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[18506] 風車通信 ~忍術学園編~
Name: 緋色◆5f676539 ID:64f78d5b
Date: 2010/05/11 01:52
※このお話は『忍たま乱太郎』・『落第忍者乱太郎』の二次です。
 このお話の前にあたる『幼少期編』は『チラ裏』に置いてあります。
 『忍たま』『落乱』の双方がミックスされ、さらに作者の脳内設定(という名のご都合主義)を足してシャッフルされています。
 学年が上がるごとに制服の色が変わる設定です。(さすがにあのガラで上級生は可哀相な気がして。一年だけガラ入りで色は同じ、というのも考えましたが)
 この頃見始め、中途半端にしか知識がないので・・・・あまり、原作と比べないで下さい・・・・・。
 アニメと漫画で名前が混乱している事があるかもしれません。
 一人称がおかしいかもしれません。
 性格がおかしい、あるいは壊れたキャラが存在するかもしれません。
 あとがき・感想のお返事は感想掲示板にておこないます。


















春爛漫。
桜が舞い散る季節が来た。



赤茶色の髪に眼鏡をかけた子供は、自分の左右にいる同い年の子供を見た。
ふくふくと丸みをおびた体つきの子供と、髪質の所為でちょんまげが結えない自分とは違い綺麗な黒髪を頭の後ろで結んでいる子供。どちらもさっき出会ったばかりだ。
牛車の牛にどつかれ、小銭に埋められるという衝撃的な出会いだったが、この学園で初めて出会った同級生。縁を感じる。

「これからよろしくね」

赤毛の子供が微笑みながらそういうと、他の二人も年相応の笑顔を見せた。

「ああ、おれたち三人、なかよくやろうぜ」
「うんっ」





+++





「あれ? きみ、さっきの」
「あ。同室だったんだね、よろしく」

どんぐり眼で今日から自分の部屋となる場所を眺めていた子供は、少し遅れて入ってきた同年代の子供に首を傾げた。
先ほど、入学金を支払う時に一緒になった子だ。

「・・・ああ、そうか。ついた順番で部屋割りするんだね」
「・・・・・・・・・きみ、冷静だね」
「よくいわれるよ」





+++





「うおーーーっ ここが教室かぁ!」
「畳がある!」

バタバタと足音も高らかに教室に駆け込んできた二人の子供は、物珍しそうにあちこちをキョロキョロと見渡した後、窓に嵌っている障子を開けて下を見下ろした。

「すっげぇたかい! 3階だもんなぁ」
「おおぉ、むこうまで見える!」

興奮してぎゃいぎゃいと騒ぐ子供のうち、袖をまくって肩まで出していた子供が隣の子供を突きながら校庭の一部を指差した。
壁際に等間隔で一列に並んだ物体。

「なあ。あれ、なんだとおもう?」
「え? ――あ! あれ射撃のマトだよっ! うっわぁ! 近くでみたい~!!」
「へえ。
 ・・・―――それより馬小屋どっかにないかなぁ」





+++





「あれ? 先客がいる」
「でもなんで私服なの?」

開けっぱなしの教室の扉から顔を出した二人の子供は先に中に入っていた同級生を見つけ、首を傾げた。
その言葉に先刻まで騒いでいた子供達も振り返る。

「お。同じクラスか?」
「そうみたいだね。一年は組」

前髪を同じ長さで切りそろえている子供が肩をすくめると、その隣にいた子供が笑顔のまま二人を指差した。

「なんで制服にきがえないの? 部屋においてあったでしょ?」
「「え?」」

私服組ははて?、と言いたげに動きを止めた。
その様子に笑顔の子供はさらに首を傾げる。

「もしかして最初にココに来た? まず部屋に荷物をおいてからって受付でいわれたよね?」
「「あーーーーーーっ!!」」

私服で教室に乗り込んでいた二人はようやくその事を思い出したのか同時に大声を出して焦ったように部屋を飛び出していく。
その場に残された二人の子供はその後姿を入り口から呆れたように眺めていた。

「あいつら、バカだな」
「アハハ」





+++





「なぁ、本当にこっちであってるんだよな?」

木々に囲まれた細い道のりの途中。
確認の言葉とは裏腹に疑わしげに見つめてきた子供に、隣を歩いていた子供はこくりとひとつ頷いた。
二人とも同じ顔をしている、いわゆる双子というものだった。
ただ、顔は同じだが雰囲気は正反対。その上着ている着物も男物と女物、という事で二人を見間違える人はいないだろう。

「おれもさぁ。おまえが地図を読み間違えるとはおもってないけどさ、本ッッ当にこんな人気のない山奥でいいのか? 人のすむ建物がある?」
「地図ではそうなっている」
「・・・・・・まぁ、忍者の修行する場所がオープンってのもどうかとおもうけど」

ぶちぶちと口の中で呟きながら歩みを進めていた男の子の横で、ふいに女の子がその足を止めた。
遅れて足を止めた男の子の方も、隣の子供が何に気をとられたのかに気付く。

「・・・・・・忍者・・?」

視線の先には左右を見渡す人影。大人にしては小さなその影は山葵わさび色の忍び装束に身を包んでいた。
記憶に引っかかるその色は、昔、双子の兄が家で洗い物として母に渡していたものと同じ色だ。

「・・・・・・忍術学園の生徒かな?」
「だとおもうが」

それならば学園までの道を聞こう、と思う間に、相手は凄いスピードで向こう側へと走り去って行った。

「・・あ」
「でも近くにあるという事はわかっただろう」

呼び止めようと出しかけた手をフリーズさせた男の子に、女の子がボソリと呟く。
なるほど。
自分の片割れの言葉にふむ、と頷いて手を下ろし、足を踏み出した――瞬間。

「あっちだーーーーっ!」

ドップラー効果がありそうな大声とともに先ほどの少年が駆け戻ってきて二人の脇を通り過ぎ、二人が歩いて来た道の方へと走り去っていった。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

とりあえず見なかったことにして二人はもう一度歩き始める。
が。

ガサッ

「こっちだーーーっ!」

何故か横の藪から飛び出してきた先ほどの少年がまた後ろへと駆けていく。
音がした瞬間に思わず足を止めた二人の子供は、その一部始終を見送った。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

「あっちだーーーっ!」

と思うや少年は後方からみるみる内に迫ってきて、前方へと走り去る。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・なんだとおもう?」
「走りこみだろう」

先ほどから少年の巻き起こす風とともにまともに浴びてしまった砂埃を叩き落し、二人は顔を見合わせた。不可解な少年の行動に一応理由をつけ、止まっていた歩みをもう一度再開する。

「・・・・・・次きたら、道をきいてみる?」
「止まるとはおもえないが」
「だよなぁ。・・・・・・いや、でも一応」

いるんだから聞いてみたら・・・、と続ける前に、再び前方から少年が走ってくるのが見えた。

「あの――」
「あっちだーーーっ!」

男の子が声をかけるより先に少年は風と砂埃だけを残して後方へと去っていった。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

イラッ

後に残された男の子の眉毛がひくりと動く。
仏頂面で後方を振り返った男の子の目に、また戻ってくる少年が映った。

「こっち――」

再び真横を駆け去ろうとした瞬間、今まで動かなかった女の子の右腕が閃き、いつの間にか握り締めていた一尺(約三十センチ)程の棍棒が少年の顔の高さで繰り出された。
寸前でハッとそれに気付いた少年が身を屈めたが、その足元を時間差で動いていた女の子の足がなぎ払う。

ズシャァッ!

音を立てて顔面から地面に滑り込んだ少年を見送ってからようやく我に返った男の子が自分の相方の方を振り返った。

「な、なに危ないことしてんだ――ッ!!」
「いや・・・・・こう、さっきから胸がザワザワするというか、腹部がムカムカするというか・・・おもわず」
「・・・・・・・おまえ・・・実はいらだってたのか・・?」

無表情で首を傾げ、胸を押さえる女の子に引きつりつつ男の子は棒を持った手をそっと下ろさせる。

「とにかく、短棒なんかだすな。危ないだろう(相手が)」

わかったな?と念を押すと女の子は護身用に、と母が持たせた短棒を即座にしまいこんだ。
両親が突然叩き込んできた武芸を難なく吸収した女の子にとって、短棒の扱いも慣れたものなのだろう。

「ぅ・・・いったたぁ・・なんだあ?」
「あっ だいじょうぶですか?」

擦った顔面を押さえつつ起き上がった少年に慌てて駆け寄ると男の子は即座にその前面にまわりこみ、ペコリと頭を下げた。

「すみません、どうも足がひっかかっちゃったみたいで」
「ん? 攻撃されたような気がするんだが・・」
「そんな、気のせいですよ。それより道をおたずねしたんですが」

納得がいかず首をひねる少年に畳み掛けるようにそういうと、男の子はにっこりと笑顔を浮かべた。

「忍術学園に行きたいんですけど、どこら辺ですか?」
「なんだ、君たち新入生かっ」
「はい」
「忍術学園はあっちだっ! まっすぐ行けば着くぞ!
 じゃ、ぼくは今、校外実習の途中なんでなっ」

少年はビシッ、と左斜め前の藪を指差すとすぐに後方へと走り去っていった。
それを見送り、同時に顔を見合わせた後、二人は少年の指差した方を眺めてもう一度視線を合わせる。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・近道、かな?」

どう見ても道じゃない場所に首を傾げながら、それでも男の子は少年の言葉を信じてそこに割って入っていった。
その場に取り残された女の子は親に手渡された地図と右側を交互に見て首を傾げ、けれど何も言わずに男の子の後を追う。
ガサガサと二人が藪を掻き分ける音がしばらくその場に響いていた。





+++





そしてその頃。


「あんの方向音痴どもーーーーっ!!
 左門さもんー! 三之助さんのすけーーーっ! どぉこ行きやがったあ~~~~~っ!!!」



一人の少年の雄叫びが森の中に響いていた。



[18506] 忍術学園入学 の 段
Name: 緋色◆5f676539 ID:64f78d5b
Date: 2010/05/14 01:55
忍術学園入学
の段




ざわざわと熱気を帯びた室内。
その中に集まっているのは井桁いげた――井戸などを囲んだ木の枠組みのひとつ。四つの木を“井”という漢字のように組んだもの――模様の入った空色の忍び装束に身を包んだ九人の子供達だった。
畳敷きのその部屋の中、横二列、縦二列、と等間隔に並んだ四つの長机に、同室の者たちで固まって黒板の方を向いて席についていた。
これから始まる生活への期待と不安を抱え、チラチラと別の席に着く自分と同じ年齢の子供に視線を向けては隣の子供と会話を交わす。
黒板から向かって左側の前の机。基本二人で座っているその中で唯一三人で座っていた子供達も会話に花を咲かせていた。

「ねぇきり丸。きり丸はこのクラスの担任はどんな人だと思う?」

右横にある廊下の入り口の戸板を眺めながら赤茶色の髪の眼鏡をかけた子供が机に突っ伏したぽっちゃりとした男の子の頭越しに扉近くの子供に声をかけた。
尋ねられた、サラサラとした黒髪を後頭部でひとつに束ねたきつい目つきの子供は、眼鏡の子供の方を向いて頬杖をついたまま器用に肩をすくめる。

「さあ? まあでもあんまりきびしくない方がうれしいぜ。乱太郎らんたろうはどうなんだ?」
「うーん・・・優秀なひとだったらいいな、とは思うけど」
「それは大丈夫なんじゃないか? ココ、忍術学園は教師が優秀だ、って有名だろ」
「そうだよね。じゃあやっぱりやさしい先生がいいかな」
「だろ?」

にっと笑った後、きり丸は隣の子供を見下ろした。つられるように乱太郎も二人の間に挟まれた子供を見下ろす。
二人より身長が低く、横幅が広いその子供は机に置いた両腕に顔を突っ込むようにしたまま規則正しい呼吸を繰り返していた。

「しんべヱ寝ちゃったね」
「よくこんなやかましいところで寝れるよな。感心するぜ」

呆れたように呟いたきり丸の言葉通り、部屋には喧騒が溢れていた。
わいわいガヤガヤと徐々に音量が上がっていくその様はまさに子供達の興奮具合を物語っている。
そのうち机越しに他の子供たちとの会話が飛び交い始め、熱気が最高潮に達しようとした時、不意にガラリと戸口が開いた。
ザッと波が引くように熱気が引き、咄嗟に子供達が口を閉じた室内は一瞬にして静まり返る。席を離れていた者もだれていた者も慌てて姿勢を正し、きちんと席に着く。
興奮から緊張へと切り替わった空気の中、堂々と教室の中に入ってきたのは黒い忍び装束を着た二十代半ばの若い男と四十代後半らしき壮年の男だった。
二人して部屋の中央まで進み、静かに足を止める。
しゃちほこばる子供達に向かい合い、最初に口を開いたのは壮年の男の方だった。
鍛えているだろう体つき。三白眼に出っ張った頬、鷲鼻の下には左右に整えられた髭、飛び出した顎にも立派な顎鬚が生えている。

「諸君、忍術学園に入学おめでとう。あたしは今日からこの『一年は組』の実技を担当する、実技担当教師の山田伝蔵でんぞうである」
「わたしは教科担当の土井半助はんすけだ。よろしく」

その隣に立っていた若い男も子供達を見渡す。
黒髪黒目、若干隣の男より高い背丈。まだ若々しい顔は優しげで子供達にはとっつきやすそうだ。
これから自分達の先生になる二人を、子供達は息をつめ、不安と好奇の篭った眼差しで見つめていた。






一方その頃。
忍術学園でのんびりと入学のお祝いが行われている中、両手を使って藪を掻き分け、前に突き進む子供達がいた。
顔のそっくりな双子の姉弟。多由也たゆや風車ふうしゃだ。
男である風車が先頭に立ちガッサガッサと前方を塞ぐ枝葉を掻き分け掻き分けして歩いていると、ふいに手が空を掴んだ。かれこれ半刻(一時間)は格闘していた藪がようやく途切れたのだ。
最後のひと掻きで藪の中から出ると嘆息し、体にくっついた葉や枝くずを払い落とす。その後に続いて出てきた多由也も同じように自分の体を叩いた。
そうやって一息入れながら視線を回りにめぐらせ、風車はなんともいえない表情で多由也の方を向いた。

「・・・・・・・・・・。なあ、多由也。俺たち、まっすぐに進んできたよな?」
「ああ、まっすぐだ」

藪から出たはいいけれど、どう見てもまだ森の中だ。付近に人が住む建物がある気配もない。
自分達より背の高い藪の中は前がよく見えなかった。その所為で途中で進路が逸れなかったか確認の為に風車は多由也に聞いたが、多由也はきっぱりと言い切った。
多由也が肯定したという事はつまり、真っ直ぐに進んできたという事。

「・・・人が住んでそうにないんだが」
「ああ」
「・・・・・・なんでこんなところに出るんだ?」
「・・・―――」

口を開き、何か言いかけた多由也の視線が不意に風車の顔を逸れて後ろに動く。
何かを追うようなその視線に振り返った風車も、すぐに多由也が何を見たのか気付いた。木々を透かした向こう側にさっき出会った少年と同じ忍び装束に身を包んだ少年がいたのだ。
色が色なだけに周囲に溶け込んで見えるその少年は先ほどの少年に比べると背が高くひょろりとしていた。茶色の髪を揺らし、森の中を歩いているにしては早い速度で移動している。
森に突っ込んでから初めてあった人間だ。
一瞬、そのまま見送りかけ、即座に我に返った風車が慌ててその少年に駆け寄った。多由也もすぐについていく。

「あの・・・っ」

いきなり横合いから声をかけられ、風車に視線を向けた少年はそこに並んでいる二つの顔に少し驚いたように目を動かした後、歩みを止めた。

「何?」
「えっと・・・道をたずねたいんですが」
「なんだ迷子か」

しようがない、と年上らしく笑った少年に、風車は先ほど教えられたとおり前方を指差す。

「忍術学園ってここをまっすぐいけばいいんですか?」
「ん? いや、もう少しこっちだな」

指差した方向を振り向いた後、少年はゆるく首を振りながら風車が指差したよりも左側を指差した。
そのまま視線だけ風車に落とす。

「新入生だろ? 今授業中だぞ。急がないともう入学の挨拶、始まってるんじゃないか?」
「―――!!」
「んじゃ、オレは迷子になった皆を捜してるんで」

その言葉に即座に風車の顔色が悪くなったが、当の少年はそんな反応には気付かなかったようで言うだけ言って双子の横を通り過ぎ、先ほど風車達が出てきた藪をガサガサと掻き分けながら消えていった。
その姿を不思議そうに視線で追った多由也が草の擦れる音がしなくなってから顔を戻す。

「・・・・・・さきほど行こうとした方向とちがうが・・・」

口の中で小さく呟きながら、風車の顔を見つめる。
ショックで固まっていた風車は多由也と目が合ってようやく動けるようになったのか、ヤバイ、と声にならない悲鳴を上げながら無意識に袈裟懸けに背負った風呂敷の結び目を握った。

「・・・もう締め切ってるなんて・・! 万一入学できなかったら家にかえれない、――というか殺される・・・っ!!」

口に出してさらに危機感が増したのか顔からさらに血の気が引いて白いほどだ。握り締めた手も恐怖にフルフルと震えている。

「とにかく急ごうっ」

嫌な想像を振り払い、風車は少年が指差した方向に歩き出した。
日中なのに森の中は覆い茂る木々の所為で視界が悪く、足元も平坦ではないが、先ほどの藪の中よりよっぽど動きやすい。
隣に多由也も並んできて二人揃って歩くが、その歩調が段々と早くなっていく。
ちらりと一瞬だけ視線を後ろに流した後、多由也は風車とともに森の中に駆け出した。






「えーー、これより学園長先生のお言葉をいただくから、みんな心して聞くように」

足を肩幅に開いて、姿勢を正したまま声を張り上げた壮年の教師――伝蔵は、教室内を見回してムッ、と顔を顰めた。前列の席なのに机に突っ伏している子供がいたのだ。
爆睡しているようで、ピクリとも動かない。先ほどの自己紹介のときも眠っていたのだろう。
鬼のように変わっていく伝蔵の表情に左右に座っていた子供達が慌てたように真ん中に座る子供を起こそうと小声で注意を呼びかけながら揺する。
それでも起きない。


「こりゃーーっ!! そこ、起きろっ!」


怒りも露わな伝蔵の大喝に他の子供達が身を縮めたが、机に突っ伏しているぽっちゃりとした子供は起きなかった。まったく耳に入っていないのか身動きひとつしていない。


「起・き・ん・か・っ!!」


ごつんっ!


鬼もかくやというような表情で大股にずかずかと近づいた伝蔵が、その頭部めがけて拳を振り下ろす。
ふぎゃっ、と尻尾を踏まれた猫のような声を上げて、ようやく子供が顔を上げた。
状況がわかっていなさそうなぼへっとした顔からは鼻水や涎がダラダラと零れて糸を引き、机に大きな池をつくっている。
目をショボショボとさせ、訳もわからず周りを見回すその子供に、左右の子供達は苦笑しながら視線だけで伝蔵と子供の様子を窺った。

「・・・・・・・・・ああ、・・・もういい、寝てなさい」

あまりにも緊張感のないその表情を間近に見て毒気を抜かれたのか、ため息を吐くと伝蔵はそのまま腰に手を当てて背筋を伸ばし、もう一人の若い教師――半助の所まで下がった。
二人して黒板の脇に寄り、伝蔵は気を取り直すようにひとつ咳払いをしてからさきほどまで自分達が立っていた場所を腕で示した。

「では学園長先生、どうぞっ!」

ぼふんっ

言葉とともに煙玉が投げ込まれ、黒板の前が白い煙に包まれる。
子供達が突然の煙にギョッとした瞬間、死角からそこに飛び込んだ老人が煙を割って出てきた。
多少その煙でげほげほと咽ているのが情けないが、いきなり現れた小柄な老人に子供達は「おおーーーっ!」と一斉に感嘆の声を上げる。

ほっほっほ。

素直に驚く子供達に白髪のおかっぱを揺らすように得意そうに笑った後、老人は目を覆うほどの毛量のある眉毛を片方そびやかした。
着物の上から赤いちゃんちゃんこを羽織り、杖をついて体を支えているがその動きはかくしゃくとしていて元気そうだ。

「わしが今紹介にあがった忍術学園学園長、大川おおかわ平次へいじ渦正うずまさである」

大仰な手振りで自己紹介する老人に、ふむふむ、と子供達は一斉に頷いた。
それにさらに気をよくした老人は鼻の穴を膨らませながら子供達を見回す。

「諸君、忍びとは・・・・・の」

「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・忍びとは・・・?」

緊張が高まった室内に、唾を飲み込む音が聞こえた。子供の内誰かが無意識に反芻する小さな声も。

「忍びとは―――」

右手を握り締め、間を溜めるように息を吸い込んだ老人に知らず、子供達も息をつめる。



「ガッツじゃっ!!」



足を踏みしめ、力いっぱいに言い切った老人の予想外の言葉にその場にいた子供達は全員ずっこけた。
一気に緩まった空気の中、老人はさらに拳に力を込めて天を仰いだ。


「知力、体力のたりん分は根性でカバーせよ!!」






どれだけ駆けただろうか。
双子はまだ森の中を彷徨っていた。
周りは閑散として、人の気配がまるでない。
いつまでたっても森を抜けない。それどころかさらに奥に進んでいる気がする、その手ごたえのなさに風車は苛立たしげに舌打ちした。

「何? なんで? なんでこんなにかかるんだ?」

さすがに山の中を、しかも道にさえなっていない悪路を走り続けるのに疲れてテクテクと歩きながら目を据わらせる。
不機嫌の理由のひとつにお腹が空いていた、という事もあった。
当初の計画ではお昼は学園で、という事になっていたのに、とんだ手違いで森の中で食べられる物の調達をする事になりそうだ。

「・・・・・・お腹すいたな」
「そうか」
「お前は?」
「同じだ」
「・・・・・・火、つけて調理するのめんどくさい。そんな事してたらますます遅れるし」
「そうか。なら生のまま食べられるモノを採ろう」

尋ねられない限りお腹すいた等という自分の要求を一切口にしない多由也は、風車の言葉に淡々と返した。
二人して前進しながら目に付く食べられる物を適当に採っていく。
秋と違って春は下ごしらえをしないと食べ辛い物の方が多いから、食べられる植物を集めても火を通さずに食べられる物はあまりないだろう。
ぶっちぶっちと適当に足元に生えていた嫁菜よめなを摘みながら、風車は隣で無表情に野草を千切る多由也を見た。
多由也は自分の要求を人に叶えて欲しいなどと思っていない。全部自分でなんとかする。
そしてそれが出来てしまうので他人には頼らない。
コミュニケーション力をもう少しつけろ、と口には出さずに内心で愚痴りつつ、さきほど採った藤の花の蕾を袖で軽くこすって口に放り込んだ。ほんのりとした甘みと独特の風味を感じながら大きくため息を吐く。

はぁ。

他人ひとのつくったあたたかいご飯が食べたい・・・」






老人が消えた室内は嵐が通り過ぎた後のようにただ静かだった。
呆然としたような子供達の視線は窓へと注がれていた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ありがたいお言葉だったね」
「・・・ありがたいよーな、ありがたくないよーな」

「では、がんばるのじゃっ!」という言葉を残して窓から去っていった老人を視線で追ったまましんべヱが口を開くと、同じく窓の方を向いたまま乱太郎がどんな反応をすればいいのか困ったように眉を寄せた。
そんな二人にきり丸の呆然としたような声がかかる。

「お、おい、ここ3階だぜ」
「え!? じゃあ学園長先生は3階の窓から飛び降りたって事?!」

驚いて振り返った乱太郎にコクコクと頷くと、きり丸は感嘆の息を吐き感心したように視線を窓の外へと向けた。

「さっすがプロの忍者だよなぁ」



「・・・・・・山田先生、どう思われます?」
「いつもの事だ。・・・・・・・ほんっと、生徒の前ではエエカッコするんだから・・・」

疲れたような声でこっそりと問いかけてきた半助に答えながら伝蔵は痛む頭を押さえた。
格好つけて窓から飛び降りたはいいがそのまま地面に墜落したであろう老人にため息しか出てこなかった。






歩いて走ってどれだけ進んだか、森の中でようやく人がいそうな小屋を見つけた風車は、しかし思いっきり首を傾げた。
想像よりも小さい。というよりもただの小屋にしか見えない。とても子供達がたくさん居る場所には見えない。

「?? なんだこの小屋。まさかココじゃないよな?」
「違うだろう。地図上ではここではない」

小屋をじろじろと眺めながら呟いた風車の後ろで多由也が小さく首を振る。あ、と風車が小さく声を上げて多由也を振り返った。

「そうだ、地図! こんなにかかるほど遠いのか? 忍術学園って。サダ兄がいうより時間かかってない?」
「ああ、それは学園に向かってないからじゃないか?」
「ああそう・・・・・・・は?

