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[8541] オーバー・ザ・レギオス(鋼殻レギオス 最強オリ主)【チラ裏から移動2009/8/6】
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2009/08/06 20:24

 ※注意
 これは最強オリキャラ物です。
 若干、レジェンドの方も絡んできます。














 世界中の大気と大地は、『汚染物質』と呼ばれる珍妙な物質が充満している。
 ほとんどの生物を死に至らしめるこの物質の蔓延により、自然界ではほぼ全ての動植物が死に絶え、大地は水が干上がって乾燥し、常に強風の吹き荒れる荒野がこの世界のすべてだ。
 そして、そんな厳しい世界において唯一、『汚染獣』と呼ばれる巨大生命体だけが汚染された世界に適応し、繁殖を繰り返して世界中を跋扈している。
 世界が汚染される以前の歴史はほとんど忘れ去られており、汚染物質がいつどのようにして発生したのかなんて誰も覚えてはいない。

 人類は汚染物質の中で生きることができないため、過去の錬金術師達が残した『自律型移動都市レギオス』と呼ばれる都市に住み、汚染物質や汚染獣から逃れている。
 自律型移動都市は都市の土台を金属製の多脚が支えるような構造になっており、汚染獣を回避するように移動し続ける。
 都市の外周は汚染物質を遮るエアフィルターという空気の膜に覆われており、汚染された世界から人類を守り続けている。
 しかし、自律型移動都市レギオスの建造技術は失われており、新たに自律型移動都市を建造することはもとより、機関部などの重要施設が壊れてしまっては修復することさえも不可能である。

 これこそが世界の終末とでも言うべきか。
 いや、滅んだ後の世界の姿なのかもしれない。
 もっとも、この世界に生きる者たちのほとんどが、今の世界がどのようにして成り立ったかを解明しようとはしない。
 しようとしても不可能であるし、もっと眼前にそれ以上に対処しなくてはならないことがあるからでもある。
 それが汚染獣という大怪獣たちだ。
 人間の何倍もある昆虫や爬虫類に似た姿をした大怪獣たちは、世界を満たす汚染物質を取り込む傍ら、人間をも食料としてしている。
 これも自然の食物連鎖と言われればそれまでなのだが、人間たちも為すがままに食われたいわけではない。
 世界は、人間をいくつにも分断された小さな世界に閉じ込めるばかりではなく、ちゃんと新たな力を授けてくれた。

 その力を授けられた人間たちが、武芸者であり、念威操者。
 剄や念威といった超能力のような摩訶不思議な力を操る超常者たちだ。
 彼らは、人類を脅かす大怪獣を相手に剣や槍、弓などで戦っている。

 俺の感想としては正気の沙汰ではない、というのが一番だった。
 しかし、自律型移動都市レギオスという小世界に閉じ込められている以上、資源にはかなりの制限がある。
 近代兵器のように使えば使うほど消耗するような大盤振る舞いはできない。
 そんなことをすれば自分たちが明日を暮らせなくなってしまう。
 本当にとんでもない世界である。




オーバー・ザ・レギオス


 プロローグ 奇跡と輝石と軌跡







 人は死ねばあの世とやらに行くのか、それとも輪廻転生で新たな命が始まるのか、どっちが本当なのだろう?
 歴史上にも古今東西にも、それを体験したことのある人は数えきれないくらいいる。
 しかし、その体験談というものはまったく伝えられていない。
 「死人に口なし」とは、どの世界にも共通する真理なのではないかと思えるね。

 かくいう俺も死という誰もが通る現象を満喫しているのだろうと思う。
 何しろ、気がついたら地獄のような世界をたった一人で旅をしているのだから。

 汚染された世界。
 人が人として太陽のもと大地に立てない世界。
 まったく、恐ろしい世界もあったものだ。
 こんな世界を一人旅するというのは、地獄の拷問以外の何物でもないはずだ。

 しかし、一人旅を続けている俺が、何故にこの不思議な世界の事情をある程度理解しているかというと何度かこの世界の人間が暮らしている自律型移動都市レギオスに辿り着いているからなのだ。
 もうね。こんな世界を一人で旅しているととてもじゃないが精神の安寧が保てない。
 だから、俺しか乗らない不可思議な放浪バスが初めて自律型移動都市レギオスに辿り着いた時はもう地獄に仏、ならぬ楽園だと思えたね。

 最初に辿り着いた都市では、この世界の常識を全く知らなかったので初めのうちは怪しまれたが、記憶障害ということで誤魔化した。
 いろいろと検査を受けた後は、その都市で簡単なアルバイトをしてどうにか生活できた。言葉が通じたのは本当に助かった。
 そして、ようやくこの世界のことを聞いた頃だ。

 その都市を汚染獣が襲った。
 あっという間だった。
 あれよあれよという間に都市の外縁部が崩され、おっそろしい大怪獣が姿を現した。
 それを初めて見た俺は、まったく実感を持てずに逃げ出す人々の間で呆けていた。
 その都市にも汚染獣と戦う武芸者が何百人もいたが、その汚染獣にはまったく歯が立たなかった。
 そして、思考が混乱したままの俺は、汚染獣の巨体に踏みつぶされて終わりを告げようと――――――








 ――していたのだが、何故か再び、放浪バスの中で眠っていた。

 それがすべて夢だったのか、それともいつの間にか予知夢でも身に付いていたのかは分からない。
 おそらくどちらも違うのだろう。
 何故ならば、


『 リトライ or エンド 』


 という珍妙なイメージが出てきたからだ。
 これで俺は確信し、「ついに俺も妄想電脳を獲得したか」と。
 現実逃避にしては、自分でも意味不明すぎた。





 とにかく、『エンド』を選べるほど生きることに絶望していない俺は、意識の中で『リトライ』のイメージに手を伸ばした。

 そうして始まった二度目の汚染された世界。
 数日間は、自分ひとりで寂しさに耐えながら放浪バスの中で一人遊びに興じる。
 そして、辿り着いた都市は、以前とは別の都市だった。
 俺は、前回の経験を生かし、汚染獣に襲われて壊滅した都市から逃げてきたという設定でその都市に入り込んだ。
 しかし、ここでちょっとした問題が起きた。
 前回と同じようにいろいろと身体検査を受けたのだが、俺の体はいつの間にか剄脈という新たな器官が備わっていたことが判明した。
 そして、剄脈があるということは、力はなくとも武芸者だったと思われたらしい。
 汚染獣に襲われた都市から逃げてきた武芸者、という肩書は、この世界ではかなり都合が悪いと知ることができた。
 それからの生活は以前の比ではなく、人間関係がなかなかうまく繋がらない。
 何しろ、故郷を守らず逃げ出すような武芸者なのだから、自分たちの危機にも逃げ出すだろうと思われてしまったからだ。
 それでも一般人より優秀な身体能力というものを手にしていた俺は、都市のいろいろな場所で力仕事や雑用を請け負いながら生計を立てた。
 人間真面目にやれば、いつかは認めてくれる人もいる。
 それを実感できる頃には、都市の一画では便利屋としてある程度の人付き合いはしてもらえるようになっていた。
 やはり人間は苦労することも大切だと思えた。

 そして、苦労して手にした居場所の心地よさというものに満足し始めていた頃――やつらがやってきた。

 今度は、以前の汚染獣より格段に小さいが千に届こうかという幼生体の群だった。
 武芸者として、まともな訓練を受けていなかった俺も自分の居場所を守るべく、巨大な鉄鞭を片手に幼生体の群に突っ込んでいった。

 その結果が――


『 リトライ or エンド 』


 という懐かしくも苛立たしいイメージ。
 二度あることは三度ある。
 これがループという現象であるのかもしれないと考えた俺は、当然の如く『リトライ』を選び、放浪バスの中で目覚めるとすぐに外に出た。

「ぐぶるるぉあああ!!!!!!!!!!」

 10秒も持ちませんでした、はい。
 考えてみれば、放浪バスの外からドアを開ける方法を知らなかった。
 眼も鼻も口も皮膚もどこもかしこも耐えがたい激痛に支配され、自分で飛び出した地獄の世界を数分間のたうち回って意識が途絶え、


『 リトライ or エンド 』


 もちろん、『リトライ』です。

 どんなに苦しみを受けようと自分から死を受け入れるわけにはいかないですよね。
 世の中、生きたくても生きれない人もいるんだし。命は粗末にするもんじゃないね。

 相も変わらず、放浪バスに揺られて自律型移動都市レギオスに辿り着き、一人乗りの放浪バスを怪しまれながらも武芸者として新たな生活を始めた。
 今度も武芸者だったことを検査で再確認すると生活のためのアルバイトをする合間に、その都市の武芸者の道場に武芸を習いに行くようになった。
 初めのうちは、お金がなくて週一くらいのペースでしか鍛練に参加できず、あとのほとんどは自己鍛練だった。
 自己鍛練といっても、武芸者の鍛錬の仕方などほとんど知らない状態だったので、ひたすら基礎中の基礎、剄息から究めることにした。
 日常をひたすら剄息で過ごし、負荷をかけながら仕事をして、道場の日には他の武芸者に叩きのめされる日々を続けた。

 そして、予想通りに起きた汚染獣の襲来。
 今回の汚染獣は、雄性体の三期か四期が五体。
 三度目の正直と思い、俺は戦った。多くの武芸者が巨大な汚染獣を前に果敢に戦う横で、黒で塗りつぶされた黒鋼錬金鋼クロムダイトの斧槍を振り回しながら戦った。
 何人もの武芸者が散っていく中、俺は三体目の汚染獣が地に落ちるのを確認した。
 そして残った二体の汚染獣。
 それさえ倒せば、自分は新しい『現実』を生きられる。
 そう思ってほとんど動かなくなった体に鞭打って斧槍を掲げ、




『 リトライ or エンド 』


 今度はアレだ。
 戦いの最中、防護服に小さな穴が空いたことに気付けなかったのが駄目だった。
 やはり実戦経験が乏しいと駄目だ。
 この世界で生きるには、もっともっと鍛練と経験を重ねなくてはならないようだ。










 そんなこんなを繰り返すこと数十回。
 些細なミスから自分ではどうしようもない理不尽な暴力、思いもしなかった事故などを積み重ね、自分の屍も積み重ねてきた。
 いや、実際に自分が死んでいるのかどうかはわからない。
 死亡する直前でいつもの放浪バスに戻されているという可能性もあり得る。まあ、それ以前の傷までもなくなっているから可能性は低いけど。

 この繰り返しの中、年齢を重ねることもなく、記憶と能力の蓄積が続いている。
 永遠とも思えてしまうループの中でも、いくつか分かった事がある。
 ひとつめは、目覚めるときは必ず不可思議な放浪バスの中だということ。
 この放浪バスは、俺を近くの都市まで届けると誰にも気づかれずにいつの間にか消え去っているので、通常の放浪バスではないことは確かだろう。
 ふたつめは、俺が辿り着く都市は、必ず一年以内に汚染獣、それもその都市に対処できないレベルの汚染獣が襲ってくるということ。
 これは、俺が疫病神なのかもしれないとも思ったこともあるが、自分に心当たりがない以上、答えは出せない。
 みっつめは、俺の中に宿った剄脈と剄路という武芸者特有の器官。
 通常、剄脈が生み出す剄力はそれほど増大することはないという。
 しかし、俺に宿った剄脈は汚染獣と戦っていると稀に異常な剄力を生み出す時がある。
 剄脈加速薬のようなドーピングでも不可能なほどの剄力の増大は、とてつもない恩恵のように思えたが実際にはそうではない。
 制御できないほどの力の増大が己に齎すものは、自滅。
 強力な汚染獣との戦っている時ほど剄力増大が起きやすい傾向にある。
 巨大な力を得てもそれに振り回され、結局は寿命を縮めるのだが、剄力増大が起きた後の『リトライ』では、剄脈や経路が成長を果たしている。

 数十回という挫折を繰り返しながらも俺が『生きる』ことを諦めないのは、そこに希望を見出しているからである。
 しかし、希望はしょせん希望でしかない。
 どれほど望んでも手にすることができないこともある。





「境界を破りし愚かな月の影より這い出でし者よ……」

 記念すべきというかなんというか、とにかく『リトライ』百回目を目前にして、俺はそいつと出会った。

「貴様は、この――」

 あまりに巨大な汚染獣。
 それまで数多くの汚染獣と戦ってきたが、そのどれよりも古く強大で巨大な存在だった。
 人語を介する絶大な存在を前に、俺は何かを知った。
 それが何だったのかはよく思い出せない。

「貴様は、■■■■■の■■か? それとも■■■■■の■■か? どちらであろうとも、いずれ来るのであろうな」

 それまでに感じたこともないほどの剄脈からの過剰供給により爆発的に生じる剄が周囲に衝剄として放たれ、俺自身を包む。
 どうやってその場に辿り着いたのかも思い出せない。
 だが、俺はひとりでそこに立った。
 西洋のドラゴンのような汚染獣の前に、若き英雄を思わせる青年の前に――。

















 目覚めるといつもの放浪バスの中だった。
 眠りにつく前の記憶が曖昧だ。
 いつもなら鮮明に覚えているのだが、今回はいつもと何かが違う。
 そして、違いは記憶の欠損や剄脈の不思議な違和感だけでなはなかった。
 新たな目覚めに身体の関学が鈍っていたからすぐには気付かなかったが、膝の上に黒い物体がその重量を主張していた。
 見慣れぬ合成皮革の鞘。その中に収められているであろうモノを抜く。
 確かな重みと共に姿を現したのは、黒い片刃の剣。
 刀身を眺めていると黒剣は、みるみる形を変え、この世界に来て武芸者として生きるようになってからは見慣れた金属の棒に姿を変えた。
 この瞬間『変異』したことを理解した。
 何がどう『変異』したのかは正確にはわかない。しかし、これは本来の持ち主とは別の存在である俺の手が触れた時、『原型オリジナル』を失ったのだ。



 


 この汚染された大地で俺が刻んだ歴史は、すべて掻き消えた。
 何もかもがなかったことになっている。
 それでも俺は、再び自分の歴史をこの世界に刻むために新たな都市へと向かう。
 そこに滅びを与えることになっても、俺は生きることを諦めたくない。
 死ぬのは怖し、嫌だ。
 死にたくないし、まだまだ生きていたいから前へ進む。

 俺は自分を忘れない。
 自分の死を忘れない。
 死の痛みを忘れない。
 痛みの生を忘れない。
 生の喜びを忘れない。


「だから戦うよ。前へ進む。歩みは止めない。だから……一緒に行ってみないか? ―――■■■」










 新たな旅が始まる。
 それまでとはほんの少し違う始まり、それまで気付くことのなかった者たちの意思。
 俺はひとりで旅をしていたわけではなかった。
 俺だけが孤独になり続けていたわけではなかった。


「俺は自分が一人なのが嫌なだけだ。誰かのためじゃない。自分の欲望を満たすために生き進む。お前はどうなんだ―――■■■?」


 もう何度目になるかもわからない問いかけにそいつが答えたのは、新たな都市を視界に捉えてからだった。







[8541] オーバー・ザ・レギオス 第一話 学園都市ツェルニ
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2009/05/20 20:03

 自律型移動都市レギオス―――。

 俺が生きることになった小さな世界。
 いくつもの都市へと辿り着き、いくつもの都市を看取ってきた。
 閉じた時間の中、長い旅を続けて今に至る。

 主観で数十年の時を生きているはずの俺の肉体は老いを忘れたかのように若々しさを保っている。
 いくつもの都市と共に滅びているはずの肉体は、限界を越えて『深化』を続けてきた。


 そして、今回もまた滅びの可能性を運ぶ俺は、ひとつの都市に辿り着いた。
 学園都市ツェルニ。
 機能特化型都市の1つに、教育機関として特化した機能を持つこの都市は、住人の大半が学生で大人がいない。
 初めてその存在を知った時は、そんなんで大丈夫なのか?と本気で思った。
 それでも学園都市連盟に加入している学園都市の情報は、それなりにあり、少なくとも数十の学園都市の存在が確認されているし、他の自律型移動都市レギオス同様に都市同士の間で行われるセルニウム鉱山の争奪戦争もある。
 これまで一度も学園都市に辿り着いたことなどなかったので、実際に訪れるのは今回が初めてなこともあり、俺はそれなりに楽しみにしていた。
 何と言っても若者が集まる場所というのが良い。
 今までは、現状を把握することや汚染獣の襲来に備えるための鍛錬などで交友関係というものは、仕事先や道場だけだった。
 当然、肉体的に同年代の友人というものは皆無と言えた。滅ぶことが分かっていながら、他人と親しくなると後が辛いというのもあった。
 それでも俺は、ひとりで生きていくことのできない人種だと自覚しているし、仕事や鍛練を抜きにして親しい間柄というものを持つことに期待を抱いている。

 どれほどの力を持とうと俺は、孤独が嫌いだし、絶望の中にも希望を忘れられない性格だ。
 だから、今だけを生きることはしたくない。
 未来という名の明日を生きるために今を生きる。
 






オーバー・ザ・レギオス


 第一話 学園都市ツェルニ




「何故に!?」

 学園都市の中心地、ツェルニの都市旗を掲げる円形の尖塔の地上部。その事務受付で書類を受け取った俺は辺り憚ることなく叫んだ。
 何枚もの書類とそれらが入っていた袋を受付に叩きつける。
 受付嬢をしている女生徒が怯える姿にちょっとドキドキしてみたりしないでもないが、書類に書かれている内容はどうしても納得いかないものだった。

「な、何故と言われても、編入試験の結果ですから……」

 恐る恐る言う女生徒には何の非もない。
 もちろん、試験結果を出した機械も、ツェルニへの編入試験を受け持った役員の生徒たちのせいでもない。
 すべては勉学を怠っていた俺自身のせいなのだ。

「あ、貴方の奨学金ランクは、D。学年は、1年です」

 怯えながらもきっぱりと言う女生徒。
 そんな彼女の言葉を受けて突っ伏するしかない俺を誰か笑ってくれ。



 この世界に来る前の俺の年齢は、18。
 その年齢は、学園都市の学年にすれば三年。
 この世界に来てからの経験の蓄積を言えば、数十歳になる。
 精神は、肉体の影響を受けると聞くが、俺の感覚では、自分は二十代、三十路くらいに思っている。
 それなのに、一年生。周囲は数え年16のぴっちぴちの一年生。俺は、百歳手前のかぴかぴ一年生。
 この状況をどう思うよ?
 これが武芸馬鹿として生きてきた報いだというのか?

「というわけで、そこんところ如何にかしてもらえると嬉しんだけど?」

「そうだね。まずは、何が、どういうわけなのか説明してもらえるかな?」

 事務受付から出た俺が、その足で飛び込んだ場所――学園都市ツェルニの中心部にして、都市の総責任者でもある生徒会長の部屋。
 自分の待遇を不服とした俺は、あろうことか生徒会室に直談判をしに来てしまっていた。
 なんというか、あれだな……俺はバカだ。馬鹿ではなくバカなのだ。

「なるほど。立ち寄った都市が汚染獣に襲われており、当初入学するはずだった学園都市ではなく、このツェルニに辿り着いたと?」

 事務受付から送られてきた俺の編入申請(嘘情報満載)と試験結果に視線を走らせていた生徒会長が柔和な頬笑みを向けてきた。

「ああ。だから、今さら他の学園都市に行くのも面倒し、ここに置いてもらおうと思って編入試験を受けさせてもらったわけさ」

 自分で言うのもアレだが、もっとマシな理由を考えつけよと。
 いくら学園都市に来るのが初めてだからと言っても、何十年もの人生経験があって……待てよ。
 よく考えてみれば、これまでの人生経験ってそれほど豊富じゃないのでは?
 仕事も単調なアルバイトばかりだったし、遊びも武芸やこの世界の常識を学ぶ必要があったのでほとんどしてなかった。
 そして、さらに重大なことに気づいてしまったが、それを考えると本気で絶望を受け入れてしまいそうなので、脳ないから強制排除した。

「顔色が悪いようだが、大丈夫かな?」

「気にしないでくれ」

 生徒会長の言葉だけの労わりも、今の俺には傷を抉られているようにしか感じない。
 隣に美人秘書を侍らせる美男子などに俺の心配をする資格などないのだ!

「それよりも……どうなんだ? 聞いた話じゃ、戦争で負けが込んでるそうじゃないか。便宜を図ってくれれば、あんたが安心して卒業できるようにしてやるぞ?」

「ふむ。君は、自分の腕に相当な自信があるようだね」

「当然だ」

 伊達に主観で何十年もの時間を過ごしてきたわけではない。
 こちらに来てからの俺の人生は、戦いの日々だと言っても過言ではない。
 引っ切り無しに大怪獣相手に剣や槍なんかを振り回してきたんだ。
 武芸者としての経験値だけには、自信を持てる。
 それだけ命を賭けて……まあ、それほど重い命じゃなかったかもしれないが、とにかく俺は強くなった。
 今さら学生レベルの武芸者が何百、何千いても負ける気がしない。
 都市の保管係に預けている黒い錬金鋼もある。共に滅びを抜けてきた奴らが付いている。姿はなくとも世界を見通す我儘な嬢ちゃんもいる。
 今の俺が戦うべき相手は、学生ではなく、汚染獣だ。それは間違いない。
 俺がここで戦うのは、俺自身の因果が招き寄せるであろう汚染獣から都市を生かすこと。
 それは負けを許されないということ。
 俺が失敗すれば、また歴史が修正される。そして、俺の足跡と共に世界が変異する。
 だから、俺は明日のために今を戦う。

「それでは、改めて武芸科の特待生としての受けてみてはどうだい? 君の学力では三年にすることは難しいが、奨学金なら試験結果によっては、Aランクに上げられる。それでいいかな?」

「う~ん。そこら辺が落とし所か……ま、学費免除だけでも十分か。ついでに支給金とかも貰えるとやる気が増すんだけど?」

 かなり図々しい要求だが、汚染獣に備えて出来るだけ鍛練の時間を取れるようにしたい。
 これまでみたいにアルバイトばかりでは、身体が鈍ってしまう。
 俺の要求を聞き、僅かに眉根を動かした生徒会長は、再び裏のありそうな微笑を浮かべた。

「それは、君次第だよ」

 俺は確信した。
 この生徒会長は、素晴らしく素敵な試験内容を設定してくるだろうと。





 周囲を包む若者たちの熱気を伴った歓声。
 多くの観客が見守る中、武芸者同士が戦っている。
 数は5対4。
 学園都市ツェルニに存在する優秀な武芸者によって構成された17ある小隊同士の対抗試合。
 学園都市同士の戦争――武芸大会にむけての練習のようなもの。
 戦闘は、五人構成の第16小隊が優勢で進んでいた。
 攻守に分かれての戦闘にも関わらず、第16小隊は真正面から対戦相手である第17小隊のアタッカーを迎え撃った。
 衝剄による牽制と旋剄による高速攻撃のコンビネーションが、第16小隊の必勝法らしい。
 しかし、これは武芸大会――都市戦を想定して行われている試合だというのなら愚かとしか言いようがない。
 都市戦において、最小限の労力で最大限の結果を手にするためには、陣地作成は基本中の基本。
 トラップもなしに自分たちだけの力で敵を排除しようなどというのは、小数を相手にする場合だけ、しかも必勝を確信した時だけだ。
 何百人もの敵味方が立つ戦場において、防御側が地の利を利用しないというのは駄目だ。

 幾度もの『リトライ』の中で俺が最も苦手としている戦闘がまさにその状況だった。
 汚染獣との戦闘で最も恐ろしいことは、汚染獣の都市内への侵入を許してしまうこと。
 一人の強者が居ても、汚染獣がそこにばかり集まるとは限らない。
 汚染獣の侵入を許してしまった時は、都市機能に支障が出るような攻撃ができなくなる。
 そうなったら肉弾戦で一体一体始末していくしかなくなる。
 衝剄や化錬剄を使いこなせていなかった時期は、そのせいで何度も敗北した。
 都市内戦闘の経験も増えていき、ようやくそれにも慣れた今でも都市内戦闘は気を使う。

「ま、お前が見せたいのは、あの一年坊だろ?」

「わかるのかい?」

 対抗戦をを生徒会室のモニターを通して眺めていた生徒会長カリアン・ロスが俺の言葉にわずかな驚きを表している。
 モニターだけを見ていたら気付かなかっただろうが、俺には世界を見通す姫様が付いている。
 姫様がどんな思いを持って俺に協力しているかは、分からない。
 ツェルニに来てから何かを探すような、何かを恐れるような気配を感じさせるが、俺からは何をすることもできない。
 それに俺を見続けていた彼女が何を思おうと、何をしようと構わない。
 俺を孤独にせず、孤独から救いだしてくれる彼女が今も力を貸してくれている。
 何か要求があれば、何らかの干渉をしてくるだろう。今はそれで十分だ。
 ま、その『姫様』がどんな姫様なのかは、見当もついてないんだけどな。

「あの一年……レイフォン・アルセイフか? あれくらいの使い手は、他の都市でも見たことないな。一学生としては異常だろう、あれは」

「そうでなくては困るんだよ。――どうだろう? 彼にやる気を出させることができれば、君の学費も支給金も考えてあげられるだがね」

 そういうわけか。
 カリアンは、個としての強者がどの程度の戦力になるかを十分理解しているらしい。
 学生同士の武芸大会ならともかく、何百何千の汚染獣を相手にするときは、俺も背中を気にして戦う羽目になるのは御免蒙る。
 しかし、アレだな。

「わざわざちょっかい出す必要はないだろ、アレは」

「それは、どういうことだい?」

「簡単なことだろ?」

 適当な物言いに威圧的な微笑を向けてくるカリアン。しかし、精神的な威圧で屈するほど俺は敏感ではない。
 俺が答えるより先にその結果が出ていた。

 レイフォンの所属する第十七小隊の隊長――ニーナ・アントークが第十六小隊の攻撃を受け、膝をついた時だった。
 攻撃側は、司令官が倒れれば負け。
 それを見たレイフォンは、それまでのやる気のなさを何処かへ捨て去り、ニーナの方へ疾走する。

『なっ、しつこいんだよ』

 うちの『姫様』が集めてくる情報から第16小隊員の叫びを聞く。
 駆けだしたレイフォンを追いかけるような形で高速攻撃を背後から仕掛けるが、レイフォンは、それを視認することなく横にそれるだけでかわした。
 第十六小隊の旋剄による高速攻撃は確かに速いが、動きが直線的になりすぎている。
 武芸者同士の戦いでは、もっと考えて動かないと速度を武器にする利点がなくなる。
 そして、レイフォンを追い越し彼に背後を向けてしまった相手は、背中に強烈な一撃を受けて昏倒する。
 その間にもレイフォンは、止まらない。それまで怠けていたせいもあり、ニーナ・アントークとの距離がそれなりに開いている。
 学生武芸者ならば旋剄を用いても間に合わない距離だ。
 それでもレイフォンほどの実力者ならば、十分に間に合うはずだが、レイフォンは剣を振り上げ、剄を通した剣身を振り抜いた勢いに沿って衝剄を放った。

 外力系衝剄の変化、針剄。

 衝剄の塊を針のように研ぎ澄まされて撃ち出された一撃が、ニーナ・アントークを襲っていた第十六小隊のアタッカーを吹き飛ばす。
 突然眼の前で仲間を吹き飛ばされ、虚をつかれた形となった第十六小隊の隊員もレイフォンの峻烈な一撃に襲われた。

 そして、鳴り響く激しいサイレンの音。

『フラッグ破壊! 勝者、第十七小隊!』

 司会のアナウンスが興奮気味に叫び、野戦グラウンドは若者たちの歓声に包まれた。

『やったぜ! 見たか、俺様の腕前! 約束通り二射だ!!』

 第十七小隊の狙撃手と思われる男の興奮した声が、やけによく響いた。
 歓声に包まれるグラウンドの中心で、第十七小隊の勝利を引き寄せたレイフォン・アルセイフは呆れるほど無防備に地面へと倒れこんだ。

「な? あの手のタイプは優柔不断だと相場は決まってる」

「なるほど。君は、なかなかの観察眼をもっているようだね」

「褒めても何も出ないぞ。俺は貰う側なんだからな」

 俺の軽口にも相変わらずの微笑みを浮かべるカリアン。
 モニターの向こうで倒れているレイフォン少年に同情してやってもいい気分になってきた。




 試合後、しばらく必要な手続きとやらの書類にペンを走らせていると荒々しくドアが叩かれた。

「入りたまえ」

 さきほどから変わらぬ柔和な声と頬笑みがドアの方へと向けられる。
 どうやら扉の向こうに居る人物がここに来ることはカリアンにとって予定通りだったようだ。
 蹴り破ったかと思うほど乱暴に開かれたドアから現れたのは、先ほどまで野戦グラウンドで戦っていたニーナ・アントークだった。
 整った顔に汗と土砂を混じらせ、短いながらも風によくなびく繊細な金髪も汚れている。
 生徒会長に会いに来るならシャワーくらい浴びてきてもいいような気がしないでもない。まあ、俺は気にしないけどな。 
 部屋に入って、カリアンの隣で俺を値踏みするように見ていたおっ――武芸長のヴァンゼ・ハルゼイがいるのを確認し、一呼吸分の落ち着きを取り戻したニーナは入口で立ち止まり、礼をやり直した。

「武芸科三年。ニーナ・アントーク。入ります」

「どうぞ」

 苦笑をやめないままにカリアンは言い、わざとらしい賛辞を述べる。
 
「初戦の勝利、おめでとう」

 なんとも白々しい台詞にニーナは柳眉を逆立てる。
 俺もその気持ちを共有できる立場にあれば、もっと楽にこの場に居られただろう。

「……どういうことですか、あれは?」

「ん? なにがだね?」

 カリアンの調子に合せることを拒むようにニーナが問うも、カリアンは惚けたふりをする。

「レイフォン・アルセイフです。 彼がただ者ではないということも会長はご存知でしたね?」

 そんなカリアンの態度にもニーナはしっかり耐えて問いを続ける。
 実年齢がニーナくらいの頃の俺ならカリアンの態度に臍を曲げていただろう。

「どうしてそう思う?」

「よく考えれば、おかしな話です。入学式の一件は、確かに見事なものでした。しかし、それから一度も彼の実力を確かめないままに、貴方は彼を武芸科に転科させ、わたしに小隊員として推薦した。あの時の段階では、あの件は偶然上手くいっただけと考える者も少なくなかったでしょう。しかし、その後なんの干渉もないというのは、会長の性格からしてあり得ません」

「しかし、君はレイフォン君を受け入れた。君もあの一件には感服したのではないのかね?」

「わたしは彼を試しました」

 なるほどのう。
 人員不足だった第十七小隊にカリアン直々に推薦された新米隊員の実力が自分の予想をはるかに上回っていた。 
 一学生としての実力を完全に超越したレイフォン・アルセイフとは何者なのか?
 それは俺も気にならないこともない。
 あれだけの強さがあれば、どこの都市でも手放すようなことはしないはずだ。
 自分から出てきたというのならわからんでもないが、そうすると今度はヤル気の無さがよく分からなくなる。
 
「そうだな」

 と、カリアンの隣でヴァンゼが頷いた。
 彼の視線がチラリと、第四試合が始まろうとしているモニターに移り、それからカリアンに戻る。

「さっきからのお前の言い草は、レイフォン・アルセイフが何者であるか知っている様子だった。あいつのことを事前に知っていたのではないか?」

 ヴァンゼもレイフォンの素性については知らないらしい。
 やれやれと首を振るカリアン。

「他所の都市の情報など、そうそう手に入るものではないよ」

 それは事実だ。しかし、カリアンが言うと疑いたくなるのは何故だろうな。

「彼を知ったのは、偶然だ」

 降参を示してカリアンは両手をあげた。
 いちいち芝居がかった言動はやめた方がいいと思うぞ、若人よ。

「君たちは、この学校にどうやって来た?」

「放浪バスに決まっている」

 鼻を鳴らして即答するヴァンゼ君にカリアンは首を振る。
 というか、もっと言葉の先を読もうよ武芸長。

「それは当たり前だよ。私が言いたいのは、その経路さ」

「経路?」

「そうだ。放浪バスのすべては交通都市ヨルテムへと帰り、ヨルテムから出発する。移動する都市の行方を知っているのはヨルテムの意識だけだからだ。しかし、ヨルテムから真っ直ぐここに辿り着けるわけではない。よほど近づいていない限り、いくつかの都市を経由することになる」

 ニーナとヴァンゼが頷く。
 ちなみに俺は頷くことなく、書類の必要事項に記入を続ける。
 何しろ、交通都市ヨルテムに言ったことなんて一度もないし、都市へやってくる時も基本は一直線だったから、彼らの認識を共有することはできない。

「私はツェルニに来るのに三カ月かかった。その途中、立ち寄ったのが彼の故郷であるグレンダンだ。そこで私は運良く、天剣授受者を決定する大きな試合を見ることができた」

「天剣……とは?」

 ニーナがカリアンに訊ね、ヴァンゼにも視線を向ける。
 しかし、ヴァンゼは答えることなくカリアンに視線を向けたまま。やっぱり彼も何も知らないようだ。
 というか、グレンダンって、あのグレンダンのことか?
 
「槍殻都市グレンダン。かのサリンバン教導傭兵団を輩出した武芸の盛んな都市ということくらいは知っているね?」

 カリアンの確認にまた揃って頷くニーナとヴァンゼ。そして、ひとり頷けない俺だ。
 槍殻都市……俺の知っているグレンダンとは違うのか?

「その武芸の盛んなグレンダンの中で最も優れた武芸者十二人に授けられる称号……だけではなく、なにか特別なものもあるようだが、それは余所者の私にはわからないことだった」

 話の流れから察するにレイフォンが天剣授受者選定の大会に出ていたということか。
 しかも、六年のカリアンがツェルニに来る頃ということは、レイフォンの年齢は十歳前後ということになる。
 その事実にニーナとヴァンゼも気付き、わずかに動揺する。

「いるところには居るもんだな。真正の天才ってやつは」

 これ以上聞き耳を立てていても、場の空気に同調できないと思い、ちょうど書き終えた書類をカリアンの執務机に放る。

「私もそう思ったよ。私よりも小さな子供が、大の大人を軽々と薙ぎ倒す姿なんて、この目で見なければ信じることができなかったよ」

 同感……と頷いてやりたかったが、別に想像できないほどではない。
 俺にとってはこの世界そのものが夢幻のようなモノなのだ。そして、汚染獣なんて大怪獣も蔓延っている。今さら子供の超人が現れても驚くほどではない。

「入学志願者の書類に、奨学金試験の論文にその名前があるのを、私が見過ごすようなことはなかった。それほどに彼のことは私の記憶に鮮明に焼き付いている。そして、今のこのツェルニに彼が来る。救世主が現れたと思ったよ。同時に、なぜ彼がグレンダンを離れるのか理解できなかった。しかも、入学願書には一般教養科とあった。武芸者として完成しているといっても良い彼が武芸科を選択しないことは分からないでもない。しかし、まったく疑問に思わないはずがなく、私はできうる限りの手を使って調べた。調査の結果が届いたのは彼が来る前日だった」

 何やら熱弁するカリアンと心此処にあらずな様子のニーナを尻目にふかふかなソファーから腰を離して立ち上がってヴァンゼ君の武芸科関係の書類を手渡す。

「それで? 俺の試験はいつにする?」

「ああ、そうだったな。対抗試合も各隊が一戦目を終わるまでは、いろいろと忙しいからな。二、三日待て」

「りょ~かい。んで? 俺の持ち込んだ錬金鋼はいつ返してもらえるわけ?」

 今回の目覚めの際に所持していた黒い錬金鋼。
 ツェルニに辿り着く前に不思議バスの中である程度の感触は確かめたが、実際に振り回したことはまだない。
 感触に馴れたいし、設定や調整も早めに行っておきたい。

「試験の日程が決まり次第、こちらから連絡する。それまでには、保管係の方に話は通して置くからそれまで待て」

「そ~かい。んじゃ、俺はこれで失礼しますわな。会長さんも学費と小遣いの件、忘れんでくれよ?」

「それは試験の結果次第だよ」

 頬笑みと共に眼鏡のレンズを光らせるという驚きの特技を披露してくれたカリアンの視線に見送られ部屋を後にする。
 扉を閉じた向こうでは、まだニーナがカリアンの話を聞いているようだったが、俺の話ではないようだったので盗み聞きするのはやめた。









 生徒会室でカリアンからレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフの過去の一端を知らされたニーナ。
 そのニーナを机越しに見据えるカリアンは、その銀色の瞳をさらに深い光を燈す。

「さて、レイフォン君をこのまま第十七小隊で使うも、どうするも君次第だ。もちろん、私としてはここで君たちに終わってほしくないと思っている」

 カリアンの言葉に返事をするだけの気持ちの整理が済んでいないニーナは、押し黙ったままカリアンの視線を受け止める。
 そんなニーナの迷いに常の微笑みを向けたまま、レイフォンの時と同じく数枚の書類をニーナに差し出した。

「これは……さっきの?」

「そう。――少しばかり遅めの新入生だよ」

「……彼が何か?」

 カリアンが何を言おうとしているのかはニーナにも予想はついた。
 今の自分にそんなことを言うはずがないが、カリアンならばあり得る。
 そして、この状況で話を持ち出した以上、彼もまたわけありであることは確か。
 しかし、ニーナにはそれ以上に耳に残るモノがあった。








[8541] オーバー・ザ・レギオス 第二話 異邦の民
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2009/05/11 06:19




 本能からの餓えに任せて襲い来た汚染獣。
 地の底より這い出でる千に届くであろう幼生体の群。
 絶望という名のざわめきが足元より近づいてくる事実に都市も、そこに暮らす人間も恐れを抱く。
 その恐怖を抱きながらも死を受け入れることなどできない。
 学園都市ツェルニに在籍する武芸者たちは、そんな状況の中で戦った。
 ツェルニのために、大切な誰かのために、自分が生きるために……。

 しかし、その絶望は長くは続くことはなかった。







オーバー・ザ・レギオス


 第二話 異邦の民








 けたたましいサイレンに叩き起こされたために目覚めはそれほどよくない。
 さまざまな都市でこれと同じような警報を耳にしてきた。
 そして、例外なく都市と共に滅ぶ運命を辿ってきた。
 それでもこれほど早いのは異例だ。
 これまでは、最短でも半年の猶予があった。それがわずか数日でタイムリミットが来てしまうなど思ってもみなかった。


 編入試験が行われるまでの仮住まいとして宛がわれていた外来者用のホテルから一直線に生徒会室のある尖塔へと向かった。
 最初にここを訪れた時は最上部まで一気に駆け上がったが、今回もそうしようとしたら尖塔の中ほどで目的の人物を発見した。

「状況は?」

 俺の短い問いに部屋中の視線が振り向く。

「入室の際に窓を利用するのは、君の故郷の風習なのかな?」

「そんな面白い風習ない! さっさと状況を説明してくれ」

 状況が切迫しているのはすぐにわかった。
 俺を出迎えたカリアンの顔にあの胡散臭い微笑がないのだから。

「現在、ツェルニは陥没した地面に足の三割を取られて身動きが不可能な状態だ。通常ならば独力で脱出も可能なのだが……悪いことに汚染獣の巣を踏み抜いてしまっている」

「なるほど、それだと汚染獣の侵入は防ぎようがないな」

「そういうことだ。今は、都市警に一般生徒をシェルターに誘導させているが混乱が大きく、まとまりきれていない。武芸科の生徒たちは、各小隊員を中心に都市の防衛に動いてもらっている」

 カリアンたちの対応を聞き終えた俺は、都市全体に散っていた『姫様』に依頼していた調査結果を呼び込んだ。
 ツェルニが踏み抜いた大地から這い出る無数の汚染獣の幼生体。
 数は、約千体。
 遠距離からの攻撃で殲滅するのが一番良いのだが、都市の脚に取りつかれている以上、それを破壊してしまう様な攻撃はできない。
 だが、何かおかしい。
 『姫様』から送られてくる情報では、幼生体が千……二、三百とその母体の雌性体が一体。
 少なすぎる。脆弱すぎる。
 ツェルニの武芸者全体の正確な質は把握しきれていないが、それでも都市が滅びるほどの戦力じゃない。
 人的被害は出るだろうが、都市そのものの命運が絶たれるほどではない。
 それに――レイフォン・アルセイフ。
 あいつが戦列に加われば、まったく脅威になりえない。
 何やら戦うことを拒んでいる、というより武芸者としての自分を否定しようとしているようだったが、あいつも自衛行動くらいはするだろう。
 ひとつの都市が汚染獣と出会う頻度はそれほど多いわけではない。
 一度、汚染獣の襲撃を退ければ数年は猶予が稼げる可能性もあった。
 だから今までは全力でその時々の戦いをした。
 だが、今回の襲撃は今の俺なら十二分に排除しきれる数と質だ。
 砲撃系の剄技が使えない状況だが、中距離戦でも十分に対処しきれる。
 
「君にも出て貰えると助かるのだけどね。自称、最強の武芸者君」

 外の状況と都市内の避難状況を確認していると他の役員たちに指示を出し終えたカリアンが窓辺に腰かけていた俺の前に立つ。

「そんな自称をした覚えはないし、回りくどい会話はやめにしろ。俺は、試験を受けるために一昨日から待たされてるんだ」

「そういえば、そうだったね。では、今から君の試験を行いたいと思うのだが、どうかな?」

 回りくどいのはやめろと言ってもカリアンの言い廻しは変わらない。
 というよりも、カリアンの立場で今の俺に頭を下げて助けてくださいとは言えないだろう。
 実際に俺の実力を確かめたわけではないし、先に即物的な要求をしたのは俺の方だ。
 ここで直接的に助力を願っては、あとからどんな要求をされるかわからないからな。
 さらにカリアンは、それよりも先を見越して考えているのだろう。
 どれほど力をつけようと俺には、人の上に立つ資質はない。それは長い時間をかけて自覚できたことのひとつでもある。
 これからツェルニでカリアンから援助を受けようと思うならもう少し、駆け引きを覚えた方が良いかもな。












 凄惨な嘶きと共に押し寄せる赤黒い津波が空を覆い尽くしている。
 それをツェルニの武芸者で編成された部隊の中から射撃部隊や外縁部に設置されている剄羅砲から剄の砲弾が撃ち落とす。
 増幅され、凝縮された剄の塊は、向かってくる幼生の群れの先頭に命中し弾ける。
 赤い爆発が群れのあちこちで起こった。
 甲殻が弾けとび、殻につつまれた細長い足がばらばらと降り注ぐ。
 しかし、地面にたたき落とされてうず高く積み上げられた汚染獣たちは互いを押し合いながらツェルニに向けて動き出す。
 武芸者たちは、汚染獣を地面に叩き落としたという成果に士気を上げているようだが、それではあとからくる絶望の波に飲み込まれるだけだ。
 都市の滅びは避けられる、という判断は少し下方修正しなくてはいけないらしい。

「カリアン妹は、こんなところで何をしてる? カリアンが探してたぞ」

 カリアンとの試験の名を借りた取引を終えた俺は、入った時と同じく会議室の窓から外へと飛び降りた。
 そして、試験のために用意されていた錬金鋼を両手に構え、外縁部へと跳ぼうとしたのだが、着地地点にひとりの少女が突っ立っていた。

「わたしは、フェリです。兄の付属品のように言わないでください」

 なんとも無感動な表情で、感情豊かな物言いをする子だろう。
 髪や瞳がカリアンと同じ色だからなのか、性格は全く違う様なのだが、第一印象ではよく似ているように感じる。

「そうかい。ま、今はどうでもいいことだろ。カリアンところでも、シャルターでもいいからさっさと安全なところに隠れとけよ」

 言って再び外縁部に向けて跳ぼうと活剄を脚に集中させると、

「待ってください」

「なんだ? 一応俺、急いでるんだけど?」

 脚部を強化させる活剄は維持し、いつでも跳べる体勢で振り返る。
 俺を呼びとめたカリアンの妹が、まるで珍獣を見るような眼をしていた。
 いきなり呼び止めておいて、なんてひどい眼差しだ。

「貴方は、兄からわたしのことを何も聞いていないのですか?」

「んあ? お嬢ちゃんの念威のことか?」

 レイフォン・アルセイフが所属する十七小隊の隊員の一人、フェリ・ロス。
 カリアンの実妹で、武芸科二年の念威操者。
 他の念威操者とは比べ物にならないほど隔絶した念威を持って生まれ、その念威を運用する資質・技術、どれをとっても天才と言わざるを得ないほどの実力者だとか。

「貴方は、兄にわたしを連れてくるように言われているのではないのですか?」

 疑いと迷いが混じり合った声で問うてくる。

「少なくとも俺はお嬢ちゃんのことでは何も頼まれてない。というか、急いでるから他に用がないのなら行くからな」

 言いながら脚に溜めている活剄の密度を下げる。
 こんな近くで全力で跳躍したらカリアンの妹に怪我させてしまいかねない。
 しかし、このままじゃ間に合わなくなる可能性があるな。
 少しばかり、急ぐか。
 活剄を弱めるのと同時に錬金鋼を持たない左手を空に掲げ、化錬剄によって上空に大気の足場を生み出す。

「あ、貴方は、わたしに念威を使えと言わないのですか?」

 突如として上空に出現した大気が凝縮したような半透明の球体にわずかな驚きを見せるカリアンの妹。
 しかし、俺にとってはまったくもって時間の無駄になりそうな問いのようだ。

「それを言ってるのは、カリアンとかお嬢ちゃんの仲間たちじゃないのか?」

「兄たちだけではありません。わたしの能力を知る人たちは皆、わたしが念威を使うことを当然のように思っています」

 いや、だからそれが今の俺に何か関係があるのか?と言いたいが、大人の対応として他人の話は最後まで聞くべきか?

「私に念威の才能があるからと言ってどうしてそれを使わないといけないのですか? わたしは、こんなものはいらないのに……」

 俯きながら身を震わせているところ悪いんだが、やはり制限時間が気になる。

「ん~、そんなに使いたくないのなら使わなければいいだろ?」

「―――――!?」

 脚に溜めていた活剄を弾けさせ、上空に生成した弾力のある大気を再び両足に込めた活剄と起爆剤として衝剄を放ち爆発させる。 
 何かカリアンの妹が言いたそうな顔で乱れる髪とスカートを抑えているが、気にしていられなかった。



 外縁部で戦う武芸者たちに限界が近づいている。
 錬金鋼の調整をしてもらう時間も惜しい。
 試験のために用意してもらっていた錬金鋼は、紅玉錬金鋼ルビーダイトの鎖。
 俺がもっとも使い易い対人戦用の設定にしてもらっているので汚染獣戦では真価を発揮できないが、これでも中距離戦ならば十分。

復元レストレーション

 起動鍵語を唱え剄を流し込んだ紅玉錬金鋼が形質変化を起こし、直径30cmほどの円盤が現れる。
 一見して楯のように見える形だが、戦闘において鎖を収納しておくのに良い形状だという理由で設定してある。もちろん、ちゃんと楯としての役目も持たせている。
 
「よしよし、死人はまだ出てないな」

 ツェルニの大気を引き裂いて外縁部へと向かう中、首に掛けている鏡片の輝きから伝わってくる情報を確認しながら優先順位を決めていく。

「まずは、最前列の幼生体を排除してから雌性体を討つ。残りの殲滅は、ツェルニの武芸者にやらせた方が良いな」

 自分の力を見せつけるだけでは、今後のカリアンとの取引で後れを取ることになりそうだし、未来のためにもツェルニ全体の経験値を稼がせないといけない。
 もし、今回の汚染獣襲撃が前回までの襲撃とは違い、俺の存在に左右されていない本来の歴史であるのならば、俺がここに来たことにより起こる災厄が来る可能性がある。
 それに抗するには、ツェルニの戦力を少しでも上げておきたい。
 少なくとも雄性体の三期以下を小隊単位で倒せるくらいにはなってもらいたい。
 そうすれば最も危険な汚染獣の波状襲撃を受けても、都市を生かせる可能性が出てくる。
 老生体の二期以上に成長した個体が複数攻めてきたら難しいが、諦めないでいられるかもしれない。

「ま、他人に頼るべき所と自分でやるべき事はしっかり区別しておかないと」

 これまでの狭く長い人生経験で学べたことの一つを呟きつつ、ツェルニの空を跳んでいると前方からこちらに向かってすっ跳んでくる人影があった。

「あ、あなた「どけどけぇぇえい!!」うおあああ?!」

 俺と刹那よりも短い交錯をした人影は、レイフォン・アルセイフだった。

「危ねぇだろ! 気をつけろい!!」

 こういうときは怒鳴った者勝ちだ。

「す、すみませ、ん…?」

 レイフォン少年も律儀に謝るのなら疑問形にするな。
 本当ならここで仮病を使ってお金を……と遊んでいる暇がないのだった。
 俺の勢いに呆けたまま硬直しているレイフォン少年をおいて、さらに加速する。
 ここまで加速していると建物を足場にすると建物が壊れる恐れがあるため、化錬剄により生み出した大気の足場を使うようにしている。
 こんな方法は、数十回もの転生?ドーピングによる剄力の上乗せがなければ、とてもではないが単なる移動手段としては使えない。
 今は移動用に収束させている剄の密度を低く抑えているが、これを高密度に圧縮してしまえば、強力な爆弾に変わる。
 もし周囲の被害を考えなくて良ければ、これを汚染獣の群のど真ん中に撃ち込んでいるところだ。これなら幼生体の甲殻を破壊するのには十分だからな。

「ま、余裕を持ち過ぎるのは良くないな」

 時間にして一、二分も掛ってようやく外縁部に到着した。
 そこはすでに混沌と化している。
 あちらこちらに散らばる幼生体の残骸や破壊された錬金鋼の破片。
 未だに襲い来る幼生体。それと必死に戦うツェルニの武芸者たち。
 そんな戦場の最前線に降り立ち、すぐ隣を浮遊する鏡片から必要な情報を貰う。

「全体の分布と敵味方の識別を頼む。――よし」

 鏡片から受け取る情報は、すべてイメージとして伝えられる。
 視覚に伴わない画像を脳内に投影されても混乱するだけ。感覚で敵性体の位置を完璧に把握できた方が標的を絞りやすい。
 姫様の感覚が捉えたモノには不思議と不安がない。
 まるで以前から協力関係にあったかのような違和感の無さ。彼女の存在を知覚するようになって、たった数日しか経っていないのに。

「ま、それは追々、教えてもらうとして――」

 復元させていた鮮烈な光沢を放つ紅玉錬金鋼の楯。
 その内部に仕掛けられているもう一つの紅玉錬金鋼製の鎖を射出する。
 鎖の先端には、鏃型の刃が付いているため、まるで蛇が首を擡げているかのように見える。

「避けろッ!!」

 今まさに攻撃を開始しようとした瞬間に背後から女の叫び声が耳を打った。
 その理由は分かっている。
 今しがた声の主が相手にしていた幼生体が標的を俺に変えて突進してきているのだ。
 しかし、この距離なら姫様のバックアップ無しでも不意打ちを受けることはない。

 外力系衝剄の化錬変化、逆鱗。

 背後から襲いかかる幼生体へ右腕に装着している楯を裏拳の要領で振り抜いた。

「なっ!?」

 空気が破裂したかのような乾いた音と女の驚愕を確認する。
 完全に沈黙した敵を見る暇はないが、振り返ればそこには身体の半分を抉り取られた幼生体の死骸があるだろう。
 楯が幼生体に衝突した瞬間、特定の振動を伴う波状の衝剄が幼生体の甲殻から内部へと物質結合を破壊しながら突き抜けた結果だ。
 敵の内部に衝撃を与える浸透剄は、さまざまな都市の流派で見てきたが、これは敵の内部を破壊するのではなく、外も内も関係なく接触点から抉り取るように対象を破壊する。

「お、お前は……」

 俺に危険を知らせた女の声に聞き覚えがあった。
 レイフォン・アルセイフが所属する第十七小隊の隊長、ニーナ・アントーク。
 生徒会室に殴りこみ?を仕掛けてきた奴か。

「おい! お前、今のは――」

 何やら戦闘による興奮を調整しきれていない状態らしい。俺も最初のうちは似たような経験が多かったからわかるぞ……たぶん。
 しかし、俺の危機は去ったのだから、他人に構うより自分の身を守る方を優先してもらいたい。
 鏃に率いられた鎖が俺を中心に無秩序に奔って戦場に陣を形成していく。

「な、なんだこれは!?」

「ああ、あんまり動かんでくれよ。ちゃんと制御はしているが、自分から俺の領域を侵されると対処しきれないからな」

「何を言って――」

 突然、周囲を奔った鎖がツェルニの武芸者だけを避け、幼生体の甲殻を鏃が食い破って陣を形成していく。
 そして、十秒ほどの時を経て、陣の形成が形成された。

 外力系衝剄の変化、砦蛇。

 ツェルニの武芸者と幼生体とが入り乱れる戦場をわずかな静寂が支配する。
 数百という汚染獣の甲殻を掠め、削り、抉って、破った鏃が奔りに奔って戦場に形作ったのは、鎖の砦。
 空中も地上も、周囲に存在する数百の幼生体を一本の鎖が繋げている。

「お、お前は、何者なんだ……」

 周囲の状況を目にし、この状態を生み出した俺と砦蛇を交互に見比べるニーナ・アントーク。

「別に何者でもないさ」

 そう。俺はこの世界においては、何者でもありはしない。
 俺は俺。ただそれだけの存在。
 自分自身を確定する要素は、自分自身の肯定でしか成り立たない不確かな存在。
 しかし、俺の存在を明確にする方法はある。
 確かな存在としてこの世界に記憶されるように、そんな願いを以て俺は、ニーナの呟きに応える。


「俺は、リグザリオ――。世界を旅する異邦の民さ」


 一瞬の静寂を破り、空中に、地上に縫い止められた幼生体たちがギチギチと甲殻を蠢かせ、体液をばら撒きながら戒めから逃れようとする。
 その光景に何人かの武芸者は我に帰って、武器を構える。
 どうやら学生にしては、十分成長している武芸者も何名かはいるらしい。
 だったらコイツらの止めは、学生諸君に任せよう。

「ニーナ・アントーク」

「な、何だ?」

 他の武芸者たちと同じく、自身の武器を構えるニーナが俺の呼びかけに視線を向ける。

「この場は、お前たちに任せても大丈夫だな?」

 倒すべき最大の標的は、まだ地中に隠れている。
 そいつをさっさと倒してしまわないと周辺に居る汚染獣を呼び寄せられてしまう。
 以前と同じ失敗を繰り返さないためにも、幼生体の討ち漏らしをいちいち排除している時間はない。

 俺の言葉を受け、一瞬何を言われたのか理解できずに目を瞬いたニーナは、両手に握る鉄鞭を力強く振り上げる。

「当然だ! 私が……私たちが、ツェルニを守る!」

「いい返事だ」

 他の武芸者の言い分がすべてニーナと同じだとは思わない。
 しかし、このツェルニに暮らす者たちの一人の意志に触れただけでも十分に価値はある。

「それじゃあ、俺は本命に行かせてもらうとするかな」

 言うと同時に俺は、汚染物質から都市内の生物を保護するエアフィルターに向かって跳躍した。
 それと時を同じくして、縫い止められていた幼生体たちがボロボロになりながらも再び自由を手にする。
 それをツェルニの武芸者たちが攻撃する。
 そこにはもはや諦めの色はない。
 例え、敵が傷つき弱っているとしても、汚染獣と戦い、それを倒したという事実が実践を知らない武芸者たちには大事なことだと思う。
 そして、次があるというのなら、その時は自分たちの力で敵を退けることができるように成長してもらいたい。

「さあて、異邦の民としての初舞台。相手役が子持ちってのも妙な感じだが、一戦、お願いしようかな」

 エアフィルターの保護を突き破ってその身を投げ出した死の世界。
 焼けつくような肌と眼球の痛み。
 わずか数分で人間の命を吸い尽くす死の世界へと這い出た証。
 しかし、それは俺にとって死への片道切符ではない。

「次があるのか、ないのか。どっちだとしても、まずは一勝を」

 荒廃した大地を浚う砂塵を含む強風が身体を煽る。
 その強風の中に砂塵に混じって光を反射する何かが舞っている。
 それが何なのか、俺は知っている。俺を死の世界から守ってくれる存在。

「電子精霊に、だ!」


















 死の世界へと笑いながら飛び出していった奇人。

「――リグザリオ。一体あの人は……」

 その背を見送った少年、レイフォン・アルセイフは、彼の背に何を思うのか。
 二つの設定を施された青石錬金鋼を持つその手をレイフォンは、知らず知らず強く握りしめていた。








[8541] オーバー・ザ・レギオス 幕間01
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2009/05/16 13:55





 学園都市ツェルニを襲った幼生体の群。
 レイフォンの故郷である槍殻都市グレンダンならこういう時に混乱はほとんどない。
 皆、避難勧告に従い整列し、順番を守って冷静に避難シェルターへ歩いて向かう姿に緊迫感はない。
 すべてが未熟な学園都市において、それと同じ対応を求めることは不可能。

 ツェルニの武芸者が必死に幼生体と戦っている。
 戦っている学生たちの年齢は、十代半ばから二十歳前後。
 数百人いるツェルニの武芸者が、たった千体ほどの幼生体を相手に苦戦している姿はレイフォンにとっては新鮮にさえ映っていた。
 もし、ここがグレンダンなら同年代の武芸者の半分以上は、汚染獣戦を経験しており、問題なく幼生体を駆逐できている。
 しかし、ツェルニの武芸者のほとんどが汚染獣戦を経験したことのない者たちだった。

 グレンダンは狂った都市であり、年に何度も汚染獣と戦っているために実戦経験を積める機会が多いが、他の都市ではそうもいかない。
 故に汚染獣が襲ってきた時の様子を見ていたレイフォンは、ツェルニは滅びるという可能性を考えていた。

 自分は誰かのために戦うことはもうない。

 そう思いつつも戦場にいない自分に違和感を感じていたレイフォンは、一通の手紙を読むことで再び剣を取った。
 そのまま戦わずに居たら遠く離れていても自分を理解し、信じてくれている者を裏切ってしまうように感じたから。




オーバー・ザ・レギオス


 幕間01 レイフォン・アルセイフ





 ハーレイの下で錬金鋼の安全装置を解除し、錬金鋼の設定を剣の他に鋼糸を入力してもらったレイフォンは、その鋼糸の力を最大限発揮できる場所へと移動していた。
 その途中、奇妙な武芸者とすれ違った。

「どけどけぇぇえい!!」

 叫びながら突っ込んでくる男は、若干サイズの合っていない一般教養科の制服を着用しているが、中空を凄まじい速度で跳ぶ姿はどう考えても一般生徒ではありえない。

「うわあッ?!」

 代表的な内力系活剄のひとつである旋剄を用いて突っ込んでくる男は軌道変更する様子もなく、驚いたレイフォンが道を譲る。

「危ねぇだろ! 気をつけろい!!」

 レイフォンと衝突しかけた武芸者は、怒声だけを残して外縁部へと向かって跳んで行った。
 武芸者のすべてが武芸科に所属するとは限らないため、武芸者が一般教養科の制服を着ていても問題はない。
 しかし、化錬剄によるものと思われる足場を作りながら中空を旋剄を用いて疾走する男は、レイフォンが知るツェルニのどの武芸者よりも強いと感じられた。
 小隊員以上の戦闘力を持つ武芸者を生徒会長であるカリアンが放っておくだろうか?

