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[8635] 鋼の騎士 タイプゼロ (リリカルなのはsts オリ主)
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/09/21 01:52
 初めてお会いする方は初めまして。

 前のssを読んでくれた方は久し振りですね。

 Neonです。

 このssは前述のものを書いていた時にふっと思い浮かんだネタを利用しています。



 主人公はオリジナルキャラですが、転生ものではありません。

 作者は重度の厨二病に感染していますので、自然内容もそうなる事が予想されます。

 そういうのが受け入れられないという方は「戻る」をクリックして下さい。

 それでも読んでやろうかという方は拙作ですがお付き合い下さい。



 それと大学の授業があるので更新は遅いと思います。すいません。



[8635] The Lancer
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/05/10 10:12
 ――――新暦64年



 無数のコンソールとディスプレイが並ぶ部屋で白衣の集団が慌ただしく作業をしている。



「おい、聞いたか?第二研究所が首都防衛隊に摘発されたってよ。セカンドとサードも確保されたらしい」

「第二が?ヤバかったなぁ。俺先週まで向こうに居たんですよ」

「そういやお前ファーストの性能実験でこっちに来たんだったか」



 話している男達は何台ものディスプレイによって様々な角度から映し出されている少年を見た。

 年の頃は十にも満たなそうな、茶髪に黒い瞳の少年だ。

 手には身の丈を超える槍型のアームドデバイスが握られている。どちらかといえば斬撃に主眼が置かれている形状だ。



「ええ、ファースト様々ってところです。
 ……でもちょっと惜しかった気もしますね」

「何がだよ?」

「ファーストの移送がもう少し遅かったらオリジナル相手に性能実験できたんですよ?格好の宣伝材料じゃないですか」



「貴様ら!下らない事を喋ってる暇があったら手を動かさんか、手を!」



 リーダー格らしき初老の男が作業を止めていた二人を一喝する。



「は、はい!すみません………………と、完了しました!」

「よし、それではこれよりタイプゼロ・ファーストの実戦試験を開始する」





**********





「ったく、なんだって俺がこんなガキと戦らなきゃなんねぇんだ」



 仄かな明かりが灯る廃墟に男のぼやく声が響く。

 男の名はカーチス・アントン。裏ではそこそこ名の知れた魔導師だ。

 彼は自分の腕前に自信があったし、いくつかの“仕事”をこなした上でそうそうしくじる事はないと自負している。

 その自分をこんな廃墟に呼びだして、依頼された仕事が「もうすぐ現れる魔導師と戦え。殺す気で構わない」だ。

 約束された報酬は文句の無い額であり、仕事に私情を挟むつもりも無い。

 だが目の前に連れて来られた相手を見れば悪態の一つも零れようというものだ。

 どう見たって十にもならない子供。

 手には槍型のアームドデバイスを携え、籠手と脛当てが装着された黒基調のバリアジャケットを身に纏っている。



 ……大方親に売られたか攫われたかでこっち側に堕ちたクチだろう。



 子供が命の遣り取りの場に居る事、それ自体は……実は珍しい事では無い。レアスキルや豊富な魔力を持っていれば子供といえど侮れない戦力になるのだ。

 それが何故外部の自分を雇ってまで私刑のような真似をさせられているのかは分からないが。



 まぁいい、深入りしないのがこの道の鉄則だ。とっとと済ませて酒でも飲んで寝よう。



「それでは始めてくれ」



 突如目の前にウインドウが現れ、開始の合図が告げられた。



「坊主、恨んでくれるなよ」

『ラピッドシューター』



 カーチスは即座に最も手慣れた魔法を構築。

 足元に魔法陣が広がり、両手で構える杖型デバイスに計4発の誘導弾が生成された。

 躊躇いもなく少年目掛けて発射。当然、全弾が殺傷設定だ。

 少年は光を曳いて殺到するそれらを見ても棒立ちのまま動こうとはせず、デバイスを構える様子も無い。

 まさか全てその身に受けようというのだろうか?





「IS、発動」





 少年の呟きはすぐに爆音に掻き消され、カーチスの耳に届く事は無かった。

 が、その効果の程はすぐに知れる事となる。



「あん……?」



 着弾時の煙が晴れると少年は先程の位置から微動だにせず、しかし全くの無傷でそこに立っていた。



 魔法障壁か?それにしては魔法を使うような素振りは見えなかったが……。



 避けようともしなかった事を考えると余程自分の防御に自信があるのだろうか。

 気になる事は他にもある。



 それに奴の目。あれは一体なんだ?



 こちらを見据える少年の瞳は沈むような黒から爛々と輝く金色に変わっていた。

 ……と、ようやく少年が動きを見せた。デバイスを構えこちらに突進してくる。

 速い。

 子供とは思えない速度だ。なにかの身体強化魔法を使っているのだろうか?



「ちっ」

『プロテクション』



 踏み込みを始点に大上段から叩きつけられたデバイスを障壁で防御。

 拮抗する障壁とデバイスが鎬を削る。

 鮮烈な火花が舞い、グラインダーのような音が部屋に鳴り響いた。

 しばしその状態が続いたが、少年のデバイスの石突きがスライド。

 硝煙と共に薬莢を吐き出した。



 カートリッジシステム!?

 やはりベルカ式か!



 少年の魔力が瞬間的に増大し、均衡が崩れた。

 カーチスの障壁が容易く斬り裂かれる。

 振り抜かれたデバイスが地面を砕き破片を散らした。

 だが少年の動きは止まらない。

 姿勢を下げ穂先を掬い上げると同時、全身の伸びで突きを繰り出してきた。

 狙いは首だ。完全にこちらを殺す気できている。



「くっ!?」



 なんとか寸前で首を傾けてかわした。すぐそこを刃先が通過していく。

 カーチスは射撃一辺倒で生き残るのは難しいと、それなりに接近戦の心得も身につけていた事を感謝した。



 しかしこいつは本職だろう。にわか仕込みが近付いていいもんじゃない。

 ここは定石通りにいくのが一番か……。



『フラッシュブレイク』



 少年がデバイスを戻すより早く部屋に閃光が炸裂した。ごく簡単な魔法ではあるが使い勝手は良い。しかもこの暗い空間では効果は覿面だ。

 カーチスは少年が怯む隙に距離を取り、素早くその場を後にした。





**********





 来いよ坊主。こっちの準備はできてるんだ。



 あれからカーチスはとにかく移動を繰り返し、ここと決め場所で少年を待ち構えていた。

 今居るのは倉庫のような部屋だ。カーチスはそこに積み上げられたコンテナの陰に身を潜めている。

 先ほど魔法で倉庫の壁をぶち抜いたから、音を聞きつけた少年が必ずここにやって来る。

 それを見越して開けた穴の周辺に条件発動型のバインドを仕掛けておいた。少年が近づけば即座に発動し彼を拘束するだろう。

 直接発動ではない為拘束力は落ちるが、5秒は身動きが取れない筈だ。



 来た……。あいつだ。



 少年が姿を現した。

 壁の穴に気付いたらしい。周囲を警戒しながらも壁へと近付いていく。



 あと、10歩……5歩……3歩……。



 息を殺して少年が罠に嵌るのを待つ。



 かかった!



 少年は突如足下から発生したバインドに全身を拘束されている。なんとか解こうともがいているが、動けば動く程にバインドはその身をより強く締め上げていく。



「これで終いだ!」




 コンテナの陰から躍り出し、身動きが取れないでいる少年へデバイスを向けた。

 先程の不可解な防御を考慮し、渾身の砲撃魔法で吹き飛ばす。

 多重展開された魔方陣に光が集う。それは障壁の上からでも相手を滅さんが為の魔法。

 ましてや今バインドに捕われている少年に為す術があろうはずもない。



「消し飛べぇぇぇぇぇぇ!!」

『フレイルバスター』



 ここでようやく少年がバインドから逃れた。

 ……だが、遅い。

 限界まで圧縮された魔力の塊が強引に指向性を与えられ、標的へと射出される。

 もう回避は間に合わないし、防御するにも生半可な障壁で防げるようなものではない。

 殺傷設定の砲撃が轟音と閃光を伴って柱を、壁を、天井を、射線上の一切を吹き飛ばし、その勢いのまま少年を飲み込んだ。



 数秒の間部屋を蹂躙し尽くした光柱がようやく減じていく。

 しかし粉塵が舞い散り、視界は未だ不明瞭だ。



 少しやり過ぎたか……。



 これでは少年の遺体は見つかるまい。

 どのみち残っていても欠片だけだろうが、完全に依頼を遂行したという証拠が無いというのはどうもしっくりこないものがある。



 ……まぁ、依頼人もどっかで見てんだ。問題無ぇだろう。



 粉塵が徐々に晴れ、ようやく視界がはっきりしてきた。





「……冗談、だろ……?」





 そこにあった光景は先刻の焼き直しだ。少年が崩落した屋根から差し込む月明かりに照らされ、やはり無傷で立っている。

 ただし今度は少年の眼前に魔法陣らしき見たこともないテンプレートが展開していた。

 それはすぐに消えてしまったが、あれが誘導弾や砲撃を防いでいたと見てまず間違い無いだろう。

 呆れた固さだ。奇襲のタイミングを逃したのが悔やまれる。



 少年が再度カートリッジをロード。デバイスを構え直した。

 攻撃が、来る!



「なぁっ!?」



 少年はろくな助走も無しに、いきなり弾丸のような速度で飛び込んできた。

 さっきまでとは比較にならない速さだ。残像すらも残っているように見える。



 魔法防御は間に合わねぇっ!



 全く慮外の動きを見せた少年に内心動揺しながらも、魔法の発動が間に合わないと見るや反射的にデバイスで身を庇う。

 だがその俊敏な反応ですら時間稼ぎにもならなかった。



 斬!



 僅か一振りでデバイスが真っ二つになった。

 たいした抵抗も見せずにデバイスが破壊される。

 カーチスは手の中で棒きれになったデバイスを今度こそ驚愕の目で見た。



 有り得ねぇ!

 いくらアームドの方が固いっつっても、デバイスが一撃で砕けるだとぉ!?



 思わず一瞬動きを止めてしまう。

 それが文字通り命取りになった。

 少年が動きを止めた瞬間を見逃すわけもなく、返す刀で逆袈裟に斬られた。

 右腰から左の肩へ肉が断たれ血が噴き出す。



「がああぁぁぁぁぁっ!?」



 激痛に耐え切れず傷口を押さえ叫びを上げてしまう。敵の目前でこれは致命的だと分かってはいてもどうにもならない。

 少年はカーチスの血を吸って赤い軌跡を描くデバイスの穂先をゆっくりとこちらへ向けた。



「ぐっ!?……ごぶっ!」



 少年の刺突が無防備なカーチスの左胸に突き立ち、背中から飛び出した切っ先がカーチスを壁へと縫い付ける。

 デバイスを伝って大量の血が流れ出し、少年の手をべっとりと濡らしていった。



「あ……ごぼっ!……助……け……」



 どんどん体が冷えていき、自分の命が失われていくのを感じる。

 もう自分は助からない。それが分かってしまう。

 血を吐きながらも本能的に手を伸ばし、助けを乞うた。



「……ごめん、なさい」



 カーチスは初めて少年の声を聞いた。

 年の割には低い方かも知れないが、やはりまだ変声期も迎えていない子供の声だ。

 急速に霞んでいく視界の中、最後に見えた少年の顔は黒の双眸から止めどなく流れ続ける涙に塗れていた。

 カーチスの手から力が抜け落ち、だらんと垂れ下がる。



 最早少年以外に音を立てる者もいない廃墟に啜り泣く声だけが響き続けた。





**********





「Aランク相当の魔導師を相手に単独で無傷……。これなら使えますね」

「当たり前だ。一体幾らかかったと思ってる。使えませんですむか」



 研究者達が机を囲み議論を重ねていた。

 机の中央に浮かぶウインドウには先程の少年の戦闘が一部始終、様々なデータを添えられて流れている。



「ISは順調です。誘導弾はおろか殺傷設定の砲撃魔法をも完全に防ぎ切りました。
 課題は一旦発動すると効果範囲が確定されてしまう事でしょうか」

「カートリッジシステムとフルドライブ使用時のファースト、“ナイトホーク”双方にかかる負荷も想定の範囲内で収まっています」

「ふむ、他には?」

「やはり、実戦経験が不足していますからね。もう少しバインドの解除が遅れていれば危ないところでしたし、メンタルもアグレッサー殺害後に低下しています」

「それは仕方が無い事だ。経験ならこれから積ませていけば問題はないだろう」

「メンタルの方も下手に薬物を投与して使い物にならなくなっても困るので、即座に改善できるものではありません。
 そちらもこれから慣らしていくしかないでしょう」

「そんな所か。
 ……まだ何かある者はいるか?」



 場を仕切っていた初老の男が周囲の研究者達を見渡す。

 が、誰も口を挟もうとはしない。



「では今回の検証はひとまずこれで終了とする」



 それでこの議論は終わりだと研究者達がぞろぞろと部屋を出て行く。

 最後の一人が扉を閉めて、部屋は全くの無人になった。

 机の上に広げられた無数の紙束の中に少年の顔写真が入った資料がある。

 少年についての簡易報告書のようだ。議論の間にもいくつか書き込まれている。



『検体   :Type 0-01

製造   :新暦56年

性別   :男

身体特徴:初期、機械部位と肉体部位に軽度の拒絶反応が見られたが現在は落ち着いた模様。

       身体内外共に同年齢の平均を大きく上回る強度、能力を獲得。

       空戦適正あり。

 IS    :ファームランパート

       平面防御障壁展開能力。
       現在、最大2メートルまでの距離で展開可能。
       複数同時展開に挑戦するも、強度不足の為実戦での使用は困難と思われる。
       Aランク魔導師の殺傷設定の砲撃に耐える強度を確認。

       
       
       追記)一度障壁を展開すると効果範囲を変更できず、再度展開し直す必要有り。

 デバイス:ナイトホーク

       槍型アームドデバイス。
       非人格型。
       ベルカ式カートリッジシステム、フルドライブシステム搭載。
       
       
       
       追記)夜間強襲を視野に入れ、発声機構を停止。
           アームドデバイスとしての強度を重視し、人格や変形機構等も不要と判ずる。
  :
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 “遺伝形質提供者:時空管理局・首都防衛隊所属ゼスト・グランガイツ”                                     』



[8635] I myself am hell
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/05/10 20:03
 夢を見ている。

 あの人が助けてくれ、助けてくれと俺に縋りついて懇願している。

 俺は何度も何度もその手を振り払おうとするけれど、彼の手は万力のように俺の手を掴んで離さない。

 俺はどうしても手を離さない彼の胸にナイトホークを突き立てた。

 彼の胸からいっぱい血が流れ出して手が汚れていく。

 ようやく動きを止めた彼からナイトホークを引き抜こうとしたが、深く刺さっていて中々抜けない。

 何度も何度もナイトホークを引いていると、ふいに死んだ筈の彼が顔を上げた。

 悪鬼の様な形相をした彼が血涙を流しながら俺を糾弾する。

 俺を恨むと、俺を呪うと呪詛を吐き続け、血に塗れた両手で俺の首を絞め上げる。



 そこで目を覚ました。



「久し振りに見たな……」



 全身冷や汗でぐっしょりだ。

 ベットから下りてシャワーを浴びる。



 あれから更に三人殺した。

 あの日から1週間は毎日この夢を見続けて食事も喉を通らない有様だった。

 しかし一人、二人と殺していく度にどんどん夢を見る回数は減っていって、今日のも10日ぶりだ。

 ただどういう訳か、いつも夢に出てくるのは決まって最初に殺した男だった。



「慣れてきてるのか……」



 手を開いて、閉じる。その動作を数度繰り返す。



 前の施設にいた時から自分の事は分かってたけど、ここに来て初めて実感した。

 自分は戦闘機人で、戦う為の存在なのだと。

 その為に生れ、その為に生かされているのだと。

 そしてその真の意味を。



「いつかは夢にも見なくなるのかな?」



 それは良い事なのか悪い事なのか……。



「はぁ……あの娘達がこんな思いをしてないといいけど……」



 前の施設で出会った少女達を想う。



 俺より年下の女の子達。二人とも同じ青い髪で顔も似ていたから、きっと姉妹だったんだろう。

 あの施設の子供は俺達だけだったから、あの娘達とはよく一緒にいたのだ。

 姉の、髪の長い娘は「お兄さん」と慕ってくれて、髪の短い妹の方はいつもお姉さんの後ろに隠れちゃったっけ。

 それでも何度か会いに行く内に「お兄ちゃん」と呼んで少しずつ笑ってくれるようになった。

 それからというもの、あれこれ二人の面倒を見ては兄貴ぶろうとしたものだ。



 二人の事を思い出せば自然と笑みが込み上げてきた。



 向こうに居た時はもっと自由だったから二人にも会いによく行けたんだけどな……。



 でも、もし、あの娘達も両手を血で汚しているようなら、世界はどれだけ残酷なのか。

 そんな事ないと、思ってはいる。いや、そう思いたいのか。



 開いた両の手の平を見つめた。



 わざわざ自分はこっちの施設に移されたのだから、あの娘達もこっちに来ない限りは大丈夫な筈だ。

 会えないのは寂しいけど、あの娘達がこんな思いをするぐらいならここには来て欲しくない。

 だから、彼女達がここに連れて来られるような事があれば……



 ここを潰してでも……!



 拳を握り締め、そんな事を考えていると部屋のドアが開いた。



「起きているな。ファースト、訓練の時間だ」



 職員のおじさんが俺を呼びに来たようだ。

 今日も一日ISや魔法の訓練をするんだろう。

 確か次の実戦試験は5日後だったっけ。



 俺はすぐに仕度をして部屋を出た。





**********





 ――――3日後



 施設に警報が鳴り響き、あちこちで研究員達が走り回っている。

 余程の緊急事態のようだ。



「大変です!首都防衛隊が……!」

「強制捜査か!?」

「既に警備の者が出ていますが止められません!」

「すぐにデータの消去だ!急げ!!」



 監視カメラの映像に何人もの管理局員が映っている。

 警備兵らしき男達が応戦しているが抑えきれていない。むしろどんどん押しこまれている。

 局員を率い、最も先頭を行くのは槍型のアームドデバイスを携えた大柄の男だ。

 彼は並居る警備兵達を軽々と薙ぎ倒し、隔壁を破壊して進んでくる。



「このままでは間に合いません!」



 叫ぶ研究員の顔面は蒼白だ。

 無理もない。

 管理局法において生命操作技術の研究は厳しく禁止されている。逮捕されればタダでは済まない。



「……止むを得ん。ファーストを投入しろ」



 苦渋に満ちた表情でリーダー格の男が命令を下した。



「しかし、もうアレしか残ってないんですよ!?」

「我々が捕まっては元も子もない!さっさと出せ!!」

「わ、わかりました。
 おい!ファーストをD-02へ向かわせろ!照明を消して待ち伏せさせる!!」

「これで少しは時間が稼げる。今の内だ!何も残すなよ!!」





**********





 ――――D-02フロア



 フロアの照明は全て落とされ、所々ランプが点滅している以外に光は全く無い。

 その闇の中で一人、身を屈めて機を窺っている者がいる。

 ファーストと呼ばれていた少年だ。

 彼は既にデバイスを展開し、バリアジャケットも身に纏っている。



 落ち着け、落ち着け、落ち着け……。



 逸る心を抑えるように、胸に手を当てる。

 さっき急に指示が出され、ここに行くように命令された。

 呼びに来た職員は走って現れ、息も絶え絶えに俺がやるべき事を伝えてきた。明らかに今までの性能実験とは様子が違う。



 それに……、



 少年は職員に渡された写真に目を落とした。

 そこには最優先排除対象と言われた男が写っている。

 この暗がりにあってなお彼の目にははっきりと写真の人物が見えていた。戦闘機人であるがゆえの機能だ。

 大柄で多少彫りの深い顔。手にはナイトホークと似たような槍型アームドデバイスが握られている。



 強そうだな……。



 それに何故だか懐かしいような、不思議な感じがする。



 誰なんだろうこの人?



 名前も何も教えられてはいない。

 とはいえこの人は最優先での排除が命じられている。考えるだけ無駄だろう。



 ……!



 足音が聞こえる。3人か……いや4人だ。

 警戒しているのかゆっくりこちらへ近付いてくる。

 もうすぐだ。



 いつもの、戦う前の儀式を行う。

 目を閉じて、音を立てないように深く呼吸をした。

 自分に言い聞かせる。



 今だけは……今だけは、俺は機械だ。



 ゆっくりと瞼が開かれていく。目は金色に染まっていた。

 表情からも険が取れ、それどころか何の感情も読み取れなくなっていった。



 ようやく男達が姿を現した。

 先頭を歩くのは最優先排除対象。その後ろを同じ制服を着た男3人が続く。



 飛び出す。

 一直線に先頭の男へと突撃。

 跳躍し、その頭目掛けてナイトホークを振り下ろす!



 しかし。



 気付かれた!?



 男は右手から接近する少年に寸前で気付きデバイスで頭を庇った。

 頭を粉砕する筈の一撃はデバイスの柄によって阻まれる。



 まだまだぁ!!



 地に足がつくと同時にナイトホークを引き、腹狙いの突きを繰り出す。

 だがこれも見えているかのようにかわされた。

 ついに男が反撃に移る。上段からの袈裟斬りだ。



「くっ!」



 ISで防御。

 手の平より二回り大きい位のテンプレートが発生し、男のデバイスを受け止めた。

 すぐにナイトホークを横薙ぎに振る。

 男は攻撃を防がれた直後、その身に似合わぬ素早い動きでデバイスを軸に跳躍した。

 少年の頭上を縦に一回転しながら飛び越える。

 着地すると同時、振り返りながらの薙ぎを放ってきた。

 少年はナイトホークを振り抜いた姿勢のまま前に身を投げ出す。

 大の男なら胴を斬り払われていたであろう攻撃が空を切った。

 前転しながら身を起こし、二歩の後方跳躍。距離を取る。

 ……と、闇に満たされた部屋に明かりが灯った。



「子供……!?」



 後ろの魔導師が光球を発生させている。



 見つかった!?



 完全に奇襲は失敗だ。闇に乗じたが一人も倒す事が出来ず、今少年の姿は白日の元に曝されている。

 急な光に一瞬少年の目が眩んだが、すぐに調整された。



「お前達は下がっていろ」



 部下を下げ、排除対象が前に出てきた。一対一が御所望のようだ。



「投降しろ」



 男が降伏勧告をする。

 だが少年は無視。デバイスを構え直した。



「聞く耳持たんか……」



 男もデバイスを構える。

 じり、と音を立てて二人が対峙。飛び込む機を窺って半身の姿勢を取る。

 下がっていた局員達が唾を飲んだ。



 二人が同時に踏み込む!



「ああああぁぁぁぁっ!!」

「おおおおぉぉぉぉっ!!」



 裂帛の気合と共に振り抜かれたデバイス同士が激突する。

 全力で叩きつけられる鋼の音がフロア中に響きわたった。





**********





「完了です!全データ消し終わりました!!」

「よし、すぐに逃げるぞ!」



 必要最低限のデータだけを持ち、研究員達が脱出を開始する。

 棚を動かし、その後ろに隠されていた脱出路へと消えていった。



 脱出路は地下を通って施設から少し離れた山小屋へと続いていた。

 床板が外れ、研究員達が出てくる。

 なんとか逃げられたと安心したのも束の間。

 小屋を飛び出し、用意されていた車へと向かおうとした所で、いきなり強い光に照らし出された。



「あら、こんな時間にどこへ行くんですか?」

「ピクニックかしらねぇ?
 それにしてはお弁当も持ってないようだけど……」



 周りは既に管理局員によって囲まれていた。

 特に前に立つのは、グローブ型のデバイスを着けた紫の髪の女と、ナックル型のデバイスを両手に着けた青い髪の女だ。



 一体どうやってここに気付いたのか……。



 ……と、驚愕に震えるリーダー格の男の背中から小さな虫が飛び立ち、紫の髪をした女の肩へと止まった。

 もはや逃げ道も無く、抵抗する気にもならない。

 研究員達は揃って降伏した。





**********





 少年と男の戦いは未だ決着が着いていなかった。

 双方風を纏って連撃を繰り出し、受け止め、かわし、一進一退の攻防を繰り広げる。

 余人には二人の間に近付く事も許されない。


 幾合もの打ち合いの末、少年と男は弾かれたように距離を取った。

 同時にカートリッジをロード。



『フルドライブ・スタート』



 地に落ちた薬莢が高い音を立てると同時、二人が消えた。

 そうとしか思えない速度で地を蹴る。



轟!



 膨大な魔力を孕んだ一撃が衝突。

 暴虐的なまでの風圧が発生し、フロアを蹂躙した。

 少し離れていた局員達ですら腕で顔を覆い、両足で踏ん張ってようやく耐えられた程だ。

 暴風の源泉となっている二人は一歩も譲らず鍔競り合っている。

 が、やはり大人と子供では厳然な差があった。

 宙を足場にする少年と、確と地を踏み締める男ではそこに込められる力が違うのだ。

 徐々に少年の方が押されていく。



「むんっ!!」



 ついに少年が押し切られた。

 飛び込んだ時にも劣らない速度で弾き飛ばされる。



「がっ……!?」



 かなりの勢いで吹き飛んだ少年はそのまま壁に叩きつけられた。

 衝撃でフロアの壁面が円状に陥没する。



 くそ……!



 なんとか上半身だけは起こすものの体に力が入らない。ナイトホークも叩きつけられた拍子に手から離れてしまった。

 こちらが動けないのを悟ったからか、ゆっくりと男が近付いてくる。



「ひ……」



 後ずさろうにも背後は壁だ。足も立たず、逃げられない。



 俺も、死ぬのか?



 今まで自分が殺してきた人達のように、ここで自分も死ぬのか?

 あのデバイスがこの身を貫いて、それで物言わぬ骸に成り果てるのか?



 いやだ!いやだ、いやだ、いやだ、いやだ…………。



「死にたく、ない……」



 黒に戻っていた両目から涙が溢れてくる。



「殺しはしない」

「え……?」



 目の前に迫っていた男がデバイスを下し、話しかけてきた。



「抵抗しなければ戦うつもりもなかった。
 ……お前は戦闘機人、だな?」



 まだよく状況を理解できていないながらも、男の質問に頷いてみせる。



「俺は時空管理局・首都防衛隊のゼスト・グランガイツだ。お前を保護しに来た」



 男、いやゼストはそう言って膝を折り、こちらへと手を伸ばしてきた。



 本当に……ここから、出られる?



 少年は一度躊躇し、だがもう一度その手を伸ばしてしっかりとゼストの手をとった。





**********





「隊長、あの子がそうなんですか?」



 施設の制圧も完了し一段落着いた頃、青い髪の女がゼストに話しかけた。

 少年は指揮車の後ろで肩からタオルをかけ、ぼんやりと座っている。



「ああ、ここで保護した戦闘機人だ。ここにはあの子供しかいなかったらしい」

「戦闘になったって聞きましたけど?」

「闇に紛れて襲いかかってきた上に、言っても聞かなかったからな」

「強かったんですか?」

「部下では荷が重かっただろう」



 そう言って自分のデバイスを見せる。

 デバイスの刃はそこら中にヒビが走り、今にも砕けそうな有様だった。



「うわ、これはすごいですね……」

「しかも躊躇無く俺の命を狙ってきた」

「…………」



 気まずい沈黙が下りる。

 躊躇いも無く来たというなら、恐らく初めてでは無いのだろう。

 彼にとって、人の命を奪うという事は。



「どうして俺は、いつも遅い……!」



 ぎり、とデバイスを握る手に力を込め、ゼストは己を責めるように吐き捨てた。



[8635] Beginning oath
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/05/13 00:55
「すまない、俺達が遅れたせいだ」



 ゼストが顔一面に申し訳無さをたたえ、少年に謝罪する。

 首都防衛隊によって保護された少年だったが、研究員が持っていたデータを検証したところ、彼が4件もの殺人を犯していた事が発覚し、公務執行妨害、管理局員襲撃等の罪と合わせて裁判にかけられる事になったのだ。

 今彼らがいるのも、拘置所ほどではないにしても中の者を閉じ込める為の部屋だ。

 当然ナイトホークは取り上げられている。



「いえ、良いんです」



 白い囚人服を着せられ、裁判を待つ身だというのに少年はむしろ穏やかな笑みを浮かべてそう言った。



「多分あのままだったら、俺はダメになってたと思います」



 あの時、あの施設にいた時は間違いなく罪の意識なんていうものは麻痺していた。

 保護されていなかったら本当に何の痛痒もなく、無目的に人を殺す機械に成り果てていただろう。

 少なくともまだ、自分は踏み止まれている。



「だから……ゼストさん達には感謝してるんです。
 本当に、ありがとうございました。俺を助けてくれて」



 少年が頭を垂れる。



「そうか……不便を強いるが、公判が終わるまでだ。
 それが終われば、少しはマシな扱いになる」



 彼がまだ子供である事や、閉鎖的な環境で殺人を強要された事。情状酌量の余地は多いにある。



「さてと、それじゃあ暗い話はこの辺にして。
 今日は君に会わせたい人が来ていまーす」



 ひとまず話が終わるとゼストと一緒に来ていたものの、今まで黙っていた青い髪の女性が朗らかな声を上げた。



 この人は……確かクイントさんだっけ?

 ゼストさんの部下だって言ってたけど……。



「入って来てー」



 クイントがそう言うと、新たに男が入ってきた。



 あの人が会わせたいっていう人かな?

 見た事もないけど……誰だろ?



 全く見覚えの無い人物の登場に訝しがる少年。

 いや、更に小さい影が二つ、彼の後ろに続いて入ってきた。



「あ……」



 少女達だ。

 一人は長い髪をした女の子、もう一人はその娘の後ろに隠れるようにしている短髪の娘だ。

 二人ともその髪は青い。



「お兄、さん……?」

「お兄ちゃん?」



 少女達も少年に気が付いたようだ。二人とも驚きに目を見開いている。



「私の娘のギンガにスバル、それと亭主のゲンヤよ」



 クイントがそれぞれを指して紹介する。



「本当にお兄さん……ですか?」

「ああ。久しぶり、えっと……ギンガに、スバル」



 ギンガが少年に近寄っていって尋ねる。

 スバルも恐る恐るではあるが近付いてきた。

 施設にいた時は二人を番号で呼びたくなかったので適当に口を濁して呼んでいたが、ついに名前で呼ぶことが出来た。

 思わず二人を抱き寄せる。



「二人とも大丈夫だったか?辛くなかったか?」

「うん。お兄さんがいなくなって寂しかったけど、お母さん達が助けてくれたの」



 ギンガの話では二人とも俺が施設を移されて程なくクイントさん達に保護されたらしい。

 という事はこの娘達は手を汚さずにすんだという事だ。



「あ、ありがとうございますっ!
 この娘達を助けてくれてっ……本当に、ありがとうございましたっ!!」



 良かった……!

 この娘達は大丈夫だった!

 もしこの娘達まで手を汚していたら俺は……。



 少年は先ほどの自分に関する事よりもなお感極まった様子でクイント達に感謝し続けた。

 二人を抱き締め、ボロボロと涙を流す。

 それに影響されたのかギンガとスバルまで泣き出してしまい、しばらく三人は抱き合ったままワンワン泣き続けた。





**********





「ギンガ、スバル。
 俺はこれからちょっとやらなきゃならない事があって……また少し会えなくなると思う」



 どれだけ経ったのか、ようやく三人とも落ち着いたところで少年は二人に切り出した。



「そんな……やっと会えたのに……」

「ヤダ!」



 スバルは少年の服にしがみ付いて駄々をこね始めてしまった。

 こうなってしまうと中々離してくれないのは分かっている。

 しかしこればかりはどうしようもない。



「ごめんなぁ。
 でもこれはしょうがないんだ。俺がスバルやギンガとちゃんと一緒に居るために必要なんだよ」



 ぐずりだしたスバルの頭を優しく撫でながら言う。



「どう、して、も?」



 しゃくり上げながらスバルが聞く。



「ああ。
 でも絶対、全部終わったらまた会いに行くから」

「ほんと、に?
 ほんとに、また会える?」

「もちろん。
 ほら小指出して。ギンガも」



 少年はギンガとスバルが立てる小指にそれぞれ右と左の小指を繋いだ。



「「「指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ますっ!」」」



 指を切って誓いを交わす。

 ようやくスバルも納得してくれたようだ。

 名残り惜しそうにではあるが、服を掴んでいた手を離した。



「約束だ。
 俺はできるだけ早く帰って来て、すぐに二人に会いに行くから」

「うん」

「絶対だよ?」

「ああ。
 だから二人とも良い子で待ってるんだぞ?」



 少年は悪戯っぽい笑みを浮かべ、二人の頭をぐしぐしと撫でながら言う。

 ギンガとスバルもようやく笑顔を見せ、こうして三人は再会を誓い合った。






**********





 ――――4ヶ月後



「被告は四人もの人間を殺害しています。
 これは子供とはいえ許容できるものではありません」

「だからといって牢に入れてどうなるというのですか!
 彼は成長過程から劣悪な環境にいたのですよ?正常な判断ができたとは思えません。
 ならばこそ外に出し、多くの人間と関わらせる事で自分の罪と向き合わせるべきです」

「しかし彼がまた暴れるという事も考えられます。
 投降を促した局員にも襲いかかったとありますが?」

「そのために彼を制圧できる者に保護を任せるのです。
 そもそも彼が四人を殺害したのも命の危険に立たされた上に強制されたもので、彼自身に害意があっての事ではありません。
 現に彼が保護された後、暴れたという報告はありません」
  :
  :
  :
  :
  :
  :
「分かりました。
 それでは被告が正常な教育を受ける事が出来なかった事を認め、最大5年の間、嘱託魔導師として保護責任者の元での社会奉仕を命じます。
 保護責任者は申告の通り、ゼスト・グランガイツに一任します。
 よろしいですね?」

「はい」

「それではこれにて閉廷とします」





**********





「あの、ゼストさん……。
 よかったんですか?
 あれだけお世話になった挙句に、保護責任者にまでなっていただいて……」

「気にするな。
 これくらいはどうと言う事もない」



 ようやく裁判も終了し、晴れて少年は外に出る事になった。

 ゼストの監視下に置かれる事となってはいるが、基本的には自由な行動が許されている。

 今はギンガ、スバルとの約束の通りナカジマ家へと向かっている車の中だ。

 運転はゼストが勤め、助手席に少年が座っている。



「むしろ、お前の方がいいのか?
 俺の下につくという事は、首都防衛隊の一員として前線に立つという事だ。
 ……また、人を傷つける事にもなるだろう」



 ゼストが気を遣うように言った。

 確かに嘱託魔導師として働くならば罪の軽減にはなる。

 人手不足に悩むこちらとしても断る理由はない。

 彼は空戦ができる上に、荒削りながらも自分と渡り合ってみせたのだ。足手纏いにはならないだろう。

 だが、彼は人を傷つけるのに慣れ始めた自分に悩んでいたのでは……。



「はい。
 幸い考える時間は山ほどありましたから、何か罪を償う方法は無いかって考えてたんですけど……」



 少年はようやく返却されたナイトホークをかざした。

 ナイトホークは指輪型の待機状態で少年の右手中指にはまっている。



「結局、俺にできるのは戦う事だけだって気付きまして」



 少年は軽く自嘲的な笑みを浮かべそう言い切った。



 血は争えん、か……。



 ゼストは思わず内心で嘆息した。

 少年を保護した際の精密検査の結果と摘発した研究所のデータから、少年がゼストの遺伝子を用いて生み出されていた事が判明している。

 少年にはまだ話していないが、ゼストが少年を引き取った背景にもそれが少なからず影響していた。



 余談だが、拘束した研究員達は一様に移送中の事故に見舞われたり自殺したりで重要な部分について証言できる者は皆無となってしまっている。

 間違いなく、管理局内部に戦闘機人について喋られたくない人間がいるのだろう。



「それにギンガやスバルとすぐに戻るって約束しましたし、俺達を助けてくれたゼストさんやクイントさんに恩返しがしたいですから」



 寂しげな笑みは消え、今度は少し恥ずかしいのかはにかんで言う。

 しかし決意は固いようだ。

 葛藤にもこの4ヶ月の間に自分の中でなにがしかの決着を着けたのだろう。

 発見した当初とは顔付きも変わったように思う。



 これもナカジマのところの二人のおかげか。



「分かった。お前を首都防衛隊員に任命する。
 それといつまでも名無しでは通らん。今日からは……そう、ゲルトと名乗れ」

「ゲルト……」



 少年はついに手に入れたナンバーではない己自身の名を噛み締めた。



「はっきり言っておくが、首都防衛隊の任務は過酷だ。覚悟しておけよ、ゲルト」

「はいっ!」



 少年は輝くような笑顔ではっきりと答えた。



 レジアスにも礼を言っておかなければな……



 あいつから直接聞いた訳ではないが、裁判に関してゲルトが懲役を課されないようにと方々に手を回し、影に日向に動いてくれたらしい。

 そのおかげか裁判も予想よりかなり早く進み、実刑も免れた。

 最近何かとすれ違う事が多かったように思うが、丁度いい機会だ。近い内に飲みにでも誘うとしよう。





**********





 ――――時空管理局・ミッドチルダ首都地上本部



「例の、公判中の戦闘機人の少年ですが……」



 先の少年の裁判についての報告書を手にしたオーリスがレジアスに概要を伝える。



「ゼストさんの……失礼、ゼスト・グランガイツの監視の下、嘱託魔導師として首都防衛隊への配属が決まりました」

「ああ、分かった。もう下がっていいぞ」

「は」



 オーリスが一礼して退室していく。



「……しかし、まさかこうも都合よく事が運ぶとはな……」



 背もたれに身を預け、レジアスは一人ごちる。

 ジェイル・スカリエッティに協力し、戦闘機人の製造にも成功したレジアスではあったが、その戦闘機人をいかに地上本部の戦力として取り込むかが悩み所であった。

 以前の、クイント・ナカジマが戦闘機人二人を養子にした件だけでは不足なのだ。

 あれでは苦心して生み出す安定した戦力が忌々しい“海”の連中に持っていかれる可能性も否定できない。



「それだけは、それだけはさせてなるものか……!」



 自分は既に誇りも曲げ、友と誓った正義にすら背いたというのに……。



 手元のコンソールを操作するとレジアスの眼前にウインドウが浮かび、問題の少年の顔写真が映し出された。

 友の遺伝子を用いて作られたという、友の面影を持つ少年。

 自分が己の理想の為に利用しようしている少年……。



 レジアスが立てた計画とは即ち、戦闘機人の量産が整った頃に地上部隊で一斉にプラントを摘発。

 “保護”した戦闘機人達を社会奉仕という形で地上部隊に組み込むというものだった。

 ゆえにここで少年を前例にできれば今後の戦闘機人計画の大きな足掛かりとなる。

 その為に色々と手を回して彼が首都防衛隊に入るように仕向け、執行猶予期間も出来るだけ引き延ばしたのだ。

 本人の希望もあり、それは意外なほど簡単に叶えられた。

 これが幸運と言わずしてなんだろうか?

 とはいえ……



 また、背負うべき罪が増えたな……。



 しかし許しは乞わない。

 自分は例え泥に塗れようと、誰に罵られようと、この地上の平和を守ると決めた。



 椅子を立ち、窓際へと近付いてミッドチルダの首都、クラナガンを見下ろす。



「美しい……」



 眼下に広がるのは自分が何を置いても守りたい、愛する街。愛する世界。

 友と違い“力”を持たない自分が何とかこの地上の平和を守ろうと思えば、取れる道は限られていた。



 もう止まれない。止まってはいけない。

 この上でなお自分が彼らに出来る罪滅ぼしがあるとすれば……、

 それは絶対にこの裏切りの対価を無駄にはしない事だ。



 固く拳を握る。



 必ず、必ずミッドは守ってみせるぞ!

 この、私の手で!!










(あとがき)



 第3話にしてようやく主人公に名前が付きました。

 これからは首都防衛隊編。主人公にとって重要な期間となるので多少話数をとるつもりです。

 ゲルトが戦う事を選んだ理由についても後々でもう少し掘り下げます。



 裁判省略し過ぎたかな?

 まぁ、裏で色々思惑が動いてたのでなるべくしてなった、という所。



 ミッドチルダに指切りが有るのかは分かりませんが、そこは流して下さい。

 子供の約束の形って他に思いつかなくて……。



[8635] From this place  前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/05/17 23:54
「今日からこのゼスト隊に配属になりました嘱託魔導師のゲルトです。
 まだよく分からない事も多いのですが、ご指導よろしくお願いします」



 時空管理局地上部隊の制服に身を通したゲルトが袖を切って敬礼する。



「もう全員知っていると思うが、ゲルトは前に踏み込んだ施設で保護した子供だ」

「あの時は助けていただいて本当にありがとうございました」



 深々と頭を下げて謝意を告げた。



「へぇ、君が例の男の子か」



 早速隊員達がゲルトを囲み、興味津々といった風で話かけてくる。



「聞いたぜ、真っ正面から隊長とやりあったんだろ?」

「ああ、その時一緒にいた連中見てるだけだったんだっけ?」

「うるせぇな!
 あんなのの中に割って行けるか!」

「しかも隊長のデバイスぶっ壊したらしいじゃねぇか!
 やるなぁ坊主!」



 ……え?



「ちょっ、ちょっと待って下さい!
 俺、ゼストさんのデバイス壊したんですか!?」



 隊員の思わぬ言葉に大慌てでゼストに確認をとる。



 確かにあの時は本気で戦ってたけど!



 言われてみればフルドライブ状態でゼストと打ち合ったのを思い出した。



 ああ!やっぱりあれか!!

 あの時ので壊したのか!?



「気にするな。
 既に直っている」



 そう言ってデバイスを展開して見せてくれた。

 確かに今は直っているようだが……。



「す、すみません!
 あの時は無我夢中と言うか、前後不覚だったと言うか……とにかくすみません!
 助けようとしてくれてたのに俺は……!」

「己の未熟が為した事だ」



 ゼストは一向に気にした様子もないが、ゲルトの方はそうもいかない。

 恩返しの一歩目を踏み出そうとした瞬間に出鼻をくじかれ、意気消沈も甚だしい。



「あ~、もう!
 来て早々何落ち込んでるの!」



 見かねたクイントがゲルトの手を引き、強引に外へと連れ出していった。



「クイントさん!?
 え?これどこ行くんですか!?」

「訓練場よ。
 入隊の歓迎も兼ねて模擬戦やるの」



 混乱した様子で行き先を尋ねるゲルトに、こちらを向いたクイントは足を止めず、しかし右目をウインクさせながら答えた。





**********





 訓練場にゼスト隊のメンバーがフォワード、バックヤードスタッフ問わず集結し、中央に立つ二人を見つめていた。

 渦中の二人は模擬戦に備え準備運動で体をほぐしている。



「そういえば、ゲルト君って模擬戦とかした事あるの?」



 足を開いて伸脚しながらクイントが尋ねる。



「いえ、そういえば無いですね。
 訓練といえばひたすらIS展開し続けたり、魔力刃形成したりしてましたから」

「じゃあ、言っておくけど手加減は無用よ?
 非殺傷設定なんだから少々の事じゃ大した怪我もしないわ。
 ドンと来なさい」

「はい!」



 ウォームアップの終了した二人が対峙する。



「「セットアップ」」



 二人が唱えると同時バリアジャケットがその身を覆い、デバイスが展開された。



「準備はいいわね?」

「いつでも」



 クイントが右手のリボルバーナックルを突きだし、ゲルトが魔力でカウリングされたナイトホークを構える。



「それじゃあ、行くわよ!」



 クイントが疾走を開始。

 ローラーブーツを履いたその速度はかなりのものだ。

 彼我の距離はおよそ20メートル程。

 ゲルトはその場を動かず、迎え撃つというようにナイトホークを大きく振りかぶった。

 石突きをクイントに向け、できる限り間合いを測られ難いように構える。

 至極当然の発想だろう。

 拳と槍ではリーチに大きな差がある。

 こちらからわざわざ近付いて行くまでもない。

 相手は接近せざるを得ないのだから飛び込んできた所を薙ぎ払えばいいのだ。

 流石に牽制で魔法の一つも撃ってくるだろうが……。



「リボルバー、シューートッ!」



 クイントがカートリッジをロード。

 唸りを上げて回転する手甲から薬莢が飛び出し、拳撃と共に渦巻く衝撃波が射出された。

 ゲルトは動じる事も無くISを発動。

 眼前に展開したファームランパートが撃ち出された衝撃波を難なく受け止めた。

 しかしあまり期待はしていなかったのかクイントは気にせずに突っ込んでくる。

 一直線に突撃してくるクイントが間合いに――――



 入った。



「でやあっ!!」



 左足を大きく踏み出して間合いを更に広げ、槍というよりは薙刀のような形で薙ぎ払う。

 腕だけでなく全身のしなりと体重移動を利用して振られた会心の一撃だ。

 だが……。



 見切られた!?



 クイントはギリギリまで引き付けて宙を舞い、広範囲の斬撃をかわしてみせた。

 頭上で更にカートリッジをロードする音が聞こえる。

 恐らくさっき撃ってきたのと同じような魔法を撃つ気だろう。



「なんのぉっ!」



 衝撃吸収を付加したISを未だ泳ぐデバイスの軌跡に展開。

 強引に慣性を殺し、一瞬で持ち替えたデバイスの石突きを頭上に繰り出した。



「ウイングロードッ!」



 石突きはクイントの左肩に突きこまれるはずだったが、彼女はそれにすら反応してみせた。

 ウイングロードがクイントの右足を起点に螺旋を描いて展開。

 ローラーブーツが魔力でできた道を滑走し、それに引っ張られるような形で身を捻らせる。

 石突きは目的を見失いクイントの背中へと抜けた。



「!?」

「でぇぇぇぇぇいっ!!」



 クイントは回転の勢いを用いて右手を叩きこむ。

 ゲルトは咄嗟にISを展開して防御。

 今まで何度となく自分の命を救ってきてくれた“力”だ。

 まず抜かれる事は無いと防御には絶対の自信がある。

 事実、衝撃波を纏って放たれた拳はテンプレートによって完全に防がれた。

 しかしゲルトは至近距離から放たれた攻撃に反射的に目を瞑ってしまう。

 ある意味でそれは身を守る為に行われる自然な行動なのだが、この場ではそれが明暗を分けた。



「おわっ!?」



 着地したクイントに足を刈り取られ、地面に倒される。

 気付いた時には顔の前にクイントの拳が止まっていた。



「ここまでね」

「ま、参りました」



 ナイトホークを持つ右手も肩からクイントの膝に押さえられていて動かせない。

 勝負あった。





**********





「く~、まさかあんなに簡単に負けるなんて……」



 濃密な応酬ではあったが、実際にはただ一度の接触で負けているのだ。

 もちろんゲルトとしてもクイントの実力を侮っていた訳ではない。

 ただゼストの前で無様な所を見せてしまったと悔しさは拭いきれない。



「あはは。でもゲルト君も中々だったわよ。
 IS、ファームランパート……だっけ?
 あれとんでもなく硬かったし、反応も悪くなかったわ」

「だが、その分防御力に頼り過ぎている」



 クイントがフォローしようとするが、ゼストは苦言を呈した。



「明日からの訓練ではそこも正していく」

「はい……」



 それだけ言い残すとゼストは隊舎へ戻って行った。

 ゲルトの方は欠点を指摘され、どうにも気分が落ち込んでいく。

 実戦も経験し、腕前には自信があったというのにそれが崩れていくような気がした。

 いや、正確に言うと自信があるというより――――



 俺には戦う事しか……無い。



 それしか教えられてこなかった。

 だから自分が戦う事が恩返しになって、更にギンガ達にも早く会える。もしかしたら、まだ見ぬ同胞を助ける事にもなるかもしれない。

 そう聞いた時、なら今度は自分の意志で、自分の選んだ戦いをしよう、とそう思った。

 だから嘱託魔導師になった。首都防衛隊への配属も希望した。

 そのはずだったのに。



 はぁ~、何やってんだ俺。










(あとがき)



 今回は作者の都合で2話に分けます。

 そのせいでこの話がほぼクイントと模擬戦やって更に主人公ヘコませただけで終わっちゃいましたが、後の話もできる限り早く出すのでご容赦を。

 まだ後半は推敲が終わって無いし、書き足したい事もあるので……。

 後で纏めて出してもいいんですが、ある程度の間隔で投稿してないとこっちもダレてきますから。



[8635] From this place  後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/05/20 15:37
「……で、ここが…………」



 既に訓練場は後にしている。

 皆が解散した後は仕事の簡単な説明を受け、前を歩くメガーヌが隊舎内を案内してくれているが……正直あまりゲルトの耳には入っていなかった。



「ゲルト君、聞いてる?」

「あ、はい!
 すみません、ぼーっとしてて」

「もしかして、模擬戦の事気にしてるの?」

「……分かります?」

「それはねぇ」



 やっぱり顔に出てたか。



「まったくクイントは何をやってるのかしら。
 余計に落ち込ませてどうするのよ……」



 メガーヌは額に手を当て、やれやれと呆れたように言った。



「あ、違いますよ?
 別にクイントさんに負けた事を悩んでる訳じゃなくて、その……」

「隊長に良い所見せられなかったから?」

「う……まぁ……そうです」



 我ながら少し恥ずかしいが、メガーヌが指摘した通りだ。

 自分が役に立てるという所をゼストに見せたかったのだ。

 それが勝負には負け、ISに頼りすぎと欠点を指摘されて落ち込んでいた、という訳だ。



「もう少しやれると思ったんですけどね」

「いえ、あれだけやれたらかなりのものよ?」

「でもクイントさんには敵いませんでしたし、ゼストさんも……」



 ゲルトは肩を竦めて呟く。



「あのね、クイントはウチのフロントアタッカーよ?
 それが新人の子供相手に負ける訳にいかないわ」

「それは……そうでしょうけど」

「自信を持って。
 並の魔導師ならそもそも隊長と打ち合いなんてできないし、クイントも一撃で決めてるわ。
 それにここだけの話だけど……」



 メガーヌは内緒話をするようにゲルトの耳に顔を近づけた。



「隊長も褒めてたのよ、あなたの事。
 いずれはいい騎士になる、って」

「え……?」



 でも、さっきは……。



「隊長はいつも言葉が足りないから……。
 もし隊長が本当に役に立たないなんて思ってるなら君をウチには入れないわ。
 訓練だって隊長直々に、なんてあんまり無いのよ?」



 一呼吸置く。



「……だから君は期待されているわ。
 むしろそうやって落ち込んでる方がみっともないわよ?」



 メガーヌはにっこり笑ってゲルトの鼻先を突いた。



「は、はい……!」



 答えるゲルトの顔は赤い。

 今までこんな風に励ましてもらった事など無く、初めて接した包容力のある“大人の女性”に頬が熱くなる。



「俺……明日の訓練頑張ってみます」

「そうそう、その意気よ」



 なんだかやる気が出てきた。

 明日の訓練ではうまくやれるような気がする。

 自然、手に力が入った。



「あ、いたいた。ゲルトくーん!」

「クイントさん?」



 ようやく自信を取り戻したその時、模擬戦の後に別れていたクイントが現れた。

 どうもゲルトを探していたようだ。



「ゲルト君、今日の夜って空いてる?
 よかったらウチで晩御飯食べていかない?」

「特に用は無いですけど……いいんですか?お邪魔して」

「もちろんよ。
 ギンガとスバルも喜ぶしね」



 クイントはゲルトの了承が得られると破顔して言った。



 ギンガもスバルも大事にされてるんだな……。

 本当に、この人達に助けられてよかった。



 改めて自分達の幸運を感じる。

 そして何かで返さなければ、という気持ちも。



 やっぱり明日からはもっと頑張らないと。

 メガーヌさんの言う通りだ。こんな事で落ち込んでてどうするんだよ。



「それじゃあ、また後でね。
 ちょっと休憩で出てきたからまだ結構仕事残ってるのよ」

「あ、はい。
 頑張って下さい」

「メガーヌもゲルト君お願いねー」



 言いながらクイントは現れた時と同様に風の如く去って行った。



「本当に慌ただしいわね……」

「あはは……」



 残された二人は乾いた笑いを浮かべている。



「まぁ、でも本当に元気は出たみたいね」

「はい。メガーヌさんのおかげです」

「ふふ、そう。
 案内した甲斐があってよかったわ」



 ふわり、と浮かぶ笑みにまたゲルトの心拍数が上がった。

 胸が締め付けられるような感覚と共にその笑顔から目が離せなくなる。



 う、なんかまた胸が苦しいような……?



「そういえばゲルト君、クイントが引き取った子達とも知り合いなのよね?」

「ええ。俺が施設を移されるまではよく一緒に居ましたから。
 二人とも妹みたいな感じです」

「仲がいいのね」

「手もかかりましたけどね。
 特にスバルはすぐ泣くんであやすのが大変でした」

「しっかりお兄さんじゃない」



 微笑みながら聞いてくれるのが嬉しくて、ゲルトはそれからも二人との思い出を話し続けた。

 初めて会いに行った時、スバルに大泣きされた事。

 ギンガと二人で必死になだめて、気付けばお兄さんと呼ばれるようになった事。

 それから何度も通いつめてようやくスバルも笑ってくれるようになった事。



 しかしこうやって思い出すと施設も辛い事ばっかりじゃなかったな。



 この思い出があったからこそ自分は壊れずに済んだのではないか、という気さえする。

 だとすれば恩人の欄にギンガとスバルも加えておくべきなのだろう。



 俺もギンガとスバルに助けられてたのか……。





**********





「たっだいま~!」

「お邪魔しまーす」

「おう、待ってたぞ」

「おかえり。母さん、お兄さん」

「おかえりー!」



 日も傾きだした頃、約束通り俺はナカジマ家へとやって来ていた。

 事前に連絡していたからか、ゲンヤさん達がドアを開けて出迎えてくれている。

 スバルなんかは玄関から飛び出して抱きついてきた。

 一緒に家に入る。



「すみませんゲンヤさん。急に押しかけて……」

「なーに気にするな。
 俺もお前さんとはゆっくり話してみたかったからよ」

「ありがとうございます」

「ギンガもスバルもお前が来るって聞いたら代わる代わるまだか、まだ来ないのかってうるさかったしな」

「もう、父さん!」



 ゲンヤさんが二ヤ、と悪戯っぽい笑みを浮かべてからかうとギンガが真っ赤な顔で声を荒立てた。

 大人しいギンガにしては珍しい。

 ゲンヤさん達にも気を許しているんだろう。

 ギンガやスバルもこの家によく馴染んでいるようで安心した。





**********






「さ、遠慮せずいっぱい食べてね」

「…………」



 こ、これは……。



 クイントさんがキッチンに消え、二人やゲンヤさんと和んでいたのも束の間。

 食卓に着いた俺を待っていたのはテーブルの一面に並べられた白い皿と、その上に彩られた控えめに言っても“超”大盛りな料理の数々だった。



 模擬戦とかやって確かに腹は減ってるけど、これは違うんじゃ……。



 とてもじゃないが普通5人で食べる量ではない。

 流石に同じ施設にいたからギンガやスバルがメチャクチャよく食うのは知っている。

 二人のあまりの食いっぷりにこっちはむしろ食欲を削られたものだ。

 ただ、それにしても量が多過ぎる気がする。



 まさか、クイントさんやゲンヤさんも……?



 冷や汗が流れるのを感じつつ恐る恐る二人の方を見た。

 クイントさんは当然といった風でもう自分の皿に料理を取り始めている。

 ギンガやスバルも同じだ。

 「いっただっきまーす」と大量の食べ物を笑顔で腹に収めていく。

 ただ一人ゲンヤさんだけが俺と同じように、見ているだけで胸焼けがしそうな料理の山を複雑な顔で見つめていた。

 ふと、ゲンヤさんと目が合う。

 ゲンヤさんには魔力が無いって聞いていたけど、間違いなくこの瞬間俺達の間に言葉は不要だった。

 目が全てを物語っている。

 多分二人を引き取ってからはいつもこんな感じの食事だったんだろう。

 クイントさんやギンガ達はまだ一向にペースを落とさずに食べ続けている。

 俺やゲンヤさんも食べてはいるが、3人の勢いに気圧されて既に満腹だ。



 こんなのを半年近くも……?



『苦労されてるんですね……』

『……分かってくれるか』



 これからはちょくちょく来るようにしよう。



 心で通じ合いながら、ゲルトはあまりにも不憫な食事情を抱えるナカジマ家の大黒柱に同情せずにはいられなかった。





**********





「あー、お腹いっぱい」

「美味しかったね」

「うん!」

「「そ、そうだな……」」



 事実クイントの料理は量だけでなく、味それ自体も中々の物だった。

 恐らく弁当かなにかであれば二人とも喜んで食べただろう。

 ……が、いかんせんここの女性陣と一緒に食べるとどんな料理も味なんて分からなくなってくる。

 ゲルトもゲンヤも揃って引きつった笑みを浮かべて答えるのが精一杯だった。



「そ、それでゲルトは今日が初出勤だったんだろ?
 どうだった部隊の感じは」

「え?あ、ああ!
 良かったですよ。皆親切にしてくれましたから」



 食事の事から話題を反らしたいゲンヤが少し強引に話を切り替えた。

 ゲルトも同じ心境だったので慌てて話に乗っかる。



「あとは、クイントさんと模擬戦しましたね」

「ほぅ。でどうだ?ウチの女房は」

「……強かったですよ。
 あっさり負けちゃいました」

「あはは。
 でもゲルト君本気出して無かったでしょ?
 フルドライブ使ってたら分からなかったわ」

「いやいや、加減利かないしフルドライブなんて模擬戦で使えませんよ」



 使ったが最後、相手のデバイスかまたは……相手そのものを破壊してしまうだろう。

 それだけの威力があるからこその切り札なのだから。



「お兄さんって強いの?」

「そうねぇ。
 多分そこらのミッド式魔導師じゃあ勝負にならないんじゃない?」



 子供ならではの好奇心からかギンガもゲルトの腕前に興味があるようだ。

 その質問へのクイントの答えも妥当なところと言える。



 恐らく遠距離攻撃に徹してもISで攻撃はほぼ全て弾かれ、消耗してきたところを近付かれて一撃。

 無理に接近すればフルドライブで防御ごと叩き斬られる、というのがオチだろう。

 これが古代、近代ベルカ式の魔導師ならまた別だろうが、ミッドチルダ式はとかく射撃にこだわる所があり、近付かれると脆いという事が多い。

 そういう意味であの絶対的な防御力はかなりの強みになる。



「へー、お兄ちゃん凄いんだ……」



 クイントの評価にスバル達も感心したようだ。

 ミッドチルダ式が一般的な今の世界でそれならかなりのものだ。



「ははは、まだまだですよ」

「謙遜するじゃねぇか。
 コイツがここまで言うんだ。もっと自信持っていいと思うぜ」

「いえ、力不足を痛感しましたから。
 だからクイントさん、明日からはよろしくお願いします」

「いいわ。
 私が教えられるのは体術くらいだけど、ビシバシいくから覚悟してね」



 ゲルトがクイントに顔を向け、頭を下げて頼みこむ。

 彼女は二つ返事で快く引き受けてくれた。



「はい。ありがとうございます」

「いいわよ、これくらい」

「ゲルトよぉ、コイツに稽古つけてもらえるなら安心だぜ?
 なぁ、“お前”?」

「もう、あんまり誉めないでよ“あなた”」



 はっきりと空気が変質した。

 先程までの真面目な雰囲気はどこかへと去り、クイントとゲンヤは甘い空気を発散している。

 二人はゲルトそっちのけで見つめ合い、延々と惚気続けていた。

 最初はゲルトも仲の良い夫婦なんだと微笑ましい気持ちで眺めていられたのだが、二人は止まる所を知らずに熱を上げていく。

 ギンガやスバルは見慣れていると見えて特に気にした様子もなかったが、初見のゲルトは延々と砂糖を吐くような気分に襲われた。



 結局その日は夜も遅くなってしまいナカジマ家へと泊る事にしたのだが、とにかく色々な意味でお腹一杯になったゲルトであった。





**********





 ナカジマ家に泊まった次の日からの訓練はクイントが言った通りの厳しいものとなった。

 まずクイントの指導で基本的な体捌きから入り、ゼストによる古代ベルカ式の魔法、槍術などの修練。

 更にISを用いた訓練ではクイント戦での敗因を考え、目を瞑らないトレーニングと並行で行われたのだが、それは顔のすぐ前に発生させたテンプレートへゼスト隊の隊員達が魔力弾を撃ち込み続けるというスパルタ極まるものだった。

 しかも徐々に撃つ距離を縮めていき、目を瞑らなくなってきた頃にはクイントがリボルバーナックルで殴ったり、全く別の方向から不意打ちが入るようになっていった。

 当然、非殺傷設定で行われているので魔導師、いや騎士であるゲルトなら最悪“目”に当たったとしても問題は無い。

 とはいえ顔面目掛けて飛んでくる攻撃魔法は十分に脅威だ。

 今の所ISが破られた事はないが、ゲルトは毎度寿命が縮む思いでこれに臨んでいた。



 しかしそんな連日続く過酷な訓練の中でもゲルトが音を上げる事はなかった。

 これまでの施設での訓練とは違う。

 義務ではなく、己が望んで、目的の為に力をつける。

 今まで感じた事のない覇気がゲルトの身を包んでいた。





 そんな訓練が始まって1ヶ月程も経過した頃、とある部屋にゼスト隊のフォワード陣が集結していた。

 隊員達が真剣な面持ちで見つめるウインドウには研究所と思しき施設とその周辺の地図が映し出されている。

 その横にはゼストが立ち、ポインターで各所を示しながら説明を下していた。



「以上が今回の作戦の概要だ。
 繰り返すが目的は人造魔導師の研究機関と思しき施設の制圧。
 空戦可能な者が先行して降下し、地上部分を押さえた後陸戦部隊と合流して内部に突入する。
 ……質問がある者は?」

「はい」

「何だ?ナカジマ」

「ゲルト君はどちらに?」

「当然、降下部隊だ。
 ……やれるな?ゲルト」

「はい!」



 挙手をして質問するクイントにゼストはにべもなく答えた。

 ゲルトにも一言尋ねたが、少ない言葉の中に信頼が込められているのが分かる。

 ゼストからの期待を感じたゲルトもまた、きっぱりと答えてみせた。



「ではこれでブリーフィングを終了する。
 今の内に仮眠を取っておけ。解散」










(あとがき)



 大学休校になったはいいけど下手に外に出たら白い目で見られそうで怖い……。

 大人しく家でこれ書いたりゲームでもやっとこう。



[8635] 闘志
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/05/31 23:09
 山間部の上空を一機のヘリが高速で飛行している。

 首都防衛隊の兵員輸送ヘリだ。

 その内部、光源といえば赤いランプだけというキャビンでゼスト隊の隊員達が作戦開始の時を待っている。



「第1陣降下ポイントまで2分。
 空戦魔導師隊、降下準備!」



 パイロットからの報告と同時にヘリのハッチが開放。

 開いていくハッチの隙間から突風の形で外気が入り込んできた。

 空戦魔導師達が席を立ち、ハッチの方へと歩いて行く。

 その数は4人。

 ゼストを先頭に全員の降下準備が完了。

 あとはゴーサインを待つばかりだ。



「頑張って、ゲルト君」

「あんまり気を張りすぎないようにね」



 空戦適正が無く、後発組のメガーヌとクイントがゲルトに声をかける。

 恐らくは折角解放された彼をまた戦場に赴かせる事に対する罪悪感もあるのだろう。

 極力明るく話しかけてはいるが、やはりその声には心配の色を隠せない。



「はい、大丈夫です」



 ゲルトは彼女達を安心させるように微笑んで言うが、その言葉に偽りはなかった。

 懐かしいという程の感慨は無い。

 しかし間違いなく数ヶ月前までは慣れ親しんだ空気だ。

 今、それを感じてゲルトの心は驚く程に澄んでいた。

 かといってかつてのような無感情というわけでもない。

 では一体以前のゲルトと何が違うのか?



 それは気構えだ。

 もうゲルトは己を殺さない。

 自分の意志で戦い、自分の腕で敵を倒す。

 そこが今までとは決定的に違う。



「降下まであと10秒!」



 もう間もなく出撃のようだ。

 深呼吸を2回。

 呼吸を整えるうち、ふと思い立って前を見た。

 皆の先頭に立つゼストの背中を。

 自分を救ってくれた恩人にして、力の使い道を教えてくれた師。

 自分が目指すべき人。



 そうだ……俺は、もう機械じゃない。



 ならばと己を再定義する。

 戦って戦って戦って、それでも只の装置にはならぬと決めた今の自分を形容する言葉は――――



 騎士。



 そう、騎士だ。



 ゼストも名乗るその称号。

 自分にとっては未だ古代ベルカ式を使うというだけで付けられた名ばかりの物に過ぎない。

 自らそう名乗るにはまだまだ役不足というものだ。

 しかしいずれは相応しい魔導師になる。なってみせる。



 だから、俺は……!



 ゲルトがキッ、と金色の目を見開く。

 瞳にははっきりと意志の光が灯っていた。



「空戦魔導師隊、降下開始!」



 時間だ。

 ランプが緑に変わり、降下の指示が下る。



『いくぞ』



 念話でそう言うとゼストは気負う事もなくヘリから飛び降りて行った。

 他の隊員達も後に続いて次々と降下していく。



『行きます!』



 ゲルトもまた、戦場へと続く夜闇の中へと身を投じていった。





**********





 吹き抜ける風がバリアジャケットをはためかせ、腰から先の裾が翼のように翻る。

 降下した魔導師達はヘリのローター音が聞かれない距離から自力で飛行し、今眼下に問題の施設を捉えていた。

 流石に警備は厳重のようだ。

 何人もの警備兵が見える。



『屋上に2人見えます』

『外にも最低5人はいるようです』

『お前達で屋上を片づけろ。
 ゲルトは俺に付いて来い。下をやる』

『『『了解』』』



 ゼストの指示で全員が行動を開始。

 まずは屋上を任された2人が同時に魔法を発動。

 ミッドチルダ式の射撃魔法が屋上を警備していた敵の頭部に命中し、一撃で昏倒させる。

 だが流石に魔法光で襲撃がバレたようだ、下の敵の動きがにわかに慌ただしくなった。



「敵だ!!」

「上だ!
 空戦魔導師だぞ!!」

「早く撃ち落と……グァッ!?」

「畜生!他にも……ガッ!!」



 敵が上ばかりを気にしている内にゼスト達が下を掃討していく。

 魔力でカウリングされたデバイスが光の軌跡を描いて敵を捉えた。

 ゼストは橙色、ゲルトはそれより少し赤味を増した赤橙色だ。

 二つの影が縦横無尽に駆け回り、その手の槍が振るわれる度に敵が次々と打ち倒されていった。



「くっっそがぁぁぁぁ!」



 ようやく2人を確認したらしい敵がデバイスを向ける。

 瞬く間に無数の小光球が男の前面に発生した。



「むっ」



 早い。

 なかなか腕の立つ魔導師のようだ。

 みるみるうちに光球の数が増えていく。

 優に20は超えているだろう。



「死ねええぇぇぇぇ!!」



 明確な殺意を込めた叫びと共に、生み出されたそれら光球が一斉に撃ち出された。

 視界を覆う魔法弾がまるで流星のように風を切って2人へと殺到する。



「ここは俺が」



 だがそれを目にしてなお動じた様子もないゲルトがゼストの前に立ち、左手を掲げる。

 途端、2人の前にIS“ファームランパート”のテンプレートが展開した。

 断続的にドッ、ともボッ、とも聞こえる着弾音が鳴り響き、炸裂時の爆煙が視界を覆う。

 しかし間断無く魔法を叩きつけられる中でもテンプレートの光は翳りもしない。

 燦然と輝く障壁は撃ち込まれた光球の悉くを受け止め弾き、1発たりともその脅威を2人の下へ届かせる事は無かった。



「なっ……!?」



 攻撃の全てを防ぎ切ったゲルトが粉塵を突き抜けて飛び出す。

 風を纏う疾走で敵へと接近。

 相手は驚愕の表情で硬直している。

 今が絶好のチャンスだ。



「おおおおぉぉぉぉ!!」



 数十メートルの距離を高速で走破。

 敵をナイトホークの間合いに捉えた。

 左足の踏み込みから始まり、腰の捻りを利用して腕を前に出す。

 足が硬質の地面を踏み抜くと同時、ナイトホークの矛先が目標へと吸い込まれていく。



「――――――――!!」



 体を落とす動きも加え体重の乗った刺突が敵の鳩尾に突き刺さった。

 とはいえ刃は魔力でカウリングしてあるので本当に刺さったわけではない。

 だがその分通常は刺さる事で緩和される筈の衝突エネルギーは全て、相手を破壊する方に回る。

 男にとってはどちらが幸せだったのか。

 ナイトホークを握る両手に骨を数本砕いた感触が伝わってくる。

 想像を絶するであろう激痛に、男は声にならぬ悲鳴を上げて悶絶。

 気を失うまでに力なくナイトホークを掴みはしたが、そのまま白眼を剥いて倒れ伏した。



「……あ……」



 男が倒れるのを見る視界にノイズが走る。

 デバイスを掴んで頽れるその姿は初めて殺した男を幻視させるものだった。

 いつかの悪夢がフラッシュバックする。



 ――――目の前にあの男が現れた。



 あの男は保護された頃からまた頻繁に夢に出るようになっていた。



 ――――夢と同じ、あの時の姿で……



 訓練が始まってからは再び減ってきていたが、いつか決着を着けなければならないと思っていた。



 ――――その口から呪詛を吐き出し……



 今がその時なのだろう。



 ――――血に塗れた両手を伸ばして……



 でなければただ皆の足手纏いになるだけだ。



 ――――こちらの首を絞め上げ……



 そんなのはイヤだ。

 そんな事は断じて認められない。



「く……っ」



 俺はもうあの頃とは違うだろう!



 悪夢の再生に脱力する体へ喝を入れる。



 恐れぬと決めた筈だ!

 戦うと誓った筈だ!

 あの人に!あの娘達に!!



 脳裏をよぎるのは3人。

 1人は師と仰ぐ恩人、そして2人の可愛い妹分達だ。



「俺は……!」



 ギリ、とナイトホークを握る手に力が籠る。

 焦点の外れた瞳にも光が戻り、はっきりと男を見据えた。



「騎士、なんだぁぁぁぁっ!!」



 男の胸に刺さっているナイトホークを一息に引き抜く。



「AAAAaaaaaaaaaa!!」



 男は両膝をついて背を仰け反らせ、常人であれば精神が侵されるほどの叫びを上げる。

 喉が張り裂けんばかりの絶叫と共に、槍を引き抜かれた胸からは大量の血が迸った。

 噴き出す血飛沫が辺り一面を真っ赤に染め上げていく。

 目の前に立つゲルトは荒い息を吐きながら全てをその身に受け、流れ落ちる血は涙のように頬へと跡を残した。



「aaaa、aa…………」



 徐々にその叫びは衰え、男の輪郭が崩れていく。

 その姿は闇に溶けていき、遂には影も残さず消滅した。

 最後まで見届けたゲルトはただ黙祷を捧げる。



 俺は、これからもこの道を行きます。



 思い出されるのは今再び葬った男を含め、5人の顔。

 いずれも皆自分の手で命を奪った者達だ。

 今こそ、ずっと避けていた、背を向けてきた過去と向き合い、そして……決別する。



 だから――――



「さよなら……」





**********





「こっちは片付きました」

「ああ。
 ひとまずこれで終わりのようだな」



 現実に戻ったゲルトが後ろから歩み寄るゼストに言う。

 ゲルトを苛んだ幻覚も実際には数秒の事だったらしい。

 当然ナイトホークは血に濡れていたりはせず、目の前には気絶した男が倒れているだけだ。



 既に敵の反撃は止んでいる。

 倒した敵の数は屋上と合わせて9人。

 下の制圧も完了したと見ていいだろう。



「大丈夫なのか?」



 周辺の安全を確認し、ヘリの到着を待つ間にゼストが声をかけた。

 再び戦いへと投入されたゲルトを気にかけていたのはクイント達と同じのようだ。

 訓練と実戦は違う。

 それに結局の所、アームドデバイスとは凶器だ。

 カウリングを施しても本質的には変わらない。

 それを人に向けるというのは、安易に非殺傷設定が使えるミッドチルダ式の魔導師には分かり辛いプレッシャーがあるものだ。

 特にゲルトのような場合はなおさらだろう。

 彼は人殺しの道具としての力を、振るう側として、振るわれる側として、実際に経験しているのだから。



「はい。心配しないで下さい」

「しかし……」

「確かに、ちょっと昔を思い出しはしました」

「…………」



 ゲルトが遠い目をして呟く。

 およそ子供に出来るとは思えないほど深みのある仕草だ。



「でも大丈夫です。
 俺は、もう恐れません」



 次に浮かんだ決意の表情は、迷いの無い瞳は、あの時、首都防衛隊に入ると告げてきた時と同種のもの。

 そして身に纏う雰囲気は戦士のそれだ。



 ふっ……、どうやら杞憂だったようだな。



「そうか。
 ではこれからも頼むぞ、ゲルト」

「はい。任せて下さい」



 丁度その頃、待っていたヘリが独特の爆音を鳴らして接近してきた。

 目を開けていられないような風を巻き起こしてホバリングする機体から、更に6人の魔導師が飛び降りてくる。

 第2陣が合流を果たし、ようやくゼストの前に全員が集結した。



「皆揃ったな。
 これより3班に分かれ、施設内部に突入する」



 編成はゼスト率いる空戦魔導師陣のA班。ゲルトもそこだ。

 B班にクイントとメガーヌ。

 残りの隊員達4人でC班だ。

 組み分けの完了を確認してゼストが後ろを振り返った。

 施設の入口が厚い隔壁で閉鎖されている。

 一応隊員がロックを解除するため警備システムに侵入しようとはしているが……芳しくないようだ。

 とはいえこのままたかが隔壁一つに時間をかけているわけにもいかない。



「ゲルト、手伝え。
 この隔壁を破壊する」

「はい」



 ゼストは隔壁の破壊を選択した。

 命令に応じ、前に出たゲルトがゼストの横に並ぶ。

 2人は同じようにデバイスを大上段に構えた。



『ロードカートリッジ』



 ゼストの槍がメッセージを告げる。

 発声機構の停止されたナイトホークはただコア部分にメッセージがスクロールするのみだ。

 両者のデバイスの石突きがスライド。

 金属の擦れる音が響き硝煙と薬莢を吐き出す。



「「はああぁぁっっ!!」」



 一閃!



 咆声と共にデバイスから無色の衝撃波が迸る。

 地を抉り進む二条の暴威が隔壁に激突!

 爆裂する魔力が腹に響く爆音を轟かせて隔壁を打ち砕き、内部への道をこじ開けた。

 衝撃波の直撃を受けた部分は完全に破壊され、それ以外の部分も大きくひしゃげている。

 最早侵入者の行く手を阻む能は失われた。



「道は開いた。中に入るぞ」



 ゼストが先頭に立ち内部への突入を開始。

 幾つもの駆け足の音が施設の床を鳴らした。

 迷いなく、力強く。





 それ以降も事は万事問題なく進んだ。

 突入したゼスト隊は予定通り3班に分かれて内部の制圧に当たり、1人の犠牲者も出す事なく任務を完遂した。

 ゲルトも他の隊員に負けぬ活躍を見せ初出動を見事に飾る事ができた。



 だがしかし目的を果たせたかと言えばそれは言葉を濁さざるを得ない。

 そこに肝心の違法研究者の姿は無く、また実験体を保護する事もできなかった。

 素体培養器がある事からしてここで人造魔導師、または戦闘機人の研究が行われていた事は間違いないのだが、既に移送された後らしい。

 一足遅かったようだ。



 ただ、敵の見当はついた。

 なぜか?

 簡単だ。

 踏み込んだ研究室のウインドウ全てにその名が残されていたからだ。



 即ち「ジェイル・スカリエッティ」、と。



 違法研究その他の罪で広域指名手配中の特一級次元犯罪者。

 思わぬ大物がかかったと言える。

 まさかあのマッドサイエンティストがミッドチルダに居たとは……。

 勿論こちらを撹乱する為にその名を騙っている者がいる、という可能性もあるが、研究内容を考えると本人の公算が高い。

 なにせ彼こそは生命操作技術の第一人者であり、戦闘機人に適合する素体を生み出す為のクローン技術を生み出した張本人なのだから。

 少なくとも施設の規模を見る限り、彼本人か同程度の技術を持っている者がここにいたはずだ。



 残念ながら今回の作戦で得られた情報はこの程度だ。

 彼を支援している組織についても何一つ掴む事はできなかった。

 よってゼスト隊はこれ以降ジェイル・スカリエッティを主眼に据えて捜査を行っていく事になる。










 これよりおよそ2年半の後、ゼスト隊が壊滅の憂き目を見る。その日まで。










(あとがき)



 あっという間にチラ裏の更新速度に呑まれたのでとらハ板に移動しました。



 今回は今までに無い難産でした。

 でもまぁ、ゲルト初出動はさらっと流していいものじゃないと思ったので話を足しては消し、足しては消し……。

 そのせいで所々纏まりがおかしくなったような気もしないでもないですが。



 それとゼスト隊壊滅イベントまではもう少しかかる予定です。

 折角首都防衛隊に入ったんだから“あのキャラ”もちょっとは出しとかないと……。

 そんな訳でsts本編までは更にかかります。



[8635] 黄葉庭園
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/06/14 01:54
ミッドチルダ首都、クラナガン。

数多の次元世界を統べる時空管理局も地上本部を置く、言わずと知れた魔法の都。

現在主流となっている魔法形式、ミッドチルダ式発祥の地であり、また魔法文明のみならず科学技術においても先端医療技術センターを始めとして最先端を誇り他世界の追随を許さない。

それほどまでに進んだ街である。

当然、多種多様なニーズに応える為の娯楽施設も充実していた。

クラナガンにほど近い郊外に建てられたここアンサラーランドもそうしたアミューズメントパークの一つである。

定番のジェットコースターにコーヒーカップ、メリーゴーランド、観覧車、フリーフォール、エトセトラエトセトラ。

訪れた誰しもを子供から大人まで、世代を問わず魅了するアトラクションの数々。

そんな夢の国、お伽の世界への入口で両手を振って叫ぶ青い髪の親子がいる。



「皆早くーー!」

「ほらほらアトラクションが逃げちゃうわよーー!」



彼女らが呼ぶ方向。

人ごみの向こうから中年の男と少年、そして彼らの歩調に合わせて隣を歩く少女が現れた。

男達は両手に一抱えもある大きな包みを提げており、その歩みは遅い。



「ゲンヤさん……。
 これって確か俺の初出動達成記念、じゃなかったですか?」

「……言うな、ゲルト。
 男なら荷物の1つや2つ、笑って持たにゃならん時もある」



季節は既に夏。

照りつける日差しは路上に陽炎を揺らめかせ、荷物を抱える2人にも容赦なく降り注いでいた。

それは不満の1つも漏れるだろう。



「はぁ、スバルはともかく母さんまで……。
 お兄さん、やっぱり私も1つ持とうか?」



隣を歩くギンガがさっさと先に行ってしまった母と妹に呆れながらもゲルトに申し出た。

ゲルトとゲンヤはまだ遊園地にも入っていないというのに額からダラダラと汗を流して足取り重く歩いている。

流石に気の毒な有様だ。



「うん?ああ、ごめんごめん。
 俺はまだまだ大丈夫だよ。
 ありがとなギンガ」



だというのにギンガの前ではやせ我慢をしてみせるのだ。

ゲルトは「よ……っ!」と気合を入れると、曲げていた背を無理やり伸ばして早足で歩き出した。

平気じゃない事など一目でバレバレだというのに。



「おお、格好いいぞ少年」

「もう、変な意地張って……」





**********





「きゃーーーーーーーーーーーー!」

「あはははははははははははは!」

「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!?」



アンサラーランドの見世物の一つ、優に時速100㎞を超えるジェットコースター“スクリームサイクロン”。

その自慢は何と言っても最高点からの急降下後に訪れる螺旋回転だ。

360°高速で回転しながら駆け抜ける様は圧巻の一言に尽きる。

天地の境も曖昧になる宙返りの中、迸る歓声も絶叫も全てはその速度の為に後ろへと吹き飛んで行った。



「面白いね!このジェットコースター!」

「ああ! 自分で飛ぶのとまたちょっと違ってイイな!これ」

「そ、そうか……そりゃ、良かった……」



コースター乗り場のすぐそばのベンチにゲルト達が座っている。

ゲルトもギンガも初めて乗ったコースターに余程満足したようだ。

興奮冷めやらぬ様子で語り合っている。

ゲルトは元より単独飛行が可能で、かつ飛行中のヘリからの自由落下まで経験しているからこの程度で音を上げる事はない。

ギンガの方はクイントの遺伝だろうか?

あの高速滑走、急回転にも堪えた様子は無く、けろりとした顔をしていた。



一方のゲンヤはそんな2人とは裏腹に全くの死に体である。

ベンチに背を預け、濡れタオルを顔にかけて途切れ途切れの声を絞り出すので精一杯といった有様だ。



「スバルも大きくなったら一緒に乗ろう!面白いぞー?」

「私は、いいよ……。
 アレ恐そうだもん」

「うーん、あの良さが分からないのは勿体無いなー」

「いいもん!
 それより次はアレ!アレに乗ろうよ!」



クイントと一緒に荷物番をしていたスバルはあのジェットコースターをお気に召さなかったようだ。

それよりも左手に見えるメリーゴーランドの方が良いらしい。

キラキラと目を輝かせて指さしている。



「そう。じゃあ母さんと一緒に乗ろうか?」

「うん!」

「あなた…………は、無理そうね」

「俺はいけるぞー」

「あなたまで意地張らないの。
 ゲルト君とギンガはどうする?」

「そうですね……」



スバルが乗りたがっているメリーゴーランドに目を向ける。

見るからに子供向けだ。

スバル位の年の子供達を乗せ、スピーカーからファンシーな音楽を流してぐるぐると回っている。



ちょっとあれは恥ずかしいかな……。



……と、右袖をクイクイッと引かれた。

振り向けば淡く頬を染めたギンガがそこにいる。



「あ……えっと、お兄さん。
 あっちのミラーハウス……に……行かない?」



ギンガが示す先にはシンプルにミラーハウスと銘打たれた建物がある。

正直あのメリーゴーランドに乗るのは御免なので渡りに船だ。



「ああアレか。
 そうだな一緒に行こうか」

「う、うん!」



ゲルトの承諾を受けたギンガが顔を綻ばせた。

花の咲いたような笑顔だ。



う……こいつギンガ、だよな……?



思わずゲルトの顔が熱くなる。

いつかメガーヌに感じたのと同じような感覚だ。

普段から見慣れている筈のギンガがやけに綺麗に見えた。

その笑顔から目が離せない。



「あらあら見つめ合っちゃって。
 ゲルト君も隅に置けないわねー?」

「か、母さん……!」

「あ、いや、これはその……」



まじまじと見つめ合う2人を見たクイントが喜色満面でゲルトの顔を覗き込む。

からかわれたゲルト達は慌てて視線を逸らした。



「い、行くぞギンガ!」

「あ……!」



気まずくなったゲルトがギンガの手を取って走りだす。

2人は一目散にミラーハウスへと向かっていった。



「あらら、ちょっとからかい過ぎたかな?
 ……でもま、ギンガには役得だったみたいだし、いっか」



ゲルトに手を引かれて走るギンガの視線は繋がれた手に注がれている。

恥ずかしそうな顔をしているが、口元は緩んでいる。

内心の嬉しさは隠しきれないようだ。




「お母さん早くー!
 もうすぐ順番だよー!」

「あ、うん今行くわー!」



クイントが列に並んでいたスバルの呼びかけに振り返って答えた。

もう一度だけミラーハウスの方を見た後スバル達の下へと向かって行く。





**********





まったく、クイントさんにも困ったもんだ……。



先程の顛末を思い出す。



いや、俺もどうかしてたよなー。

メガーヌさんはともかくギンガは妹みたいなもんだろうに。



隣のギンガは周りを物珍しい目で見回しながら歩いている。

流石にもう手は繋いでいない。



「お兄さん、ここも凄いね?」

「ああ。
 まるで万華鏡の中に居るみたいだ」



辺りは壁から天井まで鏡に覆われている。

色の付いたガラスが動けばゲルトの言うように万華鏡のような神秘的な模様を描き出した。



「スバルも連れて来た方が良かったかな?
 これなら恐くないだろうし」

「……私は2人っきりの方が……」

「ん?
 何か言ったか?」

「あ、ううん何も!」



ギンガが何か言っていたようだが小さ過ぎてよく聞こえない。

ゲルトが聞き返したが、ワタワタと顔の前で手を振るギンガにはぐらかされてしまった。



それからも2人で話しながら歩いていくと外からの光が見えてきた。

どうやらもうお終いのようだ。



「あ、もう出口か……」

「楽しかったからかな?
 あっという間だったね」

「じゃあ皆と合流するか?」

「うん」



2人が出口をくぐるとゲンヤ達がミラーハウスを出てすぐのベンチで待っていた。

傍らにはあの包みも置いてある。



「お、出て来たな」

「2人共、そろそろご飯にしましょう」



どうやらあの重たかった包みは全て弁当だったようだ。

風呂敷を解いて露わになった重箱のフタを開けると美味しそうな香りが漂い出す。



「それじゃあ、皆揃った事だし……」



『いただきます!』×5



手を合わせて皆で言う。

ミッドチルダでは見ない事だがゲンヤの家に伝わる独特の決まり文句らしい。

ゲルトも最近はこの家で夕飯を御馳走になるのが半ば習慣化しており、特に違和感なくそれに従っていた。

もはや首都防衛隊の隊舎で食事する時にもこれが出るようになっている。



「おいしー!」

「今日は朝から気合い入れて作ったからねー。
 ゲルト君もどう?」

「本当めちゃくちゃ美味いですよ」

「ああ。
 いつものも美味いが今日のは格別だな」

「んふふふ、ありがとう。
 頑張った甲斐があったわ」



クイント達は相変わらず凄い勢いで料理を平らげていく。

その様に最初の頃こそ面食らったゲルトだったが流石にもう慣れたものだ。

ゲンヤの方も仲間が出来たからか少しづつ食べる量が増えてきていて、今では純粋にクイントの料理に舌鼓を打てるようになっていた。



『ごちそうさまでした』×5



「ふ~、食べた食べた。
 次何に乗るー?」

「まぁ、適当に歩いて探して行こうや」

「そうねー、あんまり計画立てていっても面白くないしね」





**********





昼食の後も5人は遊園地を大いに楽しんだ。

皆で迷路に入ったり。

池を一周する遊覧船に乗ったり。

園内を練り歩くパレードを見たり。

マスコットキャラクターと写真を撮ろうとしたが、スバルが着ぐるみを怖がって泣き出したり。

スバルとクイントがコーヒーカップを滅茶苦茶に回してゲンヤをダウンさせたり。



だがそんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、既に日も傾き始めていた。



「もうすぐ暗くなるわね。
 名残り惜しいけど、そろそろ最後にしようか。
 3人は何に乗りたい?」

「んー、アレなんてどうです?」



クイントに聞かれたゲルトが指をさしたのはランドのどこからでも見る事ができる巨大な観覧車だ。

直径は120メートルを超え、一周にはおよそ20分ほどもかかる。



「私も乗ってみたいな」

「私もー」

「そうねぇ、遊園地に来て観覧車に乗らずに帰るのも何だしね。
 じゃあ最後はアレにしましょ」



そうして本日最後のアトラクションは観覧車に決まった。

乗り場の前で10分程も並んだだろうか?

ようやく彼らが乗るゴンドラがやってきた。



「せっかくだし、ギンガはゲルト君と2人で乗ってきなさい」

「え、え?
 母さん?」

「ちょ、クイントさん!?」



目の前でゴンドラが止まると、クイントがギンガとゲルトを押しだして先に乗せた。

クイントの目くばせを受けた係りの人も笑顔でゴンドラの扉を閉めていく。



「私達は後のやつに乗るから、楽しんできなさいよ~!」



徐々に離れていく地面からクイントやスバルが手を振っていた。




**********





ああ……、気まずい。



ゴンドラが上り始めて数分。

ミラーハウスの一件のせいでギンガの顔がまともに見れない。

さっきまではなんとか気にしないようにしてこれたが、こんなに狭い所で2人きりにされたらどうにも意識してしまう。

向かいに座るギンガも同じのようだ。

さっきから一言も利かずに俯いている。



落ち着け、相手はギンガだ。

顔位いつも見てるだろう。



とはいえこのままゴンドラが下に着くまで何十分も黙っているわけにもいかない。

すぅはぁ、と深呼吸を繰り返して覚悟を決める。



……よし!



「あのさギンガ……」「あの、お兄さん……」



「「…………」」



間の悪い2人に先程よりなお重い沈黙が下りる。

だが一度口を開いてしまったからには、もうこの静寂には耐えられない。

ぎこちないのは承知の上で言葉を紡ぐ。



「きょ、今日は楽しかったな」

「う、うん。そうだね」



話題の切り出しの当たり障りの無い言葉だが、素直にそう感じてもいた。

ギンガやスバルも心から笑っていたし、施設にいた頃には名前しか知らなかったが想像以上の場所だ、遊園地とは。



「本当に、母さんに助けてもらってから幸せな事ばっかりだよ。
 母さんも父さんも大切にしてくれるし、もう会えないと思ってたお兄さんにも会えたし」

「俺もだ。
 ゼストさんに助けられてから毎日充実してる」



毎日の訓練も苦には感じないし、確実に力が付いてきているのを感じている。

先日はついに実戦にも臨んだ。

思う所はあったがあれ以来悪夢にうなされる事は無くなったし、今はそれでいいと考えている。

実際問題として前線に立つならいつまでも腑抜けているわけにはいかないのだから。



「やっぱりお兄さんが魔導師になったのって、恩返ししたかったからなの?」

「……ああ。
 幸い俺には戦うための力があったし、な」



一瞬返答に詰まる。

ギンガはこちらの答えを聞いて何やら考え込んでいるようだが、悟られなかっただろうか?

嘘は言っていない。

しかし決してそれだけというわけでもないのだ。

ゲルトが管理局で働く事も決めた理由は複数ある。

それは自分で見出した物もあれば外部から持ちかけられた物もあった。



1つは今言った通りのゼスト達への恩返し。

最近はなんとかゼストにも力を認められるようになってきた、と思う。



2つ目は単純に待遇が良いという事。

基本的に管理局は人材を求めている。

嘱託魔導師という制度も優秀な魔導師を確保する為のものだ。

ゆえに実力があり、かつ無闇に力を振るう事はないと判断された者は例え犯罪者であってもスカウトされる事がままある。

ゲルトの場合は5年の執行猶予期間満了の後に正式に入局すれば、最低でも一士相当で迎えられる事が約束されていた。



3つ目に同胞を助けたいという事。

今ゼスト隊が追っているのは生命操作技術の第一人者だ。

間違いなくそこには自分と同じように生み出され、戦わせられている者がいるだろう。

彼らに今日のような素晴らしい外の世界を見せてやりたい。



そして最後が5人を手にかけた罪を不問にする代わりの社会奉仕という……罰。



しかしギンガにその事、特に最後を話す事はどうしても憚られた。

自分の中でどう決着を着けようと他人には――――

否、違う。

そんな難しい事じゃない。

そうだ。

ただこの娘達には醜い事など知らず、聞かず、このまま幸せに生きていって欲しいだけなのだ。





ところが。





「私もね、魔導師になろうって思ってるの」

「本気、なのか?」



先程まで何やら思案していたギンガが顔を上げてきっぱりと告げた。

自分も魔導師になり、管理局で働くと。

思わぬ話に動揺するゲルトの問いにも頷いて肯定を示した。



「どうしてだ?お前は……」

「うん。
 私はお兄さんやスバルみたいなISは無いよ。
 でもリンカーコアは有るから魔導師にはなれるし、私も何かしたいの!」



ギンガが席を立ち、胸に右手を当てて宣言する。



ギンガにはゲルトやスバルのようにISが備わらなかった。

その為スバルが生み出された訳だが、確かにギンガにもリンカーコアは有る。

クイントをモデルにしているのだから恐らく鍛えれば一角の魔導師にはなるだろう。



「もう母さんと父さんには話してあるよ。
 母さんが稽古をつけてくれるって」

「……いいんだな?それで」

「うん。
 私も私にできる事をする」



ゲルトも立ち上がり、再度本当にいいのかと、後悔はしないのかと確認する。

だがやはりギンガは躊躇いなく答えた。

強引にでも止めるべきなのだろうか、とも思う。

しかしギンガも本気のようだ。

思いつきでこんな事を言い出したはずはない。



ゼストさんもこんな感じだったのかな?



内心で苦笑を漏らしながら、以前自分とゼストも同じような問答をした事を思い出す。

あの時自分は引き下がるつもりだったか?

答えの決まりきった自問に思わず笑みが零れる。

そんなはずは無い。

何としてもこの人の力になると心に決めていたはずだ。



真剣に自分の思いを伝えるギンガの目を見据える。

するとギンガは決意の表れか、視線を逸らす事無く真正面から見返してきた。



ギンガも今まさにあの時の自分と気持ちを胸に灯しているのだろう。

ならばここで幾ら言葉を重ねようとも同じ事だ。



こいつも結構頑固なトコあるしな。



止めようと思っていた筈なのにどうにもそういう考えが浮かばない。

本当に困った妹分だ。



「……わかった、もう何も言わない。好きにしろ」

「え……?」



葛藤の末、嘆息交じりにゲルトが認める言葉を口にする。

だがギンガは気が抜けたような様子で聞き返してきた。

まさか認められるとは思っていなかったのだろう。



「だから!
 魔導師になるなり、管理局で働くなり勝手にしろ!
 ただ一度決めたんなら途中で折れるなよ?」

「うん……うんっ!
 ありがとうお兄さんっ!!」

「わっ、バカ!
 いきなり抱き付くな!」



ゲルトが半ばやけっぱちな気分でそう言うと、ギンガの表情がみるみる輝いていく。

涙が滲み出した時には喜びを抑えきれなくなったのかゲルトの胸へと飛び込んできた。

だがギンガの突然の行動に押されてバランスが崩れる。

一歩下がって体勢を立て直そうとしたが狭いゴンドラの中だ。

引いた足が座席にぶつかる。

足元が急に不安定になり、ゲルトはギンガを支えきれず重心が後ろへ傾いていく。

座席に尻餅をつくように倒れ込むと同時、ギンガもそのまま上に覆い被さってきた。



「危なっ……!」



慌てて抱き止めた。

しかしゲルトは座ったまま。

ギンガは飛び込んできた姿勢のままだ。

必然、ゲルトから見てギンガの頭の位置が少し高くなる。

その状態で受け止めた事でギンガの体は止まったが頭が前に出る。

そして――――



「んうっ……!?」



2人の唇が重なった。



視界にあるのは驚きに目を見開いたギンガの顔のみ。

腕の中にある華奢な体の柔らかさと温かさを感じる。

カッと頭の中が熱くなった。

自分なのかギンガなのか、それともその両方のか、早鐘のような鼓動も聞こえてくる。



まずい。

何かはわからないけど非常にまずい。



パニックに陥りながらも頭を退き、抱き合ったままの身を剥がした。

ギンガの方は呆然とした様子でゲルトの膝にへたり込んでいる。



ちょっと惜しいような気も…………イヤイヤイヤ。



ありえない発想に至りかけ、即座にツっこみを入れる。

そんな不埒な事を考える前に言うべき事があるだろうに。



「そ、そのスマン!」

「う、うん……」



混乱しつつ即座にギンガへ謝罪する。

ギンガは未だゲルトの膝の上だ。

真っ赤な顔で己の唇に触れている。

白く細い指が唇をなぞるのを見る度、さっき触れあった唇の感触が蘇ってきた。

ゲルトの顔も耳まで朱に染まる。



「えっと事故、だよね……?」

「そ、そうだな。
 うん、事故だ」



ようやく膝から下りてゲルトの隣に座ったギンガが俯いて尋ねた。

いや、どちらかと言うとそう自分に言い聞かせている?

ゲルトも天井を眺めながらそれに追従した。

お互いにまだ気恥かしくて顔は合わせられない。

それきり2人の間から言葉は消えた。

だが不思議と嫌な沈黙ではない。

気まずいのとは少し違う、くすぐったいような暖かいような、そんな穏やかな空気だった。



観覧車は回る。

街を茜に燃やす夕日が差し込む中、それでもなおはっきりと分かる程に顔を紅潮させた2人を乗せて。

ゆっくりと、静かに。





**********





「ふふふ、やっぱり疲れちゃったのね」

「そりゃ……~っ、あんだけはしゃぎゃぁな」



帰りの車内だ。

助手席に座っているクイントが後部座席を振りかえって微笑んでいる。

ゲンヤは欠伸を噛み殺して運転しながら相槌を打っていた。



後部座席にはゲルト、ギンガ、スバルの3人が流石に遊び疲れたのだろう、寄り添い合って眠っていた。

真ん中がゲルト、そして両脇を固めるようにギンガとスバルがその肩へともたれかかっている。

全員が全員あどけない年相応の安らかな寝顔だ。



「また皆で来ましょうね?」

「ああ、そうだな」



クイントが笑顔のままで顔を前へ戻す。

彼女らにとっても今日は思い出深い日となった。

もともと子供の生まれなかった2人にとってはこういう家族の団欒は夢でも有ったのだ。

まさか一気に3人も子供ができるとは思わなかったが、今夫婦は確かに待ち望んだ幸福の中にいた。





穏やかに彼女達が幸せを味わう後ろ、後部座席で何かが動いた。

ギンガだ。

眠っているのか目は閉じられたまま、手だけが少し動いてゲルトのそれへと重なる。

笑みを深めた彼女は更にゲルトに擦り寄って行った。










(あとがき)



ザ・ベタな話。

でもそういう王道大事だと思います。



どうもどうもNeonです。

前の更新から随分間が空いてしまいました。

これはひとえに作者の未熟と、唐突に「そうだ、GUNGRAVE見よう」とか思いついて全話見直したのが原因です。

ブランドンの兄貴にボロ泣きした挙句、ガンダムXまで見出したモンだからもう……。

更に“境界線上のホライゾン”とか“乃木坂春香の秘密”まで新刊出るし、いやもう執筆スピードがガタ落ちで。



>冥狼様


このssでギンガがセカンド、スバルがサードと呼ばれているのはオリキャラのゲルトが割りこんだので順番がずれたからです。

タイプゼロ・ゼロとかだとどんだけ試作品なんだよ、と思ったもので。

一応ゲルトが彼らを作った研究所での完成体一号です。

ですから番号的にゲルトが タイプゼロ・ファーストとしています。



流石にリクエストについてはノーコメントで……。



[8635] Supersonic Showdown
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/06/16 00:21
 ――――新暦67年、首都防衛隊隊舎・訓練場



屋外の訓練場に幾重もの剣戟の音が響き渡る。

音源は高速で槍を振るい接近と後退を繰り返す2人の騎士だ。

天地を縦横無尽に駆け巡り、魔力を纏った斬撃の応酬を繰り返す。

デバイスとデバイスが衝突するその度に烈風が舞い散った。



同じ訓練場の中には2人に見とれて手を止めている者も多い。

隊舎の中でもウインドウを凝視して観戦している者まで居る有様である。

だが当の2人は周りの事など全く眼中に無いように打ち合いの激しさを増していった。

まるでベルカ式魔導師の戦闘としてはお手本のような攻防だ。

それはただ激しいだけでなく見る者を惹きつける演舞のような美しささえ備えている。



ただ、これが単なるストレージデバイスであればそれだけで破壊されていただろう。

しか2人の相棒はアームドデバイス、それも余分な機能を一切省き、魔力伝導と強度に充てた特別製だ。

主の戦闘をサポートする為に生みだされた彼らがこの程度で音を上げるわけにはいかない。

フルドライブこそ使っていないが、それでも十分に激しい鍔競り合いの中でもヒビ1つ走る事なく主の矛としての務めを果たしている。



とはいえ両者は同じ得物、同じ流れをベースに戦っている。

ならばその修練に長く時間を掛けている者の方が有利なのは至極当然だ。

事実小さい方の騎士はじりじりと押されていく。



「どうしたゲルト。
 動きが僅かに鈍ってきているぞ。
 もう限界か?」

「くっ!
 まだまだぁ!!」



少年、ゲルトがゼストの指摘に応じて勢いを上げた。

デバイスの穂先が再び高く風を切る音を鳴らせてゼストへと迫る。



「そうだ、格上を相手にするなら動きを止めるな。
 攻め続けろ」



ゼストはそれも受け止め、ゲルトにアドバイスを寄来す。

力量が上の相手に待ちの一手ではどうにもならない。

連撃に次ぐ連撃で相手の力を出し切らせずに倒す。

ろくに遠距離攻撃を用いない彼らなら尚更だ。



両者は更に加速していく。

既に2人のデバイスの穂先は前線メンバーですら一部見切れない者が出てくる程の域に達していた。



「あはは、ゲルト君もやるようになったわねー。
 ……もう私1人じゃ相手にするのも厳しくなってきたし」

「魔導師ランクも追いつかれちゃったしねぇ」



訓練場の制御室でも彼らの仕合を眺めている者が居る。

クイントとメガーヌ、それとメガーヌの膝の上で何かを掴もうと手を伸ばしている赤子だ。

クイントは複雑そうな笑顔でウインドウを眺めている。

ゲルトが入った当初は完全に上手であったのだが、今では5本に3本は取られる始末。

最早隊内でゲルトに対し確実に勝ちを狙えるというのは隊長であるゼストのみだ。

とはいえここ最近ゲルトも急速に力をつけてきている。

先日も1人枠のAAランク取得試験で一発合格し、嘱託魔導師の為に階級こそまだ無いが魔導師ランクではクイント、メガーヌと同等だ。

この映像を見ているとゼストが一本取られるのもそれほど先の話ではないように思えてくる。



「レアスキルの宝庫みたいな子だから多少採点基準は甘かったかも知れないけど……」

「そんなの必要ないでしょ?
 あの子、多分今ならSランクだって倒すわよ」



確かにゲルトの保持している能力の中でレアスキル認定に当たるものは多い。



IS“ファームランパート”、あれは魔力とは別系統のエネルギーで構成されているのでそれだけで完全なレアスキルだ。

更にあの強度。

未だにいくら砲撃を撃ち込もうが、斬りかかろうが一度たりとも破られた事は無い。

魔力で構成されていないのでバリア破壊の術式も効かないのだ。

流石に艦載砲なら貫通出来るだろうが、個人でそんな代物を受けるような状況が無い以上、まさに文字通りの鉄壁と言える。

一応範囲が確定すると動かせないなどの弱点はあるがお釣りがくる性能だ。



次に古代ベルカ式魔法の使用者である事。

ミッドチルダ式が普及している今の世界において古代ベルカ式を用いる者は希少だ。

ベルカを発祥の地とする聖王協会内でもミッドチルダ式とのハイブリッドである近代ベルカ式が主流であり、古代ベルカの騎士は現状数える程しかいない。



更に付け加えるなら飛行適正もそれに加えられる。

ただ浮くことができる程度から空戦可能なレベルまで様々あるが、ゲルトは空戦が可能なレアスキル認定域だ。

現に今ゲルトとゼストは地上を離れて空中でも打ち合っている。



これだけのスキルを持つ上に魔力量もゼストの血を継いで潤沢に備えている。

上記を総合すればまずAAAかSランク取得は難くない。

それだけのスキルを持った上でゼスト、クイントらに訓練を受けている槍術、体術もかなり様になっている。



更に戦闘機人ゆえか身体能力も高く、一撃の重さは尋常ではない。

ああして何度も受けていられるゼストが信じられない程だ。

……まぁ、彼自身も大概規格外れの存在ではあるのだが。



「そうよねぇ。
 ほらルーテシア、お兄ちゃんが頑張ってるわ」



メガーヌが慈愛に満ちた優しい笑顔を湛えて膝の上の赤ん坊へ話しかけた。

彼女と同じ紫の髪をした赤ん坊はウインドウの映像を興味深そうな様子で見ている。

映っているゲルト達をきちんと認識しているのかは分からないが、少なくとも動く物には興味があるようだ。



「お…にぃ…ちゃん?」

「そうそう、よく言えました」



顔を上げたルーテシアが舌足らずな様子でメガーヌの言葉を繰り返す。

メガーヌもその様に微笑みを深め、頭を撫でて褒める。

ルーテシアは満面の笑みでされるがまま撫でられていた。



2年前、未婚ながら妊娠が判明したメガーヌは前線を退いて、長期の産休を取った。

ルーテシアが生まれてからも育児休暇を取っていたのだが、つい数ヶ月前にゼスト隊へと復帰していた。

現在は隊舎の寮母さんがルーテシアの面倒を看てくれており、なんとか子育てと仕事を両立させている。

全くの余談だが、メガーヌの妊娠を知った隊のとある少年はその晩、枕を濡らしたとか濡らさなかったとか。



「あ!
 決着が着きそうよ!」



突然クイントが声を上げた。

ついにゲルト達の勝負も終局が近いようだ。

これまで一進一退の攻防を繰り広げてきた2人ではあったが、流石に呼吸も乱れてきている。



「腕を上げたな、ゲルト」

「はぁっ……はぁっ……ありがとう、ございます」

「だが、そろそろ決めにいくぞ」



ゼストが半身を引いてデバイスを構え直す。

すると何を思ったか、不意にゼストが名乗りを上げた。



「首都防衛隊隊長、ゼスト・グランガイツ」

「あ…………」



ゼストの名乗りを聞いたゲルトの全身、頭から爪先へと震えが走る。

それは紛れもない歓喜の衝動だ。

ゼストの言葉が意味する所は即ち、ゲルトを一人前の騎士であると、相手にするに相応しいと認めてくれたに他ならない。

喜びに打ち震える体に今までの疲労も無視して力が籠っていく。

ゲルトもまたしっかりとナイトホークを構え、高らかと名乗りを上げる。



「首都…防衛隊の騎士、ゲルト!」



距離を取って向かい合う2人。

数瞬の後の激突を予感し、目を閉じて集中する。

両者の足元に魔法陣が展開した。

三角の中央に剣十字を戴く古代ベルカ式の魔法陣だ。



イイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィンンンンンンンン



2人の全身から魔力が立ち上り、それに耐え切れなくなったのか、音を立てて空間が悲鳴を上げた。

見守る者達もその緊張に気圧されて一言も発する事が出来ない。

その場にいるだけで背に汗をかくような圧迫感が限界まで高まっていく。

ついに臨界に達した。

カッ、と同時に2人が目を見開く。



「ゆくぞっ!」

「いきます!」



突撃。

一歩目から全力だ。

推進用の魔力が爆裂し、彼らの背後で同心円状に衝撃波が吹き荒れた。

2人は高速で間合いを詰めていく。



「うおおおおぉぉぉぉぁっ!!」



ゼストが先を取った。

予備動作の踏み込みが床を砕き、必殺の袈裟懸けがゲルトへと迫る。

回避か、防御か。

ゲルトが与えられた刹那に出した答えはそのどちらでもない。



「でああああぁぁぁぁぁっ!!」



攻撃だ。

それも小手先の技など無しの全力の一撃。

ゼストが攻撃動作に移ってから更に一歩を駆け、こちらも全力でデバイスを振るう。

2つのデバイスが壮絶な音を響かせて激突する。

直後には魔力の衝突による爆発と粉塵が舞い散り、彼らの姿を覆い隠していった。

観衆の全てが固唾を呑んで決着の行方を待つ。



徐々に煙が晴れてきた。

2つの影が見える。

片方がもう一方の首元へとデバイスを突き付けていた。

どうやら決着は着いたようだ。

そしてついに彼らを覆っていた粉塵が完全に消え失せる。





「見事だ……」





露わになった爆心地ではでゲルトがゼストにナイトホークを突き付けていた。



ゲルトの勝利だ。



『うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』



一拍の静寂の後、爆発した歓声が首都防衛隊の隊舎を揺るがす。

模擬戦を見ていた全ての者が訓練場へと飛び出していった。



「ついにやりやがったなコイツ!」

「俺は信じてたぜ、お前ならやれるってな!」

「畜生、あと1年は無理だと思ってたのに!」

「馬鹿野郎、負け惜しみはいいからキリキリ出すもん出しやがれ!」



訓練場に押し寄せてきた隊員達によってゲルトは揉みくちゃにされてしまった。

一部賭けていたらしい連中が揉めたりもしていたが、あちこちからゲルトを褒め称える声が聞こえる。

ゲルトも湧き上がる喜びを抑えきれない満面の笑みでそれに応えていた。



「よくやったわね、ゲルト君」

「まさか本当に隊長に勝っちゃうなんてねぇ」

「はい!
 ついにやりました!」



輪の中に入ってきたメガーヌやクイントもゲルトを称賛する。

メガーヌに抱かれているルーテシアも「おにいちゃん」、とこちらに紅葉のような小さい手を伸ばしている。

メガーヌが差し出してきたので、ルーテシアを受け取って優しく抱き上げた。



「あはは、ルーも喜んでくれるのか?」



腕の中のルーテシアに笑顔でそう言えば、彼女も笑みを浮かべてゲルトの顔に触れてきた。

多分撫でているつもりなのだろう。



「そうか、褒めてくれるんだな。
 ありがとう、ルー」



今や隊のアイドルと化しているルーテシアであったが、中でもメガーヌを除けばゲルトによく懐いていた。

ゲルトもそんなルーテシアを可愛がっており、さしずめ3人目の妹ができたといった様子だ。



ルーテシアに話しかけている内にゲルトを取り囲んでいた群衆がさっと道を開けた。

まるでモーセの十戒のようにゲルトの前が開ける。

その中を通ってゼストが歩み寄って来た。

ゲルトはルーテシアをメガーヌへと返す。

目の前に来たゼストが歩みを止めた。



「よくここまで練り上げた」

「ありがとうございます。
 これもゼストさんやクイントさんの指導のおかげです」



労いの言葉に敬礼を以て応える。

事実、ゼスト達の訓練が無ければここまでの域に達する事はなかっただろう。

だがゼストは首を左右に振って、



「いや、お前の努力の賜物だ。
 胸を張れ。
 今まで何人もの魔導師を鍛えてきたが、お前はその中で最も優秀だ」



普段寡黙なゼストがここまでの賛辞を口にする所などついぞ目にした事がない。

皆も目を丸くする中、ゲルトは今度こそ涙腺が緩み、声も震えてくる。



「は、はいっ……。
 本当、に、ありがとう、ございます……」



それでも精一杯胸は張り通した。

ゼストに認められた騎士として、それだけは。










(あとがき)



ついに師と並び立ったゲルト。

だが彼には喜びに浸る暇すらも与えられなかった。

迫る狂人の影、同胞の刃。



次回「鋼の騎士 タイプゼロ」、第9話A Wish For The Stars。



――――悔恨の空に、無力な叫びが轟く。





……とまぁ、何となく予告編風に。

ようやく登場したルーテシアは妹ポジションに収まりました。

だけどまた当分出番無いかも……。



次はついにゼスト隊壊滅イベントです。

大きな転換点となるこの事件。

結果がどうなるのか、ご期待下さい。



[8635] A Wish For the Stars 前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/06/21 22:54
ゲルトがゼストに初めて一本を取った日から数日。

ゼスト隊は近々突入捜査を行う予定の施設の内偵に明け暮れていた。

出資者の背景、運び込まれる資材、消費電力、人の出入り、務めている研究員の身辺、エトセトラエトセトラ。

考え得るあらゆる観点からの調査を繰り返し、出た答えは……限りなく、黒。

どう計算しても申告とは食い違っている部分や不審な点が存在しているのだ。

ほぼ間違いなく人造魔導師ないし戦闘機人の研究を行っているものと思われる。



どこまで信用できるかは分からないが見取り図も入手し、捜査の方は一段落。

後は蓋を開けてみるだけだ。

開けた先に鬼が出るか蛇が出るか、それは分からない。

ただ今回の件が生命操作技術に関する一連の捜査に大きな進展をもたらすに違い無いと、隊の全員が確信していた。



そんなある日の事。



「ゲルト君、隊長が呼んでるわよー。
 隊長室に来てくれって」

「ちょっと待って下さい。
 今保存してるんで」



クイントが資料を纏めていたゲルトを呼びに来た。

どうもゼストが彼を呼んでいるらしい。

とりあえず今まで片づけた分を保存しておく。



ゲルトのデスクは紙資料の使用頻度が下がっている事もあってかよく整頓されていた。

現在のミッドチルダでは重要書類を除いて基本的に電子化が進んでおり、普段の仕事ではあまり使う事はない。

デスクの上には今さっきまで格闘していたキーボードと幾つかのバインダー。

私物と言えるのは飲みかけのコーヒーが入ったマイコップとフォトフレームに入った3枚の写真くらいだろうか。



1枚はゼスト隊前線メンバー全員が写った写真。

中央にゲルトとゼスト、その両隣にクイントとメガーヌ、そしてそれを囲むように他の隊員達が並んでいる。



2枚目はルーテシアを抱きかかえたゲルトを中心にメガーヌ、クイント、ゼストが写っている写真。



そして3枚目は遊園地でナカジマ一家と撮った写真だ。

皆カメラに向かって笑顔を向けている。



「よし、とできた。
 クイントさん、隊長室ですよね?」

「うん、そうよ。
 早く行ってきなさい」



何の用だろう?



呼び出しの内容を考えながら廊下を歩く。

突入捜査も控えているし、やはりその事なのだろうか。

しかしもう大方の調査も済んだし、今更自分1人を呼ぶというのは何なのか。

理由の見当は付かないが、オフィスと隊長室はさほど離れていない。

もう扉が見えてきていた。

まぁ、もうすぐ聞かされるわけだし考えるだけ無駄かと考えを放棄。



「ゲルトです」

「ああ、来たか。
 入ってくれ」

「失礼します」



軽く2回ノックして、名を告げる。

すぐに中から返事が返ってきた。

タッチ式のスイッチを押すとドアが横にスライドして部屋への道を開ける。

部屋の奥、窓際のデスクに座っているゼストの所まで歩いていった。



「やっぱり例の施設の件ですか?」

「いや、違う。
 それとは関係の無いごく個人的な用だ」

「はぁ、個人的……ですか。
 それは一体?」

「ふむ、……それなのだが……」



珍しくゼストが言いよどんだ。

普段なら良くも悪くもズバッ、と言う人なのだが。

捜査には関係が無く、個人的な内容で、かつゼストが口にし難い程の事。

ますますもって呼ばれた訳が分からない。



「お前……名前は欲しくないか?」

「は?
 名前ならゼストさんに頂きましたが……」

「いや、姓の事だ」

「姓、ですか?」



確かに、ゲルトというだけで家名は無い身ではあるが、それに不便を感じた事は無い。

元々は名すらも無かったのだし、あまり気にした事は無かった。

欲しいかと言われてもどう答えればいいのだろうか?



「ああ、すまん。遠回しになったな」



答えに窮するゲルトを見てゼストが言い直す。



「つまり、俺が言いたいのはな……ゲルト。
 お前……俺の、息子にならないか?」



「い、今なんと……?」



聞き間違いか?

今、ゼストさん……俺を息子に、って。



「俺の子になる気はないか、とそう言った」



聞き間違いじゃ……ない?

じゃあ、本当に俺を……?



「い、いいんですか?
 俺、まだ執行猶予中だし、それに……」



そんなに何もかもをもらっていいのだろうか?

ゼストは何も持たなかった自分に自由も、名前も、居場所も、力も、戦う為の目的もくれた。

その上家族まで……父親にまでなってくれると言う。



「そんな事を気にする必要は無い。
 お前は……「ピピピッ!」……何だ?」



ゼストの話を遮るように電子音が鳴った。

ゼストの前にウインドウが開く。



「お話中すみません。
 レジアス中将がお見えになっています」

「レジアスが?
 ……分かった。すぐに行くと伝えろ」



しばし悩んだゼストだったが、結局レジアスの下へと行く事にしたようだ。

すぐに行くと連絡してしまった。



「すまん。用事ができたようだ」



ゼストは申し訳なさそうな顔で言うと席を立った。

ただ、扉の方へ向かう前にデスクの引き出しから何かの紙を取り出して手渡してきた。

ゲルトが困惑しながらその紙の内容に目を落とす。



「こ、これ……」



養子縁組の申請書類だ。

既に各所が書き込まれている。

あとはゲルトがサインをして然るべき所へと提出すれば問題なく発効するだろう。



「これは、お前に預けておく。
 すぐに答えを聞く気はないから時間をかけて考えろ」



それだけ言うとゼストは部屋を出て行った。

カシュッ、と空気が抜けるような音を立ててドアが閉まる。

そいて部屋にはまだ呆、としたままのゲルトだけが残された。



家族、親、父、息子、子供…………



頭の中をグルグルとそんな単語が回る。



家族……か……。



突然の話には驚いた。

自分がゼストの子供に、なんて。

だが。



ああ、そうだ。



だが、だ。

助けてもらえたあの日から、訓練と任務に明け暮れる今でもずっと。

いつだって前に立つあの人の背中を追ってきた。



あの人と共に歩みたい。

あの人のように強くなりたい。

あの人のように誰かを救いたい。



その思いでここまでやってきたのだ。

ゼストはこちらの人生に関わる事だからか、よく考えろと言っていた。

しかしゲルトには彼の子になる事について悩む理由も、ましてや断る道理など何も無かった。



よし、明日一番に返事をしよう。



流石に今すぐとなるとゼストは心配するかもしれない。

もしかして追い詰めてしまったのではないか、など。

あれでゼストは周りに気を遣う方だ。

だから一応返事をするのは明日という事にしておこう。





**********





「突入捜査の予定を早める?」

「そうだ。決行は今夜にする」



ゼストが来客の対応から戻ってすぐ予定の変更が告げられた。

今夜例の施設に突入捜査をかけるらしい。

急な変更に前線メンバーも混乱している。



「随分急ですね。
 何かあったんですか?」

「ああ。
 急な話ですまん。だが、早く決着を着けなければならなくなった」



流石に疑問を感じて質問するが、ゼストははぐらかして何も語らなかった。

多分よほどの理由があるんだろう。

クイントとメガーヌだけは終始表情を変えていなかったから何か知っているのかもしれない。

ただそれとは別にゲルト自身はこの事に何ら不満は無い。

もしそこに仲間がいるのなら早く助けられた方がいい。



「すぐに準備を始めてくれ」

「了解」



それにこの件は隊長の決定だ。

それ以上口を挟む者はいなかった。

ゼストの命令に応じて突入の用意をするべく隊員達は動き始める。





**********





「ドクター、侵入者のようです」

「侵入者?
 ふむ、おかしいね。
 首都防衛隊が来るにはまだ少し早いようだが……」



ウェーブのかかったロングヘアの女性がドクターと呼ばれた男へと報告を行う。

どうやらゼスト隊が施設へ接近するのを察知したようだ。

ドクターが首を傾げて不思議そうな顔をする。

口振りから察するに首都防衛隊の動きは彼らに読まれていたのか?



「申し訳ありません。
 どうやら予定が前倒しになったようで」

「レジアス中将にも困ったものだ。
 下くらいはしっかり押さえていてもらわないとねぇ」



やれやれ、と多少大げさに呆れた仕草を取って肩をすくめる。

台詞とは裏腹にあまり困った様子は見受けられない。



「施設の移動はどうなっているかな?」

「現在7割が完了しています」

「ふむ……まぁ、その位なら構わないか」

「では現時点を以て施設は廃棄いたします。
 向こうのトーレ達にも戻るように連絡を――――」

「いや、いいよ。ウーノ。
 丁度いい機会だ。
 ここは彼女達のお披露目といこうじゃないか」



ドクターがウーノの言葉を手を振って遮り、口を開いた。

その口調は穏やかであり、また子供のような無邪気さも湛えている。



「よろしいのですか?
 最高評議会の方々からは目立つ行動は控えるように、との事ですが」

「構わないさ。
 今回の件はレジアス中将のミスで、私が独断で彼らを招いた訳じゃない。
 それに彼らとしてもレリックウェポンには興味が有る筈だよ」



クククッ、と口端を釣り上げて笑う。

ドクターはこみ上げる笑いを抑えきれないようだ。

ゼスト隊は特秘任務による行動中。

たとえ全滅したとしても詳細は明かされず、騒ぎになる事もない。

積極的な交戦は禁じられているが、予定よりも早く突入されたのなら迎撃も致しかたないだろう。



「承知いたしました。
 捕獲対象はゼスト・グランガイツ、メガーヌ・アルピーノでよろしいですね?」

「ああ。
 だが、ついでにもう1人加えておいてくれないかい?」

「と、いうと」

「そうだよ。彼さ」



ウーノにはそれが誰なのか、心当たりがあるようだ。

ドクターも薄笑みを浮かべて同意した。

彼らの前にはウインドウが浮かんでいる。

そこに映し出されているのはゼスト隊の隊員達のプロフィールと顔写真だ。

中でもゼスト、メガーヌの欄にはマーキングがなされている。



“レリックウェポン適合素体”



マークには赤文字でそう書かれていた。

そしてゲルトの欄には、



“戦闘機人、タイプ・ゼロ:ファースト”



とある。



「本当についてるねぇ。
 まさか向こうの方から出向いてきてくれるなんて。
 彼女らはオーバーSランク騎士にどこまで通用するかな?……ククッ」



ついに限界に達したのか、ドクターが身を反らして笑いだした。

壁に反響してその笑い声は施設中にエコーしていく。

ドクターは……否。

稀代の天才科学者ドクタースカリエッティは、おかしくてたまらないといった風に止まる事なく哄笑を上げる。



「ハハ、ハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハ」





しかし彼の瞳は、濁った狂気に満ち満ちていた。










(あとがき)


引っ越しの準備に追われて今週中に投稿するつもりが間に合いませんでした。

とりあえず2つに分けて先に投稿する事にしましたが、期待してくれてた方には申し訳ありません。

できる限り早く続きも出すつもりなのでご容赦下さい。



[8635] A Wish For the Stars 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/06/24 02:04
「不気味ですね……」

「ええ、そうね」



ゼスト隊が問題の施設に突入して既に十数分が経過。

施設外部でこそ多少の抵抗は有ったが(とはいっても機械による銃撃だけだった)、内部に入ってからはそれすらも無くなっていた。

こうも静かだとむしろ不安になってくる。

既にもぬけの殻なのか?

いや、こちらは予定を早めたのだから敵が既に逃げているというのも考え難い。

ならば一体どうなっている……。



「ゼストさん達からは何も連絡は無いですよね?」

「ええ。向こうも同じ感じなのかしら」



地下に入ってから更に施設は広がりをみせ、仕方なく隊を二分して探索する事になった。

今はゼストが率いるA班とC班が合同で。

クイント、メガーヌのコンビにゲルトを入れてのB班が単独で行動している。

ゲルトがB班に入れられたのは戦力的な偏りを防ぐ為というのもあるだろうが、やはり実戦を離れていたメガーヌを慮っての事だろう。

AAランク魔導師が3人もいれば大抵の状況には対応できる。

他の隊員達が著しく劣るとまではいわないが、やはり格が一つ違うのだ。



そうこうしている内に通路の幅が広くなってきた。

薄暗い廊下の向こうに何か光を反射するものが見える。



「これは……!」



通路には人が1人入れる程度のポッドがずらりと並んでいた。

先頭を歩くクイントが、ある意味で探し求めていたそれの発見に足を止めて驚きの声を上げる。



「人造生命の……素体、培養器……!」



ゲルトは歯を食いしばって絞り出すように忌まわしいその名を告げる。

かつてはあまりに見慣れた代物だった。

今はどれにも人が入っていないようだが、まさかずっとこうして置いてあった訳ではあるまい。

恐らくどこかに移動された後なのだろう。



やっぱり、今回の件は悟られていた……?



「……こちらC班!
 応答してくれ!!」



まさかの事態に困惑する彼らに通信が入った。

ゼストと共に行動している筈のC班からだ。

余程の事態なのか切羽詰まった様子で叫んでいる。



「隊長が、隊長が俺達を庇って!」



ウインドウには負傷したらしいゼストが映っている。

彼は隊員の肩を借りてようやく立っているといった有様だ。

意識があるのかどうかも定かでは無い。

背後では戦闘中なのか爆発が立て続けに起こっている。



「ゼストさん!?」

「隊長!!」



間違いなく重傷を負っているゼストを見たゲルトとメガーヌが悲鳴を上げる。



まずい、早く合流しないと……!



ゼストが隊員を庇ったという事だが、それにしてもあのゼストが易々と重傷を負う筈もない。

敵は一体何者だ?

少なくとも残された隊員だけでは荷が重い相手には違いない。

早く合流しなければ、全滅も有り得る。



「クイントさん!」

「ええ、すぐに――――」



隊の緊急事態だ。

少し前を警戒していたクイントに本隊との合流を提案する。

クイントも急いで向かおうとするが、





ゾンッ!!





「あ……?……カハッ……」



5歩ほど前のクイントが突然宙に浮いた。

とは言っても痙攣する爪先が地面についているかどうかといったところだが。

震える手で右胸の辺りを押さえている。



何だ……?

これは……。



ゲルトの思考が停止する。

金縛りにあったように体の自由が利かず身動ぎする事もできない。

……と、いきなり彼女の背後が揺らめき、無数の機械群が現れた。

ヒューヒューと風の抜けるような呼吸をするクイントの右胸からは金属性の鎌か爪のようなものが生えている。

いや、前だけではない。

ゲルト達の後ろにも同じく通路を埋め尽くす程のガジェットが蠢いている。

その数は20や30ではきくまい。



クイントの胸から爪が引き抜かれた。

支えを失って力無く地面に倒れたクイントはそのままピクリともしない。

流れ出る血が床に赤い染みを広げていく。



「クイントォォォォォッ!!」

「!」



メガーヌの叫びでゲルトはようやく我に返った。

すぐさまクイントを貫いた敵へと突撃。

激情のままに渾身の斬撃を叩きつける。

人間であれば必殺の一撃だ。

事実ナイトホークに両断されたガジェットの上部も左から右へとズレていった。

直後、ゲルトを認識したらしい左のガジェットもその爪を振るう。

だがゲルトはそれよりも早く一歩を踏み込んで回避。

目標を見失い地面に突き立った爪を腕から斬り飛ばす。

そのまま流れるような動きでガジェット本体も一刀で片付けた。



「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」



止まらない。

雄叫びを上げるゲルトは次々と押し寄せるガジェットを片端から斬り捨てていく。

猛り狂う頭でもその太刀筋には一分の狂いも無い。

ゼスト隊に入隊してからの苛烈な訓練の中、何千何万と繰り返した動作は既に身に染みつき、反射の域にまで達していた。

たとえ精神がどのような状態にあろうともゲルトにとって最適な軌道を辿って敵を屠ってゆく。

ゲルトは際限なく現れるガジェットに対し一歩も譲らない善戦を繰り広げていた。



だがあまり前に出過ぎる事もできない。

ガジェットの相手をしながら横目に後方の様子を窺う。

後ろではメガーヌがクイントにせめてもの応急処置を施していた。

そのメガーヌ達の後ろにはゲルトのISが展開している。

ISによって足止めされている後方のガジェット達が何とかそれを破ろうと執拗に爪を叩きつけているがビクともしていない。

とはいえゲルトがISを制御できるのは精々10メートルの距離が限度。

それを超えればファームランパートを維持できなくなる。

“通常の状態なら”何とかなったかもしれないが、後方の敵まで加われば今のゲルトではいつまで保つか分からない。



そう通常なら、だ。

厄介な事に先程から魔法の収束率が異様に落ちているのだ。

これはメガーヌも同様なのでデバイス等の異常という訳では無い。

恐らくはあのガジェット達かこの施設そのもの、またはその両方にそのような細工が施されているのだろう。

ISは問題なく発動している事から魔法の収束に干渉、妨害する類のものと思われる。

そのせいでゲルトは派手な魔法を使用できずガジェットの猛攻を突き崩せないでいた。



ちなみにゲルトのこの推測は正しい。

この高濃度のAMFはガジェットだけでなく、この施設の壁面に敷設された展開装置によるものとの複合作用だ。

現在この空間にはスカリエッティの拠点に張られているのと同程度のAMFが展開されていた。



それにクイントの容態はやはり芳しくない。

一応止血パッドで傷口は抑えているが、そもそもの傷が深過ぎる。

早く医者に診せなければ命に関わるのは明白だ。



どうする!



このまま戦ってもジリ貧になるのがオチ。

こちらの体力とて無尽蔵ではない。

クイントも手遅れになる。



どうすればいい!?



「ゲルト君。
 そのままで聞いて!」



状況を打開する手立ても浮かばず、ただ目の前のガジェットを破壊しているゲルトにメガーヌが呼びかけた。

彼女はゲルトの横に並んで魔力弾を撃ち込み、ガジェットを牽制する。

何か良い案でも思いついたのだろうか?



「いい?このままじゃどうしたって手詰まりになるわ。
 だからゲルト君、あなたはクイントを連れてすぐにここから脱出しなさい。
 飛行ができるあなたなら、あいつらの上を抜けていける!」

「!?」



メガーヌの口から出たプランは非情であった。

自分を置いて逃げろ、と。

彼女はゲルトにそう言っているのだ。



「で、でもそれじゃあメガーヌさんはどうするんです!?」



おそらく飛ぶだけならばなんとかなる。

だがクイントを連れて飛べるかどうかは怪しいところだし、メガーヌも同時に運ぶ事に至っては絶対に不可能だ。

そしてここに残れば待ち受ける運命は一つである。



「いいから行きなさい。
 時間が無いわ。このままここでこうしていたらクイントは手遅れになる」

「あなたが死んだらルーはどうなるんですか!?」

「!」



ルーテシアはまだ幼い。

母親まで居なくなって、あの子はこれからどうするというのか。



「……あの子に仲間を見捨てて生き延びたなんて、言えないわ」

「それなら俺だって同じです!
 そうだ、フルドライブを使えば……!」

「ダメよ。
 それじゃあクイントが間に合わないわ。
 今すぐここを出るしかないの」



ルーテシアの事を持ち出されたメガーヌは僅かに表情を曇らせた。

それでも苦渋に満ちた様子で私情を捨て去る。

現実として、クイントは一刻も早く病院に運ばなければならない。

それが出来るのは宙を駆けて強引にでも敵陣を突破できるゲルトだけ。

魔法を著しく制限されたこの環境では2人を同時に運ぶ事はできない。

元より選択肢は無いのだ。

ゲルトもその事は分かっている。

分かってはいるが、メガーヌを見捨てるなどゲルトには到底承諾できるものではなかった。

しかしこうして問答をしている内にもクイントは衰弱していく。



「早く行って!
 お願い、クイントを助けて!!」

「…………ッ!」



メガーヌが涙ながらに懇願する。

ゲルトはナイトホークを握りしめ、砕ける程に歯を噛みしめた。

だが、メガーヌの言う通りもうこれ以上の猶予は無い。

やるしか……ないのだ。



「すみませんっ!」



ゲルトは振り返ってクイントの下へと駆け出した。

意識の無いクイントの両手を手錠で固定し、自らの首に回させる。

クイントを背負って立ち上がると地を蹴って天井付近まで飛び上がった。

そのまま後方の道を塞いでいたISを解除し、ガジェット共の中央を突っ切って行く。

後ろを見る勇気は、無かった。



「そう、それでいいの」



メガーヌがゲルト達の後ろ姿をいつもの穏やかな笑みで見つめる。

その表情に後悔の色は無く、むしろ満足気な様子すら読み取れた。

その後は残る力を振り絞って魔力弾を放ち、バインドで敵の動きを止める。

だが、地下のうえにAMFまで発生しているにこの環境では複雑な術式が必要となる召喚魔法は使えない。

もとより前衛向きでは無いメガーヌだ。

ついには前後から押し寄せてきたガジェット達の中へとその姿は飲み込まれて行った。





***********





畜生、畜生、畜生畜生畜生畜生畜生ッ!



ゲルトが通路の天井を駆け抜けていく。

焦れる内心とは裏腹にその速度は大した事はない。

下手をすれば走るのより少し遅いくらいだ。

クイントの体を考えてあまり無茶な加速をする訳にもいかないというのもあるが、そうでなくても地下で曲がり角が多い構造ゆえに速度が出せないのだ。



眼下にはおびただしい数のガジェットがひしめき、上を通過するゲルト達を叩き落そうと鎌を振り上げてきた。

中にはカプセルのような形をした新手も見える。

それは熱線を用いての遠距離攻撃を仕掛けてくる、回避運動の取れない今は非常に厄介な相手だった。

この不安定な状態ではただの一撃でバランスを崩し、墜落する可能性もある。

ゲルトは全方位を覆う魔力障壁を展開しているが、AMFに干渉されたそれはどうしようもなく脆かった。

わずか数度の攻撃で破られる寸前までいってしまう。

その度にゲルトはカートリッジを使用して修復と強化に充てていたが、もうカートリッジも残り少ない。

ISさえ使えればどうという事は無いのだが、飛行中には使えないのが悔やまれる。

ファームランパートの欠点、一度効果範囲を確定すると変更する事ができない、がここに来て足を引っ張っていた。



仕方ない……か。



覚悟を決める。

ここまで来たらなんとしてもクイントを助けなければ。

そうでなければ何の為にメガーヌは命を懸けたのか。



『フルドライブ・レディ』



相変わらず無言のナイトホークがゲルトの意に応じてフルドライブの準備を始める。

新たにカートリッジがロードされ、石突きから薬莢が飛び出した。

いつもなら即座に起動するところだが、この環境だ。

せめて少しも安定時間が延びれば御の字。

やれる事は全てやっておくべきだ。



俺がここでしくじる訳にはいかない!



『フルドライブ・スタート』



ナイトホークのコアにメッセージがスクロールする。

流れる文字の意味するところは即ち超過駆動の開始。

ゲルトの魔力が通常のカートリッジ使用時に比べてなお圧倒的なまでに膨れ上がった。



フルドライブ、それは通常魔導師が無意識に60%程でセーブしている魔力を全解放する為の機構だ。

これを起動する事で出力は限界一杯まで跳ね上がり、魔法の効果も劇的に向上する。

ただし当然ながらこれは諸刃の剣でもある。

安全装置を解除しての全力行使は魔導師、デバイス双方に多大な負荷を強いるのだ。

しかもゲルトはそれを施設脱出に至るまでの間、常時起動し続ける心算であった。

一応、ゲルトもナイトホークもフルドライブの使用を視野に入れた殊更頑丈な造りになってはいる。

だがそれも瞬間的な使用である、というのが前提にあるのだ。

長時間の起動が双方にどれほどの負担を強いるかは想像を絶する。



だがゲルトに躊躇う気持ちは全く無かった。

背のクイントがまだ弱々しくも呼吸できている内に外に出る。

それ以外は全てが瑣末事だ。

だから、



「どけえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」



法外な魔力を注ぎこまれて輝きを増した障壁はAMFの干渉も物ともせずにその効力を如何なく発揮している。

ゲルトはクイントに負担をかけない程度に速度を上げて敵中を突破していった。





**********





「ハァッ、ハァッ、ハァッ…………」



もうすぐ出口のはずだ。

AMF濃度はなんとか下がってきたが、長時間のフルドライブの負担はやはり大きい。

リンカーコアの異常励起が身体へも影響を与えている。

ゲルトの視界は霞み、呼吸も荒い。

もはや精神力だけで動いている状態だ。

もし少しでも気が緩めばそこでお終いだろう。



この角を曲がれば出口が……。



「ッ!?」



しかしそこも厚い隔壁が帳を下し、外界とは完全に遮断されていた。

既に何枚の隔壁を破ったかも知れないというのにまたこれだ。

こちらを逃がすつもりは無いらしい。

とはいえ悠長にどうするかを考えているような暇は無い。

なんとかガジェットの包囲は切り抜けたが、手をこまねいていればまたすぐに押し寄せてくるだろう。

クイントの状態もいよいよまずい。

呼吸も殆ど感じられないほどになっている。

ならば取るべき道はただ1つ。



「保ってくれよ、ナイトホーク……」



やる事はシンプルだ。

全力の一撃で隔壁を破壊する。

言葉にするとただそれだけ。

フルドライブ起動中の今なら意識さえ手放さなければ何とかなる筈。

それより問題はナイトホークだ。

主であるゲルトがここまで消耗しているのにそのデバイスが無事で済む訳もなく。

ナイトホークはあまりの負荷にあちこちにヒビが奔った痛ましい姿を晒している。

これ以上限界を超えた魔力に曝されれば機能停止どころか完全に破壊される可能性もあった。

だがやるしかないのだ。

一番辛い時からともに在った相棒を信じ、乾坤一擲の機に全てを賭ける。



「ああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



文字通りの全力全開。

ゲルトは咆哮とも絶叫ともとれる叫びを迸らせてナイトホークを振るった。

フルドライブシステムが悲鳴を上げるリンカーコアから容赦無く魔力を絞り出させる。

それに伴いゲルトの胸をも激痛が襲った。

リンカーコアは魔導師にとって臓器も同然なのだ。

こんな無理を続ければ当然、命にも関わる。

ナイトホークも表面が剥離し、ピシリと音を立てて新たなヒビが刻まれていく。

だがここで倒れるわけにはいかない。

執念で以て過剰なまでの魔力の奔流を収束。

ナイトホークを介して膨大な破壊力へと転化させていった。



その結果生まれるのは、壮絶な規模の衝撃波。

穂先から放たれたそれは轟音をたてて隔壁へと激突する。

その衝撃は施設そのものを揺るがす程の激しさだ。

もうもうと煙が立ち込め、ゲルトの視界を遮る。

だがそれも束の間の事だ。

急に風が吹き抜け、煙を外へと吸い出していく。

粉塵が消え去ればそこには大穴を開けられ、外への道を開いてしまった隔壁の残骸があるのみだ。



『フル…ドライブ……エン、ド……』



「ハァッ、ハァッ……クッ……。
 急いで、出ないと……」



度重なる魔力の酷使に意識が朦朧とする。

ナイトホークのコアにもノイズが幾重にも走っていた。

最後の隔壁を破った事でフルドライブは切る。

流石にもうこれ以上はゲルトもナイトホークも耐えられない。

しかしまだ役目は終わっていないのだ。

飛べなくならない内に早くここから離れなければ。

もうAMFの効果範囲外だというのに飛行を維持するのもやっとだ。

フラフラと死にかけの蝶のように外へと出、ヘリが着陸できるような開けた場所を見つけてそこに降り立った。

クイントを背から下ろす。

傷口からの出血はやはりひどいがまだ脈は有るようだ。



生きてる……!



安堵するゲルトは施設の方を向いた。

大した距離を飛ぶことは出来ず、まだすぐ近くにいるのだ。



そうだゼストさん……。

ゼストさんは……?



最後の通信で重傷を負っていたゼストはどうなった?

先に脱出したのか?

いや先程から何度コールしてもA班、C班共に誰も出ない。

外にいるのなら1人くらい出てもいいだろう。



まさか、まだ……中、に……?



ゲルトの背を冷たいものが奔る。

もしそうなら最悪だ。

ゲルト達を追ってガジェットが出てこないのも、もしかしたらそういう事なのかもしれない。



「ゼスト、さん……。
 ゼスト……父さん……」



ゲルトはナイトホークを支えにして幽鬼のような足取りで施設へと歩み始めた。

意識は混濁しており、クイントの事も最早視界に入らない。

焦点もまともに定まらない目でただ、歩く。

一歩が重い。

ともすれば地面に倒れ伏したくなる。

だが止まれない。



あの人まで失ったら、俺は……。



どこか遠くでヘリのローター音が聞こえるような気もする。

だがゲルトはそれに構う余裕も無く、施設へと逆戻りしていった。

ようやく施設の門をくぐる。



突然施設が爆発した。



破壊した隔壁から炎が噴き出す。

まだ施設本棟からは離れていたゲルトであったが為す術もなく爆圧に吹き飛ばされた。

もはやその場に踏ん張るような力は残っていなかったのだ。

首を起こしてなんとか足に力を入れようとしたが、倒れ込んでしまえばもう立ち上がる事はできない。



あ、あああ……。

父…さん、メガーヌ…さん、皆……。



視界に残っているのは爆発によって破壊され、火に包まれて倒壊していく施設。

広大な地下構造もあったからか、地上部分の建物は殆ど埋まってしまったように背を落としている。



「――――――――!」



慟哭が喉を迸った筈だが、もう自分の声も聞こえない。

ゲルトの意識はそこで途絶えた。





**********





『それでは今回の件はスカリエッティの独断ではない、と言うのだな?』

「はい。
 こちらが入手していた予定よりも早く突入された為、止む無く攻撃したまでです」



薄暗い空間だ。

3つのパネルとその中央のホログラム投影機の他は何も見えない。

そこでナンバー1、ウーノが今回の事件について報告している。

パネルで会話する3人は音声のみの通信で顔などは映っていない。



「それでですが始末した管理局員の中に人造魔導師素体として適合しそうな者がいました」



ウーノの言葉に応じて2つのウインドウが開かれた。

そこに記載されているのはゼストとメガーヌのパーソナルデータだ。



『ゼスト・グランガイツにメガーヌ・アルピーノか……』

『ふむ……例の保護した戦闘機人はどうなった?』

「瀕死の局員1人を連れて脱出しました」

『死んではおらんのだな?』

「はい。それでですがメガーヌには娘がいるようです。
 そちらと合わせて彼も確保して頂きたく……」



メガーヌが適正を示したならその娘も、と考えるのは当然だろう。

サンプルは多い方がいい。

そうそういないレリックの適合素体なら確保しておくべきだ。

ゲルトについても遺伝形質はゼストと一致している。

戦闘機人であれば身体的にも強固である為、多少強引な実験でも耐えられるだろう。



そういえばと、ウーノは彼が脱出したと知った時のドクターの楽しそうな顔を思い出した。

彼にとっては騎士ゼスト等を確保できた事よりもなお関心を引いたらしい。

確かにあの状況下で瀕死の仲間を連れて逃げ果せるとは大したものだとは思うが。

ドクターはぜひ手に入れたいとウーノに言っていた。

しかし、



『ならぬ』

『我々はレジアスの進める戦闘機人計画にも大いに期待している』

『彼の者はその礎。
 手を出す事はまかりならない』



最高評議会の戦闘機人計画に寄せる期待は思いの外大きいようだ。

後の戦闘機人量産がなった折、スムーズにその戦力を取り込む為の先駆け。

それがゲルトという少年に課された使命である。

ゆえに彼が泥を被るような事があってはならず、死ぬ事も許されない。

彼は表舞台で華々しく活躍し続けなければならないのだ。

今彼の所在が不明となればスカリエッティとの内通を疑われ、最悪戦闘機人排斥論が噴出しないとも限らない。

そうなればミッド地上の正義の御旗となる戦闘機人計画は水泡に帰す。

それゆえの否定であった。



「分かりました。
 ドクターにもそのように伝えておきます」

『メガーヌの娘についてはこちらで手配しておく』

「レジアス氏にこの事は?」



一応彼もスカリエッティのスポンサーの1人で、首都防衛隊にとっては直属の上司に当たる。

どの道報告はしなければならないが、この件は話しておくべきなのだろうか?



『伏せておくがよかろう』

『いずれアレにも首輪を付けねばならん』

『その点、ゼスト・グランガイツは存外良き手駒になるやもしれん』



最高評議会はレジアスを優秀と判じているものの、それゆえに信頼しきってもいないようだ。

上手くゆけばゼストを取り込んでレジアスの監視につけるつもりらしい。

彼らにゼスト達、命を賭けてミッドを守ろうとした首都防衛隊の面々に対する感情など何も見受けられなかった。

仮にも正義の代行者を名乗っていながら。

それでも彼らは迷いもなく言うのだ。



『『『全ては、世界の平和の為に』』』










(あとがき)



引っ越し作業の合間を縫ってつらつらと書きため、ようやく投稿できました。

この時のゼストの方の詳細も後の話で書いていくつもりです。



[8635] 天に問う。剣は折れたのか?
Name: Neon◆139e4b06 ID:b0a0e993
Date: 2009/07/06 18:19
『困るね、レジアス中将。
 大事な施設を1つ、潰されてしまったよ』



人払いの済んだレジアスの執務室に男の声が聞こえる。

白衣を着た金色の瞳の男。

ジェイル・スカリエッティだ。

スカリエッティはゼスト隊の突入捜査を防げなかった件について、レジアスに問い質している。



「命令が追い付かなかったようだ」

『まぁ、さしたる被害も無かったがね』



ゼストらが突入した時には既に施設の移動はほぼ完了していたそうだ。

そのくせ代理の者ではなくわざわざ自分で通信してきたのはレジアスに嫌味を言いたかったらしい。



忌々しい……。



内心で毒づく。

レジアスは初めて会った時からこのヘラヘラ笑っている男がどうにも気に食わなかった。

勿論相手は一級の犯罪者である。

気に入るなどという事はそもそも有り得ないのだが、それとは別に腹の底にあるものを掴ませない不気味さがあるのだ、この男には。



『それとあなたの夢、戦闘機人は素晴らしい性能を発揮しているよ』



いやに笑顔のスカリエッティが、さも今思い出したかのようにそう言うと1枚のウインドウが開いた。



「なっ――――!」



それを見たレジアスは衝撃のあまり全身を強張らせた。

映っているのは1人の男。

見間違う筈がない。

30年以上もの付き合いにもなる、レジアスもよく知る男だ。

その男は胸から大量の血を流して壁に寄り掛かっている。

一見して致命傷だと分かるほどの出血量だ。

そして彼の前には片目を損傷したらしい少女が立っていた。

美しい銀髪をたなびかせた10代前半と思しき少女。

それゆえに閉じられた右目から流れ出る血涙が一層その痛ましさを増していた。

状況から見ておそらくは彼女がその男を、殺したのだろう。



『一対一でSランク騎士を撃破、なかなかだろう?
 ああ、もちろん例の少年は逃がしてあるから安心してくれたまえ』



スカリエッティは自らの作品の性能が証明された事によほど満足しているようだ。

その声の端々に自慢気な色が見え隠れする。

しかしレジアスはそんなスカリエッティに気を配るような余裕は無かった。

ただただ倒れた男が映る映像を見つめている。



血を流して壁にもたれるその男は、彼の親友。

ゼスト・グランガイツその人に、間違いなかった。





**********





部屋には呆然としたままのレジアスだけが取り残されている。

スカリエッティは既に言いたい事は言い終えたのか通信を切ってしまっていた。

伽藍の心に独白が反響していく。



死んだのか?あいつが。



とても信じられない。

あいつはいつも圧倒的で、魔法の使えない自分達など歯牙にもかけぬ力を持っていた。

同じ夢を語り合いながらも一生この差を埋める事はできないのだと、いつも心の底で己を苛んだのも事実。

それでも自分は守りたかったのだ。

自分の力で、このミッドを。

だから権力にそれを求めた。

体制を改革し、制度を革新し、構造を変革してその機能を向上させる。

その結果が今も現場で血を流すあいつらの被害を減らすのなら、それを自分の戦いとしよう、と。



戦闘機人計画もそのために考案したのだ。

魔導師ではないがゆえに保有魔力制限にかかる事もなく、どのような部隊でも全力を発揮できる安定した戦力。

精鋭部隊でその力を振るわせても良し。

人材不足が深刻な地上部隊で戦力の底上げに使っても良し。

元々は保有魔力制限もそういった部隊戦力の均等化を狙った制度だったのだ。

それもリミッターという抜け道が出来てからは優秀な戦力を腐らせるだけの悪法に成り下がったが。

しかし戦闘機人が広まればその問題も解消されるだろう。

高ランク魔導師はいちいち承認を受けずとも持てる力の全てを振るう事ができ、それ以外の者も充実した戦力で連携が取れる。

そうなれば事件に対してより迅速な対応が可能になる。

それは一般市民だけでなく局員の被害減少にも直結するだろう。



だというのに、その戦闘機人がゼストを殺した?

ミッドチルダの救世主となるべき戦闘機人が、地上部隊の最強戦力を?

なんという皮肉か。



「ゼスト……」



あの光景が目に焼き付いている。

自分の正義の為ならば殉じても構わぬとまで言い切った友の、無惨な姿が。

いつまでも自分を誤魔化せるものではない。

結局、自分の業なのだ。

あいつが死んだ事も、あいつの部下達を巻き込んだ事も全て。

しかし、



「お前の死に場所は、こんな所ではないだろうが!」



震える声で叫びながら机に拳を叩きつけた。

悔やまずにはいられない。

嘆かずにはいられない。

戦闘機人も彼の理想にとっては所詮、足掛かりの一つに過ぎなかった。

平和を保っていくのには、やはり人の力が必要なのだ。

それこそゼストのような、あの日自分を魅了した、他者を惹きつける強さが。

断じてあいつはあのような所で死んでいい人間ではない。

あのように世に知られる事も無く、ただ任務中の事故者として葬られていいような人間ではないのだ。

あいつこそがミッド守護の先兵であり、誰もが憧れ、目指す形でなければならないのだ!



だが現実としてゼストは死に、首都防衛の要たる首都防衛隊は壊滅した。

例え新たに部隊を編成しようとも戦力の低下は避けられまい。

ここに来て戦闘機人の戦力としての儒要は更に高まった。

もはや下りる事はできない。



「すまない……すまない……ゼスト……」



言葉と共に零れた何かがレジアスの頬を濡らしていく。

顔を伏せたレジアスは自分の正義の犠牲となった友へと何度となく許しを乞うた。

戦闘機人が必ずやミッドに平和をもたらすと信じて。

それが彼に残された最後の縁だった。





**********





白を基調とした部屋。

恐らくは病院だろうか?

そのベッドに一人の少年が寝ている。

ゲルトだ。

うなされているのか彼の表情は硬く、眉間にもシワが寄っていた。



「―――――ッ!」



目を覚ましたゲルトが思いきり身を起こした。

荒い息を吐きながら周囲を確認しようとしたが、突如彼の胸を刺すような痛みが奔った。

たまらず胸を押さえこんでうずくまる。



「お兄さん無理しないで!」

「ギンガ……か?」



痛みに喘ぎながらも声のする方を見る。

ベッドの傍らには心配そうな顔をしたギンガがいた。

彼女はようやく痛みの引いてきたゲルトにまだ寝ているように言い、めくれていた毛布をかけ直した。



「ここは…どこだ?
 今はいつだ?」

「先端医療技術センター。
 お兄さん、1日寝てたんだよ?」



余裕が無いゲルトはまくしたてるようにギンガに尋ねた。

先端医療技術センターは定期的に調子を見てもらいに来ているので馴染みが有る。

そう言われれば窓の向こうの景色は見覚えのあるものだ。

1日寝ていたというのには驚いたが、まだまだ聞きたい事はある。



「クイントさんは?
 皆はどうなった!?」

「い、痛いよ。お兄さん」

「あ……。わ、悪い……」



ゲルトは切羽詰まった様子で詰問する。

ギンガの肩を掴む手にも力がこもり過ぎたようだ。

ギンガは怯えたような声でゲルトに痛みを訴える。

我に返ったゲルトはすぐにギンガの肩から手を離し、バツの悪そうな顔で謝罪した。

ギンガも大したことはないと告げ、数度呼吸して気を落ち着かせると自分の知っている事を話し始めた。



「母さんは大丈夫。一命は取り留めたってお医者さんが言ってた。
 ただ目を覚ますにはもう少しかかるって。
 他の人の事は……ごめんなさい、知らないの」

「そうか……悪かったな」

「ううん、いいよ。
 私マリーさん呼んでくるね」



ギンガは席を立って部屋を出て行った。

いつも彼らの体を診てくれているマリエル・アテンザ技官を呼びに行ったのだろう。

それを見送るゲルトの顔には落胆の色が強い。

だがよく考えるまでもなく、ギンガが皆の事を知らないのは当たり前だ。

そんな事にも気が回らないとは……。

どうも自分は相当追い詰められているらしい。



父さん……、メガーヌさん……。



皆はどうしたのか?

なんとかクイントは助けられたようだが、他の前線メンバーは?

思案するゲルトの脳裏を視界一面の炎の海がよぎった。

地獄を体現したかのような光景の幻視に、むしろ体は芯から冷えていく。



まさか……まさか皆……?



その答えに至る直前に部屋のドアがノックされた。

何者かがゲルトの個室へと進入してくる。



「ゲルト君、調子はどう?」



メガネをかけた白衣の女性、マリエルがゲルトに声をかけた。

患者に必要以上の心配を与えないためだろうか。

彼女は努めて明るい様子でゲルトに話しかけてきた。

思考を中断して、しかし尾を引いているのか力無く彼女の問いに答える。



「胸が、少し痛いです」

「無理もないわ。ナイトホークの戦闘記録を見たわよ。
 あんなに長時間フルドライブを使い続けるなんて……。
 怪我は大した事無かったけど、リンカーコアはかなり衰弱していたのよ?」

「後遺症でも残りますか?」



こちらをたしなめるように話すマリエルに、それほどひどいのだろうかと尋ねる。

しかし自分の後遺症など、実はゲルトにとってさして重要でもなかった。

そんな事よりもずっと聞きたい事がある。


「それは大丈夫だけど、2ヶ月は入院ね。
 その間は魔法を使っちゃダメよ?
 安静にしていなさい」

「分かりました。
 あの、マリーさん……」

「何?」

「ゼスト隊の、皆がどうなったか知っていますか?」



ゲルトは口ごもりながらも核心に触れる。

その言葉を聞いたマリエルは一瞬驚きに目を見開いた後、表情を陰らせて視線を下に落とした。

やはり彼女は知っている。

そして言い淀むという事はやはり……。



「その事なんだけど……ゲルト君、落ち着いて聞いてね?」



一度強く拳を握り、意を決したのかようやく口を開いたマリエルはそう前置いた。

それでも辛いのか深く息を吸って続ける。



「あなたの部隊で、生き残ったのは……あなたと、クイントさんだけなの。
 遺体は見つかってないけど、他の人達はMIAが…認定されたわ」



MIA。

あえて略さずに読めば、Missing In Action。

つまり生死の確認は困難であるものの生存の可能性は絶望的であり、事実上の死亡とみなす、という事だ。



「それに、クイントさんも傷が肺にまで達していて……。
 もう……魔導師として戦う事は、できないわ」

「そう、ですか……」



マリエルの答えにゲルトは項垂れ、消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。

クイントも、完全に守る事は出来なかった。

片肺となった彼女は日常生活にこそ支障はないものの、魔導師として戦う道は永久に閉ざされた。



最後の望みも断たれたゲルトの心を絶望が侵食していった。

それは彼の瞳からも力を奪っていく。

初めて絶望とは衝撃でないのだと知った。

沼に足を取られて沈み込んでいくような感触。

この身にぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感。



しかしそれほどの悲しみの中でも……何故か涙は、流れなかった。





**********





それから3日。

入院しているゲルトの下には何人もの人が訪れていた。



真っ先に病室に来たのはスーツを着た2人の男。

彼らは先の任務に関する事情聴取に来たらしい。

男達はゲルトが話した通りに調書をとるとそれ以上特に何を訊くでもなく帰って行った。

彼らが去り際に話したところによるとゼスト隊は事実上の壊滅とみなし解体。

ゲルトの処遇も退院までには決定するとの事。

それとゲルトには今回の働きを考慮して執行猶予の短縮が決定されたそうだ。

5年の規定期間から1年半が削られ、残り1年の労働でゲルトは自由の身になるらしい。

それは諸手を上げて喜ぶ事が予想されたのかもしれないが、今のゲルトには心底どうでもいい話だった。



次に訪れたのはゼスト隊のバックヤードスタッフ達。

彼らは皆一様に隊の壊滅を嘆き、そしてその状況でも我が身を省みずにクイントを助けだしたゲルトを褒め称えた。

しかしゲルトにとってその賛辞は逆に痛かった。

その度にメガーヌを見捨てた記憶が彼を苛むのだ。

そしてルーテシアの事を思う度にも……。

あの子は親類の所に引き取られたらしい。

既にミッドチルダも離れ、別世界に行ったそうだ。

ルーテシアに会わせる顔があろうはずも無く、それを聞いた時にゲルトはむしろ安堵した。



最後にやってきたのは聖王教会所属の女性達だった。

先に入ってきたのはカリムというロングの金髪をした騎士。

その後に続いてシャッハという短髪のシスター。

彼女らの用件はゲルトを聖王教会に騎士として迎えたい、というものだった。

聞いた事はある。

ベルカを発祥とする聖王教会でも古式の魔法を使う者は少なく、古代ベルカ式魔法の使い手はいつでも欲しているとか。

向こうはかなりの好条件を出してくれた。

カリムはゼストが事実上死亡して空いたゲルトの保護責任者にも申し出る、とまで言ってくれている。

だが、まだゲルトには未来の事まで考えるような余裕はない。

また保護責任者の下りは否応なく彼にゼストの“死”を突きつけるものだった。

父と、面と向かって呼ぶより先にいなくなってしまった恩師の影が蘇る。

急激に精彩を欠いていくゲルトの面持ちを見た彼女らは返事は急がないからと、連絡先を残して去って行った。





**********





また、この頃にはゲルトの体も歩き回って問題無いレベルにまで回復していた。

魔力の使用こそ厳禁とされたが院内の自由な移動も認められている。

ゲルトが最初に訪ねたのは当然、クイントの所だ。

病室の戸を開ければ椅子に座ったゲンヤがそこに居り、彼の前のベッドには未だ昏睡状態が続いているクイントが横たわっていた。



「すまねぇな……、お前の方にも顔を出さなきゃな、とは思ってたんだがよ。
 そうすっとこいつがすぐに起きちまいそうで、離れられなくてな……」



こちらに気付いたらしいゲンヤが振り返って話しかけてきた。

彼はここ数日、仕事も休んでずっとクイントに付いていたようだ。

というより彼自身は仕事に戻ろうとしたのだが、部下達に強引に休まされたらしい。

そうしてクイントの傍にいると彼女が今にも目を覚ましそうに思えて離れられなかったそうだ。

ゲンヤは目の下にも隈ができておりいささかやつれた様子。

単純な身体の疲れだけではなく、既に峠は越えたといえ、妻が瀕死であったという心労がそうさせたのだろう。

ベッドの脇にまで近付いたゲルトもそんな事は気にせずに傍に居てあげてくれと言う。

その方が絶対にいいのだ。

それを聞いたゲンヤはこちらへと向き直り、思い切り頭を下げた。



「すまねぇ!
 こいつを助けてくれてよぉ、本当に…すまねぇ……!」



頭を下げているので表情こそ分からないが、彼の言葉は震え、何度も鼻を啜る音がした。

ゲルトは慌てて頭を上げるように言ったが、ゲンヤは何度も何度もゲルトに礼と謝罪を言い続けた。

ゲルトがもう少し早く脱出していれば彼女も無事だったかもしれないというのに。

彼にはその事でゲルトを恨む権利すら有るというのに。



「お前が一番辛ぇってのに、俺は…俺は、謝る事しか、できねぇ……!」



それもゲンヤを思い詰めさせた原因の一つなのだろうか。

この件でゲルトは多くを失った。

ようやく手にした居場所を、

およそ3年も共に過ごした仲間を、

なにより彼が敬愛し尊敬していたゼストを。

ゲルトがそれらをどれほど大切に思っていたか知っているゲンヤはやり切れぬ思いだった。



「大丈夫です。
 俺は、大丈夫ですよ」



だというのにゲルトはゲンヤを気遣うように微笑んで大丈夫だと言う。

“微笑んで”、だ。

更に、



「もう謝らないで下さい。
 ゲンヤさん、あなたは……俺を恨んでもいいんです」

「ッ!?
 お、お前……」



ゲルトもまたゲンヤやクイントへと頭を下げた。

ゲンヤはそれを見て顔を驚愕に歪める。

ゲルトは続く言葉を発する事が出来ずにいるゲンヤをおいて、そのままクイントに付いているように言うと部屋を出て行った。

扉が閉まれば病室に残されるのはゲンヤと、物言わぬクイントのみだ。



「く、そっ……糞っ!」



ゲンヤは壁を殴りつけて言葉を絞り出す。

歯を食いしばる彼の目に宿っている怒りは無力な自分にか、それともこの非情な世界にか。



「……頼む。
 頼むから、早く目ぇ覚ましてあいつに……何か、何でもいい、声掛けてやってくれよ……」



クイントの前髪を梳きながら、ゲンヤが懇願する。

先程のゲルトの笑み。

それは抱えられるはずの無い物をいくつも抱え込み、今にも壊れてしまいそうな寂しい笑顔だった。

遠からずゲルトは戻れなくなる、そう予感させる程に。





**********





クイントの病室を出たゲルトは施設内の広場に来ていた。

そこのベンチの一つに腰かけ、何処を見るでもなくぼんやりと座っている。

広い庭園だ。

何人もの人達が雑談に興じたり、小さな子供がボール遊びをしていたりしている。

しかしゲルトにはどうにもそれらが遠い世界の出来事のように思えていた。

ここに居ながらにして何処か別の世界に迷い込んだような、現実感の無さ。

心が摩耗していく感覚。

恐い。

また機械に戻ってしまう事が。

悲しい。

もう皆に会えない事が。

そうしてループする悲哀が、彼の心を蝕む連鎖を生み続ける。



ところがゲルトはこれでもどうにか正気を保っているのだ。

胸の空虚に苦しむのもそれがゆえである。

いっそ狂ってしまえれば楽だったに違いない。

何も感じず、何も悩まず、ただ生きているだけの存在に成り下がろうとも、そこに苦痛はなかったろう。

だがそうはならなかった。

その理由は、やはりギンガとスバルだ。

ゲンヤがクイントの下を訪れるように、毎日ゲルトの見舞いに来る彼女らに心配をかけたくない。

何もかも削ぎ落とされた空っぽの心にでさえ、その思いだけは生きていた。

それだけが彼をギリギリで踏み止まらせているのだ。

しかしそれもいつまで保つのか……。





「ごめん。
 ここ、いいかな?」





不意にかけられた言葉に左を見れば1人の少女が立っていた。

腰程まである茶色の髪を風に任せた、ゲルトと同じくらいの年の少女。

松葉杖をついた彼女は少し疲れたような顔をしている。

多分リハビリをしていたのだろう。

右に寄って彼女が座れるだけのスペースを作る。



「ありがとう」



ゲルトに礼を言うと少女はベンチに腰を下ろした。

ふー、と一息ついて体を背もたれに預ける。

何気なくこちらを見てきた彼女の視線が一点で止まった。

ゲルトの手首にミサンガのように巻かれた魔力制限用のリミッターだ。

念の為にとマリエルに着けられたそれは高ランク魔導師用の特別製で、こちらを覗き込む彼女の手首にも同じ物があった。



「あ……。
 あなたも魔導師、なの?」

「まぁ、な」

「おそろいだね、このリミッター」

「……そうだな」



初めて会う同世代の魔導師に興味が無いでもないゲルトだったが、今はそういう気分ではない。

できれば放っておいて欲しくて素っ気なく話しているのだが、彼女は特に気にした様子もない。

気負う事も無く話を続けてきた。





「私はなのは。
 “高町なのは”っていうの。あなたは?」










(あとがき)



引っ越しもなんとか終わってヤレヤレと思ったらネットの回線が繋がるまで2週間もかかると言われてモチベーション下がってましたが、ようやく投稿できました。

まぁ、家のはまだ駄目なんで大学のパソコン使ってるんですけどね。



本編の話をすると、「何で今回レジアスの話こんなに長くなったかなー?」と作者自身が首捻ってます。

嫌いなキャラじゃないんですけどね。

本編でもあの地位にいながら私欲に走った感じは無かったし、地上の平和だけじゃなくて現場の局員の事も考えてる風だったしで。

問題発言とかポロポロ出てたけど根本的には悪人ではないと。



そしてまさかのここでなのは登場。

さてこれから彼女はゲルトとどう関わっていくのか!