一瞬、言われた事の意味がわからなかった風車が再び聞き返すと多由也はご丁寧にもう一度同じ言葉を繰り返した。

「学園に向かってないからじゃないか?」
「はぁ!?!」

意味はわかったがそれでもよく理解できず聞き返した風車に、多由也は懐から地図を取り出して水平にした左腕の上で広げた。

「おかしいとは思っていた。母さんの地図とは別の方向へ向かっているから」

右手の指で三箇所続けて指し示す。

「ココが歩いていた道。ココが学園。ココがいまの場所。みごと逆方向」
「!? なんで?!」
「さあ。先ほどから別の方向ばかり教えられるから地図がまちがっているのかとおもっていたが―――」

今のこの状況。
どう考えても間違っているのは教えられた道の方だ。

たった今与えられた新たな情報に混乱したのか左手で額を押さえて俯いた風車は、数秒してハタ、と右手のひらを多由也の方へと向けた。

「いや、まて。まてまてまて。たしかにそうだとしても、だ。その前に―――」

キッ、と勢いよく多由也を睨み付ける。

「その事にきづいていたなら、なぜっ! なにもっ! いわないっ!!?

怒気が多分に含まれた風車の言葉に対する釈明は簡潔だった。
多由也は小さく首をかしげて、少し間を空けて口を開く。
いつもの淡々とした口調で。

「きかなかったから」


「~~~~~~っ!!!」






夕方。というよりもはや日も暮れ、夜の領分になった時分。
いきなり学園長に呼び出された半助は何の用事かわからずに首を傾げながら渡り廊下を早足に抜けていった。
着いた場所は忍術学園の南側、一番日当たりのいい場所にある小さな庵。学園長室だ。
部屋の手前で腰を折り、障子に手をかける。

「土井半助にございます」
「うむ、入れ」

とりあえず部屋の前で挨拶をするとすぐに中から声がかかった。静かに障子を開けて室内に目を向けるとすでに同じ組の担任、伝蔵が学園長と対峙するように座っていた。
そしてその隣に二人の子供と一人の老婆。学園長の隣には青い頭巾を被った白い犬の姿もある。
障子を閉め、するすると音を立てずに伝蔵の隣まで進み出た半助に二人の子供の視線が突き刺さる。
そのそっくり同じ顔に一瞬驚いて動きを止め、学園長に視線を移した後すぐさまその場に腰を下ろした。

「そなたらに来てもらったのは他でもない、この子供達の事じゃ」

一呼吸おいて学園長から紡がれた言葉にその場の視線が子供へと向かう。
ゆらゆらと揺らめく灯火の中に浮かび上がる子供達の姿は妙にくたびれていて、あちこちに葉っぱや木っ端がくっついていた。

「ついさっきヘムヘムが連れてきた。見回りをしていたら門を叩いていたそうじゃ」
「へむへむっ」

学園長の言葉にその通り、と言いたげに犬が独特の声で鳴きながら頷く。

「事情を聞いたところ、どうやら忍術学園に入学しようとして道に迷っていたらしい」
「ふむ。まあ毎年一人や二人、出ますからなぁ」

伝蔵が苦笑するようにそういうと、学園長は眉毛を中央に寄せるようにして唸った。

「そうじゃ。・・・・・・そうなんじゃが・・・―――どうもそれにうちの生徒が関わっていたらしくての」
「と、いいますと?」
「学園へと向かう途中、山葵色した制服の生徒に道を聞いたそうじゃ」
「・・・・・・はあ」
「教えられたとおりに藪を通っていたら同じ制服を着た生徒に出会ってもう一度道を聞いたそうじゃ」
「・・・・・・・・・・・・・・・はあ」

嫌な予感がするのか、伝蔵の相槌も鈍くなる。

「それで気がついたら裏裏山うらうらやまキノコ協同組合副組合長きょうどうくみあいふくくみあいちょうの小屋の前にいた、と」
「裏裏山?」

思わず漏れた半助の呟きに被せるようにため息を吐いた伝蔵は物事を反芻するように視線を天井に向けた。

「三年というと、確か―――」
「今日はろ組が校外実習で裏山に罠を仕掛けるはずじゃったが・・・」
「そんな授業の最中に一人でうろついてるのなんて、あいつらぐらいですよねぇ」
「だな」

半助と伝蔵は顔を見合わせて同時にため息を吐く。
この子供達もとんだ災難に巻き込まれたものだ。まさか聞いてはいけない人間に道を聞いてしまうとは。
担任ではないが居た堪れない気持ちになって半助は伝蔵ごしに子供達の方を覗き込んだ。

「すまんなぁ。あいつら二人ともすごい方向音痴で・・・・・・。悪気はないんだ、許してやってくれ」

労わりと優しさの篭った声に二人とも半助の方を向く。数秒して男の子の方がへっ、とやさぐれたように笑って首を力なく振った。

「いえ・・・・・もういいです。
 ・・・・・・・―――というか、悪気があっても仕方ないような状況だった気もするんで、ホント、もういいです・・・」

子供らしくなく妙に疲れた声音で低く呟く姿に思わず言葉に詰まる。
それよりも、と子供は視線を半助から学園長の方へと向け、少し体を前に乗り出した。

「俺たち、入学できるんですか? ここで断られて家にひき返すコトになったら、いのちの危険をかんじることになるんですが・・・」
「なに、そんなに思いつめなくても大丈夫じゃ。こっちの落ち度でもあるし、そもそも毎年一人二人は受付時間を遅れてやってくる子はおる。入学がムリだったら編入、という手もあるしのぅ」

鬱々と呟かれた言葉に学園長が苦笑を浮かべながら答えると男の子は安堵したように小さく息を吐いた。隣に座っている女の子が男の子と学園長を見た後、自分の隣に座る老婆を見上げる。
今までまるで物置のように黙って穏やかに微笑んでいた老婆は多由也の視線に気付いてその顔を見下ろし、口元のシワを深めるようにますます笑みを深めた。
そんな二人を目の端に入れ、学園長は少し背筋を伸ばすようにしてその場に居る者を見やる。

「それでじゃな、この子供達の担任として、そなたらを呼んだんじゃ。くの一教室は編入という形を取って、忍たまの方は今のところ九人で一番数の少ない「は組」に担当してもらおうかと思っての。
 構いませんかな、山本シナ先生」
「ええ、どうぞ」

学園長が視線を向けて念を押すと、白い髪を頭の上に結い上げた老婆はシワの刻まれたふくふくとした顔を上下に動かして穏やかに笑った。

「山田先生、土井先生」
「あたし達も別に問題ありませんよ」
「ではそういう事で。後のことは担任の先生に聞きなさい」

最後に子供達の方を向いてそういうと、学園長はこれでお開きというように手をひとつ打った。



部屋を退室してすぐくの一教室の二人と別れ、生徒達が生活する長屋の方へと足を向けながら半助は半歩後ろを歩く、遅れてやってきた子供を見た。少し俯き気味に歩くその頭にも木っ端がついている。

「今日はもう疲れたろう? 食堂のおばちゃんがお夜食を作ってくれているから部屋に荷物を置いたらそれを貰って風呂に入って寝なさい。詳しい説明は明日にしよう」
「お風呂あるんですかっ?」
「あ、ああ」

突然顔がガバリ、と持ち上げられる。予想外の食いつきに半助が少々目を丸くしながら頷くと少し元気が出たのか子供は小さく笑みを浮かべた。
半助の隣を歩いていた伝蔵もその様に苦笑して子供の方へと視線を向ける。その手に持っていた灯皿の火が動きにつられて揺らめいた。

「あたしは一年は組実技担当の山田伝蔵だ。こっちは教科担当の土井半助先生」
「よろしく」
「よろしくお願いします」

礼儀正しく頭を下げた子供がその頭を上げきるのを待って再び口を開く。

「そんで? 名前は?」
「あ、丹光たんこう風車といいます」
「丹光?」

その単語に歩みを止めた伝蔵に他の二人も止まった。伝蔵が自分の組の生徒となった子供をマジマジと見下ろす。

「丹光って・・・お兄さんいるか?」
「はい、ひとり。この学園にかよってました」
「あ、やっぱりなぁ~、あの丹光か」

妙に納得したように頷いた伝蔵を半助が不思議そうに見た。

「山田先生、知ってるんですか?」
「ああ、土井先生がまだいらっしゃる前の事だから知らないのも無理ないが、まあ結構有名な子供で―――大変そうだったというか」
「あ、やっぱりそうでした?」
「何? 知ってるの?」

訳知り顔で声を上げた風車を伝蔵が見下ろすと、風車はフッと遠い目をして視線を庭の方へと流した。

「なんというか、ことばの端々が・・・」
「まあねえ、そうだろうねぇ」

うんうん、と二人で頷きあい、歩みを再開する。
ほとんどの人が部屋へと引き上げているのか、人がたくさんいそうな建物の中はただ静かだ。
ぎしぎしと小さくしなる廊下の床板を踏みつけながら校舎の脇と通っていく。

「確かご両親は忍者の出ではなかったかな?」
「・・・・・・・」

その質問の何が悪かったのか。
しばらく沈黙が続いた後、子供にそぐわぬ疲れた声が流れた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それは家をでるとき初めて知りました。3日前です・・・」

なんというコメントをすればいいのかわからず、ぎしぎしという板の軋みだけがしばらく続く。

「ああそういえば――」

しばらくそのまま黙って歩いていた一団だったが、ふいに思い出したように半助が声を上げた。顔を半分だけ後ろにまわして黙って見上げた風車と視線を合わせる。

「もう今日は部屋割りとかどうしようもないからひとり部屋になるけど、大丈夫か? 誰かと一緒の方がいい?」

問われた瞬間、引きつりかけた顔を無理やり笑顔に変えて風車は大きく頷いた。

「大丈夫ですっ 夜こわいとか、ひとりじゃかわや(トイレ)にいけないとか、そういうこと、一切ありませんっっ」
「そ、そう」

力強く言い切る姿にそれ以上突っ込まずに前を向く。
ようやく長屋の一角にたどり着くと伝蔵は灯りを持ったままその中のひとつの部屋の障子を開け、中に入った。中に置いてあった灯火台に火を移し、入り口を振り返る。

「この部屋を使いなさい。ここら辺は忍たま長屋一年生の場所だ。近くにあるのが同じ組の子供達の部屋だが・・・・挨拶とかは明日だ、明日。今日はもう子供達も疲れて眠ってるだろうしな」
「はい」
「じゃあ荷物を置いたら必要な場所だけ案内しよう」
「はい」

そう言って廊下へと出て行った二人の教師を目で見送り、風車は胸元で固く結んだ荷物の結び目を解いた。風呂敷の重みが肩からするりと外れるとようやく安堵のため息が口から出て行く。
開け放したままの障子から零れ落ちてくる月明かりを見ながら、疲れた頭に手を当てた。


「・・・・・・・・・ながい、一日だった・・・」



[18506] いつも真面目にやってます の 段
Name: 緋色◆5f676539 ID:64f78d5b
Date: 2010/05/20 01:45
いつも真面目にやってます
の段




食堂で、学園一強いといわれるおばちゃんの朝ご飯を食べて教室にやって来た三人組――乱太郎、きり丸、しんべヱは、扉をあけてすぐに先人に気がついた。
どんぐり眼に意志の強そうな眉毛の男の子と穏やかな風貌の男の子、そして独特に跳ねた黒髪を後ろで束ねた見知らぬ子供。
向こうも扉を開ける音で気がついたのか、窓際の席に固まっていた三人が戸口を見やる。
視線があった子供達はすぐに笑顔になった。

「おはよー」
「おはよう」

さわやかな朝に相応しい挨拶が交わされ、最初に教室内に足を踏み入れた乱太郎が三人に近づく。
その中で見覚えのある二人に顔を向けた。

「二人はたしか・・・庄左ヱ門しょうざえもん伊助いすけ・・・だよね?」
「うん、そうだよ」
「そっちは乱太郎、と・・・きり丸、しんべヱだったよね?」
「そうだよ」
「ああ」
「うんっ」

まずどんぐり眼の子供――庄左ヱ門が頷き、穏やかな風貌の子――伊助が返した問いに乱太郎と、その背後に追いついたきり丸、しんべヱが頷く。
昨日の今日でいまいち曖昧だった名前を確認しあい、ほっ、と笑った全員の視線がその会話を黙って見守っていた最後の一人に向いた。

「ええっと・・・きみは?」
「ぼく達もさっき出会ったんだよ。同じは組の子なんだって」

困惑したように眉を寄せた乱太郎に庄左ヱ門がその子供の手の平で指し示しながら言う。ええ?、と目を丸くしたしんべヱの隣できり丸も顔をしかめた。

「昨日はいなかったよな?」
「・・・・・・そうだね・・まあ色々と」

どこか疲れたように呟いた後、一度ため息を吐いてから子供は顔を上げた。授業で使う教科書を入れた紫色の風呂敷を片手に持ったまま、いまだ突っ立っている三人に笑顔を見せる。

「俺は風車。同じは組の生徒になったから、よろしく」
「そうなんだ。
 わたし、乱太郎」
「オレ、きり丸」
「ぼくしんべヱ」
「で、庄左ヱ門と伊助、だよな?」
「「うん」」

その場で名乗るだけの簡易の自己紹介が終わった後、風車は完全に三人の方へ体を向け、床を手の平で軽く叩いた。

「とりあえずまず座ったら?」
「あ。あ、うん」

「窓、あけてもいいよね?」
「うん、おねがい」

促され、三人は顔を見合わせた後その場に腰を下ろす。
庄左ヱ門の方を向いて一応確認した伊助が座った三人と入れ替わるように立ち上がり、校庭側の窓を開けた。障子越しとは違う明るい日差しと風が入ってくる。
春らしい、気持ちのいい朝だ。
次々と障子を開けていく伊助の立てる音を聞きながら乱太郎は今日はじめてみる仲間、風車を見た。

「どうして風車は昨日いなかったの?」
「・・・ええっと・・・」
「あ、わかった。道に迷ってたんだろ」

子供らしくストレートに聞いてきた乱太郎に風車は躊躇したように口籠り、その様子にぽん、とひとつ手を打ったきり丸が横合いから口を出す。
どこを見ようか迷うように視線を彷徨わせた後、風車は視線を誰も居ない黒板側に流しながら諦めたように頷いた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まぁ、いいたい事をぜんぶ端折れば、そうなる」
「迷子だったのぉ?」
「学園までの道、けっこうわかりづらかったもんね」

自分が迷子になったかのように心配そうに顔をゆがませたしんべヱの後に続けるように、校庭側の窓を全部開け終えた伊助が庄左ヱ門の横に座りながら苦笑する。
それに返すように風車も苦笑を浮かべた時、開きっぱなしだった教室の入り口から二人の子供が姿を現した。
すぐに室内に居るクラスメイトに気付き片方が笑うと、その相方になにやら話しかけていたもう一人も笑顔を浮かべたまま教室内に視線を向けた。

「「おはよう」」
「「「「「「おはよう」」」」」」

そのまま室内に入ってきた二人は、全員が固まっている校庭側にある机の後ろに設置しているもうひとつの机に手に持っていた風呂敷を置いた。
その場に座りながら前髪をそろえた茶髪の子供が風車に視線を移す。

「だれ?」
「今日からは組の一人になる風車だよ」
「きのうは迷子だったんだって」
「え? 迷子?」
「うん、迷子」

庄左ヱ門の説明の後にしんべヱがのほほんと付け加えた。その子供の隣に座ったもう一人の子供に見つめられて大きく頷く。

「・・・・・・・・・しんべヱ、あんまりそこを強調しないで・・」

無邪気な声に追い討ちをかけられたかのように力なく呟いた風車に、風呂敷の結び目を解いていた子供が笑みをかみ殺したかのような顔を見せた。
風車に見られて自分でも悪いと思ったのかひとつ咳払いをして真顔になり、向き直る。

「ぼくは兵太夫へいだゆう。よろしく」
「ぼくはその同室の三治郎さんじろうだよ。よろしくね」
「二人とも、よろしく」

兵太夫と、その隣でにこやか笑顔で話しかけてきた三治郎に気を取り直し、風車も軽く笑みを浮かべた。
ほのぼのとした空気の中、ふと思い立ったように手を打って庄左ヱ門が動いた。自分の風呂敷から取り出した本を片手にその場の全員を見回す。

「みんな、きのう先生がいってた事、した?」

「きのう?」
「なんかあったっけか?」
「さあ?」

「ああ、あれ」
「一応は・・・」

首を傾げた乱太郎、きり丸、しんべヱと違い、兵太夫と三治郎はすぐにおなじ本を取り出した。
黒い紐でかがり閉じされた本の白い表紙には〔忍たまの友〕という文字。
それはその場の全員が持っているモノ。昨日全員に配られた、いわゆる教科書というものだ。

「『かき』について予習しておくように、だったよね?」
「そう」
「ああ~~~! あった、確かにっ」
「やっべ、すっかり忘れてたわ」
「どうしよう~」

同じく〔忍たまの友〕を取り出した伊助もそれを胸に抱え込むようにして庄左ヱ門を見た。
そうだよ、と頷く庄左ヱ門の声を掻き消すように、そこで初めて昨日のやり取りを思い出した三人組が悲鳴のような声を上げる。

「土井先生がいってた~」
「オレたち、なんにもしてねぇぜ?」
「怒られるのかなぁ・・・」

頭を抱えた乱太郎、きり丸に、すでに泣きそうなしんべヱ。そんな三人に苦笑しながら庄左ヱ門はなだめるような調子でポンポン、と〔忍たまの友〕の表紙を叩いた。

「授業がはじまる前にもう一度みんなで予習しとこうかと思ってね。いっしょにやらない?」
「「「やるっ!」」」

喜色満面に手を上げた三人に続いて他の子供達も頷く。一人話題に置いていかれていた風車も会話の内容から大体の所を察して黙って同じものを取り出した。
全員が教科書を手に取ったのを見て庄左ヱ門も他の皆と同じく〔忍たまの友〕に目を落とす。

「それで課題の『かき』についてなんだけど―――」


「わーーーっ! 遅れる~~~っ!!」
団蔵だんぞうはやく!」



廊下いっぱいに響くような声とともにバタバタと足音高く二人の子供が教室に駆け込んできた。入り口付近で崩れるように畳に四肢をつけ、荒い呼吸を繰り返す。

「・・・ま、・・・間にあった・・・っ」

なんとか呼吸がおさまったのか、袖で顎を拭うようにして顔を上げた子供はそこで初めて教室内にいた全員が自分達を見ていることに気がついた。
やべ、というように引きつり笑いを浮かべ、隣で荒い呼吸を繰り返す井桁模様の頭巾を突つく。

「と、虎若とらわか・・」
「・・っ・・・なに?」

唾を飲み込むようにして息を静めたもう一人の子供も顔を上げ、見られていることに気付いて、げ、と顔を歪ませた。二人して愛想笑いを浮かべる。

「「お、おはよー」」
「「「「「「「「おはよう」」」」」」」」
「だいじょうぶ?」
「おうっ」

伊助が微苦笑しながら問いかけると、団蔵と呼ばれた子供がガキ大将のような笑顔を見せた。汗で先端が首筋に張り付いていた結った黒髪がその動作ではがれて波打つ。
虎若と呼ばれた子供も素朴な顔に浮かんだ汗を袖口で拭いながら頷いた。パタパタと体をはたきながら起き上がり、足元の風呂敷を持ち上げる。

カーン カーン カーン

一定感覚で学園内に響き渡った鐘の音。授業の始まりの合図にその場の全員が窓の外の鐘楼を見上げる動作をした。
鐘が余韻で震える。
そんな子供達に音もなく入り口に現れた若い教師は室内を見回し手に持っていた教科書を一回叩いた。

「ほらほら。授業が始まるぞ~! さっさと席に着け」
「ぅわっとっ!」

真後ろから聞こえてきたその声に飛び上がった団蔵と虎若は急いで教室の後ろへと回る。乱太郎達三人組も昨日座っていた入り口近くの机へと移動した。
後ろ手に戸を閉めて黒板の前まで進み、全員がきちんと座っているのを確認した半助は黒板の端っこに教科書を置いて風車を見た。前の席の一番端っこに座っていた風車もすぐに視線に気付いて真っ直ぐに見上げる。

「風車、立って」
「はい」

促されて立ち上がった風車に視線が集まった。半助はその真横に立って肩に手を置くようにして生徒達を見渡す。

「同じ一年は組の生徒になる、風車だ。皆よろしくな」
「よろしくお願いします」

全員が視界に入るように体の向きを変えた風車がぺこりと頭を下げた。そのまま顔を上げて窺うように見てきた風車に、半助はもう一度皆の方を見るように促す。

「もう挨拶をしたかもしれないが、紹介する。隣から庄左ヱ門、伊助」
「はい」
「はい」

名前を呼ばれ、二人は順に手を上げて返事をした。半助の視線が次の机へと移る。

「乱太郎、しんべヱ、きり丸」
「はい」
「はぁい」
「へぇい」

乱太郎としんべヱが順番に手を挙げ、きり丸は面倒くさそうに小さく手を振った。
次は三人の後ろ。

「虎若、団蔵」
「はい!」
「はいっ」

二人は勢いよく手を上げた。初めて見る子供に興味津々の顔をしている。
それを確認した後、風車達の後ろの席へと視線が移った。

「最後に、三治郎と兵太夫」
「はい」
「はい」

二人が小さく手を挙げ、一周して戻ってくる。
手で風車に座るように指示した後、半助は黒板の前まで戻り、部屋に視線を巡らせた。

「以上、十人が一年は組の生徒だ。皆、覚えたな?」
「「「「「「「「「「はいっ」」」」」」」」」」
「よしっ では授業にうつる」

良い子のお返事に満足そうに頷いた後、半助は白墨を手に持って黒板に文字を描いた。

――火器――

黒板の中央に大きく描いた文字の横を右手中指の第一関節で叩いて注目を集める。

「えー、本日は火器についての講義をおこなう。予習してくるように、といっておいたが―――乱太郎、どうだ?」

視線を流して適当に目に付いた子供を名指しすると乱太郎はビクリ、と体を震わせた。
困ったように視線をあちこちに流し、おずおずと口を開く。

「えっと・・・やってません・・・」
「すっかり忘れてました」
「ごめんなさいぃ」
「昨日言ったばかりだろうがっ!」

乱太郎と、それを後押すように次々と口を開いたきり丸としんべヱを怒鳴りつけた半助に風車が手を上げた。
動きにつられて振り向いた半助を真っ向から見つめる。

「先生、まったくきいてません」
「あ・・・・ああ、いや、風車はいいんだ。言ってないからな。仕方ない」

笑顔でとりなしながらうんうんと頷くと、そのまま気持ちを落ち着けて視線を流して庄左ヱ門の前で止めた。きっちりと正座をした姿勢正しい子供に完全に向き直る。

「じゃあ、庄左ヱ門はどうだ?」
「はい」

指名され、その場に立った庄左ヱ門は手に持っていた紙を読み上げる。

「カキ ―――合弁花類ごうべんかるいカキノキ科の落葉高木。果実には甘ガキと渋ガキの別があり、多数の品種が・・・」
「ちがーーうっ!!」

思わずずっこけた後叫んだ半助に、いったん庄左ヱ門の言葉が止まった。首を傾げ、ぽん、と手を打つ。

「イタボガキ科に属する二枚貝。左右の殻の大きさは異なり・・・」
「違う違うちがーーーうっ!!
 どうしてそれらが出てきてコレが出てこないんだっ」


バンバン、と黒板を力いっぱい叩き、半助は地団太を踏んだ。
黒板の横に置いてあったスライド式の資料を引っ張って巻いてあった紙を広げる。中には火縄銃や火矢などの絵や文字が書いてあった。

「火器とはっ! 火薬の爆発力を利用した武器のことであるっ!! 火縄銃や火矢、百雷銃ひゃくらいづつなど、その種類は250種にも及ぶ!!!」

そこまで一気に言い切り、教室を見渡す。干し柿や生の柿をさりげなく風呂敷の中から出して机の下に隠した生徒達を見てうな垂れた。
数秒かけて気持ちを切り替え、顔を上げて絵の一部を指差す。丸い玉を紐で十字に縛ったような絵だ。

「これは宝録火矢ほうろくひやという手榴弾で・・・」

言いながら懐から絵と同じものを取り出す。手の平に治まる黒い丸い物体の一箇所から紐がはみ出していた。

「宝録という、素焼きの半円形の陶器を二つあわせて中に火薬を詰め込み、紐でずれないように固定したものだ。
 我々の使う黒色火薬こくしょくかやくは感度が低く爆発力も小さいため、投げつけただけでは――」

ブンッ

いきなり何の予告もなく手の中で弄んでいたソレをふいに教室の中央部に思いっきり投げつけた。

『ぅわあっ!!』

蜘蛛の子を散らすように子供達が四方へと逃げる。
そんな子供達を涼しい顔で見ながら半助は言葉を続けた。

「―――爆発しない」

「よしてよ、先生~~」
「まったく心臓にわるいぜ・・・」

隅に逃げたままその場にへたり込んで文句を言う生徒達に笑顔を見せる。

「ハハ、悪い悪い。これは導火線に点火しないと爆発しないん――」
「しんべヱっ!」

半助の声を遮るように風車の鋭い声が教室に響いた。何事かと皆が中央に視線を向けるといつの間にかそこにいたしんべヱが片手に持った宝録火矢を半助へと向けている。
ぱちぱちと紐が燃える匂いとともにしんべヱののんびりとした声が聞こえてきた。