「いや、今はそんなことより、急がないと」

 いくら強そうだと感じても男が復元させていた錬金鋼は、楯だった。
 空を駆けていたのと同じような化錬剄の使い手だったとしても、数百にも及ぶ幼生体をまとめて相手にできるとは限らない。
 レイフォンの知る限り、数で攻めてくる幼生体を単独で殲滅できる剄技を持つのは、自分と同じ天剣授受者だけだった。
 それ以外の武芸者は、どんなに強くても数で攻められた時は、チームを組んで対処している。
 グレンダンでも汚染獣戦を単独で行うのは、天剣授受者だけである。
 そして、ツェルニの武芸者は汚染獣戦に関しては素人同然。
 単独で戦況をひっくり返し、汚染獣の都市内侵入を防げるほどの戦闘力を持つ者とは、すなわち天剣授受者に匹敵する武芸者ということになる。
 数の有利を力尽くでねじ伏せるだけの戦闘力が、今の学生にあるのか?
 ただすれ違っただけではそこまで判断することはできない。
 そして、そんな不確定要素を頼みとするほどレイフォンは無智ではなかった。

 鋼糸の力を最大限発揮できる場所は、都市全体を見渡せる高所。
 学園都市で最も高い建物は、司令部のある生徒会校舎。
 そこへ向かって跳んでいたレイフォンは、校舎の入り口に立つ一人の少女に気づいた。
 レイフォンと同じ第十七小隊のフェリ・ロスだった。

「先輩、どうしてここに?」

「なんでもありません……」

 視線を下げるフェリに、何かあったのだろうと想像できた。
 生徒会校舎の前で立つ姿とそんな態度を見れば、レイフォンにもカリアンの顔が容易に浮かんだ。

「もしかして、生徒会長と何かあったんですか?」

「兄は関係ありません」

 フェリは会話を振り切るようにその場を立ち去ろうとする。
 それを慌ててレイフォンが止める。

「……なんですか?」

 掴まれた腕とレイフォンの顔を見比べたフェリは、レイフォンを睨みつけるが、それに怯むようなこともなく、レイフォンは口を開いた。

「先輩にたすけて欲しいんです」

 その一言にフェリは愕然とした。

「わたしに何をさせようと言うんですか?」

 腕を掴んでいたレイフォンを振りはないながら、わずかな失望と怒りを込めた視線でレイフォンを睨む。

「あなたは、わたしと同じなのに言ってくれないんですか? 念威なんか使わなくてもいいって……」

 好きで手にした力ではない。
 この力のせいでフェリという人間は、誰からも念威操者という形を押し付けられる。
 そこに自分の意思はない。
 周りの良い様に利用されるだけな生き方などフェリには許容できないことだった。

「僕だって別に欲しいと思ったわけじゃありませんよ。今までもあったから利用しただけで、僕も自分に宿った力を好きだと思ったことはない。でも、今はそういうこととは別の部分で、僕たちは必要とされているんです」

「(何を期待していたのでしょうか、私は……)」

 自分と似ていると、自分の苦悩を理解してくれると思っていたレイフォンの言葉がフェリは哀しかった。
 数分前、初対面の人物が自分の意思を認めてくれた。
 このような危機的状況にあって自分の才能を知っていると思われる人物が、「使いたくなければ、使わなければ良い」と言ってくれた。
 見ず知らずの相手から掛けられた言葉にフェリは動揺していた。本当に自分は念威を使わなくて良いのかと。
 そんな自問自答をする自分が滑稽に思えたが、この状況でレイフォンに自由を認めてもらえれば、わずかな不安も消えると思っていた。

「犠牲を出したくないんです。それには確実に、一匹も残さずに殲滅するしかありません。そのためには先輩の探査の能力がどうしても必要なんです。お願いします」

 頭を下げたレイフォンを身動ぎもせずに見下ろすフェリ。
 
「わたしだって、わがままを通せるような状況ではないと理解しています。でも……あなたには、肯定してもらいたかった」

「すみません。けど、僕らがやらなければ誰かが死にます」

 頭を下げたまま真剣に言い続けるレイフォンの姿にフェリはわずかな溜息とともに錬金鋼を復元させた。

「ありがとうございます、先輩」

 嬉しそうに顔をあげたレイフォンの微笑みから逃れるようにフェリは、見えるはずのない外縁部へと視線を向ける。

「……そうですね。始めからあなたが戦っていれば、わたしが念威を使わなければならない状況になる前に汚染獣を殲滅できたはずでした」

 手にした重晶錬金鋼の杖から念威端子の花弁を飛ばすフェリの冷めた声音にレイフォンは、唇を噛み締める。

「……すみません」

 安全装置を解除されたばかりの錬金鋼を握る手に力が込められる。

「(八つ当たりなんてですね)」

 苦い顔をするレイフォンの反応にフェリは自分でもらしくないことをしてしまったと後悔する。

「(これも妙な期待を持たせた――ッ!?」

「これはっ!?」

 突然、フェリの探査子とレイフォンの感覚が戦場となっている外縁部の一区画に膨大な剄が出現したのを捉えた。

「まさか、さっきの……?」

 膨大な剄は、十秒ほど外縁部を駆け廻り消えた。
 その剄の持ち主は、きっと先ほどの武芸者だろうとレイフォンとフェリは直感した。
 そして、すぐにでも現場に駆け付けようと跳ぼうとするレイフォンの肩にフェリが手をかける。

「わたしも近くまで連れて行ってください」

 フェリの真剣な眼差しに、レイフォンはわずかな間を開けて頷いた。

「……わかりました。しっかり掴まってください」

 移動しながらレイフォンとフェリは念威端子を通して戦場の様子を見た。
 先ほどの膨大な剄の発生。
 それは戦場の趨勢を左右してもおかしくないほどのものだった。
 しかし、探査子から送られてくる情報の中にある幼生体の数は、千を切ったといってもまだ九百余が残存している。
 その結果に二人はそれぞれ違った意味での失望を感じた。

「(剄力はあってもそれを操りきれていない?)」

「(わたしが念威を使わなくても良いようにはしてくれなかったんですね)」

 残存している幼生体の反応が徐々に消えていくのを見ながら剄を発生させた者を探す。
 しかし、戦場にはそれらしき人物の反応はない。

「……っ! 先輩、あれ!」

「!?」

 突然、叫ぶレイフォンの言葉で反射的にフェリは念威端子の観測域をレイフォンの視線に合せた。
 するとそこには何が楽しいのか、快活な笑顔を張り付け、淡い揺らぎの輝きを纏った男がエアフィルターの向こうへと飛び出すところだった。

「正気じゃ、ない」

 レイフォンの呟きは、フェリも肯定するところだった。
 荒廃した大地を満たす汚染物質により、人間の命など数分で奪い尽くす死の世界。
 そこへ生身で飛び出すなど常人ではあり得ない。その先には、倒すべき汚染獣の母体がいる。
 汚染獣と戦うために死の世界へと飛び出す瞬間に笑顔を作れるか?

 レイフォンもフェリも、他の武芸者や念威操者から見れば化け物と見られるほどの才能を持つが、恐怖や痛みを知らないわけではない。
 そんな二人と同等の実力を有すると思われる男は、絶望に満たされた世界に笑顔で飛び出せる狂人。
 果たして、そんな存在が都市を救うために戦うだろうか?

 レイフォンの知る戦闘狂サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスは、普段は紳士的な好青年風だが、その本質には狂気を宿している。
 そんな彼がグレンダンで天剣授受者の一人として、問題を起こすことなくいるのは、女王アルシェイラ・アルモニスという超越者がいるからだ。
 自分をはるかに上回る強者と自分の力を存分に発揮できる汚染獣との戦いがあるからサヴァリスは、おとなしくグレンダンに居続けている。

 サヴァリスと同じということもないだろうが、それでも何某かの狂気を宿す武芸者が、天剣授受者クラスの実力を持っている。
 その事実にレイフォンは、自分がグレンダンを追放されるときに女王が告げられたことの恐ろしさを実感することになった。

 この印象は単なる勘違いかもしれない。
 そう思うようにしても錬金鋼を握る手から力を抜くことができないでいた。











[8541] オーバー・ザ・レギオス 幕間02
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2009/05/14 21:41

 たった一人で学園都市ツェルニに辿り着いたという遅れてやってきた新入生、リグザリオ。
 本来であれば、ツェルニとは別の学園都市に入学することになっていた彼は、途中に立ち寄った都市が汚染獣に襲われたことで命からがら放浪バスに飛び乗ったという。
 ツェルニへと辿り着いたリグザリオは、身分を証明するような物を何一つ所持しておらず、着のみ着たままの状態だったらしい。
 そんな彼と出会ったのは、今季初めての小隊対抗戦でレイフォンが実力を隠していたことに憤りを感じ、それを知っていながら情報を伝えずにレイフォンを推薦した生徒会に事情の説明を求めた時だった。
 生徒会長にレイフォンの素性を聞かされている間、ずっと何かの用紙(ツェルニへの編入手続きや奨学金の申請書などだったらしい)にペンを走らせていた。
 こちらの会話にたまに相槌を打つ程度で、用紙に記入し終わるとすぐに生徒会室を出て行った。
 そして、レイフォンのことを話し終えた生徒会長は、裏のありそうな微笑を浮かべ、レイフォンと同じように彼を十七小隊に推薦した。
 フェリの時といい、レイフォンの時といい、十七小隊は生徒会長の肝入りで作らたと噂されても仕方がない。

 正直、またわけありの者かとも思った。
 しかし、汚染獣から逃げてきたというリグザリオが、レイフォンのような強さを持つとはこの時点では思わなかった。
 それが蓋を開けてみればどうだろう。
 千を超える汚染獣の襲撃。
 私も小隊員として一般の武芸科生徒たちを指揮する立場として最前線で戦ったが、初めて遭遇した汚染獣を前に我々の力は無力だった。

 それでも私はこうして生き残った。
 決して少なくない汚染獣に止めを刺した。
 その巨体に大穴を穿たれ、甲殻を砕かれ、足をもぎ取られた状態の幼生体たちを、だ。
 自分の力で汚染獣を退けられたと思うほど自惚れることも、初の実践を生き残ったという自信を持つこともなかった。
 そして、我々ツェルニの武芸者に汚染獣との戦いを耐え抜いたという事実を与えるためにそういう状況を作ったのが、リグザリオだった。
 武芸者と汚染獣が入り乱れていた戦場に突如として舞い降りたリグザリオは、背後から迫る幼生体を視線を向けることなく一撃で破壊し、戦場となっている周囲数百メルの領域に鎖の砦を形成し、三桁もの幼生体を瞬く間に瀕死の状態にまでしてしまった。

『この場は、お前たちに任せても大丈夫だな?』

 突然の事態に唖然としていた私にかけられた彼の言葉。
 あれは、私一人に向けられたものではなく、あの場に居たツェルニの武芸者全員に向けられたものだった。
 あの時の私は、その言葉に力強く頷いた。
 それが自然に出てきた自分の気持ちだったから……。



 しかし、時間が経ってみればどうだ。
 都市外縁部に積み重ねられていた汚染獣の屍。
 片付けるだけでも丸二日かかったその異形の残骸の数を改めて見た時、このツェルニで積み重ねてきた時間をすべて否定されたように感じた。
 その後、正式なツェルニの学生となったリグザリオも十七小隊に合流した。
 互いにちゃんとした自己紹介はしていなかったので、隊のメンバーも合わせて改めて紹介した。
 そして、彼自身の口から出た『 リグザリオ 』という名。
 私の故郷である仙鶯都市シュナイバルにのみ存在し、新たな電子精霊を生み出しているリグザリオ機関と同じ響きを名に持つ彼の存在は、レイフォン以上に私を揺さぶる何かがあった。

 彼と出会うより少し前、おそらく彼がツェルニに到着した頃から不思議な夢を見るときがある。
 どことも知れない都市がなす術も無く滅びる中で眼の前の恐怖を必死で誤魔化して武器を持って戦うリグザリオの姿。
 汚染獣を前にした時、全身を震わせながらただ押しつぶされる。一撃を受けて腕を失くし泣き叫ぶ。他の武芸者から囮に使われて、汚染獣に呑まれる。
 どの夢もリグザリオの敗北を私に見せていた。

 これは、ただの夢でしかない。
 そう思ってはいるが、それでも私は思ってしまった。
 汚染獣を圧倒したリグザリオは、生れながらの強者ではない。
 レイフォンのように幼い頃から強者であることが当然だった雲の上の存在ではなく、私のように自分の無力さに嘆きながら足掻いて現在に至った人間なのだと。
 そして、彼にできたのならば自分も実践を重ね、経験を積め、練磨を続ければあの域にいつか届くはず。
 そんな風に考えた自分が愚かしい。

 今の私が必要としているのは、そんな十数年後の未来ためではなく、ツェルニの明日を守るための力が必要なのだ。








オーバー・ザ・レギオス


 幕間02 ニーナ・アントーク






 その日の十七小隊には、少しばかり訳ありの学生がやって来た。
 先日、十七小隊のメンバーで藍曲都市コーヴァスから誘拐された女の子を助けたのだが、その際に私は誘拐犯の武芸者と交戦し、左腕を負傷した。
 この事件で私は、自分ひとりの無力さを思い知らされ、小隊の仲間たちの頼もしさを知る事ができた。
 普段は、まとまりのない者たちだが、必要な時にはちゃんと力を貸してくれる頼もしい隊員たち。 
 訓練や対抗戦でもあれくらいのまとまりがとれればさらに素晴らしいのだが、現実はそれほど甘くないらしい。

 今日の訓練は、私が負傷により訓練を行えないため、他の隊員には自由参加ということにしておいた。
 そして、一応練武館へと足を運んだ私は、いつも通り一番乗りだった。

「自由参加と言いはしたが、まさか一人も来ないということは……」

 今日明日まで左腕が使いない状態だったが、一人でやることもなしに訓練前の日課である錬金鋼磨きを始めた。
 いつもならこの後に他のメンバーが来るまで型の稽古をしているのだが、それができないので延々と錬金鋼を磨き続けた。
 そろそろ磨き過ぎで錬金鋼が擦り減るかもしれないと思い始めているとようやく一人やってきた。

「武芸科一年、リグザリオ。生徒会長の勧めで入隊試験を受けにきた」

 偉そうな態度の一年生が。
 入室して名乗り、ここに来た理由を述べた武芸科の制服を着た青年、リグザリオ。

「お前は……」

 その顔と名には覚えがあった。というか忘れるはずがなかった。
 レイフォンを十七小隊に迎えて最初の対抗試合の後に乗り込んだ生徒会室。初めての汚染獣戦を行った外縁部。
 前者では生徒会長から見せられた書類にあった名前を見て疑問が浮かび、後者では圧倒的な戦闘力を見て驚愕し、すぐに嫉妬した。

「……日を改めた方が良かったか?」

 予想していなかったわけではないが、動揺を隠せなかった。

「い、いや、構わない」

 私の馬鹿。同じ失敗を繰り返すつもりか。
 彼――リグザリオは、私の目の前で幾多の汚染獣を圧倒していたではないか。
 入隊試験などする必要もない。
 リグザリオは、レイフォンと同じで私など足元にも及ばない強者なのだ。

 生徒会長に聞いたレイフォンの過去。
 槍殻都市グレンダンが誇る最強の十二人に許される天剣授受者という称号がどれほどの強さを現すのかは知らない。
 少なくとも生徒会長が、レイフォンが居れば学園都市同士のセルニウム鉱山争奪戦である武芸大会に勝利できると確信させるだけの力量だということ。
 十歳前後の子供が武芸の本場と噂されるグレンダンで、上位十二人以内に入る武芸者となったという話も俄かに信じ難いことだが、生徒会長の人柄から間違いということもないだろう。
 しかし、幼さゆえの純粋な決意からグレンダンで禁止されていた賭試合に出場したレイフォンは、それを理由に脅迫してきた武芸者を排除しようと考え、それに失敗した。
 結果、グレンダンを放逐されることになったレイフォンは、武芸以外の何かを探すためにツェルニへとやってきた。

 先日の汚染獣戦の後、外縁部まで錬金鋼を持ってやって来ていたレイフォンを見かけた。
 レイフォンの中でどんな心境の変化があったのかを知ることはできないが、それからの訓練では以前よりやる気を出しているように感じている。
 そのレイフォンの変化は、リグザリオが関係しているのか?

「だったら、入隊試験はいつやるんだ?」

 生徒会長に見せられた書類によればリグザリオに姓はない。
 出身都市は、城郭都市イーダフェルト。私の故郷、仙鶯都市シュナイバルとも交戦記録のある都市だったと記憶している。
 私の家系は、シュナイバルでも有数の武芸者一族だったため、私もシュナイバルの守護者としての教育を受けていた。
 その一環として、都市戦の相手となる可能性のある都市のこともある程度学んだ。
 すでに十年以上交戦記録は途絶えているその都市との戦争は、シュナイバルの歴史の中でも特に異質なモノだったらしい。
 詳しい内容は上級学校に入ってからのカリキュラムだったので、それ以上のことは私も知らない。

 リグザリオ機関。
 シュナイバルにのみ存在する電子精霊を生み出す特殊な装置。
 それと同じ名を持つリグザリオという青年は、いったい何者なのか。
 武芸者としての実力は間違いなく、ツェルニの武芸者を遥かに凌駕している。
 それは、この目で確認している。
 ならば、私たちをどれほど凌駕した存在なのか?
 それを確かめるには、リグザリオの実力を試せるだけの力が必要だ。

「あ……」

 これはあまりにも都合が良すぎるのではないか?
 そんな気持ちもあったが、これも運命というものなのかもしれないと自分を誤魔化し、入口のドアを開いた姿勢のまま硬直した後輩を招き入れた。

「お、遅れてすみません」

「いや、ちょうど良かった」

 武芸者以外の道を探すレイフォンにこんなことをさせるのは良くないのかもしれない。
 しかし、私は知りたくなった。
 私が、数多くの武芸者が、欲する強大な力を持つ二人の強者。
 幼い頃から強者であったレイフォンの強さの底は、想像することもできない。
 最近見るようになった不思議な夢の中に出てくる負け続けるリグザリオと現実のリグザリオに関係性はあるのか。

「レイフォン。すまないが、私の代わりに彼の入隊テストを頼めるか?」

「え……、僕がですか?」

「ああ。今の私ではできないからな」

 いきなりのことに戸惑いを見せるレイフォンに包帯で固められた腕を見せる。

「判断はこちらでするから、レイフォンのやり易い方法でやってくれ」

「やり易い方法と言われても……」

 雑な対応だと理解している。
 レイフォンとリグザリオが本気で剄をぶつけ合えば、訓練場が耐えられないだろう。
 私は、二人の全力が知りたいわけではない。
 私が判断すべきことは、この二人を同じ小隊に入れても大丈夫なのかということだ。
 第十七小隊は、ただでさえ癖のあるメンバーで構成されている。
 その中でも武芸者である自分を変えたいと望んでいるレイフォンとフェリが、自分から小隊に入りたいと言っているリグザリオを受け入れられるのか。
 そんなリグザリオは、レイフォンやフェリのあり方を容認できるのか。

「えっと、それじゃあ『押し合い』で行こうと思います。知ってますか?」

「あ~確か、凝縮させた剄の塊を剄力だけで受け止めて、跳ね返す訓練法だよな?」

「はい、そうです」

 何かを確認し合うように肯いた二人は、それぞれの錬金鋼を復元させた。
 レイフォンの剄を受けて淡い光を放つ青石錬金鋼の剣。
 対するリグザリオが手にした物は、先日の紅玉錬金鋼製の鎖楯ではなく、柄のない黒刀だった。
 黒鋼錬金鋼……いや、鋼鉄錬金鋼か?
 見たこともない色合いの黒刀は、リグザリオの剄を受け、鮮やかな揺らぎの輝きを纏っている。
 その神秘的ともとれる不思議な輝きに疑問を抱いたのは、私だけではなくレイフォンも同じだったらしい。
 わずかにだが、剄の密度が増したように感じた。

「……そちらのタイミングでどうぞ」

「それじゃ、遠慮なく」

 レイフォンの言葉を待っていたかのように、リグザリオは手にした黒刀を真一文字に振り抜き、それをレイフォンは正眼に構えた剣で受け止めた。
 青い剄光を纏う剣と鮮やかに揺らぐ剄光を纏う刀の間に強烈な剄の摩擦が生まれる。
 互いの表情に緩みはない。二人とも真剣な表情で膨大な剄をぶつけ合う。


 ふたつの強者の衝突。
 そこに敵意や打算が介在していなくともその剄を凡人である私に魅せつける。
 これほどの剄を生れながらに持つというのは一体どんな気持ちなのか。
 私のように中途半端な剄力を持つ者にとっては、理解しえない何かがあるのだろうか?

 それでも私は知りたい。
 彼らと同等とまではいかなくとも、その力量を見抜けるほどには強くなりたい。
 この都市の電子精霊であるツェルニを救うために闘い抜けるだけの、自らの手で明日を掴めるだけの力を身につけたい。


 レイフォンとリグザリオの『押し合い』は、数十分続いたところで互いに引いた。
 私に理解できたのは、ふたりの剄力が膨大だったということだけ。
 本当の力量も、二人の相性も見極めることはできなかった。








[8541] オーバー・ザ・レギオス 第三話 積み重なる焦燥
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2009/05/13 11:43






 都市外縁部で続いていた戦いは佳境へと突入していた。
 ツェルニの学生たちに絶望を与えていた汚染獣たちは、その硬い甲殻に穴を開けられ、弱点をむき出しにした状態になっている。
 毒々しい体液をまき散らしながら蠢く汚染獣たちを相手に学生たちが駆逐していく。

 その様子を突き抜けたエアフィルターの向こうから確認し、ツェルニが踏み抜いた大地の割れ目へと飛び込み、雌性体を仕留めるべく翔る。
 仄暗い地の底。本来ならば光も届かないような断崖を淡い輝きが照らし出す。
 身体を取り巻いている不可思議な輝きを発する微粒子。
 普通ならば数分しか生きられない死の世界に飛び出した俺を汚染物質から保護してくれている。
 それは暖かく、懐かしく、とても寂しい感覚を齎す。
 頼りない揺らぎを見せるその輝きが何なのか……俺は知っていた気がした。







オーバー・ザ・レギオス


 第三話 積み重なる焦燥








 汚染獣の襲撃から数日。
 大勢の観客の視線を受けながら遥か上空に伸びた鎖を引き戻す。
 汚染獣との戦いでは、鎖の先端に付けられた鏃が汚染獣を穿ったが、今空を舞っているのは鎖の末端で繋がった楯の方だ。
 鏃をナイフのように握り、接敵した相手の攻撃を回避しながら、敵の狙撃手が撃ち出した剄弾を飛ばした楯で防ぐ。
 それを三度続けたところで、試合終了のサイレンが鳴り響いた。

『決まったーーー! 前回の十六小隊との試合でまさかの大逆転を演じた期待の新小隊が、ベテラン十四小隊を相手にまたしても勝利を勝ち取りました!』

 数十分間の戦闘。
 隣で第十四小隊の隊長を足止めしていたニーナは、シャーニッドの狙撃を受け倒れていた十四小隊の隊長に手を貸して助け起こしている。
 十四小隊の隊長、シン・カイハーンは、今しがた敗北したばかりだというのに肩を竦めて笑っている。
 逆にニーナの方は、恐縮したような雰囲気でシンに礼を言っているようだった。
 俺はと言うと馴れない対人戦闘がようやく終わって肩から力を抜いていると十七小隊の狙撃手、シャーニッド・エリプトンが陽気な調子で肩を組んできた。

「いよう、リザ! ナイス、ディフェ~ンス!!」

「アンタの狙撃もな」

「当~然!」 

 こんなことも自信たっぷりに言えるところは素直に尊敬できるが、妙なあだ名はやめてもらいたい。
 見るとそれぞれの配置についていたレイフォン・アルセイフとフェリ・ロスが自陣に引き上げるところだった。


 先日の汚染獣戦で結果を出した俺は、約束通り学費の全額免除と支援金(お小遣い)を貰い、正式な学園都市ツェルニの武芸科一年となった。
 そんな俺が、試合で勝つ度に報奨金が貰える小隊対抗戦に目をつけるのは当然。
 本来の目的と現在の自分の立場、カリアンの思惑も合わさって、十七小隊へと入隊することに相成った。
 まあ俺の入隊を歓迎してくれたのは、シャーニッド・エリプトンとハーレイ・サットンだけだったけどな。
 十七小隊の隊長であるニーナ・アントークは疑念を、レイフォン・アルセイフは戸惑いを、フェリ・ロスは不審をもって迎えてくれた。
 ニーナは、訳あり隊員がまた増えたのだから頭を悩ませることにもなろう。
 カリアンの妹は、汚染獣戦前に会った時のことだろう。
 レイフォン少年は……まあ、よく分からん。
 とにかく、新しい都市生活の始まりはこんな形になっていた。





 平凡かつ懐かしい学業を堪能し、放課後になってから小隊員が訓練を行う施設である練武館へと足を運んだ。
 間仕切りされた練武館のそれほど広くない通路を進んで十七小隊に割り当てられた場所の扉を開く。
 中には、計器類から延びた何本ものコードに接続された青石錬金鋼の剣を持つレイフォンと楽しそうに計器と錬金鋼を見比べるハーレイが居た。

「もう集合の時間過ぎてたっけか?」

「いや、ちょっと確かめたいことがあってさ。リザとレイフォンを待ってたんだよ」

「僕は、ちょうど入口で」

 レイフォンが手にした青石錬金鋼は、剄を受けて刀身が淡い光を放っている。

「さっそくだけど、リザの方も計らせてもらっていいかな」

「ああ、いいぞ」

 というか、ハーレイも俺をそう呼ぶのか。
 肩から提げていたバッグを壁際のベンチに降ろし、腰の剣帯から紅玉錬金鋼を抜き、レイフォンの隣で計器から伸びるコードを接続していく。

「あれ? リザって、錬金鋼の調整とか自分でやってたの?」

「ん? ああ、身近に錬金鋼技師がいなかったからな」

「へぇ~。リザみたいな、ていうかレイフォンもだけど、君らぐらいに強ければ専属の技師が付いていそうなものだけどね」

 確かにそうかもしれない。
 レイフォンがどうだったのかは知らないが、俺の場合はそう言った人が付くより先に都市が滅ぶことが多かったからな。
 専属の技師を付けてもらえるくらい実力がついた頃には、自分で調整することに慣れてしまっていた。
 これからは、対人戦闘を考慮した錬金鋼の設定をしていかないといけない。
 汚染獣相手なら遠慮することなく攻撃できるが、人間相手では一定以上の攻撃を与えては殺してしまいかねない。
 力を抑える戦いが苦手と言うわけではないが、人間を相手に実践で加減するのは難しい。
 都市同士の戦争ならば、相手に多少の傷を与えても戦争なのだから気にしなくても良いかもしれないが、学園都市ではそうも言っていられない。
 学内対抗戦に限らず、学園都市同士の戦争である武芸大会も相手に必要以上の傷を与えることはできない。
 汚染獣との戦いばかりを重要視してきたツケが回ってきたということか。

「二人とも剄の収束が凄いなぁ。これだと白金錬金鋼プラチナダイトの方が良かったのかな? あっちの方が剄の伝導率は上だし」

「そうですか?」

 楽しそうに計器の数値を見ながら言うハーレイに、レイフォンは気のない返事で言う。
 どうにもレイフォンには若人らしい前向きさがない。
 前の汚染獣戦の時に自分から汚染獣からツェルニを守ろうとフェリに協力を仰いだらしいが、レイフォンが戦闘に参加する前に俺が趨勢を決めてしまった。
 武芸を苦手に思っている節のあるレイフォンが自分から戦おうとしていたのを邪魔したのは旨くなかったか。
 機を見てそこら辺のことも聞いてみるかな。

「でも、リザは紅玉錬金鋼ルビーダイトのままでも十分だね。リザの化錬剄は、変化効率がすごくいいから錬金鋼の違いもそれほど気にならないんじゃない?」

「全然、気にならんわけじゃないけどな」

 もともと俺は武器を選ばず戦ってきた。
 様々な状況で汚染獣と戦うことを想定していろんな間合いの武器を試した。
 唯一、人間相手用に考えていた鎖と楯の組み合わせに化錬剄を織り交ぜた戦闘法。
 鎖で対象を捕らえ、束縛し、楯で攻撃を防ぐ。
 一般の学生武芸者相手ならば、これで十分なのだが、小隊員の中にはそれなりに高い素質をもつ武芸者もいる。
 見縊ってばかりはいられない。
 ツェルニの武芸者たちには強くなってほしいと思っている。
 そのためには、試合で圧倒するだけでは意味がない。
 彼らより確実に強く、されど遠過ぎない、手の届く強者。
 それが小隊対抗戦で俺の担うべき立ち位置だ。
 汚染獣相手の時には、そんなことを言っていられないが、試合形式で行われる対抗戦ならばできる。

「お~、なんか面倒そうなことしてんな?」

 ハーレイの指示に従い、それぞれの錬金鋼を振り回しているとシャーニッドが欠伸をしながら入口から現れた。

「遅刻してきてそんなこと言うなよ。シャニもハーレイが錬金鋼の調整をしてくれて助かってるんだろ?」

「わぁってるよ。ウチのメカニックの腕前は、ツェルニでもぴか一だからな」

「そんなに煽てても、僕は逆立ちしませんよ」

 そう言いながらも、計器を弄りながら照れたように頬を掻くハーレイ。

「謙遜すんなって。というかよ、リザ。……シャニってなんだよ、シャニって。俺はお前のペットか」 

 他人に妙なあだ名を付けたシャーニッドは、自分のあだ名を付けられてもそれほど悔しそうじゃない。
 意趣返しのつもりだったが、どうやら俺の負けらしい。
 こういうことに関しての経験値は、シャーニッドに全く敵わないな。
 妙なあだ名をつけられてもまったく困った様子の無いシャーニッド。

「ハーレイ、頼んでたやつ出来てるか?」

「はいはい、できてますよ」

 俺との会話に一区切りをつけたシャーニッドの問いかけに、ハーレイは傍らに置いていたケースを開け、取り出した二本の錬金鋼をシャーニッドに渡す。
 その錬金鋼は俺達のものと違い、柄部分が丸みを帯びて曲っていた。曲がりの内側には鉄環の防護が付いて、その内部には爪のような突起物がある。

「銃ですか?」

 自分の錬金鋼の計測を終えたレイフォンは、シャーニッドが手にした物を見て言った。
 十七小隊の狙撃手であるシャーニッドが銃を持つのは当然だが、いつもシャーニッドが使っている狙撃銃は軽金錬金鋼リチウムダイトなのに対して、ハーレイが手渡した錬金鋼は黒鋼錬金鋼クロムダイトで作られているようだ。

「ま、うちの小隊は他より人数が少ないからな。一人で何役もこなせるに越したことはないだろ?」

 言いながらシャーニッドは、ハーレイから受け取った二つの錬金鋼を復元した。
 シャーニッドの手に現れたのは、銃身部分が縦に分厚く、上下は鋭角になった銃だった。
 銃口の周辺にも突起が施されていて、打撃することを前提として考えているとしか思えない造りをしている。

「注文通りに黒鋼錬金鋼クロムダイトで作りましたけど、剄の伝導率がやっぱり悪いから射程は落ちますよ」

「かまわねぇよ。こいつは狙撃用じゃないからな。周囲十メルの敵に外れなければ十分」

 ハーレイの言葉を軽く流し、シャーニッドは銃爪に指をかけ、くるくると回す。
 そんな姿を見て、レイフォンが訊ねる。

「銃衝術ですか?」

 レイフォンの予想にシャーニッドが口笛を吹く。

「へぇ……さすがはグレンダン。よく知ってるな」

「や、さすがにグレンダンでも知っている人は少ないと思いますが」

「銃衝術って何だい?」

 ハーレイが聞いてくる。

「簡単にいえば、銃を使った格闘術のことだな。まさか、学生で銃衝術を使おうと考える奴がいるとは思わなかった。アンタらしいといえばらしいけどな」

「そりゃどうも。ま、物珍しい方が目立てるからな」

 そう言って、シャーニッドはにやりと笑う。
 口ばかり、という言い方もあるが、シャーニッドの場合、意味は逆になるな。
 今しがたの取り回し方は、それなりに銃衝術の知識を修めている者の動きだった。
 十回くらい前の時、奇抜なファッションセンスと人格の銃使いと出会ったからよく覚えている。

「……遅れました」

 透き通るようなか細い声を部屋に流し、フェリがやってきた。
 ガラス細工のような雰囲気を漂わすフェリの姿は、周囲に凍りつくような緊張感を与えるが、馴れればそれが単なる印象でしかないとわかるだろう。

「よっ、フェリちゃん。今日もかわいいねぇ」

「それはどうも……」

 わずかにシャーニッドの手にある二丁の拳銃に視線を向けたフェリだったが、すぐに興味を無くして隅にあるベンチに腰をおろした。

「さて、来ていないのはニーナだけか」

 遅れてきたフェリの分の錬金鋼を受け取ったハーレイが、それを計器に接続しながら呟いた。

「そういえば、ニーナが最後ってのは珍しいな」

「そういえばそうですね」

 シャーニッドの言葉に、レイフォンも首を傾げる。
 十七小隊に入って日が浅い俺には、ニーナのいつもの行動は分からないが、確かに訓練の際にはニーナが一番乗りだったような気がする。

「そういえば、授業も休んでたみただけど……風邪でも引いたのかな?」

「ニーナに限って、それはないんじゃないか? あの優等生が風邪くらいで授業はともかく、訓練まで休むか?」

 そう言ってわざとらしく欠伸をするシャーニッド。
 確かにシャニの言うとおりである。
 意欲の無い隊員が多い十七小隊を強引に引っ張ろうとするニーナの存在は、この小隊の色そのものと言っても良い。
 他のメンバーが色を出すほど真剣に取り組んでいないというのもあるけどな。

 結局、ニーナが現れることはなかった。







 練武館からの帰り道。
 みんなと早々に別れて都市の外縁部に向かっていた。
 緊急時ではない状況では、無闇に活剄を使って建物の屋上を跳び進むことはできない。
 面倒ではあったが、当たり前に走って行くしかなった。

「何を焦ってるのか」

 数十分走って外縁部にある人気のない広場。
 近くに校舎も商店も住居もない場所だ。
 そんな場所に急いで駆け付けた理由。

「悩める若者というべきか。武芸馬鹿、ここに極まれりというべきか」

 エアフィルターの向こうに広がる星空と都市を見守る淡い月の光。
 閑散とした雰囲気の漂う広場にひとつの影があった。

「まったく。こういうタイプは苦手なんだがな」

 眼の前に倒れる人影、ニーナ・アントーク。
 俺に対して、何やら疑いを持っているらしく、妙に余所余所しいというか、十七小隊の他のメンバーと明らかに違う扱いを受けている。
 それはレイフォンも似たようなものなのだが、俺の場合はそれよりも顕著だ。

「さて。単なる青春ならいいけど、変な因縁とかがあったら面倒臭いな」

 ニーナを肩に担ぎ、病院へと向かって跳ぶ。
 人気のない場所を選んだつもりだったが、翌日の昼に都市警から取り調べを受ける羽目になった。






[8541] オーバー・ザ・レギオス 幕間03
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2009/08/06 19:55







  


 どうすれば、自分はもっと強くなれるのか?

 そう問い続けながら鉄鞭を振い続けた。
 基本の方から始め、応用へともっていく。
 武器というものは、結局のところ“引き”、力を“溜め”、“放つ”という三段階の動作にバリエーションを持たせているだけにすぎない。
 刃ならば薙ぐために、槍や棒ならば突き、叩くために武器に応じて動きのバリエーションを増やしていき、それを組み合わせ、相手の動きを制する動きを出すことに終始していく。
 それを繰り返すことに意味がないわけではない。
 武芸者同士の対戦、汚染獣との戦闘。どのような戦いでも思考の追いつかないギリギリの状況というものは必ずある。
 そういう状況になれば、自然と考えるより先に、体が馴染んだ動きをする。
 その時こそ、今している反復練習は有効となるし、繰り返すことで基礎能力も上がっていく。
 基礎能力が上昇すれば、それだけで相手に対して有利に進められるということだ。

「ふっ……はっ、はっ、はっ……………」

 荒くなった呼吸を整えながら都市を包む不可視のエアフィルター越しに夜景を眺めた。
 するとそのまま倒れてしまった。
 硬い地面は当たり前に冷えていて、剄を巡りに呼応して熱っていた肌に心地よい。
 疲労の極地でこのまま起き上がれないかもしれないと思いながらも、そのまま夜空を眺め続ける。

「遠いな……」

 天壌を覆い尽くす夜の切り取られたような半欠けの月に手を伸ばし、呟いていた。
 手を伸ばせば届いてしまうのではないかと錯覚させてしまう月。しかし、現実として絶対に届くことのない遠い月。
 自分が生まれるよりも遥か昔からこの世界を見守っている淡い月の輝き。いつも変わらず其処のある輝き、それを“最近”目にしたことがあると感じた。
 
「これでは……駄目だ」

 脱力していた身体に再び剄を巡らせる。
 自分が習ってきたことの反復練習に意味がないとは思わない。
 こういったことを日頃から積み重ねることが、確実な成長につながることも理解している。
 しかし、自分が武芸者を志してから続けている鍛練をこれからも続けて、それで劇的に強くなれるとは思えない。

「間に合わない」

 学園都市ツェルニが保有するセルニウム鉱山は、たった一つ。
 次の武芸大会での敗北は、そのままツェルニの死を意味する。もちろん、敗戦から即都市機能が停止するわけではない。数か月から一年間は保つはずだ。
 しかし、そこから先はない。
 セルニウム鉱山の保有数がゼロになった時点で、その都市は新たな鉱山を得る資格を失う。

 この学園都市に後はない。
 次の敗北は、この都市の電子精霊であるあの幼子の死だ。
 それだけは駄目だ。
 私は、あの子を守ると誓ったんだ。
 そのために自分の小隊を作った。自分なりのやり方でツェルニを守るために……。






オーバー・ザ・レギオス


 幕間03 ニーナ・アントーク







「何ともなくて良かったよ」

 病院の待合室で待っていたハーレイが安心したように言う。

「心配をかけてしまったな」

 私の故郷である仙鶯都市シュナイバルからずっと一緒に居る幼馴染のハーレイ。
 学園都市に来てからも、小隊を作ってからも不器用な私をサポートしてくれている彼には感謝してもし足りない。

「気にしないでよ。何ともなかったのならそれでいいんだし」

「そうか」

 いつもの笑顔で言ってくれるハーレイに頷きで返す。
 そして、気になっていたことを口にする。

「どうでもいいが、お前が制服を着ていると違和感があるな」

「ヒドイね」

 病院内をいつもの汚れた作業服でうろつくことが許されるはずもなく、私の見舞いのために着替えて来てくれたのだろう。
 単なる感想として出た言葉だったが、ハーレイは気を悪くした様子もなく、苦笑していた。自分でもそういう自覚があったのかもしれない。

 私が病院で目覚めた時、そばには医療科の生徒がいた。
 その生徒に訊ねると私が外縁部で倒れているところを通りすがりの生徒が担ぎこんだそうだ。
 実際は、剄の使い過ぎで一時的に意識が落ちただけで病院に運ばれずとも自然回復できる範疇だったのだが、丸一日意識が戻らないというのは問題だろうとついでに精密検査も受けさせられた。
 結果は、特に問題なし。医療科の先輩には、身体を壊すようなやり方では強くなれる者も強くなれない、と釘を刺されてしまったが。

「それで……私を運んだ当のリグザリオはどうしているんだ?」

 外縁部から私を病院まで運んだ通りすがりの生徒、リグザリオは目覚めた時から現在に至るまで姿を見せていない。
 ハーレイは、リグザリオに知らせを受けてきたらしいが、待合室には一人で待っていた。

「リザなら今朝方、都市警に連れていかれたってさ」

 私の何となくの質問に笑いを堪えるような様子で答えるハーレイ。
 言葉の意味を理解するのにわずかばかりの時を要した。

「……あいつ、何かしたのか?」

 リグザリオとは知り合って間もないが、都市警に連行されるような行いをするような輩には思えない。
 しかも、そのことをハーレイが面白がるように話すことにも違和感を感じているとハーレイが、笑いを漏らしながら答えを教えてくれた。

「真夜中に意識のない女生徒ニーナを抱えて走ってるところを目撃されたんだってさ」

「……………」

 不覚にも軽い眩暈を起こしてしまった。
 つまり、リグザリオのやつは誘拐容疑を掛けられたということか。
 私が知る中で最強の武芸者である男は、実はどうしようもない不器用な存在なのではないかと思ってしまった。

「話は戻るんだけど。ニーナが初歩的な間違いをするのって珍しいよね」

 リグザリオのことで話を逸らしたと思ったが、さすがにハーレイを誤魔化せるほどの口を私は持ち合わせていなかったようだ。

「ニーナは十分に強くなってると思うよ。いくら活剄があるからって、無茶な訓練を続けて身体を壊したら意味がないだろ?」

 医療科の先輩と同じようなこと言う。
 私の身を案じてのことだと理解していても、ハーレイの言葉を素直に受け入れることができない自分がいた。

「分かってる……分かってはいるんだ」

「だったら、もう無茶な訓練は――「間に合わないんだ!」……ニーナ」

 私は何をしているのだろうな。
 こんなところで声を荒げても何も始まらない。
 ハーレイは、私の考えを知っているし、理解も示してくれている。その上での労わりなのだ。
 そんなハーレイに怒鳴るのは八つ当たり以外の何物でもない。

「今のツェルニに必要なのは未来の可能性じゃない! いまそこにあるものなんだ!」

 それを理解していていも私の声は激しい感情に押し出された。

「だから、強くなろうとしたの? ニーナだけで?」

「っ……そう、だな」

 武芸者でないハーレイが私の苦悩をすべて理解することなどできようはずもない。
 だが、ハーレイは彼に理解できる範囲で、私の間違いを正そうとしてくれている。
 私の掲げる願いは傲慢なのだ。

“ツェルニを守りたい”

 ただそれだけならば、私のやったことにそれほど意味はない。
 むしろ現状の第十七小隊の戦力を考えれば、もっとやるべきことは多くある。
 今の第十七小隊には、ツェルニに存在する武芸者の中でも最強の二人が揃っている。

 ひとりは、槍殻都市グレンダンの元天剣授受者であるレイフォン・アルセイフ。
 私など及びもつかない力を有しているにも関わらず、武芸に対して否定的な考えを持ち、訓練や試合でも一歩引いたところで戦っている。
 シャーニッドほどではないが、小隊対抗戦をそれほど熱心にやっているようには見えない。
 “武芸で失敗した”から武芸をやめるつもりでツェルニにやってきたレイフォンだが、生徒会長のカリアン・ロスの計略に嵌り、そのまま流される形で私の小隊に所属することになった。
 だから、レイフォンにやる気がないのは当然だ。
 そんなレイフォンも最近、少しはやる気を出しているように感じることもある。
 訓練でも、試合でも、常に一定以上の緊張感を持って動くようになった、のだと思う。
 このレイフォンの変化が何を意味するのかは、私には分からない。
 しかし、レイフォンをそうさせているのは、もうひとりの新隊員であることは間違いない。

 自称、城郭都市イーダフェルト出身という武芸者、リグザリオ。
 リグザリオは、何もかもが正体不明の新入生だ。
 彼の素性が書かれているはずの書類には、名前と出身地以外にほとんど何も書かれていない。しかも、書かれている二つも偽名と詐称の可能性が高い。
 それでもツェルニの学生として、普通に編入できたのは、これまた現生徒会長のカリアン・ロスが手を回したからだ。
 学生証に書かれている名前は、『リグザリオ・イーダフェルト』。
 ここまであからさまな偽名を堂々と本人認証のための学生証に記載できたものだ。
 しかし、リグザリオにはツェルニに招き入れるだけの価値があった。
 リグザリオの武芸者としての実力は、レイフォンに同等かそれ以上のものだ。
 千を越える汚染獣を刹那のうちに瀕死状態に追い込み、生身で汚染物質に満たされた自律型移動都市レギオスの外に跳び出した。
 常人ならば数分で死に至る世界に飛び出し、汚染獣の親玉を倒して帰還した。
 汚染物質に晒されたリグザリオの身体は、日焼け程度のダメージしかなかったらしい。
 もはや人間であるかも怪しい存在だが、実際に接してみたリグザリオの人となりは普通の学生と何ら変わらなかった。
 強大な力を持つからと言って、冷徹な部分も、達観したところも、選民思想のようなものもない。
 しかし、自分が強者であることを自覚し、それを誇ってもいる。
 レイフォンとは良くも悪くも正反対の武芸者だ。

 小隊対抗戦では、レイフォンもリグザリオもそれぞれ多くの制限を受けている。
 ふたりが本気を出したら試合にならないからだ。
 そして、そのことが対抗戦に勝っても素直に喜べない原因でもある。
 私が小隊を立ち上げたのは、私なりのやり方でツェルニを守りたかったからだ。
 レイフォンとリグザリオがどれほど制限を受けていても、十七小隊が他の小隊の戦力をあらゆる意味で凌駕していることに変わりはない。
 しかし、そこには本来、最も必要となるチームワークが存在しない。
 先の試合もリグザリオが旗を守り、私とレイフォンが敵を足止めし、シャーニッドが狙撃で第十四小隊隊長を撃破した。念威操者であるフェリは、私とレイフォンが接敵してからは、シャーニッドの狙撃とリグザリオの防衛をサポートしていた。適材適所といえば聞こえは良いが、その実態はそれぞれが自分のやるべきことをやっただけ。確かにそれもチームワークの一つだろう。
 しかし、ここでも問題となるのが“制限を受けた中で全力を出す”リグザリオの絶対的な守りだ。リグザリオは、フェリのサポートがなくてもほとんどの攻撃を察知し、防ぎきる。
 現在のツェルニには、リグザリオの防御力を越える攻撃力を持った武芸者は、レイフォンくらいしかいないはずだ。そのレイフォンが同じ部隊に在籍している以上、こちらの旗を奪える小隊は存在しないということだ。そして、それは攻守が入れ替わっても言える。

 レイフォンはまだ適度に手加減をしているので、問題がないわけではないが許容できる範囲内。
 しかし、リグザリオの間違った真面目さはどうしようもない。
 確かに傍目にはリグザリオの防御力は、あの楯を避けて攻撃すれば良いようにも映るだろうが、訓練中のリグザリオの楯捌きは尋常ではない。
 少なくとも“本気”のリグザリオのディフェンスを突破することは不可能だ。

「でも、リザとレイフォンにケチをつける人はほとんどいないんじゃないかな」

 その通りだ。
 リグザリオとレイフォンの存在は、ツェルニに在学するほとんどの学生が認めている。
 自分たちが暮らすレギオスを守護する武芸者が強すぎて困るということはない。
 前回の武芸大会で大敗していることもあり、卒業を控えた最上級生の6年の間では、上級生が多く含まれる他の小隊より、新入生で強力な武芸者を二人も有し、部隊員のほとんどが下級生という新設の第十七小隊を応援する者が大半だ。

「まあ、ニーナの言いたいこともわからないわけじゃないよ。僕だって自分よりずっと優秀な錬金鋼技師が突然現れて、十七小隊の専属になりますって言われたら結構ショックに感じると思うし」

 例えそのような存在が現れても私たちがハーレイをくびにするわけがない。
 そんなことは私が言わずともハーレイ自身よく理解している。だからこその喩なのだろう。
 私は、突然現れた自分より遥かに強力な武芸者であるリグザリオとレイフォンに嫉妬している。それは間違いない。
 しかし、彼らに嫉妬を感じることを私は恥じているわけではない。
 まだまだ未熟なツェルニの武芸者ならば、ほとんどの者が彼らの力に羨望を感じずにはいられない、嫉妬せずにはいられない……そして、彼らと己を比較して劣等感にさいなまれる。

「だったらどうして、あんな無茶な訓練をするようになったんだい? リザやレイフォンと同じ小隊で戦いながら一緒に訓練をして強くなる、でも良いんじゃない?」

 そう。自分が劣っているのならば訓練をすれば良い。
 それも無茶苦茶な自己流の訓練ではなく、実際に強くなった者たちの訓練を参考にすればもっと効率も良くなる。
 私とて年下の者に師事することを恥と感じるほど安いプライドは持ち合わせていないつもりだ。だが、彼らと一緒に訓練するようになって気付いた。

「二人は特別な鍛練は全くしていない」

「まあ、確かに」

「私とそれほど変わらない訓練で、レイフォンは就労も私と同じ場所だ。シフトでいえば、私より長時間働いている」

 リグザリオに至っては、生徒会長と交渉して給付金を多めに貰って、休日の日にはツェルニ中を散策しているところが目撃されているらしい。
 訓練は私と同程度で、私より多い就労(機関部清掃の他に都市警の臨時出動員枠にも入ったようだ)をこなしているレイフォンと私生活ではだらだらと都市内を歩き回っているリグザリオ。
 片や疲労で、片や怠けで、普通ならば多少なりとも戦闘時に影響が出てくるはずだ。
 しかし、二人は戦闘が始まったとたんにそれまでの疲れも、だらけも見せなくなる。

「私は、彼らが就労や休息に使っている時間も鍛練をしていた。だが、彼らに近付いているのかどうかさえ分からない。戦闘をこなすたびに差が開いているようにさえ感じてしまう始末だ」

「ニーナ……」

 私がこんな弱気や愚痴を見せることは幼馴染であるハーレイにもほとんどない。
 本格的に武芸を始めてからは一度もなかったことだ。
 気心の知れた相手であってもこんな自分を見せたくはなかった。
 




 その後、ハーレイと別れた私は自分の寮へと戻ることにした。
 医療科の先輩からもニ、三日、どんなに少なくとも丸一日は剄の使用を禁止されてしまっているので、今日の訓練に参加することはできない。
 他のベンバーが自主訓練する分には自由だとハーレイに言伝ておいたが、自主的に訓練をするような者は十七小隊にはたしているだろうか。
 自分の仲間をこういうのは良くないのだが、シャーニッドやフェリが自主訓練をするとは思えないし、レイフォンも今日は就労のシフトが入っていたはずだから時間まで休みたいだろう。そして、リグザリオも……

「……あいつは、都市警に連行されたのだったな」

 倒れていた私を心配して病院まで運んでくれたのだろうが、何故かリグザリオの身を案じることができなかった。
 リグザリオが都市警に連行される様を思い浮かべると笑いが込み上げてくる感覚さえある。
 その感覚には不思議と後ろめたさが伴わないのは何故だろう。私はそこまでリグザリオを嫌悪しているというのだろうか?
 幼少のころに見たアニメーションのような捕まり方をするリグザリオを再度想像して笑いを堪えながら寮の扉を開けると聞き覚えのある声が出迎えた。

「それは間違っているぞ、ニーナ・アントーク!」

 というか想像の中の産物だった。

「よう、隊長。体調は大丈たいちょう夫か?」

 それから僅かな間、寮の玄関ホールを沈黙という名の空白が通過していった。

「……おい、七三デコメガネ。あんたのせいで恥をかいたじゃないか」

「ひちさ……?」

「あたしが言わせたみたいに言うな!!」

 聞きなれない呼称に首をかしげ掛けた私の先を越して、ユニークなニックネームで呼ばれた同じ寮に暮らす一般教養科のレウが抗議の声を上げる。

「そうカリカリしなさんな。心配しなくてもちゃんとレウ攻略ルートも存在している」

「うわ、異次元的発言出た! というか、誰もあんたに攻略されたいなんて思ってないわよ!」

「安心しろ。あんたの90%を占めるメガネという属性と10%のN●R要素を加えれば、一線級まであと一歩だ」

「あり得ないから! 90%メガネとか意味身不明だから!! 何? メガネを失くしたあたしは汚れキャラ扱いになるわけ!? というかN●Rとか言うな!!」

「いや、一概にそうとも言えな「というか、あたしをニ次元に引き込むな!」……ふ、強気属性は嫌悪か。初期状態ならこんなものだろう」

 普段とは似ても似つかない言動を繰り返すリグザリオと何やらそれに対抗してハッスルするレウ。
 何だろう。私の周りでは比較的貴重な一般常識者であるレウが、どこか遠い国に行ってしまいそうな小劇場が展開されている。

