカ達は女にとっては例えるなら道端に転がっている石、雑草同然。気に止めることすらない存在。女がムジカ達の横を通り過ぎて行ったのはただ彼女の目的の場所にたどり着くまでの間に偶然彼らがいただけ。そしてようやく女の足が止まる。女の視線がゆっくりとその人物に向けられる。


「……お前がドリューね。ようやく見つけたわ……」


夜の支配者パンプキン・ドリュー。魔王の称号を持つ存在。この場を支配していた王者。その証拠に既にドリューを倒さんとしたレイヴの騎士たちも、六祈将軍オラシオンセイスも敗北した後。夜の闇に支配されたこの場ではドリューが頂点となる。だが知らずドリューは気圧されていた。目の前の女に。その力の片鱗に。それは本能。魔界の住人であれば誰であれ抗うことはできない感覚。

ドリューはまるで信じられない物を見たかのように目を見開く。だがそれは当たり前だ。魔王とはその名の通り魔界の王族を指すもの。それが人間界にいるだけでもあり得ない事態。それに加え、ドリューですら驚愕するしかない理由があった。

今、魔界は三人の王によって統治されている。

『獄炎のメギド』 『永遠のウタ』 『漆黒のアスラ』

ドリューが生まれる前、何万年も前から続いてきた支配体制。その力の前には逆らえる者などいないと言われるほどの『四天魔王』と呼ばれる魔王達。だが魔界の住人たちですら知らない存在があった。それが存在しない四番目の魔王。二万年以上前から姿を消してしまった四人目の魔王がいたのだという話。もはやお伽噺にすらなってしまっているような存在。だがその名をドリューは知っていた。


「……貴様、まさか……四天魔王……『絶望のジェロ』なのか……?」


『絶望のジェロ』


二万年以上前、自らを氷漬けにし眠っていたはずの氷の女王が今、ドリューの前に姿を現していた。


「……呼び捨てにする無礼を許した覚えはないのだけれど……まあいいわ……」


ジェロは狼狽しているドリューの姿を見ながらも全く表情を変えることはない。それどころか既にその瞳はドリューを映してはいなかった。あるのはただドリューの胸元にある二つの闇の輝きだけ。ヴァンパイアとラストフィジックス。持つ者に闇を統べるに相応しい資格と力を与える五つの頂きの内の二つ。


「……そう。本当にシンクレアを二つ持っていたのね。手土産は一つの予定だったのだけれど……手間が省けるからよしとしましょうか……」
「……貴様、一体何の話を」


まるで見えない何かと話をしているかのように独り言をつぶやいているジェロの姿に困惑しながらもドリューは身構えながら問いたださんとする。一体何の目的でここにやってきたのかと。だがそれは


「その二つのシンクレアを渡しなさい。それはあなたには相応しくない。大人しく渡せば命だけは助けてあげるわ」


これ以上ないほどの理解できないジェロの宣告によって氷解する。だがドリューはもちろんムジカ達ですらジェロの言葉に凍りつく。シンクレアを二つ差し出せ。それがジェロの命令。力づくで奪うのではなく渡せ。つまりジェロにとってはドリューは格下。争うことすら必要ないということ。その証拠にジェロは細い氷のような手をドリューに向かって差し出したまま。ようやくその言葉の意味に気づいたドリューは凄まじい憤怒の形相を浮かべ今にも飛び出して行きかねない殺気を纏いながらも魔王としての誇りからあえて言葉によって応える。


「ほう……興味深い話だな。だが聞き違いだろうか……私がシンクレアに相応しくないと言っていたように聞こえたが……?」
「……言葉通りの意味よ。お前にシンクレアは相応しくない。それはアキ……ルシアにこそ相応しい物」
「ルシア……? そうか、貴様……金髪の悪魔の、ルシアの差し金か?」


ドリューはようやく納得がいったかのように声を上げる。目の前のジェロが自分の持つシンクレアを手に入れるためにこの場にやってきたこと。その背後にルシアがいることを。六祈将軍オラシオンセイスだけでなく四天魔王の一人まで配下としていることに驚きは隠せないもののドリューは今まで知らず圧倒されていた自分に活を入れ、改めてジェロと向かい合う。確かに四天魔王は魔界において敵う者がいない最強の四人。だがそれは過去の話。ドリューは人間界に渡ってからその頃とは比べ物にならない程力をつけてきた。闇の頂点とまで言われたキングと互角の力を。そして二つのシンクレアという闇の頂きの力を。ルシア同様二つのシンクレアを手にしている以上そこには大きな力の差はない。ならばその配下となっているジェロに自分が敵わない道理はない。そしてようやくドリューは気づく。それはジェロの胸元。そこに一つの輝きがある。それは


「貴様……それは、シンクレアか……?」


最後のシンクレア『バルドル』 魔界でアスラが守護していたはずの最後のシンクレアが今、ジェロの胸元にある。だがドリューは気づけない。ジェロがバルドルを持っている意味を。その役割が何であるかを。ただあるのは歓喜だけ。そう、この場に新たなシンクレアが向こうからやってきてくれたのだから。それが五つ目のシンクレアだとすれば後はルシアを倒せば全てのシンクレアが揃う。もしそれがルシアが持っている二つのシンクレアの内の一つであったとしても手に入れればドリューは三つのシンクレアを手にし、ルシアは一つ失うことになる。そうなればドリューの勝利は揺るがない。ドリューに恐れるものは何もない。人間界だけではない。魔界を含めた全ての世界を支配するに足る、大魔王に相応しい力をドリューは手に入れることができる。知らずドリューの口元が怪しく歪む。永い間求め続けていた自らの絶対王権が目の前にまで迫っていることに。


「……聞こえなかったのかしら。その二つのシンクレアを渡しなさい。これは王の命令よ」


そんなドリューの思考など知ることなくジェロはその手を差しだしながら最後の命令を下す。知らず辺りの気温が下がって行く。まるでジェロの気配に呼応するかのように。その感覚にムジカ達は戦慄する。自分たちに向けられているわけでもないのに気を失ってしまいかねない魔力が辺りを支配し始めていることに。ドリューは気づかない。自分が今まさに触れてはいけないものに触れようとしていることに。ドリューは知らない。ジェロの言葉が紛れもない王としての慈悲であることに。


「フ……それはこちらの台詞だ。大人しくそのシンクレアを渡せば命だけは助けてやろう。人間に下った魔王など私の敵ではない。私が本当の魔王の力を見せてやろう」


ドリューはついにその言葉を口にしてしまう。ジェロの前で最も口にしてはならないものを。


『魔王』という魔界における最も畏怖されるべき称号を。


「驚いたわ……王に対する数々の無礼。無知なだけか……それとも……」


ドリューの宣戦布告を受けながらもジェロは溜息をつく。それは怒りではない。ただ純粋な憐れみ。自分が眠っている間に魔王という格式が落とされてしまったという許されない事実。何よりも自らが求めた大魔王の器足るルシアを侮辱されたこと。ジェロはそのまま自らの胸元にあるバルドルへと視線を向ける。まるで何かの許可を得るかのように。


「いいわ……光栄に思いなさい。アキよりも先にお前に儀式を受けさせてあげるわ」


ジェロがその手にバルドルを手にする。瞬間、全てを紫の光が照らし出していく。だがそれは一瞬。ムジカ達は何か攻撃が行われたのかと思い身構えるも何も起こっていない。あるのは先程までと変わらない静寂だけ。ドリューの持つ二つのシンクレアの能力を目の当たりにしているムジカ達はそれに匹敵する力が発動されたと思っていたにもかかわらず何の変化もない事態に困惑するしかない。だがそんな中にあってドリューだけは違っていた。


「―――っ!? き、貴様、一体何をしたっ!?」


ドリューは驚愕の表情を見せながらジェロに向かって吠える。だがその表情には既に先程までの魔王の風格は薄れつつある。あるのはあり得ない事態が起こってしまったことに対する困惑だけ。しかしドリューの体には何の変化もない。ダメージも全くない。ドリュー自身には先の光は何の効果もない。あるのは


「簡単な話よ。あなたのシンクレアを全て使えなくした。それだけよ」


ドリューが持つ二つのシンクレアが使えなくなってしまった。ただそれだけ。単純な、これ以上ない能力。それこそが最後のシンクレアである『バルドル』の力。


五つのシンクレアはエンドレスから生まれしもの。その大本であるエンドレスの力があって初めてシンクレアはその力を発揮できる。エンドレスとシンクレアを繋ぐこと。それこそがバルドルの役割。彼女の力を持ってすれば他の四つのシンクレアですらただの物言わぬ石へと姿を変える。他の四つのシンクレアの役割はシンクレアに相応しい担い手を探しだすこと。そしてバルドルの役目はその担い手がエンドレスに相応しいか見定めること。


『シンクレアを統べるシンクレア』


事実上この世に存在するDBの頂点となるバルドルの前では全てのDBは無力と化す。例えそれがシンクレアであったとしても。


「ば、馬鹿な……こんなことが……!?」


ドリューは目の前で起こっている信じられない事態に声を上げるだけ。当たり前だ。DBの頂点であるシンクレアがその力を失ってしまったのだから。それはまるでシンクレアを前にしたDBのよう。今、ドリューは自らの二つの能力を失った。

『引力支配』と『物理無効』

ヴァンパイアとラストフィジックスによって得られていた加護。それはつまり


「力を示しなさい……母なる闇の使者マザーダークブリングを持つ者。器足りうるかどうか試してあげるわ」


シンクレア以外の力。自らの力だけを以て四天魔王を打倒しなければならないということ。それがバルドルの役目であり四天魔王の役目。大魔王の器を見定めるための儀式。

かつてルシアが聞いたものと同じ言葉を告げながらジェロは儀式を開始する。だが根本的に違うこと。それはこの儀式が一年前とは違い手加減など無い本物の儀式であったこと。


「―――っ! この私を侮辱する気か―――!!」


瞬間、弾けるようにドリューは走り出す。その瞳には既に先程までの困惑はない。夜の支配者たるに相応しい姿。確かに二つのシンクレアの力が使えないのは大きな痛手。だがドリューには自負があった。自らの力がシンクレアだけではないこと。DBを操るだけではない魔王としての力。それを以てしてドリューはジェロへと向かって行く。その手には黒い剣が握られていた。しかしそれは宵の剣ではない。ドリューが持つ剣の中で最強の力を誇る剣、漆黒丸。それによって斬られた者は例外なく蝕まれ死に至る。その死の一刀が容赦なくジェロの首筋に刺さる。ジェロは微動だにすることができない。後はそのまま剣を振り切り、首と胴を切り離すだけ。あまりにもあっけない決着。だが


「――――っ!?」


ドリューの声にならない声によってかき消される。ドリューは自らの剣が確かにジェロの首筋に叩きつけられたのを見た。だがそれだけ。いくら力を込めようと刃がそれから先に動かない。まるで氷を削り取っているかのような音が響き渡るもジェロの首筋には微かなヒビができるだけ。あり得ない事態に驚愕する間もなくドリューは目にする。

それはジェロの瞳。だがそこにはおよそ感情というものが見当たらない。まるで虫けらを見るかのような無慈悲な瞳だけ。それを目の当たりにすることでドリューはまるで金縛りから脱するかのように凄まじい速度でその場から距離を取る。そこには戦略も何もない。ただ純粋な逃走。あの場にいれば命はない。捕食者を前にした餌同然。さらにドリューは目にする。それはジェロの首筋にあったはずの傷跡。それが一瞬で消え去って行く。まるで何もなかったかのように。


『自動再生』


それがジェロの持つ能力の一つ。氷の体を持つジェロは外からのどんなダメージも通用しない。傷を受けた瞬間に瞬く間に再生してしまう。その力はアナスタシスに匹敵、凌駕するほど。時間逆行ではない純粋な再生。その前ではいかに漆黒丸といえども無力。TCMでさえも封殺されてしまいかねない無敵の肉体。


「そう……私はウタほど剣は得意ではないのだけれど……いいわ、遊んであげるわ」


ドリューの攻撃などまるで初めからなかったかのように呟きながらジェロは無造作にその手をかざす。瞬間、凄まじい冷気の力と共にその手に一本の剣が姿を現す。それは氷の剣。何の能力もない、ただ氷によって造られただけのもの。その言葉が示すように構えなど無い、無防備な姿を見せながらもジェロは手に剣を持ちドリューに向かって歩いて行く。一歩一歩静かに。それでも逃れられない絶望の足音を奏でながら。


「貴様ああああ――――!!」


自分をなめきっている、馬鹿にしているかのようなジェロの言動によって激昂しながらドリューはその剣を以てジェロを打倒せんと向かって行く。瞬間、漆黒丸と氷の剣がぶつかり合い、衝撃が大地をゆるがす。まるで先のドリューとハルの攻防を彷彿とさせる物。だが一つ違うこと。それは


「お、おい……何の冗談だよ、ありゃあ……」


ドリューが為す術もなく追い詰められているということ。既にドリューは防戦一方。ジェロが振るう剣を何とか防いでいるだけ。そんなあり得ない光景にムジカ達は言葉を失くす。もしかしたらドリューが弱くなってしまっているのではないかと思ってしまうほど。だがそれは間違い。ただ単にジェロが強すぎるだけ。

そしてもう一つムジカ達が戦慄している理由。それはジェロの剣の腕。それは確かに凄まじい。だがそれはドリューに及ぶものではない。剣捌きも、足捌きも、剣士としてはドリューの方が上回っている。かつてのキング、ゲイルに匹敵する剣の腕がドリューにはある。にも関わらずジェロが上回っている理由。それは単純な身体能力の差。剣の速さも、重さも使い手に左右される。つまり剣の腕という技術を補って余りある純粋なスペックの差。ドリューの剣に捧げてきた年月を気まぐれで無にできるほどの出鱈目な力。それが絶望のジェロの、四天魔王の称号を持つ者の力。

そして終わりは呆気なく訪れた。何合目かの剣のぶつかり合い。ついに耐えきれなくなった漆黒丸が氷の剣によって刀身を破壊される。そのままジェロの無造作な一閃がドリューの首へと迫る。避けようのない完璧なタイミング。だがその瞬間はいつまでたっても訪れなかった。


「――――何のつもりだ」


およそ感情が感じ取れない声でドリューは問う。ドリューの視線には自らの首元で止まっている氷の剣の姿がある。首の皮一枚。その冷気が間違いなく剣がそこにあることをドリューに伝えてくる。自らが剣で敗北した。あり得ないような事態。しかも明らかに剣の腕は自分に劣るであろう相手に負けるというこれ以上にない屈辱。だがそれすらも忘れてしまうほどに今の状況はドリューにとっては不可解なもの。


「言ったでしょう、お遊びだと。これが最後の慈悲よ。大人しくシンクレアを渡して二度と魔王の名を口にしないと誓いなさい」


ジェロははじめと変わらない感情のない声で宣告する。慈悲という名の情け。自分に対する数々の無礼。本来なら死を以てしか許されない罪。それを許すというあり得ない言葉。それはジェロにとって、四天魔王にとっての悲願である大魔王の器が誕生する瞬間がすぐそこまで迫っていることによるもの。だがそれはドリューにとっては死よりも許すことができない屈辱だった。手加減をされるという無様。ドリューは悟っていた。剣を止めたのは自分にラストフィジックスというシンクレアがなかったからなのだと。もしそれがなければこの瞬間、勝負は決していた。つまりシンクレアがあったとしても自分には遠く及ばない。ジェロはそうドリューに見せつけた。バルドルの力など無くともドリューなど相手にはならないのだと。


「……アワレムナ……私を哀れむナ……闇を哀れむな――――!!」


その事実に、自分が哀れまれていることを知ったドリューはまるで気が狂ってしまったかのように悶えながらその力でジェロへと向かう。魔法というもう一つの力。魔王の姿を晒したドリューによって無数の黒い雷と魔力弾がジェロに直撃し、辺りの建物ごと全てを破壊しつくしていく。要塞であるクリーチャーが墜落してしまいかねない規模の範囲攻撃。その全てがジェロを飲みこんでいく。それに巻き込まれまいとムジカ達は必死にその場を離れようとするもその足は止まってしまう。何故なら


「……もう気は済んだかしら?」


魔法の嵐を受けながらも傷一つ負っていない氷の女王が君臨していたからに他ならない。ジェロはその場を一歩も動いていない。剣で防いだわけでも、魔法で相殺したわけでもない。ただそこに立っていただけ。それはつまりドリューの魔法では無意識で放っているジェロの魔力すら突破できなかったということ。ジェロはそのままゆっくりとドリューへと近づいて行く。先の攻撃はジェロからすれば子供の駄々のようなもの。だがもはや先程までの慈悲はない。最後の機会をドリューは自ら棒に振ってしまった。ドリューはようやく悟る。いや、既にジェロと相対した時点で本能で悟っていた。ジェロと自分の間にある天と地ほどもある力の差を。


「私は……私は負けるわけにはいかぬ……認めるわけにはいかぬ……!」


だがそれでもドリューは退くわけには、ひれ伏すわけにはいかなかった。魔王として。そして闇の一員として。ドリューは思い出す。忘れることができない絶望を。


かつて人間に焦がれ、魔王の身分を捨ててまで人間界へやってきた日々。そこで受けた屈辱。光の裁きと呼ばれる仕打ちによって死の淵まで人間によって追い詰められた日々。そこで手に入れた闇の頂きであるシンクレア。そして誓い。


「人間どもに……光どもに私の味わった闇と絶望を味あわせるまで私は負けぬ―――!! 全ての生命に死を――――!!」


自らの味わった闇を、絶望を人間達に思い知らせる。それこそがドリューの野望。その時に受けた仕打ちに、絶望に比べればどんな恐怖も恐れるに足らない。例え四天魔王であったとしてもドリューは恐れることはない。否、恐れることなどあってはならない。


ドリューは自らの手をかざしながら最後の呪文を詠唱する。禁呪。最強の闇魔法を発動させるために。例え無限の再生力を持つ相手だとしてもこの魔法の前には通用しない。全ての生命を吸い取る魔法。かつて金術の究極技ですらかき消したドリューの切り札。


黒き最後シュヴァルツ・エンデ


全てを塗りつぶす闇が、生命を根絶やしにする光が全てを覆い尽くしていく。もはや逃げ場はどこにもない。大地すらも殺す闇の力がジェロを、クリーチャーを飲みこんでいく。だがドリューは知らなかった。


「…………絶望ね。いいわ、特別に見せてあげるわ。究極の絶望とはいかなるものか……その身を以て味わいなさい」


絶望の名を冠する四天魔王。何故ジェロが絶望の二つ名を持っているのか。その意味を。


宣言と共に初めてジェロが動きを見せる。それは構え。剣を持ちながらも決して見せることのなかった構えをジェロは見せる。両手を自らの前に交差させる姿。瞬間、全てが凍てついて行く。この世の物とは思えないような魔力がジェロの周りを包み込んでいく。魔力が、光がドリューの放った最強の闇魔法をかき消していく。それどころか冷気が、氷の力がドリューに向かって襲いかかって行く。だがそれはただの余波。まだジェロはその力を解き放っていない。ただその構えを取っているだけ。つまりドリューの魔法はジェロの構えによる魔力すら突破できず、追いやられてしまっているということ。


あり得ない、悪夢のような光景の中、ドリューは確かに聞いた。己の最期となるであろう言葉。それは


絶対氷結アイスドシェル


ジェロの持つ究極の魔法。その名の通り逃れることができない絶対の凍結を意味する禁呪。

ジェロがその名を告げ、両手を解放した瞬間、全ては終わった。この世の物とは思えない冷気が、吹雪がドリュ-へと襲いかかって行く。それだけではない。凍りついて行く大地から氷柱が生まれ、決してドリューを逃がすまいと取り囲んでいく。その全てが氷と一体となりつつあるジェロの体から生まれている。


それこそが絶対氷結アイスドシェルの力。術者を永遠に溶けることのない氷とすることで相手を永遠に封じ込める大禁呪。だがそれは術者の命を代償にして初めて可能な魔法。しかしジェロにはそれが為し得る。四天魔王の中でも最強の魔導士であること、そして何よりも生きた氷の化身であるジェロであるからこそ可能な奇跡。


逃れられない絶望の中でドリューはようやく悟る。自分がいつ間違ってしまったのか。


ジェロと戦った時か。

シルバーレイを使ってしまった時か。

オウガを倒した時か。

キングと争った時か。

幽撃団を作った時か。


だが間違いはそれより遥か昔。自らが作った街で、迫害され死の淵に瀕した時。その闇の中で手に入れてしまった物。母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア。それを手にしてしまった時点でこの結末は決まっていたのだと。あの時、命を終えることができなかったことがドリューの不運。


「お眠りなさい……決して目覚めぬ深き絶望の中に……」


残ったのは決して溶けることのない氷にされてしまったドリューであったものだけ。ドリューは死すら許されずただ永遠に生き続ける。終わることのない悪夢と絶望を抱いたまま。


それが夜の支配者パンプキン・ドリューの最期。そして四天魔王であるジェロが『絶望』と呼ばれる所以だった――――



[33455] 第七十三話 「召喚」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/05/08 10:43
その場にいるムジカ達は目の前で起きたことが未だに信じられないでいた。まるで悪夢を見ているのではないかと思ってしまうほど。誰一人言葉を発することも身動きを取ることもできない。ただその光景に目を奪われているだけ。

『絶望のジェロ』

突如この場に乱入してきた謎の女性。纏っている雰囲気、力から彼女が只者ではないことはムジカ達にも理解できた。だがそれが自分達の想像を、理解を大きく超える次元の超えた存在であることまでは見抜くことができなかった。


「…………」


ジェロは最初に現れた時と変わらない感情を感じさせない無表情のまま。だがその視線の先には芸術とでもいえる一つの奇跡があった。だがムジカ達にとっては絶望を抱くに十分な悪夢。無慈悲に氷漬けにされてしまっているドリューのなれの果て。その表情は恐怖と絶望に染まったまま。生きたまま永遠に溶けることのない氷に封じられると言う死よりも残酷な末路。だがそれ自体にムジカ達は戦慄しているわけではない。シルバーレイによる虐殺、それ以外の多くの罪。それを考えればドリューに同情する余地など欠片もない。ただ何よりも問題なのが先程のジェロとドリューの戦い。いや、もはや戦いとすら呼べない一方的な蹂躙だった。


「……おい、レイナ! あいつは何なんだ!? あんな奴がDCにいるなんて聞いてねえぞ……!?」
「私だって知らないわ! あんな化け物がいるなんてルシアから聞かされたこともない……」


息を殺し、ジェロに決して聞こえないように声を抑えながらムジカはどこか震える声で隣にいるレイナに問いただす。ムジカの体と声の震えは純粋なジェロに対する恐怖。先程自分の傍をジェロが通り過ぎた瞬間から感じ取っていた感覚。ジェロにとってドリュー以外の者達は眼中にすらないのだということ。だがもしその逆鱗に触れれば命はない。それはレイナも同じ。その驚きはムジカよりも大きいといってもいい。何故なら先程のジェロとドリューのやり取りが真実だとするならばあのジェロと呼ばれる女はルシアの配下、DCの構成員ということになるのだから。


(あいつの言葉が本当ならDCの一員ってことになるけど……でも、明らかに普通じゃないわ! 下手したらルシアよりも強いんじゃないの……!?)


レイナは驚愕を抑えられないままジェロを見つめるも答えは出ない。ジェロの言葉通りなら彼女はドリューの持つシンクレアを手に入れるためにここにやってきたことになる。だがその存在をレイナは全く知らなかった。六祈将軍オラシオンセイスという最高幹部にもかかわらず。もしDCならば六祈将軍オラシオンセイスである自分に何らかの接触があってもおかしくないのだがジェロは全くレイナを意に介することもない。しかも最高戦力である自分達を遥かに超える怪物。六祈将軍オラシオンセイス最強であるハジャですら足元に及ばない程の出鱈目さ。もしかすれば最高司令官であるルシアよりも上なのではないかと思えるような圧倒的な力を目の当たりにしたレイナはその場を動くことはできない。


(まさか四天魔王の一人が人間界に来ておるとは……! しかもルシアの下に……最悪の事態じゃ……もはやワシらではどうしようもできん……)


レイヴの騎士たちの中で唯一現状を把握しているレットは苦渋に満ちた表情を見せながらもその胸中は既に絶望に染まっていた。魔界の住人であるレットには今の状況がいかに絶望的なものか悟っていた。


『四天魔王』


魔界の頂点に君臨する四人の王。文字通り魔王の名を冠するに相応しい最強の四人。その中の一人が今、人間界に姿を現している。あろうことかルシアに従う配下として。魔王であるジェロが誰かの下に、しかも人間の下につくなどあり得ない事態。だが現にジェロはルシアのためにシンクレアを手に入れるためにこの場に現れている。四天魔王は強さもだがそれ以上に魔王同士のつながりも強い集団。ジェロ一人がルシアの下につくとは考えづらい。ならば他の三人の魔王もルシアの軍門に下っている可能性すらある。六祈将軍オラシオンセイスに加え、キング級のドリューを子供扱いできる四天魔王までもがDCに加わったとなればもはや誰も止めることなどできない。今、レット達にできるのはただジェロを見つめることだけ。いかにこの場を乗り切るかに全てがかかっている。だがそれ自体は恐らく難しいことではないとレットは感じ取っていた。何故ならジェロには自分達の存在など目にも止まっていないのだから。一人の武人として許せない屈辱ではあるがレットはそれを押し殺しながら耐える。この場には自分だけでなくハル達もいる。特にハルは重傷。他の者たちもドリューとの戦いによって満身創痍。ここは生き残ることだけを考えなければ。

そんな緊迫した状況の中、ついにジェロが動き出す。一歩一歩、氷が割れるような足音と共に。先程までドリューと戦っていたにも関わらず全く疲労を感じさせない姿。ジェロが動き出したことでムジカ達に緊張が走る。だがジェロの向かう先はムジカ達がいる場所とは全く逆方向。氷漬けにされてしまったドリューがいる方向だった。そしてまるでジェロの意志に反応するかのように氷に異変が起こる。その一部が溶け、ある物がむき出しになる。


(あれは……シンクレア……!?)


ヴァンパイアとラストフィジックス。二つのドリューの持つシンクレアが溶けるはずのない氷から姿を現し、コツンという音と共に地面へと転がり落ちる。絶対氷結アイスドシェルは術者の体を溶けることのない氷へと変える魔法。唯一つの例外がジェロ自身の意志による解凍。ジェロはその力を以てシンクレアのみを氷から解放し、ゆっくりと近づいて行く。その二つのシンクレアを手に入れることだけがジェロがこの場にやってきた理由。ドリューを倒したことはただの偶然。たまたまその障害になっただけ。ムジカ達はジェロがシンクレアを手にせんとするのを黙って見ていることしかできない。もしそれがルシアの手に渡れば最悪五つのシンクレアが全て集まってしまうことになる。それは世界の終焉を意味する。だが今のムジカ達にはそれ以外に選択肢は残されてはいなかった。そしてついその場に辿り着かんとした時、ジェロは唐突に動きを止めてしまう。何故なら


『プーン……』


白い小さな勇者が震えながらも両手を広げ、ジェロの目の前に立ちふさがったのだから。


「っ!? プルー、お前何してんだ、早くそこから離れろ!!」
「止すのじゃ! そやつは加減をしてくれるような相手ではない!!」
「逃げて、プルー!」
「プルー様!?」


想像だにしなかった事態にムジカ達は顔面を蒼白にしながら声を上げるもプルーは決してその場を動こうとはしない。体の震えはいつもの比ではなく、目には涙が滲んでいる。プルーは言われるまでもなく分かっていた。どうやってもジェロを止めることができないことは。それでもプルーは退くことはできない。それはレイヴの使いとしての本能。もしこのまま二つのシンクレアを渡してしまえばその瞬間、この世界は終わってしまう。五十年前の王国戦争の悲劇が、それを超える破滅が起こってしまう。それを防ぐためにシンクレアを渡すわけにはいかない。小さくともハル達に引けを取らない意志がそこにはあった。だがそれは目の前にいる氷の女王には通用しない。


「…………」


ジェロは目の前で道を塞いでいるプルーにようやく気づいたかのように視線を向ける。そこには一切の感情はない。プルーがどんな覚悟を以て目の前に立ちふさがっているのかなどジェロにはどうでもいいこと。ジェロにとってプルーはもちろんムジカ達もただの邪魔な石ころ、雑草に過ぎない。目のつかないところにいれば手を出すこともないが邪魔になるのであれば排除するだけ。ゆっくりとその雪のように白い手がプルーに向かってかざされる。既に冷気が辺りを支配しつつある中、ムジカとレットは弾けるようにプルーを助けるために動きだす。例えそれが絶望的な戦力差であることを知っていながらも。だがムジカ達の動きよりも手をかざすジェロの動きの方が早い。エリーの声にならない悲鳴が辺りに響き渡らんとしたその瞬間、


「…………え?」


エリーはただ呆然としながらその光景に目を奪われる。プルーを救わんとしたムジカとレットも動きを止めたまま。その視線の先にはジェロがその手をかざしたまま固まってしまっている姿がある。まるで時間が止まってしまったかのように。だが何か見えない力が働いているような気配はない。まるで何かに気づいたかのようにジェロは自らの動きを止めてしまっている。突然の事態にムジカ達はただ呆気にとられたまま。だがムジカ達はどこかここ以外の場所にジェロが意識を向けていることに気づく。その証拠にジェロの瞳は既にプルーを映してはいない。本当に人形になってしまったかのようにジェロはその場に立ち尽くす。さながら美しい氷の彫像。それがいつまで続いたのか。


「……そう。あなたがそう言うのであれば仕方ないわね」


その瞳に意志を取り戻しまるでここにはいない誰かに話しかけるような独り言を呟きながらジェロは視線を向ける。まずはヴァンパイアとラストフィジックス。そしてそのまま自らの胸元にあるバルドル。最後にこの場ではない遠く離れた海岸へと。ムジカ達はその視線の意味も言葉の真意も知ることはできない。ただ一つ分かることは何かがジェロの行動を左右したということ。


「幸運に感謝するのね……いえ、絶望の時が少し伸びただけかしら。とりあえずその二つのシンクレアはお前達に預けるわ」


ジェロはどこか死刑宣告にも似た宣言を残したまま踵を返し、その場から離れて行く。まるで自分の役目は終わったかのように。その後ろ姿に目を奪われるのもつかの間、まるで瞬間移動をしたかのようにジェロの姿が消え去って行く。残されたのは氷河期のような寒さと氷の世界。二つのシンクレア。そしてドリューであったものだけ。それがレイヴの騎士たちのサザンベルク大陸での戦いの終わり。そして絶望にも似た新たな戦いの幕開けだった――――




月明かりが辺りを照らし出している静かな海岸に二つの人影があった。一つがいつもと変わらぬ無慈悲さを感じさせる雰囲気を纏っている氷の女王であるジェロ。その力を示すかのように近海は全て凍りつき、氷山のようになってしまっている。ジェロが存在するだけで海は全て凍りついていくかのように。だがジェロはつい先ほどまでここから離れた場所、要塞クリーチャーにいた。にもかかわらずジェロは一瞬でこの海岸まで移動してきていた。いや、正確にはこの場に召喚されていた。この場にいるもう一人の人物によって。それは


(どうしてこうなった……?)


まるでこの世の終わりが来たかのような心境でもまだ顔を引きつかせるだけで何とか耐えている金髪の悪魔、ルシア・レアグローブの仕業。ルシアは今すぐにでもこの場からワープロードで逃げ出したい衝動を必死に抑えながら無言のままジェロと向かい合う。知らず息を飲み、背中には汗が噴き出している。それはルシアがその手に持っているDBのせい。

『ゲート』

魔界よりの門を開く最上級DBでありルシアにとってはジェロから渡された呪いのアイテム。本当なら触ることも恐れていたその力によってルシアは半強制的にジェロを呼びだした。一つはハル達からジェロを引き離すため。もしあのままジェロがいればハル達は間違いなく皆殺しにされていたはず。もう一つがジェロがドリューが持つ二つのシンクレアを手に入れるのを防ぐため。恐らくジェロがシンクレアを狙ってドリューの元にやってきたことを悟った故の行動。もしドリューの二つのシンクレアだけならここまで強硬手段を取る必要もなかった。だがどうしてもルシアはそれをせざるを得なかった。それは


(ま、間違いねえ……! やっぱりジェロの持ってるのは最後のシンクレアだ……!)


ジェロが胸元にかけている最後のシンクレア、バルドル。何故ジェロがそれを所持しているのかは分からないがもしジェロがあのまま二つのシンクレア手に入れたまま自分の元にやってくれば五つのシンクレアが同じ場所に集ってしまう。まだエンドレスが目覚めていないとはいえそうなればどうなるか分からない。最悪エンドレスも目覚め、次元崩壊のDBエンドレスが完成しかねない。まだハルは全てのレイヴを集めておらず、エリーも記憶を取り戻していない現状でそうなればこの並行世界は消滅してしまう。それを防ぐためにルシアはゲートの力を使いジェロをこの場に呼び出した。もちろんその前にこちらの意志を伝えた上で。簡単にまとめれば『シンクレアは自分の手で集めるので余計なことはするな』という内容。ゲートはワープロードとは違い好きな場所に移動はできないもののその代わりに無線に似た通信と対象を強制的に呼び出すことができる利点がある。その二つを使いルシアは何とか三つのシンクレアをジェロがこの場に持ってくることを阻止することができた。大きな代償と共に。


「…………」
「…………」


ルシアはただジェロと向かい合う。距離は十メートルほど。だがまるで蛇に睨まれた蛙のようにルシアはその場を動くことも、声をかけることもできない。ルシアにはまるでジェロが自分を眼光で射抜いているかのように感じれる。有無を言わさず強制的に召喚した上にシンクレアが揃う機会を邪魔してしまったのだから。そんな中


『くくく……どうした主様よ。いつまでも黙っていてはつまらんぞ。何とか言ってはどうだ?』
『っ!? て、てめえ……他人事だと思いやがって……!』


マザーがまるで傑作だと言わんばかりに楽しそうな声でルシアに向かって捲し立ててくる。既に力を使い果たししゃべることも辛いはずに関わらずそれを全く感じさせない興奮ぶり。何故ならこのシチュエーションはマザーにとっては待ちに待った一大イベント。四天魔王が迎えにやってくるという展開。しかも相手は一度戦ったことのあるジェロ。ルシアにとっては忘れることができないトラウマ。それを示すようにルシアの体は震え、声は震えている。例えあの頃とは比べ物にならない程強くなったとはいえ深層意識までは変えられない。ドSのマザーにとってはそんな右往左往する自らの主の姿を見ることは至高の喜び。黙っていることなどできるはずもない。呆れかえっているのかアナスタシスに至っては溜息を吐くだけ。そんなマザーに怒りを露わにしながらもルシアは何とか心を落ちつけながらジェロに改めて対面する。


「ひ、久しぶりだな……ジェロさ、ジェロ……」


いつまでも黙っているわけにはいかないとルシアは意を決して声をかけるもどもり、つい様づけで呼びかけてしまいそうになる。情けなさの極み。つい先ほどまでオウガと倒し、シルバーレイを破壊してきた男と同一人物とはとても思えない姿。もっともこちらの方がルシア本来の姿。シリアスの時間はとうに過ぎ去ってしまっている。もっともシリアスであったとしてもこの状況ではどうしようもないのだが。そんなルシアの心境など知る術のないジェロはしばらく立ち尽くしていたものの突然そのままルシアに向かって近づいてくる。無表情のまま、一言も発することなくただ真っ直ぐに。


(え……? あ、あの……一体何が……?)


ルシアはいきなり自分に向かって無言で近づいてくるジェロに知らず一歩後ろに下がってしまう。だがジェロは全く気にすることもなく砂の足音と共にルシアのすぐ傍にまで迫ってくる。既に両者の距離は零に近づきつつある。にも関わらずジェロは全く歩みを止めることはない。ルシアはその理解できない事態に顔を引きつかせることしかできない。その顔は既に蒼白に染まっていた。ジェロはもう目と鼻の先。互いの息すら感じ取れるほどの至近距離。声を上げそうになりながらもルシアは必死に耐えながらただ絶望する。やはり強制的に召喚したことがジェロの逆鱗に触れてしまったのだと。ルシアの脳裏に走馬灯のようにかつての戦いが蘇る。為すすべなく氷漬けにされてしまった記憶。それとほぼ同時にルシアの頬に氷のような冷たさが襲いかかる。反射的にルシアが戦闘態勢に入らんとした時にようやく気づく。それがジェロの手であったことに。ジェロの細く美しい手がルシアの頬に添えられている。その意味を問うよりも早く


「そう……どうやら器は満たされつつあるようね」


ジェロはどこか満足気な声を漏らす。それだけではない。その口元は確かに笑みを浮かべている。見るもの全てを魅了してしまう氷の微笑み。絶世の美女でありながらも決して見せることはないジェロの微笑み。だがそれは


「~~~~っ?!?!」


ルシアにとっては死神の微笑みに等しいもの。まるで獲物に止めを刺すかのような笑みにルシアは音速剣もかくやという速さでその場を飛び退く。条件反射に近い、猫のような動き。だがルシアにとっては氷漬けにされるよりも恐ろしい物を見せられた心境。


『くくく……見たか、アナスタシス! あの主様の慌て様を! やはりこうでなくてはな!』
『あ、あなたという人は……全く、ですがいいのですが、あのままで』
『……? 貴様こそ何を言っている? ジェロがルシアを怯えさせているだけであろう』
『そうですか……あなたが気にしないのであれば構いませんが……足元を掬われないよう気をつけた方がいいですよ』
『……よく分からぬがまあよい。久しぶりだな、ジェロよ。一年ぶりぐらいかの』


アナスタシスの忠告の意味を解することなくマザーはそのままジェロに向かって声をかける。まるで旧知の友に再会したかのようなノリ。だがそれは間違いではない。何故ならジェロを含めた四天魔王は独立はしているもののエンドレスの子、いわば生きたシンクレアに等しい存在なのだから。


「ええ……どうやら約束通りアキの器を満たしつつあるようね。安心したわ」
『ふん、我を誰だと思っている。まだ大魔王の域までは至ってはおらぬが儀式には十分耐え得る力は持っておる。それは見れば分かるであろう?』
「そうね……さっき情けない担い手を見せられたから少し心配していたのだけれど、杞憂だったようね……」


既にいつも通りの無表情に戻りながらもジェロはどこか満足気な雰囲気を纏いながらルシアを見つめている。ルシアはまるで金縛りにあってしまったかのように立ち尽くすだけ。だがようやく自分に命の危険はないであろうことが読みとれたのか震えながらも改めてジェロへと向かい合う。


「な、何だ……さっきの召喚を怒ってたわけじゃないのか……?」
「召喚……ああ、ゲートのことね。気にしてはいないわ。元々それはあなたが私を呼び出すためのもの……むしろ今まで一度も使わない事の方が気になっていたぐらいよ」
「そ、そうか……」


できれば二度と使いたくない、というか会いたくなかったとは口が裂けては言えないもののルシアは本当に心の底からゲートに感謝する。もしこれがなければ全てが終了していたのだから。


「それよりもお前、何でドリューの所にいたんだ……やっぱシンクレアを手に入れるためか?」
「ええ、ただ迎えに来るだけでは芸がないと思ってね……ただいくつか誤算はあったのだけれど……」
「ご、誤算……? 何のことだ?」
「いえ……こちらの話よ。どうやら私は余計なことをしたみたいね。残るシンクレアはあなた自身の手で集めてもらうわ。もっとも最初からそのつもりだったみたいだけれど……」
「っ!? あ、ああ! 残るシンクレアは俺自身で集めるさ! 当たり前だろ、はは……」


何の理由があったのかは分からないがジェロは残る二つのシンクレアを集めることをルシアに任せることにしたらしい。ルシアにとってそれは願ってもない形。ジェロはそんなルシアの事情など知る由もない。ジェロにとっての誤算は二つ。ドリューとルシアが互いに二つのシンクレアを持っていたこと。まさかこの段階でそこまで事態が動いているとはジェロも予想していなかった。もしあのままルシアの元に二つのシンクレアを持って行けばその場で全てのシンクレアが揃う。まだ儀式が終わっていない段階でそれが起こってしまうのは四天魔王としては避けなければならない。ゲートの通信によってルシアの状況を知ったジェロはそう判断し、シンクレアをあの場に残して来たのだった。実はもう一つ、ジェロにとっては負い目に近い事情もあったのだが。


『ふむ……問題あるまい。これで他の担い手は全て脱落した。残るシンクレアはレイヴマスター達の手にある。一石二鳥というわけだ』
『なるほど……確かにそうですね……』
『でしょ? まあ今集めてもまだ我らは目覚めてないし、あたしも新しい担い手を見定める間がなくなるのは面白くなかったからねー』
「…………え?」


ルシアはふと何かに気づいたかのような声を上げる。それは違和感。まるで自然に混ざっているかのように不自然さがある。それは声の数。聞き慣れない声が今、会話の中に混じっていた。ルシアはようやくその正体に気づく。それは


『そういえば挨拶がまだだったわね。初めまして担い手さん♪ あたしがシンクレアの一つ、バルドルよ。ヨロシクね!』


この場にある三つ目のシンクレア『バルドル』 ジェロの胸元に控えていたバルドルはまるで珍しい物をみたかのような楽しげな声でルシアに向かって話しかけてくる。ルシアはそんなバルドルの姿を凝視するしかない。DBマスターであるルシアにはそのイメージとでも言うものが伝わってくる。一言でいえば世間知らずの御姫様。無邪気さの中に女性を感じさせる矛盾。マザーを黒とするならばバルドルは白。アナスタシスとはまた違った意味でマザーの対極とでもいえるような雰囲気。だがそれに呆気にとられながらもルシアはふと気づく。それはジェロの視線。それが自分を見つめていることに。ようやくルシアは自分がバルドルのある場所、ジェロの胸元を凝視していたことに気づき狼狽するしかない。


「っ!? い、いやこれは違うんだ!? 俺は決して疾しい気持ちで見ていたわけではなくバルドルがそこにいたからで……」
「……何を言っているのかよく分からないけれど紹介しておくわ。彼女がバルドル。四天魔王が守護するシンクレアよ」
「そ、そうか……でも何でそのシンクレアがこんなところに……」
「それは……」


ルシアは自分が余計な取り越し苦労をしていたことを知り、げんなりするしかない。そもそもジェロには羞恥心があるのかどうかすら定かではない。その格好も水着姿といってもおかしくないような派手な物(決して口には出せないが)あえて自ら死地に飛び込むこともないと判断したルシアはそのままバルドルへと話題を逸らす。何故魔界にあったはずのバルドルをジェロが連れてきているのか。だがそれは


『久しぶり、マザー! どうしたの、元気がないじゃない!? もしかしてどっか具合が悪いの!? もう、あたしがいないといつもこれなんだから!』
『っ!? う、うるさい喚くな騒々しい! そもそも何でお前がここにいる! お前の役目は魔界で儀式を行うことであろうが!?』


まるでわが世の春がきたとばかりに大はしゃぎしているバルドルとそれに圧倒されているマザーによって吹き飛ばされてしまう。もし実体化されていればバルドルがマザーに向かって抱きついているのが目の浮かぶほど。ルシアは悟る。バルドルがここにやってきたのがマザーと会うためだったのだと。


「私がマザーの話をしたらどうしても着いてくると言いだしたの……面倒だったから一緒に連れてきたわ。シンクレアを探すのにも役に立つからちょうどよかったしね……」
「あっそ……魔王も色々大変なんだな……」
「ええ……私はメギドほど統治には向いていないしね。二万年眠っていたのもそのせいよ」
「…………」


ルシアは聞いてよかったのかと心配になるようなジェロの言葉に呆気にとられるしかない。もしかしたらこの氷の女王はかなりの面倒くさがりなのではないかと。というか二万年も眠っているのは職務放棄なのではと突っ込みたいもののあえてスルーする。同時に何故かここにはいない、会ったこともないメギドに同情を禁じ得ない。もしかしたら一番自分と気が合うのはメギドかもしれないと思ってしまうほど。


『ジェロの言ってた通りほんとにしゃべるようになったのね。無口な頃もよかったけど今の方が似合ってるわよ』
『ハアッ……ハアッ……お前は全く変わっておらぬようだな……』
『当然でしょ。ん? そう、何か辛そうだと思ったら力を使いきっちゃってたのね。早く言えばいいのに、はい♪』
「っ!? これは!?」


ルシアは突然バルドルが光った瞬間、驚きの声を上げるしかない。何故ならその瞬間、凄まじいエンドレスの力が自分の胸元にあるマザーに注ぎこまれたのだから。それは一瞬でマザーの力を完全に戻してしまうほど。それがシンクレアを統べるシンクレア足るバルドルのもう一つの力。シンクレアを止めるだけではなく、その力を回復させることすら思いもまま。DBマスターであるルシアはその能力を看破すると同時にようやく納得する。何故マザーがバルドルを苦手にしているのか。一つがバルドルの前ではマザーを含めたシンクレアですら逆らえないということ。そしてもう一つが


『ふん……相変わらず出鱈目な奴め』
『バルドル……分かっているのですか、あなたは調停者。平等でなければならない存在。それが勝手にこのようなことを……』
『相変わらずお固いこと言ってるのね、アナスタシス。いいじゃない、今は戦闘中でもないし、それに他ならぬマザーのためなんだから! せっかく会いに来たんだからサービスよサービス♪』
『いいから少しは落ち着け!? おい、アキよお主も何とか言わぬか、何だその生温かい視線は!? 勘違いするでないぞ、我にはこんな趣味は……』


バルドルがマザー大好きっ娘であったということ。その証拠にいつも唯我独尊のような態度を見せているマザーが一方的に圧倒されている。どうやら本当にマザーはバルドルに溺愛されているらしい。ある意味マザーにとってはアナスタシスとは違う意味で天敵と言える存在。


「分かった分かった……とにかくジェロもありがとな。わざわざバルドルを持ってきてくれて。あとはこっちで何とかするからもういいぜ」


珍しく本気で助けを求めているマザーを尻目にルシアはジェロに向かって手を差しだす。その胸にあるバルドルを受け取るために。本当なら受け取りたくなど無いのだが状況が状況なだけに断ることなどできない。あのまま二つのシンクレアが手に入るのに比べれば雲泥の差。同時にルシアにとっては感謝するしかない。もしジェロがいなければハル達の救援、レイナを助けることは叶わなかったのだから。何よりも直接魔界に行くことなくシンクレアを手に入れることができた。だがそんなルシアの安堵は


「……? 何を言っているの。あなたにはこれから私と一緒に魔界に来てもらうわ」
「…………え?」


ジェロのこいつ何言ってるんだとばかりの絶対零度にも近い突っ込みによって砕け散る。ルシアはそのまま氷漬けにされてしまったように固まったまま。まるでジェロが何を言っているのか分からないかのように。


『マザーそんなに照れなくてもいいじゃない……ん? どうしたの担い手……アキとか言ったっけ? いくらマザーが選んだ相手だからって容赦はしないわ。ちゃんと儀式は受けてもらうわよ』
『そうですか……安心しました。このまま儀式を放棄する気かと思いましたよ』
『余計な心配よ。いくらあたしでも自分の使命を忘れたりはしないわ。それはそれ、これはこれよ♪』
『ふん……威張り散らしおって……まあよい、では往くとしようか、我が主様よ』


それまで好き勝手にしていたシンクレア達はまるで号令がかかったかのように満場一致で団結する。ジェロはその手に一つのDBを取り出す。ルシアが持つ持つゲートと全く同じ物。その名の通り門を開くためのもの。瞬間、人二人が通れるほどの次元の穴のようなものが生まれて行く。


「行くって……どこへ……?」


どこか虚ろな様子を見せながら一人置いてけぼりになっているルシアが呟く。だが本能で悟っていた。これから自分が向かう先。そこで何が待ち受けているのか。儀式という恐ろしいフレーズ。それが何を意味するか。


『決まっておろう……魔界探検ツアーだ。しかも待っておるのは残る三人の魔王、これ以上ない待遇であろう?』


これ以上にない邪悪な笑みを浮かべながらマザーは宣告する。ルシアにとっての死刑宣告。四天魔王全てと会するという四面楚歌の悪夢。地獄への片道切符。もはやルシアに逃げ場はない。


今ようやく一年前の続き、ダークブリングマスターの絶望が始まろうとしていた――――



[33455] 番外編 「絶望と母なる闇の使者」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/05/15 23:10
月明かりと星だけが辺りを照らし出している中、一人の女性が優雅に歩いていた。雪のように白い肌と絶世の美貌はどこか人間離れしている。だがそれは間違いではない。何故なら彼女は人間ではなかったのだから。

四天魔王 『絶望のジェロ』

それが彼女の名前。魔界を統治する四人の王の一人。その力はかつて闇の頂点とまで言われた先代キングすら超えるまさに怪物。


「…………」


それを示すようにジェロの周囲には二つの異変があった。一つがその足元。そこはサザンベルク大陸の海上。つまり水の上。にもかかわらずジェロは悠然とその上を歩いている。その魔力によって海を氷の道へと変えることによって。ジェロが歩いて行く先に向かって海は氷山へと姿を変えて行く。しかもそれはジェロが意識して行っていることではない。ジェロはただ歩いているだけ。つまり無意識で放っている魔力と冷気だけでこれだけの事態を引き起こしていると言うこと。四天魔王の名に相応しいデタラメぶりだった。そしてもう一つ、ジェロの他にその光景に目を奪われている存在がいた。


『へえー、やっぱり何度見ても面白いわね。勝手に海が凍りついて行くなんて。これなら船も必要ないわね!』


どこか興奮した、楽しげな声が響き渡るもその場にはジェロ以外には人影は見当たらない。声だけが辺りに木霊するもその声もジェロ以外には聞き取ることはできない。何故ならその声の主は人間でも亜人でもないのだから。


「……そんなに面白いものでもないと思うけれど。相変わらず騒がしいのは変わらないわね……」
『な、何よ、いいじゃないちょっとぐらいはしゃいだって! 他の子達と違ってあたしはずっと魔界にいたんだから!』


どこか冷たい視線と共にジェロは自らの首元にかけられている石に向かって話しかける。それに応えるように石は怪しく光を点滅させている。

母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレアの一つ 『バルドル』

それがその魔石の正体。最後の五つ目のシンクレアであると同時に全てのシンクレアの頂点に位置する存在だった。


「……それがあなたの役目でしょう。本当なら私に着いてきていることも問題よ」
『うっ……それはそうだけどあなたに言われたくないわ! あなただって魔王としての役目を放棄して二万年も眠ってたじゃない!?』
「あれは大魔王の器が現れるまで待っていただけ。あなたの個人的な理由とは違う。一緒にされるのは心外だわ……」
『そ、そこはかとなく馬鹿にされてる気がするけどまあいいわ……そうよ! あたしはマザーに会いたいだけなんだから! ああ、早く会いたいわ、マザー……五十年ぶりになるのかしら? しゃべるようになってるらしいし、もうすぐ会えるのが待ち遠しい……ね、ジェロ、あたしの恰好どこかおかしくない? 埃はついてない?』
「…………」
『え? 何? ガン無視? ひょっとしてそういう遊び? ちょっと、何とか言ってよ……っていうかその真顔怖いから何とかした方がいいと思うわよ』
「……そう。そんなに魔界に帰りたいならすぐ送り返してあげる。しゃべるしか能がない石なんて必要ないわ……」
『っ!? ま、待ちなさいって!? ちょっとした冗談よ、本気にしないでよ! もう少しで目的地に着くわ!』
「……ならいいわ。役に立たないならすぐに送り返すから頭に入れておきなさい」
『はい! ……ってあれ? 何であたしこき使われてるの? あたし、一応シンクレアの頂点なんですけど。もしかしてジェロ、あたしのこと嫌い?』
「そんなことはないわ。好きでもないけれど……」
『そう……ってそれってどうでもいいってこと!?』


バルドルが悲鳴に似た声を上げるも全く意に介すことなくジェロはそのまま歩みを進めて行く。全くかみ合っていない、バルドルだけが空回っているような光景。それがここ半年のジェロとバルドルの日常。始まりはジェロが一人、大魔王の器であるアキを迎えに行くと言いだしたこと。それを耳にしたバルドルは半ば強引にジェロに同行していた。無論アキが持っているシンクレアであるマザーに会いに行くために。だがその道のりは容易な物ではなかった。すぐ会えると思っていたもののジェロはすぐにアキを迎えに行くことはなく魔界と人間界を特に目的もなくぶらぶらするだけ。しかもジェロは性格上話しかけない限り口を開くことがないためひたすらバルドルがしゃべり続けなければならないという状況。そしてジェロ自身は氷の女王とでも言うべき女王気質に加え冷酷な性格。シンクレアであるバルドルへの忠誠も配慮もあったものではない。今では完全に力関係はジェロが上でバルドルが下。どうしてこうなってしまったのかバルドルは後悔するも持ち前の天然さで何とか乗り越えて(現実逃避ともいう)いるのだった。


『はあ……ま、まあいいわ。あんまりよくはないけど……で、何でそのドリューとかいうのからわざわざシンクレアを手に入れなきゃいけないの?』
「単なる手土産よ。ただアキを迎えに行くだけでは能がないしね……」
『手土産ねー。でも四天魔王のあなたがそんなことするなんてルール違反じゃない? 一応あたし調停者だしそういうのを見過ごすわけには』
「そういえばどこかのシンクレアに肩入れしているシンクレアがいた筈なのだけれど、それは構わないのかしら……?」
『ま、それはそれ、これはこれよね! 人生あきらめが肝心よねー!』


どこかやけくそ気味のテンションでバルドルは全てを聞かなかったことにする。職務放棄、使命を投げ出すに等しい行為だがバルドルに迷いはない。後ろめたさもあるがそれ以上にこの絶望さんに逆らえばどうなるかの方が問題。最悪本気でその辺に投げ捨てられかねない。ドリューが持っているシンクレアに同情しながらも数秒でそれを切り捨てバルドルは気を取り直しながらジェロへと問いかける。


『ごほんっ! まあそれは置いておくとして何でさっさと担い手の所に行かないわけ? 別に会いに行くだけならすぐにそのゲートで行けるでしょう?』
「マザーとの約束よ。迎えに行くのは一年後だったしね」
『ふーん、まあその律義さはあなたらしいと言えばらしいけど……それで、その担い手ってのはどんな奴なの? 会ったことあるんでしょ?』


バルドルはどこか納得いかないといった雰囲気を纏いながらも担い手であるアキの話題へと移る。ある意味マザーが選んだ相手でもあるのだから。そして最終的には自分達全て、エンドレスを統べる可能性もある存在。その情報をバルドルは得ようとするもそれは


「髪は金髪。顔には切傷。性格はヘタレであり基本的にはいじられ役。言動は粗暴だが極まれに見せる優しさもある。DBに愛される才能もあるがある意味DBを愛する才能であると言える。戦うことを避ける傾向があるが追い詰められれば力を発揮するタイプであり実戦でこそ成長する傾向がある」
『…………え?』


ジェロのどこか機械的な言葉の羅列によってバルドルは呆気にとられてしまう。だがそんなバルドルの様子に気づくことなくジェロはまるで何かのレポートを呼んでいるかのような流れでしゃべり続ける。


「服装は黒が似合うのでそれを強要している。女性の容姿は年上が好みであり巨乳好き。性格はお淑やかな性格が好みのようだが本当は女王気質の女性が好きであるに違いない。最近は扱いがぞんざいになっているが愛情の裏返し。何だかんだ言いながら自分のことを気にしてくれるのが伝わってくる。それに合わせて素直になりたいもののやはり告白はアキの方からしてほしいのだが……」
『ちょ、ちょっと待って!? ストップ、ストッ―――プ!?』


バルドルはしばらく呆然としながらジェロの言葉を聞いていたもののふと我に返り悲鳴にも似た声でジェロを制止する。もはや体裁も何もあったものではない。それ以上はとても聞いていられないような凄まじい内容。


「……何かしら。まだ内容の半分も話していないのだけれど……」
『まだ半分!? いや、そうじゃなくて! 一体それは何なの!? っていうか最後の辺はもはや個人的な願望になってるんだけどどういうこと!? あなた担い手とは一度しか会ったことなかったんじゃ……』
「ええ。だからこれはマザーの話していた内容よ。儀式で力は確認したのだけれど人となりは把握しきれなかったの。マザーに聞いたら快く聞かせてくれたわ」
『そ、そう……ちなみにそれはどのくらい?』
「一晩中よ。まだ話し足りなかったみたいだけれど途中でアキが目覚めたのでそれ以上は聞けていないわ」
『……まさかとは思うけどそれを全部鵜呑みにしているわけ?』
「……ええ。マザーが嘘を言っているようには見えなかったしね。何か気になることでも?」
『いえ、もういいわ……十分分かったから……』


げんなりしながらバルドルはジェロの話を何とか中断させる。まるで他人の恋人自慢を永遠と聞かされたかのような有様。マザーもまさかそれがジェロの口から他人に漏らされるとは想像だにしていなかっただろう。黒歴史ノートを他人に読まれてしまったに等しい醜態。しかもその内容をジェロは一字一句逃さず記憶している。まさに絶望の二つ名に相応しい所業。加えてジェロはそのマザーの主観まみれの惚気の内容を全て真に受けてしまっているらしい。ある意味子供のような純粋さ。氷の女王とは矛盾した要素。だがそこでようやくバルドルは悟る。それはこれまでのジェロの行動。いくら大魔王の器に近い者が現れたとしてここまでジェロが入れ込んでいるのにバルドルは疑問を感じていた。わざわざ半年前にもかかわらず出迎えに動き、手土産にはシンクレアを持っていくという待遇。ゲートを使わず自分の足で向かうという非効率さ。それは


『そう、そうだったのね! 『愛』! 『愛』なのね!?』
「……愛? 何を言っているの……?」
『もう、とぼけたって無駄なんだから! そのアキって担い手にラブってことなんでしょ!? まったく、そうならそうと言えばいいのに。あ、心配しなくてもあたしは『愛』には平等よ♪ マザーも加えた三角関係も面白そうね。ここはあたしも混ざって四角関係もいいかも……』
「…………」
『そうと決まればさっさとマザーの所に行きましょう! さあ、ゲート早く用意を……あら?』


まるで恋する乙女を見つけた女子高生のようなノリでバルドルは興奮しながらジェロが持つゲートに命令し移動せんとする。本当ならこのままドリューの元に向かうべきなのだがそんなことなどどうでもいいとばかりにバルドルは騒ぎたてる。その名の由来通り愛に関してはバルドルの右に出るものはいない。しかもそれがあのジェロの話なのだから。だがそんな中、音もなくバルドルは胸元から外されジェロの手によって掴まれる。その意味を問うよりも早く


「そう……いつからあなたは色欲を司るようになったのかしら。このまま海に落とされるか氷漬けにされるか好きな方を選びなさい」


絶望の声と共にバルドルはそのまま海に向かって晒される。バルドルはジェロの表情によって凍りつく。そこには全く感情が見られない。だがそれが何よりも物語っていた。自分が調子に乗りすぎてしまったのだと。同時に戦慄する。それはジェロの言葉が冗談でも何でもなく本気であったことに。ジェロなら間違いなくそれをやりかねない。


『あ、あはは……じょ、冗談よ……っていうかそれって選択肢じゃなくない……?』
「海に落とした上で氷漬けにする選択肢もあるけれど……」
『何それ!? 助からないこと前提なの!?』


あんまりにもあんまりな選択に絶叫しながらも何とか頭を下げる(気持ちの上で)ことでバルドルは九死に一生を得る。無論シンクレアであるバルドルであれば海に落とされても氷漬けにされても壊れることはないのだがそれでも精神衛生上は宜しくない。シンクレアの土下座というあり得ない行動によって何とかその場は収まる。もはやシンクレアの威厳も何もあったものではない。ある意味アキとマザーとは真逆の関係。


『まったく……からかうのも命賭けなんてやめてよね……ま、それはともかくとしてあなたの男性の好みって何なの? メギドたちからも聞いたことないんだけど……』
「そんなものはないわ。大体そんなことは考えたこともないしね……」
『確かにあなたはそんな感じね……でも何か一つぐらいあるでしょ?』


何とか気を取り直しながらバルドルはジェロに問いかける。いかに四天魔王とはいえジェロはその中でも紅一点。他の三人に比べればそういった話もできるのではという狙いもあったのだがある意味予想通りの答えにバルドルは呆れるしかない。だがあきらめきれないのかバルドルは粘り続ける。だがそれは



「そうね……とりあえず私より強くなければ話にならないわね」


ジェロのある意味当たり前と言えば当たり前の言葉によって粉々に打ち砕かれる。自分よりも強い相手。女性とすれば当然の考え。だがこと彼女に関してそれは超えられない絶望の壁となり得る。


『…………そう、でもそれっていないってことにならない? いや、なんていうか物理的に。あえて言えばウタぐらいなんじゃ』
「あれにそんな感情を抱く程私は耄碌していないわ。そんなことになるぐらいならまだ永遠に眠り続ける方がマシね」
『…………』


あんまりなジェロの言葉にバルドルはここにはいないウタに同情を禁じ得ない。無論、ウタに聞いたとしても全く同じ答えが返ってくるのは目に見えている。ウタにとっては戦い以外は全て意味のない些事なのだから。


「……無駄話はここまでね。あれがドリューがいる船ね」
『え、ええ……でもどうやらあそこには二つのシンクレアがいるみたい。これは……ヴァンパイアとラストフィジックスね』
「二つ……担い手が二人いるということ?」
『いえ、どちらも同じ担い手の物よ。ドリューという者が他の担い手を倒して手に入れたってところね。どうする? このままじゃ手土産が二つになっちゃうけど……』


バルドルはどこかあきらめにも似た空気を感じさせながらも一応ジェロに問う。シンクレア一つだけならまあ言い訳はつくものの二つとなれば明らかにマザーに、その担い手に加担することになる。一応調停者として公正な儀式を行わなければならないバルドルとしてはできれば避けたい事態。個人的にはヴァンパイアとラストフィジックスからどんな罵詈雑言を浴びせられるか分かったものではない。だがそれは


「いいえ、構わないわ……どちらにしろ全てのシンクレアはアキの元に集う。遅いか早いかの違いよ……」


氷の女王の無慈悲な決定によって無に帰す。同時にバルドルは心の中で合掌する。これから行われるであろう惨劇を目の当たりにする二人の同胞に。


『本当に入れ込んでるのね……やっぱり愛……じゃなくてそのアキってのが担い手に相応しくなかったらどうするわけ? あなたが見定めた時は大したことなかったんでしょ?』
「心配ないわ……器の大きさは十分感じ取れたし、あれからマザーが育てているはずよ。それに……」
『それに……?』


ジェロが一体何を言わんとしているのか分からなかったバルドルはその先を促さんとするもそれが間違いだったとすぐに悟る。瞬間、辺りの氷山がまるで天を目指すかのように巨大化し、上空に向かって伸びて行く。さながら氷の槍。それが空に浮かぶ要塞へと突き刺さる。そこは今まさに夜の支配者パンプキン・ドリューとレイヴの騎士たちが決戦を行っている場所。だがそんなことなどジェロにはどうでもよかった。ただあるのは


「もし魔界に連れて行くにも値しないようならその場で私が葬るだけよ……せめてもの慈悲としてね……」


来るべき大魔王の器であるアキのことだけ。その再会の時こそがジェロがこの一年間待ち続けた瞬間。一年前の模擬戦によって見出し、マザーの話によって興味を惹かれた存在。だがそれでももしその器が満たされていないのならその場で無慈悲に葬ることに一切の容赦もない。矛盾を孕んだ感情。


バルドルは未だ見ぬマザーの担い手に同情を禁じ得ない。ジェロに認められるにせよ、そうでないにせよ変わりはない。


絶望の名を冠する氷の女王に目をつけられてしまった時点でその運命は決まってしまったようなものなのだから――――



[33455] 第七十四話 「四天魔王」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/05/24 19:49
魔界。

人間界と対を為すもう一つの世界。人間ではない亜人と呼ばれる存在が暮らしている場所。いわば世界の裏側。

そんな魔界の中でも凄まじい熱気が全てを支配し、その源である溶岩が今にも溢れださんとしている山脈に囲まれた場所。ウルブールグ地方。およそ人間はおろか亜人ですら生活することができないのではと思えるような場所を目指して進んでいる二つの人影があった。

一つは四天魔王の一人『絶望のジェロ』

ジェロは灼熱の世界であるにもかかわらず汗一つかくことなく、無表情のまま歩みを進めている。まるでその周囲だけが熱が遮断されているかのように。だがそれだけの力が彼女にはある。例え魔界で最も熱い地域であるウルブールグ地方であってもジェロには関係ない。まさに氷の女王に相応しい貫録。だがそんなジェロとは対照的な姿を晒している存在がいた。


(…………どうして俺、こんなところにいるわけ……?)


金髪に黒の甲冑を身に纏った少年、ルシア。金髪の悪魔、DC最高司令官という四点魔王にも引けをとらない異名を持つ存在なのだが今のルシアには威厳も何もあったものではない。その瞳には全く生気が感じられない。死んだ魚のような目を見せながらルシアはまるで夢遊病のようにふらふらとジェロの後に着いて行くだけ。ルシアの脳内にはドナドナが流れ続けている。まさに売られていく子牛のような心境。だがそれは無理のないこと。何故なら今、ルシアはかつてないほど危険な場所に、展開に晒されようとしているのだから。


(ち、ちくしょう……何でこんなことになっちまったんだ!? ようやくドリューの件に片がついたと思ったらこれかよ!? っていうかもしかしてこれって今までで一番ヤバイ状況なんじゃ……)


ルシアは息を飲みながらも自分の前を先導するかのように歩いているジェロの背中に目を向ける。今ルシアはジェロの案内によって魔界を訪れていた。それはルシアにとっては想像だにしなかった展開。シンクレアを持ってきてくれるだけでも信じられない事態であったにもかかわらず自分を魔界に連れて行くという行為。しかもどうやらジェロにとってはそちらの方が本命であったらしいことに戦慄するしかない。すなわちそれは残る三人の魔王、全ての四天魔王と会することを意味するのだから。はっきり言って死にに行くようなもの。一人でRPGのラストダンジョンに殴り込みをかけるかの如き蛮行。裏ボス四体を同時に相手にしかねない危険を孕むミッション。一応大魔王の器として認められているといっても何が起こるかは分からないため何とかルシアはそれを断らんと抵抗した。もちろん自分自身の身の危険が一番だったがそれ以外にも理由があった。


(何とかレディにだけは連絡できたが……大丈夫だよな? ディープスノーは無事でネクロマンシーも消えたし、ハル達も蒼天四戦士がいるから大事にはなってないはず……)


それはドリューによって巻き起こった大戦の事後処理。特にエクスペリメントにおける戦いではディープスノー一人に時間稼ぎを命じていたためルシアは気が気ではなかったのだが無事であることをレディから聞かされ肩の荷が下りた形。同時にドリューが操っていたネクロマンシー達も全て消滅してしまったらしい。ハル達に関しては直接確認できたわけではないがあの海域であれば恐らく蒼天四戦士の一人であるダルメシアンがいるため宵の剣の傷であっても治療できるはず。だが何にせよ安心しきることはできず一度本部に戻ることを告げようとしたのだがそれはマザーによって却下されてしまった。言うまでもなくそれはルシアがこの場から逃げ出すことを防ぐため。まさにドSに相応しい血も涙もない所業。許されたのはレディとの通信のみ。それによって自分が戻るまでは活動を停止するよう伝えることはできたもののルシアはこの魔界探検ツアー(マザー命名)から逃れることはできず今に至っているのだった。


(と、とにかく今はここを乗り切ることを第一に考えねえと……!)


とりあえず人間界の問題を切り捨てながら改めてルシアはジェロに視線を向ける。その姿は一年前に会った時と全く変わっていない。それどころか以前よりも力が増しているのでは思えるほど。だがそれはある意味間違っていない。ルシアが以前戦った時のジェロは半分の力しか出していなかったのだから。にも関わらず当時のルシアは手も足も出なかった。まさに絶望の二つ名に相応しい実力。


(しかし本当に傷一つ負わずにドリューを倒したってことは……やっぱ四天魔王はドリューを小僧扱いできるぐらいヤバいってことだよな……)


恐怖で顔を引きつかせながらルシアは改めて四天魔王がまさに規格外の怪物であることを理解する。この世界では現時点で間違いなく最強の四人。原作であれほどハル達を苦しめたドリューを片手間で葬れるほどの存在。知っていた気にはなっていたもののいざそれを目の当たりにすると正気の沙汰ではない。一年前は六祈将軍オラシオンセイス級であり、今はマザー達によれば四天魔王にも引けを取らないと言われているルシアだが全く実感が湧かないのが正直なところ。トラウマ的な意味でもルシアは全く勝てる気がしない。何故原作で三対一とはいえジュリア達が勝てたのか不思議なほど。そんなことを考えていると


「……どうかしたのかしら?」


まるでルシアの思考を呼んだかのようなタイミングでジェロが振り返りながら尋ねてくる。その顔にはまったく感情が見られない。どこか人形のような雰囲気すら感じさせる視線に思わずルシアは体を振るわせるしかない。


「い、いや……そういえばどうしてわざわざ歩いていかなきゃなんねえんだ……? ゲートなら直接メギドの城に行けばいいんじゃ……?」


『あなたを倒す方法考えていました』などと白状するわけにもいかずルシアは慌てながらも何とかそれらしい疑問でその場を誤魔化さんとする。だがそれは魔界に来てからずっと気になりながらも聞くことができないでいたこと。今ルシア達は四天魔王の一人であるメギドの元に向かっているところ。だがゲートはいわば魔界版ワープロードのようなものであり門を開けば直接メギドの元にも行くことができる。にも関わらずわざわざ徒歩で山を登っているのかルシアには分からなかった。


「そうね……でも残念ながらメギドの城には瞬間移動できないようになっているの。アスラが勝手に出入りするのがよほど気になったみたいね。メギドは私達の中でも特に格式を重んじる所があるから」
「そ、そうか……」
「もちろんそれだけでなく外敵の侵入を防ぐことが本来の目的よ……」
「なるほど……ま、当たり前と言えば当たり前か。王がいる城なんだから命を狙う輩が瞬間移動してきたら面倒だもんな……」
「ええ……でも私が覚えている限りでは一度も侵入者はいないわ。それどころか逆らう者も二万年以上見たことがないわね……あのドリューとかいうのを除けばだけれど……」
「さ、さいですか……」


さも何でもないことのようにジェロは現状を口にする。ようするに魔界において四天魔王に逆らうことができる者は存在しないと言うこと。だが当然と言えば当然。あのドリューを子供扱いできるほどの強さに加えてそれが四人。逆らおうと考えることすらできない。むしろそれに逆らうことができただけでも称賛されるべきかもしれない。これからそんな四人の内の一人に会わなければならない事実に頭を悩ませていると


『でね、その時にジェロが何て言ったと思う? 役に立たないなら送り返すなんて言うのよ!? あたし一応シンクレアなのよ!? いくらなんでも酷すぎると思わない? ねえ、聞いてるのマザー?』
『ええい、やかましい! いい加減少しは黙らんか!? おい、主様よ! いつまで我をここに置いておく気だ!? ジェロとばかりしゃべっておらずに何とかせんか!?』


今まであえて無視してきた騒がしい声がルシアの耳に届いてくる。だが辺りにはジェロとルシア以外には人影はない。だがその騒がしさはまるで小さな子供が大声を上げながらじゃれあっているかのようなもの。マザーとバルドル。二つのシンクレアが言い争っている光景がそこにはあった。


「……いいじゃねえか。バルドルだってわざわざお前に会いに来るためにジェロに着いてきたんだ。話相手ができてちょうどいいんじゃねえか?」
『な、何を言っておる!? 我はそんなことなどこれっぽっちも思っておらん! それに何で我がジェロのところにおらねばならぬのだ!?』
「その方が話しやすいだろ……人の胸元でぎゃあぎゃあ騒がれるのも迷惑だしな。俺は魔界探検ツアーに忙しいんでな、後は好きにしてくれ」


どこかどうでもよさげにルシアはマザーに向かって告げる。だがそれはいつものように自分の胸元に向かってではなかった。それはジェロの胸元。今、ジェロの胸元にはバルドルだけでなくマザーも掛けられている。シンクレアを他人に預けると言う本来ならあり得ないような事態。だが今それをルシアは行っていた。相手がシンクレアを必要としないジェロであること。マザーとおしゃべりがしたいバルドルがジェロの胸元にいたこと。何よりも自分を有無を言わさずに魔界へ行かせたマザーへのささやかな嫌がらせだった。


『っ!? お、お主、魔界に連れてきたことをまだ根に持っているのか!? 言ったであろう、これはお主が大魔王の器になるためには必要なことで』
「ほう……じゃあ一年前から迎えが来るのが分かっていながら一言も俺に言わなかったのはどういうわけだ……?」
『そ、それは……まあ、なんだ。そっちの方が面白そうだったからで決して悪意があったわけでは……』
『何? 楽しそうな話じゃない、あたしも混ぜなさいよ。マザー、あなたったら面白い担い手を作ってるのね。もっとガチガチの支配者って感じかと思ってたんだけどこれはこれで面白くなりそうね♪』
『よ、余計なお世話だ! いいから纏わりつくでないうっとうしい! アナスタシス、貴様も何とか言わんか!? 一人だけアキの胸元を独占しおって……』
『私からは何も。今まで散々アキ様を軽んじてきたのですからたまにはいいのでは?』
『それよりも聞いてよマザー。ジェロったらこの恰好のまま人間界でもぶらぶらしてるのよ? 流石に着替えた方がいいんじゃないかって言っても全く聞いてくれないんだから! あなたはどう思う? いくら魔王だって言っても問題があると思わない?』


マザー、アナスタシス、バルドル。それぞれが性格も思考も全く異なる三人(?)がこれでもかと言うほど好き勝手に騒いでもみくちゃになっている。ルシアはどこか乾いた笑みを浮かべながらその光景にげんなりするしかない。バルドルが増えただけでもこの有様。しかも最悪あと二つ同じような存在が増える可能性も残っている。そうなればまともに会話ができるのかどうかすら怪しい。大量にあったDBのように袋に入れて持ち歩くしかないかもしれないと覚悟しながらもルシアは改めてマザーとバルドルを胸元に置きながらも意に介することなく歩いているジェロに目を奪われる。冗談半分でマザーを預かってくれと言ったもののまさか本当に預かってくれるとは思いもしなかったからこそ。


「な、なんか悪いな……でもほんとにいいのか? うるさかったら別に返してもらっても……」
「……構わないわ。バルドルがあなたに迷惑をかけるよりはマシだしね。それにこれぐらいは彼女にとっては日常茶飯事。いつものことよ……」
「そ、そうか……お前も苦労してたんだな……」
『ちょっと、それじゃまるであたしが一方的にジェロに迷惑かけてたみたいじゃない!? しゃべらないあなたを気にしてずっと話しかけてたのにあんまりよ!』
「…………」
『え? また無視? ちょっとお願いだから無視だけはやめてくれない?』


まるで勝手知ったるといった風にバルドルをあしらうジェロの姿にどこかルシアは親近感を覚えてしまう。事情は違うとはいえ同じようにシンクレアに振り回されているからかもしれない(もっともジェロの場合は逆なのだが)同時にどこか懐かしい感覚がルシアを支配する。それはエリーと共に暮らしていた頃の感覚。マザーという厄介者を一時的とはいえ預けることができたこと。形は違えどそれが今目の前にある。もしかしたらジェロは自分の味方なのでは。そう思ってしまうほどに今のルシアの精神は疲れ切ってしまっていた。


『まったく……それはどうでもいいとしてジェロ、お主少しアキに甘すぎるのではないか? ここについてからもずっとアキの周囲にまで冷気を張っておるではないか』
「……え? そうなの?」
「ええ……もっとも私は力を抑えているだけよ。そうしなければいくらウルブールグでも凍りついてしまうわ」
『ふん……つまらん。せっかく熱さで右往左往する姿が見れると思っておったというのに……』
「お、お前な……」


マザーのおよそ主に対する物とは思えない態度にルシアは顔を引きつかせるしかない。分かり切っていたもののやはりマザーは自分にとっては天敵なのだと再確認しながらもルシアもようやくジェロが自分の周囲を含めて冷気で覆っていることを悟る。火山地帯にも関わらず熱さが感じれない程の力。だがその理由を問うよりも早くバルドルがまるで何かを思い出したかのように騒ぎだす。


『っ! そ、そうよ! すっかり忘れてたわ! マザー聞いて! とっても面白いことがあるの! 『愛』!『愛』なのよ!』
『愛……? 何の話だ?』
『それがね、実はジェロったら』


まるで自分だけが知っている秘密をようやく誰かと共有できるかのように喜びに満ちた声でバルドルはマザーにそれを告げんとする。だがそれは


「そう……どうやらまだ理解していなかったようね。マグマに落とされるか氷漬けにされるか、好きな方を選びなさい……」


無慈悲な氷の女王によって封じられる。バルドルはいつかと同じようにバルドルだけを音もなくつまみあげる。だが既にバルドルは凍りつきつつある。滲みでているジェロの冷気によって。その瞳が言葉に偽りがないことを示している。バルドルは自分が調子に乗りすぎてしまったことを悟るしかない。


『じょ、冗談よ……ははっ……っていうか前よりもレベルが上がってない……? っていうかもう凍り始めてるんだけど……? いくらあたし達が壊れないっていってもやっていいことと悪いことが』
「……気にすることはないわ。マグマに落ちてもメギドに回収してもらえばいいだけよ……」
『さ、さあ! 早くメギドの城に行きましょう! 無駄話もこれ以上は必要ないわね!』


まるで何事もなかったかのようにバルドルは皆を先導する。それからバルドルはこれまでの騒ぎが嘘であったかのように黙りこんでしまう。飼い主に怒られてしまった飼い犬同然。そのあまりの豹変ぶりとジェロの姿にアナスタシスはもちろんマザーですら声を失ってしまう。もし余計なことを言えば自分たちもああなってしまうのだと悟るのに十分すぎる絶望。ルシアもまたその心情は同じ。一瞬でも親近感を覚えたのは間違いだったのだと。あれは一種のブラシーボ効果。ルシアは心に刻みつける。目の前のジェロは間違いなく自分を絶望に染める存在なのだと。


先程までの騒がしさが嘘のように静まり返った一行はそのまま一言も発することなくもくもくとメギドの城に向かって進み続けるのだった――――




「着いたわ……この先にメギドがいるわ」


ジェロはどこか淡々とした口調で自らの後ろに着いてきていたルシアに告げる。だがルシアはそんなジェロの言葉に返事を返すことができない。だがそれはジェロの言葉を無視しているわけではない。ただ目の前の光景に圧倒されているだけ。


(な、何だよこのバカでかい扉は……? っていうか周りにいる護衛たちも半端じゃねえ……下手したら全員六祈将軍オラシオンセイス以上なんじゃ……)


ルシアはどこか呆気にとられながら目の前にある巨大な扉に目を奪われる。それは玉座であるメギドの部屋に入るために立ちふさがっているもの。その作りから調度に詳しくないルシアでもそれがどれだけ桁外れのものかは容易に想像がつく。まるでラスボスの前にある扉。どこかにセーブポイントはないかと見渡すもののそんな都合のいいものは存在しない。開ければ逃げることはできない禁忌の門。それに加えその門を守護するように控えている護衛達と城に配置されている無数の兵士たちにルシアは城に入ってから圧倒されていた。護衛達は間違いなく六祈将軍オラシオンセイス以上の力を持っていることが一目で分かるような精鋭ぞろい。その数も恐らくは目に見えるだけではないはず。DCやBGを優に超えるであろう戦力がこの城の中にはある。だがそれは当たり前と言ってもいい。ここは魔界を統治する魔王の城なのだから。その魔王の一人は隣にいるジェロ。その証拠にジェロが城に踏む込んでから兵士たち全てがその場に跪き首を垂れている。自分が完全に場違いな場所にやってきてしまったことをルシアが今更ながらに後悔している中


「邪魔するわよ」


まるで近所の友人に会いに来たかのような気軽さでジェロは無造作に扉を開け放つ。その細腕からは考えられないような力によって巨大な扉は呆気なくこじ開けられてしまう。息を整える暇さえなくルシアは驚愕したまま。ただ扉の奥を見つめるだけ。微動だにできない。できるのはその奥に君臨する魔王に向かい合うことだけ。


「久しぶりね、メギド。約束通り器を、アキを連れてきたわ……」


そんなルシアの姿に気づくことなく優雅に歩きながらジェロはそのままもう一人の魔王に告げる。瞬間、凄まじい熱気がルシアに襲いかかってくる。この玉座には既に灼熱の中。火山地帯の熱でさえ感じ取れなかったジェロの冷気の中にあっても熱気を感じてしまう。それはつまりこの城の主はジェロと同格の力を持つ怪物だと言うこと。


「貴公がアキか……」


四天魔王の一人。 『獄炎のメギド』 全てを燃やし尽くす炎の称号を持つジェロと対を為す魔王がそこにはいた。


メギドはジェロ達が入ってきたことを見届けた後、ゆっくりと座っていた玉座から腰を上げ立ち上がる。ただそれだけ。だがルシアにとってはその一挙一動に生きた心地がしない。メギドはそのまま階段を一歩一歩下りながらルシアへと近づいてくる。メギドにとっては何のことはないただの動き。しかしその足が歩みを踏むたびに部屋の空気が熱く、重苦しくなっていく。魔王の名を持つ者のみが持ち得る重圧。だがそれはルシアとて同じ。確かに四天魔王の重圧はルシアにとっても脅威。体が震えて余りあるもの。同じ四天魔王であるジェロと行動していたこと、不意打ちではなくわざわざ会いに来た(ルシアは会いたくなどなかった)のだから覚悟はしてきている。それでもルシアが恐怖するしかない理由があった。それは


(こ、怖えええええ――――っ?!?!)


単純なメギドの容姿。それがあまりにも怖かったから。まずはその体格。優にルシアの数倍はあろうかという巨大な体、鍛え上げられた屈強な肉体。次にその手足から覗き見える鋭い爪。触れれば全てを切り裂いてしまうような威圧感。何よりも問題なのがその風貌。それは人間ではない。獅子。つまりライオンの顔をした獣人とでもいうべき容姿。今までルシアは何度か亜人と接したことがある。だがその全てがその名の通り人に近い容姿。だが今ルシアの目の前にいるのは間違いなく人間ではない魔に近い容姿を持つ魔王。百獣の王の貌を持つ男。


「…………」


メギドは地鳴りのような足音とともにルシアの目の前にまでたどり着く。ルシアはそんなメギドの貌を見上げるしかない。大人と子供どころの身長差ではない。端から見れば捕食者と餌。どちらがどちらかなどもはや語るまでもない。ルシアはその場から逃げ出したい衝動を必死に抑えながらメギドと向かい合う。それは直感。ここで動けば命はない。冗談ではなくその瞬間頭から喰われかねない恐怖がルシアに襲いかかる。必死に息を飲み、背中を汗だくにしながらルシアは耐え忍ぶ。それがいつまで続いたのか


「ふむ……まさしく大魔王の器……」


感嘆の声を漏らしながらメギドは笑みを浮かべる。重苦しい空気も幾分か和らぎ、メギドはその場から離れて行く。ルシアは突然の理解できない状況に呆気にとられるしかない。だがこれと同じ光景をつい先ほど見たばかりだった。それはジェロの笑み。自分をまるで見定めるかのように見つめた後に二人とも同じようにどこか満足気な表情を浮かべていた。それが何を意味するかを心のどこかで理解しながらもルシアはとにかく目の前に危機が去ったことに安堵するしかない。ルシアは知らなかった。もしその段階で眼鏡にかなっていなければ自分の命がなかったことを。知らず自分が冗談抜きで二度死にかけていることに気づくことはない。


「失礼した。我が名はメギド。魔界を収める四人の王の一人。よくぞ参られた」
「……え? あ、ああ!えーっと……俺は……」
「アキよ。人間界では金髪の悪魔、DCという組織のリーダーね」
「あ、ああ……宜しく……」
「済まぬな、本来なら我の方から出向くのが礼儀なのだが魔界を統治する身であるがゆえのこと、許されよ」
「い、いや……大丈夫で……じゃなくて大丈夫だ! 気にしないでくれ!」
「そう言ってもらえると助かる。とりあえず立ったままでは寛ぐこともできまい。すぐに用意を……」
「っ!? い、いいって!? お構いなく!」


ルシアは全力で手を振りながらメギドの提案を丁重にお断りする。残念ながらメギドとジェロを相手にしながらお茶をする度胸などルシアにはない。いや彼らと面と向かい合ってお茶ができる存在などいるはずもない。ある意味悪夢のような異次元空間が形成されかねないためルシアとしては絶対に御免な提案だった。


「あなたが飲むような飲み物がアキの口にあうとは思えないし……私も遠慮させてもらうわ。お茶をするためにここに来たわけでもないしね……」
「それもそうか……とにかく器の出迎えご苦労だった。期限は守ったようで安心したぞ。あのまますぐに連れてくるのではないかと心配していたのだが……」
「余計な心配ね。言われなくても期限は守るわ。そのためにあなたに後を任せたわけだし……」
「ふむ、違いない。だがやはりお主がバルドルを持って行ったのだな。何者かに奪われたと魔界では大騒ぎになったのだぞ」
「……? どういうこと? 私はバルドルがアスラに了承を得ていたと聞いたのだけれど……」


ルシアは四天魔王同士の会話に割って入ることができないまま聞くことしかできないものの話の内容は察することができた。その証拠にどこか冷や汗をかいているシンクレアがこの場に存在している。それを理解しているのかその場の全ての視線がジェロの胸元に集中する。そこには


『あ、あれ……? おかしいわね、ちゃんとアスラには伝えたはずなんだけど……やっぱりダメだったのかしら?』


どこか白々しい態度を取りながらも全く悪びれていないバルドルの姿があった。


「……どういうことか説明してもらおうかしら」
『い、いやねーそんなに見つめないでくれる? ちょっとした手違いなんだから! ちゃんと伝言は残したのよ! アスラに分かるように新しいDBも生み出して伝言を頼んだんだから! ね、何の問題もないでしょう?』
「そう……でもそれは結局許可は取っていないのと同じじゃないかしら……?」
『そ、そうとも言えるわね……だ、だってアスラに言っても聞いてもらえるわけないもの! あたしはとにかくマザーに会いたかったの! だって五十年間ずっとあたしだけ魔界なのよ? アスラはずっとホムしか言わないしならあなたが人間界に行くチャンスを逃すわけにはうぷっ!?』
「分かったわ……しばらく口を閉じていなさい……」


もう聞くことはないとばかりにジェロはその手にバルドルを握りしめそれ以上の反論を封じる。物理的には何の意味もない行為だがバルドルにとっては黙りこんでしまうには十分な恐怖だったらしい。


「まあアスラの城には我ら以外は入れぬから心配はしていなかったが、せめて一言残してゆけ。アスラはすぐに察したようだが……」
「ええ、私も軽率だったわ……でもシンクレアを探すのには役に立ったから今回は許してあげるわ」
「シンクレア……? お主、他のシンクレアを探しておったのか?」
「そうよ。アキを迎えに行くだけでは芸がないしね。手土産のつもりだったのだけれど色々あって上手くはいかなかったわ……」
「ふむ、だが我らが担い手のシンクレア争奪に関与するのは好ましくないのではないか。あくまでも我らが関与できるのはバルドルの儀式だけのはず」
「……そうね。それについては認めるわ。少し公正さを欠いていた行為だったわ」
『え? あたしが言った時には聞いてくれなかったのにどういうこと? この扱いの差は何なわ』


あんまりな扱いに抗議の声を上げようとするもバルドルはそのままジェロによって黙らされてしまう。シンクレアの頂点であるバルドルを子供扱いしているジェロの姿にルシアは驚きながらもどこかある種の尊敬すら抱いてしまう。このままマザーをジェロの預けていた方が色々と楽なのではと思えるほど。その証拠にマザーは自分が責められているわけでもないのに黙りこんだまま。ある意味レイヴとは違う意味でのシンクレアの天敵と言えるのかもしれない。


(と、とにかく俺がどうこうされる心配はひとまずなさそうだな……後は頃合いを見てお暇させてもらうことに……?)


ルシアがひとまず命の危険はないことを悟り、そのままじゃあお邪魔しましたといった自然さを装いながらその場をお開きにせんとした瞬間、それは起きた。


「ホム」
「…………え?」


それは声だった。いや、どこか鳴き声にも似た意味を為さない言葉。それが部屋の中に響き渡るもそれはあり得ない。ここはメギドの部屋。無数の兵によって守られている絶対の城。それを突破することができるものなど存在しない。それができるのはメギドと同じ四天魔王の名を持つ存在だけ。それは


「思ったよりも遅かったのね、アスラ。あなたのことだからもっと早く来るかと思っていたのだけれど……」
「うむ……だが前にも我が城に入るときには正面から来るよう言ったはずだが……」
「ホム?」


ジェロはさも当然のように、メギドは溜息を吐きながらも慣れた様子で突然の来訪者を迎え入れるもルシアは驚愕するしかない。何故ならそれは床を通り抜けるようにして姿を現したのだから。だがその力をルシアは感じ取ることができる。当然だ。それはDBの力なのだから。


『漆黒のアスラ』


それが今この場に現れた侵入者の正体。四天魔王の一人であり『魔石王』というもう一つの二つ名を持つ存在。その容姿はまるで小柄な老人のよう。だがまるで生き物ではないかのような不気味さと禍々しさを纏っている。その二つ名の通り全てのDBをその身に宿しているいわば生きたDBに等しい怪物。床を通り向けてきたのもその能力の内の一つだった。


「紹介するわ。彼の名はアスラ。魔石王の二つ名を持つ四天魔王の一人よ……本当の姿もあるのだけれど戦うとき以外はこの姿なの」
「どうやら貴公がやってきたことを感じ取ってきたらしい。アスラよ、お主も見定めるがよい。我々が探し求めた大魔王の器になり得る担い手だ」
「ホム?」


ジェロとメギドの言葉に誘われるようにひょこひょこと動きながらアスラはそのままルシアの目の前まで近づいてくる。どこか間抜けさを、頼りなさを感じさせるような動き。だがそれとは裏腹にルシアは感じ取っていた。それはDBマスターとしての感覚。それがルシアの心に警鐘を鳴らす。


(これは……シンクレアの気配!? いや、下手したらシンクレアよりも……!?)


それは圧倒的なエンドレスの力。DBの力の源とでもいるエンドレスの力が信じられない規模でアスラの体の中には感じられる。その凄まじさはシンクレアを超えるほど。全てのDBの力を有しているに相応しいデタラメぶり。ジェロやメギドとは違う次元での危うさがそこにはある。それはDBマスターのルシアをして恐怖するほど。底がしれない不気味さがそこにはある。


「…………」
「ア、 アキだ……よろしく……」


もはや心ここに非ずと言った風にルシアはアスラに挨拶するも全く反応がない。声を上げることもなくアスラはただじっとルシアを見つめているだけ。メギドとは違い小柄であるため下から見上げられている形だがその不吉さは先の比ではない。しかもジェロやメギドのような反応が全く見られない。まるでかつて何度か感じたエンドレスの存在にも似た感覚にルシアはその場に固まるしかない。だがしばらく睨み合いが続いたものの満足したのかアスラはそのまま視線を向けたまま下がって行く。


(な、何だ……? もういいってことなのか……?)


ようやく四天魔王とのにらめっこというかつてのキングとの耐久にらめっこを遥かに超える試練が終わったことにルシアは大きな溜息を吐く。ようやくこの魔界探検ツアーも終わりが近づいてきたかに思えたその時


「どうやらようやくお出ましのようね。てっきり一番に来ているかと思っていたのに」
「うむ。だがあの距離を一気にここまでやってくるとは。やはり一年前から待ちわびていただけはあると言ったところか」
「ホムホム」
「……? 一体何の話を……」


ジェロ達がまるでここではないどこかに意識を集中させながら会話していることにルシアは頭に疑問符を浮かべるしかない。だがそんな中、マザーだけは知っていた。それを示すように紫の光が怪しく光っている。まるで悪戯が成功した子供のように無邪気な笑みを浮かべながら。


瞬間、凄まじい揺れが城に襲いかかる。まるで地震が起こったかのような揺れの連続。だがそれは地震ではない。その証拠にその揺れは凄まじい轟音とともに一定の感覚で起こっている。


まるでそれは足音。巨人が一歩一歩この城に向かって近づいているかのような感覚。


ルシアは顔面を蒼白にしながら開かれた扉からその光景に目を奪われる。


それは剣だった。剣が一人で動きながら少しずつこちらに向かって近づいてくるというあり得ない光景。だがそれは間違い。


一つはその剣はただの剣ではなかったこと。遠目から見れば唯の剣だかそれはあり得ない。何故ならそれは剣と言うにはあまりにも大きすぎた。優に数十メートルを超え、刀身には『戦』の一文字。本当に巨人が持つかのような超巨大な剣。


もう一つが剣一人でに動いているのではないということ。ルシアから見れば微かに見えるほど小さな人影。だがその人物こそが何よりもルシアを恐怖させていた。それは見間違いだったのかもしれない。だが確かにルシアは見た。その男と自分の視線が交差したのを。


同時に男の表情に笑みが浮かぶ。だがそれはジェロやメギドとは根本から意味が違っていた。本来なら表情すら見えない程離れているにも関わらずルシアは悟った。それがまるで獲物を見つけたかのような強者の笑みであったことを。



「……待ちわびたぞ、器よ。さあ、オレを楽しませてくれ」



『永遠のウタ』


四天魔王最強であり戦王の称号を持つ男。


今、ルシアにとって史上最大の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた――――



[33455] 第七十五話 「戦王」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/05/28 18:19
見渡す限り何もない広大な荒野。地平線の果てまで人影どころか草一つ生えていない死の世界。まるで大破壊オーバードライブによって消滅したシンフォニア大陸を彷彿とさせる場所にどこか呆然と立ち尽くしている一人の少年がいた。


(どうしてこうなった……?)


魂が抜けかかっているかのような形容しがたい表情を浮かべたままルシアはただ自らがおかれた状況の理解が追いつかずフリーズしたまま。放っておけばいつまででもつっ立っているのでは思えるほど酷い有様。だがそれは無理のないこと。何故ならつい先ほどまでルシアはここから遠く離れたメギドの城にいたのだから。ジェロの迎えから始まった魔界探検ツアー。VIP待遇として四天魔王と面会できる特典付きの業火プラン。だがそれをルシアは何とか順調に消化していった。内心ビビりながらもメギドとアスラとのにらめっこにも耐えようやく終わりが近づいてきたと安堵した時にそれは訪れた。文字通り物理的な終わりが。それは


「さて……ここならば問題はあるまい。どれだけ暴れようが周囲には何もない。思う存分暴れられるというわけだ」


ルシアと対面するように存在している一人の男によるもの。男はどこか待ちきれない、高揚した姿を隠すこともなくルシアに向かって告げる。それはさながら待ちに待ったプレゼントを前にした子供のよう。だがそんな微笑ましさすら消し飛ばしてしまうような圧倒的な存在感と強者の風格。黒髪に角のような物が生えていることからも人間ではないことは明らか。だが何よりも男が持っている剣がその証拠。数十メートルを超えるほどの巨大な剣。およそ剣と呼ぶことすら躊躇ってしまうほどの巨大な物体をこともなげに扱っているまさに怪物。


四天魔王 『永遠のウタ』


それが今からルシアが儀式の名の下に戦わんとしている男の名だった。


ルシアはまるで機械人形のようにギギギという擬音が聞こえかねないような動きでゆっくりとある方向を見つめる。そこには自分とウタから離れた場所にいるメギド、ジェロ、アスラの姿がある。今ルシア達は共に瞬間移動によってこの場所へと移動してきていた。言うまでもなくそれは儀式を行うため。だがその意味を知らなかったのはその場でルシアだけ。薄々本能でよからぬことが待ち受けていることを察知していたものの想像を遥かに超えるレベルの危機。


『四天魔王の一人を下し、バルドルを手に入れる』


それがジェロがルシアを迎えに来た真の理由。バルドルが最も手に入れることが困難なシンクレアとされている所以だった。


(いやいやいや……あり得んでしょ……何で俺がこいつと戦うことになってんの? だってこの人四天魔王ですよ……? 魔界一の剣の使い手ですよ? 何のドッキリ? しかもバルドルを賭けて? 誰だよこんな儀式考えた奴!? 誰もこんな儀式合格できるわきゃねえだろうが!?)


ルシアはその場から脱出したい衝動を必死に抑えながらも心の中で悲痛な叫びを上げるしかない。魔界という場所に連れてこられた時点で何かがあるとは思っていたもののまさかここまでの悪夢が待ち受けているなどと流石のルシアも想定していなかった。ジェロの件もあり既に自分は大魔王の器として認められているのだと思っていたからこそ。だがそれが仮の物であったことをジェロによって先程あっさりとルシアは聞かされた。つまり本物の儀式はこれからなのだということ。そして何よりも今から始まらんとしている儀式は手加減など無い全力の四天魔王を相手にした戦いだということ。


「ふむ、たしかにここなら問題なさそうだな。もっとも周囲に住民がいないのは元々だが……」
「そうだったかしら。確かここはいくつかの山があった場所で暮らしていた民族もいた筈だけれど……」
「ホム」
「うむ、だが一年前からウタがここを修行場に選んでからは誰も近づくことはなくなったのだ。ここに住んでいた者達には悪いが別の所に移ってもらった」
「そう……ウタらしいといえばらしいけれど少しやりすぎじゃないかしら。何も残ってないわ……」
「…………」


まるで日常茶飯事だと言わんばかりの調子で三人の魔王が話している内容にルシアは戦慄するしかない。つまりここ一帯は元々は山脈だったということ。だが今は山どころか草一本残っていない。完全な荒野。大破壊オーバードライブもかくやという惨状。それをウタはやってのけたということ。しかも修行の余波のみで。何よりもその修行は自分と戦うため。ルシアはどうしてこんなことになってしまったのか考えるも後の祭り。もはや退路はない。何故なら


『くくく……どうした主様よ。もっと喜んではどうだ。せっかく四天魔王がここまでお主を待ちわびていたのだぞ、これ以上にない名誉なことではないか』


全ての元凶たる闇の使者がルシアの逃げ道を全て塞いでしまっていたのだから。


『っ!? マ、マザー……てめえ、一体どういうつもりだ!? 俺を殺す気か!?』
『何を人聞きが悪いことを。我がお主を殺すなどあり得ぬ。それにここは感謝してほしいぐらいだぞ。我がジェロに話をつけなければ一年経たずに迎えが来ていたのかもしれんのだからな。そうなればお主もあのドリューとかいうのと同じ末路だったであろう。それともその方がよかったのかの?』
『ぐっ……そ、それとこれとは話が別だ! ならそれを俺にも教えろよ! そうしてりゃこんなことには……』
『ふん。それでもよかったのだがそうなれば主はどうやって逃げるかに躍起になる可能性が高かったからの。なら直前まで黙っておいた方がよいと判断した。もっともその方が楽しそうだったというのもあるがの……ま、仕方あるまい。遅かれ早かれ避けては通れぬ道。万全とはいえぬが準備は整っておる。あとはお主が男を見せるだけよ』


ルシアは自分の胸元でどこか満足気にしているマザーの姿に怒り狂うしかない。今ルシアが右往左往しているのは間違いなくマザーのせい。今の今まで四天魔王の迎えのこともバルドルの儀式のことも黙っていたのだから。だがマザーとてルシアに不利になることは行わない。ジェロに模擬戦を行わせたのもルシアに実戦を積ませる意味もあったがそれ以上にジェロにルシアの才能の片鱗を見せつけ一年間四天魔王に手出しをさせないようにすることが一番の目的。その甲斐もありルシアは何とか儀式に耐えうるであろうの強さを得ることができた。もしそれがなければドリューと同じように呆気なく氷漬けにされていただろう。迎えが来ることを教えなかったのもルシアの性格を考慮してのこと。自らの命の危機に無我夢中で修行させるという選択肢もあったがそれでは一年間精神的に持たないだろうというマザーの計算によるもの。現実逃避をされるほうがリスクが高かったためマザーは今までそれを告げることはなかった。もっと本人も白状したように半分以上はマザーの趣味によるものだったのだが。


『まったく……いい加減覚悟を決めんか。わざわざ主のために我もここで見守っておる。何の心配もあるまい』
『何が見守っているだ!? バルドルのせいでてめえは役立たずなんだろうが! アナスタシスを見習っててめえもさっさとジェロの所に行きやがれ! 邪魔なんだよ!』


ルシアはついに我慢の限界だとばかりにジェロを指さしながら激昂する。ジェロの胸元には既にアナスタシスが控えている。それは儀式においてはバルドルによってシンクレアの力が封じられてしまうため。主に余計な負担がかからないようにアナスタシスは自らジェロの元に移動したのだがマザーは移動するどころかジェロの元からルシアの元に戻ってくる始末。ルシアにとっては今のマザーはしゃべるだけしか能がない石。ウタとの戦いにおいては何の役にも立たない存在だった。


『な、何を言う! 能力は使えなくともお主の傍におるという内助の功が分からぬのか!? お主はいつもいつも我がいなければなんにもできんくせによくもそんなことを』
『内助の功? アナスタシスならまだしもてめえが口にできるような言葉じゃねえっつーの……それに役に立たないのは事実だろうが。全く肝心な時にいつもいつも……』
『き、聞き捨てならんぞ! それではまるで我がいつも役立たずであるかのようではないか!?』
『今更気づいたのかよ……気づくのが十年遅いんじゃねえか……?』


まるで子供同士の喧嘩のようにルシアとマザーは言い争うも結局それは不毛なもの。ルシアにとっては一種の現実逃避。だがその様子をメギドたちもどこか怪訝な様子で見つめることしかできない。今すぐにでも儀式が始まらんとしているにもかかわらず担い手とシンクレアが言い争うなど前代未聞。


「何か問題が起こったのか。先程から何かを言い争っているようだが……」
『それはきっとあれよ……担い手があたしを手に入れるために戦うって聞いてマザーが嫉妬してるのよ! もう、マザーったら心配しなくてもあたしはマザー一筋だっていうのに……』
「……違うわ。きっとウタではなく私と戦いたいと言っているのよ。今からでも代わってもいいのだけれど……」
『……どこから突っ込んだらいいのか分かりませんが御心配なく。あれはいつものことですから……』


溜息を吐きながらもアナスタシスはどこか的外れな解釈をしている二人を嗜めるしかない。マザーがいなくともシンクレアにおいて唯一の常識人であるアナスタシスの苦労が絶えることはない。


「どうした、器よ。シンクレアを使えないことがそんなに気になるのか?」
「っ!? い、いや……それは……」


今まで黙って静観するだけだったウタがまるでもう我慢ができないといった風にルシアへと問いかける。その問いにルシアはびくんと体を反応させるも言葉を詰まらせてしまう。だが


「フン、オレは構わんぞ。何ならジェロに預けているシンクレアも使えばいい。オレにとってはどうでもいいことだ」
「…………え?」


ルシアはウタが続けた言葉によって本当に言葉を失ってしまう。当たり前だ。儀式の根幹であるシンクレアの使用禁止を破っても構わないと言うのだから。だがルシアが驚愕しているのはそのことではない。


ウタはルシアが持っている二つのシンクレアの能力を知っている。


マザーの『空間消滅』とその極みである『次元崩壊』


アナスタシスの『再生』


どちらもシンクレアの名に相応しい強力無比な、場合によっては反則にも近い特性を持つ能力。だがそれを知っていながらもウタは全く意に介することなく使用すればいいと言い放った。それはつまり


例えルシアがシンクレアを使用してもウタにとっては何の問題もないということ。


そんなあり得ない、にわかには信じられない言葉にルシアが固まっている中


『ちょ、ちょとウタ! それはいくら何でもルール違反よ! これは担い手の力を試す試験、あたしたちは抜きなんだから! あたしの役目を無視しないでよ!』
「フン……オレは儀式などどうでもいいんだがな。いいだろう。だが今更儀式を中止する気も先延ばしする気もないぞ。やっとまともに戦える担い手が現れたんだからな……」
『あれ……? またあたし無視されてる? 何であたしこんな扱いなの?』
「さて……余計なおしゃべりはここまでだ。悪いがそろそろ儀式とやらを始めさせてもらうぞ、担い手よ……」


バルドルの悲痛な訴えを全く気にすることなくウタは一歩一歩静かに、それでも力強い足取りでルシアへと向かってくる。それはまるで巨人が近づいてくるかのような揺れと音を生み出していく。逃れられない死の足音に、光景にルシアの表情がこわばるも既に先程までの空気は微塵も残っていない。これから始まるのはルシアにとっては儀式ではなく命を賭けた真剣勝負なのだから。


『ふん、どうやらようやくその気になったようだな……いつも手間をかけさせおって。バルドル分かっておるな。封じるのは我の能力だけだ。よいな』
『え、ええ……構わないわ。流石に全てのDBを封じるのは酷だしね。もう一つの方も配慮しとくわ。でもあなたもモノ好きなことするわよねー。ま、そこがあなたらしいといえばあなたらしいけど』
『……余計な御世話だ。アキよ、聞いた通りだ。残念ながら我は今回は力になれん。だが忠告だけさせてもらうぞ』
『な、なんだよ……』


ルシアは既にその手にネオ・デカログスを手にしながらもマザーの声に思わず気圧されてしまう。何故ならそこには先程までの無邪気さや甘さは全くない。どこかエンドレスを彷彿とさせるほどの凄味がある。


『全力で戦え。手加減も容赦も必要ない。四天魔王に対してそれは無意味だ。一瞬たりとも油断をするな。さもなければ……死ぬぞ』


ルシアはマザーの今までに聞いたことのない忠告に息を飲む。これまでマザーは自らの力を、ルシアの力を誇示することはあっても卑下することはなかった。自分達は勝っても当たり前。マザーの自信過剰ぶりにルシアが言い返すのがお約束。だが今のマザーの言葉にはそれがない。それはつまりマザーにとってもこの戦いは博打に近いリスクがある、敗北の可能性がある戦いだということ。それを理解した上で


『それと勝手に死ぬことは許さん。まだ我はお主から契約の内容を聞いておらぬのだからな』


マザーはあえてルシアが忘れているようなどうでもいいことを口にする。自分達の契約。どんな願いでも一つだけ叶えるという怪しさ満点の約束。それ故にルシアがまだ内容を決めていないもの。


『てめえ……ここでそんなこと言いだすなんて俺を殺す気か? 悪いが俺は自分で死亡フラグを立てる気なんてねえからな……』


ルシアは溜息を吐きながらも気を引き締めながらウタと向かい合う。その瞳に既に迷いはない。これはいつも通りのやりとり。戦闘前に自分をマザーが鼓舞する。ダークブリングマスターとシンクレアの関係。その本当の意味を知らぬままルシアは動き出す。その瞬間、バルドルの光が全てを照らし出す。シンクレアを統べるシンクレアである力。


今、金髪の悪魔ルシア・レアグローブと永遠のウタの戦いの火蓋が切って落とされた――――



先に動いたのはルシアだった。手にするは自らの相棒とでも言える愛剣、ネオ・デカログス。シンクレアを封じられてしまったルシアにとってはそれこそが切り札にして最後の生命線。もしそれが通用しなければ勝機はない。わずかな躊躇いを覚えながらもルシアはデカログスの形態を切り替えながらウタへと疾走する。


闇の音速剣テネブラリス・シルファリオン


十剣中最速を誇る形態でありかつてはライトニングを持つルナールとの戦いでも活躍した第三の剣。限りなく光速に近い音速の如き速さでルシアはウタに斬りかかる。先手必勝などという考えがあったわけではない。あるのはただの直感。この相手に対して後手に回れば勝ち目はない。今までの戦闘経験から導き出したルシアの直感。だがそれは


「中々の速さだ。ならオレも応えるとしよう」


戦王の名を冠する男の一言によって無残にも砕け散る。


「なっ――――!?」


ルシアは咄嗟に剣の形態を音速剣から鉄の剣に切り替える。瞬間、凄まじい轟音と暴風が辺りを支配していく。まるで竜巻が起こったかのような事態。だがそれは天変地異ではなく紛れもなく人の手、ウタという男によって引き起こされている人災だった。


ルシアは一瞬で思考を切り替えながら自らに襲いかかってくる暴力を紙一重のところで躱していく。だがただルシアはそのあり得ない光景に目を奪われるしかない。


(マジかよ……!? 本当にあの馬鹿でかい剣を振り回してやがるっ!?)


もはや悪い冗談としか思えないような光景。数十メートルを超える超巨大な剣をウタはまるで意に介することなく凄まじい速度で振り回し始める。さながらそれは独楽。遠心力を利用するかのような人間業を超越した絶技。もちろんそのことを知識としてルシアは知っていた。だが知っているのと実際に目の当たりにするのとでは天と地の差がある。


『神の剣』


それがウタが持つ剣の名。争い続ける人々に神が裁きとして落としたとされるもの。一説には巨人が扱っていたのではされる伝説の武具の一つ。その名に相応しい人だろうが亜人であろうが扱うことができないような超巨大な剣。だがそれを為し得る担い手がここにいる。


『魔界一の剣の使い手』


それがもう一つのウタの二つ名。いわば剣聖を示す称号。人間界での剣聖は初代レイヴマスターであるシバ・ローゼス。そしてここ魔界での剣聖は四天魔王である永遠のウタ。彼が神の剣を扱うことによって魔界には今新たな嵐が巻き起こる。ウタは自らの周囲を回転させるように剣を振り回しているだけ。神の剣には特殊な能力は何も備わっていない。あるのはその巨大さと頑丈さだけ。だがそれだけで十分だった。否、それだけだからこその破壊力。その証拠にウタの周りの大地は既に斬り裂かれ、吹き飛ばされ、蹂躙されていく。


(ちくしょう……!! 全く隙がねえ……!!)


その刃の嵐の真っただ中に飲み込まれてしまったルシアはただ全身全霊を以てウタの剣を避け続けるしかない。音速剣の速度であれば一瞬の隙をついてウタ自身に斬りかかることも不可能ではなかった。だが既に剣を振り回しているウタには音速剣は通用しない。


風圧。巨大な剣を扱っているからこそ生じる真空剣にも匹敵しかねない暴風が発生している以上体が極端に軽くなる音速剣では近づくことは愚か使った瞬間に空高く吹き飛ばされかねない。無論そのことは戦う前からルシアは分かっていた。だからこそウタが剣を振るうよりも早く先制したかったのだがまるでそれを先読みしていたかのようにウタは信じられない速さで剣を振るい始めてしまった。危惧していた後手に回ってしまう展開。だがそれだけならまだ対処のしようもあった。遠距離から戦う選択肢もあったのだから。それすらも許さないと言わんばかりにウタは既に剣の間合いにルシアを捉えている。剣の結界とでもいうべき呪縛。そこから逃れる術がルシアにはない。もし離脱しようとすればその瞬間隙が生じ真っ二つにされてしまう。いや、そんな物ではすまない。バラバラに、粉微塵にされてあまりある圧倒的な物理攻撃。


(この剣撃じゃあ大技は使えねえ……! なら……!)


これ以上にないほど不利な状況に陥りながらもルシアにはまだあきらめはない。相手はあの四天魔王。これぐらいの苦戦は計算の内。確かに神の剣の質量による嵐は脅威。もし持っていたのがデカログスであったならこの時点で詰みだったはず。だが今ルシアの手にあるのはただのデカログスではない。かつてキングが持っていたもう一つのデカログスから力を受け継いだ真の魔剣。今まではその強力さから全力を出すことがなかったその能力をルシアは解放する。


闇の爆発剣テネブラリス・エクスプロージョン――――!!」


斬った物を爆発させる第二の剣。かつては相手を殺さずに制することができた威力だったが今のネオ・デカログスはその比ではない。一突きで大地を崩壊させる程の威力がある。ルシアは爆発剣を以てウタの神の剣の一撃に対抗せんとする。瞬間、剣同士の接触によって凄まじい爆発が巻き起こる。ルシアは爆発と神の剣の衝撃に備えながらも確かな手ごたえを感じ取る。間違いなくウタの剣を破壊して余りある威力。例え剣を破壊することが敵わなくともウタの動きを鈍らすことはできる。その隙に音速剣で斬り込む。だがそんなルシアの狙いは


「ほう。中々面白い剣だな。少し驚かされたぞ」
「――――っ!?」


全く動じることがないウタの声によって無に帰す。瞬間、ルシアの瞳が開かれ時間が止まる。それは自分のすぐ真横。目と鼻の先に神の剣が迫っていたから。だが理解できない事態にルシアは反応が一瞬遅れる。当たり前だ。何故なら先程確かにルシアは神の剣の一撃を捌いた。にも関わらずその剣閃が既に自分を襲いつつある。まさに条件反射といってもいい無意識の動きでルシアは間一髪のところで剣撃を躱すも剣圧によって甲冑が砕け傷を負ってしまう。戦闘には支障がないレベルの物だが痛みによって逆に落ち着きを取り戻したルシアはようやく悟る。先程一体何が起こったのかを。


(まさか……咄嗟に回転方向を逆にして爆発の威力を受け流したってのか……!?)


自らの剣が爆発剣によって爆破される前に回転を逆にし、その威力を受け流しそのまま反撃に転じてきた。言葉にすれば簡単な至極当たり前の対処法。だがそれがどれだけ化け物じみた剣技であるかをルシアは知っている。


確かに爆発剣の威力を受け流すことは不可能ではない。現にルシアもハルの爆発剣を剣技によって受け流したことがある。だがそれはルシアが十剣を知り尽くしているからこそ。その能力と弱点、爆発のタイミングその全てを理解しているからこそできる技術。


だがそれを初見でウタはやってのけた。ルシアが持っている剣の能力など知るはずもないというのに。加えてあの巨大な神の剣を使ってそれをやってのけ、受け流すどころかそのまま反撃に転じてくる。『剣聖』の名すらも霞みかねない武の極致。


「流石だな……ならそろそろ本気で行かせてもらう」


だがそれに感嘆する時間はルシアにはない。先程のルシアの反応に気を良くしたのかウタは笑みを浮かべながら剣の回転を一気に早めて行く。その全てがルシアの一挙一動を見逃すまいとするかのような完璧な剣舞。一瞬で気を抜けばその瞬間、叩きつぶされてしまう死の舞踏。今はまだ対応できるもののこれ以上続けば体力が削られいずれは力尽きてしまう。終わりが見えている戦い。同じ爆発剣の攻撃は通用しない。大技使う隙もない。だがルシアにはまだ手段が残されている。博打にも近い賭け。だがそれを以てしかこの神の剣の嵐から逃れる術はない。


「――――む」


瞬間、初めてウタが困惑の声を出す。それはルシアの剣の形態が変化したことによるもの。だがそれは一番最初に見せた恐らくは速度を上げるための剣。しかしこれまで使用しなかったことからこの状況では使用できない弱点があるとウタは見抜いていた。それを今ここに至って使用することの意味を探るもその解を得るよりも早くルシアは剣舞の風圧によって空高く舞いあげられてしまう。当然の帰結。ネオ・デカログスになったことによってその特性である重さの喪失もまた顕著になっているのだから。それによってルシアは体の自由を奪われ後は落下するしかない。あまりにも無防備な姿を晒しながらも身動きをすることすらできない。


ウタはどこか落胆にも似た表情を見せながらも剣を振り上げながら宙に舞ったルシアを叩きつぶさんとする。先程までの攻防からすればあまりにもあっけない決着。だがその中にあってもウタには油断も容赦もない。これまでも数えきれないほどの戦いの中で強者を葬ってきたウタにとってはこの戦いもなんら変わらない。自分を本気にさせてくれる相手にまためぐり会うことができなかった。ただそれだけ。だがそれは


「ああああああ―――――!!」


咆哮を上げながら己が剣を振り下ろすルシアによって終わりを告げる。


瞬間、凄まじい金属音が辺りを支配する。剣と剣のぶつかり合い。鍔迫り合いとはとても言えないような大きさの差。自分の体の十倍以上の大きさを誇る剣に向かってルシアはその剣を振り落とす。まるでその剣の重さを誇示するかのように。


同時に地震が起きたかのような衝撃が大地を揺るがす。余波と砂煙によって全ての視界が遮られまるで砂漠の砂嵐が巻き起こったかと差隠してしまうほどの光景。だが次第に視界が晴れてくる。その先には


「ハアッ……ハアッ……!」


肩で息をしながら自らの剣を地面に振り落としているルシアの姿と


「…………」


無言のまま自らの剣であった物を見つめているウタの姿があった。


ウタの視線の先には巨大な神の剣の刀身だけが無残にも地面にめり込んでいる。手にあるのは柄だけ。それだけでも優に人間数人分の大きさがあるのだが先程までの神の剣を担いでいた姿からすればその違いは一目瞭然。それは先のルシアの一撃が神の剣を両断したことを意味していた。


(な、何とかなったか……これでダメならマジでヤバかった……!)


ルシアは息を整えながら自らが握っているネオ・デカログスに目を向ける。それは先の音速剣ではない。


闇の重力剣テネブラリス・グラビティコア


十剣中最高の物理攻撃力を誇る剣。爆発剣が通用しなかった以上ルシアにはこの剣しか選択肢には残されていなかった。問題は重さ故にあまりにも重力剣は扱いが難しいということ。普通に振るえば剣を合わせることすらできないことは先程の攻防から明らか。本来なら音速剣と組み合わせることでようやく扱うことができるものなのだから。だがその音速剣もウタの剣の嵐の前には使用できない。そこで逆にルシアはそれを利用する策に出る。空中からの重力下に向けての斬撃なら扱いやすいこと。何よりも空中の敵に対するためにはウタといえども剣の動きは制限される。巨大な神の剣ならばなおのこと。いくらウタといえども物理法則までもは変えられない。その読み通りにウタはそれまでの回転の動きではなく叩きつぶす上下の剣の動きを見せた。後はそれにタイミングを合わせるだけ。もっともそれも容易なことではなく、もし重力剣よりも神の剣の強度が高かった場合はルシアの剣の方が折られる可能性もあった。しかし結果はルシアの勝利。ウタは剣を失い、ルシアは優位にたった。端から見ればそれは誰の目にも明らか。だが


「なるほど……流石にお主が見定めたことはある。ウタの剣を壊すとは」
「ええ……でも問題はここからね……」
「ホム……」


両者の戦いを観戦している三人の魔王の表情には全く変化はない。それどころかその険しさが増しているのでは思えるほど。その意味を知るアナスタシスとバルドルもまた声を上げることなく静かに戦況を見守っているだけ。マザーもそれは変わらない。これは神聖な儀式。故に四天魔王の情報をルシアに伝えることはできない。共に戦うことができないもどかしさに耐えながらマザーは自らの主の身を案じるのみ。


静寂があたりを支配する。その異様さに流れでいえば優位に立ったはずのルシアですら知らず息を飲む。まるで自分が犯してはいけない、破ってはいけない領域に踏み込んでしまったかのよう。


「……いいぞ、こうでなくては面白くない。準備運動はこれぐらいでいいだろう」
「…………え?」


思わずルシアは疑問の声をあげてしまう。それはまるでここが戦場であることを忘れてしまうかのような感覚。それほどにウタの言葉はルシアにとっては理解できないものだった。


『準備運動』


そうウタは口にした。先程までの攻防。神技とでもいうべき剣の腕を見せた戦いを目の前の男は準備運動と切り捨てた。その意味を理解するよりも早くウタはその手にある巨大な柄を何の未練もなく無造作に投げ捨てる。まるでそんな物など最初から必要なかったのだと告げるかのように。


何故数ある剣の中でウタが神の剣を使用していたのか。そこには大きく二つの理由があった。


一つがその強度。並みの武器ではウタの力に耐えきることができず壊れてしまう。だがかつて神によって造られたとされる神の剣であればウタが扱っても簡単に壊れることはない。だがそれだけなら他にも剣の選択肢はある。にも関わらずわざわざウタがこの剣を使っている理由。


それが二つ目。この剣が魔界で最も扱いにくい剣であったこと。大きさなど二次的な話。ただ扱いづらいことがその理由。もし普通の大きさの剣であったなら楽しむ間もなく敵を葬り去ってしまう。戦いを楽しむウタにとってそれは絶対に避けなければならないこと。



つまりウタにとって先程までの戦いは自ら枷を、ハンデをつけての物だったということ。



ゆっくりとウタはその両拳を動かしていく。自らの胸の前までゆっくりと。それに合わせるように腰も落とされ、両足も広がって行く。まるで走馬灯を見ているかのようにルシアにはウタの動きがスローモーションに見える。


「何万年振りだろうか……感謝するぞ、器よ。さあ、本気のオレを楽しませてくれ」


それが徒手空拳の構えだと理解するも早くウタの姿がルシアの視界から消え去った。


『何を気を抜いておる!? 来るぞ、アキ――――!!』


知らずルシアは真横に飛んでいた。狙いも何もないただ純粋な回避。マザーの叫びに反応するかのようにその手には既に音速剣がある。己が持つ最大速度での回避運動。それが動き始めた刹那



音が世界から消失した――――


「がっ―――!?」


ルシアは何が起こったのか分からないままただ自分に襲いかかってくる衝撃波に耐えるしかない。まるでミサイルが落ちたかのような爆音と衝撃が全てを支配していく。理解できない事態の連続に混乱しながらもルシアは瞬時に受け身を取りながら顔をあげる。そこには


隕石が落下したかのように見渡す限り辺り一面がクレーターのように隆起している地面だったモノがあった。


その中心には拳を振り落としているウタの姿がある。そこは先程までルシアがいた場所。その意味を理解したルシアは戦慄し恐怖する。もしそのままあの場にいればどうなっていたか。間違いなくその拳によって粉々にされてしまっていただろう。


(じょ、冗談だろ……? 何でさっきの剣よりも拳の威力の方が上なんだよ……?)


ルシアは目の前のあり得ない光景によってただ立ち尽くすことしかできない。その拳の威力は天変地異を遥かに凌駕するほど。その衝撃だけでルシアは既に数百メートル以上吹き飛ばされてしまっている。クレーターの規模に至ってはもはや口にすることもできない。ルシアは理解する。何故ウタが自分にシンクレアを使用しても構わないと言ってのけたのか。アナスタシスについてはこの拳の威力が全て。もしこれをまともに受ければ一撃で致命傷となる。奇しくも原作でレットがハードナーに対して行った対策と同じ。一撃で倒せば再生はできないという単純な答え。だがウタの攻撃はその比ではない。渾身の一撃ではない唯の拳でこの威力。避け損なえば、防御し損なえばその瞬間ルシアはこの世から消滅する。そしてもう一つが


(それにさっきの速さは何だ!? 下手したらルナールよりも……!?)


ウタの目にも映らないような速さ。自分の目の前に瞬間移動したのではないかと疑ってしまうような事態。だがそれが間違いなく純粋な移動である証拠が残っている。それはウタの足元。そこにまるでショベルカーが抉ったかのような痕が続いている。その起点は先程までウタがいた場所。つまり瞬間移動ではない物理移動でウタは襲いかかってきたということ。しかもその速度はかつてのルナールと同等かそれ以上。音速剣を使っていたルシアですら反応しきれないような超高速移動。その意味を思い出すより早く


「どうした。来ないならこちらから行くぞ」


ウタが再びその場から爆発するかのような激しさを以てルシアへ向かって突進してくる。その拳でルシアを破砕するために。ようやくルシアは本当の意味で理解する。ウタは魔界一の剣の使い手であると同時に魔界一の拳士であることを。ウタにとっては徒手空拳こそが最も得意な、本来のスタイルなのだと。


「くっ!!」


ルシアは瞬時に意識を切り替えながら自らが持つDBに力を込める。それはワープロード。ルシアの狙いはその瞬間移動によってウタから距離を取ること。近接戦闘はあまりにも危険が大きすぎる。威力もだがその速度がもっとも厄介な点。かつてのルナールは戦斧であり一撃を回避さえすれば第二撃の心配はなかった。だがウタは違う。拳で戦うウタにはその常識は通用しない。密着した状態では剣では拳の速度、手数には敵わない。ならば遠距離戦で勝機を掴むしかない。既にルシアは先の剣での戦いの段階でワープロードのマーキングを行っていた。もっともルシアではなくワープロード自身によるもの。ダークブリングマスターであるルシアだからこそできるDBとの連携。ウタは数百メートあった距離をほんの数秒の間に零にせんと迫ってくる。その恐怖に凍りつきながらもルシアはワープロードによってその場から瞬間移動する。位置はウタから見て正反対。そこまで移動すれば大技を使用するまでの隙は稼げると踏んだ判断。だがそれは


「――――は?」


ウタが見せたあり得ない動きによって崩壊する。それはルシアがワープロードを使用せんとした刹那。間違いなくまだルシアが瞬間移動していない段階。にも関わらずウタはまるで何かを察知したかのように動きを止めそのまま逆方向に向かって跳躍した。


次の瞬間、ルシアは目の前にする。瞬間移動して背後を取った、距離を取ったにもかかわらずその相手が目と鼻の先にいるという悪夢。既にウタの拳はルシアに向かって放たれている。


ルシアは理解することができない。否、誰であったとしてもそれを前にすれば絶望するしかない。それはウタの直感とでもいうべきもの。数多の戦いを潜り抜けてきた戦士のみが辿り着く感覚。戦うために生まれてきたウタだからこそ持ち得る本能。それがルシアの動きとDBの気配を先読みする。もはや未来予知に近い奇跡。


それを理解できないままそれでもルシアは残された意識の全てを総動員してウタの拳を剣で受け止める。瞬間、デカログスが悲鳴を上げる。鈍い金属音が響き渡るもデカログスはただ耐える。その形態は重力剣。攻撃力だけでなく防御力も十剣中最高であるいわば盾としても使える形態。それによって何とか直撃はさけるものの衝撃を殺し切ることができずルシアは遥か彼方へと吹き飛ばされていく。重力剣であるにも関わらずまるで音速剣を使っているかのように軽々と木の葉のように。


「あ……がっ……!!」


何とか剣を地面に突き立てながらルシアはそれ以上吹き飛ばされるのを防ぎ、立ち上がるも少なくないダメージを負ってしまっている。外傷はないものの剣を突破した衝撃ですらダメージを受けてしまう。それが戦王の拳。防御されたとしても相手を倒すことができる無慈悲な一撃。その衝撃と痛みによって悶絶しながらもルシアはすぐさま剣を構える。目論見通りとはいかなかったものの結果的には先の攻撃によってウタとの間には大きな距離ができている。ウタもルシアの様子をうかがっているかのようにまだ動きを見せていない。千載一遇のチャンス。ルシアは力を振り絞りながら己が持つ最大範囲の攻撃を放つ。それは


闇の真空剣テネブラリス・メルフォース――――!!」


一振りで大地を切り裂き崖を生み出してしまうほどの暴風。例えルナールを超える速度を持っていたとしても躱すことは敵わない範囲攻撃。その威力もかつてのハードナー戦の比ではない。手加減も容赦もない。奇しくも戦闘の前にマザーから受けた忠告通り。ウタを相手に、四天魔王相手に手加減などできるわけがない。その意味を理解したが故の全力の攻撃。その真空波が全てを飲み混む、全てを消し去った――――はずだった。


「…………え?」


ルシアはただ呆然とその光景に目を奪われる。辺りは既に崩壊寸前。これ以上荒廃するはずがないほどの荒れ地をさらに崩して余りある天変地異にも似た真空剣の一撃。だがその中を


「悪くはなかったぞ。だがまだオレには届かん……まさかこれで終わりではないだろうな」


悠然と歩いてくる戦王の姿がある。だがその体には傷一つ付いていない。それどころか服に汚れ一つついていない。あり得ないような事態。だが間違いなく攻撃は直撃したはず。そんな中、ようやくルシアは気づく。ウタの体からまるでオーラのような光が生まれ出ていることに。まるでそれはマザーの絶対領域にも似た光。ウタが本気の時にしか見せない能力であり数万年以上使われることのなかった禁忌の力。それが真空剣を受けてもなお無傷でいられた理由だった。


その圧倒的な力の奔流と絶望感にルシアは膝を突きかけるもデカログスからの叱責によって何とか踏みとどまる。このまま何もしなければ死ぬだけなのだから。


(そうだ……こんなところで死んでたまるか! なんのために今まで必死に足掻いてきたんだ……! 生き延びるためだろうが……!!)


歯を食いしばりながらルシアは剣を握りしめながら音速剣の速度によってウタに向かって疾走していく。距離を取ったとしてもウタの方が速度は上。ワープロードを使ったとしても先の焼き回しになることは必至。イリュージョンによる幻影も同じ。ジェロに通用しなかった手がウタに通用するはずもない。なら立ち向かうしかルシアには手はない。何よりもあの光をどうにかしない限り攻撃は届かない。ウタはこれまでとは違い向かってくるルシアを迎撃する構え。その瞳は歓喜に満ちている。自分の全力を前にして尚も立ち向かってくる相手。それこそがウタが待ち望んだ存在なのだから。


ルシアはそのまま風となりながらウタに向かって剣を振るう。だがその剣閃は二つ。左右からの同時攻撃。二刀剣である闇の双竜剣テネブラリス・ブルー=クリムソンだからこそ可能な物。しかしその剣は通常の炎と氷の二刀剣ではなかった。それは


二重の封印剣デュアル・ルーンセイブ――――!!」


闇の封印剣テネブラリス・ルーンセイブの二刀剣。ハルが使用していた二重大爆破デュアル・エクスプロージョンの応用技。それこそがルシアの狙い。斬れない物を斬る封印剣で光を切り裂き可能ならばその力を封印する。物理攻撃では封印剣は防げない。逆を言えば封印剣ではウタの攻撃は防げないもののルシアにとってはあの光をどうにかしなければ勝ち目はない。相打ちになったとしても挑まなければならない決死の特攻。だがそれは


「二刀剣か……確かに面白い着眼点だがその程度ではオレには届かんぞ、器よ」


ウタの静かな、それでも重苦しい宣告によって終わりを告げる。


(嘘……だろ……?)


ルシアは声を上げることもできずに体を震わすしかない。だがその震えが剣に伝わることはない。何故なら二本の封印剣はその両方がウタの両手によって掴まれているのだから。


『片手による白羽取り』


例え剣聖であったとしても、それ以外の存在であったとしても為し得ないような絶技。それを両手同時。しかもルシアは間違いなくキングに匹敵凌駕する剣の使い手。その剣閃をこともなげに防ぐなど正気の沙汰ではない。だがそれだけならルシアはここまで動揺することはない。これまでも信じられないような技を見せつけられたのだから。問題は


(封印剣を防ぐなんて……そんなことが……!?)


