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[8447] 国取りドラゴン(真・恋姫無双×巣作りドラゴン) 第24話追加
Name: PUL◆69779c5b ID:eb067e67
Date: 2011/03/13 15:31
初めまして、PULと申します。
今回、真恋姫無双の世界に北郷一刀の代わりに巣作りドラゴンの主人公ブラッド・ライン
が舞い込んだという他には無い設定で、というか誰も書きそうもない設定で話を進めてい
きます。一刀は登場しませんのでその点を踏まえた上で読んで頂けたらと思います。
今のうちに予防線張っておきますが、私は他の人に比べ更新ペースが非常に遅いので
その点も併せて気長~にのんびり構えていただけたら幸いです。

巣作りドラゴンを知らない人も多いと思いますので、今回のSSに登場するキャラを紹介し
ます。(初期設定に各キャラのエンディング後の状態を加えています)
09.10.27 ユメ、フェイ、ルクル追加

ブラッド・ライン
 純血ほど貴ばれる竜族において、七つの竜の血を持つ混血種。そのため本来の力を上手
く発揮できず、かなりの落ち零れ。何故か竜族最強のリュミスに一目惚れされ婚約者と
なっている。
竜の世界では巣作りが男の義務であるため、エルブワード王国の山に住み着きリュミスに
脅されながらせっせと巣作りに励んでいる。性格は温厚で好戦的ではないが自分の巣を荒
らすものは容赦しない。

クー
魔界において巣作り、侵入者捕縛アイテム等の販売を一手に取り仕切るギュンギュスカー
商会の元幹部社員。現在、部下のメイド部隊と共に所有権をブラッドに買い取ってもらい、
住み込みで巣の補修、増改築の他、捕虜の釈放、交渉等全体の運営を取り仕切っている。
自分の身体的特徴(無乳)にかなりコンプレックスを持っている。

ユメ・サイオン
獣人の娘。虎と狼の能力を持つオオガー型で、獣人の中ではエリート種族。生贄を装い
ブラッドに襲い掛かるが返り討ちに遭い捕らえられる。その後料理の腕を見込まれ、竜の
巣の食事担当として活躍。のほほんとした性格の癒し系だが、実は竜に対し驚異的な戦闘
力を持つ竜殺しの一族の末裔で、剣の実力もフェイも太刀打ちできないほどの実力者。現在
はその実力を発揮することなく竜の巣で平穏な日々を過ごしている。

フェイ・ルランジェル・ヘルトン
元騎士の父の名誉を回復するため、名を挙げようとブラッドに挑むが返り討ちに遭い捕縛。
その後、ブラッドに忠誠を近い、竜の巣の警護を担当する。生真面目な性格でブラッドに
対し自分を従者的な位置付けと考えているが、ブラッドとルクルの情事を目撃して嫉妬で
怒りを露にするなど、それなりに独占欲はある。

リ・ルクル・エルブワード
エルブワード王国女王。元は大陸に挟まれた小国だったが、ブラッドに拉致されたことを
切欠に親交を深める。その後、国を売ろうとした先王に反旗を翻しブラッドの助けを借り
て国王に即位。更に周辺の国も制覇し巨大帝国の女王となる。執務を度々抜け出しては
ブラッドの住む竜の巣に入り浸っているが、国家は連邦制を敷いていて独自に運営されて
いるので政情は安定している。




[8447] 第1話:竜星墜落
Name: PUL◆69779c5b ID:eb067e67
Date: 2009/12/13 18:40
第1話:竜星墜落

 エルブワード王国統一後、ブラッドは久し振りに大空を待っていた。
「ご主人様、こうしてご一緒するのも久し振りですね」
ブラッドの横でクーが嬉しそうに話し掛けた。エルブワードが大陸のほぼ全土を掌握した
ためブラッドが戦争に駆り出される事も、街を襲うこともなくなっていた。今回は、民に
エルブワードが竜の守護する国である事を示すための単なるデモンストレーションだった。
「こうしてご主人様と二人きりで大空を飛ぶなんて最高です♪」
「そ、そうか? 街を襲撃するときはいつも一緒だったはずだが…」
ご満悦のクーに対しブラッドは冷めた表情だ。街を襲っていたときはギュンギュスカー商
会の社員とその顧客というビジネス上の間柄だったが今はより密接な主従関係にある。
やってることは同じでもクーにとって心理的な距離感が全く違うが、ブラッドは分かって
いない。

 今回誰がブラッドと同行するかで竜の巣でちょっとした騒動になっていた。結局、自ら
飛行能力を持つクーがその権利を得たのだが、納得しない女の子達に押し切られ、今後他
の女の子とも定期的に飛ばなければならなくなり、その為の方法も考えなければならなく
なったのである。
「ご主人様、あれ何でしょう?」
クーが指差した先は不自然に光が屈折して澱んでいるように見えた。
「雲にしては変だな?」
ブラッドにも見当が付かず首を傾げていたが、ブラッドが避けるより先に謎の物体はどん
どん近づいてきてブラッド達を飲み込んでしまった。
「うわっ?」
「きゃあ!」
真っ白な世界に覆われ方向感覚を失った。クーは自分だけが空に放り出されていることに
気付いた。
「ふぅ…。な、何だったんでしょうか今のは?」
慌てて浮遊魔法を使い体勢を立て直し傍にいるはずのブラッドに声を掛けた。しかし、
ブラッドの姿はどこにも見当たらなかった。
「あれ? ご、ご主人様? ご主人様どこですか?」
突然の出来事にクーはうろたえ周囲を見渡すが、青い空以外何も無かった。



 場所はブラッド達の世界から遠く遠く離れた、時空を超えた遠い世界、古代中国の揚州。
孫策、周喩、黄蓋の三人が夜の見回りをしていた。
「この辺は問題なさそうね」
「本体を叩いたとはいえ、残党が残ってるかもしれません。十分お気をつけなさいませ」
「えぇ、分かってるわ」
未だ袁術の客将に甘んじているものの、黄巾党撃退の名目で四方に散っていた武将を呼び
戻し独立までの戦力は整いつつある
「そう言えば管輅の予言て当たらなかったわね」
「流星と共に天の御遣い現る、だったかしら? どうせ口からデマカセだったんじゃない
の? あんな世迷言信じるほうがどうかしてるわよ。でも黄巾党を叩いて注目され始めて
るし、ここで天の御遣いを手に入れることが出来たら呉の存在感を一気に高めることが
出来たかもしれないわね」
天下取りの野望に燃える孫策達にとって天の御遣いはのし上がる為の道具でしかなかった。
「でも天の御遣いは未だ現れず、黄巾党は衰退しても世は乱れたまま。私達にとって都合
の良い時代であることに変わりは無いわ」
「そうね。まずは袁術を倒して早く独立を…」
雪蓮が決意も新たに宣言しようとした途端、急に空が明るくなった。
「…流星?」
「もしかして天の御遣いかしら?」
「今更それはないんじゃない?」
「それよりこっちに向かって来ておるようじゃが…」
「……」
「に、逃げるわよ!」
言うが早いか全員一斉に駆け出すが、人間の足で振り切れるはずも無く流星はどんどん
雪連達に近付いてきた。

ドーン!!!

 幸い、流星は直撃することなく雪蓮達の後方数十メートルの地点に大地を揺るがす地響き
とともに墜落した。大量の砂塵が舞い、雪蓮達も頭から被って砂まみれになってしまっ
た。いつも飄々としている雪蓮だが、この時は流石に表情を引き攣らせていた。
「けほ…。ふ、二人とも大丈夫?」
「えぇ、何とか」
「儂も大丈夫じゃ。それにしても天の御遣いの光臨にしては随分派手な演出じゃのう」
「光臨と言うか墜落でしょ、これじゃあ」
「兎に角、行ってみましょう」
自分の予想とはかなり違う展開に何か変だなと思いつつ雪蓮達は墜落現場に向かった。
「…大きな穴ね」
「空から降ってきたならこれくらいの穴はあくでしょう」
「人間なら即死じゃな」
現場を前に雪蓮達は予想以上に大きな穴に呆気に取られていた。

ガサ…

「何か居るわ!」
穴の中から物音がして、三人に緊張感が走る。雪蓮と冥琳は剣に手を掛け、祭もいつでも
矢を射掛けられる体勢をとっている。

 三人が緊張の面持ちで見つめる中、穴の中から手が伸びたと思うと背の高い痩身の男が
這い出してきた。
「ったく、酷い目に遭った。何だったんだ、あの光は…うん?」
男は雪蓮達に気付くと怪訝そうな目を向けた。雪連達も同じように男を見ていた。見た目
は温厚そうで邪悪な気配は無いが警戒は怠らない。なにより天から落ちてかすり傷一つ
負っていないあたり、普通の人間ではないと思えた。
「こ、今晩は。あなたが天の御遣い?」
無駄な争いを避けるため、とりあえず友好的に声を掛ける。
「天の…? 何だそれは? 多分違うと思うぞ」
「でも、空から落ちてきたでしょう?」
「う…。まぁ、確かにその通りだが…。ここはライトナのどの辺なんだ? 見たことも
無い格好だし少数民族か?」
「えっと、言ってること全然分からないわ。ここは揚州よ。あなたこそ天の御遣いじゃ
ないなら何者なの?」
「ヨウシュウ? 聞いたことない場所だな。何者といわれても答えにくいがエルブワード
のブラッド・ラインとしか答えられないな」
「ぶらっどらいん? 珍しい名前ね。姓がブラッドで名がラインでいいの? 字は?」 
「逆だ。名がブラッドで姓がラインだ。あと字とは何だ?」
「字というのは実名以外に付ける名であだなみたいなものよ。そういうことを聞くってこ
とは字は無いのね? 私は孫策。いちおう字は伯符。よろしくね。それで彼女達が周瑜と
黄蓋」
「…よろしく」
簡単に自己紹介するがブラッドへの警戒を解いていないのでこの時点で真名は言わない。
「それで、えるぶわあどって場所、聞いたこと無いんだけどどの辺なの?」
「エルブワードは大陸中央部にある国だが…この大陸じゃないかもしれないな」
「でしょうね。そんな場所聞いたこと無いわよ。冥琳は知ってる?」
「私も知らないわ。姿も身形も私達と違うし、ここより遥か西方の地のことかもしれない
わね」
「天の国なら違ってても不思議じゃないわね」
「なぁ、話が全然見えないんだが? 分かるように説明してくれんか? 天の御遣いって
のも訳わからんし」
「本当に天の御遣いじゃないの?」
「さっきから違うと言っている」
「…お互い状況を把握した方が良いみたいね」
ブラッド達はお互いのこれまでの経緯を説明した。

「よく分らないけど、あなたはこことは違う別の世界から来たって言うのね?」
「来たと言うか飛ばされたって感じだな」
「天の御遣いではないけど、私達がそう呼ぶことは構わないのね?」
「どう捕らえるかは相手次第だしな。違うとは言えない」
「そんないい加減な…。まぁ、民に喧伝する意味では問題ないわね。実際天から降って
きたのだから、天の御遣いと言えなくもないわ」
本来の目的を思い出したのか冥琳も納得した。
「で、結局どうするんじゃ?」
「天から落ちてきて無傷なんてどう考えても普通じゃないけど、物の怪の類には見えない
し悪い人にも見えないわ。とりあえず一緒に来てくれないかしら?」
「うーん…」
「あなたもいきなり見ず知らずの世界に紛れ込んでどうしていいか分らないんでしょ?
手掛かりを掴むにしても私達と居た方が良いと思うけど。住む所も無いしお金だって
持ってないでしょう? どうやって生活するの?」
「…そうだな。分った、一緒に行こう」
ブラッドなら街を襲えば簡単に食料は調達できるし、不毛の地で生活しても全く問題は
ない。しかし、右も左も分らない見ず知らずの土地で情報源になりそうな者の誘いを
断るのは得策じゃない。ブラッドは雪蓮達の申し出をあっさり承諾し行動を共にすること
にした。
「じゃあ改めて。私の真名は雪蓮。これからは雪蓮と呼んでね」
「雪蓮、いきなり真名を預けるなんてどういつもり?」
「私達は彼を天の御遣いとして迎えるのよ? 信頼の証として真名を預けるくらいしない
と駄目よ」
「…しょうがないわね。じゃあ私の真名もあなたに預けるわ。私は冥琳よ」
「儂は祭じゃ。よろしくな」
「良く分からんが、その真名で呼んでもいいんだな?」
「えぇ、相手が認めた場合わね。真名はその人を最もよく表す名で近親者しか呼ぶことを
許されないの。たとえ知ってても相手が認めない限り呼んではいけないから気をつけて」
「分かった」
まだ状況を把握し切れていないが、とりあえず雪蓮達と同行することにした。


 雪蓮達の城に戻る途中、二つの陰が向かってきた。蓮華と思春だった。
「お姉様、大丈夫ですか?」
「え? 大丈夫だけど、何かあった?」
思った以上に蓮華が動揺していることに雪蓮も少し驚いている。
「先程お姉様が向かったところが光り大きな地響きがしたので、何かあったのではと
心配で…」
「心配性ね蓮華は。ちなみに地響きの原因は彼よ」
「え? あ…」
今まで気付かなかったのか、雪蓮の後ろに居るブラッドに気付くと警戒心を露にして
睨み付けた。第一印象はかなり悪いようだが、ブラッドは構わず挨拶した。
「ブラッド・ラインだ。宜しく」
「彼は管輅の予言で言われていた天の御遣いよ」
「…姉様、本当にこの男が天の御遣いなのですか?」
蓮華はブラッドを無視して雪蓮に尋ねた。
「えぇ、そうよ。管輅の予言通りに現れたし」
「それだけの理由ですか? 他に何かないのですか?」
「それで十分でしょ? 天の御遣いが何者かなんて誰も知らないんだし」
「それはそうですが…」
「孫呉の未来に関わる人かもしれないからあまり失礼のないようにね。でも、必要以上に
畏まる事もないわよ」
「…姉様がそうしろというのであれば従いますが、私はこのように胡散臭い男を認めるわ
けにはいきません」
「私も蓮華様と同じ意見です」
蓮華同様、思春も鋭い眼光でブラッドを睨みつけた。思春もブラッドに対しあまり良い
印象を持ってない。しかしブラッドは肩をすくめて苦笑いを浮かべるだけで一切の弁解を
しなかった。

「お前達が俺を認めるかどうかはあまり問題ではない。雪蓮達が俺を認めている事を認識
すればいい」
「なっ!? ね、姉様達はこんの得体の知れない男に真名を預けたのですか?」
ブラッドの物言いは蓮華のプライドを傷つけるのに十分だったが、それ以上に敬愛する姉
を真名で呼んだ事は許せず、怒りが頂点に達した蓮華は迷わず剣に手を掛けた。しかし
ブラッドが臆することは全く無かった。
「止めとけ。姉に恥をかかせることになるぞ?」
「蓮華、私は彼を信用するに値する者と判断したから真名を預けたのよ。それとも、私に
人を見る目が無いとでも言いたいのかしら?」
「そ、そんな事は…」
「無いなら構わないわね?」
「…分かりました。ですが真名を預けるのはこの者が本当に信頼できると分かるまで待っ
てください」
「ま、それくらいはいいでしょう」
「ありがとうございます。では失礼します」
納得はしていないが主の意向に逆らうわけには行かず、蓮華と思春はブラッドを一瞥して
城に戻った。

「二人とも堅物と言うか融通が聞かないところがあるから気にしないで。でも凄く良い娘
達だから彼女達が受け入れるまでちょっと我慢してね。それと、あなたもあまりあの子達
を挑発しないでよ?」
「分かった。善処する」
竜であるブラッドが人間に対し畏敬の念を持つことはない。しかしブラッドは人間に対し
特別傲慢な態度をとることもない。ブラッドにとって人間は取るに足らない一種族でし
かなかった。相手が危害を加えようとしない限りブラッドは寛大だった。


 城に入るとブラッドは一室をあてがわれた。竜の巣とは比べものにならないくらい狭く
質素だが居候の身としては贅沢は言えない。
「この部屋を使ってちょうだい。城の出入りは自由にしていいわ。街に行くもの構わない
わ。ただ、森とか街の外は野盗も多いから気をつけて。まぁ、天から落ちても無傷のあな
たなら大丈夫でしょうけど」
「分った。いつまで居るか分らないが、ここにいる間はそう振舞うことにしよう。とは
言え天の御遣いがどう振舞うかなんて誰も知らないはずだから、好きにやらせて貰う」
「世間にも天の御遣いとして紹介するから、振る舞いは孫呉の名に恥じない節度のある
ものに留めてね。それとあなたにはやってもらいたい事があるの」
「何だ?」
「孫呉に天の血を入れて欲しいの」
「いきなり何言い出すのかと思ったら…。何考えてるのよ」
「…それは輸血ではないんだな?」
「ゆけつ? 何それ? 分かり易く言うと城内の武将や文官の女の子達を抱いて欲しいの」
「急展開だな。俺は構わんが。要するに天の御遣いの血を入れ、我こそが天に選ばれし
者と喧伝し民衆の支持を取り付けるつもりだな?」
「さすが理解が早いわね。でも天の血を入れるのは城内の娘達だけ。町娘に手を出すのは
駄目よ。これも理由は分かるでしょ?」
「あぁ、市井の者に天の血が入れば、それを担ぎ上げる輩が出てくる恐れがあるからな」
「ご名答。明日、皆にあなたを紹介するわ。両者合意の下なら構わないわよ」
「住む所を用意してくれたんだしそれくらいは協力する」
竜の巣では好き放題やっていたが郷に入っては郷に従えと、素直に従う。