「ニーナちゃん、おかえり~。とりあえず、こういうことなのよ~」

 何が“こういうこと”なのか理解不能です。

「セリナさん。何で女子寮にリグザリオが居るんですか?」

 この場で唯一、平常通りの精神状態だと思われるここの寮長のセリナさんに詳細の説明を求める。

「それは私から説明するわ」

 と言いながら寮の奥から現れたのは剣帯を腰から下げた武芸科の女学生だった。
 
「あ、ランちゃん。もうべ「私は、都市警のランドルト・エアロゾル」ったの?」

 セリナさんの人前で口にすべきではない労わりを遮って名乗った都市警のランドルトさん。
 剣帯のラインを見るにセリナさんと同じ四年生らしい。
 ランドルトさんは、手にしていた可愛らしいハンカチをポケットにしまうとレウにマウントを取られて滅多打ちにされているリグザリオを乱暴に引き起こした。

「ふっ、やるじゃないか、メガネ。気性の激しいニャンニャン属性まで持っているとは。この借りはベッドの上で返してや「くどいッ!」」

 明らかに変なことばかり口にするリグザリオの鳩尾に渾身のストレートを放つレウ。
 しかし、さきほどのマウント中の連打も今のストレートも武芸者であるリグザリオに効くはずが「ぐふぁッ!? その右、世界を狙えるぜ」あったようだ。

「つまりは、こいうわけよ」

「いえ、今の何を持って私が理解できたと判断したのですか?」

 今の私は、医療科から休息を取るように言われているので早く自室で休みたいのだが。

「それでは困るわ。当事者である貴女の証言がなくちゃ、都市警としてもこの変質者を正式に逮捕することもできないのよ?」

 ああ、そいういえばそうだった。
 寮内のあまりの雰囲気に少し前の思考すら忘却していた。
 リグザリオは、私を病院に運んだ際に誘拐犯と間違われてしまっていたのだ。
 通報を受けた都市警も被害者と思われる私を特定するのに時間がかかったのだろう。
 明確な証拠がない以上、リグザリオを長時間拘束することはできない。

「それでどうなの? こいつはアントークさんを病院まで運んだだけという話だったのだけど」

 リグザリオの腰に結わえられた取り縄を引っ張りつつ問うランドルトさん。
 それに溜息交じりで頷く。

「確かに彼は、疲労で倒れた私を病院に運んだだけです」

「本当に、本当? 運ばれている最中におっぱいとか、お尻とか、おっぱいとか、おっぱいとか触られなかった? 下着は上下とも無事だった?」

 何故か、鼻息荒く食い下がるランドルトさん。
 未だにレウに対してセクハラ紛い、セクハラ同然の奇天烈な発言を行っているリグザリオの状態はどうも普通ではない。
 確かにこの状態のリグザリオならば気を失っている間に何かをしても不思議ではない。
 しかし、私のことをリグザリオから聞いて昨夜のうちにリグザリオと会っているハーレイは特に何も言っていなかった。

「……私の方に被害はないと思います」

 確証はないのだが、いつものリグザリオなら妙なことはしない……と思う。
 これからの対抗戦や武芸大会のことも考えれば、不要な汚名を被せるわけにもいかない。
 私以外に被害者候補がいないのならこのまま穏便にすませるに越したことはない。

「本人がそう言うのなら仕方がいないわね。…………せっかくのお手柄だと思ったのに

 ものすごく納得いかないという様子のランドルトさんは、渋々リグザリオの手錠と腰縄を解いた。
 拘束を解かれたリグザリオは力尽きた様にその場に膝を着いて項垂れた。

「すまなかったな。私が心配をかけたせいで「ふ、ふひっ」……は?」

 最初は空耳かと思った。いや、空耳だと信じたかった。

「お、おい、大丈夫か?」

「ちょっと、ニーナ。その変態に近付くと危ないってば!」

あ~あ。なんかやり手っぽい新人も入ってきたし、ここらで一発犯人逮捕して点数かせぎたかったのにな~

「ん~ちょっと強く叩き過ぎちゃったかしら?」

 明らかに正常ではないリグザリオの状態にさすがに不安になる私は、とても嫌な言葉を聞いた気がした。





「ふ、ふひひひひひひひひひひひひひひひひひひひぃぃぃぃぃぃぃぃぃゃっふうううううう!!!!」





 この日を境に一人の武芸者の評判は地に堕ちることになる。



 根本の原因は、本人に会ったらしいが最終的に変なスイッチを押す結果になったのは、うちの寮長だったらしい。
 私を病院へと連れて行ったリグザリオは、私のことをハーレイに任せると私の寮に向かったという。
 寮の誰かに私のことを伝えておこうとでも考えたのだろう。
 しかし、悪いことに無駄に夜目の利くリグザリオは明かりをつけずとも支障なく、暗闇を活動できるらしく、寮に侵入したそうだ。私がまだ帰っていなかったために寮の鍵は開けっぱなしだった。そして、ここで間の悪いことに生理現象で目覚めた寮長と遭遇――という流れだ。

 翌日の昼下がり。大量の女性用下着をベッド代わりに寝ているリグザリオが発見された。
 発見された際のリグザリオは、とんでもない高熱で魘されていたそうだが、運ばれた病院では労わってくれる医療科の看護師(女学生)はいなかったという。







[8541] オーバー・ザ・レギオス 第四話 強さの定義
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/02/28 17:23




オーバー・ザ・レギオス


 第四話 強さの定義







 気絶している(あとで聞くと大したことはなかったらしい)ニーナ隊長を病院に運び、ハーレイに隊長のことを頼んだ後に……そこから記憶がとびとびなのだが、俺は恐ろしく恥知らずなことをしていたらしい。
 一応事情の説明と謝罪を関係者各位に行ったのだが、隊長の友人のレウを含めた数名の女性からは完全に引かれた状態になっている。
 まあ、この程度で済んでいることを幸いと思わないといけないんだけどな。


「で、これはどういったイベントなんだ?」

「お、久しぶりじゃねーかリザ! もう出所できたのか?」

「出所じゃねぇよ」

 まるで拘置所に拘留されていたように言うな。単なる自室謹慎だ。
 表向きは不問にしたところで多少の処置は必要なわけで、形ばかりの謹慎処分を受けていた俺は、久々に訪れた第十七小隊の訓練場に充満する緊迫した雰囲気に首をかしげた。さらに言えば見慣れぬ顔が一人増えていた。

「新隊員か?」

「ん~しいて言えば体験入隊生ってやつだな」

「体験入隊?」

 シャニに言われ、再び珍客に目を向けた。
 レイフォンより頭一つほど低い身長とたれ目の童顔。レイフォンと違って良い意味で新一年生という感じの少年だ。

「それじゃあ隊長が彼を牽制しているのは何でなんだ?」

「ああ、アレな」

 俺の質問にシャニが笑いを隠さずに教えてくれた。
 訓練の見学をさせてくれと少年がやってきたのは三、四日前かららしく、隊長も快く承諾したそうだ。
 しかし、第十七小隊の訓練を見学していた少年が、訓練場の隅で十七小隊の訓練を真似て動き出したら何故か面白ハプニングが連発されているのだとか。しかも、その被害がほぼすべてニーナ隊長の身に降りかかるという。

「なるほど、それでか」

 現在の十七小隊の訓練は、レイフォンがグレンダンの道場でやっていたという訓練方法を取り入れている。
 小隊の予算で購入した掌大のボールを訓練場の床一面に転がし、その上で型の訓練や簡単な組み手を行う。
 活剄の流れで筋肉の動きを制御し、バランスを取る。衝剄の応用でボールに剄を流し、回転を抑える。
 確かにこの訓練方法は、剄の基礎的な運用という点においては非常に優れた訓練だ。
 武芸の鍛錬を始めた頃の俺も似たような訓練をいろいろな都市の武門でやらされた。
 しかし、どうにも俺はそういうちまちました動きというものに耐えられる性分ではなかった。
 長時間やっていると自然と活剄も衝剄も密度が上がっていく。そのため昔は、ボールを破裂させたり、床を踏み抜いたりと失敗も多かった。
 今ではこの訓練でもレイフォンと同程度の動きはできる。しかし、今でもペースを上げてしまう癖は残っているので隊長やシャニとは長い時間一緒に行えない。
 コツさえ掴めば頭で考える必要もなく、剄を反射的に作用させられるようになるので、そこまでいけば剄の運用としては十分な状態と言えるだろう。

 と取り留めもないことを考えていると小隊の訓練を終えた隊長たちから離れて体験入隊中?の少年が駆け寄ってきた。

「はっ、初めまして! 一年のレオ・プロセシオと言います! ニーナ先輩のご厚意で四日前から十七小隊の訓練に参加させていただいています!」

「らしいな。ま、故障しないように頑張れよ」

「はい!」

 この少年は、感嘆符を付けねば喋れんのか?
 何とも見た目通りに溌剌とした若者だ。俺もこっちの世界観に慣れ始めた頃は、武芸に対してこんな感じ……じゃあなかったな。
 隊員外の参加者が居る訓練も別に悪いことではないので錬金鋼を復元し、訓練に合流した。
 訓練内容はいつも通りな基礎鍛練とレイフォンや俺がそれぞれの都市でやったことのある鍛練法を交えた応用訓練など練武館内でできるものだけ。
 グラウンドが借りられる時間は多くはないので大抵は練武館内での訓練になる。
 室内の訓練を狭いと感じなくもないが、場所を選べるほどの発言権がないのもまた事実。

 最後にレクリエーションも兼ねたボールの打ち合いによる勝負をしてこの日の訓練は終わった。
 ちなみに勝負は俺とニーナの同点敗北。俺とニーナはこういう遊び感のある勝負事にとことん弱い。ギャンブルに手を出してはいけないタイプなのだろう。
 後日、他の隊員に食事を奢るというペナルティも二人で分配した方が出費が少なくて済むので助かる。
 そんな和気藹藹な雰囲気も観察しながら楽しそうに訓練を“本当に見学するだけ”だったレオも元気な挨拶をして帰って行った。

 訓練後のシャワーを済ませ帰路へと着こうとしたところニーナのドスの利いた声が聞こえてきた。
 何事かと声のした通路まで早足で進むと呆然と突っ立っているレイフォンと背を向けて去っていくニーナが見えた。

「何? また世間知らず同士で痴話喧嘩か?」

「そんなんじゃありませんよ。きっと僕の言い方が悪かったんです」

 何について言っていたかは、訓練中のレイフォンの視線を確認しているので予想できる。
 そのことに関してレイフォンが何某かの指摘をニーナにしたのだろう。
 確かに見ることも大切だが実際に動かなくては力は伸びないし、いざという時に使えないものだ。
 そこら辺のことは俺も十二分に経験してきたことだし、それに気付くのもかなりの時間がかかったと思う。
 レオの生まれた都市は安全な日々が長く続いているらしいので武芸者としての基礎も未熟なままなのも当然というもの。

「お前の言ったことが絶対的に正しいんだと思うが、言葉を選ぶことも考えようぜ」

「そう、ですね」

「ま、俺も他人のことを言えた義理じゃないんだがな」

 俺の軽口に困ったような苦笑を洩らしてレイフォンはアルバイトがあるのだと言って去っていった。
 レイフォンは幼い頃から絶大な才を有していた。それが遺伝なのか、突然変異なのかは知らないがレイフォンが強者であり続けているのは事実だ。
 レイフォン自身、自分より強い武芸者はいる、負けたことがないわけじゃない、と言っているがその相手が弱かったわけではあるまい。
 俺にはよく分からない剄力増大体質と死を越えて旅できるというとんでも現象があるからこれまで強くなれた。
 本来の俺には剄脈すら存在せず、普通に体質なら何百年かけてもレイフォンには届かないだろう。
 後天的に強者となった俺には力の足りない武芸者の気持ちを理解できるし、共感もできる。しかし、レイフォンには自分が“弱者”だと思える存在していない。
 強くなるために努力する。それが多くの武芸者たちにとって本来どれほどの苦行であるかをレイフォンは知らない。
 そんなレイフォンに非があるわけではない。むしろそんな生い立ちのレイフォンに自分の常識や価値観を押し付ける発言をすることの方が悪い。
 こんなことを言うと俺までニーナに色々言われそうなので言っていないが、ニーナはもう少し他人の事情を鑑みて考えるようになれれば良いんだけどな。


「あなたは……自分が強いからそんなことが言えるんですよ!!」

 帰路の途中にある広場から聞き覚えのある声が響いてきた。
 そちらに視線を向けると臨戦状態のニーナとレオが対峙していた。
 
「弱い者の気持ちなんて分からないんだ!!」

 そう叫んだレオが剣状に復元された錬金鋼を力いっぱいニーナに向けて揮った。
 だが、それは当然の如く受け止められ、逆にレオの身体が弾き飛ばされた。
 倒れこんだレオの元まで歩み寄ったニーナが言葉をかけるが、それに対してもレオが反発するように叫んでいる。
 そんなレオの眼前に鉄鞭を振り下ろしたニーナは最後にまた言葉をおくり去っていった。
 あとに残ったレオは身体を震わせ、呆然としていた。

「どうした、漏らしたか?」

「ッ!? 誰がッ……あなたは」

 ニーナの剣幕に恐怖で硬直していると思ったが軽い一言で反応を返せるのなら問題ないな。
 これなら俺よりも見込みがあるんじゃないか。

「ニーナは強かったか?」

「あ、当たり前です! あの人は小隊隊長で、僕は入りたての一年なんですよ!? 相手になるはずがないですよ」

 これだけ悪態をつける分、やはり俺より何倍もましだな。

「まあ、ニーナはお前を打ちのめしたいからやったわけじゃないってことくらいは分かってるよな?」

「そんなのっ……分かってますよ」

 不貞腐れた様に俯くレオ。
 うむ、年相応の少年思考ですな。少年漫画の主人公でもやっていけるよ君は。

「それなら俺からもちょっとだけアドバイスだ」

「アドバイス……ですか?」

 また説教されるとでも思ったのかレオは微妙そうな表情で繰り返した。

「そうさ。俺はお前より強いってのは知ってるか?」

「知ってますよ! 小隊対抗戦はほとんど見に行ってるんですから!!」

 こんな近くでそんな叫ばなくても会話はできるんだがな。
 声量の調整から教えてやりたい気分にならないわけではないがそれは次の機会にしよう。

「けどそんな俺でも昔はお前より弱かったんだぜ?」

「そ、それも当たり前じゃないですか!?」

 俺が何を言いたいのか分からないと言うように叫ぶレオ。
 こらえ性のない少年だ。まあ他人事とも思えないから気にもならないがな。

「それがわかってるんならこんな所で自分ひとりで鍛練をするな」

「そんなの……って、え?」

「自分が未熟だと理解し、強くなりたいと願うのなら強い奴に鍛えてもらえ。それがいやなら同じ武芸科の連中と一緒に鍛練をしろ」

 矢継ぎ早に言う俺の言葉を目を丸くして呆然と聞いているレオの額を指先で小突く。

「あたッ!?」

「独りで強くなろうと思うな。誰よりも強くなろうと思うな。そして、自分の力だけを突き詰めるな」

「僕だけ、の力を?」

 ますます訳が分からないといった風な顔だな。
 言っている俺自身下手な言い方だとは思ってるが、他に言葉が見つからない。

「自分が弱いと知っている奴は必ずそれ以上に強くなれる」

「必ず……ですか?」

「ああ。お前はまだ本格的な訓練を受けたことはないんだろ?」

「はい」

「だったら大丈夫さ。まだまだお前の力は伸びる。俺が保障してやる」

 反則だらけの俺が言っても説得力は皆無だろうが、事実を知らないレオにはそれなりに考慮する要素のひとつに加えてもらえるようだった。

「その言葉、信じてもいいんですね?」

 先ほどよりも幾分力を取り戻した瞳が俺を見上げている。
 やっぱり男の子だな。俺にもこんな時期があれば良かったのにな。

「ああ信じろ。それでも強くなれなかったら俺のところに来い。俺の訓練メニューであの世の手前まで連れてってやる」

「それは遠慮します」

 即答だった。
 まあ俺は他人に教えるのがうまいとは言えないからな。
 多少なりとも元気になったのなら後はレオが決めることだ。
 今を凌いでもまだまだこれから先は幾度も壁にぶつかる。ここで止まらなくとも、その次で止まるかもしれない。
 もっとも“始まり”を踏み出せた者なら立ち止まることはあっても先を見ることを止めることはないだろう。
 何を思ったか昼間のように元気な挨拶と共に去っていくレオを見送り溜息をついた。

「俺もあれくらいの初々しさがあればな」

 失った時間は戻らない。
 人生は楽しもうと思わなければ楽しくなることはない。幸せになりたいと思わなければ幸せに気付くこともできない。
 そのことだけは後悔してもしたりない俺の本当の人生だ。

『何をたそがれているのですか?』

「いや、若気の至りを思い返していただけさ」

 最近見慣れた花弁のような念威端子を通して聞こえる抑揚のないフェリの声に溜息交じりで返す。

「で、何の用だ? わざわざ使いたくもない念威を使ってまで俺と話したかったのか?」

『話をしたいのは私ではなく、兄の方です。明日の夜、時間は取れますか?』

 俺の軽口もフェリにはまったく通じないらしい。
 それはともかく、カリアンの要請とあらば無視するわけにもいかない。
 何しろ今の俺が何不自由なく気楽な学生生活ができるのはカリアンのおかげだ。

「了解だ。ついでに秘書部の子たちも同席させてささやかな晩餐でもあれば嬉しいんだが?」

 軽い気持ちで受けた俺が溜息をつくまであと一日ちょっと。
 俺とって嫌なことではないが、好きなことでもない厄介事が始まるのだが、結局はそれも自分のためでしかないのだろう。
 インチキばかりな俺には、ニーナやレオを励ますことなどしてよいはずがないのだ。











[8541] オーバー・ザ・レギオス 第五話 荒野の死闘
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/03/27 19:21




オーバー・ザ・レギオス


 第五話 荒野の死闘






 体にピッタリと張り付いたスーツのひんやりした感触が心地良い。
 都市外戦闘用の汚染物質遮断衣。半透明の全身タイツのような下地の上に専用の戦闘衣と通信用の念威端子を修めるヘッドセットを着装する。
 何やら如何にもな感じの戦闘員が完成してしまった。

「よく似合ってるよな? フォンデュ」

 今日のデート相手であるレイフォン少年とのペアルックを評してみる。

「似合う似合わないの問題ではないですよ。というか、ふぉんでゅって」

 確かに安全性・機能性さえ十分なのだったら外観はそれほど問題ないだろう。
 もとより俺の場合、生身であっても汚染物質に耐えられる。正確には耐えるのではなく、汚染物質を排除できる生態を有しているというのが正しい。俺が有するのは武芸者としての純然たる資質だが、俺の中に内包されている資質はもう一つある。その資質は“リグザリオという世界”に内包された姫様のもの。いつからそこに居たのか分からないがかなり“以前”からそこに居て、観察していたらしい。会話こそないが、姫様の資質の顕現たる“鏡片”は目となり、耳となって俺に世界を見せてくれる。
 汚染物質に対する抵抗力と戦域情報を精確に把握できる管制力。
 通常ならば武芸者と念威操者に分たれている能力がひとつの肉体に宿っている。
 これがどれほどのイレギュラーであるか、それなりに永い経験から理解しているつもりだ。
 以前の汚染獣戦でも発揮されたこれらの能力は、努力によって獲得した能力ではない。それをあたかも自分のもののように扱うのは間違っているのかもしれない。だが、力を使うのは俺なのだ。そこに力を貸す――本人にそのつもりがあるかどうか定かではないが――頼りになる姫様もいる。
 俺は他とは違う。
 そも生まれからして世界が違う。
 まったく世界の違うこの場所で俺が生きていくうえでやらなくてはならないこと、持たされた力を無駄にしないためにみんなの役に立て、俺も得をする。損得勘定であれだがこれもまた生き方のひとつだろう。


 ハーレイから渡された錬金鋼を剣帯に収める。普通の錬金鋼とは違い、やや長く手元から細長い鉄板が先端に向かって弧を描き、その鉄板には三つの穴が穿たれている。

「これで準備は万端だね」

 新たな錬金鋼を受け取ったレイフォンと俺の姿に満足そうに微笑むハーレイ。
 この錬金鋼はハーレイが働いている錬金鋼の開発製造を行っているチームで開発されたものであり、今回の“デート”に色を添えるものでもある。
 複合錬金鋼アダマンダイトと称されるこの錬金鋼は、面白い性質を持っている。
 すでに合成された存在である複数の錬金鋼を、それぞれの長所を完全に残した形で合成されたものらしい。
 カートリッジ式で合成に使う錬金鋼の組み合わせを変えることができるが、合成に使った錬金鋼の基礎密度と重量を軽減できないとか。

「移動にはランドローラーを使ってもらう」

 黙ったまま控えていたカリアンが側にあるものを示した。
 そこにあったのは大昔に実用性を失ってしまった車輪式の乗り物。SFに出てきそうなごついバイクだ。
 汚染物質に満たされたこの世界ではゴム製の車輪は耐えられないため、この世界では車輪の代わりに機械の足が車体を運んでいる。初めて体験した時は面白さと気持ち悪さが込み上げていたのを思い出す。

「ツェルニの明日は、君たちに掛かっている。そして、君たちの力が真に必要となるのはまだ先だ。必ず戻って来てくれ」

「言われなくてもそのつもりです」

 それなりに沈痛な面持ちのカリアンには視線を向けず、ランドローラーに跨るレイフォン。
 その表情にいつものような抜けた雰囲気は感じられない。
 これから出掛ける先に待ち構える相手との“デート”がどれほど危険なものであるかをしっかり理解しているようだ。

「やれやれ、だな」

「お前は相変わらずそうだな」

 レイフォンのどこか危うい、苛立たしげな、張りつめた様子の原因を作ってしまった俺を原因そのものである我らが隊長が小突いてくる。
 ランドローラーの機関に火を入れる。腹に響く重低音が心地良いリズムを伝えてくる。
 カリアンとその他の作業員たちが制御室に引き上げると外部へのゲートが開き、俺たちを乗せた昇降機が地面へと降下を始める。

「……無理を言ってすまなかった」

 強風が吹きつける中、ゆっくりと歩を進める都市の脚が俺たちを取り囲む。
 本番を間近に控え、本日のメインであるレイフォンに謝罪するニーナに曖昧な表情で首を振るレイフォン。

「いえ、武芸者ならいつかは通る可能性のあることですから」

 あまり乗り気でなさそうな様子を隠しきれないレイフォンの態度にニーナも困ったように首を振る。
 その重そうな雰囲気を和らげるように軽い調子でシャーニッドがアクセルを吹かす。

「ま、俺らはせいぜい邪魔しないように見物させてもらうからよ」

「そういうならシャニは通信画像だけで我慢しろ。俺が“デート”に誘ったのはニーナだけだぞ」

「で、デートだと?!」

 素っ頓狂な声で過剰反応するニーナがふざけるな、と脇腹をそれなりに力強く突く。

「相変わらずリザはつれねえな。そんでもってニーナも相変わらず冗談に反応し過ぎ」

 見てる分には面白いけどな、と笑顔のシャーニッドに後半だけは同意しておこう。
 レイフォンを除き、和気藹藹な調子で続く出発式。
 徐々に地面が近づき、遥か彼方に天を突く岩山へと視線を向けるレイフォンに俺も同じ方角に目を向ける。
 そこに俺たちの“デート相手”が待ち構えている。
 到着まで一日かかる予定だ。シャーニッドにはせいぜい場を盛り上げてもらいたいもんだ。



 先日、カリアンに招待された晩餐で明かされた事実。
 都市の予定進路に汚染獣らしき物体が確認され、現在まで数度に亘る無人探査機による撮影でその存在はより確実なものとなっていた。
 出発と同時に念威端子をフェリが飛ばし、ランドローラーを先行する形で戦域情報の収集に努めることになる。
 本来ならば、十七小隊全員で行くように仕向けたつもりだったが、念威に集中してもらうためにフェリだけは、ツェルニに残ることになった。
 俺とレイフォンによる汚染獣討伐任務。それが今回のデートの内容だ。
 都市外戦用の装備も必要ない俺だが、その事実をあまり多くに広めることもよろしくないと判断したカリアンにより仕方なく着込んだ汚染物質遮断スーツが動きにどこまで影響があるか分からない。出来そのものは良いため、気になるほどではないだろうが、都市外での汚染獣との戦いは無傷での勝利が大原則だから機動力にわずかでも影響が出る可能性があるのなら慎重な動きを心がけなくてはならない。汚染獣の攻撃をすべて回避できても自分の剄力で汚染物質をズタズタにしてしまうこともある。実際に何度かスーツが敗れたことで大変な目に合ったこともある。
 そんな危険な都市外での戦闘は、集団戦が基本だ。連携が取れた武芸者が集団で一体の汚染獣を倒すというのが普通の戦い方。汚染獣の幼生体ならばともかく、雄性体をたった一人で相手をするなんてバカのすることだ。力が及ばない時代の俺はなおのことそれを順守し、決して独りで戦うようなことはなかった。それができるだけの根性も実力も無かったのだから当然だが、俺にとって汚染獣との戦いは“その時の最後”だった。そこで敗れれば、自分が死に、その後ろの自律型移動都市とそこに住まう住民が死ぬことになる。だから、そのときに持てるすべてを費やして戦った。

「それが今じゃ、ピクニック気分だ……」

「ん? 何か言ったか」

 サイドカーに腰掛けているニーナに何でもないと応え、俯いていた視線を再び前に戻す。
 こんなにも気軽になっているのは傲慢になったということだろうか。
 今の俺なら雄性体の一匹や二匹、物の数ではない。例え、老生体でも退けることができる。“ひとつ前”に戦った最後の記憶は曖昧だが、バカみたいにでかい汚染獣と戦ったように思う。そいつには負けたが、“現時点の俺”は“その時点の俺”より数段勝っている。基本的な技術は変わらないが、剄力は増大し、感覚もより鋭くなっている。
 ツェルニに来てから二度目の汚染獣との戦い。相手は汚染獣が一匹。
 一度目もそうだったが今回は何かがおかしい。“リグザリオ”という“個”となってから数多くの敗北を重ね、死を重ね、強大になり続ける“力”の矛先にしては明らかに役不足。命を賭しても退けることのできない戦い、“あの空気”を微塵も感じない。“前回”に何があったか正確なことは思い出せないが、いつもの“能力向上”は今までの比ではなかった。この力を向けるべき戦いはまだ先だということか。
 とりあえず、今は目の前の汚染獣を退けることが大事だ。




 目的地に着いたのは昼過ぎ頃になった。
 安全圏ギリギリと予測される位置にランドローラーを停止させる。先行しているフェリの念威端子から送られてくる情報をもとに戦闘域を決める。
 天を突くような岩山に張り付くように汚染獣がじっとしているのが“見える”。胴体がわずかに膨らんでいるが、頭から尻尾まで蛇のように長い。胴体部にニ対の昆虫のような翅が生えている。淀んだ緑色の筋が幾本も走った羽根はあちこちが破れてぼろぼろだ。
 蛇というよりエビかタツノオトシゴみたいにとぐろを巻いた胴体に並んだ節のある足、退化しているかのように脆弱で足として用をなすように見えないが、その爪は岩肌に喰い込み巨体を支えている。
 ここまで人間エサがここまで近づいているのに反応する様子がまったくない。まるで死んでいるように見えなくも無いが、“生命”としての鼓動までは完全に消せていない。フェリの念威による解析では、正確な状態を把握できないが、うちの“姫様”の力の前には丸裸だ。

『どうですか?』

 フェリの声が端子を通して耳に響いた。

『四期か五期ぐらいの雄性体ですね。足の退化具合でわかります』

 フェリの確認にレイフォンが応える。
 今回の戦闘では、俺とレイフォンが連携して戦うことになるため俺たちは敵の力を把握しなくてはならない。
 汚染獣は脱皮するごとに足が退化していく。雌性体に変容する場合は産卵期に地に潜るため逆に脚は大きく堅固になっていく。そして、足が退化し続け完全に失われた状態を老性一期と呼び、飛ぶことに特化した状態になる。基本的に最も手に負えない状態であり、本能のままに揮われる暴虐と変容による激しいエネルギー消費が耐えがたい空腹感を抱えさせる。ここからさらに変化すると老性二期、三期となり、その変化は奇怪さが増し、姿も一定じゃなくなる。

 レイフォンがランドローラーを降り、剣帯から錬金鋼を二本抜き出し、右に複合錬金鋼アダマンダイトを持つ。俺も腰の剣帯から複合錬金鋼アダマンダイト紅玉錬金鋼ルビーダイトを抜き、ランドローラーを降りる。
 徐々に身体に活剄を流し、戦闘に向けて身体中に力を滾らせる。

 老性二期からの汚染獣は、その強さの質も一定ではなくなり見た目で脅威を測ることもできなくなる。
 それより前の段階ならば通常の方法で対処できる。

『めったに出会えるものじゃない、だから気をつける必要なんてないのかもしれない。気をつけようもないのかもしれない。でも、知っているのと知らないのとでは違いがある。知っておけば何かできるかもしれない。老性二期からは単純な暴力だけで襲ってこない場合もあります』

『……フォン……なにを言ってるんですか?』

『レイフォン……何故、それを今伝える?』

 現状を遠まわし語り、それを以て危険を察し、フェリとニーナが戸惑うようにレイフォンを見る。目の良いシャーニッドはすでに状況を理解し、止めていたランドローラーを起動させた。俺もシャーニッドのランドローラーに積み込んでいた予備の錬金鋼ダイトを投げてもらい、紅玉錬金鋼ルビーダイトの楯を復元させる。
 それと時を同じくして、ピシリと音がした。周囲の空気が軋むような、大きな癖にどこかひそやかさを秘めた音。潜めていたであろう肌をひりつかせていた存在感が、より鮮明に全身の神経を撫でる。

 岩肌に張り付く汚染獣の微かな鼓動が徐々に活発になっていく。
 ぼろぼろの翅が音を立てて崩れ始める。
 胴体を覆っていた鱗のような甲殻が一枚一枚剥げ落ちていく。
 蟲のような複眼が丸ごと外れ、岩山の斜面を跳ね落ちる。
 いよいよ、始まる。

『報告が入りました』

 珍しくフェリが慌てたような声が戦場の音に混じる。

『ツェルニがいきなり方向を変えました。都市が揺れるほどに急激な方向転換です』

『やっぱり……』

 フェリの報告に頷くレイフォン。
 汚染獣を避ける性質がある自律型移動都市レギオスだが、進路上に潜んでいる汚染獣を察知できない場合がある。産卵のために地下へ潜っている雌性体や一時的な休眠状態に入っているモノ、それと今回のように生体反応を薄められている場合だ。最も移動都市レギオスがどのような方法で汚染獣を察知しているかが分かっていないので、これらの遭遇を完全になくすことはできない。

『これは……どういう、うあ!?』

 初めて見る汚染獣の変容にわずかな動揺を見せるニーナの首根っこを掴みサイドカーから操縦席に移す。

「脱皮だよ。珍しいもんが見れたな」

『リグザリオ?』

「ちょっとばかり戦闘域を広げる。ニーナとシャニは、後方に下がってくれ」

『……そんなにやばいのか?』

 レイフォンの緊迫した雰囲気にさすがのシャーニッドも真面目な顔で聞いてくる。
 ニーナも念威端子の向こうのフェリも息を呑むのがわかる。

『レストレーション01』

 前に出たレイフォンが復元鍵語を唱えると左手の青石錬金鋼サファイアダイトの剣身が空気を裂いた。

『老性体になる際は汚染獣としての本能から変質させる分、普通の脱皮よりも腹が減る。だから、餌が近づくまで脱皮をぎりぎりまで抑えていたんだ』

 飛行することに特化した老性体に察知された移動都市レギオスは逃げきれない。少なくとも“俺の経験上”では一度として逃げきれたことはない。さらに言えば、ここまで接近している以上、汚染獣の翅を落した程度では逃れ馴れない。故に足止めだけでなく、完全に倒すことが望ましい。
 全身を奔る活剄の勢いと密度を上昇させる。
 岩山に張り付いた汚染獣の背が割れ、そこからどろりとした液体が零れ、汚染された大地を汚染獣の産声が重く揺すった。抜け殻を割り、背を仰け反らせて、赤味の強い濡れた虹色の新しい翅を広げる。細長い抜け殻から現れた胴体が縮まり、殻のぶつかり合う音がリズムとなり殻から出でた汚染獣の全体が顕わになる。頭部にこびり付いていた粘性の液体が零れ落ちて現れたのは、昆虫めいた雄性体のものと比べ、爬虫類のそれに近かった。

「あれが老性一期。ここを越えられたらツェルニが滅ぶ。そういう状況だ」

『……わかった。私とシャーニッドは後方で待機する』

『それでは足りません。隊長たちはツェルニまで引き返してください』

 俺の言わんとすることを理解したニーナがランドローラーを発進させようとするときにレイフォンがきつく言った。

『老性体との戦いは、本当に命懸けになります。後方を気にして戦える相手じゃない』

 確かにそれは事実だろう。しかし、それは“レイフォンの経験”が裏打ちしたものだ。
 ニーナも自分が足手まといにしかならないことを理解しているから後方に下がることを受け入れているが、俺たちだけを残して逃げ帰るのはさすがに耐えられないらしい。

『馬鹿を言うな! 命懸けならば、なおのこと帰りの足が必要だろう!』

『汚染獣さえ何とかすれば、あとから何とでもなります!』

 それだけ言うと復元させた錬金鋼の柄尻に複合錬金鋼アダマンダイトを繋げ、走りだすレイフォン。

『私は、隊長だ! 部下のお前たちを置いては帰らないぞ、レイフォン!!』 

 ニーナの叫びも端子によってはっきりと聞き取れているだろうに足を止めることもなく、内力系活剄が変化、旋剄により突風と化して汚染獣へと直進した。
 遥か彼方にある餌場が遠ざかるのを感じたのか、汚染獣が翅を震わせた。全身にまとわりついていた液体を散らし、鼻先をまっすぐ俺たちの後方に向けて汚染獣が鎌首を擡げる。

「さて、俺も行ってくる」

『リグザリオ。私は……』

「レイフォンの言うことは気せず、隊長殿は後ろでどっしり構えとけ。あいつに戦場はひとりじゃないってことくらい俺も教えるつもりだからさ」

『……当然だ。お前もレイフォンも無事に戻れ、これは隊長命令だ。分かったな』

「了解」 

 ニーナたちと別れ、レイフォンの後を続いて活剄を脚に集中させた“旋剄”で駆けだした。







 蒼い輝きを放つ剣身が霧散し、数えるのも億劫になるほどの鋼糸が空に駈け昇ぼろうとする汚染獣に殺到する。
 音もなく全身に絡みついた鋼糸など意に介した様子もなしに上昇する汚染獣の動きに遅滞はない。

「サイズが違い過ぎるだろ」

 レイフォンもそれを理解しているだろうからあれで汚染獣の動きを止めるつもりはないのだろう。
 抵抗するようすもなしに舞い上がる汚染獣とともに宙を舞う。
 宙を舞いながらも幾本もの鋼糸を翅に絡ませようとするのを見るに鋼糸で翅を落とそうとしているようだが、青石錬金鋼サファイアダイトでは、幼生体の甲殻のようにはいかないだろう。
 鋼糸で翅を切断することを諦めたレイフォンが鋼糸の束をニ方向に分散させ、汚染獣と岩山を繋ぎ合せた。
 突然の衝撃に汚染獣が苦痛の方向を上げる。首が仰け反り全身がうねって翅が激しく動かし、ツェルニがある方向の空を目指すがそれ以上進むことはできないでいる。

「それでも長くは持たないな」

『分かってます。リグザリオさんも汚染獣を抑えるのを手伝ってください』

 その間に自分が翅を落とします、と自らが巡らせた鋼糸の上を駆けるレイフォン。
 復元させていた紅玉錬金鋼ルビーダイトの楯から鏃型の刃を引き出し、宙に縫い止められている汚染獣に向かって全力で投擲する。投擲する際、紅の刃を衝剄で包み込み錬金鋼の強度を誤魔化すのも忘れない。
 汚染獣が喉元を奔る激痛に大気を引き裂く咆哮を上げる。
 
『それだけじゃ足りません!』

「わかってるから急かすなよ」

 レイフォンに言われるまでもなく、汚染獣の喉を貫く紅刃に連なる鎖に螺旋を作り、凶悪な頭部を雁字搦めにする。
 状況から緊迫しないといけないのだろうがレイフォンほど熱くなれない。精神的に熱いのではなく、むしろいつものぼんやり抜けた感じがうそのように戦闘中のレイフォンはどこまでも冷静に状況を判断し、自分の出来る最善の行動を選択する。それは熟練の武芸者ならばできて当然のことでありながらもレイフォンには決定的に足りていない部分もある。それは本来、戦いを重ねれば重ねるほど理解していくものだ。
 しかし、レイフォンにはそれがまったくない。
 槍殻都市グレンダンの天剣授受者――俺の知るグレンダンには存在していなかった称号。その天剣授受者という称号がどのようなことを意味するのかは知らない。ただそれは“天の剣を授受されし者”の名を持つに相応しい存在なのだろう。こうやって間近で動きを見ればわかる。レイフォンは今まで一人で戦ってきたんだ。汚染獣との戦う上で愚かとしか言いようのない戦い方。それができてしまうほどにレイフォンは強かったのだろう。それは幸運なことであると同時に不幸なことでもある。

 身体を鋼糸に絡め捕られ、紅刃で喉を割かれ、鎖に頭部を絞め付けられた状態でもがき続ける汚染獣。
 宙に張り巡らされている鋼糸の上をレイフォンが駆け、鎖の上を俺が奔る。
 互いに剣帯に残っていた錬金鋼を抜き出しては、複合錬金鋼のスリットに差し込んでいく。
 すべてのスリットに錬金鋼を差し込んだところで……

『レストレーション、AD』

「レストレーション、β」

 復元鍵語を唱え、剄を走らせる。
 瞬時に錬金鋼数本分の重みが腕を介して全身を伝う。その重みで撓む鋼糸の反動を利用して汚染獣の背に向かって回転しながら跳ぶレイフォン。俺は自身が奔る鎖が絡め取っている頭部へと躍りかかる。
 レイフォンの手には一振りの巨刀が、俺の手の中には二丁の赤い銃が握られている。
 汚染獣の背中に着地したレイフォンは、岩山に絡めていた鋼糸を外し、腕に絡ませながら回収すると汚染獣の翅めがけて巨刀を振り上げる。
 頭部に程近いところまで接近した俺は、汚染獣を締め付ける鎖を回収しながら距離をさらに詰める。
 外力系衝剄の化錬変化、焔絞め。
 厖大な剄を注ぎこまれ加熱され、溢れだす衝剄が火焔を伴う螺旋が絡み合いながら汚染獣の頭部を灼き削る。
 巨体を宙に支えていた翅が赤い血飛沫を撒き散らしながら汚染獣の身体が傾く。レイフォンが翅をその巨刀で見事に斬り裂いていた。
 落下する汚染獣の背中から離脱するレイフォンを脇目に絡め取った鎖と繋がった腕が大質量に引かれる中で頭部を覆っていた焔の鎖を解き放ち、灼け焦げた頭部がようやく開かれた視界と顔面をズタズタにされた激痛に大気を弾き飛ばすような咆哮を落下しながら天へと向ける。喉に突き刺さったままの紅刃と灼熱の鎖が繋いでいる汚染獣との距離は変わらない、地面に落下するまでの数秒、そのわずかな時間を無駄にする必要もない。楯を装着している右側の手には長大な狙撃銃を握り、左手には三連銃身の拳銃を掴む。
 外力系衝剄の化錬変化、麒麟。
 一直線に伸びる鎖に沿って雷を纏った剄弾が汚染物質を引き裂きながら閃光となって奔る。ダメージの蓄積した頭部の外殻をさらに深く削っていく。
 外力系衝剄の化錬変化、螺旋塵。
 三つの銃口から螺旋を描き、互いの螺旋を乱しながらも大気中の塵を巻き込み、レイフォンが斬り裂いた翅の付け根を中心に真空と粉塵の刃が汚染獣の背中に幾百もの傷を刻んでいく。
 やがて地面を大質量の衝突という爆発が襲う。
 地面を撫でる爆風を利用して落下の衝撃を殺しながら着地するレイフォン。俺は化錬剄によって形作る足場、風澱を作り本来の落下点から移動し、第二撃にとって最適の位置取りをする。
 濛々と立ち昇る煙が晴れるのを待たずに汚染獣が天を仰ぐ。焔絞めと麒麟によって本来の機能を失った目から血を噴き出しながら純然たる憎悪と殺意を向けてくる。
 食事の邪魔をする小さな、とても小さな生き物が自身の障害となっていることへの煩わしさだけでなく、自身を滅ぼしえる牙を持つことを理解したのだろう。激痛による憤怒に凶悪な飢餓感を上乗せした本能が俺とレイフォンの全身を刺し貫くように叩きつけられる。

『翅が再生するのにどれくらいかかる? 二日か? 三日か? いくらでも付き合ってやるぞ!』

「こっちの主役もやる気満々、か。とりあえず……」

 再び汚染獣に駆けだすレイフォンの後方から麒麟による援護射撃をしながら次の一撃を考える。

「2ラウンド、開始だ」






 汚染された大地において暴虐の王である汚染獣と細々と生を繋ぐ小さな人間。
 両者の天秤がここに傾く。







[8541] オーバー・ザ・レギオス 第六話 小さき破壊者
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/03/28 12:53




オーバー・ザ・レギオス


 第六話 小さき破壊者





 眼前を埋め尽くす汚染獣の巨大な胴体が轟音と共にうねり、大地ごと薙ぎ払うようにその巨体が迫る。
 鋼糸を駆使して汚染獣の動きを阻害し、自身は縦横無尽に岩場や谷間を動き回るレイフォン。都市外で汚染獣と戦う場合は掠るどころか、攻撃の余波すら寄せ付けてはならない。汚染獣が巻き上げる砂礫だけでも汚染物質を遮断する半透明のスーツに孔をあけるのに十分だ。都市外戦用装備に孔が空くことを気にする必要がない俺はともかく、レイフォンはそうもいかない。一撃一撃に細心の注意を払い、汚染獣の周囲を跳び回る姿には感嘆する。だが、その戦い方が正しいとは間違っても言えない。
 突進をレイフォンの鋼糸により邪魔された汚染獣の巨体が生き場を失い、不格好にのたうち回る。
 汚染獣が暴れる勢いのまま引っ張られ、吊り上げられ、再び宙へと舞い上がったレイフォンは、複合錬金鋼アダマンダイトを振り回して体勢を取り直す。
 レイフォンの眼下には大地に潜り込んだ頭をもたげさせようとする汚染獣の姿がある。
 その姿は、傷だらけだ。
 巨体の多くを土砂に埋もれさせ、動きを制限されている。
 それを好機と見てレイフォンは複合錬金鋼アダマンダイトの巨刀を汚染獣の胴体へと振り下ろした。刃は一瞬の停滞を経て硬い鱗を裂き割り、内部の肉を斬り裂く。

『っ!』

「急いてはことを仕損じる。もっと俺を信じろよ」

 鱗を一枚斬る度に火花を散らすその斬線は不器用にしか映らない。まるでそのように斬れば汚染獣の甲殻を紙のように引き裂けるとでも言っているかのような斬り方。あんな斬り方を続けていては、いくら複合錬金鋼アダマンダイトでも長くは持たない。現に僅かな斬り傷を付けると刃が砕けるのを避けるために退避する。
 一撃離脱戦法は確かに正しい。
 外力系衝剄の化錬変化、麒麟。
 奔る閃光が開いたばかりの裂け目に侵入し、汚染獣の内部により深い傷を穿つ。
 このようにファーストアタック以後は、レイフォンが斬り開いた傷を俺が広げることを繰り返している。こういう相手には遠距離からの大威力の剄弾を撃ち込み、ある程度外殻を破壊、もしくはダメージを蓄積させたところで近接攻撃で止めを刺すのが妥当だ。相手が老性体だと分かっていれば錬金鋼調整の時に弓を登録していた。弓なら汚染獣が大口を開けたところに錬金鋼が壊れるのを覚悟した一撃を撃ち込めば仕留めることができる相手だ。
 しかし、ないものねだりをしてもしょうがないので今のようにレイフォンの攻撃後、同じ場所に追加ダメージを撃ち込む戦法を取っている。

「埋もれて暴れているところに斬りかかる奴があるか。最初の一撃で鱗の硬さは量れてるだろ?」

『わかってます! けど、錬金鋼そのものの強度が足りてないんです。鋼糸じゃ斬れないんだから剣で斬るしかないじゃないですか!』

 俺の小言に叫びながらレイフォンは煙を上げていたひとつの錬金鋼を複合錬金鋼のスリットから抜き捨てた。
 確かに錬金鋼には状態維持能力がある。しかし、人が生み出したものである以上、限界値というものがある。複合錬金鋼は他の錬金鋼よりかなりの高密度を誇っているが、それでも老性体の甲殻をむやみやたらと斬りつけていればその限界も早くやってくる。レイフォンがそこら辺を考えていないとは思わないが、それでも戦い方に妙な癖がある。おそらく、その“癖”が天剣授受者という称号と何か関係があるのだろう。あれだけ強大な剄力を持つレイフォンならば、もっと自身の剄を抑制した状態でも錬金鋼の強度を擦り減らさずに済むようになる。俺も同じような理由で何百、何千という錬金鋼を台無しにしてきた。汚染獣と戦う際に起こるボーナスイベント、最後の瞬間を前にすると剄力が爆発的に増大するという現象も手にしていた錬金鋼を砕けさせることになり、無手で汚染獣に突っ込むような結果となるのが最近の常だった。今回はまだその現象が起きていないから、これが俺にとっての“最後の戦い”ではないことだけは確実だが、他の奴らにとっては最後になるかもしれない戦いなのだ。

 再び汚染獣に目を戻す。
 あちこちの鱗が剥げ、そこから赤黒い血が零れている。半分ぐらいは乾き、黒っぽい塊がところどころに岩のようにこびり付いている。
 残っていた翅もすでに失い、いまや地上を這う巨大な蛇でしかない。身体を覆う鱗は岩のように荒く鋭いため、その大質量と合わせて脅威度は些かも衰えていない。
 両目は最初に潰したが、そこから流れている血は徐々に少なくなっている。他の傷も同様に最初に付けた傷から順に血が止まってゆく。
 麒麟で傷を広げ、螺旋塵でそれらの傷が回復するのを阻む。これはそれなりに有効で汚染獣の強靭な生命力を確実に減らしている感触がある。

「……やってみるか。おい、レイフォン!」

 錬金鋼の限界だけではない。レイフォンは体力や技術以前に精神的な余裕のなさが目立つ。本来ならば強くなるにつれて徐々に練磨されていく精神面での成長があまりにも未熟だ。俺のようなしょぼい男でさえ成長できている部分なのだ。この少年にできないはずがない。始めから強力な武芸者として育ってきたからこその脆さかもしれないが、それを理解できるほど感受性が強い方じゃない。レイフォンにはレイフォンの過去がある。俺と同じように、他の人間と同じように成長できる環境にあったわけでもないだろう。それでもレイフォンは、ニーナや他の学生たちと同じだ。未熟なら鍛えれば良い、自分の中にまったくないのならそれを持っている人間を頼れば良い。だから……

『なんですか? 錬金鋼が壊れたんですか!?』

 鋼糸を使って宙を舞うレイフォンが自分の陥っている状況と同じような状況にあると思ったのか切羽詰まった声で叫ぶ。
 ずいぶんと見縊られたものだ。

「あのな。俺の鎖はどこに繋がってるか見えてないのか?」

『え? ……まさか!?』

 一番最初に撃ち込んだ紅刃はいまだに深々と汚染獣の喉に突き刺さっている。
 これまで数えきれないほどその巨体を存分に暴れさせていた。それにも関わらず、俺の鎖は一度として汚染獣を解き放つことはなかった。この技術は本来、人間を相手にする際に必要以上のダメージを与えないために身に付けたモノだが、汚染獣との戦いでは錬金鋼の損耗を極限まで減らすことに役立つ。錬金鋼そのものに流している剄量を増やせば自壊させてしまうことになるが、それだけ有り余っている剄を外界へと作用させれば良い。錬金鋼そのものを衝剄で覆い、外部の負荷から保護し、錬金鋼に流している剄と同調させることで内部の負荷も減らすことができる。簡単にできることでもないが、それほど難しいことじゃない。ほとんどの武芸者にとっては必要のない技術でもあるので、身に付けようとする者がいなかった。だから、レイフォンにそれを求めるのも酷だろう。だから……

「交代だ。俺が前に出る」

『リグザリオさん。あなたは一体……っあ、何を!?』

 旋剄の密度を上げ、レイフォンを跳び越える。二丁の銃を待機状態に戻し、複合錬金鋼のスリットに挿し込んだ錬金鋼をシャーニッドから受け取った予備の錬金鋼に挿し替える。

「レストレーション、γ」

 再び復元鍵語を唱えると同時に剄を錬金鋼へ通す。先ほどよりも錬金鋼の剄の通りが悪い。それでもまったく関係ない。

『や、槍……ですか?』

「なんで疑問形なんだよ」

 そう思われても仕方ないとはいえ、れっきとした槍なんだけどな。
 三つのブロックに分かれた3メルトルほどの突撃槍。俺が最も得意とし、錬金鋼の強度を気にせず行える最強の一撃。それを放つための魔槍を掲げる。
 その姿を見たレイフォンが驚愕の声を上げる。

『正気ですか!? 真正面から老性体に突っ込むなんて無謀ですよ!』

 錬金鋼がもつわけがない、そう言いたいのだろう。
 しかし、それを心配するということはやはりレイフォンは普通とは違う錬金鋼を使っていたのだろう。

「無謀じゃねえよ。何のために汚染獣の首に鎖を撃ち込んだままにしていたと思ってる?」

 相手は巨大で大質量の怪物。鱗も堅く回復力も尋常ではない。
 喉に突き立てている紅刃はすでに再生しかけた肉の中に埋もれている。このままではさすがに紅刃の回収はできないが、そこから先の戦法を取る布石でもある。本来ならばレイフォンに任せるべき仕事だが、錬金鋼を損耗させているレイフォンだと万が一の可能性でリスクが出るかもしれない。俺ならばそのリスクもリスクとならないので安全策として俺が出る方がよい。

 汚染獣と繋がる鎖を通して化錬剄を紅刃に伝導させる。
 衝剄で覆っているとは言っても鎖を引き千切られないための操作はそれなりの集中しなくてはいけなかったので、最後の詰めに来たことでようやくその疲れる作業ともおさらばできると感じると自然に剄の伝導が冴えわたる。俺は最後のひと踏ん張りを頑張れるタイプなのか?

「後ろは任せるぞ、レイフォン!」

『リグザリオさん!!』

 叫ぶレイフォンは置いていく。
 剄の密度が上がり、突撃槍がブロックごとに衝剄を噴き出す。噴き出した剄は炎と化して汚染物質に満たされた大気を焼き消していく。
 外力系衝剄の化錬変化、迅雷。
 俺の右腕から延びる鎖を紅い稲妻が奔り、汚染獣の再生していた喉肉を再び炸裂させる。
 喉の奥まで到達した激しい雷撃が汚染獣の怒りと激痛の咆哮を掠れさせる。

「断末魔をあげるのは早いぞ」

 暴れる汚染獣の動きに合わせて鎖を操り、更なる攻撃を仕掛ける。
 外力系衝剄の化錬変化、滲焔。
 炸裂した腐肉に埋もれる紅刃から浸透剄の炎が汚染獣の喉を内部から灼き崩す。
 もはや咆哮として認識できない大気の振動となっている汚染獣の叫び。
 これだけの巨体を相手にあちこちを攻撃するのは得策ではない。
 レイフォンの攻撃に合わせた攻撃もこれを成立させるための牽制、もしくは体力減らしでしかない。
 一点集中のダメージ蓄積。それが俺の考える対汚染獣戦術。これが正解であるとはいえないが、俺の頼りない頭脳を精一杯働かせた結果のひとつだ。使えるところでは使っていきたいという欲もある。
 喉元の鱗の隙間を抉られ、傷を広げられ、内部を焼かれたそこは十分に“弱点”となった。
 レイフォンは最も硬い額を割ろうと考えていたようだが、誰にでもわかる弱点を突くのでは効率が悪い。何しろ誰にでもわかるのだから汚染獣も本能的にそこの守りが堅くなる。脳髄を砕けは確実に汚染獣を殺せるだろう。しかし、そこに労力をかけるくらいなら自分で“弱点”――“弱い箇所”を作ってしまえば良い。
 喉元の鱗は額の鱗に比べれば断然柔い。
 まあ、俺が攻撃を支援し過ぎたせいでレイフォンも俺が同じ考えでいると誤認してしまったのかもしれないけどな。

「うおあ!?」

 戦闘中に余計な思考が混じった。
 汚染獣もようやく自分の命が危険であると察したのか最後の力を振り絞って巨体を暴れさせる。
 しかし、すでに詰めに入っていた俺の間合いの中だ。鎖も今から千切ろうとしても間に合わない。
 ふと思う。ここまでダメージを受けた汚染獣なら放っておいても直に死んでしまうのではないか? そうでなくともツェルニを追いかけるだけの力は残されていないだろう。ならば無駄なリスクを負ってまで殺してしまわないでも良いのではないか?

