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[12267] 燐・恋姫無双【完結】
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2010/09/28 06:20
 
 鏡が、淡い光を放ち始めて、自分という存在を形作る想念を呑み込んでいく。溶かされていく。
 
 この物語の突端と、同じ光。そして‥‥外史を終焉へと導く光。
 
 切り離されたフィルムのように、途切れ途切れに、脳裏をよぎる。
 
 今まで過ごした時間。
 向けられた笑顔。
 柔らかな、温もり。
 
 走馬灯のように、浮かんでは消えていく。
 
 自分という想念が薄れていくことを感じながら、それでも俺は心の中に愛しき人たちを思い描く。
 
 不意に‥‥‥‥声が聞こえた。
 
「ご主人様!」
 
 愛紗‥‥‥‥‥。
 
 白い光に包まれ、薄れゆく視界に、確かに見えた。
 
 ずっとそばにいてくれた、心優しき少女。
 この戦いの物語の中、ずっと俺を支え、時には励ましてくれた、大切な半身。
 
 愛沙だけじゃ、ない。
 
 星、翠、朱里、鈴々、紫苑‥‥‥。
 
 皆、こっちに走ってくる。俺を助けようと、手を伸ばしてくる。
 
「約束したのに‥‥っ! ずっと‥‥‥ずっと一緒にいるって約束したのにっ!」
 
「私を置いて、どこへ行くおつもりですか! そんな事ッ、絶対に許しませんよ!!!」
 
「ご主人様! どこにも行かないで! あたしを一人にしないでよ!」
 
「消えないで‥‥っ! 絶対に助けてみせますから! どこにもいかないでっ!」
 
「やだよっ! お兄ちゃんとお別れしたくない!」
 
「そんなの嫌ッ、ご主人様がいなくなるなんて嫌よッ!」
 
 道を阻む少年‥‥左慈に一切構わず、ただただ‥‥‥その手を伸ばす。
 
 
 嫌、だ‥‥‥‥。
 
 離れたくない。もう、彼女たちのいない世界なんて‥‥考えられない。
 
 たとえ‥‥消え去る運命だとしても‥‥‥
 
「み、皆‥‥‥‥!」
 
 こんな別れ、認めない。
 
 まだ、まだ皆と一緒に生きていたい。
 
 ここにいる愛沙たちだけじゃない。
 
 無口な恋、陽気な霞、口うるさい詠に、心根の優しい月。
 
 敵対し、そして文句を言いながらも仲間となり、俺を助けてくれた華琳たち。
 
 王としての責任、役割‥‥‥そういったものを教えてくれた蓮華たち。
 
 力の無かった俺を助けてくれた、義侠に富んだ少女、公孫賛。
 
 この世界で生まれた絆が、それを失う恐怖が、この胸を締め付ける。
 
「傀儡どもが、そんなにそいつが好きなら、全員まとめて殺してやるよッ!!」
 
 俺に向かって走る、左慈に背を向ける仲間たちに、その凶拳が振るわれる。
 
「ぐぅっ!」
 
 紫苑が、倒れた。
 
「にゃぁっ!?」
 
 鈴々が、倒れた。
 
 背を向け、走る少女たちに振るわれる豪撃。武の達人も、世に名だたる英傑も関係ない、今は一人の少年しか見えていない。
 
 
「くそぉっ!」
 
 叫ぶ声すらも、消え入りそうに掠れる。
 
 もはや意識すらも消え果てそうに薄れる中で‥‥
 
「きゃあっ!」
 
「っぁああ!!」
 
 朱里と、翠が倒れた‥‥‥ようだ。
 
 もう、目も見えない。
 
「一刀殿!!」
 
 星が、倒れた。
 
 かなり間近で聞こえた、そう思えたのに‥‥その声はひどく遠い。
 
「一刀様!!」
 
 愛沙の声、さっきよりさらに‥‥近い。
 
「うっ‥‥‥ぁあああ!!」
 
 目も見えない、耳も‥‥もう聞こえない。
 
 それでもただひたすら、爆発させるように、がむしゃらにその手を伸ばした。
 
 
 そして、その手は‥‥‥‥
 
 
 
 
 ただ、虚を掴み、新たな外史の扉が開かれる。
 
 
 
 
 築いた絆は、育んだ絆は、伸ばした絆は‥‥‥しかし届かず。
 
 
 新たな外史に、その爪痕を残す。
 
 
 
 
(あとがき、兼まえがき)
 はじめまして、水虫と申します。
 まず、はじめに。
 今回はプロローグという事もあり、特に短いですが、私は携帯からの投稿なため、以降の話も字数制限により、一話一話がそれなりに短くなってしまうかと思います。
 私は、三國志に関する知識はそんなにありません。ので、所々おかしな点が見られるかと思いますが、その際にはご指摘頂ければ幸いです。修正可能な部分であれば直します。
 それ以外でも、今回が初投稿‥‥というわけではありませんが、未熟な所が多かろうと思いますが、完結目指して頑張りますので、よろしくお願いします。
 
 
(注意)
 本作品は、内容に原作キャラの死が含まれます。
 
 



[12267] 一幕・『新たな外史』一章
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/12/08 06:04
 
「ん、んん‥‥‥‥」
 
 目蓋を閉じた上から、灼くような日差しを感じて、目を覚ます。
 
「お、俺は‥‥‥」
 
 声は出る。
 全身も痛いけど、指の動く感覚や、足の動く感覚も残ってる。とりあえず、体の方は大丈夫らしい。
 
「俺は‥‥‥‥ッ!?」
 
 唐突に、覚醒した。
 
 
『あなたがここまで来た以上、終端はすでに確定してしまった』
 
『終幕の始まり‥‥‥。決められたプロットが遂行されて始まる。これが物語の終端』
 
『それは仕方の無いこと‥‥‥。だけどあなたには、新しい外史を作ることが出来る』
 
『さあ‥‥‥描きなさい。あなたの想念を‥‥‥』
 
 
 弾かれるように、目を開けると同時に起き上がる。
 
「ここ、どこだ‥‥‥‥」
 
 果てまで抜ける青い空、浮かぶ雲はずっと閉じていた目には痛いほどの真っ白。
 
 針の如くそびえる岩の山と、地平の果てまで広がっている赤茶けた荒野。
 
「‥‥‥‥ホッ」
 
 とりあえず、俺が元々いた聖フランチェスカの光景ではなく、彼女たちの世界の光景らしき事に安堵して‥‥
 
「って違うだろ!」
 
 全然、何も解決していない。
 
 愛沙は、星は、翠は、朱里は、鈴々は、紫苑は!?
 
 あれから結局何がどうなった!?
 
 何一つわかっていない現状は変わってない。
 
 わかっている事と言えば、あの時持っていた剣や、着ていた服がそのままだ、という事くらいか。
 
 誰かに何かを訊きたくても、広い荒野に、清々しいまでの無人っぷり。
 
「‥‥‥‥‥ん?」
 
 いや、違う。南の方から、砂ぼこりを巻き上げて、何か見える。
 
 よくよく目を凝らすとそれは、馬にまたがった‥‥‥人間!?
 
「おおーーい! おおーーい!!」
 
 もはや見慣れた世界観と、現状を確認出来る話し相手を見つけた事に、飛び付くように大声を上げた俺は‥‥‥
 
 その上げたテンションを、一気に地の底まで下げる事になる。
 
「‥‥‥‥あ、れ?」
 
 小柄なチビに、大柄なデブ、そしてヒゲのおじさん。そこまではいい、人を見た目で判断してはいけない。
 
 しかし、距離が縮まる事で視認出来たその手には、包丁よりも大振りな、短刀。そして、頭に巻かれた‥‥‥"黄色い布"。
 
 ヤバイ!!
 
 反射的にUターンして猛ダッシュ。この世界で頭に黄色い布を巻いている奴は高確率で、盗賊だの山賊だのに決まっている。
 
 しかし、隠れる場所なんてない広い荒野で、相手は馬に乗っている。当然逃げ切れるはずもなく。
 
「おおーっと待ちな! わざわざ大声で呼んでくれたのはテメェじゃねえか!」
 
「くっ‥‥‥!」
 
 簡単に回り込まれる。
 
 そのまま三人組の男が、馬から飛び降りてきた。全員が、その手に刃物を持っている。
 
「? ‥‥‥‥随分変なカッコした野郎だな」
 
「あ、アニキ。こいつ一丁前に剣なんか持ってやすぜ?」
 
「生意気なんだな」
 
 
 予想通りの、三人組の完全無欠に盗賊な物言い。背中が、走った事とは別の汗をかいている。
 
 この世界(で、いいのか少し自信がないけど)に初めて来た時、愛紗に助けてもらった時と似たようなシチュエーションだ。
 
 あの時と違って、剣はある。愛紗や鈴々、星とかに散々しごかれもした。
 
 いつか詠と街に出かけた時に、三対一で暴漢を追っ払った事もある。
 
 ‥‥‥だけど、あの時は詠を守らなきゃならなかったし、武器も木の棒。
 今回は真剣の‥‥命のやり取り。そして身ぐるみを差し出せば、誰も傷つかなくて済むかも知れない。
 
 何より、もう自分だけの体じゃない。軽々と命を懸けられない。
 
 ‥‥‥しかし、もし身ぐるみを剥がされた後に殺す、とか、奴隷として売り飛ばす、とか言われたら‥‥‥その時は今度こそ抵抗する術が無い。
 
 ‥‥‥‥よし。
 
「それっ!!」
 
「あっ!? こいつ‥‥!」
 
 俺は、持っていた有り金全ての入った袋を、散らばりやすいように紐を緩めて、右側に思い切り放り投げた。
 
 そのまま左側‥‥一番森(隠れやすそうな場所)が近い方向に、全速力で駆け出す。
 
 散らばった金を集めるだけで満足してくれれば、わざわざ俺を追い掛けては来ないだろう。
 
 と、思っていたら‥‥‥。
 
「へっ、逃がさねえよ!」
 
 大した距離も稼げていないうちに、馬にまたがった小柄な盗賊が回り込んできた。
 
 振り返れば、ヒゲとデブは落ちた金を集めている。
 
「へへっ、金だけ渡して逃げようなんて甘いんだよ。そのキラキラした服と剣も置いていきな」
 
 馬から降りて凄んでくる盗賊。どうやら、俺が金を餌にして逃げようとした事で、すっかり強気になっているらしい。
 
 だが、一対一なら‥‥‥
 
「ふっ!」
 
 ビュッと風を切って、俺の剣が小柄な盗賊の顔の前を通過する。
 
「うひゃあ!?」
 
 完全に舐めていた盗賊は、それだけで仰け反るように後退る。
 
 やっぱり、貧困に堪えかねて盗みをするようになった‥‥刃物を持っただけの素人。
 
 おまけに、この小柄な盗賊の持つ短刀は、俺の剣よりずっと短い。これなら負けない。
 
 むしろ好都合。このまま剣で威嚇しながら馬を奪って逃げよう、そう思った‥‥‥まさにその時。
 
「待てぃ!」
 
 高らかに、堂々と、聞き慣れた声が響いた。
 
「だ、誰だっ!」
 
「たった一人の庶人相手に、三人掛かりで襲いかかるなどと‥‥‥その所行、言語道断!」
 
 何事か、と、ヒゲとデブが金を集めるのも忘れ、こちらを凝視する。
 
「そんな外道の貴様らに名乗る名前など、ない!」
 
「ぐはぁっ!」
 
 声が響いた次の瞬間。俺の前に立ちふさがっていた小柄な盗賊が、潰れたよいな無様な悲鳴を上げて、吹っ飛んだ。
 
 "相変わらずの"、目にも止まらぬ槍捌きに言葉を失いながら‥‥それ以上の感動で言葉を失っていた。
 
 一度は、永遠の別離を覚悟し、自分という存在を懸けてそれを拒んだ‥‥大切な、大切な仲間たち。
 
 その一人が、今‥‥‥目の前にいる。
 
 外史だの終端だのと騒いでいたのが夢だったかのように、いつもと変わらぬ姿が‥‥そこに在った。
 
 白い衣を靡かせて、蝶のように舞い、槍を振るう英傑‥‥‥趙子龍。真名は、星。
 
「なんだなんだ。所詮は弱者をいたぶることしか出来ん三下か?」
 
 弱者て。
 
 確かに星に比べれば俺なんか子供と変わらんのかも知れないけど、自分なりに頑張ってたつもりだったんだけどなぁ〜〜。
 
 もう、さっきまでの危機感とか焦燥感がきれいさっぱり無くなっている。
 
 ‥‥‥‥俺、本気で皆に依存し過ぎだな。頑張ろう。
 
 それはさておき、そういえばさっきも"庶人"とか言われた気がするし‥‥もしかしたら今は『華蝶仮面』なのかも知れない。
 
 しかし、いつもの名乗りも仮面も無いが‥‥はて?
 
「くっ‥‥‥おい、お前ら! 逃げるぞっ!」
 
「へ、へえ‥‥‥」
 
「だ、だな‥‥‥」
 
 などと考えている間に、星の槍の石突きで吹っ飛んだ小柄な男が、よろよろと立ち上がり‥‥リーダーらしきヒゲに連れられて逃げていく。
 
 星に吹っ飛ばされたのが、逆に奴らにとって幸いしたな。
 
「逃がすものか!」
 
「あっ、ちょっと待‥‥‥」
 
 そのまま、止める間もなく三人組を追い掛けていく星。
 
 ‥‥‥小柄な男の馬はここにいるから、向こうは一頭二人乗りになるとはいえ、いくら星でも馬には追い付けないと思うんだけど。
 
 っていうか俺、こんな見晴らしの良い場所で星の接近に全然気づかな‥‥‥
「大丈夫ですかー?」
 
「‥‥‥え?」
 
 ぼんやりと走る星の後ろ姿を眺めていると、おっとりと間延びした、女の子の声が掛けられた。
 
「傷は‥‥‥無い、な。平気か?」
 
「あ、ああ‥‥大丈夫‥‥‥」
 
 さらにもう一人、彼女よりもしっかりした感じの、メガネを掛けた子が、気遣ってくれる。
 
 ‥‥誰だろう? 星の知り合いだろうか?
 
「まあ、怪我が無いようなら、それでいいですけどー」
 
 それにしても、何だか独特な雰囲気の子達だ。特に、妙にテンポの遅い子の方。
 
 こっちの世界に来てから色々と個性的な女の子たちに出会ったが、今までに無いタイプな感じ。
 
「あ、ありがとう。ところで君たち‥‥‥‥」
「やれやれ。すまん、逃げられた」
 
「お帰りなさい、星ちゃん」
 
「お疲れさま」
 
 二人の名前を訊こうとした所で、戻ってきた星に遮られた。
 
 それを、二人が労う。‥‥‥って何やってんだ。まず俺が真っ先にお礼言わなきゃダメだろ!
 
「いや、追い払えただけで十分だよ。ありがとう、星」
 
 その瞬間、
 
「「っ!?」」
 
 星の友達(多分)の二人が、目を見開いて驚いた。
 
 ああ‥‥そうか、俺が通りすがりに助けられた、星の赤の他人だと思われてるのか。
 
 そんな奴がいきなり星の真名を呼んだ、と思ってビックリしてるのか。納得。
 
「ふっ、礼には及ばんよ。それより災難だったな。この辺りは比較的盗賊が少ない地域らしいのだが‥‥‥」
 
「ああ、そうなんだ。後で愛紗や朱里にも相談し‥‥‥ってそうだ星っ! あれから何がどうなったんだ!?」
 
「‥‥‥あれから? ああ、あの盗賊たちなら馬に乗って‥‥‥‥」
「星ちゃん!」
 
 かなり大事な話の最中だったというのに、またも遮られた(まあ、星が少し的外れな返答をしていたような気がするけど)。
 
 しかも、あのおっとりとしたペースの子が、大声を上げて。
 
 ‥‥これは、一度自己紹介しておかないと話も出来ない。
 
「星! 貴女、さっきから見ず知らずの男に何度も真名を呼ばれているのよ!?」
 
「訂正してください!!」
 
 メガネの子が星に、おっとりとした子が俺に怒鳴る。
 
 ‥‥‥今まで君主って立場からか、わりと簡単に真名を預けられる事多かったけど、真名ってやっぱり大切なんだな。
 
 しかしまあ、星が一言「私の主だ」と言ってくれれば万事解け‥‥‥
「あ‥‥‥‥ああ、そういえばそうだな」
 
 ‥‥‥‥‥‥‥え?
 
 星は否定せず、言われて気付いたように槍を回して‥‥‥
 
「ふっ!」
 
 その瞬間、星の握る槍の穂先が、俺に突き付けられていた。
 
「全く‥‥‥"そういえば"、じゃありませんよ」
 
「いや、すまん。何故か全く違和感が無くてな。気づかなかった」
 
「風たちが謝られる事でもないですけどねー」
 
 二人と話しながらも、星の槍の穂先は俺の喉元から微動だに動かない。
 
「な、何言っ‥‥‥」
「おぬし、どこの世間知らずの貴族かは知らんが‥‥‥いきなり人の真名を呼ぶなど、どういう了見だ!」
 
「!!!」
 
 その言葉に、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、俺はその場に崩れ落ちた。その時‥‥首を、穂先が浅く切った。
 
「訂正しろ! さもなくば、この槍が貴様のその首を貫くぞ!」
 
 俺を‥‥‥知らない?
 
 冗談を言っているようにも見えない。
 
 なら、ここは‥‥‥
 
 
『その新しい外史の萌芽を‥‥‥心に描きなさい』
 
『心に描いたその想念が、正史のそれとリンクすれば‥‥‥私たちではない誰かが、新たな外史を作り出してくれるわ』
 
 
 この、世界は‥‥‥‥
 
 
 
 
(あとがき)
 我ながら、実にオーソドックスな展開(むしろテンプレ?)。恋姫のSSは数が多いですが、どこかの作品と似てるとかないか、ちょっとびくびくしてます。
 



[12267] 二章・『旅立ち』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/09 05:35
 
 この世界は‥‥‥‥
 
『新しい外史の萌芽を‥‥‥‥』
 
 俺がいた世界じゃ‥‥‥‥ない。
 
 認めたくない現実が、
 
「脅しではないぞ。三つ数える内に訂正せぬなら‥‥‥」
 
 本来なら、決して自分を傷つける事などあり得ない‥‥大切な少女。という、最悪な形で目の前にあった。
 
「わ、わかった。ごめん、訂正するよ」
 
 未だ現実に打ちのめされた衝撃から立ち直れないまま、まとまらない頭で訂正した。
 
「‥‥結構」
 
 そして、意外とあっさり槍は下ろされた。
 
「ところでおぬし、その格好を見るに、どこかの貴族か豪族のようだが‥‥‥どこの出身だ?」
 
 ああ、やっぱりこの子は、俺と想いを通わせた仲間じゃないんだなぁ、と思いつつ‥‥‥
 
「日本の、東京」
 
 応えてから、不味かったかな? と思った。
 
 前みたいに、『天の御遣い』なんて思ってもらえる方が少数派なはず。愛紗だって、何とかって占い師の言葉で、俺を天からの遣いだって思い込んだわけだし。
 
 ‥‥‥変人と思われたかな?
 
「‥‥‥にほんのとうきょう? 稟、そのような地名に心当たりはないか?」
 
「無いわね‥‥。南方の国かもしれないけど」
 
「風も知りませんねー」
 
 案の定、見知らぬ単語に、揃って訝しげな反応をしている。
 
 これは‥‥話題を変えないと不味い事に。
 
「そ、それよりここはどこだろ? 旅の途中で道がわからなくなって‥‥‥」
 
 さっきの失言を反省して、当たり障りの無さそうな事を言ってみる。
 
 ‥‥‥こういう時なのに意外と頭が回る、というのが‥‥妙に悔しかった。
 
「‥‥‥ふむ、まあ、後のことは‥‥陳留の刺史殿に訊くといいだろう」
 
「そうですねー」
 
 せっかく咄嗟に知恵を絞ったのに、丸投げ気味な応えが返ってきた。
 
「陳留の‥‥刺史?」
 
「ほら、あれに曹の旗が」
 
 メガネの少女が指差した方向を見れば、地平線の向こうからもうもうと砂煙が立ち上ってるのが確認できた。
 
 しばらくすると、騎馬武者の群れと、その上に翻る大きな旗が見えてきて‥‥‥っていうか、メガネなのに意外と目良いな‥‥じゃなくてっ!!
 
 『曹』
 
 大きな旗に堂々と、その一文字が描かれていた。
 
 ‥‥‥‥‥え? 丸投げ?
 
「っていうか何? 三人とも、行っちゃうの!?」
 
 俺の世界の星じゃなくても、今はこの『趙子龍』だけが頼みの綱だと思ってたのに‥‥‥いきなりお別れ!?
 
「我々のような流れ者が貴族のご子息を連れていると、大抵の者はよからぬ想像をしてしまうのですよ」
 
「だから、貴族違うってば」
 
 確かに女の輪の中に混ぜろってのは自分でも図々しいと思うけど、助けてお願い。
 
「その辺りはご自分で説明なされ。面倒ごとは楽しいが、官が絡むと途端に面白みがなくなるのでな」
 
「ち、ちょっとぉ‥‥‥‥っ!」
 
 自分でも情けない声出してるとは思うが、ここは引けな‥‥‥
「それでは、ごめん!」
 
「ではでは〜♪」
 
 踵を返して駆け出す‥‥そういえば姓も名も訊いていない女の子二人と‥‥星。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 俺は、何に拘ってるんだろう。
 
 あの星は、俺の仲間の星じゃない。別に、一緒に居る必要なんかないじゃないか。
 
 そう考えると、愛紗も、鈴々も、朱里も‥‥誰だって同じだ。
 
 だったら‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 遠くに見える、曹の旗を見る。
 
 頼るのは華琳だって、良いじゃないか。
 
 星も華琳も、この世界では赤の他人。どっちでも‥‥‥‥
 
 と、自暴自棄気味に決めてしまいそうになって‥‥‥。
 
「‥‥‥‥‥あれ?」
 
 何か、致命的な事を忘れているような感覚に陥る。
 
 響く馬蹄に焦りつつも、必死に思い出そうと‥‥‥‥
『ブ男ね』
 
『正直、分からないわ。頭では良いと思っていても身体がどう反応するか。‥‥‥もしかするとあなたを殺してしまうかもしれないわね』
 
『‥‥魏にいた頃のわたしなら、あなたの首を切り落として犬の餌にしていたわよ』
 
『そんなふざけた菓子を作る"男"の首なんて、刎ねるに決まっているでしょう』
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 はっはっはっはっ、は‥‥‥‥まさかね。
 
 チラリ
 
 ‥‥‥いやいやいやいや、大丈夫だよね?
 
 チラリ
 
 いやいやいやいや‥‥嫌ぁああーーー!!
 
 
 
 タッ‥タッ‥タッ‥タッ‥!
 
「あのお兄さん、大丈夫ですかねー?」
 
「陳留の刺史の評判はこの地方でもかなり高い。後ろ暗い事でも無い限り、不当な扱いは受けまい?」
 
「むしろわたし達があの場にいたら、話をややこしくしてたでしょう。というより‥‥‥星」
 
 軽快に走りながら、つい先ほどの奇妙な少年について会話を交わす三人。
 
 ふと、メガネを掛けた少女、稟の口調が気遣わしげに変わる。
 
「さっきのあなた、少し変よ? 真名を呼ばれて気付きもしないなんて」
 
「ふむ‥‥‥。確かに自分でも不思議な‥‥‥ッ!?」
 
『お疲‥様。‥‥‥ケ‥は‥い?』
 
『ふっ、そ‥だな。天の‥‥‥として幽州‥域にその名‥を轟かしている‥‥‥。あなただ』
 
『‥‥‥もし俺‥ことを認め‥‥‥れるなら、趙雲さ‥‥仲間にな‥て欲しいって‥‥てるよ』
 
『曹操や‥権よりも‥‥あなたが‥きだ。だか‥‥なたの‥臣となる』
 
 
「ぬ、ぅう‥‥‥!」
 
「星‥‥‥?」
 
「星ちゃん‥‥‥?」
 
 先ほどまで平然と槍を振り回し、駆けていた星が頭を押さえてよろめいた事に、二人は慌てる。
 
「あ、いや‥‥何でもない‥‥‥‥」
 
 しかし、それも一瞬。すぐに持ち直した。
 
「‥‥‥まあ、平気なら何よりなのですー。ところで‥‥‥」
 
 明らかに挙動不審な星の態度を、大して気にするでもなく、風が常の通りにのんびりと‥‥‥
 
「どうかしたか?」
 
「風?」
 
 パカッ‥パカッ‥パカッ‥‥!
 
「さっきのお兄さんが、追い掛けて来ているようなのですー」
 
「「‥‥‥‥‥は?」」
 
 星と稟、二人間の抜けた声を上げて、ゆっくり振り返り‥‥‥
 
「おーーい! 待ってくれ! 頼むから! 後生だから!!」
 
 先ほど、小柄な盗賊の男が乗っていた馬に乗って駆けてくるさっきの男。しかも‥‥‥後ろに兵隊が少々。
 
「「‥‥‥ぇええええっ!?」」
 
 完全に予想外の事態に度肝を抜かれる星、稟。風だけが冷静。
 
「頼むから、話だけでも聞いて! お願い!」
 
「だ〜か〜ら! それは刺史殿に頼めと言ったであろうが!?」
 
「我々まで巻き込むつもりですか!?」
 
「あれだって、あそこに行ったらちょっと命の危険が‥‥‥」
「ッ貴様ぁ! やはり何か後ろ暗い事があるのか!?」
 
「そんなもんあるかぁあーー! 強いて言うならおまえらにはない三本目の足があるだけだ!!」
 
「おうおう、女三人追っ掛けながら破廉恥発言とは‥‥‥兄ちゃんやるねぇ」
 
「三本目の足?‥‥‥破廉恥?‥‥‥そ、それはまさか‥‥‥」
 
「何故追ってくる! 受けた恩を仇で返すつもりか!?」
 
「そんなつもりじゃないけどとりあえず助けて!! 後でメンマあげるから!」
 
「‥‥‥‥(ぴくっ)」
 
「頑張れー‥‥‥」
 
「それは‥‥その‥‥つま、り‥‥‥‥‥ぶーーーーーーっ!」
 
「なんか吹いたーーーーー!?」
 
 怒鳴る星、何故か馬から降りて走る一刀、何故か入れ替わりに馬に乗っている風、噴水の如く鼻血を吹き出す稟。
 
 追ってくる曹操の騎馬を一行が振り切る頃には、もう日が暮れていた。
 
 
 
「華琳様、先ほどの四人組、見失ってしまったようです」
 
「そう‥‥‥。女三人に男一人、報告と外見的特徴は一致しないわね。逃げた、というのが疑わしいけれど‥‥‥」
 
「如何、なさいますか?」
 
「いいわ‥‥捨て置きなさい。見失った、無関係かも知れない者に、これ以上時間と労力を割く余裕は無いわ。軍を進めなさい」
 
「「はっ!」」
 
 その頃、遠くない未来に覇道を歩む少女とその剣たちが、一つの書物を求め、軍を進めていた。
 
 
 
「姓は北郷、名は一刀。別の世界から来た‥‥こーこーせい?」
 
「‥‥‥‥ああ」
 
 必死に曹操軍の兵士から逃げのびて、完全に日が落ちる前に街に辿り着けたのは運が良かった。
 
 あの時盗賊に投げつけた金を、馬に乗る前に手掴みで適当に拾っておいたのも良かった。
 
 だから、こうしてお詫びに晩飯を奢りながら、話など出来ている(ちなみにあの馬もすぐに売った。馬草とかを買う余裕無いし)。
 
 とりあえず、ただでさえ胡散臭い話がさらに胡散臭くならないように、『前の世界』の事は言ってない。
 
 ただ、元々俺が余所者だって事は素直に白状した。‥‥‥だって、星相手じゃ嘘なんかすぐに見抜かれそうだし。
 
 所詮俺の頭脳じゃこれが限界。もっともらしい嘘より、胡散臭い事実である。
 
「そういえば、そんな占いを聞いた事はありますねー。乱世を平和に導くために、天の御遣いが舞い降りるとか、舞い降りないとかー」
 
 どっちだ。それにしても、愛紗が言っていたあの占いはこの世界にもあって、しかもこの子がそれを知っていたのはありがたい。
 
「風は、この男がいたと言う世界がその天界で、この男がその御遣いだと言うの? ‥‥‥私にはとてもそうは見えないけど」
 
「いや、さっきも言ったけど、俺は単なる高校生だよ。そんな大層なもんじゃない」
 
 一応、前の世界では大陸を平定した君主‥‥って事になってはいたが、悲しいかな‥‥お飾り君主であった自覚はあるし、今はその自覚が‥‥‥誰かの信頼を裏切る事も‥‥ない。
 
 ‥‥‥やめよ、ブルーになるの。
 
「まあ、そうですねー。英雄としての風格も‥‥‥」
 
「王としての威厳も‥‥‥」
 
「道を貫く覇気も‥‥‥」
 
「「「全く感じられ(ませ)ん」」」
 
 ‥‥‥いや、わかってるけどさ。三人揃ってはもらなくてもいいじゃない?
 
「ところで、三人の名前も教えて欲しいんだけど‥‥‥‥」
 
 星は知ってるけど、知ってたらおかしいので訊いておく。
 
「私は趙雲、字は子龍」
 
 まず、この場の誰より知ってる(はずの)星が名乗り、
 
「風の事は程立と呼んでくださいー。ちなみにこいつが‥‥‥」
 
 程立、と名乗った少女は自分の頭に乗ってる変な人形(失礼)を指して‥‥
 
「オレは宝慧ってんだ、よろしくな兄ちゃん」
 
 分かりやすい裏声(?)で腹話術(?)を披露してくれた。面白い子だな。
 
「今は戯志才と名乗‥‥‥いえ、郭嘉といいます」
 
「‥‥‥何か今、明らかに偽名っぽいのが最初に聞こえたんだけど‥‥‥」
 
「女の旅は、何かと物騒ですからね。‥‥でも、貴殿はこの先も付いてくるつもりなのでしょう?」
 
 う゛‥‥‥バレてるし。
 
「なら‥‥常に偽名で呼ばれるのも疲れますから。真名はともかく、本名くらいは名乗っておこう、と思い直したまでです」
 
 さいですか。
 
 見れば星も程立も、郭嘉の言葉に特に反応はしていない。
 
 ‥‥‥俺、そんなにこの先も付いて来たがってるように見えるのか?
 
「ふふっ、捨てられた仔犬のような顔をしていれば、誰にでもわかるさ」
 
 ‥‥何か、俺の心を読まれてる気がする。
 
 ラーメンに盛ったメンマのおかげか、星はなかなかに上機嫌。
 
 この店のメンマが美味かった事に心底感謝する。
 
 
「‥‥‥ありがとう、俺に出来る限りの事で、皆の力になるよ。俺が本気で役立たずだって思ったら、すぐ切り捨てて構わないから。それまで‥‥一緒にいさせて欲しい」
 
 俺の言葉に、三者三様に、しかし頷いてくれた。
 
 
 
 こうして、新しい外史での俺の旅が、始まった。
 
 



[12267] 三章・『旅の途中で(猫)』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/29 08:10
 
 銅鏡から放たれた白い光に飲み込まれ、新しい‥‥前と"よく似た世界"に放り込まれ、"俺の事を知らない趙雲"と出会った俺。
 
 はっきり言って右も左もわからない俺は、しかし見聞を広める旅をしているらしい星‥‥そしてその友達の程立と郭嘉という女の子に同行させてもらう事に成功し‥‥‥
 
 
「おう坊主! 今日はもう上がっていいぞ!」
 
「あっ、はい。お疲れ様でした!」
 
 働いていた(今日は薪割りと皿洗い)。
 
 最初の街では、馬を売った金とか手持ちの金とかで保っていたが、金は使えば無くなる物である。
 
 そんなわけで、俺が三人の荷物持ちをしつつ北上し、街を訪れる度に日雇いの小遣い稼ぎに勤しむ、という旅は続いている。
 
 街に着くと俺は大抵働いてるから直接見てるわけではないのだが、三人娘は見聞を広めているらしい。
 
 俺がやってる事も、結構世間ってものを知るのにいいんじゃないかと思う。
 
 何ていうか‥‥前の世界では想像しか出来なかった『働く側の視点』を生で体感出来るのだ。
 
 しかも街によって、栄えてる商売とか、風習とか、拘りとか、結構違うから面白い。
 
「今日は結構貰えたな」
 
 地図だと、次の街までは大して距離は無いはずだし。そんなに食料を買い込んでいく必要もなかったはずだ。
 
「何か、星たちにお土産でも‥‥‥」
 
 星はメンマか? でも星の舌に適うようなメンマを俺が選び出せるだろうか。
 
 程立や郭嘉が喜びそうな物‥‥は、ちょっとわからないな。
 
 などと考えながら宿への帰途についていた俺は‥‥‥‥‥‥
 
「にゃっ、にゃにゃ、にゃっ!」
 
「うにゃぁ〜ん、ふにゃあぁ〜」
 
 いつの間にか、猫の世界に迷い込んでいた。
 
 いや、別に猫がたくさんいるとかそんなのは全然ないのだけれども‥‥。
 
「ふにゃぁ。にゃぅ〜ん‥‥うにゃあ‥‥‥にゃぅ」
 
「にゃー」
 
 さっきからコレ、実は猫ではない。
 
 いや確かに、我が物顔の猫三匹はご健在だし、鳴き声も混ざっているが‥‥‥むしろ大半の鳴き声の発生源は、その前でしゃがんでいる少女二人。
 
 相変わらず眠そうな顔した程立と、何故か熱心な表情で猫とにゃーにゃー言っている星である。
 
 何やってんだ? と声を掛けようと思ったが‥‥とっくに気付いていたのか、星が人差し指を唇に当てて、ちょいちょいと手招きしてきた。
 
 静かに近寄れ、と?
 
「‥‥‥‥‥‥」
 
 指示された通りに、抜き足差し足忍び足。多分猫を驚かせるな、という事なんだろうなあとぼんやり思いつつ‥‥‥俺も猫の前にしゃがみ込む。
 
 程立は俺の接近などお構い無しに、猫と見つめ合ってい‥‥‥‥
「‥‥‥‥‥ぐぅ」
 
「寝てたのかよ!」
 
 ビシッと‥‥‥‥
 
 はっ!? 思わずツッコミを入れてしまった。
 
「ふーっ!」
 
 驚かせてしまったのか、猫の一匹が毛を逆立てて威嚇してくる。
 
「‥‥‥北郷よ、何の為に身振り手振りで教えたと思っているのだ?」
 
「おぉ? 今日もお仕事大変でしたね、おとっつぁん」
 
 やや不機嫌に呆れる星と、寝起きに一発労ってくれる程立。
 
 誰がおとっつぁんやねん‥‥とかツッコミを入れるより今は何より‥‥‥
 
「うりゃ!」
 
 こちらを威嚇するケンカっ早い猫の首のところに手を伸ばして、こちょこちょとくすぐってやる。
 
「‥‥‥おおー」
 
「ほぅ‥‥‥」
 
「にー♪」
 
 ふ‥‥‥弱点の顎を愛撫されて、屈しない猫などこの世にいるもんか。猫その一、やぶれたり。
 
「やるな、北郷。その一刀一号はなかなか気が強いのだが‥‥‥」
 
 その名前なに!?
 
「むー‥‥‥‥」
 
 星にツッコミを飛ばそうとして‥‥‥何やら不満げに唸る程立が目に入り、ストップがかかる。
 
 その視線は、俺の指先に陥落してごろごろと喉を鳴らす一刀一号(仮)。
 
 ‥‥‥ははーん。
 
「程立、猫に触りたいんだろ?」
 
「っ‥‥‥」
 
 確定。今、絶対一瞬目逸らしたし。
 
「はははっ、何を馬鹿な事を。これで意外と話題も豊富。腹を割って話してみれば、なかなか楽しい相手だぞ」
 
 ‥‥‥‥‥何?
 
「見聞を広めるには欠かせぬ友‥‥という奴だ」
 
 言って、星は意味深にニヤリと笑う。
 
 程立はともかく、星は‥‥‥猫と喋れる、と?
 
 そんな馬鹿な、と笑い飛ばせないのが、この趙子龍の怖い所である。
 
「趙雲‥‥猫語がわかったり、する?」
 
「ふふ。女というものは、秘密をまとってこそ美しく輝けるのだ。余計なことを聞くのは野暮だぞ?」
 
 やはりこっちでも健在のミステリアス・ガール。
 
 上手い具合に誤魔化されてる気もするが、本当は全部事実で、戸惑う俺で遊んでいる気もする。
 
 さすが天下の趙子龍、計り知れない。
 
「‥‥‥‥‥ん?」
 
 そんな俺の目の前で、寝ていたもう一匹の猫が目を覚ました(ちなみにまだ一匹寝てる)。
 
 一刀一号よりものんびりしてる感じがするな。ちょっと程立に雰囲気が似てる。
 
「おお、起きたか一刀二号。にゃ‥にゃぅ‥‥なーお」
 
 後半は猫語で話しながら、横目でこっちを見てくる。
 
 その目が「気になるだろう?」と、意地悪に物語っている。くそぅ‥‥‥。
 
 ちょっと悔しくなった俺は、一刀二号(仮)をしばし見つめる。‥‥‥うん、しっかりおとなしい。
 
 これなら‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥よし」
 
 右手で一刀二号の顎を撫で、同時に左手で頭も撫でる。
 
 俺の全力の愛撫に、すぐさまふにゃけた一刀二号。
 
「(‥‥今だ!)」
 
「にゃあ?」
 
 気合いを入れたわりには、我ながら絶妙な優しい力加減で脇に手を入れて抱え上げ、すぐに一刀二号が楽なように両手で支える。
 
 構図的には、お姫様抱っこwith猫。
 
 うん、ひっかくどころか、何事もなかったように俺の腕の中でまた目を閉じてるね、マイ二号。
 
「‥‥‥お兄さん、おやすみ中の一刀二号の邪魔をしてはダメなのですよー」
 
 とか言いながら、程立の視線は一刀二号に完全固定。そのまま、ゆっくりと、恐る恐る手を伸ばして‥‥‥って、それはまずい!
 
「うにゃう!」
 
「ひゃっ!?」
 
 伸ばした程立の手を一刀二号の爪が襲う前に、俺は抱いてる一刀二号ごとバックステップして、届かないようにする。
 
「むー‥‥‥」
 
 またも不服全開。たとえ目を閉じてるように見えても、油断してはいけない。猫とはいえ野生の徒なのだ。
 
 ‥‥‥仕方ない。
 
「程立、恐る恐る触ろうとしちゃダメだ。こっちの警戒心が猫にも伝わっちゃうから、郭嘉にトントンする時くらい自然な感じに‥‥な?」
 
「適当な事を言ってー‥‥猫に引っかかれると凄く腫れるのを、風はちゃんと知っているのですよー?」
 
 そんな事を言いながらも、程立は俺のアドバイスに従って、ごく自然な手つきで‥‥‥
 
「‥‥‥初めて触れました」
 
 程立のこの、独特のペース。慣れてくると実はすごく楽しかったりするのだが‥‥‥今は本来の目的に立ち返らせてもらおう。
 
「趙雲」
 
「ん?」
 
 抱いている一刀二号を、そのままぐいっと星に押しつける。星は慌てて抱え、受け取った。
 
「趙雲は、猫語わかるんだろ?」
 
 秘密は女を〜とかはぐらかされてしまったので、少し試させてもらおう。
 
 ‥‥‥まあ、これで星が猫を華麗にあしらったりしたら、俺の完全敗北になってしまうのだが‥‥‥。
 
「だ、だから! それを言っては秘密にならぬと‥‥‥」
 
 しかしそんな事はなく、星は俺の予想を超えて狼狽し‥‥‥。
 
「こ、こら! 静かにせんかっ!」
 
 星の抱き方が悪いのか、一刀二号は居心地悪そうに暴れだす。‥‥‥猫語はどうした。
 
「ふーっ!」
「ひゃあっ!?」
 
 星は自分の胸元からの威嚇に、珍しく女の子らしい声を上げて仰け反った。
 
 そのまま星の腕から逃れた一刀二号は、ご立腹な様子でスタスタと去る。悪い事したな。
 
 その騒ぎに驚き、一号も三号(多分)も姿を消す。
 
 そして‥‥‥‥
 
「‥‥‥あ、いや‥‥これは、だな‥‥‥」
 
 明らかに「まずい所見られた」という風に口籠もる星を見て、俺は自分の勝利を確信する。
 
「ウンウン、そういう日もあるよな〜。猫語が話せてもさ、ソリの合わない猫とかいるって事なんだよな〜。なあ程立?」
 
 敢えて明後日の方向を見ながら、勝ち誇ったように笑みを作るのがポイント。
 
 ついでに程立も味方につけてしまおうと‥‥‥
「‥‥‥‥ぐう」
 
「「寝るな!」」
 
「おおっ‥‥!」
 
 まったく‥‥。せっかく星の優位に立てる滅多にない機会だったというのに、揃って突っ込んでしまうとは‥‥‥。
 
 ‥‥‥ここしばらくの旅でわかったけど、俺との思い出はなくても、たとえ世界は違っても‥‥やっぱり星は星だった。
 
 "この趙雲"とも、仲良くやっていけたらいいなあ。
 
「いやはや、星ちゃんから一本取るとは、お兄さんもなかなかやるのですー」
 
 って起きてたんじゃん!
 
「むぅ‥‥‥‥」
 
 星のいかにも「不覚‥‥!」といった表情。ああ、なんだろこの優越感。
 
 ‥‥‥小っちゃいな、俺。
 
「それはそうと、もうすぐ暗くなってしまいますので、稟ちゃん拾って晩ご飯でも食べに行きますよ、一刀四号?」
 
「俺、本人なのにっ!?」
 
 オリジナルのプライドが‥‥‥‥。
 
「今日はメンマか? 一刀四号」
 
「四号って言うな!」
 
「兄ちゃん兄ちゃん、今日は俺はがっつり行きてえ気分なんだが、どうよ?」
 
「‥‥‥宝慧じゃなくて自分が、だろ?」
 
「おおっ!」
 
 
 そんな、他愛無い話をしながら街を歩いていた俺たちは、その先で一つの光景を目の当たりにする事になる。
 
 
 人々の視線、鼻を刺す鉄の匂い。
 
 そして‥‥‥血の池に沈む、一人の少女。
 
 
 
(あとがき)
 何だか拠点フェイズみたいな話。戦争描写って、一騎討ちとかより難しそうだなーとか考えてる水虫です。
 さて、今晩もう一話、行けるか?
 



[12267] 四章・『そして再び、この場所へ』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/30 05:50
 
 晩ご飯に誘うために郭嘉を探す、星、程立、そして俺の前で‥‥‥
 
「な、何だこりゃ‥‥‥」
 
「辻斬りでも出たのか‥‥‥?」
 
「新しい伝染病かも知れないわ。近づいちゃダメよ」
 
 などと騒ぐ人垣を見つけた。
 
「‥‥‥何かあったのかな?」
 
「まったく、あれだけの騒ぎになっているのに兵士一人駆け付けておらんとは‥‥‥ここの領主の程度が知れるというものだ」
 
 と、この街の治安の悪さに憤る星(多分、さっき俺にからかわれたイライラもあるのだろう)。確かに、あれだけ人が集まる前に何とかしなきゃダメだよな、普通。この街の領主‥‥‥確か、袁紹だ。
 
 と思いつつ、人垣を抜けてひょっこりと輪の中心を覗き込む俺。これで立派な野次馬の仲間入りだ。
 
 地面を濡らす赤黒い染み。一目でそれが血だとわかる。
 
 その、水溜まりほどにも広がった血の中心に‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥ぅぅん‥‥」
 
 ドタン!!
 
 その姿を認めた瞬間、俺は結構勢いよくコケた。
 
「ああ、またか」
 
「またですねー」
 
 星と程立も覗いたようだ。‥‥っていうか何で君たちそんなに冷静なの?
 
「それほど珍しい事でもないからな」
 
「稟ちゃんは発情期ですからー」
 
 発情期て。
 
 しかも、確かに郭嘉が興奮しやすいのは知ってるけど、街中で卒倒するのが珍しくない、ってのはかなり危なくないか?
 
「あっ‥‥‥うぅっ‥‥」
 
 どう見ても鼻血を吹いて気絶したらしい郭嘉は、小さく呻いて、悩ましげに体をくねらせる。
 
 ‥‥‥何があったのか知らないが、この衆目の中、アレを連れ出すのは結構勇気がいるな。
 
 本音を言うと知らんぷり決め込みたいが‥‥‥これ以上時間をかけて警備隊とかが来たらシャレにならん。
 
「郭嘉! おい、起きろって!」
 
 肩を揺すっての呼び掛けへの返事に、びくっと腰を浮かせる郭嘉。
 
 恥ずかしい! 色んな意味で!
 
「おいってば、このまま寝てたら大変な事になるって! 捕まるぞ? いい加減にしないと力付くで‥‥‥」
「いや! あっ‥‥そんな、乱暴に‥‥‥!」
 
 あ、起き‥‥てない! 寝言かよ!?
 
 しかも、今周囲の俺に対する視線の冷気が一気に増したような‥‥‥。
 
「どうやら、この大事そうに抱き抱えている本が原因みたいですねー」
 
「見てないで程立も手伝ってくれよ!」
 
 星に至ってはいつの間にか消えてるし!
 
 と思いながら、程立の指した‥‥郭嘉が抱えた本を見てみる。腕の隙間から、表紙の文字が見えた。
 
 『十八禁的娘本』
 
 ‥‥‥‥エロ本かよ!
 
 つまり何か? 自分が買ったエロ本を街中で読んで自爆‥‥悶死したと?
 
 何やってんのこの子!
 
「まあ、稟ちゃんはこれで血の気が多い人なので。このくらいの出血くらい大丈夫だと思うのですよ」
 
 言いながら、程立は郭嘉の鼻の辺りを拭き始める。おっ、郭嘉が眉を潜めて‥‥起きるのか?
 
 血を失って青白い顔をした郭嘉が、ぼんやりと開いたその虚ろな目を俺に向けて‥‥‥
 
「‥‥‥‥ケダモノ」
 
「誰がだ!」
 
 ‥‥起きてても起きてなくても変わらんのじゃないか?
 
「はい稟ちゃん、ちーんして」
 
「‥‥‥ちーん」
 
 程立に鼻紙を当てられ、素直にちーんする郭嘉。‥‥何か微笑ましい。
 
「ところでお兄さん」
 
「なんだ?」
 
 とりあえず郭嘉も起きた事だし、すぐにこの場から‥‥‥
「兵隊さんたちが集まってきてしまいますよー」
 
「んげっ!?」
 
 程立と郭嘉に意識を集中していて気付かなかったが、確かにいつの間にか兵隊がこちらに向かってきていた。
 
 遅かったか!
 
 しかも、その兵隊たちの先頭を走る二人が、さらに俺を驚愕させた。
 
「てめえかー! 街中で嫌がる女を押し倒した色情狂ってのはー!」
 
「‥‥文ちゃん、それ報告されてたのと全然違うよ〜‥‥」
 
 外向きに跳ねた緑のショート、青いバンダナ(?)を巻いた元気そうな少女。黒髪おかっぱのいかにも苦労人らしき少女。
 
 その両方が、派手すぎる金ピカの鎧を纏っている。
 
 前の世界で見た事‥‥ある!
 
 確か‥‥顔良と文醜。
 
「ヤバい、逃げるぞ! 程立、走れるか!?」
 
「はいー」
 
「うわっ!?」
 
 貧血でふらふらの郭嘉を強引に背負い、人垣を押し退け、走り、逃げる!
 
 だが、ただでさえ多分俺(程立も)の方が足が遅い上、軽いとはいえ人一人を抱えているのだ。
 
「待ぁーてぇー!」
 
 みるみる距離は縮まって、後数歩という所まで追い付かれた‥‥‥まさに、その時、
 
 ガンッ!!
 
「のわっ!」
 
 俺と文醜の丁度中間の地点に、"それ"は突き立った。
 
 見慣れた‥‥龍の牙を思わせる、赤い双刃を持った直刀槍。
 
「はーっはっはっはっは! はーっはっはっは!」
 
 間髪入れず高らかな笑い声が響いて、誰もがその声の方を"見上げる"。
 
 そこには、期待に違わぬ勇姿が、己を誇るように堂々と立っていた。
 
「何者だ、テメーは?」
 
 これもまた、お約束。
 
「正義の華を咲かせるために、美々しき蝶が悪を討つ‥‥。美と正義の使者、華蝶仮面‥‥推参!」
 
 屋根の上から白い衣を靡かせて、舞い降りる。
 
 文醜たちが悪か? とか、この事態を見越してわざわざ一度いなくなったのか? と色々ツッコミ所はあるが‥‥‥‥
 
 助けられる側から見れば、何と頼もしいその勇姿!!
 
 ‥‥‥‥まあ、それはそれとして。
 
「ありがとう華蝶仮面!!」
 
「え? あ、お兄さん‥‥‥!」
 
「北郷殿! もう自分で走れますから下ろし‥‥‥あぅ‥‥!」
 
 今回は、前の世界の時と違って‥‥自分が逃げなきゃならない。
 
 華蝶仮面が「では、さらばだ!」と言うまで見守っているわけにはいかないのだ。
 
「大丈夫。"彼女なら”、何の問題もないよ」
 
 程立と‥‥そして華蝶仮面に聞こえるように言って、結局ふらついている郭嘉をおぶって走る。
 
 
 その後、俺たちは街の出口で星(華蝶仮面)の到着を待って、夜も近いというのにその街を後にした。
 
 
 
 それからまた、一週間。
 
 見聞を広め、自らの力を預けるに足る器を持つ主を見定める。そんな目的の旅を続けて、さらに北上する俺たち。
 
 ‥‥‥正確には、俺は違う。
 
 結局、『あの時』何が起こったのかわからないまま、どうしたらいいのかもわからず、星たちの金魚のフンになっただけだ。
 
 ‥‥‥これから、どうしたらいいんだろうか。
 
 三人が仕えるべき主君を見つけたら、俺にはこの仮初めの居場所すらなくなる。
 
 星の武術はもちろん、風や稟も、どうやら軍師としてかなりの自信があるらしいが‥‥俺は単なる高校生だ。もちろん、三人と違って登用してもらえる自信なんか全くない。
 
 つまり、いつか‥‥おそらく遠くない未来に、俺はまた一人ぼっちになるのだ。
 
 最近、つくづく思う。
 
 この世界には‥‥いや、前の世界でも愛紗に出会わなければ‥‥"余所者"の俺には居場所がないんだという事を。
 
 今頃、この世界の愛紗が決起しているのかも知れない。星はいつか、そこに行くのだろうか?
 
 小間使いでも雑用でもいいから、雇ってくれないかな。‥‥‥出来れば住み込みで。
 
 郭嘉に程立‥‥具体的に何をした武将なのかまでは覚えてないが、確か『三國志』では曹操の陣営にいたと思う。
 
 ‥‥‥こっちは、雑用も絶望的。むしろ出会って間もなく、ふとしたきっかけで殺されてしまいそうだ。
 
 ‥‥‥いや、素直に認めて、俺は未練を感じてるんだろう。
 
 愛紗も、鈴々も、朱里も、俺の事を覚えていないだろうという半ば確信めいた予測があるにも関わらず‥‥‥前の世界の大切な場所に、未練を感じているんだろう。
 
 ‥‥‥本当に、俺はお飾り君主だったんだな。
 
 前の世界じゃ、曲がりなりにも愛紗たちの夢‥‥大陸を一つにまとめて、これから皆で笑える世の中にしていこう、って所までやれたのに‥‥‥
 
「‥‥‥‥はぁ」
 
 その仲間たちがいなくなった途端、大陸の平和どころか自分の居場所の事ばかり考えてる。
 
「どうしたのですかお兄さん、溜め息などついて。さては‥‥あの日ですか?」
 
 どの日だ。
 
「何でもないよ、風」
 
 ところで、俺は三人に真名を預けてもらえるようになっていた。
 
 あの猫騒ぎの『一刀四号』ネタがかなりしつこく引っ張られ‥‥そのまま『一刀』と呼ばれるようになり、ならば我々も‥‥というなし崩し的な成り行きで(俺に真名が無いのはとっくに教えてある)。
 
 星がメンマとか怪しげな品物に、稟がエロ本に貴重な路銀を消費したりと苦労は絶えない(風は意外と、そういう所はしっかりしてたりする)。
 
 だが‥‥この三人との旅というこの居場所にも、随分と愛着が‥‥‥ってまたか。
 
「(‥‥‥いい加減、しっかりしないとな)」
 
 誰にも聞こえないくらい小さく、呟いた。
 
 
 そんな俺の‥‥‥
 
「見えてきましたね、次の街が」
 
 不安定な心を試すように‥‥‥
 
「そら頑張れ一刀。もう少しでご到着だぞ」
 
 その光景は‥‥‥広がっていた。
 
「? ‥‥‥何か、様子が変ですねー」
 
 遠くから見てもわかった。街のあちこちから、どす黒い煙が上がっているのが。
 
 そして、その惨状をより細部にまで焼き付けた情景が、目ではなく、俺の脳裏に蘇ってくる。
 
 手ひどく乱暴に荒らされた家々、あちこちで炎が上がる惨状。
 
 "ここがそこだ"とは、地図を見て知っていたけど、まさか‥‥状況までがそ、同じ!?
 
 "ここは前の世界とは違う"。そんな認識が強かったのかも知れない。
 
 幽州啄郡啄県。
 
 そこは、俺が前の世界で初めて愛紗と鈴々に出会い、村人と共に戦った‥‥‥
 
 始まりの場所だった。
 
 
 
(あとがき)
 今日中に四章の投下に成功。
 一刀一行、陳留から北上し、幽州に到着です。
 
 



[12267] 五章・『天の御遣い』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/09/30 19:36
 
「‥‥‥これは、ひどいな」
 
 星が、苦虫を噛み潰すように呟く。
 
「やはりこれも‥‥黄巾党の仕業でしょうか」
 
 稟が、鋭く暴力と強奪の跡を睨む。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ぴくりとも動かない風の表情からは、その心中は見いだせない。
 
「あ、あ‥‥‥‥‥」
 
 俺は‥‥二重の衝撃に打ちのめされていた。
 
 一つは、目の前の非道な行為の光景に。
 
 もう一つは、『前の世界』の始まりの場所に、救えるはずの場所に‥‥‥無力な凡人として直面しているという事実に。
 
 いや、それを言うなら‥‥あの時は今以上に無力だった。"俺自身に関しては"。
 
「すでに襲われた後‥‥‥のようだな」
 
 周囲に敵の気配が残ってないか確認していたらしい星が、重々しく呟いた。
 
 ‥‥‥やっぱり、タイミングまでぴったり同じ。という事は、俺は"前の時より"早い時間軸でこの世界に来たのか?
 
 いや、それより‥‥‥
 
「愛紗は‥‥‥‥」
 
 同じ時間、同じ場所のはずなのに‥‥居るはずの彼女がいない。
 
「(‥‥‥‥っ馬鹿か俺は!)」
 
 もし同じ時間というなら、この時点で星が公孫賛の客将になっていない、というだけで前の世界とは違う。
 
 郭嘉と程立、という武将にしたって‥‥前の世界では曹操軍にはいなかったはず。
 
 ‥‥‥今、はっきり気付いた。
 
 同じように見えても、そっくりでも‥‥‥この世界と前の世界は違う。
 
 愛紗が"居るはず"なんて‥‥俺の都合の良い妄想でしかないんだ。
 
 "そんな事より"、今は目の前に広がる現実に‥‥‥今の俺がどうするのか、じゃないか。
 
「食糧を確保するなど、到底無理だな」
 
 俺の思考を切るように、星が振り返って俺たち皆にそう言った。
 
 俺はその言葉に‥‥何か、取り残されたような、突き放されたような衝撃を受けた。
 
「そうですねー、少し厳しいかも知れませんが、このまま次の街まで行くしかなさそうなのですー」
 
「この襲撃で終わりだとも思えないし、あまり長居すれば‥‥私たちも巻き込まれかねないわ」
 
 風の、稟の言葉が、俺の混乱に追い討ちを掛ける。
 
 ‥‥‥‥おいおい! 冗談だろ!?
 
「ちょっと待てよ! こんな状態のこの街をほったらかしにして次の街に行くってのか!?」
 
 思うまま、怒鳴るように叫んでしまった。それに対して星は、「‥‥‥ああ」と納得したような声を出して。
 
「一刀よ、お前にはわからんのかも知れんが。これはお前が襲われたような野盗とは全くの別物だ」
 
 同じ感想を抱いていたらしい稟と風が、それに続く。
 
「村人が簡単には逃げずに激しく抵抗した真新しい跡が見える、にも関わらず街全体から火の手が上がっている。これは、相当数の賊に一度で大規模な略奪を受けた、という事です。‥‥‥この様子では、官軍も既に敗北、あるいは逃走しているでしょうね」
 
「百とか二百、そういう規模ではないのですよ‥‥おそらく四、五千くらいでしょうかー」
 
 跡を見ただけでそこまで見抜く三人の眼力に、俺は驚嘆するしかなかった。
 
「確かに私も、我が槍を預けるに足る主君を見つけ、この戦乱の世を鎮める志はある。だが‥‥‥」
 
「いくら星が無双の士とはいえ、一人でどうこう出来る数じゃないのよ」
 
「本当に私が、文字通りの一騎当千と呼べるかどうか‥‥試してみるのも面白いがな。だが、大望があるからこそ‥‥こんな所で匿賊風情を相手に命を懸けるつもりはない」
 
「お兄さんの言いたい事もわかるのですが、そういう事なのですー」
 
 無知な子供に言い聞かせるように、三人は代わる代わるに俺にそう言った。
 
 ‥‥‥わかる。星たちの言う事はわかる。
 
 実際に剣を振るって殺し合いをしたわけじゃなくても、俺も何度も戦場に立った。
 
 いくら星が強くたって、個人では千の単位の大局は動かせない。
 
 俺だって、それがわからないほど馬鹿じゃない。
 
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥そうだよ、別に‥‥いいじゃないか。
 
 今の俺は、一国の君主でも、天の御遣いでも、何でもない。
 
 自分の居場所すら無い。成り行きで星たちにくっついて各地を転々としてるだけの‥‥目的がないから、旅人以下の放浪者だ。
 
 そうだよ、星や、風や、稟の反応が普通なんだ。
 
 むしろ、もっと大局を見据えているだけ‥‥大望を抱いているだけ‥‥普通よりも遥かに立派だ。
 
 俺なんかが、気負う事なんかないじゃないか。自分の身一つ、守れやしないんだから。
 
 俺が立派で在ろうとする事に、もう意味はない。
 
 愛紗たちは、もういない。俺が背伸びして、胸張って堂々と立っていないと‥‥‥その誇りに傷がついてしまうような子はいない。
 
‥‥‥‥はは、こう考えてみると。一人って結構気楽だな。
 
 そうだよ、俺みたいな凡人が‥‥大陸どころか、街一つ救うのだって、自惚れだ。
 
 そう‥‥‥‥‥‥‥わかってるつもりなのに、なぁ‥‥‥。
 
 
「ッ! だからって、このまま見捨てて行くなんて出来るわけないだろ!?」
 
 何、身の程知らずな事を言ってるんだろうな、俺は。
 
「子龍一人じゃ無理でも、村の人たちと力を合わせれば、何とかなるかも知れないだろ!?」
 
 あ〜あ、無責任な事言っちまってるのに‥‥こんな感じで頭はどこか冷静なのに‥‥口を止める気にならない。
 
「こんな小さな街一つ救えないような奴が、大陸の平和なんて取り戻せるもんか!!」
 
 ほら、星たちもこっちを呆れた顔で‥‥‥見てないか。こういう気持ちを馬鹿にするような子たちじゃないもんな。
 
 ‥‥‥表情が読めないけど。
 
「‥‥‥何故、天から来たおぬしが、そこまで拘る? お前からすれば、ここは無関係な余所の世界だろう」
 
 予想通り、真剣そのものの表情で、星が鋭く俺を睨んだ。
 
 その言葉に一瞬、『前のこの世界』の事を見抜かれたのかと思って、ぎくりとした。顔に出てたかも知れない。
 
「まあ、別の世界に行った事がない風たちに‥‥お兄さんの気持ちは完全にはわからないのですけどねー」
 
 風が場を取り持つつもりで言っただろう言葉。それを‥‥‥星は容赦なく否定する。
 
「そうか? 私には、本当の戦いも、この大陸の事もわかっていない者が‥‥目の前の光景に捉われ、感情のままに喚いているようにしか見えんがな」
 
 星の辛辣な言葉が、俺の胸を鋭く射抜く。
 
 わかってる、それも正しい。少しだけ、頭が冷えてきた。
 
 そのまま、長いようで短い‥‥そんな沈黙が続いて、俺が口を開いた。
 
「‥‥‥好き勝手言って、悪かった。子龍たちの志を何もわかってない俺が、知った風な事言って、気分を悪くさせたと思う」
 
 それでも、だから‥‥‥‥
 
「‥‥今まで、ありがとう。ここで‥‥お別れだ」
 
 
 やっぱり、何もしないで放っておくなんて、出来ないから。
 
 俺は、三人に背中を向けて歩きだす。向かう先は、あの時村人が集まっていた酒家。
 
 ‥‥‥本当、一人って気楽でいい。命だって、自分の意志一つで懸けられるんだから。
 
 それに‥‥‥
 
『我が主よ、天の御遣いよ。我らと共にこの戦乱の世を鎮めましょう』
 
『平気じゃないけど平気だよ』
 
『こんな時代で、力のない人たちが悲しい目にあってて、そういうの凄くイヤで‥‥‥』
 
 
 自分にこんな気持ちがあった事が、嬉しかった。
 ‥‥前の世界の愛紗たちの夢が、少しでも俺にも根付いてるような気がして。
 
 居心地の良かった居場所と、趙子龍との二度目の別れを振り切るように早足で歩きながら‥‥‥自分を奮い立たせるつもりで無理矢理口元に笑みを作ってみる。
 
 ‥‥‥絶対、強がりにしか見えないだろうけど。
 
 そんな無理矢理な気合いを入れて歩く俺の肩が‥‥‥
 
「うっ‥‥‥!?」
 
 痛いほど強く掴まれ、強引に振り向かされ、そのままドンッと民家の壁に突き飛ばされた。
 
「何す‥‥‥‥」
 
 反射的に文句を言おうとした俺の目の前で、俺を突き飛ばした張本人‥‥星が、怖いほどに鋭い視線をぶつけてきていた。
 
 本当に目の前、少し間違えれば唇が触れてしまいそうな距離で、しかしそんな甘い空気など欠片もなく‥‥‥ひたすら強い瞳が俺の目を刺す。
 
「そこまで言うからには、当然それに見合った覚悟は、あるのだろうな?」
 
 さっきあんな啖呵を切ったくせに、俺は完全に目の前の星の気迫に飲まれていた。
 
「応えろ北郷一刀! この街の人々を助けるために命を懸ける、その覚悟が貴様にあるか!?」
 
「ッ‥‥‥‥あるっ!」
 
 飲まれながらも、そこは必死に言い返した。本当は、そんな覚悟なんて無いかも知れない。
 
 それでも、見捨てて行くなんて出来ないから。
 
「その為なら、どんな事でも背負う覚悟があるか!?」
 
「ある!!」
 
 二度目。今度は、飲まれないように力一杯言い返した。
 
「‥‥‥そうか」
 
 小さくそう言った星は、いつの間にか額と額がぶつかる程に近づいていた顔を放して‥‥‥
 
「行くぞ‥‥‥!」
 
「って、子龍!?」
 
 おもむろに、俺の手首を掴んでずんずんと歩き出した。
 
 引きずられるような体勢の俺、見れば風も稟も神妙な顔をして付いて来ている。
 
 一体全体、何が何だかわからない。
 
 事態がまるで飲み込めてない俺など無視して(引っ張って)、星は歩きながらキョロキョロと辺りを見渡す。
 
「あそこか‥‥‥」
 
 そして星が見つけたのは、俺が向かおうとしていた‥‥辛うじて襲撃の被害を免れたらしい酒家。
 
 俺でもすぐ気配がわかるくらいにたくさんの人間があそこにいるのだ。星が気付かないはずもない。
 
「御免!」
 
 そのまま少しも待たずに、力強く扉を開いた。
 
 あの時と同じ‥‥傷だらけの村人たちがそこにはいた。
 
「何だ、あんたたちは‥‥‥」
 
 あの時と同じ光景、あの時と同じ人々。ただ、愛紗と鈴々がいない。
 
 守れるはずなんだ、一度守れたのだから。
 
 不安と義憤が渦巻いて、自分の世界に入っていた俺の耳は、星と、村のリーダーらしき男との会話を聞き逃し‥‥‥
 
「ふふ、勝てるさ」
 
 星の口にした‥‥愛紗の数倍は上手な、聞く側に自信を持たせてくれるような‥‥そんな余裕の『希望の言葉』に、引き戻された。
 
「ちょっと待ってくれよ。なんであんたらは、勝てるなんて簡単に言えるんだ?」
 
「我らには天がついているから、な」
 
 意味深な笑みを浮かべた星が立ち位置をずらし、「さあ見ろ!」と言わんばかりに、真後ろにいた俺に向けて腕を開く。
 
 
「この者こそ『天の御遣い』! この戦乱を鎮めんがため、天より遣わされし男よ!」
 
 
 
(あとがき)
 私はチラシの裏に投稿するのは本作が初めてですが、回転早いですね。
 あっという間に見えなくなりそう。
 それはともかく展開遅いなあ、街の入り口から酒家までしか進んでない。どうなんだろこれ?
 



[12267] 六章・『月夜の下で』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/01 19:46
 
「俺も、戦争とか略奪とか‥‥そういうのを見るのは初めてじゃないから、わかるんだ」
 
 静寂。黄巾の襲撃を受けて傷ついた村人たちが、ジッと俺を見つめている。
 
「凄い数の敵に、自分たちの街とか、家とか襲われて‥‥。そんな連中にもう一度立ち向かうのって、やっぱり怖い事だと思う」
 
 弱音なんて吐けない、少なくとも今は。
 
「それでも、もうこれ以上、自分たちの大切なものが理不尽に奪われるなんて耐えられないと思うんだ」
 
 責任を、取らなくちゃいけない。
 
「だから、戦おう。俺たちがいる、絶対盗賊なんかに負けさせたりしない」
 
 本当なら、俺にこんな事を言える資格なんてない。
 
 星みたいな武勇も、風や稟みたいな智謀もない。皆を守るなんて、そんな力はない。
 
 でも‥‥‥この嘘こそが、俺が皆に出来る事。
 
「皆、力を貸してくれ!」
 
 瞬間‥‥‥
 
『ーーーーーーーー!!!』
 
 村人たちが雄叫びを上げ、びりびりと建物が震え、俺の骨の髄に響く。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 手を振って、俺はそこから降りる。屋根の上‥‥というのは星の提案(かなり強引な)。
 
 
 そのまま、隣接した酒家の二階に上がり、部屋に入る。
 
「力を貸してくれ、か。とてもこれから軍を率いる者の言葉とは思えんが‥‥まあ、お前らしいな」
 
 もちろん、あの言葉を言った時から傍にいてくれた星、風、稟も一緒だ。
 
「ああは言ったけど、実際どうしようか?」
 
「どうもこうもないですねー」
 
「どんな事でも背負う覚悟がある、と言ったのだ。詐称くらい甘んじて受けるのだな」
 
 だからって‥‥今までの俺を知ってて、よくいきなりあんな言葉が出てくるな‥‥‥まあ、一度経験してるのに思いつかなかった俺も俺か。
 
 ‥‥‥いや、そもそも一人じゃそんな大それた真似出来なかったかも。
 
「戦いが終わった後、何食わぬ顔で街を去るも良し、罪悪感に耐え兼ねて全て白状するも良し。その辺りはおぬしが自分で決めろ」
 
 ‥‥‥そーですね。
 
「重要なのは一刀殿の能力でも、天の御遣いの真偽でもありません。襲撃を受けて心の折れた村人の鼓舞と、彼らを統率するためのわかりやすい指標です」
 
「‥‥‥そうだな」
 
 手段なんて、選んではいられない。
 
 星の突然の行動に振り回されたみたいな形ではあるけど‥‥‥‥今はこれで良かったと思う。
 
 結局、俺のわがままに付き合ってくれている三人には頭が上がらない。
 
 皆を奮い立たせて、この街を助けられるなら、俺一人が嘘つきになるくらい安いもんだ。
 
「それで、具体的にはどう戦う?」
 
 言って、俺は机に地図を広げる。
 
「相手も雑軍だけど、こっちも農民兵なんだ。難しい陣形とかは無理だと思うんだけど‥‥。数なら向こうが上なわけだし」
 
 俺の言葉に‥‥‥‥
 
「「「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」」」
 
「?」
 
 何故か、返事はない。‥‥‥おいおい、まさか策なし!? 風と稟が頼みの綱だったのに!
 
 そんな俺の心境が顔に出ていたのか、三人は慌てて否定する。
 
「いやいや! 打つ手無しというわけではないぞ?」
 
「ちょっと、驚いていただけなのですよー」
 
 ‥‥‥‥何に?
 
「先ほどの鼓舞の時にも思ったのですが‥‥‥」
 
 稟の言葉を繋ぐように、星が‥‥‥
 
「一刀おぬし‥‥妙に場慣れしてないか?」
 
 ぎっくし。
 
「確か天界の‥‥‥一刀殿の居た辺りでは戦いなどなかった。‥‥はずでしたよね?」
 
 何か、面倒な話の流れに‥‥‥。ここは一発、誤魔化そう。
 
「そ、そんな事より! 今はどう戦うかだろ!? 本当に作戦あるんだろうな!?」
 
 わざと、挑発する感じに言って話を逸らす。
 
「敵の兵数、攻めて来る方角、攻めて来る機。たとえ雑軍同士で、相手の兵力が少しばかり上回っていたとしても、ここまで事前にわかっている状況で負けるようなら、軍師失格ですよ」
 
 自信に裏打ちされた稟の言葉が、ひたすら頼もしく聞こえた。
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 相手はただ群れを成して突っ込んでくるだけの暴徒。だから、予め部隊を三つに分ける。
 
 一つ、荒野のど真ん中に敵を誘い出すための囮の隊。
 
 あとの二つは、伏兵として左右の森と丘に隠れる。
 
 左は星、右は稟が率いている。奇襲という、一番効果的な攻撃が出来る部隊を星に率いてもらう‥‥というのは、俺の案。
 
 囮部隊の前曲が俺、後曲が風。逃げたように見せた後に反転し、逆撃を与える。素人部隊でこれを円滑に行うために、前と後ろに一人ずつ指揮官を配置したのだ。
 
 ‥‥‥俺が前なのは、風を前にしたくないってだけの理由だけど。
 
『囮の前曲、ここが一番危険な位置だという事は‥‥‥わかっているな?』
 
 星の言葉が、重くのしかかる。
 
 後退と反転、この作戦で一番難しいのは、このタイミング。そしてそれ以上に危険なのが‥‥最前線と殿という二役をこなさなければならない中央前曲。
 
『おぬしは既に、皆が心の支えとする御旗。前曲であろうと、死ぬ事も‥‥無様を晒す事も許さん』
 
 だけど、一気に勝負を決めて、村人の被害を出来るだけ少なくするためには、星に奇襲を掛けてもらうのは外せなかった。
 
 危険だとわかっていながら、稟や風に任せるわけにもいかない。
 
 それに、素人なりに場慣れだけはしている。反転の銅鑼を聞き逃すようなヘマだけは‥‥‥しない。
 
『"天の御遣い"のお前が取り乱せば、全体が混乱する。もしそうなれば、最悪の結果を招きかねない。それも、わかっているな?』
 
 俺はそんな風に、理屈だけで考えていた。‥‥‥甘く、見ていた。
 
 
 
『ーーーーーーーー!!』
 
 戦場で人が死ぬのを見るのは、確かに初めてじゃない。
 
「ッ二人一組で戦うんだ! 隣の仲間を助ければ、その仲間が自分を助けてくれる!!」
 
 襲い掛かってくる賊軍に、押され、退がりながらも‥‥‥一方的な虐殺を受けるわけにはいかない。
 
 今までのどんな時よりも前に出る戦場‥‥‥それこそ剣や槍が交錯するような空間で、頭が沸騰するようなふわふわとした現実感の無さが、俺の全身を支配する。
 
 頭のどこかで‥‥‥"自分は指揮をしていればいい"。そんな風に考えていたんだろうか。
 
「死ねえ!!」
 
 敵兵の一人の槍に、反応出来なかったのは。
 
「御遣い様ぁ!!」
 
 それが俺を貫く前に、味方の村人の鍬が、その敵兵の腹にぶち当たり‥‥血飛沫が舞う。
 
 それ自体は、もはや見慣れた光景。それを見ただけで取り乱しなどしない。
 
 ただ‥‥やはりどこか他人事のように感じていた。
 
「御遣い様! やってやりましたぜ! 御遣い様に槍なんざ向けやがった身の程知らずをぶち殺してやりやしたぜ!!」
 
 俺を助けてくれた村人が、狂熱に浮かされたように言う。その後ろで、賊の一人が剣を振り上げる。
 
「(あ‥‥‥‥‥‥)」
 
 自分でも、本当に元現代日本の高校生かと思うくらい自然に‥‥‥まるで部活の剣道の稽古のように。
 
「ぐぶっ‥‥!」
 
 うがいでもしているような水音を立てて、敵兵が崩れ落ちる。
 
「あ‥‥‥‥‥‥」
 
 俺は、敵兵の喉を突き刺していた。
 
『死ぬ事も‥‥‥無様を晒す事も許さん』
 
「あ、ありがとうごぜえます! 御遣い様!!」
 
 人を殺して、礼を言われる。やはり、異常な空間。
 
 俺は‥‥‥泣かなかった。騒がなかった。取り乱さなかった。
 
 ただ‥‥‥‥‥
 
 ジャーン! ジャーン! ジャーン!
 
 左右の奇襲部隊の銅鑼の音が響く。
 
「やられるフリはここまでだ! 街をめちゃくちゃにした連中に、今こそ皆の力を見せ付けてやる時だ!!」
 
 
 この現実感の無さに‥‥‥この戦いが終わるまで飲まれていようと、決めた。
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 星と稟が奇襲を掛けてからは、本当にあっという間だった。
 
 混乱し、三方から攻め立てられた賊軍は蜘蛛の子を散らすように崩壊した。
 
 とりわけ、奇襲一番の星の突撃が強烈だったな。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 街は、どこもかしこも勝利に湧いている。でも、戦死した者のために涙を流す人だって‥‥必ずいる。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 俺は、祝勝騒ぎから一人外れ、井戸の水で制服を洗っていた。血の汚れは、早く洗わないと落ちないから。
 
「‥‥‥綺麗になったな」
 
 人を、殺した。
 
 何人殺した? よく覚えてない。十人はいなかったと思う。
 
「‥‥‥‥‥‥俺は」
 
 大陸を平和にするとか、仲間たちが怪我するのを見たくないとか、そんな事を安全な所から言って‥‥‥
 
「"こんな事を"、皆にさせてたんだな‥‥‥‥」
 
 いや、俺はまだ死んでない。怪我もしてない。
 
 "こんな事"とか言っても‥‥‥‥きっとまだ全然わかっちゃいない。
 
「‥‥‥‥こんな顔で、皆の前になんて出れないよな」
 
 戦場の雰囲気に飲まれた"おかげで"取り乱さなかった、というのは皮肉な話だ。今までより少し前に出ただけで‥‥まるで別空間だった。
 
 いざ平静に戻ったら、こんなに情けない顔をしている。
 
 井戸水に映った自分の顔を見たくなくて、水をバチャバチャと叩いた。
 
 皆を戦わせといて、こんな顔していいわけないのに。
 
「一刀」
 
「!?」
 
 後ろから掛けられた声に、びくっと震えた。
 
 この声は‥‥‥星か。
 
「どうした? 皆がお前を探しているぞ」
 
 声を掛けられたのが後ろからで良かった。今の顔を見られたくない‥‥って、やべ‥‥!
 
「‥‥‥‥‥(コクッ)」
 
 声を出そうとして、涙声が出そうになった。誤魔化すように、首を縦に振る。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 星は、何も言わない。
 
 あー‥‥‥格好悪い。星の事だ、今ので絶対気付かれた。
 
 トン、と軽い重みが背中に掛かる。俺が椅子代わりにしていた大きな石に、星が背中合わせに腰掛けたらしい。
 
 今は‥‥‥一人にして欲しいのに。
 
「後悔、しているか?」
 
 顔を覗き込まれないのは嬉しいけど、今は話し掛けて欲しくない。
 
 また変な声が出そうで‥‥俺は首を横に振って応えた。
 
「またこんな事があっても、人々を助けたいと思うか‥‥?」
 
 手に残る嫌な感触と、それを人にさせている事を思って‥‥‥少しだけ黙り‥‥‥首を縦に振った。
 
 ‥‥‥それでも、ほっとけるわけないじゃないか。
 
「‥‥‥‥っ、どっか、行って、くれない‥‥か?」
 
 いい加減煩わしくなって、突き放すような事を言ってしまった。しかも‥‥めちゃくちゃ情けない声で。
 
「それでもまだ、甘く、青臭い事が言えるというなら‥‥」
 
 俺の言葉を聞いていないのか、星は持っていた徳利から、杯に酒を注いでいるらしい。
 
「おぬしは佳い男だよ‥‥‥」
 
 ‥‥‥一人にさせては、くれないらしい。
 
 もう諦めた。
 
「血なまぐさい戦の後だと言うのに‥‥今宵の月は綺麗だな。これはしばらく、目を離さずにはおれん」
 
 月は、背中合わせになっている星の側に在る。俺からは見えない。見る気もない。
 
「こういう月夜は酒が旨いな。明日には、ここで話した事も忘れているかも知れん」
 
 ‥‥‥そういう事、か。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 背中合わせにすぐ傍にいる星は、月しか見ていないらしい。
 
 聞いた事も、明日には忘れてくれるらしい。
 
 
 だから俺は、星がすぐ後ろにいても構わずに、その後‥‥‥‥少しだけ泣いた。
 
 
 
(あとがき)
 本作を読んで下さる方々、感想をくれる方々、いつもありがとうございます。
 執筆意欲の八割は、そういった皆様のおかげでありますので、何となくこの機に感謝を。
 



[12267] 七章・『仮初めの仲間』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/11/19 20:54
 
 あの戦いの後‥‥‥
 
『あんた様にこの街の県令になって欲しいんだ!』
 
『俺たちはもう朝廷なんざ信じない。けど俺たちだけで街を治めるなんて出来ないと思うんだ』
 
『あんた様なら俺たちはどこまでだって付いていくよ!』
 
 などと縋りつかれ、嘘を撤回するどころではなくなり、星たちに訊いてみれば‥‥‥
 
『まあ、旅をするだけでは見えないものを見る、いい機会かも知れんな』
 
『助けたからには半端にじゃなく、最後まで責任を果たすべきでしょうねー』
 
『それほど長く留まるわけではないでしょうし‥‥いいのではないですか』
 
 と、三者三様に意味深な言い方で賛同してくれた。
 
 長く留まるわけではない、って三人とも行っちゃうの!? などと、少し前に偉そうに啖呵切っておいて思ったものだ。
 
 結局、のらりくらりと躱されて教えてくれなかったが‥‥‥
 
 それから、またしばらく経つ。
 
 
 
「せいっ!」
 
「ぐはぁっ!」
 
 肩に一撃もらってひっくり返る。仰向けに倒れた時に後頭部をぶつけて超痛い。
 
「‥‥‥一刀よ、せめて自分の身くらい守れる程度には腕を上げたらどうだ? これでは、賊が四、五人出てきたらもう一巻の終わりだぞ」
 
 頭を抱えてのたうち回る俺を半眼で見下ろしながら、星は言う。
 
 ‥‥‥‥よし、前に似たような台詞を言われた時は三、四人だった。と、やや虚しい進歩を感じつつ立ち上がる。
 
 既に星は準備万端と言わんばかりに稽古用の槍をぎゅるんぎゅるん回している。いかん、死ぬる。
 
 助けを求めて茶を飲みながら見物を決め込んでる稟と風を見ると‥‥‥
 
「「(ぐっ!)」」
 
 親指を立てるな!
 
「あの~~、子龍さん? 本日は政務がまだ残っておりますので、そろそろ‥‥‥‥」
 
「すぐにバレる嘘をつくな」
 
 バレた!?
 
「手際が良いというか何というか。街の問題点と改善案を初めからわかっているというか‥‥‥」
 
「お兄さん、内政の経験でもおありで‥‥‥?」
 
 おまえらか!? 照れるぜっ!
 
 ‥‥‥いや、実際確かに内政はかなり順調にやれているのだ。稟や風という軍師二人を差し引いても、俺だって頑張れている‥‥はずだ。
 
 だけど、それで慢心してもいられない。俺が"この街で"上手く内政が出来てるのは‥‥‥街が小さく、範囲が狭いからだ。
 
 前の世界の時とはまるで規模が違う。さすがにこれだけ狭まれば手際も良くなるというもの。
 
 ‥‥‥‥言い方変えたら、領土が広がったりしたら大変なのだが。
 
 ‥‥‥って待て待て待て! 何だかんだ言ってここの県令してるのだって成り行きだし、星たちだって別にずっとここにいるつもりはないらしいと言うのに‥‥‥何考えてんだ俺は?
 
 ‥‥何か最近、生活が似通ってきたせいか、前の世界と混同したような考え方をする事が増えた気がするな。自重自重。
 
「たまに稽古をつけてくれと言ってきたかと思えば‥‥もう音を上げたか」
 
 ゾッと底冷えするような声が、俺を現実へと引き戻す。
 
 ‥‥そりゃ確かに言い出したの俺だけども、「加減はせぬよ」とも言われてはいたけども‥‥これ以上は無理っス。
 
「構え!」
 
「はいぃ!」
 
 ‥‥‥‥‥‥頑張ろ。
 
 
 
 何だかんだで再起可能なレベルでしごきを止めてくれる辺り‥‥星は先生向きだ。前の世界で‥‥鈴々は手加減出来ない人種だったしなぁ。
 
 そんなこんなで、街に昼飯を食いに来る程度には俺は五体満足だ。
 
 ちなみに、今日は星が警邏の担当。風や稟と一緒に来ている。口語的に言うと‥‥「メンマ以外で何食べる?」である。
 
「大分、活気づいたなあ‥‥‥」
 
 ふと見回せば‥‥あの時ぼろぼろになってしまった街と、同じ街とは思えない。
 
「みつかいさまー!」
 
「おっ?」
 
 街を歩けば、こうして子供が寄ってくる。少し前なら考えられない笑顔。
 
 前の世界でも味わったけど、この時代の世界観では‥‥"特別な虚名"ってのは本当に絶大だ。
 
「にしても、凄いな‥‥‥‥。よっぽど前の県令ってのは無能だったのか?」
 
 構って欲しがりの小さい子を肩車しつつ、大陸を旅していた物知り二人に訊く。
 
「それもあるでしょうね。以前の圧政、今の我々の内政、そして‥‥自分たちの手で街を守ったという自信。活気に溢れる理由は十分にあります」
 
 ‥‥なるほど、大陸を見て回った稟の目から見ても、今の俺たちの内政は悪くないらしい。
 
「これも二人や、子龍のおかげだよ。ありがとう」
 
「いえいえ、風たちも自分なりに考えてここにいるので、別に感謝しなくていいですよー」
 
「元より、貴殿に礼を言われるような事ではありませんしね。‥‥‥それに、一刀殿が言うと嫌味に聞こえます」
 
「そ、そう‥‥‥‥?」
 
 稟の言葉の最後の方は聞こえなかったが‥‥‥‥やっぱり風たちにとって、ここにいるのは一時的なメリットのためなんだなあ、と再確認する。
 
 ‥‥‥居場所が欲しいとは思っていたけど、このまま俺が一人で街に残って‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥怖」
 
「? みつかいさま、どうしたのー?」
 
 黄巾の乱が終わった後に攻め落とされて殺されるのを、やたらリアルにイメージしてしまった。
 
 ついでに、頭上に乗ってる可愛い子を不審がらせてしまったのも頂けない。
 
「はい、俺たちは昼飯食べるから‥‥ここまでね」
 
 「えー」と愚図るお姫様を下ろすと、「ばいばーい」って元気よく駆け出す。
 
 ‥‥下ろしといて何だけど、もうちょっと別れを惜しんで欲しかったな。
 
 
 
「それで、向こうの世界では交番っていうのをあちこちに置いて‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「何かあった時にすぐ対応出来るように」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
「してるんだけ、ど‥‥‥‥」
 
 楽しい楽しいお昼ご飯、のはずなんだが‥‥‥さっきから二人は揃って俺を無視。
 
 しかも、何か言いたげにじとーっと俺を見ている。
 
 ‥‥‥何か訊きにくいけど、もうこの空気に耐えられん。
 
「あのー、私めに何か落ち度が‥‥‥‥?」
 
 星が警邏に行ってるって話から、街の治安的な話をしてただけ。怒らせるような事を言った覚えはないぞ?
 
「いえいえ、実際問題、別に風たちが怒るような事ではないんですけどねー」
 
 怒る? やっぱり怒ってんの!?
 
 風はそのまま「ぐぅ‥‥」と寝たフリ。微妙な起爆剤だけ仕掛けて稟に丸投げした模様。
 
 丸投げされた稟の方はと言えば、「あー‥‥」だの「うー‥‥」だのとしばらく言い淀んで‥‥‥
 
「一刀殿、貴殿‥‥我々を避けてはいませんか?」
 
 ‥‥‥‥‥‥はい?
 
 全く予想外のその言葉に、俺は数秒固まった。おそらく、今の俺は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているだろう。
 
「えーと‥‥‥‥何で?」
 
 避けてるどころか、依存してるぐらいのつもりだったのだが。
 
「この街に初めて来た時も、我々の意思確認だけして一人で勝手に行こうとするし‥‥‥」
 
「何かにつけて‥‥‥『"風たち"はどうするんだ?』みたいな態度を取りますし‥‥‥」
 
「いつもどこか、我々から一線引いた位置にいますよね‥‥‥貴殿は」
 
「星ちゃんに到っては‥‥意識して真名を呼ばないようにしてる節さえ見受けられますねー」
 
 ‥‥‥‥‥さっきまで言い淀んでいたのが嘘のように、やっぱり起きていた風と二人で一気にまくしたてられました。
 
 えーと‥‥‥いっぺんに言われてちょっと頭が追い付かないけど。
 
「えー、と‥‥‥‥」
 
 何となく、言われた事の意味がわかってきた。
 
 けど‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 避けてたつもりなんて、ない。でも、言われた事に心当たりはあった。
 
 だって‥‥‥星も、風も、稟も、気まぐれとか‥‥県令を経験してみるのも悪くないとか‥‥‥そういう理由で一緒に居てくれてるだけなんだ。
 
 前の世界で、俺を君主だって言って、一緒に理想を目指した愛紗たちと‥‥‥同じに扱えるわけないじゃないか。
 
 俺の考えなんて‥‥押し付けられるわけないじゃないか。
 
 そんな考えは、確かにあった。むしろ、ほとんど毎日考えていたかも知れない。
 
 そして‥‥その意識は、この街に来てから顕著になっていた。
 
 だから、だろうか‥‥‥
 
「別に、壁を作られるのが気に入らない‥‥などと言う話をしているのではありません」
 
 稟や風が、こんな話を持ち出したのは。
 
「ただ、そういう態度でいるお兄さんは‥‥結構辛そうに見えたりするのですよ」
 
 二人同時に、席を立った。皿はいつしか、空になっている。
 
「話は‥‥それだけです」
 
「ごちそうさまでしたー」
 
 そのまま、二人は俺を待たずに店を出る。
 
 追う気には‥‥なれなかった。
 
 
 
「う~~‥‥‥‥‥」
 
 先ほど言われた事を反芻しながら、唸り歩く。
 
 俺の態度が、(少なくとも)稟や風を苛立たせていたというなら‥‥それは絶対に何とかしないといけない。
 
 ‥‥‥でも、実際どうすればいいんだろうか? 小難しい事考えないで、仲間として扱う?
 
 けど、元々旅してた頃から、『互いが枷になるくらいなら一緒にいる必要はない』みたいな空気があったしなぁ。
 
 これは結構‥‥切実な問題だ。稟たちが言いだすまで、俺は何の行動も起こさなかったが‥‥‥
 
 俺がこの街を助けたいって言い出した事がきっかけになって‥‥‥俺たちの関係をはっきりさせる時が近づいている。
 
 そんな俺の目に‥‥露店でまた怪しげな商品を物色している水色の髪の少女が映る。
 
『星ちゃんに到っては‥‥意識して真名を呼ばないようにしてる節さえ見受けられますねー』
 
 星の真名‥‥‥‥か。
 
 こっちの理由は、はっきりと自覚していた。
 
 意識して呼び方を分けないと‥‥‥なまじ姿や性格が全く同じなせいで、『前の世界の星』と混同してしまいそうだからだ。
 
 ‥‥‥けど、よくよく考えたらこっちの方は、露骨に避けていると思われても仕方ないような‥‥。
 
 星自身がどう感じているかによっては‥‥こちらも何とかしないといけない。
 
 ‥‥いや、星がどう感じていようが、いい加減『前の世界』と『この世界』に‥‥折り合いはつけないといけないな。
 
 ただ、身近にいるせいで、星がその象徴みたいになっているだけなわけだし‥‥‥。
 
 まあ、それはともかく‥‥‥‥
 
「子龍、何してんの?」
 
 とりあえず、警邏をサボってるこの子に話し掛けとこう。
 
 
 
 偉そうな事を、言ったのかも知れない。
 
「‥‥‥‥風、あなたは‥‥これからどうするつもり?」
 
 調子のいい事を、言ったのかも知れない。
 
「‥‥風は、風の人を見る目に間違いはなかったと思っているのですよー」
 
 相変わらず、何を考えているのか読めない。
 
 いつの間に、そんな事を考えていたのか‥‥‥。
 
「‥‥‥風には、さっきの言葉を言う資格があるわね」
 
 一刀殿がああいう態度を取る理由くらい、わかっている。
 
 わかった上であんな事を言ったのだから、随分と小狡い事だ。
 
 
 ‥‥‥私がどうするつもりか示さなければ、関係がはっきりするはずなどないというのに‥‥‥。
 
 
 
(あとがき)
 前話について感想板にてご指摘があり、私自身の‥‥無印終了辺りの一刀の評価に疑問が湧いてたりします。
 『一刀は人を殺した事はない』という前提を考え、前話はあんな感じになったのですが、おかしかったやも知れませんね。
 
 



[12267] 八章・『最後の責任』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/03 11:16
 
「おお‥‥‥‥」
 
「どうです?」
 
「おお‥‥‥!」
 
「‥‥‥子龍、何してんの?」
 
 相変わらず、怪しげな店が好きな星である。
 
 後ろに馬車が控えているのを見ると‥‥旅の行商人といったところか。
 
 しかし、露店に並ぶ商品は、何か干からびた棒みたいのだったり、いかにも胡散臭そうな札を貼りまくった壷だったりと怪しすぎる。
 
「おお、一刀か」
 
 何食わぬ顔で振り返る星。
 
「警邏はどうした?」
 
「うむ、通りすがりの蝶の仮面を着けた超絶美しい正義の味方に引き受けてもらった。心配無用だ」
 
 ‥‥‥つまり、何かあったらすぐに華蝶仮面として現れる、と。
 

「へえ、旦那も是非見てってくだせえ」
 
「‥‥‥いや、俺は遠慮しとく」
 
 さっきの昼代、凄いナチュラルに俺持ちになってたし。そうでなくてもこんなインチキ臭い物を買いたくなんてない。
 
「一刀よ、そう頭から否定するものではないぞ? 確かにほとんどは有象無象のがらくただが‥‥店主の目では見抜けぬ掘り出し物が‥‥‥」
 
 また星の長い持論が始まった。っていうか、店主の目の前でそういう事言うなよ。
 
 ‥‥‥あ、店主打ち拉がれてる。
 
 ‥‥にしても、『星』、か‥‥‥。
 
「怪しみ、警戒するだけではいつまでも我らは進歩せぬ、まずは受け入れ、試してみ‥‥‥」
「なあ‥‥“星”」
 
 ボキッ! と元気な音を立てて‥‥星の持っていた猿の手が折れた。
 
 ‥‥‥‥って折った!?
 
「おおおお客さん! うちの商品に何をーーー!?」
 
「ちょっ! 星何やってんの!?」
 
 試しにちょっと言ってみたら何この過剰反応!
 
「いや、大した事ではないぞ? おおそうだ、少々急用を思い出した。あれだ、その‥‥‥これにて失礼する」
 
 全然要領を得ない発言を残しつつ、店主の後ろの馬車に乗り込む星。って‥‥‥
 
「どこに失礼するつもりだ!?」
 
 完全にテンパってるぞおい!
 
「落ち着け趙子龍、そもそも呼べと言ったのは私であって、だから、その‥‥‥」
 
「そうだ落ち着け。落ち着いてまず馬車から降りろ」
 
 馬車の中で何やらぶつぶつと呟いている星を、とりあえず迷惑だから降ろそうと、その肩に手を掛けた、瞬間‥‥‥‥
 
「触るなぁあああ!!」
 
 俺はそのまま、一本背負いで馬車の中にぶち込まれた。
 
 
 
「はあっ‥‥はあっ‥‥はあっ‥‥‥」
 
 一刀が星の奇行に慌てる。それ以上に、星は混乱していた。
 
「(な、何だと言うのだ‥‥全く‥‥‥)」
 
 落ち着け、常山の昇り龍‥‥‥趙子龍よ。
 
 相手は一刀。たかだか真名を呼ばれたくらいで何だというのか。
 
 いや、たとえ誰が相手だろうと‥‥普段の自分なら決してこんな醜態を晒さない。
 
 一体、何がなんだか‥‥‥ッ‥‥
 
『我が槍をあなたに託しましょう』
 
 まただ、以前にも、似たような事があった。
 
『いや、急に星が愛おしくなって』
 
 知っているようで、知らない風景。知らない、はずの‥‥自分と一刀。
 
『もう暫し、このままでいさせてください』
 
 ただ、以前よりもずっと鮮明、に‥‥‥‥
 
『星が、とっても魅力的な女の子だってことくらいね』
 
 ボンッ!!
 
 急激に、頭に血が上る。顔が沸騰するように熱い。
 
 冗談じゃない。稟でもあるまいし‥‥‥しかも、よりによって一刀。
 
 妄想癖‥‥? 認めてたまるものか。
 
「スー‥‥ハー‥‥スー‥‥ハー‥‥」
 
 ‥‥‥‥‥よし。
 
 深呼吸して、常の冷静さを取り戻し、振り返る。
 
 しかし、一刀は叩き込まれた先でうずくまっていた。
 
「一刀‥‥‥?」
 
 
 
 ‥‥‥ちょっとした、好奇心だったんだ。
 
 何か、馬車の中にあったずだ袋の口から変な紺色の突起物が出てたから‥‥気になっただけなんだ。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 落ち着け、今度は俺が落ち着け。‥‥‥オーケー?
 
 意を決して、再びずだ袋を開いてみる。
 
「あ、あぅう‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 静かに、そのまま口を閉じて‥‥‥きゅっと縛る。
 
 ‥‥‥いやいやいやいや。違うって、あり得ないって。
 
「一刀‥‥何を見ているのだ?」
 
 あ、星が復活した。
 
 俺が黙ってずだ袋を指差すと、さっきの俺と全く同じアクション。
 
 二人顔を見合わせ、いやいやいやと首を振る。
 
 そんな現実逃避をひとしきり終了した俺たちは‥‥‥
 
「‥‥三度目の正直だ」
 
「私は二回目だがな」
 
 ずだ袋の口を開き、二人で中を‥‥‥覗き込んだ。
 
「ふ、ふぇ‥‥ふえぇぇ〜〜〜ん!!」
 
 泣き出した。
 
 袋の中に封印されていた‥‥歯でも生えてそうな三角帽子を被った、青紫色の髪をした小さな女の子が。
 
「人身‥‥‥‥」
 
「売買‥‥‥?」
 
 言葉に出して確認した次の瞬間には‥‥‥
 
「こ、の‥‥外道があっ!!」
 
「お、お客さんいきなりどうじばはぁああ!?」
 
 馬車を飛び出した星の一撃が、店のおじさんを撃沈させていた。
 
 
 
「何だってまた行商の馬車になんて‥‥‥‥」
 
 あれから、店のおじさんの人身売買疑惑は晴れた。どうやら、この子が馬車に忍び込んでいた‥‥という事らしい。
 
 ‥‥‥もっとも俺たちがこの街を治めているって事を知った途端に、諸々の弁償も請求せずに逃げ出したから‥‥多分何かやましい商売をしていたのは確かなのだろうが。
 
「実際、我々が見つけたから良かったようなものの‥‥‥あれでは、あのまま売られても文句は言えんぞ」
 
「せ、星! そんな事言ったらまた‥‥‥‥」
「ふえぇぇ〜〜‥‥‥!」
 
 ああもう。さっきもなかなか泣き止んでくれなくて、話進めるのが凄く大変だったのに‥‥‥。
 
 その後、カミカミだったり、言い淀んだり、メチャクチャ早口だったりした女の子の話を要約すると。
 
 どうも、この子はこの大陸の危機的状況を見るに見兼ねて、荊州から遥々、自分が学んできた知識を世のために使うため‥‥主君と仰ぐべき人を求め、親友と二人でやってきたらしい。
 
 ‥‥何か、どっかで聞いたような話だな。
 
「うむ! まだ小さいと言うのに大した志操だ。この趙子龍、感服したぞ」
 
「あわわっ‥‥!」
 
 ポンポンと、星は女の子の頭を帽子ごしに叩く。
 
 確かに‥‥この世界では、わりとこれが普通なのか? 『大陸の平和の為に我が力を!』って理由で旅してたり主君を探してるような子とよく出会う。
 
 けど、問題だったのは、むしろここからである。
 
 この乱世を、女の子二人で旅なんて出来ない。護衛を雇う金どころか路銀も尽きかけて、致し方なく‥‥護衛を雇っていた行商の馬車に忍び込んだ‥‥と。
 
 無茶をする‥‥というか、俺も星たちに会う事が出来なければ、そういう‥‥手段を選んでなんて居られなくなっていたのだろうか。
 
「それで、その親友の女の子って言うのは‥‥‥?」
 
「‥‥‥分かりません。乗る馬車を間違えてしまったのか‥‥もしかし、たら‥‥ひっく‥‥う、売られ‥‥‥」
 
 し、しまった! また泣きそうに‥‥ああ、星がこっち思いっきり睨んでる。
 
 そんな感じに、売られる寸前だった女の子の話を聞いていると‥‥‥‥
 
「? 何やら、城門付近が騒がしいな」
 
 そう‥‥随分な大騒ぎが聞こえてきた。喧騒と言うのも生ぬるい‥‥まるで暴動のような騒ぎ。
 
「御遣い様!」
 
「これ、一体何の騒ぎ?」
 
 いかにも血気盛んな若い村人が、興奮気味に呼び掛けてきた。先を取って訊いておく。
 
「官軍でさ! 官軍の野郎どもが‥‥俺たちが黄巾の連中を追っ払ったと見て戻ってきやがったんだ!!」
 
 ‥‥‥‥‥何だって?
 
「とりあえず、行ってみよう。君は‥‥‥一緒に行こうか」
 
 置いてくわけにも行かないし、この騒ぎが俺一人で何とか出来るとも思えないから、星に任せて俺だけが行くってのもダメ。星だけに行ってもらうなんて論外だし‥‥‥。
 
「あ‥‥‥はい」
 
 言って、帽子少女の手を取って、星と共に駆け出す。
 
「‥‥‥みつかい、さま?」
 
 女の子の呟きは、小さ過ぎて聞こえなかった。
 
 
 
「星、これどういう事かわかる?」
 
 息切れし始めた女の子を抱えて、城門に走る俺たち。
 
「いかに今の朝廷が弱体化していると言っても‥‥街を見捨てて逃げたような者をまた寄越すとも考えにくい。先ほどの男は“戻ってきた”と言ってはいたが‥‥‥まず、別人だろうな」
 
 星は、それほど驚いた様子はない。
 
 そして、着いた城門付近で‥‥絶句。
 
「出てけ! 官軍なんざ信用出来るか!」
 
「この街は俺たちの街だ! もうお前らなんかの言いなりになるか!」
 
「絶対に通すなよ、俺たちの街を守るんだ!!」
 
 城門こそ閉じてはいないが‥‥街の人達が壁を作り、鍬や竹槍を振り回し、石を投げて‥‥官軍たちを追い返そうとしていた。
 
「一体、どうしてこんな‥‥‥」
「当然の結果だろう」
 
 星が、俺の言葉に被せるように言った。
 
「官に圧政を強いられ、見捨てられ、そして自分たちの力で賊を追い払った。そして‥‥‥今はおぬしが居る」
 
 普通に聞けば良い事のようにも聞こえる事を、星は重々しく言った。
 
「けじめの時が、来たようですね」
 
「お兄さんの、そして風たちの、最後の責任を果たす時なのですー」
 
 同じく、この騒動を聞き付けていたらしい稟と風が駆け寄ってきて、星に続けてそう言った。
 
 その、あまりに冷静な姿に‥‥気付くものがあった。
 
『まあ、旅をするだけでは見えないものを見る、いい機会かも知れんな』
 
『助けたからには半端にじゃなく、最後まで責任を果たすべきでしょうねー』
 
『それほど長く留まるわけではないでしょうし‥‥いいのではないですか』
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 ‥‥そういう事、か。
 
 あの言葉は‥‥俺との別れなんかを前提にした言葉じゃなかった。
 
 三人には、はじめから‥‥‥こうなる事がわかっていたんだ。
 
「俺に出来る最後の、責任‥‥‥」
 
 いくら俺が世間知らずでも、このタイミングで官軍がこの街に来た理由はわかる。
 
 ‥‥‥三人と違って、こうなるまで気付かなかったけど。
 
 見捨てられたこの街の‥‥‥別の太主による再統治。
 
 俺に、出来る事。
 
「皆! 武器を治めてくれ!!」
 
 俺の大声に、し‥‥ーーんと、場が静まり返る。
 
 この街の皆に、“最後に”俺が‥‥出来る事。
 
「俺が、ちゃんと話をつけるから。皆、落ち着いて‥‥‥‥」
 
 歩みを進める。今まで人壁となっていた皆が、道を開けてくれる。
 
 進む先に、軍の指揮官がいた。
 
 旗を見た時に見当はついていたが‥‥やっぱりだ。
 
「お前が‥‥‥今のこの街の責任者か?」
 
「‥‥‥ああ、申し訳ないけど、今は軍を外に待機させて欲しい。俺が直接そっちに出向いても構わないから‥‥話をさせてもらえないか」
 
 俺に言われて、しばらく黙って‥‥街の皆を見つめ‥‥‥
 
「いいだろう。このまま私たちが街に入っても、余計な混乱を招くだけのようだからな」
 
 やっぱり‥‥‥人が良いな。本当に助かる。
 
 
「ありがとう、公孫賛」
 
 
 
(あとがき)
 さて、今日も更新。
 まだ自信、と呼べるほどのものはついていませんが‥‥不安は大分薄れてきましたので、次回更新の際に、チラシの裏からその他板に移す事にする予定です。
 
 



[12267] 九章・『鳳凰の雛』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/04 15:27
 
「全く、ひどい目に遇ったよ。この街を食い物にしてる黄巾党の連中を掃討しに来たってのに‥‥よりによってその村人に石投げつけられるんだもんな」
 
 街から少し離れた荒野に張った天幕で、俺たち五人と公孫賛(+護衛の兵士)‥‥いや、伯珪は向かい合っていた。
 
 ここに来る前に、自己紹介程度は済ませてある。
 
「まずは、礼を言わせてくれ。あの街を救い、そして今まで預かっていてくれた事、感謝する」
 
 言って、伯珪は頭を下げる。‥‥やっぱり、あの村人たちの反応で、事の経緯を大体察しているらしい。
 
「だが、あの騒ぎは一体何だ? 何で私たちが街に来ただけであんな騒ぎになってるんだ?」
 
 うん、理解が早くて助かる。
 
「まあ、一言で言えば‥‥‥官軍恐怖症、とでも言いますかな」
 
「無闇な自信の付きすぎ‥‥‥とも言いますが」
 
「お兄さん依存性ですねー」
 
 と、三人が要点を述べて‥‥‥
 
「すまん‥‥‥わかりやすいように言ってくれ」
 
 伯珪が、やや諦観して首を傾げた。
 
「以前の県令が逃げ出した事で官軍不信に陥り、そして今の県令の下、賊を追い払った自信によって街は復興したが‥‥‥官軍に対する不信感と、『自分たちだけでやれる』という蛮勇、そして今の県令への依存はそのまま残ってしまった。‥‥‥という事ではないでしょうか?」
 
 そうそう、そんな感じ‥‥って!?
 