 しかし、本能には抗えない部分がある。しかもこの世界に来た時は竜の姿をしていて
より本能が強く働く状態にあった。更に目の前に刺激的な格好の女性達がいる。ブラッド
はあっさり臨界点を超えてしまった。
「……」
「な、何?」
「努力はするが、抑え切れないものもある」
「え? ちょ、ちょっと…」
ブラッドの只ならぬ気配に本能的に身の危険を感じたのか、珍しく怯えた顔で後ずさる
雪蓮達だが手遅れだった。
「済まん、限界だ!」
「え? きゃ、きゃあ!」
雪蓮達は本能全開のブラッドにあっという間に押し倒されてしまった。


「す、凄かった…」
「腰から下の感覚が無いぞ」
「頭がくらくらしてるわ…」
「スマン。どうにも抑え切れなくてな」
戦い済んでまぐろ状態でベッドに体を横たえる三人に対しブラッドは頭を掻きながらばつ
の悪い表情で三人を眺めている。
「もう…本当なら切り捨ててやるところだけど、足腰立たないんじゃそれも出来ないわね」
緩慢な動きで起き上がりブラッドを睨みつける雪蓮だが頬は赤いままで目は怒っていない。
「確かに天の血を孫呉に入れるように頼んだけど、いきなりは無いじゃない」
「それだけの魅力がお前達にあったということだ」
「…全然悪びれてないわね。まぁ私達が天の御遣いをも虜にする程魅力的って言ってくれ
るのは嬉しいけど。でも呉の王と軍師と宿将。この三人を手篭めにした代償は大きいわよ」
孫呉の王に対して無礼極まりない態度だが、雪蓮はあまり気にした様子はなく寧ろ破天荒
なブラッドの言動により興味を持ったようだった。

「代償か…。まぁ、今回は俺にも非があるから俺で出来ることなら聞くが」
「そうねぇ。冥琳、どうしようか?」
「そうね、頭の回転は早そうだし、化け物並みの体力も物怖じしない性格も使えるわね。
可能性が色々ありそうだから武官、文官両面で色々試してみたいわね。天の国の知識にも
興味あるわ」
「バケモノ並みの体力はすぐにでも使えるわ。あなた、武術の心得はある?」
「武器を使ったことはないが戦闘に参加したことはある」
「それって後方支援とか?」
「いや、前線だ」
「……」
自信満々に答えるブラッドに雪蓮達は黙り込んだ。素手で敵に立ち向かっていると言うの
だろうか? 雪蓮達はブラッドの能力を測りかねている。

「ご主人様ー!」
「クー?」
「え? 何? どこから聞こえるの?」
急に聞きなれた声が聞こえブラッドは周りを見渡すがクーの姿は見えない。雪蓮達は
剣を手に警戒態勢を取った。
「ご主人様、聞こえたらペンダントを見てください」
ブラッドが首に掛けてあったペンダントを覗き込むと心配そうなクーの顔が映し出されて
いた。
「こ、これか。成るほど出掛ける時わざわざ持たせたのはこの時のためだったのか」
「万一に備えてでしたが本当に使うとは思ってませんでした。やっと繋がりました。
お怪我は…無いみたいですね?」
「あぁ、問題ない。ただそれ以外は問題だらけだな。お前は大丈夫だったか?」
「私も大丈夫です。今、竜の巣に戻って状況を確認しているところです。そこがどこか
分りますか?」
「いや、正直全く見当が付かない。まるで別の世界に紛れ込んだみたいだ」
「多分、その通りだと思います。ご主人様は…」
「ね、ねぇ…」
「うん?」
暫らく呆気に取られていた孫策が恐る恐る尋ねた。冥琳達も変な人を見るような目で
ブラッドを見ている。

「その中に誰かいるの?」
「あぁ、これか? 中に人は居ないが、遠く離れた相手と話しをする道具だ」
「へ、へぇー? やっぱり天の国にはそんな凄い道具があるんだ?」
「あれ? ご主人様、そこに誰かいるんですか?」
「この世界で初めて会った人間がいる」
「じゃあ、ご挨拶しないといけませんね」
クーがそう言うと、ペンダントが光り人間とは違う姿をした少女が映し出された。
「も、物の怪!?」
「…にしては可愛いじゃない」
「うむ、愛らしいのう」
クーの姿を見て冥琳は剣を構えて警戒したが小柄な体型と見た目の可愛らしさに雪蓮達は
あっさり懐柔されてしまった。
「初めまして。私、ご主人様の執事のクーと申します。宜しくお願いします」
「私は孫策、彼女が周喩でこっちが黄蓋。こちらこそ宜しくね」
簡単に自己紹介を済ませるが周喩が少し警戒したくらいで特に緊張した様子は無く和やか
な雰囲気である。
「では本題に入りますが、ご主人様は異世界に飛ばされてしまったようです」
「それは分る。問題はどうやって戻るかだ」
「残念ながら現時点ではそこが確実に異世界である以外の事は分りません。その世界に
ついてこちらでも調べて見ますのでご主人様もそちらで調べていただくぐらいしかやる事
はありません」
「まぁ、そうだろうな」
「新しい情報が入り次第お知らせします。ただ、それまでの間ご主人様の住居を確保しな
ければならないのですが、孫策さん達は…」
「えぇ、とりあえず私の所に居て貰うつもりよ」
申し訳なさそうな顔をしているクーの心情を読み取って雪蓮が割きに結論を出した。
「ありがとうございます。ご主人様は少し…かなり女性にだらしないところがありますが、
悪い人(?)ではありません。また体力は底無しで病気になることもありませんので存分
にこき使ってください」
「えぇ、分ったわ。体力がバケモノ並なのは身を以って知ってるわ」
「…ご主人様、まさか?」
「いや、なんと言うか成り行きで」
「全く相変わらずですね」
雪蓮の言葉から状況を悟ったクーの冷めた視線がブラッドに突き刺さる。
「良いのよ。それに彼の血を入れる事は呉にとっても有益なんだし」
「血を入れる…。なるほど、そういう事ですか」
雪蓮の言葉をどう解釈したのか分らないがクーは納得した様子でそれ以上は聞かなかった。
「でもご主人様が良い方達に保護されて安心しました。何かありましたらまた連絡します。
では、今日はこれで失礼します」
「分った」
「うん、またね」
クーの姿はブラッドのペンダントに吸い込まれるように消えてしまった。

「ホント不思議な道具ね。彼女また来るのよね?」
「来ると言うか連絡はあるだろう。そう言ってたし」
「彼女はお前の副官なのだろう? 中々優秀な者のようだし彼女との話は有益だ。彼女と
連絡が取れたときは私にも声を掛けてくれ」
冥琳はブラッド以上にクーのことが気に入ったようである。
「長居しちゃったけど、とりあえずあなたの事は全面的に信用するわ。あなたの能力に関
しては一度見せて貰う必要があるわね。それは近いうちにやるとして今日はゆっくり休ん
で。他の娘達へのお披露目は明日にするわ」
「分った。これから宜しくな」
「こちらこそ。じゃあお休み」
雪蓮はにっこり笑って部屋を出た。

 それぞれの部屋に戻る三人。特に雪蓮と瞑琳の歩き方がぎこちない。
「うぅ、まだ何か入ってる感じがするわ」
「ふふ…江東の麒麟児も借りてきた猫じゃったの」
「な、何よ、祭だって無抵抗だったじゃない」
「我ら三人をあっという間に押し倒すほどの相手に抵抗しても無駄じゃ。それなら楽しん
だ方が良かろう?」
「快楽主義的も如何なものかと思いますが?」
「冥琳だって結局は彼のなすがままだったじゃない。随分可愛い声出してたけど?」
「う、うるさいわね。とりあえずあのケダモノはここに置くのね?」
「えぇ、そのつもりよ。天の御遣いの血を呉に入れるつもりだったけど彼なら申し分ない
でしょ? 他にも何か気になるのよね。何か掴みどころがないし」
「私もそれは思ったわ。立ち居振る舞いは隙だらけなのに、何かあるんじゃないかって気
にさせるわ。何か不思議な人ね」
「天の御遣いの持つ神秘性ってとこかしら? あとクーの話だと彼は結構高い地位に居な
がら自分で動く類の将みたいね。頭も良さそうだし、使い減りもしないみたいだから呉の
ために役立ってくれると思うわよ」
「でも、買被り過ぎは良くないわ。まず彼の適正や能力を見極めてからよ」
「分ったわ。段取りはお願いね」
浮ついた雰囲気を一掃し、雪蓮達は拾い物の新戦力の処遇と今後の方針について検討して
いた。

 一方、ブラッドはベッドに横になって今日一日のことを改めて考えていた。
「何か面倒な事になったな…」
クーと連絡が取れるのでそれほど動揺していないが、現在に至る経緯と今後の方針が全く
立たない現状は理解している。
「しかし天の御遣いで血を入れるか。中々美味しい立場だな」
雪蓮達の妖艶な肢体を思い出し一人ほくそ笑む能天気なブラッドだった。基本的に能天気
な男である。




[8447] 第2話:突発的開放
Name: PUL◆69779c5b ID:eb067e67
Date: 2009/12/13 21:39
第2話:突発的開放

 次の日、ブラッドは雪蓮達に連れられ呉の武官、文官達に紹介された後、玉座の前で
幹部達を交え今後の方針を検討していた。今回は前日のメンバーに加え、蓮華と穏も参加
している。

「何をやってるのよあなたは!!」

「え? 呉に天の御遣いの血を入れるために仲良くしてって言っただけじゃない。何が
不満なの?」
いきなり冥琳の怒声が部屋に響き、雪蓮は謂れのない非難に少し不満顔である。
「普通に説明しなさいよ。言うに事欠いて…あ、あんな事言うなんて」
冥琳にしては珍しく口篭って赤面する。雪蓮はブラッドを紹介する際、武将たちの前で
ブラッドにしな垂れかかって“彼って凄いのよ♪”と口走ってしまい、その場に居た女
の子達を大いに動揺させたのである。
「でも本当のことじゃない。あなただって十分知ってるでしょ? その体で」
「し、知ってるけど、わざわざ言うことじゃないでしょ。皆引いてたじゃない。思春は敵
に会ったみたいに目吊り上げてたし、亞莎なんか完全に怯えてたわよ。蓮華様だって…」
冥琳の視線の先では蓮華が真っ赤な顔でブラッドを睨みつけていた。顔が赤いのは恥ずか
しさもあるが、怒りの方が強くブラッドに対する印象は更に悪化した。

「私としては蓮華にこそブラッドを受け入れて欲しいんだけどな。それに何も知らないで
いきなりだと大変だと思ったから前もって教えてあげただけなのに…。本当に凄かったん
だから」
「ね、姉様は本当に孫呉にこの男の、ち、ちちちち…」
「宍戸錠?」
「違います! それ分け解んないから。姉様はいくら天の御遣いとはいえ私に初対面の男
に体を開けと言うのですか!?」
「そこまでは言ってないわよ。あくまで両者合意の下でよ。…体を開くって、そういう
言い方するんだ?」
「私はこんな破廉恥な男、絶対に認めませんから!」
雪蓮のボケをスルーして、キッとブラッドを睨みつけて宣言する。本当はその場から逃げ
出したい気分だが、軍議の最中のため何とか踏みとどまっている。

「ブラッドに関しては情報が先走って混乱している部分もありますから、蓮華様自身で人
となりを見ていただければと思います。一応、雪蓮や私、祭殿が認めた人物ではあります」
「…分ったわ。冥琳がそこまで言うのならこの男にも秘めた能力があるのでしょう。私も
自分の目で確認することにします」
「…何で冥琳の言うことは素直に聞くのよ」
冥琳のとりなしで何とか場は収まったが釈然としない思いの残る雪連だった。


「ところで今日俺は何をすればいいんだ?」
当事者ながら今まで我関せずと第三者を決め込んでいたブラッドが尋ねた。
「昨日の今日で実戦は無理でしょう。そもそも周辺で戦闘になる状況でもないし。今日は
街を回って、ここがどんなところから知って欲しいの。昨日のクーのお願いもそうだった
でしょ? 案内役は…」
「はーい。私がしまーす♪」
真っ先に手を上げたのは穏だった。実は雪蓮のブラッド紹介の時、引きまくっていた女の
子達の中で好意的に受け入れたのが穏と小蓮で、特に穏は目を爛々と輝かせて妄想を膨ら
ませていた。
「英雄色を好むと言いますか、出会ったその日のうちに雪蓮様三人を押し倒すなんてそん
な大胆な人は大陸中探しても居ませんよ。是非、お近づきになりたいです」
「穏には元々ブラッドの教育担当をお願いするつもりだけど、今日は駄目。あなたも軍議
があるでしょう?」
「あう…。残念です」
「じゃあ、誰が案内してくれるんだ?」

「し、失礼します!」
上ずった女の子の声に全員の視線が集まった。玉座の間に表れたのは周泰こと明命だった。
雪連達を前に少し緊張した面持ちである。
「よく来てくれたわね、明命。早速で悪いけどあなたにはこれからブラッドに街の案内を
して欲しいの」
「わ、私が天の御遣い様の案内ですか?」
予想外の重大任務に明命の緊張度が増した。チラッとブラッドに視線を移すが目が合いそ
うになると慌てて視線を戻した。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、別にとって食ったり…することもあるけど今は大丈
夫よ」
「どうだか…」
ボソッと蓮華の冷めたツッコミが入る。
「明命、本当に嫌だったら断っていいのよ? こんなケダモノの為にあなたが犠牲になる
ことは無いんだから」
「だ、大丈夫です。この周泰幼平、雪連様の期待に沿えるよう誠心誠意粉骨砕身の思いで
望む覚悟であります」
蓮華の気遣いは逆に明命の闘志に火を点けたらしい。
「決まりね。ブラッド、今日は明命について案内して貰ってね」
「分った。宜しくな、えっと…」
「しゅ、しゅしゅしゅ、周泰幼平と申します。真名は明命です。私の事は明命とお呼びく
ださい」
天の御遣いを前に緊張しまくっているが、ここで落ち着けといっても効果が無いので状況
を見守るブラッドだった。
「分った。明命、まず最初に言っておくが俺の事は名前で呼べ。天の御遣いって柄でも
ないし、しっくりこない。ご主人様でも構わんがお前の主人は雪蓮だからな」
本音は竜族と対立関係にあった天界の者と同一視されるのを嫌ったためだが、それを言う
と話がややこしくなるので伏せておいた。
「そ、そうですか。御遣い様、いえブラッド様がそう仰るならそうします」
まだぎこちないが、素直な態度の明命にブラッドの内部評価が上がった。明命もブラッド
に対して悪い印象を持っていなかったらしく、ただ天の御遣いという高貴な人物に対し
緊張しているだけだった。
「じゃあ、案内頼む」
「はい!」
使命感に燃える明命だが、緊張しながらも嬉しそうにブラッドについて行く様は子犬の
ようだった。

「むぅ…」
蓮華はまだ納得していないらしく、ブラッド達が部屋を出た後もむくれていた。
「蓮華、直ぐに認めろとは言わないけど、ブラッドには先入観を持たないで接して欲しい
わね」
「先入観を持つ原因を作ったのは姉様じゃない」
「あ、あはは…あれは不可抗力というか不幸な…でもないわね、ただの事故よ、事故。
でも、彼の能力の底が見えないのは事実よ。それはあなたも認めるでしょ?」
「確かに掴みどころが無い感じはしますが…」
「それが分るまで軽率な行動を取っちゃ駄目よ」
「…分りました」
普段は奔放な姉に小言を言う蓮華だが、姉の威厳を見せ付けられ頷くしかなかった。


 ブラッドは城を出ると明命を連れて街とは反対側に向かった。
「ブラッド様、ここは?」
昨日まで無かった大穴を前に明命は呆気に取られている。
「俺がこの地に降り立った最初の場所だ」
「降り立った場所、ですか」
目の前の大穴を見て呟く明命。墜落したと言った方が適当だが、地面を大きく抉るほどの
衝撃があったはずなのに無傷で居られるのは天の御遣いの加護があったのだろうと勝手に
解釈している。

「あの辺か…」

空を見上げる。雲ひとつ無く、遥か遠くまで見通すことが出来るほど青く澄み切っていた。
ブラッドがエルブワードで見た澱みはもう無かった。
「まぁこんなもんか…」
「な、何かあるんですか?」
「いや、何も無い。確認も終わったし街の案内を頼む」
「え? は、はい」
ブラッドの行動は理解できなかったが、明命は常人には理解できない何か深い理由がある
のだろうと思い、追及しなかった。