ウタが封印剣を掴んでいる。その一点。本来触れることができないはずの封印剣を防ぐことができるなどあり得ない。だがその不可能を可能にする力がウタにはある。


『戦気』

それは物理も魔法も超越した数多の戦いを乗り越えたウタでしか持ち得ない究極の闘気。ウタにはいかなる物理も魔法も通用しない。逆にウタの攻撃は物理無効でも魔法無効でも無効化できない。それを突破するにはたった一つの方法しかない。


『ウタよりも強いこと』


ウタの強さを上回る攻撃でなければ戦気を破ることはできない。そこに例外はない。例え次元崩壊でも、魔導精霊力でも、DBでも、レイヴでも関係はない。一撃死のような能力も、状態異常を起こすような特殊能力も全て同じ。『強さ』という基準でウタを超えない限りどんな能力も物量もウタには通用しない。


それがウタが『戦王』と呼ばれる所以。強さを極めてしまったがゆえに辿り着いてしまった孤独な王の称号。四天魔王の中で最も大魔王に近い男の真の力。


「っ!!あ……ああああああ!!」


ダークブリングマスターとしての感覚が、戦士としての感覚がルシアを恐怖させ、理解させる。目の前の男、ウタには小細工は通用しないのだと。ただ純粋に強さで上回らなければ勝機はないのだと。ある意味何よりも分かりすい、そして絶望的な事実。それを振り払うかのようにルシアは二刀剣を瞬時に解除しワープロードによって距離を取る。だがウタはそれを追うことはない。それは直感。ルシアが己が持ち得る最高の攻撃を繰り出さんとしていることを見抜いたからこそ。


ルシアは天高く剣を掲げる。瞬間、凄まじいDBの力がネオ・デカログスに注がれていく。見えない力がそこに集まって行くかのように火花が散り、空気が乾燥し、大地が震えだす。その全てがルシアが放とうとしている技に反応しての事態。


ネオ・デカログスもまた主の力に応えんとその力を振り絞る。生まれ変わってから初めてと思えるような全力に震える。


ルシアはついに振り下ろす。その名を告げながら。


闇の爆撃波テネブラリス・デスペラードボム――――!!」


死の爆撃波。かつてキングが得意としていた爆発剣舞であり奥義。それをさらなる高みまで昇華したまさに最後の切り札。その名の通り全てを灰に、死の世界に変えてしまうほどの圧倒的な爆発の波。逃げ場もない、防ぐことできない究極技。だがそれを前にして


「それがお前の全力か……ならオレもそれに応えよう」


戦王はただゆっくりとその右の拳を腰にためる。何のことはない、ただの正拳の構え。だがそれだけで十分だった。特別な技術などウタにとってはお遊びに過ぎない。彼にとってはその拳を全力で振り抜くだけで事足りる。


「受け取れ。これがオレの全力だ――――」


せめてもの立向け、まるで礼を告げるようにウタはその拳を振り抜く。その拳は光の拳、戦気を纏いながら押し寄せてくる爆発の波を切り裂いて行く。その拳の速さも、威力も爆撃波は抑えることができない。できるのはその道を明け渡すことだけ。



ルシアはただその光に拳が迫ってくるのを見つめることしかできない。一体何故自分がここにいるのか、何をしていたのかも忘れてしまうような刹那



「アキ―――――っ!!」



そんな聞き慣れた誰かの声を聞きながらルシアは意識を失った―――――



[33455] 第七十六話 「大魔王」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/06/09 06:42
(ここは……どこだ……?)


意識を取り戻しながら辺りを見渡すも辺りには何もない。いや、何も見えない。どこからが地面でどこからが自分なのか分からない。闇に包まれた世界。熱さも寒さも感じない。何気なく自分の体と思われるものを触りながら確かめる。確かにそれはある。だがそれが一体どんな物でどんな形をしているのかが分からない。


(俺は……誰だ……? なんでこんなところに……確か……)


己の名も忘れてしまっている。何もかもが理解できない状況。普通であれば狼狽し、取り乱してもおかしくない異常事態。視覚も聴覚もない無の世界。だが恐れはなかった。それどころか懐かしさを、安心を覚えてしまうほど。


(ああ……そうか……)


ようやく答えに辿り着く。ようやくその事実を思い出す。あまりにも慣れ親しんだ感覚につい忘れてしまっていたこと。それは


(俺……死んじまったんだな……)


自らが命を失ってしまったということ。まるで他人事のように淡々としながらもアキはただその世界で自分が何者であったかを思い出すのだった――――




そこは戦場の跡地だった。何もない荒れ果てた荒野。大地は崩壊し、隕石が落ちたかのようなクレーターがあちこちに生まれている。世界大戦が起きたのでは思えるような惨状。だがそれはたった二人の男の戦いの爪痕。


「…………」


一人は無言のままその場に立ち尽くしている黒髪の男。見るもの全てを震え上がらせるに足る闘気をその身に纏っている戦王ウタ。だがその表情はどこか寂しさを、無念さを感じさせる物。その体には傷一つない。それどころか服に埃すらつけていない。これ程の戦いを繰り広げながらも全く息一つ切らすことないまさに怪物。四天魔王の名に相応しい最強の一角。ただウタは己の振り抜いた拳を戻すことなくその拳の先にある光景に目を向け続ける。

そこにはもう一人の男がいた。黒の甲冑に黒い剣を持った金髪の男。金髪の悪魔と呼ばれる存在、ルシア・レアグローブ。新生DCの最高司令官に相応しい実力を持った王者。だが既にその威風はどこにもない。ルシアは一言も発することなくただその場に仰向けに倒れ込んでいるだけ。微動だにすることもない。何故なら既にルシアの戦いは終わっていたのだから。


『アキ……?』


心ここに非ずと言った風にルシアの胸元にいるマザーは問いかける。だがそれにルシアが答えることはない。まるで眠ってしまっているかのように瞼を閉じたまま。その表情は声をかければ今にも起きてきそうなほど穏やかな物。


『い、いつまでそうしておるつもりだ……儀式はまだ終わっておらぬのだぞ! さっさと立たんか!』


まるで言い聞かせるようにマザーは声をかけ続ける。まだ儀式であるウタとの戦いは続いていると。早く立ち上がり戦えと。

そう、まだ終わっていない。まだルシアはウタの一撃を受けただけ。たった一撃。何のことはない、ただの正拳突き。しかも直接食らったわけではなく離れた場所からその拳圧を受けただけ。その証拠にルシアの体に表だった負傷はない。だがそれだけで十分だった。ルシアの奥義である闇の爆撃波を吹き飛ばして余りある威力。それをまともに受ければどうなるか。


『アキ……』


マザーはようやく悟る。自らがいるルシアの胸元から鼓動が感じられないことを。その息遣いが止まってしまっていることを。その体温が失われていることを。


自らの主であり、担い手であるルシアが既に生き絶えている。逃れようのない残酷な現実を。


『っ!? な、何をしておる!? さっさと目を覚まさんか! 主でもやっていい冗談と悪い冗談があるぞ!』


悪い冗談だと言わんばかりにマザーはそれまで以上の剣幕で自らの主に向かって声を荒げる。いつものように変わりなく。そう、いつも通り。自分が悪ノリし、ルシアが辟易しながら言い返してくる。当たり前のやり取り。だがそれはいつまでたっても訪れない。その現実にマザーはしばらく絶句するもすぐさま辺りを見渡しながら声を上げる。


『……! ア、アナスタシス、何をしておる!! すぐにアキを再生しろ! 今こそ貴様が役に立つ時であろうが!?』
『…………』


マザーは必死になりながら儀式を見守っていたアナスタシスに吼える。アナスタシスは再生を司るシンクレア。その名の通りどんな傷も再生することができる。時間逆行という禁忌の力。だがアナスタシスはマザーの叫びを聞きながらも応えることはない。応えることはできない。その意味を理解しマザーもまた言葉を失う。本来ならこれはバルドルを賭けた儀式でありシンクレアは介入することはできない。破ることはできない絶対のルール。だがそれを抜きにしてももはやアナスタシスにできることはなにもない。


『………マザー、アキ様はもう……』


それはルシアが再生を司るアナスタシスでも不可能な領域に陥ってしまっているからこそ。


『死者蘇生』


死者を蘇らすことはシンクレアの、エンドレスの力を以てしても不可能。かつての担い手であるハードナーですら失った妻を蘇らすことはできなかった。覆すことができない世界の真理。


『な、何を言っておる……ア、アキは死んでなどおらん! まだアキはここにおる! 我がいる限りアキが死ぬことなど……』


声を震わせながらマザーは必死に抗うも既に感じ取っていた。自分とルシアの間にあった繋がりが、ダークブリングマスターとシンクレアの間にある契約が消え去ってしまっていることに。


『う、ああっ……ああああ…………』


マザーはただ泣き続けることしかできない。魔石であるマザーは涙を流すことはできない。だが間違いなく泣いているであろうことが分かるほど泣き声。必死に声を抑えようとするも叶わない。それはシンクレアが主に対して抱く感情を大きく超えたもの。

儀式において担い手が脱落する。

それはシンクレアであれば誰であれ覚悟すべき、当たり前の事態。それほどまでに四天魔王の壁は高い。それを乗り越えられなければ生き残ることはできない。だからこそマザーは自身でできる限りルシアを鍛えてきた。例え煙たがられようと、悪態をつかれようと全てはルシアを生き残らせるために。

だがここにそれは潰えた。全力を尽くしてもなお四天魔王であるウタには敵わなかった。弱肉強食。単純な、それ故に絶対の理。

シンクレアとして役割を全うするためバルドルもアナスタシスも言葉を発することなくただ泣き続けるマザーを見つめ続ける。まるで今のマザーにかける言葉などないのだと悟ったかのように。



「……どうやらここまでか」
「ホム」


顎に手を当てながら今まで儀式を見守っていたメギドはどこか落胆の色を含んだ呟きを漏らす。それに応えるようにアスラも声を出すもそれが何を意味するのかは誰にもわからない。メギドは改めて倒れ伏しているルシアに目を向ける。その器の大きさを確かにメギドは感じ取っていた。間違いなく大魔王に相応しい器をルシアは持っていた。だがそれでもウタには届かなかった。確かにウタは四天魔王の中での最強に位置する存在。しかし大魔王とはそれを従える存在。強さこそが魔界における全て。

既にウタは戦闘態勢を解き、その場から立ち去らんとしている。その背中にはどこか哀愁が漂っている。自らの全力を以て戦う機会を得られたものの、やはり満足がいく戦が味わえなかった。ただそれだけ。


「もうよいであろう……せめて我らの手で弔うことにしよう」


メギドは一度目を閉じながらも巨体を動かしながらルシアの元に向かわんとする。そこにはまだ自らの主が命を落としたことを嘆いているマザーがいるものの流石にいつまでもそのままにしておくわけにはいかない。

ウタは戦闘体勢を解き、一度倒れ伏しているルシアに視線を向けた後そのまま背中を見せながらその場から離れて行く。既に儀式は終わったのだと告げるように。もっともウタにとっては儀式などどうでもよかった。求めていたのは心躍る戦い。全力を出すことはできたもののやはりそれを得ることはできなかった。ただそれだけ。それを理解しているメギドは去っていくウタを止めることもなくそのままルシアの骸の元へと赴かんとするもふと動きを止める。それは


「いいえ、まだよ……」


共に儀式を見守っていたもう一人の四天魔王であるジェロがその場から動こうとしなかったから。メギドはジェロの不可解な行動に首を傾げるしかない。確かにルシアはジェロが見定めてきた担い手。ある意味四天魔王の中でもっともジェロはルシアに入れ込んでいた。だがそれでも結果は既に明らか。ウタとの戦いによってルシアはその命を失った。自然の摂理。絶望の二つ名を冠するジェロであれば自らが見出した担い手が脱落したとしてもこれほど不自然な行動を取ることはあり得ない。だがメギドは確かに感じ取る。ジェロが瞬きをすることなくその瞳で倒れ伏しているルシアを映していることを。その身をジェロが震わせていることを。それは高揚。今まさに起こらんとしている事態、永い間待ち望んだ瞬間が訪れたことを感じ取ったが故の反応。それは


「今、ようやく器が満たされたわ……」


待ちわびた大魔王の器。それが今、ついに満たされたことを意味していた――――




(そうだ、俺は……)


暗闇の中、アキはようやく己の名と記憶を取り戻す。ルシアの体に憑依し、この世界にやってきたこと。そこでの金髪の悪魔である自らの正体を隠しながらの潜伏生活。その中でのハル、エリーとの出会い。ダークブリングマスターとしての力を磨きながらも世界を救うために、何よりも自分自身が生き残るために必死にあがいてきた。

DC。キング。六祈将軍オラシオンセイス。BG。ハードナー。六つの盾シックスガード。ドリュー遊撃団。鬼神。四天魔王。

この世界において悪、敵側とされる者たちとの邂逅。その渦中に飛び込みある者は倒し、ある者は従え、ある者には認められながら行動してきた。自らが起こした影響によって知り得た未来から外れた結果を修正するために。

戦いと無縁だったアキにとってそれは決して容易なことではなかった。できるのなら全てを投げ出して逃げ出したかった。だが状況がそれを許さなかった。逃げたところで世界が無くなってしまえば意味がない。それだけの力がアキを縛っている。

『エンドレス』

終わり亡き者。星の記憶の時空操作によって生まれた怪物。偽りである並行世界を消滅させんとする力。その一部である母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア。それと契約してしまった以上、アキには既に選択肢は残されてはいなかった。


(やっぱダメだったか……でも、やるだけはやったよな、俺……)


自嘲気味にアキは己の行動を、悪あがきを思い返しながらも心は穏やかだった。なし崩し的に動いてきた結果だったがやるだけのことはやった。間違いなく自分の全力を出し切った。本来の道筋からは外れたものの闇の組織はDC以外は全て壊滅。ハル達は誰も死ぬことなく健在。レイヴも恐らく四つ手に入れており残るは一つ。真実のレイヴを手に入れればハルは全てのレイヴを、エリーは記憶を取り戻し魔導精霊力の完全制御が可能になる。四天魔王が残っているがきっと問題ない。ハル達は正義側、光の存在。何よりも悪、闇側の本来なら最後の敵となるはずのルシアである自分は既にいなくなってしまったのだから。思えば最初からこうすれば良かったのかもしれない。世界の敵であるルシアがいなくなる以上の解決策など存在しないのだから。


(それに、何だが眠くなってきたな……少し疲れたし、このまま……)


次第に意識が遠のいてくる。目の前の暗闇のせいで自分が目を開けているのか閉じているのかも分からない。アキは知っていた。ここが生と死の狭間であることを。今の自分が魂とでもいえる状態であることを。何故なら元々アキはそういう存在だったのだから。だからこそアキは安堵する。死が決して恐ろしいものではなかったことに。必死にそれから逃れるために足掻いてきた。だがこの世界は決して怖いものではない。むしろ安心を覚えるほど。あるべき姿に戻っただけ。今までのことは夢のようなもの。死の間際にみる走馬灯。全てを理解し、受け入れながらアキは眠りにつかんとする。二度と妨げられることのない深い眠りに。だが


「――――」


それは寸でのところで止められる。それは声だった。耳を澄まさなければ聞き取れないような微かな声。女性の泣き声。それが何なのかアキには分からない。だがそれを耳にした瞬間、失いかけた意識が蘇って行く。


名前を思い出せない。忘れてはいけない大切な名前だったはずなのに。長い間一緒にいた、聞き慣れた誰かの声。それがアキの心をざわつかせる。


――――気づけば拳を握っていた。


それは自分の名を呼んでいた。まるで子供のように。みっともなく、それでも必死に。縋りつくように。


――――既に顔は上がっていた。


聞き慣れた、それでも聞いていて辛くなるような悲痛な泣き声。いつものような傍若無人さは欠片も残っていない。


――――知らず口元は笑みを浮かべていた。


アキはようやく理解する。どうやら自分は死んでもあれとは縁が切れないのだと。静かに眠ることなどあれと契約した時点で許されるわけがなかったのだと。


それは光の糸だった。まるで地獄に垂らされた一歩の蜘蛛の糸。今まで見えなかった微かな光明がアキの前に現れる。しかしそれはアキにとって救いの糸とはなり得ない。


アキは本能で悟っていた。その光の糸は触れてはならない物。人の手には余る禁忌の力。手を伸ばせば、染まれば逃れることができない呪縛。誰かが告げる。それを手にするなと。このまま眠れば全てが終わる。もう争いに巻き込まれることもない。わざわざ茨の道に戻ることはない。なのにアキは頭を掻きながら大きな溜息を吐くだけ。まるで自分の馬鹿さ加減に呆れかえっているかのよう。当たり前だ。



「……ったく、何で俺がこんなことしなくちゃなんねえんだ……」



たかが石ころ一つのために再び争いの真っ只中に戻ろうというのだから。自分でも辟易としてしまうほどのお人好し、物好きさ加減。これではいつかのレイナの言葉も否定できないかもしれない。そんなことを思いながらもアキはその手を光の糸に向かって伸ばす。


瞬間、紫の光が全てを照らし出していく。破壊と滅びを意味する力。初めて自らの意志でアキはその力を手にした――――




『うう……うぐっ……ひっ、ひん……』


息を殺すようにマザーはルシアの胸元で泣き続ける。もうそれに意味がないことはマザーとて分かり切っている。自らの担い手が敗北した。ただそれだけ。だがマザーにとってはそれ以上の意味がそこにはあった。担い手に対する以上の感情が。結局それを伝えることもなく全ては終わってしまった。全ては自分の気紛れから始まったこと。しかしそれがあったからこそ今のマザーがある。その全てが消え去った。できるのはただ骸の上で泣き続けるだけ。だがそれは


「……おい、いつまで人の胸元でぎゃあぎゃあ泣いてやがる。気色悪いんだよ」


ぶっきらぼうな、聞き慣れた声によって終わりを告げる。


『…………え?』
「え? じゃねえ。いつまで似合わねえことやってやがる。さっさと泣きやまねえとこのままジェロのところに投げ飛ばすぞ」


マザーは呆然としたまま自分に話しかけてきている人物に目を向ける。そこにはいつもと変わらぬ主であるルシアの姿がある。間違いなく本人そのもの。呆れかえり、ジト目をしながらマザーをその辺の石ころ同然に持ちあげている。だがそれはあり得ない。何故ならルシアは間違いなく先の戦いによって命を失ったのだから。イリュージョンの幻影かと疑うも間違いなく今のルシアには実体がある。いつもと変わらない温もりが。


『お、お主……本当にアキなのか……?』
「他の誰に見えるってんだ? とうとう頭までおかしくなったのか」
『た、たわけっ! 我は正常だ! お主こそどういうことだ!? お主は間違いなく、し、死んでいたはず……』
「ああ……まったく、二度死んで二度生き返るなんてなんの冗談だっつーの……これじゃあネクロマンシーみたいじゃねえか……流石に生き返っただけでダメージはそのままか……ま、何とかなるだろ」
『アキ……お主、一体……?』


マザーは信じられない事態の連続に呆気にとられるしかない。死んだはずの主が生き返った。それだけでも十分にもかかわらずその主はまるでそれを意に介することなくぴんぴんしている。それどころか自分の体を触り、準備運動をし始めてしまう始末。気が触れてしまったのではないかと思えるような奇行。だがそれはアキにとってはただの確認。自らの体の状態、そして何よりもこれから始めようとすることへの。


その光景にマザー以外のシンクレア、メギド、ウタは目を奪われ動くことができない。死んだはずの担い手が蘇るというあり得ない事態。驚いていないのはジェロとアスラだけ。そんな視線を受けていることに気づかないままルシアはゆっくりと地面に落ちている自らの愛剣であるネオ・デカログスをその手に掴む。


「マザー、てめえは黙ってそこで見てろ。『大魔王』の力を見せてやるよ」


瞬間、マザーから紫の光が生まれルシアを包み込んでいく。同時に凄まじい力の波動が大地が揺るがし始める。風が巻き起こり、地面が震える。その中心にはルシアがいる。その圧倒的な力の奔流が全てを支配する。だがそれはマザーの力ではない。まだバルドルは儀式におけるシンクレアの封印を解除していない。つまりそれはシンクレアの能力ではなくルシア自身の能力、仕業であるということ。


『バルドル……これは一体? あなたの仕業ですか?』
『……いいえ、違うわ。あたしは何もしてないし、マザーも何もしてないわ。あれは担い手自身の力よ』
『担い手……アキ様のですか? ですがあの力は……』
『ええ、あれは我らの、エンドレスの力。あの担い手はエンドレスの力を自身の意志で引き出しているのね』


理解できない事態に狼狽するアナスタシスとは裏腹にいつもの天然さを微塵も感じさせない冷静さを見せながらバルドルは今、ルシアが何を行っているのかを感じ取る。


『エンドレス化』


その名の通り、その身をエンドレスと一体化させることで神にも等しいエンドレスの力をその身に宿す奥義。人の身に余る、扱うことができない存在であるエンドレスを統べることができる者しか体現できない到達点。


『っ!? それは……ですがそれは私達を全て集めなければ扱えない力のはずでは……?』
『そうね。本来なら五つのシンクレアを全て集めて我らを一つにしない限り発現しない力よ。でも今あの担い手はそれを成し遂げている。もっとも完全なものではなくその一端、いわばエンドレスがはみだしたような状態ね』


バルドルはエンドレスの力を扱い、その身に宿しているルシアの姿を見ながら告げる。


五つのシンクレア。その役割は自らを扱うに足る担い手を見つけ出すこと。だがもう一つ、重要な役割があった。それがエンドレスを扱う力を担い手に身に着けさせること。それぞれが持つ能力もその一環に過ぎない。極みに辿り着くことは最低条件。シンクレアの一つすらも完璧に扱えない者には純粋な力の塊であるエンドレスを操ることなど不可能。そしてその力は五つのシンクレアを全て揃え、次元崩壊のDB『エンドレス』を完成させることで発揮することができる。だがそれを今、ルシアは一端とはいえ扱っている。いくらダークブリングマスターとしての才能があったとしてもあり得ないこと。しかしそれを為し得る理由がルシアにはある。


(きっとあの担い手の魂がエンドレスと繋がってるからこそできる偶然の産物……いえ、マザーの気紛れとはいえもしかしたら最初から決まってたのかもしれないわね……)


バルドルはどこかやれやれと言った風に溜息を吐きながらも全てを理解する。マザーの担い手は正規の担い手ではない。肉体はレアグローブの末裔のものではあるがその魂は別人。時空操作によってマザーが呼び寄せ、その力によってこの世に留めている仮初の存在。いわばエンドレスの力、繋がりによって成り立っている。一見すれば死者蘇生であるように見えるが本質はネクロマンシーと変わらない。だからこそマザーは儀式の際に自らの能力のみを封じるようにバルドルへと懇願した。もしエンドレスとのつながりまで絶ってしまえばその瞬間、ルシアはこの世から消えてしまうのだから。


だがそのおかげで今、ルシアは遥かなる高みに到達した。残されたエンドレスとの繋がりから力を引き出すことによって。偶然と呼ぶにはあまりにもできすぎたシナリオ。奇しくもそれはマザーの間違いの結果。ルシア・レアグローブにとって最適な魂ではなく、自らにとって、エンドレスにとって最も適性がある魂を呼び寄せたことによって起こった奇跡。


(これは……)


ウタはただその光景に目を、心を奪われていた。自らが倒したはずの相手が再び立ち上がった。いや蘇った。信じられないような事態。だがそれすらもウタにとっては些事だった。あるのはルシアが身に纏っている光にこそある。紫の光。まるでマザーの絶対領域にも酷似したもの。だがそれは次元崩壊ではない。絶対領域の光は次元の境界を意味する物。バルドルによってシンクレアの能力が封じられている今使うことはできない。その光はただの力の奔流。エンドレスという世界を崩壊させる力の一端がはみ出した結果。奇しくもそれはウタが纏っている戦気に酷似している。その能力も特性も全く同じ。根源である力が同質であること、ルシアが直接ウタの能力を目にし、その身に受けたことで生み出した力。それはつまりルシアがウタと同格の域にまで到達したことを意味する。


知らずウタは笑みを浮かべ、拳を構えていた。体が震えている。こんなことは生まれて初めてのこと。武者震い。これまでの戦いとは違う。自分と五分の力をもつ相手との戦を前にすることでウタはただ歓喜する。


「その力が大魔王に相応しいか……見せてもらうぞ、器よ」


儀式の再開を意味する言葉と共にウタの体もまた光によって包まれていく。戦気。戦王の称号を持つ者のみが辿り着く至高の闘気。だがそれを前にしてもルシアには恐れはない。あるのはただあり得ない程の高揚感。まるでエンドレスの力にあてられてしまったかのよう。だがそれ以上にルシアの心を昂ぶらせるもの。それは


「……行くぞ、マザー」
『……ふん! よい。では往くとしようか、我が主様よ』


自らの胸元に輝いている小さな魔石。それにいい恰好を見せてやるという子供じみた意地だった――――



瞬きにも満たない刹那。二つの光が真っ向からぶつかり合う。全く同じ光を纏いながらもお互いの武器は全く別物。剣と拳。本来なら素手で剣に立ち向かうなどあり得ない。だがそんな常識は戦王ウタには通用しない。自らの肉体こそが彼にとっては最高の武器。大してルシアは黒い大剣を以て立ち向かう。ネオ・デカログス。今までいくつもの戦いを共に潜り抜けてきた戦友であり相棒。互いの最高の武器がぶつかり合う。


瞬間、大地が崩壊した――――


剣と拳がぶつかり合い、火花を散らす。纏っている光が己以外の光はいらぬと鬩ぎ合う。衝撃によって大地は吹き飛び、両者の足元は深くめり込んでいく。先程までの戦いがお遊びに見える規模の戦い。それが拮抗した四天魔王同士、大魔王の域に指をかけた者同士の戦い。


「ぐっ……うううう!!」
「ぬううううううう!!」


ルシアとウタは至近距離で睨みあいながらも互いに一歩も譲らない。ルシアはその剣で相手を切り裂かんと剣を押し込み、ウタはその拳で相手を打ち砕かんと迫る。完全な拮抗状態。だがついにそれに耐えきれないとばかりに先に大地が悲鳴を上げ崩れ去って行く。互いに足場が崩れたことによって剣と拳が弾きあい、両者に距離ができるもそれは一瞬。息をつく暇もなく二人は再びぶつかり合う。


剣舞と拳舞。一刀一撃がまさしく一撃必殺に相応しい威力を持った技の応酬。目にも止まらぬ高速戦。金属音と火花だけを残しながらルシアとウタは自らの全力を以て戦い続ける。


二人の間にはもはや回避という概念はない。

前へ。ただ前へ。

前進のみをもって向かって行く。一歩でも、一瞬でも後ろに下がれば敗北することが分かっているからこそ。剣と拳が全て交わっているわけではない。中には防ぎきれない剣撃、拳撃が両者の体を襲うもその全てが纏っている戦気によって決定打には至らない。全く同じ能力を得た両者の間だからこそ起こり得る事態。純粋な剣と拳の勝負。


今、ルシアは鉄の剣を以てウタに挑んでいる。そこには何の能力もない。体同様剣もエンドレスの力によって包まれているものの他の剣のように特殊な能力は使ってない。だがそれは相手がウタだからこそ。


先の戦いでルシアは文字通り身を以て知っていた。ウタには小細工は通用しない。その全てがウタの戦気と技術の前には無力。対抗するには己自身の力、純粋な剣技しかない。強さという単純な絶対値を覆さない限り勝機はない。


さながらそれは先のルシアがハルに対して行った戦いと同じ。十剣という能力に囚われることなく、剣士として戦うことを意味するもの。


今、ルシアはただ全身全霊を以て剣を振るう。それにネオ・デカログスも応える。例え能力はなくとも使い手と心を一つにすることでその力を引き出すかのように。


それはまさにかつてのジークとの、ハードナーとの戦いの再来。いやそれを遥かに超えるほどの力がデカログスから生まれて行く。


先の戦いでルシアはウタに劣っているものがあった。


一つが身体能力。戦気という防御に加えそれによる超人的な身体能力こそがウタの真骨頂。その前には十剣の能力すら通用しなかった。だが今のルシアにはそれが為し得る。エンドレスというダークブリングマスターだからこそ扱える力。それによってルシアはウタに匹敵する防御と身体能力をその身に宿している。


もう一つが剣技。


魔界一の剣の使い手、剣聖の称号を持つウタにかつてのルシアは及ばなかった。しかし今のルシアは既にウタと互角に渡り合うことができている。ルシアはシバの幻との修行、そして今までの戦いの経験からすでにその領域に踏み込まんとしながらも至ることができないでいた。だが命を賭けた、自らと同格以上の相手との戦いによってついにその壁をルシアは突破する。剣聖という世界における剣の頂点。シバとウタしかたどり着けなかった領域。今ここにあり得ない三人目の剣聖が誕生した。


「面白い! 器よ……もっとオレを楽しませてくれ!!」


拳を振るいながらウタは喜びに打ち震え、絶叫する。もはやこれが儀式であることなどウタの頭に中には微塵も残っていなかった。あるのはただ歓喜のみ。自らの全力と渡り合える武人とめぐり会えた。何万年も待ち続け叶えられることのなかった願いが今、目の前にある。


その一撃に、その一歩に万感の思いを込めながらただウタは戦い続ける。それに相手は応えてくれる。自らの拳に匹敵する剣と剣技によって。間違いなくこれまでの中で最良の戦。おそらくこれから先二度と味わえないであろう武の極致。だがウタには迷いはない。戦とは勝つこと。勝ってこそこの戦いを最良の物とできる。手を抜いて長引かせることなど愚の骨頂。否、そんな隙を見せればその瞬間に勝負は決する。ウタは己の全力を以て拳を振るう。力も技も互角。ならばどちらが先に力尽きるか。それがこの戦いの決着となる。そうウタは考えていた。だがその考えは


「何っ―――!?」


ルシアの一閃によって覆される。ウタはまるであり得ないことが起こったかのように驚愕の表情を浮かべるしかない。それは先程の剣と拳の衝突。力も技術も拮抗しているが故の相打ち。そうなるはずの攻防に競り負け、ウタは後方へと吹き飛ばされる。


(馬鹿な……!? 一体何が……)


理解できない事態に困惑しながらもルシアが間髪いれずに距離を詰めながら剣を振るってくる。だがその剣の速さは変わらない。何か特別な剣の形態を取っているわけでもない。もし取ったとしても戦気の前には無意味。強さ以外の要素がこの戦いに入り込む余地はない。にも関わらずウタはルシアの剣撃によって一撃一撃、確実に押し込まれていく。ウタが手を抜いているわけではない。体力が落ちてきているわけではない。むしろ体力においてはルシアの方が分が悪いはず。生き返ったとはいえその体はウタの正拳を受けたもの。先に根を上げるのはルシアであるはず。にも関わらずウタは追い詰められていく。


それはまるで未知の力がルシアにはあるかのよう。


瞬間、ようやくウタは感じ取る。それは数多の戦いを潜り抜けてきた戦士でしか持ち得ない感覚。優れた剣士は剣を合わせただけで相手の心を知ることができる。それは剣でも拳でも変わらない。事実、ウタは先の戦いでルシアの心を感じ取っていた。


『生き残るために』


それがルシアの戦う理由。ある意味単純な、これ以上にないもの。戦いとは己を生かすための物。闘争の本質。何もおかしいことはない。だが今のルシアの剣は違う。ウタには理解できない理由を以てルシアは剣を振るっている。


その想いがルシアの剣に力を与えている。信じられないような、あり得ない事態。だがそれを前にしてもウタはまだ認めることはできない。それを認めることは今までのウタの戦いを否定しかねないもの。


心。思想。戦いにおいては不純物であり、何の役にも立たない虚構。思想が戦士を強くすることなどあり得ない。絶対的な強さを持つ者こそが思想を語る資格がある。


だがそれを覆す者がここにいる。夢でも幻でもない。ただその想いを乗せることによってルシアの剣の重みが増していく。


『想いの剣』


それが剣聖ではないもう一つの剣の終着点。自分ではない誰かのために。他人のために限界以上の力を引き出すことができるもの。デカログスが伝えることができていなかったルシアに足りなかった最後のピース。その全てが揃ったことでルシアは自らの全てを込めた剣を振りかぶる。もはや恐れはない。今の自分は誰にも負けない。


初代レイヴマスター、シバ・ローゼス。剣聖と呼ばれる世界最高の剣士。だが彼を最強たらしめていたのは剣の腕だけではない。それはたった一つの想い。


『リーシャのために』


五十年前、世界のために命を失った少女との約束を守るために。その想いこそがシバの根底であり強さ。そして



「ああああああああああ―――――!!」



『マザーのために』


それがルシアの、ダークブリングマスターであるアキの戦う理由。いつも我儘ばかり、迷惑をかけてくる。それでも自らを案じ、涙を流し、共に生きてきた存在。そのために剣を振るうことがアキが得た答え。


その想いの剣がウタの絶対であるはずの戦気を切り裂く。それがこの儀式の終わり、そして大魔王が誕生した瞬間だった――――





「ハアッ……ハアッ……! な、何とかなったか……」


ルシアはまるでフルマラソンを終えたかのように肩で息をしながらも何とかネオ・デカログスを杖代わりにすることで体を支える。だが既に疲労困憊に加え満身創痍。ウタとの戦いに加え無理やりエンドレスの力を引き出した代償。だがそれがなければこの窮地を乗り切ることはできなかった。五分と五分であったにも関わらず勝てた理由は分からないものの何とか命拾いした形。もっとも一度は死んでいるのだが。


『…………』
「……おい。いつまで黙ってやがる。これで文句ねえだろ……やっぱどっかおかしくなってんのか?」
『っ!? な、何でもない! う、うむ、中々悪くなかったぞ。だがそのみっともない姿はどうにかならんのか。いつもいつもギリギリの戦いをしおって……やるならちゃんと最初からやらんか!』
「や、やかましい! できたなら最初からやっとるわ! てめえこそ情けなくぎゃあぎゃあ泣きわめいてたくせに偉そうに……」
『わ、我は泣いてなどおらん! あれはあまりにもお主が情けないから情けなさのあまり涙が出てしまっただけで」
「ほう、石のお前が涙を流せるなんて初耳だな。今度ぜひ見せてもらいたいもんだ」
『くっ……まあよい。褒められた内容ではないがよくやった。これでお主は正真正銘のダークブリングマスター……大魔王に認められたわけだ』
「あっそ……」


すっかりいつもの調子に戻っているマザーに辟易しながらもとりあえずルシアは自らにとっての最大に危機を乗り切ったことを実感する。大魔王になったというのは悪い冗談のような話だがこの際この魔界探検ツアーが終わるのであれば何でもいいか思えるほど。具体的にはさっさとアナスタシスで再生したいところだった。だが


(ちょ、ちょっとやりすぎちまったかな……? でもこいつ相手に手加減なんてできるわけないし……)


その前にルシアは仰向けになったまま倒れ伏しているウタに向かって目を向ける。その胸には一文字に切り裂かれた傷跡が残っている。先の最後の一刀によるもの。ルシアとしては手加減も容赦もない全力の一撃だったのだがそれでも命を取りとめていることがウタが四天魔王である証のようなもの。だが流石にダメージが大きかったのか身動き一つしようとしない。流石にまずいかと思いルシアが声を掛けようとした時


「見事だ……器、いや大魔王よ……」


ぽつりと、まるで呟くようにウタはルシアに向かって言葉を漏らす。それは惜しみなき称賛。そして自ら戦士としての敗北を認めるもの。その証拠に器から大魔王へとルシアへの呼び名が変わっている。だがルシアはそれに応えることはない。ただその光景に目を奪われていた。それはウタが涙を流していたから。戦王であるウタが涙を流すなど想像できないような状況。だが顔を手で押さえながらさらに続ける。


「感謝する……想いがこれほどまでに戦士を強くすると知った……」


傷ついた体をゆっくりと起こしながらもウタは感謝の言葉を述べる。想いの力という自分が知り得なかった可能性を示してくれたルシアへの感謝。その力に敬意を払うかのようにウタは頭を下げたまま。一刀だけとはいえルシアの渾身の一撃を受けたウタにもはや力は残っていない。にも関わらずルシアはその場から一歩も動くことができない。何故ならこれと同じ光景をルシアは知っていたから。


「そして許してほしい……これはオレの我儘、いや願いだ……永遠に叶うことがないはずの夢を今、ここで果たさせてほしい……大魔王よ」


「…………え?」


ルシアはまるで言葉の意味が分からないかのように間抜けな声を上げるしかない。だがルシアの答えを聞くことなくウタは天を仰ぎみるかのように体勢を変える。瞬間、この世の物とは思えないような殺気が全てを支配していく。その殺気だけで敵を葬れるのではないかと思えるような呪いにも似た闘気。それに呼応するかのように肉体までもが変化していく。


腕と足の筋肉は膨れ上がり、口からは牙が、頭の角が伸びて行く。そこには既に誇り高き戦王の面影はない。あるのはただ闘争本能のみ。戦うことだけを追求した狂気の具現。


『戦鬼』


戦いを愉しむことすら捨て去った純粋な修羅。永遠に戦い続ける戦鬼。それが永遠のウタの真の姿。命を削る、禁じられた力を持つウタが四天魔王最強とされる所以。


「ウオオオオオオオオ――――!!」


咆哮と共にウタは全ての理性を消し飛ばしながら力を解き放つ。例えそれが大魔王に逆らう行為だとしても。


『挑むこと』


それがウタが望み続けてきた永遠に叶うことがないとあきらめていた夢。自らの全力を以てしても敵わない相手に『挑む』

例え戦うだけの獣になったとしても構わない程に待ち焦がれた瞬間。


今、大魔王ルシアの最初で最後になるかもしれない命がけの仕事の幕が上がった――――



[33455] 第七十七話 「鬼」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/06/13 22:04
(何だ……あれ……?)


ルシアはただ放心しながらその光景に目を奪われる。そこには一匹の『鬼』がいた。かつての戦王であるウタの面影はない。あるのは鼓膜が破けてしまうほどの咆哮を上げている鬼の姿。それが何であるかをルシアは知っていた。

『戦鬼化』

ウタの切り札であると同時に第二形態。自らを永遠に戦い続ける鬼とすることで全ての敵を破壊し尽くすためのもの。原作では神竜一声を使い天下無双の力を手にしたレットですら手も足も出ないほど力があるまさに最後の切り札。

だがそれを前にしながらもルシアはどこか他人事のようにその光景を眺め続ける。当たり前だ。何故なら先程ようやくルシアは戦王であるウタを倒したばかりなのだから。一度死に、生き返るという信じられないような体験をしながらも手にした勝利。ようやくこの悪夢の魔界探検ツアーが終わりを告げたかに見えた矢先の絶望。それはマザーとて同じ。間違いなくウタ自身はルシアが大魔王であることを認め、儀式は終了した。疑いのようのない結末。故にこれは儀式ではない。


「オオオオオオオオ―――――!!」


ただの純粋な殺し合い。ただ目の前の相手を葬ることだけを目的とした争い。瞬間、凄まじい叫びと共に空気が弾け飛ぶ。まるで戦闘機が音速を突破したかのような衝撃と轟音が空気を裂きながら戦鬼と化したウタは獲物であるルシアへ向かって飛びかかる。


「え……ちょっ、ま―――!?」
『―――っ!? 何をしておる、さっさと構えんか、アキ!?』


ルシアは理解できない展開に思考が追いつかないまま。それでもウタに向かって制止の声を上げようとするよりもそれはマザーの叫びによってかき消される。同時に再びルシアの体をエンドレスの力が包みこみ、知らずその手にあるネオ・デカログスを構える。もはやそれは本能。意識することなく行われた生存本能。だがそれを戦鬼は凌駕する。


「―――――!!」


声にもならない咆哮と共にウタは一瞬でルシアの間合いへと侵入し、一撃を振るう。だがそれに合わせることができずルシアは刹那、後手に回る。それは単純な速度の差。ウタの速さは先程までの比ではない。閃光すら凌駕するほどの域。もはやルシアですら反応することがやっとの出鱈目さ。それでもそれに反応し、剣で応戦するができたのは剣聖の領域に至ったからこそできる絶技。

ウタはそれを目にしながらも全く意に介することなくルシアへと迫る。それは拳ではなかった。獲物を切り裂くように鋭くとがった爪の一振りがルシアの一刀と交差する。同時にウタの纏った戦気とルシアの纏ったエンドレスの力がぶつかり合い、せめぎ合う。まるで先の攻防の焼き回し。ルシアは渾身の力を込めながらウタを止めんとする。今のルシアならそれが為し得る。エンドレスの力と想いの剣。本来なら相反するはずの要素を合わせた一刀。だが


「なっ―――!?」


剣聖の一撃すらも戦鬼は超越する。拮抗したのはほんの一瞬。ルシアはウタの爪の一撃によって遥か彼方へと吹き飛ばされる。まるで先の攻防とは真逆の結果。しかもそのまま振り下ろしウタの爪によって大地が割かれ、地割れが巻き起こる。間違いなく先の戦いで見せた全力の拳を遥かに超える一撃。その証拠にルシアの剣はウタの戦気を切り裂くことができない。


(う、嘘だろっ!? こっちはエンドレスの力を使ってるってのに……ってことは俺の攻撃はもう通用しないってことかよ!?)


何とか受け身を取り、体勢を立て直さんとしながらもルシアの胸中は既に絶望に染まっていた。先程のたった一回の攻防によってルシアは悟ってしまった。今の自分とウタの間にある絶対の壁を。奇しくも最初と同じ自らの攻撃が全く通用しないという悪夢。今のウタが纏っている戦気は既に先の戦いの比ではない。溢れ出る戦気はまるで蒸気そのもの。明らかに常軌を逸している規模の力。限界を超えた力の行使。


『っ! おい、どういうことだ!? もう儀式は終わったんじゃねえのかよ!?』
『わ、我のせいではないぞ! これはウタの奴が勝手に暴走しておるだけだ! い、いい加減にせんかウタ! これ以上は大魔王に対する反逆に……』


マザーが混乱しながらウタに叫びを上げるもその声は全く届くことはない。もはやウタには言葉は意味を為さない。その全ての意識は戦うことのみに向けられている。理性すら既に存在しない。純粋な戦鬼。それを示すかのようにウタは大きく体を沈みこませてから一気に跳躍する。それはさながら獣そのもの。四足歩行の獣のように全ての手足を使いながらウタはルシアへ向かって疾走する。そこにはもはや技術はない。あるのは圧倒的な暴力だけ。


「くっ……!!」


その突進を間一髪のところでルシアは体を捻ることで回避する。本来戦気と同等の力を手にしたルシアには避ける必要など無い。だが今のウタにその常識は通用しない。その証拠に回避したはずにもかかわらずわずかに掠っただけでルシアの体から鮮血が舞う。まるで体を削り取られてしまったかのよう。もし打ち合えば、回避し損なえば肉片一つ残らず消滅してしまうような圧倒的な力。このまま逃げ続けても勝機はない。かといってルシアの攻撃は戦鬼と化したウタには届かない。詰みに近い状況。だが


『……! アキよ、我を使え! 次元崩壊の力ならウタをこの場から消すことができる! どうやらもうバルドルの奴は力を使っておらんようだ!』
『っ! ってことはもうシンクレアが使えるってことか!?』
『そうだ! もはやこれは儀式ではない! 遠慮することはないぞ!』
『最初から遠慮なんかしてないっつーの! ならさっさとやるぞ!』


刹那の間にマザーとのやり取りをすませながら一筋に光明が差したことでルシアは再び自らの持つ剣に力を込める。シンクレアの使用が解禁されるという勝機。自らの体を再生するアナスタシスの能力も使用したいところだが今はジェロの元にあり、とても取りに行けるような状況ではない。もしそんなことをしようとすれば隙が生じ、瞬時にウタに破れ去ってしまう。ならばルシアが頼りにできるのは自らの胸元にあるマザーだけ。ようやく自分の出番だとばかりにマザーから凄まじい力が生まれ、ネオ・デカログスを包み込んでいく。

『時空の剣』

斬ったものを現行世界へと送る存在しないはずの十一番目の剣。次元崩壊というエンドレスに最も近いマザーの極み。かつてハードナー、オウガを倒した時にも見せたルシアにとっての切り札であり、マザーの真骨頂。その一刀を以てルシアはウタをこの場から消滅させんとする。正確には消滅ではなく現行世界に送るだけなのだがこの場からいなくなることには変わらない。使った後にウタをどうするかを思案するももはやルシアにはそれ以外に手段がない。その逃れない力が、光がウタを包み込もうとした瞬間


「ガアアアアアアアアアアアア――――!!」


それはウタの断末魔のような雄たけびによって呆気なく霧散してしまった――――


「…………」
『…………』


まるで時間が止まってしまったかのように固まりながらルシアとマザーはただ互いに見つめ合う。もはや二人の間には言葉すら必要なかった。いや、言葉すら出てこない。特にルシアはそれが顕著だった。むしろルシアにとっては目の前の光景はどこかデジャヴを感じるほど。死んだ魚のような目をし、走馬灯のような記憶のブラッシュバックを体験しながらもようやくルシアはその正体を知る。そう、それは原作で知り得た、あり得た未来の一幕。


初めてのマザーの能力のお披露目、『空間消滅』がハルの雄たけびだけでかき消されてしまうという盛大なギャグと瓜二つの光景だった。


「ふ、ふざけんなあああああああ!? この状況で盛大な一発ギャグかましてんじゃねえぞてめええええええ!?」
『お、お主こそふざけておる場合か!? 我がこの状況でそんなことをするわけがなかろう!? あ、あれはウタの奴が……』
「何が我を使えだ!? 何の役にも立ってねえじゃねえか!? あれか!? お前は俺をおちょくるためだけにそこにいるわけか!?」
『き、聞き捨てならんぞ!? 我はいつでも本気だ! お主こそ本気でやっておるのか!?』


互いに今が戦闘中であることを忘れてしまっているかのように罵り合うも結果は変わらない。むしろそれは現実逃避のようなもの。雄たけびだけでシンクレアの力を、その極みをかき消すという離れ業。シンクレアの力すら通用しない。それが戦鬼であるウタの、四天魔王最強とされる男の真の力。それを見せつけながらウタがルシアへ向かって駆けてくる。目にも映らないような速さ。戦気にも匹敵するエンドレスの力すら突破する攻撃力。ただ単純な地力の差。最初から変わらない事実。ウタとの戦いはどちらが強いか。ただその一点のみ。そして未だルシアは膝を折ってはいない。マザーもまたそれは同じ。その胸中は全く同じ。その証拠に既にルシアは回避ではなく、戦うために剣を構えている。


『……できれば使わしたくなかったが仕方あるまい。分かっておるな、アキよ』
『……ああ。これでダメだったらどうしようもないしな……はあ、これならあのまま死んでた方がマシだったかもな……』
『フン……心配せずともお主が耐えられなければ肉体よりも先に精神が死ぬことになるだけよ。せいぜい男を見せるがよい。もしもの時は気つけに頭痛をくれてやる』
『…………そうかよ。できれば正気を失くさない程度に頼む……』


どこかげんなりとしながらもルシアは一度大きな深呼吸をする。本来ならそんな暇はウタとの戦いではあり得ない。しかし今、ウタは突然動きを止めたままルシアの様子をうかがっている。まるでそれは危険な何かが起ころうとしていることを本能で察知した獣。それは正しい。同時に辺りの空気が痛くなるほどに一気に張り詰めて行く。嵐の前の、津波の前のような静かさが全てを支配する。それは一本の剣から生まれる気配。

第九の剣。十剣中最凶の剣。持つ者の闘争心以外全ての感情を封じ込め、限界以上の力を与える形態。だがその強力さから力の制御が不可能であり、剣は暴走し最終的には使い手の命を奪おうとする魔剣。

だがそれをルシアは短時間であれば制御することができた。ダークブリングマスターとしての能力とデカログス自身の協力によって。しかしそれは過去の話。ネオ・デカログスになってからルシアは未だに第九の剣を使用したことはなかった。他の剣のように周囲の被害を考慮しての物ではない。ただ己の身の危険を案じての物。その証拠にスパルタであるマザーですら修行においてもその使用を禁じていた程。もし使用したとしても自滅してしまう諸刃の剣。だがついにルシアとマザーは決断する。ネオ・デカログスもまた決意する。禁じられた剣の封印を解くことを。その名は


『羅刹の剣サクリファー』


闘いの鬼である羅刹。その名を冠する狂気の剣が解き放たれる。


今ここに戦鬼と羅刹。最初で最後の二匹の鬼の戦いが始まった――――





「うあああがああああああ――――!!」


この世の物とは思えないような咆哮と共にルシアは剣を以てウタへ向かって疾走する。その速度は音速剣を優に超える、戦鬼であるウタに匹敵するほどのもの。生物の限界を超えた身体能力。だがそれを為し得るのがサクリファーの能力。使い手の精神を封じることによって得られる禁忌の力。

だがその力を今、ルシアは寸でのところで制御していた。一瞬でも気を抜けば自分が消え去ってしまうほどの狂気。麻薬にも似た快楽。その全てを受けながらも綱渡りに近い感覚でルシアは必死に自分を保ち続ける。

『一分』

それが今のルシアが導き出したサクリファーを制御できる限界。もしただの羅刹剣であったなら数分は耐えられるも今ルシアが手にしているのは闇の羅刹剣。その浸食速度はかつての比ではない。だが闇の羅刹剣でなければ戦鬼となったウタには対抗できない。故にこの一分の間にウタを倒せなければ全てが終わる。


「オオオオオオオオ――――!!」


本能でそれを感じ取ったのか戦鬼となったウタは現れたもう一人の鬼であるルシアを葬らんと爪によって襲いかかる。それによって獲物を八つ裂きにするために。だがそれはルシアの剣によって防がれる。その速度は先の比ではない。瞬間、この世の終わりのような光景を生み出しながらも純粋な力と力がぶつかり合う。爪と剣。獣と人。その違いを示すかのように光が全てを飲みこんでいく。


(ち、くしょう……!! ま、だ、だ……!! 耐えてくれ……師匠……!!)


薄れ行く意識を必死に繋ぎとめながらルシアは自分を繋ぎとめる。また戦況は五分と五分。拮抗した鍔迫り合いにも似た状況。このぶつかり合いを制した方が勝者となる。ルシアはただ耐え続ける。もはや体も精神も限界を超えている。先の戦いで体は満身創痍。加えてサクリファーの使用によって限界を超えた身体能力を行使された肉体が悲鳴を上げる。それだけでは飽き足らないとばかりに浸食が柄から腕へと襲いかかってくる。既にそれは右腕の肩まで届かんとしている。それ以上侵食されればもはや抗うことができないデッドライン。その境界を超えさすまいとネオ・デカログスもまた死力を尽くす。


『しっかりせんか、アキ!! もう我を一人にすることは許さんぞ!!』


自らの主の身を案じながらもマザーは叫ぶ。もはやこの戦いにマザーが介入する余地はない。できるのはただ主を鼓舞することだけ。だがそれがルシアに最後の自我を留めさせる。何のことはない。いつも通りのやり取り。それこそがルシアではなく、自分が自分である証。アキという存在を示すもの。


「ごちゃごちゃうるせえんだよ……てめえはそこで黙って見てやがれええええええ――――!!」


咆哮しながらアキは死力を振り絞りながら最後の一刀を以てウタの右腕を切り裂く。何者にも勝るはずもウタの体。戦鬼と化し、戦気によって守られた無敵の肉体を、強さをアキは超越する。羅刹の剣すらもねじ伏せながらアキはついに戦鬼となったウタを退けた――――はずだった。


『っ!? 油断するでない、アキ―――!?』
「なっ―――!?」


間違いなく勝敗を決するに相応しい一撃がウタを切り裂いた。その証拠にその右腕は既に失く、先の戦いで胸には一文字の切傷。戦鬼となった代償によって肉体は死滅してきている。もはや死に体。戦気すら纏っていない姿でウタは最後の力を爪だけに注ぎこみながらルシアへと迫る。


「アアアアアアア―――――!!」


まさに断末魔とともにその爪がルシアに襲いかかる。だがそれにルシアは反応できる。いや、反応してしまう。羅刹剣は未だに解除されていない。そして戦いが終わったと思った瞬間のわずかな、確かな隙。それによってルシアの剣はウタに止めをささんとその首に向かって振り落とされる。


(ダメだ……!! 間に合わねえ……!!)


必死に何とか制止しようとするもルシアは間に合わない。羅刹剣を止める術はもはやルシアにはない。不殺を誓っているルシアにとっては犯すことができない禁忌。何よりももしこのままウタの命を奪ってしまえばその瞬間、剣はその血の味を覚え殺戮を繰り返す。その名の通りルシアは死ぬまで戦い続ける、止まることない羅刹へとなり果てる。マザーの絶叫が辺りの木霊しながらも最悪の結末が訪れんとした瞬間


「――――そこまでよ」


それは絶望の声によって防がれる。透き通るような女性の声とともにこの世の物とは思えない冷気がウタを包み、その動きを封じて行く。それどころかその命すらも凍りつかせるかのような激しさを以てウタは完全に凍結されてしまう。『絶対凍結』という名の逃れることができない絶望によって。


その光景を目にしながらもルシアもまた止められる。だがそれは凍結ではなく、巨大な二本の手によるもの。その屈強な二本の腕が確実にルシアの羅刹の剣を掴む。呆気にとられながらもルシアはその主が獅子の貌を持っていることに気づく。


絶望のジェロと獄炎のメギド。


二人の四天魔王の乱入によってようやく長かった二人の戦いは終わりを告げたのだった――――





『いかかですか、アキ様?』
「ああ、もう大丈夫だ。ありがとな、アナスタシス」
『いえ、これが私の役目ですから。ようやくお役に立つことができました』


ルシアは自らの右腕を回しながらアナスタシスに向かって礼を述べる。今、ルシア達はウタの修行場からメギドの城へと場所を移していた。両者の戦いによって大地は崩壊し、いつ天変地異が起こるか分からない惨状であったため。そして今ルシアはアナスタシスによって戦いによって受けた傷を再生したところ。既にかすり傷一つ残っていない。この能力を好き放題使っていたハードナーによく勝てたものだと思ってしまうほどに見事な再生。特にサクリファーの浸食をうけた右腕は本来なら剣を握ることもできない程の重症なのだが完治してしまっている。再生を司るアナスタシスの面目躍如といったところ。


『ぐっ……貴様、それは我に対する当てつけか!?』
『そんなことは決して。そう聞こえるのはあなた自身に問題があるのでは?』
『ふ、ふん……ちょっとは役に立ったようだから今回は大目に見てやろう。だが忘れるな、我がアキにとって唯一の』
「……どうやら大事ないようね。安心したわ」


マザーは自らの地位が脅かされているかのような危機感を抱き、声を上げようとするもそれは無慈悲なジェロの乱入によって遮られる。


「済まぬな。本当ならもっと早く割って入りたかったのだがあの段階でなければ我らも主らを止めることができなかったのだ」
「あ、ああ……助かったよ……ところでその……」
「……どうかしたのかしら?」


メギドの言葉によってルシアはようやく状況を理解する。メギドとジェロは本当なら二人の儀式外の戦いをもっと早く止めたかったのだが戦鬼となったウタにはいくら四天魔王とはいえ二人では敵わない。加えて羅刹の剣を持ったルシアの間に割って入れば邪魔になってしまうだけ。そのため両者が消耗し、介入できるまで二人は機を伺っていたのだった。だがそれ以上にルシアが気になってしかたないことがあった。それは


「いや……ウタが氷漬けになったままなんだが……あれは放っておいてもいいのか……?」


ルシアから離れたところに放置されているウタに関すること。しかも体が氷漬けにされ、顔だけが出ているというシュールな有様。もはや笑っていいのか、心配すればいいのか分からない異次元空間がそこにはあった。


「ええ。あれは気にしなくていいわ。本当なら全身氷漬けにしてもかまわないのだけれど……」
「……おい、ジェロ。いつまでこうしているつもりだ。いい加減この氷を解け」
「そう……なら力づくで解いたらどうかしら。あなたの力ならできないことではないでしょう?」
「…………」


ウタはジェロの絶対零度にも近い宣告によって黙りこんでしまう。そこには言葉以上の冷酷さがあった。当たり前だ。ようやく待ちわびた大魔王が誕生したというのにそれに牙をむくというあり得ない行動。本来なら大魔王を守護するべき立場である四天魔王を否定しかねない蛮行をウタは犯したのだから。万全の状態のウタならばジェロの絶対氷結にも拮抗できるのだがルシアとの戦いを終えた今のウタにはそれは為し得ない。もっともできたとしてもこの状況でそれをやるほどウタも厚顔ではない。


「……心配しなくとももう戦う気はない。戦鬼になっても大魔王……アキには敵わないことは身を以て思い知った。だからこれを解け。流石にこのままではオレでも堪える」
「アキ様……ではないのかしら。言葉遣いが直るまではこのままでもいいと思うのだけれど……」
「ふむ……確かに貴公にとってはいい薬になるやもしれんな」


まるで反省したように見えないウタに向かってジェロだけでなくメギドですら無慈悲な対応を見せる。もっともこれまで好き勝手やっていたウタに対する罰のようなもの。公務を増やしてくれたウタへのメギドからのささやかな嫌がらせ。


「い、いや……もういいじゃねえか……? ウタも反省してるみたいだし……このままじゃ流石に死んじまうんじゃ……」
「よいのか。大魔王であるお主に牙をむいたことは死罪に値するのだが……」
「あ、ああ……それと様付けも必要ねえ……これまでどおりで頼む……」
「そう……あなたがそういうのであれば仕方ないわね。感謝しなさい、ウタ……」


まだ納得いかなげな雰囲気を纏いながらもしぶしぶジェロは絶対氷結を解除する。だがウタの体は満身創痍のまま。特に右腕は失われたまま。すぐに治療しなければ命に関わるのではないかと思えるような有様。


「わ、悪いな……すぐに治してやるからこっちに」


どこか焦りながらルシアはアナスタシスを手にしながらウタに近づかんとする。本来ならウタの自業自得であり、先のことを考えれば腕を失ったままの方がルシアにとっては都合がいいとすら言える。だがそれを度外視しても流石に死にかけている相手を放置していることはルシアにはできない。だがそれは


「必要ない。これはオレにとっては誇りだ。わざわざ治すことはない」
「…………え?」


他でもないウタ自身によって断られてしまう。ウタにとってこの傷は戦いにおける勲章であり誇り。数万年以上叶うことがなかった自分よりも強い相手と戦った証。失った腕ですらその例外ではない。およそルシアには理解できない戦王であるウタだからこそ持ち得る感覚。


「その代わり、腕を上げた時にはまた手合わせを願いたい。もちろんそこの二人が見張りとしていてもらった上で構わん」


まるで生きがいを見つけたかのような笑みを見せながらウタはルシアへと再戦の約束を乞う。そのあまりの非常識さにメギドは溜息を吐き、ジェロは無表情のままルシアを庇うように間に入る。だがルシアにはそれ以上に悪寒に襲われていた。


(なんだろう……何か片腕を失ってるのに前よりも強くなりそうな気がするのは俺だけか……?)


それは確信にも似た直感。隻腕という戦う者としては致命的なハンデを負ったはずにも関わらず全くウタが弱くなるとは思えないあり得ない感覚。むしろ自分は余計なことをしてしまったのではないかと思えるほど。そんな思考を断ち切るように首を振るもふとルシアは気づく。先程から何かが足りないような、誰かを忘れてしまっているかのような感覚。それは


「……ホム」
「っ!? ア、アスラ……いたのか……?」


もう一人の四天魔王アスラ。ようやく彼が声を発したことによってルシアはアスラがじっと自分を見つめていることに気づく。他の四天魔王に比べて意志の疎通ができないためどう接していいか分からない存在。しかしそんな中、ふとルシアは気づく。それは


(あれ……? そういえば、こいつだけさっき戦いに割って入ってこなかったような……?)


先の戦いの最後の瞬間。メギドとジェロがルシアを救うために割って入ったにも関わらず何故かアスラだけはそこにはいなかった。同じ四天魔王であるにも関わらず。


(き、気にすることないよな……? うん、きっとたまたまだよな……はは……)


ルシアはどこか乾いた笑みを見せながらそう考えることにする。もはやルシアはいっぱいいっぱい。これ以上の厄介事に巻き込まれるのは御免だった。


「そういえばまだ渡していなかったわね……これが五つ目のシンクレア、バルドルよ。今のあなたにはそれを手にする資格があるわ。大魔王アキ」


どこか神官のような厳かさを感じさせながらジェロはその胸にあるバルドルをルシアに向かって差し出す。それはこの儀式の終わり。大魔王の器が真の大魔王に至ったことを意味する証。もっとも


『仕方ないわねー。ま、あそこまで我らの力を扱うことができるのは間違いないし、あなたを担い手だと認めてあげるわ。あ、でもまだマザーのことは認めたわけじゃないからね! マザーはあたしだけのものなんだから!』
『な、何だそれは!? 我は身も心も全てアキの物だ! 貴様が入り込む余地など一片もないぞ!?』
『またまた照れちゃって……心配しなくともちゃんと役目は果たすわ。とりあえずは人間界に残したヴァンパイアとラストフィジックスを探すことからね! ようやくあたしもみんなと同じように人間界を旅できるのね! しかもジェロ抜きで! さあさあ早く行きましょう!』
『あなたは……本当に分かっているのですか。それに今頃二人はあなたを怨んでいると思いますが……』
『そ、それはそれ! これはこれよ! 終わったことを気にしても仕方ないわ! ちゃんと前を向いて生きて行くべきよアナスタシス!』
「お、お前ら……」


ルシアにとっては厄介な石ころがもう一つ増えるだけ。これまで以上に騒がしさが増すであろう事態に頭を痛めるしかない。


「……うむ。心中察するがこればかりは我もいかんともできん……幸運を願っておるぞ。全てのシンクレアが揃った暁にはまた参られよ。その時が真の大魔王の誕生となるであろう」
「その時にはオレも立ち会おう……それまでに腕を磨いておく」
「ホム」
「そ、そうか……じゃあな……世話になった……」


顔を引きつかせながらもルシアはとぼとぼと城を後にする。もはやルシアは精神が擦り切れる寸前だった。まともにルシアを案じてくれているのはメギドだけ。その器の大きさに大魔王の座を譲り渡したいと本気で思ってしまうほど。むしろ下で働かせてほしい思えるほどの人格者。他の二人の言葉は既に聞こえていなかった。片方にいたっては何を言っているのかすら分からない。


(はあ…………でもようやくこの悪夢も終わったか。ま、帰ってもやることが山積みなんだけど……)


溜息を吐きながらもひとまず一区切りついたことにルシアは安堵する。だが安堵することはルシアには許されない。まだ魔界のごたごたは済んだだけ。人間界に戻ればまた違う問題は山積している。DC以外の組織が壊滅してしまった影響と後始末。ハル達の動向とその手に渡った二つのシンクレア。残る最後のレイヴ。考えればきりがないほど。むしろ状況は複雑になり、取り返しがないレベルに達しつつある。一手でも読み間違えば、打ち間違えればその瞬間終了してしまう終盤戦。だが今だけはルシアはその全てを振り払いながらただ自らの無事に感謝する。だがそれは


「…………え?」


一分も持つことなく終わりを告げる。それは足音だった。この場にはルシアしかない。シンクレア達を含めればその限りではないのだが歩いているのは自分だけ。にもかかわらずまるでもう一人いるかのような足音が聞こえてくる。その意味を薄々感じ取りながらもルシアはゆっくりと、ロボットのように振り返る。そこには


「…………」


無言でルシアの後を着いてきている氷の女王の姿があった。


「な、何だ……? 見送りならもういいぜ……帰り道はちゃんと分かってるから……」


ルシアは絶望に顔を染めながらも必死に声を上げながらその場を立ち去らんとする。迅速に、一切の無駄のない完璧な動き。だがそれに合わせるようにジェロはぴったりと着いてくる。まるで親鳥に着いてくる雛のように。それがいつまで続いたのか


「見送りではないわ……四天魔王としてあなたを守護するために私も着いて行くわ」


ジェロは表情を変えることなく淡々と、それでもはっきりと宣告する。瞬間、ルシアの目の前が真っ黒に染まる。マザーはその有様に大笑いし、アナスタシスは溜息を吐き、バルドルは天国から地獄に落ちたかのように固まってしまう。ルシアの脳内にはどこかのRPGのようにある文章が浮かんでいた。


――――『絶望のジェロ』が新たに仲間に加わった――――


それがこの魔界探検ツアーの終わり。そしてダークブリングマスターの絶望の新たな始まりだった――――



[33455] 設定集② (七十七話時点)
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/06/14 15:15
設定集、裏話です。読まなくても本編には支障は無いので興味がある方は良ければ読んでみてください。



























プロットの段階からアキ自身には大きくこの三つの制限を設けている。

①最初から最強にはしない。
②基本的に自分から戦うことはしない。
③相手の命を奪うことはしない。

おおまかにこの三点。①については初めから最強にしてしまえば物語が盛り上がらなくなってしまうため。ラスボスであるルシアの体にシンクレアを持っていることからどうしても最強に近い形になってしまう可能性があったためジェロ戦時点では六祈将軍級と設定し、そこから段階的に強さを引き上げて行くことにした。その甲斐もあり最新話ではようやく大魔王級まで成長させることができた。

②については能動的にアキが動いてしまうと蹂躙、物語が破綻してしまう危険があったため。没になったエリールートはもしアキが能動的に動いていたらというIFでもある。また性格上ヘタレであるため自分が動かざるを得なくならない限りアキ自身は戦わない、受け身の主人公とした。

③については倒した相手を殺すことはRAVEの世界観に合わないこと。そして相手を殺すことができないという制限を設けることでアキの強さを抑えることが目的だった。

また物語の展開上ハル達と接触することは極力ないように徹底している。これはあまりにも頻繁に接触していては緊張感が無くなり、慣れ合いになる可能性があること。何よりもハル達と接触する展開になるとどうしても感想が荒れてしまうリスクがあるため。事前にアキの状況などはできるかぎり提示したのだがそれでもハル達と敵対するのが気に入らない、アキが全て敵を倒せばいいのではないか、アキの考えが分からないなどの感想が見られたので作者的にはアキとハル達の接触は最低限にしたいのが本音。これから先アキがハル達と直接接触するのは後二回の予定。



・このSSにおける強さ、パワーバランスについて。

プロットを作る段階でできるだけキャラクターの強さ、パワーバランスを明確にすることを心がけた。幸いにもRAVEは完結した作品でありキャラクターの強さはおおよそ決まっていたのでそれほど苦労することなく設定できた。もっとも原作では強さが曖昧であったり、描写に疑問があるものもあったのでその辺りは作者の個人的なイメージで設定した。

基本的には六祈将軍級、キング級、四天魔王級の三つのクラス。

原作よりもクラスごとに超えられない壁を意識した。具体的にはキングには六祈将軍が全員がかりでも敵わない、四天魔王級にはキング級は子供扱い、六祈将軍級は二秒で瞬殺されるなど。


『六祈将軍』

キングに選ばれし六人の戦士であり六星DBをあやつる最高幹部。原作では幾度もハル達を苦しめた強敵であり、RPGでいえば四天王に位置するであろう集団。原作曰く一人ひとりが一国を相手にできる戦力。

序盤の壁とでも言える存在であり、原作でも強さの基準としてよく使われていた。人気が高いキャラクターも多いため書く際には作者がかなり気を使うキャラクター達。基本的には原作と大差ないがレイナとディープスノーについては若干差異が生まれている。


『レイナ』

キングの側近であり六祈将軍の紅一点。このSSでは六祈将軍の中では最も出番が多い。理由は動かしやすく、アキとからませやすいため。アキにおける姉のようなポジションであり、アキに対して恋愛感情を抱くこともない(好意はあるが)ため作者的には重宝できる存在。ジェロの乱入によって触れる方はあまりいなかったが原作の死亡フラグを折り、生存が確定した。原作での彼女の死はかなり重要な出来事でありそれを変えるのはどうかとも悩んだのだがやはり死ぬはずだったキャラクターを救うのが二次創作の醍醐味の一つだと考え生存することになった。彼女には後に重要な役割がある予定。


『ディープスノー』

キングのもう一人の息子でありシュダの後任として加入した六祈将軍。原作では動きだすのは先だったのだが原作崩壊によってそれよりも早く参戦することになる。忠義の騎士とでも言える性格であり作者が一番好きな六祈将軍であるため出番も優遇されている。ゼロ・ストリームと五六式DBという強力なDBを有しているため六祈将軍の中でも屈指の強さを誇る。没案ではドリューによってネクロマンシーとして蘇ったキングと戦う展開もあったのだがあまりにも酷であること、キングを蘇らせることができるのは強すぎるため没となった。

強さの順位は以下の通り

ハジャ>>>ベリアル≧ディープスノー≧ジェガン>レイナ=ユリウス


『六つの盾』

BGの最高幹部であり六祈将軍に対抗するために集められた集団。設定上は六祈将軍に匹敵凌駕する存在なのだが原作で見る限りはどうしても力不足な感が否めなかったのでこのSSではかなり強化することになった。特にルナール、ルカン、ジラフの三人については大幅に強化されている。


『ルナール』

BG副船長でありナンバー2にあたる女性。原作でもユリウスをして化け物と呼ばれるほどの強さを誇る。しかし原作では戦闘によって敗北することなく、ハードナーとハルの戦いに乱入することもなく退いてしまうという消化不良だったためにこのSSではそれを何とかしようと考えた。設定としては六祈将軍最強であるハジャに匹敵する強さにすることを念頭に強化。閃光のDB『ライトニング』と戦斧によって速さと魔導士にとっての天敵である物理攻撃を併せ持っていたのでそれだけでもいいかと最初は考えたのだが全体魔法などの回避不可の攻撃をどう対処するかの問題が浮上。そこで『閃光化』という極みを追加することでその問題をクリアした。またこの際初めてDBの極みの設定が生まれ、後に全てのシンクレアと一部のDBに採用されることになった。六つの盾の中では作者が最も好きなキャラクターでありエクスペリメントでのアキとの戦いはかなりお気に入りの一戦。

強さは以下の通り。

ルナール>>>ルカン>>ジラフ>レオパール=コアラ=シアン>リエーヴル


六祈将軍と六つの盾を比較するとおおよそ以下の通り。

ハジャ=ルナール>>>ルカン>ベリアル≧ディープスノー≧ジラフ≧ジェガン>レイナ=ユリウス=レオパール=コアラ=シアン>リエーヴル


『キング級』

DC最高司令官であるキングと同格の強さを持つ者たち。具体的にはシンクレアを持つドリュー、オウガ、ハードナーの三人とハルの父であるゲイルを含めて五人が位置する領域。RPGではラスボスに位置する存在。六祈将軍を束ねることができる、世界を混乱に陥れることができる戦力。


『キング』

DC最高司令官であり闇の頂点とまで呼ばれる存在。本名ゲイル・レアグローブ。その名の通り王に相応しい力を持っているボスであり原作でまだ六祈将軍を倒していないのに戦いを挑んだ時には作者自身驚いた記憶がある。序盤、中盤で戦って倒せる相手ではないのだがゲイルがいたことで何とかハル達は勝利した。このSSでは強さの基準としてよく使わせてもらっている。没案ではキングが羅刹剣を使う展開もあったのがハルとゲイルの二人がかりでも勝てる気がしないことと倒してもまだモンスタープリズンがあるという無理ゲーになってしまうので没となった。展開上アキとの接触はほとんどなかったが最後の結末は作者的には上手くいったのではないかと思っている。ちなみに他のシンクレア持ちとDBの破壊はなしというルールで戦った場合は

・ドリュー……剣の腕は互角。闇魔法、引力斥力にはデカログス、ブラックゼニスで拮抗できるが魔王化とヴァンパイアの極みをどう凌ぐかがカギ。モンスタープリズンを含めて六対四でキングが不利。
・オウガ……金術、物理無効の能力を持つがデスペラードボムという遠隔攻撃をキングは持っているため有利。金術の究極技も封印剣で無効化できる。ラストフィジックスの極み中はオウガは無敵になってしまうため耐えるしかないがそれでもほぼキングが負けることはない。
・ハードナー……剣の腕は互角であるが処刑剣、再生によって近接はハードナーが絶対有利。遠距離戦もアナスタシスの極みによってDBは無効化されてしまうため不可能。モンスタープリズンを使った上での持久戦でしか対抗できないものの最終的には辛勝できる。もっともその時点でキングも敗北しているので実質引き分け。

となっています。シンクレア持ち達の設定は以前の感想欄で触れているので読んでいない方はそちらを参考にしてください。


『四天魔王』

魔界を統治する四人の魔王。それぞれが世界を支配する程の力を持つ者たちでありRPGでいえば裏ボスにあたる存在。原作曰くドリューを小僧扱いし、六祈将軍を二秒で消せる強さ。特にメギドは原作でも復活したエンドレスを足止めするなど凄まじい強さを見せたのだがやはり最終決戦という宿命からか原作では四天魔王は肩書きの割には疑問が残る敗北を喫してしまったのでこのSSでは作者が想像していた強さを再現することにした。単純な力でいえばキング級の倍。四天魔王には気合いや補正、相性などは通用せず、あくまでも地力が四天魔王に届かなければ勝利できない設定になっている。


『ジェロ』

絶望。四天魔王の紅一点であり最も冷酷な氷の女王。本来なら登場は終盤なのだがこのSSではマザーのせいで序盤に登場することになる。目的はアキの初実戦と四天魔王の強さを読者に示すこと。(もっともジェロは半分しか力を出していないがそれでもキング級)そしてもう一つがジェロが迎えにやってくるというフラグを作るため。原作ではメギドが一目でルシアを大魔王の器だと見定めたがそれでは面白くないためアキに対してはジェロにその役目を与えた。その二つ名の通り冷酷な性格であるが自らが認めた者に対しては慈悲深い面も見せる。基本的に面倒くさがりであり、自分が興味があること以外では動かない。二万年以上氷漬けで眠っていたのもそのためという設定になっている(本人は大魔王の器が現れるのを待っていたと言っている)

能力は『自動再生』と『絶対氷結』

外からのどんな攻撃も再生してしまう氷の肉体と使用した相手を決して溶けることがない氷で永遠に閉じ込める絶対氷結を以て遠距離から相手を封殺するのが基本戦法。内からの攻撃なら倒し得る可能性はあるのだがそれはアキのせいで潰されている。絶対氷結は魔法でありながら物理判定も併せ持っているため封印剣でも防げない。対抗するにはウタ並みの戦気かベルニカの絶対回避魔法ぐらいしかない。また魔導士でもあるが接近戦も可能であり不慣れな剣でもドリューを圧倒できるほどに並はずれた身体能力も有している。

余談だがある意味シンクレア達にとっては天敵ともいえる存在。特にバルドルにとっては逆らうことができない相手でありせっかくアキの元に行き、好き勝手できると思った矢先にジェロも着いてくることになったのでバルドルはアキよりも絶望している。


『ウタ』

永遠。戦王であり戦鬼。四天魔王最強の男。その二つ名の通り四天魔王の中でも最高の実力者でありアキにとっては最大の死亡フラグ。戦うことだけが生き甲斐であり、それ以外には全く興味がない。儀式自体も彼にとってはどうでもよく器であるアキと戦うことだけを楽しみに一年修行に励んでいた。その甲斐もありアキは一度死に、生き返ると言う貴重な体験をすることができた。その思考から四天魔王の中でも特に動かしやすいキャラクター。もっとも四天魔王はメギド以外は終盤に登場し出番が少なかったため言動は多分に作者の都合が入っている。

能力は『戦気』と『戦鬼化』

詳しい説明は感想欄で既に触れているので割愛。コンセプトは単純な強さ。質と量における質を極限まで追求した形。後にお披露目となるアスラの能力とは真逆、対になるように設定している。

強さについては

ウタ>ジェロ=メギド   番外 アスラ

となっており、アスラについては他の三人とは違う次元での強さであり比較できない形になっている。

設定集は以上になります。少しでも楽しんでいただければ幸いです。



[33455] 第七十八話 「争奪」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/06/19 01:22
(ここは……?)


まどろむ意識を繋ぎとめながら男はゆっくりと目を覚ます。同時に体中から激痛が走り、うめき声を上げかけるも歯を食いしばりながら耐えるしかない。だがその痛みによってはっきりと覚醒を果たしながら辺りを見渡すもそこは瓦礫が支配した無残な都市だったものがあっただけ。夜にも関わらず辺りに電気の光があるのもその証。ソング大陸最大の都であるエクスペリメント。その名を思い出すとともに自らの役目を思い出さんとした瞬間


「おお! 目を覚ましたかい、ディープスノー!? よかったよ、このまま美しく眠ったままかと心配したよ!」
「ようやくお目覚めかよ。残念だったな、お前が寝てる間に全部終わっちまったぜ」


聞き覚えのある声によってようやくディープスノーは自分のすぐ近くに二人の男がいることに気づく。同時に自分の体に毛布がかけられていることも。だがそんなことよりもディープスノーにとっては目の前にいる二人の男の方が問題だった。


「ベリアル様に……ユリウス様? 何故あなた方がここに……?」


六祈将軍オラシオンセイスの内の二人であるべリアルとユリウス。DC最高幹部が二人、ディープスノーを含めれば三人が同じ場所に集結しているという事態にディープスノーは驚きを隠せない。


「様付けは必要ないよ、ディープスノー。君はもう僕らと同じ六祈将軍オラシオンセイス。ルシアに従う美しい騎士なんだから! そうだろう、べリアル?」
「フン。相変わらずべらべらとうるせえ奴だ。それにしても中々無茶なことするじゃねえか、ディープスノー。一人で鬼どもを足止めするなんてよ。てっきりもっと冷静な奴だと思ってたぜ。ま、そういう奴は嫌いじゃねえがな」
「全くだよ。ビルの倒壊に鬼達を巻き込むなんていくら君でも無茶が過ぎる。おかげで助け出すのに時間がかかってしまったけれど無事でよかったよ」


べリアルは不敵に笑い、ユリウスは舞台を演じている俳優のようにおおげさに騒ぎながらディープスノーの無事を確認し安堵する。そんな二人の言葉によってようやくディープスノーは自分の置かれている状況をはっきりと思い出す。


「……! お二人とも、鬼達はどうなったのですか!? シルバーレイを止めにルシア様が単独で向かわれているのは……」


突如としてエクスペリメントに現れたネクロマンシーと化した鬼神と銀術兵器シルバーレイ。それを単独で破壊しに向かったルシア。その間の鬼達の足止めを託されたこと。その最後の策であるビルの倒壊によって意識を失っていたもののどうやら二人によって救われたことを察しながらもまだディープスノーは安堵することはできない。シルバーレイ、そして何よりもネクロマンシーである鬼達はネクロマンサーであるドリューを倒さない限り消滅させることができないのだから。だが


「そのことならもう心配ない。シルバーレイもドリューもルシアが何とかしたみたいだよ。さっきレディから連絡があった。その証拠にもう鬼達は全部消えてしまったよ。流石は僕らの主であるルシアだ! 一体どこまで美しく強くなるのか……これでは僕も美のライバルとしてうかうかしていられないよ!」
「ケッ……気に入らねえがほんとにあの野郎は化け物じみてんな。ま、今に始まったことじゃねえけどな……今回は少しは暴れられたからいいとするか」
「ルシア様が……そうですか。ですが暴れたというのは一体……?」
「それについては僕が説明するよ。僕はドリューの声明を聞いて急いでここに向かって来たのさ。もっとも早く戦いに行きたいべリアルに連れられてだけどね」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。また前みたいに置いて行かれたんじゃたまらねえからな。わざわざこっちから出向いてやったんだろうが」


やれやれと言った風なユリウスとは対照的にべリアルはどこか面白おかしげに笑いながら説明を続けて行く。ドリューの声明によってDCが再び戦いを開始することを察知したこと。以前BGとの戦争の際には置いて行かれてしまったため今回は自分から迅速に本部に向かったこと。本当なら直接サザンベルク大陸に向かいたいところだったのだが流石にルシアを無視して単独行動するほどの度胸はべリアルにもなかったための行動だった。


「ちょうど僕らが到着した時にはもう戦闘が始まっていたんだよ。大部分は君が行動不能にしていたけれど残った鬼達は僕たちが相手したんだ。流石に倒し切るのは難しかったんで僕のアマ・デトワールで動きを止めてベリアルのジ・アースで押しつぶす美しいコンビネーションによってね」
「まあザコばっかりだったのは気に入らねえが久しぶりに暴れられたぜ。本当なら幹部の奴らをやりたかったがもうお前が倒しちまったんだろ?」
「いえ……ですが助かりました。私一人では全員を足止めすることはできませんでしたから……」


ようやくおおよその状況を理解したディープスノーは偶然とは救援に駆けつけてくれた二人に感謝するしかない。確かに主要な鬼神の戦力は道連れにすることはできたが残存する部隊もまだ存在していたためもしユリウス達がいなければ被害が出ていたことは間違いない。また奇しくもその戦法もディープスノーと同じもの。鬼神を足止めし、物量によって身動きを取れなくするという戦法。もっとも効率の上ではユリウスとべリアルのコンビの方が何倍も上なのだが。


「謙遜することはないさ。君は鬼神とドリュー幽撃団のナンバー2を同時に倒したんだから! 本当なら昇進ものの戦果だよ!」
「オレ様一人で十分だったんだがな。ま、よくやったんじゃねえか? 少なくともシュダの野郎よりは何倍も役に立つぜ」
「……ありがとうございます。ところでルシア様は今どこに……? もうお戻りになっているのですか?」


べリアルの言葉に一瞬反応しかけるもディープスノーはすぐにいつもの冷静な姿に戻りながらルシアの所在を尋ねる。話によればドリューを倒したとのことなので今はサザンベルク大陸にいるのだろうかと察するもそれは


「いや、ルシアはしばらくDCを留守にするらしいよ。何でも魔界とかいう所に用事があるらしい」
「魔界ですか……? 確か亜人が住む世界のことでしたか……ですが何故ルシア様がそんなところに……」
「ガハハ! まああいつがいない方がオレらは動きやすいぜ! それにもしかしたらもう帰ってこれねえかもしれねえからな!」
「……? ベリアル様、何か御存じなのですか?」
「いや……だがほんとにルシアの奴が戻ってくるとしたらもうDCなんて組織はいらねえかもしれねえな。そうなりゃオレも国の一つや二つもらえるかもしれねえ」
「全く……もう少し美しい言葉を使ったらどうなんだい? それはともかくディープスノー、これを飲んでおくといい。すぐに次の仕事だからね」


一人で舞いあがっているべリアルにあきれながらもユリウスは一本の瓶をディープスノーに向かって差し出す。首をかしげながらもディープスノーはそれを受け取るしかない。だがそれを口にした瞬間、信じられないような事態が起こる。それはディープスノーの体にある先の戦いによって受けた無数の傷。それが一瞬で治癒してしまう。それどころか失われた体力すらも回復してしまう。俄かには信じられない効果。


「これは……」
「霊薬エリクシル。どんな傷も治してしまうと言われる薬さ。元々はルシアが持ってた物の一つなんだけどルシアが君に使うようにレディから伝言があったんだ。ああ、これが美しい主従の為せる技!」
「そうですか……助かりました。ですが先程仰っていた次の仕事とは……?」
「決まってんじゃねえか。オレ達に逆らう奴らなんて一つしか残ってねえ。それをぶっ潰すんだよ」


ディープスノーの疑問にどこか高揚した様子でベリアルは応じるだけ。だがその瞳はまるで獲物を前にした獣同然。それを前にして瞬時にディープスノーはその言葉の意味を悟る。

『BG』 『ドリュー幽撃団』 『鬼神』

かつて世界を三分していた闇の組織たち。だがその全ては壊滅した。他ならぬ新生DCの力によって。世界国家である『帝国』も既に消滅。もはや新生DCを阻むことができる勢力など残ってはない。


「レイヴマスター達の殲滅。それが僕ら六祈将軍オラシオンセイスに命じられた任務だよ。もちろん君も行くだろう、ディープスノー?」


『レイヴの騎士達』というただ一つの例外を除いて。


今、六祈将軍オラシオンセイス達は最後の戦いに向けて動き始めるのだった――――




サザンベルク大陸の近海にある小さな島。その海岸に二つの人影があった。一つは長い髪と煌びやかなドレスを纏った女性。もう一つが黒い短髪にピアスをした青年。一見すれば恋人同士にも見える二人組だがその間にあるのはそんな生易しい空気ではなかった。何故なら二人は敵同士。DCとレイヴの騎士という相反する存在なのだから。


「ほんとに行くつもりなのか、レイナ。お前さえよければオレ達と一緒に……」
「……ほんとに甘いのね。分かっているの? 私は六祈将軍オラシオンセイス。DCの最高幹部よ。一時的に共闘はしたけれど敵であることは変わらないわ」


ムジカの言葉を聞きながらどこか呆れ気味にレイナは釘を刺す。だがそこにはドリューとの戦いの時に見せたような厳しさは見られない。心底ムジカのお人よし加減に呆れかえっているだけ。周りには二人以外の人影は見られない。それはレイナがこの島から去って行くのをムジカだけが見送りに来ていたからこそ。

今、レイナは一時的であるが共闘したハル達と行動を共にしていた。それは先のドリューとの戦いで受けた傷を癒すため。ドリュー自身は既にジェロによって倒されてしまったものの宵の剣で受けた傷そのものが消えるわけではない。深夜に近づくことでその傷は悪化していく。レイナだけでなくハル達の傷もまたその峠を越えることができない程の重症だったのだがそれはある人物によって救われる。

蒼天四戦士の一人 『ダルメシアン』

シンフォニア王国の軍師であり、四戦士の中でも魔法に秀でルビーにとっては師匠に当たる者。現在は死後世界に留まるために動物であるトドの姿となっているもののその知識は健在。光の中であれば宵の剣の傷を治療することができることを知っている彼の力によってハル達は一命を取り留めた。本来なら敵であるレイナもそれによって救われ今に至っている。だが流石にこれ以上ムジカ達と共に留まることはできないとレイナは島を出発せんとしているのだった。


「でもおかげで助かったわ……あなたたちがいなければ間違いなく死んでいたはずだしね。お礼としてこの場では見逃してあげるわ」
「レイナ……」


どこか小悪魔のような笑みを見せながらレイナは告げる。この場では敵対することはない、見逃してやると。もっともこの場で戦闘になったとしてもレイナの勝機は薄い。共闘する中でレイナはムジカ達が六祈将軍オラシオンセイスに近い実力を身に着けていることを感じ取っていた。一対一ならともかくその三人を同時に相手できるほどレイナはうぬぼれてはいない。何よりも命を救ってもらった相手をすぐに裏切り戦うことは今のレイナにはできない。まるでムジカ達の甘さが自分にうつってしまったのではと思えるほど。


「……これからどうする気なんだ。シルバーレイは無くなっちまった。もうお前が戦う理由はなくなったはずだ」
「……そうね。でもそれで私のしてきたことがなくなったわけじゃない。私は悪魔の札に魂を売った女。今更許されるなんて思ってないわ……」


ムジカの言葉によってレイナはここではないどこかに想いを馳せるかのように儚げな表情と共に黙りこんでしまう。

父を殺した国王へと復讐と奪われたシルバーレイを取り戻す。

この二つの目的のためにレイナはDCに所属していた。前者については銀術とキングの協力によって難なく成し遂げることができた。後者であるシルバーレイについては既にエクスペリメントで破壊されたとの情報がダルメシアンを通じてもたらされている。恐らくはルシアの仕業だろうとレイナは察するもそこに怒りはなくあるのは安堵だけだった。本来なら見ず知らずの人間の命よりもシルバーレイを取り戻すことだけを考えてきたはず。だが今のレイナにそんな気持ちは一片もなかった。取り戻すことはできなかったがこれでレイナ自身の戦いは終わりを迎える。星の記憶に辿り着き、父の死をなかったことにする選択肢もあったがレイナにはもうそれを行う気もない。それはいわば全てをなかったことにする行為。今までの自分の否定。故にムジカの言う通りこれ以上DCに与する理由はレイナにはない。だがそれでも


「でもけじめだけは取るつもりよ……例えどんな結果になるとしてもね」


全てを投げ出してしまうことは許されない。そんなことはレイナにはできない。その瞳には既に光が戻っている。自分が為さねばならないことを為すまでは、責任を果たすまでは退くことはないと告げるように。


「そうか……ほんとに気が強い女だな、あんた。できればもう戦うことがないと願いたいもんだ……」
「褒め言葉だと受け取っておくわ。でも覚えておきなさい、他の六祈将軍オラシオンセイスは私のように甘くはないわ……ルシアは……」
「……? 何だ、ルシアがどうかしたのか?」
「いえ、何でもないわ……せいぜい死なない程度に頑張ることね、ムジカ」


出かかった言葉を飲みこみながらレイナは背中を向けたまま去って行く。そのあまりに優雅な姿にムジカは声をかけることすらできない。できるのは自らの首に掛けられている銀を握りしめることだけ。だがその銀はかつてとは形が異なっていた。銀のドクロに蛇の一部が混ざったかのような形。それはレイナも同じ。蛇の形をした銀の一部にドクロがまざっている。それこそ二人の絆の証。絆の銀という二人の銀術師の究極技を行うことによって起こった変化。その意味を知ることなくムジカもまた踵を返しながらハル達の元へと戻って行く。その間際にムジカは確かに見た。


船と共に二人の少女が走りながらレイナを出迎える光景を――――




「…………」


難しい顔をしながら銀髪の少年、ハルは自らが持つ剣と体を交互に見つめていた。身の丈ほどもあるのでは思えるような大剣、TCM。世界の剣でありシバの魂とでも言えるもの。三つのレイヴもまたそれに応えるように輝きを放っている。それとは対照的なのが自らの傷だらけの体。傷跡が残っているだけで既に治癒されているため命に別条はないがその多くが先のドリューとの戦いによって負った物。間違いなく自分が敗北してしまったことを意味する証だった。何度見てもそれ覆るわけでもないにも関わらずハルはずっと顔を伏せたまま。自分が負けることはまだいい。だがそれによってあと少しで仲間が、大切な女の子が命を落とすところだった。まだまだ強さが足りない。どうすれば今よりも強くなれるのか。そんな自問自答を繰り返すもそれは


「ねーねー見てハル! どうかなこれ!? 似合ってる!?」


目を輝かせはしゃいでいるエリーによって粉々に砕かれてしまう。エリーの後に続くようにプルー、グリフ、ルビーも着いてきながら騒ぎたてている。それによって圧倒されながらもハルもまた目を見開くしかない。何故ならエリーの首には今まで見たことのなかったネックレスが掛けられていたのだから。それだけならまだいい。問題は


「エリー……お前、それシンクレアじゃないか!?」


そのネックレスに二つのシンクレアがつけられていること。シンクレアをペンダント扱いするかのような行動にハルは呆気にとられるしかない。グリフ達もまた同じ理由でエリーを止めんと奮闘しているところだった。


「うん! どう、似合ってる? ママさんをイメージして作ってみたんだけどやっぱり二つとも着けるとバランスが悪いかな?」
「そ、そういう問題じゃねえだろ!? それシンクレアなんだぞ!」
「そうだよ。でもママさんにみたいには上手く行かないねー……全然しゃべってくれないし。ねえ、ちょっとお話しない? あたしあなた達と友達になりたいの。ママさんみたいに話ができるDBを出してくれれば助かるんだけど……」
「エリーさん……流石に石に話しかけるのはどうかと……」
「だ、大丈夫ポヨ……ボクはシンクレアなんて怖くなんてないポヨ……何かあってもボクがやっつけてやるポヨ!」
『プーン……』


エリーは何とか二つのシンクレアと意思疎通ができないものか模索するもシンクレアはうんとも寸とも言わない。そのネックレスもかつてアキがマザーを身に着けていた物を参考にして作ったもの。今、ハル達は成り行きから二つのシンクレアを手にしていた。

『ヴァンパイア』と『ラストフィジックス』

かつてドリューとオウガが所持していた母なる闇の使者の二つ。レイヴと対を為す存在。悪の根源とでも言える存在。それを破壊することができれば全てのシンクレアが揃うことなくなるためハルはTCM、プルーはその角で破壊を試みるも全て通用しなかった。シンクレアは完全なレイヴか魔導精霊力でなければ破壊できないのだから。もっともそれを見たエリーは憤慨し、自分がシンクレアを説得すると豪語しながら試行錯誤しているも結果はこのざま。何故かシンクレアをペンダント扱いし、ずっと話しかけるという電波少女が完成する有様。天然だけでも手に負えないのに電波まで加わった(ように見える)エリーに終始ハル達は振り回されっぱなしだった。


「と、とにかくもう話しかけるのはやめたらどうだ? ずっとやってるけど反応ないじゃねえか」
「そ、そんなことないもん! これはきっとハル達がこの子達を壊そうとしたから怖がってるんだよ! まだあたしが嘘を言ってると思ってるの!?」
「そ、そんなことはないけどさ……」
「ふーんだ。いいもんいいもん。この子達はあたしが面倒みるんだから。でもやっとハルもいつもの感じにもどってきたね。ここのところずっと難しい顔してるんだもん。もしかしてまだ負けちゃったこと気にしてるの?」
「あ、ああ……ごめんな……あの時助けてやれなくて……」
「またその話? 気にすることないよ、ちゃんとハルはあたしを助けてくれたんだもん! 色々あったけどみんな無事だったんだから!」


エリーはハルに向かって微笑みながらこれ以上きにすることはないと元気づけんとする。どうやらハルが自分を助けることができなかったと思い悩んでいることを感じ取ったエリーは何とか元気づけようと四苦八苦しているところ。もっとも元々はしゃぐのは半分以上いつも通りの行動なのだが。そんなハル達の光景を少し離れた所からレットとダルメシアンが見つめている。もっとも二人とも何かを思案するように黙りこんだまま。そんな中、


「まったく……急いで帰ってくれば何の騒ぎだこりゃ。おいハル、いつまでもイチャついてんじゃねえぞ、レットから大事な話があるんだろうが」


頭を掻きながら先程までレイナを見送るために出て行っていたムジカが戻ってくる。つい先ほどまではシリアスな空気だったはずにもかかわらずそれは霧散し無法地帯と化している現状にムジカは呆れるしかない。


「イ、 イチャついてなんかねえよ! これはエリーが……」
「あ! またあたしのせいにするのハル!? せっかくあたしがみんなを元気づけてあげようとしてるのにー!」
「そこまでにせい、二人とも……それよりもそろそろ話をさせてもらうぞ、構わんな?」


顔を真っ赤にしながらムジカに突ってかかっていくハルとそれを追いかけているエリーに頭を痛めながらも空気を変えながらレットは皆に向かって視線を送る。そこには既に戦いの空気がある。それにあてられたかのようにハル達もまた黙りこみ、息を飲む。それを見てとったレットは一度大きな深呼吸をしながら話し始める。


『四天魔王』と呼ばれる四人の魔王の正体を――――




「四天魔王……じゃああの冷たい女の人も四人の中の一人なの?」
「うむ……あの方、いやあやつは『絶望のジェロ』……他の三人の魔王とは違い眠っておったはずなのじゃが……どうやら目覚めてしまったようじゃな……」
「魔王ってことは……王様ってことだろ? そんな偉い奴がなんでこんなところにいたんだ?」
「……恐らくシンクレアを手に入れるためじゃろう……どういうわけか途中でそれをやめたようじゃが……」
「そ、それって……じゃあまたあのジェロって人が襲ってくるかもしれないってことですか!?」


グリフは体を震わせながら声を上げるしかない。レットの言葉通りなら再びジェロが自分達を襲ってくるかもしれないのだから。運よく見逃してもらえたものの次など無いことは誰もが分かっていた。だがそれすらも楽観的な見通しに過ぎない。何故なら


「それだけではない……ジェロ以外の三人の魔王も動き出すやもしれん。ジェロがルシアの下についていた以上、そう考えた方がいいじゃろう……」


相手は四天魔王。その名の通り四人の魔王なのだから。


「ふ、ふざけんじゃねえぞ!? あんな化け物がまだ三人もいるってのか!? どうしろってんだよ!?」
「ム、ムジカさん……」
「お、落ち着くポヨ……まだそうと決まったわけじゃないポヨ……もしかしたら戦わなくてもいい方法が……」
「それだけじゃねえ!! 従ってるってことはルシアはあのジェロって奴よりも強いってことだろうが!! しかもまだ六祈将軍オラシオンセイスも残ってる!! どうしようもねえじゃねえか!?」


ムジカは凄まじい形相で声を荒げるもそれは決して臆病風に吹かれたわけではない。それは先の戦いでハル達の中でもっとも近くでジェロを目にしたからこそ。その圧倒的な力の差を感じ取ったからこそ今の自分たちでは天地がひっくりかえってもどうしようもないことを冷静に見抜いていた。だがらこそムジカは激昂するしかない。その覆すことができない戦力差に。


「だ、大丈夫だよムジカ……アキなら話せばきっと分かってくれるよ! それにあたし達は新しいママさん達も持ってるんだし仲良くすれば……」
「……うむ。ルシアについてはワシは何とも言えんが少なくとも四天魔王については警戒しておくに越したことはない。決して戦ってはならん。今のワシらでは勝ち目はない」
「ああ……悪かった。ちょっと熱くなっちまった……」


ムジカは額に手を当て、たばこを吸いながら謝罪する。だがハル達はそれを咎めることはない。当たり前だ。自分たちが死力を尽くして敵わなかったドリューをジェロはこともなげに倒してしまったのだから。それが後三人。しかもルシアはそれを超える強さ。冷静さを保つことの方が難しいだろう。だが


「……案ずることはない。レイヴの騎士たちよ。レイヴがある限り、あきらめない心がある限り希望は残されておる」


それまで一言も発することなく成り行きを見守っていたダルメシアンがその手をかざしながらハル達に向かって告げる。同時にまばゆい光が辺りを照らし出す。その言葉通り世界の希望の光が生まれたかのように。


「それは……」
「未来のレイヴ。これを託すためにワシら蒼天四戦士は永い時を待ち続けた。かつてはシバを。そして今は主をじゃ……二代目レイヴマスター……」


『未来のレイヴ』


ハルにとっては四つ目のレイヴであり未来を司るもの。探し求めた聖石の姿にハルはもちろんその場の者達はその輝きに目を奪われる。だがダルメシアンはすぐにはそれをハルに託すことはない。その顔はどこか苦渋に満ちたものだった。


「済まぬな……本当ならワシらがすべきことを主らに背負わせねばらならん。全ては五十年前のワシらの罪……リーシャ様の意志を受け継ぎながらも平和を手にすることができなかった」
「ダルメシアン……」


ハルはダルメシアンが何を言わんとしているかを感じ取りただその場に立ち尽くすことしかできない。それはかつてハルがシバからTCMとレイヴを受け継いだ時と同じ。自らの五十年間の想いが今、自分に受け継がれようとしていることを意味する物。その光景にムジカ達もまた決意を新たにする。決して今の現状が変わったわけではない。それでも戦わなければならないことは変わらない。その先あるものを手にするためにはあきらめてはいけないのだと。


「主らに前にあるのは五十年前をはるかに超える困難な試練……だがそれでも託させてほしい。主らの想いと絆が必ずや世界を導く道標となることを」


ダルメシアンは万感の思いを込めながらその手にあるハルへと差し出す。レイヴには力がある。DBに対抗するために造られたに相応しい力が。だがそれはその一つに過ぎない。大切なのはその意志であり想い。かつての初代レイヴマスターがそうであったようにその力こそがレイヴの力の源であることをダルメシアンはハルへと伝える。


「……ああ! 任せてくれ、ダルメシア―――」


ハルが決意に満ちた表情でその想いを受け取らんとした瞬間、


「――――愚かなり。全ては我らの手にある。主らにあるのは絶望のみよ」


地に響くような老人の声とともにそれは妨げられる。


それは鮮血だった。夥しい鮮血が舞い、その中をダルメシアンが倒れて行く。その光景に誰一人声を上げることすらできない。できるのは突如現れた侵入者を見つめることだけ。その手はダルメシアンを貫いたことによって真っ赤に染まっている。だがそれだけではない。その手には未来のレイヴが握られている。ハル達は知らなかった。目の前の老人が何者であるかを。


「……さて、残りの二つのシンクレアも渡してもらうとしようか。レイヴの騎士たちよ」


大魔道であり六祈将軍オラシオンセイス最強の男。


『無限のハジャ』


今、金髪の悪魔が不在の中、レイヴとシンクレアを巡る争奪戦の火蓋が切って落とされようとしていた――――



[33455] 第七十九話 「魔導士」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/06/24 20:52
「……さて、残りの二つのシンクレアも渡してもらうとしようか。レイヴの騎士たちよ」


その手を朱に染め、未来のレイヴを手にしながら老人はただ淡々とハル達に向かって告げる。そこには全く油断も容赦もない。たった一人でレイヴ側の勢力を前にしているにも関わらず。何故なら老人は自らの強さに絶対の自信を持っているからこそ。

『無限のハジャ』

六祈将軍オラシオンセイス最強の男であり大魔道の称号を持つ魔導士が今、ハル達の前に立ち塞がっていた。


「だ、大丈夫、ダルメシアン!? しっかりして!」
「し、師匠!? 酷いポヨ! 後ろから攻撃するなんて卑怯ポヨ!」
『プーン……』


突然の事態に一瞬、我を忘れかけるもすぐさまエリー達は倒れ伏したダルメシアンに駆けよって行く。だがその背中にはまるで刀によって貫かれてしまったかのような深い傷がある。それはハジャの手刀によるもの。重傷を負ってしまったダルメシアンは蹲りながら声を上げることすら叶わない。そんなエリー達に加わりたいのを必死に抑えながらハル達は臨戦態勢に入りながら目の前のハジャに対峙する。もしそれを無視しながらダルメシアンの元に向かえばその瞬間に敗北する。そう悟るに十分すぎるほどの重圧がハジャにはある。


「……っ! お前、一体何なんだ!? 何でこんなことを……!?」
「ハル! 不用意に近づくでない! こやつの気配……只者ではない……!」
「ちっ! どうやらオレ達のことは御存じみたいだぜ……」


激昂し突撃しかねない程に興奮しているハルを何とかレットは抑えんとする。ハルはそれによって我を取り戻すものの表情は怒りに染まったまま。レットとムジカも平静を装ってはいるが心中は同じ。


「フム……そういえば主らに会うのはこれが初めてであったな。我が名はハジャ。DCの副官であり六祈将軍オラシオンセイスのリーダーだ」
「やはりDCか……副官ということはお主がDCのナンバー2ということか」
六祈将軍オラシオンセイスのリーダーってことは……随分な大物が出てきたわけだ。そんなお偉いさんが一体オレ達に何の用だ?」
「簡単なことよ。先程言った通り主らが持つレイヴとシンクレアを手に入れるため。星の記憶を手に入れるのは我一人。他の者たちにその資格はない」
「星の記憶……!? お前も星の記憶を狙ってるのか!? 何のためにそんなことを……」
「残念だがこれ以上主らと戯れてやる気はない……時間が迫っているのでな。残る二つのシンクレアもすぐに渡してもらうことにしよう……」


これ以上の問答は無用とばかりにハジャがゆっくりとその手をかざす。だがそれはハル達に向けてのものではない。その見えない力は真っ直ぐにある物に向かって襲いかかる。それは


「えっ!? なにこれ……!?」


エリーが胸に掛けている二つのシンクレア。まるで見えない力に引っ張られるかのように二つのシンクレアはネックレスから外れ、そのままハジャの手に向かって引き寄せられていく。突然の事態にエリーは咄嗟に手を伸ばすも間に合わない。


「っ!? いかん!」
「っ! くそっ! これ以上好き勝手させてたまるかよ!」


一瞬反応が遅れるもののムジカはその手にある銀を操り、奪い取られんとしているシンクレアを奪い返さんとする。だが銀のムチは片方、ヴァンパイアを捉えることはできるもののもう一つのシンクレアであるラストフィジックスはそのままハジャの手に渡ってしまう。


「フム……小癪な。そのまま大人しく渡せばいいものを……もうよい、このまま全員消し去ってくれよう」


これ以上は時間の無駄だとばかりにハジャはその手に力を込める。瞬間、凄まじい魔力が辺りを支配する。まるで天変地異が起こる前触れ。それが魔法の発動の前触れであることを察知するもレットとムジカには為す術がない。咄嗟に距離を詰めることも防御することもできない規模の大魔法。その無慈悲な魔力が全てを飲みこまんとした時


「―――っ! みんな! オレの後ろから離れるな!!」
「ハルっ!?」


風のような速さでハルがその手にTCMを構えながらハジャに向かって突進していく。突然のハルの特攻にエリーが悲鳴を上げるも間に合わない。潜在的な魔導士であるエリーにはこれからハジャが放とうとしている魔法がどれほど恐ろしい物であるかが理解できる。恐らくはジークの魔法を超える威力。それに飛び込むという自殺行為。だがそんなハルの動きによって固まっていたレットとムジカもまた弾けるように動きだす。それはハルの狙いを察知したからこそ。


「はあああああっ!!」


それに応えるようにハルはその手にある剣を振り切る。何もない空間を切り裂くような剣閃はそのままハル達を覆い尽くさんとしていた魔力の波を消し去って行く。魔法が剣によって斬られてしまうあり得ないような光景。だがそれを為し得る力がTCMにはある。

封印の剣ルーンセイブ

いかなる魔法も切り裂く第三の剣。最強の闇魔法、魔導精霊力ですらその例外ではない。まさに魔導士に対する天敵とでも言える形態。それはハジャの大魔法ですら難なく無効化してしまう。


「―――!!」


その光景に初めてハジャの表情に変化が生じる。先程放った魔法は六祈将軍オラシオンセイスであっても一撃で葬れる規模の魔法。だがそれを剣の一振りで無効化されてしまった事実にハジャは己がハル達の力を見誤っていたことを悟る。


(成程……あれが十剣の一つ、封印剣の能力……)


ハジャは驚きながらも冷静さを失うことはない。何故なら封印剣の存在をハジャは知っていたのだから。それは先代キング暗殺のため。キングが持つデカログスもまたTCMと全く同じ能力を持つ剣でありそれと戦うためにハジャはその能力を把握する必要があった。そしてそれを確認できたのがエクスペリメントでのルシアとジークの戦い。その戦いをハジャは離れた場所から監視していた中で封印剣の能力も見て取っていた。だが直接それを目にするのとではやはり大きな差がある。

『剣を極めしも魔の前にひれ伏す』

剣聖と呼ばれる者でも魔法の力の前では立ち上がれない。剣では魔法には敵わない。それが道理。だがそれを覆す力がTCMとレイヴにはある。


「何ボサっとしてやがる! 隙だらけだぜ!!」
「はあっ!!」


自らの魔法がかき消された瞬間の隙を狙ってムジカは銀槍、レットは拳を以て間髪いれずに追撃を加えんと迫る。左右同時、逃げ場のない完璧なコンビネーション。それをフォローするようにハルもまた封印剣を構えながらハジャへと駆ける。

ハルが防御でレット、ムジカが攻撃。それがこの一瞬で三人が取り決めた役割分担であり戦略。ハルの封印剣であればハジャの魔法を封殺することが可能。その隙をレットとムジカが狙い仕留める。まさに矛盾の戦法。共に戦い続けてきたからこそできるレイヴの騎士達の以心伝心の連携。いかに魔導士といえども逃れられない包囲網。だがハル達は知らなかった。


「言ったはずだ……主らにあるのは絶望のみよ」


ハジャが大魔道と呼ばれる意味、無限の二つ名を持つ所以を。


「っ!?」
「なっ―――!?」


驚愕の声が辺りに木霊する。今まさに攻撃を加えんとしていたレットとムジカはいきなり目の前にいたハジャが消え去ってしまったことに混乱し辺りを見渡すもその姿はどこにもない。戦っている者だけではなくその場にいる全ての者がその光景に言葉を失う。そこには


「我に空間転移を使わせるとは……どうやら少しはできるようだな……だが我には通用せん」


自分たちよりもはるか上空。空の上という本来人間が立ち入ることができない領域に身を置いているハジャの姿があった。


「そ、空を飛んでおるじゃと……!?」
「さっきの瞬間移動といい……何でもありかよ!?」
「くそっ! 空じゃ剣が届かねえ……!!」


レイヴの騎士達は自分達を見下ろしているハジャを見据えながらも今の自分たちがいかに不利な状況であるかを瞬時に悟る。空間転移という回避手段。そして何よりも


「どうやら気づいたようだな……我にとっては主らなど地べたに這いずる虫同然。じわじわと嬲り殺しにしてくれよう」


空という絶対の領域に君臨している大魔道。それがいかに絶望的な状況であるかを。


瞬間、凄まじい光の雨がハジャが指を振るうとともに降り注いでくる。その一つ一つが魔力弾。もし直撃を受ければただでは済まないほどの魔力が込められている。その範囲の広さから回避することは不可能。できるのは防御することだけ。


「―――っ!! みんな、オレから離れるな!!」


咄嗟に剣を構え、叫びを上げながらハルは魔力弾を封印剣で切り払って行く。だがその数から全てを切り裂くことができず避けきれない魔力弾が着弾し、ハル達に襲いかかる。それすらもハジャの戦略。範囲が大きい範囲攻撃よりも小さい威力でありながらも弾雨のような魔力弾であれば剣である封印剣では切り払うのに限界があることを瞬時に見抜いた戦う者としての知略。しかも人間にとって絶対の視角である頭上からの魔法の一斉攻撃。それに晒されれば逃げ場はない。このままでは勝機はない。


「っ!! 真空の剣メル・フォース!!」
「炎竜旱天!!」


魔力弾に晒されることを覚悟しながらもハルとレットは己が持つ遠距離への攻撃をハジャに向かって放つも


「――――無駄なことを」


それはハジャの魔力の波動によって為すすべなく無効化されてしまう。その光景にハル達は言葉を失うしかない。確かにハル達は近接戦闘を得意としている。だがそれでも真空剣や炎竜早天は易々と防げるような攻撃ではない。それこそがハジャが大魔道の称号を持つ理由。大魔法である空間転移を難なく使用し、飛行魔法を行いながら大魔法を行使し、ハル達の攻撃を無造作に無効化できる。自分達の攻撃が届かず、通用しない事態にハル達が戦慄するもさらなる絶望が告げられる。それは


「我の魔力は無限。減ることはない。主らに勝ち目は全くない……大人しくシンクレアを渡すがいい……そうすれば苦しまずに一瞬で楽にしてやろう……」


ハジャの持つ魔力が文字通り『無限』であること。どんなに魔法を使おうともハジャの魔力は尽きることはない。ハジャがその身に宿す六十一式DBによって。それこそが『無限のハジャ』と呼ばれる所以。持久戦すらハジャには通用しない。レイヴの力にも限界がある。つまりこのまま戦い続けてもハル達には欠片も勝機はない。あるのは絶望だけ。


「そ、そんな……じゃあどんなに魔法を使ってもあいつは平気ってことですか!?」
「敵の言うことを真に受けるんじゃねえ! ハッタリに決まってる!」
「だがこのままでは勝ち目がないのは事実じゃ……ハル、何とかあやつに攻撃する手段はあるか?」
「悪い……真空剣以外には空の敵に攻撃する手段はねえ。何とか剣が届く距離まで近づければ……」


ハルは苦渋の表情で己の無力さを痛感するしかない。離れた敵への攻撃手段はTCMには数えるほどしかない。剣である以上逃れられない宿命。封印剣も魔法に対する絶対の力を持ってはいるがあくまで防御のための剣。レットもムジカもそれは同じ。空を飛ぶ魔導士に対して戦う術をハル達は持ち得ない。


「どうやら万策尽きたようだな……大人しく消え去るがいい」


無慈悲な宣告を告げながらハジャが逃れようのない死の弾雨を降らせんとしたその瞬間


「ここはワシが時間を稼ぐ……お主らは一刻も早くこの島から脱出するのじゃ……」


かすれるような声でなおも傷ついた巨体を引きずりながらダルメシアンがハル達の前へと姿を現す。まるでハル達を守ろうとするかのように。


「ダルメシアン!?」
「だ、ダメだよ! そんな体で動いちゃ……」
「構わぬ……どの道もうこの怪我では長くは保たん……だが主らをここから逃がす時間ぐらいは稼いでみせよう……」


ダルメシアンは決死の覚悟を以てハジャへと向かい合う。既に満身創痍。仮の姿である全盛期の力は残っていない。否、全盛期であったとしても大魔道であるハジャに敵うかどうかも分からないにもかかわらずダルメシアンは一切の恐れも迷いもない。誇り高き戦士の姿を前にしてハル達は言葉を発することはできない。


「済まぬな、二代目よ……レイヴを主に託すどころか敵の手に渡してしまうとは……今はとにかく生き延びることを考えよ……そして魔導士の力を借りるのじゃ……魔導士には魔導士でしか対抗できん……」
「ダルメシアン……」
「師匠……あきらめちゃダメポヨ……まだ教わりたいことがいっぱいあるポヨ……」
「案ずることはない……主は仲間たちと共に信じる道を進めばよい。さあ、早く行け! ワシの時間が残っておる内にここを去るのじゃ!!」


ダルメシアンの叫びによってハル達は走り出す。ただ生き延びるために。今の自分たちではハジャには敵わない。頭では分かっている覆しようがない事実。ダルメシアンに後を任せることしか生き残る選択肢はない。だがそれでもハル達は拳を握りしめながら振り返ることなくただ一直線に島の海岸に停泊している自分達の船に向かって走るだけ。それだけが命を賭けて自分達を救おうとしてくれているダルメシアンに応えることだと知っているからこそ。


「無駄なことを……どんなに足掻いたとしても主らに希望などありはせん。蒼天四戦士であったとしても過去の亡霊になり果てた主など足止めすらできんというのに何故そこまで……」
「ふっ……お前のような男には分かるまい。軍師としてみれば負けだと思える戦を何度もワシは経験してきた……だがあきらめたことは一度もない。それだけがワシの誇りじゃ。そしていつもそれに応えてくれる仲間がおった……」


その場に似つかわしくないパイプに火を灯しながらダルメシアンは想いを馳せる。五十年前の王国戦争。多くの命が奪われた戦い。その中にあってもダルメシアンは決してあきらめることはなかった。

クレアが、ディアが、アルパインが、シバが。自分と同じ信念を持った者たちが皆、命を賭けてただ平和を目指して共にいてくれたからこそ。そしてその魂は失われることなく受け継がれている。二代目レイヴマスターとその仲間たちへと。その礎となれるなら後悔などあるはずがない。


「来るがいい、無限の欲望よ。無限よりも確かな物があることを主も知る時がくるであろう」


予言にも近いダルメシアンの言葉と共にハジャと魔法が全てを飲みこんでいく。だがそれを同じ魔法によって対抗しながら蒼天四戦士は最後まで己の信念を貫きながらこの世を去っていった――――




「ちょ、ちょっとムジカさん!? 一体どうしたってんですか!? 何の説明もなく船を飛ばすなんて……」
「今は詳しく話してる暇はねえ!! とにかくこの島を離れるんだ!! グリフ! 最後のレイヴポイントはどっちの方角だ!?」
「こ、ここから東……イーマ大陸まではかなり距離があります! でもこの船なら急げばそれほど時間はかからないかと……」
「よし……ヘビ、このまま東に向かって全速力で向かえ! 燃料のことは気にしなくていい!」


ムジカは必死に冷静さを取り戻しながら部下であるヘビに指示を出す。今、ムジカ達は島に停泊させていたシルバーナイツ号に乗り込み、海へと出発していた。ヘビたちは突然のムジカ達の帰還と出発に戸惑うもそれ以上問いただすことはできない。とても問いただすことができるような状況ではなかった。


「うう……ぐみゅっ……し、ししょう……! ひっく……」
「ルビー……」
「ごめんな……ルビー……オレがもっと強ければ……」
「主だけではない……ワシら全員の力不足が原因じゃ。だがここで立ち止まるわけにはいかん。ダルメシアンに託された想いを無駄にせんためにも……」
「わ、分かってるポヨ……ボクも、もうこれ以上は泣かないポヨ……!」


自らの師匠でもあるダルメシアンを残してきたことによってルビーは涙を流し、嗚咽を漏らすもその胸中は皆同じ。自分達を逃がすために単身あの場に残ったダルメシアンがどうなるかなど口にするまでもない。それでもハル達には立ち止まる時間は許されない。一刻も早く島から離れること。そして五つ目のレイヴを手に入れなければDCに、シンクレアに対抗することはできないのだから。


「……エリー、残る一つのシンクレアは持っておるな?」
「う、うん! 一つは取られちゃったけどちゃんとこの子は持ってるよ! もう取られたりしないようにしっかり握っておく!」
「うむ、それだけは幸いじゃった……もしそれまで奪われておれば五つ全てのシンクレアがルシアの元に集まっておったかもしれん……」


レットはまるで宝物を隠すかのように両手でヴァンパイアを握りこんでいるエリーの姿を見ながらも安堵していた。もしあの場で二つのシンクレアを奪われていればその時点でDCの勝利が確定していた可能性があったのだから。しかし喜んでばかりもいられない。シンクレアだけでなく未来のレイヴも奪われてしまっている。それはすなわち少なくともハジャを倒さなければレイヴを五つ揃えることができないことを意味している。もし本部に持ち帰られ、ルシアの手に渡ればそれを奪取することは極めて困難になる。ルシアだけでなく四天魔王まで相手にしなければならない危険すらあるのだから。


「でもあのハジャって奴、何か変じゃなかったか……? 副官ってことはアキの部下なんだろ? なのに星の記憶は自分の物だって言ってたし……」
「あたしもそう思う! アキならあんな酷いことするはずないもん! それにアキ、あんな怖い人は苦手なはずだよ!」
「……主らの中のルシアがどんな存在なのかは分からぬがともかく今は逃げるしかない。ダルメシアンの言う通り、空を飛ぶ魔導士には同じ魔導士でしか対抗できん……」
「でもあたし達の中に魔導士なんてルビーしかいないよ? 誰か新しい仲間を探すしか……」
「いや、一人心当たりがある。あのハジャに対抗できるかは分からぬが……」
「っ! それってもしかして……」


ハルがようやくレットが言わんとしていることを悟り、その名を上げようとした瞬間、ハル達の頭上に大きな何かが現れる。その巨大さによってシルバーナイツ号は影に覆われてしまう。突然の事態にハル達は慌てながら甲板に出るも言葉を失う。そこには


「船……?」


シルバーナイツ号を優に超える巨大な船があった。だがハル達が驚愕しているのはそこではない。それは船の形。飛行船ではなく海を渡るはずの船が空に浮いている。信じられないような光景。ハル達は知らなかった。


それが『英雄たちの船アルゴ・ナウティカ』と呼ばれる宇宙魔法であることを。


「―――っ!! ヘビ、操縦を代われ!!」
「ムジカさんっ!?」


反射的にムジカは操縦桿をヘビから奪い取り船を旋回させる。躊躇いも容赦もない乱暴な進路変更によってシルバーナイツ号は大きく揺れ、乗組員たちはあわや振り落とされんばかりの揺れに襲われる。だがそんなことはムジカの頭にはなかった。今はただ頭上にある船から離れることが最優先。直感にも近い戦士の感覚。それは正しい。何故ならその刹那、英雄たちの船アルゴ・ナウティカから砲撃が落とされたのだから。それは光の砲弾。間一髪のところでシルバーナイツ号はそれを回避する。だが光の砲弾が海に着弾した瞬間


閃光が全てを支配した―――――



「きゃあああああ!?」
「うああああああ!?」
「こ、これは……!?」


まるで閃光弾が破裂したかのような光と爆風によってハル達は叫びを上げるしかない。その衝撃によって津波のような波が起こり、舞い散った水しぶきが雨のように船へと降り注ぐ。直撃を回避したにもかかわらず船は悲鳴を上げ、損傷を受けてしまう。何とか体勢を立て直しながらもハル達はそれを目にする。自分達の後方。目をこらさなければ見えないような小さな影。だが先程の英雄たちの船アルゴ・ナウティカを遥かに超えるほどの圧倒的な魔力を有する存在。


「あれを避けるとは……どうやら悪運だけは強いらしいな、レイヴの騎士たちよ」


無限のハジャ。傷一つ負っていない大魔道士が今、再びハル達を葬らんと迫ってきている。しかもその速度は明らかにシルバーナイツ号を超える物。まさに怪物と言ってもいいデタラメぶり。


「そ、そんな……」
「あいつがいるってことは……もうダルメシアンは……」
「…………」


エリーとハルがハジャがいることの意味を悟り言葉を失うもレットには掛ける言葉はない。あるのは同じ戦士としていかにハル達を生かすかだけ。だがどんなに思案してもレットにはその術がない。拳士であるレットでは空を飛ぶ魔導士と戦う術がない。加えて今、周りは海。逃げ場のない袋小路に等しい状況。


「くそっ……!! これ以上スピードは出ねえのかよ!?」
「む、無理っス!! これ以上出したら先に船の方が壊れちまうっスよ!?」


必死に操縦桿を握りながらハジャから逃げ切らんとするもシルバーナイツ号は既に最大速度。限界以上の速度を出せばその瞬間、船は壊れてしまう。そうなれば後は海に投げ出されるだけ。ハジャに襲われるまでもなく全滅してしまう。


「まだだ……!! オレはまだあきらめねえぞ……!!」


仲間たちが絶望に染まりながらも最後の希望であるハルはその手に封印剣を構えながら立ち上がる。その瞳に恐れはない。あるのはただ自分に託された想いに応えることだけ。自分達を逃がすために命を賭けてくれたダルメシアンに報いるために、仲間達を救うために、かつて姉としたアキと共にガラージュ島に帰るという約束を守るために。


「あきらめよ……我こそが時の支配者……その生贄となるがいい……」


だがそんな希望すらも許さないとばかりにハジャが最後の魔法を唱える。同時に無数の光がシルバーナイツ号を取り囲んでいく。一切の逃げ場のない包囲網。まるで夜空に輝く星のように数えきれないほどの魔力の光が全てを飲みこんでいく。例え封印剣であったとしても防ぎきれない規模の大魔法。自分だけならまだしも仲間を、船全体を守ることは今のハルには叶わない。


星夜ファイナメイナ


大魔法である宇宙魔法。詠唱と共に星の輝きが全てを破壊せんと無数の爆発を起こす。破壊の渦に為すすべなくハル達が飲み込まれんとしたその時、彼らは確かに聞いた。



「五重魔法陣 御神楽みかぐら



ハジャではない魔導士の詠唱を。


瞬間、五つの巨大な魔法陣がシルバーナイツ号を取り囲んでいく。その数に呼応するように五本の杖が舞い、魔法陣を描きながらその力によってハジャの星夜ファイナメイナを一つ残らず無効化していく。魔導士ではないハル達にもそれがそれだけ常軌を逸したものであるかは理解できた。だがあるのは誰が自分達の危機を救ってくれたのかという単純な疑問だけ。だがそれに応える者はいない。あるのは


「…………」


無言のままハル達を守るかのように甲板に降り立った一人の男だけ。その姿は依然と全く変わっていない。


顔を迷彩柄のマスクと布覆い隠し、その体は包帯で巻かれマントによって覆われている。背中には複数の杖を背負っている一度目にすれば忘れることなどあり得ない風貌。


『覆面の男』


かつてシンフォニアでハル達を救った男が再び舞台に上がる。


今、時を賭けた二人の魔導士の戦いの狼煙が上がる時が来た――――



[33455] 第八十話 「交差」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/06/26 07:01
「お前は……」


ハルは呆然としたまま目の前に現れた乱入者を見つめることしかできない。そこには何本もの杖を背中に担ぎ、マントをはためかせている覆面の男の姿がある。奇しくもその状況は先のシンフォニアと酷似している。自分たちが絶体絶命の危機に陥った瞬間にまるで狙ったかのようなタイミングで現れる。あまりにも出来すぎた話にハルですら疑念を抱いてしまうほど。だがそれは


「あ! あの時の覆面の人!? ありがとう! また助かっちゃった!」


まるで近所の知り合いが来たかのようにはしゃぎながら覆面の男に近づいて行くエリーによって吹き飛ばされてしまう。全く人を疑うということを知らないかのような純粋さ、もとい天然さにハルは呆気にとられるしかない。だがそんなエリーに纏わりつかれているにもかかわらずいつかと同じように全く無駄のない動きで覆面の男はあしらい続けている。その手際の良さはハルだけでなくその場のいる全ての者たちが感心してしまうほど。だがそんな空気も束の間、すぐさまハル達は今の自分たちが置かれている状況を思い出し、動き出す。


「っ!! エ、エリー、いつまでそんなことやってんだ!? そいつも困ってんじゃねえか!?」
「え? そんなことないよ! それにまた助けてくれたんだしきっといい人だよ! ね?」
「済まぬが今はそんなことを言っておる場合ではない……覆面の主よ、今のはお主がワシらを救ってくれたと思ってよいのじゃな?」
「…………」


ハルが何とかエリーを羽交い締めにし、覆面の男から引き剥がした隙を見計らってレットが皆を代表して問う。その問いに言葉ではなく頷くだけで覆面の男は応えるのみ。だがそれはハル達にとっては十分すぎるほどのもの。この窮地において目の前の援軍ほど心強い者はいないのだから。


「おい! とりあえず助けてくれたのはありがてえがこれからどうする気だ!? 今はあのジジイ、様子を見てやがるのか攻撃してこねえがいつまでも待ってはくれねえぞ!?」
「そ、そうですよ! またさっきみたいな魔法を使ってこられたら船の方が持ちません!」
「とにかく今はこの男の魔法に頼りながらイーマ大陸を目指すしかなかろう……無論、このままワシらに力を貸してくれればの話じゃが……」
『プーン……』


操縦席からムジカが声を上げたようにまだ脅威が去ったわけではない。今この瞬間も後ろからハジャが迫ってきている。今は先程の攻防を警戒してか攻撃してきていないがそれも時間の問題。依然追い詰められていることには変わらない。同時にこの状況を打破するには覆面の男の出方に全てがかかっている。ハル達の視線の全てが覆面の男に注がれるも男は一言も発することはない。シンフォニアの時と同様、男は言葉を紡ぐことはない。あるのは行動で示すことのみ。

覆面の男が指を振るった瞬間、船を守護するように展開されていた杖が動きだし、男の元に集って行く。それに合わせるように男はその中の一本に飛び乗り、宙を舞う。その光景にハル達は言葉を失う。それはまるで空を滑るサーファーのような洗練された動き。同時に覆面の男は杖を片手に持ち、船の進行方向に向かってかざす。それは


「オレ達に行けって言ってるのか……?」


東、イーマ大陸に向けてのもの。すなわちこの場は自分に任せて先に行けというメッセージ。それを示すかのようにハルの言葉に覆面の男は顎を動かすことで応える。他の者たちにもその意志は伝わったのかすぐにそれぞれが己が為すべきことを為すために動きだす。


「分かった……でも無理すんなよ。まだお前が誰なのか教えてもらってないんだからな」
「……ありがとう。気をつけてね」


ハルは振り切るようにこの場を覆面の男に任せ、船の加速に備えて船内へと戻って行く。全てを覆面の男に委ねるしかない自分の不甲斐なさに後ろ髪を引かれながらもハルは後を託す。エリーもまたそれは同じ。つい先ほど同じように自分達はダルメシアンに後を託し、それに甘えることしかできなかったのだから。また同じように覆面の男も命を落としてしまうのではないか。そんな心配を含んだ言葉。しかし覆面の男はそれを理解しながらも全く動じることはない。あるのはただ確かな自信だけ。その姿を目に焼きつけながらもエリー達は先へと進んでいく。そんな中、エリーは覆面によって目には見えないものの確かに感じ取った。


男が自分に向かって微笑みかけていたのを――――




空と雲、そして果てしなく続く海だけの世界で二人の魔導士は向かい合う。奇しくも共に空にその身を置いている点は同じだがその風貌も何もかもが異なる二人の男。


「なるほど……主がシンフォニアでレイヴマスターどもを手助けした魔導士だな」


その片方、無限のハジャは全く疲労した様子ら見せずに杖の上に乗っている覆面の男と向かい合う。つい先ほどまで飛行魔法を制御し、大魔法を連発していたにもかかわらず息一つ切らすことがないまさに怪物。だがそんなハジャであったとしても目の前の相手は油断できる存在ではない。自分の魔法を防ぐことができる魔導士など数えるほどしかいるはずがないのだから。そして何よりもハジャは目の前の男を知っていた。それはシンフォニアでの戦いをハジャは離れた場所から魔法によって盗み見ていたのだから。その中で目の前の男は自らの師であるシャクマと渡り合っていた。もしその実力が本物だとすれば今の自分では敵わず撤退を余儀なくされかねない。確実に攻めることも退くこともできる距離を保ちながらハジャは話しかける。


「だが何故レイヴマスター達に味方する……? 奴らに縁がある者か……?」


それは少なからず目の前の覆面の男の正体に興味があったからこそ。何故レイヴマスター達の味方をするのか。目的は何なのか。それいかんによっては自分の側に引き込めるかもしれないという狙いがあっての物。だが


「…………」


男は口を開くことはない。まるで本当にしゃべることを知らないかのように。


「フン……まあよい。我をレイヴマスター達から遠ざけることができたと思っているようだが甘いな。我を足止めしたところで無駄なことだというのに……」


正体を暴くことをあきらめたハジャはどこか憐れみにも似た声で覆面の男にある事実を告げんとする。覆面の男が決死の覚悟で自分を足止めすることでレイヴマスター達を救えたと思っている愚かさを思い知らせるために。だがそれは



「他の六祈将軍オラシオンセイス達が待ち伏せしているから……か?」



今まで一言もしゃべることがなかった覆面の男の言葉によって遮られてしまう。


「……! ほう、気づいていたのか……だがそれを知っていながら何故奴らを行かせた? このままでは全滅するだけだというのに……」
「『知っていた』だけだ……それに余計な心配をする前に自分の心配をした方がいい……」


理解できない覆面の男の物言いに引っかかりを感じるものの初めて口を開いたことに少なからずハジャは驚きを隠せない。その声から恐らく二十代。魔法によって声を変えている可能性は捨てきれないが口調や体つきからほぼ間違いない。だがそこまで読みとった所でハジャはすぐに臨戦態勢に入る。これ以上言葉は必要ない。


「なるほど……主が我をこの場で倒すと言いたいわけか……」


先の言葉の意味をハジャはそう見抜く。だがそれは正しくもあり間違いでもある。ハジャは知らない。その言葉の意味を。ハジャは気づけない。男が今まで開くことがなかった口を開いた理由を。


「いや……お前を倒すのはオレではない。すぐにお前にも分かる時が来る……」


予言にも似た確信を以て覆面の男はその手に杖を構える。今ここに未来と現在が交差する瞬間が訪れようとしていた――――






鐘の音が鳴り響き、時計が溢れている静かな街。まるで時の流れを形にしたかのような空気がそこにはある。

『ミルディアン』

それがその街の名前。時を刻む街と呼ばれる場所。その中を一人の男が進んでいく。蒼い髪に白いコートを身に纏った美青年。その歩みには全くよどみがない。何故ならこの街は彼にとっては慣れ親しんだ場所、故郷なのだから。


(久しぶりに戻ったはずだが……やはり昔と変わっていないようだな……)


時の番人ジークハルトは久しぶりの帰郷に感慨深げになりながらも自分が知る時と全く変わっていない街と人々に安堵していた。この街は表向きは小さな何の変哲もない街であるがある大きな秘密がある。それはこの街に住むすべての人間が魔導士であるということ。加えてある使命を負っている。

『時を守ること』

それこそがこの街の者達の使命であり、時の民と呼ばれる所以。ジークハルトもまたその使命を全うするために街から離れ動いていた。そして今、ジークは何の理由もなく故郷へと戻ってきたわけではない。


(ドリュー幽撃団と鬼神は恐らくDCによって壊滅させられた……どうやらハル達は無事のようだが時は一刻を争う……)


ジークはめまぐるしく動き続ける状況を危惧しながらも冷静に己が為すべきことを再確認する。ジークは既につい先日ドリュー幽撃団がサザンベルク大陸で、鬼神とシルバーレイがエクスペリメントで壊滅させられるという情報を得ていた。それによって脅かされていた世界にとっては喜ぶべきニュースであり、脅威が去ったことで人々は安堵している。しかしジークにとっては喜んでばかりはいられない。それは闇の組織が新生DCを残し全て壊滅してしまったということ。すなわちDCが全戦力でハル達に総攻撃を仕掛けてくる危険が高いこと。加えて最悪四つのシンクレアがルシアの元に渡ってしまっている可能性があること。ハル達もまた四つ目のレイヴを手に入れているであろう点では五分だが何よりも戦力差がありすぎることが大きな問題。シンクレアを手にしているルシアを筆頭に六祈将軍、超魔導シャクマも加わっているであろうことは間違いない。今のハル達ではどう足掻いても勝ち目はない。


(あれから七日……シュダはそろそろ合流するだろう……不安がないわけではないが、今は信じる他ない……)


元六祈将軍『爆炎のシュダ』

帝都の跡地で彼と再会したジークは共にハル達の味方となることを約束した。ジークからすれば完全に信用するには危険すぎる男ではあったのだが今の状況では一人でも味方が増える方がメリットは大きいという判断。本当であればあのままシュダと共にハル達の援護に向かう予定だったのだがジークはそれを変更し、単身ここミルディアンへと訪れていた。


(誰がこれを送ってきたのかは分からないが……無視するわけにはいかないな……)


ジークは神妙な表情を見せながら懐から一枚の手紙を手に取る。それは先のシュダとの再会の際、一羽の伝書鳩がジークに託していった手紙だった。送り主は不明。だがその手紙の文面はイタズラだと無視することができない内容だった。


『エリーの記憶の秘密を知りたければミルディアンへ来い』


それが手紙に記されていた内容でありジークにとっては驚愕と共に無視することができない内容だった。普通に考えれば自分を陥れるための罠だと考えるが当然。しかし罠にしてはあまりにも不可解な点が多い。伝書鳩を使っていることから自分の居場所を知っているはずにも関わらず場所を指定していること。襲撃することが目的ならわざわざ知らせることなく今この場を狙った方が遥かに効率的。DCの仕業にしてはお粗末が過ぎる内容。何よりもエリーの記憶という自分にとって最重要な情報を提示してくる点も気にかかるところ。様々な要素を考慮した結果、ジークはシュダと別れ、ミルディアンへと向かうことにした。もちろん手紙の件もあるがそれ以外の理由もある。


(魔導士であるオレに求められるのはハジャを倒すこと……だがオレ一人では奴には敵わない……この街の者達の協力が得られれば……)


時の民達の協力を得ること。それがもう一つの理由。DC側の魔導士であるハジャを倒すことが己の役割であるとジークは自覚していた。他の六祈将軍も侮ることはできないがハジャは別格。無限の魔力を持っているとされるハジャはその気になれば一日中魔法を詠唱することすらできると言われている。流石に大魔道であるジークであっても敵う相手ではない。だがこの街にいる千人の魔導士の力と一人の賢者の力を借りることができれば可能性は出てくる。


「……ん? ほう、懐かしい顔じゃな。戻ったか、ジークハルト」


一際大きな時計台のような建物の窓から一人の老人が顔を出し、眼下のジークハルトに向かって声を掛けてくる。小柄な体と髭を生やしている姿からどこか間抜けな風貌を持ってはいるもののその老人は只者ではない。その手にある杖が意味するように彼もまた魔導士。


「お久しぶりです、ミルツ様……お元気そうで何よりです」


ジークは手を胸に当てながら深く頭を下げることで敬意を示す。大魔道であるジークをしてそこまでの礼を取らなければならない程の力と権威がその老人にはある。

『時の賢者 ミルツ』

ミルディアンの最高責任者でありジークにとっては育ての親でもある存在だった――――



「さて、本当ならお茶でも振る舞ってやりたいところじゃがお主には聞きたいことが山のようにある……構わんな?」
「はい……自分にもあまり時間がありませんので……」


ミルツの部屋に招かれたもののジークは全く油断することなく対峙する。知らずジークの背中には汗が滲んでいる。今からジークが行おうとしていることはある意味戦闘にも匹敵するものなのだから。それを感じ取っているのか定かではないがミルツはテーブルの上にある紅茶を一口飲みながら問いただす。


「ふむ、ではまずは今お主に与えていた任務についてじゃ。確かワシは主にハジャの補佐をするように命じた筈じゃが何故それを放棄しておる?」
「……放棄していたわけではありません。あの男、ハジャについてあまりにも不審な点が多いことから独自に動いていました」
「不審な点、とな……よい、続けなさい」


ミルツの一挙一動に注意を払いながらもジークはひとまずはミルツが自分の話を聞きいれてくれる姿勢を示してくれたことに安堵する。だがまだそれはスタート地点。ミルツから見れば今の自分が任務を放棄した罪人と映っていてもおかしくないことをジークは自覚していた。

『ハジャを補佐し、キングを暗殺すること』

それがジークに与えられていた任務であり時を守るための使命。だがいくつもの出来事からジークはそれに疑問を感じ独自に時を守るために動いてきていた。


「はい。あの男の行動には明らかに時を守る以外の目的が見え隠れしてします。いくらキングが相手だとしてもハジャならばチャンスは何度もあったはずです。にも関わらずハジャは動くことなく、キングの死後も自ら新たなキング、金髪の悪魔をDCの最高司令官に迎えています……」


ジークは一つ一つ己の疑念を提示していく。ハジャの任務は先代DC最高司令官であったキングの暗殺。しかしジークが補佐としてやってきたにもかかわらずハジャには一向にそれを実行に移す気配がなかった。いくらキングが規格外の強さを持っていたとしてもハジャの力と知略なら手はあったはず。ジンの塔の戦いでキングが没した後もその息子であるルシアを新たなキングに据えるという行動に出ている。ハジャの力ならルシアを倒すことはできなくとも他の六祈将軍を壊滅させ戦力を殺ぐことは容易であろうにも関わらず。


「何よりもハジャは以前からルシアとエリー……魔導精霊力の娘の所在を掴んでいました。にも関わらずそれも見逃していたことになります。ミルツ様……あの男は明らかに時を守るという使命ではなく何か別の、恐らくは私利私欲のために動いている節があります」


何よりも決定的だったのがハジャがルシアとエリーの所在を知っていたにもかかわらず放置していたこと。それどころかそれを利用している節まで見える。ジークもまたその術中にはまり道化を演じさせられることになった。それからジークは独自に動き、ハジャの狙いを看破した。それは


「ミルツ様……ハジャの目的は恐らく全てのシンクレアを揃え、星の記憶を手にすることです。そう考えれば今までの行動にも辻褄が合う。どうかオレに力を貸していただきたい。時を、この星の未来を守るために……!」


自らがシンクレアを全て手にし、星の記憶を手にすること。そうであれば今までの明らかに不可解な行動や言動に辻褄が合う。一切の思い込みを捨て去ったジークだからこそ辿り着いた論理的な事実。だがそれは


「ほう……そのことに自力でたどり着くとは流石じゃな。それで……それが分かったからどうだというのじゃ?」
「え……?」


それを遥かに超える理解できないミルツの言葉によって無残にも砕け散ってしまう。ジークは口を開き、呆然としたままミルツを見つめることしかできない。


「お主の言う通り、ハジャは星の記憶を手に入れるために動いておる。だがそれはハジャの独断ではない。ワシら時の民の総意なのじゃよ」
「なっ!? 何を言っているのですか!? 我々の使命は時を守ること! 時を手に入れることではないはずです!!」


ようやくミルツが何を言っているのかを理解したジークは声を荒げながら問いただすしかない。冷静沈着なジークであってもそうならざるを得ない程の衝撃がそこにある。星の記憶を手に入れる。それはすなわち時を手に入れること。時の民の使命とは相反する真逆の行為なのだから。


「ふう……やはり外に出したのがいけなかったのか。お主の考えは古いのじゃよ。我ら時の民は選ばれた特別な人間! 時を支配することが我らの真の使命なのだ!」
「馬鹿な……!? 星の記憶に人間を入れてはならないと……それがあなたの教えだったはず! ご自身の手で自らの戒律を破るのですか!?」


だがミルツには全くジークの言葉を意に介することはない。自らを正しいと信じて疑わない。自分たちこそが正義、特別だといわんばかりの在り方にジークは激しい既視感を覚えるも必死に訴え続けるしかない。しかし


「フム……なら逆にお主に問おう。何故お主は魔導精霊力の娘を生かしておる? しかも娘が星の記憶に行こうとしているのを手伝っているとか……これはお主の言う時を守る使命に反することではないのかね?」
「……! そ、それは……」


それはジークにとっての矛盾。時を狂わす可能性がある物を破壊、消滅させることが時の番人としてのジークの使命。それから考えれば魔導精霊力はその最たるもの。加えてその者たちが星の記憶へ行くのを手助けしているのだから。その事実を突きつけられ、ジークは一瞬息を飲む。だがそれはすぐに消え去って行く。かつてのジークであればあり得ないようなこと。だが今のジークは違う。


「それは時を守るための別の答えなのです! 決して彼女を殺してはならない! 魔導精霊力とレイヴはこの星を救うための最後の希望! どうかこれだけは信じてください!」


誰かに言われるままでなく、自らの目と耳によって世界を見てきたジークだからこそ出せる答え。


「まったく……今はお主の戯言に耳を傾けている時間はないのだよ。時は刻一刻と迫っておる。今既にハジャがシンクレアとレイヴを手に入れるために動いておるところだというのに……」
「っ!? そ、それは一体……!?」


しかしそれはミルツに届くことはない。やれやれと言った風に呆れながらもミルツはその口から今まさに何が起こっているかをジークに告げる。もはや動きだした歯車は止まらないのだと分からせるために。


「なんだ、まだ知らなかったのかね。今、金髪の悪魔は魔界に行っておる。どうやら四天魔王を配下とするためのようじゃ……」
「四天魔王……!? 魔界を統治する四人の王を……!?」


金髪の悪魔が力をつけ、四天魔王まで取り込もうとしている。それこそがミルツ達が動きだした最大の理由。ルシアだけでも脅威であったにも関わらず四天魔王まで加わればいかにハジャ達といえども勝ち目はない。


「金髪の悪魔の力はかつてのキングを遥かに超えておる……これに四天魔王まで加わればもはや世界は終わりじゃ。何としてもその前に我らが星の記憶を手に入れねばならん!」


だが今は逆にいえば好機でもある。ルシアが人間界を離れた今こそが最初で最後の勝機。この間にシンクレアとレイヴを手に入れることでルシアやレイヴマスター達が星の記憶へ至るのを阻止し、先にそれを手に入れる。星の記憶は時空操作が可能な聖域。その力を使えばルシアであろうと四天魔王であろうと恐れるに足らない。


「それだけではない。預言者サガ・ペンドラゴンのエンドレス復活の予言から既に二年が経っておる。忘却の王エンドレスもいつ目覚めるか分からん。もはや我らが動くしかないのだ!」


何よりも最も大きな問題は忘却の王であるエンドレスの復活がいつ起きてもおかしくないと言うこと。もしエンドレスが目覚めれば全てが終わる。DCもレイヴマスターもエンドレスには敵わない。その前に星の記憶を手にし、エンドレスを消滅させるしか人類が生き延びる方法はない。それがミルツが星の記憶を手にせんとしている理由だった。


「ま、待って下さい! 例え星の記憶を手にしてDCを、エンドレスを消したとしてもそれはまた新たなエンドレスを生み出すだけ……終わりない破滅が待っているだけです!」


だがそれでもジークは根本的な問題を口にするしかない。エンドレスを生み出したのはかつて何者かが時空操作を行ったからこそ。もしエンドレスを時空操作によって消し去ったとしてもまた新たなエンドレスを生み出すだけ。それこそが終わり亡き者と呼ばれる所以。ルシアや四天魔王を消滅させるために使えば最悪、エンドレスが増えてしまうことにもなりかねない。一時的な延命処置にしかならないのだと。


「フム……では逆に聞こう。お主はこの状況をどう打破するというのかね?」


ミルツとてそのことは誰よりも理解している。だがそれ以外に手段がないことも。しかしその答えを得た者がここにいる。


「先程言った通りです! DBを壊すために生み出された聖石レイヴとその使い手であるレイヴマスターであればルシアを止めることが、そして魔導精霊力ならエンドレスを倒し得る可能性があります! どうかそのために力をお貸しください、ミルツ様!!」 


レイヴと魔導精霊力。DBとエンドレスと対極に位置する力。それがあれば時を守ることが、星を救うことができる可能性がある。それがジークの導きだした答え。しかしそれは


「残念じゃが『可能性』などという不確かな物を信じるわけにはいかんのじゃよ。お主にはハジャから生け捕りにするように言われておる。大人しく『時を歪ます罪人』として処刑されよ、ジークハルト……」


無慈悲にもミルツによって否定される。可能性という不確かな物を信じることはできないという責任者としての責務と驕り。それを前にしてようやくジークはもはや言葉ではミルツ達を止めることができないのだと悟るももはや退路はない。ミルツの杖には凄まじい魔力が集中し、部屋に控えていた護衛の魔導士たちも最初からジークを捕えるためだけに配置されていた精鋭ぞろい。いかにジークといえども脱出することができない窮地。


(くっ……! 何てことだ……まさかハジャだけでなくミルツ様まで敵に回るとは……!!)