既に番外的な話のネタは一つ有るんですが、どこで入れようか悩んでます。



[8635] 聲無キ涙
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/07/09 23:23
「私はなのは。
 “高町なのは”っていうの。あなたは?」

「俺は……ゲルト」



無視すれば余計にしつこいタイプだと判断。

それでもぶっきらぼうな態度で名乗る。



「ゲルト君も管理局で働いてるんだよね?
 歳はいくつ?私は今年で11歳なんだけど……」

「同じだ」

「そうなんだ!
 私の友達にも同じ年で魔導師をやってる子達がいるんだよ」

「そうか……」



気の無い返事。

だというのに、なのはは屈託のない笑顔を見せる。

多分、どうしようもなく空気が読めないか底抜けのお人好しのどちらかなのだろう。

それからも彼女はまともに返事を寄越さないゲルトに言葉をかけ続けた。



「それじゃあそろそろ私は行くね。
 ありがとう、話しを聞いてくれて」

「俺は別に……」



どれくらい経っただろうか。

ようやくなのはは話を切り上げて席を立った。

終始まともに取り合わなかったゲルトにも礼を言う。

そう言われるとゲルトも何か落ち着かない気分になった。

どうにもバツの悪さが募る。



「ん――――っ!?」



……と、松葉杖をついて数歩を歩いたなのはが突然地面に倒れ込んだ。

よほど苦しいのか、すぐに立ち上がる様子も無い。



「お、おい!
 大丈夫か!?」

「……大、丈夫……自分、で…立てるよ……」



尋常ではない彼女の様子にゲルトが傍へと駆け寄る。

手を貸そうとしたが彼女自身がそれを拒み、自力で体を起こし始めた。

松葉杖を掴んでなんとか片膝をつく。

が、足が滑った。

為す術も無く再び転倒してしまう。

ゲルトはそんな彼女の様子を焦れながらも見ているしかなかった。

その瞳は先程まで虚空を眺めていた暗いものではない。

隠しようもなく、なのはを案じる色があった。



ゲルトは元来自分の苦難よりも他者の痛みにこそ想いを致す性分である。

彼はこの深く暗い悲嘆の中でも目の前で這う少女を放ってはおけるような人間ではない。

しかしなのはが己の力のみで立とうとしている以上、彼に出来る事は何もなかった。

彼女は何度も何度も地へと伏しながら、それでも諦めない。

何が彼女をそこまでさせるのか。

そして何度目かの挑戦の末、ついには自分1人の力で立ち上がってみせたのだ。



「にゃはは、ごめんね。心配かけて。
 もう私は大丈夫だから」



やっと起き上がった彼女は、照れ隠しのようにゲルトへとはにかむ。

なのはは何度も地面に倒れ込んだ事で至る所が砂や土に塗れていた。

しかしゲルトは純粋にその様を、美しいと感じた。

眩しいと思った。

挫けぬその在り方が。

折れないその強さが。



「え?え!?
 ゲ、ゲルト君!?」



ゲルトはせめてこれ位と、服や髪の汚れをはたいてやる。

なのははゲルトの突然の行動に顔を真っ赤に染めて慌てた声を上げた。



「じっとしてろ。
 お前自分で払えないだろ」



なのはは松葉杖でようやく歩ける状態だ。

片手で全身に付いた埃やらをきちんと落とすことは難しい。

ベンチにでも座ればまた別だが、そうするとまた立ち上がらなくてはならず、恐らくは同じ事の繰り返しになる。

しかしそのまま病院に入るにはいささかなのはの格好はひどかった。

彼女もそれを自覚はしているのか、しばらくすると大人しくゲルトのされるがままになっていた。



「あ、ありがとう……。
 ゲルト君」

「あんまり無理はするなよ」

「うん、ごめんね。
 そ、それじゃあ私は行くから」



ようやく目についた汚れは落とせた。

なのはは結局ゲルトの助けを借りた事を恥じているのか、少々うつむき気味に視線を逸らしている。

彼女は礼を告げると足早に、といっても松葉杖をついているので大した速度ではないが、病院の中へと戻って行った。

どうも彼女の病室にはゲルトが使うものとは反対の入口の方が近いらしい。

なのはの姿が見えなくなるとゲルトはガシガシと頭を掻く。

それを人に言える身分か、と。

そのまま彼は一息を吐くと自分の病室へと戻っていった。





**********





その日からゲルトが広場へと足を運ぶ度、なのはもそこへやって来るようになった。

彼女の病室からはこのベンチの場所がよく見えるらしい。

ふらっ、とゲルトが現れればすぐに分かるそうだ。

完全な善意から来る彼女をどうにも追い払う事は出来ず、気が付けばゲルトも自分の病室を出て、いつの間にかこのベンチに座っているという事が多くなった。

そうして2人、毎日同じような時間に会っては様々な話しをするようになっていた。

とはいえ基本的にはなのはがゲルトに話しを聞かせるというスタンスだ。

ゲルトの曇りが晴れた訳でも心が癒えた訳でもない。

ただ前を向き続ける彼女の陽性の気がそうさせるのか。

彼女といる時だけはこの胸の空虚も少し、ほんの少しだが、和らぐような気がした。



なのはは“海”に属しているらしく、出身も別の世界なのだそうだ。

彼女の生まれがゲンヤの家のルーツと同じ、第97管理外世界と聞いた時は驚いたものだ。

向こうでは“地球”と呼ぶらしい。

両親と兄、姉の5人家族で、母と彼女以外は皆剣術を嗜むのだそうだ。

地球の事も色々聞いたが、どうやら魔法文化の無い世界らしい。

しかし驚くべき事にそのような世界の出身でありながら彼女はAAAランクの魔導師で、彼女の友人達も同程度の魔導師だという。

まぁ、それは高ランク魔導師用のリミッターを着けている事もあって疑ってはいなかったのだが、他にもこの年で高レベルの魔導師がいるというのは俄かに信じ難い。



彼女は元々自分の才能も知らず、普通の学生として暮らしていたが“ユーノ君”とやらが彼女に魔法の力を教え、相棒である“レイジングハート”も与えたそうだ。

彼らと一緒に“ジュエルシード”という危険なロストロギアを回収する事になり、その途中で親友の “フェイトちゃん”と知り合ったらしい。

その上“アースラ”の艦長“リンディさん”や、その息子で執務官の“クロノ君”といった管理局員とも遭遇したとか。

フェイトとは当初敵味方の間柄で何度もジュエルシードを奪い合い、紆余曲折の果てに和解して友達になったのだそうだ。



それから数ヶ月後、彼女は更に“闇の書事件”にも巻き込まれた。

流石に詳しい内容までは聞いていないが、またも危険なロストロギア関連の事件だったらしい。

多数の次元世界を跨いで発生した事件で、何でも“ヴォルケンリッター”を名乗る古代ベルカの騎士4人組とやり合ったそうだ。

初戦では接近戦を旨とする彼らの戦法と、カートリッジシステムを用いた瞬間的な魔力ブーストととに翻弄されて手も足も出なかったらしい。

そこで目には目をと、自分達もインテリジェントデバイスにカートリッジシステムを搭載して対抗する事にしたとか。

強度に余裕のあるアームドデバイスならまだしも、どちらかと言えば精密な造りのインテリジェントデバイスにそんな負担の大きい物を積むとは……。

正気の沙汰とは思えないが、デバイスのAI自身もそれを望んだという。

マスター共々肝の据わった連中だ。

そうしてその強化のおかげか2度目にはなんとか優位に立てたのだそうだ。

ただ、ヴォルケンリッターも根本から悪い奴等では無かったらしい。

彼らには彼らの譲れない想いがあり、その為には己の手を汚す事も厭わなかったがゆえに戦い続けたのだそうだ。

故に利害が一致した最終決戦では彼らも力を貸し、彼らの主であった“はやてちゃん”らと共に闇の書(本来は夜天の魔導書という代物だったらしい)を破壊。

事件は幕を下ろし、今では彼らもかけがえの無い友なのだそうだ。



で、現在は友達と共に正式に管理局に所属し、地球の学校に通いながらも時折舞い込む任務に当たっている、と。

今回入院したのも数ヶ月前の任務中に油断と無茶から大怪我を負ったがゆえらしい。



彼女は恥じるようにその話をしていたが、ゲルトはそれを笑う事はしなかった。

出来ようはずもない。

自分など、無茶をした上でさえ恩人の1人もまともに救えなかったのだ。

どの口でそんな事が言えようか。

ゲルトはなのはに自分が入院した経緯を詳しくは語っていない。

任務の最中に無理をしてリンカーコアを酷使し過ぎた、という程度だ。

特秘任務中の行動というのも勿論ある。

それもあるが、なにより彼女にその事を話すのは気が引けた。

懸命にリハビリに臨む彼女を前に、こうして無為に時を過ごす自分がどうしようもなく惨めな存在に感じられたからだ。

彼女といる間はそういう事もあまり考えないのだが、別れるとそれがどうにも頭にこびり付いて離れなくなる。

強い光は、それを浴びる側の影をも浮き彫りにするのだ。





**********





「――でねスバルが――――」

「…………」

「――――だったんだけどその時――――」

「…………」

「――――てる?
 ――――お兄さん聞いてるの?」

「……ああ、悪い。
 何の話だっけ?」



いつものように病室へやってきたギンガがゲルトへ何事かを話している。

だがリクライニングを起こしたベッドにもたれたゲルトは上の空で、全くギンガの話を聞いている様子もない。

何度も呼びかけられてようやく気が付くといった有様だ。



「……。
 ううん、何でも無い。
 私、ちょっと母さんの様子を見てくるね」



そんなゲルトにギンガは表情を陰らせたが、ゲルトに気付かれるより前に俯いてそれを隠す。

そして顔を上げた時にはいつもの笑顔が浮かんでおり、何事も無かったようにクイントの様子を見に行くと言って部屋を出て行った。

ゆっくりと扉が閉まって、部屋に残されるのはゲルトだけになる。



1人になったゲルトは、なのはの話してくれた事件の数々を思い出す。

はっきり言って、何だそれは、と思った。

10歳にも満たない魔法を知ったばかりの現地協力者に実戦を行わせたユーノやアースラクルーもそうだが、何より次元震級の事件に当たっているのが次元航行艦一隻だけという現状にだ。

しかも彼らはロクに補充要員も得ぬまま闇の書事件にも挑んだという。

どう考えても異常だ。

地上の人員不足は幾度となく肌で感じ、また優秀な人材を引っ攫う“海”に対する反発も少なからずあったゲルトだが、これには口を閉ざさざるを得なかった。

どこの現場も所詮は同じ事だったのだ。



胸の痛みと共に、ゼストも生前よくその事を話していたのを思い出す。

“海”が扱う事件の規模は地上とは桁違いで、戦力を欲する事情は分からなくもない。

そしてだからこそ自分達が奮起せねばならないのだ、と。



俺は、何やってるんだ……?



日を追う毎にゲルトの中で今の自分の姿への疑問が大きくなっていた。



ゼストは死んだ。

メガーヌも、皆も死んだ。

クイントはまだ目を覚まさない。

ゼスト隊も解体された。

……だが、自分は生きている。



否、“生かされた”。



誰に?

決まっている。

皆に、だ。

ゼスト隊の皆にこの身も心も助けられ、今ものうのうと呼吸をしている。



彼らは心から地上の平和を願っていた。

誰かを救う為には己の苦難も良しとし、血を流すを厭わず、常に最前線に在り続けた。

そんな彼らに一度ならず二度までも命を救われた自分はどうだ?

目が覚めてよりの、どうしようもなく腐っていたこの自分は?



不様。



その一語に尽きる。

自分の力で立とうと足掻いたなのはに比べ、今の自分のなんと醜い事。

これが栄えあるゼスト隊の一員の姿か?

皆はこんな腑抜けを助ける為に命を賭したのか?

その問いにはゲルトのこれまでの存在の全てで以て答えられる。

否。

断じて否。

断じて、そんな事があって良いはずがない。



しかしこれ以上、どうすればいいんだ。



勇ましく吼える理性とは裏腹に、唾棄すべき内の惰弱が呟く。

ナイトホークは壊れた。

リンカーコアも衰弱している。

そして心も折れようとしている今の自分に、これ以上どうしろと言うのだ、と。

あるべき自分の在り方と、現在の自分の有様。

ゲルトの苦悩は限界に達しようとしていた。





**********





お兄さん……。



ゲルトの病室を出たギンガはドアに背を預け、内心で呟く。

ゲルトが入院してから毎日見舞いに来ているが、彼の様子は日に日にひどくなる一方。

彼は何とか隠そうとしているようだが、彼の心の傷の深さは相当に深刻だ。

もう何年もの付き合いになるギンガには取り繕った笑顔かそうでないか位は分かる。

しかも最近ではその笑顔すらもあまり見なくなってきた。



やっぱり……私じゃダメ、なんだ……。



彼にとって、自分はあくまでも“可愛い妹”である。

与える側ではなく、与えられる側なのだ。

だから自分が下手に慰めの言葉などかけようものなら、彼は益々思い悩む事だろう。

あいつらにまで心配をかけてしまった、と。

そうなれば彼は無理にでも立ち上がるに違いない。

自分は大丈夫だと、こちらを安心させる為に。

だが、それは傷を強引に抑え込んで無かった事にしているだけである。

根本的な解決には程遠く、むしろより決定的な破滅への一歩となるだろう。



これは自分の思い上がりではあるまい。

事実、彼は魔導師になった理由の“全て”を語らなかった。

いつかの遊園地で何故か、と問うた自分に、彼は本当の事を話さなかった。

スバルはまだ幼かったから覚えていないだろうが、自分は覚えている。

あの日。

一度は離れ離れになった彼と数ヶ月ぶりの再会を果たした、あの時。

彼は、拘束されていた。

あからさまに手錠や猿轡が付けられていた訳ではないが、あの部屋は確かに中の人間を外に出さない為の部屋だった。

自分達のように保護されたのならあんな所に入れられる訳がない。

施設を移された後、彼が何かの罪を犯したに違いないのだ。

そしてその推測も容易い。

自分達は、何の為に生み出されたのか。

それが答えである。



恐かった筈だ。

辛かった筈だ。

家に泊まりに来た日も時折うなされていた。

それでも彼は絶対に自分達の前で弱音を吐くような事はなかった。

あの時の彼は今の自分よりも幼かったというのに。

彼はいつだって自分達を守る為、悲しませない為に何でもないように振舞ってきた。

それがなおの事自分を不安にさせる事に、きっと彼は気付いていない。

それは恐らく今後も変わらないのだろう。

自分は気を遣われ続け、いつまでも彼の力にはなれない。



イヤ、だ……。



目尻に涙が浮かんでいく。

彼と共にありたいと願うのは、間違いだろうか?

彼と並び立って、あの背中を支えたいと思うのは、おかしな事なのだろうか?



強く、なりたい。



彼にただ心配されるだけの自分では無くなる位に。

彼に胸を張って無理をするな、と言える位に。



だけど今は………。



先程のゲルトの様子が脳裏をよぎった。

もう表情らしい表情も無くなってしまった彼の姿が。

ついに決壊した涙が頬に跡を残していく。

ギンガはそれを押し止めるように両手で目を覆った。

だが次々に流れ出るそれを抑えきる事ができない。

ポタポタと、指の隙間から溢れた涙が床に滴っていく。



自分でなくてもいい。

あの人の心を救えるのなら、誰だっていい。

誰だって、何だっていいから……だから……



誰か……あの人を、助けて……!















そして彼女の願いが届いたのか。

ついにゲルトへと転換点が訪れる。



クイントが、目を覚ましたのだ。










(あとがき)



どうでしたでしょうか?

大方の予想を裏切って、ギンガはゲルトを慰められません。

やると更に追い打ちを掛けてしまう事が分かっているからです。



一方なのはの方はゲルトの前に現れては自覚無しに心を抉っていきます。

ゲルトは割と内罰的な所があるので、一旦落ち込んだり自己嫌悪に陥るとマイナスループに入ってしまう事も。

しかしあくまで自分個人の感情と分かっているのでなのはに当たる事もなく、むしろそんな事を考えると余計にズルズル嵌っていく、と。

彼女との関係はむしろこれからです。

ただ、なのはが出たら急に感想数が増えてビックリ。

しかも好意的なメッセージばかりですよ。

もう、嬉しいのなんの。

いくら自分の好きな物を書けばいいんだ!、と思ってみてもやはりPV数とか感想は気になるわけで。

「おお、なかなか……」と思った方は遠慮せずに応援のメッセージを送って下さい。

もしかしたら多少執筆速度が上がるかもしれません。



あとタイトルですが、某魔を断つ剣や某超音速な兄貴とか分かってもらえましたか。

まぁ、実は他にも某吸血殲鬼とか某魔弾の義父さんとか某三年寝太郎とか某食いしん坊万歳とか色々www。

これからも全部が全部そうするかは分かりませんが、気になった方は是非聞いてみるとよろしいかと。

どれもかなりの名曲ですよー?

やっぱZIZZはいいなぁ。



ではでは、やたらと長いあとがきになりましたが、また次回ご期待下さい。



[8635] 驍勇再起
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/07/20 17:56
「クイントさんっ!!」



自室で知らせを受けたゲルトはすぐさまクイントの病室へと駆けつけて来た。

細かい事を気にするような余裕は無く、乱暴に戸を開いて彼女の名を呼ぶ。



「あら、ゲルト君。
 飛んで来てくれたの?」



部屋の奥のベッドに横たわる女性が1人。

窓から差し込んでくる光を受けて輝く青い髪。

意志の光を宿す、凛とした瞳。

間違いない。

クイントだ。

彼女の横たわるベッドの傍にはゲンヤが居り、ギンガとスバルの2人が彼女に縋り付いている。

クイントは病室に飛び込んできたゲルトを見ると目を細める笑みを浮かべた。



「クイントさん……本当、に……?」

「ええ、私よ」



ゲルトはフラフラとおぼつかない足取りでクイントの元へと歩いて行く。

ゲルトが部屋に入るのを見たゲンヤはギンガやスバルを連れて外に出ようとした。

が、スバルは離れないといった風にクイントへ抱き付いてしまう。



「出よう、スバル」

「お姉ちゃん?
 どうして……?」

「お兄さんと母さんは少し、話があるの。
 だから、ちょっとだけ外で待ってよう?ね?」



そんなスバルをギンガが優しく諭す。

スバルはようやく目を覚ました母との再会を、自分と同じ気持ちであるはずの姉に遮られ困惑している様子だ。

だがここしばらく精彩を欠いていた兄の事を持ち出されれば渋々ながらも従った。

ギンガはゆっくりとスバルの指を解いて自分の手に繋がせて歩き出す。

彼女は通り過ぎ様にゲルトを見、全くこちらを見ていない事を確認すると顔を伏せて扉の方へと足を向けた。



「外で待ってるからよ」

「ええ」



ゲンヤも一言を残すと退室した。

そうして病室にはゲルトとクイントだけが残される。

少し距離のある所で立ち止まっていたゲルトがベッドへと歩みを再開。



「すみません…でした……」



ベッドの横に立った彼は俯き、歯切れ悪く謝罪の言葉を口にした。

相手の顔を見る、という通常なら何でもないこの所作の今は何と難しい事。

しかしそれは許されぬ事である。

相手の顔も見ずに謝る馬鹿がどこにいようか。

この刹那。

相手と向き合う中で己の罪をも直視するこの苦痛の時。

これこそが真の罰である。

咎人にこれから逃れる権利はない。

ゲルトは意を決して面を上げた。



「俺、は……!
 俺が――――ッ!?」



もっと早く脱出できていれば、とでも言おうとしたのだろうか。

ゲルトはクイントの目を見つめ、叫びの形に口を開く。



が、続きが出る直前でその言葉が止まった。

クイントが彼の頭をその胸へと抱き込んだのだ。

強引に言葉を遮られたゲルトだが、彼にその腕を振り払う事など出来よう筈もない。

クイントの温もりに包まれ、そして彼女の鼓動を感じる。

彼女が生きてここにあるのだという確かな証を。



あ……。



ゲルトら戦闘機人は母の胎から生まれた訳ではない。

研究所の冷たい試験管の中で受精し、ガラスの培養器に育まれてこの世に生を受けた。

生まれながらに人の温もりを知らぬ身だ。



……にも関わらず、分かる。

ヒトの本能が訴える。

この身を包む温もりこそ安らぎ。

この耳を打つ鼓動こそ命。



「ありがとう、ゲルト君。
 君のおかげで、私はこうして今生きているわ」

「……くっ……うっ……」



彼女の言葉が胸に沁み込んでいく。

その一言だけで凍てついていた心が氷解していくのを感じた。

今日まで一度も流れなかった筈の涙までもが溢れ出す。

止まらない。

この2週間の分を纏めて流そうとするかのように、堰を切った涙がクイントの胸を濡らしていった。



「で、も……もっと…俺、が……早、かったら……クイント…さん、は……」



痛む喉や鼻のせいで思うように言葉を発する事ができない。

何度もしゃくり上げ、辛うじて聞き取れるかどうかといった途切れ途切れの言葉が出るだけだ。



「この怪我は私のミスよ。それに、もう少し早かったら、じゃないわ。
 “あと少しでも遅かったら”私の命は無かったの。
 あなたはそれを救ってくれたのよ」

「それ、に……俺は……メガーヌ、さんを……見捨て、て……皆も……俺、だけ……こんな……」

「聞いたわ、全部。
 でもね……」



クイントが両手でゲルトの頬を優しく包んで面を上げさせた。

露わになったゲルトの顔は涙でぐずぐずになって見ていられないほどの様である。



「あなたがメガーヌを見捨てたんじゃないの。
 メガーヌ“が”私達を助けてくれたのよ。
 命を張って、ね」



だがクイントは気にする事もなくゲルトの顔へ己の顔を近づけていく。

コツン、と軽い音を立てて2人の額が接触した。

今やゲルトの瞳に映るのはクイントのみである。



「だから、胸を張って。
 誇らしく……語ってあげて……皆、の……皆の…事、を…………」



言葉ではそう言いながら、クイントの瞳は潤んでいった。

震える声で何度も息を吸い、区切りながら言う。

そうしてまたゲルトの頭にクイントの手が伸び、胸元へと引き寄せた。

彼女の顔は見えないが、頭上からは押し殺すような啜り泣く声が聞こえる。

抱き締められたゲルトは自らもクイントに縋りついて嗚咽を漏らした。



限界だ。

もう限界だ。

もう、胸の内で張り裂けんばかりに騒ぎ立てるこの感情を押さえることはできない。





幸福に満ちたあの日々が甦る。

もう戻らないあの瞬間が。

2度と帰らぬあの刹那が。



ゼストと稽古に励んだ日々。

はっきり面と向かって褒めてくれたのは一本を取ったあの日が初めてだった。

いつもは黙して語らぬあの人が、あの時ばかりは饒舌だった。

こんな不肖の弟子を最高の弟子だ、と言ってくれた。

そして、

自分を、息子にしたいと言ってくれた。

嬉しかった。

父と、心の中ではいつもそう思っていた。

あの日すぐに返事をしていれば、そう呼べたのに。



父……さんっ!



メガーヌが微笑んでくれた瞬間。

初めて胸の高鳴りを感じた相手だった。

いつも穏やかな笑みを絶やさぬあの人がそこに居るだけで嬉しかった。

妊娠したと聞いた時は悲しかったけれど、ルーテシアを抱いたあの人は本当に幸せそうだった。

その笑顔を見られれば自分はそれで良かった。

ルーテシアもよく自分に懐いてくれた。

その屈託のない笑顔はいつも自分を癒してくれた。



メガーヌさん……!

ルー……!



皆と笑い合った刹那。

部隊に配属された時から皆気安く話しかけてくれた。

戦う以外の色んな事も教わった。

こんな自分をも快く受け入れてくれた。



皆……!



およそ3年もの時を過ごしたゼスト隊での思い出は尽きない。

そのどれもが今の自分を成し、信念を築き、誇りを支えてきたものだ。



ああ、こんなにも俺は幸せだったのか。

ああ、こんなにも世界は輝いていたのか。



ひたすら命令のままに手を汚し、ただただ心を殺し続けていたあの頃の自分に差し込んだ一筋の光。

眩しい程に照らし出された芳醇な時間。

まるで夢のようで、しかし確かに自分もそこにいたのだ。



愛おしい。

失ってしまった全てが。

悲しい。

奪われた全てが。



「っく……うう、う……ぅあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



哀哭が響く。

幸いにも防音はしっかりしているので外で待つギンガ達にこの声が届く事は無い。

今この時だけは、とゲルトは年相応の子供の様に泣き喚いた。





**********





「ねぇお父さん。
 お兄ちゃん大丈夫、かな……?」



クイントの病室の向いの長椅子に3人が座っている。

左からゲンヤ、スバル、ギンガだ。

スバルは置いてきたゲルトが心配なのか、そわそわした様子でゲンヤに尋ねる。



「ああ、大丈夫だ。
 あいつは強ぇからな、すぐに笑って出てくるさ」

「そうかな……?」

「ああ」



答えるゲンヤはスバルの心配を吹き飛ばすように言う。

スバルはゲンヤの声で少し気を取り直したようだ。

口を利かずにただ扉を見つめているギンガも、そうであればいいと思っている。



「だから信じて待っててやろうぜ。
 男にゃ、プライドってもんが有るんだ」

「うん」

「うん……」





**********





泣くだけ泣いたゲルトも、今はクイントから離れている。

あれほど荒れ狂っていた感情もようやく落ち着いてきた。

いや、それどころか今彼の心は驚く程に澄んでいる。

涙が淀みの全てを洗い流したかのように晴々とした気分だ。

目には赤い跡が残されているが、もうゲルトは俯いていない。

ここへ来るまでとは身に纏う雰囲気が明らかに違っていた。

目尻に微かに残った涙を拭う。

今、ゲルトははっきりと前を向いた。



「ゲルト君、前は見れる?」



微笑みを浮かべたクイントが、ベッドの脇に立つゲルトへ問いを投げた。



「はい。
 ……もう目は逸らしません」



ゲルトはクイントの目を真っ直ぐに見つめて答える。



「胸は張れる?」

「はい。
 ゼスト隊の一員であれて光栄でした」

「生き残った事、後悔してる?」

「いえ。
 俺は、これからも必ず生き残ります」



クイントはゲルトの迷いない返事を聞いて、そう、と満足気に一息を吐いた。

それでこそ隊長の子供だ、と。

そしてさらに、



「本当は、隊長の口から言ってあげた方が良かったんだろうけど……」



クイントは少し思案気な顔。

ゲルトに何かを伝える気のようだ。

しかしゼストが話すべき事とは?



「ゲルト君、ギンガとスバルが本当に私の血を継いでるのは知ってるわね?」

「はい。
 それで2人を引き取ってもらえたって。
 ……それが何か?」

「ええ。
 あの子達は私の遺伝子を使って生まれたのよ
 それでね、じゃあ君は“誰の”遺伝子から生み出されたかって事なんだけど……」



戦闘機人は体の各部を機械部品に置き換えられたといっても、そのベースは人間である。

強化されているとはいえ生身の部分も多い。

当然、クローンといえど生みだすのには誰かの遺伝子が必要だ。

そしてギンガ達がクイントの遺伝子を用いられたクローンであるというのは聞き及んでいる。

それが故で子供のいなかったナカジマ夫妻が養子にとったとも。

それが一体自分とどう関係があるというのか。



いや、待て……。

養子に、とった……?



不意に引っ掛かりを覚えた。

いるだろう?

最近、新たに養子にとられた戦闘機人が。



「まさ、か…………」



まさかそうなのか?

そういう事だったのか?



「ええ、そう。
 あなたはゼスト隊長の遺伝子を使って生み出されたのよ」

「俺が、父さんの……?」



自分の広げた両の手を見る。

鋼の骨格に支えられ強化された筋肉を纏おうとも、血が通っていないわけではない。

そしてこの身に流れる血は一滴残らずゼストの物。

何より確とした人と人との繋がりだ。

そういうものが自分にもあった。

これからも永遠に消えない、あの人との絆が。

ぐっ、と拳を握り込む。



「私、相談されてたのよ。いつこの事を話すべきだろうか、って。
 それで結局こんな時になっちゃったけど、でもこれだけは知っておいて欲しかったの。
 他の誰でもなく、君にはね」

「いえ、話してくれてありがとうございます。
 おかげでこれから、俺は恥じる事なく父さんの子供を名乗れます」



せっかく止まった涙が再び滲み出してしまったが、違う。

ゲルトの顔に浮かぶのは紛れもない喜びの色。

もうゼストと自分はただの上司部下、師匠弟子の関係ではないと知った。

自分は本当にゼストの血を継いでいたのだ。

その自分がゼストの子を名乗るのに、最早何の気後れをする必要があろうか。

それだけではない。

この身にゼストの血が流れているというなら、この鋼の体にすら否定すべきものは何もない。



戦わなければ。



淀みが払われてまっさらになった心に、再び炎が灯る。



たとえ心が血の涙を流そうと、たとえその先で新たな罪を背負おうとも、自分は戦わなければならない。

皆が護りたかった誰かの笑顔と明日の為に、ミッドの平和に牙を剥く不条理の一切と戦い続けなければならない。

彼らに託された力と、技と、この命で以て。



忘れるな。

彼らの姿を、彼らの強さを、彼らの気高さを。

自らが、彼らの犠牲の上に立つ事を。

決して過去にする事は許されぬ。



戦え。

戦って戦って戦い抜いて、そして自らも生き残れ。

彼らが遺したこの命。

決して安易な死は許されぬ。



そうだ。

それが騎士としての、

首都防衛隊員としての、

あの人の子としての俺の誓い。



譲り受けた願いを胸に刻んで。





俺は、戦います。





**********





ゲンヤ達が椅子に座って待つことしばし。

突然目の前の扉が音を立ててスライドを始めた。

開いていく扉の向こうにクイントが、そして扉を開くゲルトの姿が現れる。



「ごめん、待たせた」

「お兄さん、もう大丈夫なの?」

「お兄ちゃん大丈夫?」



すぐさまゲルトへと近寄ったギンガとスバルが尋ねる。

だが、聞くまでも無かった。

表情を見れば分かる。

彼の顔は先程とは打って変わって晴々としている。

淀みの一切を感じさせない、解放された者の顔付き。

何が有ったかは知らないが、彼の心も救われたとみて間違いない。



「ああ。
 ありがとな、心配してくれて。
 でももう大丈夫。
 俺はもう大丈夫だ」



スバルの頭を撫でながら、ゲルトは安心させるように言った。

スバルはくすぐったそうな顔をして笑顔を浮かべる。



「ほら、邪魔して悪かったな。
 クイントさんと話してこい」

「うん!」



そしてゲルトは病室から出て道を開いた。

スバルは元気に頷くとクイントの下へと駆けていく。



「ん?
 どうしたギンガ」



だがギンガは病室に入ろうとはせず、まだゲルトの傍に立っていた。

彼女は何か含む所があるような目でゲルトを見ている。



ギンガの内心は少し複雑だ。

ゲルトが立ち直った事はいい。

傷ついた彼をこれ以上見るのは忍びなかったし、彼はこのように笑えるようになった。

穏やかで、影のようなものは何も感じ取れない。

それはずっと自分が待ち望んでいた事。

その事については本当に喜びの念しかない。

万々歳だ。

だが、やはり胸のどこかで思うのだ。

彼を助けるのは自分でありたかった、と。

勿論こんな事をゲルトに言えるはずもない。

彼を立ち直らせてくれた母親に嫉妬なんて醜い感情を、彼に知られたくはない。



ゲルトはそんなギンガの葛藤に気付かない。

彼に思いつくのは、まだ自分に気を遣っているのかという事ぐらいだ。

ただ今回ギンガには特に面倒をかけた。

やはりそういうのはきちんと伝えなければならないだろう。

感謝の意も込めてギンガの頭も撫でてやった。

スバルの時よりもなお優しく、気持ちを込めるように意識する。



「お、お兄さん!?」

「ありがとな。
 お前には随分助けられたよ」



ギンガはそんなゲルトの突然の行動に驚きの声を上げた。

が、頭の上の手を振り解こうとするような素振りはない。

沸騰しそうな赤い顔でゲルトの為すがままになっている。



「あ、あぅ……」



うう……現金だなぁ、私。



何せゲルトの一言、それにこうして頭を撫でられているだけで悩みが全て吹き飛んでしまった。

そんな事より、いつまでもこのままでいたい。

その思いの方が断然強い。

ナデリ、ナデリと殊更優しく彼の手が触れる度、頬が熱を上げていくのが分かる。



「それじゃあ、そろそろお前も行っこいよ」

「え?」



だがそんな至福の時も唐突に終わりを告げた。

ゲルトの言葉と共に暖かい手が頭から離れていく。



「も、もうちょっ………ッ!」



名残り惜しさに思わず本音が漏れそうになる。

ギリギリで抑えられただろうか?

そんな事が彼に聞かれていたりしたらそれこそ穴に潜りたい。



「?
 何か言ったか?」

「な、何でもない!
 何でもないよ!」



幸いな事にゲルトは聞きとれていなかったようだ。



思い出されない内に早く離れないと……!



「じゃ、じゃあ母さんの所に行ってくるね!」

「おう。
 しっかり甘えてこい」



慌てて病室の中に避難。

ゲルトはその後ろ姿を見送ると再び長椅子の方へと目を向けた。

そこには椅子から腰を上げたゲンヤがいる。



「遅いんだよお前」

「すみません。
 クイントさんを取ってしまって」



彼はへっ、と悪戯っぽく笑って言う。

ゲルトもそれに苦笑を浮かべて返した。



「よく、持ち直したな」

「皆のおかげですよ。
 俺一人じゃ、まだウダウダやってたと思います」



ゲンヤは一歩を進んでゲルトの隣に立ち、今度は彼がゲルトの頭に手を乗せた。

グシグシと多少荒っぽく頭を撫でられる。

かかる声にはゲルトを労わる暖かい感情があった。

ゲルトもあまり慣れないそれに僅かにはにかむ。



「それじゃあ、俺は行きます。
 後は家族水いらずでどうぞ」



ゲルトは頭から手を退けられると自室に足を向けた。

邪魔をしてしまった分これからは家族だけで過ごして欲しい。



「おい、ゲルト!」



が、ゲルトに背にゲンヤの呼び声がかかった。

足を止めたゲルトは訝しがりながらもゲンヤの方を振り向く。



「お前も部屋、入らねぇか?」

「いやでも、せっかくだから家族だけで……」



そうだろう。

2週間も昏睡状態だったクイントがようやく目を覚ましたのだ。

娘や夫が傍にいた方が彼女にとってもゲンヤ達にとってもいいはずだ。

確かに親しくはさせてもらっているがここは外すのが礼儀というもの。

ただでさえ時間をとってしまったというのにこれ以上は……。



「言ってなかったけどよ、俺ぁお前の保護責任者の申請出してんだ」



そう言ってゲンヤは何やら書き込まれた紙片を取り出した。

彼の親指と中指で挟まれているのは確かに保護責任者の申請書類のようだ。



「それに――――」



更にゲンヤは指を左右に滑らせる。

と、その後ろに隠れていたらしいもう一枚の書類が現れた。

見覚えのある形式だ。

今も病室の引き出しに眠っている書類と同じ。

それは、



「お前が良けりゃ養子にしたっていいとも思ってる」



養子縁組の申請書類だ。



「どうだ?
 お前、ウチの家族になる気はねぇか?」



書類を携えたゲンヤが尋ねる。

自分の子にならないか、と。



既視感。



そうだ。

これは父さんに誘われた時と同じだ。



「……ありがとうございます」



あの時自分は返事を渋った。

色々と余計な事を考えて答えを先延ばしにした。

そしてその結果がああだ。

だから。

俺はもう同じ轍は二度と踏まない。



この話は純粋に嬉しいと思う。

思えば今日に至るまで、最も長く日常と呼べる時を過ごしたのはナカジマ家での事だった。

首都防衛隊での日々と同じくらいそれは大切な記憶だ。



ゼストへの裏切り、とは思わない。

あの人も俺の幸せを願ってくれている筈だ。



気持ちは既に決まっている。

後は言葉にするだけ。



言わないと。

今度こそ。



「こちらこそお願いします。

 その……“父さん”」



「おう」



少し照れくさかったが、しっかりとゲンヤを見て言えた。

ゲンヤも照れ隠しか頬を掻いて答える。



「ただ、一つだけ俺の我が侭を聞いてもらえませんか?」

「構わねぇけどよ、何だ?
 改まって」

「それなんですが…………」



ゲルトがゲンヤに何事かを告げる。

ゲンヤは一瞬驚きに目を開き、だがすぐに納得、といった笑みを浮かべるとゲルトの願いを承諾した。



「すみません。
 何から何まで、それにこんな我が侭まで……」

「いいって事よ。むしろ俺は安心したぜ?
 もうお前さんは大丈夫なんだ、ってな」

「そう何度も言ってるじゃないですか」

「悪ぃ悪ぃ。
 あー、それじゃあ入るとするか」

「はい!」



そうして新たに親子となった2人は笑みを交わして病室をくぐる。

中にはクイントやギンガ、スバルの笑顔があった。

彼女らとも話しをする。

ゲルトが新しく家族になる事、そして我が侭の事も。

急な話ではあったが、3人とも快くゲルトを受け入れてくれた。



施設でギンガとスバルの姉妹と知り合い、ゼストに保護されるまでに8年。

首都防衛隊で戦いの中に身を置くこと2年半。

そしてゼストの子となり、彼を失って2週間。



ようやくにして、彼は本当の家族を手に入れたのだ。





**********





――――翌日、先端医療技術センター中庭



「よう、なのは」



新たに家族を手に入れた、その次の日。

ゲルトはまたあの中庭のベンチに来ていた。

腰を下ろして彼女が来るのを待つ。

程無く松葉杖をついたなのはがいつものようにやってきた。

ゲルトは近付いてくる彼女に軽く手を上げて声をかける。



「えっと、ゲルト君……だよね?」

「おいおい忘れたのか?
 毎日顔合わせてるってのに」



なのははそんな彼の変わりように目を丸くしている。

昨日は姿を現さず、どうしたのだろうかと思っていたら今日にきてこれだ。

いや、決して悪い変化ではないのだが。

むしろゲルトの顔は別人のように活気に満ちている。

どちらかというとこれが彼の本来の在り方なのかもしれない。



「ゲルト君、変わったね。
 うん!すごく良くなった」

「そうか?
 まぁ、色々あってさ」



そう言って笑うゲルトは、ここで危うげな雰囲気を発していた頃の彼とは違う。

あの時はろくに返事も返って来なかったし、能面を貼り付けたように無表情のままだった。

だが目の前の彼はこちらの言葉に反応してきちんと返してくれるし、こんなに影の無い笑みも出来ている。



「それじゃあ、改めて名乗ろうか」



そう言って彼は更に笑みを深めた。



「俺は、ゲルト。










 ゲルト・グランガイツ・ナカジマだ」









(あとがき)



やっと書き上げた~~~~!

インフルエンザ休講のせいでレポートが増えるわ補講もあるわ。

ただ、もうすぐテストなんでまた次回の投稿も……orz



あー、中身の話ですが、ゲルトのワガママっていうのはグランガイツの姓を残すって事です。

ゼストは完全に死亡が確定した訳じゃないので、キチンと手順を踏めば受理されるんじゃないかと。

ミッドの戸籍は結構適当な感じでしたし。


さてタイトルの元ネタですが。



1、3話が“Fate/Zero”。

2話が黒歴史の初代アニメ版“Phantom”。

4、5話が「いとうかなこ」のアルバム「ANOTHER BEST」に収録されている“おねがいツインズ”のイメージソング。

6話が“ヴェドゴニア”。

7、12、13話が“塵骸魔京”。

8話が“鬼哭街”。

9、10話が“ブラスレイター”。

11話が“デモンべイン”。



とまぁこんな感じです。

あなたは何個分かったかな?



さてそれではいつになるのか全く未定ですが、次回またお会いましょう。



[8635] 血の誇り高き騎士
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/07/27 00:28
――――時空管理局地上本部、レジアス・ゲイズ執務室



「ゲルト・グランガイツ・ナカジマ……だと?」



部屋にいるのは2人。

部屋の主たるレジアスとその娘オーリスだ。

レジアスはオーリスの報告を受けて驚きの声を上げる。

保護責任者であったゼストが死んだ事で宙に浮いていたゲルトの引き取り手が決まったというのだ。

しかも相手は地上部隊所属。

ゲンヤ・ナカジマ一等陸尉。

望み得る最善と言える。



だがレジアスが真に関心を持ったのはそこではない。

ゲルトがグランガイツを名乗る事。

彼がその名を継ぐ事。

それである。



「はい。
 書類のサインは本物です。
 恐らくは、生前に……書き残していたものと思われます」

「そう、か……」



体を倒して背もたれに身を預ける。



彼も戦うのだろうか?

誰より気高く在ったゼストのように、彼も戦い続けるのだろうか?

恐らくそうだろう。

グランガイツの名を継ぐ者が、その名を誇りとする者が、立ち止まる筈がない。



「他にも首都航空隊のクーリッジ三佐、聖王教会の騎士カリム等も申請を出していましたが、それが決め手になりました」

「ふむ、聖王教会や海に流れなかっただけマシ、か。
 ……となると次の問題はその男だな」

「はい。
 如何いたしますか?」



ゲルトは保護責任者の下での社会奉仕が義務付けられている。

つまり退院後にゲルトが配属されるのはゲンヤの所属部隊という事になる。

よってここでゲンヤを異動させればゲルトをこちらの望む部隊に送る事が出来る、という訳だ。

幸いにしてゲンヤは部隊指揮資格を持っている。

ここらで適当な部隊の長に据えても何らおかしな事はない。

問題はどこに送るか、だ。

武装隊のどこかが最適だろうか?

いや、本局直属の新たな部隊を組んでそこに置いてもいい。



「…………」

「中将?」



レジアスは眉間にシワを寄せて黙りこんでいる。

余程彼の処遇について悩んでいるようだ。



無理もない……。



オーリスは思う。

ゼストが亡くなってからまだ2週間。

顔にこそ出してこなかったが、父がその事を気に病んでいる事は重々承知している。

にも関わらず、今度はその子をどう利用するかを考えなければならないのだ。



ゲルトの写真に目を落とす。

幼いながらもゼストの面影が見える相貌。

自分とてゼストには親しくさせてもらっていた。

彼にも思う所が無い訳ではない。

しかし、いやだからこそ……。



「中将、ご決断下さい」

「……うむ……」



彼を放置していてはまずい。

彼は普通の人間ではないのだ。

身柄を欲している組織の1つや2つ、在ったとしても何ら不思議はない。

言い訳のようだがこうして管理局という組織に身を置いているからこそ、他の組織が手を出せないという事もある。

引き取り手のゲンヤは以前からも親しい付き合いをしているとの事だ。

他にも2人の戦闘機人を娘にしている彼が上官であれば不当な扱いを受けるという事も無いだろう。



「ゲンヤ・ナカジマを……陸士部隊の部隊長に、任ずる。
 適当な部隊を見繕って異動させろ」

「は!」



ようやく出したレジアスの決断に敬礼を以て答える。

が、レジアスは自分の判断を快くは思っていないようだ。

両肘を机に突き、顔の前で組まれた両手がその表情を隠す。



情けない……。



後に戦闘機人を陸士部隊に配属するという計画もある事から、これは一見おかしな判断でもない。

戦力不足が深刻な現場レベルではニアSの高ランク魔導師の配属はむしろ歓迎されるだろう。

だが、ゲルトを利用する目的の第一は戦闘機人の有用性、安全性の証明だ。

そういう意味ではやはり花形の部隊に配属するのが正しい。

それをどちらかと言えば安全な部類に入る陸士部隊に送るというのはどういう事か。



真に司令官たれば、一切の情を捨てて彼を武装隊なり航空隊なりに入れるべきである。

真に彼の身を案じるのならば、事務にでも回して戦闘から完全に遠ざけるべきである。



しかしレジアスはそのどちらもしなかった。

できなかった。

冷徹にもなりきれず、かといって全てを捨て去る事もできない。

何という甘さ。

何という薄弱か。

何者にも成り切れない、そんな自分に嫌気が差す。



もう引き返す道など無いというのに……。



「それではゲンヤ・ナカジマは陸士部隊……そうですね108辺りがよろしいですか、に異動させます。
 ゲルト・グランガイツ・ナカジマもデバイスは1週間以内に、本人も1月後には退院できるとの事です」

「……分かった。
 後の事はお前に任せる。
 頼んだぞ、オーリス」

「はっ!」



再びの敬礼の後、踵を返したオーリスは部屋を出ていく。

スライド式の扉が閉まり、部屋に残されたのはレジアス1人だ。



レジアスは椅子に座ったまま、横目に机の上の写真を見る。

そこに写し出されているのは若かりし頃のレジアス、そしてゼスト。

自分も中将などという地位にはなく、ゼストも一般隊員に過ぎなかった。

まだ前だけを見て理想を語れた頃の2人だ。



……2人?

いや……違う、な。

道を外れたのは、私だ。



自分とは違ってゼストは最後の瞬間まであの日のまま、前を向いていたのだろう。

視線を上げる。

そこには宙に浮かぶ数枚のウインドウがあった。

目に入るのは問題になっているゲルト・グランガイツ・ナカジマの顔写真だ。



私は、

私の正義は、まだグランガイツを贄に求めるのか……。



何を、何処で間違えてしまったのか。

もう分かりはしない。

あの頃に戻れる事もない。

だが、

この道を行くと決めた時には覚悟した筈だ。



いずれ罰は受けるだろう。

その日まで、

その日までは、ただ進み続けよう。

友の命も、友の子の誇りも吸い上げて地上の平和を守ってみせよう。



不意にレジアスの口元が歪んだ。

細く、三日月の形に引きつる。

それは――――



もしかしたら……

これが、私への罰なのかもしれんな……。



それは嘲笑であった。





**********





――――1週間後、先端技術医療センター



机上のデジタル時計を見つめている。

秒を跨ぐ度に数字が入れ替わった。

が、遅い。

1秒が流れるのにこれ程時間が掛かるとは……。



あと5分と……26秒。



ゲルトは自分の病室でただ約束の時間が来るのを待っていた。

と、いうのも昨日マリエルから連絡があったのだ。

ついにナイトホークの改修が完了した、と。

今日ナイトホークを連れてここに来るとの事。

気が逸る。

数週間ぶりの相棒との再会だ。

もう体の方は万全といってもいい。

リンカーコアについてもそろそろリハビリに入って構わないとの事だ。



まだか。



焦れる。



そろそろじゃないか?



と、病室の戸が軽くノックされた。

1回、2回。



「はい!
 どうぞ!」



待ち望んだ瞬間。

すぐに入ってくるように声を掛けた。

それに応じてか扉がスライドを始める。



「お待たせ、ゲルト君」



戸の向こうに立つのは待ち人。

マリエル・アテンザ、その人だ。



「どうもマリーさん。
 ところで、ナイトホークはそこに?」



が、ゲルトの関心はナイトホークにのみ向いているらしい。

挨拶もそこそこ。

彼女の右手に握られた白銀のアタッシェケースを指す。

それは何重にか施錠が為された厳重な代物だ。

ナイトホークが有るとすればそこだろう。



「はいはい、焦らない」



そんなゲルトの様子にマリエルはロックを解除しながら笑みを漏らす。

まるで子供だ、と。

いや、まぁ紛うことなき子供ではあるのだが。



よく立ち直ってくれたわよね。



あれほどの事があって、一時は本当に駄目なのではないかと思ったものだ。

実際もう少しあのままだったら引き返せなくなっていただろう。

だから彼にデバイスの強化を頼まれた時には驚いた。

ゲルトはそれまでとは打って変わった、熱意を秘めた面持ちでナイトホークの強化プランを述べてきたのだ。



あの時は本ッ当に驚いたわ。



だが嬉しいとも思ったし、それに彼のプランもまた興味深かった。

ここ1週間はレイジングハートの新モードの調整と並行してナイトホークの強化も行うというハードワークだったが、何とかナイトホークの方は完成。

自分でも中々満足のいく物が出来たと思う。

最大限彼の希望に近づいた、彼の為だけのデバイス。



ゲルト君がどんな反応をするか、楽しみね。



ガキンッ、と金属の外れる音を立てて最後の封が解かれた。

テーブルの上のケースをゲルトの方へ向かせる。



「さぁ、ご対面よ」



開かれたケースの中。

赤い緩衝材の中央にそれは在る。

ゲルトは慎重な手付きでそれを取り出し己の右手中指に嵌めた。



「久し振り、相棒」










『イエス。
 3週間と2日振りですね、ゲルト』










ゲルトの呼びかけに応えが返った。

開かれた右手の甲。

そこで赤橙に輝く黒の指輪からだ。

機械を通したような女性的な声。

もう10年近い付き合いになるというのに初めて聞いた。



これが、こいつの声なのか……。



ナイトホークの改修強化に際し、ゲルトの希望を叶える上でいくつかの問題が生じた。

それは今回の改修の中心、ゲルトの戦闘思想の根幹にして究極たるものなのだが、如何せん処理能力その他がネックとなった。

それを解決する方法としてマリエルが提示した事こそ人格AIの搭載である。

その為にナイトホークには以前とは比較にならない高度なAIが積まれ、今まで停止させられていた発声機構もついに解禁される事なったのだ。



「セットアップ」

『イエス。
 デバイスモード、セットアップ』



ゲルトは感慨に浸りながらも指示を下す。

彼女は一言の異論も挟まず命令を復唱。

ゲルトの意に応じてデバイス形態へのシフトが開始される。



圧縮された空間から構成部品を射出。

次々に現れるそれらパーツ群は一切の乱れもなくナイトホーク本来の形に組み上げられていく。

まずは刃。

続いて柄。

更にカートリッジシステム、遊底、接合具エトセトラエトセトラ。

そして最後、刃の中央にコアが収まる。

僅かに数瞬。

その刹那でナイトホークは完成を遂げた。



両手に収まる懐かしい感触。

全長が少し伸び、重量もその分増しているが、それ以外の基本的な形状は以前と何ら変わらない。

サイズに関してはむしろ成長している今の自分には丁度良い位だ。



「どう?ゲルト君」

「ええ、完璧です。
 ありがとうございます、マリーさん」

「いえいえどういたしまして。
 それに技術師冥利に尽きるってものよ?
 こんなに喜んくれるっていうのは」



ゲルトはマリエルと話しながらもナイトホークの各部の確認に余念がない。

壊れ物にでも触れるかのような丁寧さで点検を行っていく。



「ふふっ、私はお邪魔だったわね。
 それじゃあ私は戻るから、また感想とか不備が有ったら連絡してね」

「はい。
 ありがとうございました!」



マリエルはひらひらと手を振って部屋を出ていく。

それを見送ったゲルトは再びナイトホークに目を向けた。



「ようやく……帰って来たんだな」



右手でナイトホークを保持し、空いた左手で馴染んだ手触りを味わう。

その言葉も自然に零れ出たものだ。



『申し訳ありません。
 マリエル女史にも私の改修に手間を取らせてしまいました』



ですが、と続けて。



『今度こそ、最後まであなたの全力を受け止めてみせましょう』



それはゲルトの魔力に耐え切れず崩壊しかけた以前の己とは違うという意味か。

頼もしい。

それでこそ、だ。

彼女の心強い言葉にゲルトの口元も知らず綻んだ。



「ナイトホーク」

『はい』



返事を待って一拍。

ゲルトはゆっくりと口を開いた。



「俺はゲルト・グランガイツ・ナカジマだ」



告げるのは己が名前である。

ゼストから受け継いだ誇りの形。

そしてゲンヤとクイントの子であるという証でもある。



『……継がれるのですね?
 父上の技も力も戦いも、全て』

「そうだ」



果たして彼女にはゲルトの少ない言葉でも正しく伝わったようだ。

以心伝心。

人格の核たるAIが搭載されたのこそ最近の事だが、記憶領域はそのままに引き継がれている。

今ここにある彼女は間違いなく彼の10年来の相棒、ナイトホークだ。



「俺はこれからもこの名に恥じぬよう戦い続ける。
 あの日みたいな状況に出くわす事もあると思うが、それでも。
 それでも……付いて来てくれるか?
 ナイトホーク」



ゲルトが問う。

これからも自分の刃たるかと。

これより先も自分と共に戦場を駆けるか、と。

彼女の答えは、



『イエス』



即答であった。



『この身は永劫にあなたの矛。
 道を塞ぐはこれ悉くを薙ぎ倒し、牙を剥くはこれ一切を打ち果す。
 この世で唯一人、あなたの為だけの刃であります』



歌うように朗じるは誓いの言葉。

今日より前の何時に於いても、今より先の永遠に於いてもなお彼の刃で在り続ける。

それはゲルトのデバイスとして生み出された彼女の存在理由というだけではない。

誰に命じられた訳でもなく。

意志を得た彼女が自ら定義した、己の在るべき姿である。



『ですので、どうか躊躇なく存分に私をお振るい下さい。
 此度の私は、もう易々とあのような無様を晒しは致しません』



主の障害を排除する冷たい凶器。

ただ彼の意志を通す為の補助機械。

自分は本来そういうものとして生み出された。

彼と共に罪を重ね、既にこの身も一度ならず血に彩られている。

恐らくはゲルトにとっても自分は忌まわしい過去そのものであるに違いない。

それでもこんな自分を相棒と、彼がそう呼んでくれるなら……。

それが彼女の誇り。



もう二度とあのような失態は犯さない。



何があろうと。



もう二度と彼を傷つけさせはしない。



誰であろうと。



もう二度と……!



心も無いままに流れた10数年は、しかし今のナイトホークに全て受け継がれている。

最早彼女は怒りを知った。

主の足手纏いになるような、無力な己を許容する事はできない。

既に彼女は誇りを知った。

それはゲルトと共に駆ける戦場の中でこそ輝くものである。



「分かった。
 これからもよろしく頼むぞ、ナイトホーク」

『イエス、マスター』



ここに再び契約は為された。

再起を果たした騎士と、進化を遂げた愛槍。

その血に誇りを宿した主と、その身に誓いを刻んだ従僕。

彼らの行く先。

それは恐らく修羅の道。

例え自らの身が安全だろうと、ゲルトは仲間の為なら笑って死地へと赴くだろう。

例え自らの身が危険に曝されようと、ナイトホークはゲルトの為なら喜んでその命を差し出すだろう。

両者を繋ぐのはグランガイツの名の下に受け継がれた天衣無縫の絶技。

それらが織り成す未来とは……?






さぁ、彼らの物語を始めよう。










(あとがき)



レポート片付けながら合間合間に書いてようやくの完成。

ああ、夏季休講はまだなのか……?



さて、ようやくメインを張るコンビが出揃いました。

ナイトホークは勿論主従としての感覚が上に来るけど、相棒とか幼馴染に近い感じも有り?

基本はゲルトの呼び方も「ゲルト」、偶に感情が高ぶったりすると「マスター」になる具合。

ナイトホークの新しい力に関してはまた次回ですなー。

そろそろアクションが書きたくなってきたので恐らくはその中で。

病院編もそろそろお終いかな?



あー、そうそうレジアス編で書いた事から分かっている人も居られるとは思いますが、ゲンヤがゲルトを引き取ったのは退院後の局勤めの事も考えた上です。

少なくとも自分が上に居ればそうそう無茶はさせずに済みますから。

だから切り出す機をずっと窺ってたけどゲルトがあんな状態で言い出せず、彼が立ち直ってようやく話せた訳ですね。

あんまり説明臭いのもどうかとは思いますけど、ゲンヤ視点でのこの時の話は多分もうしないのでこの場を借りてウダウダとやってしまいました。

お目汚し失礼。



ちなみに今回のタイトルは“機神飛翔デモンべイン”サウンドトラックより拝借。



それではまた次回お楽しみに。

Neonでした。



[8635] BLADE ARTS
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/08/02 01:17
「やっほ~、なのはちゃん元気しとったか~?」



ゲルトがナイトホークとの再会を終えた頃、なのはの病室にも来訪者があった。

はやてにフェイト、シグナム、ヴィータ、リィンフォースⅡ、シャマル、ザフィーラの7人。

彼女の見舞いにやってきた大切な友人達だ。



「ごめんねなのは、随分空いちゃって……」

「ううんいいよ。
 フェイトちゃんだって執務官試験もうすぐなんでしょ?」

「それは、そうなんだけど……」



フェイトはどうもなのはに気を掛け過ぎているようだ。

1回目の執務官試験に落ちたのにもそれが少なからず影響しているに違いない。

それが彼女の良さとはいえ、そんなに心配しなくてもいいと何度か言ってはいるのだが……。



「もうフェイトちゃん。
 折角お見舞いに来たのに辛気臭い話は無しやで?」

「ご、ごめん。はやて」

「もう、また謝るぅ。
 それはフェイトちゃんの悪いトコやで?
 ……っと、アカンアカン。私も説教しとる場合やないなぁ」



アハハ、とはやてが暗くなりかけた空気を吹き飛ばす。

彼女らがなのはの病室に訪れたのは実に2週間振り。

なのはの入院はそれぞれが一番忙しい時期と丁度かぶってしまっているのだ。

はやてはまだ生まれたばかりのリィンフォースⅡの面倒を見なければならないし、フェイトは2度目の執務官試験が近い。

ここにはいないがユーノも無限書庫の司書として毎日カンヅメ。

クロノやリンディは言うに及ばずである。

こうして皆が集まってここに来るのにも以前から計画してようやくに違いない。



「お前また無理したりしてないだろうなぁ?」

「ヴィータちゃんまで……。
 最近はリハビリも順調なんだよ?」



ヴィータもフェイト程では無いが、やはりなのはを心配しているようだ。

彼女の場合は目の前でなのはが落ちた事で色々と責任等を感じているらしい。



「聞いたで。
 ここ最近急に調子が良ぉなってきたんやろ?
 何かあったん?」

「うーん、えっと……ちょっと前に知り合った人がいて……」



そうなのだ。

なのはの体は近頃急速に回復の兆しを見せているのである。

松葉杖無しの歩行距離も以前に比べて随分伸びてきており、この短期間に、と医者も感心する程の進歩だった。

その理由について、なのはは僅かに口ごもりながら説明を始める。



「ふんふん、それで?
 その人がどうかしたん?」

「その人初めて会った時からずっと落ち込んでたんだけど……先週ぐらいかな?
 急に元気になってたの。
 それでそれからは一緒にリハビリ、っていってもやってる事は全然違うんだけど、してて……」

「それで、体良ぉなったん?」



それだけで体の直りが早くなったりするのだろうか?

話を聞いているはやてやその他の面々は揃って首を傾げた。

だがなのはの話にはまだ続きがあるようだ。

彼女は皆から少し視線を逸らして続きを話し出した。



「え~っと……。
 その人はリンカーコアの方が悪いらしいんだけど、デバイスも修理中だからせめて体術だけでもって拳法?みたいな稽古をしてるの。
 それが凄いんだよ!
 魔法も使って無いのにパンチでボッ、って音がするの!
 それで……横でそんな事されて、私は歩行訓練でしょ?
 だから……」

「何か悔しくて必死でリハビリした、と」

「うん、まぁ……「ってこの馬鹿野郎っ!やっぱり無理してんじゃねぇか!!」……いふぁい!いふぁいふぉフィーハふぁん!!」



予測できた答えを白い目で告げるはやてに、てへっと笑って誤魔化そうとするなのは。

そんな彼女には瞬間でヴィータによる制裁が下った。

かなりの力で口を引っ張られた彼女は手足をバタつかせて抗議の意を示す。

が、鉄槌の騎士の異名は伊達ではなかった。

ヴィータの手は小揺るぎもしない。

ようやく彼女が手を離した頃にはなのはの頬にはっきりと赤い跡が残っていた。



「まったく……あれほど無茶はすんなって言ったのに、何やってんだよお前は」

「ひ、ひどいよ、ヴィータちゃん。
 私、別に訓練の量を無理して増やしたとかじゃないんだよ?」

「え、そうなの?」



まだ痛む頬を押さえながらなのはがヴィータを非難する。

彼女の意外な言葉にフェイトがどういう事かと尋ねる。



「うん、あまりそういう事しようとするとゲルト君……あ、さっき話した人だよ?が怒るから色々体の動かし方とか教えてもらったの」



ゲルトが復帰してすぐの頃は本当に練習量を増やそうとしていたのだが、それは流石にゲルトが止めた。

まだ治り切ってもいない体にあまり負担をかけると将来どこかで致命的な歪みが出ないとも限らない。

その代わりと、ゲルトはなのはに簡単な運体のコツを教えたのだ。

なのはは生来運動神経が切れているなどと言われていたが、意外にも飲み込みは悪くなかった。

歩行距離が伸びたのもそれのおかげである。



「その人には感謝せんとあかんなぁ」

「そうだな、こいつを1人で放っとくと絶対に無理してただろうし」

「2人の中の私って一体……?」



「「「「「「「事実やろ(だろ)(だろう)(です)(ですよ)(だな)」」」」」」

「ごめん、否定できないよ」



「うう、ごめんなさい……」



間髪入れず八神家一同がツッコんだ。

今回はフェイトですらも助けてはくれないようだ。

項垂れたなのはも実際やろうとしていただけに反論できず、力無くベッドへと体を倒した。



「しかしそのゲルトと言ったか、そいつはどんな奴なんだ?
 このミッドで拳法とは中々珍しいが」



次に口を開いたのは珍しくシグナムだ。

彼女は度々会話に上っているゲルトに関心を示したらしい。



「えっと名前はゲルト・グランガイツ・ナカジマっていうんだけど。
 私達と同じ年でAAランク、所属は地上部隊なんだって。
 それから……古代ベルカ式の騎士で本当は槍が武器なんだって言ってたかな」

「ほう……騎士なのか。そいつは」



ゲルトの人となりを知ったシグナムの目付きが変わる。

戦闘を前にでもしたかのように目がすっと細まり、瞳にも微かに獰猛な光が灯っている。

今時のミッドで古代ベルカ式の騎士。

しかもAAランク。



ふむ……興味深い。



「まぁた始まったよ。
 シグナムの“決闘趣味”」

「シグナム、また喧嘩するですか?」

「あれはどうにもならんだろう」

「でも、その度に治療させられるのって私なんですよ?」

「最近フェイトちゃんともあんまり戦ってないし溜まってるんやろうなぁ」

「えと、時々は相手した方がいいのかな?」



まだ見ぬ騎士に思いを馳せて1人闘志を燃やすシグナムに他の面々は呆れ顔。

顔を寄せ合ってヒソヒソとぼやき合う。

なのははそんな皆の様子に笑みを漏らしてふと窓の外を見た。

いつものベンチ付近。



「あ、ゲルト君」

「どいつだ?」



そこには素振りをしているゲルトがいた。

いつもはもう少し後なのだが、今日はどうしたのだろうか?



あれ?



よく見れば振っているのは只の棒ではない。

ベルカの騎士が好んで用いるアームドデバイスだ。

という事はデバイスの修理が終わったのだろうか?



「ほら、あのベンチの傍で素振りしてる人ですよ」

「あれか……」



なのはの言葉に、窓の傍にまできていたシグナムが視線を固定する。

確かになのは達と同じ年頃の子供だ。

しかし彼の動きには見るべきものがあった。

身の丈を超えるデバイスを振りながら、遠目にも分かる程にその挙動は洗練されている。



ますます面白い。



「あの人かぁ。
 ……ん~、でもあんまり強そうには見えへんけど?」



シグナムに続いて窓に近寄ってきたはやて。

だが彼女の感想はシグナムとは180度違っていた。

ゲルトの動きは素人目に見てもあまり速くはなく、また鋭さを持っているようにも見えなかった。

はやてがそう思うのも無理はない。



「主、それは違います」

「?」



しかしシグナムははやての言葉を否定した。

確かにゲルトの動きは遅い。

だが、それは……



「あれは状況を仮想し、動きを吟味しながら鍛練を行っているのですよ。
 それには得物の軌道と体の運び、それだけあれば十全。
 ゆえにさほど速度は必要ないのです」

「へぇ、そういうもんなんやぁ」



はやてはここ数年の勉強の結果で魔法についての知識は飛躍的に向上しているが、流石に武術に関しては門外漢だ。

ある意味で専門家であるシグナムの言葉には素直に頷くばかり。



「見ていて下さい。
 恐らくそろそろ本気で動き出します」



言うが早いか。

ゲルトの動きは突然豹変を見せた。

先程と同じ軌道をなぞりながら、しかしその鋭さは段違いだ。

ここにまで前動作の震脚やデバイスの穂先が風を切る音が届きそうなほど。



「へぇ、やるじゃねぇか」

「うむ、悪くない」



ヴィータやザフィーラも一連の動作を見ればその練度の高さはおおよそ分かる。

なるほど優秀だ。

はっきりとどの程度なのかまでは流石に読み切れないが、少なくともシグナムに興味を抱かせるには十分過ぎるだろう。

事実彼女は今にも飛び出したそうにしている。



と、ゲルトがこちらに顔を向けた。

鍛練の様子を覗き見する彼女らに気付いたらしい。

代表として知り合いのなのはが手を振っておく。

それに返した彼は特に気にするでもなく再び鍛練へと戻って行った。



「高町」

「な、何ですか?
 シグナムさん……」



シグナムに両肩を掴まれたなのはは、迫る彼女に気圧されて困惑しながら聞く。

どうにも嫌な予感がした。



「ぜひ紹介してくれないか?」

「だ、誰を……ですか?」



半ば予想できていた質問だが、とりあえずとぼけて見せる。

一応ゲルトは入院患者なのだ。

流石にシグナムの相手をさせるのは酷というものだろう。

そう思ったのだが。



「あの、ゲルトという少年を、ぜひ、紹介、して、くれない、か?」

「は、はい!喜んで!!」



彼女は誤魔化されてはくれないようだ。

聞き間違いは許さないという風に、一言毎に区切って言う。

肩を握る手にはさらに力が籠り、迫力も増した。

有無を言わさぬその様子に、なのははついに屈してしまう。



ごめんね、ゲルト君…………。





**********





一方のゲルト。

彼が向こうの状況を知り得る訳もなく、ただ鍛練に励んでいた。



状況を、イメージ。

今、彼の視界は2人の敵を捉えている。

そのどちらもが杖を構え、今にもゲルトに魔法を放とうとしている、と仮定しよう。

先に左の魔導師が魔力弾を撃ち込んできた。

それは直線的にこちらへと向かってくる。

相手の視線と射線から見て、狙いは顔面か。



「フッ!」



右足を大きく踏み出しつつ、体を落として回避。

魔法の発生から発射までを完璧に見切っていればどうという事もない。

左肩と顔の中間、すぐそばを光が通過していく。

魔力弾の通過で発生した風が耳をなぶった。

しかしそれが何だと言うのか。

外れた攻撃には頓着せず、そのまま敵へと突進。

が、ここで2人目の敵が魔力砲を発射。

この距離だ。

回避は不可能。

となれば……



「ツッ!!」



右から逆袈裟に持ち上げたナイトホークで迎え撃つ。

刃が砲撃を捉えた。

流石に重い。

だが、どうにもならぬでもない。

魔力砲を叩き斬り、その向こうへ。

追撃をチャージしていた最初の敵へ到達。



「シィッ!」



体重と突進の勢いを乗せて足を払う。

術に集中していた相手は為す術もなく転倒した。

だが、無視。

そちらが地に着くより早くナイトホークを反転。

石突きでもう片方の男のみぞおちへ刺突を繰り出す。

腹を押さえて崩れ込む男は無力化したと判断。

再度ナイトホークを回して背から倒れた最初の敵の首に刃を突きつける。

喉に被さる刃に、男は身動ぎする事も許されない。



「ふー……」



状況終了。

目を閉じて一息吐けば周囲が中庭に回帰する。

いつもの風景だ。

自分の他には目につく範囲に人はいない。

息を整えて体も戻した。



「悪くない」

『ですね。
 以前と比べても遜色ありません』

「それだけじゃ、駄目なんだけどな」



今の仮想戦闘を判断。

無駄な力が入り過ぎる事も無く、イメージ通りには動けていた。

しかし前と同じではいけない。

大げさではあるが、時を経た分相応の進歩はしていなければ。



『しかし一月振りです。
 鈍っていない事が分かっただけ良かったのでは?』

「俺には無いさ。
 そんなもの」

『……失言でした』



動作データの蓄積。

それは戦闘機人に付与された機能の一つ。

経験した動作の精査、再編を行い自分の動作へとフィードバック。

これにより常人を遥かに上回る速度で習得する事が可能だ。

勿論その機能には動作の記憶も含まれる。

従って基本的に彼らには鈍るという事は、ない。

あるとすれば後に記憶した動作の妨げになる等して優先順位が下がった場合のみだ。



「いいさ。
 これのお陰で俺は、もっと強く……なれる!」



ナイトホークを振るって言う。

最早ゲルトにはこの人ならぬ身に対するわだかまりはない。

むしろ僥倖だ。

耐久力に優れた骨格、強靭な筋肉に、強化された器官類。

闇を見通し幻影すらも破る鋭敏な目、技を効率的に磨く学習能力、設備さえあれば重傷でも数週間で復帰できる生存能力。

そして、

絶対防御を実現せんとするIS、“ファームランパート”。



贅沢過ぎる。



これほどまでの力を与えられて、それでいつまでも弱いままでいられるものか。

より技を磨き、より動きを洗練し、より高みを目指して、そして。

そして勝利する。

それだけだ。



「よし、そろそろ魔力刃でも作るか。
 あの位ならリハビリに丁度いいだろ」

『はい。
 ……ですが、その前にあなたへ客人のようですよ?』



振り返ればなのはがこちらに歩いて来ているのが見える。

彼女の後ろにいるのは知り合いだろうか。

見た事もない人達が10人近く彼女の後ろに付いている。



「ごめんね邪魔しちゃったかな?」

「いやいいけど、後ろの人らは?
 もしかして前に話してたお前の友達か?」

「うん、そう」



なのははゲルトの言葉に肯定を示し、一人一人を紹介していく。



「この娘がフェイトちゃん」

「ど、どうも。
 フェイト・T・ハラオウンです」

「で、この娘がはやてちゃん」

「初めましてや。
 八神はやてです」



それ以降も滞りなく全員の紹介は進んだ。

全員なのはの話に出て来ていた人物で間違いは無いらしい。

そして最後にはなのはがゲルトを紹介する。



「それでこの人がゲルト君だよ」

「初めまして、ゲルト・G・ナカジマです。
 それでこっちが相棒の……」

『ナイトホークです。
 以降お見知りおきを』



ナイトホークも紹介しておく。

彼女も今や、ゲルトにとってはかけがえのない存在だ。



「ふむ、良いデバイスのようだな」



シグナムは彼女にも目を留めた。

黒い柄。

刃も光を反射しないような鉄紺色だ。

ところがそんなシンプルなデザインでも無骨という印象は受けない。

むしろ研ぎ上げ、磨き上げられた末にのみ持ち得るような美しさがそこにはあった。



「ええ心強い、俺の刃です」

「そうか。
 では、私の剣も紹介しよう。
 レヴァンティン!」

『ヤヴォール!』



シグナムの意に応じてレヴァンティンがセットアップ。

彼女の胸元の剣十字が燃え上がった。

そして現れるのは……剣。

烈火の将シグナムが魂、炎の魔剣レヴァンティン。



「アームドデバイス……」

「そうだ。
 私もベルカの騎士なのでな」



右手のレヴァンティンを軽く振るう。

それは何気ない動作ではあるが、シグナムがゲルトの技量を推し量れるのと同様にゲルトもまたそこからシグナムの腕前を見て取った。

ゼスト以来の、不足無い相手。

そう感じ取った瞬間、不意にゲルトの中である欲求が生まれた。



試してみたい。



それは、より力を欲する者であればごく自然な発想。

自分が何処までやれるのか。

生まれ変わったナイトホークを得た自分は、

この鋼の体を肯定した自分は、

グランガイツの名を継いだ自分は、この目の前の騎士に勝てるのか。

それとも彼女が積み上げてきた物の前では為す術もなく打ち破られるのか。

それを試してみたい。



「シグナムさん、会って早々に不躾とは思いますが……」

「何だ?」



シグナムも恐らくは同じ事を考えているに違い無い。

こちらを見る彼女の瞳に光るのは確かな闘志。

先程レヴァンティンを抜いたのもこちらへの挑発だろう。



「俺と……俺と戦ってもらえませんか?」

「いいだろう、望む所だ」



勿論シグナムに断る道理はない。

即座にはっきりと了解を示した。

後ろで「同類だー!?」と騒いでいるギャラリーもいたが、既に2人の騎士は互いの事しか見えていなかった。





**********





先端技術医療センターに入院する患者は、やはり魔導師である事が多い。

そして彼らの“魔導師としての”リハビリには専門の施設が必要だ。

ゲルトやシグナムが今居るのもそういった施設の一つ。

かなりの広さと高さを兼ね備えたドーム状の空間。

ここでなら存分に戦えようというものだ。

なのは達は別の部屋でここの様子を見ているだろう。



「さて、初起動にしてはちょっと荒っぽいが……」



言葉と共にナイトホークの刃に赤橙のカウリングが為され、ゲルトの体をバリアジャケットが覆った。

近接戦闘主体の古代ベルカ式には基本的に非殺傷設定などというものは存在しない。

せいぜいがこうして刃引きを行う程度。

一応バリアジャケットを身に纏っていればなんとか致命傷は避けられるが、直撃の場合は骨の一本位覚悟しておかなければならない。



まぁそれはともかく、こうして魔力刃を展開するのにはゲルトにとって別の意味もあった。

それはナイトホークに搭載された新機能によるもの。



「どうだ?
 ナイトホーク」

『問題ありません。
 プログラム“パラディン”正常に動作中』



“パラディン”



それが彼らの新たな力である。

これは変形機構のような多様性を持つ訳でも、フルドライブのように圧倒的出力を解き放つ物でもない。

このプログラムが為し得るのはごく単純かつ当り前の事。



『魔力伝導効率、現在にて98%を観測。
 誤差範囲ゼロコンマ3%で安定』



そう、魔力伝導の補助。

ただそれだけ。

ストレージデバイスですらも行っているような、基本中の基本と言えるその機能。

しかし彼らはこれを極端に突き詰め、その果てに有り得ない結果を導き出す事に成功した。

魔力伝導効率。

これは魔導師のリンカーコアから汲み出される魔力をどれほど術式へと流す事ができるか、という割合を表している。

つまり98%が観測された今、無駄に垂れ流される魔力はたった2%。

これは通常なら魔力消費を抑えられるという、ただそれだけで終わってしまうだろう。



だが、もし。

これに近い数字をフルドライブの発動中でも維持できるとしたら?

理論の上では僅かに4%程の低下で済む計算になっている。

万が一それが実現したとして、その場合は一体何が起こり得るのか。



例え話をしよう。

ここに水門があるとする。

この門がリミッター、流れる水が魔力。

水路がデバイスで、その先に在る水車が魔法の術式だ。

フルドライブに入れば門が完全に開き、溜まっていた水が水車へ目掛けて一斉に押し寄せる。

だが水の勢いが強過ぎるのだ。

少なくない量の水が水車に届く前に水路から溢れてしまう。

また、水路では納まり切らずに逆流した水が門の付近まで達する事もあるだろう。

これが魔導師のリンカーコアや身体、デバイスを蝕むのだ。

そして保有魔力の高い者であればある程に、零れる水の量は多い。



ゆえに、一般的にはデバイスの強度を上げる事でこれに対応する。

水路に沿って土のうを積み上げるのだ。

とはいえそれも所詮は応急処置に過ぎない。

やはり隙間からは水が滲むだろうし、一度でも限界を超える水に晒されればそんな物は無力だ。



だが、ゲルトの方策はこの問題を一挙に解決した。

彼が行ったのは……そう、言うなれば水路の底掘りである。

水路そのものを深くしたのだ。

これにより水はスムーズに流れ、相対的に見れば水かさも減る。

元より水路の高いゲルトとナイトホークだ。

ここまでやればフルドライブの負担をギリギリ耐えられるレベルにまで下げられる。



その結果、彼らはフルドライブを“負担”なしで発動し続ける事が可能となった。



当然、魔力を解き放っているのだから“疲労”はする。

だがそれだけだ。

過剰な魔力がゲルトの身を犯す事も、ナイトホークが負荷で破損する事もない。

ナイトホークに至っては精密な人格AIを積んだ事でむしろ強度は落ちているのだが、負荷そのものが減った事で相対的な耐久力は劇的に向上した。

全力を全力のままに使い切る事。

これこそが彼らの切り札である。

最早ゲルトらにとってフルドライブとは暴走を意味しない。

それは綿密な計算と完璧な制御の上で行われる統制された現象の一つだ



デタラメもデタラメ。

全く机上の空論に過ぎないこの夢物語を実現した要因は、ゲルトの身体の特殊性とナイトホークの意思にある。

まずこれを叶えるに当たって圧し掛かった問題は、デバイスが扱わなければならない情報量の多さだった。

魔導師の体調、リンカーコアの活性状況、周囲の環境、云々云々……。

これら膨大な情報を瞬時に把握して魔力伝導の経路を調整しなければならない。

生半可な演算能力では不可能だ。

また非常に重要ではあるが、数値化が困難な魔導師のメンタル。

これは非人格型ではどうしようもない。

そこでこの2点を解決するのがナイトホークへの人格AIの搭載だった。



しかし、これでもまだ十分ではない。

やはり処理しなくてはならない情報がまだナイトホークの手に余るほど存在している。

が、これもゲルトの身体のおかげで解決した。

再三述べている通りゲルトは常人とは違う。

だがそれゆえに。

ゲルトの体は数値という、客観的な判断が可能な形式で自分の身体情報を記録しているのだ。

なぜか。

それは先に述べた通り、動作データの蓄積だ。

これは本来、動作の調整に用いるものなのだが、彼らはそれに目を付けた。

記録されているのは動作だけではない。

当然それに伴う身体内部の変化も含まれる。

そしてゲルトのデータ蓄積システムとナイトホークのリンク。

これにより彼女はリアルタイムでゲルトのフィジカルデータを得るに至り、処理能力の負担を大きく軽減させる事に成功した。



そうして完成したのがパラディン。

それは今述べた一連の環境を前提とする、ただの魔力経路調整プログラムに過ぎない。

しかしそれがゲルトの戦闘思想の究極を体現してみせたのだ。

己の力を完璧に制御し、支配下に置く事。

必要なのは、威力の極大ではない。

細緻の極限だ。



誰がこの奇跡を予想できただろうか。

恐らくはかの天才、ドクタースカリエッティでも慮外の事に違いない。

当初の戦闘機人構想とは全く異なる、騎士たるゲルトだからこそ至った発想の結果だ。



「それじゃ本番といくか。
 なぁに、今回は基本的に魔法抜きだ。
 お前はパラディンの調整に専念してくれればいい」

『イエス』



パラディンの正常稼働を確認したゲルトは視線を前へ向けた。

そこには既に騎士甲冑を纏い、レヴァンティンを提げたシグナムが立っている。



「もういいのか?」

「ええ、お待たせしました」



そうか、と呟き相対する彼女はレヴァンティンを腰だめに構えた。

こちらを射抜くのは戦士の目、騎士の瞳。



「ヴォルケンリッター烈火の将にして、主はやてに仕える“剣の騎士”、シグナム」

「ゼスト隊末席にして、グランガイツの姓と技を受け継ぐ“鋼の騎士”、ゲルト」



ゲルトもまたナイトホークを構える。

右寄りの前傾姿勢をとり、左手を突き出して右手を引く独特の構えで彼女を保持。



「「いざ、尋常に――――」」



ざり、と2人が大きく足を開く。

一瞬後の突撃の為の予備動作だ。





「「勝負!!」」




両者は同時に地を蹴った。










(あとがき)



う~ん、今回の反省としては、ちょっとパラディンの説明に行を使い過ぎたなぁ。

それに説明的すぎる気も……。



あ、魔力伝導云々は完全に作者の脳内設定です。

なのはとレイジングハートで通常82%、フルドライブで75%くらい、フェイトとバルディッシュで86%、80%くらい?

以前のゲルトとナイトホークでは88、82くらいと妄想。

バルディッシュはフェイトの専用機なので多少はなのは達より高いはず。

多分デバイス無しだと普通は40%くらいな感じ。



パラディンが完成した事で地味だけどすっごいチート性能になったゲルト、ナイトホークのコンビ。

ただ、今回のシグナム戦ではフルドライブは使いません。

流石にゲルトは入院中だし、魔法無しの戦闘じゃないとまずかろうと。

まぁ使っても以前と見た目は何も変わらないんですけどね。

ただ体が痛まないだけで。

あんまりこういう最強展開は好きじゃない人もいるでしょうが、逆にこれ以外の強化法は思いつかなかったんですよ。

ナイトホークに人格を持たせる意味と、この作品の方向性的に。



では次回シグナム戦決着です。

これで感想荒れたらイヤだなぁと思いつつ、Neonでした。



[8635] Sword dancer
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/08/09 00:09
「始まるみたいやね」



なのはら一行はゲルトやシグナムと別れてモニタールームにいた。

それぞれ席に着いて前を見つめている。



「うん、そうだね」

「どっちが勝つかな?」



彼女らが傾注するスクリーン。

そこには2人の様子が鮮明に映し出されていた。



「へっ、あのシグナムがそうそう負けるかよ」

「いや、分からんぞ。
 あの騎士とて並の腕前ではあるまい」



ゲルトもシグナムも名乗りを上げ、同じように身構えている。

いつ、どちらが動いてもおかしくはない。



「どっちにしてもケガにだけは気を付けて欲しいですね……」

「ホントです」



2人がゆっくりと前傾の姿勢を取った。

それに合わせてモニターにもウインドウが2枚追加される。

映っているのはゲルト、そしてシグナムのアップだ。

視線を交わらせる彼らの表情は抜き身の刃のような鋭さを湛えていた。

モニター越しでもありありと読み取れる闘志。

まさに騎士である者に相応しい顔付きだ。

激突の機を感じてか、その瞳は更に細まる。



そして、その時は…………今!



「動いた!」



なのはの言葉の通りだ。

2人が地を蹴って駆け出す。

疾走。

相手を己が間合いに収めんと、ただ一直線にひた走る。



『はああぁぁぁっ!!』



先を取ったのはゲルトだ。

突進の勢いをそのままに神速の突きが放たれる。

狙うのは、最も回避が困難な胴体中央。

槍と剣。

その射程の差が如実に現れる形となった。



「シグナムっ!?」



はやてがその様に息を呑む。

唸りを上げて突き込まれるデバイス。

このままでは間違いなく直撃だ。

だが、シグナムとて先手を取られる事は予想していた。

刺突をギリギリにまで引き付けて跳躍。

両足を開いた側宙の形で危険域から逃れる。

ナイトホークは、彼女の結われた髪の先端を僅かに散らしたのみで通過してゆく。

それだけではない。



『っ!』



空中で完全に逆さとなったシグナムは体を捻り、独楽のように一回転。

その勢いでレヴァンティンを振り抜く。

踏ん張りが利かない以上、狙うのは首、頸動脈付近。

下手をすれば命に関わるが、カウリングは万全でバリアジャケットも纏っている。

最悪でもムチ打ちくらいで済むだろう。

ゲルトの後方、死角からレヴァンティンが迫る。

会心のカウンターだ。

しかし、



「嘘だろっ!?」



ヴィータが驚愕の声を上げる。

ゲルトは背中に目でも付いているのか?

なんと彼はシグナムの攻撃を見切っているかのように首を傾け、強引に体も横へ倒す事でその軌跡から外れてみせたのだ。

にわかには信じ難い。

尋常では無い戦闘センスだ。

ゲルトはそのまま地を2回転がり、シグナムも着地の後大きくバックステップして距離をとる。

そして同時にデバイスを構えた彼らの距離は開戦時のそれと大差ないまでになっていた。

彼らは再び向い合う。

仕切り直しだ。










**********










「……やるな。
 流石に今のを躱されるとは思わなかったぞ」



レヴァンティンを青眼に構えたシグナムは純粋な感心の念から口を開いた。

あれは奇策ゆえに必殺を狙ったモノだった。

それを凌いだ彼の技量には素直に賛辞を述べられる。



「ギリギリ、でしたけどね」



今しがた感嘆に値する見切りをみせたというのに彼はやや苦々しげに答えた。

ゲルトの頬には血の跡が一筋出来ている。

掠ったレヴァンティンとの摩擦で切れたのだ。



危なかった……。



あくまでシグナムから視線は外さずに片手で血を拭う。

もう少しでも動くのが遅ければ首を打ち抜かれ、瞬時に意識を刈り取られていただろう。

あのタイミングでシグナムの挙に気付けたのは……何の事はない。

以前に似たような流れで負けた経験があるからだ。

そう、ゼスト隊に配属されたあの日、あの訓練場で。

入隊儀式としてクイントと戦った時の記憶。

敗北から学ぶ事も馬鹿には出来ないものだ。



しかし……。



再度突撃の機を窺いながらシグナムを見る。

彼女も同じように半身の姿勢を取り、こちらを見つめている。



やはり、良い騎士だ。



ゼストに勝るとも劣らない。

これほどの騎士と手合わせが出来るとは……。

どうやら今日はツいているようだ。

ナイトホークを握る手にも自然と力が入る。



「負けられないな?
 ナイトホーク」



手の中の彼女に声をかけた。

シグナムは相手にとって全く不足たる所はない。

僅かな接触の中でも自分が研ぎ澄まされていくのが分かる。

ギリギリの戦いが1人で行う訓練とは次元の違う成長を促しているのだ。

あとは全力で以て戦い、打ち破るのみ。



『負けませんよ。
 なぜならゲルト、あなたには私がついています』

「……それもそうだな」



本当に頼もしい事を言ってくれる。

彼女の言葉に思わず場違いの笑みが零れた。

それが引いた後、彼に残されるのはただ清廉な闘志。



「行くぞ、相棒」

『イエス、マスター』



視界に入るのはただシグナム1人。

それでも心はナイトホークと共に。

気合いを入れ直し、再度突撃を敢行する。

それに合わせてシグナムも飛び出し、彼我の距離を急速に詰めていく。



「おおおおおぉぉぉぉっ!!」

「はああああぁぁぁぁっ!!」



2人の攻撃が衝突。

重量という位置エネルギーと、疾走の運動エネルギーの相乗が驚異的な破壊力を生む。

ともすれば打ち合ったデバイスが破損しかねない勢いだ。

だが、彼らのパートナーはそんなにヤワではない。

またその為にもカウリングを施してあるのだ。

2人は委細気にせず幾合もの剣戟を交わす。



「す、凄い……」



モニターを見つめるフェイトは呆然と呟いた。

これは魔法も無し、一切を己の技量に依った戦いだ。

にも関わらず、あの場は確かな異界である。

激突する鋼と鋼。

交わされる剣気。

錯綜する視線。

目まぐるしく立ち回る2人は、あらかじめそう定められていたかのような調和を保って舞い踊る。

さながらそれは舞闘。

高らかと床を鳴らす踏み込みはステップ。

動きに伴って吐き出される呼気は、戦哮は、それ自体が詠唱。

その儀式のような全てが世界を塗り替えていく。



何合重ねたのか、幾合打ち合ったのか。

数え切れない程の鍔競りを経て、ついにこの戦いにも終止符が打たれる時が近づいたようだ。

一瞬の油断も許されない緊迫した駆け引きが続いた為、流石に2人とも息が荒い。

むしろそんな状態でも緩める事なく得物を振り続けられる彼らの体力はどうなっているのか。

いや、どちらかといえば極度の集中が身体の疲労を無視して体を動かしている、と言った方が正しい。

しかしそれが切っ掛けを生んだ。



「くっ!」



意識外に溜まった疲労がそうさせたのか。

シグナムがレヴァンティンを引き戻すのが僅かに遅れる。



「とった!!」



その隙を好機と見たゲルトが瞬間で刺突を繰り出した。

躱しようもないタイミング、防ぐ事もできない。



!?



これで終わり。

そう思ったのだが、不意にゲルトの背筋をゾクリとした嫌な感覚が走った。



何か、ある。



これだけで終わらせてくれるような相手ではない。

極限に達した思考の高速化が視界の速度すらも落としていく。

自らも、そしてシグナムも速さを失った世界で、ゲルトは見た。

背に回され、見えなくなっていた彼女の左手がゆっくりと前に出されるのを。

その手に握られているのは――――



鞘!?



そう、鞘だ。

だが持ち方が普通とは違う。

鯉口を前に、鞘尻の側を深く順手で握っているのだ。

そんな無茶苦茶な握りで何をする気なのか。

レヴァンティンを引く動きに呼応して彼女の左手が滑らかに振り上げられる。

ごく自然な動き。

この集中が無ければ気付く事すらなかったかもしれない。

そして、彼女の意図が明らかとなった。



「なっ!?」



シグナムの鞘が突き込まれるナイトホークの刃先を捉えたのだ。

レヴァンティンの鞘は納刀したままでもカートリッジを装填できるよう、上部にスリットが空けられている。

その隙間に絡め取られ、ナイトホークの突点を上へとズラされた。

シグナムはそうして抉じ開けた空間に体を捻じ込み……迫る。



「はあっ!!」



姿勢を大きく下げ、お返しと言わんばかりに伸ばした右腕で刺突。

防ごうにもナイトホークは既に彼女の肩の上を流れてしまっている。

いや、万が一引き戻せたとしても距離が近すぎるか。



詰みだ。



シグナムもそう思ったろう。

しかしゲルトは重心を移し切る前にその狙いに気付く事ができた。

だから反応できる。



「っ、だあっ!!」



右足を蹴り上げ、レヴァンティンの腹を横から蹴りつける。

流石に体重は乗せられないので脚力だけで行う事になったが、シグナムとて片手だ。

何とか外側に弾く事には成功した。

出来れば手から弾き飛ばすところまでいきたかったのだが、それは高望みのし過ぎか。

ゲルトの左腰へレヴァンティンの刃先が抜けていった。

シグナムは目を見開いて驚愕の表情を晒している。

ゲルトも不自然な体勢をとった事で身動きが封じられた。

両者身動きがとれずに一瞬の沈黙が流れる。



「おおっ!」



だが、その空白の後。

慣性を抜けたゲルトは追撃に移る。

左足を上げ、身を屈めているシグナムの顎への膝蹴り。



「ッ!?」



我に返ったシグナムは身を起こして回避。

背筋で体を反らし、膝も伸ばして体勢を立て直す。

だが一気に立ち上がった事で腹部がガラ空きだ。

また、彼女が下がった事で距離も空いた。



これなら!



ナイトホークを反転させ、石突きでの刺突を狙う。

短く握れば、ただ刃を引いて突き直すよりこちらの方が早い。



「チッ!」



それに気付いたシグナムは更に体を後ろに引いて逃げようとする。

体をくの字に折ってバックステップ。

強引な動きだ。

後退後にはさらに身動きがとれなくなるだろう。

それでも短く握られたナイトホークの有効打点からは辛うじて外れている。

たとえ当たったとしても、これなら戦闘続行だ。

しかしゲルトに次の機会を与える気は……ない。



これで、仕留める!



「ぐっ!?」



当たった。

直撃だ。

シグナムのみぞおちにはナイトホークの石突きがめり込んでいる。



「な…………に?」



何故、だ?

確かに外したはず、だぞ……?



膝を付くシグナム。

痛みに喘ぎながら、今の不可思議な現象に困惑する。

何故、外したはずの攻撃が直撃したのか。



「立てますか?」



荒い呼吸で視線を上げると、そこにはこちらに右手を差し伸べるゲルトの姿があった。

左手には持ち直したナイトホーク。

と、ナイトホークの石突きが金属の擦れる音を立てて縮んだ。

文字通りに、その長さを減じてみせたのだ。

つまりそれは、



「そうか……カートリッジ……システム……の………」



ゲルトの肩を借りて立ち上がりながら、ようやくシグナムにも得心がいった。

あの瞬間。

自分がナイトホークの有効打点を逃れた直後。

ゲルトはカートリッジの供給、排出の為のスライド機構を利用して射程を伸張したのだ。

通常なら一瞬で済んでしまうものだが、魔法無しの模擬戦と言う事で互いのデバイスにはカートリッジが装填されていない。

ゆえに排莢をしようとすればホールドオープンの状態となり、これがナイトホークの全長を僅かに伸ばしたという訳だ。

ゲルトとナイトホークの思考がピタリと一致したからこそ可能にした技である。



しかし、これはあくまで奇策だ。

この戦いの中でしか使えない。

実戦でこんな事ができる訳もない、というか使うような状況に陥ってはいけない。

とはいえ、



「大した騎士だな、お前は」



負けは負けだ。

彼に寄り掛からねば歩けないのが現状の全て。

敗者はそれらしく、ただ勝者を称えよう。



「シグナムさんもですよ。
 あれほどの戦いができる相手がまだミッドにいるとは思いませんでした」



それは偽らざるゲルトの本心だ。

彼女との激しい応酬の最中、持てる技術と知略の全てを尽くしながら、どこまでも高みへ上っていけるような感覚がした。

ゼスト亡き今自分と同じ土俵でこうまで戦える者がいるとは思っていなかったので本当に僥倖の一語に尽きる。

ただでさえミッドチルダ式が主流の世の中だ。

近代ベルカ式にしても魔法抜きの純粋戦闘をここまでやれる者がどれほどいるか……。



「それは私も同じだ。
 お前のような騎士と出会えたのは幸運と言う他ない。
 それから――――」



やはり彼女もあの感覚を味わっていたようだ。

より力を、より高みへ、と願う者なら等しくあれを求めていたはず。

だが彼女にはまだ他に言うべき事があるらしい。



「私の事はシグナムでいい。
 敬語も不要だ」



内心を吐露したシグナムはゲルトの顔を覗き込んでそう訂正した。

右肩に掴まっている彼女の瞳に、自分が映っているのが見える。

今のゲルトの言葉が世辞でないなら対等に、という事だろうか。



「分かりました……あー、いや、分かったシグナム。
 ……これでいいか?」

「ああ、それでいい」



意識していつもの、ギンガ達にするような口調で声をかける。

年上の相手に普通の口調で話すというのはむしろやり辛いものがあるのだが、彼女の方から言い出した事だ。

それに彼女程の騎士に認められるというのは純粋に嬉しい。



「ゲルトくーーん!」

「シグナムーー!」



自分達を呼ぶ声に前を向けば、なのはやはやて達がこちらへ走り寄って来るのが見える。

決着が着いたのを見届けた後すぐさまこちらへ飛んで来たのだろう。

ゲルトとシグナム。

2人して苦笑を交わし、歩く速度をやや上げた。



「なぁ、ゲルト」



視線は前を向いたまま、シグナムが口を開く。



「なんだ?シグナム」



ゲルトもなのは達の方だけを見て答える。



「今回は私の負けだ」

「ああ」

「だが、次はこうはいかん」



ようやくこちらを向いたシグナムがきっぱりと言う。

今しがた一勝負終えたばかりだというのに、彼女の瞳にはもう火が灯っていた。

そんな彼女の様にゲルトは小さく噴き出す。



「何がおかしい」

「いや、次があるんだな、と思ってさ」

「当然だ。
 負けたままでは終われん」



ふん、と軽く鼻息を立てて言い切る。

何だか、彼女が見た目より子供に見えた。

ゲルトはまた笑みを漏らし、そうだな、と呟く。

それも悪くない。



もうなのは達は目の前に来ていた。










**********










まぁ、彼女らとの出会いは大体そんな感じだ。

その後も皆に囲まれて色々な話をしたりと、中々新鮮な時間を過ごす事が出来た。

友人が一気に増えたのもそうだし、互いに練磨できる相手が出来たのもそうだ。



で、現在。



「はい、どうぞー」



病室をノックする音に、見舞いに来ていたギンガが応対する。

ゲルトはもう退院も近づき、魔法の使用も許可されていた。

だからそう毎日来る事はないと言っているのだが、彼女は学校が終わると2日に1度はここへと来ている。

母さんの見舞いもあるからそのついで、とは言うが、どう考えてもこちらにいる時間の方が長い気がする。

いや、別に来て欲しくない訳ではないだが。



「えっと……どちら様、ですか?」



ん?



誰が来たのだろうか。

この部屋のベッドの位置からでは丁度入口が隠れており、戸惑っているギンガしか見る事ができない。



「私はシグナムという者だが……ここはゲルト・G・ナカジマの部屋だろう?」



来客はどうやらシグナムのようだ。

そういえばギンガとシグナムが会うのはこれが初めてだった。

ギンガが来るのは大抵夕方なので誰かと会うという事は今まで無かったのだ。

偶々今日は何だかの記念日で学校が休みになった為鉢合わせしたのだろう。



「ギンガー、その人は俺の知り合いだから入れても大丈夫だ」

「“兄さん”の?
 それは失礼しました」



ギンガが道を開け、シグナムが部屋へと入ってくる。

実はシグナムがここに来るのもこれが初めてという訳ではない。

あれからも何度か、仕事はどうしたという頻度で訪ねて来ては模擬戦を申し込んできたのだ。

ちなみに今の戦績は3勝1敗。

最初と2回目はゲルトが、3回目にはシグナムが勝ち、一昨日の戦いでは魔法も込みでゲルトが勝った。

今日はそのリターンマッチという所だろう。



「また今日もか?シグナム」

「ああ。もう場所も取ってある」

「準備いいな」



言いながら、シグナムの視線はチラチラとギンガの方を向いている。

ギンガも同じだ。

暗に紹介しろ、と言っているのだろう。

先ずはギンガを引き寄せて関係を説明する。



「シグナム、こいつは俺の妹でギンガだ。
 よく見舞いに来てくれてる」

「は、初めまして。ギンガ・ナカジマです」



ギンガが頭を下げて名乗る。

次にシグナムを指して。



「んでギンガ、この人が俺の……」



ふと言い淀む。

俺の、何だろうか?



友達の友達、というのは違う。

もう何度も模擬戦の相手をしてもらって、むしろなのはよりも彼女の方が友誼が深いと言ってもいい。

喧嘩相手というのも少し違う。

しばしの黙考。

とりあえず思いついた物を口にする。



「俺の……剣友のシグナムだ。
 ちょくちょく模擬戦なんかの相手をしてくれてる」

「シグナムだ。
 悪いが少しの間お前の兄を借りていくぞ」



多分言葉にすればこんな感じだろう。

シグナムの方もそれで異論はないようだ。

ちなみに彼女は模擬戦の他にも地球の遊びで“将棋”とやらの相手もしてくれている。

よく出来たゲームだとは思うが、そちらではまだ1勝もできていない。

いつか負かしてやるとは思うが、こればかりはすぐにどうこうなるものでもないだろう。

しばらくはこのまま黒星が続くに違いない。

まぁ、それは置いておいて。



「兄さん?」



ギンガがどういう事か、という目でこちらを見てくる。

どういう事も何も、さっき言った通り模擬戦をするだけなのだが。

そう告げるとギンガはむー、と軽くむくれてみせた。

普段スバルの姉として年に合わずに大人びた態度を取る彼女には珍しい。

一体何が気に入らないのやら。



「いや、だから模擬戦を……」

「私は?」

「は?」



どうにも納得いかない様子のギンガ。

仕方なくもう一度説明しようとするが、彼女の言葉に遮られた。



「私はどうするの?」

「あー……」



確かに、わざわざ来てくれたというのに終わるまでここで待たせるというのもアレか。

どれくらい時間がかかるかも分からない事だし、傍で見ていて面白い物でもないだろう。

と、なれば。



「母さんの所に行っとくか?」



ぶん殴られた。



何故か躱す事も出来ず、顔のど真ん中にギンガの拳が突き刺さる。



「母さんの様子を見てきます!」



ギンガは憤慨してそう言い残すと部屋を出ていった。

ドアもピシャリ、と閉められてそれっきりだ。



「く~~……っ!」



一方のゲルトはただ顔を押さえて呻いていた。

痛い。

滅茶苦茶痛い。

そういえばギンガはクイントからシューティングアーツの稽古をつけてもらっている、とかいう話だった。

やたらと腰の入った拳だったのはそれでか?



「だ、大丈夫なのか?」

「大丈夫、じゃねぇ……。
 くぁ、痛ぇ……」



シグナムはやや心配そうな声で聞いてくるが、冗談ではなく本気で痛い。

鼻が折れてないのが不思議な位だ。



『……ゲルト、今のはあなたが悪いです』

「何が!?
 俺今何か変な事言ったか!?」

『あなたはもう少しデリカシーというものをですね……』

「いや、全っ然分からんぞ」



何で母さんの所で待っていろと言うだけで思い切り殴られなければならないのか。

しかもそれで自分に気配りが無いだのと。

さっぱり意味が分からない。



「まぁ、いい。
 動けはするのだろう?早く立て」

「って、お前この状態で俺に模擬戦させる気なのか!?」

「今日はその為に来たのだから当然だ。
 ほら、キリキリ歩け」



シグナムに半ば引きずられるような形で連行されるゲルト。

ゲルトが鬼だの何だのと非難するが彼女は一切無視して引っ張っていった。



『ドナドナドーナードーナ~♪』

「何故お前がその歌を知っている」

『日夜勉強していますので』










(あとがき)



シグナム戦終了~!

ギンガ嫉妬フラグ、シグナム友情フラグは見事に立ちました。

愛情フラグは……どうだろう。

何と言ってもゲルト11歳なのでその辺は“まだ”考えてません。

話の骨子は出来てるんですが、細かな所はその度に考えてますので。



ところで、このあとがきモドキは感想欄に書いた方がいいんでしょうか?

他にも感想返したりとか。

個人的に皆様の感想はそれ自体が楽しみなので自分のコメントでカウント取りたくはないんですよね。

感想返しについても伏線等の関係もあって迂闊に答えられない所もあるというか……。

それで不公平を出したくないので今まではあまりやってこなかったんですが、どうでしょう?

勿論できる限り中身で答えていくつもりではありますが。



なにはともあれ毎度感想、激励を下さる方々には感謝の言葉しかありません。

このssは皆さまの応援の上に成り立っております。

主に作者のテンション的な意味で。



それではまた次回。

今度は久々にギンガのターン!……の予定。

ご期待下さい。



[8635] RISE ON GREEN WINGS
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/08/17 23:15
「ねぇギンガ」

「何?母さん」



いつものように母の見舞いに来ていたギンガ。

今はベッドの傍の椅子に座り、手慣れた仕草でリンゴの皮を剥いている。

スバルはその横でスルスルと剥かれていくリンゴをキラキラした瞳で見つめていた。



「そろそろ機嫌を直したら?」

「…………」



そんなギンガだが、彼女の表情はどうにも曇っている。

あれから3日。

今日もギンガはゲルトの部屋を訪ねていない。

以前なら真っ先にそちらに行って、その後彼も連れてクイントの病室に来るのが普通だったというのに。



「別に、怒ってるわけじゃ……ないの」



ギンガは手を止めずに、しかし歯切れ悪く話す。

視線も手元のリンゴに注がれたままだ。



「じゃあ、どうして今日もゲルト君の所に行かなかったの?」

「それは…………」



答えに窮する。

結論から言ってしまえば、ギンガはもうゲルトに対して何らの怒りの念もない。

ただあの時はシグナムと親しそうに話している彼を見ていると何か胸が苦しいような、早くこの場から離れたいような、そんな感じがした。

またそれとは逆の掻きむしるような、こちらを向いて欲しい、自分を見て欲しいという気持ちも。

以前にも似たようなわだかまりを感じた事はあったが、それと比してもなお強い感情だ。

急激に膨れ上がったそれに、自分でも戸惑う程だった。

それで自分を置いていくと聞いた時、反射的にゲルトを殴り飛ばして逃げるように部屋を出てしまったのだ。

どう考えても自分の方に非がある。



「気にしてるんなら早く謝ってくればいいでしょう?」

「でも……」



兄からすれば訳も分からず殴られた事になる。

さぞ驚いただろう。

もしかしたら今も怒っているかもしれない。

いや、それどころか。



嫌われた、かな……。



手が震え、今まで一つに繋がっていた皮が途切れて落ちた。

重い溜息が漏れる。

謝らないと、とは思うのだが、それを考えるとどうしても彼の前に立つ勇気は起きなかった。



何であんな事しちゃったんだろう。



後悔の念ばかりが心に積もっていく。

ようやくゲルトも本調子になってきて気が緩んでいたにしても、あれはひどい。

らしくもない我がままを言って、その上手まで上げて。

果たして彼の顔を見た時きちんと言うべき事が言えるのか。

今もこうして震えが止まらないのというのに。

とはいえ、



「やっぱり……ちゃんと謝らないとダメ、だよね……」

「そうよー。
 ずっとこのままっていうのはギンガもイヤでしょ?」



ずっと……このまま……。



このままきちんと話も出来ないままで、いつまでも?

頭を振って胸を刺すような想像を打ち消す。

それはイヤだ。

せっかく本当の家族になれたばかりなのに。



兄さん……。



本当の兄妹になったのにいつまでも“お兄さん”ではよそよそしいかと呼び方も変えた。

暇さえあれば様子を見に行った。

学校でのどうでもいいような話でも笑い合った。

あの時間に戻る為に、今必要なのは行動だ。

ここでこうしていても何も変わりはしない。



そうだよね。

……うん、謝りに行こう。



剥いたリンゴを皿に並べ、ベッド脇のテーブルにそっと置く。

笑顔でそれを頬張るスバルに笑みを漏らしながら、ゆっくりと腰を上げて席を立った。



「あら、ギンガ行くの?」

「うん。
 ちょっと兄さんの所に行ってくるね」

「そう、じゃあ頑張りなさいね」

「頑張ってねー」



ベッドからこちらを見送る母と、リンゴを食べながらエールを送るスバルに手を振って答え部屋を出る。

ギンガは一路、ゲルトの元へ。





**********





ほどなくゲルトの病室に到着。

目の前にある扉のプレートには「ゲルト・G・ナカジマ」の文字。

ギンガは足を止めて深く呼吸をする。



「すー……はー……」



1回、2回。

胸に手を当て、汗をかくような緊張をほぐしていく。



大丈夫。

きっと兄さんは怒ってない。



それでも中々落ち着かない自分に言い聞かせる。

兄さんは優しい。

照れ隠しはするけれど、自分やスバルの事を一番に考えてくれているのはよく伝わってくる。

きちんと謝ればきっと許してくれるだろう。

少しは気が楽になったとみえて呼吸もやや落ち着いてきた。



そうだよ。



他にも母さんが認める位の腕前で、騎士としても優秀。

部隊の皆に叩き込まれたとの事でそれなりに教養もあり、決して頭も悪く無い。

それに偶に見せる真剣な表情なんかは刃物の様に鋭くて、横で見ているこちらも思わず見とれる程の…………はて。



い、今はそんな話じゃないでしょう!



しゃがみこみ、頬を包みこむように両手で覆った。

あらぬ方向に脱線した思考のせいだろうか、手の平に仄かな熱を感じる。

頭の中までその熱が伝播したかのように茹であがる。

それに応じて胸の鼓動も再びそのビートを上げた。

いけない、とは思いながら完全に呑まれてしまって思考が纏まらない。

自分は一体何の為にここへ来たのだったか。



えーっと…………そう!

兄さんよ兄さん!



はっと顔を上げる。

ようやく当初の目的に思い至った。

ここには兄に謝りに来たのだ。

勢いよく立ち上がって自分のやるべき事を再確認する。



まず扉を開けて、兄さんに頭を下げて謝って、それで……それで……え、ええと、それから…………。



続きが出ない。

兄にこの前の事を謝って、その後どうすればいいだろうか。



う、ううん!

今はとにかく謝るのが先決だよ!



この3日で溜まった話をするなり、一緒に訓練するなり。

幾らでもしたい事はあるが、そんな事は仲直りできてから考えればいい。

とにかく方針は纏まった。

こういうのはあまり時間を空けてはいけない。

もう既に数日経っているとか、そんな事も考えてはいけないのだ。



行くよ!



ギンガはようやくにして決心を着けた。

ゆっくりと手を開いて扉の取っ手に手をかけようとする。

が、寸前でその扉が開いた。

意表を突かれて間抜けな表情を晒すギンガに、中から扉を開けた人物が声をかける。



「ギンガ……?」



当然、それは部屋の主たるゲルトだ。

彼も目の前に立つ彼女に驚いたようで眉を上げて口を開いている。

立ったままというのもなんだから、と部屋に入るも、



「あー、その……久し振り……だな?」

「う、うん……まだ3日だけどね……」

「そ、そうか、そうだな……」



気まずい沈黙が下りた。

ゲルトもギンガもいきなりの事で心の準備が出来ていない。

どうすればいいのかとパニックに陥り次の言葉が出なかった。

しかし、いつまでもそんな時間が続くはずもない。



「その……この前は悪かった!」

「え……?」



何度か口をまごつかせ、それでも先に口を開いたのはゲルトだった。

彼は頭を下げて謝罪の言葉を告げる。

だが、ギンガはその様に一層困惑の度合いを増した。

この前……恐らくは3日前のあの日の事だろう。

しかし、それなら何故ゲルトが謝るのか?



「何か、お前を怒らせるような事を言ったみたいで――――」

「違う……」

「ギンガ?」



彼はその姿勢のまま続けて以前の行いを詫びようとする。

ところがそれをギンガが遮った。

彼女は俯き、握り締めた拳を震わせながらゲルトの言葉を否定する。



「違うの!
 あれは私が悪かったの!」



そう。

自分が謝られるなど、筋違いもいいところだ。

あの件は全面的に自分が悪かったのだから。

彼が謝る道理など、どこにもない。



「兄さんがシグナムさんと楽しそうに話してるのを見てたら、何だか置いてけぼりにされたような気がして……。
 寂しくて、悲しくて、もっと……もっと私を見て欲しくて!
 それで、あんな事言って殴ったりして………」



叫ぶように、絞り出すようにあの時の感情を訴える。

言いながら、ギンガの眼尻には大粒の涙が溜まってきていた。



「本当にごめんなさい!」



がばっ、と音が立つような勢いで頭を下げるギンガ。

決壊寸前だった涙はついに重力に引かれて零れ落ちた。

止めど無く滴り落ちるそれが、床に染みを作っていく。



ゲルトの言葉を待って数秒。

不意にその頭に手の重さが加わった。



「ギンガ、頭を上げてくれ」



優しく撫でるその温かさに、ギンガが面を上げる。

涙で歪んだ視界でも兄の表情だけは見紛う事はない。

目の前にあるゲルトの顔に怒りの色は見受けられなかった。

むしろ彼はこちらを宥めるように穏やかな笑みを浮かべている。



「悪かったな。
 お前がそんな事考えてたなんて、全然気が付かなかった。
 ……これじゃあ、兄貴失格だな」

「そ、そんな事ない!
 それに……それにそれは、私の我がままで……!」

「いいさ」



ゲルトの言葉に、まだ涙も乾かぬギンガが反論。

しかし彼はギンガがそうしたように 彼女の言葉を止めた。

ギンガの涙を人差し指で拭ってやりながら、彼女の不安を吹き飛ばすように言う。



「不出来な兄貴でも、その位の願い叶えてやるよ。
 それに、まぁ……何だ」



そこまで言うと彼は照れ臭そうに視線を逸らした。

あさっての方向を見ながら頬を掻く。



「そんな我がままなら可愛いもんだ」

「兄さん……」



誤魔化すような仕草に隠れた兄の思いやりを感じる。

塞いでいた胸に、喜びがじわじわと染み込んでいった。



本当に、優しい。



今まで1人、鬱々と考え込んでいた自分が馬鹿みたいだ。



「それで、だ。
 早速何かして欲しい事は?
 今日は1日お前に付き合うぞ」



ゲルトはようやく視線を戻した。

これでこの話はお終いという事だろう。

先程の彼の言葉はもう一度聞きたかった気もするが、構わない。

ギンガの顔にも笑みが広がっていく。

今日は気兼ねなく甘えて良いとの事だ。

それなら、存分に相手をしてもらおう。



「じゃあ……じゃあ私に、稽古をつけて下さい!」

「何?
 それで……いいのか?」



普通、この場面で稽古が出てくるだろうか?

おおよそ女の子の口から出る願いとは思えない。

ゲルトは思わず目を瞬かせて聞き返した。



「うん、母さんが相手できないから教えられるの今は兄さんしかいないし…………ダメ、かな?」



やや上目遣いで尋ねるギンガ。

末尾には小首を傾げて問う。



これ以上置いて行かれないよう、自分ももっともっと強くならなければならない。

そう、例えばゲルトと互角だと言うシグナムや母のように、いやそれ以上に。

兄に対等として見てもらえるまで。

その思いから出た言葉だ。

実際ゲルトはクイントから格闘戦の手ほどきも受けている。

流石に独自の魔法を前提としたシューティングアーツまでは教えられないが、今のギンガのレベルならその辺りはまだ当分先。

ゲルトでも基礎を教えるだけなら特に問題ないだろう。



「……いや、分かった。
 OKだ。何も問題ない」



……?



だが、再び兄は目を逸らしてしまった。

何故だろうか?

顔が赤いし、それどころか耳まで……。

同じ赤面にしてもさっきとは少し雰囲気が違うような気がする。



「んじゃ、外に行くか!」

「ちょ、ちょっと待ってよ兄さん!」



そう言い残すとゲルトはそそくさと部屋の外に出て行った。

ギンガも慌ててその後を追う。

病院の廊下にバタバタ、という音が2組続いて響いていた





**********





「脇はもっと締めろ……ここをこう……ああ、そうだそれでいい。
 それで体重移動に合わせて拳を出す…………駄目だ!
 ちゃんと腰の捻りと連動させないと力の伝達が阻害される。
 もう一度だ。今度は今言った事をもっと意識して」

「はい!」



柔らかな日の差す中庭。

そこでギンガがゲルトの指導を受けて何度も同じ動作を繰り返している。

ゲルトは彼女の傍に立ち、時にはギンガの手足を取って見本を示しながら容赦なく欠点を指摘していた。

基本彼に訓練で手を抜く、という発想はない。

もちろん加減や限度は知っているので無意味に体を苛めるような真似はしないが、その範疇の中でやれる所までやるのが信条である。

決してコンディションを崩すような無茶をしないのはゼスト隊で一から叩き込まれたおかげだ。

訓練で体調を損ない、実戦で後れをとるなどあってはならない事。

故に、言って直る程度の問題なら片っ端から挙げていくのに何の躊躇いもない。

むしろこれでも優しくやっている位だ。



一方のギンガ。

彼女はゲルトの剣幕に怖じる様子もなく、素直にその言葉に従って幾度も拳撃、蹴撃を放っていた。

確かに厳しいとは思う。

しかしゲルトのそれが自分を思っての事だというのは理解しているし、むしろ真剣に協力してくれているのだと思えば嬉しくもあった。



それに……



ちら、とゲルトの方に目を向けた。

ギンガの動作の綻びを見逃さぬよう、一挙手一投足にまで神経を張って見つめる視線が、そこにはある。

少し傲慢な発想かもしれないが、今彼の瞳に映っているのは自分だけ。

その事実はそれだけでギンガに力を与えた。

体の末端に至るまで心地よい熱が広がり、今まで感じた事もないほどの心身の一体感を得る。

ゲルトの指摘の通り、ギンガの思うように体が動かす事ができた。



2人にとってはこれもまたある種のスキンシップの一つであった。



それからしばらくの後、彼らの元に歩み寄る影が一つ。

それは周囲をきょろきょろと見渡して目当ての人物を見つけると声を上げた。



「ゲルトくーーーん!」



なのはだ。

彼女は手を振りながらこちらに歩み寄ってきた。

もうなのはは松葉杖は突いていない。

彼女の退院ももう近いらしく、既に自力の歩行は問題ないのだそうだ。



「なのはか」

「うん。ゲルト君、今日はどうかしたの?
 いつもの時間になっても中々来ないし、リハビリも兼ねて探しに来たんだけど……その子は?」



どうやら彼女、あのベンチにゲルトが来ないのを不思議に思って探していたらしい。

そう言われれば彼女に会ってからほぼ毎日あそこを訪れていたわけで、その自分が珍しく来なければ気にもなるか。



「こいつは妹のギンガだ。
 今日は1日訓練に付き合う約束をしててな」

「ギンガ・ナカジマです」

「初めまして、私はなのは。高町なのはだよ」



多少息を切らせながら挨拶をするギンガ。

しかしその顔には疲れこそ読み取れるものの、内に籠ったようなものはない。

以前のシグナムの時とは違う。

今日の一件と、こうして訓練に付き合ってくれる彼とのふれあいのお陰でそのような不安を抱く事は無かった。



「ゲルト君から噂は聞いてるよ。
 よく出来た妹だって、いつも自慢してるんだから」

「そ、そんな……」

「お前は要らない事まで言わなくていい!」



なのはの口から出た言葉にギンガは照れるやら戸惑うやらで忙しい。

本当だろうか。

兄さんが、そんな事を?

しかしゲルトのあの慌てようを見るに、恐らくは事実なのだろう。



ふふ、そっか、兄さんが……。



「あー、そんな事より、だな」

「え?なに?」

「わざわざ来てくれて悪いんだが、今日はさっき言った通りギンガに付き合う約束をしてるんだよ。
 だからな……」

「それは……ごめんね。
 邪魔しちゃったみたいで……」



ゲルトの言わんとしている所は明白だ。

なのはとてそこまで空気が読めない訳でもない。

またそれとは別に家族の輪は大事にしないといけない、という考えがなのはにはあった。

自分の幼い頃は色々あって寂しい時期もあった。

だからなのか、他人にしても家族は大事にして欲しいと思う。

そういう訳で彼ら2人の時間を邪魔するつもりはない。してはいけない。

早々に退散するとしよう。



「それじゃ、またねゲルト君、ギンガちゃん」

「ああ、またな」

「す、すみません私の為に……」



ゲルトは軽く言うが、ギンガは少し申し訳なさそうだ。

別に見せかけだけという訳ではない。

本来ギンガはこういう性格である。

ただシグナムの時にはそんな余裕がなく、結果としてあのような対応をしてしまっただけなのだ。



「いいのいいの。
 それより、今日は思いっきりゲルト君に甘えてあげてね?
 結構気にしてたみたいだから。お兄ちゃんも大変みたいなの」

「やかましい!
 ああもう、さっさと行けよお前!」

「あはは、ごめんごめん。
 ほら、もう本当に行くから」



声を荒げたゲルトは今度こそなのはの背を押してこの場から追い出す。

なのはにも兄がいると聞いたゲルトは、主に妹達との接し方について時折彼女に相談していたりもした。

それはここ最近、特にギンガの一件以降顕著であり、どうすれば機嫌が直るだろうかとよく尋ねていたのだ。

実はゲルトが言い出した1日相手をする、というのもなのはのアドバイスの1つである。



「はー……」



ようやくなのはも見えなくなったが、何やらどっと疲れた。

思わずゲルトの口からは溜息が漏れる。



「それじゃ兄さん続き、やろう」

「ああ、そうだな……って、どうかしたのか?ギンガ」

「え?どうして?」



空気を入れ替えるように話しかけてきたギンガの声に応じて重々しくそちらを向いたゲルト。

そうして見た彼女の様子に、なにやら思う所があったらしい。

ゲルトは少し不思議そうにギンガに尋ねる。



「いや、何かやけにお前にやけてないか?」

「そ、そうかな?」



ギンガは焦ったように顔にペタペタと触れる。

どうやら表情に出てしまっていたらしい。



いけないいけない。



もう、今日は色々と一度にあり過ぎた。

その上どれもこれもギンガにとっては幸せに直結するような出来事ばかりである。

その幸福が面にまで出てきてしまったのだ。

とはいえ、訓練を続けるのにこれでは不謹慎だろう。

そう思ってどうにかこうにか頬が緩むのを抑え、真面目な表情を作り上げた。



「まぁ、いい。
 それじゃ、次はそろそろ組手にいくか」

「はい!」



2人きりの空間に気合いの入った声が響く。

結局、その日は太陽が傾くまで2人の訓練は続いた。

ゲルトにとって、ギンガにとって、それは充足した安らぎの時間であり、約束された幸福の瞬間でもあった。





**********





そうしてギンガとの仲直りも無事に済んでおよそ一週間。

ついに出立の日が訪れた。

ゲルトの退院の日である。

もう身体の方は万全でリンカーコアも異常なし。

フルドライブもシグナムとの模擬戦で問題なく扱う事が出来た。

再び戦いの中に身を投じる上での不安要素は見つからない。



「それじゃあな、なのは。
 またいつか会おう」

「大袈裟だよ。
 電話位なら地球にだってちゃんと転送してくれるんだよ?」



そして同時に今日はなのはの退院の日でもある。

彼女は地球で暮らしているので、ここを出てしまえば恐らく当分会う事はないだろう。

今、2人は数ヶ月を過ごした先端医療技術センターの前に立ち、別れの言葉を交わしていた。

ゲルトの後ろにはギンガ、スバル、ゲンヤが居り彼が来るのを車の傍で待っている。

そしてなのはの後ろにも彼と同様、彼女の仲間達が揃ってなのはを待っている。



ゲルトはもう一度その建物に目を向けた。

思えば、数多くの大切な思い出ができたここにも、僅かに2ヶ月程しかいなかったのだ。

全てを失って腐り切っていた事も、

それでも失わずに済んだものを見つけて立ち上がった事も、

生まれ変わった相棒や新たな友を迎えて騒がしい日々を送った事も、

全て忘れてはならない記憶だ。



「シグナムもな」

「ああ。
 私達も、偶にはミッドに顔を出す。
 その時は覚悟しておけよ」

「ふん、その時には将棋でも負かしてやるからお前こそ覚悟しとけよ」

「楽しみにしていよう」



シグナムとは軽口を交えながら再会を約束する。

彼女の事だ。

案外すぐに訪ねてくるのではないか、という気もする。



「皆も、元気でな」

「もちろんや」

「ゲルトも、もう入院するような無茶はしちゃダメだよ?」

「ああ、気を付けるよ」



とはいえ、ひとまずの別れだ。

ここから先、またどこかで道が重なるような事があったとしても、今日この場では告げなければならない。

これまでとの区切りに。

未来での再会を祈って。





「またな!」










(あとがき)



入院編・完!

なんか「戦いは続くのだ!」的最終回のノリですが、勿論まだまだこのssは続きます。

今回はギンガの視点を多めに、ゲルトの方は控えめにやってみました。

どうかな?

期待に応えられましたかな?



次からはようやく陸士108部隊編。

こんなに入院編が長くなるとは作者も思ってなかったのですが、ようやく話が進み始めます。

それではまた次回!


>ken様

誤字報告本当にありがとうございました。

主人公の名前をミス。

これは恥ずかしい……!



[8635] unripe hero
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/08/28 16:48
日も暮れ落ちたクラナガンの街。

その中でもやや裏道に位置する通りだ。

この時間ともなればそう出歩く者などいない。

しかし今、その闇に紛れて散開していく幾つかの影があった。

彼らはあらかじめ定められていたらしい一つの建物を中心に展開していく。

ホテル……にしては金のかかっていない外装、2階建ての建築物だ。

足音を立て過ぎない程度の速度で走る彼らの手にはそれぞれデバイスが握られていた。



『裏口、配置に着きました』

『周辺道路の封鎖完了です』



統率の取れた動きだ。

断じてそこいらの無頼の類ではない。

彼らは瞬く間にその建物の出入口を押さえていく。



そんな集団の中に、身の丈を超える黒塗りの槍を携えた少年の姿が有った。

薄闇の中でも見間違えようが無い。

ゲルトだ。

ナイトホークに限らず彼自身もこの闇に溶け込むような黒基調の格好をしている。

黒髪黒目の容姿の上、身に纏うバリアジャケットすらも、だ。



それは端的に言えばロングコートのような形状をしていた。

マフラーのように首を覆う襟は顎の付近にまで達して左側で止められ、そこから下へと服を繋ぎとめるボタンが並ぶ。

裾は腰から先で3つに分かれていた。

その内の一枚はそのまま流れて前に。

残りは後ろ、両の腰の辺りではためいている。

一見してその色を除けば豪奢な造りだ。

しかし行動の妨げにならぬよう可動部の周辺をベルトで縛った囚人服のような様相も含んでいる。

肩は背中で×の字に。

他にも手首、肘、上胸、腰、股、膝、足首。

その付近は確実に固定されており、コートやズボンが動きの邪魔になるという事はない。

またそれは適度に体を引き締めて負傷時の出血を押さえるなどの効果も期待されていた。



とはいえ全身が黒一色という訳でもない。

拳先から肘の少し手前までを覆う籠手。

爪先から始まるブーツと一体になった脛当て。

それらは今までとは違って白銀である。

ただ、徹底して夜を意識しているのだろう。

ツヤ消しのなされたそれが光を反射する事はなく、この暗闇の中でも特別目立ちはしなかった。



『正面、配置に着きました』



かく言う間に彼も自身の配置に到着したようだ。

1階で唯一光が漏れ出ている扉の前。

彼の他にもう3人の魔導師が張り付き突入の時を待っている。



『突入の準備、全て完了しました』

『……ああ』



そこから少し離れた指揮車の中には報告を受け、軽く息を吸い込む男が1人。

時空管理局の制服に身を通した白髪の男性だ。

その胸元には三等陸佐と部隊長の身分を示す徽章、それに“GAS-B108”と銘打たれた部隊エンブレム。



Ground Armaments Service‐Battalion 108。



つまり陸上警備部隊、その108番隊を指す言葉。

あるいはもっと簡単に陸士108部隊、とも。



物思いに耽るように目を伏せていた彼はついに吸気を止めた。

目を開き、右耳に据え付けられたインカムのマイクを掴む。



『突入、開始』



ゴーサイン。

扉に張り付く魔導師達が声を出さずに頷き合う。

無言のままゲルトが勢いよく扉を蹴破り、全員が一斉に中へと飛び込んでいった。

倉庫の中にはテーブルを挟んで3人、4人。

合わせて7人の男達がいた。

男達は突然乱入してきた彼らに目を剥いている。

それらを睨め付け、油断なくナイトホークを構えたゲルトは口上を述べた。



「全員動くな!
 こちらは時空管理局陸上警備隊だ!」





**********





――――その前日、陸士108部隊隊舎



「ついに明日、ですか」



ブリーフィングルームに部隊の中でも特に実動の人員が集まってテーブルを囲んでいる。

話題は近々行われるという麻薬取引への踏み込みについて、だ。

判明している場所は商業地区の南にある安宿。

いささかお約束に過ぎると言えばそうだが、実際利便性や秘匿性を考えればそう悪いものではないのだろう。



「調べじゃあ、捌いてる方も買ってる方も大した連中じゃねぇ。
 上手くすりゃ今回で潰せるかもしれねぇ」



ゲンヤの言葉に少なからず肩の力を抜く一同。

それはそうだ。

今回はタイムリミットも近く、普段に比べて事前の情報収集が甘くならざるを得なかった。

下手に大物などが出てくるような事があれば戦闘は必至。

その点小物ならば雇われの魔導師が出てくる可能性も低いだろう。

戦うべき時に戦う事に何らの文句も無いが、だからといってわざわざ危険な方にいきたがる者などいない。

ゆえにゲンヤの話は気休めとはいえありがたいものだった。



「だが、そうは言っても気は抜くんじゃねぇぞ。
 あくまで“安全第一”だ」



とはいえ隊員の緊張を適度に解し、その上でもう一度気を張らせるのが部隊長の仕事だ。

ゲンヤは一転、声のトーンを下げて釘を刺す。

それは確かに効果があったと見えて、皆の顔に真剣の一語で評すべき表情となって現れた。



「うちじゃあ初出動になるが、ゲルトも頼んだぞ」

「はい」



視線を1人に絞ってやや気を遣うような口調のゲンヤに、ゲルトは粛々とした態度で返した。

ゲンヤの言う通り、これがゲルトにとって108部隊における初陣となる。

部隊配属から実に2ヶ月。

ようやくに回ってきた出番である。

とはいえ、ゲルトには元より硬くなったような雰囲気はなかった。

気を抜くつもりもさらさら無いが、今更ガチガチに緊張するものでもない。

そんなゲルトの様子に頼もしいといった顔をする者。

この年齢で実戦に慣れ親しんだ彼の境遇に複雑な顔をする者。

反応は様々である。

しかしゲルトの腕前を侮る者、それだけは1人としてこの場にはいなかった。

もちろん、最初からいなかったわけではない。

AAランクの騎士という事は知らされていたが、それでも部隊長の息子で僅か11歳の子供。

隊内でも胡散臭く思っていた人間は確かに存在していたのだ。

無理からぬ事ではある。

だが、その評価も実際に彼の模擬戦を見れば、彼と相対すれば、変わらざるを得なかった。



常軌を逸した速度と見切りで易々と懐に飛びこまれる。

渾身を込めた魔力弾は謎の障壁で以て苦も無く防がれる。

そして、

接近を許した大の大人達が為す術もなしに悉く宙を舞った。

どのような攻撃も通じず、彼の一撃は問答無用で防御を打ち破る。

誰もが一矢報いる事すらなく地を舐める事になり、その段になって気付かぬ者などいない。

まだ幼いとすら言えるこの少年が、

黒塗りのアームドデバイスを携えるこの騎士が、

間違いなくこの部隊において、いや恐らくは陸士部隊の何処を見ても、無二の力を備えているのだ、と。



その日よりゲルトは108部隊の一員となった。

部隊長の親類であるとかいった色眼鏡抜きに、純粋な己の実力を認めさせたのだ。

今ではゲルトが優秀な戦力である事に疑いのある者などいない。



「そんじゃあ今日のブリーフィングはこれで終了とする。解散」



連絡すべき事はそう多くない。

結局は現場に出てからだ。

身を伸ばして欠伸をする者。

首を回して肩を解す者。

皆それぞれにくつろいで部屋を出ていった。



「正直、今回はお前には物足りないヤマかもしれねぇな」



部屋に残ったのはゲンヤとゲルトだ。

ネクタイを緩めたゲンヤは背もたれに身を預け、先程より軽い調子で話す。

対テロの最前線、敵方に魔導師が居るなど当り前。

そんな任務をこなしてきたゲルトだ。

そう思われても仕方がない。



「いやいや、戦うしか能のない奴が今出なくていつ働くんですか」



ゲルトはそれに僅かに口端を上げて答えた。

別に戦闘機人の身を悔やんだ自虐などでそう言っているのではない。

単純に、ゲルトは嘱託魔導師である。

つまり正規の局員ではないので当然捜査官権限なども持ち合わせていない。

できるのは現行犯逮捕と資料整理位のものか。

そういう意味の言葉だ。



「……本当はな。
 お前には前線なんて出ねぇでデスクワークでもやっててもらった方がいいんじゃねぇか、とは思ってんだよ」

「父さん……」



ポツリと呟く。

やはりゲンヤはゲルトが前線に出る事に引け目を感じているらしい。

たとえどれほどの力が有ろうと、既に修羅場を幾度となく潜っていようと、彼は……自分の息子なのだから。

できる事なら危険な事になど関わって欲しくないと思うのはごく自然な事だろう。

既に彼は壊れる寸前にまでいったのだから尚更だ。

しかしゲンヤは、でもな、と続けて。



「お前は……戦うんだろ?」



半ば諦めたような口調。

ゲルトが何と答えるかなど聞かずとも分かる。



「はい。
 これからも、多分ずっと」



ゲンヤはやっぱりな、とため息を漏らす。

ゲルトは即答で予想通りの答えを返した。

そこに一片の躊躇も迷いもない。

いくら言っても最早彼の考えが変わる事はないだろう。

しかしゲンヤにも譲れないものがある。

約束させなければならない事がある。



「ゲルトよぉ、もう俺はこの事をとやかく言うつもりはねぇ。
 …………だがな、これだけは約束しろ」



一区切りをつけて息を吸う。



「何があっても絶対に無事で帰ってこい。
 絶対に、だ。
 ギンガやスバルを泣かしやがったら、俺がお前をぶん殴ってやる」



ゲルトは一瞬呆けたような表情。

次に何かを堪えるように顔を伏せ、僅かに震えた声で、はい、と答えた。

面を上げる。

そこにある表情は真剣そのもの。



「帰ってきます。
 俺は……絶対に、あいつらを泣かせるような真似はしません」



立ち上がり、誓いを立てた。

ゲンヤは迷いの無いその答えに満足したのか口元に淡い笑みを浮かべる。

そのままゲルトに近づいて荒っぽくその肩に腕を回した。



「それならいい。
 んじゃあ、俺達も帰るとするか」

「そうですね。
 皆腹空かせて待ってるだろうから早く帰らないと恐いです」

「今日はハンバーグらしいぞ?」

「ははっ、そりゃ急がないとスバルが拗ねますね」



今までの空気を取り払う軽い調子。

足早に彼らも家路に着いていった。





**********





そして時は現在へと戻る。



「これがそうか」



密売人の制圧は無事に完了。

上手く不意を突けたからか、さしたる抵抗もなく全員を捕える事が出来た。

2階の捜索も済み、恐らくはこれでこの件も片付いたろう。

今は制圧を確認して中に入ってきたゲンヤがブリーフケースに詰まっている透明な袋、その中の白い粉を検分している。



「間違いないな……。
 禁止薬物取り締まり法違反、現行犯逮捕だ」



その言葉に部屋の隅に集められた密売人達が揃って顔をしかめた。

頭で組んでいた腕も震える。



「全員連れて――――」



ゲンヤが周囲の部下に全員の拘束を命じる。

それに応じて隊員達の視線が手元の手錠の方に向いた。

言い換えればそれは僅かとはいえ密売人から目を離す、という事。

その瞬間、



『!?』



轟音。



突然何かが炸裂するような音が部屋に響く。

その場の全員が間近での大音量と風圧に一瞬身を竦ませ、跳ねるようにその音源へと目を向けた。

そこにあるのは何か凄まじい力によって吹き飛ばされ、壁へと叩きつけられた密売人の男。

男は完全に気絶しており、余波でそうなったのか壁面自体も円形に陥没している。

膝から崩れ落ち、前のめりに倒れ込んだ男はピクリともしない。

その場にいた全員の視線が吹き飛んだ男と、男が元いた場所の延長線を辿って行く。



「ゲ、ゲルト、お前何を……」



そこにいたのはナイトホークを振り抜いた姿勢で静止したゲルトだ。

袈裟懸けに振ったらしく、上体を倒した彼の表情は前髪に隠れていて窺えない。

唾を呑んだゲンヤは驚愕の色をそのままに問うた。



「セイフティ、ファースト」

「……何?」



ようやく頭を上げ出したゲルトが答えともつかない言葉を呟く。

ゆらり、と体を起こした彼は先刻吹き飛ばした男を指差した。

訝しみながらも、もう一度男の方をよく見やる。



「こいつぁ……!」



倒れ込んだ時に手から離れたらしい。

そこに転がっていたのは型番などの刻印も無く、塗装もロクに為されていない……拳銃であった。

どうやらこの男、背中に隠して持っていたそれを一瞬の隙を突いて抜こうとしていたようだ。



「お前等、何やってるか分かってんのか!?」



表情を引き締めたゲンヤが密売人達に向き直り、吼えた。

管理局法では質量兵器の製造、輸出入は厳禁とされており麻薬の密売など目ではない罰則が待っているのだ。

もしも使用の段階に至るような事があれば即座に殺傷の許可が下りる。

これは市街地での危険魔法使用者などへの対応と同じだ。

もし今の男がただの1発でも発砲していたならゲルトは躊躇なく殺しにいっただろう。

今のクラナガンで質量兵器に手を出す、というのはそういう事だ。

ゲンヤの一喝にたじろぐ男達の様子を見るに、さしたる覚悟も無しにただ安易な“力”を求めて所持していたらしい。



如何に質量兵器の廃絶を訴える管理局でもその全てを捉えるのは難しかった。

何せ図面の1つもあればさほど大がかりな設備が無くとも生産できるのだから。

民間レベルでは全く目につく事はない。

だが地下に潜ってそれなりの金を積めば拳銃程度、手に入れるのも不可能ではないというのが実情だ。

それでも実際に使おうとする馬鹿はまずいないのでさほど問題はない……はずだったのだが。

どうやらその大馬鹿共がここにいたらしい。



「全員今すぐに武器を置け!
 さもなければ、実力行使に移る!!」



彼らは今更になって自分達の見通しの甘さに気付いたのだろうか?

一斉に魔力弾の発射態勢に入っているデバイスを向けられて哀れな程に顔を歪ませている。

ゲルトに至ってはカウリングを解いて真正の刃を解き放ったナイトホークを構えていた。

男達を睨むゲルトの目は静かな怒りを湛え、その場の誰よりも細く、鋭い。

その刺すような視線に晒され、彼らの背中には冷たい汗が流れていく。



「あ、あああ……」



まぎれもなく、それは恐怖であった。

さながら蛇に睨まれた蛙のように。

懐に拳銃を忍ばせている男達が、年端もいかないこの少年に心底恐怖を感じているのだ。

これがあれば魔導師に対抗できる、と勢い込んで拳銃を手に入れた彼らだったが、今この場においてそんな物が通用する気が全くしない。

否。

通用するとかしないとか、そういう問題ですらないのだ。

銃を抜くどころか、ただ懐に手を伸ばしただけで、それだけで自分は終わる。

先の仲間の時のような容赦はすまい。

あの槍の形を取ったデバイスで分割されていく自分の明確なビジョンが脳裏に結ばれた。

手が、腕が、足が、首が、それらが悉く宙を舞って床に真っ赤な鮮血を撒き散らす。

彼の目がそう言っている。

あの……あのおぞましい、黄金の瞳が!



男達は続々と手を頭の位置にまで上げ、今度は頭につけないよう肘を90度に保ち抵抗の意思が無い事を示していった。

彼らの膝は一様に震えており、構えられたデバイスが下りると逮捕されたというのに安堵からその場にへたり込む者が続出した。





**********





なんとか終わったか……。



軽く吐息を吐きながら肩の力を抜く。

一繋ぎになって護送車の方へ歩いて行く密売人を見ながら、ラッド・カルタス一等陸士は感慨に耽っていた。

先程の一件、ただの麻薬密売の取り締まりがとんだ大事になる所だ。

あのままいけば人死にが出ていた可能性もある。

そこを思うとやはりAAランク騎士は違う、といった感想が浮かんだ。

視線をその高ランク騎士、ゲルトに向ける。

彼は律儀な事にまだ力を抜いておらず、今も辺りに気を巡らせているらしい。



本当に、何者なんだろうな?



前所属はあの首都防衛隊で、オーバーSの騎士が師匠で、部隊長が父親。

いや、その師匠も父親なのだったか。

魔導師としての優秀さに止まらず、武芸者としても兵士としても一級とは……。

一体どんな死線を潜ればあの年でああまでになるのやら。

決して真似したいとは思わないが。



ま、俺は俺に出来る事をするまでさ。



別に彼に勝とうとかそういう事を考えるほどにガキでもない。

そう納得して手錠で繋がれた男達が目の前を通過していくのを見送る。

と、



「ラッドさん!」



血相を変えたゲルトがこちらに突進してきた。

何だ?

自分は何かやらかしたのだろうか?

あっと言う間に接近してきたゲルトに突き飛ばされ、半ば気迫に押されて尻ごみしていただけにラッドは容易く倒れ込んだ。

いきなりの事に混乱しながらも上体を起こす。

彼は今自分が立っていた位置から見て後ろの方を向き手をかざしていた。

流石に文句の一つも言おうと口を開く。



その瞬間、光の柱が彼の視界を覆った。



暴風が吹き荒れる。

皆その突然の圧力に腕で顔を庇った。



「ほ、砲撃!?」



そう、砲撃魔法だ。

上方から斜めに降ってラッドに直撃するはずだったそれは、ゲルトが展開している障壁に押さえこまれている。

下手な魔導師ではとても撃てないような大きさの砲撃。

少なくともラッドではどう逆立ちしても不可能なレベルだ。

だというのにゲルトは苦しげな様子も見せずにその全てを受け切っている。

程無くその光も勢いを減じていった。



すぐさまその発射点と思しき場所に目をやる。

突然の光に少し目を焼かれているが、一目散に逃げ去る人影は何とか視認できた。

それは屋根から飛び上がりクラナガンの街を飛行していく。

やはり魔導師。

それも大概が強力である航空魔導師か。



「父さん!」



まだ皆が混乱している中、声を上げるのはやはりゲルトだ。

彼はファームランパートを解除し、ゲンヤを呼ぶ。



「飛行許可をくれ!
 今ならまだ追いつける!!」



口調が荒っぽくなっているが、緊急事態だ。

そのような事に拘っている状況ではない。

このままでは下手人にまんまと逃げられてしまう。

恐らく、今の魔導師が真に狙っていたのは拘束されている密売人達だろう。

何故か、という事にはいくつかの推論が有る。

麻薬の供給元が証拠隠滅に来た、拳銃の生産者が口封じに来た。

他にもあるかもしれないが、恐らくはその辺りだろう。

それを立証する為にも、とにかく今の犯人を捕まえなければならない。



「だが、深追いは……」



しかしゲンヤはその提案には乗り気ではなかった。

舞台が空となれば追えるのはゲルトだけだ。

しかし、今の魔導師が1人とは限らない。

もしかしたら他にも隠れているかもしれないのだ。

そうなればゲルトだけでは荷が勝ち過ぎるのではないか。

その思いがゲンヤをして追撃の許可を躊躇わせた。



「約束しただろ!
 帰ってくるって!」

「!」



その言葉にゲンヤは息を詰まらせる。

ゲルトの眼からは燃え立つような闘志が見て取れた。

うつむき、そして拳を強く握る。



「……分かった」

「部隊長!?」



絞り出すような声で許可を出す。

まさか許可を出すとは思っていなかった他の隊員達は驚きを隠せなかった。



「だけどな、今の言葉忘れんじゃねぇぞ!」

「はいっ!」



ゲルトは喜色を浮かべてすぐさま飛行に移ろうとする。

その最後、飛び立つ寸前に顔だけで振り向き敬礼を捧げ……飛翔。

逃げる魔導師の追撃に入る。





**********





瞬く間にクラナガンの街並みを一望できる高さまで上昇。

街を彩る光が幻想的な光景となってゲルトの視界に広がる。

だが、今ゲルトの心を占めているのは先程のゲンヤである。



「良い父さんだよ、本当に」

『はい』



自分にはもったいない程だ。

魔導師ではないゲンヤからすれば、いや他の部隊員からしても、自分の力は化物と言われてもおかしくない。

まだまだゼストに追い付いたとは思わないが、それでも他者からすれば十分に過ぎるだろう。

その事は理解している。

しかし……それでも心配をしてくれるのだな、あの人は。



『見つけました』



前方、高度はこちらの方が上か。

まだ豆粒のようにしか見えないが、問題の魔導師を捕捉。

恐らくは向こうもこちらに気付いたろう。

顔を引き締める。

ここからは一瞬の油断も許されない。



「最大戦速で射程まで飛び込むぞ」

『イエス』



言葉と共に推力を一息に限界まで引き上げた。

何かを求めるように身を伸ばし、まだだ、まだいけるはずだ、と際限なく速度を上げていく。

遂にはドン、と夜空に轟く爆音を伴って高速飛翔。

徐々に広がって薄れてゆく環を置き去りにただ、飛ぶ。



『魔力増大。
 魔法攻撃、来ます』



一気に距離を詰めるこちらに、逃げられないと判断したのか。

敵は足を止めて迎撃に移った。

幾つもの光球が正面から接近する。



3……5……7……12。



12発だ。

相対速度も相まってかなりの速度。

こちらのほうが上を位置取っているので街には降り注がないのがせめてもの幸いか。



『どうしますか?』

「決まってるだろ。
 俺達は何だ?」

『騎士です。
 グランガイツを受け継ぐ、騎士であります』



即答。

悩む余地などあろうはずがない。



「そうだ。
 なら……突撃あるのみだろうが!」



速度を一切落とさずに光の群れへと飛び込んでいく。

魔力を追尾する類の自律誘導弾と見えて、全てがゲルト目掛けて軌道を変えてきた。

だが、それで怖けるようなゲルトではない。

ロール、急上昇、急降下。

無理矢理な機動の連続で強引に躱す。

慣性制御も振り切ったGが体を襲うが、強化されたゲルトの肉体ならなんとか耐えられる。

歯を食いしばってそれに堪え、その先へ。



「あと……1歩ぉっ!」



抜けた。

魔力弾の全ては後方。

こちらを見失ったからか術式に込められた魔力が尽きたからなのか、次々に消滅していく。

今この瞬間、敵と自分の間に邪魔するものは何もない。

もう驚愕に歪む男の顔も見える距離だ。



「一撃で、落とす!」

『フルドライブ・スタート』



ナイトホークが硝煙と共に薬莢を吐き出す。

宣言通りゲルトの魔力が常軌を逸して膨れ上がっていく。

しかしパラディンは正常に稼働中。

完全に制御可能だ。



いける!



「おおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」



身を先に、それに続いて腕を出す。

飛行の慣性も利用した横薙ぎの斬撃。

超絶の魔力を纏った刃が一閃する。





その夜、空を見上げた者は見た。

夜闇を裂く赤橙の光、その輝きを。

それは花火のような残光を残して半円の放射状に広がっていく。

一体どれほどの人間が気付いただろうか。

それがたった1人の少年が為した破壊の残り香なのだと。

そしてそれに防御ごと容易く飲み込まれ、瞬時にノックアウトされた魔導師がいた事を。





**********





「これで本当にお終い、だな」



ゲルトはフルドライブを切って宙に浮かんでいた。

右手には襟首を掴まれ、後ろ手に手錠をされた魔導師の姿がある。

飛行用のフィールド内にいるからこそできる芸当だ。

彼は死んでいるように動かないが、息はあるらしい。

この男からは聞かなければならない事がある。

その為にわざわざ魔力ノックアウトを狙ったのだから。



「こちらゲルト。
 犯人を確保、そちらに戻ります」

『お前は大丈夫なのか?』



通信で犯人の逮捕を報告。

向こうからはゲンヤの心配そうな声が聞こえる。



「ええ、怪我もありませんよ」

『よし、それじゃあすぐに帰ってこい』

「了解」



通信を切る。

ふぅ、と軽い吐息。

ようやく街を見下ろす余裕が出来た。

至る所に光が満ちる街並みを見下ろす。



「綺麗な街、だよな」

『はい』



ここを、今日は守れたのだろうか?

そして、

これからも守れるのだろうか?

いや。



「守るんだよ、な」

『ゲルト?』

「いや、何でもない。
 戻るぞ、ナイトホーク」

『イエス』



ゲルトはそれだけ言うと踵を返して108との合流点へと移動を開始。

赤橙の尾を引いてクラナガンの街を翔る。





後日、襲撃をかけてきた魔導師はやはり密売人らに銃を流していた連中の差し金であったと判明。

108のみならず他部隊との連携もあって、この組織は1ヶ月と保たずに摘発される事となった。










(あとがき)



随分空いてしまいましたが、ようやく投稿。

そういえば書いてなかったなと、ゲルトのバリアジャケットのデザインなど描写してみました。

籠手がゼストと違って両手にあるのは一応格闘戦も視野に入れているからです。



あと、ゲルトの飛行が本当に音速を超えていたのか、それとも単に推進用魔力の爆裂でああなったのかはご想像にお任せします。

明言して突っ込まれると答えられないので。

見た目にカッコ良けりゃいいんだよ!と納得していただければ幸い。



それでは今日はこの辺で。

Neonでした。



[8635] スクールデイズ
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/09/07 11:05
「は?父兄参観?」



夕食も済み、リビングでくつろいでいたゲルトが頭の上に疑問符を浮かべている。

彼の前にいるのは学校からの手紙を手にしたスバルだ。

そこにはでかでかと「父兄参観のお知らせ」とあった。



「うん。
 だってお兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ?」

「まぁ、そうだけど。
 というか、そんなイベントがあるのか」

「そうみたい。
 うちにはないんだけど……ほら、スバルの所は普通の学校だから」



一応ゲルトは研究所時代に英才、と呼べるレベルの教育を受けているし、ゼスト隊所属時には一般常識、管理局法その他も教えられている。

その為日常生活や仕事に関して特に問題があった事はない。

とはいえ生まれてこの方学校と名のつく物には一度も通った事がないので、その行事などにはとんと疎かったのだ。



「あー……でもその日はちょっとなぁ……」



日程を見るにその日は非番ではないのだ。

大きな仕事も片付いたばかりで何か特定の任務がある訳ではないが……。

というかここ最近、連日のようにやたらと忙しかった。

しかし可愛い妹の頼みだし、言葉でしか知らない学校がどういう所か興味もある。

行きたいのは山々。

だが流石に放り出して行く訳にもいくまい。



「来れないの?」

「ぐ……」



とは思うのだが。

流石に厳しいかと言い淀むゲルトに、スバルは文字通り萎れてみせた。

まるで弱った花のようにしゅん、と力無く項垂れている。

ただし彼女の潤んだ瞳はどうしても無理なのか、と問い詰めるようにこちらを覗き込んでいた。

思わず天を仰ぐ。



反則、だろ……それは……。



ここで「悪いけど仕事があるから」などと言えば何か人として大事なものを失ってしまうような気がする。

それ以前に、自分はこの無垢な目を裏切れるのか?

とはいえ自分にはそう告げる以外の選択肢は最初からないのだ。



いや、待て。

早めに家を出て必要な分を片づけてから早退すれば、ひょっとするとギリギリで間に合うんじゃないか……?



はっと妙案が浮かんだように思う……が。

駄目だ。

時間は11時からとなっている。

往復の手間も考えるとまず不可能だろう。

必死で頭を捻ってみても良い答えなど全く浮かんではこない。

ギンガに救いを求めるように視線を送るが、彼女にもただ困ったような表情をされてしまった。



「無理、なの……?」



ま、まずい。



スバルの目にうるうると溜まっていた涙はいよいよ決壊寸前だ。

何とかなるならそうしたい、と勿論自分も考えている。

しかし。

しかしだ。

自分はこの今にも泣き出しそうなスバルに止めを刺さなくてはならないのだ。



「あの、な?スバル」



時間を先延ばすような呼びかけ。

スバルは神妙な表情でゲルトが続きを言い出すのを待っていた。

極度の緊張からか口の中がどうしようもなく乾く。

額にはたらりと脂汗が流れるのも感じた。



「その日は……」



と、遂にその言葉を言おうとした瞬間。



「ああ、ゲルト。
 その日なら休みにしといたぞ」



首からタオルを巻いた風呂上りのゲンヤがひょい、と顔を出して場を砕いた。



「え……?」



今までの葛藤をこともなげに崩され、ゲルトが硬直する。



「ここ何日か忙しかったの、何の為だと思ってんだ」

「あ、あれこの為だったんですか!?」



ゲンヤの話を聞くに、彼は年間の行事予定でその日に父兄参観があると知っていたらしい。

それでその日に合わせて休みを取るために調整して仕事を回していたとの事。



「じゃあ!」

「ああ。
 父兄参観、見に行けるみたい……だな」



緊張が解けたからか肩の力が一気に抜けた。

溜息も漏れようというものだ。

何だか無駄に疲れたような気もする。



「でも、あなたはちょ~っと意地が悪いわよ?」



そう言ってゲンヤの後ろから現れたクイントが小突いた。

彼女も食事の後片付けが済んでキッチンから出てきたようだ。

その歩みに多少おぼつかない所は見られるものの杖に頼っている様子はない。

つい先日、ようやく退院してきたクイントはもう日常生活を営む上で問題はない所まで回復を見せていた。

もう少し休んでいた方が、と言う皆の勧めも辞し、こうして料理も出来る程だ。



そんな彼女にゲルトは内心で全くだ、と同意する。

参観に行けるようになったのは嬉しいが、今のは出のタイミングを計っていたとしか思えない。

そんなに早くに分かっていたなら教えてくれてもよさそうなものだろうに、と。

そんな抗議の意味を込めて軽くゲンヤを睨んだのだが、彼は飄々とした様子。

むしろしてやったりという表情を浮かべていた。

反省もしていないその態度に少しばかりカチンと来たような気もするが、



「やったー!!」



隣ではしゃぐスバルを見れば、まぁ、いいかと思う。

さっきは泣き出す寸前のようだったというのに、その顔にはもう大輪の笑顔が咲いている。

つられてこちらまで笑みが引き出されるようだ。

皆の様子を窺えばギンガやゲンヤ、クイントも同じように頬を綻ばせている。



「絶対来てねお兄ちゃん、お父さん。
 私、頑張るから!」

「ああ、もちろんだ」

「楽しみにしてるからな」



わしゃわしゃとスバルの頭を撫でながら、ゲルトははっきりと笑みを向けた。





**********





「それじゃあこの問題を……ヒース君」

「はい!
 えっと、21です!」

「正解。よくできました」



縦に長い、広い部屋だ。

しかし折角の広さに反し、それを殺すように所狭しと机が並び、人がひしめいていた。

横に5列、縦に6列の計30席。

机の数と同じ30人の生徒と黒板の前に立つ1人の教師、それにその生徒達の父兄がそこにはいる。

管理局地上部隊の制服に身を通したゲルトも、今はその1人だ。

そんな彼の視線の先。



スバル……あれ大丈夫なのか?



そこには右から2列目、後ろから3列目の席に座ったスバルがいる。

彼女は教師の目が向く度に慌てて顔を背けていた。

家を出るまでは元気だったのだが、どうやら集まった人の数に気圧されたかして委縮しているのだろう。

まぁ、ゲルトは大人の中に混ざるなどもう慣れたのだが、気の弱いスバルなどは背後にずらっと揃った大人達に圧力も感じるか。



「それじゃあ、これをナカジマさん」



と、遂にスバルの番が来たのだが、



「えっ!?……は、はひ!」



噛んだ。



本当に、大丈夫か……?



周りの子供達も押さえるように笑っている。

当のスバルの顔はもう耳まで真っ赤だ。



「ナカジマさん、あまり気にしないで。
 この問題を解いて下さい」

「はい……」



黒板にあるのは簡単な算数の問題だ。

頭の良いスバルなら難なく解けるはず。



「え、えっと……」



しかしスバルはどうにもまごついている。

おかしい。

あれくらいの問題に手こずる事は無いと思うのだが。

いや、あれは……



まずいな、パニックになってる。



そう、いきなり当てられた事でスバルの頭は動転してしまったのである。

そのせいでいつもなら苦もなく答えられるような計算もまともに出来ないでいたのだ。



ま、間違えたらどうしよう……。



黒板の方を向くスバルに、後ろに立つ大人達が見える訳が無い。

だが、今の彼女にはその目が刺さるように感じていた。

さっきの言い間違いにしても、火が出る程に恥ずかしかった。

周りの皆も笑ってる。

膝が震える。

帰りたい。



でも。



暖かい2組の目がある事も分かる。

それは自分に期待する父と、そして兄のものだ。

応えたい。

その思いに。



今だけでいいから……ほんの少しの、勇気が欲しい!



弱気を振り切る。

前を向いた。

ごくり、と唾を飲んで。



「じゅ、15……です」



しばしの沈黙。

鼓動が胸を打つのが分かる。

口を開く先生の動きがやけにゆっくりに見えた。



「はい、正解です。
 よく出来ましたね」



やった!!



微笑を浮かべて言う先生の言葉に破顔したスバルが勢いよく後ろを振り返る。

そこには大勢の大人がいたが、彼女の瞳に映るのはたった2人だ。

片目を瞑り、突きだした右手の親指を立てる父。

言葉にはせずとも口の動きでよくやった、と言う兄。

どちらともが勇気を振り絞ったスバルを誉め称えている。



頑張って本当によかった……。



真にそう思う。

いつまでも後ろを向いている訳にもいかないのですぐに席に着いたが、心はえも言われぬ達成感に包まれていた。

挫けそうにはなったけれど、最後には勇気を出せた。

そして、



お父さんも、お兄ちゃんも誉めてくれた!



それが何より嬉しい。

優秀な姉は家の手伝いもよくしていて度々誉められているし、兄や母に教わってシューティングアーツも練習している。

反して自分が何かを為して誉められる、という事は少ないような気がする。

それが今日はどうだ。

父も兄も自分だけを見て、自分だけを誉めてくれた。

こんなに気分の良い事はない。



スバルはそれ以降の授業も上機嫌で受ける事ができた。





*********





正午過ぎのファミリーレストラン。

参観も終わってナカジマ家の3人はそのまま昼食を食べに来ていた。

今はデザート。

しかしスバルの前に置かれたそれは尋常ではない。



「スバル……本当に食べきれるのか、それ?」

「うん!
 だっておいしいもん!」



スバルのデザートは様々なトッピングのされたアイスなのだが、問題はそのサイズだ。

カップどころではない。

丼もかくやという大きさの器に、スバルが軽く見上げる程まで積まれているのだ。

如何にスバルの背ではテーブルが少し高いとしても普通ありえないだろう。

しかしスバルは全く気にする事なく、むしろ目を輝かせて今日のご褒美を食していく。

一口を収める度に幸せの絶頂、という表情をするのは見ていて気持ちが良いが腹を壊さないか心配になる。



「おお、そういやゲルト。
 お前これからどうするんだ?」



ゲンヤはもうそちらは気にしない事にしたのかゲルトに話題を振ってきた。

ゲルトが嘱託魔導師として管理局に勤めてもうすぐ3年半。

遂に言い渡された社会奉仕の義務期間の満了が近いのだ。

これを過ぎればゲルトは晴れて自由の身となる。

ではその後どうするのか、という事。



「3ヶ月の短期プログラムで陸士訓練校に行こうと思ってます」

「そんでその後は正式に入局か?」

「はい」



もう書類などは用意してある。

ゲンヤらにもそろそろ話すつもりだったから丁度いい。

この機に全て話しておこう。



「その事なんですが……そこで資格を取って、もう一度108に入りたいんです」

「はぁ?ウチに?」



何故だ、と問う。

ゲルトは保護責任の関係でこそ108にいたが、本来そんな所に収まる器ではない。

望めば空隊だろうが武装隊だろうが……首都防衛隊でも、入れる事だろう。

それが可能な力を持っているのだ、彼は。

だというのにそれを曲げてわざわざ陸士部隊への配属を望むのは何故か。



「まさか俺達に気を遣って、ってんじゃねぇだろうな」

「いえ、違います」



単なる情からきた話でもないと言う。

となればますます分からない。

一体どんな理由があるというのか。



「建て前は色々あるんですけどね。
 ……知りたいんですよ。“あの時”の真相を」

「あの時ってぇと……」

「ええ。
 ゼスト隊が潰された、あの日、あの夜の事です」



あの時、既に敵は研究所の引き払いを始めていた。

ゼスト隊が予定通りに突入していれば、恐らく何の痕跡も掴めなかったろう。

それが偶然である訳がない。

間違いなく、内通者がいた筈だ。

流石にゼスト隊のメンバーではないだろう。

そんな事を疑いたくもない。

では誰なのか。

誰があの“ジェイル・スカリエッティ”と組んでいたのか。

内通者の正体とは別に、ゲルトはあの夜の機械群がスカリエッティの差し金であろうというのは確信していた。

証拠がある訳ではないが、最優先対象に指定されてもなお一度も確たる足跡を残さなかった男だ。

その可能性は十分にある。



「そういう事、か」

「はい。
 だから迷惑をかける事になるかもしれません」



内通者がどの程度の権力を持っている人間なのか不明な以上、調べていれば何らかの妨害が入る事があるかもしれない。

考え過ぎかもしれないが、武装隊などでは適当な任務を回されて動けなくなるという事も予想される。

その点、部隊長がゲンヤの108にいれば簡単にはいかないだろう。



「分かってんのか?
 首都防衛隊で掴めなかったもんをウチで探すとなりゃあ、どんだけ時間がかかるか分かったもんじゃねぇ」

「覚悟してます。
 でも、そうせずにはいられないんです」



下手をすれば一生糸口を掴めないまま終わる事もありうる。

そんな事に関わらず、もっと上の部署に行った方が将来的にも良いには違いない。

だが。

だからと言ってあの日の事を忘れるなど……出来ない。

出来るものか!



「俺はね、覚えてるんですよ。
 ゼスト隊の皆を。
 あの日の……事も」



今でも鮮明に思い出せる。

ぼろぼろになって命からがら逃げ出したあの夜。

目の前でクイントに大怪我を負わされた事も。

メガーヌを見捨てて逃げなければならなかった事も。

看取る事すら出来ずに父を喪った事も。

全部だ。



「あれを清算するまでは……俺は……」



押し殺したような震える声が漏れる。

意図せず拳も固く握られていた。

そんなゲルトの頭に、ふいに何か軽い物が乗る感触が来た。

人の手、だろうか。

それは優しく往復するようにゲルトを撫でている。



「お兄ちゃん、大丈夫?」

「ああ。
 ごめん、心配かけたな」



横に座るスバルは不安気な瞳でゲルトを窺っている。

声をかけられて初めてスバルの存在を思い出したゲルトは大丈夫だと笑みを浮べた。

スバルにはアイスの続きを食べさせ、軽く呼吸を整えてゲンヤの方を向き直る。



「これが俺個人の感傷だっていうのは分かってます。
 もちろん、仕事にも持ち込んだりはしません」



腕を組んで悩む仕草をとったゲンヤは一人、思案に没頭する。

あの件については自分も出来る所まで探るつもりでいたし、線引きも出来ているようだ。

下手を打てば人命にも関わる任務を疎かにするようなら叩き出す所だが、恐らくその心配はないだろう。

そうそう無茶をする程馬鹿では無いのは知っているし、108としても気心の知れた高ランク騎士が入隊するというメリットがある。

実質、部隊長としては断る理由などないのだ。

デメリットなど、せいぜい私人としての、父親としての自分の心労がかさむ程度か。

結局、これ以上反対する口実を見つけられず、渋々ながらOKを出す。



「本当に苦労を掛けさせてくれる息子だよ、お前は」

「面倒かけます、父さん」



だが顔の前で組んだ手の甲に額を付けたゲンヤは、はぁ、と溜息を吐き一言。

この位の愚痴は許されるだろう。

ゲルトも自覚があるだけに苦笑を浮かべてそう答えた。

結局の所、これで済んでしまう程には良い関係なのだ。

この親子は。





「ねぇ、おかわりしてもいい?」

「「ダメ」」





この後ゲルトは言葉の通り訓練校に入学し、3ヶ月の訓練を受講する事になる。

既に3年以上現場に出ているゲルトからすれば座学は知識の補完程度で済み、実技の方も難なくクリア。

捜査官資格を取得し、ランク試験にてAAAにも昇格。

成績も卒業には全く問題が無く、明らかな将来有望格である。

それゆえ各所から熱烈なオファーもあったのだが、彼はその全てを蹴って陸士108部隊に入隊。

今度は嘱託魔導師ではなく、正真正銘の管理局局員としてその戦列に加わる事になる。



ゲルト・G・ナカジマ一等陸士の戦いの始まりであった。










**********










1人の少女が立っている。

背は低く、腰ほどまである銀髪をした少女だ。

一見して将来は美人になるであろう器量である。

だが、一点。

右目を覆う黒の眼帯が彼女の容貌に異色を添えていた。



彼女が見つめる先にあるのは薄暗い通路に立ち並ぶ生体ポッド。

その中の一つで、長身の男が入った物である。

黒い髪に鍛えられた体……間違いない。

行方不明になっていたゼスト・グランガイツだ。

ガラスの向こうの彼は身動き一つ取らないが、決して眠っている訳ではない。

彼が自然に目を覚ます筈がないのだ。

なぜなら、



私が……殺したのだから。



今でも覚えている。

研究施設の移動の様子を見に行った日。

首都防衛隊による予想外の襲撃があった、あの夜。

当初は引き上げようとした自分達だったが、彼らを迎え撃てという指示が下ったのだ。

目の前に居るこの男と、もう一人の女性を確保する為に。

それは自分達の性能試験も兼ねていたのだろう。

そして2手に分かれていた首都防衛隊の中でも主力の方を自分達戦闘機人が。

もう一方、単独行動していたチームを新型のガジェット達が担当する事になった。



クアットロのIS“シルバーカーテン”を利用して闇に紛れ、気付かれる事無く接近。

自分のIS“ランブルデトネイター”での爆撃を皮切りにトーレが飛び込んで制圧する。

その予定だったのだが。

最も警戒が薄い局員に向けて放った専用のスローイングダガー“スティンガー”を、寸前で気付いたらしいこの男、騎士ゼストによって防がれたのだ。

ただ、防いだとは言っても自分のISは砲撃級の威力を備えている。

初陣ゆえ1人ずつ確実に仕留めようとやや過剰と言える量を投じた事もあり、相応の手傷を負わせる事ができたらしい。



その後は悲惨だった。

指揮官もおらず、闇の中でトーレの高速機動を捉えられない局員達に為す術などあろう筈がない。

混乱するばかりの彼らは次々と彼女のブレードの餌食となっていった。

一方の自分は響きわたる局員の断末魔や悲鳴には耳を塞いで取り逃がしたゼストを追いつめた。

既に彼を背負っていた局員は戦線に戻ってトーレに討たれており、一対一の状況。

大量の血を流し、立っているのもやっとという有様の彼に自分が負ける道理があろうか。

ドクターからは出来る限り生け捕るように、と言われていたので降伏勧告も行った。

しかし彼はあっさりとそれを拒絶。

それどころかデバイスを握り、徹底抗戦の構えを見せたのである。

ならばせめて、と苦しませないように殺そうとしたのだが、流石はストライカーゼストといった所だろう。



軽く眼帯に触れる。



紙一重の勝利と引き換えにこの右目を持っていかれてしまった。

あの勝利はもぎ取った、というより拾ったと言った方が正しい。

彼が出血で弱ってさえいなければ、間違いなく息の根を止められていたのは自分の方だったろう。

と、



「また見てるのぉ?
 よく飽きないわねぇ、チンクちゃん」

「クアットロか」




過去の思索に耽る彼女の背後から、妙に間延びした声がかかる。

振り向いたチンクの目に入るのは白いケープを着込み、茶の髪を両側で縛った眼鏡の女性。



「どうせ生き返ったら何度も顔を合わせるのに、なぁんでそんなに気にかけるのかしらぁ?」



クアットロと呼ばれた女性は心底理解できないのか、やれやれとおどけた仕草でチンクに問う。

彼女にとって目の前のこの男などはレリックウエポンの実験台に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。

適合するレリックが見つかり次第移植作業に移るそうだが、今取り立てて用のある存在ではない。



「お前は、何も感じないのか?」



しかしチンクは逆に聞き返した。

この目の前の男に、自分達が殺めた人間に、何ら思う所は無いのか、と。



「なぁに?
 もしかして罪悪感でも感じてるの?」



だが、それこそ愚問だ。

チンクを見下ろすクアットロは嘲笑を隠そうともしない。



「そぉんなの、感じるわけないでしょう。
 私達が何の為に作られたのか、チンクちゃんは忘れちゃったのかしらぁ?」

「分かっている」



“戦闘機人”なのだから、人を傷つけるのは当たり前。

そんな事に一々心を痛めていてどうする。

今回最も多くの人間を殺したトーレもそういう態度だった。

目の前のクアットロなどはむしろ楽しんでいる様子すら窺える。



「まぁ、チンクちゃんが何を思おうと勝手だけど、任務だけはきっちりこなしてねぇん?」

「……ああ」



それだけを言い残すとクアットロは歩き去って行った。

どうやらドクターの所に用事があるらしい。

それを見送ったチンクは再びポッドのゼストに目を向ける。



私が、罪の意識を……?



実の所、何故自分がこうまでこの男を気にするのか、チンク自身にもよく分かっていなかった。

ただ何となく前を通る度、彼に目を向けてしまうのだ。

それは、クアットロの言葉を借りれば罪悪感に苛まれているから、らしい。

だとしたら右目はこのままでいい、などと思ったのは贖罪のつもりなのだろうか?

どうなのだろう?

分からない。

自分の行動が矛盾だらけだというのは分かっているが、それがどんな感情に因るものなのか。



ただ、もし彼が目を覚ましたとして。

その時自分は。



私は、どんな顔をして彼の前に立てばいいのだろうか……。









(あとがき)



前半と後半で空気が違い過ぎる……。



分かってる。分かってるんですよ?

