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[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(ハーレムを作ろう続き)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/07 17:44
こんにちは。

これは、ゼロ魔掲示板に掲載させて頂いている『ハーレムを作ろう(ゼロ魔設定、15禁程度かな)』の続きのお話です。

ゼロの使い魔の世界の設定を使わせて貰い、主人公が御家再建を果たすまでのお話を書き上げたいと思っております。
・地名とか、国家体制は、ゼロ魔の設定をそのまま流用しております。
・ゼロ魔のお話の登場人物は帝政ゲルマニアに関連する人物意外は殆ど出てきません。
・魔法に関しては、前作にて展開した独自解釈が含まれています。
・別に世界を救いません。
・主人公が頑張るお話です。
・前作での主人公は脇に回っており、メイド'sが主人公になっております。
・国家体制、地名等にかなり独自解釈が含まれております。
・異世界からヘンなお方が参られております。

それで良ければ、お時間を潰して頂ければ幸いです。
感想を頂けると、更に嬉しいです。

では、よろしく



赤服メイドさん他の設定です。
(前作のネタバレがありますので、ゼロ魔掲示板の『ハーレムを作ろう』を見てから、お読み頂けるとありがたいです。)


・Angelica アンジェリカ(18才)
 栗色の髪、ポニーテール、細面、背が高い、Eカップ
あまり何も考えていないように見られるが、天性の勘の持ち主。母がアルバートの領地の出身。花街の一角で日用雑貨の卸問屋を営んでいた父親の借金のかたに、バルクフォン卿の屋敷に奉公に出された。

・Selma ゼルマ(19才)
 ややきつめの顔立ち、黒髪に近い、長髪、胸は普通(Cカップ)
帝政ゲルマニアの十二選帝侯の一人であるブッフバルト卿と、父親の部下であったアルベルト伯爵に嵌められて無実の罪を被らされた父ヴェスターテ伯爵の娘。アルベール伯爵に従わなかった為、バルクフォン卿の屋敷に奉公に出された。

・Gloria グロリア(18才)
 一番お姉さんタイプ、青い髪、長髪、胸は一番大きい(Fカップ)、長身
某ガリア王国の王族のお手つきで生まれた娘、領主の庇護でメイドの娘として育ったが、領主が亡くなり母とともに追い出され、母の病気の借金のかたにバルクフォン卿の屋敷に奉公。

・Viola ヴィオラ(1×才)
 中肉中背、ショートカット、赤髪、Dカップ、背はやや低め
東方辺境領の東の果ての村の娘、不作の年に、借金のかたバルクフォン卿の屋敷に奉公。 卿のお手つきにより、獣人と発覚。フワフワモフモフ猫耳、尻尾がチビッ子に大人気。
 
・Amanda アマンダ(1×才)
 一番幼く見える、胸もBカップと小さめ、金髪、フワフワの髪、背は一番低い
単に奉公に出るだけだと思い、ゲルマニア南部、マルコマーニ地方の小さな村から騙されてヴィンドボナにつれて来られ、バルクフォン卿の屋敷に奉公。 故郷を出る時に、龍の八王子欣也さんに、火の精霊の守りを授けられた、無敵の精霊使い。

・リリーとクリスティーナ(8~9才)
 アマンダと同じ村の出身、親に売られヴィンドボナへ
アマンダと同様に、八王子欣也さんに火の精霊の守りを授けられていた為、バルクフォン卿が回収。村には帰りたがらず、バルクフォン卿の屋敷にて独自の地位を占めている。

・アルバート・コウ・バルクフォン(28才)
 前作『ハーレムを作ろう』の主人公、元ガリア王国魔道騎士長、そして希代の大魔導師アルバート・デュランの同位体。
あちらの世界では、システム会社の営業グループ長を務めていた。アルバート・デュランの寄り代として召喚された。デュランの記憶を引き継いでおり、両方の世界を移動出来る能力を持つ。帝政ゲルマニアにて楽しく暮す事を夢見ており、周りからはヘタレと認識されている。帝政ゲルマニアにて男爵位を購入する為、北方辺境領のバルクフォン家を継いだ為、名前が変わった。

・八王子欣也(数千歳(推定))
 ゼロ魔の世界ではない、神龍として崇められている世界出身の龍(竜ではない)
アルバート・デュランの転移の実験に遭遇し、自らの意思でこの世界へ転移。デュランと意気投合し、転移魔法の研究に明け暮れる。デュランと別れてからは、気に入った女の子が入ればその子の成長を見守って暮している。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(始まりは突然に)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/10/04 01:49
朝の空気が、眠気を一気に吹き飛ばしてくれる。

まずは、軽く柔軟体操。
昨晩の睡眠中に堅くなった筋肉を解すのだ。

手を高くあげて、ゆっくりと円を描くように動かす。
この体操、『ラジオ体操第一』と言うそうだが、実に良く出来ている。

順番に一通りこなすだけで、身体を動かすのが楽になるのだ。
最後は深呼吸を繰り返し、ウォームアップは終了。

「さて、今日も頑張りますか!」
頬を両手で軽く叩き、ランニングを開始する。

元伯爵令嬢であった姿はそこにはない。
鍛え抜かれた抜群なプロポーション、そして、それには不似合いな体操服。

しなやかに伸びる健康そうな太股を惜し気もなくさらけ出し、身体に密着するブルマ姿で走り抜けて行く美女。
スポーツブラを着けた上半身の体操服の胸元には、ひらがなで『ぜるま』と書かれている。

そう、ヴィンドボナ郊外のバルクフォン卿の屋敷に奉公しているゼルマの姿だった。



軽くランニングを終え、裏口から建物に入る。
走っている時は、あまり気にならないが、やはりこの格好で誰かに会うのは気遅れしてしまう。

ゼルマは足早に二階の自室を目指す。


ゼルマは知らない、広大な庭を走り抜けている間、誰にも会わないのは誰もいない訳では無い事を。
先月から雇われた数名の庭師達が、その間は息を潜めている事を。

ゼルマは知らない、建物の裏口の所で、彼女が入ってくるのを見つめている熱いまなざしがある事を。
お姉さまと呟く彼女らは、先日雇われた新しいメイド達であり、やはり彼女らもゼルマの姿が向かってくると慌てて隠れているのを。




部屋に戻った彼女は、真っ直ぐにバスルームに入り汗を流す。
ドライヤーで髪を乾かす頃には、同室のアンジェリカも起きて来る。

「おはよう~、ゼルマ」
「ああ、おはよう、アン」

「今日は誰?」
洗面台に向かって顔を洗っているアンに問い掛ける。

「えーっと、ああ、グロリアよ~、確か夜から呼ばれたって嬉しそうだったわね~」
と言う事は、今日は大丈夫だな。

ゼルマは一人頷く。
全くご主人さまは、どうしようもない。

隙あらば、新しいメイドに手を出そうとするから、その対応が大変である。
五人の赤服だけでは物足りないのかと問うと、そんな事は無いとの返事が返ってくる。

では何故と問うと、『そこに山があるから』と返事を返される。
少なくとも、五人に不満だと言う事ではなさそうなのが唯一の救いか」

「ご主人さまも、立派な男だものね~」
ウンウンと頷きながら、アンが答えてくる。

ほぼ、毎日のように誰かがオツトメしているのに、尚もあの勢いだ。
これで誰かが生理になろうものなら、ローテーションに穴が空いてしまい調整が大変になる。

少しは、おとなしくなってくれないものか」
「あら~、駄目よ~、そしたら、私達もつまらないじゃない~」

まあ、そう言われればそうなのだが…
自分一人を見つめてくれとは言わない。

五人だけにして欲しいのだが、それも口には出来ない。
いくら、五人が特別扱いを得ているとは言え、身分としては他の黒服メイド達と一緒なのだ。

「しかたないわね~、水の精霊の加護まであるのだから~、底は無いのよね~」
まあ、これにはゼルマも苦笑するしかない。

事実、ゼルマ達のタフさ加減も、水の精霊の加護があるお陰でもあるのだから。
それ故、ご主人さまとのオツトメがあった翌日も平気な顔が出来るのだ。



「うーん、仕方ないな、今度また三人で搾り取ろうか」
「あー、やっぱりアレは効くみたいね~」

通常は一対一だが、時には二対一、三対一と複数でオツトメする事もある。
最初は、ドキドキものだったけど、慣れてしまえばあれはあれで楽しい。

それに、流石に搾り取るので、翌日の夜のオツトメは無くなる。
アマンダなんか一対一でも感じすぎちゃうので、複数でオツトメして、翌日は単なる添い寝する方が好きなようだ。

「まあ、頑張りますか」
「そうね~、程々にね~」



そんな事を話している間にも、二人は着替えを済ましていた。
赤み掛かった濃紺のメイドウェア、頭にはカチューシャを付け、生足にショートソックス。
そして歩きやすいパンプスを履けば完璧である。

「じゃ、行きましょう」
「ご飯~、ご飯~」

二人は連れ立って、食堂に向かうのだった。





「おはよう」
「あっ、ゼルマさん、アンさんおはようございます」
「おはよう、ゼルマ、アンジェリカ」
「「おはようございます」」

ゼルマとアンジェリカが入って行くと、既に残りのメイド達が集まっていた。
後は、ご主人さまを迎えるだけだ。



「ご主人さまは?」
ゼルマは、グロリアに尋ねた。

「もう来られます、少し寝坊しちゃって…」
舌を出しながら、顔を赤らめられても…
ハイハイ、ご馳走様


「みんな、おはよう!」
ご主人さまのハイテンションな声に、全員で挨拶を返し、朝食が始まるのだった。



「今日は、ゼルマとグロリアのレッスンか、時間は二時で良かったんだよな」
「ハイ」「そうです」
二人で返事をしてしまい、言葉が重なってしまう。

「じゃ、大ホールに一時半で宜しく」
今度は、逆に二人とも頷くだけ。
思わず、グロリアと顔を合わせて苦笑いを浮かべる。



朝食が終わると、ゼルマ自身の担当となっているメイド達三人と朝の打ち合わせ。
流石に二十人もいると、全員で掛かると大概の仕事が早々と終わってしまう。

だから、ローテーションで仕事が回されている。
本日は、ゼルマ自身も含め四人ともローテーションに入っていないので、直接の業務は無い。

勿論、窓拭きの日とかは全員でかかるのだが、今日はそのような用事も無い。
こう言う時は、勉強に当てる事になっている。



メイド個人毎の問題がない事を確認すると、そのまま全員で二階に向かう。
ご主人さまとアンが作ったハルケギニアの言葉で書いたテキストでの一般知識の学習は、三人のメイド達。

ゼルマ自身には、ご主人さまのお国の言葉、日本語で書かれたテキストを使った学習である。
まだまだ難しい内容なのだが、これは後でご主人さまに質問出来るので、それが嬉しい。

昼迄何回が休息を挟み、何とか学習を終えた。
ゼルマ自身ですら、時折眠たくなるのだから、他の三人も同様である。

だけど、常識も無いメイドが失敗すれば恥を欠くのは俺だとご主人さまが言う以上、手を抜かせる訳には行かない。

「「「ありがとうございました」」」
三人の声を背中に受け、ゼルマは弾んだ足取りで食堂に向かうのだった。







昼食後、部屋に戻りメイド服を脱ぐ。
クローゼットを開き、並んでいる服の中からお気に入りのワンピースを選び、着替える。

本当はジーンズのパンツが好きなのだが、そうも行かない。
ジャケットを羽織り大ホールに向かった。

「やあ、そのジャケットも良く似合うな」
待ち受けていたご主人さまが、そう言ってくださる。

それだけで、嬉しくなってしまうのは仕方ない。
ゼルマは本当にこのご主人さまが好きなのだ。

「すみません、遅くなりました」
もっとゆっくりでも良かったのに……

そうは思うが、逆にグロリアにすれば二人っきりにはしたくないのだから一緒か。
思わず苦笑が浮かぶ。

グロリアが怪訝そうな顔を向けて来るが、手を振って誤魔化す。



「揃ったな、じゃ、行くか」
ご主人さまが杖を唱え術式を唱えるとゲートが形成される。




ご主人さま特製の杖を頂いたので、ゼルマ達五人は魔法が使える。
但し、普通の系統魔法が使えるのは、ゼルマとグロリアの二人だけだ。

ゼルマが風の系統、グロリアが水の系統のメイジだった。

水の精霊に対するお願いの形で、魔法が使えるのは全員。
火の精霊に対する魔法が使えるのは、アマンダと、リリーとクリスティーナのチビッ子二人組。

ちなみに、チビッ子二人にはまだこの事は伝えていない。

そしていわゆる先住魔法が使えるのは、ヴィオラだ。


ゲート構築の魔法は、本来召還魔法にも使われている術式をアレンジしたものなので、ゼルマとグロリアは使える。
ただ出口を指定して構築するので、ご主人さま特製の杖が無いと発動しない。

行き先が決まっているゲート、固定ゲートならば精霊魔法でも発動出来る。
固定ゲートの場合は、魔道具の起動をお願いするだけなので可能なのだ。

但し、固定ゲートが設定されているのは、ヴィンドボナの屋敷とご主人さまの領地の館の私室のみである。


ゼルマとグロリアの魔力量は、それ程大した事はないそうだ。
それでも、これから鍛錬を積めばトライアングルクラスは目指せるそうだが、そのような気は無い。

そう、二人とも水の精霊の加護を得ているので、自分個人の魔力量だけで魔法を発動しなくても良いからだ。
ちなみに、水系統のメイジであるグロリアが水の精霊にお願いすると、かなり大変な事となる。

治癒系の魔法が、水の秘薬なしで効果が上がるのだから、治療や癒しに関してはレベルを超越した効き目をもたらす。
ゼルマの場合は、風の系統に水の精霊の助けを借りているので、グロリアのような極端な効果は判り辛い。

しかしながら、系統魔法だけでは届かない遠方まで術式が通用する。
風の魔法の頂点と言われる偏在、これが案外簡単に出来てしまった時は驚いた。

今でもその辺りにいるメイジのレベルは二人とも凌駕している訳だが、それでもとてもご主人さまのレベルには届かない。
それは当たり前なのかも知れないが、それでも転移が一人で出来る程度までは魔法を習熟したいとは思っている。

いつまでも、ご主人さまに依存してばかりでは申し訳ない。
それでも、中々一人で転移ゲートが構築出来ないのは、別の理由もあるのかも知れない。



目の前の水の鏡のようなゲートが安定すると、二人はすっとご主人さまに歩み寄る。
ゼルマが右に、グロリアが左だ。

そのまま、腕にしっかりとしがみ付く。
両手に花の状態でご主人さまも嬉しそうだ。

この時だけは、誰憚る事無くご主人さまにしがみ付けるのだ。
やはり、転移ゲート構築が一人で出来るようになるにはもう少し時間が掛かりそうだった。




三人揃ってゲートを抜けると、いつものマンションの一室だ。
あまり時間も無いので、ここで遊んでいる訳にもいかない。

それでも、恒例の様にご主人さまと軽く口付けを交わして、玄関に向かう。
偶にお買い物に付き合うと言う事で、一人だけ誘って頂いた時は、とても楽しい時間をここで過ごせた事もあるだけに名残惜しい。

表に出ると、しぶしぶご主人さまの腕から身体を離す。
流石に、両手を美女二人に抑えられるのは、恥ずかしいとの事だった。


本当に、人って慣れるものなのよねえ…
グロリアが鉄の魔物と例えた電車も、慣れれば便利な交通手段にしか見えない。

二駅ほど電車で移動し、目指す建物に向かって歩いて行く。
だけど人の多さだけは、ご主人さまの国に来る度に圧倒される。

誰も魔法が使えないと聞いた時は、本当に驚いた。
ましてや、今は貴族もいないと言うのだから、更に驚いてしまう。

これだけ多くの人がいて、支配するものもおらず、全部自分で決めなきゃいけないなんて。
全員が貴族の義務と平民の権限を持つ不思議な国だと言う思いは、今も消えない。




「オハヨウゴザイマース」
二人とも、まだたどたどしい日本語で挨拶をして中に入る。

「はい、いらっしゃい、宜しくね」
「「宜しくオネガイシマース」」
二人揃って頭を下げるのは、ここの教室の先生だった。

週一回二時間、ご主人さまも含めて三人で、ここ『福留社交ダンス教室』に通っているのだった。
勿論、遊びじゃ無い。

ゼルマはいずれ、そしてグロリアはいざと言う時の為、ダンスぐらい踊れなければとご主人さまが手配したのだ。
ご主人さまは、最初自分は関係ないと逃げようとした。

だけど、グロリアと二人でご主人さまと一緒じゃなきゃ出来ないと迫ったのだ。
お陰で、この社交ダンス教室は、二人にとってとっても楽しいものになっている。

時々、どちらがご主人さまと一緒に練習するかで揉める事もあるけど、それは大した問題ではない。
うん、ご主人さまが、とても疲れて見える事もあるけど、私達が上手くなる為には仕方ない事だと我慢して貰おう。



練習が終わると帰るまでの一時間、これが一番楽しみの時間だった。
グロリアも同じようで、少し浮かれているのが判る。

「今日は何にする?」
ご主人さまが聞いてくる。

そう言えば、今日はグロリアと打ち合わせする時間が取れなかった。
「グロリア、何かアイデアある?」
「えっ、特に無いわね、ゼルマは?」

「ああ、アンからちゃんと預かって来た」
「流石! アンちゃんね! 見せて、見せて!」

横でうんざりしているご主人さまを放り出して、二人でアンのリストをチェックする。
これは? うううん、こっちが? いやそれよりこれなんか?

時間も掛けてられないので、無難な線に落ち着かざるを得ない。
今度から出かける前にはグロリアともう少し煮詰めてから来よう。

「決まった?」
「「ハイ、ここが良いです!」」

二人揃って、開かれたページをご主人さまに見せる。
それは、『駅中名店! ここが一番! デザート編』と書かれた雑誌だった。




美味しいケーキを頂いて、皆へのお土産も手に入れた。
ケーキ25個は流石に多いので、ご主人さまを二人で隠している隙に指輪に収納して貰った。

「じゃ、三十分しか時間残ってないけど、頑張って」
そう言って、ご主人さまが本屋さんへ歩いていってしまう。

でも仕方ない。
この先のお店は、ご主人さまは退屈だろう。

「じゃ、いこうかゼルマ」
もう、グロリアは嬉しそうに私の手を引く。

化粧品は、乳液位で良いんだがなあ…


そう言いながら、ご主人さまとの待ち合わせに二人して10分以上遅れてしまった。







屋敷に戻ったので、二人とも慌ててご主人さまから離れる。

「お帰りなさいませ」
きっちりと、挨拶を交してくるのはリリーだ。

最近チビッ子二人が、ご主人さまに甘えていると目付きが厳しい。
情操教育に悪いとご主人さまは言うけど、あれはどう見てもライバル視だ。

まあ、アマンダでさえ若すぎるって言っていたから、後四五年は大丈夫だろう。


直ぐに、手隙のメイド達が集まって来る。
ご主人さまの前に一列に並ぶ。

「おかえりなさいませ!」
一斉に元気な声で挨拶すると、ご主人さまは機嫌が良い。
まあ、これで小さな声だと後で怒らなければならない。


「はい、ただいま」
そう言いながら、ご主人さまがテーブルに向かって歩いて行く。

その様子をみんな、キラキラした目つきで見ている。
ご主人さまが私達を連れて行く時は、必ず土産を買って帰ってくるのだ。

アマンダ、お前までそんな目で見てたら、示しが付かないじゃないか、全く。


指輪から土産のケーキをテーブルの上に出すと、全員から歓声が上がる。

「私のは、最後で良いから、グロリアは?」
「私も残りで良いわ」

うん、二人とも既に食べているだけに余裕だ。


「アマンダ、アンジェリカは?」
ヴィオラが入って来たのは気が付いたが、アンがいない。

「えー、アンちゃん二階で調べ物じゃないかなあ」
アマンダは、どれにするか検討中で視線がケーキから離れない。

「ヴィオラ、アンジェリカの分も選んで上げてね」
グロリアが仕方ないと言う顔で、ヴィオラに頼む。

「判った!」
おおっ、ヴィオラも真剣だ。

「二人はどれが良いんだ?」
リリーとクリスティーナがご主人さまに抱えられるようにして、ケーキを覗き込む。

「一つだけ?」
「だけなの」
うん、この時だけは、やっぱり子供だ。
ご主人さまの顔が、嬉しそうに崩れる。

「じゃ、俺の分上げるから半分こして良いよ」
「ハイ、ありがとう! ご主人さま」
「ありがとうございます」

リリーとクリスがこれが良いと言いながらケーキを選んでいるのを見ているとグロリアが近づいて来た。


「アンだけど、何か見つけたのかしら?」
「ありえるね、見に行こうか」

ご主人さまに断り、グロリアと二人で大ホールを後にするのだった。






二階の書庫の奥、元々は書庫の本を持ち出して読むためのスペース。
今ではそこは、あっという間にアンジェリカの仕事場に変貌していた。

大きなテーブルが運び込まれ、その上に古い紙の書類が山積みされている。
これらの書類は、皇室書院に仕舞われている帝国の過去の事件をまとめたものである。

こっそりと書院の中にゲートを設け、必要な書類を自由に取れるようにしたのだ。
勿論ゲートそのものは、書院の奥、めったに人の来ない処である。

見たい書類を持ち出し、確認がすめば戻すと言う事をここ数日アンジェリカは繰り返していた。


「どう、アン、仕事は進んだ?」
「あ~、グロリアさん、ゼルマさん~、ありましたよ~」

アンジェリカが数枚の書類を振り回している。
どれどれっとグロリアが覗き込む。

「えーっとね、これが~、二番通り沿いの邸宅~」
アンは嬉しそうに、書類をグロリアに見せる。

「そして、これが~、東方辺境領のローゼンハイム伯爵家の系図~」
更に、もう一束の書類をアンが指差す。

「そして~、これこそが~、新離宮建設時に~、ゼルマのお父さんと一緒に御取潰しになった貴族のリスト~」
そうか、準備に必要な資料は全て集まったと言うことなのだろう。

「やったじゃない、さすがアンね、これで始められるわね」
グロリアが嬉しそうに、私を見詰める。




そう、わがヴェスターテ家を貶めた、ブッフバルト公爵に対して鉄槌を下す為の舞台作りの材料が集められたのだ。
私は、喜ぶべきなんだろう。


ご主人さまも含め、皆が協力してくれている。
そして、ご主人さまの力と皆の協力があれば、確かにお家再興は成し遂げられるだろう。

だけど、私は自分の顔が引き攣るのが判った。


お家再興は、成し遂げたい。
父上と、母上の無念は晴らして上げたい。

獄中で、母にも娘の私にも会えず、断罪された父。
失意の内に亡くなってしまった母。

その墓に、少なくとも報告出来るような行動は取りたい。
いや、それが出来る体制が整いつつあるのだ。



だけど、どうして私は素直に喜べないのか…
お家再興し、自分の立場が没落貴族から、伯爵令嬢へと変わる。



そう、その後が怖いのだ。



私は…

私は、伯爵になりたいのだろうか…




「大丈夫?」
そんな私の様子に気が付いた、グロリアが声を掛けて来る。

そう、今は同じメイド、そしてこんなに素晴らしい仲間。
だけど、伯爵になった時、自分の立場はどうなるのか…

まさか、メイドでは居られまい。
ま、まさか、ご主人さま、バルクフォン卿の愛人には…




「ゼルマ、ゼルマ、ゼルマ!」
「あ、ああ、アン、私は、私は…」

昨日までは平気だった。
まだまだ、始まりは先だと思っていた。

ご主人さまに言われ、社交ダンスに通うのも楽しかった。
毎日身体を鍛え、知識を増やし、魔法を覚える。

とても、とても楽しかった…




「ゼルマ、ご主人さまに相談すると良いよ」
「ああ、アン、ど、どうして…」

横で私の身体を抱きしめるようにして、アンが話し掛けて来ていた。

「ゼルマは、お家再興した後を考えたんだよね~」
うんうんと力なく私は頷いた。



イヤだ!