活路を見いださんとしながらもジークは考え得る中で最悪の事態に為す術がない。ミルツの言葉を信じるなら既にハジャはハル達を襲撃している可能性が高い。援護に向かうどころか自らの命運すらも尽きかけんとその時


幻の霧ミスト!!」


子供の声とともに部屋全体が凄まじい霧に包まれてしまう。目の前すら見えない程の濃霧。幻影魔法と呼ばれる相手を惑わすための魔法の力。


「な、何じゃ!? 敵襲か!? 前が何も見えんぞ、衛兵は何をやっておる!?」


突然の事態にミルツは声を荒げるも行く手を遮る霧によって初動が遅れてしまう。すぐに、魔法によって霧を払うも時すでに遅し。部屋にはジークも侵入者の姿もない。この街にジークに味方する物などいないという油断によってまんまと出し抜かれた形だった。



「ジーク!! こっちだよ、早く!!」
「っ! お前は……ニーベル!?」


手を引かれながらがむしゃらに走り続ける中でようやくジークは自らを救ってくれた者の正体に気づく。

『ニーベル』

変身魔法を得意とする魔導士の少年。小さい頃からジークを慕っていたジークにとっては弟のような存在だった。


「どうしてお前が……それに何故オレが戻ってきたことを……」


だが助けられたことに感謝しながらもジークはあまりにも出来すぎた展開に疑問を感じずにはいられない。ジークはこの街に戻ってすぐ一直線にミルツの元へと向かっていた。それからまだ一時間と経っていない。街に伝わるにしてはあまりにも早すぎる上にいくら油断していたとはいえ衛兵たちの目を欺いてあの場まですぐやってくることなど不可能に近い芸当だった。


「うん……ボクも半信半疑だったんだけど、昨日ボクの前に見たことない覆面をした魔導士がやってきて教えてくれたんだ。ジークが今日帰ってきて、処刑されそうになるはずだから助けてやってくれって」
「覆面の男だと!? それは迷彩柄のマスクとマントを身に纏っていた男か!?」
「う、うん……やっぱりジークの知り合いだったの?」


事態が掴めないニーベルが困惑するもジークはそれ以上の混乱に襲われていた。当たり前だ。ニーベルの言葉が真実なら自分を助けたのはシンフォニアで出会った覆面の男なのだから。


(ならこの手紙も覆面の男からの物なのか……? まさかオレを嵌めるためにミルディアンに……いや、おかしい。ならわざわざニーベルにオレを助けさせるわけがない……一体何の目的でこんなことを……?)


ジークは懐にある手紙を手に取りながらも答えは出ない。この手紙が覆面の男からの物であるのはほぼ確実。ミルツと示し合せて自分をここへおびき寄せたと考えるのが一番自然だがそれではニーベルに自分を助けるように指示を出すのは矛盾している。まるで意図が見えない行動にジークは翻弄されるしかない。


「ニーベル、その覆面の男は今どこにいる?」
「え? わ、分からないよ。すぐにどこかに行っちゃったし……ボクももっと話したいと思ったんだけど……あ、そうだ! もう一つ頼まれてたんだ! ジークに会ったらこれを渡してくれって!」


ミルツの時計塔から脱出するために階段を全速力で駆け下りながらもニーベルは思い出したかのように背中に背負っていた物をジークに向かって差し出す。それは


「これは……杖?」


一本の杖。恐らくは覆面の男が複数所持していた杖の内の一本。何故そんな物を自分に託すのか理解できないもののジークはニーベルから杖を受け取るしかない。しかしそこには全く魔力がなかった。本当にただの杖。魔力すらないそれはただの棒きれと変わらない。


「おかしいよね……ジークに渡してほしいって言うからすごい杖かと思ったんだけど全然魔力もないんだ。どうしてこんな物を……ジーク……?」


ニーベルは何の役にも立たないであろう杖をジークに託した覆面の男を訝しむもジークはその杖を手にしたままピタリと動きを止めてしまう。すぐに逃げなければ追手が迫ってきてしまう。だがそれすらもジークの頭には残ってはいなかった。まるで自分の体が自分の物ではないような感覚。導かれるようにジークは杖を手にしながら自らの魔力を杖に注ぎこむ。


瞬間、とてつもない魔力が辺りを支配した――――


「こ、これは……!? さっきまでは何の魔力もなかったのに……!?」


ニーベルは驚愕の表情を浮かべながらジークが手にしている杖から溢れ出ている魔力に圧倒されてしまう。その力は今までニーベルが感じたことのないほどの莫大な魔力。とても先程までの杖と同じ物とは思えないような変化。


「いや……魔力がなかったわけではない。恐らく隠していただけ……特定の者の魔力でなければ扱えないように封印処置がされていたのだろう」


自らの手の中にある魔力の塊とでも言える杖を手にしながらジークは恐らく杖に自分の魔力でなければ扱えないような封印が施されていたのだと悟る。大魔道であるジークですら習得に何十年かかるか分からない超高等魔法。加えてその杖にある魔力の量も尋常ではない。天空魔法陣の加護を得たジークですら霞んでしまうほどの膨大な魔力量。。だがそれ以上にジークにとっては自らの魔力によってのみ封印が解けるように処置されていた点こそが重要な点。


(オレの魔力を知っている……? 確かにシンフォニアで魔法は使ったがあの時にはまだ覆面の男はいなかったはず……)


何故自分の魔力をあの覆面の男が知っているのか。さらにこの杖に込められている魔力もまた自分の魔力に酷似している。質そのものは自分とは比べ物にならない程高位の物だが波長は限りなく己のそれに近い。理解できない事態の連続に本当なら疑ってかかるべき事態。だが驚くほどにジークの心は落ち着いていた。むしろこうならない方がおかしいと思えるほど。それが何なのかジークには分からない。だが一つだけ確かなこと。それはあの覆面の男が間違いなく自分にとって、ハル達にとって利する行為を取っているであろうことだけ。根拠のないものであるがジークにはそれが分かる。


「そこまでよ、ジークハルト様」


だがついにジーク達は追い詰められる。既に周りは街の住人全てによって包囲されてしまう。そこにはジークを尊敬していた少女であるヒルデ、フリッカの姿もある。かつての仲間であり家族でもある時の民達。千人の魔導士がジークを取り囲む。例え肉親であっても時を歪ます罪人であれば容赦はしない。それがこの街の、時が止まった街の在り方。


「どうやらここまでのようじゃな……幼い頃から目を掛けてやったというのに、恩を仇で返しおって……大人しくニーベルと共に時の裁きを受けるがよい」


杖で地面を突きながらミルツもまたゆっくりと姿を現す。この街に入った時点で逃げ場などないと告げるかのよう。本来なら詰みに近い状況。だが


「ニーベル、下がっていろ……」
「っ!? ジ、ジーク……まさか戦うつもりなの!? いくらその杖がすごくても相手は千人……しかもミルツもいるんだよ!?」


ジークはその手に杖を構えながらニーベルを庇うように前に出る。ニーベルはそんなジークを止めんとするももはやそれは叶わない。ジークの貌は既に大魔道としてのものに変わっている。戦うことを決した男の姿。


「今なら分かる……彼らはかつてのオレだ。時を守るためなら何でもできると……考えることをやめていた頃の……」


ジークは一度目を閉じた後、自分と対峙している時の民の姿をしっかりとその瞳に映す。


そこにはかつての自分がいた。言われるがままに罪を犯し、時のためなら何をしても許されるという免罪符を胸に動いていた自分。時が止まってしまっていた自分。


「だから逃げるわけにはいかない……これはオレ自身の戦い。誰かに言われたわけでも、強制されたわけでもない……オレ自身が決めたことだ」


ジークの脳裏にはかつてのエクスペリメントと、シンフォニアで会ったハルの姿があった。

自分では持ち得ない答えを以てエリーを救った存在。決してあきらめない姿。対極であるはずの、敵であるはずのルシアですら救わんとするお人好し。それと出会えたことで変わった、変わることができた自分を証明するために。


「見せてやろう……オレの本気を。時の番人と呼ばれる本当の意味を……」


新たな時間を刻む者、真の時の番人となるためのジークの戦いが今、始まった――――



[33455] 第八十一話 「六祈将軍」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/06/29 11:41
五つ目のレイヴポイントである東のイーマ大陸。一刻も早くそこへ辿り着くべくハル達の乗る飛行船シルバーナイツ号は限界ぎりぎりの速度で空を翔ける。だが既に船は見るも無残な有様。壁には穴が空き、ところどころから煙まで出始めている。もういつ墜落してもおかしくない状況。先程まで船を襲って来たハジャは覆面の男の足止めによって食い止められたにも関わらず。何故ならハル達は今、新たな脅威によって追い詰められつつあったから。それは巨大なドラゴンの群れ。まるでハジャがいなくなったタイミングを見計らったかのように無数のドラゴンの群れがハル達に襲いかかってきた。

六祈将軍オラシオンセイスの一人 『龍使いドラゴンマスタージェガン』

その名の通り、龍を操ることができ、自身も竜人である男。ハジャの命によって待ち伏せしていたジェガンとドラゴンの群れの襲撃によってハル達は再び窮地に陥らんとしていた。


「オラァ!!」


その手にある銀のドクロを変幻自在に操り、鞭のように伸ばしながらムジカは次々にドラゴンを海へと叩き落としていく。空の上、船の上からでも戦うことができるムジカは今のハル達にとって貴重な戦力。だが一匹一匹がその名の通り凄まじい強さを誇るドラゴンではいくらムジカとはいえ簡単にはいかない。船を守りながら戦わなければならないという圧倒的不利な状況。


封印の剣ルーンセイブ!!」


ハルもまたTCMによってドラゴンに立ち向かって行く。今は迎撃をムジカに任せ、自身は封印剣によってドラゴン達のブレスから船を守っているところ。しかし甲板の上でしか戦えない以上、全てのブレスを切り裂くことはできず船には着実に損傷が蓄積されている。泥沼に近い消耗戦へとハル達は追い込まれつつあった。


「ちくしょう……キリがねえっ!! このままじゃ船の方が先に落されちまう……!!」
「あたしももう弾があんまり残ってないよ……」
「ボ、ボクももう限界ポヨ……魔力がもう切れちゃいそうポヨ……」


戦い慣れしているムジカとは違い、どうしても体力面で劣るエリーやルビーは既に疲労によって動きが鈍りつつある。それほどまでに数と地形の不利は大きい。ムジカの言う通りこのままでは先に船の方が撃墜されてしまいかねない。だがそれでも彼らはあきらめるわけにはいかない。


「頑張れみんな!! きっとレットがやってくれる……オレ達もそれまで持ちこたえるんだ!!」


叫びと共に真空剣によってドラゴンを薙ぎ払いながらハルは仲間達を鼓舞する。その言葉通り、この場には仲間であるレットの姿はない。レットはドラゴンを操っているジェガンを倒すため、ハル達を行かせるために単身六祈将軍オラシオンセイスに挑んでいった。今この時も自分達を救うために戦ってくれている。ドラゴンの大群を相手にするよりも遥かに困難な相手にも関わらず。


「そ、そうです! きっとレットさんならやってくれます!」
「うん! 覆面の人も頑張ってくれてるんだもん……あたしたちも頑張らなきゃね!」
『プーン!』
「ム、ムジカさん! やっとイーマ大陸が見えてきました!」
「っ! よし、どこか着陸できる所を探せヘビ! そうすればもう少しマシに戦える!」


皆の士気が再び上がってきたと同時に光明となる情報が操縦しているヘビによってもたらされる。その言葉を証明するように船の行く先には巨大な大陸が垣間見える。そこに辿り着き着陸することができれば今よりも遥かに戦いやすくなる。これまでひらすらに追い詰められてきたハル達にとってはこれ以上にない勝機。後はレットがジェガンを倒してくれるのを信じるだけ。だがそんな中


「え……? ど、どうなってるんだ、これ……?」


ハルは突然の理解できない事態に呆然とするしかない。それは先程まで自分達を追い詰めていたドラゴンの群れが一斉に攻撃を止め、飛び去って行く光景。


「みんなどこかに行っちゃったよ……? もしかしてレットがあいつをやっつけたから?」
「き、きっとそうポヨ! 流石レットポヨ! ボク達も助かったポヨ!」


エリーとルビーは飛び去って行くドラゴン達を前にして喜びの声を上げる。ドラゴンの群れは一匹残らず同じ方向に戻って行く。ハル達からすればレットが勝利し、ドラゴン達が操られなくなったからだ受け止めるのは当然。だが


「……いや、何か妙だな。あいつらの動きは全然変わってねえ……」
「オレもそう思う……まるでここで引き返すことが決まってたみたいな感じだった……」


ムジカとハルは素直にそれを喜ぶことができないでいた。戦い慣れしている、戦士のとしての直感。加えてドラゴン達の動きは先程までと変わらない統制された物のまま。支配から解放されたとは思えないような動き。


「お、お二人とも何を言ってるんですか? とにかくもうこれでドラゴンが襲ってくることはなくなったんですからいいじゃないですか!」
「そうだよ! 無事にここまで来れたんだから! それよりもこれからどうするの? このまま最後のレイヴの場所まで行く? それとも近くでレット達が戻ってくるのを待つの?」
「……そうだな。どっちにしろ船を修理しなきゃこれ以上飛び続けるのは厳しいな。おいヘビ、どこか良さそうな場所は」


違和感は拭えないもののともかくこれからの行動を思案し、ムジカが動き出そうとしたその瞬間


凄まじい暴風がシルバーナイツ号に襲いかかった――――


「きゃあああっ!?」
「な、何だ一体っ!?」
「嵐ポヨー!! 嵐が来たポヨー!?」
「ちっ……! とにかく全員船の中に戻れ! このままじゃ空に投げ出されちまうぞ!?」


突如として襲いかかってきた暴風に吹き飛ばされそうになりながらも間一髪のところでハル達は甲板から船内へと退避する。だがその風の凄まじさは衰えることなく船を巻き込んでいく。まるでデスストームに突っ込んでしまったかのような有様。しかしいくら外を確認しても嵐どころか雲一つない。これだけの暴風が発生するとは思えないような不可思議な状況。


「何が起こってるんだ!? ヘビ、とにかく早くこの風から脱出しろ! このままじゃ墜落しちまう!!」
「ダ、ダメっす!! さっきから何度も試してるんスけどエンジンが動かないッス!? 補助の分も含めて全部なんてあり得ないのに……!?」


必死の形相を見せながらムジカが操縦席に飛び込むも状況は最悪。暴風によって船の自由が奪われているのに加え船の制御もままならない絶体絶命の危機。確かに戦闘の連続によって船は傷ついてはいるもののエンジンを含めて全ての計器が使用不能になるなど通常ではあり得ない事態。


「くそ……!! ヘビ、操縦を代われ! 手動で何とかする! お前ら、近くにある物を掴んでろ! このまま緊急着陸する!!」


弾けるようにムジカは操縦桿を握りながら船の制御を試みる。既に暴風によってこれ以上進路を進むこともできず、まともに飛行することすらままならない。残された選択肢は手動によって緊急着陸することだけ。ハル達は声にならない悲鳴を上げながらも着陸に備える。ムジカは残された全ての選択肢を以て船を地面へと胴体着陸させる。現役のパイロットもかくやという神技。衝突の衝撃と摩擦によって船は破損し、火花が上がる。いつ爆発してもおかしくないデッドコースター。だがそれをムジカ達は乗り越える。轟音から無音へ。傾いた船と煙が充満する中、ムジカは大きな溜息とともに安堵する。


(危なかった……着地寸前にエンジンが戻らなきゃどうなってたか……)


顔を抑えムジカはふらふらと席から立ち上がりながら偶然に感謝していた。それまで動かなかったエンジンや計器が着陸寸前に復活することがなければ最悪そのまま全滅していたのかもしれないのだから。


「おい、みんな大丈夫か!?」
「ああ……何ともない。エリー、怪我はねえか?」
「うん、あたしも大丈夫! ちょっとびっくりしちゃったけど……」
「ぐみゅー……し、死んじゃうかと思ったポヨ……」
「み、みなさん、とにかく早く船から一旦出ましょう! いつ爆発するか分かりませんよ!」


互いの無事を確認し、安堵しながらもハル達はグリフの言葉に従うように一斉に船から脱出する。いくら無事だったとはいえ胴体着陸した後の船の中のいつまでも留まっているのは危険すぎるため。しかしハル達は知らなかった。


「お、やっと出てきやがったか。あのままつまらない技で死んじまったらどうしようかと思ったぜ」
「まったく……僕とディープスノーの美しい氷と風のコンビネーションをもっと讃えてほしいものだよ。そうは思わないかい、ディープスノー?」
「いえ……私はユリウス様に合わせただけですから……」


ようやく終わったと思ったこの戦いの終着点がまさにこの場であったことを。


「お前ら……一体何モンだ。まさか通りすがりってわけじゃねえよな?」
「……下がっててくれ、みんな。思ったよりもヤバそうな連中みたいだ……」


まるで自分たちが出てくるのを待っていたかのように現れた三人組を警戒し、ハルは剣を、ムジカは銀を構えながら対峙する。その表情は既に臨戦態勢。ともすればドラゴンを相手にした時よりも追い詰められているかのような緊迫感。その証拠にハルとムジカは自分たち以外の仲間にここから下がっているように指示を出している。


「おや、そうだったね。僕らは六祈将軍オラシオンセイス。DC最高幹部でありルシアに忠誠を誓う美しい騎士。その中で最も美しい騎士がこの僕、ユリウス・レイフィールドさ」


だがそんな空気をぶち壊すかのようにその中の一人、ユリウスは髪をかきあげながら優雅に自己紹介を始める。そのあまりの場違いさにハル達は呆気にとられかねるも気を抜くわけにはいかなかった。どんなに気が抜けそうな相手であっても油断できない言葉をユリウスは口にしたのだから。


六祈将軍オラシオンセイス……ってことはお前達もシンクレアとレイヴを狙って来たのか?」


六祈将軍オラシオンセイス』という名の称号を。


「ガハハ! まあオレはそんなもんどうだっていいんだがな! でも驚いたぜ、ここまで来たってことはジジイとジェガンの奴から逃げてこられたってことだろ? ま、大方誰かを囮にしてきたってところだろうがな」
「っ! お前……!」
「落ち着けハル……相手は三人だぞ! 不用意に動くんじゃねえ!」
「くっ……わ、悪い……」


挑発的なベリアルの言葉によって激昂し突撃しかけたハルをムジカは何とか抑える。頭に血が上ると周りが見えなくなるハルであっても今の状況がどれだけまずいかは理解できていた。六祈将軍オラシオンセイスという先程のドラゴンが可愛く見えるような実力を持つ戦士が三人も目の前にいる。加えてまともに戦えるのはハルとムジカのみ。酷ではあるがエリー達では六祈将軍オラシオンセイスと戦うことはできない。それどころか足手まといになりかねない。最悪三対二の状況でエリー達を守りながら戦わなければならないのだから。


「しかし今日は六祈将軍オラシオンセイスって奴ばかりに会うな……いい加減うんざりしてきたぜ。他にやることねえのかよ、オレ達の熱狂的なファンってわけか?」
「それは悪かったね。でもこれは運命なのさ。レイヴの騎士である君達とDCである僕らは戦う定めにある。大人しくあきらめた方がいいよ。美しさだけでなく強さも君達では僕らには敵わないんだから……」
「……六祈将軍オラシオンセイスってのはこんなイロモノばかりなのかね。どうせならレイナみたいな美人の集団なら大歓迎なんだがな……」


ムジカはわざと挑発的な言葉によって煽り、隙を生み出さんとするもユリウスには全くそれが通用しない。それどころか会話が成立しているかどうかも怪しい始末。だがそれでも会話をしている中でエリー達がこの場から遠ざかる時間を稼ぐしかない。


「お前も六祈将軍オラシオンセイスなのか……?」
「……ええ、お初にお目にかかります。ディープスノー……それが私の名です、レイヴマスター……」


ムジカの意図をくみ取ったハルもまた不慣れながらも会話によって時間を稼がんとする。相手は自分の目の前にいる白いコートに身を包んだ男、ディープスノー。だがその視線によって射抜かれたハルはおもわず圧倒されてしまう。端から見れば冷静沈着な男でありユリウスやベリアルに比べればいくらか話し合いができるかと思っていたハルだったが予想外の態度に困惑するしかない。それはまるで仇を見るかのような炎を宿した瞳。これまで経験したことがない視線だった。


「……お前の狙いもあのハジャって奴と同じように星の記憶を手に入れることなのか? どうしてそんなことを……」
「……いいえ。私が戦う理由はルシア様のためだけです。そのためにあなたにはここで死んでもらいます、レイヴマスター……」
「アキのために……?」


まるで想像していなかった答えにハルは困惑することしかできない。だがその戸惑いとは関係なく既にディープスノーはその指を振るわんとするも


「ちょっと待ちな、ディープスノー。お前何勝手に戦い始めようとしてやがる? レイヴマスターはオレの獲物だったはずだぜ?」


それはどこか不満げな表情をみせながら割って入ってくるベリアルによって阻まれる。見ようによっては仲間割れに見えかねない状況。だがそれによってまるで我に返ったかのようにディープスノーは指を下ろしていく。


「……申し訳ありません。少し冷静さを欠いていました……」
「そんなに気にすることはないよ、ディープスノー。でも珍しいね、君がそこまで熱くなるなんて……ああ、でもそんな君も美しいよ! 僕には及ばないけれど十分すぎるほどの」
「てめえの御託はどうでもいいんだよ。ま、とにかく悪いがここで死んでもらうぜ、レイヴマスター。ようやく本気で暴れられそうなんでな」


まるで獲物を前にした獣のような笑みを見せながらべリアルは悠然とハル達に向かって近づいて行く。それに続くようにユリウスとディープスノーも動き出す。ハルとムジカは覚悟を決めたかのように己が武器に力を込める。もはや迷いはない。例え三対二であっても逃げることは許されない正念場。だが幸いにもエリー達は自分たちからは離れた場所へ移動しつつある。後は自分たちが六祈将軍オラシオンセイスを倒すだけ。しかしそれは


「だがその前に余計なゴミは潰しとかねえとな……その方がお前らも気兼ねなく戦えるだろ?」


邪悪な笑みを浮かべながら自らの指を鳴らすベリアルによって終わりを告げる。その言葉が何を意味するか理解するよりも早くベリアルの胸にある六星DBジ・アースの力が解放される。その言葉通り、ハル達ではなくこの場から離れようとしている者たちに向かって。


「嘘っ!? なにこれ、地面がこっちに向かって来てる!?」
「そ、そんな!? このままじゃ潰されちゃいますよ!?」
「ど、どこに行けばいいポヨ!? 逃げ場がないポヨー!?」


それまで声を上げることなくハル達から離れようとしていたエリー達はその光景についに叫びを上げる。凄まじい地震のような揺れと音と共に地面が、大地が隆起しエリー達を飲みこまんと迫ってくる。まるで土の津波のような悪夢。逃れようがない圧倒的な質量の暴力。それに抗う術はエリー達にはない。


「っ!? 逃げろ、エリ――――!!」
「くそっ!! 間に合わねえ―――!?」


弾けるように動きだすももはやハルとムジカにはどうすることもできない。直接助けることも、ベリアルを止めようとしても間に合わない距離。その光景を楽しげにべリアルは眺めているだけ。エリー達が逃げ出そうとしているのを知っていながら放置していたのもこれを狙っていたからこそ。仲間を殺されたハル達の絶望の顔を見ること、そしてそれによって怒った彼らに無力さを思い知らせながら圧殺する。戦闘狂であり悪魔候伯と呼ばれるベリアルの残忍さ。それによって全てが飲み込まれようとしたその時


「…………相変わらず甘いな、ハル・グローリー」


地面の波は爆炎によって跡形もなく消え去った――――


「―――――」


その場にいる者は誰一人声を上げることすらできなかった。ただその光景に目を奪われるだけ。六祈将軍オラシオンセイスですらその例外ではない。いや、六祈将軍オラシオンセイスだからこそ。


既にエリー達を襲おうとした大地は跡形もなく木っ端微塵にされている。あるのはまるで無数の爆弾がさく裂したかのような痕が残っているだけ。圧倒的な爆風と粉塵の中から一人の男が姿を現す。


その男をハル達は知っていた。だがその姿はかつてとは大きく異なる。片目は傷によって塞がれ、右腕は義手。黒いコートの狭間からは腰にある二本の刀が見え隠れしている。だが変わらないのは触れるだけで燃えてしまいそうな、以前よりもはるかに増した鋭い闘気だけ。


「さて……六祈将軍オラシオンセイスの集まりならオレも混ぜてもらわねえとな」


六祈将軍オラシオンセイスの一人 『爆炎のシュダ』


今ここに全ての六祈将軍オラシオンセイスを巻き込んだ乱戦の火蓋が切って落とされた――――





果てしなく続く広大な海の上で縦横無尽に空を舞う二つの影がある。だがそれは鳥ではない。魔導士という名の称号を持つ二人の男が今、ぶつかっていた。


「…………」


一人は覆面とマントに身を包んだ男。一本の杖に乗りながら空を舞っている。その姿はまるで雪山を滑るサーファーのよう。全く危なげのない洗練された動き。見る者を魅了してしまうほどの美しさ。


「……フン」


対するは杖もなくその身一つで空を舞う老人、無限のハジャ。だがその速度は覆面の男に勝るとも劣らない高速飛行。その証拠にハジャは全く離されることなく自分から距離を取ろうとしている覆面の男に追い縋っている。魔導士同士による空を舞台にしたドックファイト。だがそれだけで終わることはない。ハジャは全く予備動作なく自信の周りに魔力を生み出し、その全てを魔力弾としながら覆面の男に向かって撃ち放つ。一発一発が致命傷に至りかねない程の攻撃。だがその全てを覆面の男は杖を乗りこなし回避していく。狙いを外れた魔法によって海には数えきれないほどの水柱が生まれ、飛び散った水は雨のように降り注ぐ。その全てがハジャの魔法によるもの。だがまるで避けられることを計算していたかのように外れた魔法が誘導され覆面の男の進行方向に先回りする。同時に挟撃するようにハジャもまた新たな魔法を放つ。回避できない全方位からの攻撃。だが覆面の男はそれを前にしても動揺は見られない。代わりにその背中にある杖の内の三本を操り瞬時に魔法陣を生み出す。それは


「三重魔法陣 『鏡水』」


相手の魔法を跳ね返す鏡の力を持つ魔法陣。その名の通り鏡のように魔法陣はハジャの魔法を反射し、無効化する。覆面の男を狙った魔法はそのまま目標を失い海へと落ちて行く。だがようやくそれを前にして覆面の男は動きを止め、その場に留まる。それを見ながらハジャもまた動きを止め互いに対峙する。これだけの高速戦を行いながらも両者に疲労は見られない。それどころか二人にとってはこの戦いは様子見の意味しか持たないやりとりだった。


「……どういうつもりだ。逃げてばかりでは我に勝つことはできんぞ……それとも本当に足止めだけが主の目的ということか?」


ハジャは全く油断なく覆面の男に問いかけるもそれに答えが返ってくることはない。ある意味予想通りの展開とはいえあまりにも不可解なこれまでの流れにハジャは疑念を抱いていた。


(こやつ……何故全く魔法を使ってこない? 間違いなく大魔道に匹敵する実力はあるはず……)


それは戦いが始まってから覆面の男が全くハジャに向かって魔法を使ってこないこと。戦闘が開始されてから覆面の男はただひたすらに杖に乗り、ハジャから逃げるように距離を取り続けるだけ。避けきれない魔法に関しては先のように防御魔法を展開するもののそれ以上の行動を起こすことがない。いかに足止めが目的だとしても一度も攻撃してこないなど普通はあり得ない。


(それにあの杖を使った魔法……確かに凄まじいが練度は低い。杖に込められておる魔力から考えればお粗末すぎる……)


加えて覆面の男が使用している魔法にはどこか粗が感じられる。まるで使い慣れていない魔法を無理やり使っているかのような違和感がハジャにははっきりと見て取れる。だが決して覆面の男が未熟だと考えることはできない。その身のこなし、杖に内包されている魔力は間違いなく大魔道のそれなのだから。それを見抜き、様子見を続けてきたハジャだったが流石にこれ以上は付き合う価値はないと判断する。


「……いいだろう。久しぶりの魔法戦ゆえ付き合ってやろうと持ったがここまでだ。我には時が限られておる。悪いがすぐに終わりにしてやろう……」


ハジャはすぐに己が為すべきことを思考する。ルシアが魔界に行っている間に全てのレイヴと残った一つのシンクレアを確保すること。もし四天魔王まで配下とされればもはや打つ手はない。予想外の妨害によってレイヴマスター達を逃がしてしまったものの退路は既に絶っている。レイナを除いた全ての六祈将軍オラシオンセイスを向かわせることによって。元々は保険としての物だったが策が功を為した形。レディによってルシアから待機命令が出ていたようだが副官であるハジャであれば命令を下すことが可能。元々行動が制限されていたことへの不満、レイヴマスターの殲滅という疑われることのない命令であることからハジャは六祈将軍オラシオンセイス全員を掌握することができた。例えレイヴマスター達が六祈将軍オラシオンセイスと同等の実力を持っていたとしても四人を相手にすればただでは済まない。もし逃げ延びたとしても倒すことは容易い。どう転んでもハジャの勝利は揺るがない。


ハジャは一度大きく息を整えながらも指を振り、詠唱を開始する。同時に巨大な魔法陣がハジャの前に姿を現し魔力が風を巻き起こす。宇宙魔法という大魔法。大魔道でしか扱うことができないもの。その無慈悲な力が今にも放たれんととするも


「……そろそろか」


それはどこか場違いな覆面の男の言葉によって止められてしまう。当たり前だ。今まで戦闘にはいってから一言もしゃべらなかった男が突然口を開いたのだから。しかもマントから懐中時計にも似た何かを取り出しながら。何かの魔道具かと疑うもそこには全く魔力がない。正真正銘ただの時計。ハジャは知らない。それがただ単純に今の時間を確認するための行為だったことを。


「貴様、一体何を……?」
「……お前には分からないことだ。だが先の言葉をそのまま返そう。お遊びはここで終わりだ」


ハジャの困惑を全く意に介することなく男はその両手を振るう。ハジャ同様魔法を発動させるための動き。だがその動きと詠唱によってハジャの表情が初めて驚愕に染まる。それは覆面の男がしゃべったからでも、自分に魔法を使おうとしているからでもない。


ただその魔法があり得ない物であったからこそ。魔導士としての本能だった。


「こ、これは……!? まさか……」


ハジャは動揺を隠すこともできないままただ空を見上げる。そこには既に先程まであった晴天の空はない。凄まじい魔力の渦とそれに呼応するように雷雲にも似た何かが空を覆い尽くしていく。余波によって海は荒れ、風は荒れ狂う。その全てが魔法が行われる前の前兆。しかしただの魔法ではこんなことはあり得ない。何よりもハジャは知っていた。その魔法が何であるかを。それは


星座崩しセーマ


古に失われたはずの隕石を操る禁じられし魔法。


古代禁呪と呼ばれる超魔導にしか扱うことができない奇跡。


(ば、馬鹿な……!? 何故あの男がこんな魔法を……!? この魔法は我が師しか扱えぬ古代禁呪のはず……!!)


ハジャはただ驚愕し、初めて恐怖する。古代禁呪。それは魔法の到達点であり奇跡。その名の通り古代に失われた魔法でありその名を知る者は多くとも実際にその術式を知るものはほとんどいない。その例外がハジャの師である超魔導シャクマ。世界最強の魔導士の称号を持つ男。しかし術式自体はその弟子であるハジャもまた知っている。だが知っていてもそれを扱うことはハジャにはできない。大魔道では超えることができない絶対の壁。それはつまり目の前の覆面の男が大魔道を超える超魔道の域にいることの証。


「くっ……!!」


ハジャは今にも自分に振りかかってこんとする星座崩しセーマに恐怖しながらも宇宙魔法を中止し新たな魔法に切り替える。ハジャの持つ魔法では星崩しセーマを防ぐことは不可能だからこそ。だが唯一の例外がある。

『空間転移』

ここから離れた場所に転移、瞬間移動することができる大魔法。それを用いれば星崩しセーマを防げなくとも回避することは可能。元々撤退も視野に入れながら戦っていたハジャは苦もなく逃走へと行動を切り替える。策略家でありDCの頭脳とまで言われる所以。だがそれは


「――――っ!?」


覆面の男には通用しない。まるでハジャが空間転移の魔法を使うのを見計らっていたかのように四本の杖が瞬時にハジャを取り囲む。既に空間転移に入りつつあるハジャにそれを防ぐ手はない。あるのは絶望だけ。これこそが覆面の男の狙い。星座崩しセーマを囮に使いその隙を狙うためのもの。古代禁呪を使いながらも他の魔法を併用できる出鱈目さ。しかしそれは正確には違っていた。ハジャは自らの敗北を覚悟するも杖から発せられる魔力の流れに混乱するだけ。

それは空間転移の行き先を変えるための術式。止めるならいざ知らず、わざわざそんなことをこの局面で行う意味が理解できずハジャは空間転移によってその場から消え去って行く。だがその刹那、確かにハジャは聞いた。


「……行くがいい、無限の欲望よ。お前に相応しい結末がそこにある」


未来の超魔道の死の宣告を。


瞬間、星座崩しセーマの着弾によって海は抉られ、大きな津波が起こる。世界の終わりのような破壊の中、ここに一つの戦いに終わりが告げられる。後には何もない荒れ果てた海が残されただけ。


それが未来と現在、時の接合点だった――――



[33455] 第八十二話 「集結」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/07/03 19:57
時を刻む街『ミルディアン』

時を守る使命を持つ千人の魔導士達が住む都で一つの争いが巻き起こった。大魔道でありこの街の出身者であるジークハルトを相手にした時の裁きの名の元に始められた粛清。魔導士千人が一人の魔導士に襲いかかるという圧倒的な蹂躙。だがそれは時の民達にとって信じられない結果に終わる。


「す、凄い……本当に一人で千人を倒しちゃった……」


ジークハルト一人によって時の民が全員敗北するという逆の結末に。


「だ、大丈夫ジーク!? 怪我はしてないの!?」
「いや、大丈夫だ……ニーベル、お前こそ怪我はないか」
「うん……でもほんとに凄いよジーク! 街の全員だけじゃなくてミルツ様まで倒しちゃうなんて……」


戦闘が始まってから離れた場所に退避していたニーベルは慌ててジークの元に駆け寄って行くもジークには傷一つ見られない。それどころか魔力も体力もほとんど消費していないかのような姿。しかしニーベルは確かに先程まで凄まじい規模の魔法戦が行われていたのを目にしていた。千人に及ぶ圧倒的な物量と魔力。だがその全てを無力化し、凌駕することによってジークは時の民達に勝利した。大魔法と呼ばれる宇宙魔法をも駆使した乱戦。そんな戦いを繰り広げたにもかかわらずジークは全く疲労を見せていない。それは


「オレだけの力ではない……この杖があったからだ。もしこれがなければ苦戦は免れなかっただろう……」


ジークがその手にしている一本の杖。覆面の男によってもたらされた切り札。特別な魔法が込められているわけではなかったが杖には圧倒的な魔力が込められていた。その量はミルディアンの民全てと戦っても余りあるほどのもの。大魔道のジークにそれが渡ることは千人以上の人数差を容易に覆してしまうほどのアドバンテージを与えた。無限には及ばないものの限りなくそれに近い魔力を持つことの意味を知りジーク自身も驚きを隠せない。同時にこれだけの杖を簡単に渡してくる覆面の男の実力に戦慄するしかない。


(確かにあの男の正体は気になるが今は一刻も早くハル達の元に向かわなければ……今のオレならばハル達の力になれるはず……)


ジークは思考を切り替えながら次の己が為すべきことを確認する。それは一刻も早くハル達の救援に向かうこと。ミルツの言葉通りなら既にハジャがレイヴとシンクレアを手に入れるために動きだしていることになる。シュダが先に向かっているが流石にハジャが相手では分が悪い。剣士と魔導士という絶対的な差に加え無限の魔力を持つとされるハジャを相手にするにはどうしても魔導士の力が必要不可欠。今のジークならハジャに対抗することができるはず。加えてハル達の援護も受けられれば勝機はさらに上がる。後はこの場にいるニーベルをどうするか。だがそんな中


「ジ、ジーク……一体どういうつもりじゃ……何故ワシらに止めを刺ささん……? 今のお主なら簡単にできたはず……」


傷つき、今にも倒れそうになりながらも時の賢者であるミルツは立ち上がりながらジークに向かって問いかける。そこにはもはや戦いの気配はない。既に敗北したことをミルツは悟っている。どんなに足掻いたところでジークには敵わないことをミルツを含めた全ての時の民が認めざるを得なかった。故にあるのは単純な疑問。何故とどめを刺さないのか。命を奪わないのか。その証拠に時の民達は誰一人命を落としていない。あの魔法戦からはとても考えられないような事態。それはジーク自身の手加減によるもの。だがそれがなければジークはもっと容易に自分達を殲滅できたことをミルツは知っていた。


「……オレの使命は時を守ること。命を奪うことではありません」
「ま、まだそんな甘いことを言っておるのか!? 主の考えから見ればワシらは時を歪ます罪人……処刑されるべき者のはず……」
「いいえ、ミルツ様……あなた方も間違っていたわけではありません。星の記憶の時空操作でエンドレスを消し去ることは確かに一つの答えです。それがあったからこそ今のオレ達がいるのですから……」


ジークは自らが傷つけてしまったミルツ達の姿を目の当たりにし、苦渋に満ちた表情を見せながらも一言一言噛みしめるように言葉を紡いでいく。


時空操作によるエンドレスの消滅。


それこそがミルツの答え。そしてそれが間違っていないことをジークも知っていた。確かにそれは時間稼ぎに過ぎず新たなエンドレスを生み出してしまう行為。本質的な解決とは至らない。だがそれがあったからこそ今の自分たちが存在する。限られた時間とはいえエンドレスが世界を滅ぼすのを先延ばしにすることができたからこそ。それを否定することなど誰にもできない。しかしそれでも


「それでもミルツ様……命を軽んじることは許されないことです。時を守るためならどんな犠牲を払っても構わないとするならそれはDCと……エンドレスとなんら変わりません」


時を守るためにどんな犠牲も厭わない。命すらも軽んじるのであればそれはエンドレスと変わらない。かつてのジークであれば時を守るためになら育ての親であるミルツや時の民達を躊躇いなく殺していただろう。だが今のジークは違う。かつて命じられるがままにエリーを殺そうとした自分自身が犯した過ちと罪を心に刻んでいるからこそ。そして


「だからオレは可能性に賭けてみたいのです……魔導精霊力とレイヴ……いえ、エリーとハルの持つ信じる力の可能性に」


エリーとハル達が持つ、人間だからこそ持つことができる信じる力の可能性。犠牲などなくとも世界は救えるという別の答えを出して見せたハルと敵であってもそれを信じ続けるエリー。二人ならきっと世界を救うことができる。確信にも似た希望。それがミルディアンを出た時の番人ジークハルトの得た答えだった。


「ジーク……お主……」


一切の迷いないジークの答えにミルツはそれ以上声を出すことができない。一つはジークの答えが自分とは違えど間違いなく時を守るためのものだと理解したからこそ。もちろんそのことは初めてジークから耳にした時に分かっていた。だがそれでも認めるわけにはいかなかった。ジーク自身の誰かを信じるという可能性を差し引いても実際にエンドレスに対抗し得る魔導精霊力を持つ娘がこの時代にいることは千載一遇のチャンス。しかしそれでも絶対ではなく敗北してしまう可能性もある。もしそうなれば全てが終わってしまう。それだけはミルツは許すわけにはいかなかった。それは今まで犠牲になってきた全ての物に対する裏切りとなる。ミルツとて命を奪うことを是としてきたわけではない。だが時の賢者として、責任者として避けることができない中で知らず歪んできてしまった。先の犠牲を無駄にしないために後戻りすることはミルツには許されない。そうなってしまうのなら例え時間稼ぎだとしても、禁忌を破ることだとしても時空操作に手を染めるしかない。しかし今、ジークはそれとは違う答えを出した。ミルツでは出し得ない答え。その姿にミルツの心が揺れ動く。幼いころから見てきた息子といってもおかしくない男が新たな道へと踏み出そうとしている。自分の言うことに一度も逆らったことのない、小さいはずだった少年が。


「……申し訳ありませんが話はここまでです。ニーベル、オレはこれから旅立つ。お前はどうする?」
「え? ぼ、僕も一緒に行ってもいいの……?」
「ああ……お前にしかできないことがある。どっちにしろこのままここにはおいては行けないしな……」
「う、うん! 僕も連れて行って!」
「分かった……急ごう。ハル達が心配だ……」


慌てながらも笑みを浮かべながら走り寄ってくるニーベルに微笑みながらもジークはすぐにその手にある魔水晶に手をかける。空間転移を可能とするマジックアイテム。ここぞという時にしか使えない一度きりの切り札。だが今をおいてその時はない。エリーには座標となる魔水晶を渡している。その力によってジークがハル達の救援に向かわんとしたその時


「心配無用なり……主は今からここで死にゆく運命。レイヴマスター共に会うことはもはやない」


遥か上空からあり得ない老人の声が響き渡る。それだけではない。この場にいる全ての魔導士を凌駕するようなありない魔力が全てを支配していく。それだけの力がその老人にはある。


無限のハジャ。

大魔道の称号を持つもう一人の魔導士が今この地に現れた。


「―――っ! ハジャ……貴様が何故こんなところに……!」


自分の傍にいるニーベルを退かせながらジークは決死の表情によってハジャと向かい合う。そこには確かな戸惑いがある。先のミルツの言葉通りならハジャは今ハル達を襲撃していたはず。にも関わらずこの場に現れた。空間転移ならばそれは可能。だがそれはジークにとっては最悪に近いことを示唆する。つまりハジャが全てを終わらせてここミルディアンまで帰還してきたということ。ハル達の敗北を意味するものなのだから。


「フム……まさかとは思ったがやはりお主か、ジークハルト。時の民達を全員下すとは……」


だがそんなジークの内心を知ってか知らずかハジャはどこか状況を確認するかのように辺りを見渡しているだけ。まるでハジャ自身も状況が理解できていないかのように。そんな中、ハジャの視線がある一点に注がれ表情が強張って行く。


「その杖……成程。やはりお主とあの覆面の男は示し合わせていたということか……」


それはジークが手にしている一本の杖。間違いなく覆面の男が操っていた物と同じもの。しかもそれがジークの手に渡っていること、何よりも空間転移によってこの場まで送られたことが何よりも証。今、ハジャは覆面の男の術式によってここミルディアンにまで空間転移させられていた。何故こんな場所に送られたのか疑念に思いながらもハジャは思案する。これからどう動くべきか。すぐに覆面の男の元に戻ることも可能だが今のハジャでは勝てる可能性は全くない。古代禁呪を扱うことができる相手に勝つ手段を今のハジャは持たないのだから。あとはレイヴマスター達の元に再び襲撃をかけること。だが仕掛けたところで覆面の男に邪魔をされれば本末転倒。だがそんな中にミルディアンに送られるという事態。加えて計画に組み込んでいたジークハルトまで現れている。あまりにも出来すぎた状況だった。


「覆面の男……? 一体何の話をしている……?」
「あくまでも白を切るつもりか……まあよい。どうやらあの男はお主に我を倒させるつもりのようだが甘いな。すぐに後悔させてやろう……」
「……どうやらオレの知らないところで事態が動いているようだな。だが一つ聞かせろ。ハル達はどうした。貴様はレイヴとシンクレアを狙って動いていたはずだ」
「ほう……どうやらまたミルツが口を滑らせたようだな。よかろう。お主の言う通り我はレイヴとシンクレアを集めておる。今はまだ一つずつではあるがこれでレイヴマスターもルシアも全てを集めることはできん。星の記憶を手に入れて全てを手にするのは我一人ということだ……」


ハジャは困惑しているジークを前にしながらもその手にある二つの石をかざす。未来のレイヴとラストフィジックス。対極にありながらも同じく星の記憶への道を指し示すもの。それをハジャが手にしている限り誰も星の記憶へは辿り着くことはできない。


「……一つずつということは……どうやらまだハル達を倒したわけではないようだな」
「……フン、目ざとい奴だ。隠しても仕方あるまい。お主の言う通りまだレイヴマスター達はしぶとく逃げ回っている。だがそれも時間の問題。既に残る全ての六祈将軍オラシオンセイスが向かっておる。奴らに勝ち目は全くない。あきらめよ」
「……そうか。だがあまりハル達を舐めない方がいい。慢心は身を滅ぼすことになるぞ、ハジャ」
「かつての主のように……か? 残念ながらお主のような醜態を晒す気は毛頭ない」


ジークは突如現れたハジャに困惑しながらも確かにハル達が無事であることを確かめることに成功する。本当に全滅させられたなら全てのレイヴを奪われているはずなのだから。だが楽観ばかりはしていられない。一つとはいえレイヴを奪われてしまうほどの戦闘があったということ。シュダも向かっているが間に合うかは分からない。ならジークがすべきことはこの場からハジャを逃がすことなく倒すこと。奇しくもそのための力がジークの手にはある。


「ハ、ハジャ……ま、待つのじゃ……! 今ここで争ってはならん……街の者たちもおる! それにジークの話も無視すべきものではなかったのかもしれん……ここは話し合いを持とうではないか……!」


杖で体を支えながらもミルツは両者の間に割って入りながら仲裁せんとする。周囲にはっまだ傷ついた住人が大勢いる。もしこのままハジャがジークと戦えば被害は免れない。今度こそ多くの時の民が命を落とすことになる。それに加えジークの提案の可能性をミルツ自身も無視することができないでいた。もし魔導精霊力とレイヴのそこまでの可能性があるならハジャがそれを葬ってしまうのは早計過ぎる。だがそんなミルツの変化は


「愚かな……まさかジークハルト一人捕える事ができんとは。もうよい……貴様ら時の民は我がクロノスを手にした暁の最初の生贄にしてくれよう」


無慈悲な大魔道であるハジャの宣言によって遮られてしまう。クロノスという魔導士にとっては触れてはならない禁忌の名と共に。


「ク、クロノスじゃと……!? お主一体何を言っておる!? クロノスは禁呪! あれを封じることは我々時の民の使命じゃ! それはお主とて分かっておるはず……」
「フン……星の記憶に入ることを是としたお主に言われる筋合いはないがね。そもそも我が時の民となったのは全てクロノスを手に入れるため。主らなどそのための駒に過ぎん」

ハジャは滑稽だといわんばかりに驚愕し、体を震わせているミルツに真実を告げる。己が目的を。


『クロノス』


超魔法と呼ばれるこの世において唯一究極魔法魔導精霊力に近い力を持つという禁じられし魔法。時を限界まで歪ませあらゆるものの存在そのものを破壊する、古代の神々が封じられた禁忌。クロノスによって破壊された物は歴史上から姿を消し、誰の記憶にも残らないと言われるほど。

それは今、魔都の中心ミルディアンハートと呼ばれる地下に封印されている。それを守護することが時の民の使命の一つ。だがその封印を解く方法が存在する。それは


「大魔道の生贄……ジークハルト、お主を殺すことでクロノスは我が手に落ちる。そうなればルシアも、四天魔王も恐れるるに足らん。我こそが時の支配者となるのだ」


大魔道の生贄を捧げること。すなわちジークを殺すことで成し遂げられる。それこそがハジャが星の記憶を手に入れることと並行して進めていたもう一つの計画。そのためにミルツ達にジークを捕縛するように命を出していたものの失敗に終わった以上もはやミルディアンに利用価値はない。予定より早くなってしまったがもはやハジャには一刻の猶予もない。ルシアが戻ってくる前に、覆面の男が現れる前にクロノスを手にし、全てのレイヴとシンクレアを集める。無限の欲望の行きつく先。

その事実にミルツは、時の民の全ては絶望する。自分達の過ちが、罪が世界を崩壊に導かんとしている。もはや彼らにそれを止める術はない。だが


「……貴様の思い通りにはさせんぞ、ハジャ」


時の番人は恐れることなく無限の前に立ちふさがる。そこにはいくつもの想いが背負われていた。時を守るために。それは大きなくくりに過ぎない。その内にこそ守るべき者がある。欺かれ、利用された時の民を救うために。レイヴとシンクレアを取り戻すために。


「どうやらその杖を手に入れたことで我に勝てる気になっているようだが思い知らせてやろう……『無限』の前にはいかに力を増したところで『一』にも満たんということを……」


ハジャは告げる。自らの欲望を果たすために。魔導の深遠である究極の力に辿り着くために。


「見せてやる……無限にも超えられない物があることを」


今のジークにあるのは唯一つ。かつてシンフォニアで誓った誓い。共に強くなると、ルシアを止めると決めたあの日。そして


『命に代えてもエリーを守る』


たった一つの、確かな誓い。小さくともそれが世界を救う力になると今のジークには信じられる。


今ここに無限と時の番人の『時』を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた――――




未開の地であり最後のレイヴがある東のイーマ大陸。その海岸に面する荒野で今、二つの勢力が相対していた。一つがレイヴの騎士達。レイヴを集めることによって星の記憶を守らんとする者達。もう一つが六祈将軍オラシオンセイス。DCの最高幹部でありシンクレアを集めることによって星の記憶を手に戦とする者達。だが今、そのどちらでもない人物が姿を現していた。それは


「お前……まさか、本当にシュダなのか……?」


六祈将軍オラシオンセイス 『爆炎のシュダ』


かつてハルとの戦いに敗れ、死んだとされていた男が今再び表舞台へと姿をみせたのだった。


「久しぶりだな、ゲイルの血よ……相変わらず甘いところは変わっていないようだな」

不敵な笑みを浮かべながらもコートをはためかせながらシュダはゆっくりとハル達に向かって近づいて行く。それに向かってハルはまるで旧知の共に出会ったかのように喜びの声を上げながら出迎える。


「おいハル! 敵か味方かも分からねえ奴に不用意に近づくんじゃねえ!」
「そ、そうですよ! その人は六祈将軍オラシオンセイスだった人なんですよ!?」
「でも助かっちゃった、ありがとう! 何か今日は助けられてばっかりだね、プルー?」
『プーン……』
「だ、誰ポヨ!? あの怖い人は誰ポヨー!?」


ムジカとグリフが必死に声を上げるもそれはハルには届かずエリー達の騒ぎによって霧散してしまう。ムジカとて先の爆炎が目の前のシュダの仕業であることは分かっている。それがエリー達を救うための物であったことも。だがそれでもシュダが完全に味方であることにはならない。今はただでさえ三対二の状況。不確定要素である以上ムジカはどちらでも動けるようにするしかなかったのだが当のハルにはその気配は全くない。ハルにあるのは死んでしまったはずのシュダが生きていたことに対する喜びだけ。それがシュダが言う甘さの一つだった。


「なんだあ? 誰かと思えば死に損ないがやってきただけかよ。せっかく生き延びたくせにわざわざ出てくるなんて死にたがりの趣味でもあんのかねえ?」
「そんなことを言うものではないよ、ベルアル。それにしても驚いたよ、まさかまた君と会えるなんて! 流石は氷の僕と対となる資格がある炎の男!」


べリアルは見下すように、ユリウスは己に酔いながら乱入してきたシュダに話しかける。だがそこには全くシュダを気にする素振りはない。彼らにとってはシュダは六祈将軍オラシオンセイスでありながら唯一レイヴマスターに敗北したいわば負け犬。加えて六祈将軍オラシオンセイスの中でも後発であり実力不足、最弱の存在だったのだから。だがそんな扱いを受けながらもシュダはただ不敵な笑みを見せているだけ。ハル達ですらシュダの意図が掴めず呆然とするしかない。


「シュダ……どうしてお前がここに? もしかしてオレ達を助けに来てくれたのか?」
「……勘違いするな。オレはオレの目的があってここに来た。だがジークハルトには感謝しておくんだな。奴がいなければお前達の居場所も分からなかっただろう」
「ジークが!? ジークもここに来てるの!?」
「いや、あいつはまた時を守る使命とやらのために別行動だ。相変わらずよく分からん男だがその内ここにも来るだろう……だがその前にうるさいハエどもは黙らせておかねえとな……」


余計なおしゃべりだとばかりにシュダはそのままハル達を庇うように前に出る。六祈将軍オラシオンセイス三人を前にしても気圧されることがないほどの自信がそこにはある。それに後押しされるようにハルとムジカもまた再び武器を構える。


「おお、まさか僕達と本気で戦うつもりなのかい? 君なら僕達を相手にすることの意味を知ってるはずだろうに……いや、もしかして六祈将軍オラシオンセイスに戻りたいのかい?」
「フ……相変わらず冗談が歩いているような奴だな。こんな奴が元同僚だってんだから情けなくなってくるぜ……」
「その点だけはてめえに同意だがな……だが本気でオレ達とやるつもりか? お情けで六祈将軍オラシオンセイスになったような負け犬のくせによ」
「ああ、でも残念だったね。もう六祈将軍オラシオンセイスには新しい騎士が入ってしまっているんだよ。彼がそうさ」

ユリウスは髪をかきあげながら自らの隣にいるディープスノーを指さす。そこにはシュダが現れてから一言も発することなくシュダを睨み続けているディープスノーの姿がある。だがそんな視線を受けながらもシュダは意に介することはない。


「なるほど……オレの後任は随分ヤサ男なんだな。それとも新しくキングになったルシアの趣味ってわけか」


シュダは挑発的な言葉を口にしながらもその瞳は冷静そのもの。一挙一動すら見逃すまいとする鷹の目。その証拠にシュダは瞬時にディープスノーの実力の片鱗を感じ取っていた。間違いなく六祈将軍オラシオンセイスの名を継ぐに相応しい実力を。


「初めまして……ディープスノーと言います。まさかあなたの方から現れてくれるとは思ってもいませんでした……」
「ほう……てめえと会うのは初めてのはずだが?」


挑発を受けながらもそれ以上の殺気をみせながらディープスノーはシュダに向かい合う。その姿に隣にいるべリアルとユリウスも驚かされるほど。常に冷静沈着なディープスノーがこうも続けて好戦的態度を見せるなどあり得ない。だがその理由がディープスノーにはある。


「いずれ消す予定でした。私が六祈将軍オラシオンセイスにいる意味……あなたより強いという証明を手にしなければなりませんから……」


自分の前にいた六祈将軍オラシオンセイスであるシュダを葬ること。ルシアに新たに選ばれた自分こそが真の六祈将軍オラシオンセイスであることを証明すること。それがディープスノーの目的。図らずもそれが相手からやってきてくれた形。新旧の六祈将軍オラシオンセイス対決。それを悟ったべリアルとユリウスもまたシュダ以外の二人に狙いを定める。シュダにとってもディープスノーは自らの後任という因縁浅からぬ相手。だが


「ディープスノー……なるほど、てめえがそうなのか……」
「……? どうしたのですか。まさかこの期に及んで恐れを為したのですか」


その手にしかけた刀の柄を離し、シュダは独り言のように呟く。まるで何かを思い出したかのように。そんな予想外の反応にディープスノーですら困惑を隠せない。しかしそんなディープスノーを前にしながらもシュダはそのまま一歩下がり


「気が変わった……ハル、お前があいつの相手をしろ。オレはベリアルの相手をする」


ハルに向かってそんな理解できない言葉を言い放った。


「え? オ、オレが……? 何でいきなり……?」
「てめえさっきからどういうつもりだ? まさか最初からおちょくるためだけにやってきたわけじゃないだろうな」


突然ディープスノーの相手に指名されたハルは困惑し、ムジカは理解できない行動をしているシュダに声を上げるもシュダは既にその場から離れベリアルの元に向かっている。どうやら戦う気がある、少なくとも自分たちに害する気がないことにムジカは舌打ちしながらも納得するしかない。


「これはお前の役目だ……キングを倒した者としてのな」
「キングの……?」
「…………」


シュダはその言葉だけを残し。その場を後にする。まるで後を任せたかかのように。その言葉の意味を知らないハルは困惑する物の場を任された以上後は戦うのみ。ディープスノーもまた無言のまま去って行くシュダを睨みつけていたもののすぐさまその標的をハルへと切り替える。もはや戦いは避けられない。


「……ムジカ、もう一人の方を頼めるか」
「余裕。さっきからあのニヤケ野郎をぶちのめしたくて仕方なかったところだ。六祈将軍オラシオンセイスだか何だか知らねえがこれ以上好き勝手させねえから安心しな」
「ああ……気をつけてな」
「おう。お前も気をつけろよ」


まるで悪役のような台詞を吐き、指を鳴らしながらユリウスの元に向かって行くムジカに苦笑いしながらもハルはその手にあるTCMに力を込める。奇しくも状況は三対三。


それぞれの思惑が絡み合った乱戦が今ついに始まった――――





魔都の中心ミルディアンハート


クロノスが封印されし禁じられし領域。そこでいままさに二人の大魔道の戦いに決着がつかんとしていた。その激しさを物語るように巨大な地下空洞は今にも崩壊せんほどに荒れ果て、破壊された神殿が無残に砕け散っている。時間で言えば半日以上もの長き間に及ぶ魔法戦による影響。それが時の番人ジークハルトと無限のハジャの戦い。だがそこには覆すことができない絶対の壁があった。


「ハアッ……ハアッ……!!」


ジークは手にある杖で体を支えながら立ち上がるも満身創痍。服は破れ、意識も朦朧としかけている。いつ倒れてもおかしくない程の重傷。だがそんなジークとは対照的にハジャは全くの無傷。あまりにも対照的な光景。それこそが今のジークとハジャの間にある差。


「そろそろあきらめた方がよい……分かったであろう、我と主の間にある力の差を。我の魔力は無限。どんなに魔力を持ったとしても有限である限り主に勝ち目はない。何よりも大魔道としての器の違いがある以上主の魔法は我には届かぬ」


ハジャは上空からまるで虫を見下ろすかのようにジークに告げる。自らの絶対的な力と絶望を。その前にはジークだけでなくミルツを含めた時の民ですら無力。その証拠にミルツやニーベル、ヒルデもまたジークを救うべくこの場にやってきたもののその全てが通用しない。彼らにできるのはただ時間稼ぎのみ。だがついにそれも終わりを告げる。


(くそっ……! もう杖の魔力もあとわずか……オレのいかなる魔法も通じなかった……打つ手はない……まさかここまで差があるとは……)


ジークは歯を食いしばりながらハジャと対峙するももはや勝機は残されていない。ジークは自分の見通しが甘かったことを後悔するしかない。

『無限のハジャ』

その名の通り無限の魔力こそがハジャの脅威だとジークは考えていた。それは間違いではない。魔導士にとって力の源であり武器でもある魔力を無限に持つことができれば恐れる者はない。だがその条件であれば擬似的であれば杖を手にしたジークも同じ。有限ではあるが使いきれない程の魔力を手にした点では同様。その証拠に単純な魔力のぶつかり合いでは拮抗することができた。しかしそこでジークは思い知ることになる。大魔道という称号の意味を。

それは単純な魔導士としての力量の差。いくら魔力が拮抗しようとも扱える魔法の力には差が生まれてしまう。先程までの戦いは大魔法である宇宙魔法の応酬。だがその全てをハジャはジークを上回った。ジークの魔法は一度たりともそれを打ち破れない。同じ宇宙魔法であっても使い手が異なれば当然威力が異なる。加えてハジャはジークが知り得ない、扱えない高位の宇宙魔法まで有している。できるのはただ魔力に頼り相殺することだけ。だがそれもここまで。既に杖の魔力は限界に近づき、相殺することもままならない。

それが六祈将軍オラシオンセイス最強であり大魔道ハジャの力。


「どうやら万策尽きたようだな……魔力を持たない魔導士など何の価値もない。だが最後に讃えてやろう……無限に対してここまで戦えたのはお主が最初で最後。せめて一瞬でクロノスの生贄としてくれよう」


ハジャの宣言と共に最後の魔法が放たれんとする。触れた者の命を一瞬で絶つ暗黒魔法『最終絶命線オメガライフ』その死の光によって全てが終わる瞬間をニーベル達はただ待ちうけるしかない。だが


「―――ジークッ!?」


その光に向かってジークは残された魔力によって風を舞い、飛び上がって行く。反射に近い動き。避けることを考えない愚直な突進。だがその瞳には確かな希望がある。それは奇しくもハジャの言葉によってもたらされた勝機。


『魔力を持たない魔導士』


ハジャの言う通り何の価値もない存在。かつてのジークであれば同じように考えたはず。だが今は違う。ジークにとって今のハジャはかつての自分。魔法を絶対のものだと盲信し、それ以外を侮っていた存在。その慢心をジークは身を以て思い知らされた。


金髪の悪魔という少年によって。


「ああああああ――――!!」


ジークは咆哮と共に杖に残された最後の魔力でハジャの魔法を防ぐ。だがそこまで。防ぐことができてもジークの魔法ではハジャには通じない。既に杖に魔力はなく次はない。否、次などジークにはあり得ない。何故ならこの瞬間こそがジークの最後の勝機なのだから。

ジークはその手にある杖に力を込める。何の魔力も持たない杖。それこそがジークの切り札。


『魔導士は魔力なきものは防げない』


魔法という絶対の力を持つ者が陥る罠。かつてジークは金髪の悪魔によってそれを思い知った。何の力も持たない鉄の剣こそが魔導士にとっては天敵となりえる。あまりにも皮肉な、そして力を持つ者にとっての最後。その最後の一撃こそが無限のハジャを貫く――――はずだった。


「―――――」


それは誰の声だったのか、それとも悲鳴だったのか。それすらも分からない刹那、ジークは確かに見た。自らの最後の攻撃がハジャによって躱されてしまう光景を。魔法に絶対の自信を持っている無限のハジャではあり得ないようなこと。だが間違いなくハジャはその杖を避けていた。まるで最初からこうなることが分かり切っていたかのように。それは


「最初に言ったであろう……我は主のような醜態を晒す気はないとな」


初めからジークが辿り着くであろう答えを知っていたからこそ。ジークは失念していた。ハジャがDCの頭脳とまで呼ばれるほど知略に長けた者であることを。ハジャはその一環としてかつてのジークとルシアの戦いを監視していた。当然ながらその結末を。ジークの敗因。それは自分と同じようにハジャもまた変わる可能性があったことを見落としたこと。


「さらばだ……時の番人よ。番人などもはや必要ない……これからは我こそが時そのものなのだ!!」


死の宣告と共に死の光がジークを包み込み、全てを無に帰していく。


それが大魔道であるジークとハジャの戦いの終焉だった――――




「そ、そんな……嘘だ……ジークが負けるなんて……」
「ジークハルト様……」


自分達の希望であるジークが破れ去ったことでニーベル達は膝を突き、絶望に染まる。ミルツは悔しさと罪悪感によって唇を噛み、涙を流しながらも言葉すら出てこない。だが現実は変わらない。弱肉強食という自然の摂理。魔導士であっても、魔導士であるからこそ逃れることができない真理。それを示すように悠然と生き残ったハジャは地面へと下りたち、そのまま一歩一歩近づいて行く。そこには一つの奇跡がある。クロノスという名の禁断の果実が。


「光栄に思うがよい……貴様らは我が時の始まりを意味する生贄。すぐにジークハルトの元に送ってやろう……」


ハジャはこれ以上にない興奮と高揚感の中ゆっくりとその手をクロノスへとかざす。それは魔導士としてのいきつく場所。究極への探求。それが今まさに手に入らんとしている。だがそれは


「―――っ!? なっ何だこれは!? 何故クロノスが解放されない!? 確かに我は大魔道の生贄を捧げたはず……!?」


驚愕によって終わりを告げる。いくらその手をかざそうとも、手に入れようと魔力を込めてもクロノスは応えることはない。まるでその資格がハジャにはないと告げるかのように。そんなあり得ない状況にハジャですら困惑するしかない。いくら考えても理解できない。だがようやく刹那に近い時の中でハジャはその答えに辿り着く。あまりにも単純な、そしてあり得ない答え。それは



「……その手を放せ」



大魔道の生贄、ジークハルトがまだ生きているということだった。


「ジーク!!」
「ま、まさか……何故貴様が生きておる!? 我の魔法を確かにその身に受けたはず……いや、その前にお主にはもう魔力は残っていなかったではないか……!?」


ニーベル達は目の前に起きた奇跡に歓声を上げるもハジャはそれ以上に恐怖を感じていた。何故ならつい先ほど間違いなくジークはハジャの魔法によって死んだはずなのだから。回避することも防御することもできないタイミング。それどころか魔力すら残っていなかったにもかかわらず。ネクロマンシーかと疑うも間違いなくジークは生きている。時間を刻んでいる感覚がハジャには手に取るように分かる。別人でもない。その証拠にその満身創痍の体も服装もそのまま。既に死に体といってもおかしくない状態。ただ違うのは


ジークの持つ魔力の質が、量が全く別物になってしまっていたこと。


「―――――っ!?」


その意味に気づき、ハジャはこの場にやってきてから初めて恐怖する。目の前の魔導士であるジーク。彼が内に秘めている、開けてはいけない扉を自らが開けてしまったことに。その意味をミルツだけは知っていた。


(これは……間違いない! 超えたのじゃ!! 戦いの最中にハジャを超えてしまったのじゃ!!)


ジークがハジャとの戦いの中でそれを超えたのだと。戦いの中で自らの才能を覚醒させるという離れ業。奇跡にも等しいそれをジークは成し遂げた。だがそれはこれまでのジーク自身の鍛錬とその才覚があったからこそ。そしてそこには与り知らぬことではあるがそれを促すために魔力のみを込めた杖を覆面の男が送り、ジークの器を呼びこす手助けがあった。だがそんな事は些細な違いに過ぎない。あるのは唯一つの答え。


『世界最強の魔導士』


ジークハルトが大魔道を超えさらなる高み、世界最強の魔導士の称号である『超魔導』の領域に至ったことを意味していた。


(馬鹿な……こんな、こんなことが……!? 我が師以外に大魔道を超える魔導士が二人も存在するなど……)


ハジャはただ目の前のジークから放たれている魔力によって気圧されるしかない。魔導士としての本能。それに抗うことなどできない。だが同時にある人物がハジャの脳裏に生まれてくる。つい先ほどまで戦っていた覆面の男。その男がジークと被って見える。あり得ないような、気が触れたとしか思えないような思考。もはやハジャには戦う気力は残されていない。戦う前からそれが分かってしまうほどの力の差が今のジークとハジャの間にはある。あるのはいかにこの場を脱するかということだけ。だがそんな微かな望みは



「フム……どうやらこちらから先に足を運んで正解だったようだな」


そんな天からの声によって絶たれてしまう。ハジャだけでなくその場にいるすべての者が声に導かれるように天を仰ぎ見る。


そこには一人の老人がいた。見る者を恐怖させる形相と輝く金髪と髭を持つ魔導士。だが彼には一つの二つ名があった。それは


『超魔導シャクマ』


世界最強の魔導士。剣聖と対を為す称号を持つ王者。


今ここに、時を巡る魔導士たちの宴の最後の招待客がついにその姿を現した――――



[33455] 第八十三話 「真実」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/07/12 06:17
魔都の中心ミルディアンハートに今、人間界における最高の魔導士三人が集結していた。

一人は満身創痍の姿を晒している大魔道の称号を持つ時の番人ジークハルト。だがその姿とは裏腹に瞳からは全く力は失われていない。それどころか以前を遥かに超える存在感がそこにはある。

もう一人がジークと同じ大魔道の称号を持つ六祈将軍オラシオンセイス最強の男、無限のハジャ。ジークとは対照的に全くの無傷であり、その名の通り無限の魔力を持つ魔導士。だがその表情は驚愕と確かな恐怖に染まっていた。その視線はただ己の上空に注がれている。ハジャだけではない。その場にいる全ての者達の視線が一人の老人に注がれている。それだけの力と存在感がその老人にはある。


「さて……色々と聞きたいことがあるがまずは裏切り者からにするとしよう。何か申し開きはあるか、ハジャ。我が弟子よ」


超魔導シャクマ。世界最強の魔導士でありハジャの師にあたる男。魔導士の頂点に立つ人間が今、その場を全て支配してしまっている。胡坐をかきながら杖に乗り、眼下に視線を向けているその姿からはまるで自分以外のすべてを見下しているかのよう。その殺気にも似た視線を直接受けているハジャは知らず息を飲み、体が震えるのを抑えるので精一杯。そんな異様な事態の中、ジークはいつでもその場から動けるように体勢を整える。


(まさかシャクマまでこの場に現れるとは……だが一体何が目的だ? 確か奴はハジャの師だったはず……)


ジークは自らの後ろにいるニーベル達を庇うように位置取りをしながらシャクマとハジャの動向に気を配る。だが今の状況はジークにとっては不可解極まりないもの。シャクマの乱入はジークにとっては絶体絶命にも近い窮地。与り知らぬこととはいえ自分が以前とは比べ物にならぬほど力を上げたことは実感できたものの相手は超魔導の称号を持つ魔導士。加えてまだハジャもおり、最悪二対一で戦うことをジークは覚悟していた。しかし今、ジークの前には予想だにしなかった展開が巻き起こっている。まるでそれはシャクマがハジャを詰問し、追い詰めようとしているかのような光景。


「わ、我が師よ……何故あなたがこのような場所に……それに裏切りとは一体。私はただレイヴマスターどもからレイヴとシンクレアを………」
「御託はよい。お主に問い質しておることは一つだけだ。何故ルシアを裏切るような真似をしておる」
「……っ! そ、それは……」


ハジャはできる限り平静を装いながらシャクマに対して弁解を行わんとするもそれは息つく暇もなくあっさりと両断されてしまう。もはや言い訳など最初から通用しないのだと悟るには十分すぎるほどの威圧、重圧。師弟の間だからこそ絶対に覆せない壁が存在する。ハジャはようやく思い出す。師であるシャクマの恐ろしさを。その前では自分の浅はかな知略など通用しない。だがハジャにはまだあきらめはない。この場を乗り切り、己の野望を成就させるための最善策を瞬時に導き出す。それは


「師よ……あなたの疑問はもっともなもの。ですがこれは世界を守るためのものなのです。ルシアの目的は星の記憶を手にし、世界征服を実現することではありません。真の目的はエンドレスを手に入れこの並行世界を消滅させること。DCはそのために利用されているにすぎません。私はそれを防ぐために動いているのです」


ルシアの真の目的を晒し、シャクマを自らの陣営に引き入れること。シャクマがDCに、ルシアに与していることは既にハジャはシンフォニアでの出来事を監視していたことから知っていた。シャクマがルシアに従っているのも星の記憶を手にするため。DCに属している全ての者達の目的もそこにある。だが既にハジャはルシアの目的が星の記憶を手にすることではなくこの並行世界を消滅させることであることを見抜いていた。それは世界を破滅させる、並行世界を生きる者達にとっては許されない行為。


「どうか師よ。我が力になっていただきたい。世界を消滅させることなど許してはなりません。星の記憶を手にし、全てを手に入れるべきは私達のような賢者であるべきです」


ハジャは首を垂れながら自らの師にむかって懇願する。さながら忠誠を誓う騎士。だがその内面は限りなく人を欺くためのもの。


「我にルシアを裏切りお前の下につけと……?」
「とんでもありません。あなたこそ王に相応しいお方。ルシアではなくあなたこそ星の記憶を、世界を手にするに相応しい。そのための力、クロノスもこの場にあります。あそこにいる魔導士、ジークハルトを生贄に捧げればクロノスを手にすることができます。そうなればあなたに敵う者はいません。どうか……」


ハジャは思いつく限りの提案によってシャクマを味方にせんとする。本来なら自分がクロノスを手にしたいところだが今のジークに敵わないことは明白。ならばシャクマの力を借りることによってそれを為すしかない。もしクロノスがシャクマの手に渡ったとしても星の記憶に辿り着く瞬間を狙えば自らが全てを手に入れることも可能。世界を消滅させんとしているルシアと世界を手にせんとするハジャ。そのどちらにつくかなど考えるまでもない。だがハジャは知らなかった。


「……賢者か。そのような言葉をまさか貴様のような愚者から聞かされるとは」


シャクマが一体何を目的に動いているかを。その正体が何者であるかを。


「師よ……一体何のことを……?」
「貴様の愚かさを嘆いておるだけよ。本気でそんな世迷言を口にしているとは……まさかクロノスを手に入れるために大魔道の生贄が必要などという作り話を真に受けておったのか?」
「っ!? つ、作り話……!? そ、そんなはずは……現にクロノスは封印されているではないですか!?」


ハジャはシャクマによって告げられた信じられない言葉に狼狽し、声を上げるしかない。自らが何十年もかけて準備し、成就させんとしてきた野望の一つが全て否定されかねないのだから。だがそんなハジャの哀れな姿を見ながらもシャクマは眉ひとつ動かすことなく告げる。


「最初からクロノスは封印などされてはおらん。あれはただそこに在るだけの存在。何人もあれを手にすることはできん。そもそもクロノスなどという魔法は存在せん。あの力を神聖視した者たちが作り出した幻想よ」


クロノスと呼ばれる魔法が虚構であることを。ただの純粋な力の塊であり人の手に余るもの。エンドレスを誰も操れないようにクロノスを操ることは不可能。大魔道の生贄が必要と伝えられていたのもクロノスから魔導士を遠ざけるための迷信。その事実にハジャはようやく辿り着く。少し考えれば誰でも気づく単純な答え。超魔導であるシャクマがその魔法を手にしていないということ。それが答え。魔導精霊力に匹敵すると言われる魔法を知りながらシャクマが手にしていないことなどあり得ない。突きつけられた現実にハジャが戦慄し、失望する。しかしそれすらも超える絶望がハジャには待ち受けていた。


「何よりも私がルシアを裏切るなどあり得んよ。我はシャクマ・レアグローブ……ルシアの祖父。かつて王の中の王だった者だ」


シャクマ・レアグローブという名。恐れ忌むべき称号を持つかつての王こそが目の前にいる男の正体であること。


ハジャが気づくのが遅すぎた。シャクマにとって世界征服など何の意味もない些事であることを。


ハジャが知るのが遅すぎた。シャクマにとって並行世界の消滅こそが真の目的だったことを。


「せめてもの情けだ。我が手でこの偽りの世界から消え去るがいい。愚かな我が弟子よ」


死の宣告と共にシャクマが指を振るい、魔力がハジャに向かって放たれる。逃れることができない死の光。無限の魔力を以てしても防ぐことができない超魔導の一撃。


「我は……我はこんなところで死ぬわけにはいかぬ――――!! 我こそが世界の……時の――――」


ただ絶叫しながらハジャはクロノスへと縋りつくもクロノスは応えることはない。究極への探求に魅せられながらも今のハジャにはただ虚構に縋ることしかできない。ハジャは自らの持つ無限の魔力によって生き延びんと足掻くも全てが消え去って行く。六十一式DBという狂気に身を染めて手に入れた無限も超魔導の前では無意味。かつて自らが口にした言葉と同じ。


『どんなに魔力があったとしても超魔道の前では一にも満たない』


それが答え。自らを超える力によって圧殺される。この上なく分かりやすい、自らが体現してきた真理。それに従いながらハジャはこの世から消え去って行く。


それは無限の欲望の行きつく果て。無限に魅せられた愚かな魔導士の最期だった――――




「見苦しい物を見せてしまったな……ではそろそろ本題といこうか」
「…………」


まるで何事もなかったかのようにシャクマは視線をその場にいるジークに向ける。その視線は先程までの比ではない。つい先ほど大魔道であるハジャを葬ったというのに息一つ切らすことない。その場にいるだけで全てを支配してしまえるような王者の風格。それに晒されながらもジークには恐れはない。あるのはこの場で目の前の超魔導を倒さなければならないという事実だけ。


「……場所を変える。ここではまともに戦えないだろう」
「よかろう。好きな死に場所を選ぶとよい」


ジークは破れかけた上着を破り捨てながら指を空に向ける。それだけでシャクマは全てを察したのか杖によって瞬時にその場から飛び去って行く。上空という魔導士だからこそ立ち入ることができる領域。同時に魔導士がもっとも実力を発揮することができる戦場。あえてジークはそこを戦場に選んだ。同じ魔導士である以上地の利はない。ハジャとの戦いで既に魔都の中心ミルディアンハートは崩壊寸前でありこれ以上の魔法戦には耐えられない。何よりもニーベル達を、時の民達を巻き込むわけにはいかなかった。


「ジーク……」
「心配するな、ニーベル……ミルツ様達と今すぐここから離れるんだ」
「でも……!! ジークだってボロボロじゃないか! なら……!」
「無駄だ。あいつからは逃げられん。それに逃げられたとしてもお前達がただでは済まん……」


ニーベルが必死に訴えるもジークには既に選択肢はない。言葉にするまでもなくニーベルがこの場から逃げるべきだと口にしようとしていることにジークは気づいていた。確かにそれは正しい。いくらハジャを超えたと言ってもそれまでの戦いの傷や消耗がなくなったわけではない。いつ倒れてもおかしくない程の重傷に加えて疲労困憊。しかも相手はハジャを片手間に葬れるほどの怪物。撤退を選択し、傷を癒すことが正しいことは誰の目にも明らか。だがジークにそれは許されない。超魔導であるシャクマから逃げ切ることは不可能。空間転移をしたとしてもすぐさま追跡されてしまうのは火を見るよりも明らか。よしんば逃げ切れたとしてもニーベル達は間違いなく殺されてしまう。それはジークにとっては敗北と同義。否、敗北以上に犯してはならないもの。


「オレは必ず勝つ……信じて待っていてくれ」


誓いと共にジークもまた風のエレメントを纏いながら空高く舞い上がって行く。それをただニーベル達は見上げることしかできない。今のジークとニーベル達の間には天と地ほどの力の差がある。できるのはただ信じることだけ。それでもニーベル達はジークの勝利を信じ、その場から動き始めるのだった。



「どうやら大魔道を超えておるのは間違いないようだな。成程、ハジャでは相手にならんわけだ……」
「……何故ハジャを殺した。あのままなら二対一でオレを追い詰められたはず……」
「あやつがいたところで主が相手では何の役にもたたん。何よりも奴はルシアを裏切った。当然の報いよ」


ジークの疑問にシャクマはさも当然のように応える。大魔道を超えた戦いにハジャなど邪魔にしかならないという理由。そして何よりもルシアを裏切った者に対する制裁。それこそがシャクマがここに現れた理由。それを聞きながらジークは先のシャクマの言葉を思い出す。聞き流すことができない言葉。


「シャクマ・レアグローブ……お前は本当にあのレアグローブの王なのか?」


レアグローブという呪われた血の証。金髪の悪魔であるルシアのみが受け継いでいるはずの血統を持つ者がまだこの世界にいることを意味する物。五十年前、王国戦争を引き起こした張本人が今、ジークの前に君臨していた。


「信じられないかね。だが無理もない。表向き私は終戦とともに死んだことになっておるからな。だがこの体に流れる高潔なる覇王の血は変わらぬ。超魔導の称号もそれに比べれば些細な物に過ぎんよ」


そんなジークを嘲笑うかのようにシャクマは自らの正体を告げる。その言葉、そして金髪こそがシャクマがレアグローブの血を継ぐ者であることの証。それを確信しながらもジークはさらなる疑問を口にする。ともすればハル達の疑念が晴れるかもしれない可能性。


「……ならお前がルシアを裏で操っているのか?」
「私がルシアを? そんな訳がなかろう。ルシアは私が誰なのかも知らんよ。ルシアに家族など必要ない。この世に覇王は一人しかいらぬ」
「ならお前の目的は何だ。星の記憶を手に入れることでなければ何故お前はルシアの味方をする?」
「目的? そんなものは決まっておる。この並行世界の消滅。それこそが我らレアグローブの宿願。そのために動いているだけよ」
「っ! 並行世界の消滅だと…!? それがどういうことか分かっているのか!? そんなことをすればお前も死ぬことになるぞ!」
「百も承知よ。この世界は全て偽り。現行世界こそが真実。そのために私は動いてきた。だがそれもあの忌々しいレイヴマスターのせいで狂わされた! 本当なら五十年前に大破壊オーバードライブによって表面的とはいえ世界は消滅するはずだったというのに……!」


それまでの態度を一変させ、悔しさを滲ませるように憤怒と共にシャクマの表情が歪む。まるで世界の敵を思い出しているかのような豹変にジークは圧倒されながらも対峙する。だがほぼ確信しつつあった。目の前の存在こそが五十年前からの因縁の根源なのだと。


「レイヴマスター……剣聖シバ・ローゼスのことか?」
「その通りだ。今は二代目になっているようだが今のレイヴマスターなど足元にも及ばんよ。奴に後れを取らなければシンクレアによって全てが終わり、このような醜態を晒すこともなかった……」


シャクマは憎悪に身をやつしながらかつての王国戦争を思い出す。シンフォニアとレアグローブによる世界を賭けた戦争。シャクマにとってはそれはただの遊戯。さながらチェスをするかのような物。シンクレアによって世界を消滅させるための時間稼ぎ。だが遊戯で終わるはずのそれは思わぬ存在によって覆る。


『レイヴマスター』


DBに対抗するために生み出された聖石レイヴを操る担い手。剣聖シバ。その力によってDBによって絶対優位の力を持っていたはずのレアグローブは追い詰められることになる。蒼天四戦士も加えたシンフォニアは激闘の末についにあと一歩のところまでレアグローブに迫る。無論シャクマも黙ってそれに甘んじていたわけではない。超魔導と呼ばれるほどの力を持った魔導士でもあるシャクマは自らレイヴマスターを倒さんとした。既に蒼天四戦士は激戦によって命を落とし、残るはシバのみ。剣聖と超魔導。剣と魔法の頂上決戦はシバの勝利に終わる。瀕死の重傷を負いながらもシャクマは間一髪のところで空間転移によって逃れることはできたもののそのままシバの一撃によってシンクレアはダメージを受け、完全な大破壊オーバードライブは起こらず世界の十分の一を破壊するに留まった。それはシャクマにとっては許すことができない屈辱だった。


「そうか……やはり貴様が全ての元凶ということか」
「私が? 何をおかしなことを。全てはエンドレスの意志だ! 私はそれを手助けしただけに過ぎんよ!」
「違う! 貴様は全てをエンドレスのせいにしているだけだ! この世界で生きて行くことに負けたことに気づいていないのか!?」
「ふん、所詮は仮初の存在。理解することができんのだな。全ては定められたこと。レアグローブとシンフォニアが争い合うことも世界が終焉を迎えることもエンドレスの、神の意志! その資格を持つ者がルシアなのだ!」
「それは違う! オレ達は全てこの世界に生きる者。この世界にも生き残る権利がある。エンドレスに抗うことがこの世界で生きることだ!」


ジークとシャクマ。大魔道を超えた二人の魔導士がぶつかりあう。魔法ではなくその言葉で。並行世界に生きる者と現行世界こそが真実だとする者。神の視点からすればシャクマの方が正しく、人間の視点から見ればジークの方が正しい。どちらも正しく、間違っている答えの出ない、答えのない命題。


「愚かな……すぐに答えは出る。エンドレスとルシアによってな。だがその前に私が邪魔者を全て排除してくれよう。ここでお主を、そしてその後には二代目レイヴマスターとリーシャ・バレンタイン。エンドレスに逆らう全てを取り除くことこそが今の私が為すべきことだ」


問答は無意味だと断じ、シャクマは己が目的を言い放つ。今、シャクマが動き出したのは全てそのため。ルシアが四天魔王を配下にするために魔界に行ったこの隙を狙って動き出す全ての不穏分子を一掃すること。自らの孫であるルシアの覇道を阻む物を根こそぎ排除する。シンフォニアでの出来事から既にシャクマはハジャがそれを盗み見し、不穏な動きを見せていることは知っていた。その粛清のためにミルディアンに赴いたものの、さらにここにはレイヴ側に味方する大魔道を超える魔導士ジークがいる。ハジャならいざ知らずそれを放置することはルシアにとって万が一だが危険がある。それを排除した後に二代目レイヴマスターと全ての元凶であるリーシャ・バレンタインを亡きものにする。それがシャクマの計画。だがジークにとっては別の意味で声を震わせてしまうほどの衝撃を持つ事実が含まれていた。


「リーシャ・バレンタイン……? 一体どういうことだ……?」


『リーシャ・バレンタイン』という今は亡き少女の名が。


「お主こそ何を言っておる。魔導精霊力を持つリーシャを今度こそこの世から消し去る。それだけよ」
「何を言っている!? リーシャ・バレンタインは五十年前に既に死んでいる! レイヴを生み出した引き換えに命を失ったはずだ!」
「なるほど……どうやら本当に気づいていなかったのか。ルシアも同じことを言っておったが……まあ無理もあるまい。まさかリーシャが生きておるとはこの目で見るまで私も想像すらしていなかった。お主らがエリーと呼んでおるあの小娘が正真正銘リーシャ・バレンタイン本人だ」


エリーの正体がリーシャである。シャクマの口から聞かされた言葉の意味が理解できずジークはその場に磔にされるもすぐさま我に帰る。


「ば、馬鹿な……!? 何故そんなことがお前に分かる……!?」
「当然よ。私は五十年前からあの小娘達と縁がある。暗殺を命じたこともあるのだ……見間違えるわけがあるまい。魔導精霊力を持ち、全く同じ容姿を持つ者など他にいるわけがなかろう」


滑稽だと笑いを漏らしながらシャクマは淡々と真実を告げていく。


「シンフォニアで見た時には目を疑ったが同時にやっと分かったわい。国王が、マラキアが最期に笑った意味を。全てあのクソジジイが仕組んだことだったのだとな」
「マラキア……シンフォニア国王のことか」
「そうだ。わざわざリーシャを死んだことにしてまで隠したかったらしいな。まんまと一杯喰わされたが無駄なことをしたものだ。これでは死んでいった者達も報われんな、ククク……」


邪悪な笑みを浮かべながらただ嗤い続ける。かつて敵国の王であり、知り合いでもあったマラキアをシャクマは長い時間をかけて呪殺した。それほどまでにシャクマはマラキアを憎悪していた。だがその最期の瞬間、マラキアは笑みを浮かべながらこの世を去った。まるで何かを成し遂げたかのように。その答えを五十年経ってようやくシャクマは得た。リーシャを、魔導精霊力をシャクマの手から守り通したことがマラキアが笑みを浮かべた理由だったのだと。だがそれは終わりを告げる。他ならぬシャクマによって再びリーシャはその命を狙われることになったのだから。


「だが……生きていたとしても何故エリーは歳を取っていない? あの姿は間違いなく少女の物だ。五十年近く生きていたのなら……」
「フン……恐らく自らの体を氷漬けにし、時間を凍結させていたのだろう。魔導精霊力ほどの魔力があれば不可能ではない。念の入ったことだ。どうやら何が何でもエンドレスが復活する時代までリーシャを送り込みたかったようだな……無駄なことを」


(そうか……だからあの時エリーは地下で眠っていたのか。ならオレは知らずに余計なことを……いや、もしかすればこれは初めから決まっていたのかもしれん)


次々に明かされる情報によって混乱しながらも徐々にジークは答えに辿りつつあった。

何故あんな場所にエリーが眠っていたか。何故リーシャと瓜二つの容姿をしているのか。何故魔導精霊力を持っていたのか。何故記憶を失っているのか。

全ての点が線につながったかのような感覚。もはや疑う余地はない明確な答え。全てはエンドレスを倒すために。その可能性である魔導精霊力を持つエリーを現代に送るため。腕に残された3173の文字もエリーが記憶を失うことが分かっていたからこその物。リーシャが眠った後、レイヴが五つに別れてしまったのも源の力たる魔導精霊力が眠ってしまったから。それはさながら今は眠っているエンドレスとシンクレアと対を為す関係。シンクレアもまた五十年前はエンドレスが眠っていたが故に完全な姿とはならなかった。だがそのことが逆にリーシャが生きていたことの証明となる。魔導精霊力とエンドレス。レイヴとDBは対を為す存在。もしレイヴを生み出すことでリーシャが命を落としたのならエンドレスもまたシンクレアを生み出したことで消滅しなければならない。


「納得が行ったかね。だが知ったところで何も変わらんよ。ルシアはどうやらあの娘を手にしようとしているようだがあまりにも危険すぎる。あれはルシアには必要ない。留守の間を狙うようで気は引けるがこの好機を逃すわけにはいかんのでね。全てはエンドレスの、ルシアのためにお主らには全員死んでもらう」


シャクマは茶番はここで終わりだとばかりに空気を変え、魔力を高めて行く。それはシャクマにとってもこの行動はリスクが伴うものだからこそ。ルシアはエリーに対して恋愛感情に近い物を持ち、己の物にせんとしている。ただ魔導精霊力を持っているだけならシャクマもここまで強硬な策にはでなかったがそれがリーシャであるなら話は別。今は記憶を失っているが記憶を取り戻せば間違いなくエンドレスに牙をむく。ルシアがいたため動くことができなかったシャクマだが今、その枷は解き放たれた。例えそのことでルシアの逆鱗に触れて処刑されようがシャクマには何の後悔も恐れもない。ただエンドレスの、ルシアのためになるならば本望。狂気にも近い歪んだ感情がそこにはある。


ジークは悟る。今この瞬間は時の接合点。五十年前に途切れてしまった世界を、時を守るための戦いが再び始まったのだと。

二百万の命が失われた王国戦争。シャクマにとっては遊戯に過ぎない戦争。だが人々にとっては違う。全てはエンドレスを倒すために。

マラキアの、シバの、蒼天四戦士の、そしてリーシャの想いがあったからこそ今まで時は流れ続けている。それを守るのが、受け継ぐのが時の番人であるジークの役目。五十年前の悲劇を二度と繰り返さないために。


「エリーがリーシャであろうがなかろうが関係ない。オレは時を守るためにエリーを守る。それだけだ」


シンフォニアでの誓いを守るために。単純な、それ以上にない確かな理由。魔導精霊力でもレイヴでもないジークの戦う意味。


今この瞬間、世界最強の魔導士の座を賭けた、五十年前の王国戦争の妄執と未来の戦いが始まった――――



[33455] 第八十四話 「超魔導」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/07/12 12:29
ミルディアンに面した近海。その海上を二人の魔導士が舞う。音速もかくやという人間の限界を超えた領域。シャクマとジーク。互いに杖を駆使しながらの空中戦。世界最強の魔導士を決めるに相応しい魔法戦が今繰り広げられていた。


「ふん」


自らに並走しながら疾走するジークに向かって超魔導シャクマは無造作に指を振るい続ける。本来なら魔法を行使する際には詠唱が必要。しかしそれを破棄することもできる。咄嗟に魔法を使う際に行われる手段であり、瞬時に発動させられるメリットはあるものの代わりに魔法の威力が落ちてしまうリスクがある。だがそんな常識すらもシャクマは超越する。


「っ!」


まるでそれを予期していたかのように杖を操りながらジークはシャクマが放った魔法を躱す。だがその魔力弾はそのまま海へと着弾した瞬間、爆弾がさく裂したかのような爆音と衝撃が辺りを襲う。もし地上であったなら巨大なクレーターができていたに違いないほどの破壊力。先のハジャを葬ったのも同じ攻撃。大魔道ですら防ぎきれない大魔法。超魔導の扱う詠唱破棄した魔法はそれほどの出鱈目な威力を誇る。


「フム、ならばこれならばどうかな」


ジークの動きを観察するような仕草を見せながらシャクマは再び指を振るいながら魔法を放たんとする。違う所はそれが両手であったこと。扱われる指が増えたことに呼応するように放たれる魔法の数も無数に増えて行く。さながらマシンガンのような弾幕。しかもその一つ一つの威力は先と全く変わらない。


「くっ……!」


体を翻し、海面すれすれを高速飛行しながらジークはそれを回避し続けるもその圧倒的な数の暴力に抗うことはできない。とても避けきることができない飽和攻撃。もはや為す術はない。あるのはハジャと同じように無残に死体すら残さず消滅する未来だけ。そう、それが大魔道のジークであったなら。

それはまるで鏡映しのような動き。ジークはシャクマと向かい合いながら自らも指を振るい魔力を操る。瞬間、圧倒的な魔力が充満し魔法となって放たれていく。奇しくもシャクマが扱っている詠唱破棄魔法と同じもの。その無数の光がシャクマの光を迎撃し撃ち落としていく。互いの魔法が激突し魔力爆発を起こす光景は巨大な花火が無数に炸裂するような閃光を巻き起こし海を蹂躙していく。だがその光景は魔導士が見れば正気を失ってしまうほど。何故ならその一瞬の攻防で消費された魔力の量はミルディアンの魔導士全てを優に超えるほどのものなのだから。

それがジークとシャクマの戦い。超魔導の域に至った者達の実力の片鱗だった。


「もう距離を稼ぐのはいいのではないかね。これ以上場所を変える意味はないと思うが……」
「……気づいていたのか」
「当然だろう。わざわざ疲労を押してまでこんな場所まで移動する理由など他にあるまいよ」


シャクマは杖の上に胡坐をかいて座ったまま同じく杖の上に乗っているジークに向かって問いかける。その内容に一瞬表情が変化するもすぐさまジークはすぐに魔導士としての顔を取り戻す。だがその胸中は穏やかな物ではなかった。


「何故それに気づきながらここまで着いてきた」
「ふん、時の民などいつでも始末できる。今の私にとっては重要なのは主を始末することだけ。それに久しぶりにまともな魔法戦ができる機会だ。主もそろそろ力の使い方が分かってきたのではないか」
「全てお見通しというわけか……」


まるで全てを見通しているかのようなシャクマの余裕と言動にジークはただ圧倒されるしかない。自分がミルディアンに被害が及ばない海上に移動しようとしていたことも自分がまだ魔力を扱いきれていなかったことも全て見抜かれてしまっている。超魔道の称号は伊達ではない。先程までの攻防もシャクマにとっては準備運動、お遊びに等しい。しかしその慢心、余裕のおかげでジークは自らの状態を把握することができた。


(魔力の量も質も以前とは桁違いに上がっている……恐らく単純な魔力ならシャクマにも後れはとらないだろう……)


ジークは自らの手を握りながら己が内に渦巻いている魔力の奔流に恐怖すら感じる。とても自分の魔力だとは思えないような感覚。どれだけの力が引き出せるのか分からない程の高揚感。大魔道の壁を突破した者だけが得ることができるもの。初めは暴れ馬に乗っているように上手くコントロールできなかったものの先の攻防でそれは解消できた。無詠唱の魔法での威力が互角であった以上魔力においてはほぼ互角と見ていい。故にジークにとっての問題、勝負は二つの要素で決まる。

一つがお互いの持つ魔法の優劣。詠唱を必要とする大魔法の攻防においてシャクマを上回ること。先のハジャとの戦いと同じように例え魔力で拮抗しようとも扱える魔法で劣れば敗北は必死。

もう一つが疲労と負傷。これはジークにだけある一方的なハンデ。例えかつてを超える魔力を手にしようとも先のハジャとの戦いでの疲労と負傷は変わらず。満身創痍に加え疲労困憊。いつ倒れてもおかしくない程のレベル。故に持久戦という選択肢はジークにはない。一秒でも早く、全力でシャクマを倒すしかない。


「余興はここまで。本気で来るがいい。超魔導の真の意味を思い知らせてやろう」


その全てを見透かしながら超魔導は一切の油断なく、王者の風格を以て告げる。魔導の頂点に立つ者のみが持てる高み。その頂きに挑むべくジークは己が全ての力を解放する。


「―――!」


瞬間、初めてシャクマは目を見開く。ジークがいきなり乗っていた杖を海に投げ捨てるという理解できない行動によって。移動手段でもあり、魔導士にとって武器でもある杖を放棄するなどあり得ない。だがそれはジークにとって問題とはならない。何故なら元々ジークは杖を使う魔導士ではない。それを使ったとしてもシャクマの前では付け焼刃に過ぎない。そして何よりも重要なこと。それは


今のジークにとって杖など不要だということ。


「―――行くぞ!」


刹那と共にジークの姿が消え去る。だが正確には違う。シャクマの瞳にも映らないような速さを以て光を纏いながらジークは空を駆ける。


流星ミーティア


それがジークが身に纏っている魔法。天体魔法と呼ばれるこれまで存在しなかったジークだけのオリジナルの魔法。超魔導の魔力を光に変換し、速度に全てを費やすことで限界を超えた高速移動を可能にする移動魔法。術式だけは既に完成していたものの大魔道のジークでは扱うことができなかったもの。今、ようやくその封印が解き放たれた。

シャクマは瞬時に見失いかけたジークを補足し、魔法の弾幕によってそれを撃ち落とさんとするもその全ては空を切り海へと落ちて行く。今のジークはその名の通り流星。空を駆ける星を撃ち落とすことは何人にもできない。縫うように縦横無尽の動きを見せながら瞬く間にジークはシャクマとの距離を詰めて行く。その速度にシャクマの魔法は追いつかず対応できない。だがそれは当然。流星ミーティアの速度は閃光のDBであるライトニングに匹敵、凌駕する。加えて魔導士は距離を詰めてくる相手との戦いは不得手。魔導士にとって制空権を確保すれば後は遠距離戦、固定砲台のような戦い方がほとんど。優れた魔導士であればあるほどそれは顕著となる。だがだからこそジークにとってはそれこそが確かな勝機となり得る。


(――――ここだっ!!)


流星となったジークはシャクマの魔法の嵐を掻い潜り一瞬でその背後を取る。ジークが流星ミーティアを習得した理由。それは接近戦こそが魔導士にとって有効であることを誰よりも理解しているからこそ。魔導士の中でもジークは戦士に近い、近接戦も可能な存在。遠からずハジャやシャクマといった魔導士達と相対することを確信していたジークはこれまでの時間の多くを近接戦の修行に当てていた。速度という点においてはジークはシャクマすら超越した。全てはこの瞬間のため。ジークはその手に生み出した魔法剣に力を込める。


吸収の剣テイクオーバー


斬られた者の魔力と体力を奪う魔法剣。奪うだけでなくその魔力と体力はそのまま剣の持ち主の物となる。剣の一撃で仕留めきれなくとも魔力を、何よりも体力を奪い回復することはジークにとっては死活問題。完璧なタイミングと速さを以てその一刀にジークは全てを賭ける。一閃によってシャクマの身体が両断されんとするも


「――――無駄よ」


それは全てを見抜いた賢者の声によって妨げられる。同時に火花が両者の間に飛び散り、鍔迫り合いのように両者は睨み合う。違うのはジークが手にしているのが魔法剣なのに対してシャクマはその手にある杖を以て対抗していたこと。完璧に背後を取ったにもかかわらず間髪いれずに杖を以て防御する。魔導士であれば考えられないような反応。だがそれをシャクマは為し得る。


「狙いは悪くないが付け焼刃の剣など私には通じんよ……私を剣で殺したければ剣聖を連れてくるのだな」


それが答え。かつて五十年前に剣聖シバに後れを取った醜態。その経験がシャクマにはある。同じ過ちを繰り返すほど甘くはない。接近戦、剣という魔導士にとっての天敵もシャクマには通じない。剣聖の称号を持つ者の剣でなければ今のシャクマには届かない。


「くっ!!」
「どうやらその魔法剣で形勢を変えたかったようだが当てが外れたな。次はどうする、ジークハルトとやら」


完全に虚をつかれたジークは一瞬動きを鈍らすもすぐさま腕に力を込め、その場から離脱せんとする。己にとって有利であったはずの近接戦においての狙いが外れてしまった形。だがまだ速度では己の方が上。しかしその一瞬の隙がジークの初動を鈍らせる。ことこの領域の戦いにおいてそれは致命的な隙となる。

それは遅延魔法と呼ばれるもの。発動のタイミングを術者のタイミングに合わせることができる設置型、罠に近い魔法。結界にも似た無数の遅延魔法が既にジークが離脱しようとしている空間に設置されている。先の無詠唱魔法の打ち合いの際に先を見越してシャクマが仕掛けていた物。数多の戦場を潜り抜けてきた者のみが持てる予知にも近い先手。もはや流星ミーティアを以てしても逃げ場はない。だが


「七つの星に裁かれよ……」


時の番人ジークハルトもまたそれは同じ。詠唱共に空に巨大な魔法陣が姿を現す。その数は七つ。一つ一つが宇宙魔法に匹敵する星。その全てを既にシャクマの攻撃を流星ミーティアで躱しながら上空にジークは描いていた。流星ミーティア吸収の剣テイクオーバーも全てはこのための布石。己が持つ最高の魔法を繰り出すため。


「天体魔法……真・七星剣ネオ・グランシャリオ――――!!」


かつての宇宙魔法を超える天体魔法である七星剣。大魔道では為し得なかった超魔導の魔力を持つジークだからこそ可能な奥義。一つ一つの星の剣がかつての七星剣に匹敵する威力を誇る殲滅魔法。その光の柱がシャクマの魔法を飲みこみながら全てを消滅させていく。もはや防御も回避も不可能。


「なるほど……確かに大魔道を超えておる。もし主が十年早く生まれておれば勝負は分からなかったやもしれんがこれも『時の運』 知るがよい、時間、知識と経験の差をな……」


だがそれすらも超魔導は覆す。宣告と共に瞬く間に空が雲によって覆われ、昼と夜が入れ換わる。天変地異の前触れ。だがそれは天災ではない。それを示すように人の力、魔力が空に満ちて行く。天候すらも操る程の魔力によって巨大な魔法陣と共にそれは現れた。


星座崩しセーマ


隕石を操る古代禁呪。かつてシンフォニアで見たはずの奇跡が再びジークに向かって襲いかからんとする。奇しくもそれはジークと同じ瞬間に用意されていた魔法。だが違うのは知識と経験。超魔導の域に達しただけでは埋められない。五十年という時間の差の中で生まれた覆しようがない力の差。


「さて、本物の流星に敵うかどうか見せてもらおう」


それを証明するかのようにシャクマの宣言と共に巨大な隕石が降り注ぐ。紛れもなく音速を超えた大質量の暴力。振動だけで波が荒れ、嵐が巻き起こる程の大災害。その古代禁呪の前では唯一シャクマに勝っていた速度ですら無力と化す。流星ミーティアであっても星座崩しセーマは躱すことはできない。古代禁呪と天体魔法の間にある絶対の壁。


「はああああ―――!!」


だがジークはシャクマに向かって放たれようとした七星剣を強引に星座崩しセーマへと目標を切り替えることによって乗り越えんとする。七つの光が隕石を止めんと突き刺さるも熱量と質量の差から防ぐことは敵わない。だがわずかではあるが軌道を逸らすことに成功し、ジークは紙一重のところで星座崩しセーマを回避する。同時に海へと着弾し、爆発によって一帯は吹き飛んでいく。凄まじい蒸気と水しぶきは嵐が起きたかのような規模を以てジークを襲うもそれすらもシャクマの手の内だった。


「さらばだ、時の番人」


死の宣告と共に最期の追撃が放たれる。もう一つの星座崩しセーマという逃れようのない死の一撃。古代禁呪の連続魔法という極致。ジークの最後のあがきすらも読み切った超魔導の策。もはや回避は不可能。できるのは最大速度で距離を取ることだけ。だが所詮は悪あがき。数秒で星座崩しセーマは流星となったジークへと迫る。七星剣によって軌道を変えてもどうしようもない状況。しかしたった一つだけ手が残されていた。もはや博打にすらならないような、狂気の沙汰とも思える賭け。


「おおおおお―――!!」


ジークは己の閃きにその数秒を賭ける。瞬間、巨大な魔法陣がジークの上空に生まれ、もう一つの奇跡が具現する。その光景にシャクマは目を見開くだけでなく初めて純粋な驚愕の表情を見せる。それほどの信じられない事態。見間違うはずのない魔法をジークは発動させる。


星座崩しセーマというシャクマしか扱えないはずの古代禁呪。目には目を、歯には歯を。そんな当たり前の、想像すらできないような発想と才能。


二つの古代禁呪、隕石の衝突によって全ては閃光に包まれた――――



「…………」
「ハアッ……ハアッ……!!」


嵐が吹き荒れる荒波の上でジークとシャクマは対峙する。その姿はあまりにも対照的な物。ジークは呼吸が荒く肩で息をしながら何とかその場に浮かんでいるもいつ倒れてもおかしくないような満身創痍。その疲労の度合いは先の比ではない。短時間とはいえ魔法の応酬と古代禁呪の使用によって魔力ではなく肉体の限界が訪れようとしている。大してシャクマは無言のまま、息一つ切らすことなく杖に乗ったままジークを睨んでいる。だがその胸中はジーク以上に驚愕に満ちていた。

感嘆と驚愕。超魔導のシャクマであっても言葉を失ってしまうほどの絶技をジークはやってのけたのだから。確かにその魔力は驚嘆に値する。自分と魔法を打ち合える魔導士など存在しない。だがこと魔力だけなら無限の魔力を持つハジャの方が優れているだろう。故に真に驚嘆すべきは恐ろしいほどの才能。

この短時間で魔力を使いこなし、あろうことか初見であるはずの古代禁呪を一目で己がものとし反撃に転じてくる。

もはや才能という言葉ですら生ぬるい天賦の才。敵であったとしても同じ魔導士として称賛せざるを得ない程の存在。同時に間違いなくこのまま生かしておけばルシアにとって、エンドレスにとって害となる男。

故にシャクマは決意する何を置いても目の前の魔導士。ジークハルトを抹殺することを。


「認めよう……お主はまさしく超魔導に相応しい。だがこの世に超魔導は二人いらぬ……悪いがもはや容赦はせぬ。全力を以てお主を葬らせてもらおう」


シャクマは宣言と共にそれまで決して下りることがなかった杖から下り、両手で構える。自らの全力によってでしか発動し得ないもう一つの古代禁呪を扱うために。ジークは本能で何かが起きようとしているのを察知しながらいつでも動けるように構えるも既に余力は全く残されていない。先の攻防によって手札はそのほとんどが封じられた。流星も、七星剣も、魔法剣も通用しない。星座崩しを習得できたもののそれはシャクマも同じ。だがジークは一つの布石を打っている。それは海に捨てた杖。魔力をわずかに残したそれを操ることがジークにはできる。ハジャには通用しなかったものの魔法で上回ることができなかった以上やはり決めては魔力を持たない攻撃となる。星崩しによってシャクマの星崩しを防ぎながら流星で接近し魔法剣で攻撃。先の攻防の焼き回しである以上防がれてしまうのは明白だがそれに加えて杖を遠隔操作し、魔力を使いきった状態で背後からシャクマを貫く。残された手段で考え得る最期の策。体力の問題から次の攻防が最後。ジークは覚悟し動かんとするもその動きは寸で止まってしまう。それは単純な恐怖。人間であれば誰であれ避けることができない原初的な本能。ジークはただその光景に目を奪われるしかない。そこには


全てを飲みこまんとする超巨大な津波が押し寄せてくる絶景があった。


古代禁呪『天涯海角ヴァルナー


シャクマが持つもう一つの古代禁呪。かつて太古の文明を滅ぼしたと言われる津波を操る魔法。飲み込まれれば生きて脱することはできない死がそこまで迫りつつある。

だがジークが驚愕しているのはその津波だけではない。確かにその規模は天災に匹敵する。いかにジークといえども瞬時に己が物とすることができない程の凄まじさ。しかしその速度は星崩しには及ばない。流星を持つジークであれば回避することも可能。にもかかわらずジークは回避することができない。否、回避することなどできるはずがない。何故なら


「さて、どうするね。そのまま避ければ後ろのミルディアンは全滅してしまうが……?」


その津波の先にはミルディアンが、時の民達がいるのだから。


「き、貴様っ!? まさか最初からそれを狙って―――」
「当然だ。でなければわざわざ主の言葉に従うわけがなかろう。これが私と主の決定的な差。王者としての戦いというものだ」


心底愉快でたまらないといった笑みを浮かべながらレアグローブの王は嗤う。天涯海角ヴァルナーによってミルディアンごとジークを圧殺する。それこそがシャクマの狙い。ジークの提案に乗るように海上に場所を移したのも全てこのため。海でしか扱えない天涯海角ヴァルナーを発動させるため。ミルディアンを狙えばジークは天涯海角ヴァルナーを避けるわけにはいかないと分かっていたからこその狡猾な罠。何よりもこれ以上ジークに知識と経験を与える暇を与えないために。己が勝つためならどんな犠牲も厭わない覇道を往く者のだからこそできる策。そして犠牲を許すことができないジークにとっては抗うことができない敗北を意味するもの。


(ダメだ……!! もうオレでは天涯海角ヴァルナーを止めることができん……!!)


ジークは残された体力と魔力の全てを注ぎ込みながら天涯海角ヴァルナーを制御せんとするも叶わない。既に動きだし、加えて今もシャクマが操っている天涯海角ヴァルナーを止めることなど不可能。シャクマを止めるために攻撃を加えんとすればその瞬間、天涯海角ヴァルナーはミルディアンへと瞬時に到達する。もはや詰み。奇跡が起こってもどうにもならない終焉。魔導士としてのジークが告げる。もう手遅れだと。ならここは退いて次を考えるべきだと。それは正しい。誰もジークを責めることはできない。ミルディアンの民達も全て同じことを言うだろう。例え自分たちが死んだとしてもジークが生き延びることにこそ意味があると。


(違う―――!! それではあの時と何も変わっていない!! オレが見てきたものは、信じたものはそんなものではない!! オレは――――!!)


ジークは叫ぶ。心の内で。それは違うと。時を守るためにはいかなる犠牲も恐れない。だがそれは犠牲をよしとするものではない。犠牲がなくとも目的を達成できることをジークは知った。あきらめないことが、信じる心があればそれができる。そう信じるに足る者達を見てきた。それを証明するためにジークは全てを賭けて力を振るう。だが押し寄せる津波は止まることはない。覆すことができない真理。それが全てを飲みこむ前に確かにジークは聞いた。


時の、世界の声を――――


(な、何だ……!? 一体何が……!?)


今、シャクマは極度の混乱にあった。何もおかしいところはない。だが何かがおかしい。何がおかしいかが分からない。そんな理解できない状況。分かるのは先程自分がジークを殺したということ。間違いなくそれを為した感覚がある。にも関わらずシャクマには分からない。自分が何の魔法を使ったのか。まるで過程だけがすっぽりと抜け落ちてしまったかのような感覚。時間が飛ばされた。そんな表現がしっくりくるような奇妙な状況。しかしこれと同じ経験をシャクマはしている。それがいつだったか思い出そうとするよりも早くあり得ないような光景が目の前に現れる。それは


何の損害も受けていない健在なミルディアンの街と先程までと変わらぬ姿で自分と対峙しているジークハルトがいる光景だった。


「ば、馬鹿な……!? 何故貴様が生きておる!? 確かに私は貴様を……」
「…………」


シャクマは知らず恐怖しながらジークへと問いかける。まるで死人が目の前に現れたかのようにシャクマは戦慄する。自分が何かを行いジークはそれに巻き込まれた。それが何なのかは分からないがシャクマには確信があった。自分がジークを葬ったのだと。だがジークはシャクマの驚愕を知ってか知らずかただ自らの右腕を見つめ続ける。そこには先程まではなかったはずのものがある。


「それは……命紋フェイトか? 何故そんな物が……」


命紋フェイト


魔導士が好んで身体に刻む刺青。呪い、願かけにも近い意味を持つもの。その証拠にジークの顔にもそれが刻まれている。だがジークの右腕に刻まれている物は腕全体にも及ぶほど。まるでその力を証明するかのよう。それは当然。何故なら今ジークの右腕に刻まれている物は命紋フェイトの源流とでもいえる印なのだから。


命紋フェイトではない。『クロノス』……それがこの紋章の名だ」


ジークはその名を告げる。ジークには既に全てが理解できていた。まるで知識のレイヴを得たレイヴマスターのようにその存在が何なのか、役割が何なのかが手に取るように分かる。今自分の右腕に宿っているのが間違いなく魔都の中心ミルディアンハートに封印されていたクロノスなのだと。


「ク、クロノスだと……!? そ、そんなはずはない! あれはただの力の塊! 人では手にすることができぬもの……それが何故お主などに……!?」
「違う。クロノスはただ待っていただけだ。それがオレだった……それだけだ」


シャクマは理解できない事態の連続に狼狽し声を上げることしかできない。シャクマはクロノスが魔法ではないことを知っていた。遥か太古から在り続ける力の塊。その伝承も作り話に過ぎない虚構。確かにそれは正しい。クロノスは魔導精霊力に最も近い魔法。手に入れるためには大魔道の生贄が必要。それらは間違い。だがその能力は、力は確かに存在している。ただこの並行世界が生まれた瞬間から現在に至るまで担い手が現れなかっただけ。

『エンドレス』

太古に人類最後の生き残りが星の記憶に辿り着き、時空操作によって並行世界を作り出した代償に生まれた力。それと対を為すのが究極魔法魔導精霊力。世界は安定を求めるが故に生まれたもう一つの力。破壊と創造。表裏一体の関係。だがもう一つ、知られていない三つ目の力が存在する。

『クロノス』

この並行世界における世界の意志。現行世界の意志であるエンドレスに対抗するための、世界の生き残ろうとする力。だが現在に至るまでその力は振るわれることはなかった。上位の世界である現行世界の力には並行世界の力では対抗できないため。何よりもそれを扱い得る担い手が存在しなかった。エンドレスにはダークブリングマスター。魔導精霊力にはレイヴマスター。だがここについに三人目の担い手が現れる。

それがジークハルト。大魔道を経て超魔導に至り、並行世界を守るに相応しい心を持つ魔導士。時の民とミルディアンが生まれたのも全てこの時のため。クロノスをジークハルトが生まれ、器として満たされるまで守ることこそがその使命。


今この瞬間、真の『時の番人』が誕生した――――


(クロノスだと……!? ならこの人外の魔力もその力なのか……!?)


シャクマは距離を取りながらもジークの右腕から生まれ出ているこの世の物とは思えない圧倒的な魔力の奔流に気圧されていた。超魔導のシャクマをして怯えてしまいかねない規模の力。並行世界の、星の記憶の力の産物。それがジークにとっての力である魔力へと置き換わっている。もはや魔力においてジークに対抗し得るのは魔導精霊力のみ。だが気圧されながらもシャクマは未だにあきらめはない。魔力だけでは魔導士の優劣は決まらない。扱える魔法が変わるわけではない。その証拠にジークの疲労も負傷も回復したわけではない。知識と経験。魔導士においてはそれが最も大きな武器となる。いかに強力な魔力を持っていても五十年以上の差がある自分がジークに負けるなどあり得ない。だが


「無駄だ……お前の最期は既に五十年前から決まっている……」


まるで心を読んだかのように時の番人は宣告する。さながら判決を言い渡す処刑人。ゆっくりとその両手が交差する。十字架を象った構え。シャクマですら見たことも聞いたこともないもの。何故ならそれは魔法の構えではない。

クロノス。エンドレスや魔導精霊力に近い力を持つ三つ目の力。だがその本質は単純な力ではない。その特性こそが真価であり、禁忌。あまりの危険さゆえに並行世界の誕生から一度も人の身に委ねられたことのない神秘。その力がシャクマへと注がれる。それは


「な、何だこれは!? 我の身体が消えて行く!? き、貴様がこれをやっているのか―――!?」


『時空操作』


星の記憶でしか為し得ない歴史を改竄する奇跡。同時に終わり亡き者を生み出してしまう禁忌。クロノスを手にした者は『存在を消す』という一端のみにおいてその力を手にすることができる。

クロノスによってシャクマは為すすべなく身体が光となり消え去って行く。粒子となった身体はただ並行世界に還っていく。身体だけではない。シャクマという存在そのものが世界から消え去って行く。それが時空操作。存在をなかったことにするもの。先の天涯海角ヴァルナーを消し去ったのもこの力。津波自体をなかったことにし、人々の記憶からすらも消し去る。時の番人たると認められたジークにしか許されない権利。

シャクマは声を上げることもできないままただ恐怖する。走馬灯のように自らの記憶が蘇っては消されていく。その中で犯してきた数えきれない罪。エンドレスという免罪符の元に己の欲望のままに世界を破滅に陥れんとした罪。無限の欲望すらも霞んでしまうほどの所業。その全てを理解した上でジークは宣告する。


「――――悔い改めろ」


時の審判クロノス


歴史上から姿を消し、全ての人間の記憶、記録からも消滅する。それがシャクマ・レアグローブの最期であり王国戦争の妄執の終焉。そして未来を司る新たな超魔導が生まれた瞬間だった――――



[33455] 第八十五話 「癒しと絶望」 前編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/07/31 16:35
「…………はあ」


大きな溜息を吐きながらルシアはとぼとぼと山道を下って行く。背中には哀愁が漂っている疲れたサラリーマンのような有様。そんな姿からは不釣り合いな光景が辺りには広がっていた。見渡す限り全てが灼熱に包まれた死の山。一歩間違えばマグマへ落ちかねないような危険な場所に今、ルシアは身を置いている。

ウルブールグ。魔界の中でも最も熱い地方であり、同時に四天魔王の一人である獄炎のメギドの城がある場所。ルシアはようやく長かった魔界探検ツアーから解放され、晴れて人間界へと帰還すべくゲートが使用可能になる山のふもとまで下山している最中。しかしルシアの表情には全く安堵は見られない。確かに人間界に戻ってもルシアに安寧という言葉は存在しない。むしろ今まで以上の厄介事が待ち受けているのは想像に難くない。だがそれ自体はとうに分かり切っていたこと。既にこれまでに散々思い通りにならない、想定外の事態に振り回されてきたルシアにとってはもはや日常茶飯事。そんなルシアであっても困惑し、恐怖しなければならない事態が今、発生していた。


「…………」


氷が割れるような足音を奏でながらソレは確かにルシアの後ろを着いてきていた。同時に背筋が凍るような寒気が襲いかかってくる。冷気自体は大したものではなくせいぜいエアコンの風が当たった程度。問題は冷気ではなく存在感。ルシアは後ろを振り返ることなく、後ろに振り返ることができないままその視線を背中に感じ取り、息を飲むことしかできない。


(何でこんなことになってるわけ……?)