「馬鹿か、俺は」

 今しがたミスしたばかりの思考の堂々巡りからすばやく抜け出す。
 その無駄なリスクも“俺”ならばリスクになり得ない程度のモノだ。それ以上に未来の懸念のひとつを刈り取ることが重要だ。
 断末魔も上げることができない汚染獣の動きに合わせて宙を跳ねまわる。
 外力系衝剄の化錬変化、風澱。
 弾力のある化錬剄の足場である風澱。それを今は単なる足場ではなく、設置型の爆弾として作用している。汚染獣が暴れるたびに風澱とぶつかり圧縮された剄が衝剄となって炸裂する。本来は、相手に向けて飛ばす剄技だがこれだけ巨大な相手には行動を制限させることにも利用できる。もとより本命の一撃はすでに用意してあるのだから。

 活剄衝剄混合変化、焔神。

 突撃槍を灼熱の紅蓮が渦を巻きながら染め上げ、ブロックごとに逆回転の焔を噴き出す。
 燃え盛る焔は汚染物質を焼き尽くしながらその勢力を大気中に拡大し、ここに火焔の砲弾が完成する。
 目指すは散々痛めつけた汚染獣の喉元。
 鎖を回収しつつ縮まっていた距離をさらに縮める。風澱を足場に弱点を確実に射抜ける位置に走る。
 聳える汚染獣の鎌首。それを見上げる位置に着いた時、汚染獣の頭上にひとつの影を見つける。

『合わせます!』

 フェリの念威端子が伝えるレイフォンの声。
 いつの間にか上下での挟撃を仕掛けるということになっている。
 俺が汚染獣を打ち上げ、レイフォンが叩き落とす。まさに駄目押しである。
 つくづく俺の思考は伝わらない。伝えていないのだから当然だ。それでもレイフォンから自主的に“声”が出たのは良い兆候なのだろう。
 俺は焔神を一点集中を僅かに分散させる。
 灼熱の砲弾が灼熱の鉄槌に変わってしまったが結果は動かない。

 衝突と同時に汚染獣の喉が獰猛な炎獣の牙に食い荒らされ、天へと突き上げられる。
 鋭さを失った分、内部の破壊と打ち上げるエネルギーは増大している。
 そうして跳ね上げられた汚染獣の頭上に陣取っていたレイフォンが上空で身を捩じらせる。
 外力系衝剄の変化、蛇落とし。
 竜巻と化した衝剄が汚染獣の額を撃つ。
 下からは喉、上からは額。この二点を別方向に激しく衝かれるとどうなるか?
 喉元から『Λ』のような感じに折れ曲がり、首の骨格が粉々になり、俺は当初の予定通り、汚染獣の喉を貫き通す結果となった。
 長い胴体から千切れた汚染獣の首が重力に従って大地へと落下する様を離れた場所に着地したレイフォンと共に見下ろした。

『終わりましたね』

「だな」

 何やら難しい顔をしているレイフォンに素っ気ない声で答える。
 この戦いでレイフォンも俺が普通ではないと十二分に理解したのか、それともそれ以外の何かを感じているのか。
 今の俺にはどうでも良かった。
 レイフォンがこの戦いで何を学んだのか、これからどう成長していくのか。それを楽しみにするほど俺はできた人間ではないし、教えることが上手な人間でもないだからな。とりあえず、早く帰って風呂と飯にしたい。あとカリアンから報奨金もたんまり貰わんとな。










 現在の生命体の頂点に君臨しているはずの汚染獣をこれほど惨たらしく破壊する武芸者たち。
 捻じれ往く運命を歩む者たちの果てには……。






[8541] オーバー・ザ・レギオス 第七話 夢幻、記憶、過去
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/03/28 22:23



オーバー・ザ・レギオス


 第七話 夢幻、記憶、過去





 熱狂的な歓声が野戦グラウンドに響き渡っている。
 武芸科の授業や小隊の訓練などでおなじみの場所も普段と変わった空気が満ちているだけで別世界のようだ。

『レイフォンが敵隊長と接敵しました。そちらにもひとり向かっています』

「了~解」

 遅すぎるフェリの報告に苛立ちを感じることもなしに頷く。
 そも先日の汚染獣戦で十二分に活躍させられたのだから当分は力を抜いても文句はでないだろう。
 もとより俺の場合は、念威操者の補助がほとんど必要ないのだからフェリに注文を付けること自体ない。
 頑張りたくないときに無理に頑張れと言っても効率は上がらない。いずれ本人も気付くだろうが、フェリは生粋の念威操者だ。一般人が手足を動かすのと同じような感覚で念威を扱える。使わなければ衰える可能性もないわけではないのだろうが、フェリは無意識のうちに念威に頼っている節がある。“念威操者”であることを強要されることを嫌っているだけであり、“念威”を扱う事をきらっているわけではないのが現状だ。そこら辺の区別もいずれ何とかするだろう。
 “念威操者”じゃない俺には適当なアドバイスも助言も難しいからな。

『おおっと! ツェルニ最強アタッカーの呼び声も高いレイフォンに、第五小隊隊長ゴルネオ、どう対抗するのか!?』

 司会の女の子の声が響き渡る。
 木々を隔てた位置で地面が爆散する衝撃と爆音が生じた。そちらに視線をずらしたところで木々の合間から小さな影が飛び出してきた。

「ぉおりゃあ!!」

「うおあ!?」

 その小さな身体から予測に倍する衝撃を繰り出され、わずかに楯が傾く。

『さらにその隣では、誰も文句なし! 十七小隊のガーディアンことリグザリオに、第五小隊副隊長、本能のシャンテが襲いかかる!!』

 “本能の”って、そんな声高らかに言うなよ。
 これって渾名というより馬鹿にしてるようにしか聞こえないぞ。
 そう思ってる間に次の攻撃が来る。
 槍型の紅玉錬金鋼ルビーダイトの赤い残光を伴って、小さな身体が迫る。

「炎剄将弾閃~んっ!」

 甲高い声が技名を叫ぶ。剄技の名を叫びながら戦う武芸者はまずいない。そんなテレフォンアタックを好き好んでやるのは格好つけたがりの馬鹿しかいない。そう思っていたら天然で叫ぶ馬鹿もいるようだ。
 槍の穂先から炎の塊と化した剄弾が飛び出す。
 眼前に迫る熱気に楯から紅刃を抜き出して構える。
 衝剄活剄混合変化、竜焔。
 汚染獣に放った突撃槍の時とは違い、紅刃に連なる鎖が脈打ち俺の周囲を渦巻きながら包み込む。
 迫っていた炎剄が渦巻く鎖にぶつかって霧散する。

「うっそ……」

 渾身の一撃、ということもないだろうがそれなりに力を込めたはずの一撃を軽々と防がれたことに関する驚愕と渦巻く鎖の変化に呆けている。
 相手にできた僅かな隙を見逃す手はない。

「次はこっちから行くぞ」

 いいながら紅刃を投擲する。
 先日の老性体をそのまま縮小したような炎の龍が少女に襲いかかる。
 刃引きがされていると言っても小柄な体のシャンテがこれを食らえば一撃で戦闘不能になるだろう。
 しかし、そんな俺の予想はなかなか訪れない。

「くっそー、こんなの卑怯だぞぉ!」

 悪態を吐きながらも手にした槍で襲いかかる竜焔を弾き、波打つ鎖の乱打を見事な体捌きで避け続ける。
 このシャンテという少女は幼い外見に反してその戦闘力はかなりのものだ。
 その身に纏う雰囲気は完全な野性児だが、放たれる剄の質は底知れないものがある。単純な剄量であればツェルニの武芸者の中では、レイフォンや俺のような例外を除けば最上位に位置するだろう。それに変換率はあまり効率が良いとは言えないが、先ほどの炎剄もかなりの威力があった。全霊で撃ち込まれていれば手持ちの紅玉錬金鋼では防げなかったかもしれない。

「シャンテ・ライテ……まさか、――なのか?」

「あ? 何か言っ……ぎゃん!?」

 竜焔を捌きながら俺の呟きに反応しかけたところで少女の足元を大きく薙ぎ払う。さらに追い打ちとばかりに脈打つ焔の鎖で打ち据える。
 他から見れば弱い者いじめに見えなくもないだろうが、不思議と少女を痛めつけたという罪悪感はない。むしろ、「まだまだやれるはずだ」と少女が立ちあがり、反撃に転じてくるのを期待する気持があった。
 しかし……

「きゅう~」

 目を回して気絶する少女の姿に不謹慎ながらも落胆するような気持が湧いたが、それと同時に野戦グラウンドに鳴り響いたフラッグ破壊のサイレンに気持ちが醒めていくのを感じた。
 俺はサディストでもなければ、戦闘狂でもない。戦いを楽しむことはできるようになったが、愉しむために戦いをするほど欲求不満でもない。
 それなのにこの少女に対して些か過剰な攻撃をしてしまったように思う。
 善くない兆候だ。自分の意識しないところで力を誇ろうとするなんて。改めて気を引き締めていかないといけないようだ。






 小隊対抗戦の後、俺の心が言葉にできない妙な感覚にざわついていた。
 いつもなら喜んで参加する祝勝会も辞退させてもらっている。今日はニーナの友人たちも多く来ていたようだから同年代の女の子と仲良くなれる機会だったのにな。こんなことを思っても俺の脚は、祝勝会の会場に向かおうとはしない。延々と人気のない外縁部、エアフィルターに沿うように無意味な散歩を続けている。

「シャンテ・ライテ……身覚えも聞き覚えもないんだけどな」

 無意味な散歩中に考えているのは、昼間に対戦した第五小隊のシャンテ・ライテのこと。別に一目惚れしたとか、そういった類なものでないことだけは確かなはずだ。例え、そうであってもここまで考え込むのはおかしな感じだ。俺が知っている炎を纏う女は、シャンテとは似ても似つかない。そばに立つ男もゴルネオではなく、もっと獰猛な牙をもつ獣のような青年だった。名前は確か……

「ディック……ディクセリオ・マスケイン」

 すべてを奪われ、そのすべてを奪い返そうとする復讐者であるとか。
 それを教えてくれたのも誰だったか?
 確か女だったのは覚えている。まだ最初期の頃の話だ。戦っても戦っても幸福な結末ハッピーエンドが訪れないことに疲れて、馴れない酒をかっ食らって辺り憚らずくだを撒き散らしていた俺に話しかけ、つまらない俺の元の世界での話を熱心に聞いていた酔狂な女。何を話したかもほとんど憶えていない。ところどころの単語が記憶の底に散らばっている程度だ。
 本当にいけないな。永遠にも思える時間を生き、死んでもやり直せるなんて素晴らしいことではあるが、どうにも記憶が曖昧になってくる部分もある。もともとの脳みその容量もあるのだろうが、俺が忘れやすいたちなのだろう。

「はぁあ。年は取りたくないもん……んん?」

 しみじみ思っているとエアフィルターの向こうから奇妙な視線を感じた。いや、それを視線と呼ぶには些か異常に語弊があるだろう。遥か彼方に聳える山々の影が俺の視線を惹き寄せる。何の変哲もない都市がどれほど移動しようと変わり映えもしない荒野の景色。その一角に何かがある。

「あそこに、何がある?」

 疑問を口に出すのとほぼ同時に思考の中に映像ヴィジョンより鮮明な感覚イメージが遥か遠方の物体を認識させる。どうやら今日の姫様は機嫌が良いようだ。こんなに素早い情報提供は珍しい。そんな感慨に耽ってもいいのかもしれないが、それ以上に齎された情報は俺の心を大きく揺さぶった。

「……メルニスク」

 自然とその名が口に出た。
 それが何を意味するのかまったく思い出せない。
 しかし、脳裏をノイズだらけの劣悪な画質で映像ヴィジョンが駆け廻る。まるで走馬灯のような、既視感のような映像ヴィジョン。燃え立つ炎のように聳える白亜の建造物。ひときわ高くエアフィルターを突きぬけて聳える塔のようなもの。あの奇妙な女、その女と同じ顔をした別の女。常軌を逸した鋼糸使いの男。絶大な念威を誇る念威操者。記憶に残る雰囲気と若干異なった様子のディック。そして、奇天烈な外観の白い巨人たち。
 その一つ一つには覚えがあるものの、それらといつ遭遇したのかを覚えていない。関わった状況を思い出せない。ただ漠然と知っているという違和感の塊が俺の足りない脳みそを圧迫する。

「なら考えなければ良い」

 そうだ。俺の身に起きている現象は、自分の意思ではどうしようもない事ばかりだ。剄脈の急激な発達も、死を越えることも、勝手に進む放浪バスに揺られることも、ツェルニに到達したことも、どこにも俺の意思は関与していない。いや、もしかしたら多少なりとも関係があるのかもしれないが、少なくとも自覚できるところにそれはない。ならば気にしたところで問題は解決しない。

「眼前にある不可思議。そこに跳び込もうとする気持ち……確かに悪くない」

 俺のバカみたいな現実世界の話を熱心に聞き、俺を何処かに導こうとした奇妙な女。名前は思い出せないが、この女が何か特別な意味があるはずだ。そして、そこに繋がるためのか細い糸の末端がすぐそこにある様に感じる。
 既視感を感じさせる少女、シャンテ・ライテ。
 彼方に存在する都市、メルニスク。
 俺の置かれている状況の不思議な謎に迫るかもしれないキーワード。

「どこまで俺は歩いていけると思う?」

 俺の呟き応える“声”はない。
 ただ掠れる記憶の一部が嘲笑っているように感じた。








[8541] オーバー・ザ・レギオス 第八話 朽ちぬ炎となりて
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/03/29 00:46



オーバー・ザ・レギオス


 第八話 朽ちぬ炎となりて




 無意味な思考を巡らせた目的のない散歩を終え、寮に戻った俺を迎えたのはニーナからの招集だった。
 活剄を用いれば、数日の徹夜くらい苦もなく乗り越えられる。その後に起こる反動も、現在では頻繁に急成長が起こる俺の剄脈は平然と耐えきる。
 だから早朝から呼び出されて気分が優れないのは、馴れない頭を使ったからだろう。
 都市下部の外部ゲートへとやってくるとすでに俺とシャーニッド以外は揃っていた。

「昼まで寝てるつもりだったのによ」

 俺のすぐあとにやってきたシャーニッドは寝癖を残したまま欠伸を噛み殺さずにぶつぶつと文句を言う。

「おまえ……今日は休日じゃないんだぞ? 何をしていたんだ?」

「イケてる男の夜の生活を想像するもんじゃないぜ」

 ニーナの注意にも軽い調子で応えているあたりはさすがにシャーニッドも武芸者、これからの活動に支障もなさそうだ。
 怒るのも疲れるとでも言いたそうだが、口にはせずに都市外用の汚染物質遮断スーツの着心地を確かめている。

「ふむ、確かに軽いな」

 普段の戦闘衣の下に着れる上に、着た後もすぐに慣れるだろう程度の違和感しかない。
 前回着た時よりもさらに着心地が良くなっている。学園都市の技術者と言ってもこの辺はしっかりしているな。

 そんなわけで準備万端、整って出発した。
 向う先は、昨夜確認した移動都市レギオス。俺は視覚的に確認したわけではないためその状態は分からなかったが、学園側の探査結果によると都市としての機能をほとんどなくして停止しているとのことだった。それを発見したのがフェリだったというのは、後になってから知った。
 その移動都市レギオスが、どのような理由で朽ちたかを調査するために先行偵察の任務を受けたのが、うちの第十七小隊と間の悪いことに対戦したばかりの第五小隊だった。カリアンが言うには汚染物質遮断スーツの数の問題と両隊の優秀さから選抜されたのであって他意はないとのことだった。まあ、そうなんだろうがどうにも慣れない。俺が気になっているシャンテは、ボコった俺よりもレイフォンの方を睨みつけているし、レイフォンはレイフォンで複雑な心境にあるのを無理に隠そうとしているように思う。
 少なくとも楽しいピクニックになることだけはないだろう。


 ランドローラーを走らせること半日。
 目的の移動都市レギオスまではなんの問題もなく到着した。

「こいつはよくもまぁ……」

 シャーニッドの驚きの声が通信機に届く。
 探査機が撮影した写真で確認していたが、実際に目にするとやはり違う。すぐ真上に折れた都市の脚の断面があり、そこは有機プレートの自己修復によって苔と蔓に覆われている。その蔓の群れはいまにも崩れ落ちてきそうなほどの重厚さがある。エアフィルターから抜け出した部分がすでに枯れているため、滝みたいだなどと冗談をいうこともできない。実際にいつ崩れてもおかしくない状態だ。

「汚染獣に襲われて、ここまでやって来たって言ってたか?」

「推測だろ。ま、あながち間違いってわけでもないだろうけどな」

 シャーニッドの言葉を適当に濁す。
 イメージの中を埋め尽くす白い異形の巨人。崩壊する白炎。
 昨夜のイメージをそこまで再生させたところで思考を止める。
 今はそれを思考する時間ではない。

「外縁部西側の探査終わりました。停留所は完全に破壊されています。係留索は使えません」

『こちら第五小隊。東側の探査終了。こちら側には停留所はなし。外部ゲートはロックされたままです』

 フェリと十七小隊とは逆周りで進んでいた第五小隊の念威操者からそれぞれ報告が入る。
 どちらも楽ができないのは同じらしい。

「こちら第十七小隊。ワイヤーで都市に上がった後、調査を開始する」

『了解した。こちらも東側から調査していく。合流地点はおって知らせる』

「了解した」

 隊長同士の通信を終え、作戦行動を確認してから調査開始。
 レイフォンとフェリの組み合わせが先行して都市内部の安全確認を行う。
 そんなことをしなくても“うちの姫様”がほぼ全域の状態を教えてくれるのだが、その情報を他のメンバーと共有できない以上、実際に乗り込んで調べるしかない。
 姫様の能力を疑うことなんて何もないがただ座して待つのと自ら動くのとでは、結果が違ってくるものだ。ここは不満そうなフェリ共々、我慢してくれよ。




 フェリの念威探査によって発見されたシェルターにやってきた第十七小隊はその惨状に唖然とした。
 シェルターの天井には大穴が開き、天井から落ちた瓦礫が放射状に広がっている。その瓦礫の縁を赤黒く固まった血痕が染めていた。
 もしここの天井に大穴が開いていなければ、充満した死臭に耐えられなかったかもしれない。

「こいつはひでぇ」

 シャーニッドが口と鼻を押さえて率直な感想を述べる。
 いくら外部と繋がる大穴があってもシェルターの中に澱んだ腐臭は完全になくなっているわけではない。
 フェリは中の状況を把握した上でシェルターに入ることを拒んだ。一緒に入ったニーナもシャーニッドと同じように鼻と口を押さえている。
 こいつらの反応は正しい。この臭いに慣れてはいけない。俺みたいに普通に血痕の多い箇所の瓦礫を掘り返したり、奥の食糧庫を物色するようになったらおしまいだ。

「生存者はいるか?」

『いません』

 一縷の望みをかけたニーナの問いは、念威端子からの冷たいフェリの声に切り捨てられた。
 ニーナは、あちこち物色し終えた俺にも問いを含んだ視線を向ける。

「……リグザリオ」

「幸か不幸か、死体はひとっつもないな。古びた血痕だけで肉片すら残っちゃいない」

 俺の答えにニーナは苛立たしげな表情をさらに複雑にした。

「まるで誰かが片付けてしまったみたいですね」

 他の皆も思っている疑問を再度レイフォンが口にする。
 汚染獣がこの都市の住民をすべて喰い尽くしたとしても、死体どころか肉片すら見つからないというのはおかしい。
 エアフィルターが生きている以上、都市のエネルギーはまだ完全に尽きているわけではない。ならばどこかにこの危機を免れた生存者がいる可能性もあるが、フェリの念威は人間の生命反応を捉える気配もない。

「こないだツェルニに来た奴って線はないのか?」

「それはないな。幼生体の群れに襲われたのなら建物が横薙ぎに破壊されているはずだろ?」

 シャーニッドの呟きに簡単な答えを返す。
 “敵”は“空”から来て“空”から去った。大群であることに変わりはないが、事実は若干異なる。それを伝えられないのはとても窮屈だった。
 シェルター内部を隅々まで捜索したが結局、死体はどこにもなかった。
 当然だ。この都市の住人達はすでに手厚く“葬られている”のだから。



 日暮れを前にして第五小隊から合流地点の指定があり、何の収穫もないまま俺たちは合流地点に向かった。
 第五小隊が見つけた合流地点は、武芸者たちの待機所として使われていた建物らしい。それなりの物資が残っており、食料もわずかだが食せるものも残っていた。

「電気はまだ生きていたんだな」

 ニーナが感心した様子で入り口前の廊下から駐留所内を見回した。

「機関は、微弱ですがまだ動いています。セルニウム節約のために電力の供給を自律的にきっていたのではないかと」

 ニーナの言葉に答えながらフェリは静かに髪を揺らす空調の風を身体に浴びせていた。
 空調が生きていなかったら都市中を浸蝕している腐敗臭が漂う寝所で眠りに就くことになっていただろう。

 その後、ニーナは部屋割りのためにゴルネオのところに赴き、レイフォンとシャーニッドはもう一度周囲の安全を確認しに行くと出て行った。
 部屋に残された俺は、手持無沙汰にしているフェリに声をかけようかとも思ったが、特に話すような要件もなく、世間話をするほどフェリと良好な関係を築いているわけではない。訓練や試合以外で会話がほとんどないのだ。どうにも俺はこういうタイプが苦手なんだろう。どちらからというと自分から喋ってくれるニーナの方が好ましい。あれは年相応に若々しい情熱と苦悩を抱いて……

「って、俺は年寄りか?」

 自分の思考にひとりでツッコム馬鹿が一人。
 そんな俺を胡散臭げな(俺の主観)視線で観察するフェリ嬢。

「…………」

「(沈黙が気まずい……)」

 こんなことならレイフォン達についていけばよかった。
 そう思っていると入口から現在の興味の対象である少女が入ってきた。

「あ……」

「……あ」

 入ってきた第五小隊副隊長シャンテがフェリと俺を見て嫌そうな顔をし、それを見てフェリもまた冷たい視線を作った。レイフォン達と同じように周囲の確認に出ていたのだろう。やはり、今回の選抜小隊は相性が悪いだろうと思う。現段階で第十七小隊と仲良くできるのは第十四小隊くらいだろう。あそこの隊長のシン・カーハインは俺でもいい男だと思える出来た人だし、そんなシンの部下も気さくな人たちばかりだった。第十四小隊も実力面では、偵察という今回の任務ならばまったく問題なかったはずなんだけどな。
 そんな思考に耽っているといつの間にかフェリとシャンテが険悪なムードになっており、視線と視線が火花を散らしてぶつかっている。

「(何故に?)」

 場の空気の流れに乗り遅れた俺は、どうすることもできずに外面だけは平静を保ちつつ、内心では右往左往しながら二人の少女の顔色を窺う。

「お前らは……」

 最初に流れを音声化させたのはシャンテだった。

「お前らは、あいつがどんな奴か知ってんのか?」

 その言葉にフェリが身体を強張らせる。“あいつ”とはおそらくレイフォンのことだろう。出立前もレイフォンを睨みつけていたしな。
 おそらく、レイフォンと同じく槍殻都市グレンダンの出身者であるゴルネオ・ルッケンスとの間にある何某かの因縁を自分のことのように考えているのだろう。

「なんのことでしょうか?」

「……本気で言ってんのか? それとも、知らん振りか? あの一年がどんな奴か知ってんのかって、あたしは聞いてんだ」

 この待機所と同じ建物には第五、第十七小隊の他のメンバーもいるため、ほかの誰かに聞こえないように試合時と違って静かな調子で喋るシャンテの声には、隠されざる怒りが宿っている。そんなシャンテの問いにフェリは無言を通す。俺はというとレイフォンが槍殻都市グレンダンの天剣授受者という特別な存在だったことは耳にしているが、ゴルネオと因縁が生まれるようなことは知らず、シャンテの問いにどう答えて良いかわからない。
 そんな俺たちの反応をあまりよろしくない感じで捉えたらしい。

「ふん、知ってて使ってるんだ。だとすると会長も知ってるってことだな」

「なんのことかわかりませんが?」

 シャンテのどぎつい睨みもどこ吹く風とフェリは素っ気なく返す。

「あんな卑怯者を使うなんて……そこまで見境なくやらないといけないくらいあたしらは信用がないって言うのか?」

 見えない殺気が刃となってフェリに突きつけられる。

「(……あれ、俺は?)」

 俺の記憶に眠る炎の女には程遠いが、それと似た燃え盛る炎のイメージがシャンテを包み、対象的にフェリは凍てつく氷を思わせる無表情でシャンテの眼光を真っ向から受ける。何やら女同士の戦いが始まってしまいそうな予感が……と思っていると当たってしまうわけで、明らかにシャンテの敵意に対する形で発露した敵意を乗せた言葉がフェリの口から零れる。

「……二年前の自分たちの無様を棚に上げて、他人をどうこう言うのはやめた方がいいですよ」

「なっ!」

「ぬっ!?」

 そっちに話を持っていくはさすがにあれだぞ。
 大敗だったという二年前の武芸大会。あれの話題は上級生の武芸者たちにとっては鬼門だ。それをシャンテのような直情型のタイプに振ったらどうなるかわからないフェリじゃないだろうに!
 俺の懸念通り、剣帯に手を伸ばそうとするシャンテ。それを変わらず涼しげな、というより冷た過ぎる表情で見つめ続けるフェリはなおも続ける。

「あなたたちが弱くなければ、あの人は一般教養科の生徒としてツェルニを卒業することができたのです。それができない今があるのは、貴女方の未熟が招いたことでしょう? その弊害を受けている私たちに武芸大会で勝てなかったあなた方がそんなことを言える立場ですか? 守護者足り得ない武芸者なんて、今のツェルニにとって不要です。顔を洗って出直してきなさい」

「なっ、こっ……て、てめぇ……」

「(うわ~い、泥沼だあ<泣>)」

 フェリの言いたいことも分からないでもない。最近はそうでもなかったが、フェリとレイフォンは武芸以外の自分を見つけるためにツェルニを訪れたのだ。それを両者ともに入学早々からカリアンの計略によって武芸科へと転科させられた。そのことに僅かながら慣れる兆しが見え始めているこの時期に、フェリにとっては理不尽でしかないシャンテの言葉を受け、黙っていられないのだろう。それにフェリはレイフォンに自分と同じことに悩む存在として、特別な思いを抱いている節もあるからなおのことシャンテの怒りを黙って受け流すことができなかった。
 シャンテが怒りで震えながら剣帯の錬金鋼に手を掛ける。

「(はやく止めに来いよ!)」

 関係のない修羅場に取り残された感のある俺は、泣き出したい気分を我慢しながら剣帯に手をかける。
 フェリとシャンテの口論がどこまで響いていたかわからないが、すでに数名の関係者が周囲に集まっている。その中の誰も仲裁に入ってくれないのなら俺が間に入るしかない。対抗試合での期待感は冷汗が全身を濡らす今では湧いて来ないので、フェリを守るためにシャンテを打ち負かすことはできない。せいぜい暴れるままに任せてそのすべてを受け切るしかない。
 人間関係の拗れに慣れていない上にレイフォンの過去などほとんど知らないため場の収拾する方法も浮かばない。いよいよもって俺の思考もメダパニってきたところで大遅刻の救い人が現れた。

「そこまでにしろ」

「ゴルっ!? でもっ!」

「ここで諍いを起こすな」

「むぅぅぅぅぅぅっ!!」

 俺にとっての救い人であるゴルネオの言葉にシャンテは沸騰しきった怒りをぶつけることができずに真っ赤になって錬金鋼から手を離し、ゴルネオの分厚い腹筋を殴りつけて去って行った。

「すまんな、うちの隊員が迷惑を掛けた」

「いや、フェリにも非がありましたよ。今のは」

 試合の勝敗に関する柵は残していないようでシャンテに代わり素直に謝罪の言葉を口にするゴルネオには好感が持てる。
 俺は俺でゴルネオの謝罪に応えながら不安にさせたフェリに恨めしげな視線を送るが、逆に冷徹な視線にはじき返されてしまった。

「しかし、シャンテの言ったことは隠さざる俺の疑問だ。あいつは代弁したに過ぎない」

「みたいですね。あの子は「あなたは、グレンダンの出身でしたか」」

「そうだ」

 ついでとばかりにシャンテのことについて問おうとした俺の言葉を上から塗り潰すフェリと当たり前のようにフェリの問いの応えるゴルネオ。……好感度が下がったぞ、ゴルネオ。

「……そうですか。なら、さきほどの言葉はわたしの偽らざる気持ちです。あの人はもとより、決して兄と同じ意見というわけではありません」

「承知している。俺もあいつにかんしてのことはあくまでも個人的な思いだということを承知しておいてほしい」

 それはゴルネオもまたシャンテほど表面に出ないが根が深いことを示している。
 言い終えたゴルネオがシャンテの後に続き、その後ろ姿が見えなくなったところでフェリが小さく何かを呟いたが、改めて確認する勇気は俺にはない。





 †††




 部屋の割り当てと打ち合わせを終えたニーナから明日の予定を確認してから第十七小隊だけで食事をとった。
 第五小隊は、それなりに離れた部屋を待機場所に選んだということで、やはり隊同士の相性はよろしくないようだ。今後のためにもその辺は改善するべきことなんだろうけど俺にはどうすれば良いかわからんのでとりあえず放置の方向でお願いしたい。

 夕食後は解散となり、明日に備えてゆっくり休むことになったが、俺はこっそりと部屋を抜け出していた。
 崩れ去った街並みや汚染獣の爪跡と思われている無数の破壊痕を捉えるたびに“あの映像”が頭を過る。
 様々な都市で暮らしたどうでもよい日常の風景や人々は憶えている。恩を受けた人や優しく接してくれた人のことは憶えている。しかし、憶えていなくてはならない特別な記憶は時を重ねずとも瞬く間に風化していく。それは長い時を繰り返す中では幸運なことでもあったが、今回のように断片的な記憶が不意に蘇ってくるとどうしようもなく不安になる。特に今回はいつもと違った流れがある。そのことが足りない脳を刺激し、俺には似合わない思考の螺旋に取り込もうとする。

「お前も……そのひとつか?」

 夜気を引き裂いて疾走する俺の前に現れた放射状に伸びた雄々しい角を生やした黄金の牡山羊。
 “記憶”が蘇ってくるときのような奇妙な感覚がまとわりつく。 
 直接見えるのはこれが初めてなはずだが、やはりここでも既視感が襲う。
 その存在の異様さに似合わぬ静かな湖のように澄んだ青い瞳が俺を見つめる。

「こうしてまみえるのは二度目か。いやさ、一度目であったか」

「俺の方が知りたい」

 ようやく沈黙を破った黄金の牡山羊の言葉だったが、俺は反射的に素っ気ない声で返してしまった。
 何故だか、こいつと相対していると渦巻いていた心の蟠りが梳けていくような心地よさがある。

「“リグザリオ”の洗礼を受けし、朋友よ。我が灯火は、時をまたずに尽きよう」

 俺を朋友と呼ぶ黄金の牡山羊が口にする『リグザリオ』という名。“こちら側”に来てから名乗るようになった偽名だが、なぜこの名を名乗ってきたのか思い出せない。そう名乗るのが普通だと、妥当だと感じたからだとしかわからない。

「我、狂おしき憎悪により変革し炎とならん。新たなる我は新たなる用を為さなければならぬ。ゆえに、我が“灯火”を受け入れてはくれぬか」

 黄金の牡山羊から語られる理解しがたい言葉の羅列。
 しかし、それは“俺の思考”が理解しないだけだで“俺の存在”はすべてを理解しているようだった。

「分かった。お前の“想い”は――「リグザリオさん!」」

 黄金の牡山羊との会話に入り込んでいた俺は、この場に届いていた鋼糸の存在に気付くのが遅れてしまったようだ。
 声の主が俺と牡山羊に割って入るように着地する寸前に交わした約束だけは、きっと夜が明けても記憶しておける。
 それは忘却する類の“記憶”でないから。“リグザリオ”という存在に刻まれる“記録”として、俺に約束を果たさせる。
 そんな気がした。





[8541] オーバー・ザ・レギオス 幕間04
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/03/30 20:08



オーバー・ザ・レギオス


 幕間04 レイフォン・アルセイフ




 黄金の牡山羊。
 それを目の前にして身体が自然と錬金鋼を復元させる。

「何なんですか……これ?」

 フェリの念威、僕の鋼糸よりもはやくこの不思議な存在と相対していたリグザリオさんに問う。
 まともな解答が得られるとも思えないが、リグザリオさんは何かを知っているんのではないかというほど悠然とし、落ち着いて牡山羊と対峙している。
 奇妙な感覚が身体にまとわり付く。
 どう考えても家畜じゃない。かといって汚染獣でもない。それでもこの牡山羊と対峙していると汚染獣を前にしたような緊張感が溢れだしてきて止まらない。これまでの僕の経験がこいつは危険だと告げている。
 剣を構えつつ、慎重に距離を詰めるが、牡山羊は悠然とその場にあって僕を見下ろしたまま動かない。
 どう対応するべきか?
 牡山羊には戦う意思がないように思える。それをリグザリオさんも感じているのか、リグザリオさんは無警戒な姿勢で剣帯の錬金鋼にも手を置いていない。
 僕が来る前に何かと話しているような素振りを見せていたリグザリオさんだったが僕が到着してからは無言のまま牡山羊と向き合っている。
 そこでふと気付く。
 黄金の牡山羊がその視線をリグザリオさんから僕の方へと移していた。
 周囲の闇ともその身体の黄金とも一線を画した輝く青い瞳がじっと僕を見ている。殺意がこもっているわけではなく、好奇心に輝いているわけでもない。
 ただ静かな水面のように澄んだ青の瞳が僕を映し出している。その瞳は獣のものとは思えない。まるで獣の姿をした人間に見られているような矛盾が強烈な違和感となって襲いかかる。知らず剣を握る手に力が加わるのを感じる。

 気持ち悪い、感じるのは僕だけだろうか?
 ちょっと前までその視線にさらされていたはずのリグザリオさんは至極落ち着いて状況を観察している。
 リグザリオさんの戦いを見た結果、彼の戦闘力は天剣授受者に匹敵していると僕は判断した。
 多彩な剄技とあらゆる形状の錬金鋼を変幻自在に操る技量、どんな状況に遭っても最善を導き出す戦術眼。さらに天剣授受者の中でも上位にあると自認していた僕と同等かそれ以上の厖大な剄量を誇り、その厖大な剄を余すことなく統御している。
 自分に才能がないとは思わない。そんなことを思うほど僕は自分を理解していなわけじゃない。それでも思う。リグザリオさんの強さは異常だ。
 この前の老生体との戦いでも繊細なコントロールを要求される衝剄を利用した錬金鋼の保護を終始行っていたし、化錬剄を用いた多彩な攻撃も天剣の化錬剄使いであるトロイアットに迫るものがあった。僕は、剄技の仕組みを相手の剄の流れから理解することで大抵の剄技を真似できるけど、化錬剄の剄制御を模倣するのは難しい。他の剄技を用いて似たようなことはできても同じ威力は期待できないだろう。
 グレンダン以外でこれほどの使い手が育っているということに驚愕もした。けれど、それは別に不思議なことではないことを思い出す。あのリンテンスももともとは別の都市からグレンダンへやってきた武芸者。現在の天剣授受者も半分くらいは外からやってきた人たちだった。自分のことを棚にあげ、あんな剄の怪物たちが頻繁に生まれてよいのかと悩んでしまうこともあった。

 どれほどそうしていただろう。
 間合いを詰めていたはずの僕と牡山羊の最初と変わらない距離を保っていた。

「……お前は違うな」

 夜そのものを震わせたかのような低い声が耳に届いた。
 周囲に牡山羊以外の存在は確認できない。リグザリオさんも他のところに注意を払っている様子はない。

「この領域の者か。ならば伝えよ」

「……喋っているのはお前か?」

 僕の耳には確かに声が届いているけど、牡山羊の口は閉じられたままだ。それでも言葉は続いた。

「我が身はすでにして朽ち果て、もはやその用を為さず。魂である我は狂おしき憎悪により変革し炎とならん。新たなる我は新たなる用を為さしめんがための主を求める。炎を望む者よ来たれ。炎を望む者を差し向けよ。我が魂を所有するに値する者よ出でよ。さすれば我、イグナシスの塵を払う剣となりて、主が敵の悉くを灰に変えん」

 やはりこの牡山羊が喋っているのか? いったいこいつは何なのだろう。
 言い知れない恐怖が体を貫く。周囲に他の気配はない。この獣はまやかしでも錯覚でもない。
 確かな存在感とそれを肯定させない異質さ。
 こいつは危険だ。そう感じる。
 身体に漲る活剄を爆発させ、黄金の牡山羊を斬る。そう動こうとしたところでようやく気付く。
 僕の身体が最初に着地した位置からまったく動いていないことを。
 自分は確かに距離を詰めようと足を動かしたはず、しかし、地面にその痕跡は皆無。
 僕が呑まれている?
 汚染獣を前にする時とは異質の恐怖が身体を硬直させ……。

「……り、リグザリオさん?」

「いきなり斬りかかろうとすんな」

 あまりにも動かないと思っていたら僕の身体の各支点のすべてにリグザリオさんから化錬剄の糸が伸びていた。
 それらが僕の動かそうとしている部位に極小の打撃を伝え、僕の動き出しを制していたのだ。理屈だけならわかる。同じような技ならグレンダンの流派にもあった。けれどここまで自然な形で身体の自由を奪われたことに唖然とするしかない。いかに眼前の牡山羊の存在感に呑まれていたとはいえ、まったく気付けないなんて。まるでリンテンスの鋼糸に囚われたみたいだ。

「んで、お前もお前だ。あんまり苛めてやるな。こいつはお前の力を求めないし、相性も悪い。別を探せ」

 まるで子供の同士の喧嘩を仲裁するかのような自然さで言う。
 こんな埒外の存在を前にどうしてここまで平然としていられるんだろう。
 さらに驚くことにそんなリグザリオさんの言葉に黄金の牡山羊も素直に反応を返した。

「……で、あろうな。我は往く、忘我の果てに炎を求める声の許へ。“灯火”は、おまえに託そう……我が遠き朋友よ」

「ああ、有り難く遣わせてもらう。……悲しみに溺れて“破壊の炎”に染まるなよ。お前は“守護者の剣”になれ……兄弟」

 朋友、兄弟。
 黄金の牡山羊とリグザリオさんの間には何らかの絆があるのだろうか。
 この不可思議な存在と深いかかわりがあったとしてもそれほど変なことに思わない。
 リグザリオという人は、そんな不思議の世界の住人に見えてしまう。

『……フォン! リグザリオ!』

 耳元でフェリの声がする。念威端子がようやく追い付いたようだ。
 気がつくと黄金の牡山羊の姿はなく、リグザリオさんもここではないどこか遠くを見つめるようにエアフィルターの向こうの空に視線を向けている。
 結局、黄金の牡山羊を追跡することはできず、リグザリオさんもアレのことについては説明しなかった。聞けば応えてくれたかもしれないけど、そうすることはよくないのではないかと思ったので聞かなかった。


 翌日もまた調査は続けられた。
 フェリと第五小隊の念威操者が都市中を走査したが、昨夜の牡山羊を見つけることはできなかった。代わりにこの都市の住民と思われる“喰い残し”が埋葬された場所を発見した。ゴルネオの指示で第五小隊がその“墓場”の確認を行っている間、僕たちは他所を調べることになった。僕とフェリ、リグザリオの目撃情報を信じてくれた隊長が、あの牡山羊はこの都市の電子精霊だったのではないか? と推測し、それを確かめるべく都市の地下、電子精霊の住まう機関部へと侵入した。
 その後、僕がグレンダンを追放された事件の結果のひとつがそこで形となって現れることになり、自分なりにその過去の出来事に応じることになったり、その影響で僕もゴルネオもシャンテも危険な目に遭って、隊長がその危険に飛び込んで来たりで、黄金の牡山羊のことを深く考える余裕もないままに調査は終了してしまった。牡山羊の正体を知っているであろうリグザリオさんは、機関部の調査に行った際に僕らと別れてから僕とシャンテのいざこざの影響で起きた爆発の後、フェリの念威から逸れてしまい、その安否が気遣われたが、僕たちが全員合流地点に戻ってみるとボロボロの姿で寝こけていた。
 機関部の爆発に巻き込まれたのだろうか、その身体のあちこちが焼け焦げていたがそのどれも軽傷であり、本人の優れた活剄によりツェルニが到着する夕方には完治させていた。
 僕は僕で立て込んでいたせいで、リグザリオさんが何をしていたのかを確認しなかったけれど、彼はあの牡山羊と何かを託されようとしていた。あの夜にそれを受け取った様子がなかった。もしかしたら僕たちの知らないところでこの都市がこうなった原因を究明していたのかもしれない。

 移動都市レギオスが廃都市に近づいたのはセルニウム鉱山に立ち寄るためであり、武芸大会が近いことを告げていた。
 そこで僕やフェリ、リグザリオさんは頑張らないといけない。今は、そちらを優先して考えよう。例えすぐに掘り返される問題だったとしても……。








[8541] オーバー・ザ・レギオス 第九話 それぞれの過去
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/04/01 16:56



オーバー・ザ・レギオス


 第九話 それぞれの過去




 廃都市で黄金の牡山羊から“灯火”を託された。
 それと時を同じくして都市機関部付近の爆発。間一髪のところで脱出には成功したが、その直後から都市は急速に力を失い、俺たちがツェルニに戻って半日と経たずにエアフィルターも消失し、廃都市の命運は尽きた。もとより、“最後の灯火”を俺がすべて受け取っていたため、終わりの時が一日から半日に変わっただけでしかなかった。
 あの後、他の連中にもそれとなく“電子精霊”と思しき、黄金の牡山羊について追及しててきたが適当にはぐらかした。
 あいつは“主”を求めている。だから何もしなくてもまた会うことになるだろう。願わくばあいつを“守護者の剣”として受け入れることのできる“強い奴”を見つけてもらいたい。破滅へと直走り、あいつを“破壊の炎”としてしまうような“強い奴”を選ぶようなことはしてほしくない。そんなことになればあいつの質が悪くなる。できることならば俺が“全部”を受け入れてやれれば良いのだが、それもできない。不可能なわけじゃないけど、俺が本当の意味で“受け入れるべきモノ”は別にあるらしい。そんなものは別に欲しいとも思わないけどな。
 そもそも俺の中には“姫様”がいる。彼女が誰かとの同居を認めるとは思えない。



 とある訓練後の夕食。

「次こそは……」

 練武館から程近いレストランのテーブルでメニューを睨みながら、ニーナが悔しげに呟いた。
 以前から続けている大量の硬球を使った訓練法。
 活剄と衝剄の基本能力、反射神経と肉体操作の練度を高める基礎能力を総合的に鍛えることができると同時に第十七小隊の隊員が揃うと危険なゲームとなる。
 武芸者や念威操者の能力で硬球を撃ち合っている状況を訓練風景と呼べるかどうか、少なくともあれを見たハーレイやヨルテム三人娘は地獄絵図だと評した。あながち間違いじゃない。長期戦になると俺もムキになってくるため、ニーナ公認の“賭け”が始まるときは辞退させてもらっている。
 ゲームの結果は、レイフォン、フェリ、シャーニッド、そしてニーナの順。今のところニーナの負けが続いているため、彼女の懐事情は厳しそうだ。

「たまには奢るぞ?」

「いらん」

 武芸者としての能力から奨学金免除を受け、就労もせずカリアンから“特別報酬”を受け取っている俺が持っているお金を当てにするのは嫌いらしい。
 働かざる者食うべからず。
 いちおう能力給だから何もしていないわけじゃないんだけどな。汚染獣戦や小隊対抗戦の成績なんかで査定も入っている。カリアンの独断である以上、学園都市の公費から捻出するわけにもいかないだろうから、カリアン個人の私費で賄っている。それを悪いとは感じない。カリアンが俺に与えている金額は、“リグザリオ”という武芸者に付けた評価額だ。受け取った分の働きはするし、貰えるモノはしっかり貰う。はじめからそういう契約だ。

「敗者に情けは禁物だ」

 シャーニッドが痛ましげな表情で言う。勝負自体はニーナを僅かに勝っただけなのにそれを十二分に楽しんでいるようだ。勝者の余裕というよりはそういう態度をとることで悔しげな表情をするニーナを面白く眺めるための言動だろう。そこに悪意がなく、子供のような無邪気な悪戯みたいなものなので注意はしない。

「そういえば、この間のあれ、簡易版の方ね。一応完成したから明日にでもきてくれないかな? 最終調整するから」

「あ、はい」

「ん~俺は前ので十分だったんだけどな」

 第十七小隊の錬金鋼のメンテナンスを担当するハーレイは“賭け”に参加することができないため俺の奢りで食べている。
 学年は違うが書類上の年齢は同じなのでそこら辺はニーナと違ってハーレイは遠慮しない。

「あ~なんだっけ? この間の馬鹿でかい剣と銃か?」

 それほど興味があるわけでもないだろうが、話題の一つとしてシャーニッドが確認する。

「複合錬金鋼ね。重さ手ごろの簡易版ができたから」

「なるほど。こいつらは、こうやってどんどん凶悪になっていくわけだな」

「いや、凶悪って……」

「凶悪だろ? 普通考えねえぞ、汚染獣に一人、二人で喧嘩売ろうなんて」

「そうかもしれないですけど……」

 シャーニッドの感想に困り顔のレイフォン。
 そう思われても仕方がないだろう。というか、俺の方は放っておいてもどんどん凶悪になっていく。
 これに際限があるのかわからないが、汚染獣と相対するたびに爆発的な成長を遂げる俺の剄脈は、尋常じゃないところまで成長している。
 また今回から汚染獣関連以外の場合でも剄脈の成長が起こっている。
 一度目は、剄脈疲労で倒れたニーナを病院に運んだ後、記憶が飛んでバカをした時。
 二度目は、黄金の牡山羊から“灯火”を受け取った時。
 都市の“灯火”を受け取ったのだから力が増大するのは当然だが、それとはまた別枠で成長したように思う。
 自分自身の事だがつくづく面倒な身体だ。この“リグザリオ”という器には、どんな役割が、運命が付きまとっているんだろうな。

「そういえばよ、あの硬球の訓練てレイフォンが考えたわけ?」

「いや、あれは……園長が」

 俺にとっては平穏と言ってもいい日々が続いている。今はそれで良いんだと思う。本当の意味での役割が訪れるその日まで日常を楽しむ。それが俺にできる最善であり、最大限の幸福なのだ。
 しかし、俺以外のみんなもそれぞれの人生を歩んで来ているし、これからも歩んでいく。この時はたまたまシャーニッドの過去と現在だったり、レイフォンの回り回った現在だっただけだろう。




 †



 特に用事がなければ俺の夜はそれなりに早い。眠れない夜もあるが、それも稀だ。寝付きもいいし、夢見もいい方なので睡眠は三大欲求の一つとして十二分にその用をなしている。だから睡眠に入る直前と目覚めの際のまどろむような倦怠感も心地よく思えるのだが、眠りにはいる直前を邪魔されるのはとてもストレスが溜まる。これでドアをノックしたのが女じゃなかったら、俺が相手の顔面をノックしてやったところだ。

 都市警察強行警備課所属、ランドルト・エアロゾル。俺を誤認逮捕した変な名前の女武芸者。それなりに綺麗な黒髪を後頭部で縛って炸裂させたパイナップルヘアとどんなことも見逃さないという意気込みを感じさせる鋭い鷹目。

「り、リグザリオ……君。これは都市警からの正式な要請です。ご、ご協りょ、りょくを願います」

 えらく不器用なお願いだな。俺の失態を広めた元凶を差し向けるなんてフォーメッドさんも面倒なことをしてくれる。
 ランドルトに案内されたのは、ツェルニの郊外。廃業して、まだ次の経営者の決まっていない空き店舗を、重装甲を身に纏った都市警察の生徒たちが包囲している。

「おお、リグザリオも来てくれたか。夜分にすまんな」

 仏頂面をしたランドルトに連れられてきた俺を出迎えたフォーメッドさんが険しい表情で詫びた。その手には殺傷力の低い鎮圧弾が込められた火薬式の銃があり、都市警察の武芸者たちも緊張した面持ちで待機している。その中に見知った奴が居た。というかレイフォンだった。

「バイトが休みなのに残念だったな、レイフォン」

「そんなことないです。臨時出動員に登録している以上、協力するのは当然ですよ」

 こういう時は普通にいい子ちゃんなレイフォンの応えを聞き流し、状況の説明を受けた。
 包囲している空き店舗に偽装学生が潜伏しているとかいないとか。そいつらが違法酒の密売に関わっているらしい。
 『ディジー』という剄脈加速薬。ニ十年程前に遺伝子合成されたある果実を発酵させて酒にすると、剄脈に異常脈動を引き起こす作用があることが発見された。武芸者や念威操者がそれを飲むことによって剄や念威の発生量を一時的に増大させる効果がある。
 もっとも、“違法”と名がつけられているとおり、それ相応の害がある。剄脈に異常脈動を引き起こすほどの強力な効果のあるこの薬は、剄脈に悪性腫瘍を発生させる要因となり、その率は八割を優に越える。剄脈加速薬を飲み続けた奴らの末路がどうなるか、俺もよく知っている。遅いか早いかの違いであって剄脈加速薬を使用した者たちを待っているのは破滅だけだ。そんなものに手を染めるほどに追い詰められている武芸者がいないわけではない。

「時期が時期だからな。うちみたいな負けが込んでる都市なら高い金を出しても欲しがる奴はいるさ。案外、うちの会長殿の所に、セールスマンが行っていたりしてな」

 笑えない冗談だ。本人もその自覚があるらしく鼻を鳴らすフォーメッド。
 雑談をやめて偽装学生が潜んでいる店舗に意識を戻す。

「確認しただけでは偽装学生は十人。武芸者はいない……はずなんだがな」

 フォーメッドも確証をもっているいないのだろう。後半部分はこちらに確認を求めるような色合いになっていた。
 その言葉にいち早く応えたのはレイフォンだった。

「いますよ」

 自然と剣帯に手を伸ばしていたレイフォンが断言する。

「だな。こっちを挑発している。これじゃどっちが攻めかわからないな」

 店舗内に潜んでいながら剄は全く潜ませていない。奔放に放たれた剄の色が店全体を覆っている。閉まったシャッターの向こうに強烈な存在感を隠しもせずに待ち構えている。都市警察所属の武芸者たちの中には、剄を直接見ることができる人はいないようだが、これだけの剄ならば雰囲気くらいは感じ取れているはずだ。

「手練だな」

「はい。それもかなりの」

 俺とレイフォンの判断にフォーメッドが表情をさらに険しくした。
 外から訪れる武芸者の犯罪者は、それほど多くないがこのツェルニにも何度か現れている。そいつらの質は、学生よりは強いが、それだけだ。荒事に対する経験の違いくらいで学生だけでも対応できる奴らがほとんどだった。
 しかし、今回のやつらはまったく違う。剄の質からして荒々しい無法者のものではなく、厳しく統制された武芸者のものだ。囲まれているのを承知の上でかかって来いと言っている。そこに学園都市の未熟な武芸者に向ける類の侮りはなく、まるで俺やレイフォンのような特別な存在が居ることを分かっているみたいだ。

「課長、包囲完了しました」

 都市警察の伝令役である少女がフォーメッドにそう伝える。確かレイフォンの友人の、ナルキ・ゲルニだったか?
 ナルキの伝令を確認したフォーメッドが部下たちに指示を出そうとしたとき、場が動いた。

「……来る」

「え?」

 レイフォンの呟きにナルキが唖然とし、その背後――偽装学生が潜む店舗から爆発が起きた。

「ぬあっ!」

 夜気を掻き乱す衝撃にフォーメッドがたじろぐ。
 店のシャッターが爆発の衝撃で吹き飛び、こちらに飛んでくる。武芸者ではないフォーメッドを庇うようにナルキが素早く移動し、俺も錬金鋼を復元させつつ歩を進める。

「調子に乗るなよ」

 何がそんなに気に入らないのか、苛立つように剣帯から青石錬金鋼を抜き出し、復元したレイフォンは、剣となった錬金鋼を振り上げ、目前に迫ったシャッターを叩き斬った。その陰に、陽気な戦意が隠れていた。

「ひゃはははははっ! いい目をしてるさ~」

 宙を駆ける襲撃者の斬撃を受け止め、弾き返すレイフォン。相手は返された衝撃を利用して空中で回転しながら距離を取りつつ笑っていた。
 赤い髪が夜を燃やすように宙で踊り、バンダナで鼻から下を覆って西部劇に出てくるならず者のように顔を隠している。
 ぱっと見た感じは俺たちとそう年の変わらない少年のようだ。
 宙で回転していた少年は、街灯を蹴ると一気にレイフォンたちの頭上を抜けていく。

「逃がすかっ!」

「くそっ、突入! 突入!!」

 レイフォンがその後を追ってい、フォーメッドが慌てて指示を飛ばす。
 少年を追いかけ、レイフォンが建物の屋根まで駆けあがっていくのを俺は見送り、飛び出した少年の後に続くように次々と店舗から飛び出す者たちを狙うことにした。
 ほとんどの者たちは瞬時に飛び出して行ったので俺に背後を曝している状態にある。

「レストレーション、β」

 複合錬金鋼を復元させる。左手に重みが生じて三連銃身の拳銃が現れる。
 外力系衝剄の変化、先駆。
 衝剄が銃口を覆って射出される剄弾を加速させる。ただし、どれほど加速させても連射に特化された三連銃身では牽制にしかならない。ゆえに銃身を一閃することで纏わせている衝剄を斬撃として飛ばし、ダメージを与える。
 外力系衝剄の変化、後塵。

「ぐっ!」「うあっ!?」「きゃあ!!」

 先駆による衝剄の弾幕に動きを鈍らせた三人が、後塵の直撃を受けて宙から落ちる。

「ん?」

「お手柄だ、リグザリオ。よし、今のうちに確保だ」

 落ちた武芸者の中に妙な懐かしさのある声が混じった気がして追撃の手を緩めた俺を置いて、フォーメッドの指示により都市警の武芸者たちが偽装学生たちに跳びかかる。

「いや、逸り過ぎだっての」

 先駆と後塵の連続攻撃は、中・近距離で用いる銃衝術のひとつだ。本来ならば先駆と後塵を組み合わせ、相手を抑え込み、銃身を用いた打撃と衝突の瞬間に引き金を引くことで与える衝撃を爆発的に増大させる鎚弾で止めを刺すことになる。つまり、今はまだ相手を弱らせるための牽制技をワンセットしただけでしかない。

「なん、だと?」

 予想通りすぐに復帰した偽装学生たちが都市警の武芸者たちを各々の衝剄で吹き飛ばした。

「リグザリオ!」

「りょ~かい」

 フォーメッドの焦った声に旋剄で駆けだす。

「くっ、引くぞ!」

「ああ。こいつは“ハイア”じゃないと無理だ」

 偽装学生たちは瞬時の判断で俺への反撃を放棄して逃げの一手を決め込む。
 三人のうち二人が剄弾を放ち、地面を破壊。周囲に粉塵を舞い上げる。そこへ、

「ごめんなさい!」

 さきほどの懐かしさが感じられる声の主が炎剄を纏った衝剄の矢を放ちやがった。

「やべ、皆逃げ「君はそいつらを追って!」――っ任せたぞ」

 次に何が起こるのかを理解し、吹き飛ばされて動けない都市警の連中を動かそうと振り返るとすでに復帰していたランドルトが仲間を抱えていた。
 あまりいい性格じゃなさそうだったが、状況判断は早いな。

「それじゃ、こっちも任された分を片付けるか」

 言いながら粉塵の中に突っ込む。
 視界を覆われても周囲の状況は完璧に把握できる。遠ざかる奴らと粉塵に炎剄を纏った衝剄の矢が着火する。瞬間、強烈な衝撃が辺りを包む。
 活剄衝剄混合変化、鎧閃。
 俺が初めて独自に身につけた防御に特化した活剄による身体強化と衝剄によって衝撃を逸らす剄技。いまでは単純な防御でなく、相手の攻撃を真っ向から引き裂いて突撃する防御技がそのまま攻撃技として繋げられるようになった。
 爆発の中を閃光と化して突っ切ると驚愕の表情で固まる少女が居た。金髪で線は細い。かけたそばかすの残る鼻に眼鏡が乗っている。
 その面立ちにはどこか憶えがあるように感じた。
 そんな俺の思考を理解するはずもない少女が、爆発の中から飛び出してきたとき以上の驚きを示した。

「うそ……リグ、兄さん?」

 瞬きもせずに俺を見つめる少女の声音が、遠い記憶の中にあるひとりの子供と重なった。





[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十話 サリンバンの子供たち
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/04/02 12:37



オーバー・ザ・レギオス


 第十話 サリンバンの子供たち




 遠い過去、俺の主観でいえばそういうことになる。
 繰り返された俺の旅は、世界の流れと並行していない。だから、こんなことが起こる場合もあるだろうと頭のどこかで理解していたし、心も期待していた。
 しかし、俺の旅が動き出すときは周りのすべてを滅びに巻き込む。もしかしたら俺の方が巻き込まれているだけなのかもしれない。どちらが真実だったとしても俺がこの世界に刻んだ歴史は常に消え去っていく。

 そんな消え去ったはずの過去の一つが目の前に現れた。
 サリンバン教導傭兵団。
 槍殻都市グレンダンで組織された傭兵団。自前の放浪バスを保有し、それで様々な都市を渡り歩き、汚染獣の脅威や都市戦の助っ人、その都市の武芸者の教導を請け負うことを生業としている。その在り方からかなりの実力者揃いで、行く先々の都市でその名を知らしめている。こんな世界環境ゆえに各都市の情報伝達が希薄な中でも、グレンダンが武芸の本場であると広がっているのは、サリンバン教導傭兵団の活躍によるところが大きいそうだ。