ええ。

駆け足過ぎる、と。

でもある程度はペース上げていかないといつまで経ってもSTS入れないしなぁ。

これで今原作7年前位ですし、まだ当分到達できそうもないんですけど更新速度が徐々に落ちてきて作者にも危機感が……。



ちなみにタイトルの元ネタは「中に誰もいませんよ」のアレではなく”Hello, world.”のBGMです。



それでは、次はもう少しペースを上げたいな、と思いつつこの辺で。

Neonでした。



>黒服様

誤字報告ありがとうございます。
何度も見返したつもりでしたが、やはり1人でやってるとこういうのもチラホラ出てきますねぇ。



[8635] 深淵潜行
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/09/21 01:38
無限書庫。

そこは古今東西、観測され得るありとあらゆる世界から収集された書物、文献、情報の限りを蔵する知識の泉。

風俗や文化は言うに及ばず、既に再現も不可能となった喪失技巧やそれによる創造物、ロストロギアに至るまでもがその領分の範疇内だ。

そしてまた。



「武術の指南書、ですか?」

「はい。
 槍術、格闘術関連の物を中心にお願いします」



当然、こういった物も含まれる。

カウンターに座る司書の少年は利用者の注文を確認して目の前のキーボードに打ち込んだ。

こうしておけば書庫内の担当者がキーワードに沿って資料を引き出して来る事ができる。

流石に数日では厳しいかもしれないが、1週間もあればそれなりの数が揃うだろう。



この書庫は巨大だ。

その上まだその大部分がデータベース化も済んでいない状況ゆえ特殊な検索魔法を使えなければ有効な利用は難しい。

とはいえ利用者の全てがそんな物を使える筈もなく、やはり専門の職員のサポートが必要となってくる。

局からの捜査協力や情報開示請求があった場合は当然として一般、とは言っても基本的には局員やその関係者のみだが、の利用者の希望にも出来得る限り応えるのが司書の仕事。

これも1つのサービスである。



「もしかして騎士の方なんですか?」



登録の完了を確認した司書、ユーノ・スクライアが口を開く。

頭を上げてカウンターの向こうの利用者に声をかけた。

格闘術ならまだしも槍術となれば護身とは言えないし、ミッドチルダ式魔導師がそこまでの技量を望む事は少ない。

一般人がそんなものを求める事に至っては更に無いだろう。

大抵は近代、古代ベルカ式の魔導師――――いや、騎士か。

がそうである場合が殆どである。

で、あれば目の前にいるこの黒髪の少年もそうなのだろうか。



「ええまぁ。
 一応古式ベルカの騎士をやっています」

「へぇ、古代ベルカ式ですか」



それは珍しい。

近代式ならまだ少数とはいえ見られるものの、古代式の騎士などに会う機会など滅多にあるものではない。

そう考えて、内心で軽い笑みを漏らした。



僕には結構あるけどね。



最近は少し減ってしまったけれど、それも仕方がない。

文字通り住む世界が違うのだから。

仕事の関係上ちょくちょくこちらに顔は出しているらしいが、わざわざここにまで足を運ぶ事は無いだろう。

そう思って彼らの主と共に訪ねて来た時も早々に帰した。

確かに、そう言われれば彼の雰囲気は彼らと通じるものがあるような気がする。



「それは練習相手にも困りそうですね」

「そうですね。
 少し前はいい相手がいたんですが、最近は直接会う事も無くて……。
 仕方無いんですけどね、彼女とは“住む世界”が違うもので」



目の前の少年は肩をすくめ、冗談めかしたように話した。

その思わぬシンクロに、ユーノもへぇ、と目を開く。



「その人も、古代ベルカの?」

「はい。
 ……彼女の剣捌きは本当に素晴らしかった。
 一合斬り結ぶ度にこの身が冴え渡る程でね」



少年はそれを思い出すように遠い目をしている。

その相手は余程の腕前だったらしい。

ユーノにも1人、そのイメージに合う人物に覚えがある。

ふと、その彼女も最近よい練習相手がいなくなって不満を漏らしている、と幼馴染が言っていたのを思い出す。

彼と会わせてあげたら喜ぶだろうか。



「僕の知り合いにも古代ベルカ式の騎士が何人かいるんですが、紹介しましょうか?」

「いいんですか?」



その思いから何となく口にした言葉だが、彼の関心は引いたらしい。

割と乗り気な様子で尋ねてきた。



「ええ。
 ただ、すぐにという訳にはいかないので何時になるのかはちょっと分からないんですけどね。
 彼女達もミッドには住んでいないので」

「その人達もですか。
 さっき話した奴なんてのはミッドどころか管理外世界ですよ、管理外世界。
 偶に話はしますけど毎回帰ってるんじゃそうそう会えなくてね」

「え……?」



嘆息交じりにそう言い放った彼の言葉に、ユーノは思わず戸惑いの声を上げた。

数多ある管理外世界でも、いや管理外世界だからこそ、か。

とうに廃れたような古代ベルカ式を用いる者なんていない。

大抵の所は魔法文化の無い所から始めているのだから、一般普及している物から学ぶのは当然だろう。

少なくとも彼の知る限り管理外世界で生活している古代ベルカ式の担い手などあの一家以外に存在しない。



「し、失礼ですがその人とはどこで会ったんですか?」

「?」



我ながら不躾だな、と思いながらも聞かずにはいられなかった。

流石に目の前の彼も不思議に思ったようで怪訝な顔をしている。

だが、答えてはくれるようだ。



「以前、俺はちょっと入院した事がありまして……その時に知り合った奴がいるんですよ」



彼はやや戸惑いながらも口を開いた。

だが、それも最初の内だけ。

話す内に懐かしく思えてきたのかそのペースは徐々に上がっていく。



「それがまぁ、お節介な奴で。
 こっちが落ち込んでる時に毎日毎日飽きもせずにやってきては自分の話ばっっかりして帰っていくんですよ。
 俺も最初は鬱陶しいと思って相手にしなかったんですが、あいつそんな事全然構いもしなかったなぁ。
 自分だって体ボロボロでまともに歩く事も出来なかった癖に……」



そこで何かに気付いたのか、はたと止まる。

いかんいかんと頭を振って、



「すいません、脱線しました。
 まぁ、それでそいつの見舞いに来ていて会ったんですよ、その相手とは。
 それでその時は丁度俺も模擬戦の相手が欲しかったので相手してもらって、それ以来の仲ですね」

「その相手の人のお名前……伺っても、いいですか?」



彼はええ、と頷いて。



「シグナムって言うんですよ」



軽く言い放った。





**********





「そうか、あんたが“ユーノ君”か」



手のカップに注がれたコーヒーを傾けながら、快活な笑顔のゲルトが言う。

今2人は無限書庫から場所を移し、近くの喫茶店の席へと腰を下ろしていた。

ユーノもシグナムと知り合いであったと知り、またなのはが言っていた幼馴染が彼なのだと分かったゲルトは世の縁の妙をつくづく実感する。

口調も先程よりはかなり砕けていた。



「まさか君が“ゲルト君”だったとはね……」



ユーノの方も苦笑を漏らす。

彼もなのはからゲルトの事は聞いていた。

何でも病院で1人負のオーラを放ち続ける彼を放ってはおけずに話かけたのが切っ掛けで友達になったらしい。

リハビリにも付き合ってくれて、その上簡単に体の使い方も教わったと聞く。

おかげでなのはの退院が少し短くなったようで、その事には彼女も深く感謝していた。

他にも彼女の弁によればシグナムに匹敵する武の持ち主で、妹さん思いの良いお兄さんで、そして意外にもお人好しなんだとか。



「フェイト達とも知り合いなんだって?」

「一応な。
 正直一番仲がいいのはやっぱりシグナムだと思うが」



年には似合わぬブラックのコーヒーを喉に通しながら答えた。

ギンガやスバルが真似をして一斉にむせた事もあったが、ゲルトにはこの位が丁度いい。

受け付けないと言う程ではないにしても、やはり甘い物は苦手だ。



「そうなの?」

「ああ。
 恥ずかしい話だが、あんまり同世代の人間と話した事がなくてな」



しかも異性である。

長い付き合いの妹達は別だが、話すにしても何から切り出したらいいのかよく分からない。

シグナムならば特に気を構える事なく話せるし、最悪言葉を交わさずとも剣戟を合わせれば良いのだが。

そう言えばユーノはあはは、と乾いた笑み。



「なのはの話じゃ、あんたもかなり厄介な事件の解決に協力したんだろ?
 それがどうして司書なんだ?」



質問のされっ放しも何だからと、ゲルトも問いを口にした。

何気ない話の気っ掛けではあったが、問うてみてから思う。

確かに何故だろうか、と。

PT事件に闇の書事件だったか。

どちらも次元震の発生やそれに類する恐れもある大事件だったと聞いた。

その解決に携わった立役者の1人ともなればそれなりの地位程度要求できると思うが……。



「まぁ、僕は戦いに向いてるわけじゃないしね。
 元々スクライアは遺跡の探索とか発掘とか、出土品の鑑定とかが主な仕事だったし……。
 うん。合ってるんだよ、この仕事が」



しょっちゅう缶詰にされるのは勘弁だけどね、と付け足して言う彼は、しかし言葉とは裏腹に楽しそうだ。

実力を発揮できる望んだ職場に十分満足しているのだろう。



それに……あまり人の事を言えたものでもない、か。



自分とて他人から見れば不可思議そのもだろう。

指揮官を目指しているとかであればともかく、特にそういう様子も無し。

にも関わらず花形の航空武装隊も首都航空隊の誘いも尽く蹴って、その上で陸士部隊の平隊員をやっている高ランク騎士なのだから。

変、であろう。

社会一般的に見て、恐らくは。

だが自分は全く後悔などしていないし不満もない。

そういうものなのだ、きっと。



「そりゃあいい。それが一番だ」

「そうだよね」



2人して笑みを交わす。

初対面の割に気の合う人物というのもいるものだ、と思っていた。

その矢先。



『ゲルト、緊急通信です』

「何?」

『事情は後で、とにかく至急隊舎に戻れとの事です』



ナイトホークが危急の事態を告げた。

非番のゲルトまで呼び出すとなると相応の事件が起きたと見える。

ユーノの方に視線を向ければ、彼の方も何か連絡があったらしい。

携帯端末を片手に誰かと話しているようだ。



「悪い、緊急招集だ。
 また今度ゆっくり話そう」

「あ、うん。
 ごめん、またねゲルト!」



ゲルトは一言告げると伝票を掴んで慌てて飛び出していく。

ユーノも通話しながら手を振ってきた。

肩越しに軽く応じながら会計を済ませ、走る。

とりあえずは何か適当な交通手段を見つけるべく大通りか。

丁度通りがかったタクシーを捕まえて滑り込み、一路108部隊隊舎へ。





**********





「遅れてすいません!」



扉がスライドするのももどかしく感じながらブリーフィングルームに入る。

既にそこにはゲンヤ始め実動の全員が揃っていた。

通り過ぎてきた捜査部の方もかなり慌ただしい動きをしていた。

一体何が起きたのか。



「来たか。
 丁度良い、本題は今から説明するところだ。
 ……カルタス」

「はっ」



ラッドが進み出ると共に1枚のウインドウが浮かぶ。

そこにはどこかの地図と思しきものが映し出されている。

しかしおかしい。

その地図には地点を判別できるような建築物の表記が一切ないのだ。

蜘蛛の巣のように幾重にも枝別れする道以外の部分は全てグレーに塗りつぶされている。



「これは廃棄都市区画の地下下水道網を表しています」



ラッドのポインターがウインドウ上の1点を指して止まる。

それに合わせて数枚のウインドウが新たに展開。

今度は航空写真やごく普通の地図が映し出されており、指定されたポイントに重なり合うようにして浮かんでいる。



「今回の作戦はここから内部に侵入し、逃走中の目標を確保、又は破壊する事。
 ……それでこれが今回、遺失物管理部から作戦協力の要請を受けた目標です」



更に1枚のウインドウが新たに開く。

そこにあるのは、



「何だ、これは……?」



思わず呟いた。

映像元は浮遊型のサーチャーだろうか。

数人の局員と、何か床に広がった不定形な物体が映っている。

大きさはさほどもない。

せいぜいが局員の膝程度か。

しかしそれは相当の能力を備えているとみえて、局員が遮二無二撃ち込む魔力弾にも全く堪えた様子はない。

当たってはいるのだが、まるで暖簾に腕押しといったようにただ突き抜けて背後に抜けるのみだ。

やはりダメージはないのか、それは完全に局員を無視して悠々と移動を開始。

格子もものともせずにするりと側溝に潜り込んで映像から姿を消した。

後に残るのは失態に慌てふためく局員の姿のみである。

そこで映像は途切れた。



「ここからは俺が話すか」



今まで壁に寄り掛かっていたゲンヤが後を引き継ぐ。

皆の前に出た彼はやや言葉を選ぶように、少し間を置いて告げた。

曰く遺失物管理部が以前から内偵していたロストロギア流通の流れがあり、その場に踏み込んだのがほんの2時間前。

容疑者一味は無事に捕らえる事ができたようだが、その最中に何の拍子か輸送されていたロストロギアの1つが稼働を始めたという。

そして、



「ご覧の通りって訳だ」



ゲンヤもやはり気が重いようだ。

いつもの諧謔にもキレが無い。



「こんな物を……どうやって捕まえろと?
 破壊するにしてもどこをどう攻撃すればいいんです?」



部隊員の疑問も尤も。

今の映像を見る限り魔力弾は全く効果が無いらしい。

格子をすり抜けたあの柔軟性では、恐らくバインドでも奴を縛る事は出来ないだろう。



「今はまだ何も分からん」



ゲンヤは重々しく首を左右に振る。

それも仕方あるまい。

未だ事件が発生して2時間足らず。

無限書庫も職員を総動員して調査中との事だが、ゲンヤの口振りからするにまだ何の連絡も無いのだろう。

職員の能力云々の話ではない。

時間も検索情報も、何もかもが不足しているのだから彼らとて動きようが無いのだ。

きっと今頃はユーノも莫大な数の資料に忙殺されている事だろう。



「だが、やらなきゃならねぇんだ」



現状の不備も認めた上で、言い切る。

何から何まで正体不明。

どのように危険なのかもよく分からない。

そんな物を放置しておく訳にはいかないのだ。

幸いにも問題のロストロギアは地下下水道の中でも廃棄都市区画方面へ向かったらしい。

はっきりとした位置までは分からないが、一般人に被害が出るようなエリアへ到達するまでは猶予がある。



だから、やらなくてはならない。



「今すぐ出発だ。
 106、107、109の連中も応援に来る」



ゲンヤが皆の前を歩いて行く。

話しながら扉の方へと歩を進める彼は振り返らない。

目の前をゆっくりと通過していくゲンヤの動きに合わせて隊員達もまたその腰を上げていく。

カツン、と軽い音を立て、ゲンヤの足が扉の寸前で止まった。

彼を認識した扉が自らその身を引いて道を開いて行く。



「行くぞ、野郎共」



外界からの光が明かりを落とした室内に差し込んできた。

後ろに立ち並ぶ部隊員達は皆やれやれなどと呟いてはいるが、その口元は淡く弓状を描いている。

長が動くとなれば下が情けない様を晒している訳にいくまい。



「了解、ボス」



首だけでゲンヤが振り返ると、そこには勢揃いした隊員達が居並んでいる。

彼らは皆口々に同意を告げた。

気の早い者などは既にデバイスを展開さえしている。

視線を前に戻したゲンヤはふ、と笑みを漏らして外へと踏み出した。

自分を遥かに上回る力を備えた魔導師達を従え、彼はさながら王者のように先頭を行く。

後ろに続く彼らを戦場へと導く為。

身一つで闘いに赴く彼らを支える為。

今日も彼らを、連れ帰る為に。





**********





『まだ見つからねぇか?』

「はい。こっちはまだそれらしい痕跡も見えません」



おおよそ光明などは見当たらず、持ち込んだマグライト状のトーチが無ければまともに歩く事も出来ないような地下道。

半分は水路が占めており、その左側に人が通る為の道がある。

そこで何かを探すように忙しなく辺りを照らす者が2人。

ラッドにもう1人の隊員だ。

しかしそんな彼らの数メートル前を歩く1人の少年だけは明かりも手にせず、無明の闇の中を危うげもない足取りで進んでゆく。

常人では己の手すら見えないような環境だが、彼には壁のシミすらも認識できた。

緑を基本とした視界の中、むしろ後ろを振り返って直接光を見ないように気をつける位だ。

暗視もまた彼に与えられた肉体強化の1つである。

それどころか彼の目は知覚を欺瞞する幻術すらも特別な対抗魔法無しに打ち破る。



問題のロストロギアが潜ったという地下下水道に侵入して既に半刻が過ぎた。

二十以上のグループが虱潰しに捜索中だが、まだ何処からも発見の報告はない。



さて、一体どこにいるのやら。



「……ん?」



そうして更に数十分を歩いただろうか。

一行が広いホールのような空間に達した所でゲルトが何かを見つけたらしく足を止めた。

その一点に集中して焦点を合わせる。



「見つけた」



小さく呟く。

彼の視覚は水面の不自然な盛り上がりを捉えている。

こんな所に湧水もあるまい。

十中八九、奴だ。

すぐに指揮車との通信を開いた。



「こちらゲルト、目標を発見。
 これより捕獲行動に移ります」

『分かった。
 慎重にいけ』



後ろのラッドらにハンドシグナルを送る。

彼らがバインドの準備を行う間にトーチを借りて目標を照らした。

向こうはこちらに気付いているのかいないのか特に動きを見せないが、よく見ればただ膨らんでいるだけではない。

その中心に何か球状の物体があるのが見える。



あれが、核……か?



予想された可能性の一つとしてそういう事もあった。

ただの液体が動くなどというのは論外だ。

となれば液体そのものが普通ではないか、または液体を制御する核が存在するのではないかという2つの案が自然と浮かぶ。

そして今回は後者が正しかったようだ。

これなら捕獲も叶うかもしれない。

仲間に捕獲範囲の調整を告げる。



「リングバインド!」



2人から放たれた数条のバインドが空間に浮かび、核を中心に急速に狭まってゆく。

だが、それが核を包む液体に触れた瞬間、



「逃げた……!?」



接触の、その瞬間だ。

それは静止状態から一転して急速移動を行った。

確かに言葉にするならば逃げた、と言うのが正しいだろう。

バインドが核を捉えきる前にそれは効果範囲から脱してみせたのだから。



「ナイトホーク、あの液体は――――」

『はい。皮膚のような役割も備えているように見えます』



今の一連の動きを見る限りそういう事だろう。

あの速度を捉えるのは困難だ。

いや、バインドではきっぱりと不可能だろう。

やるならあれの反応も追いつかない超高速の一撃か、躱す隙間もないほどの広範囲攻撃しかあるまい。

と、思索に耽る間に目標も新たな動きを見せた。

水面から1本、鞭のような形状をとって液体が伸長してきたのだ。

伸びる動きが止まったかと思えば、それはゲルトらとは反対の方向に大きく身を倒した。

まるで“振りかぶるように”。



「!?」



来た。

先程核が逃げた時のように、静から動へと一瞬でスイッチ。

先頭に立つゲルトはファームランパートで防ぐ事に成功したが、苦々しい表情を隠せない。

攻撃を防いだ時、火薬が破裂したような爆音が聞こえた。

それはつまり今の鞭の先端が優に音速を超越していたという事だ。

普通の鞭とは重量も大きさも違う。

そんなものを食らえばただでは済まない。

そして何より今ので判明した。

こいつは唯そこに在るのではなく、逃走や攻撃の手段も備えている、と。

ますます逃がす訳にはいかなくなった。



「父さん、目標破壊の許可を求む。
 こいつを逃がす訳にはいかない」

『……分かった。目標を破壊しろ。
 遺失物管理部の方は俺が話しを付ける。
 他の連中もそっちに移動中だ』



遺失物管理部は出来る限りあれを確保したいらしいが、知った事か。

元はと言えば向こうのミスで、自分達はその尻拭いをしているに過ぎないのだ。

そんなものに骨を折る義理はない。



「2人とも準備は?」

「いつでも」



振り向かずに問うたゲルトに、後ろのラッドが返す。

背後の声を聞いた彼は軽く吐息をつき、足元を見た。

ここは水道の集結点らしくほぼ全域が水に浸かっている。

今自分達が立っている所で水深は踝くらいだが、目標が居る辺りはそれなりの深さがあるらしい。

下手に近づけば足を取られる可能性もある。



ここは距離をとった方が良さそうだな。



「あぁっ!!」



そう考えた先のゲルトの行動は早い。

吐息と共にナイトホークを振り抜く。

何もない空間を薙いだ一撃だが、刃そのもので敵を斬るのが目的ではない。

右から左への袈裟懸けが宙を切るのに呼応して迸った無色の衝撃波が一直線に目標へと迫る。

それは盛り上がった水の塊の上部、丁度核がある辺りに着弾して容易く弾けさせた。

音量は数段上だが、水風船を地に叩きつけた時の物に近い破裂音が響く。

飛散した水滴はまるで雨のように一帯へと降り注いだ。

が、



「速い……」



やはり逃げられた。

衝撃波がその破壊力を発揮しきる前に動いた核は裾のように広がった部分に逃げる。

一応追撃として魔力弾の連射も行われるが、ちょこまかと、しかし的確に動く核にはかすりもしない。

痛痒も無いのか、敵は吹き飛んだ部分の修復もそこそこに再度鞭を振るってきた。

先程よりは少し速いが、左へのステップで軽々と躱す。

軌道はイメージの通りだ。

あとはそのラインに合わせてナイトホークを振り上げるだけ。



「ふっ」



軽い息吹と共に腕を持ち上げる。

さして力は要らない。

向こうの速度と重量で勝手に切断される。

逆袈裟のナイトホークが水の鞭をその刃に捉えて斬り飛ばした。

手応えはもっと軽いものを予想していたのだが、意外にもそれなりの重さがある。

どうやら水を形成する為の力場のようなものがあるらしい。

分離させられた鞭の片割れは勢いのままに宙を舞い、壁に叩きつけられた時には元の水に戻って壁面に血糊のようにぶち撒けられた。

別にわざわざ振り返って確認した訳ではないが音で分かる。

何はともあれ奴の鞭は潰した。

これで攻撃の手は――――



「ダメか」



軽く舌打ちを漏らす。

綺麗に斬られて平面を晒していた断面から同じように先が生えてくる。

それどころか更に3本の鞭から形成されてきた。

しかし様子が今までの2回とは違う。

数の事だけではない。

まるで触手のように蠢くそれは前のように振りかぶる事なくこちらにその先端を向けているのだ。

今度は一体何をする気なのか。

攻撃の気配を感じてゲルトが身構える。

次の瞬間、その触手が伸びた。

ゲルトの衝撃波に劣らぬ速度を以て宙を駆ける。



「!」



咄嗟にファームランパートを展開。

冷や汗を流すゲルトの目の前には掘削音を鳴らして迫る触手がある。

それは防御されてなお諦めていないらしく、テンプレートを突き破ろうと未だに突き込む力を緩めない。

どうやら次は刺突のようだ。

徐々に行動のルーチンが向上してきているように思う。

このまま時間をかければかける程に厄介になっていくだろう。



早く片付けたい所だが……どうする?



後ろの仲間も不安気な表情をしている。

このままだと時間稼ぎ位なら出来るかもしれないが、人を集めたとしてもどうにかなるとは思えない。

策は……ある。

あれを破壊できるかもしれない物が。

だがゲルトが考える奴を葬り去る為の手段は一度しか使えないし、1つ懸念材料があるのだ。

もし下手に試してそれが当たっていた場合、状況は確実に悪化する。

触手と拮抗しながら思考を走らせるも結論は出ない。



そんな彼に救いの手が現れた。



『おいお前等!
 目標の詳細が分かったぞ!』



通信でゲンヤがそれを告げる。

やや興奮しているらしくその声は荒い。

恐らくはその報せをゲンヤ自身もずっと待っていたのだろう。



『無限図書の連中がやってくれた。
 今専門家に繋ぐからよく聞け!』



そこで通信はひとまず切れた。

別口に繋いでいる最中のノイズだけが聞こえる。



「これでなんとかなるのか!」

「そうだといいんですけどね」



ゲルトの後ろに立つ2人はようやく肩の荷が下りる、といった様子で安堵の吐息を漏らした。

それは少し早計だと思うが、この状況がなんとかなるのならゲルトもそう思いたい。



『代わりました。
 無限書庫のユーノ・スクライアです』



数瞬の空白の後、出たのは聞き覚えのある声。

つい数時間前まで話していた少年の声だ。



「ユーノか!」

『その声、ゲルト?』



向こうもゲルトに気付いたらしい。

顔は見えなくても驚きの色は声に出ている。



『なんでここに…………ああ、ごめん。
 今はそれどころじゃなかったね。
 あのロストロギアについて分かった事を報告するよ』



思わず場違いの空気が流れそうになったが、現在はれっきとした作戦行動中である。

ユーノもその辺りは弁えているのか話を本題に戻した。



『あれは元々敵地に送り込んで相手を撹乱する為に作られたらしいね。
 そのせいか戦闘能力よりも防御や回避に重きを置いてる。
 思考的にも無理に戦わず、危なくなったら逃げる設定だよ』



つまり奴はまだ俺達に脅威を感じていない訳か。



なら下手に追い詰めるような事はせず、ここぞという時に一息で仕留めなければならない。

こんな所で逃げられたら再び捕捉するのにどれだけの手間を食うかわからないし、時間を与えればその分あいつも賢くなる。

それは何としても避けなければ。



『それでだけど今目の前にいるそれを幾ら攻撃しても意味ないんだ。
 このロストロギアには本体の核があって、攻撃したりしてきた部分はあくまでそれを中心に構成されたただの水だよ』

「それらしい物は見た。
 横に倒したような卵形の何かが中に在る』



核だというなら、あれ以外にないだろう。

こちらの攻撃に際して逃げた事も、修復は効かない事を示している。



『それだね。
 それを破壊しない限りは体、って便宜上言うけど、を幾ら潰しても他から吸い上げて修復されるよ。
 膜みたいな力場には取り込んだ水を操作して防御したり攻撃したりする能力もあるみたいだ。
 核は力場への接触にも敏感に反応するらしくて、危険を感じたらすぐ逃げるらしい。
 力場の支配領域内ならかなりの速度が出るってあるけど』

「ああ。
 バインドも魔力弾も掠りもしなかった」

『掠りも?』



厄介だね、と続けたユーノはしばし悩むように口を閉ざした。

僅かにそのままの状態が続く。

が、少しお話が過ぎたらしい。

今までこちらを貫こうと必死だった触手が唐突に勢いを止め、力無く床に垂れると緩やかに引いて行ったのだ。

諦めたのか、と思いきやそうではない。



「こいつ……!」



4本あった触手は2本に集まって左右に広がり始めたのだ。

それは確かにファームランパートを迂回する動き。

ゲルトの背筋に冷たいものが走った。



「伏せろ!」



叫びながら自分も後ろに倒れ込む。

丁度傾いてゆくゲルトの視界が慌てて身を沈める仲間を捉えた時、寸前まで彼の頭があった位置を両側から触手が貫いた。

ゲルトはバク転の要領で体勢を立て直し、即座に振り抜いたナイトホークで伸び切った触手を刈り取る。

ようやく触手は本体の元へと戻って行ったようだが、すぐに次を生やして攻撃してくるだろう。

今度は6本か、8本か。

ファームランパートの弱点が知れた以上、もうさほど時間稼ぎも出来そうにない。



「ユーノ!
 あいつの力場の支配領域には限界がある!
 そうだな!?」



確認を取るように怒号を上げるゲルトだが、敵が容赦してくれるはずもなく。

予想した通りに8本の触手が左右4本ずつ襲いかかってきた。

その内左の4本はファームランパートで防ぎ、右を迎撃する。

目にも留らぬ連撃で2本を切断。

残りの2本は後ろの2人が魔力弾で撃ち抜いて止めた。



『え?あ、うん』



思案の最中に問いを投げられたからか一瞬困惑するも、ユーノはゲルトの推論に是と答えた。

言う間にも核を収めた総体は徐々にこちらに近付いてくる。

距離を狭めて更に手数を増やす気か。



「それはこのフロアから飛び出す程の距離をとれるか!?」

『いや、そこまではいかない……と思う。
 触手が纏まってきたのも範囲を節約するためだろうし。
 ――――ってゲルト、君もしかして!』



そこでゲルトの考えに気付いたらしい。

ユーノは多分身を乗り出したのだろう。

声の調子も一気に跳ね上がった。



「ああそうだ。
 このフロアごと、あいつを消し飛ばす!!」



それ以外に無い。

あいつがどれほど速く逃げられるにしても支配領域を丸々潰されればどうしようもない筈だ。

ただ、ほぼ全域が水に浸ったこの空間で不定形な奴の支配領域を見極めるのは至難。

ならば、全てを討ち滅ぼすのみ。

これ以上人を集めると奴が不利を感じて逃げる可能性もあるのでほぼゲルト1人で行わなければならない。

同行の2人にそれを求めるのは酷というものだ。

だが、ゲルトにならそれが出来る。



『無茶だ!
 もしそんな事が出来たとしてもそこは地下なんだよ!?
 崩れてきたらどうするのさ!!』



幾つかここを支えているらしい柱が見えるが、それだけ残すような器用な真似は出来ない。

徹底的にやらねば意味が無いのだ。

そうなれば恐らく、いや必ずやこのフロアは崩落するだろう。

落ちてきたガレキで生き埋めか、それとも直撃して即死か。

末路はそんな所だろう。



「部隊長。
 ご決断を」



ゲルトはユーノの叫びには取り合わず、ゲンヤの指示を仰いだ。

決定権は全て部隊長である彼にある。

ゲルトには成し遂げる自信があるが、やるもやらぬもゲンヤ次第だ。



『……そっちに向かってる連中を下げさせる。
 5分、いや3分だ。
 3分保たせろ』

「承知!」



それは事実上ゲルトの案を承認するという事だ。

ゲンヤは幾つかを天秤に掛けてこちらを信じてくれたらしい。

信任を受けたゲルトは迫りくる触手を片端から斬り捨てながら了解を告げた。

普通に考えれば苦境に立たされた筈だろうに、彼の顔に表れるのは誇らしげな物のみである。





**********






「そんな……!
 三佐、どうして!?」

『あいつがやるというなら出来るんだろうし、するなら最後までやり遂げるさ。
 ウチの息子はそういう奴だ。
 だから任せた。
 それだけだ』



やはり納得は出来ないのか食いつくユーノにゲンヤは事もなげに言い放った。

それはゲルトの能力に関し全幅の信頼を寄せていると言うに他ならない。



『それにあいつとは約束があるんだ。
 男と男のな。
 絶対に死にやしねぇよ。
 誰も欠かさずに必ず生きて帰ってくる』



それはユーノに言っているのか、自分に言い聞かせているのか。

独白に近いその呟きにユーノも二の句を次げずにいる。

終には折れたのか深々と重い溜息を吐いた。



「なんで僕の周りにはこういう人ばっかりなのかな……」



もう後は皆が無事で帰るのを祈るだけである。



「帰ってきなよ、ゲルト……」





**********





暗闇に光が明滅し、その度に大量の飛沫を散らす音が聞こえる。

ゲルトの両側に立つ2人が彼を庇うように魔力弾を連射。

流石に目も慣れてきたのか命中率も徐々に上がってきているようだ。

次々に現れる触手はその度に撃ち抜かれ、抉れた部分から触手が支えきれずに千切れていく。

とはいえその全てをカバーはし切れないのか、数本が弾幕を逃れて迫る。



「寄るな」



ただそうした物は彼らに牙を剥く事なく、全てゲルトに叩き斬られた。

そうしてまた幾つかの触手が宙を舞い、地に落ちて床を浸す水に溶ける。

繰り返しだ。

キリがない。



「ゲルト!
 あとどれだけだ!」

「あと……30秒!」



あと30秒。

それで片を付ける。

それまでは出来るだけゲルトの力を温存し、最後の瞬間に備える。



「合図したら俺の後ろに回って下さい。
 頭は上げないように注意して。
 あと俺から離れ過ぎないように。
 出来るだけ手が届く範囲にいて下さいね」



そこで一区切りを入れる。

でないと、と断りをいれ、



「……死にますよ」



軽く凄む。

ポツリと呟いた一言だが、ラッドらの耳にははっきりと届いた。



「わ、分かってるって」

「あんまり脅かすな」



触手を撃ち落とすラッドらも冷や汗を流した。

これからする事を思えば、それもあながち冗談ではない事を理解しているから尚更だ。



「さて、そろそろだな。
 やるぞ、ナイトホーク」

『イエス、マスター』



もう指定された時間まで10秒ほど。

用意を始めるには頃合いだろう。

ふぅ、と一息を吐いて呼吸を整える。



「敵戦力に対応する為、全能力・全魔力を完全展開。
 超過駆動開始する」



ゲルトの宣言に応じてナイトホークの石突きがスライド。

たなびくように硝煙が噴出すると共に役目を終えた薬莢が弾け飛ぶ。

カートリッジから瞬間的に放たれた魔力を呼び水とし、無意識下に掛けられていたゲルトのリミッターが解除された。

ドクン、と物理的な干渉さえも得たような魔力の鳴動が周囲の空間を震撼させる。

脈を打つ胸の鼓動がはっきりと聞こえるような感覚。

身に滾るこれこそがゲルトの真の力。

本来己が命をも喰らう過ぎた代物だ。

しかし統制され、洗練された魔力のパスを持つ今は心地よい熱と湧き上がる全能感に酔いしれるだけの余裕がある。



『フルドライブ・スタート』



フルドライブの正常稼働を確認。

視界の隅でラッドらが後ろに下がったのを把握した。

ここからは自分の仕事だ。

ゲルトの視界は更に数を増した16本の触手を捉えている。

全てがバラバラの軌道を取り、前面のあらゆる方向から襲い掛かってきた。

たとえファームランパートを発動しても防ぎ切る事は出来ないだろう。

が、



「粉砕してやる」



ゲルトはそれを見ても口端を釣り上げ、余裕の笑みを浮かべていた。

目前に迫る脅威に慌てる事もなく体の右側でナイトホークを構える。

水面に波紋を立たせながら、左足を前へ。

体の外側に開くようにして構えを広げる。

それが重心を移す上で最も安定した形。

力を伝える上で最適な経路を約束するライン。



「消し飛べ」



振るう。

暗闇を引き裂き、世界を赤橙の光が蹂躙した。

右から左へ。

絨毯爆撃でも行われたかのような暴威が床も水も柱も壁も、全てを叩き伏せた。

例外はない。

それはゲルトの周囲、後方30度ほどの範囲を除いた領域を破壊し尽くす。

打ち捨てられ、忘れられた都市の、その地下。

静謐な死の空間だったそこは轟音と閃光が乱舞する異界と化した。

揺らぐ事無く鎮座していたロストロギアも、その下部の殆どを削ぎ落とされる。



「もう一丁っ!」



だが、まだ終わらせる気は無い。

核はまだ生きている。

それは先の一撃に際し、盛り上がっていた体を伸ばして上に逃れたのだ。

今は体を支えていた下部を失った事で重力に引かれ、落下の姿勢に入ろうとしている。

それより早く、今度は左から右へ。

逆袈裟の動きでナイトホークを振り上げる。

掬い上げるような形で魔力の烈波が迸った。

それは体の大部分を失っていた目標を更に噛み砕く。

たかだか力場に包まれた程度の水だ。

ゲルトの本気に抗える訳もなく、吹き散らすように一瞬で消し飛んだ。

そのまま止まる所を知らぬ赤橙の力は天井を貫き、地上に達する程の大破壊を撒き散らす。



しぶといな。



それでもなお核は逃げ延びた。

なけなしの体を振り分け、核だけはギリギリ殲滅範囲から脱してみせたのだ。

恐嘆に値する執念である。

しかしもう逃げられまい。

既に核を覆う水はそれより1回り大きい程度の体積しか残っていない。

触手に分化できるだけのものも無いのだ。



これで終わりにしよう。



「ああああぁぁぁぁっ!!」



肩に担ぐように構えたナイトホークを全力で振り下ろす。

天を衝く巨大な光芒が、文字通り手も足も出ない目標へと三度その牙を剥いた。





**********





「ナカジマ三佐!
 この揺れは一体!?」



一方の地上。

ロストロギアの捜索に出ていた局員達に緊急退避の命令が出されて3分程が経った現在、そこは度々の大きな震動に見舞われていた。

目標と交戦中のゲルトらの直上から数キロ離れた所で陣を張る指揮車群も例に漏れずその影響を受けている。

固定されている機材が倒れるような事は無いにしても、暴れるように大きな音を立てているし、テーブル上のカップなどは軒並みその中身を床に撒いている。



「決まっているでしょう。
 ウチの隊員が仕上げに入ったんですよ」

「こ、これがそうだというのか!?」



壁や机に掴まって混乱した声を上げる他の部隊長の面々に向かってゲンヤは肩を竦めて答えた。

確かにゲンヤは前もってプランの説明を行っていたし、多少の揺れがあるとも明言していた。

しかし、誰がこれ程の事態を予想できただろう。

自然災害にも匹敵するこんな地震を引き起こしているのが、若干12歳の少年である、などと。



「ん、終わったか?」



2度目の揺れが収まった辺りでゲンヤ達は外に出た。

見ればゲルトらが居る辺りの大通りは広範囲に渡って罅が入ったり、極端に隆起していたりと今にも陥没しそうな惨状を呈している。

まるで下から巨大な拳か何かで突き上げられたよう。

もしこれが真に市街地で行われていたらと思うとぞっとする。



「!?」



ようやく片付いたのかと思う彼らの意に反し、突然再度の揺れ。

今度は前のものよりさらに強い。

既に崩壊寸前のダメージを受けていた大通りは遂に耐え切れなくなったのか、最も酷い部分を中心に瓦解。

大質量物が落下していく轟音を響かせて崩落を始めた。

それは徐々に広がっていき、最終的に半径数百メートルが完全に崩れ落ちる。

開いた穴から吹き出した大量の粉塵は落下物が底に達した事を告げていた。



「なんと……!」



予想された最悪の展開だ。

落下した構造体の重量は1トンや2トンできくまい。

如何に強力な魔導師だろうと、逃げる場所もない閉鎖空間でそんな物を食らえばどうなるか。



あれでは下に居る者達も……。



そう思う皆の視線が彼らの上司であり、その内の1人に至っては父でさえあるゲンヤへと向かう。

この案を提案してきたのは彼だし、勿論これも覚悟していた筈だ。

当の彼は眉一つ動かす事なく現場を見つめている。

未だ悲哀も慟哭も浮かんではいない。

ただゆっくりと手を上げていき、口元のインカムを掴んだ。



「何やってる。
 早く出てこい、馬鹿息子」



錯乱したか。

いや、部下も息子も1度に失ってしまっては無理もない。

そう思い皆が目を伏せた。

その時、



『頑張ってお勤め果たした息子に馬鹿はないんじゃないですか?』



誰もがはっと頭を上げる。

皆が諦めた者の、聞く筈のないと思っていた声だ。



「親に心配かける不孝者なんざ馬鹿で十分だ。
 ……ギンガに言いつけるぞ」

『いやそれだけは勘弁して下さい。
 訓練校から帰った時からあいつそういうの本っ当に煩いんですって!』



気取った登場から一転、ゲルトは本気の声音で許しを乞うた。

陸士訓練校は全寮制だ。

その為3ヶ月の間はナカジマの家を出ていたのだが、出発の時にはスバルに大泣きされた。

まさかのギンガまで涙ぐんでいたのには面食らったものだ。

その際にはクイントでも言わないようなお小言、やれ寝る時には腹を冷やすなだの、歯は毎日磨けだの、を頂戴した訳だが。

なんにせよ家に帰ってからというもの、その度合いは更に増したように思う。

今回の事が知れたら何を言われるか分かったものではない。



「うるせぇ。
 そう思うならとっとと出てこい」

『へいへい了解。
 それじゃあいきますよ、っとぉ!!』



ゲルトの軽い声と共に“4度目の”地震が大地を揺るがした。

先程開いた穴から光が迸る。

その色は……赤橙。

ガレキを吹き飛ばしたその穴の中心にはゲルトにラッドら3人が無事で立っていた。

流石に全員埃は被ったらしく、やや白くなった格好だが、特に大きな負傷もないらしい。



全力の攻撃で以てフロアを破壊し尽くしたあの後、降ってくる構造体から彼らを守ったのは言うまでもなくゲルトのISだ。

頭上に展開したそれはゲルト達を覆い、押し潰さんとするガレキを悉く受け止めてみせたのである。

そうして破滅的な状況を切り抜け、圧し掛かったそれらを一気に吹き飛ばして今に至る、という訳だ。



『ゲルト無事かい!
 無事なんだね!?』

「ああ、無事だよ。
 今帰った。
 だから耳元でそう大声出すな」



気が気でなかったユーノも通信の向こうから騒ぎ立てている。

どうやら彼にも随分と心配を掛けてしまったようだ。

他にも部隊の仲間や周辺部隊から次々と連絡が来ていたが、いちいち取り合う気力が最早ない。

今はもう、ただただ家に帰ってベッドにありつく事しか考えられなかった。





その後は駆け付けてきた皆によって地上まで引き上げられ、ナイトホークの戦闘記録からロストロギアの核が消し飛んだ事を確認して任務完了と相成った。

公共物破壊の件についても幸い廃棄都市区画だったのでおおっぴらな罰則は無しだそうだ。

総合的に見ればこの事件における死者はおらず、怪我人も無し。



これで何もかもハッピーエンド…………であればよかったのだが。



任務完了の報告の後、慈愛に満ち溢れた笑顔を湛えるゲンヤからプレゼントされた報告書と始末書に忙殺され。

いつもより数時間遅れで何とか帰宅すれば、ギンガに遅れた理由を正座で説明させられるという苦行まで課せられる始末。

細部を話すわけにはいかないのでダウンしそうな頭を必死に捻り、何とかギンガの怒りを鎮める事には成功した……と思う。

はっきりとは覚えていないが多分そうだ。

指まで差してゲラゲラ笑っているゲンヤに殺意まで抱いた事だけは忘れていないが、それは決しておかしな事でもあるまい。

本当に散々な1日だった。



ただ、ギンガも手伝ったというその日の夕食が一際豪華であったという事はここに記しておく。










(あとがき)



何でこの話こんなに長くなったかなぁ……。

予定では単に次の話までの繋ぎで、ついでにユーノ出しとこう位の気持ちだったのに気が付けば歴代最長に。

おまけに掛かった時間も最長。

同じ司書として頑張ってもらいたいね、彼には。

この先出番を用意するのは激しく難しいけど。



ただ次の話の構想は大体出来てるので少しはペースも上げられると思います。

今度もキャラが増える予定。



ではではまた次回。

Neonでした。



[8635] sad rain 前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/09/24 21:46
――――新暦69年ミッドチルダ・首都クラナガン



厚い雲が空を覆い、まだ昼時だというのに満足に日も差さぬ街。

なかなか降り止まぬ長雨のせいで昨日からずっとこの調子だ。

その陰鬱な空気のせいか普段の活気もなりをひそめている。



そんなクラナガンの商業区。

その上空を猛スピードで駆け抜ける2人の魔導師がいた。

傘を差して道を歩く通行人は頭上を通過する彼らの存在に気が付かない。

それは幸運であろう。

今の一瞬に自分達がどれほどの危機に直面していたのか、その事を全く知らないままに日常へと帰れるのだから。



飛行する2人の魔導師。

その中でも前をゆく30過ぎの男は複数の世界で指名手配された、所謂次元犯罪者である。

彼は確認されているだけでも二十余件の殺人を犯している筋金入りの凶悪犯であった。

その中には彼を捕縛しようとした管理局員も含まれており、数えきれない余罪も含めて一級手配犯に指定されている程だ。



一方、彼を追うのは時空管理局の首都航空隊員。

まだ青年という言葉が相応しい若い男だ。

だが、そうと言って彼の腕前が隊内において劣るという事はない。

むしろ右手に拳銃型のデバイスを携えた彼はその年にして既にエースと呼ばれる傑物であり、将来を期待された若手のホープですらあった。

執務官になる、という彼の夢も具体的な実現性を持つ目標と言える。

そんな彼、ティーダ・ランスター一等空尉は、まさしくその評価に偽り無しというだけの事を現在進行形でこなしていた。

目の前を飛ぶ犯罪者がこちらを振り切る為か度々ビル群に逃げ込もうとするのを寸前のタイミングで見切り、悉くその機を妨害しているのだ。

相手の出鼻を挫くように魔力弾での正確な威嚇。

高速飛行中でありながらその狙いが狂う事も無く、的確に逃走者を人気の無い方へと誘導していた。



「止まりなさい!
 これ以上逃亡を続けるのであれば撃墜します!」



後方から幾度目かになる警告が聞こえる。

その声を聞きながら、今や追われる身の犯罪者は焦燥を感じていた。

既に何度も警告を無視している以上、そろそろ本格的な攻勢に出られてもおかしくない。

あつらえ向きに人が少ない方へと誘導されているのがその証拠。

一般人への被害を思い今まで直接の交戦を避けてきたのだろうが、それも市街地であればこそだ。

だが彼に投降の選択肢はない。

今までしてきた事を思えば捕まった時点で人生は終わり。

恐らくは残りの一生を牢の中で暮らす事になるだろう。



そんなのは死んでも御免だ。



何としても追跡者を撒くなり潰すなりしなくてはならない。

しかし、と思う自分もいる。

それが果たして本当に可能だろうか、と。

こちらが何とか撒こうとしてみてもまるで読まれていたかのように正確な攻撃で道を塞がれる上、現在背後も取られている。

今までの事で後ろの局員がかなりの腕前を備えている事は分かっていた。

足を止めて振り返り、攻撃の動作に入るよりは相手の攻撃がこちらを無力化する方が早いだろう。



仕方ねぇ。



悪態を吐きながらも、とにかく引き離さなければ、という結論に達した。

肩越しに振り向き、杖状のデバイスを右肩に乗せて後ろへ。

ほぼブラインドショットの体勢で撃つ。

非誘導の直線弾を連射。

計10発の魔力弾が光を曳いて走る。

あくまで飛行を続けたままの不安定な射撃だ、当たる事などハナから期待していない。

それでも相手は多少速度を落とさない訳にはいかない筈。

この威嚇で奴に戦闘を行う決心をつけさせてしまう危険性もあるが、それはこのまま飛行を続けても同じ事。

ならばせめても相手の出鼻は挫いておかなければ。

そう思ったのだが、



「なっ……!」



相手は予想外の行動に出た。

向こうもデバイスを構えて魔力弾を撃ってきたのだ。

まさかこうも早く戦闘に切り替えてくるとは……。

まだここは紛う事無き都市部である。

そこで戦端を切ってくるとは流石に思わなかった。



――――いや、違う。



あれはこちらを照準していない。

あいつが狙っているのは、こちらが発砲した魔力弾だ。

抜き撃ちの動作で放たれた最初の4発が同じ数の弾丸を撃ち落とす。

それだけではなかった。

明らかに彼から外れた6発の弾丸も彼は見逃さない。

体ごと振り返り、後ろ向きで飛行したままその全てを確実に一発ずつで仕留めていった。

全弾必中。

発射後の制御が利かないシャープシュートをして恐るべき腕前と言える。



だが、甘ちゃんだ。



結局、今の行いは奴にとって致命的な弱点を晒した他の意味は無い。

完全に逸れていた攻撃など、無視すればよかったのだ。

それをしなかった、出来なかったというのなら……。



こうしたら、どうするんだぁっ!!



糸口を掴んだ男はもう一度同じ事を繰り返す。

さっきと違うのは、魔力弾が全てバラバラの方向に撃ち込まれたという事。

狙いをつけないというのではなく、元より拡散して放たれたそれは局員を無視して眼下の街へと降り注ぐ。



「!?」



想像通り、追跡者はそれを見逃す事は出来なかったようだ。

足を止めてその全てを撃墜せんと発砲を続ける。

尋常では無い早撃ち。

放たれる魔力弾の速度もまた普通では無かった。

僅かに数秒で街へ向かった凶弾の全てが撃ち落とされる。

だが、その神技が作った隙は決して小さくなかった。



「余所見してんじゃねぇぞ!!」



ティーダが背を向けて街を守ろうとする間に、逃亡者は狩人となった。

無防備な彼へと目掛け渾身の魔力砲を放つ。

当然殺傷設定で撃ち込まれたそれをティーダは最初反射の動きで躱そうとした。



「!」



しかし理性がその足を止める。

もし躱したら確実に大きな被害が出る、と。

それを防ぐには全て受け止めなくてはならない。



「ラウンドシールドッ!!」



他に術もなく、障壁を展開して魔力砲をその身に受けた。

視界を覆う光柱と彼を庇う障壁とが鎬を削る。

しかし点で迫る砲と、面で防ぐ障壁ではそこに必要な力に差が出るのは当然。

その上ティーダは今しがた全神経を費やす離れ業をやってのけた直後なのだ。

なんとか街への被害は防げたものの、ティーダ自身は満身創痍だ。

バリアジャケットも所々傷み、ヒビの入った障壁を展開したまま肩で息をする彼はもう虫の息といった有様。



「おらおら!
 まだ終わってねぇぞ!!」



そこへ更に追い打ち。

連射連射連射。

足を止め、ティーダの姿を確と捉えた魔力弾が雨あられと降り注ぐ。

ティーダはなけなしの力を振り絞って防御するも、既に限界に達していた障壁は長く保たなかった。

3発目で穴が空き、続く4発でそれが広がり、それ以降の弾丸は全てティーダの体を貫いた。



「―――――ッ!?」



腕にも足にも、当然胴体にも。

槍衾のように全身を光が貫いて行く。

全身を走る激痛に歯を食い縛って悲鳴だけはこらえるものの、もう飛行は維持できない。

浮力を失った体はもう叫ぶほどの力も無く、ただ血を撒き散らして地上へと落ちてゆく。

直下にあるのは高層ビルの屋上。

このままでは墜落死は確実。



『I have control』



そこに叩きつけられる寸前でデバイスの高度制御システムが稼働した。

使用者の魔力を強引に引き出し、デバイスの方で組んだ飛行魔法で姿勢を立て直す。

航空魔導師用の基本機能が頭から落下していたティーダをなんとか背中で着陸させた。



「ガッ!」



とはいえ流石に慣性は殺しきれなかったのか軟着陸とはいかない。

身を叩く衝撃で息が詰まる。

だが怪我の功名。

そのおかげで飛びかけていた意識が朧気ながら帰ってきた。

全身の焼けるような痛みを無視して上半身を起こし、霞む視界で追っていた違法魔導師を探す。

居た。

こちらを仕留めたつもりでいるのか背を向けて更に逃走する姿勢を見せている。



させ、ない……。



デバイスを掴んだまま、小刻みに震える右手を上げる。

無意識の状態でも相棒は手放していなかったようだ。

敵はまだこちらに気付いていない。

時間は、ある。



「ランスターの……弾丸、に……」



不規則な呼吸と手の震えを感じながら、照星と照門を目標へと重ねる。

相手はほぼ真っ直ぐ飛行しているが、手の方がフラフラと揺れて中々それらが一致しない。

焦らずに機を待つ。

脳内麻薬の効果か、痛みはもうさほど感じなかった。

逆に言えばもう長くないと言う事なのだが、好都合だ。

1発撃つまで保てばいい。



「撃ち抜けない、物は……」



ようやく待ち望んだ時が来た。

ティーダの目と照門、照星、目標が1本の線で結ばれる。

手の震えのせいでこの一瞬にしか訪れない、ただ1度のチャンス。

外しはしない。

そうだ。

ランスターの弾丸に、撃ち抜けない物など――――



「ない!!」



発砲。

死力を尽くした、最高とも思える1発。

今までの弾速を更に上回る閃光が、敵へと吸い込まれるように宙を切る。

そして瀕死の状態から放たれた必中の一撃は見事目標の脇腹を撃ち抜いた。

相手は殴られたようによろめき、そのまま慌てるように逃走を続けた。



やった……。



そこまで見届けた所で限界がきたのか、ティーダはぐらりと後ろへ倒れ込んだ。

大の字になり天を仰ぐ。

もう、指一本動かせはしない。

既にバリアジャケットも保てず、今彼を包むのは首都航空隊の制服。

ただの服に過ぎないそれに防護フィールドなど当然無く、雨は容赦なく彼を打ち据える。

降り止まぬ雨によって時間と共に広がっていく血溜まりの中に、彼は沈んで行った。



はは……何とか、なった……かな?



非殺傷設定弾で深手は与えられた。

あれだけの手傷を負わせればそう遠くまでは逃げられまい。

無茶に戦闘を行う事も出来ない筈だし、後は他の誰かが捕まえてくれるだろう。

人任せなようで恥ずかしいが、これが今の自分に可能な最大限だ。



「ゴブッ!
 ゴハッ!ガハッ!」



身を折って不意に込み上げた咳を吐く。

喉にも血が溜まっていたらしく、それは赤い液体を伴って口元を汚した。

それすらも顔を濡らす雨によってすぐに流されてしまうが、もうティーダには分からない。

感覚という感覚が消え失せ、ぼんやりと開かれた目も焦点はまともに合っていなかった。



もうダメ……か……。



ハー、と力無い吐息を流しながら、漠然とそう知れた。

恐らく今の急な動きが止めを刺してしまったのだろう。

もう何も見えない、感じられない。



ティアナ……。



ただ思うのは、残される妹の事。

自分もいなくなって、あの娘はこれからどうなるというのだ。

両親も既に亡く、今まで自分1人で育ててきた、あの娘は。



僕は……。



誓ったのに。

泣きながら父と母の墓にすがる彼女を見て、自分は誓った筈だったのに。

この娘を見守って行こうと。

この娘を幸せにしようと。

なんて事ない、だけど何より大切な気持ちだったのに。

なのにもう、叶わない。

自分はあと数呼吸も保たない、だろう。

恐くはなかった。

ただただ、悲しい。

自分のせいであの娘をついに独りぼっちにしてしまう事が。

かすれた嗚咽と共に、何も映さない目から涙が一滴、流れて消えた。



「帰りたい、よ……」



万感の思いを込めた言葉。

それを最後に、彼の胸はその上下を止めた。










**********










「首都航空隊の、エースが落ちた!?」

「ああ。
 犯人は今も103の方に逃走中だそうだ。
 支援要請も来てる」



雨の中、非常警戒線を築いていた108に悪い報せが届く。

手配中の次元犯罪者を追跡中だった首都航空隊員が撃墜された、と。

そのニュースは隊員達に少なからぬ衝撃を与えた。

現在は部隊を総動員した警戒網が展開されているが、結局の所航空魔導師を追えるのは同じ航空魔導師だけだ。

陸戦魔導師中心の陸士部隊ではせいぜいがこうして待ち伏せして撃ち落とす事しかできない。

それも大きく迂回されたらお終いの頼りないものだが。

そこにこちらのエースを退ける程の凶悪犯が向かっているというのだ。

恐らく相手せねばならない103の方ではもっと混乱があるだろう。



「ただ全員は割けねぇ。
 こっちから出せるのは数人が限度だな……」



支援要請が有るといっても流石にここをガラ空きにするわけにはいかない。

最低限戦線を維持できる程度の人数は残して置かなければ、いざ目標が進路を変えた時に対応できなくなる。

そこを考えると本当に数人しか他に遣る余裕はない。

と、なれば。



「俺が行きます。
 飛んで行けば他より早く合流も出来るでしょうし」



名乗りを上げたのは黄色いレインコートを着込んだゲルトだ。

まぁ、妥当だろう。

応援としては十分に体裁が整うし、直線で進めるため合流に掛かる時間も段違いだ。

ここは陸士ではどうしようもない。



「それしかねぇか……。
 すまねぇが頼む」

「了解。
 それじゃすぐに出発します」



そう言うと彼はレインコートを脱ぎ捨て、要請のあった103が居る方に向き直る。

右手をかざし、いつものようにナイトホークに呼びかけた。



「ナイトホーク、セットアップ」

『セットアップ』



復唱。

彼女の応じる声と共に今着ている陸士部隊の制服が分解され、彼自身のバリアジャケットが構成されていく。

数瞬の後には完全武装の彼がそこに立っていた。

展開したナイトホークの柄をしっかりと掴む。

バリアジャケットの防護フィールドが降りしきる雨を弾き、彼の立つ所だけが他とは隔絶されたような雰囲気を放つ。



「毎度の事だが無茶はすんなよ」

「はい。
 ……行きます」



ゲンヤ達に一言を告げて空へと舞い上がる。

そのまま雨の街の上空に出て、加速。

赤橙の光を引いて目的地へと向かった。





**********





ビルとビルの間。

狭い裏道を頼りない足取りで進む影がある。

それは時に壁にもたれかかって休み、また歩みを再開するという事を繰り返してあてもなく街を彷徨っていた。

ティーダに脇腹を撃ち抜かれた、あの男である。

彼は右手で銃創を庇い、左手でデバイスを杖のように突いて重い足を踏み出す。

押さえるそこは未だ血を滲ませており、また相応の痛みがあるのか彼の顔は苦悶の色に染まっていた。



あの、野郎……!



死の間際に放たれた最後の1発は確かに彼にとって致命的だった。

速度が出るとしても、もうまともな回避運動はとれないので無闇に姿を晒すような飛行はできない。

こうして人目を避け、地を這いずって身を隠す所を探す他は無い。



クソ、クソ、クソッ!

あんのガキ、大人しく死んどきゃあいいものを……!



今こうして惨めを晒す原因となった男への憎悪を燃やし、呪詛を吐き捨てながら歩き続ける。

そうしてどれくらいかが経った頃、ふと視線の先に裏道の終わりが見えた。

向こうは表通りだろう。

止血するための諸々や身を落ち着かせる場所を得る為にはあそこを通るしかないだろうか。

この雨では誰も隣を歩く人間になど興味を寄越さないだろうし、上手く人ごみに紛れる事もできるかもしれない。

そう思い、とりあえず向こう側の様子を窺ってみるが、



チッ。

もう来てやがる。



そこには既に管理局の者達の姿が見えた。

同じレインコートを着た連中が周囲を警戒するように視線を巡らせ、奥には指揮車も見える。

どうやら運悪く検問のすぐそばに出てしまったらしい。

一般人の姿も殆ど見えない所から察するに交通規制も掛かっているのだろう。



こりゃ駄目だな。



他を探した方がいいだろう。

こんな状態で見つかるのは厄介だ。

慎重にいかなければならない。

ここを通るのは諦め、戻って別の道を探そうと後ろを振り返る。

と、今まで彼以外に人気もなかったその通りにもう1つ、他の人影が立っていた。



なんだ?



先程撃ち落とした男よりも更に若い、まさに少年といった年頃の子供だ。

彼をよく見ればバリアジャケットを身に纏い、伸ばした右手にはデバイスらしき槍がある。

20メートルほどの距離をとっている彼はそのデバイスを地に立てるように直角に支えてそこに居た。



魔導師……?

局員か!?



瞬間的にその結論に至る。

その予想は正しかった。

こちらが彼に気付いたのを確認してか少年が口を開く。



「動くな。
 お前を拘束する」



2人だけの通りに、やけにその声が響いて聞こえる。

間違いない。

この子供も追っ手だ。



どうする?



どうやってこの状況を切り抜けるかを考える。

しかし後ろには局員がうじゃうじゃ、前には子供が1人。

既に答えは出たようなものだ。

なにより、



拘束?

拘束だと?



気に食わない。

さっきのガキといい、こいつといい。

どいつもこいつも。



「ハッ!
 やってみろよ坊主ッ!!」



利害よりも感情の方が先に決めた。

この、目の前の生意気な子供を潰すと。

痛む脇腹に顔をしかめながら、杖代わりにしていたデバイスを無理矢理振り上げる。



「!?」



だが、今までそこにいた筈の少年がいない。

転移魔法?

しかし管理局員が街中でそんな物を使うとは思えない。

基本的に市街地での魔法行使は厳禁だが、その中でもあれは最たる物の1つである。

では飛んだ?

それも否。



「こっちだ」



足元から聞こえた声に背が粟立つ。

こちらが構えたデバイスよりも下。

少年はそこにいた。

両足を大きく開き、姿勢を大きく下げてこちらの懐に飛び込んでいる。

金に輝く瞳をした少年は既にデバイスの刃を上向かせた状態で構えていた。

思わず顔が引き攣る。



「クソ」



下段から持ち上げられた刃に引っ張られるようにして赤橙の剣圧が発生。

優に5メートル程の高さまで噴き上がるそれは、まるで津波か何かのよう。

間近で放たれたそれを防ぐ手立てはない。

容易く足が地から離れ、大通りへと吹き飛ばされる。

受け身も取れずに路面へと叩きつけられた。

勢いはそれだけで止まらず、雨に濡れた道を軽くバウンドしながら滑る。

ようやく止まった時には脇腹だけではなく全身を鈍い痛みが包んでいた。



「う……ぐ……」



天地もあやふやになるような飛ばされ方をしたせいで頭痛も酷い。

なんとかうずくまり立ち上がろうとする。

逃げなくては。

手傷のある今、あいつを相手にするには分が悪い。

そう思うのだが、ボロボロの体は意に反して緩慢な反応しか寄越さなかった。

そしてそれを見逃すような情がゲルトにある訳もない。



「ぐぅっ!?」



背を丸める男の元へと近寄ったゲルトは、容赦なくその体を蹴り倒した。

もたついていた動きを遮断され、強制的に仰向きの格好にさせられる。

そして街を覆う暗雲を視界に収めた時、その喉元にはデバイスの切っ先が突き付けられていた。



「…………」



薄皮を裂いて止まる刃を思えば一言も発する事はできない。

唾を飲む動作にさえ命の危険を感じた程だ。

肩も体重をかけて踏まれ、上半身の自由は奪われている。

どのみち身動ぎもできない状態では動きようがないのでどちらでも同じことだが。

もはや完全にまな板の上の鯉。

生かすも殺すもこちらを殺気に溢れた瞳で見下ろす少年次第だ。



沈黙が流れる。



少年は未だ無言を貫いてこちらを覗き込んでいた。

時を増す毎に少年からのプレッシャーは増大していく。

もう何かの拍子に発狂してもおかしくはない。



このまま永遠にこの状態が続くのかとも思われたが、幾つもの足音と共にそれは終わりを告げた。

事態に気付いた103部隊の者達がようやく到着したのだ。

駆け足でこちらに接近している所から見るに、今の沈黙も実際には数十秒程度の事だったらしい。

しかし与えられた恐怖は本物だ。

雨で分かりにくいが、今も彼の体からは冷や汗が止まらない。

四方から向けられているどんなデバイスも、この目の前の1本には敵わないと思えた。



「もう結構です。
 ウチの者が押さえているので大丈夫ですよ」



指揮官らしい男がゲルトに話しかける。

現に押さえつけた男の周囲には多重にバインドが発生しており、もはや逃亡も暴走も許さないだろう。

ゲルトは一瞬躊躇するような素振りを見せ、しかしゆっくりとナイトホークを逸らした。

肩からも足をどけ、後を任せて少し下がる。



「ありがとう。
 おかげでウチの者には被害も出ずに済んだよ」

「いえ、偶然でしたので。
 頭を上げて下さい三佐」



最早放心状態の男が脇腹の応急処置の後、連行されていくのを見送りながら103の部隊長から感謝の言葉を受けた。

彼は自分より幾回りも年下の少年に頭を下げているのである。

まして階級も下。

普通は有り得ない事である。

ゲルトも恐縮の念からそれは辞した。



「いや、しかし流石はナカジマ三佐の秘蔵っ子。
 首都航空隊でも押さえられなかった魔導師をああも容易く、とは……」

「俺は今回何もしていませんよ。
 あの脇腹の傷、あれはその人がやったんでしょうし、尻馬に乗っただけです」

「謙虚だな、君は。
 もう少し胸を張っても良いと思うがね」



103の部隊長はゲルトの言葉をそう受け取ったらしい。

だが、ゲルトにしてみれば全く言葉の通りだし、手放しに喜ぶなど出来ない。

今回の事で賛辞を受けるべきは自分ではなくその首都航空隊のエースだろう。

身を挺して次元犯罪者を足止めし、深手までも負わせたのだから。

確かに犯罪者を取り逃がした事は痛いが、逃亡の手を封じたのだからきちんとその役目は果たしている。

あの魔導師に落とされたという事だが、彼の身は大丈夫だろうか。



そんな折、ゲルトに通信が入った。

発信者はゲンヤ。

恐らくは事件解決の報を受けて連絡を寄越してきたのだろう。

そういえば自分の口からはまだ直接の報告をしていなかった。



「ああ、すみません。
 ウチのボスからみたいなのでこれで失礼します」

「引きとめてすまない。
 今回は本当に助かったよ、グランガイツ・ナカジマ一士」



敬礼で見送られた。

ゲルトもそれに挙手の礼で応じ、その場を離れた。

部隊との合流点へと歩を進めながら通信を受ける。

周りではまだ103の者達が慌ただしく動き回り、検問を解除したりと忙しくしている。

きっと108の方もそうした作業に追われているだろう。



「ゲルトです。
 任務完了、魔導師は捕まえました」

『御苦労だったな。
 詳しい報告は後で聞くからとりあえずこっちに戻ってくれ』

「分かりました。
 ……そう言えば例の首都航空隊の人、どうなったか分かりますか?」

『…………』



ずっと頭の端に引っ掛かっていた事を尋ねる。

さっき103の部隊長に聞いてもよかったのだが、どうもそういう雰囲気ではなかった。

そしてゲンヤの歯切れが悪い所を見るとやはりあの場では聞かないで良かったと思う。

もしあの場で聞いていたら再度あの男を殴り倒していただろう。



『亡くなったよ。
 発見された時にはもう、息は無かったらしい』

「そう、ですか……。
 彼の、名前は?」

『ティーダ・ランスター一等空尉、だそうだ』



ティーダ・ランスター……。



口の中で呟き、その名を刻む。

決して忘れないよう、いつでも思い出せるよう。



「ありがとうございました。
 すぐにそっちへ戻ります」

『分かった。
 だが無理に急ぐ事もねぇぞ
 ゆっくりでいい』

「了解」



雨の街を歩きながら、ゲルトは顔も見た事のないその隊員を思う。

命を懸けて戦い、この街を守った人の事を。

この街の何を、誰を、彼は守りたかったのだろう。

漠然と何かを守りたい、という気持ちで命までは懸けられない。

きっといたのだ。

自分と同じように、彼にもそういう人が。



詮のない考えではある。

自分が幾ら憶測してみても、もう彼に問う事は出来ない。

しかし、それでもせめて。



俺はあなたを尊敬するよ。



心からそう思う。

身を挺して戦ってくれたあなたを、自分は尊敬する。

父やメガーヌ達と同じに、生涯あなたの名は忘れない。



『ゲルト、大丈夫ですか?』

「ああ」



ナイトホークの声には些か心配の色が見える。

バリアジャケットも解除し、わざわざ雨に打たれて歩く彼が気がかりなのだろう。



「でもそうだな、少し……少し、ゆっくり帰ろう」



雨はまだ止みそうになかった。










(あとがき)



今回のは前から構想があったので筆の進みが段違いに速い速い。

そのせいで前後編になってしまい、予定のキャラは出せなかったんですが………もう誰が来るかは分かったね?

後編では彼女が登場します。



それと前回ゲルトのフルドライブ攻撃でどういう事をしたのかよく分からないという事が結構書き込まれていたので今回も使わせてみました。

あれを法外な魔力で威力および範囲拡張したものがそうです。

ナイトホークの剣筋に沿って発生する極太の剣圧、その具現化みたいなものと思ってくれれば。

攻撃属性としては斬撃ではなく爆圧とかに近いもの。



上段からだと前方斜め下に叩きつける形で威力がやや高め。

 この時は射程の短いエクスカリバーみたいな見た目。

横薙ぎだと射程や範囲がかなり伸びるが、逆に周囲の被害も大きくなる。

 この場合見た目には後ろが細く、前に行くほど太い円状になる。ただし後方30度位は死角。

下段からだと上に抜けるので被害が抑えられ、街中では基本こっちを使う。

 本文の通り扇状の津波みたいな形になる。地表面で太く、上へいくほど細い。



とまぁ、だいぶ鬱陶しい説明になりましたがこんな感じですね。

デバイスによる直接攻撃ではないので非殺傷の設定も可能。

フェイトみたいに魔力刃が伸びている訳ではありません。

そういう事も出来なくはないけど周辺の事を思えば使う機会がないという感じ。



それではまた次回。

次もそう遠からず出せると思いますのでもうちょっとお待ち下さい。

Neonでした。



[8635] sad rain 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/10/04 03:58
時空管理局の地上本部。

その中でもクラナガンの街を一望できる総司令官の執務室。

部屋の主たるレジアスは昨日解決したとある事件の報告書に目を通していた。



「ふむ、これは使えるか」



そう言って読み終えたそれから目を離す。

視線を逸らした彼の前には副官にして娘のオーリスが立っていた。



「……では、この件で表彰、ですか?」



うむ、とレジアスも頷いた。

言うまでもなくゲルトの事だ。

レジアスらが問題にしているのは彼の功績について。

彼らの目的に沿うなら、ゲルトにはもっと世の注目を集めてもらわなくてはならない。

ゲルトの利用法とは即ち戦闘機人を取り込む際の潤滑剤である。

有用であり、また安全であると証明してもらわなければならないのだ。



とはいえ、別に一般局員のレベルにまで彼の正体を公開する必要はない。

現状、彼の経歴で追えるのはせいぜいが首都防衛隊期からのみで、それも実験施設から保護された上での希望入局となっている。

既に執行猶予も満了しているので、万が一殺人の件が露見しても問題はあるまい。

最悪その場合でも情に訴える方法で人気へと利用する策は整えてある。

そして機人関連は機密度の高い情報に指定されているのでこれに至っては絶対に広まらない。

彼の正体については開示権を持つ幹部達にだけ知られていればそれでよいのだ。



「陸士部隊では武勲も立てにくいと思っていたが、これなら他から文句も出まい」



眉間を押さえて言う。

どうやら疲れが溜まっているようだ。

肉体的にも、そして精神的にも。



「以前のロストロギア殲滅の件を使えれば良かったのですけれど」

「そんな事をしてみろ。
 局の不手際の方が目立って叩かれるのがオチだ」

「それもそうですね。
 今回の件では……まだ、一局員の失態で済みます」



やや肩を落とし気味にそう言って、今回の事件における殉職者のデータを眺める。

次元犯罪者追跡の折、交戦の末死亡した首都航空隊員。

ティーダ・ランスター一等空尉……いや、二階級特進で二等空佐になるのか、の経歴だ。



時空管理局・首都航空隊所属。

ミッドチルダ式魔導師。

魔導師ランク:AAA

空戦適正を備える優れた魔導師で、精密射撃に才を発揮。

精鋭揃いの隊内でも頭角を現す。

勤務態度は至って真面目。

人格面、金銭感覚その他にも特に問題は見られず。

両親は既に他界しており、現在は11歳年の離れた妹と2人暮らし。

まだ幼い妹の面倒を見る為に海からの招聘を辞して、地上部隊へ。

執務官志望だったが、それも妹の成長を待ってから、との事。



享年21歳。



そこまで読んでオーリスは平時のポーカーフェイスを崩し、僅かに目を伏せた。

流石に居たたまれなくなったようだ。



「そんな顔をするな。
 私とてこんな、若者をダシにするような真似……気分のいい訳がない」



レジアスもまた顔をしかめている。

彼としてもどんな形であれ、地上の平和に殉じた者は讃えられてしかるべきだと思う。

だが今回の表彰の場合、首都航空隊の、それも“エースですら”止められなかった犯罪者を捕らえたからこそ意味があるのだ。

彼を前面に押し出してしまえば、当然ゲルトの評価も霞んでしまうだろう。

それはいけない。

前回の件は事件の重大さと、市街地で実際に起こった場合の被害予想規模から表向きに宣伝は出来なかった。

またそれ以外の建前として、昨今不祥事が続いている局としてもここらでイメージの回復をせねばならない所だ。

先日も武装隊員が立て篭もり犯を狙撃する際、誤って人質を撃つなどという事故があったばかりでこちらも重要な理由といえる。

そういう訳でこの機を逃す訳にはいかないのである。



「分かっております。
 ですが……」



オーリスとて、頭で理解はしているのだ。

これが必要であるという事くらい。

ただそうと言って、情の全てを捨てきれるものではない。

そもそも彼女はその深さゆえに父の支えをしようなどと思い至り、そしてここにいるのだから。



そして彼女がそうまで表情を陰らせる理由。

彼女の視線は、レジアスの前に浮かんだ1つのウインドウに注がれている。

映されているのは束ねられた何本ものマイク、そして頭を下げる壮年の男。

格好はよく見知った首都航空隊の制服である。

腰から身を折ったその姿勢は、明かに謝罪を示すものだった。

当然と言える。

そのものずばり、これは謝罪会見なのだから。

話しているのはランスター二佐の上官。

内容は昨日の事件において逃走犯を取り逃がした事に対する公式な会見。

そして語られる言葉は、



『今回の事件における隊員の失態は皆目、弁解の余地もありません。
 市民の皆様の安全を守るべき立場にあり、かつ栄えある首都航空隊に身を置きながら、みすみす凶悪犯の逃走を許すなどと……!
 ……幸いな事に犯人は間も置かず他部隊によって捕縛されましたが、それにより無用な混乱を招き、また危険を拡大したのは如何ともし難い事実。
 首都航空隊員たれば腕が落ちようと足がもげようと、食らい付いてでも止めるのが真の姿であります。
 例え死んでも、責務を果たさなかった事は恥部と申し上げて他に言いようが―――――』



そこで切った。

切ったのはオーリスではない。

もはや映像を見てすらいなかったレジアスだ。



「……私は結局、この男と何ら変わらんのだ」



その上で零す。

彼の名誉を回復する事などは容易い。

あの戦闘記録を公開すれば、それだけで彼がどれほどの挺身を果たしたか、彼がどれほどの思いで戦ったのか、広く誰もが知る事となろう。

そうなれば彼を揶揄できる者がこの地上のどこにいようか。

かくて彼は英雄の座へと持ち上げられる事になるだろう。

だが、レジアスはそれをしない。

彼が尊き献身を果たした事実を知りながら、この放送に異を唱えず沈黙する。

それはあの場でティーダ二佐をあげつらい、彼の殉職を貶めた男とどう違う?何が違う?

変わらないのだ。

何も。



「必ず、報われます。
 今日の彼の犠牲がいつか……いつか、きっと……」

「うむ……」



そう信じるしかない。

いつの日か。

戦闘機人を取り込めた暁には、必ずこの地上により確実な平和がもたらされる。

彼のような犠牲を強いる事も激減する筈。

そしてその時にはきっと、このような外法に頼らずとも良くなる筈だ。



私の正義も取り戻せる。



その筈だ。



その筈……だ……。





**********





「彼の者に加持を」



静謐な墓所にまた一つ、新たな墓標が立てられていた。

数人の男達が死者の亡骸を埋葬し、その上に彼を判別する墓碑をこしらえる。



「彼の者に安らぎを」



碑銘は、ティーダ・ランスターとなっていた。

もはや物言わぬ彼が眠る、その前には悲嘆に暮れて項垂れた参列者が佇んでいる。

数は多くない。

20人にも満たない程度だ。

そして地上部隊の制服を着たゲルトとゲンヤもまた、その中に名を連ねていた。



「彼の御霊よ眠り給え――――」



弔鐘が重く響く。

暗雲が日を覆い隠し、広大な墓所には皆の心象を具現するような寒風が吹いている。

ゲルトはその冷たさに身を竦めながら、墓前にへたりこむ少女に視線を向けた。



ティアナ・ランスターと、いうらしい。

年は自分より3つ下。

そして両親を早くに亡くした二佐の、唯一の肉親。

今回の件で天涯孤独となった、彼の妹だ。



「早過ぎるよ、二佐」



彼女のこれからを思えばそう呟かずにはいられなかった。

最後に残った2人だけの兄妹だったのに、彼女はこの先を1人で生きていかなくてはならない。

全てを亡くした悲しみを抱えたまま。

それがどれほどの重圧なのか、同じような経験をしたゲルトには分からないでもない。



先程ちらりと見たティアナは涙を流してはいなかった。

少なくともこの場では。

だがその目元は赤く腫れていたし、力無い目そのものも充血していた。

恐らく昨晩は泣いて過ごしたのだろう。

そこへいくと一言も発さずに座り込む今の彼女は、まるで抜け殻だ。

声を掛けてもまともな反応を寄越さず、ただ兄の墓だけを見つめている。



似てる、な。



あの日の自分と。

全てを失った2年前の自分と。

抱えきれないほどの悲しみが、穿たれた巨大な空洞が、ティアナの情動を奪ってしまっている。

ただ、彼女の場合は自分のそれより酷いだろう。



(例え死んでもその責務を果たさなかったことは――――)



あの見ていて腸が煮えくりかえった謝罪会見を思い出す。

その後のコメントも散々なもので、はっきりとは口にせずとも無能、役立たず、恥晒し、そう言うのと大差なかった。

ああまで死んだ家族を罵られて、貶されて。

彼女の心の傷は如何ほどのものか。



あの部隊長とやらがこの場にいないのがせめてもの救いだった。

恐らくティアナを慮った誰かが遠ざけてくれたのだろう。

もし目の前にいたならすぐさま殴り倒していた所だ。



「…………」



先程から何人かの男、制服から見てティーダの同僚だろうか、が慰めようと声を掛けているがティアナは全く応答しない。

完全に心を閉ざしてしまっているようだ。

余程親しい者でなければ今の彼女には言葉も届けられまい。

だが、それが出来たであろう最後の1人もいなくなってしまった。



……では誰が彼女を救える?

誰が彼女の凍りついた心を融かしてやれる?

あの哀れな少女を。

英雄が1人残した妹を。

誰が。






**********





「俺が、表彰……!?」



ティーダの葬儀も終わり隊舎に戻った頃、ゲンヤが持ってきたその報せにゲルトが驚愕の声を上げた。

全く予想もしていなかったその事態に目を見開いている。



「そうだ。
 お前の昇進もあるらしい」



表彰の理由は昨日の次元犯罪者捕縛に際し、単独にてこれの制圧を果たし大きな功ありと認められたが故。

それには公の場で式が執り行われるだけでなく、受賞者の一階級昇進も含まれている。

おおよそ地上部隊において望み得る最上とも言えるものだ。

栄誉、名声、階級。

それらを一度に手にできる事などそうはない。

誰もが憧れる誉れの極致。

そう、ゲルトもその歓喜に身を貫かれて――――



「ふざけるな!!」



などいなかった。



「俺が!表彰!?
 何で俺だ!!」



握り締めた右手を壁に叩きつけて吼える。

まさに怒髪天を衝くといった様子。

激情のままに振るった手の腹は、彼の怒りの程を示すような重い音を鳴らして部屋を揺るがす。



「どうして俺なんだ!
 何でランスター二佐じゃない!!」



そこだ。

その一点が、ゲルトにはどうしても許せない。

何故だ。

何故、身命を賭して凶悪犯に立ち塞がった彼が貶されなければならない。

何故、ただ彼のお膳立てに乗っただけの自分が最高位の賛辞を受けなければならない。



何故―――――



「……すいません」



そこでゲンヤに言っても仕方がないと気付いたらしい。

ゲルトは姿勢はそのまま、バツが悪そうに顔を伏せた。



「断りの連絡を入れて下さい。
 俺はそんなもの、要らない」



拳を固く握り、絞り出すように言う。

当然だ。

彼の葬儀に出席した上でそんな恥知らずな事が出来るものか。

そんな、彼の戦いを踏みにじるような真似が出来るものか。



「……いや、式には出ろ」

「!」



思わずゲンヤに掴みかかる。

ゲンヤは否、と告げたのだ。

ゲルトの心中など、共に葬式に出席した彼なら容易に理解できる筈だろうに。



「曲がりなりにも式典なんだ。
 下手に断ったりすりゃ、上の奴等の面子が潰れる」

「そんな事、俺が知った事か!!」



予想はしていたのか、ゲンヤは動じずに先を告げる。

だが、そのような理由で納得できる筈もない。

ゲルトはより激した様子で彼に詰め寄った。

そんな卑小なものと、ティーダの尊い犠牲。

その優先度は比べるべくもない。

それを何故分かってくれないのか、という失望もまた彼に火を注いでいた。



「お前はそれでいいのか?
 それで上の反感を買ったら、わざわざウチに入った目的はどうなる?」

「ッ!
 それ、は……」



ゲンヤの正論に、彼を掴む力が僅かに緩んだ。

確かに。

まだ一向に進んではいないが、これから首都防衛隊壊滅の真相を掴むのに無用な諍いは面倒だ。

ただでさえ困難だというのに、動くべき時に向こうの個人的な感情から妨害などが入ったら目も当てられない。

大人しく受け取っておいた方が波風も立たず今後にも良いのは当然だろう。

ついでに言うと表彰者を出したとなれば部隊に取っても有益である。



「けど……俺、は……!」



ゼスト隊の無念を晴らさねばとは思えど、ゲルトはそんな風に割り切れない。

あの時のティアナの顔が脳裏をちらつく。

自分が公の場で盛大に賛じられれば、その分二佐やティアナは貶められる事になるだろう。

ああ、あれが犯人を取り逃がした局員か、と。

あれがあの無能の妹か、と。

今でさえあの謝罪会見でその風潮が生まれつつあるというのに、その止めを自分に刺せというのか。



「そんな事、できる訳が……」



ゲンヤを掴んでいた手を離し、彼を叩くようにしたゲルトが苦渋に満ちた言葉を漏らす。

力があってもどうにもならない。

魔力があっても、先天性の異能があっても、人並み外れた身体能力があっても、何の役にも立たない。

何かをしてあげたいのに、ただ1人の英雄も、たった1人の少女も助けてやれない。

結局自分は2年前から何も変わっていないのだ。



あの日から、俺は何も……!



「聞け」



そう己の無力に打ちひしがれるゲルトの肩を、背筋を伸ばさせるようにゲンヤが掴んだ。

俯いていたゲルトの目をゲンヤの瞳が射抜く。

その鋭い視線に気圧されたゲルトは言い返す事も出来ずにただ彼の次の言葉を待った。

そうしてゲンヤはいいか?と一言前に置き、続ける。



「とりあえず式にさえ出りゃ上の連中に異存はない。
 だがその場合、お前は首都防衛隊が取り逃がした凶悪犯を捕まえた功労者として表彰され、逆に二佐の方は今度こそ無能の烙印を押される。
 それをなんとかしたい訳だ、お前は」



その通りだ。

順を追って問題を列挙するゲンヤに首肯して同意を伝える。



「ところで、式にはお前のスピーチってのも予定にあってな。
 せいぜい数分位の事だが、お前には観衆の前で物を言う時間があるんだよ」



そこでゲンヤは様子を少し変えた。

今までは淡々と事実を述べていただけだったのが、心なしか崩れたような話し方になる。



「まぁ普通は自分がどうやって犯人を捕まえたか、とかを話すもんだが……別に内容までは指図されてねぇ。
 基本的には何を言おうが自由だ。
 例えば、犯人の脇腹に一発くれてやったのが誰で、命張って街を守ったのが誰か、とかな。
 ……言ってる意味分かるか?」



最後でゲンヤはにやり、という擬音がぴったりの笑みを浮かべた。

彼が言っているのはつまり、ただ式を蹴るのとも違う第3の方法。

出来る限り今後にも支障をきたさぬよう、しかしティーダの名誉も守れるように考えられた現状最善の策。



「はい……はい!」



その事に気付いたゲルトもやや遅ればせながらしっかりと頷く。

言われてみればそうだ。

マスコミが山程集まるのなら、偏ったティーダへの評価に異議を唱えるのにまたとないチャンス。

上層部とて局のイメージが上がるなら文句はあるまい。

天啓とも言えるゲンヤの言葉で光明が見えてきた。

少なくともティーダの名誉に関してはどうにかなる、かもしれない。



「じゃあ、やるんだな?」

「ええ。
 ありがとうございます」



これで二佐の名誉を守れるなら。

その結果ティアナが立ち直る手助けになるのなら。



「やりますよ」



決意を秘めた眼差し。

ぐっ、と拳も握る。



勝負は明日。

今度の戦は力に依らない。

場所は檀上。

頼みにするは口先1つ。

それを以て真の英雄たる二佐の名誉を取り戻す。



問題は自分の声が皆に届くか、だ。

下手を打つとただの売名行為と取られて終わりかねないが……。

いや、こんな考えではいけない。

やるのだ。

やり遂げるのだ。

悩むのはその方法だけでいい。

でなければ二佐にも父にも顔向けできない。

そうだ。



届かせて、みせる!





**********





厚い雲のせいでまだ日も通らない大通り。

高層ビルが立ち並び、巨大な交差点が道を区切るそこを、1人の少女が行く当てもなくぼんやりと歩いていた。

オレンジの髪を両側で縛ったツインテール。

ティアナだ。

人混みに紛れ、時に肩をぶつけられながら、それでも彼女は街を彷徨う。

普通の子供なら学校へ行く時間ではあるが、彼女は忌引きで休む事が許されている。

だから無気力のまま家に引き籠っていても良かったのだが……無理だった。

家にはいられない。

あそこには兄の面影が強く残り過ぎている。

兄の部屋の前を横切る度。

専用のカップを見る度。

それだけで兄の姿が蘇った。



(おはよう、ティアナ)

(皿は僕が洗っておくから歯を磨いておいで)

(ティアナ……)

(ティアナ……)



いつでも優しかった兄。

己の夢も時間も犠牲にして自分の為に色々と気を配ってくれた兄。



兄さん……。



手取り足取りで魔法も教えてくれた。

お世辞にも優秀とは言えない弟子だったけど、彼は嫌な顔一つせず付き合ってくれた。

そうして自分が新しい事をマスターする度に誉めてくれるのだ。

頭を撫でて、流石僕の妹だ、と。

いつもあの手の平と言葉のために頑張った。

自慢の兄の、誇れる妹であろうと。



なのに……。



兄は死んだ。

殺された。

もう帰ってこない。

声も掛けてくれない。

父や母と同じに、遠い遠い所へ行ってしまった。

今度こそ1人ぼっち。

その上――――。



新聞を広げて座っている男性が目に入った。

彼が持つ新聞の一面には大きく少年の顔写真が載っている。

年はティアナより少し上だろう。

そしてその見出しには、



「鋼の騎士」

「地上の新星」

「アーツ・オブ・ウォー」



そんな文字が大きく銘打たれていた。

大仰ともとれるその言葉は、どれもただ一人の少年を指す言葉である。

二つ名というには数が多いが、どこの世界でもこんなものだ。

通信販売でも英雄でも、それが有ると無いでは見る者に与えるイメージが全く違う。

そして今回、大功によって表彰される若い局員に付けられたキャッチコピーがそれだった。

だがティアナにとっては彼が何者であろうとどうでも良い事。



なんでこの人だけが誉められるの?



兄と同じ管理局員で、兄と同じように戦って。

兄は首都防衛隊のエースで、彼は無名の陸士部隊員で。

なのに兄は恥晒しの無能、片や彼は局の若き英雄。



なんで……?



兄を殺した犯人を捕まえた人だというなら、普通は感謝する所なのだろう。

だがティアナの中にある複雑な思いはそれを良しとはしなかった。



兄さんも戦ったのに。



今朝から彼への賛辞をいくつ聞いたかしれない。

道を行く人々が口を開けばその事を話しているのだ、虚ろであった彼女の耳にも入ってくる。

そしてそれに付随して、必ず兄を詰る声が聞こえるのだ。

首都航空隊は何をやっているのか、巻き込まれて死人でも出たらどうする気だ。

そんな言葉が。



兄さんは命賭けで戦ったのに!!



ふつふつと湧き上がる怒りが叫び出したいような衝動を喚起する。

兄は無能なんかではない。

恥晒しでも、役立たずでもない。



兄さんは――――!



口を開く。

思いの丈を吐きだそうとして、そこで止まった。

周りで忙しなく動き回っていた人混みが一斉に歩みを止め、上方の一点を見つめていたからだ。



何……?



不審に思ったティアナが彼らの視線を追ってみると、ビルに備えられた大型テレビに行き着いた。

そこに映っているのはマイクを手にした女性のアナウンサー。

背後にあるのは屋外に設置されたと思しき舞台で、それを見つめるように何人ものカメラマンやアナウンサーが詰めかけている。



『それでは現場からゲルト・G・ナカジマ一等陸士の表彰式の様子を、生中継でお送り致します。
 ここには取材陣も多く詰めかけており、その期待の程が窺えます』



それを聞いてああそうか、とティアナは理解する。

これはゲルト・G・ナカジマを称える為の式なのか、と。



『あっ!
 グランガイツ・ナカジマ一士が、入ってきました!』



周りからどよめきが聞こえる。

地上部隊の制服は纏えど、まだまだ子供といった様子の少年が式場に姿を現した。

彼は集まった群衆やカメラのフラッシュに動じる素振りも見せず、堂々とした態度で壇へと上がってゆく。

その様に、また周囲の人間が彼への評価を高めたのを感じる。

だがティアナは、



見たくない。



そう思った。

彼がどんな人なのかは知らない。

ただ、この人のせいで兄は馬鹿にされているのだと、彼が兄の功績を奪い取っていったのだと、そう囁きかける自分がいるのだ。。

他の人と同じように彼を誉めそやすなんて、彼女には出来ない。

テレビから顔を背けて歩き出した。

もう一時もここには居たくないと、早足でその場を離れる。



しかし、



『まずは地上本部総司令のレジアス・ゲイズ中将からご挨拶があるようです』

「!?」



逃げられない。

何処へ行ってもその放送が追いかけてきた。

電機屋の店頭にある全てのテレビはその映像を流しているし、道を行く人々の携帯端末にもそれが流れている。

喫茶店でも、本屋でも、お菓子屋でも。

何処へ行っても何かの形で放送が耳へと飛び込んでくる。



『中将が今表彰状と、陸曹の階級章を授与しています!』



「――――ッッッ!」



耳を塞ぎ、目も閉じて走る。

頭をいやいやと振って、全てを否定するように。



『一士が―――失礼、陸曹が檀上へと上がります。
 予定ではこれから彼のスピーチとなっておりますが、一体彼は何を話すのでしょうか?
 これは目が離せません!』



だがそれでもゲルトの名を高らかと賛じる声は聞こえてくるのだ。

目を逸らすなと、そう言わんばかりに押さえつける手を擦り抜けて耳へと突き刺さる。

街に溢れるその声はうねりとなってティアナの頭でも響いていた。



「あっ!」



目を閉じて走っていては無理もないが、通行人とぶつかってしまった。

体重差は大きく、撥ね飛ばされて不様に尻餅をつく。

ぶつかった相手は気にもせずにそのまま人混みへ消えてしまったが、それもまたティアナには屈辱だった。

まるで「ああ、あの局員の妹か」と相手にされなかったように感じる。

目尻に涙を浮かべて睨みつけるも、そこにはただ見知らぬ人の群れがこちらに見向きもせず通り過ぎていくのみだ。



「うっ……うぅっ……」



膝を付いた彼女の目からは熱い涙が零れていく。

悔しかった。

もはや周りの全てがあの英雄を称え、兄を見下している。

いくらティアナが反論しようと誰も耳を貸すまい。



「……兄、さん……!」



そうして彼女が地面を見つめてしゃくりあげる中、ついに檀上に立ったゲルトの演説が始まる。





**********





「ご紹介に預かりました、ゲルト・G・ナカジマです」



彼が言葉を発した瞬間。

今度こそ街はしん、と沈黙に包まれた。

皆、彼が何を言うのかと静寂を保って次を待つ。



「まずはこの度、自分のような若輩の為にこれほどお集り頂まして、本当にありがとうございます」



腰を折って礼の形を取る。

おおよそ年に似合わぬ落ち着きよう。

頭を上げた後も視線は毛ほども揺るがず、その意志の強さを示しているようだ。



「このような舞台で表彰を受けるなどというのは私としても全く慮外の事で、お話を頂いた時には夢かと疑ったものです。
 報せを持ってきた部隊長に何度も聞き返す程でして……。
 ですが今壇に上り、こうして皆様の前に姿を晒した現在、ああこれは現実なのだと実感しております。
 それでは皆様、お聞き苦しい子供の言葉かとは思いますが、これより少しの間どうかお付き合いのほど願います」



そうして彼は喉の調子を整えるように一度軽い咳払いをする。

話をひとまず区切り、聴衆にも一息をつかせるための動作だろう。



「突然ですが、私は父を尊敬しています」



スピーチを再開。

前を向いて胸を張り、はっきりと告げる。



「御存知の方もいらっしゃるでしょうが、私は以前嘱託魔導師として首都防衛隊におりました。
 とはいっても、その時の私は施設から保護されたばかりで名前も何も持たないただの子供。
 ですが部隊の皆は暖かく受け入れてくれて、ゼスト隊長からはゲルトという名前も頂きました。
 それだけではありません。
 彼らは私に戦う術を教え、法を説き、道徳を唱え、そしてゼスト隊長は私を養子に迎えたいと、そう言ってくれました」



話すゲルトの脳裏にも、あの日々は燦然と輝いていた時間として記憶にある。

一時はその眩さ故の喪失感に心を蝕まれたが、もうそんな事はない。

今はただ、優しい温もりで以てゲルトに力をくれる。



「ですが、部隊は壊滅しました。
 私と今の母を除いて……皆、死んで……しまいました」



それでも最後の瞬間だけは、胸に痛みをもたらす。

映像越しに見た瀕死のゼストの横顔も。

絶望的状況で自分達を逃がしたメガーヌの笑顔も。

背中で徐々に冷えてくクイントの体の重みも。

やはり拭い難く心の隅に染み付いている。



「私は皆に生かされ、ここに立っています。
 皆の犠牲で、今こうして話しています」



だがクイントの前で誓った事だ。

あの犠牲を決して無駄にはしないと。

だから、あの悪夢を無理に押え込む事はしない。

奥深くに封印して忘れ去るような事は絶対にしない。

この痛みも悲しみも、全て抱えた上で生きていく。



「私は彼らが無駄死にだったとは思いません。
 いえ、“私がさせません”。
 それが私の義務だからです。
 彼らに助けられた私の、果たすべき責務だからです。
 だから彼らが英雄だったと、この場で申し上げるのにもなんら恥入る所はございません」



僅かに歪んだ顔を改め、殊更に胸を張って宣言する。

そして、と続けた。



ここからだ。

ここからが勝負だ。



「それは今回の事件で亡くなられたティーダ・ランスター二等空佐についても同じです」





**********





「え……?」



その名を聞いたティアナははっと頭を上げた。

涙の跡をはっきりと残した顔を隠そうともせずにゲルトの映るテレビを見つめる。



今、この人兄さんの事を……?



『二佐は決して風評で言われるような無能などではありません。
 彼の挺身があったからこそ私は迅速に手配犯を制圧でき、そのおかげで街への被害も食い止められたのです。
 全ては彼が手配犯の脇腹を撃ち抜いており、その傷から手配犯が弱っていたおかげです。
 もし私が彼より先に手配犯と接触していれば激しい戦闘にならざるを得ず、恐らくは被害も皆無とはいかなかったでしょう』



真っ向からの賛辞。

間違いなく、彼は兄を称賛している。



え?え?

だってこの人は兄さんの手柄を横取りした筈、なんじゃ?



全く予想もしていなかった人物が、最も聞きたかった言葉を躊躇いもなく放ち続けていく。

目を丸くしたティアナは二の句を告げられない。

放送を見る他の人間もまた、世間一般の話とは完全に対立する彼の言い分に目を見張っていた。



『重ねて申し上げます。
 ティーダ・ランスター二等空佐は決して無駄死にした役立たずなどではありません。
 彼こそ――――』



そこでゲルトは大きく息を吸う動きをみせた。

すうっ、と胸を膨らませる。

待ち望んだ瞬間だ。

両手を目の前の壇に叩きつけるようにして、思いの限りをぶち撒ける。



「彼こそ!
 彼こそ真の功労者であり、彼こそが称賛を受けるべき本当の英雄なのです!!』



傍目にも分かる。

彼は心底言葉通りに考えていると。

演技をしている風には全く見えない。



……どういう、事?



呆然としながら、ティアナは今の言葉を反芻する。

つまり彼の話によれば、兄はただ手配犯を取り逃がした訳ではなく、命を賭けて一矢報いたのだと。

また、この少年でも不可能なほど高度な技量を要する事を、兄はやってのけたのだと。

少年よりも兄の方こそが真に称えられるべき英雄なのだと。

そう言っているのか?



『え、えっと……それはランスター二等空佐への評価に誤りがあると……そういう事ですか?』



テレビの向こうで、ティアナと同じ事を考えたらしい記者が質問した。

やや戸惑い気味なのは彼もティーダの事を馬鹿にしていたからだろうか。



『そうです。
 私は彼こそがこの式の主役になるべきであったと確信しています』



即答。

一切の迷いも見せぬ清々しいまでの答えであった。



『それは……二佐が亡くなられたから、ですか?』

『違います。
 同情ではなく、私は単純に事実を指摘しているまでです』



なおも食い下がる記者。

そうまで持ち上げるのは死者を悪く言えないからなのか、と問いかける。

しかしそれにも彼はあっさりと切り返した。

否、と。

ティーダが為した事を思えば、彼が自分より賛辞を受けるべきなのは当然なのだと。



『他に質問のある方はいらっしゃいませんか?』



先の記者がすごすごと席に着いたのを捉えたゲルトは周囲を見渡した。

眼前に集まった群衆を往復するように視線を巡らせる事数回。

誰も立ち上がろうとはしない。



『では私のスピーチはこれで終わりとさせて頂きますが……最後に1つだけ』



質問の無い事を確認し、その上で締めに入ろうとしたゲルトが付け加えるように言った。

これで終わりと思っていた聴衆は僅かなざわめきを発したが、彼がその先を告げようとしているのを感じてか口を閉ざす。



『私には、この場を借りて言葉を送りたい方が居ます。
 その人がこの放送を見てくれているのか、さらに言えば私の言葉が彼女に届くのか。
 それは分かりませんが、せめてメッセージを送りたいと思います』



まだ何かあるの?



実の所、ティアナももう彼への蟠りは殆ど払拭されていた。

あれだけの舞台で堂々と兄の事を語ってくれたのだ。

今更、八つ当たりの様に恨む事などできはしない。

むしろ感謝したい位だ。

ただの同情や慰めではなく、一片の疑いも持たずに兄こそ英雄だと言ってくれた。

他の誰もしてはくれなかった事。

もう後は彼の話を最後まで聞くまでと、次の言葉を聞き逃さないように耳をそばだてる。



『二佐の事は誇らしく、胸を張って語ってあげて欲しい。
 ……君のお兄さんは、英雄だ』

「!!」



今度こそ驚愕する。



「え、嘘……」



今、私に!?



間違いない。

今の言葉は自分に宛ててのメッセージだった。

世界中でもたった1人。

自分だけに。



「あ……」



そう理解した途端、涙が零れてきた。

ようやく止まったと思ったのに、先程にも増してボロボロと、とめどなく。

手で拭ってみても到底抑えきれない。



「くっ……うっ……」



しかしそれは悔しさや悲しみから滲み出る物ではなく、何か温かい物に包まれたが故の雪解けのような涙だ。

声はどうにか噛み殺すものの、そちらはどうしようもない。

彼女はただ顔を抑え、一つの名を刻んで涙を流し続けた。



ゲルト・G・ナカジマ……。



雲間からは、既に光が差し込み始めていた。





**********





「中々良い演説だったぞ、陸曹」



壇を下りたゲルトを出迎えたのは拍手と労いの言葉。

そして時空管理局地上本部総司令、レジアス・ゲイズ中将。

その人であった。

傍らには彼の補佐であるオーリスの姿も見える。



「あ、ありがとうございますレジアス中将」



ゲルトが面と向かって彼と話をするのは、実は初めてである。

先程表彰された時にはお互い形式的な言葉しか交わしておらず、まともに言葉を交わすのはこれが最初と言っておかしくはない。

そのせいかゲルトの受け答える表情も、檀上にいた時よりはやや固くなっていた。



「そう畏まる事は無い、礼を言っているのはこちらだ。
 よくやってくれた。
 特に最後のなどはな」

「はっ。
 いえ好き勝手な事を申し上げまして申し訳ありません」

「気にするなと言っている。
 お陰で局のイメージも回復し、ランスター二佐の名誉も守られた。
 こちらとしては文句の付けようがない」

「こ、光栄であります」



恐縮そのものといった態度のゲルト。

こうして話してみて、ゲルトのレジアスに対する印象は厳しい人、であった。

前に立っているだけで何か気圧される物を感じてしまう。

カリスマ、というのだろうか。

そういうものが彼にはあった。

その事を、嬉しく思う自分がいる。



流石は父さんの親友だ。



事在る毎に父は親友について語ってくれた。

曰く戦う場こそ違えども彼とはまさに戦友であり、彼の正義の為ならばこの命も惜しくは無いのだと。

彼は魔力資質の無いノンキャリアでありながら、現場からの叩き上げでその地位まで上り詰めたのだそうだ。

話では制度の大幅な改革により、目に見える形で犯罪増加率を抑え込むなど目覚ましい活躍もされているとの事。

ゆえにゲルトの中ではかなり雲の上の存在として英雄視してきたのだが、こうして前にしてみるとその評価は正しかったと実感する。

光栄というのはまさにその通りであった。



「しかし、やはり私にここは似合いません」



内心の事は程々に、震えている手をかざしてみせる。

ゲルトにとって檀上に立ち、数えきれない程の視線を浴びるというのは想像以上のプレッシャーであった。

あの時こそ気丈に振る舞えたが、流石に緊張の糸が解けるとそうはいかない。



「あのような場所で辣腕を振るわれる中将を本当に尊敬致しますよ。
 私には、やはりこいつを振るう戦場の方があっているようです」



そう言って右手のナイトホークを示す。

餅は餅屋、という事だ。



「ふ、そういう所は父親そっくりだな」



レジアスは懐かしを覚えるやり取りに苦笑を漏らした。

内心の痛みは押し隠し、決して表には出さない。



「そうですか?
 中将に言って頂けると、何かこう、こそばゆいですね」



そう言ってはにかむ。

ゲンヤがどうこうという訳では全くないが、やはりゲルトにとってゼストは特別なのだ。

似ていると言われて悪い気はしない。

それもゼストの親友であったレジアスに、であれば尚更である。



「中将、お時間の方が」



しかしレジアスも多忙の身である。

2人の会話の切れ目を狙い、オーリスが水を入れた。

レジアスもそうか、と頷いてゲルトの方に視線を向ける。



「すまんが時間のようだ。
 今後もお前の活躍には期待している。
 その名に恥じぬよう精進を続けろ」

「はっ!
 ありがとうございます!」



踵を返していくレジアスを最敬礼で見送る。

ゲルトは彼の背中が見えなくなるまで微動だにせず、その姿勢をずっと保ち続けた。





**********





「予想よりもかなり良い結果に終わりましたね」

「そうだな。
 ランスター二佐の件も含め、ゲルトはよくやってくれたものだ」



あのゲルトが壇を下りる際、割れんばかりの喝采が会場を覆っていた。

世間の彼への注目予想は当初想定していたものより多少上に修正してもいいだろう。

それにランスター二佐の事も穏便に上手く片付いたようだ。

上々の結果と言える。



「しかしゲルト……。
 あれは生き写しだな」



ポツリと漏らした。

彼とは少し話しただけだがあの顔、性根、そして己の腕前に絶対の自信を持っている所も含め、本当によく似ている。

自分の至らなさ故に死なせてしまった親友と。



「そうですね。
 顔は当然ですが、雰囲気も同じようなものを感じました」

「ああ。
 将来はさぞや優秀な局員になるだろう」



ふと彼の目を思い出した。

こちらを全く疑っていない、それどころか憧れすら秘めたような瞳を。

正直、今のレジアスにあの視線は堪える。

自分は彼の望むようなヒーローではないのだ。

もう道も踏み外した。

自分は彼の父も仲間も全て奪った者と与しているような外道なのだ。

あんな瞳を向けられるべき人間ではない。

自分こそ無能と謗られ、恥知らずと罵られるような存在なのだ。



しかし、せめて。



友の遺したあの少年だけは死なせないと、そう誓った。

それ位しかしてやれない。

利用しようとする上でこんな事を考えるのは偽善以外の何物でもないが、これだけは。

これだけは必ず、と










(あとがき)



うわぁ、そんなに遅くはならないとかぶっこいて結局はこれか。

全然この手の宣言守れた事ないな自分。



どうも、前後編なのに随分空いてしまいましたがどうにか完成しました。

基本はティアナが次に登場する時の為の伏線と、久々に登場したレジアスの為の回ですね。

葬儀でティーダの上司をぶん殴る予定も当然あったんですが、ゲンヤにも掴みかかるし何度もそういう事やらせてもな、と思いボツ。

しかしそういう所で結構削ったかと思いきや気付くとかなりの分量に……。

あまり長くし過ぎると細かい所に手が回り切らないので控えるようにはしてたんですが、もうこれ以上縮小は出来そうにないです。



ティアナが次いつ登場するかはだいたい決めてありますが、もうちょい先になりそう。

それではこの辺で、また次回!

Neonでした。



[8635] Over power
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/10/15 00:24
芝生の茂った広大な公園。

そこには5メートルほどの距離をとって相対する者達がいる。

ナカジマ家の長男長女、ゲルトとギンガの2人だ。

ゲルトは黒い半袖のTシャツに、やや緩い作りの長ズボンをベルトで締めたラフな出で立ち。

一方のギンガは紺の半袖と黒のスパッツという格好だ。

指抜きのグローブをした以外無手の彼らは、どうやら格闘訓練中と見える。

身構えた彼らは機を図るように軽いステップを繰り返していた。

そうして両者その場から動かず数秒。



「行きます!」



掛声と共にギンガが飛び込んだ。

地を蹴り、一直線にゲルトへと疾走。

己の間合いへと飛び込んでいく。



「てぇいっ!」



捉えた。

踏み込みと共に引き絞った右腕を突き出す。

狙うは胴体上部の鳩尾。

分かりやすい急所の一つだ。

訓練されたギンガの拳でここを貫けば大の大人でも膝を着かざるを得ない筈。



「っ!」



勿論それも当たればの話だ。

正面から迫るその拳を、ゲルトは難なくいなして凌ぐ。

ナイトホークを用いての槍術が本分のゲルトといえど、接近戦の基本として人並み以上の体術は備えている。

クイントに教わった者同士、おいそれとギンガに遅れを取る事はない。

今もそうだ。

当然、やろうと思えば先手を取る事は容易かったが、あえてギンガがどう出てくるかを試しているのだ。

しかしそれは反撃しない、という訳ではない。

ギンガがあまりに隙を晒すようなら勿論容赦なく打っていく。



「まだまだっ!」



それを分かっているからか、ギンガは攻撃の手を緩めない。

軽く出した右足に重心を移して即座に左拳を振るう。

今度は顎狙いのフックだ。

一撃を防がれた程度で硬直などしていては訓練にもならない。

だが、それもゲルトが身を屈めた事で空を切った。

めげずに三発目の打ち下ろし。

首を垂れるようにしているゲルトの後頭部目掛けて右拳を落とす。



「よっ、と!」



ゲルトはそれを更に後ろに飛びのいて躱した。

再び距離が開こうとする。

少なくともギンガの間合いの外だ。

もう一歩踏み込めば届かないでもないが、時間を与えるのはまずい。



畳み掛けないと!



そう判断した彼女の足元には魔法陣が展開し、左手には風が纏わりついた。

風は唸りを上げて高速回転し、その威力が解き放たれる時を待っている。



「リボルバーシュートッ!」



着地したゲルトが身を起こすよりも早く追撃を放った。

突き出した左手から螺旋を描く無色の拳圧を射出する。

本家たるクイントのそれと比べればまだまだ児戯に等しく、射程もせいぜい数メートルといった所。



「ファームランパート!」



ゲルトにも易々と防がれてしまったが、今はそれでいい。

着地直後の硬直状態にいる彼へと、間を置かずに再接近。

相手に立て直す暇を与えず身を落としての足払いを狙う。

期する所としてはこのまま軸足を刈り取り、背後へと倒す。



「やるっ……!」

「!?」



声にやや驚きの色を含ませるゲルト。

しかし危険を感じた様子ではない。

彼はむしろ自分から後ろへと身を倒し、バク転の要領で難を逃れた。

ギンガが足を払う頃には既に重心としての用を果たしていない。

想定外の切り抜けに一瞬、ギンガの思考が停止する。



ダ、ダメ!

止まったら……!



またしても逃げられ、僅かに呆けた自分を叱咤して即座に動く。

自分が固まってはいけない。

相手に攻め手に回られたら勝負にならないのだ。

乱れる呼吸を意識しながらも右腕を振りかぶる。



「はあああぁぁっ!!」



これで決めようと、渾身の一撃を振り抜いた。

眼前のゲルトはもうこちらに視線を向けようとしている。

タイミングとしてはギリギリかもしれない。

先ほど数瞬の迷いもなければ上手くいっただろうが、致命的だった。

しかし、



今日こそ兄に勝つ。

勝って、力になると示す。

その為に、



届いて!



ギンガの震脚に続いてパァン、と乾いた音が響いた。



「…………」



沈黙。

ギンガもゲルトも言葉を発さず、そのままの姿勢で静止している。



「……惜しい」



ギンガの拳はゲルトの眼前で止まっていた。

拮抗はするものの彼の手に包まれ、その勢いを抑え込まれている。



止められた!



失敗だ。

しかも片手を掴まれている。

逃げられない。



「――――だが!」



思う間にその手を思い切り引き寄せられた。

重心を前に置いていたギンガはその力に抗う事ができない。

完全に体勢を崩し、ゲルトの元へ倒れ込むように引き込まれる。



「あっ!?」



今度は逆にギンガの足が刈り取られた。

ゲルトは掴んだ右腕を起点に彼女を一本背負いで放り投げる。



「ッ!!」



背から叩きつけられ、打ち据える衝撃で息が詰まる。

体がバウンドするように一瞬跳ね、そして力無く地面へと倒れ伏した。



「う……くぅ……」



天を仰いで痛みに喘ぐ。

全体重が重力も加味して身を襲った結果だ。

如何に骨格が頑丈だろうと、内臓を直接襲う衝撃には耐えがたい。

慎重に息を吐いて何とかそれを外へと逃がしていく。



「大丈夫か?」



空しか見えていなかった視界に、一つ。

ひょいと黒い影が浮かんだ。



「兄……さん……」



逆光ではっきりとは見えないが、兄に間違いない。

彼は腰を折ってこちらの顔を逆さに覗き込んでいる。



「まだ辛いようならもう少しそうしてろよ?」

「う……ん。
 大丈、夫」



軽く首を振って、ゆっくりと上体を起こしていく。

確かに痛いが、立てない程ではない。

そこを思うと兄は余程上手く投げてくれたのだろう。



「まぁ、せめてベンチには座ってろ。
 何か飲む物買ってくる」

「ん。
 そうする」



ゲルトは肩を貸してギンガをベンチにまで連れていく。

そしてまだ苦しそうな彼女にそのままでいるように言うと、彼は少し離れた自販機にまで歩いて行った。

それを見送りながら、再び体を弛緩させたギンガは思う。



また負け……か。



普段は母にマンツーマンでシューティングアーツを教わり、少しは腕も上げたと思う。

しかし折を見て相手をしてもらっている兄には未だ一度も届いた事がない。

先手はいつも譲られているのにこちらの攻撃は悉く躱され、いなされ。

最後にはああして投げ飛ばされるか、当て身を入れられて終わり。



「今日はいけると思ったのに」



残念の吐息をつく。

兄が言うように今回は惜しかった。

後半の焦りさえ無ければ上手くいっていたかもしれない。

そうすれば、



「兄さんも認めてくれたかもしれないのにな……」



とにかくはそれが目標だ。

もう少し。

もう少しで届く。

もう、あと少しで――――!



「はぁ……」



握りかけた拳が緩み、肩が落ちる。

あれほどの強さで、それでもまだ兄は本気ではないのだ。

彼の得物はあくまでも槍。

ナイトホークだ。

無手での格闘など、所詮はその補助に過ぎない。

その状態で先手を譲るというハンデに加え、さらに魔法まで封印している。

例えこの条件で勝ったとしてもあの背に追い付くのは夢のまた夢。



そこへ来て先日の表彰だ。

テレビの向こうで輝いていた彼は眩しかったが、英雄と誉め称えられる彼を見て一抹の寂しさを覚えたのも確か。

誇りに思いながらも、また距離が開いてしまったと落ち込んだ。



でも!



ギンガの瞳に力が戻った。

ベンチから立ち上がって今度こそ拳を握り締める。



シグナムさんにだって出来るんだから、私にも出来る!



いつぞや兄の病室に訪れた長身の女性。

妙に兄と親しそうだった彼女は同じ古代ベルカの騎士で、腕前も全く引けをとらないのだと聞く。

実際に戦っている所を見た見た訳ではないが、兄がそう言うなら相当のものなのだろう。

そういう人がいるのだ。

なら、兄の立つあの位置は決して懸絶した頂きではない。

至れる。

並ぶ事ができる。



「届く!」



今でなくとも、いつかは。



あの隣に……!



「ん?
 もう立てるのか?」

「うん!
 だからこれを飲んだらもう一本、相手をお願いします!」



戻ってきたゲルトからスポーツドリンクを受け取って、はっきり頷いた。

ゲルトは不思議そうな顔をしているが、体の痛みもだいぶ引いている。

関節にも異常はないようだし、少しすれば続行できるだろう。

四の五の言っても始まらないのだ。

自分の力がまだまだ足りていないのは事実。

今はただただ鍛練あるのみ。



「そろそろいいか」



水分も補給して一息はつけた。

ゲルトも頃合いと思ったのか、席を立って広場の中央へと歩いて行く。



「今度は俺も攻めていく。
 一瞬も気を抜くなよ」

「……はい!」



そうして構えた2人は再び向かい合う。

今度はギンガだけでなくゲルトも前傾の姿勢を取っている。

言葉に違わず、次は初手から攻撃してくるという事だろう。



「ふふっ」



高まる緊張に反して、ギンガの口元には淡い笑みが浮かぶ。

明らかに難易度の上がった訓練。

次は初手数秒で決する事も有り得る。

だがそれを前に、ギンガの心は竦むどころか逸っていた。

当然だ。

一つステップが進んだという事は、その分自分の技量が認められたという事。

これが嬉しくない訳がない。



「用意はいいな?」



ギンガは首肯する。

前に立つ兄は本気だ。

ハンデはあれど、今度は本気で仕掛けてくる。



意識を集中。

僅かな動作も見逃せない。

飛び込んでくるタイミングは?

初撃の狙いは?

無理をしてでも先を取るべきか?

それともカウンターを選ぶべきか?

僅かな間に幾重にも思考が走る。

これを一つでも間違うとその時点でアウト。

恐らく気が付いた瞬間にはもう地に伏している事だろう。



「じゃあ……行くぞ」



ついにその時。

より深く身構えたゲルトが強く地を蹴る。



来た!



そしてギンガもまた。

芝生が舞い、土が散る。

分かつ距離をあっという間に縮め、疾走する2人が激突した。





**********





「で、どうだった?
 ギンガの腕前は」



夕食の片付けも済んだナカジマ家の食卓。

クイントとゲルトの2人が顔合わせに座って話し込んでいる。

話題は昼間の稽古。

そこでのギンガの成長について。



「だいぶ、腕を上げましたね。
 一時はヒヤっとする展開もありましたよ」



ゲルトは偽りなく思った通りの事を話す。

確かにギンガは想像していたより良い動きをしていた。

流石に仕事の関係上、毎日訓練の様子を見ている訳にもいかない。

そこで普段はクイントが見ているのだが、基本技術の方は以前に比べ格段に上達している。

精神的な方面でも躊躇が減り、勘や読みといったものも洗練されてきたようだ。



「でしょ?
 あの娘、ここ最近特に熱心に訓練してたから」

「まぁ、もう卒業まで一年切ってますからねぇ。
 出て即訓練校入りならここらが奮起のしどころでしょう」



ギンガが今通っている学校は魔導師の基礎養成を目的としているが、そう普通の学校と変わらない。

しかし来年にはそのギンガも陸士訓練校に入学する。

ゲルトも3ヶ月世話になった第四陸士訓練校。

そこでは本格的に局員となる為の教育、訓練が行われる。

そろそろスキルアップに執心し始めてもおかしくはない。



「いやいや、そうじゃないと思うけどなぁ?」



そう思ったのだが、クイントはからかうような口調でゲルトの顔を覗き込む。

何故か彼女はやたらと楽しそうだ。



「だってギンガが気合い入れるようになったのって、あの表彰式からなのよ?」

「表彰式?」



ふむ、と一拍置く。

他にはあるまい。

ティーダ二佐の時の件だろう。

あの事でやる気を出すとなると、



「俺のせいでプレッシャーかけましたかね?」



それが真っ先に思い浮かぶ。

自惚れるではないが、正直今の自分はちょっとした有名人だ。

街を歩いていると声を掛けられる事も少なくは無い。

人の噂も七十五日と言うが、ギンガが訓練校に入った時“あのナカジマ”、と言われる事もあるだろう。

既に学校でもそういう話題があったそうだし、その事で余計な重圧を与えてしまったというのは如何にも有りそうに思える。



「そうじゃなくて…………ああ、駄目ね。
 これ以上はお節介、か」

「?」



一度は苦笑で否定したクイント。

しかし後半の呟きの意味はよく分からなかった。



「それよりもさ、ギンガにもそろそろ専用のデバイスが必要だと思うのよ」

「え、ああはい。
 確かにそうですね」



首を傾げるゲルトに再度軽い笑みを浮かべて話を変えたクイント。

急な転換ではあるが、内容からすればこれが本題だったのだろう。

ゲルトもクイントの意見には賛成だ。

もう一通りシューティングアーツの基礎は修めたようだが、これ以上高度な事を行うならデバイスが必要になってくる。

魔法の収束、増幅などの機能を備えたデバイスが無いと、魔導師とはいえそう大した事はできない。

それにシューティングアーツの本格的な訓練には独特のアームドデバイスが必須。

全寮制の訓練校に入ってしまえば稽古も付けてやれないのだから、そろそろ積みこむべき時だ。

実戦的な訓練も含め、前述の通り今から始めないと中途半端な状態で送り出す事になってしまう。



「それはいいんですが、自作となるとやっぱりマリーさんに手伝ってもらわないと厳しいですかね?
 リボルバーナックルにローラーブーツ。
 合わせて4つも作るとなると流石に俺達の手には負えないような……」

「うん、その事なのよ」



あんな形状のデバイスが一般流通している訳もなく、必然的に自作という形を選ばざるを得ない。

しかし素人が教本片手に作ってもロクな物が出来るとも思えない。

ハード面だけでなく4器のデバイスのシステムリンクやら何やら、ソフト面でも簡単な代物ではないのだ。

やはり専門家の助けは必要だろう。



「実はね。
 有るのよ、あの娘のデバイス」

「……は?」



一瞬意味が分からず間抜けに聞き返す。

どういう事か。



「まさか……」



だがすぐに思い至る。

いたではないか。

彼女専用にデバイスを作るような連中が。



「そうよ。
 あの研究所から押収した品の中に有ったの。
 もちろんスバル用の物もね」

「大丈夫、なんですか?」

「一応マリー達が徹底的に検査して、今は廃棄扱いよ。
 廃棄した物をどうしようと構わないでしょ?」

「完全に屁理屈ですよね」

「黙ってれば大丈夫よ」



曲がりなりにもあそこは高レベルの研究者達が詰めていたのだ。

連中が作ったというなら、そのデバイスは間違いなくワンオフの高性能機。

自分達で組んだ物よりは遥かに出来の良い代物なのだろう。

実際、ナイトホークとて連中の謹製だ。

彼女の性能に関してゲルトは全く疑う所がない。



「ナイトホークは知ってたか?」

『開発されていた事は。
 ですが起動はまだだった筈です』



ではまだ真っ白の状態か。

成長もギンガと一緒に、とは何ともはやお似合いではないか。



「それで今、何処にあるんです?」



技術解析の為に本腰の入れた検査が行われたというなら、恐らく問題はない。

マリエルが携わっているなら尚更だ。

信用は出来るだろう。



「本局の第四技術部よ。
 マリーがあの時の担当だったから、今もあの娘が主任やってるあそこに保管してあるの。
 次のゲルト君の休みで受け取りに行きましょうか」

「……分かりました」



これでギンガは本当の意味で魔導師になる。

それを思うと少し憂鬱でもあるが、今更彼女が考えを曲げるとは思えない。

ならば少しでも力を与えてやるしかないのだろう。



「はぁ……」

「そう心配しない。
 ギンガだっていつまでも守られてばっかりじゃないわよ」



しかし憂鬱な溜息が出るのは如何ともし難い。

クイントの言葉も分かるが、それでも兄としてはやはり心配を拭いきれなかった。





**********





――――翌週、本局第四技術部



「来たわね。
 3人ともいらっしゃい」



予定通りマリエルの元を訪ねたゲルト、クイント、ギンガの3人。

事前に連絡を取っておいた為、すぐに主任のマリエルと会う事が出来た。



「今日は悪いわね、無理言っちゃって」

「いいですよこれ位。
 それよりギンガは早く相棒に会いたいでしょ?
 案内するわ、こっちよ」



そわそわしているギンガの様子に気付いたのだろう。

そう言ってマリエルは挨拶もそこそこにデバイスの調整室へと彼らを案内していった。



「この子よ」



彼女が一つのポッドの前で止まる。

その中には待機状態のデバイスが浮かんでいた。

形状は水晶のような六角形で、首に通す為か紐が付いている。

色はギンガの魔力光と同じ藍紫だ。



「この子……が?」

「そう、あなたの為のデバイス“ペイルホース”よ」

「ペイルホース……」



ギンガはおっかなびっくりといった手付きで手渡されたそのデバイスを保持。

手の中のそれを興味深げな目で見つめている。

さもありなん。

この世で唯一人、自分のためだけに作られたデバイスなのだ。

これからの一生を共に過ごす相棒でもある存在に心惹かれない訳がない。



「この子、スバルの方と違ってかなりピーキーな仕様になってるから慣れるまではちょっと時間がかかるかもしれないわね」

「ピーキー、ですか?」

「うん、これがスペック表なんだけど……」



疑問符を頭に浮かべるゲルトに、マリエルが数枚の紙片を渡した。

ギンガと顔を寄せ合ってそこに描かれたグラフや文字に目を通す。



本体はクイントの装備と同じ、リボルバーナックルにローラーブーツ。

それぞれ1組ずつの計4器。

特記としては、



「人格AI積んでるんですね」

「ええ。
 やっぱり最初は無かったけど、パラディンには必要でしょ?」



やはりこのデバイスにもパラディンは搭載されているようだ。

マリエルの口振からするに、わざわざ搭載してくれたのだろう。

まだまだあれを使うには未熟もいいところだが、いつかは必要になる日も来る。

まぁ、起動は当分先になるだろうが。

今はデバイスという物に慣れるのが先決だ。



「この子、心があるんですか?」

「そうね。
 でもまだ生まれたばかりだから、ギンガと一緒に大きくなっていくのよ」

「私と、一緒に……」



マリエルの言葉を噛み締めているギンガを微笑ましく見ながら、ゲルトは一枚めくる。

こちらはローラーブーツの性能に関する部分らしい。

しかしそちらはゲルトにもさっぱりだった。

トルクやらグリップ性能など数字で見ても専門家でない彼にはイメージが湧き辛いのだ。



「マリーさん、これ……」



しかし、そんな彼でも明らかに異常だと理解できる表記があった。

その部分を凝視しながら見間違いを疑う。



「推定最高時速300キロ超って、本気ですか……!?」



何度も見返したがその数字は変わらない。

確かにそう書かれているのだ。



「あくまでスペック上の話だけどね。
 実際にギンガが履いたら色々問題も出てくるし」



あはは、と乾いた笑み。

言っているマリエル自身も殆ど冗談のような代物だと思うが、否定はしない。

という事は、本当なのだ。

ある程度の条件がパスされれば実際にその速度が出るのだろう。

にわかには信じ難い馬力だ。



「つ、使いこなせるかな?」



先程とは打って変わり、ギンガもやや引きつった笑みで手のデバイスを見ていた。

別に出自については気にしていないが、自分にこの常識外れの性能を活かせるのかと心配にはなる。



「それはこれからのギンガ次第よ。
 どう?この子を使いこなせるようになるつもりはある?」



そんな彼女に後ろから顔を出したクイントが語りかけた。

ギンガの肩から顔を出し、手元のデバイスと彼女へ交互に視線を巡らせる。

その問いにギンガは一瞬戸惑うような素振りを見せたが、クイントの方を見る頃には決心をつけたらしい。

力の籠った視線で顔を上げる。



「うん、なるよ。
 私がこの子に相応しい魔導師になる」



手の中のペイルホースを握り締めた。

自分の為に生まれたこの子の為に、自分もこの子を使えるようになる。

この子と一緒に強くなる。



「兄さんもそうでしょ?」

「まぁ、そうだな。
 こいつ以外には考えられん」

『ありがとうございます、ゲルト』



話を振られたゲルトも同意。

それでも改まって言うのはやはり気恥かしいのか、ぽりぽりと頬を掻いている。

ナイトホークの機械音声にも少し照れが見えるようだ。



「よしよし。
 それでこそ私の娘だわ」



クイントも満足気な笑み。

うんうんと頷いてギンガの肩を叩いている。

そして視線をマリエルの方へ。



「マリー、ここの訓練場借りてもいい?」

「言うと思ってたから申請はしてありますよ。
 私もモニターに入りますから好きに使って下さい」

「わお、気が利くじゃない。
 ありがたく使わせてもらうわ。
 行きましょ2人共」



そう言ってクイントはゲルトとギンガの背を押していく。

マリエルも後に続いて、一路訓練場へ。





**********





ほどなく目的の訓練場へ到着した。

マリエルが予約してくれていたお陰か貸切の状態。

これなら思い切りやっても誰の迷惑にもならない。



「それじゃあギンガ、早速セットアップしてみようか」

「う、うん」



クイントの言葉に応じてギンガもペイルホースをかざす。

今日はずっとそんな調子だが、初めての事にやや緊張しているようだ。



「ペイルホース、セットアップ」

『ヤー。
 セットアップ』



初めて発声したペイルホースは男性的な声で了解の意を告げ、戦闘態勢へと移行していく。

まずはバリアジャケット。

今まで着ていた服を分解し、ギンガを守る鎧が展開する。

設定したマリエルがクイントやゲルトの物を参考にしたからか、その面影があるデザインだ。



首まで覆うライダースーツのような濃紺のインナーに、腰で金具に止められて翻る前開きの黒いスカート。

そして肝心のジャケットも黒を基調とし、所々に薄紫のラインが入った意匠。

肩と膝は鉄色のプロテクターが防護し、リボルバーナックルの邪魔にならないよう袖は肘まで。

裾は腰までとなっている。

接近戦が主体の為、動きやすさにはかなり気を遣っているようだ。



次にはペイルホースがその本体を組み立てていく。

ローラーブーツが足を覆い、リボルバーナックルが両腕を包む。

コアはローラーブーツにあるらしい。

リボルバーナックルはクイントの物とそう変わらなく見えるが、ローラーブーツの方は少し違う。

足を挟む2本の排気口は真っ直ぐ伸び、衝撃吸収用のサスペンションもやや大きいようだ。

見た目にも多少シャープになったような印象を受けるが、中身は更に別物なのだろう。

でなければ300キロ超過という馬鹿げた速度が出る筈もない。

そうしてペイルホースのセットアップも完了した。

全体的なカラーリングは白。

艶めく白銀だ。

どうやらナイトホークの設計思想とは大きく異なっているらしく、ペイルホースは己の輝きを隠そうともしていない。



「これがあなたなの?」

『肯定』



バリアジャケット、デバイス共に完全展開を確認。

ギンガは手甲に覆われた右手を、調子を確かめるように開いて結ぶを繰り返した。

ペイルホースの返答が素っ気ないのは未だ個性を発揮するだけの経験がないからだろう。

いずれはもう少し饒舌に話すようになる。



『どう?ペイルホースの具合は。
 苦しかったりしない?』

「そうですね。
 ちょっとローラーブーツが重いような……」


モニタールームのマリエルからの呼び掛けに答えるギンガ。

足を軽く上げてみると、慣れの問題はあるにしてもやはり重く感じる。



『う~ん、そこは慣れてもらうしかないかな。
 大きくなったら気にならなくなるとは思んだけど』

「そうですか」



そう言ってとりあえず軽く滑ってみる。

まだエンジンを入れていないのでただのインラインスケートと変わらないが、滑らかな動きだと思う。

変なガタつきは無いようだ。



「よし。
 じゃあそろそろ走ってみろ」

「うん」



一通り確認は済んだ。

遂にペイルホースの本格的な始動に移る。



「ペイルホース、準備はいい?」

『万全』



事前にあのスペックを見ているだけにギンガも慎重になっている。

いきなり全速を出す訳ではないが、どれほどのものか、という気持ちは拭い難い。



「じゃあ……行きます」



そう告げてペイルホースのエンジンを掛けた。

何年も死蔵されてきた彼の機関部に、ようやく火が入る。

長く封印されてきた魔物が解放される瞬間である。



次の瞬間ドカン、という爆音が轟いた。



「きゃっ!!」



ギンガだけでなく、近くにいたクイントやゲルトも反射的に耳を塞ぐ。

凶悪なまでの馬力を備えたエンジンが遂にその本性を現し、歓喜の咆哮を上げているのだ。

今も断続的にその叫びは続いている。

最初の一撃に比べれば大人しいものの、腹に響くような重低音が地を揺らす。



「す、凄い……」



だが慣れてくればその力強さに気付く。

足から駆け上がって全身を震わせるこの鼓動。

噴かせてみると更にいななきは激しさを増し、エグゾーストノートの唸りはその存在を強く主張する。

これが自分の相棒なのだ。



「凄い!
 凄いよペイルホース!!」

『賛辞感謝』



耳はもうこの爆音に順応し始めた。

今は純粋に、この新たな相棒に対する畏敬の念が心を占めている。



「ギンガ、確かに驚くのは分かるけど、まだ走ってもないのよ?
 早くその子自慢の速度を見せてくれない?」

「あ、そうだね」



ペイルホースの咆声に掻き消されるのでクイントもやや声を張る。

アイドリングの状態でこれなのだ。

一体走り出したらどうなるのか。



「行くよ、ペイルホース」

『ヤー』



とりあえず手始めに軽く流す。

発進の瞬間。

再びペイルホースはいななきを轟かせ、ギンガの体を前へと叩き出す。



「わわっ!?」



予想外の加速。

一瞬にして己の走力の限界を超越し、未知の世界に突入する。

そうは言っても実際には平時の車より遅い筈。

しかし生身で風を感じる今、ギンガの体感速度はその数倍に匹敵している。



「これで全然本気じゃないなんて……!」



徐々にスロットルを開きながら、ギンガは昂揚を感じていた。

このままどこまでも加速していけるような感覚。

ジェットコースターなど比較にならない疾走感。

今まさにこの速度を自分が支配しているのだ、という全能感。



「ギンガ、ウイングロードは教えたでしょ?
 自分の道を走ってみなさい」

「うん。
 ペイルホース!」

『ウイングロード』



言葉と同時、足元から青い光のリボンで形作られた道が伸びていく。

ペイルホースが補助してくれているからか、いつもとは収束も展開速度もレベルが違う。

全くぶれる事なく何百メートルにも渡って光のラインが走っていく。

空中に昇ろうと、20メートルほど先で道を隆起させる。

かなり急な勾配になっているのだが、ペイルホースは物ともしない。

ろくに速度を減じるでもなく一気に駆け上がって行く。



「わぁ……」



世界は再び色を変えた。

上から見下ろす景色は、下を走っていた時とは全然違って見える。

地面と離れたからか、速度も少し大人しく思えるようになってきた。

そうするとどこか物足りないという気持ちが湧き上がってくる。

まだまだ。

まだ、ペイルホースの本領はこんな物ではない筈だ。



「どこまでいけるの?」



更に加速。

限界を見てみたくて、一気に速度を上げる。



しかしそれは大きな失策であった。

途端、膨大なGがギンガの体を叩きのめす。



「きゃあっ!?」



これはギンガのミスである。

速度を上げれば上げるだけ慣性というものも当然大きくなる。

ゆえに、速度を出すのならばそれに見合う前傾の姿勢をとって備えるのが常識。

だが初めて扱うデバイス。

そしてその期待以上の性能に酔っていたギンガは何ら構える事無くペイルホースの魔性を解き放ってしまったのだ。

最高時速300kmオーバーは伊達ではない。

グリップ力もまた尋常ではなかったお陰で転びはしなかったが、フルスロットルの加速はギンガの体を容易に仰け反らせる。



「ギンガっ!!」

「ブレーキを……いえ、とにかくスピードを落としなさい!!」



とにかく速度を落とせば体勢も整えられるだろうに、動転した彼女はまともな思考ができていない。

悲鳴を上げるだけで速度も落とさずに走行していた。

なんとかウイングロードの上を走れているのはペイルホースの方で制御しているからだろう。

だが、まだ危機を脱した訳ではない。

正常な判断力を失った彼女が魔法を維持できる訳もなく、ウイングロードが数百m先で途切れてしまっているのだ。

このままでは落下は確実。

だが必死に呼びかけるゲルトやクイントの声も虚しく響くだけだ。



まずい……!



ゲルトも焦燥に駆られていた。

事態は一刻を争う。



「ナイトホーク!!」

『セットアップ』



ナイトホークが組み上がる工程すら煩わしく思える。

バリアジャケットは省略した。

そんな物に時間を割く余裕はない。



早く、早くしろ!



完成。

走る彼の手にナイトホークが収まる。



「フルドラ……!?」



そして即座にフルドライブを起動しようとしたが、ゲルトは息を呑む事になる。

ギンガが居る方を見つめ、不覚にも思考を停止させてしまった。

先程まで直線に伸びていたウイングロードが、現在縦の輪の形態を取りループを築いているのである。

ギンガはその中で回転し、ゆっくりと速度を落としていく。



「あ、あれ……?」



ギンガも呆然と己の状態を確かめた。

自分は何もしていないにも関わらず、徐々にスピードは安全域で落ち着いていく。

ウイングロードも下り坂を描き、ギンガの体を地上へと下ろして行った。

おかしい。

こんな操作を行うような余裕は自分にはなかった。

と、なれば。



「ペイルホース……。
 あなたが助けてくれたの?」

『無事僥倖』



どうやらそのようだ。

ウイングロードの操作もブレーキコントロールも、全て彼がやってくれたらしい。



「その、ありがとう」

『感謝不要』



ペイルホースは相変わらず言葉少なめだ。

彼にとっては当然の事なのだろう。

しかしギンガは己の未熟を恥じずにはいられなかった。



「ごめん。ごめんね。
 私、いいマスターじゃなくて……」



沈んだ声が出る。

調子に乗って考えなしに無茶をして。

その上それで招いた危機すら彼に救われた。

自分は何もしていない。

何から何まで彼に任せて、何が一緒に成長だ。

完全に自分はお荷物ではないか。



『謝罪無意味。
 我従僕』



だから謝る必要などないと?



「でも、私あなたを使いこなしてあげられない……!」



なら尚更だ。

彼が自分の従僕だというなら、なおの事自分はもっとしっかりしていないといけないのだ。

母に告げた言葉が頭を掠める。

相応しい魔道師になる、と誓った言葉が。

なのにこの体たらく。



『努力必要』

「……待ってくれるの?」



いつか、自分が完全に彼を御せるようになるまで。

それまで待ってくれるというのか?



『我従僕。
 主人唯一』

「っ!」



自分には出来ないなどと、ぺイルホースは全く思っていない。

必ずや自分が彼を御せる日が来るものと確信している。



そんな……。



そんな事を言われたらやるしかないではないか。

泣いてる暇や落ち込んでいる暇なんかない。

一日でも早く彼を使いこなせるようにならなければ。

そう思い、滲みかけた涙を拭う。



「うん……私、なるよ。
 絶対、あなたの全力を出してあげる」

『期待』



当初抱いていた不安や恐れという物は吹き飛んだ。

怖がる必要などない。

自分の手足に恐れを抱く人間がどこにいる?

まだ上手く扱えないとはいえ、彼は間違いなく自分の拳であり足なのだ。



やろう。



彼と一緒に歩んでいこう。

まだスタート地点にも立っていないのだ。

しっかりと段階を踏んで。

一歩一歩壁を乗り越えて。

そして、



走ろう。

どこまでも。





その後、ゲルトやクイントの元に戻ったギンガはこっぴどく叱られる事になった。

特に兄はどれだけ心配したかと、今まで見たこともない程の剣幕で怒鳴る。

自分の失敗を痛感しているギンガはその全てを粛々と受け入れ、しかし今日はここまで、という話にだけは反対した。

これで引き下がる事などできない。

約束がある。

必ず使いこなすのだ、と。

それを聞いた兄と母は一瞬顔を見合わせ、そして大きな溜息を吐いた。



条件は一つ。

これからは必ず母か兄の付き添いを求める事だった。









(あとがき)



またもオリジナルデバイス登場。

クイントが生きている以上リボルバーナックルは引き継げないし、自作で全部やるってのは不自然かとこうなりました。

ゲルトとクイントが居たら片手だけのナックルなんか絶対認めないでしょうし。

別にマリーに頼み込んで作ってもらってもよかったんですが、有ってもおかしくはないかな、と。

それとギンガのバリアジャケットも手を入れてみました。

ナンバーズ版に近くなりましたが、流石に元のはあまりに……。



ぺイルホースは完全な突撃戦用ですね。

ナイトホークみたいな隠密行動とかは一切考えてません。

ならむしろ目立つ位の方がいいというスタンスで作られてます。

その分性能も限界一杯まで引き上げてある感じ。

ナイトホークは要らない部分をカットしつつも必要な部分は均等に割り振ったバランス型。

ぺイルホースは特に速度に関して徹底的に強化した一点集中型です。

さてそれではスバルの物は……?



それではこんな所でまた次回。

Neonでした。



[8635] TEMPLE OF SOUL
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/11/08 20:28
『ごめんね、連絡するの遅くなって』

「いいって。
 別に俺自身にしたらどうでもよかったしな」

『でも、結構大きな式だったよね?
 やっぱりお祝いの言葉位は……』

『どこのテレビでもやっとったからなぁ。
 ほんまに遅ぅなってごめんやで』



ナカジマ家、ゲルトの自室。

ゲルトはベッドに腰かけつつ、空間に投影されたウインドウを前に誰かと通話していた。

制服のネクタイを緩めた彼が言葉を投げるウインドウには普段着のなのは、フェイト、はやての3人が映っている。

会話の相手は彼女らのようだ。

部屋の隅にザフィーラがいる事からして向こうははやての家らしい。

リィンフォースは伏せている彼の上で気持ちよさそうに眠っている。



話を聞くに、ゲルトの表彰式の報道を見て遅ればせながら――――という所だろう。

しかし彼本人としてはティーダの件さえ何とかできればそれで良かったので、自分が表彰された事に関しては特に関心も無い。

故にたかがお祝いが遅れた程度で気にする事はないのだが、彼女らはやや恐縮した様子だ。



「というかだな。
 こっちもあんまり連絡取って無いしおあいこだろ」

『それはしゃあないんとちゃうか?
 私らの方が忙しいしとるから気使ってくれたんやろ?』

『こうやって話すのも結構久し振りだもんね』

「あー、半年ぶり位か?」



もしかしたらそれより少し多いかもしれない。

3人とも局員をやりながら地球で学生としても生活するという二足のわらじな生活を送っているせいで、やはり多忙らしい。

シグナムらヴォルケンリッターは彼女らに比べミッドに居る時間も多いようだが、その分仕事に追われているとか。

ゲルトもわざわざ時をずらして1人1人同じ話をするよりはある程度纏めての方が楽だと、連絡の間隔も開きがちになっていた。

メール位ならともかく、声を交わすのは本当に久し振りと言える。

その為こうして表彰に関する話をするのも時間がかかってしまった、という訳だ。



『別に好きな時に連絡してくれたらいいのに』

『そうだよ。
 私達だってそれ位の余裕はあるよ?』

「いやいや、若き執務官や指揮官志望のキャリア組、それに武装隊のエースオブエースの手間は取れんだろ?
 こんな平の陸士部隊員がさ」



皮肉気な笑みを浮かべて軽口を叩いた。

芝居臭く手をヒラヒラとさせるその仕草はどことなくゲンヤを彷彿とさせる。

今現在最も多くの時間を共有している相手だけに、その影響も少なからず受けているのだろう。



『噂のアーツオブウォーがよう言うなぁ』

『本局の方でも名前はちょくちょく聞くよ?
 陸士部隊の鋼の騎士ゲルト・G・ナカジマ、英雄を救うって』



それを聞いたはやては呆れ顔で、フェイトには冗談が通じなかったのか大真面目に答えられた。

とはいえ、彼女の言もまた真実ではある。

彼の表彰は大々的に報じられていたので地上のみならず海でもそれを目にする者は多く、折に触れ話題に上る事がままある状態だ。



『武装隊の方でも私とどっちが強いか、みたいな話してるのが聞こえたりするかな』

「そういやどこだかの雑誌でそんな企画載ってたな。
 空のエース対陸の騎士、激突空中大決戦!だっけか?」

『なんやそれ。
 怪獣かなんかかいな』

『でも、ちょっとその記事見てみたいかも』



表彰の直後は様々なメディアで取り上げられていたせいでそういう話題に乗っかっただけの意味不明な代物も、まぁそう多くは無いものの存在していた。

ゲルトがその記事を発見したのもまったく偶然。

同僚らがやたらと爆笑してるのを不思議に思って覗き込んでみれば、レトロ臭漂う絵柄のゲルトとなのはが睨み合う様が描かれていたのだ。

勿論、指差して笑ってくれたラッドには後でみっっちりと模擬戦の相手をしてもらったが。



しかし企画の馬鹿さは置いておいても、そういう話題が出るのも仕方のない所はある。

ゲルトの少し前に話題をさらった航空戦技教導隊のエースオブエース、高町なのは。

そして今回世間を賑わせた陸士108部隊のアーツオブウォー、ゲルト・G・ナカジマ。

共に管理局屈指の才能を発揮する若き2人は偶然にも同じ年齢で、その上局入りの時期やその他の点も似通っている。

それでいて正逆な部分も多く有しているのだ。

例えばなのはは管理外世界の出身で、ゲルトはミッドチルダ育ち。

片や典型的なミッドチルダ式魔導師、片や正統派の古代ベルカ式騎士。

航空魔導師部隊と陸戦魔導師部隊。

エトセトラエトセトラ。

その為か彼らはそれぞれ海と地上、あるいは空と陸、といった物の代表として扱われ、比較の対象にされがちだ。

まぁ、これはマスコミ云々よりむしろ局員による内輪での事が多いのだが。



「そういえばお前らの方は最近どうなんだ?」

『私達?』



先程からゲルトの話ばかりだ。

久し振りにこうして場を設けたのだから彼女らの近況も聞いておきたい。



『う~ん、そうやなぁ』

「一応言っとくが仕事の話はやめろよ?」



釘を刺す。

どうせ苦労話しか出てこないのだ。

わざわざそんな愚痴を言い合って興を削ぐ事もあるまい。

彼女達もその辺は同じ気持ちなのか苦笑いを浮かべながら同意してきた。

それじゃあ、と告げて。



『えーっと、そう!
 この間フェイトちゃんが保護した子がいるんだけど、その子の事は話したっけ?』

『エリオの事?』



エリオ?



それがその子の名前か。

執務官のフェイトが保護したというなら、なにがしかの事件に巻き込まれていたのだろう。



「いや、初耳だな。
 その子がどうした?」

『ちょっとその事でゲルト君に聞きたい事があるんだって。
 ね?フェイトちゃん』

『え?
 あ、うん』



いきなり話題を振られたフェイトは一瞬戸惑うような素振りを見せる。

しかしそれなりに話は通してあったのか、ややあって口を開いた。



『……さっき言った通り、エリオは私がある研究所から保護した子で、今は局の保護施設にいるんだけど……』



そうしてフェイトは訥々と事情を説明し始める。

要訳すると、その保護した子供が心を閉ざしてしまっているのでなんとかしたいのだそうだ。

何でも元いた施設で酷い扱いを受けていたせいで重度の人間不信に陥っているらしい。

今は近付く人間を片端から攻撃する危険な状態なんだとか。

一切のコミュニケーションが取れず、止むを得ないとはいえこのままではいつまでも外に出られない。

故に何か心を開かせるような良い手はないものか、という訳だ。



「話は分かった。
 そういう事なら是非も無いな、協力するさ」



ふむ、と一言を置いて承諾する。

その少年の気持ちも分からなくはない。

心理的には手負いの獣のようなものなのだろう。



『ありがとう。
 でも……その、ごめんね?』

「は?何がだ?」



言うフェイトはこちらを窺うようにしている。

ゲルトとしては別にこんな程度の頼まれ事はどうという事もない。

そんな、声にも表情にも罪悪感を滲ませるようなものとは思えないが。



『だって、ゲルトも昔は研究所にいたって聞いたから。
 それに、お父さんも……亡くなったって。
 だからもし嫌な事思い出させたみたいなら……』



そういう事、か。



ようやく得心がいった。

確かにスピーチでもその事には触れていたし、メディアでも取り上げられていた。

フェイトらの目に留まる事があったとしても不思議はない。



「気にするな」



殊更にどうという事もないと示して見せる。

ゲルトは真実研究所で実験体であったし、そこから引き上げてくれたゼストも失った。

彼女の性格からしてこういう事に言及するのは気が引けるというのも分からないでもない。

しかし逆に言うと、それでも尋ねてきた所に彼女の本気が見えるとも言える。

そのエリオとやらは幸せ者だ。

ここまで気にかけてくれている人間が、ここにこうして存在しているのだから。

彼はまだその事に気付いていないだけ。



「確かに辛い事は山程あったけどな。
 俺は、楽しかった時間もちゃんと覚えてる。
 父さんの事も、仲間の事も、ちゃんとな。
 だから、いいんだ」



語るゲルトの目はどこか遠くを見つめるような澄んだもの。

彼の胸に去来する思いは一つだ。

それはかつての己と境遇を同じくする少年が、かつての己と同じように救われようとしている、という事。

やはりこの世は捨てた物ではなかった。

深い絶望の底だろうが、救いはあるのだ。

暗い恐怖の淵だろうが、差し伸ばされる手があるのだ。

自分と同じように、その子にも心から笑える日が必ず来る筈だ。



『ゲルト……』



はっと我に帰ればフェイトだけでなく、なのはやはやても神妙な表情をしていた。

それを見ていると何だか自分が凄まじく臭いセリフを吐いたように思えてくる。



「それで、どうすればエリオと上手く話しが出来るか、だったな?」

『う、うん』



咳払い一つで空気を切り替え、やや強引に話を元に戻す。

勿論話した事は全て本音ではあるが、気恥かしさが込み上げるのはどうしようもない。

そんな思考をなんとか追い出して本筋に集中する。

自分の経験を参考に、何か良い手はないものか、と思索。

腕を組んでしばしの黙考。

一つ、浮かんだ。



「とりあえず、抱き締めてやれ」

『それだけ?』

「それが重要なんだよ」



思いついた事をそのまま口にする。

恐ろしくストレートな方法だが、自分では悪くないと思う。

あの時凍った自分の心を溶かしてくれたのもそれだったのだから。

下手に凝った手法など今のエリオには通じないだろうし、こういう直球の方が良い。

ただ人の温もりに包まれるだけで安心できるものだ。

誰も彼もが敵という訳ではないと気付ければ、自然と落ち着きも取り戻すだろう。



『でもそれ、エリオ君が余計に怖がったりしないかな?』



とはいえ、なのはの疑問も尤も。

気乗りしない様子のフェイトもそこが心配なのだろう。

ただでさえ人との接触を恐れている状態だ。

そこを無理に近付けば更に恐怖症を加速させてしまう可能性も、なくはない。



「まぁ、間違いなくビビるだろうな」

『そ、それじゃダメだよ』



にべもなく言い切るゲルト。

フェイトはそれに慌てて反するが、彼はとにかく聞けと彼女をなだめて続きを述べる。



「俺も自分で殻が破れるようならそれを待つのが一番いいとは思う。
 ただそいつの場合はどんだけ時間が掛かるかもしれんし、あんまり長い間閉じこめとくと後で苦労するぞ?」

『確かに、それはあるかもしれんなぁ』

「だろ?」



聞いた所だとまだ4歳だとか。

しかしまともにコミュニケーションが取れない内は保護施設としても彼を外に出す事はできないだろう。

とはいえ人格形成に重要なこの時期をそんな状態で過ごしていると、いざ外に出ても上手く馴染めるようになるまで更に多くの時間が必要となる。

それはあまり望ましくない。



「それに、そいつも心のどっかではそうして欲しいと思ってるんじゃないか?
 多分だけどな」



自分の力だけでは破れない殻もある。

その事はよく知っていた。



『ゲルトも……そうだった?』

「まぁ、な」



当時を思い出しながら肯定する。

あまり認めたくはないが、事実だ。



「ただ、俺の時の厄介さは多分そのエリオの比じゃなかっただろうよ」



苦虫を噛み潰したような表情のゲルト。

自分であればこそ、当時に戻れるのなら殴ってやりたいものだ。



『そんなにやったん?』

「ああ。
 あれはひどかった」



今思い出しても恥ずかしい。

当時の自分は当たり散らすどころか、恩人に対し初めから殺しにいったのだ。

あの時真正面から呵責なく叩きのめされて、それでようやく止まる事が出来た。

自身を守るには相手を殺すしかない、という所まで追い詰められていた自分を救ってくれたのは、差し伸べられたゼストのあの大きな手に違いない。

そして、二度目。

何もかも無くして無力感に打ちのめされた時。

その時はクイントが助けてくれた。

ただ優しく抱き締めて、頭を撫でてくれた。

それだけで凍った心を溶かしてくれたのだ。

あのまま自己嫌悪と無気力の狭間をうろついていた自分が一人で立ち上がれたとは思えない。



まぁ、他の誰かさんの助けも借りたけどな。



こちらは口に出さず、心中で呟く。

あの時にはもう一人いたのだ。

かつての自分の不甲斐なさに苦笑を漏らしながら、視線を動かしていく。

その誰かの元へ。



『え?何?』

「いや、なんでもない」



不意に見つめられ、戸惑いの声を上げたなのはを適当に誤魔化す。

悲愴や無力感や自己嫌悪やらでがんじ絡めになっていじけていた自分に喝を入れたのはなのはだ。

恐らく彼女はそんな事を意識してはいなかっただろうが、彼女の前を見続ける姿勢は徐々に自分を変えていったと思う。

どこかではこの借りも返さなくてはならない。



「とにかく俺が思いつくのはこれ位だな。
 どうなるかは分からんが、やってみる価値はあると思うぞ」

『うん……』



フェイトはまだ少し悩んでいるような素振り。

するかどうかは彼女次第なのだし、考えるのは大いに結構だと思う。

ゲルトとしてもこうするべきだ、などと押しつけるつもりはない。

必ず成功するという保証もないのだから熟慮した上で納得のいく事をしてもらうのが一番いい。

そう考えていたのだが、間もなくフェイトは決めたようだ。



『分かった。
 やってみるよ』



返事は承諾。

どうやら彼女はゲルトの案に乗ってみる事にしたらしい。



『ありがとう、ゲルト。
 早速次会う時に試してみるね』

「ああ。
 そいつの事を……頼む」

『うん!』



決心を着ければ後は進むのみ。

悩ましげな表情は消え去り、最早さっぱりしたような笑みが浮かんでる。



これなら上手くいく……か?



彼女とエリオの問題だ。

上手くいくかは全て2人に掛かっている訳だし、自分がこれ以上関わるでもない。

はてさてどうなるのやら。

恐らく、悪い事にはならないと思うが。

というかそう思いたい。



『やつぱり相談してみてよかったよ』

『丁度良く連絡取れて良かったね』

『そやかて前は「どうしよう。そんな事聞いて失礼じゃないかな」とかめちゃくちゃ気にしとった癖に』

『あ……えと、それは……』



なんとかなるだろう、多分。



『あ、そういえばゲルト君ってユーノ君とも友達なんだよね?』

「ん?
 ああ、ちょっと前の事件の時に知り合ってな。
 お前等よりは連絡つくし、ちょくちょく話してるぞ」

『私もこの間少し話せたんだけど…………』





**********





そうして他愛もない話を続け、そろそろ潮時かと思いだした頃。

遠くの方で鍵を捻る音、次いで扉が開く音が続く。

それから近付いてくる複数の足音。



『ただいまー』

『ただいま』

『ただいま帰りました』



聞こえてくるのはヴィータ、シャマル、シグナムの3人の声。

僅かな間を置いてリビングの扉も開く音が聞こえる。



『おー、皆おかえり』

『はい。
 おや、電話中でしたか。
 これは失礼を…………む』



はやての声に応じるシグナムはこちらに気付いたらしい。

視線をゲルトへと向けてくる。



『ゲルトか、久しいな』

「ああ。
 どうだ?そっちは」

『目を掛けていた部下が1人、やむを得ん事情で抜けたばかりだ。
 おかげでてんてこ舞いだよ』



やれやれ、とそういう仕草を示す。

どうやら中々面倒な目にあっているらしい。



「そいつはご愁傷様」

『まったくだ。
 それで――――』



ふと、嫌な予感がした。

こちらを見るシグナムの目には悪戯な光が浮かんでいる。

母が自分をからかおうとする時に見せる物と同じ光だ。

心なしか口元も弓なりではないか?



『お前の方はどうなんだ?
 今様の英雄は』

「お前までそんな事を……」



溜息を零す。

疲労感から右手で両のこめかみを掴むように押さえた。

別に自分がそんな物を求めていない事位はシグナムとて承知の上だろう。

その上でこんな事を言ってくるのだ。

ただからかわれている、という心地しかない。



『くく……すまんな。
 どうも久し振りに会ったせいか私の方も調子に乗り過ぎたようだ』

「勘弁してくれ」



意地の悪い笑みだ。

彼女の一本気の入った実直な性根は好ましいが、時たまこうして人をからかう癖があった。

それも彼女の魅力といえばそうではある。

しかし今のゲルトはそんな気分にはなれない。

再び深い吐息をついた。



「最近は……そうだな」



シグナムのからかいは流して近頃の自分を振り返る。

ここ最近は一体何をしていたか……?



「まぁ、仕事を除けば妹の相手が殆ど……だな」



考えるでもなく答えは出た。

実際それが大部分だ。



『ほぅ、お前の妹……。
 以前に病室で会った、あの娘か?
 確かギンガ、だったな』

「ああ。
 あいつ専用のデバイスを手に入れたばかりなんでな。
 まだまだ危なっかしくて目が離せないんだよ」



早く家に帰れれば型稽古を指導し、組手を行う。

休みには外へ出てデバイスを用いた実戦形式の打ち合い。

ギンガの腕前も、ペイルホースの性能もあって格段の成長を見せている。

そろそろ無手では厳しくなってきたところだ。

近い内にナイトホークを使わなければならなくだろう。



『ふむ、そうか……』



そこでシグナムが少し考え込むような様子を見せた。

左の親指で顎を支えるようにして数秒。



『それは、少しの時間も作れないか?』

「いや、そんな事もないが……」



基本的に指導をしているのはクイントで、自分は相手役であるのが殆ど。

1日や2日程度の時間を空けられない事はない。



「何だ?
 久し振りに相手でもしてくれるのか?」

『まぁ、そうではあるのだが』



シグナムと仕合うのも随分久し振りだ。

ギンガにかまけて自身の鍛練が少しなおざりになっていたような感もある。

故にこちらとしても願ったり叶ったりの提案だ。

その為なら時間位どうとも作ろう。



『あー、そのだな』

「うん?」



しかし彼女はどうにも歯切れが悪い。

珍しく言葉を選んでいるような……?



『私達が本気で仕合うなら、それなりの設備のある所でなくては駄目だろう?』

「そうだな」



それが長い間2人が剣を交わさなかった理由でもある。

魔法抜きの純粋な剣術槍術の勝負は別にして、ニアSの彼らが“本気”でやり合うならそこそこの設備が必要だ。

入院していた頃は先端技術医療センターの訓練設備が使えたが、今はそういう訳にもいかない。

かといって陸士部隊のそれでは正直不足だし、武装隊の方は1度勧誘を蹴っただけに足を運び辛い。

シグナムもそこは分かっているはずだが。



『付き合って欲しい所がある』

「どこだ?」



一拍。

シグナムも決めたようだ。



『聖王教会だ』





**********





――――3日後、ベルカ自治領



約束の通りにシグナムと待ち合わせたゲルト。

入院していた時に聖王教会の誘いも断っているので心苦しいのは武装隊などと同じだが、シグナム曰く先方の希望でもあるらしい。

何でも古代ベルカ式同士の戦闘など滅多に見られるものではなく、その為なら場所程度幾らでも提供しようという事だ。

悪くはない話だし、一度不義理をしているだけにその位はしておくべきだろう。



「しかし、お前聖王教会にツテなんか持ってたのか」

「リィンが生まれる時に、色々とな。
 それ以来良くしてもらっている」



そうか、と適当な相槌を打ちつつ歩く。

今彼らはベルカ自治領の街道を教会本部に向けて歩を進めていた。

話しでは門の所で出迎えがあるとの事だ。

まだ少し遠いが、それでも教会の門は見えている。

と、



「ん?」



携帯端末が着信を告げる。

マナーモードにしていたせいで小刻みな震動が体を揺すった。

取り出して内容を確認。

ゲルトの視線が数度画面上を往復し、ふっと淡く笑みを形作った。



「どうした?」

「いや、どうもフェイトが上手くやったらしい」



送信者はフェイト。

主旨としては感謝を示す数行の文章があり、その下には添付された写真がある。

ゲルトはシグナムにも見えるよう端末の画面を傾けた。

写真をその目に捉えたシグナムも、ゲルトと同様口元を綻ばせる。



「そうか、上手くいったか」

「ああ」



写真に写っている人間は2人。

1人は彼らが良く知る金髪の少女。

そしてもう1人は赤い髪をした少年。

少女が眼尻に涙を滲ませつつも満面の笑みで写っているのに比べ、彼はややぎこちない雰囲気がある。

いくらなんでもいきなり自然に、とはいくまい。

だが、背後から少女に抱きすくめられるようにしてカメラの方を向く彼の顔には、そう紛れもない笑みがあった。

はにかむように。

あるいは自閉の期間が長く続いた為に思うように感情を表せていないのか。

だがそれも心配はいるまい。



「良い笑顔だな」

「そうだな。
 良い、笑顔だ」



彼は笑えているのだから。

既に糸口は掴めている。

後は人と触れ合う内にそういう振る舞いも身に付いていくだろう。

フェイトの努力も報われる筈だ。





**********





そのままゲルト達は歩く。

もう門は目の前にまで近付いていた。

何人もの拝礼者が出入りを行っているが、こちらに気付いた者がいたらしい。

人波から抜け出したシスターが迷わずゲルトらの方へと近付いてくる。



「お待ちしていましたよ、騎士シグナム」

「すみません、シスターシャッハ。
 今回は無理を言ってしまい……」

「いいのですよ。
 こちらからもお願いした事ですし」



短髪のシスターはシグナムと親しげに会話している。

やはり彼女が話しに聞いた出迎えらしい。



ん……?



気のせいか。

彼女に見覚えがある?

何処かで会った事があるのか。

しかし自分に教会関係者の知り合いなど……。



いや、いたな。



2年前。

まだ自分がゲルト・G・ナカジマでは無かった頃に。

しかしあの時に会った人物は、顔まで覚えていないものの確か金髪だった筈。



ああ、そういえば。



彼女の護衛だかでもう1人いたのだった。

ならそちらなのかもしれない。

とりあえずこちらへ向き直った彼女にゲルトも軽く礼をしておく。



「よくぞお出で下さいました。
 お待ちしておりましたよ」

「わざわざ出迎えて頂いてありがとうございます」



形式通りの挨拶を交わす。

ただ、彼女の目は何かを言いたそうな様にしていた。

やはり面識があるのか?



「失礼ですが、シスター。
 その、以前お会いした事がありませんか?」



耐え切れずにそう切り出した。

これで勘違いなら恥を掻く事になるが、それも杞憂だったらしい。



「ええ、はい。
 2年前に病室まで窺った事があります」



ビンゴ、だ。

彼女はこちらが忘れていると思っていたのか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。



「あの時は申し訳ありませんでした。
 折角の申し出を断ってしまって」

「いえ、それはこちらも不躾でしたからお気になさらず。
 カリムもあなたが健勝であられればそれで良いと……。
 いえそれよりもよく覚えていましたね。
 てっきり忘れているものと」

「ええ、まぁ恥ずかしながら今の今まで思い出せなかったんですが」



カリム。

それがあの時の人の名前か。

身寄りも失くした自分を引き取ろうとしてくれた人。

当時は全くもって無気力だった為、随分な失礼をしていたかもしれない。

結局自分はナカジマの家を選んだ訳だが、もし会えたなら礼を言っておかなければ。

シスターシャッハは構わないと言っているが、せめて一言は伝えておきたい。



そんな事を考えていると、目の前の彼女が佇まいを正した。

背筋を伸ばし、表情も引き締めてこちらを見ている。



「では改めまして。
 聖王教会のシャッハ・ヌエラです」

「時空管理局陸上警備隊、第108部隊所属ゲルト・G・ナカジマです」



そんなシャッハにゲルトも続く。

慣れた動作で敬礼。

彼女はそれを見て満足気な笑みを浮かべたかと思うと深々と礼の形を取った。



「ようこそ、騎士ゲルト。
 聖王教会はあなたを歓迎いたします」










(あとがき)


危うく一月経ってしまう所だった……。

随分時間かかりましたが何とか完成。

今回は会話オンリーの文って難しー!、三人娘のキャラってこれでおかしくないか?、地の文足りてるか?

とかで筆が全然進まず、その上村正の発売日が重なったもんだからこんな事に。

この一週間は完全に村正に捧げたからなぁ……。

しかしまぁ、次は戦闘入れられるっぽいので多少筆も速くなるのではないかと。

それではまた次回!



[8635] 血闘のアンビバレンス 前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/12/10 21:57
『騎士カリム、執務中に失礼します』

「いえ、構いません。
 どうしました?」

『例のお二人がいらっしゃいました』



聖王教会のとある執務室。

公務に区切りがつき、一息をいれていたカリムの元へ通信が入った。

カップを置き用件を確認すると、約束通りにゲルト達が訪ねてきたとの事。

ふと手元の時計へ目をやると、確かにそんな時間になっていた。



『現在シスターシャッハが第三演習場にお通ししています』

「分かりました。
 また何かあれば連絡を回すようにして下さい」

『はっ!』



威勢の良い声を残して通信が切れる。

カリムはそれを確認すると軽く嘆息した。

ここ最近何度も考えた事が口を突いて出る。



「やっぱり、わざとらし過ぎますよね」



一度は勧誘に失敗した相手。

それを招く理由としては。



シグナムにも悪い事をしました。



元々彼女からの頼みであったが、結局彼を釣る餌のように使ってしまった。

仕方なかったという事はある。

これは自分個人の判断ではなく、ある意味で教会の意思なのだ。

かつても教会はゲルトを引き入れようとしていたが、今回はせめて友好的な関係を築いておきたいらしい。



予想はしていましたけど……



2年前の時点でも彼の存在は教会上層部で話題になっていた。

何せ古代ベルカ式の騎士から直接練成を受けた正統なベルカ式の担い手にして、幾つもの死線を越えた実戦経験者。

伸びしろも確実だ。

何せクローン。

正確には戦闘機人というらしいが、将来的にはオリジナルである騎士ゼストと同等、あるいは凌駕する存在になるのは間違いない。

だからあの時は自分に御鉢が回ってきたのだ。



「ああ、そうでしたね」



そこでカリムの口元が淡い笑みの形を作る。

そうだった。

2年前、自分は彼を新たな家族として迎えるように言われたのだった。

ふととりとめもない考えが浮かぶ。

もし。

もしも彼が、あの日の自分の提案を受け入れていたなら……どうなっていただろうか?

立場としてはヴェロッサと同じだ。

何かが違えば彼も、「姉さん」と呼んでくれたのだろうか。



だけど。



全ては過去。

頭を振ってそんな空想を振り払った。

益体もない。

彼は彼の道を行ったのだ。

自分で、選んで。

あの抜け殻か廃人のようだった少年が、今や局のヒーローだ。

少なくともテレビで見た限りその表情に陰りは無かった。

きっと立ち直れたのだろう。

それを今更。

自分達の元へ来た方が幸せだったとでも?

思い上がりも甚だしい。



……止めましょう。



深々と溜息を吐きつつ、延々と自虐に走りそうな思考に制止を掛けた。

まだ彼に会ってもいないのに一人で気落ちしていてどうする。

そう深く考える必要は無い。

今日の趣旨は彼に教会に対して好印象を持ってもらう。

それだけだ。

別に彼が嫌いだという訳でもないのだから、ごく普通に接すればいいのだ。



はやて達の時と同じよ、同じ。



もしかしたら彼とも利害無しに良い友達になれるかもしれない。

そう切り替えて新たなウインドウを開く。

映っているのは広い演習場だ。

平時は騎士団が訓練に使っている施設だが、今そこに3つの人影が立っていた。

一つは彼女の友人のシャッハ。

一つは彼女の友人の騎士であるシグナム。

そしてもう一つが管理局所属の騎士、問題のゲルトであった。





**********





聖王教会の敷地内をシャッハの案内で進んでいく一行。

程なく彼らが通されたのは普段教会付きの騎士団が使用している演習場の一つであった。



「へぇ、ここをお借りしてもいいんですか?」



辺りをぐるりと見渡してみる。

格闘訓練用の施設なのか特に遮蔽物はなく、隅まで確認する事ができた。

中々の広さだ。

結界設備もきちんとしているようだし、ここなら思い切りやっても大丈夫だろう。



「ええ。
 今日一日はここを空けておきましたので自由に使って頂いて結構です」

「何から何まで、ありがとうございます」



申し訳なく思う。

恐らくはこのために訓練ができなくなった部隊も幾つかあったのではないか?