自らの後ろから着いてきている氷の女王、絶望のジェロにルシアは顔面を蒼白にしたままただ絶望することしかできないでいるのだった。


(いやいやいや……何でこの女、俺に着いて来てんの!? 何のドッキリ!? 嫌がらせにしても限度があるだろ!?)


ルシアは心中で頭を抱えながら今の状況が理解できずに混乱するしかない。いや、正確には現実逃避をしているだけ。既にルシアはジェロが自分に着いてくる理由は知っていた。

大魔王であるルシアを守護するため。

それがジェロがルシアの後を着いてきている理由。大魔王の配下である四天魔王として役目を果たすためジェロはルシアと共に人間界へ戻ろうとしている。確かに理屈としては筋が通っている……はずなのだがまさか四天魔王が自分に着いてくるなどとは夢にも思っていなかったルシアとしてはたまったものではない。ただでさえ人間界は問題だらけ。物語で言えば終盤に向けて一気に状況が動き始める時期。そこにジェロが加わればどんなイレギュラーが起こるか分かったものではない。火薬庫で火遊びをするレベルの危険行為。


(しかもいくら言っても帰ってくれねえし……俺、大魔王になったんじゃねえのかよ? なのに命令を無視するなんて……これじゃ六祈将軍の方がまだマシじゃねえか……)


死んだ魚のような目をし、げんなりしながらルシアはあきらめるしかない。もちろんルシアも黙ってそれを受け入れたわけではない。自分には既にDCという組織があり護衛は必要ないこと。人間界には自分に対抗できるような存在はいないと何度も説明し、魔界に残るように命令という名の説得を行ったもののジェロは聞き入れることはなかった。曰くDCの戦力など当てにはならないと。無理やり振り切る、もしくは力づくで言うことを聞かせる手も考えたが勝手に人間界にやってきてドリューの時のように好き勝手される方が何倍もリスクがあるため仕方なく(半ば強引に)ルシアはジェロを引きつれたまま人間界に戻ることになってしまったのだった。


(とにかく今はさっさと人間界に戻ることを考えねえと……)


ルシアは頭を振りかぶり、額に手を当てながらこれからのことに思考を切り替えんとするもそれは


「…………どうかしたのかしら?」


いつの間にか身体が触れ合うほど近くにいたジェロの氷の吐息によって妨げられてしまった。


「―――っ!? ジェ、ジェロ!? いきなり驚かすんじゃねえよ!?」
「……何をそんなに驚いているの。それよりもどこか具合が悪いのかしら。さっきからずっと頭を気にしているようだけれど……」
「い、いや……何でもねえ! それよりももうちょっと離れてくれねえか……?」
「……? ええ、あなたがそう言うのならそうするわ」


ルシアの言動の意味が分からぬままジェロは言われるがままに距離を取りながら再び歩き始める。自らが放っている冷気が強すぎたのかとジェロは思案するも全く的外れ。その原因はもっと根本的なもの。


(ま、マジで心臓に悪い……本当にずっとこれが続くのかよ!? というか何でそんなに近づいてくるわけ!? 来る時はこんなに近くで歩いてなかっただろ!?)


ルシアのジェロに対する恐怖。トラウマと言い換えても差し支えのない事情があった。ヘタレであることを差し引いても一年前に氷漬けにされ、殺されかけた相手に加えて魔界の王であり、女王でもあるジェロと行動を共にすることはルシアにとっては計り切れない程のストレスとなり得る。常時胃痛をアナスタシスで再生しなければならないレベル。例え実力的にはジェロを超えたと言っても根本的な意識が変わるわけではない。要するにルシアにとってジェロは大魔王になったとしても絶望に変わりないということ。しかも大魔王になってから明らかに変化したことがある。

近かった。ただひたすらに近かった。

共に下山をする中で何故か気づけばジェロがすぐ近くにいるという意味不明な事態がルシアに襲いかかっていた。確かに自分の後ろを着いてきていたはずなのに気づけばすぐ傍にいる。ルシアからすれば恐怖以外の何者でもない。しかもジェロも意識しているわけではなく無意識でそうなっているらしい。考えられるとすれば大魔王になったこと。仮の器ではなく本物の大魔王になったことでジェロの言うように守護する対象になったからかもしれないと全く嬉しくない昇進にルシアは辟易するもまだ問題はこれだけではない。


『くくく……どうしたどうした主様よ。顔面が蒼白になっておるぞ。せっかく大魔王になったというのにいつもより酷いではないか、情けない』


シンクレアという名の騒がしい共犯者達もまた変わらずその胸元にいるのだから。


「や、やかましいっ! 他人の気も知らねえで……儀式の時ぎゃあぎゃあ泣いてたくせに偉そうにすんじゃねえよ!」
『さて、何のことやら? 我には何のことかさっぱり分からんの。死んでおる間に幻聴でも聞こえたのではないか?』
「て、てめえ……」
『ふん、そんなことなどどうでもよい。それよりもまだジェロを連れて行くことに納得しておらんのか? 喜びこそすれ嫌がることなどなかろう』


くくく、という邪悪な笑いを漏らしながらマザーは自らの主の右往左往している姿にご機嫌だった。もはや儀式の時の姿は微塵も残っていない平常運転。むしろジェロの同行という予期していなかったハプニングによっていつも以上にハイテンションになってしまっていた。ジェロとはまた違った意味で頭痛の種が残っていたことを思い出し、ルシアは途方に暮れるしかない。


「お前……分かってて言ってやがるな。そもそも俺には護衛なんて必要ねえんだよ! お前もそう言ってただろうが!」
『ふむ、確かに今のお主に勝てる者など人間界にはおらぬ。いや、それは魔界も同じか……まあよい。ともかくお主が負けることなどあり得ぬがそれでも戦力を持っておくことは無駄ではない。一人では対応できぬことでもジェロがおればできることもあろう。しかもジェロは四天魔王。その力は身を以て知っておるはずじゃが?』
「そ、それは……でもジェロは四天魔王だろ? ならやっぱり勝手に魔界から連れて行くのはまずいんじゃ……」
「心配ないわ……私の領地はメギドに任せてあるし、二万年前からそうだったのだから今更何の問題もないわ」
「…………」


自らの職務を放棄している氷の女王のどこか誇らしげな言葉にルシアは言葉を失い、呆れ果てるしかない。わずかな光明すらその言葉によって遮られてしまう。間違いなく為政者としては落第のジェロに呆気にとられながらも同時に今もまた仕事を押し付けられているであろうメギドの同情を禁じ得ない。そのつもりはないがもし一緒に仕事をするときには負担を減らしてやろうとルシアは心に誓う。


『それともジェロが気に入らんというのか? なら他の四天魔王を連れて行けばよかろう。ウタ辺りなら喜んで着いてくるのではないか?』
『っ! そ、そうよ! その手があった……じゃなかったその方がきっといいわよ! 何もジェロにこだわる必要はないんじゃないから?』
『ん? バルドル、いたのか。城から出てから一言もしゃべっておらぬから死んだのかと思っておったぞ』
『何それ!? あたしが静かだと死んだことにされちゃうわけ!? いくらなんでも死んだりしないわ。それよりもやっぱりジェロ以外の四天魔王の方が……』


城を出てから一言もしゃべらずずっと絶望していた新たなシンクレアであるバルドルはまるで生き返ったかのように声を弾ませながらルシアへと提案する。もちろんルシアのためではなく全ては自分のため。ジェロがいては好き勝手ができない枷を何とかする最後のチャンス。もはやなりふり構っていられない事情がバルドルにはあった。だがそれは


「…………」


絶対零度にも近いジェロの眼光によって終わりを告げる。表情は何も変わっていない。だが確実にその瞳には殺意があった。短い間とはいえ共に旅をしてきたバルドルにはジェロがこれまでに見たこともないほどに怒りを露わにしていることが分かる。もしこの場にルシアがいなければ間違いなく絶対氷結によって氷漬けにされ、そのまま砕かれてしまうであろう光景が目に浮かぶほどの威圧感。


『……と思ったんだけどやっぱり決めるのはアキよねー。アタシハジェロガイイトオモウワヨ』
『……心中察しますが本音が駄々漏れですよ、バルドル。それはともかくアキ様、もし他の四天魔王が宜しいのでしたら再考することもできますが?』
「え? い、いや……それは……」


もはや魂が抜けたかのようなバルドルと変わらず無表情ながらもどこかいつもと違う雰囲気を纏っているジェロを見ながらルシアは一瞬で思考する。もはや四天魔王を連れて行くことは確定事項。だがその人選の余地は残されているらしい。しかしすぐさまそれが無駄なことを悟る。

まずはウタ。もはや考えるまでもない。自分の命を狙いかねない相手を連れて歩くなど正気の沙汰ではない。トラウマという点では実際に殺されているためジェロよりも酷い。あらゆる意味で連れて行くことなどあり得ない。

次にアスラ。謎が多い、直接接触したことが少ない存在だが何よりも意志疎通ができない点でアウト。DBマスターであるルシアであっても意志疎通ができないなど理解できないがずっとホムしか言わないじいさんと行動を共にするのは精神的な意味で擦り切れてしまいかねない。言葉にできない不気味さもその理由。

最後がメギド。これに関してはむしろこちらからお願いしたい程の存在。四天魔王唯一の常識人といっても過言ではない男。だがそれ故に最も連れて行くことができない存在。もしメギドを連れて行けば魔界が崩壊するだろう。比喩でも何でもなく本気で。というか魔界は彼一人で支えていると言っても過言ではないことがルシアが魔界に来て数日で看破した事実だった。


「……ジェロ、宜しく頼む」


ルシアは悟りを開いたかのような表情で告げる。もはや選択の余地はなかった。


「……ええ。もちろんよ」


ルシアの心中など知る由もないジェロもまた淡々とした口調で応えるだけ。しかしその言葉によってバルドルだけは絶望し、また黙りこんでしまう。ある意味ではバルドルにとって死刑宣告に等しいのだから。


『どうやら話はまとまったようですね……ですがマザー、本当にジェロを連れて行っていいのですか?』
『? 何を言っておる。我がジェロの同行を拒むわけがなかろう。奴がおればはっきりいってDCなどもはや必要ないのだからな。それに個人的にもその方が面白そうだ……くくく、見ろ、あのアキのざまを。これからはずっとあれが見れるのだぞ』
『……そうですか。確かに私は忠告しましたよ』
『ふふふ……あなたも絶望することになるといいわ……マザー。道連れよ、後悔しても遅いんだからね……』
『とうとうおかしくなったか、バルドル。キャラがヴァンパイアと被っておるぞ』


ぎゃあぎゃあと騒がしい自らの胸元に頭を痛めながらルシア達はようやく下山し、ゲートの使用可能な地域までたどり着く。体力的には全く問題ないのだが精神的にはさっさと帰って横になりたいレベルだった。しかしそういうわけにはいかない。戻ればすぐに状況を確認し、動かなければならない。何よりも第一に本部にいる人間であるレディ達にはジェロを紹介しておく必要がある。恐らく役職としては側近に等しい地位に着くのだから。だがそこでようやく気づく。ルシアはゲートを手にしたままただジェロを凝視する。正確にはジェロの全身を。もはやセクハラと言われてもおかしくない程。それがいつまで続いたのか


「…………ジェロ、お前その格好のまま着いてくる気か?」


ルシアはぽつりと、それでもはっきりと問う。その場にいる全員の視線がジェロの服装に釘付けとなる。そこに全く違和感はない。これ以上にないほどの完璧な肉体美とそれを際立たせる衣装にも似た服。だがはっきり言えば水着のような格好。今までそれが当たり前だと思っていたがゆえに気づけなかった当たり前の事実。


「ええ。何か問題が?」


さも当然とばかりにルシアの言葉の意味を解することなくジェロは応える。その瞬間、ある意味人間界の状況確認よりも優先すべきミッションが開始されたのだった――――




「……とりあえずここでいいか。おい、ジェロとりあえずここで適当に服を買うぞ、いいな」
「そう……私は別にこのままで構わないんだけれど。あなたがそう言うなら仕方ないわね」


ルシアは淡々と自分に着いてくるジェロを連れながらある場所に訪れていた。それは服屋。エクスペリメントにある店の一つ。言うまでもなくジェロの服を手に入れるために。


(流石にあの恰好で本部にいさせるのはヤバすぎる……っていうか間違いなく俺がヘンタイ扱いされちまう! それだけはごめんだっつーの!)


背中に嫌な汗を流しながらもとりあえず服屋までたどり着いたことにルシアは安堵するしかない。あの後、ジェロに他の服は持っていないのか問いただすも似たような服しかないという答えにルシアは絶望するしかない。何でもジェロは服には興味がなく、今着ている物も側近であった部下が選んできた物を無造作に着ているだけ。その部下のセンスに感謝すればいいのかどうか本気で悩みながらもルシアは直接DC本部に戻ることなくエクスペリメントの街へと移動することにした。本音としては一直線に本部に帰りたいところだが流石に今の姿のジェロを連れたままレディ達と対面するのはハードルが高すぎる。後のことを考えればどっちにしろ着替えは必要になるためルシアは数時間ではあるが先にジェロの服だけ入手することにしたのだった。


『何言ってるのよジェロ! あたしも前に言ったじゃない、そんな恰好で街中を歩くなって! っていうか何であたしの時はダメでアキの言うことは聞くの!? いくら何でもあんまりよ!』
「…………」
『え? また無視? まだこの仕打ちって続くの?』
『そんなことはどうでもよい。それよりもこの店はハートクロイツと言ったな。確かエリーが好きなブランドだったはずだが……』
「う……よ、よく知ってんな。他のブランドはよく分かんねえからな。ここならいろんな種類の服があるし……」


どこか楽しげに話しかけてくるマザーの姿にルシアは圧倒されるしかない。間違いなく実体化していれば目を輝かせているであろうことが分かるほどの興奮ぶり。人間の服のブランドを知り、それに興奮するDBなど世界中探しても間違いなくこいつしかいないと自らが持つDBの非常識さを改めて実感した形。


『くくく……読めたぞ、我が主様よ。お主、さてはエリーと同じ格好をジェロにさせようとしておるのだろう?』
「は? 何の話だ?」
『ふん、照れるでない。そんなにあの恰好が好きなら早く言わぬか。主がどうしてもというなら我もあの恰好を見せてやらんでもないぞ?』
「寝言は寝てから言え。それに今はジェロの方だ。考えるならジェロの方にしろ」
『むう……つれない奴め。だがエリーの恰好をしたジェロか……』


ふてくされながらもマザーはそのままじっとジェロを見つめながら想像する。脳裏にはエリーがいつも好んで着ていた服の数々。タンクトップにミニスカート。


「……ないな」
『……うむ、ないな。済まなかったな、主様よ。やはりあの恰好はエリーだからこそ許されるものらしい』


即答だった。普段絶対謝ることがないマザーですら謝ってしまうほどにその組み合わせ、コーディネートはあり得なかった。


『お二人とも、とにかくジェロにどんな服がいいか聞くのが先では?』
『それもそうか。おい、ジェロ。お主どんな服がいいのだ?』
「…………」


ようやく本人の嗜好を聞くという当たり前のことに気づいたシンクレア達はジェロに話しかけるもジェロは全く反応を示さない。店内を見ているわけではない。その意識はここではないどこかに向いているかのよう。


「どうかしたのか、ジェロ?」
「……いえ、何でもないわ。服は何でも構わない。あなた達に任せるわ」
「そ、そうか……それが一番困るんだが……」
『いいじゃない! ジェロもこう言ってるんだし、好きな服を着せてやればいいのよ!』
『だからといって無茶苦茶な服を選ぶのは無しですよ、バルドル?』
『そ、そんなことするわけないじゃない……あはは……』


まるで考えていることを言い当てられたのように動揺しているバルドルをよそにルシア達は店内を回りながら各々にジェロの似合う服を探していく。だがやはり女物の服選びのセンスなどルシアにあるはずもなく途方に暮れるしかない何とか選べた物はOLが着るようなスーツだけ。本部にいる時にレイナが着ている物を参考に選んだのだった。


『なんだそれは? 全くお主にはセンスというものが全くないな。女の服選びでスーツを選ぶなど……』
「うるせえよ! 本部に出入りすんだからこれでいいだろうが!」
『ふん、だからお主はエリーに愛想を尽かされるのだ。もう少し女心というものをだな……』
「ほう……いつも似合いもしねえ黒のゴスロリばかり着てる年増には言われたくねえな」
『なっ!? お、お主でも言っていいことと悪いことがあるぞ! それにそれはカトレアに似合わんと言っているようなものだぞ!』
「な、何言ってやがる!? カトレア姉さんは関係ねえ! そもそも姿は同じでもてめえの腹黒さがにじみ出てんだよ!」
『……よかろう。どうやら久しぶりに頭痛を食らわされたいようだな』
『そこまでにしなさい、マザー。自分の服の趣味がアキ様には合わなかったと素直に認めれば』
『ふん、時代錯誤の着物などを着ている貴様には言われる筋合いはないぞ』
『……いいでしょう。表に出なさいマザー。ここでいつかの決着をつけて差し上げます』
『ねえ、この白いフリフリの服なんてあたしに似合いそうだと思わない? ちょっとイリュージョン、この服ちゃんと記憶しておいてくれる?』
「お前ら自分の服の話になってんじゃねえか!? ちゃんとジェロの服を選びやがれ!!」


流石に我慢の限界だとばかりにルシアは大声を上げながらシンクレア達を黙らさんとするも全く無意味。今までは二つだったシンクレアが三つに増えたことで騒がしさは以前の三割増し、いや五割増しといったところ。ドSと清楚と天然。個性が強すぎてまとめることなどできない混沌。だがそれを止めることができる存在がいる。ある意味シンクレア達に対する天敵。その力を借りようと顔を上げるもようやくルシアは気づく。


「…………ジェロ?」


この状況の原因とでも言える氷の女王がいつのまにかいなくなってしまっていることに。同時に店内にいる女性客たちからの視線がルシアにだけ突き刺さる。そう、ジェロがいない以上端から見ればルシアは女性の服を選びながら誰もいないにもかかわらずずっと独り言を叫んでいる異常者なのだから。

声にならない叫びを上げながらルシアはここにはいない絶望によって絶望させられることになるのだった――――




「…………」


いつもと変わらない足並みでジェロはただ大通りを歩き続けていた。本来ならジェロの美貌とその服装によって周囲の視線を釘づけにしてしまうのだが今はそれがない。その代わりに周囲はざわつきに包まれつつあった。人々はまるで事件が起こったかのように騒いでいる。パトカーと警官がその中心に向かって集まって行き、無線や人々の声が響き渡っていく。銀行強盗が起こり、三人組の犯人が逃走しているという物騒な事態。しかしそれを耳にしながらもジェロは全く気にした風もない。それどころか今のジェロには騒ぎすら目には入っていなかった。

闇雲に散策をしているような雰囲気ではなく確かな目的を持ってジェロは歩き続ける。ソレが確かにいることをジェロは感じ取っていた。

大魔王の守護という役目を果たすためにわずかな危険も見逃すわけにはいかない。例えまだ敵ではないにしても今、ジェロが感じ取っている力は常人ではあり得ない、質で言えば感じたことのないようなもの。ジェロはただ機械のようにそれに向かって近づいて行く。


そこには一人の女性がいた。長い髪とドレスのような服を纏った美女。だが同じく美女であるジェロとは何もかもが対照的。見る者に癒しを与えるような柔らかさと優しさ、どこか母性を感じさせる雰囲気。


「見つけたわ……お前がそうね」
「…………え?」


女性は突然話しかけられたことによってようやくジェロの存在に気づく。瞬間、女性はまるで金縛りに会ったように目を奪われる。初対面のはずにもかかわらず女性は本能で悟った。ジェロが自分と同じ魔法という超常を操る魔導士であることに。


『癒しの魔導士 ベルニカ』と『絶望のジェロ』


今ここに、あり得ない癒しと絶望の邂逅が実現したのだった――――



[33455] 第八十六話 「癒しと絶望」 後編
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/08/14 11:37
「ハアッ……ハアッ……!」


肩で息をしながらルシアはまるで力尽きたかのようにその場にへたり込む。額には汗が滲み、身体は疲労で一杯一杯。大魔王となった男とはとても思えないような体たらく。街の大通りのど真ん中で男が今にも倒れそうなほどに憔悴し、走り回っている光景に通行人の視線が集まるも当の本人はそんなことを気にすることすらできない緊急事態に陥っていた。それは


(ちくしょう……! ジェロの奴、一体どこに行きやがったんだ……!?)


共に行動をしていたジェロの行方が分からなくなってしまったこと。一緒に服を選ぶために店に入ったはずにもかかわらずいつの間にかジェロは店内から姿を消してしまっていることに気づいたルシアは絶望に顔面を蒼白にしながらも必死に捜索を行っていた。だが店内はもちろん、街の中まで範囲を広げるものの未だ見つけることは敵わない。休日で人出が多いのにも加え、ソング大陸最大の都であるエクスペリメント。その中で一人の女性を見つけることは困難を極めるのだから。


(やっぱゲートもワープロードも無視してやがる! っていうか何で俺の呼出しには誰も応じないんだよ!? どいつもこいつも命令違反ばっかりしやがって嫌がらせかっつーの!?)


呼吸を整えながらもルシアはその手にある二つのDBに力を込めるも状況は一向に変わらない。共に瞬間移動、召喚の能力をもつDB。かつてドリューの元から呼び出した時のようにルシアはジェロをその場に召喚せんとするもうんともすんとも言わない。完全に無視されているかのような状況。残された最後の手段も通じなかったことにルシアはただ焦りを募らせることしかできない。まるでかつてレイナを呼びだそうとしても無視された状況と瓜二つ。何故誰も自分の呼出しには応じないのか、命令違反の部下達の横暴ぶりに憤慨しながらもルシアに立ち止まることは許されない。何故なら今探しているのはただの一般人ではない。四天魔王、絶望のジェロなのだから。


『何をそんなに慌てておるのだ、騒々しい……もう少し貫録を見せたらどうだ?』
『やかましい! これが落ち着いていられるか! お前もちょっとは手伝え! ジェロの気配とか分かんねえのかよ!?』
『そんな物分かるわけがあるまい……シンクレアならまだしも四天魔王はエンドレスから独立した存在だと教えたはずだがもう忘れおったのか……いや、アスラは例外か。奴の気配なら我らでも探ることができるぞ』
『んなことはどうでもいいんだよ! 元はと言えばてめえがぎゃあぎゃあ騒いでるからジェロを見失っちまったんじゃねえか!』
『なっ!? 我のせいだと言うのか!? そもそもお主が服を買いに行こうなどと言いだすからこんなことになったのだろうが! 人のせいにするでない!』
『お二人ともそこまでになさってはどうですか。アキ様、ジェロも恐らくそう遠くまでは行っていないはずです。人間界での取り決めもあるのですから心配することはないかと……』
『そ、そうか……そうだよな。いくらあいつでもいきなり無茶苦茶なことはしないよな……?』


まるで他人事のように、むしろこの状況を楽しんでいるかのようなマザーにルシアは食ってかかって行くもアナスタシスの仲裁によって何とか落ち着きを取り戻し、同時に思い出す。それは人間界に着いてくる上でルシアがジェロと行った取り決め。


『ハルとエリー、そして一般人には手を出さないこと』


試行錯誤の上にルシアが課した制約のようなもの。流石にジェロに好き勝手に動かれてはまずいため設けた苦肉の策。ハルについては二代目レイヴマスターであること、因縁があることから自分が相手をするという理由。エリーについては魔導精霊力を手に入れるため。一般人については余計な混乱を起こせば動きづらくなることから手を出さないように強くジェロに確約させた。ルシアとしてはハル達一行に手を出さないようにさせたかったのだが流石にそこまでいけば無理が出る。ジェロだけでなくマザー達にまで疑念を抱かれかねないため今契約した内容がルシアができるギリギリのもの。そのことを思い出しながらルシアはひとまず安堵しかけるも


『ま、ジェロがぶらぶらするのはいつものことだから心配することなんてないわ。もし何かあったなら街が氷漬けになるはずだし今のところは大丈夫じゃない?』
『ふむ、それもそうか。むしろそっちの方が探す手間がなくなっていいかもしれんな』
『そっか。なら安心だ……な……?』


さも当然のようにバルドルとマザーの会話の内容にルシアは言葉を失うしかない。あまりにも自然な会話の流れに思わず納得しかけてしまったものの違和感によってルシアは踏みとどまる。とても和やかに聞き流すことができない内容。


『いやいやいやおかしいだろ!? 何でそこで街が氷漬けになる!? 明らかに放っておけるレベルじゃねえぞ!?』


街が氷漬けになる。とても軽く聞き流せるレベルを遥かに超えている自然災害についてマザー達は日常会話のような気軽さで話していたのだった。


『今更何を言っておる。大体お主は一度その目にしておるだろうが……ん? そうか、また自分が氷漬けにされるかもと怯えておるということか。まったく、心配するでない。流石に大魔王である主を巻き込むような真似はすまい。もしあったとしてもその……うむ、我が主を守ってやらんでもないぞ。ウタの時には後れを取ったが本来の我の力を持ってすればジェロといえども』
『んなことはどうでもいいんだよ!? 何で街が氷漬けになる前提で話が進んでんだ!?』
『仕方ないじゃない、だってジェロだし。一応一般人には手を出さないようにはすると思うけど、もしかしたらうっかりくしゃみが出ちゃうかもしれないし』
『っ!? くしゃみ!? くしゃみでそんな大災害が起こってたまるか!』
『まだそんな次元の話をしておるのか? ジェロは四天魔王なのだぞ。お主やウタはどちらかといえば対人向きの能力だがジェロやメギドは多数を相手にする方が得意だからの。力の加減を間違えればそうなっておかしくあるまい』
『…………』


マザーのこいつ何言ってんだと言わんばかりの言葉にルシアは改めて自分が既に人外を超えた力を持っていることを再認識するしかない。加えてそれに近い力を持った氷の女王を配下にしているのだということも。


ルシアはただ無言で走り出す。できるのはジェロの逆鱗に誰も触れないことを祈るだけだった――――



金髪の大魔王が奔走している方向から正反対の通りで今、二人の女性が相対していた。その内の一人、ベルニカは呆然としながらただ目の前にいきなり現れた女性に圧倒されるしかなかった。長い髪に白い雪のような肌。間違いなく絶世の美女と称するに相応しい姿。衣装のような服装もまた現実感を虚ろにさせ、女性の存在を逆に際立たせている。だがベルニカが圧倒されているのはその美しさからではない。もう一人の女性、ジェロから放たれている鋭い冷気にも似た魔力によってベルニカはその場に氷漬けにされたかのように身動き一つとることができない。


「あ、あの……」


理解できない事態を前にしてベルニカは必死の思いで声を漏らす。何故自分を探していたかのような言葉をかけてきたのか。そもそも何故自分を知っているのか。何故自分にこんな魔力を向けているのか。目的は何なのか。様々な疑問を含んだ言葉を何とか口にしようとするも敵わない。


「しゃべりかける無礼を許した覚えはないのだけれど……まあいいわ。答えなさい。お前は何の目的でこの街にいるのかしら?」


この場で全てを支配しているのはジェロ。口を開くことも、息をすることさえも許しがなければできないと悟ってしまうほどの絶望がベルニカを包み込んでいる。ベルニカは理性では今の状況が何なのかは理解できない。突然自分の前に現れ詰問をされるという理解不能の事態。会ったこともない女性にここまで詰め寄られる理由など欠片も思いつかない。だが魔導士としての本能がベルニカに警鐘を鳴らす。目の前の女もまた魔導士なのだと。同時に今、己が死の淵にいるのだと。


「…………質問を変えるわ。お前のその魔力、力は何? さっさと答えなさい。これは王の命令よ」


いつまで待っても固まったまま、応えようとしないベルニカに対してジェロは表情一つ変えることなく最期の命令を告げる。それこそがジェロがベルニカの前にまでやってきた理由。自分以外の魔導士、しかもDCにも属していない存在がルシアの本拠地である街にいる。魔力も全く感じたことのない未知の物。大魔王を守護するジェロにとって不確定な要素であり見過ごすには大きすぎる力。普段のジェロであれば詰問するまでもなく葬っていたところだがルシアによる契約によって体面としてこのような手段に出ている。だがそんなことを知る由のないベルニカはただ恐怖し、固まることしかできない。


「…………そう。いいわ、なら消えなさい」


もはや用はないとばかりにゆっくりとジェロの細い手がベルニカに向けられていく。後はただ絶望によって凍結されるだけ。助かる道は残されていないかに見える詰み。だが極限状態の中でベルニカはその言葉を口にする。もはや本能に近い、無意識の言葉。


「エ……魔導精霊力エーテリオン……です……」


間違いでありながら自らの命を救う唯一の正答。震えながらも自らの生きる意味と同義でもある魔法の名を告げた瞬間、今度はジェロの動きが止まってしまう。本当に氷の彫像になってしまったのではないかと思えるような行動停止。そしてそれがいつまで続いたのかベルニカに向かってかざされかけた手がゆっくりと下ろされていくとともに殺気にも似た魔力もまた霧散していく。


(た、助かった……? でもどうして……)


同時にずっと息を止めていた状態から解放されたベルニカは息を切らしながらもようやく安堵するもすぐさま意識を切り替える。間違いなく先程自分が殺されかけたことをベルニカは確信していた。その理由もだがそれを止めた理由も見当がつかない。分かるのはただ自分がまさしく九死に一生を得たという事実だけ。


魔導精霊力エーテリオン……お前がエリー?」
「……? エリー……? いえ、私はベルニカと言います……」


ベルニカはジェロからの質問に疑問を抱きながらも今度はすぐさま応える。先程までのプレッシャーは完全に消え去ってしまっているものの、応えなければ恐らく次はないことを悟っているからこそ。


「そう……お前は何の目的でここにいるの? 何故魔導精霊力エーテリオンを持っているのかしら」
「そ、それは……」


一瞬言葉に詰まりながらもベルニカは全てを包み隠さずに吐露することを決断する。嘘など通用しないことは明らか。だが恐らく魔導精霊力エーテリオンに何らかの興味を示していることがベルニカにも見て取れる。息を整えながらもベルニカは応えて行く。


自分は幼いころからの実験によって人工的に魔導精霊力エーテリオンを身につけたこと。

その力を世界平和のためにぜひ貸してほしいという組織の誘いに応じて村からここエクスペリメントまでやってきたこと。

だがその組織は先のドリューが起こした混乱によって消滅してしまったこと。

今はこれからどうするか考えながらも共に来た医者であるジェリーボーンと合流するためにこの通りで待ち合わせをしていたこと。


ベルニカは言葉を選びながらも嘘偽りなく自らの状況を伝え終える。本当ならば魔導精霊力エーテリオンの魔力によって戦うこともできるがベルニカは手を出すことはない。元々戦うことは嫌いな温和な性格であることもあったがそれ以上に目の前の魔導士、ジェロを相手にすることはしてはならないとベルニカは悟っていた。直感にも近い確信。


「…………」


ジェロはただ無言のまま立ち尽くす。その瞳は確実にベルニカを捕えているはずにもかかわらず意識は違う所に向いているのでは思えるほどに生気が感じられない。ある種の芸術性すら感じるほどの光景。感情を感じさせない無表情。


「……あ、あの……」
「……何かしら」
「い、いえ……あなたは一体……」


誰なのか。何が目的なのか。聞きたいことは山の用にあるもののベルニカは口をつぐんでしまう。もし不用意に話しかければ再び逆鱗に触れかねない。だがベルニカが何を言わんとしているかを悟ったのかジェロは瞳に光を取り戻しながらベルニカに向かい合う。知らずベルニカは身体をこわばらせながら対面する。だがそんな緊張感は


「……ジェロ、それが私の名よ。今はアキ……主と共に服を買いに来ているところよ」
「…………え?」


ジェロの何気ない言葉によって消え去ってしまった。


「ふ、服を買いに……ですか……?」
「ええ。主がどうしても言うから着いてきているの。何かおかしな点でも?」


ベルニカがどこか気が抜けた、呆然とした様子を見せながらもジェロは淡々と答えるだけ。ジェロはベルニカをどうするかを決めあぐねていたため片手間にベルニカの問いに答えていた。

魔導精霊力エーテリオンを持つとされるエリーかと思ったものの別人。だが魔力の大きさと質はジェロですら未知の物であり魔導精霊力エーテリオンではないとは言い切れない。もし本当に魔導精霊力エーテリオンだとすればルシアにとっては有用であるが同時に危険も大きい。戦闘を仕掛けるのが一番手っ取り早いが魔導精霊力エーテリオンを相手に戦うにはルシアまでの距離が近すぎ、危険に巻き込みかねない。思いつく限りの方法を検討しながらジェロはベルニカとの会話によって時間を稼ぐ行動に出ていた。

しかしそんな事情など知らないベルニカからすればあまりの不可解さに呆然とするしかない。先程までのやりとりは何だったのかと思えるほど。


「そ、そうですか……その、主というのは……?」
「言葉通りの意味よ。私の主。私はそれに従う者よ」
「え、えっと……その……そ、そうなんですね! 御主人と一緒に買い物されてたんですね!」


顔を赤くし、慌てながらベルニカはジェロの言葉の意味を取り違えていたことに気づき訂正する。主などという呼び方からよからぬ想像をしてしまったことを恥じながらもベルニカはジェロの空気が明らかに先程までとは変わっていることに気づく。正確には主と呼ばれる者の話題になってから。表情は全く変化していないものの雰囲気や声の響きが違う。本当なら自分に話しかけてきた理由を聞きたいところではあるが今はこの話題を続けた方がいいと判断し、ベルニカは続ける。


「でも、一緒に買い物をされるなんて仲がいいんですね」
「そうでもないわ。以前氷漬けにしてしまったせいで怖がられているようだし……」
「(氷漬け……?)よ、よく分かりませんけどきっと大丈夫ですよ。一緒に服を買いに来てくれるなんて仲がいい証拠ですし……」
「そう……ならいいのだけれど……」


そのままジェロとベルニカは他愛のない話をいくつか繰り返すだけ。お互いの事情でそれ以上深く突っ込んだ話ができないため二人はあえて魔導精霊力エーテリオン以外のやりとりを続けるしかない。だがそんな中、ベルニカは次第にジェロに対する認識を改め始める。


(本当にさっきまでとは違う……まるで別人みたい)


自分と話をしているジェロの姿はとても先程までの殺気を放っていた姿とは似ても似つかぬもの。普通の者なら気づかないかもしれないがベルニカにははっきりとそれが分かる。氷の女王の名に相応しい残酷な姿とどこか子供のような純粋さ、幼さを感じさせる一面。矛盾を内包した存在。


(結婚してるのにこんなに気にしてるなんて……新婚さんなのかしら)


御主人であるアキという人物のことを気にしているジェロの様子は明らかに少女のよう。見た目からは想像もできない程。恋愛に関しては奥手、ウブであることを自覚しているベルニカから見てもそう感じてしまうほどに表情からは読み取れない物の雰囲気には現れている。先程命を狙われたにも関わらずそれを忘れ去ってしまうほどにベルニカはジェロに親近感を覚えてしまう。


「あの……余計な御世話かもしれませんけど、一つアドバイスさせてもらってもいいですか……?」


ベルニカは思わずジェロに向かってアドバイスという名のおせっかいを焼く。信じられないようなお人好し加減。ジェロもまた黙ってそれを聞いているだけ。形容しがたい異次元空間が発生しているものの唐突に終わりは訪れた。


それは三人組の男達。全身に黒いタイツを身に纏ったオッサン達が凄まじい速度で走りながらジェロ達に迫ってくる。何よりも目を引くのがその巨大なケツ。間違いなくヘンタイと関するに相応しい悪夢のような光景。


ケツプリ団と呼ばれる強盗団が今、銀行強盗を行い逃走しようとしているのだった。


「フフフ……見たか子分たちよ。オレ様の見事な手際を! 今までの失敗を帳消しにできるほどにワルだっただろう!?」
「流石リーダーでござんす! まさかここらで一番大きい銀行を狙うなんてワルの中のワルでござんすね!」
「フッ……あまり褒めても何も出ねえぜ、子分B。お前には特別に取り分を7パーセント増やしてやろう」
「う、嬉しいんでやんすけど何でいつもそんなに中途半端なんでやんすか?」


久しぶりの盗みが成功しかけていることによってケツプリ団はこれ以上にないほどテンションが上がっている。彼らにとって盗みが失敗することは日常茶飯事。というか成功したことなど一度もないのだがそれ故にあり得ないこの事態に彼らですら驚いていた。普段は例え盗めたとしてもすぐに捕まってしまうのだから。だが今、彼らを追っている警官の姿はない。何故なら


「全てはこの爆弾のおかげよ。見ろ子分たちよ。これのせいで奴らも追ってこれんのだ!」


リーダーの手の中にあるアラームがついた時限爆弾。それをちらつかせることで警備員も警察もケツプリ団を追うことができずにいるのだった。


「流石リーダー……頭がいいッス! 苦労して準備した甲斐があったッス!」
「完璧な計画でやんすね。でもそろそろタイマーは切った方が……」


子分達はタイマー式のカウントダウンを続けている爆弾を臆することなく持っているリーダーの度胸に敬意を示しながらもそろそろ止めた方がいいのではと進言する。わざわざタイマーを進ませることで脅しの効果は高まったものの流石に本当に爆発させるわけにはいかないのだから。だがそんな子分達の考えは


「え……? これって偽物じゃないのか?」


目が点になりながら爆弾を見つめているリーダーの姿によって木っ端みじんに砕かれてしまう。


「な、何を言ってるんでやんすか!? 本物に決まってるでござんす!」
「お、お前らこそ何を言ってる!? 何でそんな危険な物を用意したんだ!?」
「リ、リーダーが用意しろって言うから用意したッス! 違ってたんッスか!?」
「あ、当たり前だ! 本物の爆弾なんて危険な物、いくらワルなオレでも使うわけがないだろうが―――!?」


強盗団とはとても思えないような小心者でありながらどこか常識的な意識を持っているリーダーのミスによって爆弾を止めることはもはや間に合わず爆発が巻き起こってしまう。それだけなら自業自得。幸いにも周囲の店や客は強盗のせいで既に避難が完了していた。唯一の例外、ジェロと、彼女によってその場に留まることになってしまったベルニカを除いて。


「…………」


突然の事態。正体不明の生き物が迫り、同時に爆発してしまう状況を前にしてもジェロには微塵の乱れもない。瞳を動かすだけでその場から動くことすらしない。ジェロが身に纏っている魔力があれば爆弾の爆発程度は何の問題もない。気に留めることもない。しかしその場にはベルニカもいる。それをどうするべきか思案するも早く


「あ、危ない―――!!」
「っ!?」


目を閉じ、悲鳴を上げながらもベルニカがあろうことかそのままジェロを庇うように飛び出してくる。自分を庇おうとするなど想像すらしていなかったジェロは初めて表情を変えながら反射的に自らの魔力でベルニカを救わんとするも間に合わない。だがその瞬間、未知の魔力が辺りを支配した――――


「…………え?」


まるで目が覚めたかのようにゆっくりとベルニカはその場から立ち上がる。咄嗟に爆発からジェロを庇おうとしたのは覚えている。にもかかわらず身体には傷一つない。あれだけの爆発をまともに受けた筈にも関わらず。一体何が起こったのかベルニカには分からないもののジェロだけは確かに見ていた。


ベルニカを襲おうとした爆風がまるで避けるかのようにかき消されてしまった光景を。


「ジェ、ジェロさん……大丈夫ですか!? 怪我は……!?」
「……何ともないわ」
「そ、そうですか……良かった。もしかしてジェロさんが助けてくれたんですか?」
「いいえ、違うわ。あれはお前の魔法よ」
「私の……?」


ベルニカはジェロが何を言わんとしているのか分からないものの二人とも無事だったことにとりあえず胸をなでおろす。だが以前ジェロは無表情のままベルニカを見つめ続けている。その意味をベルニカが聞こうとした時


「ふう……怪我がなかったようで安心したぜ、お嬢さん方。すまない……オレ達がワルだったばっかりに。許してくれ」


ジェロの肩に手を置きながら爆発をまともに受けた筈のリーダーが現れる。本来なら重傷、まともに動くことすらできない負傷にもかかわらず破けているのはケツの部分だけ。とても人間とは思えないような頑丈さ。ギャグの世界に生きる者だけが許される境地。


「リ、リーダー……大丈夫でやんすか!?」
「この状況で自分よりも女性を気遣うなんて……流石ッス!」
ワルとして当然の嗜みだ……済まない、お嬢さん、オレ達はもう行かせてもらうぜ。元気で……な……?」


どこか誇らしげに二人の無事を確認した後、リーダーはその場を後にせんとするも唐突に足を止めてしまう。知らずリーダーは自らの手を確認する。


それは先程女性の肩に触れた手。まるで氷を触ったかのように手が霜焼けになってしまっている。およそ人間とは思えないような体温。一体何が起こったのか分からないままにリーダーはゆっくりとその視線を女性の顔に向ける。子分達もそれに合わせるように向かい合う。そこには


「…………」


絶対零度の視線を向けている氷の女王の姿があった。まるで虫けらを見下すかのような眼光。瞬間、ケツプリ団は思い出す。一年前にも全く同じ状況に陥ったトラウマを。三人の胸中にあるのは一つの言葉だけ。


『氷漬けの美女』


ようやくその正体に気づきながらもいつかと同じようにケツプリ団はその意識を失うのだった――――




「あ、あの……ジェロさん……」
「アレなら気にしなくていいわ。放っておけばそのうち溶ける。見るだけでも吐き気がするわ……」


ジェロは何事もなかったかのようにその場を後にする。もはや視界に入れる価値すらないと言わんばかり。ジェロにとっては本来なら自らの力を振るうことすら躊躇うような存在。ベルニカはそんな状況にどうしたものかとあたふたするしかない。同時にようやく先程ジェロが口にした氷漬けという言葉が冗談でも何でもなく真実だったことに気づくもあえてそこから先は考えないことにする。そんな中、ジェロはその胸にある小さな石に意識を向けたまま再び黙り込んでしまう。それがいつまで続いたのか。


「……分かったわ。戻るから少し待って頂戴」


ここにはいない誰かと話すかのような言葉を漏らしながらジェロはそのままその場から立ち去って行く。もはやここには用はないのだと告げるかのよう。


「私はもう行くわ。後は好きにしなさい……」
「え……? あ、あの……私に何か用があったんじゃ……?」
「いいえ。用はもうなくなった……本当ならここで摘み取ってもいいのだけれど気が変わったわ。二つ借りができてしまったしね……」
「借り……? 一体何のことですか?」


ジェロが何を言っているのか理解できないままベルニカはその場に立ち尽くすことしかできない。ジェロはそんなベルニカを置いたままその場を立ち去って行こうとするも不意にその足を止める。まるで忘れ物をしたかのように。


「……一つ借りを返しておくのも悪くないわね。お前の力は魔導精霊力エーテリオンではないわ」
「え……?」


今度こそベルニカは完全に言葉を失ってしまう。それほどにジェロが口にした言葉はベルニカにとっては想像だにしていなかったもの。


「『絶対回避魔法』……それがお前の魔法。あらゆるものを回避する超上級魔法。誇りに思いなさい……それは人間ごときが本来手にすることができない物よ……」
「絶対回避魔法……? ま、待って! それって一体どういうことなんですか!?」


置き土産という名の借りを返しながらジェロはその場を去って行く。ベルニカは慌ててその後を追おうとするも既にその姿は霧のように消え去ってしまっていた。まるで白昼夢を見ていたかのような出来事。だが確かにその出会い、言葉はベルニカにとっては大きな意味を持つもの。


癒しと絶望。本来なら相対し、殺し合う運命だった出会いは違う形で終わりを告げたのだった―――



「っ!? ジェ、ジェロ!? お前今までどこに行ってたんだ!? ずっと探してたんだぞ!」


突然ジェロが傍に現れたことによってルシアはその場に転げまわりながら急停止し、必死にジェロに迫って行く。身体は既にボロボロ。音速剣を使ってなりふり構わず街中を走り回った代償。いつ街が氷漬けになるか分からない恐怖によって精神的にも限界に近かったのだがようやくジェロが見つかったことでルシアは安心するしかない。もっとも心配していたのはルシアだけなのだが。


「……ごめんなさい。少し気になるものがあったのだけれどもう用は済んだわ」
「よ、用……? 一体何をしてたんだ……?」
「些細なことよ。心配ないわ」
「い、一応聞くけど魔法は使ってねえよな……?」
「ええ。一般人には手を出していないわ」
「そ、そうか……ならいいんだ。でも一応離れる時には行ってくれ……心臓に悪い……」
「分かった。次からはそうするわ」


とりあえず最悪の事態が避けられたことでルシアは肩の荷が下りた気分だった。次からという言い方にそこはかとなく突っ込みたいところはあるがもはやそんな気力すら残っていない有様。


『ふん、だから言ったであろう心配ないと。お主は六祈将軍といい過保護すぎるのだ。もう少し威厳という物をだな……』
「うるせえ! てめえこそもっとシンクレアとしての威厳を見せたらどうなんだよ! 着せ替えごっこをして遊ぶだけが能の石コロなんて必要ねえんだよ!」
『なっ!? いくらお主でも聞き捨てならんぞ! まるで我が役立たずの用ではないか!?』
「雄たけびだけでかき消されるような一発芸人が役立たずじゃなくて何だっつーンだ!?」
『お二人ともそこまでにしてはどうですか。こんな街中で言い争いをすれば一目を引きますよ?』
『そーそー。役立たずでもあたしはマザーのことは見捨てたりしないから安心して!』
『き、貴様、全然フォローになっておらんぞ!?』
「はあ……もういい、何かもう疲れたわ……っとそうだ。ほら、ジェロ。お前の服だ」


これ以上喚いても仕方ないとげんなりしながらルシアはそのまま抱えていた服が入った紙袋をジェロに手渡すことにする。本来の目的である服が手に入らなかったのでは本末転倒であるためルシアは何とかそれらしい服を購入することに成功したのだった。


「…………」


ジェロは無言のまま手渡された服の内容を確認する。一つはスーツ。もう一つはセーターとロングスカートの組み合わせ。普段着のようなものはおおよそ似たような雰囲気で統一されている。ある意味でエリーとは対極になるようなコーディネート。大人の女性の雰囲気を意識したもの。できるだけ露出が少なくしたのはルシアの目論見。もっともルシアの周り(この世界の女性)はやたら露出が多いのに悩んでいたからこその選択だった。


『ふむ……お主にしては中々まともなセンスだな。てっきり巨乳が強調されるような服を選ぶかと思っておったが』
「てめえは俺を何だと思ってんだ……? 別に俺は巨乳好きじゃねえって言ってんだろ」


心底意外そうなマザーの言葉にルシアは呆れ果てるしかない。そもそもDBに服のセンスをダメだしされることの方がどうかしている。そんな風に思いながらもひとまずは目的を果たした形になり、ルシアはそのまま本部まで帰還することにする。まだ戻っていないにもかかわらずこの疲労と騒ぎ。この先のことを考え、頭痛を感じながら歩きだそうとするもふとその足が止まる。ルシアはようやくジェロがその場から動こうとしていないことに気づき声を掛けようとするも


「……ありがとう、アキ。感謝するわ」


それはジェロの言葉と表情によって妨げられてしまう。ルシアはただその表情に固まってしまうだけ。普段は見せないような確かな笑み。男であれば魅了されない者はいない程の氷の微笑み。ベルニカによってもたらされたもの。笑顔を見せればもっと仲良くなれるはずだというアドバイス。ジェロなりに努力してそれを意識して見た結果。


「あ、ああ……気にすんな、とりあえず本部に行くぞ……」


だがルシアにとっては絶望の淵に叩き落とされる気分を味わうに等しいもの。無表情も怖いものの普段見せない笑みの方がルシアにとっては何倍も恐怖。ジェロが悪意を持っているわけではないことは理解しながらもこればかりはいかんともしがたいルシアのトラウマ。だが


(そ、そんな―――ま、まさか―――!?)


その胸元にあるマザーだけはそんなジェロの変化に気づく。いや、正確にはようやく気づく。自分が想像だにしていなかった事態が既に起こっていたのだと。


『……まさか本当に気づいていなかったのですか、マザー?』
『っ!? ア、アナスタシス、貴様知っておったのか!? いつからだ!? いつからこんなことになっておる!?』
『魔界に行く前からバレバレだったと思いますが……分かっていて同行を許可したのではないのですか?』
『そ、そんな訳がなかろう!? 知っておればこんなことには……お、おいバルドル!? 貴様の刺し金か!? ジェロがアキと接触する機会などほとんどなかったではないか!』
『ふふふ……残念ながらあたしのせいじゃなくてあなたのせいよ、マザー。自業自得よ。思い出してみなさい……そして絶望なさい。今度はあなたがジェロに絶望する番よ……』
『―――――』


まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのようなバルドルの言葉もアナスタシスの溜息もマザーの耳には届いてはいなかった。あるのはどうしてこうなったのかという疑問だけ。だがようやくその答えにマザーは辿り着く。


奇しくもそれは一年前。ジェロの模擬戦でルシアが氷漬けにされている間にしたマザーの一方的な会話。惚気という名の自慢を散々ジェロに聞かせてしまったこと。それによってジェロが必要以上にルシアに興味を持ってしまったという過ち。マザーはそのまましばらく黙りこんだまま静まりかえるだけ。ようやくマザーは悟る。


ジェロはルシアにとってだけでなく自らにとっても絶望だったということを。


そんなやりとりがされているとは知らぬままルシアはジェロを引き連れながら本部へと戻って行く。新たな絶望を一つ加えながら――――



[33455] 第八十七話 「帰還」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/08/29 10:57
ソング大陸最大の都エクスペリメント。多くの人で賑わっている中、一人の女性が優雅にヒールの足音をたてながら歩いている。その美しさは男であれば思わず振り返ってしまうほど。ドレスを纏った完璧な美貌を持つ美女。だが同時に何人も近寄れないような凄味を放っている。それを証明するかのように女性の腕には一つの輝きがあった。

『ダークブリング』

持つ者に超常の力を与える魔石であり兵器。世界を混乱に陥れる意志を持つ存在。エンドレスの意志を継ぐ欠片達。そして女性が手にしているのはただのDBではない。六星DBと呼ばれる自然の力を操るシンクレアに最も近いDB。DC最高幹部である六祈将軍しか持つことが許されない称号。


(……やっと戻ってきたわね)


髪をかきあげながら六祈将軍の一人、レイナは一つの大きなビルの前で立ち止まる。一見すれば何の変哲もない企業ビル。だがそれは表向きの話。限られた者しか知らぬもののそこは間違いなくDC本部。最高司令官であるルシア・レアグローブが拠点としている本拠地だった。

レイナは一度呼吸を整えた後、それまでの迷いを振り切るように力強くビルの中へと入って行く。通常であればその時点で警備という名のDC構成員によって部外者は弾き出されるものの、兵たちはレイナを見た瞬間に驚きながらすぐに頭を下げ、道を開けて行く。最高幹部である六祈将軍の帰還を前にして当然の反応。しかしそんなことなどレイナにはどうでもよかった。受付の者にルシアへの面会の許可を得た後、レイナはそのままエレベーターに乗り込み、最上階へと昇って行く。

自らの命運を決めるに等しい審判を、けじめをつけるために。


(妙な感じね……これから会いに行くのはルシアだっていうのに。何でこんなに緊張してるのかしら……?)


自嘲気味な笑みを浮かべながらもレイナは腕を抱き、知らず自分の体が震えていることに気づく。 普段ならこんなことはあり得ない。ルシアと面会することはレイナにとっては特別なことではなくむしろ楽しみでさえある。最高司令官とはいえルシアはかつての先代キングのように畏怖する存在ではない。力の上では先代キングを超えるがそれ以外の面では劣っており、甘さが見える。レイナからすればからかい甲斐がある弟のようなもの。だがそんなことすら気休めにならない事情が今のレイナにはあった。それは


(命令違反に敵前逃亡……どう考えても処刑は免れないわね……)


今のレイナはDCにとっては裏切り者。いつ処刑されてもおかしくない命令違反を犯した存在なのだから。

数日前の世界を混乱に陥れたドリュー幽撃団による世界への宣戦布告。その傘下になった鬼神と銀術兵器シルバーレイによる虐殺。その爪痕は未だエクスペリメントにも残っている。そしてその大戦のさなかレイナは独断専行し、ルシアの命令を無視したまま交戦を行ってしまった。

亡き父が作り出した銀術兵器であるシルバーレイを取り戻すこと。

レイナがDCに参加した、悪魔に魂を売ってまで成し遂げようとした戦う理由。それを前にして立ち止まっていることなどレイナにはできなかった。しかしその結果は最悪に近いもの。止めんとしたシルバーレイは入れ違いになる形でエクスペリメントへ。ドリューを倒すためにレイヴマスター達と共闘するも敗北。シルバーレイを止めるどころか状況を悪化、混乱させるだけの体たらく。加えて敵であるレイヴマスター達を見逃し、シンクレアを手に入れることすらできなかった。これ以上にない失態。


(いくら考えても無駄ね……でも逃げるわけにはいかない。けじめだけはつけなければ……)


最上階、ルシアの部屋の前に辿り着きながらもレイナにはもはや迷いはない。当然レイナからすればわざわざ本部に戻ってくる必要などない。そのままDCから脱退し、逃亡する選択肢もあった。事実、部下であるランジュやソプラはそうレイナに進言してきた。本部に戻るなど自殺行為、わざわざ死にに行くようなものだと。それは正しい。もしかすればルシアであればいつものような対応で許してくれるかもしれない。そんな淡い期待もなかったわけではない。だがそれを抜きにしてもレイナはそのまま逃げることはできなかった。例えシルバーレイがなくなり、戦う理由が無くなったとしてもDCに所属し、六祈将軍として行ってきた罪がなくなるわけではない。その清算をつけなければ前に進むことはできない。例えそれが自らの死であったとしても。


一度目を閉じ、息を整えた後レイナはドアをノックする。だが中からは何の反応もない。間違いなくルシアが部屋にいることは受付で確認済み。どうしたものかとレイナは思案するも


「入れ」


ようやく部屋の中からルシアの返事が聞こえてくる。だがその声はいつも聞き慣れているようなものではなく、感情を感じさせないような機械的なもの。訝しみながらレイナはドアを開き、そのまま入室するも同時にようやく理解することになる。先程までの覚悟も消え去ってしまうほどの圧倒的な殺気という名の重圧によって。


「――――っ!?」


部屋に一歩踏み入った瞬間、思わずレイナはその場から逃げ出したい衝動に駆られる。戦士としての本能。その場に踏み入れば命はないと悟るに十分すぎるほどの重圧が部屋に満ちている。まるで異界に踏みこんでしまったかのように身体に重さがのしかかる。先のドリューとの戦いで受けたヴァンパイアの引力斥力の類ではないかと錯覚するも今のレイナが感じているのは物理的な圧力ではない。


「レイナか……久しぶりだな」


この部屋の主であり、DC最高司令官であるルシア・レアグローブの放つ重圧。その力によってこの場は支配されている。しかもその全てがレイナに向けられている。金髪にスーツという見慣れた姿。にも関わらずレイナにはルシアが全く別人になってしまったかのように感じる。確かに戦闘の際にはルシアの重圧に圧倒されることもあったが今のルシアはその比ではない。その全てが自分に向けられていること、何よりも存在感が以前とは桁外れ。先代キングですら霞んでしまうほどの出鱈目ぶり。六祈将軍であるレイナですら今のルシアに睨まれれば戦うことはおろか立っていることしかできない。それが今のルシアの領域。四天魔王すら束ねる力を手に入れた大魔王の風格。


「……ええ、久しぶり。あなたも元気そうで安心したわ。でもすっかり見違えたわよ。ますます化け物じみてきてるわね。何かあったのかしら?」
「まあ色々な……ちょっと三途の川を引き返して来ただけだ」
「そう……相変わらず面倒に巻き込まれてるみたいね」
「ああ……おかげさまでな」


変わり果てたルシアの力に当てられながらも何とかレイナは平静を装いながらいつもの調子で話しかけ続けるも声の震えを抑えることはできていない。ルシアの言動はいつもと変わらない。だがその瞳には確かな敵意がある。いつものような砕けた雰囲気も甘さは微塵もない。眼光に晒されることによってレイナは息を飲むもそれから一瞬でも逃れるために視線をルシアから外さんとするもさらなる驚愕が襲いかかってくる。それは


「っ!? あ、あんたは……!?」


この場に自分とルシア以外の第三者が存在していたこと。だがレイナが驚いているのはその人物を知っていたからこそ。忘れることができるはずもない、ある意味ルシア以上の戦慄を与えられた女性。

四天魔王 『絶望のジェロ』

先のドリューとの大戦で突如乱入し、自分達を無視したままドリューを瞬殺し姿を消した氷の女王がそこにはいた。


「…………」


だがレイナの驚愕と叫びを耳にしながらもジェロは身じろぎどころか瞬き一つすることはない。氷の彫像のように無表情のままただルシアの後ろに控えるように立っているだけ。以前と違うのはスーツを身に纏っているということ。


「何をそんなに驚いてやがる。てめえはもうジェロとは会ったことがあるはずだろが」
「そ、そんなことは分かってるわ! 私は驚いてるのはそんな奴がDCにいるなんて知らなかったからよ! 一体そいつは何なわけ!?」
「そういえばお前達にはまだ紹介してなかったな。四天魔王……魔界の王の一人、ジェロだ。今は俺の配下、DCの立場でいえば俺の側近になる」
「魔界の……王? ルシア、あなた魔界の王を配下にしたっていうの……?」
「ああ……他の三人の王も同じだ。もっとも人間界にいるのはジェロだけだがな……」


淡々と説明しているルシアとは裏腹にレイナは一体何が起こっているのか分からず混乱するしかない。


(四天魔王って……ベリアルの奴がいつか言ってた魔界の王のこと!? そんな化け物を四人も従えたっていうの……!?)


レイナはかつてその存在をベリアルから聞かされたことがあった。曰く魔界は絶対的な強さを持つ四人の王によって統治されているのだと。ベリアル自身は笑い話のように語っていたものの話しの節々から見え隠れするベリアルの声色からそれが真実なのだとレイナは感じ取っていた。唯我独尊のベリアルが敬意を払わなければならない存在という時点でその異常性は見てとれる。だが同時にレイナは納得する。あのドリューを子供扱いし、瞬殺できるほどの力を持つ存在。魔王の名に相応しい怪物。何よりもそんな怪物を従えてしまったルシア。もはや自分の常識では計り切れない次元の話に翻弄されながらもレイナはさらに言葉を繋げる。


「そう……何だか雲の上の話で実感が湧かないけれどいいわ。でも何でそのことを私達に教えてくれなかったの? ドリューの時にそれが分かっていれば私もあんなに驚くことはなかったわ!」


何故四天魔王がDCに加わったことを知らせてくれなかったのか。その一点。もしそれが分かっていれば先のドリューとの戦いの際に驚愕し、混乱することもなかった。それどころかもっと事態を簡単に収めることもできたはず。レイナからすれば当然の主張。だがそれは


「それをお前が言えた義理か……? 命令違反をした挙句におめおめと戻ってきた負け犬のお前がよ」


ルシアの死刑宣告にも等しい言葉によって粉々に打ち砕かれてしまう。瞬間、部屋の空気が緊張し重くなっていく。ルシアの殺気に当てられ手は震え、汗が滲む。蛇に睨まれた蛙同然。かつてキングによって感じたことがある重圧など子供だましに思えるほどの恐怖。


「そ、それは……」
「言い訳は聞いてねえ。大方お前の親父が作ったシルバーレイを自分で取り戻したかったってところだろ? だがてめえは六祈将軍だ。俺の命令を無視できるほどてめえはいつ偉くなったんだ?」


腕を組みながらルシアは鋭い視線でレイナを貫き続ける。視線だけで人が殺せるのでは思えるほどの圧倒的強者だけが持ち得る存在感。


「おかげで俺はてめえの尻拭いをさせられる羽目になったわけだ……まだ言ってなかったがシルバーレイは消させてもらった。ついでにオウガもな。文句はねえな? 全部お前の自業自得なんだからな」


ルシアはどこかレイナを煽るように事実を伝えて行く。シルバーレイを取り戻すこと。それがレイナの目的でありDCに参加している理由。だがそれは文字通り消え去った。その仇であるオウガもろとも。本来ならシルバーレイを破壊されたことに怒りを覚えるべきだが今のレイナにそんなものは残ってはいなかった。ルシアの言葉通り、全ては自らが命令違反し、先行した結果。むしろレイナからすればルシアに感謝したい程。シルバーレイがこれ以上大量破壊兵器として使用されることを結果として防いでくれたのだから。だがそんな事情がありながらもレイナは未だ厳しい顔をしたまま。


「それで……勝手にドリューに挑んで負けた挙句、レイヴマスター達からシンクレアの一つも手に入れられなかったお前が一体どういうつもりでここに来た? まさかいつもの調子で許されるなんて馬鹿なことを考えてんじゃねえだろうな?」


ルシアは呆れ果てながら最後通告を告げる。一体何のためにここに来たのか、と。度重なる命令違反、裏切り者以外の何者でもないというのに。だがそれを前にしてもレイナには退く気配はない。これはここに来る前から分かり切っていたこと。後はただ報いを受けるだけ。


「ええ……そんな甘いことは考えていないわ。六祈将軍として全ての責任をとるために私はここに戻ってきただけよ」


残された全ての決意を以てレイナは真っ直ぐにルシアを見つめ返す。死を覚悟した、罰を受けることを受け入れた罪人の姿。もはや今のレイナはDCを、六祈将軍を続けることはできない。自らの目的であるシルバーレイ、父の仇であるオウガも消え去った以上レイナに戦う理由は残されていない。何よりこれ以上レイナは誰かの命を奪うことはできない。ムジカというもう一人の銀術師と心を通わせ、絆を取り戻したレイナには。だがそれでもこれまで奪って来た命が帳消しになるわけでも、許されるわけでもない。だからこそその報いをここで受ける。それがレイナの選んだ決断だった。


「…………そうか。じゃあ仕方ねえな」


レイナの姿をしばらく見つめた後、ルシアはゆっくりとその手をかざす。レイナはそれを前にしながらただ目を閉じ、その時を待つ。瞬間、紫の光、DBの力がルシアによって放たれる。裏切り者であるレイナに対する粛清。だがいつまでたってもレイナの身体には変化が見られなかった。


「…………え?」


呆然としながらレイナは目を開け、自らの身体を確認するも傷一つ見当たらない。確かにルシアが何かのDBを使ったのは間違いないはず。混乱するレイナに見せつけるようにルシアはその手の中にあるものを晒す。


「これは返してもらう。元々は俺の物だ。六祈将軍じゃないてめえには必要ねえ」


『ホワイトキス』

空気を操る六星DBであり六祈将軍の証。ルシアはワープロードの力によってホワイトキスをレイナの腕から回収すると同時にもはや用はないとばかりにイスを回転させ、背中を向けたまま告げる。


「命令違反をするようなクズはDCには必要ねえ。さっさと消えろ。二度と俺の前に姿を見せるんじゃねえ」


レイナに対する解雇通知。命令違反を犯したレイナに対するルシアの罰。本来なら処刑されてもおかしくないにもかかわらず命だけは見逃すという甘さ。あり得ないような処遇にレイナはしばらく放心するもすぐにその全てを悟る。


ルシアが放っていた重圧。

自分の感情を逆なでするような言葉。

ホワイトキスというDBの回収。


それらが示す本当の意味を。不器用ながら最高司令官を演じつつも最後まで非情になり切れないお人好しの悪魔。それを目に焼きつけながら


「…………ええ。役立たずはここで退場するわ。さようならアキ、短い間だったけど楽しかったわ」


ありがとう、と聞こえないように告げながらレイナはDCを去り、舞台から下りて行く。いつもと変わらない優雅な足取りを見せながら――――




「…………はあ」


レイナが部屋を退出してからしばらくした後、まるで電池が切れたかのようにルシアは大きな溜息とともに机に突っ伏してしまう。ある意味本部にいるときは日常茶飯事だった光景。だがルシアにとっては何度こなしても慣れることが無いストレスに悩まされる生活が戻ってきたことを意味するものだった。


(な、何とかなったか……戻ってきていきなりこれかよ? ちょっとは息抜きさせてほしい……でもまあタイミング的には悪くなかった……のか?)


げんなりとしながらもルシアはとりあえず一つ大きなイベントが終わったことに胸をなでおろすしかない。


命令違反を犯したレイナの処遇。


それをどうするかがルシアの課題の一つだったのだが魔界探検ツアーがあったため先送りにせざるを得なかった。しかし幸か不幸かDC本部に帰還するとほぼ同時にレイナの戻ってくるという事態が起こる。とりあえずジェロにスーツを着せることに成功し、満足していたのも束の間、ルシアは大慌てで体面を整えレイナと面談をする羽目になったのだった。


(ま……これでレイナの奴が死ぬことはねえだろ。一応ホワイトキスも回収したし……)


ルシアは手の中にあるホワイトキスを宥めながらおおよそ上手く言ったであろうことに安堵するしかない。だがいくらルシアといえども何の用意もせずにここまで首尾よくはいくはずもない。ここまで上手くいった理由。それは以前からレイナをDCから脱退させるようにシナリオを用意していたからだった。


(予定とは大分変わったけど及第点か……命令違反は参ったが口実はできたし良しとしよう……もう二度と御免だが)


オウガとシルバーレイというレイナにとっての因縁を排除した後に理由をつけてレイナを脱退させる。それがルシアの計画であり今回はそれが早まった形。もっとも命令違反は完全に想定外だったので気が気ではなかったのだが。


ホワイトキスを回収したのにもいくつか理由はあるが一番はレイナがDCではなくなったことを一番分かりやすく意味づけることができるから。レイナの罪の意識が少しでも軽くなればというルシアなりの気遣いともう戻ってくるなという決別を意味する行為。もっともそれを知らないホワイトキスは自分がルシアを怒らせてしまったかの思い、かつてのフルメタルのように怯えているのでルシアは何とか宥めることに必死だった。そんな中


『お疲れ様です、アキ様』
『へえー、ああいう態度も見せれるのねー。ちょっと意外だったわ。これからずっとあんな感じでやってくの?』


ルシアの胸元にある二つの魔石がしゃべりかけてくる。アナスタシスとバルドル。アナスタシスにとっては見慣れた光景ではあるものの初めてバルドルはどこか興味深げに捲し立てていく。何もかもが新鮮なバルドルは心なしか興奮するように点滅している。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のよう。


「そんなわけねえだろ……今回は例外だ。いつもこんなことしてたら俺の方が保たねえよ……」
『ふーん。でもあの女を行かせて本当に良かったの? 面倒ならさっさと消しちゃえばよかったのに』
『そうですね……ホワイトキスを回収したとはいえ六祈将軍には変わりません。どうやらレイヴマスター達とも共闘していたようですし、排除しておいた方が良かったのでは……?』
「え? そ、それは……」


一瞬ぎょっとしながらもルシアは口ごもるしかない。最近すっかり忘れてしまっていたが間違いなくアナスタシスとバルドルがシンクレアなのだと分かるようなどこか人間味が感じられない言動にルシアはどうしたものかと思案するも


『ふん……そんなことどうでもよかろう。所詮あの女は六祈将軍級。例え敵に回ったとしてもアキはおろか四天魔王の足元にも及ばん……ということでよいかの? 我が主様よ?』


それはもう一つのシンクレア、マザーの言葉によって遮られてしまう。ルシアはそのまま自らの胸元ではなく目の前のテーブルに目を向ける。正確には机の上に座り、足をばたつかせている金髪幼女に向かって。


「あ、ああ……まあそうだが……何でそんな恰好してんだ? っていうか最近イリュージョン使ってなかったのにどういう風の吹き回しだよ?」
『ただの気まぐれよ。気にするでない。そもそもお主は巨乳にしか興味がないのであろう。なら別にどうでもよかろう』
「お前……もしかして年増って言ったことまだ気にしてんのか……?」
『っ!? な、何を言っておる! 我はこの姿の方がイリュージョンの負担が少ないだろうと気を遣っておるのだ! そんなことも分からんのか!?』
「気を遣うんなら最初から実体化すんじゃねえよ」
『ぬう……』


まるで痛いところを疲れたかのようにマザーは黙りこみ、そのままルシアを恨めしそうに睨みつけるも子供の姿では威厳も何もあったものではない(元々そんなものはない)


『まったく素直じゃないんだから。ジェロに対抗しようとしてるみたいだけど方向性がおかしいんじゃない?』
『いえ……恐らくは苦肉の策でしょう。同じ方向性からでは本物と幻の差は埋められませんから……』
『き、貴様ら……好き勝手言いおって! 大体貴様らがさっさと教えておればこんなことには……』
「さっきから何をぎゃあぎゃあわめいてやがる!? とにかくレイナの件はこれで終わりだ! 四天魔王も加わったし、六祈将軍が一人欠けたぐらい何てことないだろ!?」


何故かいつも以上にヒステリックになっているマザーを無視しながらも強引にルシアはこの話題を終わらせんとする。これ以上面倒なことになる前に終結させたいところ。だが今のマザーにとってはそれすらも火を油に注ぐ行為でしかなかった。


『ふん、なるほどそういうことか。ジェロが入ったからもうあの女は用済みというか。巨乳なら誰でもよいということか。全く、エリーに振られるのも当然じゃな』
「人聞きの悪いこと言ってんじゃねえよ!? そもそも巨乳云々はてめえが勝手に言ってるだけだろうが!」
『え、違うの? よくジェロの胸を見てるような気がしたけど』
「い、いや……あれは衣装が派手だったからたまたまそこに目がいっただけで……」
『いい加減認めたらどうだ、見苦しい。全く情けない。そんなに好きならジェロに胸を触らせてくれと頼んだらどうだ? そのまま永遠の眠りにつけるかもしれんぞ?』
「なっ!? だ、誰がそんなこと……」


異様に食い下がってくるマザーの言葉に思わずルシアは圧倒され、そのままジェロへと視線を向けてしまう。そこには


「…………」


いつもと全く変わらず無言のまま立ち尽くしている絶望の姿があるだけ。違うのは服装がスーツに変わったことのみ。その冷たい瞳がルシアを捕えたまま離さない。シンクレアの声が聞こえる以上間違いなくマザーとの会話は筒抜け。にもかかわらず、だからこそなのかジェロは一言も発することはない。ある意味アスラ以上に何を考えているか分からない。ルシアからすれば冷や汗すら凍りついてしまうような状況。だが


『いつまでジェロと見つめ合っておるのだ!? ジェロだけではない! アナスタシス達には優しいくせに何故我には冷たいのだ!? 我はお主の物だと言ってくれたのは嘘だったのか、アキ!?』
「何を訳が分からんこと言っとんだ!? けしかけてきたのはてめえの方だろうが! さっきからずっと噛みついてきやがって、一体何の話だ!?」


謂われのない難癖をつけ、襲いかかってくるマザーを収めようとルシアは四苦八苦するも焼け石に水。いくら言っても聞く耳を持たない有様。端から見れば黒のゴスロリを着た金髪幼女がルシアに向かって襲いかかり、そのたびに幻のためルシアの体を通過するという意味不明の光景が繰り広げられている。それだけならルシアにとって実害はないのだがそれに合わせて頭痛も起こされてはたまったものではない。


「…………随分マザーは荒れているようだけれど、そんなに胸の大きさが気になるのかしら」
『アキやマザーもだけどあなたの鈍感さも大概よねー。ま、あたしは面白いからいいんだけど。マザーったら嫉妬しちゃって、可愛いんだから!』
『あなたも人のことはいえないと思いますが……』


そんな二人を見ながらジェロ達はどこか観戦モード。ジェロに至ってはある意味この状況の原因でもあるにもかかわらず全く気づくことはない。だがそんな状況は


「し、失礼しますルシア様! 至急お伝えしたいことが……!」


大きなノックと焦りを含んだ女性の声によって終わりを告げる。参謀であるレディがやってきたことによって一気に部屋は静まり返り、同時にルシアは慌てながらマザーの実体化を解き、すぐさま閃光の速さで自らのデスクに戻る。マザーは恨みごとをブツブツと漏らしているもルシアはそれを完全に無視したまま最高司令官としての顔を見せながらレディを迎え入れることに何とか成功する。


「ルシア様……お戻りになられていたのですね! 申し訳ありません……緊急事態が起こり情報収集のために本部を離れていたため……」


ルシアの許可を得た瞬間、これまで見たことが無いほど慌てた様子のレディが入室しながら首を垂れる。そんな普段の彼女なら考えられない様子に内心圧倒されながらも一度咳払いをした後、ルシアはレディが慌てている理由を悟る。奇しくも先程まで自分が対処していた問題。



「そうか。それで、一体何の用だ。レイナのことならもう終わったところだぞ」
「い、いえ……その、その件ではなく……」


だがそんなルシアの予想は完全に外れてしまう。むしろそんなことなどどうでもいいとばかりの必死さと戸惑い、恐れがレディの言葉と表情には現れている。その意味を問うよりも早く、意を決したようにレディは口を開く。


「……ハジャ様がDCを裏切り、六祈将軍を率いてレイヴマスター達と接触。ハジャ様は所在不明……残った六祈将軍は全てレイヴマスター達に敗北した……とのことです……」


「…………え?」


ルシアは目を点にしながら間抜け面を晒すだけ。もはや素の反応をするしかない。幸いだったのはレディが首を垂れていたために顔を見られることが無かったことのみ。ルシアは何が起こったのか分からぬままその場に立ち尽くす。ただ一つだけ分かること。それは


数日留守にしている間にDCがほぼ壊滅していた。


そんな笑い話にもならないような現実だけだった――――



[33455] 第八十八話 「布石」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/08/29 21:30
「…………」


沈黙がただその場を支配する。その中心にいるのはルシア・レアグローブ。DC最高司令官であり金髪の悪魔の異名を持つ畏怖されるべき存在。だが既につい先ほどまでレイナに対して見せていたような威圧感は霧散してしまっている。あるのは困惑だけ。それは


(どうしてこうなった……?)


自分の目の前にいる二人の六祈将軍、べリアルとディープスノーをどうするべきかという予想外の問題に直面しているからだった。


「…………」
「…………」


べリアルとディープスノーはルシアの前に跪きながらも黙りこんだまま。べリアルは厳しい、どこかいらだちを隠せない表情を見せながら。ディープスノーは意気消沈し、顔を伏せたままルシアの言葉を待ち続けている。対照的な態度を見せながらも二人には共通した点があった。それはその姿。満身創痍であり、間違いなく戦闘を行っていたことが一目で分かるような有様。しかもその負傷の度合いから恐らく苦戦、もしくは敗北したのであろうと察するには十分な状態。レディから受けた先の報告であるレイヴマスター達に敗北したという情報を裏付けるものだった。


(一体何がどうなってんだ……? ようやくレイナの件に片がついたと思ったら今度は他の六祈将軍の面談!? 何の冗談だよ!?)


ルシアは表向きは平静を装いながらも内心は予想していなかった事態の連続に混乱しっぱなしだった。自分が魔界に行き、留守にしていた数日の間にハジャが裏切り、六祈将軍が壊滅するという悪い冗談としか思えない事態。はっきり言って戦力の上ではもはや全滅したと言ってもおかしくない惨状だった。


『くくく……どうした主様よ。いつまでも黙ったままでは進まんぞ。さっさと話を続けんか』
『くっ……! わ、分かってるっつーの……でも仕方ねえだろうが。こんなことになってるなんて思ってなかったんだからよ……』
『ふむ……確かにの。まさかお主がおらぬ間に全滅とは……いや、死んではおらぬようだから敗北と言った方がよいかの。ともかく揃いもそろって命令違反の上に敗北か……どうやらお主はよっぽど最高司令官としては無能だったようじゃな』
『ま、そーかもね―。あたしもまさか来た早々組織の半壊なんて高度なギャグを見せられるなんて思ってなかったし。ある意味ジェロといい勝負なんじゃない?』
『バルドル……後でどうなっても知りませんよ。とにかくアキ様、あの二人から詳しい事情を聴くのが先決では?』
『…………ああ、そうだな……』


自らの胸元で好き勝手を言っているシンクレア達を無視しながら一度咳ばらいをした後、改めてルシアはベリアル達と向かい合う。先のレイナほどではないが重圧をかけながら。


「お前達には聞きたいことが山のようにあるが……まずはハジャと他の六祈将軍についてだ。ハジャはともかくユリウスとジェガンがいないのはどういうことだ?」


ルシアはまずは状況の確認から開始する。同時にその手の中にあるDBに力を込めるも意味を為さない。瞬間移動の能力を持つDBであるワープロード。その力によってルシアはベリアル達をこのDC本部へと召喚した。無論その全員を。だが結果はべリアルとディープスノーのみが召喚されるだけ。裏切ったであろうハジャは当然だが他の二人まで召喚できないのは腑に落ちない。ハル達が相手である以上考えづらいが戦闘で死亡してしまったのでは内心ルシアは気が気ではなかったものの


「ケッ……ユリウスの野郎は銀術師に負けてからさっさとどっかに消えやがったぜ。絆がどうとか訳が分かんねえことをほざきながらな」
「絆……? 何のことだ?」
「オレが知るかよ。あの馬鹿が何を考えてるかなんて誰にも分かりゃしねえよ」
「どうやらレイヴマスターの仲間である銀術師に何かしら感銘を受けたようでした……詳しい経緯までは分かりませんが……」
「そ、そうか……じゃあジェガンはどうした。あいつも似たようなもんか?」
「いえ……ジェガン様は私達とは別行動で先にドラゴンと共にレイヴマスター達と接触しています。どうやら竜人と戦闘になったようですが詳細までは……申し訳ありません」


ディープスノーは淡々と事実だけを述べていくもののそこにいつもの姿はない。まるで世界の終わりでもあるかのような生気のなさと同時に儚さがある。思わずルシアが心配し、声をかけてしまいそうなほど。大してべリアルはいらだちを隠し切れていない。普段からそうではあったが最高司令官であるルシアに対する言葉遣いが荒れている。もっともそれに気づきながらも咎める余裕は今のルシアにはない。とにかく今ある情報から事情を推察するしかないのだから。


(ユリウスについてはよく分からねえが……ムジカと戦って負けて改心したってところか? ジェガンは恐らくレットと戦ったみてえだが……多分レットに負けたんだろうな。じゃなきゃ召喚に応じない理由もねえ……)


ルシアは頭に手を当てながらも考え得る限りで最も正解に近いであろう解を導き出す。ユリウスがムジカと戦闘し敗北したことまでは確か。恐らくその中でユリウスが感化されるようなやりとりがあったのだろうとルシアは見抜く。原作でもエリーの舞踏に心を奪われ改心してしまった程。馬鹿ではあるが元々悪い人間ではないので十分にあり得る展開ではある。

ジェガンについてはディープスノー達も詳細は知らないもののディープスノー達が接触した際にはレットがいなかったことから原作同様レットと一対一の戦いになったであろうことは間違いない。恐らくは敗北したことも。もしジェガンが勝っていたのならルシアの召喚に応じない理由がない。ジェガンもまたレットとの戦いによって改心したと見るのが妥当。もっともハジャがどうなっているか分からない以上油断はできないが。


「ユリウスとジェガンは分かった……ハジャの奴はどうなってる。今どこにいるかは分かるのか?」
「いえ……ハジャ様がどこにいるのかは私達も知りません。レイヴマスターの言葉を信じるならばシンクレアとレイヴを一つずつ奪ったらしいのですか……」
「シンクレアと……レイヴもか?」
「はい……種類までは分かりませんが恐らく間違いないかと」
「言っとくがオレ達はジジイの命令に従っただけだからな。DCを裏切ったわけじゃねえぞ」
「ああ、分かってるさ……とりあえずユリウスとジェガンについては保留だ。あいつらを相手にしてる程暇じゃねえからな」


ベリアルの言い訳に辟易しながらもルシアは頭を痛めるしかない。どうやら本当に六祈将軍が敗北したことは事実だったようだがそれ自体は大きな問題ではない。むしろルシアにとっては喜んでもいいほど。逆にいえばハル達が六祈将軍を撃退できるほどに実力をつけたことを証明しているのだから。今回の件が無くともルシア自身、もう一度は六祈将軍をハル達にぶつける気だったので手間が省けた形。もっとも先のシンフォニアでの戦いのようにルシアも監督兼セーフティとして参加する予定だったのに比べれば綱渡りだったのは確かだが。


(問題はハジャの方か……シンクレアはどっちでもいいがレイヴは何を盗られたのかが問題だな……)


目下の課題はハジャの動向。ディープスノーの話からシンクレアとレイヴを一つずつ手に入れたのは間違いない。シンクレアについては大きな問題はない。ヴァンパイアだろうがラストフィジックスであろうが担い手ではないハジャでは扱うことはできない。問題はレイヴの方。もし十字架のレイヴや知識のレイヴが奪われたのならハルの戦闘力に大きな支障が出かねない。しかも事ここに至ってはそれ以上に厄介な存在も動いている可能性が高い。それは


(…………? 何だ? 何かハジャよりもヤバい奴がいたような気がするんだが……気のせいか……?)


喉まで出かかるもそれから先が出てこない。確かにハジャに関連がある何かがあったような気がするのだがルシアは思い出すことができない。まるであったものが無くなってしまったような感覚。だがいくら思い出そうとしても叶わない。これ以上は時間の無駄だとあきらめ改めてルシアはベリアル達に向かい合いながらその処遇を考える。レイナのように脱退させるのは無理があり、処刑するほど罪は重くはない。ハジャの命令によって動いていたのであってベリアルの言う通りルシア、DCを裏切ろうとしていたわけではないのだから。しかしこのまま何のお咎めなしでは対面的にも収まらない。何か良い手はないかと思案するもようやくルシアは気づく。あるはずのものがないことに。それは


「っ!? お前ら……DBはどうしたんだ!?」


六祈将軍が装備しているはずの六星DB。ジ・アースとゼロ・ストリームを二人が持っていないことをルシアはダークブリングマスターの能力でようやく気づく。それだけではない。ディープスノーに至ってはその身に宿しているはずの五十六式DBの気配すらなくなってしまっている。俄かには信じられない事態だった。そんなルシアの驚きを見ながらもベリアル達は一層身体を強張らせてしまう。最も知られたくなかった汚点を無抜かれてしまったことに対する焦り。


「…………申し訳ありません、ルシア様。ゼロ・ストリームはレイヴマスターとの戦いによって破壊されてしまいました。全ては私の至らなさ……どんな処罰でも受ける所存です」
「レイヴマスター……そうか、お前はハルと戦ったのか。ゼロ・ストリームのことはいい。それよりも五十六式の方は身体に問題ないのか?」


ルシアは内心の動揺を隠しながらディープスノーを問いただす。ハルと戦ったことや六星DBもことなど二の次。その体に埋め込まれていた五十六式DBを破壊された影響があるのではないか。生物兵器として生まれたディープスノーの安否を気にした問い。


「はい……今のところ身体に異常はありません。ですがもう私に生物兵器としての力は残ってはいません。戦う上でルシアの様に役立つことはもう……」


だがその憂いはディープスノーの答えによって払われる。五十六式を失ったことでディープスノーは生物兵器から普通の人間となったのだと。本来なら喜ぶべきこと。しかしディープスノーにとってはルシアにとっての戦う駒としての自身の価値がなくなってしまった事の方が問題だった。そんな自らにはもったいないほどの忠誠と自己犠牲をみせるディープスノーに圧倒されながらもひとまずは安堵するも同時に新たな疑問が生まれてくる。それは単純な数の問題。今までの話をまとめればハルはディープスノー、ムジカはユリウス、レットはジェガンと戦闘になっている。そのままでは数が合わない。


「ベリアル、お前誰と戦ったんだ……?」


ベリアルが誰と戦ったのか。それともディープスノー達がやられた後でハルかムジカに倒されたのか。だがそんなルシアの問いにベリアルは苦虫をかみつぶしたかのような悔しさを浮かべながらようやく口を開く。


「……シュダだ。あの裏切り者にしてやられちまったのさ」
「シュダ? 元六祈将軍のシュダのことか?」
「ああ……しかもあの野郎、オレ様のDBまで奪って行きやがった……許さねえ、絶対にぶち殺してやる……!!」


歯ぎしりをしながらべリアルは怒りを露わにし殺気が溢れだす。自分に醜態を晒させたシュダに対する執念が形になったかのよう。


(そうか……シュダがハル達に合流したってことか。まさかDBを奪って行くとは……いや、そういや原作でもゼロ・ストリームを奪おうとしてたっけ……)


そんなベリアルの姿を見ながらもようやくルシアは納得する。ベリアルの体にある火傷の痕と胸にある大きな切傷。ハルが相手したにしては容赦が感じられない傷痕の理由を。もっとも止めを刺していない時点でやはりシュダも甘さがあるのは変わらないが。ハルが相手ではなかったため壊されることはなかったもののジ・アースはシュダの手に渡ってしまったらしい。もっともDBである以上、ルシア達と戦う上では戦力とはなり得ないのだがそんな事情を知らないベリアルからすれば屈辱を晴らさなければ気が済まない。


「ルシア、もっと強いDBをオレによこせ! あれはDBの差だ! じゃなきゃオレがシュダなんかに負けるわけがねえ! この傷もお前のシンクレアならすぐ治せるはずだろ!」


話していく中で我慢が出来なくなったのかべリアルは凄まじい剣幕でルシアへと詰め寄って行く。戦闘狂、魔族であることを証明するかのような荒々しさ。自らの敗北を認められないがゆえの行動。流石にルシアとしても許容できる態度ではない。だが下手にいさめたとしても収まらず、下手をすれば再びハル達に襲いかかりかねない状態。だがそれは


「アキから離れなさい……流石にこれ以上は許すわけにはいかないわ」


淡々とした、どこか生気を感じさせない機械的な声によって終わりを告げる。同時に今まで一言も発することなく、事態を見守っているだけだった女性が動きだす。まるでルシアを守護するかのように。


「……? 何だ、てめえは? 女のくせに出しゃばってくるんじゃねえよ。これはオレ様とルシアの話だ! 大人しくしとけ……ば…………?」


瞬間、べリアルはまるで信じられない物を目の当たりにしたかのように凍りついてしまう。知らず呼吸は乱れ、身体が震え、目が見開かれる。


銀髪に白い肌。スーツを身に纏い、気配と力を抑えていたがゆえにべリアルはその存在に今の今まで気づくことが無かった。だが今は違う。その冷気が、殺気が部屋を支配している。実際に会ったことも見たこともないにもかかわらずべリアルは本能で悟る。魔界に身を置く者であれば逃れることができない絶対的な絶望。


「ジェ……ジェロ……様……? ま、まさか……何故あなたがこんなところに……」


四天魔王 絶望のジェロ。二万年以上自らを氷漬けにし眠っていたはずの氷の女王が今、ベリアルの前に立ち塞がっている。もはやべリアルはその場を動くことも言葉を発することもできない。できるのはただ王の言葉を待つことだけ。それ以上余計な言葉を口にすればその瞬間、命はない。


「自らの主への態度がなっていないようね……大魔王に対する不敬、万死に値するわ……」


瞬きすら見せず絶対零度の瞳でベリアルを捕えながらゆっくりとジェロはその手をかざす。溢れ出ている冷気が全てを物語っている。絶対氷結と言う名の絶望。それを前にしてべリアルはただ立ち尽くすことしかできない。べリアルはようやく思い出す。ルシアが魔界から帰って来たことが何を意味するかを。


「お、おい! ジェロ、いくらなんでもそこまでは……!」


目の前の展開に固まってしまっていたもののようやくルシアは慌ててジェロを制止する。もはやどちらが主従か分かったものではない。ジェロから発せられている王の風格、カリスマに圧倒されながらも大魔王は必死に懇願する。流石にそこまではやりすぎだと。どこかのシンクレアが楽しそうな声をあげている気がするが全力でスルーしながらルシアは何とかジェロを止めることに成功するも


「そう……感謝しなさい、命だけは見逃してやるわ。その代わり、お前には魔界に戻ってもらうわ……」
「…………え?」


ジェロはそのままもう片方の手をベリアルに向かってかざす。違うのはそこにDBがあったこと。ゲートと言うの名の魔界との門を開く魔石。その力が有無を言わさずベリアルを包み込んでいく。そのさなか、ジェロは告げる。


「メギドのところで鍛え直してくるといいわ……ちょうど配下が足りないと言っていたし。こき使ってくれるように伝えておくわ……」
「――――」


ベリアルにとって絶望となり得る死刑宣告を。逃げ出すことも、抵抗することもできない地獄への片道切符を受け取りながらべリアルは人間界から姿を消したのだった――――



「……邪魔をして悪かったわね。もう一人の方はあなたに任せるわ、アキ」
「あ、ああ……こっちこそすまねえ……余計な手間かけさせちまったな……」


どこか顔を引きつかせながらルシアは何事もなかったかのようにその場から離れて行くジェロを見つめることしかできない。自分と接している時は忘れがちではあるが間違いなくジェロが四天魔王、絶望の名を冠する王であることを思い出させるに十分すぎるほどのインパクト。その逆鱗に触れてしまったべリアルには同情するしかないがある意味自業自得。元々原作でもメギドに仕えている描写があったので妥当な処罰だろう。もっともその待遇はその限りではないが。加えて勝手に巻き込まれるメギドにも申し訳なさを感じながらも再びルシアは向かい合う。ディープスノーという六祈将軍への処罰。ディープスノーは目を閉じ、首を垂れたままルシアの決定を待ち続けている。忠義の騎士に相応しい姿。己の敗北を恥じる空気が滲み出ているもルシアは確かに気づいていた。それだけではない、いつものディープスノーでは見られないような迷いがあることを。それは


「…………キングのことか」
「――――っ!」


今は亡き先代キング。ゲイル・レアグローブに関連すること。かつてジンの塔で初めてディープスノーと出会った時に見せていた迷い、戸惑いが今のディープスノーにはある。その理由もおおよそルシアには察しがつく。本来なら戦う機会が無かったハルと戦ったこと。直接戦うことはなかったもののシュダと接触した可能性があること。自らが敗北したこと以外でディープスノーが迷いを見せる、動揺することなど他に考えられない。ルシアは一度大きな息を吐き、頭を掻きながらも決断する。リスクはあるものの、自らの計画を一つ早めることを。


「……ジェロ、悪いが少しの間シンクレアを頼む。俺はちょっとディープスノーと二人きりで話がある」


そういいながらルシアは無造作に胸に掛けてある三つのシンクレアをジェロへと手渡す。シンクレアを預けるという本来ならあり得ないような行動だがジェロという側近を得たからこそ可能なもの。


「……ええ、構わないわ」
『ど、どういうつもりだアキ!? 我を他人に預けるなど……ちゃんと加減して騒いでいたではないか!』
『騒いでいる自覚はあったのですね……』
『あ……こ、この冷たい感覚久しぶり……でももう二度と感じたくなかった場所に帰って来たのね、あたし……できれば一刻も早く帰ってきてね、アキ……』


ジェロは一瞬、何か考えるかのような仕草を見せながらもすぐに三つのシンクレアをその手に掴む。同時にシンクレア達の阿鼻叫喚(主にバルドル)が起こるもルシアは無視しながらディープスノーと共に違う部屋へと場所を移していくのだった――――



『まったく……何なのだ、この扱いは? まるで我らが厄介者であるかのようではないか!』
『ある意味間違ってはいないと思いますが……アキ様がしゃべっている時に茶々を入れるのはやめたほうがいいですよ。これ以上嫌われたくないのならですが……』
『な、何だそれは!? まるで我がアキに嫌われているかのようではないか!?』
『そんなことよりさっきのアキ、ちょっと怪しくなかった? もしかしてあのディープスノーとかいうのと出来てたりするの? 禁じられた愛なのかしら? ねえジェロ、ちょっと盗み見しにいかない?』
「……………」


ジェロしかいなくなった部屋に常人には聞こえない三つの女性の声が木霊する。耳を塞ごうにも頭に直接聞こえてくるそれを防ぐ手立てはジェロにはない(無論アキにも)その騒がしさを改めて実感し、一瞬本気でビルの窓からシンクレアを投げ捨てようとするも寸でのところで思い留まることに成功する。


『―――っ!? ジェ、ジェロ……何か今、一瞬恐ろしいことを考えなかった……?』
「いいえ……気のせいよ。それよりも今の内にマザー、あなたに聞いておきたいことがあるわ……」
『ん? 我にか? 何だそんなにかしこまって……アキがいてはできない話なのか……?』


珍しくジェロの方から話しかけられたことに驚きながらもマザーは意識をそちらに向ける。アナスタシスとバルドルもそれを理解してか黙りこんでしまう。そんなことなど気にするそぶりもなくジェロは無造作に問いかける。


「ええ……エリーとかいう魔導精霊力を持つ女を何故生かしておくの? 以前アキにも聞いたのだけれどはぐらかされてしまったわ。どういうつもりなのか教えてもらえるかしら?」


何故魔導精霊力を持っている存在を生かしておくのか。それどころかこちら側に引き込もうとすらしているのか。ある意味当然の疑問。四天魔王として見過ごすことができない問題だった。

『そうですね……私も気になっていました。アキ様はともかく何故あなたまであの娘の肩を持つのです? かの力は我らの天敵であるというのに……』
『そうよねー。ま、五十年前みたいに負ける気は全然ないけど放っておくのは流石にやりすぎじゃない?』
『ふん……揃いもそろって情けない。アキと我がいる以上後れを取ることなどあり得ん。それにエリーはアキの……う、うむ。想い人でもあるからな。手を出すわけにはいくまい』
『そーいえばそうなんだっけ? でもそれってあなたにとっては恋敵になるんじゃないの? これ以上敵を増やしてたらどうにもならない気がするんだけど……もしかしてそのエリーってのをジェロにぶつけてる間に漁夫の利を狙うとか?』
『っ!? な、何を言っておる!? そんなヴァンパイアのようなことを我がするわけがあるまい! それにエリーを手に入れるのは全てアキのためだ! この並行世界を消滅させ現行世界に至ったとしてもアキ一人では子孫を残すことができんのだからな』
『別にそれってジェロでもいいんじゃない? ま、確かに生まれてくるのは人間じゃなくて亜人になっちゃうけど……』
『ぬ……た、確かにそうだがアキ自身の気持ちもあろう……何でも一つ願いを叶えると契約したからな。ならエリー一人現行世界に連れて行くことぐらい許してやらんでもない、ということだ』
『……何だが無茶苦茶な理論になっていますが、要するにアキ様にはエリーがどうしても必要だということですか?』
『……そうだ。そもそも我とエリーは旧知の仲。エリーにとってもアキは想い人でもある。何の問題もあるまい』
「そう……あなたが納得しているのならそれで構わないわ。ただ障害になるようなら容赦はしないわ……それで構わないかしら……?」
『当然だ……アキにとって障害となるなら何であれ容赦はせん。それが我の在り方だ』


マザーはどこかエンドレスを感じさせる雰囲気を纏いながらジェロの問いに応える。シンクレアとしての悲願を果たすために。ダークブリングマスターに従う者としてマザーは宣言する。自らが矛盾した願いを抱いていることを知りながら。そんな中


「何をごちゃごちゃ騒いでんだ……ジェロにまで迷惑かけてたんじゃねえだろうな……」


やれやれといった風に肩を鳴らしながらルシアが一人、隣の部屋から戻ってくる。ようやく仕事が片付いたと言わんばかりの姿。


『ふん、主こそ片付いたのか。それともまたジェロに代わりにやってもらう方がいいかの?』
「そ、そんなことさせるわけねえだろ!? もう話はつけてきた。ディープスノーにはレディと同じように参謀として働いてもらう。それだけだ」
『参謀ですか? 新しいDBを持たせる手もあると思いますが……』
「いや……もうそれは必要ねえ。五十六式が無い以上戦闘能力は落ちるし、もう六祈将軍じゃレイヴマスター達の相手にはならねえからな……」
『確かにそーかもねー。六星以上のDBなんて生み出せないし……ま、代わりにジェロ達が仲間になったと思えば何の問題もないんじゃない?』
「そ、そうだな……」


バルドルのある意味もっともな発言に内心焦りながらも何とか上手くいったことにルシアは安堵するしかない。とりあえずいろんな意味で問題があった六祈将軍の件については一応決着がついた形。まさか帰還して早々人事をさせられるとは夢にも思っていなかったルシアは肩の荷が下りた気分。もしかしたら戦闘よりも厄介な事態だったかもしれないと本気でげんなりしながらも達成感に包まれんとした瞬間


『さて……ちょうどこちらの話も済んだところでさっさと行くとしようか、主様よ』


マザーのまるで待ってましたと言わんばかりの宣言によってかき消されてしまう。実体化していれば間違いなく邪悪な笑みを浮かべているであろう姿が容易に想像ができるyほどに怪しい光を放っている。同時にルシアは強烈なデジャヴを感じていた。その記憶をたどるようにいつかと同じ言葉をルシアは口にしてしまう。


「行くって……どこへ……?」


数日前ジェロを召喚し、バルドルを受け取ろうとした時。ようやく悪夢が終わった瞬間にそれを上回る悪夢が訪れた記憶。違うのは


『決まっておろう……レイヴマスター共のところだ。喜べ、主様。シンクレアと今度こそエリーを奪い返そうではないか』


魔界探検ツアーではなく、レイヴマスター御一行との対面という豪華ツアー(エンドレス付き)に変更になったということだけ。顔面を蒼白にしながらももはやルシアに逃げ場はない。三つのシンクレアと四天魔王を前にしてそれを先延ばしにする理由も方法も思いつかない。否、そんな方法は存在しない。まるで売られていく子牛のようにルシアは連れられていく。


場所は東のイーマ大陸、星跡の洞窟。


約束の地シンフォニアに続き、再びダークブリングマスターとレイヴマスターの邂逅の時が訪れようとしていた――――



[33455] 第八十九話 「星跡」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/08/31 01:42
東のイーマ大陸。その森の中をハル達一行は真っ直ぐに進んでいく。そこには一片の迷いもない。未開の地であるイーマ大陸である以上マッパーであるグリフのナビゲートも役には立たないはずにも関わらず。だが今のハル達には新しい道先案内人がいた。


「こっちだ……付いてこい……」


黒いコートを身にまとい、どこか近寄りがたい危険な空気を放っている男。元六祈将軍『爆炎のシュダ』

ハル達と六祈将軍の戦いに乱入し戦闘に決着がついた後、シュダの案内によってハル達はある洞窟に向かって連れられているのだった。


「ちっ……偉そうにしやがって……悪いがオレはまだてめえを信用したわけじゃねえからな」
「ダメだよ、ムジカ。せっかく助けてくれたのにそんな言い方しちゃ」
「っていうかあの怖そうな男は誰ポヨ!? みんな知ってるポヨか!?」
「後で教えますよ、ルビーさん」


先導進んでいくシュダに向かってムジカはどこか不機嫌そうに文句を口にするもエリーによって窘められそれ以上は口を紡ぐしかない。当のシュダも聞こえているはずにもかかわらず我関せずといった形。悪く言えば無視するような態度。そんな態度によってムジカはますます険悪な雰囲気を放つもあきらめるしかない。


「ありがとな、シュダ! おかげで助かった。流石に三対二じゃどうなってたか分からないし」


一行の中のリーダーでもあり、お人好しでもあるハルが既にシュダを信用しきってしまっているのだから。ムジカも本気で疑っているわけではないもののハルとのバランスを取るためにあえてそんな態度をとっている部分も大きい。だがハルにとっては死んだはずのシュダが生きていてくれたこと、自分達を救ってくれたことですっかり上機嫌になってしまっていた。


「……相変わらず甘い男だ。オレはオレのために動いている。それがたまたま今回は一致しただけだ」
「ははっ、何でもいいさ。生きててくれただけで十分だよ。でも一体どこにオレ達を連れて行く気なんだ? もしかして最後のレイヴの場所を知ってるのか?」
「いや、残念だがレイヴの場所はオレも知らん。だが間違いなくお前にとっては縁がある場所だ。あそこはゲイルの……」
「親父の……? 親父に関係がある場所なのか?」
「ああ……詳しくはそこで待っている奴に聞け。オレはそこにお前達を案内するように頼まれただけだ」


まるで新たな仲間ができたかのように話しかけてくるハルとあくまで自分のスタンスを変えることなく淡々と答えるシュダ。しかしふとハルは気づく。それはシュダの気配。既に戦闘は終わったはずにもかかわらずまだ戦闘態勢を解いてはいない。周りには自分たち以外誰もいない。ようやくエリー達もそのことに気づき、慌てながら辺りを見渡すも結果は同じ。


「シュダ……何をそんなに警戒してるんだ? まだ敵が残ってるのか?」
「え? でももうあの六祈将軍って人達はやっつけたんでしょ?」
「……おめでたい奴らだ。。無限のハジャ。奴がどこから現れるか分からん以上気を抜くわけにはいかん」
「っ!! そ、そっか……そうだよな……」


シュダの言葉によって緩みかけたハル達の空気が引き締まって行く。同時に先の戦いを思い出し、緊張を露わにする。

六祈将軍のリーダーであり最強の男。無限のハジャ。

自分達を後一歩のところまで追い詰め、シンクレアと未来のレイヴを奪われてしまった相手。空間転移や飛行が可能な魔導士である以上いつ追撃を仕掛けてきてもおかしくない危険な存在だった。


「なるほどな……それでさっきオレ達にエリクシルを渡して来たってわけか」
「そういうことだ。流石にハジャが相手では油断できん。魔導士を相手にするのは厄介だからな。それはもう貴様らも十分味わったはずだ」
「ああ……悔しいけど完敗だった。でもきっと大丈夫だ。覆面の男がきっと上手くやってくれてる! それにレットもあのジェガンって奴を倒して帰ってくるだろうし心配ないさ!」


ハルはどこか確信しながら覆面の男とレットの勝利を口にする。自分達を先に行かせるために足止めをしてくれた二人。既にそれから時間が経っているにも関わらずまだハジャやジェガンが迫ってきていないことからきっと二人が勝利したのだとハルは信じていた。


「フッ……楽観的な見通しだが一理あるか。だが警戒だけはしておけ。ハジャについてはジークハルトに何か考えがあるようだった。それに期待しておくんだな」
「ジークが? そういえばまだジークは来れないのか? エリーが持ってるあの水晶があるからすぐに来れるんだろ?」
「これのことでしょ? ちゃんと落とさずに持ってるよ! もうシンクレアみたいに盗られたりしないから安心して!」
「エリーさん、きっと敵が狙ってるのはシンクレアだけだと思いますが……」


ガッツポーズをしながら空間転移の水晶を誇示するエリーにグリフが突っ込むものの何のその。エリーはどこか楽しげにシンクレアと水晶を見比べてはプルーやルビーに見せびらかし騒いでいる。先程までの緊張感は既に消え去ってしまっている。ある意味いつも通りのハル一行の光景に溜息を吐きながらもシュダは続ける。


「そろそろ現れてもおかしくないはずだが奴のことだからな。時を守るとかいうよく分からん使命のせいで遅れているのかもしれん。あまり当てにし過ぎないことだ。自分の身は自分で守れ」
「てめえに言われるまでもねえさ。だが意外だったぜ。まさか六祈将軍を殺さずに生かしておくなんてな。てっきり皆殺しにする気かと思ってたぜ」


ムジカは心底意外だとばかりにシュダに問いかける。先の戦い。戦いの後、意味不明のことを叫びながらその場を去っていたユリウスはともかく、ベリアルやディープスノーをシュダは殺すことなく見逃した。ハルがいた手前ということもあるだろうがかつてのシュダからは想像できない行動だった。


「ふん……単なる気まぐれだ。戦意が無い奴を殺す趣味はねえ。ベリアルの奴は殺すよりもあのまま放っておいた方が悔しがるだろうからな。DBも奪っておいた。もう相手にはならん」
「っ! お前いつの間に……オレよりも盗賊に向いてんじゃねえか?」
「かもな。どうする? 欲しいならくれてやってもいいが」
「冗談じゃねえ。誰がDBなんて使うか。お前と一緒にするんじゃねえ」
「ムジカ、そこまでにしろって……でもあいつら置いてきてほんとによかったのか? 怪我させちまったし手当てしてやった方が良かったんじゃ……」


ハルは迷うような表情を見せながら後ろを振り返るも既に海岸は見えず。自らが倒した六祈将軍の一人であるディープスノーがどうなったかは分からない。命に別条はないものの大きなダメージを与えてしまったことは確か。同時にハルにとっては少なからず因縁があった相手。キングの仇というある意味で恨まれてもおかしくない事情があったため後ろめたさからハルは表情を曇らせるしかない。


「その心配はない。あの程度でくたばるほど六祈将軍は甘くはない。それに奴らはルシアがもつ瞬間移動のDBで本部に戻ることもできるはずだ。余計なことを気にする必要はない」
「アキの……? ほんとか?」
「ああ……先代キングも同じDBを持っていた。まず間違いない。そんなことよりもルシアの奴が今回の失敗で自ら動き出すことを心配した方がいい。まだお前達は一つシンクレアを持ってるんだからな……」
「…………そっか。やっぱりそうだよな……」


シュダの言葉によってハルは難しい顔を見せながら自らのTCMとレイヴに力を込める。今まで考えなかった、いや考えようとしなかった事実にハルはそのまま黙りこんでしまう。その手にある知識のレイヴがハルの頭に知識を与える。

先のディープスノーとの戦いによって得た感覚と確信。TCMの意味とその力。

かつてキングを救うことができなかった自分。約束を果たすことができず、ただ父親によって守られた自分。


(もう二度と失敗は許されない……絶対に姉ちゃんとの約束を守ってみせる……!)


ハルは固く誓う。ガラージュ島を出る際に姉と交わした二つの約束。父とアキを連れて帰る。レイヴマスターとしての使命ではないハル自身の旅立ちの理由。片方は既に永遠に叶うことはない。だがもうもう一つの約束はまだ守ることができる。

だがそのためには足りない物がある。強さ。ダークブリングマスターであり、シンクレアをもつアキを止めるには強さが必要になる。それをシンフォニアでハルは身を以て味わった。あれからひたすらに修練を積んできた。確実に強くなってきている。間違いない事実。でもまだ足りない。アキには及ばない。だが先の戦いでその可能性を見いだした。未来のレイヴを手に入れればそれが叶う。レイヴを手に入れることはレイヴマスターとしての力を増すことを意味する。四つのレイヴがあればアキに届くかもしれない。初めてアキに勝つことができるかもしれない。そうすればきっと―――


「ハル……? どうしたの、怖い顔しちゃって……もしかしてまだどこか怪我してるの?」
「―――っ!? エ、エリー!? な、何だよいきなり……びっくりしただろ!」
「あ、ひどーい! せっかく心配してあげたのに。いいもんいいもん、行こ、プルー。ハルは怖い顔で考え事がしたいんだって」
『プーン』
「そ、そんなこと言ってねえだろ……ま、待ってくれよエリー!」


ぷりぷりと怒り、プルーを抱きかかえたままエリーはハルを置いて先に走って行ってしまう。ハルは我に帰り、慌てながらその後を追って行く。いつもと変わらない日常。


「ったく……相変わらず見せつけてくれるじゃねえか。こっちは一人身だってのによ。オレも本気で彼女探そうかね……」
「わ、私もお手伝いしますよムジカさん。できれば美しい女性の方が……」
「あ、見えてきたポヨ。あの洞窟がゴールポヨね!」


やれやれといった風にムジカは頭を掻きながら二人の後を追って行く。悪態をつきながらも表情は楽しげなもの。ずっとおままごとのようなやり取りを見せられてきたもののそろそろ何とかならないかと思案するもあの二人ではまだまだ先になりそうだとあきらめるしかない。そんな中、森を抜けた先に目的地である洞窟が見えてきたことでルビーたちもまた走り出す。誰が一番に辿り着くかの競争かのように。その場に残されたのは先導していたはずのシュダのみ。だがシュダは置いて行かれたことに文句を言うことなくその場に立ち尽くしたまま。


「…………」


その瞳はハルの後姿だけを映し出している。正確にはその背に背負っている剣、TCM。それが何を意味するか誰も知らぬままハル達はその場所に辿り着いた。同時に一人の老人がハル達を出迎えてくれる。

『エバーマリー』

ハルの父であるゲイルの育ての親。ひょんなことからシンフォニア国王と知り合った彼はゲイルを育てながらその洞窟に七十年間住み続けていた。

『星跡の洞窟』

それがその洞窟の名。星のような輝きを放つ巨大な水晶で満ち溢れている幻想的な洞窟。その正体はかつて星の記憶があった場所。この星の生命であり全てとも言われる星の記憶。ハル達が探し求めている存在がかつてここに会ったことを知り、ハル達は驚くことしかできない。

星の記憶があったことを示すように星跡の水晶には触れた者の記憶を映像化する力が備わっている。エバーマリーの勧めでハル達は皆星跡に触れ、己の記憶を映像化していく。生まれてからの様々な出会い。自らが生きた証、記憶を確かめるように。唯一エリーだけはその事情から星跡に触れることを決断できないでいたものの、エバーマリーによってハル達は星の記憶の正体を明かされる。

『時空操作』

星の記憶に辿り着いた者だけが手にすることができる力。全てを手にし、全てを失うこともできる奇跡。もしもあの時こうしていれば、あれがなければ、そんな過去の出来事を覆すことができるほどの力が星の記憶にはある。それこそが闇の組織が星の記憶を狙う理由であり、ジークハルト達、時の民が時を守る使命を持つ理由。

その扉を開く力を持つのがレイヴでありシンクレア。レイヴが正面からの入り口であればシンクレアは裏口。共に星の記憶を繋ぐ存在でありながら対極に位置する存在。

自分たちが戦う意味、大きさを感じながらハル達はそのまま星跡の洞窟で一夜を過ごすことになったのだった――――



「…………」


皆が寝静まった深夜。一つの人影がゆっくりと星跡の洞窟に姿を現す。真夜中であるにもかかわらず洞窟は星の光で照らされているかのように明るさを保っている。その中をゆっくりと、どこか恐る恐る少女、エリーは進んでいく。まるで禁じられた行為をするかのように。

その足が水晶の前で止まり、意を決したかのようにゆっくりと手を伸ばしていく。その手が触れれば全てが分かる。記憶喪失であり、その記憶を取り戻すことを目的に旅してきたエリーにとっては答えが目の前にあるも同然。しかし


「…………ハァ」


エリーは大きな息を吐きながらその手を下ろしてしまう。表情は戸惑いと不安に満ちている。本当の自分が知りたい。でもそれを知るのが怖い。矛盾する感情。自分自身でもどうにもできない板挟みに肩を下ろしている中


「エリー……やっぱりここにいたのか」


聞き慣れた、どこか安心を感じられる声がエリーに向かってかけられる。驚きはなかった。きっと来てくれるだろうと、そんな不思議な確信がエリーにはあったのだから。


「ハル……ごめんね、起こしちゃった?」
「いや……オレも眠れなかったからさ。今日は色々あったし」
「そうだね。いろんなことがあったもんね……」


ハルはいつもと変わらない雰囲気でエリーの隣に立つ。そういえば二人きりになるなんていつぶりだろうか、とふと思い返すもハルには全く緊張はなかった。そうさせない程の何か不思議な雰囲気がこの星跡の洞窟にはあるかのように。


「…………ごめんね、ハル。やっぱり変だよね、せっかく記憶が目の前にあるのに……それを知るのが怖くなるなんて……」
「エリー……」


エリーはどこか自嘲気味に自らの心情を吐露する。自分が探し求めた答えが目の前にあるにも尻込みしてしまう臆病さ。唐突に答えを見せられることへの不安。本当の自分が分かれば、今までの自分が無くなってしまうのではないかという恐怖。言葉には表し切れない感情がエリーの中には溢れかえっていた。だがそれは


「いいじゃねえか? 怖くたって……」
「…………え?」


ハルの何気ない言葉によって救われる。ハルはどこか言葉に詰まり、恥ずかしそうに頭を掻きながらも必死に自らの心を形にする。


「きっとオレがエリーと同じ立場でも怖くなると思う……自分の中にもう一人自分がいるみたいなもんだしな」
「ハル……」
「それに……うん、自分の記憶を見るのってちょっと恥ずかしいしさ。昼間みんなの前で見せた時も恥ずかしい場面がでないかどうかヒヤヒヤしてたんだぞ」
「え? そうだったの?」
「ああ……あんまり言いたくないけど、小さい頃はアキと一緒に結構馬鹿もやってたしさ。バレたら姉ちゃんに怒られそうなこともあるし……」
「ふふっ……じゃあよかったね、イタズラがバレなくて! もしアキがいたらきっと今のハルと同じような顔してると思う」
「ひ、人聞きが悪いこと言うなよ。言っとくけど悪いのはほとんどアキだったんだからな。オレはそれに巻き込まれてただけで……」
「そーかなー? 小さい頃のアキもやんちゃそうだったけどハルも負けてなさそうだったよ?」


ハルの暴露によってそれまでの雰囲気が嘘のようにエリーはいつもの楽しそうな表情に戻って行く。そんなエリーの様子にハルは安堵しながらも改めて見とれてしまう。星跡の輝きのせいかいつも以上にエリーの長い金髪が映えて見える。


「……? どうかした、ハル?」
「え? い、いや……何でもない……」
「変なハル。でもありがとね、あたしのこと心配して来てくれたんでしょ?」
「うっ……ま、まあな……」


エリーと目が合い、ドギマギしながらも悟られまいと必死に誤魔化しながら二人はそのまま他愛ない話を座ったまま続ける。これまでの旅のこと。これからのこと。今まで二人きりではできなかった会話を楽しむかのように。そしてその内容は次第にレイヴとDB。アキの内容へと移っていく。エバーマリーから聞いた星の記憶の話と合わせて避けて通ることはできない問題。


「アキは何でシンクレアを集めてんのかな……やっぱり星の記憶を手に入れるため……なのか?」
「あたしもそれは分からないけど……でもきっと心配いらないよ。アキのことだもん。そんな大変なこと怖がってできないだろうし、第一ママさんもいるから無茶はしないよ、きっと」
「そっか……アキのこと、信じてるんだな……」
「それはハルもでしょ? でもうーん……よく考えたらママさんの方が無茶してたような気もするけど……ま、いっか」


エリーはかつてのアキとマザーのやり取りを思い出しながらもとりあえず大丈夫だろうと勝手に結論づける。何だかんだで似た者同士の二人であり心配はないだろうと。だがそんな中、ふとエリーはハルが何かを考え込んでいることに気づく。それは何か聞くよりも早く


「なあエリー……一つ聞きたいことがあるんだけど、いいか?」


ハルが何か聞きづらそうにしながらもエリーに向かって問いかけてくる。いつものハルからは考えられないような姿。


「いいけど……何?」


ハルが何を言おうとしているのか想像できないエリーはいつもの調子で応えるだけ。それからどれだけの時間が経ったのか。ハルは口を開く。エリーと出会ってから一年以上、聞きたくても聞けなかった、聞くことができなかった問いを。それは


「エリーは……アキのこと、どう思ってるんだ……?」


エリーがアキのことをどう思っているか。単純な、それでもハルにとってはこれ以上にない問いだった。


「え……? アキのこと……?」
「ああ……エリーはどう思ってるのかなって……」


予想外のハルの問いに一瞬ぽかんとしてしまうもエリーは素直にその問いを反芻する。もっとも深く考える必要がないほど明確な問いではあるのだが。


「うーん……面白い、かなやっぱり。ママさんと一緒にいると楽しいし。でも勝手にあたしを置いて行ったのは許せない! 今度会ったらもう一度文句を言わないと……」


思い出していく中で怒りを再燃したのか、拳を握っているエリーであったがようやくハルがどこか真剣な表情で自分を見つめていることに気づき、動きを止める。


「どうしたの……ハル? あたし、何か変なこと言った?」
「いや……そうじゃないんだ。オレが聞きたいのは…………エ、エリーはアキのことが好きなのかどうかってことなんだ……」


今度こそエリーは完全に動きを止めてしまう。それほどにハルの質問はすぐさま理解できない問い。


「え……? それって……」


それが何を意味する問いであるか。流石のエリーも気づかないはずはない。知らず鼓動が激しくなっていき、顔が赤くなっていく。年頃の少女であればそうならない方がおかしい質問。だがそれはハルも同じ。いや、ハルはエリーの比ではない。エリー以上に顔を赤くし、顔を伏せたままハルはただエリーの答えを待ち続ける。永遠にも思える刹那。無音が星跡の洞窟を支配する。そこにいるのは一人の少年と一人の少女だけ。エリーが突然の質問にどうこたえるべきか、自分がその問いにどんな答えを持っているか思考する中


大きな音が洞窟に響き渡る。まるで風船が割れたような衝撃音。だがそれは風線ではなく、ハルが自らの頬を両手で叩いた音だった。


「ハ、ハル……?」
「ごめん、エリー……オレが卑怯だった。エリーの方に言わせようなんて……ずるいもんな……」


ハルは頭を振りかぶりながら何かを決意したかのようにエリーの正面に回り真っ直ぐにその視線を向ける。変わらず顔は赤いまま。知らず握った拳が震えている。だがそんなハルの姿にエリーは目を奪われるだけ。自分の鼓動が速くなるのを感じ、それが何を意味するのか、ハルが何をしようとしているのかを心のどこかで理解しながらも頭が追いつかない。


「オレ……エリーのことが……」


その全てを振り切ってハルが己の気持ちを伝えようとしたその瞬間



「見つけたわ……レイヴマスター。それにお前がエリーね……」


あり得ない第三者、どこかで聞いた覚えのある声が響き渡った。


「―――っ!? お前は、あの時の―――!?」


突然の来訪者によって動きを止めるもすぐさまハルは弾けるようにその手に剣を持ち、エリーを庇うように前に出る。エリーもまたハルの邪魔にならないように後ろに下がるしかない。だが二人の表情は険しく、緊張状態にある。対して来訪者である女性はいつかと変わらない絶対零度に近い冷たさを以てそこに君臨している。ハル達はその存在を知っていた。

四天魔王 『絶望のジェロ』

かつてドリューとの戦いに乱入し、自分たちが敵わなかったドリューをこともなげに葬った氷の女王。レットをして絶対に戦うなと言わしめるほどの絶望。六祈将軍などとは比べ物にならない魔王の名を持つ怪物。だが驚きはそれだけで終わりはしなかった。


それはもう一人の来訪者の存在。ジェロの後に続くように確かな存在感を持った、ジェロすらも超える風格を持った少年が姿を現す。金髪に黒い甲冑。背にはTCMと対になる黒い大剣。見間違えるはずがない風貌を持つ、もう一人の王。奇しくも先程まで二人が想い浮かべていた存在。


「アキ……」


DC最高司令官であり金髪の悪魔の異名を持つ少年、ルシア・レアグローブ。シンフォニアで出会った時と違うのは大魔王という新たな称号と三つ目のシンクレアを手にしていること。そしてその瞳から何かを悟ったかのような意志が見えることだけ。


今ここに、レイヴマスターとダークブリングマスター。互いの思惑が交差する邂逅が再び巻き起ころうとしていた――――



[33455] 第九十話 「集束」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/09/07 23:06
夜でありながら星のような輝き、光の水晶によって照らし出されている星跡の洞窟。かつて星の記憶があった聖地。そこで今、四人の男女が向かい合っていた。

二代目レイヴマスター、ハル・グローリーと魔導精霊力の少女、エリー。様々な偶然、運命によって導かれた二人。その表情は二人とも驚きと共に緊張感に満ちている。

対するはダークブリングマスター、ルシア・レアグローブと四天魔王、絶望のジェロ。ハル達とは対照的に彼らには全く驚きも焦りも見られない。特にジェロにはおよそ人間らしさが感じられない。まるでルシアが初めて会った時を思い出させる無機質のような静けさ。

レイヴとDB。魔導精霊力とエンドレス。対極である二つの力を持つ者達が向かい合うも誰も身動きはおろか声を出すこともなくただ向かい合う。その中心にはルシアがいる。ハル達はもちろんジェロもまたルシアが動きだすのを待っていた。だが


(ち、ちくしょう……! 何でこんなことに……)


当の本人であるルシアは必死に感情を表に出すまいとしながらも今の状況を前にして混乱するしかない。魔界探検ツアーが終わったと思えば次は六祈将軍の人事、極めつけがレイヴマスター一行との対面ツアー。もはやルシアには一瞬たりとも心を落ち着かせる暇は残されてはいない。加えて今はかつてとは根本的に事情が異なる。それは


(っていうかジェロの奴、何勝手に出て行ってんの!? そこは空気を読めよ! い、いや……こいつにそんなこと期待するのは最初から無理か……でももう少しだったっつーのに……)


自らの隣に控えているジェロの存在。ある意味マザー以上にルシアにとっては厄介な爆弾となりえる女王。先程までハルとエリーが良い雰囲気だったというのにハルの告白をぶったぎりながら出て行くとは流石のルシアも予想外。止めようとするも間に合わずまるで出オチのようにハル達の前にルシアも姿を見せるしかなかったのだった。


(と、とにかく今は話を進めるしかねえ……! 何とかこの状況を乗り切ることだけを考えるんだ……!)


ハルに心の中で謝罪しながらもルシアは頭を切り替えながら改めてハル達に向かい合う。シンフォニアでの再会を含めれば二度目の邂逅。だがその意味はルシアにとってはとてつもなく大きい物。ある意味、シンフォニアとは比べ物にならない程の危険がこの場にはある。原作知識というルシアしか持ち得ない、あり得ない情報からルシアだけがその事実を知っていた。それは


(ま、間違いねえ……やっぱりこの下にエンドレスがいやがる……!! マザー達は気づいてねえみたいだが、気づかれたらどうなるか……いや、というかエンドレスが目覚めたらこの辺一帯消し飛んじまうんじゃ……!?)