「せんせ~、点火って、こうですかぁ?」
「そうそうそんな風にいーーーーーっ!?」

思わず素で褒めた半助はすぐに状況を理解して声を高くした。角に避難していた乱太郎ときり丸もお互いの袖を掴んでぎりぎりまで退いたまましんべヱに声をかける。

「バカっ しんべヱっ!」
「なにやってんだよお前っ!」
「え? え?」
「しんべヱ早く火を消せっ! それは本物の火薬が詰まってるんだぞ!?」
「えええぇぇ?!」

訳がわからず左右を見回すしんべヱに半助が宝録火矢を指差しながら叫ぶとようやく理解したのか、両手に掲げ持つようにして右往左往し始めた。
しんべヱが動くたびに隅っこに散った子供達が悲鳴をあげながら左右に動く。
しんべヱもなんとか火を消そうと、ふぅふぅ息を吹きかけるのだが火の勢いが強いのかまったく揺るぐ気配がない。
泣きそうになったしんべヱの手からふいに宝録火矢が取り上げられた。
横から取り上げた風車が畳にこすり付けるように固定して導火線を思いっきり足袋で踏みつける。二、三度踏みつけて力いっぱい捻ると畳と足袋に焦げ跡を残して火はおさまった。

「大丈夫かっ、二人とも!?」
「ええ、まあ。ふつうの足袋よりも裏が厚かったので熱さをかんじなかったですし」

「「しんべヱっ!!」」
「うわーーん、ごめんなさぁいっ」

駆け寄ってきた半助に片足を上げて足袋の煤を落としながら宝録火矢を渡した風車の隣で、子供達の中でいち早く立ち直った乱太郎ときり丸がしんべヱに駆け寄った。目を吊り上げて怒鳴る二人にしんべヱは頭を抱えてしゃがみ込む。
その声に我に返った他の子供達もぞろぞろと集まってきた。

「あぶないだろっ」
「びっくりした」
「爆発するかとおもった」
「うわあ、タタミに穴あいてる」
「火薬は取り扱いに気をつけないとダメだよ」
「でも風車、よく動けたね」
「・・・・・・俺、親のおかげで危険にたいする反応速度だけはあがったとおもうんだ・・・」

口々に捲くし立てられる言葉の中、最後に感心したように漏れた庄左ヱ門の言葉に風車はなんともいえない表情で笑った。小さいボヤを座布団で叩いて消す映像を見たことがあるし、と口中だけで呟く。

「こわかった~」「あのねぇ」「もう少し考えてから行動しろよっ」「あれが宝録火矢かぁ」「後でタタミひっくり返しとかなきゃ」「ぼくあれ見たことあるよ」「え、ドコで?」「爆発したら大変だったね」「ほんと」

中央に固まった子供達は互いの顔を見ながら矢継ぎ早にさえずりはじめた。徐々に大きくなっていく声に半助の握り拳がフルフルと震えを増す。

「お前達、授業中だぞ! 静かにしなさいっ!!」

宝録火矢片手に叫ぶが、興奮した子供達のおしゃべりは止まらない。
ガヤガヤと騒音溢れる中、焦げて穴が開いた所から綿が零れている事に気付いた風車が、立ったまま足袋を脱いだ所で授業の終わりを告げる鐘がなった。






「えーー、本日の授業は隠れ方について、だ」

午後。
校庭の一角、伝蔵は腰に手を当て壁を背にしたまま二列に整列して並んだは組の見渡した。
〔忍たまの友〕を開いたまま真剣に見上げてきた子供達に満足そうに頷く。

「忍術には色々な隠れ方があり、その時々に応じて使い分ける必要がある。今日はその中の幾つかを練習しよう」
「「「「「「「「「「はいっ」」」」」」」」」」

いっせいに声を揃えて答えた子供達に向かって右手の人差し指を立てた。

「まずは『観音隠かんのんがくれの術』だ」

そのままスススゥーー、と壁まで近づき、両手、両足を広げて壁にへばりつく。
いきなりの教師の行動に子供達はぽかん、としたように口を開けた。

「このように、壁などにぴったりとへばりついて気配を消す、という術だ。闇などに紛れるようにして敵をやり過ごす」

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

(む、むぅ・・・)

誰も、何も言わない。
あまりの子供達の無反応さに伝蔵の方もなんのリアクションもとれずそのままの姿で固まった。
しばらくしてようやくきり丸が口を開く。

「・・・・それで?」
「それで、といわれても困るんだが・・・・・・・と、とにかくこういう術だ!
 次っ!!」

そこで強引に話を打ち切って伝蔵は次の術の為に別の場所へと移動した。






学園から裏山へと移動したは組一行は森のなかほどで立ち止まった。
うっそうと茂った藪や空を覆う木々に囲まれ、日の光があまり入らず結構暗い。
整列する子供達と向かいあったまま伝蔵は周りを見回した。

「このような森の中では周りにあるものを使う。葉っぱや藪、木の間に隠れるんだ。
 これを『木の葉隠れの術』という。―――皆やってみろっ」
「「「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」」」

言葉とともに子供達が四方に散る。
しばらくその場に留まっていた伝蔵はまず目線だけで子供達の動向を探った後、ゆっくりとその場を歩き始めた。
未熟すぎて気配がそこここの藪から漏れ出ているが、一生懸命隠れているので姿自体は見えていない。
微笑ましい子供達の姿に微笑みながら腕を組む。

「そうそう、そうやって姿を隠す」



「あ、きのこ」
「しんべヱ、むやみに口に入れちゃダメだよ」
「毒だったらどうするつもりだよ」

藪の中、喜色満面で顔の近くにあった切り株に手を伸ばしたしんべヱを乱太郎ときり丸が慌てて止めた。その直後、三人の頭上にある木の枝が軋む。

「それ毒じゃないよ、平茸ひらたけの一種」

頭上から聞こえた囁き声にぎょっとして上を見上げた三人組は、木の枝に潜んでいた風車を見つけてすぐに力を抜いた。

「なんだ風車か」
「くわしいの?」
「くわしい、っていうか・・・毒かそうじゃないか位は、ね。それ、おいしいけど火を通さないとキノコ類はあぶないぞ」
「うん、わかった、そうする~」

言うが早いかしんべヱは懐から取り出した火打石で火花を散らし、近くの枯れ草に火をつけた。
食べ物への根性か、見事一発で火をおこしてみせたしんべヱはそこにさらに枯れた葉っぱを投じる。

「しんべヱっ!」

藪の中で火を起こすという暴挙に驚き、速攻で火種の真上に飛び降りて足でもみ消した風車の足の下で、足袋がジュワッという音を立て、焦げ臭い煙だけが立ち上る。

「あぁ~ん、なにするのぉっ!?」
「なにする、じゃないっ 火事をおこす気かっ! っていうかお前はそんなに俺の足袋をダメにしたいのかっ!?」


「こりゃーーーっ!! 授業中に何をやっとるかぁーーっ!!!」


「「うわぁっ!!」」

ガサリ、と藪を掻き分けて自分達の隣から顔を出した伝蔵に乱太郎ときり丸の二人が思いっきり悲鳴を上げた。
二人の間から出てきた伝蔵はすぐに焦げ臭い匂いに気付き、風車の足の下の焼けカスと足元に転がったキノコを見て目を吊り上げる。
状況把握が早い。

「こんのっ!!」


ガスガスガスゴスっ!!


体勢を立て直す隙もあたえずその場の全員を拳で殴りつけ、藪の中から引きずり出した。衝撃で頭をクラクラと振る三人や仏頂面で頭を押さえる風車には目もくれず辺りを見渡す。

「次行くぞ、次っ!」






もう一度学園へと戻ってきた一行は今度は校庭にある池の前に整列した。
池を背後に子供達の方を向いた伝蔵は、真剣な顔で自分を見つめる子供達の前で両手の中指と薬指だけを折り曲げ、他の指はピンと立てた状態で顔の横に持っていった。

「次は『狐隠れの術』だ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

「・・・・・・コホン・・・っ
 えーー、狐隠れの術とは・・・―――皆、ついてきなさい」

言うなり、途中で説明をやめて伝蔵はバシャバシャと池の中へと足を踏み入れた。一瞬躊躇した子供達も一人、また一人と入っていく。
装束が水に濡れて張り付く気持ち悪い感覚に耐えながら足が届くか届かないか、という所まで進んだとき、ようやく伝蔵が後ろの子供達を振り返った。

「このように、水の中に入って気配を消して隠れる」
「はい、先生っ」
「なんだ? 庄左ヱ門」
「ただ水にもぐってるだけですか?」

手を上げて首を傾げた庄左ヱ門に伝蔵は重々しく見えるように頷いた。

「そうだ。川や池などの水の中に飛び込んで相手をやりすごすんだ。
 犬に追われた狐などがこうやって匂いをごまかして逃げることから、このように名付けられた」

おおおぉ、と頷いた子供達の頭越しに乱太郎が手を上げる。

「せんせ~」
「なんだ、乱太郎」
「しんべヱが沈みません~」
「は?」

思わず伝蔵が声の方を見ると水の上に寝そべっているしんべヱと、そのしんべヱに掴まった乱太郎、きり丸、さらに近くに居た団蔵と三治郎がその体を引っ張ってなんとか沈めようと奮闘していた。

「何がどうなっとるんだ、これは」
「ぼく、むかしから沈まないんですぅ~」

ジャブジャブと水を掻き分けながら近づいてきた伝蔵にしんべヱが鼻を垂らしたまま何故か得意そうに笑顔を浮かべる。
そんなしんべヱには何も返さず黙ってしんべヱの体を押さえてみた伝蔵だったが、しばらくしてひとつため息を吐いて腕を放した。

「ああ、とにかくもういい。しんべヱは諦めなさい」

頃合よく鳴り響き始めた授業終了の合図にその場で手を叩いて注目を集める。

「各自、今日習った授業内容をよく練習しておくようにっ 本日の授業はココまでっ!」
「「「「「「「「「「ありがとうございましたっ!」」」」」」」」」」






「ああ~あ、おわった、おわった」
「けっこう疲れるよねぇ」

井戸端で濡れた制服を絞りながら兵太夫と三治郎が笑う横で、乱太郎ときり丸が殴られた頭を擦る。

「まだ頭が痛むんだけど・・・」
「オレもだぜ」

「ぼく、狐隠れはムリなのかなぁ・・」
「そんなことないよ」
「みんなで練習すればいいんじゃないか?」

しょんぼりと落ち込んだしんべヱに伊助が励ますように言うと、庄左ヱ門が腕を組みながら提案した。
手ぬぐいで体を拭いていた団蔵と虎若もそれに食いつく。

「練習かあ」
「でも水にもぐるだけだろ?」
「・・・・・・そもそも、気配をかくす、っていうのがわからないんだけど」

ビチョビチョになった手ぬぐいを絞りながら風車がポツリと呟くと他の子供達もいっせいに頷いた。

「そうだよねぇ、あれ、なんなんだろ」
「いきを殺せってことかな」
「あ、そうかも」
「そんな事したらしんじゃうよ?」
「だから最低限だろ」
「水中だったら呼吸なんてしてないよね」
「苦しくなって上がったときに見つかったら最悪だよな」
「最悪だな」
「怖いよ、それ」

同級生の会話を聞きながらその輪には入ってなかった風車は、水分を絞り終わった衣服を勢いよく振って伸ばしながら空を見上げた。夕焼け色に染まってきた空を横切るように鴉が数羽飛んでいる。

「食堂の前にお風呂かな。ぬれたままもなんだし」
「それだっ!」

何気なく呟いた言葉にいきなり大声を出され、驚いて庄左ヱ門の方を振り向いた。真っ直ぐに風車を見ていた庄左ヱ門はすぐに皆を見回す。

「お風呂で練習すればいいんじゃないか?」
「お風呂?」
「あ、いいね。ここのお風呂けっこう広かったし、十分いけると思う」
「たしかに池の中で練習するよりずっとましだぜ」
「へぇ? あ、ちょっとそれは」

どうだろう、と風車が止める前にその気になった子供達は各々の服を身につけお風呂場へと向かった。
ノリノリの子供達に遅れるようにお風呂場へと向かった風車は脱衣所に何ひとつ衣服がないのを見て服を着たままお風呂へ繋がった戸を開ける。
お風呂の中に沈んでいる水色の井桁模様に眉を顰めた。

「お風呂はそんな風につかうもんじゃないぞー。っていうかのぼせるから」

お風呂の縁に手をかけて覗き込んだ風車の後ろで、少し開いていた戸口が全開に開け放たれた。

バンッ!

「うわっ?!」

バシャンッ!


「なにやっとるかーーーっ!!!」


いきなりの背後からの大音に驚いて手を滑らせた風車に追いすがるように放たれた怒声はお風呂いっぱいに響き渡り、その声の後、すぐに中に入ってきた伝蔵は上半身をお風呂に突っ込んだ風車の襟首と、のぼせて沈みかけていたしんべヱの腕を掴んで引っ張り上げた。
他にも浮かび上がってふらふらと体を揺らしている子供達に目を吊り上げる。


「お風呂で練習なんてするんじゃないよ、まったくッ!!」






「「・・・・・・はぁーーーーっ」」

室内に少し離れながらも九十度直角に置かれた二つの机。
それぞれ自分の机の上に手をついたまま、伝蔵、半助の二人は同時にため息を吐き出した。その重々しいため息に双方がゆっくりと顔を上げ、互いの顔を見やる。

「・・・・・・初の授業、どうでしたか? 土井先生」
「・・・・・・そちらこそどうでした? 山田先生」

言葉には出さないがそれだけでわかったのか、二人の空気が重くなった。両肘を突いて組んだ手の上に額を乗せる。


「いやー、まったく、今年の生徒は出来がいいですなぁ」
「・・・・・・そうですねぇ・・・・」
「あ、いや、お宅の所はどうか知りませんが、私が担当するい組の生徒達はもう言う事ありませんよ」
「・・・・・・そうなんですね・・・・」


そんな空気を打ち破るように廊下から声が聞こえてきた。少しだけ開いていた障子の隙間から流れ込んできたのだ。
障子の前で止まったその声は、失礼しますよ、と声をかけてからガラリと開けた。
四十半ばの妙に脂ぎった中年と、まだ若いだろうに顔色悪く不健康そうな男。
部屋の中にいた伝蔵、半助を見つけると中年は得意そうに笑って会釈し、今にも倒れそうな男はその折れそうな細い体で小さく挨拶をした。

「どうでした? お二人とも初の授業は?」
「え、ええ・・・・まあまあですよ」

中年の言葉に若干引きつったように半助が答えると、中年の笑みが益々増した。

「そうですか、いや、よかったですなぁ。ウチの生徒ばかりが優秀なんじゃないかと心配になりまして、先ほどろ組の斜堂しゃどう先生ともお話してたんですよ」
「そうなんですか。良かったですね」
「まったく、出来が良すぎて言う事がありませんよ。予習もバッチリしてきてましたし」
「・・へえぇーー」

声高に喋る中年の言葉に半助の引きつり笑いが広がっていく。これ以上広がる前に、と伝蔵は中年の体で半ば見えなくなっていたもう一人の男の方へと視線を投げた。

「斜堂先生はどうでした?」
「・・・・・・ええ・・・まぁまぁです・・・・」
「さっきから何度聞いてもこんな感じですよ。そんな事だから、やっぱり今年はウチのクラスが一番出来がよかったのではないかと思ってしまいましてねえ」
「・・・・・・はあ」

横からその話に割り込んだ中年がにこやかに伝蔵と半助を見る。段々と半助の相槌の感覚が長くなっていた。

「あ、いやねえ? なにやら土井先生のクラス、授業中にもかかわらず騒がしかったように思ったもので。余計なお節介かとも思ったんですが少し気になったんですよ。なんせ担任なんて初めてでしょう?」
「・・・・・・・・・そう、です、ね」
「どのような教育方針で行く気かは知りませんが、他のクラスの迷惑になるような事だけはやめてくださいよ?」

ブチッ

そんな音が聞こえそうなほどの形相で中年を見る半助の怒りを抑えるため、伝蔵は咄嗟に力の込めすぎで震える腕を掴んで前に進み出た。

「まあまあまあ。これから明日の仕込があるんで、もう雑談はいいですか? 安藤あんどう先生、斜堂先生」
「あ、ええ構いませんよ。どうぞごゆっくり」
「・・・・・・おじゃましました・・・・」

にこやかに言ってきた先達に中年も素直に下がり、押されるように先に廊下へと出た男がゆるゆると頭を下げて音もなく先に進む。続いて出て行った中年も障子をきちんと閉めてその後に続いた。

「あああああの先生はあ~~~~っ!」

怒りの炎が猛る半助の後ろで腕を組みながら伝蔵は苦笑いを零した。
まだ年若い教師の中で子供達への悩みよりも同じ教師へと怒りの方が勝ったようだ。

「まあまあちょっとは落ち着きなさいよ、土井先生。まだ始まったばかりじゃないですか」

荒い息を繰り返していた半助も同僚の前では冷静に努めようと呼吸を鎮めた。背筋を伸ばして伝蔵を見返る。

「・・・・・・そうですよね」
「そうですよ。全てはこれから。これからだよ」

そう言って笑う学園で古株に入る人間の言葉には、経験者ならではの説得力があった。



[18506] 学園長の思いつき の 段
Name: 緋色◆5f676539 ID:64f78d5b
Date: 2010/06/15 00:53
学園長の思いつき
の段




「乱太郎。起きろ、朝だぞ」

べしべしと頭を叩かれ、乱太郎は薄っすらと目を開いた。今自分を起こしたのが顔を覗き込んでいる同室のきり丸だと気付いてへにゃりと笑う。

「おはよう、きり丸」
「ああ、おはようさん」

挨拶を返しながら布団の片付けに入ったきり丸を寝ぼけ眼で追いかける。起き上がったはいいもののまだ眠そうに欠伸を繰り返した。

「きり丸は寝起きがいいねー」
「そりゃいろいろ働いてるからな。早起きは三文の得、ってね。乱太郎だって朝の仕事とかあっただろ?」
「そりゃそうだけど、家じゃないからなんか気が緩んじゃって・・・」

乾布摩擦をし始めたきり丸からばつが悪そうに視線を逸らせて反対側に敷かれた布団のふくらみに気付く。枕元から取った眼鏡をかけながら近づいて、そのふくらみを小さく揺する。

「しんべヱ起きろ朝だよ。しんべヱ」

乱太郎が少し乱暴に揺すっても布団を被った子供はピクリとも動かない。乱太郎の方も段々と揺する度合いが強くなり、終いにはぺしぺしと叩き始めた。

「しんべヱったらっ 起きろよ、遅刻するぞっ!」
「くすぐっちゃえよ」

絶妙なタイミングで飛んできたきり丸の言葉にすぐさま実行に移す。

「うりゃうりゃこちょこちょこちょこちょっ」
「ふんじゃえよ」
「おきろったらっ」

グッ、と足に力を込めて布団ごと踏みつけた乱太郎の後ろで加勢するかのようにきり丸の声が続く。

「けってやれ」
「しんべヱったらっ」
「つねってやれ。はったおしてやれ」
「しん・・・・」
「水かけてやれ」
「・・・・・・きり丸、むちゃくちゃ言うなよ」

声に乗せられるようにしていた乱太郎もさすがに色々無視できなくなって振り返ると、乾布摩擦を終えたきり丸が制服である空色の忍び装束片手に二人の方を向いた。浮かべていた愛想笑いが次の瞬間ギョッとしたように変化して、しんべヱの方を指差す。

「え、なに? ―――うわッ!?

つられてしんべヱの方を向いた乱太郎も悲鳴を上げて仰け反った。
それに気付かず、もぞり、と動いて布団から顔を出したしんべヱは寝ぼけたまま二人を確認して舌足らずな声を出す。

「・・・おはよう、ふたりともぉ」
「お、おは・・・じゃないっ しんべヱどうしたんだその頭っ!」
「へ? 頭?」

乱太郎に促されて頭に手をやったしんべヱは固い手触りにああっ、と大きく声を上げた。髪の毛がひとつ残らず重力に逆らって天辺に向かって伸びている。思いっきり触っても一本たりとも落ちてくる気配がない。

「夕べリンスするの忘れてたっ」
「リンス?」
「それ、寝ぐせかぁ?」

しょんぼりと俯いたしんべヱに合わせてカッチカチに固まっていた天を指す髪の束も動く。
その不思議な光景に顔を見合わせていた乱太郎ときり丸も障子の外から聞こえた鳥の鳴き声にすぐに我に返った。乱太郎が昨晩枕元に置いた櫛を手に取る。

「そのままじゃ授業に出れないよ。とりあえず結いなおさなきゃ」
「だな」

しんべヱの隣にひざまずきしんべヱの頭の攻略にかかったのを乱太郎を見ながら、きり丸はとりあえず手に持っていた袴を床に置いた。先に着替えておこうと着物を持って背を向ける。

ベキッ

「えっ?」
「どうした? 乱太郎」

背後から聞こえてきた音に振り返ると呆然とした乱太郎が歯のない櫛を片手にきり丸を見上げた。その膝の上には櫛の歯だったものがぱらぱらと落ちている。

「・・・クシがとおらない・・・」
「は?」
「ほんとだって! すっごく硬いんだからっ」

立ち上がって膝の上の櫛の歯を叩き落す乱太郎と入れ替わるようにきり丸も櫛を片手に近寄った。半信半疑にしんべヱの髪に当てて動かすとまったく同じ音がしてきり丸の櫛からも歯がなくなる。

「ああッ?! オレのクシがっ!」
「ほらね」

部屋の隅に置いてある道具を入れた唐櫃から探し当てたブラシを片手に乱太郎が肩をすくめる。他にも櫛や小さな熊手――棒の先に鉄の爪のついた草や穀物などをかき集めるための道具――なども持ち出して二人がかりで髪をすく作業に入ったが―――。
バキッ、ベキッ、と明らかにおかしな破壊音を立てて次々と道具が壊れ、足元に転がっていく。

「だめだ。硬くてクシがぜんぶ折れちゃう」

歯が折れた最後の櫛を手に持ったまま乱太郎が困ったように呟くと隣で見ていたきり丸は考え込むように腕を組んだ。あれだけ頑張ったのにしんべヱの髪の毛は毛一筋も乱れがなく立っている。

「どうすんだよ。これじゃ頭巾がかぶれないぜ?」
「そうだよねぇ」
「ええっ どうしようっ?!」

言われて気がついたのか、困ったようにしんべヱがおろおろと二人を見比べる。
頼るように見られてしばらく唸りながら考え込んでいた乱太郎がふいにぱっと顔を輝かせて、ポン、と手を打った。

「そうだっ!」






「おはよ、風車っ」

元気よくかけられた声に手元から顔を上げた風車は真横に立っていた団蔵に気付いてすぐに表情を緩めた。危なっかしげに食器の乗ったお盆を抱える姿に少し体をずらして席を空ける。

「おはよう団蔵。今日はけっこう早いな」
「なんだよ今日はって。家じゃけっこう早く起きてるんだぞ、これでも」
「起こしてもらって起きるようじゃダメだって」
「わかってるってばっ だからもうちゃんと起きてるよっ」

お盆を置いて腰掛けるその姿に一言注意をするとふてくされたように頬を膨らませたので風車はそのまま自分の手元に視線を戻した。炊き立てのご飯に焼き魚の切り身、ワカメと豆腐の味噌汁、梅干、大根の漬物という、朝の定番料理だ。
朝日は昇り始めたばかりだがもう上級生や先生方の食事タイムは終わっていて、けれどもまだ低学年の授業までは少し間がある中途半端な時間の所為か、食堂はあまり混んでいない。等間隔に並べられた木製の細長いテーブルには空色の井桁模様がちらほらと見える他、青色が多少うかがえる程度だ。

「虎若は?」
「まだ寝てた」
「・・・・そこは起こしてやれよ」
「だってまだ時間があるだろ? ぼくは馬を見に行ってただけなんだし」
「ほんと、馬が大好きだな」

いただきます、と手を合わせる団蔵の隣で魚をほぐしながら風車が感心すると団蔵は目をキラキラさせながら頷いた。

「当たり前だろ? ぼくん家、馬借だぞ。馬は家族だ。
 さっきずっと見てたけどここの馬っていい身体してるんだ。やっぱきたえ方も違うんだろうなぁ」
「立派な馬バカだな。俺は植物見てるほうが好きだけどな」

大根をぽりぽりと齧る風車に団蔵は吸おうとしたお味噌汁から顔を上げて眉を寄せた。学園に入ってからすぐに朝の散歩と称して学園内の植物を見てまわっている風車に不思議そうに唇を尖らす。

「ええー? 植物はなんにも答えてくれないじゃん」
「ばか言うな。植物は手をかければかけただけきちんと返してくれるぞ。今だってその植物を食ってる分際でばかにするな」
「そういうもんかねぇ」

育てた事ないからわかんねえ、と魚の攻略にかかりながら首を傾げた団蔵はふと思い出したように小さく声を上げた。なんだ、と視線を向ける風車の方は向かず、お盆に顔を向けたまま先ほどの出来事を思い出すように視線だけ巡らせた。

「なんか今日先輩にあった」
「馬小屋で?」
「そう。小屋の中のぞいてたら「馬に興味あんのか?」って、ボサボサ頭の先輩が話しかけてきた。「良かったら委員会、ウチ来いよ」って」
「委員会・・・・・・・・・・ああ、なんかそういうのがあるっていってた気がするなぁ・・・」