 街を案内されるブラッドは完全に御のぼりさん状態だった。町並み、行き交う人々の服
装や顔立ち等、エルブワードとは全く違う雰囲気を新鮮な気持ちで見ていた。
「エルブワードとは随分趣が違うな」
「えるぶわあど? 天の国の事ですか?」
「天のというか、俺がいた世界にあった国の一つだ」
「ブラッド様の居た国はどんなところだったのですか?」
「色んな種族がいるところが大きな違いだがそれ以外は大差なさそうだな」
「そうなんですか? 私みたいに髪や瞳が黒い人達も居たんですか?」
「あぁ、それくらいなら普通に居たぞ。もっと違うのも居たぞ。金髪に青い瞳とか」
「金髪ですか? 凄いです…」
ブラッドの適当な相槌にも明命は目を輝かせている。色んな種族がいたというのは人間以
外にも竜や魔族がいたり、一部の魔族や獣人とは共存していたという意味だが明命は人種
の違い程度にしか把握していなかった。


 珍しそうに店を見て回るブラッドだが、周りの人々もブラッドを興味深げに見ていた。
既に天の御遣いの話は知れ渡っていた。長身で堀の深い顔立ちと見慣れない服装で、呉の
将軍である明命を付き人にしているのだから目立つのは当然と言える。
「周泰将軍、この方が天の御遣い様ですか?」
「えぇ、そうですよ。この方が天の御遣いのブラッド・ライン様です」
「身形といい身に纏った気品といいもしやと思いましたが、やっぱりそうでしたか。こう
して天の御遣い様にお目にかかれるとは、ありがたいことです」
「そう畏まらなくていい。別の国から来た放浪者程度に思ってくれた方が良い」
竜の巣ではご主人様でも竜の中では落ちこぼれだった為、見ず知らずの人間に崇められて
も居心地が悪い。雪蓮の希望もあって差し障りの対応をとったが、これが領民には好意的
に解釈されてしまった。

 領民の好奇の目を適当にあしらいながら歩いていると、鼻孔をくすぐる匂いが前方から
漂ってきた。
「何だ、この匂いは?」
「あぁ、ラーメン屋さんがありますね」
「ラーメン屋?」
「この国の代表的な料理の一つです。行ってみますか?」
「あぁ、この世界の食い物には興味がある」
明命に連れられブラッドはラーメン屋に入った。当然の何を選んでいいのか分らないの
で明命に頼んで貰った。暫らくしてテーブルの上にラーメンが置かれたが、初めて見る料
理にブラッドはどうしていいか分らない。
「これがラーメンか。それで、これはどうやって食べるんだ?」
「え? 普通にお箸を使って…もしかしてお箸を使うのは初めてですか?」
明命は箸を使えない人間を初めて見るのかブラッドの言葉にかなり驚いている。
「箸? この棒のことか?」
「そうです。こう持って麺を挟んで食べます」
「こ、こうか? 中々難しいな」
ブラッドの目の前で明命が箸を持って実演するが、初めて箸を持つブラッドは要領を得ず
悪戦苦闘している。
「ブラッド様、ちょっと失礼します」
そう言うと明命はブラッドの横に座り、迷うことなくブラッドの手を取った。とても武将
とは思えない明命の小さく柔らかい手がブラッドの手に触れる。
「どうですか?」
「なるほど。これだとしっかり物が掴めるな。といっても慣れるまでに暫らく掛かりそう
だが」
「大丈夫ですよ。子供だって出来るんですから」
にっこりと無邪気な笑顔を見せる。本来の守備範囲から微妙に外れ今まで食指が動かな
かったブラッドだが、評価を書き換える必要があった。

「……」
「どうしました?」
「いや、顔近いなと思って」
「え? …はわぁ!!」
任務を全うすることに必死で、自分が普段なら絶対やらない大胆な行動を取っていることに気付いていなかったらしい。弾けるように後ずさり、真っ赤な顔であたふたと狼狽えだ
した。
「し、失礼しました!」
「俺に箸の持ち方を教えることは失礼なことなのか?」
「い、いえ、そうではなくて…」
「なら問題ない。何を気にしているのか分らんがお前は自分の職務を全うしただけだ。
それより早く食おう」
「そ、そうですね、いただきましょう」
ブラッドに促されて明命も席について食べ始めた。初めは緊張していた明命だが、目の前
でぎこちない箸使いでラーメンを一生懸命食べているブラッドがどこか微笑ましくて緊張
感も薄れていった。
「美味かった。これなら何杯でもいけそうだ」
異世界の料理を堪能したブラッドは満足げな表情を浮かべている。
「本当に美味しそうに食べてましたね。私も嬉しくなりました」
「この世界には俺の知らない食べ物が沢山ありそうだな。また色々案内してくれるとあり
がたい」
「はい、私でよければ喜んで」
ブラッドの申し出に元気よく答える。ブラッドと一緒に居ることは明命にとって遣り甲斐
のある任務になったようだ。


 その後もブラッドは明命の案内で街中を見て回った。しばらくすると前方から怒鳴り声
が聞こえてきた。
「何だ? 何かあったのか?」
「うちの警邏隊と相手は…盗賊でしょうか? 不審者ですね」
盗賊達は刃物を持って暴れ回っていて、警邏隊も迂闊に近づけず膠着状態になっていた。
「ブラッド様、加勢に行って来ます。申し訳ありませんが、ここで暫くお待ちください」
明命はブラッドに断りを入れるとすぐ乱戦に飛び込んで行った。
 歴戦の兵である明命の加勢で盗賊達はあっという間に取り押さえられた。しかし一人が
警邏隊を振り払いブラッドの方へ向かって逃走した。
「どけー!!」
「……」
向かってくる盗賊を見てブラッドは何やら考え込んでいた。このままやり過ごしても構わ
ないが世間からは天の御遣いと思われているのでみっともない姿は見せられない。しかし
盗賊一人に力を解放するのもプライドが許さないし、そもそも畏敬の対象である、少なく
ともエルブワードではそうであった竜の姿を見せたら余計騒がれて面倒くさいことになり
かねない。

「ブラッド様!」
「えっ!?」

余計な事を考えているうちに盗賊は目の前まで来ていて、ブラッドに切り掛からんと剣
を振り上げていた。

ドカッ!
「ぐぁ…」

われに返ったブラッドは咄嗟に剣を“素手”で払い、がら空きの胴に掌底を繰り出した。
実際は突き飛ばしただけだが、盗賊は十数メートル以上離れた明命達の所まで吹き飛ばさ
れ白目を剥いて伸びてしまった。

「おぉ!!」
ブラッドの鮮やかな返し技に領民から歓声が上がった。
「だ、大丈夫ですかブラッド様!?」
「あぁ…大丈夫だ」
明命に答えながらブラッドは自分の体に違和感を覚えていた。ブラッドは単に手を出した
だけで突き飛ばすつもりは無く、盗賊の体に軽く触れた程度の感覚しかなかった。しかし
現実に盗賊は吹っ飛ばされ、自分の意識以上に力が出ていた。

 竜は人間の姿の時、その能力は大幅に制限されるが部分的に能力を開放することで人間
より遥かに優れた能力を発揮することが出来る。しかし混血竜であるブラッドは自分の
能力を上手く使いこなせず部分開放もこれまでは出来なかった。
 何故、突然出来るようになったのか、自分の状態に戸惑っているブラッドの元に明命が
少し興奮気味に駆け寄ってきた。
「凄いですブラッド様! 今のはもしかして仙術ですか?」
「仙術? あぁ…」
「やっぱりそうですか。きっと凄い修行をなさったんですよね」
「べ、別にたいしたことは無いぞ…」
ブラッドの適当な相槌を肯定と解釈した明命はさらに目を輝かせているが、弁解しように
も何が起きているのか自分でも解らないため曖昧な返事しか出来なかった。


 城に戻ったブラッド達は雪蓮に報告に行った。
「本当に凄かったですよ! 軽く触れただけなのに賊がブワーって吹き飛ばされたんです
から。ブワーッですよ!」
「そ、そう…。まぁ、前線に素手で参加してたのは本当だったって事ね。ブラッドが戦力
になりそうなのは良かったわ」
「しかも仙術が使えるというのも都合がいい。天の御遣いの神秘性を演出するのに有効だ」
「その事なんだが、こっちの世界では力の加減が上手くいかないというか自分の思い通り
に使えてなかった。何故こういうことになったのか解らないが、慣れるまで暫く時間が
掛かりそうだ」
「構わないわ。私もすぐに投入するつもりは無いし。まぁ、早く慣れてほしいけど」
一人ハイテンションで説明する明命に雪蓮は少し気圧され気味だが、新戦力加入に満足げ
な表情だった。

「ブラッドから見て呉の街はどうだったか? 天の国との違いがあれば教えてくれないか?」
今度は冥琳が天の国との違いについて質問してきた。
「結構賑やかな街だな。食い物も初めて見るものばっかりだが中々美味そうだ。町並みは
少しごちゃごちゃして分かりにくい。敵の侵入を防ぐのには効果的だが、逆に一度侵入
されると捕まえるのは難しいんじゃないか?」
「呉が再興して人口が急増しているからな。治安の問題もあるし町の整備は緊急課題だが
人材不足で対応が遅れているのが辛いところだ」
「インフ…都市基盤整備とかならクーの方が詳しいぞ。今度連絡が取れたときその話も
してみたらどうだ?」
「あぁ、そうしてくれるとありがたい」
街の構造上の問題点をあっさり指摘したブラッドの観察力に冥琳も満足そうだった。
「ブラッド様、今度出掛ける事があったら私にお申し付けください。出来る限り時間を
割いて対応させていただきます」
「あぁ俺は構わないが…」
「雪蓮様、いいですよね?」
「えぇ構わないわよ。教育係りには穏を付けるつもりだけど、ブラッドはこの世界のこと
は何も知らないと思うから、普段の生活でも色々助けてあげて」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに答える明命を見て雪蓮の表情も緩む。一部を除いてブラッドがかなり好意的に
受け入れられていることにほっとしていた。




[8447] 第3話:同床異夢
Name: PUL◆ca4238a0 ID:eb067e67
Date: 2009/05/23 11:53
第3話:同床異夢

 雪蓮への報告を終えたブラッドは今度は城の中を探索することにした。明命は引き続き
案内役をしたそうにしていたが、城の警護があったのでブラッド一人で城内をうろついて
いた。
ブラッドは人目のつかない所で通信用ペンダントを取り出し魔力を送り込んだ。暫くす
ると、ペンダントにクーの姿が浮かび上がった。
「ご主人様? まだ説明してなかったのによく使い方が解りましたね?」
「他に思いつかなかっただけだが、上手くいったな。それはともかく、これまでの状況を
説明しておく」

 ブラッドは街中での経緯をクーに説明した。クーは初めて聞く食べ物ラーメンに興味を
示したが、まず先にブラッドの身に起こった異変について言及した。
「無意識のうちに魔法が発動してしまったようですね。まず敵の剣をなぎ払った時に防御
魔法、恐らく地の魔法でしょう、そして風系の魔法で敵を吹き飛ばしたんですね」
「そうだろうな。しかし今まで無意識に魔法が発動するなんて事はなかった。これは何故
なんだ?」
「恐らく、そちらの世界は魔力を解放しやすい環境なのでしょう。そちらの世界には私達
のように魔力を消費する種族がいないようですし、もしかしたら魔力の濃度が高いのかも
しれませんね。良い機会ですからそこで部分開放の練習をされたらどうですか? 魔法が
発動しやすいということは部分開放もやりやすいと思います。勿論、ちゃんと制御できる
ようにならなければなりませんが、幸いといっては何ですがご主人様がこちらに戻るには
まだ時間がかかりそうですし」
「時間がかかる? 何か理由が…」

クーに尋ねようとしたブラッドの言葉が途切れた。どこから現れたのか、思春がブラッド
の背後から喉元に愛用の武器、鈴音を突きつけていた。
「動くな」
「…穏やかじゃないな。どうしたんだ?」
「惚けるな。今誰と話をしていた?」
鋭い眼光でブラッドを睨み付ける。思春はブラッドが城に戻ったときから気配を消して
様子を伺っていた。現場を抑えようと行動に移したようだ。
「聞いてたのか? やっぱり部屋に戻るべきだったか。まぁ、聞かれたんなら仕方ない。
ちゃんと説明するからそっち向いていいか?」
ユメが竜殺しの剣を構えているのなら兎も角、もっとも今はそんな事は絶対ないが、人間
に短剣を突きつけられた程度でブラッドが動じることはなく、それは思春が相手でも同じ
だった。そんなブラッドの態度が気に入らないのか思春の目つきが更にきつくなった。
「黙れ。貴様は質問だけに答えろ。貴様はどこの手の者だ?」
「言ってる意味が全く分からんが…」
「…まぁ、調べれば分ることだ」
ブラッドの喉に鈴音を突きつけたまま思春は余裕の笑みを浮かべた。

「何をしているの?」
偶々通りかかったのは冥琳だった。二人のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか表情が少し
厳しい。
「冥琳様、やはりこやつ内通者でした。雪蓮様に…」
「クーと話をしていただけなんだが」
「おぉ、クーと連絡が取れたのか。それで彼女は何と?」
「え? 冥琳様? ご存知なんですか?」
冥琳の予想外の反応に思春は今までの厳しい表情から一変した。
「クーはブラッドの副官で、ブラッドが身に付けている不思議な宝玉で連絡が取れるらしい」
「そ、そうですか…」
決定的証拠を掴んでブラッドを処分するつもりだった思春の目論みはあっさり崩れ、少し
気落ちしている。
「と、言うわけだからもう出てきていいぞ、クー」
「はーい。ご主人様も大変ですね」
ブラッドの声と共にクーの姿が現れた。
「も、物の怪!?」
「えっと、初めましてクーと申します。宜しくお願いします」
警戒感むき出しの思春を刺激しないようにクーは努めて明るく振舞った。
「話が途中だったが、俺が暫くこの世界にいなければならないというのはどういうことだ?」
「はい、それは…」
「まぁ、待て。そういう話なら雪蓮にも居て貰った方が良い。今彼女は自分の部屋にいる
からそこで話を聞こう。思春、あなたはどうするの?」
「私も同席します。この男が本当に敵の間諜でないか私自身の目で確認します」
まだ納得できていない思春も当然だと言わんばかりに同行した。


 ブラッド達が雪蓮の部屋に着くと、中から孫三姉妹の言い合っている声が漏れてきた。
「どうしてシャオはブラッドに会っちゃいけないの!?」
「そんなことは言ってないわ。ただ、他の娘達と同じ事をするのは駄目って言ってるのよ」
「皆がよくてシャオだけ駄目なんておかしいよ」
「小蓮、お前は自分が何を言ってるのか解っているのか? あの男は雪蓮姉様達を纏めて
押し倒すケダモノなのよ。姉様はお前があんな獣に汚されるのを心配して言ってるのが
解らないの?」
「それって雪蓮お姉ちゃん達が汚れてるって事?」
「あ、いや、そういう事じゃなくて…お前はまだ子供だから、そういう事は早いと…」
「シャオ子供じゃないもん。お姉ちゃんがブラッドの事嫌いなのは勝手だけど、シャオの
邪魔するのは許せないよ」
「嫌っているのではなく慎重なだけよ。私は素性も能力も解らない者をみだりに信用しな
いわ」
素性も能力も解らない者をみだりに信用した姉に対する皮肉にも聞こえるが、蓮華に悪気
は無い。
「慎重? そんなのネクラで臆病なだけじゃない」
「ネ、ネクラだとー!!」
「二人とも止めなさい」
部屋の中ではブラッドに関して三姉妹が熱い議論を交わしているようだ。