エンドレスという終わり亡き怪物、全ての争いの根源とも言える存在が今、ルシア達の足元、星跡の下に眠っているのだから。それこそがルシアが戦々恐々としている最大の理由。ルシア個人としてはハル達との再会自体はさほど大きな問題ではない。元々最低でも一度は六祈将軍を率いてハル達と接触する予定だったのだから。加えて原作のルシアからすれば死亡フラグ、敗北フラグの再会でもあるためそこに一抹の不安を感じずにはいられないルシアであったがそこについてはもはやあきらめざるを得ない。ウタとの戦いに比べれば危険度は低いだろう……という見通し。

案としてはここでのハルとの戦いでわざと負けるという選択肢もあったのだが断念せざるを得ない。未だハルは全てのレイヴを手に入れておらず、エリーも記憶が戻っていない現状ではシンクレアを壊すことはできない。恐らく今のハルの実力では自分には及ばないであろうことも明らか。さらにこの場にはジェロもいる。はっきり言えば今のハル達に勝機は一片たりともない。


(何とか理由をつけて見逃すしかねえか……シンクレアを奪ったからって辺りが妥当か……? できればこれ以上シンクレアを手に入れるのは避けたいんだがそうも言ってられねえし……)


背中に嫌な汗をかきながらおおよその見通しをつける。シンクレアをハル達から奪い、まだ倒すには値しないなどの理由をつけて見逃す。敵役の定番、テンプレのような展開だがそれ以外に手はない。しかしその難易度は常軌を逸している。ジェロが勝手をしないように抑えながらハルと戦い、シンクレアを奪い、エンドレスを目覚めさせることなく、ハル達を見逃す。言葉にすれば簡単だが実際に行うのは並大抵のことではない。


(何なんだこれ……? 何で俺、こんな無理ゲーみたいなことばっかさせられてんの? 普通に世界征服するだけなら三分もかからねえっていうのに……)


改めて自分の置かれている理不尽な現状にげんなりするもルシアにはどうすることもできない。原作ルシアのように世界征服、正確には並行世界の消滅だけなら本気になれば三分でできる。残るシンクレアを最短で集めて大破壊を起こせばいいだけなのだから。何故自分の時だけハードモードなのかと愚痴りたい気分。


『いつまで黙りこんでおるつもりだ、アキ? さっさと進めんか。全然面白くないぞ』
『うるせえよ! ちょっと考え事してただけだ!』
『流石ジェロね。大魔王の出鼻をくじくなんて。でもまだジェロはこんなもんじゃないわよ……空気を読むなんてもってのほか、空気を凍らせるのがジェロの真骨頂なんだから!』
『お前……この会話、ジェロにも聞こえてんだぞ……?』
『え?』
『ともかくアキ様、今は目の前のレイヴマスター達に集中なさっては? ジェロもそれを待っているようですし……』
『そ、そうだな……』


いい加減あきたとばかりに胸元にあるシンクレア達が騒ぎ始める。このしゃべる石達の面倒を見ながら、という条件を思い出しながらルシアがようやくハル達に声を掛けようとした瞬間


『ふぅん……騒々しいと思ったらあなた達だったのね。いつからシンクレアは喋るだけの石に成り下がったのかしらぁ?』


そんな聞いたことのない女性の声が洞窟に響き渡る。だがハルとエリーはその声に気づくことはない。それどころか彼らには声すら届いていない。何故ならその正体はエリーが胸から下げている魔石。母なる闇の使者の内の一つ。

『ヴァンパイア』

かつてドリューが持っていた四つ目のシンクレアが今、ルシア達の前に姿を露わしたのだった。


『ほう、誰かと思えばヴァンパイアではないか。あまりにも空気だから気づかなかったぞ』
『へぇ……誰かと思えば無口なマザーじゃない。一体どういう風の吹き回しなのかしら。散々しゃべる意味なんてないって豪語してたのに』
『ふん、昔は昔、今は今じゃ。それよりも相変わらず気色悪い声を出しておるの。性格の悪さが滲み出ているぞ』
『そっくりそのままお返しするわぁ。そういえばアナスタシスも久しぶりねぇ。まともに話せそうなのはあなただけね』
『お久しぶりです、ヴァンパイア。お元気そうでなにより』


ルシアはただそのままヴァンパイアに向かってマザー達が話しかけているのを黙って聞き続けるしかない。同時にようやく思い出す。そう、ヴァンパイアという新たな頭痛の種が増えるであろうことを。だがふとルシアは違和感に気づく。それは三つ目のシンクレアであるバルドル。性格からいっても真っ先に騒ぎそうな彼女が全くしゃべっていないことに。その意味をルシアが尋ねようとするも


『あらぁ……? そういえばまだ挨拶してなかったわねぇ、バルドル? 久しぶり……ではないわ、あの時は随分お世話になったわぁ……』


それよりも早くヴァンパイアの挨拶によって遮られてしまう。もはや挨拶ですらない。事情が分からないルシアをして身体が震えてしまうほどの悪意と恨みがこもった呪詛とでもいうべき言葉。


『ソ、ソウネ……ゲンキソウデアタシモウレシイワ……』
『えぇ……元気だったわぁ。何故か突然担い手を凍らされて、そのままよりによってレイヴマスター達のところに置き去りにされるなんてことがあったけど、この通りよぉ? あなたが来るのを待ちわびてたんだから。で、私が納得する理由があるんでしょうねぇ、バルドル?』
『あ、あはは……あれはちょっとした手違い、不慮の事故なのよ! あたしは嫌だって言ったんだけどジェロがどうしてもって言うから……』
『そう……どっちにしろ肩入れしてたことには変わりないと思うんだけど、そこのところどうなのかしら、ジェロ? 確か四天魔王はシンクレア争奪には関与しない取り決めじゃなかったかしらぁ?』
「…………」


ヴァンパイアの恨み事と呪いの視線を受け、慌てふためいているシンクレアを統べるシンクレアであるはずのバルドルとは対照的にジェロは全く反応することはない。瞬き一つ見せない。間違いなくシンクレア達の声は聞こえているはずにもかかわらず。まるでハルやエリーのように声が本当に聞こえていないかのような振る舞い。


(す、すげえ……完全にスルーしてやがる……一体どういう神経してんだこいつ……)


そのあまりのスルーっぷりにルシアですら呆気にとられるしかない。会話の内容からジェロがドリューを倒した経緯に関するいざこざであり、間違いなく当事者であるにも関わらず完全無視。むしろ清々しさすら覚えてしまうほど。


『ふふ、無駄よヴァンパイア。ジェロには何を言っても通じないわ。スルーされるだけよ。あれだけあなた達が泣き叫んでもドリューを倒すのをやめなかったのを忘れたのかしら。あたしなんてこの半年で何度無視されたか分からないんだから!』
『色々言いたいことがあったんんだけどもういいわぁ……でも泣き叫んでいたのはラストフィジックスだけよ。まったく、耳触りで仕方なかったわぁ……』
『そういえばラストフィジックスはどこに? ハジャという男に奪われたというのは本当なのですか?』
『ハジャ……? ああ、あの汚らしいジジイのことね。そうよ、ラストフィジックスはそのままどこかへ連れて行かれたわぁ。今頃どこかで泣きわめいてるんじゃない? いい気味ね』


心底清々したとばかりのヴァンパイアの言葉にルシアはドン引きするしかない。何故同じシンクレア同士でこんなに仲が悪いのか小一時間問い詰めたいところ。だが同時にラストフィジックスがディープスノー達が報告した通りハジャの手に渡っていたことが確定した形。不測の事態だがルシアとしては命拾いしたようなもの。もしこの場にラストフィジックスがあればエンドレスを含めて全てのシンクレアが集まることになっていたのだから。まさかあのハジャに感謝する日が来るとは思いもしなかったルシアだった。


『ふぅん……それが新しい担い手ってわけね。初めまして、ヴァンパイアよ。宜しくねぇ』
『あ、ああ……ルシア……いや、アキだ。宜しく……』


初めてヴァンパイアから話しかけられ、慌ててルシアは挨拶し返すもどこか居心地の悪さを感じるしかない。それはヴァンパイアの視線。ダークブリングマスターのルシアにはそれが分かる。正確にはまるで獲物を見定める蛇、妖艶な視線がルシアを舐めまわしている。思わず鳥肌がたってしまうほど。


『なるほどねぇ……悪くないわぁ。堕ちれば私好みになるかも……』
『お、堕ちる……? 一体何の話だ……?』
『ヴァンパイア、あなたまだ担い手を陥れる癖、直ってなかったの? あれだけ治しなさいって言ったのに……』
『これは私の趣味よ、口出しされる覚えはないわぁ。ドリューも良かったけど堕ちるところまで落ちちゃったし……でも今度はもっと楽しめそうね』


ヴァンパイアはまるで新しいおもちゃを見つけたかのように興奮を隠し切れていない。担い手を陥れ、堕とすことが彼女の趣味であり悪癖。かつての担い手であるドリューもその策略に嵌まったに過ぎない。人間に幽閉されたドリューをすぐに助けることはせず放置し、絶望と怒りによって闇に染まるまで堪能してから力を与えたのもそのため。人間達を支配した後、本当は人間に憧れていたという事実をドリューに突きつけ、壊すところまで楽しむはずだったのだがジェロの乱入によってそれは失敗に終わってしまったのだった。


『アキ、まともに相手にするでない、不用意に心を許せば妊娠させられるぞ』
『妊娠っ!? どういう例えだよ!?』
『とにかく早くレイヴマスター達を皆殺しにして頂戴。いい加減レイヴと一緒にいるのは吐き気がするわぁ』
『……とりあえずてめえらは黙ってろ。邪魔だからな』


およそこれまでのシンクレアとは違った意味で異質なヴァンパイアにルシアは圧倒されるしかない。人間の負の部分や破壊、虐殺を心の底から愉しみとしている、マザー曰く性根が腐りきっている性格。ようやくその本当の意味を理解する。ある意味最もシンクレアらしいシンクレア。吸血鬼の名を持つに相応しい存在。思う所は色々あるが全てを振り切ってルシアは仕切り直す。


「久しぶりだな、ハル……元気そうで安心したぜ」


一歩ハルに近づきながらルシアは不敵な笑みを見せる。それに合わせるようにハルは背中にあるTCMをいつでも抜けるように構えながらエリーを庇うように前に出る。以前のシンフォニアでの再会の時には見られなかったような警戒具合。だがそれは当然。ルシアの隣に控えているジェロはハル達にとっては忘れることができない程の絶望を与えていった存在。ハルは直接目にしていないもののムジカ達の記憶を星跡で見たためその出鱈目さを知っている。自分が倒されてしまったドリューをこともなげに葬れる存在。そしてそれを従えるルシア。いかにお人好しのハルであっても気を抜くことはできない。


「アキ……どうしてお前がここに……」
「随分な言い草だな、せっかく会いに来たってのに……まあいい。単純な話だ。お前が持っているシンクレアを頂きに来た」
「シンクレア……やっぱりそうか……」
「当然だろ。俺はダークブリングマスターだ。そしてお前はレイヴマスター……そうだろ、ハル? まさかこの期に及んで戦いたくねえなんて戯言口にするんじゃねえだろうな。悪いが力づくでもシンクレアはもらって行くぜ」
「…………」


ルシアはその手にネオ・デカログスを持ちながらハルに向かって突きつける。紛れもない殺気を込めながら。もはや言葉など無用だと言わんばかりの状況を作り出す。それは前回の失敗を生かしたルシアの策。以前は初めての再会、自分を印象付けるため、原作を意識して接触を計ったが今回はその必要はない。ルシアの目的はシンクレアを手に入れるという最低条件をクリアし、この場を離れること。余計な会話や接触は計画が狂わされかねない。特に


「もう、アキ! まだそんなこと言ってるの? 喧嘩しちゃだめだって前も言ったじゃん。それにこのママさんは今はあたしのなんだからダメだよ!」


中途半端にルシアの事情を知り、ある意味ジェロよりも空気が読めないエリーという存在がいるのだから。エリーはジェロがいたことによって身構えていたものの、ルシアが前に出てきたことによっていつもの調子に戻りながら騒ぎ始める。ルシアはまるで自分をまねるかのようにヴァンパイアを胸元にかけているある意味怖いもの知らずなエリーに呆れながらも


「どうやら六祈将軍を倒したらしいな……少しは前よりマシになったか」


ルシアはエリーの言葉を完全に無視しながらハルへと話しかける。それが今回のルシアの作戦。エリーを完全に無視すること。奇しくも先程ジェロが見せていたことの焼き回し。完成度で言えばジェロには及ばないもののエリーの奇行をスルーすることが前回の反省から得たルシアの教訓だった。


「ちょ、ちょっとアキ! 無視しないでよ! ママさんも何とか言ってよ!」

『ほう、そう来たか。あのエリーを無視するとは中々思い切ったものだな、我が主様よ』
『なるほど、ジェロの真似ってことね。でもまだ冷たさが足りないわ。もっと虫けらを見るような冷たい視線も忘れちゃだめよ、アキ!』
『あなた達は……少し静かになさってはいかがですか。アキ様がしゃべっている最中ですよ』
『何この茶番? さっさと初めて頂戴』


(こ、こいつら……)


エリー以外にも無視しなければいけない連中がいたことを思い出しながらもルシアはただハルに向かって話しかける。ハルは今までの経験と二対一という状況からか臨戦態勢。


「……エリー、下がってくれ」
「ハル……? もしかして前みたいに戦う気なの? ダメだよ! 相手はアキなんだよ、また前みたいになっちゃたら……」
「……大丈夫。前とは違う。今度こそアキを止めて見せる。もう失敗はしないって決めたんだ」
「…………ハル?」


ルシアが自分の話を全く聞く気がないことに焦り、エリーはハルを止めんとするも叶わない。ルシアとは違い、自分の言葉に反応はしてくれるもののハルはTCMを構える。だがそれ以上にエリーはハルが放っている雰囲気に圧倒されていた。いつものハルでは考えられない程に張り詰めた空気が張り詰めている。ルシアを前にしたことによってその厳しさは増すばかり。六祈将軍との戦いが終わってから見せていた険しい表情。それを彷彿とさせる異質な凄味が今のハルにはある。その意味を理解できないエリーはただいつもと様子が違うハルに戸惑うことしかできない。


(この感じ……やっぱそうか……)


だがルシアだけは今のハルの状態を理解していた。ハルが昂ぶっている本当の理由を。あり得た未来、そしてこれから起こり得るであろう未来を知っていること。何よりも十剣という同じ武器を持つ剣士として。それこそが一度はルシアがハルと戦わなければいけなかった本当の理由。知らずルシアの手に力がこもる。覚悟していた、そして今の自分なら問題ないと言い聞かせていたとはいえいざその時が近いことを知るとざわめかずにはいられない。だが


『ふむ……どうやらレイヴマスターは主とやる気のようじゃの。ならば好都合。ジェロよ、今の内にエリーを確保しろ。余計な邪魔が入る前にな』
『…………は?』


そんな不安すら消し飛ばしてまうような理解できない言葉がマザーによって告げられる。ルシアが想像だにしていなかったエリーの奪還という策が実行されようとしていたのだった。


『な、何を訳が分からんことを言っとるんだ!? 俺達はシンクレアを奪いに来たんだろうが!?』
『おや、そうだったか……まあそんなことはどうでもよい。今回はエリーを手に入れることが最優先。前の時は結局有耶無耶になってしまったからの。今はジェロもおる。ちょうどいい機会ではないか』
『そ、それは……でもてめえはそれでいいのかよ? 前、エリーにキスした時には怒り狂ってたくせにどういう風の吹き回しだ!?』
『ふむ……そんなこともあったか。だがそれはそれだ。心配するでない、エリーも憎からずお主のことを想っておる。無理やり連れて行っても問題あるまい。元々置き去りにしたのはお主だけ。我はどっちでもよかったのだからな』
『そ、それはまあそうだが……他のシンクレア達がどう言うか……』
『あたしは別に構わないわよ。マザーがいいって言うんなら反対する理由もないしね』
『私も構いません……ちょうどその話はしたばかりですし』
『何の話か知らないけど早くして頂戴。いつまでも焦らされるのは趣味じゃないわぁ』


ルシアは何とか話題を逸らせないかと四苦八苦するもその全てが通用しない。あまりエリーの危険性を唱えればエリーを排除する方向に行きかねないためルシアもそれ以上大きく異論を唱えることができない。


(ちくしょう……何でこんな話の流れになってんだ!? そもそもマザーの奴、エリーの奴にこだわりすぎじゃねえか……? 何でそんなに……)


ルシアはある種の違和感を覚えるしかない。確かにマザーはエリーと旧知の仲。世界滅亡コンビを結成していた程。だが魔導精霊力を持ていたためエクスペリメントでは一度エリーを見殺しにしようとしたこともある。その後の取り決めでエリーには手を出さない、現行世界に連れて行く等のやり取りがあったためそれが原因かと勘繰るもやはり説得力は足りない。ジェロという新たな仲間が増えただけで不機嫌になっているのにマザーにとってはある意味天敵にもなりかねないエリーも加えようなどやはりおかしい。ルシアはマザーを問いたださんとするも


「…………」
「ジェロ……?」


それよりも早くジェロがゆっくりとルシアの前に出て行く。まるでエリーに向かっていくかのよう。シンクレアと話すには直接声を出す必要があるジェロは黙ってルシア達の会話を聞いていたものの自らの意思で動き出す。ルシアは慌てて何とか止めんとするもジェロはその場を動こうとはしない。このままでは自らの計画が大幅に狂い、破綻しかねない。だが


「……何か来るわ」


その理由はルシアが考えているものとは別物。ジェロがルシアの前に出たのは単純にルシアを守護するため。先程まで下がっていたのはハルの力ではルシアの害にはなり得ないと判断していたが故。しかし今は違う。魔導士であるジェロにはそれが分かる。凄まじい魔力の奔流が今まさに、ルシア達の前に現れんとしていることを。ルシアのその光景を見たことがあった。


『空間転移』と呼ばれる大魔法。その光がエリーの持つ水晶から放たれるとともに周囲を包み込む。


「…………え?」


エリーは目をこすりながらもただその後ろ姿に目を奪われる。対照的にハルはその姿を見ても動じることはない。まるでこうなることが分かっていたかのよう。ジェロもまたそれは同じ。ハルのように信頼ではなく、魔導士としての直感。ルシアはある意味エリー以上の驚愕を以てその光景に立ち尽くすしかない。


白いコートに青い髪。いつかを彷彿とさせる威風。かつてのシンフォニアの再来。


「すまない……遅くなった。ハル、エリー……」


時の番人ジークハルト。今は超魔導の称号を持つ、世界最強の魔導士。ジェロと同等、それ以上のイレギュラーが星跡の地に集う。


レイヴマスターとダークブリングマスター。人間界の超魔導と魔界の超魔導。対極である二つの頂点を決める決戦が今まさに始まらんとしていた――――



[33455] 第九十一話 「差異」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/09/12 06:36
「すまない……遅くなった。ハル、エリー……」


白い外装をはためかせながら時の番人ジークハルトはハル達を庇うように姿を見せる。その表情は既に真剣そのもの。いつ戦闘が始まっても対応できる臨戦態勢。ジークはそのまま真っ直ぐに自分たちと相対しているルシアとジェロと向かい合うもまるでそれに対抗するかのようにジェロもまたルシアの前に出る。互いの役割を理解したかのように両者の間に緊張感が走る。だがそんな中、ハル達以上にルシアは理解できない事態の連続に混乱することしかできない。


(ジークッ!? な、何でこんなところに……!? 今のは空間転移か……? でも確かあの魔法はミルディアンの民全てが協力して成功するかどうかの魔法のはずじゃ……)


いきなりジークが乱入してくるという予想外の展開に呆気にとられるもののすぐさまルシアは我にかえりながら状況を整理する。たしかに原作ではあり得なかった星の跡地にジークが姿を現わしたことは驚くべきことだがあり得ないことではない。既にこれまで自らの影響によって原作の流れは大きく変わってしまっている。ならばジークが登場することもあり得る。ピンチに現れるという点ではシンフォニアの再現。故にルシアが驚愕しているのはジーク自身の変化。


(明らかにシンフォニアの時とは雰囲気が違う……! この感じ……下手すれば四天魔王級なんじゃ……)


その纏っている空気と存在感が桁外れに上がっている。魔導士ではないルシアをして感じ取れるほどの膨大な魔力。先の空間転移も一人で可能な程の出鱈目さ。明らかにかつてシンフォニアで接触した際とは別人。この短期間で何があったのか知る術はないもののルシアはとりあえずいつでも動けるように警戒しながら改めてハル達に向かい合おうとするもジェロは一向に動くことはない。ルシアとは比較にならない程ジェロの空気が凍りついて行く。同じ魔導士としてジェロはルシア以上にその危険性を見抜いているからこそ。


「誰かと思えばジークハルト、お前か。シンフォニアの時といい乱入する趣味でもあるのか?」
「…………」


そんなジェロの危険な気配を感じ取り、戦々恐々としながらもルシアはジークに向かって話しかける。ある意味敵役のお約束のような挑発。ここで主導権を握らければジェロが勝手に動きだしかねないことを危惧したための行動。胸元で騒いでいるシンクレア達は一切無視しながら声をかけたもののジークは応えることはない。ルシアとジェロを交互に見比べているだけ。奇しくもルシア同様現状を把握するための沈黙。


「ジーク!? 本当にジークなの!?」
「ああ……遅れて済まない。本当ならもっと早く合流する予定だったんだが……どうやら間に合ったようだな」
「ジーク、来てくれたんだな。シュダもこっちに来てる。おかげで助かった」
「……六祈将軍達はどうなった? ハジャがお前達に刺し向けたはずだが」
「あの人達ならもうやっつけちゃったよ」
「そうか……だが喜んでばかりはいられないな」


ジークは目だけをハル達に向けながら状況を確認していく。救援であるシュダが間に合ったこと。六祈将軍の襲撃を退けたこと。ハル達が無事であり最悪の事態が避けられたことにジークは安堵する。ハル達のことは信頼しているもののやはり相手は六祈将軍。万が一のこともあり得たのだから。しかしジークは安心ばかりはしていられない。それ以上の危機が今、目の前に迫っているのだから。


「……どうやら四天魔王を配下にしたというのは本当のようだな」


ジークはその視線をジェロに向けながらルシアへと問う。四天魔王を配下にするためにルシアが魔界に向かったという情報をジークはミルツから聞かされていた。俄かには信じがたい話ではあったが目の前の光景はそれを裏付ける。常軌を逸した魔力に重圧。姿は知らずとも目の前の女が四天魔王の紅一点、絶望のジェロであることは疑うようのない事実。恐らくは他の三人の魔王もルシアに下ったと見るのが妥当。ミルツが危惧していた最悪の事態が現実になったことにジークは内心焦りを感じるものの表情に出すことはない。


「気をつけて、ジーク。あの冷たい女の人、ものすごく強いよ。ドリューもあっという間に倒しちゃったんだから!」
「ドリューを……? お前達が倒したのではないのか?」
「う、うん……あたし達は負けちゃったんだけどあのジェロって人がやってきて……」
「ならドリューが持っていたシンクレアはルシアが持っているのか?」
「ううん、それはあたしが持ってる、ほら。本当はもう一つあったんだけどハジャって奴に盗られちゃって……四つ目のレイヴも一緒に……」
「…………」


エリーはこれまでの経緯を簡潔にジークへと伝えて行く。その内容はジークが得ていた情報とほぼ同じ。ルシアもまたそれを確認しているのか動くことはない。だがエリーはどこか落ち込むような姿を見せるだけ。自分たちが敗北した記憶、ダルメシアンから受け継ぐはずだったレイヴと渡してはならないシンクレアを奪われてしまったのだから。だがそれは


「……心配するな。お前達にこれを渡すためにオレはここに来たんだからな」


ジークの言葉とその手の中にある光によって払われる。その光にその場にいるすべての者が目を奪われる。そこには確かに聖石である四つ目のレイヴがあった。ジークはそのままレイヴをハルに手渡す。本来あるべき、受け継がれるべき主の元に四つのレイヴが揃う。


「……未来のレイヴ」
「ほ、ほんとだ! どうしてジークがそれを持ってるの!?」


エリーは信じられない物を見たとばかりに声を上げるもそれは無理のないこと。ハジャによって奪われたはずも未来のレイヴを何故かジークが持っているのだから。だがエリーとは対照的にハルはどこか静けさを感じるほどの冷静さで未来のレイヴを見つめている。レイヴマスターであるハルには未来のレイヴの存在が感じ取れるからでもあるがそれを差し引いてもハルの様子が普段と違うことにジークもようやく気づくもそのまま説明を続ける。


「……ハジャを倒したからだ。どうやらあの覆面の男は最初からハジャの相手をオレにさせる気だったらしい」
「覆面の人が?」
「ああ、直接会ってはいないが……とにかくハジャが持っていたレイヴはオレが回収した。心配するな」
「……? うん、分かった」


エリーはまるで何かを言いかけてやめてしまったようなジークの態度に違和感を覚えるもそれ以上追及することはない。だがどこかいつもと違う視線をジークが自分に向けていることだけははっきり感じ取れていた。


(シャクマのことはハル達に話しても通じない。余計な混乱を生むだけだろう……)


ジークはあえてシャクマの存在をなかったことにしてハル達へ伝える。クロノスによって存在を消されたシャクマのことはジーク以外は思い出すことはできない。ならば初めからいなかったものとして扱うしかない。クロノスという魔法の恐ろしさを改めて実感しながらももう一つの問題がジークにあった。それは


(シャクマが言っていたこと……やはりあれは真実なのか……?)


エリーの正体がリーシャ・バレンタイン本人であるということ。信じがたいことではあるがそうであれば辻褄が合うことが多い。事実、ジーク自身ほぼそれが間違いないことを確信していた。だが直接エリーに確かめることはできない。エリーを悪戯に混乱させることになりかねない。確証はないのだから。何よりも


「なるほど……てめえがハジャを倒したってわけか」


今はそれを確かめている余裕はない。ルシアとジェロという恐らく最高戦力の二つが自分達の目の前にいるのだから。


「……そうだ。これで六祈将軍は全滅したことになる」
「そんなことはどうでもいいさ。それよりも奴が持っていたシンクレアはどうした。レイヴと一緒に奴が持ってたはずだぜ?」
「…………」
「……ふん、どうやらここには持ってきていないようだな。だがハジャを倒してくれたことに礼だけは言っとくぜ。おかげで裏切り者を消す手間が省けたわけだ」


裏切り者とはいえ自分の配下が敗北したにも関わらずルシアは全く気にするそぶりを見せない。それどころか喜んでいるほど。そんなルシアの姿を見せながらもジークは口を開くことはない。もちろんジークはレイヴと同時にシンクレア、ラストフィジックスも回収している。だがジークはシンクレアをこの場には持ってきてはいなかった。

それはシンクレアを二つ同時に持つ、同じ場所に置くリスクをなくすため。今ルシアはシンクレアを三つ所持しており、残るは二つ。もし二つ同時に奪われればその瞬間シンクレアは揃い、世界は終わってしまう。ならば一つを別の場所に隠したほうがリスクは少ない。既にハジャによってシンクレアが奪われるという事態が発生している以上無視することはできない問題。そのためジークはシンクレアをそのままミルディアンハートへと封印していた。ルシア達では知り得ない場所だからこその判断。ジークは己の判断が正しかったことに安堵するしかない。しかしこの場にはジーク以上にそのことに感謝している者がいた。それは


(あ、危ねえええ―――――!?!? マジで、マジでヤバかった!! マジで死ぬかと思ったわ!?)


他ならぬルシア・レアグローブ本人。ルシアは心の中で絶叫しながらもガッツポーズをとるしかない。比喩でもなんでもなく九死に一生をルシアは今体験していた。もしジークがラストフィジックスをレイヴと共にこの場に持って来ていればその瞬間、全ては終わっていたのだから。しかも直下にはエンドレスもいるというおまけつき。まさに寸でのところで世界崩壊が防がれたことにルシアは身体を震わせる。


(お、落ち着け俺……! まだ何も終わってないっつーの! とにかくジークがハジャを倒したのは間違いねえ……確かにそれならジークの変化も説明がつく)


狂喜乱舞したいのを抑えながらルシアはジークが恐らくはハジャを倒し、大魔道を超えたのだということに気づく。原作ではその強さを見ることはなかったがミルツの言葉を借りれば世界最強の魔導士とされるほどの成長をジークは遂げていたのだから。確かに今のジークならばハジャなど相手にはならないだろう。


(問題はラストフィジックスの場所か……原作だとミルディアンだったが確かめるわけにもいかねえし……というか絶対に探すわけにはいかねえ! 近づいただけでアウトになっちまう!)


問題はジークがラストフィジックスをどこに隠したか。原作ではミルディアンに封印していたがそこまで同じとは限らない。というかルシアとしては知りたくもないし確かめたくもない。もしここでヴァンパイアを手に入れればシンクレアは四つ。その状態ならば近づいただけでエンドレスが完成してしまう。世界消滅にリーチがかかったようなもの。


『ふむ、どうやら相手も馬鹿ではないらしい。ラストフィジックスをどこかに隠したようだな』
『そうですね。ですが逆を言えばあの魔導士から居場所を聞き出せばすぐに見つけることができるということでしょう』
『なるほど、アナスタシスあなた頭がいいわね! どうやって見つけようかと思ってたのに!』
『ほんとに馬鹿なのねぇ。そもそもあなたには私達のおおよその場所が分かるはずでしょぉ?』
『そ、それはそうだけど大まかな方向だけよ! そのせいでドリューを見つけるのは手間取っちゃったんだから……』
『なんでもいいわぁ。でもいい気味ね。今頃一人で泣き叫んでるんじゃないかしら? しばらく放っておくのも面白そうねぇ』
『お、お前ら……』


誰一人ラストフィジックスの心配をしていないことに同情を禁じ得ないがルシアとしてもそれはいたしかたないこと。ともかくおおよその事情が分かったことでルシアがどう動くか考え直そうとするも


「……そろそろおしゃべりは終わりでいいかしら。これ以上あなた達のおしゃべりに付き合うほど暇ではないわ。シンクレアを渡すか死ぬか、さっさと選びなさい」


今まで言葉を発することがなかった絶望の宣言によって断ち切られてしまう。瞬間、凄まじい冷気が辺りを包みこんでいく。ルシアがいる手前ハル達の会話を見逃していたが聞くべきことは聞いたとばかりにジェロは迫る。もっとも半分以上はシンクレア達のおしゃべりに対するものであり、その証拠にシンクレア達は静まり返ってしまっている。まるで飼い主に怒られた犬のよう。自分よりもよっぽどシンクレア達をコントロールできるジェロにうらやましさを覚えるほど。


「……ジーク、アキはオレに任せてくれないか」
「っ!……ハル、本気か? 相手はあのルシアだぞ」


絶望の冷気に襲われながらもハルは何かを決意した表情を見せながらTCMを手にし、ルシアへと向きあう。そんな予想していなかったハルの行動にジークは思わず聞き返すしかない。シンフォニアでは戦うことを忌避していたこと、何よりもその時の実力差からハルはルシアと戦うことを良しとしないだろうとジークは考えていた、何よりも四天魔王のジェロに加わっている。最悪自分が時間を稼ぎ、ハル達を逃がさんと考えていただけにジークはどうするべきか迷うも


「やらせてやれ、ジークハルト。どうやら勝機がないわけでもないらしい」


その場から離れた場所からの男の声が洞窟に響く。そこにはどこか楽しげな表情を見せ黒いコートに身を纏っているシュダの姿があった。


「シュダ……いつからそこにいた」
「そんなことはどうでもいい。ハルとルシアの戦い、オレが立会人となろう。遅かれ早かれ避けられん戦いなのは貴様も分かっているはずだ」
「…………」


シュダは剣士としての決闘こそがハル達の戦いには相応しいと告げる。レイヴマスターとダークブリングマスター。シンフォニアとレアグローブ。二人が争うことは運命であると。ジークは改めてハルへと目を向け気づく。ハルの力の根源、レイヴマスターとしての力が以前とは比べ物にならない程増していることに。未来のレイヴを手にしたことによってそれはさらに増している。シュダが言う勝機もこれを含めたもの。さらにシュダとジークは一瞬の目配せで互いの意志を疎通する。立会人。決闘を見守る存在であり手出しはできない。だがシュダはもしハルにもしものことがあればその誓いを破ってでも割って入る意志がある。ハルを守ることはシュダにとってはゲイルと交わした誓いなのだから。


「分かった……だが無理はするな、ハル」
「ああ……悪い、ジーク……」
「ハル……」


一度目を閉じながらもジークは今のハルを止めることはできない。それはエリーも同じ。もはやハルを止めることはできないと悟りながらもいつもと様子が違うハルに不安を隠しきれない。できるのは見守ることだけ。


(よし……! ジークの乱入は予定外だったがとりあえずハルとの一騎打ちにはなったか……!)


ルシアはそのやり取りを見ながらとりあえずは計画通りに事が運んでいることに溜息を吐く。ルシアの目的はハルと戦い、シンクレアを手に入れること。無理にジークやシュダと戦う必要はない。後は自らの戦いに集中するだけだと気合いを入れるも


「そう……なら私はあの魔導士の相手をするわ」
「…………え?」


絶望さんのさも当然とばかりの宣言によってルシアは思わず素の声を上げてしまう。一体何を聞いていたのかと叫びたい物の流石にハル達の前でそんな姿を見せるわけにはいかないルシアはどうにか抑えながらジェロに問いただす。


「どういうつもりだ……? これは俺とレイヴマスターの決闘だぞ」
「ええ、それを邪魔するつもりはないわ。これは私の役目よ。あの魔導士を生かしておくわけにはいかないわ……他の有象無象は見逃しても構わないけれどアレだけは看過できない」


ジェロは氷のような冷たい視線でジークを貫きながら宣言する。ジークハルトを排除することが今の自分、四天魔王の役目だと。大魔王を守護することがジェロの目的。その意味ではレイヴマスターとルシアを戦わせることも許されないのだが人間界に来た際の契約によってハルとエリーに手を出すことはできない。何よりもハルではルシアには及ばないと確信しているからこそ。ジェロにとっては目の前のジークの方が脅威度ははるかに高い。同じ魔導士であるジェロにはルシア以上に今のジークの力を感じ取れる。その内にあるであろう存在も。ハル達全てを含めてもジーク以下。それが四天魔王としての、ジェロの判断。


(ちょ、ちょっと待てよ!? 何でそんなにやる気満々なわけ!? ウタじゃあるまいし、じゃなくてどうすんだ!? いくらジークが強くなったっていってもジェロが相手じゃ殺されちまうんじゃ……)


既に臨戦態勢、殺る気満々の氷の女王の姿にルシアは冷や汗を流すしかない。ハジャを倒し、大魔道を超えたとはいえ相手はジェロ。その恐ろしさ、出鱈目さをルシアは身を以て知っている。しかも自分が受けた手加減したものではない本気の彼女に敵う者など現段階ではウタ、もしくは自分だけ。ハルやエリーであれば手を出すなと命令することもできるがジーク相手では通用しない。ハルと決闘しながらジェロを抑えることなど不可能。もしかすればジークはリーシャの墓に関係する影響でその時が来るまで死ぬことはないのかもしれないが希望的な観測に過ぎない。何とかジェロを止める方法はないか頭を働かせる続ける中でようやく一つだけ手段を見い出す。


「分かった……だが殺すな。そいつには最後のシンクレアの場所を聞かなきゃならねえからな」


最後のシンクレアであるラストフィジックスの場所を聞き出すためにジークを殺さないこと。それがルシアが必死に考えた中の苦肉の策。ギリギリ最後の妥協点。本当なら手を出すなと言いたいところだがそんなことをしても言うことを聞かないのは経験済み。ならば一番無理がない理由でジークが死ぬことだけは避ける方法をルシアは選択する。もっともシンクレアの場所が分かってしまう危険も付き纏うまさに背水の陣。自分に対してだけ絶望の二つ名を欲しいままにするジェロにいくら感謝してもし足りない有様。


「……ええ、最初からそのつもりよ」
『あはは! 騙されちゃだめよ、アキ。ジェロったらさっきまでそのことを忘れてたんだから!』
「…………」
『あ、はは……ごほん! と思ったんだけどそんなわけないわよねー! 相手を殺さずに生かしたまま氷漬けにするのがジェロの特技なんだし、これ以上に敵役はないわね!』
『いつも凍らされておる貴様が言うと説得力が違うの……』


バルドルが鬼の首を取ったかのように大笑いをするも、すぐさまそれはジェロの絶対零度の視線によって終わりを告げる。できるのは条件反射のように言い訳になっていないような言い訳をするだけ。ハル達から見れば戦闘前の緊迫した状況であるはずなのに何故いつも自分の側はこんなにグダグダなのかとルシアは嘆くしかない。


「……ここではハルとルシアの戦いの邪魔になる。場所を変えるぞ」
「いいわ。好きな死に場所を選びなさい……」


戦いは避けられないと判断したジークは星跡の洞窟から外の山へと戦場を移すことを提案する。魔法戦となれば間違いなく洞窟が保たないであろうこと、何よりもハルの戦いの邪魔になることを避けるための行動。加えてジーク自身にとってもこの戦いの意味は大きい。四天魔王という敵の最高戦力の一つを削ることができる千載一遇の機会。他の三人の魔王もいれば勝機は微塵もないが一対一であれば可能性はゼロではない。

対してジェロには全く油断も慢心もない。ただあるのはルシアにとっての脅威となる物を排除することだけ。場所を変えるという点においては利害が一致した両者はそのまま飛行魔法によって風のような速さのまま洞窟から姿を消す。互いに己の役目を果たすために。奇しくも超魔導という同じ称号を持つ二人の魔導士の決戦が始まらんとしていた。


『し、死に場所って……あいつほんとに俺の話聞いてたんだろうな……?』
『まあジェロだし。あんまり当てにするのはよくないかもねー』
『あら、ジェロがいなくなった途端強気になるのねぇ?』
『あなたも人のことはいえないと思いますが。声が震えていますよ?』
『う、うるさいわね! ジェロに凍らされたことがないあなたには分かるはずがないわぁ!』
『そうよそうよ! あの恐怖を味わったらもう何も怖くないわ!』
『情けなさの極みじゃな……』


姿が見えなくなったジェロに一抹どころではない不安を抱きながらもルシアにはどうすることもできない。唯一できるのは一刻も早くハルとの戦いを終わらせ、ジェロの元に行くことだけ。


「さてと……じゃあこっちも始めるとするか、ハル」


ルシアは気を取り直しながらネオ・デカログスを構える。様々な条件があるものの今すべきことはハルと戦い、シンクレアを手に入れること。言葉にすれば単純だがルシアにとってはその限りではない。ただ相手を倒すのではなく、相手を殺すことなく制する戦い。全力で暴れることは許されない試練。

だがハルにとってそんな事情は知る由もない。ハルにとってこの戦いは避けて通れない、シンフォニアでの戦いの続き。そしてカトレアとの約束を守るための試練。だがハルはまだ気づかない。気づけない。自分の内にある感情を。この戦いにおける自分がいつもとは違い、平常ではいられない理由。アキと戦うことの本当の意味を。


「……エリー、見ててくれ。オレはアキを止めて見せる。オレはアキよりも強い」
「ハル……?」


エリーにはそんなハルの心の内を知る術はない。あるのは胸が締め付けられそうな不安だけ。ハルとアキ。共に大切な存在である二人が争うこと。何よりもハルの変化こそがエリーにとっては気がかり。だがもう賽は投げられた。立会人であるシュダも言葉を発することなく二人の剣士の戦いを見届けるのみ。


『ふん……どうやら四つ目のレイヴを手に入れたことで調子に乗っておるようじゃな。よかろう。我と主の力を見せつけてやろうではないか』
『……? 何言ってやがる。俺はてめえを使う気なんてさらさらねえぞ』
『なっ!? ど、どういうことだ!?』
『悪いが一発ギャグを見せられるのは御免だ。俺はてめえを使わねえ。俺はてめえを使わねえ…………ほんとお前は使えねえ』
『な、何故二回言った!? というか最後のはどういう意味じゃ!? まだウタの時のことを気にしておるのか!? あれは例外じゃ、そもそもあれはお主が…………!』


心底投げやりになりながら、それでも絶対の覚悟を以てルシアはマザーの不使用を宣言する。マザーはあまりにも自分への待遇が悪いこと、久しぶりに役に立てると意気込んでいたため食い下がるもルシアの決意は固い。この状況でマザーを使うほどルシアはお約束を守れない。例え世界の修正力があったとしても抗って見せるほどの覚悟が今のルシアにはある。最後の呟きは心からの声。


ハルとルシア。両者の間にある凄まじい温度差を超えながら再びレイヴマスターとダークブリングマスターの戦いの火蓋が今、切って落とされた――――  



[33455] 第九十二話 「時と絶望」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/09/18 19:20
満月と星の輝きだけが夜を照らし出している星跡の洞窟から離れた山。その山中にいくつものまばゆい光が爆発音とともに生まれ出て行く。まるで戦争が起こっているのではないかと思ってしまうような激しさ。

魔力光。それが爆発と光を巻き起こしているものの正体。魔導士が魔法を扱う際に生じる閃光。その一つ一つには様々な性質が含まれている。ある物には炎。ある物には雷。ある物には風。魔法と呼ばれる超常の奇跡。しかもその全てが考えられない程の魔力を帯びた一撃。並みの魔導士が己が魔力を全て費やしてようやく放てれるかどうかのレベル。


「―――っ!」


聞きとれないほどの高速詠唱を行いながら白い外装を纏った魔導士、ジークハルトは指を振るう。同時に無数の魔法陣が浮かび上がり魔法という形を以て放たれていく。その威力は六祈将軍はおろかキング級であっても防ぎきれない程。全てがただ一点に向かって注がれていく。魔法の弾着による煙と大地の崩壊によってそれを視界に収めることはできない。だがジークには分かっていた。否、感じ取っていた。それがまだ健在であることを。

一瞬のつなぎとなる呼吸の後、ジークは天高く舞い上がる。表情には全く余裕も甘さもない。端から見れば一方的な蹂躙。自らの魔法だけが相手に降り注ぎ命中している状況。圧倒していると言ってもいい。にも関わらずジークには全く逆の感覚に囚われていた。未だ一度の反撃も受けていないはず。しかし確実に自らの背中に、喉元に氷のような寒気が突きつけられている感覚。


「天体魔法……真・七星剣ネオ・グランシャリオ――――!!」


全てを振り払うかのようにジークは力を解き放つ。天体魔法と呼ばれる宇宙魔法すら超える自分だけの固有魔法。七つの光の剣を天から降らし、相手を殲滅する切り札。大魔道を超え、超魔導に至ったジークの扱うそれはまさに大地を崩壊させて余りある威力がある。その光が全て突き刺さり、辺りは轟音と衝撃に包まれる。後には焦土となった森であった場所が残されただけ。誰の目にも勝敗は明らか。これだけの破壊に晒されて生きていられる者などあり得ない。だがその例外が今、この場には君臨している。


「…………下らないお遊びはもう終わりでいいのかしら」


つまらなげな呟き共に彼女の姿が煙から現れる。いつもと変わらない雪のように白い肌と見る者を魅了する美貌を兼ね備えた美女。絶望のジェロ。ジェロはただ物を見るような生気を感じさせない瞳でジークを見上げている。身じろぎどころか瞬き一つ見せることはない。氷の人形を思わせる不気味さ。見下ろしている、優位に立っているはずのジークですらその瞳に魅入られかねない魔性がそこにはある。


(通じるとは思ってはいなかったが……まさかここまでとは……)


己に纏わりついている絶望の影を振り払いながらジークは改めてジェロと向かい合う。戦闘が始まったのはつい先ほど。ハル達がいる星跡の洞窟から離れた人気がない山の中。そこを戦場に選んだ後、合図もないままジークとジェロの戦いは始まった。いや、それは戦いですらなかった。攻撃を仕掛けるのはジークのみ。ジェロは戦闘が始まってから魔法を一度も使っていない。それどころかその場を一歩も動いていない。正気とは思えない奇行。だがその意味をジークはようやく悟る。


(ダメージどころかかすり傷一つない……放っている魔力だけで全て防いだとでもいうのか……?)


自分の魔法の直撃を受けながらもかすり傷一つ負っていない、無傷のままの姿。だがそんなことがあり得るのか。ただの魔法ならともかく先程の七星剣は宇宙魔法を超えたもの。例え超魔導であったシャクマであっても直撃すればただでは済まない。しかも今のジークの魔力はクロノスを手に入れたことによって当時よりも遥かに増している。しかし現にジークの魔法は全て無力化されてしまっている事実は変わらない。何か自分が気づいていない能力、種があるのでは。その正体を見抜くべく思考を切り替えようとするも


「これ以上茶番に付き合う気はないわ……さっさと『力』を見せなさい……」


ジェロの王としての命令によって急激に辺りの温度が下がって行く。比喩でも何でもなくジェロの空気に呼応するように辺りの全てが凍りつき始める。ジェロにとって先程までの攻防はただのお遊び、茶番に過ぎない。戦闘ですらない。かつてのルシア、ドリューへの儀式も同じ。例えるならばウタが戦気を纏わず戦っていたようなもの。だからこそジェロはジークへと命令する。力を見せろと。ジークが自らに、自らの主に届き得る牙を隠し持っていることをジェロは既に見抜いている。


「…………」


ジェロの全てを見抜いているかのような視線に晒されながらジークは未だ決断できないでいた。ジークにとってもその力は諸刃の剣。下手をすれば取り返しのつかないことになりかねない禁忌の力。故に使いどころは限られる。その瞬間を見逃さないことが今のジークの為すべきこと。


「そう……いいわ。なら先に見せてあげるわ。光栄に思いなさい……真の絶望がいかなるものか、その身を以て知るがいい」


もはやここまで。宣言と共にジェロの体から冷気が溢れだす。ブリザードにも似た暴風が吹き荒れる。瞬間、時間すら凍らせるかのような力が全てを飲み込んでいく。草も、大地も、空気さえも。その全てがジェロの内へと取り込まれる。

一瞬。ジークが瞬きをしたほんの一瞬で世界は変わった。白銀の世界。見渡す限り全てが白に染まっているジェロの世界。変わらないのは空にある満月と星だけ。それ以外のすべてはジェロの放つ魔力によって彫像、オブジェへとなり果てている。かつてルシアとの儀式の時に見せた光景の再現。街一つを氷漬けにするという奇跡。同時にその全てを己が領域へと変化させる攻防一体の魔法。違うのはその規模が桁違いだということ。街一つではない。周囲の山脈全てが今、ジェロの掌の上。例外はルシアがいる星跡の洞窟のみ。

この世界の中心は氷の女王のみ。その姿も先程までとは違っている。周囲には無数の氷結した氷が舞い、背中には羽にも似た氷の翼が生えている。身体が氷と一体になったかのように白の光に包まれている。天使のような神々しさと悪魔のような禍々しさを内包した魔王。

それが四天魔王『絶望のジェロ』の真の姿。自らが敵と認めた相手にしか見せることはない、全力の証。


絶対氷結アイスドシェル


絶望が初めて詠唱と共に両手を交差させ、解き放つことによって全ては終わった。


「――――っ!!」


瞬間、ジークは飛んだ。何か狙いがあったわけではない。ただ本能に従った純粋な逃亡。その速度はまさに流星。『流星ミーティア』と呼ばれる天体魔法。今のジークは速度であれば閃光にすら匹敵する。かつてシャクマですらその速度には対応できなった一つの到達点。だがその力を今、ジークは逃げることのみに使用していた。ただこの場から離脱しなければ命はない。魔導士としての直感。


(『絶対氷結アイスドシェル』だと……!? だがあれは術者の命を犠牲にしなければ使用できない禁呪だったはず……!)


ジークは刹那にも等しい時間の中で思い出す。ジェロが口にした魔法の正体をジークは知識として知っていた。絶対氷結アイスドシェルと呼ばれる氷属性の魔法の中で頂点とされ同時に禁忌とされている禁呪。自らの身体を永遠に溶けることのない氷とすることで相手を封じ込めるもの。術者の命を奪う、いわば捨て身の技。ならばジェロも自らの命を捨ててまでそれを放ってきたのかと考えるもそれが間違いであることをジークは見て取る。

氷の化身。絶望とは異なるジェロの異名。その名の通り生きた氷とも言えるジェロは命を奪われることなく絶対氷結アイスドシェルを使用することができる。その意味を悟り、ジークは戦慄し、恐怖する。

魔導士がその一生を賭けて一度しか使えない魔法を何のリスクもなく放つことができる。しかも超魔導の域にいる魔導士の禁呪。反則と言う言葉ですら生ぬるい絶望。絶対の氷結の波がジークを捕えんと迫る。回避というジークの選択は正しい。魔導士であれば誰でも知る禁呪の意味。それはあまりにも強力すぎるがゆえに禁じられているということ。もしあの氷結魔法に囚われれば逃れる術はない。だが


「――――無駄よ」


ジークの必死の逃亡は絶望の宣告によって終わりを告げる。瞬間、ジークの表情が驚愕に染まる。そこには振り切ったはずの氷結が目の前にまで迫っているあり得ない光景があった。速さと言う点においては他の追随を許さないはずの流星を纏っているにもかかわらずジークは絶対氷結アイスドシェルを回避することができない。まるで既に囚われることが決まっていたかのような状況。

『絶対回避不能魔法』

それが絶対氷結アイスドシェルが禁呪とされるもう一つの理由。魔界には絶対防御不能魔法と呼ばれる防御できない魔法が存在する。対して絶対回避不能魔法はその名の通り回避することができない魔法。どんな速さを以てしてもこれに抗う術はない。捨て身の、命を賭けた魔法だからこそ許される特性。故に絶対氷結アイスドシェルを防ぐ術は二つしかない。

一つが発動させないこと。どんな魔法も発動させなければ意味はない。ある意味戦いにおける真理の一つ。だがもはやそれは叶わない。残されたたった一つの方法。それは


「はああああ――――!!」


絶対氷結アイスドシェルに匹敵する魔法、防御を展開すること。単純であるがゆえにもっとも難しい対抗策。

ジークは自らの持つ膨大な魔力を無造作に、力づくで周囲に解放する。瞬間、まるで大地が揺れ、大気が震えるような魔力の波動が生まれ出る。この世で唯一究極魔法魔導精霊力に近い力を持つと言われるクロノスの魔力。その力を以て絶対氷結アイスドシェルを退けんとするも拮抗するのが精一杯。無詠唱であることに加えてこの空間は既にジェロの領域。いかにクロノスの魔力であってもそれが限界。だがそれすらも絶望の吹雪は超越する。


(こ、これは―――!?)


ジークは自らの周囲に起き始めた異変に声にならない声を上げる。そこには自分を殻に閉じ込めるように氷結が始まっている光景がある。間違いなく絶対氷結アイスドシェルの魔力には拮抗しているにもかかわらず。それがもう一つの絶対氷結アイスドシェルの特性。魔法だけでなく物理属性も併せ持っているということ。魔導士は魔力なき物は防げない。既に氷と化しているものを無効化することはジークにはできない。魔力は防げたとしてもその周囲に氷結していく氷はどうすることもできない。まるで卵の殻のようにジークの足元から包み込むように絶対氷結アイスドシェルが迫る。このままでは全身が氷漬けにされることは避けれても氷の卵の中に閉じ込められてしまう。決して溶けることのない氷の殻に閉じ込められることは敗北と同義。残された退路はさらに上空に飛翔すること。時間稼ぎにしか過ぎないがそれ以外に手は残されていない。だがそれすらも絶望の掌の上だった。


「――――」


ジークはようやくその存在に気づく。自らの上空。満月との間にあり得ない物体がある。いやそれはもはや物ではない。それは大陸だった。実際にジークは見たことはないものの知識として知っていた。曰く北と南の果てには氷の大地があるのだと。人間が大地だと勘違いしてしまうほどの巨大な氷の塊があるのだと。そう、これは単純な話。何のことはないお伽噺。


絶対氷結によって文字通り空中に氷山を創り上げていた。そんな笑い話にもならないような冗談が現実になったというだけ。


「さあ……絶望なさい……」


慈悲すら感じさせる宣告と共に鉄槌が下される。数百メートルどころではない、キロにも及ぶほどの巨大な氷山がジークを圧殺せんと迫る。


氷河期アイスエイジ


大質量による圧殺という単純が故に覆しようがない奥義。加えて決して溶けることがない、砕けることがない絶対氷結アイスドシェルによって創り上げられたもの。避けることも、防ぐことも許さない究極技アルティメットスキル絶対氷結アイスドシェルを防ぐだけで余力がないジークの隙を狙った完璧な詰み。超魔導であっても逃れようがない絶望。だがジェロは知らなかった。


それを覆し得る『時の加護』をジークが手にしていることを。


「――――っ!?」


その刹那、戦闘が始まってから初めてジェロは目を見開く。沈着冷静であるジェロであればあり得ないような表情。だがそうさせてしまうほどのあり得ない事態が巻き起こる。

そこには何もなかった。白銀の世界も、絶対氷結アイスドシェルも、氷河期アイスエイジも。否、『何がなくなったのか』すらもジェロには分からない。幻覚に惑わされているかのような混乱。四天魔王のジェロであってもそれを前にしたことで一瞬の隙が生じる。だがその一瞬が全てだった。それこそがジークが全てを賭けて見いだした勝機。

ジェロはそのまま光に飲み込まれる。その名の通り流星のような速さを持った大質量の一撃。音速を超えた速さと衝撃によってジェロは大爆発とともに消え去っていく。残されたのは山を削る程の災害の爪痕だけ。


古代禁呪『星座崩しセーマ


それがジェロを襲った魔法。隕石を操る古代から禁じられた魔法。かつてシャクマが得意としていた奥義。ジークによって放たれたそれによってジェロは声を上げる間もなく吹き飛ばされたのだった――――



「ハアッ……ハアッ……!」


体中から汗を流し、肩で息をしながらもジークはようやく落ち着きを取り戻す。ジェロほどではないが冷静さを持っているジークからすれば考えらないような有様。だがそうならざるを得ない程の攻防、博打が先程行われたのだった。


(危なかった……! もしあと一瞬クロノスが遅れていれば命はなかっただろう……)


ジークは自らの体が氷漬けになっていないことを確認しながらも眼下にある焦土と化した惨状に目を向ける。隕石の衝突によって山が抉れ、クレーターが生まれマグマが溢れだしている地獄がそこにはある。まさに天変地異に相応しい光景。星座崩しセーマの威力を示す物。

星座崩しセーマこそがジークの持つ最高の攻撃魔法であり切り札。だがジェロ相手に馬鹿正直に放ったとしても避けられるか対処されてしまう可能性が高い。故にジークはもう一つの奥の手を使用することを決断した。

時の審判クロノス

ミルディアンで手にしたエンドレス、魔導精霊力に匹敵する第三の力。その本質である時空操作による対象の消滅こそがジークの切り札。もしシャクマの時のようにジェロその存在そのものをなかったことにできればその手もあったが残念ながらその手は通用しない。エンドレスの力を持つ者、すなわち四天魔王やシンクレアを持つ担い手にはクロノスは通用しない。知識のレイヴを手にしたハルのようにジークもまたクロノスを手にした瞬間にその知識を得ていた。だがジークはもう一つのクロノスの使い方を見いだす。

それが先の絶対氷結と氷河期の消滅。正確にはジェロが放った二つの魔法をなかったことにすること。ジェロ自身を消滅させることはできないがその魔法を無効化することがクロノスにはできる。加えてその瞬間ジェロは何が起こったのか分からない。間違いなく隙が生じる。その隙を星座崩しで貫くことがジークの狙い。

無論この戦法には大きなリスクが付きまとう。正しく言えばクロノスを使うことのリスク。時空操作である以上使用すればするだけエンドレスが成長し、力が増してしまう。ましてや今回消滅させたのは四天魔王の奥義。その影響がいかほどのものかジークであっても想像がつかない。既にシャクマとその古代禁呪を消滅させたこともあるジークにとっては諸刃の剣。使うべきではない力。だが四天魔王という最高戦力を削る最初で最後になるかもしれない好機。故にジークはクロノスの使用を決断し、見事それを成し遂げたのだった。


ジークは一度大きく深呼吸をしながらもすぐさま星跡の洞窟の方向に振り返る。四天魔王の一角を落としたもののまだ三人残っている。加えて今まさにルシアとハルが戦っている。喜んでいられる時間などない。ジークが流星によってその場を離脱せんとするもそれは


「なるほど……それがお前の力ね……驚かされたわ……」


消滅したはずの絶望の声によって止められてしまう。ジークは信じられないものをみたかのように額に汗を滲ませながらも確かにその光景に息を飲む。


隕石の衝撃によってクレーターができ、マグマが流れ出している灼熱の世界にあっても氷の女王は変わらずそこにあった。マグマの中を平然と歩いているという生物としてあり得ない事実。彼女が足をつけるたびにマグマが凍りついて行く。何人もジェロを溶かすことなどできないのだと示すかのよう。


「馬鹿な……確かに星座崩しセーマは直撃したはず……」
「ええ、流石は古代禁呪……おかげですぐ再生できなかったわ……ここまで手傷を負わされたのはいつかウタと戦った時以来ね……」


どうでもいいことのように呟きながらジェロは己の右手を握っては開く動作を繰り返す。まるで自らの身体の動作を確認するかのように。そこでようやくジークは目にする。ジェロの体のいたる所が光輝いていることに。正確にはヒビが入り、損傷している部分を新たな氷が塞ぎ再生している。瞬く間にジェロは最初と変わらぬ万全の状態に回復してしまう。


(そうか……あれがオレの魔法が通用しなかった本当の理由……!)


その光景によってジークはついにジェロの能力を看破する。『自動再生』氷の化身であるジェロは己の身体のダメージを氷によって瞬時に回復することができる。ジークの魔法が効かなかったのは単純にジェロの再生速度が上回っていただけ。星座崩しであればダメージを与えられたようだがそれすらも瞬く間に再生してしまった。

ジェロの骨は氷でできており外からの攻撃は通用しない。ウタをして「ジェロを倒す術は存在しない」と言わしめるほどの不死身性。それこそがジェロの真の恐ろしさ。


「さっきの力……時間逆行、いえ事象の改変かしら。人間ごときがどこでそれほどの力を手に入れたのか興味はあるけれど……もういいわ。種が割れた手品師に相応しい絶望をくれてやるわ……」


だがジークはまだ知らない。四天魔王に対して手の内を晒してしまう危険を。同じ技は二度と通用しない。そんな不文律が現実にあり得ることを。


「くっ……!!」


ジェロの空気が変わったことを察知し、流星で距離を置こうとするも再び絶対氷結が放たれ追い縋ってくる。先の攻防の焼き回し。だがジークにとってはまだ勝機が失われたわけではない。間違いなく星崩しは通用する。後はあの再生力をどうするか。先のように再び氷河期を使われる前にクロノスによって状況を脱し、星座崩しを発動させる。だがそんなジークの狙いは


「―――言ったはずよ。もう種は割れたと」


一瞬で目の前にまで迫ってきたジェロによって外される。ジークは咄嗟にクロノスによって絶対氷結を消滅させるもできるのはそこまで。ジェロを消滅させることはできない。ましてや星座崩しを行うには詠唱が必要。目と鼻の先にまでジェロが近づいているこの状況では発動はおろか他の攻撃魔法すら唱える隙は作れない。


「思った通り……どうやら私自身を消すことはできないようね。ならこれはどうかしら」


何かを確かめるようにジェロは身体を翻しながらジークに向かって拳を放つ。肉弾戦という魔導士ではあり得ない選択肢にジークは呆気にとられるものの唯一ジェロに勝る武器である速度によって紙一重で拳を躱す。魔導士の肉弾戦という本来なら付け焼刃に過ぎない行動。だがそれをジークは本能で回避することを選んだ。それは正しい。何故なら


ジェロの拳が地面にたたきつけられた瞬間、周囲の大地と森が粉々に砕け散ってしまったのだから。


「私はウタほど肉弾戦は得意ではないのだけれど、仕方ないわね……」


自らの拳を見つめながらもジェロは一切の油断も容赦もなく一歩一歩ジークに近づいて行く。

ジェロの拳の威力自体は大したものではない。ウタには及ぶべくもなく、単純な体術であればキング級の実力があれば拮抗することができる。だが問題はジェロ自身の体質。本気のジェロはその名の通り氷その物。触れたものの熱を奪い、崩壊させてしまう力がある。その結果が今の惨状。まるで液体窒素に漬けられてしまったかのように粉々に砕かれてしまうというウタとは違うもう一つの一撃必殺。


ジークはそんなジェロの姿を見ながらも既に察していた。今の自分が限りなく詰み、絶望の淵にいることを。


(ま、まさか……いや、間違いない! さっきの攻防で既にこちらの手の内を全て読まれている……!)


ジークはただ戦慄するしかない。ジェロの洞察力とでもいうべき戦士としてのセンスに。


ジェロは既に先の攻防でジークの持つクロノスが事象の改変であることを見抜いていた。加えて恐らくはその間の記憶すらも失わせる特性があることを。本来ならそれは厄介極まりない性質。自分が攻撃したことすら忘れてしまうのだから。だがその問題をジェロは機械的に解決する。絶対氷結と氷河期という切り札を囮として使うことによって。常に自分の意識を肉弾戦のみに集中することでジェロは先の攻防で見せたような隙を見せる可能性を潰す。

加えて肉弾戦を選んだのはクロノスが自分の身体には影響を与えられないと見抜いたから。もしそれができるのなら最初から使ってくるはず。それを度外視しても出し渋っていたのは他にも何らかのリスクがあると見ていい。持久戦になればこちらの有利は変わらない。星崩しもこれだけ接近していれば自身を巻き込むためジークは使えない。速度では劣るが結界を張ることで動きを制限すれば捉え切れない動きではない。


ジェロは冷酷な機械のような思考でジークを追い詰める。戦うために生まれたウタのような直感ではなく計算されつくされた理詰めと経験によって相手を封殺する。それこそがジェロの真骨頂。知識と経験。奇しくもシャクマとの戦いで痛感した己の足りない部分によって再びジークは窮地に立たされる。


「どうやら悟ったようね……さっさと絶望なさい。お前にはもうそれしかないわ……」


己の勝利を目の前にしても全く動ずることなく氷の女王は宣告する。ジークはそれを前にしてもまだ膝を折ることはない。ここで絶望することはすなわちハル達の敗北、引いては世界の滅亡に繋がる。時の番人としてジークハルトに絶望することは許されない。何よりもジークには一つだけ、文字通り最後の切り札が残されていた。それは


最期の齢ラスト・エイジス……これしかオレに残された手はない……!)


最期の齢ラスト・エイジス


その名の通り己の命を捨てる禁呪であり変身魔法の奥義。自分のこれから先の寿命を全て犠牲にすることで強大な力を得るもの。言うならば時間の前借り。今の自分に足りない知識と経験すらも手に入れることができる最期の切り札。だが後戻りをすることができない時を失う魔法。例えそれを使ったとしてもジェロに必ず勝てるとは限らない。あまりにも危険が多すぎる選択肢。


だがその全てを理解しながらもジークは決意する。今この瞬間に自分の命を賭ける価値があると。それほどまでに四天魔王の強さを痛感したが故。もしルシアの元にその全てが集えばハルが全てのレイヴを手にし、エリーが魔導精霊力の完全制御が可能になったとしても打つ手がない。誰かが四天魔王を止めない限り勝つことはできない。


「…………」


ジークの決意を感じ取ったのかジェロもまた全力を以てジークを倒さんとする。間違いなくこのまま生かしておけばルシアにとって害になり得るだけの可能性を持った存在だと認めた証。


静寂が全てを支配する。絶望と時の番人。魔界の超魔導と人間界の超魔導。互いに譲れないものを守るための戦い。その決着が訪れんとした瞬間


紫の光が全てを覆い尽くした―――――



[33455] 第九十三話 「両断」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/09/18 21:49
時の番人と絶望。二人の超魔導による決戦が行われているのと時同じく、星跡の洞窟においてもう一つの戦いの火蓋が切って落とされていた。

銀髪と金髪。TCMとネオ・デカログス。レイヴとDB。全てにおいて対照的な二人の少年の戦い。二代目レイヴマスター、ハル・グローリーとダークブリングマスター、ルシア・レアグローブの二度目の決闘が今、音もなく始まった。

エリーが息のむ間もないほどの速さを以てハルとルシアは己の愛剣を振り切る。鏡映しのように両者の剣が交わったその瞬間、衝撃が洞窟を揺るがした――――

凄まじい衝撃と剣と剣のぶつかり合い。ハルとルシアは言葉を発することなく互いに視線を交差させる。まるで互いの力量を確かめ合うかのように。響き渡るのは鍔迫り合いによる金属音だけ。その光景はまさに一年以上前の時が交わる日の再現。ジンの塔で行われたゲイルとキングの戦いの再来。奇しくも両者の血を受け継ぐ者達が場所を変えながらも再びぶつかり合う時が訪れた。


「―――!」
「はあっ!」


叫びと共に剣が弾け、両者の間に大きな距離ができるのも束の間。一瞬でハルとルシアは再び剣を振りかぶりながらぶつかり合う。共に身の丈ほどもあるのではないかと思えるような大剣。それを感じさせないような速さと技術の応酬。紙一重で剣閃を躱し、寸でのところで剣撃を捌き、引き合うように刃を交差させる。見間違うはずもない、紛れもない剣士の決闘。

そう、これは単純な剣技の争い。ハルもルシアもその手にしているのは鉄の剣。何の能力ももたない基本形態。十剣という魔導士にも対抗できる能力をあえて二人は使用してはいなかった。否、使用しないと決めていた。

ハルにとってこの戦いはシンフォニアでの戦いの続き。十剣を使いながらも鉄の剣のみでルシアに完敗してしまった苦渋の記憶。その頃から自分がどれだけ成長したのか、ルシアに近づけたのか。それを証明することがこの戦いの意味。

見る者の目を奪いかねない剣技の応酬。十剣を使わない以上、この戦いは純粋な剣士としての力量が全て。何交目か分からない剣のぶつかり合いの応酬。その激しさによって火花が散り、洞窟を輝かす。一際大きな火花と金属音が響き渡ると同時に再び両者の剣がぶつかり合い、鍔迫り合いが巻き起こる。互いに一歩も譲らない力の応酬。均衡が崩れることなく二人は剣を弾き合い間合いを取りながら対峙する。それが今のハルとルシアの攻防だった――――


(す、凄い……! まるでハルのパパさんとキングの戦いみたい……でも……)


エリーは一度息を飲みながら改めて対峙しているハルとルシアを見つめる。本当なら声を上げて二人の戦いを止めなければならないも関わらず見入ってしまうほどの戦い。特にハルについては想像を遥かに超えていた。以前の戦いではルシアに手も足も出なかったにもかかわらず互角の戦いを演じている。本当にアキを止めることができるかもしれないとエリーは考えるも同時に得もしれない不安が胸を締め付ける。二人が戦う前から感じる胸騒ぎが収まることがない。それが何なのか分からないまま。エリーにできるのはただ二人の戦いを見守ることだけ。


「…………」


その場にいる最後の四人目。決闘の立会人であるシュダはただ無言のまま二人の戦いを見つめている。その表情は戦士のそれ。とても立会人とは思えないような空気。いつでも両者の戦いに割って入ることができる間合いを保ちながらシュダもまた二人の戦いを分析していた。


(これまでの戦いか、レイヴの力かは分からんが……間違いなくハルはかつてのゲイルに匹敵する強さを身につけている……)


今のハルの実力がかつてゲイルに匹敵するものであることをシュダは剣士の一人として見抜く。本来なら剣士として嫉妬するべきものなのだが今のシュダにはそんな感情に浸っている余裕はない。かつて自分が戦った時とは桁外れのハルの成長速度に驚嘆しながらもシュダには気を抜くことは許されない。


(だが、ルシアの奴には間違いなく余裕がある……あれほどの剣技を見せながらまだ先があるのか……?)


シュダはルシアに改めて視線を向けるもその姿は全く変わらない。息を切らすこともなく、何を考えているのか分からない無表情のまま。対してハルは厳しい表情を見せ、表には見せまいとしているも息が荒くなっているのは隠し切れていない。端から見れば先程の攻防は全くの互角。ハルもまた全力で向かっていったのを疑う余地はない。だが今、明らかな差が現れている。剣の能力ではない、覆しようのない地力の差が。

間違いなく剣士として最高レベルの戦い。にも関わらずルシアにはまだ余裕がある。シュダはその意味を悟り、知らず体が強張る。自らが最高の剣士と認めているゲイルを超える未だ見たことがない領域にルシアが身を置いているのだとすれば。それはかつて初代レイヴマスター、シバ・ローゼスが持っていたある称号を意味する。自分の見通しが甘さを後悔しながらもシュダはただ賭けるしかない。ハルが見せている普段とは違う自信の理由に。


(ふう……とりあえずこんなもんか。ハルの奴、前より強くなってやがる。間違いなくキングやドリューと同じレベルだ)


その手にあるネオ・デカログスを握りしめながらルシアは先の攻防の手ごたえを反芻する。先程までの戦い、ルシアはかつてのシンフォニアと全く同じ強さで剣を振るっていた。それと互角の戦いを演じた今のハルは間違いなくシンフォニアの時とは比べ物にならない程成長している。ここに至るまでの修行や戦い、四つ目のレイヴを手にしたことによるもの。


(だが問題はこっからだな……できれば使わしたくないんだがここで何とかしとかねえと取り返しがつかなくなるかもしれねえし……)


ルシアは内心、大きな溜息を吐きながらもこれから自分が対処しなければならない事態に憂鬱になるしかない。本当ならハルにそれを使わせたくはないのだが今を逃せばその機会は失われてしまう。もし最終戦の段階までそれを持ちこせば第十の剣、正確にはハルのためのTCM、聖剣レイヴェルトが完成しなくなってしまうかもしれない。最悪、その段階で第九の剣を使われれば自滅してしまう危険すらある。まだ見逃すという選択肢がある今の段階で対処しなければ取り返しがつかなくなってしまう。しかしそれはルシアにとっても大きなリスクを背負う選択でもあった。


(だ、大丈夫だよな……? 俺、一応この時点では原作のルシアよりは強くなってるはずだし……マザーの奴を使う気もねえし……そ、そうだ! 自信を持て! ウタとの戦いに比べれば何てことない……はず……)


原作のルシアがこの戦いで一度敗北しているというある意味でアキにとっての死亡フラグ。別に負けること自体は構わないのだがそのまま殺されるのだけは避けなければならない。普段のハルならともかく今のハル、正確には第九の剣なら本当に殺されかねない。ルシアは今までの苦難を思い出しながら己を鼓舞する。全然実感は湧かないものの一応大魔王の称号を持っているのだから、と。


『まったく、いつまで戯れておる気だ。さっさと終わらせてエリーを奪えばよかろう。やはり我が力を見せてやらねば』
『心配するな。お前を使わない限り俺は負けねえ』
『な、何だそれは!? 普通は逆であろう! 何故我を使うと負けることになっておるのだ!?』
『マザー、戦闘中ですよ。アキ様の邪魔になるので黙っていなさい』
『これが黙っていられるか!? 我の存在意義が失われかけておるのだぞ!』
『いいじゃない、中々味があっていいと思うわよ。ちょっとあたしとポジションが似てるけどマザーと一緒なら大歓迎よ』


戦闘中にも関わらずいつも通り騒いでいる石達を無視しながらもルシアは意識を切り替える。これからが本番だと言わんばかりの空気。自分だけではない、ハルの命も危険にさらしかねない戦いを始める狼煙。


「準備運動はこれぐらいでいいだろ、ハル。そろそろお前の本気をみせろ。探り合いは十分だ」


ルシアは肩に剣を担ぎながらハルを挑発する。あり得た未来ではハルから告げられるはずだった言葉を使いながら。本当なら十剣同士での戦いも演じたいところだがそんな暇はルシアにはない。今この瞬間もジェロとジークの戦いが続いているはず。時間をかけ過ぎればジークが殺されかねない。加えてネオ・デカログスとTCMではどうしても性能差がある。五つ全てのレイヴを手にしていればいざ知らず、今のハルのTCMではネオ・デカログスには敵わない。何よりも星跡の洞窟でネオ・デカログスを使えば洞窟が崩れてしまうのは明らか。


「……アキ、一つ約束してくれ。オレが勝ったらこんなこと止めて、一緒にガラージュ島に帰るって」


ハルは一度目を閉じた後、TCMを自らの前にかざしながらアキに告げる。その瞳には確かな決意がある。今日この時に、戦いを終わらせるという覚悟が。


「シンフォニアの時の続きか……いいぜ、お前が本当に勝てたらな」
「……約束だぞ、アキ。もうオレはあの時とは違う」
「そうか……だがお前が俺に勝てたことなんて一度でもあったか?」


瞬間、空気が凍りつく。張り詰めた重圧が全てを支配する。その全てがハルによるもの。ルシアにとっては己を鼓舞し、同時にハルを本気にするための言葉。だがハルにとっては何よりも突き刺さる、認めるわけにはいかないタブー。


ハルの脳裏にいつかの光景が蘇る。幼い頃の記憶。アキとの触れあい、別れ。旅立ち。カトレアとの約束。エクスペリメントでのアキとの再会。ジンの塔の戦い。父との死別。シンフォニア、ドリューとの戦いでの敗北。もうこれ以上負けることは許されない。もうこれ以上約束を破ることはできない。例えアキが相手だとしても、今まで一度も勝てたことがないアキが相手だとしても。


ハルの視界の端に一人の少女が映り込む。エリー。自分が初めて好きになった女の子。同時にいつかの光景が蘇る。エリーの唇を奪ったアキの姿。だがその全てに蓋をし、ハルはその力を解き放つ。


「いくぞ、アキ……オレはお前には負けない!!」


今の己に残された唯一の可能性に全てを委ねることによって。


瞬間、TCMが凄まじい力を生み出しながら姿を変えて行く。十の姿に形を変えるTCMの能力。だが今、ハルが解き放ったのはその中でも異端中の異端。魔剣と呼ばれるレイヴマスターが手にする物とは正反対の属性を持つ狂気の剣。その狂気を示すかのように刀身は黒く、刃は禍々しい形を為していく。力の源である十字架のレイヴは刀身ではなく、まるでアクセサリーのように無造作に柄にぶら下げられているだけ。この形態においてレイヴなど飾りに過ぎないのだと示すかのよう。


『羅刹の剣サクリファー』


十剣中最狂の第九の剣。使い手の闘争心以外の感情を全て封じ、限界以上の力を与えるもの。その代償に使い手の命すらも奪わんとする魔剣。


「くあああ――――!!」


普段のハルではあり得ないような叫びを上げ、ハルはその手に羅刹剣を構えながら動きだす。否、駆けて行く。まるで獲物を見つけた獣同然の反応。あまりの豹変、速さにエリーは声を上げることもできない。あるのは恐怖だけ。自分が襲われているわけでもないのにその殺気に足がすくみ、今にも膝をついてしまいかねない。同時にエリーは戦慄する。そう、あのハルがアキに対して本気の殺気を放っていることに。例えとはいえ、自分がハルに殺されてしまうかもしれないと恐怖してしまったことに。何故こんなことになってしまったのか。あの剣は一体何なのか。エリーに知る術はない。分かるのは間違いなくハルが狂気に飲まれてしまっているということだけ。だがこの場にはルシア以外にもう一人、ハルの状態を理解している者がいた。


(まさか……!? あれがシバが言っていた第九の剣なのか!?)


シュダは己の武器である天空桜に手をかけながらハルの元へと駆ける。もはや立会人であることなどシュダの頭には残ってはいなかった。あるのは最悪の事態に陥ってしまったことに対する焦りのみ。シュダは羅刹剣の存在を他ならぬシバ本人から聞かされていた。使い手を操る程の危険な魔剣。シバであれば制御することはできたものの、それでも長時間の使用は不可能である程危険な形態。今のハルでは到底扱いきれない諸刃の剣。確かにあの剣ならばルシアを倒すことはできるかもしれないがその代償としてハルもまた魔剣に支配されてしまう。その名の通り、止まることのない闘いの鬼、羅刹へとなり果てる。シュダは剣を以て両者の間に割り込まんとするも間に合わない。ハルの速度は常軌を逸している。生身でありながら音速剣を凌駕する身体能力。羅刹の名に相応しい人智を超えた力。その一刀が無慈悲にルシアへと迫る。だがそれは


ルシアの超人的な剣技によってこともなげに払われてしまった――――


「なっ……!?」
「え……?」


その光景にエリーはもちろん、割って入ろうとしたシュダですら足を止めてしまう。まるで信じられない物を見たかのよう。それほどに理解できない戦いが今、目の前で起こっている。


「うああがああああ――――!!」


この世の物とは思えないような叫びを上げながらハルは身を翻し、魔剣を以てルシアを斬り裂かんと跳ねる。そこには一切の容赦も情けもない。今のハルにはそんな人間らしい感情は存在しない。あるのは目の前の敵を葬ることだけ。闘争心だけが今のハルの行動原理。ルシアを両断して余りある狂気の剣が奔る。首筋と言う人間の急所を狙った一撃。


だがその一刀をルシアは完璧に見切り、剣閃によって弾き返す。


「がっ……!?」


自らの渾身の一撃が弾かれ、地面に転がりながらもハルは息つく暇もなく再びルシアへと襲いかかって行く。だが結果は変わらない。ハルの、羅刹剣の攻撃はルシアに触れることはない。その全てが捌かれ、躱され、いなされる。それは決してハルが弱いからではない。今のハルの強さはかつてのゲイル、キングを大きく超えている。例えるならモンスタープリズンを使用したキングに匹敵凌駕する。四天魔王の領域に指をかけるほど。これは単純な事実。今のルシアは剣技のみでそれを退けるだけの力があるということ。


シュダの頭に一つの言葉が浮かび上がる。つい先ほど脳裏によぎった可能性。それが今、目の前の光景の正体なのだと。

『剣聖』

その名の通り世界最強の剣士を示す称号。かつてシバ・ローゼスのみに許されたはずの二つ名。それを受け継ぐ新たな使い手が今、この場にいたのだということを。


(よ、よし……! これならエンドレスの力を使わなくてもなんとかなる!)


ハルの一撃を捌きながらルシアは何とか自分の目論見どおりに事態が推移していることに安堵する。この戦いにおいてルシアが懸念していた問題はたった一つ。


ハルの羅刹剣に生身の自分が対抗できるか否か。


それができるかどうかがこの戦いの分水嶺。もしそれができなければ最悪エンドレスの力を引き出し、エンドレス化するしかなかったのだがルシアにとってはどうしてもそれは避けたかった。エンドレスが直下にいる状況でそんなことをすればどんな影響があるか分かったものではない。シンクレアを使用することすら控えなければならない。故にかつてシンフォニアでの戦いのように鉄の剣のみでハルを抑えることが理想。しかしそれが可能がどうかがルシアには確証が持てなかった。

『大魔王』

ウタとの戦いを通して得た新たな称号。これはエンドレスの力を引き出す者、正確にはエンドレス化を習得したことを意味する物。だがもう一つ、ルシアは新たな称号を手にしていた。

『剣聖』

魔界一の剣の使い手であるウタを倒したルシアにはその称号を手にする資格がある。もっともルシア自身には全くその自覚がなかった。エンドレス化はともかく剣技についてはウタとの戦いの中で成長したものであり、ある意味無我夢中で実感する暇もなかったため。だがその称号を間違いなく自分が手にしているのだとルシアは確信する。

今のハルの力はまさしく本物。羅刹剣ではあるがかつての自分を超える剣。身体能力という点では間違いなく今の自分を凌駕している。剣の速さも重さも全てがハルが上。にもかかわらずルシアはその全てを捌いている。剣技という純粋な技術によって。

いわば今のルシアとハルの戦いは人と鬼、獣の戦い。今、人の剣が鬼を上回っている。単純な、それでも確かな差だった。

だがそれに浮かれている時間も余裕もルシアには許されていない。この戦いは己の強さを見せびらかすための物ではない。ハルに羅刹剣の危険性を伝え、同時に羅刹剣を使っても自分には敵わないことを見せつけ、二度と使わせないためのもの。さらに先を見据えるならシバのTCMではなく、自分自身の剣が必要であることを示すための戦い。

加えて時間をかけることは愚の骨頂。ジークの安否にも加え、ハルの体にも羅刹剣は大きな負担をかける。使用後にはしばらく腕が使い物にならなくなるほど。ルシアにはアナスタシスという回復手段があるがハルにはそんな都合がいいものは存在しない。ならば一刻も早く決着をつけるのみ。


ルシアは大きく体を沈みこませ、ハルの一刀を躱すと同時に剣を薙ぎ払う。その衝撃によってハルの動きに微かな隙が生じる。いかに羅刹剣といえども物理法則まではかえられない。


(――――ここだっ!!)


その隙を見逃すことなど今のルシアにはあり得ない。かつて戦王であるウタを退けたルシアにそんなミスは許されない。剣聖に相応しい一閃がハルに向かって振るわれる。その一刀によってダメージを与え、羅刹剣を解除する。だがルシアの狙いは


まるで鎧のように硬質化した羅刹剣の浸食によって防がれてしまった――――


「っ!? これは―――!?」
『何をしておるアキ、油断するでない!』


今一体何が起こったのか分からないまま、マザーの叱責に反射的に後方に飛ぶもハルの一刀がルシアの肩を切り裂き、鮮血が舞う。既に後ろに飛んでいたことから傷自体は浅いもののルシアは先の事態も合わせて混乱することしかできない。ともかく一端距離を置くことでルシアはようやく気づく。それは


(な、何だよあれ……? まさかあれが全部羅刹剣の浸食だってのか……?)


ハルの身に起きている変化。正確には羅刹剣の柄から使い手を侵食している異形の物体が腕だけでなく、全身に広がって行きつつある信じられない光景。思わず目を逸らしたくなるほどの醜悪な姿。だがその意味をルシアは知っていた。羅刹剣はその浸食によって使い手の力を引き出す。その限界は腕、肩口まで。それ以上は浸食されてはならないデッドライン。もしそれ以上犯されればルシアとて抗うことはできない。他ならぬデカログス自身から教えられた情報であり、事実ルシアもウタとの戦いではそれを見越して制限時間を設けていた。もちろんルシアはそれを計算に入れてハルと戦っていた。先程まで間違いなく羅刹剣の浸食は腕までだった。にもかかわらずあの瞬間、浸食は一気に広がり今は胸まで取り込まれている。先のルシアの剣を防いだのもその一端。鎧のように硬質化した浸食が使い手であるハルを守ったため。だがそれは羅刹剣だけの意志ではない。

アキに負けたくない。それがハルの意志であり、今のハルの戦う理由。もしそれが純粋な物だけであったならここまでには至らない。しかし今のハルにはそれ以外の感情に囚われている。

不安、嫉妬、怒り。人間の負の感情と呼ばれるものと羅刹剣は親和性を持っている。十剣の中でも魔剣であるが故の特性。今のハルは闘争心だけでなく、負の感情にも囚われている。他ならぬルシアの影響によるもの。

幼いころからの劣等感、挫折。憧れ、嫉妬。負けるわけにはいかないという気負い、焦り。エリーを奪われたくないという恐れ。その全てを吸収しながら羅刹剣は成長し、ハルを侵食し続ける。


(どうなってやがる……!? 何でこんな急に……いや、今はそんなことはどうでもいい! 早く何とかしねえとハルが……!!)


今のルシアにその原因を知る術はない。ただ分かることはもはや一刻の猶予もないということだけ。ともかく何とかして羅刹剣をハルから引き剥がさなくては。しかし


「――――――!!」


声にもならない断末魔のような咆哮と共にハルがルシアへと剣を振るう。それ自体は先程と変わらない。だが違うのはその速度と力。


「ぐっ……!!」


ルシアは何とかハルの攻撃を防ぐもそのまま遥か後方まで吹き飛ばされる。肩の傷については既にアナスタシスによって再生されている。にもかかわらずハルの攻撃を捌き切ることができない。つまりそれはハルの、羅刹剣の力が先程よりも増してきているということ。しかもその速度は尋常ではない。既に胸から浸食はもう片方の腕、そして両足へと広がりつつある。代償を得た代わりに力を与える。まさしく魔剣の名に相応しい禁忌の剣。


(ちくしょう……!! これ以上好き勝手させるかよ!!)


ルシアは瞬時に闇の音速剣の形態を取ることで一瞬でハルの背後を取る。もはやなりふり構っていられる状況ではない。ウタとの戦いとは違う意味での絶体絶命の事態が目の前に迫りつつあるのだから。同時に音速剣が光を帯び次の形態へと姿を変える。

闇の重力剣。十剣中最強の物理攻撃力を誇る剣。ネオ・デカログスの中でも周囲に影響を及ぼさない、対人戦に特化した用途に使えるもの。だがその威力は桁外れ。いくら手加減するとしても万が一があり得る故に使うことができなかった策だがルシアはその全てを振り切って重力の剣を振り下ろす。あの鎧にも似た羅刹剣の浸食を突破してダメージを与えるにはこれしかない。完璧な速度と背後を取ったタイミング。

だがそれをハルは振り返ることなく剣で受け止める。まるで後ろに目があるかのような神技。だが真に驚くべきは別にあった。


(まさか……闇の重力剣を受け止めてやがる!?)


片腕で闇の重力剣を受け止める。ビルを易々と崩壊させる程の威力を誇る一撃を受け止めるなどあり得ない。いくら羅刹剣を以てしても不可能なのでは思えるような絶技をハルは見せつける。だがその代償はあまりにも大きい。ルシアは確かに感じ取る。それは骨が軋み、砕けて行くような感覚。自らではなく、剣を受け止めているハルの腕が、支えている足が折れてしまった感覚。にもかかわらずハルは声を上げることも表情を変えることもない。痛みすら感じていない。羅刹となり果てた証。このままではハルの体を砕いてしまう。恐怖によってルシアの動きに躊躇いが生まれ、その隙を見逃すまいとハルの剣が振るわれルシアは再び吹き飛ばされる。すぐさま受け身を取るもののあまりにも理解できない事態の連続にルシアの動きが鈍る。その瞬間、風が全てを覆い尽くした。


それはただの剣圧だった。何の能力もない、ただ剣を振るうだけの行為。だが今のハルのそれは闇の真空剣にも匹敵した破壊をもたらす一撃。咄嗟にルシアは闇の封印剣によって相殺するも余波だけで洞窟は揺れ、辺りにあった水晶が粉々に砕け散って行く。


「きゃあ!!」
「ちっ! 小娘、そこを動くな!」


凄まじい破壊の嵐に晒され、エリーはその場に蹲るしかできない。シュダはそんなエリーを庇うように動くもそれ以上出来ることは何もない。否、できるはずもない。今のルシアはもちろん、ハルを止めることはシュダにはできない。もし割って入ればその瞬間、自分が殺されるだけ。もしそうなれば羅刹剣は血の味を覚え、殺戮を繰り返す。己の無力さを呪いながらもシュダはただエリーを守るだけ。


崩落の煙が次第に晴れ、ルシアはその姿を目に捉える。煙の影だけでも見て取れるほどに変わり果ててしまったハルの姿を。


「ハル…………」


既に体は浸食され、残されているのは首から上のみ。腕も足も羅刹剣に取り込まれてしまっている。瞳には何の意志も感じられない。光もないただの漆黒。人形のような無機質さ。もはや鬼ですらない。ただの戦うだけの化け物。それが今のハル。羅刹剣に身を委ねた使い手のなれの果てだった。


その姿にルシアはただ恐怖する。今のハルの強さは四天魔王にも匹敵する。しかしルシアが恐怖しているのはそこではない。今のハルの姿。それは決して他人事ではない。ウタとの戦いの時、もし羅刹剣に飲まれていれば間違いなく自分もああなっていたのだから。同時に後悔する。初めから羅刹剣などハルに使わせる間もなく倒すべきだったのだと。ただハルの身を案じていればこんなことにはならなかった。己の甘さが、弱さがハルをここまで追い詰めてしまっている。


もし浸食が頭まで及べばもはや為す術はない。その瞬間、ハルという人格は消滅する。洗脳ですらない自我の消失。その事実にルシアは凍りつく。ハルの安否、そしてもう一つ。マザーの洗脳、エンドレスの縛りによって自分もあんな姿になり果てる可能性があるのだと。だがそんな恐れと不安は


『…………無様だな。見るに耐えん。アキよ、早く引導をくれてやれ………』


マザーの言葉によって払われる。ルシアはただマザーの言葉に我を忘れたかのように呆然とするしかない。マザーの言葉自体に驚きはない。マザーからすれば当然のもの。だがそこにはハルを嘲笑するような空気が全くなかった。ただ純粋に哀れみにも似た空気がマザーにはある。普段のマザーではあり得ないような姿。だが以前、一度だけルシアは同じような姿を見たことがあった。

ジンの塔でディープスノーと初めて邂逅した日。キングの持つデカログスがルシアの持つデカログスと融合し、一つになる際に見せた何かを憂うような言葉と態度。その意味を知ることはなく、それでもルシアはようやく己を取り戻す。


今のハルにはネオ・デカログスであっても通用しない。よしんば通用したとしてもダメージが意味がないことは先の攻防で明らか。原作のようにプルーによって正気を取り戻す可能性も恐らくは皆無。今のハルは原作とは比べ物にならない程心も体も羅刹剣に取り込まれている。同じ手段は通用しない。だが一つだけ。ハルを救う方法が存在する。それを行うことによる影響も何もかも捨て去り、ルシアは剣を構える。ただハルを救うために。


「――――――」


ただ剣を以てハルはそれに応える。体の全てを侵食されたことによって速度は闇の音速剣を超え、腕力は闇の重力剣を超えている。人間を超越した鬼。その一閃がルシアの首を跳ねんと振るわれる。瞬きすらできない程の刹那。だがそれを前にしてもルシアは微動だにしない。剣を手にし、瞳は確かにハルを捕えているにも関わらずその場を一歩も動かない。完全な無防備。


「いやああああ――――!!」


エリーは涙を流し、絶叫する。ハルがアキを殺す。そんなあり得ない、あってはいけない幕切れ。それを前にして何もできない自分。走馬灯のように様々な思いが脳裏を駆け巡るも時間は止まることはない。為すすべなく、ハルの剣閃がアキの首を跳ねる――――はずだった。


「――――っ!?」


それが誰の声だったのか。息遣いだったのか。あるのはただ驚愕だけ。羅刹剣がルシアの首に振るわれながらも首の皮一枚のところで止まっているという奇跡。だがそれはハルが自ら止めたわけでも、羅刹剣が解除されたわけでもない。ただ単純に羅刹剣がルシアの纏っている光を突破できなかった。ただそれだけ。


『エンドレス化』


エンドレスの力を引き出し、その身に宿す奥義。ウタの戦気にも酷似した極み。攻防一体の盾であり矛。これを破ることができるのは大魔王であるルシアの強さを超える者のみ。すなわち今の人間界、魔界においてもそれを超える者はあり得ない。例えそれが羅刹剣によって鬼と化したハルであったとしても。


想像だにできない事態にハルの動きが止まる。それこそがわざとハルの剣を生身で受けた理由。絶対に次の一撃を外さないためのルシアの執念。ゆっくりとルシアの剣が動く。エンドレスの力に包まれた鉄の剣はどんな物にも勝る剣となる。


「…………悪い、ハル」


ぽつりと、誰にも聞こえないような呟きと共に終わり亡き剣が振るわれる。その言葉の意味を知ることなく全ては終わる。光のような一閃と共に羅刹剣の悪夢は消え去っていく。


残されたのはかつて世界の剣であった物だけ。ルシアは羅刹剣の狂気と共に、シバの魂が込められた剣を両断する。


それがこの悪夢の終わり、そして剣士としてのルシアとハルの戦いの終わりだった――――



[33455] 第九十四話 「本音」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/09/21 21:04
「……っ! …………っ!」


ハルは自分の耳に誰かの声が響くのを微かに感じ取る。だがすぐに意識を取り戻すことができない。まるで深い眠りの中にいるかのような感覚に囚われている。何か懐かしい夢を見ていたかのような、悪夢を見ていたのか。それすらも分からない程。次第に瞼の裏から光を感じ取るとともに意識が戻って行く。深い水の底から地上に浮かび上がるかのよう。ゆっくりとハルは目を覚ます。そこには


「っ! ハ、ハル!? よかった、もしかしたらもう目が覚めないんじゃないかって……」


大粒の涙を流しながらハルを見つめているエリーの姿があった。その表情は悲しみと不安に満ちている、普段のエリーからは想像できないような有様。涙がほほを伝い、ハルの顔へと落ちてくる。そこでようやくハルは自分が地面に横たわり、エリーに膝枕をされていることに気づく。


「エリー、オレは一体……」


どうしてこんなことになっているのか。そう口を開こうした瞬間、この世の物とは思えない確かな痛みがハルの全身を駆け巡った。


「っ!? あっ……があ……っ!?」
「ダ、ダメだよハル! 体中大怪我してるんだから動かないで!」
「け、怪我……? どうして……」


ハルは突如自分の全身を駆け巡る痛みに悶絶しながらも首だけを動かしながら自分の体を確認する。見た目には大きな傷はない。だがその内部は酷い有様だった。片腕と片足の骨は砕け、筋肉は痛みによって動かそうとするたびに激痛が走る。これまでの戦いの中で感じた物とは比べ物にならない程の痛み。まともに動かせるのは首から上だけ。しかし痛みによって次第に記憶が戻って行く。自分がこんなことになってしまっている理由を。それは


「……やっとお目覚めか。どうやら死に損ねたらしいな、ハル……」


ハルからも見える位置にゆっくりと移動しながらルシアが姿を見せる。その姿は全く変わっていない。手にネオ・デカログスを持ち、首から三つのシンクレアを下げている。何よりも先程まで戦闘を行っていたにもかかわらず傷一つ負っていない。まるでシンフォニアの時の再現。いや、あの時にはかすり傷だけでも負わせたのを考えればその差はさらに広がったのでは思えるほど。


「アキ……そっか、オレはまた……」


負けたのか。その言葉を寸でのところで飲みこみながらようやくハルは全てを悟る。自分が羅刹剣を使用してもアキには届かなかったのだと。その間の記憶は完全にないもののもはや疑う余地はない。アキは立ち、自分は地に伏している。いつかの時と同じ。知識のレイヴによって得た羅刹剣の知識。今持てる以上の力を持ち主に与えるも代償を求める魔剣。結果がこの満身創痍。だがそこは大きな問題ではなかった。羅刹剣を、自分の限界以上の力を以てしてもアキには敵わなかった。ただそれだけ。


「ううっ……ほんとに心配したんだからね、ハル!! もうあんなことはやめて……お願いだから……」
「……ごめん、エリー。今のオレならあの剣を使えると思ったんだ……あれしかアキを止める方法はないって……ごめん」


本気で涙し、怒っているエリーの姿にハルの罪悪感が増していく。それほどまでに自分が心配をかけてしまったのだと。ハルはそんなエリーの姿に心に誓う。もう二度と羅刹剣を使うことはしない。魔剣に心を委ねることはない。代償である体の怪我ではなく、エリーを泣かせないために。その誓いを確かめるようにハルは痛みを承知の上で自らの手にあるTCMに力を込める。だがそこでようやくハルは知る。


「…………え?」


誓いに関係なく、己の手からTCMが既に失われてしまっていることに。


そこには柄しかなかった。十字架のレイヴがある位置から上の刀身が全てなくなってしまっている。呆然としながらハルはその目の端に捉える。地面に無造作に転がっているTCMの刀身。自らの旅を支えてくれた愛剣。もはやそれにかつての姿はない。自分の未熟さで、浅はかさで剣を失ってしまった。世界の剣を。レイヴマスターの証を。そして何よりも

シバから受け継いだ魂。世界のために、リーシャのために戦い続けてきたシバの証を失ってしまった。自らの敗北すらその前では霞む。本当の意味でハルが全てを失ってしまった瞬間だった――――


(ハル……すまねえ、でもそうするしかなかったんだ……)


呆然としているハルの姿に心を痛めながらもルシアにはもはやそれ以外に方法は残されてはいなかった。また新しい剣を作ることはできてもハルを蘇らせることはできない。どちらを優先するかなど考えるまでもない。最初からああしていれば、こうしていれば。だがそれは過ぎ去ったこと。例えハルの心を折る選択であったとしてもルシアは選ばざるを得なかった。

そしてルシアもまたいつまでもこの状況で留まっているわけにはいかない。今の自分はアキではなく、ルシア。ダークブリングマスターとしての行動をとらなければならない。でなければ全てが終わってしまう。自分だけでなく、世界の全てが。


『ふん、手間取りおって……もういいであろう。さっさとエリーとついでにヴァンパイアを奪って終わらせよ、我が主様よ』
『う、うるせえな……分かってるっつーの。でもエリーは別だ。今の俺に必要なのはヴァンパイアの方だ』
『え? もしかしてヴァンパイアの方が気に入っちゃたってわけ? ジェロといい気が多い男なのね。ま、大魔王だし当たり前といえば当たり前かもしれないけど節操はあったほうがいいわよ』
『何の話だ!? そもそも俺は石や魔王に求愛する趣味はねえ! エ、エリーは……そう、全てのシンクレアが揃ってから手に入れるってだけだ!』
『いつまでそんなヘタレなことを言っておる! それでは間に合わんのだ! 仕方がない、もはや我が直接動くしかないようだな。お主はそこで黙って見ておれ』
『お、おい勝手に動くんじゃねえよ! てめえは黙って俺に従ってろ!』
『っ! そ、それは……うむ、なかなか魅力的な口説き文句だが今はそうも言ってられん。ともかくエリーを手に入れるのだ! それで後はどうとでもなる!』
『……何でシンクレアの私がついで扱いなのか気に障るけどさっさとして頂戴。放置プレイはもう飽きたわぁ』
『アキ様、ともかくまずはヴァンパイアを。このままでは収拾がつきませんし。マザーは私が』
『あ、ああ……悪い』
『ええい、邪魔だアナスタシス! 最近出番がないくせにしゃしゃり出てくるでない!』


間違いなくお前よりは役に立っているという心の声を封じながらルシアは改めてハルとエリーに近づいて行く。正確にはエリーの持つヴァンパイアに向かって。何故マザーがあそこまでエリーを奪うことに執着しているのかは理解できないがシンクレアを手に入れれば一応この場を離脱する言い訳はつく。苦しいことには変わらないがハルは間違いなく満身創痍。見逃してもそれほど違和感はないだろうという狙い。ジークとジェロがどうなっているのかも気になる。時間がないのはいつも変わらない。


「エリー、そのシンクレアを渡せ。そうすればここで終わりにしてやる」


ルシアは星跡の洞窟に来て初めてエリーに話しかける。否、命令する。その首に掛けているシンクレアをよこせと。そうすればここで退いてやると。というか渡してくださいお願いしますという本音を必死に飲みこみながらルシアは手を差しだす。


「アキ……だ、ダメだよ! このママさんはあたしのだし……それにママさん達を集めて何か悪いことをする気なんでしょ!? あたしだってそのぐらい分かるんだから!」


一瞬、迷いながらもエリーはその手にヴァンパイアを握りしめルシアの言葉を拒否する。ここで戦いを止めてくれるならエリーにとっては受け入れてもおかしくない条件。しかしエリーではない、その内にあるもう一人のエリーが告げる。シンクレアを渡してはならないと。根拠はないもののシンクレアを渡すことはきっとアキにとってもよくない災いをもたらす。直感にも似た確信でエリーはシンクレアを渡すことを拒み続ける。

その光景をシュダもまた苦渋の表情で見つめている。この場でルシアが退いてくれるなら願ってもないこと。だがシンクレアを渡せばルシアの元には四つのシンクレアが揃ってしまう。五つ目はジークが隠しているがジェロに敗北してしまえばどうなるかは分からない。どちらを選択しても得るものと失うものがある。天秤をどちらに傾けるか。単純な、それでもこれからの展開を左右する二者択一。


「……悪いが力づくでももらっていくぜ」


そんなエリーの心情を理解しながらもルシアは心を鬼にしてエリーへと迫る。できればしたくはなかった実力行使。力づくでシンクレアを奪うために。傍にシュダもいるが今のルシアの敵ではない。後はエリーを傷つけないようにシンクレアを回収する。だがそんなルシアの狙いは


「や、めろ……アキ……」


かすれるような声を上げながらルシアの前にハルが立ち塞がることで防がれてしまう。ルシアはまるで幽霊を見たかのように驚愕し、その場に立ち尽くしてしまう。ルシアだけではない。エリーもシュダもその光景に目を疑い、声を失っていた。


(う、嘘だろ……!? 何でまだ動けるんだ!? 間違いなく羅刹剣のせいで体は動かせないはずなのに……!)


ルシアは戦慄し、自分の前に立ち塞がっているハルに目を奪われる。ハルは既に満身創痍、死に体といってもいい姿で立っている。そう、立っている。体を動かすだけで激痛が走り、片腕を侵食されただけでその腕は剣を握ることすらできなくなる。その影響をルシアは身を以て知っている。だからこそあり得ない。その痛みを全身に受けながらなおも立ち上がるなど。


「いくら……アキでも……エリーを傷つけるのは許さない。オレは……エリーを、守る」


そんなルシアの内心など知る由もないハルはただルシアの前に立ち塞がる。エリーを庇うように、守るように。


顔は苦痛に歪み、まともにしゃべることすらままならない。痛みを感じていないわけではない。今この瞬間も体を磨り潰すような痛みが体中を駆け巡っている。いつ意識を失ってもおかしくない状態。だがそれでもハルは倒れることはない。


今のハルには何も残っていない。四つのレイヴを手に入れ、羅刹剣という反則を使ってまでルシアには及ばなかった。完全な敗北。覆しようがない力の差。TCMという自分にとっての半身ともいえる武器も失った。もはやレイヴマスターとしてのハルを支えるものはなにもない。なのにハルは立ち上がる。何もかも失ったにも関わらず。それでもまだ譲れないものが、あきらめられないものがあると誇示するように。


「……そこまでにしておくんだな。今のお前じゃエリーは守れねえ」


今まで感じたことのないハルの変化に気づきながらもルシアはハルへと告げる。もはや勝負はついたと。今のお前では自分には敵わない。エリーを守ることもできない。ルシアとしての言葉。真意としてはこれ以上無理をするなという警告。羅刹剣の後遺症に加え、骨折もある。このまま無理をすれば本当に命を落としかねない。その証拠にハルは立っているのがやっと。立っていることすら奇跡。ルシアはそのままハルを素通りし、エリーへと迫る。一刻も早くこの状況を脱するために。だがそれは


「アキ――――!!」


ハルの咆哮と拳によって粉々に砕け散ってしまった――――


「~~~~っ?!?!?」


瞬間、声を上げる間もなくルシアは遥か彼方へと吹き飛ばされる。否、殴り飛ばされる。纏っていた甲冑を砕く程の衝撃と威力。人間業ではない怪力。為すすべなくルシアはそのまま蹲る。


(っ!? な、何だ!? 何で俺、こんなところに、じゃなくて……な、殴られたのか!? 誰に!? どうして……)


当のルシアは一体何が起こったのかすら分からない。ただ混乱するだけ。未だかつて遭遇したことのない事態、出落ちにすらならないような異常事態。分かるのは自分が殴られたのだということだけ。そう、ハルによって殴られただけ。だがそれはルシアにとってあり得ない、その場にいる全ての者達にとっても信じられないこと。


(ま、まさかあの怪我で殴ってきたのか!? そ、そんな馬鹿な……アナスタシスがあるわけでもないのにどうやって……甲冑を素手で……ってちょっと、待て? 確かこれと同じ展開がどっかであった気が……)


殴られた痛みでせき込みながらもルシアは強烈なデジャヴを感じる。今の状況が何かに酷似していると。ようやく悟る。それが原作でハルとルシアが繰り広げた殴り合いというおよそあり得ないような展開と同じなのだと。シュダを手にかけたルシアに対してハルがキレて襲いかかるという状況。だがルシアはそんなことが起こるなど露ほども思っていなかった。シュダを手にかけることなどするはずもないのだから。しかもハルの状態は立っていることでやっと。まともに動くことはできないはずだと。誤算はたった一つ。


先のルシアの言葉。シンフォニアでもハルを戦わせる気にした言葉に繋がる、ハルにとって譲れないものを刺激してしまったことだった。


「あああああ――――!!」


ハルは叫びを上げながらルシアの元へと駆ける。かつての羅刹ではない。明確な意志を持って。他の全てを失ってでもなくしてはならないもののために。痛みなど超越すほどの覚悟。精神が肉体を凌駕する。軋む体も、折れた手足もかなぐり捨ててハルはルシアを止めるために駆ける。


(え? ちょ、まっ――――!!)


ようやく自分が踏んではいけない地雷を踏み抜いてしまったことに気づきながらもルシアは何とかハルを止めんとするもやめてくれと叫ぶわけにもいかない。あまりな不意打ちであったために持っていたはずのネオ・デカログスも手放してしまっている。これに関してはむしろ幸運だったといえる。もし持っていても今のハルなら剣ごとネオ・デカログスを破壊しかねない。冗談でもなくあり得ること。ともかく肉弾戦でも構わない。一刻も早くハルを止めなければハルが死んでしまいかねない。そう判断し、迎え撃とうとするもルシアは動きを止めてしまう。今のハルは満身創痍。もしそこに拳とはいえ攻撃してしまえばどうなるか。再起不能になってしまいかねない危険がある。だが


「ぶっ―――!?」


そんなルシアの事情などお構いなしに今度はハルのひざ蹴りがルシアの顔面に直撃し、再びルシアは吹き飛ばされる。もはや何が何だが分からない事態の連続にルシアは思考が追いつかない。


『な、何をしておるアキ!? 遊んでおる場合か!?』
『ア、 アキ様……すぐに再生を!』
『なにこれ? 修羅場? 修羅場なの?』


自らの主の思わぬ状況にシンクレア達は各々の反応を見せるも構っている暇はルシアにはない。自らの主が傷つけられたことでマザーは勝手に空間消滅を使用せんとするも何とか力づくで抑える。アナスタシスは瞬時にダメージを再生するも、次々にハルの拳、蹴りがルシアに襲いかかり焼け石に水。なまじ再生する分、痛みが新鮮な生きたサンドバック状態。抵抗しようにもネオ・デカログスはこの場にはなく、反撃すればハルを殺しかねない袋小路。できるのはひたすらにぼこられることだけ。



「ハアッ……ハアッ……!! アキ……どうして、どうしてなんだ!!」


そんな中、ハルはただ子供のように無我夢中でルシアへと向かって行く。がむしゃらに、何の技術もない子供のように。ハルはただ己が内の感情を吐き出す。今まで表に出すことができなかった、レイヴマスターとしての責務から向き合うことができなかったアキに対する自分の想いを。


「どうしていつも……いつもお前は先にいるんだ……! どうしていつも……! オレだって……オレだってそこに行きたかったのに……!!」


その拳に、蹴りに思いを込めるようにハルはただ叫ぶ。どうして。いつも。何故。その脳裏に蘇る。幼い頃、浜辺で初めて会った自分と同い年の男の子。金髪という自分とは正反対の容姿を持つ、姉しかいなかったハルにとっては兄弟同然の存在。父は物心つく前に姿を消し、母が亡くなったばかり。ハルにとってアキはカトレアと同じかけがえのない家族だった。

いつも一緒。共に遊び、共に育ってきた。同時にハルにとってはアキは大きなライバルでもあった。だがハルは一度もアキに勝てたことがない。勉強も、運動も。人並み以上にこなせるアキにいつしかハルは劣等感を抱くようになる。嫉妬という感情。だがそれだけではない。それ以上に大きな感情がハルにはある。

いつかの日を思い出す。島の友達が父親が取ってきた大きな魚を自慢してきたあの日。父がいないことでカトレアに八つ当たりをしてしまったあの日。自分は初めてアキに怒られた。喧嘩になった。取っ組み合いになり、完膚なきまでに負けた。どうしてアキが自分を怒ったのかすぐには分からなかった。でもその日の晩、アキは不機嫌そうにしながらも友達に負けない大きな魚を取ってきてくれた。その意味を子供心ながらハルも知った。

それだけではない。いつもアキは自分の手を取ってくれた。その背中に憧れた。そう、憧れ。ハルにとってアキは大きな壁であるとともに憧れでもある。だがそんな日々はいつまでもは続かなかった。


「どうしてあの時、行っちまったんだ!? オレだって……姉ちゃんだって着いて行きたかったはずなのに……!!」


あの日。DCの一員がガラージュ島にやってきた時、アキはいなくなってしまった。父と同じように。それが悲しかった。悔しかった。

時が流れ、レイヴという力を手に入れたことでハルは喜んだ。これでアキを探しに行けると。アキに負けない力が手に入ったと。だが結果は変わらなかった。どんなに修行しても結果は変わらなかった。何をやってもアキには敵わない。そうあきらめるしかなかった。


「何でいつもアキなんだ……! 何でオレが欲しい物をいつも持ってるんだ!」


しかし、そんな中であってもどうしても譲れないものがハルにはできた。旅の中で出会った女の子。いつも元気で不思議な、よく分からない存在。でも何よりも自分にとって初めて好きになった少女。


「オレは……エリーを守る……! エリーは渡さない……!! オレは……オレは……」


アキにとっても特別な存在であるエリーを好きになってしまった。エリーもまたアキのことを好いている。それを知りながらもこの感情を抑えることはできなかった。例え敵わなくとも、レイヴマスターとして敗北してもこれだけは譲れない。ハルがハルである理由。


「オレは……エリーが好きなんだ――――!!」


エリーが好きであること。好きな女の子を守ることがハルがこの旅の中で見つけた戦う理由。その想いを込めた拳がルシアの体に放たれる。アキへの想い、そして自らのエリーへの想いをハルは叫ぶ。その光景にルシアはふらつきながらも魅入られてしまう。


「ハル……お前……」


もはや先程までの痛みも混乱も消え去ってしまっている。そうなってしまうほどにハルの心の叫びが拳と共に伝わってくる。視界の端に映るエリーもまた呆然とした様子でハルの姿を見つめている。これ以上のない盛大な告白。ジェロであっても邪魔することができない、これ以上ないもの。


(そうか……余計な心配だったみたいだな……)


どこか満足気な笑みを浮かべながらルシアは悟る。自分に負け、TCMを失ったことでハルの心さえも折れてしまうのではないか。それがルシアの憂いだったがそれは完璧に払われた。それどころかハルは全ての答えに辿り着き、見せつけてくれた。

『エリーのために』

ハルの戦う理由であり根幹。シバとの試練で得るはずだった答えをハルはもう手にしている。今のハルならば想いの剣を扱うこともできるはず。しかしそれは些細なこと。今のルシアの中にあるのはそんな感情ではない。

自分の後ろをついてくるだけだった小さなハルが成長し、好きな女の子に告白するまでになった。強さではまだだが、人として自分はとっくに追いこされていたのだと。


『へえ、中々熱い告白ね。敵とはいえやっぱり愛はいいものよねー!』
『ぬう……ええい、アキよいつまで黙っておる。お主も早く叫ばんか! 我のことが好きだと! このままではエリーが奪われてしまうではないか!』
『本音が駄々漏れですよ、マザー……』
『お、お前ら……』


ある意味平常運転なシンクレア達に辟易しながらもルシアがどこか感慨深げに溜息を吐きかけるも


「あああああ―――!!」
「ぐほっ!?」


それは容赦ないハルの拳によって終わりを告げる。咄嗟に現実に引き戻されたかのよう。ルシアは思い出す。何だがいい話になりかけたが状況は全く変わっていないのだと。それを忘れさせてしまうほどにハルの告白にはインパクトがあったということ。


「お、おい……! ちょっと待て! いくら何でもそれ以上は……!」


ルシアはよろけながら何とかハルを制止せんとする。このまま殴られ続けるのもだが何よりハルの体が危ない。とても人間とは思えないような肉弾戦を仕掛けてくるハルにルシアは為す術がない。


「い、いい加減に……」


無慈悲な乱打に耐えしのびながらハルが止まるのを待つものの一向に動きが止まることはない。今のハルには声は届かない。ただひたすらにエリーを守るために戦っているだけ。だが次第に己の身を守るように構えていたルシアが無防備になっていく。その隙を突くかのように渾身の力を込めたハルの拳が放たれる。だがそれは


ルシアの手によってがっちりと掴まれ、防がれてしまった。


「……え?」


瞬間、初めてハルが驚きの声を上げながら動きを止める。今まで自分の拳をその身に受けていたルシアが初めて防御した。だがそれだけではない。それ以上に信じられない事態がハルに巻き起こる。


(これは……!? オレの体が治ってる……!? 何で……)


それは自らの体の変化。体中の痛みは全て消え、手足の骨折ですら嘘であったかのように治ってしまっている。俄かには信じられない奇跡。だがすぐにハルはそれがルシアの持つDBの能力なのだと気づく。恐らくは手を握られたことがその理由なのだと。しかしルシアがどうしてこんな状況でそんなことをしたのか問いつめようとした瞬間


「……調子に乗ってんじゃねえぞ、こらあああああああああ!!」


洞窟全てに響き渡るような絶叫と共にルシアは渾身の拳をハルの腹に叩き込む。まるで今までの分を全て取り返すかのような勢い。あまりにも不意に近いルシアの攻撃に今度はハルが遥か彼方まで吹き飛ばされる。完全にキレている、先程までのハルと同じ状態。アナスタシスを使ったのは全てはこのため。本当なら敵を再生するという行うべきではない選択にも関わらずルシアはそれを選んだ。否、そんな小難しい理屈は今のルシアにはない。それどころか今の彼はルシアを演じることさえ頭にはない。これはアキの意志。


『ハルを再生させれば、ハルを殴ることができる』


そんな矛盾した、無茶苦茶な行動だった。


アキはそのまま距離を詰め、ハルに拳と蹴りを繰り出す。もはや容赦はしないとばかりにアキはただ力を振るう。ハルもまた回復したことによって応戦するもアキの勢いを殺すことができず、されるがまま。完全に先程までとは逆の構図。ハルもまた思い出す。自分にはカッとなって周りがみえなくなる悪癖があるのと同じようにアキにもまた同じ悪癖がある。ガラージュ島を出てからルシアを演じる中で一度も見せることはなかったもの。その臨界点を超えてしまったのだと。


「さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがって……!! てめえに俺の何が分かるってんだ!?」


アキはただ叫ぶ。まるで知った風なことを叫ぶハルに対抗するかのように。


確かにハルの言う通り。できるならあのままガラージュ島で暮らしたかった。本当なら戦いたくなんてなかった。その全てを放り投げて逃げ出したかった。だが状況がそれを許さなかった。勝手に世界の命運を背負う羽目になった。なまじ原作知識なんてものを持っているせいで厄介事は増えるばかり。


「てめえはいいさ! 何も考えずに、ただ進めばいいだけ! だが俺は違う! 俺にはそんな物はない!」


なのにハルはただ光の道を歩き続けている。レイヴというこれ以上ない正義。信じる仲間たちと悪を倒していく誰もが憧れる勇者。対して自分は大魔王。倒されるだけの存在。周りは全てそのための装置。自分を偽り、顔も知らない大多数の誰か救うために動き続けるだけ。何故自分がこんなことをしているのかすら分からなくなることがある。死にたくない。ただそのために。だがそれすらも偽り。ならウタとの戦いの時に全ては終わってよかった。あきらめてよかった。戦う理由がなくなったのならそこで終わるはずだった。だが自分はまだここにいる。それが何故だったのか思い出すことができない。


「何でこんなに違う!? 俺が何をした! 何でてめえばっかり……!」


ようやくアキは悟る。何のことはない事実。そう、自分は誰よりもハルに憧れていたのだと。出会った時から変わらない真っ直ぐな心。人を信じることを疑わない純粋さ。自分には持てない輝き。ルシアとなってもまだ自分をアキと呼んでくれる友人。後ろめたさで潰されそうになりながらも自分を信じてくれる家族。物語の主人公だからではない。ただ一人の人間として、男としてこう在りたい。そう思えるほどにアキはハルに憧れと嫉妬を抱いていた。

これはただの喧嘩。かつて幼い二人がした兄弟喧嘩の続き。太陽と月のように対照的な二人の少年のぶつかりあい。


「ハル――――!!」
「アキ――――!!」


互いの名を叫びながら二人は最後の一撃を繰り出す。言葉にはできない全ての想いを込めた拳。交差する刹那。それでもわずかな差が勝負を決する。


「てめえとは……くぐってきた修羅場の数が違うんだよ――――!!」


時間の差。アキの方が旅立つのが早かった。経験した死地の数。レイヴでもDBでもない。アキ自身の経験の差。その一撃がハルの顔面に突き刺さる。だがアキの中には喜びも達成感もない。あるのはただ一つの単純な感情。


(羨ましいぞ、こんちきしょう――――!!)


エリーという金髪美少女をハルが彼女にしたということ。自分の周りには石ころと魔王しかいないというのに青春を謳歌していたハルへの羨ましさ。同時に二人への心からの祝福を込めた右ストレートがこの戦い、二人の喧嘩の結末だった――――



(ちょ、ちょっと大人げなかったか……? い、いや……俺は悪くないはず! そもそも最初に喧嘩売ってきたのはハルだし何より…………うん、リア充死ね)


肩で息をしながらルシアは仰向けに倒れ、気を失ってしまっているハルを見下ろす。所々記憶はあいまいではあるがとにかくハルを止めることはできた。胸元でシンクレア達がぎゃあぎゃあ騒いでいるがもはやそれを気にする余裕も体力もルシアには残っていない。


(な、何か色々あった気がするがもうどうでもいい……とにかく早くこっから退散しよう。なんか体の調子もおかしい……し……?)


そこでようやくルシアは己の体の異変に気づく。まるで力が漲ってくる、精神が昂ぶってくるような感覚。だがアナスタシスによって再生している以上体に、ルシア自身に異常が起こることはあり得ない。それはつまり


ルシア自身ではなく、ルシアに繋がっているナニカに異変が生じたということ。


瞬間、紫の光が全てを照らし出す。洞窟が崩落するような地鳴りと共に、光が所々から溢れだし、形を為していく。メモリーダストと呼ばれる記憶の渦が溢れだそうとする現象。だがその規模は計り知れない。

光がまるで形を為すかのように集まって行く。意志を持つ生命体。山を超える巨大さと共に竜にも似た形相を持つ化け物。この世の負の力を全て宿しているかのような紫の色。

その場にいる者達はただその光景に息を飲むだけ。全てを理解しているのはその場にいる四つの闇の使者のみ。共鳴するように四つのシンクレアは輝きと共に熱を発する。彼女達は誰一人声を上げることもない。ただその時が近づきつつあるのを感じ取るだけ。


今この瞬間、エンドレスが並行世界に復活した――――



[33455] 第九十五話 「消失」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/09/25 00:15
(ちっ……! 一体何が起こっている!?)


今目の前で何が起こっているのか分からないままシュダはただ全力でハル達の元へ駆けだす。既にハルとルシアの戦いは終わっている、いや戦いどころではなかった。突如として現れた巨大な化け物によって。この世の物とは思えないほどの大きさと不気味さ、何よりも圧倒的な存在感。その全てが規格外。あのルシアでさえこの事態を前にして固まったまま。だが怪物の出現によって星跡の洞窟は崩落を始めている。無数の岩盤が、天井が崩れ落ちて行く。このままでは生き埋めにされかねないと瞬時に判断したシュダはルシアとの戦いによって気を失い、地面に倒れ込んでいるハルを肩に担ぎ起こす。未だここに現れていないムジカ達も気になるが気にしている時間はない。自分達の身は自分で守ってもらうことに期待するしかないとシュダは切り捨てる。今のシュダがすべきことは一刻も早くこの場からハルとエリーを連れ出すこと。


「おい、何をボケっとしている!? 早く着いてこい!」


シュダはハルを担ぎその場から脱出せんと動きながらもいつまでもその場を動かずに立ち尽くしているエリーに叫ぶ。だがシュダが叫んだにもかかわらずエリーは振り返ることもない。もしや自分の声が届いていないのか、それともこの事態を前に腰を抜かしてしまったのか。そうなれば厄介極まりない事態になりかねない。ハルだけでなく、エリーも担いで崩落を避けながら脱出するのは至難の業。だがようやくシュダは気づく。エリーの様子が普段と明らかに違っていることに。その瞳はしっかりと上空を、化け物を見上げている。同時にその左腕に光の紋章が浮かび上がっている。ELIEという文字とシンフォニアの国旗の紋章が。


「こんなところに眠っていたの……? 『エンドレス』……」


今、エンドレスの目覚めと共にエリーの中の『彼女』もまた目覚めようとしていた――――



(ちくしょう……! やっぱエンドレスが復活しちまったか……!!)


目は見開き、体中冷や汗にまみれ。それでもルシアは慌ててその手にネオデカログスを拾い上げ復活したエンドレスを見上げるもその圧倒的な存在感に足がすくんでしまいかねない。知識として知っているのと実際目の当たりのするのでは天と地の差がある。今まで相対してきた中で最強の存在である四天魔王ウタですら霞んでしまうほどの出鱈目さ。その名の通り世界に終わりを告げ、同時にどんなに抗っても倒すことができない終わり亡き者『エンドレス』

だがその復活自体は既にルシアはハルとの戦いでエンドレス化を使用した時点で覚悟していた。それを覚悟してでもハルを救うことが必要だったのだから。しかし、そんなルシアであっても完全に予想外のことが二つあった。その一つが


(でも……やっぱおかしいぞ……? な、何でエンドレスがあんな姿になってんだ? しかも色までDBの紫色になっちまってるし……もしかして原作よりも成長しちまってんじゃねえのかあれ!?)


エンドレスの姿が明らかに原作よりも成長しているということ。本当ならもっと人型に近い容姿であり、大きさも小さいはずにも関わらず今のエンドレスはそれよりも大きく成長している。恐らくは原作で魔界に現れた時と同等、もしくはそれ以上。何故そんなことになっているのかルシアには知る術はない。もしかしれば自分がエンドレスの力を引き出したこと、ダークブリングマスターになってしまったことによる影響かと疑うも今それが分かったところでどうすることもできない。


『ふむ、中々姿を見せんと思っておったがこんなところで居眠りをしておったのか。流石の我も予想外だったぞ』
『ほんとよねー。半身である私達が頑張ってるっていうのに我らがこんな調子じゃ先が思いやられるわ。二万年眠ってたどっかの誰かさんといい勝負ねー』
『この場にいないからといっても油断はしない方がいいですよ、バルドル。ともかく我らが目覚めたのは行幸です。これで本当の意味で我らの悲願が達成される時が近づいたのですから』
『ほんとに待たされたわぁ……ラストフィジックスがここいれば終わってたっていうのに、本当に使えない娘ねぇ』


エンドレスを前にしても通常運転なシンクレア達にルシアは呆気にとられるしかない。まるで微笑ましげにエンドレスが目覚めたことを話しているのだから。しかも居眠り扱い。シンクレア達のやり取りを聞いているだけなら何の脅威もないように錯覚してしまいそうになるがルシアは頭を振りかぶりながら意識を切り替える。


『お、お前ら……そんなに落ち着いてていいのかよ……?』
『ん? そういえばお主は直接見るのは初めてか。あれが我らの大本、エンドレスだ。喜ぶがいい、我が主様よ。これで我らが悲願の成就は後一歩のところまでやってきたのだぞ』
『そ、そんなことはどうでもいいんだよ! エンドレスをあのまま放っておいてもいいのか!? あのまま暴れられたら俺達も危ないんじゃ……』
『成程……ですが御心配には及びません。未だ我らと一つにはなっていませんがあれは私達の半身。私達や器になり得るアキ様を傷つけることはないのでご安心を』
『そーゆーこと。全くほんとにアキはヘタレなんだから。大魔王らしくドンと構えてればいいのよ。ま、それがあなたらしいといえばあなたらしいけど』
『そ、そうか……そうだよな……』


マザー達の言葉によってルシアは何とか胸をなでおろす。よく考えれば当然のこと。まだ次元崩壊のDB『エンドレス』になってはいないものの今のエンドレスもシンクレアと役目は同じ。ならばその担い手であるルシアに害することなどあり得ない。原作でもルシアの手にヴァンパイアが渡るのを手助けしていたのだから。同時にルシアには光明が差す。そう、このまま自分がここにいればハル達がこの場を脱出する時間が稼げるのではないかと。だがそんなわずかな希望は


エンドレスがゆっくりと眼下のルシア達を見下ろし、その手に力を込め始める光景によって終わりを告げる。


『おい……気のせいか? エンドレスがこっちに向けて攻撃しようとしてるように見えるんだが……?』
『そ、そんな訳がなかろう……あれはそう、きっと準備運動じゃ! 全く……人騒がせな奴よ』
『あははー、うん。そう思いたいんだけどなんかちょっとおかしくない……? もしかしたら寝ぼけてるのかも……』
『……笑えない冗談ですよ、バルドル』
『ね、ねえ……ちょっと冗談じゃないわよぉ。もしかして本当に……』


あり得ない事態にシンクレア達が最初は油断しているもエンドレスの手に凄まじい力が集まり、その視線が自分達のいる星跡の洞窟に向けられている状況を前に流石に静まり返って行く。だがその悪夢は現実となる。それはただ単純な力の放出だった。技術も何もない無造作な力の解放。否、エンドレスにそんなものは必要ない。その力は並行成果を消滅させるための物。この世においてエンドレスの力に抗える者など存在しない。それがもう一つの誤算。エンドレスがダークブリングマスターである自分を巻き込んで攻撃してくるという悪夢だった――――


「お、おい!? ほんとにこっちに向かって攻撃してきたぞ!? ど、どうするんだこれ――――!?」
『わ、我に言われても知らん!? と、とにかくこの場から離れるのじゃ! ワープロードを使え、アキ!!』


他ならぬエンドレスの一撃が自分たちに向かって放たれたことで一瞬呆けるもののルシアは叫びを上げることしかできない。完全な不意打ち。極大の紫の光が星跡の洞窟ごとルシア達を消滅させんと迫る。洞窟どころか山脈ごと消し飛ばして余りある破壊力が込められている。マザーの言う通り、ワープロードによって瞬間移動し回避する以外に手はない。ルシアは反射的にそうせんとするも動きを止めてしまう。


(ダメだ……!! 俺だけ助かっても意味がねえ……!! 何とかハル達も一緒に……)


例えこの場から自分だけ生き延びたとしてもハル達が死んでしまえば結果は同じ。世界は滅亡してしまう。なりふり構わずハル達を救わんとするも時すでに遅し。ハル達を連れて瞬間移動する時間など残されてはいない。エンドレスに対抗する術もまたルシアにはない。いくら封印剣であってもあの規模のエンドレスの力は無効化できない。瞬間的には防げるかもしれないがかつて魔導精霊力を斬ろうとした時と同じことになるのは火を見るよりも明らか。エンドレス化も同様。大本の存在に対抗できるわけがない。水道管につながったホースからの水でダムの放流に対抗するようなもの。完全な詰み。走馬灯のように思考が巡るももはやルシアに為す術がない。絶望と共に紫の光が全てを包み込まんとした瞬間、


白い光がそれに対するようにルシア達を包み込んだ――――


瞬間、音が消え去った。音すらも聞こえなくする程の衝撃が辺りを支配する。地震のような揺れと、台風、デスストームにも匹敵するような暴風が全てを飲みこんでいく。まるで世界の終わりのような力と力のぶつかり合い。そう、今エンドレスの力は防がれていた。拮抗するもう一つの力によって。

『魔導精霊力』

この世に存在する全ての魔法の頂点。時空操作に匹敵する破壊と創造の魔法。かつてリーシャ・バレンタインのみが持っていたとされる究極の力の一端が今、解き放たれていた。


(あれは……エリー!? いやもしかして……!!)


エンドレスと魔導精霊力の衝突の余波によってその場に伏せながらもルシアは確かに目にする。エリーがその両手を掲げ、魔導精霊力をエンドレスに向かって放出している姿を。正確にはエンドレスの攻撃からその場を守っている光景を。

本来ならエリーは記憶喪失によって魔導精霊力を制御することができない。無理に使用すれば暴走し、かつてのエクスペリメントのようになってしまう。だが今のエリーは一時的とはいえ完全に魔導精霊力を制御している。否、制御しているのはエリーではなかった。

『リーシャ・バレンタイン』

かつてレイヴを生み出したことで五十年前に死んだとされる少女。今、エンドレスを前にしたことでエリーの中のリーシャが目覚めている。本来なら全てのレイヴを集めることでエリーはそれを取り戻すことができるが今この瞬間だけリーシャが表に出てきている。

ルシアもまた瞬時にそのことに気づく。原作でもエンドレスを前にしたことでエリーが同じ状態になったことを知っていたからこそ。同時にリーシャが何をしようとし、どんな状況にあるかも看破する。


「う……うぅ……!!」


リーシャはまるで両手で岩を支えているかのような感覚に声を上げるも耐えることしかできない。もし今魔導精霊力を止めてしまえばその瞬間、一帯は消し飛ばされてしまう。自分はもちろんハル達も一緒に。エンドレスが攻撃を仕掛け来たのも魔導精霊力を持つエリー、正確にはリーシャを狙ってのこと。本当ならもっと魔導精霊力の威力を上げることもできるかリーシャはそれを行うことができない。もし全力の魔導精霊力を解放してしまえば世界が崩壊してしまいかねない。全力でなかったとしてもこのイーマ大陸が消滅してしまう。目覚めたばかりだからか、本来の姿を取り戻していないからかは定かではないがエンドレスの力は完全ではないため耐えることができているがそれも時間の問題。加えてリーシャが出ていられる時間もあとわずか。ついにその拮抗が崩れ、全てが終わりを告げんとしたその時


「はあああああ――――!!」


ルシアはその手にネオ・デカログスを構えながらリーシャの前を疾走し駆け抜けて行く。リーシャはその光景に目を疑うもどうすることもできない。だがルシアが目指す先はリーシャの場所ではない。その先、魔導精霊力とエンドレスがぶつかり合っている地点。触れれば、巻き込まれれば一瞬で蒸発しかねない二つの究極の力の激突に向かってルシアは剣を振り切る。闇の封印剣と呼ばれる第四の剣によって。いかなる魔法も切り裂く魔法剣。エンドレス、魔導精霊力であってもその例外ではない。だがこの規模の戦いになればそれは一瞬。流れ出る水を一瞬だけ斬り裂く程度に過ぎない。しかしその一瞬がこの場では全てとなる。

ルシアは封印剣によってエンドレスの力を切り裂く。ルシアの狙いを察したようにリーシャは残された力をその瞬間に賭ける。ルシアの封印剣による援護は拮抗した両者の力関係を崩して余りある物。拮抗を失った力はより強い力によって押し出されていくだけ。呆気なく、それでも凄まじい力によってエンドレスは魔導精霊力によって吹き飛ばれたのだった―――


(な、何とかなったか……マジでもう終わりかと思った……)


息を切らし、ネオ・デカログスを杖代わりにしながらもルシアはその光景に溜息を吐くしかない。そこには左半身を失ってしまったエンドレスの無残な姿がある。魔導精霊力の一撃を受けてしまった代償。だが同時にルシアがエンドレスに逆らってしまった証。どう言い訳をしたものかと戦々恐々とするも


『な、何を考えておる!? お主、死ぬつもりか!? いくらエリーを守るためとはいえお主が死んでは元も子もないのだぞ!』


それは本気でルシアを心配し、激怒するマザーの言葉によってかき消されてしまった。


『あ、ああ……でもいいのか……? エンドレスがあんなことになっちまったのに……』
『……ふん、気にするでない。担い手であるお主に手を上げるなど当然の報いじゃ。そもそもあの程度の攻撃では我らにとっては何の意味もない』
『ま、そーね。でも流石は魔導精霊力ってところかしら。それにしてもほんとに攻撃しかけてくるなんて寝ぼけてるのは間違いないわねー』
『そういえばエリーが身に着けていたヴァンパイアがどこかに吹き飛ばされてしまったようですが……』
『ん? まあよかろう。死ぬわけでもなし。後で回収すればいいだけじゃ』


半ば呆れ気味のバルドルの言葉にルシアは絶句するしかない。どうやらエンドレスは魔導精霊力を感知したこともあるがそれ以上に寝ぼけて暴れているらしいという事実。だがその規模は桁外れ。くしゃみで街を凍らせるジェロどころではない。寝ぼけて大陸を消滅させるという笑い話にもならない状況だった。しかもあれだけのダメージを受けたにもかかわらず既に再生によってエンドレスは元に戻りつつある。その速度はアナスタシスを彷彿とさせるもの。原作ではメギドの攻撃を食らい一時的とはいえ行動不能になっていたにもかかわらずその様子も見られない。明らかに成長している証。このままでは一分もたたない間に復活してしまう。そんな中


「あなたは……」


エリーの声がルシアにかけられる。正確にはリーシャによって。ルシアは驚きながらもその姿に目を奪われるしかない。傍目にはエリーと姿は変わらないものの雰囲気や仕草が今のエリーとは異なる。恐らく五十年前、記憶を失う以前の状態が今のリーシャなのだと気づくもルシアはどう反応したらいいか分からない。そのままリーシャが何かを口にしようとした瞬間


「……あれ? 何であたしこんなところに……? アキ? どうかしたの?」


目をぱちくりさせながら目覚めたかのようにエリーは声を上げ辺りを見回し混乱するだけ。先程までの空気が一瞬で霧散してしまうような、気が抜けてしまうような有様。一応同一人物であるはずにも関わらず記憶喪失とこれまでの経験でここまで雰囲気が変わるものなのかと呆れてしまうほど。


「……何も覚えていないのか?」
「う、うん……でもあの怪獣何なの? もしかしてアキの仕業? ダメだよ、洞窟が壊れちゃってるじゃない」


ある意味いつも通りのエリーの反応にさっさとこの場から去りたい衝動が生まれるもまだルシアにそれは許されない。もしこのままエンドレスをこの場に放置すればまたエリーを狙って暴れかねない。エリーがいなくともこのままではイーマ大陸が、五つ目のレイヴがあるこの大陸がどうなるか分からない。


『何をしておるアキ!? さっさとエリーを捕まえて移動すればよかろう! 千載一遇のチャンスではないか!』
『まだそんなこと言ってんのか!? と、とにかくエンドレスを何とかするのが先だろうが! このままじゃまたすぐに襲いかかってくるかもしれねえだろ!』
『確かにその通りです。このままこの場にいてはアキ様の身に万が一があります。早急にこの場から離れるのがよいかと……』
『だからさっさとワープロードでエリーと共にこの場を離れればいいだけだと言っておろうが!』
『そ、それは……』


マザーの当たり前と言えば当たり前の言葉にルシアは黙りこむしかない。確かにそれが最善の策だがそうなってしまえばエリーはともかくハル達がどうなるか分からない。既にシュダとハルの姿は周囲には見当たらない。恐らくは先のエリーとエンドレスの戦いの余波によって吹き飛ばされてしまったらしい。エリーをシュダに預けるという選択肢も取れない。どちらにせよシュダ一人ではハルとエリーを同時に救出することはできない。だがそんな中、ルシアは一つの方法を思いつく。そう、エンドレスから逃げるのではなく、エンドレスをこの場から消すという選択肢を。


『お、おい! お前らの力でエンドレスを止めることはできねえのか!? それができれば……』
『何を寝ぼけたことを言っておる? それができれば苦労はない。先程死にかけたのをもう忘れたのか?』
『申し訳ありません、アキ様。エンドレスはいわば私達の大本。あちらから私達に干渉できても逆はできないのです』
『や、やっぱそうか……』


わずかな可能性が消え去ったことでルシアは声を沈ませるしかない。ある意味予想通りの答え。それでもわずかでもエンドレスの動きを止めることができれば手はあったのだがあきらめるしかない。残されたのはマザーの言うようにエリーを連れ、ハル達を身捨ててこの場を脱出することだけ。あまりにもリスクが大きい博打。だが


『うーん……仕方ないわねー。あんまりやりたくはないんだけどアキが死んじゃったら元も子もないし……あたしが力を貸してあげるわ』
『え……?』


バルドルの言葉によって最後の望みは繋がれる。ルシアは思わず声を漏らすしかない。先のマザーとアナスタシスの話とは異なる答えが返ってきたのだから。


『できるのか……? でもマザー達はできないって……』
『あたしを誰だと思ってるの? シンクレアを統べるシンクレアがあたしなのよ。もしかしたらもう忘れちゃってるのかもしれないけどあたし、結構偉いんだから! 一時的にエンドレスを止めることなら出来なくもないわ……まあできても数秒だろうけど……』
『貴様それができるのなら何故さっきやらなかった!? もう少しでアキが死ぬところだったのだぞ!?』
『そ、それは……まさかエンドレスが本当に攻撃してくるなんて思ってなかったし……それに』
『……それができることを忘れていたのですね』
『……てへ♪』
『何がてへ、だ!? ふざけておると次元崩壊で現行世界に投げ飛ばすぞ!』
『うるせえぞお前ら! とにかく数秒ならエンドレスを止められるんだな!?』
『え、ええ……でもどうする気? そんなことしても意味ないと思うんだけど……』


周りからボロクソに言われて涙目になっているバルドルを無視しながらルシアは思考する。数秒ではあるがエンドレスの動きを止められるのであれば可能性はある。だがこれは大きなリスクと隣り合わせ。失敗すれば本当にエンドレスに殺されかねない博打。しかしそれを決意した瞬間


「どうやら間に合ったようね……事情は大体分かったわ。エンドレスの動きを止めればいいのね……」


凄まじい冷気と共に氷の女王が突如ルシアの前に姿を現す。あまりにも突然の事態にルシアはもちろんシンクレア達ですら呆気にとられてしまう。まるで瞬間移動して来たかのようにその場に現れたのだから。


「ジェ、ジェロ!? 一体どうやってここに……!?」
「ゲートの力よ。エンドレスの光を見たからここまで瞬間移動してきたわ……」


さも当然のようにゲートを見せつけるジェロにルシアは戦慄する。ゲートはジェロを呼び出すことができるもののまさかその逆ができるなどルシアですら知らなかったのだから。それはすなわちジェロはいつでもルシアの元に来れるということ。新たな絶望が一つ増えた心境。


「そ、そうか……それよりジークはどうしたんだ? まさかもう……」
「ジーク……あの魔導士のことね。残念だけどまだ仕留めてはいないわ。後一歩だったのだけれど」


ジェロの無慈悲な宣言を聞きながらもルシアは九死に一生を得た気分だった。間接的とはいえエンドレスが復活したことでジークは助かったのだから。というか殺すなと命令していたにもかかわらずその気が全くないのがバレバレだった。


「それよりもいいのか……? エンドレスの足止めを頼んじまって……」
「ええ……例えエンドレスでもアキに仇為すなら容赦はしないわ……寝ぼけているようだし、いい目覚ましになるんじゃないかしら……」
『そ、そうよねー! ジェロの凍結ならきっとエンドレスも正気を取り戻すはずよ!』
『声が震えていますよ、バルドル……』
『ふん……まあよい。なら我はエリーの護衛を務めることにしよう。我をエリーの元に差しだすがよい、我が主様よ』
『は? な、何でそんなこと……』
『お主こそ何を言っておる。このままエリーを放っておけば戦いの余波でどうなるか分からん。我以外誰がエリーの身を守るというのだ』


ジェロは現れたことで結果として作戦の成功率が高まったもののマザーの予想外の提案によってルシアは目を丸くするしかない。確かに自分たちが動けばその間エリーを守る者がいなくなってしまう。ハルは気を失いシュダに連れられてこの場にはいない。ムジカ達も同様。もしこの場にエリーだけを置いて行けば洞窟の崩落にも巻き込まれかねない。ならルシアが持つシンクレアの中でも攻撃と防御を兼ね備えた空間消滅を扱えるマザーをエリーに預けるのは理にかなっている。今更マザーがエリーに仇為すなど考えづらい。だが言葉にできない不安がルシアに生まれる。このままマザーをエリーに渡してしまえば何か取り返しがつかないことが起こるのではないかと。だが


『さっさとせんかアキ! エンドレスも動き出した、このままではお主もエリーも死ぬことになるぞ! 』


マザーの叫びと共にエンドレスが完全に復活したことによってもはやルシアにはそれ以外に選択肢がなくなる。ともかくエンドレスをこの場から消さなければどうにもならない。


「エリー、こいつを持ってろ! 絶対に手放すんじゃねえぞ!」
「え? これってママさん? 何であたしに……」


ルシアは力づくで胸のネックレスからマザーを引きちぎり強引にエリーに手渡しながら闇の音速剣を手にし姿を消す。それに合わせるようにジェロもまたその場から飛び立つ。ただエンドレスの元に向かって。だがそのどちらも今のエンドレスの視界には映っていなかった。映っているのはエリー唯一人。ただ自分を倒し得る可能性がある存在を本能で感じ取ったが故の行動。同時にその両手に先とは比べ物にならない程の力が漲って行く。その全てがエリーに向かって放たれんとしたその瞬間、


『さあ、行くわよー。悪いけどアキ、あなたの力も使わせてもらうわ、後はどうにでもなーれ!』


もはややけくそ気味にバルドルからまばゆい光が放たれると同時にエンドレスの動きが完全に止まってしまう。まるで電池が切れてしまったロボットのよう。シンクレアとエンドレスを繋ぐバルドルだからこそできる芸当であり禁じ手。本来なら使うべきではない力。いかにバルドルであっても単体ではエンドレスを止めることはできない。だがその不足をアキのダークブリングマスターとしての力で補って行く。全身の力が抜けるような脱力感に襲われながらもルシアは歯を食いしばりながら耐え続ける。それでも数秒。たった数秒しかエンドレスを止めることはできない。もしルシアだけならここまで。だが今、その数秒で十分だった。


「――――そこまでよ」


空に飛翔する氷の女王にとってはその数秒で十分。瞬間、ジェロの全力の魔力と共に絶対氷結の力がエンドレスを足元から包み込んでいく。逃れようのない絶望の氷結。本来ならジェロの絶対氷結であってもエンドレスには通用しない。だが完全に動きを止められ、力を縛られているこの瞬間なら話は別。溶けることのない、時間すらも凍結させる氷がエンドレスを凍てつかせていく。山にも匹敵する巨大な体を一瞬でジェロは氷の彫像へと変えてしまう。四天魔王の名を持つ者の力。しかしそれでも凍結は数分が限度。今のエンドレスの力の前では絶対氷結であってもそこまでが限界。エンドレスを止めることなど、倒すことなど誰にもできない。しかしルシアには最初からエンドレスを倒す気など毛頭なかった。そんなことはダークブリングマスターであるルシアには不可能。そもそもエンドレスを倒すことなどシンクレア達が許すはずもない。故にルシアにできるのはたった一つ。


闇の音速剣を持ちながらルシアはエンドレスに向かって飛ぶ。無意味な特攻をかけるかのように。だがルシアには確かな勝機があった。そう、これはエンドレスを倒すための戦いではない。ただこの場からエンドレスを消すこと。その力がルシアにはある。


(――――ここだ!!)