こんな素敵な仲間から離れるのは!



イヤだ!

ご主人さまと離れるのは!」



「大丈夫、大丈夫だよ~、ご主人さまは、ちゃんと考えてくれるから~」
「ほ、本当かな? で、でも?」

不安が渦巻く。
信じたい、だけど信じられない…



「一つ、秘密を教えて上げる。 ご主人さまは、昔王国魔道騎士長を勤められた事もあるのよ」
「お、王国魔道騎士長…」
それは、王を守る一番の盾、どのような王国であれ、武門の位では王に次ぐ地位。

「そう、それをあっさりと投げ出した人なのよ~、私達のご主人さまは~」
アンがにっこりと笑って、私を見つめている。



ご主人さまを信じなさいって言っている。
グロリアを見ると、彼女もウンウンって頷いている。

「あ、ありがとう…」
まだ、処理しきれない事柄は一杯ある。

だけど、私、ゼルマ、そう何の肩書きも無い、ゼルマ個人はアルバート様と一緒にいたい。
だから、ご主人さまに聞いてみよう。

きっと、素敵な答えを教えて下さるだろうから。




「ありがとう、もう大丈夫」
「ゼルマ、無理しなくても良いのよ」
「頑張ってね~、ゼルマ~」


そう、こんな素敵な仲間がいるのだ。
地位や身分なんて、意味は無い。

だって、王族の落しだね、精霊使い、獣人、エルフのコックさん。
みんな、みんな仲間だ。



そう、きっとお家再興を成し遂げて、大きな声で皆に言おう。


私、ゼルマ・グラーフィン・フォン・ヴェスターテは、アルバート・コウ・バルクフォンの思い人の一人だと」






「ゼルマ、ゼルマ…」
「うん、なんだ?」

「もう言っちゃってるよ…」

ま、また、言葉にしてしまったのか…

ゼルマは、グロリアの方を見る。








「がんばろ!」

それが、グロリアの言葉だった。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(誰が悪いのか)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/07 17:56
最初にご主人さまが、事件に興味を持たれたのはアルベール伯爵自身がこの屋敷を襲撃に来てからだと伺った。

アルベール卿に水の秘薬を使い、どのような経緯か聞き出したとご主人さまから聞かされた。
私にすれば、今の立場に貶めた本人がどうしてこの屋敷を襲うのかと驚きが先に来たのだが、ご主人さまは違った。

何故横領する必要があったのか?
これが、一番気になる点だと言うのだ。

ブッフバルト公爵は、十二選帝侯の一人である。
その権力は、皇帝すらしのぐと言われる選帝侯の一人であるのだ。

それなのに、莫大な金額が必要となるのは如何にもおかしい。
大体、遊ぶ金欲しさの犯行ではないのは判る。

では、何故ブッフバルト卿がそのような大金を横領する必要があったのかが疑問だと言うのだ。



ご主人さまは、最初ヴェスターテ家の資料から事件を調べ始めた。
このヴェスターテ家の資料調査は簡単だった。

どこでどう捜し出したのか、ゼルマが爺と呼んでいた我が家の家令を見つけ出して来たのだ。




「お嬢様、こんなにお美しくおなりになられ、若い頃の奥様に瓜二つですぞ」
爺は私を見るや否、そう言って泣き崩れた。

でも、それからがいけない。
あろう事か、ご主人さまに喰って掛かるしまつ。

やれ、恐れ多くも伯爵令嬢になんと言う格好をさせているのだ。
高々男爵風情が、お嬢様を囲うなぞ、なんと不埒な。



「爺、爺、私は今のままで十分幸せだ」
おおっ、嘆かわしい!

お嬢様、お嬢様は騙されておるのです、この不埒も・・・
「爺、これ以上ご主人さまの悪口を言うのは許さん!」

「し、しかし…」



言葉に詰まった爺を、ご主人さまがどこかに連れて行ってしまう。

そして、連れ帰って来た時には全くの別人のようだった。



「お嬢様、事情は良く判りました。不肖ルーベルト、この命お嬢様の為に捧げましょう」
どうして、こんな急に態度が変わったのか訳が判らなかった。

ご主人さまが水の精霊に何かお願いしたのかと聞いても、そんな事やってないと言うばかり。
結局、理由が判ったのはかなり先になってからだった。



爺はそのまま、ヴィンドボナの屋敷の家令を務める事となり、私を助けてくれた。
ただ困ったことに、何かにつけて、私の依怙贔屓をしようとするのには閉口した。

とにかく、爺がいる事で当時の父上の交遊関係がかなり明らかになった。
アンが、爺から話を聞き、ご主人さまがその相手から情報を仕入れる。



ご主人さまが知りたがったのは、どうしてブッフバルド公爵は多額の現金が必要だったかである。

「過程はどうでも原因が判れば攻め易いからな」
そう言って笑うご主人さま、その姿は頼もしくもあり、逆に怖さも感じるものだった。





そう言った地道な捜査を続ける中、私自身は更に自らを鍛え上げて行った。
メイジに剣は要らないと良く言われるが、ご主人さまの勧めに従い剣も習った。

「剣も使えるメイジ、魔法しか使えないメイジ、さてどちらが強いでしょう?」
ご主人さまにそう言われると、納得するしかなかった。



不思議だったのは、剣にしろ肉体強化にしろ、一度正しい型が出来るとそれを二度と忘れない事だった。
その日の全力を尽くして、一つの高みに辿り着く。

そうすると、翌朝にはそれが当たり前のように出来るのだ。
ご主人さまに聞くと、それが水の精霊の加護だと教えてくれた。


一つの高みに達した時の身体の動きを精霊が覚えている。
そして、それを再び行なおうとすると、精霊が身体をその状態に持っていくのを支えてくれるのだ。

だから型を覚えろと剣の師匠には何度も注意された。



「自分の力だけでー、何かするんじゃないのよー」
「貴女の周りにいる精霊の力を感じるのー」

語尾を延ばすような言い方には、何時もながら苛立たされるが、アリサの指導は的確だった。
ハーフエルフと言うのは、これ程力強いものなのか。

では、エルフ本体は更に強大な存在なのか?
私の疑問に、アリサは笑いながら答えてくれた。


「エルフはねー、力に依存しすぎているのよねー」
アリサが言うには、彼女自身が強くなったのは、ご主人さまや八王子様にあってからだと言う。

自分より強大なものに出会い、それと対する事により始めて自分の至らなさに気づくモノだと言う。
ちなみに、八王子様と言うのは、龍だと言うことだ。

ゼルマ自身は、白いローブを身に纏い、不思議な話し方をする御仁と言う思いしか抱かなかったが。






ブッフバルト公爵が横領までして莫大な金額を必要とした理由は、あきれ果てるものだった。
それを纏め上げた資料を使って、アンが説明してくれた。


「こんな処で、ツェルプストー家が出てくるとは」
ご主人さまが、呆れたように言われたのだが理由は教えて貰えなかった。



とにかく、ブッフバルト公爵は、ヴィンドボナから南西に位置するアルトシュタット領を治めている。
それ故、アルトシュタット侯と呼ばれている。

そのアルトシュタット領から南西に下ると、ザールラント領が広がっている。

こちらは、アイレンドルフを中心とするザールラント侯が治めている。
そして、アルトシュタット侯であるブッフバルト公爵とザールラント侯との争いが、その全ての原因だった。




選帝侯同士は立場上同格と言う事になっているが、それぞれがお互い同士、主導権争いを繰り返しているのは言うまでも無い。
アルトシュタット侯ブッフバルト公爵は、ザールラント侯を自分の支配下に措きたいと常々画策していた。

特に、ザールラントは、陸路でのトリステインへの街道を占めており、領地の大きさに比べ裕福な領地である。
トリステイン王国トリスタニアから伸びる街道は、帝政ゲルマニアに入るとアイレンドルフに至る。

アイレンドルフはサールラント領の主要都市であり、それ故トリステインとゲルマニア間の交易で栄えている。
街道は、アイレンドルフを抜けると、北北東のアルトシュタットに通じている。

アルトシュタットから東北東に伸びる街道の先が、ヴィンドボナである。
ここで問題となるのは、この街道がアイレンドルフから一旦北に上がり、それから再び東に伸びている点であった。



ヴィンドボナが帝都として栄えるに連れ、トリステインからの各種輸入品は、ヴィンドボナを目指すようになる。
そうすると、アルトシュタットは単なる通過点でしか過ぎない。

輸出入を扱う商人にすれば、アルトシュタットに一旦寄るよりは、直接ザールラントから北東に上がる側道の方が便利なのである。
この結果、主要街道として整備されたアイレンドルフ-アルトシュタット-ヴィンドボナ間よりも、アイレンドルフ-ヴィンドボナ間の側道の利用者が増える傾向があった。



元々、トリステイン王国、ガリア王国に沿って発達した諸都市と、北海沿いに北上する諸都市の結束点として発展したアルトシュタットである。

大きな見方をすれば、帝都がヴィンドボナに定められた結果、この結束点の役割を帝都に取られた形なのだ。
そこに持って来て、アルトシュタットを通らない側道の方が栄え出すと、都市の衰退に繋がるのだ。



この事実を年々突きつけられていブッフバルト公爵にすれば面白い筈が無い。
何かと、ザールラント侯とぶつかるようになっていた。

そして、ブッフバルト公爵が採用した対応策が力による威圧である。
選帝侯としての立場をフルに活用し、公爵軍の増強を始めたのだ。



これにザールラント侯が応じれば、軍拡競争と言うチキンレースになるのだが、ザールラント侯は応じなかった。
と言うか、ありがたがった節がある。

で、何が起こったかと言うと、トリステイン王国との国境紛争が勃発する。
ご主人さまが驚かれた、アンハルツに領地を持つツェルプストー伯爵の登場である。

帝政ゲルマニアとの国境沿いに領地を持つトリステイン王国のヴァリエール公爵家と、ツェルプストー伯爵家との間で紛争が勃発した。
元々、両家は代々国境問題でぶつかり合う家柄らしいが、やはりこの時も同様の理由により始まったそうだ。



「国境問題? 女性問題の間違いじゃないのか?」
ご主人さまがアンに確認していたが、やはり国境問題だった。



このような国境紛争は、国家間の戦争まで発展するのを嫌う為、精々近隣の選帝侯直属の公爵軍が応援に回る程度である。
ちなみに、これらの公爵軍が直接戦闘に参入する事は殆ど無い。

あくまでも後詰として控えており、この場合だとヴァリエール家の軍勢が紛争地から更に内側に攻めてきた場合の為の軍なのだ。
で、この後詰としてブッフバルト公爵は異例とも言える3,000人の軍隊を送り出してきた。

勿論、軍事力によるザールラント侯への示威行為である。



これで、ザールラント侯が頭を下げればブッフバルト公爵も機嫌が良かったのだろうが、そうは行かなかった。
どういう訳か、後詰の筈のブッフバルト公爵軍が現地にて指定された待機地点は、アンハルツの近郊トリステイン王国寄り。

しかも、偶々紛争の当事者であるツェルプストー伯爵の軍勢は遥か離れた地点で、ヴァリエール公爵軍を索敵中。
間が悪い事に、トリステイン王国から帝政ゲルマニアに進行した肝心のヴァリエール公爵軍が先にこのブッフバルト公爵軍を見つけてしまう。

ヴァリエール公爵軍は、1,000人の軍勢で進行して来ていたが、敵の数の多さに一旦軍を下げ見張りを多数送り出す。
どうやら、後詰の軍だと確信したヴァリエール公爵軍は、明け方この軍に対して奇襲を敢行する。

まさか自分達が攻撃されようとは考えていなかったブッフバルト公爵軍は壊滅する。
急を知らされザールラント侯の軍勢が駆けつけた時には、ヴァリエール公爵軍は既に撤退した後だった。





「じゃあ、何か? ブッフバルト公爵が金を必要とした理由は、軍備拡張して揃えた三千の軍を一夜にして無くしたからと言うのか?」
ご主人さまが呆れたようにアンに問う。

「ですね~、ゼルマさんの家族の事件の前後にもう一度同じ規模の軍隊をブッフバルト公爵は揃えてますからね~」
アンの答えに、私もあきれ返ってしまう。

三千人もの軍隊を編成し、それを失ってしまい再び編成する。
壊滅した軍の中には貴族も当然含まれているだろうから、その保障も必要であろう。

このような紛争が発生したのは、ゼルマがまだ幼い頃だった為、父がどう言う立場だったのかは知らなかった。
しかし後で爺に確認すると、この紛争の時には父も大変だったらしかった。



「と言う事は、傾きかけたアルトシュタット領はあの事件の後立て直しに成功したと言う事か?」
ご主人さまが、アンに確認する。

公金横領にて、傾きかけた領地の経営を立て直したのだろうか?
それだと、余りにもあからさま過ぎないだろうか?



「いえ、そうでもないようですよ~、相変わらず領地経営は苦労しているとの事です~」
そんな情報あったかーと、アンにご主人さまが確認している。
ほらほら、これじゃないですか~と、資料を指差して説明するアン。

何だか、日増しにアンが賢くなって行く一方のような気がする。



「と言う事は、やはりあいつか」
「ハイ、そうです~、あいつです~」

「「ランマース商会」」
ご主人さまと、アンの声が見事に同期するのを私は呆れて見つめる。




修正…

何だか、日増しにアンが悪賢くなって行く一方のような気がする。






ランマース商会は、ゲルマニアの四大商人の一人である。
ご主人さまが穀物を売られ、最近偶にお見えになるボーテ様のボーテ商会と同様に穀物を主に取り扱っている。

ただ、その商売に関しては何かと黒い噂がついて回る商人であった。




公爵軍の拡充の為に、ブッフバルト公爵は領地の収穫を担保にランマース商会から資金を得ていた。
ランマース商会にすれば、領民に対する取立てが厳しくなろうが関係は無い。

元々、ブッフバルト公爵の領地であるアルトシュタットの経営は悪化していた。
そこに持って来て、無理な借金、しかも借りてまで整備した軍は一日で壊滅。

後は破産しか残されていない状況に追い込まれたブッフバルト公爵は、公金横領を思いつく。
ヴェスターテ伯爵家が公金横領の罪に問われている時点で、ランマース商会も気づいてよう。

しかしランマース商会にすれば、ブッフバルト公爵がどこから返済資金を調達しようが関係は無い。
そしてヴェスターテ家の犠牲で、借金は返済された。

だが、御家が犠牲になっても、ブッフバルト公爵は無理な借金を返しただけで、再び同じように借金を増やしている。
利益を得ているのは、アルトシュタットの小麦の売買を一手に握ったランマース商会だけだった。





「ゼルマ、これでお前の復讐の相手が誰だか決まったな」
ご主人さまとアンの手により、見事なまでに我が家にどのような災難が降りかかったのかは明らかにされた。

「はい、直接手を下したアルベルト伯爵、裏で画策したブッフバルト公爵、利益だけを得ているアンデルス・ランマースです」
私は、この三人に対して改めて復讐を誓う。


「では、その方法を検討しよう」
ご主人さまの言葉が、その時は本当にゼルマ自身を奮い立たすものだった。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(リハーサルは華麗に)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/07 17:56
「ここなのですか?」
「ああ、間違いない」

足元まで覆う赤みがかった濃紺のロングドレス。
色はゼルマが無理を言って、この色にして貰った。

長い髪は纏めてアップにし、襟元からうなじにかけては輝くばかりの若い肌が顕になっている。
上から羽織ったロングコートのせいで、その抜群のプロポーションを見ることは出来ない。
それでも、その整った顔立ちと強い意志を秘めた鋭い視線がすれ違う男達に強烈な印象を与えずにはいられない。

世の中には、あんな美人がいるんだ。
そう思わすような、輝くような気品と美貌を身に纏った女性が今のゼルマだった。




しかしながら、当のゼルマは居心地の悪さを感じるばかりだった。

朝何時もより早く起き、お風呂に入る。
それも、自室のバスルームではなく、屋敷の大浴場の方だ。
一人で出来ると言うのに、アマンダとヴィオラが一緒にだ。

「ダメですよ、ゼルマさん。」
「今日は磨き上げるんですから!」
気合いの籠もった二人の言葉に、ゼルマは頷くしか出来なかった。

髪の毛も入念に二度洗い。
そんなに大量に使う意味があるのかと言う位リンスをつけられ洗い流される。

身体は隅々まで洗うと言って、目を輝かして迫ってくるヴィオラを撃退して、自分で洗った。

「ダメダメです、も一回洗って下さい」
アマンダが、腰に手を当てて迫って来るので仕方なく、身体も二度洗いとなった。


「はい、ご苦労さま」
風呂場からでると、にこやかにほほ笑みながらグロリアがドライヤー片手に待ち受けていた。

「ここまでやる必要あるのか?」
グロリアに髪を乾かして貰いながら、ゼルマは思わずそう尋ねていた。

「あら?ゼルマは綺麗になるの、キライなの?」
グロリアが髪にブラッシングしながら、応えて来る。

「いや、そりゃ、キライじゃない。ご主人さまも喜んでくれるだろうし」
ハイハイと返事しながら、グロリアは言うのだった。


ゼルマは五人の代表なのだと。
どのような運命のめぐり合わせか、グロリア自身も含め生まれも育ちも違う五人がご主人さまの下に集まった。

私達は、今のこの暮らしに満足してるわ。
そりゃ、ご主人さまが私だけ見てくれたらって思わない事もないけどね。

まあ、無理な願望は置いておくにして、ご主人さまが全力でゼルマの為に頑張って下さっている。
ご主人さまが、ゼルマだけ見てそうならば、私達もそこまで応援しないかもね。


うん何となく、判った気がする。




「ハイ、乾いたわ」
「ありがとう、みんな」
三人に見送られ、ゼルマは食堂に向うのだった。

朝早くから予約が入っているとの事で、何時もより早い時間に朝食を食べる。
それでも、五人ともちゃんと起きて来てくれているのが、嬉しい。

アンがご主人さまを起こしに行ったけど、中々戻って来ない。
結局、ご主人さまは朝食は食べずに済ますようで、ホールに行くとそっちで待っていた。

「おはようございます」
「おはよう」

ゼルマが挨拶すると、ご主人さまはやや疲れたような声で答えられる。
アンジェリカは、逆に元気そうである。

「アン、やりすぎじゃないの?」
「ええっ、そんな事ないですよ~、ちょっと新しい技を試しただけだから~」

ニコニコ笑いながら、そんな事を言い返す、アンジェリカを睨みつける。
「仕方ないじゃないですか~、朝食の代わりに食べられちゃったんですから~」

アン自身、今日は普通に起こしに行ったそうだった。
どうやら、ご主人さまが寝ぼけたまま、アンをベッドに引きずり込んだらしい。

そうなると、応じないアンじゃない。
挑戦は何時でも受けるとばかり、新たな技を繰り出し、ご主人さまをノックアウト。

「まあ、程ほどにな」
ゼルマは呆れながらアンを見る。

彼女は、きっと懲りずにまたやるんだろうな。




「おーい、そろそろ行くぞ!」
「あっ、ハイ、お願いします」

ゲートが開き、ゼルマはご主人さまの腕にしがみ付く。
やはり、堂々としがみ付けるのは何時もながら嬉しくなる。

そのまま、二人でゲートを抜けると、何時ものご主人さまのお国のマンションに出た。



「じゃ、行こうか」
軽く口付けされ、そのままマンションを後にする。

向かう先は、「ヘアーメイク、アルティマ」
何でも高級ホテルの中にある施設らしいが、それが凄いのかどうかゼルマには判らない。

とにかく、ご主人さまが呼ばれたハイヤーと言う馬なしの馬車に乗り、連れて行かれるだけだ。

ハイヤーは、ゲルマニアの馬車と違い、中が狭くて不安になる。
今回初めてこの狭い乗り物に乗ったので、ゼルマはずっとご主人さまの手を握り締めていた。



この後の、着付けも含めて全てのコーディネートを頼んであるとの事なので、ここでご主人さまと別れる。
不安で一杯になるが、担当になった男性が何かと気を紛らしてくれるので何とか我慢出来た。

と言うか、最初の一言で不安もどこかに消えていたと言うのが正しい。
「スタイリストの山崎です。宜しくねー」

「ゼルマです、ヨロシク」
片言の日本語で挨拶したのだが、この時点では物凄く不安だった。

「やさしい旦那様ですわねー、ここまで送って来てくださったのねー、ステキ…」
何を言っているのか、判らない部分もあったけど、『旦那様』と言う言葉だけははっきりと聞き取れた。

否、聞き逃す訳には行かない。
旦那様…、旦那様…、と言う事は、わ、私が奥様!