「何か入り辛いな」
「…何をやってるのよ雪蓮達は」
「……」
冥琳は呆れ顔でため息をつき、思春は刺すような目でブラッドを睨み付けている。
「雪蓮、私だけど入っていいかしら?」
「冥琳? どうぞ」
冥琳に続いて部屋に入る。
「いらっしゃ…あらブラッド。それに思春まで? 何か珍しい組み合わせね」
「…何の用?」
「あぁ、ブラッド♪」
ブラッドを見るなり対照的な反応を示す姉妹だった。
「雪蓮、ブラッドにクーから連絡があったらしいんだけど、間の悪い事に思春に見られた
そうなの」
「あぁ、それで内通者だとか言って思春がブラッドを尋問しようとしたところに冥琳が
通りかかったのね?」
「まるで一部始終見ていたような物言いね。でもその通りよ。今、向こうの世界と繋がっ
てるわ」
「解ったわ。クー、出て来て」
「はい、ただいま」
「な、何奴!」
「わぁ!? びっくりした」
前回同様、何も無い空間にいきなりクーの姿が現れたが、蓮華と小蓮の反応はここでは
似たようなものだった。
「おや、また初対面の方がいらっしゃいますね。初めまして、私はブラッド・ラインの執事
のクーと申します」
「こちらこそ宜しく。私は姓は孫、名は尚香、真名は小蓮。私のことは小蓮て呼んでね」
「小蓮、お前はこんな得体の知れないものに真名を預けるのか?」
初対面の人外の者にあっさり真名で呼ばせようとする小蓮に蓮華は眉をひそめるが、その
言葉に小蓮が反論した。
「得体の知れない者じゃなくてクーでしょ。それにクーはブラッドの部下なんだからその
言い方は失礼だよ」
「そうね、今のは小蓮の方が正しいわね。クーはちゃんと名乗ってるんだからあなたも
名乗りなさい」
「…解りました。私の名は孫権。お前を信じた訳ではないので真名は伏せておく」
蓮華にとってブラッドも得体の知れない者なのでクーも信用できないのは当然のことだが、
雪蓮に諭され渋々答える。
「構いませんよ。それで、そちらの方が…」
「甘寧だ。私も蓮華様同様お前達を信じたわけではないので真名は伏せてもらう」
「甘寧様ですね。宜しくお願いします」
つっけんどんな態度をとる蓮華と思春に対し、クーは特に気にした素振りも見せず冷静に
対応した。
「ごめんね、クー。この娘達少し人見知りが激しくて。もう少ししたら慣れると思うから
それまで我慢してね」
「構いません。こちらの世界でも同じような反応をする人間の方はいます。ましてやそち
らでは私の様な種族を見るのは初めてでしょうから警戒するのは当然です」
組織のトップとして雪蓮が申し訳なさそうに答えるが、ここでもクーは優等生な回答を
した。
「それでは私がまるで偏狭な者になってしまうではないか。私の事も蓮華と呼んで構わな
いわ」
「蓮華様がそう言うなら、私の事も思春と呼んで構わない」
クー達のやり取りを見ていた蓮華が少し拗ねた表情で答えると、思春も渋々追従した。
「ありがとうございます。ですが私達の世界に真名という概念はありません。皆さんが
大切にしている真名はもう少しして信頼を得てから呼ぶことにします」
「…そこまでの気遣いは無用よ。短いやり取りだけど私はあなたが真名を預けるに値する
者と判断したから言ってるのよ」
「私も蓮華様と同じだ」
「解りました。では改めて宜しくお願いします蓮華様、思春様」
根負けしたのか蓮華の表情も最後には穏やかなものに変わった。思春も凛とした表情は
変わらないが刺々しさは無くなっていた。

「自己紹介はそれくらいでいいだろう。クー、今解っていることを説明してくれ」
「はい。では現状の説明から。ご主人様が今いる世界と元居た世界、つまり今私が居る
世界は本来全く別の世界で、物理的な繋がりはありません。ですが何らかの原因で一時的
に繋がり接点が出来ました。幸か不幸かご主人様はそこに居合わせた為にそちらの世界に
飛ばされたものと考えられます。しかも、現在接点は閉じてしまい元の世界には戻れま
せん」
「それは俺も確認した。何も無いただの青空だった。結局どうすればいいんだ?」
「順を追って説明します。ご主人様が本来存在しないはずの世界に存在することで、その
世界には少なからず歪が生じているはずです」
「歪?」
「歴史の流れにおける歪と言えばいいのでしょうか。歴史の流れを川の流れに例えます。
川の中に小石を投げ入れると川面は乱れます。この乱れが歴史の歪で、小石がご主人様です」
「こいつが小石? 言い得て妙だな」
クーの例えに思春が意地悪い顔でつぶやくが面倒なのでスルーする。思春は少し不満そう
だった。

「しかしこれが小石でなくて岩なら川の流れは大きく乱れ、川を堰き止めるほど大きな
岩なら川の水は氾濫し、本来の流れから大きく逸脱します。この時大きな歪が生じ、その
世界の座標がずれて別の世界、つまり私の居る世界に隣接するのではと考えています」
クーの話を雪蓮と冥琳は熱心に聴いているが蓮華と思春はかなり疑り深い目で見ている。
小蓮は殆ど分かってなさそうだ。
「つまり歴史を逸脱するようなことをやれって事か。具体的にどうすればいいんだ?」
「雪蓮さん達は今大陸の覇権を争っているようですので、ご主人様は雪蓮さんの大陸制覇
に積極的に関与していただければいいと思います」

「待て、こんな奴が居なくてもこの大陸は姉様が制覇するに決まっている」
クーの言葉に蓮華が即座に反応した。
「蓮華落ち着きなさい。まぁ、私も今の話は少し気になるわね。確かにブラッドが呉の
戦力になるとは思ってるけど、あなたの話だと本来の歴史では私は天下を取れないって
言ってるように聞こえるけど?」
雪蓮は笑顔を保ちつつ殺気の篭った目をクーに向けた。辺りに緊張が走るがクーは全く
気にせず話を進めた。
「未来の事は分かりません。ですが、普通に雪蓮さんが大陸を制覇する歴史とご主人様の
協力で制覇した歴史では、そこに至る経緯もその後の展開も大きく違うはずです。この違
いが歴史からの逸脱となります」
「なるほどね。そうなると、ブラッドが実戦でどのくらいの戦力になるか早く見極めない
といけないわね。ブラッド、あなたの仙術はこっちの世界ではまだ上手く加減できない
みたいだけど、実戦で慣らしてもらう事にするわ」
「仙術? この者は仙術が使えるのですか?」
「私は見てないんだけど、明命が凄い凄いって騒いでるのよ。何でも触れただけで賊を
吹き飛ばしたって」
「何ですかそれは? 明命を疑うわけではありませんが、この目で見るまで信用できません」
雪蓮の説明に蓮華は疑いの眼差しをブラッドに向けた。

「それならブラッドは蓮華の軍に入れて直に働きぶりを見てもらうわ」
「わ、私の軍にですか?」
「今、明確にブラッドを認めてないのはあなたと思春だけだし、あなたが認めれば思春も
認めるから丁度いいじゃない。一応天の御遣いだから新兵と同じ扱いは出来ないから蓮華
の補佐で従軍させてみて」
「補佐? 私はこんな得体の知れない者の補佐などいりません」
「だから、表向き補佐でいいのよ。力量を見極めるためにはブラッドは蓮華の傍にいた方
がいいでしょ?」
「…分かりました。ですが、もし私が認めなかった場合ブラッドはどうなるんですか?」
「そうね。その時は考えを改めないといけないわね。天の御遣いの名を騙り人心を惑わし
た者として然るべき処置をするわ」
「そ、そうですか…」
「勝手に祭り上げておいて使えなかったらポイか? 随分調子のいい連中だな」
「そうならないように頑張ってよ」
「ご主人様も大変ですね」
雪蓮の身勝手な言い分に呆れ顔のブラッドだが、人間の言うことに一々腹を立てるのも
バカらしいと思っているのか、蓮華が認める程度の成果は簡単に出せると確信しているの
か特に反論はしない。クーもブラッド達のやり取りを生暖かい目で見守っていた。


「取り合えず現状とこれからやる事は分かった。あと報告することはあるか?」
「今のところありません」
しかし、クーは他の者には分からないように直接ブラッドの頭の中に直接思念を送った。
“皆、心配してますよ”と。その一言にブラッドの表情が少し強張ったが、雪蓮達は気付
かなかった。
「クー、お前はその状態で城の外に出ることは出来るか? 実はお前にも街の状況を調査
して問題点があれば指摘して欲しいのだ。他にもブラッドの副官としてのお前の知識を
呉のために使わせては貰えぬか?」
「恐れ入ります。移動はご主人様と一緒なら可能ですが、ご主人様はよろしいんですか?」
「あぁ、俺は構わないぞ。街の基盤整備にお前の名前を出したのは俺だしな」
「決まりだな。私も時間に余裕があるときは声を掛けるからその時は付き合ってくれ」
自分の申し出があっさり通り嬉しそうに表情を緩める冥琳だが、思わぬところから横槍が
入った。
「お待ちください冥琳様。言い難い事ですが、クーの容姿は我々とかなり異なる部分が
あり、民達が動揺する恐れが…」
自分もクーの容姿に警戒感を見せていたこともあって思春の言葉も歯切れが悪い。
「うーん…。容姿は問題ないと思うわよ。可愛いし天の御遣いのブラッドのお供なら民も
納得するんじゃないかしら?」 
「成るほど…こやつが天の御遣いであることを失念していました」
クーは認めてもブラッドは頑なに認めない思春だった。

「冥琳て理由付けてちゃっかりブラッドと約束してる。シャオもブラッドとお出かけしたい」
「ブラッドがいいって言うなら私は止めないわよ。勿論、ブラッドには節度は守って大人
の対応をしてほしいけど」
「…善処する」
表情は穏やかだが雪蓮はしっかり釘を刺した。孫呉の王という立場ではあるが幼さの残る
妹を気遣う姉の顔も覗かせた。
「とりあえず、ブラッドは明日から蓮華の軍に入ってもらうわ。蓮華はブラッドの資質を
見極めて配置してちょうだい」
「分かりました。先鋒隊に組み入れるつもりですが、暫くは姉様の言うとおり私の補佐と
して配置します」
「ありがと…ブラッドはそれでいい?」
「あぁ、問題ない」
天の御遣いを死亡率の高い先鋒隊に組み入れるのはかなり思い切った起用法だが、雪連も
ブラッド自身も反論しなかった。

「さてと、やることも分かったし部屋に戻っていいか?」
「えぇ。明日から頑張ってね」
「あ、ブラッドの部屋にシャオも行っていい?」
「駄目よ。あなた穏と約束があったんじゃないの?」
小蓮がブラッドについていこうとするが、直ぐに蓮華から待ったが掛かった。
「そんなの後でいいでしょ? 今はブラッドの方が大事よ」
「思春、悪いけど小蓮を穏のところに連れて行ってくれないかしら?」
「承知しました。さ、小蓮様こちらへ」
「え? ちょ、ちょっと待って。シャオはブラッドの部屋に用事が…」
小蓮の反論を無視して蓮華と思春の間で話が進み、小蓮は思春に抱きかかえられと有無を
言わさず強制送還された。
「…問答無用だな」
「お前を出汁にして勉強をサボろうとした小蓮が悪い。今後も小蓮はおまえにちょっかい
掛けることがあると思うが、くれぐれも節度ある態度で臨むように」
依頼の形式をとっているが、目には絶対に手を出すなという強い意志が込められていた。
「お前が俺をどんな目で見ようと勝手だが、見境無く手を出すことはない。信じる信じな
いは勝手にしろ」
「…!」
「まぁ、ブラッドもそう言ってることだし、蓮華も信じてあげたら?」
「…分かりました。今回は姉様の言葉を信じましょう」
ブラッドの挑発的な物言いに若干血色ばむ蓮華だったが、いきなり手を出された雪連が
なぜか嬉しそうにブラッドを擁護したのでそれ以上は何も言わなかった。


ブラッドが部屋を出た後、蓮華はブラッドの処遇について雪蓮に尋ねた。
「姉様、さっきの話は本当ですか?」
「さっきのって?」
「私が認めなければブラッドを処分すると…」
「最悪の場合はそうなるわね。でも手心を加えろと言ってるんじゃないわよ。あなたには
確りと彼の能力を見極めて欲しいの」
「それでも私が奴を認めると信じているのですか?」
「クーの言葉を信じればね。ブラッドの傍にいて能力を知っているクーが自分の主人の
立場が危うくなることは言わないはずだから、ブラッドの能力も期待できると思ったのよ」
「雪蓮の殺気を事も無げに受け流したクーとその上官のブラッドだから戦場を目の当たり
にしても臆することは無いだろう、と見てるのね?」
付き合いの長さからか冥琳は雪蓮の意図をしっかり読み取っていたが、ブラッドの事で頭
に血が上っていた蓮華はそこまで気付いていなかった。
「私達を驚かせる成果を期待してるわ」
雪蓮はブラッドの初陣を楽しみにしていた。


 ブラッドも部屋に戻った後、クーと今後の展開について話を続けていた。
「クー、本当に上手くいくのか?」
「正直なところよく分かりません。歴史を変えることで時空の歪が発生する事はほぼ間違
いありません。そして、歴史を大きく変えるだけならご主人様が竜の姿に戻って思う存分
暴れ回るのが一番手っ取り早いのですが…」
「その場合、歴史を変えるのではなく歴史を止めることになるな。しかし、お前はそれが
得策じゃないと思っているんだな?」
この歴史を大きく変えるのなら誰かに加担して歴史を変えるより、自分一人で大陸全土を
焦土に変えて滅ぼしてしまうのが確実だった。それをせずに態々一陣営に加担するのは
理由があった。
「仰るとおりです。ご主人様の能力は現在かなり不安定な状態にあります。不安定に力が
解放されている状況で竜に戻った場合、何が起きるか分かりません。最悪、暗黒竜の血が
暴走した状態でこっちの世界に戻ることも考えられます」
「それは拙いな。制御できなければ俺は抹殺されるだろうな」
暗黒竜は残忍さ凶暴さで他の竜を圧倒する。暗黒竜の血が暴走すれば、世界の安定のため
竜族だけでなく魔族、神族からも命を狙われる可能性がある。
「そうならないために、ご主人様はまず人間の姿のままで部分開放と能力の制御が出来る
ようにならなければなりません。その後竜の姿でそれぞれの血の力を解放、制御、最終的
に暗黒竜の能力の開放、制御が出来れば申し分ありません。上手くいけばこの世界に戻っ
た時ご主人様の竜の世界での評価も上がるかもしれません」
純潔が尊ばれる竜の世界で混血で能力を発揮できないブラッドは出来損ないと見下されて
いる。力を使いこなすことが出来れば他の竜の見る目も変わり、リュミスの対応もソフト
になるかもしれない。

「そう都合よくいけばいいが…。兎に角、それまでは雪蓮達のところで色々試させてもら
おう。あいつ等にとっても都合がいい筈だ」
「雪蓮さんはご主人様のことを随分買ってるみたいですし、行動もそう制限されることは
無いでしょう。ただ彼女もこの国…まだ領土は無いみたいですが、王ですのでプライドは
あると思いますから、その点は注意が必要です。不本意でしょうが、多少は彼女の意見も
聞いてあげた方が良いかと。人間の地位等、本来どうでもいい話ですが仲違いして孫呉を
潰してしまうと、そこから他の陣営に行くのも面倒ですし」
「能力をフルに発揮できない以上、やむを得んか…」
「今は我慢の時です」
状況を確認して少し溜息が漏れる。本来の歴史から大きく逸脱するために、ブラッドは
積極的に歴史に介入しなければならない。しかし竜の姿に戻った時、自分の能力を制御で
きない場合はブラッド自身も危険な状況に陥りかねず、今は孫策陣営で人間の姿で結果を
出すしか方法は無かった。

「しょうがないな…。そのストレスは天の御遣いの務めで解消するか」
「それは雪蓮さん公認ですから好きにやっていいんじゃないですか? 皆さん身体能力に
優れた方ですから簡単に壊れることもないでしょう。でも、あまり羽目を外して調子に乗
ると、暗黒竜の血が暴走する恐れがあります。そちらにはティエはいませんからほどほど
にしといた方がいいと思います」
以前、暗黒竜の血が暴走しかけたことがあるがその時は運よく居合わせたバンパイア亜種
のティエの機転で事なきを得た。しかし、当然ティエは竜の巣に居てブラッドの暴走を止
めるものは居ない。
「分かっている。それもどこまで大丈夫か色々確かめる必要があるな」
「…異世界に行ってもご主人様は変わりませんね」
無理に確かめる必要は無いのだが、やる気満々のブラッドを見てクーはため息をついた。


それぞれの思惑を抱え共同戦線を張るブラッド達だった。



[8447] 第4話:実力の片鱗と影響
Name: PUL◆ca4238a0 ID:eb067e67
Date: 2009/06/02 15:16
第4話:実力の片鱗と影響

 ブラッドを自軍に編入した蓮華は早速ブラッドの能力の見極めに取り掛かった。
「一軍の将としてお前を預かった以上、お前の能力はある程度把握しておかなければなら
ない。お前は前線で仙術を駆使して素手で戦っていたという話だが本当か?」
「あぁ、大規模な戦闘は少なかったし局地戦ばっかりだったが相手とは素手で遣り合って
いた。ただ、今は上手く力が出せないから通用するかは分からん」
勿論仙術ではなく魔法や竜の能力を駆使したのだがそれは伏せておく。
「それなら何か武器を持った方が良い。これを使え」
蓮華は歩兵が使う剣をブラッドに手渡した。何の変哲も無い普通の剣だった。
「剣か…。元居た世界にも似たような物があったが実際に手にしたのは初めてだ」
「そうか。ならばお前は新兵と一緒に訓練を受けてもらう。天の御遣いとはいえ結果を残
さなければその地位も失うのだから異論はあるまい?」
「残念ながら異論はある。自分から天の御遣いを名乗ったわけではないからその地位に
興味は無いが、自分の能力を確認したいし早く結果を出したいとも思っている。だから、
今すぐにでも実戦に投入してくれた方がいい」
早く結果を出したいブラッドにとってはもっともな意見だが、武器を使った戦闘経験が
無いことを考慮して慎重に対応しようという蓮華の気遣いを無にする無謀ともいえる申し
出に蓮華の表情が強張った。

「…たいした自信ね。それならお前の望み通り実戦に投入してあげるわ。この付近に黄巾
党の残党が潜んでいるとの情報を得ているわ。近いうち討伐に向かうのでお前は先鋒隊と
して参加しろ。組織化されているとはいえ所詮は烏合の衆。力量を測るにはもってこいの
相手だ。これで文句はあるまい?」
「心得た」
蓮華は少し意地悪い顔で指示を与えたが、ブラッドの返事は蓮華の意図を全く理解してい
ないのかそれとも興味がないのか素っ気無いものだった。
「え? 本当にいいのか? 雑兵とはいえ相手はお前を殺す気で向かってくるし数もそれ
なりにいる事が分かってるのか?」
あまりにあっさりブラッドが承諾したので逆に蓮華が少し慌てた。無謀な作戦で天の御遣
いを失ってしまえば孫呉の名誉に関わる。あと、僅かだがブラッドに対する気遣いもあった。
「あまり見くびるな」
「…そこまで言うならもう何も言わないわ。成果を期待しているわよ」
ブラッドは短く静かに答えたが、その言葉には蓮華を威圧するに十分な迫力があった。
幸い周囲に部下は居なかったが、面子を潰された形の蓮華は体裁を繕って余裕ある態度を
見せるしかなかった。


 そして黄巾党残党討伐の日、蓮華はブラッドを含む小隊を引きつれて黄巾党の残党の
野営地の側面に位置し様子を伺っていた。
「孫権も出るのか?」
「何を当たり前のことを言っているの? 私はお前の上官で雪蓮姉様から監視の任務も
受けている。そもそもこの隊を指揮しているのは私だ。私が出ないでどうする」
「それもそうか。じゃあ、俺は孫権に付いていけばいいんだな?」
「それでいいわ。お前の実力が口だけでないことを願ってるわ」
「任せておけ」
少し挑発するような蓮華の言葉にブラッドも不敵な笑みで答えた。
「行くぞ! 我に続け!」
蓮華の号令のもと、全員が一斉に敵陣に切り込んだ。ブラッドも先陣を切って突っ込んで
いった。
「ご主人様、まず風の魔法が使えるか確認してみましょう」
「分かった」
クーの助言に従い、ブラッドは対峙した敵の前で勢いよく剣を振り下ろした。

「はっ!」
ブン!