「どうか気になさらず。
 お二方の戦闘を拝見するのは彼らにとっても良い経験になるでしょう」



一応ギブアンドテイクにはなっている。

教会がこの場所を提供する代わり、ゲルトらのこの模擬戦の映像は騎士団内部で公開される約束だ。

確かにニアSで古代ベルカ式を用いる2人の戦闘は参考とする余地も大いにあるだろう。

特に管理局に比べ近接戦闘を重視する傾向のある教会騎士団では尚更に。



まぁ、行き過ぎた遠慮も失礼か。



「では、お言葉に甘えて」

「そうだな。
 今日はその為に来たのだし、好意は素直に受け取っておこう」



そう結論付けて足を踏み出す。

2人は思い思いに体をほぐし、模擬戦に備えて準備を始めた。

適当な間隔を取って広がりストレッチを行う。

ゲルトは腕を伸ばし、シグナムは伸脚を行っている。

次。

程良く体が温まってくるとデバイスを展開し、軽く素振りを行う。

無理なく、身に染みついた動作をただ繰り返した。

必要な事だけに体の機能を絞る。

言ってしまえば単なる精神論だが、一振り毎にその境地へ近付いているような感覚がした。



流石、というべきなのでしょうね。



そんな彼の様子を少し離れた位置から観察していたシャッハが、胸中で感嘆の念を漏らす。

彼が世間を賑わすより以前からその才覚の程は予想していたが、実際にその訓練の様子を見るのはこれが初めてだ。

2年前に会った時のゲルトは精彩を欠く所ではない有様だったので無理もない。

ただ先ほど話した様子から立ち直ったようではあるし、素振りだけ見ても中々のようだ。



「噂になるだけの事はあるようですね」

「ええ」



傍でゲルトと同じように軽く素振りをしていたシグナムも手を止めて応じる。

あれだけの長物を扱いながら、彼からは“振られている”様子が見受けられない。

デバイスの形状から先端部に重量が寄っているのは間違いない筈。

それをああも軽く扱うなど並大抵の事ではない。

まさか腕力一つで為せる訳もなく、当然相応の修練を積んでいるのだろう。

首都防衛隊仕込みの戦技は健在、という事か。



「楽しみにしていますよ?」

「御期待あれ」



どれほどのものが見られるのか。

シグナムの腕前の程は身に染みて理解している。

その彼女をして優秀、という評価だそうだ。

一武人としても興味をそそられる。

と、



「シグナム。
 そろそろいいか?」

「ああ。
 始めよう」



ゲルトの声がかかる。

彼はウォームアップを済ませたのか刃を下に、柄を右脇で挟むようにしてデバイスを保持していた。

シグナムもそれに応じて中央へと歩き出していく。



「では、行って参ります」

「はい。
 良い闘いを」



ついに火蓋が切って落とされようとしていた。





**********





「こうして再びお前と刃を交える日を心待ちにしていたぞ」

「それはお互い様だ。
 こんな風に良い場所でやれるとは思って無かったけどな」



演習場の中央に立つ2人は、互いに緩やかな笑みを湛えて言葉を投げ合った。

闘争を前にし、心はひどく穏やかな様を呈している。

髪を僅かに弄る涼やかな風も心地よく感じていた。



――――それが例え嵐の前触れ故のものであったとしても。



示し合わせるでもなく、両者がそれぞれの得物を構えてゆく。

シグナムはレヴァンティンを居合いのような形で左下へ。

ゲルトは頭上で二度ほどナイトホークを回し、その勢いのまま腰だめに。



「2年ぶりだ。
 楽しませてもらおう」

「応とも」



短く答えるゲルトの瞳に、もう先程の和やかな空気は無かった。

シグナムも同じ。

そこに灯るのは鋭く、相手を射抜くように輝く闘志の光。

或いは殺意にも近い程の。

常人であればそれだけで身が竦んで動けなくなるだろうという、そういう類のものだ。



ああ、やっぱりな。



高まる緊張を感じながら、ゲルトは体を引き絞って行く。

いつでも飛び出せるよう、発射寸前の長弓さながらに。



これだ。



やはり、これなのだ。

久しく覚える事のなかった、この感覚。

自然と身が締まる。

力が内に籠って、解放の時を待っている。

独りでに頭が澄んでいく。

これ以上ないほど昂揚している筈なのに、どこまでも冷めている。

最高だ。

今、ゲルト・G・ナカジマは最高の状態にある。

疑いようもなく、それは純然な事実としてそこにあった。



念の為補足しておくが、決してゲルトは戦闘嗜好ではない。

生死の境を奪い合う事に興奮する性質でもない。

彼が108隊員として戦闘に入る場合、それはむしろ目的達成の方が先に立ち昂揚など微塵も湧く余地は無い。

それは義務であり、責務に過ぎないからだ。

確実かつ可及的速やかに片を着けなければ他者に被害が出かねない。

義憤に燃える事こそあれ、そんなものを楽しむ事はできない。

故に。

彼が望む戦いとは即ち、いつまでも続けていたいと、そう思えるものだ。

同等以上と認め得る相手と一進一退鎬を削り、互いに寸分の勝機を巡って激突する。

それが許されるものだ。

あえて言葉で表現するとしたなら、それはヴィータの言を借りるとしっくりくる。



決闘趣味。



上手く言ったものだ。

まさしくその通りだろう。

あくまで、そうあくまで彼らは騎士なのだから。

獣のように血に酔う事はない。

それは―――――と、いけない。



「おおおおおぉぉぉぉぉっ!!」



脱線が過ぎたようだ。

既にゲルトらの間にあった緊張は粉砕されている。

ゲルトが突撃の咆哮と共にシグナムへと一直線に駆け出していた。

一方のシグナムはその場を動かず、まだ先の構えのままそこに居る。

奇妙な光景だ。

間合いに関して優位に立っている筈のゲルトが危険を押して前進。

何故?

移動とはなべて隙を生む。

両足が確と地を掴んでいるのは、陸戦に於いて大きなアドバンテージになるもの。

摺り足などの技能が重用視されるのはそれが所以だ。

それを知らぬでもない彼が、何故片足を浮かす全力での疾走を行うのか。

答えは一つ。

そもそもの前提が覆されているからだ。



リーチでは、圧倒されてるからな。



近付くしかないのだ。

現在シグナムとの戦績は3勝2敗。

前回の敗因はここで待ちに入った事だった。



あと、少し……!



しかしそれももう意味を無くす。

すぐに彼女をこちらの間合いに捉えられる。

そこまで入ればどうともなる。

が、

それをシグナムが許す道理もない。



「ハアァッ!!」



抜刀。

同時に、抜き放たれるレヴァンティンの遊底がスライドして薬莢を吐き出す。

高速の居合いが鞘走りの擦過音を鳴らした。

しかしそこから放たれるのは尋常の刃では無い。



『シュランゲフォルム』



露わになった刀身は幾つにも分割し、中央を通すワイヤーで以て繋げられている。

連結刃。

レヴァンティンの形態変化、その第二番。

それが鞭のようなしなりを描いてゲルトへ迫る。



「ッ!」



来たか。



アレだ。

ナイトホークの間合いを遥かに超越している。

これのせいで前回は完全にイニシアチブを取られ、翻弄される内に一撃を入れられたのだ。



しかも。



あの形態の厄介さは単なるリーチの問題に収まらない。

まず、いなせないのだ。

芯が無い故に掴みどころがなく、下手に打ち払えば得物を巻き取られる。

もし、しなりの部分などを打ってしまえば一発だ。

そして受けられない。

ほぼ前述と同じ理由だが、特にファームランパートの場合は“平面”防御障壁である事がネックとなる。

最初は防げても、縁で折り返して死角から回り込んでくる切先がこちらを襲う。

ごく普通の魔力障壁で周囲全てを覆ってみてもバリアブレイク術式で破砕される。

彼女自慢の剛剣とはまた違う、変幻自在のスタイル。



だが、弱点もある。



シグナムの腕前は一級品だが、それでも構造上の欠陥はどうしようもないはずだ。

即ち、手元へいくほどにその操作は厳しくなるという事。

また全体的に即応性が低い。

芯がないという事は利点でもあり重大な欠点でもある。



それに!



ゲルトが足を止める。

ナイトホークを後ろへ大きく振りかぶり、迎え撃つ構え。

殺しきれない慣性を利用してナイトホークを横薙ぎに振り抜く。

通常、この連結刃は弾けない。

その理由は既に説明したが、しかし打ち破る方法のない術法もまた存在しない。

そこでゲルトの出した答えとは、つまり――――。



「ああああぁぁぁっ!!」

「!?」



力技である。

ナイトホークから迸った魔力の剣圧が、迫る刃の大部分を正面から打ち据える。

それは連結刃をいとも容易く蹴散らして無力化せしめた。



要するに、しなるのが厄介なら運動の起点となる先端部分を叩けばいいのだ。

そうすれば弾かれた先端に伴って他の部分も逸れていく。

とはいえ言葉で言うのは簡単だが、それは至難の技でもある。

何せ先端部よりしなりの部分の方が前に出ているのだから、それを打つ頃にはしなりの直撃を受けてしまう。

だが上手く一撃で全体、少なくとも前半部を打つ事が出来ればさほど労せずに逸す事が可能だ。

しかも再度攻撃に移るには相応の時間が必要。

ゲルトはそこに賭けた。



「クッ……!」



案の定、シグナムは苦渋の表情を見せている。

やはり連撃には向かないのか、すぐに攻撃してくる気配もない。



――――好機。



これを逃す手は無い。

ゲルトは再度疾走を始める。

もう己の間合いまで数歩。



いけるか……?



次の踏み込みで間合いにまで到達する。

大上段に振りかぶった。

寸止めの必要はあるが、その程度は何ともなる。

狙っているのは彼女の肩だし、万が一多少力加減を間違えてもシグナムなら大丈夫だろうとタカを括る。

一方のシグナムは下がるのも無意味と感じたか、上体を庇うように右手で掴むレヴァンティンを掲げていた。



これで終わりか?



もう間合いが深過ぎて連結刃もその威力を発揮できまい。

柄で、しかも片手でこの一撃が止められるものか。

そう思いつつ、こんな事位で負けてくれる相手ではないとも考えている。



だとしても!



このチャンスをみすみす捨てる訳にはいかない。

そう結論付け、そのままナイトホークを振り下ろした。

その時異変が起きる。

彼女を捉える視界の中でレヴァンティンが急速に復元していく。



チッ……早い。



まるでビデオの逆回しのように、瞬く間に剣の形態を取ったレヴァンティンが彼女の手に収まっていた。

見れば彼女は右手で柄を、左手で峰を押さえている。

防御の姿勢だ。

デバイス同士が激突し、甲高い金属音が響いた。

遠慮なく振るったせいで残響をも生む鋼の振動が、手を軽く痺れさせている。

何にせよナイトホークは受け止められていた。



「流石……!」

「そう、簡単には、やらせん……!」



競り合いの体勢で言葉を交わす。

よくぞ、と賞讃を送りたいが、ゲルトが上段から叩きつける側で、シグナムは下から押し返す側。

どちらが有利かは言うまでもなく、実際彼女の声も絞り出すような雰囲気があった。

まだ優位は崩れていない。



ここは畳み掛けるべきだ。



それが至当と判断する。

ゲルトはナイトホークに掛けていた力を抜き、瞬時に相棒たる彼女を振り戻した。



「なっ!?」



いきなり荷重が消えた事でシグナムの姿勢は崩れている。

体が伸び上がり胴体もガラ空きだ。

それも見届けず、ゲルトはすぐさま次の攻撃へ移る。。



「シィィッ!」



身を落として横向きとなったゲルトが踏み蹴りを放った。

体重の乗った踵が彼女の腹部を抉るように突き刺さり、そのまま吹き飛ばす。



「ぐ――――ッ!」



衝撃を弱めようと自分で跳んだ事もあるのだろう。

シグナムは大袈裟な程に宙を飛び、地に着いても膝を折って滑走。

どうやら少しでも距離を離すつもりらしい。



手応えはあったが……。



幾らか軽減されたとはいえ甘くはない当たりだった筈。

それでもなお彼女は冷静に反撃の機を掴もうとしている。

その証拠にレヴァンティンは手放しておらず、痛みに顔をしかめながらも視線は一時としてこちらから外れていない。

何という胆力。

何という執念か。



天晴れ。



しかし感心ばかりもしていられない。

彼女にこのまま姿勢を立て直されると厄介だ。

追い打ちの必要を感じ、足を戻さず後ろへ着いて体を捻る。

一回転の勢いをそのままに下段からナイトホークを持ち上げた。



「はぁぁぁっ!!」



ゲルトの攻撃意志に応じて無色の衝撃波が走り、まだ滑走中のシグナムへ迫っていく。

距離を稼ぐ為だろうが、そのせいで咄嗟に横へは逃げられない。

そう、横には。



これも凌ぐか!



だから彼女は“上”に逃れた。

信じ難い程の跳躍力で衝撃波を躱す。

これは飛行との併用か。

ただの脚力でこれほどはいかないだろう。



「紫電――――」



この時を待っていたのか、空中のシグナムは既に攻撃の姿勢。

振りかぶるレヴァンティンは煌々と輝く炎を纏っている。



「一閃!!」



先刻の焼き直しだ。

炎を伴う剣圧が宙を裂き、未だナイトホークを振り抜いたままの体勢だったゲルトに襲いかかる。



「チッ……!」



演習場に爆音が轟き、粉塵が彼の姿を覆い隠した。

無防備な所にシグナム渾身の一撃。

だが彼女はそれで満足しない。

青眼に構えられたレヴァンティンは更にカートリッジをロード。

手首のスナップで軽く回すのに連動して再びシュランゲフォルムへ移行する。



「フッッ!」



彼女が柄を握る腕を大きく振るうのに呼応してレヴァンティンが螺旋を描く。

それは未だ晴れぬ煙幕ごとゲルトが居た辺りを囲んでいった。

まるで竜巻のように渦を巻いて彼の逃げ道を塞いでいる。

そして、



「ハアァッッ!!」



閉じた。

瞬間の動きでレヴァンティンが捕らえた獲物を握り潰す。

いや、その一瞬前に何かが粉塵を突き破った。



「く、おおおっ!」



ゲルトだ。

紫電一閃はISで防いだものの、流石に全方位から襲い掛かるこれは如何ともし難い。

唯一の突破口である真上へ逃げようと上昇。

しかし。



「捕まった……!?」



遅かったか。

もう少しという所で右足を巻き取られる。



まずい!



シグナムの思うまま振り回され、そのまま地面へと叩きつけられた。

床が近づくのをはっきりと認識しながら、どうする事も出来ない。



「っつ……!」



息が詰まる程の衝撃に喘いだが、決定打には遠い。

まだ戦いは終わっていないのだ。

不様に地を這っている訳にもいかず何とか体を起こす。

すぐさま状況を確認しようとして、それは把握できた。



「!?」



目の前に迫るシグナム。

既に剣の形態に戻ったレヴァンティンを上段に構えている。

一方こちらの状況。

ナイトホークが威力を発揮するには姿勢も距離も不利。

もはや先を取るのは不可能と、とにかくナイトホークの柄で防御する。



「フンッ!ハアッ!」



連撃を辛くも防ぐ。

が、防戦一方だ。

ここぞとばかりの猛攻に反撃の糸口を掴めない。

今は何とか保っているが、もし一度でも読みを誤れば……。

その先は言うまでもないだろう。

しかしこの攻撃にもいつかは切れ目ができる筈。

必ず大振りの一撃が来る筈だ。

それまでを何とか凌げれば、



活路は、ある!



そう信じて受ける、いなす、逸らす。

薄氷を踏むような綱渡りを続けながら、感覚を総動員してシグナムの動きを捉える。

しかし五合目。



「しまっ……!?」



フェイントを読み切れず小手を打たれた。

籠手を抜けた少なからぬ痛みと衝撃、そして精神的空白にナイトホークを握る手が弱まる。



「王手だ!」



不覚。

迂闊。

幾つかの言葉が頭をよぎったが、直感的に理解する。



これは――――



チャンスだ。





**********





「何っ!?」



とどめを放とうとしたシグナムが、驚愕の表情を残して固まる。

慣れた動き。

最早呼吸も同然。

その一撃が……出ない。

慌てて見れば、彼女の剣線を塞ぐようにゲルト独特の障壁が展開していた。



外れん!?



剣を戻して、振り抜く。

その中間の、丁度動きが止まる地点を抑えられている。

位置、角度とも完璧にこちらの挙を封じており、ずらそうにもすぐにはいかない。

そして、



「王手だ、シグナム」

「……ッ!」



ゲルトの声で我に返ると、己の喉元にナイトホークの穂先が突き付けられていた。

チェックメイト。

その事実を呑み込むのに一瞬を必要とし、さらに喉を鳴らして唾を飲む。

ゴクリ、とその音はやけに大きく聞こえ、そしてシグナムはゆっくりと口を開いた。



「……参った」










(あとがき)



ついに、一ヶ月割っちまった…………。

しかもまだ前編…………。

ああああ、これもレポートやら発表やら課題出しまくる教授が悪い!

それにFall out3なんぞ作業妨害ゲーを作ったBethesdaも悪い!

さらにましろ色シンフォニーなんぞニヤニヤゲーを作ったぱれっとも…………ぱれっとも…………いや、アレは本気で面白かったです。

どのルートも最高でした。

べヨネッタは……お察し下さい。



ともかくにして後編も鋭意執筆中です。

流石にまた一ヶ月も掛かってると洒落にならんので、カリカリ速度を上げて行こうかと。

ではまたすぐに会えると信じて!Neonでした。



[8635] 血闘のアンビバレンス 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2009/12/30 02:13
「見事だ」



ナイトホークが退けられて、ようやくシグナムは大きく呼吸をする事ができた。

そして目前のゲルトへ称賛の言葉を投げる。

己の技が届かなかった事を無念と感じるのとは別に、彼の技量の程には改めて感服した。

しかし、



「最後のは何だ?
 あんな事が出来たのか?」



あんな事を何度も成功させられるなら、そもそも太刀打ちなど成立しない。

ここぞという攻撃も、モーションから潰されてはひとたまりもないだろう。

返答次第では彼に対する戦術を根本から見直す必要がある。



「まさか。
 そうそう上手くいくわけないだろ?」



だが当のゲルトは軽く手を振って否定。

実際アレは自信三割、ギャンブル七割といった所か。

普段ならそんな賭けはせず、ごく普通に防御に回していただろう。

万が一角度を外していたら……いや、彼女が素早く身を落とすなりして二度目の斬撃を放つだけで終わっていただろう。



「しかしまぁ、あのままでもすぐに手詰まりだったからな。
 仕方なく、だ。
 心配しなくてもあんなもんポンポン使う気にはならんし使えないって」



正味の所ナイトホークで有効な剣線を制限していくとある程度絞り込みも可能なのだが、それでも分の悪いギャンブルの域は出ないだろう。

確実性を期してファームランパートの直径を多めに取ってみても、さじ加減を間違えばこちらの邪魔になる。

レヴァンティンの刃渡りや重量バランス、それにシグナムの好む剣筋をおおよそとはいえ知っていたからこそだ。

とはいえ、



「まさか卑怯とは言わないだろうな?」

「当然だ。
 破れない私が未熟なのだからな」



何となく聞いてみたのだが、やはりシグナムもそこに関して文句は無いらしい。

腕を組んだ彼女は憎々しげに、しかしはっきりとそう言った。

まぁ、勝てなかったからといって相手の手法を詰るなど騎士として論外。

非人道的な悪手ならともかく、こんなものは打ち破れない方が悪い。

その程度の事を彼女が弁えていない筈もないだろう。



いや、それは俺も、か。



勝者には勝者の、守るべき義理というものがある。

口にすべき事と、そうでない事が。



もし、実戦だったなら……。



確かに、今日は自分が勝った。

全神経、全感覚、全技術の持てる極限を費やしてもぎ取った。

それは間違いない。

それは誇らしい事だ。

しかし、とも思う。



例えば、右足を巻き取られた時。



隣を歩くシグナムには気取られないよう、そっと視線を右足へと動かす。

今でも多少痛むが、そうといって捻挫などをしている感覚はない。

それも刃引きがしてあったからこの程度で済んでいるわけで、本来なら間違いなく使い物にならなくなっているだろう。

その状態であの猛攻を凌げたかと言えば、流石に口を濁す。

勿論、フルドライブを使っていれば最初の段階でレヴァンティンごとシグナムを叩き斬る事も出来たが、その場合は彼女も防御などせず他の手段をとっていた筈。



何にせよ、勝って兜の緒を締めよってトコか。



久し振りに実りの多くある仕合だった。

これを教訓として、もっと精進に励まなければ。

などとそんな事を考えていると、タオルを手にしたシャッハが駆け寄って来るのが見えた。

邪魔になるからと離れた所で観戦していたはずだが、終わったと見て近付いてきたらしい。



「素晴らしい仕合でしたよ、お二人とも。 
 騎士団の者にも良い経験になった事と思います」

「ありがとうございます」



差し出されたタオルを受け取り、それなりに流れていた汗を拭う。

実際に打ち合っていたのはそれほど長い時間でもなかったが、終わってみれば精神的なものからかどっと噴き出していた。



「よろしければお話を聞かせて頂けないでしょうか?
 お茶などおもてなしの用意も致しますので」

「ん、どうする?シグナム」

「お言葉に甘えておけ。
 今更遠慮する理由もないだろう」

「まぁ、それもそうか」



確かに、このままハイさよならという訳にもいかないか。

向こうとしても色々あるのだろう。

そう思い、先方の提案にはOKしておく。



「そうですか。
 それではご案内致しますのでこちらに――――」



シャッハが先頭に立ち、案内をしようと振り返った時だ。

ゲルトらの位置から少し離れた演習場の入口付近。

何時の間に現れたのか、そこには見知らぬ男達が立ち並んでいた。

ざっと数えて二十数名。

一見していずれも鍛えられた体をしている事が分かる。

それに、



「はい失礼しますねー」

「痛いのは足以外にどこか在りますか?」

「え、あ、手首が少し……」

「はい手首ですね。
 この辺りですか?」

「はい。
 そうです、けど……」



彼らの中から進み出た医療班と思しき女性魔導師数人がゲルトを囲んで治療を始めた。

とりあえず言う事を聞いて任せておくと、確かに痛みが引いて体の余分な熱も収まってゆく感覚がした。



…………?



しかし状況がよく飲み込めないゲルトやシグナムは勿論、シャッハまでも怪訝な顔をしていた。

どうやら彼女も何も聞いていなかったらしい。

戸惑う彼らをよそに、男達の中から1人、鞘に収めた大剣を背負った男が前へ出た。

20代中頃と思しき彼は白い鎧を着込んでいる。

まず間違いなく、アームドデバイスにバリアジャケットだ。



「ゲルト、って言ったな」



と、歩み寄ってきた彼は唐突に口を開いた。

彼の視線はひとえにゲルトに向けられている。



「さっきの仕合は見せてもらったぞ。
 流石は“鋼の騎士”。
 どうやら、噂は尾ひれが付いただけじゃなかったらしいな」

「はぁ……その、どうも」



どうやら誉められているらしい。

とにかく敵意は無いようだが……。



「あなた達、どうしてここに居るのです。
 確か待機を命じられていた筈ですが?」

「まぁまぁ、そう言わないで下さいよシスター。
 あんなものを見せられたらそりゃ俺達も黙ってはいられませんよ」



後ろの男達も各々に頷いて先頭の男に加勢する。

しかし、待機を命じられていた?



「シスター、この人達は……」

「……はい。
 全員この場を使う予定だった騎士団のメンバーです。」



ゲルトの疑問に、疲れたように肩を落としたシャッハが答える。

済まなさそうに言う彼女の言葉からして、やはり本来彼らがここを使用する予定だったらしい。

しかし、本当に何なのだろうか。

特に憎まれているとかそういう事もないようだが……。



「本当に、あなた達は何をしに来たのですか?」



ゲルトがそれを尋ねるより早くシャッハが聞いた。

彼らに向き直った彼女が再び問い質す。

彼ら騎士団がこんな所に集まっている訳を。



「そんな事決まってるでしょう」



言いながら、先頭の男に倣って居並んだ騎士達も佇まいを正す。

ざっ、と音を立てて直立し、各々のデバイスを式典整列のように構えた。



「“鋼の騎士”ゲルト・G・ナカジマ殿!」

「は、はっ!」



一転して畏まった彼の口上。

戸惑っていたゲルトも反射的に姿勢を改める。



「先程の仕合で拝見した槍捌き、その御歳を以て全く見事!
 噂に違わぬその才覚、その戦いぶりには我ら一同感服仕った!」



反射する物もない演習場だが、その声は大きく響く。



「そこで!」



騎士達が新たな動きも見せる。

あらかじめそう決まっていたかのように同調した動作でデバイスを構えた。

一斉に抜き放たれたそれらの鍔が、唱和するように小気味よい金属音を鳴らす。



「我らにもその武練の程を一手、ご教授願いたい。
 目の覚めるようなその槍技で以て、どうか一手!」



言われた意味を即座には取り込めず数秒。

ポカンと、間の抜けた顔を晒すゲルト達。

しかし、



「……は、ははっ」

「ゲルト?」



ゲルトは確かに笑っていた。

最初は口元が少し歪む程度。

しかしそれも時とともに大きくなり、遂には耐えきれぬというように声に出ていく。



「――――上等!」



そして不意にその笑いを引っ込めた彼はそう言い切った。

一度は収めたナイトホークを再び展開。

手に慣れた重みを感じ、はっきりと握る。



「すみませんシスター。
 折角のお誘いですが、話はもう少し待っていて下さい。
 何でしたらシグナムと先に行っていて貰えても構いませんので」



言いながら、ゲルトはそこかしこに力を入れて節々の調子を確認していく。

特に巻き取られた右足や痺れていた手首を重点的に。



いける、な。



流石に生傷の絶えない騎士達の治療をしているだけの事はある。

応急の処置にしては十分過ぎる程。

シグナム戦の持ち越しはさほどでもなく済みそうだ。



「騎士ゲルト?
 あの、本当に相手をなさるおつもりですか?」

「ええ。
 俺の為にわざわざ来てくれたのを無碍には出来ませんよ」



困惑するシャッハの言葉も尤もとは思う。

とはいえ、挑戦を受ければ断る事はできない。

それにこんな機会はとんと無かった。



いつもの訓練じゃ、流石にな。



こう言っては何だが、108部隊での訓練ではほどほどに手を抜いている。

ミッドチルダ式の魔導師が相手なら懐に踏み込んだ時点でほぼ詰みだ。

そこまでが骨でもあるのだが、太刀打ちも無しでは不完全燃焼な感は否めない。

熟練の者ならそんな事もないのだろうが、陸士部隊に首都防衛隊クラスの練度を望む方が酷というものだろう。

しかし、今ならそれも存分に楽しめる。

有体に言って、ゲルトは今相当にハイだった。



「悪いがナイトホークももう少し頼むぞ」

『勿論です』



一も二も無い快い返事。

そんなナイトホークの態度に、ゲルトには満足の笑みが浮かぶ。

そして彼女を地に突き立てた彼はすぅ、と息を吸って腹に溜めた。



「当方、時空管理局陸士108部隊所属!
 “鋼の騎士”ゲルト・G・ナカジマ!!」



相手にも負けぬ声量でそう名乗りを上げ、居並ぶ騎士達を見据える。

誰もがゲルトを見ていた。

その目に清廉な闘志を滾らせて。

その口に獰猛な笑みを湛えて。

その手に自慢の得物を携えて。

彼らはゲルトだけを見ていた。

そしてそれは彼も同じだった。



「期待に応じ、父直伝の槍技で以てお相手申し上げる。
 一戦の後といえ、どうか一切の手加減容赦は無用でお願いしたい」



気を遣われずとも戦闘は十全に可能だ。

模擬戦故の縛りはあるだろうが、かといって手を抜かれるのは気に入らない。

どこまで捌けるかは分からないが、やるからにはとことんまでやってやる。



「こちらが告げるべきは以上!
 これよりはこの身と、このナイトホークが仕る!」



地面と垂直に立っていた彼女を見せつけるように突き出す。

それに誘われてか、向こうからも先頭の男が更に一歩を前に出た。

男もまた両手で保持する肉厚の大剣を青眼に構え、ゲルトへ見せるようにしている。



「ミハイル・アドラウネとティルフィング。
 生憎名乗る程の二つ名は無いが、腕前が応えるものと信ず」



チキ、と微かな金属音を鳴らしてティルフィングを半回転。

右目に被さるように構えられた剣の腹を光が走った。



「それでは」



両足を開いて前傾の姿勢を取る。

ゲルトはナイトホークを右側で大きく振りかぶり、ミハイルはティルフィングを肩に引っ掛けるようにしている。

2人の足元には正三角に剣十字を置いた魔方陣が展開。

ゲルトは赤橙、ミハイルは紅褐色だ。



「ああ」



視線を交わして頷き合う。

合図にはこれで十分だろう。



「「参る!!」」



疾走。

爪先が地を蹴り出し、一歩毎に速度を上げる彼らは急速に彼我の距離を埋めていく。



「あああああぁぁぁぁっ!!」

「はああああぁぁぁぁっ!!」



間合いに入るのは僅かにゲルトが先。

踏み込みから始まり腰、肩、腕と伝播した力の全てを刃に乗せる。

背の側から回り込むナイトホークを袈裟がけに振るった。

遅れたミハイルもティルフィングを肩から振り下ろす。

どちらともに重量級の部類に入る得物。

その衝突はけたたましい金属音を演習場に轟かせた。



「ぐっ……!」



重い……!



顔を引き攣らせたミハイルが心中で呻く。

予想より遥かに重みのある一撃。

自分も腕力には相当自信のあるつもりでいたが、それも過信だったか。

ナイトホークと打ち合うティルフィングもカタカタと音を立てて震えている。

拮抗というには苦しい。

少しでも気を抜けば即座に押し切られそうな程。



「フッッ!」

「ッ!」



そして二撃目。

互いに一歩を引いて再び得物を打ちつけ合う。

相も変わらずの剛槍。

初撃よりマシとはいえ十分に脅威を感じる。



刃を逸らせば踏み込めるかと思ったが、これでは……!



あの騎士シグナムが距離を取ろうとしたのも頷ける。

技術に加え基本的な身体能力までもこれほどの域に達しているなど。



仕方ない。



このまま闇雲に打ち合うのは不利だ。

幸いナイトホークの間合いより外に関する攻撃手段は少ないと見える。

距離を取って押し込むのが有効ではないか。



少なくとも、このままよりは、な。



そう判断したミハイルは三撃目の予備動作を大きく取った。

足を先より半歩引き、ティルフィングを短く構える。

強引とも言える手法で攻撃権を奪うつもりだ。

当然、如何に先手を取ろうとこんなものでナイトホークとの打ち合いなどは望めない。

ミハイルもそんなものは狙っていない。



「っらぁぁっ!!」



ティルフィングが横薙ぎに抉るのは、地面。

切っ先が土を裂き、紅褐色の剣圧が砂煙を巻き上げる。

煙のカーテンが視界を覆う寸前に見えたゲルトは不意の動きに警戒したのか、三撃目を振り抜く手を止めていた。

思う壺だ。

身を隠したミハイルはとにかくの窮地の脱出に安堵を感じつつ、更に身を引いてティルフィングを振りかぶる。

足は開き、右肩へ背負うような上段。

そして――――



「終わったな」



外野のシグナムの呟き。

その通りになった。



「なっ!?」



遠距離の攻撃を放とうと、魔力の滾るティルフィングを振り抜かんとしていたミハイルが驚愕の声を漏らす。

目の前の砂煙を突き破り、光も反射せぬ刃物の切っ先が飛び出してきたのだ。

切っ先、である。

それがはっきりと見えたのは、何て事は無い。



「は……あ……?」



今も目の前で止まっているからだ。

顔から10㎝と離れていないその宙で、ナイトホークの先端が静止している。

ざぁっ、と風が吹き抜けて砂煙が消えれば、こちらに彼女を突き出すゲルトの姿も見えた。

少しでも射程を伸ばす為か、足を大きく開き半身の構え。

ナイトホークを片手で保持する右手を伸ばし、突きを放ったままの姿勢で停止している。

一方、ミハイルは眼前の刃物の圧迫感で身動きが取れない。



「あ」



そうこうしている内にナイトホークが引き戻された。

思わず間抜けな声を上げてしまう。

ナイトホークを戻したゲルトはその勢いで足も引き戻し、姿勢を整えていた。

ナイトホークを地に突き立てた彼はこちらに一礼。

は、という呼気と共に、ミハイルの体からも力がどっと抜けた。



負けた、か。



その時になって、ようやくその事に気が付いた。

頭を上げたゲルトはもう興味も失せたのかこちらから視線を外し、音というものが一切消えた演習場で他の者達の方へ体を向けた。

そして静寂に小さな波紋を浮かべる



「次」



たった一つの言葉。

その効果はすぐには表れず、少しの間を以て騎士団の人間の中へと浸透していった。

それはやがてざわめきとなって広がり、そしてまた一人の騎士がゲルトの前に立った。





**********





走る影。

人影。

それを追って幾つもの光が宙を裂き、外れたそれらが地を抉る。

演習場を駆ける黒い影、ゲルトはナイトホークを抱えたまま斬撃の連射を逃れている。

二刀で高速の投射を繰り返す射手を中心に、緩い円を描くようにして疾走。

やがてゲルトの位置が射手の死角に近付き、射手も手を止めてそちらへ向き直らざるを得なくなった。

一瞬の間隙。

それを見逃す手はない。

ゲルトは直角をも越える強引な転進を行い、射手へと突撃する。

方向転換に魔力も用いたのか、背後には巨大な土煙も上がっている。



「遅いっっ!!」



しかし相手の攻撃の方が早い。

再度放たれた斬撃が二発、相対の速度も加わり高速で迫る。

が、見えていた。

金の目を開くゲルトにははっきりと、その着弾点までが。

それは先ずゲルトの胸を抉り、次弾が左足を薙ぐ。

故にそこから身を逸らす。

着地した右足を捻り、内側へ。

この速度でそんな事をすると常人なら確実に痛めるだろうが、身のこなしと持ち前の頑健さでこなす。

右足が急制動を掛けた事で生じる慣性を利用し、左半身を回転。

先刻ゲルトがいた位置に右足だけ残して、目の前を初撃が通過していくのを見る。

そして完全に背面になった頃、後ろへ流れている右足を蹴り出す。

身一つ外れた二撃目が空を切るのも感じつつ、一瞬の滞空の内にナイトホークを構える。

右手を伸ばし、横薙ぎに振り抜く握り。

左足が着地すれば射手まではもう数歩。

逃がさず踏み込み、振り抜いた。



「ッッツ!?」



それは反射的に身を守ろうとした射手の左手から短剣を弾き飛ばす。

男は左手を庇いながらも右手の短剣を振るおうとし、しかしゲルトの二撃目で吹き飛んで行った。

メキッ、と数本骨の砕けるような嫌な手応えと音を感じる。

吹き飛んだ男は何度も地を転がって停止、しかしとりあえず手は動いていた。

すぐに医療班が彼を囲み治療を始めるのを視界の隅で確認し、ゲルトは声を張り上げる。



「次!」



そんな彼を遠巻きに見つめている二つの視線がある。

壁にもたれるようにしているシグナムと、彼女の傍に立つシャッハだ。



「今で、何人目でしたか」

「さっき吹き飛んだ者で30と……3人目ですね」



まるで他人事のような会話とは裏腹に、語られる内容は中々に凄さまじい。

目をゲルトの方に向けると再び激しい剣戟に興じていたが、よく見れば息が荒い。

振り抜く斬撃も少し雑になってるように見える。

無理もない。

一度に30人を相手にするのは困難だが、そうといって一人一人30回相手にするのよりは体力を使うまい。

パラディンのお陰で魔力のセーブに長けているとはいえ、体力の方は体を動かした分だけ減っていくのが道理。

むしろここまで保っている方が称賛に値するか。



「とはいえ、彼もそろそろ限界のようですね」

「加減を効かせる余裕も、最早無いように見えます」



またゲルトと太刀打ちしていた騎士が宙を舞った。

やはり骨を打つ鈍い音が聞こえている。



「次っ!」



視線を巡らせば噂を聞きつけたのか集まってくる騎士達の姿が見える。

当初の人数を遥かに超え、まだまだ10人近い騎士達が控えていた。

幾らゲルトでもこれら全てを相手取るのは不可能だろう。

そうシグナムが考えている内に、すっ、とシャッハが前に出た。

彼女は演習場の中央でナイトホークを突き立てているゲルトへと歩を進めている。



「行かれるのですか?」

「はい。
 これ以上の損害は教会としても看過できませんし、騎士ゲルトにもあまり無用の怪我をして頂きたくはありませんから」



言いながら、シャッハはトンファー状のアームドデバイス、ヴィンデルシャフトを展開。

バリアジャケットも纏い、演習場へ歩いて行く。

壁に背を預けたままのシグナムはその後ろ姿に声を投げていた。



「油断はなさらぬように。
 今のままでも、アレは相当にやりますよ」

「それは勿論。
 あなたとの仕合を見た時からそんなものはありませんよ」



振り返ったシャッハは緩い笑みを見せたが、進むのは止めないようだ。

騎士達が前に出るのに先んじてゲルトの前に立つ。



「あなたですか」



ゲルトも彼女の姿に気付いたらしい。

突き立てていたナイトホークを持ち上げ、構える。



「聖王教会、シャッハ・ヌエラです。
 ヴィンデルシャフト共々、お相手願います」

「それは望む所ですが、こちらの加減が利かなくなってきています。
 それでもよろしいのですか?」

「はい。
 当たるつもりは、有りませんので」



言いながら、シャッハもゲルトの動きに応じて両のヴィンデルシャフトを突き出した。

構えに隙は見当たらない。

瞳にも臨戦の炎が見える。



本気か。



では、是非もなし。

挑戦者はあちら。

受けるのはこちらの義務だ。



「参ります」

「いつでも」



シャッハが深く身構える。

間違いなく飛び込んでくる気だ。

確かに、得物の差を見ればそれは自然な発想。



問題はそれを見切れるか、だ。



ハー、と長く息を吐く。

集中力も限界が近い。

ナイトホークを支える腕も、やや震えているのが分かる。

度重なる連戦で体力、気力共に底が見え始めているのだ。



長期戦は避けたいな。



故に、ゲルトの構えは右手を引いた刺突の握り。

リーチの差を活かし、初手から潰す。

その腹積もりだ。



「……………」

「……………」



しかしシャッハはすぐには動かず、互いに睨み合うだけの時間が過ぎる。

こちらの疲労を待っているのか。

恐らくそうだろう。

確かに、ナイトホークを構え続けるのは体力を使う。

精神的に疲弊しているせいか焦れてもきている。

呼吸の乱れを悟られぬよう気を遣っているが、それも重なっているのだろう。

本来なら肩で息をしている筈だ。

如何に基本的な能力に恵まれた戦闘機人とはいえ、連戦の影響は無視できない。



……まずい。



震えが膝まで来ている。

汗が顔の輪郭をなぞっていくのを鬱陶しく感じながら、顔に出ないよう気を張る。

それがまた負荷として心の隅に溜まっていく訳だが、そうといって構えを解くような愚は冒せない。

そしてさらに十数秒。

ゲルトには分単位にも感じたが、ついにシャッハに動き。



「!?」



消えた。

そう思えた。

コマ落としのように、今いた場所から消え……いや。



後ろ――――!?



後方、右側にファームランパートを展開する。

反射の動きだ。

何故そう思ったのか、などと考える間もなく防御。



「ッ!」



背後から聞こえる打音と、軽い驚きの声に戦慄する。

背筋を悪寒が走るとともに総毛立った。

だが、時は止まらない。

思考停止は命取りだ。



「くっ……!」



振り返りながら薙ぎを放つ。

体の捻りを利用し、咄嗟とはいえ必殺の威力を持たせている。

しかしそれも空しく風を斬るのみ。

気付けばシャッハは間合いの外まで離脱している。



あの一瞬で!?



相手は移動系の魔法に長けているだけでなく、身のこなしも相当に軽い。

侮ったか、という思いが過る。

騎士ではないからと、甘くみていたのか。

とんでもない。

これはシグナムにも匹敵する。



「やりますね、シスター」



今度こそ油断せぬよう構えを深めながら、ゲルトは声に畏敬を込めてそう投げかけた。

認める。

今の一瞬でも十分に理解できた。

目の前のこの女性は、今の自分では手に余る相手である。

たとえ万全の状態であっても五分の戦いができるだろう。



「それはこちらの台詞ですよ。
 そんな状態でよく反応できるものです」



ヴィンデルシャフトをボクサーのように構えているシャッハも、その表情には少なからぬ驚きが含まれていた。

やはり先刻の一撃で仕留めるつもりだったらしい。

いや、一瞬でも遅れていれば事実その通りになっていただろうが。

とはいえ、このままむざむざとやられるつもりもない。

記憶を掘り起こし、今のシャッハの動きを分析する。



厄介なのは……。



速度、ではない。

振り返ってみれば本当に見えない程の速度ではなかったと思う。

重要なのは相手の巧さだ。

こちらの集中が途切れる瞬間を突いてきた観察眼や、あそこまで静かな移動をこなす運体術など、純然たる技術に関する面。

これらにはこれといった攻略法がない。

ただ速いだけならば予備動作を見抜くなりで対処できるが、それを悟らせぬ事こそが上手い相手なのだ。



どうする……?



勝負は次の接触で決する。

自分の現状を鑑みるに次で仕留めなければ勝つ見込みはない。

かといって馬鹿正直に戦ってもシャッハは捉えきれないだろう。

何か策の一つでも用意しておかなければならないが。



何にせよ、綱渡りだな。



シグナムと仕合った時と同じだ。

研ぎ澄ます。

感覚を、身体を、精神を。

今己を苛む疲労の全てを忘却するように、目前の相手にのみ全てを傾ける。

シャッハが先程そうしたように、彼女の呼吸を読む。

せめて向こうが飛び込んでくる瞬間だけでも知る事はできないか。

すると、リズムを乱す微かに深い吸気に気付いた。



来る……!



勿論罠も疑ったが、動くなら今しかない。

完全に相手が動くのを確認していては出遅れる。

これは本命だ。

そう信じて、ナイトホークを横薙ぎに振るう。



来た!



賭けには勝ったか。

シャッハがこちらの予想したタイミングで突進。

真正面から間合いへ飛び込んでくる。



ここだ。



そして切り札、ISファームランパートを展開。

当初のシャッハとゲルトの中間程を起点とし、その頭上に地面と平行の防御障壁を張る。



「とった!」



上は塞いだ。

横へ跳ぼうともナイトホークの間合いからは逃れられない。

これが、今ゲルトに用意できる最高の環境。

間合いの勝負なら圧倒している。

まず敗れる要素はない。

勝った。

勝ったのだ。

紙一重の勝負であったが、自分は勝利への糸を手繰る事が出来た。



なのに、



「カ――――ッ!?」



激痛。

腹部に、意識を刈り取る程の痛み。

膝からも力が抜け、くずおれる体を支える事ができない。

暗転していく視界の中、ゲルトが見たのはこちらへ叩き込んだヴィンデルシャフトを引き戻すシャッハの姿だった。



なんで、だ?



彼女がここまで近付くなど不可能だった筈だ。

確かにナイトホークに手応えは無かったが、どうしてここまで踏み込める?

纏まらない思考が頭を走り、ノイズのように消えていく。

理解不能。

何故そんな事が起こるのか。

だが考えるまでもなく答えはそこにある。

理由ははっきりと見えているのに、頭がそれを認めようとしないのだ。



沈、んで……!



シャッハは目の前にいた。

しかしその背丈は立ったゲルトの腰程度しかない。

彼女は上体を残し、あろうことか地面に“埋まっている”のだ。

穴を掘ったような様子もなく、植物が生えているような自然さでそこにいた。

恐らくは、物質透過系の魔法。



『マスター!?』



だが、そんな事に気付いたとてもう手遅れ。

ナイトホークの声も、遠くから反響したように曖昧にしか聞こえない。

着いた膝から前に傾き、ゲルトはシャッハにもたれ掛かるようにして倒れ込んだ。

頭に何か柔らかい物が当たる感触がある。

次いで誰かに抱きすくめられるようにして支えられた感覚。

ゲルトが意識を保っていられたのはここまでだった。





**********





「すみません、騎士ゲルト」



ゲルトの髪を軽く手で梳いてやりながら呟くシャッハ。

既に彼女は地面から出ており、意識を失って脱力しているゲルトを支えている。

胸元の彼の表情には、やはり少なからぬ苦悶があった。

見た所連戦での外傷はさしたる事もないようだが、最後の一撃が効いているのだろう。



寸止め、という事もできましたが……。



しかしあれ以上続けさせていると、この程度では済まない怪我をしていた可能性が高い。

そう思いながら、彼女は集まっていた騎士達を見渡して声を張り上げた。



「騎士ゲルトは私が医務室に連れていきます!
 あなた達も速やかに所定の部署に戻りなさい!」



それを聞いてか、いかにも渋々といった様子で演習場を出ていく騎士達。

まぁ、肝心のゲルトがこの様ではどうしようもあるまい。

何人かは肩を貸してもらってようやく、という者もいたが、とにかくは大人しく演習場から引き上げて行った。

シャッハそんな彼らを見送りつつ、溜息を一つ。



まったく……。



彼らでは消耗したゲルトであっても手に負えない。

シャッハの予想する限り更に五人は倒され、ゲルトを仕留める者も加減を行う余裕はないだろう。

ゲルトが引き時を弁えてくれていればそれも無用な心配ではあるが、どうも彼も気が逸っていたようなのでこうするしかなかったのだ。



「お見事でした。
 シスターシャッハ」



横あいから人の声。

いえ、と謙遜の言葉を放つシャッハが視線を向けると、そこには予想した通りシグナムがいた。

近付いてきた彼女はシャッハが支えているゲルトの腕を取り、肩を貸す形を取る。

シャッハも反対の腕を取り、ゲルトを支えるようにして歩く。



「しかしこいつもよくやる。
 流石に初撃で決まるものと思っていましたが」

「ええ。
 私もあれを防がれるとは思いませんでした。
 才能も目を見張るものがありますが、それだけでは説明がつきませんね」



すぐそばにあるゲルトの顔へ目を向ける。

あの独特な防御障壁や身体能力、魔力保有量などは確かに素晴らしい。

しかしそれを束ねる彼の戦闘センス、それこそが真に見るべきではないかと思う。

直感、度胸、判断力、その他の経験が鍛え上げる部分。

向かい合った時に感じる気迫も場数を感じさせる堂に入ったものだった。



「いつか万全の彼ともう一度仕切り直しを行いたいものです」



今回はゲルトの疲労が重なった上での勝負であり、とてもフェアと言えるものではない。

あくまで仲裁として割って入ったとはいえシャッハとしても不満が残る。

やはり出来る事ならもう一度、と思わざるを得ない。



「それは起きた時に言ってやって下さい。
 これも喜ぶでしょう」

「そうでしょうか」

「はい。
 間違いなく」



その様子を思い浮かべているのか、シグナムは苦笑を浮かべて保証してくる。

ではそうしましょう、などとシャッハも頷き、二人は医務室へと歩を進めた。





**********





「……は」



泥のような眠りから、意識がゆっくりと鎌首をもたげる。

まだはっきりと覚醒していないせいか体の反応は鈍い。


俺、寝てた……?



頭を包む枕や掛けられた布団の柔らかさを感じる。

重い瞼を何とか開き、まず見えたのは天井。

自分の部屋ではない。

明かりも点いておらず、ベッドのすぐ左手の窓から差し込む赤い光から見てもう日暮れ時か。

その辺りでようやく頭も回り出した。

気を失う前の状況を思い出す。

そうだ。



シスターシャッハに、負けたんだったな。



それでここに運ばれたのか。

どうも結構な時間を寝ていたらしい。



「目が覚めましたか?」



聞き覚えのない声は右手側から聞こえた。

柔らかく、こちらを労わるような響きがある。

首を傾けてそちらを見てみると、聖王教会の法衣に身を包んだ女性が椅子に腰かけていた。

日の具合でこの姿勢からでは彼女の顔はよく見えない。

ゲルトは彼女の問いにはい、と答えながら上体を起こした。



……?



ゲルトが起きた事で彼女が部屋の照明を点け、そうしてやっと彼女の顔を確認する事ができた。

緩やかにウェーブのかかった金髪を腰程まで伸ばした若い女性。

すると唐突に既視感が襲いかかった。

この構図に何処か見覚えがある。

ベッドにいる自分、そしてその傍らで話しかける金髪の女性。



「あの、もしかしてご気分があまり優れないのですか?
 それでしたら無理なさらず寝ていらした方が……」

「あ、いえ、すみません!
 ただ、少しぼんやりしていただけですから」



不思議に思ったゲルトは思わずまじまじと彼女を見つめてしまっていたらしい。

無言のまま見つめてくるこちらを心配したらしい彼女に言われ、初めて我に帰ったゲルトは慌てて場を取り繕った。



「そうですか。
 でも本当に無理はなさらないで下さいね?」

「はい。
 すみません、ベッドを占領してしまって」

「そんな事は気になさらないで下さい。
 よろしければ泊まっていって頂いても構いませんよ」

「いえ、そこまではお世話になる訳には……。
 体も特に異常はありませんし、明日も仕事がありますから」



彼女と言葉を交わす内、頭に引っ掛かっていたピースが徐々に嵌って行く。

と同時に彼女の事についても思い出してきた。

自分は確かにこの人と話した事がある.

二年前の、あの時も病室だったか。

そういえば今朝シスターシャッハと会った時の話にも出て来ていた。



確か、そうカリム。



シスターシャッハはそう言っていた筈だ。

自分の記憶に薄く残る彼女もそう名乗ったような気がする。



「あの、カリムさん……でいんですよね?」

「ええ。
 カリム・グラシアと申します。
 覚えていてくれましたか」



シャッハと同様、カリムもゲルトがあの日の事を覚えているとは思っていなかったらしい。

しかし彼女の場合は驚き、というよりは安堵に近いような表情を浮かべている。



「その節は申し訳ありませんでした。
 あの時は自分も余裕がなく、その、失礼な態度を取っていたと思いますので」

「いえ、当時は本当に大変だったでしょうし、私達も気にはしておりませんから。
 こうしてお話をして頂けるだけで十分です」



そう言って彼女は微笑んだ。

何故だかその穏やかな笑みを見ていると安心する。

自然と胸がほっとするような温かさがそこにはあった。

それに、輝かしかったあの日の、懐かしさも。

不思議だ。



「そうだ、お茶はいかがですか?
 今日は良い葉が手に入ったんです」

「はい、頂きます」



ああ、そうか。



机の上に用意されていたポットからお茶を注いでいくカリム。

立ち上る湯気を見るに自分が寝ている間に何度か中身も入れ替えたのではないだろうか。

カップを受け取りその香りと味に癒されながら、ゲルトは彼女を見ていて感じる妙な懐かしさの訳に思い至った。



この人はメガーヌさんに……。



似ている。

同じ匂いというべきか、そんなものがある。

だからなのか。



(ゲルト君)



ゲルトの脳裏に彼女の姿がフラッシュバックする。

一時も忘れた事のない、かつての安らぎ。

ルーテシアをその胸に抱いた彼女はこちらを振り向き、これ以上ない程幸せそうに笑っていた。



「ッ」

「?
 やっぱりどこか――――」

「いえ、少し目にゴミが入っただけですから」



目頭が熱くなるのを感じ、咄嗟に上を向いて隠す。

一呼吸で何とかそれを押し止め、指で拭って痕跡を消した。

疲れているせいか?

昔を思い出す事があっからといって、ここまで感傷に溺れるなど。

ゲルトはそれを気取られないようにカップで揺れる茶を啜る。



「これ、美味しいですね。
 香りも良くて、何だか落ち着きます」

「お口に合ったみたいで良かったです」



よく見れば容姿はそれほど重なるでもない。

あえて言うなら動く度に揺れるロングの髪と、それをかき上げる仕草くらいだろうか。

ただ彼女の穏やかな雰囲気だとか育ちの良さを思わせる動き、それに柔らかい笑みが、ありし日の貴影を彷彿とさせた。



「私も模擬戦の様子は拝見していたのですけど、お強いんですね。
 噂では聞いていましたが、騎士団の者が全く歯が立たないなんて」

「あー、まぁシスターシャッハには見事に負けてしまいましたけどね」



気恥かしげに言うゲルト。

二人の話は自然と模擬戦に向いていた。

カリムも何処かで見ていたらしく、手放しの賛辞を送ってくる。



「それでも凄いです。
 シグナムと互角に戦えるような人は教会でもごく僅しかいませんし、その後一人で30人以上も相手にするなんて聞いた事がありません」



でしょうね、とは言えず、ゲルトは曖昧に笑って誤魔化しておいた。

今思えば何という無茶をしたのか。

内心で頭を抱える。

普段ギンガに訓練で無理はするな云々と偉そうに言っている割に自分はこれか。



あとでシスターにはお礼を言っとかないとな……。



多分見かねて止めに入ってくれたのだろう。

あのまま限界まで戦っていたら一体どうなっていたやら。



「――――それで、宜しければ、なんですけども……」

「はい?」



少し内の事に集中し過ぎていたらしい。

話は既に別の話題に移ったようだ。

カリムは遠慮がちに何かを切り出そうとしている。



「宜しければ、また来て頂けませんか?
 その、騎士団の者も良い経験になったと口を揃えていましたし、シャッハもあなたともう一度腕を競いたいそうなんです。
 勿論いつとは言いません。
 そちらの都合の良い日で結構ですので……どうでしょう?」



何かと思えばそんな事か。

彼女の表情からどんな事を言われるのかと思ったが、拍子の抜けた感がある。

そういう話ならむしろ喜んで、だが。



頼まれたから来た、っていうのもな。



カリムにだけ負担を負わすようで気が引ける。

それに彼女の纏う、やけに重い空気も気になった。

父であればここで気の利いた台詞の一つでも思い浮かぶのだろうが……。

ゲルトは少し悩む素振りを見せ、ふと何かを思いついたのか表情を変える。

余裕を持って言おうとし、失敗。

結局はにかみながらそれを口にする事になった。



「あなたが、またこうしてお茶を用意してくれるなら」



臭い。

臭過ぎる。

言ってから猛烈に後悔の念が浮かんできた。

眼前のカリムも何を言われたのか分からないと言うようにポカンとした顔を晒している。



外した……!



全身を掻きむしりたくなるような羞恥が湧き上がる。

やはり安易に父の真似事などするものではなかった。



「ふふっ」



耳まで赤くしたゲルトが穴にも埋まりたい気持ちで俯いている内、不意に上から笑い声が聞こえた。

顔を上げてみると、左手で軽く口元を隠したカリムがクスクスと忍び笑いを漏らしている。

やはり滑稽だったかとゲルトが更に落ち込みの度合いを増そうとした時、彼女が何とか口を開いた。



「いえ……すみません。
 その、そんな風に返されるとは、思わなかったので……」



一応笑いを堪えようとはしているらしい。

しかし余程壺に嵌ったのか、彼女は何度も言葉を切ってそう告げてきた。

その様には先程の思い詰めたような雰囲気はなく、素の彼女が出ているように見える。

かなり無様ではあったが、とりあえず当初の目的は達成できたのだろうか。

そうして、ようやく落ち着いてきたらしいカリムはこちらを見る。



「私もお待ちしています。
 また、とっておきのお茶を用意して待っていますから」



そう言って彼女は今度こそ花のような笑みを綻ばせた。

それは自然で、ゲルトにはとても美しく見えた。

はい、と言葉にするのも困難な程に。





**********





それから二人の会話は和やかに進み、初めの頃よりは幾分砕けた調子で続ける事が出来た。

カリムの方も最初在った遠慮のようなものは薄れてきたようだ。

それはゲルトにとっても楽しい一時であった。



「カリムさん、今日は色々とありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。
 ゲルトさんのおかげで楽しいお茶会でしたよ」

「シスターシャッハも、次は全力でお相手します」

「楽しみにしています。
 それまでに騎士団の者も少しは見れるようにしておきますので」



が、少しばかり長居が過ぎたかもしれない。

そろそろ本格的に帰りださなくてはまずい時間になってきた。

ゲルトは辞する事を告げ、合流したシグナムと共に教会の門を越え帰途についている。

見送りはいいと言ったのだが、カリム以下シャッハやゲルトが仕合った騎士団員など、何時の間にか大所帯で送り出された二人であった。



「教会の印象はどうだった?」

「ああ、良かったよ。
 久し振りに良い訓練になったし、カリムさんにも良くしてもらったしな」



教会も見えなくなり、シグナムと二人夜道を歩きながら言葉を交わす。

ゲルトは疲れもあり、欠伸を噛み殺しながら話していた。



「ほう、随分騎士カリムと仲良くなったんだな」

「騎士?
 あの人騎士だったのか?」



どうみても荒事が向いているようには見えなかったが。

歩き方一つ見てもそういう方面の訓練を受けている感じはしなかったように思う。



「知らなかったのか?
 教会内でも有力なグラシア家の跡取りで古代ベルカのレアスキル“プロフェーティン・シュリフテン”の担い手だ。
 未来をも占う預言系の能力で、聖王教会や次元航空部隊のトップでもあの方のスキルには一目置いている」

「そんなに、凄い人だったのか?」



少しは偉い人なのだろうな、とは思っていたが、予想を遥かに超えるスケールの話がポンポンと飛び出してくる。

いくら一時英雄扱いされたからといっても、結局の所自分は陸曹だ。

はっきり言って下士官である。

あんなにも気安く話して良かったのだろうか、という不安がちりちりと背中を焼く。



「本当に何も知らないらしいな」

「前に会った時はちょっと色々あってな。
 その時に聞いたかもしれないが、全く覚えてないんだよ」

「道理で。
 お前にしては妙に親しげだとは思ったが」



シグナムはやや呆れたような空気を滲ませている。

会った事があるなら知っていて当たり前、それほどの人だったのだろう。

やはりもっと畏まっておくべきだったか。

とはいえ、流石に現場レベルの局員で聖王教会内部の事まで詳しく知っているような者もそういまい。

畑違いの人間なら適当に扱ってよいとまで言うつもりはないが、まぁ大目に見てくれるだろう。

と、思っていたかったが、シグナムの一言でそれも打ち砕かれる事になる。



「ところで、あの方は時空管理局にも籍を置いていらしてな」

「へ、へぇ」



嫌な予感しかしない前置き。

適当に相槌を打つが、内心では冷や汗が止まらない。



「そちらの方ははっきり言って名誉職のようなものだが……」

「だが?」



くどい。

なぜ一々区切る。

彼女はこちらを見ずに前だけを向いて話しているが、ゲルトには分かった。

口元が、微かに笑っている。



わざとか……!



イイ性格をしている。

決して良い性格でないのがミソだ。

殺すならいっそ一思いに殺せ。

生殺しのような気分で彼女を睨む自分に満足したのか、彼女は核心に触れた。



「一佐だ。
 今の所はな」

「一佐ぁ!?」



一佐というのは即ち三佐の二つ上な訳で、つまり部隊長をやっている父よりも二つ偉い訳だ。

ちなみにゲルトから見ると上に曹長、准尉、三つの尉官があり、更に三つの佐官があってその頂点だと。

要するに八つ上、という訳で。

しかも、



「い、今の所って言ったな。
 それはつまりもうすぐ……」

「昇進なさるだろうな。
 今日明日、という訳でもないだろうが、いずれ理事になられるそうだからそう遠くもあるまい。
 恐らく数年以内にはそうなるだろう」

「理事!?
 理事って言ったか!?」



思わず声を荒げる。

最早完全に別世界の役職が登場した。

その上一佐が更に昇進するという事はつまり……将官。

少将だ。

あのレジアス中将とも一つしか違わない。



「あああああ……」



崩れ落ちて頭を抱えるゲルト。

完全にアウトだ。

フォローのしようもない。

何が「あなたが、またこうしてお茶を用意してくれるなら」、だ。

何様のつもりだお前は。

いつから上官を給仕のように使える身分になった。

ゲルトの想像は止まらない。

際限なく暴走して、まさかこれが元で局と教会が険悪になったりしないだろうな、という所まで枝葉が伸びていく。

そんなゲルトを見下ろし、シグナムは珍しくカラカラと笑っていた。



「まぁ、あの方はそういう事にあまり拘らない人だ。
 実際主はやても普通に話しているしな」

「そ・う・い・う事は、先に言え!」





**********





「行ってしまいましたね」

「そうね」



ゲルトらの姿も見えなくなり、見送りの騎士達も引き揚げ始めた聖王教会、正門前。

しかしカリムとシャッハの二人はまだそこから動かず、彼らが消えた通りを見つめていた。



「どうでした?彼は」

「昔とは全然違っていて驚いたわ。
 あの時はまともに返事もしてくれなかったもの」



かつての彼は痛々しいという他なかった。

彼の身にどれほどの不幸が降りかかったかも知っていたし、一目でその摩耗ぶりは窺えた。

心身共にボロボロ。

その状態の彼を覚えているだけに、今日のゲルトの姿は殊更輝いて見えた。



「嬉しそうですね、カリム」

「ええ、そう見える?」

「それはもう。
 気に入りましたか、彼を」



口元に再度微笑を浮かべたカリムはそれに答えず踵を返した。

闇に映える金の髪を翻し、いつもより僅かに軽い足取りで前を行く。

それを見、やれやれと一息を吐いたシャッハもその背に続いて歩き出した。



「あ、そうだ」



だが、少し歩いた所でカリムが唐突に足を止める。

何かを思い出したようにシャッハの方へ振り向いた。



「シャッハ、明日買い物に出ようと思うんだけど付き合ってもらえる?」

「はい、それは構いませんが……何か必要な物でも?」

「ええ。
 ちょっと最高のお茶を、ね」









(あとがき)


あれ?なんでカリムがこんなに前に出てきてるんだ?

当初の予定ではもうちょっとサラッといく筈だったんだが……。

何にしてもまずい。

そろそろギンガを出してやらないと忘れられてしまうかも。

もう二ヶ月以上も不参加だからなぁ。

ちとこの扱いはあんまりだろう。

と、いう訳で次はギンガの話になる予定。

出来れば久々に甘い感じのヤツを書きたいな、と作者は思っておりますのでご期待下さい。


あー、あと騎士30人抜きの件ですが、少しやり過ぎたか、と作者自身で思わないでもないんです。

ただよく考えてみるとナンバーズもアインヘリアル襲撃の時は似たような事してたし……ま、いいかなと。

多少不自然に思っても大目に見ておいて下さい。



それでは、何時になるやら全く約束できないのが辛い所ですがまた次回!

Neonでした。



[8635] 君の温もりを感じて
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2011/12/26 13:46
「ん……」



ナカジマ家の一室。

窓から差しこむ光が眩しいのか、ベッドの上で少女が寝返りをうっている。

部屋の主にしてナカジマ家の長女、ギンガである。

彼女は朝日から背を向けるように体を倒し、腕を枕のように頭の下へ差し入れた。

それで落ち着いたのか表情から僅かな険も取れ、再び安らかな寝息を立て始める。



…………。



ここで少し、視線を下げてみよう。

無邪気な寝顔から顎のラインをなぞり、彼女が身動ぎする度に覗く白い首筋へ。

横向きになったお陰でしわが寄った襟元からは彼女の鎖骨や肩、更にはまだまだ慎ましやかな胸元が呼吸に応じて上下するのが見える。

連日厳しい訓練を重ねている割にはその肌に目立つ傷などは見当たらない。

余程普段の訓練でゲルトが気を遣っているのか、それとも単に回復力が強いのか。

まさしく玉のような、という形容が相応しい。



「んん……」



もう少しこのまま描写を続けたい所であるが、彼女の目も覚めたようだ。

猫のように目を擦りながら、彼女はゆっくりと身を起こしていく。



「ん~~」



ベッドから上体を起こして大きく伸び。

全身を走る痺れが眼尻に涙を浮かばせる。

そうして数秒。

その独特の感覚を堪能した彼女はベッドを下り、身支度を始めた。

髪にブラシを通し、クローゼットを開いていつも通り朝の稽古用のトレーニングウェアを手に取って、



「ああ、そっか。
 今日は……」



止めた。

ふと何かを思い出した彼女は服を戻し、別の服に手を伸ばす。

昨日母とファッションショーよろしくああでもないこうでもないと悩んで選んだ代物だ。

それを身に纏い、ペイルホースを首からかけて鏡の前に立つ。



「おかしくない、よね?」



そこにいたのは白いブラウスにセミフレアのロングスカート、それに髪と同じ青いリボンをつけた少女がいた。

ちなみにスカートが長いせいで見えはしないが、膝まであるソックスは落ち着きのある黒である。

はねている髪が無いか、服にほつれは無いかなど入念に見て回るが、特にそういう所は見られない。

とはいえ、少し地味過ぎたか、という思いも浮かぶ。

友達なども遊びに行く時はもう少し派手な格好をしているものだが。



「でも、兄さんあんまり派手なのは好きじゃないみたいだし……うん、大丈夫」



鏡の向こうで不安気な顔をしている自分へと呟く。

この事も服を選んだ時から一体何度言い聞かせたのやら。

傍から見れば地味というより清楚と評すべき格好なのだが、本人から言わせるとそうでもないらしい。



「すー……はー……」



瞼を閉じ、ゆっくりと呼吸する事で気を落ち着かせる。

普段は組手の前などに利用する方法。

数度も繰り返せば心が少しも和らぐのを感じた。

平静を取り戻したのを確認し、薄目を開けた彼女の目には数ヶ所にマークが為されたカレンダーが映る。

何気なく手を伸ばしたギンガの指先が今日の日付をなぞっていく。

優しく、大切な物を扱うような仕草。

赤丸で厳重に囲まれたその欄に書き込まれているのは、シンプルな一言。



兄さんと外出



それをじっくりと眺めた彼女の口元には複雑な感情がよぎる。

不思議なことに少し寂しげで、何故かあまり喜びのようなものは見られない。

いつもならそれこそ小躍りするほど嬉しい筈だろうに。

今は……。



『主』



不意に聞こえた声で我に帰る。

自分をそう呼ぶような存在は一人しかいない。

声は胸元のペイルホースから発せられていた。



『行楽僥倖』

「ペイルホース?」

『憂苦不要。
 逢瀬好機』



ペイルホースは相変わらず言葉が少ない。

微かなノイズ混じりの音声も抑揚に乏しく、ともすれば冷たくも感じられる程。

しかしギンガにはそこに込められた思いの程が正しく届いていた。

自分を案じる彼の気遣いが心に染み入る。



『満喫最善。
 千載一遇』

「……うん」



小さく頷いた。

そうだ、と己を叱咤する。

こんな機会は滅多にないのだ。

それなのに詰まらない事を気にしてフイにしてしまうのはあまりにもったいない。

面倒な事は考えなくて良い。



「折角なんだから、楽しまないとね!」



ギンガの顔にもようやく心からの笑顔が戻る。

とりあえずは気にしない事にしたらしい。

よし、と気合を入れた彼女はドアを開け、一階のリビングへと下りて行った。



扉が閉まる直前。

部屋に残されたカレンダーが再び覗き、そして今日から3日後の欄にも赤いマークが為されている事に気付く。

それがギンガを憂鬱にさせた原因でもあった。

即ち、



陸士訓練校へ





**********





「ん、ギンガも起きたのか」

「おう、おはよう」

「おはよう、ギンガ」



ギンガがリビングのドアを開けると、既にテーブルに着いて朝食をとっているゲンヤとゲルトが目に入った。

キッチンからはクイントの声も聞こえる。

いない所を見るとスバルはまだ寝ているらしい。

ギンガもおはよう、と答えながらテーブルへと向かう。

すると今までキッチンにいたクイントがひょい、と頭を出してきた。



「あ、やっぱりその服にしたの?」

「うん。
 どうかな?少し地味だと思う?」

「んー、私は良いと思うわ。
 地味っていうほどでも無いし。
 でも、そういう事聞くのは私よりもっと適任の人がいるんじゃないの?」

「え!?
 ……あー、うん。
 そう、だよね」



言いながら、嫌味の無い仕草で片目を瞑ったクイントはちらりと送る視線でゲルトの方を示す。

動揺した様子のギンガもそれを追ってぎこちなくそちらを向いた。



「ん?」



当のゲルトは箸を口に運んだままの姿勢で停止している。

意味深な二人の視線を浴びた彼の頭上にはハテナのマークが浮かんでいるよう。



「おい、男なら何か言う事があんだろうが」

「……あ、ああ!」



何の事だかよく分かっていない様子のゲルトだったが、隣のゲンヤが軽く肘鉄砲を食らわせた辺りでようやく気が付いたらしい。

首だけでなく体ごと動かした彼は姿勢を正し、正面からギンガと向き合った。

自分の体へと向けられた兄の視線に自然と顔が熱くなるのを感じる。



「ど、どう?」



高まる期待、それに拭えぬ不安がギンガの言葉をまごつかせた。

抑えられぬ鼓動などは最早耳にも聞こえる程である。

他人に話したなら何をその程度の事で、と笑われるかもしれない。

たかが服くらいで、と。

だがギンガにはそんな事ぐらいではない。

母に尋ねた時とは全く違った。

ギンガ・ナカジマ12歳。

彼女は、乙女である。

果たして。



「やっぱり地味って事はないな。
 俺も似合ってると思うぞ」



それを斟酌したのかどうかは分からない。

しかし、ゲルトは確かにそう答えた。



「ほ、本当に!?」

「……そんな事で嘘言ってどうなる」



身を乗り出し、思わず聞き返す。

望んでいた言葉の筈なのに疑う気持ちが先に出てしまった。



も、も、もしかして、聞き間違いだったり……しない?



どこからか都合の良い幻聴が降って来たのではないか?

我ながらどうかとは思うが、そんな考えが頭をよぎる。

そのせいで目の前のゲルトには呆れたような表情をされてしまった。



「本当の、本当に?」

「ああ」

「本当の本当の本当に……?」

「そうだ」



それでも口に出してしまう自分が恨めしい。

が、どうやら自分の耳がどうにかなった訳でも、はたまた朝から1人で妄想に取り憑かれていた訳でもなかったようだ。

ゲルトは苦笑を浮かべているものの、決してその点を譲ろうとはしない。

と、



「60点ね」

「は?」



横あいからクイントの声。

そこには軽くゲルトを非難するような響きが含まれている。

彼女は立てた右の人差し指をちっちっ、と左右に揺すりながら口を開いた。



「ダメよゲルト君。
 今からデートに連れて行こうって女の子にそれだけじゃあダメ。
 不合格だわ」

「デートって……。
 ただちょっと遊びにいくだけじゃないですか」

「何言ってるの!
 男と女が、しかも二人っきりでどこかに遊びに行くのなら、人はそれをデートと呼ぶのよっ!!」



呆れ顔のゲルトをよそにクイントのテンションは右肩上がりに跳ね上がって行った。

彼女も彼女で今日を楽しみにしていたのだろう。

先程から俯いているギンガなどは頬を赤く染めてしまっている。



「だからやり直しね!」

「……何をですか?」



彼女は言い終わりと共にビシッ、と効果音が付きそうな勢いでゲルトに指を突きつけた。

答えるゲルトの声には疲れたような色が濃く出ている。



「何って、さっきの所よ。
 ほら、ギンガを褒める所から。
 さんはいっ!」

「…………」

「さん、はいっ!」



黙って目を逸らしたゲルトへと、クイントが詰め寄ってくる。

彼女が近付く度に視界の中で大きくなる笑顔。

ゲルトはそれに押されるように段々と身を仰け反らせていった。

足は動かさず、首と背のみで後退。

しかしそれもほどなく限界を迎える。



「ああもう分かりました!言います!
 最初からやり直しますっ!!」

「あらそう?
 やっぱり人間素直が一番よね」



結局ゲルトが降参して折れる形になった。

これ以上興奮されて体に障られても困る。

とはいえもうあの事件から三年。

元々強い体であった事も幸いし、現在も訓練を欠かしていない彼女の肺は片方だけでもとりあえず日常生活に問題は見られていない。

流石に総肺活量は半分近くにまで下がってしまったが、それこそ本気で組み稽古でもしようとしない限り苦しむほどの事はなかった。



我ながら、心配のし過ぎだろうな。



まぁ彼女の体の事を置いておいても、どういう訳だか昔からクイントには強く出られなかった。

そのせいで今は良いからかいの的になっている訳だが、これはもう仕方がないのだろうと諦めている。



「それじゃあギンガ。
 悪いがさっきのは無かった事にしてくれ。
 もう一回だ」

「デート、デート、デー……ト?」

「おい、ギンガ?」

「二人で遊びにいくのはデート?
 じゃあ、今からするのはデート?
 わ、私が?
 に、ににに兄さんと!?」



溜息交じりのゲルトの声にギンガは反応していない。

顔を伏せた彼女にはこちらの声が届いていないと見える。

疑問に思った彼が覗きこんでみると、彼女は一人どこかの世界へ旅立ってしまったように何やらぶつぶつと呟いていた。



「おーい、聞いてるか?」

「デートって一緒にご飯食べたり映画見たりするアレ、だよね?」

「飯ならいつも一緒に食べてるだろうに」

「それで暗い中で手なんか握っちゃったり……ちゃったり……あぅ」



顔を両手で覆ってみたり、夢見るように宙を仰いでみたり、かと思えば頭から蒸気を上げてみたり。

この母にしてこの娘ありなのか。

方向性は違えど、その根本の所はそっくりだ。



「何、どうしたの?ゲルト君」

「いえ、何も……」



胡乱気な視線を受けて尋ねてきたクイントを適当にあしらう。

額を押さえたゲルトは今度こそ長々と息を吐いた。

後ろから聞こえた溜息は恐らく父のものだったのだと思う。

と、

そんな折。



「おはよー」



リビングのドアが再び開く音が聞こえた。

ぐるりと首を回してみれば、寝巻きのままのスバルが眠そうに瞼を擦っている。

今さっき起きたばかりのようだ。

そんな彼女の視線は自然と奇態を演じている母と姉に向いた。



「何かあったの?」

「色々あったんだ、色々……」

「頑張りな。
 お前はこれからだ」

「……勘弁してくれよ、本当に」



達観したようなゲンヤの言葉に肩を落とす。

ゲルトとギンガ。

二人の初デートとやらの朝はだいたいそんな有様だった。





*********





電車独特の細かな震動が足を伝わってくる。

家から出てどれ位経ったのだろうか。

二人は市街地へと向かうそれの中にいた。



「あの、兄さん」

「何だ?」



躊躇いがちなギンガの呼びかけに応じる声がする。

それもすぐそばから。



「その……近くない?」

「仕方ないだろ、ここまで混んでたら」

「うん、それは分かるんだけど……」



いや、それは適切ではないか。

目の前。

最早抱き合っているといってもいい位の距離からその声は発せられている。

休日とはいえ、市街地へと向かう電車が混まない筈がない。

二人は今、その洗礼をひしひしと体で受けている真っ最中だった。



「でも、ありがとう庇ってくれて」

「まぁ、この位はな」



抱き合っているというのもあながち間違ってはいない。

ギンガは今、見方によってはゲルトの腕の中に居るとも言える。

人波の圧力から彼女を守るよう、彼が壁についた両手の間にいるのだ。

未だかつて無かった程の至近距離に兄の顔がある。

あるいは発車、到着の震動で少し上にある彼の唇と接触しかねない。

誰でも一度は憧れるような絶好のシチュエーション。

暴走する心拍は最早制御不能だ。

だから、



訓練、サボってれば良かったかな……。



そんな不謹慎な事を考えてしまうのも多めにみて欲しい。

ペイルホースの巡航速度を御せる足腰がこの程度の揺れに負ける訳がない。

そしてそれはゲルトも同じだ。

己の師とも言える少年は、恐らく自分にも気を遣っているのだろうが小揺るぎもしない。

兄の行動は当然嬉しくもあるのだが、やはりギンガとしてはそれ以上の何かを期待してしまう。



「うう……」



結局、二人の間には何も起きぬまま、無事目的の市街地へと着いてしまった。





**********





ナカジマ流エスコート術、教訓その一。

同行者には常に気を配り、紳士的な配慮を忘れるなかれ。



ギンガを隣に街を歩きながら、ゲルトは父から事前に言い聞かされた文言を思い出した。

何でも彼の経験則から来るものらしく、平和に済ませたければ厳守せよとのお達しだ。

よく分からないが何とも大袈裟な物言いである。



でもま、暫く会えなくなる訳だしな。



当分は会えなくなる娘に良い思い出を、という事で計画された今回の外出。

既にゲンヤ、クイントの番を経て、そして今日は自分の番という訳だ。

ちなみに言うなら明日はスバルが一緒に出掛ける筈。



ギンガが通う陸士訓練校は全寮制だ。

外部との連絡までは絶っていないものの、一旦入校してしまえば直接に顔を合わせる事は困難。

期間はおよそ一年ほど。

自分の場合は短期促成コースで三ヶ月だったが、ギンガの場合は一般手続きによる通常練成になる。

これ以上短くなる事は、無い。

だから、



今日はとことんまで付き合うさ。



その為に今、自分はここにいる。

ふ、と軽く笑みを漏らしたゲルトは懐を探り、二枚の紙片を取り出した。

それをギンガの前でヒラヒラと示してみせる。



「それじゃ、まずは映画でも見に行くか。
 前に見たいとかいってた流行りのヤツ」

「あ……ありがとう、兄さん!」



映画館のペアチケット。

花開いたギンガの笑顔には、その為に何かをしてやりたいと思わせる魅力があった。

それを見る自分自身の心も綻ぶのを感じる。

義務感などで今日出張ってきた訳ではない。



ナカジマ流エスコート術、教訓その二。

自分自身も楽しんで事に当たるべし。作り笑いは何よりの無粋と心得ろ。



一理ある。

なら、自分も今日一日楽しませてもらおうか。

折角の休日でもあるのだ。

偶には羽を伸ばしたって構わないだろう。



なんだかな。



そんな自分の考えにふと滑稽さを感じる。

これではまるで……。



「どうかした?」

「ああ」



こちらの様子に気が付いたのだろう。

すぐ隣りを歩いていたギンガが覗き込んでくる。

ゲルトはそれに歩調を上げ、彼女より一歩前に出て、そして。



「なんだか本当にデートだな」

「え?
 ええぇぇぇっ!?」



飛び出した彼の言葉に、後ろから驚愕の声が響いた。

思わず足を止めたようでもある。

肩越しに振り返ったゲルトの視界には林檎のように真っ赤な頬を両手で押さえたギンガの姿が映った。

余程混乱しているらしく、そのわななく唇からは意味のある言葉が出てこない

可愛らしくもあったが、ただの一言でコロコロと表情を変える彼女の仕草が可笑しかったのも事実。

それに、ただ歩いているだけなのにここまで楽しんでいる自分も同様に珍妙だった。



「ぶふっ……ははははっ!」

「に、兄さん!」



突然吹き出したゲルトに、ギンガが眉尻を釣り上げて拗ねたような声を荒げた。

からかわれた、とでも思ったのかもしれない。

だがさっきの動揺も引き摺っている彼女にはあまり迫力がなかった。

それがまたゲルトのツボを刺激しているのだが。

彼は珍しくも腹を抱え、涙まで滲ませる程に笑い転げていた。



「いや、すまん……くくっ……」

「もう!」



ゲルトを追い抜いていくギンガに謝りながらも、彼の笑いは中々収まる気配をみせない。

ここまで笑ったのは久し振りだ。

自分で思っているよりも随分気が緩んでいるのだろうか。

存外、これはいい息抜きになるかもしれない。

が、このままでは少しまずいか。



「あ、おい、待ってくれギンガ!」

「知らない!」



肩をいからせながらずんずんと進んでいくギンガはこちらを待ってくれそうにない。

ゲルトは慌ててその後を追いかけ始めた。





**********





「到着、だな」

「……そうだね」



なんのかんのという間にシネコンに到着した。

休日だけに客の入りも少なくないようで、それなりに人の姿も目に入る。

が、それよりなによりゲルトの関心事は横のギンガだ。

彼女は未だにご機嫌斜めのようで、見るからに私は怒っています、という風である。

今の彼女を擬音で表すとするなら、つーん、だろう。



「お~いギンガ、頼むから機嫌直してくれないか?
 さっきのは俺が悪かったから」

「ふん」



軽く鼻を鳴らしただけでそっぽを向かれてしまった。

それでもちらちらと時折視線は向けてくるのだが、いま一つ決め手には欠ける。

先程からずっとこの調子だ。



どうしたもんかね。



こうなったギンガは厄介だ。

もしかしたら拗ねているだけなのかもしれないが、どちらにせよ向こうから歩み寄ってくれない事にはどうにも……。

とはいえ、このままという訳にもいくまい。



ナカジマ流エスコート術、教訓その三。

時には強気に出る事も必要。強引さが空気を変える切っ掛けにもなる場合もある。



仕方無い、よな。



「ほらほら、行くぞギンガ」

「あ、ちょっと兄さん!?」



ゲルトはやや強引にギンガの手を取って歩みを速めた。

彼女は戸惑いの声を上げているが、しかし抵抗してくる様子はない。

ここは押しの一手だ。



「ああ、ついでにポップコーンも買ってくか!
 映画見ながら二人で食べような、それがいい」

「兄さん、私は――――」

「じゃあこれ持っといてくれ。
 中で食べるから落とすなよ?」

「ああ、もう!」



口を挟みかけたギンガに喋らせまいと、売店で買ったばかりのポップコーンのカップを押しつけた。

そのままの勢いで彼は講堂のドアを開け、適当に席を見つけて座らせる。

中に入ってしまえばギンガも騒げまい。

後は、映画を見て彼女の機嫌が直る事を祈るのみ。

二時間もあれば少しは気分も変わる筈だ。

少しやり方が汚い気もするが、今日に限ってはやむをえまい。



と、思ったのだが。



「兄さん」

「うん?」



案の定ギンガの声は小さくなった。

こそこそと耳打ちするように話しかけてくる。

だが生憎と表情の方は憮然としたままだ。



「私は怒ってます」

「……みたいだな」

「こんな事して、余計に怒らせると思わなかった?」



逆効果だったらしい。

それきり彼女はこちらから顔を背けようとした。

が。



「兄さん……!」

「すまんギンガ、聞いてくれ」



ゲルトがその前に彼女の手を掴んで止めた。

彼女の抗議を、それも小声で言う辺り彼女の真面目さが窺えるが、一声で黙らせる。

一瞬眉を釣り上げたギンガもゲルトの本気の目に呑まれたのかその後は耳を貸した。

彼からはおおよそふざけた気配などは微塵も感じられない。

真面目に話をしようとしているのだという事は理解できたのだ。



「悪かった。
 お前をからかうつもりだった訳じゃない」



話しながら、一方のゲルトは自分でも戸惑う程に焦燥を感じていた。

ギンガの事をこのまま放っておいてはいけない。

自分らしくないとは思っているが、早くなんとかしなければ、と気が逸っている。

今日は何故だか良きにしろ悪しきにしろ、心を揺さぶられ続けてばかりだ。



「ただ、楽しかった。
 まだ何も始まってないのにな。
 お前と歩いてるだけで、だぞ?
 そんな自分がなんだか可笑しくて仕方なかった。
 笑ったのはそういう訳だ」



ギンガはこちらの話を聞いてくれている。

今の所、手を振り解こうとするような素振りもない。

その事に内心で感謝しつつ、ゲルトは続けた。

無用に飾るでもなく、頭に上った事を端から述べていく。



「デートっていうのも、俺が楽しかったからだ。
 誓ってお前をからかおうなんてつもりは全く無かった。
 だが、そう聞こえたならすまん。
 うやむやにしようとしたのも、本当に悪かった」

「!?」



ギンガの息を飲む音が聞こえた。

そういえば、彼女に対しこうして頭まで下げるというのは初めての事かもしれない。

普段ならまずしない、というかできないだろう。

それでもこのままという事だけは無性に嫌だった。



「あ、頭を上げて!」



切羽詰まったような声が聞こえる。

それにこちらの体を起こそうとする腕の力も。

面を上げたゲルトの視界にはうろたえた表情のギンガが映った。



「許してくれるのか?」



ゲルトの問いに、ギンガは無言。

しかしその首は縦に動いた。



「そうか、良かった」



力無く笑う。

ゲルトは体の力を抜いて背もたれに身を預けた。

それに入れ違うように、複雑な顔のギンガが何事か告げようと口を開く。

と、同時。

上映のサイレンが講堂に響きわたった。



「始まるな」

「……うん」



割りこまれる形となったギンガも、名残りを見せる一瞥を残して前を向いた。

照明が落ち、幕が開いて行くのを見届ける二人は同じ方向を見つめている。

もうすぐ予告編が始まるだろう。



「兄さん」



ぽつり、とギンガの呼び声が聞こえる。

かといって彼女の視線がゲルトの方を向いた訳ではない。

ゲルトはそれに頷くでなく、振り返るでもなく、ただ前を見ている。



「ごめんなさい」

「ああ」



それきり会話は途絶えた。

隣の彼女がどんな顔をしているかも分からない。

ただ本編が始まるまでの退屈なコマーシャルだけを目に映していく。

そうしてようやくタイトルロゴが出た頃。

ゲルトが身動ぎをみせた。

二人を隔っていたカップを持ち上げ、ギンガへ差し出してみせる。



「ポップコーン、食べるか?」

「……うん!」





**********





「ん~、やっぱり座りっぱなしだと体が硬くなるね」

「そうだな。
 まぁ、アレがいいっていうのもあるが」



身を伸ばしながらギンガが声を掛ける。

もうわだかまりは完全に解けたらしく、笑みを交わす二人に陰はない。

お互い溌剌とした様子で再び通りを行く。

話は自然と先程まで見ていた映画の事へ移って行った。



「やっぱり面白かったよね。
 映像も凄かったけど、ストーリーも。
 流石全ミッドチルダ震撼!だね」

「あの技術屋の主人公より目立ってた大統領は格好よかったな。
 前線上がりの魔導師であんな頂点取るのは無理だとは思うが」

「ええと、なんだっけ?
 あの人が最後に出撃する時のセリフ。
 ほら、UFOのバリアーが解けて魔導師で一斉攻撃する時の」

「空に帰るのさ」



ゲルトが役の真似までしながら答える。

デバイスを肩から掛け、不敵な笑みを浮かべるポーズ。

元空戦魔導師の英雄で大統領にまで上り詰めた男の模倣だ。



「ん~、渋さが足りてない」

「何?
 ちっ、14のガキにはまだ無理か」



言葉の割に彼の口元は緩んでいる。

足取りも軽い。

そうして連れ添い歩く二人の姿は傍から見て、本当に兄妹に見えるのか。

流石に何年も同じ屋根の下で暮らしているだけはあり、仲睦まじく道を行く姿には無理をする様子も一切なかった。



「ねぇ、あれって兄さんだよね?」



そんな折、ギンガがふと上方の一点を指差す。

見上げた先にあるのはビルの壁面に備え付けられた大型テレビだ。

確かにそこに映っているのはゲルトに他ならない。



「あれは……教会の時のか?」



言葉の通り、それは先日の聖王教会での模擬戦の様子だった。

過去の自分が一対一で並みいる騎士達を打ち倒していく。

記憶にも新しいその戦闘。

気付けば他の通行人達も思わず足を止め、同じようにテレビを見ていた。



「凄い……」



食い入るように映像を見つめていたギンガも感嘆の声を零す。

見るからに屈強な騎士達が相手にもなっていない。

ゲルトの動きは尋常ではなかった。

ナイトホークを手にした彼は自分が相手をしている時をして、なお速く、なお強い。

普段どれだけ手加減されているかがよく分かる。

そうして程無くゲルトは12人もの騎士全て打ち負かしてしまった。

テレビの中のコメンテーターも、あまりの事に興奮しているようである。



「……変だな」

「どうかした?」



ゲルトはその映像に引っ掛かりを覚えていた。

どうにもおかしい。

あの映像は騎士団内でのみ公開されている筈。

そういう約束の筈だ。

確かにカリム一佐もそう言っていた。

何故それが民放のテレビで流れているのか。

他にも気になる事はある。



「俺が相手したのは12人じゃない」

「そうなの?
 じゃあ、何人?」

「35人だ」

「さ、さんじゅ……っ!?」



シグナムとシスターシャッハも含めるならそれだけの人数に上る。

しかしテレビでははっきりと12人だと言っている。

ここがおかしいのだ。

シグナム戦もなく、シスターシャッハに自分が敗れる映像も流れていない。

戦闘のレベルでいうならあの二つは外せないだろう。

だというのにそんな事には一言も触れていない。

これは一体どういう事なのか。



とりあえず後でカリム一佐に連絡しておいた方がいいか。



まずはそれだろう。

後の事は、まぁその時になってから考えればいい。

個人的には文句を言う程の事でもないが、一応約束は約束だ。

と、



……何だ?



映像の事にはそう結論付けたゲルトだったが、ふと周囲の視線を感じ取った。

あまり大袈裟にならないよう探りをいれてみれば何人かの通行人がこちらを指差している事に気が付く。

ざわめきからして、恐らく自分の存在に気が付いたのだろう。



撒くか。



流石に珍獣を見るような好奇の視線に晒されて平気でいられる程図太くはない。

それに折角の、その、何だ……デート、らしいので邪魔もされたくない。

ようやくギンガも機嫌を直してくれた所なのだから尚更だ。



「ギンガ、走れるか?」

「え?
 あ、うん」



だからギンガだけに聞き取れる程度の小声でそう伝えた。

一瞬戸惑うような声を上げたギンガも即座に状況を理解したらしい。

ゲルトの質問に頷きで答えてくる。

彼女の靴はブーツであるがヒールは高くない。

問題なく走れる筈だ。



「二で出るぞ。
 とりあえずこの場を離れる」

「分かった」



周りのざわつきが大きくなってきた。

カメラを取り出そうとしている者もいるらしい。

早く撒かなければ色々と鬱陶しい事になりそうだ。



「一……」



歩みはそのままでカウントを始める。

まだ特に予備動作もなしだ。

そして、



「二!」



疾走。

地を踏み締め、僅かな間で全速に達したゲルトが人混みの中を巧みに駆け抜ける。

一つ向こうには同じように走るギンガの姿も見えた。

人垣を挟んでいるにも関わらず、二人の動きは見事に調和している。

次々に立ちはだかる障害物を躱しながらその距離は殆ど離れない。



「あ、逃げたぞ!」

「やっぱり本物!?」



後ろからはゲルト達を遠巻きにしていた野次馬が驚いている声も聞こえてきたが、構う道理はない。

正直、少しスカッとした部分もあった。

ふと目の合ったギンガも笑みを送ってくる。

考えている事は同じのようだ。

そのまま一向に減速せず、二人は大通りを突っ切っていった。





**********





「上手く撒けたかな?」

「とりあえずこっちに注目してる人間はいないらしい」



それから数分。

ようやく足を止めた二人が周囲を警戒しながら言葉を交わしている。

戦闘機人ゆえの持久力のせいなのだろうか、どちらともに息を荒げていないどころか汗もろくにかいていなかった。



「有名人も大変だね」

「あのテレビもタイミングが悪い。
 なんで今日に限ってなんだか」



額を押さえたゲルトがやれやれと首を振る。

苦笑のギンガもそれには同意だ。

何故よりにもよって今この大切な時間を邪魔しにくるのか。

空気を読めないにも程がある。



「そろそろ昼だな。
 何処か食べに入るか?」

「ん、そうだね」



腕の時計を見てみれば確かに丁度いい時間である。

腹の虫もほどよく空腹を訴えていた。



「今日は多めに持って来てるからな。
 メニュー制覇しても大丈夫だぞ?」

「そんなに食べません!」



ゲルトのからかいの言葉にギンガ

兄は自分を何だと思っているのか。

多少、人より多く食べる事は理解しているがそこまでではない。

いや、待て。



「さっきといい、もしかして食べ物で釣れるとか思ってないよね?」

「お、あのレストランなんかいいな」

「に・い・さん?」



何食わぬ顔で前方の店へ逃げ込もうとしたゲルトの道を塞いだ。

ジト目の視線を受けたゲルトは笑顔ながら、走っても零れ無かった汗が噴き出しているのが分かる。



「分かった。
 デザートも奢ろう」

「全然分かってない!」



確かに、スイーツは大好物である。

だがギンガはもう子供ではないのだ。

スバルならばそれで良いのかもしれないが、大人な彼女は食べ物になど釣られたりはしないのだ。



「ん~、美味し!
 ありがとう、兄さん!」

「喜んで貰えてよかったよ」



決して釣られたりはしないのだ。





**********





その後もゲルトらは二人の時間を満喫した。

談笑しながら街を歩き、適当に店を冷やかし、下らない事でも笑い合った。

だが、幸福な時間ほど早く過ぎ去ってしまうものだ。

それを象徴するかのように窓の向こう、高層のビル群が瞬く間に後ろへと流れていった。



「ほんと、あっと言う間だな」

「そうだね」



既に時間は夕陽が傾く頃。

帰路となる電車の中。

隣合って座るゲルトとギンガの他は人気もなく、そこは二人きりの空間。



「凄く、楽しかった」

「そいつは重畳」



ゲルトらにも自ずと柔らかい笑みが浮かぶ。

今ここには朝からの騒がしさとは正反対の穏やかな時間が流れている。

思えば呆れてみたり、喧嘩してみたり、逃避行を演じてみたりと、本当に目まぐるしい一日だった。



けど、まぁ……悪くない。



終始いつもの自分らしくはなかったが、それこそ羽を伸ばせた証拠だろう。

ギンガとの思い出には上等なものが出来たと思う。

一時は台無しになるのではないかと焦ったが、よく綺麗に収まったものだ。

鮮やかに輝く夕の陽がそうさせたのだろう、前を見つめたまま感慨に耽る。



「?」



その彼の腕が突然重さを増した。

左腕に何かが纏わりついた感触がある。

それは温かく、柔らかいもの。



「ギンガ?」



言うまでもない。

ギンガである。

彼女は両腕でこちらの左腕を抱き込むようにして縋りついていた。



「ごめん。
 でも、今だけこうさせていて」



こちらの腕に押しつけられた彼女の表情までは窺いしれない。

が、その震える声音から大凡見当はついた。

少なくとも、笑っていない事は確かである。



「一年は……長いよな」

「…………」



これまでにも何度かゲルトとギンガ達が離れ離れになる事はあった。

具体的にはゲルトが施設を移された時と、裁判を待つまでの勾留期間、そして彼が陸士訓練校に居た間だ。

だが、そのどれもこれほどの長期間ではない。

しかも今度はギンガが独りになるのだ。

自分で選んだ道をはいえ、彼女にとってそれは初めての事。

心細くない訳がないだろう。



「まぁ、向こうに着くまで貸しといてやるよ」



固く腕に抱きついたギンガは小さく、そしてか弱い少女だった。

それは初めて出会った時からそうだ。

幼馴染であり、妹であり、弟子である以前に、ゲルトにとって彼女はそういう存在であった事を思い出す。

自然とゲルトの右手は彼女の頭へと伸びていた。



「こいつはサービスだ」



慈しむような優しい仕草で肩の位置にあるそれを撫でつける。

一瞬慄いたように肩を跳ねさせた彼女だったが、それもすぐに収まった。

以降は一層ゲルトに身を預け、その温もりを体一杯に甘受し続けている。



手のかかる……。



淡い笑みを漏らしたゲルトが見上げた先。

視界に映るのは眩い斜陽。

いつかと同じ、赤く暖かい光。

頭だけを出した日の輪が二人を見守っていた。





**********





ゲルトらが家に帰り着き、夜の帳も下りた頃。

クラナガンの街に、一人の大柄な男の姿があった。

コートの上からでもその体が鍛え上げられている事は分かる。

生憎と目深に被ったフードのせいで彼の顔までは判別できない。

しかし只者でない事だけは確かであろう。

そんな彼がふと足を止める。



『見て下さい、ここの所です。
 はいこの騎士の斬撃を紙一重で躱して……一撃、決まったぁ!!
 聖王教会、教会騎士団の単独12人抜き!
 凄い!凄すぎます!
 管理局の“鋼の騎士”“アーツオブウォー”ゲルト・G・ナカジマ!
 ランクS⁻の若き騎士、その実力は偽りではなかったぁ!!』



彼が注視する大型ウインドウには一人の騎士の姿があった。

身の丈を超える長大な槍を地に突き立てた問題の少年は威風堂々と胸を張っている。

ダイジェストで流れる彼の戦闘は、そのどれもが綿密に計画された殺陣のようだ。

ぎりぎりまで相手の攻撃を引きつけ、一瞬の交差で打ち倒す。

時には激しい太刀打ちを行い、またある時は風が如く駆け抜ける。

魔力は用いていても、その動きの根幹はやはり武道。

慣性を殺さず、遠心を利用し、最小限の動作で最大の効果を、という考えは変わらない。

その無駄がない動き故に彼の戦いには人の目を引く魅力があったのだろう。



「…………」



男はそれだけを見届けると、結局一言も発さぬままに人混みの中へと消えて行った。

結局、彼について特定できるような情報は殆ど得られなかったが、一点。

彼の右手、その中指には指輪が光っていた。





*********





そして、それから三日。

ミッドチルダ臨海の空港からギンガは旅立って行った。

初めて姉と離れる事になったスバルが、彼女の姿が見えなくなるまで涙を我慢できた事には皆素直に驚いたものだ。

次にギンガと顔を合わせられるのはおよそ一年後。

それまではメールだけが唯一、彼女との繋がりとなる。

早速その晩には無事入校式も終わり、寮にも入れたという連絡があった。

明日からは訓練も始まるようである。

そうして現状の報告が続き、最後に追伸。

内容からしてゲルト宛のもの。



『私も捜査官を目指す事にしました。
 勿論陸士部隊で、です。
 108部隊に配属されるよう頑張るので、その時は宜しくお願いしますね、先輩』









(あとがき)



2ヶ月は経っていません……よ?

実に、長かった!

萌えって何?萌えってどう表現すんの!?

そんな葛藤の中手探りで進み、時には大幅に削除して、を繰り返しようやくの完成。

区切り毎に時間が大分空いているので、繋ぎがおかしくないか少し心配ですが。

遅くなったのは内容の面以外でもテストがあったり教習所に通い始めたりとプライベートの事情が色々あったせいもあります。

それにエンド・オブ・エタニティとかFableⅡとか……まぁ、本当に色々あったんです。


本編の方はギンガ、陸士訓練校へ。

「おい!また出番無くなんのかよ!!」という声もあるでしょうが、ここは我慢です!

ここを過ぎれば、ようやくSTSへの光が……!


それではまた次回お会いできる事を祈って!

今まで待っていてくれた方には最大限の感謝を。

Neonでした。



[8635] 背徳者の聖域 前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:6b3cfca8
Date: 2010/03/27 00:31
「そうか、上手くやったか」



ミッドチルダを見下ろす管理局地上本部上層階、レジアス・ゲイズ中将執務室。

オーリスを前に置いたレジアスが満足の声を漏らす。



「はい。
 映像の編集も指示通りに」



オーリスが言う映像、そして編集。

それは先日ゲルトらが遭遇した教会での模擬戦の模様に関するものに相違ない。

あの映像が世間に流れたのは彼らの思惑があってのことである。

元より教会騎士団内では何の制限もなく開放されていたものであり、手に入れるのは造作もなかった。



「反応の方はどうだ?」

「上々です。
 既に編集に気付く者も出始めたようで」



単独による教会騎士団33人抜き。

これを公開するだけでも十分に世の反応は得られるだろう。

彼の戦闘にはそれだけの魅力があった。

しかしレジアスはそれでは不足だと考えた。

そこで考案されたのが今回の編集である。

まず模擬戦の中でも特にゲルトの能力際立つ戦闘を選び出し、それのみを先に公開。

その際に敢えて編集の痕跡が残るよう細工を施しておく。

映像に関わる人間であればその不自然な継ぎ接ぎに気付く程度の物を。



「33人抜きの映像も用意できています。
 こちらは噂の広がりを見て流しますので恐らく三、四日後になるかと」

「それでいい」



そうして不自然な編集に気付く者が増えた頃を見計らい、33人抜きの映像を公開する。

当然彼が敗れるシーンは抜きで、だ。

一般人に与える影響はかなりのものになるだろう。

やはり市井の感覚では極論魔力に恵まれたものが勝つ砲撃戦よりも、個人の技量が分かりやすくものを言う接近戦の方がウケがいい。

努力や訓練の跡が見える為、嫉みの感情を受けにくいという所も好都合。

その点でもあの映像の効果は期待できた。

またゲルトの階級を一つ上げても問題あるまい。

それにしても、



「教会の連中め、そんなにゲルトが欲しいか」



教会がゲルトを取り込みたがっているのは知っている。

以前彼の引き取り手に名乗りを上げた事や、この度も教会に招いた事からそれは明白だ。

それがどの程度の意気込みなのかは不明だが、あのカリム・グラシアが出ている事から察するにそれなりのものと見ていいだろう。



「まぁ、今回はそれも裏目に出たようだがな。
 いい気味だ」

「たった一人を相手に、騎士団がこの有様ですから」



レジアスのデスク上にもゲルトの模擬戦の映像は流れている。

シグナムやシャッハの戦いを除き、その全てがまさに圧倒的。

ナイトホークを携えた彼の暴風が如き戦いぶりに騎士団は翻弄されるばかりだ。

精強たるべき教会騎士団としては恥もいいところ。

映像として世に流れたならば尚更だ。

痛快の極みである。



「そういえば、例の犯罪者は省いてあるだろうな?」

「勿論です」



それと、33人抜きの前の局員との戦闘も削除する事になった。

映像としてはある意味最高のものであったのだが、レジアスが反対したのだ。

曰く、



「この映像は多くの人間が目にする事になる。
 局の幹部は勿論、一般市民もだ。
 ゲルトに注目が集まるのはいいが、そこに犯罪者まで加わる必要はない」



その一点に関して彼は断固たる態度であった。

過去に罪を犯している、という意味ではゲルトもそうではあるが、その内容には随分な開きがある。

この局員、シグナムとやらはオーリスが調べた限り特一級の犯罪者と呼んで間違いのない存在だった。

罪状は一つ一つ上げていくのも困難なほど多岐に渡る。

傷害罪、殺人未遂罪、公務執行妨害、無許可での次元世界間転位魔法の行使、魔法文化の確認できない管理外世界のおける危険魔法行使、希少生物への攻撃などなど。

局員に対しても複数回にわたって積極的に襲撃を仕掛けている。

執行猶予も未だ満了していないため、実際に今は犯罪者と言っても過言ではない。



「しかも教会の回し者だと?」



彼女は危険度で最上位の認識を持たれていたロストロギア“闇の書”の創造物であるとの事だ。

およそ十年の間隔で甚大な被害をもたらしてきた天災ともいうべき存在の、守護プログラム。

その手で奪った命が一体幾つになるのか見当もつかない。

今代の主が管理外世界出身であり、また未成年である事、一部管理局員の暴走、人並外れた魔法の才能。

それに土壇場で事態の収拾に協力したという事実も相まって飼われているというだけの存在だ。

古代ベルカの遺産を保存しておきたい聖王教会の意向も強く影響しているといっていい。

必然、彼女等は教会派閥の人間である。



「一体どこでこんな連中に引っ掛かったのだゲルトは」



眉間に刻まれた皺もその深さを増そうというもの。

レジアスにしてみればシグナムや、その主たる八神はやてなどは十分な危険人物である。

過去の汚点も含め、ゲルトの傍には居て欲しくはないタイプの人間。

悪い虫以外の何物でもない。

直接口を出して遠ざけられない事がなおさら忌々しかった。

現状、出来得る限りゲルトとの繋がりを悟られるような行動は避けたい。



「気に入らん」



その上で、彼女らの略歴に視線を向けたレジアスは不機嫌極まるという様子で鼻を鳴らした。

オーバーSランク魔導騎士の八神はやてを筆頭に、人道よりも主の命令を重視する高ランク騎士四名。

これらがこのミッドチルダを闊歩しているのだ。

不安にならない訳がない。

そもそも、だ。



「なぜこいつらは地上にいる?」



本局勤めならそれこそ次元世界を守っていればいい。

ロストロギア捜査が専門だというならそれこそだろう。

遺失物管理部ほか、地上には地上の機関がある。

そうでなくても広域殲滅特化型の魔導師などという扱い難い存在は地上に必要ない。



「魔法だけが取り柄の小娘が……」



レアスキル保持者は珍しさ故に大事にされているのではない。

管理局が欲しているのは使える人間であって、その能力自体を求めているわけではないのだ。

その点、カリム・グラシアご自慢の預言などは使えないものの筆頭に据えられる。

あんな占いもどきを本気で管理局幹部クラスが気に掛けているなどと正気の沙汰とは思えない。

ごく常識的に考えて彼女の能力は確実性にも欠け、そして信用性にも大きな疑問が残るのは明白であろう。



「内容など解釈の一つでどうともなる。
 下手をすれば教会のいいように改竄される可能性すらあるというのに」



必要な情報であれば下から報告書の形で上がってくるのだから、わざわざそんなものを当てにする理由がない。

むしろ変な先入観を持つ方が厭わしい。

しかも、今回はその内容があまりにもひどかった。



「オーリス、お前は聞いたか?」

「はっ。
 地上における何らかの事件が元となり、管理局システムが崩壊する恐れがあるらしい、と」



そうなのである。

今までもろくに取り合ってはこなかったが、その預言が出てからというもの方々から口煩く干渉されるようになった。

詳しく言えばその対策の為の新部隊の設立、引いては資金の投入に、部隊員の引き抜き、施設の建設、その他もろもろの提言である。



「ふざけた話だ」

「私もそう思います」



地上の危機など、幾らでも転がっている。

もし未確認のロストロギアが暴走でもすればそれこそ何が起きるか分からないし、オーバーS級の魔導師が市街地でテロ行為を行えば都市機能も落ちかねない。

例えば前述の八神はやて一団がそういう行動に走るなどと言われれば自分とて即座に対処するのだが。

ともかく、今更他人からどうこうと言われる事ではないし、地上の事は地上で片を付ける。

それも出来ずに、何の為の地上本部か。



「とにかく、今は手が足りん。
 こんなあやふやなものに回す金も人間もない。
 ……むしろそちらの方が問題だ」

「陸士はまだしも、空士の数が問題と思われます。
 今後劇的に増えるような事も期待は出来ませんので」

「そうだな。
 だが、これ以上優秀な人材を死なせる訳にもいかん」



違法魔導師が飛行や、それに準じる手段によって逃走を試みた場合、緊急展開した陸士部隊員のみでこれを制圧する事は難しい。

また、要請を受けた空士の現場到着には時間が掛かる事も常だ。

逐次投入などという事態にもなりかねない。

この事実は地上部隊の構造的欠陥であり、今までも問題視されていながらどうする事もできずに放置されてきた。

記憶にも新しい首都航空隊員の撃墜事件もそれが元である。

とはいえ、いつまでもこのままにしてはおけない。



「急がなくてはならんな……」



軽く溜息を吐いたレジアス。

彼の視線は再び己のデスクへと向かう。

そこにあるのは地上の未来を担う、とあるプロジェクトの最新経過報告である。



連装式大規模魔力砲の建造による地上防衛用精密対空砲網の構築――――改称、アインヘリアル計画。



それが最高評議会の支援の下鍛造される地上守護の剣の銘。

特殊技能と超常の身体能力を併せ持った超人を生みだす戦闘機人計画が裏とするなら、これは晴々と表を担うべきプラン。

これにより一定高度以上を飛行する違法魔導師を威嚇、あるいは撃墜も可能になるだろう。

それも、極端に数の少なくなる空戦魔導師ではなく、代替可能な複数の凡人の手によって。



「変わるぞ。
 ミッドチルダは変わる。
 我々も護り手足り得る時代が来る!」

「はい」



話しながらも激してきたのか、徐々にレジアスの口調には熱がこもって行った。

無理もない。

管理局入局から数十年にも渡る宿願が、遂に形を得ようとしているのだから。

とはいえやや興奮し過ぎたという自覚はあるのか、言い切った彼は数拍をおいて呼吸を整える。



「すまんがまた忙しくなる。
 頼むぞ、オーリス」

「はっ!」



レジアスの言葉に、完璧な敬礼で応えるオーリス。

それを前に置き、レジアスは未来へと思いを馳せる。



そうだ。

私達が護るのだ。



来るべき新たな世界を信じて。







**********





同日、ミッドチルダ北部、首都圏を遠く離れた山中。

時刻も夜半に至り、街灯も存在せぬこの一帯は静かな闇に覆われている、はずだった。

いつもならば。



燃え盛る炎。

立ち上る黒煙。

かつては何かの建物があったらしいこの場所は、現在ガレキの山がその跡を残すのみである。

動くものも全く見当たら……。

いや。

ある?

一向に火勢を緩めぬ火柱の、その向こうから何かが歩み寄ってくる。

近付くにつれ、段々と輪郭がはっきりしてくるそれは、どうやら人らしかった。

シルエットからして男、それも中々の体格をしている。

左手には何かのケースのような者を抱え、右手には長大な槍を携えていた。

右手の恐らくはデバイスだろう槍から見るに、彼が魔導師か、あるいは騎士である事は間違いない。

と、するならば、もしや彼がこの惨状を引き起こしたのだろうか?



「……………」



火傷の一つを負った様子もなく、その男は悠々と歩みを進めた。

右手の槍は既にその身を変え、待機状態の指輪として彼の右手の中指に収まっている。

と。

音もなく右側の空間が揺らぎ、通信用のウインドウが開いた。

それは相も変わらず歩き続ける彼を追いかけるように平行して浮かんでいる。



『御苦労さまでした、“騎士ゼスト”。
 手際よく済ませて頂いてありがとうございます』



ウインドウから聞こえてきたのは女の労いの言葉。

20代の前半か、それより少し若い位か。

向こうの映像がなく、完全に音声のみの通信であるので判然としないが、恐らくその程度であろう。



いや、それよりも、である。

そう、炎の中から現れたのは、彼女の言葉の通り三年も前に死んだ筈の男。

ゲルトの師にして父、レジアスの部下にして友。

首都防衛隊隊長。



ゼスト・グランガイツ。



その人に間違いなかった。

しかし足元に長い影を引く彼が幽霊だとも思えない。

死んでいなかったのか、それとも……。



『お体の方は大丈夫ですか?
 随分力を使われたようですが』

「問題ない。
 今の所はな」



返すゼストの言葉は、元々無口な彼にしても素っ気が無い。

敵意というほどではないにしても隔意は感じられた。

どうも相手との関係は微妙なようだ。



『それは良かった。
 あなたにはこれからも働いてもらわなくてはならないので』



しかし女の方も決して友好的という雰囲気ではない。

口調に似合わず、非情ともとれる文言をしれっと述べる。

流石に一瞬眉をひそめたゼストだったが、相手にする気はないらしい。



「レリックは回収した」

『今回は当たりだったようですね。
 番号は何番でしたか?』

「三番だ」

『十一番ではありませんか。
 では、回収に向いますので送った地点でお待ち下さい』



言葉と同時、新たなウインドウが開き次の行き先を指し示した。

それを目に収めたゼストは再び視線を前へ。

目的の場所へ向けて歩みを進める。

その姿はさながら罪科を背負った囚人のようでもある。

まるで手枷足枷を嵌められて、労働に服しているような。



だが、それでも。



それでも、彼にはやらねばならない事があった。

例え望まぬとしても。

無言のままで進む彼の心は過去へと逆行していく。

そう昔ではない。

ほんの数ヶ月前の事だ。

全てが始まったあの日。

自分が蘇った、あの日へ。



忌むべき過去を振り棄てるように。





**********





光があった。

白い部屋だった。

それ以外には何もない部屋だった。

ゼストがベッドで目を覚まし、最初に見たのはそれだけだ。



ここは、どこだ……?



病室、だろうか。

今自分が身に付けているのも入院患者が着るような病衣である。

体も痺れのようなものがあり上手く動かない。

自力で立ち上がるのにも当分かかるだろう。

だが、それにしては妙な事に、ナースコールやその類の物が見当たらない。

また窓もなく、あまりに殺風景なこしらえになっている。



隔離室か?



それが最も近いだろうと思われる。

現に、いつもは右手の中指に収まっているデバイスも見当たらない。

ここにきて、今自分が居るのが管理局の施設ではない可能性が飛躍的に高まった。

しかし、自分を捕える理由とは何だ。

どうにかして状況を掴もうと、記憶を探ってみる。

一番最近の記憶は何か。

最後の記憶で自分は何をしていたか。

そして見つける。

ああ、そうだ、と。



俺は、違法研究を行っているらしい施設に強制捜査をかけて……。



「……グッ!?」



頭痛が走る。

だが、取っ掛かりを得た事で記憶は一気に再生されていった。

肝心の記憶より少し前から順々に浮かんでくる。

何時からかレジアスに黒い噂が纏わりつくようになった事。

レジアスが自分の捜査に圧力を掛けるようになって来た事。

そのせいか、彼が戦闘機人の研究に関わっているのではないかと囁かれ始めた事。

極めつけに、レジアス自ら出向いて捜査を外れるように告げてきた事。

よりにもよって、ゲルトに養子縁組について話したあの日にだ。

そして疑惑の真偽を確かめる為、以前から当たりをつけていた施設への強制捜査を早めた事。

内部進入に成功し、ゲルトらと別れて行動を始めた事。

突如不意打ちを掛けられ、部下を庇って重傷を負った事。

身近の仲間全てを失い、半死半生の自分の前に立ち塞がったのが、年端もいかぬ少女だった事。

そして……。



「俺は……死んだ……?」



激しくなる頭痛の中、それを逃がすように息を荒げながら呟く。

あの、爆発するナイフを構えた少女を前にし、自分は敗れた筈だ。

他に術もなく彼女を殺すつもりでいったが、既に限界に達していた体では届かず片目を奪ったのみに止まり、自分は死んだ。

その筈だ。

致命的な量の血が流れ出た事は理解できたし、体温の低下も危険域を超えていた。

今も自分の胸にはその時についたらしい古傷の痕がある。

自分はあの場で死んだのだ。



なら、何故俺は生きている?



思わず、問い掛ける。

あの間近に迫るリアルな死の感覚が、錯覚だったとは思えない。

救急医療が間に合うような状況だったとも言えない。

では、何故……。



いや、そんな事はどうでもいい。



その疑問には蓋をしておく。

それよりも仲間はどうなった。

自分の側にいた部下達は……残念だが生きてはいまい。

もしかしたら今の自分のように何の奇跡か生きている可能性も無くはないが、希望的観測というものだろう。

しかし、ゲルトやメガーヌ、クイント達の方は途中で別れた為にどうなったかが全く分からない。



上手く逃げていればいいが。



今は祈る事しかできない。

気は逸るが、外に出るのもすぐには不可能だ。

ではこれからどうするかと、そう考えを変えたその時である。



『目が覚めたかい、騎士ゼスト』



突如として彼の前に展開したウインドウが声を投げてきた。

もちろん、正確にはそこに映し出された人物が、だ。



「お前は!」



ゼストにはその顔に十分すぎる程の見覚えがあった。

忘れるわけもない。

長い間この男を追って捜査を続けてきたのだから。



「ジェイル・スカリエッティ……!」

『初めまして騎士ゼスト』



スカリエッティはゆっくりと腰を下り、礼の形を取っている。

見る者が見れば優雅とも取れるかもしれないが、ゼストにはどうにも芝居臭く見えて仕方がない。

少なくとも、本当の意味でこの男が自分に敬意を抱いていない事くらいは分かる。

そしてこの男が現在自分の生殺与奪を握っている事も。



『どうかな、一度死んで蘇った感想は。
 天国は見えたかい?それとも地獄だったかな?』

「ふざけるな。
 死んだ人間が、生き返る訳がない」

『それがそうでもないんだよ。
 まぁ勿論誰でも、という訳にはいかないがね』



言いながら、スカリエッティは意味ありげな視線を送ってくる。

その理由は、分からなくもなかった。



「俺がその内にいたと言いたいのか?」

『そうだよ。
 古代ベルカ王家秘伝の技術でね。
 レリックという特殊なエネルギー結晶を使うんだが、これに適合する人間は少なくて実験台には困ってたんだ。
 実を言うとこれは人造魔導師製造用のもので、蘇生はおまけにすぎないんだよ?』

「…………」



ありえない話だ。

如何に人知を超える技術を誇ったという古代の遺産とはいえ、そこまで条理を超えた能力を持つものなど聞いた事がない。

だが、とも思う。

そうとしか言い切れない体験をした。

既に妄言の一言では切って捨てられない。

この男ならばそういう邪法をも成し遂げてしまいそうではある。



「分かった、それはいい。
 ではここはどこだ。
 俺の仲間をどうした」



自分が一度死んだかどうかなど、今はさしたる問題ではない。

気になるのは部下達の事だ。



『それはいい、か。
 一体どれだけの人間がそれを求めていたか分かっているのかね?』

「質問に答えろ」

『やれやれ、どちらが捕まっているのか分からないね。
 だけどまあ、いいとも』



期待はしていなかったのだが、あの男は教えるつもりらしい。

何が可笑しいのか、こちらが不愉快になるほど上機嫌な様子である。

とはいえ、聞かせてくれるものならありがたい。

勿論、スカリエッティの話が全て真実だとも限らないので、本当の所はここを出た後に自前で調べなければならない訳だが。



『ここは……そうだね、私の秘密基地といった所かな。
 君の仲間は死んだ者もいるし、生きている者もいると言っておこう』



期待した自分が馬鹿だったか。

スカリエッティの話は殆ど要領を得ない。

生きている人数は?

彼らの消息は?

焦れる思いばかりが募る。



ゲルト……!



生きているのか。

あいつは。

自分の“息子”は。



「真面目に答える気はない、という事か?」

『いやいや。
 しかし私にも言える事と言えない事があるのでね。
 お詫びに生き残りの名前は教えてあげよう』

「誰だ」

『ゼスト・グランガイツ――――あははは、冗談じゃあないか、そんなに怖い顔をしないでくれないかい?』



ゼストの視線は嬉しそうにこちらを指差すスカリエッティを射抜く。

隠しようもない敵意を……いや、殺意を込めてだ。

肉体が衰弱していようと、その眼光は些かの翳りも見せない。

この男の戯れ合いに付き合うつもりなど、ゼストには毛の一筋たりとなかった。



『まぁ落ち着いてくれたまえ、約束は守るさ。
 生存者は二人。
 良かったね、二人とも外で普通に暮らしているよ』



二人……。

それだけしか残らなかったのか。

つまりそれは、ゲルトかクイント、メガーヌの内誰かが死んだと、そういう事。



『まずはクイント・ナカジマ。
 それに……』



指折り数えるように告げるスカリエッティ。

それを聞いたゼストは少なからず安堵を覚えた。



ナカジマは生き残ったか。



あいつには夫も子供達もいる。

最も家族の多かったあいつが、生きて彼らの元に帰れた事は喜ぶべき事だろう。

しかし、ならば最後の一人は……?



『君のお子さんだよ、騎士ゼスト。
 ゲルト・グランガイツ・ナカジマ。
 今はそう名乗っているようだがね』

「…………!」



そうか。

生き残ったのか、あいつは。

あの危地を乗り越えてくれたのか。

クイントも、あいつの事を引き受けてくれたらしい。

それは喜ばしい事だ。

だが……だが、それは、つまり――――。



アルピーノ……。



死んだのだ。

彼女は死んだのだ。

まだまだ娘のルーテシアも幼いというのに。

死んだ。

過去に例のないほど巨大な後悔の念が押し寄せる。



俺が、事を急いたからだ。



レジアスの潔白を証明する為、あるいは己の手でこそ処断する為に。

その考えの元、“私心の元”突入を強行した結果が、これだ。

死なせた部下達は勿論、ゲルトやクイントにも会わせる顔がない。

あろうはずがない。

しかし、彼の地獄はむしろこれからだった。



『本当に、彼は素晴らしい!』



何か楽しかった事を思い出したようなスカリエッティが再度口を開く。

彼はゲルトを称賛していた。

それは、ゼストにして名状しがたい怖気を喚起させるものだった。



『せっかく作ったガジェットの群れもあっさり突破されてしまったよ。
 それも背中に怪我人一人を抱えてだ。
 あそこには相当強いアンチ・マギリング・フィールドが張ってあったんだけどねぇ』



スカリエッティの笑いは止まらない。

つくづく嬉しそうにゲルトの事を語る。



『流石はあなたの息子だ、騎士ゼスト。
 ああ、どうかな?
 あなたの目から見て、私の娘は彼の域に達していたかな?』

「何が、言いたい」

『別に、そのままの意味だよ。
 あなたを殺した“戦闘機人”の娘は、“同じ戦闘機人”であるあなたの息子に比べ、どうだったか、と聞いているのさ』

「!?」



今度こそゼストの背が粟立つ。

知っている。

この男は知っている。

ゲルトがどういう実験を受けたのか、彼がどういう存在なのかを知っている。

研究所から保護されたという、それ以外には公表されていない筈の事実を。

そしてこの男は言った。

自分を襲ったあの少女もまた、ゲルトと同じ戦闘機人であると。

ならば、この男がゲルトに興味を持つのは道理。



「ゲルトをどうするつもりだ……!」



この男はゲルトを欲するだろう。

一人の人間としてでなく、一つの戦力としてでなく、ただ一個の実験素材として。

自分と同じようにだ。

許してはおけない。

ようやく日の当たる所に居られるようになったあいつを、再びあの頃に戻すなどと。

だが。



『どうもしないよ。
 残念ながら彼への手出しは禁じられていてね』

「何?
 どういう事だ。
 お前は誰の命令で動いている」



ウインドウの中の男は心底残念そうな顔をしている。

しかし、解せない。

禁じられていると言った。

それはこの男のスポンサーがそう命じたのか。

それとも別口の何かがあるのか。



『そこは流石に秘密さ。
 ……さて、もっと君との会話を楽しみたい所だが、そろそろ君も休んだ方がいい。
 三年近くも寝ていたからね、今話しているのも辛いんだろう?』

「待て、まだ――――!?」



無理に身を起こそうとしたゼスト。

同時に、肺を破るような咳がゼストの身を襲った。

呼吸にも苦しむほどの激しいものだ。



『無理はしない方がいい。
 残念ながら君の実験は成功とは言い難くてね。
 せっかく拾った命を縮める事になるよ?』

「失敗……だと?」

『良いデータは取れたけどね』

「では、俺は用済みか」



その事実に至り、頭の中が急速に冷めていく。

このままではただ殺されるのを待つだけ。

スカリエッティの返答次第では即座に行動に移れるようリンカーコアを活性化させていく。

体は動かずとも魔力がある。

デバイスの補助が無くても、この場所を外界に知らせる事くらいは出来るかもしれない。

そう思っての行動だったが、



「何……?」



魔力が収束しない。

強制的に結合を散らされている。

この感覚には覚えがあった。

あの襲撃を受けた際にも、これに近い干渉を受けた。

あの少女の攻撃を受け切れなかったのもそれが一因である。



だが、これは……。



何か別の違和感を感じる。

魔法への干渉も問題だが、ゼストの内側にも異変があった。



魔力が、制御し切れん。



そう。

リンカーコアから汲み出される魔力が、一部経路を無視して流れ出ているのである。

自身が疲弊しているにしてもこれはおかしい。

そして危険な状態だ。

最悪、フルドライブ使用時のような自傷にもつながりかねない。



『だから無理はしない方がいいといったろう?』

「どうなっている」

『あなたの場合、蘇生は上手くいったんだがレリックとリンカーコアの融合が不完全でね。
 一応レリックが宿主を治そうとはしているみたいなんだが、総魔力も増えたことだし徐々に追い付かなくなっていくと思うよ。
ああ、とはいえ今日明日にいきなり、なんて事はないさ』



そういう事か。

確かに、戦闘用に調整しようというのに魔力の制御が利かないのでは成功とはいえない。

その上戦う度に壊れていくのではどうしようもあるまい。



「だから失敗か」

『そう。
 だが君にはまだやってもらいたい事がある。
 なに、動けるようになるまではここで面倒を見るよ』

「俺は、お前の言いなりには……ならん」



この男の頼みなど、ロクな事でないのは明白だ。

そうでなくても部下の仇である。

出来る事ならば。

そう出来る事ならば。

すぐさまその素首刎ねて無念に散った仲間の弔いにすべき所である。

後には自刃するつもりでもいた。

いわんやこの男の指図を受けるなどは論外の極み。



『ふむ、そうかい?
 まぁ、その話はおいおいしていこう』



しかしスカリエッティはゼストの眼光を受けて怯んだ様子もない。

それでいてこの男はやけにあっさりと引いた。

いや、それとも自信の表れなのか。

絶対にゼストが言う事を聞かざるをえないような、何かがあるのか。



『それより今日は紹介したい子がいるんだ。
 ……入っておいで』

「!」



この部屋唯一の扉が開く。

その向こうには、スカリエッティの言葉通り一人の少女が立っていた。

金色の瞳。

ロングの銀髪。

子供そのものの矮躯。

ただ、失ったと思しき右目は黒い眼帯で覆われており、その端麗な相貌に異様を与えている。

言うまでもないだろう。

あの夜、ゼスト達を襲撃した少女がそこにいた。

言いかえるなら、他でもないゼスト自身の仇が。

スカリエッティの言葉を信じるとすればあれから三年が経っているというのに、あの時のまま、そこに立っていた。



『紹介しよう。
 私の娘、五番チンクだ』









(あとがき)



遂にゼスト復活!

原作の描写ではゼストが蘇った時期が特定できませんでしたが、この作品ではstsの5年前になりました。

さらにおっさんキャラ追加でお送りする「鋼の騎士 タイプゼロ」

誰得にならないか心配ですが、今回に至っては主人公が一切登場しない舞台裏説明会になりそうです。

後編はチンクも増えて多少潤いが出るかな?


あ、あと別に作者は八神一家アンチとか教会アンチとかがしたい訳ではありません、念の為。


そんな訳でまた次回!

Neonでした。



[8635] 背徳者の聖域 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2010/05/23 03:25
『私の娘、五番チンクだ。
 感謝したまえよ?彼女が術後も寝たきりだったあなたの面倒をみてきたんだ』

「…………」



ゼストは何も言わない。

少女、チンクもそうだ。

視線を僅かに下げたまま、黙って入口に立ちつくしている。



『この子にはこれからもあなたの世話を頼んである。
 なに、知らない仲ではないんだ。
 仲良くしてあげて欲しい』

「貴、様は――――!」



どこまで人を食った真似をすれば気が済むのか。

抑制しきれぬ感情を抱えたゼストは弛緩する体に喝を入れ、無理矢理にでも身を起こそうとする。

相手はここにはいない。

ゼストがここでどうしようと向こうには痛くも痒くもないだろう。



だが、だが……!



しかし、それも叶わないようだ。

先程にも増して襲いかかる激痛。

意図せず身を折るほど咳きこんだゼストには、スカリエッティを睨み上げる事しかできない。

無力。

あまりに無力であった。



「無理をしないで下さい」

「くっ……」



その上には近寄ってきたチンクに心配される始末だ。

すぐ傍にある彼女の無表情。

しかし微かに揺れるその瞳の奥から読み取れるのは躊躇い、恐れ、それでいて芯からこちらを慮るような、そんな様子。

一瞬は振り払おうとしたゼストも、彼女の瞳に宿るその光を見てはそれ以上何もできない。

内に籠ったやりきれない思いは同じ所を巡り回るだけ。

そしてそれは、ある男にとっては大層滑稽に映るらしい。



『ふふっ』



ウインドウの向こうのスカリエッティはニヤニヤと薄笑いを浮かべてこちらを見下ろしていた。

不愉快よりも怖気が走る、そんな笑み。

同じ瞳でもチンクのものとは全く違う。

一見冷たく人形めいている彼女よりも、ある意味では人間味に溢れると言えるのかもしれない。

しかし。

それが映し出すのは、どこまでも淀み、濁りきった愉悦。

そして狂気。



「何が……おかしい」

『いや、失礼。
 流石は騎士殿、紳士的だと思ってね』



スカリエッティはクックッ、と噴き出すものを堪えるように話している。

その台詞は無論言葉通りではない。

嘲笑っているのだ。

今の自分はまさにスカリエッティにとって格好の玩具なのだろう。

知らず食い縛った歯がギリギリと音を鳴らす。



『おや、あまり興奮すると体に障るよ?
 せっかく君の為に世話役まで用意したんだ、ゆっくり養生してくれたまえ』



白々しい。

もはやあの男の為すこと全てが癇に障る。

とはいえ、今のゼストにあの男をどうこうする力はない。

むしろ一々反応する事が奴を楽しませているのだと、彼は口を噤み、表情をも殺す。

あの男の言葉などに左右されたりはしない。

それが彼に出来る抵抗の限界だったのだ。



『ふふ、それではそろそろ本当にお暇するとしよう。
 お大事に、騎士ゼスト。
 頼みの件はあなたの体が動くようになってからにするさ。
 その時にはいい返事が聞けるものと信じているよ?』



これ以上はゼストから何の感情も引き出せないと気付いたらしい。

結局、あの忌々しい笑みを慄きに変えてやる事もできず、様々な火を残したまま通信は切れた。





**********





「…………」

「…………」



そして残されたのは幾つもの問題を抱えたゼストと、一見は無表情をこしらえたチンクのみである。

元より二人とも口数が多い方ではなく、また軽々しく話す気にもなれない。

彼らの間に特段会話は生まれず、ただ重苦しい沈黙のみが部屋に纏わりついていた。

故に、お互い相手の事は置いておいてそれぞれのすべき事へと没頭していく。

チンクはベッドの周りに立ち並ぶ機器の確認や、部屋の掃除を。

ゼストはゼストで自分を取り巻く環境への思索に耽っていた。



今しがたのスカリエッティとの会話の中、得られた情報を整理してみる。



一、 ここはスカリエッティのアジトである。
二、 この部屋には収束した魔力を拡散させる類の結界らしきものが張られている。
三、 ゼスト隊で生き残ったのはゲルトとクイントのみである。
四、 スカリエッティはゲルトが戦闘機人だと知っている。
五、 スカリエッティのスポンサーと思しき何者かはゲルトへの手出しを禁じている。



これくらいか。

引っ掛かりを覚えるのは、やはり五であろう。

ゲルトが戦闘機人である事は管理局のデータバンクにハッキングでも掛ければ分かるのかもしれないが、手出しを禁じる理由とは何だ。

あのマッドサイエンティストに命じて戦闘機人を生み出させているような人間ならば是が非でも確保させそうなものだが。



考えられる事は。



ゲルトが表にいる事で何らかの利益が得られる場合。

しかし表でゲルトが力を発揮できると言えば管理局のみ。

あいつが戦闘以外においてそこまで多大な影響を与え得るとは、残念ながら思えない。

しかしもしそうだとするならば、スカリエッティのスポンサーは管理局の人間という事になる。

それも相当上位の幹部だろう。



あるいは。



感情の面で躊躇ったか。

真っ当な良心が少しも残っており、それで見逃したのか。

もちろん、その可能性は限りなく低い。

だが、もし。

もしもこれらの推測が二つとも合っているなら。

一人、心に浮かぶ人物がいる。



レジアス。



あの時もそう疑ったからこそ突入を早めたのだ。

それが今、再びその気配を濃厚に強めて迫ってきた。

あいつならばこれほどの大掛かりな計画を遂行できる地位にいる。

また、ゲルトが戦う事で利、すなわち地上の戦力を保持できる。

戦闘機人関連の騒ぎを大きくしたくない、という理由も考えられるだろう。



いや、しかし……。



全ては推測。

何らの確証もない。

これだけの情報で結論付けるには早計でもある。

結局レジアスが関わっているような証拠は見つけられなかったのだ。

だが、そう考えると一本筋が通るのも、また事実。

認めたくはないが、今自分の持っている材料はその判断を推していた。



だとすれば、何故だ。



何故レジアスはそんな道を選ぶ。

私欲の為か?

流石にそこまで腐ってはいないと思う。

そう思いたい。

で、あるなら地上の為?

確かに、地上の治安は未だ万全とはいえない。

任務中に殉職する局員も、やはりある程度存在している。

だとしても、それは年々減ってきていたのだ。

それはしかるべき階級と権力を得たレジアスの政治的な改革によるものであるし、自分達地上の局員の努力の結果とも言える。

確かにレジアスは何か焦っているようではあったが、だからといって生命操作技術のような外法に手を出すほどの理由があるだろうか?

それにどうやって彼らを取り込むのだ?

分からない。

そこが引っ掛かったからこそ、ゼストはレジアスに直接問いただす事ができなかった。

そして今だからこそ思う。



やはり、問うべきだった。



少なくとも彼に黒い噂が広まり出した段階で話すべきだったのだ。

彼が何を語るにせよ、一度とことんまで話し合うべきだった。

そうしていれば今このように後悔など――――



……いかん。



ふと我に返ったゼストは頭を振るう。

どうも思考が弱気に流れている。

あるいは自分で考えている以上に追い込まれているのかもしれない。



気を張れ。



他人の手の平に乗せられている現状、己を保たなければ取り返しのつかない事になりかねない。

これ以上、あの男の思うがままになる訳にはいかないのだ。

その為にも、向き合わなくてはならない相手がいる。

思考を切り替えたゼストの視線は、ベッド傍のチンクへと向かう。

彼女もこちらを見ないようにしていたらしく、ゼストの視線には気付いていないようだ。



小さい。



単純にそう思った。

不可解な魔法干渉領域下とはいえ、とても自分を破った張本人には見えない。

誰が見てもそう言うだろう。



だが、中身は違う。



その事は三年近くもゲルトの傍にいた自分にはよく分かっている。

戦う為の骨格、戦う為の筋肉、戦う為の頭脳。

全てはその目的に沿って特化されている。

生まれた理由も、生きる意味も、それだけしか与えられてはいない。



俺は、憎めるか?



スカリエッティが後ろで糸を引こうとも、実際に部下を殺したのはこの少女達だ。

その罪を見逃す事は、仲間の死をも無かった事にすると同義である。

しかし、彼女らの境遇を知り、見事に立ち直ってみせたゲルトも知る自分が、彼女を心底から憎悪する事が出来るのか?



……無理な話だ。



苦々しくも、認める。

そんな事が出来るような自分であればゲルトを引き取ったりはしない。

先程彼女を振り払おうとする手が止まったのも、やはり心のどこかでセーブしていたからだと思う。

どこまでも甘いとは思うが、簡単に切り捨てられるようならそいつは治安維持組織に向いていない。

それにしても。



ゲルト、か。



思えば目の前の少女とあいつは重なる所が多い。

生まれも、育ちも……自分を殺しにきた事も。

思えば出会った時のゲルトも今のチンクのようにとても小さかった。

そんな彼らを分けた要因といえば……自分を殺せたか、否か。

それだけが決定的な違い。



「お前は……」



そう思うと、口を衝いて言葉が出た。

今まで黙々と作業をしていたチンクも、ゼストの言葉に反応して振り返る。

こちらを見上げてくる少女の右目を直視。

そこには何も無い。

本来あるべき筈の、左と同じ金の瞳がない。

黒い眼帯がその部分の欠損を隠すように鎮座している。

ゼストが奪ったからだ。

声を掛けた時に一瞬彼女の肩が跳ねたのもそれが理由なのだろうか。

この娘を助けられる状況ではない、殺すしかないと、そう決めたゼストが奪った。

それしかなかったとはいえ、些か心が痛むのを感じる。



「お前は、自由になりたいと思った事はないのか?」



深く考えての発言ではないが、重要な事でもあった。

いつかの時のために、彼女はこれをしっかりと考えておかなくてはならない。



「なぜ、ですか?」



だが、その問いにチンクが返したのは困惑の表情だった。

なぜそんな事を聞くのか、と本気で訝しがっているようである。



「命の遣り取りは理解したな?」

「……はい」



そんな彼女を見据え、ゼストははっきりと尋ねる。

触れたくない事ではあるが、目を逸らす訳にはいかない。

自分とこの少女は、確かに殺し合ったのだ。

そして彼女は手を血に染めた。

同意するチンクも、僅か緊張したような様子である。



「次はお前が俺のようになるかもしれん。
 それをどう思う」

「…………」



ゼストの答えに、チンクは少し視線を下げて逡巡する素振りを見せた。

考えなかった訳ではあるまい。

幾ら強化されているといっても、戦いとはそれほど単純なものではない。

現に、あと数センチもゼストの槍が入っていたなら死んでいたのは彼女の方だった。

言葉だけではなく、生の感覚として経験した彼女は、その上でどう考える。



「これからも人の命を奪い続ける事をどう考えている」

「私、は……」



この問いは酷か。

そうだろう。

何も彼女は自分の目的があって戦っている訳ではないのだから。

故に、



「私は、戦闘機人です」



それしか逃げ道がない。



「私達は戦う為に生みだされました」



だから、とそう言うしかない。



「私達はドクターの命令に従うだけです」

「……そうか」



予想通りの答えに、ゼストの声も重くなる。

チンクの言葉には絶望的なまでの諦観が滲み出ていた。

諦めは全てを見切らせる。

たとえ何処かに突破の糸口があろうとも手を伸ばさなくなる。

そんなもの、断じて十を少し超えた程度の少女が纏ってよいものではない。



「……騎士ゼスト」

「なんだ」



そうして渋面を浮かべる彼を呼ぶ声がした。

無論傍にいるチンクである。

こちらを見る彼女はどこか躊躇いがちな様子であった。



「その、あなたは……」



チンクは口ごもり、中々言いだせない。

それほどまでに言い出し難い話なのだろうか。

それとも単純に警戒されているだけか?



「今、お前に対して敵意はない。
 言いたい事があるなら話せ」



既にチンクへのわだかまりは制御できる所で落ち着いている。

だからこれは、ただ緊張を解いてやろうと言っただけの、何という事はない一言。



「なっ……」



しかし反応は大きかった。

彼女は残された左目を見開き、動揺したようにわなないている。

何か信じられない物を聞いたような、そんな様子。



「あなたは私を、恨んでいない、のですか……?」



呆然とした彼女の声でゼストは確信できた。

やはりこの少女は“まとも”だ。

心が死んでいない。

いつか彼女もゲルトのように人に混じって暮らしていける。

ならば、今は誤魔化しを口にするべきではない。



「確かに、仲間を殺された怒りはある」



故に正直な所を話す事にする。

抑えられているとは言っても、無論感情が全て失せた訳では無い。

意識が朦朧とする中で見えた部下達の無惨な死に様は、忘れられない。



「――――が、それをお前にぶつける気もない」

「な、何故……?」



ふむ、と一拍を置く。

何故……何故、か。



「お前は日の当たる所でも生きられると分かった。
 だからだ」

「……馬鹿な」



彼女はゼストの言葉を一蹴した。

そんな事、有るわけがないと言わんばかりの態度である。

何故か信じたくない、という色さえ窺えた。

それは彼女の中にある何かを守ろうとしての事なのだろうか。

今これ以上この話題に食いつくのはどちらの為にもならないように思える。



「どのみち俺は当分動けん。
 お前の世話になるしかない以上、どうこうするつもりはない。
 それで納得しておけ」

「は……」



話しはそれまでだと、ゼストは会話を打ち切った。

未だチンクは釈然としない様子であったが、ゼストの方の限界が近い。

今まで会話をする事で逸らしていたが、実のところ眠気も相当にきているのだ。

数年越しに目覚めた体である。

当然ながら衰弱もひどい。

身を倒し、呼吸を緩めれば世界はすぐさま歪んでいく。



「私は……あなたの知るタイプゼロとは……」



ふと聞こえた声は誰のものか。

夢現の狭間のいるゼストにはいま一つ判然とし難い。

しかしその声の主が戸惑っているようである事はなんとなく察せられた。



「ゼロファーストとは、違う」



その名で、呼ぶな。



朦朧としながらもそれは聞き咎めた。

自分の息子はそんな名前ではない。



ゲル……ト……。



限界だ。

彼の意識は電源が落ちるように闇の中へと沈んで行った。





**********





そうして、二人の奇妙な共同生活が始まった。

いつも決まった時間になるとチンクが現れ、適当に小間使いのような事をしてくれている。

彼女が来る事で一日が始まり、彼女が去る事で一日が終わる。

そんな毎日の中、これだけ密度の高い時間を共有していればチンクという少女の事も多少は理解できるようになっていた。

この少女、一言で言って真面目である。

細かい所までよく見ており、ほどほどに手を抜けばよいものをきっちりとこなしてくれる。

おかげでと言うべきか、日々の暮らしに不自由を感じた事は少ない。

その一方で融通の利かない側面もあり、自分を追い詰めていくタイプのようにも思われる。

また、このような環境にありながら一本筋の通した信念も抱えているようで、己の立脚点はしっかりと見えているようであった。

それを象徴するような、こんな話がある。





**********





「お前は、自分の名をどう思う」

「は、名前……ですか」



あれは自分が目覚めて四、五日後の事であったと思う。

ふと彼女の名前の由来について話した事があった。

確かスカリエッティは彼女を指して五番目の娘だと紹介していた筈だ。

十中八九、製造番号だろう。

そして彼女の名前が五の意味を指すチンク。

来歴を考えればぞんざいにも程がある。



「ゲルトはファーストという番号を嫌っていた。
 お前はどうだ?」

「私は……」



少し考える仕草を見せるチンク。

果たして彼女は何と答えたか。



「誇りに思います」

「誇りか」



はい、と頷くチンク。

驚くほどに淀みのない返答であった。



「この名前は、私が姉達の妹で、いずれ生まれてくる妹達の姉であるという証です」



そういう考えもあるかと感心した位である。

しかしこういう答えが即座に出てくるのはどういう理由によるものか。

やはり閉鎖された世界にいる分、仲間意識が強いという事なのだろうか。

他にも、スカリエッティはこれ以上に戦闘機人を生みだすつもりなのか、など思う所はある。

が、とにもかくにも、彼女は自分の名前について何らのコンプレックスも抱いてはいないようだった。



「しかし、あなたはご子息の話ばかりですね」

「そう……だったか?」



ふと思いついたような口調でチンクが指摘する。

気にした事はなかったが、それほどゲルトの話ばかりをしていただろうか。



「はい。
 ここ数日、あなたの口からゲルトの名前を聞かなかった日はありません」

「そうか」



振り返ってみると確かにそうだったような気もする。

無意識に引き合いに出していたのかもしれない。

つまりは戦闘機人が外でも生きていける証明として。

ならば、



「分かるだろう。
 お前も―――――」

「騎士ゼスト」



割り込んだチンクがゼストの言葉を止める。

彼女はこちらから目を逸らして一言を放った。



「そろそろ時間です。
 お体を清めさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「……ああ、頼む」



露骨なまでのすり替え。

だがゼストはそれに逆らわなかった。

明らかに彼女はこの話題を避けていたし、逆効果にしかならないと思えたからだ。



「それでは左腕から失礼します」



持ち上げた腕を、濡れたタオルが丁寧に拭っていく。

上の病衣を脱いでいる為、ゼストの如何にも男らしい裸身が露わとなっているが、別段お互い意識した様子もない。

ゼストはこのような医療行為で恥ずかしがるほど若くもなく、チンクもまた割り切っているのか作業然とした様子で淡々とこなしてゆく。

有る意味で似た者同士の二人であった。



「終わりました。
 気になる所など無いでしょうか」

「いや、ない。
 手間を掛けたな、“チンク”」



軽く謝意を伝える。

彼女もコツを掴んだのだろう。

特にかゆみが残っていたりという感じもしない。



「…………」

「どうした」

「は、いえ何でもありません」



不自然な間の空き方を訝しんで声を掛ける。

何か考えるようにしていたチンクだったが、ゼストに気が付くと手早くタオルを片して退出の用意を始めた。



「それでは、またいつもの時間に伺います。
 何かございましたら遠慮なく手元のコールスイッチをお使い下さい」

「ああ」



手慣れたもので、さしたる時間も掛からず彼女は部屋を辞していった。

空気の抜けるような軽い音と共にこの部屋唯一の扉が閉まる。

こうしてまたゼストの長い監禁生活の一日が終わりを告げた。




**********





定刻通りに目を覚まし、定刻通りに部屋を出る。

ゼストとの生活の中、チンクの側もすっかり一日のリズムが定着してしまっていた。

彼女は今日も今日とて廊下を歩き、彼の部屋を目指している。

そんなチンクの道を塞ぐように、一人の女が廊下の脇から姿を現した。



「はぁい、チンクちゃん」

「クアットロか」



そこにいたのは四番クアットロ。

ナンバーで言えばチンクの姉に当たる訳だが、稼働時間で見るならチンクの方が上という事になる。

その為か、彼女に対するチンクの話し方は他の者達とは少し違うもののように思えた。



「どうした、私に何か用か?」

「ん~、別に用ってほどでもないんだけど~」

「では何だ」



訂正する。

少しイラついたような様子のチンクを見るに、単にウマが合わないが故なのかもしれない。

生真面目かつ実直な彼女と、軽薄で裏のあるクアットロ。

思えばどうあっても気の合うタイプのようには見えない。



「最近チンクちゃんってば騎士ゼストの所に毎日出入りしてるじゃない?」

「ドクターの頼みだからな」

「それは勿論そうだけど~、それにしてもちょ~っと熱心過ぎないかしら?」



クアットロはいつものように芝居がかった仕草で話す。

が、解せない。

どうしてだか、彼女の言葉には批難めいた響きがあるようにすら思えた。



「騎士ゼストは客人として扱うように言われている。
 それが不満なのか?」

「い~え~。
 ただ、チンクちゃんってばよく自分が殺した相手に優しくできるわね~、と思って」

「…………」



いつの間にか、クアットロの笑みは微妙にその色を変えている。

何を思っての事かは知らないが、こういう時の彼女は普段の姿からは想像もできない程に蠱惑的で、眼鏡越しに見る瞳さえ妖しい光を放っているように見えた。



「もしかして情でも移っちゃったのかしら?
 そういえば前からちょくちょく気にしてたものね~?」

「お前こそどういうつもりだ。
 騎士ゼストに興味はないのだろう?」



チンクの声音も些か険を持ち始めている。

ゼストに関する事はチンクの中でも未だ決着のつかない問題であり、互いに核心に触れて話さないからこそ均衡を保っているのが現状だ。

均衡が崩れてどうなるのかは分からないが、それをどこかで忌避しているのは自覚している。

ゆえに、その事をとやかく言われるのは普段感情を表に出さないチンクといえど癇に障った。



「まぁ、そうね。
 実験も失敗だったし~、最高評議会は便利に使うつもりらしいけど私には関係ないわ」

「ならそこをどけ。
 急いでいる」



言いながら、チンクはすっと前へ出る。

道の真ん中に立つクアットロの横をすり抜け、ただ前へ。



「私達が何だったか忘れた?」



問いかけはこちらの背へ投げるように浴びせられた。

チンクの歩みもはたと止まる。

クアットロの言葉は少なかったが、言いたい事は分かった。

おままごとはやめておけ、所詮自分達に出来るのは戦う事だけだ、とそういう事。



「騎士ゼストに何を言われたか知らないけど、私達は旧型のタイプゼロとは違うのよ?」

「……分かっている」



振り返らず、視線も前に向けたままで答えるチンク。

そうだ、言われるまでもない。

すっと伸びた右手が眼帯をなぞった。

これが証だ。

これが思い出させてくれる。



「そう、それは良かったわ。
 じゃあ今日もお仕事頑張ってね~」



その様子を見て満足したのか、クアットロからの圧力は霧散した。

拍子抜けするほどあっさり態度を豹変させた彼女は、もう用は済んだとばかりにきびすを返している。

暫くそのまま止まっていたチンクも、その足音が遠ざかると共にゼストの部屋へ歩みを再開した。



「分かっているんだ、そんな事は……」



掻き消えていく言葉。

長い廊下を進むその表情は、いつもの無表情。

それは本当に顔に現れるものが無いからなのか、それとも内の全てを抑えたがゆえなのか。

もちろん顔色からは何も窺えない。

その答えを知るたった一人の少女は何も語らず自分の行くべき所へと赴いて行った。






**********





時は流れ、ゼストがスカリエッティの牙城で目を覚ましてより二月ばかりが経過した。

この頃になると既に彼は立って歩けるようになり、身の周りの事も大抵こなせるまでに回復を果たしている。

となればジッともしていられない。



「フッ……ッ……ッ……ッ……!」



全身から汗を流すゼストがベッドを支えに、もう何セット目だかになる腹筋を行っている。

我が身の事ながら驚くべき治癒力であった。

自然な治癒ではとても考えられず、まず間違いなくこの身に埋め込まれたというレリックという物の影響だろう。

なるほど、スカリエッティが言った蘇生はおまけという意味をようやく理解できてきた。

レリックウエポンとはまさにその通り。

要するにこれは戦闘可能な状態を保つために、宿主の体を改造するのだ。

死んでいては戦えない、だから生き返らせる。

筋肉が衰えては戦えない、だから補強する。

魔力が多ければ有利だ、なら与えよう。



でたらめも、いい所だ。



目標の回数に到達。

身を倒したゼストは大の字になって寝転がった。

天井を見上げて大きく息を吐く。

硬く冷たい床もこの時ばかりは心地よく感じる。

と、そんな視界を遮るようにタオルが差し出されてきた。



「どうぞ」

「すまん」



体を起こし、チンクの手から受け取ったそれで汗を拭う。

程無く立ち上がったゼストは何気なく自分の右手に視線を落とした。

グッときつく握り、そして開く。

そんな事を数度繰り返してみたがなんの違和感も感じなかった。

リンカーコアにはやはり違和感が残っているが、魔力そのものはむしろ強くなっているのが分かる。



「随分よくなられたようですね」

「ああ」



言いながら、握った拳を何もない中空へと突き出す。

踏み込みも何も無い、拳撃とも言えない程度の一撃。

しかし伸び切る寸前で止めたそれは風を打つ快音を鳴らし、腕に心地よい手応えを返してくれる。

もはやゼストの体調は万全と言えた。

そうなると浮かぶ思いがある。



もう、すぐだな。



恐らくもう数日中にスカリエッティから何らかのアクションがあるだろう。

あの男が自分に何をさせるつもりかは知らないが、それを期に全てが変わる。

そんな予感があった。

名残惜しいなどと言うつもりはさらさらないが、思う所が無いわけではない。



「私が、何か?」

「いや」



それは他でもない、目の前の少女の事である。

どうするべきなのか。

このままただ別れて良いのか。

この気真面目な少女は己を無感情に保とうとしているようだが、今は間違いなく苦しんでいる。



問題は……。



問題はそれを乗り越えてしまう事だ。

この娘は強い。

恐らく真正面から戦っても大抵の相手は倒してしまうだろう。

だがそれで終わりではない。

一人倒せばその次が、それを倒せば更にその次が。

彼女が身を置く世界というのはそういうものである。

そうして戦って、戦って、戦い続けて。

傷つき、傷つけ、殺し続けた先、様々な物を諦めた先に。

遂に彼女は本物の人形に成る。

成り果てる。

本物の殺人人形、キリングドールに。

ゲルトはまさにその境地へと手を掛けていたという。



俺は――――。



彼女をどうしたいのだろうか。

ただ憎みきれないだけなのか。

それとも……?

そんな事を考えるまでにゼストの心境は変化していた。



ゼストの元にスカリエッティから呼び出しがあったのは、その翌日の事である。





**********





「どうぞ」

「外に出るのも、随分久し振りだな」



チンクの案内の元、ゼストは生き返ってより初めて監獄の門をくぐった。

出てみればなんの事はない。



「それではドクターの元へご案内致します」



彼らの行く道には長く暗い廊下が続いていた。

長い、長い廊下だ。

この先に通じているのはまさに悪夢である。

待ち構えるのはマッドサイエンティストにして希代の犯罪者、ジェイル・スカリエッティ。

それに恐らくはチンクを含めた護衛の戦闘機人も姿を見せるだろう。

今からそこへ飛び込む。

鬼が出るか蛇が出るか、そんな領域は既に遥か彼方だった。



「ここです」



足を止める二人。

眼前には扉があった。

重々しく開いてゆく、その向こうに――――



「ようこそ騎士ゼスト。
 お元気そうでなによりだ」



いた。

あの男。

スカリエッティ。

歓迎するように大袈裟な素振りで両の腕を開いている。

また彼の傍に侍るように数人の女性の姿も見えた。

襲撃の際に見覚えのある長身短髪の女の姿もある。



「おやおや、私よりもこの子達が気になるのかい?
 妬けてしまうねぇ」



ゼストが巡らす視線にスカリエッティも気付いたようだった。

相変わらずの底を見せぬ薄ら笑いでこちらを眺めている。



「まぁいいさ、それでは先に紹介しておこうか」



ふざけたように嘆息しつつ、最も傍にいる秘書然としたロングヘアの女を指す。



「彼女は一番、ウーノ。
 私の右腕でね、色々気の利く優秀な娘だよ」

「初めまして騎士ゼスト」



完璧な会釈。

場違いな程によく出来た礼であった。

意識せず、レジアスの補佐をしているオーリスの事を思い出す。



「三番トーレ。
 戦闘面の指揮を任せている」

「どうも、ゼスト殿」



この女は知っている。

ダガーのような剣を使う高速戦闘、近接特化型。

最も部下を殺した女だ。



…………。



噛み殺す。

感情を噛み殺し、抑制。

スカリエッティがつけこむ隙など与えてはならない。



「四番クアットロ。
 私の助手も兼ねているが、情報戦も中々のものだよ」

「はっじめまして~騎士ゼスト。
 クアットロで~す」



苦笑を浮かべたスカリエッティとは対照的に無駄に陽気な声が響く。

茶の髪を両サイドで縛った眼鏡の女。

戦闘機人のメンバー内では最も明るい性格のように見えるが、本当にそうか?

スカリエッティの言う助手がどの分野の事を言っているのかは不明だが、嬉々として参加しているならこの娘も十分に危険なように思える。



「残念ながら二番のドゥーエは今ここにいないんだが……まぁ、いずれ顔を合わせる機会もあると思うよ。
 楽しみにしておいてくれ」



スカリエッティによって生み出された、更に四人の戦闘機人達の名前が挙がった。

チンクも含めてこの場にいるのは計四人。

全員がチンク並の腕前という訳でもあるまいが、それでも十分に脅威。

絶望的といってもいい。

デバイスの無い状態では戦闘どころか逃げる事すらもままならないと判断する。

つまり。



「俺に何をさせるつもりだ」



今はこの男の話を聞くしかないと言う事。

業腹ではあるが、今無闇に暴れた所でどうにもならない。



「つれないねぇ、もう少し私との会話を楽しもうとは思わないかい?」

「お前と戯れるような舌は持たん。
 話しを進めろ」

「やれやれ、随分嫌われてしまったようだ」



取り付く島もないゼストの態度。

スカリエッティもお手上げといったように手をヒラヒラさせている。



「それではお望み通り本題に入ろう。
 と、言ってもあなたに用があるのは私では無くてね」

「では誰だ」

「私のスポンサーだよ。
 何故なのか、だとかは直接彼らに聞いてくれたまえ。
 ――――それではお越し頂こう」



言葉と同時。

スカリエッティの傍、ゼストの前に三つのウインドウが開いた。

それぞれが通信用。

向こうに通じているのがスカリエッティの後援者達なのだろう。



『さて、ゼスト・グランガイツ。
 まずはよくぞ蘇ったといっておこう』



特徴を掴ませない、機械混じりの声。

音声のみの通信ウインドウゆえに向こうの顔も分からない。



『ストライカー級の魔導師ともなれば失うにはあまりに惜しいからな』

『部下の事は残念だったが、全滅しなかっただけでも良しとするべきだろう』



しかしゼスト相手に正体を隠すという事はそれなりの理由がある筈。

よもや……。



「お前達がスカリエッティの支援を行っているのか」

『いかにも』



今一度確認を取り、ゼストは口を噤んだ。

目を伏せ、逡巡するように少しの間を置く。

そして目を開いた。

スカリエッティの前に浮かぶウインドウ、その向こうの相手を見据える。



「では、お前達の中にレジアスはいるか」



疑念を口に出す。

今日までずっと腹の中に飼い続けてきたその疑い。

レジアスが一連の事件に関わっているのではないかという、そういう思い。

果たして。



『この中にはおらん』



答えは否。

おらず。



『あの男も優秀ではあるが、我々の後釜とするには些か足りんな』

『まぁ、丁度良くはある。
 お前に頼みたい事というのもそれだ』



男達――――というのもはっきりとはしないが、の中に動揺はない。

レジアスの名前こそ出るものの、それが三人の中にいる訳ではないようであった。

ある程度信用できる情報だと思われる。

たとえ道を外れていたとしても、レジアスならゼストの問いに誤魔化しを述べる事はあるまい。

しかし“それ”とは?



「どういう事だ」

『何、難しい話では無い』



レジアスがいない事に一旦は安心したゼスト。

勿論、未だレジアスへの疑いが晴れた訳ではない。

とはいえそんな彼も次の瞬間には再び緊張を強いられることになる。



『管理局に復帰し、レジアスを監視せよ』

「何……!?」



予想外もいい所である。

つい先ほどまでどうすればここから逃げられるかと、そんな事を考えていた矢先。

いきなり相手側から解放するなどと言われれば戸惑って当然。

しかもその条件がレジアスを監視する事なのである。



「何を考えている。
 どういうつもりだ」

『言葉の通りだ。
 管理局に戻れ。
 貴様はMIA認定こそされているが、戸籍を復活させる事などは造作もない』

『そしてレジアスを見張れ。
 余計な事をせんようにな』

『お前ならあの男のすぐそばまで近付けるだろう?』



向こうの言い分は理解は出来ている。

しかし事態はあまりに混迷を極めていた。

今までの話を見るに、やはりレジアスも一枚噛んでいるのか?

しかし計画においてはこの連中より格下で、しかも危険因子と見られている……?



「一体、お前達は何者だ?」



思わず問い掛ける。

仮にも地上本部総司令であるレジアスより上位の者などそうは想像できない。

しかも恐らく相手は管理局の上級幹部である。

誰だ。

一体誰だ。



『ふむ、我々が何者か……か』

『個人としての全ては人の世の為に捨てたのでな。
 何者かと問われても困る』

『今は我らの役職のみが我らを定義する唯一のものだな』



つまり。



『時空管理局最高評議会、そう理解しておればよい』

『然り』

『我らこそ人類を守護する最後の盾である』

「…………!」



名前は勿論知っている。

管理局の文字通りの最高権力者だ。

だがこれならつじつまは通る。

確かにこの連中からすればレジアスですら格下であろうし、スカリエッティの後援としても申し分はない。

さらに言うなら自分達の情報が筒抜けだったのも至極当然だ。

なにせトップが黒幕なのだから。

嘘偽りの線もなくはないが、ここでそんな事をする意味があるだろうか。

ゼストは無いと判断する。

つまり本物、と。



『それでやるのか、やらんのか』

『無論我々の指示に従うのであれば息子にも会えよう』

『階級も上げてやろう。
 行方不明の局員が奇跡の復帰だ。
 理由は十分にある――――どうだ?』

「…………」



ゼストは沈黙。

その提案は、常識的に考えて魅力的に過ぎるものである。

この監禁生活から解放され、生き別れたゲルトやクイントとも会える。

レジアスに付くという事なら今回の件について問い質す事も容易いだろう。



だが、



「断る」

『ほう……』



そう、それは自分が全てを売り渡した果てのものだ。

これを受けるならば今後一切スカリエッティの逮捕へ動く事はできない。

つまりはチンク達を見捨てる訳である。

それは同胞を助ける為に管理局入りしたゲルトへの裏切りにも他ならない。



そして何より、レジアス。



評議会の言うがままスパイとなるのであれば、それはあいつとの友誼に唾を吐き、語り明かした正義を踏みにじる行為である。

それは出来ない。

絶対に出来ない。

たとえレジアスが道を外していたとしても、自分まで堕ちる訳にはいかない。



いや。



だからこそだ。

もしもレジアスが正道に背いたのなら、それを正す。

その為にも、これは到底受けられる話ではない。

例え、



ここで死ぬ事になろうとも、だ。



「…………」



誰にも悟られぬよう微かに体を整える。

相手の反応いかんによってはここが死線と相成るのだ。

背後の扉は開いていた。

ここもAMFとやらが働いていて魔法はまともに使えないだろうが、逃げに徹すればあるいは……。

厳しいがやるしかない。

ゼストの緊張は飛躍的に高まってゆく。



『まぁ、よい』



その気配を察した訳でもあるまいが、評議会は意外にも簡単に折れた。

拍子抜けというほどの引き際である。



『だが貴様を遊ばせておく事もできん』

『貴様にはレリック回収の任に就いてもらおう』



なるほど。

こちらが本命と言う訳か。

でなければこうも淀みなく代案が出たりはしない。



『こちらは頼みではなく、命令だ。
 これに反する場合は相応の罰則を受けてもらう』

「俺を殺すか」



この件に関し向こうは引く気配を見せない。

と、なれば今度こそ自分は用済み。

目の前の戦闘機人達の手で処分されるのが妥当な所だろう。



『お前は見てはならん物を見ているからな、それもありうる。
 しかしそれだけではお前は首を縦に振るまい?』

『我々はメガーヌ・アルピーノの子、ルーテシアの身柄を確保している』

『貴様の行動次第でどうなるか……分かるな?』

「――――ッ!!」



人質。



こちらが頷くと確信している相手の様子に予想しないでもなかったが、ここまで手段を選ばないとは。

自分が死んで三年近くが経過したというが、彼女はまだ四歳ほどの筈。

唯一の肉親たるメガーヌも無く、天涯孤独の身となってしまった彼女にこれ以上の苦難を強いる訳には……!



『揺れておるな。
 ならば背を押してやろう』

『お前が回収するレリック。
 その十一番を以てメガーヌ・アルピーノの蘇生を行う』

『無論、娘とも引き合えるように手配する。
 指揮官として、部下を死なせた責任の一端を果たせ』



歯の奥がギリギリと音を鳴らす。

実質、詰みだ。

ゼストは頷かざるをえない。

これは先のレジアスを監視するものとは違い、逃げ道が用意されている。

自己肯定の余地が残されている。

そしてゼストが拒否すれば、悲劇は死なせた部下の娘へ向くのだ。

頷かざるをえないどころか、ある程度の積極性すら抱きかねない。

早く見つけてやらねばメガーヌとルーテシアの時間のズレが大きくなってゆくのだから。



『ふむ、まだ決心が着かんか。
 ではさらに札を切る事にしよう』

『お前が心血を注いだ戦闘機人事件、その追跡情報の提供はどうだ。
 当然公表する事は許さんが、お前の中での決着はつこう』

『あの夜にレジアスがどう関わっていたか、気になるのだろう?』



鞭の次は飴。

今度はゼストへの利で釣ろうという魂胆か。



『しかもお前の身柄は我々の直轄となる』

『つまりはレリックに関する事柄を除き、ジェイルに干渉を受ける事はない』

『ジェイルもそれでよいな?』

「スポンサーのご意向とあれば仕方ありませんね」



肩を竦めるようにしてスカリエッティも評議会の決定に従う。

破格だ。

これ以上の条件は恐らくもう引き出す事はできない。



「く……っ!」



結論は一つしかない。

もう、その答えは出ているのだ。

しかし口にするにはあまりにゼストの信念から外れている。



だが。



その考えが部下達を殺した。

最早我を通せる身分では……ない。

これ以上、巻き添えを増やす事だけは避けなくてはならない。

ただ、気になる事がもうあと一つ。



「……ゲルトは、どうなる」



ゼストがようやく絞り出したのはそれ。

ルーテシアが引き合いに出されたのなら当然あれも、と思うのは自然である。

スカリエッティに手出しを禁じたのもこの為ならば頷ける。

だがあの悪夢の夜より生還した彼には裏の事など知らず、平穏に生きて欲しい。



『ゲルト・グランガイツ・ナカジマか』

『安心せよ。
 あれは既に地上部隊の旗印にも至らんとしている』

『局の内外問わず評判も鰻上りだ。
 今更、切って捨てる事はできんよ』

「……そうか」



今日一番の朗報だ。

ゲルトは裏の策謀に利用される事はない。

それを確認できてよかった。

もう、あいつに自分の手は必要ない。



『……して、返答やいかに?』



再度の確認。

その問いに、ゼストは―――――





**********





「よかったのですか?
 あのような誘いを受けてしまって」



ベッドに腰掛けるゼストに向け、正対したチンクが問い掛ける。

内容はもちろん評議会との取引について。

結局、ゼストは彼らの依頼を受けた。

第一級捜索指定ロストロギア、レリックの収集。

といってもそうアテがある筈もなく、非合法機関をしらみ潰しにしていけとの事。

その為、違法な研究機関やテロリストの拠点壊滅をも目的に含む危険な任務。

当然管理局法にも違反している。

本来単独で行うなど考えられない。

一騎当千たるストライカー級騎士のゼストだからこそ、という代物であった。



「よくは、ないがな……」

「すみません、失言でした」



ゼストの答えも歯切れに欠けている。

確かに余計な質問だった。

断るなどという選択肢がそもそも存在しなかったのだから。



「…………」

「…………」



沈黙。

お互い身動ぎもせず、ただ静寂が部屋を包んでいる。

いつもの事。

別に珍しい事ではない。

だが、今日に限ってそれは少し様子を異にしていた。



明朝には……発つ。



そう、出発は明日。

それも早朝と決めている。

つまりこの部屋で過ごすのも今日限り。



もう、話す機会もあるまい。



故に、決めなくてはならない。

はぐらかしてきたチンクへの態度。

自分はどうしたいのか。

恨むのか、憎むのか、憐れむのか、それとも……救いたいのか。

それを。

今、ここで。



(騎士ゼスト)



頭をよぎるのは二ヶ月の生活――――停滞、監禁、無感情を装う瞳。



(…………)



蘇るのはあの夜の記憶――――流血、死、血に濡れた瞳。

更に戻る。



(ゼストさん)



再生されるあの頃――――親愛、成長、憧れの瞳。



(死にたく、ない……)



出会いの日――――衝突、戦闘、恐怖の瞳。

脳裏に浮かぶ幾つもの金の瞳。

それらがゼストの頭の中で徐々に重なり合って、そして。

一つに……なった。

己の認識に苦笑が浮かぶ。



腹は、決まっていたか。



「チンク」

「はい」



おもむろにベッドから立ち上がったゼストが声を掛けた。

そして片膝を折り、チンクの目線へと合わせていく。

左の金の目も、右の黒い眼帯も、今度こそは正面から見据える。

そして右の腕を伸ばした。

広げた手を彼女の頭へ、被せるように。



「……ッ!」



触れる寸前で止める。

一瞬チンクが怯えるように身を強張らせたからだ。

しかし数呼吸を待ち、再開。



「な、何を!?」



撫でる。

困惑するチンクをよそに、ゼストはただチンクの頭を撫で付ける。

あるいは親が子に為すような所作。

そして手を下ろした彼はゆっくりと口を開いた。



「――――――――」



深く息を吸い、呼吸を整える。

決定的な言葉を発する為に。

無の数間。



「赦す」



僅かに一言。

だが意味は深い。

この二人の間において、それがどれほどの意味を持つのか。

それは大きく見開かれてゆくチンクの瞳が如実に物語っている。



「今……何と……?」



彼女がようやく声を絞り出せたのは、それからさらに幾呼吸もおいてからの事。

とはいえ通じなかった筈もあるまい。

分かった上で、耳を疑っているのだ。

まさか、と。

然らば。



「お前を、赦す」



確認するようにもう一度。

気の迷いではない。

この決断は自分の意思だ。

昼間とは違う。

この決断は強制されたものではない。

自分の内から来る感情と理性、その二つ共が承認した。



「チンク、お前を赦す」

「ッッッ!!」



震えが、彼女の動揺のほどが伝わってくる。

息遣いも荒い。

普段は凪も見せぬその感情の揺らぎは明白だった。

ゼストは言葉を続ける。



「お前は確かに罪を犯した。
 これから先も手を汚す事になるかも、しれん」



肩が跳ね、呼吸が詰まったのが分かる。

彼女もどこかで恐れていたのか。



「だがお前は外に出る。
 いつか、必ずだ」



そうだ。

悪夢はいつか終わる。

籠の鳥も、いつかは大空の広さを知る。



「それが俺によってとは限らん。
 外に出る事が必ず幸福に繋がるとも言い切れん」



今の自分は先の見えない身。

魔法を使えば蝕まれるこの体で、単身テロリストの拠点を叩こうと言うのだ。

いつ呆気なく死ぬとも分からない。

それに自分が彼女を許したとしても、それは司法とは関わりのない事。

明るみに出れば何らかの罰則を受ける事は必至。



だとしても。



「だとしても夜明けはやってくる」

「なぜ、なぜ……あなたは……」



チンクは呆然とこちらを見ている。

彼女が許容できる感情を超え、表現する術が分からないというように。

だが言葉にせずとも、表情を変えずとも、現れるものがある。

床に跡を残す滴。

パタパタと音を鳴らして滴り落ちるそれはどこから零れたものか。



「右の目の事も、すまなかった」

「そんな……私は、あなたを……」



頬を伝う涙。

それは眼帯に覆われた右目からも流れている。

彼女はそれに気付いていないのか拭おうともしない。

ゼストは鉤の形に折った指でそれを拭ってやった。

左の目をなぞり、右もなぞる。



「ならば死ぬな。
 死ぬ事を選ぶな。
 ……それでいい」

「は、い……」



別に感動的に抱き合ったりはしなかった。

これで何もかもが良くなったりする訳でもない。

むしろこれから先はどちらにとっても艱難辛苦の始まりだ。

その事はお互いに分かっていた。

しかし、だからこそ約束を交わそう。

この約定がより良き未来を導くと信じて。





**********





そうして時は再び現在へと戻る。

もうここはあの部屋ではない。

ゼストはようやく回収できた最初のレリックケースを抱え、一人で荒れ野を歩いている。

チンクとはあれきりだ。

彼女と話したその翌朝、生前から使用していたデバイスをウーノから受け取り、その足でスカリエッティのアジトを出た。

数日後に念の為と確認に戻ってみたが、案の定そこには何の痕跡も残らぬ廃墟があるばかりだった。

既に新たな施設で問題なく研究が続けられているだろう。



「…………」



ふと周りを見渡しても空虚な風が体を打つだけ

今は一人。

仲間はいない。

ゲルトもいない。

レジアスもいない。

かつて共に歩いて全ての者達は、皆違う世界に行ってしまった。



独りか。



周囲には何も無くなってしまった。

残されたのは肩に乗りかかる他者の運命のみ。

ルーテシア、メガーヌ、チンク。

そしてレジアス。

果たしてどれほど保つか分からないこの身で、全てに決着をつけられる日が来るのだろうか。

と、



「……む」



どこからか鳥の声が聞こえる。

拡散の具合からして恐らくよほどの高空から発せられているのだろう。

よく響くその音は耳に心地良く染み入ってゆく。

何の気なくゼストは上を見上げ、そして見つけた。

どんなものにも束縛されず、自由に空を駆ける一羽の鳥。



「そうか……」



意識せずゼストの口元に笑みが掠める。

異物の混ざらない、純粋な感情の発露。

前を見つめた彼は、僅かに力強さを取り戻した足で再び目的地へと歩みを進めた。



そんな彼を見下ろすように、鳥は悠々と大空を舞っている。

一羽の、夜鷹が。










(あとがき)


難産。

難産だった……。

喋らない二人をどうするかっていうのは本当に厳しかった。

チンクの敬語っておかしくないか?とか話の展開早くないか?とか悩み所は沢山ありました。

ともあれ!