「そういえばさ‥‥‥」
 
 伯珪の言葉に誘われるように‥‥‥
 
「「「‥‥‥‥誰?」」」
 
「へぅ‥‥‥‥」
 
 俺と星を除いた一同の質問を一斉に受けた女の子‥‥さっきの説明の張本人が、俺の後ろに隠れた。
 
 ってか、何でここに?
 
「‥‥‥一刀、一応言っておくが、おぬしがあのまま引っ張って連れてきたのだぞ?」
 
「‥‥‥‥マジで?」
 
「まじで」
 
 ‥‥‥‥全然気付かなかったぞ。そういえば、名前もまだ訊いてないし。
 
「まあ、それは良いとして‥‥‥つまり、このままじゃ街の連中は私を受け入れてくれない、って事か?」
 
 伯珪が、強引に話を戻した。‥‥‥まあ、帽子の鐔で顔を隠して何かどんどん小さくなってるこの子を‥‥今ここで質問責めにしても埒が明かんし、賢明な判断である。
 
「まあ、その辺りはこやつ‥‥『天の御遣い』の鶴の一声で片が付くでしょう」
 
 心底参ったように右手で頭を押さえた伯珪に、星がフォローを入れる。‥‥でも、ここで終わらせるつもりはない。
 
「でも‥‥勝手な話かも知れないけど、俺たちでここまでこの街を立て直して‥‥全部公孫賛に放り出すみたいな真似はしたくない」
 
 伯珪にも都合があるだろうに、随分勝手な言い分だとは‥‥自分でも思う。
 
 けど、俺が騙して、俺を慕ってくれた皆のために、最後の責任は果たさないといけない。
 
 つまり、きちんと伯珪に、この街の統治を引き継いでもらう事。
 
「おいおい‥‥! そんな事言われたって、私にだってこの街を任された責任ってもんが‥‥‥」
「ですから〜‥‥‥」
 
 ごく自然に文句を言おうとした伯珪の言葉を遮り‥‥‥
 
「公孫さんさんさんには、風たちと一緒にお勉強してもらいたいのですよー」
 
「‥‥‥"さん"が、一個多いぞ」
 
 風が、要求を端的に示した。
 
 
 
 
 俺が伯珪と並んで入城する、という手法を使うだけで‥‥‥今度はわりとあっさり街や城に入れた。
 
 この街で俺たちがやってきた事、問題点から改善案、最終的な目的。そういった、この街をこれから統治するために必要な事を、出来る限り教えさせて欲しい。
 
 それが俺たちの要求。
 
『そんな事なら、むしろ願ったり叶ったりだよ。こっちから頼みたいくらいだ』
 
 そんな風に、伯珪は笑って承諾してくれた。
 
 官軍が俺たちみたいなただの一般人にそんな口を聞かれたら、人によってはめちゃくちゃ怒っても全然不思議じゃない。
 
 でも伯珪は、街のためなら、とあっさり請け負った。むしろ、俺たちに好感を持っているようですらあった。
 
 やっぱり、この世界の伯珪も変わらない。ああ‥‥‥自称が『オレ』から『私』にはなってたから、微妙な変化はあるのかも知れないけど、あの人の良さは相変わらずだ。
 
 これの目的は、単純に伯珪にこの街の内政の要点を伝えて、効率を良くする事じゃない。
 
 むしろ出来るだけ早く"街の皆に"伯珪を認めてもらう事が本当の目的だ。
 
「おぬしが連れ立って入城した事で、皆の公孫賛殿への印象も保留‥‥‥と言った所だろうからな」
 
 そんなわけで、伯珪は早速風と稟の指導を受けている。
 
 まあ、俺でも小さいと感じたこの街だ。公孫賛ならすぐに全体の把握が出来るだろう。
 
「うん、ところで‥‥‥」
 
 そんなわけで、中庭で待機の俺と星は、二人揃って視線を向ける。
 
「あうぅ‥‥‥‥」
 
 その視線を受けた三角帽子の女の子は、恥ずかしいのか畏縮しているのか知らないが、帽子の鐔を下げて俯いた。
 
 ‥‥かなりの上がり症とか、怖がりにも見えるのだが‥‥行商の馬車に忍び込んだり、俺たちと伯珪の話に割り込んだり、実際の行動としてはかなり大胆だ。
 
 よくわからない子である。
 
「君の名前、まだ訊いてなかったね」
 
 何でここにいるの? とかそういった質問はしない。馬車に紛れてここに来てしまい、右も左もわからない状況だろうし。
 
「わ、わた、わたた‥‥‥‥」
 
「はい、落ち着いて。深呼吸深呼吸」
 
「スー‥‥ハー‥‥スー‥‥ハー‥‥」
 
 何か、そろそろこの子のペースにも慣れてきたな。っていうか、何か懐かしいぞこの雰囲気。
 
「わた、私は‥‥鳳統って、言います」
 
「ほーとう? ふむ、珍しい名だな」
 
 確かに、ほーとう‥‥え? 鳳、統‥‥‥?
 
「‥‥‥もしかして、字が士元だったりする?」
 
「は‥‥‥はい、どうしてそれを‥‥?」
 
 ‥‥‥マジでか。あの‥‥伏龍鳳雛として諸葛孔明と並び称され‥‥‥あれ? っていう事は‥‥‥
 
「あの‥‥一緒に北上してきたお友達って‥‥‥」
 
「朱‥‥諸葛亮って‥‥‥」
 
 ‥‥‥‥やっぱりぃいいいーー!!
 
「‥‥‥一刀、さっきから何を一人で騒いでいる?」
 
「あの‥‥私や諸葛亮ちゃんの事、知っているんですか‥‥‥?」
 
 はっ! 思わず信じたくない現実に打ち拉がれてしまった。いかんいかん! あまりに不自然すぎる。
 
「いや、あれ‥‥‥俺が居た世界では有名なんだよ。‥‥伏龍鳳雛」
 
 嘘は、言ってないぞ?
 
「‥‥‥‥‥それで、何を騒いでおったのだ? おぬしは」
 
 星、目ざとい!
 
「居た世界‥‥‥じゃあ、やっぱりあなたが‥‥『天の御遣い』、なんですか‥‥‥?」
 
 何やら追及されそうだった流れを‥‥鳳統がいい感じに切ってくれた。
 
「ああ、まだちゃんと自己紹介してなかったね。俺は北郷一刀、真名とか字とかは無い」
 
「‥‥‥‥姓は趙、名は雲。字は子龍だ」
 
 俺に訝しげな目を向けながらも、星も続いて自己紹介をする。
 
「やっ、ぱり‥‥‥」
 
 何故か感極まった風に瞳を潤ませる鳳統。‥‥‥‥何で? 俺って、この世界でそんなに有名になるような事したか?
 
「あの占い自体は、おぬしが我らと会うよりも前に広まっていたからな」
 
 俺の心を読んだような星の一言にびっくりしつつも、納得した。
 
 事の真偽はともかくとして、噂自体は結構前からあったわけだ。
 
「こんな時勢だ。眉唾物な噂でも、庶人たちには希望の光に見えるのだろう」
 
 ご丁寧に、補足までしてくれた。ここまで色々お見通しだと‥‥‥隠し事なんか無意味に思えてくるな。
 
 稟たちの話の事もあるし、近いうちに『前の世界』の事も含めて‥‥全部話す事になるかも知れない。
 
 まあ‥‥‥伯珪の登場でまた状況が変わってきたんだけど。
 
「おーーい、北郷ーー!!」
 
 噂をすれば影。伯珪である。
 
「ちょっと来てくれないか? 郭嘉と程立が、お前に訊いた方がいい所があるって言うもんだからさ」
 
 おぉ‥‥! これは素直に自信になるな。
 
「わかった、今行くよ。公孫賛」
 
「"公孫さん"じゃない、"公孫賛さん"だ! さんは二回!」
 
 ‥‥‥‥別に名前を間違えたわけじゃなかったんだけど。何か過剰反応だな、風辺りに散々いじられたのかも知れない。
 
「はぁ〜〜‥‥‥いいよわかった。私の事は伯珪って呼んでくれ」
 
 お、予想外に嬉しい流れに。
 
「わかった、伯珪」
 
 前の世界と同じ呼び方で、俺は小走りに駆け寄った。
 
 
 
 
 その夜‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 俺は、星の部屋を訪れていた。
 
 伯珪がこの街の統治を引き継ぎに現れた事で、三人との接し方を"決めなければならない"という要素が消え‥‥‥‥何か色々と有耶無耶になってしまった。
 
 いずれにしても決めなければならない事に変わりはないが‥‥‥とりあえず"こっち"は急ぎである。
 
「"星"‥‥‥‥‥」
 
 部屋に入れてもらってから、何も話さずににらめっこをしていたが、意を決して口を開いた。
 
「‥‥‥‥‥何だ」
 
 星は、俺に構わず酒を呷っている。
 
「‥‥‥‥‥星」
 
「だから、何だ!?」
 
 さすがに、じーっと見つめられながらただ真名を呼ばれるのは居心地が悪いのか‥‥星は声を荒げて訊き返した。
 
 確かに、星からすれば意味不明な行動だろうが‥‥俺にとっては大切な事だ。
 
「星」
 
 繰り返し、呼び掛ける。"あの時"のように‥‥‥
 
「‥‥‥一刀、いい加減にせんと‥‥‥」
 
 でも、あの時とは違う。
 
 星は俺を"主"とは呼ばない。俺に槍を預けてもいない。
 
 ‥‥‥あの世界の星とは、違う。
 
「よし‥‥‥‥!」
 
 真名を呼んだくらいで、前の世界の星と、この星を混同なんてしない。
 
 真名に少なからず反応するという事は、俺が真名を呼ばない事を、星も多少は気にしていたという事だ。
 
 こんなしょーもない事で、この星との間に壁を作りたくなんてない。
 
「一刀‥‥‥?」
 
 突然吹っ切れた俺に、怪訝な声を上げる星。
 
 まあ、当然だろう。星から見ればいきなり部屋に来て、じーっと見られながら何度も名前を呼ばれただけなのだから。
 
「いやいや、これからもよろしくって‥‥それだけ」
 
 頭に?を幾つも浮かべる星が何となくおかしくて、ついつい笑いながらそう言って‥‥俺は星の部屋を後にした。
 
 
 
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 あやつは、何がしたかったのだろうか?
 
 昼に突然、今まで呼ばなかった真名を呼びだして‥‥‥そして今また、繰り返し‥‥‥‥。
 
「‥‥‥‥星、か」
 
 初めて会った時にいきなりそう呼ばれて、それ以来一度も呼ばれた事のなかった、真名。
 
「何故、だろうな‥‥‥」
 
 それなのに、まるで懐かしいかのような、ずっとそう呼ばれていたかのような‥‥‥自然さがあって、自分の心にすとんと落ちてくる。
 
「矛盾、しているな‥‥‥」
 
 それなのに、むず痒いような‥‥くすぐったいような、変な気分になる。
 
 ‥‥‥慣れねば。また昼のような無様を晒すのはごめんだ。
 
 
「北郷、一刀‥‥‥‥」
 
 
 離れる事を考えると、胸が痛む。それは‥‥愚かな事だろうか‥‥‥。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回から、その他板に移転しました。
 今後もよろしくお願いします。
 
 
 



[12267] 一幕・終章・『決起、北郷義勇軍』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/22 18:22
 
 伯珪が啄県に来てから、五日。
 
 
「忘れ物、ないか?」
 
「おぬしが全て背中に背負っているではないか」
 
 ごもっとも。
 
「あ、あの御遣い様‥‥‥私、少し持ちましょうか‥‥?」
 
「いいよ雛里。‥‥‥っていうか、その御遣い様っていい加減何とかして欲しいんだけど‥‥‥」
 
 真名を許してくれたのに、向こうは街の皆と同じ『御遣い様』て。何このストーカーみたいな距離感。
 
「一緒に孔明、探すんだろ? せめて名前くらい呼んでよ」
 
 結局、金なし行くアテなしの雛里は、俺たちと一緒にくる事になった。目的としては‥‥やっぱり朱里探しかな。何か口籠もってよくわからんかったが。
 
「ではでは、名残惜しくもありますが、出発進行とするのですー‥‥‥」
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 結局、稟と風との話も有耶無耶になってしまった。俺が"残るべき街"を無くした事で‥‥元々の一線引いた関係でも問題無くなっちゃったもんな‥‥‥。
 
 ‥‥‥いや、いかんぞ実際。せめて俺の側だけでも二人‥‥いや、四人への対応をはっきりさせとかないと‥‥‥‥‥
 
『一刀、私は仕えるべき主を見つけたぞ』
 
『朱里ちゃん、会いたかったよぉ〜〜〜』
 
『お兄さん、長いような短いような間、お世話になりました〜』
 
『縁があったらまた会いましょう』
 
『じゃっ!(*4)』
 
 
 ‥‥‥などという、物凄い淡白なお別れになってしまいそうだ。しかも、わりと洒落にならん。
 
 稟なんか、あれ以来口数少ないし。また一緒に旅に出る事に異論はなさそうだが‥‥‥やっぱりあの話は尾を引いてるな。
 
 いや、無かった事にして良いような話でもないからこれでいいんだけど。
 
「世話になったな」
 
 そして、街の出口まで見送りに来てくれている伯珪。
 
「いや、こっちこそ、俺たちの都合で振り回して悪かったよ」
 
 あれから毎日内政猛特訓を受け、しかも街の人達へのアピールのためにしょっちゅう街を連れ回したにも関わらず、この爽やかスマイル。‥‥‥良いやつだなぁ。
 
「いや、私にとっても有益な事だったんだ。お前たちの都合ってわけでもないさ」
 
「‥‥‥‥伯珪、良いやつだなぁ」
 
 思わず言わずには居られない。
 
「ッ‥‥‥そんな事面と向かって言うな! こっ恥ずかしいじゃないか!」
 
 ‥‥‥相変わらずだ。
 
 皆してくすくすと忍び笑いを漏らし、いつしか露骨に笑いだすと、伯珪は不服そうに口をぱくぱくさせて‥‥結局黙った。
 
 ‥‥のも束の間、やおら真面目な表情になって口を開く。
 
「‥‥‥なあ、お前らが良ければ、このまま私と一緒に‥‥幽州を治めないか?」
 
 ‥‥‥‥‥‥え?
 
 予想外すぎる発言に、揃って呆気に取られる俺たちに構わず、伯珪は続ける。
 
「趙雲や郭嘉、程立や鳳統の能力はもちろん‥‥北郷だって、この街の皆が慕ってる。お前たちの求める主君って奴に、私が相応しいとも思えないけど‥‥‥」
 
 "お前たち"、の言葉に‥‥結局明確な意志を持っていない俺は、何とも言えない気分になる。
 
「お前たちさえ良ければ‥‥‥‥」
「あいや、待たれい。伯珪殿」
 
 伯珪の真摯な言葉を、しかし星が遮った。
 
「悪いが我々にも大望と、それに到る道がある。ご自身の器に自覚があるのなら‥‥‥それ以上は言わぬ方がいい」
 
 全く星らしい、歯に衣の一片すらも着せない言葉だった。
 
 風や稟、雛里さえもそれを否定しない事が、さらにその後押しになる。
 
 あ、伯珪うなだれてる。
 
「そう気を落とされるな。一角の太守ではあると認めているからこそ、この街を安心して任せられるのだ」
 
「そうですねー、別に酷評しているわけではないのですよー」
 
「貴殿は普通ですよ。万事にそつなく対応し、それなりにこなせる」
 
「‥‥‥‥(コクコク)」
 
 四人揃って、フォロー‥‥というか本音を告げて、伯珪を慰める。‥‥が、やっぱり仕えるに足る主君ではないと言ってるのと同じなわけで、伯珪はさらに落ち込む。
 
 ‥‥で、何故に俺がフォローの一つも入れないののかと言うと‥‥‥。
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 結構、本気で悩んでたりするからだ。
 
 伯珪はいいやつだし、これは‥‥俺がずっと探してきた『居場所が出来る』、って事じゃないのか?
 
 しかも、この街の県令になった時の三人みたいに‥‥"いずれ去る仲間"じゃない。
 
 それに、『前の世界』の出来事も考えたら‥‥‥ここに居れば、愛紗たちにも会えるかも知れない。
 
 そんな考えと、裏腹に‥‥‥‥
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 星の真名の件で、もう自分の中ではこの世界と『前の世界』に折り合いをつけたつもりだ。
 
 この世界の愛紗たちに会う事に、それほど拘る必要が本当にあるのか?
 
 それに、何より‥‥‥この街を助けたいと思った、あの時。
 
 前の世界の愛紗たちの理想が‥‥‥俺の中に確かに根付いているのを感じた。
 
 ‥‥‥あの世界の皆を忘れるなんて、俺には出来ない。でも、実際に『前の世界に酷似』したこの世界で、「前の世界とは違う」って自分に言い聞かせる度に‥‥‥
 
 前の世界そのものが、ひどく現実味の無いものに感じられてくる。まるで‥‥‥一時の夢だったかのように。
 
 ‥‥‥だからって、前の世界に固執して、それをこの世界に押しつける事も、意味がない。
 
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 
 星たちと伯珪が、軽くて明るいやり取りをしている間、そんな取り留めのない思考が、俺の頭の中を物凄い勢いで巡っていた。
 
 そんな時‥‥‥‥
 
「御遣い様!」
 
 やけに熱の籠もった、もはや聞き慣れた呼び名が、耳に入る。
 
「‥‥‥‥‥‥‥は?」
 
 そして視線を向けた先の光景に、目を奪われる。
 
「やっぱり、この街を出てくってのは、本当なんですか!?」
 
「御遣い様!」
 
「みつかいさま、いっちゃやだーー!」
 
 人、人、人‥‥‥。俺たちの旅立ちを察した街の皆が、次々と集まってくる。
 
 伯珪が「後始末は任せろ」って言ってたけど‥‥‥こうなっては、逃げるみたいに去るわけにもいかない。
 
「ああ‥‥‥これからは、伯珪が俺たちの代わりにこの街を守ってくれる。大丈夫、伯珪なら前の県令みたいな真似は絶対にしない。俺が保証する」
 
 自然と、俺の口は旅立ちを選択していた。
 
 ‥‥‥迷っていた、はずなのに。
 
 しかし、非難や懇願を覚悟していた俺たちに向けられた言葉は、またも予想外のもの。
 
「だったら‥‥俺たちも一緒に連れて行ってくだせえ!!」
 
 え‥‥‥‥?
 
「公孫賛様が、立派な統治者だって事くらいわかってるんだ!」
 
「でも‥‥もう俺たちはあんた様に付いて行くって決めたんです!」
 
「この街でぬくぬく暮らすより、御遣い様たちと一緒に黄巾の連中と戦いてえんだ!!」
 
「お願いします! 我らを戦列の端に加えてくだせえ!!」
 
 皆次々に、そんな事を叫ぶ。『天の御遣い』なんて虚名しかない自分を、ここまで慕ってくれる皆に‥‥‥目頭が、熱くなってきた。
 
「‥‥‥‥好都合ですね」
 
 そんな熱狂の中、稟が小さく口を開いた。
 
「ただ旅をして得られるものにも限界がある。この街に居てそれがわかりました」
 
「諸公の主君と直接出会い、見極めるきっかけになるかも知れませんねー」
 
「何より‥‥‥これで黄巾の賊とも戦えます」
 
 水を得た魚‥‥とばかりに、稟、風、雛里は口を揃えて喜ぶ。
 
「さて、皆の衆はああ言っているが‥‥‥どうされますか、伯珪殿?」
 
 そして、星がにやりと口元を歪め、明らかに含みを持たせた視線を伯珪に流す。
 
 それに対して、伯珪は深くて長〜〜いため息をついて‥‥‥
 
「‥‥‥少し、待ってろ。武器と兵糧、用意してやる」
 
 投げやり気味に、そう言った。
 
「‥‥‥‥いいのか?」
 
「いいんだ。この街の人間を丸腰飯なしで行かせるわけにもいかないし。‥‥‥お前にも勝てない私が、お前たちの主君なんて勤まるわけがないって‥‥‥よくわかったよ」
 
「うむ! それでこそ、我が愛しの伯珪殿だと、私は心底そう思うぞ」
 
 後ろ向きなはずの言葉を、どこか清々しく言った伯珪に、星はそう言ってグッと親指を立てた。‥‥‥ひどすぎるんじゃないですか?
 
「‥‥‥‥‥‥‥」
 
 俺についてくる、そう言ってくれる皆を前にして‥‥‥気持ちが固まっていくのを感じる。
 
 俺が前の世界の事に固執して、それをこの世界に押し付けたって‥‥何にもならない。
 
 愛紗たちの、理想‥‥。
 
 それを、忘れずに胸に抱いていきたい。
 
 それであの世界の皆が報われるとか、喜んでくれるとか‥‥‥そんな風に考えるほどロマンチストじゃない。
 
 俺以外の誰も、肯定はしないかも知れない。
 
 それでも、ただの自己満足にすぎないとしても‥‥‥この理想を抱いていたい。
 
 ‥‥‥‥それが、大切な皆がいた前の世界を肯定する‥‥‥一番の方法だと思うから。
 
 熱狂に沸く村人たちを前にして、この世界での一つの立脚点を見つけた俺。
 
 
 その背中を、四人の少女が鋭く見つめていた事には‥‥気付かなかった。
 
 
 
 
 城壁の上に、遠ざかる一軍を見送るポニーテールの一人の少女が立っていた。
 
「『天の御遣い』、かぁ‥‥‥。胡散臭い噂だとしか思ってなかったなぁ」
 
 いや、実際‥‥天から舞い降りた英雄、なんて印象は全然なかったか。
 
「特に何か、秀でた能力があるわけでもないのに‥‥‥人が集まってくる」
 
 ここにくる前に自分が治めていた街を任せた、一人の少女が思い浮かんだ。
 
「桃香‥‥‥お前に少し似ているよ」
 
 自分には無い何かが、彼らにはあるのだろう。
 
『見てろ、いつか私に仕えなかった事を後悔するくらいに立派な君主になってやる』
 
 散々言われた仕返しに、そんな事をつい言い返してしまった。
 
「私も、負けてられないな。けど‥‥‥‥」
 
 北郷は最後に、気になる事を言っていた。
 
 どういう、意味なんだろうか‥‥‥。
 
 
『袁紹には、気を付けろ』
 
 
 
 
(あとがき)
 その他板移転に伴い、たくさんの励ましを頂き、ありがとうございます。
 
 何か、街を出る展開で予想より話数をとってしまいましたが‥‥北郷義勇軍出発です。
 
 場面転換、視点変更が分かりにくいとのご意見がありましたので、今回から四行ずつ空けてみました。
 
 これでダメなら、記号とかで区切るかなぁ。
 
 



[12267] 二幕・『黄巾の乱』一章
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/11/10 04:58
 
 俺たちが幽州で義勇軍として発起してから、早三ヶ月。
 
 天の御遣いの虚名で救った啄県出身の皆が兵士になっているのだから当然なのだが、不遜ながらも総大将は俺である。
 
 しかも結果は連戦連勝! ......いや、丁寧に勝てる相手を選んでいるからなのだが。
 
 いくら綺麗事を並べたって、負けたら終わりだ。力を付けるまでは、慎重すぎる位で丁度いい。
 
 あれから行く先々の邑なんかで、天の御遣いの虚名を利用して募兵したり、掃討した黄巾賊の砦から糧食を失敬したりして力を付けはしたが......それでも総勢・約五千。
 
 雑軍って言っても、戦は数。曲がりなりにも官軍を苦しめている黄巾賊と戦うには、まだまだ弱小だ。
 
 
「そろそろ、食糧不足が深刻になる頃......っか!」
 
「っとお!?」
 
 星の握る竹槍(っていうか棒)の突きが、俺の脇を掠める。
 
「って言っても! 俺たち! 流軍じゃ! 簡単に兵糧なんか手に入らない......っだろ!!」
 
 所々区切るように、言いながら次々と繰り出す俺の斬撃(竹)は、星には当たらない。というより、槍の間合いの内側に入れていないのだから、そもそも届かない。
 
 全てバシバシと星の竹槍に叩き落とされる。
 
 そして......
 
「隙あり!」
「っ痛ぇ!」
 
 手首をバシッと打ち据えられて、俺は竹を取り落とした。勝負ありだ。
 
「っ痛ぁあ〜〜......」
 
 真っ赤になってる。絶対これ、明日真っ青な内出血になるぞ。
 
「簡単ではなくとも、何とかするのだ。それが統率者......多くの者を率い、上に立つ者の責任だ」
 
 俺は、その言葉を頭の中で反芻して、
 
「そうだな、わかってる」
 
 はっきりと応えておいた。まあ、それはそれとして。
 
「あの、星さん? こう毎日しごかれたら、体が保たないのですが......」
 
「まともな武官が私しかいないのだ。総大将殿の力を借りるも已むなし、というやつだな。このテの訓練はある程度継続的にやらねば効果は薄い」
 
 そこは一応俺もわかってる。風、稟、雛里は、兵たちが未熟な農民兵である事を考慮し、可能な限りで皆を手足のように指揮出来る。
 
 しかし、それでも兵たちを奮い立たせるための『武』は必要不可欠なのだ。それが、いくら強いと言っても星一人では心許ない。
 
 実際、風たちの読みを下回った突撃で、余計な被害を出した事もある。
 
 風たちに武官の真似事をさせるわけにもいかないし、消去法で俺にお鉢が回ってくるのはわかる。
 
 人を殺すのは嫌だけど、皆に任せて自分だけが人を殺す事から逃れるのはもっと嫌だ。
 
 手に残る嫌な感触も、死ぬ寸前の相手の自分を見る顔にも......慣れる事なんて出来やしない。
 
 でも、同じ痛みを持って、一緒に戦ってくれる皆がいる事を思えば、耐えられる。
 
 だから、心の奥底にある、「俺に武官みたいな事なんて出来るのか?」とか、「総大将だから死ねないけど、正直自信ありません」とかの弱音は口には出さずに呑み込む、としても......
 
「これでぼろぼろな時に賊軍とかに出くわして戦えない、とかなったら元も子もないんじゃ?」
 
 俺の愚痴染みた言い分に対して、星は穏やかな笑みを作り、
 
「心配するな。その時は骨くらい拾ってやる」
 
 ぃい嫌あぁぁぁー!!
 
 そんな、大の字に倒れながら内心で絶叫する俺の顔に、ふわっとした柔らかく長い髪が触れた。
 
「こんな野営の陣地で毎朝毎朝、精が出ますねー。お兄さん」
 
 風だ。相変わらず眠そうな瞳で、しゃがみ込んで俺の顔を覗き込んでいる。
 
「オウオウ、兵糧だって残り少ないんだ。いくら朝練で疲れたって言っても、飯の量は増やさねえぜ?」
 
「やっぱダメ?」
 
「ダメですねー」
 
 厳しい言葉を頭上の宝慧のせいにして放る風。相変わらずの軽いやり取りではあるが、実際深刻な問題だ。
 
 何とかする、じゃなくて、具体案を考えなきゃな。俺についてきてくれた皆に飢え死になんてさせられないし。
 
 けど、
 
「とりあえず、朝飯にしない?」
 
 
 
 
「啄県からここまでで、早五千......。元の人数を考えれば、破竹の勢いです」
 
 と、雛里。
 
「荷物持ちから考えれば、大した出世と言っていいかも知れませんねー」
 
 と、風。
 
「......でも、今の貯蓄だけでは後一週間程度しか保たないわ。早急に手を打たないといけないわね」
 
 と、稟。
 
「蛮勇は好まんが、今の手勢では匿賊程度にすら歯が立たんというのは......少々歯痒いな」
 
 と、星。
 
「それにしても......最近変だと思わないか? 単純な規模に関係なく、連中、妙に統率が取れてるって言うか......」
 
 そして俺、という面子で机を囲って朝飯を食べている。
 
 成り行き、と言えばそれまでなんだけど、こうして三ヶ月も一緒に戦っていると、結構俺たちの関係も変わってきたように思う。
 
 一番目に見えてわかるのは、距離感。
 
 以前一緒に旅をしてきた時は、『都合が合ううちは行動を共にする』みたいなスタンスが割と露骨に出ていたが、今は違う。
 
 こうして同じ志を持って戦っていると、自然と絆も深まる。連帯感みたいなものも出て、「仲間だ」って強く思えてくる。
 
 ......今のこの状態も、自分が仕えるべき主君を探す、星たちの目的の一環だという事を、ついつい忘れてしまいそうになるほどに。
 
 あと、今している民草のために賊と戦う、っていうのも、かなり影響しているんだと思う。目に宿る熱意というかやる気というか、そういうのが旅してた時とは全然違う。
 
 そんな事を考えてると、雛里がぽけ〜とこっちを見ていた。何だ?
 
「一刀さん......気付いてらしたんですね」
 
「馬鹿にするなよ? 伊達に名軍師様たちとそれなりに長い間付き合ってないって」
 
 などと強がりつつ、内心ではあの感心したような表情が結構嬉しかったりして。
 
「ああ、ただ暴徒が暴れている。という単純な事態ではなくなってきているのは確かだな」
 
「黄巾党の首領、張角と言ったわね」
 
「これだけ情報を集めてるのに、その居所も特定出来ませんしねー」
 
 星、稟、風と、現状を再確認して、頭を抱える。
 
 弱小ながらも、俺たちだってこの黄巾の乱を鎮める事を考えている。
 
 一番手っ取り早いのは、その発端を討ち取る事だという結論には達したが、さっき風が言った通り、その拠点も掴めない。どうやら、俺たちみたいに各地を転々としているようだ。
 
 ......まあ、見つけても大軍を引きつれてたりしたら太刀打ち出来ないのだが、真っ向ぶつからなくてもやりようはあるし。
 
「けど、やっぱり目先の課題は食糧だよなぁ」
 
 と、いきなりスケールの小さな、しかし深刻な問題にシフトチェンジする俺。
 
 その言葉に、一同揃って肩を落とす。この辺りには最近流れてきたばかりで、地理くらいしかわかっていない。暢気に構えてるとあっという間に食糧難だ。
 
 今丁度、偵察部隊を四方に放って、この辺りの状況を探っている。何事も、最初は情報戦である。
 
 と、そんな話をしていたらば......
 
「御遣い様!」
 
 偵察に行ってもらっていたうちの一人が帰ってきた。しかも、結構焦って。
 
「何が、あった?」
 
 もはや、何かを見つけた事を前提に話をする俺。
 
「ここより北方三里の地点に、激しい砂埃を確認! 砂塵がひどくて詳細に確認出来ませんでしたが、官軍のようです。黄巾党を相手に劣勢。その数、約三万!」
 
 出てきた言葉は、大体予想通り。今までもこんな事が二、三回あった。それら官軍の指揮官は、星たちの眼鏡には掛からなかったらしいが、それも当然。俺から見ても自分の保身と出世の事しか考えてないやつにしか見えなかったし。
 
「如何なさいますか、御遣い様!」
 
 その兵士の言葉に同調するように、星、風、稟、雛里が、一斉に俺に視線を固定する。
 
 一応、自分が総大将だってのはわかってるつもりだし、判断を求められるのもわかっているつもりだ。
 
 けど......最近こういう場面の四人の目がちょっと怖いんだけど。何か、何とも言えない威圧感というか。
 
 そんなプレッシャーを感じながら、とりあえず俺の意見を言ってみる。
 
「俺は、助けに行くべきだと思う」
 
 と、すぐに軍師様方のご意見が帰ってきた。
 
「うちの兵たちは、官軍に対して良い印象を持っていません。半端な士気で大軍に当たるのは、あまり賛成出来ませんね」
 
「こちらに矛先の向かない援護の仕方はありますが......それを官軍が有効に活かしてくれるかは疑問ですねー」
 
 という、風と稟の意見。
 
「しかし、いかに官軍が気に入らないと言っても、襲われている人々を見殺しにするような事をすれば......一刀さんを慕ってついてきた皆さんの心が離れて行ってしまうかも知れません」
 
 という、雛里の意見を経て......
 
「まあ、どうせおぬしはこういう時に我々の意見を聞き入れはしないからな」
 
 星が、身も蓋もない事を言いました。
 
「ちょっ、何それ。俺ってそういう評価なの!?」
 
 心外極まりない発言に文句を言おうとして、
 
「いいから、早く納得のいく理由を話せ」
 
 黙殺された。......納得いかん。
 
「圧政を強いて私腹を肥やしてるって話も多い官軍だけど、そこの兵士の大半は農家の次男三男なわけだろ?」
 
 あ、雛里がこくこくと頷いて、稟が半眼になった。
 
「それにこの先の事も考えると、官軍に俺...たちの事を印象づけとくのは、有利に働くと思う」
 
 『この先』と『俺たち』、って言葉を続けて言おうとして、その事に少し怯えた事には、気付かれていて欲しくない、な......。
 
「んで、これが一番の狙いなんだけど...」
 
 さっきの言葉に、星と風が軽く目を見開いた事を認めつつ、続ける。
 
「食糧もらおう」
 
 ほぼ予想通りにピシッと固まった四人。のも束の間、稟が口を開く。
 
「助けて、恩を売って、食糧を貰うと? それはあまりにも......」
 
「まあ、格好悪いのは確かだけどさ。腹が減っては戦は出来ないって言うだろ?」
 
 何か色々言われそうだから、一気に言いたい事を言ってしまおう。
 
「さっき雛里はああ言ってくれたけど、恥や外聞に拘れるほど、まだ俺たちは強くない」
 
 今度は、『俺たち』に詰まらなかった。
 
「俺が恥かくくらいで皆の腹が膨れるなら、頭でも何でも下げるよ」
 
 と、一通り言いたい事を言い終えて、数秒の沈黙を経て。
 
「「「はあぁ〜〜......」」」
 
「............ぐぅ」
 
 星、稟、が疲れ切った溜め息をつき(雛里だけ何か微妙にニュアンスが違った気がする)、風が......
「寝るな!」
 
「おぉ!」
 
 っていうか、今の呆れる所か? 食糧不足は深刻だし、俺的にはかなり真剣だぞ。
 
 しかし、呆れはしつつも、
 
「はいっ! 私も賛成です」
 
「......はあ、やっぱり貴殿は、私の意見なんて聞き入れなはしないのですね」
 
「まあまあ稟ちゃん。おそらく、これも風たちの天佑、というやつなのですよー」
 
「本当に......おぬしと居ると、退屈はせんな」
 
 四者四様に、何のかんのと言いつつも、力を貸してくれるようだ。
 
 そんな、今の居場所が......
 
「よし、全軍に通達! これより北方に向かい、官軍と交戦中の賊軍に横撃をかける!!」
 
 
 たまらなく、心地良かった。
 
 
 
(あとがき)
 う〜〜ん、今回は思った以上に進まなかった。私は処女作が長くなった事もあり、展開進めはある程度意識してはいるのですが......。
 これからキャラ増えてもっと進みが遅くなったらどうなるのかと。
 
 ところで、タイトルでパピヨン(?)というのを連想する方がかなり多いみたいです、タイトル変えた方がいいかも、変えるなら早い方がいいですよね。
 次更新辺りで、タイトルの(チラシの裏〜)も外す予定ですし。
 
 



[12267] 二章・『翻る劉旗』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/08 16:53
 
「うわぁ、ひどいな」
 
 戦場に派手に土煙が巻き上がり、怒号が響く。
 
「交戦中、というより、後方からの追撃を受けているようですね」
 
「しかも、これは両軍合わせて三万ではないか? 報告はもっと正確に頼みたいものだ」
 
「まあ、ひどい乱戦ですしねー。ついこの前まで鍬を持っていた兵士さんにそれを見極めろ、というのは少々酷かもなのです〜」
 
 星は報告の雑さに文句を言ってるが、むしろ俺たちにとっては好都合だ。
 
 相手が三万もいない方がいいに決まってる。けど、官軍が追撃されてるってのはおいしくない。これじゃ、官軍の戦力には期待出来ない。
 
「......雛里、上手く黄巾党を撹乱できたとして、官軍が反転して攻勢に出てくれると思う?」
 
「撹乱に成功し、さらに黄巾党の目が我々に向けば、そこで再び横撃を掛ける事が出来るはずです。もし黄巾党が私たちに構わず官軍を追い続ければ、私たちが横から攻め続けられますし......」
 
 なるほど。偶然とはいえ、こっちが二部隊あるって事で有利なわけだ。
 
「よし、前曲は俺と星、左翼は稟、右翼は風、後曲は雛里の指揮、でどうだろ?」
 
 不意打ち前提だし、彼我の戦力差を考えると(黄巾党は二万はいそうだ)、こっちは兵を分けられない。
 
「適任かと」
 
「ではでは、大急ぎで配置に着きますかねー」
 
「賊軍に横撃を加えた後、左方から一度離脱、敵の後方に回ります。合図を聞き逃さないように」
 
「ふふっ、腕が鳴る」
 
 
 風、稟、雛里が、それぞれの持ち場へと行く(俺と星は前曲だからそのまま)。あっという間に、全体がきちんとした陣形を取る。
 
 義勇軍とはいえ、名軍師三人で左右後方を整えてる超豪華な布陣だ。一丸となれば、そこらの官軍より統率が取れる。
 
 ......よし。
 
「聞け! 北郷の勇猛な兵士たちよ! 敵は官軍に喰らいつく賊軍二万! 民草食い物にする賊軍、それに太刀打ち出来ぬ官軍、双方に我らの力を見せ付けてやろうぞ!!」
 
 柄じゃない、いい加減慣れたような号令を掛けて、
 
「全軍......突撃ぃいい!!!」
 
 
 
 
「うわぁ! 何だこいつら!?」
 
「馬鹿なっ! 官軍はこいつらが先頭のはず......」
 
「十文字!? まさか、最近噂の天の御遣い!?」
 
「馬鹿野郎! そんな与太話を真に受けるやつがあるか!!」
 
 突然、丘の上から駆け降りてくる正体不明の一団に、賊軍たちに動揺が走る。
 
 まあ、それもこれから加速度的に広がるのだが......
 
「破ぁあああああ!!」
 
 前曲の、さらに先頭を単騎駆ける星の、歓呼と共に振るわれた槍の一振りに、賊が四、五人まとめて、血飛沫を上げて吹っ飛んだ。
 
 それが、一振り。目にも止まらぬ速さで繰り出される連撃が、逃げる官軍を追っていた黄巾党を横合いから襲い、それを受け倒れ吹っ飛ぶ賊の背に押され、次々に賊が倒れていく。
 
 つまり、人が雪崩れを起こしていた。ドミノ倒しの要領で。
 
「それ、敵は崩れたぞ! 皆、我に続けぇえ!!」
 
 相変わらず惚れ惚れする。いや、ここまで間近で見たのは初めてかも。
 
 「我に続け」とか、いつか言ってみたいもんだ。
 
「足を止めるな! 一人が足を止めれば、後ろの仲間の足も止まる! 全体の動きを乱すな!」
 
 星の猛撃を受けて倒れた"だけ"の連中に、続く皆が槍を、剣を突き立ててとどめを刺していく。
 
「っだああ!!」
 
 俺も、見てるだけじゃない。皆俺を守ろうとしている中で、それでも前に出る。
 
 ここしばらく武官もどきをやっててわかった。星みたいな強さは無くても、俺が前に出る事で......士気が全然違うのだ。
 
「止まるな! 敵は十分に混乱した! このまま敵後方に回り、前方の官軍と共に挟撃を駆ける!」
 
 士気に満ちる義勇軍を引き連れて、黄巾の匿賊を蹴散らしながら、敵後方に旋回、反転する。
 
 十分敵は撹乱出来たはず、あとはこれに官軍が......
 
「!!」
 
 動いてない。いや、さっきと変わらず......ただ逃げている。
 
「嘘だろ......」
 
 このまま挟撃を掛けたら勝負は決まるのに。いや、それよりも......官軍があんなに離れたら、黄巾党の矛先が俺たちだけに向く。
 
 あそこで逃げるってどういう官軍だよ!? 現代日本出身の俺より無能じゃないか!
 
 予想外の事態に困惑する俺たちの前で、官軍の逃走で混乱から抜け出しつつある賊軍の矛先が、ゆっくりとこちらに向く。
 
 
 
 
「何進将軍! 正体不明の部隊が敵に横撃を掛けました!」
 
「そ、そうか。どこの官軍だ? 後で礼の一つもせねばならんな。おい、お前後に追って撤退してくる張遼将軍に、事の顛末を伝えておけ。我が隊は一時、洛陽に帰還する!」
 
 一刀たちの奇襲を活かすどころか、全てを押しつけて、洛陽の大将軍・何進は地平線の彼方へとその姿を消す。
 
 
 
 
「......下衆が」
 
 去りゆく官軍を鋭く睨みつけながら、星が苦々しく呟く。
 
 確かに......不意打ちが上手くいったと言っても、敵はこっちの三倍以上。はっきり言って洒落にならん。
 
「しかし、逃げられる状態ではないな」
 
「ああ......、ここで逃げたら、兵力差で全滅だ」
 
 皆の信頼がどうとかいう話ではなく、今背中を見せたら確実に大打撃を被る。
 
 しかも、戦いの最中に即時適応出来るほどにうちの部隊は調練が行き届いていない(そもそも、流軍でそんな余裕はないから、実戦経験しかない)。
 
 ......いや、待てよ? 今までは被害を極力避けるために、兵を分けても大丈夫な兵力差の相手に、真っ向勝負を避け、複数部隊で撹乱したり、側面を突いたりしていた。
 
 こんな風に全軍を一つに固めるのは初めての事で......なら......
 
「星」
 
「ん?」
 
「俺に一つ、考えがあるんだけど」
 
 
 
 
「報告にあった、官軍ではありませんね」
 
 一刀たちが自軍に三倍する兵力を前に奮闘する様を、
 
「『十』。もしかして、白蓮さんが言っていた......」
 
 一刀たちが奇襲を掛けたのとは反対側の丘の上から見下ろす、一団がある。
 
「あっ! 思い出した、天の御遣いさん!」
 
 官軍の旗を掲げず、その兵たちの武装は、北郷義勇軍と同じく、農民が槍や剣を握った程度。鎧を纏う者すら僅か。
 
「そんなのどっちでもいいのだ。どっちにしろ助けるんでしょ? 鈴々が先鋒やるー!」
 
 しかし、それらを束ねるのは、いずれ世に名立たる智将猛将。
 
「そうだね。黄巾賊なんてひどい人たちに襲われてる人たちを、見捨てるなんて出来ないもん」
 
 
 掲げるその旗は、『劉』。
 
 
 
 
「上手く行かねば、逆に我々の隊が乱れる。それはわかっているな?」
 
「行くさ。あの三人なら、絶対に気付いて動きを合わせてくれる」
 
「ほぅ......大した信頼だな」
 
 目の前、混乱から立ち直った黄巾の軍勢が映る。やっぱり、統率が取れ始めてる。
 
 しかも、俺たちが農民で構成された部隊だと見てか、強気になって士気が上がっている。
 
 やっぱり、正面からは当たれない。
 
「行くぞ!!」
 
 怒涛の勢いで駆け、俺たちの軍と賊軍がぶつかる......前に、
 
「北郷隊、右翼へ!」
 
「趙雲隊、左翼へ!」
 
 俺の部隊と星の部隊が、分かれた。左翼と右翼がこちらの動きに合わせてくれなければ、こっちの軍が乱れてしまう。
 
 でも、風と稟なら絶対に対応してくれる。そう確信してる。
 
 本来なら、調練も何もしていない農民部隊でこんな動き出来やしない。でも、俺たちは普段千人ずつ五部隊に分けていた。しかも、左翼、右翼、後曲には天才軍師たち。
 
「やった! さっすが!!」
 
 見事期待に応えて、何の打ち合わせも合図もなしに、俺たち義勇軍は綺麗に二つに分かれた。
 
 風や稟が、俺の意図を理解してくれたんだ。後曲の雛里は、他の二部隊より判断の時間があるから心配すらしていない。
 
 ......星と稟の方に行ったか。とにかく、二手に分かれた俺たちの間を綺麗に抜ける賊軍。
 
「行くぞ、連中の横っ面に一発くれてやれ! 全軍突撃!!」
 
 それを、左右から横挟撃する。
 
 
 
 
「くっそぉ!」
 
 思い切り振り下ろした一撃が、敵兵の兜を歪めて斬り倒す。
 
「下がるな! 下がれば数に飲み込まれるぞ!!」
 
 不意を突いて、先手を打って、挟撃して、それだけやっても、まだ数の差は埋められない。
 
 ここにいるのが俺じゃなくて、星と同格の愛紗や鈴々なら......三倍の兵力だって跳ね返したのだろうか?
 
「なんて、考えてる場合じゃないって!!」
 
 とにかく、もうこれ以上小細工は使えない。
 
 もう出来るのは、俺が前で勇気を見せて、皆を奮い立たせるしかない。
 
 くそ......何が「食糧もらおう」だ。官軍には逃げられるし、三倍以上の敵と俺たちだけで戦う羽目になるし。皆に命令出した立場として情けない。
 
 ......いや、それも今は余計だ。とにかく、何が何でも勝たないと!
 
 
 そんな俺の気持ちが、皆の言う天にでも通じたのか......
 
 ジャーン! ジャーン! ジャーン!
 
 高らかに銅鑼の音が響いて、敵の増援かと思って戦慄しかけた俺の目に......
 
「聞けぃ! 劉備隊の兵どもよ! 敵は組織化もされていない雑兵どもだ、気負うな! さりとて慢心するな!」
 
 長く、綺麗な黒髪。高らかに掲げられた、青龍偃月刀。
 
「突撃、粉砕、勝利なのだー!!」
 
 身長の倍はあろうかという丈八蛇矛を振り回す、小さな体躯。
 
「全軍、突撃ぃぃーーーーっ!!」
 
 見紛うはずもない、前の世界で、俺を天の御遣いだと慕い、共に戦いを始めた二人。
 
 関羽...愛紗と、張飛...鈴々。
 
 こんな時なのに、いや、あるいはこんな時だからなのか......目頭が熱くなりかけて、"それ"を見つける。
 
 
 二人の掲げる『関』と『張』の旗、以外の至るところに揺れる旗。
 
 
 ............『劉』?
 
 
 
 
(あとがき)
 タイトルで、武装錬金のクロス物と誤解されるような事があるようなので、変更しました。
 そんな、『蝶』の一文字が代名詞になるような物だとは知らなかったもので(というか、武装錬金を知らないもので)。
 
 一文字足したけど、まだまずいようなら素早く(今日中にでも)再変更しますが。
 
 



[12267] 三章・『一刀と劉備』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/09 05:41
 
「よしっ! 行けるぞ!」
 
 何で、今まで考えつきもしなかったんだろう?
 
「お兄さん!」
 
 『前の世界』には稟も風もいなかった。戦死したのかも知れない、魏に仕えなかったのかも知れない。でも、少なくとも俺は彼女たちを知らなかった。
 
「風! 大丈夫、味方だよ! 皆が混乱しないように鎮静化してくれ! 俺は味方同士で邪魔にならないように誘導する!」
 
 今の世界と前の世界は、違う。それは俺の事を皆が覚えてるとか、そういう事だけじゃない。前の世界とは微妙に違う伯珪に会った時、風や稟に会った時、薄々感じていた事だ。
 
「関羽将軍!」
 
 なのに、何故想像すらしなかったんだろう?
 
「ふっ、私は将軍なんて大層な身分ではありませんよ。......あなたが、この部隊の総大将か?」
 
 前の世界で、俺が立っていた所。三國志の主人公格と言われれば、曹操と並んで真っ先に浮かぶ名前......『劉備』。
 
「不相応ながら、ね。助太刀、感謝します」
 
 何故、その存在を想像すらしなかったんだろう?
 
「礼など要りません。我らとて、賊徒から民草を守りたい志は同じ。それより......我が名をご存知で?」
 
 そんな後悔とも狼狽ともつかない感情が、頭の中をぐるぐると巡りながら、
 
「もちろん、有名だからね。......けど、話は後だ」
 
「ええ、まずは......」
 
 俺は自分でも驚くくらい平静を装って......"関羽との初対面"をこなしていた。
 
「敵は崩れたぞ! 一気に畳み掛けろ!!」
 
「見ろ! 敵は数で勝っていなければ裸足で逃げ出す臆病者どもだ! 恐れる事など何も無いぞ!!」
 
 そんな風に自分を抑えられる事が、誇らしくて、そして......寂しかった。
 
 
 
 
「ちくしょう! せっかく何進の豚野郎を後一歩まで追い詰めたってのに、雑軍相手に何て様だっ!!」
 
 黄巾の群れの中、一人明らかに洋装の違う男がいる。鎧も槍も、明らかに他の連中より上質の代物。そんな男が、苛立たしげに毒づいた。
 
「大将! 前も後ろも右も左も敵だらけです! 逃げ道がねえ!!」
 
「馬鹿かテメェは!? んな事は見ればわかるんだよ! 兵が手薄とか、指揮官が弱いとか、そういうのを調べてこいっつってんだ!!」
 
 やり取りから見ても、やはり......
 
「やっぱり、ちゃんとした統率者がいたんだな」
 
「!」
 
 砂塵舞う戦場の中で、俺がそいつを見つける事が出来たのは、もしかしたら深入りしすぎたという事かも知れなかった。
 
「テメェ...、この義勇軍の指揮官だな!」
 
「盗賊なんかに名前教える義理はないね」
 
 訊かれ、強気に返したのは挑発のつもりだったのだが......よく考えたら相手は最初から俺を指揮官として狙っていたのだから、意味なかったかも知れない。
 
「そうかい、俺もテメェの名前なんか興味ねえや!」
 
 馬蹄を鳴らして、その男は突っ込んでくる。向こうは馬上、獲物は槍。
 
 俺は剣。間合いが違いすぎる。だけど、一騎打ちなんて最初からやる気はない。
 
「今だ!」
 
 左右から、突進してくる馬という恐怖の光景にも臆さずに、控えてもらっていた味方の兵士二人が飛び出し、
 
「おらぁ!」
 
「死ねえ!」
 
 手に持った斧と薙刀で一閃、馬の足を薙いだ。
 
「ぐわぁあ!?」
 
 たまらず馬上から転倒した男。俺はその槍を踏みつけて、顔面を蹴り飛ばす。
 
「ち、ちきしょう!」
 
 そのまま、立ち上がって逃げようとする男。その向こうに白い影を見て、咄嗟に叫ぶ。
 
「っ星! 殺すな!」
 
「っ!?」
 
 一瞬、動きが固まった気配がして、
 
「ごふっ......!」
 
 次の瞬間には、男はその喉に星の槍の柄を叩き込まれ、昏倒していた。
 
「何故止めた?」
 
「いや、指揮官なら何か貴重な情報持ってると思ったし、星ならこんな奴生け捕りにするの簡単だろ?」
 
「ふっ、まあな」
 
 自分に対する評価が気に入ったのか、得意げに鼻を鳴らす星の足元で、賊の大将が縛り上げられている。
 
「さて......」
 
 今ここに星がいるという事は、敵の軍を二つに分断出来たって事だ。敵将も捕らえた。
 
 "劉備の援軍"も居る。
 
「敵将生け捕ったり! もはや敵は烏合の衆! 一気に勝負を決めるぞ!」
 
 
 それから、分断され、指揮官を失った賊軍は、趙子龍、関雲長、張翼徳という豪傑の前にあっという間に瓦解した。
 
 
 
 
 戦いの後始末とか、あれからやる事は結構あったおかげで、気分を落ち着ける時間はあった。
 
 前の世界と今の世界を混同するような真似は、もうしない。
 
 たとえ愛紗や鈴々の主として、共に決起するという......"前の世界の俺"によく似た境遇に劉備が居たとしても、そこは別に、俺の居場所じゃない。
 
 愛紗も鈴々も、"彼女たち"とは別人なのだから。
 
 居場所というなら、前の世界の皆の理想を胸に抱いて戦うと決めて、星たちと一緒に戦っている"ここ"こそが"今の"俺の居場所だ。
 
 そう、理屈で感情を押さえ込むように、何度も自分に言い聞かせた。
 
 そうしないと狼狽して何を言ってしまうかわからない、という俺の情けない不安と覚悟を内包した対面は......
 
「朱里ちゃ〜〜ん! ぐす...無事で、よ、良かった〜......!」
 
「雛里ちゃんこそ、会えて良かったよ〜〜......!」
 
 問答無用の感動の再会によって、俺個人にはかなり地味で曖昧なものとなった。いや、朱里が無事にちゃんとした人に拾われてて良かったんだけどね。
 
「さて、と......」
 
 結果的には、雛里たちのおかげでワンクッション置けて良かったかも。
 
「はじめまして、私は劉備、字は玄徳。一応、私が総大将って事になってます♪」
 
 ひまわりの花みたいに頬笑んで、そう名乗った少女。
 
 愛紗の服をちょっとアレンジしたような服。桃色の長い髪の両端を羽根飾りで軽くまとめた、いかにも優しげな容貌。何かもう常識化してるから驚かないけど、やっぱり美少女である。
 
 この子が、劉備......。
 
「うん、改めてはじめまして。俺は北郷、名前は一刀。"こっちも"一応俺がこの義勇軍の総大将って事になってる。」
 
 劉備の控えめな自己紹介に、こっちも冗談交じりに自重的自己紹介をしてみる。
 
 うん、今のやり取りだけでわかるくらいに、はっきりきっぱりいい子だ。
 
「姓は北、名は郷、字が一刀……ですか?」
 
 何やら、変な具合に名前を勘違いされたのを俺が訂正する前に、
 
「ああ、失礼した。だが、こやつには真名も字も無いのでな」
 
「......何?」
 
 星がフォローを入れてくれました。
 
 愛紗、鈴々、雛里との感動の再会を終えたらしい朱里、そして劉備さんが、揃って不思議そうな顔をして......
 
「ねえねえ! 字も真名も無いって事は、やっぱり噂の天の御遣い様だから!?」
 
 誰より早く立ち直り、興奮気味にそう訊いてくる劉備さん。もう敬語やめてるし、人懐っこい子だなぁ。
 
「まあ、こことは違う世界に居た事は確かだよ。信じてくれとは言わないけど、俺には姓と名前しか無いのは事実だ」
 
 俺がそう言うと、劉備さんはやおら瞳に星を浮かべて身を乗り出す。
 
「それってやっぱり、この戦乱を治めるために舞い降りた天使さんって事!? 何か仙術みたいな事出来たり......」
「桃香様!」
 
「あ〜〜ん」
 
 暴走気味に俺の両肩を掴んで揺らす劉備さんの首根っこを愛紗が掴んで、猫みたいにひっぺがす。
 
 その微笑ましい光景に目を細めると、愛紗は劉備さんの行動を恥ずかしがっているのと思っているのか視線を逸らして、
 
「失礼した...」
 
 小さく呟いた。保護者か。
 
「ははっ......いいよ、全然気にしてないし」
 
 劉玄徳。前の世界の、俺の立ち位置。
 
 子供みたいに、「そこは俺の居場所だ!」って叫びたい。そんな感情が無かったわけじゃない。
 
 もし、これでくだらない奴が愛紗たちを従ていたら、俺は我慢出来たかどうかわからない。
 
 でも、実際に会った劉備さんは、いい子で、いかにも愛紗や鈴々が慕いそうな子で......到底怒りの感情なんて湧かなかった。
 
 その事がとても安心で、そして......複雑だった。
 
「はいはーい! 次、鈴々ね。鈴々は張飛、字は翼徳なのだ!」
 
「うむ、ならば私も。姓は趙、名は雲、字は子龍」
 
 劉備さんの少し抜けた行動を皮切りに、和やかな雰囲気で、俺たちは自分たちの事を話し始めた。
 
 
 
 
 何故だろう?
 
 別に、その素振りが気に入らないわけではない。
 
 天の御遣い、という肩書きは胡散臭いとは思うが、この男自体は気に入らないわけではない。
 
 むしろ、常の私なら好ましく感じる類の人物だと思う。
 
 ......でも、何か気持ち悪かった。この男を見ていると、落ち着かない。
 
 まるで、在りもしない傷を思い出させられるような。同時に何か、大切なものをもぎ取られるような。
 
 そんな感覚をもたらすこの男が、それと笑いあって話す桃香様が......
 
 
 とても、私を不安にさせていた。
 
 
 
 
(あとがき)
 三度目の正直、と言いますか。
 感想板で受けたある意見にとても感銘を受け、三度タイトルを変更しました。いい加減紛らわしいのでこれど固定します。
 タイトルの『燐(りん)』、は鬼火や火の玉、屍から放たれる光、光を当てた物体を暗闇に置いた時に、その物体が放つ光などの意味です。
 
 



[12267] 四章・『戦う理由』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/09 14:34
 
「はぁ〜〜………」
 
 戦勝の宴、なんて食糧の余裕も当然なく、ごく普通に野営の陣地で夜を迎える俺たち。
 
 何か眠れなかった俺は天幕から出て、荒地の真ん中で大の字に寝転がっている。
 
 ……空が広くて、綺麗なんだよなぁ。ビルとかの遮る物がないと、月明かりだけでかなり明るいし。
 
「劉備、かぁ……」
 
 寝転がって、月を眺めて、呟く。
 
 皆が笑いあって暮らせる世の中を作りたい。そんな大志を抱く少女。
 
 それに惹かれて、愛紗が、鈴々が、朱里が、劉備の許へと集った。
 
 ……別に、何の不思議もない。前の世界での、俺の『天の御遣い』って張りぼてじゃなくて、本当の魅力を持った主君に、集うべくして集ったってだけの事。
 
 劉備、関羽、張飛、諸葛亮。むしろこっちの方が遥かに自然だ。『北郷一刀』なんて、能力以前に余所者なんだから、どこ行ったってしっくりくるはずがないんだけ………
「……何一人で拗ねてんだ俺? カッコ悪…」
 
 今日は何かこう、ネガティブ思考と現実的思考を行ったり来たりしてるな。
 
 落ち着け北郷一刀。こういう時こそポジティブシンキングだ。得意なはずだろ?
 
 え〜と、ああ、そうだ。官軍には逃げられたけど、劉備さんたち食糧に余裕……あるわけないか、同じ流軍だし。
 
 逃げた官軍たちが俺たちを評価……期待薄いよなぁ、逃げたし。
 
 
 そうやって、ポジティブに持って行こうとしてネガティブに陥る悪循環を繰り返すうちに、俺の思考はまた振り出しに戻っていた。
 
「劉備さん、かぁ……」
 
 今度は『劉備という記号じゃなく』、あの少女の事として呟いた、瞬間……
 
「はぃい!?」
「っぉおお!?」
 
 真後ろ(寝転がった頭の方)から、すっとんきょうな悲鳴が上がる。釣られて俺も奇声を上げた。
 
 慌てて上半身を起こして振り返れば……
 
「あ、あはは、バレちゃった……」
 
 極めて偶然でございます、劉備様。ってか、バレるて何? 奇襲万歳?
 
「う〜、びっくりさせようと思ったのに〜」
 
 左手で心臓を押さえながら頬を膨れさせる、というなかなか器用な芸当を披露して下さっている。いつまでびっくりしてるのやら。
 
「もう遅いけど、どうかした?」
 
「それはお互い様だと思いますよ♪」
 
 言って、「んしょ」と俺の横に腰掛ける劉備さん。びみょ〜にペース握られてる気がしなくもない。
 
 ……というか、この世界にはこういう時に俺を一人にしてくれない法則でもあるのだろうか。しかも、劉備さんだし。
 
「…………………」
 
「…………………」
 
 横に腰掛け、互いに無言。何をしにいらしたんでしょうか?
 
「劉…」
「北郷さんは、どうして戦ってるんですか?」
 
 俺が声を掛けるのに被せるように、劉備さんが口を開く。
 
 随分と、唐突な質問だ。
 
「さっきは一人ではしゃいじゃったけど、北郷さんは自分の意思で天界から降りてきたわけじゃないんですよね?」
 
 ……さすが劉玄徳、こんな顔も、出来るんだ。
 
「私には天界の事は何もわからない。でも、理由もなく天界から降りてきたあなたが、今戦っているのには、理由がある。……違いますか?」
 
 完全な図星。人の立場になって、その気持ちを理解出来る子なんだろう。
 
 ただ、何故それを訊くのかがわからない。
 
「……単なる、自己満足だよ。劉備さんの志とは、比べるのもおこがましい。大切な人がいて、その人たちの気持ちを、自分がずっと持っていたいってだけの……個人的な自己満足」
 
 そういえば、この事を言うのは劉備さんが初めてか……。大志を抱く劉備さんには言うのも恥ずかしい理由だけど、ここは嘘をついていい場面じゃない。
 
「軽蔑、しただろ? 俺は、劉備さんが考えてたような平和の使者なんかじゃない」
 
 もちろん、言っちゃいけない場面だって弁えてる。だから、付け足す。
 
「でも、出来ればこの事はうちの義勇軍の皆には言わないで欲しい。皆が縋るものが、戦う理由が、無くなってしまうから」
 
 俺の言葉を、劉備さんはじっと俺の目を見ながら聞いている。必然的に、俺も目を逸らせない。
 
「もしそれを伝えるなら、君が……」
 
 代わりに、皆の支えになってくれ。
 
 そう続けようとした俺の言葉は、口から発せられる事はなかった。
 
 劉備さんが、「しー…」とでも言うかのように、俺の唇の前に人差し指を一本立てていたから。
 
 一瞬穏やかに頬笑んで、すぐにキリッと表情を引き締め、
 
「改めて、お願いしたい事があります」
 
 その真摯な眼差しに、俺はごくりと息を飲み、
 
「天の御遣い、北郷一刀様。この戦乱を治めるため、私たちを率いる盟主になってください!」
 
「………………は?」
 
 あまりに予想外の台詞に、目と口をOにした。えーと……この子、俺の話ちゃんと聞いてた?
 
「愛紗ちゃんも、鈴々ちゃんも、朱里ちゃんも、武人として、軍師としての力はある。それでも、決定的に足りないものがあるんです」
 
 だんだん、劉備さんの言った事、言いたい事の意味に、理解が追い付いてくる。
 
「名声、風評、知名度……そういった、人を惹き付けるに足る実績が無いの」
 
 そして、明確に理解が追い付いて……初めてこの少女にカチンときた。
 
「そして、あなた自身の言葉を聞いて思ったの。あなたなら、私たちを…」
「待った」
 
 今度は、俺が劉備さんの言葉を遮る。
 
 これは、絶対に認めない。
 
「二度と、そういう事を言わないで欲しい」
 
 その言葉の先に、俺の望み続けた居場所があったとしても……
 
「関羽も、張飛も、諸葛亮も、義勇軍の皆も、君を……劉玄徳を慕って付いてきてるんだ。その気持ちを、裏切るような事はやめてくれ」
 
 言葉の途中で、自分の気持ちに気付いた。『“奪われた自分の居場所”を軽く扱われている』、俺は、そんな“勘違い”極まりない憤りを感じているんだ。
 
 何やってんだ俺は。
 
 よくわからないけど、劉備さんは俺の何かを認めてくれたらしいのに、もっと言い方ってもんがあるだろうに……。
 
「…………………」
 
 劉備さんは、黙っている。俺はいつしか視線を逸らして俯いていた。
 
「…………くすっ」
 
 俺がどんな顔して頭を上げればいいか考えていると、小さく笑った声が聞こえて、俺は思わず顔を上げた。さぞ、間抜けな顔をしていた事だろう。
 
「北郷さん」
 
「はい!」
 
 呼ばれて、色々情けないやら何やらで正座する俺。
 
「それ、さっき北郷さんが言おうとして、私が止めたのと、同じ事ですよ?」
 
 …………あ。
 
 そうか。俺が義勇軍の皆を劉備さんに頼もうとした事も、結局同じ事か?
 
 いやいや、待て、違う……ぞ?
 
「いや、あれはほら、俺の自己満足を皆に喋っちゃったらもうその時点で俺の意味が無くなるからであって、だから劉備さんとは事情が……」
 
 つらつらと言い訳染みた反論を並べる俺の言葉を、今度は劉備さんは全く聞いてる様子がない。
 
 立ち上がり、「んー!」って伸びをしている。
 
「結論! 私たちはお互い、もっと自信を持とう! って事ですね♪」
 
 やっぱり聞いてない、どころか、何か勝手に結論づけられた。
 
「私たちを信じてくれる人たちの信頼に、応えるためにも」
 
 その言葉に、顔に、瞳に呑まれて、俺は言葉を失う。
 
 そういうものかも知れない。と、そんな気持ちにさせられてしまう力が、この少女にはあった。
 
「ほら、手を」
 
 まだ座ったままの俺に、手が伸ばされる。その手を、不思議と自然に取って……
 
「ありがとう、劉…」
「桃香」
 
 言ったお礼に、劉備さんが被せる。
 
「私の真名です。一刀さん」
 
 立ち上がり、引かれるその手に……
 
「……ありがとう、桃香」
 
 
 どこか、救われたような気がした。
 
 
 
 
「……………………」
 
 無用心、極まりない。
 
 今日会ったばかりの、しかも『天の御遣い』などという胡散臭い通り名を持つ男と、こんな夜分に二人。
 
 しかし近寄ったのは桃香様の方だし、今出て行ったら、覗いていた、と思われてしまい、武人の名に傷が……。
 
 そんなこんなで、私は桃香様と北郷殿の会合を、その……護衛しているわけだが、いかんせん距離があって会話が聞き取れん。
 
 もっと周りに天幕とか積み荷とかあれば近寄れるのに、何もない所にいるから隠れる場所が無い。
 
 くそっ、何とか近寄れないものか……
「何をしている? 関羽殿」
 
「(ひゃあっ!?)」
 
 いきなり後ろから掛けられた声に、思わず出そうになった悲鳴を堪える。
 
 見れば、北郷義勇軍の趙雲殿。
 
「何をそんなに驚かれる? 人を物の怪にでも仕立てあげるおつもりか?」
 
「(気配を断って近づくな!)」
 
 飄々とした態度の趙雲殿に、小声で怒鳴っておく。
 
 ……厄介なのに見つかったものだ。
 
「そう目くじらを立てるな。おぬしもあの二人の“護衛”だろう?」
 
 言って、趙雲殿は口の端をにやりと歪める。嫌な女だ。
 
「まあそう心配するな。私もあやつとはそれなりに長い付き合いだが、女性には人一倍気を遣う男だぞ」
 
「(私は! 桃香様があの男に誑かされはしないかと心配しているのだ!)」
 
 思わず、北郷側の武将に本音を言ってしまった。
 
「ふむ、確かに劉備殿があやつに接近した理由は気に掛かるな。あの凡骨の何が気になったのやら」
 
 言って、私の横に並んで二人を観察しだす趙雲殿。……私だけ小声で騒いでいるのが馬鹿みたいだ。
 
 そして……
 
「…………………」
 
「…………………」
 
 しばらく、聞こえないまでも二人のやり取りを眺め……
 
「……何だか、空気が桃色だな」
 
「貴様ぁ! あやつは女性には誠実ではなかったのか!?」
 
「気を遣う、と言ったのだ。都合良く解釈されても困る」
 
 あぁああぁあ!! どうしようどうすればどうなるー!?
 
「まあ、実際何を話していたのかは気になる所だが、当人に訊くのも無粋か。何より、我らが覗き呼ばわりされてしまう」
 
 ……自分で言いたくはないが、立派な覗きだと思う。ここまでしれっと出来るとは、趙子龍、只者ではない。
 
 ……っじゃなくて!
 
「遠回しにせよ何にせよ、訊きだす方法はあるはずだ。明日朝一番に問い詰めて………」
「しゃしゃりでないでもらおうか、あやつをつねるのは私の仕事だ」
 
「っ〜〜〜〜〜!!」
 
 行き場のない感情、とでも言えばいいのか。
 
 北郷一刀。
 
 あの男を見ていると、ひどく落ち着かない。
 
 桃香様に何か狼藉を働いたわけではない。それで良かった、で何故か済ませられない。
 
 危険だ。
 
 あの男の存在が私の大切な何かを失わせる、そんな感覚を、肌にひしひしと感じていた。
 
 
 
 
(あとがき)
 前回、自己紹介の真名に関する部分でいくつか指摘を頂いたので、直しておきました。
 う〜〜ん、自分でビビる。何にビビるって一刀と桃香の会談くらいしか進んでない展開の遅さにビビる。
 
 それはそれとして、PVが十万いったり感想が百越えたりで狂喜乱舞しておりますので、調子づいて頑張ろうと思います。
 
 



[12267] 五章・『真夜中の訪問者』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/10 16:57
 
「天界には、月が無いとか?」
 
「いやいや、そういうんじゃなくてさ。高い建物がいっぱいあるから、それが邪魔して地上から見える面積が狭いんだよ」
 
 その後も何となく目が冴えて、ふらふらと陣内を歩く俺と桃香。
 
 いかんなあ、食糧不足だから無駄なエネルギー使うのは良くないんだけど、ついつい話し続けてしまう。
 
 今日捕らえた賊将から情報を聞き出し、明日から忙しくなる予定なんだけども。
 
「高い、建物? お城みたいな?」
 
「もっと細長いかな。長方形でさ。それが町中に建ってるんだ」
 
「.....................」
 
「えへへ、やっぱり......話を聞いてるだけじゃ、想像出来ないね」
 
「...........................」
 
「この世界の事も、あっちの世界じゃ本になっててさ。桃香や関羽も有名なんだぞ?」
 
「うそっ!? ホント!?」
 
「.....................」
 
「本当本当。まあ、ちょっと違う部分もあるけどね」
 
「違うって?」
 
「........................」
 
「桃香が男......なんてね」
 
「えぇぇ〜!! 何かそれやだぁ......。冗談? 冗談だよね?」
 
「.....................」
 
「はははっ、どうかな? 真相は闇の中だ」
 
 ......あれ? っていうかさっきから不自然な沈黙が会話の間に......
 
「ぅわぁあああ!?」
 
「座敷わらしっ!?」
 
「......何だかよくわかりませんが、失礼な事を言われた気がするのです〜」
 
 何をいつ、どうやったのか知らないが、俺と桃香の間に、一回り小さい女の子が降臨していた。
 
「風、どうした? 普段は所構わず寝てるくせに」
 
「えっ、と......程立ちゃん、だよね」
 
 ふわふわした髪とゆったりとした服。頭上に輝く宝慧、我が軍の誇る軍師様、風である。
 
「いえいえ〜、何やら桃色の空気が陣内に蔓延していたもので。こんな空気の中で眠っていられるほど、風は暢気ではないのですよー」
 
 言って、目を糸にしてアメをくわえる風。食糧不足だってわかってるか? そして寝る前にアメはやめなさい。
 
「桃色っ、て......?」
 
 桃香が、風の不思議発言に首を傾げる。そういえば、意味がわからん。
 
「おやおや、自覚も無しときましたか。ここでお兄さんにまでシラを切られると、こちらも切り札を使うしかなくなってしまいますねー」
 
 風の切り札、というのもかなり気になりはするのだが、今の言い回しはまるで、桃色がどうとかって......
 
「俺と......?」
 
「わた、し......?」
 
 ボンッ! と音を立てて真っ赤になる桃香。ウブな子なんだな。
 
 だが、俺は風との付き合いはそこそこ長いから、これがおちょくられてるというのはよーくわかっている。ここはクールに流す所だ。たとえ本気だったとしても、からかってるのは間違いないし。
 
「......う〜......」
 
 予想に違わず、余裕の笑みを浮かべる俺を、風はたっぷり五秒ほど凝視して、いかにも不満そうに唸る。
 
 そんな、若干勝ち誇る俺から、風は標的を変えたらしい。
 
「ところで劉備さん。こんな夜分にうちのお兄さんに何かこう、とても大きな声では言えないような事をされていたのでしょうかー?」
 
「え? えぇっ!?」
 
 風の言葉に、桃香はパタパタと両手を振って、面白いくらいに狼狽する。
 
 あれじゃ、本当に何かあったと誤解してくださいと言ってるようなもんだ。可愛いけど。
 
 にしても、本当に何で風はこんな時間に起きてたんだ? いや、風の思考をトレースしようとするだけ無駄か。
 
「はい、そこで『にゃあ』と、猫っぽく」
 
「にゃっ、にゃあ......!」
 
 ぼんやりと少しそんな事を考えている間に風は絶好調。桃香も、そろそろ遊ばれている事に気付いた方がいい。
 
 そんな、珍しい組み合わせの微笑ましいやり取りを眺める、和やかな時間は.........
 
「っ!?」
 
 小さく、遠く、しかし確かに響いた馬蹄の音によって、唐突に終わりを迎える。
 
 
 
 
 夜襲か!? とか、何でこんな雑軍の陣地を!? とか、色々大騒ぎした。
 
 何故か打てば響くように星と愛紗が出てきたり、銅鑼を鳴らして皆を起こしたりしたが......それら全ては杞憂に終わった。
 
 激しい馬蹄はこの陣地まで近づく事はなく、ある程度の距離を取って治まり、そして一騎の兵卒だけがこちらに寄越された。
 
 使者という形で。
 
 
「相手は今日我らに助けられておいて尻尾を巻いた官軍だぞ。こちらからわざわざ出向いてやる義理がどこにある?」
 
 星は、あからさまに俺の判断に納得がいかないらしかった。
 
「官軍の中には、ちょっと気に喰わないだけで斬り捨てるような輩もいますよー。何せ、こっちは雑軍ですからー」
 
 風は、至極物騒な事を忠言してくれた。
 
「どうせ言っても聞かないのでしょう? その代わり、監視役として同伴させてもらいます」
 
 寝起きで眼鏡なし、髪下ろしの稟は、別人みたいだった。その事を指摘した時の慌てっぷりは見物の一言。
 
「わ、私も......行き、ます」
 
 雛里も、どぎまぎしながらも付いてきてくれると言ってくれた。どうやら、同じ寝床の中で朱里と積もる話をしていたらしい。
 
 
 そして、
 
「私も行くよ♪ だって一刀さんの所とは別働隊だし。おまかせ出来ないもん」
 
 桃香も、
 
「"一刀......さん"?」
 
 愛紗も、
 
「うにゃ〜〜、眠いのだぁ」
 
 鈴々も、
 
「北郷、一刀.........」
 
 何かボソボソ言っていた朱里も、皆で官軍の許を訪れていた。何だかんだ言って、皆付いてきてくれるのが嬉しすぎる。
 
 皆は不安だったり警戒してたりで緊迫した空気が張り詰めている(鈴々除く)けど、俺はそういう心配は全然してなかったりする。
 
 そして、いよいよ到着。
 
 
「いやぁわざわざ出向いてもらって悪いなぁ。本当はウチは一人で出向いたっても良かったんやけど、周りがうるさくて」
 
 いや、将軍が一人出向くのはアウトだろ。俺みたいに安全の確信があるわけでもないだろうに。
 
「え〜〜と、呼び付けといて何やけど......何進の逃走に手ぇ貸してくれた部隊、でええんよね?」
 
 やっぱり、顔も性格も同一人物にしか見えないな。混同しないように......っていうか、前の世界でも性格とかしか知らないし、元々あんまり細かい事気にする奴じゃないから、そんなに意識する必要ないか。
 
「はっ、昼間助けた官軍部隊の事なのでしたら、間違いなく自分たちです」
 
 似合わない敬語を使ってみるが、これは通過儀礼みたいなものだ。ずっと続ける自信はちょっとない。
 
「おー! やっぱりか! ......ところで、あんま固い喋り方せんでええよ? ウチも上官にはタメ口きくしな〜♪」
 
 ほら、やっぱり。
 
「わかった。そうさせてもらうよ、張遼将軍」
 
 サラシに袴に羽織り、紫の髪を後ろで纏めた、俺にとっては馴染みのスタイルの霞に、俺は笑顔を向ける。
 
 
 
 
「にしても、義勇軍とはな〜。ああ、気ぃ悪くせんとってな、何進からの報告にそないな事一言もなかったってだけやから」
 
 あの官軍......何進将軍? 助けられた部隊が官軍か義勇軍かすらわかってなかったのか。
 
 何進、何進......。どんな人だっけ?
 
 まあとにかく、ひとしきりの自己紹介を終えた俺たちは、霞の部隊の天幕へと案内されていた。
 
「んで、自分ら義勇軍の大将は......」
 
「俺と......」
 
「わ、私ですっ!」
 
 桃香は、まだ落ち着かないな。......ん? っていうか、何か皆との温度差が......ああ、そっか。
 
 と、俺が気付いた頃には、霞は口を開いていた。
 
「..............何や?」
 
 皆から向けられる悪感情に反応して、霞の目がぎらりと光る。
 
 もちろん、星や愛紗や鈴々がそれで怖じ気づくわけもなく、両者睨み合い......って何か険悪な雰囲気にっ!?
 
「張遼、耳貸して」
 
「へっ!?」
 
『っ!!』
 
 険悪な場の空気をガン無視して、霞の手を軽く引っ張った俺の行動に、一同呆気にとられる。これも承知の上である。
 
 そのまま、星辺りが我に帰って俺をしばこうとする前に、霞の耳に顔を寄せて手早く事情を説明する。
 
 まあ、何進が逃げたせいで霞の事も良く思われてないって事だけなのだが。
 
「あ〜......けどそのわりには自分は友好的やね?」
 
「何進と張遼は、違うからね」
 
「? 何や知った風な口きくなぁ。まあええけど」
 
 確かに、初対面でこれは少し変かも知れないが、この状況で両者の橋渡しが出来るのは、どう考えても俺だけだ。
 
「すまん!」
 
 期待に違わず、霞はパンッと両手を合わせて頭を下げてくれた。
 
「ホンマすまんかった。ウチの能無しが迷惑かけたみたいやな。けど、そう目くじら立てんとってや、ウチは何進の部下ゆうわけやない」
 
 何とも不器用で言い訳めいた謝罪だが、元々自分の事でもない事を謝るのが得意なタイプじゃないし、こんなもんか。
 
 これで皆の機嫌が治れば、落ち着いた話し合い......
 
『.....................』
 
 が............
 
『.....................』
 
 機嫌、治って、ない? 明らかに友好的ではない視線が、一同揃って俺に.........あれ? 俺?
 
 
「先ほどといい、今といい、この頃は随分と女性に馴れ馴れしくなられましたなぁ、北郷一刀殿?」
 
 懐かしい敬語が、凄く怖いです。星さん。
 
「『お前の事なら何でも知っている』。まさかお兄さんがそんな口説き文句をさらっと言えるお方だとは.........」
 
 風、煽らないで。
 
「あまつさえ、戸惑う彼女の横顔に頬を寄せ、その唇で耳をついばみ.........」
 
 お前のは完全に妄想だろうが!
 
「ぐすっ.........」
 
 雛里にいたっては涙ぐんでるし!
 
「問・答・無用ーーーっ!」
 
 何故か愛紗が一番怒ってて。
 
 しかも誰も止めに入ってくれなくて、夜の荒野に、俺の哀れな絶叫が響いた。
 
 
 
 
(あとがき)
 展開の遅さは更新速度で補う、というスタンスを心掛けております。
 などと言い訳しつつ、今日もせっせと更新。
 



[12267] 六章・『誇りと信頼』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/11 20:08
 
「んで、何進が劣勢に回った途端に尻尾巻いて逃げよったせいで、ウチまでその殿に回されたわけやけど………」
 
 俺という生贄によって霞と皆の間にあったわだかまりのようなものは緩和され、あちこち痛い俺に構わず軍議は続く。
 
 結果的に良かったのかも知れないが、やっぱり痛い。
 
「大丈夫? 一刀さん」
 
「たんこぶ……大きい、です……」
 
 桃香と雛里は助けてはくれなかったけど、気遣ってはくれている。ああ……癒されるからもう良しとしとこう。
 
「そこで、逃げ帰っとる何進が待ち伏せされたゆうこっちゃ。最初から狙っとったとしか思えへん」
 
 なんて、呑気な事考えてる場合じゃないな。無い知恵絞って軍議に参加せねば………
 
「それは我々も思っていた。あれだけの集団、中にはそれなりに頭の回る者の一人や二人、出てきてもおかしくない」
 
「そうですね。そして、そういった人間が必ず指導者に祭り上げられます」
 
 星と稟が、霞の意見を補足しつつ同意する。俺もさりげなく並んで参加してみる。
 
「逃げ帰った、という事は、そちらの戦線は結局どうなったのでしょうかー?」
 
「何進が逃げて士気がガタガタになったはずやねんけど、何とか押し返したって伝令が来たから。とりあえずは心配ないわ」
 
 風が訊ね、霞が応える。ここで、ちょっと俺は違和感を覚えた。
 
 多分、この中でも一、二を争うはずの軍師二人が、まだ一言も軍議に参加していない。
 
「雛里、どうしようか?」
 
 さっきまで俺を気遣ってくれていた雛里に意見を訊くと………
 
「……は!」
 
 今まで見た事ないくらいの速度で、朱里の後ろに隠れた。
 
「ひ、雛里ちゃん〜〜………」
 
「ご、ごめん……でも……」
 
 そのままお互い背中に隠れようとしてぐるぐると回るお二人さん。
 
 しばらくしてそれを続けた後、二人並んで手を繋ぐという妥協案に落ち着いたらしい二人は………
 
「そ、そその撤退で黄巾ほうがひゃぶ………!」
 
「今日……いえ、昨日捕えひゃ敵ひょはう……!」
 
 カミ過ぎて、何を仰っているのかわかりませんでした。
 
 しかし、前の世界では朱里だけだったが。二倍かぁ………。
 
 ふと、星と目が合った。あの眼は、俺と同じ衝動を感じたに違いない。
 
 それをお互いが見抜いた瞬間、星の(多分俺も)眼がキランと輝き、俺たちは合図も打ち合わせも無しに、全く同時にガシッと腕を組んだ。
 
「……何なのだ、この変態どもは………」
 
 何か辛辣な呟きがボソッと聞こえたような気がしたが気にしない。今、俺は不思議なシンパシーに軽く感動しているのだ。
 
 ……って、だから遊んでちゃダメなんだっ、て…ば……あれ?
 
「張遼。つまり俺たちが戦ってたのは、ただの待ち伏せ部隊で、本隊はもっと大部隊で、そこで官軍と黄巾党が大激突してた……でいいんだよな?」
 
 事柄を頭の中で整理するように訊ねて、
 
「ああ、まあそういう事やな」
 
 肯定。
 
 …………ふむ。
 
「………大軍なら大軍なほど、糧食が必要になるはず、だよな?」
 
「そりゃそやろ。何当たり前の………」
「……なるほど」
 
 霞の言葉を遮って、稟が納得の声を上げる。
 
 良かった。的外れな事言ったかと思った。
 
「凄いです! 一刀さん!」
 
 官軍の将を前にしてカチコチになっていた(推測)雛里が、自然体に戻って喜んでくれる。ただ、“驚く”じゃなかったという事は、多分雛里は気付いてたんだな。
 
「……ああ! そういう事か!」
 
 霞も気付いた。顔を見るに、星も愛紗も風も気付いたようだ。朱里は最初から気付いてたっぽい。
 
「「………?」」
 
 桃香と鈴々だけが、首を傾げている。
 
「近くに、食糧だの武器だの貯め込んどる場所がある。そうゆうこっちゃ」
 
 獲物を見つけたような強気な笑みを浮かべた霞が、桃香に教えて。
 
「うむ! でかしたぞ、一刀」
 
 俺が、星に上から目線で褒められて。
 
「えっ? あっ、そっか! 一刀さんすごーい!」
 
 遅れて気付いた桃香にも褒められて。
 
「幸い今日捕らえた捕虜もいますしね、場所の特定は比較的簡単かも知れませんよー」
 
 風が微妙にご機嫌なオーラを発しつつ。
 
「「………………」」
 
 愛紗と朱里には、何か妙な視線を向けられた。
 
「にゃ?」
 
 結局最後までわかっていない鈴々を眺めてから、また霞に視線を戻す。
 
「……張遼、敵の拠点がわかったとしても、そんな所の守りが薄いわけがない」
 
 その一言で、霞は俺の言いたい事を悟ったのだろう。眉がぴくんとはね上がる。
 
「……へぇ、自分。ウチらを囮にしようっちゅーんか?」
 
「俺たちの兵力じゃ、敵兵を引きずりだせない。逆に張遼の部隊は警戒されてるだろうから、奇襲には向かない」
 
 声音は剣呑、だけど霞の口元は、とても楽しそうに歪んでいく。
 
「適材適所、ゆうわけか」
 
「必ず成功させる。だから、俺たちを信じて……敵を引き付けるために戦って欲しい」
 
 霞の射ぬくような視線は、ずっと俺の眼を捉え続けていた。
 
 
 
 
 面白い奴、とは思った。
 
 単に良い所に気がついたとか、そういう事やない。
 
 仮にも大将軍である何進の事を、官軍の将であるウチの前で呼び捨てたり、全然物怖じせずに接してきたり、挙げ句こんな要求までしてくる。
 
 とにかく、どこにでもいそうな顔のくせに、見た事ないような対応してくる、その挙動の一つ一つが珍しく、新鮮、って感じやった。
 
「……あんたが失敗したら、ウチらは分の悪い戦局で黄巾の奴らと戦い、兵たちを犬死にさせる事になる。それをわかった上で言うとるんやな?」
 
 とはいえ、こっちも一軍を預かる将。信じろ言われて、「はいそうですか」とはいかん。
 
「適当に言ってるわけじゃないさ。この義勇軍の仲間たちと張遼たちの力を合わせれば、絶対に成功するって確信してるから、頼んでるんだ」
 
 ………とりあえず、思いつきや猪突やない、か。
 
「ほなら言い方変えるけど、ウチらが十分に敵を引っ張り出せんやったら、兵力の少ない自分らの義勇軍は大打撃、最悪全滅、それもわかっとるんやろな?」
 
「もちろん、それもわかってる。それに………」
 
 覚悟もあり、か。ん? 続くんか。
 
「張遼たちの事、信じてるから」
 
 ……………………。
 
 ……よく、こういう台詞が咄嗟に出るなぁ。と、呆れるより早く、
 
「ぷっ!」
 
 吹き出した。
 
「あはははははっ!! えーよ! その策、乗ったるわ!」
 
 元々面白いとは思っとったけど、気持ちが固まった。
 
「………いいの?」
 
 言い出しっぺが、信じられんようなもんでも見るような顔。ちょっとだけムカつく。
 
「策の妥当性はわかっとるつもりや。それにな………」
 
 気持ちが固まったんは、むしろこっちが本音。
 
「ウチにも、武将としての誇りがある。信じてる言われて、それを裏切れんからな」
 
 実際、何で今日初めて会った奴の言葉なんて信じるんかわからんけど、これでも人を見る眼はある。
 
 嘘か本気かくらい、眼を見れば……ッ……!?
 
 
『そ 信頼に応 るか裏切 か……そ は張遼次 だよ』
 
『せや、武将としての誇りがあるから、信頼してるて言われたら、裏切れんやろ』
 
『う 。そこ へんを踏ま た上で ってる』
 
『食 ん人や 、ホ マ』
 
 何や……? 今……
「張遼?」
 
「!」
 
 一瞬意識飛んどったのを、目ざとく気付いて北郷が顔を覗き込んできとる。……あかん、何を呆けとるんやろ。
 
「ッとにかく! お互いが信頼に応えるだけの働きせんと大惨事や! ええな!」
 
「っ、おう!」
 
 ……疲れとるんかも知れんな。
 
「今日はもう休み。特に自分ら、今日は派手に戦った後やろ」
 
 ただあの言葉、初めて使ったような気がせんのは……まあ、気のせいか。
 
 
 
 
「いや〜、張遼が話のわかる人で助かったな」
 
 ぞろぞろと自分たちの陣地に帰る一行の中、俺のテンションはだだ上がりである。
 
 これが上手くいけば黄巾党への決定的な兵糧攻めが成功するし、俺たちの食糧不足も解消出来るかも知れない。
 
 加えて、霞と友好的に話せたのも、嬉しかった。別人だとわかっていても、どうして嬉しくなってしまう。
 
『…………………』
 
「「?」」
 
 何故か誰も返事してくれなかったから振り返れば、またも俺が見られていた(鈴々だけは俺と同じアクション)。
 
 やばい。そういえば俺、軍議の最後の方はまた勝手に色々話進めてた気がする。
 
「あ、あの……怒ってます?」
 
 念のため、弱腰に訊ねてみる俺。しかし……
 
「あ、いや……何でもない」
 
 ? 星らしからぬ曖昧さ。見れば、皆一様に似たような態度である。
 
 怒ってないなら、大丈夫なのか? しかし、さっき皆に睨まれた時とも雰囲気が違う。
 
 何か、えらく真剣な……
「何でもないって! ほらほら、早く戻ろっ♪」
 
「おわっ!?」
 
 やはり一番早く、何事もなかったように復活した桃香が、俺の背をぐいぐいと押して歩きだす。
 
 こ、ここは空気を読んで知らない顔をする所なのか? いや、桃香の行動からしてそうなんだろうけど……。
 
 桃香、かぁ……。
 
 自分の真後ろの少女と、さらに後ろの少女たち。
 
 複雑に渦巻く想いを抱いて、月を見上げる。
 
 
 ……俺もよく、今の皆みたいな顔してるのかも知れないな。
 
 
 
 
(あとがき)
 二幕で予想以上に尺取りそうな予感。
 ふと、この作品を遅れて見始める読者様とかが、サブタイトルで展開を先に読めてしまうという可能性を考えました。
 毎回は要らないか、と思い直し、ちょっと表示形式変えようかと悩んでます。どうでしょう?
 
 



[12267] 七章・『それぞれの葛藤』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/13 05:39
 
『やっぱ可愛い女の子の辛そうな顔は見たくないっての、侮辱とか関係なしに思うんでね』
 
『我が主よ。天の御遣いよ。我らと共にこの戦乱の世を鎮めましょう』
 
『武器を持って直接戦うことは出来ないけど......せめてみんなと一緒に前線にいさせてくれ』
 
『その言葉こそが英雄の証。その行動にこそ人は付いてくる。ですがその言葉をさらりと言える人間はそうは居ないのです』
 
 
「はっ......!?」
 
 弾かれるように体を起こし、飛び起きる。
 
「夢、か......」
 
 ......北郷、一刀。
 
「何て夢だ」
 
 何が......我が主だ。
 
 あのような夢を見るとは......。
 
 昨夜の事もそうだ。北郷殿が何をしようと、自分たちや民草に害を為さぬ限り、自分が口を出す理由などない。
 
 それが、口を出すどころか......
 
「何という事を......」
 
 何が「問答無用」だ。官軍の将の前で、自分の陣営ではない者......それも総大将に体罰を加えるなど。
 
 ......いや、そもそも罰せられるような事自体、北郷殿はしていないし、自分にそんな権限などない。
 
 全部、普段なら常識として理解しているはずの事なのに、つい体が勝手に......。
 
「何が"つい"だ......」
 
 言い訳にすらなっていない。理不尽な話だと自分でも思う。
 
 だが、北郷殿は何も言わなかった。特に気にしている様子もなかった。
 
『構わんよ。おぬしがやらなければ、私の分が二倍になっていただけだ』
 
 と、趙雲殿は軽く言っていたが、本来なら、互いの義勇軍の決定的な亀裂となっていても何の不思議もない。
 
 大体、何なのだろう? あの妙な関係は。義勇軍......目的が同じだけで、正式な主君ではない?
 
 全く。だとしても、総大将たる者もっと威厳ある態度と行動を取るべき......また何を考えているんだ。
 
「本当に、どうかしている」
 
 口に出してみても、心に靄が掛かったような嫌な気分は、拭えなかった。
 
 
 
 
「それで、やっぱりお兄ちゃんは天界から来たのかー?」
 
「俺としては、天界って呼び方には違和感バリバリなんだけどね」
 
「何か、想像してたお花畑とかじゃないみたいなの」
 
「..................」
 
 鈴々や桃香様が、無邪気に心を開いている様子なのが、実に不安だ。
 
 ......いつの間にか真名を呼ぶ事をお許しになられているし。
 
 しかし、不安な要因ばかりではない。今、隣で共に食事を取っている我が軍の軍師殿などは、現状最も頼りになる存在だろう。
 
「朱里、あの男、桃香様に近付けるのは危険ではないだろうか?」
 
 これまでの態度を見る限り、朱里も私と同様の不安を抱いているはず。隠さず、ぼやかさず、はっきりと訊く。
 
「ひゃわっ!?」
 
 ......また考え事か。ある意味頼もしい。
 
「え〜〜と、ですね......」
 
 私のは、武人としての勘のようなものだろうが、朱里ならばこの不安の理由も、あるいはその対策も考えているかも知れない。
 
「ごめんなさい、私からは何も言えません」
 
 ズルッと、期待があまりに容易く無になり、やや滑った。
 
「愛紗さんの仰りたい事は、わかっているつもりです。でも、私は軍師です。......"根拠の無い事"を、無責任に申し上げるわけにはいきません」
 
「..................」
 
 言われてみれば、そうだ。いくら緊張していたからと言っても、もし昨日の北郷殿の言動に不審や目論見があったなら、あの場で朱里が口を挟んでいたはず。
 
 それをしなかったという事は、少なくとも朱里は明確に進言出来るほどの解を持っていないという事。
 
 そして、私は朱里の智謀を信じている。
 
「お力になれなくてすいません。でも、お気持ちはわかるつもりです」
 
 言って、朱里は何だかぼんやりとした視線を北郷殿に向ける。
 
 気持ちは同じ、か。
 
「私の知略より、愛紗さんの武人としての勘の方が頼りになる時もあります。警戒するに越した事はないかと」
 
「......そうだな」
 
 朱里が、理屈なしに感じていたのなら、これは武人としての勘ですらないだろう。それを敢えて口にしたのは......単に理由が欲しかったのかも知れない。
 
「.....................」
 
 言い表せない不安。それを感じながら、彼を見る眼に何故か敵意を込められない。
 
 それがまた、どうしようもなく不気味だった。
 
 
 
 
「じゃあ、趙雲さんたちは正式な臣下じゃないんだ?」
 
「左様。まあ、強いて言えば"成り行き"と言った所ですかな」
 
「賊徒を掃討するため、一刀殿の求心力を、私たちの武や智を、互いに"利用しあっている"という利害関係です」
 
 
 会話の流れ的に、結構凹む俺。特に稟さん、その言い方はクール過ぎるんじゃないでしょうか?
 
「ま、稟ちゃんもあれで天邪鬼さんですからねー」
 
 風さん、いや風さま。心優しいフォローが胸に痛いです。
 
「もったいないなぁ......」
 
 桃香さま、本音っぽく頬を膨らませてくれてありがとうございます。
 
 こっちは昨夜の会話での真剣な話もあって、素直に受け止められた。
 
「ほぅ、随分とこやつを買って頂けているようですが。我らと出会った当初のこやつは天の遣いどころか.........」
 
「天賦の才を持つ荷物持ちさんでしたね〜」
 
 風があっさり裏切った!
 
 おのれ。街に着く度に汗水垂らして働いていた俺の苦労を踏み躙りおって。
 
 ......いや、半ば無理矢理同行させてもらってたんだけどね。それはわかってるから言い返せないんだけどね!
 
「あー......、何かわかる気がするかも♪」
 
 わかられてしまった。
 
 この切ない話題から目を背けるように、今まで黙々と飯をかっ込んでいた鈴々に目を向ける。またおかわりか。
 
「張飛、そっちも食糧に余裕なんてないんだろ?」
 
「にゃっ、すっかり忘れてたのだ」
 
 これは、確信犯だな。誤魔化し笑いに、イタズラが見つかったようなバツの悪さが滲み出ている。
 
「.....................」
 
 話題から逃げようとして、鈴々の見慣れた"気がする"光景に、結局思いっきり意識を核心に巡らせてしまった。
 
 愛紗、鈴々、朱里、それに星。俺の、前の世界の仲間。
 
 桃香、つまりは劉備に惹かれるだろう、惹かれて当然の英雄たち。
 
 前の世界の皆の志を持ち続ける。それはもはや俺の立脚点で、揺るがすつもりもない。
 
 でも、別に前の世界と同じ立場になる必要はないんだよな。
 
 桃香は、『お互い自信を持とう』と言ってくれたけど、俺の場合は半分以上騙してるようなもんだし。そもそも君主の器じゃない。
 
 前の世界の皆の理想を叶えるため、って意味でも、やっぱり.........義勇軍の皆に全部白状して、その後、桃香の下で頑張るっていうのが、一番現実的な気がする(まあ、全部白状した後の俺が生きてたらだけど)。
 
 情けないとも思うが、このまま、いつか星も風も稟も雛里も離れてしまった後、俺だけじゃこの先の群雄割拠の時代で何も出来ない。
 
 いつか誰かに仕える事にするなら、桃香の下が一番......"俺たち"の理想に近い気がする。
 
 ......本気で考えよう。こうやって、桃香と行動を共にしている間に、決めないと。
 
「風、連中の砦の位置はわかってるんだよな?」
 
 わりと固まりつつある悩みから、頭を切り替える。昨日捕らえた賊将の尋問を、風が朝早くにしたらしいのだが......星や愛紗なら脅かしてる姿が容易に想像がつくが、風の尋問、結構気になる。
 
「別に脅かしたり痛めつけなくとも、要は欲しい情報を口にさせればいいので、やり方は色々とあるのですよ〜」
 
 俺が気にしている事を察して教えてくれるお茶目さん。誘導尋問とか、そっち系......って事だろうか、さすが軍師。
 
「それはそうと、その言葉をそのまま鵜呑みにするわけにもいきませんので、今確認に行ってもらってますよー」
 
 風はぽけぽけ〜としてるように見えて、大事な場面ではかなりのしっかり者だ。
 
「北郷殿」
 
「っぶ!?」
 
 俺が風の仕事っぷりに感心していると、後ろからドスの利いた声が掛けられる。驚いてむせた。
 
 振り返れば、微妙に険を感じさせる瞳の愛紗。
 
「昨晩の非礼、誠に申し訳ない。今さらではあるが、謝罪させて頂きます」
 
 非礼......昨日しばかれた事だろうか? それにしても、謝るにしてはちょっと怖い雰囲気だ。
 
「桃香さま、少しお話ししたい事がありますので、来ていただけますか?」
 
「え? えぇっ!?」
 
「あ、愛紗ぁ!?」
 
 そのまま俺の返事も待たずに、桃香と鈴々をぐいぐい引っ張って連れて行く。
 
 .........おかしい。まるで、俺への謝罪は建前で、桃香と鈴々を連れ戻しに来たような仕草。
 
 俺の知る限り、愛紗は自分が悪いと思ってる時にあんな態度を取る娘じゃないはずだ。
 
 ......いや、でも結構排他的というか、身内以外には警戒心強めだったような気も。
 
 まあ、理由はともかく.........
 
「嫌われたかな、こりゃ」
 
「見てわかりませんか?」
 
「劉備殿に色目を使うからではないか?」
 
「御愁傷様ですねー」
 
 呟いた途端、間髪入れずにトリプルパンチ。今のは、ちょっと本気で傷ついたかも。
 
「まあ、冗談はいいとして。......気持ちはわからんでもないかも知れんな」
 
「え?」
 
 星が、一瞬だけ真剣な表情になって付け足した一言が、小さくてイマイチよく聞き取れなかった。
 
「気にするな。お前がどうこうするような話ではないからな」
 
「? でも、俺が関羽を怒らせたって話なんじゃ......」
 
 重ねて訊いた俺を無視して、星はくるっと背中を向けた。稟はそそくさと立ち去り、風は変わらない佇まい。
 
 ......でも、風に訊いても煙に巻かれる気しかしない。
 
 仕方ないから、癒し成分を求めて......
 
「あれ?」
 
 見つからなかった。そういえば、朝飯の時からいなかったのか。
 
 雛里の姿が、見当たらなかった。
 
 
 
 
「..................」
 
 天幕の中、自分一人しかいないのに、帽子を深く被って表情を隠す少女が、静かに佇んでいる。
 
「朱里ちゃん」
 
 トン、と指を台の上に突く。
 
「その朱里ちゃんが忠誠を捧げた......劉玄徳」
 
 また、最初に突いた点の傍を突いた。
 
「そして、一刀さん」
 
 また、今度はその二点から離れた位置を突いた。
 
「私は.........」
 
 そして、また一点を突くべく差し上げた指は......
 