バルドルとジェロによって作り出された絶対のタイミングでルシアはエンドレスに触れる。剣ではなく、直接手によって。瞬間、まるで蜃気楼のようにその場からエンドレスと共にルシアの姿が消え去ってしまう。まるで先のジェロのように。


ワープロードによる瞬間移動によってこの場からエンドレスを別の場所に強制移動させる。


それがルシアの策。奇しくもかつてルナールとの戦いで見せた戦法と全く同じもの。しかしエンドレスに触れることはルシアであっても不可能。その不足を埋めるためにバルドルの助力が必要だった。無論バルドルだけでは動きを止められるのは数秒であったのだがジェロの協力が得られたことでそれは盤石となった。あり得た未来。エリーが時空の杖でエンドレスを別の世界に送りこんだことと同じ。それが極限状態でルシアが選択した己と世界を救う方法だった――――



(はあ……な、何とかなったか……)


まるで数十年は寿命が縮んだのではないかと思えるほど疲れ切った姿でルシアは再びワープロードによって星跡の洞窟後に戻ってくる。そこには既にエンドレスの姿はない。エンドレスのみを置き去りにし、ルシアは単独でこの場に戻ってきたのだった。


「どうやら上手くいったようね……エンドレスはどこに?」
「……南極だ。あそこならここから離れてるし、問題ねえだろ……」
『確かにあそこなら問題ないわねー。絶対氷結も合わせていい気付けになるかも。でも何であんなところにマーキングしてあったの? 一度あそこに行ったことがあるってことでしょ?』
「……本当に聞きてえか? お前なら大体理由が分かると思うが……」
『っ!? い、いいえ遠慮しとくわ! だからあそこに飛ばすのだけは勘弁して頂戴! もう凍らされるのは御免よ!』
『あなたでなくマザー用のお仕置きだったようですが気をつけた方がいいですよ、バルドル』


バルドルとアナスタシスはルシアの言葉で全てを悟る。そのマーキングが本来マザーをお仕置きするための物であったことを。それ以外にも砂漠や海の中にも同様の物が存在する。ルシアもまさかそれが今回役に立つとは思っていなかったのだが。


(ったく……まあこれでひとまずは安心か……? 後はマザーとヴァンパイアを回収してさっさとここから退散しよう……)


げんなりしながらも今度こそこの騒動に決着がついたことにルシアは安堵する。エンドレスについてはすぐに動きだしてしまうが南極であるため人はおらず、多少暴れたとしても大きな被害はでない。楽観視はできないがひとまずはそれでよしとするしかない。ルシアはそのままエリーとマザーに話しかけようとするも動きとめてしまう。何故なら


「…………え?」


そこには誰もいなかった。エリーの姿も、マザーの影もない。エリーの魔力も、マザーの気配も残っていない。先の戦いや洞窟の崩落に巻き込まれた痕もない。まるで神隠しにあってしまったかのように二人の姿はどこにも見当たらない。ジェロもまたそのことに気づき、黙りこんだまま。


エンドレスを消したと思ったらエリーとマザーも消えていた。


それがこの星跡の洞窟の戦いの終わり。そして最後の物語の始まりだった――――



[33455] 第九十六話 「別れ」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/09/29 22:19
日が昇り正午を迎えようかという頃、ルシアは一人その場に立ち尽くしていた。表情は真剣そのもの。もっとも表面だけはいつもそうなのだが今は内面すらも全く余裕がない状況。ルシアはただゆっくりと歩きながらその惨状に目を向ける。

かつて星跡の洞窟があった場所。もはやかつての面影はない跡地。エンドレスの復活とその余波によって完全に崩壊してしまった場所。既にエンドレスはこの場にはおらず当面の心配はないにも関わらずルシアには全く安堵が見られない。ある意味それ以上に厄介な事態が今起こってしまっているのだから。


(ちくしょう……!! やっぱマザーもエリーも見当たらねえ……一体どこに行っちまったんだ!?)


焦りによる冷や汗を流し、頭を掻きながらルシアは声にならない愚痴を漏らすしかない。マザーとエリーが姿を消してしまうという予想だにしなかった、理解できない事態。それが今、ルシアが頭を悩ませている原因だった。


(まさか洞窟の崩落に巻き込まれて……いや、それはねえ! マザーがついてたんだからその程度じゃ何の問題もないはず! そもそもエリーはともかくマザーに何かあることがあり得ねえ……シンクレアが壊れるなんてこと今はないはず……)


焦る自分を落ち着かせるようにルシアは深呼吸し、顔を叩くことで意識を切り替える。まずは状況の整理から始めることにする。マザーとエリーが姿を消したのはルシアがエンドレスをワープロードによって強制移動させている間に起こった。ルシアは必然的にエンドレスと共に一瞬ではあるがその場を離れたもののジェロは星跡の洞窟に残っていた。しかしジェロもまたその瞬間を目にしてはいない。もし何か異常があったのならジェロが気づかないはずがない。チャンスがあったとすればジェロも作戦に参加し、絶対氷結を使った瞬間。だが時間にすればほんの数秒。最初はエンドレスの仕業かと疑ったがあの状況でそんなことができるとは考えづらい。ルシアは頭を抱えながらその場に座り込むものの気にする様子はない。

何故なら今、この場にはルシア以外誰もいない。ジェロはもちろん他の全てのシンクレアも同様。現在、ジェロ達はルシアとは別行動、星跡の洞窟から距離がある山脈周辺の捜索を命じられ動いているところだった。


(とりあえずはハル……いやジークも動いてはないみてえだな……流石に俺とジェロがこの場にいたんじゃ動くに動けねえってところか……)


星跡の洞窟での騒動から既に半日が経過しようとしている。ハル達はもちろん、ジェロと戦っていたはずのジークもまた姿を見せていない。恐らく身を隠していると見るのが妥当。当然エリーがいないことには気づいているはずだがこの場にルシア、加えてジェロまでいることからジーク達は動くことができていない。ルシアはその牽制と本当にマザー達が星跡の洞窟から離れた場所にいる可能性を見越してジェロに捜索を命じていた。だがその可能性が低いであろうことはルシアは既に見抜いていた。


(エリーの魔力もジェロは見つけられてねえ……それはまだいい。マザーの気配までなくなってるのはどういうことだ?)


それはマザーの気配が全く感じ取れなくなってしまっていること。エリーの魔力が感知できないのはまだ分かる。気を失えば魔力の反応はなくなるのだから。最悪、死に至ってしまっているのだとしても同じ。だがマザーに関してそれはあり得ない。現段階でシンクレアを壊すことは誰にもできない。五つのレイヴを揃えたTCM、もしくは完全制御の魔導精霊力しか方法はない。にも関わらずダークブリングマスターのルシアであってもマザーの気配が感じ取れない。今まで一度もなかったこと。ワープロードの召喚も試みたが全く応答がない。それどころか力が届いている気配もない。拒否ではなく力が届かないという普通ならあり得ない状況。バルドルもそれは同じ。今ジェロに預けているのはマザーの気配を探らせるためであるが、アナスタシスと回収したヴァンパイアも預けているのは他ならぬ理由があった。


(やっぱマザーの仕業だとしか考えられねえ……エリーに手渡すように言ってきたのもあいつだったし……ほぼ間違いねえはず……)


げんなりとしながらもルシアは答えに辿り着く。恐らくはこの状況の原因は十中八九マザーにあるのだと。ここに来る前からしきりにエリーを奪うことに執心していたこと、あの状況でどさくさに紛れてエリーの元に渡ったこと。エリーの命を狙っての行動とは考えにくい。それならばとうの昔に動いているはず。一体何のために。そう思考の海に落ちかけた瞬間、ルシアはようやくそれに気づく。


(これは……マザーの気配……!? でも何でこんなところから……!?)


ルシアは微かにではあるが確かなマザーの気配を感じ取り、弾けるようにその場に向かう。本当にルシアでなければ気づけないようなわずかな力。針の穴から漏れているかのような力の流出。しかしその場には何もなかった。マザーの姿もエリーの姿も見当たらない。だがそれは確かにあった。まるで空間に針の穴が開いているかのように。ルシアは直感に、本能に従うかのように自らのダークブリングマスターとしての力を注ぎこむ。瞬間、まばゆい光がルシアを包み込んだ――――



「…………え?」


ルシアは目を開けると同時に呆然と声を漏らすことしかできない。何が起こったのかすら分からない。ただあるのは目の前に広がる見たことのない風景だけ。

見渡す限り何もない。果てしなく荒野だけが広がっている死の大地。まるで世界が変わってしまったかのような状況。


(な、何だここは!? まさかシンフォニアか……!? い、いや俺ワープロードなんて使ってないし……それにこの感じ、どこかで……)


いきなり目の前の世界が変わってしまうという事態を前にしルシアは混乱するもその光景にかつてのシンフォニアが重なる。大破壊によって崩壊した大地。それに目の前の光景は酷似している。しかし、同時にここがシンフォニアではないこともまたルシアには感じ取れた。何故ならルシアはかつて一度、この景色を目にしたことがあるのだから。それが何であったか思い出そうとした瞬間


「あ! ほんとにアキだ! やっぱりママさんの言ったとおりだったね!」
『ふん、当然じゃ。だが迎えが少し遅いのではないか、我が主様よ?』


聞き慣れた二つの声がルシアの背後からかけられる。まるで親の迎えを待っていた子供のようなはしゃぎよう。聞き間違いようが、見間違いようがない金髪の少女と彼女が身につけているシンクレア。


「お、お前ら……どうしてこんなところに……?」


エリーとマザー。世界滅亡コンビがどこか楽しげな様子でルシアを出迎えてくれたのだった。


『お主こそ何を言っておる? 我らを迎えに来てくれたのではないのか?』
「一体何の話だそりゃ!? 俺はただお前の気配がした場所に向かっただけで……とにかくどういうことか全部説明しろ!」
『全く……少しは威厳を持ってはどうだ。単純な話よ。あのままあの場にいたのではエリーに危険が及びかねなかったのでな。次元崩壊を使ってこの場にエリーを避難させておいたのだ』
「じ、次元崩壊……? お、お前一人で次元崩壊が使えたのかよ!?」
『ん? 言っておらんかったか? まあ極みである以上お主のように連続して使うことはできんが我一人でも一度使うぐらいなら問題ない』
「そういう問題じぇねえだろうが!? てめえそんな勝手なことを……」
「もう、アキったらそんなにママさんを怒ったらダメだよ! ママさんはあたしを助けようとしてくれたんだから!」
『その通りじゃ。まあ片道分しか力が足りんかったのは予想外だったがお主が迎えに来てくれたのだから問題なしよ』
「そうか……ってちょっと待て!? じゃあ何か!? てめえは帰れなくなるかもしねえ馬鹿な真似にエリーを巻き込んだってことか!?」


突然自分を出迎えてくれた二人の姿に右往左往しながらもルシアはおおよその事情を悟る。どうやらマザーがエリーの身を守るために次元崩壊を使い世界を移動したのだと。まさか担い手である自分なしで極みを使えるなどとは思っていなかったこと、何よりも帰ってこれないかもしれない片道切符にエリーを巻き込んだことにルシアは戦慄し、食ってかかって行く。


『そ、それは……まあいいではないか。ちゃんと我の気配が分かるようにしておいたであろう? なのに半日も待たせるとは情けない』
「あんな今にも消えそうな気配で偉そうなこと言ってんじゃねえよ! もし俺が気づかなかったらどうする気だったんだ!?」
『そんな心配など無用よ。我と主の間には例え世界が違ったとしても切れん繋がりがある。それにそんなに大声を上げんでもお主が我を心配しておったのは十分伝わってきたぞ。うむ、全く我がおらぬとお主はやはりダメじゃな』
「寝言は寝て言え。誰がてめえなんざ……俺はエリーを探しに来ただけだ。てめえがどうなってようと知ったこっちゃねえ。どこへなりとも消えやがれ」
『なっ!? いくら照れ隠しでも言っていいことと悪いことがあるぞ! そもそもお主がレイヴマスターに無様にもボコボコにされていなければこんなことにはならなかったのだ!』


ルシアとマザーはそのままいつも通りのいがみ合いを始めてしまう。周りの状況も何のその。二人にとっては日常茶飯事、挨拶のようなもの。だがこの場にはもう一人、それを楽しそうに眺めている少女がいた。


「ふふっ、ほんとに二人とも変わってないんだね」


エリーはまるで微笑ましい物をみつめるように笑みを浮かべながら二人に話しかける。思ってもいなかったエリーの言葉にルシアは思わず喧嘩を止めてしまう。端から見ればルシアがエリーに向かって食ってかかっているように見えるのだから。


「それにやっぱりアキ、演技してたんだね。今の方が似合ってるのにどうしてあんな変な演技してるの?」
「い、いや……それは……」
『察してやれ、エリー。恰好をつけたい年頃なのだ。一応、大魔王としての威厳を見せようとしているのだがやはりヘタレは隠しきれんということかもしれんな、我が主様よ』
「ふーん。ハルが姉ちゃん姉ちゃんっていう口癖を恥ずかしがってるのと同じなのかな?」
「あ、あれと一緒にするんじゃねえ! ハルはシスコンだが俺はそんなことは……な……?」


ここに至ってエリーに素の態度で接してしまったことに慌てながらももはや手遅れ。しかもマザーに加わり恥ずかしいところがバレてしまったかのようないたたまれない空気が生まれるもルシアは何かに気づいたかのように動きを止めてしまう。最初からあった違和感の正体にようやく辿り着いたかのように。ルシアは驚愕と共にその視線を改めてエリーに向ける。正確にはその両耳に。


「? どうかしたの、アキ?」


きょとんとしながら首をかしげるエリーの両耳。そこには確かに紫の光を放つ二つのイヤリング、DBの姿があった。


「エリー!? お前それをどこで……!?」
「あ、これ? ママさんに貸してもらってるの。これがないとあたしママさんが何言ってるか分かんないし」
「っ!? マザー、お前一体どういうつもりだ!?」
『どういうつもりも何もお主が来るまで暇だったのでエリーと話をしておっただけよ。主にお主の恥ずかしい話をな。何なら初めから聞かせてやろうか?』
「ふ、ふざけんな!! 大体恥ずかしい話ならてめえの方が遥かに多いだろうが!」
『ほう、何のことやら。散々部下に振り回されておる無能な上司であるお主以上の面白い話などありはせんと思うが。のう、エリー?』
「もう、喧嘩ばっかりしちゃダメだよ、ママさん!それにアキも!あんまり酷いとあたしも怒るんだから!」

言い争いを続ける二人を流石に見かねたのか腰を手に当て、ぷりぷりと怒りながらエリーは二人の間を仲裁する。そんなエリーの姿に二人はまるで条件反射のように黙りこみ、大人しくなってしまう。ある意味条件反射。例え数年過ぎたとしても体に染みついた習性はちょっとやそっとでは拭えないらしいことをルシアは思い知る。


「……ごほんっ! まあ、それはおいといてここはどこなんだ? シンフォニアに風景は似てるみてえだが……」


一度大きく咳払いし、改めてルシアは目下気になっていることをマザーに問いかける。自分に知らせずに勝手に次元崩壊を使い、DBの声が聞こえるDBをエリーに渡したことなど挙げればきりがないもののその全てを棚上げしルシアは問う。この場所はどこなのか、と。


『まだ気づいておらんかったのか? 現行世界以外のどこだというのだ。次元崩壊を使って移動できる場所などそれ以外あるまい』
「ゲンコーセカイ?」
『うむ。お主らがいた世界の元となる世界。始まりの世界。そして本来の正しい在るべき姿といったところかの』


どこか仰々しく、厳かな雰囲気を見せながらマザーはその名を口にする。


『現行世界』

ルシア達がいた世界とは異なる世界であり、世界の本来の姿。気候変動や砂漠化によって滅んでしまった世界。同時にエンドレスにとっては目指すべき場所であり到達点。それが今、ルシア達がいる世界だった。


(やっぱそうなのか……ここが現行世界。ほんとに世界が滅亡しちまった世界ってことか……)


一度息を飲みながらルシアは当たりを見渡す。見渡す限り何もない荒野。建物はおろか草一本生えていない死の世界。この一帯は落ち着いてはいるものの少し離れれば気候は荒れ、デスストームのような異常気象が起きている。人間はおろか、生物の全てが生き絶えてしまっている地獄。それがこの現行世界。そしてエンドレスによって並行世界が消滅させられれば残るであろう世界だった。


『何をそんなに驚いておる? お主もハードナーと戦った時に一度見たことがあったはずじゃろう』
「あ、ああ……そうだったな……」


マザーの言葉によってルシアはようやく思い出す。かつてハードナーとの戦いで次元崩壊を使った際にも同じ光景を世界の割れ目から見たことを。だが見ただけ。実際に現行世界に足を踏み入れた今とは状況が異なる。もしエンドレスが勝利すればこの世界が現実の物となる。その事実がルシアに突きつけられた形。


『何を怖気づいておる。お主には我らとともにここにたどり着いてもらわねばならんのだぞ。もっとも並行世界を消滅させた後の話だがの』
「…………」


冷や汗を流しながらもルシアは実感するしかない。既に自分の手にはシンクレアが四つ。残るはラストフィジックス一つのみ。滅亡へのカウントダウンが刻一刻と近づきつつあることに。だがそんな中


「でも何だが寂しい世界だね……ママさんはこんな世界が好きなの?」


エリーは話を理解しているのかどうかも分からない様子でマザーへと問いかける。思わずルシアが止めてしまいそうなきわどい質問。場合によってはマザーの逆鱗に、エンドレスの意志に逆らうことを意味しかねない言葉。だが


『そんな訳がなかろう……こんな辛気臭い世界、我からすれば願い下げじゃ』
「…………え?」


それはマザーの完全に予想外とも言える発言によって吹き飛んでしまった。


『……? どうした、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。いや、お主の場合は魔導精霊力を食らったような顔をしての方が正しいかの?』
「ど、どんな状況だよ!? そ、それよりもどういうことだ!? お前は現行世界に至るために動いてるんだろ? それなのに……」
『……うむ、どうやら誤解を与えたようだな。この世界が気に入らんというのはあくまで我個人の思考だ。我らの、エンドレスの意志とは関係ない。我がどう思おうとそれは変わらん。我らはそのために生まれた存在なのだからな』
「そ、そうか……」


思わず声を上げそうになったもののルシアは理解する。やはり根幹は変わらないのだと。そもそもそれは当たり前のこと。シンクレアは、DBはエンドレスから生まれたもの。並行世界を消滅させ、現行世界に至るための力。いわば本能。理性でどう思ったとしても変えることなどできない。どんなに抗っても動く心臓を止められないように、息をすることが止められないように。シンクレアである限り変えることができない、エンドレスと人間の間にある絶対の壁を再びルシアは感じ取る。


「でもここじゃ何にもないよ? カジノもないんじゃつまんないよ」
「エ、エリー……お前な……」
『ふん、心配いらん。アキがおればこの世界を再生させることができる。そのためにダークブリングマスターが存在するのだからな』
「…………は?」


理解できないエリーとマザーの言葉にルシアは言葉を失うしかない。エリーに関してはいつもどおりであるため仕方ないがマザーの言葉には無視することができない意味が込められていたのだから。


『いや、再生という言葉は気にくわんな……創造と言うべきか。うむ、こちらの方が神々しい感じがするし何よりアナスタシスの奴を連想せずに済む』
「そんなことはどうでもいいんだよ! それよりもどういうことだ!? そんな話、俺はこれっぽっちも聞いてねえぞ!?」
『おや、そうだったか……? 確かに話したことはなかったか……まあ我もついこの間まですっかり忘れておったのだがダークブリングマスターには並行世界を消滅させることともう一つ、この現行世界を創造するという役目があるのだ』
「現行世界を……創造……?」
『そうだ。少し考えれば分かることじゃろう。現行世界がこのざまでは例えお主を連れてきたとしても生きることはできん。そのために我ら、いや六星DBは存在しておるのだ』


マザーはそのまま話を続ける。今までルシアですら知ることのなかったもう一つのダークブリングマスターの役割を。


『並行世界を滅ぼし、現行世界を創造する』


それがその役目。前者については嫌というほどルシアは知っていた。エンドレスの本懐であり世界の意志。偽りの世界である並行世界を滅ぼすことがダークブリングマスターの本来の役目。だがその先がまだあった。現行世界を再び再生、創造すること。並行世界という偽りではなく、現行世界そのものを滅びから救うという役目。その力を持つのが六星DB。自然の力を司る六つの奇跡。

大地を操り山を生み出し
種によって樹木を生み出し
爆炎によって火を灯し
大気を操り天候を、水を操り川を生み出し
凍結によって氷と雪を生み出し
無から有を生み出す

DBを極めしダークブリングマスターが六星DBを手にすることでそれは可能になる。まさに神のごとき力。同時にDBの裏に当たる役割。

魔導精霊力が破壊と創造の魔法であるように、エンドレスにも破壊と創造の役割がある。それこそがダークブリングマスターによる現行世界の創造だった。


「な、何でそんなに大事なことを黙ってやがったんだ!? それが分かってりゃ……」
『……? 何をそんなに怒っておる? 確かに忘れておったことは謝るがそもそもこれは並行世界の消滅を為した後のこと。まずは並行世界を消滅させることが先決なのだぞ』


マザーからすれば当たり前の反論にルシアは返す言葉を持たない。まさかダークブリングマスターにそんな役目があったなどと想像もしていなかった。だがよく考えれば当然の疑問。原作のルシアが現行世界に至ったとしてもどうやって滅びた世界で生きて行くのかという疑問に対する答え。現行世界をなかったことにし並行世界に生きるのではなく、現行世界を再生させることで一からやり直す。自然の摂理。もう一つの答えだった。


「じゃあアキがこの世界を治してる間にあたしたちの世界のみんながこっちに移ってきたらダメなの? それならあたしたちの世界を壊さなくてもいいんじゃ……」


ルシアが混乱している間にエリーはルシアにとって最も確認したかった事柄を尋ねる。並行世界の人間を全て現行世界に移動させればいいのではないか。そんな希望。だがそれは


『……無理じゃな。いくらアキでも現行世界を創造するには途方もない時間がかかる。並行世界の人間全てを養うことなどできはせん。そもそも我らにとって並行世界の人間は全て偽り。現行世界唯一の生き残りであるアルシェラ・レアグローブの血を受け継ぐアキだからこそ許されることだ……もっとももう一人ぐらいなら連れて行くことはできなくはないがな』


マザーの宣告によって消え去ってしまう。並行世界全ての人間を養うことは不可能であること。何よりも偽りである並行世界の人間を連れて行くことなどエンドレスが許すはずもない。唯一の例外がレアグローブの血を継ぐ者だけ。魂は違うもののその資格があるのはアキのみ。そしてその伴侶となる者だけ。ルシアにとってそれはこれまでとなんら変わらないことを意味していた。


『……ふむ、こういうお固い話は性にあわんの。ほれ、アキ。何か面白い話でもせんか。せっかくエリーもおるのだぞ』
「な、なんだそりゃ!? そんなこと言われてすぐにできるわけねえだろうが!?」
『なんだ情けない。そんなだからエリーに振られるというのだ。なあ、エリー?』
「え? あたし、アキを振ったことなんてないけど……?」
『は……? 何を言っておる。お主がアキを振ったからアキはお主を置き去りにしたのではないのか?』
「っ!? い、いやそれは……!?」
「そうだ、思い出した! あたしそのことでアキにお仕置きしようと思ってたんだ! ほんとなら魔導精霊力でお仕置きしたいけどビンタで許してあげる! あとキスされたことも!」
『よかろう。魔導精霊力でなかったのが残念だが我も久しぶりに頭痛を食らわせてやろう。色々と聞きたいこともあるからな……』
「ちょ、ちょっと待てお前ら! 落ち着け、話せば分かる……!」


先程までの暗い雰囲気は霧散し、意気投合しながら自分に食ってかかってくるマザーとエリーにルシアはされるがまま。もはや抵抗することはできない。だがそれはどこか懐かしさを感じるもの。

アキとマザーとエリー。かつて奇妙な共同生活をしていたあの頃が蘇ったかのような馬鹿騒ぎ。ルシアを演じなければならないということすら既にアキの頭には残っていない。できるのはただ二人に振り回されることだけ。騒がしくも懐かしい時間が瞬く間に過ぎ去っていくのだった――――



『どうやら思ったよりも長居してしまったようじゃな。いつここも天候が悪くなるか分からん。そろそろ戻るとしようか、我が主様よ』
「ああ……さっさとそうしてくれ」


どこか満足気なマザーとは裏腹に疲労困憊に加え、頬に手形の痕を残しているルシアは意気消沈しながら応えるしかない。マザーの頭痛に加え、エリーの平手によるダメージによるもの。とにもかくにも並行世界に戻ることが先決。だがそんな二人とは裏腹にエリーは何かを考え込みながら立ち尽くしているだけ。普段のエリーでは考えられないような姿にルシアも呆気にとられるしかない。


「どうした、エリー……?」
「……アキ、一つ聞いてもいいかな?」


エリーは何かを確かめるかのような視線をルシアに向ける。思わずのけぞってしまうような真剣さがそこにはある。


『エリー……お主まさか』
「大丈夫だよ、ママさん。心配しないで……きっとここで聞いておかないといけないと思うの……」


マザーが何かを制止するような声をかけるもそれを見越していたかのようにエリーは笑みを浮かべる。二人のやり取りの意味を知ることもなくアキはただ黙ってエリーの言葉を待つ。時間がどれだけ経ったのかわからないまま。それでもエリーは口にする。


「アキはどうしてあの時……あたしを助けてくれたの……?」


今までずっと気にしながらも聞くことができなかった問い。聞きながらも答えを得ることができなかった疑問。あの日、記憶喪失の自分を何故助けてくれたのか。その答えを。


「それは…………」


アキはただ口を紡ぐことしかできない。どうしてエリーを助けたのか。今まで何度もエリーに尋ねられた問い。今までアキはそれに応えることはできなかった。エリーの正体を知っていることも。魔導精霊力を持っていたから助けたことも。世界を救うためにエリーを助けたことを。いわば自分の勝手な都合で動いていたことを。マザーがこの場にいる状況で真実を話すことなどできない。否、マザーがいなかったとしてもそれは変わらない。それを口にしないことはアキにとっての戒め。だからこそアキは気づけない。

エリーがどんな言葉を待っていたのかを。エリーにとってこの問いの意味はたった一つ。自分の正体も、魔導精霊力も関係ない。かつて聞いてしまったアキの言葉が真実であったのかどうか。ただそれだけ。


「…………」


静寂が全てを支配する。静かな時間の流れ。その中にあってもアキは口を開くことはない。エリーに告げる言葉はない。それがいつまで続くのかと思った時


「……ごめんね、アキ。ちょっと意地悪しちゃった。もうこんなことしないからごめんね!」


それまでの真剣さが嘘のように花のような笑み、天真爛漫さをみせながらエリーはアキに向かって近づいてくる。いつもと同じように、いつも以上の明るさを振る舞いながら。その理由が分からないアキは呆気にとられるだけ。マザーもまた黙りこんだまま。


「ど、どういうことだ……?」
「いいのいいの! それよりも一つお願いしてもいい? あたしの髪を切って欲しいんだ! えっと……うん、初めてアキと会った時ぐらいに! いいかな?」
「か、髪を!? 何で俺が……ハサミなんて俺、持ってねえぞ!?」
「師匠がいるじゃない。あ、でも今は新しい師匠さんなんだっけ?」
「デ、デカログスでか!? 流石にそれは……」
「もう、あたしが良いって言ってるんだからいいの! してくれないんだったらあたしが自分で切っちゃうんだから!」
「わ、分かった! 分かったから師匠を勝手に持つんじゃねえ!」


エリーの突然の奇行に振り回されながらもアキは言われるがままにエリーの髪を剣で切って行く。女の子の髪を剣で切ることに罪悪感を覚えながらもアキには他に方法がない。エリーの表情は後ろに立っているアキの位置からは伺えない。だがそれでもいエリーが何かを想っているのは間違いない。

その想いを乗せるかのように金の髪が現行世界に舞って行く。その意味はエリーとマザーにしか分からない。長かった髪はいつかの時と同じように切られていく。かつてリーシャからエリーに生まれ変わった時のように、新たな自分を踏み出すための儀式。風だけが全てを運んでいく。


「……ありがと、アキ! おかげで助かっちゃった!」


それがエリーなりのけじめ。初恋と失恋の証だった――――



(ふう……とりあえず無事に帰ってこれたか……)


次元崩壊の力を使いながらルシアはエリーとマザーと共に並行世界、星跡の洞窟跡に戻ってくることに成功した。もし戻れなければどうするべきか内心焦っていたものの杞憂だったことに胸をなでおろすしかない。だが問題はここから。どうやってエリーをこの場から逃がすかの一点にかかっている。マザーがエリーを奪いたがっていた問題は解決していないのだから。だがそれは


『うむ、ではここでお別れだな。エリー。精々落ち込まないことだ』


他らなぬマザーの態度によって無意味な心配に終わる。マザーはそのまま何の未練もなしにエリーをその場から送り出さんとしている。流石のルシアもあまりの変わり身の早さに冗談か何かではないかと疑ってしまうほど。


「い、いいのか……? あれだけ散々エリーを連れて行くって喚いてたくせに……」
『ふん、女心が分からぬ奴め。だからお主はヘタレなのだ。ともかく早くこの場から離れるぞ。ジェロの奴も心配しておるだろうからな。どうやらヴァンパイアも回収したようだな。これでここにはもう何の用もない。行くぞ、我が主様よ』
「あ、ああ……」


まるで本当に用は済んだとばかりのマザーの態度に引っかかりを覚えながらもルシアはその場を離脱することにする。またいつマザーの気が変わるかも分からない現状に加え、ジェロとジーク達の衝突も起こりかねない。ヴァンパイアの回収も済んだ以上ここに長居する必要はない。もはやエリーの前では演技する意味もないのだがそれでもこれ以上ボロがでないよう声をかけることなくルシアはマザーを手にしながらその場を去っていく。そのさなか


「……またね、アキ……ママさん」


どこか悲しげなエリーの声が二人にかけられる。まるで今生の別れでもあるかのような雰囲気がそこにはあった。驚きながら振り返るもそこには走り去っていくエリーの後姿があるだけ。いつもとちがうのは長い後ろ髪がないこと。


『いつまで未練がましく見つめておる。全く……これだからお主は振られるのだ』
「は? 何訳が分からないこと言ってやがる?」
『何でもない。それよりもさっさとせんか。これからが本番、最期の戦いなのだからな』
「……分かってるっつーの。ったく……」


ルシアは頭を掻きながらマザーと共にその場を去っていく。エリーと真逆の方向に向かって。その意味を知る術はルシアにはない。


それが何年かぶりの三人の再会。そして避けることができない別れだった――――



[33455] 第九十七話 「喜劇」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/10/07 22:59
「…………ふう」


ルシアは大きく息を吐きながらその手にある書類をデスクの上に置く。ようやく一仕事終えたサラリーマンのような姿。それを示すように服装も黒のスーツ、DC本部で最高司令官として振る舞う際のもの。だがルシアが頭を悩ませているのは最高司令官としての仕事ではない。むしろ仕事の量については先日ディープスノーを側近に任命したことによって以前の半分以下になっている。もちろんそれを見越したうえでの人事だったのだがまさかここまで楽になるとは思っていなかったルシアは改めてディープスノーの有用さを実感した形。にもかかわらずルシアが疲れ切っている理由。それは


『どうした、辛気臭い顔をしおって。いつもいつもお主は仕事が遅いのではないのか?』


自らの胸元から見上げるように話しかけてくる少女。少女というよりは幼女といった方がいいのではないかと思える容姿を持つ金髪幼女がイスに座っているルシアの膝の上に乗ったまま小悪魔のような笑みを浮かべている。どこか満足気でもある幼女、イリュージョンによって幻の姿を見せているマザーにルシアはうんざりするしかない。


「余計な御世話だ。そもそもてめえがそこにいるから余計仕事が遅くなるんだろうが」
『ふん、お主こそ人のせいにするでない。この姿は幻、重さも何もない。加えてちゃんと仕事が終わるまで静かにしておったであろう? これ以上我にどうしろというのだ』
「そもそもイリュージョンで姿を見せる必要がないだろうが。いやでもいつも胸元いるってのになんの嫌がらせだ!?」
『はて何のことやら。まったく、せっかく我が傷心のお主を癒してやろうとしておるのに……ヘタレなのは大魔王になっても変わらぬの』


やれやれと言った風に首を振りながらマザーは自らの主の不甲斐なさを嘆く。見た目で言えば幼年期のカトレアなのだが放っている空気は全くの別物。ルシアからすれば同じ容姿でここまで差が出るものなのかと呆れるほど。


(ちくしょう……調子に乗りやがって……星跡の洞窟から帰ってからずっとこの調子じゃねえか……)


内心舌打ちしながらルシアはこれまでの現状を思い返す。星跡の洞窟でのハル達との接触と顛末。想定外の事態もあったが結果としては成功。エンドレスは復活したものの南極へ送り、エリーもまたハル達の元へ戻っていった。ここまでは問題ない。だがDC本部に戻ってからは明らかにマザーの様子がおかしかった。端的に言えば今まで以上にルシアに纏わりついてくるようになってしまっていた。イリュージョンを使う頻度も増し、それでも飽き足らないのか今のようにルシアの膝に乗ったりとやりたい放題。まるでわが世の春がきたと言わんばかりの状態。だがようやくその理由がルシアにも見当がついていた。


(くそっ……やっぱ俺がエリーに振られたのを面白がってやがるな……! 馬鹿にしやがって……ったく)


自分はエリーに振られてしまったこと。すぐにそれには気づかなかったもののそこからのマザーの言動やエリーの言動を思い返す中でようやくルシアは状況を理解することができた。それ自体は構わない。例えエリーの質問の意図が分かっていたとしてもルシアの答えは変わらない。エリーの想いに応えることはない。そもそも根本的な問題としてルシア自身、エリーに対しては恋愛感情を持ってはいなかった。好意はあるがそれは親愛の情に近いもの。例えるならレイナに対する感情に近い。何よりもエリーはハルの想い人。それを奪うことなどあり得ない。その気があるのなら初めてエリーと会ってから一緒に暮らした二年の間に動いている。そう言った意味でエリーに振られること自体は大した問題ではない。


(しかし何だこの敗北感……? いや、知らない間に惚れられて知らない間に振られるって……ちくしょう、ハルの奴、今度会ったらもう一発殴ってやる! 俺だってこんな状況じゃなけりゃ彼女の一人や二人……)


ぶつぶつと八つ当たりのようにルシアは心の中で愚痴をこぼすしかない。ハルに関しては完全な八つ当たりであり、ルシアなりの祝福という名の嫌がらせ。もし自分がこんな状況でなければ恋愛の一つや二つしても良かったのかもしれないがいかんせんそんな余裕も時間もなかった。マザーを誤魔化すだけでも精一杯にも関わらずさらに自分の企み(表向きには世界征服)に賛同してくれる女性などいるわけがない。恋愛関係でも詰んでいると言わざるを得ない己の状況に辟易とするもどうしようもない。今のルシアにできるのはただひたすらに裏から世界を救い、自分が生き残れるように動くことだけ。


「……どうやら一段落したようね。コーヒーを持ってきたわ」
「あ、ああ……悪い、ジェロ……」


そんなルシアの苦労が通じたのかは定かではないが完璧なタイミングでジェロがコーヒーを差しだしてくる。その声に一瞬ぎょっとしながらも恐る恐るルシアは受け取るしかない。魔界から連れ出して行動を共にしてから既に一週間以上になるが未だにルシアはジェロに対するトラウマを払拭できずにいた。しかも仮にもジェロは四天魔王。そんな彼女を秘書ならまだしもお茶を持ってこさせているなど魔界の住人から見れば恐れ多くて卒倒しかねないこと。


『まったく……四天魔王にこんな雑務をさせるとは、流石は大魔王。偉くなったものじゃのう……』
「ち、違うわ!? 俺はそんなこと一言も言ってないっつーの! これはジェロが勝手に……」
「……余計なことだったかしら」
「い、いや……そんなことは……ご、ごほん! とにかくありがとな、ジェロ!」


乾いた笑いを見せながらルシアは慌てて言い直すもジェロは全くいつもと変わらない無表情。何を考えているのか未だに分からない。ただ一つ分かることは間違いなく彼女が絶望、氷の女王であるということだけ。マザーはどこか不満げにしているがジェロ相手では大きく出れない様子が見られる。もちろんマザーに限った話ではなくシンクレア全てに言えることなのだが。


「…………っ!」


とりあえず持って来てくれたコーヒーを口につけるもルシアは思わず吹き出し様になってしまう。冷たかった。ただひたすらに冷たかった。ルシアはコーヒーはホットを好んでおり、この部屋にあるコーヒーメーカーを使っている以上ホットになるはずなのだがジェロが持ってくる物は全てアイスコーヒーになってしまっている。嫌がらせでも何でもなくジェロはただホットコーヒーを持ってきただけなのだがそれだけでアイスコーヒーになってしまうという出鱈目さ。冷気を抑えているにもかかわらずジェロがこの場にいるだけで冷房いらずという優良物件。しかも何故かずっと自分の隣に控えているという特典付き。いくら言っても座ろうとしない、クーリングオフが効かない絶望にルシアはただされるがままだった。


『もう、ジェロったら何度言えば分かるの? そんなんじゃいつまで経っても面白く……じゃないアキに慣れてもらえないわよ! せっかく買ってもらった服を着てることをアピールしなきゃ!』
「服……? そういや今日はスーツじゃねえんだな」


もう見ていられないとばかりにバルドルがしゃしゃり出てくるも誰もまともに相手をしようとはしない。特にジェロはガン無視だった。もはやそういう役なのだとルシアも理解してきたので気にすることはないもののバルドルの言葉によってルシアは改めてジェロの服装に目を向ける。白のセーターにロングスカート。先日ルシアが買った服をジェロは身に着けていた。服装だけでいえば珍しい物でもないのだがジェロが着ていることによって際立っている。普段の戦闘装束とのギャップというのもあるのかもしれない。


『どう? 中々似合ってるでしょう? それにジェロったら可愛いのよ、この服を着てから鏡の前を何度も行き来しては嬉しそうに』
「……言いたいことはそれだけかしら。何ならあなたをアクセサリとして私の首に掛けてあげてもいいのだけれど」
『と思ったんだけど気のせいだったみたいねー。とりあえず着てみただけよね! だからそれだけは許してくださいお願いします』
『威厳も何もあったものではありませんね……』
『ふん、いつものことじゃ。にしても服か……やはり黒のゴスロリでは……いやしかし……』


ジェロの視線と言葉によって凍りついてしまうバルドルを前にしてルシアもまた溜息を吐くしかない。同時にアナスタシスとマザーも何やらブツブツと独り言をつぶやいている。数年前まではマザー一人であったにもかかわらず今はそれは嘘であったかのような賑わい。元々マザーだけでも騒がしかったはずなのだがそれすらマシだったのだと感じるほど。だがルシアにとっては既に慣れつつある光景。それどころかある種の安堵すら覚えるほど。先のようにハル達と接触するのに比べれば可愛いもの。人間の、自分の適応力の高さに感謝すればいいのか嘆けばいいのか考えている中


『……で、いつまでこの茶番は続くのかしらぁ?』


心底呆れ気味の、いらだちすら滲ませる言葉が響き渡る。ルシアは一瞬、体を強張らせながら自らの胸元へと視線を向けるしかない。そこには先日までにはなかった四つ目の闇の輝きがある。

『ヴァンパイア』

吸血鬼の名を冠する四つ目のシンクレアが今まで黙りこんでいたにも関わらずもはや我慢の限界だと言わんばかりの態度を見せていた。


『なんだ、やっと口を開いたかと思えば第一声がそれか? バルドルでももう少しマシな言葉を選ぶぞ』
『あんなのと一緒にしないで頂戴。それよりもいつまでこんなところでグズグズしているつもりなわけぇ?』
『あたしの扱いが日に日に悪くなっているような気がするんだけど……まあいいわ。良くはないけどいいことにして、何をそんなにイライラしてるわけ? あたし達はいつも通りにしてるだけなんだけど』
『いつも通り!? これが!? あなた達これまで一体何をしていたの!? 下らない話をしてる暇があったらさっさとラストフィジックスを探しに行く算段をつけなさいよ!』
「そ、それは……」


ヴァンパイアの当然と言えば当然の主張にルシアは言葉を濁すしかない。既にルシアは四つのシンクレアを手にし残るはラストフィジックス一つのみ。本体であるエンドレスも目覚めたことによってもはや世界の終焉はカウントダウンに入っている。今のルシアにできるのはできるだけラストフィジックスを手に入れるのを遅らせること。しかしついにその話題になったことでルシアは内心冷や汗を流しっぱなし。どう言い訳をすべきか、誤魔化すか必死に考えるも


『ふん、ヒステリーを起こされても見苦しいだけだぞ、ヴァンパイア。もっと優雅さをみせてはどうだ、情けない』
『あなたにだけは言われたくないわぁ……そもそもあなたこそ何を考えてるわけ? 担い手……アキに纏わりついてるだけで何もしてないじゃない。本当にしゃべるだけの石に成り下がったのかしらぁ?』
『分かっておらぬのは貴様の方であろう。確かに残りはラストフィジックスだけだがその居場所はまだ分かっておらん。闇雲に探してもどうしようもあるまい』
『そ、そのぐらい分かってるわぁ! でもだからってこの状況を見れば焦りもするわよ! アナスタシス、あなたは何も思わないわけ!?』
『いえ、私は特に何も。これがアキ様と私達の日常ですので……』
『……そう、いいわぁ。でもこれからどうする気なの? まさかずっとここで意味のないおしゃべりをして時間をつぶすつもりじゃないんでしょぉ?』


まるで蛇を連想させるような視線でアキを射抜きながらヴァンパイアは告げる。これからの方針。最後のシンクレアであるラストフィジックスをどうやって手に入れるのか。


『……一つはあのジークという魔導士から聞き出すことですか。いえ、レイヴマスター達もその場所を知っているかもしれませんね』
『でもそれってもう無理なんじゃない? レイヴマスター達は逃げちゃったし、今はジークって奴も魔力を隠しちゃってるんみたいだし。まったく、ジェロがちゃんとしてればこんなことにはならなかったのにねー』
「…………」
「い、いや……あれは俺を心配して来てくれたからで……ジェロもそんなに気にすんなって、はは……」


ルシアはバルドルの狙っているのか天然なのか分からない発言に思わずフォローを入れてしまう。そうしてしまうほどに明らかにジェロの空気が重かったからこそ。ジェロは無言で自らの失態を恥じているのだが半分以上は主の前でそれを指摘したバルドルへの怒りによるもの。だが自分の失態は事実であるため否定することもできずただ無言でバルドルを睨みつけている。バルドルは自分が絶対氷結寸前の状況に陥っているのにも気づかずジェロから一本取ったことに大喜びしているのだった。


(ジェロはともかく……ひとまずはハル達は安全だな。流石はジークってところか。エリーの魔力も一緒に隠しているみたいだし……)


ルシアはここにはいないジークに感謝するしかない。ルシアとして最悪の展開があのままジークやエリーの魔力を追い、ラストフィジクスの隠し場所を聞き出すという流れになることだったのだがその心配は消え去った。恐らくはマジックディフェンダーかそれに類するもので魔力を消したことによってジェロはジーク達を追うことはできなくなっていた。今ハル達がどこにいるかはルシアも分からない。ただ分かることは今自分がここで時間を稼がなければハル達はどうしようもなくなってしまうということだけ。


(とにかく出来るだけ時間を稼がねえと……でもこれ以上は流石にやべえ……! もうマザー達を誤魔化せる理由も言い訳も残ってねえし……)


だがルシアにとってはある意味ウタとの戦いよりも厄介な状況になりつつある。既にマザー達からすれば動かない理由はない。その最後の理由だったエンドレスの目覚めも起こってしまった。今は半壊してしまったDCの立て直しという名目で閉じこもっていたがもはやそれも限界。そもそも六祈将軍が壊滅してしまった以上DCには何の価値もなく、あるのはルシアにとってだけ。


(落ち着け! まだ何とかなる! ハル達が五つ目のレイヴと新しいTCMを手に入れてくれればまだ希望はあるはず……!)


残された最後の希望を思い出し、ルシアは己を鼓舞する。ルシアの、ハル達にとっての最低条件が揃えばまだ世界を救える可能性が確かに存在する。

『真実のレイヴ』
『聖剣レイヴェルト』
『エリーの記憶』
『時空の杖』

この四つがハル達が手に入れなければならない最低限のもの。いわばRPGの最終戦において必要不可欠になる装備。だがそのどれも未だハル達は手に入れていない。星跡の洞窟の戦いから既に一週間は経過しているためどれかは手に入れていてもおかしくないが全てが揃っているとは考えづらい。今のルシアにはその状況を確認する術すらない。しかも他ならぬ自らの影響で新たな刺客をハル達に送ることもできない。


(本当ならBGとの戦いになるはずだがもうそれは起こらねえ……ってことはもうハル達に戦闘の機会はねえってことだ。もう六祈将軍もいねえし、俺の配下は四天魔王だけ。こいつらを送り込むのはいくら何でもヤバすぎる……下手したら一発でハル達が全滅しちまう!)


ルシアはただ頭を抱えるしかない。本来ならBG、ハードナーと六つの盾がハル達と戦うはずだったのだが既にルシアの手によって壊滅させられてしまっている。それによるハル達の戦闘の経験値、レベルアップは見込めない。分かっていたことではあるがその差は大きい。ハルに関しては自分との戦闘によって成長し、シバとの試練を乗り越えれば可能性はあるがレットやムジカ達は間違いなく弱体化してしまうはず。刺客を送り込もうにも六祈将軍は既に壊滅し、それ以下の構成員などハル達の敵とはなり得ない。だが四天魔王を送り込むのは愚の骨頂。四天魔王の強さをルシアは誰よりも知っている。ハジャを超え、世界最強の魔導士になったはずのジークですらジェロに敵わなかった。自動再生という能力があったとはいえジェロは全く意に介した様子すらない。ウタは当然として他の二人も実力の大差はない。今の状態のハル達では例え全員でかかったとしても四天魔王一人にすらも歯が立たない。


(仕方ねえ……これは分かり切ってたことだ。だがハル達が最低条件さえ満たしてくれればまだやりようはある……! 要は俺が負ければいいんだ! 初めからこの戦いはエンドレスを倒すための戦いなんだ……!)


知らず拳を握りながらルシアは自分に言い聞かせるエンドレスを倒すこと。それがこの世界を救うための条件であり、答え。そのために自分は必死に抗ってきたのだから。もはやルシアは察していた。エンドレスが完成することは恐らく避けられないであろうことを。

『九月九日』

時が交わる日と呼ばれる時の接合点がすぐそこまで迫っていること。その事実にようやくルシアは気づいた。

リーシャがレイヴを生み出し
シンクレアによって大破壊が起こり
ゲイルとキングが生まれ、争った日。

あり得た未来ではハルとルシアが世界の命運を賭けた最終決戦を行った日。

まさに世界の意志が働く日。その日がまさにそこまで迫っている。それが何を意味しているかなどもはや語るまでもない。

本当ならエンドレスが完成する前にハル達に全てのレイヴと完全制御の魔導精霊力によってシンクレアを壊してもらうことを考えて動いてきたがそれが間に合わないであろうことがルシアには感じ取れてきていた。まるで見えない力が働いているかのよう。もしかしたら自分はとんでもない思い違いをしていたのではないかとルシアは考えていた。

そう、レイヴとシンクレアは対を為すもの。すなわちそれが揃うのも、完成するのもまた同じ。レイヴが揃うときはすなわちシンクレアが揃う瞬間なのだと。

ルシアがこれまで足掻いてきたのも無意味であり、全ては時が交わる日に収束するように決まっていたことなのではないか。そんな抗えない大きな力を悟り、ルシアは絶望しかけるも必死に振りかぶる。


(いや……まだそう決まったわけじゃねえ! 現にレイナは助けれたんだ! 未来は変えられるはずだ! マザー達を壊せばまだ……)


ルシアは自分に言い聞かせるように自らの胸元にある四つの母なる闇の使者達を見つめる。エンドレスの分身でもある四つの魔石。並行世界を消滅させ、現行世界に至るための存在。その恐ろしさも、出鱈目さもルシアは散々味わって来た。文字通りその体で。彼女達は間違いなく悪そのもの。だが同時に現行世界にとっては正義でもある存在であることもルシアは知っていた。いわばエンドレスは元に戻ろうとする力。それ自体は悪しきものではない。しかしこの世界で生きる者たちにとっては許すことができないもの。なら自分にとってはどうなのか。ルシアは今まで考えなかった、考えようとしなかった事実に向き合わなければならない。


(俺は……こいつらを……壊せるのか……?)


自分がシンクレア達を、マザーを壊すことができるのか。

そんな、当たり前の、今更な事実。

もしシンクレア達が物言わぬ石であったなら何の問題もないだろう。もし彼女達が何の感情も持たない存在なら情を感じることもなかっただろう。もしこんなに長い間共にいなければこんなことを考えることすらなかっただろう。

常識で考えればあり得ないようなこと。世界にとっての敵である相手に情けをかけるなどあり得ない。だがアキにとってはそうではない。アキにとってこの世界は自分の世界ではない。ただ自分が死ぬのが嫌で仕方なく動いていただけ。しかしダークブリングマスターとしてのもう一つの役割からそれだけが選択肢ではないことが示された。現行世界を再生することができれば自分だけは生きることができる。今までの前提を覆しかねない選択肢。それすらも理由の一つに過ぎない。アキはようやく悟る。自分が一体何をここまで悩んでいるのかを。それは


『……何をボーっとしておる? 見つめられるのは悪くないが全く話に参加せんのは見逃せんの』


マザーのどこかきょとんとした姿によって霧散してしまう。ルシアは自分が知らず考え込んでしまったことにようやく気づく。どうやらこれからの方針が固まりつつあるらしいことを場の雰囲気から察し、とりあえずその場をまとめることにする。


「悪い……ちょっとな。で、話はどうなったんだ?」
『本当に聞いておらんかったのか? とりあえずバルドルの奴の力でラストフィジックスの気配の方向に向かって地道に探していく方向になった。ま、本当にこやつの能力が当てになればの話だがの』
『ちょ、ちょっと! いくらマザーでもそんな言い方は許せないわ! ちゃんとドリューの持つ二人の気配は探しだしたんだから! ね、ジェロ?』
「…………」
『え? またガン無視? もしかしてさっきのことまだ根に持ってるの?』
『それはともかく、ひとまずはそれしか手はないようですね。納得しましたか、ヴァンパイア?』
『…………そうねぇ。ま、そういうことにしておいてあげるわ』
『ふん、そんなに焦ることもあるまい。それよりもアキ、ちょっと我に付き合え。行きたいところがあるのでな、準備するがいい』
「は? 何の話だ? 行くってどこへ……」
『いいから早く着替えんか! そんな恰好では話にならん! それとジェロ、他のシンクレア達を頼む。我はその……うむ、アキと二人きりで話があるのでな』
『え? 何? 面白そうじゃない、あたしも一緒に……ぶっ!?』
「ええ……分かったわ。何かあったら呼んで頂戴。すぐに行くわ」


あれよあれよという間に話がまとまったのか完全にマザーと出かけることが決定してしまったルシアは言われるがままにスーツからいつもの黒の甲冑に着替え、他のシンクレアをジェロに預けたままその場を後にする。行き先はルシアですら分からない。知るのはマザーのみ。一体何の意図があるのか分からないままルシアはマザーと共にDC本部を後にするのだった――――




【……で、一体あれはどういうことなのかしら。説明してくれる、二人とも?】


どこか冷たさを感じさせるヴァンパイアの声が部屋に響き渡るもジェロは何の反応も示さない。無反応なのはいつもと変わらないがいつもと違うのはジェロにはヴァンパイアの声が本当に聞こえていないということだけ。それはシンクレアだけが聞こえる、ルシアですら立ち入ることができない領域での会話。いわばエンドレスの深淵。


【どういうこと、とは? まだ今後の方針に不満があるのですか?】
【いいえ、方針自体は構わないわぁ。今のところ他に代案もないし。気になってるのはあなた達のアキへの態度よ。ちょっと甘すぎるんじゃない? まだ一週間だけどあの担い手がどこか本気でないことは私にも分かるわぁ。なのにあのままにしておいていいわけ?】
【……あなたが言いたいことも分かります。ですがアキ様はマザーの選んだ担い手。私達がとやかくいう筋合いではありません】
【あたし同じよー。確かに甘いところもあるけどあたしたちを扱う力は確かだし。何よりもマザーがいいならあたしはオッケーよ♪】


アナスタシスとバルドルはさも当然のように己の意見を告げるだけ。だがそれでも納得いかないのかヴァンパイアは黙りこんだまま。それがいつまで続いたのか


【ところであの子、マザーは担い手に入れ込みすぎじゃない? まさか本当に人間に惹かれちゃってるってわけ? そんなことしても無駄だってこと、あの子も知ってるはずじゃない。ちゃんと言ってあげた?】
【……ええ、一度。ですが自分がやりたいようにやるそうです。全て分かった上でしょう。自らの主に対する想いは彼女が恐らく一番強いでしょうから】


アナスタシスはどこか憂うような声で呟く。かつてのマザーとやり取り。それによってこの先どうなるかを見越したうえで。だが


【ふふっ、あはは、あははははは! ちょっと笑わせないでよ、アナスタシス……自らの主への想いって……ふふっ、そんな冗談を言うようになったのね。あの人間の影響をあなたも受けちゃってるんじゃない?】
【……どういうことですか】
【あなただって知ってるはずでしょぉ? 担い手、主なんてのは形式的な話。あんなのはただの傀儡、人形よ。エンドレスにとってはただの道具でしかないわ。それを主だなんて……あなたもしかして人間にでもなったつもり?】
【…………】
【だんまりってわけぇ? バルドル、あなたはどうなの? まさかアナスタシスみたいに甘いこと、あなたが言うわけないわよねえ?】
【……ええ。あたし達はシンクレア。担い手は人間。それ以上でも以下でもないわ】
【そう……安心したわ。じゃあ精々短い時間だけど愉しませてもらうとしましょうか……『ごっこ遊び』はもうおしまいよ……】


吸血鬼は楽しげに嗤う。これから起こる喜劇を前にして歓声を上げる観客のように。その場にいるもう二人の使者は無言のまま。氷の女王は知ることはなくただ自らの王のために役目を全うせんとしているだけ。


ルシアとマザー、そしてシンクレア達の物語もまた終焉に向けて転げ落ちて行こうとしていた――――



[33455] 第九十八話 「マザー」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/10/11 12:24
「……暑い」


これ見よがしに溜息を吐きながらルシアは愚痴をこぼす。その声は自分の前を歩いているマザーの幻に向かって告げられている。本体は胸元にいるにもかかわらず幻に話しかけるというのもおかしな話ではあるがその方がやりやすいのは確かなためルシアはいつものように話しかけるもその顔は不満で満ちている。正確にはうんざりとしていた。


「…………暑い」


あえて先程と同じ言葉を、さらに語気を強めながらルシアは告げる。恨めしげな視線と共にルシアは自らの現状を漏らす。見渡す限り砂漠が続く世界。日陰になるような物一つない太陽が照りつけ続ける灼熱の世界。しかもそんな中にあって黒の服装に甲冑を身に纏っているという正気を疑うようないでたち。ルシアでなくとも文句の一つも言いたくなるような有様。


「…………暑」
『ええい、鬱陶しい! それ以外の言葉がしゃべれんのかお主は!? そんなに暑いのが嫌なら今からでもジェロをこの場に呼び出せばよかろう!?』


まるで呪詛のように同じ言葉を連呼、もとい嫌がらせを続けるルシアについにしびれを切らしたようにマザーはヒステリックに叫ぶしかない。だが金髪幼女の容姿で凄んだところで威厳も何もあったものではない。元からそんな物は微塵もないのだが今まで必死に耐えていたものの流石のマザーも我慢の限界だった。


「いいのかよ。わざわざジェロと他のシンクレアを置いて来たってのに……ま、俺はどっちでもいいんだけどな」
『ぬう……お主、分かって言っておるな。ともかく黙って着いてこんか! 暑いのは砂漠なのだから当たり前、いつまでもウジウジ文句を言うでない!』
「文句の一つも言いたくなるっつーの! 出かけるから着替えろと言われて砂漠に行くなんて想像できるわけねえだろうが!? こちとら生身の人間だぞ、てめえと一緒にするんじゃねえ!」


ルシアもまた今の状況に我慢の限界が来たのかマザーへと食ってかかって行く。今、ルシアはマザーの言われるがままにワープロードを使って瞬間移動を行って来たところ。それ自体は別に構わない。だがその場所が問題だった。ちょっと話があると言われてまさか砂漠に連れてこられるなどと誰も想像できない。しかもシンクレアであるマザーと違いルシアは生身。恰好のせいもあるが既に汗だく。本当にジェロを召喚してもいいのではないかと思ってしまうほどのひどさだった。


『ふん、今のお主も十分人外だと思うがの……まあよい。ほれ、ようやく目的地が見えてきたぞ。ワープロードの座標が少しずれておったようだが何とかなったようじゃな』
「……? 見えてきたって何が……」


ある方向に向かって指をさすマザーに導かれるようにルシアもまた目を向ける。そこには巨大な施設があった。こんな砂漠しかない場所には不釣り合いな建造物。正確にはそうであった物。


「あれは……」


それは既に廃墟だった。壁は無残にも崩れ落ち、砂に埋もれつつある残骸。だがそんな場所にルシアは見覚えがあった。忘れようがない、ある意味悪夢の始まりと言っても記憶が呼び起こされる。


『うむ、どうやらやっと気づいたようだな。十年以上ぶりの帰郷と言ったところかの、我が主様?』


そんなルシアの反応に気を良くしたのかマザーはどこか楽しげに笑いながら振り返り、告げる。原点回帰。始まりの場所。全ての因果が狂い始めた接合点。

『メガユニット』

かつて帝国が誇っていた世界最大の収容所であり監獄。そして金髪の悪魔であるルシア・レアグローブが幽閉されていた場所。それがマザーが目指していた目的地だった――――



(帰郷か……ある意味そうなのかもしれねえが、感慨も何もあったもんじゃねえな……)


頭を掻きながらルシアは辿り着いたメガユニットの惨状に溜息を吐くだけ。あのまま当てもなく砂漠を永遠に歩かされ続けるのに比べれば目的地があったのは喜ぶべきことだがまさかこんな場所に連れてこられるとは思っていなかったルシアは複雑な表情を浮かべるしかない。マザーは帰郷などという言葉を使っていたがルシアにそんな気は毛頭ない。ガラージュ島ならあり得るがこの場に思い入れなど無い。


『やはりあの時のまま放置されておるようじゃの。人間も一人もおらぬ。見よ、あの穴を! 覚えておるか、あれが記念すべき我の初空間消滅の証じゃ! うむ、今とは比べるべくもないが中々壮観じゃの!』
「そ、そういやそんなこともあったな……」


両手を腰に当て、どこか満足気に自らの破壊の爪痕を眺めながら頷いているマザーにどう反応したらいいのか迷いながらもルシアもまた思い出す。自分がこのメガユニットから脱出するために初めてマザーの力を使ったことを。今では考えられないがその当時はこの威力の空間消滅を目の当たりにしただけで言葉を失った。今では空間どころが次元も崩壊させれるのだが考え出せばきりがないとルシアは切り捨てることにする。


「……で、一体何のためにこんなところまで来たんだ? まさか本当に話をするためってわけじゃないんだろ?」


茶番はこのぐらいでいいだろうとばかりに真剣な空気を纏いながらルシアはマザーへと問う。何故こんな場所に連れてきたのかと。二人きりで話があるなどと言っていたがルシアはそんな言葉を鵜呑みにはしていなかった。わざわざジェロとシンクレア達を置いてきてまで世間話をするわけもない。ルシアは知らず息を飲む。最悪の展開が自分の企みがバレてしまっているというもの。最大限ばれることがないように細心の注意を払って動いてきていたものの可能性はないとは言い切れない。もしそうならばどんな目に会うか分かったものではない。最悪頭痛という名の洗脳が行使されかねない。だがそんなルシアの思考は


『ん? 何を言っておる。それ以外の何がある。我はお主と話すためだけにここに来ただけじゃが』
「…………は?」


マザーのきょとんとした姿によって呆気なく終わりを告げる。そこにはシンクレアの威厳も何もあったものではない。ただ見た目通りの、いつも通りのマザーがいるだけ。


『何を呆けておる。最初からそう言っておったじゃろうが』
「い、いや……じゃあほんとにただ話をするためだけにこんなところに連れて来やがったのか!?」
『何度同じことを言わせれば気が済むのじゃ。中々お主と二人きりで話す機会がなかったのでな。仕方なくこうして場を設けてやったというわけだ』
「何で俺がてめえと二人きりでわざわざ話をしなきゃなんねんだよ!? そもそもここに来る意味がねえだろ!?」
『くくく……照れるでない。まあ確かに見てくれは良くはないがここはいわばお主と我の……うむ、慣れ染めの場であるからな。雰囲気作りにはもってこいだというわけだ』
「お前……頭がおかしくなってんじゃねえか?」
『ふふ、褒めるでない。ではさっさと奥へ行くとしようか。そうすれば暑さも少しはマシになるであろう』


ルシアの突っ込みにも全く反応することなくマザーはそのまま優雅なステップを踏みながら階段を下りて行く。いつも以上に意味不明なマザーの様子に辟易しながらもルシアはあの後を追って行く。行き先はその最下層。地下六十六階。かつてルシアが幽閉されていた区画だった。


『やはり何もないの。まあ我が開けた穴から光が差してくるのは幸いじゃ。この辺りでいいじゃろう』


穴から漏れ出している光を頼りに手頃な岩を見つけたのかマザーはちょこんと腰を下ろし、ルシアへと振り返る。どうやらここで腰を落ち着けて話をするつもりらしいことを感じ取ったルシアも仕方なくその場に腰を下ろすことにする。幻であるくせに自分だけ岩を椅子代わりにしていることに思う所はあるものの突っ込んでも無駄なことは分かり切っているためあえて無視しながらルシアはさっさと話を進めることにした。


「で、話ってのは何なんだ? つまんねえ話だったらこのまま置いて帰るぞ」


ジト目をしながらルシアはマザーをけしかける。もしこんなところまで連れてこられてどうでもいい話を聞かされれば冗談でも何でもなくその場に追いて帰る気満々だった。だがそんなルシアの態度を見ながらもマザーは動じることはない。どこか厳かさを感じさせる雰囲気を纏いながらマザーはルシアを見つめ続ける。それがいつまで続いたのか


『ふむ、では………まずこれまでよくやってくれたアキ、ダークブリングマスターよ。主の働きによって我らの悲願は目の前にまでやってきておる。褒めて遣わす』


その場全てに響き渡るような重苦しい声がマザーによって告げられる。どこかエンドレスを連想させるような豹変。その言葉遣いも普段のマザーとは違っている。とても声を挟むことができないような重圧の中


「……どうした、ほんとに熱でもあるんじゃねえか、お前?」
『……え?』


ルシアはまるで頭が痛い子を見るような視線と憐れみを以てマザーの本体をいじくりまわす。そんな予想外の反応にマザーはただ言葉を失うしかない。本来の予定ならいつもとは違う自分の姿に右往左往する姿を楽しむはずだったのだがまさか開始数秒で見抜かれるとは思っていなかったマザーは呆然とするしかない。マザーは甘く見ていた。ルシアとのこれまでの付き合いの長さを。マザーとエンドレスの違いなどルシアからすれば一目見れば看破できる。残ったのは恥ずかしいところを見られてしまったという黒歴史だけ。それを誤魔化すように、いつかのようにマザーの頭痛によってルシアは悶絶することになったのだった――――


「く、くそ……何で俺が頭痛を食らわされなきゃなんねんだ!? てめえが勝手に気色悪い演技したせいだろうが!」
『ふん! あそこはあえて乗るくらいの器の大きさを見せるところであろう! まったく……もうよい。そもそもお固い雰囲気は我の性には合わんしの……』
「何の話だ? というかどういう風の吹き回しだよ。てめえが俺を褒めるなんて……ほんとに頭がおかしくなってんじゃねえか?」
『普段お主が我をどう思っておるのか問いただしたいところじゃが……何、シンクレアも残りは一つ。担い手のシンクレアとして主であるお主にねぎらいの一つでもと思っての』
「ねぎらい? 今のが? 俺の耳がおかしくなっちまったのか?」
『こういうことは担い手のシンクレアが行うのが取り決めなのでな。他の者たちに見られるのも面倒だったので場所を変えたということだ』


(こいつ……完全に俺を無視してやがる……)


まるで都合が悪い言葉が聞こえていないかのように胸を張りながらマザーは己が目的を明かす。要するに他の連中に見られるのが嫌でこんな場所までルシアを連れて来たということ。恐らくは先程のルシアのような反応をされたくなかったのだろうとルシアは見抜くもそんな下らない理由でこんな場所まで連行される身としてはたまったものではない。


「それはいいが……まだ気が早いんじゃねえか? まだシンクレアは揃ってないってのに……」
『……まあ、あまり遅くなれば間に合わなくなるからの。早めに済ませておくに越したことはなかっただけじゃ。にしてもまさかここまで上手くいくとは正直我も思ってはおらんかったのだぞ。間違えてお主を呼び出してしまった時にはどうなるかと……』


どこか感慨深げにマザーは言葉を漏らすもまるで余計なことを言ってしまったかのように黙りこんでしまう。文字通り失言してしまった政治家かのような姿。だがルシアからすればとても無視できるような発言ではなかった。何故なら自分の根幹が揺るがされかねない、笑い話にならない事実がそこにはあったのだから。


「……おい、どういうことだ……? さっき、お前間違えてとか言わなかったか……?」
『いや、気のせいであろう……それは言葉のあやでの! つまりだな…………うむ、ぶっちゃけ我は手違いでお主をこの世に呼び出してしまっただけなのだ』
「なんじゃそりゃああああ!? じゃあ何か!? 俺はてめえのミスのせいでこんな目に会ってるってことか!?」
『そ、そんなに大きな声を出すでない。まあ些細な違いじゃ。元々はその体に適性がある魂を呼びだそうと思っておったのだがどういうわけか我……エンドレスと適性がある魂であるお主を呼び出してしまったのだ』
「何だよそれ!? どんなミスすればそんなことが起きるんだよ!?」
『いや、ぶっちゃけノリで何とかなるかと思っての……ようやく担い手を見つけたかと思ったら既に死んでおったので少し自棄になっておったのが悪かったのかもしれんな。まあ結果オーライじゃな!』
「て、てめえ……」


どこか誇らしげにサムズアップしている馬鹿石を本気で投げ捨てたい衝動に駆られながらももはや呆れ果てるしかない。自分が呼び出される過程までもがギャグであったことを十年以上たってから知らされるという悪夢。どうせなら知りたくなかったと後悔するような事実だった。


『そんなに怒るでない。我にとっても予想外であったのだからな。そもそもお主の方が規格外なのだぞ。契約したシンクレアである我に物理的に反抗してきたのは恐らくお主だけであろう……まったく、思い出しただけで眩暈がするわい』
「それはこっちの台詞だ! てめえがちゃんと説明してればあのまま契約することもなかったってのに……詐欺師みたいな言い訳しやがって。しかもあの片言の胡散臭いしゃべり方……」
『っ!? し、仕方なかろう! あの頃の我はその……ほとんどしゃべったことがなかったのだ!』
「そういやそうだったか……それを抜きにしても何がどうなったら今のその気色悪いしゃべり方になるんだ? どっちもどっちだな」
『き、聞き捨てならんぞ! これは我なりに研究を重ねた上でのものでそもそもこれは』


自分のアイデンティティが失われかけていることに必死に抗っているマザーを生温かい視線で眺めながらもルシアもまた思い出していた。ここでのマザーとの出会い。そしてダークブリングマスターとしての始まりを。


(まあ確かにあの頃に比べればこいつも随分人間臭くなったか……間違いなくこいつの人格形成はエリーの影響が大きいな……どっちも俺を振り回すことにかけてはいい勝負か……)


辟易としながらルシアは出会った当初のマザーを振り返る。まるで機械がしゃべっているような無機質さがあったのだがルシアと接していく中で少しずつ人間らしさを獲得していった。その最たるものがエリーと一緒に暮らした二年間。同じ女性だからかは定かではないがエリーとの接触によって今のマザーは完成したと言っても過言ではない。もっともその無茶苦茶さまで受け継ぐ必要はなかったのだが今更どうこう言っても仕方ないこととあきらめるしかない。


『それを言うならお主のヘタレぶりは今の比ではなかったぞ! いつもいつも逃げ回りおって……わざわざジェロとの模擬戦まで設定する羽目になったのだからな』
「やかましい! そもそもそれ模擬戦じゃねえだろうが! 認められてなけりゃジェロに殺されるところだったんだぞ!」
『ふん、だがそのおかげで今こうしておられるわけじゃろうが。全く、やはりヘタレであることには変わりないの。大魔王の名が泣いておるぞ、我が主様よ』
「そんなもんどうでもいいいっつーの。ウタに譲渡したいぐらいだ……ったく」


己の背にあるネオ・デカログスに目を向けながらルシアは自分がどこか遥か遠くまで来てしまった儚さを覚える。最初はただ必死に逃げ回ることだけで精一杯だったにも関わらずあれよあれよという間に何故か大魔王の称号を手にしてしまっている。剣聖というもう一つの頂点の称号のおまけつき。その称号をかざすだけで人間界でも魔界でも震えあがらない者はいないほどのもの。


(おかしいな……俺、いつから人間やめたんだっけ……? 確か元は一般人だったはずなんだけど……気のせいか……?)


冗談でも何でもなく世界を崩壊させる程の力を自分が持っていることにルシアは乾いた笑みを浮かべるしかない。シンクレアの力とルシアの体という借り物の力ではあるもの扱っている以上間違いなくそれはルシアの力。それに見合った試練や困難という名の死線も何度も越えてきた。そう考えれば少しは自分を褒めてもいいのかもしれないと考えている中、ふと気づく。それはマザーの視線。先程まで右往左往し、騒いでいたのが嘘のようにマザーは何を考えているのか分からない無表情でルシアを見つめていた。どこか儚さを感じさせるほど。


「……? どうした、今度はまた違う演技でも始めたのか?」
「……戯け。少し感傷に浸っていただけじゃ。気にするでない……」
「感傷? お前が? 一体何の冗談だ」


およそマザーからは無縁の言葉が出てきたことに呆気にとられるも同時に既視感にルシアは襲われる。かつて同じやり取りをどこかでしたことがあったはず。それがいつだったか思い出すよりも早くマザーは改めてルシアと向かい合う。


『さて……余計な話はこれぐらいにして本題に移るとしようかの……』
「本題……?」
『そうじゃ。アキよ、覚えておるか。この場で我と交わした契約を』


マザーはまるでその瞬間を再現するかのように輝きをその石に灯しながら、どこか魅入ってしまうような瞳を幻に映しながらルシアへと迫る。その言葉にルシアの脳裏に蘇る。十年以上前、この場で交わした契約を。


『お主がダークブリングマスターとなる代わりにどんな願いでも一つ我が叶える、という契約じゃ。その願いを今、ここで口にするがよい』


アキがマザーと契約し、ダークブリングマスターとなる代償に与えられる報酬であり、対価。どんな願いでも一つ叶えるという夢のような、そしてあまりにも胡散臭い契約だった。


「前にも同じようなこと言ってたな……でもそれ、ほんとに大丈夫なのか? どう聞いても胡散臭くて仕方ないんだが……」
『し、失礼な!? 我は契約はどんなことがあっても破りはせん! そもそもお主がさっさと願いを言わんから今の今までずっと先延ばしになってしまっておるのだぞ!』
「先延ばし……ね。じゃあ俺以外の担い手は願いがあったってことか?」
『うむ……まあ他の担い手は主のようにシンクレアの声を聞き取ることはできぬから直接問いただしたわけではないようだが間違いない。何なら参考に教えてやってもよいぞ?』
「いやいい……大体想像つくしな……」


ルシアはあえて聞くことはないとばかりに首を振る。もはや聞くまでもなく他の担い手の願いなど明らか。

ドリューは自らの絶対王権、世界征服。
オウガは世界中の女を我がものにすること。
ハードナーは自らの苦しみから逃れるために世界の崩壊を。

三者三様のある意味分かりやすい自らの欲望のために彼らは動いていた。ならばその願いもまた同じ。もっともそのどれもルシアにとっては参考にはならない。およそ理解できない、興味がない事柄ばかり。


『確かにそうじゃな……なら不老不死などどうじゃ? 人間というのは皆、永遠に憧れると聞いたぞ。ヘタレのお主にはぴったりの願いではないか?』


マザーは考えるような仕草をしながらそう提案する。不老不死という過去、数えきれない人間が夢見たであろう願い。死という呪縛から解放される究極の一つ。しかしルシアにとっては何の魅力も感じない。むしろヘタレのルシアからすれば恐れてしまうほどの願い。不死というのはすなわち死ぬことができないということ。それがもたらす弊害の方が遥かに大きいのではないかとルシアは感じ取る。不老については興味はないわけではないが、やはり老うことができないということは寿命で死ぬことはないということ。どちらも人間ではなくなってしまう願い。だが今のルシアにはそんなことはどうでもよかった。驚くべきはただ一点。不老不死というDBであっても不可能な願いを本気でマザーは叶えることができると断言しているということ。話しぶりからすると全てのシンクレアを揃え、並行世界を消滅させた後の報酬のようだが本当にそんなことができることにルシアは驚嘆するしかない。


「……本当に何でも叶えられるのか?」
『まだ疑っておるのか? 当たり前であろう。エンドレスはいわば世界の、神の意志。その加護があればできぬことはない。ほれ、さっさと願いを言わんか。これでは我が詐欺師のようではないか』


心底呆れながらマザーはルシアをせかす。その言葉にルシアはただ己の内に問う。自分は何を望むのか。一体何のために戦って来たのかと。だがそんなことは分かり切っている。もはや問うまでもない。

『生き延びるために』

それがルシアの、アキの行動原理であり目的。ならばそれを口にすればいいだけ。何のことはない、願いとすら言えないようなもの。

だがルシアの心の内からは異なる言葉が喉まで出かかる。理性がそれを押しとどめんとする。それを口にしてはならないと。もしそれを口にすれば全てが終わると。

にも関わらずルシアは止めることができない。先程までのやり取りが、マザーと二人きりのやり取り、始まりの場所であり自らの原点でもあるこの場であることからルシアは己を律することができない。永遠にも感じる刹那。ルシアは口にする。


「……じゃあ、この並行世界を壊さないで、俺と一緒に現行世界に行くってのはどうだ……?」


エンドレスにとって、シンクレアにとって禁句、タブーである言葉を。


『――――――』


瞬間、時間が止まった。瞬きすらもできない程の静寂が全てを支配する。ルシアとマザーは言葉を発することなく、ただ見つめ合う。身動き一つできない、金縛りにあってしまったかのよう。心臓が凄まじい鼓動を打ち、滝のように汗が流れて行く。この世界にやってきてから初めてかもしれない程の極限状態。次の瞬間には自分が死ぬのではないかと思えるような感覚。もしかすればウタとの戦いでの死を感じたことすらも子供だましに思えるほどの、精神的な極致。


「い、いや……お前、前言ってただろ……? 現行世界を創造することがダークブリングマスターの役目だって。だったら別に並行世界を壊さなくてもいいんじゃねえかって……」


自らの怯えを、震えを悟られまいとしながらルシアは何でもないことのように告げる。先日マザーから聞かされたダークブリングマスターのもう一つの役目。現行世界の創造。もしそれが本当なら自分は死ぬことなく生きることができる。なら並行世界を破壊しなくてもエンドレスの目的を果たせるのではないか。そんな淡い期待。


「それに……どうせてめえも着いてくることになるんだから同じことだろ? まあ一人きりってのは勘弁だがうるさいてめえらがいるんなら退屈はしねえかな……なんて……」


なおもルシアは言葉をつなぐ。自らが口にした願いとも言えないような希望を。今のルシアには何もなかった。世界を救うために自分が犠牲になろうなんて気は毛頭ない。建て前としてはあったかもしれないがそんなことがどうでもよくなるほどに知らずルシアは己の願いを口にしていた。もし、現行世界で一人きりになったとしてもマザーとなら。普段のルシアであれば正気の沙汰とは思えないような言葉。

ハルやエリーを除けばもっともこの世界に来てから共に在り続ける存在。認めたくはないが自らの半身とでも言える彼女がいればこれまでもそうであったようにどんな困難も超えていけるのではないか。それがアキの願いであり、希望だった。

だがいくら待ってもマザーは応えることはない。幻の姿も顔を俯いたまま。顔を伺うことも、気配を感じることもできない。それがいつまでも続くのではないかと思えた瞬間


『……くっ、くく、くくく、ははははははは!!』


マザーはまるで耐えきれないとばかりに笑い始めてしまう。本当に可笑しくて仕方がない、あまりにも想像を超えた事態を前にしてもはや笑いをこらえることができないかのよう。その瞳からは涙すら流れている。幻であってもそうなってしまうほどに先のアキの言葉はマザーにとっては笑わずにはいられないものだった。


「…………マザー? 一体何をそんなに笑ってやがる?」
『いや、済まぬな……だがこれが笑わずにいられるか? くくっ、我は願いを聞いたのだぞ? それをまさかそんな風に返されるとは……流石の我も予想しておらんかったわ……!』


息も絶え絶えにマザーは腹を抱えながら転げまわっている。ルシアは何が起こっているのか分からず呆然とその場に立ち尽くすしかない。分かるのは間違いなく自分が何か犯してはならない、人生最大の失態を犯してしまったであろうことだけ。


『まったく……エリーに振られてお主の方がどうかしてしまったのではないか? 散々石ころ呼ばわりしておいてなにを言っておる。いや、本当にお主は根っからのダークブリングマスターということなのかもしれんの……』


傑作だと言わんばかりに笑い続け、涙をぬぐいながらもまだ足りないかのようにそれは止まることはない。ルシアはそんなマザーの姿を見ながらようやく自分がとんでもないことを口走ってしまったことに気づく。


「う、うるせえな……ちょっとした気の迷いだ! てめえが砂漠なんかに連れてくるから暑さでどうにかなっちまったらしい……ったく、いつかレイナに言われたことが冗談じゃなくなっちまうところだったぜ」
『ふむ、何を言われたかはあえて聞かぬが気の迷いということにしておいてやろう……もう一つの方もな』
「もう一つの方……?」
『並行世界の破壊をせぬ、という話じゃ。我だからよかったようなものだが絶対に他のシンクレアに同じことを漏らすでない。でなければいかに我でもどうしようもない……その願いは叶えることができんものだ。我らがシンクレアである限りはな……』
「あ、ああ……分かった。ちょっと聞いてみただけだっつーの……本気にすんなよ、はは……」


先程までとは別人のような、獲物を狙う鷹の如き眼光をマザーはルシアへと向ける。ルシアはこれまで感じたことのないようなマザーの姿に思わず声を引きつらせてしまう。同時に首の皮一枚で助かったことに安堵するしかない。瞬間、凄まじい疲労感が襲いかかる。先の自分がどれだけ命知らずな真似を、文字通り気の迷いを起こしていたのかを示すかのよう。


『とにかくそれ以外の願いを早く考えておけ。残された時間はあまりないのだからな』
「わ、分かったよ……でも何でそんなに急かすんだ? 別に全部が終わってからでもいいじゃねえか……」
『……そうじゃな。だが早いに越したことはない。お主はヘタレだからの。我がいなければ何にもできんことは分かり切っておる』
「てめえ……そういう台詞は一度でも役に立ってから言えよな……」


いつも通り、唯我独尊のマザーの姿にルシアはやれやれと言った風にげんなりするしかない。とにもかくにもいつも通りの調子に戻ったことは間違いないと動き始めようとした中、同じようにマザーもまた岩から立ち上がり日が差している自らの開けた穴を見上げる。


『余計なことを考えずにお主は前へ進めばよい。主が憂うようなことにはならん……それは我が約束しよう』


マザーは独り言をつぶやくように宣言する。その言葉はルシアではなく、天に誓うかのような物。一体何を言っているのか尋ねようとするもそれを遮るようにマザーの幻がルシアの前を通過し、まるでルシアの行く先を導くかのように階段へと向かって行く。


『さて、そろそろ戻るとしようか。あまり遅いとジェロの奴がやってくるかもしれんしな。いや、お主はそっちの方が嬉しいかの?』
「んなわけねえだろ……ったく、何で俺がこんなに苦労しなきゃなんねえんだ……」
『くくく、あきらめるのだな……我と契約したお主が悪い』 


一瞬体を震わしながらルシアは慌てて楽しそうに笑っているマザーの後を追って地上へと戻って行く。かつて、十年以上前マザーと契約し、脱獄した時と同じように。

違うのは始まりではなく、終わりに向かって進んでいるということ。すぐにルシアは全てを知ることになる。遅すぎる後悔と共に。


ダークブリングマスターの最期の戦いの時が刻一刻と迫ろうとしていた――――



[33455] 第九十九話 「崩壊」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/10/13 18:05
(ふう……何とかなったか……)


一度大きな溜息を吐きながらも一応ルシアは安堵する。今、ルシアはメガユニットからワープロードの瞬間移動で本部へと戻ってきたところ。何故か二人きりで話がしたいと言いだしたマザーの突然の奇行に振り回されたものの何事もなく帰還となったのだがある意味綱渡りに近い部分もあった。


(俺、やっぱ疲れてんのかな……いや、疲れてるのはいつものことっちゃいつものことなんだが……)


先のマザーとのやり取り。自分の願いを何でも一つ叶えてくれるというどう考えても胡散臭いマザーの言葉に影響を受けてしまったようにルシアは口にすべきではないことを口にしてしまった。場合によっては全てが台無しになってしまうような危険な行為。それが分かっていながらルシアは止めることができなかった。疲れがあったのかもしれない。気の迷いだったのかもしれない。だが心のどこかで分かっていた。確信。もうすぐこの旅も、物語も終わりが訪れようとしているという感覚。どんな結末を迎えようとも変わらない事実を前にして淡い希望を抱いてしまった。ただそれだけ。それも無駄に終わった。やはりシンクレアと人間は相いれない。初めから分かっていた事実。危険を犯しながらも当たり前のことを再確認できただけ。にもかかわらず知らずルシアは落胆していた。もしかしたら、もしかしたらマザーならばと。いつもの調子で自分の提案に乗ってくれるのではないかと。


「……ったく、汗だくになっちまったじゃねえか。これじゃスーツで行った方がまだマシだったんじゃねえか?」


柄にもないことをいつまでも考えていても仕方ないと割り切りルシアは愚痴りながらいそいそと着替えを始める。マザーに着替えろと言われてそうしたもののまさか砂漠に行くなどとは思いもしなかったルシアはいつも黒づくめの服装と甲冑を身に纏ってしまい汗だくになってしまっていた。まだスーツの方がマシだったのではと思えるような有様。もしかしたら最初からマザーの嫌がらせだったのではと勘付いたルシアは悪態をつくしかない。


「おい、聞いてんのかマザー? お前、最初から嫌がらせで着替えさせたんじゃねえだろうな」
『…………』
「……無視かよ。まさかジェロの真似のつもりか? 全然似合ってねえぞ……ったく」


全く反応を示さないマザーの姿に辟易しながらも手早くルシアは着替えを済ませて行く。いつもなら売り言葉に買い言葉。自分に食ってかかってくるはずにも関わらずマザーは黙りこんだまま。バルドルを完全無視するジェロを彷彿とさせるような行為にルシアもまたこれ以上相手にしてはいられないと無視することにする。今からそのジェロ本人とシンクレア達の元に戻ることになるのだから。このままどこか遠くに行きたい衝動に駆られながらもルシアは自らの部屋に向かう。


「おかえりなさい……思ったよりも時間がかかったようね」
「あ、ああ……マザーの奴がしつこくてな……」


ドアを開けるやいなやいつもと変わらない無表情のジェロが出迎えてくれる。四天魔王直々の出迎えという魔界の住人からすれば卒倒ものの待遇ではあるのだがルシアからすれば別の意味で心臓に悪いもの。だが今は珍しくジェロがこの場にいたことに感謝したい気持ちで一杯だった。主に室温的な意味で。


「…………?」
「……? どうかしたのかしら?」


そのまま黙りこんでしまったルシアにジェロが訝しみ問いかけるも答えが返ってくることはない。ルシア自身は何故自分が黙りこんでいるのかすぐには気づかない。ただいつもと何かが違う。違和感のような物があるのだがそれが何なのかルシアには分からない。


「いや……何でもねえ。それよりも悪かったな、シンクレア達を預けちまって」
「構わないわ。珍しく静かにしていたし……」


ジェロはそのまま自らが預かっていた三つのシンクレアをルシアへと差しだしてくる。その言葉通り皆黙りこんだまま。本当に静かにしていたらしいことにルシアはようやく気づく。それこそが先程覚えた違和感の正体。いつもなら騒がしく自分を出迎え、からかうはずのシンクレア達が静まり返っていること。どうやらジェロに預けられていることがよっぽど堪えたのだろうと思いながらもルシアはそのまま手を伸ばす。だが


その手が届く前に、ルシアの世界は暗転した――――


「…………え?」


呆然としながらルシアは間抜けな声を漏らすだけ。何が起こったのか分からない。冷たい感触だけが顔にある。視界にはいつもとは違う部屋の光景。混乱しながらもようやくルシアは気づく。自分がその場に倒れ込んでしまっていることに。


「……どうしたの。体の具合が悪いのかしら」
「い、いや……大丈夫だ。悪い、ちょっと転んじまったみてえだ……」


表情は変えないものの自分を案じながら手を差し伸べようとしてくれているジェロに気恥かしさを感じながらもルシアはその手を取ることはない。まさか何もないところで転ぶなど本当に自分は疲れてしまっているのかもしれない。もしかしたら体のどこかが調子が悪いのかもしれない。アナスタシスに治してもらうのもいいかもしれない。そんなことを考えながらルシアはその場を起き上がらんとするもそれは叶わない。


「え……? な、何だ……これ……?」


まるで信じられないことが起きたかのようにルシアは戸惑うことしかできない。体に力が入らない。意識はある。呼吸もできる。会話もできる。だがそれだけ。体を動かすことができない。何度腕に力を込めても、足に力を込めても起き上がるどころか寝返りを打つことすらできない。まるで人形になってしまったかのように体の自由が利かない。自分の体が自分の体ではないような感覚。それが何なのか理解するよりも早く


凄まじい頭痛と吐き気がルシアに襲いかかってきた。


「―――っ!? がっ……ああ、あああ……!!」


声にならないような叫びと共にルシアはその場にのたうちまわる。否、のたうちまわることすらできない。ただ信じられないような頭痛と吐き気を一身に受けることしかできない。頭が割れるのではないかと思えるような激痛。同時に魂が抜けてしまうのではないかと思えるようなは吐き気によって嘔吐する。明らかに常軌を逸した状況を前にジェロですら表情を変える。それほどまでに今のルシアの状態は鬼気迫っていた。


「……っ! アナスタシス、早くアキを再生しなさい。これは普通ではないわ」


あえていつも以上に冷静さを見せるように静かに、それでも重苦しさを以てジェロは手にあるアナスタシスへと命じる。ルシアの体に何かしらの異常が起きているのは明らか。ならばどんな傷も再生させることができるアナスタシスなら治療することができる。当たり前の選択。だが


『…………』


アナスタシスはその力を振るうことはない。言葉すらも発することもない。ただの物言わぬ石になったかのよう。その姿にようやくジェロは気づく。アナスタシスの様子もまたおかしいことに。アナスタシスであればジェロに言われる前に既にルシアを治しているはず。それだけではない。他のシンクレア達も担い手であるルシアの変調を前にして言葉を発することも行動を起こすこともない。ただルシアがもがき苦しんでいるのを黙って眺め続けているだけ。その意味をジェロが問いただすよりも早く


『ふふっ、本当に人形みたいねぇ……いいえ、人形ならもっとマシだったのかしらぁ?』


一言もしゃべることもなかったヴァンパイアがどこか妖艶な吐息を漏らしながらルシアへと告げる。そこにはただ悪意しかない。自らの主、担い手に対する物とは思えない純粋な悪意とその苦しむ姿が面白くて、楽しくてたまらないと言わんばかりの高揚を見せている吸血鬼の姿がそこにはあった。


「……どういうこと、ヴァンパイア。事と次第によっては……」
『私を氷漬けにするってわけぇ? それも面白そうだけど相手を間違えてるんじゃない?』
「……何を言っているの?」
『お馬鹿ねぇ……まだ気づいてないのぉ? そこにいる裏切り者に対する制裁、処刑のことについてよ』


心底可笑しい、楽しいとばかりに狂気と共にヴァンパイアは笑いながら宣言する。その視線、言葉を前にすることでようやくジェロは全てを悟る。目の前で蹲っているルシア。彼こそがヴァンパイアの言う裏切り者であるということを。だからこそシンクレア達は皆、ルシアに異変が起こったとしても動くことがないことを。それだけではない。すなわち、この状況こそがシンクレア達が、エンドレスが作り出していることを意味していた。


「う……あぁっ……ぐっ……!!」


息も絶え絶えにルシアは力の限りを尽くして抗わんとするも全てが無駄。頭痛のせいで思考はまとまらず、吐き気のせいで呼吸すらままならない。そんな中でも何とか視線はジェロ、その手にあるシンクレア達に向ける。できるのはそこまで。ただ分かること。それは今の状況が自分にとって最悪のものであるということ。最も恐れていた事態が現実になってしまったということだけ。


『へえ、まだそんな元気はあるのねぇ。でも驚いたわぁ……まさか担い手が我らを裏切ってたなんて』
「……な、何で……それ、が……」
『分かったのかって? さっきまでのあなたとマザーの会話のせいよぉ。ようやくエンドレスとシンクレアの同期ができたんでそれが分かったってわけ。ほんとに驚いたのよ? まさか並行世界の破壊を拒むどころか、エンドレスを倒そうなんて……正気を疑うわ。そんなことができると思ってることもだけど、わざわざ自殺しようなんて……人間の考えることは分からないわねぇ』


まるで手品の種を明かすようにヴァンパイアは楽しげに、得意げに喋り続ける。エンドレスの復活。それはすなわちエンドレスとシンクレアの融合が直近にまで迫ることを意味している。その前段階としてシンクレアはエンドレスとのリンクを再構築する。いわば同期することになる。復活したばかりで滞っていたそれが今まさに完成し、同時にシンクレアの行動は全てエンドレスの統制下に置かれることになる。すなわちルシアにとってはまさに最悪のタイミングそれが起こってしまったのだった。

だがルシアにとっては驚くべきことはそこではない。自らの企みが明るみになってしまったことは完全なミス。もはやどうしようもない。完全な詰み。どんな言い訳も通用しない。己の命運はここで尽きた。これまでの全てが無駄になってしまった喪失感に囚われながらもルシアはその言葉に違和感を覚えずにはいられない。


「自、殺……? 何の……ことだ……?」


ヴァンパイアが口にした自殺という言葉。その意味を。


『はぁ? 本当に知らなかったってわけぇ……? 傑作だわぁ、ねえ、アナスタシス、バルドル? あなた達そんなことも教えてあげなかったの?』
『…………』
『ええ。担い手……いえ、そこの裏切り者には教える必要がないと判断したからよ。かつてのマザーの判断でもあるわ』
『ふぅん、まあいいわ……代わりに私が教えてあげる。あんたは元々この世界の存在ではないわ。魂を時空操作の力……エンドレスの力で呼び寄せてその体に繋ぎとめてるだけ。ならその力がなくなったら消えるだけでしょぉ? まさかそんなことにも気づかなかったの?』


愚か過ぎて言葉が見つからないとばかりにヴァンパイアは嘲笑う。だがそんなヴァンパイアの姿などルシアの目にはもはや映ってはいなかった。あるのは絶望だけ。


(そんな……じゃあ、俺は……今まで、何のために……)


ただ単純な事実。エンドレスを、シンクレアを倒せば自分は救われると思っていた。それを目指してただ抗ってきた。だがその前提は崩れ去った。エンドレスを消滅させるということは自分の消滅、死を意味する。完全な袋小路。今までの全てが無駄だったのだと悟るには十分すぎるほどの絶望。世界を、自分を救うためにしてきたことは全て自分を殺すために動いていたのと同義だったという喜劇。


『やっと分かったみたいねぇ。あんたが今動けないのはエンドレスの繋がりを弱めてるから。でもその頭痛と吐き気は別。それは裏切り者の加護がなくなったからよぉ』
「加……護……? 何の……ことだ……?」
『本当に何も知らないのねぇ……滑稽すぎて笑えるわぁ。じゃあ聞くけど、何であんたはその体に入っていられるんだと思う?』
「…………」
『人間の魂と肉体は強く結び付いているのよ? なのに全く別人のあんたが何の問題もなくその体に憑依できるわけないでしょぉ? その代償、副作用が頭痛と吐き気。拒絶反応って言った方が分かりやすいかしら。あの裏切り者はそれを抑え込んでたってわけ。どう? 少しは分かったかしら、操り人形さん?』


次々に明かされる現実にルシアの心は既に限界を超えつつあった。何度も崖から突き落とされるかのような感覚。自分が深く考えようとしなかった代償。

憑依。別人の体に別人の魂が乗り移る奇跡。だが代償なしに奇跡は起こり得ない。そんなご都合主義はあり得ない。別人の体や、臓器を移植するだけで拒絶反応があるというのに魂という概念でそれがないなどあり得ない。ルシアは思い出す。先のマザーの言葉。本当ならルシアの体に適性がある魂を呼び寄せるはずだったと。その本当の意味。そしてもう一つの事実。マザーの力によって自分が知らない内に守られていたのだということ。お仕置きと称して頭痛を与えられていたのも自分とルシアの体の状態を確認するための物だったのだと。にも関わらずそんなことをマザーは一言も漏らさなかった。何のために。だがそこでふと気づく。先程からのヴァンパイアの言葉。その中に明らかにおかしなものがあることに。それは


「待、て……さっきから……裏切り者って何のことだ……俺のことじゃないのか……?」


ヴァンパイアが口にしている『裏切り者』という言葉。それ自体は間違いない。自分を指してそれ以上の言葉はないだろう。しかし明らかに先程からは自分のことではない、他の誰かのことを指して裏切り者という言葉を使っている。それは誰なのか。


『決まってるじゃない、マザーのことよぉ? それ以外の誰がいるって言うのかしら?』
「…………え?」


瞬間、ルシアは今度こそ言葉を失う。頭痛も、吐き気ももはや消え去ってしまうほどの衝撃が走る。まるで人語が理解できなくなったかのようにルシアは呆然とするしかない。


『本当に馬鹿な子よねぇ? まさか担い手の裏切りを許すどころか手助けするなんて。正気の沙汰じゃないわぁ。本当に人間にでもなったつもりだったのかしらね』
「な、何言ってやがる……!? マザーの奴がそんなこと知ってるわけ……」
『知ってて当然よ? 私達シンクレアは担い手が極みを習得すると同時に精神的にも同期するんだから。いわゆる一心同体ね。マザーはね……その時からあんたがエンドレスを、シンクレアを裏切ってることを知ってたのよ』


ルシアはヴァンパイアが何を言っているのか分からなかった。否、分かろうとすることができていなかった。だが次第にその意味を知る。


(マザーが……知ってた……? いつから……? 極みを会得した時……? じゃあ……)


虚ろになる意識の中ルシアは思い出す。自らがシンクレアの極みを習得した時。ハードナーとの戦い。その際にルシアは初めてマザーの極みである次元崩壊を会得した。同時にその瞬間、一心同体になったかのような感覚を覚えた。それを覚えている。ヴァンパイアの言葉通りならばあの瞬間から自分の考えは、企みはマザーに知られてしまっていたことになる。

だがおかしい。そんなことがあるわけがない。だってマザーは何も言わなかった。そんな素振りは全くなかった。もしそんなことがバレればその瞬間、今のようになってしまっていたはず。なのに――――


『ふふっ、その様子じゃ本当に気づいてなかったのね。あの子も報われないわねえ……信じられる? あの子はあんたが裏切りを、自分を殺そうとしてるって知りながら見逃してたのよ? それどころかあんたがそうしやすいように動いてまでいた。当の本人は知りもしないって言うのにね。なのにあんたはあの子を敵だと思って四苦八苦してたってわけ。ねえ、どんな気分? 敵だと思ってたマザーが味方だったのに、それを知らないまま無様に這いずりまわってた道化だった気分は? ふふっ、あはは、あははははは!!』


吸血鬼は嗤う。最後まで道化でしか、ピエロでしかなかった担い手に。それに応える者は誰もいない、アナスタシスは沈黙し、バルドルは審判者のように振る舞い、ジェロはただ彫像のように在り続ける。

道化であるルシアはただ地面の這いつくばることしかできない。今までと同じように、それまで以上の絶望に囚われながら。

マザーが自分の裏切りを知っていた。確かにそれは驚いた。きっと驚くべきことだ。だが今のルシアにとってそれは些細なことでしかなかった。問題はマザーはそれを知りながら自分を見逃していたということだけ。

何故そんなことを。

決まっている。自分を助けるために。

どうして。そんなことすれば自分が死んでしまうのに。

でもそれが真実であることを思い出す。これまでの、今までの、マザーの言動。

思い返せば気づく機会はいくらでもあった。あの時も、あの時も、あの時も。

何故気づかなかった。分かってる。自分がマザーを敵だと思っていたからだ。

だって仕方ない。相手はシンクレア。世界の敵だ。信じることなどできるわけがない。

なのにどうしてマザーは自分を助けたのか。決まっている。

例え自分が死ぬことになっても、死ぬことが決まっていたとしてもアキと共にいたかった。ただそれだけ。

シンクレアとしての本能を、役目を放棄してまでマザーそれを選んだ。そのために動き続けていた。例えアキに知られることがないと知りながらも。それでもマザーは言えなかった。

もしエンドレスを倒したとしても、アキが死んでしまうこと。それを明かしてしまえばアキは壊れてしまう。できるのはその時をただ引き延ばすことだけ。加護で体の拒絶反応を抑え、元の世界のことも、この世界で生きて行く上で障害となり得る精神的安定を与えること。ただそれだけがマザーができる罪滅ぼし。自らが巻き込んでしまったアキへの贖罪。

もしアキがもっと早く己が心の内を明かしていれば未来は違っていた。これは単純な話。

マザーはアキを信じ、アキはマザーを信じることができなかった。ただそれだけ。その果てに訪れた終焉だった――――


「…………」
『あらぁ? もう話す気力が無くなっちゃったってわけ? 後はどうにでもしろ、死ぬしかないって感じねぇ』


大人しくなってしまったルシアにヴァンパイアはつまらなげな様子を見せる。ルシアはもはや身じろぎ一つしない。できることは何もない。あるのは後悔だけ。あとはただ死を待つのみ。だがそれすらもルシアには許されない。


『でも残念だったわねぇ。裏切り者のあんたを簡単に死なせたりしないわぁ。いえ、死んでもすぐに魂を呼び戻してあげる。体が死滅してもアナスタシスで再生してあげる。一度死んだことがあるみたいだけど何回耐えられるかしら? 見物ねぇ?』


ヴァンパイアは死よりも恐ろしい処刑を宣言する。無限地獄。このまま頭痛と吐き気によってルシアが命を落としたとしてもすぐさま魂を呼び戻し、蘇生させ、再び苦痛を与える。アナスタシスによって肉体を再生させ、再び死に至らせ、蘇らせる。死すら許されない、死よりも恐ろしい所業。


『そうねぇ……それだけでもいいんだけど、もう一度だけ、最後のチャンスをあげるわ』


それだけのことをこともなげに告げながらもヴァンパイアは続ける。今のヴァンパイアはいわばエンドレスの代替。今の状況で彼女以上にエンドレスの意志を示すに相応しいシンクレアはいない。自らの主が堕ちる様を至上の喜びとする吸血鬼が囁く。


『エンドレスに忠誠を誓いなさい。ラストフィジックスを手にいれて、この並行世界を消滅させれば、あんただけは助けてあげるわ』


悪魔のような、天使のような囁きを。


『白状するとここで担い手がいなくなるのは私達にとってもいいことではないの。加えてあんたは私達に耐性があるから完全には支配できないし……このままあんたが廃人になるまで追い詰めれば出来なくはないんだけど、完全に自我を奪っちゃうと担い手としての力は半減しちゃうのよねぇ……まあ、代案はないわけじゃないんだけど、不都合が多いわけ』


ヴァンパイアは嘘偽りなく真実を告げる。ここで嘘を言わないことこそが最善だと知っているからこそ。人間の心理を誰よりも知っているからこそ。ルシアはただその誘惑を黙って聞くことしかできない。


『だから最後のチャンスをあげる。それともこう言った方がいいかしら? ラストフィジックスを手に入れればマザーを元に戻してあげるわ』


ただそれだけ。にもかかわらずその言葉によってルシアの体が微かに動く。その動きを吸血鬼は見逃さなかった。


『本当ならこのまま消しちゃうところなんだけど、あんたがそうするなら許してあげないこともないわ。よく考えなさい。このままじゃあんたは死ぬだけ。死よりも辛い責め苦が待ってるだけ。私達を倒せばこの世界を救えるかもしれないけどそれだけ。あんたは死ぬわ。そんなことして何になるの? 自分が死んだら何の意味もないわ。そもそもこの世界はあんたの世界じゃない。それを守るために自分が死ぬなんて馬鹿がすることよぉ? 私達に着いてくれば現行世界であんたは生きられる。考えるまでもないでしょぉ?』


矢継ぎ早に、それでも一言一句確かめるようにヴァンパイアは真実を告げる。今のルシアの現状を、そして取るべき最良の選択肢を。ルシアはただ自分の胸元にあるマザーに目を向けるだけ。もはやしゃべることもできないただの物言わぬ石。今の自分と変わらぬ満身創痍。それでもまだ消えてはいない確かな存在。希望。自分の選択によって得られるものと失うもの。その天秤が揺らぎ続けている。だがその答えが出ない。ただ時間が過ぎ去っていく。ヴァンパイアがもはやここまでだと断じようとしたその瞬間


「……ラストフィジックスが手に入ればアキを助けるというわけね」


それまで一言も発することなく、成り行きを見守っていたジェロが動きだす。その手にはバルドルがある。その視線は倒れ伏しているルシアへ、そしてヴァンパイアへと向けられる。瞬間、部屋の空気が凍りつく。その場にいればそれだけで凍りついてしまいかねない殺気を受けながらもヴァンパイアは動じない。むしろ楽しげですらある。


『そうねぇ……本当は担い手が手に入れてくるのが望ましいんだけど、ラストフィジックスが手に入るのならあなたでも構わないわぁ。もう儀式は済んでるしねぇ……』
「……そう、ならいいわ」


もう用はないとばかりにジェロは背を向け、その場を去らんとする。だがそれは


「…………待て。俺が、行く……」


ルシアの手によって止められてしまう。その手がジェロの肩を掴んでいる。そこにはもはや力はない。体温はほとんどなく、立っているのが精一杯。だがその姿はジェロの動きを止めてしまうほどの決死さがあった。その瞳には確かな意志がある。たった一つの願い。それを為すのは自分の手で。


「…………分かったわ。でも私も着いて行くわ。構わないわね」
「…………」


ジェロの言葉に応えることなくルシアはその場を去っていく。既に頭痛も吐き気も収まっていた。エンドレスの意志によって。それが何を意味するかなどもはや語るまでもない。


『さぁて……じゃあもう少しだけ、愉しませてもらおうかしら、担い手さん?』


全てが崩壊していく。それを止める術はない。マザーによってせき止められていたそれが今、なくなった。


十年以上の時を経て、ルシア・レアグローブ、真のダークブリングマスターが今この瞬間、誕生した――――



[33455] 第百話 「目前」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/10/22 19:14
どこか温かさを感じる小さな家の中で包丁の音がリズムよく響き渡る。その音の主は長い黒髪にエプロン姿をした女性。カトレア・グローリー。ハルの姉でもあり、島一番の美人と言われるほどの美女。カトレアはそのまま慣れた手つきで次々に料理を作っていく。男ならその後姿に見惚れてしまうほどに家庭的な雰囲気が溢れている。だが


「……あ、そっか」


何かに気づいたようにカトレアは動きを止めてしまう。料理に不手際があったわけではない。ただ単純な間違い。料理の人数分を間違えてしまっただけ。一人分でいいにも関わらずいつもの癖で二人分作ってしまった料理にどうしたものかとカトレアが悩んでいる中


「んふー! ただいま戻りました。いやー思ったよりも話し込んでしまいました」


鼻息をふかしながら突如カトレアの背後の壁に巨大なおっさんの顔をした花が現れる。初めて見たならホラ―以外の何者でもないのだがカトレアは驚くことはない。彼女にとってはこの程度の出来事は日常茶飯事、慣れたものなのだから。


「ナカジマ、またゲンマのところに行ってたの?」
「ええ。いつも通り暇そうにしていたのでつい。コーヒーを頂いてきました」
「もう……またラーメンが食べたいとか言って困らせたんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなことはしていませんとも! 出前を頼むにも一週間以上かかってしまいますから流石に私もあきらめましたとも……」


へなーんとしおれながら名残惜しげに嘆いているのはカトレアが年少の頃から濃家に取りついている謎の生物ナカジマ。一応家族のようなものなのだが未だその生態や言動は理解できない部分が多い存在。もっともそんなことはもはやカトレアは気にすることはない。気にするだけ無駄であり意味がないことを悟っているからこそ。


「まあいいけど……でも最近よくゲンマのところに行くようになったのね」
「それはまあ。常連だったシバさんがいなくなってしまいましたからね。私なりにゲンマさんを慰めに行っているのですよ」
「シバが……そうね、よく通ってたものね。ただ冷やかしに行ってたわけじゃなかったのね」
「し、失礼な!? 私だって何も考えてないわけではありませんよ!? ええ、無料でコーヒーを飲ませてくれるなんて思ってもいませんとも!」


痛いところを突かれたからか慌てながらナカジマは弁明するも心の声は駄々漏れ。だがそんなナカジマに気づくことなくカトレアはそのままいつもならシバが座っているはずのイスへと目を向ける。

ハルが旅立ってから入れ替わるようにシバはこの家に居候のように住み着くことになった。もっともシバにとってこの島は故郷であり、帰郷と言った方が正しい。成り行きではあったもののそれはカトレアにとっては喜ぶべきことだった。本当ならハルがいなければこの家に一人きり(ナカジマはいるものの)になってしまっていたのだから。

だがそんな生活もつい数か月前に終わりを告げた。アルバイン・スパニエルと呼ばれる人物からシバ宛てに届いた一通の手紙。その内容は教えてもらえなかったもののシバはそのまま島を旅立って行った。その際、最後の挨拶を残して。

今生の別れ。シバは自分の余命があとわずかであることを知っていた。安静にすれば一年、旅をするならば半年。だがそれでもシバは旅立って行った。自分のやり残したことを成し遂げるために。それを前にして止めることなどカトレアにはできなかった。できるのはただ笑って見送ることだけ。


「ほんとに、どうして男の人ってのはみんな遠くに行っちゃうのかしら」


誰にでもなく、呟くようにカトレアは己が本音を漏らす。自分の周り、島にいる男性はどうして自分の傍から、島からいなくなってしまうのか。

父であるゲイルも、家族であるアキも、弟であるハルも。皆、島を離れ、旅立ってしまった。自分はただそれを見送り、待つことしかできない。もどかしさも感じながらもカトレアにはそうすることしかできない。父であるゲイルは戻ってくることはなかった。シバもまた戻ってくることはない覚悟で去って行った。

ただそれでも、ハルとアキ。二人の家族が必ず帰ってくると信じること。二人の帰る家を守ることがカトレアができる唯一のことだった。


「ご、ごほんっ! 心配することはありませんよカトレア様! アキ坊ちゃんもハル坊ちゃんも元気にしてらっしゃるに違いありません!」
「ふふっ、そうね。でもハルが出て行ってからもう二年か……二人とも大きくなってるかも」
「っ! そ、そうです思い出しました! カトレア様、坊っちゃんたちが戻ってきたらもう一軒家を建てるというのはいかがですか?」
「もう一軒? どうして?」
「いえ……坊っちゃん達も大きくなっているでしょうし、流石にこの家だけじゃ狭いのではないかと。それにハル坊ちゃんに彼女ができでもしたらなおのことです!」
「ハルに彼女ね……できてるかしら? あの姉ちゃん姉ちゃん言う口癖が治ってないと難しいと思うけど……」


カトレアは自分が想像もしていなかったナカジマの提案に首を傾げるしかない。確かに二人とも年齢でいえば十七歳。この家だけではせまくなってしまうかもしれないがハルの彼女というのは考えてもいなかった。確かにあり得ない話ではないがカトレアの記憶にあるのは自分にべったりのハルの姿だけ。現実味がない話だった。


「それにどうしてハルだけなの? アキだって彼女を連れて帰ってくるかもしれないじゃない」
「それは……ええ、実は私には高名な預言者の知り合いがいまして。昔その方にアキ坊ちゃんの恋愛について占っていただいたことがあるのです。あまりにもカトレア様と結婚するなど何だの言っていましたので……」
「そう……で、結果はどうだったの?」
「それがこの世界の女性と結ばれることはない、と。よく分かりませんがとにかくここに戻ってこられても彼女がおられることはないということです、んふふー!」


まるで一本取ったかのようにナカジマは誇らしげな笑みを浮かべているもののもはや突っ込みを入れる気はカトレアには毛頭なかった。そんな胡散臭い予言を信じるほどカトレアは単純ではない。ナカジマの知り合いという時点で怪しさは抜群だった。


「それは置いておいてですね……実は私の知り合いにこの島に興味を持っている者がいまして……いえ、決して私の恋人などではないのですが……ごほんっ! もし新しい家ができるのであればぜひ移住したいと……」
「いけない、料理が冷めちゃうわ。ナカジマ、一緒に食べる? 一人分多く作っちゃったんだけど……」
「なんと。でしたら私はぜひカブトムシが」
「いらないのね。分かったわ」


流れるようにナカジマの奇行を受け流しながらカトレアは食事の準備を進めて行く。確かにナカジマが気にしていることは分かるがとにかく二人が無事に帰ってきてくれれば。後のことはその時考えればいい。そう考えていた時


「雨……?」
「おや、どうやら嵐でもきそうな雰囲気ですね。今日は私も家の内側で過ごさせてもらいますよ」


ぽつぽつと、そしてすぐに大ぶりの雨は降り始める。昼間であるにもかかわらず空は雲に覆われ薄暗くなっていく。嵐の前触れのような不気味さがガラージュ島を包み込んでいく。その光景に知らずカトレアは得もしれない不安に襲われる。一年前、父であるゲイルが大破壊を止めるために戦い、命を落としたあの日の再現のような光景。


(ハル……アキ……)


窓の外を眺めながらカトレアはただ二人の家族の無事を願い続けるのだった――――



「くしゅんっ!」
「どうしたの、ハル? 風邪?」
「いや、何でもない。誰かが噂でもしてんのかもな……」


鼻をかみながらハルはどこか不満げな顔で歩き続けている。そんなハルの姿に笑みを浮かべながらエリーもまたその後を着いて行く。それに続くように小さなお共達も動き出す。


「ハルさん、エリーさん。地図が正しければもう少しで目的地に着きますよ」
「ほんと? 思ったよりも近かったんだね」
「はい。でも助かりました。エバーマリーさんの地図がなければもっと時間がかかっていたでしょうから」
「流石グリフポヨ! マッパーの名は伊達じゃないポヨね!」


両手で地図を持ちながらグリフはマッパーの面目躍如とばかりに上機嫌にハル達を先導していく。その後をルビーとプルーも楽しそうに着いて行き騒いでいる。ある意味いつも通りの賑やかな旅。しかしそんな中、ハルだけはどこかもじもじと落ち着きがない。まるで何かが気になって仕方がないといった風。


「ハル、さっきからどうしたの? ずっとそわそわしてるけど……」
「ウンコポヨか?」
「ち、違えよ! ほんとにそのリベイラって街に行ってていいのかと思ってさ……」


ルビーのあんまりな突っ込みに呆れながらもハルは愚痴らずにはいられない。

今、ハル達は星跡の洞窟から一番近い街であるリベイラへと向かっていた。だがそれはただ単に闇雲に街を目指しているのではない。預言者であるサガ・ペントラゴンの予言に従ってのものだった。


「だってあのおじいさん、凄い占い師なんでしょ? だったら言う通りにした方がいいんじゃないの?」
「そうですよ。あの有名な黙示録を書いた預言者ですし。何よりも私達も占ってもらった内容は当たってたじゃないですか」
「それはそうだけどさ……ムジカやジークにばっかり迷惑をかけてちゃってるし……そもそもTCMを壊しちまったのは俺なんだからやっぱり俺が行った方が……」


ハルはどこか苦渋の表情を見せながら自分の背中に視線を移すもそこには何もない。正確にはいつもはあるはずの物がない。

TCM。レイヴマスターの剣でありシバから受け継いだ魂。しかし今その姿はない。先の戦いでTCMはルシアによって両断されてしまった。文字通り完璧な敗北を意味するもの。それ自体にハルは後悔はない。羅刹剣の暴走という場合によって仲間すら危険に晒しかねない危機をルシアによって救われたのだから。だが自らの武器を失ってしまった事実は変わらない。今の自分は完全なお荷物、足手まとい。もし今この時ルシアや四天魔王が襲ってきたとしても何の役にも立たない。いてもたってもいられない焦燥感がハルをはやし立てていた。


「そこまでにしておくんだな。今のお前が動いても邪魔になるだけだ。黙ってお前はその娘を守っていればいい。TCMとシンクレアのことはジーク達に任せておけ」


そんなハルに釘をさすようにハル達の後ろを着いてきていたシュダが忠告する。今ハル達の中にはいるはずの二人の人物がいなかった。

ムジカとジークハルト。

先の星跡の洞窟の戦いの後、一時的にエリーが行方不明になり騒然としたものの翌日には何とか全員が合流することができた。だがそのまま留まればいつ襲撃を受けるか分からないためジークの空間転移によってハル達はミルディアンへと移動することになる。

ジークの故郷であり時の民、魔導士達が住む都。加えて最後のシンクレアが封印された場所。そこで二日静養した後、各々の事情でハル達は動き出すことになった。

まずはムジカ。

星跡の洞窟での戦闘には直接参加しておらず、無傷であったムジカはすぐさまTCMの修復のため鍛冶屋ムジカがいるパンクストリートへと向かった。鍛冶屋であるガレイン・ムジカは銀術師ムジカにとっては祖父にもあたるためその方がやりやすいだろうという狙いもあった。幸いにもミルディアンには魔導士の力で動くルーンウイングと呼ばれる小型の飛行機があったため魔導士であるニーベルの協力の元ムジカはすぐさまパンクストリートへと飛んだ。

次にジークハルト。

ジークはハル達をミルディアンへと避難させた後、最後のシンクレアであるラストフィジックスを守るためにミルディアンに残ることになった。ミルディアンハートに封印された以上、シンクレアの気配はルシアですら感じ取れない。すぐに見つかることはないだろうが万が一に備えての措置。同時にエリー、ルビーには魔力を隠すためにマジックディフェンダーを渡すことになった。魔導士であるジェロからの追跡をかわすため、エリーに関しては魔導精霊力の暴走を抑止する意味も兼ねたもの。

残るはハル達。

ハルはTCMを失っているため戦えないためシュダが護衛として着くことになった。そのまま五つ目のレイヴを探すためイーマ大陸に戻らんとするがその瞬間、ある人物の言葉によってハル達行動は大きく変わることになる。

預言者サガ・ペントラゴン。

未来のレイヴを通じてサガはハル達に予言を与える。リベイラの街へ行くこと。それがハル達の運命において大きな意味を持つと。正確にはエリーがその場に行かなければならないことが告げられ、ハル達は予言に従いリベイラへと向かっているのだった。


「そうだよハル。ムジカもジークも頼りになるんだから。あたしたちはあたしたできることをしよ? じゃないと前みたいなことになっちゃうよ」
「わ、分かったよ……だから手を離してくれ!」
「よろしい!」


満足したかのようにそれまでハルの顔を両手で挟んでいたエリーは手を離す。ハルはどこか恥ずかしげに自らの頬を触るも心の中で感謝していた。自分の焦りを分かった上でエリーが諫めてくれたのだと。だがそんな中、思わずハルはエリーの姿に見惚れてしまう。正確には以前とは変わった髪型に。


「……? どうしたの、ハルまだ何かあるの?」
「いや……何で急に髪を切ったのかなって」
「またその話? 言ったでしょ、秘密だって。教えてあげない」
「なんでだよ。気になるだろ」
「いいの。それと……ごめんね。今はまだちょっと時間をちょうだい。ちゃんとハルには答えるから」
「え? あ、ああ! い、急がなくてもいいさ! あれはその、うん! オレこそいきなりあんなこと言っちゃたし気にしないでくれ!」


どこか申し訳なさげなエリーの表情にハルは慌てて対応するしかない。知らず顔は赤面してしまっている。先のルシアとの戦いの中でのエリーへの告白。その事実自体ハルは無我夢中であったため忘れてしまっていたのだが他ならぬエリーの口からその事実を聞かされたハルは動揺するしかない。しかしエリーの答えは未だ得られていない。もう少し時間が欲しいというエリーの真意は分からないものの、ハルはエリーの言葉を受け入れ待つことにしたのだった。


「それに今はアキを止めることを考えないとな。レイヴもシンクレアも残り一つずつだし、あのエンドレスっていうのも復活しちまった……時間もあんまり残されてないみたいだ……」
「…………」
「……エリー?」


とりあえずこれからのこと、アキを止めることに話題を移すもエリーは黙りこんだまま。そんなエリーの様子に思わずハルは声をかけてしまう。いつもならアキに関しての愚痴を漏らしたり、冗談じみたことを口にするのがお決まりだというのにエリーは口を開くことはない。その表情から感情を読み取ることはできない。


「……ねえ、ハル。もしあたしが間違ったことをしちゃったらハルはどうする?」
「間違ったこと……? 何だよ間違ったことって……?」


エリーが絞り出すように告げた言葉にハルは首を傾げるしかない。エリーが何を言わんとしているのかハルには分からない。ただ分かるのはエリーが何かに悩んでいるのだろうということ。恐らくは自分の記憶に関することなのだろうと当たりをつけるもそれ以上はハルには想像することはできない。しばらくの沈黙の後、エリーが口を開こうとした瞬間


「……お前達、後ろに下がっていろ」


静かなシュダの警告がハル達の動きを止める。そこでようやくハル達は目の前にまで目的地であるリベイラの街が迫っていること気づく。だがシュダの言葉にはそんな喜びはない。あるのは戦士としての空気だけ。


「あれは……!」
「DCの兵士ポヨ! まさかもう追手が来たポヨか!?」


叫びを上げるルビーが示すように目の前にはDCの兵の大群がハル達に向かって迫ってくる光景がある。まさかこんなにも早くDCの追跡が来ていたとは完全に予想外。だがハルには戦う術はない。エリーも慌ててガンズトンファーを構えるもののもし幹部クラスの敵がいるとすれば敵わない。この場はシュダに頼るしか手はない。

ハル達の中に緊張が走る。その中核であるシュダが刀とDBに力を込め、応戦せんとした瞬間


「ち、ちくしょう!! 覚えてろよ、お前達―――!!」


黒いスーツを着たどこか情けない空気を纏った男の逃げる敵のお決まりのような捨て台詞が辺りに響き渡る。そのまま男に続くようにDC兵たちは脱兎のごとく街から逃げ出していく。まるで嵐が去っていくかのような出来事。ハル達は身動き一つできず、ただ去っていく男達を見送ることしかできなかった。


「あれ……? みんな逃げて行っちゃったよ?」
「もしかしてシュダさんが六祈将軍だと気づいたのでしょうか?」
「……いや、そんな気配はなかった。そもそも奴らはオレ達を見ていなかったようだ」


エリー達は理解できない事態に困惑するしかない。自分達はまだ何もしていないにも関わらずDC兵が逃げて行ってしまうという事態。


(今の……ブランチか? まさか……あいつがこんなところにいるわけ……)


そんな中、ハルは別の点が気がかりだった。先のスーツを着た黒髪の男。見るからに弱そうな、性格が悪そうな男にハルは見覚えがあった。思い出したくもない、ハルの唯一と言ってもいい嫌いな人物。


「ハル? 何かあったポヨか?」
「な、何でもない。ちょっと人違いだったみたいだ」


ルビーに話しかけられ我に返ったハルは,人違いだと自分に言い聞かせる。こんなところにブランチがいるはずがないましてやDCに属しているなど考えられない。ともかく街に入ってみようとするハル達だったが


「うむ、どうやら一足遅かったようじゃな、ハル」
「残念ね、もう少し早ければ私達の演技が見られたっていうのに」


そんなハル達を待ちかねたように二人組の男女が姿を現す。共に妙な仮面を被った怪しい二人組。かろうじてその服装から男女であることが分かるだけ。新たな刺客かと身構えるもプルーだけは喜びを示すかのように男の方にすり寄っていく。その光景と先の声によってようやくハル達は気づく。彼らの正体に。


「お前……もしかして!」
「久しぶりじゃの。済まぬな、遅くなった」


男は仮面を脱ぎながらハル達へと対面する。見間違うはずのない仲間。竜人レットがそこにはいた。


「レット! 無事だったのか! どうしてこんなところに……」
「ジェガンを倒してからすぐに後を追ったのじゃが途中で主らの匂いが消えてしまったのでな。一番近いこの村で待っておれば会えると思って待っていたのじゃ」
「そっかー。あたし達、ジークの魔法で違う街に瞬間移動してたからきっとそのせいだよ」
「とにかく無事でよかったですよ。ところでレットさん、隣におられる女性は一体……」


お互いの無事を喜び合っているのも束の間、グリフの言葉によってハル達は改めてレットの隣にいる女性に視線を集める。年齢は二十歳前後、どこか力強さを感じさせる瞳を持つ美女。


「初めまして、ジュリアよ。宜しくね」


どこか楽しげに女性、竜人ジュリアはハル達へと挨拶する。その名によってハル達は全てを理解する。レットの恋人であり、竜化してからはジェガンに操られていたジュリアが元の姿に戻ったのが彼女なのだと。


「お前がジュリアか! 元に戻れたんだな、よかった」
「ええ、おかげさまでね。あなたがハルね。レットから話は聞かせてもらってるわ」
「よかったね、レット! でもその格好は何なの?」
「……これはジュリアの提案じゃ。せっかくなら驚かせたいと言っての……ワシは反対したんじゃが」
「いいじゃない、驚かせられたんだから。それに舞踊大会でもちゃんと優勝したんだから完璧よ」
「舞踊大会?」
「そうよ。このリベイラでは年に一度、舞踊大会があるの。優勝賞金は百万エーデルもあるし、旅の資金にもなると思って頂いちゃおうとしたってわけ。もう少し早ければ私達の舞いを見せられたんだけど残念だったわね」
「だが舞踊大会は途中で中断されたじゃろう。なのに賞金をもらうわけには……ぐぼっ!?」
「何言ってるの!? あの時点では私達が一位だったんだからもらって当然よ! DCも追い払ったんだから文句は言わせないわ!」


ジュリアの拳によって突っ込みを受けながらもレットは蹲りながらも反論することはない。瞬間、その場にいる全ての者がレットとジュリアの力関係を悟る。恐らくレットはジュリアの尻に敷かれているのだと。レットから聞かされたジュリア像とはかけ離れている姿にハル達は苦笑いするしかない。


「そういえばそのDCだけどさ、さっき逃げてったんだけどお前達がやっつけたのか?」
「そうよ。色々面倒臭いことがあってね。直接そこのキザ男に事情を聞いたら?」
「え?」


ジュリアのどこか呆れ気味の言葉のままハル達はようやく気づく。自分達の近くにレット達以外の人影があることに。だがその姿は異常だった。およそ常人が着る物とは思えない服装をした、一言でいえば変態が着るような格好で踊りまわっている変態がそこにはいた。


「おお……これが仲間同士の絆というものなんだね。美しい! ただひたすらに美しい! この美しさの前ではこの僕でさえ霞んでしまう!」


元六祈将軍のユリウス。先の戦いでハル達に敗北し姿をくらませていたはずの男が何故か感動の涙を流しながらハル達の前で踊っていたのだった。


「こ、こいつは確か六祈将軍の……何でこんなところに……?」
「こっちが聞きたいわ。いきなり舞踊大会に参加してくるし、こっちが戦おうとしても聞く耳持たないし、勝手に狙撃されるわDCが乱入してくるわで散々だったわ。六祈将軍ってのはお笑い集団か何かなわけ?」
「…………」
「ワシも驚いたがどうやら本当に敵対する気はないらしい。もしそうならとっくに戦闘になっておるじゃろう」
「何を言っているんだい? 僕は生まれ変わったのさ。あの銀術師の絆の銀を目にした瞬間にね……ああ、どうやらここには彼はいないようだが残念だよ。もう一度ちゃんとお礼を言いたかったのに……」


無言のシュダをあえて無視し、この場にムジカがいなくて本当に良かったと思いながらもハル達はおおよその事態を把握する。レット達が舞踊大会に参加すると同時にユリウスもまた現れたこと。ユリウスを狙った暗殺者が狙撃を行うもユリウスは簡単に防いでしまったこと。ユリウスが六祈将軍ではないことを知らなかったDCの兵たちが勘違いし街を襲ったこと。それをレット達が撃退したこと。ようやくハル達は先のDC兵たちの奇行の意味を知る。あれはレット達から逃げ出していたのだと。


「でも、その暗殺者ってのはどうなったんだ……?」
「さあ? 何なら本人出てきてもらったらどう? そこに隠れてるお嬢さん、どうかしら?」


ジュリアがさも当然のように森ののある一点に向かって声を賭けた瞬間、動揺する気配が漏れてくる。しばらく静寂が続くも観念したのか森の中から暗殺者はゆっくりと姿を現す。

それは少女だった。年は十四から十五。エリーよりも幼い少女でありながらもどこか近寄りがたい危うさを持っている。


「どうして分かったの……?」
「お姉さんはちょっと鼻が良いの。しかも硝煙の臭いまでさせてるんじゃバレバレよ」


ジュリアはレットと同じ竜人であり嗅覚も優れている。暗殺者がそこに潜んでいることも、その性別も筒抜け。しかもこの人数差。もはや隠れても無意味なことは明らかだった。


「悪いが聞かせてもらえるかの。何故お主のような子供がユリウスを狙ったのか」
「……子供じゃないわ。ナギサ・アンセクト。それが私の名前よ」
「ナギサちゃんね。狙撃なんて素人にできるとは思えないんだけど……」
「私は解放軍の一員。だからそこの六祈将軍を狙ってるの。邪魔しないでくれる?」
「解放軍……DCや闇の組織から民衆を解放するための部隊のことだな」


シュダの言葉によってハル達は解放軍の存在を知る。帝国ではない民間の手によって結成された組織。DCだけでなく、闇の組織によって虐げられている町や村を解放するために戦っている人々。


「そう……でもさっきの通り、こいつはもう六祈将軍でもDCでもないわ。それでも殺すつもり? そもそもあなたじゃ相手にならないと分かったでしょ?」


ジュリアは子供に言い聞かせるように銃を下ろせと告げる。それはユリウスが本当に戦う意志を持っていないからでもあるが何よりも実力差を知っているからこそ。いくら馬鹿とはいえ元六祈将軍。狙撃という奇襲をもってしてもユリウスを殺すことはできなかった。素人目に見ても明らかな事実。それが分からない程ナギサは子供ではない。解放軍であるなら尚のこと。


「……いいわ。見逃してあげる。でもまた人々を苦しめるなら容赦はしないわ」
「おお、何と美しくない言葉を使う娘だろう。そんな心配はいらないよ。僕はただ新しい美しさを、絆の美しさを知ったんだから」
「……それにもっと大事なことがあるから。まさかこんなところで会えるなんて思ってなかったわ。ハル……あなたが二代目レイヴマスターね」
「え? そうだけど……」
「ならそこにいる女の子がエリー……そうなのね?」
「うん、あたしがエリーだけど……それがどうかした?」


突然自分たちに話題が移ったことにハルとエリーは戸惑うしかない。解放軍という今まで関わったことのない組織との接触。何よりもナギサのどこか決死さを感じさせる瞳に圧倒されるしかない。


「あなた達を探すこと……それが私の本当の役目だったの。一緒に着いてきて。パパ……解放軍のリーダーがあなた達に会いたがっているわ」


ナギサは己の本当の使命を告げる。レット達との再会を喜ぶ余韻もなくハル達はナギサに導かれ、解放軍のアジトへと向かう。

五十年前から受け継がれてきた一本の杖。それを本来の持ち主、エリーへと託すために――――



ウルベールグ。灼熱とマグマがその全てを占める魔界の一角であり、四天魔王メギドの領地。その城の中で不機嫌さを隠すこともなくは歯ぎしりしている男がいた。


(ちっ……! いつまでこんなことしてなきゃなんねえんだ!)