「あーら、奥様、本当に綺麗な肌をされてますわねー、これだと下手な化粧は必要ないですわねー」
髪を整えながら、良く判らない部分もあったけど、『奥様』と言う言葉だけは、聞き逃さなかった。

わ、私が『奥様』……






ハッと気が付くと、いつの間にか髪をアップにされ、綺麗なドレスに着替えが終わっていた。
こ、これではまるで、グロリアじゃないか。

ゼルマは、少しグロリアの白昼夢がどう言う物か判ったような気がした。




「おー、凄いな、ゼルマ! 見違えたよ、本当に良く似合う!」

赤みがかった濃紺のロングドレス。
七部袖の先には、白い手袋が眩しい。

抜群のプロポーションから生み出される、ドレスの安定感、バランスの良さ。
何処をとっても本当の貴婦人と言うのはどういうものかを体言しているような姿だった。



「そ、そうですか、わ、私自身は、何だか慣れなくて…」
ご主人さまに褒めて貰えたのは嬉しい。

だけど、もう十年近くもこのような格好はしていなかった。
それだけに、落ち着かないのは仕方ないと思う。

でも、これからは表ではこの格好が普段着になる。
少し、堅苦しいかな…




「では、ミ・レディ、参りましょうか」
ご主人さまの差し出す手を取り、歩き始める。

「宜しく」
うん、でもこれも楽しいわね。
優雅な仕草で、周りにいた人々があっけに取られる中、ゼルマは弾む気持ちを隠せなかった。





ゲートを潜りぬけ再び屋敷に戻ると、出迎えた皆から賞賛の嵐を浴びせられる。
「凄い凄い」、「わあ良いなあ」、「綺麗」、それが皆自分の事を言われているのだから、気分が悪い筈は無い。

だけど伊達や酔狂で、こんな格好をしている訳ではないのだ。
これから、始まる復讐劇の為に必要な行為なのだ。

一応今回は、今後のリハーサルも込めて実施される最初の行動。
頑張らねば、こんなに応援してくれる皆がいるのだから」

ゼルマは、意を込めて心に…

「あー、ゼルマ、とにかく、それは絶対に表でやっちゃ駄目だからな!」
ああっ、またやってしまった……

ゼルマの唯一の不安要因。
思った事を口にしてしまう癖。

「大丈夫ですよ~、ゼルマの癖は~、安心している時に出るのですから~」
アンジェリカがフォローしてくれる。

確かに、安心するとやってしまうのだから、大丈夫!
大丈夫だったら、良いのだが…







「待たせたかな?」
ご主人さまが、服装を着替えて戻られた。

何時もの杖を持ち、マントを羽織った格好ではない。
杖は手にしているが、マントを取り全体に地味な服装だった。

ご主人さまの役柄は、ゼルマの執事だ。
執事と言っても、秘書兼ボディーガードも兼ねた役処となる。



「さて、行きましょうか」
アンジェリカが嬉しそうに言いながら、ゼルマに杖を差し出す。

彼女は家政婦長の役割だ。
ご主人さまが原案を作成、アンがそれに肉付けし、ゼルマが演じる。

それ故、三人が向かうのだ。
受け取った杖を振りながら、ルーンを唱える。

目の前に、固定ゲートが展開された。

「じゃ、行ってきます」
「気をつけて」、「頑張って下さい」、「ガンバっ!」

グロリア、ヴィオラ、アマンダの応援を受け、三人はゲートを潜るのだった。






帝都ヴィンドボナ、カイザー大通りの西の大広場に対して同心円状に形作られた三本の大通り。
二本目と三本目の通りの間は、諸侯の邸宅が並んでいる。

並ぶと言っても、それぞれが十分な庭を持ち、邸宅と邸宅の間には結構な距離がある。
大貴族は、両方の通りに面する敷地一杯を使った邸宅。
中小貴族の邸宅は、その区画を幾つかに分けて広がっているのだ。



西の大広場から見て、東北東に位置する一角にその屋敷はあった。

元々、かなり有力な貴族の屋敷であったのであろう、敷地は大貴族の例に漏れず、通りと通りの間一杯を占めていた。
しかしながら、数年前に所有者である伯爵が没落し手放して以来、住む人もおらず荒れ放題となっていた。

このまま行けば、数年後には建物も取り壊され、小さな区画に整備され、中小貴族や豪商の住まいとなる運命だったのであろう。
ところが、一ヶ月前位に所有者が変わった。

大勢の職人が動員され、建物の補修が急ピッチで行われたのだ。
庭の生い茂った草木も、庭師が入り手入れされ見違える程になっている。


どこの大貴族の本宅になるのか、いやいや、ゲルマニアでも名前が知れた豪商の別宅だとか、近所の使用人の間では話題になっていた。
三日程前から屋敷の使用人が入ったので、近所の連中はそれとなく探りを入れるのだが、新しい使用人は口を割らない。

とにかくこれだけ短期間に、居住可能な状態まで戻すとなるとどれ程の費用が掛かる事か。
それを思えば、かなり有力な貴族か豪商である事は間違いないと言うのが、使用人ネットワークの結論だった。




ゼルマを含む三人が転移して来たのは、その話題の屋敷のゼルマの私室である。

「それじゃ、私は~、屋敷の様子を確認して来ますね~」
そう言うと、アンジェリカは部屋を飛び出して行く。

彼女なりに、この屋敷の使用人の出来不出来が気になるのだろう。
何せ、ヴェステマン商会を通して連れてこられた使用人候補を選別し選んだのはアンジェリカなのだから。

「じゃ、俺は馬車の手配と爺さんに挨拶かな」
そう言って、ご主人さまもゆっくりと歩いて部屋を出て行く。

一人ポツンと残された、ゼルマはする事も無く、ソファに腰を下ろす。
どうしようか…

そう思っていると、思いっきり急いでいるのが丸判りの足音が廊下の向こうから響いてくる。
ご主人さま、わざと扉を閉めなかったのね。

彼がご主人さまに会えば、間違いなくゼルマの元に来るのは予想出来る。
それ故、その音を聞かせたいが為に、扉を開けたまま出て行ったに違いない。

ゼルマは苦笑を浮かべ、扉から飛び込んでくる人物を待ち受けるのだった。



「お、おかえりなさいませ、お、お嬢……」
息を切らせ駆け込んできた人物は、そこまで言いかけて、唖然と口を空けたままゼルマを見つめる。

元ヴェスターテ家の家令ルーベルトである。
「お、お、お嬢さまあー」

突然の大声に、ゼルマは軽く指を耳に宛がう。
その仕草も優雅そのものである。

「おお、おお、お美しい、奥方様にも負けない、いや、それすらも超えるお嬢様のお美しさ!
 さぞや、旦那様も草葉の陰でお喜びでしょう。
 このルーベルト、感激でございます。
 お、お嬢様あー」

ぶわっと、瞳から涙を溢れさせその場で跪き、泣き崩れるルーベルト。
爺には、この屋敷の家令を務めて貰うのだ。


「爺、これからも宜しく」
「は、はいーーーいっ! この命に代えてもお支え申し上げます」

尚も泣き崩れる爺に対して、ゼルマはどうする事も出来ない。
早く、ご主人さまが戻って来ないだろうか…

爺の気持ちは判るが、少し大げさ過ぎるのが偶に傷なのだ…



「ゼルマ様、馬車の用意が・・・」
ご主人さまが部屋に入って来て、言葉に詰まる。

泣き崩れる爺を見て、目顔で様子を問う。
どうしようもないですと、ゼルマも笑顔で返す。

「ルーベルト様、お嬢様がお出かけですよ」
苦笑を浮かべながら、一応この屋敷の序列に合わせてご主人さまが言う。

何せ、ルーベルトは家令だ。
立場上は執事のご主人さまより上なのだ。

「おお、バルクフォン卿、いやいやアルバート、ご苦労」
爺もそれに合わせようと、ぞんざいに返事をする。

とにかく、こちらの屋敷で雇っているのは、あくまでも普通の雇用人である。
勿論、家令のルーベルトが声を掛けて、旧ヴェスターテ家にて働いていた人間も何人かは集めている。

それでも、ゼルマとご主人さまとの関係を知っているのは、爺を入れても三人だ。
あくまでも、ご主人さまは、執事のアルバートとして振舞う必要があるのだ。


「それでは、お嬢様、こちらに」
ご主人さまに丁寧に言われるのが、何か変な感じがする。

「では、爺、行って来る」
それでも、自分の役柄はこなさねば。



玄関の正面に、綺麗な馬車が留まっている。
ご主人さまが、向こうの世界に注文していた馬車の内の一台だ。

足回りは余り手を加えられなかったとご主人さまは仰っていたが、外観だけでも大したものだ。
何でも、デ○ニーランドと言う一大遊戯施設に納めている馬車を譲ってもらったとの事だ。

デ○ニーランドも、遊戯施設もさっぱり意味が判らないが、馬車そのものは素晴らしい。
鮮やかな塗装に、洒落た外観がマッチしており、多分ヴィンドボナでも注目を集めそうな馬車だった。

御者が扉を開き、折りたたみ式の階段が準備されている。
階段の横に立つご主人さまの指し伸ばした手に支えられ、ゼルマは馬車に乗り込む。

ご主人さまが続いて乗り込まれると、階段が収納され扉が閉まる。
ゆっくりと動き出す馬車の窓から、建物が見えなくなるまで頭を下げて動かない爺の姿が目に焼きついていた。








その部屋は、四階建ての建物の五階にあった。
要は屋上にとって付けられたようなあばら家だった。

ゼルマは困惑したように、ご主人さまを見つめる。
ご主人さまが、大丈夫だと言うように手を握ってくれた。

視線を合わせると、頑張れと言う声援と共にどこか楽しんでいる様な雰囲気が感じられた。


「ご主人さま?面白がってません?」
「そ、そんな事、少ししか思ってないぞ、それより、ほら、始めよう」

絶対面白がってるんだ。
そう思いながらも、緊張が少し解れた事がありがたい。


ゼルマは、も一度ご主人さまを見つめ、決意を示すように頷く。
ご主人さまがそれを受け、握る手に一旦力を込め放した。




これからなのだ!
気合いを入れ、ドアをノックする。


「どうぞ」
ノックしてから、返事が返って来る迄暫くかかった。

躊躇っていたのかしら?
まあ考えても仕方ない。



横のご主人さまに合図する。
ご主人さまが扉を開き、中の安全を確認する。

一応形だけだ。
それ以前にご主人さまは、中に一人しかいないのを精霊を通じて探っている。

水の精霊ならば、生物の存在は感知出来る。
火の精霊は光があれば、動くものは感知出来る。

真っ暗な中、ゴーレムやカーゴイルでも用意しないと、不意は付けない。
とにかく形だけでも、ご主人さまが安全を確認し、私を招き入れる。



狭い部屋の中、粗末な椅子に腰を下ろした初老の男性がいるだけだった。
最初はご主人さまのそんな様子に、そして次には入って来たゼルマを見て、男性は呆気に取られている。


「ローゼンハイム卿でいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだが、君は?」

「お初にお目に掛かります、ゼルマ…ヴェスターテと申します」
そう言ってゼルマは優雅に挨拶を交わすのだった。

「ヴェスターテ? ひょっとしてヴェスターテ伯爵家の?」
男の瞳が何かを考えるように細くなる。

「はい、元伯爵家です」
これを告げるのは心苦しい。
だけど、ここは平気な顔でやり過ごさなければ。

「ほう、『元』伯爵家縁のものが、ローゼンハイムに何の用だ」
疑うような視線を向けながら、男はそれでも興味を示す。

「娘です」
「うん?」

「私は、ヴェスターテの娘でございます」
「これは、失礼したご令嬢とは気が付かなかったのでな」

「いえ、構いません。それよりお願いがあって参りました」
男の瞳が伺うように、更に細まる。

「私を、ローゼンハイム卿の養女にして頂きたい」
ローゼンハイム卿の瞳が大きく開かれるだった。








ローゼンハイム卿は、東方辺境領に領地を持つ伯爵家である。
元々は、アルトシュタット領に領地を持つ侯爵の一族に属する家系であった。

それが、新領地として東方辺境領の一角を与えられ伯爵として独立したのである。
そう言えば聞こえは良いが、実情はもう少し複雑なものだった。

本家である侯爵家にて跡継ぎがおらず、順当に行けばローゼンハイム卿がその後を接ぐものと思われていた。
ところがその時横槍が入った。

先代皇帝より、男爵だったローゼンハイム卿に伯爵位が授けられたのだ。
皇帝が新たに貴族として取り立てる者に対して、比較的安定した領地を与えたいと言う要望に叶ったのが、ローゼンハイムの領地だった。

現在の、ローゼンハイムの領地、二村を召し上げる代わりに、新たに東方辺境領に十村を与える。
そして、爵位に関しても、男爵位から伯爵位へと昇格させる。

これだけ見れば、非常に良い話に見える。
ローゼンハイム卿の目の前に、侯爵位がぶら下がってなければ。

しかしながら現侯爵は、跡継ぎをローゼンハイムに譲ると言明していなかった。
それ故、ローゼンハイム卿には断る事が出来ない。

また、皇帝からの下賜を断る等出来よう筈もなかった。
そしてこの時点ではまだローゼンハイムも、侯爵が亡くなれば自然とアルトシュタットの侯爵になれるものと考えていた。



ローゼンハイムは、伯爵領と言いながらも荒れ果てた大地と、疲弊した領民の中で苦しい領地経営を開始するのだった。
暫くした頃、その知らせが飛び込んで来た。

件の侯爵が、お家存続の為養子を迎え入れたと。
そして、養子の男子がブッフバルト卿の縁のものだと言う事実を知らされたのだ。

嵌められた…
その一言で全てが語られてしまう。

自らの勢力拡大を望むアルトシュタット侯ブッフバルト公爵にとって目の前にある侯爵領は目障り以外の何者でもなかった。
侯爵本人には様々な圧力を掛けながら、跡継ぎ候補であるローゼンハイムを追い出す工作を実施したのだ。

そしてそれは上手く行き、一番の跡継ぎ候補は、遥か東方へと追いやられる。
その隙に侯爵に圧力を掛け、跡継ぎに自らの血縁のものを押し付ける。



通常ならば、侯爵本人がそのような跡継ぎの押し付けに屈する事は無い。
しかしながら、金銭面での締め付け、公爵軍による組織的な嫌がらせ、最後は先代皇帝からの言葉も含め、侯爵本人も飲まざるを得なかった。

何せ、小麦の買取先が突然キャンセルを通告してくる。
借入金の取立ては、通常よりも厳しくなる。

何故か、夜盗や盗賊が頻繁に領内で発生する。
この状況で、皇帝が跡継ぎに養子を取る事を勧めて来れば、その裏に含まれるものは理解できる。



東方辺境領にいるローゼンハイムが何もする事も出来ない間に、全てが決していた。
男爵領よりも遥かに経営が困難な伯爵領を与えられ、その上嵌められた事実を突きつけられた彼に出来る事は荒れる事だけだった。

領地経営も放り出し、ヴィンドボナにて遊行を繰り返す生活。
その間も、疲弊した村々は寂れて行く。

その上、東方辺境領では未だに亜人との争いも耐えない。
事態に対応できる最低限の私軍の維持さえも行わないまま、放置された村の中には一晩で消えうせるものすら出てくる。

そして、二十年経てば何も残らなかった。
村々は荒れ果て、ローゼンハイムの収入もほぼ途絶する。

あるのは虚しい伯爵位と、今の貧相な生活だけとなっていた。




「条件は、ローゼンハイム卿の今後の生活費一切の負担、金額としては年2400エキューを考えております」
ローゼンハイムは、あっけに取られながら自分に説明してくるゼルマの執事の声を聞いていた。

「一件お願いしたいのは、お嬢様のお披露目パーティーを開きますので、その折には娘としてご紹介頂きたい」
それ位、容易い事だ。

禄でも無い人生を送って来たが、相応の遊び仲間等のコネクションだけは山ほど出来ていた。
パーティーを開く上で、紹介状を送る先にだけは事欠かない。

「如何でしょうか? ご了承頂ければ、直ぐにでも貴族院に登録して頂く準備は整えておりま・・・」
「待て…」
ローゼンハイムは、執事の話を遮る。

「なんでしょうか?」
美貌のヴェスターテのお嬢様が、ローゼンハイムに聞いてくる。

「お嬢様の目的は何だ?」
ゼルマは一瞬躊躇いを見せる。

「復讐です」
それでも、ここで弱みを見せる訳にはいかない。
それに、この方もブッフバルト卿に恨みを抱いているのは間違いない。



「やはりそうか! うん、あれは酷かったものな、相手はブッフバルト公爵で間違いないな!」
えっ、少し興奮し過ぎではないか。
ゼルマは何となく不安に思い、ちらっとご主人さまを見る。

ご主人さまも、しまったと言う表情を浮かべている。
言ったのはいけなかったのだろうか?



「判った、お嬢様を養子でも何でもしてやる」
「但しだ!」
先程までの、草臥れたようなローゼンハイム卿ではなく、そこには爛々と目を輝かせた別人のような卿がいた。

「金は要らん、条件は一つだ!」
ご主人さまが頭を抱えている。

そんな事も、ローゼハイム卿には目に入らないように、ゼルマを真っ直ぐに見つめてくる。



「俺も仲間に加えろ!」
「あっちゃー」

ご主人さまが、額に手を当てて叫んでいる。
ゼルマは、どうして良いか判らないまま、ご主人さまとローゼンハイム卿の顔を交互に見つめるだけだった。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(新たな仲間)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/10/10 00:31
ローゼンハイム卿を連れて、屋敷まで戻って来た。
当初から、これは予定通りなのだが、卿は完全にやる気になっている。


馬車の中ではご主人さまが卿の質問に答え、私自身は考え込んでいる振りをしているだけだった。
この辺りの対応が難しい。

まだまだ未熟だと自分自身恥じるばかりだった。



館に着くと、取り合えずローゼンハイム卿の着替えと案内を執事付きに任せ、全員で集まる。
私事ゼルマ、ご主人さま、アンジェリカ、そして爺こと家令のルーベルトの四人だ。



「時間が無いから、礼儀は横に置いといて、直ぐに検討するぞ」
ご主人さまが、ローゼンハイム卿との会話の内容を一気に説明する。

「それじゃ、シナリオを練り直す必要がありますね~」
アンがすぐさま答える。

「ああそうだ、だがまずは利点と弱点の洗い出しだ」
ご主人さまが応じる。
こうなると、アンの独断場に近い。

私と爺は只管理解するのに忙しい。


「信頼度が未知数ですか、弱点ですね~」
アンが問題点を指摘する。

これに対しては、ご主人さまは最初から水の秘薬は飲んで貰う事で対応しようと提案。
確かに精霊の守りと同時に、最初から禁制を掛けておけば、話したくても話せないと言う状況を作ることも出来る。

問題は、禁制が入る事で自由な発想もある程度制限が入る点だ。
まあ、別にローゼンハイム卿から新たな発想を得ようと言う訳ではないので問題はないだろう。

また、禁制自体は状況に応じて解除したり出来るので、大きな問題にはなら無いと言うのがご主人さまの意見だった。



「利点としては、交友関係の広さ、押し出しですね、ゼルマでは不足する部分を補強出来ますね~」
それは、確かにそうだろう。

私自身、自分の立場は理解している。
こんな小娘が言うより、ローゼンハイム卿の方が信頼も得られやすい。

「しかし、今までの言動は残っているから、それ程利点として通用するか?」
「伯爵家が盛り返す訳ですから、過去の言動は考えなくても良いんじゃないですか~」

私もアンの意見には賛成だ。
それに、話した感じだと決して愚かな人ではないと思う。


「一旦、身を持ち崩したと言う風評が立つと、それを回復するのは難しいものですが」
爺は少し疑いの目で見ているようだ。

「ああ、それはそうですが~、若い頃の評判はかなり良いですから~」
「何せ侯爵の跡継ぎ候補となっていた位だからな」

「利点や弱点とは違うが、元々お披露目パーティーには出て貰う予定だったのだから、それからの判断で良いのではないか?」
今すぐ決めなくても良いのではないかと思う。

「うーん、俺たちの内情をどこまでばらすかなんだよな」
ご主人さまはチラッと爺を見る。

爺にも、ご主人さまが異国の生まれである事や、あちらの国の話は秘密だ。
確かに、仲間に引き入れるならば、秘密をどこまで開示して良いかは早急に決めておかねばならない。

成程、パーティーまで待てない訳があるのだ。
まだまだ読みの浅さを実感せずにはいられない。



「黒幕がご主人さまって事まで、ばらしちゃって良いんじゃないんですか~」
「うん、私もそう思う。どの道ある程度一緒に居れば、ばれてしまう」
アンと私の二人とも、爺と同じレベルまで秘密を共有すれば良いと発言する。

「じゃ、それで行こう、ローゼンハイム卿を仲間に入れる、俺が黒幕だと最初から話す、後は?」
「あの、アルバート様の魔法についての説明を」
爺がコメントを入れてくれる。
これも、我々だけだと直ぐに忘れてしまう点だ。

転移魔法が使える事は、ゲルマニア、いやハルケギニア全体でも秘密にしなければいけない点である。
これは私達の大きなメリットなのだが、毎日のように使っていると、それをつい忘れてしまいそうになるのだ。


「ありがとう、爺」
私の言葉に爺も嬉しそうだった。








「やあ、中々良い邸宅だな」
取り敢えず風呂に入って貰い、身仕度を整えたローゼンハイム卿が機嫌良く部屋に入って来た。

「ローゼンハイム卿、メンバーをご紹介します」
私は立ち上がり、家令の爺、執事のアルバート、家政婦長のアンジェリカを紹介する。



「ふむ、で、首謀者は君かな、アルバートとやら」
卿は鋭い眼差しでご主人さまを睨み付ける。

「良くお分りで、どこがいけませんでした?」
両手を上げ、参ったと言うようなポーズを取り、苦笑混じりにご主人さまが応える。

「何、あのあばら家に入って来た時から、ゼルマ嬢が君を気にしすぎだよ」
私は、腑甲斐ない自分自身に唇を噛むしか出来なかった。



「ああ、ゼルマ、これからは、呼び捨てさせて貰うよ娘なのだからな」
私は顔を上げて頷く。

思わず、ご主人さまを見てしまいそうになるのを堪えるのに、全ての意志が必要だった。

「うん、今から努力しておくのは良い事だ。」
しかしそんな態度も、卿にはお見通しのようで、恥じ入るばかりだった。



「ローゼンハイム卿、余りゼルマお嬢様をいじめて上げないで下さい、今回が初演なんですから」
ご主人さまのフォローは嬉しいが、更に到らなさを痛感させられる。

「ゼルマ、君は真直ぐな性格のようだな、だがそれでは、あの化け物と渡り合うのは厳しいぞ」
卿の一言一言が更に突き刺さって来る。



「ふむ、アルバートとやら、うん?名前はこれで良いのかね?」
「アルバート・コウ・バルクフォン、爵位は半年前から男爵です、アルで良いです」

「そうか、アル、ホルストと呼んでくれて構わん」
二人が立ち上がり握手をする。

どうやら、男同士通じるものがあったようだ。
この様な関係は、ゼルマには理解出来ない。

あっ、でも、アンやグロリア達との関係みたいなものなのかも知れない。




「ホルスト、一応確認させて貰う」
ご主人さまが改めて話し始める。

自分の役割放棄の様な気もしないでもないが、安堵してしまうのはどうしようもない。



「我々の目的は、ブッフバルト公爵に対する復讐。
具体的にはゼルマの実家ヴェスターテ家の名誉回復です」
卿はウンウンと頷いている。

「ただ、名誉回復だけならば、既に集めた資料を国安を通じて皇帝に上げ、大声で喚けばどうにでもなるでしょう」

「だが、それだと、多分トカゲの尻尾切りで終わるな、どうせ実行犯が別にいるんだろう」
「おっしゃる通りです、アルベルト伯爵、当時ヴェスターテ伯の部下だったものです」


表上は、アルベルト伯が全て行なった事とし、ブッフバルト公爵にはお咎め無し。
そして、皇帝は十二選帝侯の一人の弱みを握る事になる。


「それでは、ゼルマの復讐には相応しくありません」
「そうだな、それは私も面白く無い」
卿が身を乗り出してくる。

「少なくとも、私の爵位を使う必要すらないな、そんなつまらん復讐劇を考えてる訳ではなかろう」
「その通りです。但し、ここから先に話を進めるには一つ条件があります」

そう言ってご主人さまが水の秘薬の小瓶を取り出した。




「これを飲めと?」
卿は小瓶を手に持ち、ご主人さまを見る。

そして、何か言われる前に一気に飲み干した。


「飲んだぞ、さ、続きを聞かせてくれ!」
「あ、あなたは、恐くは無いのですか!」
ゼルマは思わず声を挟まずにはいられ無かった。

「うん?ゼルマ、別に。どうせ裏切れないように、何か制約が掛かるんだろう」
卿は、ニヤリと笑う。

「ゼルマ、覚えておきなさい。開き直った人間には恐いもの等何もないんだよ」
ゼルマは、卿の覚悟を聞かされ、頭を下げるしかなかった。



「あー、一応今飲んだものの説明はさせてくれ」
ご主人さまが、いかにもやりにくそうに説明する。

瓶に入っていたのが、水の精霊そのものである事。
ご主人さまが、人としては唯一人精霊との契約を成している事。

精霊は、ご主人さまの求めに応じて卿の身体の中で様々な事が出来る事。
そう、記憶を消す事や、本人の意志に反してその人物を操る事すら出来る事。


「ほお、すると私は大変な物を飲んでしまったのだな」
「ご主人さまは、それを悪用される様な方ではありません!」
思わず身を乗り出して叫んでいた。







しまった!