 
 下ろされず、行き場もなく宙に止まる。
 
「..................」
 
 指差す形を解いて、広げた掌を見つめる少女。
 
 その心の内を知る者はいない。
 
 
 
 
(あとがき)
 ひとまずはサブタイトルの形式はそのままで続ける事にします。
 ご意見ありがとうございます。そして、いつも本作を読んだり、感想を下さる方々、いつもありがとうございます。
 
 



[12267] 八章・『尊きモノ』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/13 18:53
 
「…………………」
 
 自分でも説明出来ないような感情を、義姉妹とはいえ他人に説明するのは難しい。
 
 いや、実際“説明”にはなっていなかった。
 
 我らの大志、そして桃香さまの身がご自身だけの身ではないという事を、ただ言い聞かせただけ。
 
 北郷一刀の危険性について、何も述べる事が出来ていない。
 
「……愛紗ちゃんの様子がおかしかったのは、気付いてたよ」
 
 当然……
 
「でも、それじゃ誰も信じる事が出来ない。そんなの……寂しいよ」
 
 こうなる。
 
「一刀さんは良い人だよ。愛紗ちゃんだって、ホントはわかってるはずでしょ?」
 
 図星も突かれる。そう、客観的に『関羽と北郷』を見つめてみれば、決して……嫌いな人間ではない。
 
「そんな、よくわからない理由で人を嫌いになるなんて……愛紗ちゃんらしくないよ」
 
 私らしくない、わかっているつもりだった。
 
「皆で手と手をとって、笑って暮らせる未来。私たちが欲しいのは、そういうの♪」
 
 この方の笑顔には、心洗われる。そうだ、私は私らしく、漠然とした不安など捨て置こう。
 
 桃香さまの進む道を切り開き、阻む者からお守りするだけ。
 
 桃香さまが北郷一刀を信じるというなら、止めはしまい。もし桃香さまに危険が及べば、それを薙ぎ払えばいい。
 
「鈴々は、よくわかんないけどあのお兄ちゃん好きなのだ!」
 
 もしかしたら、鈴々も同じような感情を抱いてるのかも知れない。
 
 それでも迷わずにいられるのは、余計な事を考えずにいられるからか。自分も、少しは見習うべきかも知れない。
 
 そこまで考えて、ふと気付く。
 
 自分も、北郷一刀の事を嫌いではない。それどころか………
 
「………………」
 
 そうか。
 
 だから、不安になるのか。
 
 
 
 
「どう思う?」
 
 ……何だというのか?
 
「まあ、この乱世に本気であんな理想を目指せるのは、一つの光ではあるだろうな」
 
 さっきから、いや、出会ってからずっと。
 
「ただ、現実からかけ離れた甘い理想論だという事も事実です。正直、私の耳には戯れ言と響く」
 
 口を開けば桃香桃香桃香桃香。
 
「ぶっちゃけると、どちからかと言えば風的にはお兄さんの方がまだマシですねー」
 
「そっかぁ……」
 
 挙げ句、劉玄徳の君主としての資格など我らに問いだす始末。
 
 何が「そっかぁ」だ。相談に来ておいて、何を一人で考え込んでる。
 
「……一刀、何を考えている?」
 
 『君主の資質』。そんな事、“自分”に当てはめて訊いた事などないくせに。
 
「いや、まだ話せるほど整理ついてないから」
 
 言って、ブツブツと呟きながら背を向ける。
 
 何だあの態度。他人事みたいな訊き方。殴りたい。
 
「一つだけ、言っておくが……」
 
 ただ、それを表に出してしまうのは、何だか負けな気がした。
 
「お前が天の御遣いを名乗ろうが、それがたとえ虚名だろうが、既に為した事実が変わるわけではない。それだけはよく覚えていろ」
 
 背中に掛けた言葉が間違っているとは思わないが、一刀の覚悟を確かめた後に、細かい説明もせずに『天の御遣い』に仕立て上げた自分が言うのも、我ながら少し妙だ。
 
「………………」
 
 言われた一刀は、ぱちくりと二、三度瞬きして……
 
「ああ、ありがとう。星」
 
 若干悩みが晴れたように呑気に笑う。
 
 その締まりのない、嬉しそうな笑い方がまた、腹立たしかった。
 
 
 
 
「全軍! 飛ばすでぇっ!」
 
 荒野に土煙を巻き上げて、馬蹄が響き、駆け抜ける。
 
(「北郷たちが見つけたんは、あの場所から半日程度の距離。しかも、ウチらは敵引きずりださなあかんから、もっと早くに暴れだす必要がある」)
 
 掲げ、翻るは、紺碧の張旗。
 
(「ウチらが暴れるまで奇襲を待ってもらうんはええけど、長く兵を伏せとったらその分見つかる可能性も高うなるしな」)
 
 その部隊、騎兵一万五千を率いるは、猛将張文遠。
 
(「見えた!」)
 
 目指し、見つけた一つの野営陣地。
 
 風に靡くその旗は、深紅の“呂”旗。
 
 
 
 
「一刀、少し行軍を急ぎすぎではないのか? 皆、連日の疲労が溜まっている」
 
「う〜ん、けど下準備に結構手間取ったしなぁ」
 
 星の言葉に、俺は頭を悩ませる。こっちが早すぎたらまずいのはわかるが、何たって『神速』の張遼である。
 
「兵を伏せるのにいい場所も見つけなきゃならないし。ここは皆に頑張ってもらおうと思うんだけど」
 
「……そうか」
 
 ? 何か、星の様子がおかしい。
 
 ……今朝の話だろうか。桃香の事、本気で考えているのかも知れない。
 
 趙子龍だもんなぁ。三國志では劉備の五虎将軍だもんなぁ。
 
 ……まあ、俺も似たような悩みを抱えているわけだけど。
 
「張遼は、まず味方の部隊と合流してから動くと言っていた。気負うのはわかるが、焦りすぎるな」
 
「……そうか」
 
 今回の作戦はタイミングが大事だからか、少し神経質になっているのは否定できない。
 
 俺の仲間は、皆俺よりずっと冷静だ。おとなしく言う事を聞いておこう。
 
「……仲間、か」
 
「何?」
 
「いや、何でもない」
 
 つい口を突いてでた言葉を誤魔化すように、咳払いしておく。
 
 前の世界で、ごく当たり前のように築けていた関係が、今はこんなにも遠い。
 
 本当に得難い、大切なものを、前の世界では無自覚に得ていたのだと痛感する。
 
「……………」
 
 でも、そもそも星たちや、桃香を基準にして考える事自体が、間違いなんじゃないかとも思う。
 
 俺が、俺自身が一番納得する道を選んで、皆は皆で一番納得する道を選ぶ。
 
 当たり前の事のようで、決断するのは結構難しい。……いや、俺が駄目なだけか。
 
 こんなんじゃ、誰もついて来てくれるわけがない。
 
 いい加減俺も心構えとかじゃなくて、明確に目指すものを決めよう。
 
 ……その結果、たとえ孤独な道を進む事になったとしても。
 
 
 
 
『切り替えよう』
 
 戦いに赴く、一人の少年と幾人の少女の葛藤と決意は、その時のみ、密かに重なる。
 
 
 
 
「……………」
 
 敵の陣地が、砦とか城とかじゃなくてよかった。
 
 と言っても、防柵とか張られてるし、雑軍の俺たちには辛いのも確かだ。
 
「(何とか間に合ったな)」
 
 まだ、霞が戦いを始めた様子はなく、こっちは準備万端だ。
 
 見つけた背の高い草原に俺たち義勇軍は伏せ、劉備軍は敵陣裏側の森に隠れている。
 
 時は夜。後は、兵を伏せているのが気取られる前に霞たちが敵を引きずりだしてくれれば、絶好の状況である。
 
 敵の『本陣』はここではない。ここはあくまでも補給拠点。
 
 霞たちが敵本陣に猛攻を掛ける。そして、敵も余裕が無くなったらここの兵力も動員せざるを得なくなるだろう。
 
 霞の話によると、官軍は合流しても四万前後、敵は本陣だけでも六万以上は固いらしい。
 
 それを威圧して、一時的にでもここの兵力も引きずりだし、相手にしなければならないのだから……霞たちにはかなり無茶を頼んでいる。
 
 だから、俺たちが迅速にここを落として、霞たちが撤退してもいい状況を作り出す。かつ、当然焦りすぎて失敗するのも論外。シビアだ。
 
 この綱渡りのような作戦の鍵は、霞たちと俺たちの信頼、そしてこの暗闇だ。
 
「!」
 
 馬蹄の音。これは、単騎だ。その音が、敵の補給拠点の方へと遠ざかっていく。
 
 これは……上手くいったのか?
 
 その疑問は、ほどなく氷解する。
 
 万単位はいるだろうほどの数の馬蹄や怒号が響いて、補給拠点から大軍が飛び出して行くのがわかる。
 
「(今……ッ)」
 
 焦る俺の肩を、星が掴んだ。振り向けば、首を振っている。
 
「あ………」
 
 そうだ。飛び出してすぐに奇襲を掛けたんじゃ、異変に気付いてすぐに引き返してくる。
 
 それじゃ、意味がない。
 
 でも、今も霞や……恋が、自軍よりもずっと多い賊軍と戦っている。それを考えると、今は待つのが一番キツい。
 
 そんな俺の心を見透かしたように、しばらくずっと俺の肩を押さえていた星の手が、離れた。
 
 それが、奇襲の合図だと俺は悟った。
 
「松明に火をつけろ!」
 
 一人が、丸太に括り付け、五本ずつ背負う松明。
 
 それらに、一斉に火を点す。暗闇の中、これで、五千にも満たない俺たちの軍でも二万を越える軍勢に見えるはずだ。
 
 それは、劉備軍も同様。霞たち官軍が、黄巾党を威圧したのも同じ手段。
 
「全軍、突撃ぃーーーーっ!!」
 
 派手に銅鑼を鳴らし、怒声を撒き散らして雪崩込む。
 
 俺たち、そして劉備軍の“五万近くにも及ぶ”軍勢の奇襲を受けた拠点は恐慌した。
 
 実際には、俺たちよりも賊軍の方が数は多いだろう。だが、暗闇と松明がその事実を覆い隠し、必要以上の恐怖を与える。
 
 俺たち義勇軍の身なりも、この状況ではわからないだろう。
 
「兵糧に火を放て! 派手に騒いで撹乱しろ!」
 
 暗闇と恐慌の中、数もわからない敵を前にして、賊兵たちの混乱は、ついに同士討ちにまで発展した。
 
 目標の兵糧に次々と炎が燃え移るのを確認した俺たちは、こっちまで同士討ちが始まりかねない戦局から離脱。それは劉備軍も同様のはずだ。
 
 阿鼻叫喚とでも称すべき混乱を、離れた戦場に見下ろす俺は………
 
「すごい……」
 
 思わず、感嘆の溜め息を漏らしていた。
 
 俺がボソッと呟いただけの一言から、ここまでスムーズに、手玉に取るように、成功するなんて。
 
 これが、星や愛紗たちの武、風や稟、雛里や朱里の兵法。そして、それぞれが共通して持つ統率の力。
 
 改めて、尊敬にすら値する彼女らの力に心底感嘆して……ふと、興奮から醒めるように視線を遠くに巡らせる。
 
 この作戦で、一番辛い戦いを強いてしまった霞たち。今も、さらに厳しい戦局に耐えているかも知れない霞たち。
 
 空を仰いで、祈る。
 
 この戦火が赤く染める空が、彼女たちに撤退を促す目印となるはずだ。それが、ちゃんと伝わっているように、俺はただ祈った。
 
 
 
 
(あとがき)
 原作プレイしてイメージ作りながら今日も更新。
 やっぱり、携帯で変換出来ない漢字が無念ですね。このままじゃ風は一生程“立”です。
 “いく”ってひらがなで書くのと、何か当て字を使うのと、一生程立。どれがマシなんでしょうか。
 いや、荀いくとか、他にも困るのはいるんですけどね。
 
 



[12267] 九章・『三人の邂逅』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/15 04:58
 
「無事でよかった」
 
「一刀さんもね♪」
 
 黄巾党の補給拠点の焼き討ちに成功した俺たち北郷・劉備両義勇軍。
 
 あの後俺たちは合流し、予め霞と打ち合わせていた近隣の邑へと移動していた。
 
 目的は霞たちの無事の確認と......あと、結局敵拠点で焼き払うしかなかったから、食糧を分けてもらえないかなぁ〜というのがある。
 
 にしても、相変わらず妙な空気は継続中。
 
 星、風、稟は探るようにじと〜とした視線を飛ばしてくるし、雛里は俯いてずっと何か考えてる。
 
 愛紗と朱里に至っては、単に警戒してるって感じでもないし、何考えてるのかさっぱりわからない。
 
 変わらずに接しているのは桃香と鈴々くらいのものだ。こんな事考えてる俺自身、自然な態度取れてるのかはかなり怪しかったりするし。
 
「行こう、張遼たちの事が気になる」
 
 皆の態度もおかしいから、余計に怖いんだよな。俺の行動や決定に、どんな反応するのか見当つかないし。
 
「ん? ちょっと待って......」
 
「?」
 
 とりあえず、今はまだ作戦の途中という感覚で、早く霞たちと合流しようと思った矢先、桃香から制止が掛かる。
 
 何事かと思えば......遠方に砂煙。
 
「誰、だ?」
 
 拠点襲撃に成功して、こんな所で敵に遭遇なんて洒落にならない。が、それは杞憂に終わる。
 
「......『曹』?」
 
 
 
 
「.....................」
 
 「貴公らの部隊の指揮官にお会いしたい」、それが曹操軍の使者からの言伝だった。
 
 一応「歓迎します」って伝令さんに伝えたけど、どうせ返事なんて待たずに乗り込んでくるに違いない。華琳だもの。
 
「両軍の将が一同に集っていてくれて、助かったわ」
 
 ......ほら来た。落ち着け俺、今の状況ならいきなり斬首とかいうオチはないはずだ。
 
「誰だ貴様っ!?」
 
 愛紗が突然現れた華琳に怒鳴る。まあ、正常な反応ではある。そういや、また愛紗が口説かれるんだろうか?
 
「控えろ下郎! この御方こそ、我らの盟主、曹孟徳様だ!」
 
 どこの世界でも同じだな。君主思いの愛紗と春蘭の激突は。
 
 赤い衣の夏候惇、青い衣の夏候淵、両者、その上から左右対称の造りの紫の鎧をつけ、そして二人の真ん中に......あれ?
 
「......イメチェン?」
 
「はぁ?」
 
 っと! つい馬鹿な疑問が口を突いて出た。そう、華琳の服装が変わっている。カラーリングが、前は薄青の服にピンクの鎧だったのが、紺色に赤紫(?)になって......後、形状も変わってるな。
 
「いめちぇん、とは何?」
 
「いや、気にしないで」
 
 何にしろ、愛紗と春蘭が作った険悪な雰囲気に水を差せたようで良かった。
 
「......まあいいわ、改めて名乗りましょう。我が名は曹操。官軍に請われ、黄巾党を征伐するために、軍を率いて転戦している人間よ」
 
 淡々とそう名乗る華琳。しかし......てっきり名乗るより先に"あれ"が来ると思っていたのだが......。いや別に言われたいわけじゃないよ?
 
「俺は北郷一刀、そしてこっちが......」
「りゅ、劉備と言います!」
 
 いきなり話を振られたからか、脊髄反射みたく言葉を被せる桃香。緊張してる?
 
「まあ、見ての通りの義勇軍さ」
 
 にしても、やっぱり華琳らしからぬ態度な気がする。前の世界では挨拶もなしに愛紗を口説きに掛かってたというのに。
 
「..................」
 
 そんな華琳は、値踏みするように俺を見て、次に桃香を見て、また俺を見た。
 
「北郷一刀......聞いたことのある名前ね」
 
 やっぱりおかしい。桃香を見つめて、口説かないとは。っていうか、俺の名前ってそんなに広まってるのか?
 
「そりゃそうですよー。一刀さんは最近噂の『天の御遣い』なんだもん♪」
 
 途端に、「待ってました」とばかりに元気になる桃香。嬉しいんだけど、何か話が拗れそうだな。
 
「ああ......。あのつまらない与太話が本当のことだと、そう言い張りたいのかしら?」
 
「いや、証明する方法もないし。本物だーなんて言い張る気はさらさら無いよ」
 
 ふと、やけに口数の少ない皆が気になったが、振り返りはしない。何か、視線が背中に突き刺さってる気がする。
 
「貴様! 曹操様に何という口の聞き方を!」
 
 それ以前に、何か華琳の前に立つと「しっかりしなきゃ」って気になるんだよな。格の違う相手を前に背伸びする感覚というか、尻を叩かれてる感覚というか。
 
「やめなさい春蘭。この男の言うことも尤よ。本物と証明する術が無い以上、それを信じるか信じないかはそれぞれが考えること......」
 
 ......いや、別人だってわかってるんだけどさ。
 
「本物かどうかは置くとして、あなたがこの部隊を率いていたという訳ね」
 
「俺だけの力じゃない。皆の力があってこそ、部隊を率いることが出来たってだけさ」
 
 『部下は道具』。前の世界で華琳はそう言っていたけど、俺は絶対にそれを認める気はない。
 
「へぇ......」
 
 感心したように呟いた華琳は、俺の顔をジロジロと見つめる。
 
 やっぱりおかしい。今まで会った『前の世界の知り合い』の中で一番違和感がある。
 
「......取り立てて、特筆すべきところの無い顔ね」
 
「なっ、何ぃい......!?」
 
 今ので確信した。もう、この華琳は本当に別人だと思った方がいい。
 
 あまりの衝撃に俺は驚愕に慄き、思わずグッとガッツポーズを取っていた。
 
「......えっと、私が今、何か喜ぶような事言ったかしら?」
 
「いや、ブ男って言われなかったから」
 
 即答する俺に華琳、春蘭、秋蘭は珍獣を見るかの如き視線を向け、後ろで盛大に転ぶ音が幾つか聞こえたが気にしない。
 
 この感動は俺だけが噛み締めていればいい。
 
 しかし、リアクションに困って固まっている華琳といつまでもにらめっこしてても何なので、話題を変える事にする。
 
「ここにいるって事は、曹操の狙いも補給拠点だった、って事なんだろ?」
 
 華琳なら、あそこに目をつけていても何の不思議もない。おそらく、華琳の一番訊きたかった事もそれだったのだろう。呆れ顔から一転して目の色が変わった。
 
「やはり、あの拠点を落としたのはあなた達だったみたいね。一足出遅れた、と言った所かしら?」
 
 まるで鷹だ。心の底まで見透かされそうな瞳。
 
「確かに曹操たちが来てくれてたら、もっとスムーズに進んだかもな」
 
「......すむーず? さっきから、それは天界の言葉?」
 
 しまった、またやった。けど結果的に華琳の眼光が鈍ったから良しとするか。丁度いいから、「それはそうと」と誤魔化して、
 
「それに、俺たちだけじゃない。張遼たち官軍の力が無かったら、絶対に成功出来なかったしね」
 
 強引に話題を戻してみる。
 
「......そう。随分少数部隊だと思ったけど、官軍と手を組んでいたのね」
 
 あからさまに、目の色変わったな。今度はネガティブな意味で。
 
 今の官軍にいい印象を持ってないのは、華琳も同じか。でも、霞や恋がそういう目で見られるのは......いい気がしないな。
 
「官軍も一枚岩じゃないって事さ。特に今は......ね」
 
 遠回しな言い方だと思うけど、華琳ならこれで通じるはず。
 
「一枚岩じゃない、か。面白い事を言うわね」
 
 言葉通り、面白そうに口の端を上げる。流石、期待通り。
 
「今は官軍も義勇軍も関係ない。この黄巾の乱を鎮める事が最優先、だろ?」
 
「"今は"......ね」
 
 他意の無い俺の一言に鋭く反応してくる。
 
「...............」
 
 そのままジッと俺を見てから、考え込むようにあごを撫でて、桃香に目線を移した。
 
「劉備、あなたがこの戦乱の世に乗り出した目的は?」
 
 唐突、でもないか。そもそもこの両義勇軍に興味があったからわざわざ訪ねてきたんだろうし。
 
「......私は、この大陸を、誰しもが笑顔で過ごせる平和な国にしたい」
 
 桃香も、真剣そのもので返す。
 
「......そう。わかったわ」
 
 ゆっくりと頷く華琳。その表情からは、桃香の理想に何を思ったのかまでは読み取れない。
 
「では北郷、あなたは?」
 
 予想通り、俺にも訊かれた。まだ桃香にしか言っていない、俺の立脚点。まさかこんな所で皆に話す事になるとは思わなかったけど......これほど言うのに相応しい場面もない。
 
「......自己満足だよ。絶対に忘れたくない、大切な想いを持ち続けていたい。そういう自分で在りたいっていう、ね」
 
 ある意味、この状況で助かった。背を向けている皆の表情が、見えなくて済む。
 
「......小さい、理由ね」
 
「それを決めるのは、君じゃなくて俺だ」
 
 自分でもそう思っている部分はあるけど、この華琳の言葉を認めたら、前の世界の皆の全てを否定するみたいに感じて、反射的にそう返していた。
 
「..................」
 
 また、沈黙。今までの会話の中で、一つの確信がある。
 
 どうやらこの華琳は、『この世の美少女全てを我が手に!』とか考えてるわけじゃないらしい。
 
「......信念を曲げない人間は、嫌いじゃないわよ」
 
 また満足そうに笑って、用は済んだとばかりに背を向ける。俺も、こんな話をした後に皆と対する覚悟を決め、背中を向けようとして......
 
「ねえ......」
 
 再び、華琳から掛けられた声に、意識を向けさせられる。
 
「あなた、私とどこかで会った事がある、の......?」
 
「!!」
 
 その言葉に、心臓が飛び出るんじゃないかと思うほど驚いて......またすぐにクールダウンした。
 
 振り返ってなくて良かった。今のは絶対顔に出てた。
 
 「会った事がある、"の"?」という事は、この華琳が俺の知る華琳、というわけじゃなく、俺の態度を不自然に感じた、という事だろう。
 
 確かに、前の世界の華琳の性格はよく知ってるから、ちょっとおかしい対応だったのかも知れないが、勘が良いにもほどがある。
 
 しかし、前の世界の事とか答えるわけにもいかないし......かといって、否定するのも何だか寂しかった俺は......
 
「......どっちだと思う?」
 
 
 言い逃げするように、そのまま背中を向けた。
 
 
 
 
(あとがき)
 漢字の変換に関して、様々な助言や助力、ありがとうございます。
 しかし、どうも携帯からだと表示すらされないようなのでどうしようもない場面ではカタカナを使おうと思います。
 



[12267] 十章・『ご主人様』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/15 17:56
 
 華琳たちが遠ざかる足音を耳にしながら、いざ見てみた皆の顔。
 
『………………』
 
 ……放心状態? 皆一様に感情の読めない表情。俺の覚悟は何だったのか。
 
「……どったの?」
 
 結構大事な話だったと思うから、これで皆がどんな反応するのか気になってはいたのだが、そもそも俺に容易く内心を悟らせる子たちでもないという事だろうか。
 
『………………』
 
 俺の呼び掛けに反応して皆、我に還ったようだが、またジッと俺の顔を見るだけ、だからそれ、わかんないんだって。
 
「え〜〜と……」
 
 とりあえず、一番の不安な人員として、
 
「風、稟、どうだった? 曹操」
 
 三國志で曹操陣営なはずのお二人さんに軽いジャブを入れてみた。
 
 しかしまあ、これが失敗だったらしい。
 
「「「………………」」」
 
 風、稟、さらに星までが、眼を臥せて青筋を浮かべる。何故に?
 
「お兄さん、歯を食い縛っておくのですよー」
 
 いつも通りののんびりとした口調で物騒な事を呟いた風の言葉を合図に、三人娘が構えを取り始める。
 
 風が右手を腰溜めに引き絞り、稟が左右対称に左手を腰溜めに引き絞る。さらには、助走をつけて高々と跳び上がる星。
 
「風ー!」
 
「稟!」
 
「華蝶っ!」
 
 気合いの入った必殺技の掛け声を聞きながら、鳩尾と右頬に痛みを噛みしめながら、
 
「(これが、風の、切り札か……?)」
 
 俺の意識は暗転した。
 
 
 
 
「華琳様の好敵手となり得ますかな、劉備は」
 
「なれば良し。我が覇業に華を添える、素晴らしき脇役となるでしょう。ならぬのならばそれも良し。……所詮、一時の戯れなのだから」
 
 遠ざかる義勇軍を背に、覇道を歩む少女は、先ほどの邂逅に想いを馳せる。
 
「……しかし華琳様、何故北郷にあのような質問を?」
 
 右腕たる娘の、拗ねた物言いを可愛らしく思う。
 
「ふふっ、言ったでしょう。所詮は戯れ、深く考えては楽しみが損なわれるわよ?」
 
「……それで、北郷は?」
 
 自分の酔狂を理解する、という意味では、この左腕たる娘に及ぶ者はいないだろう。
 
「……喰えない男、と言った所かしら。むしろ、あちらの方が面白そうではあったわね」
 
「面白そう、とは……また悪い癖が出ましたね」
 
 言いながら、薄く笑う秋蘭も、中々に酔狂だと思う。
 
「私は、そんな華琳様が愛しいだけですよ。それほど粋な感性は持ち合わせておりません」
 
 思っていた事が伝わった事と合わせて、気持ちが楽しく弾む。
 
「ふふっ、それが粋だと言うのよ」
 
 それにしても………北郷一刀か。
 
「……ねえ、本当にあの男。見覚えがない?」
 
 春蘭も秋蘭も、小さな頃からずっと一緒だ。もし自分と面識があるとすれば、二人とも面識がある可能性も高い。……春蘭には期待してないけど。
 
「「………………」」
 
 予想に反して、“二人とも”沈黙した。意外だ、春蘭は不思議そうに首を傾げると思っていたのに。
 
 でも……
 
「何でもないわ、忘れなさい」
 
 二人が口を開く前に、この話は打ち切る。
 
「えっ? 華琳様! 待って下さい、今……!」
「……春蘭、二度言わせる気?」
 
 自分から切り出しておいて何だが、これ以上この話題を続けるのが嫌になった。
 
 直接の対談も、のらりくらりと躱され、そして今もあの男の事に固執しているようなこの状況が、まるで踊らされているような気がして、気に入らなかった。
 
「………………」
 
 それに、何だろう? この感覚は。
 
 まるで、突然自分の足下が崩れ落ちるような、そんな感覚。
 
 ……それでいて、どこか柔らかい感覚。
 
 今まで、自分にこんな感想を抱かせた人間はいない……はずだ。
 
 北郷一刀、か……。
 
「面白い……」
 
 
 
 
「あのー……何で今、一刀さんは攻撃されたん、でしょうか」
 
 雛里が、心配そうにこの朴念仁の顔を覗き込む。
 
 似たような立場のくせに、何故わからん?
 
「すっ、すいませっ! ……ただ、曹操さんの評判、皆さん前から気にしていらっしゃったようなので……」
 
 怯えられたのだろうか? 少し悲しいな。だが、雛里はやはりわかっていない。
 
「確かに、曹操殿の評判は以前から気に掛けていたし、実際に目にしてその器の大きさに驚きもしました」
 
「お兄さんの言った事自体には、何もおかしな所はないのですよー。しかしながら……」
 
 そこで三人揃えて、
 
「こやつがそれを訊くのは論外だ」
「彼がそれを訊くのは論外です」
「お兄さんがそれを訊いてはダメなのですよー」
 
 そう、今まで何故一刀の前ではこの類の話をしていなかったのか、わかっていない。
 
「……………」
 
 ……でも、少しは見直してやってもいいか。
 
 覇王たる器を全身から滲ませていた曹操相手に一歩も退かず、毅然と相対していたのだから。
 
「……わからん男、だな」
 
 ああして、時折凄く背中が大きく見える時もあれば、つまらぬ質問をして、こうして無様に伸びていたりする。
 
「さて、“行こうか”」
 
 劉備、曹操、そして一刀。
 
 ……やっぱり、こやつが一番面白い。
 
 風や、稟や、雛里に、呟きの意味が伝わったのかどうかは、わからない。
 
 
 
 
「何か……二人とも凄かったね〜。私、緊張して疲れちゃったよ」
 
「にゃはは、桃香お姉ちゃんはそんなに喋ってなかったのだ」
 
「あー、鈴々ちゃんひどーい」
 
 ……二人は軽い口調で喋っているが、あれはそんな軽い会合ではない。
 
 北郷、曹操、両名とも“今は”と言ったのだ。この黄巾の乱の鎮圧どころか、その遥か先まで見据えている、そんな会話だった。
 
「何か……あの二人に勇気もらっちゃったかな。私も頑張らないと!」
 
 ……桃香さまも、わかっておいでか。わかっていてあんな緩い態度を取っているというのは、私には理解しかねる。
 
「これが、君主たる者の器か……」
 
 あの時、完全にあの三人だけの空間が出来上がっていた。
 
 そして、北郷一刀。今まで以上に……彼という人物が、
 
「……………」
 
 そこで、趙雲殿が馬車にのびた北郷殿を放り込む様が見えた。
 
 ……彼という人物が、余計わからなくなった。
 
 
 
 
「張ぉー遼ぉー!」
 
「おおーい! 北郷ぉー!」
 
 良かった、無事そうで。まあ、邑に逗留してる状態だし、被害のほどはよくわからないのだが。
 
「大成功!……でええんよな?」
 
 イマイチ喜びきれないような霞の態度。そりゃそうだ、霞は兵糧の焼き討ちが成功したのか、まだわかっていないのだから。
 
「大丈夫、大成功で間違いないよ。……って、張遼たちの被害も大きかっただろうから、そう軽々しく言えないけど」
 
 でも、これで最終的な被害が減る事は間違いないはずだ。食糧も無しに、あんな大軍が機能するわけがない。
 
「ん〜……まあ、な。けど、あの松明の仕掛けとか野襲とかも北郷たちが考えた事やから、文句も言えんしな」
 
「……やっぱり、結構被害大きかったのか」
 
「まあ、失敗しとったら自分の首が飛んどったくらいにはな」
 
 言った瞬間、偃月刀の切っ先が俺の首の前で揺れる。
 
「絶対成功させるって、約束したからね」
 
 霞の立場からすれば、当然だろう。俺は義勇軍の指揮官に過ぎないんだし。
 
「……せやな」
 
 ひゅんっ、と肩に偃月刀を担ぎ直して、霞はニヤリと笑う。霞って、こういう笑い方似合うんだよな。
 
「まっ! お互いの信頼の勝利っちゅーこっちゃ!」
 
 今度はキツネみたいな満面の笑み。表情がくるくる変わる。
 
「して、例の官軍の将らは何処か? ここにいるのだろう?」
 
 話の区切りを見てか、星が霞に話しかける。三人とも、例のじとーっとした視線が無くなったのはいいんだけど、俺の立脚点とか、華琳との話を聞いて……何を思ったんだろう。
 
 まあ、今の星の顔からは恋に興味津々って事しか読み取れないのだが。
 
「せやせや! 恋〜〜、どこや恋〜〜!」
 
 霞の呼び掛けに応じてか、はたまた偶然か、横の通りからひょこっと、紅い髪が見えた。
 
「(恋……)」
 
 また、『前の世界』の大切な人に会う。けど、先ほどの華琳の相違もあって、俺はもう前の世界と混同しない自信はある。
 
 ……いや、多分、俺を警戒する愛紗と接したりしてるうちに、その辺の折り合いをつけられるようになったんじゃないだろうか。
 
「………………」
 
 相変わらずぽけ〜とした表情で、握り飯片手にこちらに歩いてくる。
 
 白と黒のカラーリングの軍服(?)、所々に見える小麦色の肌と刺青、紅い髪と触角みたいなアホ毛。
 
 華琳とは違い、記憶と寸分違わぬ姿の恋。
 
「………………」
 
「?」
 
 何だろう? ジッと俺の方を見て、逸らさない。恋なら、初対面の相手の顔を見てもすぐに興味を失くすと思ったのだが……。
 
 しかし、不審げに眉を潜めた恋の、
 
「あ〜……こいつちっと人見知り激しくてなぁ。ウチが紹介す」
 
 霞の言葉を遮った一言に、
 
「ご主人、様………?」
 
「………………え?」
 
 そんな、間の抜けた言葉しか出せなかった。
 
 
 
 
 霞に呼ばれた。行ってみる。
 
 ……何か、霞の前に大勢いた。その一番前に、キラキラした服着てる男。
 
「……………?」
 
 変な感じする。あったかい、お日様みたいな感じがする。
 
 懐か、しい?
 
 そのまま、ジッと顔を見る。近くで見た方が良さそうだから近づく。
 
「ッ!」
 
 
『キミさえ良ければなんだけど……俺たちの仲間にならない?』
 
『……簡単に、どうして信じる?』
 
『ヘンだからヘン』
 
『みんな無事で良かったな』
 
『……ご主人様のおかげ。……恋、約束守る』
 
 
 変なのが見えた。
 
 見た事ないのに、懐かしい景色。
 
「ご主人、様………?」
 
 言葉、なぞってみる。やっぱりよくわからない。
 
 恋は、頭が良くない。
 
 ……直接、訊いた方が早い。
 
「……お前、誰だ」
 
 
 
 
(あとがき)
 前回の話が好評だったようで、たくさんの感想ありがとうございます。
 あと二、三話で二幕も終了かな? と思いつつ、今日も更新。
 
 



[12267] 十一章・『血盟』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/16 21:07
 
「ご主人、様.........?」
 
「!?」
 
 自分の耳を、疑った。
 
 姿が同じ、性格が同じ、それは皆同様だった。
 
「(恋.........?)」
 
 さっきの華琳の時とは、全然状況が違う。
 
 一言も言葉を交わしていないうちから、初対面の相手にこんな呼び方をするなんてあり得ない。
 
 っていうか、普通こんな単語は出てこない。
 
「(本当に......)」
 
 あるとすれば、一つだけ。"普通じゃない"という事。
 
「("恋"なのか?)」
 
 無茶苦茶な昂揚感、心臓の鼓動がうるさい、瞳もきっと潤んでいるだろう。
 
 諦めていた。もはや世界そのものが違うのだと。
 
 それでも、俺にとっては確かな現実だったから。
 
 時々、全部俺が見たただの夢だったんじゃないかと思ってしまいそうになる気持ちを打ち消すように、皆の理想を、大志を、胸に抱いた。
 
 でも、その『前の世界』を証明するように、この恋は.........
「......お前、誰だ」
 
「え............」
 
 そんな、湧くような狂熱に駆られていた俺の頭が、冷水でも掛けられたように冷めた。
 
 目の前の恋を、もう一度よく見る。......『前の世界の恋』なら、こんなに無感情に俺を見ない。
 
 少し探るように細められた瞳が、胸に痛い。
 
「(......何やってんだ、俺は)」
 
 混同しないって決めてたはずなのに、少し揺さ振られただけで飛び付くみたいに。
 
 もう少しで、真名を呼びながら抱きつく所だった。
 
 ......どんだけ往生際が悪いんだよ俺は。恋だけ前の世界と同一人物とかあるわけないだろうが。
 
 そんな後悔と羞恥を流れるように感じていた俺の首筋に......
 
「ッ!?」
 
 後ろから、紅い槍の穂先が当てられた。
 
「やれやれ......、最近は随分と漁色が進んでいると思っていれば、今度は一体いつの間に手を出されたのかな?」
 
 星さんの敬語キタァー! いかん、怖い。っていうか俺が何をしたと? 抱きつくとか未遂だぞ?
 
「おおお落ち着こうか星さん、いや星さま。『お前誰だ?』って言ってるじゃん。初対面だってば」
 
「ほう......つまり名乗りもせずに、と。去りぎわの言葉は『名乗るほどの者じゃないさ』、といった所ですかな?」
 
 何その流離いの女たらし。......っじゃなくて! このままだと理不尽な展開になりかねん。
 
 助けを求めて視線を巡ら......痛っ! ちょっと刺さった。
 
 風!
 
「兄ちゃんも罪だねぇ。名前も告げずに体だけ弄ぶなんざ、男のする事じゃねえぜ?」
 
 お前絶対わかってるよね!? そして自分の口で言いなさい。
 
「戸惑う彼女を押し倒してその唇を塞ぎ、繰り返しその肢体を愛撫して無理矢理彼女の『女』を引き出し、満たされぬ彼女に貴殿は言う......『ご主人様と呼べ』、と......」
 
 風のせいで稟の妄想に火が点いてるし!
 
「..................」
 
 愛紗、我慢してるみたいだけど、柄握る手がミシミシいってます。
 
「あ、あわ、あわわ......」
「は、はわわ、はわ......」
 
 朱里と雛里がまた隠れ合ってるし、そんな露骨に避けなくてもいいじゃないですか。
 
「にゃ?」
 
 鈴々は全然頼りにならん。
 
「ご主人様、かぁ......えへへ♪」
 
 桃香!? 最後の良心のはずの桃香がっ!
 
「......自分、『ご主人様』はまずいやろぉ。流石に」
 
 お前は何頬赤らめてんだー!?
 
 もはや神も仏もないと観念しかけた俺を......
 
「まあ冗談はええとして。恋、何で北郷にそんな呼び方してん?」
 
 頼りにならんと思った霞が、爆弾発言の張本人に矛先を向けてくれた。
 
「ほん、ごう......?」
 
 ......そういやそうだ。俺が一人で先走った事は置いといても、恋が俺をあんな呼び方したのは事実。
 
 しかもやっぱり、俺の名前を知らない。
 
 このおかしな状況に考えが思い至ったのだろう。俺の首に当たっていた槍が下ろされ、一同恋に注目(稟除く)。
 
「せや、北郷一刀。ほんで、何でご主人様て呼んだん?」
 
 さすがに恋の扱いに手慣れてる霞が、上手い具合に核心を訊く、が......
 
「? ......そう、呼んでた」
 
「はあ? 誰がよ?」
 
「恋......」
 
「? ......会った事あるんか?」
 
「......(フルフル)」
 
『???』
 
 皆綺麗に揃って首を傾げる。そりゃそうだ、恋語ならそれなりにわかるつもりの俺でさえ、さっぱり意味がわからん。
 
「はあ......まあええか。紹介すんで。こいつが呂奉先、この討伐隊の大将や」
 
「ほぅ、やはりおぬしがそうか」
 
 恋が支離滅裂な事を言うのに慣れてるんだろう。さっさと話を続ける霞。
 
 ......まあ、ちょっと気になるけど、いいか。
 
 霞が通訳みたいに星や桃香と恋の話を続けていくのを、俺も傍で聞く事にする。
 
 何か前の世界との違いがあるかも知れないので、それなりに真剣に。
 
 恋は元々口下手だし、霞の口から話される恋の話は、結構楽しかった。
 
 だから、だろうか。
 
「...............」
 
 その話の間、霞の話など聞かずに、ジッと俺を見つめ続けていた恋の視線に、気付かなかった。
 
 
 
 
「..................」
 
 このところ戦い続きだった事もあり、今晩は戦勝の宴が開かれている。
 
 義勇軍も官軍も関係なしのドンチャン騒ぎである。
 
「何をしみったれた顔をしておられる? おぬしの一言からこの戦果に繋がったのだ。もっと嬉しそうにしたら如何かな?"天の御遣い殿"」
 
 各々が楽しんでいる中、一人で飲んでいた俺に星が話しかけてくる。
 
 う〜......、まだ皮肉めいた敬語モード継続中である。
 
「別にしみったれてないって。静かに飲むのもたまにはいいだろ?」
 
 嘘である。実を言うと、さっきの恋の件で、自分の覚悟の薄っぺらさを痛感したような気分になって、少々へこんでいる。
 
「ふむ、それも趣があって良いが、お祭り騒ぎの時には少々無粋ですな」
 
「......だから誤解だって、呂布も知らないって言ってただろ?」
 
 その敬語をやめてくれ。『前の世界の星』を忘れたいわけではもちろんないが、この星が使うと肌にチクチク刺さるのだ。
 
「そう気になさいますな。英雄色を好む、とも言いますからな」
 
 何か、今日の星はしつこいな。まあ確かに、今の俺の状況で『ご主人様』は引かれても仕方ない気がするけど。でも他の皆はそこまで引きずらなかったぞ?
 
 ......ホント、恋は何であんな呼び方を。
 
「おーおー、やっとるかあ? お二人さん♪」
 
 どうにか失った信用を取り戻す手段を考える俺に、今度は霞が話しかけてくる。
 
「おや、また人が来てしまったようですな。静かに酒を楽しみたい御方の傍を、これ以上騒がすのも忍びない。私はそろそろ退散させてもらいますかな」
 
「ちょっ!? 星、待てってば!」
 
 厭味の言い逃げかよ!? まあ、星は元々あまり粘着質な質でもないから明日になれば元通りだろうけど、やっぱり何か気分悪いぞ。
 
「では、張遼将軍。我が主は女人に見境がありませんゆえ、お気をつけを」
 
 俺の制止をさらりと無視して、霞に心外な警告。そのまま振り返りもせずに歩き去る。
 
「......北郷って、ホンマに?」
 
「誤解だってば!」
 
 警戒心と好奇心の入り交じった眼で俺を見るな!
 
「............あれ?」
 
 霞に要らん事を吹き込んで去る星の背中を恨みがましく見て、先ほどの言葉を遅れて反芻する。
 
「今............」
 
 星、"主"って言っ、た......?
 
 
 
 
「ほれ、グイっといっとこ、グイっと!」
 
「おう!」
 
 何か、気まぐれかも知れんし、ふざけてるだけかも知れんが、星の一言がやたら嬉しかった俺。
 
 とりあえず、ネガティブになっても仕方ないから開き直る、という考えに持っていく。
 
「張遼さぁ、一つ頼みがあるんだけど」
 
 そして、いい機会だから今頼んでおく事にする。
 
「霞でええよ。その代わり、ウチは一刀って呼ぶけど......ええ?」
 
「え?」
 
 これは、素直に嬉しい誤算だ。
 
「しあ?」
 
「ウチの真名や。アンタには真名無いんやろ? なら一刀って呼ばしてーな♪」
 
 知ってるけど、確かこの霞の真名は初耳のはずだから、すっとぼける。
 
「もちろん、構わないよ。んじゃ霞、改めて......」
 
 若干、脇道に逸れた話題を戻して、頭を下げる。
 
「......食糧、分けてもらえないか?」
 
 真名を許してもらってすぐに言うような頼みじゃなかったかも知れないが、このまま、命懸けで戦ってくれる皆を飢えさせるわけにもいかない。
 
 情けない話、これで霞に断られたらどうしていいかわからない。
 
「あ〜......、それは構わんのやけど、えっとなぁ......」
 
 歯切れが悪い、どうしよう。食糧の余裕もアテも無いぞ。
 
 しかし......
 
「......その前に、一個提案があんねんけど」
 
「?」
 
 続いた霞の言葉は、意外なものだった。しかも、珍しく真摯な瞳で。
 
「......ウチらと一緒に、来んか?」
 
「え......」
 
 心配は杞憂どころか、完全に的外れなものだったらしい。
 
「劉備たちにも声掛けるつもりやけど、な。この戦乱、一刀たちみたいな少数義勇軍に出来る事......実際少ないやろ?」
 
 どこか言いにくそうにそう言う霞は、俺たちの無力を指摘する事に抵抗を覚えているらしい。
 
 そんな気遣い、必要ないのに。一応現実はわかってるつもりだ。
 
「けど、ウチは自分らの力を買っとる。ウチらと一緒なら、その力を活かせると思っとる」
 
 何進が洛陽に引っ込んで、無能な総大将がいなくなってくれた。黄巾党の食糧も焼いた。
 
 ここからが本番。そして、それに俺たちの力を必要だって言ってくれている。
 
「華雄も恋も、うちは猪突なんが多いんよ。軍師も洛陽に居るしな」
 
「華雄?」
 
「ああ、さっきは仮眠取っとったから紹介しとらんやったけど、うちの将や。今探したらどっか居るんやないかな?」
 
 直接話した事はないけど、前の世界で愛紗に斬られた武将だ。
 
 ......今度は、味方か。
 
「まあ、華雄の事はええとして......、返答は?」
 
 当然、俺の応えは決まってる。
 
「もちろん受けるよ。こっちから頼みたいくらいだ」
 
 今の俺たちの力じゃ、大陸の平定どころか黄巾の乱さえ戦い抜けない。
 
「一緒に、この黄巾の乱を鎮めよう」
 
「よっしゃ! 血盟やな」
 
 パンッと、手と手を叩き合う。
 
「まあ、まだ星たちに相談してないんだけどな」
 
「あははっ、実はウチもこれ、独断やねん」
 
 霞たち官軍と同盟を結び、この黄巾の乱に臨む。
 
 明確で現実的な新たな展望を得て、俺は霞と笑い合う。
 
 そうして笑い、話す中で、とりあえず.........
 
「なあ霞、洛陽に変な白装束なやつらとかいない?」
 
 以前から気になっていた事を、訊いてみた。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回は微妙に難産でした。
 二幕、思ったより伸びそうになってきました。
 
 



[12267] 十二章・『乱世の時流』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/18 00:07
 
「白装束なんか知らない?」
 
「ああ、ちゅーか何やのそれ? 白い服着とるやつくらい、探せばおるやろうけど......」
 
 ふむ......。
 
 前の世界では、白装束のやつらが月を脅して暴君に仕立て上げたのだが。
 
 時期が早くてまだってだけなのか。いや、そもそもこの世界に左慈とかいるのか?
 
 居ても居なくても、いい加減前の世界と状況違いすぎてるし、前の世界の経験はアテにならんな。
 
 星たちの話によれば、前の世界では故人だった蓮華の姉の孫策が生きてるらしいし。いや、時期がズレてるだけでむしろこれから危ないのか?
 
「......ま、白くはないけど、タチ悪いんはごろごろしとるけどな」
 
「?」
 
 華琳みたくコスチュームチェンジか? などと一瞬馬鹿な事を考えたが、もちろんそんなわけもなく。
 
「黄巾党、何て大仰な名前で暴れとるけど......要は単なる匿賊やろ? そないなもんに大陸中を好き放題に荒らされとる。この意味、わかるか?」
 
 その言いたい事は、何となくわかった。これでも元、君主だ。
 
「......単なる匿賊の暴動すら止められない。それが今の官の力、って事か」
 
 いや、止められないって言うのも適切じゃないだろう。そもそも民が苦しい生活を強いられていなければ、こんな暴動起きやしない。
 
 抑止力が無いどころか、見方によっては全ての元凶とも言える。
 
 そんな、俺が言葉にしなかった部分まで明確に伝わったのか、霞は大げさに肩を竦める。
 
「情けない話やけどなぁ......。この乱の間も、弱いもんから絞った税金使うて、安全な所で胡坐かいとる豚みたぁな奴もおんねん。今の官にはな......」
 
 そう、俺はこの世界に来る以前の事を知らないから実感が湧かないけど......別にこの乱はいきなり始まったわけじゃない。
 
 長い間に渡る圧政への不満が、張角っていうきっかけを得て表面化しただけだ。
 
「......それをわかってないやつばかりじゃないさ。そんな時代は、もう終わる」
 
 いや......
 
「終わらせる」
 
 俺の言葉を聞いて、面白そうに呟いた霞が、
 
「へぇ......」
 
 途端に、眼をぎらりと光らせて口の端を上げる。
 
「ウチには時代の流れみたいなもんは読めんけど。天の遣いの一刀が言うならそうなんかもね」
 
 その眼が、咎めるように細められる。
 
「......けど、そういう言葉を軽く口にすんのはやめとき。下手な事言うと、アンタの首なんて簡単に飛ぶで?」
 
「誰にでも言うわけじゃないよ。それに、軽い気持ちで言ったわけでもない」
 
 ほぼ予想通りの忠告が来たので、即答。俺だって爆弾発言する相手くらいは選ぶ。
 
「...............」
 
 そこで黙るなよ。
 
 何か今さらながらに恥ずかしくなってくるだろうが。
 
 ......主に、俺は時代の流れを読んでるんじゃなくて、知識として知ってるだけって部分に。
 
「......自分、たまに男前な事言うなぁ」
 
 褒めるのもヤメテ! 居たたまれなくなる!
 
 何か物凄い複雑な気分で身悶える俺。
 
 ......の、袖が、くいくいと引かれる感触。
 
「霞、ちょっと回ってみようか。華雄にも挨拶しとかないとだし、星や風とかにも相談......」
 くいくい
 
「? 霞、袖なんか引かないで応えてく」
「ウチちゃうよ」
 
 .........え?
 
 その言葉に、虚を突かれて振り返れば......
 
「呂、布......?」
 
 曇りのない赤い瞳が、微動だにせず俺を捉えていた。
 
 
 
 
「相変わらず、あなたは素直ではないわね」
 
「さて、何のことかな?」
 
 一刀と別れ、行き会った稟と酒を飲み交わす。その第一声がそれだった。
 
「一人で飲んでいた一刀殿に、わざとらしく厭味な敬語で話し掛けた所から、全てわざとでしょう?」
 
 ......見ていたのか。
 
「全て、去り際にあの一言を言うための布石、といった所かしら。持って余った手段を使いますね」
 
 腹を割って話すのも悪くない、か......。いや、やっぱり何か悔しい。
 
「なかなか面白いものの見方をするな、稟は。この趙子龍が、その一言とやらの為に隠れ蓑を用意した......と?」
 
「なら......冗談なの?」
 
 ......ここでそう返してくるか。からかうつもりかと思ったが、存外、稟も真剣という事か。
 
「あなたは、今まで戯れでああいう態度を取る事はあっても、"主"と呼んだ事は一度もなかった。......あなたにとって、適当に使える言葉ではないはずよね」
 
 見透かされている。
 
 稟は頭が良いし、空気も読める。おまけに付き合いも長い。
 
 ......当然か。
 
 だが、それはお互い様だ。
 
「......そういうおぬしも素直じゃない。と見るが?」
 
 単に性格の事を訊いているわけではない。今の、一刀への対応の話だ。
 
「..................」
 
 沈黙、か。沈黙は肯定と同じだと相場は決まっているが......。などと思うも数秒、稟が口を開いた。
 
「頑迷ではない、と自分では思ってるわよ」
 
 それが頑迷だ。と指摘するより早く、
 
「......怖いのかも知れないわね。対等で心地いい今の関係が変わってしまう事が。そして同じくらい、人の上に立った時、彼という人物が変質してしまう事が」
 
 ......思わず目を見開いてしまうほどに、素直だった。そういえば、直接相対していない第三者に対しては素直な娘だったか。
 
「あなたもそうなのでしょう? だから、あんなやり方でしか自分の気持ちを示せない」
 
「..................」
 
 正直、そこまで考えていたわけではない。
 
 稟ほどに、自分の心情を理解しようとしたわけではなかったのかも知れない。
 
 一刀に槍を預ける。それを決意しただけで区切りをつけてしまっていた。
 
 ......言われてみれば、心当たりが無いわけでもない気も、しなくもない。
 
 ......滑稽な話だ。
 
「散々一刀の自覚の無さに腹を立ててきたというのに、何とも無様な事よ」
 
「全く、ね」
 
 互いに、結局肝心な一言を確認し合わず、自嘲とも、目の前の相手を笑うとも取れないように、笑い合う。
 
 ......甘えるばかりでは、我が名も廃るな。
 
 
 
 
「「「..................」」」
 
 何、この妙な状態。歩く俺の袖にくっついて離れない恋と、その後ろを歩いてついてくる霞。
 
 視線が集まるのが居心地悪い。
 
「あのー......呂布さん?」
 
「恋でいい」
 
「「...............」」
 
 霞とダブルで、唖然。
 
 一体どうしたって言うんだ恋は? 前の世界と違って、捕える->仲間に誘う->真名を許す、みたいな、恋が興味を示すような行動はまだ取っていない。
 
 バリバリの初対面のはずだし、恋は他人に対して積極的なタイプじゃないはずだぞ?
 
「(一刀! 自分ホンマに恋に何したん!? 恋が自分から真名許すん初めて見たで!?)」
 
「(んなもん俺が訊きたいくらいだっての!)」
 
 小声で叫び合う俺と霞、の会話になどまるで興味なさそうに......
 
「ん......」
 
 俺の腕に、恋がぴったりと頬を寄せる。
 
「れれれれ恋っ!?」
 
 あ、思わず真名が......って許してくれたんだっけか。
 
「ほぇ〜〜.........」
 
 感心だか放心だかわからんような顔で眺める霞。
 
「恋? いきなりどうしたんだ?」
 
「(.........フルフル)」
 
 本人に直接訊いてみれば、首を横に振られた。一体何に対しての否定?
 
「......お前、変」
 
「何ですとっ!?」
 
 少なくとも、この状況に限ってなら確実に恋の方がイレギュラーだろう。何故に俺が変人扱い?
 
「......変なの、見える。見た事ない。恋も、変」
 
 相変わらず要領を得ない回答だ。そのまま全身を預けて、目を瞑る。
 
「.........変。お前といる。知らない恋、いっぱい見える」
 
「.........はぁ」
 
 さっぱりわからん。まあ、嫌われてないなら良かったかな。ところで恋、俺の名前憶えてないだろ?
 
「あったかい......」
 
「......恋、俺の名前、北郷一刀ね。憶えた?」
 
 話聞いてるのか聞いてないのかわからん恋の、抱きつかれた腕を揺らしてみる。
 
「恋?」
 
「......すぴー......すぴー......」
 
 寝たぁーー!? 器用だなおい! 可愛い寝息を漏らしおって!
 
「......まあ、深く考えんとき。恋は半分動物みたいなもんやから、一刀動物に好かれやすいんよ、きっと」
 
「......投げやりだな、霞」
 
「元々、恋に理屈は関係ないからな。理由気にするだけ無駄やろ」
 
 そして冷静だな。
 
 そのまま霞は、腕にへばりついた恋を動かして、俺の背中に回す。背負えと?
 
「起こすんも可哀想やろ?」
 
「まあ、ね。っしょ!」
 
 恋をおんぶして、星たちと相談するつもりだったけど、とりあえず......
 
「城に連れて行こうか」
 
「せやね。別に趙雲たちへの相談かて、焦る必要ないしな」
 
 まあ、城って言っても大して大きなものじゃないが、今、霞や俺たちが詰めてる、この邑の城だ。
 
 幸い、結構近い。
 
 今日は俺もこのまま休んでしまおうかなぁ〜と考えていた。
 
 のだが、
 
 
「あちゃ〜......」
 
 しばらく歩いて、城に辿り着く前に、トラブル発生。霞が額に手を当てて天を仰いでいる。
 
「貴様! この私を愚弄するか!?」
 
「先に、雑軍だからと我らを軽んじる発言をしたのはそちらであろう!」
 
 野次馬の中心に空いた空間で怒鳴り合う、愛紗と......あれが華雄だな。前の世界では遠目にしか見なかったけど、こうして目にすれば間違えはしない。
 
 露出の高い紫の戦装束、肩までの銀髪、琥珀色の瞳。やっぱり美女である。
 
「あんのアホ、また何か問題起こしたんかい!」
 
「......関羽も、結構融通が利かない所あるしなぁ」
 
 せっかくの戦勝の宴なのに、勿体ないなぁ。早めに何とかしよう。
 
 そのために......
 
「桃香、何があったの?」
 
 そこであわあわと狼狽えているお嬢さんに事情を訊くとしよう。
 
 
 
 
(あとがき)
 ついつい場面が増えて、展開が遅れますね。
 こんな調子じゃ、キャラ増えてったら大変だろうなぁとも思いつつ、今日も更新。
 



[12267] 十三章・『一番のお友達』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/19 09:58
 
「と、いうわけなの......」
 
「ああ、そう......」
 
 訊かんで良かった。要するに、傲慢な態度をとった華雄に愛紗がカチンときただけ。
 
 愛紗的には、自分はともかく桃香や義勇軍まで軽く見られて退けないのかも知れないが、もっと穏便に解決出来んのかね。
 
「愛紗ー! やれー! ぶっ飛ばせー!!」
 
 鈴々は役に立たん。むしろ、ふとした拍子に乱入しそうな雰囲気だ。
 
「えーと......一刀さんこそ、その背中は......」
 
「拾った」
 
 桃香が訝しげな顔をするのもわかるけど、他に説明のしようがない。俺だって何でこうなってんるかわかってないんだから。
 
「とにかく、止めようか」
 
「手伝ってくれるの?」
 
「そら、ほっとくわけにもいかへんしなぁ......」
 
 と言いつつ、ちょっと自信は無い。人垣をかき分けて騒ぎの中心に入り、既に得物を構えている両者を、桃香と霞が止めに入るが、
 
「愛紗ちゃん? こんな所で青龍刀は......」
「桃香さまは黙っていてください」
 
「コラ華雄! お前何血迷っとんねん!?」
 
「止めるな張遼! 武人が己が武を侮られて、黙ってなどいられるかっ!」
 
「それはこちらの台詞だ! 貴様が侮った雑軍の実力、身を以て知るがいい!」
 
 ダメだこりゃ。完全に頭に血が上ってる。
 
 けど華雄はもちろん、愛紗だって俺と親しいとは言い難い。桃香や霞でダメなのに、俺の言葉で止まるわけもない。
 
「「はぁああーーっ!!」」
 
 などと対策を考える時間すらなく、烈迫の気合いと共に、二人は刃を振り上げる。
 
「ちぃっ!」
 
「っ......!」
 
 舌打ちした霞が偃月刀を構え、桃香が息を呑む。
 
 誰もが収拾のつかない乱闘騒ぎを覚悟した、まさにその時......。
 
「......うるさい」
 
 えらく不機嫌そうな呟きが、まさしく耳元で聞こえて、
 
「はっ!?」
 
 一筋、光が奔って、華雄の戦斧が宙に舞い、
 
「な......!?」
 
 さらに一筋、相手が得物を無くした事で行き場を失った青龍刀を、光の一閃が叩き落とした。
 
 あまりに一瞬の出来事に、俺は背にしていた柔らかな重みがなくなっていた事にも気付かず、
 
「......は?」
 
 はらりと、自分の髪が一筋、宙に流れた所でようやく事態を把握する。
 
 今、俺の後ろには、不機嫌な顔で一仕事終えた戟を手にぶら下げる恋が立っているのだろう。
 
 目にも見えない、閃光のような二撃......のはずだ。だって、この位置からじゃ見えなくて当たり前だし。
 
 ......あ、耳の端ちょっと切れてる。
 
「「...............」」
 
 横槍を入れた形とはいえ、易々と得物を落とされた二人が、驚愕と、あと邪魔をされた不満の籠もった目を恋に向ける。ついでに俺も振り返って恋を見る。
 
「......迷惑」
 
 恋は一言、非常に簡潔に今の状況を表した。いや、単に個人的な感想なんだろうけど。
 
 そのまま無造作に戟をガシャッと放り捨て......いや待て、さっきまであれ無かったぞ? どっから生えてきた?
 
 恋はそのまま、半分も開いてない眼で辺りを見渡して、手近に寝心地の良さそうな場所がないと判断してか、また俺の背中に顔を埋めた。
 
 流れに任せて、そのままおぶる俺。何となく決め手になりそうな予感がして、そのまま愛紗と華雄の所まで運ぶ。
 
「......寝てる時は、寝てないと......ダメ......」
 
 寝言みたいにそう呟いた恋は、そのまますやすやと再び寝息をたて始める。
 
 はは......、恋の一人勝ち逃げだな。
 
「......華雄、ここは恋に免じて退いてくれ。な?」
 
「......お前は?」
 
「北郷一刀、義勇軍の片割れの指揮官だよ」
 
「..................」
 
 華雄は、そのまま黙って戦斧を拾って、立ち去った。
 
 ......俺は武人なんて到底名乗れないけど、一応『男の子』だからか、感覚はわかる。
 
 自分が拘り誇る武、それを無造作に振るって、まるで頓着しなかった恋。
 
 その前で、これ以上強さに固執するような真似を見せれば、自分の器の小ささを晒すようなものだ。
 
 自分の武に誇りを持つ人間なら、そんな自分の心情を決して認めはしないだろうが、何となく恥ずかしくなって躊躇われてしまう。そういうものだ。
 
「関羽」
 
 何はともあれ、片方は落ち着いた。けど、そのせいで感情の行き場を失った愛紗に、向き直る。
 
「..................」
 
 色んな感情が、頭の中でぐちゃぐちゃになってるんだろう。
 
 義勇軍を軽く見られた怒り、桃香の制止も聞かなかった自分の頑迷、恋の力と「迷惑」の一言、そういうのが。
 
 正義感が強く、ちょっと頭が固くて、たまに熱くなった後で失敗して、冷静になってから後悔とか羞恥心とかが湧き上がる。
 
 愛紗はそういう子だ。
 
「関羽が怒った理由もわかるし、その気持ちは大事なものだと思うよ?」
 
 恋の一言で色々と自覚する事はあって、それでも自分の義憤は否定できない。
 
 そこまでわかっているだろう愛紗だから、これ以上お説教は必要ない。フォローだけだ。
 
「でも、それを華雄に直接ぶつけなくてもいい。本来の、関羽たちが誇るべき強さを見せて、それで見返してやればいい」
 
 ......本当なら、俺がこんな事言うべきじゃないのかもな。混同してるわけじゃない、と自分に言い聞かせながら、事の成り行きをぽけ〜と見守っていた霞に、意味深に笑って言う。
 
「その機会なら、すぐに来ると思うから、さ。桃香にも聞いて欲しいんだけど」
 
「え? わっ、私!?」
 
 何か慈愛の眼差しで見守っていた桃香に話を振り、得心が言ったように笑った霞とアイコンタクト。
 
「ちぃっと、場所変えよか。ウチから説明するわ」
 
 これなら、愛紗も納得するし、華雄も見返せる。そう思って満足する俺は......
 
「......北郷殿」
 
「ん?」
 
「ところで、その背中の者はどういうわけでしょうか?」
 
 そちらの問題を、すっかり忘れていた。
 
 
 
 
「......雛里ちゃん?」
 
 祭りの喧騒から離れた裏通りに、少女が二人。
 
「朱里ちゃん......」
 
 同じ私塾で学を修め、共にこの乱世をどうにかしたいと、立ち上がり、旅立った二人の少女。
 
「大事なお話って、何?」
 
「え、えっと......あの......その、ね......?」
 
 元来、人見知りの激しい雛里だが、親友たるこの少女に対しては普通に接する事は出来る。ただ、今の雛里は上手く言葉を絞りだせずにいた。
 
 対する親友、朱里はその気持ちを理解し、そして......理由にも見当がついていた。ゆえに、くすりと小さく笑う。
 
「......わたし達、一番のお友達だよね? 隠し事なんて何もなしって約束した」
 
「...............ん」
 
 雛里は、その真摯な言葉に極度の緊張から抜け出す。否、緊張は別のものへと移り変わる。
 
 静かで、確かで、重い。それは緊張ではなく......覚悟。
 
「聞かせて、雛里ちゃん」
 
「......朱里ちゃん、言ってたよね? 自分は、劉備さんに忠誠を誓ったって......一刀さんは、どこか危うく感じるって......」
 
 覚悟を決め、口を開けば、彼女自身が思っていたより自然に、言いづらく感じていた言葉を紡げた。
 
「一緒に大陸を平和にしようって、劉備さんの理想を、叶えようって......」
 
 この時点で、朱里は雛里の言いたい事を概ねわかっている。それでも言わねばならない、聞かねばならない。
 
「でも......わたし、ね? ずっと前から感じてて......曹操さんとの会合でまた......思ったの」
 
「......思ったんじゃなくて、決めたんだね」
 
 雛里の言を、さらに確固たる言葉で正し、朱里は先を促す。
 
「うん......、わたしは、今まで育てあげてきたこの知略を......あの方のために使いたい」
 
「そっか......」
 
 わかっていた言葉を受けた朱里は、それでも胸に決して少なくない寂寥感を受けて、しかし受け入れた。
 
「一緒に行こう、なんて言わないよ。わたしのせいで、雛里ちゃんの信じた道の邪魔、したくないから」
 
 邪魔、の一言に反射的に首を振りかけた雛里は、思い止まって別の言葉を口にする。
 
「......わたしも、言わない。一緒に居ることより大切なこと、あると思うから」
 
 親友よりも主君を選んだ。そんな単純な問題ではない。
 
 一緒に居たいという願い以上に、親友に信じた道を進んで欲しい。
 
 その想いを、互いが互いに抱いていて、それを理解しあっているからこそ。
 
 二人は、互いの顔が見えないくらいに、強く強く抱き締め合った。
 
「......わたし達、離れても、いつまでも、一番のお友達だよ」
 
 自分の頬を伝う涙を、見せないために。
 
 
 
 
「......えっと、それで一刀さんは?」
 
「まだ、星たちには相談してないけど、個人的には願ってもない話だと思ってます」
 
「......一刀、何で敬語なん?」
 
 だって、
 
「...............」
 
 あちらの美髪公さまが怖いんだもの。直接ひっぱたかれない代わりに、何か眉間の皺が深くなって妙なオーラが吹き出している。
 
 甘かった。これならしばかれた方がなんぼかマシだ。何か距離を感じて余計にへこむし。
 
「......あの、関将軍は、どうお考えでしょうか?」
 
「私は将軍などと大層な身分ではございません。それに、成り行きで行動を共にしているだけのあなたに気にされなくても結構です。"北郷一刀殿"」
 
 わざとらしいフルネーム呼びだし。
 
 ところで、今は城に戻って恋を寝かせ、霞から同行の説明を受けた後である。
 
「愛紗ちゃん、意地悪な言い方しちゃダメだよ? 本当はさっき宥めてくれた時、嬉しかったくせに♪」
 
「桃香さまっ!」
 
 あっ、ちょっとオーラが軟化した。さすが桃香だ。
 
「まぁ、風たちに相談もせずに決めたのは少し気に入らないのですが、明るく、前向きな決定だとは思うのですねー」
 
 そうそう、だから多分星たち、も.........
 
「って風!?」
 
 いつの間にか現れてた!?
 
「風なら、お兄さんが張遼将軍を口説いていた辺りからずっと居たのですよ」
 
「マジでっ!?」
 
 あれからずっと? しかも何で隠れてたの?
 
「まじですよ? こう見えても風は一流ですからー」
 
 ......何の?
 
「......怒らないの?」
 
 相談するとは言ったけど、勝手に引き受けてたし、怒られても仕方ない気はしてたんですが?
 
「あまり甘えすぎるのも、自尊心が傷つきますから。今は素直に喜んだり、髪の毛を引っ張ったり......」
 
 言いながら、風は俺の髪を引っ張る。うん、はぐらかす気満々だな。
 
「楽しそうだね♪ ......んしょっと」
 
 わざわざ席を立ってまで風の真似しなくていいですよ、桃香さん?
 
 この二人、地味に仲良いよな。
 
「それはそうと......この乱を鎮めるために力を合わせる。私は賛成します」
 
 おおっ!
 
「桃香さま! まだ朱里の意見が......」
「鈴々もさんせーーい!」
 
「むぅう......!」
 
 あの二人には、さすがの愛紗も押され気味か。もう一押し。
 
「黄巾党との戦い、民草を守るための戦いで、関羽たちの力を華雄に見せ付ける。これが一番カッコいい見返し方だと思うんだけど?」
 
「っ〜〜〜〜〜............!」
 
 愛紗はたっぷり二十秒は唸った後、
 
「(............コクッ)」
 
 
 陥落した。
 
 
 
 
(あとがき)
 前に二幕はそろそろ終わるとか言っといて、ズルズル伸びてますね。
 けどそろそろ本当に二幕終了......のはず。
 



[12267] 十四章・『君主の戦い』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/20 16:02
 
 霞たち官軍との同行に関しては、星も稟も雛里も賛成してくれた。
 
 それでも、勝手に決めた事に関しては拳骨の二、三発は覚悟していたのだが、そういうのも無かった(雛里は最初大丈夫だと思ってたけど)。
 
「……少しは自覚も出てきた、という事か?」
 
「私の意見を後から訊く気があった、というなら、敢えて責めはしませんよ」
 
 などと、若干妙なテンションで言っていた。
 
 そういや、星の“主”発言は何だったんだろうな。気になるけど、訊いて「冗談だ」とか言われたらへこむしなぁ。
 
 それとは別に、雛里が俺を「ご主人さま」って呼ぶようになった。
 
 正直、物凄く意外だった。いや、他の三人にしても別に、「俺を主君として見てくれてる!?」とか思ってるわけではないが、雛里は元々、朱里を探すという目的で俺たちに付いてきて、そしてその朱里を見つけたのだ。
 
 まして、三國志で鳳統が仕えていた劉玄徳まで一緒。
 
 むしろ完全に、別れるんだろうなぁとか思ってたのだ。それが突然「ご主人さま」である。
 
 正直、信じられないくらいに嬉しかっ……いや、最初は信じられない気持ちが大半だったな。
 
 あれから後の働きで、愛紗や星は華雄に認められたようだ。まあ、武に固執する節があるから、軍師勢や俺の評価はイマイチだが。
 
 そんなこんなで、あれから二ヶ月。
 
 
 
 
「おらおら! どないしてん!? こんなもんかい!?」
 
「まだま……ぐはぁっ!?」
 
 転戦の合間にこうして稽古をつけてもらう事もしばしば。
 
 今日は霞が相手役を買ってでてくれた。もちろん、一太刀も入らない。
 
 夜だから暗くて見え辛いのは、お互い様のはずだが。
 
「……一刀、ようこれで前線出るなぁ。ある意味尊敬するわ」
 
 成長してないわけじゃない……はずだ。鍛練の終わり頃には、星とか霞も薄らと……あ、ほら汗。
 
「ぶっちゃけ、俺が前に出る事自体が大事だと思うんだよ。別に自分が強いなんて思っちゃいないさ」
 
「そらぁな。こんだけ負け続けて自分が強いて思えたら、ただの可哀想なやつやんけ」
 
 ……自覚してるのと、他人に言われるのって、違うよね。心の痛み的なものが。
 
「……そうやなくて、実力も無しによう前線に出れるなぁって話や。うちらは自分の身ぃ守れる強さがあるけど、一刀は無いやろ?」
 
 素直に首を縦に振りたくない言い方をして下さる。
 
「そんなの、兵士の皆だって同じだし、霞だって乱戦で流れ矢とか食らわないとも限らないだろ?」
 
「そりゃそーやけど……指揮官が死んだら隊は全滅や。そこはちゃんとわかっとるな?」
 
「……ああ」
 
 俺の指揮一つで、たくさんの人間が死んでる。俺が殺し合いの命令を出して、それを信じて皆が応える。
 
 そういう立場にいる俺が死ぬって事は、俺一人が死ぬって単純な事実以上の重みになる。
 
「ま、そのための鍛練やしな! せめて一本くらい取れるようなりやぁ〜♪」
 
 言って、霞は後ろ手に手を振りながら去っていく。
 
 もう寝るんだろう。俺はこのまま少し休むべくバタッと大の字になる。地面が冷たくて超気持ちいい。
 
「………」
 
 比較対象が違いすぎて、ちっとも成長してる気がしない。
 
 いや、頑張れ、ポジティブになれ俺。今のまま前線に出続けたら遠くない未来に死ぬぜ?
 
「精が出ますね♪」
 
「およ?」
 
 寝そべる俺の顔を覗き込むように、一人の女の子に声を掛けられた。
 
 桃香だ。長くてふわふわした髪が鼻に当たってくすぐったい。
 
「よいしょ」
 
 そのまま俺の隣に腰掛ける。俺も上半身だけ起こした。
 
「……愛紗ちゃんは、ね?」
 
 微妙に、してしまった悪い事を告白する子供みたいな雰囲気で切り出す桃香。
 
「わたしは、皆の導き手なんだって。万が一にも失ってはならない玉。そこにいるだけで、皆に勇気を与える存在だって……」
 
 ……うむ、愛紗らしい言い草だ。淡々と厳しく言い聞かせている様子がたやすく思い浮かぶ。
 
「……一刀さんも主君なのに、いつも前線に出るよね?」
 
 あー……そういう事か。考えてみれば、桃香なら気にしてそうな事ではあった。っていうか、俺は主君というカテゴリーでいいのか?
 
「わたしも……剣の稽古とかした方がいいのかな……」
 
 自分への問い掛けであると同時に、俺への相談でもあるように響く。
 
 『今のまま』が正しいのか、そうでないのか、だ。
 
「俺だって、別に桃香と大差ないと思うよ? 星とか関羽とかに比べたら」
 
 いや、むしろ実際の武力の問題じゃないのかも知れない。
 
 いくら強くたって、君主が危険な最前線にいるというのは気が気ではないのではないだろうか。
 
「俺も、決起してからずっと前線に出てるけどさ。これでも結構慎重だよ? 状況見てある程度下がったり、少なくとも実力があるから前に出てるわけじゃない」
 
 『前の世界』では、前線に出てるって言っても、いつも一人以上は大陸屈指の豪傑が傍に居た。
 
 この世界で旗揚げした当初は明らかな武官不足だったが、今は劉備義勇軍や恋たち官軍と同行している。
 
 今の状況で俺が前に出るのって、効率的な計算だけで考えると、大したメリットなんて無いかも知れない。
 
 でも……
 
『その言葉こそが英雄の証。その行動にこそ人は付いてくる』
 
 一緒に戦うのも、戦う相手も、人間だ。理屈だけじゃ、人は動かない。
 
 ……とはいえ、それも状況によるか。
 
「うちの場合はさ。星も、風も、稟も、俺の未熟さをわかってるから。俺が頑張るとやる気になってくれる人が多いんだ」
 
 感情や信念が深く関わる“からこそ”、桃香の場合は少し違う。
 
「でも……桃香は少し、違うと思う。関羽も、鈴々も、孔明も、皆、桃香のことが心配なんだ」
 
 ぶっちゃけ、星たちは俺が、俺の正しいと思った道から、危険は承知でも納得してくれると思う。
 
 そういう関係だ。
 
「桃香が前線で戦うことになったら、きっと心配で心配で戦いに集中出来なくなるよ」
 
 人としての、魅力。
 
「皆笑って暮らしていける世の中にしたい。本当なら、戦いなんてしたくない」
 
 俺みたいに、『天の御遣い』なんて肩書きが必要ないくらい、桃香はそれを持っている。
 
「皆、そんな桃香が大好きなんだよ。前に出て、危ない目になんてあって欲しくないんだ」
 
 俺も含めて、という言葉を呑み込む。
 
 でも、人のそんな気持ちに甘えたくない。桃香はそういう風に考える子だ。
 
 だから……まだ続ける。
 
「キツい言い方をすれば、桃香が前に出て戦っても、誰も喜ばない。余計な迷惑をかけるだけだ」
 
 真剣な表情で健気に俺なんかの話を聞いている桃香を見て、綻んでしまいそうになる顔を無理矢理、強く厳しく引き締める。
 
「皆が戦っている時、自分は後ろで見守るだけ。心配だけど、自分はその後ろ姿を見送るだけ。それが辛い気持ちはわかるよ」
 
 愛紗のため、鈴々のため、朱里のため、何より桃香のために。
 
「でも、本当に皆のことを考えるなら、皆を束ねる桃香はそれに耐えなきゃいけない」
 
 ……いや、飾るのはやめよう。俺がそうしたい、伝えたいんだ。
 
「皆と一緒に戦いたいって言うなら、それが桃香の戦いになるんだと思うよ」
 
 言いたい事を言い終えて、沈黙が場に降りる。
 
 熱く語りすぎたか。
 
 ……何か俺、この世界に来てから居場所に悩んでた反動かどうか知らんけど、本音を遠慮なくぶつけるような癖がついてるような。
 
 好き勝手騒いだ後ろめたさを感じながらも、それを表情には出さない。
 
 厳しい表情を保っていないと、嫌われる覚悟で本音をぶつけた意味がない。
 
 俺のキツい言葉に傷ついただろうか。誤魔化すように空笑いを向けられるだろうか。
 
 しかし、そんな事を考える俺に向けられたのは、全く対極のもの。
 
「……ありがとう」
 
「え……」
 
 包み込むような慈愛の笑顔と、感謝の言葉。
 
「わたしの戦い、か。そうだね。迷惑かけちゃいけないもんね」
 
 弾むような楽しさを滲ませるその様に、ピンとくるものがあった。
 
「……でも、一刀さんっていつも自分の事棚に上げた事言うよね」
 
 俺がわざとキツい言い方をした事も、その意味も、完全にバレバレなのだという事。
 
「……程度はどうあれ、人の上に立とうとする人間だからね。少なからずわがままなのは間違いない」
 
 その上で、俺の言葉を素直に受け止めてくれた。それが、とても嬉しい。
 
「……忘れないでくださいね。一刀さんがさっきわたしに言ったみたいに、貴方の事を大好きな人だって、たくさんいるんだから……」
 
 その言葉に、前の世界の自分の立場を想起させられて、一瞬自失した。
 
 その、一瞬の出来事だった。
 
「……ちゅっ」
 
「!!?」
 
 ふわりと、鼻腔を女性特有の柔らかい香りが撫でて……
 
 唇に、柔らかい唇の感触が重なる。
 
 完全無欠に予想外の事態に、俺がフリーズする数秒、桃香はその唇を離す事はなくて……
 
「……っ……!」
 
 俺が我に帰るのを待っていたように、飛び退いた。
 
「……桃、香……?」
 
「えへへ、ありがと……。おやすみなさい!」
 
 俺が何を言う間もなくそう言って、くるりと踵を返す横顔は真っ赤。
 
「ちょ……」
「きゃー♪」
 
 そのまま逃げるように……じゃなくてはっきり逃げ出した。
 
「………………」
 
 俺はその後ろ姿を見送りながら、自分の唇をそっと撫でる。
 
「……キス、だ」
 
 全く今さらそれを反芻して、恥ずかしくなってくる。
 
「桃香……」
 
 受けた言葉と、示された行為の意味を胸に感じながら、フワフワと逆上せたような頭で、俺は空を仰ぐ。
 
 その時、微かに揺れた天幕には、気付かずに。
 
 
 
 
(あとがき)
 昨日は別作を書いていたけど今日は更新。
 予定より全然伸びてしまいましたが、次話、二幕終章です。
 
 



[12267] 二幕・終章・『また会う日まで』
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/10/22 18:23
 
 あれから、三日経つ。
 
 食糧難に遭い、士気の落ちまくった黄巾党を掃討する過程で、俺たちはまた幽州に戻ってきていた。
 
 食糧を求めて、略奪を目論む賊の一団がこちらに流れてきているという情報が入ってきたからだ。
 
 ......敵主軍の位置が特定出来ない現段階だからわざわざ官軍が出向いているのだが。
 
 まあ、これ自体は大して珍しくも何ともない。ここずっと黄巾党討伐の転戦しかしてないし。
 
 珍しい......ってかおかしいのは、
 
「......主よ、どうされた?」
 
 こいつだ。お前がどうされたんだ。
 
「いや、星こそ最近、どうしたの?」
 
「何の話か? 主よ」
 
「.........いや」
 
 これである。この三日、例の敬語モード継続中。
 
 しかも、いつもの厭味な態度じゃなくて妙におとなしい。何か小さく見える。
 
 極めつけが、俺を事ある毎に"主、主"と呼ぶ。
 
 普通なら嬉しいと思うはずなのだが、今の星の元気の無さと敬語に、距離感を感じるしなぁ。
 
 なのに主。
 
 もうわけがわからん。
 
 少し星から離れて、風に訊く。
 
「なぁ......星、ホントどうしたんだ。気味悪いんだけど」
 
「へっ、自分の胸に手を当てて考えてみればわかるんじゃねえのかい?」
 
 宝慧に一蹴。しかし、やはり風は知ってるのか?
 
「ぐぅ......」
 
「寝るな!」
 
「おぉっ! ......まあ、風は色々と一流ですからね〜......」
 
 むぅ......、しかし、今の会話の流れから考えても、やっぱり俺が原因か?
 
 しかし、単に不機嫌って感じでもないし。前の世界も含めてこんな星は初めてだ。
 
 俺が何したって......
 
『えへへ、ありがと......。おやすみなさい!』
 
 ......あれか? まさか桃香とのあれが見られて......無いな。
 
 今までの俺との関係から考えても。前の世界の星の事を考えても。
 
 万が一、"星"みたいに俺に好意を持ってくれていたとしても、星は嫉妬なんて感情とは縁遠い性格だ。
 
 もし見られてたとしても、むしろからかうネタにするだろう。
 
 ......とすると、"俺が何かした以外"の事。
 
「............」
 
 実は、凄くわかりやすい心当たりはある。むしろ懸念としてずっと頭の隅にこびりついてた事。
 
 ......桃香だ。
 
 三國志的にも、趙雲が劉備に惹かれるのは必然。実際あの二人はもう真名も許し合ってるし、......同行するかを悩んでる?
 
 それで色々悩んで沈んでるなら、一応の説明はつく。......でもそれじゃ、俺を主て呼ぶ理由にはならんよな。
 
 答えの出ない問答を頭の中で何度も繰り返して悶々とする俺。
 
 その視界の端に、巻き上がる砂塵が映った。
 
 
 
 
「お〜......、これはまたお久しぶりですねー、公孫賛さ......」
「伯珪って呼べ!」
 
 久しぶりの再会に、風の言葉を遮って字を名乗る伯珪。......結構気にしてるんだな。
 
 まあ幽州だし、伯珪がいても不思議ではないが。
 
「それにしても......」
 
 伯珪の視線が、ぐるっと巡る。
 
「まさか桃香たちや官軍と一緒だとは思わなかったな......」
 
 恋や霞、桃香や愛紗を認めて、そう呟く。そして真っ直ぐに恋に向き直って......
 
「私は幽州太守、公孫賛。この黄巾の乱の折、その討伐に従事しております」
 
 そう告げる。まあ、官の将軍を無視して俺たちと喋ってるわけにもいかないだろう。
 
「......霞」
 
 対する恋は......面倒なのか、霞に丸投げだ。元々、実質は霞が指揮官みたいなもんだしな。
 
「ウチは張遼、こっちは呂布、あっちのは華雄。この近隣に流れ込んだ黄巾の一団を追ってここまで来た。一刀や劉備の義勇軍とは協力関係や」
 
 要点のみを簡潔に伝える霞。こういう時、霞って偉いんだな〜って思い出す。
 
 普段は当たり前に普通に話してるもんな。
 
「......その件ですが、私の部隊はもう敵の正確な位置も、その規模も理解しています」
 
 そのまま続く伯珪の言葉が、俺たちの運命を分ける。
 
 
 
 
 伯珪の話を要約すると、俺たちが追っていた一団は食糧難と有能な指揮官を持たなかったからか、ついには集団としての機能すら果たせなくなり、散り散りになって、もはや黄巾党ではなく、単なる賊に成り下がっているらしい。
 
 到底、官軍の主軍を向けるような状態でもなく、この幽州は自分の治める土地だから、任せて欲しいという事だった。
 
 他の有力な情報ももらったし、当然こっちに否はない。
 
 そう、"こっちには"。
 
 
「白蓮ちゃんには、旗揚げの時から随分お世話になっちゃったしね」
 
「そっか......」
 
 ただの賊に成り下がったとはいえ、散り散りになった大量の賊徒を掃討するのに、出来るなら協力が欲しいという事だった。
 
 俺たちでも、恋たちでもなく、桃香たちの。
 
「大陸全体で見れば、どっちが優先されるかはわかってるつもりだけど......、やっぱり放っておくなんて出来ないから」
 
 実に、桃香らしい物言いだった。
 
 向こうでは、朱里と雛里が泣きながら抱き合っている。
 
 言外に示されていたとはいえ、雛里はやはり俺と一緒に来てくれるみたいだ。
 
 目に映る涙の別れに、胸を痛めるのと同時に、どこか安堵があった。
 
「そっか......」
 
 俺自身、桃香に示された想いの事もあり、世界すら違うとはいえ、愛紗や鈴々や朱里の事もあり、本当はとても寂しい。別れるなんて嫌だ。
 
 それでも、笑って、また会えると信じて、一歩踏み出し、手を差し出す。
 
 そうしようとした、瞬間だった。
 
「っ......!?」
 
 急に、俺の服の袖口に、軽く引かれる力を感じたのは。
 
「......星?」
 
 
 
 
「(あ.........)」
 
 あの夜、霞にのされたという一刀を、からかってやろうと軽い気持ちで出向いた。
 
 そこで、桃香殿と一刀のくちづけを見てしまった。
 
 嫉妬......ではない。面白そうな男、その行く先を見てみたい。だからその先を我が槍で切り開こうとは思った。でも、恋心など抱いてはいない。
 
 ......抱いては、いないのだ。
 
 不安になったのは、別の事。天から来たという一刀は、ずっと下界での自分の居場所を求めているように、私は思う。
 
 ......そして、あの夜のくちづけ。
 
 自分の居場所を求めて、心を寄せ合う君主......劉玄徳と共に行く。一刀が、そんな道を選ぶのではないか? ここずっと、そんな事ばかり考えていた。
 
 桃香殿は、嫌いではない。でも、自分が見たいのは北郷一刀の行く先だ。
 
 だが、だからこそそれは一刀自身に決める権利がある。居場所を求めて、想いに駆られて、桃香殿と共に歩んで何が悪い?
 
 ゆえに訊く事も出来ず、ただ無為に時間だけが経った。一刀に振り回されているような、そんな自分が気に入らない。
 
 そして伯珪殿との再会。劉備義勇軍への助力の要請と、承諾。
 
 桃香殿の言葉を、一刀はあっさりと認めて、その手を伸ばす。
 
「(あ.........)」
 
 その行動に、猛烈な嫌な予感が脳裏をよぎる。
 
 一刀が次に発する言葉を、聞きたくない。
 
 思った時......
 
『我、趙子龍!』
 
 消えゆく一刀と、心で叫ぶ自分。見た事も聞いた事もない光景が奔り、
 
『惚れた男を手放すほど甘い女ではないと、主に言ったではないかっ!』
 
 私の手は、一刀の服の袖を掴んでいた。
 
「......星?」
 
 怪訝に問う一刀。当然の疑問。
 
「.........」
 
 私自身、こんな文字通りの縋るような自分の無様が許せない。
 
 しかし、掴んだ手は放せない。逆に、私の意に反してどんどんと力を強めていく。
 
「(この手を......)」
 
 放せ。皆も見ている、無様な醜態を晒すな。
 
「(放せば......)」
 
 放して、「何でもない」と言って誤魔化せ。
 
「(一刀が、私の前からいなくなる)」
 
 
 
 
「星? どうした?」
 
 袖を掴んで、俯いて何も言わない星。ここ最近おかしかったが、今日は極めつけだ。
 
 袖を掴むとか、雛里でも乗り移ったのかと。
 
 くいくいと引っ張っても放さないし。何か本格的におかしいと思って顔を覗き込もうとして......
 
「......っふん!」
 
「うぇっ!?」
 
 世界が回った。
 
「ぐへぇっ!!」
 
 そして、背中の痛みと共に、桃香と反対側の地面に叩きつけられたと知る。一本背負いで。
 
「っ痛て、何すんだ!?」
 
「あ.........」
 
 怒鳴る俺に、びっくりしたような顔を見合わせる星。何その顔!? それ俺がすべき顔だろうがっ!
 
 腹立ち紛れに起き上がろうとした瞬間、何を思ったか、ずっと握りっ放しの左腕に、今度は腕ひしぎを極めてきた。
 
「痛い痛い痛い痛いっ!」
 
 ギブアップを示すためにパンパンと地面を叩いても放してくれない。
 
 何なんだこいつは!? 何がしてぇんだ、どこ目指してんだ!?
 
「クスクス......大丈夫だよ、星ちゃん♪ あなたから一刀さん、取ったりしないから」
 
 あ、止まった。
 
 桃香の不審な発言の意味に頭が回るより早く、さらに桃香が口を開く。
 
「......そう、でしょう?」
 
 寂しげな顔で重ねられた言葉に、俺は回りきらない頭で、"決めていた"答えを返していた。
 
「ああ......」
 
 前の世界で、俺は自分がお飾り君主だと自覚していた。だから、もしあの世界に桃香がいたら、俺は考えたと思う。
 
 『俺じゃなく、桃香が君主に相応しい』って。
 
 そして、ずっと考えて、思った。
 
「"皆"の想い、大切にしたいから......」
 
 俺がそんな事を考えてるって知ったら、前の世界の皆は、絶対に怒るだろうな、って。
 
「もう少し、俺も頑張ってみようと思う」
 
「うん♪」
 
 お互い、自信を持って頑張ろう。そう励ましあった桃香は、嬉しそうに笑ってくれる。
 
「ん?」
 
 ふと目をやれば、俺の腕を極めていた星が、惚けている。俺のさっきの言葉を少々曲解してか、珍しく頬など赤らめて。
 
 そして、ようやくさっきの桃香の言葉の意味を、反芻する。
 
 ............ほう?
 
「へぇ、星も可愛い所あいだだだだっ!?」
 
「ほぅ、大した度胸だな、一刀よ? 余程自身の腕が可愛くないと見える」
 
「折れる折れるっ!!」
 
 ひとしきり俺を痛めつけた星の頭に、
 
「ちょっと失礼ー」
 
「ふえっ!?」
 
「よしよし」
 
 風が、雛里から失敬した帽子を被せて、背中をポンポンと叩く。
 
 そのまま、早足で去る星に続く。
 
「もう少し、空気を読めるようになった方がいいですよ」
 
 うるさいよ、稟。
 
 ニヤニヤと見ている霞、星の真似して袖を掴む恋をとりあえずスルーして、桃香に向き直る。
 
 瞬間、
 
『っ!?』
 
 人目も憚らず、俺に抱きつく桃香。
 
「......また、会えるよね?」
 
 ......少々気恥ずかしかったが、これでお別れなんだ、と思って......そのまま抱き締める。
 
「......同じ道を進んで行くんだ。きっとまた、会う時がくる」
 
 そのまま、耳元に口を寄せて、桃香にしか聞こえないように呟き、
 
「      」
 
「......うん、わかった」
 
 体を放す。
 
 想いはあっても、寂しくても、別れても、きっとまた会えるから。
 
「またいつか、一刀さん」
 
「再会を願って、ね」
 
 俺たちは手を握り合い、互いの道の門出を願った。
 
 
 
 
 それから半年、俺たちは霞たち官軍と共に転戦を続け、相対した黄巾党主軍との大戦に大勝。
 
 その時に取り逃がした首領・張角を曹操が討ち取ったと、風の噂で知った。
 
 その後も俺たちは転戦を続け、各諸公が力を合わせ、黄巾の残党を掃討し、
 
 長かった黄巾の乱は、ついにその幕を閉じた。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回で二幕終了。三幕に移行します。いつもたくさんのご感想、そして本作を見て下さる方々、ありがとうございます



[12267] 三幕・『一刀の選択』一章
Name: 水虫◆70917372 ID:31cfef67
Date: 2009/11/10 05:01
 
 黄巾の賊が各地に蠢く大陸で、常と変わらない時を過ごす場所もある。
 
 王都・洛陽。
 
 貧困と賊を生み出した官の在り様をそのまま体現したような、権力と欲望が、そこに渦巻いている。
 
「なぁ、董卓よ」
 
「は、はい……」
 
 黄巾の乱に自身乗り出したものの、ただ一度の劣勢から逃走し、それ以降都から動く事のなかった大将軍・何進も、当然のようにそこにあった。
 
「君は気立ても良い。穏やかで優しい、とても愛らしい娘だ」
 
「あ、ありがとうございます……」
 
 そんな何進は今、自室に一人の少女を呼び付けていた。名を董卓。菫色の髪と赤紫の瞳が特徴的な、見る者に儚げな印象を与える少女。
 
「あの生意気な張遼や呂布も、君がいなければ私の言う事など聞きはしないだろう。まったく……」
 
「し、霞さんも、恋さんも、とっても良い人たちですよ……?」
 
 何進は、そんな董卓の言葉を聞いていないように、自身の言葉を続ける。
 
「なあ、私は不安なのだよ。妹が献帝に嫁ぎ、それによって私は大将軍などという分不相応な地位を押しつけられた。己の役割と使命に押し潰されそうだ」
 
 その地位によって、自身の欲望を満たし続けている何進の言葉は、どこまでも空々しく響く。
 
「だから、これから君が、ずっと私を……」
 
 目の前で小さくなっていく少女の頬に、その手が伸ばされて、
 
「し、失礼します……!」
 
 それが触れる前に、少女は俯いたまま涙声でそう言って、勢いよく頭を下げた後、小走りに何進の部屋から出ていく。
 
「………ちっ」
 
 何進一人になったその部屋に、口汚く舌打ちが響いた。
 
 
 
 
「…………」
 
「……どうかね? あれが今の大将軍、実質この国の軍事の全権を握る男の姿だ」
 
 その会話を、隣の部屋から聞いている者があった。二つの部屋の窓は開いたままであり、会話は筒抜けだ。
 
 その窓を閉めて、黒い衣を纏う男が、もう一人その部屋にいた人物……眼鏡を掛けた、緑の三つ編み少女に話しかけていた。
 
「許せないだろう? あんな無能な男が、君の大切な親友に下劣な視線を向けている」
 
 二人の少女の人となりを知って、そこを揺さ振るように、男の言葉は響く。
 
「無論、あの男の許に行ったとしても、董卓に幸せなど訪れはしない。あの男は、董卓を、まるで気に入った玩具程度にしか見てはいないのだからね」
 
「…………」
 
 男の言葉に、少女は沈黙を保つ。ただ、爪が食い込み、血が滲むほどに握りしめられた拳が、彼女の心の内を物語っていた。
 
「止めなくていいのか? あの男は権威に溺れた畜生に等しい、欲したものを手に入れるのに、躊躇いはしないぞ?」
 
 問いの形で繰り返される言葉は、少女自身の葛藤を具現化させるように、心を行動に起こさせるべく誘う。
 
 それら、全てを……
 
「……はっ!」
 
 少女は、鼻で笑い飛ばした。
 
「笑わせないで。そうやって何進をボクに殺させて、董卓を新しい権力者に仕立てあげる。それがあんた達、十常侍の狙いでしょ?」
 
 男の言葉の通り、怒りのままに何進を八つ裂きにしてしまいたい。その衝動を、少女は堪える。
 
「そうやって、“いつでも反逆者として切り捨てられる”、そんな操り人形を手に入れたいんでしょ?」
 
 少女の言葉は、疑問の形でありながら、糾弾の意として紡がれる。
 
「ボクの月を、あんた達の操り人形なんかにさせるつもりはないわ!」
 
 何より、董卓という少女のために、己の感情を切り捨てて、少女は言う。
 
「この賈文和を、甘くみないでもらいたいわね」
 
 そう言って、少女はずんずんと荒々しい靴音を立てて部屋を出ていく。
 
「……使えぬ小娘が」
 
 男、張譲は、苦々しくそう呟いて、自分の親指の爪を噛む。
 
 民の苦しみをまるで厭わず、欲望と策謀が王都に渦巻いていく。
 
 
 
 
「あーもームカつきますわね!」
 
「麗羽さまー、もうあんなダルマ放っといて冀州に帰りましょうよー……」
 
「おだまりなさい、文醜さん!」
 
「……姫も文ちゃんも、天下の往来で堂々と大将軍の悪口言わないでくださいよ〜」
 
 首領・張角を曹操が討った、という報が広まった後、全ての軍が残党狩りに勤めているわけではない。
 
 最大の功績を挙げる事が叶わないと知るや否や、別の行動に移る者もいる。
 
 この、金色の鎧と、同色の髪が管を巻く女性……袁紹もその一人。
 
 両腕たる顔良、文醜の二人を連れ、少しでも自分の印象を良くする(ゴマを磨る)ため、都に赴いていた。
 
「なんっっっで名家であるこのわたくしが、あんな肉屋の親父にへこへこしなければなりませんのっ!?」
 
「そりゃ……もっと地位が欲しいからでしょ?」
 
 屈辱に堪えながらなその行為。しかし、結果はあまり思わしくない。
 
「董卓さんだっけ……何進将軍のお気に入り」
 
「キーッ! どんな悪女か知りませんが、何でこのわたくしが田舎から出てきたおのぼりさんなんかより低く扱われなければなりませんのっ!?」
 
「あたいらに訊かれてもなぁ……」
 
 謁見こそ叶ったものの、門前払い同然に帰らされたのである。
 
 噂では、最近上京してきた董卓とやらに偉くご執心、という事。
 
「そ・も・そ・も! 実力も無いのに妹が霊帝に嫁いだというだけであんなダルマにデカい顔されてる時点で気に入りませんわ!」
 
 結論の出ない……要するに愚痴を止めどなく流す袁紹を二人が宥めながら、都の雑踏を抜けていく。
 
 
 
 
 時間にして、ほんの二ヶ月余り。
 
「賈駆はアテに出来ん。だが、別に協力関係である必然性も無い」
 
 たったそれだけの時間が、
 
「ボクが啖呵を切ったくらいで、連中が諦めるとは思えない」
 
 それぞれの、様々な思惑を秘めて、
 
「董卓という人物、そしてそれに固執する何進の感情を利用してやればいい」
 
 駆けるように過ぎていく。
 
「月は優しいから、賛成してくれないと思うけど……」
 
 黄巾の乱という、きっかけを経て。
 
「なに、我らは霊帝の側近ぞ。後で何を騒がれようと、手出しなど出来まいて」
 
 群雄割拠の時代、その
最初の火種が、
 
「ボクの覚悟を舐めた事、たっぷり後悔させてやる」
 
 点る。
 
 
 
 
「なに!? それは真か、張譲よ!」
 
「はい、董卓も将軍と日々を過ごすうちに、将軍の魅力に気付いたというわけでございましょう」
 
 大将軍・何進の許に訪れた十常侍の一人、張譲。
 
 その用向きは、婚礼の祝辞。董卓が、ついに何進の求婚を受け入れた、という旨を伝えに来たという事だ。
 
「いやぁ、真にめでたい。つきましてはこの張譲、婚礼の準備を一手にお任せして頂く所存ですが、如何か?」
 
「おぉっ! 重ね重ねすまんな、張譲。……そうか、とうとう“月”が……」
 
 歓喜に酔ったように、ふらふらと部屋の中を歩き回る何進に、張譲はさらに言葉を重ねた。
 
「それで、ですね。董卓は婚礼まで、将軍と顔を合わせるのが恥ずかしい、と言っておりましたので……」
 
「ふむぅ、そうか。なるほど、婚礼となると照れもするか。相変わらず愛いやつよ」
 
 月、という董卓の真名は、本人から呼ぶように許されたわけではない。
 
 董卓本人がいない時、何進は彼女を真名で呼んでいた。
 
「それで! 婚礼はいつになるのだ!? 長くなど待ってはおれぬぞ!」
 
「そう仰ると思っておりましたので、お望みとあらば、明日にでも」
 
「おぉ! おぬしは本当に気の利く男よな、張譲よ!」
 
 年甲斐もなく子供のようにはしゃぐ何進を見て、張譲は内心でほくそ笑む。
 
 
 
 
「ふふっ……まったく、急かしておいて何だが、緊張してきおったな」
 
 その翌日、董卓の屋敷の前に、一台の馬車が乗り付けていた。
 
 言わずと知れた何進である。婚礼の義、という事もあり、護衛の兵士など十にも満たない。
 
「日頃の控えめな態度も全て、私に対する好意の裏返しだったと考えれば、何ともむず痒い」
 
 馬車を降り、兵を下がらせた何進が、そのまま屋敷の庭へと踏み入る。無論、護衛などという無粋な者の随伴はここまでである。
 
 そして、屋敷の本殿への石段を歩く先に……
 
「おぉ! 張譲、今回は本当に世話になったな!」
 
 見かけた張譲に、上機嫌そのままに話し掛ける何進に、張譲は何も応えない。
 
 何進は、それにも頓着せずに、自身の欲望の対象を探す。
 
「それで、月はどこか!? ああそうか、中なのだな。準備にもさぞ手間をかけたのだろう?」
 
 そんな、あまりにも暢気な何進の姿に、もはや張譲は失笑を隠さない。
 
「どこまでも、愚かな男よ……」
 
 サッと上げた張譲の右手に応えて、何十もの兵が屋敷から飛び出す。そして張譲は大急ぎで後ろに下がる。
 
「な、何だ……張譲? これは一体……」
 
 ようやくになって蒼白な顔を晒す何進。だが、あまりにも遅すぎた。
 
「殺れ」
 
 その一言と共に、放たれた矢が何本も何進の体に突き刺さる。
 
「ぎ、ぎゃぁあああ!? や、やめろ! 私を誰だと思っている!! よせ、やめで」
 
 そこまでで、言葉は終わる。振り下ろされた剣の一振りによって、恐怖に固まる何進の首が転がった。
 
「無能も過ぎると罪よ。欲深に過ぎて、人形にすらなれぬ出来損ないが」
 
 張譲はそれに唾を吐きかけて、今は別命を与えて遠ざけている、この屋敷の主を思い、口の端を上げる。
 
「さて、優しいばかりで野望のない小娘よ、我らが傀儡となってもらおうか」
 
 この光景そのものが脅しにもなる、あの気弱な少女にはいい薬になるだろう、と……“愚かにも”張譲は考えていた。
 
 
 
 
「……………」
 
 城で内政を任されている董卓を置いて、屋敷からさほど離れていない野に、中隊を率いる少女が在る。
 
 姓は賈、名は駆、字は文和。
 
「(ボクがいくら汚れたとしても……)」
 
 この日のため、十常侍が企んでいた全ては、少女の掌の上の出来事でもあった。
 
「(月だけは、絶対ボクが守るから……)」
 
 私欲に溺れるだけなのは、何進のみならず、十常侍とて同じこと。所詮、その程度の策謀しか練れはしない。
 
 それに、自分たちに刃が向けられるとはまるで考えていない所も、何進と何も変わらない。
 
「全軍前進! 敵は帝を拝して敬わず、王都を私欲のままに荒らす賊徒・十常侍っ!」
 
 
 この日、何進、そして張譲を含めた全ての十常寺がその命を落とす。
 
 “反逆を目論んでいた”彼らの企みを未然に防いだ賈駆、その主たる董卓は、帝きっての拝命を賜り、王都・洛陽の実権を握るに至った。
 
 
 
 
(あとがき)
 新幕スタート。いきなり一刀のかの字も出ませんでしたが。次回から一刀サイドに戻る予定です。
 いつも皆様に読んでくれたり感想もらったりなどが活力になっております。展開の遅い本作ですが、今後ともよろしくお願いします。
 
 



[12267] 二章・『張角の足跡』
Name: 水虫◆70917372 ID:2f449fc8
Date: 2009/10/23 16:06
 
「あ〜、ええ天気やなぁ〜……」
 
「そーですねー……」
 
 白々しい霞のぼやきに、敢えてノった風が、馬上で器用にすやすやと寝息を立てる。
 
「終わった事を何度も繰り返し指摘するのは、少々くどいですよ?」
 
「そりゃそうやねんけど〜……」
 
 稟は、霞の意図を知った上でストレートに指摘する。
 
「張遼、何を沈んでいる? 我々は黄巾の賊どもの主軍を撃破し、その残党を隅々まで狩り尽くした。首領・張角こそ討ち損じたものの、実質この乱の鎮圧の花形であろうが」
 
「……お前は暴れられりゃ何でもええだけやろ」
 
「うむ!」
 
 ……うむ! じゃないよ、華雄。馬鹿にされた事に気付いてないだろ。
 
 にしても……
 
「張角、ねぇ……」
 
 霞たち宛てに配布されてきていた張角の姿絵に目をやる。
 
 華琳の軍が張角を討ち取った、って聞いてから、気になっていた事ではあったのだ。
 
「ま、すぐわかるか」
 
「何の事だ? 一刀」
 
「いや、別に」
 
 訝しげに俺を見る星をスルー、今話しても仕方ないし。
 
「まあ、なんだ。ごめんな霞。俺たちに合わせたばっかりに」
 
「……そない直に謝られると、言い返せんやん」
 
 黄巾党主軍に大勝した後の残党狩りで、霞たちには結構俺の意向に合わせてもらったりしたのだ。
 
 本来なら主軍に勝った後、一度洛陽に戻るはずが、“官軍直々に”大陸のあちこち回ったせいで、予定より大幅に日数を食い、おまけにようやく洛陽に着いた途端、十常侍とか言うのに、門前払い同然に陳留への名代にされた。
 
 人使いが荒いにもほどがあるし、霞が愚図るのも無理はない。
 
「それに、『俺たちだけでも行く』って言われて、『はいそーですか』とも言えんしなぁ。何より、うちの大将が“それ”や」
 
 さりげなく結構嬉しい事を言ってくれた霞がジト目で指すのは、俺の、馬の手綱を握る両腕の……間。
 
「……すぴー……すぴー……」
 
 泣く子も黙る『人中の呂布』……のはずのおねむな恋である。
 
 馬に二人乗りで、横座りの体勢で俺に体を預けて、すやすやと幸せそうに眠っている。
 
 ホント、何でここまで懐かれてんだ? いや、恋に理屈を求めたら負けか。
 
 霞たちが一度洛陽に戻ろうとして別れそうになった時も、「……一緒」の一言で全員を黙らせた強者だしな。
 
「恋さん、本当にご主人様によく懐いてますね……」
 
「雛里、懐くなどと犬猫のように言うものではないわよ」
 
「犬猫ではないか」
 
 雛里、稟、星と、お馴染みのやり取り。自分の失言に気付いた雛里があの魔法帽子で顔を隠すのもいつも通りだ。
 
「そ・れ・よ・り、一刀の方が残念なんとちゃうん?」
 
 さっきまでムチャクチャダレてたくせに、いきなり猫耳的なものを生やして眼を輝かせる霞。
 
「王都で催される戦勝の宴! 黄巾の討伐に乗り出した各諸公を労う宴! 来るんやろうなぁ、来たんやろうなぁ?」
 
 腹立つな、こいつ。
 
「パッチリおめめの桃色頭、気になるあの娘に会えたかも知れねえよなぁ?」
 
 “風は寝たまま”、宝慧がいらん事を言う。こいつも腹立つな。
 
「我らが主は大層彼の御仁にご執心でありましたからなぁ。北郷一刀殿?」
 
 敬語ですか星さん、そうですか。
 
「お前らホントいい加減にしろよ。半年も前のネタだろうが、いつまで引っ張ってんの」
 
 ロミオとジュリエット的な心境で、結構気にしてるんだぞ? こっちは。
 
 それはともかく、今の強引な話題転換で、霞の愚図ってる本音が見えた気がする。
 
「要するに、霞は酒呑んでパァーっとやりたいんだな?」
 
「そーなんよー! お楽しみを次から次に引き延ばされてへこんでんねん!」
 
 言われてすぐ開き直るなら、初めからそう言えばいいものを。
 
「……確かに、もう何ヵ月酒を飲んでおらん事か」
 
「しみじみと賛成するね、星」
 
「酒は人生の伴だからな。メンマも久しく食しておらんし」
 
「おお! さすが星や、話がわかるわぁ〜! ……メンマはともかく」
 
「……今、最後にボソッと何か聞こえた気がしたが?」
 
「気のせいやろ」
 
 まあ、ずっと転戦生活続けてるしなぁ。皆、やっぱそれなりに疲れてるか。
 
 元気なのは……
 
「………」
 
「ん? 何だ北郷、私の顔に何か付いているか?」
 
 こいつ(華雄)くらいのもんだ。
 
「見えてきましたね」
 
「ん?」
 
 稟の声に誘われて前方に目をやれば、この辺りでは一際栄える都市。
 
 華琳の治める地……陳留。
 
 
 
 
 はてさて、大将軍様の名代として遣わされた恋(一応)。その副官である霞や華雄は当然同行し、後の義勇軍の皆は街でのんびり時間を潰してる。
 
 ………で、
 
「一刀、何でついて来たん?」
 
 恋の手を引いて連れてきている俺。
 
「ダメか?」
 
「いや、恋や華雄の手綱握るん大変やし、むしろ助かるんやけど」
 
「ちょっと待て! 恋はともかくこの私が手綱など……」
 
 怒る華雄はスルーしつつ、
 
「まあ、ちょっと気になる事があったから。それに、一応曹操とは面識もあるんだよ」
 
 俺たちは、陳留の城の広間へと案内されていた。前方で、案内役の猫耳頭巾が、警戒心剥き出しにこっち……ってか俺を見ている。
 
 相変わらずだな、桂花。いや、別人なんだからこの表現はおかしいか。もしかしたら華琳みたくリニューアルしてるかとちょっとだけ期待したんだが、どうやら変わらんらしい。
 
 そして、広間に到着。真ん中に堂々と立つ華琳、その脇に春蘭、秋蘭、季衣……知らない女の子が三人。
 
「……北郷?」
 
「久しぶり」
 
 俺を見た途端、華琳の眉がはね上がる。春蘭、秋蘭も似たような反応だ。
 
 まあ、都からの遣い……としか聞いてなかっただろうからな。
 
「……そう。あれからずっと官軍と共に行動していたのね。まさかこんな形で再会するとは思わなかったわ」
 
「俺もだよ」
 
 そんな短いやり取りの後、すぐに華琳の目は移る……霞に。
 
「あなたが、何進将軍の名代?」
 
「や、ウチは名代の副官。名代はそっちの呂布や」
 
 そして霞が指差すのは、俺の斜め後ろ。
 
「………?」
 
 俺の袖をつまんでいる、未だに状況を理解してない……というかどうでも良さそうな恋。
 
 まあ、これが将軍の名代なんて、誰も思わないよなぁ。
 
「…………」
 
「…………」
 
 何も言わないし。これじゃ会話にならんぞ。
 
「……一刀、通訳頼むわ」
 
「俺かよっ!?」
 
 しかも、通訳とは言わんと思うぞ?
 