ようやく、投稿できましたっ!!

待っていてくれた皆様、本当にありがとうございます。

本当筆が遅くて申し訳ないんですが、ここはどうしても手が抜けない場所だったので軽々しく妥協もできず、今日まで掛かってしまいました。



次回からはまた主人公をゲルトに据え、「鋼の騎士」本編へ戻ります。

少しはギンガ側も描かれる……かな?

乞うご期待!

という所でまた次回、Neonでした。



[8635] 涼風 前編
Name: Neon◆e5438144 ID:013289b5
Date: 2010/07/31 22:57
目下、ゲルトにはある悩みがあった。

個人的に深刻かつ、早急な解決が求められる案件である。

と、いうのも。



ここの所、スバルの元気がない。



リビングでテレビを見ている彼女はどこか上の空といった様子。

表情も陰りを帯びて寂しそうに見えた。

ならばと声を掛けて見ても、



「スバル、それ面白いのか?」

「……うん」

「そ、そうか……」



この有様である。

ゲルトは人知れず溜息を漏らし、すごすごとダイニングに引っ込んだ。

そこにはエプロンを掛けて夕食の準備をしているクイントが待ち構えている。



「どうだった?」

「駄目ですね。
 やっぱりギンガがいないのが効いてるみたいです」

「あ~、やっぱりかぁ。
 でもこればっかりはどうしようもないのよねぇ」



二人して頭を抱える。

ギンガが家を出てすぐの頃はそうでもなかったが、流石にこたえるものがあったらしい。

毎日メールは交わすようにしていても、こればかりは他人がどうこう出来る問題ではない。

どうあっても一年は帰ってこれないのだからそれまで適度にガス抜きをしてやるしかない――――のだが。



どうしたもんか。



スバルの場合運動で発散しよう、ともいくまい。

やはり定番はどこかへ遊びに連れて行くなどだろうか。

それ自体は悪くないとして、問題はどこに行くか、だが。



買い物にでも連れて行くか。



ギンガのように映画館というのもいいかもしれない。

とりあえず外に連れ出すのは決まりだ。

はてさてと考える内、唐突に電子音が響いた。

ピピピピ、と耳によく残るこの音。



「着信?」



音源はゲルトの携帯端末だ。

取り出して表示された相手を見てみれば、見知った名前がそこにある。

数少ない同世代の友人の一人、フェイトだった。

クイントにハンドサインで断って電話に出る。



「よう、どうしたフェイト」

『ゲルト、いきなり電話してごめんね。
 えと……今話せるかな?』

「ああ、別に用事も無いしな。
 それで、どうかしたのか?」



口の端を吊り上げながら、壁に背を預けたゲルトは理由を尋ねた。

そういう悪戯っぽい表情をしている時は彼も年相応の少年か。

というのも、実の所フェイトの用件などおおよそ予想はついていたのだ。

大方“彼”がらみだろうと思うが、さて……。



『うん、実はエリオの事なんだけど――――ってどうかした?』



突如ゲルトが吹き出したのだ。

流石に訝しんだ様子のフェイトが声をかけてくる。



「いや……悪い。
 こっちの事だから気にしないでくれ」

『そう?
 本当に何でもない?』

「ああ全然問題ない。
 それでエリオがどうしたって?」

『うん、その事なんだけど……』



いかんいかんと思いつつ、頬がどうにも二ヤけてしまう。

まさかここまで予想通りとは。

いやはやまったく。



過保護な……。



忍び笑いが漏れそうになるのを噛み殺しながらフェイトの話を聞く。

グダグダとエリオの近況が混じった話だったが、ともかく言いたい事は分かった。



「つまりようやくエリオの外出許可が出るようになったから、ここは一つ遊園地にでも連れて行っていい思い出でも作ってやりたい、と」

『うん。
 それでゲルトも来られないかな、と思って』



どうかな?と控えめな口調でフェイトが誘ってくる。

しかし当のゲルトはふと宙を仰ぎ少しの間を置いた。

あー、と言い淀みようやく口を開く。



「別に嫌って訳じゃあないんだが、何で俺まで誘うんだ?
 お前達だけで行ってくればいいだろうに」



至極当たり前の疑問であった。

フェイトとの話題にこそ何度も上るエリオだが、実際直に言葉を交わした事は無い。

折角の思い出に水を差すような真似はしたくないのだが。



『それは、そうなんだけど……』



ゲルトの正論にフェイトも若干トーンを落とす。

これで彼女も引くだろう。

と、そうゲルトは思ったのだが。



『前にエリオの事でゲルトに相談した事があったよね?』

「あ?
 ああ、そんな事もあったな」



唐突に彼女は別の話題を持ち出してきた。

あれはどれ位前だったか。

その時はエリオも相当の人間不信だったと聞いたのだが、もう外に出られるまでに回復したらしい。

ふと子供の成長は速いなぁ、などと年がいもない思考が頭をよぎる。



『ゲルトの言うようにやってみてから私には心を開いてくれたみたいなんだけど……やっぱりまだ他の人には難しいみたいで』

「それは流石に何でもすぐすぐ上手くはいかないだろ。
 とりあえず一歩は前進、と思ってやらないか?」

『うん。
 だけどきっかけは必要だと思うし、できるなら作ってあげたいと思うんだ』

「……それで俺か」



長々と溜息を吐く。

しかし彼女の考えも理解できなくはなかった。

子供は感受性が強い。

忌避を押し隠したり、同情で接するような人間の心などすぐ見通してしまうだろう。

その点、確かに自分なら色眼鏡抜きに接する事ができる。



『怒ってる?』



フェイトの声には少し申し訳なさが混じり出した。

どうせ気分を害したとでも思ったのだろう。



「いんや、呆れてる」



だが当のゲルトは重みを感じさせない軽口のような気安さでそれに答えた。

無論、フェイトに気を遣っただけでもない。



だけどまぁ、どうするか。



はっきり言って、陸士部隊員の休暇は貴重だ。

半舷休暇ならともかく一日丸々の休みとなればそういつも取れはしない。

ゲルトは応援要請などで緊急出動する事もままある為、その補填として人よりは取りやすいが、それでも得難いものに変わりは無い。

とはいって、この友人たっての頼みとあれば貴重な休日の一日や二日、構わないかとも思う。

はてさてと考える内、彼は何気なく視線を横へと逸らした。

視線の先には先程と同じく、今一つしゃっきりとしないスバルがいる。

そんな彼女を見て、ゲルトは今度こそ深く、深く息を吐いた。

そして口を開く。



「行き先、遊園地だったな?」

『え?』



ぽつりと述べたゲルトの言葉に、フェイトが呆、とした声を出す。

若干疲れたような表情を浮かべながら、しかしゲルトは同じ言葉を繰り返した。



「行き先は遊園地なんだろ?」

『来てくれるの!?』

「まぁ、お前の頼みだしな」

『――――っ、ありがとうゲルト!』



端末から聞こえるのは喜色に満ちた声。

その喜びようたるや、こちらまで引きずられて笑みが浮かんでしまいそうな程。



「ただしおまけが一人付く予定だ。 
 構わないか?」

『うん、大丈夫だけど……誰を呼ぶつもりなの?』



その問いにゲルトはああ、と答えながら肩を竦めた。



「ウチの小さい姫様だよ。
 ギンガがいないせいか最近元気なくてな……」



重い心労が滲み出たような声音だ。

ゲルトがこのような愚痴っぽい話をする事自体珍しい。

だが何故か、などは分かり切っていた。



『心配なんだ』

「そりゃぁな」



言われるまでもない。

そんならしくもない真似をしてしまうほどスバルが心配なのだ。

とは言っても、



『妹さん思いなんだね、ゲルトは』

「……む」



自分でそう思うのと、人に言われるのとでは全く違う。

ゲルトの体をむず痒いような羞恥の念が駆け巡った。

かといって、フェイトにからかうようなつもりが無いのは明白。

となれば焦って動揺を表に出すというのもなんというべきか……みっともない。



『どうかした?』

「……放っとけ」



結局ゲルトはそう答えるだけで精一杯だった。

ぱっと見こそ仏頂面をこしらえつつも、やはりその頬は朱が差している。

何とも締まらない有様だ。

電話の向こうの向こうのフェイトはこちらの様子が分かっているのかいないのか。



『楽しい思い出にしようね』

「ああ。
 ……それじゃまた連絡する」

『うん、またねゲルト』



軽快な電子音を鳴らして通話が切れた。

電話を戻したゲルトは再びダイニングに戻る

こちらに気付いたクイントが振り向くのに応じて、彼女へと親指を立ててみせた。



「クイントさん、何とかなるかもしれませんよ」





**********





――――六日後、ミッドチルダ北部第四陸士訓練校



屋外。

澄み渡る空の下。

運動に適するよう整えられたグラウンドで、二人の男女が向かい合っている。

どちらとも面影に幼なさを残すほどの若さ。

距離はおよそ20メートル。

少年が携えているのはグリップの付いた標準的なストレージデバイスである。

一方の少女。

彼女は白銀に艶めく両の手甲と、同色のローラーブーツによって四肢を武装していた。

特筆すべきは両足のローラーブーツか。

断続的に轟くアイドリング音はいななきというに猛々し過ぎ、地を揺らす鼓動の力強さは生命の気配すら感じさせる。

そこには隠しようもない、剥き出しの戦意が在った。

果たしてこれが無機物の放ちうる存在感なのだろうか?

むしろ仕手たる少女の方がそれを抑え込んでいるようにも見える。



『二人とも用意はいいか!?』



そんな中、どこからともなく中年頃の男の声が聞こえてきた。

微かにノイズ混じりの音声は単純にスピーカーを通したからのものか。



「はい!」

「いつでもいけます!」



恐らく彼は教官で、今は模擬戦でも行おうとしているのだろう。

それを証明するようにグラウンドの二人は威勢よく応じ、共に戦闘の構えを取り始めた。

少年はデバイスを少女――――いや、もはや隠す意味もあるまい――――ギンガへと構え、彼女もまた両腕をゆるりと持ち上げる。

同時、姿勢は前傾のものとなり、ペイルホースの唸りも一層その激しさを増していく。

車輪は既に地を抉るほどの猛烈な回転を始めていて、今はそれを強引に引き止めている状態だ。

例えて言うなら極限まで引き絞られた弓矢のようなもの。

そして、



『始め!!』



獣は放たれた。



「――――ツッッ!!」



爆発にも等しい粉塵を吹き上げ、地を抉り駆ける。

方向としては強引な転換の末に横方向へ。

模擬戦相手の少年から見れば左への高速移動。

速い。

彼女を狙った魔力弾も悉くその影を射抜くばかり。

一発、二発、三発。

かすりもしない。



「くそ……っ!」



射手である少年の口からも焦りを含む言葉が漏れていた。

それでも手を緩めない所は訓練の賜物だろう。

自分を中心に疾走しているギンガを追い、あくまで射撃を続ける。

それでも当たらないのはどういう訳か。

ギンガは特に目立つトリックを使っている様子もない。



「……遅い」



誰にも聞こえない呟きがギンガから零れる。

信じ難い事に、ギンガは未だウイングロードすら使っていなかった。

つまり行っているのは二次元での機動のみ。

ただ静から動への急激な移行、そして単純な速度で振り切っているのだ。

間合いで負けていても、攻撃権を奪われていても、今は何の恐怖も感じない。

それに。



私だって、遠距離攻撃ができない訳じゃない。



例えば、だ。

ギンガの瞳に攻め気が覗くや、忠実にして凶暴な彼女の相棒、ペイルホースがカートリッジを食らった。

硝煙をたなびかせ、右手甲の排出口から薬莢が弾け飛ぶ。

と同時、手首のナックルスピナーが高速の回転を始めた。

この歯車状の機構は魔力の収束補助を行うためのもの。

これが動きだすという事は、つまり。



「リボルバー……」



走りながら、魔力が渦巻く右手を振りかぶる。

仕掛けるのは相手の一撃を躱した後だ。

ここまでの攻撃で相手の射撃の間隔はほぼ掴んでいる。

出来る筈だ。



「当たれぇっ!!」



ギンガの予測した通りのタイミングで少年が魔力弾を発射。

やはり見える。

分かる。



い  ま  だ  。



射線も、速度も、全てが想定の範囲内。

魔力弾が直撃軌道にない事を確信し、ギンガは急制動。

さらにターンをかける。

氷上を滑るが如き鮮やかな機動で回転。

外れた魔力弾が顔のすぐそばを通り抜け、自慢の髪を掠めていくのも全く気にしない。

一瞥すらも寄越さず、ただ相手だけを視界に収めている。



「シュートッッ!!」



振り抜いた右腕から衝撃波が飛翔。

唸りを上げて宙を裂き、一直線に相手へと向かう。

攻撃直後で棒立ちの少年にこれを躱す術は無い。

となればどうする。



「ラ、ラウンドシールド――――!」



防御するしかない。

かろうじて間に合った障壁がギンガの衝撃波を受け止めた。

折角見事な見切りの末の一撃だというに、衝撃波は風に溶けるように吹き消えてしまう。

それは本当にあっけもない有様。

防御に成功した少年も安堵の呼吸を吐こうとしていた。



……だが、それは早計である。



突如轟く白銀の咆哮。

地を駆け、敵を蹂躙せんとする音。



「リボルバー――――」

「!?」



緩みかけた少年の瞳が、目前の脅威に再び見開かれた。

それはすぐ眼前で翻る、青い長髪の――――。



「キャノンっ!!」



障壁の上から叩きつけられたのはまさに暴力。

慣性、腕力、重力、魔力、全てを利用したギンガ渾身の正拳突き。

その威力は改めて述べる必要もない。



「ぐうぅぅっ!?」



現に苦しげな声を漏らす少年の障壁にはメリメリと罅が広がっていった。

相手が防御に意識を割かざるをえないこの状況は、インファイターであるギンガにとっての理想形と言える。

これでいい。

このまま、



潰す……!



更にカートリッジをロード。

ナックルスピナーの回転速度が上昇し、競り合う拳にも力が籠る。

押し負けていく障壁には亀裂が拡大していった。



「ハアァァァァァ!」

「!?」



気合一閃。

ギンガが裂帛の掛け声を放つや、堅固たるべき障壁が硝子のような飛沫を撒いて砕け散る。

盾を失った少年は信じられぬとばかりに瞠目していた。

思考も停止しているのが見てとれる。

それこそギンガの思う壺だ。

音も消え、緩やかに流れる時間の中でギンガが更に踏み込む。



「――――――――」



至近距離で腕が伸びる。

胴が前に、遅れて拳がついてくる。

しなやかな肢体から繰り出される必殺の一撃。

次の瞬間、少年が感じたのは腹部への強い衝撃と浮遊感だった。



「うぉっ――――」



彼の時間が戻ったのは軽々と宙を舞う自分に気が付いた時だ。

とはいえ、気付いたとしても完全に足が離れた状態ではどうにもならない。

後は為すまま盛大に地面を跳ね、吹き飛んで行く。

結局、グラウンドに立っているのは腕を突き出したままの状態のギンガのみ。

彼女は決定打を入れた後も油断なく構え、大の字に寝転がる少年の様子を窺っている。

と、



『そこまで!』



警報器のような甲高い音が響き、続いて聞こえてきたのは教官の声。

模擬戦の終了が告げられていた。

戦いは終わったのだ。

ギンガもようやく人心地ついたといった風でバリアジャケットを解除させている。



『見た通りだがナカジマの勝ちだ。
 まぁ、内容も悪くない運びだった。
 特に言う事は無い』

「はい! 
ありがとうございます!」



それでも、教官に声をかけられれば直立で返す。

ギンガも今や一訓練生。

訓練中に腑抜けたような態度を見せれば当然修正の対象になる。

ふざけた人間などは必要ないのだ。



『おい、そこでくたばってるのはとっとと医務室に運んどけ。
 ナカジマも戻れ、次の組と交代だ』

「はい、では失礼します!」



目線で動くように言われたギンガは駆け足。

ふと視線を巡らせれば自分と入れ替わりに何人かが入ってくるのが見える。

デバイスを持った二人は次に模擬戦を行う訓練生なのだろう。

それに、白衣の集団がようやく立ち上がろうとしていた少年に肩を貸してグラウンドの外へと運んで行く。

少年の方は意識もはっきりしているようだ。

手加減はしたから少しふらついているだけだろう。

医務室で休めば問題も無い筈だ。



「ふぅ……」



見上げた空は青く、雲は遠い。

霞んでしまうほど。

本当に、遠い。



だけど。



手をかざしたギンガの口元に笑みがよぎる。

そう、こうして伸ばした腕は確かにあの空へと近付いたのだ。

かつてはただ見上げるしかなかったあの場所へ。

今も追い続けるあの背中へ。

そしてこの学び舎から飛び立つ時。

その時は、



「私も……」



想像する。

バリアジャケットを纏い、自然体でナイトホークを握った完全武装の兄を。

そして、その隣に立つ自分を。

彼と同じ場所から同じ方向を見つめる自分を。

兄が駆ければ自分も走り、彼が槍を振るうなら自分の拳も唸りを上げる。

背中を見つめるでなく、任せてもらえる。

そんな未来を。



「……よし!」



ギンガの眼差しに力が籠もる。

戻した視線の先で友人達が手を振っているのも見えた。

それに返しつつ走る彼女の足取りは、一戦の後とは思えないほど軽くなっていた。





**********





――――同日、ミッドチルダ郊外遊園地「アンサラーランド」前



「ねぇ、お兄ちゃん」

「んー、どうした?」



まだ人の入りもまばらな入園口。

ゲルトの傍らに立つスバルがふと声を上げた。



「友達の人って、もうすぐ来る?」



よそ行きの洋服を着込んだ彼女はこちらを見上げ、期待に揺れる瞳をそのままに問いかけてくる。

溌剌としたその様子には少し前までの憂鬱の色は影も見えない。

どうもゲルトの狙いは上手くはまったようだった。

一方の彼はそうだな、とぼかしながら腕の時計を確認している。

ちなみに彼の格好はジャケットにスラックスという全くの私服だ。

前回の事で懲りたのかハーフリムの伊達眼鏡なども掛けている。

変装のつもりだろうか。

とりあえずそれは功を奏しているようで、今の所ゲルトに声を掛けてくる人間は一人もいなかった。



「まだ、あと1時間はかかるぞ」



見たままを伝えれば、スバルは案の定不満げな表情を浮かべた。

え~、などと口から言葉も漏れている。



「先に入ってちゃダメ?」

「我慢しろ。
 家を出る時にも言ったろうが、こっちが早く来過ぎなんだよ」

「ぶー」



そっぽを向かれてしまった。

なんとまぁコロコロと表情が変わる事。

ゲルトも苦笑いするしかない。

そんな中、



「お……?」



ゲルトの目が、人垣の向こうで揺れる鮮やかな金髪を捉えた。

見覚えのある、日の光を反射するかのようなその輝き。

あれは……。



「おーい!
 フェイト、こっちだ!」

「ゲルト!」



ゲルトの呼び声に応じ、人混みを抜けて出てきたのはやはりフェイト。

それに、彼女に手を引かれて歩く少年と、その隣の犬耳の少女が共にこちらへと駆け寄ってくる。



「早いんだねゲルト。
 もう来てたんだ」

「スバルが朝っぱらから行こう行こう煩くてな。
 無理やり家から引っ張り出されたんだよ」



実際その通りである。

スバルは家の中でいの一番に目を覚まし、皆を起こして回ったのだ。

それもようやく日が出たか、という早朝にである。

巻き込まれたゲンヤやクイントには流石に同情したものだ。



「ふふっ、楽しみにしてくれたみたいで嬉しいな」

「限度ってもんも考えて欲しかったけどな」



フェイトと二人で軽く笑い合い、それからゲルトは視線を動かした。



「そっちは……アルフさんですね?
 お久し振りです」



フェイトの隣にいる犬耳の少女に見覚えは無い。

だがフェイトから話は聞いていたので予想はつく。

彼女の使い魔であるアルフだろう。



「おう、久し振り。
 でもあたしの事はアルフでいいぞ?
 今はこーんなにちっちゃくなっちゃった訳だしねぇ」

「……努力はします」



彼女と直接会ったのは入院していた時が最後だ。

しかもその時は今のような子供形態ではなく、つまりゲルトからすれば年上のようなもの。

基本的に年功序列的な思考を持つゲルトには、多少対応に困る所があった。



「さて……」



そして、今日の本題。

ゲルトは赤毛の少年と目線を合わせるように膝を折った。



「君がエリオだね?」

「は、はい」



出来るだけ優しいような声音を意識する。

それが良かったのか、声をかけられたエリオは目を逸らさずにきちんとこちらと向き合ってくれていた。



「エリオ・モンディアル、です。
 今日は……その、よろしくお願いします!」



それでも体が強張るのは仕方ないか。

彼にとって、自分から人へと歩み寄るのは初めての事なのだ。

むしろよく逃げ出さずにいるものだと感心する。



「俺はゲルト・グランガイツ・ナカジマだ。
 君の事はフェイトから少し聞いてるよ」

「僕の事を……ですか?」



エリオの瞳に起こった揺らぎは疑念によるものだろうか。

どこまで知っているのかと勘繰っているように思える。



まぁ、分からないでもないけどな。



自分の事はフェイトの友人としか聞いていない筈。

フェイトに受け入れられたといっても他の人まではどうか分からないのだから、それは警戒もするだろう。



だけどなぁ……。



今日一日そんな調子では楽しむも何も無いだろう。

故に、ゲルトは早々に手札を切る事にする。



「エリオ、俺の目を見るんだ」

「……?」



ゲルトはそう言うと変装の為に掛けてきた眼鏡を下へとずらした。

エリオにも見えるようにゼスト譲りの黒い瞳を見せる。

何があるのかとエリオがこちらを見ている事を確認し、ゲルトは頭の中でスイッチを入れた。

その刹那、



「えっ!?」



突如ゲルトの瞳が金色に染まった。

無論普通の人間には有り得ぬ事。

通常出力と戦闘機人モードを使い分けられるゲルトだからこそ、タイプゼロだからこそ可能な仕儀。

詳細を語らずとも、これでエリオには伝わった筈だ。



「ゲ、ゲルトさん……」



こちらを見るエリオの顔には驚愕が張り付いている。

手品じみた不思議を目にした事によるものとは毛色が違っているようだ。

つまり、理解したのだろう。



「あなたも――――」



皆まで言わせず、ゲルトはエリオへと手を伸ばした。

手を開き、握手を求める動き。



「よろしく、兄弟」

「あ、え、その……」



エリオはキョロキョロと落ち着かないような素振りを見せ、差し出された手と、ゲルトと、それにフェイトの方へ何度も視線を往復させていた。

あまりに慮外の事が多過ぎて混乱しているらしい。

本当にどうすればいいのか分からないといった感じだ。

そんなエリオの肩にそっと手を置いた人間が一人。

保護者のフェイトである。



「フェイトさん、あの、僕……」

「大丈夫」

「でも――――」

「大丈夫だから」



エリオの助けを求める声を聞き、ゲルトがそうしたように目線を合わせたフェイトは笑みを浮かべた。

慈愛に満ちた、母親が子供にそうするような微笑み。

怖がらなくてよいと告げていた。



「はい」



それに勇気づけられたのか、怖じけていたエリオもゲルトへ向けておずおずと手を伸ばしてくる。

ゲルトもまた、それに応じて手を開く。

そしてエリオの手が触れた時、ゲルトはしっかりとその手を握った。

手の中で、確かに握り返す力を感じる。



「よろしくエリオ」

「はい!
 よろしくお願いします、ゲルトさん……!」

「おいおい、男がそんな位で泣くもんじゃないぞ」



エリオの瞳には早くも涙が滲み出していた。

声もどこか上擦っているようだ。

口で言うとは対照的に、ゲルトはよく頑張ったとばかり空いていた手でそれを拭ってやる。

フェイトにもあやされてエリオはようやく落ち着きを取り戻したようだった。



「んじゃ、今度はこっちも紹介する奴がいるんだ。
 ――――っておいスバル、後ろに隠れてるなよ」

「……えと」



それを見届け、ゲルトはいつの間にか自分の背中に隠れていたスバルを呼んだ。

こっちもこっちで初対面のフェイト達に物怖じしているらしく、今とて顔を出しただけの状態。

エリオよりも年上だろうに、我が妹ながら情けない。



「あ、ちょ――――」

「ほらさっさと挨拶しろ」



業を煮やしたゲルトは呆れたような表情のままスバルを押し出した。

今のスバルは身一つでフェイトやエリオやアルフの前に立っている。



「お兄ちゃん……」

「エリオにも出来たんだろうが、年上のお前がビビってどうする。
 それに紹介が済まないと中には入れんぞ」

「うぅ……」



未だ不安気な顔を見せるスバルに発破をかける。

フェイト達とはとことん対照的なやり口だ。

だが、逡巡を続けていたスバルも覚悟を決めたようである。



「は、初めまして、スバル・ナカジマです。
 えっと、今日はよろしくお願いしますっ!」



ようやく顔を前に向けた彼女はガバッと頭を下げた。

その状態で一気に喋っている。



「初めましてスバル。
 私はフェイト・テスタロッサ・ハラオウンだよ」

「アルフだ。
 よろしくなー、スバル」

「よろしくお願いします、スバルさん」



力が入り過ぎだとゲルトは思ったものだが、概ねフェイトらには好意的に受け入れられたようだった。

スバルも上手くできたのが嬉しかったらしく、頬を緩めてはにかんでいる。

ともあれ、これで全員の顔合わせは済んだ訳だ。



「それじゃそろそろ中に入らないかい?
 折角早く来たのにゲートも混んじまうよ」

「うん、そうだね」



アルフの言ももっともだ。

既にチケットは購入してあるし、このままゲートを潜ればそれでいい。



「よっし、じゃあ行くぞスバル! エリオ!」

「おー!」

「は、はい!」



ゲルトはスバルを軽々と肩に担ぎ上げ、エリオの手も取って歩き出す。

肩車の形になったスバルは意気揚揚とゲートを指差していた。

また、エリオのもう片方の手はフェイトに繋がれており、アルフはフェイトの少し前位を歩いている。

同じく保護者の立場にあるゲルトとフェイトは視線を重ね、互いに構えのない笑みを交わす。

一様に邪気のない笑みを浮かべた五人は、楽しそうな歓声を残してゲートの向こうへと消えていった。










**********










「……あれ?」



訓練校のギンガがふと気配を感じて後ろを振り返った。

自分でも不思議に思うが、凄くまずいような気がしたのだ。



「どうしたの?
 早く行かないと座学始まるわよ?」

「あ、うん。
 何かこう、すっごく嫌な予感というか、虫の知らせというか……」

「何? まさかまたお兄さんの事?
 アンタ終いに、兄さんが泥棒猫にとられちゃう! とか言い出さないでしょうね?」

「い、言いませんっ!」



隣を歩いていたルームメイトが一歩引き気味になっている。

見るからにからかわれているのだが、ギンガは真っ赤になって否定した。



「本当に~?
 今日、お兄さんって遊園地に行ってるんでしょ?
 案外恋人とだったりして」

「“友達”です。
 それにうちの妹も一緒に行ってるんだからそんな訳でしょう」

「どうかな?
 もしかすると先に妹さんの方を丸め込む作戦なのかも。
 そんでアンタが帰ったらお姉ちゃんが二人! ……みたい、な……」



テンションの上がっていたルームメイトの言葉がみるみる尻すぼみになっていく。

心なしか顔色も悪くなっているようだった。

それも全て、眼前のギンガから放たれる圧倒的なプレッシャーが原因だ。



「ギ、ギンガ……?
 あのー……冗談、よ?」

「うん、そうよ。
 わかってるわ勿論」



笑顔である。

満面の笑みである。

だが、その立ち姿が模擬戦の時より威圧感を纏っているのはどういう訳か。



「あれー、どうして私の襟首を掴んだのかなー?」

「急がないと座学が始まっちゃうからね」



言いながら、ギンガは駆け足を始めた。

ペイルホースを使わなくても流石の健脚ぶりである。



「へー、そうなんだー。
 でもそれってこんなに全力で走らなきゃダメなの?」

「授業に遅れる訳にはいかないでしょ?」

「確かに遅刻は良くないわね。
 でも私は廊下を走るのも良くないと思うのよ淑女として。
 それにちょっとこれ私首が締まってるっぽいんだけど――――っていうか御免なさい! もう言わないから許してえぇぇぇぇぇ!!」

「謝る事なんてないわ。
 だってあなたは冗談を言っただけだもの」

「うんそう。
 そうだよね!
 だからちょっと止まろうか、その足を止めてみようかー!?」

「あら、予鈴だわ。
 急がないと」

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



その日、第四陸士訓練校にミッドチルダ最速の魔女が生まれたとかどうとか。

しかしこの情報の真偽は不明であり、またこの件について訓練校は一切のコメントを差し控えている。

信じ難い事に、廊下で“暴走行為”を行った人間の姿を複数の生徒が目撃しているという報告もあり、目下調査中である。

ただ、彼或いは彼女の去った後には身を切るが如き断末魔が響いたとも言い、ありがちな噂話に尾鰭が付いたものではないかという意見があるのも事実である。













(あとがき)



また2ヶ月……だと?

うぅ、面目ない。

前期終了前でレポート課題やらテストやらが山積みになっていたもんでねぇ……。

今回はこれで勘弁してやって下さい。


ところでギンガですが、原作と比べたらやたらとパワーキャラになっちった感がありますな。

例えるなら、


殴れば電童、走ればナイトメア、(ウイングロードで)天駆ける姿はLFO。


……アレ、大和撫子とは対極じゃね?


後編の方はここまで時間を掛けないつもりなので、ご声援の程よろしくお願いします。

それではまた次回、Neonでした!



[8635] 涼風 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2010/11/13 01:47
「―――――で、つまりこの時に優先されるのは現場指揮官の命令な訳だ。
 ただこれにも例外があって、それというのは――――」



壇上に立つ教官がポインタによる指示と共に解説を行っている。

テーマは臨時で合同本部が設置された場合の対応と指揮系統の順位について。

つまり何らかの緊急事態が発生した場合、下っ端はどう動くべきなのか、誰の命令に従うべきなのか、そのような話である。

訓練生達が将来において何処の部隊に所属し、何の役職に就くにしても重要な必須の知識と言えよう。

故に説明を受ける訓練生の目は一様に真剣だ。

例えばギンガのノートなどは教官の些細な話までも纏めた整然としたものになっている。

よく講義を聞いている証だろう。



「――――の際は一尉相当以上の権限を持った特殊上級職が指揮権を掌握する事も有り得る。
次は市街地において広域の捜索が必要とされる場合についての対処だが――――」



ところで、魔導師は一般的にマルチタスクをマスターしている。

これは二つ以上の思考を並列して行う技能の事であり、複雑な構成を要する魔法の起動で意識の全てを傾け過ぎないようにする為のものだ。

もちろんこれほど便利な技能なのだから魔法行使にのみ使われるという事はない。

日常生活でもまた然りだ。

例えば真剣に講義を受け、メモも取りながら、頭の中では別の思索に耽る、などという事も可能なのである。

ギンガはまさに今その真っ最中であった。



スバル、大丈夫かな……。



分割された思考で遠方の人物を想う。

最近落ち込みがちだという妹は今どうしているだろうか。

少しは元気になっただろうか。

あの子は昔から放っておけない所がある。

兄はともかくとして、兄の友達やその人が連れてくるという保護児童の子とも上手くやれているだろうか。

行き先は分かっている。



遊園地に、行ってるのよね。



いいな、と小さく呟く。

スバルを元気付ける為、ゲルトが友人に誘われたのを好機に思って連れ出すつもりなのだとか。

話を聞いた時から妹も楽しみにしているらしい。

兄の言う友人というのが誰かは聞いていないが、何となく以前聞いたユーノという司書の人であろうと思っていた。

故に、彼女の関心は遊園地という場所そのものに集中する。



遊園地……遊園地かぁ……。



それは遠い遠い昔の記憶。

まだゲルトが家族になるより前の事。



“兄さん”が、“お兄さん”だった頃。



その思い出は語り尽くせない。

ジェットコースター、ミラーハウス、遊覧船、迷路、他にも色々。

皆でお弁当も食べて園内を回った。

今でもはっきりと思い出せる。

本当に夢のような一日だった。



それに……。



あの日あの時、あの観覧車での記憶が鮮やかに蘇る。

覚えているのは赤い光。

覚えているのは揺れるゴンドラ。

背に回された腕。

見開かれた瞳。

覚えているのは、



兄さん、の……。



「~~~~ッ!!!」



そこに思い至った瞬間、ギンガの頭が沸騰した。

マルチタスクも放り出し、蒸気も上ろうという程真っ赤に染まった頬を覆う。

傍から見ればこれほど奇異な光景もないだろう。

今は講義の最中なのである。



「つまり作戦行動中の単独行動などもっての他で―――――どうしたナカジマ。
 調子でも悪いのか?」

「あ、い、いえ大丈夫です!」



しかも運悪くギンガの痴態は教官の目に留まってしまったようだ。

その声で周りの注意までこちらに向いてしまい、ギンガの顔がまた別の意味で赤くなる。

声も自然と上擦っていた。



「体調管理は基本中の基本だぞ。
 緩むな」

「はい!
 申し訳ありません!」



それで一応満足はしてくれたのか教官は再びディスプレイへと視線を向けた。

手の平にポンポンとポインタを叩きつけ、訓練生の質問などにも答えている。

皆の関心から外れたギンガは人知れず深い呼吸を行い、肩からも力を抜いた。



何やってるのよ、私はもう……。



幸福、羞恥ときて今度は慙愧の念がギンガの中で渦巻く。

今も穴があるなら入りたい。

もしかすると模擬戦以上の緊張感だったかもしれない。

ああ、だが、



ダメだ。

こんなんじゃ。



無理やりにでも気持ちを切り替える。

教官の言葉ではないが、何を緩んでいるのか。

自分はここに何をしに来たのか。

ここで知識を得、経験を積み、資格を掴んで局員になるのではなかったのか。

その為に1年もの期間家族と離れて訓練校へ行こうと、そう決めた筈だろう。

ならば。

今なすべき事は何か。

懐かしくも遠い過去の思い出に浸る事ではあるまい。



「――――」



ギンガは意識を表層へと上げた。

講義は今も続いており、手元のノートにはやはり細かい書き込みがされている。

教官の解説も一通り済んだようで、ポツポツと挙手をして質問をする訓練生も見受けられた。



「では教官、ストライカーの存在はどうなるのですか。
 あれは単独で動いているからこそでは?」



ストライカー。

単独であらゆる戦況を覆し得る無比の個体戦力。

一騎当千、万夫不当、絶対無敵を地で行くような最高峰の魔導師の称号である。

当然、今も昔も訓練生にとっては憧れの的だ。

全く夢にも考えた事がないという者はいまい。

それが実はチームで動いていると言われれば、やはり多少のショックもあるだろう。



「ふむ、そうだな…………」



教官はすぐには答えず、どう話すべきかと考えているようだ。

癖なのか、こめかみを指先でトントンと突ついていた。



「一応、そういう人間はいる。
 単独行動を許された正真正銘のエースってやつがな」

「ではやはり――――」

「だがそういうのは例外中の例外だ」



目を輝かせた訓練生を制するように言葉が被せられた。

教官の眼光には口を挟む事を許さない強制力が込められている。

目標があるのは結構だが、功名に目が眩むようになっても困る。

教官として釘も刺しておかなくてはならないのだ。



「丁度いい。
 ナカジマ、お前の所の兄貴の魔導師ランクは幾つだ?」

「はい。
 今はS⁻です。
 ただ、来月にはSランク試験を受けると聞いています」



ギンガがゲルトの義妹である事は周知の事実だ。

教会騎士団33人抜きの記憶も新しい今、訓練生達の間でゲルト・グランガイツ・ナカジマの名前は重い。

義理とはいえ兄弟であり、またその直弟子でもあるギンガに掛かるやっかみや期待の程は想像するに容易い。

無論それに負けぬ結果も残しているつもりだが、その視線は誇らしくもあり些か重くもあった。



「近接特化型の騎士はランクを定めにくいからな。
 まぁ、実質戦力としてはオーバーS級か。
 航空戦技教導隊の高町二等空尉もオーバーSランクだったな」

「はい」



航空戦技教導隊、高町なのは二等空尉。

陸士108部隊、ゲルト・G・ナカジマ陸曹長。

共に訓練生の目標となる今代の英雄であり、若くしてストライカーと呼ばれる魔導師である。

ギンガの頭によぎるのは兄が入院していた時に友達として紹介された、栗色の髪をした少女。

最後に会ったのはもう何年も前か。

その時は彼女が兄に匹敵する高ランクの魔導師だとは知らず、後に雑誌などで見かけて驚いたものだ。

まぁ、それはともかく教官の言いたい事は明白。



「それだけの実力があり、かつ相応の理由があって初めて許可も出る。
 そうでないなら単独行動なんぞ世迷言に過ぎん」

「理由、というと?」



先程質問した訓練生が疑問の声を上げる。

単独行動せざるを得ない理由。

何があるだろうか。



「そうだな……例えば、高町二等空尉といえば大魔力・長射程の砲撃系だ。
 どんだけ離れようが逃げられない上、物陰に隠れたら遮蔽物ごとズドン、なんていう噂もある。
 中・近距離戦が出来ないという事もないだろうしな、味方にうろうろされれば全力も出し難いだろうよ」

「物陰ごとって……」



冗談でも何でもないのが恐ろしい所だ。

実際、なのはの砲撃を以てすれば有視界距離での障害物など無いも同然。

捕捉されたが最後、建物に隠れようが障壁を張ろうが凡百の魔導師では抗う事もできない超威力の攻撃がその身を襲う。

それを考えれば射線を塞ぎかねない仲間の存在は邪魔になる場合も想定される。

必要になるのは索敵など本当に補助の面だけだろう。



「陸曹長の方はもっと分かりやすい」

「そう、でしょうか?」



彼の場合戦闘スタイルが近接特化型だ。

敵に接近するまでの援護射撃や何だと、それこそサポートが必要にも思えるのだが。



「簡単だ。
 所属してる部隊を考えてみろ」

「?」



陸士108部隊。

その名を知らぬという訳ではない。

ただそれとゲルトの単独行動とが繋がらないだけ。



――――いや、待て。

陸士部隊?



「そうか、飛行技能!」



地上で、まして建造物の乱立するこのミッドチルダで飛行技能を有する事の意味。

渋滞も障害物も関係なく、現場へと一直線に急行できるというメリットがどれほど価値のある事か。

飛行可能な魔導師が全て航空隊に入る訳ではないものの、そも絶対数が少ないのだから陸士部隊で不足するのは無理からぬ事である。

要するに、部隊の誰もゲルトに付いて行く事ができないのだ。

空を飛ぶ彼の後を追う事が。



「だから単独行動を……」

「そういう事だ」



鋼の騎士がストライカーである事。

英雄である事。

その“理由”がこれ。



「分かるな?
 単独行動なんつうのは望んでやるもんじゃない。
 完全な貧乏クジ、仕方無くやるもんだ」

「…………」



皮肉な話である。

なまじ実力があるだけにゲルトを引き止めておく事もできず、自然と部隊に先行して現場に向かう事が多くなる。

結果、単独で事態を収拾させるケースも増えてしまった、という訳だ

決してゲルトが単独行動を好む性質であるとかいう事実はない。



だけど、私なら。



ギンガが口中で呟く。

今期訓練生の内、飛行に準ずる移動手段を持った者は3人。

その内2人は航空隊を志望し、1人は陸士部隊を志望している。

無論ギンガの事だ。

彼女は確信していた。



私なら、追いつける。



時速300キロを超える規格外の加速力と、垂直登坂さえ可能とする理不尽なグリップ性能を誇るペイルホース。

そして彼を心行くまで走らせてやるためのウイングロード。

こと機動力に関して言うならあの兄にすら勝っているものと自負している。



だから……。



教官の言葉の通り、単独行動など余程の理由がなければまず認められないもの。

これまでゲルトの場合は早期の事件解決の為、やむなしとされてきた。

ではもし、彼に付いて行く事の出来る人間が部隊に入れば?

彼の呼吸を掴んだサポートの出来る人間が加入すれば?



必ず兄さんと組む。



当然の帰結だ。

かつてこれほどまでに自分の特性を有り難く思った事はない。

誰もが望む最良の形でゲルトを支える事が出来るのだから。

その時よ、早く来い。

その日を思い描きながら。

ギンガは今日も筆を走らせた。





**********





「お兄ちゃーん!」

「エリオー!」



ぐるぐると回るメリーゴーランド。

煌びやかな外装。

メルヘンな音楽を振り撒くアトラクションでスバルやフェイト、それにアルフが呼びかけている。

それに応えるのはメリーゴーランドすぐそばのベンチに座っているゲルトにエリオだ。

二人とも笑みを返しながら彼女らへと手を振っている。



「いや、フェイトがいてくれて良かった。
 流石にアレはきつい」

「確かに、僕もちょっと……」



笑顔とは裏腹に内心では安堵しているゲルトであった。

あはは、とエリオも苦笑いを浮かべている。



「悪いな、うちの奴のわがままで。
 次はお前でも乗れるものにしよう」

「そんな、僕は大丈夫ですよ」



スバルがどうしても、と言うから最初のアトラクションはメリーゴーランドに決まったのだ。

今のようなエリオの態度を見ていると本当にスバルより年下かと疑いたくもなる。

利発で、聡い少年だ。

が、しかし。



「変な遠慮はいいから素直に遊んどけ。
 せっかく遊園地に来てまで見物もないだろ」

「は、はい」



歯切れの悪い返事。

どうもこの少年は些か謙虚に過ぎる。

まだ僅かな時間しか共にはいないものの、彼が何かを要求する所など全く見かけていない。

人間不信というよりはマシなものだが、むしろ適当に我がままを言ってくれた方が楽な点もある。

それに、だ。



「聞きたい事があるなら聞いてくれればいい。
 元々、半分はその為に呼ばれたようなもんだ」

「そ、それは……」



突然に内心の所を突かれたエリオが狼狽している。

とはいえゲルトからしてみればそれは驚くべき事でもなかった。

入園口で触りだけとはいえ素性を教えてからこちら、彼が何度も言葉を呑み込んでいるのにも気が付いていた。

恐らくこちらへの配慮とかスバル達への気遣いなどがあったのだろうが、今は都合よく二人きりである。

話すのなら今しか無かった。



「…………」



それでも悩むように少し沈黙を保ったエリオであったが、やがて口を開く事になった。

じゃあ、と前置きして疑問を口にする。



「ゲルトさんも管理局で働いてるんですよね?」

「ああ、ミッドの陸士108部隊に所属してる。
 役職は一応フェイトと同じ捜査官って事になるな。
 あっちと比べりゃ随分下っ端だが」

「そう、なんですか?
 ゲルトさんはヒーローだってフェイトさんも言ってましたけど」



確かに一般知名度という意味でゲルトがフェイトより勝っているのは事実だ。

腕前に関してもそう遜色は無い――いや、一対一なら誰にも負けるつもりはないが―――無い筈だ。

だが、彼らでは決定的に違うものがある。



「所詮俺は陸曹長だからな。
 キャリアの執務官とは比べものにならないって、流石に」

「フェイトさんってそんなに凄いんだ……」



エリオは感心したようにメリーゴーランドのフェイトを見ていた。

名前での執務官という言葉は知っていても、その中身まではよく知らないのだろう。



「そりゃそうだ。
 執務官試験の合格率は良く見ても例年15%程度。
 筆記に実技に精神鑑定、素行調査にって徹底的にふるいを掛けられて、それでも残ったエリートだぞ?
 あんだけの権限があればこっちの捜査もやり易いんだけどな……」



状況によっては現場の指揮権を一手に握る事さえ可能な破格の特別職。

それが執務官だ。

もしも執務官としてのフェイトから何らかの協力を求められれば、所詮は一介の局員に過ぎないゲルトに否応も無い。

それほど二人の権限には大きな隔たりがある。



「お仕事、大変なんですか?」

「まぁ、な」



背をベンチに預けて溜息を漏らす。

視線は自然と宙に向いた。



「どう考えても真っ黒で今踏み込めればキレイに片付く、ってのに中々許可が出ないなんてのはザラだ。
 相手にしたって踏み込んだら踏み込んだで大人しくしとけばいいものを抵抗してくる時もある。
 その上余所から援護の要請が入って緊急出動、とかもな。
 ……なかなか、世間の平和を守るのも楽じゃあないさ」



法を行使する立場にいる以上、それ相応の手続きというものを無視する訳にはいかない。

あえて武装隊や何やらの招聘を蹴ってまで陸士部隊に来たのだ。

それなりの苦労はしているらしい。



「ところでエリオ、お前は局員になりたいのか?」

「え?」



空を見上げていたゲルトが不意に首を巡らせて尋ねた。

エリオは微か驚いたような表情でこちらを見ている。



「いや、局の事を聞いてくるからふとそう思っただけだよ。
 違ったんなら気にしないでくれ」

「あ、いえ合ってます!」

「やっぱりそうなのか?」

「はい」



わたわたと慌てたようなエリオを不審に思いつつ相槌を打つ。

彼がおかしい理由はすぐに分かる事になった。



「でも、すみません。
 これからどうしたらいいのかよく分からなくて……。
 まだ色々考えてる途中なんです」



ゲルトという現役の局員を前に入局を躊躇した事を気にしているのだろう。

エリオは恥じるように視線下げた。

とはいえ一方のゲルトは特に気分を害した様子もない。



「それがいい。
 お前の人生なんだから好きにすればいいんだ。
 魔導師は全員入局する事、なんて法律もないしな」

「それは、そうですけど」



素直に頷きつつもエリオの表情は優れない。

何かまた思い悩んでいるのだろう。

よくよく心配性な少年だ。



「俺の知り合いで同じく研究所生まれの奴がいるが、そいつなんかは普通に学校に行って、普通に友達作って普通に暮らしてる。
 意外と世の中どうにかなるもんだ。
 深く考えずにやりたい事だけ考えてた方がいいぞ?」

「やりたい事、ですか」



切っ掛けこそ半ば強制的であったが、結局の所ゲルトはこの道を自分で選んだ。

やりたい事があって、目指す目標があった。

安穏たる普通の人生を捨ててでもこの道を進むのだ、とそう決めた。

だが無論、スバルのように平和な暮らしを否定するつもりは毛頭ない。

それをこそ守るために自分は局員になったのだから。



「局員になれば自分だけじゃない、他人の生命財産まで責任を持たなきゃならなくなる。
 その為の管理局だからな。
 何があっても見捨てる事なんて許されない。
 例えその為に自分の命が危険に晒されようと、絶対にだ」



ゲルトの雰囲気が強張る。

管理局が治安維持組織である以上、それは当然の責務である。

一般市民を守ってこそ。

我が身を削ってこそ。

だからこそ管理局は正義を標榜する事が出来る。



「俺は職務中に亡くなった人を何人も知ってるし、実際に見た事もある。
 皆良い人で、俺の何倍も強い人達だった。
 それでも死ぬんだ。
 いいか? 死ぬ時は、死ぬんだ」



いつになくゲルトの言葉数は多い。

ギンガが訓練校へ行くと話してくれた時にもこの話をしたものだ。

非殺傷設定が何だ。

相手がヤケにならないとも限らない。

そうでなくても現場には常に事故の危険が付き纏うのだ。

話しだけ聞いたとて、結局自分で体験しなければ分かるまい。

それでも、彼には弁えて貰わねばならないのだ。



「お前の人生はこれからだ。
 諦めさえしなけりゃ選択肢だって幾らでもある。
 だから今、他に何も思いつかないから局員になろうなんてのは絶対に止めとけ」



8歳で入局したゲルトから見ても5歳になろうかというエリオはまだ幼過ぎる。

まだ決心を着けるには早い。

少なくてもあと3年は掛けて欲しい。

可能性を投げ打つような真似はして欲しくなかった。

エリオは真剣の話だと理解したのだろう。

緩みを見せずに向き合ってくれている。

彼の素直な姿勢にゲルトは満足の吐息を漏らした。



「悪かったな。
 保護者でもないのに説教臭い事言っちまって」

「いえ、僕の事を考えてくれてるって分かりますから。
 ありがとうございます、真剣に話してくれて」



肩から力を抜いたゲルトが口調も穏やかなものに切り替える。

その場の雰囲気も変わったようであった。



「ただ、俺はお前の入局に反対したい訳じゃない。
 さっき言った事も含め納得して、それでも管理局に来たいって言うんなら、その時は勿論歓迎する。
 ま、焦らずにフェイトとでも相談しながらゆっくり決めろ」

「はい」



互いに笑みを交わす。

ゲルトは親近感を覚えやすい快活な笑みで。

エリオは保護欲を喚起される無垢な笑みで。

ようやくエリオの顔から一切の険が取れた瞬間だった。



「お、あっちも終わったみたいだな」

「そうみたいですね」



何時の間にかメリーゴーランドから響いていた豪奢な音楽は止んでいる。

係り員が留め具を外して回っているのも見えた。

フェイトと手を繋いだスバルが幸福そのものといった様子で歩いてくる。



「さって、先の事考えるのは一旦止めだ止め。
 せっかく来たんだ、今日はめいっぱい遊ぶぞ。
 エリオは何か乗りたいやつがあるか?」

「えっと、そうですね……」



勢いよくベンチから立ち上がったゲルトが振り返る。

エリオはきょろきょろと顔を巡らせて周囲を見渡した。



「あ……」



間もなくある一点で止まる。



「あれ、乗ってみたいです」



エリオが指差したその先には綺麗に舗装されたコースと、そしてエンジン音を響かせるゴーカートがあった。

本物には遠く及ばないとはいえ、確かに男の子の目は引くような代物だ。

彼がはっきりと主張をしてくれた事も純粋に嬉しく思う。



「よし、ゴーカートだな。
 大人用もあるっぽいし、競争でもするか?」



コースを走るカートには子供用の小さい物と、大人用との2種類があるようだった。

フラッグもある。

となればやる事は一つだろう。



「お、お手柔らかにお願いします」

「ははっ、そりゃ保障できないな」



苦笑気味ながらエリオもやる気らしかった。

が、そのお定まりの台詞はいただけない。

別に教導という訳でもないのだ。

勝負は勝負。



「俺は割と負けず嫌いだし、手を抜くのも好きじゃないんだ。
 お前も本気で来い。
 俺にとっては、それが礼儀だ」



そう言うゲルトの表情はどこか武人としてのそれに通ずるものが窺えた。

快、不快というものではなく、ただ勝負を前にする不敵なそれへ。

普段大人しいエリオとて男の子。

触発されたのか攻性の活気が湧いてきたようである。



「分かりました。
 僕も全力でいかせてもらいます」

「いい返事だ。
 行くぞ、エリオ」

「はい!」



声を上げるや二人は駆け出した。

ようやく合流しかけていたフェイト達も目を丸くしている。



「お兄ちゃんどこいくのー?」

「男の勝負だ!
 応援しといてくれ!」



そこは流石というべきだろうか。

一人動じないスバルが走り去るゲルト達へと声を掛ける。



「うん!
 頑張ってー!!」

「おう!!」

「エリオも絶対に勝ちな!
 負けるんじゃないよー!!」

「うん、頑張るよ!」



足を止めず首だけ振り返ればこちらへと手をブンブンと振った妹が見える。

その後ろでフェイトはオロオロと立ち尽くし、手でメガホンを作ったアルフはエリオへと叫んでいた。

サーキットは彼らを祝福している。





**********





結果はあえて言わずにおこう。

激しいデッドヒートだった。

幾つもの駆け引きがあった。

スバルやフェイトも応援に声を張った。

ただ、何か言うとしたらそれは、



「最高の、レースだった……」



と、まぁそれはさておき遊園地である。

あれから5人は昼食も済ませ、幾つものアトラクションを共に楽しんだ。

特に年少組が僅かに発していた警戒の空気は今やほぼ完全に霧消している。

スバルはごく自然にフェイトに懐いているし、エリオも物怖じせずにゲルトに接していた。

それは遊園地という場所がそうさせる事もあるだろうが、それよりも。



フェイトの子供の扱いが上手い。



ゲルトには多少驚きでもあった。

予想以上に気が利くし、そつがない。



「お前、何気に保母さんとか似合ってたんじゃないか?」

「え?
 そうかな?」



横目に視線を流せばフェイトの顔がそこにあった。

いまさら気付いたがゲルトほどではないにして彼女も中々に背が高い。

ゼスト譲りの体格を誇る彼とも釣り合いが取れる女性などそうはいないだろう。



「スバルは……あー、人見知りがあったからな。
 ちょっと驚いた」

「そんな事言ったら私だって驚いたよ。
 エリオがあんなに笑ってるんだから」



二人の目は前で戯れるスバルとエリオの方へと流れた

ご機嫌なスバルがエリオの手を引いたまま次のアトラクションへと駆け出し、便乗したアルフも同じようにもう片方の手を引いている。



「次あれ! あのコーヒーカップ乗ろう!
 それでグルグル回すの!」

「あはは、そりゃいいねぇ。
 ほら、エリオももうちょっとスピード上げな」

「そ、そんなに急がなくても……!」



半ば二人に引きずられるようにしているエリオの姿は、どこか元気のいいペットに振り回される飼い主を連想させた。

とはいえ無理矢理という感じはしない。

エリオの顔に浮かんでいるのは紛れもない笑顔である。

何にせよ微笑ましい光景であった。



「まるで最初から兄弟だったみたい」

「……だな。
 色々取り越し苦労で良かったよ」



慣れないせいでズレた眼鏡を戻す。

レンズの向こうの目は安堵でか細められていた。



「私達もそう見えたりして」

「俺達が?
 同い年なのに兄弟?」



ないない、と手を振って見せる。

誰が見てもそれはない。

それに、だ。



「妹は二人もいれば沢山だ」



ゲルトは嘆息と共に肩を竦めた。

こっちがあれやこれやと気を回していても当のスバルはすこぶる元気な様子で跳ね回っている。

一喜一憂に踊らされてるのは自分だけか、と望み通りながら納得いかない部分もある。

要するに自分が何かしてやりたかったが、勝手に機嫌が良くなって拍子抜け、という事。

そんなゲルトの内心を知ってか知らずか、いなされたフェイトはこちらを覗き込むように首を傾げている。



「あれ、私が妹なの?」

「俺の方が背も高いしな。
 一家の長男としてこれは譲れん。
 ――――ってどうした? 何がおかしいんだよ」

「ふふっ、ううん何でもないよ」



むん、と腕を組んで兄のプライドを語るゲルト。

言葉とは裏腹にその仕草は自分を誇示するようで、どこか子供っぽい雰囲気を纏っていた。

意外な童心を見せられたフェイトは口元を隠してクスクスと声を漏らしている。



「じゃあ、お兄ちゃんって呼ぼうか?
 私妹だし」

「お前……それお兄さんが聞いたら泣くぞオイ」



確か彼女にも義兄がいた筈。

それも元執務官で今や艦船持ちの提督という超エリートの。

兄弟仲もすこぶる良好と聞いている。



「そんな事ないと思うけど。
 ゲルトだったら泣く?」

「泣くか。
 ……ただ、そうだな相手の住所くらいは調べとくか。
 兄として何かと“あいさつ”する必要もあるしな。
 ナイトホーク、出向くなら何時がいいと思う?」

『月の無い夜などよろしいかと』

「ああ、夜か。
 悪くない。
 悪くないな……」

「こ、怖いよゲルト……」



右手のナイトホークも手を貸して大胆な犯行声明に及ぶゲルト。

顔を引きつらせたフェイトが一歩引く程の瘴気を振りまいている。

と、それを吹き飛ばすような快活な声が響いた。



「何やってんのさ、フェイト! ゲルト!
 あんた達も早く来なよ!」

「お兄ちゃん早くー!」

「お呼びだね。
 急ごうか、お兄ちゃん?」

「……あー、へいへい」



多分フェイトに悪意は無いのだろうが、今は相当に意地悪く見える。

ゲルトもすっかり毒気を抜かれたようであった。

深く溜息を吐き歩調を上げる。

随分先へ行ってしまったスバル達を追いかけて歩き出した。



「ね、ゲルト?」

「何だ」

「今、楽しい?」



問われているのはゲルト自身の事。

スバル達の事は抜きにゲルトは楽しんでいるかとそう聞かれている。

ゲルトは一瞬驚いたように目を瞬かせ、そしてふと口元を和らげた。



「ああ」

「そう、良かった」



最近下ろすようになったという髪を揺らして彼女が微笑む。

日はまだ高い。

彼らの一日はまだまだ始まったばかりだ。





**********





「……と思ってみても現実はあっという間だな」

「んー、もう終わっちゃうんだよね」



何とは無いゲルトの呟きに、向いのスバルが答える。

二人は今同じゴンドラの中で同じ揺れを感じていた。

そう、かつてギンガと一緒に乗った“あの”観覧車だ。

ガラスの向こうには赤く染まった街並みが見える。

空高くから皆を照らしていた太陽も、今や地平線の彼方に消えようとしていた。



「もっとエリオ達と遊びたかったんだけどなぁ……」

「随分仲良くなったんだな?」

「うん」



所在なく足をプラプラさせている彼女の元気も昼ほどではない。

名残り惜しさのせいか、やはりどこか寂しさも同居させたような様子だ。



「いい子だよ、エリオもアルフも。
 フェイトさんもすっごく優しいし」

「ああ」



答えるゲルトも些か気だるげな空気がある。

言葉数も少なめだ。

かといって、別に退屈だという訳でもなく。

そう、悪くない気分だ。



「…………」

「…………」



空白の時間。

窓枠に肘掛け、外を眺めていれば視界がどんどん上がっていく。



「お兄ちゃん」

「んー?」



ポツリ、と呟き。

視線を戻すとスバルが顔を上げてこちらを見つめていた。



「ありがとう。
 連れて来てくれて」

「おう。
 楽しかったろ?」

「うん、楽しかった!」



にぱっと笑みが咲く。

スバル本来の元気のいい笑み。

正面に立つゲルトもつられるように笑みを漏らした。



「そういえば……」



とスバルが何かを思い出したようにゴンドラを見渡した。



「前の時は、お兄ちゃんとお姉ちゃんだけ別のに乗ったんだっけ」

「あ゛……ああ。
 そう、だっけか……」



スバルは懐かしそうに言うが、ゲルトの顔は一転どうしようもなく引き攣っていた。

観覧車にまつわる余計な事を思い出したせいである。

視線は泳ぎ、口端がひくつく。

一方、スバルの瞳は遠くを見つめる物になった。



「お姉ちゃん、頑張ってるかな」



外を眺める彼女の横顔は外からの光を受けて赤く輝いている。

ゲルトの目もスバルの視線を追って再び外へ。

頂点近くに達した観覧車からの景色は、やはり何度見ても変わらず美しい。

訳も無く涙が零れそうな儚さ。

らしくもない感傷にまどろみながら、ゲルトは正面に座るスバルへと右手を伸ばした。



「?」



ゲルトも空気に呑まれていたのかもしれない。

無言のままその頬に触れ、優しく髪を梳く。



「ギンガが帰ってきたら、また来ような」



スバルはくすぐったそうにしながらゲルトのされるがままになっている。

手の中の柔らかい感触に、ゲルトは今一度己の守るべきものが何なのかを深く刻んだ。

自分の一番最初の誓い。

この世の何からも妹達を守り通す事。

喉から出た声も自分のものとは信じられない程の温さを孕んでいた。



「ほんとに?」

「もちろん。
 それまで我慢できるな?」

「うん、我慢する」



そうか、と頷いたゲルトはスバルから手を離して彼女の前に差し出した。

手を離す瞬間、惜しむような素振りが見えた事を嬉しく思いつつ手を握り込む。

手を握りつつ、しかし小指を立てたそれは約束の形。



「よし、じゃあ指切りだ」



スバルの小さな指と絡ませてしっかり振る。

昔のように。



「「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます!」」



狭いゴンドラの中、顔を突き合わせて笑みを交わす。

兄と妹の姿が、そこにはあった。





**********





フェイト達と別れて家に帰っても二人のこの機嫌は続き、これ以降スバルが目に見えて落ち込むような事も減るようになった。

ゲンヤやクイント、それに報せを受けたギンガも安心したようである。

フェイト達と撮った遊園地での集合写真も付けて送ったので、スバルが元気になったのはよく伝わった筈だ。

何故かギンガからの返事が遅かったのが気になったが、彼女とて訓練で疲れる日もあるだろう。

それからは穏やかな日が続いた。

ゲルトは無事昇格試験に合格して近接Sランクを取得。

その他は特に大きな騒ぎもなく、目立った困難もなく。





それでも時代は動き出す。



『緊急事態発生! 緊急事態発生!
 北部臨海第八空港にて大規模火災の発生を確認!
 未だ民間人多数が閉じ込められている模様!
 周辺の部隊は即時出動せよ!
 繰り返す……!』










(あとがき)


ようやく、ようやくここまで辿り着いた……!

投稿1年半、30話にしてようやくSTS第一話!

むしろこれからという感じの方が強いですが、この一区切りを迎えられて感無量でありますよ。

もちろん完結までは何としても漕ぎつける所存ですので、何卒ご声援の程お願い致します!


それではまた次回!

Neonでした。



[8635] 疾駆 前編
Name: Neon◆e5438144 ID:013289b5
Date: 2010/11/13 01:43
ギンガが108部隊へ見学に訪れる。



前々から聞いていた話が現実感を帯び出したのはつい先日の事だ。

例年受け入れている訓練校からの実地研修にはまだ少し早い。

一時帰郷を利用して個人的に訪ねる、という話である。

身も蓋もない言い方をすれば身内のコネなのだが、この位は咎められる程の事でもない。



「それじゃあ、迎えに行ったついでに私達もお邪魔しちゃいましょうか」



なんて事を母が言い出さなければ。

そしてギンガもクイントも来るとなれば当然スバルも。

結局、一家総出の職場訪問という事になってしまった。

ギンガが空港に帰って来るのを迎え、その足で隊舎に向かうらしい。

予定ではほぼ日暮れ時になろうかといういうのに、だ。



「こりゃ、見学は建前だな」

「まぁ、夕飯にでも連れ出されるのがオチでしょう」



父とそうして苦笑を交わしたのもよく覚えている。

本当に、それだけの筈だったのだ。





**********





『緊急事態発生! 緊急事態発生!
 北部臨海第八空港にて大規模火災の発生を確認!
 未だ民間人多数が閉じ込められている模様!
 周辺の部隊は即時出動せよ!
 繰り返す……!』



ゲルトはその報を108の隊舎で聞いた。

そろそろギンガ達もこちらに向かっているかという頃。

早退が出来る程度には仕事を片づけ、一息入れながら待とうかと思っていた矢先である。



「な……ぁ……」



何よりもまず頭を打ち抜かれたような衝撃が走った。

向いでテーブルに着いていたゲンヤもスピーカーへと顔を向け、呆然とした表情を晒している。

事情を知っていた部隊員達もだ。

もちろん警報の意味は分かった。

第八空港が、今まさにギンガ達がいるだろう場所である事も。

だが、体が動かない。

動かせない。

空白の時間の中、飲みかけだったカップが滑るように落下していく。



「――――!」



カップが砕け散る甲高い音。

それが忘我の境にあったゲルトの意識を引き戻してくれた。

そして今の無駄な時間がどれほど大事なものかを悟る。



馬鹿か!? 俺は!!



硬直を吹き飛ばし、体を焼く程の怒りが体を駆け巡った。

硬く結ばれた唇から赤い血の筋が伸びる。

幾つも大切なものを失って、何も学んでいない。

今までそうして立ち止まっていて守れたものが一つでもあったか?

失うのが嫌ならば、恐いなら。



「先に、出ます」

「ゲルト!?」



一言だけを残して即座に身を翻す。

まだ仲間達は混乱しているようだが、構っている余裕はない。

焦燥も怒りも全てを燃料に、全力の疾走。

急かす心に抗う気など毛頭なかった。

そして、ゲルトには追い風も吹く。



「緊急事態につきナカジマ陸曹長の市街地飛行を許可する!
 行け! ゲルト!!」

「っ、了解!!」



背中を押すようなゲンヤの声にゲルトは心底感謝した。

その信頼に応えるが為、ゲルトはそれこそ振り返りもせずに走る。



「全員聞いたな!
 指揮車回せ! 空港に急ぐぞ!!」

「はいっ!」



残された108隊員達も立ち止まってはいない。

矢継ぎ早な指示の元、すぐさま行動に移っていた。

皆が慌ただしく動く中、一人の青年の姿を見つけたゲンヤが声を張る。



「ラッド!」

「はっ!」

「お前は魔導師二人付けて待機だ。
 留守は任せる」

「了解です。
 そちらもお気を付けて」



緊急事態とはいえ、ここを空にする訳にもいかない。

最低限の戦力と、それに現場指揮が可能な人間も必要だ。

今の108においてゲンヤが抜けるとなれば、その代役は副官であるラッドに回る。

ゲルトの名声のせいで影に隠れがちな彼であるが、ゲンヤはゲルトとはまた違う意味でこの青年を信頼していた。

心配そうなラッドに応じつつ、ゲンヤは隊舎の扉を開く。

そこには108の要たる隊員達が既に整列していた。

誰一人として気の抜けた素振りも見せない完璧な佇まいである。



「準備整いました!
 いつでも出られます!」

「よし、全員搭乗。
 ゲルトも先行してる。
 ……急ぐぞ」



ゲンヤはこの緊急事態にあっていつもと同じ冷静な素振りであった。

彼は部隊長なのだ。

内心がどうあろうと指揮官が部下の前で動揺してはならない。

その事をよく弁えていた。



「――――」



だからこそ握り締め、振るえる拳を見てもなお不安に思う人間などは一人もいなかった。





**********





日が沈む。

遥か彼方の地平線に、太陽はもうその姿を消そうとしていた。

夜の世界の訪れである。

地上の灯が星の如く輝き、誰の目も奪う地上の銀河を形成していた。

しかし地上数百メートルを行くゲルトの心を占めるのはそんな穏やかな光ではない。



炎。



夜闇をものともせぬその灯火は、天を覆わんとばかりに禍々しい黒煙を立ち昇らせていた。

それはゲルトにある不安な予感を喚起させるものである。

4年前の悪夢。

火に包まれ目の前で崩れ去る空港を、空の墓標の前に立ちすくむ自分を幻視する。

目の前に立つ、その墓碑の銘は――――



「……クソ!」



舌打ちと共に妄想を振り払う。

体が熱い。

嫌な汗がじめりと頬を撫でた。



「まだ連絡はつかないのか」



思わず喉をついて苛立ち交じりの声が漏れる。

聞こえによってはナイトホークに当たるような声音だ。



『はい。
 指揮系統も確立していないのか現場も混乱しているようです』

「こんな時に何を悠長な……!」



108を飛び立ってこちら何度となく応援の連絡をしてみたが一向にまともな返事がない。

未だ臨時のコールサインを確認しただけの事。

そもそも場を仕切れるだけの人間がいないか、それとも全体の掌握に手間取っているのか。

どちらにしても遅すぎる。

今はただの一刻も無駄にしたくは無い。

ゲルトはナイトホークへ視線を落とした。



フルドライブ……使うか?



魔力を全解放すれば飛躍的なスピードアップが見込める。

到着予定も短縮出来よう。

出来るなら今すぐにもそうしたい。

が。

かといって、デメリットも決して小さくはない。



……駄目だ。



ゲルトは意志の力でその誘惑をねじ伏せた。

縋りつきたい程に魅力的ではあったが、それは選べない。

今回は4年前とは違う。

救助活動にどれほどの時間がかかるか分からない以上、無闇に力を消耗するべきではない。

途中で魔力切れでも起こせば自分一人の命では済まないのだ。

無論、それはゲルトの本意ではありえない。

だがそうといって状況がよくなる訳でもなく。



「ペイルホースの信号は」

『申し訳ありません。
 この状況では二、三百メートルまで近付かなくては不可能かと』

「……分かった。
 そのまま現場を呼び続けろ」

『イエス』



かつてのゲルトにはギンガとスバルだけが世界の全てだった。

彼女らを守る事だけ考えていればよかった。

母にしてもそうだ。

ギンガ達や自分を引き取ってくれたというだけではない。

クイント自身共に死線を越えたゼスト隊の仲間であり、ゲルトにとってもかけがえの無い家族だ。

ただでさえ彼女は肺を片方失っている。

激しい運動は出来ないし、煙に巻かれて良い筈もない。

もう失いたくなかった。



何を、犠牲にしても。



そう思いながら、ゲルトは心のどこかで気づいていた。

もし彼女らを見つける前に他の要救助者に出くわした場合、最終的に自分がどうするのか。

公正たるべき管理局員としてどうすべきなのか。

本当に目の前で助けを求める人を放っていけるのか。

それでも、いやだからこそゲルトは祈らずにはいられなかった。



「頼む……頼むから無事でいてくれ……」



管理局に入った事を間違いだとは思わない。

自分に大切な家族があるように、他人にもそれがある。

それが害されるのは、ましてや失われるのは、許せない事だ。

だが、それがギンガ達を見捨てる結果になるのなら。

一番大事なものを守れないのなら。



俺は……俺は何の為に?



悩む筈もなかった理念が頭の中を巡る。

この手の力は何の為に?

誰の為に振るえばいい?

疑念はノイズとなって思考を乱す。



『抑えてください。
 防風式に乱調、速力に5%の影響が出ています』

「――――ッ!」



ナイトホークの言葉でようやく我に帰った。

なるほど、確かに術式に乱れがある。

何より顔を叩く風の存在でそれは明白だった。

こんな事にも気付かないでいたとは。



情けない。



冷水を流し込まれたように落ち着きを取り戻していく心。

自制とは武人として基本中の基本である。

ギンガにもそう教えてきた。

それはこのような時にこそ発揮すべきものだろうに。

一体、回らない頭で何が出来ると思っていたのだろう。



何の為の力、か。



先程の自問を思い出した。

答えなど、とうに出ている。



「ナイトホーク」

『はい』

「全員助けるぞ。
 目につく人は、全部だ」

『イエス、マスター』



やれるだけやる。

助けるだけ助ける。

その限界を伸ばすのが力だ。

取る捨てるなどは考える必要もない。

出来る。

出来る筈だ。



何故なら俺は――――



その思考を遮るように通信を告げるアラームが鳴り響く。

遅すぎたといってもいい通信本部からの連絡だ。



『こちら通信本部。
 遅くなって申し訳ありません。
 航空魔導師108-01聞こえますか?』

「こちら108-01、グランガイツ・ナカジマ陸曹長。
 状況の説明を頼む」



通信士はこちらよりもなお若いようである。

皮肉の一つでも言ってやりたい所だったが、それすらも惜しい。

無駄口も叩かずに先を促した。



『はい。
 現在原因不明の爆発による火災発生から10分が経過し、空港内には未だ40人近い民間人が閉じ込められている模様です』

「爆発?」

『輸送品の中に爆発物が仕込まれていたと思われますが、確認は出来ていません。
 また、空港の火勢は強く建物へのダメージも深刻なので、一般の消防では手が出せない状況です。
 陸曹長には負担を強いる事になりますが……』



単騎突入せよ、だろう。

口を濁しているが救助も殆ど進んでいないという事だ。

後続もまず期待できまい。

かなり危険である事は言うまでもないが、



「問題ない、慣れてる。
 使える侵入口は?」

『8番ゲートを使って下さい。
 マップ、転送します』



言葉と共に受信状況を知らせるインジケーターが出現した。

緑のバーが空白を埋めるまでは二秒ほど。

と、同時に様々な角度から見た空港の内部資料が展開された。

その中の一箇所で赤く点滅している部分があり、つまりはここが8番ゲートという事か。



『空港周辺構造図の受領確認。
 ゲート到着まで7分を――――』

「6分だ」


ナイトホークの報告に被せるようにゲルトは言い切った。



「6分で到着する。
 以降内部での救助活動に参加、そちらの指揮下に入る」

『りょ、了解。
 流石は陸上警備隊の“鋼の騎士”ですね。
 頼もしいです』

「航空隊の出動も急かしておいてくれ。
 ――――交信終了」



一瞬の雑音を最後に通信を切る。

聞こえてくるのは轟々と響く風の音だけ。

呼吸を整えるように深い息を吐いたゲルトは視線を再びナイトホークへ向ける。



「カートリッジ、ロード」

『イエス。
 ロードカートリッジ』



重い金属の擦過音と共に薬莢が弾け飛んだ。

高速の世界の中、硝煙たなびくそれは視界の隅で後ろへと吹き飛んで行く。

結果として残るのはカートリッジから供給された魔力の滾りだ。

己のリミッターは外していない。

フルドライブ程の出力はなく、効果時間もそれなり程度だが、無いよりはマシである。

風を掴む。

より強く。

より精妙に。



「今、行くぞ」



その瞳は金色。

ゲルトは一筋の光となった。





**********





この未曽有の大事故と戦っているのは、何もゲルトだけではない。

燃え盛る空港の眼前。

ここにも大いなる災禍へ挑む少女達がいた。



「はやてちゃん、応援の連絡がありましたです!
 陸士203、405部隊到着まであと5分。
 陸戦魔導師12名、医療班9名、一般局員23名だそうです」

「やっと魔導師が来たんか。
 首都航空隊はまだなん?」



現場指揮を任された若き本局特別捜査官、八神はやて一等陸尉。

彼女の補佐官であり、守護騎士として侍るリインフォースツヴァイ空曹長。

彼女らに課された責務はあまりにも重く、そしてあまりにも過酷だった。



「まだ出動の許可も出てないみたいです。
 情報が混乱してるみたいで……」

「早くせんと手遅れやっちゅうのに!
 今ある人間でなんとかするしかないんか……!」



人手が足りない。

それも深刻にだ。

目の前で火に包まれる空港を見る。

この一瞬にも誰かが命を失うかもしれないと思えば、すぐにもあそこへ飛んでいきたかった。

今この時ただ一人の魔導師でいられればどれほど楽か

それは抗い難い誘惑だった。

しかし。



それでも、私はここの指揮官や。



ここを空けてしまえば、それこそこの場の統制は崩壊する。

それは、助けられるかもしれない人間を殺す事に他ならない。

やるしかないのだ。

自分が為すべき事を。



「203と405の魔導師には東側に回ってもらうわ。
 防壁上手い人5人選んで燃料タンクの防御。
 あとは使えるゲートに振って救助活動や」

「はいです!」



考えろ。

考えろ。

今できる最善。

今できる限界。

見誤る訳にはいかない。

そうして思考を巡らす内にも状況はどんどんと変化していく。

けれども決して悪い事ばかりではない。



「通信本部から連絡!
 なのはさんとフェイトさんが空港内部に進入したそうです!」

「なのはちゃん達が……。
 来てくれたんやね」

「はいです。
 あ、あとそれから――――」



リインフォースが言い切るよりも早く、何かが上を駆け抜けた。

高速の飛翔体だ。

それはこちらを一顧だにせず空港へと真っ直ぐに飛んで行く。

残されたのは目を覆うような強い風と、そしてテールライトのように線を引く赤橙の光。



「あれは……ゲルト君か!?」



どこの魔導師かと思ったが、はやての脳裏に閃いたのは彼。

特にシグナムと仲のいい、黒槍を携えた地上の騎士だった。

咄嗟に口を衝いて出た言葉ではあったが、あながち間違いでもないと気付く。

あの魔力光には確かに見覚えがあった。



「はい。
 ゲルトさんです。
 108の本隊はまだ10分くらいかかるそうなんですけど」

「ゲルト君の本隊、って事はナカジマ三佐もおるな。
 そしたら私も前線に出れる。
 ……よし、頑張ろうリイン」

「はいです!」



そう108が来るなら、正確にはゲンヤが来るならだが、はやて達も指揮権を委譲して空港へ行ける。

得意な広域魔法の効果を如何なく発揮できるだろう。

とはいえひとまずはここの指揮が優先だ。

今もディスプレイの向こうでは多数の局員達がこちらの指示を待っている。



頼んだで、皆……!





**********





そして戦う者は空港の中にも。



「お姉ちゃぁん……。
 お母さぁん……」



無人のホールに不安気な声が響く。

子供の、泣きべその声だ。

火に包まれたホールに場違いな程の弱々しい声音。

それもその筈。

巨大な柱の向こうから姿を見せたのはまだ11才の少女である。



「二人共どこぉ……?」



言わずもがな、ギンガを迎えに来ていたスバルであった。

しかしその傍にギンガの姿はなく、また付き添いで来ていたクイントの姿もない。

この熱波と煙が支配する地獄に彼女一人。

たった一人きりだった。



「嫌だよ……。
 熱いよ……。
 もう歩けないよぉ……」



お気に入りの服は汚れ、どこかで擦りむいたのか膝には血も滲んでいた。

どうしてこんな事になったのか。

今日は離れ離れになっていた姉とようやく会えた日だったのに。



「どうして――――」



潤んだまなじりから零れたのは涙。

頬を伝う滴は揺らぐ火を映して宝石のような輝きを放っている。

だが、この地獄はそんな子供にも一切容赦がなかった。

すぐ左手から横殴りの爆風が彼女を襲う。



「うわぁぁぁ!?」



抗う術などない。

人形のように軽々と跳ね飛ばされ、地に倒された。

力無くうずくまり、痛みに喘ぐ。

そうすればもう動けない。



「……ぅぅぅ」



身を縮めてしゃくり上げる。

丸めた背は哀れな程に震え、溢れた涙はパタパタと痕を残す。

体中が痛くて痛くてしょうがなかった。

怖くて怖くてどうしようもなかった。



「こんなの、やだよぉ……。
 帰りたいよぉ……お父さん」



帰りたい。

帰りたい。

涙は止めどなく零れ落ちる。

例えば姉ならこんな事で泣かないのだろうか。

例えば母なら? 父なら?



「助けて、お兄ちゃん……」



あの兄ならばこんな事はものともしないのだろう。

一人で何とでもしてしまうのだろう。

もっともっと強ければ。

こんなに弱虫の自分でないならば。



「誰か、助けて……!」



そう泣く彼女の背後で絶望が口を開ける。

死神の足音はスバルの耳にも届いていた。

何かに罅の入る音。

それが広がっていく音。



「ぁ……!」



見上げる程大きな、女神をかたどったモニュメント。

それが倒れてくる。

視界を覆うように。

スバルを潰すように。

気付いた時にはもう遅い。



「――――!!」



死。



その一文字が頭を支配した。

身近に触れた事のないスバルにはそれがどういうものかはよく分からない。

が、生まれながらに埋め込まれた感覚は現実を教えていた。



嫌……!



これで何もかも終わる。

終わってしまう。

それは確実な未来だった。

原初の恐怖がスバルの体を縛る。

動きを止めた足はその場を離れる事を許さない。

それでも体を守ろうとする本能が身を固くし、呼吸すらも止める。



そして衝撃が――――



「…………?」



固く目を閉じたスバルの口から疑問符が零れる。

直後に訪れる筈だった衝撃が、来ない。



「え?」



恐る恐る目を開く。

すると、目の前に像があった。

時が止まったように、倒れる途中の姿勢のまま桃色に光るバインドによって空中に固定されている。



お兄、ちゃん……?



スバルが真っ先に思い浮かべたのは黒衣のバリアジャケットを纏った兄の姿だった。

しかし、兄の魔力光はこんな色ではない。

母や姉もだ。

では誰が?



「良かった。
 間に合った」



“天使”、だった。

炎熱の地獄に舞い降りた白い天使。

ただし彼女は長大な杖を手にした戦天使であった。

ここまで余程急いで来たのか肩が上下し、栗色のツインテールも揺れる。



「助けに来たよ」



見覚えは、あった。

確か――――



高町、なのは……さん。



よく兄が出ているテレビに出てくる局員の人。

兄は友達だと言っていたような気がする。

前に着地した彼女とぼんやりと見上げるスバルの目が合った。

何か気付く事があったのか、彼女も目を丸くしている。



「あれ?
 もしかして、ギン――――ううんスバル、かな?」

「え、あ……はい」

「やっぱり。
 昔ゲルト君が退院する時に会ってるんだけど、覚えてないかな?」



首を傾げて見せる彼女はそれこそ年若いただの少女に見えた。

しかしそれだけではない。

彼女こそ時空管理局本局武装隊の若手筆頭。

“エースオブエース”。

世界を見てもごく僅かな規格外の魔導師なのだ。



「えと……すみません」

「気にしないで。
 もう結構前になるしね」



この状況にそぐわぬ会話。

まるで街中で出くわしたかのような。



「あ、でも名前は知ってます。
 高町さん、ですよね?」

「うん。
 でもなのはでいいよ?」



いつの間にかスバルも上手く緊張を解かれている。

何故か彼女にはそんな安心感があった。

ただしなのはは話を続けながらも自分の周囲に魔法陣を展開。

着々と脱出の準備を進めている。



『上方の安全を確認』



レイジングハートの言葉に合わせて彼女が相棒を持ち上げた。

両手で、まさに砲を構えるようにホールド。

狙いは正面斜め上。

エントランスの構造上、この天井を一枚抜けばそれで外へ通じる。



『ファイアリングロックシステム解除。
 ――――撃てます』

「待っててスバル。
 安全な所まで、一直線だから」



粒子のように桃色の光が踊る。

踊って集まる。

蛍みたいだと、スバルは思った。



「一撃で地上まで抜くよ。
 レイジングハート」

『オールライト。
 ロードカートリッジ』



連続して二発をロード。

それと共に光はレイジングハートの先端へ。

リング状の方陣がそれらを強引に纏め上げ、圧縮。

異様なまでに加圧された魔力が一つの塊として押し固められている。

その早さ、規模、精密さ。

どれをとっても一級品である。



「ディバイィィン――――」



なのはが足を開いて反動に備えた体勢へ移行する。

時を迎え、魔法陣がさらに強く発光。

僅かな溜めを挟み、そして。



「バスターーー!!」



――――撃つ。



それは射撃などではない。

闇を祓う光の柱がそこにあった。

その勢いの前には天井など何ほどの事があろう。

容易く貫通した砲撃は夜を割り、天を分かつ。

煌々と燃える空港をしてなお輝きは霞むでもなく、その存在を高らかに誇示していた。



これが……。



呆然と立ち尽くすスバルはその光景から目を離す事ができず、ただただなのはの背中を見つめている。

雑多な有象無象は全て光の中に掻き消え、穴の空いた天井からは破片の一つも降ってはこない。

忌避していた筈の“力”。

紛れもなく人を傷つけ、物を破壊する力だ。

自分の中にもある、振るうべきではないもの。

でもこれは――――



違う。



多分、本当は分かっていた。

何もかも自分が怖がっているだけなのだと。

今目の前にあるものは、ずっと傍にあった事も。

それはきっと母が知っているもので、兄が持つもので、姉が目指しているものだ。



「さぁ、出よう」



こちらを振り返り、何でもないかのように笑うなのは。

月光を背負い立つ彼女の姿は美しかった。

幻想的なまでのそのビジョンは火に囲まれつつある現状を忘れさせる程で。

何かを言う事も出来なくて。



「もう大丈夫。
 よく頑張ったね」



柔らかな腕に抱かれて聞いた言葉。

その言葉で、ようやく自分が助かった事に気付いた。




この記憶は後にも薄れる事はなく、スバルの将来に大きな影響を与える事になる。

それは、目を逸らし続けた彼女が、“力”の何たるかを理解した日でもあった。









(あとがき)


何っとか2ヶ月は掛けずに済みましたな。

学際の準備やら打ち上げやら何やらあって今回は遅れるかもー、と思ってただけにホッと一息です。

さて本編ですが、ようやく入った空港火災編。

前編はスバルメインという事に相成りましたが、後編はどうなるやら。

この辺りの所はずっっと書きたかった部分なんで気合い入れてかかろうと思っております。

ちゃちゃっと手早く――――とはいかないかもしれませんが、中身は待たせるだけのものを用意しておくつもりですので、読者の皆皆様も乞うご期待!


ってな所でまた次回お会いしましょう。

Neonでした!



[8635] 疾駆 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2011/04/05 02:46
「スバル、どこ!
 返事して!」



切羽詰まった少女の声が響く。

未だ火の手こそ迫っていないものの、煙の方は既に天井を覆いつつある。

さほど大きくもない通路だ。

いずれ這ってでもなければ進めなくなるだろう。

ただひたすらにスバルの名を呼び続ける。



「スバル!」



彼女が走る度、青く長い髪や胸元のペンダントが揺れる。

ギンガだった。

今の彼女には行方の分からなくなった妹を見つけ出し、外へ連れて行く。

それが最も重要な事である。

スバルを守るのは物心ついた頃から当然の責務だったし、それを苦と思った事はない。

小さな頃から見続けてきた、血を分けた姉妹だ。

疑う余地もなかった。

それに、約束もある。



兄さんと。



あれはまだ自分がギンガ・ナカジマではく、タイプゼロ・セカンドだった頃。

兄もゲルト・G・ナカジマではなくタイプゼロ・ファースト、あるいは“お兄さん”だった。

その時の約束だ。



(俺は、いつも一緒にはいられない。
 だからごめん。
 あの子を守ってくれないか?)

(うん。
 私はお姉さんだもん)



実際ゲルトとギンガ達姉妹はずっと一緒にいた訳ではない。

それは全て研究所のスケジュール次第だった。



(その代わりお前の事は俺が絶対守る。
 絶対守るから)



そうして指切りをした。

それは絶対の約束だった。



スバルは、私が守る。



そして早く母と合流しなくてはならない。

早く。

何より速く。

その為の“足”はある。



「…………」



待機状態のペイルホースへ目を落とす。

使うべきだろうか。

その方が速度が上がるのは間違いない。

だが、空港の中で魔法の使用を……?



「ううん」



ペイルホースを手の中へ握り込む。

必要なのは迷う事じゃない。

それに今の自分は陸士候補生。

逃げ遅れた他の人達も助けなくては。

その為にも。



「ペイルホース、セットアップ」

『了解』



瞬時に組み上げられていくバリアジャケット、そしてペイルホース。

足から響くエンジンの脈動が心地良い。

姿勢は自然とクラウチングスタイルへ移った。

空転する車輪が猛然と唸りを上げる。



「行きます」



殴り飛ばすような速度でギンガの体が走り出す。

疾走ならぬ文字通りの爆走。

その姿は瞬く間に遠のき、ついには消える。

通路には歓喜に猛るエグゾーストの咆哮のみが木霊した。





**********





続々と空港に集結する輸送車、指揮車、消防、救急。

その中の一台がはやてらの詰める指揮車へと接近していく。

車体側面に描かれたエンブレムは“Ground Armaments Service‐Battalion 108”

路面を擦過するブレーキ音が合図にもなった。



「はやてちゃん、応援部隊の指揮官さん到着です!」



指揮車の上のはやてがリインフォースの呼びかけで振り向いたのは、丁度男が車両から出てくる所だった。

ドアを開け、降りてきたのは白髪の男。

徽章が示すのは一尉であるはやてよりも上の階級、三佐。

それははやてが待ち望んでいた相手だった。



「すまんな、遅くなった」

「いえ、助かりますナカジマ三佐」



この人が、ゲルト君のお父さんか……。



マルチタスクの弊害か、はやての脳裏にふと無用な思考が浮かぶ。

108のナカジマといえば一般的にはゲルトを指すが、本来ならば部隊長である彼を現すべき名である。

今も続々と降車しているゲンヤの部下達は統率の行き届きを知らしめる機敏な動きで行動を始めていた。

こうして直に言葉を交わすのは初めてだが、優秀な人だろうと判断するには十分に思える。

少なくとも、この統率力は自分には無いものだ。



「陸士部隊で研修中の本局特別捜査官、八神はやて一等陸尉です。
 臨時で応援部隊の指揮を任されてます」



そんな胸の内とは別にはやての体は動いていた。

足を揃え略式の敬礼を奉じる。

ゲンヤもそれに応じたラフな礼で返した。



「俺の事は知ってるらしいな、108部隊のゲンヤ・ナカジマ三佐だ。
 ウチの陸曹長が先行してる筈なんだが……もう中か?」

「はい先程。
 それでナカジマ三佐、部隊指揮をお願いしてもよろしいでしょうか」

「……?
 ああ、お前さんも魔導師か」



怪訝そうに眉を寄せたゲンヤだったが、その一瞬後には成程と得心がいったように声を上げた。

はやての首から下がっているシンボル、十字を円で囲んだそれはただのアクセサリーではない。

待機状態にあるデバイスに他ならなかった。

ゲンヤの推察を肯定するようにはやても頷く。



「広域型なんです。
 空から消火の手伝いを――――」

『はやてちゃん』



その言葉を遮るように通信が入った。

相手はなのはだ。

はやての傍に開いたウインドウには飛行中と思しき彼女が映し出されている。



『指示のあった女の子一人、無事救出。
 名前はスバル・ナカジマ』

「!?」



驚いたのはむしろはやての方だ。

ゲルトから二人の妹の名前を聞いた事がある。

スバルといえば、確か四つ下の妹だったはず。

それはつまり目前の男の実の娘という事で。

リインフォースも目を見張っているが、当のゲンヤは特に動揺した素振りも見せてはいない。

ただ少し肩を竦めてみせただけだ。



『さっき西側の救護隊に預けたよ。
 でもまだお姉ちゃんとお母さんが中にいるんだって』



まだ家族が中にいる。

“あの”空港の中にだ。

彼はその事を知っていたのか?



「三佐……」

「ウチの女房と娘だ。
 部隊に遊びに来る予定だった」



はやてが何か言う前にゲンヤが答えを挟んだ。

言外にみなまで言うなとメッセージが込められている。

全ては了解の上だという事だ。

恐らくゲルトも知っているのだろう。

ならば、自分が口を出すべき事などはない。



「……ではナカジマ三佐、指揮をお願いします」

「ああ、任せろ」



今は行動だけが全ての価値を握る時。

誰もが強くあらねばならない。



敵わんな、ほんま。



バリアジャケットを纏った彼女は駆け出した。

彼女の空へ。



「テイク、オフ!」





**********





「はぁー……はぁー……」



クイントの口から荒い呼吸が漏れる。

空港の中、可燃物の無い廊下の角で彼女の他3人の女性達が救助を待っていた。

彼女らを覆う半球形の青いシールドは無論クイントが展開しているものである。

だが彼女の呼吸の不規則さは間違いなく何処かを悪くした人間のそれ。

今にも崩れ落ちそうなバランスを必死に保ち、何とか現状を維持しているのがありありと見えた。



「―――ッ、ゴホっ!ゴホっ!」

「だ、大丈夫ですか!?」



堪らず咳きこんだクイントの背をさすり、慌てたように女性が声をかける。

手で制するようにして問題無い事を告げるが、実際片肺のこの体には厳しい環境だ。

別に展開中のシールド、その機密性に問題はない。

一線を退いたといえ、仮にも元首都防衛隊の主力メンバーである。

だが、人を集める時に少量とはいえ煙を吸ったのが悪かったのだろう。



ホント、肝心な時に言う事聞いてくれないのよね。



不自由な体を嘆くような、自嘲的な思考がよぎる。

いや、思う事は他にも山ほどあった。

爆発の前にはぐれてしまったスバルは無事なのだろうか。

追っていったギンガは見つけられただろうか。

救助が来るまでここの人達を守れるだろうか。

ああ、助けといえば4年前を思い出す。



「ふ、ふ……」



内側から衝いて出る咳に体を折りながら、クイントの口元に浮かんだのは笑みであった。

そうだ。

4年前と同じに自分は動けず、この場にはタイムリミットも迫っている。

少なく見積もっても最悪だ。

全くもって最悪。

でも――――



「こういう時は……王子様が、来てくれるもの……でしょう?」



それこそ、あの日のように。

何せ我が家の王子は最高のナイトだ。

多分もう空港に向かっている―――いや着いていてもおかしくない。

きっとウチの人も一緒だろう。



なら、大丈夫。



もう来る。

すぐ来る。

もう、そこにまで来ている。



「――――ほらね」



爆発。

突然クイント達を守るシールド、その十数メートル先の壁が吹き飛んだ。

分厚い構造材ですら何程の事もない。

通路を隔っていた壁は、直径およそ二メートル半ばに渡って完全に破壊された。

閉所強襲時に行う爆破侵入の手口である。

そして向こうから現れる影。

それは長物を手にした人の形をしていた。



「管理局の者です!
 皆さんご無事ですか!?」

「って、あら?」



姿を現したのは金髪を両側で纏めた少女だった。

手にはハルバードのようなデバイスを携えこちらへと駆け寄ってくる。

管理局員ではあろうが、当然ゲルトではありえない。

しかしクイントは初対面の筈のその少女を知っていた。

ゲルトの友達で、いつぞや一緒に遊園地へ行ったという、あの子。



いえ、今はそうじゃないわね。



彼女は管理局員で、ようやくたどり着いた助けである。

今はそれだけが重要なのだ。



「私はちょっと煙を吸ったから肩を貸して欲しい……んだけど、ここの人達に怪我は無いわ。
 ただ私の娘二人の行方が分からないの。
 確認……してもらえる?」

「はい、勿論です。
 お子さんの名前と特徴を聞かせて頂けますか?」



切り替えたクイントの答えは肺を衝く咳で途切れ途切れではあったが、十分に的確といえる内容と言えた。

少なくとも救出に来た金髪の少女はすんなりと受け入れられた。

傍に来た彼女の肩を借りて立ち上がったクイントは言葉を続けていく。



「名前はスバル・ナカジマと……その姉のギンガで、年は11と13。
 二人共私譲りの青い髪でスバルがショート、ギンガがロングよ」

「え……?」



一瞬、少女の体が固まる。

クイントを見る彼女の目は大きく開き、言葉を確かめるように瞬いた。

もっとも二度目にはそれも止まり表情すらなりを潜めたが。

この時において、間違いなく彼女も公人であったのだ。



「いえ失礼しました。
 通信本部、救助者の確認をお願いします。
 スバル・ナカジマ11歳とギンガ・ナカジマ13歳、共に女の子。
 二人の母親――――ええと、失礼ですがお名前は?」



ふとそこで自分がナカジマ家の母の名を知らない事に気付いたのだろう。

少女は通信から意識を外してクイントへ頭を向けた。



「クイント。
 クイント・ナカジマよ」

「クイント・ナカジマさんを保護しました。
 至急でお願いします」

『了解しました。
 少しお待ち下さい』



そこで一旦通信が切れた。

結果がすぐに出る訳ではない。

それはクイントとて重々承知の上である。

何より今は一刻でも早く外に避難できるよう、歩みを止めない事こそが肝心だった。



「ナカジマさん、お体は大丈夫ですか?」

「おかげさまで……なんとかね。
 ありがとう」



金髪の少女が心配そうに声を掛けてくれるが、クイントとて虚勢を張っている訳ではない。

実際クイントの歩調は後ろに続く一般人に比べてもそう遅い訳ではなかった。

リハビリを終えてより後も習慣として続けてきたトレーニングは無駄では無かったという事だろう。



やっぱり人間、最後の最後は体力よ。



果たして持論の正しさが証明された訳だ。

片肺の今、鈍った肺活量などでは本当に動けなくなっていた可能性が高い。



『確認がとれました』



と、その辺りでついに通信本部からの連絡があった。

向こうの言う事にはスバルは無事救出されたらしいが、ギンガは未だ消息不明との事。

クイントが最後にギンガが向かった方向を告げた所、すぐさま近辺の魔導師を向かわせると伝えてきた。

だが、その魔導師について通信本部が詳しく話す事はない。

服務規程に則ったごく当然の対応である。

しかしながら偶然にもクイントはそれを知り得る機会を得た。



「わお」



それは彼女らがようやくエントランスに出ようかという頃。

火の壁が道を隔つ、その向こうに揺らぐ何かを見つけた。

いや、揺らいだのは炎の方だったかもしれない。

文字通り疾風と化して中空を駆ける黒い影が横切ったのである。

クイントの動体視力がどうにか捉えたのは若い男であろう骨のある体躯と彼の手にある長槍、それだけだ。

それだけだが、十分だった。



「やっぱり王子様はお姫様の所へ、ね」

「?」



金髪の少女は首を傾げている。

クイントはそれがおかしくて更に笑みを深くした。



「もう何も心配いらないって事よ、“フェイトさん”」



今度こそ少女は目を丸くし、クイントは体の事も考えずに吹き出した。





**********





風の音が、聞こえる。



空港内部を高速で飛行するゲルト。

ろくろく減速もせず内部に突入した彼の視界は常軌を逸したものと化していた。

壁が、天井が、森羅万象目に映る六景全てが象を結ぶ間もなく後ろへと吹き飛んで行く。

行く手を阻む炎など眼中にもない。

バリアジャケットと防風障壁に守られた今ならば一瞬の接触など恐るるに足らず。

ゲルトは躊躇もなくその只中へ飛び込んで行く。

火の囲みを突き破り奥へ、更に奥へ。

と、



「――――」



左へロール。

強引に体を回すゲルトの肩を掠めるような至近をコンクリート製の柱が通り過ぎた。



「――――」



間も置かず弾かれたように高度を下げ、床スレスレまで下降。

横倒しになったモニュメントが頭上を素通りする。



おかしい。



誰もがそう思うだろう。

炎の壁を抜け、そのコンマ秒後に立ち塞がる障害物。

どうしてこうも躱せるのか、躱し続けられるのか。

もはや反射などという生易しい言葉では形容できない。

既に予知などという半ばオカルトの領分にまで片足をつけているのではあるまいか。

加えて数センチ単位にまで至る完璧な飛行制御は本家の空隊ですら舌を巻く精妙さであった。

神業。

まさにその類の所業である。

ところが諸人が溜息をつくようなアクロバットをこなした当の本人は眉も動かしてはいなかった。

実を言うとゲルト自身には躱したという意識すらない。

己の頭を駆け巡る情報の速度は、とうの昔に自分の理解できる範疇を超越している。

思うよりも、考えるよりも早く体が動く。

指先の一本までも誰か別の人間に操作されているようだった。



だが、良し。



先に進めればいい。

何より速く動ければ、それでいい。



『マスター』



とはいえ、何時までも飛んでいられる訳ではない。

地図上では次の通路は狭くなる上に入り組んでいる。

如何なゲルトでもこの先を凌ぎきるのは不可能に思えた。



「っは」



という判断すら実の所行動よりも遅く。

ナイトホークの声が掛かった瞬間には既に推進力を切っている。

突如として放り出される体。

等速直線の浮遊。

その中でゲルトは姿勢を組み換え、強引に足から着地する。



「ぐ――――っ」



勢いのまま背を丸め、前転として着地の衝撃を逃がす。

一回、二回転。

遠心力で血が逆流しそうになるのを耐え切り、曲げた足の底を地に叩きつけた。

これは本来受け身に使う技術であり、体術としては最も基本になる動作である。

それをもって過剰な力のベクトルを逸らし、更にはこの瞬間を狙って足を蹴り出す。

さすれば背を押す慣性は追い風となって。



「前へ……!」



今自分のいるここが最後にギンガが発見された場所だ。

通信本部からの情報ではここから中心部方向へ進んで行ったとされている。



どこだ、ギンガ。



公人と私人との目的が合致するならば遠慮もいるまい。

スバルは既に外。

母さんも助けられたという話だ。

なら今はギンガの事だけを考えていればいい。



そうしていれば、俺は。



思うゲルトの右腕が閃く。

それは何もない筈の空間を割った訳だが、現実には彼の頭上から落下した天井プレートを一撃の元に裁断していた。



俺は死んでも死なん。



二つに裂けたプレートは轟音を立てて突き立ち、ゲルトにその道を譲った。

片腕一つで切り開いた彼は結局、無傷のままにその間を駆け抜ける。

その瞳は金色。

今の彼を止められるものは何も、何処にも存在しえない。



『ペイルホースの反応を捕捉。
 距離およそ190、三階層下の二番通路です』



ナイトホークがペイルホースの反応を捉えたのは、その僅か30秒後だった。





**********





『魔導師接近中。
 識別反応該当一件――――ナイトホークを確認』

「兄さん!?」



ペイルホースがナイトホークを捕捉したのも全く同時である。

ギンガは反射的に体を横滑りにする事でブレーキをかけた。



『電信文受信』

「開いて!」



何故ここに。

どうして兄さんが。

何かの間違いでは、とも疑いながら、ギンガは自身意外なほどの素直さでそれを受け止めていた。

もしかしたら分かっていたのかもしれない。



『スバルと母さんは無事だ。
 そこを動くな、すぐに行く』



あえて直通回線を使わなかったのは混線を厭うての事だろう。

飾り気もそっけもない電文だが、それでもそれは兄の文章だった。



「良かった……スバル、母さん……」



足を止めたギンガが大きく安堵の息を吐く。

それと一緒に強張った体からは緊張とか無用な力とか言ったものもすっ、と抜けて行ってしまったようだ。

代わりに胸へ吹きこんでくるのは春風のように暖かい思い。

それはただの一言で。



来てくれた。



たったそれだけの事がそう、ギンガを何より救ってくれる。

何の冗談かあの兄は正真正銘火の中にまで飛び込んで来てくれたらしい。

いつもそう。

自分が傷つくのも気にせずに、なんてまるでお伽話のようで。

本当はそんな無理をして欲しくはないけれど。

でも。



「そんな兄さんだから、私は…………」



その先の言葉を、ギンガは飲み込んだ。

音には漏れず、ただ唇の動きだけが続きを象る。

口にするのを恐れた訳ではない。

ただ、まだ自分はそれには不足だと思った。

何もかも足りない。

まだまだ、まだまだあの背には。



「これからね、何もかも」

『最速こそ誉れ。
 届か不る無し』



いつものように不遜な態度を貫くペイルホースに微笑みかけ、頭を上げる。

レーダー上のナイトホークはすぐ直上にまで来ていた。

今更のようだが久し振りの再会だ。

出来れば綺麗な笑顔で迎えたかった。

手すりに近づいたギンガが身を預けて上階を見やる。



ピシッ。



それがいけなかった。



「――――!」



足元から聞こえた不穏な音にギンガが意識を向けた瞬間。

何が起こったのか把握するより前に事態は起きた。

床が、ギンガの体重を支えていた足場の全てが崩れ去ったのだ。



「――――ウイングロードッッ!!」



悲鳴を上げなかったのは我ながら上出来だった。

代わりに頭を走るのは既に自動化された、ギンガの最も得意とする術式。

通路が崩れ、何も無い空間に青く輝く道が敷かれていく。

乱れは無い。

展開速度を見ても十分に誇れるレベルと言えた。



「っ、とと」



結局落下したのは僅かに二メートル程。

ウイングロードに着地し、バランスを取るように膝を折る。

衝撃自体はサスペンションでほぼ吸収されていたが、なにぶん突然の事で姿勢はかなり大きく崩れる事になった。

が、ともかくも生きている。



「は、ふ」



ひとまずの無事を確認したギンガの口から不規則な呼吸が漏れる。

危険に反応して変化した金の瞳で下を見れば崩れた階が更に下の階を巻き込み大規模に崩落している。

巻き込まれていれば、如何な戦闘機人でもひとたまりもなかったろう。

つまり死だ。



「手、震えてる……」



へたりこみこそしなかったがショックは大きかった。

今になって指が震え、汗が噴き出す。

驚き、とはまた違った。

何と言えばいいのか。

突発的とはいえ、つまりはこれがギンガにとって初めての経験だった。

命の瀬戸際、本当に生きるか死ぬかという、その境界線をくぐった事の。



「危なかった、けど」



だから彼女には認識が足りていなかったのかもしれない。

死線を越えた――――いや、越えたと“思ってしまった”事が、彼女の頭から当然の警戒すら奪っていた。

今この空港に安全な場所など、どこにもない。



『緊急回避!!』

「え?」



ペイルホースの警告も頭に入ってこない。

一種の虚脱状態にあったギンガにはどうしようもなかった。



頭上から落下してくる“上の通路を見ても”、何の反応も出来なかったのだ。



視界一杯を覆う超重量のコンクリート。

先の崩落が二度目の決壊を誘発したのだろう。

死神の鎌が切り返される、がこれは――――



躱せない――――!?



近付く。

迫る。

一秒が十秒か百秒にも思える。

上階が落ちてくるのははっきりと見えていた。

それでも体は動かない。

動かない。

動かない。

動かなくて。

出来たのは、



目を瞑る事、だけ。










「ギンガぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」










**********





瞼を閉じる。

固く目を閉じたギンガに感じられるのは暗闇だけ。

しかし。



…………生きて、る?



ぼんやりと、霞がかかったような頭で思う。

どうだろうか。

時間もあやふやだ。

でも考える事は出来た。

考えることだけは出来た、かもしれないが。

しかし考えられる事が生きている証明になるのだろうか?

誰も死後の事なんてわからないではないか。

むしろ死んだのかもしれなかった。

何故か安らげる鼓動が聞こえるし、それに。



それに、どこも痛くない。



嘘だ。

体は痛い。

凄く。

あちこちが締め付けられるように痛い。

しかしこれ位ではこの体を叩き潰すには到底足りない。

多分骨も折れていないだろう。

有り得ない事だった。

それとも戦闘機人の体は自分の予想より遥かに頑丈で、やっぱり自分は生きているのだろうか?

だとしても生体部分まで無事とは思えない。

体は無事でも色んな所が削げて見るに堪えない姿になっているのではあるまいか。



もし、兄さんに見られたら。



駄目だ。

体を別の震えが走る。

想像もしたくない。

そんな姿を見られる位なら死んでいた方がいいのかもしれない。

ガレキに埋もれていれば誰にも発見される事なく終わる事もあるだろう。



やっぱり私は死んだんだ。



でも良かった。

最後に声が聞けた。

幻聴だって構わない。

呼んでいた。

叫んでいた。

愛しい人が。

自分を。

それだけで、ギンガは満足だった。



「行くな」



しかしそれを許さない声がある。

それもまた兄の声をした幻聴で。



「行くな……!」

「――――!?」



耳元から聞こえた声が、更に強くなる締め付けが、忘我の境にあったギンガを引き戻す。

そうしてようやく自分を取り巻く状況に気が付いた。

場所は相変わらず空港の中で、下にはウイングロードもある。

ついでに自分の足も。

どうやら本当に生きているらしい。

では、体を締め付けるものは何か。

耳を叩く鼓動は何なのか。

この温もりは、匂いは。



誰かに、抱き締められてる?



誰か、ではない。

隠すように抱き込まれているせいで顔こそ見えないが、間違える訳が無かった。

頭上では赤橙のテンプレートが輝き、落下したテンプレートをまとめて支えているのだ。

手を伸ばせば届いてしまうギリギリの所で。

こんな桁外れの強度、ファームランパート以外に考えられない。

つまり。



「兄、さん……」



きゅ、と目前にあるゲルトの服を掴む。

喉から出た声は蚊の鳴くように小さかった。

色んな感情がない交ぜになってどう言うべきか分からない。

それを隠すように、ギンガはゲルトの胸へと額を預けた。

もしかして兄が顔を見せないのも同じ理由なのだろうか。



「行かないでくれ。
 お前まで、俺の前で……」



彼が喋る度にその胸が震えているのを感じる。

触れ合う事で分かった。

彼の怯えが、恐れが、体を通して伝わってくる。

決して自分達には弱い所を見せまいとしていたのに。

それは何故か。



私が、死ぬかもしれなかったから。



あの四年前の極限まで衰弱した状態ですら強固だった彼の自制が、今明かに揺らいでいる。

それほどの心配をかけてしまった。

申し訳なく思うべき所だ。

何時もなら顔向けも出来ないだろう。

だけど、今は。



「…………」



ギンガは無言で腕を伸ばした。

すぐ目の前にあるゲルトの首へ両腕を通し、こちらから身を委ねるように。



「ギン、ガ……?」



それで兄もようやく気が付いたらしかった。

頭を引き、体を締め付ける力も弱まる。

まだ少し呆、としたゲルトの金の瞳に、同じように金の瞳をした自分の姿を見つける事ができた。

二人の距離は互いの息遣いも感じられる程に近い。



「大丈夫よ、兄さん
 大丈夫。
 私は大丈夫だから」



口調は自然と優しくなった。

睦言を交わすように、或いは子供をあやすように。

湧き上がる思いの全てがそうさせた。

愛おしい。

この人が愛おしい。

癒してあげたい。

守ってあげたい。

何者からも、彼自身からでさえ。



「ありがとう。
 兄さんのおかげで、私は今生きてる」

「お前…………」



ギンガが知る由もない事であるが、それは何時かのクイントと同じ言葉。

ゲルトがそれをどう受け取ったのかは分からない。

ただ兄が肩の力を抜いた事は確かだった。

はぁ、と嘆息したゲルトが改めてこちらの顔を見つめてくる。



「怪我は、無いんだな?」

「うん」

「痛む所もか?」

「うん」

「そうか…………良かった」



呟きは、味わうように目を瞑ったゲルトの喉から漏れた。

心底そう思ってくれているのがよく分かる。

場違いな程の優しい時間だった。

だが、それもここまで。

ファームランパートの防護圏から移動しながらゲルトが目を開く。



「外に出るぞ」



ファームランパートの支えを失った建材が再び落下を始めた。

ギンガのウイングロードなどは紙同然で、下からは凄まじい音が聞こえる。

だがそんなものを意にも介さず、目を開いたゲルトは完全に何時も通りの彼だった。

表情に歴然と力が溢れている。

時空管理局地上陸士108部隊所属、“鋼の騎士”“アーツオブウォー”、ゲルト・G・ナカジマがそこに。

ギンガの憧れた誇りと力の形がそこにあった。



「しっかり掴まってろ。
 時間が無いからな、とばしていく」

「ま、待って!」

「うぉ!?」



しかし、いやだからこそギンガは待ったをかけた。

腕を回していた首を引き、無理やりゲにルトを引き留める。



「このまま私も救助に参加させて!
 邪魔にはならないから!」

「何ぃ!?」



言った。

言ってやった。

ようやく本調子に戻ったゲルトも目を丸くしている。



「ばっ、馬鹿野郎!
 お前さっき死にかけたんだぞ!?」

「分かってる!
 でも、そんな人が他にもいるんだから助けなきゃ駄目でしょう!」

「当たり前だ!誰が見捨てるなんぞと言った!?
 お前を送って行ったら救助に戻るに決まってるだろうが!」

「だから、私が一緒に行けばもっと早く助けに行ける!
 違う!?」



さっきまでの雰囲気は消し飛んでいた。

共に互いを強く抱き締めながら唾を飛ばさんばかりに捲し立てる。

ギンガの記憶にある限り二人がここまで強硬にぶつかりあった事はない。

それに、非はこちらにある。

馬鹿と言われても反論は出来ないだろう。



でも、譲れない。



何故なら。

何故ならば。



「今困ってる人を助けに行かないで、私は何の為に管理局に入ったの!?」

「な――――」



ギンガの啖呵にゲルトも一瞬鼻白んだ。

その隙にゲルトの腕から抜け出し、ギンガは新たに展開したウイングロードへと降り立った。

例えひよっ子でも、それ以下の卵でも、この信念だけは曲げられない。

ゲルトへの思いにも矛盾するだろう。

しかし局員たらんとするならば、たらんと望むのなら尚の事。

今逃げる自分を、誰かを助けられる救助の手を削ぐ自分を、決して許す事はできない。



「私はまだ走れる!
 お願い!連れて行って!!」



ペイルホースを吹かしたギンガがゲルトの瞳を見据えて思いの限りをぶち撒ける。

これ以上の問答こそ無駄にしかならない。

これでも拒否されたなら自分は諦めて外に連れて行ってもらうしかない、と分かっているからこそ、ギンガは必死だった。

力が無ければ無論自分とて諦めたろう。

覚悟が無ければそもそも言い出さなかった。

だから、自分は決して英雄的な自己犠牲に酔ったのではない。

ゲルトにも伝わった筈だ。



「ああ、クソっ!」



吐き捨てるように言ったゲルトは左手、ナイトホークを持たない方の手で頭を荒っぽく掻きむしっている。

悪いのは自分だが、どちらにもメリットはあるからだ。

自分が大人しく外に出れば、とにかく自分の安全は確定できる。

自分を供にすれば、もっと多くの人を助けられるかもしれない。

最初から自分を一人で外に向かわせるという選択肢が無い以上、ゲルトが選べる道は二つしかない。

もっとも、公人としてならそもそもこんな話は論外で無理やりにでも自分を連れ出すべきなのだが。

むしろ自分を大切にしてくれているから悩んでいるのである。

果たして。



「クソ!クソッ!
 減給で済めばいいけどな!」

「じゃあ!」



ゲルトは心底嫌そうな顔をしている。

ギンガとは全く正反対、不本意の極みという感じだ。



「通信本部!」

『は、はい!』

「こちら108-01、救助者リストにあったギンガ・ナカジマ陸士候補生を保護。
 ただ、本人の希望によりこのまま彼女には救助活動を手伝ってもらう」

『え!?
 いえ、それは――――』

「時間がない。
 責任については後ほど然るべき場所で聞く。
 以上!」



ゲルトは八当り気味に通信を切った。

後ろへ振り返りながら、やはり納得はいかないのか肩をいからせている。

背中だけですらそれが分かるのだ。

それにギンガとしても責任という言葉は自分の行為の愚かさを今更ながら痛感させるものでもあった。



「ごめんなさい、兄さん。
 その、迷惑かけて」

「――――黙れ。
 今更ごちゃごちゃ弱言を言うな」



罪悪感に打ちひしがられたギンガの言葉を遮るように、こちらを見ようともしないゲルトが片手でナイトホークを振るった。

ピッ、と風を切る音を立て、床と並行に静止する。



「まずは逃げ遅れた人を探す。
 その後は避難誘導だ。
 命に代えても守り抜け」



ギンガは即座に答えられなかった。

淡々と、訓練の時よりもなお低い声で話すゲルトの威圧感に呑まれていた。

圧倒されていた。



「返事はどうした!ナカジマ候補生!」

「は、はい!」



首半分だけ振り向いたゲルトの一喝が電撃となってギンガの体を駆け巡る。

ふん、と不機嫌そうに頭を戻したゲルトの右手の中でナイトホークが半回転。

ウイングロードを抉るように石突きを突き立てた。



「……背中を任す。
 後れるな」

「―――――はいっ!」



それだけ聞くとゲルトは崩落した階下へと落下していった。

翼のようにはためいたコートの裾が視界から消えていく。

そして、ギンガも。

彼女もその後を追って躊躇なく虚空へと身を躍らせた。

危険に飛び込もうというのにその顔に不安の色は微塵もなく。

力があり、誇りがあり、憧れがある。

髪を吹き上げる程の強い風の中、ギンガは輝いていた。





これが後に“ナカジマ兄妹”、あるいはその機動力から“騎兵隊(キャバルリー)”と呼ばれる事になるコンビの、最初の出動だった。









(あとがき)


MHP3超面白いよね!?

フォールアウトもレッド・デッド・リデンプションも最高だよね!?

いやもう本当参っちゃうなぁ。

どうしようもなく面白くて面白くて、



……殆ど三ヶ月経っちゃいましたorz



いや、もうほんっとすいません。

せいぜい週刊から始まった筈が気付けば季刊号ですよ。

しかし言い訳をさせてもらうと原作からして空港火災はオイオイという展開が多く、その辺に頭を捻ってたのも大きかった訳で。

例えば、何でギンガ達は夜に空港にいるの?(もし救助されるまでそんなに時間がかかっていたなら、それこそオイ、ですよ)

エントランスではぐれた筈のスバル探してギンガはどこまで行ってるの?(なんか地下?っぽいし)

つうか空港って何があんなにボーボー燃えてるの?(そこらへんに油でも撒いてんの?)

そういやエリオは空港で普通に魔法使ってたけど、それでいいんかい、などなど。

そのせいでほぼ出来上がっていた爆発前の、スバルとギンガ達がはぐれる時のシーンを丸々カットする羽目になりましたからねぇ。

次はそういう辺りの苦労は少なそうですが……どうなるやら。



ではまた次回!

Neonでした。



[8635] HOPE
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2011/04/05 02:40
「消防車が三台?
 ああ……ああ……分かった、五分だな。
 出来る限り急いでくれ」

「何?……違う、305は地下駐車場だ!
 車は一台一台中まで確認しろよ。
 ……ああ、トランクもだ!」

「馬鹿野郎!
 空隊全員呼び出せ!
 こんな数で対処できるか!!」

「クソッ! 総合病院はもう無理らしい。
 嬢ちゃん、近くの病院を全部出してくれ。
 近い方から順に振り分けて行くぞ」

「限界なのは五番と七番補給車なんだな?
 ああ、よし……その二つは下がらせろ。
 代わりが到着するまでは二番補給車を共同で使ってくれ」

「そうだ、あと十分で代わりが到着する。
 それまではこのまま何とか、頼むぞ」

「―――――」

「―――――」








「……朝か」



机に突っ伏していたゲンヤがのそりと起き上がる。

日の光に目を薄めつつ周りを見渡せば、いつもの我が隊長室だ。

108の隊舎に間違いなかった。

デスク傍のテーブルでは同じように補佐をさせているラッドが潰れている。

それはいい。

が。



「何でこんなトコで寝てんだ?」



回らない頭をガシガシと掻きながら思い出す。

確か空港で諸々指揮を執っていた筈ではなかったか。

あのおちびの空曹も隣にいた筈。

いや、救助自体は終わったのだったか?

そうして数秒頭を捻り、



「ああ、空の連中が引き継いだんだったか」



そうだ。

随分と遅れてきた挙句いきなり指揮権を要求された時は流石に思う所もあった。

しかしまぁ命令系統から見ると妥当ではあるし、一通り救助も終わっていた以上、事を構えてまでどうこうという問題ではないので譲りはした。

それで適当に情報を纏めた後隊舎に戻り、休む間もなく報告書やらと格闘し続けた結果今に至る、と。



「あ゛ー」



体がどうにも重い。

頭の巡りが悪いのもそのせいか。

首も肩も面白い程にゴキゴキと鳴ってくれる。



「年は取りたくねぇなぁ……」



そんな台詞を吐く程に老いていく気もするが。

と、



「失礼します」



ノックと共に部屋のドアが開き、向こうにゲルトが現れた。

手には盆と報告書かと思しき資料。

そしてコーヒーカップが二つ乗っている。



「お、もう起きてましたか。
 ラッドさんも、寝るんなら仮眠室使って下さい」

「……ん、ああ。
 そう、だな」



一つは体を起こしたラッドが受け取り、もう一つは自分のデスクに置かれた。

ラッドも眠気が払えないようで些か目に力がない。

よれた服が疲れの具合も表しているようだった。



「すいませんちょっと休んできます」

「悪かったな。
 ゆっくり休んでくれ」

「はい。
 それでは」



言い残してラッドは部屋から出て行った。

ゲンヤは扉が閉まるのを確認してカップに口を付ける。

熱の残る息を吐いた。

紫煙のように実体を持った吐息が薄れて消える。



「で、お前は何やってんだ?」



湯気を追っていたゲンヤの視線が下へと降りる。

デスクの向こう。

ゲルトが頭を下げていた。

脇に盆を抱えたまま九十度近くにまで。

デスクの上には先程彼が抱えていた報告書が置かれている。



「申し訳ありませんでした。
 今回の件、どんな処分も甘んじる覚悟です」

「ふむ……」



僅か眉を顰めたゲンヤが一拍置く。

ゲルトの表情は窺えない。

が、多分本気で言っているのだろう。



「部隊からの独立行動も、市街地飛行も、俺は許可した筈だが?」



記録も残ってる、と整理していたログの中からそれを抜き出して見せてやる。

独断専行となると話は別だが、今回の場合どちらも彼が非難を受ける謂れはない。

無論、ゲルトの言いたい事位はゲンヤにも分かっていたが。



「――――ギンガの事です」



頭も上げずにゲルトは言い切った。

きっぱりしたものである。



「まだ訓練課程すら終えていない人間を現場に連れ出しました。
 自分の独断です。
 どうか処罰を与えて下さい」



はぁ、と今度こそゲンヤは額を覆った。

融通が利かなさ過ぎる。

いや、これがルール第一主義の糞真面目、という事ならどうとでも言い包められるのだが。



どうせ俺が身内に甘いとか評価を受けるの気にしてんだろ。



そもそも局の方針から見て非常時に民間協力者を頼む事はさほど問題にはならない。

いわんや、ギンガは民間人とも言い切れない陸士候補生であり、本人の希望も専用のデバイスもあった。

問題視するとすれば、それはどちらもゲンヤの子供である、という事。

少なくともゲルトはそう思ったのだろう。

妙な邪推がゲンヤに及ぶ事がないようけじめを付けようというのだ。

この堅物の性格からいってまず間違いない。

本当に、厄介だ。



「はぁ……」



何か適当な罰でも与えておかないと引っ込まないだろう。

全く、仕事は出来る癖に変な面倒をかけてくれる。



罰……罰、なぁ。



もう一度カップを呷り、中身を飲み干した。

空のカップがデスクを叩く音を立てる。

ゲンヤの腹も決まった。



「ゲルト・グランガイツ・ナカジマ陸曹長」

「はっ」



頭を上げたゲルトは直立の姿勢でゲンヤの沙汰を待っている。

表情は、堅い。



「司令部の判断を仰がず候補生を無断徴用。
 恣意的かつ一方的な通信無視の咎で減俸三ヶ月、それと…………」



一旦切ったゲンヤは殊更堅い表情を作って見せた。



「来期入隊の新人教育を命じる。
 これに関し面倒一切の責任を持つ事、以上だ」

「は、しかし――――」

「以上だ」

「……了解しました」



頑とした物言いに流石のゲルトも口を噤んだ。

この話はこれまで、という明確な線引きである。

口を挟む事は許されていない。

陸士108部隊部隊長としての決定だった。



「で、そのギンガはどうした?
 一応引っ張って来たが、もう病院か?」

「はい。
 仮眠はここで取らせて、先に。
 手元の二番目が調書です」



切り替えの早さにゲルトも苦笑を浮かべている。

ゲンヤはデスク上の調書とやらをパラパラとめくってみるが、特別おかしな所もない。

要するに自分の意思で今回の救助活動に参加しましたという、証文だ。



「お前はこの後どうするつもりだ?」

「母さん達の様子でも見てこようかと。
 一つ寄る所がありますけど、できるなら今からでも」

「分かった。
 俺はまだちょっとここを動けそうにないんでな、その分も頼む」

「了解しました、親父殿」



おどけた仕草で敬礼しつつゲルトが踵を返した。

足取りもしっかりしている、が。



「そういやお前、少しでも寝たのか?」



ピタ、と足が止まった。

ドアを潜ろうとした体が石のように固まっている。

椅子に座ったままのゲンヤも流石に呆れた。



「……お前――――」

「あと四日は大丈夫ですんで、では!」



逃げた。

閉じたドアの向こうから足早に立ち去る音が聞こえてくる。

今追いかけてもドアの向こうには居まい。

昨日一番動き回っていた筈であるが、健脚には些かの影響もないらしい。

全くもう、何と言うべきか。



「タフだねぇ」



やれやれ、と独りごちたゲンヤは手元のリモコンでニュースをつけた。

朝から話題は昨夜の空港火災でもちきりだ。

さもありなん。

近年類を見ないレベルの大火災である。

あれだけの規模の事件で民間人死傷者が0というのはまさに不幸中の幸いだった。



「しっかし……」



言いながらゲンヤはとあるメールを開いた。

昨日寝る寸前に見た筈の、その送り名は管理局首都地上本部中央審議会となっている。

見出しは“ゲルト・G・ナカジマ陸曹長の処分について”



本件における陸曹長の行動について些かなれど軽挙なる部分があった事を認める。

しかし候補生を指揮下に組み込むについて緊急時対策マニュアルから逸脱するものとは言い切れず、彼らの迅速な行動は本件で死傷者が出なかった一因と言える。

部隊長においては規則に縛られるだけでなく、結果も考慮した鷹揚なる措置を下されるよう強く望むものである。



云々。

と、要約ではあるが、



「鷹揚なる措置……なぁ」



実質これは命令だ。

地上本部はゲルトに重い罰が加わる事を避けたがっている。

どうにも引っ掛かった。

多少有名とはいえ、何の理由もなくたかだか一陸曹長の為に頭越しの命令が下されるだろうか?

ゲンヤは再びニュースへと目を向けた。



『幸いにも迅速に出動した“本局”航空魔導師隊の活躍もあり――――』



なるほど。



「お上は随分お冠、って事か」





**********





「迅速だと!?
 応援要請から一時間以上もかかってか?!」



時は少し遡り、地上本部総司令執務室。

事前に入手した原稿を前に、大荒れに荒れたレジアスが吼える。

地上本部の長と言うべき男が、娘の眼前で憤死しかねない勢いで怒りの限りをぶちまけていた。



「そもそも航空魔導師の強みとは機動力だろう!?
 それがタンク車より遅いなど何の冗談だ!!」



怒号と共に叩きつけられた拳がデスクを打つ。

その拍子に転がり落ちたモニュメントが陶器独特の高い音を鳴らして散った。

レジアスにも、デスクを挟んで立っていたオーリスにも当りはしなかったが、それでも少しレジアスの毒気は抜かれたらしい。

未だ憤懣やるかたなし。

しかし椅子には腰を下ろした。



「災害担当も陸士部隊も遅延なく動いている。
 横から出てきた本局の連中に大きい顔をされる謂れはない」

「はい、中将」



オーリスも頷く。

今回の本局のやり口は確かに誉められたものではない。

失態を隠したい気持ちは分かるが、これでよくも協力を感謝する、などと言えたものだ。



「何か無いのかオーリス。
 命がけで駆けずりまわった人間が浮かばれん」

「その件で、ですが。
 このような物を入手しました」



コツコツ、と苛立たしげにデスクを指で叩くレジアスへオーリスが一枚の写真を差し出した。

彼もそれを手に取って眺めてみる。



「先程持ち込まれた映像から切り抜いたものです。
 どうでしょうか?」

「これは……」



写っているのは複数人の男女。

背景は未だ火の手の残る空港だ。

魔導師と思しき長槍を持つ男とローラーブーツを履いた女に誘導されて一般人が避難している。

そんな画である。

逆光ゆえのシルエットに過ぎないが、それが誰なのか、特定は容易い。



「グランガイツ・ナカジマ陸曹長の隣に写っているのは、例のギンガ・ナカジマ候補生だとの事です。
 訓練校卒業後の進路も陸士108部隊を志願していると」

「そう、か。
 108に……」



レジアスの目は手元の写真を捉えつつ、見ているものは過去の残滓だった。

片や遠目にも分かる長槍、片や四肢を包むナックルにローラーブーツ

かつての首都防衛隊フォワード最前衛の布陣に酷似している。

――――いや、似ているなどと言うものではない。



そのもの、だな。



ゼスト・グランガイツ、クイント・ナカジマ。

共に自分の部下だった者達だ。

その内一人は鬼籍に入り、一人も引退を余儀なくされた。

それが今、彼らの意思を受け継ぐ者達によって蘇ろうとしている。

感動的なストーリーだ。

諸人の関心を引くのは間違いない。

加えてギンガ・ナカジマの存在は管理局地上部隊のイメージアップだけでなく、進行中の戦闘機人計画に関しても有益だ。

まさに一石二鳥である。



……いや、そう上手くいくだろうか。



望外の好機に恵まれながら、レジアスの思索はその未来に不穏なものを感じ取った。

もしギンガ・ナカジマに戦闘機人としての価値を求めるならば、彼女の素性をどうにかしてリークしなければならない。

そこが問題だ。

レジアスがその事実を知り得たのは、あくまで彼が首都防衛隊を統括していたからで、ナカジマ家の姉妹は公式にクイントらの実子という事になっている。

無論、ごく普通の人間として。

あの当時ナカジマ家に深く関わりのあった人間か、或いはタイプゼロのオリジナルを知るものしかその事実を知りえないのだ。

首都防衛隊や技術部の隠蔽工作により今や戸籍から辿る事も出来ない。



「むう……」



つまり、リーク出来る人間は自ずと限られてしまう。

現役で戦闘機人のコンビなどという余りにも都合の“良過ぎる”存在は、当然何かしら作為の疑いを抱かせるだろう。

もしも戦闘機人の取り込みが万事滞りなく運んだとして、それは確信に変わるに違いない。

そしてその時真っ先に嫌疑がかかるのは誰あろう、自分に他ならない。



となれば……いや、しかし……。



手の中の写真を凝視したままレジアスは考える。

このたった一枚の写真にどれだけの力があるのか。

どれだけ効果的に使う事が出来るのか。

それが将来にどのような影響を及ぼすのか。



「……オーリス」

「はっ」



幾つもの予測、希望と悲観。

そして“今一つ”。

レジアスは選択した。



「すぐにこの写真と映像を流せ。
 ゲルトとその娘の事は仄めかす程度で十分だ。
 それ以上は必要ない」



そう、レジアスは選択したのだ。

ギンガ・ナカジマを“人”として扱う事を。



「分かりました。
 そのように取り計らいます」



オーリスは口を挟まなかった。

恭しく頷いた彼女は一礼して退室していく。

ただ、去り際によぎった安堵の表情が全てを物語っていた。

あの誰に似たのか気真面目で頑固な娘は、ゲルトの事ですら懊悩としていた。

それより幼い少女となれば当然だろう。

例えゲルトのパートナーとして看板にされようとも、まだ人として扱われるだけマシだ。

そういう判断だったに違いない。



「…………」



オーリスが退出するのを見送って、レジアスは無言のまま背もたれへと体重を預けた。

そのまま宙を仰いで目を閉じる。

レジアスもまた、自分の決断に安堵していた。

ただしそれはオーリスの物とは些か意味合いが異なって。



“今一つ”。



それはギンガ・ナカジマを戦闘機人として利用する上で立ち塞がるもの。

それは何より手強いもの。

それは絶対に譲らないであろうもの。

それは…………。



それはゲルトだ。



ゲルト・G・ナカジマだ。

考えてもみるがいい。

あの少年が、見過ごすと思うか?

理不尽に妹を傷つけ、翻弄する運命の悉くを。

許すと思うか?

その元凶を。



「ありえん」



今度の事は今までとは訳が違う。

これまでの対応は、どちらかといえば状況の変化を傍観、あるいは少し流れを早くしただけの事だ。

だから足も付かなかった。

しかしギンガ・ナカジマの情報をリークするのは、自ら新たな状況を作り出す行為に他ならない。

そこには天と地ほどの差がある。

ゲルトが知れば只では済むまい。

眩しいものを見るように尊敬に彩られていたあの瞳は憎悪に染め上げられ、地上を守る無双の戦技はそっくりこちらへ向けられるだろう。

敵になるのだ。

あの少年――――グランガイツの姓を持つ男が。

それをこそレジアスは恐れた。

そう、恐れたのだ。



「……くっ」



想像するだに身震いが走る。

自分が中将だろうが、地上本部の総司令だろうが、そんな事は関係ない。

ゲルト・G・ナカジマという偉才を前にしてはスズメと鷹、蛙と蛇だ。

木っ葉がどう嵐に立ち向かうというのか。

この認識は何も昨日今日に生まれたのではない。

そう、もう何十年と付き合ってきた馴染み深いもの。



「祟るな、ゼスト……」



誰よりグランガイツの強壮なるを信じ、そして誰よりもグランガイツを恐れた。

誰より誇り、誰より嫉んだ。

この強烈な劣等感こそがレジアスをしてここまで引き上げたのだ。

ゲルトはそのコンプレックスを余さず継承する存在である。

いわんや、その腕前たるや現在も成長中だという。

もう数年の内にあのゼストをすら凌駕し、レジアスの想像をも超える魔人と化すだろう。

有り得ない妄想だが、戦闘機人計画など既に意味の無いものなのかもしれない。



「ふ、はははっ」



そう。

そうだった。

レジアス・ゲイズという男に、グランガイツの存在は不可欠なのだ。

何という笑い草だろう。



「地上本部総司令ともあろうものが、十四の小憎に頼らねばやってもいけぬとは、な」



それはどうしようもなく、自嘲に歪んでいた。






**********





「ここか」



自前のバイクに跨り、ヘルメットを押し上げたゲルトがとあるマンションを見上げる。

都心部の高層マンションだ。

前面はほぼ全てガラス張り、見晴らしも日当たりも最高ときている。

随分値も張るだろう。



「はやての奴、やっぱいい所に住んでるな」



給料にはやはり随分と開きがあるらしい。

まぁ、ナカジマの家も郊外とはいえ庭付きの一戸建て。

決して安いものではないが。



「さっ、て……」



エレベーターで階を上り、廊下を歩く。

程無く八神の札を掲げた部屋を見つけた。

はやて、シグナム、シャマル、ヴィータ、ザフィーラ、リィンフォースⅡの名前もある。

ゲルトはカメラ付きのインターホンに指を伸ばし――――



「んんっ、ゴホン」



一旦咳払いをして服を整え、ボタンを押した。

ドアの向こうに、特有の呼び出し音が響く。





**********





“本局”航空隊魔導師隊の活躍により民間人の死傷者はゼロ。

そのニュースを、ドアの向こうのはやて達も見ていた。

窓際に据え置かれた特注サイズのベッドの上で。

些か納得のいかない気持ちはレジアスともそう変わりはない。。



「あー、やっぱりなぁ……」



差しこむ光を腕で遮りながら、はやてが呟いた。

うん?と聞き返すなのはも、その隣のフェイトも、未だ眠りの中にいるリィンも、皆シャツを着崩したあられもない姿である。

三人とも空港から解放されてそのままベッドへ倒れ込んだので仕方もないが、ベッドの周囲には脱ぎ散らかした制服も散乱していた。



「実際働いたんは災害担当とゲルト君ら陸士部隊と、なのはちゃんとフェイトちゃんやんかぁ」

「まぁ、休暇中だったし……」

「民間の人達が無事だったんだし」



それは多分そこかしこで行われているであろう掛け合い。

そして誰もが仕方無い、と結論付けて日々の職務に戻って行く。

なのはやフェイトでさえそうだ。

ただ一人、はやてだけがその流れに逆らおうと思った。



「少数精鋭のエキスパート部隊。
 それで成果を上げて行ったら、上の方も少しは変わるかもしれへん」



それが彼女の主張だった。

これまでも幾度か考え、しかし実行する所までは踏ん切りのつかなかった夢だ。

それはそうだろう。

はやては控えめに見ても管理局の主流に乗っているとは言い難い存在だ。

はっきり言って歓迎する人間よりも疎んじる人間の方が多いに違いない。

彼女が権力を求めるのであれば、それは周囲との軋轢は必至である。



それでも。



と、彼女に一歩を踏み出させたのが今回の事件だった。

そして、その為には絶対に必要なものがある。



「でな、私がそんな部隊を作る事になったら……なのはちゃん、フェイトちゃん。
 協力してくれへんかな?」



それは信頼できる協力者の存在だ。

後援者の目星は既にあり、まず力添えを受けられるものと思っていい。

残るは部隊の構成員である。

それには自分と親しい間柄で、若く、かつ才気と実績を備えている人物が望ましい。

その辺りを考えると、なのはとフェイトははやてにとって心情的にも実務的にもまさにベストの人材だった。



「もちろん二人の都合とか進路とかあるんは……分かるんやけど……」

「はやてちゃん、何を水臭い」

「小学三年生からの付き合いじゃない」



でも、と言い連ねたその時、呆れるように溜息をついたなのはが割り込んだ。

追従するフェイトと共に、体ごとはやての方へ向きを変える。



「それに――――」



と、続けて体を起こす。



「そんな楽しそうな部隊に誘ってくれなかったら逆に怒るよ?
 ね?フェイトちゃん」

「うん」



冗談めかしたように笑う二人の心づかいが胸に染みる。

一瞬呆けたような顔を晒したはやては少し声を詰まらせ、そして最高の笑みを浮かべた。



「……おおきに」



これは、自分の我が侭だ。

二人はそれに付き合ってくれているに過ぎない。

でも、いやだからこそ。



「ありがとうな。
 フェイトちゃん、なのはちゃん」



絶対実現させるで、私は。



来訪者を告げるチャイムが部屋に響いたのは、丁度その時だ。

独特の耳に残る音が部屋に響く。

とはいえまだ八神家の家族が戻る時間でもなく、また他に予定も入ってはいなかった。



「朝から新聞勧誘とかかいな?」



目尻に滲んでいた涙を拭ったはやてが、それを誤魔化すように壁際の受話器を取る。

だが、ディスプレイに映し出された訪問者の正体ははやての想像外の人物だった。



「えっ、ゲルト君?」



管理局の制服を着たゲルトだった。

手にはケーキか何かの包みのような物も見える。



『ああ、はやてか。
 朝早くに悪いな』

「それは別にええけど、どうしたん?
 わざわざこんなトコまで」



住所は知っているだろうが、ゲルトがここを訪れた事はない。

そもそもはやては割と忙しく動き回っているので、この部屋自体にそういる訳ではないのだ。

そうなると。



「あ、もしかしてシグナム?
 悪いけど今はシグナム居らへんよ」



正確にはヴィータもシャマルもザフィーラも、だ。

昨夜の件は色々と飛び火しているらしく、皆それぞれ忙しくやっているんだとか。



『いや、今日は違う。
 用があるのはなのはとフェイトにでさ。
 いるか?そこに』

「なのはちゃんとフェイトちゃん?」



何気なく後ろを振り向いてみる。

なのはとフェイトがベッドの上からぼんやりとこちらを見ていた。



「うん、二人とも中におるで。
 ちょお待っててな、今開けるから」



少し疑問に思う所もなくはないが、ともかく受話器を置く。

しかし、“今日は”とは、また妙な言い方だ。

まるで普段からここに来ているみたいではないか。



そういえば、シグナムこの前もゲルト君とどっか行ったとか言っとったっけ?



その時はまた訓練かとも思ったが、何にせよはやての知る限りゲルトと最も仲が良いのはシグナムだ。

シグナムも悪い気はしないようで、予定がある日には珍しく上機嫌だったりもする。

確かにゲルトの身長は既にシグナムと並んですら見劣りしない程に成長しているし、共に立ち振る舞いに隙がない辺りお似合いだとは思うが。



いや、そやかて家で密会て。



……何を、するのだろうか。

はやての喉がごくりと音を立てた。

一応仮にも男と女である。

別に四六時中切り結んでいるだけの仲でもあるまい。

置いた状態の受話器を握ったまま、はやての脳裏には十四歳の想像力の限界に挑戦するビジョンが展開されていた。



例えば、そうやあのベッドなんかで……。



明かりの落とされた部屋。

小さく響く衣擦れの音。

漏れ出る吐息。

求め合い、絡まり合う体。

狂おしい光を灯す瞳は情愛に溶けて。

そして、二人は――――。



「あははー、まさかなー」



下らない妄想を断ち切って振り返る。

そんな事を言う位なら自分達はどうなるのか。

こんなベッドで、半裸で――――――って。



「はっ!?」



そして気が付いた。

はしたない想像ともそう大差ない、自分達の今の格好に、だ。

それはベッドに居るなのは達も同じのようだった。



「はやてちゃん、ゲルト君だって?」

「……そうや」

「入って来るって?」

「そう、言うてもうた」



目の合ったなのはが、確認するように聞いてくる。

フェイトもだ。

三人の心は一つだった。



「…………」



沈黙。

はやてはなのはを見た。

制服のシャツ一枚で、スカートすら履いていない。

オレンジの下着は上下ともにばっちり見える。

なのははフェイトを見た。

袖を捲り上げられたシャツは皺がそこいらに寄り、寝ぐせが強いせいで髪も大きく跳ねている。

フェイトははやてを見た。

ある意味一番マシなものの、やはりシャツの前は大胆に開いており、ひどく扇情的だ。

つまるところ、誰一人として異性の前に出られるような格好ではない。



「ふぁー……」



硬直した彼女らを尻目に、今までぐっすりだったリィンが目を覚ました。

大きく伸びをし、涙が浮かんだ目をごしごしと擦る。

そうしてようやく一言も発さずに見つめ合っているはやて達を見つけた。



「あれー、皆さんどうしたですかー?」





**********





「―――――!!」



ドアの向こうから凄まじい叫びが聞こえてくる。

次いで激しく動き回るような慌ただしい音も。

もしかしなくともまずい所に押し掛けたらしかった。



「やっぱ、連絡入れといた方が良かったか」



ゲルトがはやての自宅を訪れた理由は、そこになのはとフェイトが滞在していると聞いたからだ。

朝早くに悪いかとも思ったが、やはり家族を救ってくれた礼は直接顔を合わせて言いたかった。

ゲルトにしてみれば当然果たすべき最低限の礼儀である。

それに女性の身支度には往々にして時間がかかるものだ。



…………だから。



「別に気にしてないんだが」



例え何も言わずに外で半刻以上待たされても、である。

ようやく部屋に通され、ソファーに腰掛けた彼の前には少女が三人、いや四人か、が申し訳なさそうな顔をして相対していた。



「あー、その、ほんまにごめん……な?」

「えっと、皆寝起きだったからその……」

「ちょっと時間がかかっちゃって……」

「んん……まだ眠いですよ」



部屋の主であるはやてにリィンフォース、それにフェイトとなのはである。

各々洒落た私服に薄く化粧まで決めていた。

目を瞬かせているリィンを除き、今まで寝ていたという気配は微塵も感じられない。



「中で待っとってもらえたら良かったんやけど、部屋も散らかってて……」

「いや、だから気にしてないと……っていうかやめてくれ。
 何しに来たんだか分からなくなりそうだ」



疲れたようにかぶり振ったゲルトが米神を押えて唸る。

ただでさえ言い難い言葉が時期を損なってますます言い難くなった。

どうにかと当てを探した指先が円を描く。



「ああ、なんだ……俺がここに来たのは、だな。
 つまり――――礼を言いたかったんだ」

「お礼?」

「そう。
 そうだ」



ゲルトは改めて彼女らに向き直った。

両手を膝の上に置き、視線を巡らせていく。



「なのは」

「うん」

「フェイト」

「はい」



すっ、と息を吸い、そして吐く。

ゲルトは深く頭を垂れた。



「家族を助けてくれてありがとう。
 スバルも母さんも、二人のお陰で無事に帰ってこられたよ。
 二人は命の恩人だ」

「そんな――――当然の事をしただけだよ」

「そうだよ。
 お礼を言われる事なんて……」

「いいから。
 俺に礼儀を通させると思って素直に受け取ってくれ」



恐縮したように固辞する二人へ向け、頭だけ上げたゲルトが快活な笑みを浮かべている。

友人間にしては大げさなまでの態度だったが、ゲルトにとってはこれが偽らざる心情だった。



「スバルはもちろんなんだが……母さんも、な。
 昔の怪我で肺が弱ってるから心配してたんだ。
 あの人真っ先に逃げ出す性格でもないし。
 だから、本当に感謝してる」

「えーっと、うん。
 どういたしまして」



そう。

ゲルトは二度もクイントを失いかけたのだ。

あの日の弱った鼓動や止まりかけた呼吸は今でも忘れる事はできない。

今や彼女もゲルトにとって掛け替えのない家族なのである。

それはスバルやギンガと同じ、優劣など付けられない存在だった。

それが伝わったのか、少し困ったような顔をしていたフェイトも今は照れたように頬を染めている。



「はやてとリィンもありがとうな。
 父さんから随分助かったって聞いてるぞ」

「えへへー」

「うーん……どっちか言うたら私の方が助けてもらった感じやけどなー」



素直に頬を綻ばせるリィンとは裏腹に、はやてはどこかばつが悪いような様子すら窺えた。

指揮も全部丸投げしてもうたし、と曖昧な笑みを零している。

確かに彼女の指揮は万事抜け目なく、とはいかなかったらしいが……しかし。



「あんまり気にするなよ。
 少なくとも今回の死傷者はめでたくゼロ。
 そのお膳立てを、お前はやってのけたんだろう?」

「そうです!
 はやてちゃんは頑張ってたですよ」



そもそも彼女は指揮官として研修生に過ぎないのである。

ましてや事態は突発的で、しかも現職のゲンヤですら手を焼いたほどに混迷していたのだ。

とにかく素早く指揮を一本化しただけでも上出来。

完璧などというものがifの世界にしか存在しえない以上、犠牲が出なかったのならそれは最良の選択だったのだ。



「うん。
 ……でも、やっぱこのままじゃあかんな、ってそう思ってん」



どこか遠くを見るはやての瞳は、確かに何か一本芯の通った決意を秘めているように見えた。

それはゲルトには好ましいものだった。



「何する気かは知らないが、協力が要るんなら言ってくれ。
 出来る範囲でなら手伝ってやるよ」

「ほんま?
 私がめついから結構頼らせてもらうで?」

「まぁ、あんまり危ない橋とかは勘弁だけどな。
 これ以上父さんに迷惑はかけたくない」



ただでさえ色々と面倒を掛けているのである。

少なくとも身一つで無茶をやれる身分で無いこと位は承知していた。



「大丈夫大丈夫。
 そんな難しい事とかやないから」

「ふぅん?」

「実は今居る部隊の研修期間がもうすぐ終わりでな。
 それで、出来れば108の所で次勉強したいと思ってるんよ。
 ……どうかな?」

「なるほど」



少し考えてみるが、特に問題は無いように思える。

結局は部隊長である父次第とはいえ、空港での面識もあるしすんなり受け入れられるだろう。



「分かった。
 話はこっちで付けておく。
 来期からでいいんだな?」

「ばっちりや。
 ありがとうな、ゲルト君」

「いいって事よ
 ――――っと、もうこんな時間か。
 悪い、俺はそろそろお暇させてもらうわ」



腕時計に視線を落としたゲルトが僅か慌てたような動きで席を立った。

すぐに出るつもりが、思わぬアクシデントで意外に時間が経ってしまっていたのだ。



「え……もうか?」

「珍しく集まったんだし、もう少し話していかない?」

「すまん。
 そうしたいのは山々なんだが、この後ちょっと病院に用があるんだ」



別に大きな怪我があった訳でもなし、スバルもクイントも今日には家に帰れるとの事。

見舞い兼、言わばその付き添いである。



「あ、もしかして妹さん達のお見舞い?
 なら私も――――」

「あーいやいいから、お前等は休んでてくれ。
 疲れてるだろうに朝から悪かった」



玄関へ足を向けながら、付いて来ようとしたなのはをやんわりと制する。

ゲルトは靴の爪先を二度三度と床にぶつけて調整し、もう一度はやて達の方を振り返った。



「ほんと、色々ありがとな。
 また今度どっかで集まろうぜ」

「ええなぁ。
 そん時はシグナム達も呼んどくわ」

「おう、楽しみにしてるぞ。
 ……それじゃあな」

「またね、ゲルト君」

「ばいばい」

「さよーならー」



手を振るのを最後にドアが閉まり、その向こうにゲルトの姿も消えた。

玄関口に立つはやて達はしばらくそのままドアを見ている。

が、やがて部屋へと引き返し出した。

ゲルトの言う通りもう少し休むか、それとも、と考える内、なのははふとある事を思い出した。



「そういえばはやてちゃん、ゲルト君を誘わなくてよかったの?」



思えば、そうだ。

ゲルトが来るついその前まで話していた新部隊。

そのメンバーとして不足する所は何も無いように思われるが、はやてはその件に関して何一つ言及していなかった。



「それは私も思った。
 多分だけど、誘ったらゲルトだって来てくれたよ?」

「う~ん、それなぁ……」



フェイトもなのはに追従するが、はやてはしかし難しそうに言い淀んだ。

彼女はベッドには向かわずリビングの席につく。



「ゲルト君の所は……結構、しがらみ多いんよ。
 前線部隊から最大戦力引っこ抜くっていうのも、ちょっと気が引けるし」

「あー……」



それには納得せざるをえなかった。

なのはは教導隊であるから通常任務のようなものは殆どない。

特別に余所から応援の要請を受けたり講習の依頼を受けて出向くだけで、基本的に代わりはどうとでも利く。

フェイトに至ってはそも特定の部隊にすら所属していない。

やろうと思えばどこまでも働く事が出来るが、逆に言うと時間を作る事も比較的容易だ。

ところがゲルトはそうもいくまい。



「ゲルト君陸士部隊のエースだもんねぇ」

「武装隊のエースオブエースが言うたらちょっとアレやけど……まぁ、そういう事や。
 ほんまは来て欲しいんやけどね。
 どっちみち部隊の話やってすぐどうかできるもんちゃうし、もう少し考えてみるわ」

「その方がいいかもね」



部隊も、改革も、全てはまだ構想の域を出ていない。

何もかもこれからだ。

やらなければならない事は他に幾らでもある。



「でも、五年や。
 遅くてもそれまでに絶対自分の部隊を作る。
 色々大変やと思うけど、二人とも、これからもよろしくな!」

「うん」

「頑張ろうね」



なのはも、フェイトも、そしてもちろんはやても、皆未来を見ていた。

管理局を、この街を、この世界を、そしてその先までも変えてやる、とそう希望に満ちていた。

それは彼女達が産まれるよりも前にゼストやレジアスが共に夢見たものと何ら変わりない。

彼女らが管理局を担う時代にはどんな世界になっているのだろう。

そして彼女達自身は?

彼女らは今日と同じ瞳で未来を見つめられるだろうか?

それはまだ、誰にも分からない。



「リィンだって頑張りますよー」

「ごめんごめん、リィンも手伝ってな」

「はいです!」



しかし今、彼女達は確かに足を踏み出した。





**********





結局、ゲルトがクイントのいる病院に着いたのは正午も近くになった頃だった。

一緒に泊まったスバルも、そして先に108隊舎を出ていたギンガもそこにいた。



「――――で、どうなんですか。
 実際調子の方は」



クイントは私服のままでベッドに腰かけている。

ゲルトは近くにあった丸椅子を引き寄せ、座りながら声を掛けた。



「もうなんともないわ。
 ほらほら―――ね?」



クイントはゲルトへ見せるようにぐるんと腕を回してみせる。

変な気の回し方はしない人だ。

ゲルトも安心して肩を撫で下ろせる。



「このまま帰ってもいいって話だし、お友達のお陰ね。
 お礼言っておかなきゃ」

「礼ならさっき直接訪ねてって言ってきましたよ。
 ―――スバル、お前の分もな」



傍に居るスバルの頭を乱暴に掻き撫でた。

笑ってじゃれているのを見た限り、こちらも大した怪我は無いように見える。

せいぜい膝に張られた絆創膏位のものだろう。



「お兄ちゃん、なのはさんに会ってきたの?」

「朝一でなー。
 お前の事も心配してたぞ、アイツ」

「ほんとに!?」

「お、おう……」



その言葉を聞いたスバルが突然瞳を輝かせて見上げてくる。

流石に戸惑ったゲルトが同じように隣で座っているギンガに視線を送ると、何と言うべきか彼女自身迷っているような、そんな微妙な笑みが返ってきた。



「何だかスバル、なのはさんに憧れちゃったらしくて……」

「なのはに?
 そうなのか? スバル」

「うん!」



本当らしい。

いや、確かに憧れる気持ちは分からないでもない。

いわば自分が最初にゼストへ抱いた憧憬と同種のものだろう。

スバルは小さかったからよく覚えていないかもしれないが、多分ギンガも母さんに同じような感情を持っていると思う。



「なのはさん、こーんな大っきな女神様の像を受け止めたんだよ!?
 何か光ってるリボンみたいなので!
 私怖くて目を瞑ってたけど、あれも魔法なんだよね?」

「ああ、多分バインド系の応用だろうな」

「やっぱりそうなんだ。
 ――――あ、そうそうそれでその後がすっごいんだよ!
 ビーム一発で天井に穴が空いたんだから!
 ビームだよ、ビーム!」



凄かったなぁ、とスバルは未だ興奮冷めやらぬ面持ちだ。

これは心酔の度合いも相当なようである。



「やっぱりエースって違うんだね。
 魔法は魔法でも、ただ傷つけるだけの力じゃないっていうか、何て言うか……」

「あらスバル、それを言うならゲルト君だって凄かったのよ?
 ね? ギンガ?」

「え!?
 それは……」



それまで微笑ましそうにスバルを見ていたクイントが、口を挟むようにギンガへと話を振った。

一方当のギンガはと言えば口をまごつかせながら顔を俯かせ……しかし。



「……うん。
 格好良かったよ」

「…………」



チラチラこちらを見られたとて、何も言う事はない。

思い出せば随分自制の外れた叫びを上げていたような気もする。

どうにも居心地の悪さを感じながら黙るしかなかった。



「どういう事?
 お姉ちゃんって、お兄ちゃんが助けたの?」

「そうよー。
 ギンガ目掛けて落ちてきたフロア、全部まとめて支え切ったらしいわ。
 流っ石だわね」

「す、凄っ!?
 ホントなの!?」

「ん……まぁ、な」



ゲルトは適当にぼかしながら頷いた。

ファームランパートは魔法ではないが、やった事に違いはない。



「そうなんだ……お兄ちゃんも……」



そう呟いたスバルはふと黙考の素振りを見せた。

今までの呆れるほどの昂揚は途端に形を潜め、何か重大な決心を下す前のように静まり返っている。

その不思議な間にゲルトやギンガが顔を見合わせ互いに首を傾げ合う。



「ねぇお母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん」



そうしてスバルは頭を上げた。

小さな手を握り、ゲルトら三人へと順繰りに視線を送っていく。



「私……私ね」



口を開こうとしながら、一瞬躊躇った。

酸欠の魚のように幾度か口を閉じ、開き。

しかし唇を噛んでもう一度。



「私、管理局に入りたい!
 こんな私だけど……なのはさんみたいに、皆みたいに、誰かを助けられる人になりたい!」



その言葉に、誰も反応出来なかった。

ゲルト、ギンガは勿論、いつも泰然とした姿勢を崩さないクイントですらその目を丸くしている。



「……ほ、本気……か?」



ゲルトがどうにか絞り出せたのはそんな言葉だった。

それほど思いもよらぬ事なのである。

しかしスバルは頷きで返した。



「局員になるって、魔導師になるって事よね?」



ギンガは確認するように聞き返した。

耳を疑ったといってもいい。

スバルはまたも首を縦に振った。



「駄目とは言わないけど……また急ね」



最後のクイントは苦笑いだ。

今まで何かと訓練を避けていたスバルが、ここに来ていきなり入局を希望する。

憧れる気持ちは分からないでもないけれど、それだけでやっていける様な職業でもない。

暗にそう告げていたが、しかし今度もスバルは頷いて。



「それでもやりたいの。
 ようやく力の使い方、分かったような気がするから」



ずっと怖かった。

先天的に授かった特殊能力はゲルトと違い対象の徹底的な破壊を目的とし、魔法系統ですら対人戦に特化している。

どこまでいっても何かを傷つける事しかできないのではないか、と。

それは研究所時代の記憶など遠く霞に消えてしまっても拭い切れず、重い楔としてスバルの心に打ち込まれていた。

だけど。



「この手の魔法は壊す為じゃなくて、守る為の力。
 今は、そう思える」



炎の中からぽっかり覗いた夜空を見上げたあの時、もうスバルの心は解き放たれていたのだ。

戦闘機人ゼロサードも、家族の後ろに隠れていた臆病な少女も、もういない。

いるのはただ、憧れの背を追う一人の魔導師!



「――――だから!」



初めての決意は熱く胸に燃えていた。

それは彼女の人生全てを塗り替える程に美しく輝いて。



「今度こそ、私は逃げない!」





**********





それから幾らかの時間が経った。

空港火災の騒動もニュースからは殆ど消え失せ、誰もがそれぞれの日常に邁進している。

ここ、ナカジマ家の庭先でも。



「八十七!……八十八!……八十九!」



何度となく同じ軌道を通り、ナイトホークが風を薙ぐ。

袈裟懸けの反復動作。

振るうゲルトは袖のないスポーツウェアで、息も荒げる事無く正確な素振りを繰り返している。

近くに立つギンガもそう。



「はっ! てやぁ!」



型をなぞって右正拳。

流れるようにハイキック。

早朝のいつもの光景。

だが、変わった事もある。



「はぁっ! やぁっ!」



スバルも参加するようになった事だ。

すぐに音を上げるのでは、というゲルトの淡い期待も裏切り、驚くほどの熱心さで毎日の訓練に臨んでいた。

今もクイントからマンツーマンの指導を受けつつ、つたないながらギンガの動きをトレースしている。



「九十九!……百!」



内心複雑ではある。

父ゲンヤもそうだったが、やはりゲルトはスバルの局入りに反対だと言っていい。

そもそも性格的に競争など向いていない上、出来るならスバルには幸せに生きて欲しいという願望もある。

ではなぜ今容認するように口出しもせずにいるかといえば、



母さんに丸め込まれたんだよな……。



ゲルトはやれやれと宙を仰いだ。

結局スバルが局に入るかどうかは先延ばし。

一先ず鍛えてみて、それから再びスバルの意志を問う、という形で収まった。

期間は無制限。

ただし少なくとも今の学校はきちんと卒業する事。

それが最低限取りつけた条件である。

つまりはスバルの根気次第だ。



けどまぁ、いっぺん始めたら止まらないだろ、どうせ。



それはほぼ確信に近い予感であった。

あれで間違いなくクイントの血を引いている。

一歩をさえ踏み出してしまえば、あとはもう周りがどう言おうと曲がるまい。

業腹だが、



「この子を籠の鳥にしたいの?」



とまで言われては返す言葉もない。

あれだけの大言を放つ程だ。

スバルにはスバルなりの覚悟もあろう。



「まったく……」



ナイトホークを地面に突き立てたゲルトが心底重い息を吐く。

どうにもこうにも。



「蝶よ花よと大事に囲って、それで満足するのは我が身のみ、か」



埒もない。

ただ自分が戦うだけでいいならどれほど楽だったろうか。

ふぅ、とさらにもう一息。

……時間だ。



「俺はそろそろ上がるぞ。
 ギンガもそこまでにしとけ」

「あ、はーい」

「スバルと母さんはどうする?」

「んー……」



こちらとクイントとに視線を彷徨わせたスバルが間を置いて。



「もうちょっとやってみる!」

「だそうよ」

「そうか。
 あんまり無茶させないようにお願いしますよ」

「はいはい。
 お母さんに任せなさい」



後ろ手に応じながらゲルトは踵を返して家へと戻った。

とりあえず着替え。

いつも通りにネクタイを締め、着慣れたカーキ色のスーツに袖を通し、腕時計をはめる。

が、ふと見た鏡の中の自分は普段と同じ、とは言い難かった。



「しけた面してんなぁオイ」



それもその筈。

今日のメインイベントは、むしろこれからなのだから。



「兄さん、準備できた?」



背後で部屋のドアが開き、自分と同じ色の制服を着込んだ義妹の姿が目の前の鏡に映る。

シワも汚れもない、真っさらの新品だ。

今日初めて下ろされたのだから当然である。



「ああ、今行く」



ゲルトは今日何度目かの溜息を漏らした。





**********





「……そういう訳で、今日から陸士108部隊に出向してきました、八神はやて一等陸尉です。
 限りのある期間ですが、しっかり勉強させてもらいます。
 どうぞよろしく」

「お付きのリィンフォースツヴァイ空曹です。
 よろしくお願いしますです!」



そして。



「本日付で陸士108部隊に配属になりました、ギンガ・ナカジマ三等陸士です。
 至らない所もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします!」









(あとがき)

ええと、かなり遅ればせながら生存報告。

一時は舞さん大丈夫か!?と心配してたので、Arcadia存続にホッと一息です。


さて、それで今回の内容ですが、一山越えた!ってのが大きいですね。

それだけに今回視点移動が多くてややこしかったかと思いますが、どうにかこうにかまた少し時間が動きました。

これでようやくゲルト・ギンガコンビが正式に誕生、&はやてらも加入!

この先はまた当分オリジナルストーリーという事になりそうです。


それではまた次回!

Neonでした。



[8635] 超人舞闘――激突する法則と法則
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2011/05/13 01:23
「八神とリィンフォースの嬢ちゃんには、これから俺の補佐をしてもらう事になる。
 ギンガの方は見習いからだ。
 一応フォワードとしてはそこそこ仕込まれてるからな、まぁ期待してくれ」

「お、お手柔らかにお願いします」



悪戯っぽく笑うゲンヤとは対照的に、ギンガの額には汗が一筋。

緊張しているのは誰の目にも明らかだった。

もっとも、部隊初合流の新人である事を思えば無理もない話ではある。



「んで、ギンガの面倒はゲルトに一任する。
 仕事をきっちり教えて、訓練も適当に見てやるように」

「了解しました、部隊長」



周りから向けられる面白がるような視線は無視。

ただ正面から向けられるギンガの“聞いてない”、というアイコンタクトには肩を竦めて見ない振りをした。

ともあれ、これからはコンビなのである。

それにしても、



「これからよろしく。
 ナカジマ “三等陸士”」

「う……よろしく、お願いします。
 ナカジマ “准尉”」



どうなんだろうか、この呼び名。

ギンガもそう思っているだろう。

部隊の心も一致していた。



「なんや分かりにくいなぁ」

「ナカジマさんが三人ですから、しょうがないですけど……」

「部隊長は仕方ないとしても、二人はせめて名前で呼ばせてもらった方がいいかも」

「まぁ……それもそうだよな」



一理ある。

どのみち、ゲルトにとっては普段の呼び方になるだけの事。

ギンガにも慣れてもらうしかないだろう。



「仕方無いな。
 ギンガ、名前で呼べ」

「わ、私が!?」

「まさか“兄さん”で通す訳にはいかないだろ。
 “准尉”だけでも分かり難いしな」



素っ頓狂な声を上げる程の事ではない。

ゲルトも極力ゲンヤに対し“父さん”などという呼び方はしないようにしている。

となるとこの場合、ギンガがすべき呼び方は一つだ。



「本当に、名前で……?」

「けじめだ、割り切れ」

「うう……」



それでもギンガはなお迷うように言い淀んだ。

視線を下げてまごついている。

しかしやがて観念したのか、彼女もおずおずと口を開いた。

喉の奥で練習するように一度、二度とその名を呼び、



「ゲ……ゲルト、准尉?」

「何で疑問形だ」



くっくっ、と漏れ出ぬよう笑いを噛み殺す。

慣れぬはどちらも同じこと。

だが、今ここに居るのはナカジマ家の長女ではなく、またゲルトの妹でもない。

少なくとも、建前上は。



「まぁいい。
 こっちじゃ家とは違って厳しくいくからな」



覚悟しろ、と脅かすゲルトの言葉とは反対にギンガの顔は輝いていた。

何故だか嬉しそうに。



「……はい!
 ご指導のほどよろしくお願いします!」



そこで軽く手を打つ音が響いた。

乾いた音が二発。

ゲンヤだった。



「よーし。
 挨拶も済んだし仕事始めるぞ、野郎共。
 おら散った散った」

「うーい」



不満気な顔をする者、切り替えた真面目な者、反応は様々だったが、皆それぞれの持ち場へとぞろぞろ動き出す。

残るのは何も分からぬギンガにはやてにリィン、それに初めて世話役などを仰せつかったゲルトのみである。



「ええと、ナカジマ三佐。
 私達は何をしましょうか?」

「何でもお手伝いします!」

「ああ、そうだな……。
 つってもいきなり任せる事もねぇし、とりあえずウチに慣れてもらう事からか……」



はやてらと話していたゲンヤとゲルトの目が合う。

それだけでゲルトは全てを察した。



「んじゃゲルトに付いて案内してもらってくれ。
 気心も知れてるから楽だろ?」

「了解しました」

「お気遣いありがとうございます」



それはそうだろう。

友人であるゲルトに任すのは至極当然の事だ。

ただ問題なのはこれからもそれが慣例化しないか、と言う事で。

今からギンガの教育もあるというのにはやて達まで任されても対応しきれないな、と思いつつ。



「そういう訳でこっちも頼んだぞー」



しかし、一介の陸士を標榜するゲルトの返事は決まっていた。



「……了解」





**********





といって隊舎の案内などで特に困る事もない。

捜査部に整備部、車両庫、食堂、資料室に休憩室、その他色々。

そして今は部隊長室へ。



「八神一尉はこのデスクを使って下さい。
 必要物は後で事務に申し付けを」

「えっと……ゲルト君?」



部隊長室の隅におかれた真新しい机。

新品の道具類。

全てこの日の為に用意されたものだ。



「わー! 私の机もちゃんとあるです!」

「割と時間があったからな、特注だ。
 気に入ってくれたか?」

「もちのろんです!
 ありがとうございます、ゲルトさん!」

「どういたしまして。
 存分に使ってやってくれ。
 その方がこいつの為だしな」



ゲルトがリィンに強く出るというのはまずもって無い。

他に厳しく、何より己に厳しい彼でも幼子まではどうしようもない。

差別と言われたなら区別だ、などと彼らしくもない詭弁を述べる位には甘い。



「なぁゲルト君」

「なんでしょう、八神一尉」

「いや……切り替え早いなぁ、と思って」



実際、ゲルトの態度は徹底していた。

一本気な性格だからある程度予想は出来ていたが、基本的に上官への対応には妥協しないようだ。

少なくとも他人の目がある状況では。



「私は実効的な権限持ってる訳ちゃうし、別に普段通りでええんちゃう?」

「そういう訳にもいきません。
 外部の方相手だからこそ通すべき礼儀もあります」



言いながらギンガの方へ視線を送るゲルトの、音ならざる声は明白だった。

ギンガの手前、そんな特別扱いは出来ない、と。

ここまで言われてははやてもどうこうとは思わない。



「真面目やなぁ」

「生憎と不器用でして」



二人して、ゲルトのそれは口元に過っただけだが、笑みを交わす。

気を許しているのだろうとは分かった。

それは傍で見ていた人間が、で。



「……仲が、宜しいんですね」



ギンガが物言いたげな目でこちらを見ていた。





**********





何馬鹿な事言ってるんだろう?