箸を止めて視線を上空に向けた風車に団蔵も箸を止める。視線を風車に向けると何を思い出したのか苦々しげに顔を顰めて無意味に梅干の種を突いていた。

「風車も先輩に声かけられたのか? 同じ先輩?」
「同じっていうか・・・そもそもどんな先輩か知らないし」
「紺色の制服に木っ端とかくっつけてなんか朝からすっごい汚れてた。んでなんでか手に虫取りアミもってた。ニカッ、って笑ったあと、ここらへん今危険だから近づくなよ、って」
「ふうん。紺色なら五年―――ってことはサダ兄の知り合いと同い年だな」

そこまで言ってカウンター越しに食堂のおばちゃんが睨みつけてくるのに気付いた風車は慌てて手を動かす事にした。
白い紐で頭部と背中の黒髪を束ね、白割烹着を身に着けたおばちゃんは恰幅の良さもあってすごく迫力がある。包丁片手に「お残しは許しまへんでーー!!」と叫ぶ姿は学園最強と言われても納得できるほどの怖さだ。
そして何より料理が美味い。美味いは正義だ、と風車は残り少なくなった白米をかみ締めながら満足そうに笑みを浮かべた。

「・・・兄ちゃんいんの?」

風睨み付けるおばちゃんに気付き、風車と一緒になって箸を進めていた団蔵がその目をかいくぐるようにこそこそと尋ねてきたので小さく頷く。

「いるよ。この学校の出身者。といっても途中でやめたけど」
「ええ~、いいなぁ――――ぶふっ!」

羨ましそうに唇を尖らせて箸をくわえたまま流れた団蔵の視線がふいに入り口で止まり、いきなり口の中に入れていた咀嚼途中の白米を噴き出した。間髪いれずに「こらーっ!」という怒声とともに飛んできた木製のしゃもじが見事に団蔵の頭に当たる。
被害にはあわなかっただろうが咄嗟に席を立って避けた風車も遅れて食堂内のざわめきに気付いて入り口の方へと視線を向け、団蔵と同じように顔を引きつらせた。
そこにいたのは見覚えのある三人組だった。
どよめきを受けながら食堂に入ってきた一年は組の仲良し三人組は先に食堂にいた二人に気付いてカウンターで受け取ったお盆を手にそそくさと近づいてくる。

「おはよう、二人とも」「はよっす」「おはよう」

空いていた自分達の前の席にお盆を置く三人に団蔵と風車は顔を見合わせた後、もう一度確認するように三人組の方を向いた。何度見ても変わらない。

「・・・おはよう。あの、さ――」
「しんべヱ、なんで袴かぶってんの?」

立ったまま机の上を布巾で拭きながら言葉を選ぼうと口を噤んだ風車の隣で頭にたんこぶを作ったまま口元を袖でぬぐった団蔵がずっぱりと言い切った。瞬間しんべヱの顔が歪み、同時に乱太郎を挟んで反対側に座ったきり丸は、ほらな、と唇を尖らせた。

「やっぱりお前が目立ってんじゃん。しんべヱ、お前もうちょっと向こうに座れよ」
「そんなぁ~」
「きり丸っ」

あまりにも友達甲斐のない台詞に流石に乱太郎が怒るように声を尖らせる。
その間に席についた風車は食べ終わった自分のお盆の中の物をぜんぶ重ね、食後のお茶をテーブルの端に置いてあった急須から自分の湯のみに注いでしんべヱの方を向いた。

「それで? 頭巾はどうしたんだよ」
「・・・う・・ん・・・あるけど・・・」

口の中でごにょごにょと言葉を濁したしんべヱに埒が明かないと悟った風車は乱太郎ときり丸の方を見る。きり丸は肩をすくめて手を合わせた後食事に取り掛かり、乱太郎も一緒に手を合わせながら苦笑してしんべヱの頭の上の袴に視線を向けた。

「ちょっと、寝ぐせがひどくて頭巾がかぶれないんだ」
「だからって袴かぶることないだろ。もういっそ頭さらしてくればいいのに」
「ほんと、なにごとかと思ったよ」
「だめだめ。そんな事してみろ、爆笑のうずになるぜ」

笑い混じりのきり丸の言葉に一体どんな寝ぐせなんだ、と風車はいぶかしげにしんべヱの方を向いた。隣で最後の味噌汁を飲み干した団蔵もお椀を置いてしんべヱの方を見る。
手前から二人に見られて居心地悪そうに身を縮めたしんべヱだったが、すぐに鼻をくすぐる朝食のいい匂いにそんな事も忘れ、よだれを垂らしそうになりながら手を合わせて「いっただっきまぁすっ!」と大声で叫んだ。だがすぐに味噌汁に目を向けて眉毛が垂れ下がる。

「・・・・・ワカメが入ってる・・・」

しんべヱの変化した空気に気付いたのかすぐさま後ろからおばちゃんのプレッシャーとともに「お残しは許しまへんでーーっ」という声が飛んできた。
その声で泣きそうになった瞳がますます緩む。

「・・・・ううぅ・・っ」
「・・・ほら」
「でも少しは食べないとダメだよ」

涙が浮かんできた目にしょうがないなといわんばかりにきり丸と乱太郎の器がそっと差し出された。
パァッと顔を輝かせて味噌汁からワカメだけを取り出すしんべヱに、向かいからその裏工作を見ていた風車は顔を顰める。

「煮た大豆はお腹の中で発酵して中毒を起こすからワカメとかいっしょに食べないとあぶないぞ。昆布ダシっぽいけどいちおう安全のために一枚でもいいから食べなよ。おばちゃんはちゃんと考えて作ってるんだからな」
「? どういうこと?」
「ワカメも食べないとお腹こわすってこと。ご飯、味噌、海藻、梅干。これかんぺきな食事の見本」

ええ~、と嫌そうに声を上げたしんべヱを放って飲み終わった湯飲みをお盆の上に置いた風車は手を合わせて今日の食事に感謝した後、さっさと席を立った。じょじょに食堂に人が増えてきている。

「じゃ、俺さきに行くから」
「あ、ぼくも行く」
「その前に虎若を起こしてあげなよ。そろそろ朝ご飯食べないと授業に間に合わないだろ」

同じくお茶を飲み終わった団蔵にそういうと風車は自分のお盆を持ち上げた。慌てたように手を合わせて「ごちそうさま!」と大声で言った団蔵も自分の食器を全部お盆に入れて持ち上げる。
カウンターで食器を返却した二人はそのまま出入り口まで歩き、入れ違いに入ってこようとした一年生が中を覗いてギョッと体を引くのを横目に見ながら通り過ぎた。

「・・・・・・・しんべヱ、目立ってたね」
「そりゃそうだろ」






「土井先生、聞きましたか?」
「なにをですか? 山田先生」

半助が今日の授業で使う資料を整理していると、部屋に戻ってきた伝蔵が障子を閉めながらため息を吐いた。円座に座ったまま不思議そうに見上げた半助に疲れたような眼差しを投げる。

「飼育小屋が三年は組の浦風うらかぜの特訓で壊され、用具委員が小屋を修理する前に中にいた生物とともに三年い組の伊賀崎いがさきのペットも少し逃げ出したとか」
「またですかぁ?! だから生徒が危険な生き物を飼う事に反対なんですよっ うちにはまだ小さな子供もいるんですから!」

朝っぱらからの嫌な報告に半助は眉をつりあげ、大きな音を立てて机に手を打ちつけて立ち上がった。片手に教材を抱えたまま立っていた山田は半助の機嫌をとりなすようにまぁまぁと空いたもう片方の手を振りながら苦笑を浮かべる。

「幸い生物委員が大半の生き物を無事捕まえたそうなんですが、亀郎一家がまだ行方不明だとかで伊賀崎が今必死になって壷を抱えてうろついてますよ」
「・・・・・・その亀郎一家ってなんですか?」
「カメムシだそうだ」

まだ微笑ましいじゃないですか、と言った伝蔵の言葉に半助は肩の力を抜いた。吊り上げた眉を元に戻し、苦笑いする。

「じゃあ今日の授業は滞りなく行われるわけですね」

まだ始まったばかりなのにすでに予定より遅れ始めている授業内容を思い返しながら視線を流した半助の視界の隅で音を立てて障子が乱暴に開かれた。ギョッと入り口を見やった二人の前で障子を開けるために広げた両手をそのままに堂々と立っていた老人が胸を張る。

「今日の授業は中止じゃっ!!」
「学園長?! なんでですかっ!?」

いきなりの登場に加え、いきなりの宣言に半助が詰め寄ると学園長はふい、と視線を外へと流し、シワだらけの指を庭へと向けた。

「生き物の生態を知っておくのも忍者には欠かせない事じゃ。一年は組は今からカメムシ捜索に加わりなさいっ」
「なんでうちなんですかっ! 他にも・・・・というより飼い主もいるんですから三年生あたりに任せればいいじゃないですかっ」
「三年は今、混乱に乗じて逃げ出したジュンコと迷子達の捜索に当たっておる」
「・・・またですか・・・」

必死の顔で詰め寄る半助にも動じずすまし顔で答えた学園長に伝蔵の肩が落ちる。驚くほどの事ではない。もはや年中行事だといってもいい。
最愛のペットの脱走に半泣きになりながら走り回る伊賀崎と毎度毎度こりもせずに方向音痴を披露しては迷子になる二人の生徒の姿が容易に目に浮ぶ。

「とにかく! これは学園長命令じゃっ!!」

意気消沈した二人の教師の前でことさら胸を張った学園長は得意そうに手に持った杖を振り回した。






「おはよ~、みんな」
「おはよ」

「おはよう、二人とも」
「おはよう」
「おはよー」
「「「おはよう」」」

食堂に入ってきた三治郎と兵太夫に三人組の向かいに座っていた庄左ヱ門と伊助が朝食から顔を上げて箸を持った手を上げた。その隣に座っていた虎若もワカメを咀嚼しながら笑いかけ、三人組も振り返って食事の手を止める。
食堂が低学年の出入りで活発になり始めている中カウンターでお盆を受け取った二人もなるべく固まるように座るために皆に近い隣の机に席を取った。
椅子に座ってすぐに兵太夫と三治郎の視線がしんべヱの頭に向く。

「その頭、なに?」
「寝ぐせなんだけど・・・・・・やっぱり気になる?」
「そりゃね」

率直な兵太夫に乱太郎が食後のお茶を置いて苦笑しながら袴に手をかけた。二人が見つめる中逆さまに頭に嵌った袴をめくりとる。

ぶふっ

中から現れた直立不動で固まった黒髪に二人は同時に噴き出した。何も口に入れていなかったのが幸いだ。
間近で見ていた庄左ヱ門や伊助、虎若も口元を押さえて肩を震わせる。

「あははっ なんだよそれ! 寝ぐせっていうレベルじゃないだろっ」
「あははははっ」

遠慮なく笑う二人にしんべヱの顔が情けなさそうに歪んだ。前の席から何とか口の中の物を咀嚼し終えた庄左ヱ門が顔を上げる。

「なんとかならなかったのか? それ・・・」

語尾が微妙に震える声に乱太郎ときり丸は肩をすくめた。きり丸が視線だけしんべヱの髪に流し少し怒ったように口を尖らせる。

「こいつの髪すんげえ硬いんだ。クシも何もぜんめつ。―――おいしんべヱ、おまえオレのクシ弁償しろよっ」
「・・・・ぅう・・・・」
「まあまあきりちゃん」

しょんぼりと肩を落としたしんべヱと不機嫌そうなきり丸の間に座っていた乱太郎が両手を胸の位置で宥めるように動かし、二人の間に割って入った。さらにそこにしゃもじを持った食堂のおばちゃんが近づいてきて腕を組んでじろり、と一年は組の生徒を睨みつける。

「早く食べなさいっ お料理が冷めちゃうでしょっ!」
「「「「「「「「はーーーーいっ!!」」」」」」」」

迫力ある怒声に子供達は慌てて箸や湯飲みを持ち上げ、良い子の返事を返した。食堂のおばちゃんはけっして逆らってはいけない人だとここ数日でもうすでに悟っている。

「おーーい、皆・・・・・・!?」

食堂の入り口から中を覗き込んだ半助がお目当ての一年は組を見つけて言葉を詰まらせた。視線がしんべヱの頭に向いたまま固まっている。

「し・・・しんべヱ・・・お前どうしたんだ?! その髪・・っ」

笑い出しそうなのを堪えるように顔の筋肉を引きつらせながら近づいてきた半助にますます情けなさそうに眉を下げたしんべヱの代わりに乱太郎ときり丸が声を揃えて「寝ぐせでーす」と答えた。予想外の答えに半助はぶふっ、と小さく噴き出す。

「いやーー、凄いなーこれは」
「あ、先生―――」

笑いに歪んだ顔で思わずしんべヱの髪に手を伸ばした半助にきり丸が慌てたように声を上げたがそれよりも先にブスッとその指先にしんべヱの髪の毛が刺さった。

「痛――っ!!」
「・・・・・あぶないですよ、そのかみの毛すっごく硬いですから。刺さります」
「そういう事は先に言えっ!」

遅すぎる忠告に半助は左手でスパンッ、とひとつきり丸の頭を叩いた後、自分の指先に突き刺さった数本の髪の毛を抜き取る。滲んできた血を吸いながら髪の毛とは思えない凶器をマジマジと見つめた。

「これは凄いな」
「あらあらまあまあ、どうしました?」

唐突に聞こえた柔らかな声にそれまでご飯を食べながら三人組と半助のやり取りを見ていたは組の子供達がギョッとしたように半助の後ろを見る。いつの間にそこにいたのか半助の背中に隠れるように桃地にハートマークの入った忍び装束を着た小柄な老婆がにこにこと笑みを浮かべて立っていた。
特に驚いた様子もなく振り返った半助は自分の背後にいる人物を確認して笑みを浮かべる。

「山本シナ先生。おはようございます」
「はい、おはようございます土井先生。こんなところでどうしたんですか?」
「いえ、ちょっと・・・」

苦笑を浮かべて頭をかいた半助の右手にシナはすばやく視線を走らせた。目ざとくその指に血が滲んでいるのに気付くと懐から細長く切られた包帯を取り出す。

「まあまあ血が出てますよ、ほら手を」
「ああ、すみません。凶器みたいな髪の毛だったもので」

くるくると手に巻きつけられる布を見ながら半助が照れ笑いするとシナの視線がしんべヱの髪の毛に向いた。包帯を結んで手当ての礼をのべる半助に頷き返しながら興味深そうにしんべヱの頭部を見つめる。
品よく笑いながら左右から確かめるように眺めるシナにしんべヱは居心地が悪そうに身じろぎした。

「まー、これは剣山に使えそうな頭ねえ」

感心したように言いながらどこからか取り出した花を一輪ブスリと挿す。
あまりにも嬉しそうに笑うものだから何も言えずに固まったしんべヱの脇で乱太郎ときり丸がぷっ、と噴いた。自然すぎるほど自然におさまった花はとても似合っていた。

「ところで山本先生。何か御用だったんですか?」

手当てされた指先を触りながら不思議そうに見てきた半助にシナは、ああ、そうでした、と手を打った。小首を傾げるようにして半助の方を見上げる。

「さっき学園長先生にうかがったんですけど、カメムシの事です」
「ああ、私たち一年は組にこれから捜すようにとのお達しですよ」
「ええーーーっ!? きいてませんーっ!」
「なんですかそれぇ!」
「お駄賃でますっ!?」
「ええいうるさいっ さっき言おうとしてたんだっ! それときり丸っ これは授業の一環だ!」

二人の先生の会話を横で聞いていたは組が上げたブーイングに耳を押さえるようにして怒鳴りつけた後、半助は続きを促すようにシナの方を向いた。水を向けられ、頬に手を当てたシナはあらあらとため息を吐く。

「困ったわねぇ」
「どうしたんですか?」
「そのカメムシなんですけどね、たぶん見ましたよ」
「ドコでですかっ!?」

これで授業に戻れるかもしれない、と勢い込んで尋ねてきた半助にますます困ったように眉を寄せた。

「いえねぇ、育てていた芍薬しゃくやくの花が咲きかけていたんですけど、その中にカメムシが大量に潜り込んで重さで沈んでいたんですよ。それを見つけたうちの生徒の多由也さんが自分で作ったという殺虫剤をかけまして・・・・・・よく効きましたよ」
「殺しちゃったんですかぁ!?」
「ええまあ」

困ったでしょう?、と言うシナに半助も顔を手で覆って天井を見上げた。くの一教室に逃げ込んでいたなら探しても見つからないはずだ。ペットの死に飼い主は嘆くだろうが、仕方がない。

「・・・・・・とにかくこれでまともに授業が出来るな」

授業前にかたがついた事に安堵しつつ生徒の方を振り返る。すでに食べ終えてきちんと食器をお盆の上に重ねて待っていた子供達は自分達の方を向いた担任を一斉に見上げた。

「これから授業だ。各自自分の食べた物を片付けた後、通常通り教室に集まるように」
「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」

良い子の返事に笑みを浮かべながら半助は満足そうに頷いた。






「・・・・・・・・・・・・・・・それがなんでこんな事に・・・」
「そう嘆きなさんな、土井先生」

両手で持った出席簿に顔を突っ込むようにして落ち込む半助に隣に立っていた伝蔵が慰めるように眉尻を下げる。

「学園長の突然の思いつきは今に始まった事じゃないじゃないですか。気にしてたらきりがありませんよ」
「ですが気にしなかったらどんどん授業が遅れていくんですよっ」

ガサリッ

二人の会話を遮るように並んで立っている場所の前に生えていた草がふいに反対側から伸びてきた子供の手に掴まれ、そこから三治郎と伊助が顔を出した。頭巾をかぶったまま濡れそぼった二人はカタカタと震えながら二人を見上げる。

「せんせー、かなり寒いです」
「まだ水がつめたいんです」

必死に訴えかける二人に会話をやめて視線を移した担任達は、その背後へと注意を向けた。一面に広がった池の水面にぷくぷくと小さな泡が立ち、やがて水柱が立つ。

「――ぷはっ」

二人に続くように次々とは組の子供達が水の中から姿を現した。バシャリと水音を立てながら子供達が出てきているのは校庭の一角にある大きな池の中だ。

「ささささむさむさむ~っ」
「ぎゃーー風があたるぅ」
「水がつめたっ」
「うわっぷっ うっぷ・・・!」
「げほげはごほっ」
「わーーーっ 乱太郎、きり丸だいじょうぶぅ?! ぼくにつかまってっ」
「しんべヱあいかわらず沈まないね」

ぎゃいぎゃいと騒ぐ子供達の中で身震いしながら風車は自分達の担任教師に胡乱な眼差しを向けた。

「・・・なんで午前中にこんなことがあるんですか。太陽もよくのぼってないのに」

いくら春だからといって水温まで穏やかな訳ではない。夏でさえも午前中に川で水遊びをする事はないというのに。
咎めるようなその口調に苦笑した担任教師達は視線を背後に移す。カメムシが花に潜り込んでいた、という事からふいに学園長が思いついた水練すいれん(水泳)の特別授業だといっても怒りこそすれ納得はしないだろう。視線だけで風車を促すと満足そうにその様子を見ている学園長の姿を視界に納め、理解したのかなお一層眉間にシワを寄せた。
学園長の方はと言えば、得意げに高笑いを浮かべながら杖を振り回し、隣に座り込んで一緒には組の様子を伺っていたヘムヘムの頭をバシバシとぶん殴っている。
しかもその事に気付いていないようだ。
しばらくはじっと我慢していたヘムヘムも流石に何度も叩かれるうちに牙をむき出し、ギロリと学園長を睨みすえた。

「ヘムーーーーっ!!」
「うわあヘムヘム・・・っ」

直前で気付いた学園長が咄嗟に飛びのくとその位置にヘムヘムの牙が通り過ぎた。
いきなりの大声にびくりと体を震わせた子供達が本気で走るヘムヘムとそのヘムヘムに追いかけられる学園長を見て目を丸くする。

「おい、学園長がヘムヘムに追いかけられてるぜ」
「ほんとだ。・・・・・・気の毒というかんじはしないけど」

しんべヱに掴まって事の成り行きを眺めながら乱太郎ときり丸がこっそり笑うと、その隣でちらりと事の成り行きを眺めていい気味、といわんばかりに鼻を鳴らした風車はしんべヱに視線を移してその頭髪を触った。

「いまは柔らかいんだから、このまま結っちゃえばいいんじゃない?」
「あ、ほんとだ」

隣から手を伸ばして確かめた庄左ヱ門もその意見に頷く。どれどれ、と次々に子供達が手を伸ばしてきた。

「ほんとだ」
「いける気がするな」
「うん」

寒さを誤魔化すためか、池の中でもちゃもちゃと引っ付きあう子供達を横目に見ながら火を起こす半助の隣で、天を仰ぎ見た伝蔵は大体の時間を確認し、苦笑いしながら子供達の方へ顔を戻す。

「まだヘムヘムの鐘が鳴ってないが、今日の授業はここまで!」

心優しい担任の号令に、わっと騒いで早速池から這い上がってきた子供達が一列に整列し、一斉に頭を下げる。

『ありがとうございましたっ!』

そうして一糸乱れぬ挨拶をした後、即効で半助の用意した炎の前に群がった。






「はっ はっ はっ ・・・はっ
 ひ、久しぶりに、走ったわい・・・っ」

汗だくで息を切らしたまま呟いた学園長は、時間が来た事に気付いて慌てて終業の鐘を撞きにいったヘムヘムにまったくあやつめ、と悪態をつきながら寄りかかっていた井戸の縁に座り込んだ。胸に手を置いて何とか呼吸を整えながら空を見上げる。
急激に動かした体を休めるためにしばらくそのままじっとしていたが、ふいに脳裏に閃いた考えに、ぽん、と手を打って立ち上がった。今までの疲労などどこかに吹き飛ばしたかのように輝く笑顔で握り拳を作る。

「―――そうじゃっ! 走りじゃ!! いい事を思いついたっ!」






「――と言うわけで、学園長の突然の思いつきで今からランニング50キロだ。皆、頑張れ」
『ええええぇぇぇーーーーーーっ!!!???』

火にあたって何とか体を温めていた一年は組の子供達はいきなりやってきてそう告げた半助に驚愕の声を上げた。しんべヱの髪を整えていた伊助がその手から櫛を落とす。

「冗談きついぜ」
「本気なんですか?」
「残念ながら本気だ」

けっ、といわんばかりのきり丸の隣で目を丸くした乱太郎に半助は重々しく頷いた。げっ、と嫌そうな顔をした兵太夫の隣で上着を脱いで絞っていた団蔵がその姿のまま固まっている。

「ほら、ぐずぐずしてないで早く行くぞっ」
「今から?!」
「ああ、今からだ」
「まだぬれてるのに!?」
「この陽気だ、すぐに乾くさ」

虎若と三治郎の言葉も率直につき返してその場で足踏みをする半助に、は組の良い子達の頭ががくりと垂れ下がった。疲れたような表情で一緒に足踏みを始める。

「ほら行くぞ。いっちに、いっちに、いっちに」
『・・・いっちに。・・・いっちに。・・・いっちに』

掛け声とともに校門目指して駆け始めた半助に力ない子供達の声が追従する。容赦なく吹き付ける風に身を縮こめながら一列になってその後についていった。






カァーーー
  カァーーー
    カァーーー

鴉の鳴き声が夕焼け空に木霊し、山頂にかかり始めた太陽は容赦なくその姿を隠そうと少しずつ沈んでいる。
山間の落日は結構早い。

「ほらほら、もう少しだぞー」

学園の門の前で足踏みをしながら背後を振り返った半助に、バラバラに隊列を崩しながらも何とかついてきた子供達が半助の手前で崩れるように地面に座り込んだ。お腹を抱えたり、地面に両手をついたり、それぞれ苦しそうに呼吸を繰り返す。

「よーーーーし、今日の授業はここまで!」

疲労困憊でしおれた子供達の前に涼しい顔をしたまま突っ立っていた半助は全員居る事を確認した後、腰に手を当てるようにして子供達を見下ろした。
返事も返せない子供達にさきにお風呂に入るように、と言い置いて門を潜っていく。

「・・・・・・ら、乱太郎、なんとかしてよぉ」
「いちいち学園長の気まぐれに付き合ってたんじゃ身がもたねーぜ・・・」

こほこほと咳き込みながらしんべヱときり丸が乱太郎の方を向いた。弱弱しい左右からの訴えに数度大きく息をして呼吸を整えた乱太郎が顔を上げる。

「・・・―――よしっ 私に考えがある!」






「うう~、いい朝じゃ」

朝日に起こされ廊下に出た学園長は寝巻きのまま背を伸ばした。隣で同じく背伸びするヘムヘムを見ておお、と手を打つ。

「おお、そうじゃ、いい事を考え付いたぞ! 忍者には体の柔軟性が必要じゃっ! 今日の授業内容は柔軟体操で背骨をバキボ――――」
「「「学園長っ!!!」」」

大声とともに庭の隅の藪から駆け寄ってきた三人組に一瞬驚いた学園長もすぐに莞爾とした笑みを浮かべた。丁度良かった、と三人を手招く。

「いい所に来た。今日はの―――」
「「「お誕生日、おめでとうございますっ!!」」」
「へ?」

言葉を遮るように満面の笑みを浮かべた乱太郎、きり丸、しんべヱに思わず後ずさると、すぐにその後から追随するように残りのは組の生徒達も出てきて手に持った花束や贈り物の箱などを手前に掲げた。