「えー……と、今回の黄巾党首魁・張角の討伐の手柄を称えて……」
 
 やべ、何だっけ?
 
「西園八校尉の一人」
 
「それだ。それに任命するという事であります」
 
 霞のフォローに救われつつ何とか言え……
 
『…………』
 
 やべえ、確実に怒ってる。華琳のみならず他の皆さまも。
 
 や、やっぱり無礼な感じだったのか! だから俺には無理だったんだって。霞、何その涼しい顔!?
 
「………一刀、おなか減った」
 
 恋ーーーっ!? 火に油を注がないで!
 
「それで、張角の首級はどこだ?」
 
 華雄も空気読め! とはいえ、一番気になってた事ではある。
 
 あの姿絵。身長三メートルはあろうかというヒゲモジャの大男。しかもご丁寧に、八本の腕と五本の足、おまけに角としっぽまでお召しになっていらっしゃっていた。
 
 あんなでたらめな姿絵で、張角本人が見つけられるわけがない。本人の姿がわからなけりゃ、影武者なんか立て放題だ。
 
 けど実際に華琳は張角を討った、と宣言した。本人だって確証も無しに、華琳がそんないい加減な真似をするとも思えないから、華琳はどうにかして張角本人の外見の特徴の情報を知った事になる。
 
 気になるのは、ここからだ。
 
「は、張角は首級を奪われることを怖れ、炎の中に消えました。もはや生きてはおりますまい」
 
 ……外見的証拠は無し、ね。
 
「ふんっ! 首級がないとは片手落痛っ!? 北郷貴様何をするかっ!」
 
「これ以上話をややこしくするなっ! 頼むから!」
 
 そんなに俺の死亡フラグを積み重ねたいのか、お前は!?
 
「えっと、曹操。色々と悪かった。それで、張角って……これ?」
 
 とりあえず、色々失礼だったのを謝り、例の姿絵を広げて見せる。
 
「……ええ、噂が一人歩きして少々誇張表現になっていたけれど、特徴的な髭をたくわえた大男だったわ」
 
 あの姿絵の通り、ね。おまけに春蘭が不思議そうな顔してる。……嘘か。
 
 これで決定だ。わざわざ嘘をつくって事は、張角は生きてる。
 
 けど、華琳が足のつくような真似をするわけもないから、もう黄巾の乱みたいな事が起こらないようにはしたはずだ。
 
「一刀?」
 
「いや、何でもない」
 
 考えてみれば、華琳が民の苦しむような事を認めるはずもない。確認の必要もなかったな。
 
「では、色々と失礼を致しましたが、これで失礼させて頂きます」
 
 それだけ言って、俺は逃げるようにくるりと踵を返す。恋の手を引いて、華雄は霞に任せて、さっさと退散……
「待って」
 
 出来なかった。
 
「呂将軍。そちらの北郷一刀に、少しの間時間を取らせては頂けないでしょうか」
 
 何ですと?
 
「………やだ」
 
 そして即答。だが、霞がそんな恋を無視して会話を進める。
 
「少しの間て?」
 
「半刻ほどで構いません」
 
 ていうか、俺本人に訊いて欲しいんだけど。
 
「……余計な真似、しいなや」
 
「は……」
 
 しかも、念を押したとはいえ許可した!?
 
「……これから、一刀と、ごはん食べる」
 
 よし、いいぞ! 頑張れ恋!
 
「ウチらはその間、ごはん食べたいねんけど……」
 
「あ、はい! 案内します!」
 
 季衣が、霞の言葉に、華琳に目で確認しあってから、了解する。食堂に案内するつもりらしい。
 
「………♪」
 
 俺<食べ物の図式が成立したっ!?
 
 こうなったら残る頼みの綱は華雄のみ……
 
「ふんっ、ただの付き人のくせにしゃしゃり出るからそうなる」
 
 さっき叩くんじゃなかった!
 
 
 季衣に連れられてスタスタと出ていく恋、霞、華雄。
 
 一人ぽつんと取り残されし俺。
 
「…………」
 
「…………」
 
「…………」
 
 視線が肌に刺さって痛い。主に春蘭の。
 
「悪いわね。少し付き合って頂戴」
 
 そんな場の空気を無視して、華琳も扉に向かう。付いてこいって事ですか。
 
「……いきなり首刎ねたりしない?」
 
「……あなたは私の事を何だと思っているの?」
 
 
 華琳の呆れたような呟きに、俺は不安と一縷の望みを等量に感じていた。
 
 
 
 
(あとがき)
 前回の話ですが、何進はテレビ版だと女、とのご指摘を受け、説明不足かと思い、後れ馳せながら説明を。
 テレビ版は一刀がいないらしいので見てはいないのですが、何進が女で登場したらしいのは知っています。ただ、見てないから口調や性格もわからず。
 何より原作では男となっておりますので、本作の何進は男と相成りました。
 まあ、既に退場したキャラですけども。
 
 何か、朝起きたら携帯の表示がやけにわかりにくくなってました。慣れるまで大変そうです。
 
 



[12267] 三章・『王の語らい』
Name: 水虫◆70917372 ID:1151f3d0
Date: 2010/01/09 07:10
 
 陳留の城の、庭の隅に、雨よけ日よけの屋根だけが四本の石柱に支えられているという簡素な造りの休憩所が設けられている。
 
 シンプルだが、決して質素なわけではない。かといって過剰な、いわゆる成金趣味な装飾もない、絶妙なバランスの、センスの良い造りである。
 
 その休憩所の、机に向かい合って座る……
 
「………」
 
「………」
 
 俺と華琳。護衛は無し、ただし、傍目には。
 
「俺みたいなのと、二人だけで会ってて大丈夫なのか?」
 
「私が悲鳴を上げてから、助けが来るまでに一呼吸もかからないわよ。その間に何か出来る自信があるなら……試してみる?」
 
 警戒するどころか、余裕まで見せていらっしゃる。察するに……
 
「やっぱり、そこの茂みに、夏侯惇あたりが潜んでたりする?」
 
「あら、武術の心得があるようには見えなかったけど、気配くらいはわかるみたいね」
 
 気配読んだ違う。行動パターンをリサーチしただけでございます。つーか、やっぱり居たのか。
 
「安心なさい。あの距離なら、会話までは聞こえないわよ」
 
 そうか、聞こえないのか。けど、華琳がそこを考慮してくれるとは思わなかった。
 
「あの子たちがいると、落ち着いて話も出来ないもの」
 
「それだけ愛されてる、って事だろ?」
 
「そういうこと」
 
 相変わらず、立ち振舞いの全てから余裕と貫禄がにじみ出ている。
 
 『前』と違って、過度の男嫌いは治ってるらしいけど、“味方じゃないと”話してるだけで気圧されそうになるんだよな。
 
「にしても、呂布とか張遼とか、偉いんだな。曹操が敬語使ってたし」
 
 ひとまず、軽い口調で話題転換を試みて、
 
「………」
 
 呆れ顔を見せられた。また何かしたのか? 俺は。
 
「あなた……そんな事も知らずに同行してたわけ?」
 
「いや、何となく偉いんだろうなぁ〜とは思ってたんだけど、曹操があんな態度取るほどとは思ってなかったって言うか……」
 
 頬杖を付いてた右手からズルッと滑り、机に頭を打つ華琳。ちょっと可愛い。
 
「何をどう勘違いしたのか知らないけれど、朝廷での地位で言えば、私は彼女たちの足下にも及ばないわよ」
 
「マジでっ!?」
 
 そんなに偉いのか!? いや、俺の中のイメージで曹操=超偉いって図式が極端だっただけ、か? 三國志の影響……先入観?
 
「はぁ……その様子だと、官軍に媚を売って出世を図った、というわけではないようね。さっきも華雄将軍を叩いてたし、あんな無礼な媚の売り方もないか……。というか、その『まじ』とは何? また天界の言葉?」
 
 ……何か、意外によく喋るな。もっと警戒されてるかと思ってたけど。
 
「ん〜……、まあ出世に役立つなら嬉しいかなとは思ってるけど、ほとんど成り行きだよ」
 
 ぶっちゃけると、完全に友達感覚だし。
 
「まあ、元々住んでた世界自体違うんだし。色々と感覚が違うのも仕方ないって事で」
 
「……開き直らないでくれる?」
 
 何か疲れてらっしゃる。けど、華琳のペースに巻き込まれてたらこっちの身が保ちそうにないので、悪しからず。
 
「まあ、いいわ。……本題に入ってもいい?」
 
 途端、華琳の眼の色が変わり、ギラつく刃物のように俺を指す。
 
「……どうぞ」
 
 やっぱ、世間話しに呼んだわけじゃないか。
 
「どこまで、気付いているの?」
 
 一瞬、本気で何の事かわからず、反射的に「何が?」と返しそうになったが、ちょっと頑張って頭を捻り……
 
「(あっ……!)」
 
 先ほどの、張角の話題だと気付く。
 
「……バレてた?」
 
「それはこっちの台詞でしょう!」
 
 弾かれるように、柄にもなく大声上げて立ち上がった華琳は、ハッと我に帰って着席する。
 
 オーバーアクションは勘弁してくれ。今、あっちの茂みが動いたぞ?
 
 ってか、今の発言はお互い自爆なんじゃなかろうか?
 
「ゴホンッ……とにかく、あなたが気付いた事について、聞かせてもらえないかしら?」
 
 やっぱバレてた。俺が顔に出やすいのか、華琳の洞察力が半端ないのか、もしくはその両方か。
 
「曹操が首級を“取れなかった”っていうのも違和感あるし、あの姿絵の通りってのも変な話だしね」
 
 もう、見抜かれてしまってる以上、言ってしまう事にする。華琳が、霞に念を押された上で俺をどうこうして、自滅するような愚を犯すとも思えない。
 
「それから、夏侯惇をああいう場面に出さない方がいいよ」
 
「はぁ……、ご忠告、ありがたく受け取らせてもらうわよ」
 
 額を押さえてため息をつく華琳。気持ちはわかるぞ、俺も華雄と半年一緒に行動してるからな。
 
「……それで? 何故あの場で、その事を口にしなかったの?」
 
「う〜……ん。まあ、何ていうか、曹操に任せておけば問題ないかな、って。もちろん、後から言うつもりもないよ」
 
 元々言う気なんか無かったけど、今「後から言います」なんて言ったら、サクッとやられてしまう可能性も否定出来ない。
 
「………」
 
 「信用出来ないわ」とか、「何を企んでいるの?」とか返ってくるかと思っていたら、無言。
 
 警戒……とも少し違う。何かうまく表現出来ない変な視線を向けてくる。
 
「……まあいいわ、信じましょう」
 
 何が「まあいい」のか、視線の意味と、会話の前後が微妙に噛み合ってない気がした。
 
 ただ、そこを深く突っ込むのは……俺にとっても都合が悪い、そんな予感があった。
 
「ただ、覚えていなさい、北郷一刀。王とは常に……孤独なものよ」
 
 その言葉の裏に、俺が、華琳を信用して張角の事を任せた、その部分を責められたような気がした。
 
 そういえば、前の世界でも同じこと、言われたな。
 
「それは曹操の主観で考えた王、だろ」
 
 今でも変わらぬ解を、こういう部分は変わらない華琳に言って、
 
「ッ……!?」
 
「曹操?」
 
 いきなり、片手で頭を押さえてよろめいた。何だ?
 
「貴様っ! 華琳様に何をした!?」
 
 などと、俺が疑問を抱き、華琳に訊く余裕も無く、忠犬春蘭が、主の異変に気付いて茂みから飛び出してくる。
 
「おやめなさい! 春蘭っ!!」
 
「「「っ……!」」」
 
 その怒声に、俺も、春蘭も、さりげなく居たらしい桂花も、動きを止める。
 
「別に北郷が何かしたわけではないわ。会合に割って入る事は許さない、下がりなさい」
 
 有無を言わさぬその物言いには、先ほどの異変など欠片も見当たらない。大丈夫、みたいだな。
 
 すごすごと茂みに戻っていく春蘭と桂花に、噛み付きそうな眼で睨まれた。
 
「……せっかくの忠告も、意味がなかったようで残念だわ」
 
 全然残念そうじゃない、むしろ嬉しそうな言葉。先ほどの会話の続きだと、遅れて気付く。
 
「気持ちだけ、ありがたく受け取っておくよ」
 
「いいわよ。馴れ合うつもりはないから」
 
 
 鋭く言ったそれは、事実上の宣戦布告のようにも聞こえた。
 
 俺への、じゃない。この先に広がる乱世への。
 
「……この黄巾の乱で、官はその無力を天下に露呈した」
 
 俺が、
 
「しかし、それを指をくわえて見ている者ばかりではない」
 
 華琳が、
 
「この先、この大陸は覇権を巡る群雄割拠の時代に入る」
 
 自然と、連ねるように言葉を紡ぐ。
 
 伝えたい事は、言葉以上に伝わった。そんな確信がある。きっと、華琳もそうだろう。
 
「あなたは中々面白いから、“その時”生きていたとしたら、慰みものにでもしてあげるわよ」
 
 ……おいおい、マジでこいつは「男に触られたら殺してしまうかも知れない」とか言ってた華琳と、世界が違うとはいえ同一人物なのか? などという小さな疑問は、すぐに消えた。
 
「魅力的な申し出だけど、早々俺も、潔くはなれないかな」
 
 覇王たる少女に感化されるように、気分が昂揚しているのがわかった。
 
「………」
 
「………」
 
 そのまま、ただ互いに瞳を見つめ合うだけの、決して空虚ではない沈黙は、食事を終えた恋たちが迎えに来るまで続いた。
 
 
 
 
『王とは常に……孤独なものよ』
 
 北郷一刀に、私はそう言った。
 
 部下はおろか、味方ですらない……そうわかっているはずの私を信用して張角の処分を任せるなど、愚行以外の何でもない。
 
 他人を信じる。それは綺麗な事。人として正しいこと。でも、王にそれは許されない。
 
 信じるのは、部下ではない。他者ではない。“己の目”を信じる。
 
 優れた名器、自身の矛にも盾にもなる人材を見いだす、己の目だけを信じる。
 
 なのに……北郷の在り方を、不快に感じなかった。間違いなく、今の自分に対する否定であったのに。
 
 ……おかしな幻覚まで、見える始末。本当に調子が狂う。
 
 私や春蘭のことを、やけに理解している言動も気に掛かる。でも、それ以上に気に掛かるのは、今の自分だ。
 
「………」
 
 他者を、北郷を信じない。その考えに即するならば、すぐさま張三姉妹を処分して、追及を逃れられるように仕組むべきだ。
 
 ……でも、私はそうはしないだろう。
 
 そこに、誇りに懸けて約束を交わしたという以外の理由も感じて。
 
「信じたのは、あくまでも私の、あなたを見る目よ。北郷一刀」
 
 そういう風に、自分で無理矢理結論づけた。
 
 
(あとがき)
 どーも悪いクセですね。書いてるうちにのめり込んで、一場面をやたら丁寧に書いて、展開が遅れるのは。
 本当ならもうちょっと進むはずでしたが、これだけになりました。
 



[12267] 四章・『白装束の行方』
Name: 水虫◆70917372 ID:b6f166f9
Date: 2009/10/25 16:02
 
 華琳との話について、あれこれと詮索してくる皆の追及をのらりくらりと受け流し、今は馬上の俺。
 
「もうすぐ都やぁ〜、酒が飲める〜♪」
 
 霞、陳留でも飲んだろうに。
 
「俺の事はいいけど、皆は楽しんだ?」
 
「うむ! 久方ぶりにメンマを肴に酒を飲んでな」
 
 お前は大体わかってる。にしても、無邪気に笑ってる所を見ると、素直に可愛いと思う。……喜ぶ内容があれだが。
 
「……私は、本屋さんで、今まで買えなかった軍略の本……まとめて買えました」
 
 勉強熱心だな、雛里は。嬉しそうにしてからに。けど、どうせなら洛陽で買った方がよかったんじゃないか、というのは言わないのが吉か。
 
「私は雛里の付き添いに。少々危なっかしかったものですから」
 
 ……エロ本目当てじゃない、と信じてるぞ? 稟。
 
「街の治安、市の流れ、人々の笑顔。為政者の善政が透けて見えるようでしたねー」
 
 そして、さりげなく見るべき所をしっかり見ている風。
 
 頭が下がるぜ。「曹操様に、風の主たる器を見たのですよー」とか言いださないか心配だったが。
 
 
 そんな、一時の休息について話しながら……
 
「とうちゃーーく!」
 
 霞が、洛陽の門で元気よく叫んだ。その声に、俺の胸元の恋が身をよじり、目を覚ます。
 
 ……洛陽か。黄巾党討伐の功績、これからの足掛かり、という大々的な目的があるにせよ、とりあえずは……
 
「……恋、おかしな気配とか感じたりしない?」
 
 あの白装束のやつらの事が先決だ。時期的に、そろそろ暗躍してる可能性はある。
 
 恋なら、奴らの気配とかわかりそうな気がする。
 
「………おかしな、気配?」
 
 ああ、そうか。いきなりそんな漠然と言われてもわからんよな。
 
「ほら、あれ。何か全身白ずくめで、同じような事ばっか繰り返し言うようなやつの気配?」
 
 何だそれ、自分で言ってて意味わからなくなってきた。
 
「白……」
 
 言って、恋は無造作にビシッと指差す。……星を。
 
「いや、星じゃなくて。確かに全身白いけども」
 
「ん? 私がどうかしたのか?」
 
 指を差され、会話に加わろうとする星に、
 
「変」
 
 ビシッと告げて、
 
「変」
 
 さらに、アメをくわえる風に、
 
「変」
 
 霞、華雄、稟、次々に指差して……
 
「へ……」
 
 雛里を見て、言葉を止め……そして頭を撫でた。
 
 つーか、恋、いきなり何の暴露大会?
 
 恋に変と認識された皆さまの、怒りの視線の矛先は、何故か俺だし。
 
「……一刀よ、また恋に妙なことを吹き込んだのか?」
 
「“また”って何!? 俺はただ白装束の奴らの事を訊いただけだっての!」
 
 俺の言葉に、一同視線を星に集中……だから違うってば!
 
「白……? ああ、一刀またそないな事言っとるん?」
 
 一度相談した霞が、その部分に反応してくる。確かに、俺以外から見りゃおかしな主張だってわかるけどさ。
 
「また?」
 
「ああ、一刀、会ったばっかりの時にも似たような事言うてん。何や、一刀は白い服が嫌いなんか? 自分も上半身、白いキラキラやん」
 
 眼鏡を指でくいっと上げた稟に、霞が余計なことまで口走る。
 
「白くて何が悪い!?」
 
 何故か星が過剰反応するし。お前、そんな拘りあったんかい。大体、俺の好みだったとしても関係ないだろうに。
 
「だーかーら! 別に白い服が嫌いとか恨みがあるとかじゃなくて! 全身白ずくめの悪党に心当たりがあるって言うか……」
「言うに事欠いて……この趙子龍が悪党と言うかっ!」
 
 だからちげぇええ!!
 
 いい加減そこから離れろ!
 
 などとツッコミを入れる暇もなく、星は二人乗りの馬上から器用に俺だけを飛び蹴りで蹴落とす(恋は無事)。
 
「まさか、一年以上も共に旅を続けていて……そんな風に見られていようとは……」
 
「だから誤解だぁあ!」
 
 わなわなと震える星。華蝶仮面の事といい、こいつにとってはそういうのが結構重要なのか?
 
「よもや、悪党などと……」
 
「違う! 違うってば、星の事じゃなくて!」
 
 掴みかかって来ない当たりが、逆に不気味である。
 
 つーか、何でこんなわけわからん理由で怒られにゃならんのだ。
 
 そんな、俺(と星?)にとっては無意味に深刻で、他の皆(雛里と恋除く)からすればさぞ面白かろうやり取りは、唐突に終わりを告げる。
 
「……何やってんの? あんた達」
 
 呆れかえった声に目を向ければ……
 
「あ………」
 
 ジト目でこちらを睨む、緑の三つ編み眼鏡と、その少女に並ぶ、菫色の髪の少女を見つけた。
 
 
 
 
「いやー、月も賈駆っちも、出迎えご苦労さんやな〜♪」
 
「別に、出迎えに来たんじゃないわよ。市の視察に来たら、たまたまあなた達を見つけただけ。……で、あの人達は?」
 
 前方を歩く霞、詠、月、華雄。官軍で、恋だけが俺の横にいる。
 
 しかし……街や月たちの様子からして、少なくとも今はまだ白装束が暗躍してる気配はない。
 
 待てよ……? 前の世界で俺が詠に嫌われてたのって、俺を狙った白装束のやつらの手で、月を暴君にされたから……だよな。
 
 だったら、今回白装束の暗躍を阻止出来れば、結構フレンドリーに出来るのではなかろうか?(そもそも、今回も白装束が洛陽に出る確証もないし)
 
 そんな事を考えていると……
 
「ああ、最近噂の『天の御遣い』や。ウチらの討伐で、力貸してもらってん」
 
「あの、噂……?」
 
 メチャクチャ警戒心に溢れた視線で見られた。そりゃ胡散臭いのはわかるけどさ。
 
「ま、そう目くじら立てんといてや。あれでも恋のお気に入りやさかいな」
 
「……それは見ればわかるわよ」
 
 剣呑な気配を察して、霞がフォローを入れてくれる。まあ、確かに恋は見ればわかるか。
 
 ……にしても、何となく、黙って付いて行く、みたいな感じに落ち着いてるな。
 
 そんな中、霞が俺に気を遣ってか、先ほどの話題を出してくれた。
 
「賈駆っち、今洛陽に、白ずくめの怪しげな集団とか出たりしとる?」
 
「……白? 何の話か知らないけど、ボクや月の統治する街で、怪しげな集団なんて出させないわよ」
 
 とりあえず一安心、か。……あれ? 何か今、違和感が。
 
「え、詠ちゃん……」
 
 詠の発言に、困ったようにおずおずと声を掛ける月を見て、違和感をはっきり掴む。
 
 それは霞も同様らしい。
 
「……今、“月が統治する”、って言うた?」
 
 そうだ。月が洛陽の太守、だと言うなら、半年前に助けた大将軍様はどうした?
 
「……何進は死んだわ。今この洛陽は、月が治めているのよ」
 
 ………何ですと?
 
「し、死んだて何やねん。何で一人で尻尾巻いて逃げよった何進が死ぬんよ? 大体、何で月なん? 十常侍は!?」
 
 何か、細かい事情はわからんが、結構不穏な予感が募る。月の顔がどんどん青ざめてるのが、特に。
 
「そうだ! あんな豚などどうでもいいが、納得いくように説明しろ!」
 
「……ここではちょっと。城で話すわ」
 
 会話を端的に切り上げる詠。懸命な判断だな。あと華雄、さりげなくぶっちゃけるな。ここは洛陽だぞ?
 
 シュタタタッ!!
 
「ん?」
 
 何か、シリアスな空気を文字通り切り裂くような、軽快な足音が聞こえて……
 
「わうっ!」
 
「ぶっ!?」
 
 俺の顔面に、柔らかな獣毛が貼りついた。両脇を抱えてひっぺがしてみれば、予想通りの、ラブリーな三角耳がそこにいた。
 
「……よう」
 
「ハッ、ハッ、ハッ!」
 
 息切れしそうなほど興奮して、尻尾をフリフリ。
 
 やるなセキト。立ってる俺の顔面の高さまで跳躍するとは、俺の知る限り、ベスト記録の更新だ。
 
 伊達にあの『赤兎馬』の名前を取ってないな。
 
「セキトー、残念ながら飛び付く相手を間違ってるぜ?」
 
 言いつつ、セキトを恋に渡す。ちなみに、恋からセキトの事は聞いてるし、この行動は全然おかしい所はないはずだ。
 
「……この子が、セキト」
 
 俺が名前呼んだにも関わらず、紹介してくれる恋の腕の中で……セキトが未だに俺に飛び付こうともがいていた。
 
 ……何なんだ? 俺は世界を渡る時に、動物(恋も含む)に好かれるスキルでも修得したのか?
 
「か、可愛い……♪」
 
「ず、随分、一刀殿に懐いていますね」
 
「いつかの猫の時といい、恋ちゃんの時といい、お兄さんにはそういう才能があるのかも知れませんねー」
 
「……肉にでも見えているのではないか?」
 
 皆、それぞれにリアクションを取る中、星がボソッと毒をはく。……まだ根に持ってるよ。あとでフォローしとかないと、俺に鍛練という名の処刑が下される。
 
 そんな、セキトがもたらした和やかな空気を粉々に粉砕するように、
 
「ふんっぬーーーー!!」
 
 ドゴゴゴゴッ! と、大地を揺るがす地鳴りと、形容し難い音が響き渡る。
 
「な、何やこれ!?」
 
「ボクに訊かないでよ!?」
 
「お、音ではない。これは……人の、声!?」
 
「こ、こんな人の声が、あるのですか!?」
 
 皆、同じように混乱する中で、荒れ狂う砂煙が一直線にこっちに向かってくるのが見える。
 
「ごぉお〜〜〜……」
 
 詠が月を連れて、脇に下がる。星が、霞が、華雄が、各々の武器を構える。
 
「しゅぅ〜〜〜……」
 
 砂煙の原因、その姿が見えた。風、稟、雛里を後ろに下がらせる。
 
「じ〜〜〜……」
 
「何だ、貴様はぁ!?」
 
 迫る“それ”に、華雄の戦斧が唸りを上げて……
 
「なあっ!?」
 
 次の瞬間には、攻撃をしたはずの華雄が宙を舞う。まるで合気道だ。
 
「んん〜〜〜……」
 
「下がれ! 一刀っ!」
 
「ウチが相手や!」
 
 間髪入れず、左右から繰り出された星の刺突と霞の斬撃が……
 
「「っ!?」」
 
 上体を沈め、一気に加速した“それ”に躱され、ガキィッとぶつかる。
 
「さまぁ〜〜〜!!」
 
 躱し、そのまま俺に向かってくる絶望という名の肉厚を前に、俺は全てを諦めかけた……瞬間。
 
『っ……!』
 
 文字通り、時が止まったかのように、場の全てが静止した。
 
「近づくな」
 
「れ、恋……」
 
 恋の、俺の前方の空間を薙いだ、方天画戟の一閃によって。
 
「し、しどい、しどいわ皆して。私はただ涙の再会を喜ぼうとしただけなのに〜〜〜!!」
 
「……泣くな、マジで。キモいから」
 
 本来なら、泣きながら喜ぶ場面のはずの、『前の世界』の知己との再会。
 
 それを何で恐怖と呆れの感情で迎えねばならないのか。泣きたいのはこっちだ。
 
 こうして、俺は前の世界の記憶を持つ……おそらくは唯一の味方。筋肉の踊りこ・貂蝉との再会を果たした。
 
 
 
 
(あとがき)
 前回の感想で、読者の皆様からたくさんのフォロー(?)を頂きまして、ありがとうございます。
 今まで通りに、一場面一場面を薄くしないようにして進めて行こうと思います。
 
 



[12267] 五章・『真実』
Name: 水虫◆70917372 ID:679563bd
Date: 2009/10/26 08:48
 
 とりあえず、霞たちも長い転戦を終え、色々と手続きもあるらしいし、詠の言っていた話も、俺たちが聞いていい話ではないようだ。
 
 と、いうわけで。
 
「うふふ♪ ご主人様が二人きりでお茶にお誘いしてくれちゃうな・ん・て☆ これはもう期待しちゃっていいのかしら、期待しちゃうしかないわよねえ?」
 
「何の期待だ。不穏な空気を感じたら即、人を呼ぶからな」
 
 そのために、周りに人がいる茶屋を選んだのだ。……まあ、何だかんだ言って嫌がる相手を襲ったりはしないと思うけど。
 
 そんなわけで、洛陽の茶屋with化け物である。
 
「んもぅ、相変わらず辛辣な物言い! そうやって焦らして焦らしてわたしを高めようって言うんでしょ? イジワルなんだから〜♪」
 
「…………」
 
 前の世界の人間と再会して、うっかり斬り付けたくなるとは思わなかった。一年数ヶ月ぶりの殺意だ。
 
「……はぁ、で? おまえ何で洛陽にいるんだ?」
 
「あらん? 言わなかったかしらん? この外史では、わたしのおうちは洛陽にあるのよん」
 
 ……そういや、初めて会った時も白装束に家壊されて暴れてたんだっけか。
 
「んもう! それよりご主人様ってば強引なんだからぁ。会うなりいきなり剣を突き付けて有無も言わさず連れ込むな・ん・て☆」
 
「あの場でお前が俺を『ご主人様』なんて呼んだら、俺はあらゆる意味で死んでたんだよ」
 
 あの対応もいらん誤解を招きそうではあるが、背に腹はかえられん。あの時はああするしかなかった。
 
 ……つーかあの時の雄叫び、皆に聞こえてないよな?
 
「……はぐらかすのもいい加減にして、そろそろ教えてくれ」
 
 こいつとの久しぶりの掛け合い以上に、大切な事がある。
 
「あの時……何が起こった?」
 
 いきなり放り出された別世界で、俺を主だと慕って、支えてくれた仲間たち。
 
 ……そして、唐突で理不尽な、別れ。
 
『あなたがここまで来た以上、終端はすでに確定してしまった』
 
『この外史はすでに終幕を待つ状態なの……。あとはいかに終わりを迎えるか……それだけの問題』
 
『終幕の始まり……。決められたプロットが遂行されて始まる。これが物語の終端』
 
 
「俺があの鏡に触れる。それがあの外史の終端だった、ってのは理解してる」
 
 人が死ぬのと同じように、物語にも必ず終わりがくる。
 
 こいつらが言っていたのは、そういう事だった。
 
 だけど……
 
「……何で俺を、あの時泰山に誘導した?」
 
 あんな……“終わるための終わり”を、俺は求めてなんかいなかった。
 
 かけがえのない、大切なものを失った傷が、理不尽な世界の在り様への怒りとして、目の前の貂蝉へと向けてしまう。
 
 それを………
 
「俺があの時、鏡に触らなければ! あんな終わり方……」
「したわよ?」
 
 冷めた貂蝉の一言が、断ち切った。
 
「わたしは、左慈と宇吉の、鏡を完全に破壊して消し去る企みを阻止させる。そのためにあなたを泰山に向かわせたのよん」
 
 あの時、左慈と会って突然豹変した時と、同じ。
 
「泰山に向かえばあの外史が消えないなんて、わたしは一言も言ってはいない。わたしの望みは、鏡に触れたご主人様の想念が、新たな外史を作り出す事。完全なる消滅ではなく、『再生』を望んだの」
 
 言葉の一つ一つが、頭に冷や水を浴びせるように染みていく。
 
 結局、消える事が決まっていた。完全な消滅を避ける、俺に出来たのはそれだけ。
 
「そうして生まれたのが、今ここに在る外史」
 
 外史だの、正史だの、そんな事どうでもいい。目の前に在る世界が、俺の現実だ。
 
「だったら……」
 
 そう、この現実。
 
「何で誰も俺の事を覚えてねぇんだよ!? 俺が願って生まれた世界なんだろうが!?」
 
 この現実で味わってきた思いが、今まで抑えつけてきた思いが、吹き出す。口を、止める事が出来ない。
 
「前の世界の大切な仲間の誰一人、ここにはいない。これが俺が望んだ外史だってのか!?」
 
 いつしか、周りの客の視線が俺に集まりだした。俺は、“そんなこと”とは関係なく、涙が出てくる情けない顔を見られたくなくて、俯いた。
 
 新しい世界で生きていく覚悟は、とっくに出来ていたはずなのに……。
 
 けど……、情けないと思う反面、安心もした。俺はまだ、“皆”のために泣けるんだって、わかったから。
 
「勘違いしないでね、あなたは神でも何でもないの。ただの主人公、基点に過ぎない。望むままの世界を作れるわけじゃないわ」
 
 現実を受け入れ切れずに泣く、そんな馬鹿な子供に、容赦なく言葉は浴びせられる。
 
「それでもまだ、外史というものを理解出来ていたから……随分とあなたの想念は反映されているのよ?」
 
「……な、に?」
 
 言われた事の意味がまるでわからず、阿呆のように訊き返す。
 
「前の外史で、元々居た世界の知り合いが一人でもいた? 愛紗ちゃんも朱里ちゃんも鈴々ちゃんも、皆他人だったでしょう?」
 
 元々居た、世界……?
 
「あの外史で、鏡を通してあなたの想念が反映されたから、この世界にはあなたの大切な人たちがいる。ただそれだけのことよん」
 
 ……言われてみれば、前の外史に来ていきなり愛紗と鈴々に主扱いされてたから忘れてたけど、前の方が状況悪かった……んだな。
 
 ちょっと、落ち着いてきた。貂蝉に当たり散らしてもしょうがない。……でも、聞き逃せない単語もあった。
 
「……この世界にも、確かに大切な人は“出来た”よ。でも、“皆”がいたわけじゃない」
 
 ……よし、落ち着いてきた。前の世界が大切で、別れがいくら悲しくても、この世界とは混同しない。
 
 そんな、俺が苦労して身につけた習慣が……
 
「どっちも同じよん」
 
「…………は?」
 
 たった一言で、あまりにあっけなく、崩れた。
 
 同、じ……?
 
「さっき言ったでしょう。この外史には、あの外史のあなたの想念が少なからず反映されているって。あの外史でのあなたとの繋がりは、皆の中で確かに息づいている」
 
「あの外史での、繋がり……」
 
 その言葉が、正確に頭の中に入ってこない。
 
「でも、皆、俺のことを覚えてない……」
 
 そうだ。だから俺は、二つの世界を混同しないように……。
 
「前の世界の爪痕が、心の奥に眠っている程度ものだからねん。……心当たりが、あるんじゃないかしら?」
 
 そう、言われて………
 
『いや、すまん。何故か全く違和感がなくてな。気付かなかった』
 
『あなた、私とどこかで会った事がある、の……?』
 
『ねえねえ! お兄ちゃんって、呼んでもいい?』
 
『ご主人、様………?』
 
『? ………そう、呼んでた』
 
 
「…………」
 
 今まで微かに感じていた違和感が、繋がった。
 
「その眠っている潜在的な記憶は、類似した現象が起きた時に既視感のように呼び起こされるかも知れない。あるいは、自我の薄まる夢の中に現れるかも知れない。時には、全く何の脈絡も無しに現れるのかも知れない。それは、あなたにもわたしにも、もちろん当人にもわからない」
 
 それでも、どこか納得がいかなかった。
 
「同一人物、なのか……?」
 
 なら、今まで、俺は………。
 
「そうとも言える。でも、そうでないとも言える」
 
「……お前、さっき同じって言ったじゃないか」
 
 どっちなんだ。もう何か頭痛くなってきた。
 
「なら、どう言えば納得するのん?」
 
 咎められるようなその物言いに、何も応えられない。
 
「あなたは何を以て同じ人間だと定義するの? 同じ身体を持っていれば? 同じ記憶を持っていれば? 例えば今の星ちゃんに、前の記憶をそのまま放り込んだら、それで満足?」
 
「…………」
 
 同じ人間の、定義……? 考えた事も、なかった。
 
「世界そのものが違うのよん。そういう意味では、あなただって“同じ北郷一刀”とは言えないかも知れない。その身体は、あの身体とは別物。その脳も別物。でも、あなたにとってのあなたは、“北郷一刀”でしょう? 絶対の真実なんて、この世のどこにもありはしない」
 
 俺も、別人。いや、そうとも言いきれない? 何か、だんだん現実感が無くなってきた。
 
 前の世界どころか、今ここにいる世界すらも。
 
「要するに、前の世界だの今の世界だの、ぐだぐだ考えるのはやめなさい、って言うことよ。考えたって、たった一つの解なんて出やしないんだから」
 
 ………色々と混乱するような事を散々言った貂蝉の、実にシンプルな言い草だった。
 
 そこだけは、よーく理解出来た。
 
「どこの世界だろうと、俺は俺らしく、か?」
 
「そういうこと。北郷一刀は北郷一刀、皆は皆、世界が変わってもそれは変わらない。あなたはあなたの解を見つければ、それでいいの♪」
 
 未だ、全てが納得出来たわけじゃない。それでも、わかりやすい一つの方向性を示してくれた貂蝉と、
 
「……相変わらず、気持ち悪いな。おまえ」
 
 すっかり冷めてしまった熱燗の盃を、ぶつけ合った。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回のは、独自解釈や、本作のみの解釈も多く含まれてそうな話。
 次回は、今回の話の義勇軍サイドからの話の予定です。
 
 



[12267] 六章・『二人』
Name: 水虫◆70917372 ID:e3986068
Date: 2009/10/27 21:49
 
 日も暮れる洛陽の街で、わたしたち四人は、こそこそと一軒の茶屋を盗み見る。
 
「……知り合い、なんでしょうか?」
 
 と雛里、
 
「確証はないのですが……確かあの人、『ご主人様』と言っていたような、言っていなかったようなー……」
 
 と風、
 
「……どっちよ」
 
 と呆れる私、
 
「桃香殿の容姿を鑑みれば、いくら何でもないとは思うのだが……」
 
 と星、
 
「わんっ!」
 
 と…………
 
「ひゃあ!?」
 
 いつの間にか、私の足下に一匹の仔犬。この子は確か、恋の……
 
「……どう?」
 
「ふえ!?」
 
 噂をすれば影、突然セキト(だったかしら?)を抱える形で現れた恋に、今度は雛里が驚いた。
 
「恋、あなたは城で重大な話があるのではないのですか!?」
 
 我々義勇軍が外されるのは当たり前として、何故彼女がここにいるのか。
 
「? ……セキト、来た。難しい話は、いい」
 
 ……相変わらず、恋との会話は難しい。
 
 要約すると、「セキトがついてきたから、自分も来た。賈駆たちの難しい話には興味ない」だろうか?
 
「稟ちゃん恋ちゃん、静かにしてくださいー。あの人のさっきの腕前からして、騒ぐと気配がバレちゃうかも知れないのでー」
 
 ……少しは驚きなさいよ、風。
 
「あなた、は、かみじゃない。ただ、の………どうやら、単なる逢引きとも違うようですねー?」
 
「わ、わかるんですか!?」
 
 雛里に激しく同意する。窓際で姿こそ見えるけど、声なんて聞こえる距離じゃない。
 
「読唇術の心得もあったり、なかったり……」
 
 ビシッと親指を立てる風。長い付き合いだけど、本当に何者なんだろう。
 
「風はこう見えても一流なのですよ〜」
 
「そ、そう……」
 
 気にしたら負けだ。
 
「……大丈夫。弓矢は得意」
 
 言って、キリキリと弓を引き絞る恋。頼りになるわね。
 
 などと思いつつ、不意に不自然に静かな星が気になって、見てみれば……
 
「…………」
 
 少し思い詰めた様に、自分の白い袖を摘んで眺めている。
 
 ……まだ気にしてるのね。昔ならこんな仕草、まず見られなかった。
 
「あなたに白い服は、よく似合っていると思うわよ?」
 
 指摘した時の顔は、なかなか見物だったし。
 
 
 
 
「…………」
 
 貂蝉と別れ、夜道を歩く。そういえば、今日は城で泊めてもらえるのかどうかも聞いてない。
 
『左慈や宇吉は、当分この外史に手出し出来ないわよん』
 
 話は、一応理解は出来た。
 
『前のような“終わるための終端”を迎える心配はない、けどねん……』
 
 いや、“俺なりに解釈した”と言った方が正確か。
 
『わたしだって神ではないわ。この外史のプロットも終端も、知る術はない。この外史は、天の御遣いを騙り、殺される愚者の物語かも知れない。黄巾の乱の後、一人の民草として生きる平凡な男の物語かも知れない。あなたは基点、でもそれがどんな物語なのかは、終端を迎える瞬間までわからない』
 
 結局……
 
「何もわからない、って事だよな」
 
 それで構わない。先の事がわからない。自分が特別な存在だって保障もない。
 
 大いに結構。そんなの正史だって同じだ。プロットだの何だのを、『運命』って言葉に言い換えるだけの話。左慈たちの暗躍がないってだけわかれば十分だ。
 
『敷かれたレールなどに構わず、迷っても立ち止まってもいいから、自分の意志で進みなさいな♪』
 
 最初から、そのつもりだ。
 
『それが、あなたの物語になるのだから』
 
 
「……………」
 
 けど、“皆”に対して、どうすればいい?
 
 同一人物かも知れないし、そうでないかも知れない。
 
 俺が桃香に任せたあの場所は……錯覚なんかじゃなく、本当に俺の居場所だったんじゃないか?
 
 絶対に忘れまいと強く思っていた相手が、実はいつも目の前にいたんじゃないか?
 
 今までは、別人だと明確に割り切ってきた。混同しないように、と。
 
 でも、それは……
 
『北郷一刀は北郷一刀、皆は皆』
 
 本当に、正しかったんだろうか。
 
 いや、正し“かった”かどうかはどうでもいい。
 
「(これから、どうする……?)」
 
 想いを通わせた大切な人が、記憶喪失にでもなった。
 
 性格や容姿が全く同じなだけの別人が、前の世界の記憶の欠片を持っているだけ。
 
 どっちであるとも言えるし、どっちも的外れな気もする。
 
 貂蝉が言っていたように、考えたって解なんて出ないんだろうけど、どっちにしても対応は早急に決めなければいけない。
 
 星や恋の事を考えると、それこそ今すぐにでも決めないといけない。
 
 かといって、これは一歩間違えれば人格無視みたいな問題を孕んでいるわけで……
 
 星は星、恋は恋、愛紗は愛紗、と割り切ってしまうのは、二つの世界の両方の人格を否定するような気もしないではない。
 
 いや、割り切らなくても、だ。
 
 この世界の星を、“星”として扱う。そしてそれが完全な的外れだった場合、俺はこの世界の星の人格を無視すると同時に、あの“星”を見失うという事に……
 
「あー、もうっ!」
 
 考えたって解なんて出ない。でも現状からして何らかの解は必要。
 
 頭の中をひたすらに巡り続ける悪循環に、苛立ちを隠さずに唸る。
 
 それを、間近で見られていたらしい。
 
「おや、どこの山猿が頭を掻き毟っているかと思えば……見た顔だ」
 
 腕を組んで、民家の壁に背を預けた星が、静かな雰囲気を纏って、そこに居た。
 
 
 
 
「まったく、どうせならちゃんと読み取ってよ、風」
 
「むー、稟ちゃん他人事だと思ってぇ……。長い間あの人を凝視するのは、想像以上に辛いんですよー?」
 
 ……その気持ちは、よくわかる気がする。
 
 風さんがあの人(?)との会話から読み取れたのは、断片的な単語だけ。
 
 大切な人、いない、神じゃない、あなたの道、そんな言葉。
 
 ご主人様の過去。それも、とても大切な思い出に関する話だという事は、わかった。
 
 ……何より、ご主人様は泣いているように見えた。
 
 だから、私たちの内の一人はご主人様の様子を見に行く、そんな風に決まった。
 
 それが星さんになったのも、必然。会話の中で、星さんの名前が出ていたようだから。
 
 そうして、私たち四人……
「わんっ!」
 
 と一匹は、ここに来ていた。
 
「おやまぁ、覗き見だけじゃなくて、尋問までしちゃうのかしらん?」
 
『っ!?』
 
 バレ、てた……?
 
 その笑顔が怖くて、恋さんの後ろに隠れてしまう臆病な私。
 
 こんな危険で恐ろしい行動に出ることが出来ているのも、あの時のご主人様の深刻な様子と……唯一この人に対抗出来た恋さんの武勇があるから。
 
「お前が……泣かせた?」
 
 けれど、恋さんが無造作に戟を担いだ事で、私はすぐにその場から飛び退く事になった。
 
 仕方なく、代わりにセキトさんを抱き抱える。
 
「わたしが? ご主人様を? 人聞きの悪い事言わないで欲しいわねん☆」
 
 くねくねと身を捩る彼(?)の姿に、私は全身の血が一気に退いていくのを感じて……
 
「あわ、あわわ、わ……」
 
 遠退いていく意識で、私を支えてくれたらしい風さんの柔らかい髪を、視界の端に見た。
 
 
 
 
「星……?」
 
 何で、こんな所に……。
 
 はっ!? まさかあの貂蝉の雄叫びを聞き取られて……いや落ち着け。そんなの聞こえなくたってあいつの容姿は常軌を逸してる。気になって後をつけられても仕方ないか?
 
 俺だって、元の世界でいきなり友達があんな怪物と一緒にどっか行くのを目撃したら、心配半分好奇心半分に追跡したくなる可能性は大だ。
 
「奇遇だな、先ほどの怪物はどうした?」
 
 ……ダメだ。表情から考えてる事は読めない。
 
「…………」
 
「…………」
 
「………?」
 
 何だ? 星なら……いや星じゃなくても、あんな場面に遭遇したら根掘り葉掘り訊くのが普通なんじゃないか?
 
 この沈黙が不気味だ。
 
「一刀」
 
「っ……?」
 
 表情は相変わらず、読めない。声だけが妙に真剣味を帯びている。
 
「…………」
 
「…………」
 
 黙るし。何なんだ、もし「おぬし、男色の気が……?」とかの疑問を真顔で持たれてたら、再起不能だぞ。
 
 大体、あいつ(貂蝉)の事でシリアスな顔される時点で不本意極まりない。
 
「あー、その、うん……」
 
 全く以て、星らしくない。辛辣な物言いさえ楽しそうにズバズバ言うのが星の基本スタイルのはずだ。
 
 ……つーか、タイミング悪いな。よりによって星か。風や稟、雛里なら前の世界どうこうとか考える必要なかったのに。
 
「啄県での事、覚えているか?」
 
 しかも、言い淀んでいたわりに、切り出したのは完全に予想の斜め上。貂蝉の事じゃないのか?
 
「啄県の……何?」
 
 あそこは短い間だが統治していたし、啄県での事とか言われても漠然としすぎている。
 
「だから! 私がお前を天の御遣いに仕立て上げた時の事、だ!」
 
 何でこんな苛ついてんだ、星のやつ。にしても……
 
「ああ、それが?」
 
 俺の素朴な疑問に、星がコケた。本当に今日はおかしな。
 
「…………」
 
 何やら恨みがましく睨まれるし。俺が何したってんだ。
 
「だから、その……成り行きとはいえ、私が強引におぬしに『天の御遣い』を押しつけたような形に、な……」
 
 後悔……罪悪感? いかにも星のキャラじゃないし、言ってもしょうがないような事で謝るとも思えない。
 
 たとえ内心にそういう気持ちを持っていたとしても、口には出さない。そういうやつだ。
 
 その俺の認識に応えるかのように、
 
「だから、私にもその責任の一端は、あるのだろうな」
 
 星の言葉は、自虐的な謝罪ではない。決意の表明へと続く。
 
「だから私は……」
 
 不思議と人気のまるで無い、都の月明かりの下で……
 
「お前を、この大陸の王にする」
 
 その言葉は、どこまでも強く、綺麗で、何より純粋に、俺の心に響いた。
 
 その姿が……
 
「あ………」
 
『我が槍をあなたに託しましょう』
 
 俺に、その槍と志を預けてくれた。想いを通わせた少女と、重なる。
 
「“星”」
 
 失っていなかった。熱い気持ちが止めどなく溢れる。その心のままに呼び掛ける。
 
 知らず、体が勝手に動いていた。
 
 求めるように伸ばした両手が、星の両肩を掴み、そのまま顔を寄せ……
「ぼぎゃっ!」
 
 そんな俺の顎を、下から思い切り突き上げられた。
 
「はは、全く……本当に手が早くなったものよなぁ、一刀よ。桃香殿だけでは飽き足らず、よもや、私にまで手を出そうとは……」
 
 ぷるぷると全身を震わせて、拳を握る星。大の字に倒れながら、俺は一つの結論に達した。
 
 前の世界の星なら、こんな反応はしない、と。
 
「やっぱり、別人だな」
 
「独り言とは随分と余裕よなぁ。まさか、女人の唇をいきなり奪おうとしておいて、ただで済むとは思っていまい?」
 
 立ち上がり、砂を払い落とす俺と、両手で槍を構える星。
 
「逃げるなぁーー!!」
 
 
 近所迷惑な鬼ごっこは、夜が耽るまで続いた。
 
 
 
 
(あとがき)
 結局、真で左慈たちが『手出し出来ない理由』ってはぐらかされてますよね。
 
 本作でオリジナルで理由がつけられるかどうかはまだ秘密にしておきます。
 
 



[12267] 七章・『討伐の恩賞』
Name: 水虫◆70917372 ID:f4c99089
Date: 2009/10/28 17:55
 
『それを訊いて、あなた達はどうするつもりなのん?』
 
 詭弁だ。“それ”がわからなければ、応えようがないではないか。
 
『訊き方を変えましょうか。あなた達は、何のためにそれを訊くの?』
 
 言われ、私は言葉に詰まった。本音を言えば、“知りたかった”からなのだろうが。
 
 そんな中、何とか回復していた雛里が、誰より早く口を開いた。「ご主人様のためです」、と。
 
『そう……。だったらやっぱり、知らない方がいいわ』
 
 そんな真摯な想いは、全く容易く拒まれた。
 
『これはご主人様が自分で解を見つけなければ意味の無い問題。そして、この苦しみは決してあなた達と共有する事の出来ない問題』
 
 私は軍師だ。無知がどれほどに無力な事か、十分過ぎる程わかっている。
 
『あなた達がそれを知る事自体が、彼にとっての重荷にはなっても、救いにはならない』
 
 その言葉の真偽を判断する事さえ、出来はしないのだ。
 
 ならば、黙って知らない顔をしていろと言うのか? 誰かが、その共通の問いを出すより早く、彼(?)は言った。
 
『心配なら、支えたいなら、知ってもしょうがない過去になんか拘らないで、黙って傍に居てあげればいいのよん。それに……』
 
 それにしてもあの化け物。見た目に反して意外と奥の深そうな事を言う。
 
『男はね、叩いて大きく成長させるものよん☆』
 
 ……最後の一言の口振りには、怖気が走ったけれど。
 
 
「結局……あの人(?)はお兄さんの何だったんでしょうねー?」
 
 ……ホント、今さらな疑問ね。風。
 
「何か、浅からぬ因縁を感じますけど……」
 
 確かに……。言葉には妙に説得力と重みがあった。だが……いくら何でもあっち系の心配はない、と信じたい。
 
 あまりにおぞましくて鼻血も出やしない。
 
「一緒……」
 
「わんっ!」
 
 ……あなたは変わらないわね、恋。
 
「まあ、イマイチ釈然としないものは残りますが、人の過去を一々詮索はしないという方向で、ここは一つ」
 
「……さすがに当人には訊けませんからね」
 
「はい……」
 
「………?」
 
 結局あの化け物の言葉の通りにするしかなさそうなのが、癪ではある。
 
 あとは、一刀殿の所に向かった星がどうなったかだけど………
 
「悪かったってば! 体が勝手に……」
「問答無用ぉー!」
 
 ……ああなったのか。
 
 
 
 
「一刀、どないしたん? その怪我」
 
「何でもない……」
 
 翌日、今さらながらの黄巾の乱終結の宴……と言っても、大々的なものはとっくに終わっているから、仲間内でやるパーティーみたいなものである。
 
 もちろん兵士の皆にもお祭り騒ぎで楽しんでもらってはいるが、城に招待されたのは俺、星、風、稟、雛里の五人だけ。
 
「もしかして……昨日のバケモンにやられたんか?」
 
「霞、そこで頬を赤らめるな! 洒落になってねーぞ!?」
 
 やっぱり変な感じに誤解されてるー! ロリコンでも節操なしでもいいからそれだけはヤメテ!
 
「その点に関しては、大丈夫だと思うのですよー」
 
 と、机を用意していた俺と霞の会話に、椅子を持ってきた風が割り込む。
 
「大丈夫て?」
 
「お兄さんに、そちらの気はないという事です」
 
 何と、意外な所から思わぬ助け船が。
 
「ほんで、理由は?」
 
「昨晩、何やかんやでお兄さんは星ちゃんに強引に迫ったらしいので。女性好きというのは証明されたかとー」
 
「っ……!? げふっ! ごほっ!」
 
 つまみ食っていたお菓子が喉に詰まる。な、何で……
 
「星ちゃんに聞きましたー」
 
「へぇ……自分より強い女手籠めにしようとするやなんて、ちょっぴり見なおしたわ〜♪」
 
「…………」
 
 当人に目をやれば、素知らぬ顔でメンマをシャクシャクいわせている。
 
 おのれ、あんだけボコボコにした上に世間的にも追い詰めようとは。いや、貂蝉がどうこうとか勘違いされるより数千倍いいんだけど。
 
「いや、手籠めというかその……魔が差したというか……」
 
「……この状況では、誰もご主人様の味方にはなりません」
 
「最低」
 
「だから、未遂なんだって……」
 
「いじけてもダメですよ」
 
 うぬぅ……。稟や風はともかく、雛里までもが敵に回るとは。
 
「………?」
 
 恋、お前だけが俺の心の支えだよ。いや、実際かなり最悪な事した自覚はあるんだけどさ。
 
 あんだけボコボコにされた後、星自身の口から「まあ、このくらいで勘弁してやるとするか」って言われた後に責められるのもちょっと釈然としないというか何というか。
 
 ……まあ、いつもの事か。と開き直ろうとする俺の耳に、この賑やかな流れに場違いな、不機嫌そうな声が届く。
 
「……何? あなた達、こいつらに真名まで許してるの?」
 
 “こいつら”と来ましたか、詠さん。おかしい、白装束もいないのに、前の世界の時と大差ない警戒具合である。
 
「私は許した憶えは無い!」
 
 と、何故か自信満々に華雄。悪意の欠片も無さそうだ。そういや、許す許さん以前にこいつの真名、知りもしないな。誰かが呼んでるのも見た事無いし。
 
「詠ちゃんダメだよ。そんな言い方しちゃ……」
 
 流石の癒し系、月がそれを困ったように諫めてくれる……が、何か出会ってから、月の元気な姿を一度も見てないな。
 
 見た表情全部、眉が八の字になっている。
 
「月は簡単に他人を信じすぎるんだよ! だからあんな連中に付け入られて……」
 
 何だ何だ? 本当にノリが白装束の時に近いぞ。
 
 そういえば……
 
「霞、昨日の話って……」
 
「あー……何ちゅうか、ウチの一存じゃ言えんっちゅーか。スマン」
 
「……いや、ならいいよ」
 
 何進や十常侍の事を、何か言いづらい理由がある。という事は、詠や月が関わっていた?
 
 えーと、そもそも『三國志』ではどんな経緯で董卓が洛陽の実権を握ったんだっけ?
 
「…………」
 
 ダメだ、思い出せん。とその時、雛里と目が合った。
 
「(………コクッ)」
 
 頷く。どうやら、俺の感じている疑問に気付いているらしい。
 
 もしくは、もう正解まで持っているのか?
 
 ……後で話してみよう。
 
「……ごはん」
 
 そんな、微妙な心境に浸っている俺の袖を、恋が軽く引く。いつの間にかパーティーの準備が整っていたらしい。
 
「待っててくれたのか、偉いぞー、恋」
 
 一人で勝手に食べ始めていなかった恋が微笑ましく、頭をぐりぐりと撫でる。
 
 くすぐったそうにする恋に、さっきからピリピリしていた詠がへなへなと脱力した。さすが恋、小動物的癒しパワーだ。
 
「癒されてない!」
 
「あれ、口に出てた?」
 
「あったり前でしょ! あんたバカじゃないの!?」
 
「まあ、それはそれとして……始めようか」
 
「流すな!」
 
 事情はイマイチわからんけど、詠の情緒不安定に付き合ってたら埒があかん。
 
 俺の横で涎をゴシゴシと拭っている恋を、これ以上待たせるのも忍びない。
 
「んじゃ、始めんでー! 皆、盃を持ちー!」
 
 霞が、俺から聞いて以来気に入っているらしい『乾杯』の音頭を取ろうとした、その時………
 
「ストーー……」
 
 軽やかに、しかし重量感たっぷりに、庭の壁を越えて、それは飛び上がった。
 
 膝を抱えて丸まってなお巨躯を誇るそれは、まるで岩石のように飛来し、
 
「ッッップ!!」
 
 軽く地面を揺らして、庭に着地した。
 
「「………へぅ」」
 
 雛里と月が、仲良く気絶した。
 
「月ーーーっ!?」
 
 詠がその二人を支える。さりげなく雛里も支えてやるあたり、詠も良い奴なんだよな。ツン子だけど。
 
「き、貴様は……。ここで会ったが百年目! 昨日の凡退の借り、今返してやる!」
 
「詠! 何が『ボクの街で怪しげな集団なんて出させない』や! おま……怪しさの権化みたいなんがおるやないか!?」
 
 華雄が完全に別な方向にテンションを上げ、霞が全く今さらなツッコミを入れる。
 
「んも〜、ご主人様のイ・ケ・ズ☆ このわたしをのけ者にして、こーんな楽しい事しようだなんてっ!」
 
 確かに、今の今まであれに気付いてなかったというのは、落ち度と言うしかないな。
 
「このっ! このっ!」
 
「ぬぅ……! 当たらんっ!」
 
「いや〜ん☆」
 
 二人掛かりで、現れた化け物(貂蝉)に斬り掛かっている霞と華雄の反応はある意味正しいのだが……おかしいのは、
 
「君たち、冷静だね?」
 
 星、風、稟の三人娘のクールっぷり。星と風は性格的にわからんでもないが、稟のあの態度は納得出来んぞ。
 
「ああ、話は聞いたのでな」
 
 何の?
 
「一応、人並みの知性はあるようなので」
 
 何故わかる?
 
「兄ちゃん、それを訊くのは野暮ってもんだぜぇ?」
 
 自分の口で言いなさい。
 
「……まぁ、いっか」
 
 この三人が俺を煙に撒くのはいつもの事だし。
 
「で、お前何でここに来たの?」
 
「そりゃぁもう、この鍛え上げられた美脚で♪」
 
 的外れでキモい事をほざきながらも、霞と華雄の攻撃を避けてるあたりが、外見だけでなく中身も化け物だ。
 
「(もぐもぐもぐもぐ)」
 
 恋も既に、騒ぎを無視して口いっぱいに肉まんを詰め込んでる事だし。
 
「じゃあ部下の事は任せましたよ、“ご主人様”」
 
「ボクはあんな怪物の主人になった憶えはなぁーーい!!」
 
 厄介なのは詠に押し付けて、俺も宴会を楽しもう。
 
 
 この日、色々あって忘れていた、黄巾の乱での恩賞を、帝から承った。
 
 病の床に臥せているらしく、詠から渡されたその肩書きは……
 
 
 王都警備隊、隊長。
 
 
 
 
【あとがき】
 前回感想で、いくつかご指摘頂いたのですが。
 風や稟の言葉使いが変、との事。水虫的には気付けなかった部分であり、ありがたいご指摘でした。
 ただ、自覚がなかったため、どこをどう直せばいいのかわかりません。
 よろしければ、アドバイスなど頂ければ幸いです。言葉使いがおかしかったのが前回に限っての話なのか、今までずっと変だったのか、それだけでもお教え下さると、非常に嬉しいです。
 
 



[12267] 八章・『疑念と罪悪感』
Name: 水虫◆70917372 ID:a5d1681f
Date: 2009/12/11 21:22
 
「本日も街は平和なり、と……」
 
 三、四人の兵士を引き連れて、今日も警邏に勤しむ警備隊長な俺。
 
 義勇軍の頃からの面々もそのまま配属されている(当然、正規軍に回される人もいたが)。
 
 啄県からの付き合いの人や、転戦してる時に募兵に応じてくれた人がほとんど、つまりは田舎出身の皆にとって、都の警備隊っていうのは憧れに近いものらしい。
 
 いや、実際朝廷の地位って意味では、俺にとっても結構な名誉職らしいのだ。
 
 平原の相に任命されたらしい桃香よりも、これでも官位は上なのだ。
 
 恋や霞も、華琳より全然偉いって事を考えても、都仕えってのはかなり誉れ高い仕事のようだ。
 
「御遣い様、あそこに不審な怪物がっ!」
 
「いや、あれはほっといていいよ。っていうか、人間の手に負えん」
 
 義勇軍上がりゆえ、呼び方は御遣い様で固定。皆自身は今の立場に満足している反面、“俺の”立ち位置は不満なようだ。
 
 まあ、実質月の配下みたいになってるしな。俺としても、予想外の展開にちょっと戸惑ってるが。
 
 まあ、元々前の世界でも警邏と称して執務室を抜け出して街をぶらつくのが俺の得意技だったから、仕事の内容自体は肌に合ってるんだけどね。
 
「あ、肉まんの匂い」
 
「御遣い様、今は仕事中………」
 
「いいじゃんいいじゃん」
 
 匂いに誘われるように、ふらふらと店に入ろうとして……
 
「あれ? あ、皆ちょっと肉まん齧りつつ先行ってて」
 
 予想外の光景を目にして、進路変更。
 
 また市の様子でも見に来たのか、はたまた買い物か。月と詠を発見。
 
 詠はいつもの軍師服だが、月はあの動きにくそうな服ではなく、もう少し軽装だ。
 
 にしても、シンボルマークがないと何か寂しいな。隙を見てメイド服を仕立ててプレゼントしよう。
 
「月ー、あと賈駆」
 
 月とはあっさり打ち解けて真名を許してもらったけども……
 
「あ゛?」
 
 こいつ(詠)は何か警戒心旺盛だ。
 
「中学生の不良みたいな返事の仕方すんなよー」
 
「うっさい、せっかくこっちが気付かないフリしてたのに話し掛けてくんじゃないわよ!」
 
 む、こいつ確信犯か。前の世界は嫌われても仕方ない理由もあったが、今回は理不尽な理由(?)で嫌われている気がする。
 
 なるほど、俺の意地悪魂に火を点けるつもりだな? 俺はちょっとやそっと避けられたくらいじゃ怯まないぜ。
 
「月ー、ほらあっち行こ? 変態が感染るから」
 
 ほう、よく知りもしない相手を変態呼ばわりか。
 
「詠ちゃん、一刀さんは悪い人じゃないよ? 恋さんや霞さんと一緒に、長い間戦って来た人なんだから」
 
「そうそう、むやみやたらに人を嫌うもんじゃないぞ?」
 
「月の言葉に便乗すんなっ!」
 
 詠の弱点は月、というのは全世界共通だな。
 
「大体あんた、月、月って馴れ馴れしいのよ! 一体どのくらい官位が違うと思ってんの?」
 
「えー……、だって呼んでいいって言われたし。な?」
 
「あ……、はい」
 
 詠をからかうノリで訊いたんだが、月は顔を少し青ざめさせて応えた。
 
 ……ああ。
 
『……何進将軍や十常侍が逆賊として始末され、今の実権は董卓さんが握っている。細かい事情まではわかりませんが、その“権力闘争”に打ち勝ったのが董卓さん、という事で間違いないかと』
 
 雛里の言葉を、思い出す。
 
 十中八九、何進だか十常侍だかから月を守るために、詠がやった事だろう。
 
 そして、その事を気に病んでいるから、ずっと元気がない。
 
 今青ざめたのも、官位云々って話題が出たからだ。それに遅れて気付いたのか、詠が「しまった」って顔をする。……が、話題をぶり返す事も出来ないから、ただ口をパクパクさせるだけで言葉にならない。
 
 話題を強引に変えさせてもらおう。
 
「まあ、俺が無礼なのは今に始まった事じゃないからな。それに、口が悪いのは詠だって同じだろー?」
 
 毒舌娘のほっぺたを両手で掴んで引っ張ってみる。あ、詠のほっぺた柔らけえ。
 
「ひだだだだ!? ひょ、あんたあにすんのよ! あほどさくさに紛れてボクの真名呼ぶなっ!」
 
 途中で振り払われ、さりげなく真名を呼んだのがバレた。知らん、バイ菌扱いされて無礼も何もあるか。
 
 それに、月に真名許してもらう時、「私たちの事は……真名でお呼び下さい」って言ってたからな。“たち”て。俺は聞き逃してないぜ。
 
「あひだだだだだっ!」
 
 リ・プレイ?
 
「まあ、確かにうっかりとはいえ真名を呼んじゃったのは悪かったよなー。よし、こうしよう。代わりに、これから詠君に俺を一刀と呼ぶ権利を与えよう」
 
「死・ん・で・も・呼ぶかぁああーー!!」
 
「はうぅ……!?」
 
 ちょ、ちょっと調子に乗りすぎた! 詠の爪先が俺の息子を直、げ…き……。
 
「おま……ちょ、場所は選べよ……」
 
「完全無欠の自業自得でしょ!」
 
「いや……俺なりの、スキンシップ……」
 
「っあ! あんた……好きって……どんだけ手が早いのよ!?」
 
「誰もそんなん言ってねえ! 痛っ! 痛いってば、おでこをつっつくな!」
 
「ボクの方がずっと痛かったっての!」
 
 だんだんヒートアップしてきたな。そろそろ素直に謝った方が身のためかも知れん。
 
「月! こいつ不敬罪で斬首にしていい!? いいよね!」
 
「ざっ!? 不敬罪てお前……お互い様だろうが!」
 
「そもそもボクとあんたは立場が対等じゃないっつってんでしょうが!?」
 
 若干俺の命の危険を孕んだ詠とのじゃれ合いは、いつしか市を訪れる皆さまの視線を集めて、それでも詠は止まりも気付きもしなかった。
 
 詠を止めたのは……
 
「………くす」
 
 俺や詠の怒鳴り声よりも、周囲のざわめきよりも小さな……
 
「くすくす……♪」
 
 月の、笑い声。ようやく、聞く事が出来た。
 
 
 
 
「あんたの所の副隊長はどうしたのよ?」
 
「ああ、星なら西の通りを回ってるよ」
 
 月と、月の笑顔によってクールダウンしてくれた詠と三人で街を歩く。
 
「で、あんたはこんな所で怠けてるってわけね」
 
「怠けるとは心外な、こうして街の安全を確認して回ってるじゃないか。うん、平和だ」
 
「くすくす……。そうですね、今日も平和です」
 
 うむ、やっぱり月は笑ってないとな。さっきの詠の驚き顔を見る限り、詠的にもかなり久しぶりと見た。
 
「まあ、小さな女の子二人を無事に城まで送り届けるのも警備隊長の仕事、って事で目を瞑ってくれ」
 
「子供扱いすんな!」
 
 ぐりぐりと詠の頭を撫でる手を、払われた。
 
 何か詠ってあれだよな。いつも月を守る事ばっか考えてるし、強がりだし。
 
 無理矢理にでも構った方が良いイメージがある。ストレスだって小出しに発散させた方がいいだろう。
 
「今日はまた、市の視察?」
 
「はい……」
 
「王都って言ったって、結局は為政者の手腕が物を言うのよ。少し前まで何進が治めていたこの街で、手なんか抜けないわ」
 
 詠の気合いの入った言葉に、月の表情がまた僅か、翳る。
 
 ……これは詠が空気読めてないというより、月の方が重症なんだな。
 
「……そうだな。これから良くしていけばいいんだ、この街に暮らしてる皆のために」
 
 前の世界でも、こんな事あったな……
 
『……私だけが助かるなんて、今更できやしないです……』
 
 優しいから、他人の痛みで自分の心を痛めてしまうから、罪悪感に潰される。
 
 月の悪い癖だ。ただ沈んでたって、何の解決にもならない。
 
「な?」
 
 ポン、と月の頭に手を乗せる。まん丸に目を見開いて俺を見上げる月に構わず、
 
「フンッ!」
 
 またも詠が俺の手を払いのける。
 
「がるるるるる……!」
 
「唸るなってば。わかった、これからは頭撫でるのちょっと自重するから」
 
「二・度・と・触るな!」
 
「えー……ヤダ」
 
「あんですってぇー!?」
 
 キレる頻度が半端ないぞこいつ。
 
「くすくす……」
 
 そんな詠を微笑ましげに見る月。と、そんなノリの会話が……
 
「うっせぇ!」
 
『っ!』
 
 突然湧いた怒声に、打ち切られた。三人仲良くピンッと背筋を硬直させる。
 
「ごちゃごちゃ言わずに弁償しろや、アニキの服はか・な・り高かったんだよ」
 
「そ、そんなボロが高いわけないだろ!」
 
「何だとこの野郎!」
 
 喧嘩……いや、一方的に絡まれてるだけか。
 
 どうでもいいけど、ああいう連中ってどうしてこうボキャブラリーが貧困かね? ……いや、工夫しても仕方ないだけか。
 
「ほーら仕事よ、警備隊長さん? 早く行った行った」
 
 しっしっと追っ払うように手を動かす詠、嬉しそうにしやがって。だが……
 
「俺の出る幕は無さそうだぞ?」
 
 俺の位置からは、屋根の上でスタンバってるのが見えてたりするのだ。
 
「「……はい?」」
 
 揃って首を傾げるゆ詠。まあ、すぐにわかる。
 
「はーはっはっは! はーはっはっは!」
 
 ノリノリな高笑いが響き渡り、
 
「ど、どこだ!?」
 
「あそこだ!」
 
「「一体何者だ!」」
 
 お約束のリアクションが応え、そして、白い衣が風に靡く。
 
「可憐な花に誘われて、美々しき蝶が今、舞い降りる! 我が名は華蝶仮面! 混乱の都に美と愛をもたらす、正義の化身なり!」
 
 絹のように繊細な水色の髪に、振り袖のような白い衣、黄色い蝶の仮面の奥から紅い瞳を覗かせる……
「何……あれ?」
 
「見ての通りの正義の味方だ」
 
 ぽかーんと口をOの字にする二人に、俺は親切に教えてあげる。
 
「心配するなって、実はうちの警備隊の秘密兵器だから」
 
「んなの見ればわかるわよ!」
 
 ……あれ? わかるのか。俺的には確かにバレバレだけど、前の世界では愛紗も鈴々も翠も全然気付かんかったぞ?
 
「えっと、あの人……」
「言わないで!」
 
「ちょっと見直したぞ、詠」
 
「真名で呼ぶな!」
 
「はーはっはっは! はーはっはっは!」
 
「もうボクをこれ以上おかしな世界に連れて行かないでってばーーーっ!!」
 
 
 華蝶仮面(星)の高笑いと、詠のヒステリックな叫びが響く中、槍の石突きを受け、かつあげ男は昏倒した。
 
 混乱の都は今日も平和である。
 
 
 
 
(あとがき)
 前回のあとがきに、感想板でご意見下さった方々、ありがとうございます。
 
 風に関しては、原作で敬語使ってない場面とかもあって難しいのですが、今後注意……みたいな結論に。
 
 稟に関してですが、魏√とは環境が変わっている事もあり、わざと、風に対する時みたいな喋り方を、結構幅広くさせてます。
 
 あと、いくら丁寧な喋り方をするキャラも、独白で敬語を使う事はほとんど無いと思うので、そういう感じに心掛けてます。
 
 



[12267] 九章・『乙女心』
Name: 水虫◆70917372 ID:f56419e4
Date: 2009/10/30 18:47
 
「………ふぅ」
 
 王都・洛陽。流石に金の巡りは早く、栄えていると言えるだろう。
 
 けれど、それは一部でしかない。広いこの都で、民たちの貧困の差が露骨に出ている。
 
 何進や十常侍の欲望を上手く利用した者と、その欲望の食い物にされた者。
 
 記録を見る限り、当時はもっと酷かったようだし、短期間で、しかもまともな為政者が二人しかいない状況で、ここまで持ち直した月と賈駆を評価すべきだろう。
 
 ……今の待遇が面白くないのは事実だけれど、“霞たちが真名を許した者たち”を手許に置きたがる気持ちもわかる。
 
「……って、そうじゃなくて」
 
 今日は非番。こんな事を考えているのは勿体ない。せっかく昨日仕事を早く済ませて、早く寝て、早く起きた意味が無いではないか。
 
「…………」
 
『稟……眼鏡外して髪下ろすと、随分イメージ変わるんだな……』
 
 ……いめーじ、という単語の意味はよくわからなかったけれど、あの声色からして、好意的な意味だとは思う。……はずだ、うん。
 
 ……少し、不安だけど。
 
「……よし!」
 
 両手で頬をパンッと叩いて、気合いを入れる。そして、自室の鏡に向き直る。
 
 
 
 
「おやー?」
 
 あれは……風、か。
 
「……稟ちゃん、お風呂なら今日は沸いてませんよー?」
 
 お風呂って……ああ、そうか。
 
「お風呂じゃないわよ。今日は非番だから、少し街に出るだけです」
 
 まずい相手に見つかった気分だ。
 
 短く応えてそそくさと立ち去ろう、という私の思惑に、
 
「むー……」
 
 気付いているのかいないのか、とても訝しげにこちらを見る風。
 
「眼鏡も無しで、大丈夫なのですか?」
 
「それは……そう! その眼鏡を新調するために街に出るのよ」
 
 まあ、無理もないか。誰だって一目で気付くだろうし。
 
「髪は?」
 
「ぐっ……」
 
 全部わかった上で意地悪に質問されているような気がする。かといって、正直に言う謂われも無い。
 
「髪留めが壊れたのよ。それじゃ、私はもう行きますよ」
 
 そう言って、風の脇を通り抜けようとする私の服の裾を、風はがっちり掴んだ。
 
「眼鏡無しだと、転んだりして危ないのでは? 風も付いてってあげましょうかー?」
 
「私は非番だけど、風は仕事があるでしょ? 大丈夫よ、転ぶほど目が悪いわけじゃないから」
 
 と、言っているのに、裾を掴む風の手には緩む気配はない。
 
「ところで稟ちゃん。イメージとは、その人や物に抱いている印象、のようなものだそうですよ?」
 
 風は天の世界の言葉に興味津々で、一刀殿を除けば我々の中で一番詳しい。けど、何でいきなりそんな話題……あ。
 
「兄ちゃんは今日の午前は東の通り、午後は西の通りを回るらしいぜ?」
 
「こら、ホウケイ野郎! 稟ちゃんはお兄さんの話題なんか出していないのですよー!」
 
 ……………。
 
「あれ? 西の通りにも東の通りにも、眼鏡屋さんはありましたっけー?」
 
「うぅ……」
 
「あっ、これは失礼。風が裾を掴んでいては、稟ちゃんが眼鏡屋さんに行けませんねー。それでは……パッ」
 
「風の……バカーーーッ!!」
 
 
 
 
「はぁ……」
 
 まあ、風には気付かれているとは思ったけれど、あんな嫌がらせみたいな事しなくてもいいのに。
 
 大体、今更というものだ。劉備殿は言うに及ばず、星は結構あからさまだし、雛里に至ってはご主人様呼ばわり。
 
 恋は……ちょっと判断しづらいし、霞も仲は良いけどそういった節は見られないけど……
 
「って、何の話ですか! ……あ」
 
 思わず一人ボケツッコミが……。周囲の視線が痛い。
 
「あらん?」
 
 その騒ぎに紛れて、聞き覚えのある音……否、声が聞こえた。
 
 ざわめきの中でなお際立つ声、眼鏡を外してなお遠方でも確認出来るその姿。
 
「貂蝉、でしたか?」
 
「でしたか? ってひどいわねん、稟ちゃん」
 
 あっという間に、視界の大半を肌色が占める。……いちいち速いのよ、動きが。
 
「それにしても……うふふふ♪ 今日はご主人様のためにおめかし?」
 
「くねくねするな!」
 
 眼鏡を掛けてなくて良かった。直視するのが辛い。
 
「もう、今日はその話題をつつかれるのは沢山で……」
 
 ……あれ? そういえば。
 
「貴殿、よく遠くから一目で私だとわかりましたね」
 
 自分で言うのも何だが、結構、そう……イメージが違っていると思う。
 
 初見で私だと見分けるとは……。
 
「女は磨けば光る宝石なのよん、その原石の秘める輝きを〜、漢女は見逃さない!」
 
「……っ!」
 
 背中に何か寒い感覚が……。思わず四歩ほど後退する。
 
「心配しなくても、わたしは女に手を出すような変態さんじゃないわよん」
 
 ……確かに、女とは程遠いが、男と断定するのも躊躇われる。
 
「要するに、まさに今、自分から輝こうとしている少女を! 放っておけるほど、お姉さんは薄情じゃないって事よん☆」
 
 斜め四十五度に構えてビシッと親指を立てる姿は確かに気持ち悪いのに、妙に頼もしいのは何故だろうか?
 
「どうせなら思いっきりおめかししましょ! 新しい、可愛らしい服で着飾ってねん!」
 
「あっ、ちょっと……」
 
 別に無理に引っ張られているわけでも何でもないのに、私は自然とその気持ち悪い背中を追い掛けていた。
 
 
 
 
「……………」
 
「……………」
 
 貂蝉に連れられてきた服屋で、いきなり予想外の光景を目の当たりにする。
 
 服屋で、引っ掛けに連ねてある服の山に頭から突っ込んでいる……白い衣の少女。
 
「むぅ………」
 
 その中から頭を出した少女……星は、不満そうに唸る。この子も非番だったのね。
 
「あらん、星ちゃんもお買い物?」
 
「何をやっているのですか、あなたは」
 
「おぉ!?」
 
 頭を出した途端に掛けられた声に、跳ねるように星は驚く。……何からしくないわね、挙動不審というか何というか。
 
「むっ……、稟に貂蝉か。眼鏡はどうした? 踏んで割ったのか?」
 
「………ええ」
 
 そういえば、私も人の事は言えないんだった。
 
 ん……? 人の事は言えない?
 
「んも〜〜二人ともすっかり漢女しちゃって! ご主人様も罪な男ねん☆」
 
 そういう事か。何か字が違った気もするけど、この部分を指摘するのは墓穴を掘るのと同じだ。
 
「星、あなたまだ気にしているのですか? あの白何とかの事」
 
「い、いや…別にそういうわけでは、ない……」
 
 図星、か。星は普段、嘘をつくというより法螺を吹く。だからか、図星を突かれた時の嘘はやけにわかりやすいのだ。
 
 星自身はあの服を随分気に入っていて、同じのを何着も持っている。いや、特注品だったかも知れない。
 
「白って、これ?」
 
 言って貂蝉が取り出したのは、一枚の紙切れ。……どこから取り出したのかは、考えない方が懸命ね。
 
「これは………」
 
 そこに描かれていたのは、星の服とは全然違う、顔も肌もほぼ完全に隠した、群青色の法衣の上から白い外套を羽織った男。っていうか、顔に似合わず絵が凄く上手い。
 
「貂蝉貴殿……その白装束とやらを知っているのですか?」
 
 最近は全く話題に出さなくなったけれど、一刀殿が警戒していた謎の存在。
 
「まあねん。だけど安心しちゃってぃ☆ 漢女はこんな無粋な連中には屈しない。もう手出し出来なくしてやったわよん」
 
 それを、やはり知っている。本当に何者なのだろうか? 旧知……まさか、一刀殿と同じ、天界の住人?
 
 ……と、また解の出ない自問自答を繰り返しそうになって、すぐに思考を切り替える。
 
 とにかく、これで妙に白服に対する疑念を抱いていた星の誤解も解ける……と、視線を向けると、
 
「……星?」
 
 星は何故か、紙に描かれた白装束を凝視し続けていた。目の色が、何かおかしい。
 
「……やはり、知らんな」
 
 小さく、そしてどこか納得していない様に、そう呟く。心当たりでもあったのだろうか?
 
「そんなことはどーでもいいの☆ 今は恋する乙女が、その可憐な蕾を花開かせる瞬間なんだからぁ!」
 
 恥ずかしい事を大声で叫ぶ貂蝉。……ここでムキになってはダメ。さらりと流すのだ。
 
「……ふむ。まあ、常日頃から武人として生きる我らとて、女として自身を磨く努力を怠るべきでもない、か」
 
 上手い具合に、お洒落するという部分に“だけ”賛同する星に、私も便乗しておこう。
 
 
 
 
「ぷはぁ〜、甘露甘露♪」
 
「流石ねん、星ちゃん。随分とイケるクチじゃなぁい☆」
 
「ふっ、この程度の量、水と大差ないからな」
 
「……私まで潰さないで下さいね。お願いだから」
 
 当初の予定から何をどう間違えたのか。星と貂蝉と三人で服屋を次々と回って、日も暮れそうになる今になって、酒家に三人で入っている。
 
「稟ちゃん、そんなちょっぴり残念そうな顔しないの。どうせならもっと着飾って、ご主人様も時間がある時の方がいいでしょん?」
 
 時間なんて、あるようでないものなのですよ、貂蝉。
 
「それに、女の友情だって大切にしたいじゃなぁ〜い?」
 
「……貴殿は女ではないでしょう」
 
「まぁひどい! わたしだって女よ!」
 
 絶対肯定してやるものですか。
 
 
 そんな流れで、酒を酌み交わしながら、時間は過ぎる。
 
 途中、窓の外に一人の、顔の良い青年を見つけた貂蝉は席を外した。
 
 外見を度外視すれば良い友人になれる、という認識は、改めた方がいいかも知れない。
 
「……久しぶりですね、こうしてあなたと、のんびり盃を交わすのも」
 
 残ったのは、私と星の二人だけ。
 
「うむ、啄県以来だな。風も居れば、なお良かったか」
 
「一刀殿は?」
 
「この場に招くのは、いささか野暮だろう?」
 
 戦勝の宴、といった形式でなら、一緒に酒を飲む機会くらいあった。
 
 でも、こういう風に、女だけで静かに交わす酒は、本当に久しぶり。確かに、一刀殿はこの場には合わないか。
 
「いやはや、それにしてもおぬしがわざわざ眼鏡を掛けずに、なぁ……」
 
 くっくっ、と喉を鳴らして星が笑う。酔っているのかも知れない。
 
「あなたこそ、昔とは服の嗜好が大分変わりましたか。楚々とした意匠の物が多かった。花も恥じらう……ですか?」
 
 こうやって、意地悪を言い返されるとわかっているはずなのに、ね。
 
 まあ、酔っているのはお互い様か。星も顔が赤いし、私の顔も少し熱い。
 
「…………」
 
 私の嫌味に応えず、星はぼーっと少しの間呆けて、そして、私の眼を見て口を開く。
 
「気持ちは、固まったのか?」
 
 それは、私たち三人の中で、口に出さずとも常に抱いていた迷い。
 
「放っておけない。そんな所ですね」
 
 私も星も、素直ではない。これくらいが精一杯、といった所だ。
 
「あなたは……訊くまでもありませんか」
 
 主君を見定める眼が、別の想いに曇らされている。その可能性は否定出来ない。
 
 そんな気持ちと裏腹に、揺るがない確信のようなものもある。
 
「……雛里も、随分前から決めていたようだがな」
 
 また上手く、他人をダシにして明言を避ける。
 
「ズルい女ね、あなたは」
 
「何を言う。女はこれくらいで丁度良いのだ」
 
 そんな、“自称”恋愛の達人の戯言を聞き流しながら、私はまた盃を呷った。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回は一刀の出番なし。
 次は雛里のターンかなぁ、と考えてたりします。
 
 



[12267] 十章・『迷子で子猫』
Name: 水虫◆70917372 ID:d95a41f4
Date: 2009/11/01 04:35
 
 流石に王都、全体的に広いから、それを統治し、治安を維持するのはかなり大変。
 
 いや、別に警備の仕事に限らないんだけどね。でかい都市の管理はとにかく大変だから、何よりも要領、効率の良さが求められてくる。
 
 都市の中に幾つもある町に、特急で詰所を新設しつつ、それらの警備隊を元義勇軍を中心に編成して……と、必死に頑張る俺。
 
 前の世界やこの世界の啄県で政務に注いでいた無い知恵を、警備オンリーに注ぐ。ていうか、その権限しかない。
 
 元々、俺個人のスペック的にはこれくらいが適任なのかも知れん。
 
 そんなわけで、今日も問題点を見つけるために街を散策(警邏)。こうやって歩き回るだけでも、雛里とか風、稟あたりなら、俺が気付かないような所をホイホイ気付くんだろうなぁ、とか考えてちょっとへこむ。
 
「………ん?」
 
 そんな事を考えながらも、必死に色々と問題点を探す中で、見慣れた、小振りの影を見つけた。
 
「…………」
 
 俺、よく見つけられたなぁ。行き交う人の波に飲み込まれ、子供みたいにオロオロと辺りを見回して………
 
「うええぇぇぇ〜〜〜………」
 
 泣いたーーー!?
 
「雛里〜〜!」
 
 すかさず呼び掛けながら、横歩きに人混みを抜けて接近を試みる。
 
「ご主人様あぁぁぁ〜〜〜」
 
 気付いたか、よしこのまま……
「ぐすっ、ご主人様あぁ〜」
 
「行くなー!」
 
 俺に気付いてくれたのかと思いきや、独り言だったのか。そのままキョロキョロと歩いていく雛里。
 
 つーか今、涙目だったぞ?
 
「うっ、うぅぅ〜〜……」
 
「雛里!」
 
「は…………!?」
 
 小さいし、見つけにくい雛里ではあるが、歩幅は狭いし動きもゆっくりだから、わりとすぐに追い付けた。
 
 強めに呼び掛けた俺の声に、背を向けたまま、びくくっ! と全身が硬直する。……ちょっと面白い。
 
「ごめんなさっ、ふええぇぇぇ〜〜〜んっ!」
 
 何て言ってる場合じゃねえ!? いきなり泣き出し、さらに逃げ出した。
 
「逃げるな! 俺だよ、俺」
 
「は…………!?」
 
 二度目だ。またも強めの呼び掛けにカチンと固まる。
 
「うぅ、うえぇ、ふぇ……」
 
 何で泣いてるんだ? ようやく追い付いたものの、雛里は両手でぎゅ〜っと帽子の鐔を引っ張って俯いてしまっている。未だに俺だと気付いてくれてないらしい。
 
「ふええぇぇぇ〜〜ん! お願いします、売、売らないで〜〜…… 」
 
 やばい。事態が全然飲み込めないが、雛里はかなり本気で恐がっている。一体何が……
「どうやら、かつて行商の馬車に紛れ込んでいた時の恐怖が染み付いちゃってるようですねー。お兄さん的言い方をするなら……虎馬?」
 
 耳に馴染んだ、のんびりな説明に俺が振り返るより早く、そいつは行動を起こしていた。
 
「にゃー!」
 
 俯く雛里を、下から覗き込ませるように、抱き抱えていた猫を突き出す。
 
 ちなみに、猫自身は無言だ。
 
「にゃ、にゃあ……」
 
 虚を突かれたのか、泣くのをやめた雛里は、猫語で返事をした。その視線は、猫の視線とバッチリ噛み合っている。
 
「我が輩は猫である。名前はまだ無い」
 
「え、えっと……わたし、鳳統って言います……!」
 
 ここは、こいつ……風に任せた方がいいのかも知れない。何か、泣いてる子供があめ玉で泣き止む光景を幻視したし。
 
「我が輩は、常山に居わす猫仙人が遣い。名を持つ事など許されぬ、使い捨ての手紙のような、小さき存在」
 
「そ、そんな……!」
 
 ……何か、微妙に凝った設定を捏造し始めたぞ。
 
「しかし、この使命を果たした時、我が輩は念願の名を承る事が出来るのだ。だが、もし失敗すれば、我が輩はさらに小さく卑しき、鼠へと変えられてしまう」
 
「ねっ、鼠に……!?」
 
 どうでもいいけど、猫さまの口、さっきから動いてないぞ。いかにもものぐさな顔で目を細めてる。
 
 もう雛里泣き止んでるし、割って入ろうかな。でも、微妙に続きが気になるような……。
 
「そっ、その使命とは?」
 
 雛里は優しいなぁ。行き掛かりの猫の事を親身になって心配している。
 
「その使命とは、猫仙人様への貢ぎ物を集める事」
 
「貢ぎ物……」
 
「そう、その貢ぎ物とは……」
 
 ここで風は、数秒の間を置いた。奇妙な緊張に、俺と雛里は息を呑む。
 
「若い、人間の……娘だにゃぁ!」
 
「っ〜〜〜〜〜!!?」
 
 その言葉と同時に猫の遣いが雛里の目の前に突き出される。……って、
 
「怖がらせないの!」
 
 いらん演出をしてくれた風の側頭部にチョップ。
 
 そういうオチかよ! 風を信じて任せるんじゃなかった。
 
「う〜……、痛いのです」
 
「甘んじて受け入れなさい」
 
 風の恨みがましい視線を無視して向き直る前に……
 
「ふええぇぇぇ〜〜〜ん!」
 
 泣きじゃくる雛里が、俺の腰に飛び付いた。
 
 
 
 
「それで、雛里は新しい軍略の本を買いに来て、迷子になったと……」
 
「(………コクン)」
 
 あれから泣きじゃくる雛里を宥めすかし、ようやく落ち着いて三人で街を歩く。
 
 それにしても、いつか稟が言ってた事、大げさじゃなかったんだな。
 
「それで風は、どうしていきなりあんな所に?」
 
「風は……」
「いや、やっぱいいや。風は何かと一流だもんな」
 
 お得意の台詞を先取りしてやると、予想通りの不満顔でこっちを睨む風。
 
「むー……」
 
 一本取ってやったぜ。雛里を玩具にして遊んでるからそうなる。
 
「ひゃっ!? 何ですか、人のほっぺをプニプニとー!」
 
 ついでに、ほっぺたを指でつついておく。恐れ入ったか。
 
「お兄さん、風にそのような態度を取って良いのですかー?」
 
 意味深に呟いた風は、むんずと俺の指を掴んで左右に振る。
 
 どっちだ? カマ掛けか、それとも本当に何か強みが……?
 
 そんな俺のしょうもない葛藤は、即座に無意味と化す。
 
「じゃじゃーん!」
 
 焦らしたわりに結局は見せたかったのか。ごそごそと袖を漁った風は、それを高々と掲げた。
 
 著者には、『水鏡』とある。
 
「あっ、それ……!」
 
 雛里が目を見開いて、その本を凝視。もしかして……
 
「雛里が探してたのって、あれ?」
 
「あ……はい、そうです」
 
 何と。いや、風だって軍師なんだから全然おかしな事でもないのか。
 
 掲げた本を振る風の手に合わせて、雛里の体が左右にふらふらと泳ぐ。
 それを小柄な風が爪先立ちでやってるのと合わせて、二重に和む。
 
「けどそれ、風のなんだろ? っていうか、何で雛里がそれ欲しがってるって知って……?」
 
「星は何でも知っている。黄河も何でも知っている」
 
 ……ツッコまんぞ。にしても、店を教えてくれるとか、そういう事だろうか?
 
 俺のそんな予想など、風は当然のように上回る。
 
「ちらっ、ちらっ」
 
 さらに袖から、『水鏡』の字を持つ本が……二冊!?
 
「合計三冊かよ!?」
 
「風、稟ちゃん、雛里ちゃんの分ですねー。賈駆さんは風が買いに行った時に本屋さんに居ましたし」
 
 何という準備の良さ。っていうか、一歩間違えたら余分に買っちまうんじゃないのか?
 
「稟ちゃんは今日は大忙しですし。雛里ちゃんが迷子になるのは予定の内でしたからー」
 
「あわわ……」
 
「……わかってたんなら、最初から助けたげようよ」
 
「助けたじゃないですかー」
 
 最初はな。
 
「それで? どうするのですか?」
 
 これ見よがしに本をフリフリして、俺に訊ねる風。っていうか、そこで俺に訊くのは何でなんだ。
 
「……………」
 
 そして、雛里まで何故俺を上目遣いに見上げる? ……まあ、やるべき事はわかってるつもりだから、愚痴みたいなもんだけどさ。
 
「最近、おいしいって評判のお店があるんだ。今日の夜は三人でそこで食べよう。……俺のおごりで」
 
「ぶい!」
 
 言葉通りにVサインを出した風は、そのまま雛里の手を掴んで一緒に万歳。ついでのように軍略本を握らせる。
 
「はぁ………!」
 
 それを、雛里はぎゅっと抱き締める。ああ、そうか、そういえば……
 
「水鏡って、雛里の先生だっけ」
 
「はい……」
 
 離れても、こんな形で教えを受ける事が出来る。そんな暖かな喜びが、雛里の全身から溢れているように感じられる。
 
 ……何かいいな、こういうの。
 
「ところでお兄さん、話しながら歩いていく内に、随分と中心街から離れた町外れの路地まで来てしまったようですがー?」
 
 そんな、人を迷子みたく言うなよ。雛里じゃあるまいし。
 
「あのね、俺は一応警備隊長だぞ? 隅から隅まで回らないと意味ないだろ」
 
「おや、意外とちゃんと考えているのですねー」
 
 まあ、星とか恋ならともかく、雛里や風を連れ歩いてるのは警備隊長としてどうかと思わんでもないが。
 
「……にしても」
 
 仕事は仕事として、辺りを見渡しても、やっぱりここは寂しいな。
 
 人が、つまりは有用な建物が少ない。これじゃせっかくの土地が勿体な……ん?
 
「こんな所に、井戸なんかあったんだ?」
 
 何となく目についた井戸、その奥を覗き込んだのもまた、単なる気まぐれだった。
 
 
 
 
「あわ、あわわ……」
 
「これはこれは……」
 
「……どしたの、二人とも?」
 
 もはや井戸としての機能を果たしていない浅井戸の奥、日光に反射してか、そこで光った何かを、ちょっとしたアドベンチャー感覚で拾い上げた。
 
 すると、二人のこのリアクションだ。
 
「判子、だよな?」
 
 宝石とかなら良かったのに、いや、これも結構良さそうな造りだし、磨けば売れるか?
 
「判子じゃありません! 玉璽です!」
 
 ぎょくじ、ぎょくじ………玉璽っ!?
 
「あわ、あわわわ……!」
 
 俺も目一杯驚きたい所だが、雛里の取り乱しっぷりを見てると逆に落ち着いてくる。俺は何ちゅう物を売ろうとしてたんだ。
 
 詳しい意味とかはわからんけど、確か玉璽って、皇帝の証だろ。
 
「さてはて、おそらく十常侍と賈駆さんが覇権争いをしていた時に、十常侍の誰かが持ち出して、混乱を経て今ここに在るのでしょうが……どうしますかー?」
 
 こんな時でもマイペースな風、本気で頼りになるな。
 
「どう、て……?」
 
 しかし、質問の意味がよくわからない。
 
「もう代わりの玉璽が作られているでしょうが、“その玉璽は”どうしますか? ということです」
 
 あ、そういう事か。そういえばそうだ。失くなった玉璽の代わりを、いつまでも用意しないわけもない。
 
 そして、ここにはオリジナル……かどうかまではわからないけど、玉璽がある。
 
 ………ふむ。
 
「もらっとく」
 
 “この先の事”を考えれば、使えるものは何でも力にしていった方がいい。
 
 天の御遣いの虚名だろうが、玉璽だろうが、それは同じだ。
 
 俺のそんな意を、汲んでくれたのだろう。
 
「……お供します。どこまでも」
 
「お兄さんも、意外としたたかなのですー♪」
 
 片やどこまでも真剣に、片やたまらなく楽しそうに、そう応えてくれた。
 
 
 
 
(あとがき)
 予告通りに(?)、雛里と風のターン。
 次は霞と華雄にする予定ですね。まだ三幕、もうちょいと続きます。
 
 



[12267] 十一章・『武人の矜持』
Name: 水虫◆70917372 ID:e8e8d0c6
Date: 2009/11/02 10:57
 
「かーずとー♪」
 
「……霞」
 
 街の改善案をまとめるため、一度自室に戻る途中、酔っ払いを発見した。木陰で気持ちよさそうに酒を呷っている。しかもちょいちょいと手招きまで、俺忙しいんだけど。
 
「昼から酒か。詠に言うぞ?」
 
「へっへーん、ウチ今日非番やもーん♪」
 
 む、それは羨ましい。詠のやつ、俺には休み全然くれないくせに。
 
 そんな気持ちが顔に出ていたのか、霞は少し肩を竦めて見せる。
 
「ウチかて、随分お久しぶりの休日なんよ? 賈駆っち、最近はみょ~に気合い入っとってな。やたらと調練させたがるねん……っよ!」
 
「うわっ!?」
 
 近づいた俺の手首を引っ掴んで、強引に座らせる霞。俺は仕事あるんだってば!
 