「……」
しかし、何も起こらなかった。敵兵もブラッドの奇妙な行動に戸惑い、両者に微妙な間が
空いた。
「…発動はしてないな」
「ですね」
「前回は不意を突かれて少し慌てていたからな。防衛本能が働かないと発動しないのかも
しれんな」
「ご主人様、戦場で考え事は良くないですよ」
「何?」
我に返るとブラッドの直ぐ目の前に敵がいて、剣を振り下ろしてきた。
「でやっ!」
「おっと」
咄嗟に敵の攻撃を剣で受け止める。腕力はブラッドの方が上だったので押し込まれること
は無いが、武器の扱いに慣れていないため勝手が悪い。ブラッドは力任せに押し返して
距離をとった。
「取り合えず目の前の敵を倒しましょう」
「そうだな」
改めて敵と対峙する。ブラッドが同じように振り下ろしてきた剣を受け止めた時、今度は
何故か敵の動きが止まった。ブラッドはそのチャンスを逃さず敵の顔面に剣で斬りつける
代わりにスピードの乗った右ストレートを放った。

バキッ!
「はぐ…」

敵はうめき声を上げもんどりうってひっくり返ると、わずかに体を痙攣させて動かなく
なった。前回軽く触れただけで賊を吹き飛ばしたときと状況は大きく異なる。
「普通に殴っただけですか? それにしては妙な倒れ方ですが…」
「風系の魔法で吹き飛ばすつもりだったんだが失敗したらしい。何か別の魔法が発動した
かもしれん」
「別の魔法ですか?」
クーは既に事切れてしまった兵士を慎重に調べた。顔から首にかけて蚯蚓腫れのように
なっている。
「これは…電紋? 何か感電したみたいですね。ご主人様、風系の魔法を出すつもりで
雷系の魔法が出ちゃったんじゃないですか?」
「なるほど。俺のゴッドブローが大気を切り裂き、その摩擦で電気を発生させたんだな」
「違います。雷系の魔法は風系魔法から派生したものですから間違って発動したんですよ」
「…要するに全然制御出来てないって言いたいんだな」
「まぁ、新しい系統の魔法が使えるようになったことでよしとしましょう。今日は風系と
雷系の魔法が連続して発動できるか試してみましょう」
「分かった。あと、剣の練習もしておくか」
ブラッドは再度敵陣に突っ込んでいった。武器の扱いは素人でもブラッドの基礎体力は
人間とは別次元の域に達している。また敵も訓練を受けていない寄せ集めの部隊だったの
で練習相手には丁度良かった。ブラッドは底無しの体力を駆使し戦場を縦横無尽に駆け回
り敵を次々なぎ倒していった。

「……」
少し離れたところからブラッドを見ていた蓮華はその動きに目を丸くしていた。剣の扱い
も動きも滅茶苦茶で出鱈目だが、動きは変則的で恐ろしく早い。その動きに敵は惑わされ
対処する間もなく倒されていった。
「剣の扱いが根本的に違うけど、あそこまで動けるなんて大したものだわ。化け物並みの
体力も本当のようね」
蓮華はブラッドの動きに驚き呆れ、感心していた。

 ブラッドが引っ掻き回したおかげで敵は総崩れとなり、次々に敗走しはじめた。
「ここまでね。全軍引け!」
蓮華の号令で兵は攻撃を止め、速やかに撤退した。
「逃がしていいのか?」
「あの手の賊は倒してもきりがないわ。それに今回の戦は新兵に実戦経験を積ませること
と…あ、あなたの武を見極めることが目的だからこれで十分よ」
ブラッドへの呼称がお前からあなたに格上げされてるが、少し照れが入っている。
「そうか? 半分しか達成出来てないと思うが?」
「そんなことないわ。新兵には良い経験になったはずよ」
「だが俺の見極めは出来てないだろう?」 
「え?」
「自分の能力がどれくらい使えるか色々試してみたが、全然駄目だった。適当に暴れたら
相手が勝手に倒れたようなもんだ」
「そ、そう? でも今回のあなたの働きぶりは十分評価できるわ。あなたが本来の能力を
発揮出来ていないのなら、これから実戦を積んで慣れていけばいいわ。そ、それから今ま
で失礼なことを言ってごめんなさい。私もあなたに真名を預けるわ。私の真名は蓮華。改
めて宜しくね、ブラッド」
いきなりしおらしい態度をとられブラッドは少々面食らったが、自分の非を素直に認め態
度を改める蓮華にブラッドの内部評価も上昇した。
「まぁ、認めてくれたんならそれでいい。俺はこれからも結果を出していかなければならない
からよろしく頼む、蓮華」
「えぇ、宜しく」
ブラッドが差し出した手に蓮華も躊躇いがちに手を伸ばした。

「あ!?」
手を握った瞬間、痺れるような衝撃が蓮華の全身を駆け抜け小さく声を上げた。
「どうした?」
「い、いえ、何でもないわ」
何でもないと言いながら蓮華は自分の身に起きた現象に戸惑い、手を握ったままブラッド
を見つめていた。
「…蓮華?」
「あ、ごめんなさい」
慌てて手を離す。ブラッドと握手をしたとき蓮華が感じた電気が走ったような衝撃、実は
本当に電気だった。ブラッドが戦闘中に放った雷撃魔法の影響でブラッドは帯電していた
のである。しかし、蓮華はブラッドが雷系の魔法を使ってたことなど知るはずもなく初め
ての経験に戸惑っていた。

 城では穏が蓮華たちの帰りを待っていた。
「お帰りなさい。大丈夫でしたか?」
「えぇ、問題無いわ。新兵には良い訓練になったわ」
「それは良かったですね。ブラッドさんはどうでしたか?」
「俺か? まぁ、今回は…」
「思ったよりは出来るといったところかしら。でも武器の扱いは素人だし、それは今まで
使ってなかったのなら仕方ないけど、今回みたいな賊程度には通用しても訓練を受けた
兵士には通用しないわ。でもそれはブラッドが駄目って事じゃなくて経験不足なだけだと
思うから、経験を積んでいけばよくなると思うわ」
ブラッドの言葉を遮って淡々とした口調で結果を説明する蓮華に一瞬呆気に取られた穏だ
が、すぐに意味ありげな笑みを浮かべた。
「そうですか。ブラッドさんはまだ色々頑張らないといけないようですね」
「…そうみたいだな」
穏の言外に含まれる意味を理解しつつ、さらっと受け流すブラッドだった。
「さてと、雪蓮様が玉座の間でお待ちです。結果の報告をお願いしますね」
「分かったわ。行きましょ、ブラッド」
「あぁ」
蓮華に促されブラッドもついて行った。蓮華のブラッドを見る目は穏が今まで見た中で最
も穏やかなものだった。
「素直じゃないですね蓮華様は。…バレバレですけど」
後ろから見るとブラッドに寄り添って歩いているように見える蓮華を穏は微笑ましく
見ていた。

「さて、もう出て来ても大丈夫ですよ、思春」
相変わらずのんびりとした口調で穏が話しかける視線の先で思春が音もなく現れた。
「…気付いていたのか?」
「あれだけ殺気を込めた視線を送ってたら誰でも分かりますよ。あ、蓮華様は気付いて
なかったかもしれませんけど」
「それはどういう意味だ」
少しからかうような穏の物言いに思春は眉を吊り上げて睨み付けたが、これで穏が怯む事
はない。
「どういう意味でしょうねぇ♪ 聞きたいですか?」
「…結局あの男は結果を残したのか?」
聞きたくないと返事する代わりに穏の質問を無視して話題を逸らす。
「私は現場を見てないので答えようが無いですけど、蓮華様の判断は…話聞いてたなら
解りますよね?」
「……」
思春の表情が悔しそうに歪む。この際、ブラッドの客観的な評価は重要ではない。蓮華が
ブラッドを評価した、若しくは評価しようとしていることが問題だった。その事が思春の
気持ちを苛立たせた。
「雪蓮様が奴を買っている為、蓮華様は評価を保留しただけだ。私は行くぞ」
苦しい言い訳を残し思春はその場を立ち去った。
「…彼女も素直じゃないですね。ブラッドさん、腕の見せ所ですよ」
肩を怒らせて立ち去る思春を見送りながら、今後の展開を妄想する穏だった。


 蓮華達は雪蓮の待つ玉座の間に来ていた。
「姉様、ただいま戻りました」
「お疲れ様。で、どうだった?」
蓮華達を笑顔で迎えた雪蓮は、もう答えは分かってると言いたげに尋ねた。
「まぁまぁですね。ブラッド自身が不本意な結果だと言っていたので評価は避けますが
初陣にしては良くやった方でしょう」
「なるほど。蓮華がそこまで言うって事は、全く問題なかったって事ね」
「ち、違います。私はまぁまぁだと言ってるだけで認めたわけではありません」
「俺自身も今回は良くなかったと思ってるし、孫権の評価は妥当だと思うぞ」
「…孫権?」
「どうした?」
蓮華から怪訝そうな目を向けられる。問題発言があったがブラッドには分からなかった。
「私はあなたに真名を預けたのよ。公の場なら兎も角、身内だけの場で真名で呼ばないの
は逆に失礼に当たるわ」
姉とはいえ玉座の間で任務の結果報告をするのは公ではないらしい。
「そうなのか? 呼んでもいいのであって呼ばなければならないではないと思っていたが
難しいものだな」
「あなたの世界では字も真名も無いという話だから戸惑うとは思うけど、この国にはこの
国の約束事があるの。だから…」

「孫権なんて他人行儀な言い方は止めて。蓮華って呼んでくれなきゃやだ!」

「…え?」
「なるほど、そうくるか」
いきなり横から可愛らしい声で乱入され、蓮華は硬直した。数秒後、真っ赤な顔で声の主
に食って掛かった。
「ね、姉様! 何を言ってるのですかあなたは!」
「何って、蓮華の心の声を代わりに言ってあげただけよ」
「そんなこと思ってません! 微塵も思ってません!」
「そう? じゃあ、真名で呼ぶ必要は無いわね」
「ぐ…」
「呼んで欲しいの?」
「あぅ…」
雪蓮の少し意地悪な質問に蓮華はイエスともノーとも答えにくく、悔しそうな顔で俯いて
しまった。
「雪蓮、その辺にしとけ。とりあえずこれからは俺の意思で真名で呼ばせてもらう。それ
で良いんだな蓮華?」
「え? えぇ。もう私はあなたに真名を預けてるから全然構わないわ、ブラッド」
あっさり助け舟に乗る蓮華だった。頬が緩んでしまいそうになるが、横で見ている雪蓮が
絶対からかうので表情は変えない。

「まぁ、冗談はここまで。蓮華、ブラッドを前線で使うにはもう少しかかりそうなのね?」
「私はそうは思いません。ブラッドはもっと上を目指しているのでしょうけど、前線で
使うのにはそれほど時間は掛からないと思います。武器の扱いは素人そのものでしたが、
基礎体力はそれを補って余りあります。姉様の言う通り人間離れしていました」
「それは前線に投入しても大丈夫ということ?」
「武器の基本的な扱いを覚えれば問題ないかと。ブラッド自身は使わないかもしれません
が敵は武器を使いますから」
「分かったわ。ブラッドはもう暫く蓮華の隊に預けるわ。それで…」
「では武器の扱い方は私が教えます」
「…えっと、新兵と一緒に武器の扱いに慣れ貰おうと思ったんだけど、ブラッドもそれで
いい?」
「問題ない」
「そ、じゃあお願い。黄巾党の件は一段落したけど洛陽は何かきな臭くなってるから、そ
れに投入できる程度までは仕上げて欲しいわ」
「分かりました」
蓮華は既にブラッドを自分の配下に置くことに不満は無くなっていた。むしろ当然の事と思って
いるようだ。当人の意向を無視して話が進んでいるが、ブラッドはどこか人事のよ
うな達観した様子だった。
「ご苦労様。今日はもう休んでいいわ」
「はい、失礼します」
最後に武人の顔に戻った蓮華は一礼して部屋を出て行った。

「蓮華がブラッドを認めたのは良い事だけど、思ったより早かったわね」
堅物でも純情な蓮華ならいずれブラッドに心を開くだろうと考えていたが、蓮華の豹変振
りに雪蓮も驚いていた。しかしそれは嬉しい誤算で今後の展開を楽しみにしていた。


 蓮華と別れて部屋に戻る途中、ブラッドは自分を待ち伏せしている気配を感じた。
「……」
人間の放つものとしてはかなり強い、それなりに殺気の篭った気配。こういうことをする
人物で思い当たるのは一人しか居ない。
「甘寧、お前って偵察苦手だろ? 俺が分かるくらいだから他の奴ならバレバレだ」
ブラッドが声を掛けると思春が音も無く表れ鋭い眼光を向ける。
「安心しろ。敵陣への潜入調査は得意分野だ。任務のときは完全に気配は絶っている」
「そうか。それは安心した。それで何のようだ?」
任務外で殺気を周囲に撒き散らすのもかなり問題だが、向けられるのが主に自分だという
ことも分かっているので一々突っ込まない。そして殺気を隠さないということはこの場で
行動に移さないという意味でもあり、ブラッドが思春を返り討ちにして殺すことも無いと
いう意味でもある。
「今日の討伐で上手い具合に蓮華様に取り入ったようだな?」
「どこをどう解釈したらそういう結論になるんだ? そもそも蓮華はまだ何も評価してない」
「き、貴様、何故蓮華様の真名を!」
敬愛する上官の真名を気安く呼ばれ激昂した思春が鈴音に手をかけるが、ブラッドは落ち
着き払っていた。
「本人が許可したからな。こういう時は呼ばない方が失礼だと言われたぞ」
「……」
正論を吐かれてしまい、思春は言い返せず悔しそうにブラッドを睨みつけた。
「そ、その点に関しては蓮華様がお決めになったことで私がとやかく言う筋合いのもので
はない。問題はお前の実力だ。お前がどんな手を使って蓮華様を誑かしたのか知らんが私
は自分の目で確認しない限りお前を認めることはない」
蓮華がブラッドに真名で呼ぶことを許した事の方が思春にとっては重要だが、建前を前面
に出してブラッドを否定する。
「それでいいんじゃないか? 俺も雪蓮や蓮華の口添えでお前に認めさせようとは思って
いない」
「ふ…口だけでは何とでも言えるな。まぁ、それなら私も蓮華様に習ってお前の実力、
しっかり見させてもらおう。だが私は蓮華様のように優しくないぞ」
ブラッドの媚びない態度を潔しととったのか思春少し表情が緩む。しかし、再びキッと
ブラッドを睨みつけると、思春は静かにその場を立ち去った。