周りが固まるのが判る。

「アル…ゼルマが『ご主人さま』と言った気がするのだが、君達はそう言う関係なのか?」
いや、男女の中に口を挟む気はないが、ラ・マンにそう呼ばすのは、人としてどうかと思うぞ。
卿が声をひそめてご主人さまに話し掛けている。

ゼルマは真っ赤になって、俯くしか出来なかった。




結局、全ての経緯を話すはめになり、卿は興味津々聞き入る。
その間、ゼルマは一人居心地悪さを感じるのだった。



この後、アンジェリカも話に加わり計画について説明して行く。

その際に、アンも自分が愛人のメイドの一人である事。
更に、後三人居る事。

更に更に、候補及びお手付きが後十人居る事までばらしてしまった。


おかげで、ご主人さまは、卿のみならず、事情を知っている爺からも白い目で見られるのだった。




「ふむ、そうすると、私が入る事でゼルマの負担をかなり減らせるな」
卿が、自分も参画出来る点を見いだし嬉しそうに言う。

「はい~、もしくは、効果を増幅出来ます~」
アンも楽しそうに応える。

表立って動くのは、私だけの予定だったが、卿の協力が得られるならそれが倍になるのだ。



「しかし、アル、お主凄いな、どうやってボーデ商会に渡りを付けたんだ」
そう、計画にはボーデ商会の協力も含まれているのだ。

「まあ、ボーデ自体、ランマースは気に入らない存在だったのが、一番ですね。」
そう言ってから、ご主人さまがため息を吐く。

調べれば、調べるほど、ランマース商会のあくどさが浮き彫りになって行くのだ。
穀物販売が主な業務の筈だが、裏ではかなり酷かった。

値段の吊り上げの為に、一つの地域の穀物を全て燃やす等と言う暴挙の状況証拠すら出て来ている。。
これがブッフバルト公爵と組み、公爵の領地であるアルトシュタット領のみならず、周辺のオッフェンバッハ領、エアフルト領まで荒し捲くっているのだ。

お陰でゲルマニアの内陸部の公爵領三領を握ったブッフバルト公爵は、言わば十二選帝侯の四分の一の支配権を持っているのだ。




「それと、ボーデの爺さんに気に入られましてね」
ご主人さまはそう言って肩を竦め、話を戻そうとする。

「こんな大馬鹿者見た事ないそうです~」
アンジェリカが横槍を入れた。

卿の眉毛が興味深そうに釣り上がる。

「実はですね~、ボーデ様は、良くお屋敷に遊びに来られるんですよ~」

確かに、ボーデ商会の当主、ディートヘルム・ボーデ様はご主人さまを気に入っておられる。
ゼルマ達以外のメイドを雇う時に、大量の候補者を送り込んできて以来、様々な分野でその権力を無駄に使われているのだ。

態々女性の庭師を養成までして送り込んできたり、女性の傭兵を集めて、警備に使えと送り込んで来る。
金を払うのは俺なんだけどなあと、ご主人さまが文句を言っても、面白がっているとしか思えない。

今では、屋敷の客間の一室をまるで自分の部屋の様に使っており、月に二三回は泊まりに来るのだ。
ちなみに、ルーベルト爺が、家令としてあの屋敷にいる事も気に入らないようで、アンジェリカには家令としての仕事を教え込もうとすらしている。




その後も計画の問題点、今後の進め方について検討を加えた。
新たに参画した、ローゼンハイム卿の視点からの様々な指摘は、私達の計画に改善を加えより確実なものとするであろう。


ご主人さまを弄って遊びたがる人が、また一人増えたような気もするが、それは実害の無い事だと思いたい。





ここに、改めて当屋敷の新しい主人に、ホルスト・グラーフ・フォン・カーリッシュ・ローゼンハイム卿が復帰される。



そして、私、元伯爵令嬢 ゼルマ・グラーフィン・フォン・ベークニッツ・ヴェスターテが消え去る。
そう、今日から私は、ゼルマ・グラーフィン・フォン・カーリッシュ・ローゼンハイムとして生まれ変わるのだ。





伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイムとして、成すべき事をやり遂げてみせよう。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(東方辺境領)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/10/14 01:19
「おはようございます、お養父さま」
「おはよう、ゼルマ、それと別について来なくとも良いのに、アル」

ご主人さまが苦笑を浮かべながら、ローゼンハイム卿に挨拶を返している。
最近卿は何かにつけて、ご主人さまをからかう様になった。

アンから屋敷の現状を、詳しく聞き出したらしい。
「けしからんって言って、怒ってたよ~、でも半分以上嫉妬だね~」

あんな酷い男に大事な娘を渡せるかと私にも言って来る。
冗談と判るようになってからは、笑って聞き流せるようになった。

だけど最初の頃は私が、真剣に怒るのを見て楽しんでられたのだ。
本当に卿は意地が悪い。



「初めまして、ローゼンハイム卿、ヴィオラと申します、宜しくお願いします」
「初めまして、アマンダです。 よ、宜しくお願いします」
今日はヴィオラとアマンダも一緒なので、ご主人さまと掛け合いをしていた卿に紹介する。

「お養父さま、ヴィオラは東方辺境領出身です」
「おお、それは心強い、宜しく」

卿がヴィオラの手を取り甲に口付けをする。
ヴィオラは、真っ赤になっている。

あっ、ご主人さまがハンカチを出してヴィオラの甲を拭きだした。



き、貴様、貴族を嘗めるのか。
ええい、汚い口でうちのヴィオラの手を汚すな。

間に立たされたヴィオラが目を白黒させている。



「ハイハイ、お養父さま、アルバートもいい加減にして下さい」
さすがにヴィオラが可哀そうで、笑いながらも止めに入る。

全く、どこまで気が合うのか、放って置いたら一日中二人であんなやりとりばかりしているのだ。
ご主人さまはああいう性格だし、卿も不遇の生活が長かった為だろう、貴族や平民で差別する事もない。

おかげで、本当に楽しそうに、言い争いをしているのだ。



「ゼルマ、そうは言うが悪いのば、貴族を侮辱するアルバートだぞ」
「何をおっしゃいますか、お嬢様、騙されては行けません。
 平民のヴィオラに対して貴族の礼を以てする態度、絶対下心があるに決まってます」

また二人で、しかも今度は私を巻き込んで。
実に楽しそうな二人だったが、上空の影の登場で終わりを告げる。


「お二人とも、竜が参りましたわ」
ゼルマは、こちらに向かって飛んで来る竜を見つめながら二人に告げるのだった。




用意してあった竜舎から、調教師や、竜務員、調教助手達が走り出て来る。
彼らを雇ったは良いが、竜の到着が遅れていたのだ。

五頭の竜が綺麗にV字型の編隊飛行で、こちらに向かって飛んで来ている。
先頭の一頭が群を抜いて大きく、その他が小ぶりの竜である。



後ろの四頭は、一人~二人乗りの高い機動力を持つ風竜のようであった。
四頭は、先頭の竜を残したまま、順番に着陸して来る。

「ええっ、乗り手がいないぞ!」
驚愕の声が、待ち受ける調教助手や竜務員の口から零れた。

「早く、竜舎に誘導しろ!」
そう言われても、乗り手もいない竜に近寄って行く人間は誰もいない。

通常、竜は人を選ぶ。
気に入らなければ、普通の人間が太刀打ち出来る存在ではない。

それ故、乗り手もおらず、鞍も置かれていない風竜に近寄ろうとするのは危険極まりないのだ。



「はい! みんなこっちです」
アマンダが飛び出していって、風竜に指示を出す。

調教助手や竜務員があっけに取られて見守る中、四頭の風竜はアマンダの指示に従い竜舎に向かって歩いて行く。
アマンダがこちらに来たのは、この為だった。

龍の八王子様から、火の守りを与えられたせいなのか、アマンダに対してはどんな竜でも逆らおうとしない。
多分、アマンダの後ろに龍を見ているのだろう。




「ありゃ、あれは入らんぞ」
着陸場に他の竜がいなくなったのを見計らうように、一回り大きい竜が着陸して来る。

流石に大きい。
確かに、あの大きさでは竜舎に納まらない。

フワリと降り立つように、優雅に大きな竜が着地する。


「ほおー、凄いな、火竜だな、それも大きい!」
ローゼンハイム卿が、感嘆したように言う。

「今回の小旅行に、全員が乗れるようにお願いしましたので」
ご主人さまが得意げに、卿に告げている。

これから東方辺境領に向かうに当たって、あちらに詳しいヴィオラも含め四人での移動となる。
その為に、竜を使う事になったのだ。

それならば、こちらの屋敷にも連絡用の竜を何頭か雇おうと言う事になった。
ご主人さまが、八王子さん経由で交渉された結果、この五頭がやって来たのだ。

そう、雇ったのである。
八王子さん経由で、風竜と火竜の親分に交渉し、契約が纏まったそうだ。

その結果として、竜自らこちらに飛んで来たと言うとんでもない話だった。
大体、親分ってなんですかと、ゼルマも突っ込んだがご主人さまは笑うばかりだった。





「いやあ、本当に飛んで来ましたなあ」
調教師が汗を拭き々こちらに歩いて来た。

「ああ、間違いないだろ。 あの竜達は、自ら此処に働きに来ているのだ。
 くれぐれも、対等な目線での対応をお願いするよ」
ご主人さまが、調教師に念を押している。

まかり間違って、機嫌を損ねては大変な事になる。
一応、慣れるまで昼間はアマンダが通って来る事になっているが、一抹の不安は拭えない。

「大丈夫、アマンダがいるから」
ご主人さまが私の不安気な顔に気が付いたのか、そう言って来る。

「いや、そのアマンダが不安なんですが」
私の代わりに、ヴィオラが思っていた事を話してくれる。

ウンウンと頷く私に対して、聞こえてない振りをして離れないで下さい、ご主人さま…




火竜に四人用の座席を付けさせて貰い、出発の準備が出来る。

「お嬢様、くれぐれもお気を付けて」
いつの間にか、家令のルーベルトも出て来ている。

「大丈夫、アルバートもいるから」
それが一番不安なんですよとブツブツ呟いているのは、笑って聞き流す。

「じゃ、お嬢様お願いします」
私は、杖を取り出し術式を展開する。

竜の背中に並んだ座席に座る四人の周りに、風の障壁が形作られる。
高速で飛び抜ける竜の上でも安定出来るのは、この障壁があるからこそである。

「よーし、お願いするよ、ライトニング」
ご主人さまがそう言うと、火竜はフワリと浮き上がる。

徐々に高度を上げ、火竜は猛スピードで東に向かって飛び出したのだった。







「ほう凄いなこの竜は、アル、名前はライトニングと言うのか?」
卿が後ろを振り返りながら、ご主人さまに聞いている。

ちなみに、私と卿が前の座席、ヴィオラとご主人さまが後ろだ。

「ええ、本当の名前は我々では発音出来ないそうです。
 意味が『光るもの』と言う事で、ライトニングと呼ぶことにしました」


普通の風竜が一時間に40リーグから60リーグで巡航する。

それに対して、ライトニングは火竜にも関わらず、80リーグから100リーグは出せるそうだ。


「いくらなんでも、火竜としては破格の速さじゃないか、ライトニングは」
「ええ、これも雇う時の契約のせいですけどね」

契約の内容は、適当な食事、快適な寝床、そして火の精霊の守りだった。
ご主人さまが火の精霊と契約している以上、それは多分当然の内容なのだろう。

火竜が、更に火の精霊の守りを得るとどうなるかの見本が、ライトニングだった。
通常の火竜とは比較にならない速度と火力を誇る竜種になれる。

その事を考えると、百年の契約でもライトニングには問題ないのであろう。
ちなみに、館に残った風竜四頭も同じような契約を交わしている。

外観は風竜なのに、火のブレスが吐けると言うのはやはり魅力だったのだろうか?





目的地は、ヴィンドボナから東に400リーグ強のカーリッシュ。
ローゼンハイム卿の領地だ。

ライトニングの速度だと、4~5時間の飛行となる。
馬車だと無理をしても7日程度は掛かる日程が、この時間になるのだから大したものだ。

だけど、乗っている間は非常に退屈なのはどうしようも無い。
それと、途中で休息したくなるのは、生理現象も含め仕方ない事だと思う。



「あの、そろそろ一度休息を取りましょう」

「ああ、いい考えだ、流石、私の娘」
「関係ないだろそれ」
「お願いします」

それぞれが非常に判りやすい回答を返してくれる。
ご主人さまが、ライトニングに何か語りかけ、火竜の速度がゆっくりと落ちて行く。

森が切れて辺りに牧草地が広がり、見晴らしの良い丘の上にフワリと着地するライトニング。
全員が座席から降り、身体を伸ばす。

ヴィオラが竜の前に立ち、用意した火竜用のおやつを展開する。
勿論、全て指輪の中に収納したものだ。

指輪は荷馬車三台分位の容量があるから、今目の前に出来た小山は全体の三分の一位。
それでも、大きな火竜にすればおやつなのだろう。

大きな口を開けて、食べ始めているそれを見ていると何だか納得出来る。




「それじゃ、一時間程待っててくれよな」
ご主人さまがライトニングに言う。

私たちは、ご主人さまの周りに集まった。
ローゼンハイム卿がいるので、しがみ付けないのが少し残念。

術式を構築され、光に包まれるとそこは、ご主人さまのお屋敷だった。




「お帰りなさいませ」
早々にクリスが挨拶して来る。

「ただいま~」
ご主人さまがクリスの頭を撫でて、ホールの奥のソファに腰を降ろす。


「ほおー、これが君の屋敷か、中々良い建物だな」
呆れたようなもの言いで、ローゼンハイム卿が向かいに腰を降ろす。

全く忘れていたが、卿にとってこれが初めての転移なのだ。
私やご主人さまが転移で移動してくるのはご存知だが、実際に経験はなかったのだ。

こちらの屋敷を訪れるのも初めてと来れば、卿はご主人さまに色々質問を始めた。
それに煩そうにご主人さまが答えている。




「いらっしゃいませ」
グロリアが、入って来て挨拶をする。

その後ろには二人のメイドがワゴンを押して来た。
お昼代わりのサンドイッチが山ほど積まれている。

私はここのマスターメイドの一人なのだから、手伝うべきなんだろうか?
それとも、伯爵令嬢として振る舞うべきなのか?


「今日はお客さま」
迷っていると、グロリアが声を掛けてくれた。

有り難くそのアドバイスに従い腰を降ろす。
ヴィオラは素早くホールを出て行った。

ライトニングのおやつの補給だろう。
それに、私と違い、卿と親しい訳でも無いので、息抜きは必要だ。


私は覚悟を決めてソファに腰を降ろしサンドイッチを頂く事にした。




食事を済ませ、再び先程の丘まで転移。
ライトニングは気持ち良さそうに寝ていた。

私達に気付いたのか目を開き、身体を起こす。
眠気を覚ますように全身を震わす姿は、まるで犬のようだ。

但し、大きさを考えなければだ。
思わず、ライトニングに木の棒を遠くに投げて取ってこさす姿を想像してみる。

ちょっと凄い見物だと思う。
ヴィオラに話したら、面白がってケラケラ笑い出してしまった。


「おおい、行くぞ~」
ご主人さまとローゼンハイム卿が笑い合っている二人を怪訝そうに見ていた。

「は、はい、今行きます」
ヴィオラと二人で慌ててライトニングの背中に上がる。

暫らく二人とも笑いの発作が納まらず、大変だった。




二時間程の飛行の後、最初の目的地カーリッシュに到着した。
ヴィンドボナと東方辺境領の中心都市クラドノを結ぶ街道を、コニンで南に折れて150リーグ程入った所にあるローゼンハイム卿の領地である。

この辺りはまだまだ人間と亜人の交ざり合った地域であるので、卿の館も立派な城壁で覆われていた。
所々崩れ落ちており、今まで放置されていたのが歴然としている。

ただ、その崩れ落ちた城壁の一ヶ所で修復を始めている一団がいる。
ご主人さまはライトニングを誘導し、その一団の正面に着地させた。

一団から一人抜け出して、ライトニングから降りようとしていた私達の側に歩み寄る。
傭兵団のファイトさんだ。

「ようこそ、カーリッシュ城へ、アウフガング傭兵団コンラート・ファイトです」
そう言ってファイトさん、大げさに頭を下げて来る。

知ってるよ、お前に言ったんじゃない等の小声が聞こえて来るが聞こえない振りをするのが淑女の嗜みと言うものだ。



ふと、ローゼンハイム卿を見ると何も言わず城壁を見つめている。

「お養父さま?」
返事が返って来ない。

も一度呼び掛けようかと思ったが黙ったままの方が良いと思い、何も言わす横に並ぶ。




「三年…、三年掛かった…」
やがて、卿の口から言葉が零れる。

「ほら、あの入り口からこの辺りまでと外郭の土台作りが一年目、二年目で上部に取り掛かり完成したのが三年目だ」
私は頷くだけで何も言えない。

だって、卿の声は悲しみに満ちていたのだ。


「その間に館の整備、道の補修、亜人との戦闘…」
卿は、息を大きく吐き出す。

「色々あった…、苦しい事ばかりが思い出される」
確かに卿の声は苦々しそうだった。

「だけど、私はその苦しさから目を背けてしまったのだよ」



「お養父さま…」
何を言えば良いのか、ゼルマには思いつかない。


「確かにあんたは、逃げ出した」
はっと気が付くとご主人さまが後ろに立っていた。

「俺にはそれのどこが悪いのかさっぱり判らない」
ご主人さまが、私とは反対側に立って、ローゼンハイム卿を見る。

「人は何時でも、途中で投げ出すな、最後まで遣り遂げろって言うけどな」
ご主人さまの声は呆れたような響きがあった。

「でもな、それも程度問題だ。何でもかんでもやれば良いってもんじゃない」
ご主人さまは、辺りを見回しながら続ける。

「貴族の責任、誇り、そんなもんの為に、十分な支援も得られないまま無闇に続けるものか?」
そこで、ご主人さまは卿にほほ笑み掛ける。

そう、それは私達全員が大好きな笑顔だ。


「それに、例えどんな理由であれあんたは戻って来た。何年経とうが遅い事はない。
 またやれば良いんじゃないかと、思う訳ですよ」
最後は何時も照れたような言い回しになるのも、ご主人さまらしい。



「ありがとう…」
卿の声は、震えていたけど、そこには覚悟があると、少なくとも私は感じた。




ファイトさんと、段取りを打ち合せした後、再びライトニングに登り込み次の地点を目指す。

とにかく、ご主人さまの転移魔法は座標を登録する為に一度はその地を訪れる必要があるのだ。
だから、今回の旅で座標が確立すればご主人さまの転移が可能となる。

要所には固定ゲートを設ければ、私やローゼンハイム卿がこちらに転移するのも可能となるのだ。




カーリッシュから南西に一時間、大体百リーグ程離れた地点辺りまで飛んで来た。
東方辺境領でもこの辺りは最早、その領地の外に当たる。

この方角では、ローゼンハイム伯爵領が一番外側にあり、その向こうは未開拓地。
逆に言えば、人の手が及んでいない地域だ。

「多分この辺だと思うのだが…」
ご主人さまが、ぶつぶつ言いながら、ライトニングに指示を出す。

眼下の地形は、段々盛り上がり山まで行かないにしても、丘陵地帯が連なっている。
その中、ライトニングが指示されたらしい地点に向かってゆっくり下りて行く。

地上に降りると、ご主人さまが杖を振り術式を展開される。
どうやら、地底を探っているようだ。

暫くそうしていたが、首を振りも一度全員にライトニングに登り込み移動する。



「一体、何が眠っているのだね?」
「もう少し待って下さい、多分見つかると思いますので」

ご主人さまが、秘密めかして言わない。
私とヴィオラは聞いているが、本当かどうか眉唾ものの話だった。


二箇所目も何も無かったようで、流石にご主人さまも少し焦りが見られる。


更に、南に下がり再びライトニングは下降する。
降りると、二箇所と同じように杖を振るご主人さま。


だけど、今度は当たりらしい。

「あった…」
そう言うと両手を叩き、握りこぶしを向けて来る。


流石に、本当なら大変な事になる。
ドキドキしながら、ご主人さまの様子を伺う。


全員を少し下がらせ、ご主人さまが術式を構築し出す。
地底の目標当たりを探り、そこまでの土を必要な範囲だけ砂に変えて行くのだ。

そうして、目標物にレビテーションの魔法を掛け、浮き上がらす。
砂を潜るようにして、それが地底から上がってくるそうだ。

このやり方は、前にご主人さまが自分の領地で井戸を掘った時の応用だと教えてくれた。


直ぐに地面が盛り上がり、大きな石のような塊が地上に現れる。
ご主人さまは、慎重にその塊を地面に横たえた。

私とヴィオラは開いた口が塞がらない。
本当に、本当に地中から出てきたのだ。


「こ、これは?」
ローゼンハイム卿は、良く判らないまま聞いて来る。

でもご主人さまに聞いていた私には判る。
そして、この石の塊のどこを見れば良いのかも。

大きな石の塊の所々に、微かに光る部分。
それは、確かに銀色だった。



「これが、ローゼンハイム伯爵家の富の象徴です」
そう、これが見つかったからローゼンハイム卿はヴィンドボナで復活するのだ。


「銀鉱石です、多分この当たり一帯にかなりの埋蔵量が期待できるでしょうね」




まさかそれが、ご主人さまのあちらの世界での知識である事など、知りもしない私達は唖然としてその石の塊を見つめるだけだった。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(鉱山開発)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/10/17 10:07
ローゼンハイム伯爵が、妙齢の女性を引き連れ様々な処に顔を出している。
それは噂としてヴィンドボナの貴族社会の間に瞬く間に広がった。

有名な歌劇の新作が上演される事となったオペラハウスに、鮮やかな馬車が現れるだけでも興味を引かざるを得ない。
しかもその馬車から降りてきたのは、深紅のドレスを纏った美女となれば、どこのお嬢様かとチェックが入る。

馬車から降りた美女は優雅にエスコートされ、特設の桝席に入って行く。
そこは、どれだけ金を積もうが容易く手に入らないとされている超VIP用の桝席である。

それがローゼンハイム卿と、その養女と判るのにそんなに時間は必要なかった。



帝都の一画、高級ホテルや店舗が並ぶ一角。
鮮やかな馬車が、宝飾店の前に止まる。

馬車から降りて来るのは、ローゼンハイム卿とその養女。
どうやらネックレスを探しているらしい。

上客と見て、オーナーは秘蔵の三品を養女の前に指し示す。
どれも一品物としては、優劣がつけ難い程、素晴らしい物である。

彼女も選択出来ず、困り込んでしまう。
するとローゼンハイム卿は、仕方ないと三つとも買い取ってしまわれた。

そんな、噂が貴族社会の中で駆け巡って行く。



ローゼンハイム卿が、新たな屋敷を購入したらしい。
その屋敷は僅か一ヶ月程で、全く新築の屋敷に化けてしまったそうだ。


見たことも無いような鮮やかな馬車。
如何にもお金を掛けましたと言わんばかりの屋敷。



卿を知る人間にすれば、何をどうすれば先日まで落ちぶれ果てていたローゼンハイム伯爵が、そんなに金持ちになれるのか。
どうして卿が、あのような美しい養女を連れているのか。

ヴィンドボナの上流社会の中で、その事が噂として囁かれるようになるのに必要な時間は思いの他短かった。






「何? ローゼンハイムからお時間を頂けないかだと?」
ドルニィシロンスク東方辺境伯アルブレヒト・キルンベルガーは、屋敷を訪れたメッセンジャーボーイの言葉に考え込むように応じた。

同時に渡されたローゼンハイムからの手紙にも同様の内容が書いてある。


「良かろう、何時があいておるか?」
その場で執事にスケジュールを確認させると、三日後ならば時間が取れるとの事だった。

メッセンジャーボーイはその返事を持って帰っていった。


ふむ…
一人になったアルブレヒトは、考え込むように黙り込む。

ローゼンハイムは、若い頃伯爵として東方辺境領、確かカーリッシュの辺りに移って来ていた。
アルブレヒトも、その頃に会った事はある。

あの頃は話の判る中々出来るやつだと思っていたが、五年もするとそれは失望に変わったのを覚えている。
ヴィンドボナから領地に戻る事も無く、帝都で遊び呆けているどうしようもないやつだった筈だ。


東方辺境領は、広いばかりで見入りの良い地域ではない。
有力貴族も少なく、どちらかと言えば小貴族が自分の立場を上昇させる為に必死になって努力する場とも言うべき処であった。

そんな中ある程度の領地を所有する伯爵と言う事で、期待を掛けていた分、落胆も大きかった。


あの頃とは違い、ローゼンハイムはアルブレヒトの中では既に過去の人物だった。
ところが、最近彼の噂を耳にしたのだ。

どうやら、復活したらしい。
一度どん底から立ち上がった人間は強い。

それだけに、今度は使えるやつになるかと期待はする。
そう思い、カーリッシュ辺りに探りを入れさせてみた。

確かに、城館の修理が行なわれている。
城館から南西に、道路修復に取り掛かっていた。


その動きは、非常に好ましいものである。
アルブレヒト自身の領地ではないにしろ、有事には辺境伯の傘下に組み入れられる有力伯爵家が裕福になるならば、何も問題無い。

ところが、報告には不審な点が挙げられていた。
ローゼンハイム卿の領地は、本来十程の村落から成り立っていた。

今回探らせたところ、その内現在も残っているのは三分の一程の四つの村落だけであった。
残りは既に廃村と化していたのだ。

そして、残りの四つの村も殆ど税収が納められていないらしい。
そんな貧相な村ばかり残っているのだ。

そして、この四つの村から村人が集められ、道路修復にかかりっ切りになっているのだ。


おかしいのだ。
道路修復や城館の修理に村人を借り出したにしても、ただで出来る訳は無い。

ローゼンハイム本人は帝都にいて、新しい邸宅を購入し派手な暮らしをし始めたと言う噂だ。
当然、それにも金が掛かる。

問題は、ローゼンハイムがどこからその金を手に入れたのかだ。



アルブレヒトは、北方辺境伯であるシュタインドルフ辺境伯が話していた事を思い出した。
北方辺境領であるボモージュ地方の海岸沿いの漁村と農村一つに、新しい男爵が赴任してきたそうだ。