「ええからええから♪」
 
「……よくねえよ」
 
 どうしてこう、俺の周りには自分のペースに俺を巻き込みたがる人種が多いんだ。
 
「ン……ぷはぁ! やっぱお天道さんの下で飲む酒は、これまた格別やな!」
 
「俺は夜にしっとり月見酒の方が好きだけどな」
 
「ぶー……一刀がいじめるー!」
 
 ほっぺたを膨らませてぷいっとそっぽを向く霞。……ズルいよなぁ、こういう仕草すれば大抵何でも許されるんだから。
 
 と、思った瞬間、
 
「隙あり!」
 
「んがっ…!」
 
 まだ酒がたっぷり入っていた盃を、俺の口に当ててきた。こぼすわけにもいかんから、そのまま一気に飲み干す。
 
「し、霞! お前なぁ!」
 
「にゃははは♪ 油断大敵やで、御遣いさま♪」
 
 ああもう、この酔っ払いは! しかも間接キスとかお構い無しですか。
 
「侍女たーん! 盃もう一個と、あとお昼ごはん持ってきてー!」
 
 ……何か、観念した方がいい気がしてきた。いいや、夜に死ぬ気で終わらせよう。
 
「はぁ……わかった。霞が満足するまで付き合うよ」
 
「やーん♪ さっすが一刀! せやから大好き! お礼にチューしたる♪」
 
「こっ、こら! そういうのは大事な時に取っときのわっ!?」
 
 ほっぺたに吸い付く霞を引き剥がしながら、俺は明日詠に散々しばかれる覚悟を決めた。
 
 
 
 
「ゴクッ……はあぁ」
 
 侍女さんが持ってきてくれた盃と昼飯で、軽い二人パーティーと化している俺と霞。
 
 星や詠、稟あたりに見つかったら血を見そうな……いや、星なら混じるか。
 
「なぁ…一刀ぉ……」
 
 霞が、とろんとした目で俺を呼ぶ。霞の方が酒に強いはずだが……何か今日は妙にペース早かったしな。
 
「一刀には、世話になりっ放しやなぁ……」
 
 でも呂律ははっきりしているし、意外に真面目な雰囲気。霞ってそもそも酒でテンション上がる事はあっても、後で「そんな事あったっけ?」とかいう事はないもんな。
 
「世話になってるのは俺たちだろ? 黄巾の時だって、俺たちだけじゃどこまで戦えたかわかんないし。その恩賞だって、霞たちと一緒だったおかげだろうし」
 
 ちょっと思惑と外れたけど、とは言わないでおく。
 
「ま、それについてはお互い様っちゅー事で、……ウチが言いたいのはそういう事やないんよ」
 
 座り直した霞の位置は、肩が触れ合うほどの隣、前方の空間を眺めて、霞は続ける。
 
「月や、詠、恋、みんなのこと」
 
 いつになく真剣な様子だが、はて?
 
「何となく、霞の持ち出したい話題はわかったような気がするけど、そこに詠が混ざるのか?」
 
「詠は元々、月以外からは一線引いたような距離の取り方しよるからなぁ。黄巾の遠征から帰った後は特に、な」
 
 一線……。あれは照れ隠しなんじゃなかったのか?
 
「一刀は、自分が会う前の詠を知らんからなぁ、当たり前やけど。あんな風に、他人に気持ちをそのまんまぶつけるみたいに接するような奴やなかったんよ」
 
「それは……良かったのか?」
 
 俺、基本的にいつも罵倒されてんだけど。いや、俺も弄ってるから文句は言えんが。
 
「それでええねん、いっつもあんな態度で居ったら疲れるやん」
 
「……ま、あれで詠のためになってんだったら、言う事ないけどね」
 
 素直に……嬉しかった。俺の接し方が、詠に余計ストレス与えてんじゃないかって、たまに思ってたから。
 
「月と恋も可愛いらしゅうなったしなぁ~~♪」
 
「そこは同感」
 
 真剣な顔から一転、にぱっと笑って言う霞に、俺も同意しておく。
 
 恋は会った時から懐かれてたけど、月は随分と明るくなった。
 
 ……思えば、恋にいきな懐かれてたのも、貂蝉の言ってた『記憶の欠片』の影響なんだろうな。微妙に複雑なような、そうでもないような。
 
「………ウチも、な」
 
 霞はまた表情を一転させ、真剣なものにして、目を細める。
 
「え? 今、何て言った?」
 
「な~んも♪」
 
 変なやつ。いや、俺の周りは大抵そんなのばっかか。
 
「そんな一刀さまを見込んで、お頼みしたい事があります!」
 
 テンションの起伏に付いていけん。基本シリアスモードで行くか。
 
「何ですか、張文遠殿?」
 
「さっき、華雄とすれ違うたやろ?」
 
 完全に予想外の話題だった。確かにさっきすれ違った時、派手に足踏みならして肩を怒らせてた。
 
「ああ、何か苛ついてたみたいだけど」
 
 にしても、さっきから霞、仲間の事ばっか気に掛けてるな。何となく、陽気で妹想いのお姉ちゃんって感じ。
 
 俺の中で霞=董卓軍の長女の図式を確立させよう。
 
「さっきな、華雄……恋にノされてん」
 
「っ……!」
 
「もちろん、華雄から挑んだんやけどな。『恋! 今日こそ真の天下無双は誰か、決着を着けようぞ!』ってな。まあ、流石に転戦中は言いださんやったけど、その前は日常茶飯事や」
 
 ……なるほど。光景が容易に思い浮かべられる。
 
「もしかして、華雄って……」
 
「せや、恋が居るからこの陣営に居るんよ」
 
「やっぱり……」
 
 やたらと『武』に拘るもんなぁ。恋に固執するのもわかる気がする。
 
 よく考えたら、この陣営って客将ばっかだな。月の部下って断言できるのって詠だけじゃないか。
 
「あいつ誰にも真名教えんし、ツンツンしとるし。強さにばっか拘っとるやろ」
 
「……まあ、確かに」
 
 武力が大方の判断基準だよな、あいつ。軍師勢とはあんまり仲良くないし……いや、武官とも仲良くない? あれ?
 
「ウチも武人やから、そういう気持ち、わかるんやけどな」
 
 どういう事? と訊かなくても、霞の言葉の中に解がある気がした。
 
「武家に生まれ、武人として育ち、それだけが存在理由になる。それを失ったら、自分には何も無い。そういう気持ちや」
 
「あ…………」
 
 瞬間的に、閃く。
 
 武に頼る、武だけしか見ない華雄。そして、その華雄より強い恋。
 
 前の世界の愛紗も、似たような状態になった事があった。
 
『恋の存在は、わたしに……わたしの無力さを痛感させます』
 
『恋の剣に信念は灯っておりません……まるで野生の獣です』
 
『歯痒いのですよ。わたしには戦う理由があり……強く在りたい、そう願い続けて今日まで戦ってきました』
 
『わたしは……羨ましい。それ以上に悔しくて、歯痒くてならないのです』
 
 
 愛紗と華雄は全く同じ人間じゃない。感じた事も、その理由も、全く同じではないだろう。
 
 でも『自分が求めるもの』、それを無造作に振るう人間に抱く感情には共通するものがある気がする。
 
 一言で言うなら、コンプレックス。
 
「ちゅうわけで、一刀! 行ってみよー!」
 
「ぐあっ!?」
 
 背中をバシーンと叩かれ、そのままぐいぐい押されて立ち上がる俺。
 
「ちょ、待て。行くぅ!?」
 
「頼んだわ、手綱取るんは一刀の仕事やしな♪」
 
「…………」
 
 何か釈然としないものは残るけど、確かにそんな風に沈んでるなら、放っておく気にもなれない。
 
「まかせとけ」
 
 どうせだからカッコつけて、俺は小走りに華雄を探しに行く。
 
「一刀、かぁ……」
 
 呟いた小さな言葉は、俺の耳には届かなかった。
 
 
 
 
「…………」
 
 目撃情報を集めて、何とか見つけた先に華雄を見つけて、言葉を失う。
 
「…………」
 
 街から外れた森の奥、そこで華雄は滝に打たれていた。どんだけレトロな修業だ。
 
 しかも、敗けてすぐ修業ってのも、随分ストレートな行動パターン。華雄らしいっちゃらしい。
 
「………すぴー」
 
「寝てるのかよ!?」
 
 図太いなんてもんじゃねえぞ!? 滝に打たれながら爆睡とか、風でもしないぞ。しかもまだ起きんし。
 
「おい、華雄。かーゆーうー!」
 
 仕方ない。てゆうか、女の子がずぶ濡れな状態がいたたまれなくて、近寄って両肩を掴んで揺さ振る。もちろん俺もずぶ濡れ。
 
「……ハッ!?」
 
「かゆ゛っ!?」
 
 いきなり起床、起立のコンボを繰り出した華雄の頭が俺の頭を顎を直撃。舌噛んだ。
 
「「っ~~~~!」」
 
 川で水に濡れながら、二人で痛がる俺たち。さぞ珍妙な光景だろう。
 
「きっ、貴様北郷! この私に何の恨みがあって闇討ちを!」
 
「闇討ちじゃねえ! まだ夕方だろうが!」
 
「屁理屈を捏ねるな! よくも私の精神統一の邪魔をしてくれたな!」
 
「精神統一て、お前寝てただろうが!?」
 
「寝てなどおら、んんっ!?」
 
 騒ぐ華雄の足が、ツルッと滑って………
 
 バチャーーン!!
 
 川に落ちた。あそこ、微妙に深かったぞ?
 
「がぼがぼがぼがぼっ!」
 
「しかもカナヅチかよ!?」
 
 どこまでバカやらかせば気が済むんだこいつ。本当にこいつが、霞が心配してたようなセンチメンタルな悩み抱えてるんだろうな。
 
 などと内心で呆れながら、溺れる華雄を必死で引き上げ……
 
「息してない……」
 
 うわぁあああ! どうするどうなる!? とか考えてる場合でもなくて!
 
「迷ってる場合じゃねえ!」
 
 華雄の鼻を摘んで、顎を上向けて気道を確保、口から口に、フゥーーっ! と思い切り息を吹き込む、それを四回ほど繰り返した所で、
 
「……ッ! げほっ! がはっ!」
 
 華雄が、咳き込むように水を吐き出し、息を吹き返す。
 
「よ……よかったぁ……」
 
 安心して全身の力が抜ける。目の前にある華雄の目が、薄く開く。
 
「私は、溺れ、て……」
 
「よかった……。ホンットよかったぁ……!」
 
 顔が近い。なんて気にする余裕は、俺にも華雄にも無い。と思っていると、
 
「……泣いて、いるのか?」
 
 華雄の両手が、俺の両頬をがっちり掴んで、俺の目を見ていた。
 
「そうか……」
 
 俺が応える前に、そう呟くと、華雄は身を起こす。まだ意識がはっきりしていないのか、少し様子がおかしい。
 
「まなだ」
 
「……へ?」
 
 いきなり、薄く微笑んで、そう告げる。真名?
 
「まなって、真名か?」
 
「ああ、それが私の真名だ」
 
 ?? 真名を許してくれるのか?
 
「ああ、華雄の真名が……何?」
 
「だから、まなだと言ってるだろう!」
 
「うん、だから華雄の……」
「だから、真名が舞无だ! ああもうっ、だから言いたくなかったのだ!」
 
「あ、ああ……そういうこと。それで、真名で呼んでいいのか?」
 
「私で何を呼ぶというのだ! 私は呼び鈴などではない!」
 
「それは自爆だろ!?」
 
 
 奇妙で慌ただしいやり取りを経て、いまいちよくわらないままに華雄……舞无は元気になり、俺は首を傾げる。
 
 結局、舞无のコンプレックス云々の真相は闇に葬られた。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回は字数厳しかったから詰め込みました。もっと丁寧に書きたかったなぁ。
 
 



[12267] 十二章・『恋と恋』
Name: 水虫◆70917372 ID:8985ce85
Date: 2009/11/04 07:12
 
「…………」
 
 意識が沈んでいく。まるで深い水の底に引きずり込まれていくように。
 
 いや、それは比喩ではない。実際水に沈んでいるのだから。
 
 無様な。武人として育てられ、武人として生き、それこそが我が誇り。そんな私が、溺死て。
 
 情けなくて涙が出てくる。まだ一度も恋に勝ててもいないというのに。
 
 朦朧とした意識の中で、私は……深く沈んでいく体が、何かに支えられるのを感じていた。
 
「…………」
 
 沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上する。何かが叫んでいる。誰かが呼んでいる。
 
 ……苦しい、苦しい。
 
 何かが、私の口を塞ぐ。そして、何かを私の中に吹き込んでくる。
 
 私には、それが命そのもののように感じられた。
 
「……ッ! げほっ! がはっ!」
 
 吹き込まれ、かき回された違和感の後、私は何かを吐き出した。
 
 その衝撃に、急速に意識が覚醒する。
 
「…………」
 
 うっすらと目を開く。目の前には、顔……北郷か。顔が近いぞ。
 
「私は、溺れ、て……」
 
 ぼんやり呟いて、ようやく溺れた事を思い出した。
 
 すると……
 
「よかった……。ホンットよかったぁ……!」
 
 北郷は私の上から退くどころか、その姿勢のまま脱力した。……泣いて、いる?
 
「……泣いて、いるのか?」
 
 思ったままの言葉を口にする。返事はない。
 
「…………」
 
 私が助かって、嬉しいのか。よく考えたら、私を助けたのも北郷に違いない。他にいないし。
 
「………はぅ」
 
 私は、どうしたというのだろうか?
 
 鼓動が早い、息が詰まるほどに。力が入らない、熱病にでも侵されたように。北郷の背中に、輝く虹輪が見える。泣き顔が、可愛い。
 
 ……考えられん事。今まで武人として力を磨き、それだけを誇りに生きてきた。
 
 私は女である前に武人、我が恋人は愛用の武器・『金剛爆斧』。そう思っていた。
 
 今までの人生で、そういう事を全く考えなかったわけではない。私よりも強い男……などとぼんやりと思っていた気がする。
 
 北郷は、私よりもずっと弱い。
 
 だが、よく考えたら……私が、自分より強い相手を認めるだろうか? そんな相手と寄り添う。そんな敗者に成り下がるのだろうか?
 
 いかん、どんどん考えが肯定的に……ん? 待て、北郷が私を助けた? つまり、あの時私の唇を塞いだのは……
 
「(……ぁぁ〜〜)」
 
 冷えきった体に、一気に熱が巡る。
 
 考えにくい事。今まで他人事のように感じてきた事。よりによって北郷に。
 
 それでも、私は知識としてなら“これ”を知っている。他に、説明出来る言葉を知らない。
 
 サラシを巻いただけの、濡れ鼠なこの身が少し恥ずかしい。
 
 やはり、と思うしかなかった。
 
「舞无だ」
 
 これは私の、初恋なのだと。
 
 
 
 
「っしゃぁああーー!!」
 
 今日は非番! 昨日は華雄……じゃなくて舞无の騒ぎで大変だったしな。
 
 死ぬ気で資料を持ってった時の、詠の……
 
『……あんた、明日は非番でいいわよ。その代わり趙雲にサボらないよう言っときなさいよ』
 
 という言葉にどれだけテンション上がった事か。テンション上がりすぎてなかなか寝付けなかったくらいだ。
 
「……って、何しよう?」
 
 元・現役高校生な俺としては、この世界で一人楽しむ娯楽なんて未だ無に等しい。でも皆忙しそうだし。
 
 街をぶらつく……って、それじゃいつもと同じじゃないか。
 
「あ」
 
 そう考える中、ナイスアイディアが浮かんだ。
 
 そうだそうだ、日頃から基本フリーダムにしてるあいつが居たじゃないか。
 
 結構街の見回りで会ってるけど、休日に会うのは久しぶり。いざ出ぱ……
 
「と、その前に星に一言釘差さないとな」
 
 っていうか、今から朝稽古じゃないか。
 
 微妙に上がったテンションを盛り下げつつ、俺は自室を後にした。
 
 
 
 
「ほら、言った側から……脇ぃ!」
 
「ぎゃふっ!」
 
 成長してないとか言うな。比較対象が不適切なんだよ。
 
 これでもダウンするまでの時間は伸びているはずだ。タイマーとか無いけどな! そして集中してる時の主観時間ほどアテにならんものも無……やめよ、ネガティブになるの。
 
「……大丈夫、伸びてる」
 
「……ありがと、恋」
 
 運良く鍛練の途中で恋と遭遇出来たのは幸運だった。恋ならいつものんびり、詠が恋の手綱を握れてない……って言うか、恋はこれでこそ恋なのだ。
 
 今日は恋の屋敷にお邪魔するプランである。
 
「だから、今度は恋が相手……」
 
 キャーー!!
 
「ふっ、良いではないか。敵は私一人ではない。妙な癖などつかれても困る」
 
「……星、お前俺を殺す気ですか?」
 
「まさか。殺すのは私ではないのでな」
 
 こっんの、メンマ!
 
「フンッ!」
 
「うわぁ! 方天画戟はやめて! ホントに死ぬ! 真っ二つになる!」
 
 俺に向けて戟を振るう恋は、その言葉に目をぱちくりとさせ、星を窺う。俺を窺え!
 
「恋! お前の好きにしろ」
 
「(……コクッ)」
 
 頷いたーー!?
 
 戟の風圧が前髪を薙ぐ。背筋が凍る。冷や汗が噴き出す。
 
 繰り出された突きを木刀で横に払って後ろに跳ぶ。
 
「恋とて、おぬしの身を案じて珍しく積極的になっているのだ。命懸けで応えてこそ男、というものだぞ?」
 
 言って、楽しそうに星は笑う。くそぅ、面白がりやがって。
 
「……一刀は、前に出る」
 
 ボソッと呟いて、恋は暴風のように戟を振り回し、次々に攻撃を仕掛けてくる。
 
 斬撃なのか刺突なのか、はたまた石突きなのか、ほとんど確認すら出来ない。
 
 これ、間合いに入った瞬間に死ぬんじゃ?
 
「でも、弱い……」
 
 恋は思った事を隠さず、素直に口に出すから、余計にグサッときた。
 
「このっ!」
 
 何とか捉えた。戟の柄を木刀で叩いて、横に泳がす。
 
 むしろ俺の手の方が痺れたけど、近づけば少なくともあの刃は食らわない。
 
 そう思って体当たり気味に前に飛び出して……
 
「ぐぁっ……!」
 
 頬に鈍い痛みを感じて、無理矢理後退させられる。食らったのは、恋の左拳。
 
 そういや、前の世界で星が、恋は体術を織り交ぜるのが得意とか言ってたような……
「っ!?」
 
 そんな悠長な考えに浸る余裕など当然のように無く、恋は方天画戟を振りかぶっていた。
 
「それじゃ……いつか斬られる」
 
 寂しそうに、悲しそうにそう呟く恋の声が聞こえて、俺は思わず庇うように木刀を構えて……
 
「………う」
 
 ポトッ、と、俺の木刀の柄から先が、綺麗に切り落とされていた。
 
 何ちゅう切れ味。いや、恋の腕がいいのか。
 
「だから守る」
 
 またも小さく呟いた恋の言葉は、しかし不思議なほど強く響いた。
 
「恋……」
 
 ガシャッと戟を無造作に放り出した恋は、俺の腫れた頬を撫でる。
 
「……痛い?」
 
「…………」
 
 さっきまで命の危機を感じていた自分を殴ってやりたくなる、その健気すぎる仕草。
 
「……全く、本当に罪な男だ」
 
 呆れたように、それでいて楽しそうに呟いた星が、ぽんっと水の入った竹筒を俺の頬に当てる。
 
 俺なんかより、星の方がよっぽど恋の事を理解してた、という事なのかも知れない。
 
 そんな、若干涙腺の弛むような空気をぶち砕くように……
 
「一刀ぉーー!」
 
 中庭に大声が響いた。びりびりと肌を震わす。
 
「ぬぅ……華雄か」
 
「……うるさい」
 
 星も恋も、頭を抱えてフラフラとよろめく。
 
 かくいう俺もちょっと耳が痛い。
 
「やはり居たか! 今の時間ならば鍛練していると思ったぞ」
 
「……朝から元気だな、舞无」
 
 っていうか、いきなりどうしたんだ。俺また何かしたのか?
 
「「……真名?」」
 
 その質問を俺が口に出す前に、星と恋がハモった。まあ、勘違いする気持ちはわかる。俺もしたし。
 
「ああ、華雄の真名、舞无って言うんだってさ」
 
 俺の時と同じ轍は踏まない。折れた木刀で地面に書きながら教えてみる。
 
「……舞无?」
 
 首を僅か傾げながら、恋が舞无に訊く。……可愛い。
 
「……そうだ。それが私の真の名前」
 
「舞无」
 
 舞无の言葉を聞いているのかいないのか、恋は確認するようにもう一度呟く。……そういえば、元々恋の事だけは真名で呼んでたもんな。
 
 そういや、俺さっき「一刀」って呼ばれたな。
 
「……いつからかな?」
 
 俺をジト目で睨む星。何が?
 
「華雄にはいつ手を出された?」
 
「すぐそっちに持ってくな!」
 
 地味に敬語になってるし!
 
 と、とりあえずさっさと用件済まして恋ん家に逃げよう。
 
「それで舞无、どうしたんだ? こんな朝から」
 
 正直、良い予感はしない。カナヅチの事を黙ってろと、また念を押しに来たとか?
 
 それにしては、両手に乗ってる物体がミスマッチだが。
 
「手遊びに朝食を作ったら余った! 食え!」
 
 そう、舞无の右手には炒飯が、左手には餃子の皿が乗っていた。
 
 しかし、そんな事より何より………
 
「「…………」」
 
「………?」
 
 あまりにも予想外の事態に、三者三様の沈黙。
 
 ……えーと、何だって?
 
「? ……何だ、朝稽古で腹が減っているだろうと思っていたのだが」
 
 いや、そこで舞无に不思議そうな顔されても。もしかして、自分の行動の不自然具合に気付いてないのか?
 
 いや、別にそれ自体はおかしくない。こいつの鈍さは半端ないし。ただ、何でこんな、部活の後輩マネージャーみたいな真似を?
 
「……もらう」
 
「あっ! こらっ、恋!」
 
 そんな俺の?にまるで頓着せず、恋は餃子を一つつまみ食う。
 
「ふむ、少々怖いが……」
 
「ああぁっ!」
 
 間髪入れずに、しかし恐る恐る、星がレンゲで炒飯を一掬い、食べる。
 
 いちいち狼狽える舞无が少し面白い。
 
「おぬしもどうだ? 一刀よ。てっきり武以外はからきしかと思っていたが、案外やるぞ?」
 
 何!? この瞬間、俺の一番の懸案事項が解消された。
 
 かつての愛紗のびっくり料理が味覚と脳裏をよぎったのだ。
 
「?? ……私は、料理など今日が初めてなのだが」
 
 さらにビックリ。初めてで星を納得させる料理を作るとは……予想外の才能だ。
 
 とにかく……
 
「あむっ……」
 
 俺も食ってみる。おぉ! これは確かに!
 
「イケるなぁ、これ!」
 
「ほ、本当か!?」
 
 うん、何か炒め方とか味付けとか、根本的な部分がしっかりしてる。
 
 これが初めてだっていうなら、練習重ねて工夫したら店に出せるぞ。
 
「ふっ……、嬉しいか? 華雄よ」
 
「うん!」
 
「「…………」」
 
「???」
 
 星の問いに、舞无が無邪気に応え、俺と恋が沈黙、満面の笑顔で頭に?を浮かべる舞无を、星がニヤニヤと見ている。
 
 自分の行動のギャップに気付かないあたりが、何とも………
 
「……可愛いな」
 
「俺もそう思う」
 
 星と、そう小声で確認し合った。
 
 
「……で、一体何をされたのかな? 北郷一刀殿」
 
 
 ……好奇心を織り交ぜた嫌みは忘れてなかったけど。
 
 
 
 
(あとがき)
 華雄の真名ですが、舞无(まな)と読みます。
 前回の感想で、そういうのが紛らわしいと思ったので、補足を。
 
 



[12267] 十三章・『俺と一緒に』
Name: 水虫◆70917372 ID:8985ce85
Date: 2009/11/05 06:27
 
「お?」
 
 恋の手を引いて街へと向かう途中に、見知った小柄な二つの影。
 
 月&詠だ。
 
「おつかれ〜」
 
 「俺、非番だし」という態度丸出しに、書類で手の塞がっている詠の頭をぽんぽんと叩く。
 
「気安く触んな!」
 
 そんな風に調子に乗った俺は当然痛い目に遇うわけで、脛にガシガシと蹴りを入れられた。かなり痛い。
 
「一刀さん、今日はお休みですか?」
 
「まあね。今から恋の家に行こうかと」
 
 月にはもちろん、そんな意地悪な態度は取らない。嫌みにならないようにさらっと応えておく。
 
「あんた……確か啄県で内政の経験あったはずよね。このまま執務室に連行してやってもいいのよ?」
 
 そんなあからさまな差別的態度が気に入らなかったのか、詠が額に青筋を浮かべながら口の端を邪悪に引き上げる。
 
「……ダメ」
 
 しかし、俺が反応するより早く、腕がぐいっ! と力強く引っ張られた。
 
「今日は、恋の……」
 
 隣に居た恋が、自分のだと主張するように、俺の腕をぎゅうっと掻い込んでいた。さらに、牽制するように詠を上目遣いに睨む。
 
「……色情狂」
 
「俺が何した!?」
 
「これからするんでしょうが! 恋の家に押し入って何するつもりよ!?」
 
 ひどい誤解だ。この世界に来てからそういう真似は一度もしてないと言うのに、何で俺すでにそういう認識にされてんだ?
 
 詠は桃香の事すら知らんだろうに。これだと舞无の奇行が知られた暁には何を言われるやら。
 
「そんなひどい言い方すんなよ〜、俺があげたメイド服着てくれてるくせに」
 
「こっ、これは月が一人で着るの恥ずかしいって言うから仕方なくよ! 仕方なく!」
 
「へぅ……」
 
「うむ、よく似合うぞ。天の世界では、頭の良い偉い人が着る衣装だからな(嘘)」
 
「……あんた、今微妙に語尾が不自然に上がったわよ」
 
「キノセイダヨ」
 
 いかん、このまま詠と喋ってたら(つい弄って)本当に執務室に連行されかねん。
 
「んじゃ! 俺たち急ぐから!」
 
「……じゃあ」
 
「あ……」
 
「逃げるなー!」
 
 さっさと逃げてしまおう。
 
 俺たちが逃げ去ったその後に、
 
「……ったく、何が頭の良い偉い人が着る衣装よ。あいつ絶対何か隠してるわよ」
 
「でも……、この服意外と着心地良いよ? 不思議と体に馴染むっていうか」
 
「……あんまり、あいつに入れ込み過ぎないようにね、月」
 
 そんなやり取りがあった事を、もちろん俺は知らない。
 
 
 
 
「ふんっっぬ……!!」
 
「………持つ?」
 
「いいからいいから」
 
 街で恋の愉快な仲間たち(動物)の食料を買い込み、一路、恋の屋敷を目指す俺と恋。
 
 あのプチ動物園の食料となると、結構な量になる。店の方で屋敷に送ってもらう事も出来たが、恋は皆を待たせたくないらしいので手持ち。
 
 もちろん俺の。実際恋の方が遥かに力持ちなわけだが、やっぱり傍目から見て、恋に持たせるのはアウトだろう。
 
「……持つ」
 
 ちょっとむっとしたように、今度は断定の形で言い切った恋が、俺から荷物をふんだくる。左手の分だけ。
 
「……つなぐ」
 
 そして、俺から奪った荷物を左手に持ち、俺の左手に右手を絡ませる。
 
 気遣ってくれたのかな? と思ったが、要するに手をつなぎたかっただけらしい。
 
「……ま、いっか」
 
 変に気遣われて男の面子を潰されるより、こういう理由の方が個人的には嬉しい。
 
「♪」
 
 恋も機嫌良さそうだし。表情自体はほとんど変わらないんだけど、さすがに俺も、結構付き合いは長いから楽にわかる。
 
「……これ、好き」
 
「これ? ……ああ」
 
 一瞬何の事を言ってるのかと思ったが、きゅっと軽い力を込めた恋の指が、“手をつなぐ”事だと教えてくれる。
 
「……あったかい」
 
 二人、手をつないで歩く中、恋が俯いたまま小さく呟く。俯いてはいるけど、髪の間から見える耳の赤みは隠せていない。気付いているのかいないのか、気持ち半歩分、俺に近づいてもいた。
 
「……不思議」
 
 俺に言っているような、あるいは自分に言い聞かせているような、そんな口調。
 
「一刀と居ると、色んな事、知らない事考える。考えたら、胸が……フワッてなる」
 
「…………」
 
 相変わらず要領を得ない恋語だが、今の俺にはその意味がわかった。
 
 恋が言ってるのは、貂蝉が言ってた『前の世界の記憶』の事なんだろう。普通の人……星や霞ならもしその記憶が浮かんだとしても、妄想や幻覚だと切り捨てる。
 
 それをダイレクトに受け取って、当の俺にまで話してしまうあたりが恋の恋たる所以である。……恋が口下手で良かった。
 
 と、そんな風に分析する反面。もっと大切な部分も伝わっていた。
 
 恋の、気持ち。
 
「……あったかい」
 
 また呟いて、恥ずかしそうに俺の腕に頬を寄せる。
 
 記憶の欠片の影響もあるんだろうし、まだ気持ちがはっきり理解出来てるわけではないんだろうけど、“この恋”が自分の気持ちで俺に好意を抱いてくれてる、それは素直に嬉しかった。
 
「ありがとう、恋」
 
「(フルフルフルッ!)」
 
 思ったままを口にすると、恋は俺の腕に頭を押しつけたまま猛烈な否定。ぐりぐりされた部分が摩擦で少し熱い。
 
「ははっ、恋は照れ屋だな」
 
「……照れてない」
 
 そう否定しながら、恋はまた少し、俺に寄り添った。
 
 
 
 
「ほらほら、順番は守りなさい」
 
「……めっ」
 
 恋の屋敷で動物たちにご飯をあげる。大きい子がせっつくと小さい子が長く待たなきゃならなくなるし、やり方を考えた方がいいな。「待て」が効いてるのは有難いけども。
 
「……みんな、恋以外にこんなに懐くの、はじめて」
 
「あー……かもね」
 
 セキトとのファーストコンタクトを考えても、こいつらにも記憶が受け継がれてるのだろう。
 
 恋にはちょっと失礼だけど、あまりものを考えない動物的なやつの方が、記憶が直接的に影響してる気がする。
 
「……お父さん」
 
「俺が? みんなの?」
 
「そんな感じがした」
 
 みんな……ってのは、この犬猫たちの事だろうな。“皆”には迷惑かけてばっかだし。
 
 いつしか、皆腹いっぱいになったらしく、わらわらと集まってきて、こてんと寝転んだ。
 
「どわっ!」
 
「……一緒」
 
 便乗した恋が俺を引きずり倒し、俺と恋、そして動物たちの集団日向ぼっこが成立する。
 
「…………」
 
 もう既に目を閉じて睡眠モードに移行している恋の顔を眺めながら、俺も暖かい微睡みに意識を任せた。
 
 
 
 
「ずと……か…ずと……」
 
「うぅん……、あと五分……」
 
「一刀!」
 
「はいっ!」
 
 怒鳴り声に叩かれ、体を起こ……せない!?
 
「たまの休日をどう過ごしているのかと思えば、昼寝とはな」
 
「……大概酒飲んでるだけの星に言われたくない」
 
「それより、いつまで寝そべって人と話しているつもりですか?」
 
「……こんな時間にお外で寝ていたら、風邪をひいてしまいます」
 
 星に稟、雛里、何で恋の家に居るんだろうか。っていうか、起きようにも……
 
「どうしろと?」
 
 左腕には、
 
「……すぴー……すぴー……」
 
 恋が抱きついて寝てるし。右腕は、
 
「……ぐー」
 
「寝るなっ!」
 
「おぉ……!」
 
 風が腕枕にしていた。稟のツッコミで起きたけど。
 
「んむぅ……?」
 
 恋も起きたか。もう暗いし、十分寝たんだろう。つーか、寝すぎだ。俺もだけど。
 
「?? ……遊びにきた」
 
「まあ、そんな所だ」
 
 起床一番の恋のその一言に、星は楽しそうにそう応えた。
 
 
 恋の屋敷の『中』に招かれた俺、星、稟、風、雛里。もっとも、お茶を煎れてくれたのは稟と雛里だが。
 
「んで、どうしたの? 揃いも揃って」
 
 宴会とかのお誘いにしたって、いきなり恋の家に押し掛けるとも思えないし、城とか別の場所でやるにしたって、わざわざこんな大人数で誘いに来るとも思えない。
 
 そんな呑気な憶測を立てていた俺は、当然のように返る言葉に衝撃を受ける事になる。
 
「単刀直入に言います。いつまでここに留まるつもりですか?」
 
「………え?」
 
 稟、いや、稟だけじゃなく、皆の顔が真剣。俺だけが間抜けな声を上げ、恋は眉間に僅か、皺を寄せる。
 
「黄巾の恩賞をきっかけにして、大陸を救う力をつけるという狙い。しかし、結果として得られたのは王都警備隊長の地位。官位は高くても、実質は太守の臣下と同じ扱いです」
 
 俺が話した事のない目論み(と言う割りには不明瞭だが)をあっさり見抜いて、雛里は淡々と告げる。迷子になっていた時とはまるで違う、軍師の顔。
 
 その内容に、俺も皆の言いたい事を理解する。自分の顔が強張るのが、自分でわかった。
 
「我々は、“董卓”の臣下になったつもりはありませんよ」
 
 敢えて董卓と呼んだ稟。その言葉の裏に、今まで一度も聞いた事のない決意が籠もる。
 
 俺も、考えてはいた事。白装束がいないとわかった時、あの時点でのこの街に留まる理由は無くなっていた。
 
 それを今まで先延ばしにしていたのには、俺なりに理由もあったが、それも今では“ほとんど”解消されているのも事実。
 
「私は、“お前を”大陸の王にする。そう言ったのだぞ?」
 
 星、雛里……そして稟や風も、俺に夢を、志を預けていたのなら……この状況は耐え難いんじゃないか?
 
 今まで、それに気付かなかった。馬鹿というだけでは済まない。
 
 と、そんな俺の衝撃を切るように……
 
「……ダメ」
 
 恋が、口を挟んだ。そうだ、恋は月の客将。こんな話を黙って許すわけが……
「一刀が行くなら、恋も行く」
 
 頭に、冷や水を浴びせられたように、ハッとする。俺はまだ、恋の事を何もわかっていなかった。
 
「…………あ」
 
 ふと気付いて視線を巡らせて、皆の顔を確認。その意図を察した。
 
 つまり、恋のこの選択すら見通して、四人は敢えて恋の前でこの話を持ち出したのだ。
 
「………ああ」
 
 ここまで尻を叩かれて、背中を押されて、迷ってなんかいられない。
 
 ここで決断出来ないようなら、皆は俺についてきやしない。その資格もない。
 
「運良く、“代わりのきっかけ”は見つけられたしな……」
 
 制服の内ポケットにしまった“それ”を、服の上から確認しながら、風と雛里にウインクしてみる。
 
 雛里は赤くなってあわわと俯き、風はノリ良くウインクを返してくれた。
 
「キ……」
 
「稟さーん! せめてもう一文字足してくれ! ツッコミはむしろありがたいけどもう一文字足してくれ、傷つくから!」
 
「冗談ですよ」
 
 まったく……。ちょっと崩れた空気をシリアスに引き締めつつ、
 
「ちょっと遠回りになったけど、ここからもう一度スタートだ」
 
「すたーと?」
 
「出発、という意味ですよー」
 
 いちいち揚げ足を取るんじゃないよ。
 
「皆……俺についてきてくれ」
 
 初めて、明確な言葉としてそれを皆に告げる。
 
 その言葉を受けて、
 
「まったく、仕方ありませんね」
 
「あの……こちらから、お頼み申し上げます」
 
「やれやれ、世話の焼ける兄ちゃんだぜ」
 
「……一緒」
 
「いいだろう、おぬしのやり方。一番近くで見させてもらおうか」
 
 それぞれが、それぞれの想いで応えてくれた。
 
 同じように、微笑んで。
 
 
 この二日後、以前から病で床に臥せていた霊帝は……没する。
 
 
 
 
(あとがき)
 舞无さん大人気。たくさんの感想ありがとうございます。
 業者のせいで舞様も色々と苦労しておられるようで。
 まあ、それはともかく、次話、三幕終章。
 
 



[12267] 三幕・終章・『地獄よりの使者』
Name: 水虫◆70917372 ID:8985ce85
Date: 2009/11/09 06:19
 
「…………」
 
 霊帝が、死んだ。まだ幼い協皇子と弁皇子を残して。
 
 最も恐れていた事態。ボクだって、何進や十常侍との権力闘争で、今の官の状態はよくわかってる。
 
 もう二度と、同じ轍は踏まない。
 
「……間に合わなかったわね」
 
 募兵を何度も繰り返し、調練を執拗に行って、いざという時に備えて力は蓄えたつもりだけど……足りない。徴兵を月が嫌わなければ、もっとやり様はあったのに。
 
 ……いや、終わった事はもういい。
 
 今の漢は、あまりに弱りきっている。黄巾党なんて“ただの賊”に大陸全土を蝕まれるほどに。
 
 そして、霊帝が没して、幼い皇太子……実質的な傀儡が残った。
 
 そして、ボクたちの意思に関わらず、その傀儡を操るのはボクたちという事になる。
 
 この洛陽を治め、帝の側近を勤めていたのだから。
 
 そして必ず、それを妬み、奪いにくる連中は現れる。今度は明確な『力』を以て。
 
「(もう、いい加減にしてよ……)」
 
 ボクたちは、権力なんて欲しくなんてなかったのに。巻き込まれ、身を守った結果が今なだけだっていうのに。
 
「(月に、手出しなんてさせない)」
 
 でも、以前から霊帝は病に冒され、弱っていた。この展開は予想の範疇。当然、事前に手は打っている。
 
 ……一番、使いたくはなかった手だけれど。
 
「……また、汚れ役を頼まれてくれる? なるべく急いで」
 
「はっ! 我々は西涼からの忠臣、董卓様、賈駆様のためなれば!」
 
 ボクの命を受けて、何人もの部下が洛陽を去る。
 
 ……これでいい。
 
 この為に、この事態に備える為に、取り計らってきたのだ。
 
 今さら、躊躇うわけにはいかない。
 
 全てが順調、これでボクも月も自由になれる。月は悲しむだろうけど……大丈夫、ボクがついている。
 
 
『可愛い女の子が傍に居てくれた方が、人生に張り合いができるってもんだ』
 
 そう、全て順調。
 
『……ん、あんたがどうしても呼びたい! って言うのなら……呼ばせてあげても良いけど』
 
 だから……
 
『ああ。別に気にしてないよ。ああいう態度、詠の照れ隠しって分かるようになってきたし』
 
 だから、こんなの見せないで……
 
『うう、わ、分かったわよ! そうよ! どうせボクは意地っ張りな女ですよーだ!』
 
 ボクは、月を……
 
『直接口には出さないけど、言葉の端々とか態度から見え隠れする本心ってのも、可愛くて良いんじゃないかな?』
 
 
「ボクは、月を……守らないといけないんだからぁあっ!!」
 
 少女の慟哭は響き、しかし誰にも届かない。
 
 
 
 
「皆……俺についてきてくれ」
 
 などと、新たな旅立ちの決意を固めたのも束の間、元・義勇軍の兵士の皆の意思確認やら、その他諸々の準備をしている間に……霊帝が没した。
 
 さすがにそんな騒動を放置して身勝手に旅立つわけにもいかず、慌しい事後処理に追われた。
 
 何より、俺たちの足を止まらせた事実。
 
 月と詠が……姿を消した。
 
 
 
 
「遅れて、ごめん」
 
 朝の玉座の間に、俺は慌てて駆け込む。星、稟、風、雛里、恋、霞、舞无、もう全員揃っていた。いや、もう一人、息を切らした兵士がいた。
 
 ……確か霞の配下で、月と詠の捜索のために他国に斥侯に出てくれてた奴だ。
 
 この時点で、俺はこの招集の意味を大筋悟る。
 
「月と詠、見つかったのか!?」
 
 挨拶もそこそこにかじりつくように訊いた。
 
「一刀も来たし、話してや」
 
 霞が促し、そして兵士の口から語られる。一番重要な初めの言葉に、息を呑む。
 
「……は、はっ! 董卓様、賈駆様を探し、四方に飛んだ我々でありますが……誰一人、お二方の姿を確認する事は出来ませんでした。申し訳ありません!」
 
 その言葉に、皆の顔に安堵とも落胆ともつかない色が揺れる。多分、俺も似たような顔をしてるんだろう。
 
 見つからなかった事を悲しむべきか、“不幸な報せ”がなかった事を喜ぶべきか。
 
 まあ、二人の近衛も数人消えてるから、身の安全はある程度保証されてるような気も……
 
「? ……どした?」
 
 ふと、報告してくれた兵士の人が、俯いて口籠もっている。それを、霞が訝しげに睨んだ。
 
「し、しかし……」
 
 なおも渋る兵士は、チラチラと俺を横目に窺う。何故、ここで俺?
 
「俺なら構わないから、続き頼むよ」
 
「は……はぃ……」
 
 よくわからんが、話を訊かんと始まらないので続きを促す。俺だけ退室ってのも嫌だし。
 
 そして、それは告げられた。
 
「我々が向かった全ての街で、その…噂が広まっていまして……」
 
「噂?」
 
 オウム返しに訊き返した、気安く。それに対して、震えながら、顔を青ざめさせて、兵士は続けた。
 
「……王都にいる天の御遣いは……太守だった董卓を排して、天子を操り民に圧政を強いる暴君だと。そ、そのじ、実態は……天の遣いなどではなく、じ、地獄よりの使者であると……」
 
 あまりに突飛な内容に、まず頭が追いつかなかった。
 
「何だと貴様ぁっ!」
 
「ひぃっ!?」
 
 が、兵士の胸ぐらを掴むという舞无の直接的な行動で、逆に冷静になれた。
 
「舞无、落ち着いて。別にこの人が言ってるんじゃないんだから、噂だよ噂」
 
「ぬ、ぬぅう……」
 
 にしても、地獄よりの使者ね。どっかで聞いたような通り名だこと。
 
「しかし、火の無い所に煙は立たんというしなぁ」
 
「……星、お前ずっと俺と一緒に行動してたろうが」
 
「はて、そうだったかな?」
 
 って、遊んでる場合じゃない。
 
「……けど、ホンマに何でそんな噂が広まってんのやろな」
 
「そりゃぁ、噂を流した人がいるからですよー」
 
 霞の疑問に、風が応える。その間に、完全に畏縮してしまっている兵士を退室させてやる俺。
 
「誰だ! そんなデタラメを吹いて回ったのは!?」
 
「……わかりませんか?」
 
「わからん!」
 
 稟の応えに、きっぱりはっきり断言する舞无。ボルテージ上がりすぎてる。
 
「なるほどな……随分と悪辣な手を使う」
 
「…………?」
 
 星が得心がいったように頷き、恋が首を傾げる。……実は、俺もわかった気がする。認めたくはないが。
 
「ヒントは、『董卓を排して』、という部分ですねー」
 
「……あまり考えたくはありませんが、状況から見て、そう考えるのが一番自然です」
 
 風と雛里がそう言って、霞が目を丸くして、信じられないというように、それを口にする。
 
「まさか……月と、詠か?」
 
 認めたくない事実として、その言葉は皆の心に突き刺さる。
 
 
 
 
「あっんの、眼鏡っ!」
 
 ガンッ! と、霞が柱を殴りつける。苛立ちを隠そうともせずに。
 
「ちょ、張遼? 何を騒いでいる。何故そこで月と賈駆の名が出る? 私にもわかるように説明しろ!」
 
「あーもー! このド阿呆! 今の話の流れでそないな事もわからんのか!」
 
「何だと貴様!」
 
「二人とも、落ち着けってば」
 
 怒鳴り合う霞と舞无を宥めつつ、稟に目で説明を求める。他はともかく、舞无と恋はわかってないかもだし。
 
「つまり、霊帝の死によって再び権力闘争の矢面に立たされる事を恐れた月……いや、詠でしょうね。彼女は、その人身御供として、一刀殿を利用したのですよ」
 
「ご主人様の天の御遣いとしての風評を逆手に取った、効果的な流言飛語です」
 
「時代の流れを読んだ上での事前策か……。詠も中々優れた軍師のようだ」
 
 と、冷静に告げる稟、雛里、星。
 
「な、何だと!?」
 
 と詰め寄ろうとする舞无を後ろから押さえる俺に、今度は霞がつっかかる。
 
「大体、何で暴君に仕立て上げられた当人のアンタがボケッとしとんねん!? 状況わかっとんのか!」
 
「……わかってるよ」
 
 星、稟、風、雛里が冷静な理由は、何となくわかる。俺にも、似たような気持ちはあるし。
 
「霞こそ、冷静になれよ。確かにこのままじゃ覇権を狙う連中が、大義名分を掲げて俺の首を取りにくる。けど、それは多分……近いうちに必ず起こる事だったんだ」
 
 俺が、洛陽を発つ事を躊躇していた一番大きな理由。白装束なんていなくても、この王都が、この群雄割拠の時代の標的になるんじゃないかという懸念。それを、詠も感じていたという事だろう。
 
 皆、俺の言葉を黙って聞いてくれている。
 
「月が都を治めてたら月が、何進が生きてたなら何進が。誰かが“この先の時代”の生け贄になってたんだよ。今回はたまたま俺だったってだけだ」
 
「たまたまって……アンタ、詠にはめられたんやぞ!?」
 
「だから落ち着けって。なら霞は、仮に月が狙われたとしても、見捨てたりする? しないだろ?」
 
「う………」
 
 口籠もる霞、舞无はよくわかってなさそう。恋は……ちょっと表情が読めない。
 
「確かに、寂しい気持ちはあるけどさ。詠が月を守るためにやったって事くらいわかるし、月の立場が俺に替わっただけだよ。……詠って軍師がいなくなったのは、戦力的に痛いけど」
 
 本当に、前の世界みたいに反・董卓連合が組まれるってわかってたら、俺だって旅立ちを遅らせるつもりはあった。
 
 むしろ、その判断が着かなかったから、星たちに言われるまで迷ってたとも言える。
 
 俺の言葉に、どう返していいのかわからないように、霞は黙る。
 
 丁度いいので、旅立ちの約束を交わした面々に向き直る。
 
「稟、こんな事になっちゃったけど……」
 
「なおさら、放っておけないでしょう? いちいち訊かないで下さい」
 
 言って、稟はそっぽを向く。照れてるのか、こういう友情ネタみたいなノリが苦手なのか。
 
「風……」
 
「風はむしろ大歓迎ですよー? 遠回りどころか、一足飛びに暴君ですからねー」
 
 暴君を好意的に解釈するのもどうなんだ?
 
「雛里……」
 
「……どこまでも、お供します。ご主人様となら、地獄まででも」
 
 あまりに健気な応えに、頭を撫でてあげる。
 
「星、随分不名誉な通り名がついちゃったけど……」
 
 一番気になっていた『正義の味方』も、
 
「別に構わぬよ。己の正義に恥じる所が無ければ、堂々と胸を張っていれば良いのだからな」
 
 存外に、快いものだった。
 
「恋は、一刀を守る」
 
 恋の解は分かりやすかった。
 一番大切な事をわかっている、決めている。だからこそ、風評や原因には興味を持たない。そんな感じだった。
 
「舞无」
 
「……ま、守って欲しいか?」
 
「うん」
 
「ならば仕方あるまい! 我が全身全霊を以て守ってやる!」
 
 未だに状況をわかっているのかいないのか微妙な舞无は、可愛い理由で賛同してくれた。
 
 これで当人は隠してるつもりなのだから面白い。
 
「ああもうっ! わーったわい! ウチも付き合うたる!」
 
 最後に霞が、折れるように承諾する。
 
 ……本当に、“この世界でも”、俺はいい仲間を持った。
 
「それで、どうされるおつもりかな? “地獄よりの使者殿”」
 
 そう訊いてくる星の顔は、実に楽しそう。
 
「どうもこうもないさ」
 
 ようやくスタートラインに立つつもりだったのが、初手から大戦になるのだ。
 
 風ではないが、むしろ望むところ。
 
 
「掛かる火の粉は、払わせてもらう」
 
 
 この二ヵ月後、一つの連合が組まれる。
 
 名を、“反・北郷連合”。
 
 
 
 
(あとがき)
 何やら画像認証が外れたようで、個人的には嬉しい限り。舞さまには感謝し通しですね。
 とにかく今回で三幕終章、四幕に移ります。
 



[12267] 四幕・『凶・恋姫無双』一章
Name: 水虫◆70917372 ID:2a9f29a3
Date: 2009/11/10 05:02
 
 霊帝の死を境に、諸侯の動きは慌ただしくなる。
 
 『誰が幼い新帝を支え、代わりに国を支えるか』に、野望の矛先は集中する。
 
 ある意味当然な成り行きとして、その任は王都・洛陽を治めていた董卓のものになるかと思われた矢先……一つの噂が流れる。
 
 洛陽に逗留していた天の御遣いは、餓虎の野望を秘めた地獄よりの使者であり、董卓を都から追放し、天子を抱き込み、己が欲望のために民に圧政を強いる暴君と化している……と。
 
 この噂が河北に届くや否や、一つの檄文が各地で割拠する諸侯へと飛んだ。
 
 檄文の出所は、河北の雄、袁紹。その内容は、暴君から帝と民を救うための……反・北郷連合。
 
 
 
 
「『……と、いうわけだ』だそうです」
 
 平原。
 
 先の黄巾の乱での功績を認められ、その地の相に任命された劉備の許にも、この檄文は届く。
 
「う、そ……」
 
 その軍師たる諸葛孔明……朱里の読み上げる檄文の内容に、主君たる劉備……桃香は信じられないように呟きを漏らす。
 
 以前から、噂自体は平原にも届いてはいた。だが、当の北郷一刀を知る桃香はそれをただの噂だと判断し、真に受けはしなかった。
 
 だが、それが『反・北郷連合』という、確かな現実として目の前にある。
 
「『桃香たちは、私よりも北郷の人となりを知っていると思う。私も正直、どうすればいいのか迷っている。お前たちの考えを聞かせて欲しい』……白蓮さんも、噂の真偽を掴みかねているようです」
 
 読み上げているのは檄文のみではない。かつて桃香と共に私塾で学んでいた、今は立派な太守である公孫賛からの書簡もだ。
 
 読み上げる朱里の顔に浮かぶのは、困惑。
 
 それは、陣営に在る誰しもが、今、少なからず抱く感情。
 
「こんなの嘘っぱちなのだ! お兄ちゃんが都の人たちをいじめてるわけないもん!」
 
 真っ先に否定したのは張飛、真名は鈴々。小さな体を目一杯に怒らせる。
 
「だが鈴々、もしこの手紙の内容が真実ならば、今も洛陽の民は圧政に苦しんでいるんだぞ?」
 
「だから嘘っぱちだって言ってるのだ!」
 
 困惑の表情のままに言う関羽……愛紗の言葉を、鈴々が間髪入れずに否定する。
 
「……『北郷一刀は悪者だ。だから倒そう』、そういう単純な檄文ですが……実際は、朝廷を手中に収めた者への諸侯の嫉妬が原因の、権力闘争だと思われます。ただ……」
 
「……ただ、なに?」
 
 いつになく口数の少ない桃香が、朱里の説明の続きを促す。
 
「本来洛陽を治めているはずの董卓さんが、都から追い出されているという現状は……北郷さんが作り上げたものである可能性は、否定出来ません」
 
 軍師である朱里は、軍議の場で私情を挟んだ発言をしない。あくまでも今ある情報から推測出来る事を述べる。
 
 そしてそれが……北郷一刀に私情を抱く人間には、辛い。
 
「確かに、民を苦しめるような人物ではない。だが、その内に野望を秘めているような節があった事も、確かです」
 
 朱里の言葉に、愛紗が付け足す。ただ、この言葉には私情が少なからず含まれてもいた。
 
「愛紗はお兄ちゃんの事が嫌いだから……」
「鈴々は黙っていろ! 私がそんな理由で参戦を薦めているとでも言うつもりか!」
 
「ほら否定しなかった! お兄ちゃん嫌いの愛紗が何言っても説得力なんかないのだ!」
 
「それはお前の事だろう! 何がなんでも北郷殿の肩を持つような者の言葉など……」
「二人とも、落ち着いて」
 
 苛立ちが表面化するような愛紗と鈴々の言い争いを、桃香の小さな、しかし強い呟きが制する。
 
 それを好機と見たか、軍師の進言が再開される。
 
「とにかく、今はっきりしているのは……今は北郷さんが洛陽を治めている事。そして、わたし達の参戦如何に関わらず、反・北郷連合は組まれるという事です」
 
 ある意味、単純な結論。結局、彼女たちは真実を判断するだけの情報を持っていないのだ。
 
 要点は二つ、北郷一刀を信じるか否か。そして、それを決めた上で、連合に参加するかどうかだ。
 
 理屈を並べても、全てが空論。“決めるだけ”、そんな空気が場を支配する。
 
「…………」
 
 やや長い沈黙を経て、
 
「どっちでも、関係ないよ」
 
 桃香が口を開く。君主として。
 
「……連合には、参加する。真実を見極めるためにも、そして、“その上で選ぶためにも”。どっちにしても連合は組まれるんだもん、ただ何もしないで見てるなんて、わたしは嫌だよ」
 
 朱里の言葉とはまるで違う。私情に満ちた決定、だが……それこそが彼女の、人を惹き付ける力。
 
 その姿に、心に惹かれて、皆ついてきた。だからこの言葉にも、皆、首を縦に振る。
 
「……朱里ちゃん」
 
「……はい」
 
 軍の準備をするために玉座の間を去る一同の最後尾、桃香が朱里に小さく声を掛けた。
 
「一刀さんの顔って、あんまり知られてないはずだよね?」
 
「……あ、はい。天の御遣いとしての風評自体は広まっていても、顔や姿を知っている人は少ないはずです」
 
「ん……そっか♪」
 
 満足そうに頷いて、桃香は軽い足取りで跳ねる。その後ろ姿を見送る朱里は、今の質問、否、確認の意味を理解して……不安に駆られる。
 
 北郷一刀を信じている。それを前提にした上での確認だった。
 
「(どっちにしても連合は組まれて、洛陽に攻め入る)」
 
 笑顔の奥に秘めた強さを、皆が理解している。
 
「(わたし達が連合に敵対したって、止められるとも思えない)」
 
 今、その強さが誰を想ってのものなのかも、わかっている。
 
「(だから、貴方が権力闘争に巻き込まれただけなら、洛陽にはわたし達が一番最初に乗り込む)」
 
 だからこその、不安。
 
「(それが……貴方を救うために、わたし達に出来る事だと思うから)」
 
 そんな不安を、桃香に向ける。……それは不安から逃れるためだったのかも知れない。
 
「桃香さま」
 
 背を向け、表情を隠したまま、愛紗は言葉を投げ掛ける。
 
「情に捕らわれ、義を忘れるわけにはいかない。そうですよね?」
 
「うん、大丈夫」
 
「……なら、私に言う事はありません」
 
 そして、そのまままた歩きだす。
 
 その背を、今度は桃香が見送りながら、思う。
 
「(やっぱり、バレちゃってるか)」
 
 自分が、北郷一刀を信じるという前提の下、決断した事。連合の内側から、何とかしようと考えている事。やはりバレている。
 
「(結局、余計に怒らせちゃったかも……)」
 
 同時に、もう一つ思う。
 
『関羽も、鈴々も、孔明も、皆優秀な将や軍師だ。強くて、優しくて、明るい。……でも、脆くて、臆病な所もある、普通の女の子でもあるんだ』
 
 想い人に、別れ際に告げられた言葉。
 
「(本当、そうだよね)」
 
『皆の事、頼んだよ。桃香』
 
「(わたしがしっかり、しなくちゃね)」
 
 
 
 
 所変わって、陳留。
 
「……相変わらずね、麗羽も」
 
 小柄な少女が金髪を払って、つまらなそうに檄文を放り捨てる。名を曹操、真名は華琳。
 
「華琳さま、洛陽からの密偵も戻ってきました」
 
「あら、それは丁度良いわね。……それで?」
 
「到って平穏。むしろ栄えていると言ってもいいそうです。都の住人は口々に『地獄よりの使者』の噂に対して、憤激を口にするとか」
 
「……やっぱり、ね」
 
 その場には、曹操陣営の軍師や武将も揃っている。
 
 夏侯淵……秋蘭の報告に、華琳はつまらなそうにため息をつく。
 
「音々音」
 
「はいなのです!」
 
 呼ばれ、一人の小さな少女が両手を挙げて応える。その傍らで、もう一人の軍師が苦々しげに舌打ちをした。
 
「都から姿を消した董卓とやらについて、元々何進の配下だったあなたは、何か知ってる?」
 
「う〜〜ん、ねねもそれほど深い関わりがあったわけではないのですが……董卓自身は何進に気に入られていただけの、気の弱い少女。そして、傍らに常にそれなりに使える、賈駆という軍師が一人いた。そのくらいの事しかわかりません」
 
「そう……なら、その賈駆という軍師の仕業かも知れないわね」
 
 少女の名は陳宮。黄巾の乱終結時に、都を訪れた華琳の器を見定め、元の主を見限ってついてきた元・何進軍の軍師である。
 
「……しかし、この事態を予期して北郷一刀に全てを押しつけたとして、それは全てを捨てた事になるのでは?」
 
「あら、猪のくせにいい所に気が付いたじゃない」
 
「誰が猪だと!? この変態軍師!」
 
「あんたよあんた。せっかく褒めてあげたのに変態とは何よ! 豚みたいに鼻を鳴らして素直に喜べばいいじゃない」
 
「あんな言われ方で喜べるか! わたしを馬鹿にするのもいい加減に……」
 
 というやり取りを脇に置いて、話は続く。
 
「それで、どうされますか?」
 
「どうもこうもないわ。この連合の発端になど興味は無い。私の覇道のために利するものがあるのなら、迷う理由などないでしょう?」
 
「では……」
 
「ええ、参戦するわよ。皆、準備なさい。春蘭と桂花も、いい加減おやめなさい」
 
「「…………はい」」
 
 秋蘭の問いに自軍の決定を告げ、二人の喧嘩を諫める。
 
 規模が大きく、複雑な話について行けず、口を挟めなかった将たちも、その決定を受けて、それぞれ動きだす。
 
 しかし、その中で秋蘭、そして荀イク……桂花は、華琳の少しおかしな様子に気付いていた。ゆえに、その場に留まる。
 
 これは覇道への足掛かり、それにしてはつまらなそうに見えたからだ。
 
「……何か、ご不満ですか」
 
「大した事じゃないわ。連合という形で戦う事になった事と……」
 
 それが北郷一刀個人を指していると、秋蘭と桂花は即座に気付く。
 
 以前にも言っていた、“一時の戯れ”が潰れた事だと。
 
「連合を組んで捕らえても、“暴君”では処刑せざるを得ない事が少し残念だっただけ。“あれ”、少し欲しかったのだけれど」
 
 続く言葉で、絶望を顔に表す桂花。大扉の向こうで派手な転倒のような音もした。
 
「大した事じゃないと言ったでしょう。いいから、あなた達も行きなさい」
 
「か、華琳さま、お気を確かに! あんな汚くて下品で浅慮で不細工な生きもっ!? ん〜! んん〜〜〜!?」
 
「わかりました。余計な事を訊き、申し訳ありません」
 
 退室を促されてなお食い下がる桂花の口を押さえ、秋蘭は一礼して扉へと向かう。もちろん桂花はひっ捕まえたままで。
 
 扉の向こうで荒れているだろう姉を宥めるのも彼女の役目となるだろう事を確信して、華琳は少し苦笑する。
 
 華琳は、誰もいなくなった空間で、今度こそ隠さずにつまらない顔をする。
 
「だから言ったのよ。……バカな男」
 
 本当に、つまらなそうに。
 
 
 
 
(あとがき)
 数日ぶりの更新です。
 今回は劉備陣営と曹操陣営しか書けませんでしたが、次からはまた一刀サイドで始めます。
 
 ちょっと今回は描写不足な感があったようなので、例のセリフの出番を繰り上げつつ微修正しました(八時半くらいに)。
 
 



[12267] 二章・『暴君、始動』
Name: 水虫◆70917372 ID:8899ac17
Date: 2009/11/10 22:06
 
「というわけで、わたくしこと北郷一刀を暴君として抹殺せんとする動きがあります」
 
 城壁の上に立ち、俺のトレードマークの聖フランチェスカの制服を煌めかせ(未だに、俺にはそんな大層な光沢とも思えんが)、俺は演説中。
 
「しかしながら我々も、『はいそうですか』と殺されるつもりはありません。何より、自己顕示欲を理由に軍まで起こして攻めてくるような輩に皆の都を任せる事など到底出来ません」
 
 都の皆さんの注目を集めつつ、頑張って丁寧な言葉を選ぶ。
 
「父君の急病によって都を空けられている董卓さまに、この都を預けられたわたくしと致しましては、彼らの暴挙を全力で阻む所存にございます」
 
 もちろん嘘だ。というか、イメージアップのために丁寧に喋ってるつもりがだんだんわけわかんなくなってきた。ちゃんとした敬語喋れてるかどうかも疑わしい。
 
「しかし、わたくしにはまだそれに対する力が足りません。……無理を承知で頼みます。一緒に戦ってください!」
 
 背筋を伸ばして、最後、大きな声ではっきりと言い切る。
 
 要求した内容、俺なりに誠意を込めて伝えた言葉に応える声を、内心で固まりつつ、しかし顔を上げ、毅然に在ろうと立つ。
 
 そして………
 
『あはははははははっ!』
 
 笑われたーーー!?
 
「みつかいさま、へんー!」
 
「“わたくし”だって! 全然似合ってないよー!」
 
「こ、こらお前たち、御遣い様はあれでも真剣に……プククッ」
 
「この間、見回りの最中に桃かじってるの見たよ」
 
「今さらあんなかしこまっても、ねー?」
 
「ねー」
 
 子供を中心に口々に囃し立てる。……やっぱ変だったかぁ、にしても隠しもせずにこの騒ぎ。一応これでも太守なはずなんだが。
 
 ……泣いていいかな?
 
「最後の一言以外、要りませんよ」
 
「らしくもない言葉で飾るのはよしましょうや!」
 
「俺たちの太守を守る戦いでもあるんです」
 
「連中に一泡吹かしてやりましょう!」
 
 からかいのような言葉に混じって、欲しかった言葉が声高に響く。
 
 ……やべ、今度は別の意味で泣きそう。
 
「ありがとうございます!!」
 
 最後に叫んだその言葉が、また小さな笑いを呼んだ。
 
 
 
 
「やれやれ、もう少し毅然と、太守らしく振る舞えぬのか?」
 
「ま、お兄さんがカッコ悪いのは今に始まった事ではありませんからねー」
 
「今更な問題ですね、まったく」
 
「おまえらなぁ……」
 
 好き放題言ってくれる星、風、稟。皆に笑われた事実がある以上、反論出来ないのが悔しすぎる。
 
「で、でも……! 皆さんが笑顔で力を貸してくれるというのは、それだけご主人様が慕われているという事で……!」
 
「……うん、ありがとう雛里」
 
 フォローのつもりで言ったのだろう雛里の言葉は、流さないで受け止めておく。
 
 皆、笑って力になってくれる。その事実は噛み締めないと。
 
「はー………」
 
 帽子ごと頭を撫でると、雛里が気持ち良さげに吐息を吐く。
 
 そのまま五人揃って玉座の間に行き……
 
「あの歓声を聞く限り、上手くいったみたいやね」
 
「当然だ!」
 
「……いや、自分が威張る所ちゃうやろ」
 
「舞无は馬鹿」
 
「何だと恋!? 撤回しろ!」
 
「……馬鹿」
 
「まだ言うかっ!?」
 
 霞、舞无、恋とも合流する。
 
 舞无に襟首を掴まれて前後にカクカクと揺らされるままになっているノーリアクションの恋、というどこか微笑ましい光景を脇に置いて、
 
「これが、今わかっとる連合の参加者や」
 
「あ、もう密偵帰ってきてたんだ。速かったな」
 
「当たり前やろ? 我が神速の張遼隊を片っ端から斥侯に飛ばしよったんやから」
 
「その事は悪かったってば! 戦いはまず情報戦だろ?」
 
「戦いは剣と剣のぶつかり合いや」
 
「……そーですね」
 
 霞と俺でそんな軽い言い合いをしつつ、机に書簡をバッと広げる。
 
 詳細はとりあえず置いといて、参加者は……
 
「袁紹、袁術、曹操、孫策、伯珪さん、劉表、……おやおや、愛しのあの子までいらっしゃるようでー……」
 
 ……風、お前わざと言ってるだろ。
 
「桃香が洛陽の実態を知ってるかどうかはわからないけど、俺への情で都の皆を見殺しにするようなら、最初から君主になんてならない方がいい。それにこの先の事を考えれば、参戦しないって選択肢はないだろ」
 
「……と、自分に言い聞かせながら、やっぱり悲しい一刀であった」
 
「今宵は枕を濡らして眠るのですね」
 
 星、稟、お前らもホントいい加減にしろよ?
 
「ごほんっ! それにしても、随分と集まったもんだなぁ」
 
 咳払いで誤魔化して、強引に話題をシリアスに戻す。
 
 えー、と? 袁術とか劉表とか前の世界で居たっけ? ……ダメだ、印象に残ってない。
 
 けど、馬騰の名前が無い? 前の世界では連合で翠と初めて会ったはずだが、この世界では不参加か?
 
 いや、まだ情報が揃ってないだけかも知れないし、まだ参戦を決めてないだけかも知れない。
 
 あんまり楽観的に考えない方がいいか。
 
「実際、これだけの勢力が一丸となって攻めてくるのは脅威です。完全にご主人様の言っていた通りになりました」
 
 眉を八の字にして呟く雛里。まあ、俺のは予測というより経験測だが。
 
「……賈駆の流言飛語がそんだけ効いとる言うわけか」
 
「……いえ、一刀殿の言うように、結局これは覇権争いが具現化したようなものでしょうから、地獄の使者の悪評はきっかけに過ぎなかったでしょう」
 
「ただし、お兄さんに矛先が向いてるのは完全に賈駆さんのせいでしょうけどねー」
 
 苦々しげに霞、冷静に稟、そしてまた蒸し返すように風。詠を責めてる場合でもないんだけど……風、実は怒ってる?
 
「名を失って実を得ましたが、ここで敗れれば漏れなく全て失うので」
 
「……前は好都合みたいに言ってたじゃん」
 
 そして心を読むのはやめなさい。
 
「理屈と感情はまた別なのですよー」
 
「そっか……」
 
 何か、普段表に出ない風の怒る理由が俺にあるのが、ちょっとだけ嬉しかった。
 
 ので、風の頭……の上の宝慧を撫でておく。
 
「むー……」
 
 拗ねられても困るから、ちゃんと頭を撫でなおす。
 
「なぁに、要は勝てばいいのだ。旗揚げ早々、このような大戦になるとは思わなんだがな」
 
 そう言って唇を引き上げる星は、本当に楽しそうだ。武人の血が騒ぐってやつかな、俺にはよくわからんけど。
 
 けど、言ってる事はもっともだ。
 
「ああ、連合の本当の目的が覇権で、俺は地獄から来た暴君。この状況で話し合いほどナンセンスな物も無いだろうしな」
 
 あ、風がナンセンスって言葉に目を光らせた。後で教えてやるか。
 
「……勝っても、これからずっと暴君の汚名を背負う事になんで?」
 
「風評なんて、実を得たら後からついてくるよ。気にしても仕方ない」
 
 霞の険しい表情に、出来るだけ軽く言ってみせる。実際、前の世界でも地獄の使者扱いされてた時期あったしな。
 
「なるほど、ならば何も問題ないな」
 
「……そこで納得するな、華雄よ。今のは“実を得るために風評は使えん”と言ってるのと同じ事だぞ?」
 
「何ぃ!?」
 
 相変わらず状況わかってない舞无に、星が少し呆れながら教えてやる。まあ、教えてどうなる物でもないけど。
 
「どうせここから群雄割拠の時代に入るんだし、こうなったらもう退く気はないよ」
 
 悪評は、実際の統治で覆すしかない。国賊扱いな以上、もう和平も絶望的。
 
「天下を纏める。でも俺一人じゃ何も出来ないから……皆、力を貸してくれ」
 
 だったら、やる事は一つだ。元々の予定に、悪評と王都と大戦力……そして連合という初手からの難敵が付いてきただけだと思えばいい。
 
 ……全然“だけ”じゃない気もするけど、そこは気にしたら敗けだ。
 
「ふっ、天下か。貴様の事など別に好きではないが、仕方あるまい!」
 
 悪評云々についてはわかったのかわかってないのか。舞无が満面の笑顔で照れ隠し。
 
「……おー」
 
 小難しい話に興味なさそうにしていた恋が、片腕をゆるゆると突き上げる。少しだけ燃えているらしい。
 
「天下太平も良いですが、今は目前の敵に集中して下さい。今ある情報だけでも、明らかに連合の方が我々より数が多いのですから」
 
 俺たちのちょっと先走った発言を、稟が諫める。まあ、確かに数は多いだろうけども……
 
「何とかなるさ。これだけ頼りになる仲間が揃ってるんだし」
 
 やりようは、ある。
 
 
 
 
 遠く、呉。
 
「この戦の後にくる割拠の状況によって、我らの取るべき道も変わるわね。雪蓮」
 
「ええ、この先の時代の流れを読めば、いつまでもこの呉の地で穏やかに過ごしてもいられない」
 
「……君主が無闇に暴れないでね」
 
「知~らない♪」
 
 
 また、河南。
 
「七乃よ、本当に、本当に妾が皇帝になれるのかえ!?」
 
「はい~♪ 今の皇帝は実質その北郷さんって人の傀儡みたいなものですから。その北郷さんを追っ払っちゃえば、美羽様が実質この大陸の皇帝に!」
 
「……良い、それはすごく良いぞ七乃よ!」
 
「新皇帝美羽様万歳! やりたい放題万歳! 将来偽帝と呼ばれること間違いなし!」
 
「うむ! もっと褒めてたも褒めてたも! 妾は皇帝になるのじゃ!」
 
 
 西、西涼にて。
 
「連合、参加しなくていいって?」
 
「ああ、地獄の使者だとかは嘘っぱちだって話だろ?」
 
「時代に取り残されたりしても知りませんよ?」
 
「私はいつの時代だって朝廷の臣下よ。取り残される場所も、帰る場所も、この西涼にしか無いわ」
 
「……内に火種もありますしね」
 
「散……あなた性格悪いわよ?」
 
「それはどうも」
 
 
 それぞれがそれぞれの思惑を抱き、北郷一刀討伐戦の幕が上がる。
 
 
 
 
(あとがき)
 また思ったより進みませんでした。四幕は戦争だけで埋まってしまうかも知れません。
 
 



[12267] 三章・『あなたが信じた、私の道を』
Name: 水虫◆70917372 ID:8899ac17
Date: 2009/11/21 15:44
 
「確かに連合は大軍勢だけど、それはあくまでも“総勢”の話だろ? 」
 
 軍議は続く、どこまでも。地図の上に各諸侯を示す駒を並べてみる。
 
「結局、それぞれが自分たちの名を揚げるために周りの諸侯を利用しようとしてる集まりなんだから、そこに突き崩す隙があると思う」
 
 駒を一ヶ所に集めて、それを一丸となった連合として指す。
 
「どういうことだ?」
 
「大きな岩より、石を掻き集めた塊の方が脆いよね、ってこと」
 
「なるほど」
 
 舞无に軽く説明しつつ話を進める俺。
 
「……桃香殿や伯珪殿を起点にして計略を仕掛ける、という事か?」
 
 僅か表情を翳らせてそう訊く星。何だかんだで正義感に厚い子なんだよなぁ。
 
 まあ、俺だって勝つためなら何でもする、っていうつもりもない。
 
 ……まあ、今回はそれが主な理由でもないけど。
 
「いや、上手くあの二人を介して身の潔白を示したって、連合は崩せない。本来の目的が別にあるんだから。それであの二勢力を除けても、兵数が大した事ないからうまみもないしね」
 
「まあ、良くも悪くも影響力の小さな勢力ですしねー」
 
 風の同意も得られた事だし、サクサク話を進め……
 
「もっと規模の大きい勢力の野望を刺激するようなやり方で行く方向で、という事ですね」
 
「ダメかな?」
 
「……いえ、それが一番有効だと思います。力のある勢力ほど、欲が出てしまうものですから」
 
 ようとした矢先に稟が補足、そして雛里の賛成が得られた。ホント話が早くて助かる。
 
「で、うちは軍師がいっぱいいるから、基本的には常に将軍一人に軍師が一人、副官に就く感じで」
 
 恋や舞无はもちろん、霞も火が点いたら止まらないような所あるしな。
 
「……それは良いのですが、交戦中ずっと洛陽を空にしておくのはまずいのではー?」
 
「でも……軍師はともかく将を戦線から外すのは危ないです」
 
 あ……。風と雛里に言われるまで気付かなかった。ならもうちょっと編成考え直さないとな。しかし、気付かなかったのは“軍師”の話に限っての事。
 
「大丈夫、それなら俺に考えがある」
 
 自信満々に胸を張って、頭に?を浮かべる皆の前で、秘密兵器を呼ぶ。
 
「助けて華蝶仮面ー!(棒読み)」
 
「っ!?」
 
 横であたふたと慌てる星がちょっと面白い。だが、俺が呼んだのは星じゃなかったりする。
 
「おーっほっほっほっ! おーっほっほっほっ!」
 
 大扉がバンッと開き、筋肉が踊る。
 
「華の香りに誘われて、華蝶の定めに導かれ。響く叫びも高らかに、艶美な蝶が今舞い降りる!」
 
 ギュルルルッ! と空気を裂く音を響かせながら回転する“それ”が、俺たちの前に姿を現した。
 
「華蝶仮面二号、参上よぉん!」
 
 ビシッ! とウインクしながらしなを作ったそれに目を合わせないようにして。
 
「というわけで、正義の味方だ」
 
「何が『というわけで』ですかっ!」
 
 稟の手刀が裏拳気味に俺の胸を叩く。ナイスツッコミだ。
 
「どう見ても前の華蝶仮面と違うではありませんか!? 警備隊の秘密兵器ではなかったのですか!」
 
 あ、やっぱり稟も華蝶仮面の正体に気付いてないのね。
 
「? そういえば、前の仮面の方とは色が違いますねー」
 
 ……風、それ以前の問題だと思うぞ。
 
「(うるうる……!)」
 
 雛里の気持ちはよくわかる。
 
「かっ、一刀おま……こんな危ない知り合いが貂蝉以外にもおったんかい!」
 
 霞、惜しい。そこでもうワンステップ踏み込んでみようか。
 
「二号……つまりは警備隊の一員と考えて良いのだな?」
 
 舞无は意外に冷静だ。神経太い分、俺たちより平気なのかも知れない。
 
「…………?」
 
 恋は……首を傾げてる。まあ、いつもの事のような気もする。
 
 そして、一番リアクションが気になる星は……
 
「仮面の……色……それだけ?」
 
 あれは、風の一言が効いてるのか。やたら肩を落として落ち込んでいる。
 
 いきなりの二号出現よりそっちが衝撃的なのはわからんでもない。
 
 しかし、やおら頭を上げて……
 
「華蝶仮面が警備隊の秘密兵器? 一刀、私はそのような話を聞いていないが」
 
「あ、言ってなかったかも」
 
 大体、張本人の華蝶仮面(元警備隊副隊長)が何言ってんだか。
 
「(観念しろって、もうバレてんだから)」
 
「(バッ、バレる? 何の話かな? ははっ……)」
 
 小声で訊いても自白しないし、まあ、前の世界でも現場を押さえるまで口を割らなかったしな。
 
「まあ、そんなわけで………」
 
「みんながお留守にしてる内は、この華蝶仮面二号が! 都の愛と平和を守ってみせるわん!」
 
 またもビシッ! としなを作る二号(貂蝉)に洛陽の平和は託されたのだった。
 
 
 
 
「で、袁紹自身は兵法なんて全然知らないんだけど。……星、前に顔良と文醜相手に戦った時はどうだった?」
 
 そこから、また軍師や智将のみで軍議は続けられる。
 
 前の世界、俺自身はあんまり顔良と文醜について知る機会がなかったから、流浪の時に手合わせしたはずの星(華蝶仮面)に訊いてみる。
 
「わ、私は知らんな。見た事もない」
 
 こいつめんどくせぇ!
 
 わざわざ執務室から引っ張り出して星の部屋に押し込めてから“華蝶仮面”を呼び出して、情報を訊き出してからまた“星”と一緒に執務室に戻る。
 
 ……絶対近いうちに現場を押さえてやる。
 
 その後も軍議は続く。
 
 とにかく俺が情報を出したりして、皆で相談する感じに。
 
「う〜〜ん……」
 
 劉備軍、曹操軍、公孫賛軍、袁紹軍あたりはある程度分析出来てるが……問題はやっぱり孫策。
 
 前の世界だと蓮華が君主で、基本的に呉の民や自軍の被害を何より嫌う……消極的とも言える方針だった。だが、今回は一番肝心の君主が違う。
 
 ……いや待て、よく思い出せ。周瑜が蓮華を裏切って、白装束と手を組んでまで俺たちと対立したのは……先代・孫策の夢を継ぐため、だったはずだ。
 
 そう考えると、少なくとも天下統一を狙っている可能性は高い。華琳と同じような目で見といた方が賢明か。
 
「我々の軍は約二十五万。対する連合軍は総勢四十万以上。やはり、シ水関と虎牢関での籠城戦が一番でしょうか」
 
 籠城戦、前の世界では舞无を挑発して引きずり出したが……今回は流石にそんな手を食らうつもりはない。舞无を宥めるのは大変そうだけど。
 
 しかし、もう一つ気になる事がある。
 
「……それだけどさ。俺が元々居た世界にコンビニってのがあるんだけど……」
 
 そして、俺が関を“攻略するなら”の話を聞いてもらう。
 
 
 …………
 
「各諸侯で時間を分けて、朝も昼も夜も休みなく攻め続ける?」
 
「指揮官が多い“連合軍”で、しかも兵力が大きく上回ってる状態なら、やれると思うんだけど、どう思う?」
 
 的外れな事言ってるかも知れないけど、言わないって選択肢も無いから、不安ながらに訊いてみる。
 
「……やられる側からすれば、堪ったものではないな」
 
 と、星。
 
「いくら虎牢関が難攻不落と言っても……」
 
 と、雛里。
 
「数で劣るこちらは、常に全力でことに構えていなければなりませんからね」
 
 と、稟。どうやら、おかしな発言でもなかったらしい。もうちょっと自信持って話してみるか。
 
「俺が思い付くって事は、連合側も絶対思い付くと思うよ。孔明や周瑜だっているんだし」
 
 天下の軍師たちの、ちょっと驚いた様な顔は、素直に嬉しいな。
 
「それに、遠回りしてでも他の道から攻めてくる可能性だってあるだろ?」
 
 そんなリアクションで、俺は少し天狗になっていたんだろう。
 
「だから、俺に一つ作戦がある」
 
 それから続けた作戦の説明の後、俺は遠慮無用の風・稟・華蝶をお見舞いされた。
 
 
 
 
「袁紹さん、何か凄い人だったね……」
 
 反・北郷連合。集まったのは、諸侯の統治をしてる偉い人が……ほとんど全員。
 
 総大将を決める軍議の時の、腹の探り合いみたいな嫌な空気……やっぱり一刀さんは、権力争いのダシにされただけなんだ。
 
「華麗に、優雅に、雄々しく前進! ですもんね……」
 
 その総大将に収まった袁紹さんの決めた方針が、これ。朱里ちゃんが呆れるのも無理ないかな。
 
「しかし、なぜ他の諸侯は異を唱えなかったのでしょうか」
 
 愛紗ちゃんも頭を悩ませている。確かに、何であんなメチャクチャな話が通るんだろう?
 
「結局、皆さんご自分の都合で参戦しているのでしょう。下手に総大将に行動方針を決められるより、“自分たちが”動きやすいと判断したのかも知れません」
 
 朱里ちゃんが、少しむくれながら応えてくれた。ホントに頼りになる。朱里ちゃんがうちに来てくれてホントに良かった。
 
 けど、やっぱりみんな……そういう考えなんだ。
 
 ……一刀さんを助けるため、だけじゃない。見極めないといけない。
 
 わたしは、わかってなかった。黄巾党みたいな賊を倒せば、平和な世の中になるなんて……単純な話じゃないんだ。
 
 そこに至った原因がある。そして、今ここにもその火種がある。
 
 皆が笑って生きていける世界。そんな世の中にするために、力を合わせられる人、黄巾党みたいに、やっつけないといけない人、見極めないといけない。
 
 予感とも、少し違う。肌にぴりぴりと感じるみたいな確信。
 
 時代の流れを見極めないと、太平を成し遂げるどころか、生き残る事さえ難しい。“今は”そんな世の中なんだ。
 
「(頑張らなきゃ)」
 
 戦う。わたしが目指して、あなたが信じてくれたやり方で。
 
「お姉ちゃん?」
 
 神妙な気持ちが顔に出ていたのか、鈴々ちゃんが顔を覗き込んできた。
 
「ん〜ん、なんでもないよ♪」
 
 今は気を引き締めないと。一刀さんを助けたいって思ってるのも、今は口に出さない方がいい。
 
 ……愛紗ちゃんの顔がちょっと怖くなったし。
 
「ただいま、戻りました!」
 
 そんなやり取りの中、前もって朱里ちゃんが放ってくれていた密偵さんが戻ってきた。
 
 ……いくら何でも、早すぎるような気がする。シ水関までまだ結構距離があるのに。
 
 そんなわたしの疑問は、続く報告で氷解した。いや、凍り付いたのかも知れない。
 
「敵はシ水関ではなく、名も無い数十の関、その最前にて待ち構えています」
 
 わたしには、それが自殺行為のように思えたからだ。
 
「旗印は、蒼の趙旗と十文字の牙門旗……北郷一刀です!」
 
 
 
 
(あとがき)
 作戦会議で尺取り過ぎた感がありますが、次回、直接的に開戦。兵力比はこんな感じになりました。
 
 お気づきの方もいると思いますが、本作の孫策、袁術の客将状態じゃなかったりします。
 
 



[12267] 四章・『撤退』
Name: 水虫◆70917372 ID:ecef790b
Date: 2009/11/19 05:42
 
「舌戦でもするか?」
 
「冗談。向こうはこっちを悪党だって決めつけないと意味無いんだから。一方的に悪口言われるだけなんてごめんだよ」
 
 ていうか星、わざと言ってるだろ。楽しそうにしてからに、何なら罵り合いしてきてもいいぞ。
 
「……連合は我らに気付くと思うか?」
 
「これだけ堂々と構えてて気付かないくらい無能なら、それこそ大助かりだけどな」
 
 これで東……シ水関と虎牢関に誘導出来るはず。時間を掛けるとまずいのは、むしろ自国を空けてる向こうの方なんだから。
 
「……一つ、訊いても良いか?」
 
「? ……いいけど」
 
 これだけの大戦前、さすがに星といえども緊張しているのか。らしくない訊き方だ。
 
「何故、私を今回の副官に選んだ?」
 
「? ああ、今回の作戦だと、恋や舞无はもちろん……霞も熱くなったら、向かないし、星が一番適任だろ?」
 
 ついでに言うと、頼りになる武も欲しいし、軍師勢と俺だけだと怖すぎる。
 
「ッ……ああ、そうっ!」
 
「はいっ!?」
 
 槍の石突きが腹立たしげにガンッ! と石床を打つ。
 
 俺が何をしたと?
 
 
 
 
「一刀さん、何であんな関に……」
 
 義勇軍の頃から、前に出て皆と一緒に戦う人だった。でも、何でわざわざあんな脆い関に………
 
「……あれから見限っていなければ、北郷軍には軍略の天才、雛里ちゃんを始めとする優秀な軍師が三人もいるはずです。戦の基本をわかってない……という可能性は皆無だと思います」
 
「ん~、真っ向から野戦をしようとしてるとかは?」
 
「数が違いすぎるから、それもないと思う」
 
 鈴々ちゃんの疑問に朱里ちゃんが応える。状況を正確に把握した上での布陣……という事は、
 
「……罠か」
 
 愛紗ちゃんが、皆(鈴々ちゃんはわからないけど)の共通の推測を口にする。
 
 ……もう一つ、最悪の推測もあるけど、そっちは口にしたくない。
 
「罠とわかっていても、ここは行かざるを得ないと思います。自国を空けて遠征に出ている私たちには、様子を見ている時間はありませんから」
 
 朱里ちゃんの軍師としての言葉が、今は胸に痛い。
 
「けれど、弱小勢力ゆえに捨て石扱いされかねない私たちにとって、これはむしろ好都合です」
 
 一刀さんと戦っている。それを突き付けられるようで。
 
「(そんな事じゃダメだって、わかってるんだけどね……)」
 
 
 
 
 所変わって、呉陣営。
 
「うーん……どう思う? 冥琳」
 
 面白そうに眉を上げて訊ねる赤いドレスの女性。褐色の肌に青の瞳、後頭でまとめた長い桜色の髪を靡かせるその女性は、呉王・孫策。字は伯符、真名は雪蓮。
 
「北郷とやらがよほどの馬鹿でなければ、間違いなく罠だろうな。でなければ、わざわざあんな小関に籠もる意味も無い」
 
 そんな主の態度に嫌な予感を感じながらも応えるのは、長い黒髪に、雪蓮と同じく褐色の肌、掛けた眼鏡が知的な雰囲気を一層際立たせる女性、周瑜。字は公謹、真名は冥琳。
 
「うんうん、というわけで、突撃行ってみよー♪」
 
「……私の話を聞いていたのでしょうか? 孫伯符殿」
 
 額に薄らと青筋を浮かべる冥琳に構わず、雪蓮は軽い調子を崩さない。
 
「怖い顔しちゃイ~ヤ。これでも結構本気なんだから」
 
「なお悪いでしょう!」
 
「だって~、どっちにしたって行くしかないでしょ? なら、私たちが大将首を獲るのもいいかな~、って」
 
「正気? あの旗の下に本当に北郷一刀がいるって保証すら無いのよ?」
 
「あの牙門旗を落とす事自体に意味がある。違う?」
 
 雪蓮のやる気満々な言い分に、冥琳は額に手を当ててかぶりを振る。雪蓮は言いだしたら聞かないのだ。
 
「罠とわかっていても食い付かざるを得ない。この連合の本質をよく理解している証拠だ。……思ったほど甘い相手じゃないわよ」
 
「それもわかってるけど、罠なんか掻い潜って食らい付けばいいのよ♪ 私には天下の周公謹が付いてるんだから」
 
「……ほぅ? という事は、言ったら止まってくれるんだな」
 
「あら、やぶへびだったかな?」
 
 鬼の首でも獲ったように笑う冥琳に、雪蓮も強く笑い返す。
 
「……でも、案外本当にいる気がするのよねぇ。北郷一刀」
 
「……勘?」
 
「そっ♪ 勘」
 
「……あなたの勘は当たるからね」
 
「そうそう♪ じゃあ早くしましょ。“総大将様のご命令通り”雄々しく華麗に、ね」
 
 
 即断即決、連合のどの陣営より速く、孫策軍は動きだす。
 
 
 
 
 連合軍総大将、袁紹陣営。
 
「……あれ? 麗羽さまぁ~、何か孫策さんの所の軍が動いてますけど……」
 
 右手で日射しを遮りながら遠方を見ながら言う、肩までの緑髪の少女。名は文醜、真名は猪々子。
 
「はぁ? 孫策さん? まあ、軍議には本人すら顔を出さなかったくせに、随分とやる気を出していらっしゃるのね」
 
 常識離れした、渦巻く金の長髪を揺らすのは袁紹。名目上、この連合の総大将である。
 
「姫~! 文ちゃ~ん! 今、事前に出してた密偵さんが帰ってきたんだけどひゃあっ!?」
 
「が・ん・りょ・う・さん? あなたはわたくしの作戦を聞いていらしたの!? 華麗に! 雄々しく! 勇ましく進軍するはずのわたくし達が、姑息な物見など出していらしたの!?」
 
「姫ぇ! それあたいのなんだから勝手に揉まないで下さいよぉ!」
 
「文ちゃんのでもないってばぁ~! っていう姫、それどころじゃないんですってぇ!」
 
 駆け寄ってくるなり、おしおきとばかりにその豊満な胸を揉みしだかれる黒髪おかっぱの少女。名は顔良、真名は斗詩。
 
「前方、最前線の関に、北郷さんの旗が出てるんですよー!」
 
 それを聞いて、麗羽は揉んでいた手をパッと放す。
 
「……北郷さんが? 前々から天の御遣い~なんて恥ずかしい通り名を名乗ってらっしゃるから、どうせ頭の緩い方だとは思ってましたけれど……好感度がマツゲ一本分上がりましたわ」
 
「何で好感度が上がるんですかっ!!」
 
「? 自分から討って出るなんて、潔いじゃありませんの」
 
 麗羽のどこか……というか思い切りズレた応えに、斗詩はがっくりと肩を落とす。
 
「そうですよ姫! 北郷が最前線に出てきたって事は、孫策のねーちゃんは北郷を倒しに行ったって事じゃないですか!? 手柄全部持ってかれちゃいますよ!」
 
 間違ってはいないけれど、北郷軍の動向の奇妙さに気付かない猪々子に、斗詩はまた肩を落とす。
 
「……全く、これだからおバカな文醜さんは困りますわね。一度そのおつむの中身を見てみたいものですわ」
 
「ひゃわっ!? ひへへへ!」
 
 と、麗羽は今度は猪々子のほっぺたを左右に引っ張る。
 
「北郷さんの軍は二十万以上もいますのよ? 孫策さんの五万程度のしょっぱい兵力で倒せるわけがないでしょう!」
 
「ほっ、ほえで……?」
 
「孫策さんがわたくしのために、わ・た・く・しのために、北郷さんの軍を思う存分弱らせて敗けてくれた後、わたくしの軍が華麗に北郷軍を撃退するに決まっているじゃありませんの! おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」
 
「ひはいひはいっ! ひへ、いはいからはらひて~!」
 
「何を言っているかわかりませんわ! 全くこの子は……」
 
「……姫、北郷さんの部隊、どう見ても二十万もいないらしいんですけど」
 
 
 どこまでもズレた二人を見ながら、斗詩は頭を悩ませる。
 
 
 
 
 それから、十数日の時が過ぎる。
 
「……何を考えてるのかしらね」
 
「不気味、なのは確かだな」
 
 あれから、冥琳や思春、明名に、罠や伏兵を警戒してもらいながら進軍を進めているけれど、それらの気配は見られない。実際、仕掛けられもしなかった。
 
 その上で、連戦連勝。数ヶ所の関を突破して、その度に北郷軍は撤退を繰り返す。
 
 拍子抜けもいいところだ。張り合いがないったらありゃしない。
 
「……姉様、何を不満そうな顔をしているのです」
 
 不謹慎な内心を見抜いたのか、私や母さまによく似た妹、孫権……蓮華が睨んでくる。
 
「そりゃ……あれよ、毎度毎度追っ払っても、肝心の大将首が獲れないからよ」
 
「……本当ですか?」
 
 あーあー、聞こえなーい♪
 
「しかし、確かに妙じゃな。いくらこちらの方が兵が多いと言っても、小関とはいえ砦を使ってこの程度とは……手応えが無さすぎる」
 
 腕を組みながら唸るのは黄蓋、真名は祭。母さまの代から孫家に仕えてくれている勇将だ。
 
「だから不気味なんじゃないですかー」
 
 そう言って、陸遜……穏がため息を吐く。
 
 うちの軍師勢は心配性の多い事。だからこそ頼りになるんだけど。
 
「そうやって警戒しながら戦ってきて、今まで何も無いんだけどね。実は本当にただの馬鹿だったりして♪」
 
「雪蓮、ふざけないの」
 
 今も、思春と明命が偵察に行ってくれている。けど、これも何回繰り返しても結果は変わらない。
 
 侮るつもりもないけど、だんだん警戒するのが馬鹿らしくもなってきたりして。
 
「気になるのは、それだけじゃないのよ」
 
「……何が?」
 
「兵糧よ。落とした関に蓄えられていたはずの食糧の全てが焼き払われている。それ自体は、別に何もおかしい所はないのだけれど……その焼かれた食糧の量が明らかに少なすぎるのよ」
 
 関の備蓄が少ない? ……って事は、
 
「この撤退は、最初から計算に入ってるという事ですかー?」
 
 あ、穏。私が先に言おうと思ったのにー!
 
「正解……のはずだ」
 
 冥琳にしては珍しく、曖昧な応え。まあ、敵の狙いが見抜けていない以上、仕方ないのかも知れないけど……。
 
 それにしても、兵糧か。
 
「こっちもそろそろやばいのよねぇ。袁紹に要請した兵糧、まだ着かないの?」
 
「……ああ。我々が北郷軍に釣り上げられていて追い付かないせいもあるのだろうが、それを差し引いても少々遅いな」
 
 狙いも何もわからない。ただ僅かな籠城戦と撤退を繰り返す不気味な軍、残り少ない兵糧。
 
 連勝なのに、どうにも熱くなれない戦だった。
 
 
 
 
 数日、時を遡った袁紹陣営。
 
「麗羽さま~。孫策軍、連戦連勝みたいですけど……」
 
「…………」
 
「もしかして、このまま北郷の首獲っちゃうんじゃありません?」
 
「…………」
 
「麗羽さま~、孫策さんから、約束通りに兵糧を送ってくださいって使いの人が……」
「それですわ!」
 
 猪々子の度重なる問いに無言を貫いていた麗羽が、斗詩の報告に目を輝かせて、机をバンッと叩いて立ち上がる。
 
「……それって?」
 
「い、いえ……何でもありませんわ! それにしても孫策さんが兵糧を、ねぇ……」
 
 思案に耽るようなその仕草の奥で、しかし瞳は愉快そうに輝いている。
 
「どうしましょう? 最前線で体を張っている孫策さんを飢え死にさせるわけにもいきませんし。けれど、身の程もわきまえずに独断専行した挙げ句に食糧だけよこせなんて図々しいお願いを聞いては、連合の総大将の威厳に関わりますわよねぇ~……」
 
 麗羽の、“解を出すつもりのない”自問自答は、結局全てが終わるまで繰り返されるのだった。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回は微妙に難産でした。状況が状況だけに仕方ないのですが、複数視点同時進行はなかなかに難しいです。
 
 



[12267] 五章・『開門』
Name: 水虫◆70917372 ID:ecef790b
Date: 2009/11/15 06:06
 
「華麗に、雄々しく、勇ましく……これが作戦か?」
 
「……らしいね」
 
 密偵から知らされた連合軍の作戦が、これ。……何か、前の世界よりバカがパワーアップしてるような気がするんだけど。
 
「そして、孫策に兵糧は送っていない……か。バカとハサミは使いようだな」
 
「星も酷いなぁ」
 
「お前が言うな」
 
 ごもっとも。
 
「大体、今回は上手く兵糧不足になってくれているが、もし兵糧を潤沢に備えた勢力が攻めて来ていたらどうするつもりだ」
 
 ジロリ、と星が半眼で睨む。
 
「それならそれで、別にいいんだよ。肝心なのはシ水関と虎牢関のある東に誘導する事と、連合の足並みを乱す事なんだから。兵糧攻めはおまけだ」
 
 それだけ言っても星のジト目は治らない。まだ怒ってらっしゃる?
 
「そのために、君主自ら少数の兵を率いて釣り餌となる、か? いい加減立場を理解して頂きたいのですがな? 北郷一刀殿」
 
 ……敬語だ。やっぱり怒ってる。
 
「恋や霞、舞无みたいな……元々の官軍の猛将じゃあ、却って西に行かれる可能性があるし、俺たちみたいな“成り上がり”の方がいいカモに見えるだろ。何たって大将首だし」
 
「だからと言って……」
「それに……」
 
 また小言を言おうとする星の言葉に、被せる。
 
「星もいるだろ?」
 
「…………」
 
 実際、頼りにしているのだ。ちまちまとした抗戦と連続撤退、舞无や恋や霞では飛び出してしまうような状況だろう。
 
 加えて、常に追撃される脅威に曝されながらも、安心してこんな作戦のも、星の存在が大きい。
 
「……だから、少しはこちらの苦労も考えろ、と言っているのだ」
 
 少しは得意に思ってくれるかと思ったんだが、星はそう言いながら、腕を組んでぷいっと背中を向けてしまう。
 
 ちぇっ。まあ、無茶に付き合わせてるのも事実だから何も言えんのだけども。
 
 仕方ないから、全部終わった後にメンマでも買ってくるとして……
 
「さっき、釣り餌って言ったけど、俺たちはただの釣り針だよ」
 
 星の言葉に訂正を加える事にする。
 
 
 
 
「……また、もぬけの殻か」
 
 これで何回目だろうか。城門の突破に撞車を持ち出す頃には、裏の城門から逃げ出している。
 
 ……今回は焼くまでもなく、ぴったり食糧無くなってるし。
 
「冥琳、兵糧は?」
 
「今まで極力切り詰めてきたけど、そろそろ限界ね」
 
 何を企んでるのかと思っていたら、兵糧攻めか。思ってたより全然つまらない作戦だった。
 
 こっちが兵糧に余裕が無かったのは事実だけれど、あまりに偶然に頼りすぎてる。
 
 な・の・に……
 
「袁紹は……?」
 
「返事すら寄越さないわ。送る気がない、と見るべきでしょう」
 
 あの無能な総大将のせいで、効果抜群。
 
「ちっ……。王都と帝のため、力を合わせて暴君を討ちましょう! な〜んて声明を出した張本人がこれかぁ。総大将の体裁くらいは保ってくれると思ったんだけどなぁ……」
 
「もはやこの集まりは、連合などではありません! 集まった諸侯全てが敵のようなものです!」
 
 鼻息荒く、蓮華が咆える。経験不足、か。私より器は大きそうなのにな。
 
「それは初めからわかってた事。それに、袁紹だけ見て全部敵って断言するのは、ちょっと視野狭窄よ? 蓮華」
 
 う……、と口籠もる蓮華。まあ、間違ってはいないんだけど、利害関係の一致する相手だって、見つけないといけないしね。
 
「どうする、策殿? このまま追い続けても、洛陽どころか虎牢関にもたどり着けんぞ」
 
 ……祭にしては弱気は発言だ。今の言葉は、途中で捕まえられない、という前提の下の仮定だし。
 
「穏、ちょっと地図出して」
 
「あ、は〜〜い」
 
 慌てて取り出した地図を、汚れた石造りの机に広げてくれる。
 
 前に見た時、確か……
 
「やっぱり」
 
 次の次の関がシ水関。そして、この関から次の関までの間が、一番距離が長い。おそらく、北郷軍は今までの行軍速度から考えて、一度野営を挟むはずだ。
 
「ここで勝負を掛ける。結構な強行軍になっちゃうけど、もう時間を掛けてる余裕が無いわ」
 
「……それしかないわね」
 
 冥琳も同意してくれた。無理も無いか、腹が減っては戦は出来ないし。
 
「この襲撃が、私たちの最後の攻撃よ。北郷一刀の首を獲る獲らないに関わらず、ね」
 
 今の状態でシ水関に攻め入るのは自殺行為だ。逃がしてしまえば、そこでおしまい。
 
 各諸侯のいる前で直談判すれば、元々の約定の手前、いくら袁紹でも兵糧を分けないわけにはいかないだろうから、引き返す。
 
 今までの被害が無駄になってしまう、結果的に勝ち逃げされる形になるけれど、これ以上の犬死にを出すわけにもいかない。
 
 だから……
 
「出撃準備。疲れてるのは百も承知だけど、今すぐ軍を再編して」
 
『了解!』
 
 絶対に、次で仕留めないといけない。
 
 
 
 
「孫策様! 前方四里に、北郷軍の野営陣地を発見しました!」
 
 明命が斥侯から戻るなり、大声で告げる。雪蓮の読み通りだ。相変わらず勘がいい。
 
「よし、全軍駆け足! 敵は眼と鼻の先だ! 砦に籠もらねば戦えぬような腰抜けどもに、今度こそ目に物見せてくれようぞ!」
 
 雪蓮の号令に、呉の勇兵が歓呼で応える。しかし、その叫びはどこか絞りだすように響く。
 
 無理もない。ただでさえ疲労が溜まる攻城戦を連日繰り返し、食糧も満足に得られず、極めつけに、この強行軍ではろくな休息も取っていないのだから。
 
 それでも、行くしかない。
 
 数の劣る敵首軍を、ここまで追い詰めておいて逃がせるわけもない。
 
 そして、勝負をかけるなら今しかない。
 
「周泰! 伏兵は?」
 
「ありません! 今までと同じです。我々に追い付かれるより先にいち早く関に逃げ込むつもりかと思われます!」
 
 ……よし。少々無茶な行軍だが、だからこそ敵の意表を突ける。出来れば夜襲が望ましかったが、夜まで待つわけには当然いかない。
 
「甘寧! 黄蓋殿! 孫策より先に敵陣に討ち入ってくれ! 私は中央で、後曲の孫権様を守る!」
 
「うむ!」
 
「御意!」
 
「え〜冥琳、私は〜〜!?」
 
 どうせ突っ込むんだから、そこを止めないだけ寛容だと思って欲しいものだ。
 
「見えてきたぞ! 無駄話はやめにしましょう!」
 
「はいはい、……全軍っ、突撃ぃぃぃーー!」
 
 
 それから、あっという間に北郷軍のはりぼて同然の野営陣地を、呉の勇兵が蹂躙した。
 
 今までほとんど直接的な戦闘をしていなかった北郷軍の、いきなりの“逃げ”の姿勢が我が軍に自信と勢いを与え、空腹と疲労で弱った我が軍は息を吹き返すように暴れ回る。
 
 だが……
 
「逃がすな! 食い付け!」
 
 こちらとしては、むしろ都合が悪い。腹を括って戦ってくれた方が、北郷一刀を仕留めやすかった。
 
 陣内の柵や天幕や僅かな食糧が燃え上がる中、我先にと北郷軍は背を向けて逃げ出している。
 
 次の関にも備蓄があるから構わない、といわんばかりにあっさりと食糧を放棄してみせた。
 
 だが、今の我が軍には、喉から手が出るほど欲しい代物だ。ありがたい。
 
「孫策は!?」
 
「逃げた北郷軍を即座に追われました! 黄蓋様、甘寧様もご一緒です!」
 
「(思った通り、か。ここは後曲の蓮華様に任せて、私は雪蓮を追い……)」
 
 と、そこまで心中呟く中、見渡す中で気付くものがあった。
 
 陣の内外問わずに広がる、死体の数々。
 
 右を見渡す。
 
「…………」
 
 左を見渡す。
 
「…………」
 
 前を後ろを、自分でも挙動不審だと思うほどにキョロキョロと見渡して……気付く。
 
 一見して派手な快勝と無様な敗走にしか見えない攻防だった。しかし……
 
「(両軍の被害が、釣り合わない……)」
 
 追撃を受ける側の方が、当然被害は大きくなるはず。なのに、両軍の被害は同じ……いや、むしろこちらの方が……多い。
 
「…………」
 
 相手は撤退を繰り返すばかりの、兵糧攻めを狙うような、弱気な軍。
 
 なのに……数で勝る、追撃戦で、こちらの方が被害が出る。
 
 致命的な矛盾を感じて、冷や汗が噴き出す。嫌な予感が止まらない。
 
「(雪蓮!)」
 
 
 
 
「逃がすか!」
 
 剣が唸りを上げ、血飛沫が飛ぶ。
 
 雪蓮様の性質は理解しているつもりだ。だからこそ、私が僅かでも遅れるわけにはいかない。
 
 その瞬間、私を追い抜いて、危険など構わず先頭で北郷軍に食らい付くに決まっている。
 
 困った御方、その一言に尽きる。
 
 しかし……
 
「うおぉぉっ!!」
 
 敵兵が構えた槍ごと、薙ぎ倒しながら、確信を持つ。こやつら……
 
「……手練じゃな」
 
「弓使いがどうして前に出る。黄蓋殿」
 
「これほどの精兵にこんな腑抜けた戦をさせるなど、北郷とやらの神経が理解出来んわい」
 
 ……私の話を無視された。
 
「ほら思春、休まないの。追い抜いちゃうわよ?」
 
 ……既に大声を上げずに会話出来る所まで来ておられる事に呆れます。雪蓮様。
 
 大きく遅れた者から斬り倒す。それほどに迫る追撃戦の先に、最早、次の関は目と鼻の先。
 
 と思う間に、関の城門がゆっくりと開き始めていた。
 
「雪蓮様!」
 
「このまま、北郷軍と一緒に関に雪崩込むわよ! そうすれば今度こそ逃げ場は無い!」
 
 咆える雪蓮様の瞳には、強い光が宿っている。関の目の前で的になる危険などはねのけて、必ずここで勝利する固い決意が見えた。
 
 しかし、今回は蛮勇ではない。この距離なら……いける!
 