 俺が初めてサリンバン教導傭兵団と遭遇した時は、名を聞くことがなかった。興味がなかったということもあったし、状況が逼迫していたということもある。

 その時に俺が暮らしていた都市は、最後の都市戦に敗北し、滅びの目前に控える中、汚染獣の群に襲われていた。多くの住民は放浪バスで別の都市へと渡って行ったが、最後まで残っていた人たちもいた。
 残った人たちは、最後の都市戦において、都市旗の防衛にあたっていた部隊の武芸者だ。
 その中心人物の名は、ルビナス・ルファ。
 繰り返しの中で徐々に力を付けていたが、それでもまだまだ力を持て余す未熟者だった俺を拾ってくれた人。都市にあった道場で馬鹿みたいに衝剄をまき散らすだけの不器用な危険物だった俺に衝剄の制御や応用、その道場で伝えられている流派の剄技を教えてくれた。
 そんな彼女が都市旗を守り切れなかった。都市戦の最前線に出ていた俺がプライドの高い部隊長の指示に翻弄され、多くの敵都市の武芸者を取りこぼしてしまったせいだった。俺一人にすべての責任があるわけじゃない、と都市で親しくなった人たちは言ってくれた。けれど、この時の俺にはすでに絶大な戦闘力があった。ルビナスさんの指導もあり、一対一なら都市でも並ぶ者がいないほどに強くなっていた。それでも都市に勝利を齎すことはできなかった。まだ“姫様”の力を借りることができていない頃の話だ。相手の戦略を読み取ることも、防衛網の綻びも把握できなかった。
 どれほどの言い訳を並べようと俺が都市に貢献できなかったことは明白であり、それでもなお俺に責任はないと言ってくれた人たちのことは忘れられない。
 そんな彼女たちとも別れるときがやってくる。
 都市の住民が他の都市へ渡るための放浪バスを見送り続けた日々の終わり、最後の便が出発しようとしていた。
 そこを襲った汚染獣の群。
 雄性体が10体と老生二期か三期の化物。
 翼竜のような雄性体を従えるように針鼠のように凶悪なトゲをぎしぎしと軋らせながら空を舞う巨躯。
 そんな化け物を前にして、俺はルビナスさんにひとつのことを頼まれた。

『娘をお願い』

 その願いを最初は断った。
 ルビナスさんの家にお世話になっていた俺は、彼女の娘とも親しくなっていた。本当ならこんな状況になる前に放浪バスに乗っても良かったはずだが、最後の住民が旅立つまで都市に残ると決めたルビナスさんと離れ離れになることを強く拒んだために結局、最後まで都市に残っていた。母一人、娘一人の家族だったのだから当然だろう。それでなくともまだ幼い“あの子”には母親が必要だった。
 そのためルビナスさんの願いを断り、俺が残って汚染獣を引き付けている間にランドローラーで先に出発した放浪バスを追いかけるように言った。この時ならランドローラーと放浪バスの速度の違いから十分に追いつける時間だった。それでもルビナスさんは俺に娘を連れて行くように言った。
 自分たちがランドローラーで逃げても、途中で汚染獣に襲われた際に対処できるだけの実力がなく、俺にはあると言った。確かに二期以上の老生体や群をなしていない限り、汚染獣を相手に後れを取ることはないとこの時点では思っていた。
 しかし、それならば残っているみんなで逃げ出せば良かった。もう残っているのは俺たちだけなのだから逃げても誰も文句は言わない。
 それでもルビナスさんはもとより、他に残っていた武芸者たちも俺の提案を受け入れなかった。自分たちが逃げれば、先を行く放浪バスがこの汚染獣の群に襲われるかもしれない。合計11体の汚染獣に襲撃されれば、どんな強力な武芸者が同乗していようとその放浪バスに乗り合わせた一般人は生き延びることは不可能に近い。
 結局、言われた以外の案を出せなかった俺は、必ず戻ってくることを約束し、嫌がる“あの子”を連れて都市を出た。
 俺が放浪バスに追い付いたのは都市を出発してから半日後のことだった。
 予想通り、追いつくことはできた。ただし、腹を裂かれた動物のような状態の放浪バスは、すでに大地を進むことのできる状態ではなかった。
 気絶させてサイドカーに乗せた“この子”が目を覚まさぬうちに素早くランドローラーを発進させた。
 どんなことをしてでも“この子”を生かさなくてはならなかった。そして、俺は都市へ戻らなくてはいけない。

 それからどれだけランドローラーを走らせたか分からなかった。

『訳ありみたいだな、おい? 何なら有料で次の都市まで送ってやらんでもないぞ』

 切羽詰まった俺の様子を見ても心配する素振りもみせない男だった。
 しかし、それと同時にこの男がかなりの実力者であり、彼が引き連れる集団もそれ相応の武芸者であることが感じられた。
 俺はすぐさま事情を説明し、助けを求めた。

『悪いが、その依頼は受けられんな』

 男が率いる集団は、傭兵団であり、依頼内容に応じた報酬、自分たちに対応できる内容であるかを考慮した結果、俺の求めは受け入れられなかった。
 それならばとせめて“この子”だけは助けてくれと、彼らに託した。

『お前はどうする?』

 都市まで救出に行くことはできないが、別の都市に連れて行く程度ならサービスしても良いと冗談めかして言われたが、断った。
 俺は必ず戻ると言った。“この子”とも母親とは必ずまた会えると約束した。

『まったく。とんでもねえ馬鹿だなお前は、柄にもなく大サービスしてやりたくなりやがる』

『それは貴方も同じ馬鹿だからではないですか?』

 男の隣に佇んでいた仮面で顔を覆い全身を外套に隠した念威操者が、からかうように念威端子から機械的な音声を出す。
 その念威操者の言葉にも屈託のない笑顔で受け流す男は、俺が都市に戻るまでのナビゲートをその念威操者にさせると言った。都市を出発してから一日半。優秀な念威操者の助力はこの上ないサポートだった。

 その念威操者のおかげで都市に戻る時間は、出た時の半分の時間で帰還できた。
 それはこのときの俺が望みうる最善が揃って短縮できる最短の時間だったはずだ。
 それでも……それでも、間に合わなかった。
 俺を出迎えたのは、二体にまで数を減じた雄性体と身体のトゲの数が若干減った様子の老生体。
 そして、鮮血だけを残してすべての人間が消え去った崩壊しつつある都市だけだった。


 その後の記憶は他の代と同じく、記憶が曖昧になる。おそらく、いつものように汚染獣との戦闘に突入して剄が暴走して死んだのだろう。
 彼女たちがどうでも良い存在であるなどと決してないが、“リグザリオ”という器の根幹に関わる存在でなかったため、彼女たちの記憶を保っていられるのだとしたら、それは幸福なことだ。憶えていることができるということは、それが“俺”の本当の思い出なのだと感じることができるから。




 †



 違法酒売買の疑いがかかっていた偽装学生の三人を捕らえ、都市警に引き渡した俺は、眠気も失せてしまったが明日も授業があるため、無理やりにでも休まなくてはいけない。武芸者は活剄を用いれば、三日三晩休まず戦えるが、休むべき時はしっかりと休んでおくべきなのだ。眠りに落ちれば、懐かしい思い出に浸れるかもしれないしな。

「だから、帰ってくれないか? 俺には男と寝る趣味はないぞ」

「いきなり、気持ちの悪い勘違いをする奴さ~」

 部屋の中央に備え付けられた大きめのソファーに深々と腰掛けていたのは、先ほどレイフォンが取り逃がした偽装学生の少年だった。
 剄は抑えていたようだが気配を遮断する殺剄を使わない状態で俺を試すようなことはしないでほしい。ただでさえ、“姫様”の力によって寮に入る前から気付いていたのだから。もしこれで敵意を向けられていたら尻に極太の長ネギをぶち込んで、ネリ辛子を塗り付けた歯ブラシで強制舌磨きを敢行していたところだ。

「やっぱ、他人の空似かあ?」

 さきほどと違って少年の顔を隠す布がない。
 だから俺を見ていぶかしんでいる少年とは違い、少年の顔に刻まれた刺青に覚えがあった。
 “あの子”を託した傭兵団の長だった男と同じ刺青だ。
 ということはさっきの娘は、やはり

「久しぶりだな、ミュン」

 こっちは殺剄を使っていたようだが俺の感覚をすり抜けるほどの練度はない。

「……リグザリオ兄さん、なんですね」

「なあんだ。やっぱりこいつが、あの時の武芸者さ~」

 こいつらには、こちら側の世界に来てから肉体的成長を遂げていない俺を過去の記憶と関連付けることは容易だったろう。多少の常識がそれを阻害していたのだろうが、剄量が多い武芸者の中には、活剄を用いて肉体の成長を抑制し、若さを保つ者もいる。俺の方はといえば、ミュンファを傭兵団に託した時代から主観で2、30年は前の事だ。しかも、あの時のミュンファは10歳にも満たなかった。成長期の子供との数年の隔たりは、その姿を見違えるのに十分な時間だろう。

「おれっちのことは覚えてるさ~」

「いや、全然」

 俺の即答に若き傭兵団長が盛大にずっこける。

「は、薄情な奴さ~」

「いや、マジで憶えがない」

 冗談でも何でもなく、少年の顔に憶えはない。
 あの時の団長、確かリュホウとかいったか、彼の近くに子供がいたような気がしないでもないが、念威操者の方が印象強かったのでその子供の顔まで目が行っていなかった。俺が真剣に憶えていないのだと納得してくれたのか、改めてソファーに座りなおした少年が名乗る。

「おれっちの名前はハイア・サリンバン・ライア。サリンバン教導傭兵団の三代目さ~」

「三代目、ね。リュホウさんは引退したのか? あの念威操者も」

「オヤジは死んじまったさ。フェルマウスには、まだまだ頑張ってもらってるさ~」

 わずかに哀しみを滲ませるハイアの言葉に愕然とする。
 出逢った時は、殺しても死なないような男に見えたし、武芸者としても相当な実力者だったはずだ。

「まあ、アンタはオヤジのお気に入りだったからな。けど、思い出話はまた後にするさ。今日は、アンタに協力して欲しいことがあるさ~」

「……協力? 名高いサリンバン教導傭兵団の団長様が俺みたいな不審人物に何を求めるってんだ?」

 俺が協力できそうなことと言ったら武芸に関することくらいだが、教導傭兵団として多くの荒事を経てきた。俺のようなただ戦うだけの猪武者に協力できるようなことはないだろうに。

「そんな難しいことじゃないから安心するさ。協力ってのは単なる情報提供さ~。あんた、隣の廃都市で見たんだってな」

「ああ、廃貴族のことか」

 サリンバン教導傭兵団があれに何のようだ?
 少なくともあの黄金の牡山羊の受け皿となる様な武芸者がサリンバンにいるとも思えない。
 リュホウやその跡を継いだハイアは“破壊の炎”や“守護者の剣”を求める気質でもない。そんな奴らが廃貴族を求めても意味がない。

「ちょ、なんでそこまで知ってるんだ? 廃貴族のことはグレンダンでもほとんど知られてない秘密のはずさ」

「ん、そうだったのか?」

 そういえば俺も“廃貴族”のことを知ったのは、知ったのは……何処だっけ?
 やはり、そこら辺に深く関わるような記憶は薄れてしまうようだ。一度思い出してしまえば、思いだした分だけは忘れないでいられる。無理して思い出す必要もないだろうが、たまには過去を振り返ってみるのも悪くないだろう。そうやって少しずつ思い出していけば、断片化した歴史を忘却の彼方から掘り出し、再現できるかもしれない。これからは就寝前にでも挑んでみることにしよう。

「ま、まあ知ってるなら説明の手間が省けて助かるさ。その廃貴族がいま何処にいるか教えてほしいさ~」

「知らね」

 俺の即答に今度はがっくりと首がおとすハイア。

「ホント、変った人さ~。あん時は、もっと堅物だと思ったさ」

 そりゃあ必死になっている時にまでふざけるほど感情の起伏が平坦な人間ではないからな。
 今となってはどうしようもない過去なのだ。
 例え、過去の失敗が目の前に現れても現在の俺には悔いることしかできない。

「ま、お互い積もる話もあるだろうし……ちょっくらおれっちたちの“家”まで来てもらうさ」

「わかった。ただし、その前にやることがある」

「判断が早くて助かるさ。それで、やることって?」

 本当に分からないわけでもないだろうが、ソファーから跳ぶように立つハイアの横に控えているミュンファを見る。

「脱走したのか、救出されたのかは知らないが悪いことをしたらちゃんと謝らないと駄目だ。いまは偽装学生と違法酒の件もある。都市警と、そうだな生徒会にも事情を説明しておいた方が良い」

「あぅ……」

 事実を普通に指摘しただけなのだが、ミュンファは申し訳なさそうに俯く。子供の時も俺が注意したらこんな感じで俯いて涙を滲ませていた。
 ハイアの方はまったく気にした様子も見せず、めんどくさそうに頭を掻きながら了承した。

「仕方ないさ。しばらくこの都市に厄介になるだろうし、自治組織との問題は早めに片付けておいた方が良いさ~」

 曲がりなりにも集団の長であるハイアがそこら辺のことをしっかり考えられる人物で助かった。リュホウもこんな感じだったのだろうか。



 協力はするといいはしたが、廃貴族をサリンバン教導傭兵団がどのように扱うのか教えてもらわないうちは、彼を捕まえさせることはしない。
 現在のグレンダンは、強い武芸者を多く輩出しているらしいので、その中に彼を“守護者の剣”にすることができる武芸者が居るのであれば、彼を案内する役目を請け負っても構わないが、ただ強大な力を集めようとしているだけならば、せっかく再会できた子供たちと剣を交えなくてはならなくなる。そうならないためにもしばらくは、状況の把握に努めることにする。
 彼がツェルニに来ている以上、そう遠くないうちに主を選ぶだろう。一人目で当たればよし、はずれであれば無理やりにでも引き剥がす。当分はこの方針で動くことにしよう。







[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十一話 罪を背負う意志
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/04/12 01:29


オーバー・ザ・レギオス


 第十一話 罪を背負う意志




 昨晩捕縛した偽装学生の中にいたサリンバン教導傭兵団の団員は3名。その3名は拘留されてから一時間後に脱走が確認され、都市警察は大慌てだった。
 もとより潜伏していた偽装学生は、10名ほどだったことが確認されていた。囚われた仲間を救出しにくる可能性は十分に考えられたが、拘置所の中が空っぽになるのを見つけるまで脱走されたのに気付けなかったというのは警察組織としての怠慢を指摘される可能性も出てくる。もっとも、学生レベルで対応できるような相手ではないので、本来の目的である違法酒に関わる偽装学生の脱走は許していないため、上層部に話を通せば内々のうちに処理することもできる。

「違法酒の密輸経路、偽装学生としてツェルニに滞在している仲介役と密売に協力している学生。これだけの情報じゃ足りなかったか?」

 ハイアたちが俺の部屋を訪れ、廃貴族の捜査協力を求められた俺は、朝一で都市警に出向き、顔見知りで話も通しやすいフォーメッドにミュンファたちの脱走の件、違法酒とそれに関連する者たちの情報を説明した。

「分かった。上の方には俺から報告しておく。どのみち俺たちの手に負えない奴らだ。これで手打ちにする以外しかないだろうな」

 昨夜の捕物劇から眠っていないのか、疲れた様子のフォーメッドが苦々しげに眉間を摘まむ。
 勇名を馳せたサリンバン教導傭兵団の名が出てきては、学園都市の警察組織が対処できる範疇を軽く越えている。

「ま、どのみちこの件は俺たちの手を離れることになるんだろうがな」

 昨夜からの疲れが倍増したかのように深いため息を零すフォーメッド。
 俺がハイアたちから得た情報の中に記された学生たちの名。
 違法酒のバイヤーたちは荷の搬入時のチェックを免れるために本当の学生の住所を使って違法酒をツェルニに流していた。その学生たちから再び、偽装学生として潜り込んでいた者たちに違法酒が渡され、ツェルニに流通することになる。
 そんな仲介役となっていた学生が6人。
 彼らは、第十小隊の武芸者たちだった。




 都市警の詰め所から出ると待たせていたはずの人物が欠けていた。

「三代目は放浪癖でもあるのか?」

「そんな癖はありません。ハイ……団長は、リグザリオさんの他にも協力してもらえそうな方のところへ行っています」

 俺の呆れた感想に少し硬い声で答えるミュンファの様子にまた呆れる。

「俺以外に協力できそうな奴がこのツェルニにいるとは思えないけどな」

「相手は、グレンダンでも有数の名門であるルッケンスの方ですから廃貴族についてもある程度知ってると聞いてます」

「ルッケンス? ゴルネオのことか」

 以外に悪くない人選だった。
 隣の廃都市に先行偵察へ赴いた小隊メンバーならツェルニの中でも十二分に協力者の候補に挙げられるだろう。
 そのことを知らないはずのハイアたちの運は悪くないらしい。少なくとも俺がミュンファを見つけたことも幸運だった。
 どんなにサリンバン教導傭兵団が優れた戦闘集団だったとしても廃貴族――電子精霊を拘束し続けることはできないのだから。

「それにしても、だ。その敬語はやめてくれないか? 呼び方も昔のままでいいんだぞ」

「昔と今は違うんです。リグザリオさんみたい都合よく変われることも、変わらないままでいることも普通の人には難しいんです」

 俯き加減に言うミュンファに返せる言葉もなく、頭を掻きながら歩を進める。
 ミュンファが言う俺の矛盾した在り方。姿形だけのことじゃない。護るべきモノを守れなかったという過去や約束を守れなかったという裏切り。それらを踏まえた心の変化がミュンファの目には俺が都合のよい形で過去を忘れていると映っているのかもしれない。ミュンファには悪いと思うが、俺が守れなかったモノはそれだけではない。俺は他人より少しだけ多くの過去があり、失敗があり、後悔がある。それらすべてを丸ごと抱えて悲愴に浸っても失った過去は戻らない。
 確かに後悔はあるが、そこで止まっていることはできない。延々と流れ続ける世界で同じような後悔は繰り返される。
 俺にできることは、その時その時の後悔を最後であるようにと“現在”を生きること。いつか、世界の法則を覆せると信じているから。






 その日は結局、ハイアと合流することもできず、気まずそうに俯き続けるミュンファに遠慮し、廃貴族に関する協力は後日に詳細を話し合うことをハイアに伝えるように頼んだ。
 ツェルニがセルニウム鉱山での補給を行っている間は授業もないので就労もしていない俺は、他にやることもなく小隊訓練に合流することにした。その前にハーレイが言っていた複合錬金鋼アダマンダイトの簡易版とやらが仕上がったとの連絡を受け、先に錬金科にあるハーレイたちの研究室へと足を運んだ。

「あ、ようやく来たね」

 常の如く汚れたツナギ姿で迎えるハーレイに応えるとその奥でムスッとしてそっぽを向いていた車椅子の少年がこちらに視線を向けてきた。
 線の細いほどほどな美形だ。日光を嫌っているような青白い肌と車椅子であることが相まって病弱な印象を受けるが、その目は強い意志を宿している。

「始めまして、だな。アンタが複合錬金鋼アダマンダイトの開発者のキリクか?」

「そうだ。……お前の分はそこだ」

 初対面だというのに素っ気ない態度をする人物だ。ハーレイたちからある程度の人柄は聞いていたが、どうやらその通りの人物らしい。
 キリクの反応に肩をすくめる俺に苦笑しつつハーレイが二つの錬金鋼を差し出した。
 受け取ったそれらは、ずしりとした重量を手のうちに伝えた。それだけ密度が高いということだろう。

「カートリッジ式を排除してある分、以前の複合錬金鋼アダマンダイトより断然頑丈になってるんだ。その代わり、一度配合を決めてしまうともう他の組み合わせができないんだよね。リザやレイフォンみたいにいろんな剄を使えるタイプには用途に合わせて組み合わせを変えられた方が良い気もするんだけどね」

「そこら辺は気にしないさ。何も錬金鋼の仕様を全部俺のやり方に合わせる必要はないんだ。用途に応じて使う錬金鋼を変えればいいだけだ」

 そんなことを話しながら復元鍵語の声紋と剄紋の入力を済ませる。以前の複合錬金鋼アダマンダイトと違って今回の剄紋は一つだけ。

「じゃあ、ちょっと復元してみて」

 ハーレイに促され、新しい複合錬金鋼アダマンダイトに剄を流す。
 手の中で錬金鋼が熱を帯びて形状変化を起こす。
 瞬きの間に復元された錬金鋼の重みが両腕に伝わる。

「双剣、か。しかもこいつは……蛇腹ベローか?」

「さすが、リザ。大当たり」

 肉厚の刀身が双方ともに重心がやや中心に偏りができている。これは刀身内部に“支え”が入っている場合に特有の感覚だ。
 久々に持つ形状の感覚に試し振りをしたいところだが、ハーレイ達の研究室を斬壊させるわけにもいかないので我慢する。

「鎖で繋がった短剣と楯、性質も形状も異なる二挺銃などの扱いやそれらを用いた剄技の数々。おまけに変幻自在の化錬剄使いだ。お前は一撃必倒よりも、手数を多くしたやり方が良い」

 キリクの決めつけるような言葉に反論の余地がないことに感服した。
 確かに俺が得意とし、身体が慣れているのは左右からの連続した波状攻撃でもある。剄量が一定値を超えた段階で込められる力の差がでるはずの片手と両手の握りにそれほど意味がなくなっている。活剄による腕力向上に限界はあっても、衝剄による攻撃力の向上は自身の剄力次第。ならば両手に武器を持った方が良いのは当然だ。

「もともとお前は鎖を自在に操っている。大方、蛇腹ベローも使ったことがあるんだろ。お前みたいな器用な奴はどんどん得物を持ち替えて新たな技を磨くべきだ。その方が俺たちも様々なデータが取れる」

「僕もキリクに同感。リザやレイフォンがいろんな形状を扱えるおかげで創作意欲が漲りっぱなしだよ」

 片や静かに、片や楽しそうに貪欲な向上心が感じられる若き作り手たちを頼もしく思う反面、変な方向に暴走しないか心配になる二人だ。
 新しい複合錬金鋼アダマンダイトは、正式に登録を済ませた後に渡すとのことで名残惜しいがハーレイに返し、練武館へ向かうことにした。するとキリクがぶっきら棒に呼び止めてきた。

「こいつを返しておく」

 そう言ってキリクが差し出したのは、一本の黒い錬金鋼だった。
 このツェルニに持ち込んだ唯一の私物と言って良い物だ。
 一見して黒鋼錬金鋼クロムダイトのように見えるが解析してみるとその材質を特定することはおろか、登録されている形状の設定や声紋、剄紋の変更もできない完全に一個人専用の錬金鋼であることしか判明しなかったそうだ。

「いったい何処で手に入れたのか気になるところではあるが、そいつは俺たちの手には負えない代物だ。使いどころを見誤るなよ」

 血色の悪いキリクが意味深なことを言うと妖しさが倍増するのは気のせいだろうか。
 手の中にある黒い錬金鋼。
 形状は、片刃の黒剣。オリジナルは腕の長さ程度だったが、改めて復元させた黒剣は無骨な大太刀へと姿を変えた。
 一体誰がこれを俺に与えたのかは分からない。それもいずれ分かると気が来るのだろうか。

「ま、当分はこいつを使うつもりはないさ。あんたらの錬金鋼を使った方が何倍も楽しいしな」

「……ふん。当然だ」

「あはは。ホント、嬉しいこと言ってくれるね。僕らもリザの実力に見合う錬金鋼を作れるように頑張るよ」

 それぞれの反応に笑って応えると研究室を後にした。











 これはどういう状況だろう。
 ハーレイたちの研究室から練武館にやってくると第十七小隊に割り当てられた部屋にひとりの見慣れぬ少女が汗みずくになって座り込んでいた。

「え~っと確か、ナルキ・ゲルニだったか? 都市警の」

「ああ。前々から隊員を増強したいとは言ってあっただろう。その候補が今日から合流してくれた」

 へとへとになっているナルキに代わり、ニーナが説明してくれた。
 あとで聞いた話によると俺がフォーメッドに渡した情報が原因で潜入調査を命じられたナルキは、頑なに拒否していた小隊入りを承諾しなくてはならなくなったらしい。
 まことにご愁傷様、としか声をかけられなかった。原因はともかく、要因は俺にあるため、小隊に居る間は重点的に訓練を見ることにした。
 試合前の訓練は基礎練習を重点的に行うため、ボールを鏤めた足場で型の練習や組み手が主な内容になる。
 
「なるほど、活剄に関しては十分に育ってるな。あとは衝剄を実践レベルまで持っていければ小隊員の中でも上位に入れるな」

「そう、かな?」

 ウォーミングアップも兼ねてへばっていたナルキと簡単な組み手をやらせてもらっての評価。
 それを疲れ切ったナルキが乱れた剄息のまま気が抜けたように首を垂らす。
 ニーナが目を付けるだけの実力はある。ニーナやレイフォンのように幼少時から英才教育をうけていたわけでもないのにこれだけの活剄ができるのであれば、次の試合には間に合わなくとも武芸大会には間に合うだろう。そうなると鍛える方向性もある程度考えておかないといけない。俺みたいに教えるのが下手だと最初に完成図を思い描いとかないと器用貧乏に育ててしまう。俺の場合は、いろんな都市で生活して様々な流派の剄技を学んできたから結果として器用貧乏になり、そこに厖大な剄量が加わることで現在の万能型オールラウンダーになっているだけで、それをナルキに適用させることができるわけがない。

「打棒と取り縄、か。……悪くないかも、な」

「どうかしたか?」

 ひとりで納得する俺を訝しげに見上げるナルキ。

「おまたせ~」

 不安げなナルキに応えを焦らせていると機嫌の良いハーレイの声が訓練室いっぱいに広がった。

「どうしたんだ?」

「どうしたもなにも、新人さんがいるんだから僕の出番がたくさんあるじゃないか」

 何だか今日はずっとテンションが高い。
 ナルキがさらに不安になるほどにうきうきしているハーレイの手には武器管理課の書類が握られている。

「ナルキさんの錬金鋼も用意しないとね。試合で都市警マークの入った武器は使えないしね」

「あ、でも……」

「いいからいいから、お望みのならなんでも作るから」

 目をキラキラさせながら、ハーレイはナルキの手を掴んで研究室へと引き摺っていく。
 疲れ切っていると言っても武芸者で、自分より長身のナルキを引きずることができるとは、ハーレイもなかなかのやるな。

「ナルキの武器を作るなら使い慣れている打棒系と取り縄を用意してやってくれ。取り縄の方は、俺の鎖を参考に主部は黒鋼錬金鋼クロムダイト製にして粉末状にした紅玉錬金鋼ルビーダイトを配合してくれ。細かい設定はナルキの剄を測ってからやってくれ」

「へえ、もしかして化錬剄を教えるつもりなんだ。確か捕縛術、だっけ? リザの鎖とはちょっと違うけど面白い組み合わせになりそうだよね」

「え、あの。ちょっと、あたしの意見は……」

 俺の要求にハーレイが楽しそうに笑い、決定事項を聞かされるだけのナルキは困惑したまま連れ去られるのだった。




 †




 翌日、練武館に行くと興奮気味のナルキとすれ違った。どうも機嫌が頗る悪い様子だった。

「そりゃあ、ナルキの言い分が全面的に正しいな。筋を通すのにもやりようってもんがあるだろう」

「言われなくても分かっている。しかし、私にはああする必要があったのだ」

 ナルキが第十七小隊に入隊する代わりに第十小隊が絡んでいると思われる違法酒事件の調査に協力することになったニーナとレイフォンだったが、以前は第十小隊だったシャーニッドを離隊していたとはいえ、第十七小隊に誘ったニーナは第十小隊、引いては長年シャーニッドと組んでいたディンに引け目を感じていても仕方がない。だが、それはニーナ個人の感傷に過ぎない。物事には優先順位というものがある。ゆえに義理があろうと筋があろうとやっていいことと悪いことがある。良くも悪くもニーナは真面目すぎる。融通が利かないとも言えるけどな。それは指摘しなくてもニーナは分かってると言っている。これ以上、俺がネチネチ追求したところで何も好転しない。
 違法酒の件に関して聞かされていたのは、ニーナとレイフォンだけであり、俺が都市警にディン達の情報を伝えたことは、ニーナたちも知らなかったらしい。まあ、俺も情報を漏らさないようフォーメッドに言い含められていたが、同じ小隊のメンバーに調査を頼むのなら俺を通してからでも良かったんだけどな。下手に現場慣れしている分、情報源と調査員を組み合わせるのは好ましくないと思ったのだろう。どのみち政治判断に至るだろうことをフォーメッド自身覚悟していたようだし、こちらの落ち度でもあるのだから汚れ役はこっちで引き受けるべきだな。

「カリアンのところに行くぞ」

 武芸大会が近いこの時期に武芸科から、しかも、小隊員の中から不祥事を出すということは、あまりによくない。
 近年の武芸大会の結果が散々だっため武芸科に対する上級生からの目は冷たい。ツェルニの中だけでも問題は大きいが、違法酒を使っていることが武芸大会で発覚した場合は、身内の問題では済まされない。学園都市連盟からどんなペナルティが課せられるかわからないが、武芸大会で勝利するくらいではツェルニを存続させることができなくなる可能性もある。ツェルニの最高責任者であるカリアンに最終判断を任せるのは妥当だ。

「それっきゃないだろうな。決着をつけるならあいつらがぶっ壊れる前にやっちまわねえとな」

 心情的に大丈夫かとも思ったが、シャーニッド自身に迷いはないようだ。

「本当にいいんだな」

 ニーナもカリアンに対応を求めることに異論はないらしい。
 どのような結果になろうとそれはディン達が自ら招いた事だ。
 それに責任を感じるのは、個々人の自由だ。
 少なくとも俺はディン達が捕まることも、退学になっても構わない。だが、それはディンたちの結末だ。シャーニッドやニーナ、ツェルニまで巻き込んで良いはずがないんだ。





 †





 第十七小隊としての方針が固まったところで生徒会へと赴いた。
 案内の女生徒が通したのはいつもの生徒会長室ではなく、使われていない会議室だった。その理由もだいたい予想がついた。というよりも感じた。

「やぁ、待たせてすまない。それで、話というのは?」

 それほど間を置かずにやってきたカリアンの言葉にツッコミを入れようかとも思ったが空気を呼んでやめておいた。
 隊を代表してニーナが事情を話すのをカリアンは黙って聞いていた。

「それで、わたしにどうして欲しいのかな?」

 話を聞き終えたカリアンは、常の作り笑いの奥で何を考えているのか判別できないままにこちら側の考えを聞いてくる。
 それには、最年長で第十小隊や違法酒の件を把握しているシャーニッドが答える。

「この時期に問題を起こしたくないのは会長も同じはずだ。できれば内密の処理を願いたい」

「内密に、ね。警察長からまだ話は来ていないが、まぁ、事実関係はあちらに確かめればいいことだろう。……事実だとして、確かにこの時期にそういう問題はいただけない。かといって厳重注意程度では済まない話でもある」

 ツェルニ内の問題としては上級生からの突き上げや現武芸長の罷免。対外的には、武芸大会での違法酒使用の発覚。学連に知られれば来季からの援助金が打ち切られることになったり、学園都市の主要収入源たる研究データ等の販売網を失うことにもなる。それらが現実のものとなるのはカリアンにとってもよろしくない。その表情も作り笑いを消して厳しいものへと変わっている。

「わかった。警察長にはわたしから話を通して、捜査を打ち切らせる。もちろん、それだけですますわけにもいかないからね。君たちにも働いてもらうことになるよ」

「……何をしろと?」

 カリアンの含みのある言葉にニーナが怪訝そうに先を促す。

「もうじき、対抗試合だろう? 君たちと第十小隊との。そこで君たちに勝ってもらう」

「試合で全力を尽くすのは当たり前です」

「君はそうだね。しかし、ただ彼らを打ち負かせば良いというわけじゃない」

 そう言ってカリアンは視線をニーナからレイフォンへ、そして、俺へと移した。

「……殺せ、とでも言うんですか?」

 レイフォンがそう言った瞬間、ニーナの表情が強張った。レイフォンがグレンダンを去るきっかけとなった事件のことを思い出したのだろう。レイフォンもそれを思って、殺せと言われているように感じたのだろう。グレンダンであったことを耳にしたのは第十七小隊の中で俺が一番最後だった。もともとレイフォンの過去にそれほど興味をもっていたわけでもなかったし、聞きもしなかった上、場も合わなかった。基本、積極的に相手の深いところを知ろうと思わない性質なのが災いしてのことだった。
 しかし、殺すという発想が浮かぶ辺り殺伐としたレイフォンの思考は危うい部分の名残だな。

「いやいや、そんなことをしたら今度は君の方が問題になる。試合中の死亡事故に前例が無いわけではないが、隊員全員を事故死に見せかけて殺せたとしても、君にも相当な処分を言い渡さなくてはならなくなる。さらに君に対する風当たりも強くなり、引いては武芸者全体の立場もどうなるか……君にはよく分かっているだろう」

 そうなったら武芸大会やツェルニの存続よりもさらに深刻な問題にまで発展する。
 そんなことは誰も望んでいないし、考え得る最悪の結末だ。

「わたしもできれば穏便にことは済ませたい。要は、彼らが小隊を維持できないほどの怪我を負ってくれればいい。全員でなくとも第十小隊の戦力の要である人物が今年いっぱい、少なくとも半年は本調子になれないだけの怪我を負えば、第十小隊は小隊としての維持もできなくなる。そうすれば会長権限で小隊の解散を命じることも可能だ」

「それはつまり、ディンとダルシェナを壊せってことか?」

 暈して言うカリアンの意図をはっきり言葉にしたのはシャーニッドだった。
 この世界の医療技術をもってすれば、ただの骨折程度では一週間もすれば完治させることも可能だ。その程度で小隊を解散にすることはできない。なら。治癒に時間がかかる神経系の破壊を行うしかないが、それは僅かなミスが生命に関わることになる。
 しかも、武芸者の神経は剄脈から剄を全身に流す剄路と密接な位置関係にあり、剄脈から流れる剄によって自然と神経も守られる形になっているため、簡単なことでは神経系の問題は起きない。逆を言えば、その神経に一定以上のダメージを与えるということは、相手を殺してしまうことにもなりかねない。

「頭とかを撃って半身不随にするか? それだってあからさまだ」

 シャーニッドが怒りに任せて吐き捨てる。
 頭や首への打撃は一般人にとっては致命的だが、一般人の何倍も頑丈な武芸者にとっても変わらない。下手をすれば即死、そうでなくとも脳や脊髄に深刻なダメージを与えれば重度の後遺症が残ることになる。そうなればツェルニの医療技術では治癒不可能だ。

「だが、それをやってもらわなければ困る」

 そうでないのなら冤罪でも押しつけて都市外退去に追い込むしかないが、都市外退去になるほどの罪ならば違法酒とそれほど変わらない不祥事であるということになる。それでは本末転倒も良いところだ。さらに言えば、ディンが生徒会の決定に大人しく従う保証もない。シャーニッドに言わせれば、政権交代に動き出す可能性もあるとのことだった。

「まあ、いま問題なのはレイフォン君とリグザリオ君、君たちにそれができるかどうか……という問題だ。神経系に半年は治療しなければならないほどのダメージを与えることができるかい?」

「……お前たち、できないのならできないと言え」

 カリアンが質問し、ニーナがそう言えと願っているかのように俺たちを見る。
 最終的な判断をカリアンに任せることを決めていたはずだが、実際にカリアンの冷静な判断を目の前にして迷っている。そうなって欲しくないと、特にレイフォンの事情を最初に聞かされ、そのことを深く考えさせられたニーナが心配そうにレイフォンの様子を見守っている。やはり可愛い部下に酷なことはさせたくないだろう。

「ま、俺がやるしかないだろうな」

「リグザリオ!」

 レイフォンの方を気にしていたニーナの視線がこちらを向き、強く睨みつけている。
 ニーナほどではないが、シャーニッドとレイフォンも厳しい視線を向けてくる。

「それはヴォルフシュテインもできることさ~」

 俺の集中していた視線がドアの向こうから聞こえた声へと移った。それと同時に立ちあがったレイフォンが錬金鋼に手をかけた。

「立ち聞きとは趣味がよくない」

 沸騰寸前のレイフォンを抑え、カリアンがそう呟く。

「それは悪かったさ~。だけど、同門のあまりの不甲斐無さに黙ってられるわけがない。おれっちも、そこの人に話があったしさ~」

 ドアが開き、声の人物が会議室に入ってくる。
 
「ハイア……に、フェリ……先輩?」

 ハイアの登場に気を荒げようとしたレイフォンは、ハイアに続いて現れた少女ミュンファと並んで出てきて気まずそうにしているフェリの姿を認め、困惑する。

「貴様……何者だ?」

 どう見てもツェルニの学生には見えないハイアたちにニーナが警戒の色を強める。

「おれっちはハイア・サリンバン・ライア。サリンバン教導傭兵団の団長……って言えば分かってくれると思うけど、どうさ~?」

 ニーナもサリンバンの名と意味は知っているらしく、戸惑った様子で再びレイフォンを見る。
 そんな人間模様のただ中にあるのは心底苦手なんだがな。

「というか何で出てくるかな~。俺がやるってんだからいいだろ?」

「それはできない相談さ。サイハーデンを受け継ぐ武芸者が二人も揃って、アンタに劣ってるなんて認めるわけにはいかないさ~。それじゃあ先代やサイハーデンを学んだ同門たちを侮辱することになるさ」

 そう言ってハイアは挑発的な視線を俺とレイフォンに向ける。

「徹し剄って知ってるかい? 衝剄のけっこう難易度の高い技だけど、どの武門にだって名前を変えて伝わっているようなポピュラーな技さ~」

 突然現れたハイアに驚きと警戒が治められないニーナが頷く。

「それは……知っているが、あれは内臓全般へダメージを与える技だ。あれでは……」

 どの部位にであれ、治癒が可能な程度のダメージを軽く凌駕して致命傷になってしまう。まして、レイフォン級の剄量の持ち主が一般的に普及している徹し剄を用いれば防げる武芸者など全世界でも数える程度しかいないだろう。俺も使っている逆鱗げきりん滲焔しんえんも一定範囲を侵食する徹し剄の技だ。どちらも汚染獣用に編み出された剄技で、流派はどちらも別々の都市で、完璧にモノにするまでに数年を要した絶技だ。俺が保有している剄技のほとんどは、最近になって完成したものばかりだが、徐々に剄技の威力を高めてきた分、強弱の調整は誰にも負けない自信がある。

「おれっちとヴォルフシュテイン……まあ、元さ~、はサイハーデンの技を覚えている。その中には剄路に針状にまで凝縮した衝剄を撃ち込む技、原理は武芸者専門の医師が使う鍼と同じさ。ようはあれを医術ではなく武術として使ったのが、封心突――まさか、使えないなんて言わないよなぁ、ヴォルフシュテイン?」

「この馬鹿……」

 ハイアのあまりに不用意な挑発に頭が痛くなる。
 レイフォンもこれでは、だんまりを決め込むわけにもいかないだろう。俺みたいな半端者と違い、幼い頃から一つの流派――サイハーデンとかいう技を師のもとで学んできたというのなら、その流派の技を使えないなんて言えば、レイフォンの師がその身に与る技を次代へ伝える責務を怠ったということになり、それは一つの流派を背負う者に対しての侮辱でもある。

「だけど……、剣なんか使ってるあんたに、封心突がうまく使えるか心配さ~。サイハーデンの技は刀の技だ。剣なんか使ってるあんたが十分に使える技じゃない。せいぜい、この間の疾剄みたいな足技がせいぜいさ~」

「それなら、刀を握ってもらえば解決……なのかな?」

 ハイアの言葉に続いてカリアンが問う。
 カリアンの問いにレイフォンは無言でハイアを睨みつけるだけだ。傍目にも怒りを抑えているのがわかるほどに静かな苛立ちを滾らせている。
 ハイアもハイアだが、レイフォンも頑なに過ぎる。ことの優先順位をまったく考えることができていない。そこまで拒絶するのならはっきりと声に出して言えば良い。レイフォンが自分ではっきりと拒絶すれば誰も無理強いできない。そして、ツェルニのためを思うのであれば、技を駆使することを拒む必要はない。レイフォンの今の状態は、一種の自虐なのではないかとも思う。レイフォンの奴、生粋のM男だな。

「まあ、落ち着けM……レイフォン」

「リグザリオさん……」

 張りつめた空気に耐えるのが辛い。

「ハイアもはしゃぎ過ぎだ。あんまりお痛が過ぎるようならお尻ペンペンだからな」

「ペンペンって……相変わらず掴みどころのない男さ~」

 俺もハイアだけには言われたくない。
 やばい視線をバチバチ交差させるレイフォンとハイアの間に立ち、とりあえず場の空気を止める。
 周囲の雰囲気が若干、緩んだところを見計らってカリアンに申し出る。

「ディンは俺が壊す。結果が同じなら誰がやろうが構わないだろ?」

「リグザリオ!」「リザ、お前……!」

 まるで仲間の裏切りを目の当たりにしたような顔でニーナとシャーニッドが険しい目を向けてくる。

「結局、誰かがやらなければいけないことだ。そして、それができるのは俺とレイフォンだけ。嫌々なレイフォンに任せるには注文内容は厳しめだ。それならディンに何の思い入れのなく、神経系にダメージを与える徹し剄を習得していて、それを完璧にこなせるコンディションにある俺がやるのが良いに決まってる。俺は行動を他人に任せることも意思を委ねることもしたくない。やると決めたからには、ディンを壊す。それも殺さず、武芸者としての未来を閉ざさないようにディンの意志を止める」

 あまりにも傲慢なセリフだが、俺の正直な考えであり、意志だ。
 カリアンをはじめ、第十七小隊のメンバーやハイアたちも俺の言葉がはったりや過信でないことは理解できるはずだ。
 ディンを壊した結果、ニーナやシャーニッド、ディンと親しい者たちから恨まれようと関係ない。どんなに嫌われることになっても中途半端な気持ちの狭間に立たされる方がよっぽど苦しい。

「結果は出す。迷いも躊躇いもない。……俺がやる、それでいいな」

 まるで決定事項のように言う。
 こういう場でははっきり自分の考えを通さなくては、あとから「俺ならこうした方が良かった」などと言う様な間抜けはしたくない。
 すっかり静まった空気の中、沈黙を破ってカリアンが俺の主張に頷く。

「わかった。あとの処理やもしもの時の責任はわたしが持とう。やってくれるね……リグザリオ君」

 カリアンの言葉には他の連中に口を挟ませない圧力が込められていた。

「最初からそう言ってる。安心しろ、あんたを失脚させるようなことはしないさ」

 仲間たちからの無言の視線を一身に受けながら十字架を一つ背負うことを宣言した。
 もう後には引けない。引くことも考えていない。
 俺はただこの都市を生かし、そこに暮らす人たちの生活を守ることを望む。それが俺にできる贖罪の先払いなんだ。





[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十二話 叶わぬ誓い
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/04/12 17:10


オーバー・ザ・レギオス


 第十二話 叶わぬ誓い




 第十小隊への対処が決定したところで解散となったが、俺とレイフォンだけは会議室に残された。
 現在、会議室に残っているのは俺たちの他にカリアンとフェリ、ハイアにミュンファという面子。

「……で、これはどういう状態なんですか?」

 残った面々を見回すレイフォンはハイアの隣に立っている見慣れぬ少女に目をとめた。

「あ、あの……はじめまして、ミュンファ・ルファと言います」

 ミュンファはそれだけ言うとハイアの側に逃げるように移動する。
 表情のないレイフォンは、その素性を知るミュンファにとって恐ろしく感じているのかもしれない。
 そんなミュンファの態度を無視してカリアンに向き直るレイフォン。

「会長、ハイアは違法酒の密輸に加担していた疑いがあります」

「それはなかったことにするんだろう? ヴォルフシュテインさ~。てか、あっさりと呼び捨てかい?」

 カリアンの横で机に凭れかかるハイアのニヤニヤ顔がレイフォンの精神を逆なでしている。

「僕はもう、天剣授受者じゃない」

 苛立ちを隠す様子もなくハイアを睨みつけるレイフォン。今にも斬りかかりそうな表情だ。

「知ってるさ~。あんたはただの一般人、しかも学生さ~。なら、少しは年上に対する礼儀ってのを身につけたらどうさ~レイフォン君?」

 どんだけ仲が悪いんだこいつら。
 ハイアの挑発もそうだが、レイフォンも余裕がなさすぎる。
 青石錬金鋼サファイアダイトを抜き放ったレイフォンに、ハイアも鋼鉄錬金鋼アイアンダイト抜き放って迎え撃っていた。

「……今度は手加減しない」

「上等さ~。刀も使えない腑抜けなサイハーデンの技がおれっちに通用するか、試し「こんのアホンダラども!」ってぇっっ!?」

 剣と刀をぶつけ合ったまま睨み合う二人の脳天に唐竹割を喰らわせる。

「な、何するんですか!?」「いきなりなにするさ~」

 眼尻に涙を溜めながら文句を言う二人を威嚇するように睨み返す。

「お前らクラスの武芸者の喧嘩がどれだけ周囲に迷惑をかけるかわからんわけじゃないだろ? 次に馬鹿なこと始めるようなら二人まとめてエアフィルターの向こうに放り出すぞ。わかったか、悪ガキども!」

 俺の怒鳴り声に会議室が一瞬静まにかえる。
 戦声のような威嚇術も使っていないが、皆一様に驚いた表情を浮かべている。
 まあ俺も似合わない大声を出して腹が痛くなった。皆も意外に思ったのだろう。自分でも恥ずかしいよ。しかもおっさん臭い言い方だったしな。

「まあ、なんだ。さっさと話を進めようぜ」

 気恥ずかしさを隠すように視線をそらして丸投げする。
 場の空気から最初に脱却したカリアンが疲れた様にため息をついて話を始めた。

「ハイア君たちサリンバン教導傭兵団は、とあるものを回収することが目的らしい。その回収対象を目撃したのが、レイフォン君とリグザリオ君の二人だけだったという証言があったそうだ。それで彼らは、君たちに正式な協力要請を申し出たのだよ」

「……その回収対象というのは?」

「見たろう? 隣にあるぶっ壊れた都市で、常識じゃあ考えられないような奇妙な生き物をさ~?」

 ハイアの言葉にレイフォンがはっとした様子で眼を見開く。
 隣の廃都市で遭遇した奇妙な生き物と言われれば、黄金の牡山羊以外に思い当たらないのも当然だろう。

「あれは、ここにあったら危険なものさ~。だから、うちらが回収するのさ~。その代わりにおれっちたちは向こう一年間、汚染獣からツェルニを守る。そういう契約さ~」

 黄金の牡山羊に対応するには、レイフォンは相性が悪過ぎる。現れたら俺が働くしかないんだろうな。
 まあそれでサリンバン教導傭兵団が都市の防衛についてくれるというのはとても助かる。向こう一年間の契約ということは、“俺”が引き連れている“汚染獣襲撃”という最悪の状況に対してこれ以上ない援軍となる。
 ハイアたちの目的である廃貴族メルニスクをグレンダンに連れ帰るのが目的だと言った。しかし、グレンダンが廃貴族を何の目的で欲しているかは知らないという。廃貴族の存在が危険というのが俺には分からないのだが、それが関係しているのかもしれない。
 どちらにしろメルニスクが自分から動きだすまで手出しはできない。ハイアたちもそれを知っているのか、メルニスクが現れたサリンバン教導傭兵団と協力して抑えるというのが俺とレイフォンの役割となった。




 †




 そして、第十小隊との試合の日がやってきた。
 鉱山からのセルニウムの補給も終わり、今は撤収作業が進められている。二、三日後にはそれも終了し、ツェルニの移動も再会するだろうというのが生徒会からの発表だ。
 野戦グラウンドに集まる観客たちの熱気が控室にまで届いてくる。今回対戦する第十七小隊と第十小隊は、小隊の中でもトップの人気を誇るものだから観客たちの興奮もそれなりに上昇しているようだ。

「というか、大丈夫か?」

「あまり、大丈夫じゃないな」

 ニーナが捜査の件をディンにばらしたことに怒って出て行ったはずのナルキが試合直前に第十七小隊として試合に出させてくれと言ってきた。捜査の打ち切りもカリアンから伝えられていたため、もうディンたちを逮捕することはできない。ナルキもそれが分かっているからこそ、せめて事件の顛末だけは見届けたいらしい。
 しかし、どうにも力無さ気だ。

「もしかして、緊張してるのか?」

「ああ。こういうのは大丈夫だと思ってたんだが……」

 重いため息を吐いて額に手を当てて項垂れるナルキの表情は暗い。
 自分から見届けると言って戻ってきたナルキだが、状況的にいろいろ納得できない部分もあるのだろう。まあ、衆人環視のただ中に放り込まれて戦うことに対するプレッシャーもあるだろう。

「リグザリオ……大丈夫、なんだろうな?」

 折角試合に出るのならナルキに簡単な化錬剄をひとつでも覚えさせておきたかったと思っているとニーナが厳しい表情で言ってきた。その向こうではシャーニッドもレイフォンも同じ思いで俺を見ている。レイフォンは若干、後ろめたさもあるような影のある顔つきだ。

「そう怖い顔するなよ。俺は失敗しないし、必要以上の怪我も与えない」

「……分かった。必ず成功させると信じているぞ」

 それだけ確認したニーナはグラウンドへと進む。いつもとは違う戦闘衣を纏ったシャーニッドもそのあとに続き、ナルキ、レイフォン、フェリもそれに続く。
 信じると言っても安心はできていないニーナの表情が少し寂しく思うのは女々しいことかな。
 俺も皆の後に続き、歩きだすとフェリが並んで来た。

「貴方は、ハイアたちがあれを捕まえてどうするのか知っているのですか?」

「いや、俺も聞いてない」

 俺の即答にフェリは機嫌を損ねた様にきつい視線を向けてくる。

「なにも聞かされていないのに彼らを信用するのですか?」

「ま、ハイアの前の団長に世話になったことがあってな。ハイアとミュンファのことはちびの頃から知ってたし、多少甘くなってるのは認めるさ」

 ハイアの方は覚えてなかったけどな。
 感慨深げに言うとフェリが胡散臭げに見上げてきた。

「……まるで彼らより随分年上のような言い方ですね」

 年寄り臭いとはっきり言わないあたりはフェリも真剣に疑問を抱いているらしい。

「ま、今は試合に集中しようぜ」

「……そうですね」

 まだ何か質問したりない、納得できない様子のフェリだったがTPOを考えてこの場での追及は諦めてくれた。
 どれだけ筋書き通りに進んでくれるか分からないが、自分の役割だけは完璧に果たす。そう宣言したし、できるとも確信している。あとは余計な邪魔が入らないことを祈るだけだ。





 †





 司会の女生徒の声が野戦グラウンドの熱気をさらに高める。
 観客たちが息を呑み、開始のサイレンの音に再び歓声が上がる。
 俺はこれからその歓声を裏切るような行為をしなければならない。

「本当にダルシェナは任せていいんだな、シャニ」

『ああ。リザだって女を一方的に叩きのめすって柄じゃないだろ?』

 それはお前の方だろ、とは言わないでおく。
 昨日の作戦会議でシャーニッドはダルシェナを足止めする役を買って出た。ダルシェナは第十小隊の中で唯一違法酒に手を染めていない選手なので潰す必要がない。長年共に戦ってきたディンや他のメンバーが違法酒を使っていることをダルシェナが知らないはずもない。それだけでも無罪放免にするわけにはいかないだろうが、事件として摘発することができなくなった以上、ダルシェナを壊すことに意味はない。第十小隊の隊長であるディンを潰せば今回の仕事は終わりだ。
 しかし、絶妙なコンビネーションを主体とした戦闘方法を取っている第十小隊の中でディンだけを潰すとなるとそれなりの労力がいる。俺一人でもやれないことはないが、そうなるとディン達があまりに惨めだ。他の奴らの心情的にも一番責任を負うべき立場にいるディンに痛い思いをしてもらうしかない。

 戦闘が始まり、レイフォンが突撃。守備側である第十七小隊のフラッグ目掛けて進んでくる第十小隊を切り裂くように横切り、先行してたダルシェナと他の隊員を引き剥がす。そして、会場にあらかじめ仕込んでいた土袋を炸裂させ、グラウンドの大部分を観客たちの目から覆い隠す煙幕を発生させる。

『第十小隊の分断に成功しました。皆、予定通りの配置で作戦を実行中です』

「了解」

 フェリからの通信に応え、煙幕の中で念威操者の支援も途絶えて周囲の状況を把握できず、武器とするワイヤーを用いて冷静に周囲の警戒に移っているディンへと駆ける。
 敵の念威操者はナルキが、他の隊員はレイフォンとニーナが、ダルシェナをシャーニッドが抑えている。

「貴様ら……これは生徒会長の差し金か?」

 砂煙が舞う戦場で相対したディンが出会い頭に敵意をぶつけてくる。
 これだけのお膳立てを見れば、ディン自身が違法酒に手を染めている以上、俺たちの意図に嫌でも気付けるだろう。
 こちらの思惑通りにさせまいとワイヤーを飛ばしてくるが、レイフォンが扱う鋼糸ほどの数も技も剄もない。違法酒に頼ろうと覆せない差がある。現実離れしたドーピングを何十回も繰り返している俺に言えた義理ではないが、過ぎたる力は身を滅ぼすことになる。
 ディンの身体に流れる剄は剄技を用いるたびに体外に垂れ流されている。剄脈を自分の意思で操れていない証拠だ。
 例え、違法な力であろうと一度手を出した以上、ディン達は違法酒による剄脈加速の効果を制御できるように努力すべきだった。一度や二度のしようではないはずだ。それでもこの体たらくということは、違法酒による剄脈加速が自分の力でないことをはっきり自覚しているということ。借り物の力を使っていると自ら認め、なおかつそれを何の努力もせずに薬物の効果のみに頼っている。
 ディンにダルシェナやシャーニッドのような才能はないのかもしれない。才能がないなりに努力もしてきたのかもしれない。しかし、違法酒に手を出した瞬間、ディンはその努力の一部を放棄したばかりか、最大の目的を見失ってしまった。
 ディンの中では、目的を手段が凌駕してしまっている。“ツェルニを守る”という最大目標が、“自分の力で守る”という経過に塗り潰されている。自分ひとりに、小隊一つにできることなんて限られている。そんなことも忘れて、自分が、自分が、と頑なになるのは単なるエゴだ。それは武芸者ならば誰しも多かれ少なかれ持っている気持だ。ディンの場合は、そこに違法性が発生し、同じ都市の仲間たちに多大な損害を与える可能性が出てきてしまっていることだ。

「誰の差し金だろうと別にいいだろ? アンタには関係のないことだ」

 剣帯に提げた錬金鋼を抜かず、内力系活剄のみに集中する。

「……ぬ、おおおおおおっ!」

 こちらの剄の密度が上がるのを感じたのだろう。ディンが雄たけびをあげてワイヤーを放つ。
 俺は迫るワイヤーを回避することもせず、真正面から受け止める。
 活剄衝剄混合変化、鎧閃がいせん
 直撃したはずのワイヤーが閃光を伴ってあらぬ方向へと弾き飛ばされる。

「なっ……ぐ、くそぉおおお!!」

 渾身の攻撃を真正面から防がれたディンは驚愕で一瞬、動きを止めたがすぐにワイヤーを引き戻し、再び俺を襲わせる。
 何十、何百と撃ち込まれたところでディンの底力で鎧閃を破ることはできない。

「アンタにとって違法酒は最後の手段だったんだろうが、それを他の誰かに気付かれたところで失敗してるんだ。心意気は買うが、アンタの足掻きはここで終わりだ」

 複雑な軌道を描きつつ襲いかかるディンのワイヤーを右手ですべてを掴み取る。

「……っ、貴様に俺の苦悩が理解できるものか!」

「理解できるさ。お前の感じていた無力感は、なんの変哲もない思春期の迷いのひとつだ。ま、それを現実のものにしようと足掻いたことには感心するよ」

 外力系衝剄の化錬変化、紫電しでん
 ワイヤーを奔る雷がディンの身体を直撃する。

「ぐぅおああああああああああっ!!」

 迅雷じんらいほどの威力はないが、人間の身体を麻痺させるには十分な効果を持った紫電を浴びて絶叫するディン。
 身を横たえることもできず、膝から崩れるディンの前に立つ。

「恨みたければいくらでも恨め、俺が壊すのは第十小隊隊長ディン・ディーだ。ただの武芸者のディン・ディーまで壊すつもりはない」

「ふ、ざけ……ぐっっっづ!」

 外力系衝剄の変化、封栞ふうかん
 極限まで凝縮させた衝剄を掌に込め、それをディンの腰部、剄脈がある位置に打ち込んだ。

「くぁ……ぁ……」

 ディンが呻きながら両手を地に付け、頭を垂れる。
 封栞ふうかんは、武芸者の犯罪者を拘束するために編み出された捕縛術であるため、本来は手足に打ち込んで行動を制限するに留まるのだが、窮めれば剄脈に直接打ち込むことで全身に剄を流す機能を停止させることも可能になる。これを完璧に極めるには剄脈の構造を精確に把握する必要があり、難易度も常識的ではない。俺も姫様のサポートなしには自信をもって使える技ではない。