赴任と言っても新たに任命された訳ではなく、俗に言う金で男爵位を買ったケースだ。
どうせ、爵位だけ手に入れて帝都で遊んで暮すのだろうと大して期待もしていなかったそうである。

その気持ちは、同じ辺境伯として良く判る。
大して伸びが見込めない村を買い取って、爵位を得るやつに大したやつはいない。

確かに、ある程度の投資を落としてくれればありがたい程度に考えておくレベルだろう。


ところが、こやつは違った。
何を思ったか、狭い領内の道路の整備をイの一番に始めたのだ。

更に道路整備は、領内からポモージュの中心都市であるコウォブジェクまで行ないたいと言って来たのだ。
一体、そんな金をどこから出してきたのか不思議だったが、取り合えず辺境伯としての立場もある。

仕方なく、一部を負担して彼にやらせた処、短期間で立派な街道が彼の村クジニツァまで整備された。
そしたら、何が起こったと思うかね。

あの時シュタインドルフ卿は、面白そうに言ったものだ。
「あやつ、クジニツァの港の整備もやっておったのだ」

そして整備したクジニツァの港に、帝都からの荷物を積んだ船が着く。
荷物はそこから整備された街道をひた走り、あっという間にコウォブジェクに着くのだ。

お陰で、急ぎの荷物等はこれまでの岬の反対側の港に送るよりも、彼の村クジニツァ経由の方が使われる事が多くなった。
彼自身は、維持費に当たる程度の港の使用料を徴収するだけである。

それでも村人にすれば仕事が増え、村が豊かになると言う効果は大きい。
「それだけじゃないぞ、驚いたのは」

最初から資金が豊富だと思っていたのだが、その理由がなんと本人が東方から流れて来た男だったせいらしい。
港が整備され、年一、二回だけらしいが、東方から北方の氷の海を越えて船が着くようになった。

四百万リーブルにも満たない船舶であるが、耕具とか小麦を運んでくるのだ。
お陰でクジニツァやオリーヴァと言う彼の領内の村は、今ではボモージュ地方でも一二の裕福な村になっている。


シュタインドルフ卿は、更に興が乗ったように話してくれた。
あやつは、道路整備を行なった連中を専属化して、道路整備の専属集団を作り上げたのだ。

この連中は一応彼が雇っている傭兵団の一員と言う形になっているが、そのスキルは高くお陰で道路の整備が面白いように進むのだ。


「まあ、バルクフォンと言う男だが、中々面白い奴じゃよ」
そうシュタインドルフ卿は、話を締めくくった。



ローゼンハイムは、元々アルトシュタット出身の貴族なので、バルクフォンと言う男と違い資金面での宛がある訳ではない。
それでも、最初に道路整備から始める等と言うたわけた事をしている点で同じである。

一口に道路整備と言っても簡単なものではない。
費用も手間も並大抵ではない。

いくら、ボモージュ地方が平地とは言え高低差はある。
道幅は馬車が通れる位は合っても、途中速度を極端に落として走らねばいけない所もある。

水捌けが悪い所、轍の深い所等整備すべき所は枚挙の暇すらない。
彼等は土のメイジと平民の組み合わせで、この様な街道を短期間で整備してしまうのだ。

それ故、今まで領内の村人を徴集して行なわせていた道の整備を彼等に依頼する領主が増えているのだ。


なるほど、そんな仕事もあるのは聞いた事はある。
しかしそれは皇帝や選定侯が音頭を取って行なわれる大規模な道路整備が主要な仕事場であり、一領主の要望に応じて行なうなんで聞いた事は無かった、

報告に依れば、今現在ローゼンハイム卿の領地にて行なわれているのは、それの真似事の様なものだ。
残った村から、村人を雇い入れ道路整備を行なわせている。

資金をどうやって工面したかは判らないが、一番の問題は整備されている道の目指す方向が見当もつかない。
明らかに南西方向、その先は亜人のテリトリーしかない。

とにかく、三日後か。
東方辺境伯アルブレヒトは、大きく溜め息を吐くのだった。





馬車の中で、ゼルマは緊張のあまり、息をするのも辛い程だった。
一応、執事と言う事でご主人さまもついて来てくれてはいるが、ドルニィシロンスク辺境伯と会う時は、ローゼンハイム卿と二人きりだ。

「そんなに緊張しないで落ち着いて、俺の声が聞こえるだろ」
「あっ、ハイ…」

少し大きめのイヤリングから、前に座っているご主人さまの声が聞こえて来る。
腰の後ろに目立たない様に取り付けた、黒い箱型の魔道具がご主人さまの囁き声を増幅して伝えてくるのだ。

「私も聞こえているわよ~、頑張ってね~」
今度はアンジェリカが励ましてくれる。

彼女はバックアップ要員として、屋敷の外の専用馬車の中で待機しているのだ。
ゼルマが胸元に取り付けた『高性能マイク』と『超小型カメラ』言う名の魔道具。

それがゼルマの正面で行なわれる事を余す事なく、馬車で待機するアンの前にある『モニター』と言う魔道具に映し出すのだ。
これによりゼルマやローゼンハイム卿に対していざという時には的確な助言が出来るように、ご主人さまとアンジェリカが待機している。

うん、私は一人じゃない。



「皆、ゼルマ頑張るから」
ドルニィシロンスク辺境伯の館に入りながら、ゼルマは自分自身に気合いを入れるように返事を返すのだった。



「お久しぶりです、ドルニィシロンスク辺境伯」
ローゼンハイム卿が、辺境伯に挨拶するのに併せてゼルマも軽く頭を下げる。

「良く来た、ローゼンハイム」
迎え入れた二人に対して、伯は目線で卿にゼルマの紹介を促す。

「ああ、私の娘になりました、ゼルマです」
「初めてお目にかかります、ゼルマ・ローゼンハイムと申します」
スカートを摘み揚げ腰を落として挨拶をする。

「私には、子供がいませんので彼女にローゼンハイム家を継がそうと考えております」
ローゼンハイム卿が訪問の理由の一つを語る。

伯は驚いたような顔を一瞬だけ見せる。
確かに、伯爵位を女性に継がすと言うのは珍しい。

まあ、女伯爵がいない訳ではないので、あくまでも珍しいと言う事だ。

「そう言う訳で、ゼルマには後学のために、連れまわしております」
卿は、暗にゼルマの同席の許可を求める。

「なるほど、それならば色々学ぶ事もあり大変だろう」
別にいても構わないとの事なのだろう。

ゼルマはまずは一安心である。
男性中心社会である限りに於いては、同席を嫌がる人がいない訳ではない。

少なくとも、アルブレヒト・キルベンガー東方辺境伯はそこまで極端な差別主義者ではないらしい。


「近々娘のお披露目パーティーを開催する積りでして、その前に辺境伯にお会いさせて置きたくて、お邪魔させて頂きました」
そうか、それは是非とも寄せていただこう、いや日取りが決まったら連絡して欲しいとの返事を得る事が出来た。

ただ、これだけでは社交辞令にしか過ぎないのはゼルマも承知している。
今後の計画の為には、是非とも出席して貰わなければならない。

最もこれから卿が提出する爆弾が爆発すれば、間違い無くお見えになるだろう。


ゼルマ嬢は、中々お美しい方だけに、殿方も放っておくまい。
縁談も引く手数多であろう、いやいや中々娘は結婚したがりませんで。

そんな雑談とも言えない会話が続く。



「最近は、卿とご息女が帝都の話題に上がっているのはご存知かな?」
「いえ、そんな事があるのですか」

伯の方から気になる話題を振って来た。
確かに、ここ二、三週間、様々な場所に顔を出した甲斐があるというものだ。

「ああ、妙齢の女性を卿が引き連れていると言うのは姦しい御婦人方の話題に上がっているようだ」
辺境伯がそう言い、少し固い表情を浮かべる。

「私も少し興味があるな、ローゼンハイム卿は失礼だが最近まであのような場所に顔を出されてはいなかったように思うのだが」
言外に、どうして今の状況があるのか教えろといっているようなものだ。

「確かに、恥ずかしながら私自身困窮しておりましたからな」
苦笑を浮かべながら、そう言うローゼンハイム卿。

流石に、ゼルマではこのような人物の前で、平然と言い返すのは出来そうに無い。
卿は、身を乗り出すようにして、伯に迫る。

「実はですね、こう言うものが私めの領地から出ました」
そう言って、卿は予め用意してあった、小さな石のかけらをテーブルの上に置いた。



一見すると黒っぽい石の塊にしか見えない。
ただ、よく見ると所々銀色の線のようなものが見えない事もない。

「これは?」
辺境伯がその石を手に取り聞いて来る。

「針銀鉱と言う銀の鉱石です」
ローゼンハイム卿がなんでもないように、言ってのける。

私では、とてもじゃないがそこまで普通の口調では言えなかっただろう。

「どうやら、カーリッシュの南方で銀が採れるようなのです」
辺境伯は驚いた顔で、ローゼンハイム卿を見つめる。



「そ、それは尋常じゃないな」
何とか驚きを抑えた伯が、ローゼンハイム卿に言い返す。

確かに、銀が採れるとなると、卿の領地の価値は全く違うものになる。
辺境伯の態度も変わるであろうと言うのが、皆で話し合った結論だった。

ゼルマはそれを今、目の前で実感していた。

「領地内だけですと、まあ私がこのように優雅に生活出来る程度ですかね」
「と言うと?」

辺境伯の視線がきつくなる。

「知人の山師が、銀鉱脈を見つけてくれましてね、彼は更に周辺を探査し続けたのですよ」
卿が説明を始める。



卿が銀鉱脈見つけたのは、既に廃村になった村から少し南に下った地点であり、その先は未開の森林が広がる地域である。
どうやら、銀鉱脈は南と言うよりも南西に広がっていたらしくて、そのメイジの山師が見つけたのは更に百リーグ程奥である。

ただ、カーリッシュはどちらかと言えば東方辺境領でもヴィンドボナに近い。
南に下る限りは、亜人等も住む未開の森が広がっているが、西に進めば皇帝直轄領へと入ってしまう。

基本的に開拓した地域は、その領主のものとなるのであるが、この場合は物が物だけに非常に難しい問題を含んでいる。
銀が採れるとなれば、後からそこは皇帝直轄領であると言われてしまいかねない。

「まあ、吾が領地の銀鉱脈は、既に買い手が付きまして開発もそちらで行なって貰う事となっております」
ローゼンハイム卿が、更に釣り糸を垂れる。

「その先の未開の森林の奥にある銀鉱脈の開発にご協力頂けないでしょうか」
そう、卿自身でそちらの鉱脈の開発を行なった場合、皇帝直轄領として取り上げられる可能性がある。

それならば、予め東方辺境伯自身が探索して見つけたものとしてしまえば、少なくとも内府も下手に手出しが出来ない。

「なるほど、そういう事か…」
辺境伯は納得が言った顔で、椅子に深く腰掛け、吐息を吐く。



「はい、現在領地では、南西に向けて道路を作り始めています」
「その地点へ行ける唯一の街道が東方辺境領側からしか行けないとなれば、説得力も増えると言うものだな」

卿は、何も言わず頷く。

「しかし、私の依頼にて探索を行なったとした場合、銀鉱山は卿の物とは言い難くなるのではないか?」
構いませんと、卿は断言する。

元々、領地で見つかった鉱脈だけで十分見返りがある状況である。
更に、銀鉱脈を卿自身が開発するとなると、周りから要らぬ嫉みを受けるだけである。

「お分かりになりませんか? 現在整備している街道は、間違い無く私の領地を走り抜けて行くのですよ」
そうこの場合、銀山までの道筋が全てローゼハイム卿の領地となる点が大きい。

銀鉱山を採掘して得られる利益は大きいが、一伯爵がそれを独り占めに出来る可能性は低い。
それよりも、十二選帝侯に次ぐ東方辺境伯自ら経営する銀鉱山、そしてその周辺を管理する伯爵家と言う構図。

これならば、直接的な利益は低くとも、十分な利益が得られるであろう。

「ふむ、それで良いのか?」
「構いません、それに銀鉱脈があるとは言え、そこから精錬し銀とするまでの行程を考えると大規模な先行投資が必要となるでしょう」

確かに、銀鉱脈がある事を証明出来れば、設備投資の金は集まってくるであろう。
とは言えローゼンハイム伯爵家では、余りにも信用力がなさ過ぎる。

これに対して、東方辺境伯の肝いりでの設備投資ともなれば、資金繰りも全く違ってくるのだ。
実際問題、悲しいかな元々没落寸前であったローゼンハイム家が銀鉱脈があるので、その設備投資の金を貸してくれと言えば商家は詐欺にしか思えないであろう。


「成程、悪いが理には適っているな」
東方辺境伯が、頷く。

「しかし、卿が私を騙しているとも考えられないか」
「どこぞの選帝侯じゃあるまいし、私が辺境伯を騙してどんな利益があるとお思いか?」

ローゼンハイム卿が、苦笑いを浮かべながら伯に説明する。
申し訳ありません辺境伯、貴方を騙して利益はあるのですよ。


「判った、可能な限り協力しよう」
辺境伯は立ち上がり、ローゼンハイム卿と握手をする。


少なくとも、計画の第一段階は、無事動き出した瞬間だった。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(ボーデ商会)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/07 17:58
カイザー大通りの大広場近くに位置するボーデ商会は、ゲルマニアでも有数の豪商である。
主に穀物の取引を中心に堅実な取引を行なう事から、顧客の信頼も高く取引先はゲルマニア全土に及んでいる。

両替商ではないが、諸侯の要望に応じて次年度の収穫を担保に資金の融通も行なっている。
ただ堅実が旨のボーデの場合、貸付額も限度があり、その為の査定も厳密である。

これに対して、通りを挟んで本店を構えるランマース商会は逆である。
同じ穀物を扱いながらも、投機的な買い占め、リスクを超えた貸付等も平気で行なう。

諸侯の家令達にすれば、通常の資金ショートが見込まれるならボーデ、出兵等どうしてもある程度大量の資金が必要な場合はランマースと言うような住み分けが出来ていた。



ちなみに、金融業としての銀行はあちらの世界と違いハルケギニアには存在しない。

バンカーとは、投資者を募り資金を集め、特定事業に投資する商会である。
決して、諸侯が金を借りる機関ではないのである。

両替商は、各種ギルドを通じて融資は行なうが、貴族が金を借りる機関では無いと言うのが建前である。
まあ、両替商から金を借りるとなると、収穫を担保に融資を受けるのとは比べものにならない程利息が高いのが一番の理由なのだが。



とにかく、堅実なボーデ、ハイリスクのランマースと言う形である意味バランスの取れていたのがこれまでのゲルマニアであった。
ところが、ここ数年この体制が崩れ出していた。

ランマース商会の躍進である。
これまでは、どの諸侯でも価格さえ折り合いがつけばボーデ商会も穀物を買い取る事が出来た。

ところがここ数年、取引が出来ない諸侯が出てきているのである。
そう、ブッフバルド公爵の息の掛かった諸侯である。

それら諸侯の家令達の多くは、申し訳なさそうに頭を下げながらボーデとの取引を断って来る。
そして、ランマース商会が専任になった事を告げるのだ。

勿論これまでも、この様な例がない訳ではない。
逆にボーデが専任を取ることもあった。

諸侯の中には収穫の一切の処理を商会に丸投げする者すらいるのだ。
しかしながら、その様なケースは何年間もの実績に基づいて行なわれるものであり、近年の事態は明らかに異常だった。


裏で何か行なわれている。
ボーデ商会もそれに気付かない筈もない。

ランマース商会とブッフバルド公爵の異様な程の親密さ。
ランマース商会の強引過ぎる穀物市場への介入。

アルトシュタット領、オッフェンバッハ領の二つの選帝公領で穀物が異常な程高騰する。
通常ならば、他の地域から安い穀物が流入する事で鎮静化する筈の高騰が、ランマース商会の独占の為継続する。

逆に暴落する時は他地域よりも遥かに極端に下落する価格。
どう考えてもおかしいのだが、ブッフバルド公爵に逆らってまでそれを正そうとするものはいない。

ボーデ商会を筆頭に、他の穀物商達は政商の誕生を苦々しく見守るしか手はなかった。







「やっぱりそんな事ですか」
目の前に腰掛ける大馬鹿者がうんうん頷いている。

ボーデ商会会頭ディートヘルム・ボーデは呆れたように男を見つめるのだった。



最近は、月に一二回は泊まり掛けで遊びに行く程親しくなった男だが、まだ付き合いは一年も経っていない。
ただ最初から、面白い男だと思っていた。

真剣にハーレムを作るつもりだと聞かされた時は、どれ程馬鹿者か顔を見てやる程度の興味だけだった。
ところが、大馬鹿者の持ち込んだ小麦を見て驚かされた。



有り得ない。


あんな小麦は見た事は無かった。
一つ一つの粒が信じられない程詰まっており、大きい。

精製してしまえば、ただの小麦粉だが、同じ分量でも既存の小麦とは上質の小麦粉が採れる量が明らかに違うのだ。
直ぐに判る、これはゲルマニア、いや、ハルケギニアで採れた小麦では無いと。

こんな小麦が栽培出来れば、ゲルマニアの穀物市場は全く違うものになる。
いや、ハルケギニアの穀物市場そのものを席巻出来るであろう。

それ程の小麦を大馬鹿者はこのボーデの前に持ち込んだのだ。
上手く扱えば一財産、いや巨額の利益を得る事も可能である。

持ち込んだ小麦を種に新たな小麦を栽培すれば、何倍もの利益が得られるであろう。
それにも関わらずこの大馬鹿者は、宝の山を普通の小麦の販売価格で売ると言う。

本当に何も知らない愚か者なのか、それともそれが判っていて行なっているのか。
不思議に思いそれとなく確認した所、判っていてやっている事を知り更に驚かされた。

本人曰く、多分まともには育たないのではないかとの事である。
余りにもゲルマニアが寒すぎ、この小麦の栽培には向いていないのと事。

土地が痩せていて、ここまでのものはまず出来ないと言うのだ。
それが判っていてこの小麦を売りに来たのだ。

どこからこの小麦を手に入れたのか。
本人は東方の産だと言う。

それならば、どうやって運んできたのか?
北方のルートを開発し、運んできたとの事だった。

もし、万が一それが事実ならば、ゲルマニアの歴史を変える一大快挙である。
東方に国がある事は、知られていたが間にエルフの住むサハラがある以上、殆ど交易は行なわれていない。

それが、可能となればそれだけでも更に大きな利益が発生する。




そして、それらの全ての可能性があるにも関わらずこの大馬鹿者は、そのような可能性に見向きもしない。
そう、単に、本当に単に、自分の小さな世界、ハーレムを作る為だけに資金集めをしようとしている。

どれ程馬鹿なのか。
ディートヘルムは呆れるしかなかった。

しかし同時に、更に大馬鹿者に対して興味が湧いて来た。
大馬鹿者の屋敷に直接乗り込んだ。

大馬鹿者は、本当にハーレムを作ろうとしていた。
ああ、ディートヘルム自身も面白がって、候補者を山ほど送り込んだのも事実だ。

それでも送り込んだ娘達も含め、全てが明るい目をして迎えてくれると言う更に信じられない目にもあった。
そして、ディートヘルムは気が付いた。

屋敷の調度品、様々な機器、これがハルケギニアのものではないと言う事実に。
魔道具と説明されたが、客室に置かれたポットと言う機器一つとっても、途轍もない代物である。

水洗トイレ、浴室、厨房の各種機器。
食事にて出される、聞いた事も見たこともないような食材。

そう、全てが規格外、そしてそれら全てが自らが快適に過す為だけに存在している。
これらの幾つかを外に広めるだけでも、更に大金持ちになる事は容易いだろう。

だけど、この大馬鹿者にはそんな気は無い。




落ち着いて話をすれば、遥かに自分の方が年上であるにも関わらず、まるで数百年も生きているかのように豊富な知識。
平民のディートヘルムには良く判らないが、メイジとしての実力はどうやら桁外れらしい。

実際に不可思議な魔法も使えると言うのも、段々判ってきた。
例えるなら、それは満腹の猛獣の檻の中にいるようなものなのだ。

満腹である限り、襲われる心配は無い。
だけど、猛獣が襲う気になれば、自分では太刀打ち出来ないのは自明の事だった。

しかし、この大馬鹿者は決して襲う気にならないのだ。
そう、自分のテリトリーにあえて踏み込まない限りは。


そこまで納得出来るのに、ほぼ一年の月日が流れている。
だが、それでもまだまだ興味は尽きない大馬鹿者である。



そして今日、アルバート・バルクフォン卿は、ボーデ商会の事務所まで態々面会に来て言ったのだった。

「ランマース商会を潰しますので、手を貸して下さい」
ディートヘルム・ボーデは、呆れながら大馬鹿者に現在の状況を説明したのだった。




「それじゃ、ランマースを潰すのに協力をお願いできますね」
大馬鹿者が説明を聞いた後で、そう言ってくる。

「ああ、もしそれが実現可能であればだな」
ディートヘルムが条件を告げると、今度はアルバートが説明を始めた。



やる事はランマースが、アルトシュタット領とオッフェンバッハ領で行なっている事と一緒である。
それを、他の穀物商も巻き込み、ゲルマニア全土で実施してくれと言うのだ。

ただ一つ違う事は、ランマースが行なう事の反対の事を全土で実施する点である。
すなわち、アルトシュタット、オッフェンバッハで小麦が高騰すれば、他地域では供給を増やして価格を暴落させる。

逆に、二領での小麦の価格が低ければ他地域での小麦の供給を減らし価格を上昇させる。
これを二三回繰り返せば、ランマースは潰れると言うのである。

「そんなに簡単に潰れるかね?」
ボーデは懐疑的に聞き返す。

「普通ならそう簡単には潰れんでしょう。
 しかしながら、ランマースが押えていると思っている領内の小麦が他の商会、例えばボーデ商会に買い取られればどうなりますか」
アルバートはにやりと笑いながらそう言ってくる。

アルバート曰く、ブッフバルト公爵に恨みを抱くものはかの領内でも多数いるのだ。
表上は、公爵の目があるのでランマース商会にしか小麦は売れない。

だけど、それがばれなければ他の商会に売りたいと考えている諸侯はある程度いるのだ。

「あー、少なくともアルトシュタットの某バラ系統の侯爵家の一族、それとは別の伯爵家が一件は確実に裏取引に応じます」
それに、いざとなればランマース商会のふりをして、小麦を買い取っちゃいますからね。

中々大胆な発言をする大馬鹿者だ。
だが、彼がすると言えば十中八九出来るのであろう。

成程、ゲルマニア全土での小麦の価格がランマース商会の思惑とは反対の方向に動けば、商会の利益は少ない。
そんな状況の中、手に入る予定の小麦がランマースに届かなかったら…