 確信を持って、一気に迫る。
 
 その、先で……
 
「…………っ?」
 
 北郷軍が……
 
「なっ………!?」
 
 岐れた……!?
 
 関を目前にして、北郷軍が二つに割れる。まるで我らに道を明けるように開いたその空白の地の先で………関の城門の中から、それが見えた。
 
「ちいっ……!」
 
 関には、さっきまで何の旗も出ていなかった。
 
 しかし、今城門から姿を現すのは……紺碧の張旗と、漆黒の華旗。
 
 
「ぃよっしゃ! 行くで華雄! 連中の鼻っ柱叩き潰したる!」
 
「おう! 行くぞおまえ達! 愛のために!!」
 
『愛のために!!』
 
 
 
 
(あとがき)
 またも複数視点進行。
 
 一応上から、一刀→雪蓮→冥琳→思春です。
 
 若干、風邪気味な気がする。咳と頭痛が止まらないです。
 
 



[12267] 六章・『撃退』
Name: 水虫◆70917372 ID:a8149533
Date: 2009/11/17 05:09
 
「よし!」
 
 ドンピシャ。流石稟……いや、行軍速度を調整してた星が凄いのか? どっちにしても凄ぇ。
 
 交差法みたいに入れ替わりに突撃した霞の軍を見送りながら、俺はグッと拳を握る。
 
 後は俺たちも反転して……とか考えていると、
 
「うあぁっ!」
 
 後ろから悲鳴が聞こえて、頬に温かい液体……血が飛んだ。
 
「北郷っっ一刀ぉぉー!!」
 
「っ!?」
 
 さらにその直後に耳を叩いた大音量に、何事かと振り返れば……一人の女が、剣で俺たちの軍の兵士を斬り倒しながら、馬を全力で走らせていた。
 
 桜色の髪、褐色の肌、青い瞳……おまけにあの剣。
 
「っっ孫策か!?」
 
「あ、やっぱりあなたが北郷なんだ?」
 
 あ………しまった。
 
「こんな簡単なカマ掛けに引っ掛かるなんて……あなた自身は結構馬鹿?」
 
「余計なお世話だ! 大体、こんな敵軍のど真ん中に単騎駆けするような奴に言われる筋合いねえよ!」
 
「あら、それなら平気よ。私、強いもの」
 
 何でもないようにそう言って、孫策はまた二人斬り倒して俺に迫る。
 
 そこからさらに、俺を守るように突っ込んだ騎兵三人も一振りで斬り倒す。
 
 ……冗談じゃない。甘く見てた。華琳と同じように見ようとか思ってたけど、個人で考えたらこいつの方がよっぽど怖いぞ。実力も大胆不敵さも。
 
「どっちにしろ、これで呉軍は撤退だけどね。土産はもらってくわよ」
 
「もらうっつわれて素直にやれるか!」
 
 日頃、超豪華な面子にコーチしてもらってるからわかる。こいつ、星や霞あたりと互角にやり合えるだけの実力がある。
 
 捕まったら殺られる。
 
 それはわかってるのに………相手が、疾い!
 
「だから無理矢理獲るんじゃない」
 
 さらりと俺にとっての死刑宣告を告げた孫策……って、やべえっ!
 
 後数歩で孫策の間合いに入っちまう。再び後ろを見て、その事実に気付いた頃には、既に孫策は剣を振り上げていた。
 
「はぁああ!」
 
「くっ……そっ!」
 
 咄嗟にこっちも後ろに剣を振るう。ガギィッ! と固い衝突音が響いて、何とか受けとめた。
 
 ……が、
 
「おぉぉっ!?」
 
 体制が悪かった事と、そもそも一撃が重すぎる事が合わさり、俺は馬上で大きくバランスを崩す。そこを、狙い澄ましたように孫策の二撃目が襲う。
 
 受け止められねぇ! ええぃ!
 
「ままよ!」
 
「! ……っと」
 
 とにかく何がなんでも剣を躱すべく、崩れた体制から、そのまま思いっきり体を反らす。
 
 そうすると………
 
「ッ……がはっ! ぐぅぅ……!」
 
 当然のように落馬するわけで、地面に叩きつけられる瞬間に何とか受け身を取って、ゴロゴロと転がるが、背中を強打して息が詰まった。
 
 全身にジンジンと響く鈍痛を噛み締める暇もなく……
 
「っ!」
 
 誰かの馬蹄が、顔の真横の地を蹴った。さっきから何回死にかけてんだ俺。
 
 なんて、そんな事考えてる余裕も当然ない。
 
「背中なんか見せて逃げてるからよ」
 
 正面向いてたって勝てるかよ。ついさっき俺を素通りしたくせに、もう反転してこっちに向かってくる孫策。その間にも阻む兵士を斬り倒しながら。
 
 とにかく、俺もすぐさま立ち上がって剣を構える。
 
 馬を狙う? いや、そんな事して剣を下げた瞬間に俺の首が飛ぶ。
 
 とにかく、上段に構えながら横に動いて攻撃を……
 
 ギィン!
 
「捌く!」
 
「捌けてないわよ」
 
 一撃止めて横に跳んだ俺の動きに合わせて、孫策はぴったりと俺を正面に捉えていた。
 
 くそっ! 馬術も半端じゃ……
 
「っあ……!?」
 
 また振られた一撃が俺の剣を弾き飛ばし、俺は顔面に切っ先が届く寸前に大きく仰け反って……尻餅をつくようにまた転んだ。
 
 完全な無防備。
 
「だらしないわよ、男の子!」
 
 それを見逃してもらえるわけもなく、剣先が俺に向かって伸びる。何故か妙にスローに映るそれに、俺が恐怖や後悔を感じる間すらなく、
 
「やらせはせん! やらせはせんぞおぉー!」
 
「「っ!!?」」
 
 風を切る豪撃が、孫策の斬撃を弾き返していた。
 
「舞无!」
 
「ふんっ、別にお前を助けに来たわけではないからな!」
 
 どこぞの野菜王子並にわかりやすい言い訳をして、バシッ! と、再び戦斧を構え直す舞无が、これ以上なく頼もしく見える。
 
 つーか、こいつさっき自分が爆弾発言した事に気付いてないな。
 
「漆黒の華旗……ああ、誰かと思えば、母様相手に尻尾を巻いて逃げた負け犬さんか」
 
「親の自慢はそれだけか? 武人なら、己自身の武を誇るんだな」
 
 そんな普段の馬鹿っぷりを帳消しにするような、ぴりぴりと痛い緊張感が、戦場の中で、さらに別の空間を作り上げていた。
 
 
 
 
 華雄が……行ったか。
 
 全く、あんな馬鹿はそうそう転がってはいないと思ったが……英雄というものは、容易くこちらの認識の上を行く。
 
 腕が立つのは一目でわかるが、王自らが単騎駆けとは恐れ入る。
 
「おぬしも苦労が絶えんだろう。案外、話が合うかも知れんな」
 
「孫策様と貴様の愚君を同列であるかのように語るな」
 
 取り付く島の無い石頭、か。訂正、話は合わんかも知れん。
 
「……愚君、か。確かに、正直に言うと私もあやつはよくわからん」
 
「己が主君を貶されて反論も無しか。ならば何故、暴君とされる男に手を貸す?」
 
「よくわからんと言っただろう。知りたければ、直接あやつと話してみるんだな」
 
「必要ない。貴様も北郷も、ここで果てるのだからな」
 
 ……やれやれ、面白みのない。
 
「我、北郷が一の家臣、北方常山の趙子龍。名を訊いておこうか」
 
「孫策様の妹君、孫権様の近衛、甘興覇だ。その減らず口、今すぐ叩けなくしてやろう」
 
 言って、両者武器を構える。
 
 幅広の曲刀を逆手に持つ、変わった構えだ。一撃一撃に体重を乗せるためでも、相手の攻撃を捌くためでもない。
 
 間合いを読み辛くして、刃すら合わせずに相手を斬り倒す……将というより暗殺者を彷彿とさせる。
 
 その予測に違わず、いやそれ以上に……
 
「(疾い!)」
 
 一足飛びにこちらの間合いの内側に入り込む甘寧の動きに、しかし反応出来ないわけでもない。
 
 槍の穂先よりも近い間合いで石突きを繰り出し、それが甘寧の曲刀にぶつかる。
 
 そこから半歩下がって間合いを取り、繰り出した斬撃を、甘寧はさらに後ろに跳ねて躱す。
 
「っ!」
 
 その時、僅かに舞った砂塵が、一瞬より短い時間、私の視界を奪う。
 
 そして……
 
「ど……」
 
 私は甘寧を見失った。しかし、「どこに行った」と言うより早く見つける。
 
「っ……と!!」
 
 横合いから振るわれた曲刀を、槍の柄で受ける。そのまま滑らすように、甘寧に穂先を突き出して、僅かに肩を捉えた。
 
 しかし、それも皮一枚。
 
「ふむ、まるで猿だな」
 
「…………」
 
 私の率直な感想に眉一つ動かさない甘寧に、今度はこちらから攻める。
 
 姿勢をほとんど崩さずに、突きを一つ、二つ、三つ。それを体をよじって逸らすように受ける甘寧が、そのまま横に飛ぶ動きを……
 
「はっ!!」
 
「っっぐぅ!?」
 
 私の、舞うように回転させた槍が捉えた。柄が甘寧の腹を強打する。
 
 ……ふむ、少し間合いを図り間違えた、が。
 
「どうやら、私はお前とは相性が良さそうだ。怪力頼みの猪武者相手ならば、その動きも有効だったろうが、私には見えている」
 
「ッ……知った風な口を叩く、な! まだ私は負けてなどいない!」
 
 膝を着いたまま、強い瞳のままで咆える甘寧に、私は再び槍を向ける。
 
 
 
 
「おおおぉぉー!!」
 
「はぁああー!」
 
 舞无の渾身の豪撃が空を切り、孫策の剣が突き出される。
 
 それを舞无は肩の防具で受け、逸らして、再び戦斧を振り回す。
 
「すげぇ……!」
 
 前の世界でも、愛紗とそれなりに渡り合うほどの実力者だったはずだが……この孫策相手には分が悪いのでは。などと思っていたが、完全に互角に渡り合っている。
 
「(ぴくんっ……)」
 
 あ、舞无の肩が少し揺れた。
 
「はっはっはっ! どうした江東の猫よ! やはり親の背に隠れるだけの小兵かぁ!?」
 
 舞无は、大笑いしながら暴風のように戦斧を振るう。
 
 舞无の、遠心力を味方につけた強力な斬撃。その大振りの隙を突くように孫策も斬り掛かるが、間合いの優位が、舞无にそれを躱す余裕を与えている。
 
「ちぃっ……! こいつ、また速くなった……!?」
 
「当たり前だ! 私を誰だと思っている! 北郷軍第一の将、華雄だぞ!」
 
 石突きをドンッ! と地面に打ち付けて胸を張る舞无が、俺の方をチラッと………って馬鹿っ!!
 
「前見ろ前ぇー!!」
 
「もらっ………」
「わせるかぁぁー!」
 
 俺の懸念通りに隙を突こうとした孫策に向けて、舞无の戦斧が再び唸る。
 
 僅かに髪先を掠めたその一撃に、孫策は大きくバックステップ。
 
「ふふんっ! この私が戦いの最中に隙など見せると思ったか! 愚か者め!」
 
 ………いや、思いっきりよそ見してたんだけど。
 
「……何なのよ、こいつ」
 
 呆れてる孫策に、ちょっとだけ共感できる。
 
 
「雪蓮っ!!!」
 
「「「ッ………!?」」」
 
 そんな最中、乱戦の喧騒の中でなお響く怒声が、俺たちを打つ。
 
「めっ、冥琳!? 何でこんなと……」
「それはこっちの台詞だ!! 敵の奇襲を受けた乱戦の最中に王が飛び込んで一騎討ちですって? ふざけるのも大概にして!!」
 
 前の世界ではほとんど直接の面識は無かったけど……周瑜だ。めっちゃ怖いんですけど、孫策も小さくなってるし。
 
「ッ……貴女に何かあったら、私たちはどうすればいいの……!?」
 
 まくし立てるような説教から、涙ぐんでそう言う周瑜。
 
「わかった! わかったから!」
 
 さすがの孫策も完全に反省モードに。
 
「退きましょう。これ以上は無駄な犠牲にしかならない」
 
「ぶー……。は~~い」
 
「待て! そう簡単に逃がすと……」
 
 撤退しようとする二人を威嚇する舞无の肩を……俺が掴んで止める。
 
 その間に、孫策たちは馬に乗って背を向け、走り始める。
 
「孫策ぅーー!!」
 
 その背に、大声で呼び掛けて、放り投げる。
 
 目を丸くしている孫策の手に、上手い具合に納まった。
 
 
「舞无、追撃は無しだ。俺たちはこのままシ水関まで退く」
 
「何故だ! 何故見逃す! 何故背を向ける敵に追撃を掛けん! 最大の好機ではないか!」
 
「その方が都合がいいからだよ。……多分ね」
 
「???」
 
「後で説明したげるから」
 
 ぽんぽんと頭を撫でると、俯いたまま「う~っ」と唸る舞无を連れ、撤退の準備に向かう。
 
 
「……ところで、さっき投げたあれは何だ?」
 
「ん~……時限爆弾、って所かな」
 
 
 
 
(あとがき)
 風邪気味(?)だったのもすっかり回復し、今日も更新。
 感想板で博識な読者様方の意見を受け、前話、前々話を“微”修正しました。
 
 浅い知識で書こうとすると当然のようにこういう事になりますね。猛省。
 
 



[12267] 七章・『瓦解』
Name: 水虫◆70917372 ID:ec773f40
Date: 2009/11/17 18:49
 
「雪蓮、あの男が北郷一刀か?」
 
 撤退する呉軍。うるさく響く馬蹄や喧騒の中で、冥琳が私に声を掛ける。
 
「ええ、弱っちい男だったけどね。……ま、元々董卓の将だったはずの華雄があそこまで心酔してる以上、ただの『暴君に仕立て上げられた傀儡』でも無いんでしょうけど」
 
 いや、それはいきなり最前線に出てきた時点で、想像のついていた事か。
 
 私の言葉に、冥琳は沈んだ表情のまま言葉を紡ぐ。
 
「祭殿も張遼を仕留められなかった。思春に至っては、逃げるので精一杯だったという話だ。結局、我が軍が一方的に被害を受けただけの結果に終わってしまったな」
 
 だからあのまま北郷の首を獲るつもりだったのに……とか考えた瞬間、ギロリと睨まれた。……話を逸らそう。
 
「けど、な〜んで追撃掛けて来なかったのかしら? 関から出たばかりの元気な兵がわんさか居て、こっちはぼろぼろのまんま背中見せてたってのに」
 
 実際、そうまでしてでも撤退せざるを得ないほど、こっちは追い込まれてたって事だ。
 
 無理は承知の強行軍。見事に裏目に出てしまった。あの関に着く前に勝負を決められなかったのが敗因か。
 
 けど、だからこそ解せない。
 
「わざわざ北郷一刀本人を囮にしてまで釣り上げた私たちを、みすみす逃がした。……ホントに何考えてんのかしらね」
 
 視線で「教えて冥琳♪」と言ってみる。
 
「もう、どう考えても馬鹿ではないわ。少なくとも有能な将や軍師が味方についている」
 
 これは「もう間違っても侮るな!」という意味を含めた前置きだろう。
 
 そんな事はわかってるつもりなので、せっかちに目で先を促す。
 
「この先に控えた連合本隊との戦いを想定して戦力を温存した……と考えても、危険を冒してまで敢行した策を無為にするような愚策を取るとも思えない」
 
 前置きが長いなぁ〜。
 
「何かを企んでいるのは間違いない。ここからは軽率な行動は謹んでね」
 
「……な〜んだ」
 
 散々引っ張っといて、結局わかんないんじゃん。
 
 という私の感想に異を唱えるように、冥琳は続ける。
 
「唯一の手掛かりなら、あなたが持っているでしょう?」
 
 ……あ。
 
 撤退騒ぎにてんやわんやで、すっかり忘れていた事を今思い出した。
 
「やれやれ……」
 
 冥琳がジト目で、お返しとばかりに呆れてくる。
 
「冥琳がいじめるー……」
 
 わざとらしく拗ねて見せながら、“あの時投げ渡された物”を取り出す。
 
 何だろ、ちんまい袋。
 
 中身を確認しようとして………
 
「あっ!!」
 
 横から冥琳にふんだくられた。落としたらどうするのよ、ここ馬上よ?
 
「何よ冥琳、これ私宛てよ?」
 
「いくら何でもそこまで姑息とも思えんが、袋の中に毒針を仕込む、などという可能性も無いとは言い切れん。これは私が確認する」
 
 ……確かにビックリするくらい怪しいけど、いくら何でも考えすぎだと思う。
 
 その私の予測に違わず、冥琳はごくごく普通に袋の中身を出さずに確認して……眼を険しくさせた。
 
 手紙じゃなさそうだ。
 
「……雪蓮、それを“出さずに”見て。決して顔に出さないで」
 
「はぁ……?」
 
 再び私にそれを返す冥琳。疑り深い冥琳の真似をしろって? しかも顔に出すな?
 
 怪訝な気持ちはあったけど、それ以上に好奇心が勝り、すかさず中身を確認して……
 
「………なるほどね」
 
 冥琳が、あんな言い方をするわけだ。と納得する。
 
 認識を、決定的に改めよう。本当に、とんでもない食わせ者だ。
 
「……本物かどうか確認、させなきゃね」
 
「……そうね」
 
 別に鑑定なんて得意でも何でもないけど、何となく本物のような気がする。
 
 
 皇帝の証……『玉璽』。
 
 
 
 
「袁紹、この連合に我ら呉軍が参戦する際の約定。憶えているか?」
 
「う………」
 
 連合軍の許まで撤退した私たち。そこで真っ先に行なったのは、袁紹への糾弾。
 
「我が軍への兵糧の提供、及びその運搬を貴公が受け持つ事。忘れたとは言わさんぞ」
 
 諸侯が一同に介する天幕で、私は敵意も丸出しに袁紹を睨む。
 
「孫策様、一先ずこの場は……」
「退がれ下朗! 私は袁紹と話をしているのだ!」
 
 仲裁に入る顔良(だったと思う)を一顧だにせず、食い下がる。
 
「にも関わらず、貴公は兵糧を援助するどころか、委託していた我が軍の兵糧すら運搬しなかった! それが敗因となり、我が軍は北郷に惨敗した! 帝のため、民のためと貴公の呼び掛けに応じ、勇敢に戦った我らに、どうしてこのような無様な敗戦を強いる!?」
 
 話を訊くつもりは無い、とばかりに、私は腰の剣に手を掛ける。
 
『っ!?』
 
 袁紹やその臣下のみならず、諸侯全体に緊張が走る。構わずに剣を抜こうとして………
 
「ちょっ、ちょっとお待ちになって! わたくしはあなたにきちんと兵糧を送ろうと考えていましてよ? ただ、その……そう、伝達の者が独断で行なった事でして……即刻その者の首を刎ねますから。そっ、そうだ! 今すぐ食糧をたくさん用意して差し上げますわ! 腹ペコの兵隊さん達に、たんと……」
 
 長々と言い訳めいた言葉を並べる袁紹の言葉を切るように、私はギンッ! と派手に音を立てて、剣を鞘に納める。
 
 そのまま、何も言わずに天幕を去った。
 
 後の細かい手続きは、冥琳がやってくれるだろう。
 
 
 
 
「少し、演出過剰だったかな」
 
「あれくらいで丁度いいわよ。どうせ、もう我々は白い目で見られているだろうから」
 
 鑑定の結果、玉璽は本物だという事がわかった。
 
 そして、私たちが着く頃には、既に連合に広まっていた噂。
 
 孫策は北郷から玉璽を受け取り、それと引き換えに撤退した。という噂だ。
 
「これは、軍略というより政略に近い手かも知れんな。我々は北郷一刀という餌に釣られた魚だと思っていたが……どうやらその我々が、連合という魚を釣るための餌にされていたらしい」
 
 私たちが快勝しているように見せて、袁紹の嫉妬を煽り、さらに玉璽まで渡して諸侯連合の連携を崩す。
 
 それが、冥琳の結論づけた北郷一刀の策の内容だった。
 
「私たちに追撃しなかったのも……」
 
「おそらく、同士討ちが起こった時の効率を上げるためね」
 
 えげつない事この上ない。一番敵に回したくない種類の人間だ。
 
 歩くうちに、自陣の天幕に着いたから、ようやく腰を下ろす。
 
「……さて、と。どうしようかな」
 
 北郷の策は実質成功。連合の連携は既にぼろぼろだ。
 
 しかも、単なる流言飛語ではない以上、ここに玉璽がある限り、これからも疑念は決して晴れない。
 
 四方八方から逃げ道を塞ぐ、本当に良く出来た手だ。
 
「どのみち、もうこの連合の許では戦えないでしょう。いっそ、北郷の手に乗ってやるのもいいかも知れないわね」
 
 冥琳の“わかっている”言葉に、私は満足そうに頷く。
 
 だから、あそこまで険悪に袁紹に突っ掛かったのだ。
 
「だが、もちろん掌の上で踊ってやる必要など無いでしょう?」
 
「さっすが冥琳♪ 何か考えてくれてたんだ」
 
 嬉しくて飛び付こうとした私の顔を、冥琳が片手で押さえる。むぅ……相変わらずお堅いんだから。
 
「はしゃがないの。これでも妥協策だし、北郷に意趣返しは出来ないんだから」
 
 冥琳の遠回しな言い草が、やっぱり頼もしくて仕方なかった。
 
 
 
 
 それから数日。特に進軍もしないまま、連合軍は動きを完全に止めていた。
 
 その、総大将たる袁紹陣営。
 
「キーーッ! ムカつきますわーーっ!!」
 
 孫策に対して、幾度となく暗殺を試み、そして失敗している袁紹が金切り声を上げる。
 
「姫ぇ……いくら玉璽が欲しいからって、暗殺はどうかと思うんだけど」
 
「猪々子ぇ……? あなたは! このわたくしが! そんな小さな理由で孫策さんを始末しようとしているとお思いになって!?」
 
「姫! 声が大きいですってばー!」
 
 その行為を嗜める文醜に、また袁紹は喚き、その大声を顔良が注意する。
 
 三人同時に自分の口を押さえてハッとする、そんな珍妙な光景が数秒続いた後、再び袁紹が口を開いた。
 
「おほんっ、とにかく、わたくしはあくまでも、あ・く・ま・で・も! 北郷さんを退治した後、皇帝陛下の持つべき玉璽をお返しし。か・つ! 逆臣である孫策さんに天誅を下そうと思っているだけですわ」
 
「大体、それにしたって噂が本当かどうかわかんなひゃはぁ〜〜!?」
 
「このっ! また生意気な口をきくのはこの口ですのっ!?」
 
 再びケチをつけた文醜の口を、袁紹が左右に引っ張る。
 
「はぁ………」
 
 そんな手の掛かる子供を二人も抱える顔良は、歳に似合わない類の溜め息を零す。
 
 そんな天幕に、
 
「袁紹様! 顔良将軍! 文醜将軍!」
 
 一人の伝令が駆け込んだ。
 
「今取り込み中ですの! 後になさい!」
 
「しっ、しかし……」
「何かあったんですか?」
 
 話も聞かずに追い返そうとする袁紹をさらりと無視して、話を訊く顔良。
 
 伝令の兵は、袁紹の顔と顔良の顔を交互に見比べた後、決断したように口を開く。
 
「はっ、先の戦いで敗走した孫策軍が、自軍の被害を理由に撤退の準備を始めております。こちらの返事を待っていないように見受けられました!」
 
 その報告を聞くや否や、袁紹はパッと文醜の口を放した。
 
「あ〜……、痛かったぁ〜〜。ひどいですよ麗羽さまぁ、何かって言うとあたいのほっぺた引っ張……」
「……なさい」
 
 文句を言おうとする文醜の言葉に被せるように、腹の底から絞りだすように袁紹は呟く。
 
「文醜さん! 今すぐ兵士を纏めて、逃げる孫策さんの軍に攻撃をお掛けなさい!」
 
 
 袁紹がそんな叫びを上げる頃、既に孫策軍は自国に向けての帰還を開始していた。
 
 
 
 
(あとがき)
 またも難産。一刀視点がやっぱり一番書きやすいって事ですかね。
 
 



[12267] 八章・『昂揚と迷いと』
Name: 水虫◆70917372 ID:36476c28
Date: 2009/11/19 06:02
 
 拳を覆う黒いオーラが、その細腕の攻撃力を爆発的に上昇させる。
 
 そのどす黒い何かが、俺の視界を埋め尽くし……
 
「バカーーーーッ!!」
 
「おぎゃふっ!?」
 
 次の瞬間、俺の体は宙に浮いていた。
 
 背中から倒れ、打った後頭部の痛みが、皮肉にも俺の意識をつなぎ止める。
 
 あっ、鼻血が! これじゃ配役が逆だろうが。
 
「お、落ち着こうかお嬢さん。クールになろうクールに」
 
「くーーーーーる!!」
 
 意味の全く通らない雄叫びを上げ、両腕をぐるぐると回しながら稟は襲い掛かってくる。
 
 仕方ないから、俺は片手で自分の鼻を押さえながら、片手で稟のおでこを押さえる。これで稟のだだっ子パンチは届かない。
 
「……雛里は知っていたのだな」
 
「あ、あわわ……!!」
 
 ジロリと星に睨まれた雛里が、慌てて俺の後ろに隠れる。同じ叱られるにしても、一人じゃないってのは心強い……か? 俺楯にされてるけども。
 
「ま、ウチはそういう難しい事には興味ないねんけど……なっ!」
 
「はぅっ!?」
 
 特に怒ってなさそうな霞が、トランスモードの稟に手刀を入れておとなしくさせてくれた。こういう時、霞の大雑把な性格は助かる。
 
「で、風は知っていたのか?」
 
 そんな不真面目な思考を見抜かれたのか、ガンッ! と星の石突きが床を打つ。
 
 星はなぁ……。ふざける時は趣味で面白可笑しくしたがるくせに、こういう時に大真面目になる。もしこの世界に血液型検査があったら、こいつはきっとAB型に違いない。
 
 そんな事考えてたら、またガンッと床を叩いて威された。雛里の震え方が尋常じゃないから、そろそろやめた方がよろしいかと愚考します。
 
「ふっ、風にも教えてなかったのであります! はい!」
 
「何故?」
 
 槍を抱えるようにして腕を組む星。これは……『何で黙ってたのか?』だよな。う~、怖い。
 
「いや、その……言ったら怒られると思って」
 
「ほう………?」
 
 俺の心底本音な呟きを聞いて、星の眉が片方はね上がる。だから怖いんだってば!
 
「それで事後報告ですか……その後怒られるとは思わなかったと?」
 
 稟まで復活した! 一応冷静だけど、ぶっちゃけ稟はトランスモードの方が怖くない。
 
「別に、玉璽を手放した事、それ自体を責めているわけではない。その思惑は理解した。だが我々が言っているのは、その事を仲間内で秘されていたという、常々お前自身が言っている信頼関係の……」
 
 段々血走っていく星の眼を直視出来ずに、思わず……
「逸らさない!!」
 
「はいぃ!」
 
「雛里も!!」
 
「ひいぃ!?」
 
 逸らせなかった。何ちゅう迫力、この世界に来てからこれだけ怒らせたのは初めてかも知れない。
 
「そうですか……私たちはそれほどまでに信用なりませんか。そうでしょうね、一刀殿には、天下の鳳雛がついていますからね」
 
 稟が泣きそうーー!?
 
「だっ!? 違うって! ほら、俺って元々この世界出身じゃないから玉璽の重要性がイマイチわかってなかったっていうか! いやそうじゃなくてごめん! 今度からちゃんと話すから!」
 
 ようやく、致命的なミスを冒したと気付いて、慌てて肩をポンポンと叩いて……
 
「ばかばかばかばかばかばかーーー!!」
 
「ぐはぁっ!?」
 
 叩き返された! 現在進行形で稟のパンチがポカポカと俺の胸を叩く。
 
「……………」
 
 その対応に終始する俺は、星が、そんな稟を複雑そうに見ている事に気付かない。
 
「「……?」」
 
「……何や自分ら、結局一刀に内緒にされとったんが気に入らんだけなんやないか」
 
 
 結局、俺はその後のシ水関で、二人のご機嫌取りに丸々三日を費やす事になった(洛陽に帰ったら、風にもしなければならないのだろう)。
 
 
 
 
「……ぷっ、ふふ……あははははは!」
 
 華琳様は、私と桂花とねねを連れて、御自分の天幕に戻ってくるなり、吹き出すように笑いだした。
 
「華琳、様……?」
 
 お腹を抱えて、足をバタバタと動かし、寝台の上でゴロゴロと転がって、まるで子供のように楽しそうに大笑いしている。
 
 こんな華琳様は、物心つく頃からお仕えしている私でさえ、ほとんど見た事がない。
 
 まして、幼い頃ならともかく、王となるご自覚を持たれてからは一度も……いや、余計な思考は取り払おう。
 
 ……たまらなく、愛らしい。
 
「何か面白い事でもあったのですか? 主殿」
 
 あの御姿に大した感慨も無い様子のねねが、率直に訊ねる。
 
 子供とは、かくも哀れな存在なのか。あの御姿に何を感じる事も出来ないとは。
 
「これが笑わずにいられますか。あの男、まだ開戦とすら呼べない小競り合いの内に、力ある諸侯が集うこの連合をバラバラにしてしまったのよ?」
 
 ほら、笑い止んでしまったではないか。まあ、笑い過ぎて眼の端に浮かべた涙を、余韻のような笑顔で拭う様も愛らしかったから良しとすべきか。
 
「……なおのこと、笑っていられる状態ではないかと思うのですが」
 
 ッ……まずい、思考を正常に戻さねば。
 
 しかし、確かに今回は桂花に賛同せざるを得ない。
 
 孫策は撤退。しかもその孫策に対して袁紹が自軍の半数と劉表軍を追撃に向け、さらにその追撃部隊に対して、何故か袁術軍が牙を剥いた。
 
 連合の力は、最早半減どころではない程に衰えた。しかも、それは単純な数の話だ。
 
 理由はどうあれ、同じ連合の仲間に刃を向けた袁紹、その袁紹に刃を向けた袁術。
 
 その事実が、諸侯同士の警戒心を爆発的に高めている。敵対心に満ちている、と言っても言い過ぎではない。
 
 とても笑っていられる情勢ではないと思う。
 
「あの男との決着も、随分とつまらない幕切れになってしまったと思っていたけれど……ふふっ、まさかこんな手で崩してくるとはね」
 
 また、たまらなく楽しそうに華琳様は笑う。
 
「ああ……華琳様、やはり貴女に仕えて良かった」
 
 ……桂花、気持ちは痛いほどにわかるが、ここでうっとりしながら肯定してどうする。
 
「……華琳様、お言葉ですが、最早北郷は覇道の合間の戯れ相手などではありません。間違いなく覇道の最大の障害です」
 
「あら、秋蘭にもよくわかっているじゃない」
 
 ……承知の上、か。やはり少々、酔狂に過ぎる。
 
 しかし……最初は、何故華琳様があそこまで北郷を気にするのかわからなかったが、結局華琳様の慧眼が正しかったという事か。
 
「しかし、どうなさるおつもりですか? 宿敵の誕生を喜ぶのは結構ですが、このままとんぼ返りをするつもりもないのでしょう?」
 
 やれやれ、とでも言うように肩を竦めたねねが、そう言って方針を訊ねる。
 
 極端なまでに華琳様を中心としている我が軍で、ねねの様な存在は貴重ではある。
 
「当然でしょう。……とは言っても、今の連合ではとても連携なんて取れないわね」
 
「我が軍だけでは、北郷軍の数には太刀打ち出来ません。さらに言うなら、たとえ勝てたとしても、“背中から”刺されない保証もありません」
 
 桂花の現実的な分析を皮切りに、そこからは知恵の絞り合い。
 
 その半刻後、華琳様は唇の端を引き上げる。
 
 
 
 
「一刀さん……」
 
 連合は、あまりに酷い状態だった。
 
 玉璽っていう火種が放られたって言っても、連合の仲間同士がおおっぴらに戦い始めるなんて……。
 
 
『北郷さんは、事実として洛陽で圧政を強いていない以上、誰よりもこの連合の本質を見抜いていた可能性があります。だからこそ、敢えてその本質を揺さ振るような策を仕掛けてきたんじゃないでしょうか』
 
『言うほど簡単な事ではありません。しかし、北郷軍にはそれを成し得る頭脳が揃っています』
 
 
 朱里ちゃんが言っていた事が事実なら、一刀さんはこれを狙って引き起こした事になる。
 
「……………」
 
 私が一刀さんなら、どうしただろう。
 
 理不尽に着せられた汚名。自分の首を狙って攻めてくる、野望に燃える諸侯。そして、自分が治めている都の……平和に暮らしている人たち。
 
「受け入れられるわけ……ないか」
 
 そんな理由でおとなしく殺される事も、そんな理由で攻めてくる人たちに都の民草を委ねる事も、出来ない。
 
 まして、自分にはそれに対抗出来る心算がある。
 
 ……戦うと思う。私が一刀さんの立場でも。
 
 それでも、今の連合の光景には胸が痛む。
 
「……どうして、こんな風に戦わなくちゃいけないんだろ」
 
 もう、黄巾党は滅んだのに……。
 
 それぞれが、今治める街の人たちを守って、他の街の太守とも手を取り合って、そうやって大陸全体を守る。
 
 何でそれじゃいけないんだろう。
 
 俯く私の肩に、そっと手が掛けられた。
 
「……こんな所に、居られましたか」
 
 愛紗ちゃんだ。わざわざ陣地の端で考え事をしてたのに、見つかっちゃった。
 
 しかも、この顔は……
 
「……聞いてた? 私の独り言」
 
「……盗み聞きするつもりはなかったのですが」
 
 あうぅ~~、弱音は見せちゃダメなのに~~。
 
 ……けど、どうせ聞かれちゃったんなら、話した方がすっきりするかも。
 
 私の甘えんぼな部分が顔を出す。くるりと柵にもたれながら、半分独り言みたいに話しだした。
 
「最初はね? 集まった諸侯に袋叩きにされそうな一刀さんを、どさくさで助けるつもりだったの」
 
「……桃香さまと北郷殿が懇意にされているのは、理解しているつもりです」
 
 怒られるかな? とか思いながら言った言葉。けど愛紗ちゃんは、むしろ諦めたような口調と表情だった。
 
 ……きっと、今まで何も言わずに負担を感じていた証拠なんだろう。反省。
 
「けど、実際には、一刀さんは自分たちの力だけで何とか出来たんだ。それがわかって、現実になった途端、決めてたはずの覚悟が揺らいじゃって……さ」
 
 少し、言葉が正しくなかったかも知れない。
 
 覚悟が揺れたというより、どうしたらいいかわからなくなったんだ。
 
 連合が悪者、一刀さんは被害者。だから、私に出来るやり方で一刀さんを助けたいと思った。
 
 それが、一刀さんの策で連合が瓦解した途端……どうしたらいいかわからなくなった。
 
 弱い者をいじめる悪者から、弱い者を守る。
 
 自分が、そんな単純すぎる信念しか持っていない馬鹿なのだと痛感した。
 
 そして、そんな覚悟でこの連合に参加した事自体……浅はかな事だったんだ。
 
 一刀さんが間違ってるなんて言えない。……それでも、この光景を肯定したくない。
 
 そこまで考えて……これが単なる現実逃避に過ぎないと気付いた。
 
「……夢を、見たのです」
 
 そんな戯れ言に付き合わせてしまった愛紗ちゃんに謝ろうとする前に、やけに神妙に愛紗ちゃんが口を開く。
 
「『大きな理想が、自分自身を押し潰す』。それが夢の中で言われた言葉でした」
 
「理想が、自分を押し潰す……?」
 
 言っている愛紗ちゃん自身、戸惑っているように見えた。夢だからそれはそうなのかも知れないけど……やっぱり少しおかしかった。
 
「ッとても! 参考になるとは思えませんが!」
 
「えぇっ!?」
 
 言ってくれた言葉を当の愛紗ちゃんが思い切り否定して、「不覚!」とでも言わんばかりに背を向けて歩きだす。
 
 全然意味がわからない。わからないけど……
 
「愛紗ちゃん」
 
「? ……はい」
 
 省かれている“そこ”が、重要な気がした。
 
「その夢の言葉、誰に言われたの?」
 
「……………」
 
 
 その問いに、応えは返って来なかった。
 
 
 
 
(あとがき)
 字数ギリギリ。いつもありがとうございます、くらいしか書けない。
 
 



[12267] 九章・『理想と現実』
Name: 水虫◆70917372 ID:36476c28
Date: 2009/11/19 20:56
 
「……私、前に北郷が『袁紹に気をつけろ』って言ってた意味、何となくわかった気がするんだよなぁ……」
 
「……そんな事言われたんだ。白蓮ちゃん」
 
 活動停止状態の連合。私は今の状況に辟易して、桃香の陣地を訪れていた。
 
「洛陽も結局平和みたいだし、私たち一体何しに来たんだろうなぁ」
 
 そもそも、この連合自体がはりぼてのようなものだ。それをつくづく思い知らされた。
 
 けど、これが本当に朱里が言うように、北郷の仕組んだ事だって言うなら……ちょっとえげつなさすぎる。
 
 とはいえ、洛陽が平和だって言うなら一方的に責められる状況じゃないけど。
 
 まあ、どっちにしても、今の連合じゃ勝ち目なんかなさそうだし……
 
「解散、だな」
 
「これだけ好き放題やられて、手ぶらで帰れるわけがないでしょう」
 
「手ぶらって言ったって、そもそも洛陽の民を助けるって目的自体がでたらめだったわけだし………」
 
 ………って、
 
「「曹操(さん)!?」」
 
 こいつ、いつの間に天幕の中に……!?
 
「あっ、愛紗ちゃんが入り口にいたはずじゃ……」
 
「ああ、今も表で春蘭と騒いでるわよ」
 
 困惑しきりの桃香に、涼しい顔で応える曹操。って言うか、何でこいつこんな冷静? 夏侯惇が騒ぎ起こすのって日常茶飯事なのか?
 
「まあ、虎が戯れ合ってるようなものでしょう? 構わず話を続けましょう」
 
「虎が戯れ合ってて無視できるか!」
 
 っていうか、夏侯惇とか愛紗とか以前に礼節の問題だろ! 礼節の!
 
「……今の言い方だと、曹操さんも都の実状を知っていたように聞こえますけど」
 
 桃香! 流すなよ!
 
「当たり前でしょう。むしろこの時期に王都の状況を把握するように努めていなかったあなたたちの方に驚いたわよ」
 
 ッ……こいつ、無視した挙げ句にいけしゃあしゃあと……!
 
「だったら何で連合なんかに参加したんだよ! 北郷の無実は知ってたんだろ!?」
 
「この先の大陸で生き残るため、ひいてはこの大陸を救うためよ。……もっとも、こうなってしまっては参戦しなかった方が得策だったのかも知れないけどね」
 
 ……大陸のため? また意味のわからない事を。
 
「大陸を救う……。曹操さんにとって、そのための手段が、これですか?」
 
 桃香……? 曹操のわけのわからない発言の意味をわかっているのか、桃香は妙に何かを悟ったような表情で曹操に訊ねる。
 
「そうよ。あなたも言っていたわね、『みんなが笑顔で過ごせる平和な世界にしたい』と。……まさか、何の覚悟もなしにその言葉を口にしていたわけでもないのでしょう」
 
「ッ………!」
 
 ……ちょっ、何だ何だこの会話は!?
 
 何で反・北郷連合の話からいきなり大陸救済の話に飛ぶんだよ!
 
 よくわからんけど……口を挟めない雰囲気だ。私も太守なのに……。
 
「……まあ、その話は今はいいわ。今回はただ、頼みごとをしに来ただけだから。……“連合軍の同志に”、ね」
 
 友好的な言葉を、高圧的な態度で言う女だった。
 
 
 
 
「……桃香、あれで良かったのか?」
 
 白蓮ちゃんの言葉には、どこか気遣わしげな色が濃い。立場は……同じとは言えないけど近いのに、私を気遣う。
 
 やっぱり優しいんだ、白蓮ちゃんは。
 
「……うん。これでいい」
 
 私たちみたいな弱小勢力じゃ、断るに断れない。という事ももちろんある。
 
 何より、私たちは盟約を交わして、連合に参戦した。
 
『情に捕われ、義を忘れるわけにはいかない。そうですよね?』
 
「ッ……!」
 
 愛紗ちゃんの言葉が、胸に痛く突き刺さる。
 
 いくら野望のために集まった連合でも、いくら仲間同士で殺し合っていても……仲間を見殺しにするわけにはいかない。
 
 そんな事をしたら、誰にも私の言葉なんて伝わらなくなる。
 
「(……理想が私を、押し潰す)」
 
 一刀さんと戦うのは、辛い。それでも戦わなきゃいけない。
 
 戦う必要なんてない。それでも戦いは止まらない。
 
 どこまでも私の想いを置いていく現実を前にして……愛紗ちゃんの『夢の言葉』が、痛いほどに実感出来ていた。
 
 
 
 
「ふぁ……おはよう。今日はどう?」
 
「どうもこうも、見ての通りや」
 
 シ水関の上から見下ろす戦場に、金ぴかの鎧が暴れていた。
 
 シ水関、虎牢関は、聳え立つ両脇の断崖の間の道を阻むように建てられた不動の要塞。
 
 要するに、前方からの攻撃にだけ注意してればいいわけで。守りやすいったらありゃしない。
 
「………シッ!」
 
 また一人、指揮官っぽい男の首のど真ん中に、矢が吸い込まれるように突き刺さる。
 
 砦の上から放った、恋の矢だ。
 
「恋って……弓も凄かったんだなぁ」
 
「そら、伊達に“飛”将軍やなんて呼ばれとるわけやないからな」
 
 若干得意気に霞が胸を張る。前の世界じゃ、戟を振ってる所しか見た事なかったもんなぁ。
 
 まさに百発百中、下手すりゃ紫苑より凄いぞ。
 
「! ………一刀?」
 
 と、こちらに気付いた恋が、無造作に弓を放り捨てて、トコトコとこっちに………って、
 
「恋、サボっちゃダメだってば!」
 
「……遊ぶ?」
 
 ……話聞いてたか? 恋。
 
「今は味方を守るために戦ってるの! 今日は恋の当番だろ?」
 
「……さっき、恋を褒めてた」
 
 言いながら、悲しげに眉を落とす恋。それは反則!
 
 と、そんな俺の慌てふためく様子に、何か嬉しい予感でも感じ取ったのか、触角がピクッと揺れた。
 
 ああもうっ!
 
「撫でる?」
 
「撫でる!」
 
 ぐりぐりと頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細める恋。しかし、その誘惑に負けてはいられない。
 
「ほら戻る! 皆恋の事頼りにしてるんだから!」
 
「……もっと、撫でる」
 
「あーとーで!」
 
 不満そうな恋の背中を押して、持ち場に戻らせる。
 
 いかにも不承不承という体で、恋は弓を拾い、ものぐさな様子で……百発百中。
 
 恋……恐ろしい子。
 
「ま、気ぃ抜けるんもわかるけどな。相手はもうこっちより少ないくらいやし、何より指揮が、このシ水関に無謀な突撃を繰り返すだけ。ビビる要素が無いもんなぁ」
 
 両掌を上に向け、拍子抜けといった仕草で肩をすくめる霞。
 
 油断大敵、ってのはわかってるけど。実際こうやって籠城戦してれば被害はほとんど出ない。
 
 この間袁紹が挑発しに来たけど……レベルが低すぎて怒る気にもならなかった。
 
「孫策が、上手くやってくれたみたいだからな」
 
 実際、孫策を餌に連合の誰かを釣り上げて、連携を壊せれば成功。くらいに思ってたけど………
 
「袁術まで巻き込んで盛大にやってくれるとは思わなかった」
 
 おかげで連合は予定以上の完全崩壊。功を焦った袁紹(その他)が連日突撃してきてくれる。
 
 もちろん、前に皆に話した『コンビニアタック』じゃない。
 
 あれは、指揮官が多い“連合という長所”を活かす事が前提の作戦だ。
 
 今の連合じゃ、他勢力との連携はまず無理だろう。
 
 ただ………
 
「……………」
 
 全く行動を起こさない、桃香と華琳、ついでに伯珪が気になる。
 
 密偵曰く、連合本営にはいるらしいのだが……何か不気味だ。
 
 この守りやすい地形は、密偵を出すのにはあまり向いてないって事実も、不安を助長させる。
 
 もちろん、すでにこの戦いを無益だと判断して静観してる可能性もあるんだけど………。
 
「……何か不安なんか?」
 
「……いや」
 
 杞憂なら、それでいいし。何より、あやふやな言葉で皆にまで不安を与えてもしょうがない。
 
 ……ってか、
 
「顔に出てる時点でダメじゃねえか」
 
「!?」
 
 俺の心の声の台詞を先取った霞が、呆れ顔を向けてくる。
 
「今さら一刀が威厳ある王様になんかなれやせんのやから、似合わん事せんと思った事は素直に話したらええねん」
 
「ぐっ……!」
 
 おのれ。俺の今までの数々の葛藤(意味があったかについては保留)を無に帰すような言い方をしやがって。
 
「何なら、出撃して下の連中蹴散らしてきたろか? そんで洛陽に帰ったら要らん不安なんぞ無くなるやろ♪」
 
「馬鹿言わないの」
 
 確かに今の状態なら負けるとも思えないけど、無駄な被害を出すわけつもりはない。
 
 相手が突っ込んできてくれる内は、出撃は無しだ。
 
「ちぇ~~……つまらん」
 
 口を3の形にしてぶーたれる霞に嘆息しながら、俺は今度は倍の密偵を出そうと決めた。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回はいつもよりちょっと短め。
 
 前回の感想で、孫策軍の兵数が不自然だ、という意見を頂き、私も「全くだ」と思ったので修正しときました。
 
 お騒がせして申し訳ない。
 
 



[12267] 十章・『届かぬ叫び』
Name: 水虫◆70917372 ID:e13cb96c
Date: 2009/11/21 16:50
 
『孫策も袁術もいない。今の状況では、北郷に対抗出来るのはあなただけね。麗羽』
 
『か……華琳、さん……?』
 
『昔から喧嘩してばかりだったけれど、本当はあなたの事、認めていたのよ』
 
『え? そ、そんな……急に、わたくしどうしたら………』
 
『この連合の希望、あなたに託すわ。私と劉備、公孫賛が今から南の間道に向かって囮になるから、あなたは正面から北郷軍を打ち破ってね』
 
『か……華琳さん! わたくし、今まであなたの事を誤解していましたわ!』
 
『後は……頼んだわよ』
 
 
 
「……自分自身に鳥肌が立ったのは生まれて初めてよ」
 
「主殿や桂花から聞いた袁紹の人物像を考えると、ああ言うのが一番ノせやすいと思ったのです」
 
 音々音……だからってねぇ!
 
 ……いや、私相手でも無遠慮にこんな策を進言出来るのはむしろ長所か。
 
「……ああ、おいたわしや華琳様。ねね! あんた華琳様に何言わせるのよ!」
 
「? 元々同性同士で発情出来るのですから、特に問題はないのでは?」
 
「「発情って言うな! そしてあんなの(袁紹)と一緒にするな!!」」
 
 憤る桂花に対するねねの返答に、桂花と春蘭が綺麗に言葉を重ねる。
 
 ……あなた達、案外気が合うみたいね。
 
「しかし、見返りとして得られたものは大きいかと。結果的に、袁紹を上手く釣り上げた北郷一刀への意趣返しにもなります」
 
 秋蘭は、音々音の作戦を評価しているらしい。
 
 確かに、“北郷と同じように”麗羽を利用した反撃というのは面白そうだ。
 
 でも……
 
「“得られた”と判断するのは早計よ、秋蘭。本営に置いた虚兵がいつ見破られるかわからないし。それが言えるのは、この先の関を抜けて………」
 
 北郷軍の度肝を抜いてからだ。
 
 
 
 
『じゃんけんぽん! あいこでしょ! あいこでしょ!』
 
「…………」
 
 あまりに不毛、しかも延々と続けられる袁紹の攻撃。そして動かない曹、劉、公孫陣営を怪しく思って、密偵を多数放ち、密に探った結果……本営で動かない華琳たちの旗の下には、将どころか老兵ばかりしかいない事がわかった。
 
 そして、それに気付いた時には、大軍が通るには不向きな間道の関を破り、洛陽に迫っている事もわかった。
 
 明らかに遠回りで小回りの利かないルートを、既に結構な日数を消費した後に、だ。
 
 最初に、俺たちが東の最前線で構えて連合軍を誘き寄せた事が、逆に『他の場所から来て欲しくない』事に気付かせてしまったらしい。
 
 華琳たちか、あるいは朱里かはわからないが、そこに気付かれた。
 
 袁紹を焚き付けたやり方から考えると……華琳たちの説が有力か。
 
 ……で、袁紹相手に籠城戦を続ける役と、急いで迎撃に回る役とに分かれなきゃならなくなったわけだが………
 
『あいこで………』
 
 じゃんけんが長いんだよ、君たち。
 
『っっしょ!!』
 
 そして……ようやく決着。
 
「あ………」
 
「よっっしゃああーー!!」
 
「♪」
 
「くくくっ、悪いな華雄。精々おとなしく留守番をしているがいい」
 
 負けたのは、舞无。
 
 居残り一人決めるのにどんだけ時間食ってんだよ。洛陽に向かわれたら風が大変だぞ。
 
 にしても……舞无か。前の世界の経験上、そこはかとなく不安なんだけど。
 
「雛里……舞无の押さえ役、頼んで大丈夫?」
 
「むっ……無理ですぅ!」
 
 小声での確認に対するあまりの即答に、思わずガクッとうなだれてしまう俺。
 
 せめて善処するとか言って。やる気くらいは見せてくれ。
 
「私たち全員の手綱を握れるのは、結局ご主人様だけなんです」
 
「……………」
 
 これは、認められてると喜ぶべき所なんだろうか? 何か微妙に誤魔化されてる気もするけど……まあ、雛里の言いたい事は何となくわかった。
 
「くっ、この“ちょき”が……このちょきがぁ……!」
 
 この子に釘刺してから行け、と。
 
「舞无」
 
「何だ!? やっぱり私も行っていいのか!?」
 
 声を掛けただけで都合良く解釈して瞳を輝かせる舞无。……の、両肩に手を置き、真っ正面から見つめる。
 
「かっ、一刀……?」
 
 肌が出ている部分(肩)を捕まれたからか、あからさまに狼狽する舞无。……何か俺の真剣具合が伝わってない気がするけど、まあいいか。
 
「舞无は、『江東の小覇王』なんて呼ばれてる孫策を、一騎討ちで追い払った、凄く強い武将なんだ」
 
「い、いきなり何を……」
 
 もじもじと視線を逸らす舞无の両頬を掌で包んで、強引に眼を合わせる。
 
 敵が愛紗ではなく袁紹とはいえ、関から飛び出して自滅、という前の世界の現状を繰り返しちゃいけない。顔良はまだ残ってるし。
 
 ……何より、前の世界で、舞无はそれで命を落としたんだ。
 
「自信、持っていいと思う。舞无は強いんだ。俺が保証する」
 
「ばっ、馬鹿よせ! こんな……皆の見ている所で……」
 
 当人は何か別ベクトルに盛り上がってる気がするが、悪いけどこっちはマジだ。
 
「だから、何言われたって鼻で笑い飛ばしてやればいい。余裕でどっしり構えてた方が、カッコいいぞ?」
 
「わ、わかった! わかったから離れろ! で、でないと、私は……」
 
 わかってくれたらしいので、沸騰しかけている舞无を放す。
 
 何か湯気的な物を出しながらへなへなと座り込んでしまったが、いい加減時間が無い。
 
「雛里、いざとなったらシ水関と虎牢関も放棄していいから。雛里の判断に任せる」
 
「はい!」
 
 そのまま早足に背を向けて、出陣する。
 
「行こう」
 
「……鬼畜」
 
「……外道」
 
「……色魔」
 
「……恋も」
 
 ……たまには格好良く締めさせてくれ。
 
 
 
 
「やはり来たわね」
 
 遠方からもうもうと立ち上る砂煙を視界に認めて、華琳は口の端を引き上げる。
 
 その、元々の華琳の予測が的を得た事に、桂花は苦々しげに表情を歪めた。
 
 当然、主君の読み、それ自体が気に入らないわけではない。その読みが当たる事で、“対象の評価の正当性”までが実証されてしまうのが気に入らないのだ。
 
「やれやれ……物事を様々な視点から見極める軍師が嫉妬に狂う様は、正直見るに堪えませんなー」
 
「何ですって! もう一度言って見なさいよこのちんくしゃ!」
 
「痛たたたたた!? ネコミミがいじめるのですー!!」
 
 そんな桂花の様を嘲笑う音々音は、当然の報いとして、頭を拳でぐりぐりといたぶられる。
 
 桂花にとって、自分以外で主君の関心を向けられる者、その全てが敵なのだ。
 
 一方、普段ならば同類の行動を取るはずの春蘭は、両の瞳を閉じて、常からは考えられないほどの緊張感を発していた。
 
「……華琳様、呂布は」
 
「……構わないわ。思う存分戦いなさい」
 
 一つの懸念。華琳の才能を愛する性質から、天下無双を欲する、という可能性は、これで消えた。
 
 それでも纏う緊張感を欠片も緩めず、春蘭は再び瞳を閉じて方膝を折る。
 
 その春蘭に要らぬ声を掛けず、華琳は秋蘭に話し掛ける。
 
「張遼の方なら、捕らえられるかしら?」
 
「……華琳様、お言葉ですが……」
 
「冗談よ」
 
 前方の北郷軍十万、そして華琳と桃香、そして白蓮の軍は総勢は約七万。
 
 この状況で敵の勇将を捕縛しろ……という無茶を、さすがの華琳も言いはしない。
 
 ただ、こうやって一度口に出しておく事で心の片隅に留めてくれる。……という未練のような気持ちがあったのも事実だろう。
 
 迫る敵軍を前に、戦いの意志が漲る曹操軍。そんな中で、それは起こる。
 
 
 
 
「止まってください!!!」
 
『!!?』
 
 お腹から思い切り声を張り上げる、まるで舌戦でもするかのように距離を見計らって。
 
 この戦い自体、本来なら起こるべきじゃなかった。けど、それを今さら言っても仕方ない。
 
 だけど……まだ止められる。
 
 だって、北郷軍は止まってくれた。
 
「私たち、反・北郷連合は、北郷軍に停戦を申し入れます!!」
 
 馬蹄が幾つも響いて、こっちに近づいてくる。曹操さん達だ。
 
 当然だ。曹操さんは私たちを、都合の良い追加戦力として連れてきたつもりだったんだろうから。
 
 でも、私には私の戦いがある。連合を見捨てずに戦いを止めるには、これしか無いと思った。
 
「劉備! あなたいきなり何を言いだすの!?」
 
 馬から降りて、怒りも露に歩いてくる曹操さん。その前に……
 
「曹操殿、悪いがここは下がっていてもらおうか」
 
「関羽!?」
 
 愛紗ちゃんが、青龍刀を提げて立ちはだかる。
 
 刃を向けてはいない。
 
 ……ありがとう。
 
「この戦いは! 一部の人間の野望と誤解が生み出したものです! これ以上無益な血を流す必要はありません!!」
 
 その間に、私は大声で北郷軍に呼び掛ける。
 
 一刀さんなら、きっとわかってくれる。
 
 止められる。今からでも遅くない。
 
「だから、話を……」
「北郷一刀!!」
 
 そう……信じていた。
 
 
「この戦いの発端は敢えて問うまい! だが、貴様が帝を抱え込み、話し合いの場も作らず、諸侯連合に牙を剥いた事は紛れもない事実!!」
 
 私の声を遮るように叫んだ曹操さんの言葉が、朗々と響き渡る。
 
「その胸に餓虎の野望を秘めているのはわかっている! 何より、血盟を結んだ我が同志たちに数多の血を流させた貴様に、帝を守る資格などありはしない!!」
 
 それは、宣戦布告。
 
「待っ………」
 
 事前に言っても、止まってくれない事はわかっていた。だから、こうして戦いを止めれば、曹操さんは“騙し討ち”を良しとはしないんじゃないかって。
 
 もっと上手いやり方があったのだろうか?
 
 それとも、やっぱり私の理想は、理想でしかないのだろうか?
 
 どちらにしても……
 
「全軍、突撃ぃーー!!」
 
 
 私は、止める事が出来なかった。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回、何か華琳たちが瞬間移動してるみたいに見えるかも。
 
 袁紹と結構長い事戦ってる、という感じにしてるつもりなのですが。不安。
 
 そして謝罪を。
 
 真の蜀√で、会話の中で軽く選択肢に入ってた『凾谷関』。実際にはあり得ない配置だったようなので、修正しました。
 
 頂いた感想によると、まあこれでも不自然さは消えないかと思われますが……それを助長させる単語だけでも除きました。
 
 浅い知識で書いてるツケ、ってやつですね。お騒がせして申し訳ない。
 
 



[12267] 十一章・『友軍の鎖』
Name: 水虫◆70917372 ID:cc32c781
Date: 2009/11/22 22:26
 
「え? えっ!?」
 
 何だ今の……口上?
 
 つーか普通、ああいうのって途中で代表者が交代とかしないよな?
 
 落ち着け俺、迫る軍勢にも慌てず落ち着け。
 
「落ち着きなさい!」
 
「ぎゃっ!?」
 
 そんな俺の後頭部に、稟の拳が叩き込まれる。
 
「総大将が兵の前で狼狽えてどうしますか!?」
 
「なら総大将をグーで殴んな!」
 
 しかも、今落ち着く所だったんだよ!
 
「劉備の停戦の提案は、どうやら独断で行なったもののようです。それを曹操が遮って宣戦布告にすり替えたのでしょう」
 
 あ〜……弱小勢力だから連合内でも立場弱いわけね。前の世界の経験上、それは痛いほどにわかる。
 
 しかし、それでもなおこの土壇場で停戦を強行しようとするとは……さすが桃香というべきか。
 
「考える時間などありませんよ。結果的には上手くこっちの勢いを殺されてしまった」
 
 ……って、確かに感心してる場合でもないか。このまま黙って突撃食らうわけにもいかない。
 
「星、霞、恋。行けるな!?」
 
「ぃよっしゃ! 待ってましたーー!」
 
「無論だ」
 
「(……コクッ)」
 
 心強い返答。だけど、下手すれば愛紗や鈴々だって相手にしなきゃならないんだ。
 
「皆の力は信じてる。だけど……無理はしないでくれよ?」
 
 その言葉に、呆けるように一拍置いて、
 
「「応!」」
 
「(コクコク!)」
 
 了承を得る。後は、信じるだけだ。
 
「聞け! 北郷軍の勇者たちよ! 敵は強大、さりとて恐れる事はない! 我らは神に遣わされた天兵なり!!」
 
 自分でも胡散臭いと思う口上にも、もう慣れた。これで皆が少しでも奮い立つなら、それに越した事はない。
 
「皆の前には天下に轟く猛者が在る! 神算鬼謀の軍師が在る! 恐れず進め! 薙ぎ払え! 皆の命、この北郷一刀が預かる!」
 
 高らかに叫んで抜いた剣の動きに合わせて、全軍が各々の武器を構えた。
 
「全軍、突撃ぃーー!!」
 
 
 
 
「桃香さま! お下がりください!!」
 
「でも………」
「早く!!」
 
 やられた。……いや、元々博打のようなものだったのだ。
 
 北郷軍が止まった時は、成功したように思った。このまま停戦としての体裁が成り立てば、誇り高い曹操は攻撃出来ないだろうと。
 
 だが、それはその逆も成り立つという事。
 
 桃香さまの宣言を遮り、曹操が宣戦布告を告げた今、当然北郷軍も突撃の構えを取っている。
 
「もはや北郷軍は、我らも敵と判断しています! このままでは……」
「ダメだよそんなの!」
 
 多少混乱状態になっておられるのだろう。私の言葉を中途で遮る桃香さまに……ああもうっ! 上手い説得が出てこない。
 
 と、その時……
 
「桃香さま! 停戦を押し通す道なら、確かに両軍を救う事も出来ました。でももう違います! ここでの撤退も、もちろん北郷軍への加勢も、連合軍である曹操さんへの裏切りになります!」
 
 朱里が、必死で桃香さまに言い聞かせる。
 
 そうだ。“仲裁”なら、まだ裏切った事にはならないが、見捨てて逃げる事は完全な裏切りだ。
 
 桃香さまの気持ちは、痛いほどに理解出来る。だが……ここで撤退を選べるくらいなら、最初からこの場に同行などしない方が良かった。
 
 そして、このままぼやぼやしていては、むざむざ我らが同胞が討たれる事になる。
 
「あ………」
 
 途方に暮れるように言葉を失う桃香さま。……仕方ない。
 
「……処罰は後ほど、如何様にも受けます」
 
 短く呟いて、私は軍馬に飛び乗った。
 
「行くぞ鈴々! 無益な戦いとて、指をくわえて見てはおれぬ!」
 
「……わかったのだ」
 
 鈴々は、子供ではあっても一軍の将。どこか納得がいかない声で、しかし賛同してくれた。
 
 
 桃香さまの願いが届かなかった、起きてしまった戦い。それでもそこに、身を投じるしかなかった。
 
 覚悟を決めて見据えた先で、白い衣が翼のように靡いていた。
 
 
 
 
「星、霞、恋。敵将は任せる! その間の指揮は俺と稟が預かる!」
 
 呼び掛けに応じて、三人が一気に先駆ける。
 
 兵の数はもちろん、練度だって負けてはいないはず。武将の数は完全に負けてるが……恋がいる。
 
「一刀殿!」
 
「稟! どうした!?」
 
 星たちの正面衝突の合間に、部隊の一部を左右に岐けて挟撃しようか。とか考えていた矢先に、稟の焦った声が届く。
 
「おかしい……。敵軍の数が妙に少ないのです」
 
「? ………あ」
 
 言われてみれば、報告によれば敵は総勢七万以上のはず。よく見なければわからないが……少ない気もする。
 
「ここまでの強行軍で脱落した。とかは?」
 
「あり得ない話ではありません。しかし……あの曹操がこの兵力で洛陽に攻め込もうとしていたというのは、少し不自然です」
 
 確かに、虎牢関とかに比べれば多少は楽だろうけど、洛陽だって籠城すれば易々と制圧なんて出来やしない。脱落者が続出した状態で、華琳が無理にやるような博打か?
 
 と、そこまで考えた。その時………
 
『っ!?』
 
 遠く、しかし激しく馬蹄が響く。戦場から僅か離れた渓谷の所から、もうもうと砂煙が立ち上っている。
 
「伏兵!?」
 
「……やられましたね」
 
 華琳は、『袁紹を囮にして、その間に洛陽を落とそうとしている』。それが俺たちの認識だった。
 
 華琳たちは一刻も早く洛陽を目指し、俺たちはそれを一刻も早く阻む。
 
 だから策も何も講じる暇もなく、ひたすら急いだ。
 
 それが、こんな所でわざわざ兵を伏せていたという事は………
 
「最初っから“こっち”狙いかよっ!」
 
「………一刀殿、兵力差が埋まったわけではありません。私が一軍を率いて伏兵を迎撃します。貴殿は本隊に」
 
 焦る俺と対称的に、稟は努めて平静に事に対処している。けど……
 
「稟、“気にするなよ”?」
 
 その背中は、どこか怒りを内包している様に見えた。それも……腑甲斐ない自分への。
 
「今回、洛陽を攻められる事を怖れて、虚兵に騙されてた事に焦って、行軍を急がせたのは俺だ」
 
 俺には完全には理解出来ないけど、多分軍師としての誇りに障ったんじゃないか、と思う。
 
 でも、今は……
「そんな事を、この非常時に考えるものですか」
 
「っ……!」
 
 俺の懸念を、平気な顔であっさり否定して、少し稟は呆れた顔を見せる。
 
「“そんな事”より、貴殿にはしっかりしていてもらわないと困ります。星たちの手が塞がれば、兵力差を活かせるのは貴殿の手腕一つにかかっているのですから」
 
「お……おう! 任せろ!」
 
 冷静な態度が何とも頼りになる稟に触発されるように、ドンッと胸を叩いて強気を示す。
 
「………ます」
 
「え……?」
 
 去りぎわ、微かに弛んだ口元から零れた言葉は、聞き取れなかった。
 
 とはいえ、いつまでもぼーっとしてもいられない。
 
「伏兵の存在に動揺するな! 迎撃に向かった仲間を信じ、前の敵を見据えろ! 先んじた将たちに遅れるな!!」
 
 
 
 
「(桃香……止められなかったのか……)」
 
 風を切る駿足に揺られて、想う。
 
 戦いを嫌う、心優しい友達を。
 
 私には事の詳細まではわからないが、失敗の原因は一つ……いや、一人しかなかった。
 
「(けど、ここで曹操を見殺しにも……出来ないだろ)」
 
 発端はどうあれ、真実はどうあれ、自分たちは連合に参加してしまった。
 
 それを今さら見捨てる事など出来ない。それでは、袁紹や袁術と大して変わらない。
 
 桃香は、辛いだろうけど……!
 
「行くぞ、我が無敗の『白馬陣』! その眼に篤と焼き付けろ!!」
 
 
 
 
「痛ッ………!?」
 
「流琉!?」
 
 敵陣から伸びた一矢が、流琉の足に突き刺さる。
 
「呂布だ! 皆、畳み掛けろ!!」
 
 足ならば、ひとまずは心配は要らない。駆け寄った季衣に任せて、今は敵に狙いを定める。
 
 でなければ、被害は広がるばかりだろう。
 
 武人として、一対一で戦いたいという思いは、当然ある。
 
 だが、そんな悠長な事を言っている場合ではない。それは……私よりずっと呂布と正々堂々と戦いたいはずの姉者もよくわかっている。
 
 いや、わかっているというより、感じているのだろう。
 
 姉者、凪、真桜、沙和と、次々に飛び出す。季衣もすぐに参戦するだろう。
 
「………シッ!」
 
 しかし、その接近する間にも次々と放たれる矢の一本が……
 
「うあっ………!?」
 
「真桜!!」
 
 躱しきれなかった真桜の肩を捉えた。
 
「おのれ!」
 
 味方に当たらないように今まで矢を放てなかった私は、ようやく呂布を狙える立ち位置を得て、矢をつがえ………
 
「待てやぁ!!」
 
「ッ………くっ!」
 
 別方向から迫っていたもう一人に、反射的に放っていた。挙げ句躱される。
 
「あ〜〜あ、また弓使いかぁ〜……。ウチ、ホンマは刃と刃でガンガン打ち合うんが好きやねんけどなぁ……」
 
「……弓使いと戦いたい者など、同じ弓使いくらいのものだと思うぞ」
 
「それもそか」
 
 近くで見た事はないが、間違いない。神速の、張文遠だ。
 
「どいつもこいつも恋にばーっか向かいよるし、関羽は星に取られるし、ツいてへんわ。ホンマ……」
 
「……私も、随分と舐められたものだな」
 
 言うに事欠いて余り物扱いか。そして、呂布にあれだけの人数が向かってもまるで焦っていない様子が、なお腹立たしい。
 
「いや、舐めてへんよ? ただ何ちゅうか……好みの問題?」
 
 戦いを無上の喜びとしているのが、一目でわかる。華琳さまはこの者を欲していたようだが……その余裕はない。
 
 既に流琉と真桜は戦えまい。数人がかりとはいえ、姉者たちも危ないかも知れない。
 
「…………なぁ」
 
 そんな内心を見抜かれたのか、
 
「舐めとんの、どっちや?」
 
 射殺さんばかりの鋭い眼光が、私を打った。
 
 
 
 
「(………二人)」
 
 無表情。否、冷淡とさえ言える雰囲気を纏って、恋は迫る敵将を見据える。
 
 急所から外した二人を“それなりに”評価しながらも……当たったから良しと、軽く判断する。
 
「(……もう一人、いける)」
 
 弓を構えて、一番動きが鈍い……剣を二本持った沙和を狙う。
 
 近づかれる前に、矢でもう一人……、その思惑は………
 
「恋ーーーっ!!」
 
「っ!?」
 
 その瞬間、横から響いた怒声が、思考を遮る。
 
 まるで防衛本能に任せたような迷いない挙措で、恋は弓を放り出し……
 
「「ッ!!?」」
 
 拾い上げた方天画戟で、その豪撃を受けとめた。
 
「……鈴々」
 
「……恋。鈴々は戦うよ。もう理由なんてよくわからないけど……でも、守るために戦う」
 
 短い間とはいえ、共に戦った小柄な姿。そしてその言葉を認めて、恋はコクリと頷いた。
 
「構わない。恋も、一緒」
 
 恋は戟を肩に担ぐように構えて、眼を鋭く細めた。
 
 その間に、三人の曹軍の将も距離を詰めていた。
 
 四面楚歌。そう呼んでもいい状況でも、恋の表情は欠片も揺らがない。
 
 燕人張飛と曹軍最強の夏侯元譲を含めた四人を前にして……何の気後れも感じていない。
 
 ただ淡々と、しかしどこか自信と強さに溢れた声で………
 
「……来い。恋の本気、見せてやる」
 
 静かに、無双演舞の幕が上がる。
 
 
 
 
(あとがき)
 前回は私の無知で醜態を晒したようで申し訳ないです。
 前回の華琳の宣戦布告は、桃香の狙いを阻止するために咄嗟にそれらしい事を言っただけで、内容自体にあまり意味はなかったりします。
 
 



[12267] 十二章・『天下無双』
Name: 水虫◆70917372 ID:978cd0b3
Date: 2009/11/24 07:33
 
 戦いは、熾烈の一言に尽きた。
 
 舞いの如く、軽やかに立ち回り、鋭く槍を突き出す星。
 
 それを見極め、こちらも鋭く、疾く、力強く切り返す愛紗。
 
 力なら僅かに愛紗が勝り、素早さなら僅かに星が勝る。
 
 両者の力量は互角。気を緩めた方が負ける。そう思われていた拮抗は、しかし今、崩れつつあった。
 
「ほらほらどうした! 止まって見えるぞ!」
 
 力量が拮抗しているからこそ、僅かな違いが勝負を分ける。一重にそれは、精神状態の違いと言えた。
 
「くうっ……!」
 
 元々、互いに義勇軍時代からの既知。初めは単なる、交わす刃の下の語らいに過ぎなかった。
 
 だが、星はその中で愛紗の心の揺れを見抜いた。そして、そこからの先の太刀筋は、まさに手に取るが如く。
 
 武人として、やや不服。だが、己の心を平静に保つ事もまた力量の内、と星は割り切る。
 
 何より最悪なのは、愛紗自身がその事に気付いていない事だ。
 
 動揺が太刀筋を敵に晒し、それによって攻撃を見切られる自身の腑甲斐なさを感じて、またそれが技の精彩を鈍らせる。
 
 まさに悪循環だった。
 
「一刀は全てわかっているぞ? この連合の起こりも、桃香殿の気持ちもな」
 
「っ…………!!」
 
 傍目には、紅刃と白刃が激しく火花を撒き散らし続ける剣舞にも似た戦いに映るだろう。
 
 だが、戦いの流れは少しずつ星に傾いていっていた。
 
 
 
 
 同じ頃、同様に猛将同士の誇りがぶつかり合っていた。
 
 しかし、こちらは星と愛紗の一騎討ちとはまるで違う様相を現していた。
 
「おおおおお!!」
 
「にゃぁあああ!!」
 
 一言で言うなら、異様。
 
「はぁあああ!!」
 
「えぇぇぇーーい!!」
 
 夏侯元譲、張翼徳、楽文謙、于文則。
 
 その内二人は、曹、劉、両陣営の最強と呼んでもいいほどの猛将。
 
 本来、一人でも脅威と呼ぶしかないような猛者が、四人がかりで……
 
「遅い」
 
『ッ……!?』
 
 “あしらわれて”いる。
 
 深紅の髪と瞳を揺らし、軽々と方天画戟を振るう鬼神。
 
 今の恋は、まさにそう呼ぶに相応しかった。
 
「(…………不思議)」
 
 四方から繰り出される必殺の刃を躱し、払いのけ、切り返すその中で、恋は自分自身に驚嘆する。
 
 四人の内二人は、かなりの使い手だ。決して弱くなどない。
 
 それでも恋は、全く負ける気がしていなかった。
 
「(……戟が軽い)」
 
「はあっ!」
 
 斜め後方から、沙和が仕掛けてくる気配を感じて、振り向きざま、方天画戟を力一杯繰り出した。
 
「(……力が溢れる)」
 
 腹を叩かれた剣が、二本まとめて砕け散る。
 
「沙和ぁ!!」
 
 武器を失った仲間の危機を感じて、恋の“次の死角”……真後ろから、凪がその手甲を纏った拳で殴りかかる。
 
「止せ! 凪っ!!」
 
 春蘭の制止の声が虚しく響く。
 
 上体を屈めた恋の上で、凪の拳が空を切る。恋は、戟ではなく、凪に最も近い位置にある武器として、屈んだ体勢から、体を捻るように………
 
「がぁっ………!?」
 
 左の裏拳を、凪の顔面に叩き込んでいた。斜め下から、体が僅かに浮くほどの痛烈な打撃を受けた凪の体は……背中から地面に落ちる。
 
「(相手の動きが、よく見える)」
 
 その凪が失神した事を確認もせずに、恋は屈んだ姿勢から跳ね上がるように、丸腰の沙和の鳩尾に膝をめり込ませた。
 
 呻き声を上げる事も出来ず、沙和は意識を手放した。
 
「(………一刀)」
 
 かつての自分との確たる違い。一人の少年との広がる未来を、漲る力の根幹に感じて……恋は強く柄を握りしめる。
 
『恋が笑ってくれたのが嬉しくて、本当に可愛かったから笑ったんだ』
 
「……………」
 
「呂布……貴様ぁぁーー!!」
 
 動きを止めた相手に、まるで興味を示さない。当然とどめも刺さない。
 
 そんな恋の態度に、これ以上ない侮辱を感じた春蘭が、咆哮をあげて斬り掛かる。
 
 その姿を、今まで通りの冷淡な瞳で捉えた恋の一閃。その剣先が………
 
「一刀がいれば、恋は天下無双」
 
 春蘭の左目に届いていた。
 
 
 
 
「ハッ! やっぱつまらんのぉ! 弓相手は!」
 
「ちぃ……!」
 
 少し、時を遡る。
 
 次々に矢をつがえて速射する秋蘭の攻撃を避けながら、霞は馬鹿にするように笑う。
 
「お互い避けるばっかやから、なーんも心に響かんねん! ほら、どした!? 手ぇ止まってんで!」
 
 秋蘭が再び構え、放った一矢を掻い潜り、霞は一気に懐に飛び込み、偃月刀を一閃させる。それを飛び退いて避けた秋蘭に追いすがる霞の前に……
 
「夏侯淵将軍!」
 
「今助太刀します!」
 
 割って入った兵を、霞は一太刀で斬り捨てる。
 
 こんな攻防が、もう何度繰り返された事か。
 
「矢を射つ瞬間は、どうしても足止めなあかんもんなぁ。いつまでも逃げられんし、何よりウチは“神速”の張遼や」
 
 霞にとって、一騎討ちは生き甲斐に等しい。だが、やはり弓の使い手相手のそれは、剣と剣のぶつかり合いに遥かに劣る。
 
 おまけに、要らぬ横槍まで度々入るのだ。
 
「あの老いぼれは、いちいちこっちの動き先読みしてきよったから、ほとんど的みたいになっとったけど………アンタのはそろそろ見えてきたわ」
 
 距離を取って矢を放つ秋蘭。それを躱して斬り掛かる霞。
 
 矢を躱して飛び込めるか否かで、どちらかに一方的な戦いになる事は、互いに初めからわかっていた。
 
 そして、霞は既に秋蘭の矢を幾度も見ている。より、迷いも、躊躇いも、無駄もなく飛び込めるようになる。
 
 そして次の瞬間、決定的に局面が動く。
 
「ぐ………あああああっ!」
 
「!? ………姉者!!」
 
 恋に左目を斬られ、戦場に響く春蘭の絶叫。
 
「よそ見すんなっ!!」
 
 それに気を取られた秋蘭。その隙を見逃がさず飛び込んだ霞の一閃。
 
「ッ……!?」
 
 それが、反射的に飛び退き、躱した秋蘭。その弓の弦を切っていた。
 
「しまった……!」
 
「これで、矢は射てん……な!!」
 
 さらに追い打ちに振るわれた偃月刀が、秋蘭を襲う。しかしそれは、秋蘭の腹部の鎧に阻まれ、命には届かない。
 
「秋蘭さまっ!!」
 
「どわっ!?」
 
 肋骨に罅が入るほどの一撃を受けて、よろよろと後退した秋蘭と霞の間に、轟音を響かせて大鉄球が打ち据えられ、霞の追撃を阻む。
 
「槍隊、かかれ!!」
 
 その大鉄球を繰り出した少女……季衣は、すかさず槍隊を霞に差し向け、自身は手負いの秋蘭を抱え上げる。
 
「秋蘭さま、後はボクに任せてください!」
 
「止せ……季衣。まだお前の手に負える相手ではない」
 
 秋蘭の忠告も全てわかった上で、季衣は強引に秋蘭を馬に乗せる。
 
「上手く兵隊さん達と立ち回りますよ! だから……秋蘭さまは指揮をお願いします」
 
 季衣は……本当なら、手負いの秋蘭に指揮を任せたくもないし、何よりすぐにでも春蘭の許に駆け寄りたいのだ。
 
 しかし、幼いながらにも将としての立場を与えられ、その心得を説かれ、何より……背中を見てきた。
 
 この場において自分がすべき事を、見誤ったりはしない。
 
「邪魔や! どけあほんだらっ!!」
 
 張文遠を、少しでも食い止める。
 
 
 
 
「……………」
 
 最前線の動きが慌ただしい。
 
 いくら呂布とはいえ、春蘭たち全員をまとめて相手になど出来るわけがない。
 
 ……だけど、事実まだ、前線は拮抗。いや、押されている。
 
「……粘っているようね」
 
「その程度なら、まだ良いのですがね」
 
 知らず、不安を混ぜたような恥ずべき呟きが漏れ、それに音々音が即座に反応した。
 
「………どういう意味?」
 
「力量が勝る相手との長期戦。……おそらく主殿が考えている通りの意味ですよ」
 
 どこか、糾弾しているような、皮肉のような響きが、その言葉には込められていた。
 
「ねね! あんた言葉を慎みなさい! 誰に口を……」
「桂花! ……黙ってなさい」
 
 燻るような苛立ちを体の奥底に感じながら、しかし音々音の進言は聞くべきと判断し、騒ぐ桂花を制する。
 
「覇道を行く主殿の志は理解しているのです。ゆえに、袁紹を焚き付けて囮にし、暴君北郷を討った英雄として、名声を得る事にも反対はしませんでした」
 
 この問答は、既に一度やっている。『北郷軍が、こちらの軍より多勢を差し向けてくる』、その仮説が有力になった時だ。
 
「しかし、実害の大きい博打になる事も確かなのです。まさに、今の現状がそう」
 
 そう、音々音はそう言って反対した。……私が押し切ったけれど。
 
「下手をすれば、取り返しのつかない事になりますぞ」
 
 強く諫めるように、音々音はそう言って黙る。こちらの返答を待っているのか。
 
『何故そこまで、北郷に拘られるのですか?』
 
 いつか……戯れに春蘭と交わした会話が、何故か唐突に頭に浮かんで、私の心臓は大きく跳ねた。
 
 拘っている? この私が?
 
 あり得ないと思えば思うほど、胸の奥にわだかまりのような感情が積もる。
 
「……音々音、桂花。春蘭たちに追い付くわよ。ついてらっしゃい」
 
 ここでの撤退は、私自らの愚行を認める事になる。今までの犠牲全てに、犬死にをさせた事になる。
 
 それでも………
 
「(取り返しのつかない、事………)」
 
 音々音の言葉が、耳の奥でいつまでも響いていた。
 
 
 
 
(あとがき)
 修正前のあとがきで、少々情けない発言を書いてたので消しときます。
 
 



[12267] 十三章・『高嶺の花』
Name: 水虫◆70917372 ID:978cd0b3
Date: 2009/11/24 21:17
 
 夏侯の名を持つ、とは言っても……親戚関係があるだけで、特別親しかったわけではない。
 
 第一、曹操様は才ある者を愛する御方。惇将軍や淵将軍がお側に在るのも、血縁などではなく、個人の資質だ。
 
 そのくらいの事はわかるようになった、と誇らしく思えた時の事は、今思い出しても滑稽極まりない。
 
 結局自分は、未だに一部隊長に過ぎないのだから。
 
 私にとっては、思い上がりも甚だしい、身の程知らずな夢。
 
 曹操様にとっては、何の感慨も無い、兵士の歓呼程度の表明だったろう。
 
 この名が無ければ、私に関心すら持って頂けなかったに違いない。
 
『母様が造らせた物だけどね。使う者もいないから預けてあげる』
 
 あの時も、単なる気紛れだったのはわかっていた。
 
『せいぜい精進して、その剣に見合う将にでもなりなさい。私の近衛になりたいのならね』
 
 それでも、嬉しくてたまらなかった。
 
 自分の限界を知りながら、それでも修練に修練を重ねた。
 
 元々、高嶺の花。時折お姿をお見かけ出来れば、それで満足だった。曹操様は、同性愛者であるようだったし。
 
 だが、そんなある日……見てしまった。
 
 官軍に随伴してきた、無礼千万な男。噂になっていた、『天の御遣い』。
 
 初めて見た時は、別に何とも思わなかった。曹操様が、そんな胡散臭い風評に興味を向けるはずがない……そんな確信があった。
 
 ……なのに、見てしまった。
 
 わざわざ北郷一刀一人を呼び出して、二人きりになろうとする……曹操様を。
 
 私から見ても、武に優れてる男にも……智謀に長ける男にも見えなかった。たかだか義勇軍の大将。
 
 その後、私は北郷一刀の活躍を耳にすれば歯噛みし、反・北郷連合が組まれればほくそ笑んだ。
 
 ……自分でも、驚いていた。自分の中に、これほどまでに身の程知らずな感情があった事に。
 
 そう……私ははっきりと、北郷一刀に嫉妬していた。
 
 
 
 
 星、霞、恋たち猛将が前線で奮闘し、その優勢から、一気に突き崩せるかと思った……が、それはあくまで一局面に過ぎなかった。
 
「(稟……)」
 
 俺たちの軍に横撃を掛けてきていた伏兵を、稟が迎撃に向かったはず、なのに……
 
「伝令! 右翼の一角が崩されました! 指揮が乱れています!」
 
「……わかった」
 
 全然止めれてないらしい。易々と本隊が横撃を食らっている。
 
 せっかく前線が優勢なのに、これじゃ攻めきれない。
 
「旗は『公孫』。……伯珪か」
 
 となると、敵本隊のあの旗は、また虚兵という事になる。
 
 遠く見据えてもはっきりわかる。怒涛の勢いで突撃を掛けてくる白馬の群れ。
 
 突破力が違いすぎる。稟の指揮じゃ防ぎきれなかったか。
 
 ……しまった。目立たないから甘くみてた。
 
 でも、星たちも手一杯のはずだし……。
 
 と、無い知恵絞って対応策を練る俺の耳を……
 
「御遣い様!!」
 
 焦りに焦った兵の声が打つ。反射的に、体が警戒体制に入る。咄嗟に振り向き、思うより先に体が動いた。
 
「痛っってぇ!?」
 
 咄嗟に庇った腕に、俺を狙った矢が刺さる。バランスを崩して落馬しそうになって、慌てて手をついて“着地”した。
 
 ああ、馬鹿した! 今の下手に動かなかったら肩当てに当たってたのに。
 
「北郷一刀! 覚悟!!」
 
 俺が腕の苦痛に悶えている間に、一人の将らしき男が槍を構えて走ってくる。
 
 方向や様子からして、多分、こいつが俺を射った奴。
 
 割って入った俺の兵士を刺し殺して、猛然と俺に向かってくる。
 
 もっと下がっとけば良かった。なんて後悔してる場合じゃない。
 
 馬に乗ってないのが、救いか。
 
「死ねぇ!!」
 
「誰が!!」
 
 向かってくる、そいつの槍の間合いに入るより、五歩分くらい遠い所まで来た所で、俺は持っていた剣を思い切り投げつけた。
 
「うあっ!!」
 
 それに怯んだそいつに向かって、体当たりするようにして掴み倒す。
 
 その拍子に槍が零れた。………よし、こいつ、孫策とかに比べたら全然弱い。
 
「くそっ! 離れろ!」
 
「誰が放すか!」
 
 上から首を絞めるような体制の俺を、男が不完全な体制で何度も殴って押しのけようとする。
 
 今の俺は丸腰。この状態を保とうと、その痛みを歯を食い縛って堪えながら、必死に男を地面に押し付ける。そんな泥臭いやり取りの中で……一つの物が目に映った。
 
 同時に、俺は無我夢中で行動する。
 
 男の首の辺りを掴んでいた手を思い切り引き寄せ、男の顔面に頭突きをかます。
 
 そのまま、男が怯んだのを気配だけで確認して、“それ”……男の腰の剣に手を掛ける。
 
「このっ!!」
 
「ぐっ……!?」
 
 男の腹を思い切り踏みつけ、そのまま上体を起こす勢いで剣を鞘から引き抜く。
 
「ッ!? ………ま、待」
「はあぁっ!!」 
 
 死に物狂いで、抜いた剣を、本来の持ち主の胸に突き立てる。
 
 手元が狂って胸当てに当たってしまったはずの剣は、しかし驚くほどすんなりと突き刺さり……肉を刺す嫌な感触を手に伝えた。
 
「う゛あ……! あ、あぁ……」
 
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
 
 ズブリと剣を引き抜き。荒々しく肩で息をする。
 
 極度の興奮から醒めて、今さらのように気付く。こいつ、結構若い。
 
「う、うう、うぅ〜〜〜………!!」
 
 苦しげに呻く男は、急所から外れていたのか、まだ息がある。
 
 でも……決して助かる傷じゃない。
 
「………………………名前は?」
 
 長い沈黙の後、俺は短く男に訊いた。もう、こいつには苦痛しか待っていない。
 
「………………夏侯、恩」
 
 尋常な痛みではないだろう。それでも夏侯恩は、自らの名前を毅然と告げた。
 
 全てを悟った上で、無様には死なないと言わんばかりに表情を強張らせる。
 
「………忘れない」
 
 もう、これ以上俺が掛けてやれる言葉は無い。俺は奪った剣を、夏侯恩の首筋に当てる。
 
「この、剣………」
 
 喋るどころか、生きているだけで苦しくて仕方ないはずなのに、夏侯恩は必死に声を絞りだす。
 
「………捨てないでくれ。粗末に、しないでくれ……」
 
 たどたどしい言葉、何を思って夏侯恩がその言葉を口にしたのかはわからない。
 
「わかった」
 
 それでも、聞き入れた。
 
「………やれ」
 
 もはや残す言葉は無い。そんな風に目を閉じた夏侯恩の首筋に当てた剣を………俺は、一気に引いた。
 
「………………」
 
 俺は、僅かに、感傷にも似た気分に囚われる。
 
 それでも、今はそれどころじゃないと、すぐに気持ちを切り替える。
 
 夏侯恩の最後の言葉を思い出して、腰から鞘を引き抜く。
 
 鞘には、『青紅』とある。
 
 
「(……華琳、様)」
 
 夏侯恩が今際の際に呟いた真名は、誰の耳にも届かなかった。
 
 
 
 
「槍隊前へ! 三人一組で馬から突き落としてやれ!」
 
 横撃に公孫賛軍の屈強な騎馬隊を用いてきたのは、厄介だ。
 
 自分の無力に腹が立つ。
 
 一刀殿が行軍を急いでいたのは事実。だが、こんな隠れる場所の少ない地形で、最低限の索敵もしなかったのは、私の落ち度。
 
 一足先に早馬を出して探る事だって、出来たのではないか?
 
 そして何より、陣形を組む暇も無いこういう戦況で……私の力はあまりにも無力だ。
 
 雛里なら、もっと上手くやっただろうか?
 
 私がシ水関に残り、雛里がこの場にいれば……。
 
「(……いや、今はとにかく、この白馬隊を何とかする事だけを)」
 
 前も後ろも、右も左も、自軍か敵軍の兵士ばかり、そんな乱戦の中で、私は巻き上がる砂煙の遠方に、“それ”を見つけた。
 
「いつもいつも………世話をかけるわね」
 
 
 
 
「それは言わない約束だぜ。おとっつぁん」
 
 当然、会話など出来る距離ではない。
 
 それでも二人は、まるで相手が目の前にいるかのように“独り言”を言う。
 
「おとっつぁん、とか言ってるわね。きっと」
 
 一斉に放たれた矢の雨が、弧を描いて白馬の群れに降り注ぐ。
 
「風はこれでも一流なのです。伊達に北郷軍の財布の紐を任されているわけではないのですよー」
 
 靡く旗は、『程』。
 
 王都から出撃してきた北郷軍の加勢三万。
 
 この戦いの大局が決定的となった瞬間だった。
 
 
「ではでは皆さん、懲らしめてやりましょー」
 
 
 
 
「風………何かあったら籠城戦って話だったのに……」
 
 それなのに、こっちの援軍に駆け付けてくれるなんて……何て空気の読める子だ。
 
「(おかげで、前方に集中出来る)」
 
 伯珪の方は、もう稟と風に任せて大丈夫だろう。
 
 星たちが気になるし、一気に勝負を掛ける意味でも、俺は最前線に馬を走らせる。
 
 恋もいるから大丈夫だとは思うけど、愛紗や鈴々だっているんだ。
 
 ………それに、
 
「一刀さんっ!!」
 
「ッ………!?」
 
 俺の思考を遮って、聞き覚えのある声が、必死な響きを滲ませて俺を呼んだ。
 
 その頬に涙を伝わせて、それでも後ろに兵を率いて、俺を睨む。
 
 いや、睨んでいるわけじゃない。気持ちのやり場が見つからない、そんな不安定な眼。
 
「………桃香」
 
 この戦いの中心である俺の前に、この戦いに最も心を痛めている少女が、立ちはだかった。
 
 
 
 
(あとがき)
 前回は少々弱音を漏らしてしまい、お恥ずかしい限りです。
 
 今回は視点変更が頻繁だったので一応。
 
 夏侯恩→一刀→稟→神視点の稟、風→一刀、となります。
 
 夏侯恩は名前だけで、立場とか性格とかバリバリのオリジナルですね。恋姫にも出てませんし、演義とも掛け離れてます。
 
 あと、青紅の剣ですが、漢字が出ないし、この先ずっとカタカナでも締まらないので、『紅』でいきます。
 
 



[12267] 十四章・『優しい道化』
Name: 水虫◆70917372 ID:f9c9fe2a
Date: 2009/11/25 20:00
 
「ッ~~~つぅぅ……!!」
 
 鈴々は、凪より、沙和より、春蘭よりも強い。
 
 しかし、鈴々が恋を相手にかろうじて持ち堪えているのは、実力以上に間合いのおかげと言えた。
 
 鈴々の小柄な体躯からすれば、いっそ異様なまでの長さを誇る、一丈八尺の蛇矛である。
 
 それが、力、技、疾さ、全てに於いて上回る恋との実力差を僅かに縮めていた要因。
 
 傷を負った春蘭が、凪と沙和を担ぎ出す時間を稼げた要因だった。
 
「あっ……!?」
 
 それも、最早限界。
 
 鈴々が繰り出した蛇矛の突き、その引き手より速く、恋が蛇矛の柄を掴んだ。
 
「にゃあっ!!」
 
 あまりに無防備な一瞬を自覚した鈴々は、しかし反射的に、蛇矛に意識を集中させていた恋の方天画戟を踏みつけ、ズンッと地面に押しつける。
 
 お互いに武器を押さえる三秒程度の均衡は……
 
「ぷぎゃ……!?」
 
 やはりというように、恋の靴底によって破られた。
 
 鈴々の顔の真ん中を、勢いよく踏み飛ばす。
 
「……手足が短い」
 
「う………うっさい、のだ!」
 
 恋と同じく、方天画戟を踏み押さえたまま蹴りを放っていたはずの鈴々が、鼻を押さえながらよろよろと立ち上がる。
 
 だが、恋は既に鈴々に対する警戒心を解いていた。今は自分の手に在る鈴々の蛇矛、見た目の長さ以上に重量を持つはずのそれを………
 
「えい」
 
「あーーーーっ!!」
 
 槍投げの要領で、適当な方角に投げ飛ばした。
 
「ひっ、卑怯なのだ! 正々堂々と戦うのだ!」
 
「……武器を落とした時点で負け」
 
 騒ぐ鈴々にはもう構わず、恋は近づいてくる牙門旗を見つめる。
 
 
 
 
「ッッ!?」
 
 黒い前髪を掠める槍の紅刃に、熱くなったはずの愛紗の体が底冷える。
 
「桃香殿の考えを、間違っているとは思わん。だが、刃を向けられてはこちらも黙っておれん」
 
 対称的に、星はどんどん饒舌になっていた。それは油断というよりも、余裕と言えた。
 
 現に、無駄な動きを繰り返した愛紗の顔には、既に疲労の色が濃い。
 
「わかった風な事をほざくな! 桃香さまがどれほど苦しんだ末に、このような選択をされたか………」
 
 そんな星の余裕と、主君を引き合いに出された事で、愛紗は荒々しく青龍刀を奔らせる。
 
「なればこそよ。最早そちらに勝ち目はない。速やかな撤退をオススメしよう」
 
 それを、横に跳ねて易々と躱した星が、どこまで本気なのかわからない口調で言う。
 
「大体、何故理不尽に暴君扱いされている我らが、そちらの都合など慮らねばならんのだ」
 
「ッ………」
 
 さらに続く言葉に、愛紗は露骨に顔をしかめる。そもそも口喧嘩では勝負にもならない。
 
「ふっ、まあいい。ならば力づくでお帰り頂くとしよう」
 
 不敵に笑って、槍を斜に構え、突きを繰り出す星。……と、愛紗の間に、
 
「「……っ!?」」
 
 上から降ってきたそれが、重い音を立てて突きたった。
 
「これは、……蛇矛?」
 
「!? ……鈴々!!」
 
 その武器を見て、星は見たままの感想を抱き、愛紗は即座にそこから、思い描きたくない光景を連想する。
 
 考えたくない。それでも高い可能性。義勇軍時代に、恋の武勇を目の当たりにしていた愛紗は、蛇矛を握るや否や、一目散に駆け出した。
 
「あっ……! こら! 逃げるか!?」
 
「貴公の相手は後でしてやる! 今は他にやるべき事が出来た!」
 
 義妹の身を案じて、刃を交えていた敵将に背を向ける事も厭わずに、愛紗は戦場を駆ける。
 
 
 
 
「桃香………」
 
 すぐ傍で、剣がぶつかり、血が噴き出し、叫びと断末魔が響く戦場。
 
 その中で、両者自軍の兵士に囲まれ、守られる……ある種異様な空間で、俺と桃香は向かい合っていた。その横には、朱里も立っている。
 
 想いを伝えてくれた少女。皆が笑顔で暮らせる世界を望んだ少女。……俺が前の世界で立っていた場所にいる、少女。
 
 彼女が、この光景の中で、酷く場違いに見えた。以前にも、黄巾党相手の戦場で見ていたはずなのに。
 
 ……何だろう。動悸が止まらない。冷や汗が噴き出す。踏み出す足が、重い。
 
「……一刀さん、兵を退いてもらえませんか?」
 
 頬に僅かに涙を伝わせて震えるその姿は、見る者に、触れれば壊れてしまいそうな印象を与える。
 
 それでも、桃香は立っていた。兵を率いて、剣を握って、ここにいる。
 
「……俺が退いて、曹操が追撃してこない保証は無い。それに、桃香が退いた所で、曹操が退くわけでもない」
 
 連合の現状、戦う前の、果たせなかった停戦提案、そして今の桃香の姿。
 
 それらから、俺は桃香の気持ちはほぼ完全に把握しているつもりだった。だから、聞く者が聞けば支離滅裂で矛盾だらけな発言に対する指摘はせず、退けない理由だけを端的に告げる。
 
「………………」
 
 俺の言葉に、どう返せばいいのかわからないように、苦しそうに桃香は唇を引き結ぶ。
 
 その姿に、俺は薄々感じていた事を、確信へと変えた。
 
 桃香に対する、認識の間違いだ。
 
 桃香は優しい。皆が笑って暮らせる世界、そんなものを目指すくらいに、優しい。戦いだって、好きじゃないんだ。
 
 ……わかっていたつもりだった。でも、わかってなかった。
 
 俺が考えてたよりずっと、桃香は優しい。……脆いくらいに。
 
「……………」
 
 気持ちを固めるのに、時間はかからなかった。
 
「……何で、曹操についてここに来た?」
 
 俺は、異様に重く感じる体を動かして、青紅の剣を抜き放った。
 
 
 
 
「ッ! ……一刀、さん?」
 
 わかってくれる。一刀さんならわかってくれる。どうにかしてくれる。
 
 そんな甘えた気持ちが、どこかにあったのは否定出来ない。
 
 権力闘争に巻き込まれて、暴君なんて汚名を着せられて、皆によってたかって狙われている一刀さん。
 
 諸侯の野望を刺激して、同士討ちを引き起こした一刀さん。
 
 それでも……信じてた。それが、目の前の光景に否定される。
 
 抜かれた剣の切っ先が、わたしに向けられた。
 
 それに合わせて、一刀さんの後ろで控えていた兵が動いて、わたしの後ろの兵隊さんも動いた。
 
 互いが互いを牽制するように槍や剣を構えて、それでもわたしや一刀さんには手を出さない。
 
 ……多分、手を出すべきかどうか判断出来ないんだと思う。
 
「構えろ、桃香!」
 
 そんな状況に戸惑っている間に、一刀さん自身が剣を片手に向かってきた。
 
「だっ、駄目でしゅ!!」
 
 朱里ちゃんが、わたしの前に両手を広げて立ちはだかる。
 
 何を思う間もない。
 
「「っ……!」」
 
 わたしは、朱里ちゃんを押し退けて、一刀さんと剣をぶつからせていた。
 
「今さら停戦を持ちかけるくらいなら、何で連合に参加した?」
 
 合わせた刃の向こうから、一刀さんの糾弾がわたしを打つ。
 
「それは……あの時はまだ、都の実態がわからなかったから……!」
 
「最初から信じられないような相手に、何でこんな強引なやり方での停戦が通るって思った?」
 
 鍔迫り合いの状態の剣を払って、一刀さんは距離を取る。
 
 何一つ、まともに言い返せない。こっちが何を思っていても、一刀さんにとっては、理不尽に攻めてきた連合の一勢力に過ぎないんだから。
 
 でも、そんな絶望にも似た考えは……ある意味では誤解だった。
 
「……わかっただろ。戦いたくなくて、それでも大陸を平和にしたくて……。そんな無茶は通らないんだ」
 
「ッ……!」
 
 一刀さんは、やっぱりわかってくれてた。“その上で”向けられた言葉に、わたしは弾かれるように挑みかかる。
 
 両手で思いっきり振り下ろした剣が、一刀さんの剣にぶつかる。
 
「無茶なんかじゃない! 皆が協力すれば……」
「だったら! 何で停戦は成り立たなかった!? 共通の敵がいる連合の中でさえ、桃香の理想は届かなかったんじゃないのか!?」
 
 わたしがぐいぐいと押していく刃の向こうから、一刀さんはわたしの言葉を間髪入れずに遮った。
 
 ……本当に、何から何までわかってる。
 
 結局わたし達は、力ある諸侯の中で振り回されるしかなかった。わかり合うどころか、自分たちの思うようにさえ動けない、そんな状態だった。
 
 そんな中での精一杯で断行した停戦の提案すら、成し遂げられなかった。
 
「どんな願いでも、叶えるためには力が要るんだよ。『こうなればいいな』って言うだけなら、子供にだって出来る」
 
 また、一刀さんは後ろに跳んで鍔迫り合いから逃げた。ここでようやく、わたしは一刀さんが左手を使ってない事……だから鍔迫り合いでわたしでも力負けしていなかったという事実に気付く。
 
 でも、今のわたしには、そんな事よりも……一刀さんの言葉が悲しかった。
 
「現実に出来ない、大きすぎる理想に囚われてたら……いつかその理想に押し潰される」
 
「あっ………」
 
 さらに続いた言葉に、わたしは思い出す。
 
『理想が、自分を押し潰す』
 
 愛紗ちゃんの、夢の言葉。
 
 もしかしたら、とは思っていたけど……やっぱり夢なんかじゃなくて、一刀さんの言葉だった。
 
 偶然……とは、どうしても思えなかった。
 
「…………それでも」
 
 ずっと、胸に残っていた言葉だったから……すぐに応える事が出来たのかも知れない。
 
「それでもわたしは……出来るって信じてる! 皆が手を取り合って、そうやって大陸を平和に出来るって信じてる!!」
 
 三度、わたしは剣をぶつける。鍔元での押し合い……これは相手を斬るためというより、気持ちを伝えるための手段のように思えた。
 
「だってわたし……愛紗ちゃんに出会えた!」
 
 一刀さんの言ってる事が、わからないわけじゃない。それでも………
 
「鈴々ちゃんに、朱里ちゃんに……一刀さんに出会えた!!」
 
 わたしは、信じてる。
 
「わたし……一人じゃ何も出来ない君主だけど……優しくて凄い人たちに出会えて、力を合わせて、ここまで来れたの!!」
 
 理想に押し潰されたりなんかしない。皆がいれば乗り越えられる。
 
 だから………
 
「だからわたしは………理想を捨てない!!」
 
 鍔迫り合う一刀さんの剣に籠もる力は、やけに弱い。わたしでも押し切れるほどに。……でも、わたしは剣を振り抜くつもりはなかった。
 
「………だったら、何で今……剣を握ってここにいる?」
 
 再び、投げ掛けられる問い。
 
 一刀さんの言葉、それ自体が……理想を押し潰すほどの重みに変える『現実』に思えた。
 
 人と人が手を取り合っていける事を信じているなら、何故今、剣を握って戦っているのか。
 
 わたしが、自分の中から解を見つけだすより早く………
 
「見捨てられなかった、から…だろ……?」
 
 一刀さんは、それを見抜いていた。
 
 今まで、失望と反発のような感情を向けていた一刀さんの瞳を、間近で見つめる。
 
 そこには糾弾の色も非難の色も無い。ただ……吸い込まれそうになる。
 
「俺の考えを……押しつけるつもりはないよ。桃香の理想だって、決して間違っちゃいない……」
 
 その瞳が、虚に揺れる。言葉も、どこか消え入りそうで……。
 
「……でも、一番大切なものを、見失わないで……」
 
 その言葉に込められた、どうしようもないほどに切ない気持ちが、鮮烈に伝わり、わたしは誘われるように頷いていた。
 
「あ………」
 
 剣を合わせたまま、一刀さんの頭が、わたしの肩にのしかかる。
 
 ……そして気付く。
 
「(体が、冷たい……?)」
 
 左腕には、途中で斬られた矢。体に、それ以外に大した傷はない。
 
 わたしにしては驚くほど、明確に“それ”と結びつけた。
 
「(………毒)」
 
 
 
 



[12267] 十五章・『毒を以て』
Name: 水虫◆70917372 ID:f6242140
Date: 2009/11/28 17:52
 
「一刀さんっ!!」
 
 勘違いなら、それがいいに決まってる。嫌な予感を否定したくて、必死に呼び掛ける。
 
 自分が今、“反・北郷連合”だという事すら忘れて。
 
 目の前で起こった突然の出来事に、完全に思考が奪われていた。
 
 もちろん、この事態を好転させようというほどに冷静な考えなど露ほどにも浮かばない。
 
 混乱、その一言に尽きた。
 
「う、あ………?」
 
 だから当たり前みたいに、その接近にも気付かなかった。
 
 駆けていた馬上から飛び、わたし達を囲んでいた兵達の壁を越えて………
 
「どけぇーーっ!!」
 
 その人は、わたしに向かって飛び蹴りを放つ。その蹴撃が、
 
「きゃ……!?」
 
 わたしが咄嗟に庇った剣にぶつかって、わたしはその勢いでしりもちを着いた。
 
「星……ちゃん?」
 
 わたしを蹴飛ばしたのは、義勇軍の頃に一刀さんと一緒に知り合った星ちゃんだった。
 
 わたしの体を半ばつっかい棒のようにして立っていた一刀さんが、そのまま倒れる前に抱き留めている。
 
「………星?」
 
 一刀さんは、その状況に驚いたような声を上げる。……多分、自分が気を失ってた事に気付いてないんだ。
 
「……………」
 
 一刀さんの、そのぼんやりとした呼び掛けには応えず、手際良く一刀さんの体に手を当てる。
 
 傷の有無、鎧の損傷、そういう事を診てるんだと思う。
 
 結局、一番目立つ、多分邪魔にならないように途中で切り落とされた矢と、一刀さんの冷たい体温を確認して……星ちゃんがわたしを睨む。
 
 わたしの全身から、一気に冷や汗が噴き出す。睨まれた、それ自体に衝撃を受けたわけじゃない。
 
 星ちゃんがわたしを睨んだ事で、わたしの嫌な予感……“毒”の存在が、ほぼ確定してしまったからだ。
 
「……あなたが一刀に、毒矢を使ったのか?」
 
 静かな声、でも……抑えきれないほどに強烈な怒りが込められている。
 
「違う!」
 
 咄嗟に返したわたしのその言葉に、どれほどの意味があるのかわからない。
 
 この状況じゃ、信じてもらうのは難しく思えた。
 
 でも、星ちゃんの意識は簡単にわたしから外れた。
 
「毒、矢………?」
 
 意識が朦朧としている様子で、小さく呟いた一刀さんによって。星ちゃんの眼は、わたしへの怒りから、一刀さんへの心配へとあっさり色を変える。
 
「一刀! 話せるか? 意識はあるか!?」
 
 肩をぐいぐい激しく揺らす星ちゃんから、すごく必死な気持ちを感じる。
 
 わたしも、気持ちはよくわかる。意識があるってわかっただけで、すごく安心したから。
 
「………これ、毒……なのか?」
 
 その言葉でわたしは、一刀さんが今まで自分の状態に気付いてなかった事を悟る。
 
「この矢、誰に射たれた! 射たれてからどれくらい経つ!?」
 
 言いながら、星ちゃんは一刀さんの腕に刺さった矢を強引に引き抜く。
 
 多分、血が噴き出すのを防ぐために、刺したままにして途中から切ってたんだろうけど、鏃に毒が塗られてたとすれば、確かにすぐにでも抜いた方がいい。
 
「ッ〜〜〜痛ぇ……!」
 
「我慢しろ!」
 
 星ちゃんは、そのまますぐに自分の服の長い袖をびりびりと破いて、一刀さんの左腕を止血する。
 
「くぅ……! え〜と、矢を射たれたのはさっきで、まだそんなに時間は経ってないと思う」
 
 喜ぶべきかどうか、わたしには判断がつかなかったけど……その激痛が、一刀さんに意識をはっきりと取り戻させる。
 
 ……いや、はっきりと、それは喜ぶべき事なのだと、わたしは後になって気付く事になる。
 
「……毒、か」
 
 青ざめた顔のままで、一刀さんは唇の端を引き上げた。
 
 
 
 
「これは………」
 
 まだ最前線からは相当に距離があるはず。なのに、これは何……?
 