「「「「「「「おめでとうございます!!!」」」」」」」
「う?ん・・・・・・あ、ああ――ありがとう、皆っ」

束の間首を傾げた後、学園長はすぐに笑みを浮かべて周りに集まった子供達を見渡した。
一瞬、にやり、と笑った後、子供達は無邪気な笑顔で学園長にプレゼントを抱え部屋の中へ戻るように促す。

「今からお祝いをしましょう?」
「ぼくたちいろいろ用意したんですよ」
「ケーキも焼きました」
「踊りの練習もしたんですから」

「ほうほう、それは楽しみじゃのう」

口々に言い募る子供達に学園長も満足そうに笑って部屋へときびすを返した。後に残されたヘムヘムが純粋な疑問から首を傾げるがすぐに学園長に呼ばれて部屋へと戻る。



「・・・・・・なんですか? あれ」

担当の子供達が朝早くからこそこそとかたまって行動しているのを見かけて思わず追いかけてきた半助はおかしな状況に目を白黒させ、隣の伝蔵を見た。
面白そうに事態を見守っていた伝蔵はその言葉に笑みを零しながら障子の閉まった学園長の部屋へと視線を移す。

「大方、学園長の気まぐれが起きないように小細工しとるんでしょう」
「小細工ですか?」
「ええ。学園長の誕生日は本当は来月ですからなぁ。こうやって楽しい気分にさせてうやむやにしてしまおうとしとるんですよ」
「はあ・・・・成る程・・・・」

納得したように頷いた半助も伝蔵と同じく学園長の庵を眺めながら呆れたようにため息を零した。

「ほんと、こういう事にだけは頭が働くんだから・・・・」






「みた?」
「みたみた」

背の高い椎の木の枝に座り込むようにしていた影が近くに居たもうひとつの影の方を向いた。一段下の枝の上に、幹に手をかけて立っていたその影はおかしそうに笑いを零す。その際に桃色のリボンで結ばれたオレンジ色の髪の毛がふわふわと揺らいだ。

「あれが一年は組よね?」
「そのはずよ」

座っていた方も白いリボンで結んだ藍色にも見える綺麗な黒髪をいじりながらクスクスと笑った少女は好奇にきらめいた瞳を学園長の部屋へと向ける。

「おシゲちゃんが気になるっていった子、どの子かわかった?」
「ぜぇんぜん。多由也ちゃんの弟っていう子もよくわからなかったわ」

肩をすくめた相方に、もう片方もため息を吐いて頬杖をついた。
しばらくつまらなそうに唇を尖らせて障子を眺めていたオレンジ髪の少女がふいにぱっと瞳を輝かせ、もう一人の少女を振り返る。何?と頬杖をといた少女に一本指を立てて見せた。

「ね、思ったんだけど、山本先生に頼んで招待してもらえばいいんじゃない? い組とろ組にはもうやったんだし!」
「そうよね! それがいいわ!」

相方が出した名案に黒髪の少女も小さく歓声を上げ、二人して庵の方へと視線を流す。唇が弧を描いていた。

「い組もろ組もあんまり面白くなかったものね」
「でもは組は面白そうだわ」
「ええ、そうね」
「そうよ」

くすくすくすくす、と可愛らしい笑声が木々の梢に紛れて散った。



[18506] くの一教室は恐ろしい の 段
Name: 緋色◆5f676539 ID:64f78d5b
Date: 2010/06/15 01:17
くの一教室は恐ろしい
の段




「さて、今日は細菌兵器についての授業だ」

黒板にカツカツと文字を書き込み、チョークを置いて指についた粉をすり合わせて落としながら半助は生徒達の方を向いた。黒板の横に置いた資料の巻紙を広げる。

「これは敵に伝染病を広めるなどという事を目的とするものである」

テキストを開いてー、と促す半助の声にパラパラと部屋の中で紙がめくられる音が響く。
真ん中で涎と鼻水をたらして眠るしんべヱを避けるようにぎりぎりまで左右によって〔忍たまの友〕を開いた乱太郎ときり丸は机を徐々に侵食していく液体に眉を寄せた。

「・・・まったくぅ。こっちも細菌戦争だよ・・・」

乱太郎がぼやきながら前に視線を向けると、資料を指差しながら説明していた半助が黒板に文字を書いていた。

「えーー、このように井戸に糞尿を投げ込んで使えなくしたり、毒物を投げ込んで相手の戦力を殺ぐという方法がある。戦場近くにある山中や村人が避難した村の中に設置されている井戸にはこのような事もあるので十分気をつけるように! これらの事を避けるために流れている水を汲むのが鉄則だ」

念を押すように強く言いながらチョークを置いて教科書のページを捲る。

「武器の類では、手裏剣などの飛び道具に糞尿を塗りつけて傷口が膿むようにする方法もあり、これも細菌兵器の一種といえ――――ん?」

唐突に声を途切らせ、何かに気付いたように開いた窓の外に視線を走らせた半助はふっと頭を沈ませた。直後その頭上を勢いよく何かが通り過ぎる。

パスッ

「・・げっ」
『・・・うわあああああぁぁぁっ!?』

目測を少し誤ったのか後頭部を掠めるように黒い頭巾に突き刺さった矢に目をむいた半助の頭部を見て、遅れて事態に気付いた子供達が悲鳴を上げた。一斉に席を立ち、窓側の生徒は窓から離れるように他の子供達と固まる。
きちんと席についているのは大音響で子供達が叫んでもいまだに眠り続けているしんべヱだけだった。

「先生っ!」
「矢が飛んできた!?」
「なんかついてます」
「矢文っぽいです」

きり丸と伊助の驚いたように叫ぶ声と庄左ヱ門と風車の助言を聞いて冷静さを取り戻した半助は、器用に頭に矢を刺したまま矢柄に結び付けられた紙を解いて眼前で広げる。折りじわがついている手紙を伸ばしながら中の文章に目を通した。

「えーと、なになに?
 『一年は組の皆様へ 新入生の忍たまを招待しています。どうぞお越し下さい。 くの一教室・くのたま一同』
 ―――どうやらくの一教室からの招待状みたいだな」

一通り声に出して読み終わった後、半助は書面を子供達に見せるように指で挟んでひらひらと振ったが子供達の反応は芳しくなかった。反射的に立った体勢のまま不思議そうに首を傾げ、近くに居るクラスメイトの顔を窺う。

「・・・くの一教室?」
「なんだろうね?」

「知ってる? 虎若」
「知らない。団蔵は?」
「ぼくも知らない」

顔を見合わせる兵太夫や三治郎、首を傾げた団蔵や虎若の囁きにまだ紹介していなかったか、と気付いた。
同じく何のことかわからず隣に視線を移したきり丸は特に不思議そうな顔をしていない乱太郎に首を傾げる。ちょいちょいと二の腕を突つくと乱太郎はすぐに気付いて「何?」と問いかけてきた。

「乱太郎はなにか知ってるのか?」
「くの一のこと? 女性の忍者のことだよ」


「「「「「「「女っ!?」」」」」」」


「ふえっ!? なぁに?」

周りで聞き耳を立てていた子供達が思わず叫んだ声にようやく目を覚ましたしんべヱがわけもわからずキョロキョロと辺りを見回す。興奮して乱太郎に詰め寄るように集まってきた子供達にビックリ眼を向けた。

「女ってことは、女の子がいるってこと!?」
「うっわぁ! 知らなかった!」
「招待だって! どうしようっ」
「かわいい子、いるかも!」
「うわ、なんか楽しみ!」
「うん。でも女の子ってなに習ってるんだろうね?」
「・・・・・・」
「今まであったことなんてなかったよな?」
「そうだね」
「え? なになに? なんの話?」

「ほらほらお前達、今は授業中だ! 静かにしろ!」

手を叩く音とともに半助が一喝するとようやく口をつぐんだが、それでもキラキラと輝く目は変わらない。子供達の異性に対する興味溢れるその様子に苦笑しながら半助は乱太郎に視線を移した。

「乱太郎は知っていたんだな」
「知っていたんだなって・・・せんせー、私の家、両親ともに忍者ですよぉ~。半農半忍はんのうはんにん(半分農民半分忍者)ですけど・・・」
「はは、そうだったな。すまんすまん」

情けなさそうに眉を下げた乱太郎に片手を上げて頭を掻き、チョークを取って黒板へと向かう。

「いいか皆。くの一、というのは一種の暗号だ。女という文字があるだろう? これを一画ずつ書いていくと『く』と『ノ』と『一』というもので構成される。だから女の忍者、あるいは女性の事をくの一という。
 これと同じく、男の忍者、あるいは男性の事を『たぢから』という。『田』に『力』で、たぢから、だ。セットで覚えておくように」

女と男という字をそれぞれ黒板に大きく書いて振り返った半助に、は~い、という良い子の返事が返ってきた。うんうん、と満足そうに頷きながら視線を流し、皆には混ざらずに窓際で外に視線を彷徨わせてなるべく空気になるように努めていた風車の所で止める。

「そうだ、風車も知っていただろう? なんたってくの一教室に姉がいるからな」
「え!? あ、はい・・・そ、う、です、ね・・・」

いきなり話しかけられた風車はビクッと体を震わせながらぎこちなく振り返り、一気に集まった注目に心なし体を引いた。

「えええぇぇ!? 風車、お姉さんがいるの!?」
「なんでそのこと早くいわないんだよ!」
「そうだよ!」
「しかも同じ学園にいるのに!」
「ほんとほんとっ!」
「くの一の卵、くのたまかぁ。なんさい上?」
「え? え? ね、ねぇ、くの一ってなに?」
「女の忍者だよ」
「同じ学校にいるんだし、くのたまなら紹介してくれても・・・」
「ムリ!」

伊助や兵太夫、三治郎、団蔵、虎若、きり丸、しんべヱ、庄左ヱ門の言葉はそっぽを向いて聞かぬフリで受け流していた風車も、最後の乱太郎の言葉には即効首を振る。両手を交差させて×印を作りながら必死の形相で左右に顔を振る風車に、えーーーっ!、という仲間のブーイングが飛んだ。

「なんだよ、お前姉ちゃんっ子か」
「断じてちがう!! そんなわけあるかっ!」

頭に両手をやり、唇を尖らせたきり丸は風車に殺気立ったまま睨み付けられ、危険を感じて即座に目を逸らす。二人の間にいた庄左ヱ門がまあまあと宥めるように風車に近づいて肩を叩きながらその顔を覗き込んだ。

「それじゃなんで?」
「大変だから!」
「なにが?」
「いろいろっ」

三治郎の質問にも自棄になったようにわめく風車に子供達は首を傾げたり、納得いかないといわんばかりに頬を膨らませる。
やれやれ、と放置するように生徒達のやり取りを見ていた半助もその様子に苦笑して風車の頭に手を置いた。

「まあ皆。風車の姉といっても実際は双子だから同い年だ。しかも顔が本当にそっくりだから昔から色々といわれてるんだろ。その上優秀らしいしな。――なあ風車? 山本先生が褒めてらしたぞ?」
「・・・・・・・・・そうでしょうね・・・」

頭に手を載せられてまま半助の方を向いた風車は何か言いかけ、結局何もいえないといわんばかりに疲れたように顔を背けて呟く。
数瞬、担任が言った言葉を脳内で反芻していた生徒達は内容を理解して目を見開いた。

「双子!?」
「マジで!?」
「しかも顔そっくりって・・・っ」
「うわ~~~、想像できない~」
「いやでもなんか悪くはないんじゃない?」
「風車に女装させればいいわけで――」
「俺で考えるのはやめろ、兵太夫!」

真新しい情報を貰い、またうるさく騒ぎ始めた子供達の声をぶった切るように風車が叫ぶ。「いやでも、じゃないとわからないって」と呟いたきり丸は即座に睨まれて反射で口を閉じた。

「でもさ、風車。結局これから会うことになるんだろ?」
「・・・・・・そうだな」

くりくりとした目で不思議そうに見てきた庄左ヱ門に風車は諦めたように目を据わらせる。

カーーン
  カーーン
    …… ……

丁度会話の隙間を縫うように終業の鐘が鳴り、空を見上げて大体の時間を確認した半助はたいして進みもしなかった授業内容に肩を落としながら教科書を閉じた。出席簿やチョークケースとともに小脇に抱えながら騒ぐ子供達を見回す。

「今日の授業はここまで。次の授業を中止してくの一教室を見学させてもらうので、この後は校庭に集合するように!」
「「「「「「「「「はーーーーいっ!!」」」」」」」」」

いっせいに担任に顔を向け、嬉しそうに手を上げる子供達。
浮かれた空気が流れる中、先の事を思ってため息を吐いたのは半助と風車だけだった。






「いいか、お前達。これからくの一教室にお邪魔するわけだが・・・コラそこ、ちゃんと話を聞けっ」

授業開始の鐘がなる前からきちんと集まり、こそこそと話に興じていた子供達に半助は呆れたように腕を組んだ。授業が始まった為におおっぴらには聞かれなくなったが、休み時間中ずっと質問攻めにあっていた風車はその台詞で疲れたように虚空に彷徨わせていた視線を半助に戻す。

「お前達がどんな風に思っているか知らないが、ひとつ忠告しておく。くの一を甘くみたらだめだぞ。くの一はある意味では男の忍者よりも怖い存在だからな」
「またまた~、先生ったらぁ」
「そんな事いっちゃってぇ」
「先生が相手にされないだけじゃないっすがッ!」

ごんっ!

「・・・きりちゃん、今のはよけいだよ・・・」

重々しく忠告する半助を見ても子供達は軽い笑顔を浮かべて聞き流し、へらりと口を滑らせたきり丸は即座に殴られて頭を抱えた。

「・・・まあいい。直接会ったらわかるだろ」

まったく聞く耳を持たない子供達になんともいえない表情を浮かべた半助はそれ以上の忠告は諦めて歩き出す。浮き足立った歩調でじょろじょろとついてくる生徒達を引き連れて校庭を横切った。
しばらく歩いていくと校庭の一角に藁で作られた垣根が現れた。その垣根に沿うように進み、藁葺き屋根の乗っかった両開きの木戸の門の前で立ち止まる。

「一年は組一同、ご招待にあずかり、参りました」

わくわくと見つめる生徒達の視線に押されるように半助が軽く扉を叩くと中から木戸が開かれた。白いほっそりとした美しい手が伸びて、次いでしなやかな体がのぞく。

「ようこそおいで下さいました」
「・・・ふわぁ・・」

門の内側から出てきた黒い忍び装束の女性に生徒の誰かが感嘆の吐息を零す。
女性は二十代半ほどだろうか、長い睫毛に覆われた切れ長の黒目、妖艶な赤い唇、上に跳ねるような栗色の髪を黒頭巾から零し、すらりと均整の取れた体つきを腰紐と首もとのスカーフの赤さがより際立たせていた。
ぼーーと見とれる子供達に小さく笑った後、半助は大きく咳をして注目を集め女性の方へと視線を向ける。

「皆、くの一教室の山本シナ先生だ。挨拶は?」

一瞬、風車は頭を傾げたが、他の子供達はハッとしたように目を瞬かせ、慌てて整列した。全員横に並んだのを確認した後いっせいに頭を下げる。

『はじめまして! 山本先生っ』
「あらあら、まあまあ」

その台詞に女性はおかしそうに手で口元を覆うところころと笑い出した。
声に促されるように下げていた頭を上げて不思議そうに担任を見た子供達に、半助もどこか笑いを堪えたような顔をして生徒達を見回す。

「お前達、初めてじゃないだろう? 昨日もあったはずだぞ? 団蔵はともかく風車だって学校に来た日にあっただろう?」
「「「「「「「「・・・・・え?」」」」」」」」
「・・・・・・え゛・・・?」

何とか思い出そうと首をひねる子供達の中で、風車だけが顔を引きつらせた。恐る恐るという風に手を上げた風車を半助の笑みが増す。

「どうだ、思い出したか? 風車」
「・・・あのぉ、同姓同名、とかいうことは・・・ないんですか?」
「ない」
「うそぉっ!?」

反射で叫んだ後、確認するように忙しなく全身を往復する風車の視線に女性はただ微笑んだ。どうしても納得できずに首を傾げる風車を隣に立っていた虎若が突つく。

「なあ風車。風車はわかったんだよね? 誰なの?」
「誰・・・って、いわれても・・・」

昨日皆と一緒にあったわけでもなく、なおかついまだに信じられない風車にはどういえばいいのかわからない。
さらにわけがわからない団蔵はその場の空気に置いていかれ、何をすればいいのかわからず結局半助の方を向いた。

「先生、よくわかりません」
「まあ団蔵はそうだろうな。他の皆はまだわからないか?」
「「「「「「「「わかりませーん」」」」」」」」
「昨日食堂であっただろう? しんべヱなんか髪の毛に花を飾られたじゃないか」

きょとんとしたようにしんべヱが首を傾げる。皆の視線がしんべヱに集まった後、いっせいに女性の方を向いた。

「「「「「「「「ええええええぇぇぇぇぇっ!!!???」」」」」」」」
「え? なに? なに?」

驚愕の叫びにビクついた団蔵が左右を見渡すが、あまりの事に口を開いたまま女性を見つめている同級生は何も答えてくれない。

「だだだだって、昨日の人って・・・っ」
「どう見ても六十歳以上でしたよ!?」

伊助と三治郎が顔を見合わせたあと担任を見上げると、半助は笑顔を浮かべたまま驚く生徒達を見下ろした。

「くの一に年齢はない。ある時は少女、ある時はおばあさんなんだ。だから山本先生の本当の年齢は私達教師陣さえも知らない」
「ひえぇぇ!?」
「うっわぁ・・・」
「忍者の道は奥が深いなぁ・・・」
「・・・・・・女性には気をつけよう」

ニコニコと笑うシナの間近くに居た乱太郎と兵太夫は至近距離でも全然わからないその姿に口元を引きつらせる。その左右で腕を組みながらうんうんと庄左ヱ門が頷き、シナから視線を逸らしたきり丸がボソリと呟いた。

「え? 結局どういう事?」

一人だけ置いていかれた団蔵はただ首を傾げるのみ。
そのまま頭を抱えて悩みこみそうな生徒達の反応を一通り楽しんだ後、半助は区切りをつけるように手を叩いた。

「ほらほらお前達。今日の目的を忘れたわけじゃないよな?」

言われていっせいに下を向いていた顔が上がる。
そんな生徒達の反応にシナと半助は顔を見合わせて笑いあい、シナは細い手を扉にかけて押し開いた。優しい笑顔で振り返る。

「どうぞいらっしゃいませ」
『おじゃましますっ!』

ぎくしゃくとぎこちなく入っていく様子を教師達は微笑ましそうに見つめ、シナは最後の確認の為に校庭側を見回した後、扉を閉めた。






「来たわ」
「そうね」
「アレが一年は組?」
「んーーー、もう少し近づかないとよく見えないわ」

障子を少しだけ開けて隙間を作り、十一人の少女達が寄り添うように固まって外を窺っていた。じょじょに近づいてくる男の子達に気付かれないように声を潜める。

「おシゲちゃんが言ってた子って、どの子かしら?」
「わかんない。・・・・あ、今のっ あれ、多由也ちゃんの弟じゃない?」
「え、どこ?」
「ほらあそこっ あ、隠れちゃった・・・」
「ええ? 私わかんなかったわ」

渦巻き模様が入った桃色の忍び装束に身を包んだ少女達はもちゃもちゃと引っ付きあうように隙間を覗くが思うようにはいかないようだ。入り口付近で固まるは組の男の子達に舌打ちする。
ふいにその中の一人、緑髪を後ろでひとつにまとめた少女が部屋の中を振り返った。丸い大きな瞳が部屋の中央に一人静かに座っていた少女のところで止まる。

「多由也ちゃん。どの子が多由也ちゃんの双子の弟?」

多由也と呼ばれた少女は読んでいた教科書から顔を上げ、自分を見つめる少女達に気付いて静かに本を閉じて立ち上がった。そのまま軋みの音も立てずにその集まりに合流する。
そっと場所を譲った少女達の間から顔を覗かせ、庭に集まる男の子の塊の中の一人を指差した。

「あそこ。私と違って髪の毛がはねてるから」
「え? どれどれ?」
「あ、わかったっ うっわあ、ホントにそっくりっ」
「ほんとだー、びっくりっ」

男女の双子というものにきゃいきゃいと騒ぎながら交互に隙間を覗いていた少女達だったが、間近くに居る多由也と外の子供を見比べてすぐに首を傾げる。

「あれ? でも同じ顔っていったって多由也ちゃんの方が凛々しそうじゃない?」
「うん、そうね。多由也ちゃんが男の子だった方が良かったかも」
「なんか雰囲気が違うね。ぱっと見わからないわけじゃないというか」
「これなら不破ふわ先輩と鉢屋はちや先輩の方が見分けつきにくいわよね」
「確かにー」
「っていうか鉢屋先輩の変姿へんしの術、凄すぎない?」
「そうそう。六年の先輩方を差し置いて一番だもんねぇ」
「実際、忍術の腕の方も忍術学園一って噂だってあるし」
「えーー、でもやっぱり強いのは六年生でしょ。実戦慣れしてるし」
「そうよ。それにかっこいいしね」
「四年生の先輩達も顔はいいよね」
「それは、確かにそうだけど・・・・・・なんていうか、ねえ?」
「あの人達ってもう“ある”っていうか、“いる”でしょ? 次元が違うっていうかさぁ」
「ああ、あれね。なんて名前だっけ?」
「たしか・・・ターコちゃんでしょ? ・・・おりんにサチエだっけ? ユリコ?」
「おりん? リンコじゃなかった?」
「さあ? どうでもいいわよそんな事――」

トトト・・・

だんだんと横道に逸れていく少女達の会話は、ふいに響いてきた振動でぴたりと止んだ。なるべく音を立てないように走ってくる足音は少女達の集う部屋の前で止まる。
その部屋にいた全員の視線が出入り口の襖へと集まった次の瞬間、凄い勢いで襖が開け放たれた。

「一年は組が来てるんでしょっ!?」
「「「「「「「「「「「おシゲちゃん・・・っ」」」」」」」」」」」

そこから飛び込んできた一人の少女に慌てたように他の少女達が口元に指を当てて合図する。すばやく口を噤んだおシゲと呼ばれた少女は同級生達の合間を縫うようにして障子の隙間を覗き込んだ。皆よりは低い背丈をさらに屈めるように両手を畳に付ける。

「あの方はどこでしゅかっ? ―――あっ いたでしゅっっ
 ・・・・・・やっぱり素敵でしゅぅ・・・まさかこんな所まで来てくだしゃるなんてっ」

どこか興奮気味に覗き込んだおシゲはすぐに恥ずかしそうに障子から顔を逸らせて赤く染まった頬に手を当てた。近くで見ていた仲間達はもう一度障子の外と恋する乙女を見比べる。

「で? どの子なの?」
「あの中にいるんでしょ?」

オレンジ色の髪の毛の少女と藍色にも見える綺麗な黒髪の少女が障子の桟に手をついて男の子達に視線を向けると恥じらいの為に顔全体を隠したままおシゲはもじもじと体を揺らした。

「あの、鼻水を垂らしてる人でしゅ」
「「・・・・・・」」

おシゲが言った人物を確認して沈黙した少女達が困ったように振り向く。確かに男の子達の中に盛大に鼻を垂らした子供がいた。

「・・・なんか、ぼうっとしてそうね」
「あの鼻水を噛んでさしあげたいんでしゅ」

かろうじてそう言った黒髪の少女を腰の前で指を組んだおシゲは輝く瞳で見上げた。
その隣にいたオレンジ髪の少女が二人を見て笑みを零した後、部屋に居る全員を見回す。

「ねえ、それよりも。誰が誰を相手するか決めましょ?」

好奇心で輝く瞳と舌なめずりをせんばかりの声に他の少女達も次々と含みを持つ笑みを浮かべた。かすかに障子越しに聞こえてくる男の子達の声を聞きながら幅を狭める。

「おシゲちゃんは勿論あの子よね?」
「当前でしゅっ」
「多由也ちゃんも双子の弟がいいでしょ?」
「・・・・・・そうね」

近くに居た黒髪の少女がそばかすの浮いた顔を多由也に向けると、一人興味も何もなさそうにその場に正座していた多由也がこくりと頷いた。
それを確認した後、残った全員がもう一度外を確認する。

「後は適当に選びましょうか」
「なるべく面白そうな子がいいけどね」

くすくすと楽しそうに笑いあいながら少女達は外の獲物達を見定めていった。






松や柘植などが植えてある敷地内には屋根を瓦で覆われた日本家屋が建っていた。日当たりが良さそうな庭は雑草こそ生えているがキチンと刈り込まれ、丁寧に世話がなされている。

「ここがくの一教室だ」

周りを物珍しそうに眺める子供達の前に立ち、半助が片手で建物を示した。それにつられるように子供達の視線が動き、好奇心できらめく。
うずうずしている子供達に苦笑しながら両手を後ろで組んだ半助は、自分達から数歩離れた場所で成り行きを眺めているシナを確認してから子供達の方を向いた。