言ってしまってから、ギンガは思った。

“友達”の二人が親しげに話す位、何もおかしな事はない。

ようやく部隊に配属されたとはいえ、たかだか“義妹”に過ぎない三等陸士より優先されるのも当然の話。



「まぁ何やかんやでゲルト君とも結構長い付き合いやからなぁ」

「高町一尉ともほぼ同じくらいだから……四年と少しですか」



自分は物心付いた頃からだ。

……だからどう、という事も無いが。



「なのはちゃんが入院しとった頃やもんな。
 でも、あの時は驚いたんよ?
 シグナムと初っ端からガンガン戦ってるし、結局勝ってもうたし」

「あれはいい経験になりました」

「今でも、やろ~?
 カリムから聞いてんねんで?
 折角教会に来たと思ったらすーぐ二人の世界で妬けてまう――やって」



八神一尉が詰るような仕草で兄の肩を突く。

別段ゲルトもそれを振り払おうとするような素振りは見せなかった。

彼女の好きなようにさせて、そしてこっちを見ようともしない。

知らず、手には力が入っていた。



私の担当なのに……。

私の……。



やり場のない感情を持て余し、ギンガは顔を伏せる。

構ってもらえなくて、なんて我ながらいじけた子供のような理由だ。

だが、



「どうした」

「えっ」



不穏な気配を察したのか。

声は間近から聞こえた。



「兄さ――准尉!?」



はっと視線を上げた彼女の目はゲルトの顔を大写しで捉えた。

ゲルトがギンガの顔を覗き込んでいる。

対する兄の瞳の中に自分の姿を見つけられた。



「顔が赤いぞ」

「そ、そんな近くに来られたら当たり前ですっ!」

「それもそうか」



分かっているのだかいないのだか。

ゲルトは神妙な顔をして体を退いた。

それでも頬に集まった血はそうそう抜けてはくれない。



「で、どうかしたのか?」

「はっ? え?」

「急に黙り込んだからな、気になった」



ゲルトは言って淡く表情を緩めた。

ひいき目“有り”で見るとこんな何でもない笑みが、精悍でかつ優しげに見えるのだから困る。



「変に緊張しなくていい。
 仕事も何もゆっくり覚えて行けばいいからな」



悲しいかな、彼の見当は筋違いだ。

でも、現金なこの胸の心臓はそれでも満足だったらしい。

こんなに簡単に言い包められてしまうのだから。



……卑怯だわ。



それでも口端が上がる。

眉が下がる。

浮かぶのはどうしても笑みでしかなかった。



「はい、ゲルト准尉……」



ただ真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。

構わない。

私は彼の望むまま、彼の特別でありたいのだから。



「そっちの仲の良さも相当やな」

「仲良しさんですねー」



羨ましいわ、と笑う言葉でようやく二人きりではない事に気が付いた。

ニコニコと面白いものを見つけたような顔のはやてに、純粋そのもののリィン。

真っ赤に染まった顔を隠す為、ギンガは再び顔を伏せる事になった。





**********





「それにしても、そのお歳でもう一尉なんて凄いですね。
 やっぱり何か目標とかあるんですか?」

「とりあえず、自分の部隊は持ってみたいと思ってる。
 ただ、色んな所に喧嘩売ってまうやろうってのが頭痛いんやけど」



オチのついたはやての、パスタの絡められたフォークがぱたりと力を失う。

道化染みた仕草の一方、それが真実厄介なのだろうとはギンガにも分かった。



「それは……ただのやっかみじゃないんですか?
 あまり気になさらない方が……」

「それはそうやねんけどね……」



レアスキル保有者への優遇措置は最早公然の秘密である。

が、適切な人員を適切な場所に、の考えを用いるならそれは全く以て正しい対応であって。

ましてや失敗の許されない職務であれば尚の事。

それをどうこうと文句を付けるのは甚だ筋違いと言わざるを得ない。

ギンガはそのように弁えている。



「でも凄い言うたらギンガも中々やんか。
 あの空港の時、現場初めてやったんやろ?」



あまりこの話題は面白いものではない。

はやても早々に話題を切り替えた。

ちなみに、休憩時間という事で皆呼び方も自由にしている。



「はい。
 といっても殆ど兄さんの後を追っかけてただけなんですけど、なんだか大袈裟に報道されちゃって」

「それはしゃあないわ。
 なんせ“鋼の騎士”の妹兼一番弟子やし。
 どうなん? そこの所、お師匠的には」

「ん?」



突然話を振られたゲルトはベーコンを口に放り込んだ所だった。

念入りに味わうよう、何度も咀嚼。

はやての言葉に答えようとした時にはもう何も残ってはいなかった。



「……あまり期待され過ぎても困るな。
 調子には乗らないだろうが、まだひよっこなのは違いない」

「おお、評価高いな。
 やっぱり腕前の方も中々やるんか?」

「さて……。
 訓練校で鈍ってなければ、芽の一つもあるだろうが……」

「……っ!」



ゲルトの流し目がギンガへと注がれる。

それは値踏みするようでありながら、絶対の信頼を告げるものでもあった。

ギンガの根幹に電撃に似た痺れが走る。



「丁度案内も終わったしな。
 食後の軽い運動にでも付き合ってもらおうか」

「是非……是非お願いします!」



思えば訓練課程を終えて初めての手合わせになる。

共闘は空港の時に一度。

だが、互いにそれぞれの手続きやら仕事やらで忙しくこうした時間も場所も取れなかった。



「見せます。
 私と、そしてペイルホースの力を」



今日から始まる。

遠い背を追う日は終わり、手を伸ばせば届く距離まで来た。

支える事も出来るかもしれない。

それも全て、今日から。





**********





対峙する。

演習場の土を感じつつ、ギンガは対手を正面に頂いた。

最高の敵手、地上最強と信じる騎士を。



「ルールは今更説明するまでもないな?」

「はい、分かってます」



降参するか、拘束されれば負け。

当然気絶を含んだ諸処の戦闘不能も同様。

戦闘範囲はシールドされたエリア内全域。

この境界を超えても負けである。

そして、フルドライブの使用も禁止。

これは当然ながら心身に掛かる負担を鑑みての規定だ。

いつ何時どんな事件が起こるやもしれない以上、過度の疲弊は許容されざる怠慢と言える。



「ならいい。
 今日は俺も手加減無しだ」



ゲルトが気負い無く伸ばした右腕に、ナイトホークが顕現する。

同時に黒衣のバリアジャケットも、手甲も脚甲も現れる。



完全武装――――本気だ。



今更、ナイトホークを手にしたゲルトの技量について語る必要はないだろう。

ただ間合いの伸張と言うだけでは有り得ない。

そも彼のファイトスタイルとは長物ありきが前提であって、徒手空拳の技などはどこまでいった所で手慰みに過ぎないのである。

それですらギンガは過去圧倒され続けた訳だが。



「あの兄さんには、まだ触れた事もないんだよね」



拳撃の距離まで接近するだけで至難。

さらに致命打を加えるとなると、これはもう神懸かりでも期待するより他はない。



「出来るかな?」



胸元のペイルホースに声を掛ける。

あまり不安気な色も見えないのは成長の賜物か。



『踏み破る。
 其の他は知らず』

「……だね」



彼の言葉はいつもこれだ。

それでいい。

本当にそれしか無いのだから。

それを極めるしか無いのだから。



「ペイルホース、セットアップ」

『了解』



腕が、足が、武装されていく。

最早慣れ親しみ、心地良ささえ覚えるこの感触。

濃紺のライダースーツ、スカート、黒地に薄紫のラインの入ったジャケット。

バリアジャケットも万全だ。

足元から伝わる力強いエンジンの鼓動がギンガを昂揚させる。



「すー……」



大きく息を吸う。

昂りの中にも一つの冷静さを確保。

スタンディングで構えを取る。

ギンガの瞳は真っ直ぐにゲルトを見つめていた。



「参ります、“騎士”ゲルト」

「おう。
 来い、“騎士”ギンガ」



体を落とす。

ペイルホースの唸りは、もう急かすように低く轟いている。

それを止めるつもりもない。

そうとも。



「踏み破る、だけ!」



一切の躊躇なく、ギンガは飛び込んだ。





**********





「ギンガ、えらいゴツイの使うんですね……」



随分離れているというのに、ペイルホースの唸りは音だけでなく震動としてはやてにも感じ取れた。

比喩ではない。

内臓に直接響くよう、本当に地面を伝って来るのだ。

見た感じあまり苛烈なタイプには見えなかったが、心胆にはそういう部分もあるらしい。



「初めて見たら驚くだろ?」

「はい、そりゃもう」

「あれがスピードに乗ってくるともっと凄いぞ。
 今度は耳に響くたっかい音でな」

「……暴走族もびっくりですね」



無論、見た目が派手なだけの珍走団などとは全く次元の違うマシンパワーなのだろう。

そのような虚仮脅しの代物とはとても思えない。

あの咆哮にはそれだけの力があった。



「ま、見てな。
 あいつも足が速いだけじゃねぇよ」



笑うゲンヤは誇らしげだ。

どう言った所でやはり家族なのだろう。



少し、羨ましいな。



はやては視線を演習場の二人へ戻した。

折しも、それはギンガがゲルトへ突撃した瞬間でもあった。





**********





空気の壁が厚い。

ペイルホースが猛るままに加速するギンガは、当然の如く大気の抵抗を貫いて走る。

髪は棚引き、ジャケットははためく。



「ペイルホースっ!」

『ロードカートリッジ』



カートリッジが弾け飛ぶと同時、ギンガの左腕でスピナーが超回転。

外部モーメントによるジャイロ効果抑制の為だろう、スピナーは前後で逆方向に回転している。

ベルカ系が全般的に苦手としている射出魔力圧縮の補助機構だ。

振りかぶる腕に、絡み付くが如き力を感じる。



「リボルバーシュートォっ!」



振り抜く動きで回転する衝撃波が飛翔。

過たず、悠然と構えるゲルトへとその牙を剥く。

が、



「温い!」



一撃の下に斬って捨てられた。

真正面から迫る脅威に対して、ゲルトは躱すような素振りも見せない。

とはいえ、こんなものだろう。

牽制は牽制でしかない。



次っ!



『ウイングロード』



お次はギンガとゲルトを結ぶように、彼の直前まで光の道が走る。

母譲り、十八番の魔法。

ウイングロードという確かなトラックを得た事でペイルホースも乗ってきた。

一段階以上、一息に速度が上がる。



「うっ……!」



急加速のGを食い縛った歯で噛み殺す。

ホイールが喰らい付くように路面を捉える、この究極的な二次元面こそがペイルホースの住処である。

エグゾーストノートは重低音から耳をつんざく高音へと変化しつつあった。

更に加速していく体。

それそのものが一発の弾丸になる。

ギンガは更に姿勢を下げた。



「ぐぐ……っ!」



魔獣の加速に距離は必要ない。

音は消えた。

世界も消えた。

在るのはゲルトのみ。

目標は、ゲルトのみ!



一歩でも近く!

少しでも前へ!



チャージ。

詰まる所ギンガには突撃しかない。

飛び込むのだ。

ゲルトの間合い。

もう一瞬。



恐がるな。



「はああああああぁぁぁ!!」





**********





突っ込んでくる?



ギンガは全くブレーキを踏む様子もない。

思いもよらぬ力技である。

ゲルトも多少、驚きはした。

だが、その信じられぬ加速でも間合いを誤る彼ではない。

一瞬の何十分の一かという時間で正確にそのタイミングを見抜いてのけた。

そこに捻じ込むだけの技量もある。

むしろ課題はその後。



加減、できるか……?



相対速度が異常だ。

刃先が触れるだけでギンガを殺しかねない。

だが、そんな葛藤こそ殺される羽目になる。

予期もしない新たな動きのせいだ。

ゲルトの眼前、視覚の外から、



「む――――」



ウイングロードが跳ね上がる!

その意図とは。



壁、か?



それはゲルトの視界を遮るように立ちはだかって、ギンガの姿を覆い隠した。

もう次の瞬間には間合いに入るギンガを、だ。



どうする。



どうするのか。

ジャンプ台――スキーで言う所のカンテを想起させる斜面の向こう、もうそこにギンガは居る。

居るのだ。

見送るか?

有り得ない。



「おおっ……!」



思考の入る余地も無い世界で、ゲルトの体は半ば自動的に動いた。

知覚できぬ心の何処かでそうしようと思ったのかもしれないし、危険に対するただの反射だったのかもしれない。

右上から左下へ。

ウイングロードごとギンガを薙ごうと、袈裟にナイトホークが流れていく。

ヘッドスピードは出来る限り弱め、しかし確実にギンガを捉える。



斬!



ナイトホークはその威力を証明してみせた。

防壁でもないウイングロードなどは歯牙にもかけない。

ゲルトの腕には手応えらしいものもなく、あっさりと裁断してのけた。



……いや。



足りない。

ギンガを打ち据える重さはどこにいった?

そして気付く。



エンジン音は、まだ……。



「でやあああぁぁぁぁ!!」



霧散したウイングロードを突き抜け、ギンガが迫る。

姿勢低く、地を這うように。

距離は至近。



反撃は無理か。



自身暢気とも言える感覚でそれを見つめていた。

致命的な威力を秘めた拳が伸びる様すら。

となると。



「IS、発動」



受け止める。

脇腹目掛けて打ち込まれた拳がテンプレートに遮られ、空中で静止する。

もちろん、一撃で人間をダウンさせうる拳がただで止まる訳がない。

重い打音も、摩擦で生まれる火花も、消費しきれないエネルギーが物理現象として現れていた。



「ここっ!」



しかしこれも織り込み済みだったらしい。

驚いた様子も見せず、ファームランパートの向こうでギンガが更に踏み込む。

新たに打音。

それでもテンプレートは揺るがない。

更に三発目――――をフェイントに回り込む。

障壁の死角から顔面狙いの右フック。



中々どうして……。



一つ一つの挙動に躊躇いが無い。

これは事前に相当練ってきているだろう。

この日の為、対自分用の策か。

だが、イメージの通り動く事に固執し過ぎだ。



「足元が甘い」

「きゃっ!?」



瞬時に体を落としたゲルトがカウンターで軸足を刈り取る。

重心が前に寄っていたギンガに、これに抗する術は無い。

そして。



「食い縛れ。
 噛むぞ」

「~~~~!!」



空中にある内、無防備なその腹を蹴り飛ばす。

警告は聞こえていたようだ。

ボールのように吹き飛びながら、意識は保っている。



「くっ!」



そして身を捻っての着地も上手くやった。

ゲルトから視線を外さず、地面を滑る。

無様に転ぶようならどうしてやろうかと思っていただけに、そこは安心できた。

口端を釣り上げたゲルトが犬歯を剥く。



お陰で遠慮なく仕掛けられるな。



追撃。

いやさ、猛追と言い換えてもいい。

ギンガが立て直すよりも早くゲルトは彼女を間合いに収めていた。

間近に迫ったゲルトを捉え、ギンガの表情に焦りが走る。



「これで終わりかぁ!」



踏み込みを乗せ、突く。

線ではなく点での攻撃。

だからこそ速い。

が、ギンガも諦めてはいない。



「っ、まだ!」



翳した手の平に三角形のシールドが展開。

先のゲルトと同じように、ナイトホークの切っ先を受け止める。



「うぅっ……!」



しかし拮抗というには辛い。

今もナイトホークの切っ先がジリジリと沈んでくる。

その最中、独特の重音が聞こえた。



「――――!?」



金属が擦れるような。

何かが飛び出すような。

炸薬式の、カートリッジの……音!

背筋を凍らせた衝動は、逃げろ、と言っていた。



いけない!!



感覚に逆らわず、全力でギンガは後退する。

ローラーブーツだからこそ可能な、前進とほぼ同速でのバック走。

ナイトホークがトライシールドを貫通したのはまさにその一瞬後であった。

それでも身を捩り、なんとか穂先を外す。

だというのに触れもしない刃が放つ圧力はギンガを恐怖せしめるに十分であった。

もし当たっていたら―――いや。



掠めでもしてたら!



容易に想像がついた。

そして、まさにゲルトは本気なのだ、という事も。

それにまだ終わっていないという事も。

手足は恐怖に縛られていない。

もちろん心も。



でも、一端間合いは置くべきね。



広いステージが要る。

もっと、もっと広い舞台が。

そして戦いは、遂に空へと移る。





**********





「これは、何とも……」

「凄い……ですね」



はやてとリィンの二人が揃ってポカンと口を開ける。

二人とも、その目は空に注がれていた。



「言ったろ?
 あいつの本気はスピードが乗ってからだ」



異様な光景だった。

空が埋まっている。

縦横無尽に広がり、出鱈目な軌道を描くウイングロードによって。

その空間を支配しているのは誰あろう、訓練校を出たばかりの新人、ギンガ・ナカジマである。

彼女が欲する広い空とはそのもののスペースの意味ではない。

どれだけ占領できるか、どれだけ自分の色に染められるのか。

そういう意味だ。



「またフェイトちゃんとは違うタイプの速さやな」



その空間を走り抜けるギンガは速い。

実に速い。

恐ろしいのは全くその速度が緩まない所である。

どの部分でも全力疾走、常にトップスピード。

それは緩急や瞬発に重きを置いたフェイトと同じ方向を見ながら、性質としては正逆とも言えた。



「それにこの音……」

「ゲルト君からしたら堪ったもんちゃうやろうなぁ……」



ペイルホースの咆哮は、既に最高潮に達していた。

歓喜のいななき。

愉悦の叫び。

重力も、大気も、慣性も、人馬一体となった騎士を縛れる物は何も無い。

その音声たるや反響効果を持つに至ったウイングロードも合わせ、一種の音響兵器さながらである。

最早位置を掴むどころではない。

全方向から押し寄せる超高音波は聞く者の鼓膜を直撃し、平衡感覚すら破壊する。



「ようあんな中で立っとれるわ」

「本当に……」



ゲルトは立っていた。

決して傾く事無く。

それこそ英雄たるべき、堂々たる姿で。



「“鋼の騎士”、ゲルト・G・ナカジマか」

「その弟子、ギンガ・ナカジマか」



二人の戦い。

その、最終局面。





**********





「はあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「ああぁぁぁぁぁぁぁ!!」



走る。

奔る。

迸る。



「リボルバーキャノンッッ!!」

「効かん!!」



正面から飛び込んできたギンガを、ゲルトの放った衝撃波が吹き飛ばす。

ギンガを巻き込んだ一撃はそれに止まらず直線上のウイングロードにまで貫通していく。



「散れぇぇぇぇぇ!!」

「当たりません!!」



畳みかけるよう、振り抜いたゲルトの一撃が周囲一帯を粉砕。

しかしその間にもギンガは高く天頂にまで移動している。

どころか太陽を背負い急降下、頭上からゲルトを狙う。



「てぇぇぇぇぇぇ!!」

「なんのっ!!」



質量、走行速度、重力加速、猫のような身の回転をも用いた必殺の踵落とし。

前方に身を投げ出したゲルトが回避すると、今しがた彼がいた地点を爆砕してギンガが落ちてきた。

破裂音と共に広く粉塵が舞い、互いの姿を僅かな間とはいえ覆い隠す。

それが晴れるまで場所としては動かず二人は対峙していた。



「――――」

「――――」



振り向いたゲルトと、顔を上げたギンガの視線が交錯する。

互いに力を示す黄金の瞳で。

それも長くはない。

ゲルトが体を振り戻し、ギンガが叩き付けた左足を戻すまでの間だ。

それが済めばお互いすぐに行動へと移る。

ゲルトは進み、ギンガも進む。



「ナイトホーク!」

「ペイルホース!」



掛ける言葉の意味はそれぞれの相棒に確かと伝わった。

カートリッジが弾け飛んだのも全く同時だった。

硝煙がナイトホークの柄尻から、ナックルのリボルバーから、熱を伴って噴き上がる。

効果はそれぞれ。

刃先に纏わせる魔力刃の拡大延長、車輪の回転速度の臨界上昇。

奇しくも二人の存念は一致していた。



ここで決着を付ける。



この機。

この一撃。

この一刹那。



「ここで!」



ゲルトは間合いを大幅に伸ばしたナイトホークを担いだ姿勢から袈裟に振り下ろした。

赤橙色の刃が剣線上のウイングロード全てを斬り裂く。

障害を蹂躙しながら、その剣速は衰えるという様子もない。

重く、そして鋭い斬撃である。



「決める!」



対するギンガは間合いに飛び込まんと正面から突撃していた。

今までどんな訓練でも感じた事のない緊張、そして興奮。

視界の上半分を押さえるように、巨大な刃が振り下ろされる。

ゲルトが速いか。

ギンガが速いか。

技量も魔力も、経験も無意味。

この世界では速さだけが力となる。



「…………!」



見ているだけのはやて達すら血の沸騰を覚えずにはいられなかった。

一言も発する事ができない。

ただただその瞬間を見逃す事のないよう、食い入るように二人の姿を見つめている。



「―――――!!」

「―――――!!」



声にならぬ咆哮が響く。

すぐ直上に迫る脅威を感じつつ、ギンガは左腕を振りかぶった。

相討ちも覚悟の上。



それでも一発。

一発だけでも!



拳は握らず、せめても間合いを伸ばそうと構えは貫手。

あと一歩。

そして、ギンガの意識はそこで途絶えた。





**********





二人の衝突から、如何ばかりも時間は経っていない。

場所は相変わらず演習場であったが。



「……まだ耳がおかしいな」



地上に立ったゲルトが呟く。

強化された感覚器が仇になった。

もう少しすれば上手く調整されるだろうが、今の所はどうも常に耳鳴りが反響している状態である。

大事にはならないだろうが、これは思いの他、堪える。



「に、しても少しやり過ぎたか?」



カートリッジを二発。

魔力としてもそうはないほど全力で使い込んだ。

効率化を図るパラディンのお陰でまだ余裕はあるものの、全身に心地の良い火照りと疲労も感じている。



「ふぅ……」



呼気と共に緊張も解く。

彼の目は何があるのか、下へと向いた。



「ったく勝ってもない癖に嬉しそうな顔しやがって」



ゲルトの視線を追って行くとバリアジャケットも解除され、トレーニングウェアで地面に横たわるギンガを見つけられる。

仰向けに倒れ、気を失っているのか起き上がる気配もない。

だが彼女の綻んだ顔には紛れもない喜の色があった。

そして注視すれば分かるが、彼女の左手には何かが握り込まれている。

小さく、金属らしくありながら光を反射するでもない。



「けど……ま、遊んでは無かったみたいだな」



ゲルトの胸元二番目のボタンだった。

もちろんボタンというのはデザイン状の仮の形態であって、それは元々ゲルトの魔力で編まれた障壁の一種に過ぎない。

ゲルトが解除するまでもなく、制御から離れたそれはギンガの手の中で空気に溶けて消えた。

それでもそれはギンガの指が確かにゲルトまで届いていた事を意味していた。

あともう少し進んでいればクリティカル判定を与えてもよかったろう。



「……よくやった」



膝を折ったゲルトがギンガの顔にかかった前髪を梳いてやる。

ゲルトの言葉が聞こえていた訳でもあるまいが、彼女は満足気に頷いてみせた。

まるで思う存分遊んだ後の稚児のようだ。

それにゲルトも苦笑。

彼女を大事に抱き上げ、医務室へと歩みを進めた。



「…………」



ゲルトが気にする事ではないが、腕の中のギンガはもごもごと何事かを呟いていた。

口の動きから分かる。



「に……い……さん……」 



何かを求める指先が彷徨い、遂にゲルトの服を捉える。

ギンガは安心したように笑みを深めた。










(あとがき)


という訳でVSギンガ戦です。

気付けば歴代最長戦闘シーンになったのかな?

やりたい事やって個人的には結構満足いく回でした。

息抜きで別のssとか投稿してたので大幅に遅れたりしないかとも思ってたんですが、だいたいいつも通りに投稿できて一安心ですよ。

これからもちょくちょくやってみるかな~。

あ、それと少し考えましたが、ギンガはゲルトの後を追って管理局には騎士で登録しています。


ではでは、こんな所でまた次回!

Neonでした。



[8635] クロスファイアシークエンス
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2011/07/02 23:41
今年もまたあの日が近付いてきた。

季節を越え、年を一周し。

それは仕方のない事だ。



「はぁ……」



だからといってそれが平気になる訳でもなく。

当時に比べれば遥かにマシだとはいえ、憂鬱になるのは避けられなかった。

さもありなん。

何といって明日は――――兄さんの命日だから。



「お墓参り、行かなくちゃね」



窓の向こうの星空を一瞥し、少女はベッドに入った。

オレンジの髪が似合う少女だった。





**********





工業地帯の近い沿岸部ともなれば民家も少なく、ただ闇雲に巨大な倉庫がひしめくように乱立している。

日が落ちてしまえば人気も殆どない。

月明かりはあれど人の顔を判別できる程でもなく、何か後ろめたい事をする人間には古今、打ってつけの場所と言えた。



「はっ……はぁっ……はぁっ……!」



そんな倉庫街、男が狭い路地を走っていた。

時に何かを確かめるよう振り返り、そしてまた走る。

星を眺める余裕などあろう筈もない。



「……うぉっ!?」



置かれていたゴミ箱に蹴つまづいた。

何とか耐えようとこらえてみるも、バランスは完全に崩れてしまっている。

無様に転倒して中に詰まっていたゴミをぶちまけた。



「ちっくしょう!
 何やってるんだ!」



逃げなければ。

逃げなければならない。

姿こそ見えないが、追っ手はもう近くに来ているのが分かる。

こちらに近づいてくるエンジン音。

バイクだろうか?

何にしてもこちらを追ってきているのは明白だった。



「誰がタレコんだ……!」



視線が行くのは転んでも手離さなかった右手のアタッシュケース。

ご大層に鍵付き、表面も頑丈そうな仕様で、よほど大事なものが入っているのだろうとは子供にも分かる。



「クソぉ!」



毒づきながら男は走る。

姿も見えないエンジン音に追われて。





**********





『逃走中の売人一名、阻止地点に向け北上中。
 十秒程で道路に出ます』



ゲンヤはゲルトの報告を指揮車の中で聞いた。

追い込みは上々。

ただ、それ以上進まれるのは少し面倒だ。

何とか転進させる必要がある。



「カルタス、聞こえてたな?
 カウント始めろ。
 頭ぁ出させるな」

『了解』



無論、ぬかりはない。

通信からはまた監視を行っていた人物とはまた別の声が聞こえた。

まだ若い男。

部隊内ではゲンヤに次ぎ捜査部主任を務め、現場においては小隊長もこなすラッド・カルタス三等陸尉である。



『五……四……三……二……一……』



カウントするラッドには走ってくる男の姿など見えてはいない。

ただゲルトからもたらされた情報に従ってタイミングを計り、そして、



『撃て』





**********





「はぁ……はぁ……」



ようやく道路が見えてきた。

あそこまで出れば足など幾らでもあるだろう。

車、バイク、タクシーでも何でもいい。



あそこまで、いけば。



無論、辿り着ければの話だ。

ゲンヤはそうさせるつもりもない。

男が道路へと飛び出そうとした瞬間――――



「うぉぉっ!?」



行く手を塞ぐよう、魔力弾の斉射が行われた。

およそ二秒間の制圧射撃だ。

幾重にも尾を引いた線が闇を切り裂く。



「ま、待ち伏せ!?」



男も反射的に足を止めざるを得なかった。

覗きこまなくても分かる。

完全に捕捉されているのだ。



他に、道は……!!



焦燥に焼かれながら、男の目が激しく動く。

前、左、右、上。

振り返って後ろに。



「……っ!」



見つけた。

脇道がある。

エンジンの音は近付いていた。

選択肢などはない。

男は駆け出した。





**********





『進路変更しました。
 そちらへ直進中』

「よぉしよし掛かった!
 後は網を手繰るだけだ」



喝采と共に手を叩く。

悪戯が成功した子供のように嬉しそうな顔だ。



「念の為カルタス達はそのまま待機。
 こっちは任せとけ」

『はっ、お気をつけて』

「おうよ」



ゲンヤの見る地図上で、先程男が曲がったのは逃げ場の無い一本道。

そしてその先はデッドエンドだ。



「さぁて……」



ゲンヤは改めて口元のインカムを掴む。

一息を吐いた彼は、しかし口調を幾分落ち着かせた。



「仕上げといくぞ、野郎共」

『イエスボス』



仲間の声が聞こえる。

現場にいる全ての部下達からだ。



「状況は殆ど詰みだが、忘れるな。
 現場に於いては臨機応変。
 そして何より――――」

安全第一セイフティ・ファースト

「満点だ。
 よぉし出るぞ!」





**********





「何だ!?」



男の目の前に突如指揮車が現れたのは次の瞬間だ。

目前の十字路を塞ぐように車両がバックしてくる。

と、同時に車体上部の投光器から強力なサーチライトが容赦なく浴びせかけられた。



「があっ!?」



二器からの集中放射。

本来数キロ先でも明瞭に照らし出す強力な光線だ。

目を覆っても光が貫通してくる。

夜の闇に慣れていただけに、尚の事サーチライトは男の目に効く。

指揮車を直視どころか、目を開けている事すらままならない。

その間にも耳には何人かの足音が聞こえて来ている。

見えはしないが、魔導師だろう。



『動くな。
 抵抗せず、そのまま地面に伏せろ』



外部スピーカーから聞こえてきたのは落ち着きのある壮年頃の男の声だった。

内容とは裏腹に特に急かす風でもない。

絶対の勝利故の余裕だった。



「うっ……」



腕で顔を庇いつつ後ろを振り返ってみても逃げ道はない。

バイザーで目を防御した魔導師が二人、後背を断っていた。

一人はナックルにローラーブーツまで装備した少女。

常に後ろに張り付いていたエンジン音は彼女だったらしく、走り屋もかくやというアイドリングを轟かせている。

が、むしろ問題なのはその隣の男。



まさか……。



光に目を細めながらも男の瞳は確かに開いた。

顎先までも覆い、三つ又の裾がはためく黒のロングコート。

身の丈程、光も反射しない重厚な黒槍。

間違いない。



「鋼の、騎士……!?」



噂位は聞いたことがある。

ゲルト・G・ナカジマ。

地上屈指とも囁かれる接近戦術のエキスパート。

本職の教会騎士すら歯牙にもかけずに薙ぎ倒すような化物だ。

チンピラが敵う相手ではない。

そしてもはや逃げられる状況でもない。

決断は早かった。



「投降……する」



どうせ死ぬ訳でもないのだ。

下手に逆らって痛い目を見る事はない。

ゆっくりと膝を着き、上体を倒す。

即座に駆け寄った何者かに体を押えられ、腕にはしっかりと手錠をかけられた。





**********





「状況終了。
 よくやってくれたな」

「特に何かした感じもしませんがね」

「私達は適当に歩いてただけですから……」



終わってみれば本当に呆気も無い作戦だった。

密輸の現場を押さえての取り締まり。

といって現場の方はロストロギアの疑いがあるとかで遺失物管理部の実行部隊が担当。

108の受け持ちは先のような取りこぼしの検挙だけだ。

まずないとは思いながら敵が魔導師であった場合を考えて慎重策を取ってみたが、おかげで隊員の負傷者はゼロ。

素晴らしい事である。



「――――おっと、通信か」



合同捜査本部の主任担当官であった。

階級は三佐。

ゲンヤと同格ではあるが、捜査体系での序列上は向こうが上という事になる。



『すまないナカジマ三佐。
 手間を取らせてしまった』

「ああいや、構いませんって。
 現場のモンは足動かしてなんぼですから」

『借りが出来たよ。
 後始末はこちらが引き受ける。
 そちらの部下にも礼を言っておいてくれ』

「了解しました。
 ではお願いします」



ふぅ、と一息つきながら通信を切る。

これにてお役御免という事だ。



「撤収するぞ。
 車出してくれ」

「了解。
 ちゃっちゃと戻りましょう」



今日も街を装甲車が東へ西へ。

その一つの側面にはやはり“Ground Armaments Service‐Battalion 108”のエンブレム。

しかしこの日ばかりはその文字も些かよれて見えた。





**********





「――――にしても、やっぱり遺失物管理部も人手不足なんですね。
 包囲しとって取り逃がすやなんて」

「あそこは生え抜き揃いだからな。
 その分手の回らない事もある」



ぼやくように呟いたはやてに、ゲンヤも苦笑で答えた。

思うに原因は管理局の体制、というかミッドチルダという世界そのものの性格によるものだろうと思う。

というのもここは管理局発祥の地であると共に人と技術の集う最先端の文明都市。

様々な文化、人間を許容せねばならない関係上、個人主義は一般レベルにおいても徹底していた。

例えばゲルトなどは一躍時の人ともなったが、かといって家に押しかけてくるような鬱陶しいマスメディアは存在しない。

ゲルトが顔を出すのは局とゲルト本人が了承した会見、取材によるもののみで、所謂突撃取材やらパパラッチなどというものは総じて嫌悪される存在なのだ。

この個人主義は進路に関しても明確で、基本的には能力さえあれば何処にでも行けるし、逆に勝手な異動というのも早々は無い。

オーバーSランクという超スペックの騎士が一地上部隊にいられるのもそれが一因であろう。

この気風は局が内外に誇れる美点でもあるが、それゆえに一線部隊の人材確保は深刻な問題になっていた。

誰もわざわざ危険な部隊に行きたいなどは思わないし、正義に燃える者ならより活躍できる海に行く。

キャリアの獲得や手取りの高さ、それに名声など様々な手を講じているが、一朝一夕に片付く問題ではない。



「ま、なんならお前さんが出世して変えてみてくれや。
 そうすりゃ、俺達も多少は楽になるさ」

「ええですねぇ。
 ほんならまずは防衛長官にでもならんと」



つまりは地上本部総司令だ。

言うまでもない事ではあるが、現在は入局四十年にもなろうかという大ベテラン、レジアス・ゲイズ中将がその任を預かっている。



「おお言うねぇ。
 んじゃあその次は?」

「もちろん最高評議会!」

「評議会か!
 ハッハハハ! 大きく出たもんだ!」



噴き出すように笑うが、丸きり冗談と言い切れない部分もある。

二十歳も前にして既に一尉。

佐官はもう目の前で、このぺースなら三十頃に将官位には食い付いているだろう。

だとするなら成程、防衛長官というのも決して無理な道では無い。



「っとに最近の若い奴は頼もしいねぇ。
 それに引き換えうちの連中と来たら……」



帰路に着く装甲車の中、隊員達にも多少の疲れが見える。

大事なく終わったとはいえ今回の事は急な出撃でもあったから仕方も無いが。

もちろん、はやて達だとて疲れが溜まっていない筈はない。



「やっぱり夜の出動は辛いか?」

「昨日に続いて連続なんでちょっと……。
 今日は仮眠室使わせてもらっていいですか?」

「ああ好きにしな。
 多分他にも何人かそうするだろ」



両壁面に向き合うように座席が設置された車内で、何人かがだれたように手を挙げている。



「ナカジマ三佐はどうします?」

「俺か?
 俺は別にどっちでも構わないんだが……。
 おい、ゲルト達はどうする」



ゲルトとギンガは隣合わせで座っている。

二人ともバリアジャケットは解除済み。

普段の制服姿である。

全く疲労の色も見せないのはこの二人位のものだろう。



「帰ります。
 明日、朝に少し寄りたい所があるので」

「ん?朝っぱらからか?」

「ええまぁ」



首を捻るようにゲンヤが聞き返した。

店を訪ねたり、人に会うには些かおかしな時間である。

別段職務でそのような事が必要な案件もない筈だ。

ゲルトもその空気を感じ取ったのだろう。



「――ああ、といってもごくごく個人的な用事ですよ。
 時間もそんなには掛かりません」

「そうか、まぁ今日の事もあるしな。
 多少の遅刻位は多めにみてやるからのんびり行ってきな。
 ……それで、ギンガはどうする?」

「准尉がそうするなら、私も帰ります」

「そうか」



日も落ちてはいるが帰れない事はない。

少々面倒な事に目を瞑れば、簡素な仮眠室より我が家の方が良いに決まっていた。

それにあまり家を空けてクイントに拗ねられても、その、なんだ……困る。



「ま、そういう訳で俺も帰る事にするぞ。
 今日の件は向こうさんが片付けてくれるらしいしな。
 報告書も明日でいいだろ」

「了解しました、三佐」



今現在においてゲンヤのスケジュールを管理しているのははやてである。

これは本来次席に当たるラッドなどがこなしていた仕事であったが、ただ傍で見ているだけというのも申し訳ないという彼女の提案から始まった。

そしてはやても実際に遺漏なくその職務をこなし、実務という観点からも隊内の信用を勝ち取り始めていたのである。

性格の一致もあったのだろうが、様々な事情抜きにゲンヤとはやては上手くやっていた。



「――ったくこれから暑くなろうってのに厄介事ばかり増えやがる。
 夜くれぇは大人しく寝とけってんだよなぁ」

「ほんまに。
 折角の美人の肌に吹き出もんが出来たらどうしてくれるんやろ」



ネクタイを緩めたゲンヤやはやてが冗談めかして笑い合った。

その声は車内にも伝播していき、遂には合唱となっていった。

それで終わっていればよかったのだが、



「――――あ」



というはやての一声で嫌な予感を感じたのはゲンヤだけではない。

何故と言って通信のコールがあったからだ。

それもオープンチャンネルで。



「三佐」

「なんだ嬢ちゃん」

「通信です」

「おう」



一拍を置き、



「応援の要請やそうで」

「……そうか」



はー、と溜息を吐きながら頭を振るう。

車内にも重苦しい空気が纏わりついた。

ゲンヤもうんざりといった様子ではある。

が、かといって無視などできる筈もなく。



「先方はなんだって?」

「十二、ないし十三台のバイクによる暴走です。
 既に同じ車線を走っていた車両に被害が出たらしく、早急に対処するよう命令が出てます。
 今は時速七十キロで二十七番ハイウェイを郊外に向け南下中。
 付近の部隊はこれに対応せよ、と」

「二十七番っていやぁ……」

「今自分達が走っているここです。
 多分もう少しで擦れ違うのでは?」



答えたのは何時の間にか傍にきていたラッドだった。

もちろん、その程度の事はゲンヤとて了解している。



「はぁ……全く……」



問題なのは、反対車線だ、という事。

ハイウェイの車線変更をするとなると大きくタイムロスせざるを得ない。

装甲車でここから追い付くのは至難だろう。

加えて言うなら先程逮捕した男を運ぶ護送車の警備もしなくてはならない。

と、なると、



「俺の出番ですか」



やはり飛行可能な魔導師の出番。

心得たもので、既にゲルトは席を立っていた。



「……すまん」

「ま、仕方ないでしょう。
 軽くシメて来ますよ」



冗談にもならぬ事を嘯きながらバリアジャケットを展開。

狭い車内では邪魔になるからかナイトホークは未だ手にはない。



「それなら私も連れて行って下さい。
 足手まといにはなりません」

「あ、じゃあ私らも行こうか?
 四人おったら何とでもなるやろ」

「お供しますです!」



と、車体後部に向かおうとしたゲルトの背にギンガの声が掛かった。

続いてはやて達も手を上げて同行を申し出てくる。



「しかし八神一尉は……」



とはいえ、ギンガはともかく正確に言うなら部隊員ではない研修生が前線に出てもいいものだろうか?

一瞬迷うように足を止めたゲルトだったが、こればかりは自身で判断できるものではない。

自然、決定権を持つゲンヤに皆の視線は集まった。

ゲンヤは宙を仰いで暫しの黙考。

そして。



「あー……まぁ、いいんじゃねぇの?
 何事も勉強だ、連れてってやれ」

「部隊長がいいんなら、俺は構いませんが」



出たのはそんな投げやりな言葉だった。

ゲルト他、皆それでいいのか、とも思ったが、部隊長の決定とあれば是非もない。



「どうせ俺らは間に合いそうもねぇ。
 それにお前向こうさんと話付けるの慣れてるだろ?
 嬢ちゃんにもその辺教えてやりな」

「……そういう事ですか」



無論、こういう部隊からの独立行動が度々起こるが故である。

本隊合流前に現場を制圧してしまう事もよくある為、ゲルトは本人の名声を抜きにしても地元部隊に顔が売れていた。

確かに指揮官にとっては有益な経験であるだろう。

少なくとも名前を覚えてもらって損はない。

加えて、



「ギンガの足の速さも役に立つ。
 忘れるなよ?
 お前の消耗は、陸の消耗だ」



ゲルト自身が108――――いや、地上部隊の切り札なのである。

即応性でいうなら航空隊、武装隊より遥かにありがたい存在だ

望むと望まざると、現実がそうなっている。



「連れて行け、命令だ」

「了解しました」



自覚を持て、って所か。



納得したゲルトは最早口を挟まず後部ハッチのパネルを操作。

上下にハッチが開き、隙間から外気が侵入してくる。

下に開いた部分は路面を擦る寸前まで下げた。



「先に出る。
 頭を打つなよ、ギンガ」

「しません!――――んんっ。
 はい、ゲルト准尉」



気負いもせずゲルトは飛んだ。

首都防衛隊期に経験したへリボーンやエアボーンからすれば何程の事もない。

一応後ろを走っていた車両が無い事は確認したが、それにしても慣れたものである。



「明日は早い。
 さっさと片付けるぞ、ナイトホーク」

『イエスマスター。
 ご随意に』



頷いたゲルトは一息に高度を上げた。

続いて上手い具合に肩の力も抜けたギンガも車体の縁に立つ。

火の入ったペイルホースの機関は早くも催促するように息巻いていた

再びバリアジャケットを纏った彼女は、後ろ向き――つまりゲンヤ達の方を向いたままで。



「ギンガ・ナカジマ、行きます」



軽く敬礼してみせる程の余裕を見せつつ、路面へと落下。

急な速度の変化と落下の衝撃で一瞬ふらつくが、ペイルホースの推力でそれも強引に捻じ伏せる。

即座に速度に乗ったギンガは装甲車に追い付いて見せるが、思いの他伸びが良い。

先の任務程度では物足りなかったのだろう。



「いいわ。
 本当の走りっていうのを見せてあげましょう、ペイルホース」

『一切の異存無し。
 真髄教授仕る』



ウイングロードを展開。

夜の街に残響を残し、彼女もまた空を駆けた。

そして、はやて達もまた。



「それじゃあ行ってきます」



はやてのバリアジャケットはいっそ豪華といってよかった。

装甲が設けられながらも芸術性を失わぬ装いに、ベルカの十字を象った杖型のデバイス――シュベルトクロイツを保持。

背の黒い六枚羽を除けば何処か聖職者を思わせる佇まいであった。



「おう。
 あの二人を頼むぜ一尉殿。
 それにリィンの嬢ちゃんよ」

「はい!」



羽撃く。

重力を感じさせない軽やかさだ。

これで現108部隊に存在する全飛行技能者が出撃。

一陸士部隊に四人も飛行技能者が居るのはそれだけで異常とも言える。



「さっ、て応援は出した。
 管制にも連絡しといてやれ」

「文面はどうしましょう」

「そうだな……ナカジマ兄妹と噂の研修生を向かわせた。
 下手に手ぇ出さずに封鎖に全力を挙げてくれ、だ」



まず万が一もあるまい。

何せ誰もが陸士部隊にして破格の能力を備えた一芸持ちだ。

規格外のゲルトやはやては言わずもがな。

リィンの補助能力も目を見張るものがあるし、場所を選ばないギンガの足の速さもそれだけで特筆に値する。

安心して現場を任せられた。

ただ、



「族の連中が可哀そうですね。
 流石に“優しく”はしてくれないでしょう」

「へっ、こんな夜中に人様へ迷惑掛けるからだ。
 精々痛ぇ目にでもあって更生してもらおうじゃねぇか」

「はは、まったく」



呵呵と笑うのはゲンヤだけではない。

誰もこんな夜中に駆り出されて気持ちのいい訳がなかった。





**********





「――――で、出てきた訳やけど……。
 どうしようか、アレ」



揃って飛ぶはやてが見下ろす先には、交通ルールを正面から無視したようなバイクが群れをなして走っている。

総勢十三。

殲滅となればいとも簡単だが、鎮圧となるとこれは中々難しい。



「下手に倒すと大怪我しますし……」

「停止勧告も聞きゃせえへんしなぁ……」



うーん、とギンガとはやても頭を捻る。

なにせバイクは今現在も走行中。

速度は大した事なく楽に追いつけるのだが、無理な実力行使で転倒されても面倒だ。



「こっちが躊躇うのを連中も分かってるからああして余裕で走ってられる。
 挑発のつもりだろうな」

「厄介ですね」



まったくだ。



少なくとも、些かなりと気が立っている時に相手したい手合ではない。

偶にこちらを向いたかと思えば中指を突き出してみたりと、心底こちらを舐めているらしい。

不愉快極まる。



「ゲルト君は何か考えある?」

「一つは」



とはいえ職務となれば私情は禁物。

ゲルトは控えめな表現ではやてに答えた。



「それってバイクごとぶった斬ろう、とかじゃないやんな?」

「まさか。
 ただ、このままだと適当な所でバラけて撒かれるのがオチ。
 ならいっそ調子に乗ってる今ここで一網打尽にするのが一番いい」



細々と数人捕まえたといって何になるだろう。

捕まえたとして、どのみちそれも尻尾切りだ。

出来るなら一般道に下ろす事無くケリを着けたい。

はやてもそれには異存なく頷いた。



「そうなるやろうな。
 けど中々厳しいで?」

「いや、一尉らの協力があればなんとかなる」

「あてにしてくれんのは嬉しいけど……」



はやては口ごもった。

元来、はやては前線に向いていない。

広範囲に渡る殲滅魔法をこそ得意とする彼女は、むしろ目視範囲内での戦闘は不得手とすら言えた。

彼女が指揮官や司令官などという後方勤務を目指し出したのにもその辺りの事情が少なからず絡んでいる。



「この四人なら出来る」



それでもゲルトは言い切った。

微塵も心配していないような堂々さ。

それも勝算あっての事。



「もちろん安全第一に、な」





**********





「うぉぉぉぉぉぉぉおおおお!?」

「どわぁぁぁぁぁぁああああ!?」



高速道路に男達の野太い悲鳴が響く。

発せられるそばからそれは近付き、“本人と共に”こちらへと吹き飛んで来る。

見事な放物線を描きながら、男達は宙を舞っていた。

無論、珍走団の一味である所の彼らが空戦魔導師だとかいう事実はない。



「おお、ほんまに人飛んどる飛んどる」

「ゲルトさんもギンガも凄い力持ちですね!」



はやて達はそれを傍観者の視点で眺めていた。

誰が信じるだろう。

走行中のバイクから人間一人を摘み上げ、そのまま放るなどと。

男達は今もはやて達の方へ向かって飛んできている。

当然、このままだと路面に叩きつけられるは必至。



「っとと、あかんあかん。
 リィン、私は飛んでる二人の方やるからバイクよろしくな!」

「はいです!」



はやて達も動き出した。

はやてはシュベルトクロイツを振り下ろす動きで、バインドを多重展開。

リィンもまた自前の魔道書型デバイス“蒼天の書”を開く。



「おおおおお…………おごっ!?」

「あああああ…………あがっ!?」



地面へ叩きつけられようとしていた男達は両手足を縛られ空中で磔に。

彼らの制御から離れてもなおフラフラと覚束なく走っていた単車は、リィンの展開した“柔らかき支柱”によって停止させられた。

触腕を連想させる弾力のある柱は、道路はもちろん単車自体をすら傷つける事無くその勢いを殺し切っていたのだ。



いける。



磔になった男達を追い越し、はやては思う。

この調子ならそう時間もかかるまい。

ただ、



「安全第一、なぁ……」

「あはは、とりあえず怪我する人は……出なさそうですけど……」



その間もゲルト達の追撃は止まらない。

前を飛ぶ彼らは早くも次の集団に目を付けていた。



「俺は左、お前は右だ!」

「了解!」

「ひぃっ!!」



仲間が軽々と放り投げられる所を直に見ているのである。

二人の視線を受けた珍走団はそれだけで総崩れになった。

だが、今更速度を上げたとて逃げられる訳もない。

先に食い付いたのは加速で勝るギンガだ。



「く、来るなっ!
 来るなよぉ!」

「なら大人しくしなさい!」



走行中のバイクの上で出来る抵抗などたかが知れていた。

上方から平行して迫るギンガを威嚇するよう、遮二無二腕を振り回す位が関の山。

それもあっさりと掴まれてバイクから引き出される。



「てめぇこの放し――――い、いや放すな!
 放すんじゃねぇぞ!」



男の足が地面を擦るより早くギンガは上昇、加速。

すると男の態度も一変した。

腕一本で吊るされている現状、それにこれからどうされるかが思い出されたのだろう。



「八神一尉!リィンフォースさん!」

「お、おい!?」



だがギンガは男の叫びを無視。

速度を落とさず半回転すると、男を掴む手を大きく振りかぶる。



「行きまぁす!」

「止めぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」



遠、投。

ギンガのフォームと同じく男は綺麗な放物線を描き、そしてハイウェイを彩るオブジェの一つになった。

一方、ゲルトの方もまた然り。



「おいおいおい来るぞ!
 来てるぞ!?」

「分かってんだよンな事は!
 それより暴れんじゃねぇ!バランスが……!」



振り切れないゲルトの接近に、哀れなほど禿頭の巨漢が狼狽している。

恐慌とも言い換えてよいぐらいの慌てぶりだ。

場所を考えれば良かったろうに、タンデムしたバイクの後ろでは邪魔にしかならない。



「とばせって、なぁおい!!」

「なっ、くっ――やめろ!」



痺れを切らせた巨漢は運転手の肩を揺すり始めた。

焦燥の現れか、その勢いは激しい。

ついに運転手そのものがハンドルを誤り姿勢を崩した。



「っ無理だ、倒れる――――!」



のんびり行進していた時と違い、今は時速にして百キロ近くまで速度を上げている。

加えて、当然ながら男達はヘルメットなど被っていない。

まともに転倒などして怪我で済めばいいが、最悪は命が無い。

巨漢も運転手も先の運命を予感し固く目を閉じた。

その刹那、



「――――ナイトホーク」

『カートリッジロード』



カートリッジの弾け飛ぶ音と共にゲルトが急加速。

倒れ込む男達を浚い、安全な空へと舞い上がった。

一瞬の早業で二人を掴み取るその様は、さながら得物に襲いかかる猛禽といった風情である。

夜鷹ナイトホークとはまさに、であった。



「世話の焼ける……」



ゲルトは溜息交じりに悠々と空を行く。

高度はハイウェイを照らす街灯付近。

男二人を左右それぞれの腕で支え、加重分の飛行制御を調整し、それでもまだ限界だという様子はない。



「はぁ、助かった……」

「早く、早く下ろしてくれ!」



ゲルトが摘み上げた二人の反応は二つに分かれた。

オールバックの運転手はただ生きている事に感謝し、禿頭の巨漢は下を見て震え上がった。

高い所が苦手なのかもしれない。

猫のように首根っこを掴まれているので無理だが、そうでなければゲルトにでも縋り付いてきただろう。

ぞっとしない事である。



「なぁおいあんた!
 も、も、も、もういいだろ!?
 下ろしてくれよ早く!」

「下ろすとも。
 もちろん」



そんな二人へ交互に視線を送り、ゲルトは笑った。

苦笑のような淡いものではない。

むしろ彼にしては珍しい慈愛に溢れたものだ。

その言葉に巨漢は顔を輝かせ、対照的に運転手は表情を凍り付かせた。



『八神一尉、新しく二人追加です。
 準備は?』

『もちろん。
 いつでもオッケーや』

『了解。
 それではいきます』



念話で確認をとったゲルトはくるりと後ろを向いた。

少し後方のはやてがシュベルトクロイツを振り、合図を送ってきている。

それを捉えつつ、ゲルトは両の腕を突き出し二人を差し出すような構え。



「そら、反省してこい」

「……へ?」



ぱっ、と掴んでいた手を放す。

こちらは現在も飛行を続けているので、ゲルト自身の目には男達が遠のいていくように見えた。



「次にいくぞ」

『イエス、マスター』



何事も無かったかのような自然さでゲルトは再び前を向いた。

解放した後は些かも後方を気にした様子はない。

断末魔が如き絶叫をBGMに、鋼の騎士は今宵も空を駆ける。

そしてさらに十近い叫びがハイウェイに響いた。



結局、珍走団はこの日を以て全員逮捕。

冷たい留置場に放り込まれて反省したのか、チームも解散。

これ以降彼らが夜の街を騒がす事はなくなった。





**********





――――翌朝、午前七時



ゲルトの姿は公共墓地にあった。

見渡す限り墓碑が並び、ここだけは寒々とした風が吹き抜ける。

ゲルトが立っているのもある墓石の前だ。

脇にもう一つの花束を抱えながら、目の前の墓へと献花する。



「…………」



立ち上がったゲルトは、背筋を伸ばしてもう一度墓石を見つめる。

英雄の眠るここで無礼な態度は許されない。

足を揃えて敬礼。

姿勢には一分の乱れもない。



墓碑銘は、“ティーダ・ランスター”。



そのままで一秒、二秒、三秒。

たっぷりと時間をとって腕を下ろす。

何も言う事は無い。

そのままゲルトは立ち去ろうと振り返り、



「あ、あの――――!」



そこに少女を見つけた。

彼女もこちらを見ている。

彼女が声を掛けているのもこちらにだ。



「君は…………」



オレンジの髪を両側で縛った、ツインテールの少女。

見覚えは、ある。

二年前からは成長したようだが間違いない。

初めて出会ったのもこの場所。

ただ立っている場所だけがあの日とは反対だった。



「ティアナ……ランスター」



それが少女との再会だった。










(あとがき)


随分悩んだんですが、遂にティアナ登・場ッ!!

よく考えなくても初出から一年半近く放置だったんだなー。

といっても今回の出番はちょっとだけなんで、本番は次回ですが。

正直、賛否両論色々あるだろうなと覚悟はしております。


さて内容のほうですが、こっちは108部隊の割と大変な一日って感じです。

ぶっちゃけると次の為の前座というか何と言うか。

ちなみに今回のタイトルはワイルドアームズ3から。

「おいニトロじゃねぇじゃねぇか」という声もあるでしょうが、何だかこのタイトルしかない感じがしたんですよ。

多分次回もWA3からもらうと思います。



それでは、今回はこの辺で。

出来る限り早く投稿できるように頑張りますが、また次回お会いしましょう。

Neonでした!



[8635] Ready! Lady Gunner!!  前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2011/09/24 23:09
ここはいつ来ても変わらない。

あるのは墓石と、申し訳程度に植えられた花や木。

高層ビルが立ち並ぶ都市部に比べ、遮るものもない空が余りにも大きく開いている。

普段ならば解放感を感じるだろう。

だがむしろこの場においては茫漠とした虚無を思わせ、訪れる者に感傷を強いる。

ティアナもその一人だ。



「それでも、兄さんが眠ってる所だしね」



せめてお墓くらいはキレイにしてあげなければ。

もう十分に頑張ったのだから、ゆっくり休んでもらいたい。



「あれ?」



そう思い、列石の中を歩いて行くティアナの足がふと止まる。

兄の墓前に一人の男が立っていたからだ。

敬礼の姿勢で固まっている為、腕が邪魔をして顔はよく見えない。



兄さんの同僚の人?



だがそれにしてはおかしい。

兄の所属は首都航空隊。

制服は白が基調である。

一方兄の墓前で敬礼する男の制服はカーキ色。

つまりは地上部隊の制服に身を包んでいる。

そして男の腕が下ろされ、ティアナの目にもその正体が明らかになる。



「――――!」



息を呑む、というのが正しい表現だろう。

体は金縛りにあったように動かない。

ただ目だけがいつも以上に働き、向こうに見える男の姿を克明に捉えていた。

ティアナが見間違える筈がない。



ゲルト・グランガイツ・ナカジマ……!?





**********





その瞬間、彼女に走った衝撃は筆舌に尽くし難い。

それほどにティアナ・ランスターにとってゲルト・G・ナカジマとは縁深い人物なのだ。

或いは彼女こそゲルトが世に知られる出発点とも言えた。

彼をして人は言う。



“鋼の騎士”

“アーツオブウォー”

“ストライカーゲルト”



彼が現在どれだけ注目を浴びているかはその異名の数で明白だろう。

最近ではそこに“ナカジマ兄妹”という名もまた含まれる。

しかしどこまでいっても彼がテレビの向こうの人間だった事には違いない。

例え同じクラナガンに居ると言っても一般の感覚とはそんなものである。

ただティアナに限っては少し違った。

いや、テレビの向こうの存在だったという事に違いはないのだが。



それでも、あの言葉は忘れない。



事は二年前、彼女の兄であるティーダ・ランスターが職務中に殉職を遂げた事から端を発する。

それ自体ティアナにとって大きな悲劇であったが、問題は更にその後に起きた。

ティーダの上司が凶悪犯を市街地で取り逃がすという失態、その責任をあろうことか兄一人に擦り付けたのである。

この件はテレビ他マスコミに大きく取り上げられ、命を掛けてまで戦った筈の兄の名誉は失墜。

死人に口無しとばかり弁護の機会も与えられず、市民の批難を受け止めるスケープゴートに供せられたのだ。

若くして才能溢れ、華々しく出世街道を歩く優しい兄を誇りにしていただけに、当時のティアナはまさに絶望の淵に叩き込まれた。

そこに現れたのがゲルト・G・ナカジマだ。

兄を殺した凶悪犯を逮捕した功により、彼は壇に上った。

彼は兄の尽力を称え、死を惜しみ、兄を侮辱する風評の全てを否定した。

そしてあの言葉をくれた。



『……君のお兄さんは、英雄だ』



世界でただ一人、自分だけに贈られた言葉。

そしてその言葉はティアナの世界を変えたのだ。

気のせいだけではない。

空の色が、風の匂いが、彼女には確かに変わったと感じられたのだ。

その彼が今、ティアナの目の前にいる。



「あっ……!」



兄への敬礼を終えた彼は振り返ろうとするようにこちらへ爪先を向けた。

帰るつもりなのだろうか?

時間を考えると今から仕事なのかもしれない。

何にせよ彼は自分を視界に収めるだろう。

その事に高まる期待。

そして膨らむ不安。

耳の奥で聞こえる鼓動はどちらのせいか。



もし……もし、私に気が付かなかったら?



自分は彼を知っている。

一目見て彼だと分かる程に。

だが彼はどうだろうか。

ティーダ・ランスターには妹がいた、とその程度の認識“かもしれない”。

このまま何事もなく横を素通りされる“かもしれない”。

いや、



何期待してんのよ。
分かる訳ないでしょ。



心の冷静な部分はそう訴えていた。

なにせ直接彼と会った事などないのだ。

彼が自分の顔を知っている筈がない。

自分にとっての彼と同じように、彼にとっても自分が特別だ、などというのは思い上がりも甚だしい。

だというのに……ああ、もうすぐにも彼はこちらを向いてしまう。

行ってしまう!



「あ、あの――――!」



内の衝動に逆らえず、気付けば声を張っていた。

呼びかけに気付いたか、ゲルトもこちらを向く。

その視線は間違いなく自分を捉えていた。

これで少なくとも無視される事はなくなった訳である。

だが、どうする?



ま、まずは挨拶?
それともお礼の方が先?
そうだ自己紹介もしないと――――ってああもう何言えばいいのよ!?



もう声は掛けてしまった。

今更逃げるわけにはいかない。

だが千々に乱れたティアナの頭は色よい回答を出してはくれなかった。

ぐるぐると心中で回るのみで、呼び掛けて以来ティアナの唇は何事も紡いではいない。



「君は…………」



混乱の泥沼に浸かったティアナをよそに、結局先に口を開いたのはゲルトだった。

彼もまた目を丸くして眼前のティアナを見つめている。

不安が頭をもたげるには十分だった。



もしかして、呆れられた……?



有り得る可能性である。

こんな場所でいきなり話しかけて、あげく何も言わずに黙り込むようではまるきり不審者そのものだ。

ゲルトにそう認識される。

そう思うとティアナの心臓は冷たい手で握られたように縮みあがった。

だからこそ、続いた彼の言葉に受けた衝撃も大きかったのだとも言える。



「ティアナ……ランスター」



私を知ってる!?



どうして。

何故。

でもそんな事はどうでもいい。

こちらが名乗るより早く、見ただけで彼が分かってくれた。

その事実が今は何より大事なのだから。



「ティーダ・ランスター二等空佐の妹さんだろう?」

「は……はいっ! そうです!」



間違ったかと思ったらしい。

やや自信なさげに聞き直してきた彼に、ティアナは今度こそ慌てて返した。

答えてから、眼尻に浮かんでいた涙を乱暴に拭う。

幸いゲルトは気付かない振りをしてくれたらしい。



「そうか……やっぱりな。
 二年振りだ。
 覚えてるかな?
 君とはここであった事がある」

「え?
 ここで、ですか?」

「ああ」



やっぱり会った事があるらしい。

失礼ながらティアナには全く覚えがなかった。

しかし二年前、それもここで、というならその場など一つしかない。



「ランスター二佐の葬儀の席で、な」



やはり。



「す、すみません!」

「いや、覚えてないのも仕方ない。
 気にする必要はないよ。
 それより元気になったようで良かった」

「はいお陰さまで……何とか」



これを小さい声でしか言えないから自分は駄目なのだ。

どうせならはっきりと言えばいいものを。

眼前の彼のおかげで兄の名誉がどれだけ回復されたか。

どれだけ自分が救われたか。

言葉でなど到底言い尽くせぬほどにあるだろうに。



「それは何よりだ。
 今はどうしているんだ?」

「ええっと学校寮は出まして、今は部屋を借りて住んでます」

「一人でか?」

「ええ、まぁ……。
 あ、でも両親や兄さんが残してくれたお金があるのでまだまだ生活の方は大丈夫です」

「そうか……」



寂しくないといえば嘘になるが、目標もあった。

だから辛くはない。

少なくとも今は、まだ。



「ならせめて俺の連絡先を渡しておこう。
 何かあったら遠慮なく相談してきてくれ。
 出来る限り力になる」

「あ……はい。
 ありがとうございます」



恥入ったティアナが浅く視線を伏せるも、別段ゲルトは気を悪くした様子もない。

ティアナは手渡された名刺を大切に鞄にしまった。

が、このままお別れとなる気配が濃厚だ。

果たしてこのまま行かせてしまって良いものか。



まだ、肝心のお礼一つも言えてないのに……!



歯を食い縛って頭を上げる。

駄目だ。

断じてノー。

今日を逃せばもう言えないだろう。

自分の事だ、それはよく分かる。



「いつ……連絡しても構いませんか?」

「一応、その番号ならいつでも取れるようにはしている。
 会議とか出動があれば話は別だけどな。
 まぁ基本的には大丈夫だと思ってくれて良い」



今日しかない。

今だけしか。



「なら――――」



その思いに賭け、ティアナは口を開く。

舌が渇くというのを味わうのは今日何度目だろう。



「今、ご相談してもよろしいでしょうか!?」

「今……?」



ゲルトはふぅむと唸ると悩むように動きを止めた。

やはり非常識だろうか。

ゲルトの格好は今から出仕という感じである。

自分程度に構っている暇などないだろう。

薄々分かっていながらこの様。



「あの……グランガイツ・ナカジマ准尉にもご都合があるでしょうし、今からお仕事かもしれませんが……その、もしそうでなかったら少しお時間を頂ければ、と思って……」



ティアナは誤魔化すようにわたわたと手を振る。

ゲルトは相変わらず無言。

何かを思案するように黙り込んでいる。

ティアナの寒気はいよいよ堪らないものになってきた。

先の決心も吹き飛ぶ程に。



「や、やっぱりご迷惑でしたよね!?
 失礼しました!
 お引き留めしてすみません!」



がばっ、と擬音が似合う動きで頭を下げるティアナ。

見つめる先はゲルトの爪先である。

しかし頭上から投げられた言葉は彼女の予想に反するもので。



「……いや、構わない。
 伺おう」

「いい、んですか……?」

「昨日色々あって多少の遅刻は多めにみると言われてる。
一、 二時間なら問題ないだろ。
――――ナイトホークもそう連絡しておいてくれ」

『イエス、マスター』 



彼の右手の指輪から機械音声で了承の返事が聞こえた。

噂に名高い鋼の騎士の黒槍、ナイトホークに間違いあるまい。

と、ゲルトは何かを思い出したような素振りを見せた。



「そういえばここを出てすぐの所に喫茶店があったな……」

『はい。
 徒歩にしておよそ三分の距離です』

「俺はそこで待っている事にしよう。
 話もそっちで聞く。
 こちらこそお兄さんとの時間を邪魔して悪かったな」

「いえ、そんな……」



そもそもが無理な提案だったのだ。

さっきから自分の事ばかりで、ここまで気遣われると恐縮してしまう。



「それじゃあ失礼する。
 焦らずにゆっくり来てくれ」

「はい、ありがとうございます」



言ってゲルトはティアナの横を通り過ぎた。

足音は正確なリズムを刻み、乱れるという事がない。

姿勢の良さはバランスよく鍛えられた体の証だ。



「――――そうだ“ティアナ”」

「は、はい!?」



何かを思いついたらしい。

立ち去りかけたゲルトがやおら振り返ったかと思うとこちらを呼んだ。



「俺の事はゲルトでいい。
 仕事でもないんだ、階級もいらないぞ」



半身のゲルトはそれだけを言うとそのまま外へ足を向け、歩き去った。

ただ大きく伸ばされた腕だけがじゃあな、とでも言いたげに振られている。



「――――はいっ!」



振り向きざまに見えた笑みはテレビの向こう側にいた彼では無い。

鋼の騎士でもなく、地上陸士部隊の准尉でもなく。

多分あれが本当の、



「ゲルト、さん……」



暫し呆然と後ろ姿を見つめていたティアナがはっと我に帰る。

ここに来た本来の目的を忘れてはならない。



「久し振り、兄さん」



ゲルトが捧げた花束の隣に自分の花を置き、兄の墓前に立つ。

傍には父や母の名が刻まれた墓石もあるが、正直ティアナには二人との記憶が殆どない。

ティアナにとって家族とは即ち兄の事だった。



「話、聞いてくれる?」



話す事は沢山あった。

ここ最近の事。

ゲルトとの事。

そして、これからの事。

自分の夢。

どうしたいのかを。





**********





結局、ティアナが喫茶店に姿を現したのはゲルトの注文したコーヒーが半分ほど無くなってからの事だった。

穏やかなBGMが流れる店内に、カランコロンと独特の鐘の音が響く。

朝早い時間という事もあるだろうが、さして広くもない店に客はゲルトを除くとあとは二人だけ。

それも店主の馴染みらしいご老人である。

ティアナもすぐに見つけたられたのか、足早にテーブルを挟んだ正面に立った。



「すみません。
 お待たせしてしまって……」

「それほどでもない。
 座ってくれ、何か注文するか?」

「はい。
 それじゃあ、私もコーヒーを」



少しの間でティアナの元にもコーヒーが届く。

流石に砂糖抜きという訳にはいかない。

ミルクも入り、ゆるゆると独特の模様を描く表面を見つめる。



言わなきゃ。



今しか?

いいや。

“今なら”。



「ありがとうございました」

「ん?」



驚くほど言葉はスムーズに流れた。

目もしっかりと眼前のゲルトを見つめている。

多分、兄さんが背を押してくれたのだ。

そう思う。



「二年前のあの時……兄さんが死んだ時、ゲルト……さんがテレビで言ってくれた言葉、今でも覚えてます。
 一言一句、間違いなく」



忘れるわけがない。

あれがあったから前を向けた。

胸を張れた。

走り出せた。

まるで昨日の事のようだ。



「兄さんこそ英雄だと言ってくれましたよね?
 嬉しかったです。
 そう言っていただけて」



誰に憚る必要もない。

ティーダ・ランスターは、兄は英雄だ。

只の一人も市民への犠牲を出さず、そして只の一発も市街地に流れ弾を飛ばす事はなかった。

一片の疑いも無く、そう言ってくれたのはこの人だ。

他の誰でも駄目だった。

他ならぬ彼、仇を討ったゲルト・G・ナカジマが言ったからこそ意味があったのだ。



「ありがとうございます、兄さんを信じてくれて。
 そして……私を助けてくれて」

「あ……ああ」



ぎこちなく応えたゲルトが半分になったコーヒーをわざとらしく揺さぶる。

テイスティングでもするような円運動だ。

カップの中の液体は遠心力から来る動きで波を作っていた。

それはまるでゲルトの心の内を表しているようで。



「そう、か」



どこか思う所でもあったのだろうか。

相変わらずの仏頂面ながら、どことなく安堵したような様子だった。

ようやくカップを止めたゲルトは中身を一啜り。



「……正直に言うとな」



そうしてゲルトは言葉を続けた。

半ば独白染みた声音が、未だ熱を残した吐息に乗って外へと滲み出る。

顔には自らを嘲るような苦笑が張り付いていた。



「君は絶賛してくれたが、あの時の俺は自分が何をすべきかなんて分かりやしなかった。
 どうすればいいのかもさっぱりだった」



ティアナにとっては慮外な話だ。

自分の記憶にある、今の彼より一回り小さいゲルトは、それでもとても大きなものに思えたというのに。

まるでそれが幻想だったかのような口振りだ。



「がっかりしたか?」

「いえ!
 そんな事は……!」



それこそまさかである。

慌てて表情を繕ったティアナとは対照的に、ゲルトは力を抜いた顔で肩を竦めた。



「所詮十三の子供だったからな。
 助言なんかを貰ったりもしたが、100%の保証なんてある訳もない。
 不安だったよ。
 あれで良かったのか、どうなのか」



しかし目だけは真剣だった。

それが何よりの証拠である。

彼にとっても笑い話などではないのだろう。

と、そこでゲルトは弁解するように口調を切り替えた。



「――――いや、もちろんお兄さんの事は別だ。
 ランスター二佐については少しも譲る気は無かったし、彼自身の功績は疑いない。
 世間にはどうあっても認めさせるつもりだった」



そしてもう一度コーヒーを含み、一息。



「だが君の事は分からなかった。
 いっそ触れてやらない方が良かったかもしれない、とかまぁ色々考えてたんだが……」



やれやれ、とゲルトは頬を掻いている。

あるいは恥じているのかもしれない。



「何ともな……。
 君は俺なんぞが思うよりずっと強かったらしい」

「きょ、恐縮です」



面と向かって話す事すら期待の範疇外だったティアナである。

まさかここまで気に掛けられていたとは想像だにしなかった。

無論リップサービスも含まれてはいるのだろうが、尊敬する人物にこう言われて悪い気のする訳がない。

だからこそ、



「さて、そういえば本題だったな。
 相談というのは?」

「…………」



今度はティアナが言葉を濁す番だった。

空気を入れ替えるようゲルトが極力明る気な声を出したというのに、それに付き合う事ができない。

彼女は届いたコーヒーに手を付ける事すらなく、テーブルへと視線を落とす。



「実は、来年士官学校に行こうと思っているんですが…………」

「士官?
 まさか、局入りする気なのか?」



それを告げた瞬間、ゲルトの声音が変わったのをティアナは敏感に感じ取った。

非難というほどでは無かったが、訝しむ様子は隠しようもない。



そりゃそうよね。



愚かな選択なのだろう。

兄のあの死の経緯を見てなお、進んで局に入ろうなどとするのは。

ゲルト自身、部隊壊滅という憂き目を見ているだけに心配してくれているのかもしれない。

だがこれは自分に誓った自分の夢だ。

引くつもりはない。



「はい。
 目標は執務官です」

「な―――――!」



啖呵を切る。

事この件に関してはゲルトでも誰でも変わりはしない。



「――――っく」



身を乗り出したゲルトも、結局は喉まで来た言葉を飲み込むように口を閉ざした。

瞑目し、背もたれへ体を預けたのは自分を落ち着ける為か。

彼が自分を抑えるのにそれほど時間はかからなかった。



「いや……俺が口を挟む事じゃないな。
 すまない」

「いえ、自分でも馬鹿な事を言ってるのは分かってます」



むしろ咎められなかっただけ良かったと思う。

命の危険は当然あるだろう。

どれだけ懸命だろうと名誉すら損なわれる事もある。

しかし、それでも。



「執務官は兄さんの夢だったんです。
 でも私が一人立ちできるようになってからでいい、ってずっと言ってて。
 結局挑戦しないままだったんです」

「…………」



もうあの頃には寮暮らしだったから別に構わなかったのに。

それでも兄は受けなかった。

もちろん試験を受ければ必ず通るかといえばそんな筈はない。

だがティアナは知っている。



兄さんは我慢してた。



遺品の整理中、偶然執務官試験の参考書や問題集、それにびっしりと書き込まれた大量のノートを見つけた時にそれを確信した。

多分空隊にいたのも出来る限りミッドから離れたくなかったからだろう。

妹である自分の為に。

それでも何時かは飛び立ちたいと思っていた筈だ。

兄を束縛していた自分が一人で生きていけるようになって、ようやく彼自身の人生を歩めるようになった、その時には。



けど。



それは叶わなかった。

自分の夢を遂げた時、兄は一体どんな顔を見せてくれたのだろうか。

今はもう知る由もない。



「だから」



そう、だから。



「私は執務官になりたいんです」



兄の代わりに、とは少し違う。

ただ見てみたい。

あの自慢の兄が目指していた執務官になれた時、自分はどんな顔をするのだろう。

己の成功を喜ぶか?

安堵で緩むか?

それとも新たな出発に引き締まるのか?

何にせよそうして鏡を見た時、そこには兄の面影があるものと信じる。

その時は、ようやく自分も胸を張れるような気がする。

自慢の兄の自慢の妹として。

誰にでもなく、自分自身に誇れる自分であれる気がする。



「それが、私の夢です」

「―――――」



毅然としたティアナの決意を聞き、ゲルトは言葉を発せずにいた。

鷹揚な態度の現れかと思えばさにあらず。

ただ大きく打たれた胸に戸惑ってのこと。

彼女の告白はまるで電撃のような衝撃をゲルトに与えていた。



何だろうな、これは。



ふと純粋な疑問がゲルトの頭に浮かぶ。

何故ここまで心が乱されているのだろう。

もちろん暗い瞳をしていたティアナがこうまで見違えたのは喜ぶべき事である。

ティーダ二佐の件も含め、同情の念が無かったとは言わない。

身内を失う辛さはよく分かるつもりだ。

ただ自分自身、こうまで翻弄されるとは想像の外であった。

まるで、不明だった家族の安否でも分かった時のような。



――――ああ、なるほど。



そうか、家族か。

一つの苦い記憶と共にゲルトは気付いた。

何故自分がこうまでティアナの事が気にかかるのか。

その理由の大きな欠片。

得心のいったゲルトはティアナに気付かれぬよう、心中深く打ち込まれた楔の名を呟いた。

楔は小さな、本当に小さな赤ん坊の形をしている。

その名は、



「ルーテシア……」





**********





ルーテシア。

ルーテシア・アルピーノ。



ゲルトにとってその名は絶対の戒めであった。

どれほど研鑽を積もうと覆せぬ自らの非力の証明。

取り返す事も叶わぬ喪失の象徴。

自分があの子から全てを奪ったのだ。

そしてそれを償う事もできない。

病院で目を覚ました時にはもう親戚に引き取られ、別の次元世界へと立ち去った後だったという。

向こう側からの意向もあり、自分達ルーテシアの過去に関わる人間は一切接近せぬようにも決まった。

これであの子は何も知らず、何も悩まず、ごく普通の人生を送れる事だろう。

今更自分が謝りになど行った所で邪魔にしかならない。

妹のようにも思えたあの子との縁は完全に途切れたのだ。

決して吹っ切れるものとも思ってはいなかったが、



未練だな。



先のティアナの吐露ではないが、自分もまた重ねていたのだろう。

かつて墓前で立ち尽くしたティアナの姿に、見る筈もなかったルーテシアの姿を。

だからこそ彼女が立ち上がった事実にこうまで心動かされる。

悪夢で終わらなかった物語に言葉も無いほど安心している。



「立派な夢だ」

「そう、でしょうか?」

「ああ。
 俺はそう思う」



だがそれだけだろうか?

自分にとってのティアナとはルーテシアの代わりに過ぎないのか?

ゲルトは自分自身の性根というものをよく理解している。



それほど器用な訳もない、か。



同情もあろう。

共感もあろう。

投影も、敬意もあるのかもしれない。

特にこの娘の境遇や負けん気はよく自分のポイントを突いていると言えた。

つまるところティアナはランスター二佐の遺した妹であり、ルーテシアの影を負う鏡像であり、そして大志を抱く強い後輩でもある。

多分その全てが今この心を震わせているのだ。

ならば自分もまた選択をせねばならない。



「よし、分かった」

「はい?」



最後に一つ嘆息したゲルトも腹を決める。



「知人に執務官をやってる奴がいる。
 そいつにアドバイスか何かを貰えるように頼んでみよう」

「本当ですか!?」



心意気も見せてもらった。

最早危険な職務がどうのだとか野暮な事は言うまい。

あとは先達として彼女の夢に手が届くよう、助けの手も出してやるのみ。



「もちろんだ。
 しかもそいつのお兄さんも元執務官らしいからな。
 色々ためになる話も聞けるだろ」

「――――ありがとうございます!」



喜色を浮かべたティアナが頭を下げる。

あるいは、それが初めて見た彼女の本気の笑顔だったかもしれない。

随分と現金かもしれないが、上昇志向の表れと思えばむしろ好感の持てる所だ。



「この際だ、聞きたい事があれば聞いてくれ。
 流石に執務官の事はよくわからないが、局とか仕事の話なんかならある程度答えられる」



ゲルトも釣られてか、気が良くなってくるのを感じていた。

それこそ大概の質問に答えてやろうという気になる程。



「で、では戦闘についてのアドバイスなんかも頂けたりしますか?」

「まぁ君の戦種にもよるけどな。
 確か二佐はミッドチルダ式だと聞いたが?」



噂では拳銃型のデバイスを使う相当な腕前のシャープシューターだったらしい。

となればティアナのそれも近いものだろうと予想できる。

往々にして血縁者となると魔法形式も戦闘スタイルも似通う事が多い。

だがティアナの告げたスキルはゲルトの予想を少々外し、



「はい。
 兄さんからシャープシュートと、それから幻術も少し教わってます」

「ほう、中々珍しいな」



意外な才能に些か驚きの声が漏れる。

固有技能によるレアスキル程貴重とは言わないが、確かに使う者の少ない魔法ではある。

それでいて柔軟かつ応用性に富んだ便利な魔法だ。

上手く使えばかなりの効果を期待できるだろう。



「けどすまん。
 そっちの方は俺も経験不足だから何とも言えない。
 とりあえずシャープシュートの方だけでもいいか?」



嘘だ。

局員として幻術使いに相対した事はないが、研究所時代には幾度か経験がある。

無論、機械仕掛けの瞳に仕込まれた破幻の能力を計る実験だ。

そして実際にゲルトはそのまやかしを物ともしなかった。

ほぼオートで五感から弾かれるが故、経験がないというのもあながち間違いではないが。



「いえ!全然構わないです!
 もうアドバイスを頂けるだけで光栄と言いますか」

「そうか?
 なら何から始めるか…………」



咄嗟にも幾つかは思いつく。

何せシャープシュートと言えば現在主流のミッドチルダ式の中でも最もポピュラーな形式。

当然、それに対する術理などはゼスト達に叩き込まれていた。

対ミッドチルダ式の“狩り方”も、逆に教えれば弱点の補完になろう。



「そうだな、ティアナ。
 まずは――――」



とはいえゲルトも分かってはいた。

結局の所、口で言うより体に覚えさせるのが一番なのだと。





**********





「ンンッン~~」



それから数時間の後。

同日正午前。

ティアナと別れ、隊舎に合流したゲルトは昨夜の報告書も含めて書類仕事を片付けにかかっていた。

それ自体は何もおかしくなどはないのだが。



「ン~ンンン~~」



108のオフィスに軽やかな鼻歌が流れる。

何となくその響きには聞き覚えがあった。

テレビかなにかでよく聞く流行りの曲だろう。



「なぁリィン、あれ……」

「ど、どうしたんでしょうか……」



しかしそれを聞いた部隊員の反応は驚愕以外の何物でもなかった。

はやて達だけではない。

信じられない物でも見たように皆瞠目し、音源を見つめている。

それは一つのデスクからで。

というか、ぶっちゃけゲルトからで。

皆の心は一つ。



何があった……!?



その程度、と呆れるなかれ。

ガチガチとはいかないまでも基本的に堅物で職務に忠実なゲルトである。

プライベートでの気分をそのまま仕事に持ち込むような事はまずもって有り得ないのだ。



「ンン~~、っとよし終わりだな。
 ギンガ、これを部隊長に渡しておいてくれ」

「あ、はい。
 分かりました」



それが、この有様である。

彼をよく知る仲間内だからこそ、誰もが驚きを隠せずにいた。



「あの、ゲルト准尉?」



一方、最も傍にいるギンガはというと嫌な予感を感じずにはいられなかった。

それが何に起因しているのかは自分にもよく分かっている。



「何だ?
 報告書に間違いでもあったか?」

「いえ、そういう訳じゃないんですけど……」



うーん、と言い難そうにギンガは頭を捻る。

聞きたくもあり、聞きたくなくもあり。



「ええっと、何か良い事でもありましたか?」



結局ギンガは当たり障りのない所から切り込んだ。

仕方もないだろう。

過去ゲルトの機嫌が特別良かった時、大抵そこには誰か女性の影があった。

入院していた時しかり。

教会に赴いた時しかり。

自分を放って遊園地に出かけた時しかり。

そして今日も朝から一人で出かけていた。

それも仕事を放ってまで、だ。

尋常ではない。



まさか兄さん、また……。



だが当のゲルトはギンガの内心の事まで思い至った様子もなく。

人の目を意識してか多少表情を繕っただけだ。

苦笑するゲルトも自分で浮かれている事には気が付いていたのだろう。



「まぁな。
 中々、人の縁っていうのは分からないもんだ」

「…………」



ただし出た答えは直球そのものだった。

ギンガの笑みにも若干の引きつりが走る。



「もしかして、今日は誰かと会う予定だったんですか?
 例えば……女性とか」



再起動したギンガの言葉は丁寧だったが、どこか冷ややかな色が見え隠れしていた。

白けたような視線も言外に呆れを告げている。

ゲルトは気づいているのかいないのか、ただ首を振ってギンガの言を否定し、



「別に約束してた訳じゃない。
 むしろ会わないようにする位のつもりだった。
 結果的には話せて良かったと思ってるけどな」



そして思い出したように忍び笑いを漏らした。



「女性、ってのもな……。
 くくっ、まぁレディには違いないが」



もって回った言い方である。

ひとしきり笑ったゲルトはようやくにしてギンガの望む答えを返した。



「女の子だよ、まだ十二歳の。
 リトルレディが精々だろうな」

「なんだ、そうだったんですか」



誰もが胸を撫で下ろすように息をついた。

ギンガもあからさまに頬を綻ばせている。



「ティアナ・ランスター。
 二年前に殉職なさったティーダ・ランスター二等空佐の妹さんだ。
 今日が命日だったんでな、偶々墓前で会ったんだよ」

「ランスター?」



ギンガの記憶にもある名前だ。

確か、



「准尉がテレビに出た時の……」

「ああ、その人だ。
 ティアナも葬儀で見た時より随分元気になっててな。
 本当に色々、救われた気分だ」



ギンガから視線を外したゲルトは背を伸ばすように大きく伸び。

しかしなるほど。



そういう事ね。



ギンガはクス、と音を漏らして微笑んだ。

そういう事であればこの上機嫌も頷ける。

口下手なこの人が公共の電波を使ってまでメッセージを送った相手、それが彼女だったのだろう。

となれば感動もひとしおに違いない。

救われた人がいる事に救われる、というのもすこぶる彼らしい。

ギンガにとっても、彼を苛む鎖の一つが解けたというなら、それは何よりの朗報だ。



「あの放送の事、何か言われました?」

「かなり大袈裟に礼を言われた。
 一言一句覚えてます、だとさ」



だろうと思う。

ギンガだって覚えているのだから。



あの時の兄さんは、格好良かった。



壇上に立った、今の自分と同じ年のゲルトを思い出し笑みを深める。

あんな風に言葉を贈られたら、それは当然痺れるだろう。

様々な事情を抜きに不謹慎とは思うが、羨ましく思っていたのは事実だ。

はたしてティアナという子はあの言葉をどう受け取ったのだろうか。

どうにも嫌な予感はする。

が、ともあれ。



「着実にファンを増やしてますね。
 部下として“は”嬉しい限りです」



からかい口調の中にも多少の本音が零れていたが、概ねにおいてギンガは今回の件を良い事だと捉えていた。

結局の所、ゲルトがこんなに嬉しそうにしているなどそうある訳ではない。



「それじゃあそろそろ書類を届けに行ってきますけど、ついでにコーヒーでもいかがですか?」

「そうだな、頼む。
 熱いやつで」

「分かりました。
 それじゃあ行ってきます」



ギンガはようやく踵を返した。

胸に報告書を抱え、落ち着いた速度で歩き出す。

そうしてふと頭の端に引っ掛かっていた疑問が浮かんだ。



十二歳でお嬢さんリトルレディなら、私はどうかな?



今の自分は十三歳。

そのティアナとは一つしか違わない。

ゲルトから見ればどちらも大して変わらないのではないだろうか。



やっぱり大人の人じゃないと駄目かな……?



色々と念の籠った息が漏れるが、こればかりはギンガにどうする事もできない。

心に刻み付けられた人物が大き過ぎたのだろう。

ゲルトのデスクの上には今も首都防衛隊期の写真が飾られている。

その写真の中、ゲルトが憧れの眼差しで見上げているのは恩師たるゼスト、ではない。

クイントの隣に立つ、荒事には向きそうもない柔らかな笑みを浮かべた長髪の女性である。

ギンガは母の親友だったという彼女、メガーヌ・アルピーノがゲルトにとってどういう存在か、おぼろげながらも理解はしていた。



少しは成長できたと思うんだけど。



一応それらしく髪は伸ばしているし、言葉遣いも改めてみた。

“妹”を意識させ過ぎぬよう、“部下”としての振る舞いにも気を付けている。

しかしそれでもゲルトからあんな視線を送られた事はない。

遠い日、あの観覧車の中以外では。

そういう意味では、多少の希望が持てるだけマシと言えなくもないが。

などと考えながらギンガはゲンヤの部屋を訪ね、給湯室に寄り、手慣れた仕草でマグカップにコーヒーを注いでいく。



そもそもどうしてああ女の人と縁があるんだか……。



湯気と共に広がる香りを味わいつつ、ギンガの思考は更に続く。

あまり口数が多い方ではないし、顔立ちだって甘いマスクの優男には程遠い。

むしろ鍛え抜かれ、既に百八十にも届こうとしている体躯は相応の威圧感すら放ち出している。

幾ら名前が売れているとはいえ、普通の女性の感覚からすれば敬遠される元でしか無さそうなものだろうに。

ぶつぶつと呟きながらもその頃には再びゲルトのデスクまで戻って来ていた。

それまで熱心に書類と格闘していたゲルトも後ろに立ったギンガに気付いたらしい。



「助かる、ギンガ。
 そこに置いといてくれ」



はい、と応じてトレイからカップを下す。

必然ギンガの顔は座ったゲルトのそれへと近付き、手入れの行き届いた髪がくすぐるようにゲルトの頬を掠める。

ここで赤面するようであればギンガも随分と楽なのだが、そんな殊勝さは首都防衛隊壊滅以来めっきり姿を見せなくなった。



「うん、美味いな」

「お粗末様です」



ゲルトは満足そうに頷き、ゆっくりとコーヒーを嚥下している。

やはり異性を意識したような素振りはない。

横目に様子を窺っていたギンガは嘆息と共にその現実を受け入れていた。

今はこの距離でも仕方がない。



うん……“今は”、まだ。



いずれこの人が過去を思い出に昇華できた時、その隣にあればいい。

多分だが、その時が来るまでは本当の意味でこの人が誰かに傾く事はあるまい。

ゆっくり進んでいけばいいのだ。

これまでのように、ゆっくり進んでいけば。

と、



「そうだギンガ。
 言い忘れた事があった」



突然思い出したようにゲルトは口を開いた。

踵を返しかけていたギンガもその足を止める。



「さっき話したティアナの事なんだが」

「その子が何か?」

「ああ、弟子にした」



一秒、二秒、三秒。



「…………はい?」



あっけらかんと言われた言葉を消化しきれず、ギンガは硬直した。

何といったのか、この人は。

弟子?

つまり面倒を見るつもりなのか?



「といっても、殆ど母さんに頼む事になるとは思うけどな。
 流石に、毎日見てやる程は時間も都合がつかん」

「で、ですよね!
 結構忙しいですし!」



なんとか平静を装って頷く。

そうだとも。

単純に仕事が山積みな上、ゲルト自身の鍛錬もある。

スバルにだって毎日見てやれない位なのだから更にもう一人は相手しきれまい。

何も、そう何も焦る事はない。



「ただ徹底的にしごいて欲しいそうだからな……。
 スバル共々、休みの時くらいは精々泣いてもらおうか」



…………えーっと。



本当に大丈夫、なのだろうか?

楽しそうに哄笑するゲルトをよそに、ギンガは天を仰いだ。

彼女の苦悩はまだまだ始まったばかりだ。










(あとがき)


とりあえず前編完・遂!

今回はまたえらい時間かかったなぁ……。

簡単に言うと、ティアナ弟子ルート → 後のストーリーに重大な齟齬発生 → 全リセットして書き直し → 齟齬の回避法を閃く → 予定通りに弟子に

という変遷が問題だったんですがね。

あとギンガも絡めたりで女性視点が多かったのも理由の一つかも。

いっそゲンヤ視点にでもしてればもっと早かったのかねー。

後編はもう少し早くしたいもんですな。

まぁ、多分次もティアナとかスバル目線多くて大変そうですが……。

そんな訳でまた次回、Neonでした!



[8635] Ready! Lady Gunner!!  後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2011/12/26 13:36
背を壁に預けたティアナが腕の時計を見る。

待ち合わせの時間まであと十分程。

緊張からか、少し体の芯が冷えたような感覚がある。

しかし、



「こっちからお願いしたんだから、しっかりしないと」



頬を軽く叩いて気合いを入れる。

そうでなくてはならない。

今日から自分は若手の中でも屈指の騎士や、その師匠とも言える人物から教えを受けるのだ。

格好の悪い所なんて、見せられない。



強くならないと。



目指すは士官学校。

目指すは航空隊。

目指すは執務官。

その為にも学べるだけ学ばせてもらう。

これはチャンスだ。

例えベルカ式とミッドチルダ式という違いがあるにしても、戦闘者として学べる所は大きいに違いない。



「ん……?」



少し俯き気味だったティアナが頭を上げた。

遠くからエンジンの音が近づいてきているのが分かる。

どうやら来たようだ。





**********





二人の少女が拳を交わす。

背丈や髪の長さ以外はよく似た少女達だが、その技量には確かな開きがあった。

優勢なのは背の高い方の少女だ。

傍目にも背の低い方の少女を余裕を持っていなしているのが分かる。

時には受け、時には流し、全く隙を見せない。

無論、時には逆撃に転じる事もある。



「うわっ!?
 ちょっ、待って“ギン姉”!」

「待った無し!
 ほらスバルは脇を閉める! 目を逸らさない!」



ナカジマ家の庭先。

俄然速度を増した拳が、肘が、勢い込んでスバルに襲いかかる。

巧妙に虚実入り混じるそれらを捌き切る技量は、今の彼女には無い。

すぐに押されて立ち行かなくなる。

その事は小さな少女にも重々分かっていた事だ。



ジリ貧だ……!



防御する腕が痺れ始めたのを機に、スバルは腹を決めた。

攻める。

それしかない。

重みに欠ける牽制の右拳打を見定め、スバルは動く。



「やぁぁぁぁっ!!」



体を傾け、上体を逃がしてのハイキック。

ギンガの側頭を刈り取る逆転の一撃。

拳打と蹴脚とでは込められる重さも威力も数倍の差がある。

無論当たれば、だ。

そのような見え見えの狙いが読まれない筈もなかった。



「大技に頼り過ぎ!」

「うわわっ!?」



あっさりと足を絡めとられ、軸足を払われる。

どれだけ慌てようと無駄だ。

頓狂な声を上げたスバルが格好悪く尻餅を着いた。



「いった~~……」



足を掴まれていては受け身も何もない。

涙目の彼女は痛む尻を擦ってその場にへたり込んだ。



「そこまでね」

「母さん」



そんなスバルを見て言葉を発したのはクイントである。

少し離れた所に立つ彼女は、しかし怒ったような様子は微塵も見せない。



「あんまり足技に頼り過ぎちゃ駄目よ。
 どっちかって言うとトドメとか不意打ちかしら。
 ちょっとスバルは焦り過ぎたわねー」

「う……」



ただし間違いの指摘まで免れる訳ではない。

スバルも自分の未熟は分かっているだけに、諭す言葉は耳に痛かった。

それに、お説教は一つでは済まない。



「ラッシュで相手の動きを固めた後か、それとも上体に意識を向けさせて視覚外から攻めるか。
 どっちにしても無闇に使うものじゃないわ」

「うう……」



二方向からそれは来る。

ギンガも決して厳しい口調ではないのだが、それがなおの事怖い。

基本的にナカジマ家の訓練方針は弁より行動、習うより慣れろ、の実践派。

次は今話した事を前提とした組み手になるからだ。

つまりこれからはラッシュで動きを固められたり、相手の上体にばかり意識を向けていると蹴りが飛んでくる。

そういう事だ。



「それじゃあこの教訓を糧にもう一本やってみようか!」

「さ、スバルも立って。
 もうそんなに痛くないでしょ?」

「――――うん!」



痛い。

が、そういう事が許される空間ではない。

それにこのままでは駄目だという気持ちも常に心の内にある。

スバルは勢いよく立ち上がり、再び構えを取った。

ただ頭の隅にふと関係のない事が過る。



そういえば、今日来るランスターさんってどんな人だろ。



その時、丁度よく外から単車のエンジン音が聞こえてきた。

頭を向ければ家を仕切る柵の向こう、ゆっくりと路肩に停止する車体がある。

フルフェイスのヘルメットを外すドライバーの姿はスバルにも馴染み深い男のもの。



「あ、“ゲル兄”!」



ゲルトだ。

その後ろにもう一人見慣れぬ少女もいる。

同じくヘルメットを外し、オレンジのツインテールを風になびかせた女の子。

とするとあの人がそうなのか。



仲良くできるといいな。



スバルが最初に思ったのはその一事だった。





**********





「ティアナ・ランスターです。
 まだまだ未熟ですが、どうぞよろしくお願いします」



ティアナは内心の緊張を押し殺し、礼儀正しく頭を下げた。

今目の前にはここまで連れて来てくれたゲルト他、彼の義母であり師でもあるクイントに義兄妹のギンガ、スバルがいる。

ゲルトやギンガといった現役局員はもちろん、クイントも元首都防衛隊員。

父親は一部隊を預かる部隊長という局員一家である。

ゲルトの人当たりもまた、いわゆる“模範的な”局員のそれだった。

だから家族もそうなのだろうと思っていたが、



「ギンガ・ナカジマです。
 こちらこそよろしくね、ティアナ」

「同じく、クイント・ナカジマです。
 うちの方針は厳しいからビシバシ行くわよ?」



しかしイメージに反して彼女らに堅い雰囲気は欠片も無い。

落ち着きのあるお姉さんも、悪戯っぽい笑みを浮かべた女の人も、むしろフレンドリーと言っていいような気安さだった。

そして、



「スバル・ナカジマです。
 よろしくお願いします!」



隠れるように彼女らの少し後ろにいた少女が、先のティアナのように勢いよく頭を下げた。

青い髪を短めに切り揃え、動きやすそうなジャージに身を包んだ少女である。

思いっきり肩に力が入っているのは丸分かりだった。



「よろしく、ナカジマさん」



言ってからティアナは困ったような笑みを漏らす。



「――――じゃあ、分かりにくいわよね……」

「皆ナカジマですからね……」



あはは、とスバルもぎこちない笑みで返す。

どちらもやはり気負い過ぎている面があった。

何故か?

別に初対面の相手だから緊張している訳ではない。

全くゼロではないが、今問題なのはこれから二人が一緒に訓練を受けていく仲間になる、という事だ。



「スバルでいいです。
 私の方が年下ですから」



表情を引き締めたスバルが手を伸ばしてきた。

目の前の自分へ、広げた右の手を差し出す。

その意味が分からない筈もない。

ティアナも自身の右手でしっかりとその手を握った。



「そう、じゃあ私もティアナでいいわ。
 今日からはお互いライバルなんだから」

「ラ、ライバルですか……?」



手を握りながらもぱちくりと目を瞬かせるスバル。

しかしティアナは自分の役割をそういうものだと認識していた。

いわば目の前の彼女の為の当て馬だ。

でもなければ赤の他人である自分の為にわざわざ時間を用意してくれるだろうか。

それだけだとは思いたくないが、幾らかはそういう面も期待されているだろうと思う。

それに自分自身負けず嫌いな性格は自覚していた。

競争相手が身近にいるのはこちらにとっても好都合だ。

ちらりと肩越しに視線を送ると、それに気付いたゲルトは柔らかく口元を歪め、



「別にライバルでも友達でもいいけどな。
 お互いより高みを目指せるよう切磋琢磨してくれ」

「でも出来れば仲良くしてあげてね?
 折角会えたんだし、ある程度基礎が固まったら連携訓練もやるつもりだから」

「はい」



妙にウインクの似合うクイントの言葉にもティアナは頷いた。

目の前にいる年下の少女が嫌味な性格にはとても見えない。

これからずっとギスギスしてやるなんてのも願い下げである。



「そういう訳で、改めてよろしく……スバル」

「はい!
 よろしくお願いします、ティアナさん!」



視線をスバルへと戻したティアナが律儀な少女の態度に笑う。

噴き出すようで小さな笑い。



「ティアナでいいって言ってるのに」

「う……すみません」

「あ、謝らないでよ」



しゅんと項垂れた様子に、むしろティアナの方が慌てた。

家族とは違って、スバルには少し弱い所があるのだろうか。

ひとしきり何と言うべきか悩み、結局気の利いた言い回しなど思いつかなかったティアナは嘆息する。



「ま、まぁ、おいおい慣れていけばいいんじゃない?
 時間はあるんだし」

「……はいっ!」



そんな二人を見ていたゲルト達も安心したように目配せをし合って頷いた。

とりあえずファーストコンタクトは良さそうな感じだ。

頃合いをみてパンッ、とクイントが両手を合わせる。



「さて、とりあえず顔合わせも済んだ事だし今の段階でティアナがどの程度出来るのか見せてもらいましょうか」

「あ、はい!」

「それじゃあもうちょっとスペースも欲しいし移動しようかな?
 歩いていけるぐらいの所に魔法の練習も出来る公園があるのよ」



遂に始まる。

ナカジマ家での訓練、一日目。





**********






連れてこられたのは少しナカジマ家から離れた公園だ。

公園と言っても魔導師の自主的な練習を推奨した広場のようなもの。

ここでならよほど無茶な事でもしない限り魔法を使っていても文句は言われない。



「じゃあ向こうに見えるあの空き缶を全部撃ってみてくれ。
 やり方は任せる」

「わかりました」



やや固い面持ちでティアナは前を向いた。

10m程度の距離のベンチの上、的として並べられた空き缶の数は六つ。

構えるでもなく、まずは深く息を吸う。

デバイスを握る手が汗で濡れている。

まずい兆候だ。



動かない的…………大した事ない。



外す方が論外。

当たって当然。

背中に刺さる三対の目をどうにか意識から遠ざけつつ、いい所で呼吸を止める。

兄さんの教えてくれたやり方を今一度反復。

力は入れ過ぎず、しかし意識は研ぎ澄ます事。

そして、



ターゲットの捕捉は一度に済ませるッ!



右から左へ流れた瞳が、六つの位置を頭の中に再現された空間へと焼き付けた。

と同時、ムチがしなるような動きで右手が跳ね上がる。

選択魔法は十八番のシャープシュート。



「――――!」



意識せずとも左手は銃把に添えられていた。

スタンディングポジションからの六連射。

やや半身の姿勢から連続して撃ち込まれた魔力弾は正確に全てのターゲットを射抜いた。

軽い音を立てて六つの缶、全てが弾き飛ばされる。

全弾、必中だ。

ただの一発も外れはない。



「っ、はー…………」



全ての缶が倒れたのを確認して、ティアナはようやく息をついた。

命中率100%、射撃の早さも自分の記録の中では最速に近い。

自己評価としては十分以上に合格点だった。

プレッシャーの大きさを思えばよく出来たと思う。

が、今判断を下すのは自分ではない。



「精度はまずまず……」

「スピードもなかなか……」

「ただ肩に力が……」

「とりあえず次も見て……」



後ろではこれから師範となるゲルトとクイントが幾つかの応答を繰り返していた。

断片的に漏れ聞こえる内容の限り、決して悪い評価はされていないようである。

行儀よく直立した姿勢を崩さず、しかしティアナは内心が気が気ではなかった。

そしてようやく向こうの結論も出たようだ。

こちらを見る彼らは緩い笑みを浮かべている。



「中々悪くないな」

「特に射撃の早さは凄いわ。
 もう一端の魔道師クラスね」

「あ、ありがとうございます!」



内心で胸を撫で下ろしつつ、溢れる喜色は隠しきれない。

賛辞は予想した以上のものだ。

中でも兄直伝のクイックドロウは自慢の一つ。

管理局標準のデバイスが軽快とは言い難い杖型である現状、ランスターのそれは決定的なアドバンテージにもなり得る。



「そういえば、そのデバイスは自前なんだったな?」

「はい。
 ……と言っても教本と睨めっこして作ったのであんまりいいものじゃないですけど……」



ティアナが手にするデバイスは上下双発中折れ式の拳銃型、OSは簡素なストレージタイプ。

一応カートリッジシステムのみならず銃身下部に射出式のアンカーまで搭載しているが、そうとはいってもやはり素人芸。

見た目の粗雑さはともかく、実戦での信用性においては大いに疑問が残る。

ゲルトも少し唸った。



「努力を無駄にしたくはないんだが、少し考えておくか……。
 流石に任官してからを思うと少し不安だしな」

「やっぱり、そう思いますか?」



訓練校で支給されるような標準タイプのデバイスでは兄に教えてもらった魔法を上手く活用できない。

そう確信した上でデバイスを手製してみたが、流石に出来の程度はティアナも自覚している。



「今は問題ないし、むしろ訓練には丁度いい位なんだけどねぇ?」

「あまり最初から高性能機に慣れると、地力がつかないか」



ゲルトも頷き、クイントの意見に追従した。

プロの作る高性能の専用デバイスとなれば魔法行使時の制御補助レベルは今のアンカーガンの比ではない。

ただの銃座としてなら一線に放り込んでもなんとか戦力にはなる程度まで、即座にティアナを押し上げてくれるだろう。

しかしそれは後の成長に少なからぬ影響を与える恐れもある。



「そうだな、とりあえず当分はそのままでいこう。
 本格的に魔法戦の訓練を始める頃には、専用機を用意する。
 幸いそっち方面のツテもあるから心配はするな」

「あ、ありがとうございます!」



至れり尽くせりとはこの事だ。

やはり独学に拘らなくてよかった、と思う。



「それじゃ、次は移動目標の射撃を見せてくれ。
 ―――ギンガ、頼む」

「了解しました、准尉」



ゲルトの言に応じたギンガは既にペイルホースを装備している。

バリアジャケットも展開済み。

しかし義妹のからかうような笑顔にゲルトはげんなりと眉を歪めた。



「……家でまで止めろ。
 肩がこって仕方ない」

「はい、兄さん」



クスクス笑い、ギンガはペイルホースのエンジンに火を入れた。

ドガン、と一際大きい音が轟いたかと思うと自走してゲルト達の傍を離れていく。

方向的にはティアナ達を挟み、さっきのベンチとは正反対の方向だ。



「母さん」

「ええ。
 ウイングロード!」



足元に現れた魔法陣は青の三角形。

頷いたクイントがラインを引く。

凹の下辺を引き伸ばしたような形のウイングロードがゲルト達の視界に境界を示していた。

拳士としての生命は絶たれたといえど、この程度の魔法の行使に支障はない。



「今からギンガがまっすぐ横切っていく。
 あの縦のラインを越えたら始め、向こうのラインを越えたら終わりだ。
 出来る限り撃ってみろ」

「……分かりました」



人を撃つ。

例え非殺傷設定とはいえ、気が引けるのは確かだ。

しかし訓練ともなればそうなるのは当然である。

一度デバイスを握り直す事で躊躇いを薄める。

傍にいたゲルトは強張った表情からその感情を見咎めた。



「もちろん、ギンガはシールドを張って動くぞ。
 さっき缶を撃ち抜いた程度の弾なら問題ない。
 心配せずに思い切りやってくれ」

「……そうですか」



程度……。



威力の方も中々上出来だと思っていたのだが。

遠慮なくやれる事に安心するべきか、それともあっさり火力不足を指摘された事に落ち込むべきか、微妙に悩む。

とにもかくにも今はやるべき事にのみ集中すべきか。

ただ標的が動くだけで射撃の難度は一気に跳ね上がる。



外さない。



今考えるのはそれだけでいい。

視線はアイドリング音を響かせるギンガへ集中。

やや前傾、デバイスを掴んだ右手はだらりと伸ばしたまま。



「来た……っ!」



ギンガが走り出す。

ペイルホースを使った走行だ。

かなりの手加減をしてもそれなりに速い。

が、まっすぐ進んでくれるならティアナでも狙えないほどではない。

狙い、撃つ。

ギンガが指定されたラインを越えるまで、ただ撃つ。

魔力を練り上げて作る弾丸は三角形の障壁を張って移動するギンガへ吸い込まれるように飛んでいく。



「ん……?」

「あら……?」



一発を当てれば次を、さらに次を。

結局ティアナは三発を当てた。

ミスショットは無し。

全弾必中だ。

どうにか再び満足のいく結果を出せた事にティアナは安堵の息を漏らす。



けど、ゲルトさんの言う通り本当に硬いわね。



当たりはしたが、三発の弾丸は全てギンガの障壁の前に容易く弾かれていた。

相手は現役の局員だという事を差し引いても些か自信を失くしてしまいそうだ。

そんな彼女を余所に、何か首を捻っていたゲルトが提案を出す。



「ティアナ、もう一回同じのをやってみせてくれ。
 次は少し速くするが、外しても気にしなくていい。
 その代わり威力は今出せる最大でやってくれ」

「は、はいっ」



なんだろう。

何かおかしな所でもあったのだろうか。

さっきは割と手放しで誉めてくれていたようだったのに。



「悪い!
 ギンガももう一回頼む!
 今度はもう少しだけ速度も上げてくれ!」

「はいっ!
 じゃあほどほどで!」



何だか遠回しに馬鹿にされているような気がしないでもない。

ゲルトもギンガも本気を出せば当たりようがないとでも言いたげだ。

未熟は承知の上だが、精度についてはもう見せた筈。



ただ当てる位……。



二度の成功で緊張も解れて来たのか、それまでとは別の感情がティアナの中で生まれていた。

僅かな自信と小さな苛立ち。

ならば結構。

当てて見せればいい。

さっき“程度”の速度に毛が生えた位なら問題ない。



「用意はいいか?」

「はい!
 いつでもいけます!」



殊更に声を上げて自分にも気合いを入れる。

期するは必中。

唱える言葉はいつもの通り。



ランスターの弾丸に――――



ギンガは再び駆け出そうとしている。

今度は左から右へ。

集中が増していくのに応じ、呼吸も緩やかに止まっていく。

自分の鼓動が相手の拍動――ペイルホースの轟きとシンクロしていくような錯覚を覚えた。

今日初めてカートリッジをロード。

相手の動きは速い。

さっきよりも確実に。

だが、



――――撃ち抜けない物は、ない!



当てた。

やはりトライシールドに呆気なく弾かれたが、当たったのは間違いない。

まだだ、もう一発。

移動していく相手に照準を合わせ、さらに絞り込む。

カートリッジの効果はまだ効いていた。

考えるのは外さない事。



いける!



外れるイメージは浮かばなかった。

想像というのは魔法を扱う上で思いの外重要になるものである。



「よしっ!」



そしてその通りになった。

思わず歓声を上げる。

終わってみれば計二発が命中。

またも外れ弾は無し。



「やりました!」



満足の喜色を張り付けティアナは振り返った。

見せつけたい相手、ゲルトはそこにいる。



「ああ、見せてもらった」



しかし予想と違ってそこにあったのは驚きでも、はたまた感嘆でもない。

どこか困ったような、そんな様子だった。

それは隣に立つクイントも同じ。



「細かい技術についてこちらから言える事はないんだが、それにしても中々の手前だったと思う。
 一発一発から外すまいという強い意志も伝わってきた」



そんなゲルトの口から出たのはティアナの求める言葉だ。

しかしそれは次に続く言葉への布石を匂わせ、どうにも不穏な気配を漂わせていた。



「ただ聞きたいのは、どうしてもっと撃たなかった?
 弾丸の形成自体は連射できる程なんだろう?」

「それは……命中率が下がるので……」



もちろん撃つだけならばもっと撃てる。

ギンガが横切るのにかかった時間も、ティアナが空き缶を倒し切るのにかかった時間とさほど変わらなかった。

つまり少なくとも六発は撃てた訳である。

しかしそれでは何発か外す可能性もあった。

多分二、三発は外していただろう。

必中を狙うならあの速度でなければ難しい。



「それだ」

「え?」

「どうしてそこまで命中率に拘る?
 自分の手数を減らしてまで」

「どうして、って言われましても……」



即座に答えは返せなかった。

それは大前提であって、それに理由や如何などない。

そうでなくとも誤射はガンナー永遠の悪夢でもある。

流れ弾を作らずに効率的に攻撃しようと思えば命中率を意識するのは当然だ。

当り前だと思っていたし、そうなるべきだと思っていた。

改めて尋ねられても困るというのが正直な所。



「当たらなければ意味がないじゃないですか」



故にティアナは当たり前の回答を当たり前に答えた。

むしろ何故そんな事を聞くのか、と訝しがる様子がありありと表情に出ていた。

ゲルトはそんな噛み合わなさになおさら困惑の色を強くする。



「何か勘違いがあるみたいだが、別に適当に撃てと言ってる訳じゃない。
 ただ、意識し過ぎて折角の抜き撃ちを殺しているように見える。
 もったいない話じゃないか?」

「でも、それは――――」



思わず抗弁するような言葉がティアナの喉を突いて出た。

ゲルトの指摘に思い当たる節がないではないが、しかしそれこそがミッドチルダ式の常道だ。

そうして照準精度を上げていった結果、意識のハードルも下がり、そして手早く標的を仕留められるようになるのではないのか?

彼の言い様はそれを一足飛びにやれと言っているようなものだ。

自分の言えた事ではないが、あまりにも、と言うほど不見識な発言である。

そもそも、ティアナは近接型のゲルトに射撃の仕方について習いに来たのではない。

“戦い方”を習いに来たのだ。

しかし、



「…………」



ティアナは漏れ出そうになった言葉を途中で飲み込んだ。

自分から頼み込んで訓練に参加させてもらって、しかも今日はその初日である。

いきなり投げ出すようなみっともない真似もしたくない。

それが処世の術と言うなら適当に頷いておくべきなのだろう。

ただ、それで今後も兄から教えられたスタイルを変えねばならないのかと思うと即決もできない。

ガンナーとしてのちっぽけなプライドもまた、それを阻害していた。

結果、ティアナはただ黙ってゲルトと視線を交わす事になった。



「あの――――」



険悪な沈黙に耐えられなくなったスバルが声を掛けようとする。

しかしその言葉は半ばで肩を掴んだ手によって遮られた。

振り向けば、「しーっ……」と唇に人差し指を付けた母がそこにいる。



「スバルが口出しちゃ駄目。
 お互い、言う事は言わなきゃいけないのよ」



結局いつも通りになるとは思うけどね、と母は笑った。

よく分からないが、そうと言われればスバルは口を噤むしかない。

ただ仲良くして欲しいとは思う。

ケンカは嫌いだ。

これから戦いの訓練をするのだ、と分かっていても、その気持ちは変わらない。

その気持ちも変えて行かなくてはならないのだろうか?





**********





「不満らしいな」

「いえ……」



一方、ゲルト達の方に進捗はない。

彼自身、考えた上でのアドバイスではあった筈だ。

素直に受け取れない自分の狭量がこういう時には腹が立つ。

遂にゲルトは眉間を揉んで溜息を漏らした。



「ん~む……」



何か上手い言い方がないものかと逡巡。

そうしてゲルトは不意に空を見上げる。

しかし彼が思い至ったのは結局の所、似合わない、という一言のみだった。

肩の力を抜いた彼の顔には何かを吹っ切ったような、諦めたような、一種の晴れやかさが浮かんでいる。

そして、



「やっぱり駄目だな。
 まだるっこしいのはやめだ」

「!」



ゲルトは不意にバリアジャケットを展開した。

黒主体、三つ又のロングコート。

体のあちこちを拘束するベルトの数々は、しかし装着者の行動の自由を保障する為のもの。

突然の事態にティアナも息を飲んだ。

だがゲルトはそんな彼女を無視し、完全に背を向けて歩き出す。



「ティアナ。
 実際局員が戦闘に入る時、最も一般的な敵との距離がどれくらいか分かるか?」

「い、いえ」



その背から声が掛けられる。

些か気後れしながらティアナは答えた。

未だ歩みを止めない彼は、喋りながらもふいと地面から小石を拾い上げる。



「まぁ、この位だな。
 それ以上となると移動が主になる」



拾い上げたそれを手の中で遊ばせつつ、計10歩。

対航空魔道師戦となるとかなり広範囲に及ぶ事もあるが、現実にはこの程度のものだ。

そこでゲルトはようやく足を止め、こちらを振り向いた。



「今度は俺が相手をする。
 この石が地面に落ちたら始め、だ。
 俺に向かって遠慮なく撃ってこい」



ゲルトは得物である黒槍、ナイトホークを携えてはいない。

バリアジャケットの一部として手甲や脚甲こそ装備しているが、全くの素手だ。



舐められてる。



当然だろう。

彼からすれば自分などはひよっ子以下に違いない。

決して面白くはないが、どのみち返事は一つしかない。

それに、その為にここへ来たのだ。



「……はい!」

「よし。
 それともう一つ言っておく」

「?」



ゲルトは言葉の途中で親指を弾き、合図である小石を跳ね上げた。

ティアナの目は反射的にそれを追う。

しかし彼女がゲルトの言葉を聞き逃す事はなかった。



「お前の弾は恐くない」

「っ!」



挑発で頭が沸騰するのを感じた。

小石が落ちる。

同時に、地表に固定された視界の中でゲルトの足が動くのが見えた。

走り出す気だ。

方向は右。



「―――――」



視線を上げつつ腕を振り上げるも、案の定ゲルトはそこにはいない。

それは承知しているティアナは、元よりゲルトがいるであろうそこへと銃口を動かしていた。

体全体で動くゲルトに対し、こちらは腕を動かすだけでいい。

弾丸の形成も始めている。

相手を見つけると同時に発射可能だ。



追いつける!?



自分でも意外な事に、振り切られてはいない。

姿勢低くこちらへ突進するゲルトの姿を確認している。

驚くべき足の速さだが、それでもこちらの方が速い。

予想外に呆気ない展開に混乱しつつ、しかし心の別の部分ではティアナは興奮していた。

“あの”鋼の騎士に一矢報いる事が出来る。

心が沸き立たない筈がない。

興奮は最初に挑発されていたせいでもあった。

幾ら恩義のある相手とはいえ、ああまで言われて大人しくしていられるような自分でもない。



「これで――――!」



走るゲルトに照準を合わせた。

今撃てば、確実に当たる。

前に進んでいる彼は、もういきなり横に跳んだりするのは難しいだろう。

頭の中の引鉄に掛った指が、今発射を促そうとしている。

が、しかし。



消えた!?



ティアナは寸前で発射を止めた。

突如ゲルトが銃口の先から消えたからだ。

今撃っても砂利の混じった芝を少し散らすだけだろう。

とはいっても完全に見失っていた訳ではない。

視界の隅にはちゃんとゲルトの存在を把握している。

ただ、精密射撃の為に意識を集中していたティアナはその分視界も狭くなっており、硬直した思考も合わせてその影に気付くのに僅かのラグを要した。



下!?



かなり背の高いゲルトがティアナの視界の外縁を掠める程に身を縮めている。

ただでさえ下を向いていたのに、さらにそれを超えて下へ。

足を動かせる訳もないのに、それでもなお進んでくる。

前転だ。

体を前に放るような前転運動で、彼はティアナの想像を上回った。



「くっ!」



慌ててそちらへ腕を向ける。

もう距離は幾らもない。

お互いが手を伸ばせば、届いてしまう。

いや、届いてしまった。

勢いのまま起き上がるゲルトの左手が、照準を付けようとしたこちらのデバイスに触れる。



銃口が……!



内側からデバイスに触れた手で無理やり軌道を逸らされた。

居場所は分かっているのに、そこに見えているのに、ゲルトの方へ銃口を向けられない。

しかも魔法のように滑り込み、両の手首をまとめて掴み取った左手はこちらを引き寄せる。

ここに至ってもまだゲルトは頭を上げる途中。

こちらを見てすらいない。

だというのに腕にこもった力は強く、反射的に体を引いていたティアナもバランスを崩す。

そして、引く腕に対応して突き出される右腕。

すぐ目の前に来た黄色い眼光の鋭さに身が竦む。



「かっ――――!?」



その隙に右腕はティアナの首を掴んだ。

息が止まる程に絞められてはいないが、今度は体全体の動きで後ろへと押される。

既に前へとバランスを崩していたティアナだ、呆気なく体は後ろへと倒れて行く。

その時は気付かなかったが、片足も見事に払われていたらしい。

空が見えたのは一瞬。

次に来るだろう衝撃に備えてティアナは身を固くする。

その瞬間、ティアナは再び掴まれた首が引かれるのを感じた。



「っ――――?」



背中に地面の感触。

少しの息苦しさに顔を顰めるが、逆に背の痛みはさほどでもなかった。

頭を打ったりした感じもない。

その理由はすぐに分かった。

薄く目を開いたティアナの視界に映るのは、仰向けになったこちらに馬乗りになったゲルトの顔だ。

片膝をついた状態の彼が首を引いて、倒れこむティアナを支えたのだろう。

しかしこちらの両腕は彼の左手一本に抑え込まれ、上体は首を掴む右腕のせいで起こす事もままならない。

さらに言えば右腕は手首との“てこ”で顎を、引いてはティアナの頭部全体の動きまで制限している。

おとがいを反らしたティアナの目にゲルトの顔が入ったのも、長身の彼がこちらを覗きこんでいるからだ。



つ、強い……!



体を完全に拘束された今になって、ようやくどっと汗が噴き出した。

分かっていた事ではある。

だが現実にこうもあっさり倒されてはその認識もさらに上方修正せざるをえない。

純粋な体術だけで、ここまで手加減されてなお、この有様なのだ。

世に轟くストライカーの称号は伊達ではない。

彼が本気で槍を振るい、魔法を使えば一体どうなるのか。

一方、こちらの目を覗き込んだゲルトは戦慄するティアナの内心など斟酌せず口を開く。



「一発も撃たなかったか」



こちらの首を掴んでいた手を離した彼は、ティアナの顔の横にその手を突く。

言葉には遠慮も呵責もない。

しかし事実だった。



「この辺りが、今のお前の限界だ。
 分かるな?」

「……はい」



瞑目し、今の一戦を振り返ったティアナは静かに頷いた。

撃つべき時はあった。

当てられる時はあった。

それはゲルトが前転をする直前。

もう少しと照準を絞った、あの瞬間だ。



でも、私は……。



「一度、狙いを付けたのに撃ちませんでした。
 確実に当てようと思って」



あの近距離なら少し甘い照準でも二、三発撃っていれば当てられた筈。

撃てなかった訳じゃない。

撃たない、とそう判断した心の動きこそが問題だ。

あれが欠点というなら、確かにそうなのかもしれない。

撃つべきだった。

そうすれば勝てていた“かも”しれない。

ゲルトもそうだな、と頷いてティアナに覆いかぶさっていた体を起こし、だが。



「ただしそれは間違いの二つ目だな」

「二つ目?」



ティアナには、もう思い当たる節はない。

体を起こしながら彼女は考える。

他に何かあっただろうか。

それもあれ以前に。



「最初にデバイスを構えた時だ。
 あの時、お前はわざわざ銃口を肩まで上げて、それから俺がいないと見るや下に下げたな」

「……最初から下に向けるべきだったという事ですか?」

「惜しい」



惜しい?



「銃口を上げる段階で適当に俺の足元へ撃ち込むべきだった。
 当たらなくてもいい。
 とにかく俺が行きたそうな辺りへまず撃つべきだった」

「当たらなくても……撃つんですか?」

「そうだ。
 俺とお前の距離は至近で、しかも位置は下方だった。
 誤射の危険性は極めて低い。
 なら俺の頭を押さえ込むのは、お前が一番にやるべき事だった」

「牽制、そうか!」



はっ、と目が覚めたようにティアナは目を開いた。

今まで対人戦をした事のない自分があまり考えた事の無い発想だったからだ。

ゲルトも頷いて、



「銃口がもう先回りしているのが分かれば、折角の突進力も殺される。
 慌てて別の方向へ跳ぶか、とにかく足を止めるか、あるいは防御するか……。
 何にしても戦いの主導権を握り続けられる訳だ。
 お前が相手を踊らせていられる限りな」



何も敵を打ち倒すだけが攻撃の全てではない。

機先を制せられれば近接型の武器である突進力も殺す事ができる。

実際に弾が当たらずとも、それは心理的な“攻撃”として相手にダメージを与えるのだ。

そして相手に先んじるクイックドロウはランスターの本髄である。

速度重視な最初の数発で相手の動きを縛り、その隙を利用して今度こそ精密な照準を付ける、という風な事も可能だろう。

であれば、



手数が一気に増える……!



ティアナの中枢神経にゾクゾクと快感に似た高揚が走る。

もっと撃て、とはこの事か。

唯一つの発想の転換で、靄が晴れるように自分の道が切り開かれて行く。

これこそ自分が求めていたものだ。

何も尊敬の念だけで畑違いのゲルトに師事しようと思った訳ではない。

そして、その決断は間違ってはいなかった。



「――――さて」



と、ゲルトはそこで話を切り換えた。



「改めて言うが、俺達はお前を“優秀な”魔導師にはしてやれない。
 俺達が敵に回した時に“厄介な”魔導師にしてやるのがせいぜいだ。
 技術的に細かい部分はお前に自分の判断と努力で補ってもらうしかない」



元々からしてそういう話だ。

ゲルトが教えてくれるのは戦い方だけ。

非礼ながらそれ以上を期待してはいなかったし、渇望する程にそれをこそ望んでいたのだ。



「合わないのは当然だ。
 多分――というか間違いなくそうだが、今からでも他に指南役を探した方がお前にとってはいい。
 それでも、やるか?」



それは弟子入りを志願した時、念を押して言われた言葉だった。

もちろん自分もその事は承知している。

いや、しているつもりだった。

しかしこの段階に来てティアナは初めて真に確信した。



ここで学ぶべきなんだ、私は。



学びたい、というだけではない。

学ぶべきなのだ。

目標とする執務官に求められるのは高度な法務知識と能力と、そして単独で現場を制圧できる程の戦闘能力。

その点、鋼の騎士に「厄介だ」と評される魔導師ならば、必要十分以上である。

だからティアナは今度の問いに悩む事はなかった。



「はい。
 “これからも”ご指導、よろしくお願いします」



答えに際し、ティアナは精一杯の矜持でもって不敵な笑みを作り上げてみせた。

恩義あるゲルトを前にするからこそ、現実はともかく精神的な立場として善意に縋る哀れな小娘ではありたくない。

それはティアナの中に新たなプライドが生まれた瞬間でもあった。



私は、“英雄”ティーダ・ランスターの妹。



そして、とさらに自分に言い聞かせる。



“鋼の騎士”ゲルト・グランガイツ・ナカジマの弟子なのよ。



やってやる。

今日から始まる新しい日々を感じ、ティアナは両の手を強く握り締めた。

そして師である青年もまた、彼女の答えに満足したらしい。

そびえる壁へ挑むような視線を向けられてなお、彼は満足気に口元を綻ばせていた。










(あとがき)


うわーお、またワンクール使っちゃったよ。

駄目だな、ホント女性陣の心理描写入れる所は難しい。

説教も……まぁ、師匠らしい事の一つもさせてやらなければなりませんし、ね?

出来る限りアンチみたいにはしないようにしてみたつもりなんですが、ティアナの性格が子供にしちゃちょっとやり過ぎたかな、と思わないでもない。

まぁそれはともかく次回は早くお届けできるよう、精一杯の努力はしてみます。

久々にゲルトにも本気で戦う場面を作ってやりたい気もするんですが……。

それではまたお会いしましょう、Neonでした!



[8635] 日常のひとこま
Name: Neon◆139e4b06 ID:013289b5
Date: 2012/01/14 12:59
「ふぃー、なんやここの仕事もえらい慣れてきてもうたなぁ……」

「ナカジマ三佐もいい人ですし、部隊の方も皆さん親切ですから。
 私はもうちょっとここにいたいくらいです!」



陸士108部隊隊舎。

ゲンヤの補佐という午前の仕事を終えたはやてがコキコキと首を鳴らしながら、ここ最近ですっかり馴染んだ廊下を歩く。

肩の辺りに浮かんでいるリィンの言葉に、彼女も笑って頷いた。



「ここは居心地ええもんなぁ」



上司が人格的にも能力的にも出来た人物であるというのは非常に助かる。

20歳にもならずに好調な昇進を続ける魔導師キャリア組というのは何かと妬まれ、疎まれるものだ。

もちろん聖王教会のバックアップを受けると決めた時や自分の部隊を持つと夢抱いた時にも覚悟はしていたが、正直気苦労は絶えない。

その点、ここでの自分は心おきなく勉強不足な小娘でいられる上、同世代で旧知の友人までいる。

得難い幸福であるのは間違いなかった。

それももう折り返しを過ぎてしまったのが残念だが、今はそれを惜しんでも仕方ない。



「まぁ、今を楽しむのが一番やな」



うん、と自分を納得させて食堂を覗き込む。

目当ての人物はすぐに見つかった。

彼は腕を組み、料理の並べられた円形のテーブルに一人で座っている。

彼を視界に収めたはやてはにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべて足取りを軽くした。



「ハロー、そこの仏頂面な准尉さん。
 一緒にお食事なんかどうですか?」

「もちろん、猫かぶりの上手な一尉殿。
 席は空いてるのでお好きな所にどうぞ」



ゲルトは彼女に気付くと調子に合わせて恭しく席を示してみせる。

はやても慣れたものだ。

機嫌を害した様子もなくゲルトの左側の席へ近付いて行く。



「猫かぶってるのとちゃいますー。
 敬語使う相手を選んでるだけですー」

「はいはい、言ってろ」



基本的に口先の事ではやてに敵う筈もない。

片肘をついたゲルトは面白くもなさそうに溜息を漏らした。



「料理は取りに行かなくてもいいぞ。
 追加の皿を取りに行ってる三士がいるんでね」

「相変わらずよう食うなぁ……」



ゲルトが振り返らずに指したカウンターでは盆を持ったギンガがあれやこれやと更に料理を確保している。

既にテーブルに並べられた分だけでも三人が食べる位は優にあるというのに。

いつものことながら凄まじい。



「……一体どこに入ってんねやろ」

「まぁ、運動はしているしな」



そういうものか?

ただ確かにギンガはあれだけ食べても無駄な肉が付くような様子はない。

激しい格闘戦を可能にする強靭な筋肉を纏いながら、しかし適度な柔肉に包まれた肢体は筋肉質に傾かず丁度良いバランスを保っている。

13歳という年齢を抜きにしても羨ましい事である。



「…………」



席についたはやてはゲルトに気付かれぬよう、無言で自らの横腹に触れた。

余ってはいない。

栄養、カロリーバランスの調整位はキッチンを預かるものとして当然。

たとえ外食が増えようといえども抜かりはない。

が、しかし。



――――うっ、締まっても……!



そういえばここの所デスクワークばかりだった。

運動らしい運動も滞りがちのような気がする。



「あ、あははは。
 たまには私も訓練参加しようかなぁ」

「それは結構だがほどほどにな。
 急にはりきり過ぎると体が動かなくなるぞ」



乾いた笑い声を上げるはやてにゲルトは冷めた視線を送っている。

ただその割に、



「なんや実感こもってない?」

「んー?
 ああ、まぁな……」

「?」



ゲルトはそこで何かを思い出したのか頬を掻いた。

なんとなく心配事があるような顔をしている。



「いや、悪い。
 ただ今頃うちで潰れてるだろう奴が一人いてな」

「へ?」





***********





「っはぁー……。
 っはぁー……」



ナカジマ家の庭先で息も絶え絶えなティアナが大の字になっている。

顔も脇も首筋まで汗だくだ。

空を見上げるように寝転がった彼女の視界に映るのは覗き込むようにして彼女を囲むクイントとスバルの顔のみ。



「だからスバルと同じペースでランニングは無茶だって言ってるのに。
 毎日よくやるわね」

「ティアナさん、ほんとに大丈夫?」

「……だ……大丈夫、です……っ!
 すぐ……すぐ、に立ちます……!」 



と付け加えつつもたもたと体を倒してよつんばいになったティアナ。

腕も足も鉛のようだ。

再び倒れ込む魅力に後ろ髪を引かれつつ、しかし気合いでそれを捻じ伏せる。



「それ……から、スバル……っ!」

「はい?」



膝と背筋に力を入れ、そして、



「さん、要らない――――っ!」



風を巻くような勢いで立ち上がった。

まっすぐに直立したティアナだが、もちろん腿の筋肉はビキビキと悲鳴を上げている。

その悲痛は渋く歪められた顔にありありと表れていた。

おお、とそれが分かるクイント達も拍手を送った。



「つ、次のスケジュール行きましょう!
 私は抜き撃ちの練習でしたよね!?」

「ええ、まーそうなんだけど……」



腕の時計を見たクイントがぎこちない笑みを浮かべる。

が、結局開き直った彼女は全開の笑顔でごめんっ、と手を合わせた。



「いい時間だし、とりあえずご飯にしましょ」

「え゛」



ようやくと立ち上がったティアナが見事に固まった。

そんな彼女を置き去りに、クイントは足早に家の中へと入っていく。



「私は準備してくるから、二人ともシャワー浴びておきなさいねー!」

「わっ、ティアナさん!?
 いきなり倒れ込んで大丈夫ですか!?
 ティアナさん! ティアナさーーん!!」



抜け殻のように生気の抜けたティアナは力なく芝生へと倒れ伏した。

スバルにガクガクと思い切り肩を揺さぶられようと、精魂尽き果てた彼女の体が動く事は無い。



「さん……言う、な……」



それが末期の言葉になった。





**********





「へぇー頑張ってるんや。
 ティアナやっけ? そのお弟子さんは」

「ああ、ティアナ・ランスターな」



ゲルトが義妹以外の弟子を取っただとかの話を聞いてはや三日。

最初は何があったのかと思ったが、彼女の名前を聞いて納得したものだ。



「因果やなぁ……。
 ティーダ・ランスター一等空佐の妹さんがゲルト君に弟子入りする、やなんて」



背もたれに体を預けたはやてが遠い目をして呟く。

非業の最期を遂げたティーダとゲルトの因縁は、特に管理局地上の人間には有名な話だ。

もう二年近くも前になるとはいえ風化させず記憶に留める者も多い。

あの表彰式はそれくらいセンセーショナルに話題をさらったのだ。



「別に同情だけで教えようと思った訳じゃないがな」

「うん、分かってる。
 ゲルト君そういう事せえへんもん」

「……それはどうも」



それくらいは分かる。

彼女自身に強い意思があって、その志に賛同したから、とかそんな所だろう。

ただし同情“だけ”じゃない、という所がミソだが。



「夢は執務官だそうだ。
 本気でなるつもりらしい」

「上を見とるな。
 最近の子にしたら関心なこっちゃ」



うんうんと頷く。

やはり若い子はその位の覇気がなくては。



「それで、どんなもん?
 実際ティアナの腕前の方は」

「どうだかな……」



まだ鍛え始めて一週間も経っていない。

それがこの先でどこまで伸びていくのか、今の段階で見極めるのは難しい。

しかも専門分野外の魔法体系である。

ただ、



「あいつは、例えばなのはの奴みたいにはなれんだろうな」



砲撃型、とかそんな話ではないだろう。

一流のさらに上、超一流にはなれないという事か。

それを力不足とは言うまい。

そんな域に至る事が出来るのは苛烈な修練と豊富な才能を併せ持ったほんのごく一握りなのだから。

はやての前にいる、この仏頂面もその一人である事を思えば皮肉になるかもしれないが。

と、そこではやてにある疑問が浮かぶ。



「あれ?
 そういえばゲルト君ってなのはちゃんの戦う所見た事あるん?」

「ユーノに頼んで見せてもらった。
 ティアナの参考になればと思ってな」



しかしあまり意味はなかった。

なのはの戦闘を組み立てている潤沢な魔力、直感的な飛行制御、そして天性というべき戦闘感覚。

あれはティアナが求めるべきものではない。

少なくとも今はまだ早い。

むしろ彼女が求めるべきは、そう理詰めの戦闘技術。



「あいつは肌で感じるタイプじゃない。
 何もかも頭で考える奴だ」



だから、想像の中で戦えている内は強い。

実力以上の力も発揮できるだろう。

しかし、一度状況が自分の想像力を超えてしまえば、崩れる。

それは彼女の本質だ。



「だから、そうだな。
 俺が教えた方が良かったのかもしれない」



なぜなら自分も同じだからだ。

自らの認識を超越するまで高速化した思考の流れが錯覚させるが、本来ゲルトは感覚で戦う種類の人間ではない。

起こり得る状況を想定し、それを一つずつ潰していく。

相手が強いと言うなら、全力を出せなければよい。

そんな話ははやても聞いた事があるような気がした。



「へぇ……じゃあ下の妹ちゃんは?」

「あー、あいつはティアナとは正反対だ」



話がスバルの事に切り替わるとゲルトは溜息をついた。

苦労が滲み出るような、そんな様子である。



「身内贔屓なようであんまり言いたくないが……天才だよ、あいつは。
 間違いなく才能はある。
 シューティングアーツなら教えるのも楽だしな。
 ただ――――」

「ただ?」

「性根がやわ過ぎる。
 その辺はティアナを見習って欲しいもんだ」

「あ、あはは……まぁ、何もかも完璧って訳にはいかんって」



かくりと肩を落としたゲルトは再び深く重い息を吐いた。

やっぱり妹の事はナイーブなラインらしい。

特に年の離れたスバルの事となると。



「でも何やかんやゲルト君先生向いてるんちゃう?
 結構よう見てるみたいやしさ。
 そっち方面進みたいとか思わへんの?」

「なのはみたいにか?」



ゲルトは笑う。



「みたいに、とは言わへんけど……。
 教導隊とかからもお誘いあるんやろ?」

「ああ、あったな。
 けど今の所、そのつもりはない」



断定ときた。

教導隊の仕事は名前の通り後進の育成であるが、その構成員はもれなく各分野の優秀者ばかりである。

名誉であるのは言うまでもない。

だというのに、こうもあっさり袖にする人間も珍しかろう。

はやてはさらに言い募った。



「なんで?
 人に教えるの嫌いって訳じゃないんやろ?」

「…………」



ゲルトの人差し指がトントンと、テーブルを叩く。

押し黙った彼は答えに悩んでいるのか?

ゲルトの様子を窺い、はやてはその考えを否定した。



いや、ちゃうな。



あれは話すべきか、を考えている。

そんなに重要な理由があるのか?



「もしかして、どこか行きたい所あるん?」



まだゲルトは何とも言わない。

しかし何度目か、人差し指を動かした彼は遂に観念したのか吐息混じりに口を開いた。



「…………一つは」

「え?」



思わず聞き返した。

しかしゲルトは気にした様子もなく言葉を続ける。



「一つは、責任が持てないからだ。
 鍛える以上は一々心配せずに済む位には仕込む。
 例え気骨を折るほど叩きのめしてでもな。
 今でも十分手一杯だよ」

「なるほど」



折ってしまっては元も子もないのではないか、などと野暮な事は言うまい。

折れたら折れたで局員など目指さないでいてくれるのだから。



「二つに……ま、そうだな。
 一生ここにいる訳にもいかんだろうさ」

「……どこに行きたいんか、聞いても?」

「別に確定じゃない」

「構へんよ」



胡乱気な瞳でこちらを見つつ、しかしゲルトは口を開いた。

はやても思わず唾を呑む。

これは彼の今後に直結する問題だ。

あるいは、自分達の未来とも。



「俺が、考えてるのは……」



周囲を気にした声音で、唇が幾つかの言葉を紡ぐ。

それはそう多い言葉ではない。

ゲルトの口にした望みに、はやては目を見開いた。





**********





「あれ、お二人とも何のお話ですか?」

「んー?」



両手の盆に皿を乗せたギンガが器用にテーブルへ料理を並べて行く。

さほども大きくないとはいえ、食卓はあっと言う間に料理で埋まっていった。

その様を見ながら、ゲルトは空気を変えるようにはやてを手で示してみせる。



「一尉殿がギンガは食い過ぎなんじゃないのか、だと」

「え……」

「なっ」



固まったギンガがはやての方を見る。

当のはやては一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに何かを思いついたようだ。

むしろ嬉々とした表情でお返しとばかりゲルトを指し、



「あー、ちゃうちゃう。
 准尉が高尚な教育論を語ってくれてたんや」

「おい」

「それによると……むふっ」



はやてが吹き出して悪い笑みを浮かべる。



「ギンガの事は肌で感じるように仕込み続けるんやって。
 それも責任持って、一生……やんな?」

「えっ……!」

「……切り貼りして適当言ってんな」



盆を胸で抱え、瞬時に顔を赤に染め上げたギンガとは対照的に、ゲルトは右手で顔を覆いながらげんなりと項垂れた。

やはりこいつに口先で挑むのは分が悪い。





***********





数日後。



「動け動け!
 真っ正面から格上の相手に挑むな!」

「う、うんっ!」



ジャブのような軽い拳打を連続して放ちつつ、ゲルトはスバルへ一喝する。

牽制を躱しに慌てて動くスバルの動きは大きい。

余裕を取ると言えば聞こえはいいが、その分次の行動が阻害されている。



「無駄が多い!
 ギリギリを見極めろ!」

「うん――――て、うわっ!?」



言いながらゲルトは右足で薙ぎ払うように蹴撃を放つ。

懐に飛び込ませない為の、これまた牽制だ。

スバルはあえて飛び込むか、それとも退くかの選択を迫られた訳だが、やはり彼女は下がる事を選択した。

いっそここで攻めてくるぐらいであれば誉めようもあったのだが。



――――む。



しかしゲルトは思考を一瞬止めた。

スバルが蹴りを避ける。

その距離が僅かに、ほんの僅かにだが先程より縮んでいるのをゲルトは見て取っていた。

律儀に先程の言を守っているようだ。



目はいいんだがな、こいつは。



忸怩たる思いを抱きながらも足を戻すに際し、バランスを僅かに崩してみせる。

スバルに付け込む為の隙を与えてやる為だ。

傍目には少しのけぞった程度にしか見えないが、こういう所を見逃していてはリーチで勝る相手に勝つ見込みなどあろうはずもない。

果たして、



「何をしてる」

「え、えっと……」



いや、厳密には何もしていないのか。

スバルは両手を構えたまま、一定の距離を保ってこちらの様子を窺っている。

攻勢に出るような気配は見られない。

が、キョロキョロと動く目は迷いを告げており、攻めるか待つかどうするか悩んだ末、結局機を逃して棒立ちになっているのだと容易に察せられた。

はぁ、とゲルトは内心で溜息をつく。



「減点1だな」



言いながらも彼は前に出る。

スバルが保っていたラインを軽く踏み越え、拳打の間合いへと持ち込んでいく。

大袈裟な程に右腕を振りかぶり、全身のバネを用いて拳を射出する。

スバルにもはっきり分かるように、だ。

妹の顔に恐れの感情が浮かぶ。



「と、トライシールドっ!」



斜め下へ打ち下すように放たれた拳が止まる。

その威力を最大に発揮する打点よりも前で静止。

エネルギーを逃がす為に音に変換された力が重い鐘のような響きを鳴らす。

反射的に目を瞑って叫んだスバルの意思に応じて三角形の魔法陣が防御壁となって彼女を守ったのだ。

その展開速度も強度もデバイスの補助が無い事を考えれば十分に合格点である。

しかしこちらを見ていないようではこの先の展開に対応できまい。



「減点2」



ゲルトはさして驚いた風もなく即座に体を滑り込ませてシールドの死角へと回り込む。

スバルは怯えからか体を守る為に両手をガードに回しているが、構わない。

開いた足から体を捻り、左の拳を叩き込む。



「いつぅっ!?」



ガードの上からでも体をバラバラにするような拳打。

涙目で顔をしかめたスバル。

そこへ更に本命の右拳打が放たれる。

直撃は免れないと確信し、スバルは腕を打つだろう痛みに備えて体を強張らせる。

今度は耐えられないほどの激痛が襲いかかるに違いない。



「…………?」



しかしいつまで経ってもこない衝撃に疑問を感じ、視界を塞ぐ両腕を下げる。

兄の拳は目前にあった。

防御の両腕に当たる直前の状態で寸止めされている。

ただしその右手は何時の間にか拳ではなくなっており、親指は中指を押さえ、他は伸びきっているという奇妙な形になっていた。

つまり、そう。



……デコピン?



と思った瞬間それはきた。

尋常ならざる握力で引き絞られた中指が放たれる。



「あっ――――」



額を弾かれたスバルが思わずのけ反る。

痛みは驚きに一瞬遅れてやってきた。

肉が薄く頭骨そのものと言っていい部分に、爪の根元が直撃したのだ。

拳よりマシとはいえ、それでもかなり痛い。



「あああああああ!!??」



熱を伴うような重い痛さではなく、全く予想外の、あえて例えるなら硬質で鋭い痛みがスバルの脳天を突き抜けた。

忍耐不可能。

両手で額を覆い、それでも収まらずに絶叫を上げる。



「大袈裟な」



ゲルトは激痛に悶えて足元で転げ回る妹を白けた視線で見下ろしている。

腕組みした彼は妹の叫びを全く無視して反省会を始めた。



「相手が隙を晒しているのに放っておいてどうする。
 あそこは攻め立てて押し潰すのが定石で――――」

「あああぁぁぁぁぁ!?」



沈黙。

一瞬顎に手を当てて悩む素振りを見せたゲルトは、しかしやはり無視。



「あるいは待つでもいいが、それならそれできちんと自分で決定しろ。
 選びもしないのが一番良くなくてだな――――」

「いったぁぁぁぁ!!」

「ああもうやかましい!
 ギンガ、そっちへ連れて行け!」

「はいはい痛くない痛くない」



傍に控えていたギンガも苦笑気味だ。

スバルをなだめながらベンチまで連れて行く。

ゲルトは咳払い一つで気合いを入れ直した。



「――――ティアナ」

「あ、はいっ!」

「次はお前だ。
 用意しろ」

「分かりました!」





**********





さて、とゲルトはティアナを観察する。

トレーニングウェアで事足りるスバルとの訓練とは違い、ティアナを相手にするなら双方バリアジャケットの装着が必要になる。

ティアナのそれは黒を基調に、大人し目の赤色を取り込んだフィット感の強いインナーとミニのスカートとの上下一体。

動き易さを重視してか肩から先の袖は無かった。

デバイスのアンカーガンは腰に提げたままで、まだ触れてもいない。

抜き撃ちから始めるのは最早ルールになりつつあった。



「それじゃ、始めるか」

「はい」



ティアナがデバイスへ手を伸ばす。

指を開き、いつでも抜き放てるように。

ゲルトはまだ特に動きを見せていない。

いや。

体が、僅かに左側に傾いて行く?

来る、とティアナは感じた。



「行くぞ」

「――――っ!」



ティアナはデバイスを抜いた。

流れる動きでホルスターから抜き放ち、そのまま撃つ。

狙いはゲルトの左方、自分から見た右側。

相手が動く予定の位置へ即座に二発を叩き込む。

ごく精密な照準を必要としないその射撃は記憶にあるかつての最速の射撃より、なお一段速い。

ティアナがナカジマ家の門を叩き一週間弱。

最初に手に入れたのは、紛れもなくその速さであった。

善し悪しは別として、元々見所のあったティアナの射撃の速さは既に一目を置くレベルに達している。

無論、それは彼女の長所の一つでもあった精密射撃を殺した上での事ではあるが、偏差射撃は想像力に頼った彼女のスタイルによくマッチしていた。



そこで、俺のするべき事だが……。



ゲルトは思う。

自分が今この場所でしてやれる事はなんだろうか、と。

決まっている。



あいつが経験した事のない状況を体験させ、データベースに新たな項目を増やさせる事。



是非も無し。

ゲルトはデバイスを抜く彼女を見ながら“右側”へ跳んだ。

単純なフェイントだ。

ティアナの弾丸があらぬ方向へ飛んでいくのを横目に見つつ、迂回するようなルートで彼女へと迫る。

初手から予想を外されたティアナはどうか。



露骨に慌ててるが、さて……。



ティアナが立て直すまでにかかったのは僅かな時間だが、その間にもゲルトは一気に距離を詰めて行く。

たかがこれ位で思考停止していてどうするのか。



「――――っと!」



ゲルトは再び跳んだ。

今度は左。

再びの二連射で狙ってくる弾丸を躱して大きく移動する。

今の二発は完全に当てに来ていた。

もう悠長な事をしていられる距離ではないのだとも言える。

そんな内にもさらに二発。

ティアナの射撃はここに来て感嘆の冴えである。

一発目は勢いのまま左へ逃げるのを塞ぐ為にゲルトの左側へ。

二発目は足を止めれば当たるように今の位置へ撃ち込まれた。

並みの人間ならここで為すすべもなく撃たれるだろう。

慣性と、思考の停止がそうさせる。

しかし、



「――――っし!」



三度ゲルトは跳んだ。

爪先で土を掴む、脚力と体術の粋をこらした跳躍。

右、ティアナの左脇に抜けるような軌道だ。

もうあと一、二歩で密着してしまえる距離である。

しかし意外にも、



落ち着いている……?



ティアナの表情は冷静。

いやむしろやや興奮しているような趣まである。

最初のフェイントは予想外で、しかしこれは想定の範囲内だと?

未熟なミッドチルダ式の魔道師が、鋼の騎士の接近を許すと?



なるほど。



つまりはどうであれ最終的にこの場所へ追い込むつもりだったという事か。

ゲルトは面白い、と笑った。



……いいだろう。



勝負だ。

ゲルトはティアナの背後を取る為、なお強く地面を蹴った。





**********





「戦う時のコツ?
 そうねぇ……」



普段、ティアナやスバルの訓練を見てくれているのはゲルトではない。

専業主婦として家にいるクイントだ。

ゲルトにあっさりと敗れたティアナはその彼女に聞いた。

どうすれば勝てるのか、と。

何か戦う上でのコツはあるのか、と。

少し考えたクイントはその問いにこう答えた。



「自分で戦いを組み立てる事。
 そして、その流れに相手を取り込む事、かな?」



その教えに従い、ティアナはまず勝つ為の道筋を考えてみた。

究極的には、不意を打つ。

それしかない。

正攻法で敵う相手ではないのだ。



というか、勝てる訳もないんだけど……。



と、予防線を張りつつ、しかし負けるのは嫌だ。

尊敬してる人だとか、相手の方が遥かに格上だとか、そんな事は関係なく負けるのは嫌なのだ。

ましてゲルトは魔法も、レアスキルも、得物であるナイトホークすら使わない。

魔導師でもない、しかも素手の人間にすら今の自分は手も足も出ないという事である。

だからずっと考えていた。

せめて一矢でも報いる方法はないかと。

そしてその時が、遂に来た。



ここだ……!



左側へ跳んだゲルトを見ながら、ティアナは喝采を上げた。

彼はこのまま背後に回り制圧するつもりだろう。

理に適った戦法だ。

右手でデバイスを持つ自分にはそちら側は狙い難い。



なら!



デバイスをそちらへ振り向けながら、ティアナは左手へとアンカーガンを持ちかえる。

狙うのは左側方。

勢いに任せ片手一本で振り抜き、思惑を悟らせぬ為にもノールックで一発。

相手は姿勢を下げている筈だ、とにかく斜め下へ撃ちまくればいい。

首を巡らせながら二発、三発。



「えっ……」



四発目で弾丸が何もない地面を抉っている事に気付いた。

胴なり足なりは確実に捉えていた筈の弾丸が、全て空しく空を切る。

ただの一発たりと当たっていない。

しかしゲルトは“そこ”にいる。

天地逆さま。

側宙の姿勢で。



「―――――」



一瞬ゲルトと目が合ったような気がした。

ゆっくりと動く時の中で、彼は悠々と自分の射線を跳び越えていく。

惰性のままに放たれる五発目、六発目が当たろう筈もない。



崩された……!



ここ一番の勝負を外されたティアナが目を見開く。

練りに練り、ようやくにもぎ取った一縷の勝機ですら届かない。

勝てない。

勝てないのか。



まだ……!
まだ……っ!



食い縛った歯で気力が抜け去るのを何とか押し留める。

まだ負けてはいない!

体に走るのは炎だった。

空白よりは随分マシだ。

この体が動くのならば。



「はぁぁぁぁっ!!」



渇を入れるように吠えたティアナががむしゃらに体ごと振り返る。

デバイスを握る左手の補助にせんと右手も伸ばす。

彼はそこにいる筈だ。

だが、



「――――っ!?」



それより早く伸ばした左手を掴み取られた。

滑るように動いた体は、彼を視界に収める事すら許さず背後に回り込んでくる。

また、その動きに連動して掴まれた左手がデバイスごと後ろ手に捻り上げられた。

身体の自由を奪われると同時、後頭部を鷲掴みにされる感触。



「ま、このまま膝を崩して地面に倒して終わりだな」



背中側の耳元でゲルトの声。

普段よりも若干軽めの口調は必要以上に敗北を意識させ過ぎぬ為の配慮か。

実際、痛みを覚える程には極め切らない絶妙な力加減とはいえ、固められた腕を振り解く余地などはない。

勝負あり、である。



「…………っはぁ」



腕を解放されると、緊張状態にあったティアナの体からはがくりと力が抜けた。

単純に気が抜けたという事もあるが、なによりまた勝てなかったという落胆が大きい。

いや、勝てなかったなどくどい言い方はすまい。

負けたのだ。



「はぁー……」



地面に座り込んで吐息を漏らす。

表情には悔しさや読み合いに何度も負けた自分への怒りや何やが混ざり合っている。

背中からでもそのやるせなさは読み取れる程だ。

よほど悔しかったらしい。

確かに、あともう二、三歩くらいの所まではいっていたかもしれない。



向上心の表れと思えば、そう悪くもないか。



やれやれとゲルトは頭を掻いた。



「そう落ち込む程でもないと思うがな。
 最初に手合わせした時からすれば驚くほど伸びた」

「……でも」



でも、なんだ。

本気で勝てなかったとでも言うつもりなのか。

呆れた負けず嫌いだ。

その性根は決して嫌いでもないが。



「俺でも師匠から一本取れるまで二年以上かかった。
 一週間やそこらでそうそうくれてやれるか」

「ゲルトさんでも、ですか?」

「誰にでも最初はある」



意外そうな目でティアナはこちらを見上げているが、心外だ。

ゲルトとて努力も苦労もせずにここまできた訳ではない。

思えば色々あった。



始めは母さんにも手も足もでなかった位だからな……。



かつての自分も、スバルも、ティアナも、何も違いはしない。

どうしようもなく未熟で、愚か。

しかし可能性に満ちている。

そしてこれからは自分が育てる側に回るのか。





**********





「あー、ごめんなロッサ。
 結構待たせてもうて」

「いや、全然だよはやて」



少し息を上げたはやてにヴェロッサ――時空管理局査察部ヴェロッサ・アコース査察官は着席を促した。

連絡はいれておいたとはいえ、仕事の都合で僅かならず待たせたというのに、彼に苛立ったような気配は微塵もない。

それに、



「女性を待つのは男の名誉さ。
 僕から楽しみを奪わないでくれ」



気障な言い回しでこちらを気遣ってもくれる。

知り合ってから色々と面倒を見てもらっているこちらからすると、本当に親戚のお兄さんのような関係だった。

だからはやても気を遣わなくて済む。



「ありがとう。
 でもそれを普段から発揮できたらシャッハ辺りも随分楽になると思うで」

「あはは……まぁ、善処するよ。
 シャッハは怒ると恐いからね」



そうして他愛ない会話を続けて時間を過ごす。

最近あった事、部隊の仲間の事、教会の事、家族の事。

ヴェロッサとの会話は飽きるという事がない。



「そういえばさ」



どれくらい話したろう。

ふとはやてがふと思いついた風を装って口を開いた。



「ロッサって査察官やってるやんかぁ」

「うん、でも今更それがどうしたんだい?
 何か調べて欲しい事でもあった?」

「いやーそういう訳じゃないんやけど……」



と言い淀み、



「もし、仮に査察官になりたいって人がおったとして……。
 その人はどんな理由で志願すると思う?」

「……それは、君の身近な人かい?」



ヴェロッサの雰囲気が少し変わった。

普段纏っているような軽薄なものではなく、少し目に力の籠った仕事モードのそれだ。

しかしはやてはにっこりと笑って疑惑を否定する。



「いや、もし仮にそういう人がおったらや」

「なるほど。
 もし仮に、ね……」



ふ、と彼の表情も和らいだ。

先程までのプレッシャーが消失して柔らかい笑みが浮かぶ。



「まぁでも査察官なんていうのは嫌われ者だからね。
 やってる事も傍からみると粗探しみたいなものだし、あまり自分からなりたいなんて人間はいないんだ」



職務の性質上、それは仕方がない。

誰もがその必要性を認めつつ、しかし近付きたいとも思わない。

それでもやりたいと言うような人間は大別して三種類。

指折り数えながらヴェロッサは語る。



「まずは僕みたいな能力先行で適正が特化している場合。
 次に名じゃなく実をとって出世を求めている場合。
 そして最後は――――」



そこでヴェロッサは言葉を一旦切った。

もったいぶるように間を取ってくる。

だがはやても問いを投げた時点で続く内容にはおおよそ見当がついていた。

つまり、



「個人か組織かを問わず、管理局への強い不審を抱いている場合、かな」










(あとがき)

おお、ようやく一月以内の更新ができた!

こんな早いの本気でいつ以来だろ……。

やればやれるもんだ。

多分スバル・ティアナの訓練編はあと1、2回でケリをつけられると思うので、その後もう一山くらい越えればSTSにも入れる筈……!

ま、自分の悪癖である唐突な膨らしがなければ、ですがね。(本当は今回ではやて離脱までやるつもりだった)

それでは次回もお会いしましょう。

Neonでした!