 私の軍の兵を、方天画戟で次々と斬り倒しながら、こちらに一直線に駆けてくる紅い髪の女。
 
 間違いない。あれが飛将軍、呂奉先。
 
 その勢いに引きずられるように、北郷の兵が怒涛の勢いで攻めてくる。
 
「曹操様! 前線は最早完全に崩壊しています! ご指示を!」
 
 今さらに過ぎる伝令の報告など耳に届かない。見ればわかるではないか。
 
「夏侯惇、夏侯淵、許緒、典韋、楽進、李典、于禁……我が軍の勇将たちはどうした!?」
 
 馬鹿な、あり得ない。いくら呂布が天下無双の将だとしても……これほどの力の差があるはずがない。
 
 しかし、現に前線は崩壊し、呂布はここまで切り込んで……
 
「華琳様! 今はとにかくお下がりください!!」
 
 悲鳴にも近い桂花の叫びが耳に届く。
 
 呂布を筆頭にした北郷軍が、我が軍の精兵を容易く払って、まるで無人の野を駆けるようにこっちに向かってくる。
 
「牙門旗を持って走れ! 我らは左翼へ、主殿は後曲へ急いでくだされ!」
 
 音々音は……囮になるつもり?
 
 確かに、もう考えている場合じゃない。私が討たれれば、確実に全軍が壊滅する。
 
『下手をすれば、取り返しのつかない事になりますぞ』
 
 音々音の言葉が、重々しく頭に響く。
 
「(部下を見殺しにして、囮にして……自分だけ逃げる?)」
 
 そんな選択に迫られてしまった事実それ自体が許せず……思考が止まってしまった。
 
 それが、致命的な隙となる。
 
 接近してくる呂布と、私の……目が合ったのだ。
 
 それほどに近づいていた。見抜かれた。もう、囮など無意味。
 
 その事に、絶望と安堵を等量抱いて、私は大鎌を構え、後退る。
 
「囮など不要よ。今すぐ全速で後退する」
 
 言いながら、周囲の護衛の兵は馬を旋回させ、さらにその外回りの兵は歓呼を上げて呂布を阻まんと駆ける。
 
 しかし、稼いでくれた時間、私たちが逃げた時間、それらも虚しく……
 
「ッ………!!」
 
 ふと振り向いた時、既に私は呂布の間合いに入っていた。
 
 逃げ切れない。
 
「(殺される……!)」
 
 奔る方天画戟の穂先に、私は思わず目を瞑り……
 
「………え?」
 
 ギンッ! と響いた硬い金属音に、すぐさま目を見開いた。
 
 その時すでに、呂布と、その長い黒髪を靡かせる背中が、馬から飛び降りていた。
 
 心底からの、安堵に駆られる。
 
「我は魏武の大剣なり! 呂布よ、私がいる限り、曹操様には指一本触れられぬものと知れ!!」
 
 私への一撃を弾いた(はずの)春蘭。続いて、秋蘭、真桜、流琉。私への道を阻むように次々と現れる。
 
「(生きていた……!)」
 
 走る馬上で、私は遠くなっていく彼女たちの背中に安堵して……その直後に、呂布の存在を思い出して背筋を冷やす。
 
 
 
 
「……よく、止めた」
 
 華琳へと向けた突きを、掬い上げるように弾かれた恋は、少し目を丸くして春蘭を見る。
 
 先ほどの攻防で、戟の先が春蘭の左目を掠めた。今も春蘭は破いた袖を巻いて傷口を隠してはいるが……流れる夥しい血は隠せていない。
 
 未だに動く事が出来る春蘭に驚嘆して……しかし、それだけ。
 
「……まとめて来い。次は、殺す」
 
 手負いが四人。猛将揃いとはいえ、無傷の恋にとっては、恐れるような相手ではない。
 
 無造作に戟を振り上げた。その時………
 
「恋ーー! 止まれ恋ーー!!」
 
 聞き慣れた特徴的な呼び掛けに、ピクリと反応して、ゆるゆると振り返って、そのまま挨拶のように掲げた戟を振る。
 
 一見隙だらけの恋に、春蘭たちは攻撃を仕掛けない。それが“本当に隙と呼べるのか”わからない。それより何より、彼女たちの最優先事項に沿わないからだ。
 
 既に、この戦の大局は決した。華琳は必ず撤退を選ぶだろう。
 
 春蘭たちは、この鬼神のような強さを誇る恋から、華琳が逃げ延びるための時間を一秒でも長く稼ぐ事が自分たちの役目だと自覚しているのだ。
 
 だから、隙を見つけたと焦って攻撃して犬死にする事も、せっかく止まった恋を戦いに引き戻すような真似もしない。
 
「………霞、なに?」
 
「何もクソもないわ! 下がんで! 戦っとる場合やない!!」
 
 素早く馬を走らせて追い付いた霞が、恋にそう告げる。
 
 しかし、その不可解な発言に恋が首を傾げるより早く、秋蘭が怒鳴るように訊いた。
 
「張遼! 貴様がここにいるという事は、季衣は……」
「戦っとる場合やない言うとるやろ! ……大体どの口がそないな事ぬかしとんねん!?」
 
 魏将たちは、その言葉で季衣の無事を悟って安堵すると同時に、その言葉に籠もる侮蔑にも似た響きに眉をしかめる。
 
 明らかに、様子がおかしい。
 
「……行くで、恋」
 
 まだ何か言い足りないという様な仕草をした霞は……しかしその言葉を飲み込んで恋を促す。
 
 その様子に何か不吉なものを感じ取った恋も、すぐに馬に飛び乗る。
 
「……………」
 
 結局、霞はそれから春蘭たちに一言も言葉を掛けず、一瞥しただけで去って行った。
 
「何があったん、でしょうか……?」
 
「さぁ、ようわからんし、相手の都合まで考えとれんけど、とりあえず……」
 
「ああ……」
 
「……助かったな」
 
 流琉、真桜、秋蘭、春蘭の順に、緊張が解けたような呟きを漏らす。
 
 生き残れた喜びと、どうしようもない無力感を噛み締めながら。
 
 
 
 
「お兄ちゃんに、毒!?」
 
「………うん」
 
 走る途中で、愛紗ちゃんと鈴々ちゃんと合流出来た。
 
 愛紗ちゃんが無事なのは星ちゃんに聞いて知ってたけど、恋ちゃん相手に鈴々ちゃんが無事なのはほっとした。軽い脳震盪程度みたい。
 
「それで……北郷殿がそうしろと?」
 
「うん」
 
 色々な事が一度に起こりすぎて、ついぞんざいな応え方になってしまう。
 
「危険です! 撤退を促しておいて、我らの背を襲わないとも限らないではありませんか!?」
 
 そう怒鳴る愛紗ちゃんの言い分は、わからないわけじゃない。
 
 毒って言うのが嘘で、騙し討ちを狙っているんじゃないか、って思ってるんだと思う。
 
 相手は敵軍の君主。警戒して当たり前。そう言いたいんだろうけど、これはあの場に一緒にいた朱里ちゃんも同意してくれた事だ。
 
『……今回は、あなたの流儀に合わせよう』
 
 あまり話さない方がいいと判断された一刀さんに代わって、星ちゃんが言った言葉が、胸に痛い。
 
『だが、もし……………………万一の事があれば、あなたの軍も含めて、生きて自国に帰れると思い召されるな』
 
 “万一の事”と言う前に、躊躇うように長い間を挟んだその勧告に、それでもわたしはお礼を言った。
 
 ありがとう、と。
 
『あなたのためではない。……主命だ』
 
 星ちゃんのその言葉は、言葉以上に、一刀さんへの想いに溢れていた。
 
 復讐よりも、一刻も早く手当てを。多分それが本音だったんだと思う。
 
「わたしは、信じるよ。それを否定したら、わたしは自分の理想に負けた事になるから」
 
 愛紗ちゃんの主張も、今回は聞けない。
 
『……戦い自体は止められなかったけど、殲滅戦は止められる』
 
 あの後、最初に言った一刀さんの言葉が、わたしに勇気をくれる。
 
 一刀さんは、自分の窮地さえ利用してきっかけをくれた。ここからは、わたしの戦いだ。
 
 
「曹操さんを、止める」
 
 
 
 
(あとがき)
 四幕もあと一、二話くらいですかね。
 霞の行動とかの若干不明瞭な部分は後から説明入れるつもりです。
 いつも本作品を読んだり、感想をくれたりする方々、ありがとうございます。
 やる気の原動力となっております。
 
 



[12267] 四幕・終章・『不屈の志』
Name: 水虫◆70917372 ID:cc32c781
Date: 2009/11/28 20:11
 
「………春、蘭」
 
 どういうわけか攻勢を止めて引き上げていく北郷軍を確認してほどなく……私を逃がすために体を張った子たちが戻ってきた。
 
 全員、欠ける事なく。ただ、季衣は前線に残り、そして……春蘭は、秋蘭に抱えられていた。
 
「……血を流しすぎたのでしょう。すぐに軍医に見せて止血します」
 
 頭部に巻かれた、破いた袖布。そこから流れる夥しい血。あの下の左目がどうなっているのか……簡単に想像出来てしまった。
 
 春蘭の……左目が……
 
「呂布か! 呂布の仕業か!?」
 
 取り乱し……かけて、自制する。いや、
 
「ッ…! ……状況を、報告しなさい」
 
 しきれていなかったかも知れない。
 
「……は。前線は崩壊、私、姉者、流琉、凪、真桜、沙和が負傷。呂布が退いた理由は不明。……我ら魏の将が揃いも揃って、面目次第もありません」
 
「勝敗は兵家の常よ。それに、私も正直甘く見ていたわ」
 
 半ば誤魔化しのように求めた状況報告は、概ねわかっていた事だった。
 
 わからないのは……何故呂布が退いたのか? あのまま攻めて来られれば、総大将の私が逃げる事さえ出来たかどうか。
 
「原因まではわかりかねますが、せっかくの好機に攻め込む事以上に重大な異変が起きた、という事だと思われます」
 
「ですが、我らにとっても好機なのです」
 
 現状を桂花が分析し、音々音が進言のように断じる。それを尻目に、秋蘭は春蘭を抱えて軍医の許へ急ぐ。
 
 当然、既に状況把握には全力で努めているが、その上で、決断が迫られている。
 
「最大の勝機を手放すほどの事態、我らにとっては千載一遇の勝機にも繋がります」
 
「ねねは反対なのです。何があったのかは知りませんが、こちらも既に反撃に十分な余力は残っていません。攻め切れず玉砕するのは目に見えているのです」
 
「でも! ここで退いたらこれまでの全てが無駄になるのよ!? あなただって好機だって言ったじゃない!」
 
「ねねが言ったのは、追撃を受けずに済む退き時という意味なのです。これ以上の博打には、到底賛同出来ませんな」
 
「けど、今の北郷軍を見なさいよ! 動揺が軍全体に広がって、統率も何もあったものじゃないわ!」
 
 桂花と音々音で、意見が真っ二つに分かれる。ただ、桂花の意見は少し誇張しすぎだ。私から見て、北郷軍はそこまで隙だらけには見えない。
 
 私の元々の方針を肯定したくて、盲目的になっているのが一目でわかる。
 
 わかって……なおも、私は揺れていた。
 
「……………」
 
 将のほとんどが負傷。異変があった北郷軍に、私自らが率いた軍で突撃を掛ければ、この劣勢を覆せるかも知れない。
 
 だが、それは音々音の言う通りの博打。しかも今回は曹軍の全滅を賭けた大博打。
 
 そんな思考を巡らせる私の脳裏に……血に濡れて力なく秋蘭にすがる春蘭の姿がよぎる。
 
 自分でも不明瞭なまま、何かを口にしかけて………
 
「曹操さん!!」
 
 突然掛けられたその声に、遮られた。
 
「………劉備」
 
 魏軍後曲のこの場所に現れた劉備、関羽、張飛、諸葛亮。
 
 その顔にあるのは、戦いの前に停戦を断行しようとした時の顔と……同じ覚悟。
 
 
 
 
「北郷が、毒で倒れた……?」
 
 劉備の主張、それは、信じがたい。……否、信じたくない言葉だった。
 
「毒矢を使ったのは、曹操さんの臣下の夏侯恩さん。北郷軍の異変は、そのためです」
 
 当然、わたしは否定する。
 
「……劉備、侮辱するのもいい加減になさい。我々が、大義を掲げながら毒などという卑劣な手段を用いたと、そう言いたいの?」
 
 私の確とした否定にも、劉備の表情はまるで揺らがない。
 
 元々、劉備と北郷は義勇軍でいた時からつるんでいた。だから今回の事も、私たちを糾弾するために仕組んだ狂言ではないか? と疑った。
 
 ……だが、劉備はともかく、北郷があそこで兵を退く理由は無い。そして、劉備の言う毒が事実なら、辻褄は合ってしまう。
 
 そんな思考の断片を確定づけるように………
 
「伝令! 前線に出ていた夏侯恩隊長……討ち死にされました。部隊は混乱しております!」
 
 帰ってきた伝令が、状況を伝える。
 
 討ち死に……夏侯恩が?
 
「北郷一刀に文字通り一矢報いた後に、剣で首を斬られる……武人らしい最期だったとの事です」
 
「っ!?」
 
 認めたくない事実を理解して、猛烈な怒りに駆られる。
 
 覇道を行く我らの志を、まさか部隊長を預かる者が理解していなかったなんて……。
 
 もし生きていれば、すぐさまその首を刎ねる所だ。
 
 同時に、自分自身にも怒りが湧く。臣下の責任は、それを扱う王の責任でもある。
 
「曹操さん」
 
 ぶつける先の見つからない怒りを持て余す私に、狙ったように劉備の言葉が掛けられる。
 
「……撤退してください。これ以上、曹操さんの誇りを傷つけた戦いを続ける事なんてないでしょう」
 
 開戦前と、同じだ。この娘は無用な血が流れるのを止めたいだけ。
 
 私の誇りをダシにして、未だに戦いを止めようとしている。
 
 気に入らない。けれど………
 
「……桂花、音々音、軍を退くわよ。これ以上、無様は晒せないわ」
 
「し、しかし華琳様!」
 
 桂花の言いたい事は、わかる。背中を向けた我が軍に、死兵となった北郷軍が喰らいつく可能性を懸念しているのだろう。
 
 今は、まだ存命らしい、“倒れた”北郷の存在が軍に混乱を来しているが………北郷が死んだ瞬間、奴らは死兵となって我らを襲うだろう。
 
「ッ……!?」
 
 思考の最中、唐突に胸が痛んだ。その原因は判らず、ただ胸につかえた。
 
「…………」
 
 とにかく、これ以上戦うという選択肢は無い。
 
 北郷が……死ぬ……前に、撤退するしかない。
 
「殿は、わたし達が努めます。だから、曹操さんは必ず軍を退いてください」
 
 『戦いを止めるために体を張る』。劉備が言外にそう言っているような気がした。
 
 ……直感的に、理解した事がある。
 
「……礼は言わないわ。その代わり、“それ以外の事”も言わないでおいてあげる」
 
 この娘は、北郷一刀を信じている。状況を理解しすぎていた事も、無関係ではないだろう。
 
 ………やはり、何か気に入らない。
 
「背中を預けるわよ、劉備」
 
 それ以上に、私自身が……気に入らなかった。
 
 
 
 
「……………」
 
 引き上げていく曹操軍、同様に引き上げる北郷軍、わたし達は、白蓮ちゃんにも事情を説明して……その間に壁のように布陣する。
 
 小さく弱い、壁だけど。
 
「……一刀さんの、言ってた通りだったね」
 
 毒の事と誇りの事を利用すれば、曹操さんに戦いを止めるよう説得出来る。
 
 一刀さんは、本当に色んな事を見通してる。
 
 後は……一刀さんの無事を祈る。それくらいしか、わたし達には出来ない。
 
「……まあ、天の御遣いなんて呼ばれる男だからな」
 
 結局、白蓮ちゃんはわたしや曹操さんに巻き込まれたみたいなもの。……ごめんなさい。
 
「……………」
 
 一刀さんはもちろん、曹操さんだって、弱い民草を苦しめたりする人じゃない。むしろ、自分の生き方に誇りを持てる立派な人。
 
 そんな人たち同士が戦う必要なんて、やっぱりわたしは無いと思う。
 
 わたしは、理想を抱いていながら、結局大した事は出来ていない。
 
 戦いは止められなかった。曹操さんを引き上げさせる説得も、ほとんど一刀さんのおかげだ。
 
 曹操さんは、自分の誇りが穢れるから、戦いを中断させただけ。わたしの言葉が、受け入れてもらえたわけじゃない。
 
 ……それでも、戦いの犠牲を減らす事は出来た。撤退してもらう事は出来た。
 
 大きすぎる、そうわかってるわたしの理想に、少しだけ近付けた気がした。
 
「一刀さん……」
 
 もっと、頑張ろう。わたしの理想を叶えるために、わたしなりの戦いをする。
 
 そのために、自分に出来る事を探すんだ。
 
「………一刀さん」
 
 連合に参加して、敵対する立場になった、そんなわたしの背中を押してくれた人を想って、わたしはもう一度呟いていた。
 
 
 
 
「(無様な………)」
 
 天下に上り詰めるため、贄だとわかった上で、北郷一刀を討つ事を選んだ。
 
 どのみち、大陸を一つにまとめる過程で戦う事になるのだから……と。
 
「(それが………)」
 
 実際に参戦してみれば、連合は瓦解、自軍も完敗。……自分自身の誇りにさえ傷がついた。
 
 逆に、北郷一刀の存在を大きく見せ付けられた。
 
「(このまま退場なんて、そんな幕切れは認めない)」
 
 自軍の汚点。わかっていながら、否、わかっているからこそ思う。
 
「(北郷、一刀……)」
 
 それ以上に感じるのは、自分自身の無力感。
 
 こんな惨めな気持ちになるのは、初めてだった。
 
 それでも………
 
「(歩みを止めるわけにはいかない)」
 
 立ち上がって、今度こそ自身の覇道を誇り、進む。
 
「我は乱世の奸雄なり! 降り掛かる百難を乗り越えて、必ずや天下に名乗りを上げようぞ!!」
 
 私に付き従う臣下の前で、力強く宣言した。
 
 
 
 
「……………」
 
 一刀は、眠っている。顔は青ざめたままだ。
 
 軍医に応急措置はとってもらったが、こんな所で満足な治療が出来るわけもない。
 
 行軍も待たず、私は手綱を握る両腕で、抱くように一刀を前に乗せた状態で、単騎で馬を走らせる。
 
 ここからなら、洛陽までそれほど距離は無い。何かあっても、私が必ず守る。
 
 伝令を回した後で心配しているのだろう皆には悪いが、今はとにかく時間が惜しい。
 
 桃香殿は、上手くやってくれた。後は風たちが兵を退いて………一刀を助けるだけだ。
 
「一刀」
 
「……………」
 
 呼び掛けても、返事は無い。それに慌てて、呼吸と脈を確認する。
 
 さっきから、何度こんな事を繰り返しているかわからない。
 
「(なんと、無様な事か)」
 
 取り乱しているのが、自分でもわかる。胸が締め付けられるような心細い感覚が収まらない。
 
 将たる者、何が起こっても毅然と己を律する事が出来なくてどうする。
 
 ………わかっていても、どうにも出来ない。
 
 こんなにも、私は弱かっただろうか。
 
「………ぐすっ………ひっく……うぅ……」
 
 ポロポロと零れる雫と嗚咽が、抑えられない。
 
 こんな所を誰かに見られでもしたら、自殺ものだ。
 
 なのに、それら全てをどうでもいいと感じてしまっている自分がいる。
 
 ただ、一刀を……。
 
「……………もう、二度と………」
 
 
 自分で呟いた言葉の不自然さに、星が気付く事はなかった。
 
 
 
 
 その後、執拗な攻城戦を繰り返した袁紹率いる連合軍はシ水関を陥落させるも、その無理な攻城の際に受けた被害は大きく、続く虎牢関を突破する余力は残らなかった。
 
 対称的に、シ水関に拘らずに放棄した北郷軍は小規模な被害しかなく。虎牢関突破を諦めて引き上げる連合軍は、退却に合わせて出撃した華雄隊の追撃による痛打を受ける。
 
 そうして、完全に勝ち目を失った連合は、次々と諸侯が自国に引き上げ、自然消滅となった。
 
 こうして、王都と帝を救うという偽りの大義を掲げた反・北郷連合は、連合の敗北という結末を以て幕を閉じた。
 
 
 
 
(あとがき)
 今回で四幕終了。事後も含めて次幕へと続きます。
 
 



[12267] 五幕・『西方の戦い』・一章
Name: 水虫◆70917372 ID:14d59433
Date: 2009/11/29 19:58
 
「それで、良いんですね?」
 
「………ええ」
 
 弱々しく返して、妙齢の美女は、槍を支えに身を起こす。
 
 元々、兵でもない民を戦いに巻き込むのを嫌う人柄でもある。“城門の内側”で起こった戦いを続ける理は無かった。
 
「全く、義姉弟だからと気を許すから、こういう事になるのでは、と思うんですが………」
 
「信じたかったのよ。私のために、ね」
 
 後頭で結んだ長い茶髪が、かぶりを振るのに合わせて揺れた。元々赤かった裾の長いドレスは、その裾をさらに赤黒く染めている。
 
 血を流している、裾に隠れた太股は、既に感覚も無いだろう。
 
「あの娘たちを、守ってくれる?」
 
「いいでしょう。……と言いたい所ですが、今は動乱の時代ですからね。あたしは出来る自信の無い約束はしません」
 
 そんな友達の、こんな時でも相変わらずの言葉に、深手を負った女……馬騰は、嬉しそうに溜め息をつく。
 
 湿っぽい別れなんて、柄じゃない。
 
「ただ………」
 
「?」
 
 このまま言葉もなく別れるのかと思っていた馬騰は、続けられた言葉に首を傾げる。
 
「胸を張って死ねる娘たちだとは思いますよ。親のあなたも、あたしも、彼女たち自身も」
 
「……………」
 
 そんな、らしくもない気の利いた台詞に……
 
「ぷっ……あははははっ!!」
 
「おや、笑われるとは。やや心外かな、と」
 
 吹き出すように大笑いしてやると、表情一つ変えずに少し顔を朱に染める。
 
 そう、これでいい。と馬騰は思う。
 
「さて、頼んだわよ?」
 
「あなたが“ちゃんと”時間をくれれば、大丈夫ですよ」
 
 可愛げのない返事にまた微笑んで、無理矢理足を動かして馬に乗る。
 
 もう、反乱軍の馬蹄や喧騒の音も近い。
 
「先に行って、待ってるわよ」
 
「あたしは多分、地獄行きだと思うんですけどね」
 
「あれ? そういうの信じてたんだ。……大丈夫、私もよ」
 
「ほぅ……。では、先に行って旦那とイチャイチャしていてください」
 
「当然。あ〜、独り身は哀れよねぇ〜♪」
 
「独身貴族と呼んでください」
 
 お互い、これから終わる“いつものやり取り”を、少し未練がましく続けて………
 
「………行くわよ」
 
「……了解」
 
 二人、別々の方向に走りだした。
 
 
 
 
「出てこい、韓遂!! 貴様が首を欲する馬騰はここだ!! 民草をこれ以上戦火に巻き込むな!!」
 
 巨城の前で馬を駆り、槍を天に向けて堂々と名乗りを上げる。
 
「我が帝への忠義を邪推し、我が娘たちの留守を狙い、我が愛する民を巻き込んだ貴様を私は許しはしない!!」
 
 あっという間に敵兵に囲まれる。その人壁の向こうに、騎乗した義弟の姿も見えた。
 
「来い韓遂! 私は西涼の王として、貴様に一騎討ちを申し込む!」
 
 その言葉に対する反応は無い。ただ、槍兵や弓兵が取り囲んでくるだけだ。
 
「(あっそ………)」
 
 何とも意気地のない事だ。昔は気骨だけは一人前だったくせに……と、呆れと落胆を等量に感じて、馬騰は肩をすくめる。
 
「やれやれ」
 
 そんな仕草から、一瞬。振るった長槍が前方の槍兵十人の穂先を払い……
 
「っらぁ!!」
 
 二振り目で薙ぎ倒す。
 
「(さて……散が逃げやすいように)」
 
 矢をつがえた弓兵がそれを放つ前に、一瞬で詰め寄り、斬り倒す。
 
「せいぜい、暴れますかっ!!」
 
 それは、西涼の雄、馬騰の最後の戦いだった。
 
 
 
 
「……………」
 
 タンッ、と軽く跳ねて、屋根から屋根へとその女は飛ぶ。
 
 夜の闇に紛れて、彼女は西涼からの逃走を試みる。
 
 馬騰は、もはや足に傷を負い逃げられない、戦って死ぬ道を選んだ。
 
 馬休、馬鉄、一族の者たちの大半も生死すら掴めない。
 
 だが、五胡の撃退に出陣していた馬超、そして馬騰の姪にあたる馬岱はまだ無事なはずだった。
 
 そして、このまま何も知らないまま西涼に帰って来れば、韓遂によって殺されるであろう事も確実。
 
「(おっと……)」
 
 松明の群れを視界に認めて、民家と民家の間に滑り込むように着地し、身を隠す。
 
 耳を澄まして喧騒を聞いてみると、どうやら馬騰の残兵や、馬騰を慕う民と敵兵との間で争いが起こっているらしい。
 
「(好都合、ですね)」
 
 加勢したい気持ちもあるが、今の彼女の最優先事項には充たらない。
 
 むしろ、この混乱は自分の存在を隠してくれる、と割り切る。
 
 そのまま、こそこそと城門に向かおうとした所で………
 
「ッ……!?」
 
 背後に気配を感じて、確認するより疾く戟を奔らせ……
 
「なっ、いきなり何すんのよ!?」
 
 見知った二人の顔だと気付いて、喉元で刃先を止めた。
 
「おや、あなた達でしたか。大声は自重してくれると助かるかな、と」
 
「アンタが出させたんでむっ!?」
 
 懲りずに騒ぐ三つ編み眼鏡の口を塞ぐ。
 
「悪いのですが今日は少々忙しく、あたしには織物を買っている暇はないようで」
 
「(んな事はわかってるわよ!)」
 
 口を塞いでいた手を払いのけて、少女は小声で怒鳴るという器用な真似をしてくれる。
 
「アンタ、馬超の所に行くつもりなんでしょう」
 
 この、何故か自尊心が高い(礼儀知らずな)少女を、彼女は気に入っていた。
 
「………そちらのお嬢さん、そこそこ腕は立ちますよね?」
 
 この二人に関して、周りの村人はこぞって口を閉ざす。
 
 わけありだという事を、彼女は前々からわかっていた。
 
 実は、調べもついている。隠す理由は知らないが。
 
「ッ……何言ってんのよ!? そんなわけが……」
「詠ちゃん」
 
 遮るように、今まで黙っていた、というより喋っている所をほとんど見た事のないもう一人の少女が口を開く。
 
「わたし、もう、誰かを見捨てたり、見殺しになんてしたくない」
 
 覚悟を決めたように言った少女は、持っていた鞘から剣を抜き放つ。
 
 七宝をちりばめた、明らかに宝剣だとわかる鞘、そして鋭い刀身。
 
「馬鹿な事言わないで! 月は人を殺した事だって無いじゃない!」
 
「……自分の手を汚さなかった。それだけだよ。人を殺した事、たくさんあるよ」
 
「……………」
 
 女は、そんな二人の奇妙なやり取りをぼんやりと眺める。
 
 どうやら、普段から隠していた彼女らの暗い部分が、この戦いの光景によって蘇っているらしい。
 
 だが、それを考慮してやる余裕は、今の彼女には無い。
 
「一つ、頼まれてもらえますかね?」
 
 
 
 
「よっ、と……!」
 
 敵兵だらけの城門に近づいているのだから、当然いつまでも姿を隠していられるわけではない。
 
 また三人、斬り倒して、馬を奪って駆ける。彼女はここまで来れば、一気に馬で駆けた方が手っ取り早いかと思ったのだが……
 
「嫌な予感はしたんですよね………」
 
 韓遂軍が雪崩れ込んできた(内側から、内乱者が開いた)城門。それが……燃えていた。
 
 遠くから見た時にやたら戦火が大きいとは思ったのだが、まさか燃えているとは……。
 
 飛び火したのか、開門も閉門も出来ないようにするために焼いたのか知らないが、とにかく燃えている。
 
「さて、なかなか困った事になったようで」
 
 こんな風に飄々と構えている彼女だが、今この瞬間も敵兵との戦いは続いている。
 
 一気に駆け抜ける予定だっただけに、こうなると当然囲まれてしまう。
 
「(回れ右している余裕はなさそうかな、と)」
 
 静かな態度、余裕のある仕草、それとは裏腹に……気持ちは鋼の如く揺るがない。
 
「……女将。しばしのお別れといきましょう」
 
 燃え盛る炎の海に、女は馬を走らせ、飛び込んだ。
 
 
 
 
 その二日後、にあたる。
 
 馬騰の将たる女に言葉を託された二人の少女は、その場で剣を使う事を律された。
 
 あくまでも、目立たないように、武は万が一の時に必要な最低限のものであれば良いと。
 
 元々顔が完全に割れていた彼女には不可能だったのだ。
 
 韓遂の兵の鎧や軍服を剥ぎ取り、紛れるように場外に出た二人は、西涼に向かってきていた馬超軍に西涼の異変を伝え、そのまま同行する運びとなった。
 
 そのため、入城を誘い、騙し討ちを掛ける算段だった韓遂は、馬超と馬岱率いる一軍を逃がしてしまう事となる。
 
 
 
 
「……………」
 
 目を開く前に、全身を気だるい疲労感が襲う。
 
「……………」
 
 ぼんやりと、少しずつ、記憶が戻ってくる。
 
「(女将………)」
 
 はっきりと、思い出す。
 
「…………」
 
 ……ここは、どこだろうか?
 
 見た所、山の中に建てられた小屋……といった所か。
 
 いや、それより……
 
「(“董卓”は、上手くやってくれたでしょうか?)」
 
 意識を失う前後がはっきりしない。あたしがお嬢や花に危険を知らせる、というのが成功したとは、ちょっと思えない。
 
 次善策のつもりだったが、結局本当に女将の頼みを託す形になってしまったらしい。
 
 そんな時、扉が開いた。そして……何か出てきた。
 
「おぉ、目覚めよったか。おぬし、川で浮かんでおったのを発見されて以降、三日三晩眠り続けておったのだぞ!!」
 
「随分と珍妙な方ですね」
 
 少し、容姿を表現するのが難しい御仁だ。とはいえ、そこを指摘するのも酷だろう。本人はカッコいいつもりかも知れない。
 
 思わず出た単語は許して欲しい。その御仁は部屋の中に入ってくる。
 
 にしても、三日か………。
 
「西涼の事、何かわかりませんか?」
 
 そもそも、ここはどこだ。
 
「うぬぅ……! おぬし、今の己の容態以上に気になる者がおるのか!? やるなおぬし、まさしく真の漢女ぞ!!」
 
 その顔で、驚愕を表現しないで欲しいものだ。
 
「漢字が違う気もしますし、多分そちらの推測は外れてると思いますが……まあ、流しておこうかな、という事で」
 
 この様子では、訊くだけ無駄か。そういえば、まだ言い忘れていた。
 
「あたしを助けてくれたのは、あなたでしょうか?」
 
「いや、私ではない。いや、しかし……いやいやいや」
 
 訊かれたままに応えようとした化け物……いや、御仁は、途中で悶えるように悩みだす。
 
 とりあえず、この人が助けてくれたわけではないらしい。
 
「応えにくいなら、無理に訊く気はありませんよ」
 
 一言礼を言ってから西涼の動向を探りに行くつもりだったが……まあ、この人に伝言を頼めばいいだろう。
 
 ……あ、治療費とか請求されたらどうしよう。
 
「いや、応えにくいわけではないのだ。だが、私のだぁりんにおぬしがときめいてしまったらどうしようとか思ってしまうこの漢女心! おぬしにもわかるであろう!?」
 
「失礼ながら、さっぱり」
 
 葛藤の意味はわからないが、その“堕亜輪”というのがあたしを助けてくれた、と。
 
 出かけているのかも知れないが、ちょっと帰りを待つ気にもならない。
 
「ともあれ、その堕亜輪とあたしが顔を合わせる前に去るのが、あなたのためなようで。これにて失礼」
 
 手元に金は無いし、西涼が気になるし、そそくさと逃げようとするあたし。
 
 不義理と思わなくもないが、優先事項というものがあるのだ。
 
「待て、そんな体でどこに行く! 医者として、そんな無謀を許すわけにはいかないぞ!」
 
 逃げようとした所で、また一人現れた。
 
 こちらが堕亜輪か。
 
 逃がしてくれないらしい、困った。金は無いし、この二人、特にの白髪の方は相当強そうな気がする。
 
「…………何日かかりますか?」
 
 とりあえず、聞き分けのない子供ではないあたしだった。
 
 
 
 北郷軍と反・北郷連合の大戦。その渦中の出来事だった。
 
 
(あとがき)は感想板に。



[12267] 二章・『卑弥呼』
Name: 水虫◆70917372 ID:7c70e43d
Date: 2009/11/30 18:03
 
「ご・主・人・様ぁ~~!!」
 
「うわぁっ!?」
 
 突然飛来してきた筋肉の塊に、馬が怯えて急停止する。
 
 いや、上手く止まり切れず、馬上にいた私と一刀を放り出す。
 
 放り出された私は、一刀を庇うように抱き抱えながら、ゴロゴロと地を転がる。
 
「(ッ……こんな時に!!)」
 
 今度ばかりは冗談では済まされない。突然現れた貂蝉に槍を突き付けようとして………やめた。
 
 制裁も後回しだ。
 
「あら、反応も無しなんてツレナイわねん。せっかくこうしてわたしが城外までお出迎えに来てるって言うのに☆」
 
 洛陽まで目と鼻の先、こんな所で邪魔されるとは思わなかった。当然無視して、一刀を背負って馬の手綱を握る。
 
 ………毒が回ったら、どうしてくれる。
 
「? ……ちょっと星ちゃん。ご主人様ったらば、どうしたのよん。ご主人様の匂いがしたから、てっきり戦いも終わって帰ってきたのかと思って飛んできたの、に………」
 
 貂蝉の化け物的な経緯を聞いていたら、何故か尻すぼみに言葉が途切れて、
 
「……星ちゃん、泣いてるのん?」
 
「ッ!?」
 
 ついさっきまでの、誰も見ていないという油断。さっきの転倒で煽られた不安。
 
 自身の気の緩みで、目からとんでもない失態が零れていた事に気付いて、破いていない方の袖でごしごしと擦る。
 
「泥だらけになってるわよん」
 
「ッ~~うるさい!」
 
 袖を汚していた土が涙の水分を吸って泥だらけになってしまったらしい(自分では見えないが)。
 
 と、そこまでやってしまってから、羞恥心が込み上げてくる。もう誤魔化しもきかない。
 
「……もし誰かに言ったら、殺すぞ」
 
「やぁねん。乙女の秘密を言いふらすほどわたしは野暮じゃないわよん。漢女は誰よりも女心を察するのに長けてるんだから☆」
 
 貂蝉の主張は話半分に聞き流しながらも、とりあえず公言されないらしい事に安堵する。
 
 そして、一刀を馬の上に乗せるために抱え上げる。意識の無い人間を、馬上に乗せるのは苦労する。
 
「で、ご主人様は一体どうしたのよん?」
 
 その時、貂蝉がその巨躯で、猫の子でも扱うように軽々と一刀を馬上に乗せてくれた。人間離れした怪力である。
 
「………毒だ」
 
 説明する間も惜しい。端的に話して、私も一刀の後ろに乗ると、再び馬を走らせた。
 
「毒!? 毒ですってぃ!? ああ愛しのご主……あ、そうだったわん」
 
 全速で駆ける馬に並んで走りながら、貂蝉は気持ち悪く悶えて、何かを思い出したようにポンッと手をついた。
 
 二人乗りとはいえ、二本足で馬に追い付くとは……やはり化け物だ。
 
「この踊り子・貂蝉に任せちゃって、星ちゃん。今洛陽にちょっとした顔馴染みが来ててねん」
 
「!! 医者か!?」
 
「ちょっと意味が違うけど、医者ならいるわよん。案内するから付いて来て!!」
 
 言うや否や、貂蝉はさらに加速して前を走る。馬の腹を軽く叩いて、それを私は追い掛ける。思わぬ収穫だ。
 
「ああ、それと星ちゃん」
 
「?」
 
「涙は女の武器なのよん。他はともかく、ご主人様には隠さない方がお利口さんかも知れないわん」
 
「やかましい!!」
 
 そんな恥ずかしい事、出来るわけがない。
 
 
 
 
「急患か? 一先ず落ち着いて治療出来る場所に移動してくれ」
 
 やや癖のある赤の短髪。緑色の瞳。黒と白を基調とした、若干華美とさえ言える派手な装い。
 
 この青年が、名医と名高い、あの華佗らしい。
 
 だが、それ以上に目についたのは………
 
「ぬおっ!? このオノコが貴様の言っておったご主人様か、貂蝉! おのれ中々やるではないか! この卑弥呼、少々見くびっておったぞ」
 
「ぬふふふ♪ 卑弥呼こそこ~んな美形をたらし込んでるじゃないの。まったく隅に置けないんだ・か・ら☆」
 
 ……化け物が増えている。貂蝉の師匠らしいが、こちらもかなりキツい。
 
 だが、今はそんな視覚兵器の事はどうでもいい。
 
「我らに任せよ! 愛しのオノコの重みならば、漢女にとっては羽毛も同じ!」
 
「城でいいのよねん、星ちゃん?」
 
 一刀と華佗をとんでもない速さで運んでくれたのは、助かったが。
 
 …………………
 
 それからすぐ、一刀の自室で、華佗は傷口を二本の鍼を器用に使って覗き込んでいた。
 
 今この場に、貂蝉とその師はいない。毒に対抗する体力をつけるための薬の材料を探しに行ってくれている。
 
「今日中に毒を中和すれば、命に別状は無い。ただ……」
 
「……ただ?」
 
 とりあえず、命が助かる事にホッとしたが、華佗が少し顔を強ばらせて言葉を一度切った事に再び不安にさせられる。
 
「腕に受けた矢が骨まで届いて、鏃の毒がこびりついている。このままじゃ、傷口が塞がっても、内側から腐って腕が使い物にならなくなる」
 
「ッ!?」
 
 腕が使い物にならなくなる、という言葉に私が絶望するより早く、華佗は叫んだ。
 
「心配無用!!」
 
 今まで冷静に診断していたのに、一瞬全身から炎にも似た闘気が湧き上がり、また霧散した。
 
「そのために俺がいる。傷口を小刀で開いて毒血を抜き、槌で毒に冒された部分の骨を削る!」
 
「……………」
 
 その、武人たる私でさえ息を飲む荒療治の内容に、言葉を失う。……いや、それ以上に、
 
「そんな真似をして、激痛で一刀が暴れれば、手元が狂ってしまうのではないか?」
 
 そんな激痛、一刀が身動ぎ一つせずに堪えられるとは思いがたい。
 
「ああ、だから麻沸散……痛みを消す薬で眠っていてもらう。施術中に暴れられたら、命に関わるからな」
 
 私の懸念など、その道の達人には無用な気遣いだったようだ。
 
 その後、眠ったままの一刀に薬湯を飲ませ(飲ませ方は割愛する、断じて)、華佗の術式が開始された。
 
 薬で眠らされた上で固定された一刀の左腕に、華佗は小刀を入れていく。
 
 鮮血が飛び、私には判別がつかないが、毒を抜いているらしい。
 
 どれだけ繊細な技量が必要なのか、想像に難くない。
 
 手術には膨大な時間を要し、それから風や稟たちも洛陽に戻ってきたが、我々に出来る事は、消毒用の熱湯を用意したり、小刀の替えを渡したり、暗くなった後に傷口を照らす程度しかなかった。
 
 そして、夜も耽る頃になって…………
 
「…………よし、これで完了だ!」
 
 一刀の傷口が縫い、塞がれ、手術は終了した。
 
 ……と思われたが。
 
「行くぞ! 最後の仕上げだ!!」
 
 一刀の傷口を綺麗に縫った直後、華佗は突然大声を上げる。
 
 今までの張り詰めるような緊張とは裏腹な熱が籠もり、鍼を構えて咆える。
 
「血の流れを正し、腕の回復を早めるツボは……ここだ! 全力全快! 必察必治癒! 五斗米道ぉぉぉぉぉっ!!」
 
 その鍼が、一直線に一刀に向かって振り下ろされる。
 
「げ・ん・き・に・なれぇぇぇぇぇぇっ!!」
 
 その不可思議な鍼治療を目に出来たのは、たまたま交替の番だった私のみだった。
 
 
 
 
「……………」
 
 意識が浮き上がるに連れ、頭がズキズキと痛むような不快感に襲われる。
 
 そして目を開けようとして………
 
「ん~~………」
 
「ッッッーーー!!?」
 
「っんぶぁ!?」
 
 目の前にとんでもないものを認めて、その鼻っ柱を殴りつけた。
 
「や、やるではないか。漢女道を極めしこの私に一撃入れるとは………」
 
 そりゃ相手が目ぇ瞑って顔突き出してたら、誰だって一撃入れられるわ。
 
 ……じゃなくてっ!
 
「えっ? うぇっ!?」
 
 何だこいつ何だこいつ何だこいつ!?
 
 長い白髪を揉み上げの所で二つ折りに結って……眉毛は“マロ”? とにかく色々“マロ”な感じになってる。口髭も何か両側で重力に逆らってる。
 
 燕尾服(?)、ネクタイ(?)、ローファー(?)、ハイソックス(?)、そして明らかに小さすぎる白いビキニ(?)と白い褌……“だけ”。
 
 そんな格好の浅黒い肌のムキムキのおっさん。
 
 ヤバい、ヤバすぎる。悪い意味で超絶的な着こなしが、下手すりゃ全裸以上のヤバさを醸しだしている。
 
 そんな奴が今の今まで俺にキスしようとしてたわけで。……やべ、吐きそう。
 
 逃げよう、俺。余計な思考は捨て去って、ただひたすら生存本能と脊髄反射的な危機回避に身を任せるんだ。
 
 状況確認すら放棄してそう決意した俺は……
 
「(え………?)」
 
 突然、何か目が回った時の嫌な感じを何倍にもしたような感覚に襲われ………
 
「お兄さん!」
 
「う……お゛えぇぇ………っ!!」
 
 “本当に”吐いた。
 
 いや、それも少し正確ではないかも知れない。
 
 どこからか差し出された桶の中に激しい嘔吐感を向けたつもりだったが、口からは胃液と思われる変な汁がぼたぼたと零れるだけだった。
 
 あれ……? つーか俺、いくらキモかったからって……本当に吐いた?
 
「まだ体が十分に回復していないのです。無理に動いちゃダメなのですよー」
 
「…………風?」
 
 今さらのように、桶を差し出してくれていた風に気付く。
 
 そして、他にも……
 
「俺の、部屋?」
 
 さして広くもない俺の自室。
 
 そこに……
 
「…………皆?」
 
 左を見れば、稟と雛里が肩を寄せて一つの布団にくるまってすやすやと眠っている。
 
 机の上では、舞无がだらしなく涎の水溜まりを作っている。
 
 その机の許では、恋がセキトを抱えて仔犬みたいに丸まっている。
 
 窓際では、壁に寄り掛かるように座った霞が腕を組んだまま舟を漕いでいる。
 
 星も、俺の寝台に上半身を預けて眠りこけてる。
 
「交代制で起きていたのですが、ついついうたた寝して“彼女”の横暴に気付かなかったもので」
 
 眠そうに風は言う。未だに俺は状況をよく理解出来ない、けど………
 
「おかえりなさいですよー、お兄さん」
 
「……ただいま」
 
 一番相応しいと思えた言葉を、返す事は出来た。
 
 
 
 
(あとがき)
 前回は、オリキャラの素性を隠しすぎたせいで分かりにくかったですね。反省。
 
 本筋に登場する時に詳細を明かそうとしてたら、やりすぎた感が。
 
 



[12267] 三章・『献帝』
Name: 水虫◆70917372 ID:6f83cbf5
Date: 2009/12/01 18:44
 
「目覚めたのか、一刀」
 
「…………協君」
 
 俺が横たわったまま、風にあの後の戦いの顛末を聞いていると、部屋の扉を開いて一人の少年が入ってきた(化け物は追い出した)。
 
 風は恭しく一礼し、俺は起き上がろうとしたのを風に止められた。
 
「……以前から思っていたが、貴様の言う“君”は別の意味な気がしてならんのだが………?」
 
「……キノセイデスヨ」
 
 長い黒髪をオールバックに後ろで結った、いかにも高貴な感じのゆったりとした白い衣(縁は金色)を着た、小さな子供。
 
 何を隠そうこの子供こそ、亡き霊帝の子・協皇子なのである。
 
「………いきなりで悪いが、少し聞いてもらいたい話がある。他の者には、席を外してもらいたいのだが」
 
 神妙な様子の協くんは、少し申し訳なさそうに、部屋のあちこちで寝ている皆を見回して、それでも要望を告げる。
 
「……いいですよ」
 
 身分とか色々無関係に、俺にとっては可愛い弟みたいな感覚の協君である。悩みを聞くのは、俺の仕事だろう。
 
 
 
 
「大丈夫か? 無理に場所を変える必要などなかったろうに……」
 
「皆を、起こしたら……可哀想じゃないですか」
 
 気持ち悪い。風によると、何か麻酔みたいなのを受けて左腕の手術を受けた俺は、三日三晩眠りっ放しだったらしい。
 
 桶を片手に、朝霧に霞む中庭に出た俺と協君。悪いけど、キツいから座らせてもらう。
 
「手短に話そうか。程立が貴様の援軍に出るため、洛陽を出陣した後の事だが………」
 
 ふむふむ。協君は小さいのにしっかりしている。お兄さんも鼻が高い。
 
「何皇后と弁皇子が、自害なされた」
 
「………………………は?」
 
 あまりに突飛に過ぎる内容に、俺は数秒フリーズして……
 
「自、害………ってちょっと待ッ………うっ……!?」
 
「興奮するな。体に障るぞ」
 
 慌てて立ち上がろうとして、また強烈な吐き気と目眩に襲われる。
 
「皇后は、兄の何進が殺されて以降、常日頃から見えざる脅威に怯えていた。自分の関与出来ない所で物事が動いていく重圧に、堪えられなかったのだろう」
 
「……………」
 
 考えてみれば、確かにそうだ。
 
 皇后なんて呼ばれてても、何皇后は元々肉屋の娘。突然兄さんや十常侍が殺されて、不安が無かったわけがない。
 
「皇帝がいても権力闘争や黄巾の乱が起き、皇帝がいなくても反・北郷連合などというものが組まれた。もはや自分たちに栄光が戻らず、ただ利用されるだけと悟った何皇后は、弁皇子と共に毒を呷ったのだ」
 
 俺自身、あの二人とはほとんど面識は無い。だからだろうか、むしろ………
 
「『せいぜい踊りなさい、哀れな傀儡』。皇后は、余にそう書いて残した」
 
 協君の、この平然を“装った”態度が気になっていた。
 
 皇子だろうが、聡明だろうが、まだ小さな子供なのに………。
 
「……要らぬ気を回すな。まだ公にはしていないが、彼らが死去されてもう四日も経っているのだ」
 
 俺が寝てた間の事、か。
 
 その間に気持ちの整理をつけた、と協君は言いたいのだろうけど。
 
「……………」
 
「……気を回すなと言っている」
 
 座ったままでも手が届く協君の頭をくしゃくしゃと撫でると、予想通りに憮然とした返事が返る。
 
 全く、歳相応ではない。いや、歳相応ではいられない協君の身の上を考える。
 
 両親は既に亡く、今また、似た境遇にあった弁皇子が死んだ。
 
 そして、この聡明な協君は、今までも、未来に漠然とした不安を感じ取っていたはずだ。
 
 それが、何皇后の行動によってはっきり悟らされてしまった。
 
「………全く、余にこんな態度を取るのは貴様だけだぞ」
 
「知ってますよ」
 
 されるがままになっていた協君が、またボソリと呟く。俺も、自分の無礼は理解してるつもりだ(多分、本当に“つもり”だろう)。
 
「……生まれた時から、皇族として振る舞うように教育されてきた。父上も病がちであったから……それほど一緒にはいられなかったしな」
 
 今度は背中をさする。
 
「哀れに思ったか? 貴様は余を利用しようとした事は無い。いつも戯れのように接してくる」
 
 今度はほっぺたを……
 
「人の話を聞いておるのか貴様はっ!?」
 
 怒られた。
 
「まあ、俺は元々この世界の人間じゃないんで。礼儀知らずなのはその辺の影響ですよ」
 
「はぁ……その免罪符は聞き飽きた」
 
 呆れたように、わざとらしく肩を竦める協君。少しは元気になっただろうか。
 
「……一刀。貴様は余が皇帝に即位すべきと思うか?」
 
「さあ?」
 
 俺の即答に、協君はひっくり返る。つーか、いきなり何を言いだすのか。
 
「さっきも言ったけど、俺は余所者ですから。悪いけど、漢王朝への忠誠心なんて持ち合わせてないですよ。暴君って噂も、実際間違いってわけじゃない。忠誠心もない俺が、この大陸をまとめ上げようとしてるんだから」
 
「……なら、皇位を奪おうとは考えんのか?」
 
 俺の意思表示に、びくっと背中を強張らせた協君は、不安げにそう訊いてくる。
 
 ちょっとだけ歳相応に見えた。
 
「それやっても、“帝の座を奪い取った暴君”って思われるだけですから。正直、あんまり興味ないです」
 
 酷な現実を突き付けるようだけど、事実を俺の都合に合わせて誤魔化して騙すのは………霊帝を利用していた連中と同じだ。
 
 そんな風に扱いたくなかった。
 
「………もはや、漢王朝は滅んだのだな」
 
 実質的な事実を飲み込んで、協君は苦い表情を作る。
 
 先祖が受け継ぎ守ってきた血と皇位。その重みは、俺には理解してやれない。
 
「………辛いですか?」
 
「辛くないと言えば嘘になろう。しかし、こうなった責任は我ら皇帝の血族にある。自業自得というやつだ」
 
 ……本当に子供らしくない。こんな歳の子供が、こんな考え方をしなきゃならない事自体が、悲しかった。
 
「……皇帝に即位した余を擁する事が、少しでも貴様の助けになるか?」
 
 何となく、協君の言いたい事がわかって……また頭を撫でてみる。
 
「なりますよ」
 
 強い子だ。
 
「大陸の平穏を守れなかった事も、我欲に溺れる悪官をのさばらせた事も、皆我らが責。ならば、再び民の笑顔を取り戻す事こそが余の償いだろう。だが、事実余は無力だ」
 
 完全な傀儡ではない。“自分の意志”で選択する事に喜びを感じているように見えた。
 
「貴様に託す。そしてその力となるのなら、余は飾りであろうと皇位を被ろう」
 
 でも、俺としてはちょっと不満。
 
「大命を賜り光栄至極。………よっと!」
 
「わぁ……っ!?」
 
 俺は両脇から協君を抱え……ようとして、左腕が痛かったので、頭をくぐらすように、立ち上がり様に肩車に持っていく。
 
 ……よし。麻酔の嫌な感じはそれなりに収まってる。
 
「よっ、よせ! よさんか! 貴様はまだ体が回復しておらんのだろうが!?」
 
「いやいや、協君軽いし。大丈夫ですって」
 
 若干頭がフラフラして、足取りが覚束ないだけだ。これでこけたら洒落にならんけど、肩車くらい何とかなりそうだった。
 
「あ…………」
 
「どうですかね?」
 
 多分、肩車なんてしてもらった事ないと思う。
 
 皇帝の血を引くってのがどういう事なのか、俺には想像しか出来ないけど……やっぱり責任とか使命とか、それだけなのは嫌だった。
 
「っしょ!」
 
「お、おぉーー!」
 
 そのまま軽く走ってみる。楽しそうに驚いてるだろう顔が見えないのが残念ではある。
 
「……………」
 
 俺も、桃香も、“自分がやりたいから”やってる。
 
 まして協君はまだ子供。もっと“自分自身”の事で欲張りになってもいいはずだ。
 
 皇帝ってものを理解してない馬鹿な戯言かも知れないけど、間違ってるとは思えなかった。
 
「北郷殿! 手術を受けた患者が起きてすぐ遊び回るとは何事だ!!」
 
「はいっ!?」
 
 そんな感じに戯れていた俺は、見知らぬ赤い髪の兄ちゃんに怒鳴られ、部屋に連行されるのだった。
 
 
 この後、皇后と弁皇子の葬儀を大々的に行なった後、協君は、献帝・劉協として即位する。
 
 
 
 
「……………」
 
 戦後処理や、弁皇子の事などもあって大忙しなのだが、俺は絶対安静を命じられている。
 
「………………」
 
 しかも、暇を見つけては誰かが見張りみたいにやって来るのだ。
 
 今は、寝台横の椅子に座った稟が、無言で林檎をシャリシャリと剥いている。
 
「……心配、かけた?」
「心配などしていません」
 
 有無を言わさず返す稟。何か怖い。
 
「貴殿が勝手なのはいつもの事です。今回は毒矢という、ある意味仕方ない要素も含まれていた事を考えると……まだマシな方ですね」
 
 全然、“仕方ない”って感じの声じゃない。皮肉交じりに稟は言う。
 
「ただ………」
 
 俺の方を見ようともせず、眉間を平静に“保って”、稟は林檎を剥き続ける。
 
「貴殿が死んでしまった後では、どんな理由も言い訳にすらなりません」
 
「わかって……」
 
 わかってるよ。そう言い切る事は出来なかった。
 
 稟の平手が、パァンと音を立てて、俺の頬を打ったから。
 
「わかっていませんよ」
 
 唇を引き結んで、稟はうつむく。……ちょっと、無神経に応えようとしてしまったのかも知れない。
 
「ごめん……」
 
「…………ふぅ……。自覚が無いなら、謝罪などしないで下さい。誠意の籠もらない謝罪に意味はありませんから」
 
「う゛…………」
 
 稟は気持ちを落ち着けるように深呼吸した後、ジト目で俺を睨む。
 
 これは何だかんだ言って、心配してくれたのだろうか。
 
「……何か、不快な事を考えていませんか?」
 
「すいません………」
 
 イメージ内で土下座しつつ、自分でも心底情けなく頭を下げる。
 
「はぁ、その情けない顔で少し溜飲が下がったので、とりあえずは許してあげますよ」
 
 剥き終えた林檎を皿に乗せて、コトンと寝台横の台に置いて、稟は立ち上がる。
 
「私も多忙ですから、もう行きますよ。つまらない事で時間を取らせないで頂きたい」
 
「気を付けるよ」
 
 背を向けて、とりあえず許してくれたらしい稟は部屋を出ていく。
 
「……………」
 
 台の上に残された、ご丁寧にうさぎ形に剥かれた林檎を、俺は一つ齧った。
 
 
 
 
(あとがき)
 今まで居たのに全然出てなかった協君登場。原作では空気でしたが、本作ではオリサブとして登場。
 
 



[12267] 四章・『不透明な溜め息』
Name: 水虫◆70917372 ID:ee60a56e
Date: 2009/12/03 21:56
 
「献帝の即位、そして北郷一刀は大将軍か。……一命は取り留めたようだな」
 
「………ああ」
 
 陳留の曹軍居城。その中庭の休憩所に、王の両腕たる姉妹は腰を下ろしていた。
 
「これで、最低限の誇りは保たれたか。もっとも、冒した行動の事実が消えるわけでもないが」
 
「結果的に大きな借りを作ってしまった。華琳様は、それを看過される御方ではない」
 
 春蘭と、秋蘭。彼女らの頭をもたげているのは、先の戦いに於いて毒矢を受け、倒れた北郷一刀。その原因についてである。
 
『我が夏侯一族の失態、魏のために失ったこの左目に免じて、どうかお許しください!!』
 
「……華琳様なら、恩個人の失態で一族に責を求めるような事をしなかっただろう。何故、あんな事を?」
 
 戦いで倒れ、事の顛末を聞いた姉が、第一声に放った言葉を思い出し、秋蘭は訊ねる。
 
「……気持ちはわかるからだ。私とて、華琳様の関心が他の……しかも他勢力の人間に向くなど我慢ならん」
 
「………いや、きっとわかってやれてはいないと思うがな」
 
 姉の返した応えを、秋蘭は不明瞭に否定する。
 
「どういう事だ?」
 
「姉者は……いや、私もか。華琳様のお傍に仕える事の出来ている我々には、恩の苦渋を本当の意味で理解してやる事は出来ん。という事だ」
 
「むぅ………」
 
 しばしの沈黙。姉が話の内容を飲み込むための時間、とも取れた。
 
「いや、やはり我らも同じだと思うぞ。秋蘭」
 
 たっぷりと時間を掛けての、断言。
 
「自分の気持ちだけ押し付けて、華琳様のお心を理解出来なくては家臣失格だ。自らへの待遇で態度を変える事自体あってはならんのだ」
 
「………………」
 
 普段は呆れるほどヌケているくせに、本能的に在り方を悟っている姉に、秋蘭は嬉しそうに嘆息する。
 
「北に袁紹、南に孫策、そして大陸の中央に北郷。華琳様の覇道は思っていた以上に険しくなりそうだな」
 
「何も問題はない! 私が華琳様の邪魔者を払うからな!」
 
 得意そうに胸を張る姉を、やはり可愛いと思いながら、秋蘭は思う。
 
 その背中を守るのは、自分の役目だと。
 
 
 
 
「うぉおおおっ!!」
 
「いぃやぁ〜ん☆」
 
 戦斧が奔り、筋肉が跳ねる。明らかに高重量なはずの筋肉の塊は、見た目からは考えられない軽やかな足運びで躱し……
 
「フォウーー♪」
 
「うわぁああ!!」
 
 繰り出された手刀を、銀髪の女が必死に躱す。
 
 女は舞无。相対する怪物の名は貂蝉。
 
「……何やってんだ、あいつら」
 
 そして、中庭のそんな戦いを、城壁の上から見てる俺と……
 
「いや、あれで案外ええ修行になると思うで?」
 
 徳利片手に酒を呷る霞。
 
「と、言うと?」
 
「舞无は元々、ちょい大振りする癖があったからなぁ。逆に貂蝉はいくら化け物っちゅーても素手や。斬撃は躱すしかない。攻撃の当てにくい相手と長い間手ぇ合わせとったら、いくら馬鹿でも攻撃当てるための工夫を体が覚えるやろ?」
 
 なるほど。つーか、真名で呼ぶようになったんだな。
 
「おまけにあのキモさや。嫌でも攻撃の避け方も体が覚える。猪突なあいつにはぴったりの訓練法やろ」
 
 まあ、ちょっと貂蝉に酷い評価な気もしなくもないが、事実だし、同情はしない。
 
「ほぅら、行くわよ舞无ちゃん。愛のために!」
 
「応! 愛のために!!」
 
 ……あの掛け声、こういう経緯だったのか。
 
 だが、俺的には、今は舞无の訓練法よりも気になる事があるわけで。
 
「……………」
 
「……………」
 
 復活直後はそれぞれ心配したり安心したりしてくれた皆だが……今回の件で思う事が無かったと言えば嘘になるようだった。
 
 稟にはひっぱたかれたし、雛里には泣きじゃくられた(謝り倒した)。
 
 恋は俺の頭にポカッと拳骨を落としたし、舞无は何かごにょごにょ口籠もった後に「うるさい!」と怒鳴り付けてきた。
 
 星や風に至っては未だに複雑な距離を感じる。いかにも「私は怒ってます」的なシカトっぷりを続けているのだ。
 
 そして霞は……よくわからん。一見何とも思ってないように見えるのだが、態度が微妙にぎこちない気もする。
 
 だから、非番の霞がいる場所を訊いてここに来たのだが…………ええい!
 
「なあ」
 
 うだうだしてても始まらない。直に訊く事にする。
 
「怒って、無い……?」
 
 ちょっと恐る恐るな感じになってしまった。
 
「んー……? どうなんやろ」
 
 何だそりゃ。
 
 てか俺、怒られるかと思ってびくびくしてたくせに、これはこれで寂しいとか勝手な事思ってるな。
 
「ウチは、命より大事なもんがあるっちゅーんは、わかっとるつもりやからなぁ」
 
 そう言う霞は、本当に怒ってるわけではなさそう。ガシガシと頭を片手で軽くかきむしって、唇を3の形に尖らせている。
 
「それに、毒矢やったら仕方ない所もあるしなぁ」
 
 言って、また徳利に酒を注いで、一気に飲み干す。
 
「危ないとかアホや言うても、それでも結局人任せにせんで前に出る。皆、そんな一刀が好きなわけやしな」
 
「? ………恋と舞无の事か?」
 
 俺の返事に、霞は目を一瞬見開き、その後きっちり三秒ジト目で俺を睨んで、最後に目を伏せて肩をすくめてため息をつく。
 
 ……俺、そんなにおかしな事言ったか?
 
「ま、それは置いといて。一刀ももう王様なんやし、好きにやったらええと思うで? それについてくかどうかは周りが決めるこっちゃ」
 
「……肝に命じとくよ」
 
 若干、何かを思案するように言った、霞の不透明な言葉は、大切に受け取っておく。
 
「けど、それで死んだら元も子もないんやからな?」
 
 それはわかってる。わかってるけど………
 
「さっきと、言ってる事矛盾してないか?」
 
「将と王が違うゆう事くらい、ウチでもわかるわ」
 
 結局、霞の話もそこに行き着くわけか。まあ、事実なんだから甘んじて受けるしかないか。
 
「自分の立場、皆の気持ち、全部考えた上で好きにやり。それやったら、誰も文句なんか言わへんよ」
 
 バシバシと背中を叩く霞。これは、激励なんだろうか。
 
 何となく、話は終わり、みたいな空気が流れる。
 
「んじゃ俺、華佗に傷見せに行ってくるから」
 
「ほーい」
 
 包帯でぐるぐる巻きにして首から提げた左腕を少し持ち上げて見せてみたが、霞はこちらを見ずに街を見据えて片手をふりふり。
 
 霞とも話が一区切りついた事に気分を良くした俺は、スキップ気味にその場を立ち去る。
 
「………ウチは、どうするかなぁ」
 
 立ち去る背中に向けられたとも思えないほど小さな霞の呟きは、俺の耳には届かなかった。
 
 
 
 
「くぉ………っ!?」
 
「ほら稟ちゃん。トントンしましょーねー、トントン」
 
 押さえた掌から、鮮血が溢れてボタボタと床に滴れる。
 
 また、私の悪い癖だ。一刀殿と直接対している時は、強気な態度と軍師としての威厳で誤魔化しているが、こうやって一人で妄想に耽っている時の頻度は変わらない。
 
「………華佗殿は?」
 
「さあ? この間の戦で負傷者もたくさん出ましたから。街の方ではないかとー」
 
 いつものように手を貸してくれる風に、今の目的の人物の居場所を訊ねる。
 
 旅の医師らしい華佗殿は、まだ一刀殿を含めた怪我人が多いという理由で洛陽に留まっている。
 
 化け物を連れていたり、突然奇声を発したりするらしいが、毒に冒された一刀殿のあの回復。大陸一の医師という噂は嘘ではない、と思う。
 
 そして、大陸を渡り歩いている以上、この先また会える保証はない。
 
「おや、稟ちゃん。華佗さんに惚れたのですかー?」
 
「あれは中々危険な香りがするぜ? 姉ちゃん」
 
「風ぅぅ………」
 
 色々とわかっているくせにつまらない事を言いだす風と宝慧。
 
 かざした握り拳をふるふると怒りで揺らすが、風は別段怯えた様子もない。忌々しい。
 
 大陸一の医師。つまり、あれをあーしてこーして、そうすれば………
 
「ぶぅーーっ!」
 
 不覚。鼻から噴き出した鮮血が、宙で綺麗に弧を描いていた。
 
 
 
 
「………で、何だこの格好は?」
 
「嫌?」
 
 怪我の具合を華佗に見てもらいたくて(そろそろ大丈夫的な事を言ってもらいたくて)探していたが、どうやら城にはいない様子。
 
 華佗を探すという大義名分を掲げて、久しぶりの街に繰り出そうと決めた俺。
 
「いや、いつもより動きやすいからそこはいいのだが……」
 
 そして、気まぐれに思いついた妙案。
 
「じゃ、無問題って事で」
 
「貴様の意図を訊いておるのだ! 貴様の意図を!」
 
 平たく言うと、with協君。
 
「意図も何も、普段のままの格好だと目立ってしょうがないでしょうが」
 
「そういう問題でもない!」
 
 今の協君は、普段のあのひらひらした高そうな服ではなく、どこにでもありそうな白い上着と青い脚衣を着ている。
 
 前から連れ出したかったけど、何皇后が皇族に対する対応にやたら警戒的だったからなぁ。
 
「いや、そういう問題ですよ。“私庶民ですけど何か?”みたいな顔してたら案外どうとでもなりますから」
 
 何ていうか、皇帝とかの高貴な存在は凡人が見ると光で目が潰れるとか、そういう風習も素でありそうだし。やっぱり正体は隠すべきだろう。
 
「そ、そういうもの……なのか?」
 
 箱入りお坊ちゃんめ。やっぱりいくら頭良くても経験がないから、こっちが自信満々にしてたら“それが正しい”ように感じてしまうのだろう。
 
「それに、街に出てみたいでしょう?」
 
「余が……街に出て良いのか? というより、貴様は街に出て良いのか?」
 
 う………痛い所に気付かれた。誤魔化そ。
 
「その“余”とか、言葉遣いも何とかしてくださいね。怪しまれますから」
 
「な、何……?」
 
 実を言うと、城の中で“余”も微妙に間違いなんだよな。今は皇帝なんだから、“朕”が正しい。
 
 まあ、まだ馴れないんだろうし、俺としてはどっちでもいいんだけど。
 
「んじゃ、これから街で過ごす時は俺も敬語使わないから、よろしく」
 
「なっ、貴様さっきから強引に話を進めていないか?」
 
「う〜ん、よし。これから街では“阿斗”って呼ぶから」
 
「聞けーーー!!」
 
 
 言われた通り、強引な流れで、俺は協君を街に連れて行く。
 
 
 
 
(あとがき)
 昨日は別作を更新していましたのでお休みでした。
 拠点パートがあまり長くなるようなら、幕名変えて分けた方が無難かも知れない。
 
 



[12267] 五章・『日輪』
Name: 水虫◆70917372 ID:ee60a56e
Date: 2009/12/05 18:17
 
「どう?」
 
「人が……いっぱいおる……じゃない。いる」
 
 横を、俺の腹くらいの背丈しかない協君がてくてくと歩きながら、まんまな感想を言う。
 
 雛里も言ってたけど、自分より明らかに背が高い人間がたくさんいるってだけで戸惑うものらしい。まして、協君は今までずっと皇族としての生活をしてきたのだから、なおさらだろう。
 
 生憎、俺は自分がこれくらい小さかった時に人混みに紛れた感想まで覚えていないが。
 
「一刀、この姿……やはり何かおかしいのか? 見られてお……いるぞ」
 
「あー……それは多分“これ”だよ」
 
 不安げに言う協君に、首に提げた左腕を揺らして見せる。元々俺の方は顔が割れてるし、この腕じゃ余計に目立つ。
 
「貴様が目立っては意味がなかろうが!」
 
「阿斗、喋り方。仕方ないだろ? 他にこんな事やらかしそうな奴いないし。それに、これでも警備隊長だったんだから護衛くらい出来るよ」
 
「“やらかす”て……。大体、貴様が護衛が出来るというのは平時の話であろ……だよね。今の貴様ではひったくりにすら負けそうだ」
 
 何か、言葉遣いのたどたどしい努力が微笑ましい。
 
「大丈夫。いざとなったら華蝶仮面が助けてくれるから」
 
「まことか!? 一度見てみたかったのだ!」
 
「言葉遣い言葉遣い」
 
 普段から子供らしくない協君だけど、今は明らかにはしゃいでるのがわかる。やっぱり、連れ出してよかったなぁ。
 
 物珍しそうにキョロキョロとしている協君を連れ歩く中で、段々華佗を探すのはついでみたいになってきていた。
 
 
 
 
「鼻血、か……?」
 
「ええ」
 
 予想外に簡単に華佗殿は見つかった。今は、負傷者を診て回る途中の食休みの茶屋にいる。
 
 何といっても、華佗殿の横に付いて回っていた卑弥呼が……目立ちすぎる。
 
「鼻血の頻度は?」
 
「事あるごとにー」
 
 風……何であなたまでいるのよ?
 
「事……よくぶつけるとかそういう話か?」
 
「いえいえー、そうではなく、妄そむっ!?」
 
 勝手に好き放題喋る風の口を塞ぐ。それにしても、雛里に全部押しつけて来たのだろうか。
 
「鼻腔は血の巡りが特別良いからな。ちょっとした事で出血したりするから………」
 
「……………」
 
 やはり、無理なのだろうか。
 
 と、思った矢先、
 
「はああああああっ!」
 
「ひっ……!」
 
 突然華佗殿が咆哮を上げて、その碧眼が妖しげな光を放つ。
 
『…………………』
 
 そのまま、茶屋の中全ての空気が凍り付いたように、数秒とも数分ともつかない、沈黙。
 
 一点の曇りもなく凝視されている私としてはかなり怖いのだけど、華佗殿の目は非常に真剣だ。……それがなおさら怖いのだけど。
 
「………どうやら、病魔の類ではないようだな」
 
 そして、沈黙を経た華佗殿の第一声が、これ。
 
 喜ぶべきか、残念に思うべきかわからない。
 
 特定の病気なら、治療で治った可能性もあったのかも知れない。
 
「すぐ血が出るって言うなら、郭嘉は見た目によらず少し血の気が多すぎるのかも知れないな」
 
「そう……ですか」
 
 無念、だ。そんな事がわかった所で、この鼻血が治るわけじゃない。
 
 ポンポンと肩を叩いてくれる風の慰めが、逆に切ない。しかし、それはある意味で杞憂だった。
 
「まずは日頃の食生活からこつこつ改善していくしかないだろうな。それに、心の方にも原因があるかも知れない」
 
 さすが大陸一と名高い名医。しっかりと対処法はあるらしかった。それにしても………
 
「心?」
 
「そっちは、俺よりも貂蝉の方が詳しいかも知れないな。何しろあいつは恋の病も治せるらしいから」
 
「………考えておきます」
 
 貂蝉は頼りになるんだかならないんだかわからないので、話半分に聞いておく。
 
「それから程立、ここが鼻血を止めるツボだ。鼻血が出たら押してやるといい」
 
「おー、ここを押せば稟ちゃんの頑固な鼻血が治ると?」
 
「治るかは本人次第だが、出た鼻血はそれで止まるはずだぜ」
 
「さすがはだぁりん、儂が見込んだいいオノコよ!」
 
 モジモジと悶える卑弥呼が気持ち悪い。何故華佗殿はあんなのを連れ歩いているのか理解に苦しむ。
 
「(恋の病、か……)」
 
 主君として仕える男への、不鮮明な思慕を思って、私は窓の外から見える青空を、遠く見つめた。
 
 
 
 
「おに、ごっこ~~?」
 
「そうそう。鬼から逃げて、触られたら交代するんだ」
 
 街中、その中でも人通りの少ない一画に設けられた広場に、子供たちが集まっていた。
 
「……何故、人間に触れたら鬼が人に戻るのだ?」
 
「あー……いや、鬼って言うのは仮称なんだ。鬼役の子がずっと追い掛けるんじゃ可哀想だろ?」
 
 そこに、俺と協君もいる。流れというか何というか、街中うろついてたら子供たちが寄って来てしまったのだからしょうがない。
 
 けど、確かに変だよな。触ったら鬼じゃなくなるってルール。
 
 氷鬼とか助け鬼とか、変わらないのもあるけど。
 
「鬼に触られたら鬼になっちゃうから、皆は頑張って逃げるように。けど、広場から出ちゃダメだからなー」
 
『はーい!』
 
 元気一杯に返事する子供たちの中、戸惑うように沈黙する子供が一人。
 
 城の文官の子供、という事になってる阿斗こと協君である。
 
「ほら、阿斗も早く逃げる」
 
「う……うむ」
 
 もう、鬼の子は十数え始めている。ハッとしたように駆け出す協君。
 
「(すぐに馴れる)」
 
 何から何まで初めて尽くしで戸惑ってるだけ。逃げるのに夢中になってるうちに、きっと楽しくなる。
 
 ちなみに俺は病み上がりだし、保護者丸出しの監督として座っている。
 
「ほい、これを頭に巻く」
 
「おー、カッコいい!」
 
 数え終わった女の子の頭に、渡し忘れていたハチマキを巻く。
 
 何がカッコいいのかよくわからんが、無邪気にきゃっきゃと喜ぶ姿には癒される。
 
「“タッチ”したらハチマキを次の鬼に渡すんだぞー。目印なんだから」
 
「えぇー……!」
 
 よほど気に入ったのか、飛び出した女の子はハチマキを押さえて不満を体全体で表現する。
 
 しかし、人間役の子たちに挑発されて、再び勢いよく飛び出した。
 
「………………」
 
 それからしばらく、のんびりと子供たちが遊び回るのを眺める。
 
 怪我したり、喧嘩になったりする前に注意するのが保護者の仕事だろう。
 
 ………………
 
 そんなこんなで、子供たち(特に協君)の微笑ましい姿をぼんやりと眺めている内に、ウトウトと舟を漕ぎだす俺。
 
「ッ……!?」
 
 ……の頭が、後ろから軽く叩かれた。
 
「怪我人が、こんな所で何をしているのですか?」
 
 振り向けばそこに、風・稟・華佗(+化け物)。
 
「ああ、華佗を探して……」
「広場で居眠りですかー?」
 
 風の鋭い指摘が飛ぶ。そういえば、風はまだ怒らせたままだった。
 
 って言うか、何でこの四人がこんな所に?
 
「やれやれ。いくら俺みたいな医者が居たって、結局怪我や病気は本人の気構え一つなんだぜ?」
 
 稟や風の怒り気味な態度も、華佗の意外に小さなリアクションで萎む。
 
 やっぱり、俺はそこまで無茶な事してたわけでもないらしい。
 
「……あんな戦の後だしさ。やっぱり街の様子とかも気になるから」
 
 左腕の包帯を丁寧に外していく華佗におとなしく任せながら、稟と風には一応の弁解をしておく。
 
「こうやって民の皆や子供たちと接するのだって、大切な仕事だろ?」
 
「その仕事を休めと言っているんですよ………」
 
 俺の言葉に、稟は呆れたように額を押さえて右隣に座る。
 
「よいしょ」
 
 そして、風は俺の膝の上に座った。もう、怒ってないのだろうか?
 
「色々と、諦めたのですよ」
 
「……ごめんなさい」
 
 俺の謝罪に風は応えず、俺の太ももをつねる。痛い。
 
「結構前に、夢を見たのですよ」
 
「………夢?」
 
 突然何を言いだすのか、俺の視界は風の淡い金髪しか映っていないから、風の表情は見えない。
 
 まあ、表情が見えたからって風が何考えてるのかわかるとも思えんけど。
 
「大きな日輪を、風が支えて立つ夢なのです」
 
 日輪……太陽か。
 
 何となく真剣な気配を感じて、俺も皆も口を閉ざす。
 
「強くて、暖かくて、この大陸の隅々にまで命を届ける優しい光。……そんな日輪」
 
 風が、何を伝えたいのかわからない。何かを伝えたいというのはわかる。
 
 もしかして……
 
「……その太陽が、俺だって事か?」
 
「まさかー」
 
 これまでの経緯から、風が俺を主君と認めて評価してくれた、とかの話だと思ったが、違ったらしい。何か勘違い野郎みたいですごく恥ずかしい気分になった。
 
 同時に、風の口調が少し悪戯っぽいものに変わる。
 
「日輪と言うなら、劉備さんや曹操さんの事でしょう」
 
 軽い感じはそのままに、風はハキハキと続ける。
 
「夢のように、日輪を支えたい。と、そう思っていました」
 
 その言葉に一瞬ギクッとした俺の動きは、膝の上の風には完璧に伝わり、風は楽しそうに少し笑う。
 
「お兄さんは、雲ですねー」
 
「………雲?」
 
 風の俺に対する評価に、当の俺は首を傾げる。右隣では、何故か稟が「ああ……」と得心したように頷いていた。
 
「決まった形も、掴み所もなく、空に広がり浮かぶ雲なのです」
 
 ぴょんっ、と逃げるように、風は突然俺の膝から下りる。
 
「日輪だけでは、この世の全ては渇いてしまうのですよ」
 
 風は背を向けたまま、そう言った。
 
 
 
 
「はあっ……はあっ……疲れた」
 
「おかえり」
 
 思う存分遊んできたらしい協君が、汗だくな……でも満足そうな笑顔で戻ってくる。
 
 協君の格好が格好だからか、今の今まで気付いてなかったらしい風と稟が固まる。
 
「こんなふうに同い年の子供と遊ぶのは初めてだ。皆元気が有り余っているな!」
 
「阿斗は体力ないなぁ。皆まだまだ走り回ってるじゃん」
 
「む……そ、それは違うぞ! 偶然何回も私が狙われたから疲れただけで、別に体力が無いわけではない!」
 
 少し砕けた口調で、協君はよく喋る。前代未聞かも知れないけど、風も稟も、この笑顔を見て反対はしないだろう。
 
 そんな確信がある。
 
「ほら、皆一度集まれー! 今度は『だるまさんが転んだ』をやろう。このお姉ちゃん達が一緒に遊んでくれるからなー」
 
「「え゛………?」」
 
 だからそのまま、なし崩し的に遊びに巻き込んでやった。
 
 
 
 
「おぬしがこの外史の起点だと、貂蝉からは聞いておるわ」
 
「……やっぱりお前も、“あいつら”と同類か」
 
 俺は怪我人、そして皆が怖がると理由で見学してるもう一人……卑弥呼。
 
 “そういう確信”はあった。まあ、貂蝉の師匠なら左慈たちの味方って事は無いんだろうけど。
 
「そんな事は良いではないか。とうにそのあたりの事情は納得済みなのだろう?」
 
「お前が訊いてきたんだろうが」
 
 大体、納得済みって言われると、少し自信が無い。
 
 前の世界と、この世界は別。二度と戻らないのなら、せめて前の世界の皆の気持ちを抱えて、この世界で生きていく。
 
 散々悩んで出した結論が、それだった。だけど……
 
『同じよん』
 
「……………」
 
 貂蝉に話を聞かされて、どこか引っ掛かっているのも確かだ。
 
 ……なるべく、考えないようにしてたけど。
 
「認めるも認めないも無い。現実として今ここにある、それが全てだ」
 
 その卑弥呼の言葉、前の世界での貂蝉の言葉、今の俺には、よくわかる。
 
 今の俺は、“ここ”を、新しい居場所だと感じるようになっていたから。
 
 
 



[12267] 六章・『剣に宿る』
Name: 水虫◆70917372 ID:ee60a56e
Date: 2009/12/07 06:40
 
 稟、風、協君、華佗、卑弥呼、あのまま子供たちが満足するまで遊んで、皆で晩飯を食って帰ってきた。
 
 稟と風は放置してた仕事をしに行き、俺もそろそろ復帰しようと思い、一度薬を取りに自室に戻る。その時の事だった。
 
「ん……?」
 
 足下に、一枚の手紙を発見する。ここは俺の部屋であり、ちゃんと鍵は閉めて出た。一目で、扉の下の隙間から滑り込ませたとわかる。
 
 要するに、落とし物とかじゃなくて、確実に俺宛て。拾って確認する、やっぱり俺宛てだ。
 
「どれどれ……」
 
 微妙にドキドキワクワクする感覚に身を任せ、中身を読んでみる。
 
 貴重な紙でわざわざ伝えるほどだから、よっぽど重要な用件に違いない。
 
 そして、真っ先に文末の差出人の名前を確認して、意外な名前に俺は少し目を見開いた。
 
「………霞?」
 
 
 
 
「あ、一刀〜? 意外に早かったな〜♪」
 
「霞の方が先に来てるじゃん。待った?」
 
「待ってへんよ。一人静かに呑っとったから」
 
 手紙の内容を、要約するとこうなる。
 
 月が真上に浮かぶ刻、いつかの酒盛りの場所に、一人で来られたし。
 
 いつかの酒盛りの場所って言うのは、俺が都の警備隊長に任命されてすぐくらいの頃に、一度俺と霞がのんびりと酒を飲んだ場所……まあ、ここの事だ。
 
 森の奥の、小川の流れる綺麗な場所。虫や動物も不思議と静かな、いい場所だった。
 
「何だ、酒盛りだったのか」
 
 別に、霞から酒の誘いが来る事自体が意外だったわけじゃない。
 
 元々、董卓軍には静かに酒を楽しもう、なんてタイプはいないし、多分星より俺の方が霞と仲も良い。
 
 意外だったのは、霞がわざわざ紙の手紙で、しかも明確な用件も書かずに呼び出した事だ。
 
 むしろ瓢箪片手に強引に肩を組んで、「一刀ー! 今から呑み行こー!」とかの方がしっくりくる。
 
 昼間にそれなりに大事な話をした事もあり、何かもっと重要な用事かと思った。
 
 だから、スベスベの冷たい岩の上に座って気分良さそうに酒を呑む霞の姿に、ちょっと肩透かしを食らった気分。
 
 しかし、霞から返る言葉は、さらに俺を混乱させる。
 
「んー……、酒盛りとちゃうな。一刀は酒弱いし、呑んでもらったら困るわ」
 
「はぁ……?」
 
 呼んどいて呑まずに見てろと? などと理不尽に思う前に、呆気に取られる。
 
 元々、一人で呑むのが好きなのはどちらかと言えば星の方。霞はむしろ人にどんどん呑ませたがるタイプだ。
 
 わざわざ呼び出しといて呑むな、なんて……驚天動地だ。
 
 いい加減、霞の言動に違和感を感じて、俺は今まで勘違いしていた場の空気を理解する。
 
 霞が呑気に酒盛りしてたから誤解してたけど……
 
「……あんな、一刀」
 
 霞は、やっぱり大切な話があって、俺をここに呼び出したんだ。
 
「昼間の話、憶えとるか?」
 
「………当たり前だろ」
 
 切り出しは、大体予想通り。
 
「『好きにやったらええ。それについてくるか決めるんは周り』、か……」
 
 また、あの時と同じ。妙に不透明に、霞は自分自身が言った言葉をなぞる。
 
「……………」
 
「……………」
 
 そこまで言って、霞は口を閉ざす。俺も言及はせず、耳に痛いくらいの沈黙が場を支配する。
 
 霞は、何かを迷ってる。それだけは間違いない。
 
「……………」
 
 沈黙に堪えかねたように、また霞は口を開く。
 
「連合との戦いが終わってから、ずっと考えててんけど、な……………」
 
 まだ上手く整理出来ていなかったのか、そこまで言って、霞はまた押し黙り、
 
「………一刀、剣、ちゃんと持ってきとるな」
 
「………は?」
 
 いきなり、全然関連性が無い方向に話が飛んだ。
 
「いや、そりゃ一応持ってるけ……」
 
 別に霞は疑問系で訊いたわけでもないのに、そう応えようとした俺の言葉は、強制的に切られた。
 
「ッ……!?」
 
 遅すぎる反応。白刃が閃き、俺が跳び退くと同時に、左腕を提げていた布が切れ、落ちる。
 
 それが、霞の偃月刀による斬撃だと、一瞬遅れて思考が追い付く。
 
「ッ……霞、いきなり何を……」
「構え。一刀」
 
 岩の上に座ったまま偃月刀を振るった霞は、瓢箪を置いて腰を上げ、びゅんびゅんと片手で偃月刀を振り回す。
 
 眼が、マジだ。
 
「ちょっ! 霞いきなり何!? 鍛練か? まだ俺左腕……」
「鍛練でも勝負でもない。けど、ウチにはどうしても必要な事や」
 
 有無を言わさず俺の抗弁を遮って、刃先を俺に向けて突き付ける。
 
 わけがわからん。何でいかなり……しかも鍛練でも勝負でもないって事は、まさか本気で俺を?
 
「……構えんのやったら、ウチはこの陣営を抜ける」
 
「はあっ!?」
 
 俺が構えなかったら、陣営を抜ける。なら、殺すつもりは無い? 霞が何考えてんのか全っ然わからんまま棒立ちになっていると、霞は失望したように刃先を下げ………
 
「ああもうっ!」
 
 その光景に確信にも似た強迫観念を覚えて、俺は半ばやけくそ気味に剣を抜き放つ。
 
 月明かりを受けて青白く光る刀身。連合との戦いの中で夏侯恩から奪った、『青紅の剣』だ。
 
「よっしゃ! そうやないとあかんわっ!」
 
 俺が剣を抜いたのを見て、霞は心底嬉しそうに、獰猛に笑う。
 
 何を考えてるのかわからない。俺に刃を向けてくる。そして、戦いに酔ったように笑う。
 
 正直、今の霞は……怖かった。でも……
 
「必要、なんだな……?」
 
 今の霞は、ひどく不安定で、どこか切羽詰まったように見えた。
 
「……付き合わせて、悪いな」
 
 一瞬、本当に申し訳なさそうにそう告げた霞は、次の瞬間には眼を光らせて俺を見据えていた。
 
「はあっ!」
 
 先手必勝のつもりで踏み込み、俺は片手で青紅の剣を奔らせる。
 
「遅い!」
 
 しかし、間合いの違いもあり、後から振った霞の偃月刀の方が疾い。
 
 慌てて剣を盾にして斬撃を流すが……バランスが変な風に崩れた。
 
 すかさず放たれる霞の二撃目を、バックステップで跳び退いて躱す。
 
 バランス感覚がおかしくなって当然。剣道部はもちろん、爺ちゃんの道場の剣術も、こっちの世界に来てから見よう見まねで“剣に合わせた剣術”も、全部剣を両手で握る。
 
 大体、最近はそれなりに鍛えてるって言ったって、真剣を片手で持つのは重い。
 
 何より………
 
「くぅ……っ!!」
 
「どないした一刀! 逃げてばっかりやないか!?」
 
 追い打ちのように振るわれた偃月刀を受けた、その剣を握る手にガァンと重い衝撃が響く。
 
 片手で霞の攻撃止めるのは、キツい!
 
「無茶苦茶……言うなよっ!」
 
 その刃先を滑らせるように払いのけて、霞の間合いの内側に潜り込み、そのまま右上からの袈裟斬りを………
 
「むっ……!」
 
 あっさりと柄で止められ、る?
 
「げ………」
 
 止められたのは事実。しかし、斬撃を止めた柄に、俺の剣の刃が中程まで食い込んでいた。
 
「ッ……!」
 
 それに驚いたのか、霞は後ろに三足跳ねて距離を取る。拍子に刃は偃月刀の柄から抜けた。
 
 ………おいおい。俺、片手で振ったぞ? それなのに……なんて切れ味。
 
 流石、“鉄を泥みたいに切る”って言われる『青紅の剣』。ただの比喩みたいなもんだと思ってた。
 
「気ぃ抜くんは、早いでぇ!」
 
「うわっ!?」
 
 せっかく懐に入ったのに、また霞の一方的攻勢になる。
 
 間合いも速さも相手が上、俺は攻撃が届く距離に入る事も出来ずに、防戦一方で追い込まれて………
 
「うっ!?」
 
 俺は必死で逃げ回っているうちに周りの状況を見失ったのか、後ろに広がる小川の浅瀬に片足がバチャッと浸かる。
 
 霞は、止まらない。逃げられない。
 
 気付けば俺は、
 
「っああああ!!」
 
 痛む左腕を無理に動かして、両手で剣を振り下ろしていた。
 
「っは!」
 
 そして、一秒あるかないかという時間を経て、
 
 キィン……と、予想外に軽くて鋭い音がして、俺の剣は宙を舞い……
 
「はあっ……はあっ……はあっ………」
 
 俺は小川の浅瀬に大の字に倒れ、肩膝を着くような体制で俺を見下ろす霞に、顔の横に偃月刀の刃を突き立てられていた。
 
 そのままの体制で、俺たちは数秒固まり……
 
「ふぅ………」
 
 妙に満足そうに一息ついた霞によって、再起動を果たす。
 
 霞は無造作に立ち上がってフラフラと何歩か後ろに下がって、腰を下ろし、仰向けに寝転がった。
 
「………満足?」
 
 俺も、その横に腰を下ろす。本当は俺も寝転がりたい所だけど、背中がびしょびしょだ。当然尻も濡れてるけど、我慢する。
 
「……ウチは、元々月に仕えとった」
 
 どこかスッキリした顔で、霞は今度は迷いなく話し始めた。俺としても、絶対説明はしてもらうつもりだったから、丁度いい。
 
「けど、槍を預ける……とかとはちゃうかってんよ。都に来た月と仲良うなって、いつの間にか一緒におるようなっとった。今の一刀と同しや」
 
 ポツポツと語る霞の言葉は……
 
「流されて流されて、それが今のウチの状態や。このままでええんかなー、って、悩んどってん」
 
 自分自身に対する、悩み。普段からおちゃらけて見せてる霞の、内心の迷い。
 
 それに今まで全く気付かなかったという事実が、少し悔しい。
 
「居心地はええし、皆の事は好きや。……けど、情や成り行きで預けられるほど、ウチの槍は軽かったんか? そんな気持ちが胸の奥につかえとったんよ」
 
 俺も霞も、互いを見てはいない。ただ、夜空に浮かぶ月を仰ぐ。
 
「このまま一刀の臣下になってええんか、いくら考えても、解は出ぇへんかった。そんで………」
 
「……剣、か?」
 
 引き継ぐように訊いて、横目だけで霞を見ると、コクリと頷く。
 
「剣には心が宿るんよ。交えた刃から、言葉以上に色んなモノが伝わってくる」
 
 そう語る霞の横顔は、見た事ないくらいに穏やかで、何となくバツが悪くなった俺は、また月に視線を戻す。
 
「ウチが戦う理由はそれや。強いヤツと戦いたい。やるかやられるか、ギリギリの状態をいつも味わっていたい。そうすれば伝わるモノが大きいし、何より………」
 
 霞はそこで一度切って、
 
「生きていることを、実感できる」
 
 誇るように、そう言った。
 
「…………」
 
 前の世界も合わせて、初めて知った。霞の“大切なモノ”。
 
「せやから、ウチが何よりも信じられる方法で、理解したかったんや。一刀のことを」
 
 そっと、座っている俺の、少し包帯に血が滲む左腕に、霞の指が触れる。
 
「ホンマごめんな。これ以上、何のかんの理由つけて先延ばしにするん……どうしても嫌やったんよ」
 
 今まで話して、そして実践したのは、全部霞の都合だ。その事に、胸を痛めているんだろう。
 
 けど、俺にはそんな事よりも重要な事があった。
 
「それでその、俺は……合格?」
 
 変な言い方かも知れないが、これが一番適格な表現だと思う。
 
 俺は霞みたいに強くないから、剣を交えた霞の気持ちはわからない。
 
 不安混じりの俺の問いに……
 
「んー………秘密や♪」
 
 霞は、こっちを見て、いつも通りの楽しそうな笑顔で、そう言った。
 
「……さっき霞、臣下って言ったけど」
 
 剣じゃないけど、心を通わせるために、言葉以上に大切なものがあるって言うのは………
 
「臣下である前に、仲間だろ?」
 
 よくわかる、気がした。
 
 
 
 
(あとがき)
 いつも、本作を読んで頂き、ありがとうございます。またギリギリ。
 
 



[12267] 七章・『蝶は彷徨いて』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/08 06:12
 
 少し時を、遡る。
 
 
「……………」
 
 正当だと感じる、理由はある。
 
 いくら毒を受けたとはいえ、君主がむざむざ倒れるような事はあってはならない。
 
 桃香殿が上手くやってくれたとはいえ、一つ間違えれば混乱した軍が壊滅的な被害を受ける可能性もあった。
 
 それを………
 
『ほらっ、全然平気! 色々とありがとう』
 
「……………」
 
 へらへらと笑う一刀の顔を思い出して、またムカッ腹が立つ。本人は心配させまいとしたつもりだったのだろうが、もう少し………
 
「(いや、それはまだいい……)」
 
 もう皆から散々叱咤されているようだし、自分でも少ししつこいと思わないでもない。
 
 大体、話も聞かずに子供のように無視し続けるなど、少し大人気な……
 
「「あ…………」」
 
 などと考えていたら、廊下の角で、考えを巡らせていた人物……一刀とばったりと鉢合わせて……
 
「お、おはよう。せ……」
 
 ほとんど反射的に、ぎこちなく挨拶しようとした一刀の横を、顔を背けて早足で“逃げてしまった”。
 
「(ああ、もうっ!)」
 
 またやってしまった。
 
 単に一刀の愚行を諫めるだけなら、一喝怒鳴り付けた後、ネチネチと一晩説教して、その後いつも通りに振る舞えばいい。
 
 常の私なら絶対そうしているはずだし、今だって頭ではそうするのが一番だとわかっている。
 
 それが国のためにも、私の精神衛生上の問題的にも一番だと、わかっているのに………
 
 
『毒血を抜くのはなるべく早い方がいい。北郷殿が目覚めるのを待たずに、このまま昏睡状態になってもらおうと思うんだけど……』
 
『むっ、そういう事ならば致し方あるまい。儂がこの可憐な唇で……』
 
『卑弥呼ぉ。いくら貴方でも、ご主人様への抜け駆けは許せないわよん』
 
『何を言う。うぬこそ我がだぁりんに色目を使っていたではないか』
 
『ご主人様は卑弥呼の顔も知らないのよん。いくらご主人様がイイ男だからって、漢女がそんな事していいの?』
 
『ふっ、面白い。貴様が儂に漢女道を説くか。ならば、互いを語るに言葉は必要あるまい』
 
『悲しいけれど仕方ないのね。これも一重に、愛のため!』
 
『全ては愛しいオノコのために!』
 
『貴様ら待てーーーーい!!』
 
 
「……………あぁ」
 
 あの状況では、仕方ない事だった。武人の情けというやつだ。
 
 実際、“そういう事”とは何の関係もない、極めて真剣な問題であり、意識する事自体がおかしいのだが……
 
「あぁ〜〜〜っ!!」
 
 実際に相対すると、どうしても顔が見られない。そのくせ目の焦点は不自然にやつの唇に合ってしまうから始末が悪い。
 
「(どうしよう………)」
 
 このままでは、説教どころか顔を合わす事すら出来な……
 
「……………」
 
「……………」
 
 突然の出来事に、私は石のように固まる。
 
「どしたんですか、星ちゃん?」
 
「ふぇえっ!?」
 
 風が、目の前で私を見上げていた。
 
「い、いつからそこにいた!?」
 
「星ちゃんが悩ましげにため息をついてたあたりから、ですかねー?」
 
 こんな廊下の真ん中で、どうやって私に気付かれずに!?
 