「今から自由時間にしてやるから、見学させてもらって来い」
『はーーーいっ』

やった、といわんばかりに元気よく手を上げた子供達に苦笑が強まる。
そのまま見回した視界に生徒達の元気の影に隠れるように一人たそがれた雰囲気の風車がはいった。近寄ってみると力ない視線が投げられる。

「? どうした? 風車。久しぶりに姉に会うのに嬉しくないのか?」
「・・・・・・できれば辞退したいくらいですけど・・・」
「それは無理だ。・・・・・・なんだお前達、姉弟仲が悪いのか?」
「・・・そういうわけじゃない、ですけど―――」

「――いらっしゃいませ」

歯切れが悪そうに風車が言葉を濁した時、涼やかな声音とともに庭に面していた屋敷の障子が静かに開けられた。その場に整列し、三つ指を突いて伏せていた少女達が数拍置いて顔を上げる。気圧されたように黙り込んだ一年は組の生徒達に向かってにっこりと微笑んだ。

『ようこそくの一教室へ』
「「「「「「「「「おじゃましますっ」」」」」」」」」
「・・・――――おじゃまします」

呆けたのは一瞬だけですぐに正気を取り戻した一年は組の生徒達もその場で姿勢を正すと九十度のお辞儀を返す。
一人だけ出遅れたしんべヱが他の皆が頭を上げる頃に慌てて頭を下げ、ワンテンポ遅れて元に戻った。

「・・・?・・・!?」
「って、うわっ!? ほんとにソックリっ!?」
「え? あ、ホントだ!」
「双子って、こんなに似るんだ?!」
「風車を女の子にしたらああなるのか」


緊張した面持ちで桃色の忍び装束に身を包む少女達を見回したは組の面々は一番端っこに座る少女の前で視線を止めると驚きで息を呑んだ。
最初に気付いたのは庄左ヱ門だったが、最初に叫んだのは団蔵で、それに続くようには組の面々がざわめく。風車自身はそれについて何も言わなかったが自分と少女の間を行き来する同級生の視線に鬱陶しそうに小さく舌打ちした。

「あなたが多由也ちゃんの弟の風車君でしょう? 本当にそっくりね」

背筋を伸ばしたまま優雅に立ち上がった少女達の中で手前に座っていた少女が風車を見て微笑みを零す。白いリボンで止められた長い黒髪が藍色の光沢を放ちながらサラサラと肩を滑って頬にかかった。
誰とも視線を合わせないようにそっぽを向いていた風車も流石に話しかけられて無視するわけにもいかずその少女の方へと笑顔を向ける。

「よく言われます。
 ・・・・・・あの、ところで・・・―――多由也がへんな事をいったり、なにか迷惑なこととかしでかしたりしてません!?」
「? そんな事ないわ。多由也ちゃんは私達より一歳下で編入してきたばかりだというのにとても優秀で・・・むしろ私達が教えてもらう事だってあるのよ」

笑顔の裏にどこか必死な響きを含ませた風車の問いにその少女は首を傾げたまま左右に視線を向けた。他の少女達も不思議そうに首を傾げて多由也を見るが当の本人はチラリと風車を見ただけで後はただ視線を前に向けている。

「いえ・・・・・・ならいいんですけど・・・」

風車も奥歯に物が挟まったように歯切れ悪く視線を逸らす。
やり取りの意味がわからずその場で視線を往復させるは組の生徒達の中に、縁側を下りてきていた少女達がまるで最初から決めていたかのようにするすると滑り込んできた。
近くまでやって来た少女達の髪の毛からふわりと香る花のような香りに男の子達は緊張したように固まる。

「私はユキ。あなたは?」
「ら、乱太郎ですっ」

オレンジ色のふわふわとした髪の毛を桃色のリボンで止めた少女に笑いかけられ真っ赤になって俯いた乱太郎に、少女は優しく手を差し伸べた。指に滑り込んできた細い手にハッと顔を上げた乱太郎にユキと名乗った少女はニッコリと笑みを浮かべる。

「乱太郎君ね? 庭を案内するわ」
「は、はいっ」



「オレきり丸です」
「私はトモミよ、よろしくね?」

どうすればいいのかと戸惑ったように頭に手をやったきり丸にサラサラとした黒髪をひとつにまとめた少女は微笑んだ。藍色にも似たその髪に思わず目を奪われている間にその腕に自分の腕を絡ませる。

「少し散歩をしましょうよ」
「あ、ああ」



「あ、あの・・・わたし、おシゲといいましゅ。あなたは?」
「ぼく? ぼくしんべヱ」
「しんべヱ・・・・・・しんべヱしゃまでしゅねっ」

もじもじと体を揺らしながら上目遣いに見上げてきた同じくらいの身長の少女にしんべヱは首を傾げながらも素直に答えた。
ようやく知った思い人の名前を口に出して嬉しそうに頬を押さえたおシゲはもう片方の腕に抱えて背後に隠していた大きな風呂敷包みをそっと前に持ち出す。

「あの、しんべヱしゃま? しんべヱしゃまに食べてもらいたくてお饅頭を作ったんでしゅ」
「お饅頭!?」

途端に目の色が変わったしんべヱにおシゲは恥ずかしそうに風呂敷包みで顔を隠した。大きく口を開け、涎を零し始めたしんべヱを風呂敷包みから目だけ出して窺う。

「向こうに休むのにちょうどいい木陰があるんでしゅ。そこにいきましょう?」



「・・・・・・」
「・・・・・・」

次々と男女混合の組が成立して楽しそうにそれぞれの場所へ歩き始める中、一向に動かない卵達がいた。
同じ顔で互いを見つめたまま一言も言葉を交わしていない姉弟―――風車と多由也だ。
しばらくして気力が切れたのか先に視線を逸らした風車がため息を吐く。

「で、何?」
「くの一を見学に来たんでしょう? 教室内を案内するわ」
「!?」
「・・・どうかした?」

驚きのあまり振り子バネのように視線を戻して多由也の顔をガン見する風車に双子の姉は小さく首を傾けた。気持ち悪そうに顔を顰めて身を引く風車にますます首の角度が深くなる。

「・・・・・・お前、だれ?」
「多由也よ? なんで?」
「そのしゃべり・・・」
「風車がもっと同世代の女の子っぽくしろっていうから、してみたの」

周りにちょうどいい資料があったから、と多由也が続けても風車の眉間のしわは取れなかった。口元を押さえるように手で覆ってボソリと、気色悪い、と零す。

「・・・―――止めた方がいい?」
「・・・いや、それで十分だろ・・・」
「じゃあなんでそんなにイヤそうなの?」
「・・・・・・なれてなくて・・・精神的に・・ちょっと・・・」

無感情な瞳に見つめられ、どこか落ち着かなげに体を揺らした風車の二の腕に多由也はそっと手をかけて心持ち上目遣いに見上げた。驚き、若干の警戒を滲ませながら見返してくる風車に少し瞼を伏せながら自分の教室を指差す。

「――建物の中、案内するわ」
「・・・・・・」

口元を引きつらせながらも風車は何もいわずに多由也に手を引かれて歩き始めた。



「やれやれ、やっと皆いったか」

くの一の生徒達に連れられて次々と去っていった自分の生徒達に半助は頭を振りながら苦笑を零した。これからどうなるのか目に見えているため、若干笑みに面白がるような感情が混じる。

「これも授業の一環だが・・・・・・あいつら大丈夫かな」

先にこの試練を受けた、い組とろ組が散々だったのは知っている。今年は何故か去年よりも被害が大きいようだった。

「あら、大丈夫でしょう。刃物と毒物は使わないように、と言ってますもの」
「・・・・・・それ、本当に大丈夫なんですか?」

後ろからかけられた、華やかな声とはかけ離れた内容に半助は思わず顔を引きつらせる。生徒達が居る間は後ろに控えていたシナが隣まで歩み寄ってきて口元に柔らかく笑みを浮かべた。

「しょうがありませんわ。くの一ですもの」

クスクスと笑うその姿はひどく魅力的だった。






「ふふふっ 乱太郎君って面白いのね」
「いやぁ・・・」

青々と茂る木々の梢を通る風を気持ち良さそうに浴びながら笑うユキに、乱太郎は照れて顔を下に向けた。視線が自分から逸れた瞬間、ユキの手が自分の豊かな髪の毛を押さえる。

「・・・・・・あっ!」
「どうしたの?」
「髪の毛を結んでいたリボンが緩んで・・・風で木の枝に引っかかっちゃったのよ」

いきなり大きな声を出したユキに驚いたように顔を上げた乱太郎は困ったように髪の毛に手を当てるユキの言葉にその視線の先を辿った。確かに先ほどまでしていたユキの桃色のリボンはなく、代わりに同じ色の布切れが少し先の木の枝からぶら下がっている。

「あれ?」
「そう。困ったわ、手が届かない。あれ、結構お気に入りだったのに・・・」

自分の身長の倍以上は高そうな所に引っかかる布を見上げ眉尻を下げたユキの左手を、意を決したように表情を引き締めた乱太郎が掴んだ。驚いて見下ろしてきたユキに「大丈夫」と胸を叩く。

「これでも木登りはけっこう得意だから、私にまかせてっ あのくらいなら登れるよ」
「本当? 無理しないでね?」
「大丈夫大丈夫」

安心させるように微笑んで手を離し木の下へ駆け寄ると、はらはらと心配そうに見守るユキに向かってひとつ頷いて危なげなく木を登り始めた。器用に目的の枝まで辿り着き、太さを確かめた後、慎重に歩みを進める。

「あ、あったよっ これ―――うわぁっ!?」

しゅるるっ

右手を伸ばして桃色の布を掴んで見せた瞬間、それが引っかかっていた葉陰からいきなり現れた紐が手首に巻きつき、凄い勢いでぐいっと上に引き上げた。衝撃で手に持っていた桃色の布が吹っ飛び、引きずられた体が空に投げ出される。

「ぎゃあああああぁぁぁぁ??!!」

いきなり視界が反転し、体がどことも接していない不安定な感覚に乱太郎はわけもわからず目を瞑って悲鳴を上げた。右肩に体重がかかって痛い。
右手だけが何かに引っ張られたまま、体の揺れが収まったのを察してようやく目を開ける。先ほどまで登っていた場所よりさらに上方で足が宙にぶら下がっていた。慌てて頭上を見上げると右手に絡みついた紐が上の枝を通ってどこぞへと続いている。

「ななななに!?」
「あはははははははっ」

戸惑い焦る乱太郎の聴覚に少女の可愛らしい笑い声が飛び込んできた。足先を見下ろすと先ほどまで楽しく散歩していた相手が腹を抱えて笑っている。

「ななななんで!? なんで笑ってるの!? ユキちゃん??!!」
「あはははははっ! あーーーおかしいっ!!」

笑いすぎて目尻に滲んできた涙を拭いながら乱太郎を見上げたユキは腰に左手を当てて悪戯っぽく笑った。右手を懐に突っ込んでそこから取り出した桃色のリボンを髪につける。

「あんな手に引っかかるなんて・・・っ! ちょろいわねっ」
「あーーーーっ! ひょっとしてこれ、ユキちゃんの仕業なの!?」
「にっぶ! 勿論そうよ」
「ひどいよっ!!」
「油断した方が悪いのよっ」

腕を引っこ抜こうともがきながら憤慨して自分を見下ろす乱太郎を鼻で笑って舌を出した。蝶々結びがきちんと出来ているか手触りで確認した後、髪型を手櫛で整えて踵を返す。

「えっ!? あっ、ちょっと待ってよっ!」
「それはそのうちちゃんと下に落ちるようになってるから大丈夫よ。じゃあねっ」

ひらりと手を振って、オレンジ色の髪の毛を揺らしながら少女はその場から去っていった。






「うっわぁっ! おいしそうっ」

ちょうど木陰にあった大きな庭石に座り込んで、おシゲの持ってきた重箱の中身を見たしんべヱは涎を垂らしながらそう言った。そこには誇張でもなんでもなく、本当にお店で売っているかのような大きな饅頭がいくつも並べられていた。
その賛辞におシゲは恥ずかしそうに膝元に広げた風呂敷をもてあそびながらしんべヱを上目遣いに見上げる。

「そういってもらえると、おシゲも嬉しいでしゅ」
「ほんとほんとっ おシゲちゃん、才能があるんだねっ」

饅頭に視線が釘付けになったままおシゲを褒めるしんべヱにますます嬉しそうに身を捩り、膝元にあった重箱をしんべヱの膝の上にのせた。それに従いしんべヱの視線も動く。

「しんべヱしゃま。どうぞ遠慮なく食べてくださいっ」
「うわーーーーいっ!!」

おシゲのその言葉にしんべヱは待ってましたと言わんばかりに饅頭を両手で鷲掴み、二ついっぺんに口に突っ込んだ。さらに両手に予備を持って口の中いっぱいに頬張ったものを味わおうと口を閉じる。

ぼふんっ!

途端にものすごい衝撃と痛みが口内に炸裂した。口が勝手に開き、中から煙が立ち上る。

「あがががが・・・・っ!」

あまりの痛みに口を閉められないままおシゲの方を向くと、恥じらいの表情のまましんべヱを見守っていたおシゲは、ほぅ、と安堵のような息を漏らした。胸に手を当てるようにしてしんべヱへ笑顔を向ける。

「良かったでしゅ、ちゃんと爆発して。
 火を点けずに衝撃だけで爆発させるのってとっても大変だったんでしゅよ? 癇癪玉っていうらしいでしゅ。多由也ちゃんが言ってました」

恋する乙女はきらめくような笑顔で恋しい男を見つめ、火照る頬を片手で押さえながらちらちらと様子を伺った。何が起こったのかわけがわからず呆然と自分を見つめるしんべヱから赤くなった顔を背ける。

「私の気持ちでしゅ・・・―――きゃーーーーーっ!!

そこまで言って恥ずかしくなったのか頬を押さえていない方の手でドンッとしんべヱの体を岩から突き落とした。その拍子に重箱から零れ落ちた饅頭が地面にばら撒かれ、真上に落ちたしんべヱの体重で押しつぶされる。

バンバンボバババンッ!!!

「ぎゃーーーーーーーっ!!!」

体の下で爆発した饅頭に、しんべヱの悲鳴がその場に木霊した。



「へえ~~~、きり丸君ってそんな事も出来るの?」
「ああ、まあ色々バイトとかやってたから」

手入れされた庭木を見ながら並んで歩いていたトモミときり丸は一息つくように足を止めた。話に夢中になっていつの間にか人気のない場所にたどり着いた事に気付いたきり丸が照れたように頭を掻く。

「いつの間にか誰もいなくなっちゃったな」
「そうね。でも大丈夫よ。ここは私達の庭だもの、迷子になんかならないわ」

自信満々にそう言ったトモミに、そっか、と笑みを浮かべた。その視界の隅に見慣れた空色の井桁模様がよぎったのにぎょっとして顔を左に動かす。

「あれ?! 今、兵太夫と伊助が空飛んでなかった!?」
「え? 気のせいでしょ? 何にも見えなかったけど・・・」

問われたトモミも同じ方向を眺めるがすぐに諦めたように肩をすくめてきり丸に視線を戻した。
そういわれれば確信を持てず、きり丸も曖昧に頷いて視線を前に戻す。

「それよりも、あれ。あそこのアレ、何かしら?」
「どれ?」

悪戯っぽい笑みとともに前方を指差され、顔を出すようにして目を凝らしてみたがよくわからない。前方には広々とした雑草地帯が広がっているだけだ。

「何のこと?」
「あれよ、あれ。その雑草の中に落ちてるもの・・・」
「うん?」
「あれ、お金じゃないかしら?」
「お金ぇっ!?」

その言葉に即効で雑草地帯に走りこんだきり丸はトモミが指差した付近でその場に伏せた。前後左右を隈なく見回してみたがそれらしい物は見当たらない。立ち上がって目を小銭のように・・・ではなく、皿のようにして辺り一体を見回してもそれは同じだった。

「どこ?」
「あらごめんなさい。見間違いだったみたい」

トモミがいうようなものなどどこにも見当たらず、確認するように振り返ったきり丸にトモミは勘違いを詫びるように胸の前で両手を合わせた。落胆も露わに、ちぇっ、と舌打ちをひとつ漏らして足元の石を蹴り転がす。

カッ
どふっ!

「な・・・っ!」

石が数メートル転がった瞬間、いきなりきり丸の視界が激しい光と黄土色の煙で覆われた。光で塗り潰され、一時的に利かなくなった視界を庇うように目元を手で覆うあいだに鼻から入ってきた煙に咽る。ツンとくる刺激と喉に絡まる感覚に咳とくしゃみが止まらず鼻水がどんどん溢れ出た。

「ごほっ ごふごふ、くしゅっ な゛、ゴフッ、な゛に゛っ!?っくしゅっ!」
「ああそこ? 今、そこ、“うずめ火”だらけの地雷原になってるの。地面に埋めてある“うずめ火”踏んだら爆発するから気をつけてね。といっても出てくるのはただの閃光と灰を混ぜた辛子の粉だけど」

これでも遠慮したんだから。と楽しそうにくすくす笑いながらトモミは咽るきり丸に背を向ける。あらかじめ知っていたから視線を逸らしていたし、風上に立っているトモミには粉の被害はこない。

「せいぜいが十丈(三十メートル)くらいよ、頑張って~」

綺麗な笑みを口元に浮かべながら吹き付ける風に心地良さそうに目を細めた。



キョッ
  キョッ

「・・・・・・なんだ? これ」

くの一の卵達が住む屋敷の中、外からは見えないように雨戸を閉じた外廊下の細長い空間を歩いている最中、いきなり足元から聞こえた奇妙な音に風車は思わず足を止めた。先を歩いていた多由也がそれに気付いて、ああ、と小さく声を漏らす。

「それは鶯張うぐいすばりよ。踏むと鶯の泣き声のような音を出して侵入者を知らせる防犯設備のひとつ」
「ふぅーん・・・・・って、なんでお前は鳴ってないんだよ?」
「鳴らないように歩いてるから」
「そんなこと出来るのか?」

驚いたように足元に注目した風車に多由也も数歩先で立ち止まって瞳を瞬かせた。風車と同じように自分の足元を見下ろして頷く。

「やろうと思えば練習しだいでは。小指から親指にかけて足をじょじょに床につけていき、最後にかかとを下ろす『忍び足』とか」
「なんでその歩きで普通の速度がでるんだよ」
「だから練習しだいで」
「・・・・・・その練習を見たことないんだが」

学園に来てからのほんの少しの間に習得したとでもいうつもりだろうか、と半ばありそうな事を思いながら風車も言われたように足を踏み出してみた。踏んだ足の下でさっそくキョッと鳴った床にすぐに諦めて体重をかける。

「・・・?」

キョキョッ、キョキョッ、と足を踏み出すたびにうるさく囀る廊下にため息を吐きながら歩いていた風車がふいに耳に入ってきた床鳴り以外の音に顔を上げた。動きにつられて振り返った多由也に視線を戻す。

「なあ、今、乱太郎の声がしなかったか?」
「・・・・・・ここ、けっこう裏庭に近いから」
「ふうん。外を散歩してんのかねぇ」

視線を前に戻しながらそう呟いた多由也に、風車も特には気にせずたまに通り過ぎる部屋の障子を見ながら歩みを進めた。雨戸を閉めているために廊下は薄暗かったが歩くのに支障をきたすほどではない。

「・・・・・・」

そうやって見知らぬ屋敷を物珍しそうに見ながら歩いていた風車の歩みがふいに乱れ、やがて止まった。いつの間にか鴬張りから普通の廊下へと変わっていた廊下は音ひとつ立てず、静寂だけがその場に残る。

「・・・・・・・・・・・・おい・・・」
「―――なに?」

警戒心も露わに睨み付けてきた風車に同時に止まった多由也が無表情に振り返った。何かを感じたのか風車の眉間のシワがますます深くなる。

「いま虎若と団蔵の悲鳴がきこえたぞ? どういう事だ!?」
「・・・・・・そういう事だと思う」
「!!」

誤魔化しも何もない肯定。
膨れ上がる嫌な予感とともに即効で来た道を引き返した風車に体ごと振り返った多由也が少しだけ眉を動かした。

「――もう遅い」

多由也の声が耳に届くよりも先に足場がない事に気付いた風車は咄嗟に腕を伸ばして廊下の板を掴む。廊下の幅の床板が一気に外れて開いた穴は数メートルほども続いていたが、あいにく最初の逃げの行動が早かった風車はほとんど渡りきっており、ぎりぎり反対側の縁まで手が届いていた。
なんとか両手でぶら下がったはいいものの、余所見をする余裕さえもなく天井を見上げてプルプルと震える。

「お、まっ・・・っ! マジふざけんなよ、多由也――っ!!!

声を振り絞るたびに体の力が抜けそうになるが、それでも口から怒りを迸らせる風車に穴の反対側から多由也の無感情な声が返る。

「いたって真面目よ」
「なお悪いわっ!! ―――!?」

振り返るに振り返れない状況にぎりぎりと歯を軋ませながら底に視線を落とした風車は一瞬目を疑った。再度見直してみても景色は変わらない。
五メートルはありそうな深さの穴のそこに棒の林が立っていた。

「てめっ 殺す気かっ!?」
「大丈夫、刃物は外したから」
「だからなん――――っ!!」

だ、と言い終わる前に風車の手元の板がポロリと外れる。さらに追い討ちをかけるようにそこら辺一体の板が外れた。

「ぎゃあああああぁぁぁぁっ!!! ―――がふっ!」

悲鳴が穴に吸い込まれて、途切れる。
穴の縁から中を覗き込むようにその場にしゃがみ込んだ多由也は、底の方で床板にまみれて目を回す風車を見ながら頬に落ちかかってきた髪の毛をかき上げた。

「・・・そこ、時差式になってるの」

ポツリと呟かれたその言葉を聴いたのは結局多由也だけだった。






「・・・・・・」

予想はしていたがそれを上回るような有様に、半助は腕を組んだまま言葉を失った。

全身ずぶ濡れになりながら顔を手ぬぐいで押さえて座り込んだ団蔵。
その後ろで下半身を泥で汚し、水を滴らせながら力なく立っている虎若。
土と木っ端にまみれ、横一直線に赤い筋の入った顔面を押さえる擦り傷だらけの三治郎。
三治郎と背中を合わせるように座り込み、濡れたまま拗ねたようにたんこぶの出来た頭を押さえる兵太夫。
その隣で同じく濡れたまま膝を抱えてうずくまる伊助。
怒りに身を震わせながら痛む体を押さえる風車。
手ぬぐいで鼻と口を押さえながらくしゃみを繰り返し、真っ赤に充血した目をしきりに瞬かせるきり丸。
地面に倒れ伏したままピクリとも動かないしんべヱ。
土や草を全身につけ、青あざだらけの体で俯く乱太郎。

「・・・・・・お前達・・・また、随分と派手にやられたなぁ・・・」

しばらく無言で生徒達を見回した後、口から零れ落ちた感想のような言葉に半助の一番近くにいた乱太郎がキッと顔を上げた。すがるように担任の黒い袴を掴む。

「先生っ 女の子たちひどいんですっ! みんなやられましたっ!!」
「う~ん・・・・・・まあそうだろうなぁ」
「そうだろうなぁってっ!」

ちっとも乗り気じゃない担任の反応に怒って立ち上がった乱太郎に、半助はどう言ったものかと首をかしげ、組んでいた右手を解いて頭を掻いた。

「それがくの一の術だからな。可愛い顔や態度で相手を油断させ、罠にかける。最初に言っていた怖さがわかっただろう?」
「ぅ・・・っ」

そう言われて思わず黙り込む。一年は組の担任は確かに最初から注意するように言っていたのだから。

「皆もいい勉強になっただろ」

しょんぼりと肩を落とすは組の生徒達を見回し、くの一教室の方へと視線を流した半助に障子の隙間から覗いていたくのたま達がくすくすと笑いを零した。
さらに追い討ちをかけるような笑声にますます子供達の肩が下がる。
いつまでもジメジメしている雰囲気にため息をひとつ吐き、手を叩いて視線を集めた半助は腰に手を当てて生徒達と向かい合った。

「皆、お邪魔したくの一教室に礼を言うように」

ええぇ、だの、ううぅ、だの呻くような非難の声がちらほらと零れるがすまし顔の担任には届かない。結局その場に整列した子供達はするすると開いた障子に向かって投げやり気味に頭を下げた。

『どうもおじゃましましたっ!!』
『どういたしまして~~っ』

初めて会った時と同じように並んで座って喜色満面に声を揃える少女達にそっぽ向いたり俯いたりしながら視線を逸らして背を向ける。
さー帰るぞ、という半助の号令とともにトボトボと歩き始めたは組の子供達の中で、ただ一人立ち止まって自分を睨み付けてきた風車と視線が合った多由也はすばやく縁側を降りてきた。