うん、確かにボーデでも潰れかねない。




「ところで、アルバート、どうしてランマース商会を潰したいのだね?」
大馬鹿者が潰すと言う以上、ディートヘルムに異存は無い。

むしろ、積極的に潰すのに賛同する立場である。

「いやあ、ボーデさんもご存知でしょう、家のマスターメイドのゼルマの事」
大馬鹿者の返事は、そうではないかと期待した内容だった。

曰く、ゼルマの親爺さんはブッフバルト公爵に嵌められて獄死したのだ。
それは、ディートヘルムも承知している。

アルバートには悪いが、彼の処にいる女性に悪い虫がついていないかの確認は当の昔に終わっていた。
その中で、ゼルマの件は直ぐにあたりが付いていた。

大馬鹿者は、ゼルマが可哀相だと言うのだ。
何とか復讐を果たしてやりたいと言う事だ。


うん、やはりこいつは大馬鹿者だ。


自分のハーレムの構成要員の一人の復讐のためだけに、ゲルマニアの最有力者の一人に喧嘩を売ろうとしているのだ。




だけどそれを、わしは決して嫌いではない。










「で、全体ではこう言うような計画を考えています」
アルバートが計画の概略を語ってくれた。

まあ良く考えたものだと感心する程の計画が出来上がっている。
所々穴があるが、それはわし等が補ってやれば良い。

ボーデの役回りは、ランマース商会の壊滅。
それと、エアフルト侯、ヴュルテンベルグ侯、メクレンブルグ侯の三選帝侯の取り込みである。

アルバート自ら味方に付けたニーダザクセン侯であるホルシュタイン公爵。
ポモージュ北方辺境伯よりの伝で既に取り込み済みの、アンハルト侯。

そして、東方辺境伯よりの働きかけでこれから取り込む予定のマルコマーニ侯、シュタイアーマルク侯。
十二選帝侯の内、七公爵までもを取り込んで、事を成そうとしている。

ザールラント侯はこれまでの確執があるのて、間違い無くアルトシュタット侯であるブッフバルト公爵とは敵対関係である。
ニーダザクセン領とザールラント領に挟まれ、アルトシュタットに正対しているヴェストファーレン侯は、悪くても中立。

皇帝は、選帝侯の力が弱まる事は全面的に賛成。
これだけの状況を作り出せば、事が公になっても、ブッフバルト公爵がその権力で叩き潰そうにも身動きは取れまい。






「アルバート、お主は本当に大馬鹿者だな」
ディートヘルムはアルバートに告げる。

「へっ?」と言う顔でこちらを見つめる大馬鹿者。


「わしがそれを誰かに漏らさないと言う保障はどこにあるんだ」
大馬鹿者は、苦笑を浮かべながら言い返してきた。

第一に、この内容を他人に話して、ボーデ商会に何のメリットも無い。
商売敵のランマース商会の利益になるような行動をボーデ商会が取る理由があり得ない。。

第二にアルバートは、ディートヘルムとは短い付き合いだが、人となりを信じられる程は付き合っている積りだ。

そして第三に、この計画に乗ることによるボーデ商会の利益は計り知れない。


「まあ、少なくとも利益が十分に見込める間は、人はそう簡単には裏切りませんよ」
だから、最終局面ではどうなるかは判りませんけどね。

最後は独り言のようだが、ディートヘルムにもはっきりと聞こえた。


「それに、ある程度計画が漏れた場合、ブッフバルト公爵はどうすると思います?」
「うん、まあその裏を欠こうとするだろうな」
ディートヘルムは答える。

そう単純に潰すと言う選択肢よりも、計画に乗じてブッフバルト卿の利益になるように対応するであろう。

「ですよねー、それがみそなんですよ」
何が言いたいのか良く判らない。

「ブッフバルド公爵が、万が一でもそう動いた場合、それがこちらに筒抜けになるように仕込んであるのですよ」
アルバートは得意そうに言ってくる。


そこまで計画に組み込んでいるとは、大したものだと思う。
どう考えても、その目的が自分の愛妾の復讐の為だけだと言うのが、他人には信じられないだろう。

まあ良い、大馬鹿者の計画に乗るのは何の問題も無い。


「ところで、一つ質問して良いか?」
ディートヘルムは一つ気になった事を聞いてみる。

「この計画は、お主が一人で考えたのか?」
「いや、ゼルマも含めマスターメイド全員も協力していますが」
やはりそうか。

「そうか、そうするとアンジェリカの意見がその中心だな」
アルバートの顔が、ギクリとしたように歪む。

ふむ、あたりじゃな。


大馬鹿者の愛妾の一人のアンジェリカ。
ディートヘルムも彼の屋敷に行く度に、一番良く話し込んでいるメイドである。

ふむ、彼女に商売と言うものを教えるのも面白そうじゃのう。

ディートヘルム・ボーデ、ゲルマニアの四大商人の一人と言われる男である。
ただ、彼の唯一の悩みはボーデ商会の今後を任せられる跡継ぎに恵まれていない点にあった。



これは、もう少し長生きしてみるのも面白そうじゃわい…



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(お披露目)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/07 17:59
次から次へと馬車が押し寄せてくる。
ローゼンハイム邸のゲートキーパーは、コーチマンと呼ばれる御者や馬丁達をも臨時に駆り出しその馬車の列を裁いて行く。

何せ、乗っている連中が連中だけに下手な扱いは出来ない。
馬車に示された紋章をすぐさま読取り、素早く降車位置を決めて行く。

数少ない公爵は、勿論正面玄関の真前。
次いで侯爵はその前後、それより遠い場所に付ける場合は執事もしくは、執事補のお出迎えの手配。

それを素早く判断して、馬車の誘導を行なわねばならない。
リフォームのなったローゼンハイム伯爵の屋敷で、盛大なパーティーが開かれようとしていた。


新たに、養女となったゼルマ・グラーフィン・フォン・カーリッシュ・ローゼンハイムのお披露目会である。
三百名にも上る招待者リストの中で、欠席の通知を送ってきたものは数える程だった。

それでなくてもヴィンドボナの貴族社会の中で、復活したローゼンハイム卿とその麗しの養女の噂は辺りを席巻していた。
しかも、後見人としてドルニィシロンスク辺境伯の名前が上がっている以上、等閑に出来るパーティーではない。


そして、欠席者が少ないのには、もう一つの理由があった。




「ふ、フリードリヒ、だ、男爵の馬車です!」
今までゲートキーパーに囁きかけていた魔道具から緊張した声が漏れる。

それを聞いた途端、彼は手早く車列を止め端に寄るように指示を出す。
並み居る諸侯の馬車が一斉に両脇に寄り、真ん中に一台通れる隙間が作られて行く。

ゲートキーパーが緊張した面持ちで見守る中、悠々と数台の馬車が正面玄関に向かって来る。
男爵が乗るには豪華すぎる馬車、しかもその前後に二台づつ護衛の馬車が続き、計五台の馬車が走り抜けて行った。

先程までは姿の見えなかった、竜騎士がいつの間にか上空を舞っている。
そう、フリードリヒ男爵が参加するパーティーに欠席する事は、余ほどの事が無い限りあり得ないのであった。



ふうっと、吐息を吐き出し、再び彼は動き始めた車列の整理を始める。


フリードリヒ男爵、これが皇帝アルブレヒト三世の偽名である事は、誰もが知っている事である。
皇帝が直接訪れるとなると、事が大仰になる場合にこの偽名が使われる。


誰もが知っておりながら、誰もそれを指摘する訳には行かない皇帝の行幸である。
正面に停車する馬車の位置も、微妙に難しい扱いが要求される。

仰々しく真正面に馬車を止める訳にも行かない。
かと言って、通常の男爵レベルの扱いでは許されない。

馬車は正面玄関に付けられるが、その位置は玄関から少し離れた所。
偶々、敷かれていた赤い絨毯を馬車が横切る形で止められる。

あくまでもフリードリッヒ男爵は、偶々下にあった赤い絨毯を歩くだけと言う体裁が整えられる。
そして偶然表に出て来ていた、元御学友のドルニィシロンスク東方辺境伯が友人と出会ったと言う顔で、彼を迎え入れる。




パーティー会場は、中央の大広間が使われていた。
当然、三百名にも上る招待客及びその同伴者が入る程大きくは無い。

人々は会場に入ると、主催者であるローゼンハイム卿と挨拶を交わし、そのまま中庭に広がる屋外会場へと流れて行く。
室内の会場に留まる事が出来るのは、伯爵以上の出席者のみと言う暗黙の了解のようなものが出来ている。


ざわめくパーティー会場の入り口で、ハウス・スチュワードが来客の到着を告げている。
「ポモージュ北方辺境伯、ギュンター・マルクグラーフ・フォン・ボモージュ・シュタインドルフ様の到着です」

一人一人の招待客の名前を正確に、大きな良く通る声で伝えて行くのだ。




その彼が、一瞬言葉に詰まる。



そして当りを見回し、更に姿勢を但し、その到着を告げる。
「フリードリッヒ男爵様の到着です」

会場内にざわめきが広がるが、頭を下げてハウス・スチュワードが下がると、緊張したような沈黙が辺りを包む。

「失礼致します」
それまで歓談していたローゼンハイム伯が突然会話を切り上げ、動き出すのを誰も咎める事も無い。

ゼルマも緊張した面持ちで卿の後ろに控えながら、入り口の扉を目指して行く。


三十代後半の長身の人物が、ドルニィシロンスク辺境伯と歓談しながら扉の前に現れる。
シーンと静まり返った中、フリードリッヒ男爵、いや皇帝アルブレヒト三世が一歩会場の中に足を踏み入れたのだ。


全員が軽く会釈をし、ゆっくりと頭を上げる。
一瞬の静寂の後楽団が再び音曲を奏で初め、全員が如何にも普通の事だという顔で会話を再会する。

しかし、実際には全員の目がフリードリッヒ男爵の挙動に注目しているのは疑い無かった。
その注目を一心に浴びているフリードリッヒ男爵に、ローゼンハイム伯爵はゼルマを引き連れて歩み寄って行く。




「これは、これはフリードリッヒ男爵、ようこそ御出で下さいました。 ホルスト・ローゼンハイムです」
ローゼンハイム卿が頭を下げ挨拶する。

相手は帝政ゲルマニアの最高権力者である。
粗相があっては行けない。

かと言って、アルブレヒト三世として扱う訳にも行かない。
あくまでも建前はフリードリヒ男爵なのだ。

本来ならば、男爵に対して伯爵から頭を下げる事はあり得ない。
だが今回は、ローゼンハイム伯爵がホストである故に許される。

「ああ、ありがとう、伯爵」
とは言え、相手は皇帝である。

そのぞんざいな口調に頭を下げながらも、苦笑いが浮かびそうになるのを伯爵は必死に堪える。

「で、そちらが、卿の息女かな」
男爵の興味は、既にゼルマに向いている。

「はい、自慢の娘でございます」
「ゼルマ・ローゼンハイムでございます」

ゼルマは優雅に、身体を折り曲げ挨拶を行う。
長身のゼルマが身に纏っているのは、茜色のドレス。

むき出しの肩に白いレースを羽織り、アップした髪が生えている。
その抜群のプロポーションにはどのような服装も似合うのだが、今回は特に念入りに仕上げられた出来栄えは見事の一言だった。

「ほおっ、美しいな」
褒められて嬉しく無い訳が無い。

しかしながらこのお方に褒められる場合には、ある意味大きなリスクが伴うのだ。
気に入った女性を側妃に迎え入れるのに、躊躇う理由など彼にはありはしない。


「ありがとうございます」
ゆっくりと顔を上げながら、その深い瞳で男爵を見つめる。

吸い込まれそうな大きな瞳、半開きの唇は微かに濡れた様な滑りを帯びている。
あちらの世界の口紅の輝きは伊達ではない。


(ゼルマ、や、やりすぎ、やりすぎ…)
辺りには聞こえない。
耳に付けたイヤリング型の魔道具から、彼女だけが聞こえる焦るようなご主人さまの声に、少し嬉しくなるゼルマだった。





(それじゃ~、カウントするからね~)
アンの声が耳に響いてくる。

(カウントダウン、3、2、1、今!)
微かに聞こえる声に併せて、ゼルマは身体を動かす。


「それでは、こちらに・・・あっ!」
男爵に飲み物を運んできたメイドが、丁度ゼルマの後ろを通り過ぎようとしたタイミングで、彼女の身体が回る。

そしてそのまま踏み出そうとした身体は、見事にメイドにぶつかった。



「ああっ!」
メイドの手に乗せられたお盆から、グラスが飛び上がる。
そしてそれは狙い済ました様に、男爵の足元に飛び散るのだった。

カシャンと言う音が響き、一瞬にして会場内の会話が凍りつく。
楽曲だけが、その後ろで流れている。



「これは、とんだ粗相を、男爵殿、こちらへ」
足元が少し濡れたか濡れない位の状態で、ローゼンハイム伯が素早く男爵を導く。

ドルニィシロンスク東方辺境伯がその後に続き、会場から退出して行く。
ざわざわと会場内に動揺が広がるが、残されたゼルマは、メイド達に簡単な指示を出し素早くその痕跡を消しさって行く。

出席者は気にはなるがどうする事も出来ないまま、ぎこちなくパーティーが続いて行くのだった。




「ふむ、見事なものだな、全く濡れてない」
一旦廊下に出た皇帝は、しげしげと自分のズボンを見ながら呟く。

あのタイミングでグラスが零れ、遠めで見ている限り足に飲み物が掛かったとしか見えない。
まあそんな事をしたら、良くて打ち首だろうが、これではそこまでの事は出来ない。



「申し訳ございません、お手間を取らせました」
ドルニィシロンスク東方辺境伯が、歩きながら頭を下げて来る。

「良い、中々面白いものを見せて貰った」
そう言いながら、皇帝はローゼンハイム伯が開いた扉の向こう側に消えて行く。

扉が閉められるとさりげなく、ロイヤルガードがその扉の前に立ち、警護を始める。
彼らは、何も見ず、何も聞こえないのが仕事なのだった。




「で人払いまでして余を呼びつけた以上、それなりの価値はあるのだろうな、アルブレヒト」
皇帝は、正面のソファに腰を下ろすと、辺境伯に対して言うのだった。

「はい、勿論です」
座っても宜しいかと許可を取り、正面に腰を下ろす辺境伯。

この御仁も、度胸はあるようだ。
若い頃、皇帝のいわゆる御学友と言う立場故に咎められないと言う訳ではないのだ。



「これをご覧下さい」
辺境伯の言葉に合わせて、ローゼンハイム伯が用意した石の固まりを机の上に置く。

同時に、地図を広げるのも忘れない。


皇帝の目が細まり、その石の固まりを見つめる。

「この辺りで、どうやらかなりの銀鉱脈があるようです」
アルブレヒトと呼ばれた、当方辺境伯は地図を指差した。

それはヴィンドボナから南西、東方辺境伯領と皇帝直轄領の中間地点を指していた。








皇帝の様子も気になるが、ローゼンハイム卿が戻られるまでは、ゼルマがホストを務めねばならない。

(その右の方はメクレンブルグ侯の下にいる伯爵だね~、一応Bランクの対応宜しくね~)
魔道具を通して耳元に、アンの声が聞こえてくる。

別室で会場の様子をモニターしながら、アンジェリカが指示を出してくるのだ。
目の前に現れる人物の詳細な情報と対応のランク、それらに従いながら、ゼルマはホストの役割を果たして行く。




(ゼルマ~、来たよ~、頑張ってね~)
アンの弾んだ声が聞こえてくる。

もう、別に楽しんでいる訳では無いのに、困ったものだ。



「シュテファン・グラーフ・フォン・ベークニッツ・アルベルト様、御到着です」
ハウス・スチュワードの声に、ゼルマは気を引き締める。

アルシュタット侯ブッフバルト公爵にも招待状は出されているが、まだ来てはいない。
皇帝ことフリードリヒ男爵が招待を受諾されたと言う情報は流してある以上、十二選帝侯全員が一度は顔を出す筈だ。

その露払いの意味も含め、アルベルト伯が来たと言う事であろう。
ゼルマは、礼を逸しない程度に話をしていた伯爵に頭を下げ、さりげなく扉の傍に移動する。

(入ってきたよ~、真っ直ぐゼルマに向かって来るよ~)
ゼルマは気が付いていない振りをしながら、傍の侯爵夫人と会話を続ける。

侯爵夫人が、近づいてくる男性に気が付いたように、視線をゼルマの後ろに向ける。
さあ、気を引き締めなくっちゃ。

そう思いながら、ゼルマは後ろを振り返るのだった。



「まあ、アルベルト卿、御無沙汰しております」
満面の笑みを浮かべ、ゼルマは深々と頭を下げる。

「やはり、ゼルマなんだね、本当にびっくりしたよ」
そりゃびっくりするわよね、貴方が売り払った相手は、ご主人さまですものね。

口に出てしまわないように注意しながらも、湧き上がってくる怒りを堪え、ゼルマは笑みを浮かべる。
アルベルト伯の名前に含まれたベークニッツと言う領地名。

それは、ゼルマの父のヴェスターテ伯爵の領地であった地名だ。
ゼルマが十歳まで過した幸せな日々の記憶を呼び起こす名前。


「本当に、アルベルト卿にはお世話になりっぱなしで、今はこうしてローゼンハイム卿に養女として迎えられました」
そう言いながら、ゼルマは再び頭を下げる。

そのまま笑みを浮かべているのは辛かったせいもある。
父を貶め、母を自殺へと追いやった人物。

(ゼルマ、ゼルマ、ここは泣いても可笑しくないからね~)
アンのアドバイスが耳元に聞こえ、戦法を切り替える事にする。
笑いながら相手をするには、余りにも辛すぎる。


「色々ありましたけど、ゼルマは…今は、幸せです」
涙が溢れてくるけど、それが悔し涙だとはアルベルト卿には判らない筈だ。

ハンカチを取り出し、涙を拭く。

「すみません、つい涙が溢れまして、いけないですわね」
そう言いながら、顔を隠す。

怒りも湧き上がって来るので、色々危ない。
(ゼルマ! 頑張るんだ! 今皇帝の方は終わったから、もう少しだけ時間を稼げ!)

アンじゃなく、ご主人さまの声が聞こえて来る。
そうだ、私にはご主人さまがいる。


「これからも、宜しくお願いします」
ご主人さまの声を聞いた事で、何とか持ち直せた。

ゼルマは満面の笑みをアルベルト卿に向けるのだった。


「そ、そうか、これからも宜しく」
アルベルト卿は、何故かゼルマの様子に怯んだように、そそくさと離れて行く。

あれ?
何か間違えたかしら?

(あ~、ゼルマ~、そんなに泣き笑いを見せたら、引かれるわよね~)
アンの言葉に、顔を赤らめてしまうゼルマだった。





皇帝ことフリードリヒ男爵が、会場に戻って来た。
後ろに東方辺境伯そしてローゼンハイム伯を引き連れ、機嫌は悪くなさそうである。

会場の中に、何処と無く安堵が広がる。
先程の件があるだけに、対応を一つ間違えると間違いなく誰も寄り付かなくなるのだ。

些細な事で皇帝の不興を買い、廃れていった諸侯も無い訳ではない。
それに比べると、フリードリヒ男爵は問題なさそうに歓談されている。

どうやら、ローゼンハイム伯の対応は、皇帝のお気に召したようだった。
会場にいた諸侯の心の中で、ローゼンハイム伯はお近付きになって損は無い伯爵であるとランク付けされた瞬間である。



わざと粗相をして、皇帝との密談の時間を取る。
そしておいて、そのフォローに対して皇帝が満足の意を表明する。

たったこれだけの事で、周りの評価が数倍にも跳ね上がるのだ。
普通ならリスクが高すぎて、出来ようも無い行動である。

しかしながら、水の精霊と契約しているご主人さまならば、零れる水すらも操る事が可能であるが故に出来る事だった。




フリードリヒ男爵の周りに、あくまでもさり気ない風を装い既に到着していた選帝侯達が挨拶を交わして行く。
そしてその様子をご主人さまやアンジェリカが、真剣にモニターしているのだ。


「アルトシュタット侯、リヒャルト・ヘルツォーク・フォン・アルトシュタット・ブッフバルト様の御到着です」
結局、ブッフバルト公がやって来たのは、十二選帝侯の中で一番最後だった。

(さーて、来ましたよ~、来ましたよ~)
耳元に、ワクワクするようなアンの声が聞こえてくる。

実際、ゼルマもブッフバルト公を目にするのはこれが初めてだ。
緊張した面持ちで、ゼルマはローゼンハイム伯の後ろで佇む。

今は目の前にフリードリヒ男爵がいる以上、ゼルマもローゼンハイム伯も出迎えには行けない。
ドキドキしながらブッフバルト公が、中に入ってくるのを待つ。



ゼルマの持つ、公爵のイメージはでっぷりと太った五十代の男である。
そしてそのイメージ通りの人物が、真っ直ぐにフリードリヒ男爵の前に歩み寄るのをあっけに取られるのだった。



「これは、これは、フリードリヒ男爵、御無沙汰しております」
慇懃に頭を下げるブッフバルト公に、皇帝の顔が歪む。

「ああ、ブッフバルト公、久しぶりだな」
男爵の仮面すら被らず、皇帝が素で答えるのをゼルマは驚きを持って見つめる。

「キルンベルガー卿も、あまり男爵を振り回すものではないぞ」
ブッフバルト公が更にあてつける様に、東方辺境伯に苦言を呈す。

要は個人的なつながりで、皇帝を引きずり出すなと言っているのだ。



「これは、これは、ブッフバルト公爵様、御無沙汰しております」
選帝侯と皇帝の鍔迫り合いの中、ローゼンハイム伯が何も気が付かないような顔で割り込んだ。


普通なら出来ない。
ゼルマにはとても皇帝と選帝侯の会話に割り込もう等と言う恐ろしい事は出来ない。

一瞬むっとするブッフバルト公であったが、声をかけて来たローゼンハイム伯の顔をまじまじと見つめる。

「ふむ、そうであったな、ローゼンハイムか、久しいな」
その口ぶりはいかにも偉そうであり、これではどちらが皇帝かと疑いたくなる。

「はい、本当に、御無沙汰しております」
そんな中ローゼンハイム伯は、どこ吹く風と返事を返す。

「ああそうそう、これがわが娘となりました、ゼルマです。 ゼルマ、ご挨拶を」
突然自分に振られ、ゼルマは慌ててしまう。

こんな中で挨拶をしろと言うのか。

「ぜ、ゼルマ・ローゼンハイムです。 今後とも宜しくお願い申し上げます」
「ブッフバルトだ」

頭を下げるゼルマを見ようともせず、一言だけ告げると、再び公爵はフリードリヒ男爵に向き合う。


「男爵、ホーフブルグの方で御用がおありでございませんか」
こんな所で油を売ってないで、早く宮殿に戻れと言う当てこすりなのだろう。

「ああそうだな、そろそろ失礼させて貰うぞ、ローゼンハイム卿」
「何のお持て成しも出来ませんで、また、お越し下さい」

ローゼンハイム伯が頭を下げるのを見習うように、ゼルマも頭を下げ、少し怒り気味の皇帝が退出するのを見守るのだった。




フリードリヒ男爵が扉から出て行くのを確認すると、ブッフバルド公はじろりと、ローゼンハイム伯を睨み付ける。

「ローゼンハイム、貴様は何をしたのだ」
「何をと言われましても?」
ゼルマでは気後れしてしまいそうな眼力にも、伯は平気なようだ。

「たわけが! この屋敷! その娘! この間までの貴様にこのような金なぞ無いのは明らかじゃろうが!」
ローゼンハイム伯の眉毛が釣り上がる。

「よくご存じで、公爵様にそこまで気を遣って頂けていたとは」
「ええい! ふざけるな! 貴様がわしを恨んでいる事位、承知しとるわ!」
ブッフバルド公がわなわな震えながら声を荒げる。

周りにいる誰もが驚いた様な顔をしながらも、聞き耳を立てている。
ローゼンハイム伯が、突然金持ちになった事は誰もが不思議でならないのだ。



「ブッフバルド殿、今日はローゼンハイム伯のご令嬢のお披露目ですよ」
突然、第三者から声をかけられ公爵がそちらを睨み付ける。

「なんじゃ、来ておったのか」
忌々しげに、ブッフバルド公が呟く。

「あー、ひどい言い方ですね、皆さんお見えですよ」
二十代前半にしか見えない若い男性である。

しかしながら、ゼルマも彼が何ものかは承知していた。
十二選帝侯の中で最も若いニーダザクセン侯ハインリヒ・ホルシュタイン公爵である。

「ええい、ごちゃごちゃと煩い! わしはこいつと話してるのだ」
ブッフバルド公は、ホルシュタイン公を無視しようとする。

「どうやって、ローゼンハイム伯がお金持ちになったか知りたいのでしょ」
それでも声を掛けて来るホルシュタイン公に、煩そうに顔をしかめていたブッフバルド公の顔がピクリと動く。