「ぬぅ、ぅぅぅぅぅ」

「無駄だ。剄脈そのものの機能を抑制しているんだ。回復のための活剄も数か月は使えないぞ」

 肉体的なダメージはもとより、供給されるべき剄をも失ってなお立ち上がろうとするディンに忠告する。
 この状態で剄を練ろうとしても大穴のあいたバケツに水をためようとしているようなものだ。ディンの底力では剄脈加速薬の効果があろうと供給分が消失分を補うには全く足りない。

「お前にはわからんだろう」

 ディンが動けない身体を動かそうと、顔を真っ赤にして言った。

「己の未熟を知りながら、それでもなおやらねばならぬと突き動かされるこの気持は、おまえにはわからん」

「だから、分かるっての」

「っ……それだけの力を持つ貴様にこの気持は理解できん!!」

 即答した俺にディンが怒り任せに怒鳴りつける。

「確かに失う苦しみを味わったこともないアンタと同じ気持ちにはなれないな。ま、アンタが味わっている気持はとうの昔に通り過ぎたよ」

「…………」

 俺の言葉にディンは無言で睨みつけるだけ。
 周囲の砂煙もその濃度も徐々に薄れてきている。他のところでも戦いはひと段落しているようだ。

「これで第十小隊は解散だ。こういう結末になったのは同情するが、アンタはまだ若い。違法酒の毒気が抜け切ってから来年出直すんだな」

 その来年が本当に迎えられるかどうか保障はできないがな。

「おれを結末をお前が決めるのか? シャーニッドか? 隊長のニーナか? それとも生徒会長か? おれの結末を他人に決めさせはしない。おれの意思はそこまで弱くない……」

 静かに怒りを滾らせるディンの周囲で気流が激しく動き始める。
 剄脈を閉じられたディンが起こしているわけではない。
 それにこの気配はディンのものじゃない。もっと大きな、圧倒的な存在感だ。

「おいおい、それは間違ってるぞ」

「貴様に言われる筋合いはない!」

 俺の呟きに見当違いな拒絶を叩きつけるディン。

「おれは、都市を守るためにこうしているんだ。武芸者として当然のこの使命感を理解できない貴様らに……」

 ディンが四肢に剄を通そうともがきながら呟き続ける。

「このおれを止めさせてたまるかっ!」

 ディンが吠える。

「お前の守りたいという意志と行動が、ツェルニを危機に晒すことになっていたってことに何故気付いとけ、この馬鹿!」

 自分を主体とした救済でなければ認めない、その心がすでに歪んでいる。
 どれほど足掻いても湧きあがらない剄をなお求めて雄たけびを上げるディン。その背後に周囲に満ちた存在感が凝縮していく。

「お前も……そんな馬鹿を選ぶなよ、この阿呆メルニスク!」

 剄を失ったディンの代わりにその身体に厖大な剄を注ぎ込む廃貴族、黄金の牡山羊メルニスクがその姿を現した。






[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十三話 ひとつの終わり
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/04/14 23:24


オーバー・ザ・レギオス


 第十三話 ひとつの終わり




 まさか、このレベルの意志で現れるのか。
 これまで俺が何十回都市の滅びに嘆き続けたのが何だったのかと逆に俺の方がディンを妬んでしまう。
 廃貴族が主を決める基準って何なんだ?
 今までの都市の電子精霊たちは、廃貴族にならなかったのか、それとも電子精霊たちのお眼鏡に適わなかったのか。
 いや、そもそも俺はいつから電子精霊や廃貴族という単語を当たり前のように認識してるってことはどこかでそれなりに深い接点があったってことだ。なら俺にも廃貴族が付いている可能性も、というか“姫様”が廃貴ぞ

「っづぁ」

 廃貴族ではないらしいな。いきなり強烈なショック映像をぶつけてきやがった。
 いまは俺のことより、ディンに取り憑いた黄金の牡山羊メルニスクだ。

「……なんのつもりだ?」

 問いながらディンの状態を確認する。
 剄の流れから封栞ふうかんはまだ破られていない。周囲に吹き荒れる剄は廃貴族メルニクスが齎しているものだ。さきほどまでのディンの底力を遥かに上回る剄を放出している。

「ディンはおまえの主に相応しくない。このままだとおまえまで“破壊の炎”に染まり尽くすことになるぞ」

「『…………』」

「だんまり、か」

 隣の都市であった時よりも姿が薄れているように感じる。
 存在感はその異質さからあまり衰えて感じないが、俺の声に応えるだけの余力がないのだろうか。
 メルニスクが廃貴族になった後に廃都市に残っていた僅かな“灯火”でも普通の武芸者にとっては有り余るほどのエネルギーがあった。メルニスクの本体が憑依しているのならもっと強大な力を出せても不思議ではない。眼の前のディンにはそれほどの脅威は感じない。
 沈黙を保つメルニスクに代わり、ディンが動き出す。
 地面に落としていたワイヤーが一斉に脈打ち、襲いかかってきた。

「――が、それでもレイフォンと同じだ」

 それまで指と手首の動きだけで操っていたワイヤーに剄を宿らせ、剄の流れのままにワイヤーを自在に繰る。レイフォンの鋼糸の技と同質のものだ。
 明らかにいままでのディンの技量を超えた技だ。ディン本人の技術でないということはこれはメルニスクの仕業か。

「まさか、憑依者と敵対してるからって俺まで敵と認識したってのか? いくらなんでも薄情じゃないか?」

 ワイヤーを回避しながら不満を口にするがやはりメルニスクもディンも反応する様子がない。
 と、俺に襲いかかってくるワイヤーの中から数本が別方向へと奔った。

「……なんだこれは!?」

 ナルキ・ゲルニだった。
 呆然とした声に鎧閃がいせんの密度を上げてナルキの方へと駆ける。鎧閃がいせんを纏った状態で旋剄を用いれば、それだけで強力な突進攻撃になるな。別々に発動させると剄の効率が悪いからそのうち一つの剄技として扱えるようにしてみよう。

「つっ!」

 ワイヤーが僅かにナルキの肩口を掠める。
 二線目のワイヤーを追い越しながら払い除け、ナルキの前に辿り着くと抱えてディンから距離をとる。

「な、なんなんだ……」

 突然のことに狼狽するナルキを下ろし、ディンに向き直る。

「……あれはなんだ?」

 メルニスクを目にしてナルキがさらに困惑する。

「幽霊みたいなもんだよ」

「ゆうれい!?」

 俺の適当な返しにも動揺の声を上げるナルキ。

「冗談はさておき、どうやって引っ剥がすか」

「おい、一体あれはなんだ? リグザリオは知ってるのか?」

「……ん~悪い、説明は後にしてくれ」

 このままディンと共にメルニスクが堕ちるのを黙って見ているわけにもいかない。

「まったく、手間をかけさせるんじゃねえよ」

 右手で襲いかかってくるワイヤーを捕らえ、左手に剄を収束させる。
 外力系衝剄の化錬変化、緋蜂ひばち
 左手に収束させた化錬剄を用いた剄弾をサイドスローの要領でディンに投げつける。
 剄弾は投擲と同時に散弾のように拡散し、うねるワイヤーを引き千切りながらディンの身体に殺到する。

「っっっっっっっ!!!」

 呻きはなかった。口から空気が漏れる音だけを残し、全包囲から襲いかかる小さな焔の剄弾がディンの全身を激しく打つ。

「殺す気ですか、リグザリオさん!」

「レイとん!」

 ディンを襲った緋蜂のいくつかを衝剄で吹き飛ばしながらレイフォンがディンと俺の間に立った。
 もともと加減して撃っていたのだが、他の人にそれが分かるほど見やすい技じゃないから仕方がない。

「討つなら廃貴族の方でしょう」

 言いながらレイフォンも青石錬金鋼サファイアダイトの剣を抜き、今にも斬りかからんとした気迫を見せる。

「だから、理解ができないからっていきなり斬ろうとするな。それに廃貴族に物理的干渉はできない。やるならディンの方だ」

 メルニスクがディンの極限の意志に感応した以上、ディンに戦いを諦めさせる以外に引き剥がす方法はない。
 言葉を持たない俺にはディンをズタズタにし、どんなに力を得ようとディンでは勝利を手にすることができないと残酷なまでに付きつけることしかできない。

「それは困るさ~」

 間延びした声と共に周囲の砂煙の中から鎖が伸びてボロボロになったディンを素早く雁字搦めにする。

「ハイアっ!」

「廃貴族はおれっちたちがもらう。そういう約束さ~」

 声と同時にハイアが砂煙から飛び出し、俺たちとディンの間に降り立つ。

「廃貴族を連れて行くのは構わない。けどな、ディンを宿主のままにしてはおけない!」

「「リグザリオ(さん)!」」

 ディンよりメルニスクのことを案じる様な物言いにレイフォンとナルキから非難の叫びが飛ぶが無視する。
 数人の見慣れない男たちが鎖を掴んでディンを取り囲んでいる。サリンバン教導傭兵団の連中だ。
 もっと良い宿主だったらいくら百戦錬磨のサリンバン教導傭兵団の武芸者たちでも廃貴族憑きを抑えることはできなかったろうに。

「やっぱ、アンタは知ってたさ。廃貴族だけを捕まえるのは、おれっちたちでも無理さ~。それは元天剣授受者のレイフォン君も、我らが女王陛下も同じさ~」

「なんだと?」

 ハイアも余計な説明をしなくていいものをぺらぺらと。

「廃貴族が学園都市に来てくれたのは幸いだったさ~。志が高くても実力が伴わない半端者ばかり。廃貴族の最高の恩恵を持て余して使い切れないのが関の山。本当ならおれっちたちなんて近づけもしないだろうに、この様さ~」

「グレンダンに連れて行ってどうする気だ?」

「グレンダンに戻れないレイフォン君には関係のないことさ~」

 得意気にレイフォンを挑発するハイアにレイフォンも手にした剣を強く握りなおす。
 そんなレイフォンの態度に気を良くしたのか、ハイアは楽しそうに言葉を続ける。

「まぁ、ヒントくらいはいいかもさ~。グレンダンがどうしてあんな危なっかしい場所に居続けるか? それの答えと同じところにあるさ~」

 グレンダンが危険な場所に居る。
 聞いた話では、汚染獣と頻繁に遭遇する都市らしいが、たまたまそういう縄張りをグレンダンがもっているだけじゃないのか? それとも理由があって汚染獣が数多く巣食う場所に留まっているのか?

「じゃ、もらっていくさ」

 余計な疑問を増やしたハイアは、一方的に会話を切り上げて去ろうとする。

「って、待たんかい!」

「うおあ!? いきなりなにするさ」

 復元鍵語を省いて復元させたのは、試合前に正式に受け取ったばかりの簡易型複合錬金鋼シム・アダマンダイトの双剣。その片割れに剄を流し、俺とディンの対角線上に立っていたハイアを払い除ける形で刃部の蛇腹を伸ばし、ディンを捕らえていた鎖を引き裂く。

「アンタは協力するって確約したはずさ~」

 いきなりの裏切りにあったような顔で睨みつけてくるハイア。

「ああ。廃貴族をグレンダンに連れて行く、ということは納得している。しかし、その運び方が問題なんだ」

「リグザリオの言う通りだ。ディン・ディーは連れて行かせないぞ」

 やってきて叫んだのはニーナだった。

「はっ、たかが一生徒の言葉なんて聞けないさ」

「貴様ら……ディンをグレンダンに連れて行って、どうする気だ」

「さあね。おれっちも詳しくは知らされてはないけど、少なくともグレンダンが欲しがってるのは廃貴族だけ。向こうに廃貴族を引き剥がす術があるんならこんな未熟者ディンは、すぐにお払い箱。簡単に返して貰えるはずさ~」

 ニーナのレイフォンと同じ質問にハイアはうすら笑いを浮かべながら答える。
 少なくとも宿主を決めた廃貴族を物理的な干渉で引き剥がすことは不可能だ。すぐに返されたとしても五体満足でいる保障もない。

「ディンは確かに間違ったことをした。だが、それでも同じ学び舎の仲間であることには違いない。貴様らに彼の運命を任せるなど、わたしが許さん」

 鎖で雁字搦めにして捕らえられようとしているディンが輸送中やグレンダンでまともな扱いをされるとは誰にも思えないだろう。
 ニーナが鉄鞭を構え、ハイアに向けて言い放つ。

「もう一度言う。ディン・ディーは渡さない」

「……未熟者は口だけが達者だから困るさ~」

 ニーナたちとそれほど年齢も違わないはずのハイアが、まるで俺のようなことを言う。

「どうしても連れて行くって言ったらどうするさ? 現在、ツェルニに居る四十三名。サリンバン教導傭兵団を敵に回すって?」

 対汚染獣、対人戦闘のプロである傭兵団と敵対することになったとき、ツェルニの武芸者に勝機はない。まして、ハイアたちは廃貴族をディンごと連れ帰るだけでいい。こちらを攪乱して自前の放浪バスでさっさと立ち去れば済む話だ。負けない自信がハイアの表情にも表れている。
 しかし、ハイアは忘れている。サリンバン教導傭兵団を相手に渡り合える、単独で制圧し得る武芸者がいまのツェルニには存在することを。

「お前も調子に乗るな」

 濃密な剄を漲らせながら剣を構えたレイフォンが呟く。

「何か言ったかい? 元天剣授受者」

 揶揄も含まれた言葉にレイフォンはわずかに反応するが耐えた。
 レイフォンの場合、ニーナが方針を明確にしたことで傭兵団を敵に回すことを決めたのだろう。

「サリンバン教導傭兵団四十三名。技の錆を落とすにはちょうどいい数と質だ。グレンダンで培ったとかいう、生温い戦い方を見せてもらおうか」

 レイフォンのらしくない挑発に周囲の傭兵団の武芸者たちは声に出さないもののわずかなざわめきの雰囲気が空気に波を作った。
 無音の敵意が濃密にレイフォンに集中していく。

「安い挑発さ~。ま、お前を倒してグレンダンに帰れば、余った天剣を授けてもらえることになるかもしれないさ~」

 ハイアが剣帯から鋼鉄錬金鋼を抜き、刀の形へと復元させる。
 剣を下げたままレイフォンは一歩前に出た。

「レイフォンもハイアも、馬鹿なことは止めろ。今は廃貴族をどうにかするのが先だろう」

 張りつめた空気を作っていたレイフォンとハイアを抑えようと叫ぶ。
 ハイアを払い除け、ディンを捕らえていた鎖を断ち切った俺も傭兵団の連中に障害となる存在であることが伝わっているはずだ。
 
「そんなことは分かってます」

「邪魔するとアンタでも容赦しないさ~」

 二人とも互いが気に入らない者同士らしい。
 いやな剣幕で互いの得物を構える二人は、俺の制止に耳を傾ける気はないようだ。
 よくない状況になってきた。
 今後のことを考えるとサリンバン教導傭兵団との関係が悪化することだけは避けたい。
 良好とはいかなくとも取引が可能な程度の信頼関係、もしくは利用関係を保たなくてはいけない。
 睨みあうレイフォンとハイアを言葉で止めるのは難しい。力尽くで止めるのは簡単だ。レイフォンの挑発に同調するわけではないが、俺とレイフォンの二人ならサリンバン教導傭兵団の総戦力を総合的に上回って有り余る。傭兵団で特筆すべき戦力はハイアだけ。他の武芸者も通常の都市からみれば相当な実力者だが、個としての戦闘力より、集団による総合戦力に重きを置いている。彼らの要であるハイアを圧倒的な戦力で叩き潰せば、傭兵団全体の士気を挫くことができるだろう。

『リグザリオ』

 二人の睨み合いから一歩引いて強引にでも二人を止めるか、傭兵団と敵対してでもディンを守るべきか、迷っているとニーナが念威端子越しに声をかけてきた。

『アレがどういうものか知っているのか』

 ニーナの問いには性急さが見て取れる。
 ハイアのことはレイフォンに任せ、ディンをどうにかすることを考えているのか。
 俺は、ニーナに廃貴族の特性とディンの状態について説明できるだけのことを語った。

『つまり……廃貴族を引き剥がすには、都市の守護に執着している彼の使命感をもう一度、完全に折ってしまう必要があるということだね』

 フェリの端子を通して話を聞いていたカリアンが最も簡単な解決策を提示する。
 しかし、ディンの使命感を折るにはその心を深く理解していなければならない。ディンがこうなるまでの心情は理解できるが、俺の言葉に効果があるとも思えない。やるならばディンと深い絆を持つ者だ。

『方法は、こっちに任せてくれねぇかな?』

 ダルシェナを連れたシャーニッドが会話に割り込んだ。

『方法があるのか?』

『やってみなくちゃわかんねぇ』

 ニーナの問いに、シャーニッドが肩を竦めてみせる。その身体には無数の傷があり、隣に立つダルシェナの戦闘衣は砂埃で汚れているが、怪我らしい怪我はない。二人の戦いは順当にダルシェナが勝利したらしい。狙撃手たるシャーニッドが前衛タイプのダルシェナを真正面から迎え撃つという形を取った時点でそれは当然の結果だ。

「やるなら早めにした方が良いぞ」

 傭兵団を牽制するようにディンの前に立ち、ディンの使命感を諦めさせるために歩み寄ってくるシャーニッドとダルシェナに忠告する。
 あまり長い間、廃貴族を身体に宿しているとどんな影響があるか分からない。まして、ディンは受け皿として優れていない。長時間、廃貴族の力を顕現させればそれだけ肉体の方にも精神の方にも大きな負担がかかる。

「わぁあってるよ」

 シャーニッドだけが適当に応え、ダルシェナは無言でディンの前に立った。その横顔を見るのはあまり気分の良いものじゃない。
 こいつらがやるのならディンのことは任せても大丈夫だろう。

『二時方向、きます』

 フェリの声が届くと同時にダルシェナたち目掛けて衝剄の矢が奔った。
 野戦グラウンドに乱入してきた傭兵団もそれを合図に動き出す。

『リグザリオ!』

「任せろ!」 

 ダルシェナを狙った衝剄の矢をニーナが防御系の剄技で防いだのを確認し、襲いかかってくる傭兵団の迎撃を始める。
 傭兵団を相手に善戦ができると考えるほどニーナも猪武者ではない。ダルシェナの背後を守るように黒鋼錬金鋼クロムダイトの二挺拳銃から軽金錬金鋼リチウムダイトの狙撃銃に持ち替えたシャーニッドが立ち、状況に動揺しつつも打棒と取り縄を構えるナルキ、二人の前に立って傭兵団を警戒するニーナ。傭兵団相手にやり合うにはニーナ達の実力は全く足りていない。しかし、それは集団として戦った場合だ。ようは多対一の状況で戦わせればいい。こんな状況だ、ニーナも我慢してくれるだろう。
 俺の役割は傭兵団を抑えること。一人、二人を逃しても今のニーナたちなら対応できる。それだけの実力がつくように日頃の訓練でも徐々に負荷を増して相手をするようにしてきた。ニーナ達は才能もあるんだ。小隊訓練のない非番日にも以前小隊体験見学に来ていたレオ・プロセシオを始め、小隊に所属していない武芸者の訓練指導を頼まれて結構な数の生徒を見たが、小隊員なら一般武芸科生徒より実力があるのは当然だが、成長率だけを見た場合、ニーナ達は小隊員の中でもかなり才能がある。武芸大会に向けて負荷を増すようにニーナに相談してみようかな。

 俺に向かってニ、三人ずつ武芸者が四方から襲いかかってくる。俺を抑えている間に残った者たちにディンを確保させるつもりだろう。それはあまりにもニーナ達の実力を甘く見すぎだ。
 衝剄活剄混合変化、竜閻りゅうえん
 簡易型複合錬金鋼シム・アダマンダイトの双剣。その片割れの刀身が鏃状にばらけ、極細のワイヤーが複数の鏃刃を繋げ、柄に奔らせた衝剄を刃先まで伝える。一閃すると同時に刃が蛇のようにうねり、一番近くに居た武芸者を捉えて遥か後方へ弾き飛ばす。刀身に奔らせる衝剄を調整し、切断力を低下させる代わりに与える衝撃力を増大させている。
 しかし、傭兵団は初撃に怯むこともなく、伸びきった蛇腹ベローの間合いの内側に飛び込んできた。
 活剄衝剄混合変化、鎧閃がいせん・弾鋼。
 鎧閃の攻撃を逸らす衝剄を変化させ、衝撃を反射するようにした応用技。間合いに飛び込んできた傭兵団に砲弾級の蹴りを撃ち込み、振り下ろしていた錬金鋼を完全な力業で破壊して身体も吹き飛ばした。

 その後は、仲間をやられ、俺をどうにかしないとディンを捕獲できないと感じた傭兵団が集中的に襲われたが、レイフォンがハイアを降し、ダルシェナの言葉により廃貴族がディンから抜けるのを確認するとサリンバン教導傭兵団はすぐに撤退していった。
 幸い、廃貴族の追跡は通常の念威操者には不可能だ。
 サリンバン教導傭兵団の目的が廃貴族である以上、まだ俺には交渉できる手札が残されている。ディンのことに関しては、ニーナたちの手前、はっきりと行動できなかったが、今度は正式に取引を持ちかけることにしよう。ハイアもサリンバン教導傭兵団をあずかる身だ、ちゃんとした報酬さえ用意すればまだ取引に応じるはずだ。

 武芸大会は近い。
 このまま俺ももっと人間同士の戦いを分析しないといけない。
 武芸科全体の連携訓練もそろそろ始まるだろうし、やることは多いが遣り甲斐はある、かもな。

「お前の働きにも期待してるからな、■■■」

 野戦グラウンドの砂煙が消え去り、試合終了のサイレンが鳴り響くツェルニの空に呟いた。




[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十四話 ア・デイ・フォウ・ユウEX
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/06/11 19:52

オーバー・ザ・レギオス


 第十四話 ア・デイ・フォウ・ユウEX




 今日はバンアレン・デイ。
 これは愛の告白の代わりにお菓子を贈るというバレンタインデーに相当するイベントらしい。
 バンアレン・デイは他の都市にある風習が流れて、今の形になっているらしいが、何ともはた迷惑な風習である。色恋沙汰にもっとも興味が年代の男女がわんさかと犇めき合っている学園都市にとっては学園の年間行事以上の熱気が渦巻いている。なにしろ学科を問わない闘争だ。

「そう闘争なのだ」

「訓練中に雑念を入れるとは何事だ」

 男女混合のお祭りデイズに普段の半分以下な騒音がほそぼそと響く練武館でお菓子のかわりに鉄鞭の一撃をプレゼントされた。
 億万分の一にも満たないサプライズでも期待してやって来たのだが、ニーナにとって周りの熱気はどこ吹く風状態。イベント自体を否定することはないが、自分には関係のないことだと割り切っているとのことだった。
 小隊員でさえ浮ついた気分で訓練を休んでいる奴らが多いのになんとも真面目な娘だよ、ホント。



 いつも通りの訓練時間まで型の反復練習や組み手を行った後は、汗を流して解散。
 練武館のシャワールームは各小隊ごとに用意されているのだが、このシャワールームは男にとって恐ろしく自制心を試される作りになっている。それについてはロッカールームも小隊ごとに用意されているものなので男女共用は当たり前。本当にこればっかりはどうにかしないとそのうち我慢できなくなるんじゃないかと自分の自制心に自信が持てない。悶々とした葛藤に苦しんでいる俺の心情を知らないニーナは、最低限の視覚防御を行うだけでさっさと汗を流して帰り支度を済ませた。
 拷問のような時間を耐え抜いた俺は、このあと特に用事もないというニーナを食事に誘う……などという雰囲気に流された発言もせずに正面玄関を抜け出た。

「アントーク先輩!」

 いきなり耳を打った黄色い声に驚く。見ると正面玄関の脇に女子生徒の集団がニーナに駆け寄り、熱い視線で取り囲んだ。

「な、なんだ、君たちは?」

 女子生徒たちに取り囲まれたニーナが狼狽する。

「先輩、わたし……」

「先輩! あたしの気持ちですっ!」

「あの、これ……先輩に」

「受け取ってください!」

「食べてください!」

 そんな漫画のような熱烈な発言と共に一斉に差し出されたものに、ニーナが目を丸くした。女生徒達が手にするものが別段珍しいモノではなく、今日に限っては持っていても当たり前な品物だったが、それを自分に差し出すという意味を理解しかねるニーナが困惑気味に尋ねる。

「……君たち、今日が何の日か知っているのか?」

 こめかみに冷たい汗を感じながら尋ねる。

「わかってます!」

「……だから、わたしたち」

「話し合ったんです」

「先輩に迷惑かけたくないし……」

「尊敬してる人にあげてもおかしくないです」

 純粋に言葉通りの思いの者から明らかに熱い熱い下心を持っている者まで揃いも揃ってニーナを上目遣いに見上げる。
 両手いっぱいに抱えるほどのお菓子を複雑な表情でニーナは受け取った。

「……べ、別に羨ましくなんかないんだかんな」

「言いたいことはそれだけか?」

 学園都市において下級生に分類される三年生でありながら小隊の隊長を務めるニーナは、年下の、それも同性から絶大な人気を得ている。
 武芸に掛ける信念と実力、戦闘に邪魔だという理由で短くされた金髪、普段着も動きやすさを重視したものが多く、色合いも黒や青が多い。
 まだ幼さが抜け切っているわけではないが、その顔立ちは美しく、十二分に男装の麗人として通用する。
 しかも、先日はメイシェン・トリンデンのケーキ屋で臨時就労を行った際にマナーの悪い男性客の集団を注意して追い出すということ公衆の面前でやっている。それがさらなる人気を高めることになったようだ。
 持ち運ぶにはお菓子が多すぎたため、歩きで帰るのを諦めたニーナが停留所に向かうのを見送った俺は自分の寮へと歩を向けた。この時間帯の路面電車は人が少ない。訓練時なら我慢できるのだが、どうにもプライベートで異性と二人っきりの状況になると変な下心が出てきて下らん妄想に悶々としてしまうので出来る限り、そういう状況はさけている。自分がムッツリなのを自覚している分、へんな妄想をしてしまうことが嫌になる。

「そんなわけで今は嫌な気分だ。用があるならさっさと出て来い。用がないなら疾く去ね」

 夕暮れを孕んだ薄暗い静寂に包まれた植樹が整然とならんだ小さな丘。そちらから感じた奇妙な視線に敵意をもって応える。
 改めて視線をそちらに向けると木々に遮られた向こう側に合った気配が薄れ、奇妙な視線も感じなくなった。かわりに残ったのは、憶えのある気配。

「アンタもニーナにプレゼントがあったのか?」

「っ……その通りだ」

 パイナップルヘアの鷹目が悔しそうな表情で手にしていた小包を後ろ手に隠した。
 ランドルトに先ほどの妙な気配は感じない。ランドルトの様子からして一緒に隠れていた誰か、というわけでもないようだ。
 
「にしても、ハイア……サリンバン教導傭兵団の偽装学生の事件以来だな。それで景気はどうだ? 出世できそうか?」

 不貞腐れた様子のランドルトに冗談交じりに声をかける。
 しかし、ニーナとは違った意味で真面目なランドルトまで同性でもOKな奴だったなんてな。

「そんなわけないでしょ? こんなできそこないの人形が人間の情愛を理解できるわけないじゃん」

「は? なに言っ……」

 いきなり口調が変化したランドルトに振り向くとそこにはいつもの武芸科の制服に身を包んだ都市警のランドルト・エアロゾルは居なくなっていた。代わりに短いスカートに丈の短い皮のジャケットを羽織り、じゃらつく鎖のアクセサリーを身に付けた美しい少女が呆れた表情で立っていた。
 見たこともないはずの少女の登場に俺は驚くことができず、逆に心が落ち着いていくのが分かった。

「苦労したわよ。もともとアタシ専用じゃないし、アンタとの“縁”の接続具合も最悪。まあ狼面衆がハトシアの実を持ち出しているからようやく繋がったわ。エアフィルターを通して広域散布してくれれば、もっと簡単だったのに」

 不満も愚痴も隠さず漏らす少女の姿に落ち着いていた俺の心にも呆れが混ざる。

「ずいぶん、唐突な登場だな。しかも、他人の身体を乗っ取るなんて趣味も悪い」

「別にいいじゃない。今だけしか繋げられないんだし。この人形には火神ほどの性能はないけど、安定性と接続性は上だからね」

 ランドルト・エアロゾルという少女の意外な素性にも対して驚きはない。
 一時的な憑依状態ということならそれほど注意する必要もないか。ランドルトが目覚めた時にどのような状態になっているか心配ではある。

「別にどうもならないわよ。火神を製造する過程でまったく別方向に進んだ失敗作の一体だから、狼面衆にとっては完全に無価値な代物なの。私くらいにしか実体転写なんて利用方法はできないし、実際に肉体を変質させているわけじゃないからこの個体に影響がでるなんてこともない。安心した?」

「ま、それなりには」

 説明された内容の半分も理解できないがとりあえず、ランドルト個人への悪影響がないのなら気にする必要もない。
 それからしばらくツェルニの街を言葉を交わすこともなく歩いた。
 日も傾いてきた頃、俺たちは都市外縁部にある公園へとやって来ていた。訪れる生徒も滅多に居ないためか整備もされず放置され、廃れた様子が肌寒いものを感じさせる。

「ホント、息苦しい世界。よくこんな狭い街に閉じこもって生きていけるわね」

 エアフィルター越しに見える沈み始めた陽を眺めながら呟かれる言葉。それは初めてこの世界にきた俺の感じていたものの一つでもあった。

「でも、誰も好き好んで閉じこもってるわけじゃないだろ」

 これも正直な気持ちだ。とくに考えて応えたものではなかったが、その言葉に少女は詰まらなそうに俺を流し見たあと被りを振って歩みを止めた。

「……でしょうね」

 エアフィルターの際に立ち、汚染物質に満たされた外界を臨む少女の姿は、言いようのない違和感を孕んでいた。
 登場の仕方はもとより、これまで姿すら持たずに俺をサポートしてくれていた謎の存在。いくら“この世界”でも馴染まないのは当然だ。

「本題に入りましょう。アンタと違ってアタシには時間がないの」

 外界を眺めていた少女が振り返ると彼女の周囲にノイズが奔った。
 時間がないとは、どういう意味なのか。もとからのあった異質さがさらに増す。

「アタシがアンタの“感覚”をサポートしているのは、“私”を守ってほしいから……」

「その“敵”は……汚染獣、ってわけじゃないんだろうな」

 俺の問いに頷き、少女は再び外界を、さらに上空にある闇夜、そこに浮かぶ月を見上げた。

「アタシは負けたのよ。イグナシスに、あの女に、あの男に……“自分の鏡”にすら劣ってしまった」

 何を伝えようとしているのか分からない。ただ少女の言葉には、世界の事実がある。あるいは俺が置かれている状況を打破する何かを得ることができるかもしれない。

「アンタは、この世界の誰からも抑圧を受けない。ゼロ領域を介さず、“異民”にすらならずに“異世界法則”を纏い、無限に強くなる。ナノセルロイドも、クラウドセルも、イグナシスもアンタを滅ぼせない。あの錬金術師アルケミストの女にできたのは、せいぜい“この亜空間”に縛り付けることだけ。いずれ来る決着の時、万に一つでもイグナシスを取り逃がすことがないように、復活の余地を残さないように完膚なきまでに破壊し尽くすための“黄昏の因子”」

「ちょ、ちょっと待て。そんな矢継ぎ早に言われても」

 少女の話に出てくる単語だけは“知って”いる。しかし、それらを結びつけるための“記憶”が曖昧な俺ではその意味を正確に理解できない。
 そんな俺を無視するように少女は言葉を続ける。

「私がアンタの傍に存在できるのは、事故のようなもの。アンタが“月”から堕ちる時に“リリスという因子”が巻き込まれた。“異民”として完全に敗北したアタシはもうゼロ領域に戻っても他の有象無象と同じようにゼロ領域に溶けてしまうだけ。……それだけは嫌なのよ」

 言葉切れに声が震えたように感じた。
 そして、再び少女の周囲にノイズが奔る。

「アンタを守る、っていうのは別に構わない。俺としてもアンタに居てもらった方が心強いからな。けど、どうすればアンタを守ることになるんだ?」

 今現在、俺が敵として認識しているのは汚染獣だ。それ以外の敵、少女や廃貴族の言葉に出たイグナシス、ナノセルロイドとクラウドセル、少女を負かした“女”と“男”の中の誰か、もしくはその全てなのか。そもそも俺は、その中の誰とも会ったことはないからどんな奴らなのかさえ知らない。

「それは違うわ。アンタはあいつら全員と“遭ってる”。“月”に居るイグナシス達は貴方の存在を“感知”できても、“認識”することはできないし、ハルペーやあの女はアンタのことを“認識”することはできても、“感知”することができない。そんなアンタだからこそ、アタシを守ることができる。“奴ら”を排除できるし、どれほど関わっても“あちら側”に呑み込まれることはない」

 また理解し難い言い回しをする。
 またノイズが少女の姿を歪めた。今度のノイズは収まることなく少女の姿を世界から削り取ろうとしているようだ。

「今のアタシはすべてを望めるだけの“願望”を失ってしまった。でも、“リリス”だけは失いたくない。自分で“ニリス”を消した時、まさかアタシまで“こんなこと”になるなんて思いもしなかった」

 ノイズに浸食される少女の姿から徐々にランドルトの姿が現れ始める。

「もう“後”なんてないのよ。それでもアタシは“本当の私”に戻りたい。だから、それまで――」

 アタシを守れ――と続けたかったのだろう。
 言葉の最後は、ノイズによって掻き消され、あとに残ったのは虚ろな視線を彷徨わせるランドルトだけだった。
 少女の言葉の中に俺の在り方や現状を解明するヒントくらいはあったのだろう。俺には読み取れなかったが、きっとここで“記憶”したことが重要なのだ。これからまたこういうことがあるかどうかは分からないが、次があるのならば多少は気の利いた“答え”を用意しておくようにしよう。

「……ん? わ、たしは一体」

 まどろみから醒めたようなランドルトは、自分が立っている場所がいつの間にか変わり、時間も大分経ってしまっていることをゆっくりと理解し始める。
 時間にして1分も経たないうちに自分を取り戻したランドルトは、苦虫を噛み潰したように表情を歪めながら俺の胸倉をつかんだ。

「私は何をしていた。貴様は……何を見た」

 いままでとは違う切迫した余裕のない表情と若干の怒りを孕んだ声。もしかしたら今回のように意識が途切れる、ということはランドルトにとっては良くあることなのかもしれない。しかし、さきほどの少女がランドルトの身体に現れたのは初めてだったような言い方だった。だとするとランドルトが欲するような説明は難しいな。どちらにしろ、俺も今の状況がどういうものだったのか判断に困っている。
 ただの武芸者だと思っていたらヘンテコな特異体質をもっているとはな。

「俺が見たのは夢遊病患者みたいにふらふらと歩くアンタだけだ。俺がここに居るのは暇だったからアンタを観察してたからさ」

 自分の中でも不確かな情報を開示すべきではない。
 ランドルト自体、“人形”と称される存在である以上、不用意に多くの情報を渡した結果、どのようなところに影響がでるか分かったものではないからな。
 俺の答えにしばらく無言で睨みを利かせていたが、次第に表情が青褪めたかと思うと逆に耳まで真っ赤に染めて手に持っていた小包で俺を殴り付けた。

「いきなり何しやがる!」

「君の方こそ何を考えていた! 他人が知られたくないことを面白がって観察するなんて……恥を知りなさい!」

 確かにそうだな。
 変な言い訳をしたせいで怒らせてしまったことに逆ギレしてしまうとはなさけない。

「わ、悪かった」

「……君は、何か隠したな」

「気にするな」

 いきなり見抜かれたことに対する動揺を隠すためにも即答する。

「誰しも隠し事は間々あることだ。だから、アンタがあ~んなことやこ~んなことをやってしまったとしても気にするな。俺も気に「!$&%>&”&%!#$%&!&ッッッ!!」ぐふぉあ!?」

 声にならない叫びと共に素晴らしい内力系活剄による正拳突きが顔面に炸裂した。
 あまりの不意打ちに完全に衝撃を殺しきれない分が鼻の奥にダメージを与えた。
 流れそうになる鼻血を止めるために鼻を摘み、活剄により治癒速度を速める。
 
「忘れ物……」

 視線を戻すとフェードアウトしたランドルトの代わりにくしゃくしゃになった小包が転がっていた。

「……ニーナはたくさんもらってるし、良いよな」

 とりあえず、放置しておくのも悪いし、くしゃくしゃになったままニーナに持っていくのもあれだし、ランドルトに返しにいくのも気まずい……ということで中身はわたくしがおいしくいただくことにいたしました。





 後日、原因不明の食中毒により、人生初の入院を余儀なくされたのは自業自得だったのだろう。









[8541] オーバー・ザ・レギオス 幕間05
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/06/13 18:05

オーバー・ザ・レギオス


 幕間05 槍殻都市グレンダン 





 場所は、レイフォンの故郷、槍殻都市グレンダン。その支配者が住まう宮の一室。
 本来汚染獣を回避して移動する自律型移動都市としては異常なほど汚染獣との遭遇率が高く、移動半径内に大量の汚染獣が生息している。他の都市からは「狂った都市」と呼ばれることもあるが、その環境のために武芸が発達しており、武芸の本場としても名高い。
 その最たる存在が、“天剣授受者”と呼ばれる超絶的な実力を持った武芸者達である。天剣授受者は最大で12人存在し、グレンダンの住人にとっては「グレンダンほど安全な都市はない」と言うのが共通認識となっている。

 シノーラ・アレイスラは届けられた手紙をテーブルの上に広げ、頬杖をついて眺めていた。

「いかがなさいます?」

 そう問うのはシノーラと振り二つの顔を持つ長身の美女。名をカナリス・エアリフォス・リヴィンという。
 槍殻都市グレンダンが誇る十二人の天剣授受者の一人であり、グレンダンの女王不在時に執政権を預けられる影武者でもある。
 都市中央に位置する王宮の王家が暮らす区画の一室にてカナリスを侍女のように侍らせるシノーラ。普段は高等研究院の院生として怠惰な日々を送っているが、その正体は強大な武芸者である十二人の天剣授受者たちを従えるグレンダンの女王、アルシェイラ・アルモニウスその人である。
 アルシェイラは数分前から沈黙を維持して気だるげな様子で手紙の文面を眺めている。

「ツェルニで発見された廃貴族。グレンダンに招くのが得策だと思いますが?」

 重ねるようにカナリスが口を開く。
 手紙の送り主はハイア・サリンバン・ライア。先代サリンバンが死亡したために後を継いだ若き三代目だ。
 送り元はかつてアルシェイラ自らが都市外退去を命じた天剣授受者が居る都市で、廃貴族が発見されたという文面だった。
 さらにそれと重なるように広げられたもう一通の手紙。送り主はハイアではなく、同じサリンバン教導傭兵団に属する人物からのものである。

「廃貴族に支配されることなくその力を従える、もしくは抑えることができる武芸者。傭兵団の手に負えるモノではありません」

 カナリスの口調は淡々としているが、声音に僅かな震えが混じっている。
 廃貴族の報告と同時に送られてきた手紙の内容は、天剣授受者に驚愕を与えるのに十分な事実が記されていた。いや、それが事実であるかの確認はされていない。されていないが、それが事実であれば、それはグレンダン王家が長年に亘って積み重ねてきた業を揺るがしかねない。
 アルシェイラはそれでも沈黙を保っていたが、頬杖をついていた手で自分の髪を指に絡ませながら吐息を混ぜながら唇を開いた。

「……め」

「もしかして、『めんどくさい』とか言うつもりじゃないでしょうね?」

「……だめじゃん。先にそういうこと言っちゃ」

「だめではありません」

 唇を尖らせて抗議するアルシェイラをカナリスが冷やかに見下ろす。

「天剣が十二人揃わない以上、手に入れられるものは手に入れておくべきです」

 レイフォンがグレンダンを追放されて数か月。
 武芸が盛んなグレンダンでは幾度も武芸者の試合が行われており、また汚染獣の襲来に際しても武芸者は駆り出されているが、その中に天剣授受者となれるような実力者は現れていないため、かつてレイフォン・アルセイフが所持していた天剣ヴォルフシュテインが空いている状態が続いていた。

「あの子が天剣持った時には、ああ、ついに来たのかなって思ったけど、もしかしたらそうじゃなかったのかもね」

「天剣が揃ったからといってその時が訪れるとは限りません」

「このハイアってのはどうだろ? レイフォンと同門なら可能性はあるんじゃないかな」

「陛下……問題を先送りしようとしてますね」

 文句ばかり垂れるアルシェイラに苛立つことも憤ることもなく、カナリスは我慢強く説得を続けた。


 カナリスの話から逃げるように部屋を出たアルシェイラは王宮の廊下を歩いていた。この廊下は王宮の主要部分からは外れた場所のため、警護の武芸者の姿はない。アルシェイラが私用で移動しやすいように、わざと警護の者たちを配置しないようにしている。その用途からも照明は最小限であり、太陽の位置によって窓からの光さえ細々としたものになる。そんな薄闇の廊下の端にひとりの姿があった。

「なにか用かい?」

 アルシェイラに声をかけられ、気配の主は窓の前に移動して影から現れた。
 びっしりとした筋肉が皮膚を押し上げる両腕をむき出しにした薄地の服を纏い長い銀髪を後ろでまとめた青年だった。
 名をサヴァリス・ルッケンス。槍殻都市グレンダンの天剣授受者12人の一振りであり、天剣クォルラフィンを授けられた常勝無敗の武芸者である。
 ただ強くあれ、歴々のグレンダン王家からそれだけを求められる存在である天剣授受者、それを最も正しく体現した戦闘の申し子、ルッケンスが生み出した最高傑作。他の天剣授受者と同じく人間性に多少の難はあるが、強くなること、強者と戦うこと、命を削るような激しい戦場をこよなく愛する“正しい天剣授受者”だ。

「陛下においては、ご機嫌もよろしく……」

「やれやれ、今日は忙しい日だよ:

 型通りの挨拶をして礼をするサヴァリスにアルシェイラは顔も向けずにため息を吐いた。

「……あまりよろしくはなかったようで」

「まったくね。今日は珍しく頭を使ったんで機嫌が悪いんだ」

「それは大変ですね」

 微笑みながら気付かいの色が全く見えない言葉を吐くサヴァリス。それをアルシェイラが睨みつけるがサヴァリスは動じない。

「ご不快の原因は、手紙ですか?」

 サヴァリスの言葉にアルシェイラは瞳を引き絞るように細めた。

「ルッケンスの家は、少し調子に乗っているのかな? それとも天剣使い全員が調子に乗ってるのかな? だとしたら、少し引き締めてやらないといけないね」

「とんでもない! 陛下に捧げた僕たちの忠誠に、一片の曇りもありません」

 アルシェイラが良からぬ誤解をしていると察したサヴァリスは慌てた様子もなしに改める。

「つい先ほど、ツェルニに留学している弟のゴルネオから手紙が届きましてね。サリンバン教導傭兵団からも報告が上がっているとは思いましたが、私の手紙の方が先についていた可能性もありますので、現在のツェルニの状況を鑑みてもお早めに陛下へお伝えしなくてはと、ここでまっていたんですよ」

 同じような内容の手紙を受け取ったというのならば、カナリスほどではなくとももう少し神妙な態度になれないのだろうかと呆れるアルシェイラを余所に軽い調子で述べたサヴァリスの目にはどこか喜々とした色があった。

「……行きたいの?」

「是非に」

 予想を裏切らないサヴァリスの満面の笑みにアルシェイラは眉根を寄せた。

「弟が向こうに居る私なら他の者より向こうの情勢を把握するのもたやすく、状況次第で潜伏することも可能でしょう。それに、レイフォンとやりあうようなことにでもなった場合、他の連中だとツェルニが壊れてしまいますよ」

 冗談なのか本気なのか分からないようなことを笑いながら言うサヴァリスを冷たく見つめていたアルシェイラは、ふと思いついて聞いてみた。

「……もしかして、レイフォンを殺したい?」

 アルシェイラの問いに笑顔を崩さないサヴァリスだったが、表情から温度が下がっていくのが感じられた。

「陛下……僕は“今のレイフォン”には興味を持っていません。ゴルネオの手紙を読んだ現在の僕の興味対象は、陛下に並ぶ力の可能性である廃貴族……それに天剣授受者に匹敵する、いや、天剣授受者だったレイフォンよりも強者であるかもしれない存在。どちらの真偽も僕は確かめてみたいんですよ」

 はっきりと言ってのけるサヴァリスに後ろめたさはない。

「天剣授受者はただ強くあればいい。陛下が常々、仰っている言葉です」

「ま、一般常識は欲しいけどね」

「それはもちろん」

「……ま、考えておくよ」

 言い捨てるとアルシェイラは歩き出し、サヴァリスが道を開ける。

「楽しみにしています」

 サヴァリスの言葉に振り返ることなく、アルシェイラは手をひらひら振ってそれに答えた。




 王宮を抜け出すために宮廷用のドレスから市井用の衣服に着替えるための部屋で一人になったアルシェイラはサリンバン教導傭兵団の古参団員であるフェルマウス・フォーアの報告書に書かれていた内容を思い出す。そこに書かれていたのはひとりの武芸者についてだった。
 十年ほど前に傭兵団と遭遇したひとりの武芸者。ひとり死地へと赴いたその武芸者が時を越えて変わらぬ姿のまま再び現れた。そのものの武芸者としての力は“天剣授受者を遥かに凌駕する”とも記されていた。これは学園都市ツェルニに滞在しているレイフォン・アルセイフを比較対象にしたものではなく、フェルマウス・フォーアという幾人もの天剣授受者を知る歴戦の兵が下した評価だった。天剣授受者に成り得る武芸者がグレンダンの外で育っていること自体は驚くべきことではない。当代最強の天剣授受者たるリンテンス・ハーデンという男も外から来た武芸者だ。
 アルシェイラやカナリスが問題視していたのは天剣授受者を上回る能力値ではなく、“廃貴族に感応している”可能性があるというところだった。それは単純な戦力としてではなく、廃貴族と意思疎通を可能とする存在は、間違いなく常人ではない。多かれ少なかれ、“この世界”の向こう側に深い関わりをもつ存在であることは間違いない。

「“リグザリオ”……お前は、アイレイン武芸者か、それともサヤ電子精霊なのか? “私”が逢うべきか、“あの子”を逢わせるべきか……」

 絶対的な強者であり続けたアルシェイラは、本来、自分がすべて背負うはずだったものを分かち合ったかけがえのない少女のことを思い、槍殻都市に眠る電子精霊の原型たる存在を気遣いながらも来るべき戦を思い描く。

「お前はどちらだと思う? グレンダン……」

 アルシェイラの問いに窓の外に現れていた蒼銀色の豊かな毛並みを持つ犬のような存在は、淡い光を明滅させるだけではっきりと応えることはなかった。




[8541] オーバー・ザ・レギオス 幕間06
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/06/15 16:29

オーバー・ザ・レギオス


 幕間06 ニーナ・アントーク




 バンアレン・デイ。
 巷では男女も一般学生も武芸科生も変わらず浮かれるイベントだ。私の周りにもそれらに同調する人物もいれば、面白半分に変な噂を流したり、いらん知識を植え付けようとしたりする困った人物もいる。本来なら女性から男性へと贈り物をするのが普通らしい。しかし、私は同性の後輩たちからたくさんのお菓子を貰ってしまい対応に困った。そんな私を恨めしそうに見つめていたリグザリオと別れて寮に戻った後、同じ寮のセリナ先輩から友人のレウと共に知りたくもないバンアレン・デイ時期のおまじないを教えられ、女の子たちから貰ったお菓子の可愛らしい包みを開けることができなくなった。

 そんないやな話題もそこそこに夕食を済ませた私は、剣帯を巻き、訓練着とその上に上着を羽織って寮を出た。機関掃除のない日はよくこうする。身体を動かしたりないと思ってしまうのだ。
 私たちの寮がある建築家の実習区を抜け、更地の土地まで歩きむき出しになった地面の中央に立つ。周囲の空気を肌で感じながら剣帯に手を添える。

「尾行されるような覚えはないぞ」

 練武館の帰り道で感じた視線。敵意はなくとも正体がしれないというだけで気持ちが悪い。
 あの時はリグザリオや後輩の女の子たちがいたから判然としなかったが、この視線の主は間違いなく私を観察している。その感覚はとても不快だった。応えは即座になかった。
 外力系衝剄の変化、九乃。

「うぉ!? 待った待った、敵じゃねえよ」

 無言を続けようとした視線の主に剄の弾丸を放つと慌てて暗闇から飛び出してきた。
 私と同じタイプの剣帯を腰に巻いていることから武芸科の生徒であることが分かった。学年は色からして最上級の六年だ。癖のある赤毛に油断のできない何かを宿した瞳を持つ長身の男。

「ならばすぐに姿を現わせば良かったでしょう。そうすれば私も無駄な剄を放たずに済みました」

 警戒を解かず、いつでも錬金鋼を抜けるようにして言う。先輩とはいえ夕方からずっと私を尾行していたことになる相手だ。気を抜けるわけがない。

「手荒いねえ。だが、その態度は悪かねえ。特におれみたいな怪しい奴を相手にするときはな」

 赤髪の青年は楽しそうに笑った。
 どこか挑発的なその態度に錬金鋼を掴みそうになるが、呼吸の乱れに気付き気持ちを抑える。
 焦っても良い、怒っても良い、焦ってもいい。しかし、どんな相手にも、どんな窮地にも、どんな苦痛にも、自分自身の中にあるリズムだけは見失ってはいけない。これは、小隊員以外の武芸科生徒を相手に特別授業の押し売りをしているリグザリオがレオ・プロセシオやその友人たちに教えていたことのひとつだった。敵がどれほど強くとも、状況がどれほど絶望的でも、自分の持てる最大限の力を発揮して対処することができるようにする。そこに勝利がなかったとしても決して全力を出すことに怯えてはいけないのだという。あまりに実力差があり過ぎる訓練相手であるリグザリオと組み手をしたとき、初めは胸を借りるつもりで、と言ったら瞬きをする間もなく昏倒させられた。最初は何が気に食わなかったのか分からなかった。それに気付く頃には、両手の数で足りないほどの屈辱的な敗北を喫していた。例え実戦でもあれほど惨めにかんじたことはなかった。リグザリオが言うには、どんなに勝ち目がない相手にも“勝つ方法”を考えて戦うようにしろとのことだった。リグザリオが言う“勝ち”が単純に相手を打ち負かすことをいっているのではないことくらいは分かった。それ以来、例え訓練でも常に“勝つ方法”を考えるようにしている。たまに考え過ぎて戦闘そのものに集中力が割けなくなってしまうこともあるが、それを自然に行えるようになることが“総合的に強くなる”ことの一歩だ、というのがリグザリオの考えだった。

 だから、得たいのしれないこの飄々とした風情を装うこの青年を前にしても呼吸を乱さない。思考の動揺を剄に伝わせない。
 この武芸者の男は、間違いなく私より実力は上だ。伊達にリグザリオやレイフォンという実力者たちと日々を共にしていない。この男が緊張を強いるような武芸者であろうとも剄を乱すようなことはない。

「しかも、見る目もある。上等だ」

 間近までゆっくりと歩いてきた青年は満足そうに頷いた。

「おれの名前はディクセリオ・マスケイン。まぁ、ディックと呼んでくれ。君は?」

「知らないでつけ回していたんですか?」

「事情が事情なんでね。仕方がない」

「……ニーナ・アントークです」

 本人が自称する通り、明らかに怪しいがここで深入りする愚を犯すほど思慮に欠けてはいない。

「お、疑ってるな?」

 分かり切ったことをいう。このディックという男は、この状況で疑心を抱かせないほど人畜無害な印象を持っていると思っているのだろうか。

「ま、仕方ねえな。……どうだろうな、頼みを聞いてくれるんなら、前払いでおれのとびっきりの技を教えてやるぜ」

「技だと?」

「練武館での練習は見せてもらったぜ。双鉄鞭なんて渋い武器選ぶってところが気に入っちまった。どうだろうな?」

「……技によるな」

「絶対、欲しがるぜ」

 自信の満ちた子供っぽい笑い顔をして後方に跳んで私から距離をとった。ディックの手が剣帯に伸び、それに応じる形で私も錬金鋼を抜き、復元させる。
 ディックの手には一振りの鉄鞭が握られている。私のものよりはるかに大きく、人間ではなく、汚染獣のような巨大な敵を相手にするために用意されたと思える金棒の領域に届くような打撃武器だ。

「じゃあ、いくぜ」

 正直、レイフォンとリグザリオが同じ小隊に居る私は、二人からいくつかの剄技を教えられている。レイフォンたちのように多彩な剄技を使いこなすだけの資質も剄力もない私には、もったいないほどの剄技の手解きをすでに受けている。ここでさらに別の剄技に手を出すことが本当に私自身のためになるのか分からない。
 しかし、あの二人が知らない技を習得することで少しでも彼らに戦闘中に驚きを感じさせることができればと思い、ディックの技を見るために活剄を身体に奔らせる。
 瞬間、ディックの姿が残像を残して消えた。

「っ!」

 咄嗟に横っ跳びに回避するのと入れ違うように私が立っていた地点に真正面からディックの巨大な鉄鞭が振り下ろされていた。

「お、手加減していたとはいえ、初見で雷迅を避けやがるなんてな。結構、へこむぜ」

 稲妻の如き速度と衝撃。完全に避けたにも関わらず、全身が痺れる感覚に剄息が乱れてしまう。
 地面を叩いていた鉄鞭を振り上げ、肩に担ぐようにしながら楽しそうに笑うディック。

「練習してんの見たが、防御が得意なようだな。だけどよ、受け身ばかりじゃどうにもならない時ってのもある」

 防御、レイフォンに教えられた金剛剄という槍殻都市グレンダンが誇る天剣授受者であるリヴァースという武芸者が得意とする剄技。まだまだ使いこなせてはいないが、自身が研鑽を積む技を軽んじるような言い方にわずかな苛立ちが燈ってしまった。

「攻撃は最大の防御だ。バカみたいにまっすぐに突っ走るのは、意外にお前の性に合ってる気がするからな」

 私の気持ちも知らずにディックは鉄鞭を肩に担いだままゆっくりと腰をおろした。技を教えると言った手前、私にも技を見ることができるようにゆっくりとやる気だ。レイフォンに教えられたように瞳に剄を注ぎ込み、ディックの剄の流れを見た。
 剄脈のある腰部、そして鉄鞭を中心に剄が波紋を描いて大気に広がっていく。だが、それは拡散しているわけではなく、ある一定の距離まで離れると新たな流れを作って剄脈から鉄鞭へ、鉄鞭から剄脈へ、というように無限循環を作り上げる。
 肉体の内と外で作られた剄脈回路は、全身を奔る活剄を強化し、同時に衝剄を鉄鞭に凝縮させていく。

「己を信じるならば、迷いなくただ一歩を踏み、ただ一撃を加えるべし。……おれに武芸を教えた祖父さんの言葉だ」

 その言葉と同時にディックの姿が再び消える。
 今度は限界まで感覚を研ぎ澄ませていたので何が起こっているのかを見ることができた。
 無限循環を作っていた剄の流れが引き千切れるように形をかえ、足と鉄鞭に吸い込まれるようにして消えた。足に吸い込まれた剄は旋剄を使用する時の剄の動きに近いものがあった。
 ならば鉄鞭に流れていた剄は?
 ディックの攻撃の軌道上に双鉄鞭をクロスさせ、ディックの剄技を受け止める。
 三振りの鉄鞭が火花を散らして衝突するも、その均衡は即座に崩された。


「……確かにすごい技ですね」

 気を失っていたということに気付き、跳ね起きる。

「おいおい、頑丈にも程ってもんがあるだろ?」

 ディックの驚きの声がすぐ傍で聞こえた。その言葉から察するに気を失っていたのは数秒程度だったようだ。
 まだ全身が痺れているような感覚があるが、後に引くほどのものでもない。

「今の技は?」

「祖父さんの教えを基に、おれが作ってみた。中々のできだろ?」

 私が興味を持ったことが嬉しいのか、満足そうに言うディック。
 雷迅というこの剄技。以前にリグザリオが使用した焔神に似ていなくもない。あの時の焔神は汚染獣相手に使用したこともあり、その威力も速度も周囲へ撒き散らす破壊力も比較にならないが、レイフォンやリグザリオなら雷迅も再現することができるだろう。

 †

 雷迅のコツを教えてもらう代わりに私が請け負ったのは、ディックをこの学園都市の電子精霊に合せることだった。
 電子精霊に逢えるかどうかは運次第だが、電子精霊と会いたいなら都市の機関部へ行けば良い。見学の手続きさえ行えば比較的簡単に入ることができる。もちろんそれは、ディックが正式なツェルニの学生であればの話だ。もうすぐ卒業だからと、確実に会うためには私を通した方が良いと判断したのだろうか。機関部で就労している者たちの間では、私がツェルニに懐かれているということはよく知られているからそれをディックが耳にしていても不思議ではない。

 いつも私が使用している機関部への入り口に到着すると不意に奇妙な気配が肌を撫でた。

「気付いたか?」

「はい……」

 短い言葉に緊張を含ませたディックの問いに頷く。
 この辺りは夜に人が集まる様な場所ではない。人の気配はなく、街灯と入口にある非常灯だけが暗闇に色を与えている。
 何か張りつめたような緊張感がこの場にあった。

「先輩……?」

 傍らに立つディックはこの奇妙な気配に慣れているのか悠然と立ちながら、油断なく正面を見つめていた。

「よう、そんなもんじゃおれの後輩にも気付かれちまってるぜ?」

「……貴様、なぜここにいる?」

 ディックが街灯の明かりが届かない闇に呼びかけると機械音声が返ってきた。

「おれがこの都市に縁があることを知らなかったのが、お前らのミスってやつだな」

 次の瞬間、その闇から獣の面を被った奇怪な集団が姿を現した。

「こいつらは……?」

 見たこともない連中だが、明確な敵意をディックに向けている。ただならぬ様子に私は錬金鋼を抜き出す。

「狙いはあいつか? 確かに面白い。だが、だからこそお前らにはやらねぇ」

「あれは我らの生みし子だ。無間の槍衾を進んだ先に現れた祝福されし忌み子……強盗風情に邪魔をされるいわれはない」

 獣面の言葉にディックを見る。そこには獰猛な獣の瞳があった。

「そうだ。あれを強奪したのはおれだ。お前らの企みを壊して崩して踏みにじって奪っていったのはおれだ。だからこそ、取り返されるなんて許さん。それが強盗の道理だ。そして……」

 獣面の集団を前に動じた様子もなく、むしろ喜んで肯定するディックが錬金鋼を抜いた。

「ハトシアの興奮作用を使ってうちの学生を巻き込む……迷惑だ。二度と来るな。それがツェルニの答えだ」

 復元された巨大な鉄鞭を構えて、ディックが叫ぶ。

「ツェルニとえにしを作って再びここに来ようと思っているのだろうが、そうはいかねぇ。それがここにおれがいる理由だ。お前らはイグナシスのフラスコの中でのたくってろ!」

「ほざけ!」

 その言葉と同時に獣面の集団が私たちを取り囲むように動き出す。
 獣面たちもそれぞれに錬金鋼を抜き、湧き立つ殺気を向けるがディックは臆することもなく前へ進んだ。

「ニーナ、入口を押さえろ。誰もあそこを通すなよ」

「はい!」

 理解できない状況に困惑しているわけにはいかない。
 こいつらが何なのか、ディックが奪ったというものが何なのか、ツェルニとのえにしとは何なのか、分からないことだらけだ。しかし、こいつらがツェルニに危害を加える類いの輩であるのは明白。私がこの場で戦う理由などそれで十分だった。

「さあ、強欲都市のディクセリオ・マスケインが相手してやるぜ」

 巨大な鉄鞭を片手に構え、ディックが獣面を挑発するように手招きする。

狼面衆ろうめんしゅう、三の隊、参る」

 その言葉と共に獣面たちが一斉にディックへと襲いかかる。
 ディックは鉄鞭を振り上げ、剄を収束させるや振り下ろすとともに解き放つ。鉄鞭の重量が形のない大気を叩き、剄の混じった波紋を生み出す。引き千切られた大気が不可視の大波となって狼面衆たちを弾き飛ばす。

「雑魚は引っ込んでいろ」

 その言葉通りなのかはわからないが、ディックの衝剄を受け流すように低く身構えた狼面衆の一人が接近していた。その両手にはカタールと呼ばれる、刺突武器が握られており、カタールの刃にはいくつもの切り込みが施され、突き刺し、抉り取るような獣の牙を連想させる。
 吹き飛ばされた狼面衆たちの影から地を這うように突進してきたその一人が、ディックの腹部めがけてカタールを突きだすが、ディックは鉄鞭を引き寄せて難なく刺突を弾いた。
 そのままもつれ合うようにカタールを持った狼面衆との接近戦闘を演じるが、重い武器を使うディックに小回りの利く狼面衆は距離を取らせないように立ち回る。左右のカタールを交互に繰り出し、ディックに必殺の間を与えない。

「先輩!」

 間断なく繰り返される刺突のひとつがディックの頬を裂いた。

「よそ見をするな!」

 ディックが怒鳴る。言われなくともディックを心配している余裕は持てない。
 最初の攻撃で吹き飛ばされた狼面衆たちが体勢を立て直しこちらに迫ってきている。

「行けっ、機関部を占拠せよ!」

 カタールの獣面の言葉に、他の狼面衆たちは忠実に動く。
 進路上に居る私を排除しようと、それぞれが衝剄を叩きこんでくる。
 活剄衝剄混合変化、金剛剄。
 レイフォンに教えられた防御の剄技。全身を襲う衝撃を体表面に奔らせた剄の膜で防ぐ。
 舞い上がった爆煙を利用して近付いてくる狼面衆に不意打ちをかける。衝剄の集中砲火を受けて私が無事でいるはずがないと思われたようだ。この程度の衝剄、リグザリオの緋蜂に比べればそよ風ようなものだ。煙の向こうから現れた狼面衆に鉄鞭を振り下ろす。突然の一撃に狼面衆の一人が地面を転がる。その狼面衆の仮面が衝撃で剥がれ落ち、戦闘の騒音を押しのけて乾いた音を私の耳に響かせた。

「見るなっ!」

 ディックが警告の叫びをあげた。
 なにを? そう思った時にはすでに遅かった。
 煙はすでに去っていたが、誰も動いていない。奇怪な紋様の入った獣面をこちらに向け、停止している。
 まるで記録映像に停止をかけたようだ。

「もう遅い」

 誰かが言った。誰だ?