「――風車」
「なんだ!?」

近寄ってきた双子の姉に向かって声を尖らせた風車に、手に持った小さな壷を差し出す。
咄嗟に体を引いた風車の胸に押し付けるようにさらに突き出した。

「殺虫剤。改良してみたの。昨日使ってみたら今までのよりよく効いた」
「・・・・・・・・・ふんっ」

風車は自分の忍び装束に押し付けられた壷をしばらく見つめた後、手の平サイズの小さな壷を片手で受け取って顔をふいっとそむけたが、しばらくして小さく口を開く。

「・・・・・・・・・あんまり、変なことするなよ」
「うん」

こくん、と頷いた多由也を見もせずにそのまま踵を返して同級生を追っていった。






「・・・・・・ほんと、散々だったね・・・」

足取りも重く自分達の教室へと向かいながら三治郎がポツリと零した。隣を歩いていた団蔵が力なく頷き、その振動で髪の毛から水滴が落ちていった。

「・・・俺、屋敷の中で団蔵と虎若の悲鳴きいたぞ」

後から追いついてきた風車が小さな壷を抱えたまましんべヱを背負った半助のすぐ後ろを歩く団蔵とその後ろの虎若を見ると、二人はげっそりとしたようにうな垂れた。

「いきなり顔になんかヘンなものが入った卵を投げつけられて池に蹴りこまれたんだ・・・」
「・・・その団蔵を助けようと池に下りたら中は泥だらけで・・・おまけにそこに桶や壷が埋めてあって、足をとられてあやうくおぼれかけた・・・」
「うっわ。・・・・・・ぼくは池の中で三治郎の悲鳴を聞いたけど?」

虎若の横にいた兵太夫が頭から外した濡れ頭巾を氷嚢代わりにたんこぶに当てながら前を見る。擦り傷だらけの三治郎はその言葉にビクリと振り返り、特に横一文字の赤い蚯蚓腫れが目立つ顔を顰めた。

「・・・・・・ぼくは・・・なんかいきなり藪から飛び出してきた竹で顔を叩かれたかと思ったら足に絡まった縄に引きずられて宙に浮いてた・・・」
「ああ・・・・なんかわたしに似てる・・・。わたしも右手を縄にとられて宙に浮いてた・・・・・・。しばらくして落ちたと思ったらそこが深い落とし穴で、そこからはい上がるのが大変だった・・・・」
「だい゛べん゛、ぐしゅっ、だったな、乱太ろ――っぶしゅっ!」

つられるように肩を落とした乱太郎に、隣のきり丸が励まそうとしてくしゃみを繰り返す。むしろ大変そうなのはきり丸だった。

「そういうきり丸はなにされたの?」
「オレ? ・・・っくゅっ! オレは、地雷原に っくちっ 放り込まれ、ぶしゅっ! ――て、辛子粉とかを、っぶしっ、かけられて、っべしゅっ、鼻がバカになっっぐしゅっ」
「ああ、もういい、もういいよきり丸」

苦しそうに報告するきり丸に前方から虎若が宥めるように声をかけた。手ぬぐいで鼻口を押さえたきり丸が自分達の前を歩く兵太夫と自分の後ろを歩く伊助に視線を送った。

「ぞういえば、オレっくゅ、空飛ぶ兵太、夫、ぶしっ、伊助、を、っくしっ、見た、ぜ、えっくしゅっ!」
「・・・・・・・・・ああ」
「・・・・・・・・・うん」

なんとか言いたい事を言い終えたきり丸に二人は視線を下に落とす。全員の視線が集まったのを知って虚ろに笑った。

「なんていうか、ぼくも三治郎みたいにいきなり足を引っ張られて木に吊り下げられた」
「一緒に行動していたぼくが兵太夫を助けようと近づいたとたん一緒に足引きずられて、二人の重みで切れた縄ごと空に放り投げられたんだ・・・。池に落っこちてよかったよ・・・」
「こっええーーっ!」

ははは、と乾いた笑いを零す伊助に団蔵が怯えたように腕を擦る。全身ずぶ濡れだから余計に寒いのか腕を動かしたまま後ろを振り返り、風車の方を向く。

「風車は?」
「・・・・・・ああ、なんていうか・・・あれだ、落とし穴。二段構えで下に棒がたくさん突き立ってた」
「うっわぁ~~・・・。・・・・・・しんべヱは一体何があったんだろ・・?」

風車のすぐ前にいた乱太郎がなんともいえない顔をして先頭を歩く半助の背中に負ぶわれたしんべヱに視線を移した。その言葉にくるりと虎若が振り向く。

「ぼく、池の中からしんべヱが爆弾入りの饅頭食べてるとこ見た」
「ぼくも。――最後その爆弾の上に落っこちて、すっげえひさんだった」

しんべヱに視線を当てたまま顔を歪めた団蔵に他の皆も顔を引きつらせた。

「・・・・・・で、さっきから庄左ヱ門がいないんだけど・・・」

誰もが気付いていた事実を伊助がポツリと告げると全員の視線が担任の方を向く。話を聞きながら肩を震わせてひそやかに笑っていた半助は、生徒達の視線に気付いて慌てて顔を引き締めて振り返った。

「庄左ヱ門は先に長屋に帰った。くの一にお茶に誘われ、牽午子けんごし入りのお茶菓子を食べたからな」
『?』

意味がわからず顔を見合わせたは組の生徒達に半助は眉を下げて唇を上げるような、なんともいえない表情を浮かべる。

「牽午子とは朝顔の種を煎じたモノでな、とぉっても強力な―――下剤だ」

途端に状況を理解した子供達も同じような表情を浮かべた。今頃トイレに駆け込んでいるだろう姿がありありと思い描ける。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ま、これも勉強の一環だ。今日初めて知ったものもいろいろあっただろう」

少しからかうような調子で言いながら校庭を横切り、見慣れた井戸場まで来て半助はようやく足を止めた。気がついたしんべヱを背中から下ろし、それぞれ自分の散々な体験談を報告しあってさらに落ち込んだ生徒達の方へ体ごと振り返る。

「皆ちょっとボロボロだからな、一旦ここで泥や埃を落としてから建物に入る事。まずは保健室で手当てを受けてから部屋に戻りなさい」

声も出さずにただ頷くだけの生徒達に零れた苦笑を押し隠し、背筋を伸ばした。

「今日の授業はここまでっ!」
『・・・―――ありがとうございましたぁ・・・』

力なく重なった子供達の声にかぶさるように、ヘムヘムが鳴らす終業の鐘の音が辺り一面に響き渡った。



[18506] 番外編 くの一教室へようこそ の 段 + α
Name: 緋色◆5f676539 ID:64f78d5b
Date: 2010/06/30 02:06
番外編 その一

くの一教室へようこそ
の段




かすかに花の香りの乗せた暖かな春風が吹く、月の綺麗な夜だった。
他と区切るように忍術学園の一角に造られた垣根の中に建つ瓦葺きの建物内を歩きながら、多由也は前を歩く女性を見上げた。二人分の影が女性の持つ灯火によって雨戸の閉められた暗く細長い外廊下の壁に映しだされ、女性の歩く速度にあわせて小さく揺れる。
多由也の視線に気付いたのか女性はすぐに振り返り、緊張を和らげようとするように微笑んだ。きつそうな切れ長の瞳がそれだけで柔らかい印象に変わる。

「丹光多由也さん。今日から環境が変わって色々大変かもしれないけど、何かわからない事があったら遠慮なく聞いてね」
「はい」

優しく響いた若々しい声に多由也はひとつ頷き、まっすぐにその女性を見上げた。先ほど紹介された老婆と同一人物だという若い女性はこれから自分の担任になるという。
自分より年上の人間には敬語を使え、と事あるごとに言っていた双子の弟を思い出し、口調を調整するために一呼吸置いて女性にたいして首を傾げた。

「山本様、私と風車は別々に暮らすのですか?」
「あらあら。様付けなんてやめてちょうだい。私のことは先生って呼んでね」

一瞬足を止め、その口調に苦笑するように眉を下げたシナは多由也の方へ軽く視線を落とすように頷き、周りを見まわした。右側に連なるように出来た部屋はきっちりと障子が閉められ、自分達の他には灯りのない廊下は人の気配が薄い。

「ココはくの一教室。女性だけしか入れない場所なの。あなたの弟君は忍たま長屋で同い年の子達と共同暮らしをする事になるわ」
「そうですか」
「寂しい? 弟君とはいつも一緒だったのかしら?」
「いつも一緒でしたが寂しくなどありません。風車もそうでしょう」
「あらそうなの」

顔を前に向けたまま意外というようにひとつ瞬きをして歩みを進めた。灯火で揺れる影が雨戸や障子の上で踊る。何かを思い出すようにふわりとひとつ笑ってシナは、でもそうね、と声を小さく落とした。

「女の子の方が結構逞しいのかしら。ここに来る子達の中には親元を離れて泣く子も出てくるのに、女の子にはあんまりないのよ、そういう事」
「そうですか」

背後からは感情の篭っていない相槌とかすかな衣擦れ以外聞こえてこない。屋敷に入った時から足音を立てていない少女に対してシナの顔に期待の微笑が浮かぶ。

「多由也さんはご両親共に忍びだったかしら」
「そのようですね」
「内緒にされていたの?」
「三日前に告げられました」

多由也の予想外の答えにシナは大きく目を見張った。振り返るとすぐ後ろについてきていた多由也が無表情に見上げてくる。

「忍術をご両親から教わっていたのではなくて? 基礎は十分な気がするのだけど」
「武芸を二年ほど」
「それだけ?」
「はい」

その答えに、おかしいわね、と呟いて前方に顔を戻したシナに多由也の眉がふっと寄せられた。聞かれたことに答えただけだが、何か失敗をしたのだろうか。

変な言動をするな。不審がられるな。周りにあわせろ。

学園の門をくぐる前に風車が眉間にシワを寄せながら復唱させた言葉だ。さっそく不審がられたようだが。
人に尋ねられたら答えるという本来の性質が出てきたが、それがいけなかったのだろうか。首を捻ってみてもよくわからない。

「ここよ」

深く思考する間もなく足を止めたシナが振り向き、多由也も即座に姿勢を正した。
同じような障子の並ぶ一角に立ったシナが目の前の障子を開けると八畳程の板間が広がっていた。布団や制服など必要最低限のものはもう置いてあるようだ。
先に中に入り、備え付けてあった火皿に手に持った灯火を移しながらシナは入り口に立ち尽くしたままの多由也を振り返った。黒頭巾から零れた灯りでオレンジ色に見える跳ねた髪の毛が少し揺れる。

「ここがあなたの部屋になるわ。好きに使ってちょうだい」
「はい」
「この屋敷の案内は明るくなってからにしましょう。色々危ないし、覚えにくいでしょうしね。雪隠はさっき言った場所にあるから」
「はい」
「・・・・・・そんな所に突っ立ってないで部屋の中に入っていいのよ? ここはあなたの部屋なのだから」
「はい」

言われてからようやく入ってきた多由也に苦笑しながら部屋の中にあるものを説明する。どれに対しても反応が薄いがちゃんと聞いてはいるのだろう。

「他に何か質問は?」
「ありません」

一通り終わったあと確認として尋ねてみるが多由也は小さく首を振って逆に何かないのか尋ねるように真っ直ぐにシナを見上げてきた。その視線にさらに苦笑を深めながら真っ直ぐに視線を返す。くの一教室へと来る前にお風呂も食事ももう済ませた。後はもう寝るだけだ。

「じゃあ今日はここまでにしておきましょう。続きは明日」
「はい」
「お休みなさい」
「はい、おやすみなさい」

多由也を早く休ませるためにさっさと退出しようと障子に手をかけたシナはふと思い出した事柄に、ああそうだ、と見送るように後ろについてきた少女を振り返った。言葉を待つように見上げる多由也に視線を合わせる。

「これからあなたが編入という形で入る教室は、皆あなたより一歳年上の子達ばかりだけど怖がらないでね。皆いい子達だから」
「はい」

反応の薄かった少女の返事はやはり変わらず、無感動に小さく頷くだけだった。






朝から天気も快晴で障子越しに柔らかな光が差し込むくの一教室には、桃地に渦巻き模様の入った忍び装束に身を包んだ十二人の少女達が集まっていた。
畳敷きのその部屋に置かれた文机は六つあり、上座にひとつ、それと向かい合うように二列の等間隔に並んだ四つの机。その後ろにもうひとつ置かれていて、前の四つに授業開始の鐘が鳴る前に来ていた少女達が三人一組で並んで座る。

カーン カーン カーン

少女達の雑談を止めるように鐘の音が響き、それと同時に入ってきた担任はその後ろに見知らぬ少女を付き従えていた。半分予想していた展開に少女達も話こそしないが興味津々の顔を向ける。
同じ桃色の忍び装束を着た多由也はその視線を受けながら自分の前を歩く老婆を眺めた。綺麗に纏め上げられた白髪頭を飾る青い玉簪がひょこひょこと歩くたびに光を弾いて輝く。
上座中央に置かれていた文机にたどり着いた二人はそこでようやく生徒達の方へと向き直り、シナは全員の顔を見回しながら多由也の方へと視線を促した。

「皆さん。今日は皆さんに編入生のお知らせがあります。
 今日から皆さんと一緒に勉強する事になった丹光多由也さんよ。仲良くしてあげてね」
『はいっ!』

笑顔とともに返された返事に満足そうに頷き、多由也を最後部の真ん中にひとつだけ置かれた机へと促す。
促されるまま机と机の間を通ってその席へと進む多由也に周りの視線が集まり、どこかそわそわした空気とともに多由也が席に着くまで見届けた。きっちりとその場で正座した多由也が前を向くのにあわせて全員がシナの方を向く。
一斉に生徒達の注目を受けたシナは福々しい顔に笑みを浮かべながら全員を見て、視線を左側――右端の少女へと流した。

「皆さんもご紹介しましょう。まずは前の席に座っている子達からですね。
 右からトモミさん、おシゲさん、ユキさん」
「はじめまして。トモミよ」
「おシゲでしゅ」
「ユキよ」

シナが名前を呼ぶのに合わせるように名を呼ばれた少女達がひとりずつ上半身を捻るように背後を振り返る。
藍色にも見える綺麗な黒髪を白いリボンで結った少女が微笑み、その隣で小さな背丈のぽっちゃりとした少女が満面の笑みを浮かべ、その横に座っていたふわふわのオレンジ髪を桃色のリボンでまとめていた少女は片手を挙げてひらひらと手を振った。
それぞれの挨拶を見届けたシナはひとつ頷き、視線を隣の机へと移す。

「その隣の席に座っているのはそうこさん、しおりさん、あやかさん」
「私、そうこ!」
「しおりよ、よろしく」
「私はあやか。よろしくね」

闊達に手を上げた緑色の短めの髪を後ろでまとめた少女の隣で、高い位置で髪の毛を結わい長い前髪を横に流した黒髪の少女がつり上がり気味の瞳を和ませ、前髪を頭巾に納め柔らかく波打つ茶髪をひとつにくくった少女が微笑んだ。
覚えたというようにゆっくりと頷いた多由也を見て、シナはその少女達の背後へと視線を向ける。

「その後ろがみかさん、ナオミさん、亜子あっこさん」
「みかです。よろしく」
「私はナオミよ、よろしく」
「亜子よ。仲良くしましょ」

前髪を揃え、肩まで伸びたウェーブのかかった栗色の髪を揺らしながらあやかの後ろに座っていた少女がふっくらとした頬にえくぼを作り、左右に別けた黒い前髪を頭巾の中にしまいこんだ少女がそばかすの浮いた顔にはにかんだような笑みを浮かべ、毛先の跳ねた茶色の長い髪をひとつにまとめてピンクの花飾りをつけた少女がにっこりと微笑んだ。
張子のようにうんうんと何度か軽く頷いた後、シナは視線をさらに隣の机に移す。

「そして最後が猪々子いいこさん、卯子うっこさん、恵々子ええこさん」
「猪々子です。これからよろしくね」
「卯子よ」
「恵々子です」

真ん中でわけた前髪を揺らしながら緑色の髪を薄紅色のリボンでまとめた少女が背筋を伸ばしたままきちんと頭を下げ、赤に近い茶髪の短い髷に頬の辺りで横髪が跳ねているツリ目の少女が茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、ウェーブのかかった長い青髪を結わずに頭巾から零した大人しそうな少女が小さく頭を下げた。
一通り挨拶が済んだ少女達にじっと見つめられ、多由也は少し考え込むように黙り込んだあと無言にうながされるようにゆっくりと返礼する。

「・・・多由也です。よろしくお願いします」

見本になりそうな綺麗な仕草にほぅっと少女達の間からため息が漏れた。
そんな生徒達にシナの目元の笑い皺がさらに深くなる。興奮した空気を感じとって笑いを零しそうになった口元に手を当てた。

「さて皆さん。本来なら授業を始める所ですが、皆さんも新しい仲間が気になるでしょう。今日の授業は止めにして、親睦会を行いましょう」

シナの言葉にわっと少女達が一斉に歓声を上げ、すぐに多由也の前に群がる。小首を傾げるように少女達に視線を向けた多由也に体を寄せるように矢継ぎ早に口を開いた。

「どこから来たの?」
「前に学校に通ってたりした?」
「こういうとこ初めて?」
「兄弟はいるの?」
「好きなものは何?」

次々と繰り出される少女達の質問に多由也は一瞬答えていいのかどうか迷って瞬きを繰り返した。けれどすぐに感性に押されるように返答を返す。
顔を見合わせて、ええ~遠い、お兄さんがいるんだぁ、などの楽しそうに話し合う少女達の中で、ふいにそうこが小さく眉を寄せて多由也の顔を覗き込んだ。何の用かわからず真っ直ぐに見返してきた多由也に気まずそうに頬を掻く。

「なんか、さ。多由也ちゃん、口調がかたくない?」

ポツリと呟かれた言葉に多由也は思わず首を傾げ、他のくのたま達は顔を見合わせてうぅんと不明瞭な同意を返した。
そうこの隣に座っていたしおりも同意したように頷き、多由也の顔を覗き込む。

「多由也ちゃん。私達一歳年上だけど遠慮しなくていいんだよ? 多由也ちゃんは同じ教室の仲間になったんだし、ね?」

説得するように言われても多由也は首を傾げたまま視線を落とし、やがてフルフルと頭を真横に振った。えっ、と目を丸くした同級生達に漆黒の瞳を向ける。

「これでなれているのです。ダメですか?」
「・・・・・・ダメってことは・・・ないけど・・」

真っ直ぐに見られて困ったように視線を逸らしたしおりは横に座っていた恵々子と視線を合わせた。
その場に漂った困惑した空気を破るように、でもさ、と卯子が声を上げた。

「口調も技のひとつよ。もちろんそれでもいいとは思うけど、今はもっと女の子らしい方がいいんじゃない?」

目の前に人差し指を立てるようにそう言われた多由也は前にも聞いたことのあるような言葉に思わず目を瞬かせた。


―――おんなの、こどもなんだからもうちょっとかわいいしゃべりをしろよっ


視線を机に落とすようにして考え込んだ脳に幼かった風車の声が再生され、ああアレか、と声に出さずに頷く。
かわいいしゃべり。同世代の。
それが今この人達が使っているものだろうか。
顔をあげ、会話を交わす少女達を視界におさめる。
卯子の言葉に顔を見合わせたくのたま達は、そうよねぇ、と考え込みながら同意するように頷いた。

「確かに口調もちょっと大事よね」
「そうねぇ」
「あんまり大人っぽすぎるのはダメだと思う」
「馬鹿っぽいしゃべりとか媚を含んだしゃべりは相手が油断するし~」
「あっさりと口を滑らせてくれましゅ」
「そうそう。特に馬鹿な男とか」
「キモいよね」
「下心見え見えだっつーのっ」

可愛らしい顔を見合わせて口の端に嘲笑を浮かべた少女達を一通り見た後、多由也は視線を卯子に向けた。真っ向から見られた卯子が首を傾げる。

「何?」
「技のひとつ?」
「ええ、そうよ。相手が油断しているほうが仕事がしやすいじゃない。かわいらしくしていたら結構油断するものよ」
「私達は外見を利用するから」
「『利用できるものは利用する』が忍者の信条だもの」
「・・・・・・」

卯子の言葉を補足するように猪々子とナオミが続けるが、言葉に反応せずただじっと見つめてくるだけの多由也に居心地が悪くなって視線を逸らし、身じろぎした。二人の近くに居たみかが苦笑する。

「何かわからないところがあったかしら? 多由也ちゃん」

フォローするように言葉を挟んだしおりに小さくと首を振ると、多由也は確かめるように何度か口を動かした後、そっと言葉を零した。

「・・・私も、そうする」
「そう? そうね。それがいいと思うわ」
「多由也ちゃん可愛いもの。親しげに話したら相手も油断するわよ」
「そうそう。馬鹿なヤツって結構多いから」

ぎこちないながらもそう言った多由也に周りの同級生達はふわりと笑った。亜子の言葉に同意するように猪々子とみかが頷く。

「・・・・・・そう」

周りの笑顔とそれを見守る老婆の優しい眼差しを見ながら多由也は考え込むように視線だけを机に落とした。サポートナビゲーションシステムだった頃、マザーコンピュータに検索をかける時のように。自分で自分に問いかけてみる。
自分が他とは違っているのは自覚している。そしてそれを風車がフォローしていたのも。
でもここにはもう風車は居ない。自分と長く暮らした親も。優しい兄も。
自分のことは、自分でする。
視線を上げた多由也はこれからともに学んでいく少女達を視界におさめ、小さく口の端を引き上げた。

「これから、よろしく・・・ね」

少女達が使う可愛らしい口調。
それが自然というならばそれを身につけるのみ。






太陽も西に傾き、鳥の鳴き声と共に暖かな風が開け放たれた窓から入り込んできた。
いつものように滞りなく授業を終え、終業の鐘が鳴るまでの間雑談をしていたくの一教室の中で、ふいにユキが「先生!」と声を上げた。上座に置いてある机の上で午前中におこなった抜き打ちテストの答案をチェックしていたシナがその若々しい顔を上げる。

「何かしら、ユキさん」
「新一年生になった忍たま達の歓迎会をしたいんですけど」

歓迎会、と口にしながらどこか人の悪い笑みを浮かべたユキに合点がいった。手に持っていた筆の朱墨が紙の上に落ちないようにと硯に置きながら生徒達を伺う。
きらきらと瞳を輝かせ、期待するように自分を見つめてくる生徒達の中でただひとりだけ周りを観察するように見ている生徒がいた。―――多由也だ。
視線に気付いたのかすぐにシナの方を向いた多由也に微笑みかけながらシナは、そうねぇ・・・、と少し考え込むように呟いてみせた。

「確かに、そろそろいいかしら」

シナが肯定するように答えると幼いくの一達に次々と笑みが浮かぶ。鼠をいたぶる猫のように薄っすらと嗜虐的な笑みを浮かべる姿さえも魅力のひとつとして目に映る物騒な生徒達に思わず笑いそうになった。今期の生徒達は本当に優秀だ。
独特の華やかさを放つその姿を満足げに見回し、その中に入った新たな新人に視線を移してみる。大人しく、飲み込みの早い少女。感情の起伏は乏しい、独特の雰囲気を持った生徒だ。

「多由也さんにとっては初めての経験になるわね」

真っ直ぐに見つめてくる視線を受けながらそういうと多由也は少しだけ首を傾げた。これからおこすイベントに浮かれていた他の生徒達も気がついたように視線を最後部へと向ける。

「そうよね、多由也ちゃんにとっては初めてか」
「あのね、歓迎会っていっても実習なの」
「遊びに来た忍たま達を罠にかけるのよ」

顎に指を当てて呟くように言ったしおりの言葉に続けるように、一番近くに居た亜子と猪々子が多由也の机に手をかけるようにして上半身を振り向かせた。
左右から覗き込んできた顔に多由也の首がますます傾く。

「罠?」
「そう、罠。色仕掛けで落とし穴に落としたり」
「下剤入りのお菓子を食べさせたり」
「・・・・・・人を傷つけるの?」

亜子と猪々子の言葉にしばらく考え込んだ多由也に不思議そうに呟かれ二人は思わず言葉を呑んだ。困ったように背後の仲間達を振り返る。

「え、えぇ~と・・・」
「まあそういう事にはなるんだけど・・・」
「でも、傷つけるといっても別にそこまで酷くはないし・・・」
「・・・悪戯、レベルだよ・・・」

視線を送られた卯子とナオコも困ったように眉を寄せた。みかと恵々子も視線を逸らす。
結局言葉に詰まった全員の視線がシナへと向き、それに導かれるように多由也もシナを真っ向から見つめた。
生徒達のやり取りを見守っていたシナは自分にまわってきた鉢にクスリと笑みを零し、机の上に組んだ両手を置くように上半身を前に傾けた。

「傷つけるといっても軽いものよ。それにこれは相手のためでもあるの」
「相手のため?」
「そう。女の色香に惑わされて本質を見失うようじゃ忍びはやっていけないわ。私達は実習のため、忍たま達はこれからの教訓のために、これは必要な事なのよ」
「必要なこと・・・」
「そう」

呟きながら多由也の視線が下に下がる。机上の教科書を見るようで、どこか別の場所を見ているようだった。
全員が見守る中、なにやら考えていた多由也が視線を上げ、納得した事を表すように小さくひとつ頷く。

「わかりました」
「・・・大丈夫? 人を傷つけるのは嫌とか、そういう事はない?」
「嫌という感情は、ないの」

少し心配そうに尋ねたあやかに多由也はフルフルと首を振りながらきっぱりと言い切った。
ならいいのだけれど、とあやかが引き下がるところまで見届けてからシナは自分の机の上に置かれていたテスト用紙を脇へとずらし、ひとつ咳払いをする。全員の注目が集まるのを感じながらちらりと窓の外へと視線を走らせ、授業の残り時間を計算した。
もう少しだけ時間がある。