「おぬし、知っておるのか?」
「いや、知りませんよ」
ホルシュタイン公は、さらりと答える。

「それじゃ・・・」
「場所を考えられたら如何ですか?」
ホルシュタイン公は、言い募るブッフバルド公の言葉に被せる様に言う。

改めてブッフバルド公は回りを見回した。
誰もが咎める様に、公爵を見つめている。

突然乱入して来て、皇帝を怒らして帰してしまう。
その上でホストであるローゼンハイム伯に対するもの言い。


同じ選帝侯の一人の言葉に同意しない者はいなかった。


「ちっ」
明らかにこれ見よがしに舌打ちするブッフバルド公。
そのまま、会場を後にしようとする。

「ローゼンハイム! おぬしが不正にて金を得たのなら、覚悟しろ! ゲルマニアに害する者はわしがゆるさんからな!」
最後に捨て台詞を残してブッフバルド公は退出していった。


会場に残された諸侯はあっけにとられるだけだった。


「ありがとうございます、ホルシュタイン公爵様」
アンから指摘され慌ててゼルマはホルシュタイン公に礼を言う。

いやいやと、手を振るホルシュタイン公。

(ゼルマ~、ここであのデブがどうしてあんなに怒っていたのか聞いて~)

「しかし、どうしてあんなにブッフバルド公爵様はお怒りになられたのでしょう?」
アンの指示に従い、ゼルマは何も知らない顔で言葉を発する。


「ああ、それは簡単です」
ホルシュタイン公がしたり顔で答える。
諸侯の視線が公に集まる。


「先程ランマース商会が破産したんですよ」
パーティー会場内に、ざわめきが広がるのだった。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(賢人会議)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/07 17:42
傭兵団が一つ潰れたらしい。
ランマース商会の専属に近い立場で、かなり羽振りの良い傭兵団だった。

「あそこ、何で潰れたんだ?」
場末の酒場で、傭兵同士が話をしていた。

「ああ、何でも主力メンバーが燃やされたってよ」
「燃やされた?」

北方辺境領まで護衛任務を引き受け、先日帰ってきたばかりの傭兵が驚いたように聞き返す。


何でも、某商会の会頭がお忍びで出掛けている馬車を主力メンバー二十人で襲撃したらしい。
相手は爺さんと、小娘と子供が二人。

半端仕事だが、確実を期すためにわざわざ主力メンバーを動員したとの事だ。
馬車を止めて襲い掛かろうとしたら、辺りが火の海となって襲撃どころじゃなく逃げ出すのが精一杯だったとの事だ。

「へー、それで燃やされたってか?」
「うんにゃ」

「えっ? 違うのか?」
説明していた方が首を振る。

燃やされたのは彼らの本部の置かれた建物だった。
その後、何とか本部に帰って来た彼らに、大型の火竜が襲い掛かったそうだ。

何人かいるメイジの魔法も効かず、火竜は建物に対して炎のブレスを吹き付ける。
ほぼ継続的に吹き付けられる炎のブレスは、建物が焼け落ちるまで止まらんかったらしい。

「それは……燃やされたんだな…」
「ああ…」

「客は…選ばななあ…」
うんうん頷きながら、二人は飲み続けるのだった。








帝政ゲルマニアの帝都はヴィンドボナである。
ではヴィンドボナの中心はどこかと言えば、やはりホーフブルグ宮殿となる。

そして、ホーフブルグ宮殿の中でも中心と言うのに相応しいのは皇帝の執務室や謁見の間ではない。
それは、賢人会議が開かれる大広間であろう。

奥行き80メイル、高さ20メイルの豪華な大広間は、ゲルマニアだけではなくハルケギニア全土から集められた有数の芸術家、工匠の手により作り上げられている。
大広間そのものが、芸術品と言っても良い程の仕上がりを見せている。


しかしながらゲルマニアの中心と言われるのは、何も大広間の芸術性故ではない。
月に一度この部屋で十二帝侯等の有力諸侯を集めて賢人会議が開かれる為である。

そしてその会議は大広間の芸術的価値とは裏腹に、非常に生々しいものとなるのが常であった。



「それで、次は何だ?」
帝政ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世が、声に苛立ちを込めて言う。

三ヶ月に一度の賢人会議が、大広間で開催されていた。
賢人会議では、外交・立法・徴税について話し合いが行なわれるのが建前である。

皇帝は、賢人会議での意見に耳を傾けそれを参考に国政を定めると言うのが帝政ゲルマニアでの政治であった。
建前はそうであるが、現実には賢人会議での意見に逆らって皇帝が政治を進めるのは非常に難しい。

従って、賢人会議は皇帝親政に対する批評会議となるのが常である。
それ故、皇帝は常に不機嫌にならざるを得ない。

今回も例に漏れず、この三ヶ月の間の他国とのやり取りや各種の布告に対する批判が相次ぎ、皇帝の機嫌は悪くなる一方だった。


「後は、ドルニィシロンスク東方辺境伯よりのご報告となります」
侍従長が、皇帝に告げる。

「ああ、あれか、キルベルンガー辺境伯」
皇帝が、少し機嫌を直したように東方辺境伯を呼びつける。

コの字型の大きなテーブルの両側にそれぞれ六人づつ選帝侯もしくはその代理が座り、皇帝は中央に腰を下ろしている。
その正面に、呼ばれたものが立ち、諸侯及び皇帝に報告する形式にて賢人会議は進められていた。

ドルニィシロンスク東方辺境伯アルブレヒト・キルンベルガーも、皇帝に指名されその中央に足を運ぶ。

「東方辺境領内のカーリッシュの南西百リーグ辺りの地点にて、銀鉱脈が発見されました」
軽く頭を下げ、キルベルガー辺境伯が話を始める。

出席している選帝侯の間にざわめきが広がる。
皇帝は、選帝侯達の驚く様子に、少しだけ溜飲が下がる。

「当該地点は、ローゼンハイム伯爵の領地であり、既に鉱山の開発はギルドに依託が為されております」


「ふん、それでは既にけりが付いておる事ではないか、態々賢人会議に持ち出すような話題ではないわ」
アルトシュタット侯ブッフバルト公爵が、怒ったように吐き捨てる。

ブッフバルト公爵も、ローゼンハイム伯の資金の出所が鉱山である事に気が付き苦々しげだった。
他の選帝侯にしても、確かに銀鉱山が領地から出たと言う点は羨ましいとは思うが賢人会議での話題からは離れていると言う点では同意出来る話だった。


「いえ、ローゼンハイム伯の領地内の鉱山の話ではありません」
ギルベルガー辺境伯は、控えのものを手招きし、ゲルマニアの地図を広げさせる。

「カーリッシュがこちらですが、銀鉱脈は、ここからこの辺り一体まで広がる莫大なものと思われます」
ギルベルガー辺境伯が指し示した地域は、東方辺境領から皇帝直轄領に跨る広範囲の地域であった。

再びざわめきが、選帝侯達の間に広がる。
問題はその広さだ。
それだけ広域に銀の鉱脈があると言う事は、埋蔵量たるもの中途半端ではない。

「そ、それは間違いないのか!」
マルコマーニ侯が、立ち上がって叫ぶ。

なぜなら、ギルベルガー辺境伯が指し示した地域は、マルコマーニ侯の領地の北方に位置する地域だった。
調査が正しいならば、マルコマーニ領とは直接関係は無い。

しかしながら、南方に50リーグ程下がれば皇帝直轄領からマルコマーニ領に入る訳であるので、彼の領地でも銀鉱脈が見つかる可能性もあるのだ。


「はい、土のトライアングルのメイジが綿密に調査致しまして、ほぼ間違いは無いとの事です」
ギルベルガー辺境伯の返答に、残念そうな色を隠そうともせず、マルコマーニ侯は腰を下ろす。


「あー、めでたいではないか、鉱山開発でも何でも好きにすれば良かろう」
ブッフバルト公爵が、投げやりの口調で話を終わらそうとする。

彼にして見れば、既に皇帝と東方辺境伯にて話が付いているのは丸判りである。
自分に利益が入る見込みの無い話に興味を持つほど、ブッフバルト公も暇ではない。


「確かにその通りなのですが、この地域はゲルマニアの国内とは言え、亜人等の先住民族も多く開発が行なわれているとは言い難い地域です」
ギルベルガー伯が、問題点を指摘する。

「また、皇帝直轄領と東方辺境伯領、マルコマーニ侯、シュタイアーマルク侯それぞれの国境と言っても明確な境界が画定している訳でもございません」
確かに、地図上では国境が明確に描かれているが、現実にこの辺りは未開の地域であり、実際の開発が行なわれれば国境は修正されてしまうのだ。


「余は、この鉱脈をゲルマニアの発展に当てたいと考えている」
皇帝が直接話しに割り込む。

そして、改めて東方辺境伯に指示を出す。
それを受けて、控えのものが地図を差し替えた。


「ヴィンドボナから、銀鉱脈のあると思われる地域、そしてそこからオットブルン及びグラーツまで街道を整備したい」
地図の上には、白地で新たな街道が描かれていた。

銀鉱脈のある地域を中心に、ヴィンドボナ、オットブルン、グラーツそしてグラドノの諸都市を結ぶ街道を作ろうと言うのだ。

皇帝直轄領と言っても、現在ある主要街道沿いに沿って開発が行なわれているだけで、未開の地域が大きく広がっている。
ここに街道を新たに建設する事で、その街道沿いに新しい開発が行なわれると言うメリットが生まれるのだ。

「この街道建設に、諸侯の出資を募りたい」
皇帝が選帝侯を見回して言った。

「おお、配当はこの銀鉱脈を充てる積りであるから、期待しても良いと思うぞ」
皇帝のそう言う顔は楽しそうである。

それはそうである。
銀鉱脈と言っても、順調に開発が進み採算が取れるのが何時になるかは今の時点では不明である。


そう、皇帝は自らの直轄領の開発に寄与する街道の建設を選帝侯の資金にて実施しようと考えているのだ。

しかも、街道はマルコマーニ侯の領地の都であるオットブルン、シュタイアーマルク侯のグラーツまでの整備が謳われている。
現在、グラーツからはオットブルン、モーリツブルグを経由しなければヴィンドボナに辿り着かない。

それが、直接ヴィンドボナと繋がる街道を作ろうと言うのだから、マルコマーニ侯やシュタイアーマルク侯の利益になる。

新しい街道を作るから、金を出せと言うのならば諸侯も反対し易いであろう。
しかしながら、銀鉱脈と言う見せ餌を見せられた上での出資要望である。

十二人の選帝侯の内、マルコマーニ侯やシュタイアーマルク侯にとって見れば、街道が出来るだけで利益が大きい為、喜んで出資する。
そうなれば、他の諸侯も二人の選帝侯の出資額より少ないと言う訳には行かないのだ。


「本当にその鉱脈と言うものは、当てになるのですかな」
選帝侯の中で一番若い公爵、ニーダザクセン侯ホルシュタイン公爵が怪訝そうに言う。

彼の領地はヴィンドボナから北西にあり、街道整備も銀鉱脈とも最も離れた所にあるのだ。
出資して、メリットがあるかどうかと言えば、殆ど無いに等しい。

彼がそう言うのも他の選帝侯達にすれば、納得の行くコメントである。
ただホルシュタイン公が、予めこの事を知っていたと言う事実が誰にも知られていない限りはである。

そう選帝侯達の中で、唯一彼だけが街道建設の本当の目的を知っていたのだ。


「ふん、ホルシュタイン侯もたまにはまともな事を言うのだな」
そんな事とは知らない、ブッフバルト公が皮肉交じりにコメントを加える。

彼にしてみれば、ホルシュタイン公は目障りな存在だった。
領地を接しており、農業主体のアルトシュタット領とは違い、造船業等の製造業にて財を成しているホルシュタイン公のする事は一々腹が立つのである。


「これは異な事を、出資するかどうかは、その銀鉱脈の価値に拠っているのは明らかでしょう」
ブッフバルト公にすれば、平然とそう返してくるホルシュタイン公の鼻で笑うような態度も気に食わない。

「ほお、お主は東方辺境伯が報告し、皇帝陛下がおっしゃる事に偽りがあると申すのか」
かなり頭に来たブッフバルト公は、思わずそう返していた。

「ありがとうございますブッフバルト公、確かに銀鉱脈はありますので、ホルシュタイン公もご心配なさらずとも大丈夫と存じます」
そのタイミングで、ギルンベルガー辺境伯が二人の会話に割り込むように声を掛けた。

「そうか、ブッフバルト公も出資を認めてくれるのか、ありがたいな」
しかも、それに乗っかるように、皇帝陛下まで声をはさんで来る。

「えっ、そ、それは」
見事に嵌められたと言う事に、気が付かないままブッフバルト公は言いよどむ。

「おや、今更銀鉱脈が不安だとおっしゃる訳ではありますまいな」
そんな様子をニヤニヤしながら、ホルシュタイン公が言ってくる。

そうなるとブッフバルト公も意地があり、反論は出来ない。

「しかし各選帝侯からの出資となると、かなりの金額になるものと思われるが、その管理を東方辺境伯に任せるのは問題があろうな」
黙り込んだブッフバルト公を確認すると、皇帝が話し始める。

「ああ、トリステン王国とガリア王国に面する諸侯は、出資は半分で良いぞ、お主達は国防の要であるからな」
西側から、ヴェストファーレン、サールラント、プファルツ、ヴュルテンベルクの四つの選帝侯領に対して、皇帝から出資減額が告げられる。

ついでのように言われたが、この四選帝侯に対する負担が少なくなったお陰で反対する勢力はほぼ無くなったのも同然である。
莫大な資金が動く事はこれで確定したようなものだった。

「実務は、キルンベルガー辺境伯が中心で、マルコマーニ侯とシュタイアーマルク侯の意見を良く聞いて進めて貰おう」
余程、事前の打合せが進んでいたのか、皇帝陛下が話を進めて行く。

「そうすると、全体管理ですかな、それですと私目にお任せ願えませんか、位置的にも利害が殆どありませんし」
ホルンシュタイン公が、すかさず手を上げる。

確かに資金的な余裕があり、直接利害が発生しない北西部の領地を持つホルンシュタイン公は相応しい人物であろう。
だがそれを気に入らない、そう、ホルシュタイン公が利益を得る可能性があると言うだけで気に入らない人物が此処には一人いた。

「それならば、我輩も同じ立場でしょうな」
ブッフバルト公が、フンと言う顔でホルシュタイン公を見ながら手を上げる。

皇帝は、同じく利害が少ない北東の選帝侯、アンハルト侯やメクレンブルグ侯の顔を見る。
二人とも、特に異論も持たず、名乗り出ることは無かった。

「ふむ二人が候補か、それではブッフバルト公にお願いしようか、宜しいかな」
皇帝陛下がそう裁定を下す。

誰も反対するものもおらず、ブッフバルト公は単にホルシュタイン公に勝ったと言う満足だけで、全体管理を引き受けていた。
裏を知るものからすれば、それが完全な出来レースである事等、今のブッフバルト公には予想すらしていない出来事だった。








ニーダザクセン侯ホルシュタイン公爵が自らの邸宅に帰りついたのは、それから三時間後であった。
家令が来客が待っている事を告げると、ホルシュタイン公は嬉しそうに微笑みながら、着替えも早々に客間を目指す。

「やあ、待たせたね」
笑みを浮かべ部屋に入ると、待っていた男が立ち上がり頭を下げる。

「街道建設は了承されたよ、全体管理はブッフバルトになったよ」
相手が何か言う前に、ホルシュタイン公が言葉を発する。

視線は、相手を見ておらず、机の上に置かれた大きな布で覆われた包みに見入っている。

「ありがとうございます」
相手の男は苦笑を浮かべながら、布を取り去る。

「おお、これは凄いな、戦艦か、触っても良いかな」
相手の返事も待たずに、ホルシュタイン公はガラス製の器に手を掛けそれを取り外して行く。

「どうぞ、お約束通り、これは公爵様のものです」
「これは、大砲か、ほお、三層に渡って展開しているのか、射程さえあればかなり強力な船になるな」

ホルシュタイン公はまるで相手の話を聞いていない。
そのまま、目の前の1/78の帆船模型に見入っている。
H.M.S.ビクトリー、英国の十八世紀に作られた戦列艦である。

「それでは、これで失礼します」
「ああ、また話があれば何時でも来てくれ、幾らでものるからな」

そうホルシュタイン公は、帆船模型一つで今回の街道建設の支援を承諾したのだった。
勿論ブッフバルト公に対しての陰謀だろうと言う事は判っていたが、自分の不利になる要素は無かった。

そんな事より、この帆船模型が手に入るとなれば、造船オタクに近いホルシュタイン公は大概の事はやる。
アルバート・コウ・バルクフォンは、苦笑いを浮かべたまま、公の屋敷を後にするのだった。



[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(街道整備)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/04 23:35
アウフガング傭兵団、否今ではアウフガング組とでも呼ばれる方が多くなっている。
コンラート・ファイトは、この傭兵団の団長だった筈なのだが、何だか仕事が変わったような気分だった。

確かにコンラート自身は、杖を腰に差し騎乗しながら辺りを警戒している。
しかしながら、アウフガング傭兵団の仕事はいつの間にか土木作業が中心となっていた。




アルバートの領地であるクジニツァから北方辺境領中心都市、コウォブジェクまで道を整備した時は、まだ警備の仕事がメインだったと思う。
東方辺境領のローゼンハイム伯爵の領地カーリッシュから、主要街道のコニンまでの地点間の整備を始めた時に、整備の部隊が倍に膨れ上がった。


そして、あれから一年、整備部隊は更に倍に膨れ上がり、今では三つの集団となって道路整備を行なっている。
今では、ヴィンドボナから新たに銀鉱山として発達し始めたランメルスベルグを経由する街道の整備の主要な工事を請け負っていた。

マルコマーニ領のオットブルン、シュタイアーマルク領のグラーツに向かう街道、そしてランメルスベルグからローゼンハイム伯爵領カーリッシュに抜ける街道の整備も全て絡んでいるのだ。
これでは、傭兵団と言っても誰も信じてくれない。

どう見ても、土木作業を行なう、アウフガング組と呼ばれるのも仕方ない事だった。
今もコンラートの目の前で、土のメイジであるローラントが術式を構築している。

術式は錬金の魔法だ。
彼の詠唱が終わり、術が発動した。

見ていると、前方の丘を越えた辺りまでの幅10メイル程のエリアの地面がボコッと言う感じで凹んだ。
すぐさま平民の組員、そう最早団員と言うのもおこがましい、組員が一輪車を押しながら前進する。

シャベルを持った連中が一輪車に土をすくい乗せて行く。
ローラントが錬成したのは、地面。

地面の土を幅10メイル、深さ1メイル程度で細かい砂に錬成したのだ。
しかも、その術式の到達距離は四リーグに及ぶ。

結果として、道路作りの為の真っ直ぐな地域の土が取り除き易い砂に変わっていた。

百メイル程度のエリアの土が全て退けられ、一箇所に集められた砂の半分程にローラントが再び錬金の魔法を掛けてゆく。
今度は砂から、一メイル程の高さの石のゴーレムを次々と錬成して行く。

そのゴーレムを出来る端から、百メイルのエリアに進ませて行く。
四メイル毎に一体づつ、計25体のゴーレムが並ぶと、それを今度は破壊して行く。

すると、それぞれに小石の山が並び、また組員がその石を綺麗に道の予定地に敷き詰めて行く。
それが終わる頃には、ローラントが残りの砂から巨大な石造りのゴーレムを作り出している。

今度はそのゴーレムが砂利道をゆっくりと歩いて行く。
重さがどの程度あるのかは不明だが、これだけ重いものが歩けば道は結構しっかりと固められ、ちょっとやそっとでは痛まない。

一応、これで百メイルの距離の道が仮完成となるのだ。
これを日に三回繰り返せば、一日三百メイルの道路整備が完成する。

その整備速度は、これまでと比べ桁違いに速い。
お陰で、道路整備にはアウフガング組と言うのは、北方辺境領から、東方そして幾つかの選帝侯領でも有名になりだしていた。

ちなみにこの道路では、こうやって固めた後で、別の班がセメントと砂利を混ぜてコンクリートにしたものを薄く引いて行く作業がある。
だが、それは些細なものだ。

とにかく、ヴィンドボナからほぼ真っ直ぐに道が伸びているのは壮観としか言い様が無かった。
だけど、同時にコンラートは、アウフガング傭兵団がどこかに言ってしまったような寂しさを覚えるのだった。










「それで、予算はどうなっている?」
新たな街道整備の実質的な責任者であるキルンベルガー東方辺境伯が、ローゼンハイム卿に聞いた。

「ああ、あまりまくってますね」
キルンベルガー辺境伯が責任者とすれば、ローゼンハイム卿は現場監督であろう。

「どの程度だ?」
「十分の一程度です」

東方辺境伯の質問に、ローゼンハイムは書面を見ながら答える。

「そんなに余っているのか、凄いものだな」
東方辺境伯は、予定していた費用の一割程度浮いたと思いそう答えた。

「いえ違います、逆です、十分の一しか使ってないんです」
東方辺境伯が、呆気に取られる。



今の時点で、街道整備はほぼ八割がた終了している。
それに掛かった費用は、皇帝及び選帝侯から投資して貰った金額の一割しか使っていないとの事になる。

「このまま行けば、どんなに掛かっても二割位しか必要ないですね」
ローゼンハイムは平気な顔で東方辺境伯に答えるが、彼自身現在の状況を納得するには時間が必要だった。

通常は、ここまでの低価格での工事は不可能である。
アルバートが用意したアウフガング傭兵団の道路整備チームが飛び抜けて優秀なのだ。

他の連中が真似しようにも、ここまで出来る土のメイジは中々いない。
いやそれが連日可能なメイジ等、彼ら以外どこを探してもいる訳無かった。

精霊との契約にてアウフガング傭兵団の三人の土のメイジは、自らの魔力ではなく周りの魔力を使って魔法を行使している。
この結果、たった三人でも一人当たりの仕事量が、普通のメイジの数十倍の効率を発揮できるのである。

しかもアウフガング傭兵団の整備チームには、様々な作業用の工具が用意されている。
他に類を見ない丈夫なシャベルに始まり、不整地でも走り易いゴムタイヤ付きの一輪車、セメントを捏ねる為に便利な薄い鉄製の器等ここだけしか見られない工具が用意されていた。

魔法を使えない、整備チームの要員達の効率も他とは比較にならない程高い。
しかも、このチームを支える衣食住を提供するサポートチームまで用意されており、その効率の高さは他のものを寄せ付けない程なのだ。

それが三チームに分かれて、街道整備を行なっているのだ。
通常ならば一年、いや三年は掛かろう街道整備が、僅か半年で形になろうとしていた。


元々投資額の七割にて街道整備を実施し、三割が新たな銀鉱山の採掘費用として計画は組まれていた。
ところが現実は、道路整備に二割しか掛からないとなると、予算の半分が余る計算になるのだ。

ただ不思議な事に、総責任者であるブッフバルト公には三割の鉱山開発費用の話は伝わって無かった。









ブッフバルト公爵のヴィンドボナの本宅は、ホーフブルグ宮から見れば右手、ヴィンドボナの北西に位置している。
ただ、宮殿に一番近いと言う訳ではなく、二番目であった。

最も宮殿に近い所に本宅を構えているのは、常にトリステン王国と国境問題を抱えているザールラント侯の屋敷である。
そしてそれも、ブッフバルト公爵がザールラント侯を気に入らない理由の一つでもあった。

ブッフバルト公は、ここ半年機嫌は最悪だった。
懇意にしており、これまで何かと融通が利いたランマース商会が潰れたのを皮切りに気に入らない事が相次いでいた。


弟の子供に跡を継がせたローゼンベールガー侯爵家ゆかりのローゼンハイム伯爵が美しい養女を伴い社交界に復活したのも気に入らない。
北方に領地を接するホルシュタイン公が、新しい船を作り出し、海運業に革命を齎したと持て囃されているのも気に入らない。