「もう遅い」

「もう遅い」

「もうおそい」

「モウオソイ」

 繰り返されるその言葉は、狼面衆たちが口にしている。繰り返される機械音声は壊れた再生機のようだ。
 頭がクラリとくる。鼻孔を撫でるこの匂いはなんだ……。

「ハトシアの粉末だ。惑うな、目を開け!」

 またディックが叫んでいるが、その言葉の意味が分からない。
 私の攻撃を受けて倒れた狼面衆が起き上がる。地面を転がった戦闘衣は白く汚れてボロボロだ。仮面が取れた頭部には黒布だけが残されている。
 その顔が私を“見る”。

「っ」

 私を“見た”。
 そこには、黒布に頭部を覆ったその中にはなにもなかった。黒い、靄のようなものがそこに凝り、薄い黄色の、赤子の手のような大きさの光が三つ、逆三角形の形で配置されているだけだ。

「あ、れは……」

 三つの光、そこに宿る不気味な気配を私は知っている気がした。

「見たな」「見たな」「みたな」「ミタナ」「見タナ」「ミたな」「見たナ」「見タな」―――――――「見たぞ」

 獣面の剥がれ落ちた狼面衆が黒い空洞の中から声を放つ。

「イグナシスの恵み、遥かなる永劫、常世より来たりて幽世より参らん。我ら無間なる者の戸口に立つ者や、其は無間の槍衾を駆ける者か?」

 意味を捉えられない言葉の羅列、それは誰かが言っていた言葉に似ている。

「聞くな!」

 ディックの叫び声が耳を打つが、私はその言葉の先を聞かねばならない。そう感じる。
 その言葉にいかほどの意味が、なにほどの力があったのか、私には分からない。だが、あいつならわかるのかもしれない。
 黒い虚ろの中で光る三つのものが頭部の形を作る黒布からはみ出して、巨大になっていくのを見た。

「扉は開かれた。汝、オーロラフィールドの狭間で惑え」

 それは何のまやかしだったのだろう。その言葉の後にはなにも変化はなかった。黒い虚ろはなく、落ちていたはずの獣面は元の場所に収まり、もはや私が打倒したのが誰だったかもわからなくなっていた。

「くそっ……くそがああっ!」

 何をそこまで悔しがっているのか、ディックが憎悪をこめた雄たけびを上げる。
 まさにその時、カタールがディックの左肩を抉った。血を噴出させながら、それでも怯むことなく目の前にいる狼面衆を弾き飛ばすと距離を取った。
 腰を落とし、剄を走らせるのを見ることができたのは一瞬だった。

 ――雷迅

 ディックの姿が掻き消え、その軌跡を光がなぞった。光を確認したその時にはすでに結果があった。
 私に見せた時はとことん手加減されたものだった。
 ディックが狼面衆に放った雷迅は獣面を打ち砕いていた。
 凄惨な光景……そうなるはずだった。いかに安全装置がかかっていたとしても速度と質量だけで狼面衆の脳髄を粉々に吹き飛ばしてぶち撒けているはずだった。
 しかし、雷迅の余韻に震える空気の中で、狼面衆の戦闘衣が渦を捲くようにディックの鉄鞭に吸い寄せられると、消えた。
 後には、砕けた仮面の破片が舞い散るのみだ。
 中身は? その身体はどこに消えた?
 仮面の奥に隠された黒い虚ろの光景が脳裏を過る。

「気を抜くな!」

 今一度のディックの叫び。それで戦闘がまだ終わったわけではないことを思い出す。
 狼面衆を名乗る集団は、まだ周囲に居るのだ。彼らの目的は機関部を占拠することだったはずだ。目的が変更された様子はなく、狼面衆たちは入口の前に立つ私を排除しようと迫る。
 油断が構えを崩させていた。
 間に合わない。武器を構えなおすことも金剛剄を使うことももはや間に合わないところまで狼面衆たちは迫っている。

「ニーナっ!」

 私の危機にディックが今一度雷迅を放とうとしているが間に合わないだろう。それが分かるほど私の視界は時の流れを緩やかにしていた。

 変化は突如として現れた。
 眼前に闇夜にあってなお深い闇が湧き出した。その闇が迫っていた狼面衆を弾き飛ばす。
 その闇が確かな実体をもって形を成す。

「馬鹿なっ! リグザリオの……“月”の刃だと!?」

 狼面衆たちに動揺が走る。
 湧き出す闇が漆黒の大太刀の形を成し、それを手に取る者もまた闇夜を源泉として現れ出でる。

「……リグザリオ?」

 そこには、顔色の悪い、幽鬼のように虚ろな表情のリグザリオが狼面衆を見据えた。

「扉を抜けたというのか? リグザリオの呪縛に囚われし、黄昏の因子と“縁”を繋ぐほどの“影”だというのか!?」

 狼面衆の誰かが、もしかしたらこの場に居る全て、その向こうに居る何かが呟いた。

 黒い大太刀を構えたリグザリオは無造作に、斬るという動作すら為さずに刃先を地面へと突き立てた。
 ただそれだけ、リグザリオは切っ先さえ向けていない。
 だが、その一動作ですべてが決していた。
 数十人もいた狼面衆たちのすべてから首が、胴が、四肢が切断されていた。そして、ディックが雷迅で打ち倒したときと同じように中身が消え、戦闘衣が渦を巻いて斬線の中に吸い込まれていった。

「おい」

 あとに残った静寂から私を引き戻したのはディックだった。

「今のうちに行くぞ」

「行くぞって……おい!」

 狼面衆に斬られた左肩から血を溢れさせたままにしているディックが強引に私を機関部の入り口に押し込もうとする。

「今のあいつには関わるな」

「関わるなって……」

 私の疑問に答えないディックに引っ張られるままに機関部の扉を潜る。
 昇降機を待つ間に、ディックは簡単な止血処理をするだけで上から巻いた布に血が滲むのも気にしない様子だった。

「お前にはわるいことをしたかもしれないな」

 昇降機に乗り込んだところでディックがそう呟いた。

「なにが、どうなってるんですか?」

「……エア・フィルターに守られたこの都市世界が、自然のものじゃないってことぐらいは、わかるな」

「はい」

 ディックの表情には当初の飄々とした様子はない。血が抜けたためなのか、その顔には重い疲労の影がある。

「同じく、汚染獣がうろつく今の世界が自然なわけでもないってのも、わかる話だ。なら、誰が、どうして……そんな疑問の先には電子精霊がいて、錬金術師たちがいる。お前は電子精霊に関わった。否が応でも、お前は他の連中ができない生き方を強制される」

「…………」

「これは、電子精霊に見初められた者の運命みたいなもんだ。……助言できるとしたら、イグナシスの名を語る奴に碌なのはいないってぐらいだな。気をつけろ」

「イグナシス……人の名前ですか?」

「いずれ会える」

 痛みでひきつる口の端を無理に吊り上げて笑うディック。それがいかにも複雑な感情を宿していることを察せられる。

「しかし、まさかいきなり呼び出せるとはな。しかも、呼び出したのが、あの“疫病神”だってんだ。とことんおれを驚かせる奴だなお前は」

「“疫病神”……リグザリオが?」 

 呆れたように言うディックの言葉で聞き捨てならない部分を苛立ちを隠さず問い詰める。
 自分の部下を悪く言われるのはあまり気持ちの良いものではないようだ。

「そんな怒るなよ。別に悪気があるわけじゃねぇんだからよ」

「では、なぜリグザリオが“疫病神”なのですか?」

 もしかしたら、ディックは私の知らないリグザリオの過去を知っているのかもしれない。あれほどの強さを持つ武芸者を疫病神だとする都市があるだろうか。
 そんな私の疑問にディックは肩をすくめながら首を振った。

「あいつのことはあまり知ろうとするな」

「何故です?」

「あいつは化物みたいな強さを持ってるくせに頭ん中はおれよりガキだ。妙な勘違いをさせると暴走しちまうぞ」

「勘違いって……」

 にやけ顔で言われ、私は緊張していたのがばからしくなった。
 ようはディックにからかわれているということなんだろう。ディックがリグザリオを知っているのは事実なようだが、リグザリオはディックを知っているのだろうか?
 もし、ディックのことを知っているのならば、リグザリオもあの狼面衆という輩と関わっているのだろうか。
 同じ小隊の中でもリグザリオはどこか私たちを一歩もニ歩も下がった場所から見ているようなときがある。老生体や十小隊との戦いのときにわずかだがそう感じさせられた。夢を通じて見た脆弱な力しか持たないリグザリオの姿と現在の姿。あの夢と現実は関わりがあるのか、それとも……

「ここでお別れだ」

 昇降機が機関部に到達するとディックは一人昇降機から出た。
 もっとリグザリオのことを問いただすべきかとも思ったが、本人のいない場所であれこれ聞き出すのは卑怯に感じるのでやめておく。

「雷迅だけどな……お前はもう見た。教えてやるとも言ったが、一刀とニ刀じゃ使い方が違う。あとはお前が工夫しろ」

「先輩……」

 今夜は謎だらけだ。強力な武芸者なのに私が知らなかったディック。行き成り見せつけられた技。謎の襲撃者、イグナシス……それにリグザリオ。

「久々にツェルニを歩けて、楽しかったぜ」

 昇降機が上昇を開始して揺れた。

「できれば二度とあわないことを祈るが。そのときにはまた先輩面をさせてもらおうか」

 それだけ言ってディックは背を向けて機関部の奥へと歩いて行った。




 入口に戻ると、リグザリオがさっきよりもさらに蒼褪めた顔で突っ立っていた。

「お、おい。大丈夫か?」

 さすがに心配になり恐る恐る声をかける。

「ニ……ーナ? 盗って……悪かった」

 蒼い顔でそれだけ呟くとリグザリオはその場に崩れ落ちた。

「り、リザ!?」

 すぐに駆け寄り、リグザリオを助け起こそうと手を伸ばす。

 ――妙な勘違いをさせると暴走しちまうぞ

 ディックの言葉が一瞬躊躇させた。

「っ冗談を真に受ける奴があるか!」

 部下が目の前で倒れたのを介抱するのは当然のことだろうに。
 抱き起こしたリグザリオの顔色はこれ以上ないほど悪かった。死相というのはきっとこういうのを言うのだろう。

「……れを」

「何だ? いったいどうしたんだ? 何があったというのだ?」

 これほど弱ったリグザリオは見たことがない。
 いまにも尽きそうな弱々し力で手に持っていた可愛らしい小包を私に手渡してきた。

「これがいったいどうしたんだ? ……まさか、毒でも盛られたのか!?」

 私の問いにリグザリオは首を横に振って否定する。

「ニー……が、羨ま、て……つい」

 私の聞き間違いか?
 リグザリオが弱弱しく囁いた言葉を聞き間違いだったかもしれないと反芻する。

「私がプレゼントをもらっているのが羨ましかったから……つまみ食いをした、のか?」

 恐る恐る尋ねると何かから解き放たれたような弱々しい笑顔でリグザリオは頷いた。

「ほん……でき、心だった、んだほぉあっ!」

「そこで頭を冷やせ、バカ者が!」

 とりあえず、私の労わり心を返してもらいたい気分になった。
 いくら強くてもリグザリオは、こんなやつなのだ。たまに真面目なことを行ったり、妙に割り切りが良すぎたりするときもあるが、結局は普通なところもある男なのだ。
 例え、ディックのような雰囲気からして異質な人物や狼面衆という謎の集団と深い関わりがあったとしても私が知っているリグザリオは、こういう奴だ。私にとって、十七小隊にとって、ツェルニにとって、リグザリオはこのままのリグザリオでいいんだ。








[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十五話 黄昏の兆し
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/10/05 23:55





 第十小隊との学内対抗戦に勝利してから1ケ月。
 違法酒の捜査のために第十七小隊に所属していたナルキ・ゲルニが正式なメンバーとなったことを期に以前よりニーナから提案のあった合宿を行うことになった。休日を挟んだ二泊三日の短期合宿。顧問やコーチなんて者がいない以上、日頃の鍛錬を別の場所で行うという程度の違いしかないようにも感じるが、訓練メニューは隊長のニーナがはりきって考えるだろうし、仮想敵としては俺やレイフォンがいれば十分。本当に“短期錬成”を考えればそれこそ武芸科の講義数か月分くらいの濃密な合宿にもできる。
 合宿場所は、農業科の扱う農地の一区画。農閑期で作物の植えられていないだだっ広い土地は、合宿らしく暴れても問題ないとのこと。
 初日の訓練は驚くほど簡単に済ませられた。移動や準備などで時間を削られていたことも大きいが、二泊三日のすべてを訓練に費やすなどさすがのニーナも鬼ではないらしい。軽い乱取りをして訓練を終わり、夜には調理担当に連れてこられたメイシェン・トリンデンが腕によりをかけて作った料理を堪能し、食後は各々雑談やボードゲームなどをして過ごした。
 俺はそんな輪の中からはずれ、窓際に腰掛け空を見上げた。

 そこにあったのは“月”。
 世界の敵が封じられた檻。荊の守護者が世界を見守る眼。
 俺はあそこから“堕ちて”きたという。それが事実だとすると俺は、あの中にいる連中の誰かと同じ存在ということなのか?
 現状、俺が知り得る情報では自分自身が何者かなどという哲学的な疑問に答えなど出るはずもない。そもそもそんな結果を知ったとして、俺が望むことに何の変化もない。自分の気持ちに正直に生きる。とても難しいそんな生き方ができる。それを選べるだけの力を俺は得ている。難しく考えるのは、後からでもいいはずだ。







オーバー・ザ・レギオス

 第十五話 黄昏の兆し





 日があけた早朝。
 合宿所の調理場から聞こえる小気味良い音に引き寄せられるように身体が動いた。

「おはよう、メイシェン。レイフォンも手伝いか?」

「わっ……イーダフェルト、さん」

「あ、リグザリオさん。おはようございます」

 普段のおどおど具合と違って調理をしているメイシェンは実に軽やかな身のこなしをしている。
 俺たち武芸者が武の型を舞うように彼女も自身の型を舞う人のようだ。
 レイフォンもレイフォンで手馴れた様子で野菜の皮むきをしている。

「量が多いな。夜の分も仕込んで置くのか?」

「はい。昨日は簡単なモノしか作れませんでしたから」

 そう言いながらメイシェンが用意している大鍋が二つ。どんな料理ができるか今から楽しみだ。
 夕食の分もあるため用意されている野菜の数もかなりのものだ。その皮むきを慣れた手つきで行っているレイフォンの隣に立つ。

「俺も手伝おう。これでも皮むきは得意なんだ」

「リグザリオさんも料理できるんですか?」

 悪意の欠片もない表情で意外だと呟くレイフォン。他の準備をしているメイシェンも同じような印象を持っていたらしい。

「これでも日頃から料理は自分で作ってるんだけどな」

「「えっ!?」」

 二人揃って珍獣でも見たような表情になるのは止めてもらいたかった。
 他の都市で暮らしている時も大抵は自炊していたし、アルバイトで調理場にいた時もあった。一人身の男としてはそれなりに料理の腕に自信を持っても良いじゃないか。
 ボウルに入れられていた掌サイズの芋を手に乗せて軽く転がす。

「ただし、包丁要らずの男料理専門だ」

 言いながら手の中で転がしていた芋を皮むきが終わった分のボウルに投げ入れる。
 そこに転がったのは、綺麗に皮だけが剥きとられた芋。手の中に残ったのは一枚に繋がった皮。

「皮むきに衝剄を使ってるんですか!?」

「どうだ? なかなかのモンだろ?」

 ポカンと俺の手と芋を見比べるメイシェンと俺が何をしたかを理解したレイフォンが驚きと呆れの目を向ける。

「昔、色んな動作に鍛錬を組み入れようとしてた時期があってな。自炊が長かったこともあってこんな手品を覚えたってワケだ」

「手品って……これ、結構難易度高いですよ」

 レイフォンも武芸を窮めた者の一人として無意識のうちに手に取った芋に衝剄を放っていた。
 結果はズタボロの絞り粕となった澱粉質を含んだ固形物。この衝剄を使った皮むきは、繊細なコントロールよりも慣れが重要だ。食材を粗末にするようなことは自分ひとりの料理を作る時くらいしかできない。レイフォンの手の中にある固形物をメイシェンの料理に投入することはオススメできない。

「こんなことを鍛錬に組み入れるのは俺みたいな暇人だけさ。レイフォンには必要ないし、他の武芸者には無駄な労力になるだけだ」

「そんなことはないと思いますけど?」

「だったらまた食べ物を粗末にするつもりか? メイシェンが折角腕によりをかけて食事を用意してくれるって言うのに?」

「う……ごめん、メイシェン」

「あぅ。き、気にしないでいいよ、レイとん」

 ぎこちなくもレイフォンの謝罪に笑顔を返すメイシェン。
 そんな二人のやり取りを他所に両手で掴んだ野菜の皮を次々と剥いていく。
 和気藹々と食事の準備を整えていく台所を他所に入り口付近では料理ができない二人組みが何やらごにょごにょしたり、後から来たナルキが調理組に参加したり、起きてきたシャーニッドが二人組をからかったり、学生の合宿らしい?朝の風景が流れていた。

 朝食もそこそこに訓練が始まる。
 二泊三日しかない今回の合宿では二日目の今日が本番といっても良い。真面目なニーナは入念にストレッチを行い体を解した後、集合をかけた。

「今日は試合形式で行う」

 ニーナの手には二本のフラッグが握られていた。
 試合形式といっても第十七小隊の隊員は、全部で6人しかいない。3対3に分かれたとしても試合形式というには些か以上に人数不足である。
 そのためレイフォン1人に対してニーナ、シャーニッド、フェリ、ナルキの4人で行うこととなった。
 戦力的にはどう考えてもレイフォンの圧勝であるが、試合形式の訓練を行うのならばこのような形にしないといけない。これが俺とレイフォンを分けて班編成をした3対3の訓練になるとどうしても俺とレイフォンが互いを牽制し合う形になり、結局は残りの4人で2対2という試合形式といえなくなる。しかも、その中には念威操者のフェリもいる。念威操者が武芸者を倒せないなどということはないが、フェリは典型的な念威操者であり、よほどの状況でなければその実力を発揮しようとしないので実質2対1になる。そこまでいったらレイフォンor俺 対 他のメンバーという編成にした方がまだマシになる。

 そして余った俺は本来ここに居るはずのない者たちと戦うということになっている。

「今日はよろしくお願いします!」

『お願いします!!』

 武芸科の制服を纏った十数名の若々しい声が鼓膜を叩く。
 
「確かに俺のところに来い、と言ったのは覚えてるが……みんなまとめてか?」

「はい! 先輩も言ったじゃないですか。自分だけの力で強くなるなって」

 浅はかな自論を晒した結果がこのような形で戻ってくるとはな。
 集まった武芸者たちを代表するように話すのは、レオ・プロセシオ。第十七小隊の訓練に参加したいと言いながら見学や邪魔をしていったお騒がせ者。
 汚染獣に一度も襲われたことがない都市出身のため、専門の訓練を受けることができていなかったことを理由に学園都市ではしっかりと武芸者として成長したいという意気込みを持っている。悪くはないが、それであのようなことを続けるのであれば自己満足の域を絶対に出なかっただろう。今では通常のカリキュラムと自主訓練を積み重ね、同じ志を持つ級友たちと集まり日々の努力を欠かしていないらしい。
 小隊の見学をしていたときもそうだが、レオに小隊員となるだけの実力はまだない。それはレオと共にこの場に集った者たちすべてに言えることだ。小隊員になれずとも小隊員クラスの実力があると判断されれば、それぞれの小隊が来年度以降の補充要因として訓練などに参加させている。

「ま、俺から言い出したことだしな」

 ニーナの了承もあるのでレオたちに訓練をつけることは別に構わない。
 しかし、指導力があるとはいえない俺ではこいつらを潰してしまわないか自分を信じられない。

「大丈夫です! 僕たちも日々鍛えてますからビシバシお願いします!!」

 そんな俺の不安を吹き飛ばすように元気溌剌なレオが言う。
 見ればどいつもこいつも希望と期待に満ちている。ツェルニの武芸科の精鋭である小隊員。その中でも最強と言われ始めているリグザリオという存在に教えを請うことの意味をよく理解しないままに若々しい意気が心地良く俺の神経を撫でる。

「そうかい……後悔しないでくれよ?」

『はい!!』

 良い返事だった。
 レオは俺の言葉を聞き入れ、一人の人間として正しい成長を遂げようとしている。
 それは順当なことであり、ふとしたきっかけから誰しも歩める道だ。ゆえにこそ、道から外れて成長した暴虐の権化たる俺の特性から受ける影響は決して良い結果を生まないだろう。それでもレオたちは純粋な視線を俺に向ける。それはとても心地良く、どこかむず痒い。

「俺は指導者としては下の下だ。それでも俺を利用して強くなりたいと思うなら武器を構えろ。全身に剄を漲らせろ。止めたくなったらいつでも引け。そうなったとしても頭の中だけでも俺を打ち負かせ。それができるようになることが今日の訓練だ。……もちろん、俺の鼻っ柱に一撃ぶち込みたいというならやって見ろ。挑戦するだけなら無料だ」

 勝手に言いたいことを言い放った俺にレオたちは一瞬呆気にとられたように目を丸くした。
 それから始まったのは猫が鼠を前足の爪で弄り殺すかのようなモノだった。もちろん、レオたちに大きな怪我をさせるような攻撃はしない。錬金鋼も使わないし、拳打も衝剄も内臓を破裂させないように気を付けて放つ。そして、一番気を使ったのが気絶させないようにど突き回すこと。休むことなくいたいけな一年生達に無言の睨みを利かせて襲い掛かり、痛みと恐怖を存分に体感させつつ個人個人の力量と戦闘姿勢を確認し、ど突く合間に指摘を飛ばしながらさらに追い討ちをかける。化錬剄を用いた分身で惑わせ
て同士討ちを誘ったり、連携の中から意図的に一人を弾き出して集中攻撃を行った。他にも基本的な攻撃の捌き、防御をすり抜ける変則的な衝剄の打ち方、剣や槍、拳などそれぞれが使っている錬金鋼の形態に合わせた技を以って叩きまくった。
 日が落ちる頃には、レオを含めた全員の現状技能や大体の資質が理解できた。
 途中に休憩を挟んだとはいえ何時間も実践的な戦闘訓練を行ったレオたちは、精根尽き果てたという状態になっていた。

「ご苦労さん。新兵の具合はどうだったんだ、軍曹殿?」

「誰が軍曹か」

 この世界でそのような階級で呼ばれる人物とはいまだに出遭ったことはない。
 まともに動けなくなった新兵……一年生たちをそれぞれの寮に運び、剄脈疲労で倒れる一歩手前になっていた数名を病院に搬送して戻ってきた俺を出迎えたのは、空腹と味覚が満たされた状態のシャーニッドだった。

「お前の分も残してあるから冷めないうちに食っちまえよ。あのメイシェンって娘、マジでいい嫁さんになるぜ」

「だろうな。その前に小隊の専属シェフにしないか?」

「お、そりゃあ名案だ。交渉はお前に任す。あの味をいつでも味わえるなら金でも可愛い後輩でも出せるもんはいくらでも出して良いぜ」

 冗談に冗談で応じたシャーニッドは手を振りつつ部屋に戻っていった。
 残されていた食事を味わいつつ、合宿所内の人員を探る。戻ってきたときも感じていたが改めて“リリス”の感覚を透して探ると合宿所内にはニーナとシャーニッドしか残っていなかった。他の4人。レイフォン、フェリ、ナルキにメイシェンは合宿所の外、外縁部に近い風除けの樹林の辺りに居るらしい。広間でシャーニッドを相手にボードゲームをしているニーナの様子を観察すると気持ち此処に在らずという状態だった。時折、レイフォンたちの居る方へ視線を向けるようなしぐさも見せている。

「あ~、もしかしてレイフォンの過去話か?」

 残っていた食事を数分でたいらげるとニーナたちに訊ねてみた。

「ああ。いずればれることなら、レイフォン自身が話すべきだからな」

 それが同じ小隊の仲間になったナルキへの信頼であり、同時に普段からレイフォンと接する数少ない同世代の友人であるメイシェンへの配慮でもあった。
 ナルキが同じ小隊になったことでより身近にレイフォンの強さを感じるようになる。武芸者としての実力ならば俺も同じだが、今回の場合はレイフォンに思いを寄せるメイシェンの親友であるナルキが、親友のためにもレイフォンのことをもっと知ろうとするようになるだろうことは明らかだ。レイフォンの抱えるモノは隠せば隠しただけ後々に尾を引く。逆に早い段階で話せば悪い方にはいかないようなものだ。そこまで慣れ親しんでいるわけではないが、ナルキやメイシェンならばレイフォンの過去を聞いても戸惑いこそすれ、拒絶することなどないだろう。それはこの場にいないミィフィ・ロッテンも同じことだろう。
 レイフォンの過去話の詳細を聞いたことのない俺は憶測で考えるしかないが、レイフォンは自分の行動に責任を持つつもりがないのだ。たとえ本人に自覚がなくとも自分以外の誰かの願いや指示がなければ行動できないし、“誰々のために”というフィルターを通さなければ何もしたくないという怠惰な生き方をしていると感じてしまう。
 それが悪いとも苛立つとも個人的には思わないが、自分自身の意思を持たないことは止めて欲しいと思う。その意思を貫き通す必要などないのだ。ただ自分の意思を持たないまま生きるということは、死にたくないから生きているというのと変わらない。生きていることに幸福も絶望も感じないままの人生など人間の生き方ではないと思う。正直、レイフォンの価値観や生き方に口出しするつもりはないし、まして矯正するなどという傲慢な行動だけは絶対に起こしたくない。それは俺の矜持に反する行動であるからだ。
 しかし、いまのレイフォンは複数の人間の人生を左右しかねないほどに重要な位置に立っている。それが恋愛感情に起因するものであるという部分が余計に嫌な未来を想像させる。できることなら代わって欲しいくらいだが、俺にとって羨ましい環境でもレイフォンにとってはなし崩し的に収まった場所だというくらいにしか感じていないのだろう。過去の境遇ではなく、現在の環境がどれほどの幸福に満ちているか分かってもらいたい。レイフォンを追い詰めているのは、強引な方法で武芸科へ入れたカリアンでもレイフォンを追放したグレンダンの人間達でもなく、レイフォン自身だ。誰のせいでもなく、自分自身が自由であろうという欲求を持たなければ目の前に広がる無限の可能性を認識することもできない。それはとても不幸で愚挙で傲慢な無駄だと思った。

 ゴ…………

 そんな不吉な振動を感じた。
 いきなり地面が揺れ、それなりに古ぼけた合宿所の壁が軋みを挙ている。

「これは、都震か!?」

「おいおいまた汚染獣が来たってのか?」

 ボードゲームをしていたニーナとシャーニッドが浮き足立つ。

「慌てるな。この揺れは都市が強引な針路変更をした時のモノとは違う。これは……」

 殺気立つ二人を落ち着かせつつ、リリスの能力を借りて索敵を開始する。
 その結果は程なくして得られた。

「……なんというか間の悪い」

「どうしたリグザリオ?」

 鏡片リリスの存在をニーナたちに知らせていない関係上、俺は常人離れした五感と直感を持っていると思われており、最近では小隊対抗戦でも念威操者の真似事を任されるようになってきている。そのことに対して第十七小隊の念威操者であるフェリが機嫌を悪くするくらいの反応を見せてくれた方が良いのだが、「自分の仕事が減って楽」程度にしか思っておらず、あわよくばそのまま小隊を抜けられたら良いとすら思っている節がある。そんなフェリが小隊を抜けると言い出さないのはレイフォンが居るからだろう。
 思考がずれたがリリスの感覚から与えられた情報をニーナたちに伝えて問題の発生場所へ急いだ。

 揺れの正体は、合宿を行っていた農業科の耕地を支えていたプレートの一部が崩れたことによるもので、運悪くその場所はレイフォンたちが話していた辺りだったため、彼らがプレートの崩落に巻き込まれてしまった。
 ナルキは所持していた錬金鋼の取り縄を使って落下を免れたが、対抗戦用に鋼糸を封印されているレイフォンはメイシェンとともに下層へ落ちてしまった。
 落下したレイフォンとメイシェンは、フェリが現場の近くに待機していたためすぐに発見された。メイシェンを庇ったことで病院送りになった。怪我は額と右肩、背中の裂傷。さらに背骨の一部が割れ、破片が脊髄に侵入してしまっているらしい。除去手術だけならばそれほど難しいことはない。次の小隊対抗戦には出れないだろうが、武芸大会自体には十分間に合う。俺も似たような手術を受けたことがあるし、再生手術も受けた経験がある。脳と剄脈以外の部位で手術をしていない箇所はないくらいだ。それくらいにはこの世界の医療技術は発達しているし、それは未成熟な学生達が集う学園都市であってもその技術は決して低くないからそれほど心配するようなことではなかった。

 それにしても自己修復機能があるレギオスで崩落事故が起こることはかなり稀なことだ。しかも今回は都市部を支える土台そのものが老朽化していたという話だった。詳しい原因は建築科が総出で調査するという。念のため全域の土台調査も行われるらしく、武芸大会を前に建築科は大忙しだ。おそらく学園都市の電子精霊であるツェルニのエネルギーが本来の機能を十分に果たせるほど満たされていないのだろう。セルニウムを補給したといってもそれはたったひとつ残されたセルニウム鉱山の残りを計算し、できうる限り長く補給するため今回限りで腹いっぱいに溜め込んだわけでもないはずだ。後回しにできる部分は後回しにして都市全体の機能を維持することの方が重要だ。もちろん、ただのエネルギー事情だけとも思えないがな。

 第十七小隊も重要な戦力であるレイフォンが次の対抗戦に出場できないという状況に陥っている。
 ナルキが新規加入したこともあり、人員的には十分なのだが第十七小隊の強力なアタッカーが抜けるのは痛手だ。
 第十七小隊の総合戦力という部分では大きく減じることになる。レイフォンが欠けた分、俺が戦闘レベルを上げれば良いだけの話なのだが、そんなことをすれば折角育ってきているニーナたちのためにならない。この際だからニーナたちだけで次の対戦相手である第一小隊を打ち負かしてもらうのも良いかもしれない。小隊としてはツェルニで最強だと言われている第一小隊だが、今の第十七小隊ならば対等以上に戦えるはずだ。もっとも指揮官とアタッカーをニーナが兼任していることもあり、ニーナや後方のシャーニッドやフェリへの攻撃を防ぐディフェンスが重要になる。今のナルキにそれを要求するのは酷だろう。せめてあと1ケ月あればそこら辺の小隊員と対等以上に渡り合える実力を付けさせることもできるが、まだそこまでのレベルには達していない。合宿ではレオたちの指導を優先させてしまったせいもあり、ナルキには基本的なことしか教えられていないし、化錬剄も戦闘補助用の初歩的なものしか指導していない。今の状況で第十七小隊が第一小隊に勝つためにはどうしても俺が前面に出る形になる。いままではディフェンス一本でやってきたから他の小隊の武芸者達から文句は出なかったが、俺まで攻勢にでれば他小隊の隊員たちのやる気を削ぎかねない。

「まあ、まだ時間はある。ニーナたちには頑張ってもらうしかないな」

 一週間かそこらでは十分な成果は望めないが第十七小隊の隊員はみんな才能はある。ナルキにしたって昔の俺より数倍は飲み込みが早いし、剄の量も平均より高い方だ。潜在的には武芸長のヴァンゼ率いる第一小隊を越えることができるだけの実力がある。

「あとは……やる気と連携とアドバイスしだい、ってとこか」

 次の対抗戦に備えて自分にできること、小隊の仲間達にしてあげられることを考える。
 いつか来る“滅びの日”を共に越えるためにもツェルニ全体の武芸者には強くなってもらわないといけない。それでも同じ小隊に所属する仲間を贔屓してしまう。それを悪いことだとは思わないし、俺の武芸者としての力も今までに無いほど高まっている。俺の内に育つ力に限界はないはずだ。それに比して汚染獣の方は種としての限界が存在する。物理的な戦闘力ではなく、存在強度という意味でならどんな存在にも勝ると自負している。幾度も死を越えても生き続けているんだ。絶対に俺は諦めない。俺にとっての幸福は、いまここにある。レイフォンではないが、俺が存在している今の“環境”こそが幸運であり、幸福なモノなのだ。
 敗北することで多くのモノを失ってきた。今回も同じ結果になってしまうかもしれないことも理解している。
 しかし、失うことを恐れていては前には進めない。
 親しくなった者たちを失うのは怖い。これまでも心が死にそうになった時期もあった。それでも俺はいまもこうして迫り来る最期の日を越えるために生きている。過去を振り返ることはやめないし、寄り道をすることもある。それでも止まることはしない。自分が歩みを止めてしまったら周囲の歩みに流されてしまうことになる。それだけは嫌だ。俺は自分で歩くことの素晴らしさを知っている。大衆のためでなく己がために力を振るう。それが結果として全体にとっての“善”であるか“悪”であるかは大衆が決めることであり、俺には関係ない。俺は自分が幸福になることを望む。誰のためでもなくただ自分のために。他人の世話を焼いたり、優しさを押し売りしたりするのも全部自分のためだ。それの結果を誰にどう思われても気にしな……多少は気にするけど、それで自分の行動を左右されたりはしない。

「俺は勝つ。第十七小隊も勝つ。最期も絶対に越えてみせる」

 レイフォンの欠けた第十七小隊を最高の状態に持っていけるようにニーナと相談しなければならない。
 そう思いながら錬武館へと歩き始めたときだった。

 ドクン……ドクン……と脈打つ鼓動のような感覚が訪れた。
 物質的な感覚ではない。直感のようなもの、かつては怖気としていた感覚かもしれない。
 それは慣れ親しんだ感覚でありながらいつも違った感覚があった。

「……こんな状況で来るってのか?」

 ひたひたと這い寄る気配はまだ曖昧で微弱だ。
 今日明日ということはないはずだ。しかし、かなり“近い”ことは分かる。

「どうやら小隊戦を優先する状況じゃあなくなったな」

 もしこの感覚が“いつものアレ”ならば事前にやるべきことが山ほどある。
 リリスにツェルニ周辺を観測させ、カリアンにそれを報告、キリクにも複合錬金鋼をいくつか用意してもらう必要がある。レイフォンが負傷しているのは痛手だが、サリンバン教導傭兵団の存在は幸いだった。戦力としては悪くない。俺が最大戦力で前に出て、後ろはレイフォンやサリンバン教導傭兵団に抑えさせる。悲観するような要素はない。

「……最期の日になんかさせない。今度こそ、繰り返したりはしない」

 俺は前に進む。こんなところで終わってやるものか。

「お前の力を借りる時が来たぞ」

 胸を包む不快感に自然と剣帯に挿している闇色の錬金鋼を握り締めていた。







[8541] オーバー・ザ・レギオス 幕間07
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/12/09 22:44







オーバー・ザ・レギオス

 幕間07 第十七小隊



 第一小隊との対抗試合の日が来た。
 今日の試合結果により今期の小隊対抗戦の戦績首位が決まる。その戦績は来たる武芸大会での発言権等に繋がるのだが、小隊員以外の観客達にとっては純粋にどの小隊が一番強いのかを知る催しである。
 今日の組み合わせは、無敗の単独首位であるニーナ・アントーク率いる第十七小隊と一敗で後を追う武芸長ヴァンゼ・ハルデイ率いる第一小隊。第十七小隊には敗北したものの他の試合で全勝し、一敗を守りきっているゴルネオ率いる第五小隊と第一、第十七小隊に敗北したことで二敗となったシン・カイハーン率いる第十四小隊。新しい世代の象徴たる第十七小隊がこのまま全戦全勝という偉業を果たすか、それとも第一小隊がベテランの維持を見せるか。今日の試合で第一小隊と第五小隊が勝てば3つの小隊が同率首位となる。

 この首位争い、それは間近に迫る武芸大会の行方を左右するほどの結果はない。しかし、ツェルニの学生達は新しい風を望んでいる。前回の武芸大会で大敗を喫したことを上級生達はよく覚えている。当時の武芸長と現武芸長であるヴァンゼは違う。それでもヴァンゼや多くの小隊の隊長たちが以前の武芸大会でも主力として戦った小隊の後継者たちであることも事実であり、各小隊の特徴なども劇的な変化はない。
 そのような中で今期からスタートした第十七小隊は、隊長のニーナと狙撃手のシャーニッドが前回の武芸大会を無名の一武芸者として経験しているのみ。小隊の半数は武芸大会未経験の二年と一年で構成されている。このことに始めは多くの者が期待を抱いてはいなかった。新たな風だからといってそれが必ずしも良い方向に向いているとは限らない。現に結成当初は最低人員すら足りていなかったのだから。
 しかし、今期の小隊対抗戦が始まると一躍脚光を浴びることになる。
 荒削りな連携は結成間もない小隊としては当然だったが、第十七小隊の隊員たちの実力は他小隊の上級生の小隊員すら及ばぬほどに高かった。その性格ゆえに指揮官適正に若干の難があるニーナは前衛防御として高い資質を持ち、ベテランの域にあるシャーニッドはツェルニ屈指の狙撃手、念威操者であるフェリは他の都市でも類を見ないほどの念威を誇る。そこに今期から加わったレイフォン・アルセイフとリグザリオ・イーダフェルト。ツェルニ最強アタッカーの呼び声高いレイフォンと隙のない鉄壁のディフェンスを誇るリグザリオ。ツェルニの武芸科最強のアタッカーとディフェンスが揃った第十七小隊に負けはない。さらにやや変則的な経緯ではあるが、一年のナルキ・ゲルニが加わることで人員も充実している。これで負ける方が可笑しいといわんばかりの面子だった。

 いつにも増して観客席からの声が熱気を持って選手控え室まで響いてくる。
 普段ならばシャーニッドの軽口にリグザリオやハーレイが応え、それをニーナが注意したり、レイフォンが苦笑いしたり、フェリが呆れたりと適度な緊張感を残しつつリラックスした雰囲気があるのだが、小隊対抗戦の最終日であるこの日に限ってやや緊迫した空気が漂っていた。

「皆分かっていると思うが、第一小隊は名実共に最強の小隊だ。連携も個々人の錬度も高い」

 試合前のミーティングをニーナの硬い声が進める。
 控え室にはニーナを始め、シャーニッド、ハーレイ、フェリ、ナルキといつものメンバーに加え、ついこの間まで第十小隊の副隊長をしていたダルシェナ・シェ・マテルナが壁際に立っていた。ダルシェナの急な加入は、第十七小隊のエースである崩落事故で負傷したレイフォンにドクターストップが掛かったことに加え、生徒会執行部から召集を受けたリグザリオもまた試合に参加できなくなったため、シャーニッドが勧誘した結果だった。前衛と後衛の要を同時に失った状態で戦う相手は第一小隊。せめてあと一枚前衛が必要な状況でのダルシェナの参入はニーナも驚きと共に迎え入れた。第十小隊と第十七小隊の間には多少なりとも確執がある。しかし、ダルシェナの方は隊同士の確執についてはすでに過去のこととして清算しているらしく、敵意を振りまくような様子は一切無かった。

「レイフォンとリグザリオが抜けたのは確かに痛手だ。それでも……いや、だからこそこの試合はどうしても勝たねばならない」

 ニーナの言葉に隊員たちが静かに頷く。
 レイフォンとリグザリオという最強の武芸者たちの力に頼った小隊だと思われたくない。それは日頃からニーナたちが感じていることだった。最近では対抗戦よりも二人を相手にしたときの鍛錬の方がきついと思うような日々が続いていた彼らにとって、この試合はいい機会でもあった。これからも必ずしもレイフォンやリグザリオが万全の状態で待機しているとは限らない。もしもの時、彼らの力を借りなくとも自分達の力だけで状況を打破できるようにならなくてはならなかった。
 それを確かめるためにもニーナたちは全霊を尽くす。いつも全力では在るが、どこかでレイフォンやリグザリオの力を頼っていた。それが今回は一切ない。それを不利と思うほど第十七小隊は未熟ではなくなっている。

「作戦は……隊長?」

 控え室の端で瞑目したままの姿勢で口を開いたダルシェナの言葉に視線がニーナに集まる。

「ナルキが左翼より先行、わたしがその後方。ダルシェナは右翼で待機してください。シャーニッドはフェリと協力して狙撃ポイントを目指す。開幕はこれで行きます」

 一息で言ったニーナは初めて行動を共にするダルシェナの反応を待つ。

「一年を単独で先行させる。囮に使うつもりか?」

「囮、というより陽動です。もし左翼側に戦力が動けば、右翼からダルシェナが行ってください。動かない場合は、そのままナルキに側面から撃たせ、わたしも合流して第一小隊の念威操者と狙撃手を落とします」

「……その役、そこの一年にできるのか?」

 ダルシェナの言葉にナルキが僅かに表情を硬くするが、ダルシェナは純粋な戦力分析から与えられた役割をこなせる実力がナルキにあるかを知りたいだけだと分かっているためニーナの目配せに素直に頷いた。

「大丈夫です。隊員の実力は十分把握しています。たとえ相手が第一小隊でもナルキは、十分に役割を果たす力を付けています」

「……わかった。それが勝利するための作戦だというのなら従おう」

 ダルシェナ自身、第十小隊として第十七小隊と対戦した際にはシャーニッドとしか戦っておらず、他のメンバーの実力は対抗戦の録画で調べた程度しか把握していない。それだけでも第十七小隊の客観的な総合力は把握できるが、隊員たち個々の性質・価値観などは実際に輪の中に入って見なくては分からない。それはニーナたちも同じ。ダルシェナとの連携を作戦に組み込むのは難しい。それならばダルシェナには第十小隊でやっていたのと同じように本人のタイミングで突撃させた方が良い。ダルシェナとて戦闘の流れを読むくらいの実力はある。全体のタイミングまで計れずとも自分自身にとっての好機を逃すほどの猪武者ではない。今回までは第十七小隊+ダルシェナという編成が妥当だった。それも訓練を重ねれば遠からず、ひとつの隊として機能することになるだろう。



 †



 試合開始のサイレンが野戦グラウンドに鳴り響く。
 レイフォンとリグザリオが抜けた第十七小隊は念威操者のフェリを除き、活動できる戦力は4人。それに対して第一小隊は念威操者を除いても6人。数の上では負けているが第一小隊は防御側であるため陣前でフラッグを防衛する人員を割かねばならないため実際にぶつかるのは4対4という構図になる。
 サイレンと同時に第十七小隊が動き出す。左翼をナルキが先行し、それを一拍置いてニーナが走る。攻撃側の第十七小隊は隊長であるニーナが撃破されると即座に負けとなる。必然、前衛を兼ねるニーナが狙われることになる。

『……戦域の索敵を終えました。ナルキが接敵、数は1。足止めですね、隊長に2人来ます。……残り1人がダルシェナを迂回して進行してきます。こちらはシャーニッドが対応します』

「わかった。敵も1人ならナルキも対処できる。わたしが接敵したらフェリはシャーニッドをサポート、後方の1人を撃破を最優先」

 念威端子を通したフェリの報告にニーナは冷静に端子から送られてくる戦域情報を分析、第一小隊ヴァンゼの作戦を読もうとする。
 試合前日にリグザリオは第十七小隊にいくつかのアドバイスを残していた。それは前々から小隊内で言っていたことを改めて伝えただけであり、いつものお小言のような言葉だったが、第十七小隊の中で武芸者として最も深い知識と経験を持つと思われるリグザリオが勝つために必要なことだと常々言っていたことでもある。それを実践で行うためには日々の鍛錬が必要だ。しかし、その鍛錬はリグザリオによって強制的に行われていた。ツェルニの武芸科の中で最も濃密な訓練を受けられる環境にあったのは間違いなく第十七小隊である。

『了解しました。隊長が撃破されれば終わりなんですから、軽率な行動は控えるように』

「わたしが信用できないのか?」

 フェリの余計な台詞に眉をひそめるも意識そのものは肉眼で捉えたヴァンゼたちの剄の動きに集中させる。

『隊長には前科がありますから』

「ふん、わたしもアレから十分成長したつもりなんだがな」

 念威による通信が途切れるとニーナは立ち止まった。

「多少は布陣を考えているようだが、まだまだ無謀だ」

 ニーナの前に現れたヴァンゼはその巨躯で立ち塞がる壁のように立ち、そう呟いた。
 ヴァンゼは得物の長大な棍から衝剄を放ちながら振り回し、暴風を起こす。その隣には一般的な剣を構えた隊員が控えている。

「無謀……ですか。そう思いたいのならこの試合、貴方の第一小隊は敗北してしまいますよ」

「なるほど、そんな大口を叩けるようにもなったのか。圧倒的な強者に頼ってきた貴様らに本当の積み重ねというモノを我々が指導してやろう」

 ニーナの言葉に返す言葉でヴァンゼは棍を振り下ろした。衝剄を纏った強烈な打ち込みをニーナは鉄鞭で無駄なく受け止める。
 ヴァンゼの打ち込みは確かのほかの小隊員とは一線を画す威力を持っている。それはニーナ自身認めるところであり、実際に受けてみてもその評価は変わらない。だが、逆を言えば想定していた以上の威力はなかった。予想していたものとほとんど変わりない攻撃による衝撃はほぼ完全に無力化し、ニーナの体には一切のダメージは通ることはなく、一瞬の停滞もなしにヴァンゼの攻撃を受け止めた鉄鞭とは逆の鉄鞭でヴァンゼの懐に打ち込む。拳同士の殴り合いができるほどの間合いに踏み込まれたヴァンゼは棍の持ち手を変え、ニーナの打ち込みを防御。ニーナの攻撃の衝撃を利用して距離を取るヴァンゼと攻撃後の僅かな停滞に無防備になったニーナの背後を第一小隊の隊員が襲う。

「背後ががら空きだ」

 予想以上の衝撃で防御越しにダメージを受けながらもバックステップで距離を広げながらヴァンゼが衝剄を放つ。
 背後から襲い掛かる隊員と前方から放たれたヴァンゼの衝剄。攻撃後の硬直にあるニーナには回避のしようがないタイミングだった。

 †

 左翼から先行していたナルキは接敵した第一小隊の隊員と鍔迫り合いにまで持ち込んでいた。

「なるほど大した力だ。内力系活剄だけなら上出来だな」

「ッ……“一年にしては”、でしょう?」

 余裕の表情で持ち上げる敵にナルキは落ち着いて言葉を返す。相手の挑発に無言で堪え続けられるほどナルキは場数を踏んでいない。ならば逆にある程度応えながらも自分の次の行動を考えるようにする。リグザリオが改めてナルキに言った言葉だ。

「その通りだよ、新人」

「ぬぁ!?」

 競り合っていた警棒と剣が弾かれたように距離が開く。その衝撃に加え、衝剄による追撃を受けたのはナルキの方だった。
 膝を着きながらもどうにか体勢を立て直す。それに対して敵はまだまだ余力を残して武器を構えなおし、さらに衝剄を放ってくる。

「確かに君の活剄は目を見張るものがある。しかし、それだけで小隊員が務まるほどツェルニの武芸小隊は甘くないぞ」

「くっ!」

 連続して撃ち出される衝剄を辛うじて防御するナルキだが、このままではガードの上から体力を削られる一方。たまらず旋剄で距離を取るナルキ。
 しかし、相手はツェルニ最高の小隊である第一小隊の隊員。いくら内力系活剄が優れているナルキであっても一年の旋剄に対応できないなどという自体にはならない。背を向けて逃走するナルキの背後に迫った第一小隊の隊員は活剄によって高め渾身の一撃を振り下ろす。

「ここで終われ」

 警棒による防御は絶対に間に合わないタイミング。さらに言えば先ほどからの打ち合いでナルキの防御力を測り終えていた隊員は、それを超える威力をこの一撃に込めた。いまだ試合終了のサイレンは鳴っていない。ということはヴァンゼたちがニーナをし止められていないということ。一年のそれも小隊に入って間もない相手にこれ以上の時間をかけるべきではないと考え、勝負に出た。
 しかし、隊員の渾身の一撃は、ナルキに届くことなく不意の衝撃に軌道を逸らされた。

「なっ!?」

 隊員は気付けなかった。あまりにも無防備な背中を晒しながらナルキが鎖の取り縄を復元していたことに。
 相手の死角から放った取り縄で背後からの攻撃を逸らし、体勢を崩した敵の剣と剣を握る腕を取り縄で捕らえる。

「よし!」

 自分の作戦が上手くいったことに思わず声が出たナルキ。
 そんなナルキの反応と自分の失態に苦虫を噛み潰したような表情の隊員が全身に剄を漲らせる。

「なるほど、レイフォン・アルセイフやリグザリオ・イーダフェルトの傍に居たのだからな。……すまなかった、新人。君を侮りすぎていたらしい」

 遊びのない完全に仕留めることを決めた敵の眼差しにナルキは額に汗を滲ませながらも取り縄を握る手を緩めない。

「別に先輩は侮っていません。先輩が負けるのは、私だけの力じゃありませんから」

「ふ、よく言う。私を捕らえたからといって、君の実力では私を倒すことはできな――がぁぁッ!!?」

 捕らえられた腕と剣に構わず、そのまま斬りかかろうとした隊員は、全身を襲う強烈な雷撃に絶叫する。
 野戦グラウンドに第一小隊の隊員の断末魔の叫びが響き渡った後に観客席から大きな歓声が上がる。
 ベテランの第一小隊から最初に勝ち星を挙げたのは、これまでの試合でそれほど目立った戦績がなかった小隊入りたての一年であることも歓声の大きさに影響していた。