[8635] 清らかな輝きと希望
Name: Neon◆139e4b06 ID:19960f54
Date: 2012/06/09 23:52
今、ティアナの眼前の台には幾つかの拳銃が並べられている。

どれもこれもスマートさに欠けるやや歪な形状の上、地金の色そのままな未塗装の代物ばかり。

かといって密造品のそれのような粗さはない。

どちらかといえば研究用のテストベッド、そういう趣だった。

人によっては左右のレンズ調整に用いる試験用の眼鏡、あれを思い出すかもしれない。



「とりあえず色々握ってみて一番しっくりくるのを選んでくれる?」

「はい」



声を掛けてきたのは緑の髪をした如何にも研究者という出で立ちの女性。

ゲルトに紹介された所によると本局技術部で主任を務めているマリエル・アテンザという人だ。

彼女の言に従い、まず右側から順繰りに手に取っていく。

掴み、持ち上げ、構え、振る。



……軽い。



駄目だ。

全体として銃身が手元にあり過ぎる。

元に戻したティアナは新たなものを試すが、それもピンとはこない。

次も、重量の配分に納得がいかない。

そうしてティアナは何個も試し、遂に。



「あ、これ……」

「丁度いい感じ?」

「はい」



その次では逆にやや重い。

ふんふん、とマリエルは手元のコンソールに何事かを打ち込んだ。



「じゃあ次は手の型が取りたいから、これ握ってくれる?
 両手ともね」

「わかりました」



ぐにぐにと粘土のような手触りの計測器を握る。

これで自分の指の形状、握力、握る時の癖などが仔細に記録されるはずだ。

その全てが自分専用のデバイスを作る為のものである。



私の、為だけの……。



その響きに僅かならず興奮する自分自身がある。

近年魔導科学の発展といえばデバイスの先進化が顕著だ。

本来魔法というものが自身の身一つで為し得るものだとしても、最早デバイスの補助があるとなしとでは発揮できる能力には雲泥の差がある。

それが十把一絡げの手製デバイスと専門の技術屋が仕上げた専用機とではそのスペックを比較するのもおこがましい。

ただ所持し、用いるだけで魔導師としての格は即座に上昇するだろう。

ゲルトからの贈り物は二つ。

余所では経験できぬほどの濃密な戦闘経験と、そしてこれから生まれてくるであろうワンオフの高性能デバイス。

好意で受け取るにはあまりにも勿体なさ過ぎる品々だ。

しかし彼ならば言うだろう。



「それに見合うだけの魔導師になってみせろ」



付け加えるなら、俺に後悔させてくれるな、だろうか。

そうに違いない。

ならば、やらなくてはならないだろう。

ティアナの口元は自然と笑みを形どった。



高望みのし過ぎよ、私……。



それでも彼に後悔させない為であれば執務官でもまだ足りないかもしれない。

それこそ彼を、“鋼の騎士”をも超える、くらいの大金星でも挙げなければ。

できる気はサラサラもしない。

あの背は果てしなく遠く高い巌のようなものだ。

だからこそ、目指す価値もある。

捜査官としての執務官。

魔導師としてのゲルト。

ティアナの野心は留まる所を知らない。

ごく当然の発想として飛び立つ事を望んでいる。

それが、彼女の強さだった。





**********





同日、陸士108部隊隊舎。

午前中にすべき事となると昨日の案件の整理というのが意外に多い。



「それで、ゲルト君とギンガはお休みですか」

「ああ、いつもの定期健診だ。
 ついでにランスターの嬢ちゃんのデバイス用データも取って来るってよ」



隊長室にいるのは部屋の主たるゲンヤに、その手伝いを任されているはやてとリィン。

お互い書類に目を通しながらの会話である。

はやてとリィンが詰まれた書類を分類分けし、ゲンヤがそれを片付けて行く。



「やっぱり一から専用機作るんですか?」

「らしいぜ。
 ちなみに、予算は全部ゲルトのポケットマネー」

「うわっ、それホンマですか。
 太っ腹やなぁ」



実戦に耐えうる一点物のデバイスとなると費用の方もそれなりにかかる。

ピンキリとは言ってもゲルトなら他人に渡すものに手は抜かないだろう。

となれば幾ら技術者にツテがあると言ってもそう安く済む訳もあるまい。



「あいつ金のかかる趣味とかねぇ分、使う時はえらく気前いいぜ?
 突然教習所行ってくるとか言い出したかと思や、即金でバイク買ってきたりとかな」

「なんや、らしいっちゃらしいですね」



控え目ながらはやても笑う。

まぁ、それはともかく。



「そういえば、お前さんの研修期間ももう満了だな。
 次どうするかとか考えてんのか?」

「はい。まぁとりあえずもう一つか二つの隊で勉強させてもらおうかと思ってます。
 その後は本格的に自分の部隊持つ為に動こうかと」

「自分の部隊か……」



しみじみ。

まさにゲンヤはそういう様子だ。

自分が部隊を持った頃の事でも思いだしているのだろうか。

苦労もあったに違いない。

無論はやてだとて偉そうにふんぞり返って務まるような甘い仕事でない事ぐらいは弁えているが、



「そういえば、ナカジマ三佐が自分の部隊を持った時ってどうでした?」

「あ?
 俺が部隊を持った時か?」

「いえ、別にどんな事でもいいんですけど、何やこう……意気込みとかなかったんですか?」



なるほど。

頷いたゲンヤが書類を置いて頭を掻く。



「と言っても俺は流れ通りに来てるからな。
 適当に下っ端やって、年食うと一緒に階級上がって……」



少なくともゲンヤ自身の職歴において劇的なものなど何もない。

魔導師として前線に出る訳でもなく、将来の幹部を狙えるようなエリートコース出という訳でもない。

別に不満もないが、とことん見るべき所のない己が半生を振り返って苦笑する。



「俺もそんなに若くねぇ。
 気にすんのも精々給料と勤務先くらいのもんだったな」



期待を裏切って悪いな、とも付け加える。

だが現実などこんなものだ。

誰も彼も理想を追える訳ではない。

それに、そう。



俺が部隊を持った頃といやぁ……な。



三年、いやもう四年前か。

言わずもがなゼスト隊壊滅の時期であり、ゲルトがナカジマ家の一員になった時期でもある。

自分が陸士108部隊の長に任じられたのもようやくとクイントやゲルトの体が安定してきた頃だった。

おぼろげながら、自身がゲルトを留める為の楔である事も察している。

目の前の事態に取り組むのすら精一杯の状況では、野心などとてもとても。



「ま、だからこそお前さんが羨ましくもあるぜ。
 好きにやってみな、どうせ俺ぐらいになっちまえば無理も出来なくなるんだからよ。
 後ろ振り返るには早過ぎるってもんだ」

「……はいっ!」



いい返事だ。

自らの進む道に、確かな義があると信じられる人間の目である。

それがどんなものかは知らないが、この物を考え過ぎる癖のあるお嬢さんをしてそう思えるだけの何かなのだろう。



どっちみち俺に出来そうな事じゃあねぇか。



自分の場合、もし余裕があったとしてもその時間は首都防衛隊壊滅の“真実”について調べる方に消費されていただけだろう。

公式にゼスト隊の壊滅は秘匿任務中の出来事とされている。

ゆえに詳細な情報は公開されない。

ゲルトやクイントも自分に多くは話さなかった。

それでも聞いたのは、一つ。



待ち伏せされていた。



そうでもなければクイントが、その親友だったメガーヌが、既に才を発揮していたゲルトが、何よりあのストライカーゼストが敗れる訳がない。

そしてそんな彼らを待ち伏せようと思えば、一番に気にかかるのはやはり情報漏洩者スパイの存在。

遅々として進んでいないようだがゲルトは今もそれを追っている。

ろくろく成果を上げてもいないのは、その案件の複雑さもさる事ながら、あいつの捜査にかける姿勢にも問題があるのではないかとゲンヤは思っている。

スパイの存在を疑いながらも、しかしそんな人間はいなかったのだという証拠を求めているような。

あいつにとって首都防衛隊は聖域のようなものなのだろう。

既にこの世のどこにもあらぬからこそ、その神聖さは些かも衰えず、いつかの日のまま綺麗に輝いて。

であればそこに穢れを持ち込む事を無意識にでも避けているのではあるまいか。

そう思う時もあった。



そのくらいはあいつも分かってるだろうけどな。



自律と克己こそあれの強さである。

で、あれば。



……いいや、それはあいつの問題だな。



ゲンヤはそこで考えを放棄した。

無関心だというのではなく、それこそが彼らにとって信頼の証なのである。





**********





それから一週間。

遂にはやてやリィンも108を去る時が訪れた。

日も落ち切った隊舎の広間に、部隊の一同が勢揃いしている。

無論、ゲルトやギンガもその中にいる。



「八神はやて一等陸尉、並びにリィンフォースツヴァイ空曹」

「はい!」

「はいっ!」



声を掛けたのは彼らの一歩前に立ったゲンヤだ。

はやてやリィンも隊の列からは離れ、彼らと対面するように屹立している。



「研修期間の満了、おめでとう。
 今日まで本当にご苦労だった。
 諸君らは実に優秀で――――また書類の量も戻るかと思えば俺は憂鬱だ」



忍んだ笑いがさざ波のように伝染する。

ニヤリ、と歯を剥いたゲンヤは少年のようだ。

どうにもシリアスを持続できないのがこの人の欠点だと思う。

おかげで堅苦しいような雰囲気はどこかに飛んでいってしまった。



「まぁ、そんな訳で八神とリィンの嬢ちゃん達はこれで卒業だ。
 俺が教えられるような事は一通り教えたし、見せられる物も出来る限り見せてきたつもりだ。
 後は、お前さんらの頑張り次第になる。
 目標があるってんならなおの事だ」



それも大望といっていい規模の夢である。

魔法技能者の出世が早いからといって、易々と達成できるようなものでは断じてない。

やはりある一定以上の階級から求められるのは個人の資質ではなく、グループ全体をいかに目標へと導いたか、という結果だ。

さらには上に行くほどにその席の数も減っていく。

つまる所、今その座に就いている人間を蹴落としていく必要があると言う事だ。

本人のやる気でどうこうなる問題ではない。



「つっても、お前らならなんだかんだでどこでも上手くやっていけるだろうよ。
 魔法に関しちゃ俺は門外漢だが、その分裏方の仕事は長い事やってきてる。
 今の言葉は、信用してくれてくれていい」

「はい。
 ここに来て、ええ勉強をさせてもらいました」



世辞ではない。

長いようであっという間の研修だったが、得るものは大きかった。

部隊指揮官の傍で学んだ組織運営についてのノウハウ。

中央よりも遥かに現場に近い陸士部隊における空気。

どれも実際に身を置いて、悩んで、動いて、それで初めて手に入れられる物だ。

理論より実践派であるゲンヤの存在も、自分にとっては非常に為になったろう。

振り返らずとも思う。

この数ヶ月は夢を達成する為の足掛かりとして重要な一歩だった。



ただ、そうは言っても……。



チラリと、はやては部隊の列の中にいるゲルトへと視線を送った。

はやてがここに来たもう一つの理由に、彼のスカウトという面が少なからずあったのは事実である。

彼が何を望むのか。

何を根幹に戦うのか。

同じ目標に身命注ぐ同志になりえるのか。

はやてはふとヴェロッサと交わした会話を思い出した。

つい先日、彼が自明の理を語るように話してくれた言葉を。





**********





「まぁただ、“もし仮にも”その人物が査察部に来る事はないだろうね」



慮外の事である。

当然それは何故だとはやては問うた。

人事に関しては結構な部分個人の希望が優先される傾向が強い。

108の戦力にしても今が過剰だというだけで、ゲルトが抜けたからといって即座に支障を来すような事は無い筈だ。



「簡単さ。
 誰もがそれを望まないからだよ」



誰もが。

どの範囲までの誰なのか。



「管理局地上本部は当然ノー。
 今様のヒーローが査察部に行ったんじゃ、組織に不満があると堂々宣言したのと同じだからね。
 イメージダウンは避けられない」



確かに。

対外的にも、そして対内的にもよろしくないのは明白である。

せっかく超スペックの騎士が地上の一部隊に駐屯する好例が出来たというのに、それを台無しにして余り有る醜聞に違いない。

上手く活用されない、行ってもロクな事がないと放言するようなものだ。

組織運営に責任のある人間なら見過ごしてはおけまい。



「それに、聖王教会もそう。
 数少ないオーバーSランクの、しかも真正古流の騎士なんて花形を日陰に置くのは許さないだろう」



さにあらん。

聖王教会が次元世界で発言力を保っているのは宗教団体としての権威だけではない。

騎士団を始めとした保有戦力、莫大な資本、政財界との繋がり。

そして何より、管理局も惜しいとは思ったのだ。

一度禁忌と定めておきながら、隆盛を誇った古代ベルカのテクノロジー全てを闇に葬る事には、躊躇せざるをえなかった。

そこには陰惨な滅亡の匂いと同程度に、光り輝く未来への道も示されていたからだ。

そこに手を貸したのが聖王教会である。

古代ベルカの懐古的集団である聖王教会は信仰という名目の元それらを接収し、一部技術の復元に尽力した。

管理局も宗教活動には不用意に手を出す事はできないという建前ができ、主義に反する事なくそれらを黙認する事ができたのである。

全て戦争終結前からの混乱期を利用した工作だ。

それを背景に聖王教会は、いやベルカの生き残り達は今日の立場や自治領という特権を築いていったのである。



「まして彼に掛けられた期待は大きいよ。
 なにせ僕の義弟おとうとになるかもしれなかったぐらいだからね」



それは初耳だった。

早くに両親を亡くしたヴェロッサの後見と言えば聖王教会の名にし負う名門、グラシア家である。

それだけの家柄の庇護下に入れるとなればそれは善意だけではありえない。

グラシアという家門からそれに見合うだけの価値を認められた、という事だ。

無論、ヴェロッサもまた希少な古代ベルカ式魔法の担い手の中でもさらに稀有とされる特殊技能の持ち主として将来を嘱望された人材なのである。

普段のちゃらんぽらんな態度からはあまり想像できないが、事実だ。



「彼は戦場の華。
 “アーツオブウォー”とはよく言ったものさ。
 騎士団の皆も手合わせして以来随分やられちゃったみたいだし」



聖王教会が本質的に守護しているのは過去の栄光や神格化された王の伝説ではない。

「ベルカ未だ強し」、という現在におけるその評価である。

所属などはさしたる問題にもならない。

重要なのはゲルトが古代ベルカ式魔法の担い手であり、連綿と伝わってきた戦技の継承者であるというその点である。

であればベルカの武威を体現するようなゲルトの活躍を望みこそすれ、裏方である査察部入りなど喜ぶ筈もない。



「もちろん、後輩が出来るのなら僕は歓迎するけどね」





**********





そう締めたヴェロッサは笑っていたが、ゲルトの査察部入りに関してはほぼ有り得ないと見て間違いあるまい。

さて、そうなるとゲルトの希望の進路は通らないという事になる。

何がこの彼の疑念を育てたのかは分からないが、その事実に直面した時、彼は何を思うだろう。

変えたい、と思うのではないか。



もし、そうなったら。



その時はやては将来の絵図面を引いた。

彼もまた仲間になってくれるかもしれない。

今の管理局を変える。

その為の、まさに同志に。

そんな考えもあった、のだが。



そうは簡単にいかんよなぁ……



たはは、と小さく肩を落として笑う。

以来新部隊に関してそれとなく誘いはかけているのだが、どうにもゲルトの反応は薄い。

自らの手で現体制を変える、という事にはあまり関心もないようだ。

どうも彼の疑念は管理局というシステムや組織に対するものではなく、どこかごく一部に対する個人的なものらしい。

そしてはやて自身にしても、何が何でも、という気概に欠けている自覚があった。

その背景には自分、なのは、フェイトだけでも過剰な戦力の上、さらに高名な彼まで含めては風当たりの強さも酷いものになるだろうという冷静な判断がある。

本来オーバーSランク魔導師だのという代物はどんな精鋭の抽出部隊でも精々一人。

特例的に多くて二人。

それが三人、四人ともなれば周囲の危機感を煽るのは当然である。

忘れられがちだが、技能の向き不向きこそあれど都市を半日も掛けずに更地にする事も可能なのだ、自分達という存在は。



それで潰されたら敵わんしな。



今は中立的な人物でも、それだけの戦力が一箇所に集中するとなれば部隊設立反対に回る可能性は十分にある。

それは、自分の夢を遠のかせる結果になるだろう。

そうでもなくて実力はお墨付き、それでいて信用も出来てツテもある人材を見逃そうなどあり得ない判断である。

まして彼が来るとなれば“もう一人”、保有魔力的にも手ごろで優秀なフロントアタッカーを確保できる可能性が高いというからなおさらだ。



「…………?」



意味も分からず未練がましい視線を送られたギンガが困ったような笑みを浮かべている。

そんな彼女の立ち位置はやはりゲルトの隣であった。

もはやそれは定位置と言っても過言ではない。

入隊したのは自分と同時だというのに、ゲルトとのコンビネーションは既に阿吽の域。

個人としての技量にはまだ甘い部分も残るが、それすら義兄との連携で補って余りある。

少数精鋭を前提としている現状、はやてにとっては二人とも喉から手が出るほど欲しい魅力的な人材であった。

とはいえ、



しゃあない。



メンバー集めに腐心した結果、部隊の創設が立ち行かなくなるようでは本末転倒である。

結局はやては以前に下した通りの判断をせざるをえないようだ。

ふぅ、と一息ついたはやては飾らぬ笑みを浮かべて二人に近付く。



「ゲルト君、ギンガもありがとうな。
 二人のおかげで現場もよう見せてもらったし、楽しかった」

「こちらこそ。
 手のあったお陰でこいつの指導にも時間が割けましたよ」



何でも無いように顎で隣のギンガを指すゲルトと、照れたようにはにかむギンガ。

それぞれに握手を交わしていく。

ゲルトの手はやはり大きい。

そして固い。



「頑張って下さい、八神一尉。
 応援してます」



そしてギンガの手もたおやかな容姿とは裏腹に、もはや人を“殴り倒す”ための仕様に仕上がっていた。

恐らく、いざ正面切って戦うとなれば自分はこの年下の少女にすら負けるするだろう。

ありそうな所では自慢のスピードに押し切られ、魔法の一つも満足に撃たせてもらえず撃沈、などだろうか。

時折はやては訓練についても二人に同伴したりしていたが、当然付いて行く事などできなかった。

というか108の中でもそんなレベルに達している者など他にいない。

この二人は別格なのだ。

はやては、そんな彼らの日常の姿も知っている。

仏頂面のゲルトが見せる優しさも。

耳まで真っ赤にして照れたギンガの愛らしさも。

その中に混じる自分の姿も。

目を閉じれば幾らでもそんな記憶が浮かぶ。



ホンマ、楽しかったなぁ。



良い上司。

良い同僚。

忙しい現場。

ややこしい事を考えず、ただの小娘でいられたこの職場。

得難い幸福だったと、今でも思う。



「またな!皆っ!!」

「ありがとうございましたっ!!」



それでも今日からは、また自分の足で歩いて行く。

己が理想の為。

皆の期待に応える為。

歩みを止める事は、もう許されないのだから。





**********





この世は出会いと別れ。

一つの別れを得れば、また一つの出会いもある。

はやてが108を出てより次の月に入って幾らも経っただろうか。

ナカジマ家にもその日が訪れた。



「け、結構緊張するね」

「あんた朝からそればっかりでしょうが。
 ピシッとしてなさいよちょっとは」



ただし今日の主役はゲルトではない。

ギンガでもない。

その義妹であるスバルと、弟子であるティアナである。



「ごめんねー、待たせちゃって」



そう話す白衣の女は、しかしどこか誇らしげでもあった。

ここは時空管理局の技術部棟内。

掲げられた表記は第四技術部。

目の前の女性、ナカジマ家にとっては旧知となるマリエル・アテンザの居城。



「ちょっと時間は掛ったけど、その分自信をもって送り出せる出来になってるわ。
 強い子達よ、どっちもね」



彼女が視線で示す調整機に浮んだ、二つのアクセサリー。

片や宝石を象ったような菱形のペンダント。

片や頑丈に強化された長方形のカード。

待機状態のデバイスだった。

収納、瞬着の機能付きとくれば、それだけで凡百の代物とは一線を画す上物の証である。



「これが……」

「私達の……」



並んでケースの前に立っているティアナも、そしてスバルも、目は互いのデバイス一点に集中している。

スバルは自らの魔力光と同じに青く光るペンダントを。

ティアナはオレンジのコアが埋め込まれたカードを。

それこそ玉石に魅入られたがごとく、瞳にそれぞれを映し込みながらただ見つめている。



「ほら、何してるの」

「あっ……母さん」



彫像のように立ち尽くす少女達に声を掛けたのは二人の後ろに立ったクイントだ。

背後にはゲルトやギンガも来ているものの、最も近くにいるのは彼女である。

ゲルトらは邪魔にならぬように少し離れているようだ。

彼女は二人の肩を押すようにして調整機への一歩を歩ませる。



「この子達がこれからあなた達のパートナーになるのよ。
 早く手にとってあげて挨拶でもしなさい」

「……うん」

「はい」



一瞬示し合わせるように目配せする二人。

ごくり、と喉を鳴らした彼女達は、同じように緊張した手付きでそれに触れた。

現状、重さはそれほどもない。

必要なデバイスとしての形態が顕現して初めてその質量は実世界へと影響を及ぼす事になるだろう。

そしてまずは、とスバルに目を向けたマリエルが、彼女のデバイスを紹介する。



「スバルの持ってるその子が、 “ペイルライダー”。
 私は成長に合わせて軽く調整しただけだけど、AIにはギンガのペイルホースからフィードバックもさせてあるわ。
 もちろんゲルト君やナイトホークと組んだパラディンも搭載済み。
 だから本当に後継機っていう感じで仕上がってる筈よ」

「ギン姉とゲル兄の……」



反芻するようにその言葉を口中で転がしつつ、スバルは複雑な思いを乗せて視線を手元に送った。

予算も構わず注ぎ込まれた専用デバイスを授かるにあたり、スバルはこれの来歴について包み隠さず聞かされている。

もはや記憶にも欠片しか残らぬ、遠い遠い過去からの遺物。

忘れかけていた自らの出生を声高に騒ぎ立てる生き証人。

自分達を生み出した、あの違法機関の手によるスバル専用ワンオフ超高性能機。

それがこれだ。

正直、目を背けたい気持ちはある。



けど。



ペイルライダーを握る手に力が込もる。

もう、弱虫の自分ではないのだから。

心してスバルは笑った。



「初めまして、ペイルライダー。
 私の名前はスバル。
 スバル・ナカジマ」



とりあえずと名前を告げてみる。

だが、どうだろうか。

これだけではいかにも寂しい。

会ったら何を言おう、と考えては来た筈だったのに、いざとなると言葉が出ない。



「あー……うんと……」



彼女が戸惑っている間にも、ペイルライダーは一言も発しない。

ただ言葉を待つように沈黙している。

何か期待されているようで、無言の圧迫感というものがあった。



「私は……その、まだ全然ダメで……。
 母さんにもよく注意されるし、ゲル兄とかギン姉なんてもっと凄いのにすぐ泣いちゃうのなんて私だけだし。
えっと、でもそれでも、私にはやりたい事があるんだ」



ぎこちなく語る自分の夢。

思い出すのはいつもあの空港だ。

火に包まれ、煙が覆う死の世界。

座り込み、うなだれる自分。

そしてそこに舞い降りた天使の姿。



「昔私を助けてくれた人みたいになってみたい。
 私もいつかあんな風に、助けを待ってる人を救ってあげたい。
 だから……!」



改めて言葉にしていくと、心にも力が入っていくのを感じた。



「私を助けてくれないかな? ペイルライダー」



その覚悟を込めて。

しかし彼の答えは、と言うと。



『我杖ならず。
 この身は具足なれば』



スバルは既に浮かべていた笑みを引き攣らせた。

何とも突き放した物言いである。



「厳しいね……」



手は貸してやる。

しかし何事も自分の力でやれ、とそういう事らしい。

ただ、



『我らに砕き得ぬ無し。
 障害悉く塵芥と果つ』



それが彼なりの励まし方らしかった。

人情の機微に疎い機械ゆえなのか何なのか、どうにも不器用な事である。

妙に持って回った言い回しにスバルはどう判断すればよいものやら。

しかし彼女の心は夢に向かって一直線だ。

全てはあの日見た強い人のように、という憧れへ。



「一緒に行こう、ペイルライダー」

『承知』



今度の返事は即座に来た。

迷いもなかった。

立ち塞がる全てはすり潰し、粉砕する。

人生の半分よりもなお長い月日を越え、彼はスバルの元へ帰還したのだ。





**********





気後れも含めた邂逅。

ティアナの方もそれは同じだ。

完成された工芸品は人間ならずとも気迫を纏う。

素人目にも、手の中のデバイスが放つ自前のアンカーガンとは比べものにならない威圧感はひしひしと感じ取っていた。



「あんたは?
 名前はなんていうの」



若干の緊張を滲ませつつ、努めて鷹揚に声を出してみる。

このデバイスは何と言って返すだろうか。

今のペイルライダーのようにぶっきらぼうか。

それともゲルトの傍に侍るナイトホークのようにクールな物言いか。



『パーソナルネーム“ハンティングホラー”です。
 以降お見知り置きを、マイマスター』



ハンティングホラー。

狩りをする恐怖。

恐怖そのものでもあり、己が内の恐れを探す事でもある。



「……そう。
 私はティアナ・ランスターよ。
 これからよろしく」

『イエス。
 ハンティングホラーは術式構築、照準補助、魔力運用に一級の性能を誇っております。
 サポートはお任せ下さい』



妙に厳つい名前を裏切る温和な口調だ。

機械音声は口調からも落ち着きのある穏やかな女性を連想させた。

それでもやや自信家の気があるのは、最早お家芸なのか。



「どう?
 いい子でしょう?」

「はい、そうですね」



横からひょいと顔を出したマリエルへ素直に同意する。

すこしぼんやりした返事は、未だ実感が湧かないから、という事もあった。

生返事を返しながらも、ティアナの目はハンティングホラーに釘付けになったままである。



「その子のAIもナイトホークから株分けを貰ってるのよ?
 魔法系こそ新規に書き起こしたけど、人格とかベースはかなりの部分それね」



近接戦闘に特化したナイトホークではあるが、その交戦経験は対魔導師、対騎士、多対多、一対一、遭遇戦、追撃戦、あるいは伏撃などなどバリエーションに富む。

スタイルの全く違うティアナ、引いてはそれを支えるハンティングホラーにおいてもそれの有用性は変わらない。

特にデータが有ると無しでは緊急時の即応能力に大きな差が出るだろう。

生まれたてにして、既に歴戦の兵なのだ、“彼女”は。



「まぁ、ペイルホースとペイルライダーが兄弟なら、ナイトホークとハンティングホラーは親子、って所かな」

「親子……」



頷きながら、ハンティングホラーの表面をなぞるように触れる。

手にあるのはただのデバイスではない。

おおよそ自分の望み得る最高性能、最高相性のものとなるだろう。

そして今日からは積み上げた基礎の訓練を土台に、より本格的な戦闘訓練へとシフトしていくと聞いている。

この出会いが、また新たな日々への始まりだ。



「ハンティングホラー」

『はい』



返事は返る。

間違いなく彼女はそこにいる。



「…………」



呼ぶだけ呼んで瞑目したティアナ。

開いた瞳が表すのは高揚でなく、慈愛でもなく。

そこにあるのは、さらにさらにと先を見据える決意の光。

目の高さにまでカードを持ち上げた彼女は宣言する。



「私は必ずあんたを使いこなす。
 あんたに相応しい魔導師になってみせる」



その言葉は自分こそが見劣りしているという自覚の現れでもある。

それが彼女の中での真実であった。

しかし――――いや。

“だから”、とティアナは続け、



「あんたは私に従いなさい」



傍からでは乱暴とか横柄にも聞こえかねない言葉ではある。

無論、本来のティアナがそういう性根な訳でもない。

が、魔道師とデバイスとの間においてはそれも少し違う。

使う者と、使われる者。

で、あれば。



『イエス、マスター。
 それこそハンティングホラーの本懐でありますれば』



ハンティングホラーの声音は機械音声に似つかわしくない、弾む喜色をどうにか押さえたようなもの。

デバイスが主に仕える事は当然だ。

とはいえそんな事とは別に“それ”を使命とし、“それ”を喜びとし、“それ”を誇りとする。

その点について親も子も全く同じ価値観を有していた。

最早疑いもない。

間違いなく、ハンティングホラーはナイトホークの血を受け継ぐ存在だ。



「……ホント、私にはもったいない」



ポツリ、と呟く。

それは独り言に過ぎなかったが、



『そう言わせぬようにお願いします』

「そうね。
 そういう約束だからね」



律儀な返事に思わず笑みが零れる。

優等生っぽくも聞こえたが、意外にイイ性格をしているらしい。

良い性格、とはまた一味違うのがミソだ。

所詮はデジタルといった所で、使用者に合わせて思考体系も最適化していくのだからAIの反応にも差異が出るのは当然である。

ペイルライダーとハンティングホラー。

同じ日に目覚めた彼らですらそうだ。



「どう、二人とも?
 これから上手くやっていけそう?」



デバイスに夢中になっているスバルらに、満足気な笑みを浮かべながらクイントが問い掛ける。

スバルもティアナも一瞬互いに顔を見合わせ、そして笑った。



「「もちろん!」」



新たな出会い。

新たな決意。

彼女らの生活も、新たなステージを迎える。










(あとがき)

リアルがガチで忙し過ぎる……。

ただでさえ遅い執筆スピードが更に落ちる予感プンプン。

今回なんかはだいぶ駆け足で進めてみたが、そのせいで全体の整合がイマイチになったような気も。

せめてはやて離脱と新デバイス登場は別にした方がよかったかもしれないなぁ。

とはいえこんな前座な話はさっさと済ませたくても、ペイルライダー、ハンティングホラーのデバイス形態をやらなきゃならないし。

そうじゃなくてもまだまだ山場の予定があるし。

くっ、STSは遠い……。

なんにしても、まだ本作の続きを待っていてくれる方がいらっしゃるのなら、それは自分にとって何よりの僥倖です。

どうにか完結までは持っていきたいので、ご声援のほどよろしくお願いいたします。


という所でまた次回お楽しみに。

Neonでした!



[8635] The Cyberslayer 前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:8cd3e7e2
Date: 2013/01/15 16:33
白い人型が立っている。

開けた地面の上、それも幾つも幾つも。

とはいってもどうにか人らしく見えるのはシルエットだけで、それだって随分おざなりなもの。

そもそも立体感どころか厚みもない。

頭らしき丸が胴と思しき長方形に乗っかっただけの、ただのハリボテ。

それが今、



「ぅおおぉぉぉぉぉっ!!」



見事に砕け、割れて散る。

ハリボテを突き抜け飛び出したのは、まず重厚な手甲に覆われた拳。

響いたのは幼さすら残す少女の咆哮だ。

続いてようやく彼女の体が前に出て、その素顔が白日の下に晒される。

破片を弾いて現れたのはペイルライダーを装備しバリアジャケットを纏った、完全武装のスバルである。

後ろでリボンのように結ばれた白い鉢巻きが波打つように棚引いていた。

そして、肝心のペイルライダー。

それは水色を基調とし、回転式カートリッジの埋め込まれた手甲一対、脚甲含むローラーブーツ一対と、ペイルホースと同じ四器一体の複合デバイスである。

見た目で分かるペイルホースとの大きな違いで言えば、踵にあるブレーキ部だろうか。

本来魔力制御によって車輪の一つ一つに制動を掛けられるローラーブーツに特別ブレーキ用の装置というものは必要ない。

最速を誇るペイルホースですらそうだ。

つまりは、これがペイルライダーの独自機構なのである。



射出Drive



炸薬式の射出音と共に打ち込まれる鉄杭。

右足の踵から地面へ突き立ったそれを軸に、スバルの体は回転する。

摩擦などよりよほど効率的に、そしてより直接的に速度を殺す装置。

パイルバンカー。

それが回答だった。



「やああぁぁっ!」



流れるような動きで繰り出された後ろ回し蹴りが隣のターゲットも粉砕する。

ローラーブーツの重量に加え、回転速度も乗った蹴撃は防御の上からでも容易く大の大人を打倒し得るもの。

所詮ハリボテごときに止められるものではない。

横一文字に裂けた上部が勢いのままに削ぎ飛ばされる。

さらに、



「ウイングロード!!」

術式呼び出しCall



勢いを逃がすように足を戻しながら唱えるスバル。

一旦静止した状態から再加速。

ペイルライダーのデータバンクからオートロードされた水色の仮想道路を駆け抜ける。

始めて動かすローラーブーツの感想は、爽快。

それに尽きた。



「いいよペイルライダー。
 凄くいい!」

『当然』





**********





そしてシュートレンジ。

設定は幾つかの曲がり角を含めた一本道のコースを、まっすぐゴールまで進みながらターゲットを撃破していくというベーシックなコースだ。

開始位置で待つティアナの前。

空間に投影された数字が秒読みを始める。



「ふー…………っ」



瞳を閉じ、深い吐息を一つ。

緊張と高ぶりを鎮める為の簡単な儀式。

目を開いたティアナはゆっくりとデバイスを握り直した。

左右一対の二挺拳銃。

銃身下部のマウントレールに装着されているのは手製デバイスから着想を引き継いだアンカー射出機である。



「行くわよ、ハンティングホラー」

『イエス。
 マスターのお望みのままに』



ふっと笑みを浮かべたティアナ。

そしてその時はまもなく。

カウント0。



――――来るッ。



まず飛び出した円形のターゲットは二つ。

距離は目測七m。

左右から同時に現れたそれらは外円10点、内円20点、中心30点が割り振られている。

ティアナの目は動体に反応するよう訓練されてきたがゆえ、的の位置に惑う事はなかった。

点ではなくエリアとして捉えた目標の位置が脳裏にも展開される。

と、同時に跳ね上がる両腕。

一連のプロセスは今更言うまでもない。

照準、構え、弾体収束、弾殻形成。



――――っ!?



しかしそこで違和感が。

例えるなら胸の内側から何かが押し上げるような感覚。

それが魔力弾の形成に干渉し、普段形成している収束度のさらに数段上まで持っていく。

銃口で固定化された魔力が目に見えて圧縮されれば疑う余地もない。

しかしそれすら一瞬よりさらに短い間の事。



すごい。



シャープシュートの威力は弾殻強度、注入魔力量、弾速、命中箇所などによる。

例え総魔力が低かろうと、制御能力によってそれを補う事は可能だ。

それをするのが魔導師の能力でありデバイスの機能ではあるが、それにしてもはっきりと分かる程のこの収束補助。

まして忘れてはいけないのが、今ティアナは同時に二発の魔力弾を形成しているという事。

二つの魔法を並列処理している上で、これだ。



「これが、専用機……!」



サポートに逆らわずにそのまま放つ。

発射までの流れだけで軽く人生の最速記録を叩き出した。

両腕の延長線に目標があるのは確認するまでもない。

二つの目標は同時にも見える僅かな時間差で弾けた。

やった、とそう思うより早く。



「次っ!」



言うが早いか、続いて別の物陰から二つの標的が現れ出る。

すっと流れたティアナの目は逃さずそれら全てを把握した。

あとは先程の再現だ。

雨後の竹の子のように湧いて出るターゲット。

それらがただただ弾けて散る。

止まらない。



走る!



自らにそう言い聞かせてティアナは走る。

設定されたバリアジャケットはやや防御に重きを置いた袖長のもの。

簡単に言えば普段のそれにプロテクター装着のコートを羽織っただけだが、ゲルトの意匠をベースにしている為か、あちらこちらでベルトが服を固定している。

腰から下の裾こそスカートのようにはためいているが、ティアナの動きに邪魔にはなるということはなかった。

的の数が増えるごとにティアナの速度もまた加速していく。

目標は前に、隅に、後ろに、上に、あらゆる場所から湧いて出るのだ。

そして。



「――――っ」



最後に現れたのは長方形の的だった。

立った状態の人間を模しているのだろうが、それが左から出て右方向へと緩やかに平行移動していく。

点数は広い枠の範囲にて20点。

その意味するところは明白だ。



「ぁあ――――っ!」



吼えたティアナは撃つ。

狙いは程々に、ひたすらに連射。

銃声、銃声、銃声。

自らの腕を叩く反動すら心地いい。



「ああああ!!」



撃ちながらも駆け出したティアナは目標へ接近。

不安定な射撃姿勢ゆえ何発かは外れるものも出てくるが、距離が詰まればそれも関係ない。

火を噴いた二挺拳銃が、瞬く間にターゲットを蜂の巣へ変えていく。

しかしまだだ。

もっと、もっと。



もっと速く……!



脳内を幾重にも駆け巡るシャープシュート術式。

魔力を吐き出し続けるリンカーコア。

加熱していく歓喜が心根を震わせる。

ティアナは衝動に任せ、撃って撃って撃ちまくった。



「仕上げぇぇ!」



既に目標は至近。

この距離ならば銃撃よりも、いっそ。

思うが早いか、バシン、と弾けるような音とともに両のチェンバーから薬莢が飛び出した。



『格闘戦へ移行。
 モードシフト』



ティアナの意図を汲み取り、ハンティングホラーが搭載された接近戦用ルーチンを起動する。

それは形状の変化という目に見える形で表れた。

執務官は繊細な案件を取り扱う観点から単独での作戦行動に踏み切る事も少なくない。

その為、あらゆる距離や状況に対応できるようにと装備された、ハンティングホラーの格闘用ショートエッジ。

オートロードされた魔力の刃がトリガーガードを覆い、銃床から緩やかな曲線を描いて伸びる。

傍目には丁度逆手にナイフを握ったような状態で固着した。

前方には銃撃を。

さらに状況に合わせて側方、後方、下段へも魔力刃が睨みを利かせている。

前後左右、そして遠近同時攻撃可能な死角なき戦闘術。

これがハンティングホラーの強さである。



「――――はぁぁっ!」



そうしてティアナは顕現した刃を一閃。

さらにニ閃。

初撃は脇から入って斜め上に胸を裂き、続くニ撃が首から腰までを一気に切り裂いた。

否も応もなく×の字に切り裂かれた人型が四つに分かれて崩れて落ちる。



「っはぁ…………!」



全ターゲットクリア。

陽気な音楽と共に空間投影さえたディスプレイがコースの終了を告げる。

それを確認し、残心をといたティアナが喘ぐように息をついた。

汗も滴のようにキラキラと輝いて飛散。

だがそこに疲れたような様子はない。



「想像以上ね、ハンティングホラー」

『ご期待に応えられたようでなによりです』

「あんまり楽するようになるのも私としてはよくないんだけど、ね」



器用に空になった弾倉を入れ替えながらティアナは苦笑いを浮かべた。

銃床を覆っていた筈の刃もあらかじめ設定されていた通りに刃の形を変え、装填の邪魔にならないように退いている。

金属が擦過し、カートリッジの交換が完了。



「もう一回最初からいくわ。
 大丈夫よね?」

『これくらいであれば何度でも』

「言うじゃない。
 好きよ、そういうの」





**********





そんなデバイスとの出会いから一月足らず。

それぞれの習熟も一定のラインに達したと見るや、ゲルトとクイントは二人に対しより連携を重視した訓練を課すようになった。

的の撃破や型稽古のようなただの戦闘訓練ではない。

例えば今日などは、



「私が、ティアナさんを乗せて走る?」

「そうだ。
 想定状況としては負傷した要救助者を発見。
 現場は崩落の危険あり――って所だな。
 ティアナを抱えて、まずは三分走ってもらおうか」

「……それだけ?」



ゲルトが言い渡すメニューにしては優し過ぎないだろうか。

スバルはきょとんとした目で問い返す。

しかしもちろんそれだけで有る筈がなかった。



「走るのはギンガの敷いたウイングロードの上だ。
 人間一人分の重りを抱えながら先行するギンガを追う」



つまり自分のペースでは走れない。

全てはギンガの用意するルート次第。

もちろん、平面を走れるというような甘い期待はしない方がいい。

急カーブくらいは当然あるだろう。

自分一人ならまだしも要救助者を抱えてとなればその難度は格段に跳ね上がる。

重心バランスの変化はもちろん、速度制御や振動の抑制など、共にいる人間を慮った走行をせざるをえないからだ。



「……もしも、ギン姉を見失ったら?」



考えなしに言葉が漏れる。

言ってから馬鹿な質問をしたと思った。

返すゲルトも呆れたような嘆息混じりだ。



「そこまで遅れてどう脱出するつもりだ?
 崩落に巻き込まれ、隊員、要救助者もろとも消息不明」

「また一からやり直しね。
 とはいっても手は抜かないわよ?」



言葉を継いだギンガはにべもなく言い切った。

こと訓練に関してはゲルト同様、彼女もそれなりの厳しさをもって接するのが常だ。

これは意外にハードなトレーニングになるかもしれない。



「が、頑張ろうね。
 ティアナさん」



やや頬を引き攣らせたスバルは同意を求めて隣のティアナに視線を巡らせた。

が、当の彼女はそんな不安などどこ吹く風と手中のハンティングホラーをいじっている。



「頑張るのはいいけど、私を振り落さないでよ?
 アンタ集中すると他が見えなくなるんだから」

「だ、大丈夫だよ。
 私だって成長……してるし?」

「ハイハイ期待してるわ」



はぁ、と溜息をついた彼女は転じてゲルト達へと向き直った。



「それで、私は重りをやっていればいいんでしょうか?」

「いや。
 お前はお前で別のメニューをこなしてもらう」



そうだろう。

この人は無駄を好まない主義だ。

妹だからといってスバルだけを贔屓するような性格でない事も承知している。



「何をすればいいでしょうか」



だからこそティアナは僅かな高揚を隠して尋ねた。

今度は何を課せられるだろうか。

それを一つ一つ超えた先に、必ず自分は強くなる筈なのだから。



「別に大した事じゃない」



しかしゲルトは構える事もなく言ってのける。



「いつも通り、的を狙ってただ撃つ。
 ……いつも通りにな」





**********





轟、と風が耳をなぶる。

激しい震動に揺さぶられながらティアナは目を見開いた。

全ては前方を行く青い影――ギンガを捉える為である。



もう少し……。



ゲルトはいつも通りにと言ったが、とんでもない。

今のティアナは走行状態のスバルに横抱きにされ、加速するギンガを追っている。

照準をズラす震動、距離をボカす相対速度、さらにはこの不安定な姿勢。

全てを考慮に入れ、数発の発射軌跡から修正をしながら狙いを付ける。

もう少し。

だが、



「っ!?」



消えた。

どこへ、と問う前にティアナの首が動く。

残像を追い、視線を巡らせた彼女は見つけた。

捻れたウイングロードを利用し、直角にも近い角度で無理やりに慣性をねじ曲げ走るギンガの姿を。

驚くより何より考えるのは一事のみ。



この姿勢からじゃ狙えない……っ!



高速で左へと流れていくギンガを視認する為、ティアナは体を起こす。

この横抱きの姿勢からではあまりに視界が狭過ぎる。



「しっかり支えててよっ!」

「えっ、ティアナさん!?」



全体重を預けたスバルに一言だけ告げ、ギンガの軌道予測にだけ神経を集中する。

今こそ絶好機だ。

左方に流れていく彼女は、上体を起こしたティアナから見て前に進んでいるだけ。

距離こそ開くが二次元的な平面を進んでいるに過ぎない。



「…………!!」



呼吸すらも止めて撃つ。

両のハンティングホラーによる猛連射。

左はギンガの行く末を。

右はギンガの現在地を。

殺到した弾丸に耐えられず抉れていくウイングロード。



行け。



いざや駆けろ。

もうあと半瞬で届く。

届くぞ、あの影に。



行けっ!!



その最中に、ギンガが僅かに振り返る。

翻る青に混じった金。

黄金色の瞳。



「――――」

「――――っ」



ティアナとの視線が交錯したのは一瞬だ。

つい、と首を戻した彼女はただ前傾の姿勢をさらに深める。

再加速の予備動作か。

実際にその直後、叩き上げるようにギンガはスピードを上げた。

ただ、それだけじゃない。



「嘘……っ!」



回る。

円筒型に捻じれ、ループする輪の中をぐるりと回る。

本人には斜面を駆け上がるが如き感覚だろうが、先程は強引に捻じ伏せた慣性を今度は逆利用。

左手の壁を伝い、天井を駆け、何事もなかったかのように元の位置へと舞い戻った。

その間にもスピードを上げていく様からは執念すら感じる。

あまねく万物に科せられた重力ですらギンガを、そしてペイルホースを縛る事はできないのだ。

無論、回避しようもなかった筈の弾丸は空しく空を切るのみ。

翻ったギンガの長髪をかする事すらできない。



「っ、まだ!――――わっ!?」



とはいえそれくらいでへこたれるティアナではない。

なおの事気炎を燃やした彼女は再度ハンティングホラーを構え、だが直後に無理やり元の位置まで引き戻された。

戻したのは無論のことスバルである。

体を倒したまま、ティアナは頭上の彼女を睨みつけた。



「なに邪魔を!」

「ご、ごめんなさい!
 でも前、前っ!!」

「はぁ?……って!」



見た。

そして思い出した。

自分達は今ギンガの道の上にいるのだと。

つまりは今からあの馬鹿げた急カーブを、あの捻じれたループを潜らなければならないのだと。

単身で身軽なギンガと違い、こちらは重心も不確かな二人組である。



「ちょっと我慢して!」

「うぅぅぅぅ!?」



さらに言えば単純にスバルの練度もまだまだギンガの域にはない。

あるいはギンガならば抱えた人間への負担も最小限に曲がり切れたかもしれない。

あるいは、ティアナの射撃によってそこいらに開いた穴につまづくような事も。



「――――あ」

「へっ?」



思ったよりその瞬間はゆっくりと訪れた。

苛烈なカーブを超え切ったかと思った直後。

くぼみに足を取られたスバルは姿勢を制御しきれない。

体は勢いのままに空へと引っ張り込まれ、呆気なくも宙を舞った。

無論、ティアナも一緒にだ。



「わっ、わわわっ!?」

「は、え、ちょぉぉぉっ!?」



混乱に陥ったのは一瞬後。

重力に引かれ始めたのも同じ。

掴むものもない空中で何かを求めるよう必死で手を伸ばす。

スバルは驚きから手放してしまったティアナを、ティアナもまたその手を求めて。

だが、それでどうなるというのか。



「――――全く」



悲鳴染みた叫びを上げる二人の耳に、しかしその言葉が届かないという事はなかった。

風に乗った呟きが二人の体を掬い上げる。

ティアナを掴み、スバルを拾ったのは黒い影だ。

見覚えのあるコート。

力強い両腕。



「ゲル兄!」

「ゲルトさん!」

「情けない声を出すな」



脇に抱えられスバル、腕を引かれたティアナがほっと一息をついたのも束の間。

頭上からは僅かに苛立ちを含んだ声が。

気の緩んだ二人を委縮させるには十分に過ぎた。



「スバル」

「はっ、はい!」

「要救助者を放り投げたな?」

「っ――――ごめんなさい!」



殊更あらげる訳でもない口調が、なおのことスバルの心胆を直撃する。

額と背筋に別種の汗が流れるのもまざまざと感じ取れた。

だが生憎とゲルトはそんな些事に頓着したりはしない。



「後悔するのはお前で、失われるのは他人の命だ。
 ……二度とやるな」

「はい……」



項垂れるスバルからは目線を外し、ゲルトはティアナへその首を巡らせた。



「ティアナ」

「はい」

「わざわざ付けたアンカーは何の為だ?
 重りでも欲しかったのか?」

「いえ、違います」

「なら無駄にするな。
 お前に教えたのは悲鳴の上げ方じゃないはずだ」

「っ、はい!」



ゲルトが頭を上げる。

Uターンしたギンガが戻って来るのが見えた。

遠目ではあるが彼女に疲労した様子は窺えない。



「もう一度、最初からだ」



その日一日、ティアナ達が何度となく宙を舞う事になったのは言うまでもない。




**********





訓練は続く。

またある時は廃棄都市区画などを利用し、追跡、待ち伏せなどといったテクニックの訓練を行う事もあった。

これはどちらかといえばティアナの今後を見据えたものである。

根本的には鬼ごっことそう変わりのない訓練であったが、相手がゲルトとなれば訳も違う。



「ゲル兄が逃げて、私とティアナさんが追いかける」

「ゲルトさんを三十秒以上見失ったら負け。
 二分以上攻撃をしなくても負け」

「今回ゲル兄は空を飛ぶ事はしない」

「一発でも攻撃を当てれば私達の勝ち。
 十分後、どちらかが立っているだけでも私達の勝ち」



条件を確認し合った二人が顔を突き合わせた。



「どうする?」

「どうするっていわれてもね……」



崩壊したビルの隙間から通りの様子を窺う。

そこには二人の師匠がいる。

いつも通りの黒衣に身を包んだゲルトだ。

その手には相棒たるナイトホークもまた握られていた。

それだけを確認するとさっと首を引っ込め、再びしゃがみこんで相談に戻る。



「ともかくあんな広い所にいられたら不意打ちも何もないわ。
 何とかこっちまで引っ張り込まないと」

「それって……」



真正面から正直に戦って、どうにかなるような相手ではない。

二人がかりだろうがなんだろうがそれは同じ事だ。

もうここ数ヶ月何度も何度も地面に打ち据えられればそれ位、否が応でも分かる。



「どっちかが囮にならないと、無理でしょうね」



おおよその作戦案は固まっていた。

まずは状況設定、そして思考誘導。

つまる所ナイトホークの振り抜きにくい閉所へおびき出し、どうにかゲルトの死角を衝いて一撃。

それしかない。



「それなら私が――――」

「ダメ。
 アンタ行って一瞬でも持つの?」

「うっ……」



不可能だ。

威勢よく飛びかかった瞬間に叩き潰されて終わりだろう。

そしてティアナが一対一で勝ちを拾える可能性など、歯がゆいながら露ほどもない。

勝機があるとすれば二人がかりでの奇襲しかないのだ。



「私が仕掛けてこっちまで引き摺り込むから、アンタは絶対に出てこないで。
 いい?」

「……分かった」



さて。

スバルが定位置についたのを確認。

ハンティングホラーの銃把を確かめるように握り直し、ティアナはタイミングを計る。

出来る限りゲルトに悟られにくい方がいい。

となれば、彼の視線が外れた時が、機。



「キツイわね……」

『弱気ですね、マスター』

「アンタはいつもいつも自信満々で羨ましいわ」



自分はそうまで楽観視できない。

幾らハンティングホラーが高性能で、どれほど自分に有利なフィールドであってもだ。

ただ、



『負けるのは好きではありません』

「……私もよ」



そこだけは気があった。





**********





「……ようやく来るか」



そんな彼女の葛藤も知らぬゲルトは気配を肌で感じ取っていた。

あてもなくただ進めていた足を止める。

と、



左――――



突如の動きで身を仰け反らせたゲルト。

一瞬遅れてその位置には弾丸が殺到する。

風を裂いて連続するそれらは一発、二発、三発。

四発目では流石に体で避けた。

身を捻るようにして射線上から退避。

研ぎ澄まされた彼の動体視力はスレスレを通過するそれらの軌跡はもちろんオレンジの魔力光まで見て取った。

発射点を確りと視界に収めた段階でゲルトは駆け出す。



「あそこか」



並び立つ廃ビルの隙間。

行けば罠でも待っているのは明白だが、それでも意に介さずゲルトは行く。

それを食い破り、二人に未熟を思い知らせるのが彼の役目であるからだ。

通りを駆け、細道に飛び込むまでは滑るように。

魔力光と同じオレンジの髪を追う。

薄暗く狭い四つ角を右に消えたその影。



ここだな。



経験的にゲルトは確信した。

ここで二人は仕掛けてくる。

あの通りへ誘導したいという意思がありありと感じ取れる。

さて、どうするか。



「どう、もないな」



ゲルトは一切の躊躇もなく街路へと身を投じた。

用心の為に様子を窺うこともせず、身を倒して転がり込む事もない。

素人のように無警戒に、ただ誘いに乗る。

果たして踏み込んだ通りの中ほど、少女の後ろ姿を見とがめた彼は悠然と構えた。





*********





足を止めたゲルト。

絶好の機を得たティアナは躊躇わずに銃口を向けた。

抜き撃ちはひたすら反復した通り。

半ば勝手に腕が動く。



狙い通り、だけど……っ。



いつもより風を感じる。

一瞬の機に備え、感覚が研ぎ澄まされているのが分かった。



「スバル!!」

「はいっ!」



返事と共に屋根の上に隠れていたスバルも強襲をかける。

ティアナが前面より弾丸を浴びせかけ、その隙をついて二方向からの同時攻撃。

ゲルトの力を封殺して一方的に攻撃する。

勝機はそこにしかない。



「ぅぉぉぉぉおおお!!」

「はああああぁぁぁ!!」




頭の片隅に過る引っ掛かりを押し込め、ティアナは撃つ。

マルチタスクを一杯まで利用した複数同時魔法行使。

ハンティングホラーが休む間もなく弾丸を吐き出し続ける。



届け!



狙点はゲルトの胴体中央から腹部にかけて。

それ位であれば彼は何なりと凌ぐだろう。

だからこそ弾丸の殺到に先駆けてスバルが足を引き止める。

ニ重三重の仕掛け。

……それでも。



「はっ」



薄笑みを浮かべながらもゲルトは逃げない。

構えを変じた彼はナイトホークすらも仕舞ってしまう。

接近戦、どころか零距離戦への備え。

逃げる必要などないのだ。

“盾”がわざわざ向こうから来てくれるのだから。



「こらえろよ」

「えっ」



スルリと動いたゲルトの手が直上から襲い掛かるスバルに絡みつく。

運動というものを理解しきったが故の鮮やかな柔術。

力の在り所を見失ったスバルの拳は巻き込まれ、逸れる。

息を飲む間もあればこそ、気付けばスバルの体はゲルトの前面に引き出されていた。

それは同時にティアナの前、という意味でもあり。



「スバルっ!?」

「~~~~!?」



身代りにされたスバルへと魔力の弾丸が襲い掛かる。

ゲルトを撃つのにティアナは一切の加減など行ってはいない。

訓練を行う上での指示にてバリアジャケットは厚めに構成してあるが、それでも防ぎ切れるものではない。

慮外の激痛がスバルの喉から声にならぬ悲鳴を絞り出す。

が、



「誤射くらいでビビるな」

「っ、しま――――っ!?」



まだ終わらない。

ゲルトの目は既に呆然と立ち尽くすティアナへと向けられている。

やはりスバルは押さえたまま、一歩を踏み出す。



「あっ、くっ……!」



進む。

進む。

ティアナは撃てない。

銃口を向ける度、ゲルトが巧みにスバルを盾にするからだ。

撃たねばとは思えどフレンドリファイアの恐怖が彼女を縛る。



「固まるな!」



言いながらスバルを蹴り飛ばす。

ティアナの方へ突き飛ばす形だ。



「うわっ!?」

「きゃあっ!?」



まともに受け止める事もできずに激突した二人はもつれ合って地面に倒れ伏した。

かなりの衝撃があったようで、どちらもすぐには起き上がれない。

呻き、もがき、這いつくばるだけだ。

速く復帰したのは比較的ダメージの少ないティアナだったが、それでも致命的なまでに遅い。

慌てて上げた頭の先には、いつのまに抜いたのか刃の切っ先が付き付けられている。



「……二人、死んだぞ」



下から見上げる姿勢ゆえに、その圧力は普段にも増して重い。

一瞬状況を掴み損ねたティアナはぼんやりと刃先を見つめ、しかしようやく理解したのか悔しげに顔を伏せた。



「参り、ました……」



その後に続くのは失点の指摘だ。

何が良く、何がいけなかったのか。

ゲルトの戦闘方針は徹底している。

有意よりなお速い無意。

無意よりなお速い有意。

考えるよりも早く動く体に、反射へも滑り込む意識。

思考と運動の高速化。

手足への権限移譲。

無駄の削減。

躊躇や混乱はもちろん、なにより結局判断を下せない事をこそゲルトは嫌う。

今日は長くなりそうだった。





*********





またある日の事。

連続する発砲音。

滾るエンジンの胎動。



「っ!!」

「うわっひゃぁぁぁっ!?
 ティアナさんちょっと手加減!手加減っ!!」

「ないわよそんなもんっ!
 ていうかアンタそろそろ当たりなさいよ!!」



ティアナの銃撃を躱さんが為にスバルが走る。

円周状に回り込もうとするそれを妨害するようティアナも左右の射撃で囲い込むような包囲を作り出すが、それでもスバルは避ける。

時には体を捩り、身をかがめ、器用に魔力弾を捌いて行く。

高速移動中の身体操作も随分板についてきたらしい。

ティアナにしても二挺のデバイスをそれぞれ別個に駆使する術理について体に染み込み始めてはいるようだった。

そんな彼女の弾丸がスバルを捉えたのは、それから暫く後の事だ。



「ティアナさんは凄いねー」

「……突然なによ」



流れた汗を拭いながらスバルが言う。

世辞を言うには変なタイミングだった。

不審げなティアナもまずは半目で返す。



「だってあんなに沢山魔法が撃てるんだもん。
 ゲル兄だってやってるの見た事ないよ」

「あんなの、ただバラまいてるだけよ」



古代ベルカ式とミッドチルダ式で同じような戦い方をするわけがない。

それを言うのであれば魔力の収束や出力の分野などでは彼の足元にも及ばない訳であり、同目線で比べる事自体が論外だ。

的外れな賛辞に溜め息が漏れる。



「ええ~、そんな事ないよ。
 だってこう、なんて言ったらいいのか分からないけどティアナさんの魔法って凄く“嫌な”所に食い込んでくるっていうか、よければよける程どんどん追い込まれるような感じがするっていうか……。
 あ、もちろん“嫌な”っていうのは私から見てで……」

「あー、はいはいどうもありがと」



このまま延々と一人で喋り続けそうなスバルに先回り。

投げやりな返事で話を終わらせる。



――――馬鹿言わないでよ。



しかしティアナの内心は全く別だ。

さっきのスバルの動きはこちらの想像をことごとく超えてくれた。

当たるはずの弾丸が外れる。

予想した進路はかわされる。

それにこちらの攻撃を食らった筈の今もピンピンしている。

今の彼女を包むのは迫る畏怖。

そして照り付ける焦燥である。



私はハンティングホラーのおかげで魔法にも余裕が出来た。
でも、アンタは。



気付かれぬよう眉間を寄せたティアナが呻く。

別にスバルを侮っていた訳ではない。

多少どんくさい所があるにしても訓練に打ち込む姿勢からは気迫のようなものを感じることもあった。

本格的な訓練を始めたのは本当にここ最近の事という話だが、うかうかしていては追い付かれるかもしれないと、そう思う時もあった。

だがよもやこんなにも早く喉元まで攻め込まれるとは。



教え方の差?



確かに魔法体系の違いはあるが、どうだろうか。

面映ゆい話ではあるが、いつの間にか家族同然の扱いをされている。

訓練の効率も兼ねてナカジマ家に泊まる事ももっぱら。

最近では自分の家に戻る方が珍しいぐらいである。

同じ食事を取り、同じ屋根で眠り、同じように叱られる。

師であるゲルトからもクイントからも、ないがしろにされているような感じを受けた事はない。

で、あればこれは単純に伸びしろの、いやもっと直接的に。



才能の……差。



歯噛みする

認められない。

そんな一言で割り切れない。

魔導師として。

戦闘者として。

そして“鋼の騎士”の教え子として。

自分は年下の、つい最近訓練を始めたという少女に劣っているのだ。

しかしティアナはまだ分かっていない。

真なる才能というのがどういうものか。

持って生まれたものというのがどういうものか。

それを突き付けられる日は、もうすぐそこ。





**********





近頃ティアナは焦っていた。

いつまでもゲルトへ一矢報いる事もできない完敗続き。

余裕を持っていたスバルとの実力差もほとんど無いに等しいまで接近され、成果に焦っていた。

その逼迫感をスバルも感じ取っていたのだろう。

自身の能力についてネガティブな彼女の事、ここ最近の訓練について、自らがティアナの足を引っ張っているという認識でも得ていたのか。

そしてゲルトもまた、漠然とした苛立ちを抱えていた。

彼らの悩みはどれも同じ所に端を発している。

スバル達の訓練校入学が近づいてきていたからだ。



「あと……一ヶ月」



ハンティングホラーを握り締めながらティアナはその時間を噛み締める。

寮生活の準備なども含めると実質もう二週間程。

既に仕上げに入らなければならない時期だ。

無論、得た物は大きいと思う。

かといってこうして、ただゲルトに打ちのめされるだけでどうするのか。



勝つ。



今度こそ。

決意を新たにしたその時、念話が入った。



『ティアナさん、ゲル兄が来る』

「分かった。
 スバル、アンタは合図するまでその場で待機」

『了解。
 今度こそ勝とうね』



もちろんだ。

ティアナはカートリッジを連続ロード。

複数回の魔力ブーストで瞬間的に彼女の出力は跳ね上がる。

今日こそ、一矢報いる。





**********





状況は以前と変わらない。

細い路地にゲルトは誘い込まれ、足を踏み入れた。

罠があるのも承知の上だった。



「ん」



橙の髪が視界の隅を過る。

であれば行くのみだ。

別にこちらが逃げてもいいし、実際そうやって訓練を積ませてもいるがもうそんな悠長な暇はない。

ゲルトが教えられるのが戦い方である以上、こうするより他ない。



「もう少し器用ならな」



十字の角を曲がる。

そこにいる筈だと飛び出した。

ナイトホークを有効に振るうには適さない場所だ。

やるとすれば突くか、また己の肉体でどうにかするか。

それも相手あっての事ではある。



…………いない。



そこにティアナの姿はなかった。

消えた訳ではない。

ティアナは幻術の心得があるそうだが、それとて戦闘機人の眼を誤魔化す事はできない。

と、すると



「――――っ」



背後に気配。

風切り音から高速移動する飛翔体。

数は三。



魔力弾か?



状況認識の間にも動いた手はナイトホークを根元深く握り直し、直撃コースの一発を薙ぐ。

肩越しに振り向き、目視で微調整。

残り二発はもとより当たる軌道にはない。

勝手に両の壁面へ逸れ、弾けて散った。



この粗さは……。



遠隔操作マルチショットだ。

ティアナは後ろにもいない。

では?



「上か――――っ!」



動け。

今いる位置より飛び退いたゲルト。

一瞬も置かずその場を弾丸が貫いた。

一発ではない。

避けたゲルトを追うように何発もその後を続く。

上方からの攻撃だ。

そそり立ったビルの壁面にアンカーを打ち込んだティアナが腕一本でぶら下がり、そこから斉射。



「いいぞ、ティアナ」



一方的に攻撃されながら、ゲルトは満足気な笑みを漏らす。

高低差の確保、意識を逸らしての奇襲。

息つく暇を与えぬ連続攻撃。

相手に考える暇を与えない事。

教えた事をよく実戦している。



「撃て!もっとだ!」

「はいっ!」



狭い路地の中でゲルトは器用に弾丸を捌き続ける。

首を捻り、体を捻り、しゃがみ、どうしようもない物は切り捨てる。

間断ない銃撃だが、息切れは早かった。



「っ、ちっ……!」



カートリッジの効果切れだ。

慌てて追加のロードを行うも、それは露骨な隙となって現れた。



「温いっ!」

「――――!」



ゲルトがそれを見逃す筈も無い。

最後の弾丸を切り裂く動きに偽装して衝撃波を射出。

押し流した弾丸もろともティアナの張り付いた壁面を爆砕する。

パターン化した通常の動作に紛れこませた一撃。

不意をつくには十二分である。

これで終わりでも成長はしているだろう。

もちろん、些か残念ではあるが。

だがティアナは嬉しくも予想を裏切ってくれる。



「い、った!」



寸前で飛び降りた彼女は破壊の直撃を免れたのだった。

アンカーで固定されたハンティングホラーを捨てた思い切りはいい判断だ。

着地さえ上手くいけば、なおさら。

明らかに着地を失敗したティアナは痛みに涙を滲ませつつ、しかし残りの一挺を油断なく構える。

反応としては上々。



「そうだ、気を抜くな!」

「速っ――――!?」



ナイトホークを前面に突き出し、突進するゲルトの動きは迅速だ。

まっすぐ来るかと思いきや壁面を利用した三角飛びでティアナの射線を掻い潜る。

視線のフェイント、足首のフェイントを当然のごとく織り交ぜた高々度の体術の結晶。

ゲルトは僅か五歩でティアナを射程に収める。



「おぉぉっ!!」



宙に身を躍らせながら、ゲルトは大上段にナイトホークを振りかぶる。

縦に、であればナイトホークは如何なくその威力を発揮する事が可能だ。

意識の死角を突いた最高の状態。

だからこそ、



――――これで決める!!



そう“ティアナは”思った。



『今よスバルッッ!!』

「応ッッ!!」



至近で爆発。

再びの粉塵が彼らの姿を覆い隠した。





**********





「いいタイミングだ……!」



粉塵でティアナを見失ったゲルトは、しかし感嘆も混じった感想を漏らしていた。

意表は突かれたものの混乱はしていない。

建物の中に潜んでいたスバルが、ゲルトが飛び込む瞬間を狙って壁を破壊した。

目くらましと奇襲を同時に行う為だ。

ずっとこの時を待っていたのだろう。

ティアナが接近戦に持ち込まれるのは織り込み済みという訳だ。

しかもこれで一対二。



悪くない。



これで畳みかけるもよし。

あるいは一旦距離を取るのもいい。

時間稼ぎでも目標は達成できるからだ。

優勢な敵と相対した場合、応援の到着まで凌ぎ切るのも全く正しい戦略である。

その為、タイムアップは勝利条件の一つとして提示してある。

――――が、どうやらそちらは選ばなかったようだ。

粉塵の中で何者かが動く気配。

危険、とゲルトの直感は判断した。

直後に飛び出す刃。



「!」

「っ、ティアナか」



勘任せに防御したが、飛び込んできたのはオレンジの刃――ハンティングホラーの格闘戦モード。

ナイトホークの柄で受けたゲルトと押し合いの形。



「くっ、ぐく―――っ!」

「…………」



乾坤一擲、という風の彼女に対してゲルトは涼やかなものである。

所詮力のぶつかり合いでは勝負になろう筈も無かった。

しかしこちらは囮に過ぎない。

本命は、



「でやぁぁぁぁぁぁ!!」



鍔競り合うゲルトの左手からスバルが吶喊。

これが狙いだ。

両手は塞がっている。

足も止まっていた。

この状態では如何なゲルトでも一撃もらうのは確実。

是非も無し。

一呼吸でゲルトは決断した。



「IS発動」

「!?」



ゴーン、と鐘楼の鳴るような重々しい音が響いた。

展開される赤橙色のテンプレート。

過去ゲルトを幾度も救ってきた超硬度障壁、ファームランパート。

それが初めてスバル達へと使用された。

極力魔法も使わずにいた姿勢を崩してまで、である。

それほどこの局面、追い込まれたという証明だった。

しかしスバルにはそれどころではない。



ゲル兄がISを使った!?



拳を叩きつけたままの姿勢で目を見開くスバル。

手甲に覆われた拳は完全に受け止められていた。

どれだけ体重をかけてもビクともしない。

それもそのはずである。



……ダメだ。



気弱な自分が告げる。

これは兄の切り札中の切り札。

破れる訳がない。

その堅牢さたるや次元航行艦の艦砲に耐えるとすら噂されるほど。

で、あれば。



むしろゲル兄に使わせただけ、よくやったよね?



それは事実上、敗北を認めるという事だった。

仕方ない。

仕方ないだろう?

むしろ今まで魔法も殆ど使わなかったゲルトにそれをさせたという事は、それだけ自分達が強くなったという証明。



そうだよ。



握った拳が緩む。

体から力が抜けていく。

いつかのように、諦めが心を支配する。

それがスバルという人間の本質。

それが自分という人間の限界。

それが……、それが――――!



――――違うッ!!



スバルは顔を上げた。

そして目前で未だゲルトに挑むティアナを見た。

毛筋すら諦観を感じさせぬ強い瞳。

空港が燃えたあの日、あの時に現れた人と同じ瞳。

憧れたあの瞳。

そうだ。

そうじゃない。



そうじゃない自分になる為に、今!私はここにいるッ!



「ペイルライダー、フルドライブ!!」

『了解。
 パラディン正常起動中』




両腕のペイルライダーから薬莢が弾けて飛んだ。

更に振り被る左手のスピナーも超回転。

滾る魔力は常の比ではない。



「!」



一息にティアナを押し切ろうとしたゲルトも、その気配に思わず振り返る。

そこにいたのは彼の知る小さく、臆病な妹ではない。

目が、全てを物語っていた。



「リボルバーァァァッ、キャァノンッッ!!」



再び遠雷のように轟く打音。

それも連続する。

目前の障壁へありったけの力を込め、ただ無心に拳を叩き込み続ける。

打音。

打音。

打音。



硬い……!



それでも諦めない。

この力尽きぬ限り、打つ。

打つ。

打つ。



「うぅぉぉぉおおおおお!!!」



喉から絞り出すような絶叫。

衰えるどころか、一発一発ごとに拳打の威力も上がっていくようにすら思える。

それでもまだ足りない。



もっと、もっと……!



足を開き、腰を入れた拳打。

何発も、何発でも。

訓練の始めにティアナと話し合った事を思い出す。

絶対に勝つ、と。

ならば。



もっと、もっと、もっと……!!



力。

力。

目の前の障害を、何もかもを。



「壊せる力――――!」



それを望む。

それを欲す。

そして、それを叶えるのがデバイスに課せられた使命である。



『了解』



ゆえに、ペイルライダーはそうした。

己に叩き込まれた最高の手段によって。



「え――――?」



四肢から流れ込む何かが、自分を変える。

スバルは感じていた。

急速に、そして確実に自分が変わる。



変わる?



いや、この感覚は記憶にある。

遠く擦れてしまった記憶の彼方に。

戻る。

それは傍目に、瞳の変色という形で表れた。

力を示す……黄金色の瞳。



「ペイルライダー!?」

『“ファームランパート”の固有波形を照合。
 ……該当一件』



ペイルライダーの根幹理念はごくシンプルだ。

どこまでも単純な言葉の羅列。



調律開始Tuning



潰せ。

そして。

壊せ。

そして。



破壊せよ――――!



その瞬間、ありえざる事が起きた。



「何っ!?」



ファームランパートが。

あの無敵の守りが。

そうまるでガラスのように。

それも粉微塵に。



砕けて散った。










(あとがき)


大変……大変長らくお待たせ致しました。

そして遅れながらあけましておめでとうございます。

これでどうにか訓練編もクライマックス。

ようやくとまた次の時間へ移動できそうです。

見放さずにお待ちいただけた方々には感謝に堪えません。

ご期待には本編の投稿を持ってお返しする所存です。


それではまた次回!

Neonでした!



[8635] The Cyberslayer 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:4d3d514f
Date: 2013/06/20 01:26
弾ける赤橙色の障壁。

きらめく粒子のように吹き散る力の残滓。

“破壊”ではない。

まさに“破砕”。

スバルに備わったインフューレントスキルIS、“振動破砕”の威力がそれだった。



「何っ!?」



正直に言おう。

恥ずかしくもゲルトは動揺していた。

何といってもファームランパートは鉄壁の守りだ。

これまでの人生において、ただの一度も破られる事のなかったゲルトの十八番である。

それがこうまで容易く粉砕される。

彼をして精神的打撃はいかばかりか。



「――――!!」



だからこそ危機に対して体は勝手に動いた。

応答せぬ意識を無視し、防衛衝動のみが先行する。

反射的に動いた左の手の平が真っ正面からスバルの拳を受け止めた。

力比べで負けはしない。

完全に意表をつかれた形でありながら、超常の反応速度はこの事態にすら対応してのけた。

しかし、それこそが最もゲルト“らしからぬ”失敗でもある。



――――!!



ファームランパートをも砕いた振動破砕。

有効対象は生物、非生物を問わず、分けても精密機器に対しては覿面の効果を発揮する。

それは四肢を媒介とし、接触物に対して致命的な超振動を叩き込むもの。

発動に“打撃”は必要ない。

気付いた時には、遅過ぎる。



「ぐ――――ッッ……!?」



左腕を上る振動波。

弾ける駆動器、センサー類。

内側より炸裂した小爆発が腕を駆け巡る。

その時、ゲルトは――――。





**********





これって……。



傍から見るティアナに詳しい事は分からない。

ゆえに理解できるのは見たままの光景である。

二人がかりの奇襲は上手くいった。

スバルがゲルトの防御を砕いた。

自分達は優勢にある。

慮外の光景からの驚嘆とは別に、ティアナの奥底ではまさかという歓喜もあった。



勝てる!?



ファームランパートを砕いた拳はゲルトの左手に“ごくあっさり”捕まえられていたが、彼の表情にはついぞ見る事もなかった感情が表れていた。

それが焦りか驚きなのかは分からないが、精神的な圧迫を与えているのは間違いない。

一矢報いた。

しかも今のゲルトは左手を封じられ、ナイトホークを握る右手も同じく自分との押し合いに専念している。

その事実が彼女を沸き立たせる。



今しかない!!



鍔迫りの姿勢から無理やりに銃口をズラし、ゲルトを狙う。

場所はどうでもいい。

まずはこの拮抗を崩す。

二連の射撃はとっさに頭を引いたゲルトの顎の手前辺りを抜けていった。

それが契機だ。



「!!」

「きゃっ!?」



ゲルトから感じるプレッシャーが瞬間的に跳ね上がるや、ティアナは吹き飛ばされた。

完全な力技で、である

鍔迫り合いの均衡などは幻想に過ぎない。

それは片腕で押し切るどころか易々とティアナを宙に舞わせるほど。



これが同じ人間の腕力だっての……!?



彼女が背中を強かに打ちつける傍ら、ゲルトの蹴撃がスバルの意識を刈り取っていた。

まずは右膝がスバルの腹を折り、続く左が側頭部を打つ。

念の入った仕留め方であった。



「っ、……!」



倒れながらも、ティアナは未だ勝負を投げていなかった。

呼吸が詰まるのも構わずに正面のゲルトへとハンティングホラーを構え直す。

僅かの勝機を求め、スバルを倒した直後の隙を狙ったもの。



行けッ!!



三点バースト。

が、この段においてゲルトは最早戦闘の流れに従って動いている。

綿々と築き上げられてきたそれは、まだティアナが動ける事を理解していた。

追い打つ一撃を要求していた。



「――――」



左足を着く中で体を捻り一回転。

深く握り込んだナイトホークをコンパクトに用いて衝撃波を飛ばす。

評するならムチのような動き。

破壊の力は丁度こちらを向いたティアナへと直撃するコースにあり、先を取ったティアナの魔弾をも軽々と飲み込んで直進する。



避けられない――――!



一瞬後の未来を予測し、息を呑む。

だとしてもなけなしの気合いを奮って目だけは瞑らない。

ゲルトの教えの一つである。

いかにそれが最悪を予感させるものであっても、だ。



「ッ、はー……」



痛みを逃がす為に息を吐く。

迫る圧力。

衝撃は、なかった。





**********





「トライシールド!!」



あわや、というタイミングで響いたのは凛とした女性の声であった。

ティアナの前に立つのに躊躇いはない。

舞い降りる、青の騎士。



「ギンガさん!?」



展開された障壁が球形に圧縮された衝撃波を押さえ込んだ。

接触は一瞬の事。

薄い皮膜のような魔力が裂ければ、たちまち封入された破滅の烈波が牙を剥く



「う、くっ……!」



無論、一筋縄ではいかない。

オーバーSランク魔導師の桁違いの魔力が込められた一撃である。

例え魔力射出の洗練さにおいてミッドチルダ式に劣るといえど、生半可な魔導師に受け止められるものではない。



「ペイルホース!!」

『ロードカートリッジ』



カートリッジを二発ロード。

輝きを増す三角の防御壁。

長髪が圧力に棚引くが、それで収まったらしい。

瞬間的な魔力ブーストまで用い、どうにか防いだ。



「ふー……」



風が吹き抜けた路地の向こうに兄はいた。

右足を前に、こちらへと半身を寄せた姿勢。



「ここまでだな」



ナイトホークを下げたゲルトが宣言した。

何とはなしに視線を巡らせている。

足元で気を失っているスバル、前に立ったギンガ、その後ろのティアナへと。



「まだ詰めが甘いが、よくやった。
 成長したな」

「い、いえ……」



立ち上がりながらティアナは答える。

込み上げるのは、また勝てなかったという悔悟の念である。

今以上の好機などなかったものを。



「連携も悪くなかった。
 攻める時は相手に考える暇を与えないのが肝要だからな」

「ありがとう、ございます」



悔しい。

そのせいだろうか。

この、どうしようもない胸のざわつきは。



「スバル、は完全に伸びちゃってるわね」



スバルの介抱に向かったギンガはぐったりとしたスバルを抱き起こしていた。

自分も、あの衝撃波を受けていれば同じようになっていたかもしれない。

あの執拗な攻撃は何だ。



「一応の基準には達したと判断する。
 速成の為にお前らには歪な教え方をしている部分もあるからな。
 これからは時間をかけて自分のやり方を作っていけ」



ゲルトは動こうとしない。

未だに半身の姿勢を崩さないというのも変だ。

どうしてか、体の震えが止まらない。



「ティアナ?」

「はっ、はい!?」



横合いから掛けられた声に肩が跳ねる。

ギンガはいつもと変わらずそこにいた。

何も慌てたような様子はない。



「悪いんだけど、この子を家まで連れて帰ってもらえる?
 ちょっと自分では動けないみたいだし、私もたまには相手をしてもらいたいから」

「ああ、はい――――」



そういえばすぐそばで妹が倒れているというのに膝を折る事もせず、ただ一瞥をくれただけだった。

動かない。

いや、



動けない……?



「っ!」



その思考に至り、ティアナはゲルトへと向き直る。

せざるにはいられなかった。

そういう目で見れば、未熟な彼女にも一目瞭然だったのだ。



「ゲ、ゲルトさん」



なぜこちらへ半身の姿勢を取っているのか。

残心を保っているのかとも思ったが、違う。



「ひっ、左手が……!」



半身に隠された左腕。

ナイトホークを握った右腕はともかく、そちらはスバルの拳を受け止めた左腕。

見れば残心にしては脱力に過ぎ、姿勢を見ても理に適うとは言い難い。



「……よく見てるな」



しかしながらゲルトは一向に気にした様子もない。

悪戯がばれた子供程度の苦笑。

彼女の言が的中している事の、何よりの証明であった。



「そんな……」



幾つもの不安が頭を過り、ティアナを縛る。

ゲルトが負傷した。

それも、まさか重傷なのでは。



「そんな顔をするな。
 思いの外いいのをもらって痺れているだけだ」

「で、でも」

「自分の面倒くらいは自分で見る。
そんな暇があるならならあっちの心配でもしていろ」



ティアナの言葉を遮ったゲルトは顎でスバルを指す。

ギンガの腕の中でぐったりとした彼女は目を覚ます様子もない。



「……少しやり過ぎた。
 早く連れて帰って寝かせておいてくれ」



ゲルトは動きで行け、と示す。

笑っているが、本当に大丈夫なのか。

突然の事が多過ぎたティアナの頭は千々に乱れ、まともな考えが浮かばない。



「…………はい」



今は、言われた事をこなすのが精一杯だった。





**********





ふぅ、とゲルトは改めて一息。

模擬戦の余熱も去り、静けさも戻る。



「ティアナは行ったな?」

「はい。
 だからもう大丈夫ですよ」



とにかくも事情の説明は後回しにした。

スバルの介抱も必要ではあるし、こちらも放置しておけるほど軽い傷ではない。

ティアナにはスバルを任せ、こちらにはギンガが。



「そうか――――」



言うが早いか、何でもないように直立していたゲルトが壁に身を預けた。

バリアジャケットも解除し、ナイトホークでどうにか体を支えている有様。

それまでの様子とは一転し、眉間には渋面が溢れている。

何より目を引くのは明らかに庇うように隠したその左腕だ。



「腕が……」

「ああ、――っく」

『共鳴振動による自壊誘導です』



答えに窮したゲルトに代わり、肩に掛けられたナイトホークが答える。

ほぼギンガの予想した通りだ。

スバルのIS――――振動破砕によって破壊された。

容態は思ったよりもなお深刻である。



「よりにもよって、アレを受け止めるなんてな。
 ……馬鹿をやった」



皮肉げに口元を歪ませるゲルト。

しかしギンガは同じようには笑えない。



「動かないんですか?」

「…………」



ぶらん、とだらしなく垂らされた腕は明らかに異常だ。

見れば指先も動いていないのではないか。

先の例を挙げるまでもなく、全身に機械を受け入れた戦闘機人の肉体に振動破砕は致命的だ。

ゲルトは一瞬押し黙るも、どのみち分かる事と観念したのか意外にもあっさりと頷いた。



「左腕丸々と、それに胸元までやられた。
 駆動器だけじゃなくフレームまでいかれてるな」



かなりの重症である事は間違いない。

むしろ心臓にまで達していない事のほうが僥倖というべきか。

彼は腕を動かさないのではなかった。

指の一本すら自由にならないまで、身体内部を完璧に破壊し尽くされたのである。

その深刻さにギンガは息を呑んだ。



「早く、病院に」

「……ああ。
 マリエルさんに連絡を頼めるか?」

「すぐ手配します。
 それに車も」

「悪いな」



ギンガは慌てた動きで連絡を取っているが、それでもゲルトは理解していた。

腕の一本や二本。



“これぐらい”なら問題はない。



痛覚を切らずにいるのも、ただダメージリポートを優先させた結果だ。

死なない限りは何度でも立ち上がる。

人間の肉体を機械に置き換える戦闘機人計画とは、単に身体能力の向上を目的としたような単純なものではない。

全く自身に由来しない、機械という異物を受け入れる柔軟な肉体の構築。



要するに。



腕がもげれば繋げばいい。

足が断たれれば作ればいい。

腹が裂かれたなら埋めればよい。

そういった無茶な施術にも耐えうる生存能力の高さ、即座に戦場へと舞い戻る継戦能力の高さ。

それこそが、戦闘機人の戦闘“機人”たる所以である。

あるいは、緊急の事態においてゲルトの体は左腕を捨てるのを“良し”としたのかもしれない。

だからこそ――――





**********





「三日……ですか」

「かなり無理をしてくれて、な。
 マリエルさんには頭が上がらない」



心配そうな顔をしたギンガへ、左腕を吊ったゲルトは苦笑した。

白い三角巾が痛々しい。

先端技術総合センターの待合室での会話である。

検査にさほどの時間は掛らなかった。

やはり、というべきだろう。

左腕の完全換装は避けられないそうだ。

それも部品の形成や用意が完了しだい施術にかかってもらえるそうなのでこの程度で済んでいる。



「それまでは、このままで?」

「そうだな。
 階段から落ちたとでも言っとくか」



現状左手に繋がっている、という以上の意味はない。

だが三日で完治するという方が異常なのだ。

その程度、我慢できない道理はない。



「誰も信じませんよ。
 私との訓練で怪我をした事にして下さい」

「似たりよったりだな」

「……そんなにありえないですか?」



ふと瞳を揺らげたギンガが不満げに問う。

焦りはない。

兄の腕は確実に完治するだろう。

だからこんな事を言っていられる。



「ああ、ありえない」

「…………」



躊躇ない断言であった。



「お前相手に加減はしない。
 俺が勝つ」

「……もう」



腕前を認められたと喜べばいいのやら、酷い師だと嘆けばいいのやら。

判断に迷いながらもギンガの口元には笑みが過った。



「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

「ああ。
 ついでに土産にあのチョコ屋にでも寄っていくか。
 あの、来るたびに買うやつがあっただろ」

「えっ?
 あ、う~ん、と」

「?」



ギンガの返事に歯切れが悪い。



「実は……」



申し訳なさそうに背後から取り出したのは例の店の袋だ。

つまりは中身も。



「さっき時間があったので」

「まぁ、暇だったろうしな―――っと」



苦笑するゲルトは気にした様子もない。

左手で頭を掻こうとし、それが叶わない事を思い出す。

ピクリとも全く動かないのだ。



「駄目だな。
 こいつは思ったより面倒だ」



不思議そうな顔でこちらを見るギンガへと、ゲルトは何でもないように首を振るった。

せいぜい三日。

この程度の不便は仕方なかろう。

気配を察したか、隣のギンガも一瞬目を伏せた。

しかし、何事か思い付いたらしい彼女は綻ばせたようにこちらを見る。

機嫌よさげに瞳を輝かせた妹分からは何か嫌な予感がした。



「どうした」

「いいえ?
 ただ、今は手が動かないんですよね?」

「まぁな」



とりあえず三日後までは一切動くまい。

分かっているはずのギンガは、それなら、と手元の袋を漁りだした。

取り出したのは例のチョコレートである。

指先で摘まんだそれを、彼女はこちらへと差し出してきた。



「はい、どうぞ」

「どうぞ、ってお前……」



食えというか。

しかし、



「俺は甘いものは――――」

「大丈夫、これは甘さ控えめなので」



言葉にまで被せてくるか。

さらに一歩近づいた彼女はいよいよゲルトの口元にまでチョコを持って来ていた。

別に右腕は動くのだが。



「ほらっ」

「…………」



いや、もう面倒臭い。



「あっ」



ひょいと首を動かしたゲルトは目の前のチョコを素早く奪う。

犬歯で挟み、上向く要領で一息に噛み砕いた。

傍目、餌をもらった飼い犬の所作である。



「ごちそうさん」

「……もうっ」



気にした様子もなく歩みを進めるゲルトとは対照的に、不満げに口を尖らせたギンガ。

不幸を感じさせぬいつもの二人が、そこにいた。





**********





一転、ナカジマ家である。

スバルを連れて一足先に戻っていたティアナであるが、その表情は晴れない。

脳裏に浮かぶのは左腕を庇うように立ったゲルトの姿。



あれは、マズイわよね。



思わずと爪を噛む。

厄介事を押し付けるように追い払われたが、やはりそこまでしなければならないほど重篤であったとすれば?

顔色一つ変えなかったゲルトの立ち姿が思い出される。

近接型の騎士ともなれば両腕の精妙さは命よりも重い。

浮かぶのは最悪の想像。



もしもゲルトさんが戦えないなんて事になったら……。



何と詫びればいいのだろうか。

あの日の言葉を忘れた事はない。

不安は焦りとなってチリチリと彼女の背中を焼く。



「…………」



何も出来ない状況に歯噛みしつつ、ティアナは横目にスバルの様子を窺う。

一応はベッドに寝かせていたが、もう意識もはっきりし、上体も起こしている。

が、表情には明らかに精彩を欠いた。

自分とはまた別の反応である。

目が覚めた瞬間には模擬戦の結果を問い質す程に元気だったというのに、落ち着いたかと思った瞬間にはこれだ。

何か致命的な事実を思い出したような、そんな様子である。



そういえば、ゲルトさんの障壁を割ったあれは何?



ティアナの中に新たな疑問も生まれた。

今さらではあるが、尋常な事態ではあるまい。

正面切っての一撃でゲルト自慢のファームランパートが粉微塵に打ち砕かれていた。

あれを為すのに一体どれだけの力が必要なのか。

努力や根性といった世界の範疇ではない。

自分はもちろんの事、例え現役の武装隊員などでもああ鮮やかには決まるまい。



私には秘密の隠し玉って事?



自分などが考えているよりも、ずっと二人の間には差が有ったと言う事か。

ずっと、ずっと。



「…………っ」



チャイムが鳴る。

家のドアだ。

思考の耽溺から復帰したティアナが頭を上げる。

スバルも同様だった。



「ゲル兄……!」

「あっ、スバル!?」



ベッドから飛び降りたスバルが駆け出す。

速い。

あっという間に部屋を飛び出した彼女は戸口へと消えて行った。



「ちょっと待ちなさい―――――」



一瞬呆気に取られたティアナも追って玄関に辿り着く。

そして息を飲んだ。



「今帰った」

「ただいま」



まず目に入ったのは家の扉を開けたまま立ち尽くすスバルの背中。

そしてその正面に立つ、ゲルトの左腕を覆った白い三角巾の存在だった。





**********





ああ、やっぱりね。



呆けた二人の様子からギンガはショックの大きさを悟った。

スバルもティアナもゲルトの左腕へと視線が集中している。

予想していた事ではあるが、どうしたものやら。

ゲルトを窺うと彼も嘆息してこちらを見ていた。

とはいえ、助けを求められても困る。

ふるふると首を振れば、諦めてゲルトは妹分達へと視線を向けた。



「筋を痛めているらしいから大事をとっているだけだ。
 見た目こそ大袈裟だが、精々三日で取れる」

「三日……?」



疑うような声を出したのはティアナである。

無理も無い。

彼女は左腕を庇ったゲルトの姿を見ている。



それになにより。



問題なのは何の反応も示さずただただ三角巾を見つめているスバルだ。

もともと勘の鋭い子ではあった。

ゲルトの状況についてもほぼ悟っているのではないか。

彼女自身振動破砕についての理解はある。

気にするな、といっても難しそうだった。

こうなるのが嫌でゲルトも彼女らの意識を飛ばそうとしたのだろうが。



「分かったら散れ。
 いい加減家へ入れろ」



今は何を言っても無駄だ。

そう判断したらしいゲルトは語らずに踏み込んだ。

残されるのは三人。

疑問を抱く者。

確信を秘める者。

理解している者。



『フォローはきちんとお願いしますね?』

『…………』



去り行くゲルトの背中に向けてギンガが念話を飛ばす。

秘匿回線である。

スバル達には聞こえない。



『この程度でコレなら……先が思いやられるな』

『可愛いでしょう?
 皆心配してるんですよ、兄さんを』



スバルも、ティアナも……それに自分も。

大きな背中を見つめながら微笑む。



『ティアナの方は任す。
 スバルは後で部屋に寄越せ』

『はい』





**********





スバルは思う。

力とは何か。

スバルは思う。

強さとは何か。

幸いな事に、生まれつき自分には力が備わっていた。

魔法の力。

頑強な肉体。

そして、IS。



でも。



強さとは何だろうか。

それだけは生まれつき備わってはくれなかった。

兄弟の誰より弱虫だった。

しかしその体現者が今、目の前にいる。



「何か言いたげだな」



ゲルトは自室のベッドに腰掛けている。

腰かけた状態でも、彼の頭はスバルの身長よりも上の位置にあった。

どうしても、左腕の白布が目につく。



「……ごめんなさい」

「何がだ?」



出たのは絞り出るような小さな声だった。

怪我をするのは嫌いだが、怪我をさせてしまうのはもっと嫌だ。

心が、痛い。



「その、私が加減できなかったから……ゲル兄の手が……」



スバルだからこそ分かる。

ゲルトの左腕が今どうなっているのか。

だから謝りたい。

ゲルトの腕が治るのは間違いないのだろう。

朧気ながら、スバルでも戦闘機人というものについては理解している。

それでも。



「だから、ごめんなさい……」



俯かず、ゲルトの顔を見る事はできた。

兄は、深刻さを感じさせぬリラックスした姿勢。

ふと目を外した彼は自らの左腕を見つめ、ふっと口元を和らげた。



「腕の事は俺の自業自得だ。
 気にするな」



我ながら信じがたい短慮だった。

分かっていながらに自ら掴みにいったのだから。

しかし何より、



「まさかお前に手加減してもらう日が来るなんてな。
 俺も落ちぶれたもんだ」

「え、ちっ、ちが……!」



そんなつもりで言ったのではない。

しかしゲルトの考えはさっぱりしている。



「なら、お前が強くなったんだろ。
 何時の間にか」

「……そうかな?」



顔を伏せた。

実感した事はないのだ。

それを、ゲルトは敏感にも察したらしい。



「嫌になったか?」

「え?」



低く下がった声音。

訓練の時に見せる顔だ。



「魔導師になる事。
 管理局員になる事を、だ。
 誰もお前に強制はしない」



やれ、と言った事はない。

やめておけ、と言った事はある。

前向きに動き始めたその姿勢を惜しくはあるが、それならそれでいい。



「…………ううん」



ゲルトは半ば本気でそう思っていたが、どうにも期待通りにはいかない妹だ。

確かにスバルは首を振るった。



「そうか」

「うん」



上手く言葉にはならないようではある。

しかし、万感の思いをそこに受け取った。

以前のスバルなら相手を傷付けたという時点でおじけ、投げ出すのが関の山だったろうに。

ゲルトは諦めたように深々と、息を吐く。



恨むぞ、なのは。



頭が痛い。

無論教導隊の友人が悪いなどと本気にはしないが、半ば八つ当たり的な思いが頭を過る。

全てが変わったのはあの空港火災からだ。

それでも、自分は良い兄でありたいと思う。



「お前がやるのは俺達とは違う戦いだ」



スバルの目指すものは騎士ではない。

そしてある意味、もっと命に近い所でやり取りをする事になる。

そんな時。



「一番大事なのは、魔力でも腕力でもない。
 “ここ”だ」



右腕で自らの胸を叩いてみせる。



「恐怖も、不安も、焦りも、ずっとお前には付いて回る」



幾度も経験してきた事だ。

クイントを背にあの地獄を脱出した時も。

あの煉獄でギンガを掻き抱いたその時も。

ずっと、ゲルトはそれと戦ってきた。

無くなる事は、ない。

本気で守りたいものがあるのだから当然だ。

それでも。



「それを捻じ伏せて、なお進む意志。
 お前はそれを持ってる」



ビッ、と指したのはスバルの胸。

そこにあるのは力の象徴。

結晶形のペンダントがそこにある。



「使いこなせよ、スバル。
 自分自身の、全てを、だ」



スバルも、無言のままにペイルライダーを握り込んだ。

みなまで言うまい。

それでなくては救えないものがある。

そうしてなお、救われないものもあるのだから。



「克服するっていうのはそういう事だ」

「……うん」



分かっている。

振動破砕は自分の力だ。

勝手に体が動いた訳ではない。

身体に刻み込まれた最適の解を選択したまでの事。

図らずもゲルトの腕を破壊したのは、その制御にしくじったからに他ならない。

まずは、受け入れる所からだろう。



「受け入れる。
 全てを……」



顔を上げたスバルの瞳に決意の光が浮かぶ。

逃げずにこちらを見つめている。

いい目だ、とゲルトは思う。



「ゲル兄」

「どうした?」



焦らずに先を促す。



「私、ティアナさんに話そうと思う。
 私達の、その体の事を」

「……そうか」



驚きはなかった。

もはや家族同然の暮らしを行っているティアナである。

今回の事で不審もあるだろう。

潮時なのかもしれない。

それがどういう結果になろうとも、スバルの第一歩に繋がるだろう。

どの道、もはや誰にもこの頑固娘の足は止められない。



「ぶち当たって来い、スバル」

「うん!」



ただ、願わくばスバルとティアナの二人にとって良き結果とならん事を。

それだけを、ゲルトは祈る。





**********





夜は明ける。

月日も移り変わる。

結論から言おう。

ゲルトの左腕は宣言通りに三日で完治した。

人目を引く三角巾も取れ、即座に訓練へも参加できるレベルで能力を行使している。

傍目にも、そして実際にも、ゲルトの左腕は完全な復活を遂げたのだ。



「それで、本気で相手をしてくれってか?」



いい日和だ。

晴天、かつ微風。

湿り気も少なく、足元もしっかりしている。



「はい!」

「お願いします!」



完治した左腕はすこぶる好調だ。

動作データのフィードバックも異常なし。

目の前に居並ぶ二人、ティアナとスバルを同時に相手をしてもお釣りが来るほどに。



「しょぼくれた顔で来るかとも思ったが、面構えはマシらしいな」



ティアナは戦闘機人についても知った筈だ。

ゲルトやギンガ、スバルの出自についてすら。

スバルは戦闘機人の力をも用い始めた筈だ。

明らかな破壊兵器としての自分自身を認めて。



ふむ。



改めて確認しよう。

演武のようにナイトホークを取り回したゲルトだが、左腕は快調である。

何の問題も見受けられない。

しかし、



慣らしは必要だな?



一本一本、指を慣らすようにナイトホークを握り込む。

思わず口元が釣り上がるのを感じた。



「いいだろう」



意図を汲んだナイトホークがカートリッジを呑む。

一発、二発ロード。

薬莢が弾け飛ぶのと同時に噴出する噴煙。

瞬間的な出力は普段の比ではない。

どんな鈍感でも魔導師なら気付く筈だ。

はちきれんばかりに滾る魔力と、それを一片の無駄なく刀身へと凝固させる空恐ろしいまでの制御能力。



「餞別代りによぉく見ておけ」



姿勢は前傾。

足を大きく開いた攻性の構え。

息を飲んだティアナが、スバルが、バリアジャケットを纏う。

遠慮は無用。

呵責も必要なし。

手向けるとなればそれよりない。



「これが、“鋼の騎士”だ」





**********





この月、二人は遂に訓練校へと入学した。

スバルは当初の予定通り陸士訓練校へ。

ティアナは、残念な事に空士の適正からは弾かれたようだが無事、士官学校への入学を決めた。

これより最低でも一年は寮暮らし。

ナカジマ家からの庇護を卒業し、それぞれの道を歩み始めたのだ。 



そうして、また時が動く。






(あとがき)


祝・脱稿!

なんとかこれでまた一つ時代が進みます。

正直、この話にはもうあと一話使いたかった気もしますが、あんまりにも冗長になり過ぎるので今回のような感じに。

あと残すは訓練校編くらいで、それさえ越えればようやく念願のSTS本編軸!

大変お待たせいたしましたが、これからもご声援よろしくお願い致します。

次回あたり、遂に“あの人”対ゲルトの戦闘を描ければ、とも思っておりますので、そちらにもご期待の程を。


それではまた次回。

Neonでした!



[8635] さめない熱
Name: Neon◆139e4b06 ID:08c16964
Date: 2013/11/13 20:48
夕の焼け空が闇に呑まれて行く頃合い。

空の高い所で色が塗り替えられていく。



「嫌な空だな……」



くゆるタバコの煙が上る。

それを追うように空を見上げながら男は呟いた。

男はいわゆる無頼である。

非合法な組織に属し、非合法な活動に従事し、非合法な資金を受ける。

なんの因果か転がり落ちてこちら、もう十五年を越えようとしていた。

特別頭が良かった訳でも、特別腕っ節が強かった訳でもないが、それでも多少は備わっていた魔法の才能が評価されたらしい。

ひとまずの所食いっぱぐれずにはこれた。

とはいえ大して規模の大きい組織という訳でもない。

敵対勢力の勃興に伴い管理局の締め付けも厳しくなってきた昨今、さらにその勢力は先細りを進めていた。

ここに至り、危機感を覚えた幹部勢は博打を打った訳だ。



「オヤっさんも無茶を言う」



ミッドチルダへ活動の拠点を移す。

一応の理屈はあった。

辺境へ向かうほど、むしろ駐在する管理局部隊の締め付けは厳しくなる。

勲功に飢えているという事もあるし、緊急の事態に対し応援が見込めない彼らは徹底的だ。

自分自身を守る為にも、海の部隊は容赦しない。

それに比べれば最悪、陸の部隊の方が錬度の面から見ても組みしやすいだろう。

要するに平和ボケしたミッドならなんとかなるだろうとたかをくくっているのである。

今日にしても、なんだか自分にはよくわからない絵画やらの取引、の護衛が仕事だ。



「いかがでしょう。
 ご期待にそえましたしょうか?」

「おお、美しい……」

「こちらに美術館の鑑定書も用意しております。
 額縁は私共からのサービスということで。
 これからもよい取引を期待させていただく意味で、どうぞお受け取り下さい」



もちろん、贋作である。

鑑定書もでっち上げだ。

むしろ一番金が掛かっているのは高価な木材をつぎ込んだ枠の方だと言うほどの有り様。

それでも馬鹿な金持ちは引っ掛かる。

特に脱税やら隠し資産やらと、どこかに賢い抜け道があるなんぞと戯けた事を考えている輩には覿面だ。

本人自身が後ろめたく感じているなら問題になる事もない。

どのみち、金になるならなんでもいいのだ。



「では確かに」

「取引成立だ」



とりあえず何事もなく一件は落着らしい。

それがなによりだ。

もう一度空を見上げる。

もはや夜に沈んだ空を。





**********





つつがなく、と全てそう片付けば良かったのだが。



「兄貴、兄貴!
 あいつら逃げちまいましたよ!?」

「ははっ、やっぱミッドは大した事ねぇな!
 オヤジの言ってた通りだ!」

「馬鹿野郎!
 遠巻きに囲まれかかってんだよ!
 撃て、近付かせるな!!」



検問に引っかかった。

それが全てではない。

知らぬ顔をしていればいいものを、職務質問に少々突っ込まれた程度で若いのが焦った。

焦ってショートデバイスを展開した挙句、衆人環視の中で魔力弾を乱射した。

最悪だ。



とにかく隙見て逃げるしかないぞ、クソ……ッ。



今は車を盾に睨み合いの状態だが、放っておけば続々と応援がやってくる。

もし武装隊でも出張れば車両などは何の用もなすまい。

どいつもこいつも甘く見過ぎだ。



オヤっさんもな。
ニュース見てねぇのかよ。



ここ最近陸士部隊の噂は顕著だ。

中でも何とか言う騎士の兄妹がヤバいという話である。

オーバーSランクなど怪獣も同然だ。

まともに戦おうなどと考える事自体がナンセンスである。

そんな考えが浮かぶ内にも、魔法弾が目の前を掠めていった。

よそに気を回している場合では――――。



「…………ん?」



何だ、この音は。

遠く、遠雷のように響く轟音。

近付いてくる。

しかし、姿はない。

拡散し過ぎている為に方向も分からない。

いや、近付いてきたせいか徐々に分かってきた。



「上……?」



見上げた空から響く、これはエンジンの音だ。

そして遠目ながらもはっきり視認できる、青のレール。

高機動用の仮想路。

そこまで認識した瞬間、男の脳裏にはあるフレーズが浮かんだ。



見ろ、あの夜闇裂くブルーリボン。
聞け、あの高らか響く行軍歌。



騎兵隊キャバルリー……」



彼らは来る。



「ナカジマ兄妹……!!」



呻きが漏れると同時、盾にしていた車両が真っ二つに切り落とされた。

自重に耐えきれずVの字にくずおれる車体。

眼前に降り立つのは黒い衣に黒い長槍を携えた長身の青年。

そして青いライダースーツに四肢を白銀の装甲で武装した長髪の少女。

間違いない。



「投降して下さい」

「危険魔法使用、管理局員襲撃、公務執行妨害その他の罪で全員逮捕する。
 デバイスを捨て、手は頭の上に出せ」



呆気にとられる一同を前に、騎士達は悠然と口上を読み上げた。

なんらの緊張も見てとれない。

本当の修羅場を潜った人間は幾らか見てきたが、そういった人間特有の匂いがあった。



こいつは、手に負えん。



一目で分かる隙のない佇まい。

若造、と言わせぬ眼光の鋭さ。

相対した瞬間に格付けが済んでしまった。

これが一回り以上も年下の人間が発しうる圧力なのか。

動けば、終わる。



……駄目だ、呑まれるな。



手が震えるのを感じつつ、男は手の中のデバイスを握り直す。

その時初めて汗がびっしりと覆っている事に気付いた。



「手前ぇ」



しかし、恐れを攻撃性に変える性質の人間というのもいる。

それは若さというべきか、勇猛というべきか。

どちらにせよ全員をこんな状況に追い込んでくれた糞ったれには違いない。



「舐めんなやぁぁぁぁっ!!」



激情のままに放たれる魔力弾の連打。

距離は10mにもならぬ、必殺の間合い。

が、しかし。




「ーーーーッ!?」



恐慌に駆られたチンピラ程度の動きが通用する相手ではない。

魔力弾の射出に先んじた赤橙の障壁が連弾を弾く。

慮外の暴走に硬直したのはむしろ自分達の方で、舞い降りた騎士達の眉を動かすにすら不足であった。

ただ、攻撃した男へ集中する黄金の瞳が二対あるのみ。



「ーーーー何してるっ!
 撃てっ、撃てっ、撃てぇぇぇぇぇ!!」

「なっ……止めろ!
 撃つな、お前ら絶対に撃つな!!」



視線に晒された男の声音は、もはや悲鳴といって差し支えなかった。

パニックの伝播は早い。

男の制止も虚しく、訳も分からずに攻撃を始める無頼達。



「硬ぇ……!」



それでも障壁は小揺るぎもしない。

遮二無二叩き込まれる魔力弾の尽くを止めてみせた。

それが数秒だろうか。



「投降の意志なし。
 やるぞ、ギンガ」

「はい……!」



遂にナカジマ兄妹が動いた。

動くとなればそれは苛烈の一語だ。

障壁を迂回し、左右に別れた騎士達が戦列を蹂躙する。

弾ける怒号。

途切れる悲鳴。

十はいたはずの手勢がみるまに溶けた。

接近戦の間合いに入られた時点で勝負は見えていたと思うべきか。



「ぷっ、プロテクション!」



大槍の威圧に負けた男達は防御を選択。

しかしゲルトの動きに躊躇はない。

いつもと同じに振るうだけ。

いつも通りに、ただ勝つ。



「そんな!!」

「嘘だろ、シールドごとーーーー!?」



重厚な刃。

たぎる魔力。

刃身一体の戦技。

剣線を阻み得るなし。

草木を刈るがごとく、ゲルトは無頼を薙ぎ倒していった。



「ブリッツショット!」



恐れを振り払わんが為の魔力の乱打。

ろくろく照準も絞らぬ散弾。

しかしギンガの機動に恐れはない。

いつもと同じに駆けるだけ。

いつも通りに、ただ勝つ。



「速い!?」

「クッソ当たれぇぇぇ!!」



唸る拳。

鳴り響く爆音。

人馬一体の戦技。

疾走を阻み得るなし。

巻き藁を打つがごとく、ギンガは無頼を吹き飛ばしていった。



なんの冗談だよ、これは……。



手下が尽く地に沈む。

それをただ男は見ていた。

一歩も動けず、一言も発せずに。

反撃せずにいたからか、男は未だ攻撃対象にされずにいた。

一人、世界から切り離されたように立ち尽くしている。

見ればナカジマ兄妹は最後の集団へ襲い掛かる瞬間であった。

男にもほど近い、膝立にてデバイスを構えた三人組。

しかし僅かに距離がある。

先手は無頼の方にあった。

それは確かに唯一の機と言っても良かったろう。

緩慢に流れる時の中、魔弾の集積光が弾殻を形成する。



まさか。



その期待が頭を過る。

しかしそれもゲルトの姿が消えた、一瞬までのこと。



「どこにッ!?」



横あいから伸びた青いリボンーーウイングロードがゲルトの姿を覆い隠すまで。

正確には、その薄い壁を貫いたゲルトが戸惑う三人を仕留めるまでの事だった。

一瞬標的を見失った程度で混乱する有象無象などカカシ同然。

最後の一人がデバイスをへし折られ、同じく地に沈む。

それが男の心の最後の一片を砕いた。



「…………」



ずるりと滑ったデバイスが手をすり抜ける。

妙に響く音が耳を叩いた。

と、同時に首筋へ気配。



「ーーーーっ」



それが高速で振り抜かれた槍の穂先であることに気が付いたのは視界の隅で静止した刃を確認した時だ。

手勢を打ち倒したナイトホークで間違いはない。

片手一本、バックハンドで振り抜かれたそれは薄皮一枚で静止している。

男にはゲルトがこちらを振り向く所までしか分からなかった。

しかし気付けばそこにある。

自らの素っ首に打ち込まれる筈だった刃。

目前のそれを見てしまえば呻きすら迂闊に漏らす事はできない。



う……く……。



動けない。

目を逸らす事もできない。

ただ黄金の瞳に射抜かれている。

乾く喉。

震える膝。

天敵を前にするとはこういう気分だろうか。

"威"である。

分かりやすい暴力を背景にしたプレッシャーが、男の気勢をことごとくへし折ってのけた。

通りの向こうにいる陸士達にすらそれが分かる。



「出てきて、一分少々……」



盾にしていた装甲車から体を離しつつ、若い陸士が呻いた。

立っている者は他にいない。

局員との間に激しい戦闘があった筈の路地も今はひっそり静まり返っている。



「あれが、騎兵隊キャバルリー

「そうだ。
 あれがナカジマ兄妹」



同じく立ち上がった陸士が頷く。



「“俺達の”ストライカーだ」





**********





「いかがかなものかな、最近の地上は」

「武装隊の出撃件数はここ数年、下降の一途のようですな」

「その一事だけなら私達の苦労も報われたと歓迎するのだが……」



大袈裟に吐かれたため息はそれだけに白々しく見える。

トントン、と苛立ったように指で叩くのは手元に表示された数値群。

特にその一点である。



「応援要請に比した制圧率も低下しているのはどういう事かね」

「はっ。
 それは――――」


無論、近年武装隊が急に弱体化したような事実はない。

精鋭から選抜された彼らは過酷な訓練にも耐え、常にその練度を保っている。

全員分かってはいるのだ。

その理由は単純。



「要請に従いまして部隊が到着した頃には、既に現場が制圧されているからであります」



どこからともなく溜め息が漏れた。



「グランガイツ・ナカジマ准陸尉か……」



彼が全てを持っていく。

頭の痛い問題だ。

各方面の出撃承認が必要な武装隊に比べ、部隊長個人の判断で行動可能な彼ーーーーもとい彼らのフットワークは軽い。

武練の程もそうであるが、飛行適性のある彼はクラナガン中どこでも現れる。

特に俊足を誇る義妹とのコンビを組み始めてからこちら、最近では武装隊に要請を出すより先に108部隊へ連絡がいく。

そんな事例まであると聞く。



「地上部隊の縄張り意識にもほとほと困ったものだ」

「よほど介入されるのが気に入らないとみえる」

「聞けば准尉は元々あのレジアス・ゲイズ中将の部下らしいじゃないか。
 上が上なら下も下ということか」



レジアス中将が武闘派であり、強硬な地上権威主義者であることは有名な話だ。

そして首都防衛隊所属時のゲルト直轄の上司など、調べればすぐに分かる。



「しかし現実問題、どうするかね。
 これは武装隊の存在意義にも関わる問題だ」

「確かに」

「このままの空気が蔓延するのは、よろしくありませんな」



治安維持の観点からも、武装隊の“威”が損なわれるような事態は避けなくてはならない。

ここいらで何かしらの手を打つ必要がある。

効果的で分かりやすく。

そして出来る限り多くの目に触れる形でだ。



「そこで、なのですが」



言葉とともに一つの書類が卓上に添えられた。

作成中の企画書だ。

タイトルは“72年度戦技披露会”。

内外向けに武装隊がその技量を披露するべく設えられた、大舞台である。

全員、その提案の意味は正確に汲み取った。



「これを、使わせては頂けないでしょうか」

「戦技会か……」

「悪くはない。
 しかし、誰を出すつもりだ?」



戦わせるのはいい。

そこで武装隊らしい技前を見せつけ、武装隊のなんたるかを証明する。

単純で明快な図式だ。

だからこそ肝心なのはそこである。

勝つのは当然としても、テレビ映えや一般人受けも考えなくてはならない。

ひたすら距離をとってアウトレンジから射殺すような真似は逆に不満を高める事になろう。

フェアに“見せる”というのも重要なファクターである。

しかしそうなると、



「相手は仮にもオーバーSランク騎士だ。
 生半可な人選では向こうを喜ばせるだけの結果になりかねん」



相手は一対一において定評のある古代ベルカ式。

居並ぶ面々とていずれも激戦を潜り抜けた歴戦の古兵である。

腕前を侮る人間は誰もいなかった。

腐っても武装隊。

実力主義に偽りはない。



「はい。
 ですので、こういう趣向はいかがでしょうか」

「ほう、これは……」



既に用意されていた企画案。

その内容は、



「いいだろう」

「君の思うようにやってみたまえ」





**********





時空管理局士官学校、市街地戦演習場第2グラウンド。

少年が駆ける。

衣装は時空監管理局の正式規格のバリアジャケット。

その年の若さと場所を思えば、今期の訓練生であろうとは想像はつく。



「うおぉぉぉぉっ」



銃撃が掠めた。

胴、腕、頭。

際どいところを突く魔弾を寸ででかわしつつ、射手への接近を敢行する。

軌道は予測しにくいジグザグ軌道。

刃を展開した杖状のデバイスを携え、少年は一陣の風となって演習場を駆ける。



あれだーーーー



目指すのは遮蔽物として用意された屏である。

相手の魔力自体は恐れるほどでもない。

近付きさえすれば、勝てる。

接近戦闘には自信があった。

例え相手が“鋼の騎士の教え子”であろうと同じ事。



いや、だからこそ負けられない。



なぜ彼女なのか。

少年は突撃を敢行しながら、オレンジのツインテールを風に任せた敵手をねめつけた。

総じて魔力に優れる訳でも、特殊な能力があるわけでもない。

ましてや性質から異なるミッドチルダ式の担い手である彼女が、どうしてエースの弟子たりえるのか。

いや、理由は分かっている。

“鋼の騎士”ゲルト・G・ナカジマと眼前の少女。

ティアナ・ランスターとの繋がりは余りに有名だ。



あのニュース……。



逃走中の凶悪犯を捕縛した鋼の騎士の表彰式典。

殉職した武装隊員、ランスター二等空尉の遺族へあてたメッセージ。

あれを見て局員を志したのがこの少年でもあった。

いつか自分も、と。

やっかみといえばそれまでだが、憧れや情熱に身を焦がす若い世代のこと。

入学初日から随分な騒ぎであったことを覚えている。

自らの戦種もゲルトの影響を無視できない。

だからこそ、この模擬戦では自分が倒す。

他の同期生も彼女を狙っているだろうが、譲るつもりはない。



俺が、俺が…………!



勢いのまま遮蔽物へ飛び込み、急制動。

そして跳躍。

一瞬後に自分が通っただろう位置を正確に魔弾が貫くのを確認し、少年はほくそ笑んだ。




「勝った!」



屏を上に飛び越えた少年はティアナを目指す。

刃を大上段に振りかぶり、全体重をかけた必殺の構え。

目に入るのは驚愕に震える瞳か、諦めに閉じられた瞼か。

否。



「やっぱりこっちか」



彼を出迎えたのは悠然と構えられた銃口。

左のデバイスのみが彼のフェイントに乗り、本命はしかとこちらに向けられている。



読まれてた!?



半身でハンティングホラーを構えるティアナに焦りはない。

切れ間なき二連の銃声が少年を貫く。

正確に眉間を捉えた連撃は意識を刈り取るに十二分。

それだけではない。



「そこッ!」



飛び込んできた姿勢のまま崩れ落ちる相手には目もくれず、ティアナは上方へハンティングホラーを向けた。

何も標的の見えない屋上への制圧射撃。

殆どが甲斐もなく空へ消えていくが、その目的は漁夫の利を狙い隠れ潜んでいたシューターの頭を押さえる事にある。

突然の射撃に動揺した敵は屋上深くへ身を隠して息を殺した。

ティアナが自らの位置に気付いている事も理解できたろう。

すぐにその場を離れるほど慎重ならこちらは一息がつけ、そして慌てて反撃してくるような粗忽者ならばーーーー



「いない!?」



弾幕の切れ間を好機と体を乗り出したシューターは、しかし無人の路地を見下ろすだけだった。

ティアナの影も見当たらない。

消えた。



「ホントに頭出すなんて」



死角から伸びた腕が突然視界に飛び込む。

無論の事、デバイスが握られたそれはティアナのもの。

拍子抜けするほど容易く至近距離に相手を収めた彼女は、やはり躊躇わずにトリガーを引いた。

ほぼゼロ距離にての二連射。

虚を突かれて防ぎ得るものではない。

ティアナは相手が倒れるのを確認し、ようやく息を吐いた。



「ふぅ……」



ぶらん、と屋根の縁に捕まったティアナが脱力する。

右のアンカーに体重を預け、彼女は腕一本で建物の壁面に張り付いている。

あえて弾幕にムラを作ったのは相手をこうして誘い出すため。

一時の緊張は解しつつも、ティアナは油断なく路地へと舞い降りた。



「そんな気はしてたけど、やっぱり狙われる……か」



ティアナ自身、自分が目立っている自覚はあった。

規格通りの杖状ストレージデバイス使用者も少なくない中、喧嘩を売るほど高級なワンオフの拳銃型デバイス。

しかも人格AI搭載のインテリジェントモデル。

そして何より局関係者で知らぬ者はない“鋼の騎士”の教え子であるということ。

技量の判断基準の一つとして、魔法技術の指導者などは特に理由のない限り一般の目に触れる形で公開されていた。

といって、実際のところは身元保証人と大差はない。

ゆくゆくは重大な責任と強力な権限を預けられる士官の卵である。

本人の人格や素行などを一々監視していられない以上、そういった後ろ盾の存在が人事や進路に影響することもまた、暗黙の了解ではあった。

ゲルトは何ら気にした様子もなかったが、彼に憧れて入局を志した者も少なくない中、彼女は多大な憧憬と、そしてそれに匹敵するやっかみも買っていたのだ。

そこへ来ての遭遇戦を想定した士官候補生達によるバトルロイヤル。

生徒間の交流も兼ねて、との通例行事だが狙われるのは必然だった。



「それでも」



決意も新たにカートリッジを入れ替える。

自分自身のみならず、ゲルトの名誉までかかるとなれば尚更。

勝つ。

その為に、意識しなくてはならない事がある。



ジャイアントキリング。



己の分は弁えている。

ここにいるのは皆士官候補生。

将来を嘱望されたエリート達である。

中にはあからさまに豊富な魔力量や、レアスキルを誇示する者もいた。

しかし、



私は違う。



超硬度のファームランパートや驚異的な破壊力を誇る振動破砕。

あんなものは自分にはない。

魔力量も同じ。

目を引くと言えば精々が幻術魔法くらいのもの。



でも、だからって負けられない。



あの日、ゲルトらに全てを告げられた日にも思った。

相手が戦う為に生まれた存在だから?

レアスキル保持者だから?

だからなんなのか。

だから自分が敵わないのも仕方ないとでも?



そんなわけない。



“負けていい”理由なんてない。

正式に局員となれば相手なぞ選べようもないのだ。

高ランクの魔導師と戦う事もあるだろう。

数で優る相手に挑む事もあるだろう。

そんな時に、相手が特殊だからというのがなんの言い訳になるというのか。

ましてや凶悪犯罪に立ち向かう執務官を目指すとなればなおさらの事。



だったら、同じ事でしょ。



持てる全ては限界まで引き出す。

相手に全力は発揮させない。

そして勝つ。

ゲルトに身をもって叩き込まれた通り。



「まずは、主導権を取り続ける事」



ティアナは駆け出した。

自ら敵を求めて疾走。

守勢に回れば一揉みに潰される。

それは分かっていた。

だからこそ、こちらから仕掛けに行く。

そうとも。



「私は諦めたりなんて、しない……!」





**********






魔弾が連続する。

一方、のみならず二方。

炸裂する破壊力は標的を捉えず、幾重にも交差する。

ティアナと敵手が一直線に並ぶ柱を挟み、乱打戦。

しかしながら移動しながらの射撃は通常に比べ難度が跳ね上がる。

ことに側面方向への平行移動となればその差は歴然。

肩が跳ね、息は上がり、腕も安定しない。

撃ち合いとなれば相手の弾幕に意識も散らされる。

大したこともない距離に比して全く命中しないのも無理からぬ事。

それでも徐々に修正された弾幕が、互いを射抜くのも間近。

その寸前を狙い、



「ハンティングホラー!!」

『イエス、マスター』



金属音を上げ、マウントレールのアンカーが発射体勢に。

威嚇も兼ねて適当に乱射しながら戦闘の帰趨を描いていたティアナ。

その目算通りに宙を裂いた銛が敵手背後の壁面を抉り、さらに。



ここだーーーー!



引っ張られるように強引に軌道を変えたティアナが動く。

平行移動から突如の垂直機動。

自分を射抜いた筈の弾丸を置き去りに、一気に敵手の死角へ躍り出る。

壁に激突する勢いを壁面を蹴り飛ばす事で耐え、フリーの右手をターゲットの背中へと。

相手は急に視界から消えたティアナに反応できていない。

終わりだ。

直後、遠慮のない連弾が目標を射抜いた。


「よしっ」


相手が路地に沈むのを確認し、ティアナはさらに動く。

新たに敵を求め、戦う。

基本的には攻勢に出る訳だが、局面に合わせて戦闘のパターンも様々。

時には浴びせかけるような連射で前面に意識を集中させたところを誘導弾で不意打ちに。

時には格闘用のショートエッジでバリアをこじ開けた上で正面突破。

時には幻術に釣られた相手を狙い撃ちに。

軒並み戦闘時間は接触から数手の内。



なんとか……やれてる……。



しかし元より潤沢でない魔力量から連戦に続く連戦。

さらに分の悪い勝機に全てを託す、薄氷を踏むような戦い。

今までの訓練とは違う種類の疲労がティアナを消耗させる。



「あと、何人よ……」



何度目の会敵だろう。

カートリッジの負荷もあわせて厳しくなってきたころ、それは起こった。

敵を求めて角を曲がった瞬間、同期の訓練生と出くわした。

相手が待ち伏せていたようには見えなかったが、疲労のせいだろう。

ティアナは先手を相手に譲ってしまった。

相手のデバイスがこちらを向く。



っ、防御……!



咄嗟に張ったシールドは間に合った。

が、見たところ突然の接触に相手は混乱している。

息切れも構わず滅多やたらに撃ち込まれる魔力の弾丸がその証拠。

まさに乱射としか言いようがない。

狙いも甘く、弾殻の精度もまばら。

だが、これはなかなかまずい状況だ。



「こっちは少ない魔力やりくりしてるっていうのに……!」



ティアナの場合総魔力量はもとより出力も平均から大きく超えるという事はない。

体を覆うシールドを長時間維持するだけでも辛いのだ。

根比べはできない。

このままでは圧殺される未来が待つのみ。



やるしかない!



甘い射撃を見切って反撃。

相手が怯んだところを畳み掛ける。

これしかない。

決断は早かった。

撃ちかけられて3秒程、ティアナが動く。



「ああぁぁぁぁっ!!」



身を捻りながらシールドを解除。

射線から逃れつつ左のハンティングホラーで敵手を狙う。

もはや癖となりつつあるダブルバースト。

照準もそこそこの抜き撃ちだったが、その連撃は見事に相手の顔の傍を掠めていった。

威嚇には十分。

よし、と思いつつティアナは立射姿勢へ。

得意な型に嵌めようとしつつーーーー



「ーーーーぅあっ!?」



肩を撃ち抜く衝撃によろめいた。

右肩だ。

さらに続く射撃、射撃、射撃。

ティアナが路上へ倒れるまでに計6発の弾丸がその体に突き刺さった。

無論非殺傷設定ではある。

が、あまりにもな過剰攻撃であった。



どうして……っ。



誰しもが戦闘の才を持つ訳ではない。

パニックに陥った相手に視覚を掠るような威嚇を理解できる訳がない。

分かっていた筈なのに。

もはや声もなく、ティアナの意識は闇に落ちた。





**********





「やっぱり訓練厳しいな〜」

「ホントにね。
私ほらここのとこアザできちゃったし。
基礎トレなんてここに来るまででもう十分やってきたっての」

「早く実戦で役に立ちそうなことやらないかなぁ」



そんな士官学校の夜。

厳しい訓練を終えて体を休めれば愚痴の一つも零れようというもの。

寮の談話室には同じように身を伸ばした少女達が思い思いにやっと訪れた休息を楽しんでいた。

シャワーを浴びたティアナも例外ではない。

乾ききっていない髪を拭いつつ、ラフな格好で入室した。

頭にあるのはここ最近の自身の傾向について。

総じて、ティアナは高いレベルでの成績を維持できている。

基本スペックでこそ劣る為に測定テストなどでは他者の後塵を拝することもままあったが、それも座学や模擬戦などでどうにかカバーの効く範疇であった。

模擬戦の勝利で明らかに不利と思える能力差を覆してきた訳だ。



でも、勝てない時は勝てない。



悩みはそこだ。

教官などからも折に触れて指摘される為に薄々気付き始めてはいた。

ティアナが勝てない時、相手は必ずしも優秀な人間ばかりではなかった。

むしろ評価としては全体からみても下位に属する候補生である事の方が多い位である。

能力が上な相手にほど食らいつき、能力が平凡な相手にほど手こずる。

これでは順序があべこべだ。



どうして……?



油断、慢心している。

真っ先に指摘された事だった。

しかし本当にそうだろうか。

ティアナもティアナなりに考えている。

なぜ勝てなかったのか。

いや、誤魔化すのは止めよう。



どうして負けたのか。



紙パックの野菜ジュースを啜りながら振り返る。

何故か。

しかし簡単にそれが分かれば苦労はしない。



もっと上手くやらないと。



飲み切ったパックを握り潰した。

正攻法では勝てない。

裏をかかなければ。

今よりもずっと巧妙に。

出来るなら分かっていても嵌らざるをえない位に。

ゲルトの得意とする戦法もそれだった。

一見は単純な真っ向正面突破に見えて、実に見事に心理の隙を突いてくる。

だからこそ無手で魔導師を鎮圧するというような無茶までやってしまうのだろう。

精神力を土台とした戦闘技芸。

鋼の騎士のなんたるかを、最も体現するところ。

ティアナの戦闘スタイルも殆どはこれに起因している。

そのために、もっともっと。



「あっ、ランスターさんだ!」

「えっ、ジャストタイミングじゃない!」

「ちょうどいいところに!」



と、一人闘志に燃えるティアナの元。

気付けば彼女を囲むように同期の候補生が集まっていた。

何事か、皆一様に興奮した様子である。



「何?どうしたのよ」

「それはこっちのセリフよ!」

「どうして何も言ってくれなかったの!?」

「はぁ?
 え、ちょっと一体何の事?」



やや気圧されたティアナは眉間に皺を寄せながら身を引いた。

こうして一方的に詰め寄られるような覚えなどない。

しかも全員が全員普通じゃない。



「ほら、あれあれ!」

「ナカジマ准尉から聞いてないの!?」



指指すのはデスクに設置されたウインドウ。

どこかのニュースサイトを漁っていたらしいその一面を占めるのは。



『今年度も開催!戦技披露会!!』



武装隊の通例行事だ。

その年の中でも特に出色とされる人物などが出場し、その才幹を広く世に示す。

見た目が派手な事もあり、世間的にも評判の高いイベントの一つである。

それ自体はいい。

問題なのはその下。

余興となるエキシビションマッチ。

その内容。

そのマッチメイク。



『“エースオブエース”高町なのは二等空尉』



押しも押されぬ本局武装隊、航空戦技教導隊のエースストライカー。

オーバーSランクの砲撃戦魔導師。

その若さと才能から将来を嘱望された今一番の注目株であり……。



確か、スバルの憧れの人。



聞いたことがある。

彼女が魔導師を目指した理由そのものの人物。

そして、もう一人。

エキシビジョンゆえの特別枠。

武装隊外からの特例参加。

ティアナもよく知る人物だ。



『“鋼の騎士”ゲルト・G・ナカジマ准陸尉』



あの幼き日、入院時の邂逅より実に五年。

同じ年齢。

同じオーバーSランク。

本局と地上。

空尉と陸尉。

片や教導隊仕込み、最新のミッドチルダ式。

片や自治区出身者直伝、真正古流のベルカ式。

両雄、激突。









(あとがき)


お待たせしました!!

ようやくと最新話投稿完了です。

本当はこの一話で戦技披露会までやりきるつもりだったんですが、思いの外ティアナの部分が長くなったので切り分けに……。

しっかし次回こそは遂になのは対ゲルトとなります。

趣味全開ぶちかます予定ですのでご期待ください。

それではまたよろしくお願い致します。

Neonでした!!





[8635] 白き天使の羽根が舞う 前編
Name: Neon◆139e4b06 ID:5d276556
Date: 2014/03/31 21:21
風が鳴く。


遮蔽物もないこの環境では潮風ですら目を覆う程に強い。


ミッドチルダを遠く離れた沖合の上空である。


規格外魔導士の決戦場として大会運営部に選ばれたのがここだった。


見渡す限りに建造物はなく、当然ながら人の影もありえない。


終わりのない空と果てのない海とが天地にあるだけ。


表向きには局員が建造物を破壊する、というような市民に無用な不安を与える事態に配慮した結果との事。


しかし遮蔽物もなく、地に足も着かないこの環境がミッドチルダ式とベルカ式、どちらに有利なのかは言うまでもない。




『ナカジマ准尉、間もなく指定地点です。

 ……ご用意を』


「了解」




念話による操縦士の声に応じて席を立つ。


歩みの先は空へと続くハッチだ。


脚甲の底が金属の床を叩く。


肌を打つ強風に目を細めつつ、ヘリの縁に足を掛けたゲルトは気負いなく息を吸った。


焦りはない。


なすべきをなすのだという意思がある。




『降下まであと1分』




ハッチから吹き込む空気の冷たさ。


顔を叩く風の圧力。


懐かしい。


空挺降下は首都防衛隊期以来か。


あの頃からは何もかも随分変わった。


周囲も、そして自分自身も。




『兄さん』




新たな念話チャンネル。


相手を間違えようはない。




『頑張って。

 見てますから』




返事も待たずに義妹は念話を切った。


変わらないものもある、らしい。


妹分の増えた事でもある。




あいつらも見てる、か。




兄貴分として、格好の悪い所は見せられない。


そうとも。


この体を支えてきたのは、いつだって。




「準備はいいな、ナイトホーク」


『イエス。

 いつなりと、どこなりとも』




瞳を伏せながらも頷いたゲルトは青い世界へ踏み出す。


命綱やパラシュートなどもちろん無ければ、海上にピックアップの手段もない。


道理に従って指定高度までの自由落下。


気負いもなく体を重力に委ねながら、しかしある地点からその速度も目に見えて緩やかに。


そして、止まった。


  


「……待たせたな」




コートを煽る風の強さを感じながらもゲルトは笑った。


送る先は青い世界の中にぽつんと浮んだ白い影。




「ううん。

 私も今来たところだから」




愛嬌のある面立ちには彼と同じく笑みが浮かんでいる。


黒と白。


男と女。


騎士と魔導師。


全てにおいて相反する二人の出会いは実に五年前。


あの絶望の中、あの苦痛の中、あの病院の、あの庭で。




「お前には、感謝してる」




自分は立ち上がった。


闇の中にぽつんと開かれた光が彼女だった。


その光は一度ならず、二度までも彼の絶望を払ってみせた。


自分だけでは間に合わなかったあの空港ですらそうだった。




「だから……」




そう、彼女は天使だった。


彼にとってはきっと運命の担い手だったのだ。


だからこそ、




「本気でいくぜ?」




最大の恩義に最大の礼で返す。


返答は必要ない。


そうするのだから。


しかし彼女ならば、




「……うん」




彼が愛槍を構えると同時、彼女もまた得物を掲げた。




「私もだよ」




一片の迷いもない瞳がこちらを貫いている。


それでこそ、だ。


駆け巡るように体を走った痺れが合図。




「“鋼の騎士”ゲルト・グランガイツ・ナカジマ。

お相手仕る」


「高町なのはです。

 よろしくお願いします」






**********






時はそれより数日遡る。




「んで、やっぱ出るのかよ?

戦技披露会」




陸士108部隊、隊長室。


問いかけるゲンヤの声音にはやや非難めいた色も感じられる。


が、返す側は至って平静。




「はい。

もう返事も送っています」


「相手は、あれだろ?

高町の嬢ちゃんなんだろ?」


「そうらしいですね」


「らしいですね、ってなぁ…」



ゲンヤでも航空戦技教導隊のエースオブエースの勇名は聞き及んでいる。


うちの息子も大概ではあるが、あっちは本物のエリートだ。


踏んだ場数も修羅場の質もここ陸士部隊とは雲泥の差であるのは間違いない。


さらに言うなら、彼女はゲルト本人の友人であるばかりかスバルの恩人でもある。


このイベントが局内の下らない縄張り争いやお偉方の面子に端を発しているのは明白。


勝っても負けてもしこりが残りそうなものだが。




気にしないだろうな、こいつなら。




内心で嘆息しながらも自らの想像を肯定する。




「まぁ、お前が構わねぇならいいんだが……多分こっちに相当不利な条件になるぞ。

だいぶあちらさんのメンツを潰してきたからな」




ゲンヤとしてはいい迷惑だ、と付け加えておく。


そもそもゲンヤは息子達の異常なまでの出撃頻度に頭を悩ませている側だ。


確かにそれで被害も少なく収まるわけだが、ゲルト達の負担は大きくなる一方である。


特にギンガに至ってはゲルトに比してまだまだ青い所も目立つ。


ゲルトと一括りの扱いをされていてはいずれその期待に押し潰されるのではあるまいか。


その辺りも気になる上、今回の武装隊の目的はゲルトに一敗地につかせることにあるのだ。




「出る杭は打たれる、ってな」


「杭の方から引っ込んでやる道理もないでしょう」




嬉しそうに笑うな。


どうにもこのバカ息子は困難な状況を楽しむようなところがある。


それも、実戦で負う苦労を訓練で済ませられるならそうすべきであるから、との事だ。


その思想自体は至極もっともである。


切り分けも見事なほど徹底していた。


実際この騎士は伏撃闇討ちに抵抗はないようであるし、それを特に気にした様子もない。


実戦においては徹底してリスクを省きたいからこそ、それ以外の場面で自分を危険に慣らしておきたいのだろう。




考えてみりゃ、コイツが本気で戦える場所も相手もそうはないんだしな。




地上部隊においては突出し過ぎているのだ。


ギンガでも、いやさ部隊総出で掛かろうとも“本気”のゲルトが心底梃子摺るとは思えない。


それを思えば今回は格好の機会といえなくもないか。


わざわざ舞台まで整えてゲルトに見合った練習相手を用意してくれるというのだから。


それに、




負けたら負けたで緊急出撃が減るかもしれないしな。




で、あれば。




「まぁ、精々楽しんでこい」


「ええ、勝ちに行ってきます」




それを譲るつもりはない。


誰が相手だろうとも。







**********






「なのは、まだ起きてるの?」




一声を掛けたフェイトは部屋の照明を入れた。


やや呆れたような声が出るのも仕方ない。


無心にディスプレイを見つめるなのはの姿がそこにはあった。




「うーん、もう少し」


「もう。

 一時間前にもそう言ってたよ?」




横から覗き込んだフェイトが前髪をかき上げる。


シャワーでも浴びてきたのだろう。


艶を持つ金髪が微かに上気している。




「どう?

 ゲルトの事、何か分かった?」


「うん……まぁ、少しね」




端末に繰り返し流れているのはゲルトの戦闘の様子だ。


ゲルトの勇名のもとになった教会騎士団との連続戦闘。


連戦となるシグナム戦。


幾度か放映された現場における騎兵隊キャバルリーのコンビネーション。


なのははある一点を捉え、巻き戻して指し示した。




「ここ、分かる?」


「うーん、と……?」




それは、魔導士の集団に飛び込んだゲルトの映像だった。


ギンガや他の隊員へ目が行かぬよう、囮になる為の行動だったのだろう。


四方から飛び交う魔力弾をものともせず、彼は圧倒していった。


前面の攻撃を障壁で防ぎつつ右の敵手を突き倒す。


首の傾きだけで頭部への直撃弾をかわす。


かと思えば半身を逸らして後ろへ回り込んだ男を蹴り飛ばしていた。




「あっ」




フェイトも何かに気付いた。


今のシーン、繰り返し。




「これ……」


「うん、見えてない」




明らかに死角から迫った相手に対して反応している。


それも一人倒したのとほぼ同時のタイミングでだ。


デバイスを引く動きが、既に蹴撃の予備動作になっている。


反応の早さもさることながら、目を引くのはその体術の完成度である。




「多分、体が勝手に動いてるんじゃないかな。

 私もたまにあるけど、フェイトちゃんもそういう事ない?」


「うん、覚えはあるよ」


「ここと、それにここもそう。

こんな無理に動いてるのに、まるでそういう型があるみたいにきれいに繋がってる」


「けっこう感覚で動く方なのかな」




近接型にはそういう人間が多い。


瞬間の事態に対応するのに、どうしても感性は必要だからだ。


フェイト自身、そういった部分は自覚していた。




「どうだろう。

 でも後の動きでリカバリーできるならそれ自体は突破口にならないかな」


「結局無傷で制圧しちゃったね」




映像には死屍累々転がる様が映し出されている。


誰もが叩きのめされ、呻きを漏らして倒れている。


その中心に立つのがゲルトだ。


身の丈以上の槍を携え、既に落ち着いた呼吸を保っているように見える。


彼の底を測るには参考になりそうもない。

 



「シールド強度もすごいみたいだね」


「そこも気になる所かな。

 レアスキル認定されるほどだから、かなりのものだとは思うんだけど……」




見る限り、まだ“これ”は攻略できる。


やりようはあるだろう。


しかし、




これだけじゃあないはず……。




瞬きも忘れたなのはの目はゲルトの姿を映し出す。


それは彼の魔法を、彼の体技を、彼の呼吸を捉えんが為。


夜は更けていく。






**********






そうして時は今へ帰る。




『さーて始まりました。

 折々の魔導師達が特級の腕前を見せつけます、戦技披露会!』




モニター越しに陽気な声が響き渡る。


民家のテレビから。


街角の大型ビジョンから。




『司会は私ミラン・ミルドリア、解説は元教導隊のグリッド・ゴールドマンでお送り致します。

 ゴールドマンさんよろしくお願い致します』


『ゴールドマンです。

 こちらこそよろしくお願い致します』




画面に映ったセットは大会本部のもの。


鮮やかなクロスの敷かれた卓上にマイクが二つ。




ついに、始まったわね。




映像一つきりに視線を集中させたティアナは心中でのみ呟いた。


通常のメニューを変更し、この時間の候補生達のカリキュラムはメディアルームでの戦技披露会の観戦となっている。


いずれあの場に参加できるよう今のうちから見ておけという事だ。


どうせ今日一日は試合が気になって訓練に身が入る訳もなく、これは素直にありがたい。




『彼らの訓練は私達の今この時間を守る為。

 今日はその成果を存分に発揮して頂きましょう!』




そうして映像は中継へと切り替わる。


数十にも及ぶ監視型スフィアによるミッドチルダ沖合いの様子だ。


そこにあるのはただ二つ。


何てことのないように空中へ浮んだ相似の影。




『そしてまずは彼らを紹介せねばなりません!』




対峙する男女こそ、この舞台の主役。


まずアップで映ったのは杖型デバイスを携えた女性の姿。


白い衣に身を包んだ文句なしの美少女であるが、彼女こそ腕利きの集う武装隊における精鋭中の精鋭である。




『皆様お待ちかねでしょう。

 本日の一戦目を飾ります、本局武装隊は航空戦技教導隊所属!

 “エースオブエース”こと、高町なのは一等空尉!!』




わぁ、と会場内のボルテージも否応なく高まる。


バストアップと共に並んだ彼女の恐るべきプロフィールもそれを助長した。


魔法文化自体が存在しない管理外世界の出身でありながら、僅か8歳で大規模次元犯罪の解決に尽力。


その後も外部協力者として複数の事件に関わり、入局後も目覚ましい活躍を続ける。


現在はエースを指導する戦技教導隊に籍を置く、掛け値なしの大魔導師。


対して、




『そして今回、このエキシビションマッチの為に武装隊外からの特別参加!

地上陸士108部隊所属、“鋼の騎士”ゲルト・G・ナカジマ准尉!!』




黒槍を携えた長身の男。


精悍な顔付きは既に青年と呼んでさしつかえないだろう。


あえて陸士部隊に身を置き続ける事で名の知れた地上のエース。


希少な真正古流のベルカ式魔法を用いる騎士であり、近年結成した義理の妹とのタッグは“ 騎兵隊キャバルリー ”の異名を取るほどの活躍を見せている。




「ゲルトさん……」




紛うことなき恩師の姿。


勝って、と声を上げるのも気が引ける。


しかし注目という点では今更どうしようもない。


時折同期生から寄せられる意味有りげな視線は、ティアナの素性を誰も彼もが知るが故である。




やめてよね、私の柄じゃないんだから。




こんな時はスバルの脳天気さが羨ましい。


あの子にとっては義兄と恩人の一騎打ちである。




「アンタはどっちを応援するつもり?」




そう尋ねた時、スバルは最初悩む素振りを見せた。


首を捻って、頭を抱えて、呻きを上げて。


しかし今にして思えばあの子は答えを考えていたのではない。


答え自体は至極シンプル。




「……どっちも!」




満面に喜悦を湛えた笑みは爽やかだった。


ティアナが頭痛のするほど呆れ返ったのは言うまでもない。


万が一という事もある。


ゲルトが負けたらどうするのか。




『空、陸を代表する魔導師の共演!

 どちらともに若く、それでいて評価された魔導師としての階級は驚愕のSSランク!!』




愚直な訓練だけで到達できる域ではない。


全魔導師総数の内で実戦レベルに達する者、さらに少数のエースと呼ばれる者、さらに針の目ほどのストライカーと呼ばれる者。


一騎当千とはまさに彼らの事を言う。


そんな二人が激突するのだ。




『過去例がないほど豪華な組み合わせとなっております今回の戦い、ゴールドマンさんはどう見られますか?

 局内の熱もかなり高まっていると聞きますが……』


『もちろん、かくいう私も今日を楽しみに待っていた一人です。

 オーバーSランク魔導師同士の戦いなんていうのはそうそう見れるものじゃありませんからね。

 後に続く本戦出場者には申し訳ないですが、ここが今日一番の見所になるのは間違いないでしょう』




司会や解説の声にも力がこもる。


撮影設備も万全だ。


持ち込まれた撮影用サーチャーの数は数十機に及ぶ。


一片も見逃すまいとの執念が感じられる構成だった。




『ちなみに今回の勝負のルールについてなのですが、制限時間は10分。

 お二人の魔力なども考慮に入れ、ダメージポイント制が導入されています』




過剰攻撃による職務への影響に配慮した特設ルールである。


持ち点は4000ポイント。


受けた攻撃に応じてダメージ計算がなされ、先にポイントを失った方の負けとなる。




『特に今回の勝負でポイントになるのは二人の魔法形式の違いだと思いますね』


『射撃系中心のミッドチルダ式と、接近戦主体のベルカ式、ですか』


『そうです。

 恐らく試合の最初の段階はいかにナカジマ准尉が高町一尉を間合いに捉えるか、が鍵になるでしょう』




戦開始位置は高度50m、距離200m。


到底一息で踏込める間合いではない。


つまり先手はほぼ確実になのはが取ることになる訳だ。




『なるほど。

 しかし海という舞台の性質上、ナカジマ准尉には飛行技能の優劣が大きく試合内容へ関わってくるかと思いますが……』


『ええ、そうなります。

 しかし……その点の心配はいらないでしょう』




見て下さい、と解説は合図を待つゲルトを指した。


画面上の彼は微動だにせずその場で静止している。




『不規則な風の吹く海の上で実に見事なホバリングです。

 意外に思われるかもしれませんが、浮遊というのは飛行と比べても難易度が一段上とすら言われています。

 それだけ、彼が飛行制御に長けている証だと言えましょう』




極論、重力に優る推進力さえ得られれば空は飛べるのだ。


ベクトルとしては一方向に集中すればいいわけで、それ自体は適正さえあればさほど難しくはない。


しかしこれがその場で浮遊するとなると話は随分変わってくる。


落ちもしないし浮きもしない、ということは重力と拮抗した出力を常に維持し続ける安定性が必要だという事。


そういう微細なコントロールが出来ているなら空中機動の幅も無限に広がるのは言わずもがな。


だからこそ航空隊の訓練の中でも重要視される技能の一つに指定されている。




『まして彼は一対一に定評のあるベルカ式です。

 面白い勝負が見られそうですね』




さて、どうだろうか。


実際に不利なのは事実であった。


それでもゲルトに負けるつもりなど毛頭ないだろう。




『期待の一戦に解説席もヒートアップしております。

 さぁ、刻々と時間も迫って参りました!』 




マイクを握る司会自身が最も興奮しているのだろう。


定刻まで、あと僅か。


決戦が始まる。




『空の高町一尉か』




空戦の専門家。


幾つもの修羅場を踏み越えたミッドの魔導士。




『陸のナカジマ准尉か』




陸戦のエキスパート。


遥けき古来よりの戦法を継承するベルカの騎士。




『試合……』




誰もが息を飲んだ。


解説も。


会場の観客も。


テレビの前のティアナにスバル。


隊長室で見つめるゲンヤも、リビングで洗濯物を畳んでいたクイントも。


フェイトにはやて、カリム、シグナムにそして……。





「…………」




会場の貴賓席には当然在るべき人間がいた。


本局武装隊の威を見せつけ“られる”べく招待された重要人物。


地上本部総司令にして防衛長官。


レジアス・ゲイズ。




『始めッッ!!』




合図と同時に二人が動く。


数多の瞳を釘付けに、戦いの火蓋は切って落とされた。







**********






初手の動きはそれぞれに分かれた。


ゲルトは突進。


なのはは動かず、迫るゲルトへ照準を絞る、が。




「やっぱり速い」




陸士部隊だから飛行には慣れていない?


馬鹿な。


ゲルトの飛行は引き絞った弓矢のように速い。


僅かな溜めから一息に加速を行う。


飛行に苦労する様子は微塵も感じられない。


分かってはいたけれど、そんなに甘くはないか。




……撃つ。




レイジングハートの先端に集中する魔力光。


桜色のそれは連射の形でゲルトへ放たれた。


速いとはいえ、こちらへ直進する相手を見失う訳がない。


それに、




フェイトちゃんより速いって訳じゃない。




その事実が彼女に落ち着きを与えた。


そうすれば見えてくるものもある。


怒涛といえる魔力弾の烈波を易々とかい潜るゲルトの姿だ。


それを一言で表せば、




「巧い……!」




全体の動きは最小限。


身の捻りと僅かな軌道修正のみで突破する。


それは友人の雷光のごとき機動とは方向性において全く違う。


言い表すなら飄々と風に乗る木の葉の揺らめき。


だからこそ最短距離、最短時間で距離を詰めることができる。


お手本のように鮮やかな空戦機動である。


だからこそ、




突破される。




なのはは直感した。


のんびり構えていられるような猶予はないと。


だからこそ、早々に札を切った。


カートリッジを連続ロード。




「シューートッ!!」




光輝く十連弾。


尾を引く桜色の光芒が空を貫く。


迫るゲルトへ殺到する魔弾の群れ。


展開速度、同時展開数。


この時点で既に並の魔導師が一生かかっても到達できない位置にある。


さらにゲルトは気付いた。


こちらへ向かう全ての弾道が直線軌道にない。


細かに修正してこちらへ向かってくる。


まさか、とは思いつつ確信する。




全弾、誘導か……!




ゲルトは素直に感嘆を評した。


ここまでの数を同時並列で展開しつつ、その動作についてすらマニュアル操作を行っているのだ。


それでいて魔力弾は一糸乱れぬ正確な軌道でこちらを追ってくる。


恐ろしいまでの空間把握能力。


信じられぬまでの魔法制御技術。




だが、足は止まったな。




薄く目を閉じたなのはは魔法の制御に全神経を集中しているようだ。


大きく右へ迂回。


十の魔弾を全て後ろへ流す。


なのはを中心に大回りしつつ、上下の機動で揺さぶりをかける。


接近を諦めはしない。


無論カートリッジを利用した加速の中だ。


慣性の反発も馬鹿にはならない。


左半身に縄でもかけられたがごとき抵抗。




振り切るのは無理か。




それでもこちらの飛行速度と弾丸の飛翔速度とでは僅かに向こうへ軍配が上る。


制御に狂いも見受けられない。


逃げの一手ではじき追い付かれるだろう。


あと二秒か、三秒か。




それでいい。




気配にて魔弾を至近と捉え、ゲルトは反撃へと思考を切り替えた。


誘導弾に追われるこの状況は最も恐れたパターンの一つ。


当然、対策も立ててある。


ゲルトの唇が小さく動いた。




「IS、発動」




口ずさむのはあの言葉。


ゲルトが真に頼む奥の手の一つ。


発生は後方至近。


足が通り抜けるのを皮切りに、空間を断ち切る赤橙の障壁が顕現する。


直径にして五メートルを超える大型シールドだ。




「おお……!」




その唸りは観戦する全ての人間の間を駆け抜けた。


突然目の前に現れた障壁に十の魔弾全てが激突する。


止めようのないタイミング。


その一瞬でゲルトは既に突撃の姿勢に入っていた。


視界に映るのは目を伏せたなのはの姿のみ。


客席のどよめきは止まらない。




「ーーーー!」




それは風の音だったのか。


それとも魔力の気配であったのか。


電撃のように走った危険信号は緊急を要していた。


それこそ状況の判断すら許さぬほど。


別に構わない。


分からずとも彼の肉体は駆動する。


突撃を中断してでも動いたナイトホークが閃く。


背後の空間を一薙ぎ。


物体を切断する確かな手応えがある。


斬る感触から確信した。




さっきの誘導弾か!?




背後から襲いかかる魔弾の内、より危険な三発を割断できた。


振り抜きの捻りで更に二発を回避。


元より直撃コースにない牽制弾が三発。




「ぐっ……!」




そして、二発がゲルトの体に食い込んだ。


手甲に包まれた腕と腿。


計十発。


なのはが新たな魔法を使った様子はない。


先程ファームランパートに衝突し、霧散した筈の誘導弾で間違いない。


ゲルトの持ち点が300ポイントダウン。


つまりはバリアに衝突してなお壊れもせず向かってきたという事。




ふざけた硬さだ。




恐るべき弾殻強度に悪態吐きながらも姿勢は既に整っている。


ダメージは最小限。


動作にも問題はない。


が、それで脅威がなくなった訳でなく。


素通りした誘導弾が再度方向転換するのが見えた。




「息つく間もなしか」




反転した誘導弾が襲い掛かる。


三発。


一息に切り払われぬよう左右に広がって迫る。


が、




「その程度はっ」




動揺を感じさせぬ片手の握りで一閃。


剣線で結ばれた二発がほつれて消え、残りの一発は、




『な、なんと……!』




司会も解説も言葉を飲んだ。


テレビの前の誰しももそう。


ナイトホークを逃れた最後の一発。


それは、




『な、ナカジマ准尉がキャッチ……』




ゲルトの空いた左手に。


何でもないよう無造作に突き出された左手の中に。


荒れ狂う弾丸が常識外の握力に押し込まれ、ついにその限界を迎える。




「そら」




一息に握り潰した。


障壁へ激突しても壊れなかった弾丸が、いとも容易く。




『ダメージ判定もありません。

 これは一体……』


『恐らくは手の平に魔力を固め、防御しながら押し潰したのでしょうが……』




破裂時に撒き散らされる威力すら全て封殺してのけた。


魔力の凝固を得意とするベルカ式ならでは、ということだろうか。




『と、とにもかくにもまず高町一尉が先制しました』


『自慢のバリアが通じない。

 ナカジマ准尉としては辛いところですね』




ナイトホークを構え、なのはへ再び向き直った。


彼女も彼女で様子を窺うようにレイジングハートを腰だめに構えている。


不思議な間があった。


互いに期を待って二呼吸。




「流石に、やるな」




誘導弾はファームランパートにとって最大の鬼門。


平面防御力場は全方位からの脅威に対して無敵足りえない。


回り込まれる事などは始めから警戒していた。


それを承知で罠に嵌めた筈が、さらにその一枚上をいかれた訳だ。


この自分と同格。


あるいは格上の相手。




「こうでなくちゃあな」




いい。


苦境を打開せんと思考がどこまでも高速化していく。


この緊張感がさらに自分を研ぎ上げるだろう。


こうでなくてはならない。




「そうでこそ、全力で戦える」




ゲルトの意を汲み、ナイトホークがさらに一発カートリッジをロード。


しかし今度はブーストが目的ではない。


ゲルトが正真の自分自身で戦う為に。




「いけるな、ナイトホーク」


『パラディン正常動作中。

 存分に』




心得たと相棒は答えた。


ならばよし。


一拍も置かず、魔力を燻らす薬莢が弾け飛んだ。


生じた紫煙も海風に吹かれ、消える。


委細、問題ない。




「フル、ドライブ」











(あとがき)



前編投稿完了!


後編についても7割方完成はしているので、さほども時間はかからないかなと思います。


イメージ自体は随分前からあったんですが、文字に起こすのはやっぱり難しいですねー。


しかしながら対なのは戦も大詰め。


次回お楽しみに!!






[8635] 白き天使の羽根が舞う 後編
Name: Neon◆139e4b06 ID:5d276556
Date: 2014/10/07 17:59
なのはは確かに空気が破裂する音を聞いた。

硝煙が吹き散る間こそあれ、それを突き破ってゲルトが飛び出した。

カートリッジによる瞬間加速よりさらに上。



「っ!」



まずい。

向かい来るゲルトへとっさにも三連射。 

だが、



「当たらないっ!」



弾道を読んでいたかのようにゲルトはかわす。

その程度の間でゲルトはなのはを間合に捉えていた。

視界一杯に映るのは槍を振りかぶったゲルトの威容。

既に死線。

完全な回避は厳しい。




『Protection』



レイジングハートを突き出し、選んだのは防御の型だ。

ナイトホークが振り下ろされるのと、障壁がなのはを覆うのは同時。

しかし相手の構えを読み取り、魔力を感じ、なのはが抱いた直観はシンプル。



――――受けきれない!?



事実左上方から入った刃はあっさりとなのはの障壁に食い込んだ。

抜かれる。

直感を信じたなのはは身を捻るが、それでも避けきれない。

刃が迫る。



『Barrier Burst』



爆発。

衝撃。

閃光が視界を埋めた。





**********




『おおーっと、突然の爆発!!
 ナカジマ准尉が高町一尉を追い詰めたかという瞬間、突然の爆発っ!!』

『私の目には高町一尉が自らバリアを爆発させたように見えましたが……』




桜色の爆発は二人が接触した中心で発生した。

障壁に過剰魔力を流し込んで行う近接戦闘の裏技だ。



『二人の距離が離れます!!』



爆風が無理矢理に間合いをこじ開けた。

衝撃を予期していたなのははともかく、ゲルトはまともにその直撃を受けている。

なのはのポイントが100ポイント、ゲルトが200ポイントダウン。

なのは、3900点。

ゲルト、3500点。

距離は再びナイトホークの射程外へーーーー



行かせるか。



『いっ、いえ攻める!
 ナカジマ准尉の猛攻です!!』



不意を打たれながら、彼の動きに淀みはない。

下がるなのはと追うゲルト。

同様の爆発は連続して起きた。

やや後方で一発。

左に流れて一発。

高度を落として一発。



『な、何が起きてるのでしょう!
 こちらからは爆発しか確認できません!!』



サーチャーの切り替えが追いつかない。

映像で確認できるのは爆発のみ。

ズームでは無理だと判じた撮影班がサーチャーを広角へ切り替え、ようやく動きが分かってくる。



『高町一尉による自爆で双方ともにダメージが蓄積している模様。
 今の時点で高町一尉が持ち点3600ポイント、ナカジマ准尉が3200ポイントです!』

『ここに来て一転ナカジマ准尉の攻勢は恐ろしいものがありますが、高町一尉の粘りも素晴らしいですよ』



騎士必殺の間合いに位置してなお、彼女は今まで凌ぎ切っている。

見れば防御はほとんどその用を成してはいないのではないか。

障壁が破られるまでの一瞬を見切って爆発。

その反発を利用して身の直前まで迫った刃から寸でで逃れている。

並大抵の度胸でできる事ではない。

なにせ渾身のバリアすら容易く斬り裂くほどの攻撃だ。

まともに喰らえば一撃死もおおいにありうる。

いや、そうなるに違いない.



『しかしナカジマ准尉はどうしたことでしょう。
 最初は様子見をしていたということでしょうか』

『いえ、サーチャーからの情報によると反撃の直前からナカジマ准尉の魔力が急増しています。
 これは恐らく……』

『恐らく?』



見るものが見れば分かる。



「フルドライブだ……」



猛追に晒されながらも、なのはは正確に状況を掴んでいた。

ゲルトは今魔導師が無意識にかけているリミッターを意図的に解除している。

それゆえのこの異常な出力か。

滾るほどの魔力は刃に、飛行に、さらに体へも割り振られている。



引き離せない……っ!



今またゲルトは連弾をかわした。

バリア自爆の閃光に紛れた攻撃であるが、さらに射撃の隙をついて飛び込んでくる。

明らかに一定のラインを意識した動きだ。

一拍で踏め込める間合い。

再度の爆発。

ナイトホークがバリアに食い込む一瞬を狙って引き剥がす。



『離れればまたあの誘導弾が来ます。
 ナカジマ准尉は例え無理をしてもああして接近するより他ありません』

『まさに接戦。
 互いに防御がほとんど意味をなさない殴り合いです!』

『それでいてそれぞれ一撃で相手を落とせるだけの地力はあります。
 一瞬も目を離せませんよ、これは』



諦めない.

むしろゲルトの動きはさらに精度を増していた。

その証拠に追撃の間隔が徐々に狭まってきている。

こちらの射撃への回避距離も縮まっていた。

見切られているのだ。

撃てば撃つほど癖が見抜かれていく。



「同じ技が何度も通じるか」



声ならぬ声。

刻一刻と追い詰められているのが分かる。

なのはは焦燥が肌を焼くのを実感として認識した。

短期決戦にかけるべきは自分の方か。

早く勝負に出たくなるこの衝動。

ゲルトの放つ重圧の厳しさに、激しさに、遂に。



しまった!



『再びの爆発!』

『いや、早い!
 あれでは!』



爆発が浅い。

ゲルトを抑えるにこれでは不足。

そのミスを逃す彼ではない。

攻撃が来るぞ。



なに……?



視界が開けたゲルトは直進しながら回転。

決戦の最中、敵手へ背を向ける愚行。

しかしその一瞬だけなのははナイトホークを見失った。

僅かな時間だ。

しかし次の瞬間、なのはの眼前には石突きが迫っていた。



「嘘っーーーー!?」



コマ落としのように背中越しへ脇から放たれた一突き。

線でなく点の動きが幻惑した。

驚く暇すらない。

咄嗟に頭を反らす、その至近。

前髪を散らす文字通りの紙一重で黒槍をやり過ごす。



「これも凌ぐか」



弾んだ調子の声に続いて次撃が来る。

腰を捻ればそのまま横薙ぎの一閃へ連結。

コンパクトな振り抜きはナイトホークそのものの長大さを思えばありえぬ程に素早い。

咄嗟に動いてくれた体が一杯まで沈んでこれもかわすが、なのはを以てしても反応できたのはそこまで。



「うあっ!?」



右肩を襲ったのはゲルトの踵だった。

ゲルトは一呼吸とて置くつもりはない。

振り抜きの回転はさらに蹴撃の予備動作に化け、連撃へ昇華した。

それも、こちらがかわすのを確認して“から”繋いでいる。

それでいてバリアジャケットが無ければ骨の一本や二本は砕けていたに違いないと確信させるこの威力。

思い切り振り下ろされたハンマーと何ら変わりない。

勢いのまま弾き飛ばされながらもなのはは歯を食い縛って声を噛み殺す。

考えるのは一つだ。



距離が、開く!!



それが今最も肝心な事。

この間合いではゲルトの独壇場だ。

引き離せ、もっと。

蹴り抜かれた肩を庇いながら退くなのはは、そこで悠然とナイトホークを担ぐゲルトの姿を見た。

足を止め、大きく開脚。

明らかに大技の予備動作だ。



「かっ!!」



それは呼気だったのだろう。

ここはもうゲルトの間合いの外。

しかし肌を焼くような危険信号はむしろその激しさを増しーーーー



「ッ!?」



斬られた。

そう認識したのは結果が先。

咄嗟に用意したバリアすら見事に斬り裂かれ、なのはは胴を水平に薙がれていた。



「あ、えっ……!?」



慮外の攻撃に動揺しながらも状況確認は怠らない。

ゲルトの右手に握られたナイトホーク。

通常両手で保持されるそれは今右腕一本で握られている。

握りは順手、掴みは奇妙なほど柄の端。

それで間合いを伸ばしたか。



でも、これは……。



どこかで見た何かが脳裏を過る。

重さよりも間合い重視。

この鋭さ。

鞭を思わせるしなり。

ベルカ。

騎士。

……シグナム。

ストンと得心がいった。



「シュランゲ、フォルム……!」

「猿真似だが、なあッ!」



返す刃はなんとかかわせた。

流石に切り返しは遅れるようだ。

が、その間合いは驚異に違いない。

よく一緒に訓練していたとは聞く。

その際に学び取ったのか。

デバイスではなく、己自身を適応させて。

自身を刃と一体とする。

いかにも彼らしい。



でも、



『高町一尉のポイントが一気に1800ポイントダウン!
 しかし一尉は健在です!!』



今度は私の番っ!!



曲がりなりにも防御していたのが良かったのだろう。

ならばと魔法をセレクト。

不意の一撃を受け、ゲルトの追撃は目前に迫っていたが、なのははむしろ落ち着いた気持ちでそれを見つめている。 

金の瞳が開かれ、とどめとばかりに黒塗りのナイトホークが動く。

今だ。



『Flash Move』



瞬間移動のように消えたなのは。

完璧なタイミングだったろう。

さしものゲルトとて攻撃に入った段では隙ができる。

黒き刃は空を切り、なのははどこへ?



後ろかーーーー!?



静止状態から急加速。

一瞬でゲルトの背後をとった彼女は砲撃体勢へ移行する。

それが見えずともゲルトには耳へ届く排莢音で全てを察せられた。

位置は死角、やや上方。

しかし攻撃を外した自分にはこの瞬間に反撃の手がない。



「ディバイィィィンーーーー」



どうする。

このまま全力飛行で避けきれるか。

考えがまとまるより早く無理だとゲルトは断じた。

一撃を与えるために減速した直後だ。

今から動いても間に合わない。

ならば取れる手段は一つ。



「IS発動!!」



現れる赤橙色のテンプレート。

タイミングは間髪入れず、



「バスターーーー!!」



渾身の砲撃がその中心へ突き刺さる。

桜色の光と赤橙の光。

どちらも譲らない。

障壁の表面を這い、強制的に散らされた砲撃は幾重もの光柱となって海面を抉る。

吹き上がる波の高さがそこに込められた力を物語っていた。

その光量。

その衝撃。

その轟音。

映像越しにですら伝わる圧倒的魔力。



『またも逆転!!
 華麗に准尉の背後をとった一尉の砲撃が炸裂ぅ!!』

『防戦一方の展開から鮮やかに主導権を取り戻す高町一尉の手並みは惚れ惚れするほどです。
 が、鋼の騎士の異名も伊達ではありません。
 あの至近距離からの攻撃を耐えています!』



まさしく怒濤。

押し寄せる滝のような砲撃だが、ファームランパートは変わらずその堅牢をもってゲルトを守る。

だからこそゲルトは離れず、逃げず、障壁に貼り付くようにただ耐えていられる。

しかし、



重い……!



一点突破なら分かる。

記憶にあるゼストの斬撃などは身震いするほどに洗練されていた。

しかしほぼ面での攻撃だ、これは。

まるでこちらを飲み込もうとするような未曾有の勢いがある。

ここまでの砲撃は初めてだ。

が、しかし。



『光が消えていきます!!』



徐々に細まるように消える光。

ダメージカウンターは回っていない。



『なっ、ナカジマ准尉が凌ぎ切りました!!
 完璧にきまったカウンターを全て耐え切り、無傷でやり過ごしましたっ!!』



いや、これからだ。



興奮した司会の声とは裏腹にゲルトの思考は冷えている。

障壁の向こうでは再びレイジングハートの周囲へ光が集まっていく。

こちらの足は完全に止まった。

砲撃の反動を利用してなのはは後退している。

位置関係はほぼ上下に分かれていた。

となれば、



『Accel Shooter』



来た。

十分に練り上げた誘導弾が、計十二発。

花開くように展開した魔弾の数々が上空から降り注ぐ。

速度は速く、数も多い。

機動力で振り切れるものでもないのは先の通り。

まずは数を減らす事だ。



「オオ――――ッ!!」



全周から迫る弾丸の脅威。

ゲルトが選んだのは、なのはの不意を打った時の再現だ。

シュランゲフォルムを模した異常なほど浅い掴みでナイトホークを振り抜いた。

柄を滑るように動いた手の平が柄尻にてホールド。

しなやかな片腕から放たれた斬撃は常よりも遠く、常よりも広くその威力を発揮する。

たったの一振り。

ファームランパートを足場にするよう天地逆さまに貼り付いた彼は、それで五発もの魔弾を斬って捨てた。



「凄い……」



なのはも感嘆を禁じ得ない。



「けど!」



それでも全部は処理しきれない。

なのはにとっても幾らか破壊されるのは織り込み済みだ。


長槍の手数には限界がある。

防御や回避など委細構わず圧殺する為の十二連弾である。



「厄介な……!」



ゲルトは逃げるよりない。

ファームランパートを蹴り、落下速度も利用して下へ。

残りの弾丸はゲルトの影を射抜くや一瞬停止。

獲物を見つけた猟犬よろしくこちらへ突っ込んでくる。

ご丁寧に広がってくるのは一息に破壊されぬ為の用心だろう。



「鬱陶しい!」



片や逃げ、片や追う。

追い付いてくる弾丸をさらに二発斬り、それでも五発が残る。

なのはと正対したまま、後ろ向きに全力落下するゲルトにはその軌跡まではっきりと見えていた。

それぞれが別個の意思を持つように軌道をズラして迫る。



捌けないか、これは。



ナイトホークを振り抜いた姿勢のまま、自分へ食い込もうとする弾丸を見つめる。

減点方式のルールを思えば軽い一発たりと受けるのは辛い。

だが、問題ない。



ここまで来れば、な。



口元に笑みが過る。

そしてゲルトは海へと飛び込んだ。






**********





『高町一尉の攻撃に追われ、ナカジマ准尉が海面に激突!
 水中に消えた彼の姿は依然確認できません!』

『この場所において唯一といっていい隠れ場が水中です。
 准尉が仕切り直しを図るとしたらこれしか選択肢はなかったでしょう』



その通り。

しかし結果的に距離は再びなのはの間合いにまで離れ、ゲルトは貴重な勝機を一つ逃したことになる。

さらに五発の追撃を受け、全速力で海面に激突したゲルトの持ち点は大幅にダウン。

加えるなら時間の問題もあった。



『残り時間も一分を切ろうとしている所です。
 ナカジマ准尉はタイミングを問わず、間もなく飛び出さざるをえません』



勝負が決まるとしたら次の交差。

ゲルトが海面より飛び出し、なのはと接触できるか否か。

それで決まる。

誰もがそれは分かっていた。



「兄さん……」



108隊舎の大型テレビを見つめるギンガも。



「ゲルトさんが押されるなんて……」

「どっちも、凄い」



メディアルームのモニターを凝視するティアナやスバル。

そして無論、なのはにも。



「やっぱり強いなぁ」



呟きながらもなのはの目は海面を広く警戒していた。

なのはが見たところ、ゲルトの強さはひとえに魔力制御の妙に基盤がある。

飛行、回避、攻撃に至るまで一切運用に無駄がない。

集束型魔法を得意とする彼女だからこそ、空気中に残るゲルトの気配の薄さを敏感に感じ取っていた。

これ即ち、ほとんどの魔力が遺漏なく魔法へと注ぎ込まれている証左である。

魔力の消費を最小限に抑えるという意味でも効果が高いが、彼の場合一撃の威力を極限まで高めるという意味合いでも恐ろしい力となろう。

何と言っても、



フルドライブまで完璧に使いこなしてる。



彼がリミッターを解除したのは試合のかなり前半だ。

それでいて魔力暴走が起こる様子もなく、内傷を患う気配もない。

ありえるのか、そんな事が。



「うっ……」



思索を巡らす内、ズキンと刺すような痛みが胸をついた。

表には出さない。

姿勢も呼吸も見た目上は変化のないように。

高速機動からの砲撃は思いの外負荷が大きかったということか。



……大丈夫。



経験則からしてすぐ治まる痛みだ。

この程度なら試合に問題はない。

思考を戻そう。

ゲルトの強さを例えるならば、



シグナムさんみたいに鋭くて、ヴィータちゃんみたいに重い。



スピードだって直線に限ればかなりのものだ。

全身を包む黒衣に輝く黄金の瞳、そしておそるべき威力を秘めた長柄物。

フェイトとも通じる要素は多々あった。

しかし挙げた三人とは決定的に違う所もある。



明らかに長期戦を意識してる、よね。



一対一の戦闘で彼がそこまで手こずる事もないだろう。

地上部隊で応援に呼ばれることが多いからなのか。

どことなく一対多に重きを置いたスタイルのようにも思える。

ならば次の一手も全く変わらず苛烈な筈だ。

消耗など期待してはならない。



「私も全力でいかないと」



応じてレイジングハートがカートリッジをロード。

一発、二発、三発。

さらに二発の計五発を連続ロード。

充溢する魔力は必殺に足る。



「いくよ、レイジングハート」

『Starlight Breaker』



なのはの足元へ巨大な魔法陣が展開する。

今までのどれより大きい。



厳かな儀式のように彼女は愛杖を構える。

その先端へ流星のように光が集まり始めた。

その彩りは桜に、そして赤橙。



『おっとー、高町一尉が何やら魔法の準備を始めました。
 見たところ大技のようではありますが……』

『周辺魔力が高町一尉を中心に集まっているようです。
 となればまず間違いありません。
 狙いは一尉の得意技――集束砲でしょう』



相手の魔力をも利用する必殺の一撃。

オーバーSランク魔導師たる彼女の常識外れの容量から放たれるそれは、たとえ防御の上からでも相手を一方的に蹂躙する。

要諦は二つだ。

まずは空間に散逸する魔力を統合。

周辺魔力を掻き集め、次に自身の魔力と混ぜ合わせながら加圧する。

既に空気中に霧散した魔力を実用レベルで引き出すという時点で常人が逆立ちしてもなし得ぬ絶技である。

その威力は他者の魔力も上乗せされる分飛躍的な向上を見せ、さらに同程度の砲撃を形成するのに比べ魔力的負担も少ない。



『なるほど!
 高町一尉は最大の一撃で勝負に出るようです!』



発射準備よし。

ゲルトの残留魔力が希薄な為に時間が掛かったが、これだけあれば問題ない。

悠然と構えるレイジングハートの先端。

膨大な魔力の塊が発射の合図を、開放の時を待っている。

なのはは荒れ狂う魔力を押さえ付けながらその時を待った。

残り時間は少ない。



絶対に仕掛けてくる。



こちらはいつでも構わない。

海面は未だ平穏のまま、ゲルトの影も形もなかった。







**********





さて、どうするか。



一息つく。

ゴボリと上がった気泡が海面へ上がっていくのが見えた。

ゆらゆらと揺れて光の元に帰っていく。

海中に身を没したゲルト。

その心は意外なほど穏やかである。



頭は冷えていい感じなんだが……。



せっかく詰めた距離は開いてしまった。

こちらの最高速を知られた以上、再接近は容易ではない。

隠し玉一つでは、恐らく不足。



二の矢が必要か。



そちらが問題である。

待ち構えているなのはの意識を逸らす策に“あて”はあるが、さらにもう一手欲しい。

ゲルトは自らの戦闘経験に問い掛けた。

今日まで乗り越えてきた戦闘、訓練の中にこの状況を打開できる何かがある筈。

時間がないのだ。

必要なのは機動力。

と、



「ん……?」



不意に天上から注ぐ光が目にちらついた。

青い世界を貫く光。

まるでオーロラのようであり、カーテンのようであり、そしてリボンのようでもあった。

何気なく伸びした手に纏わりつく青いリボンを幻視。



『頑張って。
 見てますから』



耳へ響くように支える言葉が甦る。

何とはなし手を固く握った。

無論、掌に残るものはない。

が、



……行くか。



策はなった。

いつかなのはにも告げた通り、今の自分はゲルト・G・ナカジマだ。

家名ありのゲルト・G・ナカジマ。

それらしくいこうじゃないか。





**********





予兆は突然。

前方のゲルトが落ちた辺りが不意に盛り上がる。



「来たっ――――!?」



レイジングハートを握る手に力がこもった。

一時も間をおかず照準をそちらへ。

だが、違う。



ゲルト君じゃない!



間一髪、寸でで発射を取り止めた。

海面の隆起から現れたのは衝撃波。

無論ゲルトが撃ったものだろう。

スピードは拍子抜けなほど遅く、狙いすらこちらから外れている。

不慣れな遠距離系攻撃に加えて視界の利かぬ海の中からでは無理もなかった。

ゲルトもこれで倒すことなど考えてはいまい。

ならば、囮だ。



「どこから来るの……?」



一瞬後に来るだろう突撃に備え、なのはは動かず周囲の警戒に集中する。

外れる攻撃は無視だ。

熟練の騎士が待ち伏せの意識を逸らしたこの瞬間を逃す訳がない。

海から目を逸らす愚だけは避けなければ。

そして、来た。

意外にも先の衝撃波と同じポイント。

が、



「また違う?」



今度は斬撃の形をとった射出刃。

衝撃波に倍する速度で迫るが、やはりこれも見当違いの空へ飛んでいく。

囮が二回。

次こそ本命か。

動かぬことを選んだなのはは再びスターライトブレイカー発射体勢のままに耐える。

ゲルトが頭を出した瞬間に面制圧で削り切るのだ。

だから今は待つべき時なんだ。

理解している。

なのになんだ、この肌を炙るような焦燥は。

何か、見落としてる。マルチタスクの賜物だろう。

砲撃を維持しながらも思考は鋭敏。

そして答えに至る。

さっきの二発は同じ地点から、同じ軌道で飛んだ。



でもスピードが違うって事は!!



衝撃はいきなり来た。



爆圧だ。

最初に飛んだ衝撃波を二段目の斬撃が切り取り、封入された破壊力を撒き散らしたのだ。

突如海面となのはの間で発生した無色の爆発が彼女を襲う。

とは言っても所詮は当てずっぽう。

ダメージと言えるほどの判定もない。

が、



目を瞑っちゃダメ!!



これこそがゲルトの狙い。

何としてもスターライトブレイカーだけは維持だ。

今度こそゲルトが来る。

それも恐らくは同じ場所から。

こんなものはこちらの目を晦ますための猫騙しに過ぎない。

そして遂に、



「出たっ!!」



間違いない。

海水面を突き破り、ゲルトが現れた。

飛沫を全て弾き飛ばすほどの超加速。

フルドライブの出力を全て推進に回しているらしい。

しかしそれなら好都合!



「スターライトッッ――――!」



あの加速では曲がれまい。

できるのはそれこそフェイトくらいのもの。

見る限りゲルトは直線加速に特化したタイプだ。

当てる。


当たるはずだ。



「ブレイカァァァァッ!!」



極光が落ちた。

視界を塗り潰す怒濤の烈波。

全てを染め尽くす凶暴な閃光。



飲まれる。



ゲルトはただそう受け止めた。

威力、規模共に先ほどの比ではない。

まさになのはの全力全開。

これがそうか。



「……しかし、勝つ!]



全くスピードを緩める事なく突撃したゲルトはISを発動する。

絶対防御のテンプレート。

しかし進行方向と平行に展開したそれは身を守る為にあるのではない。

今、足を止めればジリ貧だ。

一瞬の躊躇もなく、ゲルトはそこへナイトホークを叩き付けた。

両手掴みの逆手持ち。

その様は、まるで棒高跳びのボールターのように。

跳ぶ!



突き出す力で身を跳ね上げる。

棒高跳びとの違いは槍を手放さないくらいか。

速度を落とさぬままにゲルトの軌跡は放物線を描く。

そして越えるのはバーではない、

圧倒的魔力でもって迫る必殺の砲撃だ。

かわし切れないコートの裾が消し飛び、余波だけで纏った装甲が溶けていくのが分かる。

ダメージカウンターも反応しているだろう。

だからと言って、それがどうした。



「うおおおおぉぉぉッ!!」



ビリビリと肌で威圧を感じながら、空中でくるりと縦回転。

姿勢を整えたゲルトはなのはを捉えた。

光の始点で必死に反動を抑え込んでいる。

こちらには気付いたのだろうが、遅い。

射線を飛び越えたここは既に己の間合いだ。



『ナカジマ准尉が肉薄!!
 決着かッ!?』



振り下ろす。

その瞬間、光がようやく収まり始める中、なのはがこちらを向いた



「――――ッッッ!?」



その視線にある何かの余裕がゲルトの神経を焼く。

粟立つ背筋の悪寒に逆らわずに無理やり横へ飛んだ。

が、飛行魔法だけでは極限まで高めた推進力を殺し切れない。

発動させたファームランパートを蹴り飛ばし、転がるように跳ねる。

千載一遇、これ以上ない絶好の機を放り投げてでも。

加速Gが体を軋ませ、そして――――



「がッ!?」



杭で打たれたように動きが止まった。

原因は明らかだ。

右手に絡みついた桜色のリング。



バインドか!?



肩が千切れんばかりの衝撃が右腕を襲った。

強制的に引き留められた慣性が暴力となって荒れ狂う。



あれだけの魔法が、囮だと!?