「可愛らしい方ですね、思春さんは?」
思春が視界から消えた後、クーが現れてブラッドに話しかけた。
「生真面目な娘は嫌いじゃないぞ」
「彼女のように純粋で頑ななタイプは一度信頼を得てしまえば裏切ることはないでしょう
し、ご主人様にも協力してくれると思います。まぁ、ちまちまやって信頼得るよりご主人
様得意の力技で篭絡する方が効率的かもしれませんが」
クーはかつて竜の巣に侵入して捕らえられた末に篭絡された女の子達を引き合いに出して
説明している。
「向こうから仕掛けてくれば返り討ちにすればいいだけの話だが、雪蓮の意向を無視して
思春が何かするとは考えにくい。何か適当に理由付けて篭絡するしかないな」
「だからそんな面倒な事せずに、いつものように問答無用でやっちゃえばいいじゃないで
すか。雪蓮さん達の時のように」
「いつもそれだと趣に欠けるというか、何か詰まらん」
「趣、ですか。まぁ、ご主人様のお好きなようにやればいいと思いますが」
言外に結局やる事は同じだろうという思いを滲ませ呆れ気味のクーだが、絶対同じ結果に
なると思っているので反論はしない。

「でも、蓮華さんがご主人様に興味を持ち始めていますから、早いうちに手を打った方が
いいと思いますよ。順番が入れ替わると意固地になるかもしれませんから」
「そうか? 分かった」
何故優先順位があるのか分からないが、ブラッドは深く考えず適当に返事をした。蓮華の
心境の変化すら理解していないブラッドに思春の複雑な心境を理解できるはずも無かった。
 
ブラッドが色んな意味で本当の実力を見せ付けるのはこれからである。



[8447] 第5話:ある日常の乙女達
Name: PUL◆ca4238a0 ID:75c420c4
Date: 2009/06/10 19:36
第5話:ある日常の乙女達

 ブラッドの居ない竜の巣。最初こそ浮ついた雰囲気はあったが、ブラッドの安否と所在
が直ぐに分かったため今は平静を取り戻している。巣の運営管理はクーがこれまで通り
担当しているので運営にも大きな支障はないが、ブラッドが居ないため大規模な改革は
出来ない。
フェイはこれまでと同じように竜の巣内部の巡回を行っている。主の不在中に問題を起
こすわけには行かないと、生真面目なフェイはこれまで以上に真剣に巡回した。
「ここも異常なし。これで全部だな」
一通り巡回を済ませると、フェイは最近の日課になった書庫へ向かった。

 書庫ではクーが文献を引っ張り出して調べものをしていた。
「クー、何か分かったか?」
「あ、フェイ様。残念ながらこれといった情報はありません」
「異世界に飛ばされた話など、私も聞いたことがない。戻ってこなければただの失踪事件
で片付けてしまうからな」
クーの言葉に反応したのは先に部屋に来ていたルクルだった。執務の合間に城を抜け出し
て様子を見に来ていた。
「ルクル様、ライトナ周辺の状況はどうですか?」
「今のところ特に変わったところは無い。お前に言われた場所は常時観測させているが
異常が見つかったという報告は入っていない。今後観測範囲を広げる予定だ」
「ありがとうございます。観測は引き続きお願いします」
ルクルの対応にクーは頭を下げた。ブラッドの安否と所在が分かっていても戻って来れな
いという現実に彼女達も内心穏やかではなかった。一日も早くブラッドが元の世界に戻る
方法を色々手を尽くして調べているが、異世界へ移動する方法はまだ見つかっていない。

「皆さん、お茶が入りましたよ」
能天気な声でユメがお茶を持って部屋に入って来た。
「ブラッドさん、いつ帰ってくるんですか?」
「戻って来るとは思うが、何時になるかは分からない」
「そうですか…。でも無事で居ることが分かっただけでも良かったです」
「そうだな。最悪の事態は避けられたのだし」
ユメの言葉にフェイも同調する。重苦しい雰囲気が少し軽くなった。
「とはいえ、エルブワードにとって竜は国を守護するものと認識されているから行方不明
の状態が続くのは都合が悪い。対外的には現在眠りに就いているということにしておけば
なんとかなるが、そのままにしておくのは拙い。かといって何か有効な手立てがあるわけ
でもない。由々しい事態だ」
「クー、お前の話ではブラッド様が向こうの世界で何か事を起こさないと状況は変わらな
いとのことだが、ブラッド様は今どうされているのだ?」
「現在、軍に所属して能力の制御について練習中です。敵のレベルが低すぎてあまり練習
にならないようですが」
「不謹慎だが、大きな戦が始まってブラッド様の活躍の場が増えればと思ってしまうな」
「民を守る立場として言うべきではないが、私も同感だ」
自分達と全く関わりの無い世界でも戦争を望む発言をしなければならない状況ルクルも
フェイも表情が硬い。

「語弊がありますが、それに関しては問題無さそうです。政情はかなり不安定で、内戦状
態になるのは時間の問題でしょう。問題はご主人様が孫策さんの処で客将として厚遇され
ていること、周りに綺麗な方達が沢山居ることです」
「ルクルさんより胸の大きい人も居ましたね」
「大きければ良いという訳ではない。問題は形と全体のバランスだ」
スタイルには自信があるのか、ルクルはユメの言葉に少しむきになって反論した。
「まさか、そっちの世界が気に入って居座るということはないだろうな?」
「胸の話は置いといて、流石に居座ることは無いと思います。ここがご主人様の居るべき
場所ということはご主人様もご承知のはずですが、帰る手段が分かっていること、目の前
に綺麗な人が居て憎からず思われていたらご主人様が羽を伸ばすつもりで色々つまみ食い
をすることは十分に考えられます。こちらはそれを見るだけなのが一番ムカツキます」
冷静に話していたクーだが、最後に語気が強くなった。ブラッドの夜の練習を事務的に対
応していたのは過去の事である。
「確かにそれは許せんな」
「えぇ、一応定期的に釘は刺しておきます」
竜の巣の運営管理に加え主人の監視業務も増えたが意欲的に取り組むクーだった。


 一方、異世界に飛ばされたブラッドも新しい世界に馴染むためにそれなりに苦労していた。
「現在、我が呉を取り巻く環境は非常に混沌とした状況にあります。大陸中を揺るがした
黄巾党の乱は各諸侯によって鎮圧され勢力も衰退していますが、朝廷の権威は失墜し更に
霊帝の死、大将軍何進と十常侍の確執から結局はどっちも殺されちゃったりと、もう何で
もありの状態です」
黒板に描かれた略地図を使って孫呉の置かれた状況を説明する穏。ブラッドは穏を講師に
勉強中である。
黄巾党残党の討伐で結果を出したブラッドだが、この世界の情勢については全く無知
だった。目の前の敵を蹴散らせば良いと思っていたブラッドは最初講義を受けるのを拒否
したが、効率よく事を進めるために状況を把握した方がいいとクーに諭され渋々参加して
いる。
「とりあえず目に付いた奴からどんどん潰して勢力拡大すればいいんじゃないのか?」
「それが出来れば誰も苦労しませんよ。それに効率も悪いですよ」
根本的に全く状況を理解していないブラッドの意見にも穏は苦笑いを浮かべただけで相変
わらずのほほんとした表情で講義を続けた。

「私達が人材豊富で他を圧倒する絶対的な戦力と財力を持っていればブラッドさんの考え
でもいいかもしれませんが、残念ながら私達にそこまでの力はありません。だいたい他を
圧倒する勢力があれば、そこが既にこの国を統一してますよ」
実は絶対的な戦力は目の前に居るが安定性に欠けるため投入出来ず、自軍内でも秘密兵器
の状態である。
「現在の私達は袁術さんの客将の身に甘んじている状況です。まずは独立して地盤を固め
国力を蓄えなければなりません。しかる後に大陸制覇に打って出ます。その為にまず現状
を正しく把握しておかなければなりません」
「…随分段取りが多いな」
ブラッドのぐちを無視して穏は話を進める。
「それで話が最初に戻りますが、現在朝廷は既に機能不全状態にあり崩壊寸前です。この
どさくさに紛れて黄巾党討伐で大して功績の無かった董卓さんが朝廷の実権を握ってしま
いました。そのことに対し不満に思っている勢力も沢山あるみたいです」

「ふーん…」
人間同士の権力闘争など、ブラッドにはどうでもいい事で適当に相槌を打つ。ブラッド
の興味は既に別のところに向いていた。
「ブラッドさん、ちゃんと地図を見てください。…どこ見てるんですか?」
「そりゃあ、男なら誰でも目が行くお前の豊満な乳房に決まっている」
「言い切りましたね。まぁ、ブラッドさんなら見られても良いというか悪い気はしません
けど」
胸を見られて嫌悪感を抱く女性は多く穏も例外ではない。しかし、相手がブラッドなら話
は違うらしい。満更でもない表情で逆に見せ付けるようにポーズをとった。
「でも、今は勉強中です。視線は私の胸じゃなく黒板に向けてください」
後に発情おっぱい軍師、更に発展して淫乱おっぱい軍師とブラッドから命名される穏だが、
この時点ではまだ自制出来るのか気持ちを切り替え講義を再開した。
「……」
「……」
ブラッド達のやり取りをじっと観察する二つの視線。一つは呆れ顔のクー。竜の巣での業
務を済ませブラッド監視のため顔を出していた。そして、もう一つは新顔だった。
「……」
蓮華に見出され、軍師見習いとして登用されている呂蒙こと亞莎だった。講義が始まる前
ブラッドに簡単に自己紹介したが雪蓮の紹介が効いているのか、ブラッドに対し小動物の
ようにおどおどした態度だった。もっとも警戒はしても嫌悪しているわけではなく、寧ろ
興味津々で講義中、横目でチラチラとブラッドの様子を伺っていた。

「董卓さん以外に力をつけている勢力は結構ありますが、その中で特に気をつけるべき
人物は誰だと思いますか、亞莎?」
亞莎はいきなりの指名に少し声を上ずらせながら答えた。
「は、はい、董卓以外ではやはり曹操が最重要人物かと思います。他にも河北の馬騰や
袁紹、公孫賛、義勇兵から勢力を伸ばしつつある劉備、河南では劉表、他にも益州の…」
「…亞莎、私は特に気をつける人物と言ったんですけど? 曹操さんですか?」
「す、済みません! そうです、そう曹操が人材、財力において他の勢力より抜きん出た
存在です」
あたふたしながら有力な諸侯を次々上げる亞莎に、穏はにこにこしながら軽く突っ込みを
入れる。狙いと少しずれた回答と亞莎の慌てぶりを面白がっている。

 ブラッドはブラッドで二人のやり取りを見ていたが、何か気になることがあるのか亞莎
の顔をじっと見ていた。
「……」
「あ、あの…何か?」
ブラッドの視線に耐え切れず、亞莎はおどおどしながら尋ねた。
「いや、この国の軍師は全員眼鏡を掛けているが何か理由があるのか?」
「そんなの偶然ですよ。武官の方より本を読む機会が多いので目が悪くなったかもしれま
せんけど。因みに亞莎ちゃんは武官としての実力も中々のものですよ」
「そ、そんなことありません。目が悪くて武官としてやって行けなくなったから文官に
転進しただけで結局はどっちつかずの半人前です」
謙遜するうちにネガティブな気持ちになったのか亞莎の表情が沈んでいく。
「そんな奴を蓮華が推挙するとは思えんが…」
「そうですよ。亞莎ちゃんはもっと自信を持っていいんですよ…まぁ今は一人前というに
はもう少しですけど」
「はぅ…頑張ります」
持ち上げておいて落とす、穏の先輩としての厳しい言葉に亞莎は少し気落ちしている。

「ちょっといいか?」
「はい? え?」
ブラッドは振り向いた亞莎の顎に手をあて上に向かせると、眼鏡を取り真っ直ぐ見据えた。
「あ、あの、な、何ですか?」
「綺麗な目をしているな。幼い容姿に切れ長の瞳のアンバランスがポイントだな」
「は、はぅ…」
眼鏡をはずされブラッドの顔はぼんやりとしか見えないが、至近距離で自分の顔を見てい
る事ははっきり分かる。亞莎は魔法を掛けられたように硬直してしまった
「はい、いちゃいちゃしない。島流しにしますよ」
自分のいちゃいちゃぶりは棚上げしてどこかの英語教師みたいな物言いの穏だった。
ブラッドが亞莎に興味を持ったことが少し不満らしい。
「さっきは私の胸を凝視してたくせに。ブラッドさんは大きい胸が好きだったんじゃな
いんですか?」
「勿論好きだが、だからといって小さいのが駄目ということはない。小さいものには小さ
いものの良さがある」
「発言に一切の迷いが無いですね。流石です。でも良かったですね亞莎ちゃん」
「えぇ! い、いえ、私は別に…」
いきなり話を振られあたふたする亞莎だが、横目でブラッドの様子を伺っていた。

「……」
 聞きたくない話題なのか、クーは三人のやり取りに興味を示さずずっと地図を見ていた。
暫くすると何かに気付いたらしく穏に尋ねた。
「しかし、こうして全体を見ると北方に有力者が集中してるみたいですね」
「クーさん、良いところに気付きましたね。では、そこから解ることは何ですか?」
ずれていない眼鏡の位置を直し、穏にしては珍しく鋭い眼光で先を促した。
「とりあえず周辺に強敵が居ないことは呉にとっては好都合です。北方で有力者同士が
消耗戦をしている間に呉は南部を押さえ国力を蓄えるのが得策でしょう。まぁ、その前に
袁術を倒して独立するのが先決ですし、朝廷を利用して実権を握っている董卓の排除も
優先課題ですね。董卓に関しては北方の勢力に任せつつ勝ち馬に乗る形で果実を得られ
れば理想的ですが、董卓の勢力がそれを上回る場合は我々も積極的に加担するべきです。
時勢に遅れると挽回するのが大変ですから」
「…素晴らしいですねクーさん。これだけの説明で今後の方針を導き出すなんてびっくり
です」
「この国に来て日が浅いのにそこまで見抜く慧眼。恐れ入りました」
穏は心底驚いた様子で、目を大きく見開いてクーを見詰めている。亞莎も似たような反応
で尊敬の念をこめて見つめていた。
「冥琳様がクーさんを重用したがってた理由が良く分かりました」
「ありがとうございます。ですがこれくらいならご主人様も分かってたはずです」
「そうなんですか?」
「…だいたいはな」
「ご主人様は合理的な方で、一番手っ取り早い方法で物事を解決しようとされます。
この国に対し必要な情報が備わっていれば私と同じ解を導いたと思います」
「そうなんですか? 案外侮れませんね」
ブラッドが本当に分かっていたかは定かでない。寧ろ穏達がブラッドに興味を持たせるた
めに言っただけかもしれないが、クーの説明はそれなりに効果があったらしく穏は興味深
げにブラッドを見つめていた。



「ふぁ…」
穏の講義から開放され一息つくブラッド。雪蓮から何も言われていないのでこれから何を
しようかと考えていたら、不意に後ろから声を掛けられた。
「ブラッド!」
「うん?」
ブラッドが振り向くとほぼ同時に小蓮が飛び掛るように抱きついてきた。小蓮のブラッド
に対する印象はかなり好意的で子犬がじゃれるように纏わりついている。
「ずっと探してたんだよ。どこ行ってたの?」
「あぁ、さっきまで穏にこの国の情勢の説明を受けていた」
「そっか、ブラッドはこの国に来て日が浅いからよく分からないんだね。だったらシャオ
がこの国のこと教えてあげるよ」
どこか得意げな仕種が微笑ましい。若干ストライクゾーンから外れているが、可愛いこと
に変わりは無い。
「そうだな、この国のことは色んな奴から聞いているがお前の意見も聞いておこう」
「うん! それじゃあ早速…」
「小蓮!」
ブラッドとお出かけ、と喜び勇んで歩き出したところで厳しい声で呼び止められた。
小蓮を呼び捨てに出来るのは二人しか居ないが、思い当たるのは一人だけだった。お供の
思春を連れた蓮華が厳しい表情で小蓮を見ていた。
「…何、お姉ちゃん?」
ブラッドに対する時とは別人のような冷たい視線を声の主、蓮華に向ける。
「どこに行くつもりなの? お前は今日、政の基礎について穏の指導を受ける予定ではな
かったか?」
「そんな事より今はブラッドと出掛けることが大事だもん」
悪びれることなくあっさり言い放つ小蓮だが、蓮華には予想の範囲内だった。
「…仕方ないわね。思春、悪いけど小蓮を穏のところに連れて行って」
「御意。では小蓮様」
「え? ちょ、ちょっと…またこの展開?」
思春は小蓮を拘束するとこの前と同じように有無を言わせず連行した。