「は、はは……。私だって第十七小隊の一員なんだ」

 歴戦の小隊員から勝利を収めたナルキだったが、さきほどまでの戦闘のダメージは確実に残っており、勝者と高らかに宣言するには程遠い状態だった。
 それでもナルキは膝を折らない。試合開始前に与えられたナルキの役割はすでに終わっているといっても良いが、試合そのものはまだ続いている。こんなボロボロの状態でニーナの下へ戻っても大した役には立てないだろうことをナルキ自身弁えていた。それでもナルキは走る。第十七小隊の指揮官は必ず自分の役目を果たすであろうことをナルキは不思議と信じることができていた。それでもまだ絶対だと思えるほどニーナの実力と第一小隊の隊員たちの実力を完璧に測ることはできていなかった。

「遠いな……レイとんも、リグザリオも」

 この場にいない仲間の日頃の戦いを思い出しつつナルキは足を前に進める。自分が成長していることを自分を強くしようとしてくれた人たちに証明するために。

 †

 試合開始と同時に殺剄を使って野戦グラウンドに設置された木々の影に潜みながらゆっくりと進行していたシャーニッドは注意深く敵が近付いてくるのを待った。
 旋剄を使って第十七小隊の前衛三人の間を縫うように突き進んできた敵隊員の目標は狙撃手たるシャーニッドか念威操者のフェリ。どちらが欠けても第十七小隊の後方はがら空きになる。そんな分かりやすい策も人員の差がある以上、壁役がどうしても足りない。
 しかし、単独で敵陣の奥深くに進行してくる意味を本当に理解しているのならば、シャーニッドという武芸者の実力を低く見すぎている。

「狙撃手が近接戦をこなせないとでも思ってるのか? それとも近接戦なら俺を倒せると思ってるのか? どっちにしろお前らの配置は第十七小隊おれたちを馬鹿にしすぎだぜ」

「っ……」

 トンファー型の錬金鋼を持っていた第一小隊の隊員はシャーニッドの前に膝を折っていた。
 シャーニッドが銃衝術を戦術に取り入れていることはすでに周知されていることだったが、その練度や実践での動きまで想定することができていなかったことが敗因だった。
 それ以外にも今回の試合からシャーニッドはひとつの錬金鋼に2つの形状を記憶させていたことも想定外のひとつである。シャーニッドが用いる形状は狙撃用のライフル型と銃衝術用の拳銃型の2種類。レイフォンやリグザリオのようにいくつもの形状を自在に操ることはできないがこの2種類の形状ならば瞬時に持ち替えても十二分に扱える自信がシャーニッドにはあった。ただそれぞれの用途に応じて軽金錬金鋼製と黒鋼錬金鋼製で創られていたため同じ錬金鋼に記憶させても十全の働きができないため、これまでは使用していなかった。しかし、レイフォンたちが使用している複合錬金鋼の存在がそれを可能にした。複数の錬金鋼の性質を融合させることのできる複合錬金鋼はその分重量に問題があったものの、2種類だけの組み合わせと形状も2種類と限定することである程度の重量軽減が可能となり、遠距離戦から瞬時に近接戦へ、近接戦から瞬時に中・遠距離戦へと対応できるようになっていた。

「さ~て、俺の仕事はひとつ片付いたぜ? そっちはどんな具合かな、フェリちゃん」

『問題ありません。第一小隊の念威操者は確かに優秀ですが、第一小隊の作戦パターンが予測していた通りでした。相手の念威端子はすでに掌握済みです』

「お~、いつになくやる気じゃないの?」

『そのようなつもりはありません。単に早く終わらせたいだけです』

 いつも通り素っ気無い口調のフェリだったが内心はすでに遠くにあった。
 第一小隊の作戦を予測できたのは事前にリグザリオから警戒するようにと言われたこととそのままの策が野戦グラウンドに設置されていたからだ。
 試合開始前に仕掛けられていたと思われる念威爆雷。リグザリオの指摘がなければその存在を見逃し、まんまと第一小隊の策にはまっていたことだろう。
 その存在さえ把握していれば、念威操者として格上であるフェリに適うはずもなく、念威端子の支配権を完全に奪っていた。
 いつもならばそこで自分の役目は終わりだと手を緩めるはずが、今日はそうも言っていられなかった。
 試合開始前、別件で試合に参加できなくなったリグザリオが控え室を訪れ、それぞれにいくつかのアドバイスをしていったのだが、フェリにだけ余計なアドバイスを与えいてた。

 今日の試合、出遅れたくなければ早めに終わらせた方が良いぞ

 そんなことをフェリにだけ囁いたリグザリオの思惑など分かりきっていた。
 試合よりも優先するべき別件があるというリグザリオ。その“別件”にリグザリオだけが関わっているとは限らない。
 ゆえにあのような言葉を残したということは、確実にレイフォンもそこに居るということ。
 今日が手術日であるレイフォンがリグザリオと同じ“別件”に関わっている。リグザリオという安定した強者がいる以上、万が一ということはないとフェリも考えている。しかし、それでも不安定な強者であるレイフォンが無茶をしないという道理はない。そして、リグザリオという男はどのような時でも必ず、どこかで誰かを頼りにすることができてしまう。その頼りにされた部分を術後のレイフォンが万全にこなせるとは限らない。さらにそのサポートをするのが自分以外の念威操者であるというのも納得がいかなかった。

『こちらの配置は終わりました。次のアタックで終わらせます』

「今日のフェリちゃんは、怖いねぇ」

 おどけた調子で答えるシャーニッドを無視して各隊員に念威を飛ばすフェリ。
 それと同時にグラウンドの各所で念威爆雷による爆発が巻き起こった。


 †


 野戦グラウンド全体に響き渡る大轟音。
 計算しつくされた念威端子の配置と絶妙なタイミングで行われた念威爆雷の爆発により発生した激震は、第一小隊の隊員たちにわずかな隙を生じさせた。

「っ……これがお前たちの策か!」

「遅いっ!」

 背後を取られたはずのニーナは、レイフォンから教えられた金剛剄によりヴァンゼが放った衝剄と背後からの攻撃を弾き返し、それと同時に身体を反転させ背後の隊員を迎撃していた。それとほぼ同時に起きた爆発。本来ならば第一小隊が仕掛けるはずだった念威爆雷による奇襲がいまでは第一小隊の視覚を完全に奪っていた。

「ぐぉぉおっ!」

 爆発による粉塵が舞う最悪の視界を突き抜けたニーナの攻撃が巨漢のヴァンゼを軽々と10メルトル以上吹き飛ばした。

「く……ガードのうえからこれほどのダメージを徹すとはな」

 ニーナの凄まじい攻撃に予想以上のダメージを被ったヴァンゼだったが、吹き飛ばされると同時にニーナから距離を取り、土煙を利用して身を隠そうと殺剄を用いて移動を開始する。ヴァンゼたちの視界を奪った土煙はニーナたちにとっても視界を奪う壁となっているはずだ。そう思ったヴァンゼの予想通り、ニーナの剄が瞬間的に高まるのを見当違いの方向に感じた。

「まあ、この辺りはまだまだ若いな」

 ニーナの失策を年長者として評価するヴァンゼ。土煙が晴れるよりも先に仲間の念威操者へ敵の正確な位置情報を伝えるように命令する。
 しかし、第一小隊の念威操者から応答はなかった。

「おい、現状を報告しろ。今は誰が残っているんだ」

 無線からヴァンゼの言葉に応える声はなく、代わりに訪れたのは紅玉錬金鋼の輝きを纏った鎖だった。

「これはっ!」

「貴方の負けです、武芸長」

 いまだ晴れない土煙の向こうから伸びてヴァンゼを拘束した鎖の持ち主が疲れた声で言う。
 それと同時にヴァンゼの身体は先ほどと比べモノにならないほどの衝撃が頭上より降り注ぎ、残った力のすべてを根こそぎ奪われた。
 活剄衝剄混合変化、双架槌。
 さきほど見当違いの方に駆けて行ったはずのニーナが交叉させた双鉄鞭を打ち付けてきたという事実にヴァンゼは完全に虚を付かれ、意識を手放すことになった。
 それと時を同じくして第一小隊のフラッグが奪われたことがグラウンド全体に響き渡った。

「勝ちましたね」

「ああ、私たちの勝ちだ」

 満身創痍のナルキが安堵したように呟き、それに力強く応えるニーナはひとつのことをやり遂げたという思いといまだ終わっていないだろうもうひとつの戦場に思いを馳せる。

「フェリ、会長と連絡を取ってくれ。レイフォンとリグザリオの居場所が把握できたらそちらとも通信を繋ぐんだ」

『すでにやっています。皆、控え室に戻ってください』

 第十七小隊が為すべき試練は一区切り付いた。
 あとはレイフォンとリグザリオが為そうとしている状況を知ることが第十七小隊の次なる役目だった。




[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十六話 終焉の序曲、始まる
Name: ホーネット◆10c39011 ID:72a9f08e
Date: 2010/12/03 00:39







オーバー・ザ・レギオス

 第十六話 終焉の序曲、始まる



 都市外戦闘用の装備を着込んだ俺たちはツェルニの下部ゲートに居た。
 先日、俺を襲ったいつもの既視感。それを裏付けるためにツェルニの周辺を索敵した結果、都市の予測進路上に休眠状態の汚染獣たちを発見した。
 始めは以前のように休眠状態の汚染獣をツェルニが察知できていないだけの可能性も考えたが今回の汚染獣は十体以上いる。あれだけの数を見過ごすほど都市の感覚が鈍るはずがない。先の既視感もあり、汚染獣と遭遇するのは間違いないと判断した。
 このことを生徒会長のカリアンに告げるとすでにその事実を知っていた。
 カリアンに汚染獣の存在を教えたのは入院中のハイアだった。サリンバン教導傭兵団の念威操者の中に汚染獣の“匂い”を感じ取れる者がいるらしく、その念威操者が調べた結果をもとに探査機を送ったところ、その情報が本当であることが判明した。
 この発見に伴い、病み上がりのレイフォンと俺に汚染獣討伐の要請が下った。最初はサリンバン教導傭兵団にも汚染獣討伐に協力させるつもりだったが、彼らに戦闘を依頼するということはそれなりの賃金が必要になるとのことで、その金額を支払うと今後の予算が危うくなるということだった。そのため、カリアンが現在のツェルニで支払える額を掲示し、それに応じた戦力を提供させることになった。
 これに伴い、俺とレイフォンの役割も決定した。

「病み上がりだ。あんまり無理はするなよ」

「リグザリオさんこそ気を付けてください。今回の汚染獣は休眠中の群れです。飛行可能な雄性体が12体。1体も取りこぼすことはできないんですよ」

 真面目な顔で言うレイフォン。体調の方は問題なさそうだが、無理はできないだろうな。
 俺やレイフォンのように厖大な剄量を持つ武芸者は、元来都市外戦闘において本当の意味で全力を出すことはできない。強大すぎる自分の剄を考えなしに全開で放出することで自分の身を守る都市外戦闘用のスーツが壊れてしまいかねないからだ。俺に限ればスーツの心配をする必要はないが、攻撃に使用する錬金鋼もまた俺たちの剄を受け止めることができない。幸いキリクやシャーニッドのおかげで複合錬金鋼という構成を組み替えればそれなりに頑丈な錬金鋼もあるのだが、やはり全力で戦うにはまだまだ心もとない。
 レイフォンの言うとおり、複数の汚染獣を相手取った都市防衛戦ほど厳しい戦いはない。防衛側に熟練の武芸者が多く居れば良いが、ここは学園都市。いまだ発展途上の若者ばかりで成体となった汚染獣を相手に戦えるだけの実力をもった武芸者は極僅かしかいない。

「そこまで深刻な状況か? おれっちたちと元天剣、それと同等の武芸者が揃ってるんだ。たかが12体の雄性体、ものの数じゃないさ~」

 まるで親しい友人に接するような気軽さで話に入ってくるサリンバン教導傭兵団の団長、ハイア。
 ハイアのことをあまり好ましく思っていないレイフォンは顔を顰めるが、レイフォンがそういう感情を露わにできる相手というのも珍しいので放っておく。
 歩み寄ってくるハイアに続いてミュンファと頭から全身をフードとマントで覆い隠した長身の人物だった。

「今回のおれっちたちの戦力を紹介しとくさ~」

 適当なノリの口調で説明を始めたハイア。最初に顔合わせを済ませているミュンファの名が言われ、手短に役割を説明するともう一人の人物を促した。

「おれっちたちのサポートをする念威操者さ」

 全身を覆うフードとマントに加え、顔を硬質の仮面で隠し、手には革手袋を嵌めている。
 まるで光に触れることを拒むかのように徹底して地肌の露出を防いでいるような格好だ。

「ああ、アンタのことは覚えてる。フェルマウス……だったか?」

「名前まで覚えていただけているとは思いませんでした。お久しぶりです、リグザリオ殿」

 言いながら自然と互いに手を差し出せた。
 俺の主観では数十年、彼らの主観で約十年の隔たりを経て手を握る。

「おれっちのことは忘れてたくせにフェルマウスのことは覚えてるさ」

 それなりに友好的な再会をしていた俺を恨めしげな調子で睨むハイア。
 フェルマウスのファーストインパクトに比べれば子供時代のハイアが印象に残っていないのもしかたないだろう。

「この人が汚染獣を察知した念威操者なのか?」

 和やかな雰囲気になりつつあるところにレイフォンが冷静な声音で疑問を口にする。
 レイフォンが耳にしている情報では、サリンバン教導傭兵団の念威操者が汚染獣を察知し、それをツェルニの生徒会執行部に伝えたことになっている。
 俺だけは独自の感覚で汚染獣を察知し、リリスの能力を借りて正確な情報を取得した。
 その察知した時点での距離は通常の念威操者の念威では届かない位置だった。
 それを察知するということはツェルニ最高の念威操者であるフェリと同等の念威を持った念威操者が居るということになる。

「ああ、こいつは念威の天才さ。他にも特殊な才能があって、それのおかげでおれっちたちは汚染獣の存在を早々に知ることができてるって寸法さ~。ま、そのせいでこんな格好をする羽目になったのさ」

「特殊な才能?」

 気軽に仲間の手の内を口にしようとするハイアを不審に感じながらもレイフォンは黙って続きを促した。
 それをどうとったのかハイアは満足そうにほほ笑むと声を潜めてこう言った。

「こいつは汚染獣の臭いがわかるのさ~」

「臭い?」

 何を言っているのかと疑問に思ったようにレイフォンが反復する。
 この世界の常識として、エア・フィルターの外に出てしまえば臭いを嗅いでいる余裕などない。
 汚染物質が自らの身体を焼く感覚が全身を支配する。嗅覚など十秒もすれば意味を成さなくなる。
 そのことは俺も経験済みなのでよく分かる。

「お疑いでしょうが、臭いの判別はできます」

 機械的な音声でフェルマウスが言った。

「ヴォルフシュテイン……あなたは数多くの汚染獣を屠ってきた。あなたの身体にいまだ残っている臭いからそれはわかる。あなたはここにいる誰よりもたくさんの汚染獣を屠ってきた。そんなあなたと戦場を共にできることは光栄だ」

「あの……もうその名前は」

「そうでした。失礼。レイフォン殿」

 丁寧に頭を下げるフェルマウスには慇懃無礼とか嫌味といった雰囲気はなく、レイフォンの方が逆に畏まっている。
 その合間に仮面を通した視線が俺にも向けられた。どういう意図があるのか不明だが、俺の身体に染み付いたその“臭い”とやらはフェルマウスにとって口にするかどうか迷うほどのものがあったようだ。

「私は確かに汚染獣に対して独自の嗅覚を持っています。その臭いとは汚染物質を吸い寄せる際に発する特殊な波動です。都市の外がほぼ常に荒れた風に覆われているのは、汚染獣たちが汚染物質を動かしているためです」

 汚染獣が大気を動かしている、なんというかロマンというか壮大というか。
 俺もそこまでは知らない。というか、知ろうとすら思わなかったことなのでその事実は面白い。

「私の嗅覚は、その波動に乗った汚染獣の老廃物質の臭いを感じ取ることができます」

「でも……」

 フェルマウスの説明にいまいち納得しきれないといった様子のレイフォンも仕方がないことだ。
 この世界の常識として常人はエア・フィルターの外に出ることができないという大前提がレイフォンの認識を遅らせている。

「ええ、わかります。汚染獣の臭いを感じ取るにはエア・フィルターの外に生身でいなければならない」

「……はい」

 フェルマウスの右手がゆっくりと持ち上がる。
 さきほど握手したときの感触が蘇る。俺みたいな本物の例外を除けば、生身の人間が汚染物質に晒されたらどのような状態になるかを俺は身をもって知っている。

「汚染物質に長時間生身で晒されれば、人は生きていけない。その身体は焼け、腐り、崩れ落ちていく。わたしの身体もその苦痛の縛から逃れることはできない。また、そんなことを何度も繰り返しているのなら汚染物質の除去手術が間に合うはずもない」

 上げられた右手が硬質な仮面の顎を掴む。
 その中にあるであろう現実を予想してレイフォンが緊張の面持ちになる。

「しかし、わたしにはもうひとつ異常な体質があった。あるいは耐性ができたのかもしれない。わたしは汚染物質の中にいても死ぬことはない、特殊な代謝能力を手に入れることに成功した。私の身体を調べれば、人は汚染物質を克服する日が来るかもしれません」

 そしてフェルマウスが仮面を外す。
 フェルマウスの素顔を目の当たりにした学園都市の面々から息を飲む音が聞こえた。
 それはレイフォンも例外ではなく、中途半端に開いた口から言葉が出ることはなかった。

「汚染物質に耐えうる代謝能力を手にする、その代償は私のような者になることかもしれませんがね」

 炭を塗ったような黒い肌に赤い血管が浮き出ていた。鼻梁のあたりには二つの穴がそこにあるだけで、瞼はなく、白く濁った眼球がむき出しのまま収められていた。乾ききった唇は裂けたまま定着し、その隙間から対照的な城さを保つ歯列を覗かせていた。
 除去手術が間に合わないほどに汚染物質を浴び続けても生きている人間は、このようになるのだ。

「私の感覚をどうか信じてくださいますよう。陛下に認められし方よ」

 仮面を被りなおしたフェルマウスは深々とレイフォンたちに頭を垂れた。



  †



 ランドローラーを走らせること四時間。
 岩場の陰でランドローラーから降り、そこから視覚を強化して目的の場所を見る。
 汚染物質が吹き荒ぶ荒野のど真ん中に擂り鉢状に地盤沈下したようなクレーター。その斜面にいくつもの大きな姿が地面に埋まるように蠢いていた。

「一期か二期……」

「そんなところだろうさ」

 レイフォンの呟きにハイアが頷いた。
 周囲に都市や放浪バスの残骸が見当たらなかったことから考えるとこの場の汚染獣たちは共食いに共食いを重ねた結果なのだろう。
 数は前情報通り十二体。
 数百はいたであろう幼生体が汚染物質を吸収できる成体になるまでに凄惨な生存競争を経た汚染獣たちだ。

「さて……うちが受け持つのは2体とあんた等が打ち漏らした手負いに止めをさす後詰。そういう契約さ」

「知ってるよ」

 ハイアの確認にそっけなくレイフォンは頷き、剣帯から複合錬金鋼と青石錬金鋼を取り出す。

「俺が6、レイフォンが4。状況次第で取りこぼし分を互いで狩る。俺たちはそれで行くからな」

「はい。お互い無茶はなしでいきましょう」

 病み上がりのレイフォンを無理に出張らせる必要はあまりない。12体という汚染獣の数そのものは俺にとって大した数ではない。
 それでもレイフォンまで汚染獣討伐に参加しているのは、ひとえにカリアンの無駄な保険のためだ。
 武芸者ではないカリアンにとって俺やレイフォンは途方もない強さを持った武芸者でしかない。そのような俺たちの能力がいったいどれほどの戦力となるかを正確に測ることができないのも致し方ない。このことはカリアンに限ったことではなく、武芸科長のヴァンゼを始めツェルニの武芸者全体にも言えることだ。同じ武芸者として、力量の違いは理解できても天壌の果てを知ることはできない。レイフォンが持っていた天剣授受者という称号の意味を知るグレンダン出身の武芸者が生徒会長か武芸科長になっていれば、俺やレイフォンを単独で戦いへ送り出していただろう。
 万全ではないレイフォンをかりだすのは本当の意味での保険だ。万が一のミスを防ぐため、取りこぼしを完全になくすために俺とレイフォンの二段構えにハイアたちの後詰。
 俺がカリアンの立場になったとしても同じような要員を揃えただろう。どれほど力を手にしても俺はそこら辺の考えを変えることができない。弱いときの自分の惨めな過去はなくならないからな。
 もっとも今回に限って言えば、個人的に試したいことがあるからだ。


 休眠から醒めようとしている汚染獣を岩場の陰に腰を下ろしながら待機する。
 汚染獣は休眠状態だと甲殻が異常に硬い。休眠時に共食いされないためだとか言われているが本当のところは分からない。
 すでにツェルニの存在を感知している汚染獣たちは地面に埋もれ掛けた身体を震わせ、殻の硬度を下げている最中だ。
 ハイアの方針で甲殻の硬度が下がるまで待つことになっていた。
 俺の個人的な実験に関しては動いていない状態の方が面倒がなくて良いのだが、こういう場で空気を乱すのも後々面倒であり、さらには何某か問い質したいことがありそうな人もいたので素直に従っている。

(本当にお久しぶりです、リグザリオ殿)

 念威端子からフェルマウスが親しげに声をかけてきた。なにやら先にレイフォンと話していたようだが、フェリの念威が届いたことでレイフォンとの会話を断たれたのだろう。

(あれほどの汚染獣と戦って生き延びる武芸者が天剣授受者以外にいるとは思いませんでした)

 特に詰問するような強さは見せず、純粋に感想を述べているだけに感じる。実際にそれ以上に含むところなどないのだろう。

「そのことに関しては俺自身も驚いている。……それで? アンタが見た俺の最後ってどんなだった?」

(覚えておられないのですか?)

「こっちも色々と訳ありでね。教えてもらえると助かる」

 俺はあの放浪バスに乗り込む直前の記憶がない。毎回、死んだと思ったらあの放浪バスの中で目覚める。それを不気味なことだと思いつつ、あまり気にすることもなかった。

(私の方も疑問だらけだったので貴方から有益な解を頂けると期待していたのです。あの黄金に彩られた茨輪しりん自律型移動都市レギオス、私はあれほどの例外を他に知らない。グレンダンの秘奥ですらアレの前には霞むことになると私は考えていたのですが)

 茨輪しりん自律型移動都市レギオス
 外延部を茨に覆われた黄金の城郭が聳え立つ移動都市が“俺の最後を看取る存在”であったという。
 フェルマウスの話によれば、俺はあの時の針鼠みたいな老生体に致命傷となるダメージを与えると同時に自らも受けていた傷でその場に倒れたらしい。フェルマウスは俺が死んだと思い、その後に念威を切ったそうだが、俺が倒れた同一座標で突如として莫大な剄が発生し、周囲数キルメルの空間が急激な変化が起こったそうだ。再びフェルマウスが念威端子を飛ばすとそこには見たこともない移動都市レギオスが現れていたらしい。
 その移動都市レギオスは忽然と消えた。

「消えた? この馬鹿でかい移動都市レギオスが消えたってのか?」

(信じ難いことですが、事実です。そして、都市が消えると同時に貴方の反応も消失した)

 予想し得ないことを聞けると思っていたが本当に荒唐無稽な類の話になってきた。
 その都市と共に俺が消えたということは、あの放浪バスに乗せられることになるんだろう。

(貴方は本当にあの都市を知らないのですか?)

「ああ、確かにこれまで何度も死ぬ直前までいったことがある。その度に気付けば得体の知れない放浪バスに乗せられて別の移動都市レギオスへ送り届けられているんだ」

(それは……数奇、というべきなのでしょうね。どうやら廃貴族より先に貴方をグレンダンに招く必要がありそうです)

 俺も知らない繰り返しのメカニズム。その一端とはいえ知ることができた。
 延々と繰り返される都市の滅びと武芸者としての果て無き進化。
 異世界法則を纏い、錬金術師アルケミストの思惑によりこの世界に縛り付けられた“黄昏の因子”。
 そして、フェルマウスの言葉により知りえた黄金の都。恐らくその都市の名は城郭都市イーダフェルト。『リグザリオ』という名と共に記憶していた称号。
 リリスから得た知識により『リグザリオ』とは、俺をこの世界に繋ぎとめた錬金術師アルケミストのことであることを知った。ならば『イーダフェルト』という名も誰かの名前かとも思っていたが、擬装用に考えた城郭都市がまさしくそのものだったとはな。
 だんだんと自分のことが分かってくる。少しずつ、少しずつ訳の分からないことが大半だが、そんな謎の部分も悪くはない。
 自分の理解できない環境にあるということがそれほど不幸だとは思わない。むしろ幸福なことだとさえ思える。
 それでもグレンダンに行くというのはまだ決めかねる。

「それを決めるのも、目の前に迫った終焉を回避してからだな」

(あの時と同等の汚染獣が再び迫っているというのですか?)

「それならどれほど楽なことか。“汚染獣”を察知する能力はアンタが上だろうが、“終焉”を察知する感覚は俺のが一番だ。こんな雑魚で終わってくれるはずがない。……来るぞ、とびっきりの伝説級がな」

 汚染獣が活動を開始すると同時にレイフォンとハイアが剄を爆発させた。

(あの時よりも凄惨な戦いが始まるということですね)

「ああ、覚悟だけはしておいてくれよ」

 フェルマウスとの通信を断ち切り、レイフォンとハイアに続く形で錬金鋼を復元させて駆け出す。
 ツェルニに辿り着く直前に手にした黒い大太刀。実戦で使うのはこれが初めてだ。

「さて、オマエの力が本物かどうか確かめさせてもらうぞ」

 衝剄を完全に封じ、活剄のみを高めた俺は黒い大太刀を構えて最初の獲物へと刃を振り下ろした。






[8541] オーバー・ザ・レギオス 第十七話 絶技の果てに
Name: ホーネット◆10c39011 ID:b372cf35
Date: 2011/02/11 12:38







オーバー・ザ・レギオス

 第十七話 絶技の果てに



 果て無き荒野にて開戦の烽火があがる。
 レイフォンが衝剄を解き放ち、前方へ衝撃波を走らせ地面を砕き土煙が渦を巻いて汚染獣たちを飲み込んだ。

「狩りの時間さ!」

 ハイアが叫び、一足先に土煙の中に飛び込んでいく。傭兵達もハイアの背に続き、地を這うように高速で動き出す。ハイアというリーダーが率いる傭兵達は文字通り獣達の狩りに似ている。近くで見ると個々の動きに目が向いてしまうが、全体を見てみるととても規則正しい法則の基で狩りが進められていることがわかる。

「レストレーション02」

 レイフォンは青石錬金鋼を鋼糸に変える。土煙の中から先んじて飛び出した汚染獣に目をつけたレイフォンは旋剄を用いて、足場の巨岩を踏み砕いて跳んだ。

「先に行きます!」

「ああ、無茶すんなよ!」

 鋼糸で汚染獣を捉えたレイフォンが大剣を振り下ろすのを確認しつつ、旋剄に風澱を組み合わせて汚染獣の群れに接近する。
 いまだ晴れない土煙の中に突っ込む。視界ゼロの中を化錬剄の足場を頼りに駆ける。人間である以上、俺の視界では汚染獣を確認することはできない。それでも迷うことなく土煙の中にいる汚染獣の一体へ黒い大太刀を一閃、二閃。十文字に振り抜いた刃には文字通り空を斬るかのような感触だけが残り、突撃した勢いのままに汚染獣の気配があった空間を通過した。荒野に着地すると同時に自分が奔った空間を振り返った俺の視界に映ったのは、十字に切り裂かれた土煙の合間を綺麗に四等分された汚染獣が落下する姿だった。

「おいおい、衝剄を使わないでこれかよ」

 普通の武芸者には厄介な汚染獣の硬い鱗が紙を斬るよりも容易く、それこそ空気を撫でるかのように分断した。
 リスタートの時に持たされた黒い錬金鋼。ハーレイやキリクでも解析できない不可思議な伝説級の物質。リリスから与えられた情報により、ある程度は予想していたが、それでも実際に自分で扱ってみてようやく実感が持てた。この黒い錬金鋼は、汚染獣を殺すことに特化した物質で構成されている。それも強靭な汚染獣の鱗を空気のように切り裂くほどだ。

「これなら……」

 黒い錬金鋼の性能は測れた。今度は自分自身の性能を測る。
 切り裂いた一体目の汚染獣の骸が大地に落ちた衝撃を合図に剄を爆発させる。
 体中を巡る活剄が行き場をなくし、体外へと漏れ出す。何の変化も与えられていない濃密な剄が周囲の汚染物質を燃料に燃え盛る。

『……あ、貴方は、一体』

 誰かの声が聞こえるが今は気にしない。
 襲撃者の変化に気付いたのか、薄くなり始めた土煙の中から三体の汚染獣が獰猛な牙や爪を武器に襲い掛かってきた。
 俺の残りのノルマは五体。これだけの数を相手にまともに戦えるようになったのはいつだっただろうか。これまでの俺におって、汚染獣との戦いは常に終焉と共に在った。だからこそ、自分の性能を十二分に測れたことはない。常に敗北を喫してきた俺は、今回のやり直しではついに汚染獣戦において勝利を得ることができた。
 最初に戦ったのが、千に届く幼生体の群れとその母体である雌性体。その次が脱皮したての老生一期。どちらの戦いでも脅威という脅威を感じなかった。死そのものだった汚染獣に恐怖を感じることもなくなっていた。多くの武芸者が死を覚悟して挑むであろう汚染獣の成体やそれを遥かに上回る老生体を前にしても怯むことなく戦うことができた。
 俺は間違いなく強くなった。武芸者が望みうるおよそ最高峰の力だ。それは非情に心地良い反面、恐ろしくも感じる。この力は仮初でしかないはずだ。何の前触れもなく、今あるすべての力が失われたらと想像すると胸の奥から嫌なものが込み上げてくる。そんなもしもを考えないようにしていても潜在的なモノは自分を偽れない。だからこそ、自分自身の力に挑む。この世界に迷い込むより以前の記憶はほとんど失われたが、終わりたくない、終わらせたくないという闘争への憧れが俺の中にはあったのだと思う。

『リグザリオさんっ!』

「――ッハァァア!!」

 レイフォンの声に逸れていた思考が目前に迫った汚染獣を捉える。
 外力系衝剄の変化、明鏡止水
 黒い大太刀の刃先を乾いた大地に突き刺し、地下に厖大な量の剄を走らせた。それから刹那のうちに殲滅の顎が三体の汚染獣を喰らい尽くした。
 眼前1メルトルにまで接近した汚染獣の甲殻に無数の斬閃が生じ、その後方から迫っていた二体の汚染獣も放射状に寸断された身体を荒野に撒き散らす。都市外戦闘用スーツに夥しい汚染獣の体液が降りかかるが、物理的な圧力を持った剄が瞬く間に焼き尽くす。

「こっちは気にするな。怪我人は自分のことに集中しろって」

『だ、だったら紛らわしい状況を作らないようにしてくださいよ!』

 確かにその通りだな。俺が敵を察知できるのはリリスの加護があってのものであり、常人にはその気配を感じ取ることはできない。一見して無防備な立ち姿を晒していては周囲に心配されるのも仕方がない。俺自身、察知能力が低いわけではないが、念威操者の祖であるリリスの能力には遠く及ばない。そんなリリスの力でも察知できないものもある。

「五体目だ」

 微塵になった汚染獣の欠片が降り切る前に次の目標へ旋剄で跳ぶ。
 活剄衝剄混合変化、雷迅
 閃光と化して宙を飛ぶ汚染獣の体躯を貫く。身に纏った暴風の如き剄と衝撃を伴った速度によって黒い雷光と化して汚染獣を塵も残さず消し飛ばす。汚染獣を貫いた勢いのまま僅かに滞空しながら戦域を見渡すとハイアたちはすでにノルマの二体を狩り終え、俺やレイフォンの動きを観察しつつ周囲の警戒に就いていた。レイフォンも三体目を落とそうというところだった。改めてこの場に集った者たちは規格外の戦力だと感じられた。様々な都市で名を馳せたサリンバン教導傭兵団に武芸の本場であると知られる槍殻都市グレンダン最強の称号たる天剣授受者だったレイフォン――そして、俺。この世界でも有数の戦力が揃っている今の状況なら老生体の何期が来ても軽く捻り潰せそうだ。
 いつもの終焉への気配が近付いている感覚がある今の時期、これだけ豊富な戦力があるのは心強い。しかも、今回からは久々に“全力”が出せる。今も手の中にある黒い錬金鋼は、明鏡止水と雷迅を用いても壊れるどころか軋みひとつあげることはない。明鏡止水は錬金鋼に奔らせた衝剄を地面を徹して広範囲に斬撃を徹す広域殲滅型の剄技であり、通常の錬金鋼を用いて今の剄量でこの技を放てば効果範囲が広がりきる前に錬金鋼が自壊してしまう。雷迅も全力で放とうとすれば敵を砕く前に錬金鋼の方が砕けてしまう。いつの間にか覚えていた剄技だが、リリスによると彼女の嫌い、というか苦手な人物の手先の得意技らしい。気付いたときには何故かニーナにこの技を教えていた。自覚がないままに関わっていたのだろう。それぐらいの不思議があっても可笑しくない生態を持っているのだから仕方がない。思い出せないことを思い出そうとしても面倒なだけだ。ただで新技を得られたのだから少しくらいの記憶喪失なんて気にするはずもない。

「次は、……これでいくか」

 黒刀を弓に矢を番えるように構える。身体を循環させた剄を黒刀へと集束させ、貫通力を極限まで高めて放つ。
 外力系衝剄の変化、錐疾風

「これで六体目、ノルマ達成だな」

 頭蓋を穿ち、胴の内部を貫き、尾を突き抜けた閃光は二つに裂けて剄は霧散し、汚染獣は綺麗に真っ二つになる。
 分断された汚染獣の向こうではレイフォンも最後の一体を凝縮された巨大な衝剄の斬撃により同じく真っ二つにしていた。

「ホント、危なげない戦いだったな」

 標的を狩り終えたことを確認したハイアたちとレイフォンも隠しておいたランドローラーのところに戻り始める。

『おいおい、もっと嬉しそうにしろっての』

『何度見てもリザたちはすごいよね』

『二人もそうだけど、やはりサリンバンの連中の戦い方もすごかったですよ』

 見学目的で後方に待機していたシャーニッドたちとの通信もつながり、一段落着いたことにため息を吐いた。
 ランドローラーまで戻ったところでひとつ気付いたことがあった。本来であれば、この場にいるはずの人物が何処にもいない。

「おい、ニーナは来てないのか?」

 こういった場にはいの一番に駆けつけそうなんだがな。

『おんや~、リザは我らが隊長殿に迎えて欲しかったのかな~』

「そりゃあ、男に迎えられるよりは千倍いいだろ?」

『我らが守護神さまは、相変わらずつれないねぇ~』

 色男に振りまく愛想などあるわけががない。

『ま、冗談は置いといて、隊長殿はレイフォンの伝言通り“ツェルニ”を見に行ってるぜ?』

「“ツェルニ”を?」

 この状況において名が出るということは学園都市ツェルニではなく、電子精霊ツェルニのことだろう。きっと都市の暴走は、電子精霊に異常が発生したからだとレイフォンは考えたのだろう。俺もそれを考えなかったわけじゃないが、あの電子精霊ツェルニは少しばかり他の電子精霊と違った感触があったから電子精霊ツェルニそのものが可笑しくなったとは思えない。きっと何某かの外的要因による過干渉だと思う。それゆえに電子精霊ツェルニへの対処を後回しにし、汚染獣討伐を終えてからそっちの対処に向かう予定だった。都市の深奥に立ち入ることは専門の技術者でもそうそう許されることではない。都市の命たる電子精霊はそれほどに重要な存在であり精密・慎重な対処が求められる。故障したからといって叩けば直るといった類のものじゃない。都市が滅びる瞬間に何度も立ち会った経験からも電子精霊に関しては細心の注意をはらうように心がけている。

『今回の都市の暴走は、電子精霊ツェルニに何かあったんです。隊長はこの学園都市で一番電子精霊ツェルニのことを理解しているって機関部で働く人たちから聞いていたので隊長ならもしかしたら、と思ったんです』

 それは知らなかったな。たまに、本当に稀なことだったがツェルニに来てからニ、三度ほどニーナの夢を見たことがある。見た内容はニーナが一人で訓練しているところや子供の頃の姿がある夢だったと思う。夢の内容なのではっきりと覚えていないが、電子精霊ツェルニとの関係までは見なかった。ツェルニで知り合った異性が出てくる夢は結構頻繁に見ているのでそれほど特別なことだとも思っていなかったが、ニーナが出てくる夢は少しばかり趣が違ったような気がしないでもない。
 そんなことを何で今になって思い出したのだろう。
 そして、何故今になってお前の声が聞こえる。

 我が身はすでにして朽ち果て――


「そういうことか、メルニスク!」

 よく考えなくても目先の“感覚”に気を取られていなければすぐに気付けたはずだ。汚染獣を求めるかのように暴走する都市の動き。制御できぬ憎悪により変革を果たした電子精霊の成れの果て、廃貴族。おそらく、ツェルニは廃貴族であるメルニスクに干渉されているのだろう。ならばニーナを一人で電子精霊のもとに行かせるのは危険だ。ディンとは方向性がぜんぜん違うがニーナもまたツェルニを守るために力を求めている。本人にその意思がなくとも廃貴族が付け入る隙くらいはあるはずだ。

「フェリ! ニーナを止めろ、ツェルニのところに行かせるな!」

『……そ、それは――ッ!?』

『リグザリオさん、いきなりどうし――ッ!!』

 俺の叫びに念威端子を通してフェリが動揺するのが伝わり、俺の反応を怪訝に思ったレイフォンの声がする。
 次の瞬間、それらを遮る巨大な咆哮が大気を揺るがした。

『あ、新手の汚染獣です! 九時の方向、距離100キル……、90キルメル! は、速い』

『これはまずい。老生体……少なくとも五期以上。これが貴方の言っていた“終焉”なのですか、リグザリオ殿?』

 この戦域を支配する二人の念威操者が同時に警告する。
 フェリの示した方角を皆が見る。そこには複雑な形状の虫のような姿の巨大な汚染獣が高速で迫るところが確認できた。
 しかし、“終焉”の気配はまだ薄い。まだ先があるはずだ。

『おいおい、あんなの相手にできるのかよ!?』

『皆、急いで下がってください! アレは並みの汚染獣じゃない!』

 新たな汚染獣の登場とその威容にシャーニッドは呆れたような笑みを見せるがその身体には震えが見て取れる。それはシャーニッドに限ったことではなく、ナルキやダルシェナ、武芸者ではないハーレイも同じだった。皆、頭より先に生物としての本能がどうしようもない天敵の存在を理解していた。
 レイフォンもそれを理解し、足手まといになるであろう仲間たちに逃げるように告げる。それは決して見下す意味ではなく、戦闘者としての純粋な経験からくる忠告だ。

「ハイア! アレの相手は、いくらならできる?」

『個人的には払えるだけ全部もらえれば戦ってみたい相手さ。サリンバンの代表としては、ノーだ。家族の命には代えられないさ~』

 冷静な判断だ。仲間の命を預かる団長のハイアは本来の使命でなければ、負ける可能性が高い戦闘は行わない。まして家族同然のサリンバンの仲間達の命を危険に晒す真似はできない。それは指揮官として正しい選択だ。

「だろうな。それならシャーニッドたちを連れて撤退してくれ。あのタイプはおそらく――」

『汚染獣からの攻撃、来ます!』

 フェリの声と共に俺たちの居る間近に複数の丸い物体が落下してきた。
 大きな質量とそれなりの初速で射出されたであろう物体は、大地に激突すると驚くほど勢いよく砕け、内容物を周囲に飛び散らせた。

『これは驚いた。あの汚染獣は、幼生体を体内に蓄えているようだ。第ニ射、来るぞ』

 フェルマウスの言葉通り、再び空に複数の物体が飛来していた。先に着弾した物体からは弾けと跳ぶように幼生体が湧き出ている。

『ちっ、こりゃあさっさと尻尾捲くった方が良さそうさ。フェルマウス、ナビは任せた』

『了解した。ツェルニの方たちも迅速な撤退を勧めますよ』

 言うが速いか、ハイアの意が決まったと同時にサリンバンの傭兵達はすぐさま戦域を離脱すべくランドローラーを走らせた。
 殿にはハイアが残り、仲間の退路を確保すべく飛来する幼生体を満載した砲弾を迎撃する。

「レイフォン、お前もシャニたちを連れて離脱しろ!」

『なっ、アレの相手を一人でするつもりですか!?』

「それしかないだろ? お前は病み上がりなんだぞ!」

『それでもアレを一人で相手にするなんて自殺行為です!』

 術後数時間で汚染獣の群れを相手にしていたレイフォンにだけは言われたくない。
 言葉を交わす間にも飛来する砲弾を迎撃し、大地に飛び散った幼生体たちを駆除していく。数十キルメル先まで届く戦力投入弾と飛行能力を持つ汚染獣。この場で仕留めなければツェルニは確実に滅ぶ。それだけはなんとしても避けなければならない。万全を期すには確かにレイフォンの助けもいる。それは分かっているが、レイフォンが無事に戻れる保障はない。

『おいおい、言い争ってる場合じゃないだろ? 撤退するだけなら俺たちだけでもできるっての。いつも頼ってばっかだけどよ、今回だけはマジで頼らせてもらうぜ』

 そう言って十七小隊のメンバーを促すシャーニッドの軽い口調は変わらないが、その声色からは極度の緊張が聞き取れる。

『シャーニッド先輩!? あんな化け物を二人だけ任せて、逃げるなんて!』

『やめなよ、ナルキ。シャーニッド先輩も自分が大事で言っているわけじゃないんだ。それくらい分かるだろ?』

『……っ、分かっています! ――レイとん、リグザリオ……すまない』

「気にするな。レイフォンも俺も、こいつをぶっ倒してちゃんと帰ってくるから」

 誰もが納得しきれない自分の気持ちを押し殺し、俺たちに背を向けてランドローラーを走らせた。
 この場に立ってよいのは、自分の身は自分で守れる者だけ。
 老生体を前にして自衛すら適わない者はいるだけで仲間の命を奪いかねない。それを理解できるからこそシャーニッドたちは死地に俺たちを残して撤退した。変なプライドや勇気は必要ない。この場は間違いなく死地だ。俺もこれだけの汚染獣を前にして誰かを守りながら戦えるなんて思えない。

「よし、レイフォン。無理っぽかったらすぐに撤退してくれよ」

『リグザリオさんこそ、さっきみたいな呆け方はしないでくださいよ』

 俺が前衛に立ち、レイフォンを後衛に立たせる。万全の状態ではないレイフォンは、俺のその判断に口を出すことなく青石錬金鋼の鋼糸を駆使して飛び散った幼生体を排除しつつ、隙を見て弓に変化させた複合錬金鋼で飛来する砲弾を迎撃するが、その表情に余裕がない。
 まあ余裕がないのはこっちも同じ。空中に複数の風澱を展開して汚染獣の進攻を阻みつつ、風澱を炸裂させる。100を超える風澱が炸裂したことにより、凄まじい轟音と衝撃波が周囲を揺るがす。俺が一度に展開できる最大数の風澱を用いた爆撃。以前戦った老生体ならこれだけで行動不能に追い込めただろう。

「これで終わってくれれば助かるんだが……」

 汚染された世界の支配者に相応しい威容の汚染獣の身体が砕け散って降り注ぐ。確認した体躯から砕けた身体の量を見るに5分の1は削れたことが分かる。これだけ削れば地に落とす事ができるだろう。以前の老生体よりもさらに飛行に特化した姿形をしているため、地上における移動速度はそれほど速くないはずだ。こうなれば鈍重なでかいだけの的だ。幼生体を満載した砲弾も飛行しながらでなければそこまで遠くへは射出できないだろう。

「このまま一気に『――ッ、リグザリオさん!』……ん、ちょ、おォッ!」

 レイフォンの突然の叫びに異常の発生に気付く。落下中やすでに地に落ちている汚染獣の肉片が凄まじい勢いで膨張したかと思うと次の瞬間に大爆発を起こした。昆虫を思わせる硬く刺々しい鱗が四散する。

『リ、リグザリオさん。助かりました……』

「気にすんな。それより、こいつは厄介だな」

 刃のように研ぎ澄まされた鱗が爆発によって飛び散ったことで俺の汚染物質遮断スーツは所々が切り裂かれていた。レイフォンの警告からある程度の予測をもってレイフォンを爆発から庇う位置に立つことは間に合った。もし、これをレイフォンが喰らっていたら汚染物質にやられていただろう。レイフォンも俺の身体にはある程度汚染物質に対する耐性があることを知っているので庇われたことを申し訳なく思いつつも計算高く次の一手を構えていた。
 見れば、爆発して飛び散った肉片は意思を持っているかのように蠢き、汚染獣の身体に戻っていき、ものの数秒で砕けた巨躯は完全な形で復元されていた。

「おいおい、自爆&再生能力なんて卑怯すぎだろ?」

 破壊した肉片が爆弾と化し、尚且つ飛び散った肉片はすぐに回帰する。まさか、まったくのノーダメージということはないだろうが限界量の風澱による攻撃で目に見える成果が見られないのは精神的に萎える。相手の再生能力が尽きるまで戦い続けることはそれほど難しくないと思うが、そんな気の長い戦い方をしていては暴走したツェルニがこちらに到着してしまう。ツェルニとの距離を考えれば時間的猶予は、24時間あるかどうか。

「だ~もう! やってやろうじゃねぇか!!」

『ちょっと、待ってください』

「んあ? なんだ、レイフォン」

 レイフォンの制止に汚染獣への攻撃を止めて最大限の活剄を用いて汚染獣の巨躯を蹴り飛ばす。その際に汚染獣の身体を破壊しないように衝撃を面上に拡散させ、反動を利用して距離を取る。遠くの地面に落下する汚染獣を確認し、レイフォンの隣へと跳ぶ。

『単純な攻撃はアレには効果ありません。アレは多分、インビークーだと思います。老生六期の名付き……グレンダンの天剣授受者が倒しきれなかった強力な汚染獣です』

「は? レイフォンはこいつと戦ったことがあるのか?」

『いいえ。ただベヒモトという同タイプの汚染獣と戦ったことがあるんです。その戦いの後に教えてもらったんです。ベヒモトと同じ群生生命体タイプの名付きがもう一体いるということを』

「なるほど。群生生命体、ね」

 全体として一つの生命体ではなく、細胞かそれ以下のサイズの物質によって構成された存在ということか。なら斬撃や貫通攻撃、爆砕系の攻撃もそれほど意味がないな。

『あのタイプは点や線の攻撃ではなく、面の攻撃で全体に同時攻撃を与える方法でしか倒せませない。短時間の超重圧攻撃でインビークー全体を圧死させるしかないんです』

「おいおい、アレだけのデカブツを丸ごとで圧殺するだけの技は普通の錬金鋼じゃ使えないぞ? 錬金鋼がそれだけの剄に耐え切れない」

 剄を込めるだけなら俺の黒い錬金鋼で可能だが、剣の形状だと全体を同時に攻撃する剄技はない。
 広域殲滅型の明鏡止水も一面からの攻撃しかできない。焔神や雷迅もアレだけの巨体を塵も残さず消し飛ばすだけの範囲攻撃は無理だ。

『絶望的です。ベヒモトのときは天剣授受者3人がかりでようやく倒せましたけど、今回は2人で天剣もない。それに……僕も足手まといだ』

 都市外で戦うにはあまりにも分が悪い種類だ。俺のような特殊な耐性を持っていなければ、遮断スーツが破れて数分で死に至る。特別な錬金鋼らしい天剣とやらを持たず、遮断スーツにも気を使わなければならないレイフォンは確かにこの場では戦力として数えることは厳しい。レイフォンの多彩な剄技は確かに魅力的だが、その技の真価を発揮するためにはそれ専用の錬金鋼が必要だ。俺も何度か天剣授受者とやらの剄技を見せてもらったが、そのどれもが筆舌に尽くしがたい絶技だった。それを実戦で自在に操る武芸者達が11人も槍殻都市にはいるのだと思うと本当にその都市が世界で一番安全な都市だと思ってしまう。

「天剣授受者とやらが都合よく現れてくれれば……」

『そんな都合のいい状況があるわけないじゃ……リグザリオさん?』

 何か引っかかった。何かを忘れているような気が――。

『天剣級が2人も揃って無様なもんさ~』

『ハイアッ!』

 適度な緊張と適度な気軽さを持って通信に割り込んできた声にレイフォンが苛立ちを含ませつつも冷静な部分が新たな戦力となりえる存在の登場に戦意が戻る。

『話は聞かせてもらいました。面による超重圧攻撃、それを単独でも可能とする剄技を私は知っています』

 通信越しに機械音声による声が俺の中にある引っ掛かりを掴みあげようとする。

『グレンダンが誇る武門の名家ルッケンス。その秘奥……千人衝。ヴォルフ……いえ、レイフォン殿ならば再現できると聞きましたが?』

「それだ! レイフォン、やれるか?」 

 ツェルニの小隊対抗戦の第五小隊との戦いで使用しているのを見た。文字通り、アレで千人に分身すれば汚染獣の巨体を圧殺することも可能だろう。

『無理です。僕が使える千人衝は本家本元ほど効率が良くない。そんな状態で千人衝を使ってもインビークーを圧殺するだけの剄が残りません。それに錬金鋼の耐久性の問題も解決できない!』

「まじかよ、どうすんだよおい!」

 地面にひっくり返っていたインビークーがその巨体をようやく起き上がらせ、再び宙へ舞い戻ろうとしている。

『させない、さっ!』

 起き上がったインビークーの翅にハイアが接触すると同時にその翅の一部が風化したように崩れた。

『あちゃ~、やっぱり硬すぎ。一撃じゃ捥ぎ取れないさ』

 一撃を与えたハイアはすぐに距離を取ってインビークーから離れる。それと同時に予想通り、抉れた部分で小さな破裂音が響き、やはり元通りになった。しかし、その効果は確かに見て取れる。千人衝と並び、今の状況に必要なピースが揃った。

『あれは……波紋抜き』

 そう呟くレイフォンの声には嫉妬が感じ取れた。おそらく、今の剄技はレイフォンとハイアが修めているサイハーデン刀争術なのだろう。

『波紋抜きは武器破壊を応用した衝剄を対象に打込むことにより、細胞レベルから破壊するサイハーデンの絶技。これと同種の剄技をルッケンスの秘奥たる千人衝と組み合わせ、貴方の黒刀でインビークー内部の深奥へと打ち込む。それがこの戦力で為しえる最大効率の策です』

 フェルマウスのいつもと変わらぬ声が静かに現状を知らしめる。
 波紋抜きと千人衝。この場で両方を修得しているのは、レイフォンだけだが、徹し剄による細胞破壊の剄技は俺も知っている。それに加えて、千人衝。化錬剄を得意とする俺は、もう一度じっくりと見れば再現はできると思う。
 しかし、それにはレイフォンにもう一度千人衝を使ってもらう必要があり、それを再現すると同時にインビークーを一度に殲滅するのに必要な剄を溜める必要がある。

『よう、ヴォルフシュテイン。時間稼ぎも兼ねて見せてくれないかい? サイハーデンを捨てて手に入れた猿真似の技をさ~』

『黙れ。お前に言われなくても分かってる』

 千人衝を再現するための時間と必要量の剄を溜める時間。決して短くない時間を無傷で戦わなくてはならない。今のレイフォンにそれはとても厳しい条件だ。

「……やってくれるか?」

『やりますよ。ここで仕留めなければ僕たちは帰る家を失くしてしまいますからね』

 ハイアに向けていたものとは違う苦虫を噛み潰したような苦笑で応じるレイフォン。

『猿真似の技を見せてやる。そっちこそ時間稼ぎができるくらいの働きはできるんだろうな?』

『ハッ、いちいち人をムカつかせるヤツさ!』

 仲たがいのような掛け合いをしながらレイフォンとハイアは活剄を極限まで高めて絶望の権化へと挑みかかる。
 その際にレイフォンの姿は倍倍ゲームのように増えていき、100を超える数まで増えた。そのレイフォンたちはそれぞれに波紋抜きと思われる技を繰り出し、インビークーの動きを制しつつ、爆発に巻き込まれないように一撃離脱を繰り返す。ハイアもまた波紋抜きを用いてレイフォンと同じようにインビークーを抑える。

「サイハーデン兄弟の頑張りを無駄にはできいないな。こっちも100%の働きをするか」

 再び目にした絶技もある程度理解できた。変幻自在の化錬剄にとって幻影や残像、分身を作り出す技はそれこそ都市の数よりも多い。その中でも質量を持った分身を可能とするほどの技はお目にかかったこともなかった。これでまた新しい力が手に入る。そう思うと最初期に抱いていた心がくすぐられる。

「……よし。レイフォン、ハイア、行くぞ!」

 2人に呼びかけると同時に旋剄で跳ぶ。極限まで練り上げられた剄を爆発させる。
 活剄衝剄混合変化、千人衝
 技を発動させると同時に感覚が分散していくという摩訶不思議な経験をできた。数はどんどん増えていく。文字通り千人に到達するまでに5秒。増え続けている間にも最強の一撃を放つための容易を同時並行で進める。
 内力系活剄の変化、黒腕
 両腕に限界まで圧縮した剄を溜め込む。伏剄の要領でそこに徹し剄を仕掛ける。

「時間がないんだ。“終焉”の先駆けに時間をとられるわけにはいかないんだよ!」

 瞬間、千の刺突がインビークーを包み込む。
 外力系衝剄の変化、浄破
 刹那、インビークーの全身が水面のように静かに揺れた。今にも自壊しそうになるインビークーに突き刺した黒刀を引き抜き、ダメ押しに千の斬撃でさらなる圧力で巨体を押しつぶす。インビークーの身体は爆縮され、すべての細胞は完全に殲滅された。そう思いたかった。

「く、往生際の悪いことだなおい! レイフォン、ハイア!」

『やれやれ、ツメが甘いヤツさ』

『急げっ! 逃げられる!!』

 生命活動を終えた破片が舞い散る中に一つだけ、人間の頭くらいの大きさの塊が蠢きながら大地を目指している。アレを逃せばここへ向かっているツェルニに取り付かれてしまう可能性がある。都市内に侵入した汚染獣を狩るのは都市外で狩るよりも遥かに難しい。そんなことになったら大切な人たちが傷付くことになる。それだけは許されない。
 インビークーを殲滅するために最大限まで剄を放出して一定空間に圧し留めるという馬鹿げた技を使用したせいもあり、次の一撃を放つための時間が数秒足りない。レイフォンやハイアもあと一歩届かない。このままでは取り逃がしてしまう。

「ちっくしょぉおおおお!!」

 ここで憂いを残せばニーナの下にいけない。さきほど感じたメルニスクの気配。その近くにニーナも感じた。きっとツェルニに起きた異変はニーナにも及んだに違いない。 早く、早く戻らなくてはならない。そのために一撃を、誰でもいい。最後の一撃を!



 ―― ハ、疫病神からのラブコールとあっちゃあ仕方ねぇな。祟られないように恩を売ってやるぜ



 そんな囁きと共に一条の雷光がインビークーの最後の欠片を消し飛ばした。








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