「皆さん、丁度いいから少しここでお話をしておきましょう」

シナが膝の上で両手を重ねるようにして背筋を伸ばすと、それに呼応するように先ほどまでの浮かれた空気を飛ばした生徒達が姿勢を正した。
全員の顔をゆっくりと見渡した後、シナは一呼吸置いてゆっくりと息を吐き出す。

「この学園に来た理由は人それぞれ。行儀見習いのため、強くなるため、人との繋がりを持つため、と幾つもありますね。だからここで行う事に対して色々と思うことが出てくるのも致し方ありません。護身や行儀だけではなく、人を傷つける事も学ぶのですから」

全員に言い聞かせるようにゆっくりと、言葉を綴っていく。
真っ直ぐに見つめてくる生徒達ひとりひとりに視線を当てるとどの瞳にも喰らいつくかのような真剣な光がともっていた。

「くの一とは、元は“九ノ道”から由来する、女を表す言葉です。“九ノ道”とは“九一の道”、陰陽道おんみょうどうにおける房術の事で、つまりは“女”という、男に比べると力が弱く低い立場と性を武器とする者の事を言います。
 情報が転がっていても男の忍びが入れない場所――井戸端、お風呂場、寝所などに入れる、それが私達の利点。立場が弱いからこそ相手は油断し、侮っているからこそその心の隙間に滑り込めます。男などには真似できない、私達だけの武器」

一年前、入学してきた頃と違い幼いながらもすでに曲線を描いてきたしなやかな肢体。程よく肉付いていくとともに磨かれてきた言動はさらに少女達を魅力的にみせてきた。

「この先、成長し、学年が上がるにつれて女として嫌な事もあるでしょう。そうなる前に学園を辞める人が出てくるのは当然だと思います。ここにいる皆さんが全員くの一になるとは思っていません。家に戻るもの、嫁に行くもの・・・ここに来た時と同じく、目的に沿った生き方をそれぞれ見つけていく事でしょう。
 けれど、たとえこの先くの一にならなかったとしても、ここで習った事は皆さんの糧になります」

立場も考えも違う幼いくの一のたまご達を見渡す。
年相応に好奇心と悪戯心で輝く瞳を持つ少女達。今はまだ男の子をからかって遊ぶ程度でいい。
口元に小さく笑みを浮かべるとシナは一度大きく瞬きをした。開け放した障子から差し込む柔らかな日差しに桃色の制服が淡く光って見える。
いずれこの少女達が突き当たる女という立場の壁に、ただ嘆くだけの存在にならないように。

「この不安定な時代の中、それでも皆さんが皆さんらしく生きていけるように。己の弱点も、利点も、ここで覚えていきましょう」

にっこりと魅力的に微笑んだシナに顔を見合わせた少女達も同じく笑みを浮かべる。


『―――はいっ!』


ヘムヘムが撞く終業の鐘に紛れるように、少女達の声が教室内に響き渡った。





*****





番外編 その二

ある日の出来事
の段




ぶふっ

顔を見るなりいきなり噴き出した男の顔面に拳を叩き込みたい衝動を押さえるために佐太夫さだゆうは大きく息を吐いた。お腹を抱えそうな勢いで笑声をあげる同期にイライラが募る。
勝手知ったる他人の家で言われるままに着替えたはいいが、それを言った相手がよもや何もしていないとは思わなかった。
苛立ちを込めて近づくと相手はやっと笑い声をあげるのを止め、右肩にそっと手を置いてきた。

「ば、ばり似合っとーちゃっ、親友!」

がすっ

真正面から覗き込んできた日本之輔やまとのすけの満面の笑みにとりあえず欲求通り拳を叩き込み、鼻の辺りを左手で押さえながら俯いたその後頭部に冷ややかな視線を突き刺す。

「・・・いい加減にしろよ、ヤマト。俺は今、冗談に付き合っていられる精神じゃないんだけど、誰かの所為でっ!
「いやいやいや・・・笑ったんは悪かったってっ ほんなこつ似合っとぅけん思わず出たっちゃんっ!」

佐太夫が怒気を込めて唸っても一向に気に病まないのか、殴られてもなお機嫌良さそうに顔を上げた日本之輔は視線を上下させて佐太夫の全身を眺め、二、三度頷いて満足そうに笑った。

「佐太夫、めっちゃ美人ったい!! ちょっと背が高いばってん」
「だからなんだっ! どうして俺だけ女装してるんだ!?」

足にまとわりつく白線の入った淡い桜地の小袖の裾を鬱陶しそうにさばき、肩幅に広げて仁王立ちした佐太夫はそのまま片手で日本之輔の胸倉を掴みあげた。真紅の紅を塗られた唇から忌々しげに噛み締められた歯が零れ、薄っすらと白粉を塗られた顔の中で切れ長の黒い瞳が怒りに煌めく。
日本之輔が言うようにどこからどう見ても美女だった。170を超えている背丈はその美貌と相まって独特の威圧感を生み出している。
間近に化粧済みの顔を寄せられて再び込み上げそうになった笑いの衝動を何とか飲み込み、日本之輔は咳払いをひとつして佐太夫を真っ直ぐに見返した。

「それはあれちゃ。俺は別の方法で忍び込むけんしょうがなか」
「・・・ほう?」

聞き捨てならない言葉に佐太夫の片眉が釣りあがり、日本之輔の襟首から手を離して腕を組むと瞳を細めるようにして猫っ毛の男を真正面に捕らえる。口元が微妙に引きつっていた。

「確か、今あの城が募集してる女中に紛れて入り込むっていったの、お前の方だったよね?」
「言ったばい。でも佐太夫はほら、顔があれやし、背が高すぎちょっても大丈夫やん? めっちゃ八千代さんに似とうもん。色仕掛けとかやっても絶対成功するやろ。採用されるっちゃ」
「・・・で?」
「やったら俺までやらんでもいいやん。別方向からアプローチするけん女装は必要なか」
「もともとお前が取ってきた仕事だろうがっ! 俺が手伝う義理はないんだぞ!?」

きっぱりと言い切った日本之輔に怒りも露わに叫ぶと、日本之輔は、ちっちっちっ、と指を左右に振りながら何を当然なといわんばかりの顔で胸を張る。

「なん言いようと、あ・い・ぼ・う。助けあうんが本当の親友やなかね」
「死ねっ」

右手全体でなぎ倒すような勢いで日本之輔の米神に裏拳を叩き込んだ佐太夫は肩口から床に倒れこんだその体を苛立ちを込めて踏み越え、動作で舞った長い黒髪を鬱陶しそうに背後へと流しながらさっさと後頭部でひとつに纏め上げた。その背後でお腹を踏まれた日本之輔が腹部を抱え獣のように唸る。

「もうお前一人で仕事に行けっ! 俺は知らないからっ」

怒気交じりに吐き捨て自分の着替えが置いてある部屋へと足を向けた佐太夫に気付き、日本之輔が慌ててその足にすがりついた。急にかかった力に思わず転びそうになり、なんとかその場に踏みとどまって憤怒の形相で振り返った佐太夫に踏まれないように両足を掴む。

「ちょ、ちょお待ちぃちゃっ、そげん腹かかんだっていいやんっ! 手伝ってっちゃっ! あん城調べるんに一人じゃ広すぎるっちゃき!」
「そんなの知った事か! 女が必要なら元くの一教室のヤツに頼めばいいだろ!? 誰か他のヤツ誘え! 俺は仕事に戻る!!」
「ちゃんと報酬も山分けばい!」
「誰が金の話をしたかっ」

両足を握り、膝の辺りから見上る日本之輔の顔面を両手で掴んで引っぺがそうと力を込めながら身を屈めた佐太夫に、日本之輔は引き剥がされまいとさらにぎゅっとしがみついた。

「佐太夫、鉢屋んとこで修行したけん変装得意やんっ 信用出来るしいっちゃん使えるんやもんっ!」
「・・・~~~~~~っ」

駄々をこねる子供のような姿にしばらく無言で引き剥がそうとしていた佐太夫の腕の力が抜ける。

「?」

唐突におさまった抵抗に不思議そうに顔を上げた日本之輔が手の力を緩めた瞬間を狙い済まして蹴り飛ばし、乱れた小袖の裾を直しながら化粧を施した麗しい顔を苦々しそうに顰めた。佐太夫の赤い唇が何か言いかけるように開き、やがて諦めたように小さく息を漏らす。

「・・・・・・もういい。お前が突拍子もない事を言うのは学園生活の四年間で随分慣れたしね」
「手伝ってくれるん!?」

言った瞬間、喜色満面でガバリと起き上がった日本之輔から視線を逸らしやる気がなさそうに頷いた。動きづらい淡い色彩の小袖を見下ろし、もう一度ため息を吐く。

「・・・ったく、この年で女装するハメになるとは思わなかったよ。忍たまだった頃ならともかく・・・」
「山田先生やっても女に見えよったんばい、佐太夫ならバッチリたいっ」
「お前に太鼓判押されてもね・・・」
「俺だけと違うちゃ! 他でも人気が出ちょうとばい」
「?」

意味がわからず思わず首を傾げた佐太夫に日本之輔がもそもそと床に座りなおしながら、ほら、と指を立てた。

「ウチん組に変な事やるヤツがおったやん? 俺はほんとはずっと年上なんだ、ち言い張っちょったヤツ」
「・・・ああ、小南こなん?」

独特の台詞にすぐに該当した人物に佐太夫の唇から笑みが零れる。懐かしい。
結構個性派が揃っていた組の中でも相当に変わっていた子供だった。

「どう見ても同い年で、そう言う割には子供っぽかったけど。・・・じゃんけん弱くてしょっちゅう保健委員になってたよね」
「そ、あいつったい。小南、あいつがなんかおもろいモン作ったんよ」
「面白いモノ?」
「そう『ヒギャー』とか『ふぃぎゃー』とか・・・・・・ん? なんか違う気がするばってん、そんなヤツ」

一生懸命思い出すように首を傾げながら上を向いた日本之輔はぶつぶつとしばらく呟いて、やがて諦めたように肩を竦めた。
生まれて初めて聞くような聞きなれない単語に佐太夫も首を傾げる。

「・・・・・・なにそれ? そもそも何語?」
「知らんばいそんなん。適当に作った言葉やないと? とにかくそんなん作っとぉと。
 なんでん新しい素材を使った人形やって。今までの人形に比べるとすごいやっこくて本物っぽいけん城主とか大名、豪商とかの上流階級に人気が出たんやって。ウチんとこの馬借で運んだ事もあるばい。可愛らしい女の子のとかバリ高いっちゃ」
「へえぇ・・・人形ねえ」

日本之輔の口から漏れた予想外の物に目を瞬かせながら、まあ手先が器用ではあったかな、と過去を振り返ってみた。保健委員として仕事する時は結構テキパキと動いていた気がする。

「まあ高い人形なんて一生関わりない代物だろうけどね」

欲しいとも思わないし、と呟く佐太夫を日本之輔は面白そうに瞳を輝かせながら見上げた。どうにも引っかかるその表情に眉を寄せた佐太夫に立てていた指を左右に振る。

「そうでんなかよ。佐太夫はすでに関わっちょうばい」
「? なんで? 俺今知ったんだけど」
「俺も馬借の護衛としてついてった時に見たっちゃけど、小南の作った試作品ん中におもろい美少女人形があるっちゃ。それがなんと“サダ子”ちゃんっ!」
「・・・・・・ほう?」

笑みを含んだ日本之輔の言葉に、ぴくり、と佐太夫の右眉が弧を描いた。

「本人にも聞いてみたんばってん人形作るに当たってモデルが必要やき“サダ子ちゃん”使ったんやって! 佐太夫の女装は可愛かったもんね!! 多少変えちょうけど忍たま時代の「サダ子ちゃん」にバリ似とったばいっ! 試作品で売りもんやないっちゅうても結構人気あって欲しいっちゅうヤツがいっぱいおるんやって」
「・・・・・・へえぇぇ・・・」

佐太夫の紅を引いた形の良い唇から低音が漏れる。
俯き気味のその顔を真下から覗き込んだ日本之輔が少しだけ顔を引きつらせながらそっと体を引いた。

「・・・佐太夫、化粧しちょうけんよけい顔が怖いばい」

そういわれて初めて気がついたというように目を瞬かせ、佐太夫は自分の化粧まみれの顔に触ってみた。手についた白粉を拭わずに手の平を握りこむ。

「ああそうだ、まず女装解かないとね・・・・・・―――ちょっとこれから旧交を温めてこなきゃいけないんだし・・・」

美女の姿に似合わぬ低音に混じり、ギシリと歯軋りの音が響いた。
皮膚が白くなるほど力の込められた佐太夫の拳を眺めた日本之輔の視線が泳ぐ。本当の事だがタイミングが悪かったかもしれない。

「・・・存分に暖めてきたらいいたい。俺はここで大人しく待っちょうき」
「そう? じゃあ――
「女装した今の佐太夫のが綺麗っちわかったき十分ばい」

声に被せるようにポロリと零れた日本之輔の本音に一瞬停止した後、ゆっくりと顔を上げた佐太夫はその華のかんばせににっこりと満面の笑みを浮かべた。


「――――まずお前から死ねっ!」



+++



数日に及ぶ仕事を終え、ようやく帰宅してきた男と並んで少し遅めの食事を取っていた女は、湯漬けを啜るのをやめて不意に顔を上げた夫に汁椀から顔を上げた。じっと見つめる視線に気付いて箸を止める。

「何? 善太郎ぜんたろうさん」
「いや・・・急に仲間に聞いた話を思い出して・・・」
「なになに?」

いつも穏やかな夫が困惑している様に好奇心を擽られた妻が顔を寄せると、男は少し首を傾げながら出会った時から美しい妻を見つめた。

「なんでも上の方で人気になってる生き人形の中に八千代やちよさんに似ている物があるんだって。モデルになったの?」

そんな目立つ事しそうにないけど。
声に出さずにそう尋ねた夫に妻の眉根が思いっきり寄る。

「ハアァ? なにそれ気色悪っ 知らないわよ、そんな事」
「そっか。じゃあ似てる誰かなのかな」

本気で嫌そうに顔を顰めた女に違うのかと納得した男は湯漬けに浸かった箸先を眺めながら数日ともに仕事をした仲間の言葉を思い出した。
八千代にあった事があるのだから見間違えるわけがない。似ていたというのなら本当に似ていたのだろう。
妻がモデルじゃないという素朴な疑問が解けてまた食事を再開した男の隣で、その当事者である女は食べる気を失った汁椀を忌々しそうにお盆に戻しながら鋭い舌打ちをひとつ零す。

「・・・・・・ちょっといって燃やしてこようかしら」

ボソリと零れた物騒な言葉にも男は苦笑するだけで特には反論しなかった。





*****





番外編 その三

くの一教室は恐ろしい の 段
後日談。




空は白み始め、だがまだ日も昇らぬ早朝。自分の胴体ほどの大きな籠を抱えた四人の少女達がくの一教室の敷地内から校庭へと足を踏み出した。
春とはいえ夜明け近くのまだ温まっていない涼しい空気の中に少女達のひそやかな笑いが混じる。

「昨日は楽しかったわよね」
「ほーんと」

前日行われた一年は組の歓迎会の興奮も冷めやらぬまま猪々子と卯子は笑い交わしながら手に持つ籠を前後に振り回した。すぐ後ろにいたナオミが軽い音を立てて側を通り過ぎた空の籠に迷惑そうに顔を顰める。

「ちょっと危ないってばっ! 大丈夫? 多由也ちゃん」
「ええ」

視線を向けられ、ナオミの隣を歩いていた多由也は籠を胸に抱えたままこくりと小さく頷いた。注意されて後方を振り向いた猪々子と卯子もゴメンと小さく声を揃える。
そのまま視線を前に流しながら卯子はぼやくように空を見上げた。

「はぁ~~~。たまには朝食も食堂のおばちゃんの料理を食べたいわよねぇ」
「しょうがないじゃない。料理も授業の一環なんだもの」
「色仕掛けの一部よ」

上空を見上げたまま歩く卯子にナオミが苦笑しながら手からずり落ちかけた籠を抱えなおし、卯子の隣にいた猪々子が緑色の髪を揺らす。
二人からの返答に卯子は肩を落とすようにため息を吐いた。

「料理作るのは好きだけど、片付けとかが面倒なのよねぇ」
「そうよね」

「――――どうかした? 多由也ちゃ・・・あ」

「「?」」

食堂までの道のりをてくてくと歩いていた卯子と猪々子は後ろから聞こえてきたナオミの声に同時に背後を振り向く。いつの間に立ち止まったのか、多由也とナオミとの間に少し距離が開いていた。
慌てて戻りながら二人の視線が気になり二人が見ている左側に視線を流すと、数十メートル先、校庭の一角に据えられた井戸端に青い色がちらほらと動いていた。それがなんなのかすぐに把握し、多由也達の傍に戻った猪々子と卯子も同時に目を大きくする。

「あれって・・・」

呟いた卯子の声が届いたわけではないだろうが、視線でも感じたのかその中のひとつ――青い忍び装束を着た人影が振り返り、盛大に顔を顰めた。仲間の行動にすぐに気付いた残り二人も同じくくの一達を見て顔を歪める。

「ちょっと何よその反応っ!」

出会い頭の不躾な態度に籠を掴んだままズカズカと近づいていった卯子に井戸端で顔を洗っていた三人の少年達はますます嫌そうに顔を顰めた。卯子に続くように集まってきた三人のくのたまに盛大なため息を吐く。

「女の子の顔を見てその態度は失礼でしょ?」
「・・・うるせぇな」

腰に手を当て、見下ろすようにそう言った猪々子に一番近くにいた緑の髪の少年が勝気そうな瞳を脇に逸らしてポツリと呟き、他の二人も視線を合わせないようにしながら手に持っていた桶の水を捨てて顔を手ぬぐいで拭いた。
そんな少年達の態度に少女達の機嫌も下がる。
尖った視線を向けられ、肩にかかるほどの黒髪をひとつにまとめた少年が穏やかな風貌を手ぬぐいからあげながら朝早くからきっちりと身だしなみを整えている少女達の方を向いた。

「お前達、なんでまたこんな所にいるんだよ?」
「朝食の準備に決まってるでしょ? あんた達忍たまと違って私達は自分のご飯は自分で作るのっ」
「食堂のおばちゃんにばっかり頼ってないんだから」
「何? あんた達も食べてみたいの?」
「誰がお前らの料理なんか・・・っ!・・・あ、いや・・・」

猪々子、ナオミに続いて言われた卯子の言葉に思わず噛み付いた眉毛の太い少年は、三人の後ろから覗いていた見知らぬ少女に気付いて柔らかそうな茶髪を揺らしながら口から出そうになった言葉を飲み込んだ。困惑したようによく知る三人の方へと視線を向ける。

「・・・・・・誰?」

その言葉に多由也の存在に気付いた他の少年達も迷惑そうな顔を困惑顔に変えた。
少年達の行動に猪々子達も険を取られて瞬きとともに多由也に視線を送る。

「ああ、そういえばあんた達知らないんだっけ」
「新しく編入してきたくのたまの子よ」
「多由也ちゃんっていうの。虐めないでよね」
「誰が虐めるかっ!」
「お前達じゃあるまいし!」

畳み掛けるように言われ、速攻で噛み付き返した緑髪と黒髪の少年に、傷ついたといわんばかりに少女達は胸に抱え込んだ籠をきゅっと抱きしめた。

「あら酷い。いつ誰が虐めたって?」
「言いがかりも大概にしてよね、あんた達を鍛えてやったんじゃない」
「どうせ下級生が出来たからって調子に乗ってるんでしょ?」

鼻で笑うような少女達の言葉に少年達はむっと顔を顰める。けれど多由也が一歩前に出るとその空気も戸惑ったように霧散した。

「え・・っと・・・」
「多由也です。よろしく、ね」
「あ、はい・・・」

見知らぬ少女に礼儀正しく頭を下げられ、戸惑いながらも頭を軽く上げた茶髪の少年に猪々子の呆れたようなため息が落ちる。

「ろくに挨拶も出来ないの? 二年生にもなって」
「なんだと!?」
「だって本当の事じゃない。多由也ちゃんはちゃんと名乗ったわよ?」

反論を許さない速さで畳み掛けるように言われ、ぐっと言葉に詰まる。そんな少年を横目に見ながら卯子がわざとらしくため息を吐くように多由也に近づいた。

「多由也ちゃん。しょうがないから私達が紹介するね。今のロクに挨拶出来なかったのが二年い組の能勢のせ久作きゅうさくっていうの」
「ちなみに緑色のが同じい組の池田いけだ三郎次さぶろうじ
「最後の一人が同じくい組の川西かわにし左近さこんよ。皆私達と同期なの」

卯子とは逆隣にやって来た猪々子が緑髪の少年を顎でしゃくるように示し、一歩前に残ったナオミが肩をすくめるように少年達と同級生、双方に視線を送った。
名前を呼ばれた少年達が不本意そうに、どうも、とボソボソ呟く。

「同期?」
「私達と同じく去年忍術学園に入学したって事」
「今はこんなふてぶてしい顔してるけど、入学当初はびーびー泣いてたのよ」
「! そんなわけないだろ!」
「いやね過去を改ざんしちゃって。男らしくない」

猪々子は自分の言葉に弾かれたように顔を上げた三郎次にため息を吐くようにそっぽを向いて肩をそびやかした。悔しげに歯を噛み締めたその顔から多由也の方へと視線を向け、ふと考え込むように首を傾ける。

「そう考えれば一年は組の方がまだ優秀なのかしら」
「・・・?」

自分の顔を見ながらの猪々子の言葉に多由也も同じ方向へ首を傾げる。
猪々子は頭半分小さいその目線に合わせるために籠を抱え込んで屈みながら、思ったんだけど、と他の二人にも視線を向けた。

「だって今年のい組はこいつらと同じく泣いてたでしょ? ろ組は皆失神しちゃったし」
「そうね。あれは流石にビックリしたわ」

頬に手を当てながら苦笑したナオミの隣でうんうんと卯子も頷く。

「でも、は組の連中はどちらかというと怒ってたし、最後は悪態もついてたじゃない?」
「あー確かに」
「それって根性はあるって事よね」

それぞれ不満げに自分たちの部屋へ帰っていった姿を思い出し、くすりと笑みを零した。多由也も自分の半身を思い出し、少しだけ唇の端を持ち上げる。
そんな三人を順繰りに見て、猪々子は楽しそうに笑みを浮かべた。

「ね? そうでしょ?」
「そうねえ」
「あんた達なんてすぐに追い抜かれるんじゃない?」

その言葉にナオミが視線を空へと逃すように考え込み、含み笑いを浮かべたまま卯子が三郎次達を振り返った。

「俺達が一年坊主に負けるわけないだろ!!」

仏頂面で少女達を見ていた三人も流石にその言葉にむかっ腹が立ったようで、腰の近くで握り拳をつくったまま三郎次が叫び、他の二人も腕を組んで睨み付ける。
けれど一年の付き合いがあるくのたま達はそんな少年達をまったく意に介さなかった。三人で集まってくすくすと笑いを零す。

「どうだか」
「一年の技量なんてすぐよ、すぐ」
「というか、もしそうだったらあなた達は三年には絶対勝てないって事になるわね」
「ぐ・・・っ」

痛いナオミの指摘に思わず言葉に詰まった三郎次に呆れたようにわざとらしくため息を吐いた。思ったとおりの反応だ。

「やーね、男の子達ったら野蛮なんだから」
「ほーんと。寄ると触ると喧嘩ばっかり」
「変な片意地張ってるんだから」
「・・・・・・」

見事に揃った仕草で寄り添った猪々子達の裾をそれまで傍観していた多由也が無言で引っ張る。隣にいた卯子が、なに?、と首を傾げると右手に籠を抱えたまま左手で遠い山すその方を指差した。

「日が昇るよ。朝食を作らないと」

その場の全員が動く指につられて視線を動かすと、確かに言われたとおり日が昇り始めていた。いわれて初めて気がついたが、先ほどに比べて随分と明るい。
空の籠を持ったままナオミが焦ったように周りを見渡す。

「やだっ こんな所で道草食ってる場合じゃないのにっ!」
「三郎次達なんかに関わるから」
「誰が関わってくれなんていった! そっちが勝手に・・・っ」
「いこいこっ! これ以上時間かけたらシナ先生に怒られる!」

猪々子の勝手な言い分に三郎次は濡れた手ぬぐいを握り締めたまま叫んだが、相手はそんな三人を無視するようにさっさと歩き始めた。
後の残され、呆然とした少年達が見守る中、朝日を浴びて連なるように歩き始めた桃色の集団の中、一人だけ振り返った多由也がぺこりと頭を下げる。つられるように中途半端に会釈したまま嵐のような集団を見送った。

「・・・・・・くそっ なんだよ今の」
「嫌なタイミングであったよなぁ」

胸に残ったムカムカだけを抱えて悪態をついた久作に答えるように左近が胸の中のものを吐き出すようにため息を吐く。
くのたま達の言葉を追い払うように強く首を振った三郎次はそれでも消えない苛立ちに唇を尖らせた。


「・・・・・・一年がなんだってんだよ・・・負けるわけねーだろうが」


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