「相変わらず問答無用だな」
「小蓮はあなたの事を随分気に入ってるようだけど、それは妹が兄に甘えるようなものよ。
それにあの子も王家の姫。身に付けなければならないこと学ばなければならないことは山
程あるわ。今は嫌かもしれないけど、近い将来やって良かったと思う日が必ず来るわ。
小蓮はまだ子供でそのことが良く分かってみたいだから、あなたもあの子を甘やかさない
で接してくれると助かるわ」
「分かった」
少し可哀想な気がするが、それぞれの家庭の事情には首を突っ込まないブラッドだった。
そもそも家長である雪蓮が今の小蓮の言動を注意していないということは問題ないと判断
してのことだから、蓮華があまり神経質にならなくてもよさそうなものだが、蓮華の性格
がそうさせているのだろう。

 自由闊達な姉と天真爛漫な妹に挟まれ、王家の誇りを守ろうと一人気を張っているが
気負い過ぎて発想に柔軟性が無く視野狭窄になっている。更に姉と妹がブラッドに素直に
好意を寄せることで逆に意固地になり、ブラッドに対しても事務的な対応しか出来ないで
いた。
「あ、あなたはこれから何するつもりだったの?」
顔色を伺うように蓮華が尋ねた。
「特に予定は無かったが、小蓮が街を案内するって言ったからそのつもりになっていた」
「そ、それは悪いことをしたわね」
「じゃあ代わりに案内してくれるか?」
「え…ごめんなさい、今は遠慮しとくわ。私もやる事があるし、それに小蓮にあんなこと
言って私があなたと街に出掛けたら何言われるか解ったものじゃないわ。あ、でもこれは
私があなたと出掛ける事が嫌だというわけではないわ」
蓮華は申し訳なさそうに頭を下げた。言い訳と取り繕うような物言いで段々声が小さくなる。

「気にするな。お前は自分の都合を優先すればいい。俺は適当にうろついてみる」
「あ…」
「どうした?」
「ううん、何でもない」
本当に全く気にしていないブラッドと作り笑いを浮かべぎこちない態度の蓮華は、傍から
見ると対照的だった。そして蓮華にとっては都合の悪いことに第三者に目撃されてしまった。
「あれ、ブラッド様に蓮華様、どうしたんですか?」
警邏を終えた明命がブラッド達に気付き声を掛けてきた。
「あぁ偶々会ったから話してただけだ」
「そ、そうよ。偶々会っただけよ?」
「え? そうですか?」
二人の対応の違いに明命は首を傾げているが、あまり深く考えていないのかすぐ次の質問
に移った。
「あの、どこかにお出かけですか?」
「あぁ、俺はこれから街に行くつもりだ」
「えっと…お二人で、ですか?」
「わ、私は用事があるから行けないわ。そ、そうだわ。良かったら明命が案内してくれな
いかしら?」
「え? 私は構いませんが、ブラッド様は良いんですか?」
蓮華の突然の申し出に驚きつつも、明命は何か言いたそうにブラッドの顔色を伺った。 
「俺はまだ街には不案内だから、明命に案内してもらえると助かる」
「あ、ありがとうございます! しっかりお供させて頂きます」
すっかりブラッド信者になっている明命は、満面に笑みを湛え
「あまり変なところに連れて行っちゃ駄目よ」
「い、行きませんよ。だいたい変な所ってどこですか?」
あまり見ない蓮華の軽口に明命は少し拗ねた顔で反論した。
「ふふ…。あまりここで時間潰しててもしょうがないわ。早く行って来たら?」
「おう、じゃあな」
笑顔で送り出す蓮華を置いてブラッドは明命と一緒にその場を後にした。
「……」
蓮華は二人の背中が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
「あーあ…何やってるんだろう私」
自分に対して呆れているのか、自嘲気味に笑いながら蓮華もその場を立ち去った。


 小さくなっていく蓮華の背中を遠巻きに眺める影三つ。雪蓮と冥琳と祭だった。
「はぁ、何やってるのよあの子は…」
「蓮華様らしいじゃない。確かに消極的だが」
「確かに権殿らしいが、あれではいつまでたってもあのままじゃ。将来国を背負って立つ
者としてはもう少し豪胆であって欲しいのぉ。あれじゃあ惚れた男はものに出来んぞ」
「祭殿と比べられたら蓮華様も可哀想ですが、初すぎるのも問題かもしれません」
表現の違いはあるが、積極性に掛ける蓮華の行動は三人とも低評価だった。

「ブラッドだって天の御遣いの責務も蓮華の性格も知ってるんだから引っ張ってくれれば
いいのに。思ったより紳士なのかな?」
「我々三人を強引に押し倒した男が紳士なら、紳士じゃない男はどんなケダモノだ?」
「そっか…。じゃあ最初に私達を相手にしたから蓮華じゃ物足りなかったのかな?」
「自分の妹に随分な物言いだな? しかし蓮華様もあんなに取り繕うくらいなら一緒に行
けばよかったものを」
「それが出来ないのが蓮華の蓮華たるところね。ブラッドも分かっててやってるんじゃな
いかしら?」
「まさか。奴はそこまで策士ではあるまい。多分何も考えていないだけで、今回はその気
じゃなかった。それだけだろう」
ブラッドへの性格判断は冥琳の方が的確だった。
「そっか…。何にせよ蓮華はもっと積極的になった方がいいわね。蓮華に小蓮の半分くら
いの積極性があれば良いのに」
「それは考え物だ。職権乱用してブラッドに纏わりつきでもされたら公務が滞ってしまう」
「それは拙いわね。それじゃ教育も兼ねて小蓮にも公務を任せてみようかしら」
「今も穏の勉強を逃げ回っている小蓮様に公務を任せられると思うか?」
「今すぐは無理でも、あの子も孫呉の姫として責任を果たさなければならなくなるんだか
ら軽いものから少しずつやらせれば問題ないわよ」
普段自由奔放な雪蓮にしては珍しく小蓮の教育に熱心なところを見せるが、冥琳の判断は
違った。
「そうやって自分の仕事を減らしてブラッドにちょっかい出すつもりじゃないでしょうね?」
「……」
「……」
「そんなことないわよ?」
「信じてるわよ、その言葉」
少し間をおいて視線をそらして答える雪蓮に、冥琳は冷ややかな視線を送りながら念を押
した。
アプローチの仕方は違うが三姉妹ともブラッドに対する思いは並々なるぬ物があるようだ。





[8447] 第6話:ブラッド歴史の表舞台に立つ
Name: PUL◆69779c5b ID:7f4a62e1
Date: 2010/07/12 12:50
第6話:ブラッド歴史の表舞台に立つ

 朝廷が董卓に実権を握られ洛陽の人々が圧制にあえいでいるとの噂が広まったころ、
袁紹発信の檄文が大陸を駆け巡り、それは雪蓮の元にも届いていた。雪蓮は頭の緩い袁術
と参謀である張勲を丸め込み反董卓連合に参加することになった。

 雪蓮達孫策軍を含む反董卓連合は汜水関に終結していた。至る所に諸侯達の旗が立ち壮
観な光景だった。
「沢山居ますね」
「大陸中から主だった勢力が終結してるらしい。これだけうじゃうじゃいると人間の繁殖
力も大したものだと思うぞ」
「弱い種族ほど子供は多いんですよ。沢山死にますから」
「種としての生命力は馬鹿に出来んがな」
戦いを前に気持ちが昂ぶっている者達の中で、ブラッドだけは全く違うことを考えていた。
「ここで竜の姿に戻って火炎魔法でも使えば楽なんだが…」
「魅力的な提案ですが、その後のことを考えるとお奨めできません」
「分かっている。分かっているが…」
行動を制限されている現状にブラッドのもストレスも溜まり気味だった。

「ブラッド、ちょっと付き合ってくれないかしら?」
「あ? あぁ、構わんが、どこに行くんだ?」
いきなり雪蓮に声を掛けられ、気持ちを押し込んで平静装って対応する。
「ちょっと顔見せにね。直ぐ分かるわ」
雪蓮は意味ありげな笑みを浮かべ、ブラッドに行き先を教えず連れ出した。

 まだ袁術の客将でありながら江東の麒麟児、孫策の名は大陸中に知れ渡っていた。当然、
雪蓮が連れている、他の者とは違う風貌のブラッドも注目を集めることになる。
「見ての通りここには今後覇権争いをする主だった勢力が終結してるわ。自分が倒すべき
相手は見ておいた方がいいわ」
「…分かった。それにしてもお前って結構有名なんだな?」
「今はあまり注目されたくないんだけど仕方ないわね。まぁ、いずれ大陸中から注目され
るんだし、あなたも慣れておいた方がいいわよ」
「別に注目されるのは構わんが、俺が目立つのは色んな意味で拙いんじゃないのか?」
「良くはないけど、あなたも貢献しなくちゃいけないんだし結果的に注目されることにな
るから、少しは覚悟しときなさいってことよ」
「…了解した」
孫呉の未来のため雪蓮はブラッドの力を必要としている。自分の世界に戻るためブラッド
は雪蓮から活躍の場を提供してもらう。その結果、双方注目され新たな敵を生むことにな
る。雪蓮はこれから始まる苛烈な戦いへの心構えを説いているようだが、ブラッドに正し
く伝わっているかは定かでない。

 雪蓮は一際異彩を放つ集団に視線を向けながらブラッドに声を掛けた。
「ブラッド、あそこに居るのが曹操よ。そして両脇に控えるが夏侯惇と夏侯淵。大陸でも
有数の実力者よ。その横に居るの荀彧。彼女の智謀もあなどれないわ」
「ほう、あのちんまいのが曹操か? 人は見かけによらないという言葉の典型だな」
「その言葉、彼女の前では禁句よ。挨拶に行くわよ」
雪蓮はブラッドを連れて曹操こと華琳達のところへ歩いていった。

「こんにちは」
「あら、誰かと思ったら孫策じゃない。お久しぶり。最近調子良いみたいじゃない」
「ありがと。でもまだ袁術ちゃんの子守役だから。彼女にもそろそろ独り立ちして欲しい
ところね」
「それはあなた次第ね。ところで隣に居るのは誰? 初めて見る顔だけど」
ブラッドの存在は意識していたのか、華琳は鋭い眼光を向ける。
「彼の名はブラッド。最近、我が軍に編入したの。結構見所あるのよ」
少し誇らしげにブラッドを紹介する。当然、天の御遣いの事は言わない。
「へぇ、江東の小覇王、孫策のお眼鏡に適ったのならそれなりの人物と判断しないといけ
ないわね」
華琳は値踏みするようにあからさまな視線をぶつけているが、ブラッドが気圧されすること
はなかった。
「…ブラッド・ラインだ。姓がラインで名がブラッドだ。字、真名の類はない。宜しくな」
「私は曹操孟徳。覚えておきなさい」
「記憶力は良い方だから片隅にでも入れておこう」
「…いい度胸ね。虎の威を借りる狐でないことを願ってるわ」
ブラッドの物言いに一瞬眼光が鋭くなるが、華琳の表情は変わらず口調も淡々としている。
「この世界にはそんな言い回しがあるのか? まぁ、俺は虎でも狐でもないがね」
「……」
虎でも狐でもなく竜なのだが、当然華琳は知る由もない。謙った態度を取らないブラッド
に華琳の怒りが少しずつ高まっているが、ブラッドは普通に接してるつもりなのでその事
に全く気付いていない。
 
 しかし、隣でやり取りを見ていた夏侯惇こと春蘭が不信感を露に突っ掛かってきた。
「貴様、華琳様に対してなんて口の利き方だ!」
「いきなり話に割り込むとは失礼な奴だな? 躾がなってないぞ」
「な、何だと!?」
ブラッドの少し小馬鹿にした態度に、沸点の低い夏侯惇はあっさり激昂し剣を抜いた。し
かし、ブラッドは臆せず無防備に近付いてきた。
「え?」
「こういう形の剣は初めて見るな。何という剣なんだ?」
「え? こ、これは…七星餓狼だ」
全く動じないブラッドに毒気を抜かれたのか、つい素直に答えてしまった。
「ほぉ…。刃は肉厚で形状はブロードソードに似ているな。切るというより叩く感じの剣
だな」
「……」

両者は息が掛かるほどの距離しか離れていないが、ブラッドは全く気にしていない。春蘭は
至近距離で男に見つめられたのは初めてなのか、少し緊張した面持ちで頬が赤い。
「春蘭、剣を納めなさい」
「は、はい華琳様」
無防備なブラッドに毒気を抜かれてどうしていいか分からなくなった春蘭だが、華琳の
言葉に従いあっさり剣を引っ込めた。
「部下が失礼したわね、ごめんなさい」
「気にするな」
そわそわしている雪蓮の顔が目に入ったのか、ブラッドもこれ以上は何も言わなかった。
「私もあなたの名前は覚えておくわ」
「それは光栄だ」
「さ、さて、私達はもう行くわ。じゃあね」
これ以上ここにいて問題を起こされては適わないと雪蓮は話を打ち切るとブラッドを引き
ずるようにその場を立ち去った。
 
「……」
遠ざかっていく雪蓮達の背中を、華琳は鋭い眼光でにらみ続けている。
「な、何なんですか、あの無礼な男は!?」
最初に声をあげたのは荀彧こと桂花だった。ブラッドの華琳に対する無礼極まりない態度
に怒り心頭といった様子である。
「だいたい、何であんたは奴を切らなかったのよ? こんな時にあんたはいるんでしょ?
あまつさえいいように(剣を)弄られて頬を赤らめるなんて」
怒りのあまり正常な判断が出来なくなっているのか、桂花が滅茶苦茶な事を言い出した。
「落ち着きなさい桂花。反董卓連合で集まってるのに、味方である孫策の配下を切れるわけ
ないでしょ? まぁ、春蘭が私が言う前から攻撃する気がなかったのは気になるわね。
春蘭はあの男をどう見たの?」

「申し訳ありません。よく分かりません」
「分からない? 相手の技量を見抜くことに長けていたあなたが、あの男を見て何も感じ
なかったの?」
「い、いえ、そういう事ではなくて。隙だらけで全く殺気が無かったにも関わらず、妙に
存在感がって掴み処が無かったのです。剣を構えてあそこまで無防備に間合いに入って来
られたのは初めてなので、逆に戸惑ってしまいました」
「…そう。秋蘭は?」
「はっ。姉者の殺気を正面から受け止めて平然としている男を初めて見ました。それだけ
でも侮れないのですが、姉者の言うように何か底知れないものを感じます」
「春蘭の殺気を平然と受け止め、かつ殺気を感じさせず威圧する。確かに得体の知れない
男ね。江東の麒麟児、孫策が見込んだだけはあるようね。桂花!」
「はい!」
「あの男の情報を集めなさい。素性、生い立ち、戦場での成果等出来るだけ詳しく。いい
わね?」
「分かりました」
「自分の実力にかなり自信があるようだけど、私を愚弄したことがどれ程愚かな行為か
たっぷりと分からせてやるわ」
サディスティックな笑みを浮かべ、ブラッド包囲網を画策する華琳だった。


 曹操の陣から退散した雪蓮は暫く無言だった。
「いきなり挑発するんじゃないわよ」
曹操の姿が見えなくなって雪蓮がようやく口を開いた。目が少し冷たい。いつもは自分の
自由奔放な振る舞いを冥琳に咎められているが、今は自分がブラッドを咎める立場だった。
「え? 気さくな一面を見せたつもりだったが駄目だったか?」
「どこがよ。もう少しで夏侯惇に切り掛かられるところだったのよ。まぁこの状況でそん
な馬鹿のことはしないでしょうけど、軽はずみな行動はとらないでよ」
いずれ戦わなければならない相手でも今はその時ではない。それまではあまり相手を刺激
しない方がいいのだが、目論見が崩れ雪蓮は呆れ顔だった。
「それであの二人、どうだった?」
「あの二人?」
「夏侯惇と夏侯淵のことよ。人材豊富な曹操軍の武を代表する二人よ。実力は折り紙付けだわ」
「…特に何も無いな」
興味なさげに素っ気無く答える。いくら超人的な能力を持っても人間の範疇を超えない限
りブラッドを脅かす存在ではない。ブラッドは戦場で自分の能力を使いこなすことしか頭
にないようだ。
「あれだけ殺気を撒き散らしてたのに、何もないことはないんじゃないの?」
「殺気? あぁ、言われてみれば…。そうか、あれは殺気だったのか」
素で尋ねる。リュミスの放つ絶望的な絶対零度の殺気を経験したブラッドにとって人間の
放つ殺気は小さすぎて意識してないと感知するのは困難だった。
「よく言うわ。まぁ、今回彼女達と戦うことは無いけど、いずれその自信の根拠は見せて
もらうわよ」
自信満々のブラッドに雪蓮は苦笑いを浮かべるが、このときの判断が全くの勘違いと分か
るのはずっと先のことだった。

 その後の軍議で先鋒は劉備が担当することになったが、義勇軍あがりの隊では苦戦は必
至だった。
「劉備達が貧乏くじを引いたようね」
「押付けられたと言った方がいいわね」
「仕方ないわ。でも、今は捨て駒扱いでもそれを乗り越えれば大きく飛躍することになるわ」
「飛躍しても良いのか?」
圧倒的な戦力で敵をねじ伏せる単純な戦争しか知らないブラッドにとって、それぞれの思
惑が複雑に絡み合った戦略は理解できず、劉備の飛躍を願うような雪蓮の言動も理解でき
なかった。
「今はね。それで曹操達の壁になってもらえば良いわ。と、言うわけで彼女達にここで
死んでもらうわけには行かないので手を貸しましょう。ブラッド、行くわよ」
雪蓮はブラッドを連れて劉備達のいる陣に向かった。