しかも、ローゼンハイムの復活した理由が銀鉱脈の発見であり、それにより東方辺境伯の株が上がり、皇帝がわがままになるのが気に入らない。
銀鉱脈にかまけて全く自分の利益に繋がらない街道整備に、投資しなければならないのも気に入らない。

前々から、自分の支配下に置こうと画策していたザールラント侯が言う事を聞かないのも気に入らない。
まあ、これは以前からそうであるが、それでも気に入らないのは間違いない。

最近は、イライラと爪を噛む癖が酷くなっているのも気に入らなかった。



「旦那様、アルベルト伯爵がお見えです」
「通せ」
家令の声に、不機嫌に返す。

「失礼致します、アルベルトでございます」
この男も気に入らない。

ヴェスターテ伯爵の領地を与え、伯爵にしてやったが、今から思えばそこまでする必要も無かった。
まあ、汚れ仕事はそこそこ出来るが、所詮はそれだけの男である。

「なんだ?」
ブッフバルト公は不機嫌を絵に描いたような様子で、問い質す。

「街道整備に関して、重大な事が判りました」
街道整備、これも気に入らない。

いつの間にか総責任者にされてしまったようで、それを思うとホルシュタイン公が更に憎くなる。

「話せ」
「はい、どうやらかなりの金額が横領されているようです」

ブッフバルト公の瞳が大きく開く。
ここ半年間で初めて聞く良い知らせになりそうだった。















アルベルト伯爵は、乗り込んだ馬車がブッフバルト公爵の本宅から離れると、大きくため息を吐いた。

「本当に、公爵の相手は疲れるよ」
アルベルト伯は、隣に座っているゼルマに声を掛ける。

「伯爵様もお仕事ですから、仕方ありませんわ」
ゼルマは、にっこりと笑顔をアルベルト伯に向ける。

「そう言ってくれるのはゼルマ位だよ」
にやけた顔でゼルマを見てくるアルベルト伯に虫唾が走るけど、ちゃんと確認しなければならない。

「で、公爵様は何とおっしゃってましたか?」
「ああ、納得して貰えたよ、今度の賢人会議で議題として取り上げるそうだ」

どうやら、上手く会話は進んだようだった。

「それでは、私も安心ですわ、ローゼンハイム卿が父のように謂われない横領の罪で捕まるのは本当に悲しい事ですから」
「ああ、それは大丈夫だよ、ヴェスターテ卿の時のような悲しい目に君を合わせる事は無い」

本当に、この場で思いっきりぶん殴ってやりたくなるけど、まだ我慢しなければ。

「それで、公爵様はどのようにお話されるとおっしゃってましたか?」
「ああ、街道整備費用の八割が横領されていると、東方辺境伯を非難するとの事だ、私もその資料を作らねばいけない」

資料を作るのね、やはり父の時と同じようにするつもりだわ。
ゼルマは納得したように、ご主人さまを見る。

向かいに座って話を聞いていた、ご主人さまが親指を突き出してガッツポーズと言うのかしら、それを示してくる。

「ありがとうございます、それじゃ、卿もお疲れでしょうから、少しお休みになられては」
「ああ、そうしよう、お休み」

ゼルマの言葉に返事をすると、アルベルト伯爵は目を瞑り、直ぐに寝息を立て始める。
ゼルマは馬車を止め、ご主人さまと外に出る。

馬車は何事も無かったように、静かに走り去って行った。


「ご主人さま、ゼルマ、頑張りましたでしょ」
後ろをつけて来た馬車に乗り込むと、ゼルマは思いっきりご主人さまに身体を寄せる。

実際アルベルト伯の横に座っているだけで、虫酸が走るような気がした。
そのいやな気配を打ち消す為にも、ご主人さまにしなだれかかるゼルマだった。


アルベルト伯は、さっきのゼルマとの会話は一切覚えていない。
それどころか、ブッフバルト公に説明した東方辺境伯の横領の資料そのものが、ゼルマから渡された物である事すら覚えていない。

彼は自分で資料を集めて、ブッフバルト公に説明したのだと思い込んでいる。
そうなのだ、アルバートの手により水の秘薬を使われある程度まで心を操られている事に、彼は一切気が付いていないのだった。

ただそれがゼルマを通して指示されている事だけに、アルベルト伯は自分の見たい夢を描いているだけだった。




「しかし、八割の横領として告発するのか、予想通りとは言え、何だか呆れ返るなあ」
ご主人さまの言葉に、ゼルマも頷く。

街道整備に二割、銀鉱山開発に三割を当て、残り五割が余剰金として皇帝には報告されている。
しかしながら、これは東方辺境伯からの内々の話であり、ブッフバルト公は一切知らない。

それ故、ブッフバルト公は道路整備に八割の金額が掛かっており、その内六割を東方辺境伯が着服していると告発するつもりなのだ。
現実に、アルベルト伯が自分で集めたと思っている三割の横領の証拠に、ブッフバルト公自らが着服しようとしている三割を載せて告発する。

これにより、責任を東方辺境伯に全て押し付け、尚且つ自らの懐を潤そうという計画。
そう、アルベルト伯からブッフバルト公に提供された、当方辺境伯の横領の証拠が正しいものならば、それは上手く行くのだろう。


しかしながら、アルベルト伯が持ち込んだ資料は、全てアンジェリカ達が作り上げた偽物の資料だった。
発注がローゼンハイム伯、そして仕事を受けているのが、コンラート・ファイト率いるアウフガング傭兵団、いやアウフガング組だから出来るからくり。

実際に仕事を確実にこなしながら、同時に偽物の書類を用意する等受発注の両方ともご主人さまが行なっているのだから容易い事だった。
と言うかその為だけに、アウフガング傭兵団は、土木工事に特化したとも言えよう。


あれ?
反対かしら?


そこまで考えて、ゼルマは一人頭を捻る。
ファイトさんの所が道路工事の専門家になったから、このからくりを考えたのか。

それとも、このからくりを実行に移す為にアウフガング傭兵団が、道路工事の専門家になったのか。


「ご主人さま、どっちなのでしょう」
ゼルマは疑問に思った事をご主人さまに聞いてみる事にした。

「うーん、どちらも違うんじゃないかな」
ご主人さまの言葉に、ゼルマは疑問に思う。

「単に、俺がファイトのおっさんを困らせたいから考えついたんだと思うよ」



なるほどと、納得してしまうゼルマだった。




[12397] 伯爵令嬢ゼルマ・ローゼンハイム(賢人会議Ⅱ)
Name: shin◆d2482f46 ID:993668df
Date: 2009/11/07 17:41
「それで、次は何だ?」
帝政ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世が、声に苛立ちを込めて言う。

三ヶ月に一度の賢人会議が、大広間で開催されていた。

今回の賢人会議はいやに機嫌の良さそうなブッフバルト公のお陰で、皇帝の機嫌は更に悪化していた。
他の選帝侯達は一々皇帝の言う事に余計な一言を挟むブッフバルト公に、うんざりとしだしていた。


「ああそうそう、我輩からは、後一件ありましたな」
ブッフバルト公が嫌味たっぷりに、全員を見回しながらそう言う。

「うん? 何だ?」
皇帝も予定に含まれていないブッフバルト公の言い分に、怪訝そうな顔を向ける。


「実は、陛下が推し進められている街道整備の件で、重大な事実が発覚致しましたのでご報告させて頂きたく存じます」
馬鹿丁寧なブッフバルト公の言い方に、皇帝も少し困惑の表情を浮かべるが、先を促す。


「今回の街道整備に於いては、諸選帝侯のみならず皇帝陛下からも出資を仰ぎ、工事を進めて参りました」
今更何を言うのかと言う顔つきを全員が浮かべる。

「不肖、ブッフバルトも本整備に関しては、全体統括の任をお受けし、この身を投げ出し努力して参りました」
更に、そこまでやってないだろうと言う突っ込みが入りそうな言い回しに、更に全員のテンションが下がる。

「しかしながら、これに対して悲しいかな、重大な疑惑が発生致しました事を、ここにご報告させて頂く所存です」
そう言いながら、ブッフバルト公は後席に控えるキルンベルガー東方辺境伯を睨みつける。

ざわざわと、諸選帝侯の間からざわめきが広がる。
どうやら、ブッフバルト公は誰かを告発するようである。

「本告発に先立ち、証人としてアルベルト伯爵を召喚する許可を頂きたい。
 彼は、我輩の下で、本街道整備の会計監査を担当していたものであり、外に控えさせております」
皇帝は、うんざりとした表情を隠そうともしないまま、軽く手で指し示す。

扉が開き、アルベルト伯爵が後ろに女性を引き連れて入って来た。
一瞬、ブッフバルト公が眉を顰める。

どうして、ローゼンハイム伯の養女が一緒に入ってきたのか、ブッフバルトは怪訝に思うのだった。
まあ多分、アルベルトが告発を補完する為に連れてきたのだろうと自らを納得させる。

それよりも、今は東方辺境伯を叩き潰すのが先だ。
ブッフバルト公は、更に街道整備に掛かった費用について話し始める。

長々とした言い回しに、全員がうんざりとしながら、話を聞いている。
そんな事には一切躊躇しないブッフバルトは、いよいよ佳境に入ったかのように、再び辺りを睥睨した。

「ところが、何と実際に掛かった費用は全体の二割にも満たなかったのです」
ざわめきが、会議場全体に広がる。

それはそうであろう。
必要な金額として集めておきながら、実際には二割しか掛からなければ、ほぼ詐欺に近い。

ブッフバルト公は満足そうに会議室全体をゆっくりと見回し、皇帝の所まで視線を向ける。
うん?

ここに来て初めて、ブッフバルト公は違和感を感じた。
皇帝が、動揺していない。

チリチリと背筋が警告を発し出している。
だが、今更止める訳にも行かない。

「アルベルト、全員に資料を配りなさい」
ブッフバルト公の言葉に、アルベルト伯が手にした資料を全員に配り始める。

「それでは資料に関して、現場にて監査を実施したアルベルト伯から―」
「まて!」

資料を見ていた皇帝より、声が掛かる。

「何でしょうか、陛下」
「どうして、違う資料が二つ配られているのか?」

「資料が二つ?」
ブッフバルト公は、そう言われ手元の資料を見る。

自分の手元には、先日確認した資料が一部だけ置かれていた。
怪訝に思い、周りの席を見回すと、確かに資料を二つ見ている。

「失礼」
そう言いながらブッフバルト公は、隣に座っているオッフェンバッハ侯の資料を手に取った。

確かに、二部置かれていた。
一つは、自分が持っている資料と同じものだ。

もう一つは表紙は一緒だが、中が違うようだった。
パラパラと捲りながら見て行くと、ブッフバルト公の顔色が見る見る赤くなる。

それは、ブッフバルト公が改竄した部分を態々朱を入れて示した資料だったのだ。

「これは、どう言う事かな、アルトシュタイン侯」
皇帝が、目を細めブッフバルト公を見つめる。


「こ、これは…」
ブッフバルト公は、一瞬言葉に詰まる。

先ほどまではキルンベルガー東方辺境伯を陥れようとしていた筈が、今は自分自身が陥れられようとしていた。
パクパクと口を動かすが、言葉がまるで出てこない。




「陛下…僭越ながら、ご説明させて頂ければ幸いです」
甲高い女性の声が大広間に響く。

全員の目が声を出した女性の方を見る。
そこには、頭を下げた令嬢が佇んでいた。


「貴女は、確かローゼンハイム嬢ではないか?」
皇帝が、彼女を見てその名前を呼んだ。

「ありがとうございます、陛下に覚えて頂けて光栄です」
少しだけ顔を上げた彼女は、再び深々と頭を下げるのだった。

「それで、貴女が説明出来ると言うのだな」
「はい、陛下、なぜなら今回のブッフバルト公の一件は、私どもが仕込んだ事ですから」

ゼルマは、そう言って艶然と微笑むのだった。







ゼルマはゆっくりと、そして良く通る声で、説明を始めた。
今回の街道整備の費用に関しては、元々陛下の許可を取り、全体の三割を銀鉱山開発に充当する予定で合った事。
これに関しては、ブッフバルト公には秘密にしていた事。

また街道整備そのものも、画期的な工法を使い、工費を当初見積もりの五分の一以下に納めた事。
この結果投資費用に関しては、ほぼ半分にて工事を完了させる目処が立っている事。
そして、何よりこれらの事を陛下はご存知で、ブッフバルト公が知らなかったと言う事を。


「これらの状況にて、私どもは、ブッフバルト公がどのように動くかずっと見まもっておりました」
ゼルマはそう言いながら、後は何も言わず頭を下げる。

全員が、納得していた。
ブッフバルト公が長々と述べた事が、自分勝手でいい加減であった事を。

しかも、公が責任をキルンベルガー東方辺境伯に被せるようにして、投資金額の一部を着服しようとしたのだと言う事を。





「わ、罠だ! こ、これは、この女は、我輩を落とし入れようとしているのだ!」
ブッフバルトが、堪らずに叫びだす。




「罠ですと! どこの誰がそんな事をおっしゃるんですか!」




ゼルマが再び顔を上げ、ブッフバルト公を睨みつけて大きな声で叫ぶ。

「ランマース商会を使い穀物の値段を吊り上げ利益を得ようとした、アルトシュタット侯ブッフバルト公爵がそのような事をおっしゃるのですか!」

「ローゼンベルガー侯爵の跡継ぎがほぼ決まっていた養父ホルスト・グラーフ・フォン・ローゼンハイムを東方辺境領に追いやり、自らの縁者を無理矢理侯爵の跡継ぎに仕立て上げたブッフバルト公爵がそれをおっしゃるのですか!」
ゼルマは、更に憎しみを込めてブッフバルトを睨みつける。

そして、徐に右手で公爵を指差し、最後の言葉を吐き出す。

「そして何よりも我が実父、ラインハルト・グラーフ・フォン・ベークニッツ・ヴェスターテに罪をなすりつけ、離宮新築の費用を横領した人物がそれをおっしゃるのですか!」





最後は、絶叫に近かった。
ゼルマの美しい顔が、歪み瞳から涙が零れ落ちる。

シーンと静まり返った大広間の中で、ゼルマが取り出したハンカチで涙を拭き取るかすかな音だけが響く。



「陛下、このような席で興奮致しまして、誠に申し訳ございません」
そう言って、再びゼルマは頭を下げる。

「しかしながら、今私が言いました内容に関しては、証明できる資料証人も用意しております。
 また、これ以外での罪状に関しては、更に告発を望む元貴族が二十人以上いる事も事実として申し上げさせて頂きます」
そう言って、ゼルマは他の選帝侯方を見回す。


「このような席で、陛下並びに選帝侯の皆様方を煩わせたことを深くお詫び申し上げます。
 ただ、我が父、養父共々を貶めた方が選帝侯である以上、尋常の手段では告発が握りつぶされる事をお含み頂ければ幸いです」
そう言いながら、再び深くお辞儀をする。


「最後に陛下、私ゼルマ・グラーフィン・フォン・カーリッシュ・ローゼンハイムは、屋敷にて今後の沙汰をお待ち申し上げます。
 皆様方、本当にお騒がせして、申し訳ございませんでした」
そう言いながら頭を下げたゼルマは、誰にも止められないまま大広間を後にするのだった。






気丈に扉を閉めたゼルマは、その場で倒れそうになる。

「ゼルマ、良くやった!」
しかしながらそこに駆けつけたアルバートに支えられ、大広間から離れ廊下を足早に歩み去る。

そして誰もいない事を確認した二人は、その場から屋敷に転送するのだった。







烈火の如く怒り散らした令嬢が、大広間から出て行ったのを全員が呆気にとられるように見つめていた。
かくも女性を怒らすと怖いと言うのが、大方の反応だったのだろう。

それでもハッと気が付いたように、皇帝が警備のロイヤルガードを呼び寄せる。
「身体検査をして、拘束しておけ」

ブッフバルトは、ロイヤルガードに両側から挟まれるようにして、大広間から連れ出されて行くのだった。




「さて、落とし所はどこだ?」
皇帝は、改めて残った諸侯に問い掛ける。

「最低限は、地位の回復ですか」
ニーダザクセン候ホルシュタイン公爵が、言葉を返す。

ブッフバルトがいない以上、残った諸侯の中で発言権が一番強いのはホルシュタイン公になるのは間違いない。


「そうすると、アルブレヒト、ローゼンハイムの爵位は何になるのだ?」
「はあ、元々はローゼンベルガー侯爵の一族に連なるもので、継承権は第一位だった筈です」
皇帝も毒気に当てられたように、東方辺境伯を名前で呼び捨てにしていた。

それに対して、注意を促す事も無く、キルンベルガー辺境伯は言葉を返す。


「すると、現在のローゼンベルガー侯爵には早々に引退してもらい、ローゼンハイムに爵位を譲って頂くのが妥当かと」
いつの間にか、皇帝の側に来ていた、侍従長がそう告げる。

「ローゼンハイム嬢はどうだ、確かヴェスターテ伯爵だったかな」
「確かに、ローゼンハイム嬢は、ヴェスターテ伯爵家を再興するのが妥当ですが、現在その領土は…」


侍従長はそう言いながら、目の前でなるべく目立たないように身体を隠そうと四苦八苦しているアルベルト伯を見つめる。
「ああ、そうか、忘れてた」


ここに来て、哀れアルベルト伯は、初めてロイヤルガードに引き連れられて行くのだった。




「アルベルトを廃嫡して、ヴェスターテ家の再興か」
「しかし陛下、それでは最低限の状況を戻しただけです。
 両名の汚名の返上、数十年間の屈辱は、ブッフバルト公に補って貰う必要はあるのではないでしょうか」
ホルシュタイン公にそう言われ、皇帝も考え込む。

ニーダザクセン候が、アルバートに言われた事を考えている等、皇帝には想像も出来ない事だった。
もう一押しで、新たな帆船模型が二つになる。

そう現状復帰で帆船模型一つそして見返りが手に入ればもう一隻で、ホルシュタイン公は、アルバートと合意に達していたのだ。
元々ホルシュタイン公にすれば、自分の腹は痛まない上、上手くすれば目障りなブッフバルトを亡き者に出来る絶好の機会なのだ。

それだけに、二人に対する援護の手も気合が入ろうものだった。


「確か、アルベルト子爵は、離宮新築費用の横領摘発にて伯爵家を立てたと聞いております。
 それならば、同様に爵位は上がるべきものではないでしょうか」
ホルシュタイン公の言葉に、皇帝は考え込む。


選帝侯を廃嫡に出来るならば、今後の自らの権力はかなり強固になる。
その機会が今目の前にあるような気もするが、残りの選帝侯全員に反対されればそれは泡と消えてしまう。

それだけに、自ら言い出す事は難しい。

ホルシュタイン公は選帝侯としての立場があり言い出す訳は無かった。。
自ら皇帝に廃嫡の権利を与えるような物言いは、後々自分の立場を弱くするのだ。

帆船模型は手に入れたいが、ここでそれをホルシュタイン公自身が言うのは躊躇われるのだ。


暫く沈黙が大広間を支配する。
他の選帝侯達も、下手な事は言えないと黙っている。

よし、三台で交渉しよう。
「陛下、ブッフバルト公は廃嫡する必要があるのではないでしょうか。
 幾ら先代陛下からの忠臣とは言え、今回明らかになった罪状からは庇い立ては難しいかと」
ホルシュタイン公の言葉が、そんな帆船模型の為に為された等とは誰も想像が付く筈も無かった。


「ただ、選帝侯を減らす訳には参りませんな、いっそ、ローゼンハイムを侯爵から、アルトシュタットを任せてみては」
それは、オッフェンバッハ侯の言葉だった。

今まではブッフバルト公に追従するしか出来ない人物であったが、その人物が失脚した以上新たな立場を探す必要があるのは間違い無かった。
それ故、新しいアトルシュタット侯にブッフバルトの一族のものが成り、その人物と新しい関係を模索するよりはローゼンハイムを選んだのだった。


「よし、それで行こう。
 ローゼンハイム伯爵は、正当な跡継ぎとして侯爵位を継いでから、改めてアルトシュタット侯として選帝侯に任命する。
 そして、ローゼンハイム嬢は、ヴェスターテ家を再興後、改めてローゼンハイム侯爵の後を継いで貰おう」

一気に結論を述べ、皇帝アルブレヒト三世は、諸侯を見渡す。
反対意見が一切出ない事に、アルブレヒト三世は、密かに安堵するのだった。

少なくとも今回は、ゲルマニアでは選帝侯に対する罷免権を皇帝が持つ事が明らかになったのである。



そう、ゼルマ・グラーフィン・フォン・ベークニッツ・ヴェスターテが、この後ローゼンハイム女侯爵と呼ばれるようになる事が確定した事も。
ホルスト・グラーフ・フォン・カーリッシュ・ローゼンハイムが、ホルスト・ヘルツォーク・フォン・アルトシュタット・ローゼンハイムとなる事が確定した事も。

全てが皇帝にすれば、些細なことでしか過ぎない。
あくまでも、自らの権力基盤の強化に繋がるだけのほんの小さな変更でしか過ぎなかった。







但し、それを聞かされた本人達にすれば、大変な事であるのは、言うまでも無い。


今更選帝侯となり、公爵と呼ばれるのを嫌がるローゼンハイム公。

そして、ご主人さまのメイドを続けると言い張るゼルマ・ローゼンハイム女侯爵。





しかも、ゼルマはまだ理解していなかった。

そうブッフバルト公に対する復讐だけしか見ていない彼女は、自分がローゼンハイム公の養女であるという現実を。


ローゼンハイム公が新たな世継ぎを作らない限り、ゼルマには将来選帝侯と言う職が降ってくるのだ。
















旧ローゼンハイム伯爵の館は、現在ローゼンハイム女侯爵となってしまったゼルマが住んでいる。
結局養父であるローゼンハイムは、キルンベルガー東方辺境伯、ホルシュタイン公等に説得され、アルトシュタット侯ローゼンハイム公爵としてこの家を出て行った。

ゼルマも当然養父に一緒に来るように言われたが、それは何とか断り、それでも女侯爵と言う立場は逃げる事は出来なかった。
ローゼンハイム公爵には早く跡継ぎを作るようにせっついているが、今の所はまだそんな気配も無いのが唯一の気がかりだった。


そんなゼルマは、早朝から自分のベッドで目を覚ます。
昨日はローゼンハイム公爵に呼ばれ、舞踏会に出席せざるを得なかった。

「よし!」
ゼルマは、元気にベッドから飛び出す。
ベッドルームにある特製のクローゼットを開き、着替えを取り出す。

このクローゼットだけは、使用人には一切触らせないゼルマの大切なクローゼットである。
ゼルマは、スカートの下に履く、パニエと言う下着を取り出し、身に着けてゆく。

その上から、ワインレッドのワンピースを身に着ける。
レースのフリルを履き口にあしらったソックスを履き、白いエプロンを羽織る。

そして、髪留めとしてのカチューシャを付ければ準備は完了である。
ゼルマは術式を展開し、ゲートを構築する。

そのままゲートを抜ければ、お屋敷の自分の部屋。
「おはよう!」

「ああ、ゼルマ、朝から元気だよね~」
同室のアンジェリカが、まだ寝むたそうに、つぶやく。

それでも、起きて来てたのは立派だと思う。


「それじゃ、今日は私の番だから」
「ハイハイ、頑張って~」

部屋を出て、廊下を歩いて行く。
颯爽と胸を張り、目指すは反対側の建物。

目的のドアの前に辿り着き、服装に異常が無いか確認して、扉を叩く。
「おはようございます、ご主人さま」

そう、ゼルマ・ヘルツォーク・フォン・アルトシュタット・ローゼンハイムは今日も元気にメイドの仕事に励むのであった。


(おわり)

---------------------------------あとがき------------------------
ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
一応、ゼルマ復讐編はこれにて終了させて頂きます。

後は、外伝形式で幾つか掲載させて頂く予定です。
色々切り捨てたネタがあるので、何とか書ければと思っております。

今後も宜しくお願いいたします。


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