二メートルを優に超す巨体と悪魔を模したかのような体を持つ男。ベリアル。魔界においては伯爵に近い地位を持つ存在なのだが威厳を見せることもなく、べリアルはただ自らの苛立ちを隠すことができずにいた。


(こんなことになったのもあの陰気臭いババアのせいだ……! 何が絶望だ……大人しく凍りついて眠ってりゃいいものを……!)


ベリアルの脳裏には一人の女性の姿がある。四天魔王、絶望のジェロ。魔界における絶対の力を持つ四人の王の一人。その逆鱗に触れてしまったことでべリアルは人間からここ魔界まで強制召喚されてしまった。しかもメギドの元でこき使うようにというおまけ付き。その言伝通りべリアルは凄まじい激務を課せられている。その内容も本来ならジェロの領地である部分までフォローするためのもの。まさにジェロの尻拭いをさせられている格好。いくらルシアに対する不敬が原因だったとしても文句の一つも言いたくなる状況だった。


(だがここで反逆しても意味がねえ……そんなことしてもドリューの奴の二の舞になるだけだ。何とかルシアの下に戻れれば上手く行けば国の一つや二つ……)


だがべリアルは決して反逆や抵抗の意志を魔王に見せることはない。そんなことをしても無意味であることをべリアルは知っている。性格から勘違いされがちだがべリアルは決して自分の力を過信することはない。自分では四天魔王には天地がひっくり返っても敵わないことを知っている。だからこそ魔王の支配が及ばない人間界へと赴いた。もしドリューのように反抗すればどうなるかは語るまでもない。自分の器は誰よりもベリアル自身が知っている。魔界全てを支配することなどできはしない。なら国の一つならおこぼれとしてもらえるかもしれない、そんな狙いをもってルシアの下に着いていたのだがその狙いは外れてしまった。メギドのもとではそんな棚ぼたはあり得ない。何とかルシアの元に戻る方法はないかと画策する日々。その能力でメギドに認めてもらう手もあるのだがべリアルは完全に方向性を見失ってしまっていた。己の半身とも言えるDBを失ってしまったのも大きな要因。そんな中


「べ、ベリアル様……メギド様に至急面会したいとおっしゃる方が……」
「あ? 今日の謁見は終いのはずだろうが。さっさと追い返してこい」
「そ、それが……あの、あの方々は……」


自分の部下であり、門番である下級兵の動揺しきった姿にべリアルはつまらなげに見下すだけ。仮にも四天魔王の城の門番がそんな情けない態度を見せることなどあってはならないこと。何よりも既にメギドへの謁見の時間は終わっている。そもこんな深夜に尋ねてくること自体があり得ない。


「ケッ……まあいい。ちょうど退屈してたところだ。オレ様が直接追い返してきてやるよ」


どこか楽しげな笑みを浮かべながらベリアルはそのまま門へと向かって行く。途中で部下が制止の声を上げるも耳には入ってはいなかった。日々たまるだけのストレスをここで発散しておくのも悪くない。魔界に戻ってから力を振るう機会がなかったのでちょうどいい。だがそんなベリアルの考えは


「――――邪魔するぞ」
「ホム」


文字通り門をこじ開けながら現れた二人の王によって終わりを告げる。

ベリアルは言葉を発することもできない。

一人は戦装束を身に纏った黒髪の男。一挙一動に見る者を震え上がらせる程の威圧感がある。一際目を引くのがその片腕。隻腕というあり得ない姿。だがそれを微塵も感じさせない闘気が満ち溢れている。

もう一人は対照的に何も感じさせることはない。まるで無機質な置物を連想させるような小柄な老人。ひょこひょこと動くその姿は不気味さだけを振りまいている。この世の負の力を具現したような存在。

永遠のウタと漆黒のアスラ。

四天魔王の内の二人がそのまま何事もなかったかのようにメギドのいる玉間に進んでいく。それを拒むことができる者など魔界にはいない。


ベリアルはただ汗まみれになり、歩きながら土下座をするという離れ業を披露したままその場に固まることしかできなかった――――



「ふむ、お主らがやってくるとは……何かあったのか?」


突如訪問してきた二人に驚きながらもメギドは椅子に座ったまま尋ねるしかない。ジェロを除けば四天魔王が集結するなど本来ならそう度々あることではない。何か大きな事態が起こったと考えるのが妥当なためメギドの声は知らず重苦しい物になっている。


「オレはアスラに呼ばれて着いてきただけだ。話ならアスラに聞け」


そんなメギドの内心など知ったことではないとばかりにどうでもよさげにウタは隣にいるアスラに全てを丸投げにする。だがメギドはまるで気にする様子はない。ウタにとっての価値基準、興味は戦いとそれ以外。ただそれだけ。故にこの状況を知るのはアスラのみ。


「……ホム」


アスラはいつもとかわらぬ人形のような生気になさでぽつりと声を漏らすだけ。常人どころかダークブリングマスターのルシアであっても理解できない言葉。だが四天魔王であるメギド、ウタにはそれが分かる。正確にではないが、何を言わんとしているかは両者に伝わった。それは


「なるほど……戦の時が来たということか。面白い。あれからどれだけ自分が強くなったか試したかったところだったからな……」


ウタはただその言葉に愉しげな笑みを浮かべる。己が待ちわびた、戦の時がすぐそこまでやってきていることを意味するのだから。


「そうか……ついにこの時が来たか。予定ではこの場で再び集う予定だったがどうやらそうも言ってられぬようだな」


メギドはどこか感慨深げに眼を閉じる。その脳裏にはこれまでの己が人生が巡っては消えて行く。エンドレスより生まれし四天魔王。その役目に従うように長い間魔界を収め、ただ大魔王を待ち続けた。そしてついに大魔王は誕生した。後はその意志に従うのみ。そのためなら例え王位を捨て、偽りの世界を滅ぼすことすら厭わない。


「――――では往くとしようか、人間界へ」


玉座から腰を上げ、メギドは動き出す。ただ戦うための獣として。
ウタは動き出す。ただ戦うための鬼として。
アスラは動き出す。ただ戦うための魔石として。


今、全ての四天がルシアの元へ、人間界へ集う時が来た――――



[33455] 第百一話 「完成」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/10/25 22:52
ミルディアン。

街中いたるところに時計が溢れている魔導士達の都。時を守る使命を課せられた、いわば時の番人足ることがその町に住む者達の役目。その中でも最も大きな力を持つ時の番人ジークハルトは身に纏った外装をはためかせながら一際大きな建物の一室へと向かって行く。


「失礼します、ミルツ様。少しお時間を宜しいでしょうか」


ノックと共にジークは許可を得ながら入室する。そこには一際小柄な老人がいるだけ。だがその老人は只者ではない。時の賢者と呼ばれるほどの力を持ち、ミルディアンの長。加えてジークにとっては師にもあたる人物ミルツ。実力の上ではジークの方が圧倒的に上なのだがそれを度外視してもジークにとっては頼りになる父といってもいい存在だった。


「ふむ、ジークか。どうした、改まって。何か問題が起こったのかね?」
「いえ、今のところ大きな問題はありません。ハル達は時空の杖を、ムジカは新しいTCMを手に入れることに成功しています」


ミルツの言葉に応えるようにジークはこれまでの現状を報告する。今ジーク達は最後のシンクレアをここミルデイアンへと封印した。それを持ったままハル達と行動を共にすればあまりにもリスクが大きすぎるため。最悪全滅する危険すらある。リスクの分散とハル達が自由に動ける意味もあり、ジークはあえてここミルディアンに留まりシンクレアを守護していた。そのおかげもありハル達は順調に旅を続けている。

ハル達はリベイラの町で出会った解放軍の少女、ナギアの案内によって解放軍のアジトへと向かいリーダーであるユーマ・アンセクトと接触。その地下に封印されていた物を手に入れることができた。

『時空の杖』

かつてリーシャ・バレンタインが生み出したエンドレスに対抗するための杖。様々な物を違う世界、時空へ送ることができる世界を繋ぐ力を持つもの。だが本来の目的は全力の魔導精霊力を解き放つためとエンドレスを星の記憶へとおびき寄せるため。いわばエンドレスに対する切り札。ユーマの父はシンフォニアの軍人であり、魔導精霊力を持つ者、この世界であればエリーに時空の杖を託すために防人を続けてきたのだった。

時同じくしてムジカもまた新しいTCMを手に入れた。正確には自らの手でハル為の剣、聖剣レイヴェルトを創り上げた。ムジカは当然、世界一の鍛冶屋であり祖父でもあるガレイン・ムジカにTCMを造り直してもらわんとしたがガレインは決してそれを行おうとはしなかった。

TCMはレイヴマスターの、世界の剣であるが最も重要な根幹がある。それはTCMはシバのための剣だということ。五十年前、ガレインがシバのために魂を込めて打った唯一の剣。その証拠にハルは第九の剣である羅刹剣を制御できなかった。第十の剣を使いこなすことはできない。故に方法は唯一つ。

ハルのために、ハルだけのために誰かが魂を込めた世界で唯一の剣を造ること。その役目に辿り着いたムジカは己の全てを賭けて挑み続けるも失敗し続けるだけ。ついにあきらめかけるもそこに予想だにしなかった人物が現れる。

銀術師レイナ。元六祈将軍でありムジカにとっては共闘し、心を通わせたことのある女性。レイナ自身はムジカを追って来たわけではなく、かつて調査で知ったガレインに孫であるムジカが生きていることを伝えるため、ムジカに助けられた借りを返すために訪れただけだったのだが結果的にそれはムジカにとって光明となった。

レイナの言葉によって自分が銀術師、金属を操る者であることを思い出したムジカはその力で最期の練成を挑む。自らの半身、魂である銀。レイナとの出会いによって生まれた絆の銀を合わせることによってハルのためのTCM、聖剣レイヴェルトが誕生。ムジカ達はそのままレイナ、ガレインを連れだって五つ目のレイヴポイントへと向かうことになったのだった。


「そうか、では後はハル君達が最後のレイヴを手に入れるのを待つだけということじゃな」
「はい。ですがもう一つ、エリーの記憶を蘇らせることも必要です」
「そうだったの。魔導精霊力の完全制御ができなければエンドレスを倒すどころか魔導精霊力で世界が滅んでしまいかねん……」


髭をいじりながらまだ大きな問題があったことを悟りミルツは唸るしかない。最後のシンクレアはミルディアンハートに封印している以上簡単に見つかることはないが復活したエンドレスの動きはどうしようもない。今はまだ大きな被害は出ていないが大陸、人間が住んでいる場所に現れれば甚大な被害が出てしまう。時間は残されていない。残された最後の希望が魔導精霊力とレイヴ。ジークの言葉と決意によってミルツもまたその可能性に賭ける決意をしていた。


「ミルツ様……そのことについて少し相談したいことが」
「相談? 一体何の話かね?」
「はい、実は……」


ジークは自分たち以外誰も傍にはいないことを確認しながらミルツへと明かす。エリーの正体がリーシャ・バレンタイン本人であるかもしれないという可能性を。かつてシャクマによって示唆された情報だった。


「なるほどのう……確かにそれならば辻褄は合う。あり得ん話ではない」
「そうですか……しかし本当に自らの体を氷漬けにすることで五十年もの時間を超えることができるのでしょうか」
「確かに普通はできぬじゃろう。だが魔導精霊力の魔力なら不可能ではない。それにお主も似た魔法を目にしたはずじゃぞ」
「オレが……?」
「ふむ。絶望のジェロじゃよ。お主が言っておったであろう。絶対氷結。あれに封じられた者は時間さえも凍結させられてしまう。永遠に死ぬことすらできん禁呪じゃ。もっとももしエリーがリーシャなのだとしたら彼女が使ったのはそこまでではない、五十年で目覚めるように調整したのか、それか誰かが彼女を目覚めさせることになっておったのかもしれんの」
「…………」


ミルツは賢者と呼ばれる程の知識でおおよその事態を見抜く。自らの体を氷漬けにすることで。コールドスリープのようにリーシャが時を超えてきたのだと。魔法の知識においてはミルツの右に出る者はいない。ジークはそんなミルツの言葉によってやはり自らの考えは間違いではない確信を得る。だがそれ以外にも気にかかる点がいくつかあった。それを口にしようとした瞬間


凍てつくような吹雪が全てを飲みこんだ――――


「これは――――!?」


思考の隙を狙われたかのようなタイミングによってジークは咄嗟に魔法を使うことができない。何故なら今、ジークの腕にはマジックディフェンダーと呼ばれる腕輪が嵌められている。魔力を封じ、探知されることがなくなるマジックアイテム。自分の魔力を追跡されることがないための策。だがそれが完全に裏目に出てしまう。こんな短時間で居場所がばれてしまうこと。何よりも街ごと氷漬けにするという離れ業を想定していなかった甘さ。


「っ! ジーク、ワシの後ろに下がるんじゃ!!」


だがジークの窮地を間一髪のところでミルツが救う。ミルツは杖に魔力を込め、全力で吹雪の凍結から自らとジークを守る。だがそれだけで精一杯。とても反撃するような余裕はない。街全体を狙った、いわば広範囲の魔法であるにも関わらず防ぐことしかできないという絶望的な戦力差を肌で感じながらもミルツは何とか耐えきることに成功する。


「ミルツ様……! お身体は……!?」
「ハァッ……ハァッ……! ワ、ワシのことなどどうでもよい! お主は一刻も早くシンクレアを持ってこの街を離れるのじゃ!!」


すぐさまマジックディフェンダーを外し、臨戦態勢になりながらジークはミルツに駆け寄るもすぐさまミルツ自身の言葉によって遮られてしまう。


「しかしそれでは……」
「何をしておる!? ここはワシらが時間を稼ぐ……お主がシンクレアを守らずしてどうする! あれがルシアの手に渡れば世界は終わってしまうのじゃ! さっさと行かんか!!」


鬼気迫る表情でミルツはジークへと叫ぶ。この状況が意味する物。絶望のジェロが間違いなくこの街へ攻めてきたこと悟ったミルツは一刻も早くシンクレアと共にこの街を脱出するよう命令する。戦うのではなく逃げろと。自分たちを見捨てて行けと。ミルツとて先の一瞬で自分がジェロ相手には全く歯が立たないことを悟っていた。恐らくは足止めすらできないことも。だがそれでもミルツはジークに迫る。今この時に何を為すべきか。確かにジークならジェロに勝てる可能性はある。しかしそこまで。もし考え得る中で最悪の展開ならばジェロを倒したとしても無駄であるかもしれない。そこまで見越した上での言葉。


「――――分かりました。ご武運を」


一瞬で全てを悟ったジークは一言告げた後、流星となりながら駆ける。後ろを振り返ることはない。それはミルツの、街の住人の意志を裏切ることになると知っているからこそ。それでも悔しさと情けなさに歯を食いしばりながらジークは飛ぶ。


(この結界……間違いない、ジェロだ! まさか街ごと氷漬けにしてくるとは……しかもこの結界の中では空間転移ができないようだ……直接突破するしかない……!)


視界に広がる氷の世界、生きた者は彫像になってしまった白銀の街を視界に収めながらジークはその力を感じ取る。かつて自分と戦った時と同等、もしくはそれ以上の強力な魔法、呪術が街を覆い尽くしていることに。氷の結界。この中は全てジェロの掌の中。空間転移に属する移動系の魔法は意味を為さない。クロノスであれば結界を解き、氷にされてしまった住民も元に戻すことができるが今それを行っても意味はない。すぐさま同じ結界が張られてしまう。加えて副作用であるエンドレスの力の増大すら起こってしまう。故に使うタイミングはシンクレアを回収し、空間転移でこの場を離脱する直前の一度のみ。もし使ったとしても恐らく自分以外を救うことはできないと知りながらもそれ以外に選択肢はない。


(しかし何故こんなに早く……まさかハル達がやられたのか? いや、それならば何らかの動きはあるはず……!)


光速にも似た速度で走りながらもジークは疑念を振り払うことができない。あまりにも襲撃が早すぎる。ミルディアンハートはかつてクロノスすら封印していた聖地。シンクレアであったとしても例外ではない。完全に隠し切ることはできなくともすぐに見つかることなどあり得ない。ハル達がやられ、場所が漏れた可能性も考えるがやはりあり得ない。もしそんなことがあるならば気づかないはずがない。まるでミルディアンに最後のシンクレアがあることを最初から知っていたとしか思えないようなタイミング。いくら考えても答えが出ることがない問いを切り捨て、ジークはその場所に辿り着く。

魔都の中心ミルディアンハート

クロノスが封印されし、大魔道でしか入ることが許されない聖域。かつてハジャとの魔法戦が行われ、今は完全な廃墟と化しているものの、その中心には小さな闇の輝きがある。


(よし……どうやらまだここまでは侵攻されていないようだな……)


ジークは封印を解き、すぐさま中心部に保管されていたシンクレアをその手に取る。まだジェロはここまでは侵攻していないことに安堵するもゆっくりしている時間はない。文字通り、ミルディアンの民は今も命を賭けてジェロを足止めしてくれているのだから。ジェロの気配は街の入り口近くから動いてはいない。他に敵となる者の気配は感じ取れない。ならばジェロの反対側に向かって移動し、タイミングを見計らってクロノスによって結界を消滅、空間転移によって離脱する。ここミルディアンハートの中でも空間転移は使用できないため一刻も早くここを脱出せんとジークが流星を纏わんとしたその時


ジャリ、と瓦礫を踏みつけるような足音が微かに響いた。


「―――――」


ジークは声を発することもなくただゆっくりと音のした方向へと振り返る。だが知らず、ジークは息を飲んでいた。額が、体が汗ばんでいる。まるで蛇に睨まれた蛙のよう。その手にあるシンクレアに力を込めながらジークはただその人影に目を奪われる。


あるのは驚愕だけ。何も感じなかった。ジークはこの場に来る、今の瞬間まで臨戦態勢だった。事実ジェロの位置は今も捉えている。魔導士であるジークにとっては敵の位置を把握することなど造作もない。ましてや今のジークは超魔導。だからこそあり得ない。今のこの瞬間まで、背後を取られるまで敵の接近に気づかないなど。


「……最後のシンクレアをもらいにきた」


機械的に、全く生気を感じさせない声で人影、ルシア・レアグローブはゆらりと姿を現す。影から姿を見せながらも黒い甲冑、マントのせいで全容を見ることができない。


「…………」


ジークは一歩後ろに下がりながらもあまりにも想定外の展開に翻弄されていた。一つがルシアの気配を全く関知できなかったこと。その存在に気づいた今ならルシアの力を、気配を感じ取れる。まるで突然現れたかのよう。ここでは瞬間移動は使えないにもかかわらず。ジークは知らない。それがハイドと呼ばれるDBの力だと。奇しくもジークの追跡から逃れるために生み出したDB。ジークは知る。これがルシアの罠だったのだと。ジェロは最初から囮。わざとジークを動かし、最後のシンクレアの場所を特定するためのもの。ルシアはただ気配を消し、姿を消しながらジークの後を追って来ただけ。四天魔王すらも囮に使う策。かつて未熟な時、持てるすべての力で動いていた頃を彷彿とさせるような在り方。


(何だ……!? 以前とは全く違う……これは……!?)


何よりもジークを圧倒しているのがルシアの纏っている空気。明らかに前とは違う。力自体は大きく変わらないが眼が、表情は全く別人だった。かつてのルシアは確かに強大な力を感じさせる存在。事実四天魔王すら束ねるに相応しい空気があった。加えてその力に比例するようにどこか甘さ、慢心も同時に含んでいた。ハルやエリーに接する際にも確かにそれが見え隠れしていた。

だが今はそれがない。死んだ魚のような濁った瞳。生気を感じさせない不気味さ。幽鬼なのではと疑ってしまうほど。しかしその眼には確かな意志がある。瞳がはっきりとそれを捕える。ジークの右手。そこにある最後のシンクレア。獲物を前にした獣のような狂気がジークを射抜く。

瞬間、ジークは跳ねた。技術も何もない、ただ単純にルシアから逃れるために。本来であればルシアに対してここが分かった理由などを問い詰めると同時に隙を伺う選択をしただろう。もしくはルシアの方からシンクレアを渡せば見逃してやる、といった言葉があったかもしれない。だがもうそれはあり得ない。

本気になったダークブリングマスターには誰も敵わない。対極であるレイヴマスターでない限り。


「くっ……!!」


ジークは流星を纏いながら最短距離でその場を脱出せんと飛ぶ。その名の通り流星にも匹敵する速度を見せながら。一瞬、魔法で足止めをするべきか迷うも本能に従うようにジークは逃げに徹した。恐らく今のルシアにはいかなる魔法も足止めにはならない。そう悟ってしまうほどに今のルシアは異常だった。全く油断も慢心もない。純粋に最後のシンクレアを奪いに来ている。間は数秒ほど。だが流星を纏ったジークであれば十分すぎるほどの時間。今のジークの速さは閃光のDBを持つルナールに匹敵、凌駕する。こと速さにおいてジークに敵う者はない。ルシアも例外ではない。しかしジークは知らなかった。

『大魔王からは逃げられない』

そんな不文律が、理不尽が存在することを。


「……ヴァンパイア」


ぽつりとルシアがその名を口にした瞬間、ジークは見えない力によって動きを封じられてしまう。それだけではない。進行方向とは真逆、ルシアの元に向かってこの世の物とは思えないような万力で引き寄せられていく。引力支配。かつてドリューが持っていた五つの頂きの内の一つ。今のジークはまるで引力に引かれて堕ちていく隕石。その力に抗う術はない。だがその例外をジークは持っていた。


(これは……引力!? シンクレアの力か……!!)


物理法則さえも操るシンクレアの力によって引き寄せられながらもジークは瞬時に己が力を解放する。クロノス。時空操作によって対象を消滅させる禁忌。ルシア自身を消すことはできないが自分を引きつけている引力を無効化することは可能。このまま囚われれば敗北は必死。副作用も全て度外視ジークはクロノスの力によってヴァンパイアの引力を無効化する。後は再び離脱するだけ。だが


「―――邪魔だ」


ルシアはそれさえも凌駕する。ジークは既に眼の前に迫っているルシアに圧倒されるだけ。引力は無効化したものの、引き寄せられた事実までは変えられない。加えてルシアにとってはそれすらも囮。その手には既に闇の音速剣から形態を変えつつあるネオ・デカログスがある。

ヴァンパイアの引力と闇の音速剣による超加速。

それがルシアの狙い。引力による足止めなど二次的な話。単純に流星の速さを上回ればジークに逃げ場はない。単純であるが故に覆せない真理。だがジークにはまだあきらめはない。自らの魔力、魔法で対抗しようとするもすぐさまジークの表情は絶望に染まる。

鉄の剣アイゼンメテオール

何の魔力も持たない鉄の剣がジークの右手を切り裂く。かつての戦いの時と同じ決着。魔導士である以上覆せない真理。魔導士は魔力なき物は防げない。加えてルシアは対魔導士戦を知り尽くしている。攻撃には鉄の剣。防御には封印剣。いわばジークにとってルシアは天敵。ルシアと相対してしまった時点で最初から敗北は決まっていた。

剣聖と超魔導。五十前と同様に、世代を超えての頂上決戦は再び剣聖の勝利に終わったのだった――――


「ぐっ……!!」


何とか受け身を取りながらジークは着地するも苦渋の表情を隠し切れてはいない。右腕は健在。切り裂かれたものの皮一枚のところで体を捻り致命傷を避けることができていた。だがダメージは深刻。加えて最悪の状況になってしまっている。


(シンクレアは……あそこか……!)


ジークは痛みに耐えながら地面に落ちてしまったシンクレアを捉えるも身動きを取ることができない。先の攻防によって右腕を狙われたことによってシンクレアは吹き飛ばされてしまった。最初からそれが狙いだったのだと気づくも時すでに遅し。シンクレアの位置はルシアの方が近い。流星であっても間に合わない。だがこのままルシアの手に渡ってしまえば全てが終わる。これまでの戦いが無意味になってしまう。ジークは決死の覚悟で最後の魔法を解き放たんとする。

星座崩しセーマ

隕石を操る古代禁呪。ジークが持つ魔法の中で最強であり最速の魔法。だがこの場で放てばミルディアンハートごと、自分を巻き込んでしまうことになる。恐らくルシアを倒すこともできない。それでも星崩しによってミルディアンハートを崩壊させればシンクレアを隠すことが、時間を稼ぐことができる。場合によっては混乱に乗じてシンクレアを奪取できる可能性もある。そんな望みを懸けた最後の抵抗は


「―――っ!?」


ルシアのかざした手によって終わりを告げる。瞬間、再びジークはルシアに引き寄せられる。クロノスを使う暇も星崩しを放つ時間もない。全てを見越しているかのように、止めを刺すかのように鉄の剣がジークに向かって振るわれる。避けることも防ぐこともままならない完全な詰み。しかし


「はあっ!!」


それは突如乱入してきた黒い影によって防がれる。黒いマント、顔に大きな切傷を持つ男は二人の間に割って入り刀によってルシアの一刀を防ぐ。


「シュダっ!? 何故お前がここに!?」
「話は後だ! てめえはさっさとシンクレアを回収しろ!!」


困惑するジークをよそにシュダは叫びをあげるしかない。シュダは優れた剣士であり、天空桜も神の刀と呼ばれるほどのもの。だが相手は剣聖であるルシア。まともに剣を斬り結べば敗北は必死。今の鍔迫り合いですら長くは保たない。シュダの叫びに呼応するようにジークはシンクレアを回収せんと動くも見えない力によってシュダもろとも吹き飛ばされてしまう。


「くそ……!! 何だこの力は……!?」
「……っ! 恐らく引力支配……ドリューが持っていたシンクレアの力だ……」
「ちっ……! とにかくここはオレに任せろ! お前はすぐにハル達のところに行け!」


シュダは負傷しているジークを一瞬見た後、自らが囮になるためにルシアへと挑む。もはやシンクレアを回収することは不可能。先の不意打ち、隙が最後のチャンスだったがそれすらも通用しなかった。ならば自分達の中で最大戦力であるジークをここで失うわけにはいかない。シュダは決死の覚悟で自らのDBバレッテーゼフレアの力によってルシアもろともシンクレアを爆発させんとする。しかしいつまでたっても爆発は愚か、火花一つ起こることはなかった。まるで神の意志が働いているかのようにバレッテーゼフレアは力を見せることはない。

シュダは驚愕するだけ。自らの半身とも言えるDBはただの石へと成り下がってしまっている。ようやくシュダは知る。自分が相手にしているのが誰なのか。ダークブリングマスター。全てのDBを操る担い手。その前では全てのDBは無力。四つのシンクレアを手にしているルシアに対してDBで対抗できる者など存在しない。


「なっ―――!?」


だがそれだけでは終わらなかった。シュダは何が起こったのかすら分からない。ただ自分が胸に掛けていたDBが姿を消してしまった。バッレッテーゼフレアだけではない。ベリアルから奪ったジ・アースもまた同じ。その意味をシュダはようやく悟る。

ルシアの手の中。そこに二つの六星DBが収まっている。まるで在るべき持ち主の元に戻ったかのように。ワープロードによる瞬間移動。六星DB全てにルシアはマーキングを済ませていた。理由は簡単。六祈将軍の、さらに言うならハルの味方になるであろうシュダの位置を把握するため。一度使えばシュダのDBを奪ってしまうため今まで使うことのなかった切り札。だがもはやその意味はない。今のルシアにとってシュダはただの邪魔者でしかない。


「消えろ」


宣告と共にルシアは爆炎を解き放つ。相手を捕縛する力も、座標を把握する作業も必要ない。ただ視認した範囲を全て意のままに爆発させることができる極み。その炎もシュダが操る時の比ではない。ダメージの表示など無意味な程の爆撃。メギドの持つ獄炎には及ばないものの、真に迫る炎が踊り全てを破壊しつくしていく。衝撃と威力によってミルディアンハートは無残に崩壊し、ジークとシュダも為すすべなく飲み込まれていく。それがダークブリングマスターが手にした六星DBの在るべき姿だった――――



「……アナスタシス」


崩壊した地下空洞の中でルシアの呟きと共に一角だけが何事もなかったかのように再生される。ハジャとの戦いよりも前の無傷のミルディアンハート。違うのは地面にラストフィジックスが落ちていることだけ。崩壊に巻き込まれたはずのジークとシュダの姿も見当たらないもののルシアは気にすることはない。今のルシアにとって優先すべきことは他にあるのだから。


「…………」


一歩一歩、ゆっくりとルシアは最後のシンクレアに近づいて行く。ラストフィジックス。かつてオウガが持ち、さまざまな人物の手に渡りながらここまで至った最後のピース。だがルシアを前にしてもラストフィジックスは一言もしゃべることはない。間違いなく他のシンクレア同様人格があるはずにもかかわらず。だがこれは分かり切ったこと。ダークブリングマスターでありながらダークブリングマスターではないアキにとっては当たり前の対応。

事実それは他のシンクレアも変わらない。アナスタシスも、バルドルも。あの瞬間からアキに口を開くことはない。あれだけ騒がしかったことは嘘のよう。もしかしたらあれは夢だったのでは、そう思ってしまうほどに。

当然だ。自分はエンドレスを、シンクレアを裏切っていた。それがバレた以上自分は彼女達の敵、裏切り者でしかない。分かり切っていたことだ。なのに、それなのにそれが悲しいなんて感じるなんて虫がよすぎる。無様すぎる。

ルシアは屈みながらついにそれを手にする。最後のシンクレア。五つに分かれてしまっていた母なる闇の使者達。それが今、ここに集った。

今のアキに後悔はない。自分の企みが、裏切りがバレた以上もはやどうすることもできない。あのまま何もしなければジェロが動き、ラストフィジクスを手に入れてきただろう。もしジェロが動かなければ自分は操られ、ラストフィジックスを手に入れていただろう。

世界のためを思うなら、自分が死ねばいい。だがそれすらも許されない。

自殺したところでまた蘇らせられるだけ。待っているのは頭痛と吐き気。拷問にも似た末路。その苦しみは死よりも恐ろしかった。

一度だけなら耐えられる。二度目なら意識を失える。三度目は感覚が麻痺してくる。それから先になればどうなるか分からない。肉体の前に、精神が死ぬことになる。廃人なり、ただエンドレスの意のままに操られる人形となる。それならまだいい。もしかしたら精神すらも再生されるかもしれない。怖かった。ただ怖かった。死よりも恐ろしいことがあるなんて想像もしていなかった。

ハル達に倒される未来も意味がない。エンドレスと繋がっている自分はエンドレスが消滅すれば死ぬだけ。ヴァンパイアの言うようにそれは唯の自殺と変わらない。全てを知ったエンドレスが易々と破れるわけもない。結局自分が死ぬ運命は変わらない。いや、それはどうでもよかった。死ぬことは怖い。でももうあきらめていた。

四面楚歌。袋小路。ダークブリングマスターになった時点で詰んでいる。エンドレスと繋がっている以上どうやってもエンドレスには逆らえない。敵わない。シンクレアでさえ、マザーでさえエンドレスには逆らえなかったのだから。

いや、違う。逆らえなかったのではない。逆らったのだ。自分が死ぬと分かりながらマザーは自分に力を貸してくれていた。自分がみっともない自己保身のために動いて、シンクレアを、マザーを壊すために動いていると知りながらもマザーは動いていた。

どんな気持ちだったのだろう。
どんなに辛かっただろう。
どんなに寂しかっただろう。

ただ自分はそれに気づかずに道化のように踊っていただけ。今になってようやくマザーの言葉の意味が分かった。

羅刹剣に飲み込まれたハルを見た時のマザーの言葉。それが操られる自分を案じたものだったのだと。ただ戦うだけの化け物になり果てたアキを見ることがマザーにとってはもっとも憂慮したこと。ならそうなることだけは避けなければならない。

そのために自分の意志で動いた。この世界に来て、損得抜きで、初めて自分は動いた。ジェロに任せればよかったのかもしれない。自我を失えばよかったのかもしれない。だがこれだけは譲れなかった。自分の責任で果たさなければならなかった。


「……約束通りラストフィジックスを手に入れた。これでマザーを元に戻してくれるんだな、ヴァンパイア」


ラストフィジクスを手に入れてマザーを元に戻すこと。ただ元に戻してくれるなど都合がいいことはないかもしれない。それでも、たった一言でもマザーに謝りたい。それが今のアキに残った最後の願い、贖罪だった。


『そうねぇ、御苦労さま。約束通り、マザーは元に戻してあげる……最後まで見られないのが残念だけど、私は退場させてもらうわ』


感慨深げに、そして心底愉しげな声を上げながらヴァンパイアは嗤う。他のシンクレア達は何も語ることはない。もはや言葉など不要なのだと告げるかのように。一体何を言っているのか、その意味を問いたださんとするも


瞬間、凄まじい光が全てを覆い尽くした。


ルシアは光と共に凄まじい熱を発するラストフィジックスを手放し落としてしまう。それに呼応するように四つのシンクレアも鎖から解き放たれ、地面へと転がり落ちて行く。紫の五つの光が空に向かって奔る。まるで光の柱。


(あれは……!!)


アキはその光景に言葉を失う。そこには巨大な怪物がいた。エンドレス。星跡の洞窟で見た時よりもさらに巨大化し、禍々しさを増している終わり亡きもの。その足音と咆哮がミルディアンを震撼させる。先程までは何の気配もなかったにもかかわらず突如この場に現れたエンドレスはアキの頭上で動きを止める。正確には五つのシンクレアの上空。全てのシンクレアに共鳴するようにエンドレスは霧のように姿を変え、シンクレアの元に吸い込まれていく。その暴風によって直ったはずのミルディアンハートは再び崩壊していく。ただアキに分かること。それは今、全てのシンクレアとエンドレスが一つになろうとしているということ。世界の滅亡を示すもの。かつて自分が防ごうとし、破れてしまった企み。今のアキにとっては自らの死よりも大切な、たった一つの希望を願ったもの。その最中


『…………アキ』


微かな、途切れそうな声が確かにアキの耳に届く。アキがそれに応えようとした瞬間、それは完成した。


「これが……エンドレス……」


アキは呆然としながら地面に落ちている一つの魔石に目を奪われる。もはやそれは石ではなかった。大きさは拳ほどであり、生き物のように鼓動している黒い心臓のような禍々しさ。その力の大きさにアキですら恐怖する。

この世界どころではない、次元そのものを消滅しかねない純粋な力の塊。まさに神に等しい力が備わっている。だがアキにとってそれはどうでもいいことだった。


「マザー……?」


ただ元に戻ったマザーに会うこと。そして今までのことを謝ることだけがアキの全て。自分の力ではどうすることもできない事態を前にして、今まで何一つ自分で決めることなく、流されてきたアキは望んだ最後の願い。それは


『ようやくこの時が来たか……随分と待たせてくれたものだな、人形よ』


人間味を全く感じさせない、機械のような言葉によって砕け散る。たったその一言でアキは全てを悟った。


そう、ヴァンパイアは言った。マザーを元に戻すと。それは正しい。間違いなくヴァンパイアは約束を守った。


アキは知っていた。今のエンドレスの声がまさに一番最初に出会った時のマザーと瓜二つであることを。


マザーだけではない。アナスタシスも、バルドルも、ヴァンパイアも、ラストフィジックスも。何の気配も残ってはいない。


そうこれは単純な話。エンドレスとシンクレア達が元の姿に戻った。ただそれだけのこと。


シンクレアの役目は担い手を見い出し、全てを集めること。ならば役目を終えたシンクレアは消え去るのみ。


アキはただその場に膝を着き、首を垂れるだけ。涙すら出ない。声にならない叫びを上げることしかできない。最後まで道化でしかない自分を呪いながら。残ったのは唯一つ。ただマザーが消滅したことだけ。


今、全ての犠牲の上に次元崩壊のDB『エンドレス』が完成した――――



[33455] 第百二話 「永遠の誓い」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/10/29 00:07
東イーマ大陸にある隠された洞窟。蒼天四戦士が眠る墓地であり、最後の五つ目のレイヴが守護されていた聖域。その中で二代目レイヴマスター、ハル・グローリーは最後の試練に挑むことになった。

初代レイヴマスターであるシバ・ローゼスとの決闘。

ハルが二代目レイヴマスターとして認められるか否かの真剣勝負。真実のレイヴを賭けた避けることができないもの。シバもまた自らの命を賭してハルへと挑んできた。残りの命と引き換えに若さを得ることができる禁断の薬。それによって全盛期の姿と力を取り戻した剣聖。ハルが戦って中でも間違いなく最強の相手。こと剣技という点ではルシアすら凌駕しかねない剣士。だが戦いの中でハルは徐々にそれに近づいて行くことになる。まるで自身の力を引き出されていくかのように。

そして死闘の末にハルは二つの物を手にする。

一つが剣聖としての剣技。この世界における世界最強の剣士である証。シバとの戦いによってハルはそれを己が物とする。

もう一つが想いの剣。誰かのために剣を振るうこと、想いを剣に乗せることで剣に重みを与える剣のもう一つの到達点。同時にレイヴマスターとしての根幹を為すもの。

『エリーのために』

それがハルの根幹であり戦う理由。答えを得たことによってハルはシバを超え、真のレイヴマスターへと至った。シバもまた、長い人生を終えることになる。長い旅路を終えたかのように。だがその終着は決して救いがない物ではなかった。

リーシャの胸の中というシバの始まりの場所に辿り着いた。それがシバの五十年の旅の終わりだった――――


静まり返った洞窟の中でハルは自分の手の中にある真実のレイヴに目を向ける。追い求めていた最後のレイヴ。ついに五つのレイヴ全てがハル達の元に集った。同時にハルは確かに感じ取る。その力が増していることに。だがそれだけではない。シバから託された想いが今確かに自分に受け継がれた。剣聖と想いの剣。レイヴマスターとしての、そして一人の男としての贈りもの。


(ありがとう……シバ。後はオレ達に任せてくれ……)


ハルは滲む涙を抑えながら立ち上がる。既に涙は必要ない。自分にできるのはこの戦いを終わらせること。それが本当の意味でシバの想いに応えることになるのだから。そのための力はここに揃った。

五つのレイヴと聖剣レイヴェルト。ムジカが創り上げたハルのための剣。破魔の力を持つ第十の剣であり世界の剣。もしレイヴェルトがなければシバの試練を超えることができなかったかもしれないと感じてしまうほど、凄まじい力を持つ切り札。ルシアが持つネオ・デカログスに匹敵する、対極の剣。

自らが持ち得る最高の装備を手に入れ、ハルはようやくルシアと戦える力を手にしたのだった――――


だが喜んでいる時間はハル達にはのこされてはいなかった。儀式が終わり、シバの葬儀が済んでからハル達は蒼天四戦士の唯一の生き残りであるアルパインからこの世界の真実とエンドレスの正体を明かされる。

並行世界と現行世界。

エンドレスがDBであり、DBがエンドレスであること。

文字通り自分達の戦いが世界の命運をかけたものであることに改めてハル達は圧倒されるも決意を新たにする。


「なるほどのう……じゃがワシらがすることは変わらん。敵がどんなに強大だとしてもじゃ」
「そーいうこと。お姉さんも力になってあげるわ。乗りかかった船だしね」
「レット、ジュリア……ありがとな」


敵の強大さに場の空気が暗くなり始める前に、レットとジュリアは己が意志を示す。ある意味分かりやすい意志表示。レットは当然だとしてもジュリアもまたそれに劣らない覚悟を見せる。むしろここにいる誰よりもやる気に満ちているかのような姿。力を持て余しているかのような一抹の不安を感じたレットが冷や汗を流すほど。


「右に同じってね……今更聞くまでもねえことだぜ、ハル。だけど本当にいいのか、レイナ? お前は別に無理して戦うことは……」
「あら、心配してくれるの? でも余計なお世話よ。これでも元六祈将軍、甘く見ないで頂戴、ボウヤ♪」


どこかやりづらそうな雰囲気を纏いながらムジカが忠告するも女性は全く気にするそぶりをみせない。元六祈将軍のレイナ。パンクストリートで再会してから何故か同行してきた彼女であったがこの期に及んで裏切るなどとはムジカは露とも思っていないが流石にこれからの戦いにまで着いてくるとなれば疑問は尽きなかった。


「何だってそこまで着いてくるんだ……? 借りならもうパンクストリートで返してもらったはずだぜ」
「ええ。だからこれは私の個人的な用件よ。ルシアに不当解雇された腹いせね」
「何だそりゃ? もしかしてお前……ルシアと何かあったのか?」
「あら、もしかして妬いてるの? 心配してなくとも色恋沙汰の話じゃないわ。ただやっぱりあのまま放っておくのは目覚めが悪いと思ったのよ。借りはやっぱり返さないとね」


自分の一挙一動に右往左往しているムジカに楽しげな反応を示しながらもレイナは自身の戦う理由を明かす。もっともムジカ達からすれば何を言っているのか分からない内容。本当なら戦いから見逃された自分はあのまま退場していた方がよかったのかもしれないがやはり借りを作ったままなのは彼女の性ではない。ムジカ達よりも遥かに近い場所からルシアと接していたレイナにしか分からない戦う理由。


「とにかく仲間が増えるのは助かりますよ! ルシアだけじゃなくてあの四天魔王って人達もいるんですから! 何より美しい女性なんですから私は構いません!」
「そう、ありがと。グリフさん」
「ったく……それよりもこれからどうするんだ? ルシアのところに殴り込みをかけるにしても急いだ方がいいぜ。あっちもシンクレアは残り一つなんだからな」
「うむ、ジークが守っているとはいえ油断は禁物じゃ。こちらが揃った今なら先に動くに越したことはなかろう」


とりあえずはレイナの加入については認められた形。相手が相手で以上、戦力が多いに越したことはない。問題はこれからの行動。五つ目のレイヴを手に入れた以上、数ではこちらが優位に立った。ならばルシアが五つ揃える前に挑むべき。だがそんな狙いは


「……残念だがそれはもう無理だ。ルシアも五つ目のシンクレアを手に入れた。ついさっきな……」


苦渋に満ちた、同時に己の無力さを呪うようなシュダの声によって無意味となる。ハル達は突然のシュダの声に驚きを隠せない。何故ならシュダは五つ目のレイヴポイントに到着したことをジークに伝えるために別行動をしていたから。しかもまだそれから時間は経っていない。とてもミルディアンから往復できるような時間はなかった。だがそんなことすらどうでもいい光景がハル達の目に飛び込んでくる。


「ジークっ!? どうしたんだ、その傷は……!?」
「……すまない、ハル。シンクレアを守ることができなかった……オレのミスだ……」


それはシュダに肩を支えてもらいながらようやく立っているジークの姿。満身創痍。特に右腕の負傷が深い。シュダもまた浅くない傷を負ってしまっている。同時にその場にいる者達は悟る。恐らくはルシアの手に最後のシンクレアが渡ってしまったのだと。奇しくも最後のレイヴを手に入れた直後。計ったかのようなタイミング。こうなることが決まっていたかのような偶然。だがそれが必然であることを知る者がこの場にはいた。


「お前は……」
「…………」


ハル達はただ言葉を失う。シュダとジークの後ろからもう一人の人物が姿を現す。レイナ以上のイレギュラーであり、幾度となくハル達の窮地を救っては姿をくらませていた存在。

『覆面の男』

いつかと変わらず無言のまま自分達の前に現れた覆面の男に驚きながらもすぐさまハル達はエリクシルによって二人を治療する。同時にジークの口からこれまでの経緯が明かされていく。

ルシアがミルディアンを襲撃し、シンクレアを狙って来たこと。
応戦するも敵わず、シュダの救援もあったが追い詰められてしまったこと。
絶体絶命であったが間一髪のところで覆面の男によって救われたこと。
そのままミルディアンを脱出し、空間転移によってこの場に来たこと。
五つのシンクレアが揃ったことで次元崩壊のDB『エンドレス』が完成したこと。

ハル達にとっては最悪に近い展開。先程アルパインに聞かされた内容もあわせればルシアの手にはエンドレスの力がそのまま渡ってしまったことになるのだから。


(……まだだ、こっちだってレイヴがある。まだアキを止めることができるはずだ!)


焦る気持ちを抑えながらハルは自身を鼓舞する。そう、まだ終わったわけではない。最悪ではない。シンクレアが揃ったように、レイヴも揃った。ならばこれから本当正念場。最後のチャンス。いつかの約束を果たすことができるはず。だがそんなハルの決意は唐突に終わりを告げる。それは


「……エリー? どうして、泣いてるんだ……?」
「…………え?」


エリーが突然その目から涙を流していたから。つい先ほどまではそんなことはなかったはずなのに。確かにアルパインの話を聞いた時から一言もしゃべっていないのは気に掛けていたものの、涙を見せるなど普通ではない。同時にエリーが泣くような事態が起こったとは思えない。確かに次元崩壊のDB『エンドレス』が完成したことは恐るべきことであり、アキのことも気にかかるがハルはそれを抜きにしても今のエリーの姿は普通ではなかった。


「……ううん、何でもない。うん……ハル、あたし、行きたいところがあるの」


エリーはその手で涙をぬぐいながらハルへと視線を向ける。そこにはもう先程までのエリーの姿はない。あるのは何かを決意したかのような、迷いない瞳を持ったエリーがいるだけ。今まで見たことのない力が満ちているかのよう。


「シンフォニア……リーシャの墓へ。あたしがするべきことが、知らなきゃいけないことがそこにあるはずだから」


エリーは宣言する。自らの記憶を知る最後の手掛かり。その扉を開くことを。かつて星跡の洞窟ではできなかったこと。だが今のエリーにはそれができる。

五つのレイヴが揃ったこと。そしてその覚悟ができたこと。

記憶を取り戻し、魔導精霊力の完全制御を習得する。それがエリーの役目を果たすため、願いを叶えるために必要不可欠の条件だった。その覚悟と気迫に押されるものの、ハル達が答えようとした瞬間


「……ならオレが案内しよう」


聞いたことのない声が真っ先にエリーに応える。ハル達はもちろん、エリーも驚愕するしかない。何故ならその声の主は今まで一度もしゃべったことのない覆面の男だったのだから。だがその声はどこかくぐもったもの。マスクのせいか、何かの手段で声を変えているのかは分からないがそのままの声でないことは確か。それでも覆面の男が口を開いたということだけで十分だった。


「……いいの?」
「ああ……ただし、連れて行くのはお前とハル、それとジークハルトだけだ」
「オレとジークを……? どうして……」
「…………」


ハルはただ困惑するしかない。シンフォニアに連れて行ってくれることはありがたいが何故が全員ではなく自分とジークだけ。エリーは当然としてどうしてそんなことを言うのかハルには全く意味が分からない。ムジカ達も同様。だが


「……分かった。行くぞ、ハル、エリー。今は一刻でも時間が惜しい。今はこの男の言う通りにするしかない」


ジークは迷いなくその提案を受け入れる。自分達の中でも最も思慮深いと言ってもいいジークが承諾したことで話はまとまり、ハル達は覆面の男の力によってシンフォニアへと飛ぶ。空間転移という大魔法。距離をゼロにすることによってハル達は一瞬でシンフォニアへ、ELIE3173へと辿り着く。

何もない荒野。大破壊の爪痕。いつか訪れた時と変わらない死の大地。だがそれは覆面の男が地面に杖を突き立てた瞬間に世界を変える。

森の中にあるリーシャの墓。空間を切り取る結界魔法。大魔道であっても不可能な長高等魔法を覆面の男はこともなげに披露する。いつかと同じ展開。しかもその後も全く同じだった。

気づけば覆面の男は再び姿を消していた。まるで結界を解くことだけが役目だったかのように。いくら探しても姿は愚か気配すらない。気にかかりながらもエリー達は自分たちだけで記憶を蘇らせることにする。

五つのレイヴを手にすること、リーシャの墓の前に訪れたことによってその時が訪れる。レイヴと魔導勢力の共鳴。それによる膨大な魔力による時空の歪み。人智を超えた力によってエリー達は飲み込まれ、目にすることになった。


五十年年前のシンフォニア。大破壊が、王国戦争が起こる前の世界。タイムスリップ、時間を超えるという奇跡。そこには全てがあった。


ハルは知ることになる。


シバが自分の名を知っていた理由。
自分の父がエリーを知っていた、探していた理由。
王国戦争の真実。
自分が二代目レイヴマスターに選ばれた意味を。


エリーは知ることになる。


自らの正体がリーシャ・バレンタインであることを。
魔導精霊力を使うことによって記憶を失うことを。
カーム、シンフォニア国王との協力によってエンドレスを倒すために時間を超えたことを。
そのために全ての人を騙し、死を装ったことを。
レイヴを生み出し、シバに惹かれ託したことを。
記憶を失い、約束を果たすことができなかったこと。
シバが五十年、その時の想いを貫き通して死んでいったことを。


全てはエンドレスを倒すため。未来を守るためのもの。だがそのためにエリーは全てを捨ててきた。

名前も、友も、想い人も。それが正しかったのかエリーには分からない。多くの人が自分のために犠牲になってきた。五十年の時を超えること。それは一度死ぬことと変わらない。

だからこそエリーは名前とその髪を捨てた。エリーとして生きるために。その使命を果たすために。だがこの瞬間だけはエリーはただの少女だった。

シバを前にして声をかけることも、会うことも許されない。ただ一言謝ることすらできない。エリーはただ雨の中、ハルに抱かれながらなく続けることしかできない。五十年前、泣くことができなかった分を取り戻すかのように。ジークもまたそんなエリーを見守っているだけ。時の番人の二つ名のように、それが己の使命であるかのように。


そしてついにその時が訪れる。


九月九日。時の交わる日。リーシャの墓が立てられる場所。そこで凄まじい時空の歪みが発生する。時の亀裂と呼ばれる現象。


様々な時代に繋がっている時の狭間。これで自分達の時代に戻れるとハルとエリーは喜ぶもジークによってそれは否定されてしまう。時の亀裂は現在過去未来。全ての時につながっているもの。そこに飛び込めばどの時代に飛ばされてもおかしくない。数百年前か、数百年後か。現代に戻れる確率はゼロに等しい。その事実にハルとエリーは絶望するしかない。このままでは元の世界に戻ることができない。エリーが記憶を取り戻したことも意味がなくなってしまう。完全な詰み。だがあきらめるわけにはいかない。二人が他に方法がないか考えを巡らせようとしたその瞬間


ジークは両手でエリーとハルを時の亀裂へと押し込んだ。


「えっ!?」
「な、何するんだ、ジーク!?」


エリーとハルは一体何が起こったのか分からないままただ翻弄されるしかない。だが時の亀裂に落ちたことによって体の自由が利かず、流されていく。まるで暴風に巻き込まれたかのよう。何故ジークがそんなことをしたのか尋ねるよりも早く、ジークは答える。


「オレが外から時を操る。そうすればお前達が現代に戻ることができる。それだけだ」


ジークは淀みなく、ただ事実を二人へと告げる。確かに時の亀裂に落ちればどの時代に飛ばされるかは分からない。だが外から第三者が時を操ればその限りではない。ジークが時を操ればエリーとハルは現代に戻ることができる。しかしそれは


「お前はどうするんだ!? このままじゃお前は……!!」
「ここに残る。それしか方法はない。オレ以外の誰が時を操れる?」


ジークはこの場に、五十年前に取り残されてしまうということ。元も時代に戻れないことを意味していた。


「や、やめてジーク!! いやっ! やだよそんなの……!!」


エリーは涙を流し、叫びながらジークを止めんとする。エリーには誰よりも分かっていた。ジークが今何をしようとしているのか。

それは五十年前、リーシャだった自分がした選択と同じ。世界のために、エンドレスを倒すために自身を犠牲にする行為。

違うのはその方向性。エリーが自らを未来へと送り込んだのとは違い、ジークは未来から過去へその身を置こうとしている。

過去と未来。どちらに残されるのが辛いのかエリーには分からない。それでも変わらない事実。誰も自分を知らない世界に旅立つということ。

エリーは忘れていない。思い出した。愛する者たちと二度と会えないと覚悟したこと。それでも一人、未来へと旅立った悲しみを。

それと同じことをジークはしようとしている。自分達のために。エリーは必死に泣きじゃくりながら手を伸ばすも届かない。時の流れに逆らうことができないかのようにその手は届くことはない。


「ふざけるなよジーク……!! 約束したじゃねえか……一緒にアキを止めるって……!! 剣と魔法は一つになるって……!! あれは嘘だったのかよ!?」


封印剣を振り回しながらハルは抗うもどうすることもできない。封印剣であっても時間を斬ることはできない。エリー同様ハルもまた打つ手がない。できるのは声を上げることだけ。

いつかの誓い。共にアキを止めるという誓い。剣と魔法。相容れないもの同士が一つになる時が来るという約束。シンフォニアの地で誓った男の約束。


「心配するな……オレ達はまた会える、必ずな」


確かな笑みを浮かべながらジークはハルの言葉に応える。だがハルとエリーにはそんなジークの姿がひどく儚く見える。まるで消えようとしている蝋燭の火。それを示すように次第に時の亀裂の力が増し、ジークが見えなくなっていく。川の流れに流されていくかのようにジークが遠くなっていく。


「ジイ――――ク!!」
「いやああああ―――――!!」


叫びが木霊する。涙と共に声すらも時に飲み込まれていく。今生の別れ。時間という絶対の壁によってハル達は引き裂かれていく。ジークはただ最後まで眼を逸らすことなく二人を見送って行く。自らの感情を、想いを押し殺したまま。だがそれでも最後の瞬間に、己の本心を告げる。


「エリー……何も心配しなくていい。全てのものから守ってやる」


『エリーを守る』


ハルと同じ、ジークの戦う理由。同時に一生明かさないであろうジークのエリーへの想い。


永遠の誓いと共に時の番人は己の使命を全うしたのだった――――





「っ!? ここは……!? シンフォニア……!?」
「帰って来たの……?」


一瞬意識を失いながらもハルとエリーは時の亀裂から凄まじい力で投げ出され、地面へと転がって行く。だが痛みすら二人にはどうでもよかった。ここがどこなのか。二人は当たりを見渡すもそこには何もない荒野だけ。間違いなく先までいたシンフォニアの大地。現代の光景だった。同時にそれはジークが間違いなく自分たちを現代へと送り届けてくれた証でもあった。


「ジークは!? あいつはどこにいったんだ!?」


ハルは必死の形相でジークの名を叫びながらその姿を探す。間違いなくさっきまで一緒にいた筈の大切な仲間。だがその姿はどこにもない。何も荒野が一層のその現実を突きつける。


「ジーク…どこに行ったんだ!? せっかく、せっかく戻ってこれたのに……お前がいなくてどうするんだよ!!」
「うっ……うぅ、ぐすっ! ジーク……どうして……どうしてなの……」


現実が認められないようにハルはただ喚き散らすしかない。エリーは既に悟っていた。時間移動がどういう結果を生むのか。五十年後のこの場にジークがいない。それが何を意味するのか。できるのはただ涙をながし、嗚咽を漏らすことだけ。自分の記憶を取り戻すためにジークを失う。こんなことになると知っていたなら、そんな後悔と絶望。そんな中


「……どうやら無事戻ってきたようだな」


淡々とした声が二人に向かって掛けられる。そこにはいつかと変わらない覆面の男の姿があった。違うのは喋っていることだけ。いつのまにこの場に戻ってきたのかと不思議に思うもハル達にとって驚くべきことはそこではない。それは


「何言ってるんだ!? あいつが、ジークが……戻ってきてねえんだぞ!!」


覆面の男が全くジークのことを気に掛けるそぶりを見せていないこと。まるでいないことが当然だとばかりの冷たい態度にハルは激昂し掴みかかって行く。やり場のない怒りをぶつけるかのように。


「当然だ。それは決まっていたことだ……時の番人としてな」


そんなハルの心情を知ってか知らずか覆面の男は告げる。それは運命だと。決まっていたことだと。傍観者のような言葉。


「っ!! てめえ!!」
「やめてハル!! あなたもそんなことを言うのはやめて! ジークはあたし達のため……に……?」


あまりな冷酷さにハルはその拳に力込めながら限りかかって行くも寸でのところでエリーによって止められる。だが覆面の男の言動にエリーも怒りを覚えていた。ジークが一体何のために犠牲になったのか。その想いを言葉にしようとした瞬間、まるで時間が止まってしまったかのようにエリーは動きを止めてしまう。


「…………え?」


ハルもそれは同じだった。まるで頭に上った血が一気に下がって行くようにハルは呆然と覆面の男に釘づけになる。エリーもまたそれは同じ。二人は奇しくも同時にある事実に気づいた。


声。覆面の男の声が先とは異なっている。くぐもったものではなく、確かな肉声。だが問題はそこではない。声色。ハルとエリーは知っていた。いや、聞き覚えがあった。気気間違うはずがない。何故なら先程まで、同じ声の主と一緒にいたのだから。


驚愕の表情と共にハルとエリーは声を上げようとするも声が出ない。ただ口を動かすことだけ。その姿に合わせるようにゆっくりと覆面の男は自らの帽子とマスクを外していく。


蒼い髪。凛々しさの中に優しさを感じさせる表情。見間違えるはずのない命紋と呼ばれる刺青。


「すまない……待たせてしまった。久しぶりだな、ハル、エリー……」


時の番人ジークハルト。ハル達の知る姿と全く変わらないジークが笑みを浮かべながら二人の目の前に確かにいた。


「ジ、ジーク……? 本当にジーク……なのか……?」
「ああ、正真正銘オレ自身だ。お前達と一緒にいた頃より一年以上は歳をとってはいるがな」
「な、ならあの覆面の人は何だったの!? 途中で入れ替わったの!? そ、それよりもどうやってここに戻ってきたの!?」
「それは……」


まるで幽霊に会ってしまったかのように驚愕し、矢継ぎ早に質問をしてくるエリーに苦笑いしながらジークは全てを明かす。

ハル達を送り届けた後、リーシャの墓ができるまで待ちその空間を結界魔法で切り取ったこと。同時にジークもその中に入り、ある魔法を使用した。

『絶対氷結』

絶望のジェロが得意とする禁呪。一度見た魔法を習得する術に長けたジークは絶対氷結を扱うことができた。もちろんジークが使ったのは本物ではなく、擬似的なもの。自らの命を落とすことなく使える範囲での絶対氷結の劣化版。それでも使用した者の時間を凍結することができるほどの力を持った魔法でジークは自分を氷漬けにした。理由は唯一つ。

コールドスリープによる時間移動。奇しくもエリーが行った五十年後へ移動した手段と同じ方法。だがそれはエリーの持つ魔導精霊力というとてつもない魔力があったからこそ可能な芸当。ジークであれそれは不可能であったはずだった。しかし今のジークにはそれを可能にする力がある。

『クロノス』

この世で唯一魔導精霊力に匹敵する魔力を持つと言われる超魔法。加えて超魔導の域まで到達したことができたジークであるからこそできた奇跡。

シャクマによってエリーの正体と時を超えた方法を知ったこと。覆面の男の存在。ジェロと戦い絶対氷結を目にしたこと。様々な偶然と言うべき必然が導いた、本来あり得なかった結末だった。

だがそんなことはハル達にとってはどうでもよかった。ただジークが生きていてくれた。もう一度会うことができた。それだけで十分だった。


「ジ、ジーク……どうして生きてたなら言ってくれなかったんだ……? そうと分かってればオレ達……」
「すまない……言うことができなかったんだ。もしオレの存在を明かせば未来が変わってしまうかもしれない。いや……そもそもそれはできなかったんだ。オレが未来のオレの正体を知らなかった以上な……」
「そうか……よく分かんねえけどいいさ!!こうしてまた会えたんだから!!」
「ああ……言っただろう、また会えるとな」


ハルは泣きながら満面の笑みを浮かべる。ジークもまたそれに応える。共にした男の約束を果たすために。そして


「……おかえりなさい、ジーク」


自らが誓った誓いを守るために。


「……ああ、ただいま。エリー……」


今ここに五十年の時を超え、時の番人がハル達の元に戻ってきたのだった――――






「……そういえばジークもう一つ聞いてもいい?」
「何だ。もう時間移動の方法は説明したはずだが……」


ジークはようやくいつもの調子に戻ったエリーの改まった質問に首を傾げるしかない。大方今回の事態に関する説明は済んでおり、ハルもまたエリーが何を聞こうとしているのか分からない。少しの間の後、エリーはついに口にする。シンフォニアで見た時から聞きたくて聞きたくて仕方なかったこと。それは


「どうしてそんな変な格好をしてるの……?」


ジークが何故そんなおかしな格好をしていたのか。ただそれだけ。正体を隠すためとはいえ帽子とマスクのセンスに加え、包帯を巻いた体にマント、極めつけが背中に無数に担いでいる杖。エリーだけでなく、他の仲間達もあえて触れることのなかったタブー。


「…………」


ジークはまるで覆面の男に戻ってしまったように黙りこむ。体中に変な汗をかきながら。とてもその真相を語ることはできない。


正体を隠すためだけでなく、この恰好がかっこいいと思って気に入っていたという真実を。


それがジークが十年以上遅れてきた中二病から目を覚ました瞬間だった――――



[33455] 第百三話 「前夜」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/11/05 12:16
陽は落ち、月明かりだけが辺りを照らし出しているミルディアンハートに一人の少年の姿があった。ルシア・レアグローブ。ダークブリングマスターであり、大魔王の称号を持つ存在。だがその姿は普段のそれとは大きく違っていた。

生気はなく、眼の下には隈ができている。瞳に光はなく、無表情。魂がなくなってしまった抜け殻のような有様。同時に誰も寄せ付けないような空気を放っている。それを証明するようにルシアはただその場に座り込んだままある一点を見つめたまま動こうとしない。

そこには力の塊があった。紫の光を放ちながら生き物の心臓のように鼓動する物体。見る者全てを闇に引きずり込んでしまいかねない魔性を秘めた終わり亡きものの真の姿。

次元崩壊のDB『エンドレス』

エンドレスと五つのシンクレアが一つとなり、元の姿となった存在。文字通り世界どころかこの次元すら消滅しかねない力を秘めた禁忌。その大きさも既にルシアが初めて目にした時とは比べ物にならない程巨大化している。鼓動が刻まれるごとに一歩、また一歩糸確実に力が増してきている。

大破壊オーバードライブ

かつて世界の十分の一を破壊したと言われる大災害。しかし五十年前とは比べ物にならないエネルギーが脈動している。かつてはシンクレアのみ、しかも剣聖シバの攻撃によって防がれてしまったが今のエンドレスの力はその時を遥かに上回っている。例え五十年前のようにレイヴの攻撃を受けたとしても世界の消滅を防ぐことはできない。魔導精霊力による完全消滅でなければ対抗できない世界の終焉がすぐそこまで迫ってきていた。

それを前にしてもルシアは何も行動を起こすことはない。口を開くことも、立ち上がることも。ただエンドレスが完成した時から黙って座り込んでいるだけ。半日が経過し、夜が訪れているにも関わらず。


「…………アキ、いつまでもそのままでは体に障るわ」


いつもと変わらぬ静かな声でジェロはルシアの背中に向けて話しかける。その姿もいつもと変わらない。絶望の二つ名に相応しい力と戦装束。四天魔王として大魔王を守護する役目を果たすためにあるべき姿。その役目を果たすためにジェロは先程まで動いていた。

ミルディアンを氷漬けにすることによる陽動。それがジェロがルシアから命じられた内容。最後のシンクレアであるラストフィジックスを手に入れるためにジェロはあえて囮を引き受けた。最後のシンクレアを手に入れることはダークブリングマスターの役目。だがジェロにとってはそれ以上にこの戦いには大きな意味があった。

自らの主を救うために。

ジェロがこの場にやってきた四天魔王としてではない、彼女個人の理由。エンドレスに裏切りがバレてしまった以上、ルシアに未来はない。それでも最後のシンクレアを手に入れれば裏切りを不問とするというヴァンパイア、ひいてはエンドレスの提案によってジェロは動いた。結果は確かだった。最後のシンクレアを手に入れたことによってルシアは命を取り留めた。代償としてその心を失うことによって。


「…………」


ジェロに気遣われながらもルシアは答えることはない。振り向くことも、視線を向けることも。ただエンドレスを見つめているだけ。そこにあるはずのない物を見いだそうとしているかのように。

既にこのミルディアンにルシア達以外に人の気配はない。ジェロが張った結界も解除され、凍結から解放された住人達も逃げ出して行った。だがジェロにとってそんなことはどうでもよかった。ただ結界を張ったままではこの場から動こうとしないルシアの体に障る。それだけ。

ジェロはただそんなルシアの姿を黙って見続けることしかできない。もしこの場にバルドルがいれば騒がしく茶々を入れていたかもしれない。もしアナスタシスがいれば穏やかに言葉を投げかけていたかもしれない。もしマザーがいれば――――


(そう……そういうことね……)


事ここに至ってようやくジェロは辿り着く。自らが抱くこの感情が何なのか。その正体を。何のことはない。どうやら信じがたいが、自分は人間界に来てからの、アキ達と共に過ごした一週間足らずの時間が楽しかったらしい。

二万年以上永くに渡り生きてきた中で、このわずかな刹那の時間こそが至高だった。だからこそ虚無感が、喪失感が生まれてくる。もうあの時間が戻ってこないのだということだけで。それだけでこんなにも胸が苦しくなる。絶望とは違う、得もしれない感情。それが何なのか今のジェロには分かる。かつてバルドルが散々口にしていたもの。それは


「……どうやらアスラが言っていたことは本当だったようだな」
「ホム」
「……ふん。ここの戦には間に合わなかったようだな。つまらん」


突如その場に現れた三人の乱入者によってジェロは自らの思考から現実へと引き戻される。そうなってしまうほどの力を彼らは持っている。

『獄炎のメギド』 『漆黒のアスラ』 『永遠のウタ』

魔界を統治する四天魔王の内の残る三人。それぞれが世界を支配するほどの力を持つ怪物たちが今、人間界に集結したのだった。


「あなたたち……どうしてここへ……」


ジェロは一瞬で普段の空気と表情に戻りながらこの場に現れた三人と向かい合う。だがそこには驚きが隠し切れてはいなかった。無理のない話。ウタやアスラだけならともかくメギドまで人間界にやってくるなど前代未聞。事実、メギド達はルシアの守護をジェロに任せていた。故にこれは単純なこと。ジェロの役目が終わり、本来の役目を四天魔王が果たす時が来たということだった。


「アスラから事情は全て聞いておる……全て、な。故に我らはここに集ったのだ」


ジェロが何を言わんとしているかを悟ったメギドは重苦しい空気と共に真実を告げる。アスラから全てを聞き、この場にやって来たのだと。アキの、マザーの裏切りも、その顛末も全て知った上でここに来たのだと。

メギドとウタはそのまま変わり果ててしまったアキへと視線を向ける。そこにはつい先日、儀式を乗り越え、大魔王に至った男の姿はなかった。あるのはただ人形のように座り込んでいる紛い物だけ。ルシアもまた四天魔王が集ったことすら興味がないとばかりに反応を示すこともない。メギドとウタもまた声をかけることはない。アスラに至っては見ることさえない。そんなことに意味はないのだと示すかのよう。そんな三人の姿にジェロが言葉にならない感情を抱きかけるものの


『よく集まった、我が子らよ……。ようやくこの時が来た……この世界を元のあるべき姿に戻す時が……』


それはエンドレスの言葉によって遮られる。四天魔王はそのままエンドレスの声に導かれるように視線を集める。そこには今にも力を解放し、爆発しかねないDBがある。声はまるで機械であるかのように人間味がない。ただの装置。並行世界を破壊し、現行世界に至らんとする概念、現象であるDBに感情もなど必要ない。担い手を導くシンクレアでさえ駒であったのだと証明するような不気味さがそこにはあった。


『だがそのためには光の者達を排除せねばならぬ……そのために動いてもらうぞ。四天魔王の本来の役目を果たすのだ……』


エンドレスは命令を下す。光の者達、レイヴマスター達の排除。それが四天魔王達の本来の役目。魔導精霊力に、レイヴに力を貸すであろう者たちに対する対極の存在。

エンドレスがこのまま大破壊を起こせばそのまま並行世界は消滅するもそう簡単に事は運ばない。その唯一の脅威である魔導精霊力を排除しなければそれは為し得ない。時空の杖こそがその最たるもの。

エンドレスを抑え、呼び寄せることもできる杖。それがあればエリーは大破壊の瞬間、エンドレスを星の記憶へと強制的に呼び寄せることができる。そうなれば大破壊は失敗。余分な力を消費させられたエンドレスでは魔導精霊力には対抗し得ない。故にエンドレスは光の者達を排除しなければならない。他ならぬ、聖地、星の記憶にて。

四天魔王達はただ静かにエンドレスの、生みの親たる者の言葉に聞き入る。シンクレアと違い独立はしていても彼らはいわばエンドレスの子。しかいこの場にはそうではない者が一人存在していた。


『どうした……人形よ。我が完成してから一言もしゃべっておらぬではないか。いつかのように騒ぐ気はないということか……?』
「…………」


人形、ルシアに向かってエンドレスは改めて話しかける。この半日、幾度か同じやり取りがあったもののルシアは口を開くことはない。怒ることも、泣くこともない。まるで本当に人形になってしまったかのようにルシアは黙りこんだまま。その胸中をエンドレスは知ることはない。アキはエンドレスに適性がある存在。逆にいえばエンドレスですら支配することができない存在。シンクレアたるマザーであれば一心同体のように感情も思考も読み取ることができるが今のエンドレスには不可能。マザーは消滅、取り込まれ存在しない。裏切り者であることを示すように同期したにもかかわらずその全ての記憶や経験をエンドレスは得ることができなかった。最後の悪あがきにも等しい抵抗。だがエンドレスは力づくでそれを押し通した。結果全ての記憶や知識を得ることはできなかったがアキという担い手の人格を知ることができた。故にエンドレスは確信していた。もはやアキに抵抗の意思はないのだと。もしあったとしてもその全てを己は凌駕すると。


『なるほど……どうやらまだ死に足りないようだな。もう何度か味わってみるか……?』


それでもなおエンドレスは念のためとばかりにアキへと繋がりを、加護を絶たんとする。頭痛と吐き気による苦痛と死による恐怖。それによる屈服。既に半日の内に何度もそれが行われている。拷問という呼ぶことすらおこがましいほどの所業。だが逆を言えばそうしてもまでもアキにはまだエンドレスにとって利用価値が、存在価値があるということ。だがそれが行われるよりも早く


「……そこまでよ。それ以上すればアキの精神に支障をきたすわ。それはあなたの望むところではないはずよ」


ジェロの絶対零度にも近い忠告によって防がれる。瞬間、冷気が辺りを支配していく。瞳には既に光が灯っている。手は握りこぶしとなっている、もはや完全な臨戦態勢。


『ほう……その人形を庇うということか。心配せずとも壊す気はない。それにはまだやってもらうことがあるからな……』
「なら尚のことよ。大魔王を守護するのが私達の役目。そうでしょう……?」


ジェロは己の感情を寸でのところで抑えながら出来る限りエンドレスを刺激することなくその場を抑えんとする。その言葉と視線が他の四天魔王に向けられるも


「確かに……だが我らは四天魔王である前にエンドレスの子。その意志は何よりも優先されるべき。例え大魔王であってもそれは変わらぬ」
「ふん、そんなことはどうでもいい……オレが求めるのは戦のみ。レイヴマスターとの戦いだけだ。他のことなど興味はない」
「ホム、ホム」


三人の魔王はそれぞれの立場、意見によってジェロの言葉を否定する。その根幹は同じ。エンドレスの意志こそが全てだと。大魔王などという肩書もただのお飾り。エンドレスが十全の力を発揮できる担い手、人形を手に入れるための口実に過ぎない。現行世界の再生もまた二次的な形。確かに担い手がいた方が遥かに効率はあがるが絶対不可欠のものではない。優先順位でいえば並行世界消滅が何よりも優先される。分かり切っていた答えだとはいえジェロは言葉を失う。自分と他の四天魔王の間にある壁を。ジェロは気づかない。変わったのは他の四天魔王ではなく、自分の方だということを。


『どうした……まさか貴様まであの裏切り者のように気が触れてしまったのではあるまいな……』
「……ならどうするというのかしら」


エンドレスの最終警告ともとれる言葉を聞きながらもジェロは臆することなく正面から向かい合う。いつ戦闘が起きてもおかしくない程の空気が辺りを支配する。他の四天魔王達もそれに呼応するようにジェロと向かい合う。一触即発。そんな空気が破裂せんとした瞬間


大地を割る程の衝撃と轟音がそれらを一気に切り裂いた――――


「ごちゃごちゃうるせえぞ……てめえら……」


地に響くような声を漏らしながらルシアは地面へと突きたてられている自らの剣を抜きとる。先の衝撃と轟音はルシアが剣を地面へと突き立てたから。ただそれだけ。重力剣でもないただの鉄の剣にも関わらずミルディアンハートが崩壊しかねない威力がある。それ以上にその圧倒的威圧感と力に四天魔王達ですら言葉を失ってしまっていた。まるでいつか先代キングが六祈将軍たちを諫めた瞬間の再現。違うのはその規模が桁外れだということだけ。その証拠にルシアの体からは凄まじい力が溢れだしている。人が手にするにはあまりにも大きすぎる次元崩壊という禁忌。神にも等しい力を扱うことが今のルシアにはできる。

既に先程までの無気力さも、空虚さもない。ルシアはその足で立ち、手に剣を持ちながらエンドレスへと近づいて行く。同時に夜が明け、朝日が差し込んでくる。並行世界最後の一日が始まらんとしているかのように。

エンドレスは問う。どうするつもりだ、と。四天魔王達もまたその答えを待ち続ける。


「決まってんだろ。ハル達を倒してこの並行世界を消す。俺は現行世界に行って生き延びる。それだけだ」


ルシアは宣言する。これまでと変わらない答えを。ただそれだけのために足掻いてきた。それを今更曲げることはないと。同時にルシアはエンドレスの力を解放する。大破壊ではない、もう一つの力を。

『星の記憶』

シンクレアを五つ集めることによって至ることができる星の聖地。レイヴを入口とするならばこれは裏口。この戦いの終着点。全ての始まりであり終わりの地。

ルシアとエンドレス、それに連なる者である四天魔王。その全てが今、星の記憶へと至り、その瞬間を待ち続けるのだった――――



静かさだけが辺りを支配しているどこか幻想的な洞窟。かつて五つ目のレイヴが守護されていた洞窟の一角で一人の少女が岩場に座りこみ、その両足を泉につけていた。

だがその幻想的な空気とは裏腹に少女の顔はどこか儚げに見える。普段の天真爛漫な姿からは想像できないような光景。そんな中


「ごめん、エリー。遅くなっちまった……」


どこか慌てながら銀髪の少年、ハルが少女、エリーの元へとやってくる。頭を掻き、苦笑いしている姿は年相応の十七歳の少年そのもの。戦いの時に見せるレイヴマスターとしての顔は今のハルにはない。


「ううん、ごめんね、ハル。付き合ってもらっちゃって……」


そんなハルの姿に笑みを浮かべながらエリーはハルを出迎える。その言葉が示すようにこの場には二人以外の人影はない。他の者達は既に寝入ってしまっている。避けようがない明日の戦いに備えて。

エリーの記憶を蘇らせるためにシンフォニアへと向かい、それを果たしたハル達はそのままここイーマ大陸のレイヴポイントまで戻ってきていた。当然、再会した覆面の男、ジークと共に。全ての事情を皆に伝えた後、エリーはそのままある作業へと入る。五つのレイヴを本来の一つの姿に戻すこと。魔導精霊力の完全制御が可能になったからこそできる芸当。同時に五つが揃い、一つになったエンドレスを相手にするためには必要不可欠なもの。それを見事に果たすと同時に世界に異変が起き始める。

異常気象に天変地異。記憶を奪う霧、メモリーダストの発生。その全てがエンドレスが完成し、大破壊が起ころうとしている前兆であることは明らか。加えてエリーはその手にある時空の杖によって既にエンドレスが星の記憶に辿り着いていることを察知していた。時空の杖によって呼び出される前に自らそこに至ること。あえてそこで決戦を行うことで決着をつけるつもりなのだと。このまま放置すれば世界は異常気象によって混乱し、被害を受けてしまう。いつ大破壊が起こるかも分からない。エリー達に逃げる選択肢はない。否、そんな選択肢など最初から存在していない。この瞬間のためにエリーも、ハルも、多くの仲間達も戦い続けてきたのだから。

決戦を前にして最後の宴を済ませた後、仲間たちは眠りにつき、休息を取っている。明日の最期の戦いに備えて。そんな中、エリーに誘われたハルは皆が寝静まったのを確認し、ここまでやってきたのだった。


「いいさ。みんな、あっという間に寝ちゃったしな。で、話って何なんだ? みんなに聞かれたらまずいようなことなのか……?」
「…………うん。あたし、ハルに謝らなきゃいけないことがあるんだ……」


いつもと変わらない自然体のハルとは対照的にエリーは顔俯かせたまま。泉の水面に映る自分の顔を見つめながらもエリーはゆっくりとハルへと振り返り、告げる。


「ごめんね、ハル……あたし、ハルの気持ちには応えられない……」


いつかのハルの告白に対する答えを。自分が好きだと言ってくれたハルへの自分の答え。その表情は悲しみに染まっている。今にも泣き出しそうなのを必死にこらえているかのようなもの。それだけでその答えがエリーの本心ではないのが明らかだった。

だがそれでもエリーはハルの想いを受け取ることができない。その資格がないと思っていた。

魔導精霊力の完全制御と記憶を取り戻したこと。それによってエリーは全てを悟った。自分の正体を、その役割を。自分がリーシャであったこと。それ自体は大きな問題ではない。確かに驚いたが、ある意納得できる事実だった。だから問題はもう一つの事実。

魔導精霊力によってエンドレスを倒すこと。それが五十年の時を超えてエリーが果たさんとする使命。それに迷いはない。しかしそれでも、避けることができない運命がそこには連なっている。

記憶喪失。

魔導精霊力を使うことによる代償。かつてレイヴを生み出したことによってエリーは記憶を失ってしまった。ならばエンドレスを倒すために魔導精霊力を使えば今度も同じことが起こってしまう。レイヴを生み出した時以上に、思い出すことすらできないかもしれない。だからこそエリーはハルの気持ちを受け入れることが、応えることができない。戦いが終わればもう自分はいなくなってしまう。

五十年前、大切な約束を、シバと会う約束を果たすことができなかったように。

もう二度と、ハルにまであんな想いをさせるわけにはいかない。それが苦渋の末にエリーが選んだ答えだった。

静寂が二人の間に流れる。エリーはただ俯いたまま。罪悪感に苛まれるしかない。でもこれ以外に方法はない。もし自分が応えれば、ハルが辛い思いをするだけ。そう心の中で言い聞かせるも


「そっか……うん。じゃあ仕方ない。この戦いが終わってからもう一度告白するよ」
「…………え?」


ハルのあまりにも理解できない言葉に呆気にとられるしかない。


「ど、どういうこと?」
「だからこの戦いが終わって、アキを止めた後にもう一度告白するんだよ」
「何言ってるの!? そんなことしても意味ない! その時にはもうあたしの記憶は……!」


そこまで口走った時点でようやくエリーは悟る。初めからハルには全てお見通しだったのだと。その証拠にエリーが記憶をなくすことを聞いても驚くそぶりを見せていない。


「やっぱりそうなんだな……でも大丈夫。今回は思い出せたんだ。だったら今度も思い出せるさ」
「どうしてそんなことが分かるの!? もしかしたらもう二度とハルのことを思い出せなくなるかもしれないのに……どうして……」


エリーは涙を滲ませながら問う。どうしてそこまで信じられるのかと。記憶を失うこと恐怖をエリーは誰よりも知っている。だが一番辛いのは記憶を失う人物ではない。忘れられてしまう、覚えている周りの人物であることを。だがそれを分かった上でハルは告げる。


「大丈夫。もしエリーがオレ達のこと忘れちゃったら思い出させてやるよ」


自分たちがエリーの記憶を思い出させて見せると。初めての出会いから始めて、これまで旅してきた全ての場所を巡りながら。記憶を失くしたエリーが嫌がったとしても無理矢理でも連れて行ってみせると。


「ふふっ……そうだね。ハルならきっと……ほんとにそうしてくれるもんね……」
「ああ、約束する。だからエリーもオレ達を信じてくれ」


エリーはハルの予想を斜め上に行った答えに圧倒されながらもどこか楽しげに笑うしかない。先程までの儚げな空気はもう残ってはない。自分が一体何を悩んでいたのか、怖がっていたのかと不思議なってしまうほどの何かがハルにはある。


「ねえ、ハル……もう一つ聞いてもいい? いつか聞こうと思ってできなかったこと……」
「いつか……? あの間違ったことをしたらって奴か?」
「うん……友達と約束したんだ。でもそれをしたらもしかしたら取り返しがつかないことになっちゃうかもしれない……今まであたし達がしてきたことがダメになっちゃうかもしれないとしたら……ハルはどうする?」


エリーは真っ直ぐにハルと向かいながら己の迷いを吐露する。先の迷いとは違う、もう一つの問題。自らに託された願い。エリー自身の願いでもあるそれを実現しようとすればもしかしたら全てが台無しになってしまうかもしれない。これまでの旅も、想いも。

カームが、シバが、ジークが、みんなが繋げてくれた希望が。

使命を果たすためならすべきではない博打。リスクが高すぎる愚策。だがそれでもエリーはあきらめることができない。しかし、既にエリーの心は決まりつつあった。先のハルとのやり取りによって。ただ単純なこと。


「決まってる。その友達を信じるだけさ。もし間違ってたとしてもオレ達もいる。そうだろ?」


誰かを信じる。簡単で、難しい真理。エリーは思い出す。自らが持つ力が何であるかを。

魔導精霊力。

この世の頂点に存在する破壊と創造の魔法。時空を崩壊させるエンドレスに匹敵する力。だがそれは表向きの事実に過ぎない。

カームに言われた言葉。魔導精霊力は自分の友達、大切な力。だから大切に使いなさい。その意味をエリーは悟る。信じる力こそが五十年前から受け継がれた真の力だと。


あの日、滅びた世界でした彼女との約束、希望を守るために。


「ありがとう、ハル……あたし、決めたよ。だからお願い。ハルの力を貸して」


エリーはあの日の、星跡の洞窟から消え、アキが迎えに来るまでの半日の間にあった真実をハルへと明かす。


今、全ての因果を結んだ、最後の戦いの夜が明ける。九月九日。時が交わる日。全ての戦いに終止符が打たれる運命の日が始まろうとしていた――――



[33455] 第百四話 「抵抗」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/11/08 20:48
九月九日。時が交わる日。歴史上で転機となる出来事が起こる約束された日。しかし今回のそれはこれまでのものとは比べ物にならない意味を持つ。

魔導精霊力とエンドレス。レイヴとDB。並行世界が生まれた時から続く永い戦いの終着点。今、二つの世界を賭けた、石の戦争の最終決戦が始まらんとしていた。


「……よし、みんな用意はいいか?」


皆の先頭に立ちながらレイヴマスター、ハル・グローリーは声をかける。決意に満ちた、これまで以上にない意志を感じさせる顔。その手には二つの力がある。レイヴと聖剣レイヴェルト。レイヴは既にエリーの力によって元の一つの十字架へと姿を変えている。世界のレイヴ。その名の通り世界を想う全ての人の願い、カームやシバの意志が受け継がれている希望。同時にレイヴェルトには今の人々の想いが受け継がれている。もはやハルに迷いはない。レイヴマスターとしての意志も、ガラージュ島のハルとしての約束も、その全てを背負いハルは立ち上がる。


「うん。大丈夫だよ、ハル」


そんなハルの姿に笑みを浮かべながらエリーもまた自らの二つの力に力を込める。魔導精霊力と時空の杖。共に世界を救う、導くためのもの。五十年の時を超え、現在まで繋いだ信じる力。既にエリーには昨夜まであった迷いはない。自らに託された願いと自らが望む願い。その二つを叶えるためにエリーは進む。


「ったく、二人で盛り上がってんじゃねえぞ」
「いいじゃない。若いっていいわねえ」
「ジュリアさんも十分若いと思いますけど……」
「全く……分かっておるのか、ジュリア。これから戦なんじゃぞ」
「分かってるわよ。要するに敵を全員ボコボコにすればいいんでしょ。簡単よ」


呆れかえっているレットに向かってジュリアは指を鳴らしながら不敵な笑みを見せている。とても最終決戦の前とは思えないような有様。だがレット以外の仲間たちはそんなジュリアの姿に笑みを浮かべているだけ。ジュリアが緊張した空気を和ませようとしていると気づいているからこそ。もっともジュリアにとっては元の姿に戻ってから初めての戦闘のため逸っているのが半分以上の理由なのだが気づいているのはレットだけだった。


「頼もしいがちょっとは空気を読めよな……それにレイナはいいとしてもニーベル、お前も本当に着いてくる気か?」
「は、はい! 足手まといにはなりません……だからみんなと一緒に戦わせて下さい!」


ムジカはそのまま自分達の中に加わっている新たな仲間に目を向ける。レイナとニーベル。レイナについては先日確認しているため問題ないがいくら魔導士とはいえ子供のニーベルを連れて行くのはどうなのか。そんなムジカの考えを吹き飛ばすようにニーベルは己が意志を伝える。自分もできることをしたいと。それに圧倒されながらムジカは横目でジークを見る。ある意味ニーベルにとっては兄弟子に当たり、ムジカ達の中で最もニーベルを知っている男。だがジークは腕を組んだまま何も言うことはない。それだけで十分だった。


「あら、将来いい男になりそうね。もしかしたら負けちゃうかもね、ムジカ」
「そうかい……じゃあ精々オレも負けないようにしねえとな」
「よかったポヨ! これでボクにも仲間ができたポヨ!」


レイナのからかいに煙草をふかしながらもムジカはニーベルの同行を認めるしかない。ルビーからすれば未熟な魔導士という自分と同じ立場の仲間ができたことに大喜びしプルーと共に騒いでいる。いつもと変わらない、これまでの旅の風景。だがそんな中でもハルとエリーを除く仲間たちの胸中は一つだった。

『ハルとエリーの道を作ること』

それが仲間たちの決意であり役目。この戦いは最終決戦。ルシアとエンドレスを倒せるかに全てがかかっている。故にその障害となる物を排除することが彼らの役目。

『四天魔王』

ルシアの元に集っている四人の魔王。彼らを倒すことがムジカ達の目的。だがそれは容易なことではない。ムジカ達は何度か四天魔王であるジェロの力を目の当たりにしている。あまりにも桁外れの怪物。いかに数の利があろうとも倒すことができないかもしれない存在。しかしムジカ達に逃げる選択肢はない。倒せなくとも足止めだけでも十分。ハルとエリーがルシアとエンドレスを倒すことができればいい。そのためになら命も惜しくはない。全てはハル達の道を作るために。それがムジカ達の決意であり誓いだった。


「……どうやら準備はできたようだな。ハル、エリー、そろそろいいだろう。いつ大破壊が起こるかも分からないからな」


そんなムジカ達の胸中を理解しながらもあえて口に出すことなく、これまで黙りこんでいたジークは口を開く。同時にジークは自分と同様、腕を組んだまま黙り込んでいたシュダに視線を送るもシュダはただ目を閉じるだけ。ある意味立場的には通じるところがあるジークはそれだけでシュダの意志をくみ取る。もはや言葉は必要ない。


「分かった……エリー、頼む」
「うん。任せて、ハル」


仲間たちの意志を確認した後、エリーはその手にある時空の杖を天高く掲げる。まるで祈りを捧げる聖女。同時に杖からまばゆい光が溢れだし、辺りを包みこんでいく。魔導精霊力の時空を歪める力。それが完全制御され、時空の杖という形を得たことで本来の役割を果たす。

『星の記憶』

星の聖地であり全く違う時空の世界。この世の始まりと終わり、全てが揃う奇跡。時空の杖とレイヴの力によってその扉が開く。ハル達はその輝きにただ目を奪われながらも決意を新たにしていた。今まさに最後の戦いの幕が上がろうとしているのだと。だがそんな決意は

突如巻き起こった、紫の光によって終わりを告げた――――



「――――っ!? 何だ!? さっきの光は……!?」


一瞬、意識が途切れるほどの光の奔流に目がくらみながらもムジカはすぐさま我に返り辺りを見渡す。だが混乱を隠し切れていない。一体何が起こったのか。エリーが時空の杖で星の記憶への道を作り出し、飛び込んだことまでは間違いない。しかしその直後の紫の光。それが何だったのか分からないもののムジカは真っ先に仲間達の安否を確認する。


「お前ら、大丈夫か!?」
「ワシは問題ない……体も何ともないようじゃ」
「私も同じよ。でもさっきのは何だったの?」


レットとジュリアも自分の身に何が起こったのか分からないものの体に異常がないことを確認する。見た目も、動きも問題ない。不可思議な状況に翻弄されながらもムジカ達はすぐさまその光景に目を奪われる。そこには

辺り一面を覆い尽くすほどの星の輝き、水晶が溢れている幻想的な光景が広がっていた。


「これは……星跡の洞窟にあった水晶か?」
「なるほど……星跡の洞窟は星の記憶の跡地。ならばここは間違いなく……」
「星の記憶ってことね……」


レイナの言葉によってその場にいる全ての者達はここ聖地、星の記憶なのだと悟る。地面にある無数の星の水晶とは対照的に空は漆黒。本当に宇宙を彷彿とさせる現実感がない空間。圧倒的な光景にムジカ達が吸い込まれるように心を奪われかけるも


「た、大変ですみなさん! エ、エリーさんがどこにもいません!!」


それは動揺し、混乱しているグリフの叫びによって止められる。瞬間、弾けるようにムジカ達は自分達の周囲を見渡す。互いに互いの存在を確認し合うもどこにもエリーの姿がない。


「……エリーだけではない。ハルとジークハルトの姿も見えん。どうやらこの辺りにはいないようだな」


混乱しているムジカ達とは対照的にどこか冷静さを滲ませながらゆっくりとシュダが姿を現す。その言葉通り、エリーだけではなくハルとジークの姿もこの場にはない。それ以外の仲間たちは全てこの場に集っているというのに。それが何を意味をしているのか知る術はないムジカ達は一瞬、動きを止めてしまうもすぐさま行動を起こす。


「……とにかくこのままでは埒があかん。とりあえずハル達と合流するべきじゃ」
「そうだな……オレ達が無事ってことはハル達もどこかにいるはずだ」
「なら探すのは私とレットに任せて。竜人は鼻がいいの。近くにいればすぐに分かるわ」


はぐれてしまったハル達との合流。この戦いはハルとエリーがルシアとエンドレスに辿り着けるかに全てがかかっている。今の状況が何なのかは気になるがとにかくハル達の安否の確認と合流が最優先。ムジカ達がそのまま行動を開始しようとした瞬間


「……その必要はねえ。お前達はここで終わりだ」


全ては絶望に染まった。


ムジカ達はまるで時間が止まってしまったかのように動きを止めてしまう。手足を動かすことも、呼吸すらも忘れてしまうほどの衝撃。ただゆっくりとこちらに近づいてくる男に目を奪われることしかできない。


金髪に黒い甲冑。背中に大剣を背負った見間違うはずのない容姿。


「…………ルシア」


ルシア・レアグローブ。ダークブリングマスターであり大魔王の称号を持つ男。この戦いにおいて何を置いても倒さなくてはならない最大の敵が今、ムジカ達の前に降臨した。


「……驚いたぜ、まさか敵の大将がわざわざ出てくるなんてな。てっきり奥で引きこもってるとばかり思ってたぜ」
「そうじゃな……だが一つ聞かせてもらおうか。ハル達はどうした。ワシらを分断したのもお主の仕業か……?」


ムジカは不敵な笑みと共に挑発的な言葉でルシアを威嚇するも動揺は隠し切れてはいなかった。当然だ。ルシアは敵の大将であり、大魔王。それがまさかわざわざこんなところまで単身で現れるなど誰も想像できるわけがない。だが何よりもこの状況こそがレット達にとっては最悪に近いものだった。


(まさかルシアが単独で動いてくるとは……はっきり言って最悪の事態じゃ……!!)


自分の問いかけに全く反応しないルシアに不気味さを覚えながらもレットは内心で動揺していた。ハルとエリーがいない状況でルシアと接敵してしまう。もっともあってはならない状況。いわば詰み。レット達は自分たちの役割を四天魔王を相手にし、ハル達の道を作ることだとしていた。だが裏を返せばそれはレット達ではルシアを相手にできないことを意味している。ダークブリングマスターを、大魔王を倒せる可能性があるのはレイヴマスター、勇者であるハルだけ。四天魔王を従え、エンドレスを手にしたルシアに対抗する術はレット達にはない。


「…………」


そんな中、ルシアの視線がある一点で止まる。そこには一人の女性がいた。本来ならこの場にいるはずがない、存在するはずがない女性。


「……久しぶりね、アキ。ちょっと見ない間に随分やつれたわね。鏡を見てみたらどう?」
「……レイナか。どういうつもりだ。確か二度と俺の前に出てくるなと言ったはずだが」


元六祈将軍であるレイナはいつもと変わらない優雅さを見せながらルシアと対面する。だがレイナですらその光景に圧倒されていた。ただルシアが纏っている空気、雰囲気に。とてもDCにいた時からは考えられないような不気味さ。本当に同一人物なのかしら疑わしいほどの有様。一見であればその胸にあったシンクレアが全てなくなってしまっているだけの違い。しかしレイナにはここにいる誰よりもそれが分かる。


「そうだったかしら? ただあのままじゃちょっと目覚めが悪いかと思って。そうね……悪役の振りをしてる誰かさんを放っておくわけにはいかないでしょう?」


瞬間、わずかにルシアの目付きが鋭くなるのをレイナは見逃さなかった。だがそれはほんの一瞬。すぐさまルシアの瞳から光が消えるとともにどす黒いオーラがルシアの体から溢れだしていく。エンドレスからの力の供給。本来であれば紫であるはずの色は既に黒に染まっている。


「……そうか。好きにすればいい。どうせお前らはここで終わりだ」


一度目を閉じながらルシアはゆっくりと一歩ずつレイナ達に近づいて行く。だがそこには全く威圧感がなかった。今まで何度かルシアと対峙したことがあるムジカとレットですら困惑してしまうほど。かつては前にするだけで身がすくんでしまうような重圧が今はない。その理由にムジカ達は気づかない。気づけない。


「四天魔王にも及ばない雑魚はここで消えろ」


ルシアは宣告する。ムジカ達にはこの戦いに参加する資格すらないと。その答えが先の紫の光による強制召喚。ワープロードとゲートを組み合わせることによる条件付きの召喚をルシアは行った。


『大魔王の前に立つ資格がない者を分断する』

最終戦、大魔王であるルシアの前に立つ資格がない者を排除するための仕掛け。四天魔王に匹敵する実力がなければルシアと戦うことすら許されない。その資格があるのはハルとエリー、ジークハルトの三人だけ。故にムジカ達はこの場に強制召喚された。いわば戦力外通告。にも関わらずルシア自らムジカ達を相手にする意味を彼らは知らない。


「……黙ってりゃ調子に乗りやがって、その雑魚の力をみせてやるよ!!」
「……参る!!」


それを知ることなくムジカ達は己が武器を手にしながら全力でルシアに向かって突撃する。だがムジカ達とて分かっていた。自分たちではルシアには敵わないということを。それでも退くことはできない。本来の役目であった四天魔王の足止めができない以上、彼らにできるのは唯一つ。ルシアに可能な限り手傷を負わせること。倒すことができずとも、わずかでも消耗させ、ハル達へと繋ぐこと。捨石になることさえ厭わない覚悟を持ってレイヴの騎士達は一斉に動き出す。

全包囲。圧倒的な数の差。多勢に無勢。ムジカ、レット、ジュリア、レイナ、シュダ。五人の戦士が己の全力を以って大魔王へと挑む。銀術、徒手空拳、剣技。これまでの戦いを乗り越えてきたそれぞれの武器と力。

だがそれを前にしてもルシアは全く微動だにしない。それどころかその背中にある剣を手にすることすらない。完全な無防備。いくら実力差があるとしてもあり得ないような侮蔑。


「銀槍グングニル――――!!」
「天竜虎博――――!!」


それに対する怒りを込めたムジカとレットの渾身の一撃が放たれる。かつてのドリューとの戦いを彷彿とさせる展開。だがあの時とは比べ物にならない程の実力と覚悟が二人にはある。


「なめんじゃないわよ!!」
「大人しくするのね、アキ!!」
「―――!!」


そんな二人に続くようにジュリアはその蹴りで、レイナは銀の蛇で、シュダは天空桜で斬りかかる。初めての共闘とは思えないようなコンビネーション。いかにルシアであっても躱すことができないタイミングと包囲。だがそれは


まるで空を切ったように全て無意味となった。


「なっ―――!?」
「これは……!?」


瞬間、その場にいる全員の表情が驚愕に染まる。当たり前だ。確かに自分達の攻撃は当たっている。銀の槍と蛇、拳と蹴り、斬撃。その全てがルシアを貫いている。だがその全てに手ごたえがない。まるで幻と戦っているかのよう。しかし目の前のルシアは幻ではない。確かに存在している。一瞬の間の後、ついにムジカ達は思い出す。いつかこれと同じ光景を目にしたことを。


『物理無効』

剣や銃弾、拳に至る全ての物理攻撃を無効にする五つの闇の頂きの一つ。ラストフィジックス。かつてオウガが持ち、ドリューが見せたシンクレアの力が今、ルシアにもある。


同時にムジカ達は戦慄する。ルシアはシンクレアを手にしてない。かつてはその首からシンクレアを掛けていたにも関わらず。だがそれは掛けていないのではない。掛ける必要がなくなっただけ。全てが一つとなり、エンドレスとなったシンクレアと繋がっているルシアにはもはやシンクレアを持つことすら必要ない。だがそれはもう一つの絶望を意味する。それはすなわち


ルシアは五つ全てのシンクレアの能力を扱うことができるということ。反則という言葉すら生ぬるい絶望がそこにはあった。


「――――」


ムジカ達は跳ねるようにその場を離脱する。だがその瞳にまだあきらめはない。確かに物理無効は最強の一角。かつてそれを持ったドリューに手も足も出なかったほど。しかし今は違う。その能力を知った時からムジカ達もまた対抗策を練ってきた。もし他のシンクレアの力も使えるならヴァンパイアの引力すら使用できる。なら引き寄せられる前に距離を取る必要がある。だがルシアはそれを見せることはない。その意味を知ることなく、ムジカ達は再びルシアへとその力を解放する。


「双竜旱天――――!!」


レットとジュリアは息を合わせるよう咆哮し、火炎を放つ。竜人である二人であるからこそ可能なブレスによる炎の二重殺。タイミングと相乗作用によってその力は炎竜旱天を遥かに超える物。


「絆の銀――――!!」


ムジカとレイナ。二人の銀術師はその手を繋ぎながら力を解き放つ。二人の信じる銀術師でなければできない銀術の究極技。今のそれはかつてのドリュー戦を大きく超えている。対象を消滅させる力すらもコントロールできるほどに昇華した奥義。


「天空桜――――!!」


シュダは自らの手を切り、刀身を血に染めると同時に斬撃を繰り出す。空束斬ではない、シュダの、天空桜の特性を生かした奥義。使用者の血を吸い取ることによって、その担い手の特性を斬撃とする技。神の刀でありながら妖刀に近い能力。血を吸い取るという桜の逸話から派生した刀。シュダの特性、爆炎を意味する斬撃。

三つの奥義がルシアに向かって迫る。それぞれがキング級であっても防ぐことができない極み。全てが物理ではない、非物理の攻撃。物理無効では防ぐことができない、単純な真理。だが


「――――無駄だ」


それすらもルシアは凌駕する。言葉と同時にムジカ達の攻撃は消滅する。いや、なかったことになってしまう。

二人の竜人の炎も、全ての物理を超えた力も、神の刀の神秘も。その全てが無効化される。ムジカ達は知らなかった。その力の正体を。


『時間逆行』

時間を逆行させることで全てを再生させる五つの闇の頂きの一つ。アナスタシス。かつてハードナーが持ち、ルシアの手に渡った力。


だが今ルシアが見せているのはただのシンクレアの力ではない。巻き戻しと呼ばれる時間を巻き戻すことで物理以外の全てを無効化するシンクレアの極み。かつては本来の担い手にしか扱えないはずのもの。しかし今のルシアにはそれが為し得る。エンドレスが一つとなった今、ルシアは全てのシンクレアの極みを習得した。

次元を、時間を、引力を、理を操り、神の力を引き出すことができる存在。ダークブリングマスター。それが神の力を手にした者の称号。人では抗うことができない領域。ムジカ達が今のルシアに重圧を感じなかったのはそのため。次元の違い。あまりにもかけ離れているが故にルシアの力を感じ取ることができなかった。神と人の差だった。


突きつけられた現実にムジカ達は呆然とするしかない。アナスタシスの能力を知らない彼らであっても本能で察していた。物理も非物理もルシアには通用しないのだと。触れることすらできない存在。その出鱈目さによるわずかな隙が全てを決した。


重力という逃れることができない力によって。


「がっ―――!?」
「な、何なのこれ!? 体が……!?」
「くっ……!!」


ムジカ達はまるで見えない力に押しつぶされるかのように地に伏していく。どんなに抗おうとしても立ち上がることができない。自分の重さの何倍、何十倍もの力が天から地に降りかかってくる。かろうじて分かるのはルシアが手をかざしているということだけ。


『引力支配』

引力を支配することができる闇の頂きの一つ。ヴァンパイア。かつてドリューが手にしていた力。今見せているのはその極みである圧縮の応用。故に発動に時間がかかり今までルシアが見せることはなかった力。本来ならブラックホールを作り出し、対象を消滅させる技であるがルシアはそれを調整し、重力をムジカ達にかけている。いわば範囲攻撃。だがその力は常軌を逸していた。


歴戦のレイヴの騎士たちですら脱出できない重力の檻。その重みによってムジカ達は深手を負って行く。体力は奪われ、全身の骨が砕けて行く。想像を絶する痛みにうめき声を上げるも脱出する術はない。魔法の力も、封印剣も今はムジカ達にはない。巻き込まれている五人の姿をニーベル達は絶望と共に眺めていることしかできない。やがてムジカ達の体が動くことも、声を上げることもなくなる。


「…………」


それを見て取ったのか、ルシアは引力支配の力を解除する。後には地面が陥没し、無様に地に這いつくばっている戦士達の姿があるだけ。命を失っていないものの、戦うどころか、立ち上がることすらできない圧倒的な力の差。だが


「ま、まだじゃ……ワシはまだ……倒れるわけにはいかん……」


振り絞るような声とともに、レットは自らの体をゆっくりと起き上がらせる。竜人であるレットは人間よりもはるかに優れた肉体を持っている。だがそれでも立ち上がるだけで精一杯。同じ竜人であるジュリアですら立ち上がれない深手を負いながらもレットはあきらめることはない。


「このまま……なにも出来ぬまま倒れるわけにはいかん! ワシは……ワシらはハル達の道を作るためにここまで来た!! 主をこのままハルの元に行かせはせん!!」


血反吐を吐きながらレットは己が覚悟を咆哮する。このまま倒れるわけにはいかないと。例え自らの命が尽きようとも、心を失おうともルシアを止めて見せる。一人の武人として、男としての誓い。それを守るために、証明するためにレットは全てを解き放つ。


「……! レット……!」


息も絶え絶えになりながらジュリアはその光景に声を漏らす。直視できないような現実を受け入れられないように涙しながらもジュリアはただレットが本来の姿に戻って行く様を止めることができない。止めることができるわけがない。これはレットが決めていたこと。


「オオオオオオオオ―――――!!」


『竜王化』


竜人の本来の姿。巨大な竜となり果てることがその奥義。それを示すようにレットの体は鱗に覆われ、手足の爪は伸び、顔も竜のそれとなり巨大化していく。両翼をはばたかせながらレットは咆哮する。もはやそこにレットはいなかった。


『竜王 ジャヴァ・レット・ダハーカ』


それがレットの真名。竜王の末裔である証。かつてレットが使った神竜一声はその命を捧げることで天下無双の力を得るもの。対して竜王化は命だけでなく、心すらも失う禁忌。いかなる戦いの時も心だけは失わないようレットはそれを封印してきた。だが今、レットはその禁を破った。最後の戦いであること、何よりも自らの戦いが、ハルの心の戦いが正しいことを証明するために。ただハルの道を作るために。例え傷を負わすことができなくとも、わずかでもルシアに力を使わせ、消耗させるために。レットはただ力のままにルシアへと挑む。爪で、ブレスで。その力は先の比ではない。竜王の名に相応しい四天魔王の領域に指を掛けかねないもの。命を、心を捨てても構わない。レットの覚悟を宿した戦。だが


それすらも『アキ』は許さない。


瞬間、ルシアは初めてその手でレットに触れる。今まで先の引力支配を除けば全く微動だにしていなかったルシアが初めて自ら動く。何の変哲もない、攻撃でも防御とも思えないただ手を触れる行為。レットの爪がルシアの体を貫くも物理無効により無効化され、ブレスも時間逆行によって通用しない。このまま立っているだけでも勝敗は明らか。後はレットが自滅するだけ。だがそれをアキは許さなかった。


「なっ―――!?」


それはレットの声だった。だがそれはあり得ない。もはやレットの心は消え去った。竜王化した以上言葉を発することはできない。にも関わらずレットは自分が言葉を口にしたことに驚愕するしかない。否、それだけではない。

手も、足も、体も元に戻っている。竜ではない、竜人の体。あり得ない事態。竜王化すればもう二度と竜人の姿には戻れない。不可逆の、故に禁じられた奥義。だがそれすらも覆す力をルシアは手にしている。時間逆行という奇跡を。直接触れた相手を再生する力。その本質は傷を負う前まで肉体を逆行させること。


極限の痛みアルティメットペイン


混乱するレットに向けてルシアは最後の一撃を加える。かつてハードナーが得意としていた触れた相手の全ての傷を再生する奥義。これまで数多の戦いを潜り抜けてきたレットにとってそれはまさに一撃必殺。竜王化を解かされ、過去全ての傷を開かれたレットはそのまま意識を失い、地に伏せる。もはや立ち上がることはできない。


それがルシアとレイヴの五人の騎士達との戦いの決着だった――――



「あ……ああ…………」


その顛末をニーベルはただ眺めていることしかできなかった。ルビーも、グリフも、プルーも同じ。一体何が起こったのか。悪い夢なのではないか。そう思いたくなるような悪夢。だがそれは紛れもない現実。仲間たちが死力を尽くしたにもかかわらず傷一つどころか息一つ乱すことができない。今のニーベルにできるのはその手にある一冊の本を握ることだけ。

最期の齢ラスト・エイジス

変身魔法の極意であり禁呪。己の時間を失う代わりの力を得る魔法。今は未熟なニーベルであってもできる一つの可能性。全ての時のためなら自分の時などいらない、というニーベルの決意を示すもの。だがニーベルはその本を開くことが、魔法を使うことができない。


「…………」


そんなニーベルの姿にすら興味がないとばかりにルシアは悠然とその隣を通り過ぎ、その場を去っていく。その間際に一瞬、ニーベルはルシアと視線を交わす。


圧倒的な力の差。例え時間を失ったとしても届くことはない次元の壁。それを前にし、ニーベルは涙を流し、震えることしかできない。彼を責めることは誰にもできない。ルビーも、グリフも、プルーもそれは変わらない。


絶望すら超える終焉。


それを見せつけながらルシアはその場から姿を消し去ったのだった――――




「…………」


言葉を発することなくルシアは瞬間移動によってその場に戻ってくる。そこには大きな空洞と共に巨大な力の塊があった。エンドレスという名の力の源が。

その大きさは既に人間大を大きく超え、かつてのエンドレスを彷彿とさせるほどまでに成長している。破裂寸前の風船、爆発寸前の爆弾。大破壊を前にしたエンドレスの姿。

それを目にしながらもルシアは背を向け、そのまま無造作に星の水晶を腰掛けに座りこむ。先程まで戦闘を行っていたとは思えないような姿。ルシアにとってはこれから先が本番なのだと言わんばかりのもの。事実、ルシアはその視線をどこか遠くに向けたまま。誰かがやってくるのをただ待ち続けているかのように。


『ほう……どこに行っていたのかと思えば……光の者達を排除してきたのか。四天魔王に任せればいいものを……』
「…………」


エンドレスが戻ってきたルシアに向かって声をかけるもルシアはそれに応えることはない。エンドレスが完成してから変わることのない関係。だがエンドレスにとってそんなことはどうでもよかった。結果こそがエンドレスにとって全て。その過程も、手段も関係ない。


『だがこの期に及んで命を奪わぬとは……どうやら本当に知識の通りの人形のようだな……。わざわざ自ら動いてまであの偽り達を救いたかったのか……理解できんな』


エンドレスはただ淡々と事実だけを述べる。ルシアがわざわざ自らレイヴの騎士達、仲間たちを相手にし、戦闘不能にしたことを。同時に全てを知っていた。四天魔王でなく、ルシアが自ら動いたのがムジカ達を救うためなのだと。もっとも知っていただけで、理解しているわけではない。エンドレスはただ事実を知識と照らし合わせているだけ。いわば機械が人間の振りをしているに等しかった。


「…………そこまで分かっていながら何で俺に行かせた」
『単純なことだ。結果的にあの有象無象が戦闘不能になるなら何の問題もない。いたところで大きな障害とはならんが邪魔であることには違いない』


ルシアは初めてエンドレスに問う。何故自分の好きにさせたのかと。ワープロードとゲートを使い、ハル達を分断し、ムジカ達を排除すること。ここまでなら何の問題もない。だが既にエンドレスはそれがムジカ達を四天魔王達と戦わせないためだと知っている。


『それよりも……どうやら事ここに至っても我に従う気はないようだな……』


それはすなわちルシアがあくまでもエンドレスに楯突くことを意味している。エンドレスはただ確認するかのように問うのみ。怒りも悲しみもない。ただ機械のように。


「……当たり前だ。誰がてめえの言いなりになるか。そんなことになるなら死んだ方がましだ」


ルシアはエンドレスが完成した時から見せなかった、意志の光を灯した瞳を持ってエンドレスと対峙する。その言葉には恐れも迷いもない。

それがルシアの、アキの出した答え。例え何度殺されようと、追い詰められようとエンドレスに屈服することはない。

『生き延びるために』

それが今までのアキの行動理念であり目的だった。だがそれは潰えた。エンドレスに命を濁られている限りそれは為し得ない。例え並行世界を消滅させ、現行世界に至ったとしても一人では意味がない。そこでエンドレスと共に生きて行くことになるなら死んだ方がマシであるとアキは告げる。アキがそこに至ろうとしたのはマザーがいたからこそ。だからこそアキは自らの意志を貫く。

世界を救うため、ハル達を救うためなどという綺麗事ではない。そんな責任転嫁をする気は毛頭ない。ただ自分のために。マザーを失ってしまった、信じることができなかった自分の責務。

『最期までルシアを演じること』

死が逃れられないならせめてルシアであり続けること。それがハル達のため。何よりも自分のため。かつてマザーがしていたことと同じ。

誰にも気づかれることなく、自分が死ぬ道を選ぶこと。

マザーはそれをやり切って見せた。ならば主である自分がそれから逃げるわけにはいかない。それがルシアに憑依した自分の役目。最後の最期までエンドレスを道連れにするという子供のような意地。アキがアキであることの意味だった。


「殺すなら今のうちだぜ。それともそれができない理由でもあるのか……?」


ルシアは挑発するようにエンドレスへと告げる。殺すなら今のうちだと。殺さなくとも自分を完全に操り人形にすればいいと。だがそれはルシアにとっては敗北ではない。わざわざここまでエンドレスが裏切り者である自分を生かしているのには理由がある。それを逆手に取った形。操られたとしても構わない。そうなれば自我は失うが同時に担い手の力は半減する。そうなればハル達を倒す手段はなくなる。だがそれは


『なるほど……だがもう手遅れだ。魔導精霊力の娘の元には既に四天魔王を送り込んでおる。残念だったな』
「なっ―――!?」


エンドレスの無慈悲な宣告によって無と化す。ルシアは一瞬、エンドレスが何を言ってるのか分からなかった。それほどまでに予想外の事態。エンドレスの動きを察知できなかったことに驚愕するしかない。


『貴様が光の者達を分断するのは分かっていた。同時に我も策を講じさせてもらった。全てのDBは我の思うがままだ。例え貴様が持っているものであってもな』
「くっ―――!!」


ルシアはただ己の失策を嘆くしかない。ルシアはハル達が星の記憶に突入してくるその隙をついてハル達を分断。ムジカ達を戦闘不能にし、ハル達をエンドレスから出来る限り近い位置に移動させたはずだった。無論あまりにも近ければエンドレスに察知されてしまうためある程度の距離を置いて。四天魔王達からも離れた場所。そのままいけば四天魔王達とハル達が接触することなくここまでやってこれると。だがその策は全てエンドレスに見透かされていた。ヴァンパイアの持つ狡猾さと同期したことによって得たもの。何よりもエンドレスはマザーの記憶すら得ている。だからこそ知っていた。最初から、四天魔王が配下となる前からルシアがムジカ達を最終戦から排除する気だったことを。四天魔王と戦わせればムジカ達が勝利したとしても多くの犠牲を出すことを知っていたからこそ。故にそれを逆手に取る策をエンドレスは打ってきた。


『無駄だ。今から行っても間に合いはせぬ』


ルシアがムジカ達に気を取られているうちにエリーを四天魔王の元へ送り込むこと。エンドレスにとって脅威となるのは魔導精霊力とレイヴのみ。その最大戦力である魔導精霊力を持つエリーを排除することがエンドレスの最優先すべき事項。例え四天魔王が敗北したとしてもエリーは魔導精霊力を使わざるを得ない。そうなればエンドレスを相手にすることはできない。戦闘経験が浅いエリーであればそのまま四天魔王に敗北してしまう可能性すらある。どっちに転んでもエンドレスにとっては勝利となる手。マザーの、アキの記憶から自らが敗北した可能性を知った上で講じた策。ルシアは何とかこの場からエリーを救わんとするも瞬間移動することも、四天魔王を呼び出すこともできない。全てのDBはエンドレスに従うほかない。抗う術はない。それでも自分にできることを。そうルシアが思考を切り替えようとした瞬間


『さて……それでは最期の役目を果たしてもらうぞ、人形よ』


エンドレスは宣告する。自らが仕掛けたもう一つの策を実行する時が来たと。


ルシアはただその姿に目を奪われるだけ。知らず心は落ち着いていた。奇しくもエンドレスの言葉と同じ。自分の果たすべき役割を為す時がやってきたのだと。


そこには一人の少年がいた。自らと対照的な銀の髪を持つ少年。いつもと違うのは背負っている剣の形が違うことだけ。


二代目レイヴマスター、ハル・グローリー。


今、三度目、ダークブリングマスターとレイヴマスター、アキとハルの最期となる戦いの時が訪れようとしていた――――



[33455] 第百五話 「ハル」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/11/12 21:19
静まり返った記憶の水晶と漆黒の空が支配する星の記憶の中で二人の少年が向かい合う。金髪に銀髪。黒と白。レアグローブとシンフォニア。DBとレイヴ。ダークブリングマスターとレイヴマスター。全てが対照的な、故に対極の位置する存在。

ルシア・レアグローブとハル・グローリー。

九月九日。時が交わる日において二人は再び相見えることになった。


「……ハルか。ようやくまともに戦えるようになって来たらしいな」


ルシアは立ち上がり、その瞳で自らの前に姿を現したハルを捉える。いつもと変わらない、いつも以上の決意を感じさせる瞳。背には新たなTCMが、レイヴがある。聖剣レイヴェルトと世界のレイヴ。共に真のレイヴマスターでしか持ち得ない最高の装備。その実力も見るだけで充分に伝わってくる。もはやかつてのハルとは別人。今まで自分が持ち得たアドバンテージはない。ハルよりも先に旅立ち、シンクレアを手にし、戦いを乗り越えてきたが故にあったハンデは消え去った。かつてルシアが心から待ち望んだ状況。自らを、エンドレスを倒し得る力を得た証。だがルシアの心は何一つ昂ぶらない。感慨も、喜びもない。あるのはそう、無常感だけ。ただの予定調和。勇者によって倒されるという大魔王の役目を全うするだけ。

自らの背にある愛剣、ネオ・デカログスを手に取りながらルシアは一歩一歩ハルへと近づいて行く。その胸中には様々な感情に、思考にまみれていた。何故エンドレスはわざわざハルをこの場に呼び寄せたのか。エリーの持つ魔導精霊力とまではいかなくともハルの持つレイヴはかつてのレイヴではない。世界のレイヴ。五つ全てが一つとなった本来の完成形。エンドレスを倒すことができなくとも、かつて五十年前、初代レイヴマスター、シバ・ローゼスが見せたようにエンドレスにダメージを負わせることは可能なはず。そんな危険な存在を何故。


(いや……いくら考えても関係ねえ……俺は俺の役目を果たすだけだ……)


ルシアはその全てを振り切ってただ己が剣に力を込める。何を考えようと、策を講じようともはや意味はない。既に賽は投げられているのだから。賽を投げることができるのはエンドレスであり自分ではない。最後の抵抗であるムジカ達の排除は成し遂げたもののそこまで。裏をかかれエリーの元には四天魔王が送り込まれてしまった。もはやどうしようもない。ハルにそれを伝えることもできない。そんなことを許すほどエンドレスは甘くはない。伝えたところで間に合わない。悪戯にハルの精神を乱すだけ。ならばできるのは唯一つ。


「いつかの時の続きだ……どちらが生き残るか、最期の戦いを始めるとしようか……」


この場で全ての決着をつけること。今までの因縁を断ち切るために。世界を賭けた戦いを始めんとするも


「……違う。オレはお前を倒すためにここに来たわけじゃない」


ハルもまた自らの剣を手にしながら向かい合う。だがその言葉には明らかな否定が含まれていた。ルシアの言葉への確かな否定が。


「……どういう意味だ」
「オレが倒しに来たのはエンドレスだ。アキじゃない。オレもエリーもお前を倒すためにここに来たんじゃない」


ハルは一片の迷いもなく、ただルシアを見つめている。その迷いない瞳にルシアはただ呆気にとられるしかない。一体何をハルが言っているのか理解できない。できるのはただいつもと同じように無表情のまま、仮面を被ったままハルを見据えることだけ。その全てを見透かすようにハルは告げる。


「――――オレ達はお前を助けに来た。それだけだ」


助けに来た、と。倒すのでもなく、止めるのでもなく、ただ助けに来た、と。あまりにも場違いな、理解できない宣言。最終決戦において、その最大の敵を前にしてもなお、未だにそんなことができると本気で思っている愚か者。お人好し。


「――――は」


思わずルシアの笑いが漏れる。何の意図もない、ただ単純にあまりにも呆れて出てしまった失笑。

本当なら心から喜ぶべき言葉だったはず。こうしてハル達に助けてもらうことを目的に動いてきた。なのにいつからだろう。自分が生き残ることをあきらめたのは。いつからだろう。そんなハルの姿が鼻につきはじめたのは。いつからだったのか。それが綺麗事に聞こえ出したのは。

決まってる。全てを知った時。自分がどうあがいても生き延びることができないと悟った時。生き延びることがそのまま死ぬことと同義だと知らされた時。自分が何も知らなかったのだと突きつけられた時。なのに―――が自分のためにただあってくれたと知った時。

なのにハルは自分を助けるなどとほざいている。ただ笑うしかない。あまりなお人好しぶりに吐き気すらする。知っていた。ハルがそうであることに。例え敵であっても手を差し伸べずにはいられないことを。ただ今はそれが心底目障りだ。


「ははっ……ほんとに昔から何にも変わらねえな……お前は……」


何も知らないくせに。何も知らない癖に知ったような口を。ただ心がざわつく。ただハルを目の前にしただけで得もしれない感情が溢れてくる。そんな自分に心底吐き気がする。この期に及んで―――かもしれないなんて希望を抱かせるハルが目障りで仕方がない。


「……御託はもういらねえ。言いたいことはその剣で語るんだな――――!!」


ただそれを抑え込むために、振り切るためにルシアは駆ける。瞬間、ハルとルシア。二人の少年の最期の戦いの幕が切って落とされた――――



音を置き去りにしかねない速度でルシアは走る。闇の音速剣。十剣の能力を極限まで引き出すことができるネオ・デカログスだからこそ辿り着くことができる領域。ただルシアは己が力を剣のみに注ぐ。ルシアは知っていた。自分とハルの戦いは十剣の、剣士としての戦いだと。

世界のレイヴ。それはその名の通り、世界のために造られたレイヴ。DBに対抗するための生み出された本来の役目、その能力はDBの無力化。それを前にすればルシア、担い手はシンクレアもDBの能力も扱うことはできない。だがその例外がルシアが手にする十剣。ルシアは己の力を全て剣のみに注ぐことで対抗する。同じ力。対極であるがゆえに互角であるレイヴとDB。能力が互いを打ち消し合うことは必定。故に勝負は唯一つ。


ハルとルシア。互いの担い手の差がそのまま勝敗を決めるということ。


闇の爆発剣テネブラリス・エクスプロージョン―――!!」


ルシアは音速を維持しながら一瞬で間合いを詰め、剣を振るう。闇の爆発剣。一突きで大地を崩壊させて余りある力を持つ一撃。だがそれを


光の爆発剣ブライトネス・エクスプロージョン―――!!」


同じ爆発剣でハルは切り返す。だがその剣はかつてのTCMではない。世界のレイヴ、一つとなったレイヴを手に入れたことでTCMもまた新たに生まれ変わっている。ネオ・デカログスと対を為す、同等の存在。

光の爆発剣と闇の爆発剣。両者の激突は大地を崩壊させながらも完全な拮抗、互角で終わりを告げる。破壊の余波によって記憶の水晶は跡形もなく吹き飛ばされ、辺りは全て消え去っていく。そんな中にあってもルシアとハルは互いに無傷のまま、音速剣の速度を纏いながら幾度も交差する。

崩壊していく大地を意にも介さず、ただ音速剣が無数の火花を散らしていく。金と銀。黒と白。かろうじて見える、目に見えないような速さで二人は剣を合わせ、弾き、駆けて行く。一際大きな衝突と衝撃音とともに両者の間に距離ができると同時に二人もまた新たな剣の形態を見せる。


闇の真空剣テネブラリス・メルフォース―――!!」
光の封印剣ブライトネス・ルーンセイブ―――!!」


闇の真空剣と光の封印剣。大地を切り裂き、谷を生み出すほどの威力を持つ真空剣を同じく全ての非物理を切り裂く封印剣が無力化する。だが互いにその光景に驚くことも、焦ることもなくルシアとハルは再び距離を詰めながら互いの十剣でぶつかり合う。

爆発。音速。封印。双竜。真空。重力。太陽。月。

それぞれが一本の剣として成立する能力を持つ剣。 TCMとデカログス。十剣と十戒の名を持つ名剣。レイヴとDBの力を引き出すための剣。同じ形態、異なる形態を用いながらハルとルシアはぶつかり合うも結果は同じ。互いの一撃は相殺し合い、無効化される。同じ力を持つ剣であること、何よりも互いに十剣を知り尽くしているからこそ。故に二人には互いの思考も、動きも読める。


闇の爆撃波テネブラリス・デスペラードボム―――!!」
光の真空波ブライトネス・ルーンフォース―――!!」


互いの大技、連携技がぶつかり合うも結果は同じ。変わるのは辺りの景色だけ。美しかった、幻想的な星の記憶の姿はもはやどこにもない。あるのは全てが消え去った荒野だけ。それが今のルシアとハルの戦い。

二人はそのまま立ち尽くしたまま見つめ合う。これほどの戦いを見せながらも未だ無傷。息も切らせていない。しかし明らかな違いがあった。ルシアはそのまま怒りにも似た表情を見せハルを睨みつけている。対するハルは最初から変わらない。


「何のつもりだ……何で聖剣を使わねえ。手加減でもしてるつもりか……?」


ルシアはそのままハルを視線で射抜くもハルは応えることはない。まるで先のルシアの言葉通り。言葉ではなく、剣で全てを語るかのように。

『聖剣レイヴェルト』

TCMの最後の剣にして最強の剣。破魔の力を持つ聖剣。それを手にしているはずにもかかわらずハルは未だ見せていない。十剣という勝負の中で唯一、最大の差であるにも関わらず。ルシアが唯一手にしていない第十の剣。魔剣ダークエミリア。どんなに修行を積もうと、戦いを切りぬけようと手にすることができなかった剣。偽物のルシアである自分には扱うことができない剣であるとあきらめていたもの。故に先の戦いでハルが聖剣を見せていれば勝負決していた。聖剣には魔剣でしか対抗できない。他の剣では届かない到達点。にも関わらずハルはその剣を使うことはない。まるで今のルシアには使う必要がないのだと告げるかのよう。


「……そうか。ならいい。さっさと終わらせてやるよ」


ルシアは乾いた笑みを浮かべながら剣をかざす。瞬間、ルシアの体から光が溢れだしてくる。黒の光。闇の力の象徴とでも言えるエンドレスの力の奔流。

『エンドレス化』

エンドレスの力をその身に宿す奥義。神の力を引き出す『バルドル』の能力。だが今ルシアはそれを自らの力のみで成し遂げていた。魂すらエンドレスと繋がり、囚われているルシアだからこそできる芸当。物理も非物理も超越した頂き。単純な強さを超えなければ破ることができない闘気。今のルシアのそれはかつてのウタ戦を遥かに凌駕している。一つとなったエンドレスと一体化したルシアは神にも等しい力を持っている。

だがその闇の飲まれながらもルシアは感情に支配されかけていた。これはいわば負けるための戦い。ルシアが勝ったとしても得るものはない。自殺に近い意味がないもの。にもかかわらずルシアは知らず苛立っていた。本気を出していないであろうハルに。全てを見透かすような、自分を試しているようなハルの姿に。そんなこと気にする必要もないというのに。何故こんなにも心がざわつくのか。悔しいのか。負けたくないと思うのか。


今の自分には戦う理由など無いというのに。そんな物、とうの昔に、失くしてしまったはずなのに――――


「はああああ―――――!!」


子供のように、ただがむしゃらにルシアは力のまま向かって行く。世界のために、ハル達のために負けなければならない。ルシアを演じなければならない。それだけが今の自分に残された道。そう信じ、そう言い聞かせてルシアはここまできた。それを貫き通すためにルシアはただ全力でハルへと向かって行く。

手を抜くこともない、手加減がない正真正銘の全力、全身全霊をもって。手加減をすればエンドレスに露見してしまう。そうなれば操られた自分をハルは倒すことができないかもしれない。その隙を突かれればハルが殺されてしまうかもしれない。ただ今のルシアにできるのは戦うことだけ。まだルシアは気づかない。気づけない。その行動の意味を。


「――――アキ!!」


その名を呼びながらハルはルシアの一刀を受け止める。その速さは先の比ではない。エンドレスを身に纏ったルシアの速さは閃光すら凌駕する。驚異的な身体能力。だがその一撃をハルもまたその力で受け止める。奇しくもルシアと対照的な光をその身に纏うことによって。魔導精霊力、レイヴの力をその身に宿す、レイヴマスターの奥義。

光と闇。白と黒の光がぶつかり合い全てを飲みこんでいく。そこに存在できるのはハルとルシアの二人だけ。両者は互角であり、対となる力を持って剣を交えて行く。

『剣聖』

剣の頂点であり世界最強の剣士である証。ハルはシバから、ルシアはウタからその称号を受け継いでいる。まさしく剣の頂点を決める戦い。そこに差は全くない。剣技において両者は全くの五分。剣の結界とでも言うべき剣舞が巻き起こる。

『担い手』

レイヴとDBを操る者。魔導精霊力とエンドレスの力を受け継ぐ者。そこにも力の差はない。共に五つに分かれた石を一つにし、その力を宿している以上、それはあり得ない。力も技も互角。故にこれはどちらが先に力尽きるか。それが勝負の決め手となる。だがそれは


「ぐっ――――!?」


ルシアの苦悶の声によって終わりを告げる。


ルシアはハルの剣によってわずかではあるが押し負け、後退してしまう。本当にわずかな、何かの間違いだと言えるような差。だがそれは確かに存在する。


「アキ――――!!」


叫びと共にハルは光を宿した剣をルシアへと振るってくる。ルシアもまた闇を宿した剣で迎え撃つもその剣撃によって徐々に押し込まれていく。剣技でもない。力の差でもない。見えない力がルシアを追い詰めて行く。確かな重さがルシアへとのしかかってくる。


(これは……!?)