自分なら凌ぐ、となのははそう読んだのだ。

そうして飛び込んでくるように誘った。



見事にはまった自分はまな板の鯉か

だが、しかし。



『Devine――――』

「らあッ!」



反射的に放った蹴り足がこちらを向く前にレイジングハートを外へ弾く。

動け。

瞬く間すら惜しいのだ。

どうにかレイジングハートを手放さなかったなのはが後ろへ退くのとゲルトが拘束を引き千切るのとはほとんど同時。

力任せにバインドを破ったゲルトだが、距離は既に一足の外。

安全圏へ逃れたなのはが再びレイジングハートを構えるのを見た。

また誘導弾だ。



「そいつは飽きたと言った!!」



刀身へ魔力を集中。

レイジングハートが十連の誘導弾を発射すると同時、ナイトホークの穂先は斬撃を撃ち出していた。

全方位から広がって迫る弾丸に対し、ゲルトの斬撃は足を止めたなのはへ一直線に飛ぶ。

彼女は棒立ちのまま、誘導弾の操作に集中している。
が、



「わっ!?」



そうだ、お前なら避けるだろう。

あわやというところで動いたなのはは射線から逃れてみせた。



それでいい。



ゲルトはその彼女へ向けて突撃する。

広がった誘導弾を抜ける最短ルートはここだ。

円形に広がった弾丸の顎、その中心目掛けて飛ぶ。

自ら死地へ飛び込む乾坤一擲の大博打。

しかしなのはの集中が回避へ取られたこの瞬間だけは勝ちの目も残る。



「――――させないっ!



なのはの立ち直りは予想よりも早かった。

いまだ横っ飛びの最中に魔弾の網を手繰って寄せる。

まばらに散開していた弾丸がそれぞれこちらへ向けて軌跡を変えるのを感じた。

一端制御を手放した魔法だというのに、もう再掌握を済ませたらしい。

出来るなら隙がある内に懐まで飛び込んでしまいたかったが……。



らしくなってきた。



歯噛みしながらも自身、奮い立つのを感じている。

ビリビリと中枢神経へ迸るのは武者震いというものか。

最高の性能を引き出せ。

最高の答えを弾き出せ。

統率を取り戻して迫る弾丸の雨。



これを凌ぐ技が、俺にはある!



「IS発動!!」



防御ではない。

この魔弾相手にそれが無意味だというのはこの戦いの中何度も証明された。

だからゲルトはそのテンプレートを“踏む”。

踏み抜く程に強く、強く。



「ナカジマの何たるかを見せてやる」



駆けた。

駆け抜けた。

力の流れは体が覚えている。

爪先で抉り、膝で押し出し、腰で踏み出す。



『バリアを足場に!?』

『ナカジマ准尉が躱しています!

『た、体捌きのみで、誘導弾を!!』



なんのと言って、ゲルトが最も得意とするのは地の上だ。

脚を活かせる環境だ。

足運びすら虚実を織り交ぜた。

姿勢を下げれば射線を潜れる。

跳躍すれば飛び越えられる。

飛行魔法をも織り交ぜれば重力の軛すらゲルトの歩みを阻みはしない。

バランスを崩すほどの低姿勢でも転倒することはなく、天地逆さまの走行すら可能。



空を飛び行く翼竜でありながら、地を這い進む伏龍。



ゲルトは疾風となった。





**********





映像の中、ゲルトは空中に発した己のシールドの上をひた走る。

外縁に行けば次のシールドへ乗り換え、次の動きを予測させない。

時に階段状に、時に大きく広がって。

オンオフを猛烈に切り替え、咲いては散る赤橙色のテンプレートは空を彩る花火のようですらある。

それを観戦するシグナムが呟いた。



「古代ベルカ式ではないな」

「えっ」



何気なく、しかしはっきりと彼女は断言した。

機動力を優先したあの戦闘スタイル。

とにかく動く事を念頭に置いた戦闘思想が読み取れる。



「どちらかと言えば、あれは近代のベルカ式の動きに近いように思います」

「確かに、妹さんのギンガとかは近代ベルカ式やったけど……」



直線スピードはともかく、細やかな身体制御では彼女をも上回るのではないか。

彼の戦いぶりはギンガよりもさらに上の完成度を見ているよな、そんな気配がある

この違和感は、一体……。



「忘れてもらっちゃあ、困るのよね」



やれやれと漏らすのは遠く離れた一般家庭のリビング。

そこでテレビの前に座った女性だった。

ギンガやスバルを思い起こさせる青い髪は、彼女らとの血縁の証明。

皆まで言うまい、



「隊長だけじゃないの。
 ゲルト君は私の教え子でもあるんだからね」



誰にともなく胸を張って彼女は自慢する。

息子の晴れ舞台に昂揚するのはクイントだとて同じ。

彼女はゲルトがファームランパートを足場に使い始めた瞬間から気付いていた。

格闘術の基礎として叩き込んだシューティングアーツは彼の技能に合わせて手直しされ、今テレビの向こうで開花している。

戦いの最中、追い詰められる程に研ぎ澄まされていく戦闘技芸。

そう、昔から負けず嫌いな子だった。



「頑張れ、男の子!」





**********





悪くない。



テンプレート上をグラインドしながら、ゲルトは恐ろしいまでに体を包む全能感に酔いしれていた。

それは快感といってよい。

自らを構成する全てが一分残らず意志の支配下にある、という確信。

研ぎ上げた 技術テック感覚センス魔法マジック

あらゆるスキルが呼吸同然に連動する。

無駄はなく、漏れもなく、ただ一つの目的へ向かって集束



「今度は逃がさん」



見える。

姿勢を立て直したなのはは既に魔弾の制御を完璧に回復していた。

中央突破したゲルトへ向けて側面、あるいは後方から殺到する弾丸勢。

視線は一点なのはを射抜きながら、駆動する肉体は脅威への対処を機械的な精度でこす。

どうしてもかわせぬものは手甲で弾く。

弾けぬものは比較的防御の厚い部分で受け止める。

前進だ。

前進あるのみだ。

そして遂に、



『抜けたっ……!』



誰もが息を忘れた。

ゲルトがなのはを間合いに捉える。

肩に引っ掛けたような大上段。

包囲を突破したとはいえ、ゲルトの後方からは魔弾の群れが迫っていた。

事ここに至り身を覆う魔力は臨界を超えて吠え猛る。



流石、ゲルト君。



敵手を眼前に、なのはは射撃にこだわらなかった。

足首を中心に翼を象った魔力を集中。

セットするのは高速移動魔法Flash moveだ。

捨て身の突撃を前にいかなる防御も牽制も意味をなさない。

どうした所でもろともに切り伏せられる以外の未来が想像できなかった。

ならばどうにかあの槍を凌ぎ、カウンターで討ち取る。

それしかない。

覚悟は決まっていた。

だからこそ、なのはが意識するのはゲルトの踏み込みのタイミング。

傍目には分からないくらいに小さく、しかし確かに彼がファームランパートの壁面を踏み切ったのを捉えた。

この間合いでは相手が動くのを待ってから動くのでは既に遅い。

初動を見落とすこと、すなわちこれが命取りとなる。
ならばここだ。



『Flash move』



案の定、今までで最も速い穂先の動きは捉えることすらできなかった。

だが如何に速くとも事前の動きで真後ろへ下がったなのはの衣服を裂く事すらできず、虚しくも完全に空を切る。



「よけられた!



極限の集中のみが可能にする最高のパフォーマンス。

震えが起こり、痺れが走り、歓喜が踊る。

それが、お返しとばかりの罠とは知らず。

背中に衝撃があったのは直後のこと。



「ーーーーえっ?」



それは思わず口から出た疑問符ほど柔らかいものではない。

息が詰まるほど、背骨が軋むほどに強かなインパクト。

激突したのだ、壁に。



何がーーーー!?



無理やり吐き出される呼気に喘ぎつつ、辛うじて目線だけを後ろへ流す。

一瞥で十分だった。

煌々と輝く赤燈の障壁。

それが完全に彼女の背後を遮断していた。



ゲルト君の、ファームランパート……!



やられた。

ダメージを感知してか、なのはのボイントが減少。

しかしその計測など待つわけもなく二人は動く。

既に姿勢を整えたゲルトは踏み込んでいた。

刃をなのは一点へ捧げる刺突の型。

体ごとぶつかって行く構え。

詰みだ。

なのはは折れるだろうか。

いや、



「まだだよ!!」

『A.C.S stand by』



カートリッジが三発弾け、レイジングハートの先端へ超高密度の魔力が凝固。

桜色の刃の形で固着する。

ゲルトはその全てを視認している。



こいつ……ッ!



その形はまさに戦槍。

槍と槍。

その鋭さは主の望むがまま。

貫き、穿ち、血路を拓く。



「ナイトホーク!!」

「レイジングハート!!」



逃げ場はない。

正面から、勝つ。

極限まで高められた集中は互いの瞳の奥すら覗けそうな錯覚をも生じさせる。

無謬の闇を暗示す、不朽の黒槍。

不撓の光を具現す、無窮の桜槍。

どちらも残りポイントを削り切るには十二分。

決着だ。

ーーーー激突した





**********






『どっちだ……!』



立ち上がる者もいた。

目を皿のように開く者もいた。

誰も彼も他の事を考える余裕など一切なかった。

モニターの中、映し出されるのは重なり合う二つの影。

項垂れたなのはがゲルトの肩へ寄り掛かるようにぐったりとしている。

体重を全て預けているようにも見えた。



……ならば、



『なっ、ナカジマ准尉です!
 何と言う大番狂わせでしょう!!
 鋼の騎士、ナカジマ准尉が高町一尉を下すッ!!』

『ーーーーいや、まだです!
 まだダメージ判定が出ていません!!』



興奮して歓声を上げる実況とは別に、解説もまた熱を上げた。
その視線は映像端に映し出された魔導師達のライフカウンターに注がれている。

まだ最終判定が出ていない。

あえて観戦者を焦らすかのように回転する数字列。


桁が一つ消え、二つ消え、そして最後の一桁。

その表示はゼロ。

両者ともに、ゼロ。



『こ、れ、は……』




ゲルトはナイトホークをなのはの腹部へ突き立てた姿勢で静止していた。

その肩で、レイジングハートの刃を受け止めながら。



『相討ち!?』



決着に湧きかけたギャラリーの間にもさざ波が走る。

なのはの執念の結果が、そこにあった。





**********





ふぅ、と篭った熱を冷ますように溜息を吐き出す。

それは潮香る風の中へ溶け、広がる間もなく吹き散った。

合わせて刃の消えたレイジングハートが肩から抜けて落ちる。



「嫌いじゃあないがな、しぶといのは」



肩に乗しかかる重みを支えつつ、ゲルトは呆れたように呟いた。

淀みなく動いた左手がそのまま落ちかけたレイジングハートを掴んで止める。

強風吹き荒ぶ海上ではあったが、囁きが届かないということはなかった。

それも当然だ。



「相棒を落とすのはどうかと思うぞ」

「あはは、というかまだ左手、動くんだ……」

「頑丈なのが自慢でね」



むしろお前が喋れる方が驚きだ。

先程のダメージも響いているのだろうに、あまり悪気を感じない曖昧な笑みがそこには浮かんでいた。

わずかに数センチの距離だ。

なのはのほつれた髪が顔を撫で、正直くすぐったい。

ナイトホークが待機状態へシフトし、空いた右手はなのはを支えるように彼女の腰へと据えられていた。

自力の飛行すら困難ななのはに代わり、その場への浮遊を維持するのは全てゲルトである。



「ごめんね、ありがとう」

「気にするな」



加重は問題ない。

ナイトホークの直撃を食らって平気なはずはないのだ。

やせ我慢もここまでくれば立派である。



「今度は、支えられちゃったな。
 ねぇ、覚えてる?私達が初めて会った時……」

「ああ、覚えてる」



忘れた事はない。

フラフラになりながらもこちらの助けを拒否されたのは彼女との出会いの時であった。

あれから随分時間も経ったが、瞼に浮かぶほど鮮明に記憶にある。



お前は知らないだろうな。



醜く膿んで腐っていた自分に、その姿がどれほど眩しく、美しく映ったものか。

言葉ではない。


ただ彼女のその在り方がゲルトには輝いて見えた。


正道よ、かくあれかし。


どうしようもなくまとわりついた虚脱と倦怠を殴り飛ばし、そうして今の自分はここにいる。


だからこそゲルトという人間にとって彼女は尊敬に値する存在なのだ。


スバルが憧れるのも分からなくはない。


……業腹ではあるが。


ならばと、彼はもたれるままになっていた彼女の体を横抱きに抱え上げた。


顔をなぶる髪が鬱陶しいし、受けた恩を少しも返せぬでは己の沽券に関わる。



「わ、わわっ、ゲっ、ゲルト君っ?」

「大人しくそうしてろ。
 ヘリが来た、上昇する」



すっとんきょうな声を上げた彼女がこちらのコートの裾を掴むのを尻目に、目線にて背後を示す。

見上げれば確かに遠方から接近する影があった。

二人の回収用に派遣された管理局のヘリで相違あるまい。

ことさらゆっくりと高度を上げるのはなのはの体を慮っての事か。

腕の中では借りてきた猫のようにじっとした彼女がいる。

目が再び合ったかと思うと、その整った面貌に浮かんだのは笑みであった。



「なんだ」

「んーん。
 ただ、何だかゲルト君お兄ちゃんに似てるなー、って思っただけ」

「やめてくれ。
 この間合いで一矢報いられるとは……いい面の皮だ」



げんなりと眉をしかめたゲルトは溜息混じりにうそぶいた。

腹部の痛みに顔をしかめつつ、なのははなおさらゲルトの姿に遠い地にある兄の姿をだぶらせる。

見た目も体格もなんら接点はないが、そう雰囲気がどことなく似ている。



「騎士の誇りが許さない?」

「それならかっこいいかもしれないけどな。
 ……兄貴分も大変なんだよ」

「え?
 なんて?」



自嘲のような最後の呟きは風に飲まれた。

らちもない事である。

首を振ったゲルトは思考の隅を過ったギンガやスバル、ティアナの横顔を振り切った。



「何でもない。
 行くぞ甘えん坊」

「いっ、いいよ!
 もう自分で飛べるもん!」

「そうかい」

「ほっ、ホントだよ!」



ゲルトは取り合わずにヘリへ近づいていく。

こうして、彼と彼女の戦技披露会は幕を下ろした。





**********





「相討ち結構、大いに結構」



戦技披露会は無事に幕を閉じた。

例年と違ったのはただ一点。

武装隊きってのエースと引き分けた一人の陸士隊員の存在。

ギャラリーにとっては山あり谷ありの見応えある試合だったのだろうが、思惑忍ばせる黒子達には中途半端な結末だったろう。

父にとってもそうであろうとオーリスは思っていたが、



「見ただろう、オーリス。
 あのほっとした連中の顔を!」

「はい、中将」



声音にも顔色にも喜色が溢れていた。

思い出しているのは分かり易いほど安堵の吐息をついた大会主催陣の表情だろう。

控え目にみても愉快で堪らぬといった風情である。



「あれだけの舞台、あれだけの有利な条件を持ち込んでおきながら、蓋を開ければあの体たらく。
 さぞ肝も冷えた事だろう」



飛行魔法すら維持できなくなったなのは。

彼女を抱え、回収ヘリまで送り届けたゲルト。

試合が引き分けに終わったとしても対比は明白であった。

その点に関してはオーリスも同意だ。



「私もどうにか最後の面目だけは保ったという印象を受けました」



まずもって全てが武装隊有利に整えられ過ぎていたのだ。

第一には飛行が絶対となる海上。

戦術機動を研究し尽くした武装隊、それも教導団には何程のこともあるまいが、本来陸士部隊員にはそれだけでも大きな負担だ。

さらに遮蔽物のない環境は砲撃魔導師にとって絶好の狩り場となる。

勝負を決するポイント制度についても同様だろう。

ゲルトならば一撃で相手を落とせるに対し、ミッドチルダ式ではどうしても手数がいる。

特に頑健な古代ベルカ式を行動不能にするというなら、なおさらの事。

しかしそれも指定されたダメージ量を与えるだけでよいならハードルは大いに下がる。

名目はどうあれ、全て仕組まれた茶番だった。

そも陸士部隊と教導隊で求められる練度の差など改めて説明されるまでもない。

負けて当然だった。

それを覆してのけた。

はっきり言おう、痛快だ。



「加えるなら最後の一手、致命度で言えば胴体中央を捉えた准尉の優勢でしょう。
 試合内容としても後半は勢いで圧倒していたように思います。
 やはり流石はゼストさんの息ーーーー」



はっと気付き、口を止める。

座り悪くオーリスは唇を結んだ。

しかしレジアスは気にした様子もない。



「どうした、その通りだろう」



尚のこと深められた笑みはまるで熱に浮かされたよう。

演説でもうつようにレジアスは宣言した。

椅子を跳ね除けて立ち上がり、拳を握る。



「見たか、空の矇昧ども。
 たかだか腕の一本をとった程度で満足しているようだが、武装隊執念の一撃だと?片腹痛いわ!」



鼻で笑うように言い捨てた。

ゲルトは戦闘機人なのだ。

腕の損傷がなんらの支障もきたさぬ事、数日もあれば完治可能である事は既に証明済みである。

痛み分けなどでは決してありえない。



「腕が無くなろうが足が無くなろうが、あいつにとってはさして変わらん。
 “普通の”人間と同じに考えるなよ。グランガイツが貴様らの思惑通りになどなるものか!」



あれぞ地上の星。

身が砕け、血反吐を舐めてなお立ち上がる我々の騎士だ。

そう謳うレジアスに張り付くのは凶相とも呼べるもの。

言葉通りであろう。

つくづく彼は思惑通りにはいかない。



あのゼストさんそっくりの小さな子が……。



何年前だろう。

彼の陸士部隊派遣を決定した時、レジアスも、そしてもちろんオーリスもこんな事態を想定すらしていなかった。

それでも今日、試合で活躍する彼の姿からは匂い立つ程にゼストの気配を感じた。

幼き日、自分にとってもあの人はヒーローだった。

記憶にあるそれとなんら遜色ない無謬にして力強い背中。

思わず二重にダブって見えたほどだ。

恐らくは父もそう。

しかしその衝撃の大きさがこれだとすれば、



「見ているがいい、アインヘリアルが正式に運用され、戦闘機人が20も投入されるようになれば地上は劇的に変わる、変えてみせるぞ!」



あの魔導師アレルギーの強い父が規格外のオーバーSランク魔導師をして“普通の”人間と呼ぶ感覚とは何であろう。

もし仮に戦闘機人の異常性と比較し生身であるという点で我々と変わらぬと言っているのであれば、それは良い傾向と言えるだろうか。

オーリスは一つの大きな不安が芽生えるのを感じた。



中将は、酔っておられるのでは。



亡き友を思わせるゲルト・G・ナカジマという存在に。

片腕の致命的損傷すら数日で完治してのけたその不死身さに。

そして、失った過去をもやり直せるという幻想に。

父はゼストと見る筈だった夢の只中にいるつもりなのかもしれない。

美しく、眩い夢の中に。

しかし、そうであるなら、



「負けてくれていたほうが、良かったのかもしれない……」



無様に、完膚無きまでに、言い訳のしようもないほど。

オーリスは聞こえぬ程の声音で呟いた。

そうであれば、父の考えも変わったかもしれない。

いかに頑丈であろうとはいえ、戦闘機人も所詮は強化された人間に過ぎない。

負けもする、傷付きもする。



死にも、する。



それは背筋も凍る想像であった。

もしもそうなった時、自分はグランガイツを二度喪うという現実に耐えられるだろうか。

父を止められる存在もまた、グランガイツ以外にはありえない。

いや、



だからこそ止められないのか?



時に美しさが心を蝕むこともある。

時に誇りが信念を捻じ曲げることもある。

順調に見える戦闘機人計画もそのほとんどがゲルトの才覚によるもので、レジアスの関与するところは全くといっていいほど存在しないのが現状。

ゲルトやその義妹達、父の計画にとっては全くのイレギュラーだった。

その生まれも、育ちも、活躍も、全てレジアスの思惑の外の存在。

しかしそれが今、唸るほどの成果を絶えず叩き出している。

対して父の企みが何をもたらしたか。

親友の死。

直轄精鋭部隊の壊滅。

一司令官としても、一個人としても悪夢と呼ぶほかない。

しかしそんな悲劇をも糧として、ゲルトは成長していく。

彼の歩む道筋にレジアスという役者の介在する余地など微塵もない。

そんなものを必要になどしていない。

今までも、そして恐らくはこの先も。

グランガイツが為せばこうなるのだと、まざまざ見せつけられたようなものだ。

だからこそ、戦闘機人計画に今だ固執しているのか。

せめても、己の選択が間違っていなかった事の証明の為に。

もしそうなら、



ゼストさん……。



オーリスは記憶に残る大きな背中を思い浮かべてみた。

あなたはこんな私達を見て、なんと言うだろう。

嘆くだろうか、怒るだろうか、それとも呆れられるだろうか。



どちらにせよ合わせる顔は、ありそうにないな。



彼女もまた、囚われている。

Gグランガイツという名の呪縛に。




**********






「…………」



夜道。

不意に足を止めた男が空を仰いだ。

都市部を大きく外れた山間部に星の煌めきを遮るものはない。

視界を覆うのは美しくもはかない無数の輝き。

手を伸ばせども届くことは、ない。



「旦那ー、どうしたんだ。
 ルールーも先行っちゃってるぜ?」

「アギトか」



赤い髪を二つに纏めた少女と、目深にフードを被った長身の男。

少女の方は手の平に乗るほどの大きさで男の肩辺りを浮遊していた。

一見して妖精を連想させる佇まいである。



「あっ、でももし辛いようなら今日はこのへんで休むことにしようぜ。
 火ならすぐアタシが起こすしさ!」



彼女の容貌にあるのは強い心配の色。

畏まる必要はないと言っているのだが、違法な研究施設から拾い上げてからこちら彼女の傾倒は日増しに強くなっているように思う。

それだけ不安にさせるほど、我が身の状態は深刻に見えるということだろうか。

どちらにせよ不要な気遣いであった。

亡者に未来など不要である。



「いや、少し考え事をしていただけだ。
 行こう」

「旦那が、そう言うなら……。
 でも良くない時はすぐに言ってくれよ?」

「ああ」



男は歩き続ける。

感傷的になっているのだろうか。

歩みを進める度、一歩ごとに彼の意識は過去へと引き戻されていく。

それは彼があの哀れなチンクと別れ、亡霊として再びの生を歩み始めた頃にまで。



[8635] 遠く旧きより近く来たる唄
Name: Neon◆139e4b06 ID:0731d059
Date: 2015/07/17 22:31
星が高い。

空は広い。

月明かりは夜道を照らすに不足。

孤独を感じずにはおれぬ闇。

街の光も届かぬ山中である。



「…………」



臆さず。

語らず。

その中を二つの影が行く。

背の高い男と、まだ年端もいかぬ少女。

瞳の行く先には警備員らしい男。

数は同じく二。

デバイスは杖状。

標準的なミッドチルダ式魔導師か。

感じる魔力はBランク程度。



「ここで待っていろ」



前に出たのは男だった。

共に歩いていた少女を制して、街灯の下へその身を晒す。

その辺りで向こうもこちらに気が付いたらしい。



「おい、ここは私有地だ。
 すぐに立ち去れ」



一人がこちらを見た。

持ち上げられたデバイスがこちらを向く。

その前に、



「は――――?」



斬った。

有無を言わせぬ断絶。

行く手を塞ぐように立ちはだかった魔導師をなで斬り。

防御の暇も与えず斬り捨てる。



「何だ!?」



振り抜いた刃を再度構えるよりはそのまま突き出す方が速い。

二人目の男は倒れる男の影から伸びた刃が貫いた。

急所を射抜かれた男は声を漏らす事すらできない。

無意識で行えるほどの修練のみが可能とする一瞬の連続高等技芸。

瞬く間に二人の男が倒れ伏す。

完全に無力化したのを確認した男はようやくに残心を解いた。

彼の得物は槍であり、そして長刀でもある。

傷んだコートのその下は強固なバリアジャケットが控えていた。

明らかにベルカの流れをくむ騎士。

それも相当の高ランク。

場馴れもしている。



「……ここだな」



門番が守っていたのは何かの研究施設らしかった。

明らかに人目を避けられた建造物。

その門扉を前に得物を大上段に構えた。

男の目的はたった二つ。

秘匿されているかもしれないロストロギア、レリックの確保。

そしていま一つ。



『灰燼に帰せ』



下された密命。

だからそうする。



「始める」





**********





目につく物は全て破壊する。

もう何度目だろうか。

騎士たるその誇りも投げ捨て、兵器としての能力を発揮する。

通りを覆う火の手も気に留めず、隔壁も研究設備も全て砕く。

燃えろ。

吹き飛べ。

何もかも砕けて消えろ。



これは正義か?



違う。

自問するまでもない。

かつて望んだ正義はこんなものではなかったはず。

友と語った正義はこんなものではなかったはず。

それでも騎士はここにいる。

槍も止めぬ。

歩みも止めぬ。

亡霊の足取りにて、この地獄を進む。



『今月に入り早くも三件目。
 流石に首都防衛隊、手際がいい』



こんな事を男はもう何度も繰り返してきた。

死に損ない、蘇った男。

ゼスト・グランガイツはここにいる。



『やはり高ランクの魔導師というのは違うな。
 むしろ、制約がない今の方が動くには易かろう』


報告は通信にて直接評議会へ。

スカリエッティと決別したゼストはレリックを追い求め、放浪の生活を送っている。

しかし個人でできる調査活動などたかが知れていた。

管理局でもろくに確認できていないロストロギアの所在を追うなど砂漠で針を探すのと変わらない。

現実的に考えるなら在るところから奪うのが一番効率的だろう。

無論、レリックの研究をしているなどと公称していれば最高評議会やスカリエッティが即座に手を打っている。

ならば怪しい所をしらみ潰しにするしかあるまい。

経験則と勘に従って、非合法な研究機関や犯罪組織を片端から叩いて回る。

時には最高評議会から情報の提供がある事もあった。

情報の確度はともかく当てがない以上はゼストに無視するという選択肢はない。

ただしその場合、一つだけ条件付けられている事がある。

それが、



『灰燼に帰せ』



基本的に首都防衛隊期の任務と同じではあるが、その根本では全く違う。

破壊の為の破壊。

研究員、研究内容、研究成果、全てを焼き払う為にゼストは投入される。

建物という建物を薙ぎ倒し、立ちふさがる者は斬り捨てる。

何の制約もなく、タブーもない。

管理局部隊の接近は逐一報告されており、それまでに撤収する程度の事。

相対するのは一線級の実力を備えた魔導師であったり、悠長な査察では逃げ切られてしまうような犯罪組織であったりと、見事に正確な“使われ方”をしているように思う。

解せない事であった。



「なぜだ」



ある日のゼストは遂に口に出してそれを問うた。



『なぜ、とは?』

「なぜ研究施設まで破壊する』



指示通りに目に付く建造物は軒並み破壊し尽した。

必要なのはレリック、ただ一つきり。

それ以外は破壊だけが求められる全てだ。

腑に落ちない事であった。



『おかしな事を言う。
 明確な違法研究を行っているのだぞ』

『その通りだ。
 残しておく意義を認められない』



無論、その通りではある。

ゼスト自身としてもそれ自体に異存はない。

だが、彼らの目的が分からない。

微塵も残さず破壊する今のやり方で得るものは何もないはずだ。

つまり研究成果の乗っ取りが目的という線も考えがたい。

何を狙っている。



『どうにも誤解があるようだな』

「誤解だと?」


そうだ、とその声は口をそろえて首肯した。



『お前は我々を犯罪組織か何かと思っているのではないか?』

「……」

『違うぞ、全く違う』



声には些かの失望が混じったように感じた。

そして、憤りも含まれているように思えた。



『犯罪組織にとって法を破る事は目的だ。
 正確にはそこから生まれる利益だろうが、どちらも我々には縁のない事』

『悪、それ自体は目的達成に至る手段の一つであるというのみ』

『時に正道よりもそれが効率的であると理解しているに過ぎない』



声は一致した。

違法とは常人に手の伸ばせる範疇外の事。

需要と供給が生まれればこれほど利益を生むものはない。

だからこそビジネスとしての犯罪が成り立つ。

しかし声の主達はその意思はないと言い切る。



「では俺にさせている事はなんだ」



そうだ。

法に依らぬただただ一方的な破壊。

何の利を生むはずもない無益な行為。



『無論、治安維持の一環だ』



声は徐々に熱を持ち始めたように思えた。

物わかりの悪い子供を相手にするようでもある。



『我ら最高評議会の目的は元より唯一つ』

『次元世界の安寧と発展』

『それ以外、何もない』



一瞬、ゼストは言葉を失った。

何と言ったのだ、こいつらは。

彼にとってそれは思いつく限り最悪の答えだった。



『邪道外法は承知の上』

『しかしこの至高の目的を前に、一切の躊躇はない』



よりにもよって。

言うに事かいて。

最悪の犯罪者たるスカリエッティを擁する者達がそれを言うのか。

幼い子供を人質にするという手段も、自分にさせるテロ行為も、効率の一言で済ませるつもりか。

その目的が安寧だと?

発展だと?

冗談だとしても許す事はできない。

その戯言だけは、決して。



「ーーーーふざけるな」





**********





知らずゼストの口調は激していた。

それはゼストにとって慮外なほどの怒りであった。

内で抑えることができない程の激烈な感情。



「末端を一つ二つ潰したくらいで何が変わる」



こんなものは対処療法に過ぎない。

場当たり的な対応だ。

撲滅への効果など知れたもの。

こんな事を幾ら繰り返したとてどうなる。

わざわざ畜生道にまで身を落として、それでする事がこの程度なのか。



「首魁は地下に潜り、悪はその濃度を深めるだけの事だ」



警戒した連中の尾を掴むのは容易ではない。

拠点を動かされてしまえば調査も一からやり直しだ。

だからこそ長い時間をかけて調査し、根本まで一気呵成に揉み潰さなければ意味がない。

分からないはずがあるか、そんな単純な理屈が。



「その程度で根絶できるなら誰も苦労はしない。
 この程度で平和となるなら誰も悩みはしない」



簡単だ。

全力で力を振るえばいいだけの事なら何程の事もない。

管理局になど頼らず、法に依る事もなく、最初からそうしている。

何となればこの身が先頭を切っても構わない。



「こんな事では何も変わらん」



呆れるほどの鍛錬を繰り返しても、溢れるだけの魔力を備えても、世界を動かす事など到底できない。

そう考えたからこそ自分は管理局に身を投じたのだ。

そう考えたからこそ語り合った友の夢に賭けたのだ。

ただ力しか持たない自分では無理だと、そう考えたからこそ、俺は……!



「ましてお前達には正義がない」



自らの口を衝いて出たとは思えぬ安っぽい言葉だ。

しかしそれを自らに課すだけの信念なくして、どうして治安だの平穏だのとのたまう事ができる?

確かに非効率なのかもしれん。

危険を伴う事も当然だろう。

それを覚悟して自分はこの世界に足を踏み入れた。

見知らぬ誰かの盾たらんと、この身をかけると誓った。



「例え偽善だとしても、そう思考せぬ者に語れる幸福があるものか」



そうではないのか。

ぶつけあい、語り明かした夢はなんだったのか。

ゼストが訴えかける相手は顔も見せぬ評議会の面々か、それとも……。

心の丈を吐き出したゼストの口からは熱い吐息が漏れる。

答えてみせろ、と瞳は何も映さぬディスプレイを睨めつけた。

悪を以って善となす、そう言い切るつもりなら答えてみせろ。



『ほぅ……』



間があった。

特に焦りや怒りは感じられない。

いや、むしろ逆。



『流石に首都防衛隊、素晴らしい回答だ』

『まさしく我らの理想そのもの』

『それこそ我々の働きが無駄ではなかった証明になる』



つまりは、



『お前の語る非効率な正義』

『その火を守り、育む』

『それこそ我々の存在理由だ』





**********





「…………」


分からない。

ゼストには評議会の言う意味が分からない。



『そしてもう一つ認識の齟齬を正しておく』

『魔法文化という枠組みの中、既に世界は平和に‟なった”のだ』

『魔導師が戦闘のほぼ全てを担う事で、な』



何を馬鹿な。

ゼストは見当違いの言葉を一蹴した。

その魔導師偏重の結果として今の人材不足があるのではないか。

今現在も魔法による重大犯罪は深刻な問題だ。

中でも強力な魔導師によるテロ活動となればその察知は難しく、そして制圧も困難である。

ゼストはその脅威を長年に渡って肌で感じ、耳に聞いてきた。

局員の殉職も少なくない数で発生している。

それを知らぬとでも言うのか。



『ああ確かに魔導師による事件も起こっていはいる』

『テロの脅威というやつだな』

『しかしそれと平和とは対立しない』



平和とは何か。

何を以てそう呼ぶのか。



『我々は旧暦の時代、あの地獄の世紀を戦い抜いた』

『質量兵器が躊躇いもなく乱用され、攻撃とは殲滅を意味する時代だった』

『殺人が許容される時代だった』



知識としては知っている。

各国家間、各次元世界間で繰り広げられた際限のない泥沼の闘争。

街を焼き、星を砕いた争いだ。

それもたかだか百年前の事。

その当時、戦わぬという事は殺されるという事である。

自衛の為、侵略の為、どちらにしても戦わないという選択肢はなかった。



『そんな時代では誰しもが戦争参加者であり、戦争被害者だった』

『我々も数えきれぬほど多くを殺し、また多くを死なせた』



それは前線か後方かなどは関係ない。

戦場にいたかどうかも問題ではない。

誰しもが戦争というものを我が事として捉えていた、という事が重要なのだ。

社会の空気が、時代の流れがそうさせた。

そうでなければ生き伸びられなかった。



『だが、今は違う』



一つに質量兵器の撤廃。

魔導師にのみ戦力を限定した管理局システムの構築。

これにより時代は変わった。



『文民統制において魔法文明は理想的な社会構造だ』

『おかげで大多数の市民にとって争いは遠い別の世界の出来事になった』



政治権力と武力が合致した過去の世界では脅威でしかなかった魔法という力。

しかしそれも管理され、むしろクリーンなものとして受け入れられた。

結果として戦う者と、その力のない者が明確に分かれた事になる。

それでいて魔法の素養が社会的ヒエラルキーを左右することはない。



『力は個人に依存してよいのだ』



何よりこの魔法が質量兵器と比べて決定的に優れているのは責任の所在が明らかな点だ。

個人にしか依らぬその力は、行使者の顔をはっきりと浮かび上がらせる。

悪人ならばただその一人を押さえればいい。

それで全てに決着がつく。

早期の事態収拾は治安維持に必要不可欠である。



『さらには非殺傷設定などというものまで普及した』

『重犯罪者までもがそんなものを使い始めた時、我々がどんな喝采を上げたかお前に分かるか?』



無論その為の法整備を進めたのは彼らだ。

魔法の種類で殺意の有無が明確に判断できるのだから見逃がす手はない。

情状酌量なら犯罪者でも管理局で働けるという大甘の措置がそれだ。

形の上では社会奉仕という名の罰則であるものの、最終的に正規雇用となる例は珍しくない。

犯罪者側としても決死の覚悟で抵抗するより程々のところで投降すればいいのだと考えるだろう。

転じて市街戦の激化を抑制し、局員の負傷も回避する事ができる。

当然、この管理局の対応について魔導師贔屓であると根強い批判の声もあった。

そんなことだから魔導師による犯罪がなくならないのだと言われている。

それは管理局設立時から付き纏うお定まりの論点だった。

だが、それでいい。



『戦いそのものが無くなっても困るのだ』

『争いなき時代に過ぎたる力は弾圧される』

『旧暦の時代の戦争も、元はそれが原因だった』



魔導師は危険だが必要だからこそその存在が認められる。

その前提がなくなった時、魔導師の存在は悪だ。

争いがなくなればまた別の争いが生まれる。

それはリンカーコアを持たぬ人間対魔導師となるだろう。

しかしそれは評議会が許さない。



『敵は悪人だけでよい』



確かにその時だけ反省を口にして、心の中で舌を出すような輩は多いだろう。

だが反逆するなら反逆すればいいのだ。

その時こそ遠慮もなく徹底的に叩き潰せばいいだけの事。

そういうどうしようもない悪だけが敵でいい。

イデオロギーや人種の違いでの殺し合いなど馬鹿げている。



『世界に悪の帝国は必要ない』

『確固たる明確な敵国家集団は、容易に総力戦へと転がり落ちる』

『それだけはさせぬと新時代の幕開けに我らは誓った』



地獄の末に残った全てへの誓い。

勇戦した友の亡骸、残された遺族、焼け焦げた大地、今もなお残骸の残る宇宙。

全てに誓った。

もう二度とこの地獄を繰り返してならないと。

ようやく訪れた平和を決して崩させはしないと。

そうして評議会の面々は動き出した。

魔導師を中心に据えた管理局システムによる徹底的な軍縮。

肥大化した組織が暴走せぬように植え付けられた海と陸という対立構造。

末端の軍閥化を防ぐため操作された慢性的な人材不足。

効率化と非効率化を使い分け、そうして築き上げたのが今の世だ。



『ようやく殺さずともよい時代がきた』

『我々の待ち望んだ世界の到来だ』



それが平和だと声は言う。

得難い幸福だと。

しかし、



「それは欺瞞だ」



ゼストは断言した。

なるほど確かに魔導師が戦闘を担うからこそ戦わずにすむ人間もいるに違いない。

国家間の武力衝突というのも収まったのだろう。

だがそれとは裏腹に、望まずも戦わされる人間がいるのも確かなのだ。

特に、



「覚悟のない子供までも戦場に立たされる現実をどう言い繕う」



脳裏に浮かぶのは背の小さな幼子の姿。

不釣り合いに大きな槍を構え、無機質な瞳で立ち尽くす少年の影。

望まずに生まれ持つ力の為に戦う宿命を強いられた存在。

それは見ぬふりか?



『ふむ、確かに少年兵は旧暦の時代でも最も悲劇的な問題だった』

『それが戦争なら許しがたい事だ』

『しかし、だからこそ魔導師がいい』



そもそも少年兵とは使い捨ての道具だ。

動いて銃が撃てればそれでいいだけの肉盾。

幾らでも替えの効く安価な労働力である。

だから扱いが悪く、だからこそ末路は惨いことになる。

ところが管理局で働く幼年の魔導師達はそれとは全く違う。



『彼らは力があるからこそ求められるのだ』

『求められるという事は必要だと認められる事に他ならん』



使い捨てなどとても出来ない貴重な存在なのだ。

凡百の大人を幾人集めるよりも効果的だから必要とされる。

それだけではない。



『現実、彼らにも力の使い方を学ぶ場所は必要だ』

『でなければ安全装置のない爆発物と変わらんからな』

『それはクリーンとは言い難いだろう?』



何かの拍子で暴発した力は本人とその周囲に取り返しのつかない悲劇を生む事だろう。

前提として制御の訓練は必須。

とはいっても力を求められぬ環境で満足な訓練など許される訳もない。

切実に魔導師が求められるからこそ彼らは公然と力を制御する訓練が受けられ、それを発散する場も得られるのだ。



『そして子供達は前に立つ背中に希望を持って生きる。
 彼らのようにならんと』

『大人達はその期待を背負い、応えんと努力するだろう』

『その連鎖が世界を良き方向へ導くと確信している』

『お前にも覚えがあるはずだ』



脳裏に訓練に励む小さな背中が過ぎった。

自分の幼い頃によく似た面持ち。

こちらを見上げるその瞳に憧憬の光を見た。

彼の期待を裏切れぬと思った。



『世を正すのは英雄の勝利などではない』

『圧倒多数の心に宿った小さな良心だ』



だから。

そう、だから。



『我らはその為の悲劇を演出する』

『その為の不自由を演出する』

『その為の希望を演出する』



誰もが平和を求めるからこそ世は治まる。

満ち足りた平和の中、それを自覚させてはならない。

足りぬから人は求めるのだ。



「その為にスカリエッティを支援しているのか」

『そうだ』

『ジェイルは実にいい駒だ』



明確な敵。

分かりやすい邪悪。

言い逃れようもないパブリックエネミー。

期が満ちれば管理局の正義の下に裁きが下されるだろう。



『安心するといい』

『お前が戦ったあの戦闘機人達も、いずれは管理局に所属する事になる』

『そして手本となる大人達の下で生きる意味を知るだろう』



それでいい。

地獄を経験しているからこそ、彼女らは誰よりも平和を求める。

その価値を、尊さを知る。

守る事に必死になる。

あの哀れな少年、ゲルトのように。

しかし、だとするなら。



「茶番だというのか、全て……」



あの約束も。

これまでの戦いも、あの輝きも、全て。

そんな筈はない。

そんな筈は……。



『そんな筈はない』



そう、そんな筈はない。

魔導師がどう戦おうと、そこに生き、笑う人間は現実だ。

それこそ守るべき全てだ。



『お前達が今日という現実を守れ』

『未来という幻想は我らが守る』



守り続けていく。

これまでも、そしてこの先も。



『さっきお前は茶番と言ったな』

『しかしそれだけにしか思えないなら、お前は知らんのだ』

『人が生きるという事が、いかに奇跡的なのかを』





**********





そうして今日もゼストは巧妙に隠されていた施設を襲撃する。

砕き、壊す。

襲われる側からすれば、まさに天災でしかない。

ここは古代ベルカの遺産を秘密裏に研究しているとの事だったが。



「レリックの気配はないな」



施設の中心付近まで侵入してなお何も感じない。

膨大な魔力を貯蔵しているのがレリックだ。

近付けばその所在の大凡は分かる。



「外れか」



最後の隔壁の前に立つ。

警護の魔導師も防衛設備も、今や殆ど機能していない。

大上段から放たれた剣圧はしごくあっさりとその道を拓いた。

奥にあるのはこの研究施設の要。

何が出るものか。

建材を踏みにじり、その先へ。



「これは……」



まず目についたのは十字架だった。

紫電を弾けさせるコードも、吹き上がる火柱もそよ風のごとく受け流して歩み寄る。

間もなくそこに磔にされた存在に手が届く距離まで来た。

少女、というにも小さ過ぎる体。

鮮やか過ぎる程に赤い髪。

意識も判然としていないのか、瞳の焦点は定まっていない。

ゼストの知識には‟それ”の正体があった。

現存しているとは驚きだ。

まさに古代ベルカの遺物。



「融合騎、か……」





**********





覚えているのは白い壁。

覚えているのは白い天井。

覚えているのは白い人間達。

全て白色の世界。



「頭を上げろ」



白衣を着た人間が首筋に何かの注射を刺した。

多分強制的に魔力を放出させる類の薬だ。

限界時の出力でも測っているのか、それともただ自分を弱らせたいのか。

制御を超え、無理やりに引き出された炎が体を炙る。



「あ、うっ、ああっ、あアアぁァ!?」



感じたのは痛み。

喉を切る叫び。

暴走する炎。

果てのない実験が体を、心を侵す。

何時からここにいるのだろう。

どうしてこんな事をされているのだろう。



「アタシ、は……」



確かに生まれた訳があった。

存在理由が、果たすべき使命があった。

自分という器のあるべき形があった。

誇り高き古の血脈。

騎士と並び、騎士を覆い、騎士を護る。

その名も称して貴き融合騎。

烈火の剣精、アギト。

誇るべき我が字名。

しかしそれを果たせず、こうして飼われ続けるくらいなら――――。



「燃や、せ」



この身も。

この心も。

この白い世界も。

全て焼き尽くしてくれ。

何もかも。

そう何もかも



「燃やせ……!」



か細い声で命ずるも弱り切った体ではマッチほどの火を灯す事もできない。

これは呪いであり、祈りであり、願いである。

壊れかけた人形の妄想。

しかしその夜、望みは突然に叶えられた。



「爆発……?」



夜半近くだったと思う。

衰弱の極みにあった融合騎も流石に目を覚ました。

近い。

建物の中だ。

無機質な目で自分を見ていた白衣達が慌てて逃げ去るのが見える。

しかしそいつらも皆新たな爆発が飲み込んだ。

火にあぶられた壁、煙が覆う天井。

彼女を囚えていた白い世界はごくあっさりと壊れて消えた。

視界を覆うのは炎だ。

赤い炎だ。



「火の、匂い……」



炎を司る自分だからこそ分かる。

これは破壊を目的とした爆発だ。

事故によるものではない。

するとなにがしかの襲撃か。

ここの陰険な連中の事、それはそれは恨みも買っているだろう。

今度はあいつらが虫のように踏み潰される番だ。



「へっ、ざまぁ……みろ……」



自分を拘束していた台座も吹き飛んだ。

終わる。

ようやく、終われる。

これで最後だ。

何もない人生だったが、あの白衣達の末路が見れただけ、いいか。



「くそぉ……」



ジワリと目尻に浮かんだのは何だったか。

騎士と対になるべき融合騎。

心の通った主に捧げる筈のこの力。

その一生もこれで終わり。

零れ落ちたその涙も新たな爆発が吹き飛ばす。

ついにこの部屋の壁も崩れ落ちたのだ。

床に伏す彼女の耳には別の音も聞こえていた。



足、音……。



ここを襲った奴か。

走るでなく構えるでなく、何の感情も見せぬ足取りが近付く。

足音はすぐ目の前で止まった。

光の消えかけた眼にもその姿は否応無しに映った。



「あ……」



男。

脚甲、手甲で四肢を覆った男。

揺らめく炎に佇んだ人影。

その手にあるのは武器だ。

槍なのか、長刀なのか。

だが確実に分かる事がある。



騎士。



間違いない。

夢にまで見た、ベルカの騎士。

漏れ出る魔力すら桁違いだ。

その手が自分に伸びるのすら身動ぎもせず見つめている。

ひどくゴツゴツした、大きな手のひら。

あれなら自分の細首など一息に縊れるだろう。



「くっ……」



喉を絞って悲鳴を殺す。

泣き言なんて言うものか。

命乞いなんてするものか。

絶対に、絶対に。

言うものか。

言うものか!



「――――?」



しかし覚悟したその瞬間は一向に訪れず、その手はアギトを包み込んだのみ。

気付けば施設の外にいた。

燃えている。

あの地獄に思えた研究施設が、まるで焚火のように。

こんなに小さかったのか。

あっけない。

どのくらいそうしていたのか、見上げる先にいるのは二人。

一人は自分を拾い上げた騎士。

もう一人は外で帰りを待っていたらしい少女。

騎士はこちらに背を向け、構わず行こうとしていたが……。



「置いてっちゃうの?」



連れらしき少女がこちらを掬い上げた。

長い紫の髪が記憶に残っている。

小さく温かい手の平を覚えている。

運命が変わった瞬間を覚えている。

自分も、連れて行ってくれるのか。

叶えられるのか。

諦め切っていた願いを、遂に。



騎士と共に歩む。



それが実験体としての日々の終わり。

それが融合騎としての日々の始まり。

烈火の剣精、アギト。

それが彼女の始まり。





**********





「では融合騎の件、構わないんだな?」

『先程も言った通りだ』

『全て前に任せる』

『一層の働きを期待している、とだけ言っておこう』



音声のみの通信に、いつものように報告を行う。

最高評議会はさして興味もなさげに追認するのみだった。



『何度でも言うが、我らは特別非道を好む訳ではない』

『存在しない筈の亡霊にしかできない事があるというだけの事』

『そう我々や、そしてお前のように』



亡霊。

一度死に、仮初の命を与えられて蘇った。

ただ土に還る時を待つだけの屍。

今の自分はまさに亡霊だ。

しかし、



「お前達も亡霊だと?」

『我らは旧暦の戦争の時代で既に世界を左右できるだけの権力を得ていた』

『まともな方法で今のように活動できると思うか?』



声には苦笑が混じっているように思えた。

懐かしむようにも感じられる。

確かに、旧暦の戦争に参加していたという彼らの言を信じるなら少なくとも百数十、あるいはそれ以上の高齢の筈だ。



『家族と呼べる者も、友も、地位も名誉も何もかも遥か遠い過去に置いてきた』

『かつての誓いのみが今も我々を動かしている』

『死してなお蠢く、我らもまた亡霊よ』



肉を捨て、過去を捨て、縁も捨て。

折れぬ意志だけが、燃え立つ信念のみが彼らを動かしている。

だから挫けない。

だから躊躇もしない。

全ては一日でも長くこの勝ち取った世界を守り抜く為。



『務めを果たせ、ゼスト・グランガイツ』

『理解できぬお前に平和の為動けとは言わん』

『ルーテシア・アルピーノの為、お前が死なせた部下達の為に……』



闇夜を這え。

汚泥を飲み、腐臭を吸え。

生者の為の魁として、




『行け、亡霊』




[8635] 賛えし闘いの詩
Name: Neon◆139e4b06 ID:0731d059
Date: 2017/04/07 18:52
土は舞え。

風は散れ。

肉は始点で鋼は導線。

撃音と火花が幾重にも閃く中、対の騎士が交差する。



「お・お・お……ッ!!」



光すら刈り取る黒の三連撃。

縦、横、切り返し。

煌めかざる流星は烈波のごとし。

ただ一つへの接触でも致命は必至。

許された時間的、空間的間隙はどれほどか。

その瞬間、その場所、その安全圏へとその体を運べるか、否か。

問われるのは経験であり、反射であり、何より薄氷と言える刹那の読みへ一瞬の躊躇なく飛び込める度量の程であった。



「くっ……ああっっ!」



後ろ髪を流したままに激しく動く女騎士。

立ち合いとはすなわち陣取りなりと囁く者がいる。

いかに自陣を防御し、いかに敵陣を侵略するか。

いかに敵手の剣線を逸し、いかに自身の剣線を相手へなぞるか。

同じ事だ。

互いにただ一本の線を、あるいは一つの点を、相手の急所へ通す。

烈火の将、剣の騎士の白刃。

鋼の騎士、槍の騎士の黒刃。

より場を制するのはーーーー。



「薙ぎ倒せ、ナイトホーク!!」

『望みのままに』



翻る黒い刃。

一気呵成に攻め立てるゲルト。

シグナムのカウンターを見事に柄へ受け流しつつ、ナイトホークの連撃に次ぐ連撃。

確かに剣と槍との間合いでは槍の方に軍配が上がるのは道理ではある。

しかし、これだけか?

いや、まさか。



「シグナムが防戦一方に見えるけれど……」

「まさに、その通りです」



遠巻きに観戦するカリムの言葉へシャッハは頷いた。

ゲルトとシグナムの模擬戦自体はさして珍しい事ではない。

だが今日の戦いは些か常のそれとも違った。



「さらに腕をっ、上げたか!」

「いい経験ができてなぁ!」



辛くも凌ぐシグナムだが、渋面は隠しようもない。

斬、突、打を織り交ぜるゲルトの攻撃は精妙にして凶悪。

刀身のみならず柄も、足も、触れる全てが人体を引き裂く凶器そのもの。



通常、長物へは引き戻しの隙を突くが……。



それを相手が許さない。

またも戟音。

上段から斜めに入った刃をどうにかと受け流す。

レヴァンティンの上をグラインダーのように飛び散る火花。

隙を突くなどという余裕は微塵もなかった。

雪崩れのように叩きこまれる超重量の斬撃。

さらに続いて撃ち込まれた蹴撃がシグナムの体を九の字に折った。



「ぐーーぅーーっ!?」



地面を滑走しながら腹の痛みを逃がす。

膝にくる重い一撃。

それ以外のダメージとて無視はできないレベルだった。

斬撃を受け流したはずの腕は痺れ、刀身が悲鳴を上げる。

もしまともに受けてしまえば、例えレヴァンティンといえどもどれほど保つか。

守勢は悪手。

袋小路へと自ら進む事に他ならない。



流石、と言うべきか。



しかし。

だがしかし。

純粋な立ち合いでの不利を自覚しながらも、それでも。



「……来い!」



レヴァンティンを腰だめに控え、前傾に半身を倒す。

こんなものではないはずだ。

戦うほどに強くなるこの男が、高町なのはという才能とあれだけの戦闘を繰り広げ、この程度であるはずがない。

確信があった。



「お前の全てで掛かってこい!」



一人の騎士として、ゲルトは一流の騎士であると認めている。

一人の武芸者としても、彼は無二の好敵手であると定めている。

一人の局員としてなら、尊敬に値するとさえ思っている。

だからこそ、見せてくれ。

今この瞬間のお前の全て。

対等でありたいのだ、彼とは。

だからこそ!



「……失礼した」



ゲルトは言外の意味まで察してくれたらしかった。

殊勝に告げた彼はナイトホークを大上段に構えた。

見るからに攻撃に特化した姿勢である。

攻守両面、いかようにも対応するそれまでのものとは一線を画す攻勢の型。

かといって自棄になったようにも思えない。



「行くぞ、シグナム。
 俺の全霊で」



つまりこれがゲルトの必勝の形という事。

さらに爪先へ体重が乗るのが見て取れた。

正念場だ。



「「カートリッジロード」」



薬莢の排出と同時、瞬間的に増大する魔力の波動。

正面の相手が敵だ。

全力を以て挑むべき、我が好敵手。

全力を以て破るべき、我が好敵手。



「「勝負!!」」



爆発。

そうとしか呼びようのない魔力の奔流。

両者の背後へ噴出する推進力は人体を木っ葉の如く弾いて飛ばす。

解き放たれた二本の矢。

神速の直線機動は常人なら消えたと錯覚するほど。



「はああッ!!」



意外にも先手を取ったのはシグナムだった。

速度を一杯に活かした袈裟の斬撃。

しかし予兆もなく現れたゲルトの障壁が難なくそれを弾く。

続く二連、三連の斬撃も現れては消えるそれらを突破することは叶わない。

気取られるほどの予備動作もなく、こちらの剣線に合わせ突如として発生するファームランパート。

たった数瞬の展開でシグナムの攻勢は完璧にいなされた。

まるで見えないもう一対の剣と太刀合うような錯覚。

どうやら先手は譲られたものであったらしい。

無為にレヴァンティンを振り下ろした無防備な彼女へ向け、ついに暴威が振り下ろされる。



「おおおおおッ!!」



目の前のファームランパートが消え去ると同時、シグナムの位置を空間ごと断ち割る漆黒の豪槍。

大上段からの一撃。

受けるな。

避けろ。

迷いもなく身をよじり、体を投げ出す。

シグナムらしからぬ全力での回避。

結果的にそれは正しかった。



「爆ぜろ!!」



爆発的な魔力が集中した刃はもはや斬撃という形に収まらない。

文字通り大地がめくれ上がり、吹き上がるように爆砕する。

離れて見るカリム達だからこそ、その桁外れな破壊力がよく分かる。

衝撃は地揺れの如く、響きは遠雷のそれ。

威力に至ってはまさに天災。

そしてゲルトはまだ動く。



「行け」



もう一歩踏み込んだ足を軸に半回転。

バットでも振るうかのように鎬で打った。

言葉にするとそれだけだが、落下する地盤が突如軌道を変えてシグナムを襲う。

視界を覆うほどの影。

人間を押し潰すには十分な大質量。



しかし所詮は土塊。



レヴァンティンの冴えの前には何程の事もない。

バターよろしく斬り分けるなど、いとも容易な――――



「ッ!!」



逃げる。

地面を滑走する姿勢からさらに跳躍。

直後だ。

間髪を入れず岩盤を貫いたナイトホークの切っ先が彼女の横っ跳びに避けた、まさにその場所を穿つ。

一寸にもならぬ距離。

やけにゆっくりと動いた景色の中にゲルトが見えた。

その手が、ナイトホークを掴むその手首が捻り込むのを見た。

破壊的威力の権化である穂先はそれだけで貫いた岩盤を散弾に変える。



「速い」

「そして迷いがありません。
 自信を感じます」



固唾を飲んで見守るカリムらに意識を払う余裕もなく、シグナムは雨あられと襲い掛かる土砂をシールドで防ぎつつさらに下がる。

一歩、二歩。

大きく下がる大跳躍――――は、許されない。



「がッ!?」



不意に現れたファームランパートがシグナムの行き手を遮り、その体を弾く。

突然の衝突は彼女の呼吸を乱し、そしてゲルトに攻撃の機会を作った。

駄目だ。



主導権を取られるわけには……!



姿勢を崩す覚悟で跳躍。

身を投げ出す側方への投地。

恐ろしい速度で迫る横薙ぎの一閃を潜りながら、レヴァンティンは高速変形。

黒刃の通過に耐えかね、破裂した空気が頬を叩いた。

瞼が眼球を守る生理的衝動から閉じようとする、が。



冗談ではない。



どうにか強引にも見開き、刀身が伸び切るのも待たずに体の捻りから連結刃を放つ。

咄嗟の機転ではあったがシュランゲフォルムを手繰る手首の動きに淀みはない。

唯一ゲルトの護りを突破しうる蛇腹の剣。

狙うのは伸び切った腕だ。

ゲルトも防御はしなかった。



「流石」



敵手の見事な連携に感嘆の言葉が素直に漏れる。

なればこそ、己もこの程度で躓く訳にはいかない。

振り抜いたナイトホークの重量に逆らわず、むしろそれを利用して体ごと回転。

ぐるりと彼我の位置を入れ替えた。

辛くもレヴァンティンの攻撃から身を躱しつつ、すぐ間近で倒れ込んだシグナムの死角へ回る。

混乱など微塵もなく、ただただ鮮やかに続く連携。

台本をなぞるように最適解を選択し続けなければ即座に破綻する薄氷のワルツダンス。

瞬くほどの間に繰り広げられる幾重もの攻防劇。

まるで演舞のような理想的応酬の連続。

いずれも人間の身体構造、慣性を元にした物理法則、それらを熟知し反射のレベルで演算可能かつ実行可能な高度な頭脳あったればこそ。

次いで死角へ回るゲルトを牽制するようシグナムが振るう全周への薙ぎ払い。

肩から地面に倒れたシグナムであるが、戦意は些かも衰えた様子はない。

諦めもない。

そして鞭の特性を備えたシュランゲフォルムならば不安定な姿勢からでも所定の攻撃力を発現可能だ。

下段からの薙ぎ払いは両の足を巻き込み、抉り取ってしかるべきであったが、しかし何らの手応えもなし。

結論は一つだ。



跳んだ?



迂闊な。

そして愚かな。

例え一撃を逃れるに良しとしても、それは悪手。

今のレヴァンティンはまさに怒れる竜の尾であろう。

シグナムを囲むようにとぐろを巻いたそれはくまなく鱗に覆われ、哀れな獲物を打ち据えるどころか“削ぎ落とす”。

柔にして剛。

宙ともなればどうとでも。



「飛竜ーーーー」



身を翻したゲルトはいっそ無防備なまでに宙を舞っている。

こちらの頭上を通過する軌道か。

既にナイトホークは構えられ、真上から垂直方向へ薙ぎ払う姿勢。

なるほど、台風の目よろしく至近はシュランゲフォルムが苦手とする所ではある。

しかしどこかにでも触れればよいのだ。

そこからいかようにも絡め取ってくれる。

ではどうする?

どうするんだ、ゲルト。



「一閃!!」



引き裂かれた大気が金切り声を上げて吹いて散る。

意を受けたレヴァンティンが上方のゲルトへ猛然と押し寄せた。

砲撃級魔力の怒涛。

常ならば王手だ。

だがこの進化し続ける騎士ならば、とシグナムは思うのだ。

何か予想を裏切るような事をやってのけるのではないかと。

その予感は僅かの間もなく的中した。





※※※※※※※※※※





しなり、うねる、恐るべき蛇腹の剣。

シグナム渾身の魔力を込めて放たれたそれは無辺であるはずの空を瞬く間に鳥籠へと塗り替える。

例え飛行して逃れようにもそのような単調な動きなど周辺の空間ごと圧殺してのけるだろう。

控え目に言って絶対絶命の危機だろう。

しかし、



何だ、これは。



視神経を通じて全身に行き渡る電撃のような行動指令。

なんてことだ。

ああ、なんということだ。



「見える……」



辺りを囲みつつあるレヴァンティン。

その動きの、範囲の、結び目の、繋がれた一つ一つの刃の輝きの。

そのありえざる情報の全てが脳内を駆け巡り、ゲルトの意思をも超えて肉体が駆動する。

膨大な演算処理を行うに任せ、求める解はただ一つ。



「食い、破る」



飛行魔法が放物線を描くゲルトを持ち上げ、まだ閉じられぬ上方へと引っ張り上げる。

やおら釣り糸で引き上げられたように跳ねる体。

しかし黄金の瞳がじっと見つめるのは逃がすまいと伸び上がり、僅か開いた刃の渦の間隙の、その向こう側。

知らず蹴り出した足が体をその隙間へと捩じ込んでいた。

自身驚くほどの呆気なさで籠目の結界をすり抜ける。

今更のように直前にいた場所でファームランパートが霧散するのを視界に捉え、ようやく自分が何を蹴ったのかに思い至る。

だが、そのような済んだ事象に意味はない。

反転急降下。

飛行魔法がさらに体を加速する。

ようやくと気付いたシグナムがレヴァンティンを己の後背へ振り抜いたが、それも空を切る。

目についた全てを襲う広範囲の薙ぎ払いはしかし、着地したはずのゲルトの遥か下で地面を抉るのみ。

ファームランパートの盤上、空中に“着地”した彼の速度はマックスからゼロへ。

そしてまた加速。

つい先程足場にした障壁が今度は発射台だ。

墜落必至の速度を力任せに捩じ伏せ、彼は滑るように接近する。



いかん!



慮外の機動にシグナムの視線が追い切れない。

目の前に飛び込んで来るはずがテンプレートを利用してまたも軌道変更。

空を蹴ったゲルトは再び死角へ。



「くっ、レヴァンティン!!」



更に魔力を増した連結刃が這った地面から土砂を巻き上げさせる。

土色の逆瀑布。

砂利の混じった土が重力を忘れたように吹き上がる。

捉えられぬならばこうだ。

辺り一帯丸ごと打ち据える我武者羅なあがき。

それでも、



「斬ッ!」



一閃。

魔力を孕んだ黒の斬撃は空をすら割る。

視界一帯を覆った土砂の壁が引き裂かれ、残滓も残さず消滅。

それだけじゃない。



「速い!?」



垂直の上昇機動からいきなり水平に体が流れ、降りてきたかと思えば急停止。

ただ虚空を蹴り出したというだけの事が、ただ足場を空に作ったというだけの事が、消えたと錯覚するほどの欺瞞を生む。

なまじ強力な飛行魔法による推進力が囮となってシグナムの目を眩ませていた。

戦技披露会の時より、さらに洗練されてきている。

自分をして視界に捉えきれないとは。

空中跳躍と空中静止。

動と静。

それも極大から極小へ。

この組み合わせを近接戦に長けた猛者が振るえばどうなるか。



高町が手こずる訳だな……。



読めない。

むしろ読もうとするほどに裏切られる。

右なのか、いや。



「ーーーー左!!」



氷のように背筋を貫くのは恐怖か、畏怖か。

直感のみを頼りに剣を構える。

やむにやまれぬ防御の型。

血の気が引く感覚はいつ以来だろう。

火花が散ったのは直後の事。

黒と白の刃が噛み合い、交差の一点で結ばれる。



迂闊!



己の無力を吐き捨てる。

そうでもなければ防御など。

ゲルトの攻撃へ正面からまともに当たるなど愚の骨頂。

単純な力比べに一分の勝機もありえない。

常であれば万全であるはずのレヴァンティンによる受けですらこの際到底不足。



「く、かっ…………!!」



捻れる手首に軋む肘。

激突した鋼の擦過は音程を外した弦楽器のように不愉快な音色でシグナムの精神をかき乱す。

渋面に溢れた主同様、その愛剣もまた深刻な危機に瀕していた。

不協和音はつまるところレヴァンティンの苦痛の表れである。

あろうことか頑強で鳴らしたはずのベルカ式アームドデバイスの白刃が削れ、欠けて落ちるのが見て取れた。

それだけに留まらない。



レヴァンティンが……曲がる!?



耐えられない。

自ら引かなければ刀身は遂に限界を迎え、武器として致命的なダメージを被る事になっただろう。

無論、引くという事は押し負けるという事。

そしてあっさり押し切られた。

足が浮くやいなや全力で振り抜いたゲルトの思うままにシグナムの体が飛ぶ。

まるで投じられたハンマーのように強引に。

そしてそれで終わらない。

終わらせない。

もはやこの間合いはゲルトの居城なのだ。

獲物を捕らえた、厚く高くそびえる城壁の、その只中。



「かはっ!?」



強かに叩き付けられた。

空中に突如展開したファームランパートは再び勢いづいたシグナムの背を叩き、その衝撃はあまさず彼女の内臓へ襲い掛かる。

受け身を許さぬ攻性の障壁。

最硬を誇るテンプレートは僅かの勢いも吸収せず、全てシグナムへのダメージとなって返る。

押し潰された肺から空気が溢れ、闘志を繋ぐはずだった正常な呼吸を押して出す。

バリアジャケットを着込んでなお、これだ。

常人なら背骨をへし折られかねない危険な技。

しかしシグナムの頭に真っ先に浮かんだのはそれではない。



この距離はーーーー!!



ゲルトから二メートルも離れてはいない。

実際には押し切られても吹き飛ぶことすら許されなかったこの体。

次の瞬間に待つ未来は?



「ああああッ!!」



喉から迸る咆哮。

消えかけたシグナムの意識はスパークよりも早い速度で魔法を編んでいた。

正三角に剣十字を頂くシールド。

過たずその中央へナイトホークの切っ先が突き刺さったのはまさにそれと同時だった。

正面直突き。

もう半瞬遅ければ正中線を射抜かれていた事だろう。

だが間に合った。

武器を突き出したゲルトより、こちらの方が早い。

シールドの展開とほぼ同じく一瞬の遅滞なく右手のレヴァンティンへ巻き付く炎。

昏倒寸前とは思えぬ魔導の冴え。




「紫電一せーーーー」




呼吸同然に使い慣れた技。

ここぞという時はいつもこの一撃だった。

炎熱属性を付与された秘剣の威力は十二分。

そう、振り切れたならば今回の勝負の結果も違っていただろう。

振れていたならば。



「遅い!!」

「ーーーー!!」



レヴァンティンがその真価を発揮する事はなかった。

それより早くシールドを貫いたナイトホークの一突きがシグナムの臓腑を抉る。

見事に砕かれ、霧散するシールド。

憎い事にシグナムの背面を遮断していたファームランパートがそれと同時、彼女の膝下ほどの高さで再展開する。

勢いに押されてたたらを踏んだまさにその場所。

期する所は明白。

足払いだ。



「づぁッ!?」



今度こそ堪えることは出来ない。

完全に勢いに負ける形でシグナムは地面に倒された。

無防備極まる、最悪の状況。

間髪入れず豪槍が来る。

上段からの振り下ろしはさながらギロチン。

もはやシグナムに抗する術はなかった。



「――――そこまで!!」



勝負はついた。

誰の目にも明らかなそれを、立会人であるシャッハが宣言した。

それを合図にナイトホークの刃がピタリと止まる。

まさに首の真上であった。

攻撃に備えて強張った体が弛緩、喘ぐように吐息が漏れた。



「…………」



残心を解いた二人が呼気を整えるのに数秒。

荒い呼気がそれぞれの喉から漏れ出る。

目だけが物を言う沈黙の間。

先に口を開いたのはシグナムだった。



「……参った。
 完敗だ」



差し伸ばされた手を借り立ち上がる。

人間一人分を引き上げても青年がぐらつくような事はない。

出会った日には利発な少年という出で立ちだったが、いつの間にか背丈も追い抜かれた。

気付けば彼を見上げるようになり、こうして手を借りるまでになった。

大きく硬い手の平。

武人の、男の手だった。





※※※※※※※※※※





ほぅ、と熱を帯びた息をつく。

シャワールームで土と汗に塗れた体を清めたシグナムは、己のロッカーを開けた。

待機されていた救護班によってシグナムの状態は問題ないまでに回復している。

濡れた髪を拭いながらシャツへ腕を通す。

洒落っ気のない簡素な私服。

しかし仄かに蒸気した肌と湿り気を帯びて艶めく長髪、そして仕合の余韻でか常より僅かに弛緩した気配はシグナムの女としての魅力を否応なく引き出していた。

同性でも頬を染めてしまいそうな色気を周囲へ放ちながら、しかし彼女の頭にあるのは先刻の仕合の顛末のみである。

こちらの手を取って引き上げた男の姿が脳裏に浮かぶ。

頭の中で形を取ったゲルトが記憶を確かめるようにあの一瞬一瞬を再現する。

彼が軽々と自慢の槍を振るう姿、体躯とは裏腹に素早く駆ける姿。

間違いなく、強くなっている。

ただの打ち合いでもデバイスを破壊できる豪腕。

状況に合わせて即座に先手が打っていける判断力。

暴走必至の魔力の奔流すら見事に抑えてのける制御能力。

硬度のみならず展開時間から発動位置の制御まで格段の進化を遂げた特異な防御障壁。

こちらの手を知られている事を思えば、



「もう、私では相手にならないか」



過去の残影たる己と、止めどない成長を続ける彼。

いや、もはやあれは進化の域か。

必然なのだろう。

今日の敗北も。

苦笑を漏らしたシグナムの、その背に人の気配。



「お疲れ様でした、シグナム」

「……騎士カリム。
 それにシスターシャッハもですか」



振り返れば二人の女性が並んで立っていた。

カリムに、シャッハ。

ヴォルケンリッターにとっては恩人でもある。

そして主たるはやてを中心に新部隊設立が進む現在、彼女らは重要な上役でありスポンサーでもあった。



「レヴァンティンは大丈夫です。
 教会の技術部が対応していますよ」

「そうですか、感謝致します」



刃の幾らか欠けたレヴァンティンであったが、修復は何とかなるだろう。

完全に力負けした証だ。

もしあれ以上打ち合っていたらどうであったか。

考えるまでもない事であった。



「今日、改めて確信しました。
 やはりあいつは新しい部隊に必要な人間です」



その人間にする、これは陳情。

はっきりと口にした。

これはベルカの騎士としての言ではない。

時空管理局所属の局員としての発言である。



「所属柄地上の事情に詳しく顔も広いですし、技量は本物です。
 あの腕ならば例え大幅に魔力を制限されたとして、それでも並みの魔導師では傷一つ付ける事すら不可能でしょう」



常になく饒舌に言葉が漏れ出た。

はやての望む新部隊。

発案者であるはやてやそれに仕えるヴォルケンリッター、同志であるところのなのはやフェイトは当然として、それだけで回るものではない。

部隊員のリストアップは水面下で着々と進んでいた。

いずれも若く、活躍の機会を窺う新世代の俊英達。

本部が首都クラナガンに置かれる事は既に確定しており、構成員は自然地上部隊所属の者が多くなる。

その中でシグナムが最優先で引き入れるべきだと考える人物。

今更あえて名前を挙げるまでもない。



「少数精鋭にならざるを得ない部隊の事情を鑑みても、あいつは完全に条件に一致します」



最前衛として、後詰として、あるいは捜査員として。

仕事はどれに当たらせてもいい。

しかもかつて研修中のはやてとは同僚だったという経歴もある。

その時から上官である主を立ててくれていたと聞く。

同年齢の上司の下につけるというのはプライドの高い人間にとって無用な反抗心を芽生えさせる事にもなりかねないが、奴に限ってその心配もあるまい。

能力と信用。

どちらにおいてもゲルトはシグナムの考える部隊員としての資質にこれ以上ないほど見事に合致していた。

そして、



「何よりあいつは“あれ”との交戦経験があります」



核心をつく一言にカリムが僅かに眉を顰めた。

新部隊は遺失物管理部の下で構成される事になるだろう。

当面の相手は既に定めていた。

ゲルトには因縁のある敵だ。

だというのに何故彼が未だに新部隊のメンバーとして起用されていないのか。

理由は明白。



「ですからどうか、ゲルトを勧誘する“許可”を頂きたい」



禁止されているからだ。

目の前の女性。

よりにもよってカリム・グラシアの手で。

それもかなり初期、まだ構想にしか過ぎなかった段からの事。

理由は陸士部隊からの強烈な反感が予想されるという事だった。

確かにそれは考えられるが、それを言うならば教導隊所属のなのはだとて同じ事。



「私としても彼の能力を疑っているわけではありません」

「ならばなぜ、あいつだけが特別のような扱いを?」

「…………」



解せない。

そもそも新部隊の設立にカリムが協力してくれているのはある予言によるものだ。

それは管理局システムの崩壊すら暗示させる不吉なもの。

他ならぬカリム自身が告げているものだ。

むしろその対策としてミッドチルダに強力で即応できる魔導師部隊を置いておきたいというカリムら一部高官の希望に主たるはやてが乗じたというのが根本の話。



「確かに引き抜きは周辺の反感も買うでしょうが所属そのものは地上部隊ですし、実験的側面もある組織だと言う事はご存知のはずだ」



あくまで一時的な部隊。

概ねの構成員についてもいずれステップアップしていく為の実績作りとして紹介している。

ゲルトにとってもいい機会になるだろう。

どうも奴をベルカ式の広告塔にしたがっている節もある教会にとっても悪い話ではない。

しかしそう思えるのは見方の問題だ。



「そう、失敗しても構わない実験部隊。
 だから認められないの」

「……それほどまでにゲルトの存在は重い、と?」



カリムは曖昧に視線を逸らすだけだが、それは答えたも同じだった。

思わず二の句に詰まる。

今の言葉を聞く限り、カリム自身も完全に納得はしていない様子だ。

つまりは教会のもっと上からゲルトは注目されている。

いや、これほどの特別扱い。

最早庇護されていると言ってもいい。

頭が全く追いついてこなかった。



「ゲルトは聖王教会の所属でもない、ただの陸士部隊員ではありませんか」

「そうですね、でも彼の育ての親はベルカの自治領出身なんです」



ゼスト・グランガイツ。

彼は生粋の自治領生まれ、自治領育ちである。

魔法や戦法についても当然現在の常道にて教練されていた。

その継承者とあれば、これはもう身内も同然。



「しかし奴自身に教会への帰属意識など……」

「だとしても、彼はもうヒーローなのよ。
 おとぎ話から今に蘇った、ね」

「それが私達にとっては大事なんです」



本気か。

騎士カリムも、シスターシャッハも、冗談を言うような顔ではない。



「騎士シグナム。
 あなたには分かりにくいかと思いますが、もはや騎士団にすら“本物の”実戦経験者などほとんどいないんです」



シャッハのニュアンスは過たず伝わった。

ここで言う本物とは正真正銘命を賭けた争いの事だ。

勝てば生き残り、負ければ死ぬ。

自分が死ぬか、さもなくば相手を殺す。

非殺傷魔法の一般的になった現在、まずあり得ない事だ。

それこそ管理局員の実戦部隊でもそうは遭遇しない。

所詮は自警団の域を出ない現在の騎士団では無理もない事。



「彼は幼い頃からそんな苛烈な環境を生き抜き、部隊の全滅からも生還し、さらに今も戦い続けています」

「それに憧れる人は決して少なくないわ」



魔法形式として古代ベルカ式は名前の通り歴史が長く、つまりは現代に即していない。

当然だ。

殺し技に主眼を置いた流派など時代ではないのだ。

もはや戦乱の中、流血で磨かれた技など無用。

刃傷沙汰など例え法執行機関たる管理局でも軽々に許される筈もない。

結局、古式であろうが近代式であろうが魔力でカウリングした打撃攻撃に落ち着く事になる。

本来の武技を思えば至極無駄でしかない。

だからこそ騎士達の間での暗黙の了解がある。

生死を含めた真の戦いならば、我々こそが最強だと。

憧れる、とは控えめな表現だ。

聖王教会とて歴とした宗教団体である。

遥かな過去、この世の戦乱を終わらせた武の頂点こそが聖王。

我らこそその末裔。

この思いはまさに信仰であり、そして彼らの存在理由なのである。

ゲルトの鮮烈な半生はそれを肯定する。

己の実力を発揮する事もできない窒息しそうな平和の中、彼の勝利こそが教えてくれる。

死地においてベルカに勝るものなし。

寸止めも峰打ちもない、真の斬撃とはいかなるものか。

そこにベルカの真価がある。

そこにベルカの歴史がある。

あまりに時代錯誤な誇りの形。



「人斬りゆえの評価ですか」

「公に言えるような事ではありませんが、一面としてそれも事実です」



彼の経歴は、少なくとも戦闘機人関連を除き、秘匿されてはいない。

複数件に及ぶ殺人ももちろん記録されている。

それすらも、ベルカの視点で見れば汚点ではない。

殺す意思と能力を持った悪漢に屈せず、そして制圧した。

甘っちょろいお遊戯ではなく、本物の闘争を切り抜けた兵。

そういう考え方も出来る。

むしろ古い価値観に属するシグナムにも分からない訳ではなかった。



「彼の道筋に汚点を残しかねない干渉は許されません。
 これは聖王教会としての決定です」



彼は希望だ。

例え一子相伝の魔法を修めようとそれを発揮する場などない。

例えシールドごと相手を斬り捨てられるとしてもそれを許されることはない。

例え一撃必殺の剣を得ようともそれは相手を気絶させるだけのなまくらに成り果てる。

一体どれほどの伝承者が苦悩し、幾つの流派が断絶したろうか。

結局の所、治安維持部隊の戦力としてミッドチルダ式が優れているのは間違いない。

聖王教会にとってプロパガンダは外だけでなく内に対しても必要な最大懸案事項なのだ。

宗教面のみならずこれは民族の問題でもある。

単純に強いというだけでなく実際に“斬れる”騎士など見逃す訳がない。

ただ彼が目のつくところに存在していれば、それでいいのだ。

陸士部隊で出くわす程度の雑魚相手ならむしろ安心。

そういう思惑もある。



「強さを認めておきながら危険な戦いから遠ざけようとは……」



額に手を当てて天を仰ぐ。

シグナムからすれば呆れるよりない。

実戦経験に乏しいのは何も騎士だけではないようだ。



「矛盾ですよね」

「せめて彼が士官であるならまた話も違ったかもしれませんが……」


シャッハの零した言葉こそ本音であろう。

現在ゲルトの管理局内での位階は准尉相当。

士官学校を出ていない下士官の中では最高クラスであるが、その隔たりは大きい。

一等空尉であるなのはや執務官であるフェイトらと比べると些か以上に見劣りする。



「なるほど、つまり肝心なのはそこでしたか」

「戦技披露会が少し、鮮やか過ぎたようです」



実戦部隊におけるミッドチルダ式の最高峰と争い、そして一歩も引かぬ結果を叩き出した。

地上部隊のみならず、ベルカ自治領内にもかなりの反響があったと見える。

もしゲルトをなのはの下に付けるとなれば、それこそあちこちから猛反発を受ける事になりそうだ。

実際、それぞれの階級を鑑みれば至って妥当な未来ではある。

並ぶならともかく、その下に就くのは我慢できないという訳だ。

ゲルト本人にその気は全くないだろうに、お節介な事である。



「でも……良かったと思う気持ちもあるの」



戦乱の時代を懐かしみながら、やっている事は平和に浸った発想そのもの。

それこそ十重二重の修羅場を潜ったヴォルケンリッターからすれば失笑ものだろう。

しかし、結局今が戦乱と大きくかけ離れた世であるのは間違いなく。

だからこそ、そのルールがまかり通る。



「彼は本当に強くなりましたし、それにいい子です。
 だからこそ、出来るならガジェット関連に踏み込んで欲しくないというのも私の本音です」



弱く、小さく、空っぽだった彼を知っているから。

彼に穿たれた取り返しのつかないほど巨大な空洞を知っているから。

ついには笑顔を見せるまでになった彼の心を曇らせたくない。

これはカリム・グラシアの偽らざる気持ち。



「ですから、改めて明言します。
 ゲルト・G・ナカジマ准陸尉の新設部隊への編入は認められません。
 よろしいですね?」

「……承知しました。
 主にもそのようにお伝えしましょう」



無念ではあるが、通らない人事を求めても仕方がない。

内心はともかくシグナムは神妙に頷いてみせる。

まさか教会におけるゲルトの重みがここまでとは想像してもみなかった。




「ごめんなさいね」

「いえ、我々の立場は分かっているつもりです」



聖王教会にとって主はやて含むヴォルケンリッターの面々な非常に複雑な存在だ。

古代ベルカ時代を体験している貴重な存在であると共に、公式には擁護しかねる骨髄の暗部。

例えゲルト以上の血風を纏った古兵達であっても、相手はそれこそベルカの同胞達や戦う術もなかった一般人なども多大に含まれている。

戦士との闘争ならともかく市民相手の虐殺では話が違うのは道理。

歴史的にどうかはともかく、騎士の価値観にはとても相容れない存在だ。

現在は贖罪に努めている建前であれこれと便宜を図ってもらっているが、いざとなれば切り捨てられるだろう。

その辺りがゲルトとの扱いの差か。

王道正道を切り開く、ただ在るだけで騎士達を慰撫できる英雄。

冥府魔道を体現した、ただ在るだけで怨嗟を呼びかねない劇物。

どちらを尊重するのかといえば答えは明白だった。

そう考えてみると、



もしや、私はあいつの箔付けのダシにされたか?



あまねく次元世界に恐れられた闇の書の騎士ですら、鋼の騎士には敵わず。

完全な邪推とも思えなかった。

今日のような展開を期待されていたとすれば度々貸し切りで演習場を使えたのも納得がいく。

ただ、別段シグナムとしても異論はない。

ゲルトがこちらを圧倒したのは事実。

これ以上の問答は無意味であった。

着替えを終えたシグナムは鞄を手に取った。



「では、ゲルトと食事の予定がありますのでこれにて失礼致します」

「そう、引き止めてしまってごめんなさい」

「お疲れ様でした、騎士シグナム」



目礼にて応じ、鞄を手にとって歩を進める。

扉に手をかけて、そこではたとシグナムは動きを止めた。

何かを考える素振りで数秒。

振り返った彼女は意を決したとばかりの目をしていた。



「一つだけ、ゲルトの友として一つだけ忠告を」

「?」

「あいつは……ゲルトはどんな過去も強さに変える事ができる、そういう男です」



探るように絞り出す言葉。

一つだけと言いながら己の思いを正しく表現する言葉が見つからない。

言ってやらねばという感情ばかりが先行する。

いや、



「男、そう」



それを自らの喉をついて出た一言でようやく再発見する。

ああ。

そう、そうだとも。



「ゲルト・グランガイツ・ナカジマは、男です。
 もうあなたの知っている子供ではない」



一言がカリムの心へ突き刺さった。



「過ぎた言葉でした、それでは失礼」



それきり振り返ることもなく、彼女は去った。

後に残るのは無言のカリムとシャッハだけだ。

確かに正鵠を射ていたのだ、シグナムの言葉は。

カリムの頭の中にはいつも心の凍った少年の姿があった。

知らず哀れみの目線で見ていたに違いない。

それを見透かされたのだろう。



「痛い所を突かれましたね、カリム」

「ええ、本当に。
 身につまされる思いだわ」



はぁ、と重い吐息が零れた。

あまり人には見せない姿だ。



「シャッハ、あなたは彼の部隊入りに賛成なんでしょう?」

「当然です。
 彼ほどの才能を遊ばせておく方がどうかしています」

「やっぱりそう思う?」

「あなただって本当は分かっているでしょう。
 彼は知れば恨みますよ、部隊外しの件」



因縁なればこそ、ゲルトは挑むに違いなかった。

シャッハにもそれくらいは分かる。



「ままならないわね……」



はぁ、とまたも大きな溜息が漏れる

幸せが逃げていかない事を祈るばかりだ。



「戦闘は専門外の私でも、彼の強さはよく分かったわ。
 皆さんが熱を上げるのも無理はないですね」



騎士達のみならず教会関係者や自治領の市民ですら熱狂した過日の戦技披露会。

自分ですら何か熱く高揚するものを感じた。

今日の戦いもそうだった。



「まさかあのレヴァンティンを破壊するなんて」

「はい、恐ろしい槍の冴えです」



鋭く、そして重い。

教会の技術スタッフが修復処置にかかっているが、レヴァンティンの受けたダメージはもう少しでかなり危険な域だったという。

彼がフルドライブを使わなかったのも納得だ。

おそらくその威力で叩き付けられていれば刃先が欠ける程度では済むまい。

間違いなく無残にも砕けていた筈。



とはいえ、



これが模擬戦ではなく生死を掛けた文字通りの死闘なら、彼はどうしたろうか。

こんな風に考えてしまうのはベルカの悪い癖なのだろう。

そんな事態になりえない事をこそ喜ぶべきであろうに。

シャッハは話題を変える事を選択した。



「ちなみに、新部隊の準備は順調なのですか?」

「ええ、隊舎の目処も付いたし、設備もそれなりのものを用意できそうね。
 あと問題なのと言えば肝心の前線メンバー二個小隊の選抜かしら」

「強すぎず、かといって弱すぎず、というのは難しいですね」

「隊長陣だけで保有魔力の上限は軽く超過してしまいますからね」



出来る限り精強な部隊を即応できるようにしておきたいが、如何せん一部隊に許された戦力には限りがある。

はやて、なのは、フェイトら規格外のオーバーSランク魔導師が三人など普通ならまずありえない。

さらに麾下にはヴォルケンリッターの面々も控えているのだ。

リミッターによる魔力の制限でどうにか捩じ込んでも、これ以上のベテラン加入は流石に問題があった。

そうなるとあとは成長段階の新人などを引き入れ、部隊内で使えるよう育成するより他はない。

ゲルトを排したのもその辺りの事情あっての事である。



「いい人材が見つかるといいですが」

「はやての人を見る目は確かよ。
 きっと面白い子を見つけてくるわ」

「それもそうですね」



新設部隊は急速にその輪郭を表せ始めていた。

はやての理想実現の為。

最悪の予言を回避する為。

ゲルト・G・ナカジマには一切関わる事なくそれは進んだ。

幾人もがそれを望まなかった。

まだ誰も、本当には分かっていなかったのだ。

当事者であるカリムやはやて達ですらそうだった。

彼がそれに関わる事になったのはこの少し後のことである。



『応援求む!応援求む!
 現在港湾地区の倉庫で戦闘中!!
 持ち堪えられない、至急人を回してくれ!』



悲鳴じみた叫びが通信波に乗って駆ける。

広域チャンネルで飛んだそれは当然ゲルトの耳にも入った。

入ってしまった。



『急いでくれ、奴等には“魔法が効かない”!!』



運命はゲルトを離さない。



[8635] METALLIC WARCRY
Name: Neon◆139e4b06 ID:6408a77e
Date: 2017/10/20 01:11
ゲルトは部隊長室への呼び出しに応じて義父の部屋を訪ねた。

見慣れたデスクに見慣れた男が座っている。



「お呼びと聞きましたが」

「おう、来たかゲルト。
 まぁ座れや」

「はい、失礼します」



机の上には封筒が見えた。

礼儀には些か反するも流し見たその差出人は人事部となっている。

ゲルトの視線の動きにゲンヤも気づいたようだった。



「お前を呼んだのはその書類の件でな。
 とにかく一回読んでみろ」

「はっ、では失礼して」



封を切り、中の書類を検める。

さほど枚数が多かった訳でもない。

見出しの数行で意図は察せられた。



「中途士官教育課程への……推薦?」



要するにキャリアアップの案内だという事であった。

ゲルトの現在の階級は准陸尉。

実績一本でここまできた。

これ以上の出世となると実績云々以前に資格が必要になる。

部隊指揮も含む、指揮官としての資格だ。



「またですか」

「そういう事だな。
 前からも似たような誘いは何度かあったが、どうだ、この機会に受けてみねぇか?」

「は、ありがたい話ではありますが……」



歯切れの悪い言葉。



「何だ、まだ気乗りしねぇのか?」

「いえ……そういう訳では……」



どこかだ。

眉も、目も、口ほどに物を言うとはこの事か。

息子の心中などゲンヤにとっては手に取るようだ。



嘘がつけないと言えば聞こえはいいが……。



気を回し過ぎるのも考えものだ。
 
実際頭は足りてるがバカな息子だと思う。



「別に先任だなんだでラッドやらに遠慮する必要もねぇんだぞ?」

「その気が無いとは言いませんが、それより俺は前に立つのが性に合っています」

「この話も何回目やら、だな」



ゲンヤ自身、無駄と思いながらの話だ。

それでもこの話題が尽きない理由は簡単。

地上部隊が切望しているからだ。



「地上最強の男がいつまでも下士官じゃ困るんだとよ」

「魔導師の力量と部隊指揮のセンスとは別物であると思っていましたが」

「んなもん上の連中だって百も承知だ。
 問題はお前さんが昇進しねぇと他の奴らに示しがつかねぇ、って事だよ」



ゲルトらの活躍は誰もが知る所だ。

周囲の耳目も集めない訳がなかった。

ごく普通の出世スピードで考えれば下士官の最高位というのは決して悪くはない。

しかしこれが本局ならもうとっくに三尉、いや二尉くらいにはなっていてもおかしくない働きぶりである。

むしろゲルト程の実力を示しても地上では出世が見込めないなどと言われかねない。

そうなっても腕自慢の魔導師が地上勤務を志してくれるだろうか?

考えるまでもなく、オーバーSランクの騎士が陸士部隊に居続けるというのはどこか歪なのだ。

謙虚は美徳だとしても、誰もが額面通りに受け取る訳でもない。

ゲンヤが養子に引き取った恩を盾にとってゲルトを縛っている。

そんな邪推を招いている事もゲルトは察していた。



「迷惑をかけて申し訳ありません」

「ガキがいっちょまえの口利くじゃねぇか。
 大活躍ですみませんってか」

「いえ、その事ではなく」

「わぁってるよ。
 ま、そっちも気にすんな」



ゲンヤは鼻で笑い飛ばした。

が、当たりが強くなりつつあるのは事実だ。

いずれ、いずれこの時間も終わりが来る。

それは親子共にどこかで理解していた。



「ま、気が変わったらいつでも言ってくれ」



だが今ではない。

まだゲルトは自慢の孝行息子にして信頼の置ける部下だ。

まだ、暫くは。




***********





「やっぱりダメですか」

「ああ、やっぱりダメだ」



ゲルトの去った後、部隊長室に残るのはゲンヤと、そしてギンガ。

二人きりだ。

他には誰もいない。



「あいつも大概頑固だからなぁ」

「やはり私が足を引っ張っているから」

「気にするな。
 あいつはそうしたいからそうしてるのさ」



言葉にしてみてもギンガの曇り顔が晴れる事はない。

こちらの話も何回目になるやら。



「准尉には……」

「今は家族しかいねぇんだ、呼び方なんざ気にしなくていい」

「兄さんには、私がいない方がいいんじゃないかと思います」

「ーーーーそれはない」



俯いて話すギンガの思い詰めは根が深いようだ。

だが、それにだけは自信を持って答える事ができる。

ゲンヤは可愛い娘の肩を掴んだ。



「いいかギンガ。
 それだけは、ない」

「でも、私は付いていくだけで精一杯だし」

「十分だろ。
 これ以上何をどうしたいってんだ」



付いていけるような奴自体、他にどこにいる。

そもそも自分など魔法の一発も打てやしないのにゲルトらの指揮を執っているのだ。

皆出来る範囲の事をやるだけである。

しかしギンガの目標は明確だった。



「対等になりたいんです、兄さんと」

「どんな風になれば対等だ?
 超強い騎士になってゲルトをボコボコにマウンドに沈めるとかか?」

「え、そんなつもりは……」

「だろ?」



ゲンヤはギンガにも、そしてゲルトにも不満はない。

現在の108部隊は地上部隊のどこよりも戦力的に恵まれている。

圧倒的と言ってもいい。

ギンガだけで見ても相当なものだ。

比較対象がおかしいだけの事である。

というより、戦闘力でどうにかしようというのが大間違いだ。



「お前は頑張りもんの部下だし、自慢の娘だ。
 ただ、頑張り方が違うんじゃねぇか?」

「違う?」

「それこそお前がゲルトよりガチンコで強くなったとしても、あいつはお前を対等とは見ねぇよ。
 分かってんだろ?」

「…………」



何故ならゲルトにとってギンガは妹だからだ。

見栄っ張りのあいつは頑として兄貴分の位置を譲らない。

そんな事は分かり切っていた。

ギンガにも分かっているはずだ。



「じゃあ、どうしたら……」

「さぁて、な。
 ただ、それを考えるのが正しい頑張り方じゃねぇか?」

「そういうものですか?」

「おうよ。
 第一ゲルトに勝ちてぇだけなら指揮官課程にでも進んで顎で使ってやりゃあいいんだ。
 それか、ゲルトの分も食っちまうくらい事務仕事にバリバリ勤しんでみるってのもいい」



何も方法は一つではない。

ギンガの前に道は無数に広がっている。

ゲルトもそれを妨害するつもりはないだろう。



「ちなみに俺としちゃ後の方がオススメだ。
 何と出来た孝行娘かと親父の評価も上がるぞ」

「私、割りと真剣に相談しているんですけど……」

「俺も割りと真剣に答えてるぜ」



どいつもこいつもアイツを持ち上げ過ぎている。

別段ゲルトは完全無欠のパーフェクト超人という訳でもない。

むしろ欠点など指折り数えればキリがない未熟者だ。



「ま、何にしても気負い過ぎないこった。
 お前が思う程にゲルトは前にいる訳じゃねぇよ」



格好付けの見栄っ張り。

人が言うほど冷徹でもなければクールでもない。

頭に血が上りやすく、こうと決めたら譲らない頑固者。

他人の面子は気にする割に出世だとかからは逃げたがるものぐさ。

年相応の背伸びした餓鬼。

それがゲルトだ。

我が自慢の息子だ。

少なくとも、ゲンヤはそう思っている。





**********





応援の要請が広域チャンネルで放たれたのは宵口の事。

港湾の倉庫に正体不明の機械群が侵入。

扉をこじ開けて内部を物色中。

保管物にはロストロギアも含まれており、目的はその奪取と思われる。

夜間勤務の警備員が破壊を試みたが、対象は何らかの仕掛けで魔法を無力化。

現在一名の警備員が倉庫二階の事務室に立てこもっているが、一帯を占拠されている為に脱出できない状況にある。

通報を受けた現地部隊が交戦するも状況の打開には至らず、現在膠着状態。

民間人の安否確認が急がれるが、非常に危険。



「よそのヤマだが出撃させろってか?」

「俺なら魔法が効かない相手にもやりようがあります」

「んな事は分かってる。
 ただ、それだけじゃねぇだろう」



隊長室へ飛び込んだゲルトは即時の出動を訴えた。

実際には乞われて出動する事も少なくないが、自ら余所の事件に介入するなど通常ありえない事である。

それこそ本局武装隊の出番であると言えよう。



「敵は、例の連中なんだな?」

「……まず間違いありません」



ゲルトの琴線に触れたのは言わずもがな魔法を無力化する機械の存在であった。

ゲンヤとて八年前、ゼスト隊に襲い掛かった悲劇のあらましは承知している。

何せ当事者が目の前で常になく強硬に出動を主張する息子と、そして事件を機に引退を余儀なくなれた己の妻なのだから当然だ。

事件の聴取やクイントの話から大凡は理解できた。

ゲルトの逸りも無理はないだろう。

自分自身この件へ惹かれる気持ちは否めない。

全貌が解明されないまま放置されたあの悪夢に何らかの進展があるかもしれない。

だからこそ、彼は考えざるをえなかった。



「お前は今冷静じゃない」

「いいえ、心持ちがどうであろうと冷静に動けるように訓練しています」



嘘ではあるまい。

しかしいざ因縁の敵を前にしてもそうでいられるか。

それが問題だ。

前回は妻共々奇跡的に生き延びたが、今回もそうであると誰も断言はできない。

脳裏に浮かんだゲルトの姿は今よりも随分小さい少年のものだった。



『あなたは、俺を恨んでもいいんです』



もう目の前の息子はあの時の子供ではない。

だが、それでも。



「いや、やっぱりーーーー」



駄目だ、そう告げようとした矢先に通信が入った。

正式な応援要請だ。

それもゲルトを指名しての要請だった。

当然ではある。

魔法が効かない相手に魔法に頼らずとも戦える人間を当てるというのは至極理に適っていた。

出動承認に時間のかかる武装隊に現地の指揮官が痺れを切らしたのだろう。

しかしおかしいのは通信管制から告げられた、ゲルト本人も既に了承済みであるという一言だった。

同様の能力を持った敵との戦闘経験があると聞いているとも伝えられた。

理由は明白だった。



「お前、ここへ来る前に……!」

「はい。
 先方へ話を通しました」



何が冷静だ。

直属の上司である部隊長を差し置き、勝手に管轄外の事件への協力を申し出る。

少なくともゲルトはこういった真似を率先して行うような野心とは無縁の存在だ。

それは紛れもない執着の表れ。

ようやくと息子は決まりの悪そうに眉を顰めた。



「部隊長を通さず勝手をした事は謝罪致します。
 後でどのような処分でも受けるつもりです」

「馬鹿野郎!そういう事じゃねぇ!!」



思わず立ち上がって叫んだ。

階級も序列もどうでもいい。

ただ、ゲルトが心配なのだ。

本当にただ、それだけなのだ。

それがなぜ分からない。

誰よりもそれを理解しているのがお前だろう。

いや、分かった上でもこの因縁への未練を捨てきれないのか。

何故だ。



「絶対に勝てるとでも言うつもりか!?」



首都防衛隊ですら敗れたのだ。

あのストライカーゼストですら生き残れなかった。

現地部隊で手も足も出ないというのだから殆ど孤立無援の状況に飛び込む事になる。

ゲンヤは一人の父親としても、一人の指揮官としても、そんな場所へゲルト一人をやりたくはない。

だからこそ息子も目を逸らす事はなかった。



「勝ちます、今度こそ」



そのための八年。

そのための訓練。

そのための強化。



「行かせて下さい。
 俺が、俺の運命に決着をつけるために!」

「ーーーーっ!」



無駄だと悟った。

この件に関しては絶対にゲルトは止まらない。

申し訳なさげな顔をしようと意見を曲げる事だけは絶対にない。

それを悟ってしまった。

部隊長でも、父親でも、ゲルトを止める事はできない。



「……分かった」



だからこそ選択するしかない。

改めて椅子へ腰を下ろしたゲンヤは息子を見つめる。



「正式な応援要請が来た以上は仕方ねぇ。
 お前の好きにしろ」

「はっ!
 ありがとうございます!」



背筋を伸ばしたゲルトが挙手の敬礼で応じる。

ゲンヤの面子を潰しかねない今回のやり口は息子としても心苦しくはあったのだろう。



「ただし一つだけ条件がある」

「はい、何でしょうか」

「……ギンガを連れていけ」

「なっ、ギンガを!?」



それは爆弾だった。

裏切られた、とでも言わんばかりの顔。

しかしゲンヤにも譲れないものはある。



「今一番大事なのは閉じ込められた民間人の救助だ。
 それが出来なきゃ幾ら連中をぶっ潰そうが意味はねぇ」

「それは、もちろんです。
 だからこそ俺はーーーー」

「一人の方が有利だってのか?」

「…………」



ゲルトが黙り込んだ。

無言の肯定だったのだろう。

だが、それは欺瞞だ。

ゲルト自身をすら欺く事ができない下手な嘘だ。

一人と二人でどちらが有利か。

改めて考えるまでもない明白な理だ。

なぜそれを無視するのか。

なぜ無視しようと思ったのか。

なぜ、無視してしまいたかったのか。

ゲンヤにはその理由が分かる。

そして、それだけは許せない。



「大見得切った男が、今更ビビってんじゃねぇ!!」



それは彼が逃げているからだ。

無意識に八年前の悪夢の再来を恐れているからだ。

だから一人でなどと言い出す。

恐怖そのものが悪いのではない。

問題なのはゲルトが現実から目を背けている事だ。

己の定めた使命よりも逃避を優先させ、その事実に見ない振りをした。



「ギンガはお前の妹か?
 違ぇだろ、鉄火場で背中を預ける相棒だろうが!」

「ッ!」

「甘えるな。
 お前をここに置いているのは兄貴面をさせるためじゃない」



ゲルトは文句なく強い男だ。

八年前の地獄からもこいつは帰ってきた。

完全に罠に嵌った上での敵中突破。

雲霞のような敵の群れを、それもお荷物でしかなかった瀕死の女房まで抱えて。

事件の聴取、ゲルトの話、クイントから引き出した話。

どう擦り合わせてもこの息子以外に切り抜けられるとは思えなかった。

限界を遥かに超えた魔力の行使はさぞ苦しかったろう。

家族同然の仲間を置いて逃げるのはさぞ辛かったろう。

だが、だからこそ今ここで逃げさせる訳にはいかない。



「任務も果たす!
 ギンガも帰るし、お前も帰ってくる!」



ゲルトはこちらの言葉を噛みしめるように黙り込んでいた。

聡い男である。

ゲルトも分かってはいる筈だ。



「それが運命に打ち勝つって事だろ。
 違うか?」

「……いえ、その通りです」

「なら、俺の言いたい事も分かるな?」

安全第一セイフティファースト、ですか」



その言葉を聞いてゲンヤはようやく満足気に頷いた。

ゲンヤは確信している。

この息子こそ最強であると。

そして息子と娘のコンビは無敵であると。



「それさえ分かってればいい。
 俺はもう何も言わねぇ」



だからこそ、最後には笑って言う事ができる。

伏せた瞼を開けばいつも通りのにやけ顔だ。



「俺の分まで思い切り暴れてこい。
 頼むぞ、ゲルト」

「ーーーーはっ!」



最敬礼。

踵を揃えたゲルトが最敬礼する。



「ありがとうございます。
 やはり、俺はここにいて良かった」

「へっ……全く、手のかかる息子だぜ」





**********





『目標地点まで僅か』

「ああ、見えてる」



黄金の瞳が見つめる先、シャッターの破られた倉庫周辺で蠢く影がある。

夜闇の中で見える筈もないそれがゲルトにははっきりと見えた。

戦闘機人特有の暗視能力ノクトビジョン

熱赤外探知、光量増幅、黄金の瞳が全てを見通す。

虫のように蠢く、カプセル型の機械群。

八年前の悪夢の続きがそこにある。



「准尉?」

「間違いない……奴らだ」



ギンガの問いにも答えず、固く噛み締めた奥歯が音をならす。

ガジェットドローン。

通称ガジェット。

かつて首都防衛隊においてゼスト隊が交戦した機械仕掛けの無人兵器。



「いいか、ガジェットに接近されると魔法の構成を崩される。
 防御より回避を優先しろ」

「はっ、はい!」



ギンガの声色に緊張が混ざっている。

出動自体は珍しい事でもないが、今回は相手が相手だ。

これまで八年前の詳細をギンガに語った事はなかったが、何も話さない訳にもいかない。

動揺をもたらすにしても、無知無策のままに突っ込んでよい相手ではない。



「それと……背中の警戒を忘れるな。
 俺達の“目”でも見えない奴が紛れている可能性がある」



忘れる筈もない。

忘れられる筈もない。



「母さんはそれにやられた」

「!!」



照明の落ちた通路。

ひしめくガジェット共。

罠に嵌められ、退路はことごとく閉ざされて。

羽虫のように追い回され、背には重傷のクイント。

文字通り血反吐を吐き、魔力を絞り出し、デバイスを削った。

死力を尽くした。

そのつもりだ。

そして、そして……どうなった?



「ようやく、見つけた」



熱。

火。

焼け落ちる施設。

絶叫。

暗転。

帰らなかった仲間達。

全てが昨日の事のように思い出せる。

あれから八年。

ゲルトは視線を愛槍に落とした。

彼女は当時、まだ話す事もできなかった。

今は違う。



「雪辱だ。
 今この時に限ってお前の枷は全て外す」

『待っていました、この時を』



音もなく非殺傷用の魔導カウリングを解除。

漆黒の刃がその真の鋭さを取り戻す。

主を害すもの、その歩みを妨げるもの、何者も許しはしない。

今度こそ。

そう、今度こそだ。



『最後まであなたと共に』



手の中でナイトホークが震えたように感じた。

それとも自分の拳が震えているのか?

同じ事だ。

彼と彼女の意志は常に同じ方向を向く。

応、と答えたゲルトは視線を倉庫に戻した。

黄金の瞳には爆発寸前の感情が揺らめいている。

溜め込むには危険な情動だ。



「俺が暴れて奴らの注意を引く。
 ギンガ、お前は要救助者の確認と避難誘導だ」

「二人がかりでまず障害を排除した方がよくありませんか?」

「それも考えたが、人命優先だ。
 速攻で片を付ける」



中の人間が今も無事かは分からない。

である以上、猶予はないものと考えるべきだ。



「半端な魔法はこの際無駄と思え。
 頭から全力でいくぞ」

「はい!」



ナイトホークもペイルライダーも心得たものだ。

全力稼働までの準備は示し合わせたように同時。



『『フルドライブ』』



弾けるカートリッジ。

本来なら魔導師生命を賭けた切り札のそれを、ゲルトもギンガも惜しげなく起動する。



『パラディン正常動作中。
 存分に』

「ああ、ナイトホーク。
 食い尽くすぞ」



そして、



「安心しろギンガ。
 奴らを一機たりとも近付けはしない。
 お前はお前が今すべき事にだけ全力を尽くせ」

「はい。
 准尉も、その……無茶だけはしないで下さい」



伺うようなギンガの声音はゲルトの心を射抜いた。

それほどに俺は揺らいでいるのか?

そう見えるのか?



「……無茶、か」



すぅ、とゲルトは大きく息を吸った。

ギンガは背後にいる。

笑顔を、作らねば。

何でもない事なのだ。

こんな事で惑う鋼の騎士ではない。

こんな事で我を失うゲルト・グランガイツ・ナカジマではない。



「昔は、無茶だった」



笑え。

笑え、ゲルト・グランガイツ・ナカジマ。



「だが、今日はお前がいる」



そう、一人じゃない。

ギンガへ言った通りだ。

俺は俺のやるべき事に全力を尽くせばいい。

父にも誓った。

悪夢は、繰り返させない。



「頼りにさせてもらうぞ」

「ーーーーはいっ!!」



ギンガは大丈夫だ。

確かに、救助という観点でなら足の速い彼女が適任。

あとは自分が障害を排除するだけの事。

それにだけ持てる力の全てを注ぐ。



「では、先に出る。
 合図を待て」



逆襲の時だ。

ゲルトは宙を駆け、流星となった。

夜闇を貫き敵の群れへ一直線に向かう星。

脳内を駆け巡る過去の映像、過去の記憶。

取り返せないものを奪われた。



「ぉおおおおおおおお!!」



敵集団中央へ狙いを定め、吶喊。

喉から、腹から、魂から迸る咆哮。

米粒のようなそれらが瞬く間に目前に迫り、そして。



「らあッッ!!」



滑空から勢いそのままに斬撃。

脚甲が路面を抉ると同時、死の稲妻が駆け抜ける。

いかなる拒絶も許さぬ明確な意思表示。

カプセル状のガジェット実に十機が”二十機”になった。

刃が薙いだというのは結果に過ぎない。

十のガジェットをなぞった剣線ーーーーそう、線が敵を切断したのだ。

外殻も、バッテリーも、核たるコアも、全てが真っ二つ。

まるでダルマ落としのようにずれ落ちて、次の瞬間には剣圧に負けた破片が弾け飛んだ。

さながら嵐に晒された木の葉の散り様。

両断された本体から無数の部品が零れ落ちる。

舞い降りた騎士を中心に奴らの中身が放射状にぶちまけられた。

ネジやケーブルや何かの半導体。

それが奴らの血飛沫だ。

そしてゲルトの体を構成するものでもある。

自分の体を半分に割れば同じものが飛び散るに違いない。

だが去来すると思われた感傷がゲルトの胸を刺す事はなかった。

この体を構成するものが何であれ、この体を支えているものは己だ。

己の精神であり、己の過去だ。

それをただ当たり前に承知しているだけである。

動揺など、復仇へ燃え盛る闘志の前に立ちふさがる余地などありはしない。

ゲルトに干渉しようとするのは、むしろ外からの力だった。



『八年前と同波形の魔力干渉を確認』



AMFアンチマギリングフィールド

外部から魔力の結合を妨害するような干渉が感じられた。

ようやく襲撃者の存在に気付いたガジェット達が近寄ってきたのだ。

わらわらと虫のように湧いてくる。

連中の数が増すほどにAMFの干渉はさらに強まった。

攻撃魔法はもちろん防御、移動、通信、あらゆる魔法の発動を妨害するフィールド。

なるほど並みの魔導師ではまともな魔法行使もままなるまい。

効果範囲内に位置するゲルトも当然、その影響からは免れえない。

しかし、



「これ以上、お前らにくれてやるものなど……!」



制御。

極限の制御。

微塵も漏らさぬ完璧な制御。



「ーーーーッッ!!」



内から迸る嵐のような魔力を収束、結合。

いつもの訓練と同じ。

ただいつもより何倍もの深度でそれを行う。

身を焼き尽くすような激情が鋼を精錬する炉のごとくゲルトを研ぎ澄ました。

何時にない精神の高揚がそのまま力へ。

フルドライブの出力はそのままに、その放出口を絞り上げる。

パラディンの、いやナイトホークのサポートで初めて可能になる限界のレベルまで。

ウォータージェットのように超高速、超高圧で噴出した魔力は外部の力など押し流し、跳ね除けた。

そして斬って、斬って、斬りまくる。

ゲルトの通る道がまさに血路となるのだ。

ギンガの道を作る、その為に。

そして蹴散らした敵の壁が、ついに事務所まで一本の線で繋がる。



「道が開いた!
  行け、ギンガ!!」

「っ、了解!」



轟音。

唸りを上げたペイルライダーが歓喜の鬨を上げた。

溜めに溜めてその時を待っていた力が爆発。

急回転したホイールが魔力で紡がれた道を削りながら疾駆する。

目標は二階の窓。

突入口は荒っぽくも破壊して作る。

障害は無視。

とにかく最短で突っ切る。

それでも、視界の端にはガジェットの群れがちらつかざるをえない。



あれに母さんが、それに兄さんも……。



いや、余計な事は気にするな。

兄の言葉を思い出せ。

今はただ進む。

ただ守る。

それだけに集中しろ。

窓の前に人影はなし。

大きく踏み切ったギンガは飛び蹴りでガラスを突き破り、転がるように事務所内へ。
.
粉々になった破片はバリアジャケットの防護に任せ、流れた視線は室内を掌握する。

そこでテーブルの下に蹲る女性と目があった。



「管理局の者です!
 救助に参りました!」

「管理局の……あっ、ありがとうございます!!」



慌ててテーブルから這い出してきた女性は紺色の制服姿。

手には簡素な杖型のストレージデバイスが握られていた。

事前情報にあった警備員で間違いない。



「ここには貴方一人だけで間違いありませんか?
 他に逃げ遅れた方はいらっしゃいませんか?」

「いいえ、もう私だけです。
 入り口を守ろうとしたんですけど、魔法が……そう魔法が効かないんです!
 何発も撃ったのに目の前で掻き消えてしまうみたいに!
 私、どうしようもなくて!!」



その瞬間を思い出したのか、女性は堰を切ったように襲撃者の異常さを訴えた。

よほど恐ろしかったのだろう。

口調からは錯乱する様子すら感じられた。

安全にここを離れてもらう為にもまず落ち着かせなくては。



「もう大丈夫です、安心して下さい。 
 脱出を支援しますので、窓から外にお願いします」

「で、でもーーーー」

「大丈夫です。
 下で兄がーーいえ、鋼の騎士が戦っています」



そう、彼が戦っている。

己の知る限り、世界で最も強い人が。



「は、鋼の騎士?
 じゃあもしかして、貴方達が……ナカジマ兄妹?」

「はい。
 私達は、誰にも負けません」



自らにそう言い聞かせ、彼女を連れ立って先に蹴り破った窓へ歩み寄る。

ウイングロードは変わらず青い輝きを保っていた。

脱出路は無事。

つまり、ガジェット達は一切ここへ近寄れなかったという事だ。

兄は宣言通り何者も寄せ付けなかった。

と、言うよりも。

その光景にギンガは一瞬息を飲んだ。



「よ、要救助者を確保しました」

「ああ、よくやった。
 こちらも今、片付いた」



全滅。

ガジェット達は文字通り全滅していた。

眼下に広がるのはコンクリートへ無数に刻まれた斬撃の跡と、残骸の山。

そしてその中心に立つ、無傷の兄の姿であった。

ギンガが事務所に入ってどの位の時間があった?

視界から外れたのはどれだけだった?

最早動くものは何も見当たらない。

もう、終わったというのか。



「流石、ですね……」



呆然と声を上げたのは背後の女性も同じだった。

手も足も出ないと覚悟した存在が、無残にあちらこちらへ転がっている。

頭が理解を拒むのも無理はない。

ギンガはおかげで冷静さを取り戻す事ができた。



「2ブロック東に救急車が待機しています。
 そちらまで案内します」

「はっ、はい。
 よろしくお願いします」



ウイングロードは固定化された魔力の顕現が主な能力だが、もちろん他者もその恩恵に与る事ができる。

まさに空へ架ける橋。

この上を進んでいくだけで封鎖地域を超える事が可能だ。

ペイルライダーの出力を落としたギンガが庇うようにして事務所から一歩を踏み出す。

その時だった。



「!」



突然、倉庫近くのマンホールの蓋が一斉に弾け飛んだ。

次々にその穴から沸いて出てくるのは、またしてもガジェット達。



「新手か」

「そんな……」



考え込む時間などなかった。

ゲルトは腕を振ってただ、『行け』とだけ合図する。

動揺らしい感情の動きは全く見えない。

サインを送る当の本人は姿勢を前に傾け、既に臨戦態勢を取っていた。

悩むな。

動け。

ゲルトの強い視線は無言でそう告げていた。

問答など必要ないと、そう言っている。



「すみません、失礼します」

「ひゃっ!?」



一言断って護衛対象を抱え上げたギンガ。

ゲルトを一人置いて行く。

ギンガが何も思わぬ訳もない。

葛藤はある。

悔しさもある。

だが、それ以上に果たすべき責務がある。

この人に誇れる妹である為に。



「すぐに戻ります!
 それまでお願いします!」

「ああ、任せろ」



走り去るギンガ達を背に、ゲルトはガジェット達の前へと立ち塞がった。

飽きもせずAMFを展開しているようだ。

今度こそ本当の孤立無援。

だが、臆する気持ちは微塵もない。



望む所だ。



なにせ彼はずっと。

そうずっと。



「あの時も、俺は“こう”したかった」



もしも不意打ちを受けたのがクイントではなくメガーヌだったら?

そうであれば足の速いクイントがメガーヌを背負い、そしてゲルトが殿を務めただろう。

きっと三人共揃ってあの日を超える事ができた筈だ。

しかし、そうはならなかった。



『早く行って!
 お願い、クイントを助けて!!』



あの人の最期の言葉が頭を過ぎる。

ナイトホークを保持する両の手が砕かんばかりに固く、強く握り締められる。

記憶に残るメガーヌの姿は何時までも美しく、そして悲しかった。

守るべき赤子を残したまま、彼女はどれほどの覚悟であの決断を下したのか。

そして今、去りゆくギンガもあの日の己と同じ気持ちなのだろうか。



「いいや、前とは違う」



ギンガ達との間を特大のファームランパートが遮断する。

何もかも、前提から八年前とは違う。

自分は死なない。

ギンガは無事に脱出する。

そして奴らは、



「…………」




雨が降り始めた。

誰しもに等しく降り注ぐ恵みの雨は瞬く間に大地を濡らす。

天も味方したか。

これなら不可視の敵に脅かされる心配もない。



やれる。



睨みつける視線の先に怨敵はいる。

しかし最早かつてのような脅威には感じなかった。

先の一戦で十分に分かってしまったのだ。



もう、俺が狩る側だ。



間合いを知らしめるが如くナイトホークを振り回すゲルト。

風を切る音。

吹き散る水滴。

確かな力。

それがこの手にある。

同時に彼の耳には部隊から着信のコール。



『今更だが応援が出たらしい。
 どうやら邪魔が入りそうだな』



応援を邪魔の一言で切り捨てる部隊長がどこにいるものか。

しかし、それも息子への信頼あればと思えば頼もしい。

耳に届くゲンヤの声には不安の色が欠片も感じられない。



『もう一踏ん張りだ。
 やれるな?』

「ええ、お任せを」



続々と現れるガジェットの群れ。

キリがないとはこの事。

しかし、間もなく応援が来る。

ギンガもすぐに合流してくるだろう。



『ぶちかませ、ゲルト』

「はっ、ぶちかましてやります」



あと百でも二百でも来ればいい。

気力体力ともに十二分。

お前らを破壊し尽くすくらい訳もない。

残らず切断してくれる。

そう、



「務めは果たした」



救助はほぼ完了。

ギンガもこの場を離れた。

ならばここから先は騎士でなく、局員でなく、兄でもなく。

ただ一人の男として。

ただ一人のゲルトとして、己の為だけに戦う。



「逃がすものか」



そう、逃しはしない。

ゲルトは一歩を踏み出した。

震えるような怒りを力に変えて戦うのだ。

ゲルト・グランガイツ・ナカジマという男の半分を憤怒が燃やす。

ゲルト・グランガイツ・ナカジマという男のもう半分を憎悪が奮わす。



応報せよ。



内なる記憶が重ねて叫ぶ。

奴らの因果に応報せよ。

声は幾重にも積み重なってゲルトの脳裏に響き渡る。

飲まれてはいない。

そう思う。

制御できている。

その筈だ。

この感情を糧とし、奴らなど造作もなく斬り捨てる。

ただそれだけの事。



それだけの、筈……だが。



ギンガにこの姿を見られたくはなかった。

何故か、それだけは強く思った。



「手早く、片付ける」



錆になれ。

ナイトホークの錆としてのみ、貴様らの存在を認めてやる。

言葉にできない感情をあまさず託し、愛槍を上段へ。

潰す。

全て潰す。



「すまないがもう一働きだ、ナイトホーク」

『問題ありません。
 斬り足りなかった所です』

「ああ……全くだ」



あの時とは、八年前の自分とは違う。

こいつらを鏖殺するに足る技量があるのだ。

半身の姿勢で深く構える。

丁度その時、正面に揃ったガジェット共の中央部に次々と発光を確認。

視界を覆う赤い光。

今日何度も見た奴らの攻撃予備動作。

頭の中で冷静に発射間隔を計算している己がいる。



「ーーーー今!!」



次の瞬間、頭上を通過するレーザーの帯。

低姿勢の特攻で第一射を躱せば、もう奴らの喉元へ手が届く間合い。

神速の直線機動が機械仕掛けに追えるものか。

大気の壁を纏い、水しぶきを上げながら眼前の五機をスクラップに変える。



「次!」



だが奴らの破片が路面で跳ね回るのも見届けず、ゲルトの視線は次の獲物へ。

続く第二射を跳躍で凌ぎ、更にファームランパートを蹴る事で姿勢制御。

熱線がゲルトを捉える事はなく、そして彼は宙を意のままに駆け抜ける。

虚空に身を委ねながらも槍の冴えは増すばかり。



「六!七!八!」



曲芸師のように空中で身を捻る動きから更に三機のガジェットを破壊。

刃はいとも容易く金属を切り裂いて見えたが、地面に叩き付けられた残骸は激しくバウンドしている。

羽のように軽々と振り回されるナイトホーク。

しかしその重さまで無くなった訳ではない。

ゲルトはその遠心力を利用して着地滑走。

アスファルトを靴底で削りながら降り立った、そこは敵の真っ只中。

どちらを向いても敵だらけ。

踏み込んで体ごと半回転すれば刃はまた威力を取り戻す。

溜めは動作と完全に合一していた。

魔力に満ち満ちた刃は既に臨界。

舗装された路面は震脚に砕け、踏み込んだ水たまりは炸裂する。

既に全開放のフルドライブ状態から更にもう一発のカートリッジをロード。

ガジェット達が照準を合せるよりも早く、



「斬!!」



一閃。

この日最速にして最強の斬撃。

その刃は敵を斬った。

その刃は大気を斬った。

その刃は雨をも斬り伏せた!

天から落ちるはずの滴が斬線に沿って平行に断ち切れ、ぶちまけた絵の具の如く壁を濡らす。

音速を超えた刃。

それを受けてしまったガジェットの群れは切れるどころか、まさに“千切れた”。

鋭過ぎる斬撃で裂かれた部位が直後の剣圧で抉れた結果だ。

そして間髪入れずに吹き荒れた暴風が残骸を纏めて吹き飛ばす。

強制的に作られた真空を埋めるべく、世界が帳尻を合わせようと言うのだ。

たった一度の斬撃から放たれる三連の破壊現象。

文字通り必殺を、それだけを求めた一薙ぎ。

人間相手には生涯封印されるだろう忌むべき、しかし最高の技。



「ハーーーーァ」



口から溢れる熱の篭った吐息。

日常ついぞ使われる事のない全力を出し切る爽快感か、復讐を遂げる満足感か。

自らが圧倒的強者であるという揺るぎなき事実の確認。

原初の高揚。

自らの口元が歪むのをゲルトははっきりと認識した。

今までも朧気ながら姿を現していた獣としての本能。

視覚も聴覚も阻害する土砂降りの雨に晒されてなお、そいつは敵の存在を明確に嗅ぎ分ける。

奴らの視線を肌で感じ、奴らの移動を気配で読む。

シグナム戦で感じた感覚の鋭敏化を越えた、言わば超直感。

眼前側面後方に死角なし。

ガジェットと同じ眼で見て、ガジェットと同じ耳で聞いてもそれを処理する脳が違う。

それを行使する魂が違う。

格の違いは明白。

それでも命なきガジェット達が怯む事はない。

誘蛾灯に引かれる羽虫の如くゲルトを囲み、そしてあえなくゴミと成り果てる。



「来い、寄って来い!」



ガジェットの群れをなぞる様に斬る。

獲物を斬れば斬る程に獣は笑い、動きのキレが増す。

頬を汚す返り血ならぬ返り油も意に介さず、猟犬さながらの正確さで腑分けする。

追従できるのはゲルトの挙動に押しのけられる水しぶきのみ。

無意識にまで刷り込んだ技に確かな意思を乗せて、振るう。



お前らさえ、いなければ……!



クイントが傷付く事はなかった。

ゼストが、メガーヌが、皆が死ぬ事はなかった。

そして、



俺がここまで至る事もなかった!



超音速の二連斬。

殺意という強烈な意思を明確な方向性を持って投射。

激情とは燃料なのだ。

制御できるならこの上ない力を発揮してくれる。

こんな雑魚どもを蹴散らすにはもったいないくらいの圧倒的な力。

制御できなければ?

その時、この力は真っ先に己を焼くだろう。

周囲をも巻き込んで何もかも焼き尽くす。



「だが、そんな日は来ない」



手当たり次第に獲物を食い散らしながら、ゲルトには傷の一つも見当たらない。

戦意は旺盛。

呼吸は一定。

本来は自傷行為に等しい全力開放を行い続けてなお、戦闘機動に一切の狂いなし。

これが、これこそが、



「兄さんの、本気……!」



その時、ギンガの背筋に走った戦慄をどう形容すればよいだろうか。

部隊から送られる現場情報で兄の戦闘は、その一部始終が彼女の網膜に刻まれていた。

計測器を振り切らんばかりの魔力がゲルトの体から陽炎のように絶えず噴出する。

普段の彼からですら懸絶した才を納得せざるをえなかったものだが、これはそれとすら桁が違う。

旋回する槍の穂先は傍目で見ているのに視認できなかった。

ただ破壊されたガジェットの飛沫と、路面に刻まれる爪痕からそれを察するより他はない。

ゲルトの腕が閃く度、為す術もなく割断される機械の群れ。

寸止めの必要さえ、加減の必要さえなければ“こう”なのだ

死角を突いて体当たりを仕掛けたはずのガジェットですら一瞥もされずに殴り飛ばされていた。

蚊でも払うような無造作の裏拳打ち。

だというのにガジェットの鋼鉄のボディは九の字に拉げ、そして弾かれる間もなくファームランパートに切断された。

極限まで薄く展開したテンプレートは名刀同然。

獲物の背後に展開した障壁は最早敵を斬り裂く第二の刃。



あんな技、見たことない……。



訓練では無論の事、シグナムとの仕合いですら使わなかった殺し技。

目標に対して垂直方向からの障壁展開。

今日のゲルトに枷はない。

蹂躙し、殲滅する。

多勢に無勢という言葉は彼に対して全く意味をなさなかった。

彼が襲い、彼が滅ぼす。

圧倒的な戦いぶりは畏怖に近い何かを掻き立てられずにはいられない。

この状況を表現するとしたならば、それはーーーー



「鎧袖一触としか呼びようがないじゃないか!!」



無限の欲望が嗤う。





**********





「はははっ!いいね!素晴らしい!!」

「よろしくは、ないかと。
 既に第二陣の八割が応答しません」



マーカーは秒刻みで消えていく。

地下水路を利用してガジェットは随時現場へ向かっているが、言わば戦力の逐次投入に過ぎない。

彼の知覚に入るやいなや、その機体も即座に真っ二つだ。



「いいや、彼の事さ。
 流石は奇跡の産物」
 
「奇跡、ですか?」

「そうさ、彼は言わば君たちのプロトタイプと言える訳だが……。
 それが上手くいったと思うかい?」

「いえ、ドクターも関与されていないという話ですし難しいかと」



ウーノは首を振る。

必然の探究者たる科学者の放つ言葉とも思えないが、スカリエッティは実に楽しそうだ。

まぁ、何が彼の琴線に触れるのかは彼の因子を備えたウーノですら察しかねるものではある。



「そう、戦闘機人技術すら確立していない当時に人造魔導師としての素養まで求めたんだ。
 誰が見ても明らかに勇み足の計画だった」



ゲルトらの実験にスカリエッティは直接関与していないが、研究データは吸収している。

技術の熟成を疎かにした途方もない高望み。

失敗しても当然だ。

トライアンドエラーが基本とはいえ、一体幾つの検体が無駄になったのやら。



「しかし何の偶然かあっさり彼が生まれてしまった。
 拒否反応なく機械を受け入れる体と、ストライカー級魔導師のリンカーコア。
 さらに先天的に固有技能まで保有した怪物が」



当の科学者達が最も混乱したのは、何も問題がなかった事だ。

成長の経過も良好で、精神面にも異常な偏りが見られない。

ほぼ理想通りで、完璧に近い結果。

どう考えても無茶であり得ない計画だったのにうっかり成功してしまった。

だが、なぜ安定しているのかが分からない。

時が経っても彼は理想通りであり続けた。

問題点の洗い出しができなければ次へ活かす事もしようがない。

だから諦める事もできずにズルズルとまた実験を繰り返す。

膨大な資金と夥しい犠牲を積み上げて、ただ繰り返す。

手にしてしまった奇跡へ縋るように。



「彼は眩し過ぎるんだ。
 一体どれだけの人間がその光に狂わされた事か、彼は知っているかな?」



科学者達は行き過ぎた研究から管理局に尻尾を掴まれて壊滅。

後援者を気取るレジアスは自らの正義に反するドブ泥に足を突っ込み。

それに……。

彼の目は”もう一人の”戦闘機人へも向く。

折角市井で生活できた戦闘機人まで戦いの場に舞い戻った。



「ドクターもその一人だと?」

「私かい?
 ああ、私だって彼に興味津々さ」



一瞬意外そうに目を開いたスカリエッティは改めてモニターのゲルトへ視線を移す。

強い。

それも圧倒的に。



「実働する最初の戦闘機人にして、最大の実戦経験と最高の実戦証明を積み重ねた個体。
 欲しくなってしまうよねぇ」



折しもゲルトが最後のガジェットを斬り伏せたのはまさにその瞬間だった。

ガジェットからの映像が振り切られる刃とともに断絶する。

まるでこちらを拒絶する彼の意思表示のようだ。



「残念ですがゼロファーストには歯が立たないようです。
 今回はここまでですね」

「……」



倉庫に収められたロストロギアの全てを検分できた訳ではないが、重要区画は優先でチェックした。

それで無ければここにレリックがある可能性は限りなく低いだろう。

第二陣を止めなかった事自体無駄であったと言える。

その指示を出した張本人であるスカリエッティは無言で何も映さぬティスプレイを見つめている。

だが、ウーノからしてみれば至極当然の処置だ。



「評議会の方々からも過度の接触を控えるように言付けられていた筈では?」

「確かに、これ以上はクライアントがうるさいかもねぇ……」



基本的にガジェットは自立稼働している。

目標のロストロギア、レリックを目指してエネルギー源へ吸い寄せられるように動く。

第一陣との衝突の時点でゲルトの存在は感知していた。

第二陣の襲撃を止めなかった事も、中止命令が遅れたと言い張る事ができるだろう。

しかし、ここから先は本当にゲルトへの干渉と取られる事になる。

建物の陰に忍ばせたガジェットからの映像では戦闘機人の試作品、ゼロファーストが周囲の警戒を行っている。

彼の立ち姿はまさに騎士ゼストの生き写しと言えた。



「……?」



もし彼と全く違う所を挙げるとするなら、それは両目に輝く黄金の瞳。

それがこちらを見ている。

デバイスを右手に握り、投擲の姿勢をとった彼が、こちらを。

はっきりと、その目が。



「目が合っーーーー」



次の瞬間に映像が乱れた。

ガジェットが強い衝撃を受けたのだろう。

復帰した映像に映るのは無数の罅割れと、そしてさっきまではなかった何かの棒。

いや、これは。



「柄?」



ガジェットの中心部分から柄が生えている。

黒一色で飾り気もない無骨な、柄。

直前の映像から考えてもナイトホークの柄で間違いなかった。

そして逆に先程まで映っていたものが消えている。



「ゼロファーストはどこに?」



ガジェットの機体は動かないがカメラだけは辛うじて動くようだ。

それでも彼の姿は見えない。

眼下の町並み、ビルの影。

どこだ。

どこに。



『ここだ』



声は上から聞こえた。

至近だ。

直後に彼は降り立った。

槍と同じく黒一色の出で立ち。

瞳だけが爛々黄金に輝いていた。

どうして隠れ潜むガジェットの存在に気付いた。

どうしてこちらの居場所が分かる。

こんな、こんなものは。



「ははははっ!
 流石だ、最高だよ
 実に、実に素晴らしい!!」



ドクターをもっと喜ばせてしまうだけだろうに。





**********





蜘蛛の巣のようにビルの壁がひび割れている。

投擲されたナイトホークの威力を受け止めた結果だ。

その中心には槍に貫かれた怨敵が標本のように突き立っていた。

驚くべき事にまだ稼働しているらしい。

胴体の中心を穿たれてなお、ガジェットは飛ぼうとしていた。



「お前達も、生きたいと思うのか?」



最早逃げる事も、ましてや反撃する事などできはしない。

無手のゲルトは串刺しになったそれの正面に立つ。

ガジェットのカメラだけがこちらを向いた。



「違うか、そうだよな」



喋る事も、呻く事もない。

ただゲルトだけを見ている。

カメラのレンズがこちらの顔にフォーカスを合わせるのを感じた。

それでも攻撃する出力はもうないのだろう。

文字通りの瀕死であった。



「終わりにする」



突き刺さったままのナイトホーク、その柄に手をかける。

止めを刺そうと、そう思った。

その時だった。

不意にガジェットが余所を向いた。

ゲルトの後ろ、ずっと遠くを見ている。

何故かその視線の行く先が分かった。

遠く後方、青く輝く仮想路の上。

急いでこちらへ戻ろうとする女の姿。



こいつ、ギンガをーーーー。



見た。

その瞬間、背筋が泡立った。

先の怒りですら生温いような感情の爆発。

間髪入れず、ゲルトの踵がガジェットを永久に沈黙させた。

もはやピクリとも動こうとはしない。

終わったのだ。

因縁と過去に支配された夜が、戦いが、その第一幕の終わりを告げた。

だが既にゲルトの心を支配していたのは思索だった。

我を忘れる程の怒りさえどこかに消え去り、幾つもの疑念が頭を埋め尽くす。

まず真っ先に浮かんだのは先の衝動について。



今俺は、何に“怯えた”?



思考する前に結論を出したのだとは分かる。

では何を恐れたのか。

敵の物量?

確かにおかしい。

一体何を探していた?

大きな疑問だ。

それに、



「裏にいるのは誰だ?」



まさか、と思う人間は一人。

真っ先に脳裏に浮かぶのはただ一人。

狂気の天才科学者、ジェイル・スカリエッティ。

生命操作技術のみならず、あらゆる分野で才能を発揮する男。

しかし倫理観だけはまるで備えていなかったのだろう。

現在では複数の次元世界で広域指名手配された重犯罪者。

そしてゲルトにとっては八年前の悪夢、ゼスト隊壊滅の糸を引いたと目される最重要参考人。



「ありえるのか、そんな幸運が」



事件以来何の痕跡も残さなかった用心深い男の影が突然目の前に現れる。

八年間、足取りも掴めなかった男が。

喜ぶ前に違和感が鼻を突く。

これは良くない兆候だ。

不吉な予感が止まらない。

そう考えてみるとなぜ奴らは増援を出してきた?

あの程度の雑魚が増えたくらいで勝負になる訳がないと分からなかったのか?

おかしい。

これではまるで、



相手が俺だと分かったから、様子を見に来た?



自意識過剰か?

被害妄想なのか?

しかしもし想像通りの男が相手だとしたならば、過去隠れ家を潰された事を恨んでいるやもしれない。

あるいはこの身は確かに一等特別でもある。

“公式には”現存する唯一まともな戦闘機人だ。

そこに価値を見出しているとするなら、何かのデータを欲しているという可能性は考えられる。

でなければなぜ命もないガジェットが今更逃げるのだ?

悪い事に、そいつらは管理局内部にも情報源がある可能性があった。

でなければ八年前にゼスト隊の襲撃を予測して待ち伏せする事はできない。

隊内部の情報を掴んでいたという事は、まさか。



ギンガやスバルの素性の事も?



悪寒がした。

全てはそこに帰結する。

もしもの話だ。

もしも戦闘機人に興味を持つ人間が事件の黒幕なら?

もしも実際に稼働する戦闘機人の存在を知っていたら?

もしも。

もしも!!



「…………」



振り返り、ギンガを見上げた。

夜闇に咲いた青く、美しいウイングロード。

月の光にたなびく紫がかった長髪。

己が身命を賭して守るべき存在。



「もしも、で済むと思うか……?」



ええ?

どうだ、ゲルト・グランガイツ・ナカジマ。

ギンガに片付いたと報告しつつ、ゲルトは己に問うた。

そして否と答えた。

楽観的に考えられるほど奴らの悪意は甘くない。

必ず、こちらのして欲しくない事をしてくるだろう。

ギンガは常に傍にいる。

互いにカバーし合う事もできるかもしれない。

だが、



「スバルはどうなる?」



目を逸らすな。

スバルはもう訓練校を卒業し、正式な局員として救助活動に従事している。

暗殺や誘拐を企てる側からすれば絶好の獲物だろう。

救助活動中の事故を装われれば防ぐ手立ては、ない。

つまり、



「俺一人では、無理か……」



早々に諦めた。

かつては自分一人が犠牲になればいいと思っていた。

だが結局、妹達を救ってくれたのは全く外部の力だった。

守るという事は、その場限りでは意味がない。

守るとは。

守るという事は、



「守り続ける、という事」



その為に必要なものは何だ?

何をすればいい。

どうすればいい。



「……どうやら出遅れたようだな」

「ガジェットの気配はもうないわ」

「全滅か、流石だな」



思索を遮るように現れたのは人の影だった。

空から舞い降りた三つの影。

通信部からの警報はなかった。

つまりは味方という事だ。

どころか驚くべき事にごく見慣れた顔ぶれだった。



「シグナム……それにシャマルさんに、ザフィーラもか」



確かに応援が出たとは聞いていた。

が、それにしては奇妙な面子だ。

武装隊所属のシグナムはまだいい。

医療局のシャマルも、怪我人の発生を危惧すればありえるかもしれない。

しかしザフィーラは?

彼は正確には局員ですらない。

確かに強力な守護獣であるが、この場の応援としては不自然だ。

彼の使命は主であるはやての護衛だった筈。

それがなぜこんな所にいる。

友人である自分を助けに、はやてが寄越してくれた?

いや、今頃はやては念願だった新部隊設立の準備で手一杯の筈。



そう、確か遺失物管理部の……。



そこに思い至った瞬間、ゲルトの体へ電撃が走った。

ガジェットドローンの目的は倉庫内のロストロギアと推測されている。

そしてシグナム達を寄越したはやての行動。



「なるほど、そういう事か」



全て繋がった。

だが所詮は想像に想像を繰り返した妄想寸前の空論だ。

危険性すら未知数、論拠すら勘任せ。

何せガジェットの視線がギンガを向いたという、ただそれだけ。

どこまで正しいのかも分からない。

藪を突いて蛇を出す可能性もある。

だが、もう失敗はできない。



「シグナム二等空尉、頼みがあります」

「どうした、珍しいな」



シグナムはバツの悪そうな苦笑を浮かべている。

次にゲルトが切り出す事は予想出来ているようだ。



「八神二等陸佐と会いたい、早急に」



ゲルトは賭ける。

最悪の最悪の中に見出した僅かな希望だ。

運命というものは常にゲルトの周りを勝手に這い回っていた。

あちこちで先回りして、立ちはだかってきた。

今まで後手後手に回ってそれに押し流されてきたが。

それも終わりだ。



「今度こそ俺が勝つ」



勝って守り抜く。

妹達だけは、絶対に。

何があろうとも。



[8635]
Name: Neon◆139e4b06 ID:547a6d2b
Date: 2018/07/29 02:18
「お前の部隊に俺を加えてほしい」



開口一番、効果音が出そうな程のアップでゲルトが詰め寄った。

食事処での一席である。

対面に座っているのは一人。

仕事上がりなのだろう、管理局の制服に袖を通したままの女性だ。



「……ゲルト君。
 駆け引きって言葉、聞いた事あるか?」



箸を掴んだままで目を瞬かせる彼女、八神はやては呆れたように引きつった声を上げた。

彼女の前にはまだ通しが置かれただけ。

茶の一杯も口にしてはいない。

ようやくと腰を下ろした瞬間の出来事であった。



「もちろんだ。
 だから先にこちらの希望を伝えさせてもらった」

「直球勝負やなぁ……」



ゲルトには微塵も気後れする様子はない。

らしいと言えば、らしいか。

シグナムの仲介で卓を囲んだ二人。

ゲルトとはやて。

旧友にしてかつての同僚。

ゲルトにとって共に過ごした時間で言えばなのはやフェイトよりも濃い付き合いという事になる。

そんな彼女はオホン、と咳払いを一つ。



「それでは、ゲルト・グランガイツ・ナカジマ准陸尉。
 あなたを採用する事で我々にどういったメリットがあると思いますか?」



だからこそはやてはややおどけたような声音で箸を突き付けてみせた。

さながらマイクでも向けるような仕草。

意外にもゲルトは小芝居に乗ってくれた。



「はい、私は地上部隊勤務が長い為に現場レベルでの顔が利きます。
 少々の無理を聞いてもらう程度の貸しは作ってありますから、各所との連携が取りやすくなるでしょう」



それこそあちこちから舞い込む救援要請に渋りもせず応じてきた。

恩を売ったというと聞こえが悪いが、面と向かってゲルトにNOを言える地上部隊員は少ない。



「また、僭越ながら戦闘単位としても便利であると自負しております。
 たとえ大幅な魔力制限を受けたとしても不足なく戦闘が可能です。
 新設部隊では魔力保有制限が悩みの種なのでは?」



戦闘力については言わずもがなである。

少なく見積もっても地上部隊随一。

大きく見るなら教導隊最上位クラス。

伊達にエースオブエース、高町なのはと相打ってはいない。

それでいてゲルトはリミッターの影響を受けにくい。

一部隊の保有できる魔力の総量には制限が設けられている現状、これは大きなメリットと言えた。



「なるほど、確かに強力な隊長陣を抱える当方としては少ない魔力でも戦える騎士の存在は魅力的ですね。
 ですがあなたほどの才能が現部隊から異動するとなると周囲の反発が大きいのではありませんか?
 そうなると最初に仰られた地上部隊との連携に支障が出るのでは?」

「いえ、少なくとも108部隊内での反発はありません。
 部隊長との交渉も任せて頂いて結構です」



説得できるカードはあるという事だろう。

それは何だろうか。

それはゲルトにとって、そしてナカジマ家にとっての因縁か。

その話題は……まずい。




「何より遺失物管理課での職務として戦う事になるのは先日現れたガジェットドローンになる筈。
 私は過去、首都防衛隊所属時にアレらとの交戦経験があります。
 AMFへの対処法も、ガジェットらを製造している人間にも心当たりがあります」



これだ。

やはりゲルトはこちらの事情を察している。

ミッドチルダ式全盛の今の時勢では確かにAMFの存在は鬼門。

それに対する心構えが出来ているかどうかで随分違う筈だ。

言うだけはあって、現実に彼はガジェットの群れをほぼ単独で圧倒してのけている。

ゲルトを拒む合理的な理由など存在しない。



参ったなぁ。



穏やかな微笑みを浮かべながら、はやては内心で溜息を吐く。

こうなる事は読めていた。

個人的にもゲルトは是が非でも欲しい人材だ。

シグナムにも散々説かれたが、今更ゲルトの能力について云々される必要など微塵もない。

かつての同僚であり、長年の知己。

彼の頼もしさなどよく承知している。

しかもガジェットとの交戦経験が豊富で、戦闘機人事件の正真の当事者。

この件に関しては他の誰より強い熱意を持って当たってくれるだろう。

これ以上の優良物件がどこにあるというのか。

だが……だが、しかし。



わざわざカリムに釘刺されてしもうたからなぁ……。



スポンサーの意向には逆らえない。

そうでもなければもうとっくの昔にゲルトは部隊メンバーに名を連ねていた事だろう。

最善の手は目の前にあるというのに、その方法も分かっているというのに、それを選べない。

これが中間管理職という事か。

はやては茶で喉を湿らせながらもう一度心の中で大きく嘆息する。

その瞬間を、ゲルトは見逃さなかった。



「……やはり、カリムさんから止められているのか?」



咽る事も出来ずに息を飲んだ。

心臓が止まるような衝撃。

まさに急所を突かれた。



「――――カリムがどう関係あるん?」

「どうやら当たりらしいな」



平静を装い、取り繕ってみてもゲルトの目は誤魔化せない。

先のガジェット戦からこちら、ゲルト自身驚くほどに勘が利くようになった。

気配の変化に対する嗅覚が鋭くなったとも言える。

一から間を飛ばして十を察するような、飛躍した結論が閃くのだ。

むしろ後から思考の流れを自ら推理するような羽目になる。

以前から時折戦闘の最中に感じる事もあったそれが日常生活にも現れるようになった

それでも、この直感は信頼に足るとも理解していた。

断片は揃っているのだ。



「シグナムがここ最近頻繁に教会に誘ってくれていたからな」

「…………」

「ああ、勘違いはするな。
 シグナムは何も話していない。
 とはいえ、俺に一声もかからないってのはあまりに不自然だろう?」



かつてはやてが研修生として108部隊に来ていた頃も幾度か自分の部隊について仄めかしていた。

それが現実味を帯びた途端にお声がかからなくなる。

不審に思ったのはそこだ。

こちらの素性などもちろん把握されているに違いない。

その上で部隊の人事に口出しできる人間はどれだけいるか。

部隊長であるはやてが遠慮する人間とは誰か。

それを逆算しただけだ。

こう考えてみるとシグナムは己の部隊加入に随分骨を折ってくれていたのだろう。



「しかしカリムさんか……。
 そこまで嫌われているとは思わなかったが」

「それはちゃうで」



もはや誤魔化しは利くまい。

そう取られても仕方ないが誤解を与えたままは良くない。

特にゲルトと教会の関係悪化の原因になるなど死んでも御免だった。



「むしろ逆や」

「俺の加入を妨害するのにか?」

「ちゃう、私はゲルト君を分隊長には出来ひん。
 それがゲルト君を新部隊に入れられへん理由や」



准尉はあくまで下士官の最高位。

士官を差し置いて隊長の地位に就くなどあり得ない。

さて、では彼女の作る新部隊の構成員とは何者か。

部隊長は当然発起人であるはやて。

恐らくはなのは、フェイトといった幼馴染勢。

半ば私兵集団でもあるヴォルケンリッター。

いずれもゲルトより上の階級の人間ばかりだ。



「俺は下っ端で全く構わないが」

「分かってるよ、私はな。
 でも他人の思う“良かれ”が絶対にその人の為になるとは限らへん」

「お節介な。
 俺が直接話しても無理か?」

「う~ん、まぁ無理やろうな。
 この件かてカリムが全部仕切ってる訳と違う」

「そうか……」



つまり教会のもっと上層部が動いていると。

この小僧一匹に一体何を期待しているのやら。

“予想通り”新部隊に自分自身が加入するのは無理筋らしい。



「ただ、これは私の決定や。
 ゲルト君を押し退けてでも欲しいと思った人材がおった、結局は私が選んだ事や」

「……流石に部隊長だ」



あくまで責任は全て自分に、という事らしい。

友人相手にここまで啖呵を切れるとは見事。

ここは嫌味もなく素直に称賛を贈る。

そうでなくては。



「まぁ、恨みはしないとも。
 昇進から逃げ回ってきたツケが回ってきたって事なら自業自得だ」



……良し。



ゲルトはさも無念を噛み殺すがごとく口元を覆って見せる。

むしろ今更いいよ、などと言われても困る所だ。

これでようやく本題に入れる。



「なら次の提案だ」

「伺いましょう」



こちらが、いやさこちらこそ本命。

これを外す訳にはいかない。



「俺の知り合いを紹介する。
 そいつの適正を見て欲しい」

「知り合い……ゲルト君の代わりって事か?」



ゲルトは頷いた。



「士官学校を出たばかりだが伸びしろは十分だ。
 お前が欲しいのは手元で育成できる新人だろう?」

「それ、もしかして……」



はやても流石に気付いたか。

そうとも。



「ああ、ティアナ・ランスター三等陸尉だよ。
 もしかするともうチェック済みか?」



ある意味当然だろう。

ティアナはゲルトの弟子として公式に登録されている。

つまりはゲルトやクイントといった地上最精鋭から直接指導を受けた証に他ならない。

ただ、



「そらリストには上がっとるけど、ええんか?」



何事かあればすぐに解散される期間限定の実験部隊。

思惑はどうあれ、新部隊の実情はそれだ。

進んで参加したがる人間は限られてくる。

新人狙いは魔力保有制限の兼ね合いだけでなく部隊の構成事情が大きい。

昇進のチャンスを狙う若年層くらいにしか魅力を提示できないのである。

部隊長である自分で言うのも何だが、妹分を薦めるような魅力的な環境ではない。



「構わない。
 ティアナは執務官志望だ。
 現役執務官のフェイトから学べる事は多い」



執務官は言うまでもなく狭き門だ。

義兄も執務官だったというフェイトとの勤務は必ず得るものがあるだろう。

亡き兄の遺志を継ごうというティアナにとっては見逃せる筈もないチャンス。

そこに実績もついてくるなら言うことなしだ。



「ただ、あいつに部隊指揮の経験はまだない。
 部下には気心の知れた奴を入れてくれた方が安定するだろうな」

「例えばスバルとかか?」



ああ、とゲルトは頷いた。

ティアナとスバル。

訓練校と士官校とで進路は分かれたが、寝食を共にした二人の信頼感は上々。

奇しくもティアナがゲルトに弟子入りしたのは丁度はやてが108部隊に出向していた時分である。

その辺りの事情ははやても承知している。



「スバルならコンビで動く訓練も積ませてある。
 それに憧れのなのはと働けるなら喜んで誘いを受けるだろうよ」



スバルはあの空港火災で助けられて以来、ずっとなのはの背を追っている。

ゼストに憧れた自分にもその気持ちは理解できる。

まず断るまい。



「お誂え向けやな」

「俺にとっても、お前にとってもな」



まったくや、とはやては頷いてみせた。

視線は一度テーブルに下りた後、再びゲルトへ。



「ゲルト君からみて二人はどんなもんかな?」

「……客観的とは言い難くなるが?」

「そら構へん。
 まぁ、訓練校の成績とか一通り目ぇは通したから優秀なんは分かる。
 でも、ゲルト君にはちゃう目線があるやろ?」



もっともである。

さて、自分にとっての二人がどうであるか……。

あまり言葉にした事もない、が。



「……まずティアナは、性根とは裏腹に器用な奴だな。
 完全に畑違いの俺達の指導でもきっちり吸収するものは取り込んでる。
 魔法の手数もなのはの下でならまだまだ増やせる筈だ」



当然だがゲルトやクイントではミッドチルダ式を教えてやる事はできなかった。

結局ティアナが学んだのはベルカ式を起点としたミッドチルダ式へのメタ戦術に過ぎない。

ゲルトらが教えられたのは言わば少ない手札でも、つまり弱くても勝つための方法論だ。

“強くなる”方法を教えてやれた訳ではない。

むしろそこから自分の欠点や死角を減らすべく噛み砕いて実践できるというのは器用な証。

教導隊流のミッドチルダ式に触れれば一気に伸びるに違いない。



「逆にスバルはバカみたいに真っすぐだ。
 搦め手が得意なタイプじゃないが、正面からぶち抜けるだけの爆発力がある」



シューティングアーツは母クイント直伝。

仮想敵は兄ゲルトに姉ギンガ。

些か以上に贅沢な環境であろう。

切り札であるIS、振動破砕こそ素性秘匿の観点から封印させているが、十分な戦闘力だ。



「まさか、カリムさんから二人まで禁止されてるとは言わないだろうな?」

「無いけど、ちなみにもし言ったら?」

「そうだな……教会のお節介にはほとほと愛想が尽きた、という事になるかもな。
 そもそも訓練とはいえベルカの自治領なんて縁もない所へ通ってたのが異常だよな?」

「……言われてんでよかったわ」



恐ろしい。

おおよそ最悪のシナリオだ。

ベルカ希望の星であるゲルトが教会と袂を分かつ、その原因になるなど考えたくもない。

タダでさえ微妙な聖王教会との関係が一気に悪化するだろう。

こちらのやって欲しくない所までバレているらしい。



珍しく意地の悪い真似を……。



当の本人はこちらの視線などどこ吹く風。

にやりと口元を釣り上げる様は、白髪の元上司をダブらせた。

あの人もよくあんな風に悪戯っぽく笑っていた。



「ゲルト君ちょっとナカジマ三佐に似てきたんとちゃう?」

「それはどうも、これ以上ない誉め言葉だな」



皮肉も通じないのか。

冗談でもなく満更でもない様子だ。

それはともかく、とゲルトは居住まいを正した。



「二人とも最低限は仕込んだ。
 足手まといにならない事は保証する」

「ゲルト君がそこまで言うほどか……」

「ああ、何せ俺から“腕一本”もぎとったコンビだ」 

「それは将来有望やなぁ」



苦笑しながら左手を叩いてみせる。

けらけら笑うはやては半ば贔屓目混じりとでも思っているのだろう。



「にしてもティアナ・ランスター三等陸尉に、スバル・ナカジマ三等陸士、か……」



ふぅむ、とはやては顎に触れた。

ゲルトの教え子達。

士官学校や訓練校での評価も上々。

ゲルトがごねるようなら難しいかと思っていたが、彼の方から薦めてくれるとはありがたい。

どうしても自分を入れろと粘られるのが今日最も警戒していた訳だからこれは嬉しい誤算である。



「…………」



魅力的な話だ。

ゲルトは無闇に世辞を言うタイプではない。

事前調査でも注目していたが、これは期待できる。

ゲルトとの仲が良好であると教会にアピールできるのもいい。

彼自身の加入を受け入れられない現状、提案としても現実的な話だ。

内容はほぼこちらの考えていた代替案と同じ。

即答はできないが、最良の選択肢と言っていいだろう。

そう考えれば腹はすぐに決まった。



「まずは会ってみる。
 それからの決定になるやろうけど、ええかな?」

「もちろん。
 だが気に入るさ、俺の自慢の妹分達だ」

「それ、二人の前で言った事あるん?」

「……おだてると調子に乗る。
 今のも余所に流すなよ」

「ふふっ、お兄ちゃんも大変や」



二人自然に笑みが零れた。

今くらいは同じ年頃の友人同士として同じ時間を。

ようやくと目の前の食事に箸を伸ばす。

今更ながらに舌鼓を打ちながら二人は久方ぶりに親睦を深めるのであった。




**********





「もうこんな時間か。
 送っていこう」



話が決まった後はただ和やかな食事会だった。

思えばこうしてゆっくりと向かい合う時間など随分久しぶりの事。

お互い積る話は幾つもあった。

しかして楽しい時間ほど瞬く間に過ぎ行くもの。



「ええよ、そんなに遠い訳でもないし」

「もう少し話したい事もある。
 俺に付き合ってくれないか」



それはとても世間話をするとは思えぬ真摯な面持ちであった。

むしろこれからが本番という事であろうか。



「……そういう事ならお願いしようかな」



はやてに断るという選択肢はない。

普段も使っているというゲルトの大型二輪は表に停まっていた。

二人乗りを想定した大出力のモデルだ。



「ほら、使ってくれ」

「ありがとさん」



無造作に投げ渡されたフルフェイスのヘルメットを受け取る。

デザインは明らかに女性ものだった。

平時はギンガが使っているものに違いあるまい。

少し悪い気もしたが、ゲルト自身の誘いである。

流石走り出しも手慣れたものでタンデムに不安は感じなかった。

夜風は食事で温まった体を気持ちよく冷ましてくれる。

車両での移動とはまた違う爽快感。

背後に流れていく灯火の光。



「それで?
 話したい事ってなんなん?」

「…………」



話すだけなら食事処でも出来た。

わざわざ場所を変えるとなると重要な話には違いない。

それも移動中かつヘルメットで口元まで覆ってという事になると盗聴対策、あるいは読唇対策まで気にしている事になる。

深読みのし過ぎでなければ相当の話になるだろう事は想像に難くなかった。



「もしかすると気付いてるかもしれないが……」



ゲルトも遂にポツポツと口を開き始めた。



「俺は、何としてもスバル達をお前の部隊に入れたい。
 その為なら、俺は俺自身の因縁も脇に退ける」

「……みたいやね」

「理由がある」



カーブを曲がり、一般道から高速道路へ。

湾岸のハイウェイを深紅のテールランプが彩る。



「俺の経歴については調べたな?」

「それは――うん、勝手にごめん」

「いい、手間が省ける」



特に気にした素振りも見せないゲルトは話を続けた。



「ならそれを踏まえてまずは昔話に付き合ってくれ。
 話は十年以上前。
 俺が戦闘機人第一号、タイプゼロファーストと呼ばれていた頃の話だ」



己の起源。

全ての始まり。

死と鮮血に彩られた過去。



「知っての通り、俺は人を殺めた事がある。
 それも何人もな。
 性能試験でもしたかったんだろうが、魔導師やら傭兵やらと殺し合った」

「…………」



茶化すような話ではない。

無言のはやては彼の独白を聞き逃さぬよう耳を寄せた。



「俺は死にたくなかった。
 がむしゃらだった。
 何をしてでも生き残りたい、そんな未練があった」



それが無ければ案外あっさりと死んでいたかもしれない。

いや、きっとそうだ。

腕前以前の問題である。

幼く未熟だった自分に、相手を殺してでも生き残るという決心ができたかは怪しい。



「当時研究所には俺以外にも二人の実験体がいた。
 俺が倒れれば次はあの子達の番だ、俺はそれが許せなかった」



それだけは絶対に許し難かった。

だからこの手を血に染めた。

幾つもの死線を潜り、幾つもの命を奪った。

精神は摩耗し、怨嗟を呟く亡者の声に夜も眠れない。

それでもあの子達を守りたかった。



「だから俺は生き残れた。
 あの子達が、俺にとっての命だった」



今は抱えるものも多くなったが、あの頃の自分にあったのは二人だけだ。

あの二人がいたからこそ、死線を潜る事ができた。

潜ろうという気概ができた。

例え血に塗れても。

例え手足を吹き飛ばされても。

それでもあの二人の為なら戦えた。



「それが、ギンガとスバルだ」

「……え?」



呆然としたような声。

振り返らなくても分かる。

はやての見開かれた目が瞼に浮かぶようだ。



「二人は俺よりも早く施設から保護されて、それまでの経歴は抹消。
 戦闘機人としてじゃあなく、母さんと父さんの実の娘として迎えられた」



この上ない幸運だった。

彼女達は生まれも育ちも真っ当な人間という事になった。

後ろ暗い世界とは縁が切れたのだ。

初めてこの世の奇跡を信じる事ができた。



「なんでそんな大事な事、私に……?」



はやてにもようやくこの異様なまでの防諜に合点がいった。

ゲルトがことさら義理の姉妹を大事にしていたのも納得である。

成程これは気を使う筈だ。

しかし、ならばこそ解せない。

秘密を知る人間は少ないほどいいのは当然。



「なぜか?
 決まってる」



ゲルトにとっても苦肉の策だった。

それでも必要なのだ。

はやてが、彼女の部隊が。

それらの力が。



「スバルの事を守ってほしい」

「……誰かに狙われてるんか?」

「証拠は何も。
 ただゼスト隊が壊滅したあの日、俺達は完全に待ち伏せされていた」



脳裏にありありと思い浮かぶあの日の惨状。

偶然の出会いである筈がない。



「局内の、それもかなりの上から情報が漏れていたのは確実だ。
 ギンガやスバルの身の上も知られている可能性は捨て切れない」



そして昨日のガジェットのギンガへ向けた不審な視線。

ゲルトは同一の敵であると判断した。

そして姉妹の秘密にも辿り着いている危険性が高いと言わざるをえない。

だからこそ最悪の事態に備え、スバルを危険な災害救助の現場から遠ざけておきたい。

そして出来るなら信頼できる強力な部隊へ預けたい。

はやての新部隊設立はゲルトにとって、いやナカジマ家にとっても好都合だった。

父や母も同意しての事だ。

勘の域を出ないゲルトの妄言を、二人も信じてくれた。



「お前の所なら寮生活で二十四時間誰かの目が届く。
 しかも部隊の構成員は指折りの精鋭揃いだ。
 これ以上の部隊は地上のどこを見てもそうはない」



部隊長、八神はやて。

教導隊のエースオブエース、高町なのは。

法務を統括する執務官、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。

ヴォルケンリッター、シグナム、シャマル、ヴィータ、ザフィーラ。

バックヤードスタッフも充実している。

次元航行部隊レティ提督の実子、グリフィス・ロウラン。

元武装隊員、ヴァイス・グランセニック。

執務官補佐、シャリオ・フィニーノ。

ゲルトの口から次々に挙げられる面々。

総じて若いが、実力のある人間ばかりである。

名前の羅列に驚いたのはむしろはやての方だった。



「もうそこまで調べたんか……」

「俺も捜査官だ。
 言ったろう?
 地上にはツテがある」



まだ正式な部隊立ち上げ前なのだが、中核メンバーの殆どは把握されているらしい。

人脈がある事は知っていたものの、それを単独で使いこなせるとは思わなかった。

ゲルトは本気で新部隊、機動六課に妹分達を送り込む気のようだ。

どれもこれもスバルの身の安全への不安からか。



「ガジェット共が相手なら、どこかの段階で必ず戦闘機人事件と関わって来る。
 そして奴らが実際に生きて動く戦闘機人に手を出さない保証はどこにもない」



サンプル、標本、実験体。

嫌な想像は幾らでもできた。

その末路がどうなるのかも。

それをこそゲルトは恐れる。



「お前が必要と判断したなら今の話を部隊内で共有してくれてもいい」

「本気なんか?」

「ああ、本気だ」



思わずゲルトの腰を掴む手が強くなる。

彼に迷いは感じられない。



「言うたら悪いけどティアナは隠れ蓑か?」

「そう思われても仕方ない。
 確かにあいつはスバルの体の事情を知ってるし、仲もいい。
 あいつがスバルの直接の上司になってくれるなら言う事なしだ」



結果的にはティアナを出汁に使ったようなものだ。

言い訳はしない。

しかしティアナもまたゲルトにとっては身内同然。



「ただ、あいつにとっても今回の事は絶好の機会だ。
 あいつの夢を叶える手伝いをしてやりたい、これも俺の本音だ」



二兎を追う。

常のゲルトではありえぬ強欲。

それもティアナとスバルの為ならば飲み込むのが彼だ。

それがゲルトだ。



「不足だが手土産も用意させてもらった」



さらにゲルトは己の上着のポケットを探るように告げた。

言葉の通りに彼の衣嚢をまさぐれば出てきたのはごく小さなフラッシュドライブであった。

はたしてその中身は、



「俺が記憶する限りの戦闘機人関連の捜査情報と、個人的に今日まで集めてきた追跡資料が入ってる」

「それって八年前の?
 でもあの事件は……」

「ああ、現在機密情報扱いで当時関わってた俺でもアクセスできない。
 だからこれ自体に証拠能力はないと思ってくれ」

「……いや、十分過ぎるお土産や」



ペンよりも軽いフラッシュドライブが今はとてつもなく重く感じる。

機密指定された捜査情報の恣意的な漏洩。

言うまでもなく厳罰に処されてもおかしくない危険な行為だ。

ゲルトの覚悟の程が伝わってくるようである。

しかし、解せない。



「なんでや、なんでここまで……。
 私らがガジェットを追ってるからか?」

「それもある。
 ただ、決め手はお前達なら信じられると思ったからだ」

「私達なら?」



ああ、とゲルトは頷いた。

その言葉に嘘偽りなく。

何度でも言おう。



「俺はお前達なら信じられる。
 信じて、妹達を預けられる」



それはこれまでの友好が結んだ信頼。

それはこれまでの行動から読み取れる打算。

情と理。

二つが揃ったからこそ踏み切れる。

例えば、



「はやて、お前は誇り高い。
 シグナム達と縁を切るならお前は普通の人間として暮らせたはずだ。
 闇の書の汚名を被る事もなく、教会や管理局の顔色を窺う必要もなかった」



しかし彼女はそうしなかった。

わざわざ汚名を背負い、新たな家族を見放さなかった。

その決断をした。

なら、同じく新たに身内となる部下を見放すような真似はすまい。

そう信じられる。



「フェイトは、優しい奴だ。
 人造魔導師計画を潰しながら、エリオ達の面倒も見てる。
 口だけじゃなく実際に行動に移せる人間だ」
 


ゼストやクイントもそうだった。

可愛そうだと憐れむ人間はいるだろう。

どうにかしないとと叫ぶ人間もいるだろう。

だが、人の命を預かる事はそれとは全く違う。

それを出来る人間が、同じ人造生命たる同胞を見捨てる訳がない。

そう信じられる。

そして、



「なのはは、あいつは……」



彼女は特別だ。

彼女は既に二度までもゲルトを救ってくれている。

スバルを、そしてゲルト自身を。

妹にとっての憧れの星。

己にとっての――――。



「あいつは、強い。
 俺にはできない戦い方ができる。
 俺にはできない守り方ができる」



戦技教導隊のエースオブエース。

己が一対一で勝ち切れていない唯一の存在。

あいつは、あいつならばやってくれるかもしれない。

今だからこそ本当に思う。



「俺も、お前達のようにやれていればな……」



その呟きの力のない事。

ゲルトとは思えぬ無力感に満ちた声音だった。

はやては思わず目の前の背中を見る。

客観的に見て大きな、そして逞しい背中だ。

鋼の騎士の異名に恥じぬ戦士の体付きであろう。

あのシグナムをすら凌ぐ近接戦の熟練者。

地上最強を謳われる鉄壁の男。

しかしはやては初めてその綻びを見た。

どれだけの葛藤があったろう。

絶対に譲らないと思われた因縁を退け、何よりも大事な妹を他人に託した。

彼にとって命同然と断言するほどの存在を、自分に。

どうしてこの信頼を、この覚悟を裏切れるだろうか。



「そんな事言うたらあかんで。
 スバルやティアナにとっては最強に格好ええお兄ちゃんやねんから」

「……だといいんだが」

「珍しく弱気やなぁ。
 少なくとも――――」



少し背を伸ばす。

ゲルトの腰に回した手を彼の肩へ。

耳元で囁くような姿勢。



「今夜のゲルト君は最強に格好ええよ?」



左耳をくすぐる微かなブレス。

ゲルトは思わず言葉を無くした。

耳が良過ぎるのも問題だ。

ヘルメット越しでも彼にはその吐息を感じ取る事ができる。

運転中に振り返る訳にもいかないが、一体どういうつもりやら。



「それは、どうも――っておい危ないぞ」

「んー、ヘルメット被ってると赤ぁなってるんか分からへんなー」

「……運転中にふざけてくるなよ」



肩越しに無理矢理顔を覗き込もうとするはやてを押し戻す。

こういう奴だったな、そういえば。

肩の力が抜けていくようだ。



「俺が仕事中なら減点取ってるぞ」

「おっ、いつもの調子出てきたやん」



くすくすと笑いながら、はやてもまた覚悟した。

さらに二つの命を背負う覚悟だ。

我ながら度し難い。

課せられた任務を完遂し、実績を作ること。

カリムの依頼を全うし、立場を固めること。

さらにはゲルトの願いに応え、信義を貫くこと。

これら全てを同時にこなさなければならない。

どれ一つとっても無理難題ばかり。

決して躓けない最初で最後とも思えるチャンスに、これほどの重責の連続。

賢しく生きるなら考慮にも値しない選択。

なのに最早スバルとティアナの部隊入りについては己の中で決定事項としてある。



ゲルト君、ほんま駆け引き上手くなったんちゃう?



しかし悪くない気分ではあった。

それは単車の疾走感がそうさせるのか。

潮薫る海風がそうさせるのか。

それとも――――いや、そういう事にしておこう。





**********





ひとしきり沿岸の夜景を楽しんだ末、バイクははやてらの家の前に止まった。

話は伝わっていたのだろうか、玄関口には既にヴォルケンリッターが勢揃いでお出迎えだ。

傍目には仲のよい家族そのものであろう。



「おかえりなさい、はやてちゃん」

「ただいまー、皆」

「ゲルトもすまなかったな。
 主を送ってくれた事、礼を言う」

「いや、俺も楽しんだよ」



彼女らがその気になれば都市の一つや二つは簡単に落ちる。

ゲルト自身と同じく、死山血河を乗り越えた古強者達。

遍く知られるのは闇の書の守護騎士という悪名高い負の遺産。

だが過去はどうあれ、ゲルトには頼もしい友人達である。



「妹さん達の件は何とかしてみる。
 その分いっぱい働いてもらう事にはなるやろうけど」

「少々でへこたれるようなヤワな鍛え方はしてない。
 精々扱いてやってくれ」

「なのはちゃんにもそう伝えとくわ」

「教導隊のエースオブエースが見てくれるなら安心だな」



ひとしきり笑ってからゲルトは表情を引き締めた。

両踵を揃え、理想的なまでの直立姿勢。

思わずはやて達も姿勢を整えてしまう。

そして彼は恭しく頭を垂れた。

完全に相手の権威を認める態度。

何ら恥じる事などない。

だからこそゲルトははやてに急所を預けたのだ。



「……俺の家族をどうか、よろしく頼みます」

「妹さん達二名。
 謹んでお預かりします」



一夜。

ただの一夜。

しかし数多の運命が動いた一夜。

ゲルトの決断が、そしてはやての決断が、いかな未来を引き寄せるのか。

スバルの未来は、そしてティアナの未来は、いかな分岐を迎えるのか。

これは、そういう物語。


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