「風はこう見えて一流……というより、星ちゃんがぼーっとしすぎなのです」
 
「……大きなお世話だ」
 
 物凄く見られたくない所を見つかった気恥ずかしさで、さっさと風に背を向ける。
 
 どちらかと言えば私も人で遊ぶ性格だと自覚しているが、風には敵わない。その風にこんな状態で捕まるわけには……
 
「すとっぷ」
 
「あうっ……!」
 
 立ち去ろうと歩きだす寸前で、私の首が、カクッと後ろに強制的に傾けられる。
 
 風が、私の後頭の部分長髪をしっかり掴んで引っ張ったのだ。地味に痛い。
 
「星ちゃんは、少し耐性が足りないと風は思うのですよ」
 
「………耐性?」
 
 そこはかとなく嫌な予感を感じながらも、私は部分長髪を引っ張られて風に連れられて行く。
 
 
 後日。
 
「……風、あなた私の部屋に入った?」
 
「まさかー。風が稟ちゃん秘蔵のブツを漁ったとでも言うのですかー」
 
「………入ったのね?」
 
「何となく、面白い事になりそうだったのでー」
 
「風ぅぅ………!!」
 
「おや、何やら身の危険が……これにて失礼するですよー♪」
 
「待てーーー!!」
 
 
 
 
「……………」
 
 風に連れられて訪れたのは稟の部屋で、何故か途中で出会った雛里も引っ張り込まれた。
 
 そして、寝台の下から風が持ち出したのは、稟秘蔵の艶本。
 
 そこで私は、風の言っていた“耐性”の意味を理解し、「私は恋愛の達人だ」とか、「一晩に五十人を相手にした事もある」とか言って抗弁した。
 
 ………嘘だが。
 
「(女は、秘密を纏って美しく魅せるもの)」
 
 だから、少し見栄を張るくらいは許されるだろう。……それより、風があんな物を持ち出したという事実の方が問題だ。
 
 要するに、この不名誉な心理状態を見抜かれてしまっている。少なくとも感付かれているという事だ。
 
「(いや、それもこの際どうでもいい)」
 
 それより何より一番問題なのは、結局皆して見る事になった艶本を見て………
 
『………にが』
 
『天地神明に誓って。何なら命だって賭けていい』
 
『そう。なら、俺を信じて』
 
『は……ならば、私にも教えてくだされ。主達の言う、抱く、という事を』
 
 私の脳裏をよぎった、情景だ。
 
(かぁああああ)
 
 あんな、鮮明に……。実は私は、鼻血が出ないだけで、稟より遥かに強い妄想癖があるのではないだろうか。
 
 認めたくない可能性が頭にこびりつく。話し方も何か不自然だった、妙な性癖もあるのかも、とそこまで考えて、またうなだれる。
 
 自分に振り回されるなど、未熟者のする事だ。
 
「……………」
 
 そうして今日一日悶々としていた私は今、城内の庭園。建物の外回りを一人で歩いている。一つの目的を持って。
 
 夜空には月が浮かび、また熱くなっていた顔に、冷たい夜風が気持ちいい。
 
「さすがに、もう寝ているか」
 
 結局風の提案で耐性などつかなかった……どころか、悪化した。これでは、時間が解決してくれるのにどれだけ時間がかかるかわかったものじゃない。
 
 結論として私が出した解は……
 
「(寝顔を見て、慣れる)」
 
 というものだ。一刀さえ寝ていれば、私が少々取り乱したところで逃げる必要もないし、ジッと見ていて文句を言われる事も無い。
 
「(そー……っと)」
 
 一刀の私室から明かりが消えているのを確認して、窓を静かに開ける。
 
「(鍵も閉めていない。私が暗殺者だったなら、確実に命を取られている所だ)」
 
 閉まっていて困るのは自分なのに、私は理不尽にそう憤った。
 
 静かに窓枠から降り立って、すぐに異変に気付く。
 
「(……いない)」
 
 月明かりが差し込んでいなくてもすぐにわかった。人の気配が無い。就寝で明かりが消えていたのではなく、誰もいないから明かりがつけられていなかっただけらしい。
 
「(こんな時間に、どこへ……?)」
 
 ここに来る途中に執務室の窓も見たが、明かりは消えていた。勝手に仕事に復帰して、それが長引いているわけでもない。
 
「全く、あやつはいつもいつも………」
 
 怪我人があちこちうろちょろと。人の気も知らないで好き勝手に。
 
「はあ……っ!」
 
 何だか、あんな男の事で右往左往している自分が馬鹿馬鹿しくなって、下駄をすっぽ抜かせて寝台にドサッと仰向けに横たわる。
 
「(本当に、何をやっているのだ。私は……)」
 
 何とも言えない空虚な気持ちに、ごろんと寝返りをうつ。
 
 そこで、僅かに、何かが、鼻腔をくすぐった。
 
「あ………」
 
 そこまでやって、ようやく私は、今さらのように一つの事実を思い出した。
 
 ここは一刀の部屋で、“一刀はこの寝台で毎日寝起きしている”。
 
(ボンッ!)
 
「あぅ………」
 
 気付き、慌てて、顔に血が逆流して、それでも私は起き上がらなかった。
 
「……………」
 
 誰も見ていない、というのが、この場合よくなかったのだろう。
 
 私は布団を握りしめて、目を閉じる。まるで“他の感覚”に集中するかのように。
 
「……………」
 
 いつしか私は、ここがどこで、いずれ一人の男が戻ってくるという事も忘れ………その意識を心地良い安らぎの中に手放していた。
 
 
 
 
「……い」
 
 ……むぅ?
 
「星」
 
 頬を、ぴしぴしと何かが叩く。それが手の甲である事に気付くのに、大した時間はかからなかった。
 
「まだ……寝るぅ……」
 
 自分のふにゃけた声が耳に届いて、そこで私は、何か大切な事実を思い出す。それは、“現状”。
 
「ッ!?」
 
 弾かれたように目を開くと、そこには寝台に腰掛けて私の頬に触れる……一刀。
 
「わーーーーッ!!」
 
「ぶわっ!?」
 
 思わず、何故か抱き締めていた枕をその顔に投げつける。
 
「(えっと、私は……一刀の部屋に忍び込んで、留守で、それから……)」
 
 高速で意識を失う前の事を思い出す。いや、私が高速なつもりなだけだったのかも知れない。
 
 一刀が、黙って私が投げた枕を持って待っていたから。
 
「……心配、かけたね」
 
 一刀の指が、そっと私の目尻の涙を拭く。…………涙!?
 
 よく見れば、一刀の挙動や雰囲気がいつもと違う。
 
 最近戸惑っていた理由など忘れてしまうほどの大混乱が、私の頭で暴れ回る。
 
「星……」
 
 まだまとまらない頭で茫然とする私に、一刀は優しく微笑みかけて、頬にぴとっと掌を当てる。
 
「ッ〜〜〜〜〜〜!?」
 
 ギュルッ! と音がするかと思うほどの勢いで、私は一刀に背を向けて座る。
 
 最近気まずかった一刀、この部屋で寝てしまった私、そして、起きたら何故か雰囲気が優しい一刀。これは、つまり………
 
「……………私は、寝言で、何か言っていたのか?」
 
 夢を見たかどうかさえ全く憶えていないが、私が寝ている間に何かあったとしか考えられない。
 
 その私の推測に対する一刀の答えは………
 
「ああ、うん。ちょっと………」
 
 正解。
 
「ッーーー!」
 
 寝言など、当たり前だが全く憶えていない。しかし、今の一刀の態度にとてつもなく嫌な予感を覚えた私は、背を向けた姿勢のまま、一気に窓へ………
 
「ちょっ、星! 待てってば!!」
 
「放せ! その手をどけろ!!」
 
 向かおうとした時、後ろから一刀が両肩を掴んで引き止める。
 
 いつもなら一刀程度の力で止められる私ではないが、寝台に腰掛け、脚力が使えない状態で後ろから両肩を引っ張られるというこんな体勢では少し厳しかった。
 
 逃げる私と止める一刀。ふと強く引かれて、私の上体が寝台に沈み……
 
「「あ…………」」
 
 いつの間にか、私の上に一刀が覆いかぶさるような体勢になっていた。
 
「「……………」」
 
 何とも言えない、気まずい沈黙が場を支配する。ここに到って、私は最近悩み続けていた事を思い出す。いや、正確には反芻するように幻視した。
 
 「ごめん……」と言って一刀が離れ、「……忘れろ」と言って私が立ち去り、明日から今まで以上に気まずくなる。そんな未来を。
 
「………星」
 
 しかし、そうはならなかった。ドキッとするほど真剣な呟きが、私の耳に届く。
 
 一刀の顔が、近づいてくる。私は、目を逸らせない。
 
 いつかのように、殴り飛ばしてやればいい。それでこの狼藉を止められる。なのに私は、腕を動かすどころか、瞬きさえ出来なかった。
 
 近づいてくる、唇。今度は明確な意味を持ったそれを……
 
「ん………」
 
 私は、拒まなかった。……否、受け入れた。
 
 
 
 



[12267] 八章・『花に寄り添う』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/08 18:01
 
「うぅ~~、さぶいさぶい……」
 
 つい先ほど霞と別れ、何だか色々とあった疲れを癒すべく自室に向かう。
 
 「ウチの『飛龍偃月刀』がぁ~」とか、ぶちぶちと文句を言っていたが、とりあえず我が軍の財布の紐を握る風に相談してみろ、と言っておいた。
 
 この季節の夜中に小川に浸かった俺の身にもなって欲しいもんだ。城に戻るまでに大分乾きはしたが、体そのものは冷えきってしまっている。
 
「? ………ッ!!」
 
 部屋に入ってすぐ、俺は暗闇の中に異変を感じて、柄に手を掛けつつ後退った。
 
「(誰かいる……!)」
 
 鍵を掛けたはずの俺の部屋に感じた気配に、また体温が一気に下がる。
 
 大声出そうかとも思ったが、俺の反応に対して何のリアクションも取らない侵入者(仮)を怪訝に思い、恐る恐る覗き込んで……
 
「すぅ……すぅ……」
 
「(………寝息?)」
 
 寝台の辺りから、緊張感をこれでもかと言うくらいに削ぎ落とす音に気付く。
 
 若干聞き覚えのあるようなそれに、俺は警戒心を半ば以上解いて近づき……
 
「……星?」
 
 暗闇でも目立つ白いやつが、俺が使っている枕を抱き締めて気持ちよさそう眠っているのを発見する。
 
 最近へそ曲げてろくに会話もしてくれなかった星が、何でこんな所で寝てるんだ?
 
「……………」
 
 とりあえず、寝てるから丁度いいので、俺は静かに手早く寝間着に着替える。
 
 しかし、星の寝ている姿なんてツチノコ並に珍し……いや、何か前の世界でもこの台詞使った事あるような気がするな。
 
「くふぅ、くふふふぅ………♪」
 
「何の夢見てんだか」
 
 普段まず見せる事の無い、幼い女の子みたいな可愛い寝顔を眺めながら、寝台の横の椅子で、俺は左腕の包帯を大雑把に巻き直す。
 
「さて、どうしようか………」
 
 起こすのも何か可哀想な気がするけど、そもそも俺の部屋だし。けど、前の世界ならともかく、今、この星の横に潜り込んで寝たりしたら、多分俺はそのまま目覚める事はないだろう。
 
 床で寝るって選択肢も無くはない。ただし、体が冷えきった今の俺じゃなければ、の話だ。
 
「起こそ」
 
 考えてるうちにまた寒くなってきた。
 
「ふにゃ…うぅぅ~~ん……」
 
(ごくり……)
 
「(このほっぺたつつくと、面白いんだよなぁ)」
 
 前の世界の事を思い出して、何となく悪戯してる時みたいなわくわくした気持ちで、艶々ぷにぷにのほっぺたをつついてみる。柔らかい。
 
「んん………っ!」
 
 しかして、俺の期待通りのリアクションは得られなかった。眉を八の字に歪めて、星は枕を強く抱く。
 
 あれ? さっきまで幸せそうにしてたのに。
 
「星、星?」
 
 何か悪戯する気分でもなくなったので、ぴしぴしと頬を軽く叩いてさっさと起こそうとする俺の、その手を………
 
「っ!?」
 
 星の両手が、包むようにむんずと掴んだ。起きたのかと思ったけど、星の目は閉じている。
 
「……ずと」
 
「ん……?」
 
 寝言だとはっきりわかる声音に耳を澄まして、
 
「冷、たい……」
 
「……………」
 
 同時に、悲痛に歪む星の寝顔を見る。よくわからないが、俺の冷たくなってる手が、悪夢の原因らしい。
 
「冷たい………!」
 
「っわ!?」
 
 今度ははっきりとした寝言が聞こえて、星は俺の右腕ごと胸に掻き抱く。冷たい体に、星の柔らかいぬくもりが心地良い。
 
「せ、い………?」
 
 その体が、ふるふると小さく震えていた。温かい星の体が、血の気が引くように少しだけ冷たくなったように感じた。
 
「いや、だ……。もう、二度と………」
 
「……………」
 
 怯えている。あの星が。しかも………
 
「(“もう二度と”?)」
 
 自惚れじゃなければ、星の悪夢の大元の原因に、俺がいる。そして俺は、星を不安にさせるような事に心当たりがある。……しかも、ごく最近に。
 
 ただ……二度、というのはわからない。いや……
 
『あの外史でのあなたとの繋がりは、皆の中で確かに息づいている』
 
 心当たりが、無いわけでもない……か。
 
「………“星”」
 
 この世界の星、前の世界の星。どちらに呟いたのか……自分でもわからない。
 
『要するに、前の世界だの今の世界だの、ぐだぐだ考えるのはやめなさいっていう事よ。どうせ考えたって、たった一つの解なんて出やしないんだから』
 
 絶対の解なんて無い。分けて考える事に、意味があるのかもわからない。
 
 ただ、目の前にいる少女を、放っておけなかった。俺が原因なら、なおさらだ。
 
「星………」
 
 精一杯優しく、言い聞かせるようにささやく。少しでも、不安じゃなくなるように。
 
「手術は成功したんだよ。俺はもう元気だから、安心していいんだよ」
 
 旅の途中で勝手についてきた胡散臭い男。初めて人を殺して、誰かに見られないように背を向けて泣いた男。義勇軍を起こして、一緒に戦って、いつしか主君と認めた男。
 
 それが、この世界での俺と星の足跡。
 
「………本当?」
 
「うん」
 
 左腕を動かして細くて綺麗な髪を撫でると、星は安心したように微笑む。
 
「………あったかい」
 
 また、寝言でそう呟いて、いつしか抱かれた腕の中で熱を持った俺の右腕に頬を寄せて……星は一筋、温かい涙を流す。
 
「……………」
 
 出会った時から英雄扱いで高く評価されていた前の世界とは、あまりに積み重ねてきた関係が違う。
 
 普段の態度も、根本的に前の世界とは違いがある。だから、“そんなわけがない”と思っていた。
 
 でも………
 
「……ほふ………」
 
 俺も、いい加減鈍くない。寝ているとはいえ、いや、寝ているからこそか? この様子の星を見て、何も思う所がないわけじゃない。
 
「よっ、と………」
 
 少し緩んだ腕の拘束を抜けて、また枕を抱かせておく。あのまま起こしたら、間違いなく星はパニクる。
 
「星、星!」
 
 今度はもっと声量を上げて、ちゃんと起こすつもりで頬を叩く。
 
 この時の俺は、あそこまでの事態になるとは、まるで思ってはいなかった。
 
 
 
 
「(………んぁ)」
 
 何か心地よい疲労感を全身に感じながら、私は目をゆっくりと開く。
 
 視界いっぱいに映る、肌色。うまく表現出来ない嬉しい香りを感じて……
 
「…………あぁぁっ!」
 
 私は、全てを思い出した。慌てて起き上がろうとして……
 
「あっ、あ……!?」
 
 掛け布団から覗いた自分の白い肩に気付き、すぐさま元の位置に潜り込む。
 
「おはよう」
 
 すでに起きていたらしい一刀の声が、頭の上から聞こえてきた。優しげな声が、まるで余裕のように聞こえて忌々しい。
 
 ……私が勝手にそう思ってるだけだが。
 
「ッ~~~~!!」
 
 昨夜の事が次々と頭に浮かんで、ひどくいたたまれない気分になる。……というより、恥ずかしい。
 
「……可愛い」
 
 多分真っ赤になってしまっている私を見て、一刀は言う。嬉しそうに微笑んでいる顔が、容易に想像できる。
 
「うるさい」
 
 明らかに形勢不利な私は、額をこつんと一刀の胸にぶつける。今の私には、こうやって顔を隠すのが最大の防御だ。
 
「嫌だった……?」
 
「……うるさい」
 
 疑問系でありながら、その問いには不安が一切感じられない。……当たり前か。昨夜の事を考えれば、まさに今さらというやつだ。
 
 再びうるさいと言ってぶつけた額。我ながら情けない対抗手段だ。
 
「俺は、嬉しかった……」
 
「……………」
 
 ついに、何も言えなくなる。あまりにも分が悪い。
 
「意地が悪いぞ……馬鹿………」
 
 拳で軽く胸板を叩いて、額を押しつけていた頭を少しずらして、頬を寄せる。
 
 今この場では、負けを認めるしかないだろう。素直に甘える事で、私は降参の意を示す。
 
 そもそも私が一人で意地を張っていただけじゃないのか、といった類の問いは受け付ける気はない。
 
「ごめん……」
 
 可笑しそうにそう言う前に、小さな苦笑が聞こえた。いつか仕返ししてやる。
 
「ん…………」
 
 苦笑してすぐ、一刀の両腕が私を包み込むように抱き締めて、二人の体全体が密着する。
 
「左腕は……?」
 
「怪我してるの肘から先だから、前腕に力入れない限りは、動かしても痛くないよ」
 
 私の、ある意味気遣いとも取れる問いが嬉しかったのか、抱擁にさらに力が籠もる。
 
 ………そんな挙措が可愛いと思ってしまうあたり、私はかなり窮地な気がする。
 
「…………♪」
 
 こうやって包まれていると、心の底から安らいでしまう私は……絶体絶命な気がする。
 
 でも………
 
「一刀」
 
「何?」
 
「……何でもない」
 
 こうやって一刀の腕の中にいる時くらいは、こういう自分でいるのも……悪くない。
 
 そんな風に、思っていた。
 
 
 
 
(あとがき)
 さてはて、次回からそろそろ拠点的なの意外も進めて行こうと思います。
 
 うーん、にしても元がエロゲーなためか、端折るとイマイチ伝わらないかも。PS2版も無理矢理な改変が幾つかありましたしね。
 
 



[12267] 九章・『かつての王都』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/10 07:15
 
 皆が集まる玉座の間で、それぞれが自分の席に着く。
 
「諸侯が力を合わせた連合を打ち破ったのだ。もはや我らが大陸最大の勢力だという事実は疑いようもない!!」
 
 舞无は自信満々に胸を張る。
 
「あれで力を合わせた、と取るのは無理があります。諸侯の力をあまり侮らない方がいいですよ」
 
 稟が眼鏡の位置を直しながら、ため息混じりにそう返す。
 
「ま、それを差し引いても我が軍が大陸最大勢力、というのは事実でしょうねー。ただし、“現段階で”の話ですが」
 
 稟の応えにムッとした舞无に構わず、風が意味深につけ加える。
 
「どういう事や?」
 
 それに訝しげに眉を上げた霞に、
 
「戦争に勝ったからと言って、風評が良くなるわけではない。我々は勢力を拡げる段階で、初手から重い足枷をはめられているという事だ」
 
 星がそれに丁寧に応える。
 
「それはそのまま、これからの私たちの動きに影響を及ぼします。戦争に勝った後、の事です」
 
 雛里が口元に手を当てて、眉を八の字にして思案する。
 
 今の俺の風評は、単なる悪逆非道の暴君から、凄く強い悪党にクラスチェンジしているらしい。ほとんど魔王みたいな扱いだ。
 
「それを踏まえた上で、今後の動きを決めなければなりません。足枷がある以上、あまり悠長に構えてもいられない」
 
 稟のその言葉を合図にするように、皆の視線が俺に集まる。判断を委ねられているのだ。
 
「……さっき星や雛里が言ってたように、戦争に勝ったからってすぐに国が潤うわけじゃない。しかも俺たちの場合、民の信用を得るのに通常以上の時間がかかる」
 
「自然と、徴兵などの軍備増強も制限せざるを得ませんしねー」
 
 俺の説明の途中で、風が補足してくれる。そういえば、それもあったか。
 
「というわけで、今は多勢力が犇めき合ってて、連戦状態になるのが目に見えてる東は、少し厳しいと思うんだ」
 
 前の世界で幽州から発起した俺には、北の穀倉地帯の重要性はわかるけど、今の状態で中原、河北と進出するのはリスクが高い気がした。……素人考えだけど。
 
「? つまり、どういう事だ?」
 
 例によって首を傾げる舞无の質問、意図せずしてそれが、方針発表の合図になる。
 
「目指すは西、って事さ」
 
「………はふ」
 
 決定直後に漏らした、恋の眠そうなあくびが、一同に小さな笑いを呼んだ。
 
 
 
 
「はあぁっ!!」
 
「ぅ………!?」
 
 紅く光る槍の穂先が喉元でピタッと止まる。この瞬間、数十合と鳴り響いていた衝撃音が止み、
 
「ふっ……。これで、残る一人の遠征組は私だな」
 
「む、ううぅ………」
 
 ぷち武術大会最後の勝負がついた。星が優越感たっぷりに口の端を上げ、舞无は悔しそうに戦斧で地面を割る。……割るな。
 
 向かうは涼州。標的は、内乱を起こして実権を握ったとされる現・太守、韓遂。内乱に掲げた大義が『反・北郷連合に参加しなかった馬騰を逆賊とみなし、帝に代わって裁く』というものである以上、俺たちにとっては問答無用で敵である。
 
 その選抜メンバーを決めるために、こんなふうに皆で競っているのだ。
 
 ちなみに恋はダントツで一抜け、軍師組は碁盤の前で唸っている。
 
「……………」
 
 前の世界、西涼の馬騰は華琳に殺されたはず、韓遂の反乱なんて起こらなかった。三國志でも違ったはずだ。
 
「(俺の行動で流れが変わってるのか?)」
 
 けど、華佗たちの話だと反乱が起こったのは連合との戦いの真っ最中。あの時点じゃ、俺が月の立場になったってだけの変化しかなかったような……。
 
 いや、そもそも馬騰が連合に参加しなかった時点でおかしいんだ。わかっちゃいたけど、俺が知ってる歴史や流れなんて参考程度にしかならない。
 
「……………」
 
 言い換えれば、前の世界では落ち延びる事が出来ていた翠が、今回も無事な保証はない。
 
「(それが理由で涼州に行くわけじゃない。けど………)」
 
 星の事があったのもあり、やっぱり“この世界の翠”の事が気にならないと言えば嘘になる。
 
「くっ、ありません……」
 
「ほっ……」
 
 見れば、中庭休憩所の盤上の死闘にも決着が着いたらしい。稟が苦虫を噛み潰したような顔をし、雛里が胸を撫で下ろしている。
 
「はーはっはっはっは! これでよくわかっただろう。我が軍最強の将はこの趙子龍よ!」
 
「ぎ、ぐぎぎ……っ!」
 
 一方で、星が鬼の首でも獲ったようにはしゃぎ、舞无はギリギリと歯を食い縛っている。
 
「あんな事言ってるぞ? 恋」
 
「? ……別に、いい」
 
 俺の横で観戦モードだった恋は、星の最強発言に対して特に何とも思ってないらしい。ある意味余裕とも取れそうな態度だ。
 
「あ〜〜あ、ウチも偃月刀が無事やったらもっとええ線いけたやろ〜になぁ〜」
 
 座って観戦してた俺の頭に、霞が顎を乗せながら恨めしげにぼやいてきた。そういうギリギリな発言はやめた方がいい。あの事が舞无あたりに知れたら暴走しそうな気がする。
 
 あ、舞无が戦斧を放り出して走り去った。
 
「これで私、一刀、恋、雛里に決定か」
 
「ん、お疲れさま。けどちょっと意地悪だったんじゃないか? 舞无逃げたぞ」
 
「心配いらん。あやつの神経の図太さは折り紙つきだ」
 
 意味深にそう笑いながら近づいてきた星の言葉を怪訝に思いながら、俺は次の戦いの事に気持ちを向けていた。
 
 
 
 
「……………」
 
 それから中庭でせわしないやり取りを続けた後、逃げた舞无を探して皆で場内を歩き回っていたら、あっさり発見。そこは、厨房。
 
「…………ぱく」
 
「ああっ、コラ恋! つまみ食いするな!」
 
 星に負かされて居残り組決定になった舞无が、何故いきなりこんな所にいるのか、そして何故すごい勢いで料理を作っているのか、さっぱりわからない。
 
「まあ、あいつの思考読むんはちょっと難しいやろうなぁ」
 
「……霞、わかるの?」
 
「ま、これでも一番付き合い長いよってな」
 
 言いながら、霞はシュウマイを一つまみ口に放り込む。さすが董卓軍の長女。
 
「霞! だから食うなと言ってるだろうが!」
 
「あー……舞无、あんな」
 
 ポンポンと肩を叩く霞に顔だけ振り返って怒鳴る舞无。しかし中華鍋と菜箸を握る手は休まないあたり、大したもんだ。
 
「遠征に出る一刀に愛妻弁当作ってやりたいんはわかるけど」
 
「なっ……!? ふ、ふざけるな! 誰が弁当にあんなやつして愛妻だ!?」
 
 文脈がめちゃくちゃな抗弁をする舞无と俺の目が合い、たちまち耳まで赤くなる。
 
 ここまできて、俺もようやく舞无の行動を理解する。ついて行けないならせめて弁当……って事なのだろうけど。
 
「これ全部、弁当に出来ると思てるか?」
 
「……………」
 
 そこまで言われて、舞无はきょとんと固まった。料理に忙しかった手まで止まる。
 
 机の上に所狭しと並ぶ、餃子、シュウマイ、肉まん、棒々鶏、ラーメン、麻婆豆腐などなど。……とても弁当には出来ない品目までずらりだ。舞无のやつ、いつの間にここまでスキルアップしてんだ。
 
「大体、西涼まで戦いに行く一刀に力つけてもらいたい! ちゅーても、長安にも着かん内に傷んでまうやろが」
 
「!!!!?」
 
 目と口を精一杯に見開き、声無き叫びを上げた舞无の手から、ついに菜箸がこぼれ落ちる。
 
 やっぱり、色々と気付いてなかったらしい。
 
「焦げますよ?」
 
「はっ……!?」
 
 稟の注意に我に帰った舞无は、鍋の中の青椒肉絲を皿に移して……うなだれる。
 
 傍目には気が抜けるような笑い話でも、本人は真剣なんだから、ちょっと可哀想だ。
 
 俺は肉まんを一つ手に取り、かじる。
 
「おいしいよ。ありがとう、舞无」
 
「ッ!? ……うん!」
 
 パアッと、舞无の表情が晴れやかなものへと変わる。可愛い。
 
 さっき、俺のために作った弁当じゃない、みたいな事を言ってたはずなんだが、その辺はやっぱり気付いてないのだろう。
 
「弁当は無理かも知れないけど、今から皆でパーティー……宴会にしよう。出立祝いって事で。……それでいい? 舞无」
 
 舞无は、何故か一瞬よろめいて……
 
「ふんっ、そこまで言うなら、仕方あるまい!」
 
 腕を組んで、胸を張って、鼻を鳴らした。
 
「……扱い慣れてますね」
 
「いつの間に調教されたので?」
 
「調教とか言うな!」
 
 稟と風がめざとくツッコミを入れる。大体、舞无に手を出した憶えはないぞ。あの時のは人工呼吸だし、本人が気付いてるかどうかも怪しいし。
 
「まあ、我らが主は随分と手慣れておいでであらせられましたからなぁ」
 
(ピシッ……!!)
 
 という音が、聞こえてきた気がした。な、何か空気が寒くて重いような……。
 
 何という絶妙な合いの手。無論、悪い意味で。
 
「おまっ、いきなり何言って……!」
 
「おや? 私は何かおかしな事を言いましたかなぁ。はてさて」
 
 焦る俺とは実に対称的。星はくっくっと喉を鳴らして、してやったりと言わんばかりにニヤリと笑っている。
 
 ……そうだった。こいつはすっごく負けず嫌いなやつだった。
 
 あの夜、色んな意味で俺に完全にペース握られっ放しだったのを根に持ってるんだろう。
 
 どういうわけかどんどん冷えていく空気の中で………
 
「? お前たち、何をしてるんだ?」
 
 舞无だけが、やっぱり空気を読んでいなかった。
 
 
 
 
 そんな窮地を何とかかんとかはぐらかし、そんなこんなで数日後………。
 
「思ったよりは、反応悪くなかったな」
 
 俺は雛里と並んで街を歩いていた。洛陽ではない、かつての都・長安である。
 
「ご主人様を直接知る者こそいませんでしたが、ここは我々の領内でしたので。実害が無ければ、無闇に脅威には思わないものです」
 
「石投げられるくらいは覚悟してたんだけどね」
 
 そう、長安の住民の俺たちへの態度に、特に悪意は感じられなかった。
 
 雛里の言う事ももっともだけど、何か妙だ。
 
「……噂の広がり方自体が、やけに薄い気がしないか?」
 
 俺の感想だか相談だかよくわからない呟きに、雛里はツインテールの毛先をくるくると指でいじりながら数秒考えて……
 
「……もしかすると、西涼が連合に参加しなかった事と、何か関係があるのかも知れません」
 
 なかなか貴重そうな意見をくれた。頼りになる。
 
 雛里だけでもない。イメージアップのために(単なる趣味とも言う)頑張ってくれてる仲間もいる。
 
「はーはっはっは!」
 
 噂をすれば(考えただけだが)、高笑いが聞こえて、俺と雛里は隣の通りに走る。
 
「天知る神知る!」
 
 黄色い仮面が勇ましく。
 
「我知る」
 
 緑の仮面が淡々と。
 
「……子知る」
 
 紫の仮面がボソッと。
 
「悪の蓮花の咲くところ!」
 
「正義の華蝶の姿あり!」
 
 その全てが、蝶を模した仮面。
 
「か弱き華を守るため、華蝶の連者」
 
 俺たちの領内限定のスーパーヒーロー。
 
「………ただいま」
 
 それはいいんだけど………
 
「参上!」
「参上」
「…………参上」
 
 …………何か、増えてるんですけど。
 
 
 
 
(あとがき)
 長安に移動。ようやく西涼編に突入します。
 
 



[12267] 十章・『棺』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2010/01/14 19:39
 
 状況としては、それほど珍しいものでもない。店のおじさんに、因縁をつけて絡む、黄巾崩れっぽい乱暴者。
 
 その窮地に颯爽と現れる、蝶の仮面をつけた正義の味方。これも、俺たちの領内ではわりと見慣れた光景だ。
 
「ちぃっ、またてめえか。だがな、仲間を連れてんのはてめえだけじゃねぇんだよ!」
 
「(……“また”?)」
 
 男の言葉に気になる部分を感じながらも、そんな場合じゃない。ぞろぞろとガラの悪い、男の仲間らしい連中が現れる。
 
 ………準備が良すぎる。俺の知らない事情がありそうだ。
 
「ふっ、自分一人では何も出来ぬ臆病者など、何人束になろうと無駄な事。この星華蝶一人で相手してやる」
 
 黄色い仮面の、星華蝶と名乗った星が、八人の悪漢の前で槍を構える。丁度いいから、ギャラリーと化した華蝶仮面に、俺はこそこそと近づく。
 
「(恋、恋)」
 
「…………?」
 
 一応正体の問題もあるので小声で呼び掛ける。俺の袖を掴んでついてきてる雛里も気付いてない。
 
 そう、紫の仮面をつけた華蝶仮面は、恋だった。
 
「(恋も、華蝶仮面になってたんだな)」
 
「? ……チョウチョが、可愛い」
 
「(……そんな理由かよ)」
 
 小首を傾げてきょとんとする恋に脱力。それにしても、意外だ。星は基本的に自分が華蝶仮面だって事を隠せてるつもりだし、隠そうとする。
 
 その星が、正体をバラして恋を仲間に引き込むとは考え辛い。つまり……
 
「(あれが誰か、知ってるのか)」
 
「………星が、なに?」
 
 やっぱり。恋は星の変装を見抜いていたという事だ。俺や詠とかの選ばれし者にしか備わってない洞察眼を、まさか恋が……。凄い意外だ。
 
 しかし、それ以上に気になるのが……
 
「えっと……誰?」
 
 もう一人の、緑の華蝶仮面だ。
 
 肩に届かない、女性にしては短い黒髪。前髪が少し長め。青い瞳、白い肌。
 
 黒の脚衣。身につけた袖の無いやや長い緑青のチャイナ服を、白い帯で腰の辺りでギュッと絞っている。ウエストが凄く細い(全体的に細いけども)。
 
 しかしそれら全てより真っ先に目につくのは、左腕全体と、顔の左半分を隠す包帯。
 
 言うまでもなく、星や恋と違って、俺の知り合いの誰かじゃない。
 
 その少女は、俺の問い掛けにやる気なさそうにこっちを向いて……
 
「見ての通り、正義の味方ですよ」
 
 誤魔化し100%の返事をくれた。
 
「いや、それはわかるけど………」
 
「何のために仮面を着けてると思ってるんですか? 詮索癖のある男は嫌われますよ」
 
 無表情に淡々と突き放す少女。取り付く島も無い。
 
「大体人に名を訊ねるなら、自分から名乗るべきでは?」
 
 そう言われて、ようやく俺は自分が名乗ってない事に気付いた。
 
「ああ、ごめん。俺は……」
「興味ないからいいですよ」
 
 ………この子、腹立つんだけど。
 
「それよりほら、そろそろふぃにっしゅのようで」
 
 その言葉に、俺は謎の華蝶仮面の指差す先を見れば、すでに悪漢たちが星に一蹴されていた。まあ、あんな連中に遅れを取る星じゃないか。
 
「(ん? ……フィニッシュ?)」
 
 遅れて、緑仮面の言動に含まれていたおかしな単語に俺が気付いた、まさにその時だった。
 
「正義は勝つ!」
 
 街の皆の喝采を浴びながら槍を天に向けて掲げる星の後ろで、一蹴された男の一人がぶるぶると震えながら立ち上がり……
 
「う、動くなぁ!」
 
「ひぃい!」
 
 肉斬り包丁を手に、見物していたお婆さんを捕まえた。
 
『ッ……!?』
 
 完全に正義の味方の勝利ムードに酔っていた場が、凍り付くように静まり返る。
 
「う、動くなよ! 動いたらこの婆ぁの顔ズタズタにしてやるからな!」
 
 後ろからお婆さんの首に左腕を回し、右手で肉斬り包丁を突き付けながら、男は後退る。
 
 この期に及んで、逃げ切れるとも思えない。多分、本人は捕まるって恐怖で錯乱状態になってるんだ。
 
 だから、危ない。何しでかすかわからない。
 
「う、馬だ! 馬を用意しろ! 俺を見逃せば、婆ぁは無事に解放してやる!」
 
 迂闊に動けない。そんな空気の中で……
 
「……やれやれ、仲間を連れて逃げ出すならまだ可愛げもあったものを」
 
 星が、馬鹿にするように呟いた。
 
「うっ、うるせぇ! 俺は元々無理矢理巻き込まれたんだ! どうなろうとそいつらの責任だろうが!?」
 
 俺も、動く。こいつの言うままに従ってても状況は好転しない。
 
「自分のする事に、いちいち言い訳なんかするな。どんな事情があったって、あんたはこいつらと一緒に悪事を働いたんだ」
 
 男の真っ正面に立つように移動しながら、俺は諭すように語り掛ける。……これで俺に集中してくれれば、両脇の星と恋への注意が散漫になる。
 
「うるせぇうるせぇ!! 何だてめえは! てめえに何が………」
 
 半狂乱になって、俺に包丁を向けようと振り上げた右腕。それが突然……
 
「え……?」
 
 真っ赤な鮮血を散らす。見れば、男の前腕に刃が深々と突き刺さっていた。
 
「うわぁ! い、痛えぇ!!」
 
「恋華蝶!」
 
 男が苦しむのもお構い無し。呼び掛けに応えるように飛び出した恋の、まさに閃光のようなハイキックが、男の側頭部を直撃。
 
 男は堪らず昏倒した。
 
「後始末はまあ、よろしくお願いしようかな、と思います」
 
 男の右腕を射抜き、恋に呼び掛けた少女。緑の華蝶仮面は淡々とそう言って、何故か左腕にぐるぐると巻かれた包帯を戟の柄に結び付けて………
 
「よっ、と」
 
 まるで棒高跳びみたいにそれを地面に突き立てて跳び上がり、それが綺麗に九十度に直立したタイミングで、石突きを踏み台にしてさらにジャンプ。民家の屋根に跳び移る。
 
「って、軽業師かよ!?」
 
「失敬な。華蝶仮面(仮)ですよ」
 
 (仮)って言った!
 
 屋根に登った緑仮面は、事前に縛っておいた包帯で戟を手繰り寄せ……
 
「では、これにてどろん」
 
 ピョンピョンと跳ねて、屋根の向こうに消えて行った。
 
 ………何だったんだ、あいつは。
 
「怪我は無い?」
 
 それはひとまずおいて、星、恋、そして人質にされていたお婆さんに駆け寄る。
 
「(………コクッ)」
 
「……私の詰めが甘かった。申し訳ない」
 
 恋が短く頷き、星は苦い表情を作る。あの男の気絶を確認してなかった話だろう。
 
「あ、あぁ……」
 
 一番重症なのはお婆さん。人質にされたあげく、男の血を浴びてしまって放心状態になってしまっている。
 
「……大丈夫ですか、お婆さん」
 
 雛里が心配そうにその背中をさすっている。お婆さんは雛里に任せるか。癒し系の管轄だ。
 
「……一刀、これ」
 
 恋がそう言って差し出してくるのは、男の腕に突き刺さっていた刃物。
 
「………短戟?」
 
 戟の柄が極端に短い、短刀みたいな形状の、投擲にも使える武器だ。これをあの子が、寸分違わず男の腕に命中させたわけか。
 
 それに加えてあの身のこなし、しかも女の子。ただ者とは思えない(この世界の法則的に)。
 
「華蝶か……」
「星華蝶!」
 
 いつの間にお洒落ネームに改名したんだか、強くアピールする星。
 
「あの子、誰?」
 
「散華蝶だ」
 
「そうじゃなくて! 素性とかそんな感じの!」
 
「知らん」
 
「はあっ!?」
 
 華蝶仮面のメンバーに加えてたんだから、当然知ってると思ってた星の予想外の応えに、俺はすっとんきょうな叫びを上げる。
 
「お前素性も何もわからない奴を仲間にしてたのか!?」
 
「正義の心を愛する者に素性も出自も関係あるか!」
 
「だから、得体の知れない奴が正義を愛してるって何でわかるんだよ!」
 
「華蝶に導かれし者に悪人などいるか!」
 
「何だそれ!?」
 
 俺と星華蝶がガミガミと言い合っている内に、いつの間にか人混みは冷めたように引いていっていた。
 
 
 
 
「(さて………)」
 
 あの後すぐ、事後処理を星、恋、雛里に任せた(雛里は“知らない二人”に困惑してたけど)。
 
 そして、俺はと言うと………
 
「………何これ」
 
 道の脇にどんと居座る、明らかに場の景色と不釣り合いな棺と相対していた。
 
 意を決して、開けてみる。
 
「………おや」
 
「……………」
 
 中にいたのは、先ほどの華蝶仮面(仮)。包帯だらけの姿と相まって、エジプトのミイラみたいなポーズで寝ていた彼女は、少しだけ目を見開いてのそのそと棺から出てくる。
 
「何で棺に隠れてんの?」
 
「こういう所で棺出しとけば、死亡ふらぐをへし折れるかな、と思いまして」
 
 わけがわからん事を言いながら、少女は緑の蝶の仮面を外した。まあ、俺にとってはほとんど無意味な変装だったけど。
 
 ……それにしてもこの子、やっぱり横文字を使いこなしている。
 
「まあそれは冗談として、普通はちょっと怪しく思ったからって棺の中を覗きたくないと思うものアルからね。あたし的必需品アルよ」
 
「アル!?」
 
 さっきまでそんな言葉遣いしてなかったよな!
 
「おや、初対面だからちょっと無理矢理印象づけようとしたのですが、どうやら失敗したようで」
 
「……そりゃするよ。やるなら最初からしないと」
 
 ってか、キャラ作ろうとしてたのか。何だこの子、全然読めん。常に棒読みだからどこまで本気なのかもさっぱりわからん。
 
「それは置いといて、あなたは何故あたしの居場所がわかったのでしょう?」
 
「秘密のヒーローってのは、退場した後は裏道に身を隠すのが相場だからね」
 
 言って俺は、さっきの短戟を少女に放り渡す。少女はそれをパシッと受け取り、数秒それをじっと見ているが、やっぱり何を考えてるかわからない。恋とは違うタイプの無表情だった。
 
「わざわざ届けに来たのですか。変わった男ですね、北郷一刀」
 
「君に言われたくないよ」
 
 応えてから数秒遅れて、気付く。……俺、この子に名乗った憶えないぞ?
 
「……知ってた、のか?」
 
「そうやって素直に自白してくれる所は好きですよ」
 
 その応えに、俺は数秒考えて………
 
「か、かま掛けたのか!?」
 
 気付く。
 
「まだ宿に十二本予備があるんですけどね」
 
 俺の質問には応えず、少女は受け取った短戟を、腰の帯の背中側に差した鞘に納める。無視ですか。
 
 ちなみに、少女が短戟とは別に担いでいるのは、恋の方天画戟には片側にしか付いてない月牙が刃の両端に付いている戟、『双鉄戟』だ。
 
「まあ、あたしが一方的に名を知ってるというのもあれなので。不本意ながら名乗りましょうか?」
 
「……お願いします」
 
 不本意て。よくわからないが面倒くさそうなオーラをひしひしと感じる。
 
「名は鳳徳、字は令明。一応よろしく、という事で」
 
 
 
 
(あとがき)
 今回素性の割れた鳳徳。名前は変換出来ないから雛里と同じ当て字にしてます。
 
 双鉄戟と短戟、武器のイメージはむしろ演義などの典韋です(流琉がヨーヨーだったし)。
 その武器に関しても、イマイチ知識が足りないという不安。
 
 



[12267] 十一章・『交換条件』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/12 06:13
 
 ことん、と湯飲みが机の上に置かれる。
 
「ふぅ………ごちそうさまでした」
 
 彼女は無表情のまま満足そうに息をついて、
 
「じゃ」
 
 席を立って、ビシッと手を縦にかざし……
「ちょっと待てぇー!」
 
 そこで、俺はややオーバーにリアクションしてしまった。
 
「何か?」
 
「飯おごったら事情話すって約束だろうが! 何ナチュラルに立ち去ろうとしてんの!?」
 
 ここは長安街中の地味に高い飯店。ここにいる理由は今言った通りである。
 
「おや、憶えていたようで」
 
「当たり前だろがっ!」
 
 何だこの……風と星を足して二で割ったようなノリは。すごい疲れるんだけど。
 
「すぐに慣れるかな、と思いますよ?」
 
「……人のモノローグに返事しないで。お願い」
 
「杏仁豆腐で手を打ちましょう」
 
 ………俺、今月小遣い厳しいのに。鳳徳は俺がうなだれたのを肯定と見たのか、杏仁豆腐を注文する。まあそれはともかく、いい加減本題に入ろう。
 
「それで、訊きたい事があるんだけど?」
 
「あたしはあまりお金を持ってないので。食える時に食っておかないと、なので」
 
「これは職務質問だ。ちゃんと応えなさい」
 
「……やれやれ、あなたが都の警備隊長だったのは半年も前の話でしょうに」
 
 ……本当に何者なのか、と思いつつ、いよいよ核心に触れる。
 
「外史や正史、白装束。管理者って言葉を知ってるか?」
 
「? ………がいし。白装束?」
 
 少し目を見開いて、首を傾げる。貂蝉や左慈と同類じゃない、か。
 
「君は鳳徳。西涼の馬騰の将だった人間で間違いないな?」
 
「………知っていたのですか」
 
 俺の確認に、鳳徳の眼が少し鋭くなった。
 
 確かに知ってはいたけど、それは密偵とか情報収集とかじゃない。元の世界の三国志の知識だ。
 
 鳳令明。馬騰から馬超に仕えた後、曹操に降伏し、関羽と互角に渡り合った将。
 
「随分と無用心ですね。あたしを馬騰の将と知ってこんな風に話すとは。……韓遂に降伏した将が、密偵としてこの長安に来ている……とは考えなかったのですか?」
 
 鳳徳の眼が、探るような色へと変わる。
 
 確かにこの子がその気になれば、俺は剣を抜く前に首を落とされるだろう。でも………
 
「もし敵の密偵なら、あんな目立つ真似しないだろ。それに、人を見る目はあるつもりだよ」
 
 そう、思ったまま口にすると、鳳徳は何かすごい嫌そうな顔をした。……何故に?
 
「自覚が足りないようで。あたしが仮に、心優しい正義の味方だったとして、あなたは大陸一の悪者という事になっているんですよ?」
 
「そういえば、そうだなぁ」
 
 俺の返事に、呆れ果てたようにため息をついた鳳徳は、運ばれてきた杏仁豆腐をパクつく。……わざとわかりやすく感情表現して当て付けてると見た。
 
「それで、質問続けるけど。何で華蝶仮面の仲間になったんだ?」
 
「楽しそうかな、と」
 
 表情一つ変えない真顔で応える鳳徳に、俺は額をゴツッと机にぶつけた。
 
「まあ、今のも本音ではありますが……。正確にはあなた方がこの長安に来る前から、あたしは都から流れた華蝶仮面の噂を聞いて、偽者をしていました」
 
 ……なるほど。そういう事なら、さっき問題を起こした男の不可思議な言動も頷ける。
 
「楽しそうだったから?」
 
「楽しそうだったから」
 
 おうむ返しに即答する鳳徳。……何となく、わかった気がする。
 
「まあ、北郷領内の警備隊の秘密兵器、という噂もありましたので。こうやって偽者してればそちらからの接触も期待出来るかな、と」
 
 この子、間違いなく天然ではない。かと言って演技してるとも思えない。多分、自分でもどこまでが本気で、どこまでが冗談なのかわかってないんじゃないだろうか。
 
 にしても、俺から接触……ね……。
 
「そのわりに俺、避けられてるっぽかったけど?」
 
「都合良く事が動きすぎる時には、ろくな事が起こらないので」
 
 ……要するに、俺の不用意で馴れ馴れしい言動が警戒されてたのか?
 
「順を追って説明した方がいいようで」
 
 確認するように俺の返事を待つ鳳徳に、俺は頷いて応えた。
 
 
 ……………
 
 鳳徳の今までの経緯を要約すると、こうなる。
 
 反・北郷連合に参加しなかった馬騰に対して叛旗を翻した韓遂。馬騰は討たれたが、鳳徳は命からがら逃げ延びた所を旅の医者に助けられ、その後、この長安に来て華蝶仮面をしていた、という事らしい。
 
 大体予想通りの経緯だが、気になる点がいくつかある。
 
「何で、俺に会おうと思ったんだ? 俺は悪逆非道の暴君って思われてるはずだろ」
 
 馬騰が連合に参加しなかった理由。今、鳳徳が俺に会ってる理由。肝心な部分がまだわかってない。
 
「まあ、正直に言ってしまえば、けしかけようと思いまして」
 
 ……すごいぶっちゃけたな。けど、俺はここで誤魔化されない。
 
「誤魔化すなよ。何で長安や涼州は、俺への認識が違うんだ?」
 
 また動機を隠したまま話を進めようとしている事を、俺はめざとく指摘する。
 
「……………」
 
 その指摘に、鳳徳は数秒考え込んで……
 
「……言えませんね」
 
 そう、応えた。
 
「言えば、恩を仇で返す事になるので。あたしに言えるのはそれだけです」
 
「……………」
 
 俺には何の事だかさっぱりわからない。けどその中に、この不思議少女の譲れない決意みたいなものを感じた。
 
「……それで、俺を韓遂にけしかけるってのは?」
 
 ここはさらりと流すのが大人の男。それより気になるのは、
 
「韓遂への、復讐か?」
 
 今の鳳徳の行動理由の方だ。
 
「実を言うと、傷が癒えた後に一度西涼に潜り込んだんですが……その気になれば暗殺くらいいけそうだったわけで」
 
「……でも、やらなかったわけだ」
 
「今あいつを殺しても、その下の連中が権力闘争を起こすだけですから、西涼の民の事を考えれば、今はあんなのでも太守に据えといた方が良いようなので」
 
 淡々と、冷静に、鳳徳はそう言う。……“内心はともかく”、そんな風に考えられる。また、この子の新しい一面を見た気がする。
 ………うん。
 
「鳳徳の言いたい事は、大体わかったよ。けど、韓遂じゃなくて、俺たちが西涼を治めるのは構わないのか?」
 
「それを見極めるのも、長安に滞在していた理由の一つですよ。あなた本人が居たわけではないにせよ。まめに指示を出していたようですし。……まあ、及第点かな、という事で」
 
 面接官みたいな言いざまでそう言った鳳徳は、杏仁豆腐を食べ終えた口を拭う。
 
「それに……舐められっ放しなのは許せません」
 
 少し強くそう言って、ハッとしたようにまた無気力な空気を身に纏う。
 
「本当なら、西涼を手に入れる事による“めりっと”などを吹き込みながら誘導する予定だったんですけどね。詐欺師っぽく」
 
 詐欺師て。
 
「まあ、俺に捕まったのが運の尽きだな。君が俺を利用しようとしてた事には変わりない」
 
 意地悪く俺がそう言うと、鳳徳は右手を背中に回す。色々ぶっちゃけだしたあたりから、この事態も想定済みだったのだろう。色んな意味で残念そうな光を眼に宿らせる。
 
 鳳徳が短戟を握る前に、俺はさっさと続ける。
 
「だから、交換条件だ」
 
「……交換、条件?」
 
 俺の言葉に、鳳徳はさらに怪訝そうにその眼を細め……
 
「鳳徳の思惑には乗る。その代わり、一緒に戦って欲しい」
 
 元々西涼には行くつもりだったんだけどね、とそう続けると、今度はぱちくりと目を瞬かせた。
 
「人を見る目はある、って言っただろ? 君に俺たちの仲間になって、力を貸して欲しい」
 
「…………仲間?」
 
 珍獣でも観察するかのように俺を見る鳳徳を、俺は黙って見つめ返す。うだうだと言葉は要らない。後は真剣な気持ちを示すだけだ。
 
 一分くらい、だろうか? 長い沈黙を経て……
 
「……まあ、とりあえずは客将という事で」
 
「オッケー!」
 
 了承を得て、俺は間髪入れずに親指を立てる。
 
「改めて自己紹介。俺の名前は北郷一刀。天の御遣いだか地獄の使者だかって奴。真名は無いから、一刀って呼んでくれていいよ」
 
「……鳳令明。真名は散。呼びたければ、ご自由にどうぞ」
 
 いい歳してはしゃぐ俺を呆れたように見ながら、鳳徳……いや、散は、少しだけ……微笑んだ気がした。
 
 
 
 
「ところで、訊きたい事があるんだけど?」
 
「まだ何か?」
 
 散の荷物を宿に取りに行き、城に向かう途中、俺はまた質問をする。
 
 気になってはいたけど、散自身に関しては“散がここにいるから”訊いてもしょうがないので、我慢して後回しにしていた事。
 
「馬騰の娘の馬超……とかは、どうなったんだ?」
 
 危うく翠の事だけを訊こうとして、とか、と付け加える。俺が会った事もない翠個人の事を気にするのは不自然だし。
 
「少なくとも、お嬢と花は、無事は無事なようですよ。居場所こそわかりませんが、韓遂が反乱を起こして以降、一度もあの子たちは西涼に戻っていないようなので」
 
 言った後、ちょっとまずい事訊いたか? と不安になったが、散は意外に冷静にそう返す。……いや、そう見せてるだけかも知れないけど。
 
「お嬢と、花……?」
 
「娘の馬超、そして姪の馬岱です」
 
 とりあえず翠の生存がわかって、俺は思わず胸を撫で下ろす。……のを、見られた。
 
「……あたしはあの子たちが小さい頃から世話してますが、男性と親しくしてたという話は聞いた事が無いんですがね?」
 
「ち、違うって! 別にす……馬超の事とか気になってないって!」
 
「……す?」
 
 僅かな仕草から色々と見抜く散に戦慄を覚えつつ、必死に誤魔化す俺。……って、待てよ?
 
「小さい頃から、って……散、一体何歳なんだ?」
 
 雛里ほど幼くは見えないけど、どう見ても星や恋より年下にしか見えない。背も、星より頭一つ分くらい低いし。
 
「れでぃに歳を訊ねるのは感心しませんが、まあ応えてもいいかな、と」
 
 しかし、今の口振りだと、少なくとも翠より歳上という事に………
 
「大人の事情で細かくは言いませんが、二十を余裕で越えてたりしますね」
 
「ッッえぇ!?」
 
 この外見で……二十を、しかも余裕で!? 歳十個くらいさば読んでもバレんぞ。多分。
 
「やや童顔なので、歳下に見られがちになったり、ですよ」
 
 ……いや、もはや童顔とかいう問題じゃない。
 
「とっつぁんお嬢様と呼んでください」
 
「……嫌だ」
 
 大体何だ、とっつぁんお嬢様って。そう言えば………
 
「散、横文字どこで覚えたの?」
 
「質問尽くしですね。横文字……多分、あれの事でしょうか」
 
 言って、散はごそごそと荷物を漁り始める。
 
「あたしの怪我を看てくれた医者達としばらく一緒だったのですが、その医者の連れに薦められた物で。今やあたしのばいぶるです」
 
 そして手渡されたのは、一冊の本。
 
 『超・天界語入門 著・宝慧』
 
「これは………」
 
「あげませんよ。洛陽の行商から買った限定品ですから」
 
 いや、そうじゃなくて………
 
「著・“宝慧”………?」
 
「……………」
 
「……………」
 
 ……あいつ(風)かあぁぁーー!!
 
 
 
 
(あとがき)
 原作だと卑弥呼が横文字使った事は無かったと思いますが、「プロット」とか普通に使う貂蝉の師匠なので、知ってるという設定にしてます。
 
 



[12267] 十二章・『攻略不可能?』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/12 16:45
 
「城に入らないんですか?」
 
「……いや、ちょっと考え中」
 
 と言っても、一応俺たちは既に城内と言えば城内にいる。城の中庭の茂みの中にいたりする。
 
「押し倒すか、とか?」
 
「違うわ!」
 
「まあ、襲われたら刺しますけどね」
 
 ただでさえ………
 
『また勝手な事をした挙げ句“仲間を連れて来た”ぁ? 今度は一体どんな手を使って口説かれたのかな、我らが主? しかも元西涼の将? 一体どれだけ常識外れに振る舞えば………』
 
 などなど、ネチネチと説教される予感がひしひしとしてるのに加えて、散のこの性格である。確実に俺が痛い目に遭う。
 
 何かしらの対策は欲しい所だ。
 
「そういや、散が会ったのって、華佗と卑弥呼だよな?」
 
 すぐには思いつかず、また雑談に興じる。ノリとしては、転校初日の新クラスメート。
 
「おや、あなたも知り合いだったようで」
 
「この左腕の手術してくれたのも、華佗だからね」
 
 言いながら、俺は首に提げた左腕をくいっと動かす。もっとも、風の本を薦めた医者の連れ、って時点で、この事は大体予想がついていた。だから、この切り出しはどっちかって言うと前振りに近い。
 
「その左腕は?」
 
「ちょっと毒食らってね。骨削ったりしたらしい」
 
 まあ、何ていうか、ぶっちゃけると散の包帯が気になるのだ。
 
「この顔ですか?」
 
 そして、当たり前のようにバレてる。
 
「隻眼、なんてオチはありませんよ」
 
「そうなんだ?」
 
 ごくごく平然と応える散の態度に、遠回しな訊き方した無意味を感じたりする。
 
「何を隠そう、この左目は千里眼。日頃から開眼していると、日常生活に支障が……」
 
「マジでっ!?」
 
「素直に信じる所は、可愛くて好きですよ」
 
 嘘ですか!
 
「当たり前でしょう」
 
「……………」
 
 俺が気を遣ってたのを見抜いた上で、馬鹿にしていらっしゃる。
 
「火傷自体は完治していますが、痕は残ってしまいますから。まあ、この包帯は覆面みたいな物かな、と」
 
「……やっぱりそれ、怪我だったんだな」
 
 かと思えば、(多分)本当の事を語りだすし。ペースが掴めん。それにしても……覆面、か。
 
「まあ、あたしはどこぞのイチャイチャ夫婦と違って、顔が潰れて困る相手もいないので。気を遣わないでいいですよ」
 
 平然とそう言う散は、本当にそれほど気にしていないように見えて……何だか寂しい気持ちになった。
 
「……そうだな」
 
 でも、安易な慰めなんて、散は欲しがらないだろうし、何より慰める事じゃないと思ってる。
 
「顔に傷がついたくらいで気持ちが変わるようなやつに、散は勿体ないもんな」
 
 だから結局、俺には本音を向ける事しか出来ない。そして……
 
「うっわぁ………」
 
 引かれたーー!?
 
「出会って半日経たない内に口説き文句が飛び出しましたようで」
 
「誰が口説いとるか!!」
 
 散は表情を一切変えぬまま、その平坦な胸を、無駄に両手で隠すような仕草で後退……
(ガンッ!!)
 
「……………何をなさるのでしょう?」
 
「ご自身に心当たりがあるのではないか、と思ってます」
 
「んなアバウトな理由で短戟投げんな!」
 
 今、俺の顔の真横には短戟の刃があり、その刃先は俺が背中を預けている木の幹に深々と食い込んでいる。
 
 ……いや、当たってるけどね。失礼な事考えてたけどね。
 
「あたしを落とすには、文字通り十年早いですよ。坊や」
 
「坊や言うな」
 
 無造作に木に刺さった短戟を引っこぬく散に一言抗弁しておく。
 
「……イチャイチャ夫婦って、馬騰の事?」
 
「ええ、女将と、その旦那の事ですよ。事ある毎に惚気話を聞かされ、参ったものです」
 
 “嬉しそうに呆れた”ように見えた散のその言葉の中に、俺は微妙な違和感を覚えた。
 
「って、馬騰って女なのか?」
 
 前の世界で直接の面識はないけど、翠は父上って言ってたはず。その馬騰が、女?
 
「………やっぱりわけのわからない男なようで。あたしの素性は知っているくせに、主君である馬騰の性別も知らないとは」
 
 散はしっぽの生えた蛙を見る目で、また不自然っぷりを露呈してしまった俺を眺める。
 
 しまった。もうちょいさりげなく訊けば良かった。
 
「まあ、そんな彼女たちを冷めた目で呆れてた独身貴族なあたしなので、まず攻略は不可です」
 
「だから口説いてないっての!」
 
 自分を攻略とかわけのわからん表現をする散にツッコミを入れつつ、話題が戻った事にホッとしつつ………
 
「む、それはそれで、あたしのささやかなぷらいどに傷が………」
 
「わー! 違う違うそうじゃなくて!」
 
「……やはりこんな包帯女、誰にも相手にされないのかな、と」
 
「だから違うってば! 散はすごい可愛い女の子だって!」
 
「冗談です」
 
「………………」
 
 やっぱり、好き放題に遊ばれる俺である。ぴくりとも動かない散の真顔が小憎らしい。
 
 つか、顔の火傷は気にしないとか言いながら胸の事は気にしてたし、冗談だか何だかよくわからないけどこんな素振りするし、どこまで本気なのかさっぱりわからない。
 
「そろそろさぶいので、行きましょうか」
 
「ちょっと待った! まだいい作戦が……」
 
「カッちゃん。散を城の中に連れてって?」
 
「誰がカッちゃんか!?」
 
 俺を引きずるように城の中に歩いていく散。その短い間に、俺が一応の対策を練れたのは、ある意味奇跡的だった。
 
 
 
 
「それで、用件は何だ? 一刀」
 
 皆を集めた玉座の間で、不機嫌そうに星が呟く。まあ、あの騒ぎの後始末を丸投げしたんだから、当然と言えば当然だ。
 
「あの時はごめん。でも、俺なりに考えあっての事だったんだ」
 
 ほとんど思いつきに近い行動だったのは秘密。結果が伴えば問題ない、はずだ。
 
「それで今、皆に集まってもらったのも、無関係じゃない」
 
 俺の言葉を、星は眉をはね上げて、雛里はごくりと喉を鳴らして、恋は切なそうにお腹をさすって聞いている。
 
「恋も空腹みたいだし、単刀直入に、いこうか」
 
 俺は気分を出すために、手をメガホンみたいにして口に当てて……
 
「助けて華蝶仮面ー!」
 
 その名を呼ぶ。例によって星が慌てるのはお約束だ。
 
「びゅわ」
 
 やる気のない掛け声と共に、俺の後ろに位置する柱の影から、全身を隠した黒づくめがのそりと姿を現した。
 
「その身を炎に焼かれても、華の香りに誘われて、華蝶の定めに導かれ、西より流れし旅の蝶」
 
 外套の奥から、棒読みで淡々と口上が紡がれる。しかし、わざわざ台詞を考えてるあたり、この子ノリノリである。
 
「散華蝶、降臨」
 
 その言葉を言うと同時、黒の外套が宙に舞い、隠された姿が現れる。
 
 左半身を覆う包帯、緑なす黒髪、緑青のチャイナ服、そして緑の蝶の仮面。まあ、散なのだが。
 
 ってか、降臨て。
 
「というわけで、新しい仲間だ」
 
 敢えて当たり前みたいな顔してさらっと紹介する俺。に対して………
 
「「「……………」」」
 
 一同、唖然。星はパクパクと口を動かし、雛里は目と口でOを三つ作ってる。あの恋でさえ、僅かに目を見開いている。
 
「………というわけで、新しい仲間だ」
 
 話が進まないので、綺麗に言い直してみたら、ようやく再起動してくれた。
 
「お、おぬしは昼間の………!」
 
「よ、よく見たら……仮面の色が違います! 新型華蝶仮面です……!」
 
「……また、会った」
 
 流石に恋はもう落ち着いてるけど、星と雛里はなかなかのテンパり具合だ。
 
 特に、この中で唯一元祖華蝶仮面の正体を知らない雛里は混乱の極みである。
 
「問題ないだろ? “華蝶の定めに導かれた者に悪人はいない”し、“正義の心を愛する者に、素性も出自も関係ない”からな」
 
 俺はわざと斜に構えて、流すようにジト目を星に向けながら、昼間の星華蝶の言葉を真似た。
 
 星は俺に正体が隠せてると思ってる。とはいえ、ここで散を受け入れないのは、“華蝶仮面のプライド”に障るはずだ。
 
「あ、いや、それは………うむ」
 
 状況を頭で整理しながら、渋々といった感じに星は頷いた。星のヒーロー気質もかなりのもんだ。
 
「腕の方は、今さら試すまでもないよな。昼間の動きもだし、星や恋なら、見ただけでわかるだろ」
 
 俺の言葉に、恋はこくりと頷く。星はまだ、己の中で何かと葛藤しているらしい。
 
「さて、ここでネタばらし」
 
 このスムーズな流れに、名乗りを上げて以降黙っていた散が口を開き、そして………
 
「おーぷん」
 
「「ッッ!?」」
 
 緑の仮面を、外した。
 
「華蝶仮面がいかに秘密兵器とはいえ、国の重鎮が誰も正体を知らないのも不便でしょう。一人くらいは連絡係が必要かな、と」
 
 素知らぬ顔でそう告げる散。思いっきり驚いたのは、言うまでもなく星と雛里だ。
 
「名は鳳徳、字は令明、真名は散。どれでもお好きなのをどうぞ」
 
 ソフトクリームの味を客に選ばせる時みたいな言い方の、散の自己紹介。
 
 それに対して、
 
「……恋。よろしく」
 
「恋、ですか。お会い出来て光栄ですよ。天下無双のお嬢さん」
 
「? ……知ってた」
 
「あなたの主君から、特徴は聞いているので」
 
 恋は、実に自然な感じに打ち解けて、握手なんかしてたりする。
 
「同じ鳳の姓同士、仲良くしましょう」
 
「わ、わた、わたし! 華蝶仮面の正体初めて知りました! ひ、雛里って言いましゅ……!」
 
「……もえきゃら、のようで」
 
 雛里は、何か生の芸能人に会ったみたいなテンションだ。“実年齢”の差のためか、散が保護欲を刺激されてるようにも見える。
 
「あとの皆には、また会った時に紹介するよ。散の会いたそうなやつもいるし」
 
 俺はそう言って、星の後ろに回って、肩をポンッと叩く。散も、何故か示し合わせたように反対側の肩を叩いた。背丈が星より小さいから、ちょっと可笑しい。
 
「華蝶仮面に悪人はいない、よな?」
 
「まあ、そんな感じなようで。よろしく、ですよ。りーだー」
 
 うんうんと頷きながらそう囁いた俺と散に、星は自分の中の葛藤がピークに達したのか………
 
「うぅ………」
 
 へなへなと、その場に座り込んだ。どんだけ華蝶仮面に本気なんだ、こいつは。
 
 
 鳳令明、という心強い味方を得た俺たちは、軍を引き連れ一路、涼州を目指す。
 
 
 
 
(あとがき)
 PV百万オォーバァー!! はい、ちょっとはしゃぎました。
 
 こんな風に執筆を続けられるのも、本作を読んだり、感想くれたりする皆様のおかげです。
 
 この機に、感謝を。
 
 



[12267] 十三章・『お姉さん』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/13 17:13
 
 戦場を縫うように、白い影が駆ける。その手に握られた、八十斤もの重量を持つ双鉄戟が軽やかに、風を切って奔り………
 
「敵将馬玩、討ち取ったり」
 
 敵将の首が、宙を舞った。
 
 
 
 
「これで、あとは西涼に一直線ですね」
 
 あちらも既に国境に兵力を集めていた韓遂軍を真っ向から蹴散らし、俺たちは西涼の南東、天水に入城していた。
 
 戦争が起きた事への不安はともかく、ここも不思議と北郷軍自体への忌避感はほとんど皆無だったと言っていい。
 
「何か、随分呆気なかったな」
 
 その天水の玉座の間にて、うまく事が運びすぎると不安、という散の言葉を図らず体感している俺である。
 
「韓遂の強みは、西涼の屈強な騎兵隊。とはいえ、それは西涼出身の元董卓軍が主力になっている北郷軍騎兵隊も同じですから」
 
 雛里が、そんな俺に言って聞かせるように言う。こういう時は、雛里が外見より少し大人っぽく見えない事も無い……かも。
 
「まあ、正直ここまで練度を保っているとは思っていませんでしたよ。期待以上、と褒めておきましょうか」
 
 馬騰に仕えていた散にそう言ってもらえるのは、実に心強い。
 
「訓練法とか、役立つ部分は積極的に取り入れてるよ。……それにうちには、騎馬訓練に妥協しないやつもいるから」
 
「……ふむ、神速の張文遠ですか」
 
「正解」
 
 ほう、と感心げに自分の顎を撫でる散。
 
「元々、数も質もこちらが上なのだ。慢心は不要だが、敵を過大評価する必要も無い」
 
 星までがそう言うなら、確かに俺の考えすぎか。考えてみれば、俺は前の世界の時から、圧倒的優位に立って戦った事がほとんどない。
 
 開戦前の俺たちの兵力は八万五千。対する韓遂軍は四万。馬は向こうの方が全体の比率としては多いだろうが、そもそも全軍の数が違うし、練度ならこっちも負けてない。
 
 極めつけに、こっちには星、恋、散っていう大陸最強クラスの武将まで揃ってる。確かに、戦力差ははじめから歴然としていた。
 
 とはいえ………
 
「散、韓遂ってどんなやつ?」
 
 被害を最小限に止めるに越した事は無い。まだ、韓遂当人とは戦ってないから、判断材料は多い方がいい。
 
「そこそこ腕は立ちますよ。一刀じゃ相手にならないでしょう」
 
 散は、わざわざ要らん前置きを入れてから……
 
「ただ、あたし達三人には遠く及びません。むしろ、用兵の方が得意でしょうね」
 
 つらつらと、韓遂について話し始めた。
 
 何事もそれなりにこなしていける有能な将。常に他者を表に立てて、自身は裏で物事を動かしていた。馬騰とは義姉弟の契りを結んでおり、反乱を許してしまったのも、そこに大きな要因がある。
 
「……まあ、あたしは韓遂は信用ならない、と前々から言ってましたので、女将の自業自得でもあるかな、とも思いますけどね」
 
 さばさばとした様子でそう言って、散は両手で丁寧に持ったお茶をすする。
 
「……そんなやつが、どうして大々的に反乱なんか起こしたんだ?」
 
 常に他者の影に隠れて物事を動かしていたなら、何で今さら義姉を裏切ってまで君主の座を狙ったのか、そこに疑問が残った。
 
「そこはまあ、韓遂の性格の話になりますが……不快なので流す方向で」
 
 おいっ!?
 
「漢王朝に忠実で正義感の強い、真っ直ぐな青年。それが韓遂の本質です」
 
 はぐらかしたと思った直後にあっさりそう言う散。しかし、その内容は腑に落ちない。
 
「どういう、意味だ?」
 
 韓遂の反乱と本質、それが結び付けられない俺を、
 
「自分で考えてみましょうか」
 
 散は助けず、
 
「それより、西涼攻略を話し合いましょう。実を言うと、この時のために色々と根回ししてたので」
 
 星と雛里に向き直って話をさらっと変えた。
 
「ほう、根回しとは?」
 
「元々、馬騰に叛旗を翻して領内で争いを起こした韓遂には住民の不満が募ってましたから。比較的簡単に仕掛けられたかな、と」
 
 根回しという単語に食い付いた星によって、話は西涼攻略に移っていく。
 
「………むにゃ」
 
 退屈な作戦会議に眠くなってしまったのか、俺の横の席に(ぴったりと)座っていた恋の頭が、こてんと俺の腕に寄り掛かる。
 
「(正義感の強い、真っ直ぐな男………)」
 
 散の発案をきっかけにして、雛里や星が質問や補足しながら、俺と恋を置いて話はどんどん進んでいく。
 
「………………」
 
 恋の頭を撫でながら、俺は散に言われた通り、自分で考えてみる。
 
「(星や雛里は、わかってる……のか?)」
 
 さっきの会話に何も突っ込まなかった星たちの様子から、そんな事を勘繰りつつ、
 
「(漢王朝に忠実で真っ直ぐな男が……馬騰に反乱)」
 
 俺は作戦ではなく、考え事に没頭していた。
 
 
 
 
「それでは、せいぜい派手に暴れてください」
 
 進軍の布陣を整えた軍を待機させた今、白馬に乗った一人の少女が、その集団から離れて行こうとしていた。
 
「韓遂の評価、意味がわかりましたか?」
 
 昨夜の問いの意味、それを、まさに出陣しようとする今訊くのは、きっとわざとやってるんだろう。
 
「俺なりに考えて、解は出したよ。そして、それが韓遂に限った話じゃないって事も」
 
「よろしい」
 
 俺の解に満足がいったのか、散は白馬を動かして背を向ける。その背中に、
 
「………散」
 
 俺の方も、訊きたい事があった。
 
「初めて会った時、散は“ああ”言ったけど、俺を連れてこれた今は……どう?」
 
『西涼の民の事を考えれば、今はあんなのでも太守に据えといた方がいいようなので』
 
 韓遂に対して、暗殺を“しなかった”散は、そう言った。でも、今は?
 
「……………」
 
 前の世界で、翠は父親を華琳に殺された。それでも………
 
『前までは故郷のことしか考えてなかった。だけどご主人様たちと過ごすようになって、大陸の平和とか、街の人たちのことを考え出したんだ』
 
『父上を殺されたことに対して、恨みはあるにはあるんだけど、でもそれって結局、大義の前では小さな出来事なんだなって。そう思えるようになった』
 
 それより大切なものを見つけて、白装束に操られていた華琳を、助けようって言ったんだ。
 
「韓遂を殺したい。それが、戦う理由か……?」
 
 復讐は悪い事です。なんて言えやしない。今さら現代日本の倫理観なんて持ち出すつもりもさらさらない。
 
 けど、俺はあの時の翠の言葉は大切に持ってるし、そんな翠を誇りに思ってる。
 
 だから、だろうか……。仲間が復讐心を理由に戦うのが、どうしようもなく嫌だった。
 
 もっとも、あの時は魏全体との殲滅戦を避けるって理由があったけど、今回、韓遂を生かす理由はない。
 
 昨日の散の言葉を聞いた後じゃ、投降して力を貸してくれるとも思えない。
 
 だから、散が復讐だって言っても、俺は否定なんて出来ない。……結局、全部俺のわがままなんだから。
 
「……………」
 
 散は、相変わらず何を考えてるのかわからない表情で俺をじーっと見てから、ちょいちょい、と手招きをした。
 
「………?」
 
 馬の首の向き的に、俺が行く方が早い。俺は馬をゆっくり歩かせ、散の白馬と並んで………
 
「うぇっ!?」
 
 散の、包帯を巻かれた左手が、ポンと俺の頭に乗せられた。若干背伸びするような不自然な姿勢で、ぐりぐりと俺の頭をかき回す。
 
「あの……散?」
 
「見えないかも知れませんが、あたしはこれでもお姉さんなので。子供が変な気遣いするもんじゃない、と思いますよ」
 
 完全に出来の悪い弟に言い聞かせる口調でそう言った散は、撫でてた手を突然止めると、そのままパカンと俺の頭をはたいた。
 
「って!」
 
「お前だけは許さない! とか、死んだあの人の無念を! とか、そういう暑苦しいのは苦手なんですよ」
 
 白馬をまたゆっくり歩かせて背を向ける散は、そう言いながらひらひらと手を動かした。
 
「……ありがとう、散」
 
 何に対するありがとうなのかわからないけど、俺は相変わらずの散に言って………
 
「別に………」
 
 散は、その平然さが頼もしいいつもの声音で、返し、
 
「優先事項が変わっただけです」
 
 その白馬を、風のように走らせた。
 
 
 
 
「……………」
 
 それほど遠くもない所で、戦いの狂騒が響いているのが耳に届く。
 
 一刀たちが、手筈通りに攻城戦の“フリ”をしだした音だろう。
 
「……よく、ここから抜け出していましたね」
 
 女将や花が、勝手に城を抜け出す時に使っていた抜け道。もっとも、当人たちはバレてないつもりだったようだが。
 
「(あの時は、とてもこの抜け道を目指せる状態ではなかった、ですしね)」
 
 董卓たちには、ここを通るように言ったが、韓遂の兵が街中に犇めいていたあの時、あたしには使う事が出来なかった。
 
 土竜よろしく城壁の亀裂に潜り込むあたし。女将はよくあんな贅肉の塊を胸につけてここを抜けられたものだと感心する。
 
 結果的にあの時使わなかったから、バレずに今役立っているのだから良しとしよう。
 
 幸い、あの脱走であたしは死ななかったし、女将と違って、火傷を負って泣く男もいない。
 
『独り身って憐れよねぇ~♪』
 
『顔に傷がついたくらいで気持ちが変わるようなやつに、散はもったいないもんな』
 
「……………」
 
 何やらムカつく情景と生意気な情景が蘇ったので、目の前の“木の壁”に、双鉄戟を叩きつけ………
 
「うひゃあっ!?」
 
 情けない声が聞こえた。まったく、男のくせにだらしない。
 
「鳳徳将軍!」
 
「本当に来てくだすったんですね!?」
 
「あなた方、ぼりゅーむ下げなさい。ぼりゅーむ」
 
「ぼ……何ですって?」
 
「あまり無意味に騒ぐなと言ってるんです」
 
 以前、華佗と卑弥呼と一緒に来た時(いや、彼らの荷物に隠れて入ったのだが)。
 
 その時、抜け道の存在を教えておいた皆さんだ。そんなに数がいるわけでもないが、城壁の内側で混乱を起こし、開門する分には十分だろう。何より、あたしもいるし。
 
「それでは、懐かしの西涼自警団の皆さん。いっちょ派手にいきましょうか」
 
『応!!』
 
 
 瞬く間に終わる戦い。それは私怨ではなく、愛する故郷を取り戻すための戦い。
 
 
 
 
(あとがき)
 展開的にさして盛り上がるわけがないとわかってる西涼戦(敵がオリキャラしかいないし)。戦力差の事もあり、サクサク進行。
 
 やはり地理的な知識は無きに等しいのが痛い。不安が止まらない。
 
 



[12267] 十四章・『閻行』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/15 22:06
 
「ぐぶっ……!」
 
「……………」
 
 城門の兵の喉に突き立てた双鉄戟を、無造作に引き抜く。
 
「じゃ、手早く開門しちゃってください」
 
『応!!』
 
 威勢よく叫んだ自警団の屈強な若者が、門の開閉を司るデカい歯車に集まる。
 
「……さて、あたしも次、行きますか」
 
 
 
 
「開いた、な」
 
「……はい」
 
 城門の前で攻めるフリをしていた星の部隊の前で、橋兼城門が下りてくる。
 
 そして、それを後ろから眺めてる俺、雛里、そして恋。作戦の時も蚊帳の外だったし……俺、今回号令以外何もしてないぞ。
 
「散もうまくやってくれたみたいだし、ここでヘマ出来ないな」
 
 俺の言葉にコクリと頷くのは、恋。結局の所、今回の俺の仕事は、散の勧誘で終わっているらしい。
 
「行ってくる」
 
 騎馬隊を連れて、天下無双は駆け出した。
 
 
 
 
「何事かっ!?」
 
「わかりません! 内側から城門が開けられたようです!」
 
「(裏切り……いや、住民の反乱か……!?)」
 
 慌ただしく、否、混乱する城門の内側から、開門と同時に雪崩れこむ北郷軍を遠く見据えて、青年は忌々しげに爪を噛む。
 
 名を韓遂。現在における西涼の太守である。精悍な顔つきと綺麗な菫色の短髪という、神秘的なまでの容姿ではあるが、キツく寄せられた眉間の皺とその神経質な振る舞いが台無しにしている。
 
「おのれ、冬まで持ち堪えられればまだ勝機もあったものを………」
 
 いや、あまりにも敵に都合良く事が運びすぎる。何かを内に仕掛けられたか? と、勘ぐる韓遂に……
 
「わが君! もはや一刻の猶予もありません! 敵兵数は我が軍の倍以上。開かれた東門と逆の、西門から逃げましょう!」
 
 部下の一人、成公英が叫ぶ。どこか、懇願にも近い悲鳴だった。
 
「この西涼を捨てろと言うのか!?」
 
「もはやこの場での勝ち目はございません! しかし、わが君さえ健在なれば、再起も可能。何とぞ!」
 
 成公英はひれ伏し、地面にその額をこすりつける。 残りの数人の部下が、その様子に驚愕の眼差しを向けているが、成公英はその頭を上げようとはしない。韓遂の返事を待っているのだ。
 
 そんな中で……
 
「逃げられると、こちらとしては困るかな、と」
 
『っ!!』
 
 間延びした声が、頭上から韓遂らの耳に届く。困る、と言いながら、どっちでもいいと言わんばかりの声だった。
 
 ここは城壁の内側、詰所から兵も収集中の状態であり、容易には近付けない。はずなのに……。
 
「鳳、徳……!!」
 
 石垣の上に、確かにその女は立っていた。黒髪を揺らし、右手に戟を提げて。
 
「貴様が生きていると聞いた時は、正直驚いたぞ。あの時、炎の中で焼け死んだとばかり思っていたからな。……“これ”は貴様の仕業か、死に損ない」
 
「さてどうでしょう。ここは敢えて、意味もなく秘密、という方向で」
 
 そのふざけた態度に、今まで苛々を募らせてきた韓遂は、我慢ならないとばかりに怒鳴り返した。
 
「貴様よりにもよって北郷などと手を組みおって!! どこまで腐れば気が済むのだ!!?」
 
 半狂乱に騒ぐ韓遂の言葉を受け、罵声を受けた鳳徳……散は、
 
「(これなんだっけ、ああ、あれだ。ひすてりーだ)」
 
 などと考えていた。
 
 なおもぎゃーぎゃーと何事か怒鳴ってはいるが、散は頭どころか耳にも入れてはいない。
 
「すいませんが、あなたと話し合いをする気はないんですよ。無意味な上に疲れるんで」
 
 散の持つ、韓遂の人物評、それは漢王朝に忠実で、正義感の強い、真っ直ぐな青年。
 
「ハッ! 言葉で言い返す事すら出来んか! 自分が悪に染まったと認めているようなものだ!!」
 
 そんな人物が“歪んだ”結果が目の前の“これ”だという事だ。
 
「都と帝を傀儡とする北郷も、漢王朝を見捨てた馬騰も、悪そのものだ! 僕が必ず帝の統治する大陸を取り戻してみせる!!」
 
「(……まあ、予想通りの主張かな、と)」
 
 憐れみを込めた散の視線に、韓遂が気付く事はない。何故なら、自分に酔っているからだ。
 
「馬騰を討ったのも、僕の言葉を理解しようとしなかったからだ! 西涼の民を戦火に巻き込んだのも、そのために必要な犠牲だったからだ! 何故どいつもこいつもわからない!?」
 
 つまり“頭が固くて融通の効かない、独善的な男”。そういう事だった。
 
 物事には、視点一つ変えるだけで様々な多面性が存在する。北郷一刀は、まあその意味がわかっただけマシな部類だと言える。
 
「何度も言わせないでください」
 
 散は、戟を振り上げる。同時に、合図を受けた自警団の男たちの怒声が響いてきた。こちらに向かってくる。
 
 その事に動揺する韓遂陣営の隙を、散は狙い済ましていた。
 
「あなたと話すつもりは、ないんですよ」
 
 散が石垣から飛び掛かる。韓遂は、慌てて腰の剣に手を掛ける。
 
 しかし、遅かった。鞘から剣が抜けきる前に……
 
「ぎゃぁああああっ!!」
 
 韓遂の右腕は、戟の一閃を受けて斬り落とされ、ぼとりと地に落ちた。赤い鮮血が噴き出す。
 
「さようなら」
 
 続けて、とどめと言わんばかりに振るわれた戟は、今度は届かなかった。
 
 重く唸った槍の一撃が、ガキッ! と散の一撃を阻む。
 
「……閻行」
 
「させんぞ」
 
 槍の主は、韓遂の側近の一人。熊のような体躯に、黒い髪を乱した男。
 
「腕が……! 腕があぁー!?」
 
「わが君! 今はお逃げくだされ!!」
 
 自警団と兵の小規模ながら激しい戦いの中で、韓遂は落とされた腕を庇いながら、数人の部下と僅かな兵を連れて奔走する。
 
 散は追わない。目の前の男と、ただ睨み合っている。
 
「最初の一撃、わざと許したんですか?」
 
「いいや、それは単に間に合わなかっただけさ」
 
 買いかぶりすぎだ。と閻行は軽くおどけて、槍を両手で握り、構える。
 
「韓遂様は、もう終わりだ。逃げ延びたって、大成なんて出来ねぇよ」
 
「……その様子だと、だからといって投降するつもりもないようで」
 
「………ああ」
 
 短いやり取り。その間も、互いに互いの隙を狙っている。
 
「武人らしく、戦って死ぬ。それに、お前さんとは一度、本気で戦ってみたかった」
 
「……いいでしょう」
 
 閻行は、かなり腕の立つ武人だ。かつて西涼で開かれた武術大会で、あの錦馬超を散々に打ち負かした事もある。
 
 もっとも、当時の馬超はまだ成人もしていない“未成熟な天才少女”に過ぎなかったが。
 
「お前さんも、随分とあっさり韓遂様を見逃したな」
 
 空気を貫く刺突が、咄嗟に避けた散の首の横を通過する。
 
「実を言えば、城壁の内側で大規模に戦うつもりは、最初からないんですよ」
 
 それとほぼ同時に繰り出された、掬い上げるような戟の一閃が、閻行の鎧を浅く切り裂いた。
 
「そういや、東門の北郷軍、いつまで経っても雪崩れ込んで来ねえもんな」
 
 両者、そのままギュルッ! と柄を回した石突きがぶつかり合い、弾かれるように飛び退く。
 
「韓遂が死のうが死ぬまいが、あなた方が西涼を放棄して逃げるのはわかってましたからね」
 
 世間話をするような口調の中で繰り広げられる、命懸けのやり取り。
 
 両者、同時に踏み込み、激しく、重く、疾く打ち合う。
 
「よく我慢出来たもんだ。馬騰の仇だってのによ」
 
「優先事項が変わっただけです」
 
 数合、数十合と刃がぶつかり合う。それは剣舞と呼ぶには荒々しく、しかし相当な技巧と力の攻めぎ合い。
 
 乱舞、とでも称すれば良いのだろうか。
 
「その包帯は飾りかよ。前に見た時より全然衰えてねぇじゃねぇか」
 
「本気のあたしと戦いたかったのでしょう? まあ、飾りというか覆面ですから」
 
「っと、仮にも女に対して無神経だったな」
 
「お構い無く」
 
 打ち合いながらの互いのそんな軽口の応酬も次第に無くなっていき、刃の衝突音が百を越えたあたりで完全に無くなる。
 
 ただただ無言で、打ち合えば打ち合うほどに感覚が研ぎ澄ませるような奇妙な、あるいは至高の戦い。
 
 その均衡は、数百合目の激突で、唐突に破れた。
 
(バギンッ!!)
 
「うっ……!!」
 
 散の双鉄戟の振り下ろしを受けた閻行の槍が、中途から砕け落ちたのだ。
 
「っ…………!!」
 
 その隙を逃すまいと、戟を振るう散を前にして、しかし閻行の集中力も極限まで高められている。
 
「(大振り………)」
 
 実際、その散の一撃は、通常ならば大振りと呼べるほどのものではない。だが、その時の閻行には、それすら隙と映った。
 
「(食らえ!!)」
 
 砕かれた槍。穂先も失い、短くなったそれが、この瞬間のみ、本来の姿以上に役に立つ。
 
 大振りの隙に割り込んで、散の振るう戟の懐に潜り込む。まさに最適な間合いで、柄のみの槍を突き出す閻行。
 
「「ッ………!」」
 
 それは、首を捻った散の頬を、浅く掠めた。その時、閻行は不思議な感覚を味わっていた。
 
 妙に時間が、遅く感じたのだ。ふと、今の体勢を見て、気付く。自分が隙だと感じた散の一振り、散は左手だけで振っていたのだ。
 
「(ああ………)」
 
 その事実と、散の右手が彼女自身の背中に回っているのを見て、閻行は悟る。
 
 相手の隙に飛び付いたのは自分の方で、それは誘われたものだったのだと。
 
 その光景自体はゆっくり流れるわりに、自分の体は別に素早く反応してくれないのだから、理不尽なものだ、と閻行は思う。
 
 散は、さらに踏み込む。散の双鉄戟の間合いより、閻行の折れた槍の間合いよりさらに踏み込んで……
 
 右手で、腰に差した短戟を抜き放った。
 
「(最高の、終わり方だぜ)」
 
 二人の体が、交差するように過ぎ去った一拍後………その首から鮮血を散らして、閻行は倒れた。
 
 その、もう変わる事の無い表情に、満足そうな笑みを張りつけて。
 
 
 
 
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
 
 布で思い切り縛った右腕から、滲んだ血がポタポタと零れるのにたまらない惨めさを感じながら、韓遂は西門を抜けて荒野を馬で駆けていた。
 
 『手下八部』と呼ばれる彼の勇将のうち、今や傍らに残るは楊秋と張横の二人のみ。そして、成公英と千人程度の小規模の騎馬隊だけ。
 
「(何故だ………)」
 
 今の自分の惨状を否定するように、韓遂は心の中で呟く。
 
「(何故、この僕が……正義が破れる)」
 
 世の理不尽に、思い切り剣を突き立てたい。そんな衝動に駆られていた。
 
 間違っているのは自分ではなく世の中であり、それを否定する人間全てが愚者。
 
 韓遂の『真っ直ぐな正義感』は、そういう方向にしか思考を向けない。
 
「わが君!!」
 
 話し掛けるな。と言わんばかりに成公英を睨むために振り返って、さらに絶望的なものを目にする。
 
 後方から迫る砂煙。響く馬蹄。
 
「あれは………」
 
 彼にとっては、死神にすら見えただろう。
 
 
「深紅の呂旗………呂奉先です!!」
 
 
 
 
(あとがき)
 やっぱり三国志の地図的な物を買った方がいいのかな〜と思いつつ、そろそろ西涼編終幕。
 
 今回何か出てきた閻行。最初は出す気なかったのですが、とある読者様の感想板での言葉で、忘れてた記憶とインスピレーションがむくむくと、ってな具合です。ありがとうございました。
 
 



[12267] 前半終幕・『夢』
Name: 水虫◆70917372 ID:e06686bb
Date: 2009/12/16 22:16
 
「本当に、いいのか?」
 
「しつこいですね。もぎますよ?」
 
「それはヤメテ!」
 
 西涼の城門前で、もう何度目かという質問を俺は繰り返していた。確かに、ちょっとしつこいかも知れないけど………
 
「優先事項が変わっただけです」
 
 こんな説明で納得しろっていうのも無理があると仕方ないんじゃないかと思う。
 
「ほ、ホントにわた、私に、涼州の太守など勤まるのでしょうか?」
 
「ああ、それは大丈夫。俺が保証するよ」
 
「ッッ……! せ、誠心誠意勤めさせて頂くのでありゃす!」
 
 恐縮しきりといった感じの茶色いセミロングの女の子。恋の副官をしていた西(シー)……高順だ。
 
 そう、本当ならせっかく取り戻したんだから、涼州は散に任せようと思ってたんだけど、散は洛陽に戻る俺たちについてくる事を主張。理由は先のやり取りの通りである。
 
「投降した程銀や侯選や成宜を君の配下につけるから。力を合わせて、ね?」
 
 将軍と呼べるかも怪しい身分からいきなり太守、という事で緊張するのも仕方ない。と思い、元気づけようと肩をポンと叩く。
 
「!!!!?」
 
 ………石化してしまった。何という人見知り。未だに慣れてもらえてないってのは軽くへこむ゛!?
 
「痛たたっ!?」
 
「まったく……隙を見せれば手当たり次第に……」
 
 星がぶつぶつ言いながら突然俺の耳を引っ張り、
 
「王なら、後宮の五人や十人当たり前では?」
 
 散がさらっと嫌な理論を持ち出し、
 
「で、でも、武将にというのはあまり一般的では……」
 
 雛里が二人の妄言を真に受けて、何故か涙目になり、
 
「………………」
 
 恋が険しげに目を細めた。
 
「ま〜た〜なぁ〜〜!」
 
 引きずられるように、俺たちは西涼の地を後にする。
 
 
 
 
「北郷が、勝ったのよね………」
 
 西涼より南、漢中の地。その賓客用の屋敷の一室。そこにボク達は滞在していた。
 
 何をするでもない。こうやって、自分の膝に額をぶつけてうずくまるだけ。
 
「ボクは、何やってんだろ………」
 
 『反・北郷連合』。ボクが何もしなくても、それは『反・董卓連合』として実現しただろう。
 
 都の実権を握った者を、諸侯が集って叩き潰す。それを予期したからこそ、ボクは“ああ”した。
 
 月を守るために。
 
「………………」
 
 あのまま時流に任せていたとして、ボクに連合を打ち負かせた自信はない。だからこそ逃げ出したのだけど……。
 
「……どっちにしろ、ダメじゃない」
 
 勝った所で、後に残るのは『魔王・董卓』。一生平穏なんて来ない。大陸を全て支配下におけば話は別だけど、あの月がそんな事を望むはずがないし、それは、ただ諸侯連合に勝つより遥かに難しい。
 
 ……そう、ボクはそういう境遇に、あいつを追いやった。たくさんの命をも巻き添えにして。
 
「……だからって、今さら後戻り出来ない」
 
 北郷が討たれ、この時代の生け贄となる。それでもう、権力闘争や戦いの時流に巻き込まれる事は無くなり、傷ついた月をボクが守って、少しずつ傷を癒していけばいい。
 
 少し前までは、そう思っていた。だけど、今は違う。
 
 決して、目立ってはならない。北郷の勢力内に踏み込んでもいけない。どこかの勢力に仕官するのも危険だ。
 
 今みたいに、馬超の小間使いをしているくらいが一番なのかも知れない。………少なくとも、北郷の勢力が滅亡するまでは。
 
「…………………」
 
 袁紹でも曹操でも袁術でも孫策でも、誰でもいい。ボクたちと関わりのない所で、本来の形で北郷を倒してくれれば………。
 
「北郷、一刀………」
 
 天の御遣いなんて言われて、黄巾の乱で活躍して、王都の警備隊長にまで祭り上げられて、そして………大陸を脅かす地獄の使者に貶められる。
 
 それがどんな思いなのか、ボクにはわからない。あいつがボクたちをどう思ってるのかも、わからない。
 
 それを理解出来るほど、北郷一刀という人間との時間を過ごしたわけじゃなかった。
 
「………やめよ」
 
 今さらそれを気に掛ける資格は、ボクにはない。
 
 ……どれだけ汚れても構わない。他の全てを傷つけても構わない。必要なら、どんな罪だってボクは冒す。
 
「ボクが、月を守るんだから………」
 
 だから、月………
 
「………お願いだから、笑顔を見せて………」
 
 
 少女は苦悩し、堕ちていく。決してそれが、何より大切な笑顔に結びつかないと悟って、なお……。
 
 
 
 
「……………」
 
 今は、天水を目指す道中での休憩時間。何やら一人で昼飯を速攻で食べて姿を眩ました散……を、こっそりつけてる俺。
 
 散は少し高めの岩に登って、遠く西を見据えている。そんな様子を木の陰から覗く俺。
 
「あっ、そうだ」
 
 散は、背中を向けたまま「閃いた」と言わんばかりにポンッと手を叩いて………
 
「曲者ー」
 
 短戟投げてきたーーっ!!
 
 ヒュン! と風を切る音を立てて、幹に勢い良く突き刺さる。
 
 木の幹が楯になってくれていなければ顔面直撃コースである。
 
「おや、一刀でしたか。こそこそ覗いていたもので、あたしを狙う刺客かと思って、つい」
 
「うそつけ! すっげぇわざとらしい棒読みだったぞ!? しかも今気付いたんならさっきの思い出したみたいな『あっ、そうだ』は何だ!?」
 
「ツッコミ長いなぁ」
 
「やかましい!」
 
 少し様子がおかしい。場合が場合なだけに仕方ないかも知れないが、やはり気になる。という心理の下、わざわざこっそり後をつけてはみたものの、散は呆れるくらい普段通りのノリだった。
 
 そもそも、色々あったようでまだ出会ってからさして経っていないような俺の『様子がおかしい』なんて当てにならなかったのかも知れない。
 
 木に突き刺さった短戟を引き抜いて、俺も不器用に岩に登った。
 
「……西涼には、時々気が向いた時に帰って来られれば、それでいいんですよ」
 
 手渡した短戟を受け取り、短い沈黙を経てから、散は零すようにぽつぽつと話し始めた。
 
 多分、散自身はそれを話す必要性を感じていないんだろう。俺が気に掛けてる事に配慮しての事な気がする。
 
「……情けないな、俺」
 
「子供が変な気を事を気にするな、と言ったはずです。……それに、気を掛けられている、という事自体は、悪い気はしないかな、と」
 
 少しややこしい言い回しだ。つまり、俺が散を気に掛ける事で迷惑を掛けているってのを気にするなって事で………普通に気を回すのは悪い気はしないって、事か?
 
「あなたはそのままでいろ、という事です」
 
「なるほど、わかりやすい」
 
 見た目ちっこいくせに、こういう時、やっぱり大人なんだって思う。奇妙な説得力と包容力を感じる。
 
「あたしが自分の意志だけで決めた事なので、西涼の事は本当にいいんですよ」
 
「………じゃあ、馬超たちの事か?」
 
 すごく納得出来る理由を聞けて、俺は西涼の事は心配ないと確信した。と同時に、自動的にもう一つの心当たりが口を突いてでる。
 
「まだまだお守りが必要、とまで言うつもりはないかな、と」
 
 馬鹿にしてんだかある程度は認めてんだかわからない言い草で、散は短戟を指先でくるくると回す。
 
「姿を見ていない以上、絶対に無事だって確信はないですけどね。ただ、最低の場合でも……胸を張れる死に方は選べる子たちなので」
 
「そういうもん?」
 
「そういうもん」
 
 ある意味実に散らしい対応に、苦笑が漏れる。“自慢の娘たち”は、決して甘やかされては育たなかった事がよくわかった。
 
「うん……。きっとまた、会えるよ」
 
「……だから、会う事自体が重要ではないという話を今したつもりだったのですが?」
 
「だったら何で、こんな所でブルー入ってるんだ?」
 
「………………」
 
 俺の返し方が予想外だったのか、散は目を二、三度ぱちくりさせて黙り込んだ。……ふむ、この顔は素と見た。
 
「ふっふっふ、はじめて散から一本取った気がするぜぃ」
 
 意地悪く笑って覗き込もうとした俺の顔に、散は明後日の方向を見たまま、無言で手首のスナップを効かせた裏拳をぷち当てた。俺はのたうち回って岩の上から落ちそうになる。
 
「………仲間、か」
 
 落ちないように必死に岩にかじりつく俺の頭を、散は双鉄戟の石突きをぐりぐりと押しつけながらぶつぶつ言っている。
 
「……単なる、勧誘の常套句みたいなものだと思ってたんですがね」
 
「さっきから何ぶつぶつ言ってんだ! ちょっ、やめて! ホント落ちる!」
 
「生意気、と言ったのですよ」
 
 ぐいっと勢いよく額を押されて、俺は背中から落下した。
 
 いつかぎゃふんと言わしちゃる。
 
 
 
 
 時々、自分がわからなくなる事がある。
 
 最初は、目の前に映る正義を成して、それで満足していた。
 
 あの頃の自分も、ある意味では自分の事をわかっていなかったのかも知れない。
 
 正義を成したつもりになって、そんな自分が如何に小さいか、わかっていなかったのだから。
 
 でも、今あるこれは、そういうものとはどこか違う。
 
 『自分の行動の意味』ではなく、漠然と『自分自身』がわからなくなる。
 
 迷わず、臆さず、一つの道を真っ直ぐに進んできた自分。我が信念は岩をも貫く。
 
 暗くて何も見えない世界に、白く輝く一筋の道がある。その道を、一歩一歩、堂々と、胸を張って歩くのだ。
 
 途中、道に数々の苦難が立ちはだかる。それは虎だったり、猪だったり、剣を握った賊だったりと様々だ。
 
 紅い髪と瞳を持つ、天下無双と名高い少女までが立ちふさがる事もある。
 
 そんな最強の障壁さえも、私は何度打ちのめされても立ち上がり、払いのけて進むのだ。
 
 ただ、その光の道を真っ直ぐに歩く。何が立ちふさがっても、避けず、怯まず、闇の中には一歩も逸れぬまま、真っ直ぐに。
 
 しかし突然、新たな障壁が現れる。何であろうと関係ないと、踏み出そうとして、しかしそれは光だった。
 
 眩しい光の道から、まるで樹木のようにその姿を現す。それはいつしか、人の形へと変わり始める。
 
 私だ。
 
 気付くのに、それほどの時間はかからなかった。
 
 でも、それはあまりに現実味がなかった。
 
 光り輝く私は、私自身にはとても真似出来ない類の、幸せそうな笑みを湛えて、私にはとても真似出来ない悲しみをその瞳に宿していた。
 
 光る私が、こちらに手を伸ばしてくる。
 
 そして、私は逃げ出した。
 
 どんな困難でも立ち向かい、打ち砕いてきた私が……脇目も振らずに逃げ出していた。
 
 それまで真っ直ぐに歩いてきた道を踏み外して、迷わず闇の中に飛び出した。
 
 踏み外してすぐに、光の道は見えなくなった。何も見えない、聞こえない空間を走り続けて、わけもわからず涙が溢れてくる。
 
 そんな時、私の手を何かが掴むのだ。
 
 振り返れば、光があった。光を纏う自分の姿が。
 
 その、自分とは思えないような穏やかな少女が、何事か言おうとして唇を動かす。
 
 
「………………」
 
 そこで全ては、現実に還るのだ。
 
 どこからが夢想で、どこまでが自問自答だったのか、自分自身でもわからない。
 
 
 
 
(あとがき)
 はい、少々話数が増えすぎて不便になって参りましたので、ここらで前半終了。第2ステージに移ろうと思います。
 
 ここまで頑張れたのも、本作を読んだり、感想をくださった皆さんのおかげです。後半戦もよろしくお願い致します。
 
 


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