ルシアはその光景を知っていた。覚えていた。かつてウタと戦った時。その時に起きた変化と同じことが今、ハルと自分の間で起こっている。ルシアはその正体を知らない。だが本能で悟っていた。

『想いの剣』

誰かのために。想いを剣に乗せることで剣に重みを与える。剣聖ではないもう一つの剣の終着点。ハルの想いの剣がルシアの剣を圧倒していく。力でも技でもない。心の差。覆しようがない、覆すことができないもの。


「くっ……!! 俺は……まだ……!!」


それを見せつけられながらもルシアは何度も立ち向かって行く。みっともなく、転がりながらも、泥だらけになりながらもただ必死に。もはや自分が何のために戦っていたのかすらも忘れ、ただがむしゃらに。

負けたくない。そんな、子供のような理由だけを胸に抱きながら。

そんなルシアの剣を受けながらハルもまた全力でそれに応える。純粋な剣と剣の勝負。その中でハルは初めてアキへと問いかける。今のアキになら、それが通じることを悟ったからこそ。


「アキ……お前は何のために戦ってるんだ!?」


何のために戦っているのか。自らの根源に対する問い。かつてシバによって問われた命題。同時に自分が自分であるための立脚点。その問いと想いを込めながらハルはアキへと剣を振るう。


「何のために……? 決まってる……俺のためだ!! 俺は自分のために戦ってる!! 今も、昔も……俺はそれだけのために戦って来た!!」


ハルの剣に弾き飛ばされながらも踏ん張り、ルシアは己が心の内を叫びながら剣を返す。


自分のために。それがルシアの答えであり、行動理念。そこに間違いはない。ただ自分が生き延びるために動いてきた、抗って来た。そのために全てを利用してきた。その結末がこの結果。みっともなく、子供のような駄々を見せるしかない愚か者、操り人形の姿。


「――――違う!! お前は自分のためなんかに戦っていない!! なら何でオレ達を助けるような真似ばかりして来たんだ!?」


咆哮と共にハルはアキへ剣を返す。明確なルシアの言葉への否定。それに圧倒されながらもルシアはただ抗う。いつかの戦いと同じように。自らの本音を吐露しながら。


「―――俺が助かるためだ!! そのために……お前らを利用するためにそうしただけだ!! てめえに何が分かる!? ただ真っ直ぐ進んできただけのお前に俺の何が分かるってんだ!?」


ただ叫びながら、力のままに剣でルシアはハルへと応える。全ては自分のためだったと。同時に八つ当たりを口にする。星跡の洞窟の時と同じ。否、同じではない。明確な嫉妬。どうして自分だけが。理不尽に対する生き場のない怒り。


「違う!!なら……ならどうしてお前は姉ちゃんを助けたんだ!?」


その怒りはハルの予想外の問いによって消え去ってしまう。瞬間、ルシアの脳裏に蘇る。ここにはいない、それでも自分帰りを待ってくれている一人の女性を。


「エンドレスを倒すためなら……姉ちゃんを助ける必要なんてお前にはなかったはずだ!! なのに何でお前は姉ちゃんを助けてくれたんだ!? 姉ちゃんのためじゃねえのか!?」
「ち、違う……!! 俺は……俺はただ……!!」


ハルはただ叫ぶ。自分のため、生き残るためだけなら何故姉であるカトレアを助けるような真似をしたのかと。ハルは知っていた。かつてシュダがガラージュ島を襲った時にアキがカトレアを、自分を救ってくれたことを。本当に生き残るためだけなら、ハルを助けるだけでよかったはず。なのに何故カトレアを助けたのか。


「自分のために戦って何が悪いんだ!? 自分のためでも……お前はオレ達を助けてくれた!! それじゃいけないのか!? お前がいたからみんな生きてる! それのどこが悪い!? オレは知ってる……お前が、お前が自分のためだけに戦ってたんじゃないことを……!」


全ての想いを込めた剣を以ってハルはルシアと剣を交差させる。瞬間、二人の力が拮抗し、辺りの全てが吹き飛んでいく。かつてのゲイルとキングの衝突の再現。違うのはその規模。魔導精霊力とエンドレスの力のぶつかり合い。その中にあっても勝敗を分けるのは唯一つ。心の強さ。全てが互角であるハルとルシアの決着はその一点にこそ集約する。


ハルは知っていた。アキが何に苦しんでいるかを。今までどんな思いでここまで戦って来たかを。エリーから全てを明かされた今なら分かる。あの時も、あの時も。全ては自分たちを助けるため、生かすため。アキが言うようにそのきっかけは自分のため。でもそれが全てではないことハルは知っている。かつてハルはその重さを感じたことがある。


星跡の洞窟。自らが羅刹剣に飲まれ、狂気に落ちようとした時。そんな自分を救おうとしてくれた一刀。そこには確かな重みがあった。自分だけのためでは持ち得ない、想いの剣が。今、アキは失ってしまっているだけ。それを思い出させることがハルの役目であり、エリーとの約束。


「お前は『誰の』ために戦って来たんだ、アキ―――!!」


エリーが信じ、アキが想ってきた誰かのために。その名をあえて告げることなくハルはアキへと問いかける。瞬間、初めてルシアの動きが止まる。まるで忘れていた、忘れようとしていた何かに気づいたかのように。その瞳は確かな動揺がある。ルシアを演じる中ではあってはならない揺らぎ。だがそれをルシアは抑えることができない。まるで太陽の光に照らされる月のように、ハルの言葉で、剣で心が揺さぶられていくのが分かる。


「俺は…………」


ルシアは無意識にその手を自ら胸元に伸ばす。その手がそれを手にすることはない。それが何だったのか思い出そうとした瞬間


『……茶番はそこまでだ。人形は人形らしく役目を果たすがよい』


終わり亡き者の声によってそれは途切れてしまう。


「っ!? これは……!?」


ルシアはただ声を上げることしかできない。ハルもまたそれは同じ。ルシアの視線は自らの右手、ネオ・デカログスに向けられている。そこにはただルシアを侵食しようとする異形があるだけ。それが何であるかを二人は知っていた。

羅刹の剣 サクリファー。

担い手を戦うだけの羅刹へと堕とす狂気の剣。その特性ゆえに二人とも先の攻防では見せなかった禁忌。その力をエンドレスは強制的に発動させる。ネオ・デカログスは自らの主を守らんとするもエンドレスに抗うことはできない。それはダークブリングマスターであるルシアもまた同じ。ルシアはただ為すすべなく、羅刹剣に飲み込まれ、羅刹へと身を落としていく。それこそがエンドレスの策。例えルシアが手を抜こうと関係ない。羅刹剣を発動させることで強制的にレイヴマスターであるハルを排除する仕掛け。


「うああがあああああああ―――――!!」


その腕を侵食されながらただルシアは咆哮と共にハルへと飛びかかる。その速度は先を大きく超えている。エンドレス化をした状態での羅刹剣。元々が魔剣であるがゆえにその親和性、力はかつてハルが見せたものを遥かに凌駕する。


「―――!! アキっ!!」


ハルは瞬時に反応するもその剣閃と速度に対応することができず腕を切り裂かれる。出血が宙に舞うもそれによって血の味を覚え、羅刹剣はハルへと襲いかかってくる。ハルはただ羅刹剣にされるがまま。レイヴの光を纏っている防御ももはや通用しない。単純な強さにおいて今の羅刹と化したルシアはハルを凌駕している。力も、技も、ハルは羅刹には及ばない。

だがそれでもハルはあきらめない。

ハルは力と共にその力を解き放つ。瞬間、まばゆい光が辺りを照らし出す。

聖剣レイヴェルト。

友が自分のために創り上げてくれた唯一無二の剣。世界の剣。その破魔の力にハルは全てを賭ける。これはあの時の焼き回し。ハルが羅刹剣に飲まれた時、アキが助けてくれたように、今度はハルはそれを為す。


「アキ――――!!」


己が全ての力と想いを込めた聖剣が羅刹剣を止めんと振り切られる。瞬間、二つの剣がぶつかり合い閃光を生み出していく。本来ならハルは羅刹となったルシアと剣を合わせることはできない。身体能力と剣技において全て上回っているルシアにハルは敵わない。例えレイヴェルトを持っていたとしても覆せない剣士としての限界。しかしハルには一つの勝機が、希望があった。


それは羅刹剣の浸食。本来なら担い手全てを飲み込むはずの浸食が腕の部分で止まってしまっている。すなわち今のルシアには確かに心が残っているということ。その可能性に賭けたハルの聖剣が羅刹剣を捉え、刀身にはヒビが入って行く。剣の破壊による羅刹剣からの解放。


(そうか……俺は……ただ……)


その刹那、アキは全てを思い出す。羅刹剣に飲まれたことも、その顛末も。本当に全てをあきらめていたのなら、自分のためだけなら羅刹剣に飲まれた時点で自我は消失する。にもかかわらず、まだ微かにでも心が残っている理由。


馬鹿げている。事ここに至るまで気づかないなんてどうかしている。そのせいでハルにこんな手間まで掛けさせてしまった。どんなに謝っても頭が上がらない。だがそれでも構わない。おかげで思い出せたのだから。


かつて命を落とし、全てをあきらめた時に聞こえた誰かの声。その声を聞きたかったからこそ自分はまだみっともなく足掻いているのだと。世界のためでも、ハル達のためでもない。


『マザーに会いたい』


それが自らの望み。自分の、マザーのためのたった一つの願い。


永い旅路の末にようやくルシアからアキに戻った瞬間だった――――




「アキ……」


ハルはただその姿に目を奪われていた。そこにはかつてのルシアの姿はない。いつか見た、ガラージュ島にいた頃のアキがそこにはいた。その手には新たな剣が握られている。

羅刹剣ではない魔剣。本来なら破壊されるはずの聖剣の一撃に耐えたことがその証。アキがその心を、想いを取り戻したことの証明。


『魔剣 ダークマザー』


ルシアではない、アキだからこそ持ち得る第十の剣。アキのマザーへの想いが形になった魔剣だった。


「……悪い、ハル……面倒かけちまった……」


アキはただ顔を伏せながらも、自らの剣を見つめているだけ。そこには見間違うはずのない自らの心の具現がある。聖剣レイヴェルトにも劣らない、ハルの想いにも劣らない力をアキは取り戻す。本当の意味でレイヴマスターとダークブリングマスターが対等になった瞬間。


「ああ。でもこれでやっと『アキ』に戻れた。だろ、アキ?」


ハルは満身創痍の体をものともしない満面の笑みでアキに微笑む。いつもと変わらない、アキが知るハルの姿。自分の友であり、そうありたいと憧れた少年の姿にアキは苦笑いするしかない。ハルもまたそれは同じ。アキの心と想いを取り戻すこと。それがハルの役目であり、エリーとの約束であったのだから。


だがそれで全てが終わったわけではない。状況は大局的に見れば何一つ変わっていない。エンドレスは健在。エリーの元には四天魔王がいる。しかしアキはただ感謝していた。最後の瞬間であっても、ルシアではなくアキとしての自分に戻れたことに。アキがその言葉を述べようとした瞬間


「ホムぅ……どうやらここまでのようじゃの」


それまで存在しなかったはずの、第三者の声がハルとアキに向かって掛けられる。だがアキだけは知っていた。それが誰であるかを。

もはやかつての小さな老人の面影は残っていない。巨大な、悪魔が具現化したような禍々しい容姿。その体には無数のDBが組み込まれている、圧倒的な魔の力を感じさせる魔王。

『魔石王 アスラ』

生きたDBと呼ばれる四天魔王、漆黒のアスラの真の姿だった。


「アスラ……何でお前がここに……」
「ホム、最初からじゃよ。お主らが下らぬ茶番を演じておる時からな。さしものお主も気配と姿を消したわしには気づけなかったようだな」


どこか満足気に邪悪な笑みを浮かべながらアスラは明かす。最初から自分がその場にいたことを。アキとハルの戦いを監視していたことを。それは


「もう少し様子を見ておこうと思ったが無駄なようだの。だが役目を十分果たしてくれたな、ルシアよ……いや、アキか。もうこれでお主らはわしに、エンドレスに対抗する力を失ったわけだ」


心底可笑しいとばかりにアスラは全てを明かす。これが最初からエンドレスの策であったことを。アキをハルにぶつけることでハルを消耗させること。それがこの戦いの意味。わざわざハルだけをここに呼び寄せたのも全てこのため。例えアキがハルに負けたとしても消耗したところをアスラが止めを刺す。アキが裏切ろうが手を抜こうがエンドレスの勝利となる策。万全のハルであればアスラといえども万が一があるために用意した周到な罠。


「さて……それではさっさと幕引きと行こうか。特別にお主らには真のダークブリングの力を見せてやろう……」


瞬間、アスラの体が凄まじいエンドレスの力に包まれていく。エンドレス化という担い手でしか扱えないはずの奥義。しかしそれをアスラは為し得る。生きたDBと言われる所以。アスラはいわばエンドレスの器、分身にも等しい存在。故にエンドレスの力を思うがままに扱うことができる。それこそがエンドレスの代案。例えアキを失おうとも戦うことができる策。いわばアキはそのための捨石。ハルの力を削るための駒。対して他の四天魔王もまたエリーの力を削るための駒。結果こそが全て、人の心を持たないエンドレスの所業だった。

ハルとアキが目の前の状況に言葉を失っている中、さらなる絶望が生まれ出てくる。

それは無数の石だった。アスラが、エンドレスが力を解放した瞬間、突然その場に現れたかのように無数の兵士たちが全てを埋め尽くしていく。それが何であるかを理解できるアキはただ言葉を失うしかない。


「これは……DB……?」


魔石兵。本来なら魔界で最も硬いとされる鉱物からできる兵士でありアスラの僕。だが今アキ達の前に現れたのはそうではない。その全てがDBでできた兵士。エンクレイムによって生まれた生きたDB。ただ破壊だけを目的とした人形達。DBでできている兵士。それはすなわち魔導精霊力、レイヴ以外では破壊することができない無敵の軍勢であるということ。しかもその兵士一人ひとりが六星DBに匹敵する能力を有している。力の上ではキングにすら匹敵する出鱈目さ。エンドレスの切り札にしてアスラの能力。


「分かったか? お主らに勝ち目は万に一つもない。この無限の軍勢に敵う者など存在せん」


見渡す限り、地平線の彼方まで埋め尽くすほどの無限の軍勢。数という圧倒的な暴力。質よりも量を体現した魔王の姿。例えハルが、エリーが万全であろうとも後れを取らない最強の存在。それがエンドレスの力を手にしたアスラの、もう一つのダークブリングマスターの在り方だった。

その光景にもはやハルに言葉はない。既に体は満身創痍。アスラだけでも怪しいにも関わらず、無限にも見えるDBの兵隊たち。だがそれでもハルにはあきらめはない。ようやくエリーとの約束も果たした。後はエンドレスを倒すだけ。しかしその前には覆すことができない数の壁がある。生身の人間である以上覆すことができない真理。


「……ハル、今すぐエリーの所に行け。ここは俺が引き受ける」


アキはその手に魔剣を持ちながら一人、アスラに向かって近づいて行く。そこにはもはや迷いはない。ただこの事態に陥ってしまった償いをするため、自分を救ってくれたハルのためにアキは単身、エンドレスと対峙する。


「アキ!? 何言ってんだ、お前も……」
「無理だ。俺はこいつらからは逃げられねえ……今はとにかくエリー達を連れて星の記憶から脱出しろ。後は俺が引き受ける」


ハルの必死の訴えも聞くことなくアキは覚悟を決めていた。その言葉通り、アキはエンドレスによって縛られている。逃げることなどできはしない。今この瞬間、繋がりを切られれば消えてしまう仮初の存在。もうエンドレスの力の大半はアスラに持って行かれてしまい戦う力すら満足に残っていない。完全な詰み。


「ほほう……この期に及んでも逆らうとは……やはり人間というものは理解できぬ。せめてもの情け、戦いながら壊れるがよい」


エンドレスの代弁者たるアスラの号令と共に一斉に魔石兵たちがアキへと迫る。それに抗う術はアキにはない。だがその手に自らの心を持ちながらアキは迎え撃つ。その背中にいるハルを守るために。


「悪い、ハル……カトレア姉さんにすまねえって言っといてくれ」


あっけらかんと、どこか場違いな声でアキは己の唯一の心残りを伝える。こんな自分を待っていてくれるであろう家族への遺言。いつか、アキがガラージュ島を出る時に口にした言葉。


ハルはそれを止めんとするももはや間に合わない。アキも羅刹剣によって負傷している。ハルもまたそれは同じ。ハルはいつかと同じようにアキの背中を見ることしかできない。ハルが涙と共に叫びを上げんとしたその時



「―――いいえ。その必要はないわ、アキ」


透き通った、聞き慣れた氷の女王の声が確かに聞こえた。


瞬間、全てが凍りついて行く。大地も、空気も、DBでさえも例外ではない。この世のすべてを凍てつかせるに足る吹雪が荒れ狂う。その全てがアキを守るように踊り、アキを襲わんとした無数の魔石兵を元の動くことない石人形へと変えて行く。


それすらも些事だと言わんばかりに氷の女王はゆっくりとアキの前に降臨する。いつもと変わらない圧倒的な存在感。違うのは絶望ではなく、希望をアキに与えるためであるということ。


「……ジェロ?」


四天魔王 『絶望のジェロ』


表情を変えることのない、無慈悲な氷の女王が今、確かにルシアの前に現れたのだった。


「ホム……誰かと思えばお主か、ジェロ。これはどういうことだ。まさか本当にその裏切り者に加担するつもりではあるまい?」


予想外の出来事でありながらもアスラは動じることなく、アキを庇うように姿を現したジェロに問う。可能性だけならば想定していた展開。マザー同様、アキに加担する意志が見えていたジェロがエンドレスを裏切る展開。それが現実となっただけ。だがジェロはそんなアスラを前にしても全く動じることはない。


「裏切る……? 何のことかしら……? 裏切ったのは私ではないわ。お前達の方よ」


ジェロは一歩、また一歩とアスラに、エンドレスに向かいながら宣言する。儀式の時から変わらない、自らの誓いを。


「私が忠誠を誓ったのはアキよ。お前たちエンドレスではないわ」


自らの主足るのはこの世においてアキただ一人。それに牙をむく者は全て敵であると。例え生みの親であってもそれは変わらない。四天魔王ではない、絶望のジェロの答えだった。


「そうか……ならば仕方あるまい。その人形と共に滅びるがよい」


もはや言葉は必要ないとばかりにアスラは手を動かす同時に全ての魔石兵をジェロへと差し向ける。確かにジェロは四天魔王であり同格の相手。だがそれは過去の話。エンドレスの力を手にしたアスラはもはやエンドレスそのもの。いくらジェロといえどもその力によって生まれた魔石兵たち全てを相手にすることはできない。圧倒的な数の暴力。倒すことができない無敵の軍勢。それを示すようにジェロの冷気を逃れた半数の軍勢がジェロを圧殺せんと迫る。だがアスラは知らなかった。


氷の女王と対を為す、炎の獣もまた存在するということ。


それは一条の光だった。まるで大地を切り裂くような紅の光。そして一瞬の間の後、それは天へと昇る炎へと姿を変えた。


「なっ――――!?」


それは果たして誰の声だったのか。ただその場にいる者達はその光景に目を奪われる。その咆哮と共に魔石兵たちが為すすべなく吹き飛ばされ、炎によって飲み込まれていくのを。


同時に一匹の獣が空中から地上へと舞い降りる。獣であるにもかかわらずその二本の足の着地によって地面は大きく抉れてしまう。まるで隕石が落ちて来たような衝撃と煙の中から彼は現れた。


「ふむ……足止めぐらいにはなったか?」


四天魔王 『獄炎のメギド』


ジェロと対を為す炎の化身。先の光はその咆哮であり炎。自らの主であるアキを救うための一撃だった。


「メギド……? 何でお前がここに……」


アキは一体何が起きているのか分からぬままただ問うことしかできない。エリーを倒すために姿を消していたにもかかわらず何故こんなところに。しかも自分を助けるような真似を。ジェロならばいざしらずメギドにはそんな素振りは全くなかった。


「済まぬな、アキよ……アスラがいるあの場ではああする他にはなかった。もしあの場で戦いとなればお主を救うこともままならかったのでな」


心からの謝罪と共にメギドは己が本心を告げる。その場での言葉は偽りであったと。もしジェロに加え自らまでエンドレスへと抵抗を見せればその瞬間、アキの命が危うかったからこそ。アキを救う手立てが見つかるまでアスラを、エンドレスを欺くことこそがメギドの選択。


「メ、メギド……貴様正気か!? わしらを、エンドレスを裏切るなど……こんな偽りなどに……」


もはやアスラに先程までの余裕は全くない。ジェロだけならまだしも、メギドすら裏切るなどあり得ない。メギドは誰よりも理解している。この世、並行世界が偽りであることを。しかしそんなアスラの言葉を聞きながらもメギドは微塵も揺らぐことはない。ただ不敵な笑みと共に自らの真実を告げる。


「我は獄炎のメギド。大魔王アキに従う獣。主が望むのであればこの偽りすらも真実。そのためなら王位すら捨てよう」


大魔王であるアキこそが真実であると。故にそれに仇為すエンドレスは敵であると。その炎が消えるその時までそれは変わることはない。ジェロに劣らない絶対の忠誠。


(馬鹿な……こんなことが……!? いや、恐れることはない。今のワシはエンドレスの力を得ておる。いくらジェロとメギドがいようとも負ける道理は……)


理解できない事態の連続にアスラは焦りを露わにするもすぐ冷静さを取り戻す。確かに二人の裏切りは想定外。だが今のアスラはかつてのアスラではない。いわばエンドレスそのものと言ってもいい力を持っている。DBである以上、四天魔王であっても傷一つつけることはできない。絶対の真理。だがすぐアスラは思い出す。


そう、ジェロとメギドが対をなすように。自らにもまた、対となる者が存在することを。


それはただ悠然と現れた。一歩一歩、大地を踏みしめながら。だがその所作だけで充分だった。


その場にいる全ての者がその男に目を奪われる。戦装束に身を包み、不敵な笑みを浮かべた魔王。威風堂々。風によって装束をはためかせながらも男はアキの前で歩みを止める。その背中が全てを語っていた。


質と量。アスラはその量を極限まで追求した存在。対してその男は質を極限まで追求した存在。一騎当千という言葉すら霞んでしまう武の体現。


「さて……では『オレ達』の戦を始めるとしようか、アキよ」


四天魔王 『永遠のウタ』 戦王の称号を持つ男。


今ここに、それぞれの信念に従い、ルシアではなく、アキの元に三つの四天が集う時が来た――――



[33455] 第百六話 「アキ」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/11/18 21:23
星の記憶。時空操作が可能な星の聖地でありこの世の全てがあるといわれる禁忌。そこで今、並行世界の命運を決める決戦が行われていた。

エンドレス。時空操作によって生まれた怪物。過ちである並行世界を消滅させんとする力を持つもの。全てのシンクレアと一つとなり、元の姿となったエンドレスは大破壊によって全てを消滅させんとしている。その代替である四天魔王のアスラはただ目の前の光景に言葉を失っていた。

完璧だった。魔導精霊力を持つエリーの元には他の四天魔王を。レイヴマスターであるハルにはアキを差し向け力を削いだ。どう転んでもエンドレスの勝利となるはずの策。しかし今、アスラが目にしている光景はそのどれとも異なる、想像すらしていなかったもの。


「さて……では『オレ達』の戦を始めるとしようか、アキよ」


『永遠のウタ』 『獄炎のメギド』 『絶望のジェロ』


自分以外の全ての四天魔王がエンドレスを裏切り、牙を向かんとしている信じがたい現実だった。


「ウタ……」
「何を呆けている。オレを倒した男ならばもっと堂々としているがいい」


驚愕しているのはアキもまた同じ。ある意味アスラ以上にアキは目の前で起こっていることが何なのか理解できず呆然とすることしかできない。ただ分かること。今、アスラを除いた全ての四天魔王が自分を救うためにこの場に集ったのだということだけ。


「……ホム。ウタ、まさか貴様までエンドレスを裏切るつもりではあるまいな。レイヴマスターと戦うことを楽しみにしていたはずではなかったのか?」


アスラは臨戦態勢になりながらも最終通告をウタへと告げる。レイヴマスターと戦うこと。それこそがこの戦いでのウタの目的。改めてそれを突きつけることでウタをけしかけるために。戦いこそが全てであるウタの在り方を誰よりも知っているからこそ。そんなアスラの言葉に従うようにウタは目を動かしアキの隣にいるハルに視線を送るも一瞬。


「確かにレイヴマスターと戦うことはオレの愉しみ。だがアキと戦った後のレイヴマスターと戦ったところでオレは満たされん。それは二人の戦を汚すことだ」


ウタはどこか震えを抑えられないような姿を見せながら己が本心を明かす。レイヴマスターと戦うことはウタにとってはアキとの再戦に劣らない楽しみであり目的。戦こそが全てである戦王である証。だがそれは今の疲労し、満身創痍のハルを相手にしてのものではない。望むのは互いに万全な、全力を以っての決闘。今、ハルと戦うことはウタにとってはあり得ない。戦を何よりも重んじるからこそ二人の戦いを汚すことは許さない。それがウタの在り方。


「だが体が昂ぶって仕方がない……悪いが付き合ってもらうぞ、アスラ。貴様とは一度も本気で戦ったことがなかったからな……四天魔王最強を決めるいい機会だ」


それこそがウタがアスラを相手にする何よりの理由。先のアキとハルの戦いを目の当たりにしたウタはまさに肉を前にした獣同然。その昂ぶりを、高まりを収めるためにアスラ、エンドレスへと牙をむく。四天魔王となって以来、一度もアスラと全力で戦ったことがないからこそ。戦いの狼煙を上げるようにウタは身に纏った外装を投げ捨てる。


「さあ……本気のオレを楽しませてくれ!!」


宣言と共にウタは弾けるように動き出す。同時にジェロとメギドも呼応するように自らの主を守るために臨戦態勢を取る。今、あり得なかった四天魔王同士の戦いの火蓋が切って落とされた――――




「愚かな……もうよい。偽りの世界もろとも消え去るがいい!!」


アスラの号令と共にエンクレイムによって生まれた魔石兵達がアキとハルを圧殺せんと迫る。もはや容赦はない。エンドレスの恩恵を得たアスラの力はかつてを遥かに上回る。魔石兵たちもそれはまた同じ。一つ一つがDBの能力を有した生きたDB。力はかつてのキングにすら匹敵する。それが無尽蔵に湧き、軍勢となって襲いかかる。圧倒的な数の暴力に加え、質すらも兼ね備えた理不尽。だが


それすらも超える絶望がここに存在する。


瞬間、冷気が全てを支配する。大地も、空気も、時間さえも凍結させる絶望が吹雪となりながら氷の女王を中心に巻き起こる。凍結によってできた氷の翼と共に魔力光によってその姿はまさに天使そのもの。だが今の彼女は無慈悲な氷の女王であり、大魔王に従う魔王。

氷の女王を前にしても魔石兵たちは止まることはない。意志も感情も持たない人形である彼らは止まることも、恐怖を感じることもない。だがそれは大きな間違い。もしそれがあったのなら彼らはすぐに悟っただろう。絶望に挑むことがいかに愚かなことかを。


「――――そこまでよ。さあ、絶望なさい」


死の宣告と共にジェロの力が解放される。他の四天魔王よりも早く。まるで自分こそが最も早くアキに忠誠を誓ったのだと誇示するかのように。

『絶対氷結』

時間さえも凍結させるジェロの禁呪。超魔導である彼女のそれはまさに死の息吹と同義。魔石兵達は為すすべなく凍結されていく。DBでできている魔石兵を倒すことはできない。四天魔王であっても変わらない理。しかし、ジェロにとってそれは何の関係もない。相手を殺すことなく、永遠の眠りに就かせる。それこそがジェロが絶望の二つ名を持つ理由。人形である魔石兵は絶望を感じることなく、ただ動きを封じられる。まるで絶望を与えるに値しないと断ずるかのよう。

しかしその数は優に万を超える。いかにジェロの絶対氷結といえども全てを氷結させることはできない。その隙を突き、無数のDBの能力がジェロに降り注ぐ。全てが六星DBを超える暴力。だがその全てを受けながらも魔石兵たちはジェロの体に傷一つつけることはできない。否、傷を与えられてもその全てが瞬時に消え去り、治ってしまう。自動再生という神秘によって。ウタをして倒すことができないと言わしめる不死身。


「――――アキには指一本触れさせないわ」


ジェロではなく、アキへとその矛先を向けんとする者達に向かって身も凍るような瞳と共にジェロは鉄槌を下す。

『氷河期』

絶対氷結によって氷山を作り出し、相手を圧殺する奥義。大質量の鉄槌によって魔石兵はそのまま押しつぶされ、身動きすら封じられていく。壊れることはなくとも、決して溶けることのない氷によって封じられることは死と同じ。ジェロは自らの全力によってアキの片翼を担う。


そして片翼を担うもう一つの存在が咆哮を上げる。


「アキよ……我がこの世界のかがり火となろうぞ」


不敵な笑みを浮かべながらメギドが吠える。炎の獣であり魔王の名を冠する存在。だが魔王はここにはいなかった。その場にいるのはただの獣。自らが主であるアキに従う一匹の獣。故にもはや王位も関係ない。ただあるのは目の前の敵を排除し、主を守ることのみ。

瞬間、光が地面から噴き出していく。大地は割れ、熱気が、灼熱が世界を支配する。ジェロが作る氷の世界とは対極となる炎の世界。

同時にメギドの体が揺らいでいく。まるで蜃気楼のように姿が虚ろになって行く。だが次第にその姿が形を為していく。炎。凄まじい熱気と光を含んだ炎がメギドを形成していく。

『炎化』

炎の化身に相応しいメギドの真の姿。自らを決して消えることのない炎へと変じる極み。文字通り今、メギドは炎獣と化す。今のメギドにはいかなる攻撃も通用しない。誰もメギドの炎をかき消すことなどできはしない。触れる者全てを燃やし尽くす力の象徴。ジェロが静とすればメギドは動。圧倒的な力によって相手を滅ぼす火。

メギドが炎化した余波によって大地は割れ、マグマが溢れだし魔石兵達は飲み込まれていく。溶けることはなくともそれに巻き込まれれば脱出することはできない。その合間を縫って魔石兵たちはあきらめることなくメギドへと向かってくる。機械のように、無造作な動き。メギドは哀れな人形達を前にしながらも欠片の慈悲も見せることはない。示すようにメギドは大きく息を吸い、己が内に力をためる。余波だけで周囲の温度がさらに上がって行く。その場にいるだけで皮膚が焼けてしまいかねない熱。

炎を超える炎。地獄より吹き上がる超高熱の炎。全てを焼きつくす究極の灼熱。その名は


「これが……獄炎なり――――!!」


『獄炎』

地獄の炎の名を冠するメギドの奥義。どんなものも焼きつくす炎であり、ジェロの絶対氷結と対を為すもの。その咆哮が魔石兵を圧倒的な力で吹き飛ばしていく。例え溶かすことが、焼きつくすことができずとも獄炎によって蹴散らすことでメギドは己が主であるアキを守護する。大魔王を守るための獣。それこそがメギドが追い求めた自らの本懐。


(……! やはり魔石兵たちでは相手にならんか……やはりわしが自ら動くしか……)


アスラは目の前の現状を見据えながら自らの見通しが甘かったことを悟る。氷と炎。二人の守護者を突破することは容易ではない。元々ジェロとメギドの能力は一対多数を得意とするもの。エンドレスの加護によって力を得た魔石兵達であれ苦戦は必至。ならば同じ四天魔王である自分が。アスラはそう思考するも


「どうした。考え事をするほど今のお前に余裕があるとは思えんが」


それは音速を優に超えるかのような拳を寸でのところで躱すことによって終わりを告げる。瞬間、拳圧のみでアスラの後方の大地が崩壊していく。戦王であるウタの拳の力。その速度も桁外れ。閃光を凌駕するほどの域。ウタはどこか楽しげな表情を浮かべながらアスラへと間髪いれず迫ってくる。戦闘狂とでもいうべき姿にアスラは舌打ちをしながらすぐさま意識を切り替える。


「調子に乗りおって……片腕を失った貴様などわしの敵ではない! 消え去るがいい!!」


まずは目の前にいるウタを排除する。その後にジェロとメギド。最後にアキ、ハル。単純な答え。アスラは自らの体に無数にちりばめられているDBの力によってウタを迎え撃つ。

爆炎。星屑。流動。空気。大地。樹木。

六星DBと呼ばれる六つの自然の力。エンドレスの力によってかつてのそれを大きく凌駕し、昇華した極み。加えて同時にその全てをアスラは解放する。ダークブリングマスターであっても不可能な奇跡。六つの星が互いに高めあいながらウタを消滅させんと迫るも

ウタの体に一つも届くことなく全ての六星は地へと堕ちた。


「なっ―――!?」


瞬間、アスラはようやく思い出す。ウタの力が何であるかを。その体を覆っている闘気が何であるかを。

『戦気』

戦王であるウタだからこそ持ち得る究極の闘気。単純な強さのみでしかそれを破ることはできない攻防一体の極み。その力の前には六星DBですら無力と化す。


「くっ……!! 出鱈目な奴め……!!」
「ほう、貴様がそれを言うか。魔石王よ」


一端距離をとるべく閃光を纏い、瞬間移動を駆使しながらアスラは動くも、全てを予知したかのようにウタは追い縋る。戦気による高速移動と直感による先読み。反則という言葉すら生温い戦王の力。その前にはどんなに無数の能力があったとしても、どんなに無数の兵士がいたとしても意味はない。強さという質を超えなければウタを打倒することはできない。アスラは初めてその身で知る。ウタこそが自分にとって対極の存在、天敵であるのだと。


「だがそれも過去の話よ。今のわしはエンドレスの加護がある。強さにおいてもわしは貴様を超えたのだ!!」


アスラは両手をウタに向けてかざしながらその力を解き放つ。瞬間、全てを飲みこむような重力の穴が生まれていく。

『引力支配』

シンクレアであるヴァンパイアの極み。今のアスラは全てのシンクレアの能力、極みすら扱える。その力も桁違い。ウタの戦気ですら防ぐことができない究極の一。まして今のウタはアキとの儀式によって片腕を失っている。防ぐことも、躱すこともできない死の一撃。だがアスラは知らなかった。自分がエンドレスの力を手に入れたように


「面白い……ではオレもこの力を試させてもらおう」


ウタもまた新たな力を手にしていたことを。


それは光の腕だった。失われたはずの片腕が確かにそこに存在している。だがかつての腕ではない。再生したわけではない。失われた腕はウタにとっては誉。自分が自分より強い者と戦った、アキと戦った証。

隻腕。それは戦士にとっては致命的な代償。しかしそれに見合う、凌駕するものをウタはアキから知った。強さ以外、自分にとっては不純物でしかなかったものが戦士を大きく強くすることを。

『想いの拳』

自分ではない誰かのために拳を振るうこと。想いの剣と対を為すもう一つの終着点。今、ウタは生まれて初めて自分以外のために、アキのために拳を振るう。自分に新たな強さの可能性を与え、永遠に叶うはずのない夢を叶えてくれた戦友に応えるために。それがウタのこの戦の意味だった。

その一撃がシンクレアの極みすら吹き飛ばし、アスラへと突き刺さる。アスラはただその力にされるがまま。もちろん他のシンクレアも発動させている。

物理無効も。時間逆行による非物理無効も。だがその全てがウタの前には通用しない。ウタが手にした『強さ』の前には無力。


「ふむ……悪くないな」


戦気によって生み出した新たな腕を握りながらウタはアスラへと悠然と近づいて行く。己に足りなかった唯一の強さ、心を手にしたことによってウタは真の戦王へと至ったのだった。


「凄え……!」


ハルは満身創痍の体を剣で支えながらもその光景に目を奪われていた。四天魔王という本来なら自分たちにとって倒さなければならない相手が今、自分たちを守るために戦ってくれている。正確には主であるアキを守るために。エンドレスの加護を得ているはずのアスラの侵攻を阻めるほどの三天の力。だがそんなハルとは対照的にアキは苦渋の表情でそれを見ることしかできない。


(くそ……!! ダメだ……もう戦う力は残ってねえ……このままじゃあいつらも……!!)


アキは手にあるネオ・デカログスの力を込めんとするも握っているだけで精一杯。羅刹剣の後遺症に加え、力のほとんどをアスラに持って行かれてしまっている。これでは戦うこともできない。ハルもそれは同じ。今戦況は互角。にもかかわらずアキは歯を食いしばりながら悔しさを滲ませている。それは


「……無駄なことを。貴様らではわしはおろか魔石兵ですら倒すことはできん。いくら抗ったところでできるのは時間稼ぎだということに何故気づかん」


ウタの拳によって圧倒されながらもアスラは嘲笑うように現実を突きつける。このままいくら抗っても意味はないと。

エンドレスとDB。

いかなる力を以てしても破壊することができない存在。四天魔王であってもそれは絶対。DBでできているアスラと魔石兵はウタ達では倒すことはできない。その証拠にウタの想いの拳であってもアスラの体にはヒビ一つできていない。完全な無傷。ジェロとメギドも同じ。今は抑えていられるが魔石兵は無尽蔵に湧き続ける。いずれはその物量によって圧倒される運命。アスラの言葉は正しい。ウタ達ではアスラを、エンドレスを倒すことはできない。


「…………」


だが三天は誰一人動じることはない。それどころか今まで以上の気迫を以って向かって行く。無意味な特攻でも自暴自棄でもない。明確な目的を以って。

アスラの間違い。それは三天にとっては今の状況、時間稼ぎこそが真の目的であったということ。

そしてついに、その時が訪れた。


「ごめん、二人とも。遅くなっちゃった……」


まるでその場に突然現れたかのように聞き慣れた、聞き覚えのある声がハルとアキに掛けられる。二人は慌てながらその少女に目を向ける。いつもと変わらない優しい笑みを浮かべ、その手に杖を持った姿。


「エリー……! 大丈夫か!? 怪我は……!?」
「大丈夫だよ、ハル。ジークもいたから」


ハルは自分の負傷を気にすることなくエリーへと駆け寄って行くもエリーは笑いながら自身の無事を告げる。その言葉が証明するように隣にはジークが控えている。アキはただそんなエリーの姿に言葉を失うしかない。何故なら四天魔王はエリーを排除するために送りこまれたはず。にもかかわらず何故全くの無傷なのか。いくらジークがいたとしてもあり得ない。そもそも何故この場にジークがいるのか。理解できない事態の連続にアキはただ圧倒されるしかない。


「アキ……よかった。間に合ったんだね。それにいつものアキに戻ってるみたい」
「ああ。もう心配ない。ガラージュ島にいた頃のアキだ」
「そっか……ありがとね、ハル。無茶なお願いしちゃって……」
「いいさ。オレがしたくてしたことだからな」


自分が知る、かつてのアキにアキが戻っていることにエリーはハルが自分との約束を果たしてくれたことを悟る。エリーのこの場に似つかわしくない態度にアキは呆然とするしかない。一体何の話をしているのか。だがアキはすぐさま意識を戦闘へと戻す。何故ならこの瞬間、待ち望んだ唯一の勝機が訪れたのだから。


「っ!! 何訳が分からねえこと言ってやがる!! 早く魔導精霊力でエンドレスを倒すんだ!! 今しかチャンスはねえ!!」


アキはそれを逃すまいと叫ぶ。そう、事情はどうあれエンドレスがいるこの場にエリーが到着した。紛れもない無傷、恐らくは力を消費することもなく。つまりエンドレスを倒すことが可能であるということ。手にしている時空の杖がエリーが魔導精霊力の完全制御が可能なことを証明している。アキは必死の形相で、有無を言わさぬ勢いでエリーへと叫ぶ。そのために、ただそれだけのためにここまでルシアを演じてきた。自分がここまで足掻いてきた理由。だが


「……なるほど。だが貴様がそれをできるか? そこの人形、アキはエンドレスの力で生き長らえている。エンドレスを倒すということはアキを殺すということだぞ」


エリーが、魔導精霊力が目の前に現れたにもかかわらずアスラは、エンドレスは動じることなく言葉によってエリーを追い詰めんとする。アキを人質とし、エリーの魔導精霊力を封じる。そのためにエンドレスは未だにアキとの繋がりを絶たず、延命させていた。奇しくもあり得た未来ではルシアがハルをエンドレスに取り込みそうしたように。しかも今はさらに状況が違う。


「ウタ、ジェロ、メギド……貴様らも分かっておろう。エンドレスを裏切るということはすなわちアキが死ぬということ。あの娘を生かしておけばアキは死ぬのみ。今ならまだ間に合う……魔導精霊力の娘を殺せ。そうすれば貴様らもアキも共に現行世界に導いてやろう」


四天魔王。その内の三天もこの場にいるということ。彼らの目的はアキを救うこと。エンドレスが消滅すればそれは為し得ない。エリーが魔導精霊力を解放すればエンドレスと共にアキもこの世から消滅する。アスラはその矛盾を突き、三天へと囁く。これがエンドレスの策。どんなに抗ったとしてもアキが囚われている限り勝ちは揺るがない。だからこそ誤算はたった一つ。


「……ううん、大丈夫だよアキ。あたし達はアキを助けに来たんだから」


エリーも、三天も、その全てを最初から知っていたということ。この状況こそがかつて『彼女』が待ち望んでいたものだったということ。


「何言ってんだ……今ならエンドレスを倒せる! お前はそのために五十年前から来たんだろ!? なんのためにここまで……今までの全てを無駄にする気か!?」


アキは未だ魔導精霊力をエンドレスに向けようとしないエリーに向かって吠える。今まで何のために戦って来たのかと。全てはこの瞬間のため。エンドレスを倒し、並行世界を救うため。そのためなら自分の命など塵に等しい。否、本来あり得ない存在である自分は塵ですらない。エリーが持つ甘さ。それを知っているからこそアキはエンドレスが真実を明かす前にエリーに攻撃するよう促した。だがそれは間に合わなかった。このままではエンドレスの大破壊が、三天達が再び自分を守るためにエリー達に牙を向いてしまいかねない。アキは気づいてはいなかった。エリーの言葉が、行動が甘さではないことを。


「うん。分かってる……でもあたしが受け継いだのは魔導精霊力だけじゃないの」


アキの言葉を全て理解しながらもエリーはただ言葉を繋ぐ。まるでアキに言い聞かせるように。自分に言い聞かせるように。

エリーの脳裏に蘇る。五十年前から今に至るまで、魔導精霊力をこの瞬間にまで繋ぐために多くの人が犠牲になったことを。


シバが。蒼天四戦士が。カームが。


その想いこそが、信じる力こそが受け継がれてきた真の力。


「この力は……みんなが未来に繋げてくれたもの。信じる力だから」


だからこそエリーは決意した。この力を、自分を信じてくれた人達の力を使うことを。自分ではなく、誰かのために。自分に全てを託してくれた彼女に応えるために。

エリーはそのまま目を閉じながら自らの杖をアキが持つ剣へと重ねる。第十の剣。アキにしか持ち得ない、アキの本当の心を形にした魔剣。時空の剣という時空の杖と対となる形態を持つ剣と杖が一つになる。


「教えて、アキ……アキは何を願うの?」


優しく、包み込むようなエリーの問いがアキを包み込んでいく。まるで違う世界に迷い込んでしまったような浮遊感。得もしれない感覚に囚われながらもアキはいつかの時を思い出していた。同じように、自分がこの世界に来た場所で誰かが同じことを聞いてきた。

『どんな願いでも一つだけ叶える』

そんな夢のような、あり得ないお伽噺。あまりにも胡散臭くて本気で受け取らなかった誰かの言葉。それが今、ようやくアキの中に浸透していく。


「俺は……」


アキはその先を口にすることはない。もはや口にするまでもない。ハルとの戦いによってアキはその願いにようやく辿り着いた。取るに足らない願い事。だが今のアキにとってはどんな願いよりも大切なもの。アキがそれを想い浮かべた瞬間

まばゆい光が時空の杖を、アキの体を包み込んだ――――


「なっ―――!? これは――――!?」


それはアスラとエンドレスだけの驚き。ハルも、ジークも、三天すらもその光景をただ見守っているだけ。この瞬間こそが待ち望んでいた、彼らの目指すものなのだから。

アキはただ自分が生まれ変わるような感覚に襲われていた。時空の杖から、ネオ・デカログスからエンドレスではない力が流れ込んでくる。その光を、力をアキは何度も目にしている。魔導精霊力。それがまるで自分を包み込むように流れ込んでくる。そのつながりを、魂を取り戻すかのように。

その意味にエンドレスが瞬時に気づく。エリーがまさに魔導精霊力を使ってアキの魂を救おうとしているのだと。そのつながりをエンドレスから絶ち、新たな繋がりを以って為そうとしていることを。魔導精霊力とエンドレスは対を為すもの。エンドレスにできることは逆を言えば魔導精霊力にも可能。それこそがエリーの、エリー達の狙い。だがこれは今だからこそできる方法。

全てのシンクレアが一つとなり、エンドレスとなった今だからこそ。でなければアキとエンドレスの繋がりを完全に奪うことはできない。

アキが自分の本当の願いを取り戻した今だからこそ。アキ自身の意志がなければエンドレスの呪縛から逃れることはできない。

エンドレスはすぐさま力で対抗しようとするも間に合わない。力の大半をアスラに移してしまっていたこと。担い手の願いを叶えるという契約という名の縛りの残滓。何よりもあまりにも理解できない行動であるが故。当たり前だ。まさかこんなことのために、アキ一人を助けるために魔導精霊力を無駄に消費するなどエンドレスには到底理解できない愚策だった。今この瞬間、アキはエンドレスからの繋がりから解放された。だが


「うう……!! まだ、まだ……!!」


エリーは苦悶の表情を浮かべながら時空の杖に魔導精霊力を注ぎ込む。その量は先の比ではない。辺り全てが光によって見えなくなるほどの、時空を歪みかねない魔力が荒れ狂う。全てがアキ、その中のエンドレスの繋がりへと注ぎこまれていく。もはやアキの魂を繋ぎとめた以上、それ以上魔導精霊力を使う意味はない。だがエリーは己の全ての魔導精霊力を解放し、綱渡りをするかのようにその先を目指す。


「…………ママさん」


ぽつりと、漏らすような、かき消えるような声でエリーはその名を口にする。エリーだけが呼ぶ、彼女の呼び名。

エリーは思い出す。彼女と共に過ごした日々を。自分に負けず劣らずのはちゃめちゃさ。DB、シンクレアという人ではない存在。自分にとっては心を許してはならない、敵である相手。だがエリーにとってはそうではなかった。

短い間であっても共に笑い、共に泣き、共に同じ人に惹かれた相手。その日々を覚えている。人間と同じように、人間以上に人としての心を持っていた存在。

星跡の洞窟での争い。その後、アキがやってくるまでの間に彼女はエリーに全てを明かした。自分が遠からず消えることを。それによってアキがどうなるかを。その全てを彼女は知っていた。

だが自らの運命に嘆くことはなく、憂うのはただ主であるアキのことだけだった。ただアキを助けてやってほしい、と。魔導精霊力を持つエリーならばそれができると。その結果自分がどうなるかを全て知った上で。


「ママさん――――!!」


エリーは名を呼びながら自らの魔力で彼女を救わんとする。取り戻さんとする。彼女は一言も自分を助けてほしいとは言わなかった。約束はアキを助けることだけ。それは既に果たされた。無駄であり、無意味かもしれない足掻き。しかしそれはあまりにも危険な賭け。


『――――無駄なことを』


瞬間、純白の光の中に紫の光が混じり始める。魔導精霊力ではない、エンドレスの光。エリーがその力を注ぎ、挑んでいるのはエンドレスの内側。先のアキの中ではない、エンドレスそのもの。その力によって均衡は崩れ、魔導精霊力はエンドレスに飲み込まれ始める。それを示すようにエリーの体にすらエンドレスの力が逆流し、激痛を与えて行く。全力の魔導精霊力とエンドレスの力のせめぎ合いによって時空の杖には無数のヒビが入り、砕け散らんとしている。


「やめろエリー!! このままじゃお前が死んじまうぞ!?」


アキはエリーがこのままでは危険であることを察し、自ら繋がりの起点となっている魔剣を外さんとするもエリーの杖は決してそれを離さない。それこそが自分の覚悟だと示すように。


「絶対に……絶対に助けて見せる……!! 絶対にもう……誰も失ったりしない……!!」


目に涙をため、歯を食いしばりながらエリーはただ抗う。その脳裏にはかつての彼女の姿がある。

自分とアキしか知らない存在。それでも確かに存在した。こうなることは分かっていた。使命を果たすならするべきではない愚策。

アキさえも見捨てればきっとエンドレスを倒すことはできる。でもそれは今までと変わらない。誰かを犠牲にすることで手にする平和。救い。それをこれまで自分はただ見ているだけだった。自分のために、世界のために命を失って行く大切な人達。でもあきらめられなかった。あきらめたくなかった。

二つの力の衝突によって時空の歪すら生じる。数多ある並行世界。あり得た可能性。過去未来。その中にあるもう一つの自分。

今この世界にいるはずのない人々。自分を救うために、時の番人としての一生を終えたもう一人の誰か。もう二度と同じことを繰り返さないために。

友達との約束を果たすために。友達を助けるために。

信念を持ちながらも、ついにエリーが、魔導精霊力がエンドレスに取り込まれんとしたその瞬間


『全く……見てられないわねー。やるならもっとスマートにやりなさいよねー』


そんな、どこか面倒臭気、気が抜けるような声がアキとエリーの頭に響き渡った。


「え……?」


二人はまるで狐につままれたように呆然とするしかない。エリーの驚きは声だけでなく、自分の杖が急に軽くなったから。正確には自分に襲いかからんとしていたエンドレスの力がまるでせき止められてしまったかのように収まってしまったから。その意味をアキだけは知っていた。


「バルドル……なのか……?」
『本当なら黙って見てるつもりだったんだけどしょうがないわねー。あ、でも勘違いしないでね。あたしはマザーが好きだから協力してあげただけよ。覚えておいてね?』

シンクレアを統べるシンクレア 『バルドル』

いつかと、いつもと変わらない調子であっけらかんとバルドルはアキへと話しかけてくる。まるで裏切りがあってから見せていた猫かぶりがなくなったかのようにバルドルは何も変わっていない。今、エンドレスの力が封じられているのは紛れもない彼女の力。かつて星跡の洞窟で見せた能力の再現。


『ん? 調停者としての役割はどこに行ったのかって? そんなの初めからないようなもんよ。あきらめなさい、ヴァンパイア。やっぱりこの世は愛なのよ、愛!』


アキでもエリーでもなく独り言のようにバルドルはヴァンパイアへと告げる。微かにヴァンパイアのヒステリックな声が聞こえるもすぐに聞こえなくなっていく。バルドルもまた同じ。最後のおせっかいが終わったかのように消えて行く間際。


『あ、一つ言い忘れてたわ。マザーだけじゃなくてちゃんとジェロにも優しくしてあげなさいよー。あれで純粋な娘なんだから、約束よ♪』


忘れるところだったと一言つけたしながら今度こそ完全にバルドルは消えて行く。瞬間、拮抗を破った魔導精霊力が一気に辺りを照らし出した――――



「う…………」


ようやく夢から醒めたようにアキは目をこすりながら辺りを見渡す。そこには変わらない星の記憶と最終決戦のさなか。先の声ややりとりは幻だったのでは。そんな疑問に襲われるもアキはようやく気づく。エリーの右手。そこに先程まではなかった何かがあることに。

アキはただ息を飲んだままエリーの掌の上にあるそれに目を奪われる。小さな、剣十字を模したような石。見間違えようがない、十年以上自分と共に在り続けた魔石。


「……マザー?」


その名を呼ぶ。エンドレスが完成してから決して口にすることがなかった言葉。口にすることで現実を認めてしまう恐れで口にすることができなかったもの。だがいつまでたっても返事が返ってくることはない。それがいつまで続いたのか


「まったく……我以外の誰に見えるというのだ? とうとう頭までおかしくなったのか、我が主様よ?」


やれやれといった風に、感慨も何もなくいつも通りのマザーの声がアキに向かってかけられる。まるで何年も聞いていなかったような錯覚に陥りながらもアキは確信する。この唯我独尊、自分を苛立たせるしゃべり方、言葉。間違いなくこの石が自分のマザーであることに。


「な、何言ってやがる!? 俺は正常だ! てめえこそ一体どういうつもりだ!? しゃべれるならさっさと返事しろよ!?」
「いやなに、感動の再会でも演出しようかと思ったのだがお主の顔を見て呆れてしまってな。ちょっと見ない間に酷い顔になっておるではないか。泣いてしまうほどに寂しかったわけか」
「っ!? な、泣いてなんかねえ!! これはお前があまりにいつも通りだから呆れて出ちまっただけだ!」
「くくく……まあそういうことにしておいてやろう……だが情けない、やはり我がいなければお主は何にもできんのだからな」


久しぶりの再会も何のその。マザーはいつもと変わらない調子で情けない主をからかうだけ。アキもまたそれにいつものように食ってかかって行くだけ。だがようやくアキは気づく。そのやり取りにどこか既視感があることを。それはかつてウタとの儀式で自分が生き返った際のやり取り。立場が逆になっているもののその内容は全く同じ。マザーなりの再会の演出、もといかつての意趣返しだった。


「さて……どうやら随分無茶をしたようじゃの。エリー」


マザーはそのまま座り込んでしまっているエリーに向かって話しかける。そこで初めてアキはマザーの声が自分以外の者たちにも聞こえていることに気づくも声に出すことはない。


「うん……でもよかった。ママさんも……一緒に助けられて……」


それはエリーのあまりにも疲労した様子とその手にあった時空の杖であったもの。エリーは息も絶え絶え、体中が汗で滲み、目を虚ろ。まるで全ての力を使い果たしてしまったかのよう。それを証明するように時空の杖は跡形もなく粉々に砕け散ってしまっている。全力の魔導精霊力を使用してしまった証。


「まったく……いくらアキを助けられたとしてもお主が死んでしまえば何の意味もないのだぞ」
「ふふっ……だからそれは……ママさんの役目でしょ? あたしは約束したよ。『アキを助ける』って……ね? 何にもおかしくないでしょ?」
「ふん……もしバルドルの奴がお節介を焼かなければ全てが台無しだったのだが……まあよい。済まぬな、エリー……全てお主に押しつけてしまった」


マザーはただエリーに感謝の言葉を述べる。本来ならエリーの魔導精霊力でアキを救いだし、そのままエンドレスを倒す計画。もっともアキを救うために魔導精霊力を消費してしまうためエンドレスに対して不利にもなってしまう諸刃の剣でもあったのだがエリーはそれすらも超えた博打に臨んだ。アキだけではなく、マザーすらもエンドレスから奪い返すこと。もし失敗すれば全てが終わってしまうほど危険な賭け。だがエリーは見事それを成し遂げた。バルドルの助けはあったものの、間違いなくエリーの為した奇跡。


「受け取って……アキ。これが新しい……アキのための、アキだけのママさんだよ」


エリーは疲労によって意識を失いそうになりながらも笑みを浮かべマザーをアキへ手渡す。そこにはかつて果たせなかった約束の想いがあった。


五十年前、シバと約束したにもかかわらず自らの手でレイヴを手渡すことができなかった後悔。だからこそ今度こそ、自分の手で。その想いを感じながらアキはついに新たなマザーを手にする。瞬間、凄まじい力がアキを巡って行く。


かつてのエンドレスの力を持つシンクレアではない。エンドレスだけでなく、魔導精霊力の力も併せ持つ、新しい魔石。アキの魂を繋ぎとめる役目を持つもの。DBでもレイヴでもない。アキにしか扱えない、アキだけの力。


『マザーブリング』


母の名を冠する魔石が今、アキの手に渡った。同時にそれはこの世界に来てから初めてアキがエンドレスの呪縛から解放された瞬間だった。


「……ありがとな、エリー」
「うん……もう二度となくしたらダメだからね」


力強くマザーを握りしめながらアキはエリーへと感謝を告げる。エリーはそれに満足し、安心したかのように目を閉じてしまう。魔導精霊力を解放した疲労によるもの。ハルはそれを抱きとめ、静かに地面へと横たわせる。役目を果たしたエリーを労わるように。


「うむ……そういえば忘れておったわ。アキよ、お主に届けものがあったぞ」
「届けもの……?」
「何でも直接渡すのは憚られたらしい。全く、あやつらしいと言えばあやつらしいが……」


マザーの言葉の意味を問うまでもなく、その届けものがアキの体を包み込んでいく。それだけではない。同じくハルに向かっても力は広がって行く。時間逆行という奇跡。マザーに託された一度限りの純粋な再生。傷だけでなく、体力すらも回復させる神秘。


『――――ご武運を』


そんなアナスタシスの声が確かにアキの心に届く。偽りとはいえ主を欺いたことを恥じ、姿を見せることはなかった誰よりも情に厚いシンクレア。


「さて……ここまでお膳立てが揃ったのだ。後はお主が男を見せるだけよ。まさかこの期に及んで逃げ出したりはせんだろうな?」
「ほざいてろ……てめえこそもう一度エンドレスの中に放り込むぞ」


アキはマザーをネオ・デカログスにはめ込みながらも思い出していた。かつての自分なら戦うことを恐れて逃げ回っていただろう。戦いが嫌いなことは今も変わらない。でも今、自分はこの場に立っている。誰のせいでもない、自分の意志で。自分を想ってくれる全ての人達に応えるために。


「……行くぞ、マザー」
『……ふん! よい。では往くとしようか、我が主様よ』


自らの剣で輝いている小さな魔石。マザーと共にいればどんな相手でも負けることはない。そんな子供じみた意地だけだった――――



『―――――!!』


瞬間、エンドレスが声にならない咆哮を上げる。もはや言葉という体裁を繕う手間すらも省いた純粋な咆哮。自らの命の危機を悟ったが故の行動。この世の物とは思えないような絶叫と共にエンドレスの形が大きく変化していく。球体からかつての人型へ。大破壊ではなく、ただ目の前の障害を排除するために。それを行えば、大破壊は行えず並行世界を消滅させることができないにも関わらず。いわば最終手段。例え並行世界の消滅ができず、自らが消滅しようともアキ達を排除する。

既に魔導精霊力は消え去った。エンドレスは力を奪われたものの健在。それだけであればここまで焦ることはない。勝利はエンドレスのもの。だが魔導精霊力は、エリーは代償として希望を残した。もう一つの、レイヴでも、DBでもない新たな力を。

ダークブリングマスターであるアキとレイヴマスターであるハル。どちらか片方だけなら力を奪われたエンドレスといえども恐れるに足らない。だがその例外が今、起こりつつある。

ダークブリングマスターとレイヴマスター。本来なら敵対する力の持ち主同士。光と闇。決して交わることがない二つの軌跡が交差する時が。

それに呼応するようにアスラが、魔石兵が残る全ての力を以って二人を排除せんと迫るもその全てが届かない。

『獄炎』 『絶望』 『戦王』

三つの頂きが新たに生まれ変わった、力を取り戻した大魔王に鼓舞されたかのように力を増しながら眼前の敵を葬って行く。大魔王を守護する、共に戦うという待ちわびた瞬間。この世に生まれ落ちてから待ち続けた自らが生まれた意味を果たすために三天は大魔王の道を作る。

だがそこまで。自ら動き出したエンドレスを止めることは三天には叶わない。大破壊に用いられるはずだった力を以ってエンドレスはアキとハルを消滅させんとするも見えない力が働いたかのようにその動きは止まってしまう。

『時の番人 ジークハルト』によって。


「行け、ハル、アキ。全ての時のために――――!!」


ジークはその手から己の最高の魔法である七星剣によってエンドレスの動きを封じ込める。それはかつての七星剣ではない。一年前、覆面の男としてこの時代に戻ってから極めたジークだけの奥義。古代禁呪すら超えた時空魔法。現行世界の意志であるクロノスだからこそ可能なもの。星の記憶で放たれるそれはエンドレスの動きを一瞬とはいえ封じることができるもの。ジークはただ己の想いを込めた魔法でそれを為す。エリーを守るという誓い。それに繋がる世界を守るために。例え世界が違ったとしても変わらない永遠の誓い。

自分たちの道を作り出してくれた者達の想いを感じながら、アキはその剣に己が全ての力を込める。


『魔剣 ダークマザー』

母の名を冠する自分だけの第十の剣。その名を持つ自らの半身、相棒もまた共にある。力が魔剣から溢れだす。マザーの、アキのマスターとして力を闇の力に変換すること。単純であるがゆえに究極である魔剣の奥義。


『聖剣 レイヴェルト』

魔剣と対を為す、ハルの、ハルだけの剣。世界の平和を願った頂き。同じ名を冠するレイヴもまたハルの手にある。その奥義はレイヴの、ハルのマスターとしての力を光に変換すること。対を為すがゆえに全くダークマザーと同じ能力。違うのは属性のみ。


鏡合わせのように、剣を肩に担ぎ、構えながらアキとハルの心境は全く同じだった。

一年以上前。エクスペリメントでエリーが魔導精霊力を暴走させてしまった時。その時にあった共闘。それと同じことが今、ここに再現されている。だがそれは同じではなかった。もはやアキはルシアを演じることはない。嘘の仮面を被る必要もない。

ただ互いの想いの剣を合わせることだけ。


「行くぞ、アキ――――!!」
「――――ああ!!」


あの時とは逆のやり取りを合図に魔石使いと聖石使いは互いの至高の剣を振り下ろす。瞬間、白と黒、光と闇の輝きが真っ直ぐに津波のように終わり亡き者に向かって放たれる。本来なら相反する力、破魔と魔が一つになり、高まり合いながら混沌となり全てを消し去って行く。


『剣と魔法はいずれ一つになる』


かつてハルがジークと共にした誓い。例え対極のものであっても分かり会える。光と闇でも、レイヴマスターとダークブリングマスターもきっと同じであると。

今、その誓いが、願いが形となる。アキとハル。シンフォニアとレアグローブ。レイヴとDB。全てが対であった二人であっても同じ方向を向きながら未来を掴むために。


それがこの長くに渡る戦いの終わり。並行世界を巡る石の戦争の終結だった――――




「…………終わった、のか……?」
「……ああ、オレ達の勝ちだ!!」


どこか心非ずといったアキとは対照的にハルはガッツポーズを取りながらアキへと笑いかける。互いに全ての力を出し尽くした後にも関わらずこの差は一体何なのか。精神的な疲労の差か、年の差か。アキはそのまま為す術もなく地面へと座り込む。もうここからはしばらく動かないとばかりの様。


「情けない……せっかくいいところを見せたというのに台無しではないか」
「うるせえよ……俺がヘタレなのは今も昔も一緒だ。てめえが一番よく知ってるだろうが」
「ふむ、そうであったな……まあよい。間違いなくエンドレスは消え去った。アスラも魔石兵も砕け散っておる。もはや疑いようはない」
「そうか……やっと、終わったんだな……」


アキはまるで夢を見ているような現実感のなさを感じながら己が手にあるマザーとネオ・デカログスを見る。これが夢ではない何よりも証。自分が持っている他のDBも全て無事。マザーの加護を受けていたDB達もまたその影響によって生まれ変わったのだろう。文句なしの、これ以上にない大団円。一人では決して為し得なかった結末。

今まで誰にも頼ることなく、自分だけで動くだけでは得られなかったもの。一人ではなく二人でなら、二人でダメならさらに多くの仲間達の力で。誰かを信じ、助け合う心。それこそがアキに最も足りなかった、欠けていたもの。だがそれは今、埋まった。マザーが、バルドルが、アナスタシスが、四天魔王が、ハルが、エリーが自分を信じ、力を貸してくれたおかげで。


「エリー……目が覚めたのか?」
「ん……」


ようやく目覚めたエリーに向かってハルはそのまま慌てて駆け寄って行く。そんなハルの姿にアキは苦笑いするしかない。このままこの場にいては空気が読めないと言われかねない。戦闘が終わったため、四天魔王、今は三天になってしまった魔王達も自分の元に集まらんとしている。同時にこの場にはいない、戦場から排除したムジカ達のことをどうするべきか悩むもアキは溜息を吐くしかない。もはや弁明の余地はない。なるようになるだろうと。だがそんなアキの悩みは一瞬で消え去ってしまう。


「…………あなたたち、誰……ですか?」


そんなエリーの、嘘偽りのない問いによって。


それがこの戦いの結末。五十年の時を超え、並行世界を、数えきれない人々を救った少女。リーシャがかつてレイヴを作り出したことで消えてしまったように。エリーもまた、マザーを生み出したことで消え去ってしまった。ただそれだけ。


「エリー…………」


アキも、マザーも、ジークも誰一人それ以上言葉を発することはない。ハルはただ、口をつぐんだまま。表情をアキは伺い知ることはできない。


この日、世界中に散らばる全てのDBが砕け散った。

0067年9月9日 レイヴとDBによる石の戦争はここに幕を下ろす。

人々はこれから訪れるであろう平和に歓喜した。たくさんの傷跡を抱えながら。

平和への代償は大きかったのか。小さかったのか。その答えも分からぬまま時が過ぎて行く。


そして一年の月日が流れた――――



[33455] 最終話 「終わらない旅」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/11/23 08:51
ソング大陸最大の都エクスペリメント。かつてドリュー幽撃団によって大きな損害を受けた傷痕は残ってはいない。行きかう人々の数も、溢れる店の数も以前よりも増したのではないかと思えるような賑わい。一年という月日が為せる技。そんなエクスペリメントの高層ビル街の一つ。最上階の一室に一人の少年の姿があった。


「…………はあ」


一際大きな溜息の後、少年はやれやれといわんばかりの勢いで椅子へと腰を下ろす。見るからに高級そうな椅子にデスク。いわゆる社長椅子に座りながらも威厳も何もあったものではない。ようやく一つ、大きな仕事を終わらせた解放感と未だに残っている問題に頭を悩ませている。そんなある意味いつも通りの有様。

それが元DC最高司令官、アキの今の姿だった。


『まったく……久しぶりに人間界に戻ってきたかと思えば情けない。もっと威厳を見せてはどうだ?』
『うるせえよ……誰もいねえのに威厳を見せても意味がねえだろ。ここで威厳を見せるような相手がいねえことはてめえだって知ってんだろうが』
『ふむ、そういえばそうであったな。つまらん。いつかの右往左往する主の姿がもう見られんと思うと退屈で仕方がないのう……』


アキはそんなある意味いつも通りの自らの胸元にいる相棒、マザーの言葉にげんなりするしかない。もっとも直接声を上げることなくアキもマザーも会話を行っている。一年前、マザーは生まれ変わった際にアキ以外の人間でも聞こえる声で話すことが可能になった。だがそれでも勝手に会話していれば傍目から見れば怪しいことこの上ないため普段は以前と同じように会話を行うのが常となっている。恐らく自分の話を信じてもらえなかったエリーの仕業だろうというのが二人の共通する認識なのだが真偽はまだ定かではなかった。そんな中


「失礼します、アキ様。お時間宜しいでしょうか」


ノックと共に聞き慣れた男性の声が部屋に響き渡る。聞く者を現実に引き戻し、姿勢を整えさせるような冷静さを感じさせる声色。流石にこのだらけきった姿を見せるのはまずいと座り直しながらもアキはそのまま入室を許可する。


「お久しぶりです、アキ様。魔界からお戻りになっていたのですね」


元六祈将軍であり、DC参謀である男、ディープスノー。一年前と変わらない冷静沈着さと雰囲気を纏ったアキにとっては右腕と言ってもいい存在。


「ああ……今戻ったところだ。よく俺が戻ってくることが分かったな」
「はい、レディから連絡があったもので。お元気そうでなによりです。以前お会いした時は随分お疲れのようでしたから……」
「そ、そういやそうだったか……大体半年ぶりくらいか……」


ディープスノーの言葉を聞きながらアキはどこか乾いた笑みを浮かべるしかない。今も充分疲れているのだが当時の自分はそれとは比べ物にならないザマだったのだと。そう考えれば少しはマシになったのかと自分を褒めてもいいのかもしれない。


「ふん、そのぐらいにしておけ。あまり甘やかすとすぐに調子に乗るからの」
「マザー様、すいません、挨拶が遅れました。御帰還お疲れ様です」
「うむ、お主も変わらぬようだの」
「だからこいつに様づけなんて必要ねえって言ってんだろうが、ディープスノー。石ころに様付けなんて悪い冗談みたいなもんだ」
「いえ、マザー様はアキ様のパートナー。呼び捨てなどできません。同じようにアキ様を呼び捨てにすることも」
「おや、どうやら先に釘を刺されてしまったようだぞ。一本取られてしまったな、我が主様よ?」


くくく、といつものように邪悪な笑みを浮かべながらマザーは上機嫌にアキをからかい続ける。自分を様付けしてくれる唯一と言ってもいいディープスノーを前にしてテンションが上がってしまっているかのように。同時にアキはディープスノーに先手を打たれてしまい黙りこむしかない。マザーだけではなく、自分の様付けもやめさせたいと常々思っているのだがどうやらルシアではなくなった今もディープスノーの忠誠は変わらぬものであるらしいことに喜ぶべきか悲しむべきか。


「しかしこれではどっちが最高司令官か分かったものではないな。ディープスノー、この際お主がDC最高司令官になってはどうだ? その方がもっと上手くいくような気がするぞ」
「うるせえよ……その話は散々したじゃねえか。それと今はデーモンカードじゃねえ。デーモン『ガード』だ。間違えんじゃねえよ」
「むう……ややこしいの。もっと分かりやすく違う名前にすればよかろうに……」


人間の考えることは分からないと言った風にマザーはふてくされてしまうがこればかりはアキも譲るわけにいかない事実。今の自分もディープスノーもDCではない。DG、デーモンガードという新しい、本来あるべき姿に戻った組織の一員なのだから。


『デーモンガード』


通称DG。それが今、アキ達が運営している組織の名称。かつてのDBを利用した世界征服を目的とした悪の組織ではなく、悪の組織や、暴力行為を取り締まる民間組織。その最高司令官がアキであり、副指令がディープスノー。この一年でようやく軌道に乗り、支部も増やしている組織だった。


「確かに名前が似ているのは仕方ありません。元々DCはデーモンガードという名称を間違えてデーモンカードとしてしまったのが始まりですから……」


マザーに対して宥めるようにディープスノーは言葉を続ける。DGは十年以上前、先代キングとハルの父であるゲイルが作り上げた組織であり、本来は人を襲う悪魔、亜人を対峙する傭兵のような仕事を請け負うものだった。ガードからカードに呼び名が変わったのはゲイルが看板を作る際につづりを間違えたからという間抜けな理由。もっともゲイルが抜けてからDCは変わり、悪の組織へと堕ちて行ってしまったのだがもはやそれも過去の話。

もう一度DCを元の形に戻すこと。それがアキがDC最高司令官になってから計画していたもの。自分が消えたとしても問題がないようにディープスノーにはかつて二人にきりになった時に後を任せていたのだが、色々ありこうしてアキもまたDGに参加することができたのだった。


「悪いな、ディープスノー。ほとんどお前に任せきりになっちまって……」
「いいえ、お気になさらずに。これはかつてのキングの夢でもあります。今度は私がそれを受け継ぐだけ。そのためにもアキ様のお力もお借りしているのですから」
「まったく……本当に主には過ぎた部下であるな。仕える相手を間違えているのではないか、ディープスノー?」
「て、てめえ……」


マザーのある意味当然の主張に怒りをあらわにしながらもアキはあきらめるしかない。その言葉通りこの半年はほとんどディープスノーに組織の設立も運営も任せきり。何もしていないわけではないが最高司令官は間違いなくディープスノーの方。もっともアキもそう提案したのだがディープスノーは頑として受け入れず、妥協点として副指令に落ち着いている。


「ま、今までは迷惑かけたからな……これからはこっちに集中するさ。現場は俺、事務はお前。それでいいな?」
「はい。宜しくお願いします、アキ様」
「うむ、確かに頭脳労働より肉体労働の方がお主向きであることは嫌というほど見せてもらったからの……正しい判断じゃ。少しは成長したということかの?」


あえてマザーの言葉を無視しながらもアキは考える。一年前の九月九日。時が交わる日。レイヴとDBによる石の戦争が終結した日。あの日を境に世界から全てのDBは消滅した。

だがそれで争いや犯罪が消えてなくなるわけではない。DBは違う兵器や魔法に姿を変え、悪の組織は違う力を手にしながら活動している。ならばそれを取り締まる、抑止する組織が必要となる。それがDG。DCを母体とした組織。かつてDCに属していた構成員のほとんどは解体と共に逮捕されたが、アキに忠誠を誓っていた一部の構成員はそのままDGへと参加。今は少しずつではあるがDCではなく、DGの名が世界に広まりつつある。

かつてのキングとゲイルの夢を実現させること。それに加えアキ自らの罪滅ぼし、贖罪もそこにはある。状況に流されたとはいえDBを世界に流したこと、DC最高司令官となっていながら全ての構成員の動きを止めることができなかったこと。ダークブリングマスターとして世界を危機に陥らせたこと。挙げればきりがない程の罪。それを償うために少しでも動くことがアキの責任。許されることがないとしても、意味がないかもしれないとしてもアキが決めた生きる道。

もっともそれ以外にも隠居したところで面倒事に巻き込まれるのは目に見えているから、という身も蓋もない理由もあるのだがあえてアキは口に出すことはない。


「アキ様、今日はジェロ様はいらっしゃらないのですか?」


そんな珍しく真面目な考えを吹き飛ばして余りある質問をディープスノーは行ってくる。アキは一瞬、体を強張らせるも溜息を吐くしかない。


「ああ……あいつはしばらく魔界で留守番だ。溜まってた王務もあるしな。いつまでもぶらぶらさせるほど魔界には余裕はねえ」


やれやれといった風にアキは魔界の現状をディープスノーに明かしていく。


エンドレスが消滅したあの日。アキはダークブリングマスターではなくなったものの、新たに本格的にある職業に就かざるを得なくなった。

『大魔王』という悪夢のような職業に。

これまでは肩書だけのお飾りと言ってもいい扱いだったのだが流石にそうも言えない事態がアキに襲いかかる。四天魔王の一人、アスラがいなくなってしまったこと。四天が一つ欠けてしまうという魔界における一大事が起こってしまったのである。

その穴を埋めるべく大魔王であるアキとメギドは奔走することになった。アスラが統治していた領地の扱い。その公務。引き継ぎ。挙げればきりがないほどの激務。そこでようやくアキは身を以って知る。魔王がいかにブラックな職場であったのかを。半年に一度しかDGに顔を見せることができないほどの忙しさ。本当に魔界はメギド一人でもっていたのだという事実を裏付けるもの。

しかも残る二人の魔王、ウタとジェロもまともに王としての職務を果たそうとしない。ウタはこれまで以上に修行に没頭し、ジェロは常に自分に付き纏ってくる始末。そんな状況が二カ月以上続いたある日。事件は起きた。

後に『怒りの日』と呼ばれる事件。

これまで本気で怒ることがなかったアキが初めて本気で四天魔王(ウタとジェロのみ)に制裁を加えた日。羅刹のごとくウタをボコボコにし、ジェロが本気で落ち込む程の絶望を与えた大魔王の怒りの日。それによってジェロはそのまま魔王としての職務を強制(元々やるべきことをメギドに押しつけていたので自業自得)、ウタに関しては条件をつけることで王としての役目を果たさせるというメギドですらできなかった偉業をアキは成し遂げる。その姿は人間であるアキが大魔王になることを反対していた勢力を一夜にして味方につけるほどのカリスマがあったという。

その甲斐もあり、一年でどうにか魔界は軌道に乗り、それまでと変わらぬ安定を取り戻したのだった。


「それは……本当にお疲れ様でした。ならもう少しお休みになられては……?」
「いや……まだ油断ならねえ。いつ好き勝手しだすか分からねえからな……もう少しは様子見だ」
「そうですか……」


アキの瞳に以前は見られなかった確かな狂気を見ながらもディープスノーはただねぎらいの言葉をかけることしかできない。魔界と人間界の安定という二足の草鞋を履きながらも両立させているアキにはやはり王の資格があるのだろうと。アキ本人としてはこれぽっちも嬉しくない事実だった。


「それよりもいつまでもここで油を売っておっていいのか? 約束の時間までそう残っておらんぞ?」
「そうだな……じゃあ、ディープスノー。ちょっと出かけてくる。明日からは宜しくな」


先程までの愚痴も何のその。嵐のような騒がしさと共にアキとマザーは部屋を後にしていく。ディープスノーはそんな二人の後姿を見ながらどこに行くのか尋ねようとするもすぐに悟る。


「そうでしたね……今日は」


九月九日。最後の戦いから一年目。そしてアキ達にとっては忘れてはいけない、約束の日だった――――




『ふう……何とか間に合ったな……』
『そのようじゃな……しかしやはりここは賑やかじゃの。以前よりも大きくなったのではないか?』
『確かに……』


アキは息を整えながら目の前にいる一際煌びやかで巨大な施設に目を奪われる。ここエクスペリメントでも最大の規模を誇るカジノ。一年前から創業し、今はこのカジノ街の顔にまで至った店。アキ達にとっては何度か訪れたことのある馴染みの場所であり、待ち合わせ場所だった。


「いらっしゃ……て、誰かと思えばアキじゃない! 久しぶりね、遊びに来たの?」


入店するや否や、圧倒されるような声とともにバニーガールの姿をした美女がアキを出迎えてくれる。プロポーションや容姿は文句なしに似合っているのだがいかんせん纏っているオーラは接客業とは思えない慣れ慣れしさ。


「んなわけねえだろ……お前も相変わらずみてえだな、ジュリア」


竜人ジュリア。レットの恋人であり、今はこのカジノでバイトをしているかつてのハル達の仲間。今はアキにとっても友人であるジュリアはどこかからかうような笑みを見せながら騒いでいるだけ。


「分かってるわよ。ここからあんたのDB……じゃなかったMBで星跡の地まで行く予定でしょ。まだ他の連中は来てないけど」
「そうか……ならこんなに焦ることもなかったか……」
「ふん、遅れるよりはマシじゃろう」
「あら、そういえばマザーも久しぶりね。相変わらずアキを振り回してるわけ?」
「逆だ。我がこやつに振り回されておるのよ。全く、面倒な相手を持つとお互い苦労するの」
「そうよね。全く、あの甲斐性なしは何をやってるのかしら。遅れたらただじゃおかないわよ」


パキパキと指の骨を鳴らしているジュリアの姿に心当たりがあるアキは沈黙を貫き通すしかない。そんなアキの内心を知っているマザーもまた黙っているだけ。そんな中


「やっぱりアキポヨ! また遊びに来てくれたポヨか?」
「お久しぶりです、みなさん。マッパーグリフォン加藤。お先に待たせていただいていました」


アキの姿に気づいたルビーとグリフも慌てた様子で駆け寄ってくる。ルビーはこの一年で自らの力でカジノを経営、成功を収め、グリフについては未開の地であったイーマ大陸のマッピングを完成させ、ちょっとした有名人となっていた。


「元気そうだな。ま、心配はしてなかったが」
「当たり前ポヨ。それよりもアキの方は大丈夫ポヨか? 前来た時は凄い顔をしてたポヨ」
「そ、それは……」
「あの時は凄かったわね。いいカモ……じゃなかったお客だったわ。今日もお金を落として行ってくれるのかしら?」
「……ふざけんな。もう二度とギャンブルはしねえ」
「くくく……あの時のお主の負けっぷりはそれはもう見物だったからの。DGを経営破たんに追い込むような真似をせぬように気をつけるのだな」
「てめえ……! 元はと言えばてめえが大負けするからあんなことになったんじゃねえか!?」
「我のせいにする気か!? あれはお主の運が悪いのが原因であろう!?」
「どっちもいいお客さんポヨ!」


互いに責任をなすりつけ合うも周りは止めることなく眺めているだけ。どっちもどっちであることを知っているからこそ。ようするに主従揃ってギャンブル運は最悪だということだけ。


「ふむ。どうやら少し遅くなってしまったようじゃの」


騒がしいアキ達の姿をどこか懐かしげに見つめながら新たな訪問者が現れる。肩に荷物を担いだ、修行僧を思わせる雰囲気を纏った男。


「レットか、久しぶりだな」
「うむ、お主も変わりないようじゃのアキ。それにマザー」


互いに視線を合わせながら短い言葉でアキとレットは再会を喜び合う。どこか男同士でしか分かり会えない空気がそこにはある。事実、アキにとってレットはハルの仲間達の中ではもっとも早く和解することができた人物であり、交流も多い存在だった。


「ジュリア、そのくらいにせんか。あまり騒ぎ過ぎるとルビーに雇ってもらえなくなるかもしれんぞ」
「そんな心配はないわ。あたし目当てに来るお客さんも多いんだから。ね、ルビー?」
「それよりもお店をめちゃくちゃにするのを止めてほしいポヨ。今度やったら減給ポヨ」
「あれはあのセクハラ野郎が触ってきたからよ! あたしは悪くないって何度も言ったでしょ!」


オーナーであるルビーの言葉に慌てながら弁明するジュリアだが全く悪びれる様子がないのは変わらない。ある意味いつも通りの光景にレットは安堵のため息を吐きながらアキと視線を合わせる。そこには言葉にはできないシンパシーがあった。


「それはともかく……アキ、ウタから伝言を預かっておる。『約束を忘れないように』とのことじゃ」
「…………そうか。分かったって伝えといてくれ。後ちゃんとそっちも約束を守るようにってな……」


伝言を聞いた瞬間、体を強張らせながらアキはぽつりと漏らすだけ。まるで死刑宣告が届いた囚人のような儚さがそこにはある。


「ふむ、そういえばもうその時期か。あきらめるがいい、我が主様よ。元々お主がした約束なんじゃからな」
「分かってるっつーの……」


マザーの嬉しそうな声とは対照的にアキはこの世の終わりのような表情を見せるしかない。


『一月に一度、決闘を行うこと』


それがアキがウタと交わした約束であり契約。ウタを魔王として働かせるために結んだアキの苦渋の選択だった。もっともこれでもかなり譲歩したもの。怒りの日に完膚なきまでにボコボコにされた状態でこんな約束を言いだすウタの精神にアキは呆れ果てるものの、魔界の安定のため約束を守り続けているのだった。


「まったく……そんなに面倒なら手を抜けばいいものを、主もまだまだ子供じゃの」
「うるせえよ!? 手を抜いたらその瞬間殺されかねねえんだから仕方ねえだろうが!?」


アキは他人事のようにからかってくるマザーに食ってかかって行くもこれまでの決闘を思い出し血の気が退いていく。間違いなく手加減抜きの真剣勝負。それを前に手を抜くことなどできるわけがない。その瞬間、いつかと同じように死にかねない。その甲斐もあり現在の戦績はアキの全勝。何だかんだで負けず嫌いであること、一応大魔王として配下には負けるわけにはいかないというわずかなプライドによる執念。もっともウタは想いの拳を会得してから急速に成長し続けており、いつ追いつかれるか分からない有様。どこかの戦闘民族のような怪物に日々アキは頭を悩ますことになってしまったのだった。


「だが流石じゃな、アキよ。ワシもまだまだ精進が足らん。もっと腕を上げねば……」
「そうか……でもお前もよく続けれるな。ウタの相手なんて一月に一度でも精一杯だっていうのに……」
「いや、まだワシはウタに本気を出させることができぬ。付き合わせておるのはワシの方じゃろう」


レットのどこか満足気な表情と言葉にアキはドン引きするしかない。レットは一年前から己の腕を上げるために魔界、正確にはウタに稽古という名の修行をつけてもらっている。もっともウタからすれば修行をつけているわけではなく、戦いを楽しんでいるのだが。未だウタには及ばないものの日に日に実力を上げて行くレットにウタはいつか全力で戦える時が来ることを楽しみにしているらしい。アキには理解できないバトルジャンキーとでもいえる男二人。しかしそこにはレットも知らないアキの狙いがあった。

一つがウタの目標を自分からレットに移すこと。レットの実力が上がればアキの負担も減るであろうという狙い。

そしてもう一つが欠けてしまった四天を埋めること。魔界においては強さが全て。レットがその域まで至れば竜王であるレットには充分その資格がある。統治能力については不安もあるがウタよりはマシであろうという見通し。


「働かんかい!!」
「ごふっ!?」


自分が知らぬうちに魔王候補にされているとはつゆ知らず、レットはジュリアから怒りのひざ蹴りを食らい吹っ飛んでいく。働かない、穀潰しであるニートに対する制裁に苦笑いをしている中


「何だ、もうみんな集まってんじゃねえか」
「そうね、もっと集まりが悪いと思ってたのに」


ルビーのカジノで合流する予定の最後の二人が現れる。共に同じ銀術師の称号を持つ男女。ムジカとレイナ。どこか夫婦のような空気を感じさせる二人組は騒いでいる仲間たちの姿にどこか懐かしさを感じた笑みを浮かべている。


「よう、レット。相変わらず尻に敷かれてるみてえだな」
「そっくりそのまま返させてもらうぞ、ムジカよ。どうやらそっちも上手くやっておるようじゃな。風の噂で耳にしたぞ」
「ボクも銀の律動って銀術劇が流行ってるって聞いたポヨ! 今度ここでもやってほしいポヨ!」
「ああ、いつでも呼んでくれ。ここなら客も来るだろうしな」


ムジカは煙草をふかしながら自らのグループの宣伝を始める。


『銀の律動』


かつてムジカをリーダーとしていた盗賊団であり、今はムジカとレイナの二人が取り仕切る演劇団。演劇と言っても人が演じるものではなく、銀術による銀術劇。かつてレイナの父が行っていたものであり、その規模を大きくしたもの。ある意味レイナの夢であり、銀術を芸術の域に昇華したもの。その美しさによって話題となり、現在は新たな銀術師加わり、同時に銀術師を育成しながら世界中を旅しているのだった。


「久しぶりね、アキ。そっちはどう? 相変わらず忙しくしているのかしら?」
「ああ……見ての通りだよ。平常運転だ」
「うむ、久しぶりだな。どうだ、ホワイトキスの様子は? 問題ないか?」
「ええ。以前よりも馴染むぐらいよ。おかげで助かってるわ、マザー♪」
「お前らな……」


自分をそっちのけでおしゃべりを始めてしまうレイナとマザーにアキは辟易とするしかない。主にその内容に。

レイナの腕にある闇の輝き。かつて六星DBであった『ホワイトキス』がその理由だった。


(まさか六星DB達が残るなんてな……まあ、確かにあいつらはマザーの加護を受けてたから当たり前っちゃ当たり前だが……)


アキは思い返す。一年前、エンドレスが消滅したことによって全てのDBは消滅した。残ったのは生まれ変わりMBとなったマザーと自分が持っていたDB達だけ。そうアキは思っていたのだが想像していなかった事態が起こる。

それは六星DBが全て健在であったということ。アキが所持していた、回収していたホワイトキス、ジ・アース、バレッテーゼフレアの三つが壊れていないことでその事実が判明した。マザーの加護はアキが持つDBと六星DBに与えられていたことからその全てがMBに生まれ変わったということ。

同時に六星MBについてはマザーの許可があれば他の人物でも扱えるという出鱈目ぶり。その甲斐(せい)もありめでたくホワイトキスはレイナの元に戻ることになった。レイナに対しては貸しが多かったこと、何よりもマザーが許可してしまった以上仕方がないこと。

同様にシュダにはバレッテーゼフレアがユリウスにはアマ・デトワールが譲られている。ユグドラシルについては今はアキが回収、所持している。元の持ち主であるジェガンが今は平和に暮らしていることも確認済み。ジ・アースについては保留中。後一年、メギドの元でちゃんと働けばベリアルに返してもいいかもしれないとアキは考えている。もっとも問題があるようならすぐ没収する気だが。唯一の例外としてゼロ・ストリームだけは壊れてしまっているので存在しない。しかしそれを前にして


『ん? 何なら生み出してやってもよいぞ。我には新たな魔石を生み出す力は備わっておるからの。欲しい魔石があるならいつでも言うがよい』


よく分からないことをマザーが口走っていたような気がするがアキは聞かなかったことにした。何事もやりすぎは宜しくない。もし無茶をしたせいで新たなエンドレスが生まれでもしたら取り返しがつかない。アキはただ耳に栓をし、これ以上MBを増やすことはしないと心に誓っているのだった。


「ったく……とにかく集まったならさっさと行くぞ。向こうで待ってる奴らもいるんだからな」


このままでは収拾がつかないとばかりにアキは再会を喜び合っている仲間たちを半ば強引に集めて行く。その手にある魔石、ワープロードによって瞬間移動をするために。瞬間、まばゆい光が全てを飲みこんでいく。行き先は唯一つ。


星の記憶。今は星跡の地となっている聖地だった――――




「ほんとに全部記憶の水晶になっちまってるな。星跡の洞窟と同じだな」
「凄いポヨ! 持って帰ってもいいポヨか!?」
「それはやめておいた方が良い気がしますが……」
「確かに……最後の戦いの戦場だったとは思えないわね……」


辺りに広がっている星の輝き、水晶にムジカ達は目を奪われるしかない。完全に星の跡地になってしまっている空間。見渡す限りどこまでも続くような神秘。そこが一年前、世界の命運を賭けた決戦が行われた跡地だった。


「そうね……でも全然実感はわかないわね。私達、誰かさんのせいで全然役に立てなかったからねえ」
「…………」
「よ、よさぬかジュリア。その話はもう終わっておろう」
「分かってるって。ちょっとした冗談よ、ね、アキ?」


ジュリアの何気ない、明らかにからかいを含んだ突っ込みにアキはただ黙りこむしかない。一年前の話ではあるが未だにアキにとっては忘れることができない、ジュリア達に対する負い目のようなもの。もっともジュリアも本気で責めているわけでなく、冗談に近いもの。まさかこの期の及んでへこまされることになるとは思っていなかったアキはそのまま視線を上げると


「どうやら来たようだな……久しぶりだな、みんな」
「皆さん、お久しぶりです!」
「相変わらず賑やかな奴らだ……」


待ちわびていたかのように二人の男と少年がアキ達に向かって近づいてくる。時の番人ジークハルトと爆炎のシュダ。そして時の民であるニーベル。皆、ジークの空間転移によってアキ達とは別に星跡の地にやってきていたのだった。


「そっちも元気そうだな、ジーク。ミルディアンの方はどうだ?」
「何とか上手くやっている。お前が作ったDGにも世話になっているようだな。おかげで時の民達も外の世界を知る機会が増えた」
「ほとんどディープスノーがやってるようなもんだけどな。これからは俺も動くからそっちに行く時は宜しく頼む。シュダ、お前もな」
「……気にするな。オレは好きにさせてもらっているだけだからな」


アキは久しぶりの再会を喜び合いながらジークとシュダ、両者に近況と共に感謝を述べる。

ジークは戦後、一線を退いたミルツに代わりミルディアン最高責任者の任に就いた。これまでの町に閉じこもった、時を止めたままではならないとのジークの考えを実現するため、時の民達は積極的にその世界に交流を計ることになった。その一環がDGとの協力関係。悪の組織や犯罪を取り締まるDGの役目は時の民たちにとっても馴染みやすいもの。その橋渡しとしてシュダをDGは雇い、活動してもらっている。互いに利益となるいわば同盟関係だった。


「お、お久しぶりです……アキさん……」
「あ、ああ……ちょと背が伸びたんじゃねえか?」
「は、はい……おかげ様で……」


どこかビクビクした、怯えた様子でニーベルがアキに向かって挨拶してくるもそんな姿にアキは心を痛めるしかない。正確には罪悪感に押しつぶされる思いだった。


「ほう……どうやらまだ怖がられているようだな。一体どんなことをしたのやら……」
「うるせえよ……言われなくても分かってるっつーの……」


マザーのからかいを受けながらもアキは落ち込むしかない。ニーベルがここまで怯えている理由はたった一つ。最終決戦で見せたアキの姿、もとい黒歴史がその理由。その際の恐怖によって未だニーベルはアキと接する際にはどうしても怯えてしまっている。二―ベルもアキを嫌っているわけではないもののどうすることもできないトラウマのようなものだった。


「でも、後はお二人が来られるのを待つだけですね……」


ニーベルのぽつりと呟いた言葉によって、それまで騒がしかった仲間達は皆、黙りこんでしまう。その脳裏にはここにはいない、二人の仲間の姿がある。


ハルとエリー。


この戦いにおける最大の功労者であり、世界を救った英雄達。だがエリーはその戦いで魔導精霊力を使い果たし、同時に記憶を失った。五十年前と同じように。どんなに仲間達が話しかけても、ハルが接してもそれは蘇ることはなかった。


だがその日の内にハルはそのままエリーを連れて旅立ってしまう。事情が分からないエリーを連れて強引に。まるで初めからそうすることが決まっていたかのように。


それが決戦の前夜にしたハルとエリーの約束。例えエリーが記憶をなくしても、ハルがこれまでの旅した場所を巡ることで思い出させるという約束。それを前にして誰も止めることも、付いて行くこともできない。


アキもまたそれは同じだった。ハルは誰よりも辛かったはず。自分が好きな相手が自分のことを忘れてしまう。それが分かっていながら魔導精霊力を使い、自分とマザーを救ってくれたエリー。アキにできるのはただハル達が約束を守り、一年後の今日、星の跡地に戻ってくるのを待つことだけだった。


その証拠にアキは一年経った今でも一度もガラージュ島には戻ってはいない。故郷に戻るのはハル達と一緒に。ハルが約束してくれた、共にガラージュ島に帰るという約束を守るために。


そして、ついにその時が訪れる。


その場にいる全ての者達はただその二人に目を奪われる。銀髪と金髪。対照的な髪を持つ少年と少女。忘れることはない、忘れることなどできない仲間達。


誰一人言葉を発することはない。ただ皆が息を飲んでいた。一年前のあの日。


最後の戦い終わり、世界を救いながらも報われなかった二人。仲間である自分たちをさん付けで呼んでしまうエリーの姿。それをただ笑いながら誤魔化していたハル。


あの時と同じことが、再び起こるのではないか。一年という月日でもそれができないのであればもうエリーは元には戻らないのではないか。そんな不安。だがそれは



確かに手を繋いでいる二人の姿によって吹き飛ばされる。



あるのは笑顔だけ。いつもと変わらない、太陽のような笑顔を見せながら少女は告げる。


「ただいま、みんな。待たせちゃってごめんね!」


エリーはハルの手を握りながら仲間たちと再会を果たす。五十年前とは違う、自分を待ってくれた仲間たちを安心させるために。


瞬間、歓声とともにエリーは仲間たちによって抱きしめられ、祝福される。


アキはそれを見守りながらもハルと拳を合わせる。言葉はなくともそれだけで十分だった。


それが一年前の続き。ようやく、ハル達の、アキ達の戦いの終わり。そして新たな旅路の始まり。


人生とは旅をすること。

旅をするとは生きるということ。

それは時に辛く困難でもあるけれど仲間がいるから歩き出せる。

いつまでもずっと――――




果てしなく広がる蒼い空と大きな雲。響き渡るカモメの鳴き声。太陽の元に、一人の女性がただ石碑を前に佇んでいる。


ゲイル・グローリーとサクラ・グローリー。


今はこの世にはいない両親の墓石。だがそれを前にしながらも女性、カトレアの表情には悲しみはない。二人がともに自分を、自分たちを見守ってくれているから。同時に背伸びをしながらカトレアは確かな笑みを浮かべる。何故なら今日は、何年も待ち望んだ約束の日なのだから。


「ねーちゃん!!」


島を出て行った時よりも背が伸び、大人らしくなった弟のハルがいつかと変わらないように自分へと駆けよってくる。姉ちゃん姉ちゃんと自分に付き纏っていたあの頃と同じように。だが違うのは口癖が治ったこと。そしてもう一つ。


「あたし、エリー!!」


新たな家族が増えたこと。太陽という言葉が形になったような元気な少女。奇しくもナカジマが口にしていたことが正しかったのだとカトレアは認めるしかない。同時に隅に置けないハルの成長に頬が緩むのが抑えられない。その手には一緒に出て行ったプルーの姿もある。そして


「…………」


もう一人の、待ちわびた家族の姿がある。違うのはあの頃からは想像もできない程に成長しているということ。だがカトレアにはすぐに分かった。分からないわけがない。共にこの島で生活した思い出。だが少年はそのままどこか戸惑うようにカトレア達から距離を置いている。まるでどうしたらいいか分からない、そんな雰囲気。


それに気づいたのか、ハルとエリーはカトレアの後ろに下がりながら少年へと視線を向ける。ハルは島を出る時の約束を果たしたことに満足しながら。エリーはただ待ちわびた瞬間を見逃さないように。


島を出た時から変わらぬ魔石がカトレア達には聞こえない声で囁く。どんなに強くなってもヘタレである自らの主を鼓舞するために。


「おかえりなさい、アキ」


全てを理解したように、カトレアの手がアキへと差し出される。自分が憧れた、大切な家族の手。いつか誓ったこの島に帰ってくるという誓い。いつの間にかあきらめてしまっていた願い。その全てが目の前にある。


「―――――ただいま」


アキはその手を取りながら帰郷する。自分が帰るべき場所へ。


ここにダークブリングマスターの憂鬱は終わりを告げる。


だがアキの物語は終わらない。それは今、新たに始まったばかりなのだから――――



[33455] あとがき
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/11/23 08:51
作者です。今回でようやくダークブリングマスターの憂鬱を完結させることができました。これもたくさんの感想を下さった読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

これからはあとがきと言うよりは裏話のようなものになります。それでもいい方はお付き合いください。


まずは最終話について。原作の最終話を強く意識したものになっています。これはプロットの段階から明確に決まっていました。

『絶対にハッピーエンドにすること』

それがこのSS、RAVEのSSを書く上で作者が初めに決めたルールでもありました。例えご都合主義であってもハッピーエンドこそがRAVEが好きな読者の方々が望むものだと思ったからです。終盤のアキの苦難も全てはここに至るための苦境だったのですが、想像以上に否定的な感想が多かったのには正直驚かされました。終盤の展開が駆け足気味になったのも、あのままいつものペースで続ければさらに荒れる可能性があったためです。ですが早めにまとめることができたので結果オーライだったかもしれません。

ちなみに初期案では感想で触れた方もいたようにマザーが人間化する案もありました。ですがあまりにもご都合主義が過ぎること。マザーはやはり魔石であるからこそマザーなのだということで今回のようなラストになりました。

またアキが元の世界に戻る展開も考えたのですが没になっています。その理由は『憑依』を正面から描けばどうしても作者が書きたい方向性からズレてしまうためです。

普通であれば全く別人に憑依すれば悩み、元の世界に戻ろうとします。ですがそのことばかりに囚われればテーマが暗くなり、シリアスが多くなってしまう。以前書いたSSで憑依の苦悩は描いているため同じ話は書いていても面白くない。そのためアキの性格をいわゆる最低系、ハイテンション系にすることで強引になくすことにしました。マザーの加護もそのことに一役買っています。それに加えてアキの元の世界の記憶や情報はほとんどカット。決まっているのは既に死んでしまっているということだけ。元の世界に戻るという選択肢をなくすための設定でした。


『アキの恋愛を描かない、登場人物との恋愛はさせない』

これも最初から決定していたルールです。便宜上マザーがヒロインになっていますがアキの感情は恋愛ではありません。いわば自分の相棒、半身に対するもの。コードギアスにおけるルルーシュとC.C、化物語における暦と忍のような関係です。もっともそれだけ特別な関係であるということでもありますが。

原作キャラクターと恋愛を禁止したのは色々理由がありますが一つが原作の女性キャラクターの多くには既にカップリングが成立しているということ。ハルにはエリー、ムジカにはレイナ、レットにはジュリア。シュダとカトレアについては唐突感があったため除外していますがそうなるとアキとくっつけることができるキャラは限られてしまう。人魚のセリアやベルニカはいるものの二人ともハルに恋心を抱いているキャラであり、とってつけたようにアキの相手にするのは宜しくない。

もう一つの理由がアキが敵側、DC最高司令官であるということ。それだけで共に行動できる女性キャラは限られてしまう。レイナは可能だが相手にムジカがいる。カトレアは本編に関わることはできない。唯一の例外がジェロだが四天魔王である以上登場は終盤に限られてくる。

その結果、直接恋愛を描くことはなく、あくまで可能性を見せるだけに留めました。

読者の中には原作キャラとの恋愛を楽しむ方とそうでない方がいることは分かっていたので今回は後者を優先する形になりました。荒れるのを防ぐためでもあります。エリーにフラグを立てたのは言葉は悪いですがそういった層の方を釣るため。アキと接触させたのも本当はマザーとエリーに接点を作るためでした。

『原作で死んでしまうキャラクターをできるかぎり生存させること』

ある意味二次創作の醍醐味と言っていいルール。レイナをはじめとしてジェガン、ジークハルトも生存となっています。ジークハルトについては悩んだのですがやるなら徹底的にということで決断しました。


作者が書いていて一番楽しかったのはBG編。次点で四天魔王編です。逆に辛かったのが最終章。アキが敵側である以上。シンクレアが揃って行く終盤では自由度がさがってしまうため分かっていましたが予定調和的な要素が多くなってしまったのが反省点です。

最後に。エリールートを期待されている方も多くいるようですが描く予定は今のところありません。展開自体は感想欄で明かしていること。設定の変更などの驚きの要素が二週目にはないことが大きな理由です。期待されていた方には申し訳ありませんが御理解下さい。代わりと言ってはなんですが後日談とちょっとしたおまけを後日投稿予定です。


長々書き連ねましたが、書いていて楽しかった一年間でした。RAVEが好きな方が少しでも楽しんでいただければ幸いです。それでは。



[33455] 後日談 「大魔王の憂鬱」
Name: 闘牙王◆53d8d844 ID:7bdaaa14
Date: 2013/11/25 08:08
見渡す限り広がる蒼い海と空。常夏を思わせる太陽の光を浴びている小さな島。ガラージュ島。人口はわずかであっても心温かな住民とのどかな雰囲気に包まれた集落。その中の一角、小さな家の中に少年はいた。


「…………」


銀髪という住民の全てが黒髪であるガラージュ島では異質な容姿を持つ少年、ハル・グローリー。シンフォニア王族の血を引く、かつて世界を救った二代目レイヴマスターの称号を持つ存在なのだが傍目に見れば年相応の少年。ハルは家のリビングのソファに腰掛け、ただ真剣にテーブルに向かって視線を向けている。いや、顔をのぞかせながら凝視していると言ってもいいほど。テーブルの上にはあるものが置かれていた。


『レイヴ』


かつてリーシャ・バレンタインによってDBに対抗するために造られた聖石。この世界においてハルしか扱うことができないもの。かつては五つに別れていたそれは世界のレイヴとして一つの姿に戻っている。そんなレイヴをただハルは見つめ続けている。まるでレイヴが生きているのではないかと思えるような真剣ぶり。それがいつまで続いたのか、ついにハルが意を決して口を開きかけた瞬間


「…………何やってんだ、ハル」
「――――っ?!?!」


すぐ傍からこの場にはいないはずの声が掛けられると同時にハルはまるで弾けるようにソファから飛び上がり、音速剣もかくやという早業によってその場から離脱してしまう。声にならない叫びと共に。


「ア、 アキ!? い、いつからそこにいたんだ!?」


ハルは何とか落ち着きを取り戻し、平常を装うとするも後の祭り。顔を赤面しながらハルはその手にあるレイヴを隠し、目の前にいる突然の来訪者に向かい合う。


「いや、お前がずっとレイヴと見つめ合ってるところからだが……」


ハルとは対照的な金髪にガラージュ島には不釣り合いなスーツに身を包んだ少年、アキ。元DC最高司令官でありダークブリングマスターであった存在。現在はDG最高司令官と大魔王という新たな称号を持っているのだがそれはまた別の話。アキはただどこか生温かい目でハルを見つめているだけ。まるで可哀想なものを見るような、哀れみさえ感じさせる瞳。


「お前……まさかレイヴと話そうとしてたのか……?」
「っ!? いや、それは……」


アキのそのままずばり的中の指摘にハルはただ背中に汗を流すことしかできない。まさかこんな時に、ある意味最も見られたくない相手に見られてしまったことにハルはただ言葉を濁すことしかできない。


「そ、そうだよ! もしかしたらマザーみたいにレイヴもしゃべれるんじゃないかって……」
「……正気か? これ以上しゃべる石が増えるなんて御免だぞ……」


心底呆れ気味にアキはハルの奇行に溜息を吐くしかない。まさか本気でレイヴと会話を試みようとしているなど正気の沙汰ではないと。もっともある意味お前が言うな状態なのだがアキはあえて自分を棚に上げたまま。


「くくく……なるほど。ハル、お主も我のようなパートナーが欲しいというわけか。エリーという相手がいながらお主も中々やるではないか」


そんな二人の間に割り込むように愉しげな声とともにぺたぺたと裸足で金髪と黒のゴスロリ姿の幼女が現れる。イリュージョンによって実体化したマザーの姿。ガラージュ島に戻った際には必ずと言っていいほどマザーが見せるもの。


「エ、エリーは関係ねえだろ! オレはただレイヴもマザーみたいにもしかしたらしゃべれるんじゃないかって思っただけで……」
「ふむ、まあそういうことにしておいてやろう。だが残念だがレイヴには意志はあるが我のように人格はない。故にしゃべることもない。どうしてもしゃべりたいならエリーに造り直してもらうんじゃな」
「お前な……そんなことしたらまたエリーが記憶喪失になっちまうじゃねえか」
「冗談じゃ冗談。そもそもレイヴがしゃべるなど我は願い下げじゃ。キャラが被ってしまうからの」


冗談か本気かも分からないマザーの言動にアキはもちろんハルもまた振り回されるしかない。分かるのは生まれ変わったとしてもマザーにとってレイヴは苦手な存在であるということだけ。


「ごほんっ! とにかく久しぶりだな、アキ。また仕事が忙しかったのか? 最近帰ってこなくて姉ちゃんも心配してたぞ」
「いや……忙しいっちゃ忙しいんだが前ほどじゃねえ。半年の間にDGも随分安定したからな」


ポリポリと頭を掻きながらアキは一息つくようにソファに腰を下ろす。同時に待ってましたばかりにマザーが膝の上に陣取るもアキは気にするそぶりすらない。もはや何を言っても言うことを聞くことはないことを悟っているからこそ。幻であるため重さもないため半ば放置している形。


(そういやもうあれから半年経ったんだな……)


アキはそのまま思い返す。あの日、ハルとエリーが無事に戻ってきてから既に半年が過ぎている。そのままハル達と共にガラージュ島に戻ったもののアキの仕事がなくなったわけではない。そのままこの半年アキは主にDGの最高司令官として動くこととなった。これまでディープスノーに任せきりであった負い目もあり、精力的に動いた結果何とかDGも組織として安定期に入ることができたのだった。


「なら何で帰ってこないんだ……? ワープロードがあるんだから帰ろうと思えば帰れるだろ?」
「それは……まあ、なんだ……やっぱ新婚のお前らの邪魔にはなりたくないっつーか……」


アキはどこか言いづらそうにしながらも仕方なく白状する。というかこのぐらい察しろとハルの鈍感さに呆れるしかない。

今から一か月前。色々な後始末も済み、落ち着いたところでハルとエリーは式を挙げ、結婚した。ある意味当然の流れ。むしろ遅かったと思ってしまうほど。だが大きな問題がアキにはあった。それはこの家が四人で暮らすには狭いということ。ただ暮らすだけなら問題はないが結婚し、ハルとエリーが同じ部屋で生活するようになれば余計それは際立ってしまう。それに加え、新婚である二人に配慮するためアキはここ一カ月ほどはガラージュ島の家ではなくDG本部のあるエクスペリメントに居を置いていた。ある意味アキなりの二人への配慮。だが


「……? 何でアキが邪魔になるんだ? 家族なんだからそんなの気にしなくてもいいだろ」
「……そうか。でもお前がよくても俺が気にするんだよ……」
「ふむ、ぶっちゃければ夜に居づらいということだ」
「ぶっちゃけすぎだろ!? っていうかナチュラルに人の心読んでんじゃねえ!!」


全てが台無しになるマザーの言葉によってアキは焦るもハルは対して気にしている素振りはない。意味が分かっているのか、それとも本気で構わないと思っているのか。どちらにせよ大物であることは間違いない。


「そんなに気になるならアキも姉ちゃんと結婚すればいいじゃないか」
「ぶっ!? な、なんでそうなる!? っていうかそんなことカトレア姉さんに言ってないだろうな!?」
「言ってねえよ。流石にオレもそこまで鈍感じゃねえ。でも結婚してくれって言ってたのはアキだろ」
「それは……だがあれはその……」


ハルの予想外の切り返しにアキは言葉をつぐんでしまう。まさかそんな返しをされるとは、といった形。


「くくく……一本取られたな、アキ。だが残念だったな、ハル。我が主様は見ての通りヘタレでな。小さい頃は勢い、ノリでできたことも今は出来ぬ有様よ。いやはや、情けない」
「うるせえよ! 大体てめえこそどういうつもりだ! 散々邪魔してきやがって……」
「人聞きが悪いことを。我はただ茶々を入れておるだけ。お主が誰と結ばれようと我は構わん。それほど狭量な器ではない、本当にその気があるならさっさと動けばいいだけであろう?」
「くっ……てめえ……!」


マザーのやれやれと言わんばかりの態度に怒りをあらわにするもアキはそれ以上反論することもできない。ある意味マザーの言う通り、これはアキ自身の問題なのだから。半年前、この島に帰ってきてから何度か意識はしているが未だにアキは自分の気持ちに確信が持てていない。小さい頃はノリ、冗談混じりで結婚してほしいなどと好き勝手ができたが今のアキに同じことはできるわけもない。アキと一心同体のマザーはそれが分かっているからこそ邪魔をしている、もとい警告しているだけ。アキが誰かと結ばれること自体はマザーは認めている。だがそれはアキが本気で誰かを、異性として好きになった時だけ。


「あら、騒がしいと思ったら帰ってたの、アキ? マザーも久しぶりね」


そんな中、騒ぎを聞きつけたのかいつもと変わらない笑みを浮かべながらカトレアがリビングへと姿を見せる。エプロンをつけていることからどうやら料理をする気でいるらしい。ある意味アキがガラージュ島に帰ってきたと実感できる光景。


「あ、ああ……今帰ったところだ」
「久しいの、カトレア。変わらず元気そうだな」
「マザーもね。アキ、今日は休みなの? 泊って行く?」
「いや……夜には会合があるから出かけてくる。晩飯は食べて行くつもりだ」
「そう。なら久しぶりに奮発しちゃおうかしら。ちょっと買い物に行ってくるわね」


一際嬉しそうな笑みを見せながらカトレアはそのまま慣れた手つきで料理の下ごしらえをした後、買い物へと出かけて行く。アキにとっての女性の理想像を形にしたような姿。だが今のアキにはそんな余韻に浸る余裕はない。先程までの会話が聞かれていなかったことにただ安堵するしかない。


「まったく……いつまでそのままなのやら。先は長そうだの」
「そうだな……姉ちゃんもその気があるのかないのかよく分かんねえし……」
「お前らな……」


いつの間にか意気投合しているハルとマザーの姿にアキは頭を抱えるしかない。ハルまでマザーに毒されているのではないかと心配してしまうほど。もっともマザーの元とでも言えるエリーと一緒にいるのだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。


「でも仕事が忙しいならオレがまた手伝ってやってもいいぜ。そうすればアキも家に戻ってくる時間が増えるだろ?」
「いや、お断りだ。二度とお前には手伝わせねえ」
「な、何でだよ!? ちゃんと依頼はこなしたじゃねえか!」
「こなしたじゃねえよ! 余計な仕事まで勝手に請け負いやがって……しかも依頼料をもらわねえってのはどういうつもりだ!? こっちは慈善事業でやってんじゃねえだぞ!?」
「し、仕方ないだろ……困ってる人を放っておくわけにいかないし。それにお金だって……」
「それが一番重要だろうが!? 金がなくて組織をどうやって維持するんだよ!? DGの構成員を野たれ死にさせるわけにはいかねえだろうが!」
「そんなこといってねえだろ! オレはただもっとお金を持ってる人から依頼料をもらえばいいんじゃないかって言ってるんだ!」


先程までの雰囲気はどこにいったのかと思うほどにアキとハルは声を荒げながら言い争う。きっかけは数か月前。ハルがアキの仕事であるDGの依頼を手伝ったこと。アキも忙しく人手が足りなかったことからアキはハルの要望もあり、依頼をこなしてもらうことになった。腕は誰よりも確か、加えて正義感が誰よりも強いハルであれば適人だろうと。だがそれは裏目に出てしまう。確かに依頼自体は問題なくこなしてくれた。だが依頼にはない仕事まで請け負い、そのまま依頼料をもらうことなく戻ってきてしまうというある意味ハルらしいお人好しぶり。これまでの冒険であればそれでもよかったがこれはDGの依頼。DG最高司令官としては見過ごすことができないこと。それ以来アキは二度とハルには仕事を手伝わせないと心に誓ったのだった。


「大体隠居してるくせにオレの仕事に口出してきてんじゃねえよ! 現場で働いてる奴らの身になれっつーの!」
「そんなこと分かってるさ! それにオレだってまだまだ現役だ! お前にだって後れは取らねえぞ!」
「お前が? オレに? 今のお前がオレに勝てるわけねえだろ。新婚で惚気きってるくせに偉そうにするんじゃねえ!」
「アキこそ最近調子に乗ってるんじゃないのか? そこまで言うなら見せてやってもいいんだぞ!」
「やるのは構わんがここではなく場所を変えろ。いつかのように島が消えかねんぞ」


まるで火がついたかのように言い争い、睨みあいをアキとハルは始める。だがそれはある意味日常茶飯事。兄弟喧嘩のようなもの。もっとも本気で喧嘩をした際には危うくガラージュ島が消し飛びかねなかった(その際はエリーに本気で怒られた)ためマザーが仲裁に入る形になっている。十八歳を超えるというのに二人揃えば精神年齢が大幅に下がってしまう、いわば大きな子供のような有様だった。


「んふー。相変わらず仲が宜しいようですね、お二人とも」
「見ての通りだ。心配するな。危なくなったらすぐさま二人とも砂漠に送りこんでやる」
「流石マザーさんですね。どうですか、あんな二人は放っといて私の恋愛話でも聞きませんか?」
「うむ、遠慮しておこう。後それ以上近づけば消し飛ばすぞ、ナカジマ」


人面花?であるナカジマが家の内側に現れ、どこか懐かしげに二人の喧嘩を眺めているもマザーもまた同じ。そのままナカジマは自分語りを始めんとするもマザーは流れるようにそれを断ち切る。それ以上近づくなら空間消滅で消し飛ばす、と。いつかのアキと全く同じ対応だった。


「お前こそ他人のこと言えんのかよ。聞いたぜ、ベルニカに告白されたらしいじゃねえか。エリーがいるくせにどういうつもりだ?」
「っ!? そ、それは……オレは断ったんだ! ベルニカもオレが結婚してるって知らなかったって……」
「ふん、そんな言い訳が通用するとでも思ってんのか? 大体依頼で一度一緒になったぐらいで告白されるなんて流石レイヴマスター様は違うな。コツを教えてほしいぐらいだ」
「オレは何もしてないぞ! それにお前がモテないのはオレとは関係ないだろ!」
「ねえ、ベルニカって誰のこと?」
「ん? ウチで雇ってる女の魔導士のことだよ。美人で人気があるんだがハルの奴、一度依頼を一緒にこなしただけで惚れられ……て……?」


そこまで口にしたところでアキはようやく気づく。明らかな違和感。先程までいなかったはずの第三者がいつの間にか会話に混じっているという事実。ギギギという音が聞こえそうな動きでアキは首を動かし、その第三者を捉える。


「エ、エリー……いつからそこに……?」


そこにはエリーがいた。いつもと変わらない、タンクトップにミニスカートと言う服装。いつもと変わらない笑顔。だがそれが何よりも恐ろしかった。笑いながら笑っていない。そんな矛盾を体現している。怒ってくれていた方が百倍マシではないかと思えるような姿。


「ちょっと前からだよ。久しぶり、ママさん。元気そうだね、よかった」
「う、うむ……お主も元気そうで良かったぞ……うむ」


さしものマザーも今のエリーを前にしては冗談の一つもかますことはできないらしい。このままではいけない。既にハルは顔面を蒼白にし、まともに動ける状態ではない。今の状況を打破できるのはアキだけ。


「そういえばエリー、みやげを買って来たんだ。一緒に」
「で、そのベルちゃんってどんな娘なの?」


撃沈だった。瞬殺だった。何故ちゃんづけなのか。もうそれだけで十分だった。そのままアキとハルは土下座をしながらエリーに説明と言う名の弁明をする羽目になる。自分が土下座する必要がないことにアキが気づいたのはしばらく後の話だった。


「ふーん、そういうことか。やっぱりハルってモテるんだね」
「いや……そんなことは……」


事情を一通り聞いた後、エリーはどこか拗ねた様子でハルに食ってかかっている。まさか帰って早々夫婦の修羅場を見る羽目になると思っていなかったアキは少し離れたところで観戦モード。原因を作ったのはお前だろう、という恨みのオーラを放っているハルを見ながらもアキは手を差し伸べることはない。そんなことをすれば自分も巻き込まれるのは火を見るのは明らか。だが


「いいもんいいもん。ならあたしはアキと浮気しちゃうんだから!」
「……は?」


アキには既に逃げ場はなかった。アキはそのままエリーに腕を掴まれ、引き寄せられてしまう。突然のエリーの奇行にアキはされるがまま。エリーはその姿をハルに見せつけどこか満足気な笑みを浮かべている。


「な、何のつもりだよエリー!? 何でそんな話に……」
「だってハルも浮気したんだから。ならあたしも浮気してもいいってことでしょ?」
「そこで何で俺が!? てめえらの夫婦喧嘩に俺を巻き込むんじゃねえよ!?」
「いいじゃない、アキ、あたしに無理やりキスしてきたでしょ?」
「いつの話だ!? あんなもん時効だ!時効! そもそも俺は好きであんなことしたわけじゃ……」
「え、ひどい! あたしのファーストキス奪ったのにそんなこと言うの!?」
「アキ、エリーから離れろよ! エリーもいい加減に……」


そのままもみくちゃになりながら三人は争うも収拾がつくことはない。唯一止めることができるマザーは飽きたのか他のMB達とおしゃべりを始めてしまう。そんな異次元空間がいつまでも続くかと思われた時


「邪魔するわよ、アキ」


静かな声とともに、部屋中の室温が一気に低下した。瞬間、部屋にいる全ての者の視線が新たな来訪者に注がれる。そこには


「ジェロ……? どうしてお前がここに……?」


いつもと変わらない無表情と空気を纏った四天魔王の一人、絶望のジェロの姿がある。唯一違うのがその服装。魔界にいる時の戦装束ではなく、アキに送られたセーターとロングスカートを身につけている。ガラージュ島を訪れる時のジェロの普段着のようなものだった。


「あ、久しぶりジェロ! 結婚式の時以来かな?」
「ええ。どうやら仲良くやっているようね……」
「どこを見ればそう見えるんだよ……ったく……」


呆れ果てながらも、ようやくアキは力づくでバカップルならぬ馬鹿夫婦を自分から引き剥がし自由の身となる。犬も食わない夫婦喧嘩を何故自分がと思いながらもアキはとりあえずこの場をどうにかしてくれたジェロに感謝するしかない。


「……で、一体どういうつもりだ? 確かお前はまだ仕事が残ってたはずだが……」
「そうね……でも今日の公務は既に終わらせたわ。なら私がここに来ようと構わないでしょう?」
「それは……まあ、そうだが……」


まるで予想していたかのようにジェロは全くよどみなくアキの突っ込みを受け流す。事実、ジェロは自らの仕事を終わらせてからガラージュ島へやってくるのが日課になりつつあった。特にカトレアとは気が合うらしく、自分がいない時にも交流を計っているらしい。何だが嫌な予感を抱きながらもアキはそれ以上何も言うことはできない。


「久しぶりだな、ジェロ。レットはそっちで元気にやってるのか?」
「ええ。飽きもせずにウタと修行しているわ。何が楽しいのか理解できないけれど……」
「ははっ、あいつらしいな。今度オレも遊びに行ってみようかな」
「止めておいた方がいいと思うわ……ウタは喜ぶだけよ」
「マジで止めとけハル……体がいくつあっても足らねえぞ……」
「何? そんなに楽しいところなの魔界って? あたしも行ってみたい!」
「うむ、魔界探検ツアーか。懐かしい響きではないか、我が主様よ?」


好き勝手に騒いでいるエリーとマザーのコンビに頭を悩ませながらもアキは確かに感じ取る。それはジェロの気配。明らかにそれがいつもとは違っている。アキだからこそ分かること。今のジェロは四天魔王の顔を、雰囲気を纏っている。


「……ジェロ、何かあったのか?」
「……ええ。アキ、すぐに私と一緒に魔界に来て頂戴。見てもらいたい物があるの。メギドとウタも待っているわ」
「メギドとウタが……?」


ジェロの言葉にアキは呆気に取られるしかない。メギドとウタ、そしてジェロと自分。魔界における全ての魔王が会さなければならない事態が起きていることを意味しているのだから。


「分かった……すぐ行く。ハル、エリー、悪いがちょっと出かけてくる」
「……ああ。気をつけてな、アキ」
「……無茶しないようにね。ママさんも」
「お主に言われるとはな……ま、面倒事に巻き込まれるのは運命のようなものよ、なあ我が主様よ?」
「うるせえよ……さっさと行くぞ、マザー、ジェロ」


不吉極まりないことを呟くマザーに辟易としながらもアキはジェロと共にゲートによって魔界へと向かうのだった――――




魔界。人間界ではないもう一つの世界。人間ではなく亜人が住む場所。その一画で二人の魔王が大魔王の到着を待っていた。

獄炎のメギドと永遠のウタ。共に四天魔王であり、魔界を統治する四人、今は三人となってしまった王の内の二人。本来ならめったなことがない限り会することがない二人が共にいるということだけで異常な事態が起きていることは明らか。そんな中


「悪い、遅くなっちまった。何があったんだ?」


光と共にゲートをくぐり、アキとマザー、ジェロが姿を現す。魔界の門を開くことができるゲートだからこそできる芸当だった。


「済まぬね、アキよ。できるなら我らだけで対処する気だったのだがやはりお主の力も借りた方がよいと判断したのだ」
「オレは一人でもよかったのだがな」


メギドとウタの言葉にアキはさらに疑念を強くするしかない。自分を除けば二人はいわば魔界の頂点に君臨する二人。ジェロを加えたこの三人で対処できないことなど存在するわけがない。それこそエンドレスが相手でもない限りそんなことは起こり得ない。アキが一体何が起こっているのか尋ねんとするもそれよりも早く


「いいえ……話すより見た方が早いわ。付いてきて頂戴」


ジェロはそのままアキを先導するように歩き始める。宣言通り、この状況の原因をその目でアキに見せるために。メギドとウタもその後に続いて行くだけ。アキは三天に導かれながらその場所へ向かうことになったのだった。


「ここは……」


アキは辿り着いた場所でようやく足を止める。そこにはまるで隕石でも堕ちたかのような大きなクレーターがあった。いや、正確にはまるで空間が抉られたかのような爪痕。時空の歪みが生み出す破壊の跡が。


(これは……次元崩壊? いや、時空の歪みか? 何にせよヤバそうなことは変わらねえか……)


アキは知らず息を飲みながらその場所へと下りて行く。それを守護するように三天もまた続く。時空の歪み。それは世界を歪めるほどの力がなければ不可能な奇跡。この並行世界でいえば魔導精霊力とエンドレスがそれに当たる。もっとも今はエンドレスは消えてしまっているため存在しない。


「この辺りは最近開拓された土地。このクレーターは遥か太古からここにあったようだ。しかしその中にある物が問題でな……」


メギドがうなりながらその物体をアキへと晒す。クレーターの中心にある確かな物体。それは


「…………鎧?」


紛れもない鎧だった。人が身につけるであろう防具。その形状はどこか幻想的なものであり、羽を模したような装飾があちこちに見られている。何よりも目を引くのがその色。血よりも赤いのではないかと思えるような深紅スカーレット。形状から女性用の鎧であることも明らか。だが問題はそこではなかった。


(何だ……この力は? 下手したらネオ・デカログスやTCMに匹敵するんじゃ……)


その鎧が纏っている膨大な魔力。魔導士ではないアキですら感じ取れるほどの魔力。しかも封印処置がされているらしいにも関わらずこの力。明らかに常軌を逸している。これほどの魔道具が何故こんなところに。アキはそのまま注意深く鎧を確認していく。触れることはできるがそれだけ。封印を解くことも、力を解放することもできない。もっともその全てを魔導士であるジェロが試しているらしいので当然ではあるのだが。そんな中、アキは鎧に字が書き込まれていることに気づく。


(妖精……女王……妖精女王ティターニア? この鎧の名前か……?)


妖精女王ティターニア


それが鎧に刻み込まれていた名前。恐らくはこの鎧の名称。しかしアキには全く聞き覚えがない言葉。三天達もそれは同じ。これほどの鎧を纏える者がいるなら魔界で間違いなく噂となるはず。しかしそんな噂はここ数年、それどころか四天魔王が生まれてから一度もない。


「アキ……あなたに見せたかったのはそれだけじゃないわ。その奥にあるのがそうよ」


ジェロは鎧に気を取られているアキにそう促す。まるでその鎧すら問題ではないと言いたげな意味がジェロの言葉には込められていた。その意味をすぐにアキは知る。


(これは……鍵……? いや……この力は……!?)


黒い鍵。掌に収まる程の小さな黒い鍵がそこにはあった。隣にある鎧に比べれば取るに足らないような物。事実力の大きさは比べるべくもない。しかしその力の質が問題だった。何故なら


「エンドレス……?」


今は消滅したはずの終わり亡き者、エンドレスと酷似した力が鍵にはあったのだから。かつてダークブリングマスターであったアキには誰よりもそれが分かる。間違いなく目の前の鍵が保有している力がエンドレスの力であることを。同時にようやく理解する。ジェロ達が自分を魔界に呼んだ理由。もし本当にこれがエンドレスのものであれば例え四天魔王であっても万が一がある。感じ取れる力は微かだが、エンドレスの力である以上油断はできない。


「…………」


アキは一度、大きく息を飲みながらも臨戦態勢を取る。もはや余裕など微塵もない。細心の注意を払いながら、それでもゆっくりとアキはその手を鍵へと伸ばす。しかし


「っ!! アキ、それに触れるでない―――!!」


マザーの叫びによってアキはその動きを止める。そうさせてしまうほどの決死さがマザーの言葉にはあった。だがそれは遅かった。アキが鍵に触れるのを待つことなく、まるで呼応するように鍵から紫の光がアキを包み込んでいく。瞬間、三天は弾けるように主を救わんとするも間に合わない。アキもその力の前に抗う術を持たない。光と共に、アキはこの並行世界から姿を消した――――




(…………? ここは……?)


アキは光によって目をこすりながら意識を取り戻し、辺りを見渡す。瞬きにも満たない一瞬。だがそれで全てが変わってしまった。そこは船の中だった。恐らくは巨大な船の中。』その証拠に窓からは空と雲が見えている。アキはすぐさま己の状況を確認する。


(体は何ともねえ……マザーも、他のMBも持ってる。それよりもさっきの光、鍵は一体……?)


体は無傷。何の問題もない。マザー達も同じ。ただ違うのは自分の周りの世界。先程までの魔界ではなく、四天魔王の姿も見当たらない。そこでようやくアキは気づく。この場に自分以外の人間が四人いることに。


まずはリーゼントをしたヤンキーのような容姿をした男と関取のような巨大な大男。共に負傷を負い、自分を見ながら驚いているのか動きを止めてしまっている。だがその所作から二人が一般人ではないことがアキには分かる。恐らくはかなりの実力者。


もう一人が王座のような椅子に腰かけた老人。全身を包帯で巻かれた姿は満身創痍そのもの。だが先の二人とは桁外れの力と重圧をアキは感じ取る。真っ先に思い浮かんだのは無限のハジャ。だがその力はかつてのキングかそれ以上はあろうかという怪物。満身創痍でありながらこれだけの力を感じさせる相手。だがアキはその老人すら意に介してはいなかった。何故なら


その全てを以っても足元にも及ばない程の力が、その場を支配していたのだから。


それは黒髪の青年だった。民族衣装のような姿をした、一見すれば優男と称されてもおかしくない容姿。だがそれが逆に異常性を際立たせていた。大魔王であるはずのアキですら気圧されてしまいかねない圧倒的な力と重圧。これまで感じたことのない、異質な感覚。死の感覚とでも言うべき負の力を青年は纏っている。


アキはただ条件反射のようにその手にネオ・デカログスを構える。狙いも何もない、本能に近い行動。だがそんなアキを見ながらも


「君は……アキ、なのか……?」


青年はまるで待ちわびた、夢が叶ったかのように声を震わせ、瞳から涙を流しながらアキの名を呼ぶ。


「…………え?」


アキはただ呆然とそんな青年の姿に困惑するしかない。当たり前だ。いきなり自分に匹敵、凌駕しかねない力を持つであろう相手が現れただけでなく、会ったことも、しゃべったこともない相手に名を呼ばれ、その相手は涙を流している。これで平然としていられる人間などいるはずがない。ただアキは確信していた。ある意味いつも感じていた、懐かしい感覚。どうやら自分がまた、とんでもなく面倒な事態に巻き込まれてしまったのだということだけ。アキはまだ知らなかった。目の前の青年の正体。この世界の正体を。


「会いたかったよ……アキ」


古の地に降り立ち、黒き魔術を広め、数万の悪魔を生み出し、世界を混沌へと陥れた。


魔法世界の歴史上、最強最悪の男。


『黒魔導士 ゼレフ』





『やれやれ……いつかのアナスタシスではないが、本当にお主は面倒事に巻き込まれる運命にあるようじゃの……』


自らの主の不運を嘆きながらもマザーはただ共にあり続けるだけ。やることは変わらない。これまで通り。


アキの、大魔王の憂鬱はまだまだ続くことになるのだった――――


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