 劉備の陣では長い黒髪を後ろに束ねた女性、関羽こと愛紗が慌しく部下に指示を出していた。
「今回の戦いは我等の今後を占うものとなる。気を抜くな」
「こんにちは」
「あ、あなたは?」
いきなり声を掛けられ愛紗は一瞬とまどった表情を見せるが、雪蓮はそのまま話を続けた。
「私の名は孫策。そちらの代表に合わせてくれないかしら?」
「…どういったご用件でしょうか?」
単刀直入な物言いの雪蓮に対し、愛紗は愛想よく答えながら即答を避けた。真意を探ろう
としているのは明らかだった。

「お前達だけで汜水関攻略は荷が重いだろうから、手伝ってやろうかって来たんだが?」
「な、何だと!?」
ブラッドのストレートかつ身も蓋も無い言い方に愛紗は激昂し、青龍刀に手を掛けた。
「落ち着きなさい。あなた達袁紹からそれなりに物資は融通してもらったみたいだけど、
この兵力で難攻不落の汜水関をどうやって落とすつもり? 相手に城に篭られたらろくに
策も立てられないわよ。あなた達も捨て駒にされたくないでしょ?」
「むぅ…」
雪蓮に正論を述べられ頭の冷えてきた愛紗は考え込むが、ブラッドの物言いが引っ掛かっ
ているのか素直に納得出来ないようすだった。

「あ、愛紗ちゃん何やってるの!?」
騒ぎを聞きつけて劉備こと桃香が血相変えて駆け寄ってきた。
「あなたが劉備ね? 私は孫策。宜しくね」
「あ、こちらこそ宜しく、劉備です。あの、何があったのですか?」
あまり穏やかではない雰囲気に桃香は少しおろおろしながら尋ねた。
「別にどうもしないのだ。このお兄ちゃんが愛紗に助けてやるって言ったら愛紗が怒って
こっちのお姉ちゃんが宥めただけなのだ」
今まで静観していた張飛こと鈴々が状況を説明する。ちびっ子だが愛紗より冷静だった。
「え? どういうことなんですか?」
桃香はブラッドと愛紗に視線を向け、最後に雪蓮に視線を向けた。
「端折りすぎよ、それ。意思の疎通に若干問題があったけど、私達はあなた達に協力を申
し出ただけよ」
「ほ、ホントですか? うわぁ助かります」
「と、桃香様、お待ちください」
雪蓮の申し出を手放しで喜ぶ桃香を愛紗は慌てて制止した。
「駄目だよ愛紗ちゃん。人の好意は素直に受けるべきだよ」
「好意ならだけそれでも構いませんが、今はそういう状況ではありません。何の見返りも
求めずに自分の兵を貸す者など、いるはずがありません」
「それぞれの思惑があるにしても、今は打倒董卓で集まってるんだから変な下心はないわ。
それに仮に下心があったとしても受けるべきだと思うわよ。さっきも言ったけど、あなた
達の軍勢でどうやって攻めるつもりなの?」
「うぐ…」
愛紗が慎重になるのは尤もな事だが、状況に即したものではない。またしても雪蓮に正論
を吐かれ愛紗は反論できなくなった。

「愛紗さん、孫策さんの申し出は受けるべきだと思いますよ」
「朱里…」
愛紗の視線方向にブラッド達も目を向けた。そこにはおよそ戦場に似つかわしくない小柄
な少女、諸葛亮孔明こと朱理が立っていた。
「あなたは?」
「あ、申し遅れました。私、劉備様の軍で軍師をしています諸葛亮孔明と言います。宜し
くお願いします」
「諸葛亮ちゃんね。こちらこそ宜しく。それであなたは私達の協力を受け入れてくれるのね?」
どう贔屓目に見ても軍師には見えない朱里に対し、雪蓮は先入観を持たずに接している。
子ども扱いしているように見えるが朱理は気にしていない。
「はい。私達の軍は残念ながら質量共に連合軍中最も低く、名の知れた武将もいません。
そんな軍に篭城を決め込んでいる華雄さんがまともに相手してくれるはずありません。
でも、これに孫策さんの軍が加われば華雄さん達の対応も変わると思います」

「どういうことだ?」
朱里の説明が良く分からず、ブラッドが雪蓮に尋ねた。
「華雄って昔、私の母様にコテンパンにやられた事があるのよ」
「なるほど。そういうことか」
江東の麒麟児、孫策の名は大陸中に知られている。しかも華雄は孫家に対し過去の因縁が
ある。無名の劉備達より雪蓮が出張った方が効果的である。
「分かりました。そういう事なら反対しません」
朱里の説明で納得したのか愛紗も雪蓮の申し出を受け入れた。しかし、およそ武人らしく
ないブラッドの態度にモヤモヤした思いが残るのか、つい睨み付けてしまった。
「何だ?」
「あ、いや、珍しい格好をしているなと思って見入ってしまった。済まぬ」
「この世界では珍しいかもしれんな。実際のところ別にたいしたものではないが」
「この世界?」
「彼は異国の出身なの。顔立ちが違うのはそのせいよ。ブラッド、自己紹介して」
愛紗がブラッドの正体を気にしだしたので雪蓮はすかさずフォローした。

「ブラッド・ラインだ。姓がラインで名がブラッドだ。字、真名の類はない。宜しくな」
ブラッドは華琳の時と同じようにまず桃香に自己紹介した。
「あ、私は姓は劉、名は備。字は玄徳です。宜しくお願いします」
「……」
少しぎこちない態度で自己紹介する桃香をブラッドは黙って見つめていた。
「あ、あの、私の顔に何かついてますか?」
「うむ、祭や穏といい勝負だな」
「はい?」
ブラッドが何を言っているのか分からず桃香は可愛らしく首を傾げているが、横にいた
雪蓮はブラッドが余計な事を言う前に話を進めた。
「き、気にしなくてもいいわ。私は孫策伯符。宜しくね」
続いて愛紗、鈴々、朱里と自己紹介をした。鈴々と朱里は好意的で、特に鈴々はすぐに
ブラッドの事をお兄ちゃんと呼んでいたが、愛紗は不信感を払拭できない様子だった。

「じゃあ、私達は一旦自分の陣に戻るわ」
「はい、頑張りましょう」
最後に桃香と言葉を交わし、雪蓮達は自分の陣に戻った。
「……」
愛紗は陣に戻るブラッドに厳しい視線を送り続けていた。
「どうしたの愛紗ちゃん?」
「いえ、孫策の隣に居た者のことですが…」
「ブラッドさんがどうかしたの?」
「江東の麒麟児と呼ばれている孫策が、あのように軽薄な者を側近に置いている事が気に
なって…」
愛紗の目から見て、ブラッドは軽薄な無礼者にしか見えないらしい。
「鈴々もあのお兄ちゃんには何も感じかかったのだ。でも青龍刀を構えた愛紗に丸腰で
全然ビビッてなかった。そんな奴初めて見た」
「私もあの人には何か底知れないものを感じました。孫策さんが傍に置いている理由も
その辺にあると思います」
「そうかな? 普通に良い人に見えたけど」
愛紗達がブラッドに対し程度の差こそあれ気にしているのに対し、桃香だけは殆ど無警戒
だった。
「…桃香様はもう少し人を見る目を養うべきです」
人を疑うことを知らない桃香に愛紗は呆れ顔だった。

 
 程なくして開戦となったが、定石通り篭城策をとった華雄軍が打って出る気配はなく膠
着状態が続いていた。
「調子はどう?」
「あ、孫策さん。今、愛紗ちゃん達が頑張ってるんだけど状況はあまりよくないわ」
桃香は浮かない顔で答えた。いくら華雄が挑発に乗りやすいといっても状況が分からない
ほど愚かではない。孫家の籏も見えてるはずで関羽の挑発も聞こえているはずだが、城門
は硬く閉ざされ出てくる気配は無かった。

「いい大人が門を挟んで悪口合戦か…。何かのどかだな」
「そうですね。牧歌的です」
初めて見る光景にブラッドとクーは少し呆れ顔である。お互いの声が届くほどの距離で対
峙して罵り合う光景はブラッド達にとってかなり異質に見えた。
「相手が門を閉ざして篭ってるから、おびき出すにはこれしかないのよ」
「じゃあ、俺もやってみよう」
「え? ちょっと…」
ブラッドは関羽達のもとに向かった。
「苦戦してるようだな?」
「うん? お前はブラッド…」
最悪に近い第一印象のせいか、ブラッドを見る愛紗の視線は冷たい。
「手伝ってやる」
「え? お、おい…」
ブラッドは戸惑う関羽に構わず無防備に城門の直ぐ近くまで寄って華雄を挑発し始めた。

「おーい。華雄とか言う奴、聞いているか? 俺はお前のことは知らんし、武にも全く興
味は無い。お前も一軍の将ならこの程度の挑発で大局を見失うことは無いだろうし、それが
出来ないようならお前に将の器は無い。荷物を纏めて田舎へ帰れ。ただ、お前が良い女
なら他にも使い道がある。ちょっと顔と体を見せてみろ。脱いでもいいぞ

「うわ、最悪。私でもそこまで言わないわ」
ブラッドの挑発を後ろで聞いていた雪蓮が顔をしかめた。華雄の武を根底から否定しただ
けでなく、ただの慰み者としてしか見なさないブラッドの言葉は味方にまでダメージを与
えた。
「い、今のはちょっと…酷いよね」
「味方じゃなかったら切り捨ててるところです」
桃香と愛紗も考えていることは同じらしく冷たい視線をブラッドに向ける。

「まぁ、今のは華雄を誘き出すための挑発だから大目に見てよ。でも、彼が凄いのは本当の事よ」
「なっ…」
「え? 何が凄いの?」
「と、桃香様、今はそのような事を気にしている場合ではありません!」
意味が分からずきょとんとしている桃香を顔を真っ赤にしている愛紗が言い包めている。
見た目生真面目な愛紗だが、それなりに知識はあるらしい。

 雪蓮の良く分からないフォローで緊迫した雰囲気が一瞬緩和したが、城内は慌しくなって
きた。名も知らぬ一兵士から最大級の侮辱を受けた華雄の怒りは頂点に達していたらしく
城門が開かれると怒り狂った華雄を先頭に兵士が弾けるように飛び出してきた。

「雑兵如きにこれほどの屈辱を受けたのは初めてだ。貴様は絶対に許さん!」
「誘っただけで挑発したつもりは無いんだが…。うむ、見てくれは悪くないな」
怒髪天を突く如く怒りに目を血走らせている華雄に対し、危機感ゼロのブラッドは冷静に
吟味していた。
「迎え撃つぞ。我に続け!」
「鈴々達もいくのだ!」
「劉備軍達だけに活躍させるな!」
「あ? ちょっと…」
とりあえず華雄を捕縛してそれから好きなように弄り倒して更に色んな事をしようと場に
そぐわぬこと考えていると、愛紗の軍勢が自分の横をすり抜けて突進していった。更には
鈴々と雪蓮の軍勢まで華雄軍に突っ込み、華雄軍はあっという間に囲まれてしまった。
「はぁぁぁ!」
「うりゃぁ!」
愛紗と鈴々は戦場を縦横無尽に駆け回り、次々を敵を倒していった。
「へぇ、二人とも中々やるわね。やはり劉備は今後も要注意ね」
愛紗達の予想以上の活躍に雪蓮は警戒を強めた。

 一方、完全に出遅れ目論見が崩れたブラッドは戦況をぼんやりと眺めていた。戦場は
愛紗、鈴々の独壇場でブラッドに活躍の場は残っていなかった。
「…持って行かれたな」
「今更雑兵を何人倒したところで意味はなさそうですね。今回は諦めましょう。でも一応
戦場のど真ん中にいるので、少しは気をつけたほうがいいですよ」
「わかっている」
ブラッドは襲い掛かってくる華雄軍の兵士を適当にいなしながら時間を潰した。

 愛紗達の活躍で華雄軍はじりじり追い込まれ、戦況は誰の目にも明らかな状況になった。
「華雄将軍、このままでは陣形が持ちません」
「怯むな! お前達それでも誇り高き華雄軍の兵士か!?」
「し、しかし既に敗走しだした兵士も出ております。これが限界かと」
「く、くそ…。撤退だ!」
さすがにこれ以上現状を無視するわけにはいかず、華雄は断腸の思いで撤退した。

 華雄が背走したことで敵は総崩れになり、難攻不落と言われた汜水関はあっさり陥落した。
「こんなに簡単に落ちるとは思わなかったわ。あの娘達は要注意ね」
「…出番が無かった」
「華雄を引きずり出したのはブラッドの功績よ。まぁ内容はあまり自慢にならないけど」
不満顔のブラッドに雪蓮は労いの言葉をかけるが、ブラッドの気が晴れることは無かった。


 美味しいところを愛紗に持っていかれ、ブラッドのメジャーデビューは不完全燃焼に終
わった。



[8447] 第7話:激突! 天下無双対決
Name: PUL◆69779c5b ID:7f4a62e1
Date: 2009/12/13 21:39
第7話:激突! 天下無双対決
 
 虎牢関攻略は汜水関に続いて連戦となる劉備と袁紹が担当することになった。汜水関で
孫策が援軍を出したことで劉備軍の損失があまりなかったこともあるが、捨て駒扱いは変
わらなかった。またあまり活躍させたくないという袁紹の意向が働いたのか、雪蓮達は後
方に引いて陣を張っている。

「いいように使われていますね劉備さんは」
「弱小勢力の悲しいところだな。しかも、虎牢関を守るのはあの飛将軍呂布だ。それに
張遼と汜水関から撤退した華雄もいる。汜水関を落として意気揚がるところだろうが今度
は厳しいだろう」
「劉備達にとってはこれが最初の関門てところね」
「そうね。もっとも今回は袁紹軍という大きな盾があるから、それを上手く使って被害を最小限に
止めて成果をかげることも可能だ。あの軍師ならな」
冥琳は朱里の能力を高く評価しているのか、好敵手となりうる者の登場に嬉しそうだった。
「それで、私達はどうするの?」
「無駄に多い袁紹軍が邪魔になって思うように動けないし、呂布相手に正面突破する訳に
もいかないわ。私達は敵本体の脇を突いて虎牢関を落とす」
「えー! 私も呂布と戦いたい!」
冥琳の案は武に誇りを持つものとしては受け入れがたく、雪蓮はあからさまに不満げな態
度を見せた。もっとも国を預かるものとしての態度にも見えない。
「駄目よ。自分の主をむざむざ犬死させるわけないでしょ?」
「…さらっと酷い事言うわね。もう少し主人を信頼して欲しいわね」
主従関係にあっても義姉妹の気安さからか身も蓋も無いことを言われ少し凹む雪蓮だった。
「雪蓮のことは信頼してるけど、呂布だけは別。次元が違うわ」
「ぶー」
一応引き下がったが雪蓮はまだ未練が残っているらしく子供っぽく膨れっ面をしている。

ブラッドは他国の武将のことは殆ど知らない。当然、冥琳達が警戒する呂布の事も知ら
なかった。
「冥琳、その呂布って奴は強いのか?」
「あぁ。それも桁違いの強さだ」
「常識を超えた鬼神の如き強さらしいのぅ。一人で軍を壊滅させた事も数知れんという話じゃ」
「策を弄しても力でねじ伏せてしまうそうです。軍師としては一番関わりたくないという
のが正直なところです」
「ほぉ、それは中々興味深いな」
敵ながら天晴れといったところか、呂布こと恋に対する称賛と畏怖の言葉にブラッドの恋
に対する興味が強まった。
「ブラッド、変な気は起こすな。私達は呂布が桁違いの強さであることは知っているが
お前の本当の実力がどれ程のものか知らない。そしてお前は呂布の強さを知らない。軍師
として計算の立たない戦いは出来ん。お前も我が軍の戦力の頭数に入っているのだから、
こんなところで失うわけには行かない。自重しろ」
冥琳なりにブラッドの事は評価しているが、それだけに迂闊な行動を認めるわけにはいか
なかった。
「じゃあ、奴の強さがどれほどか見ておく必要はあるな?」
「だから変な気は起こすなと言っている。私達と行動を共にする以上最低限の決まりには
従ってもらうぞ」
「……」
「何だ? 不満か?」
無表情に自分を見るブラッドの態度に冥琳は少し目を細めて威圧するように尋ねたが、そ
れでブラッドが引き下がるわけは無く、不敵な笑みを浮かべ反撃に転じた。
「中々強気な態度だな? 三人の中では一番しおらしい態度だったのに随分変わるもんだな?」
「三人の…?」
一瞬何を言っているのか分からなかったが、ブラッドが雪蓮と祭に視線を移したことで意
味が分かったようだ。 
「な、何を言っているのだ! い、今はそんな事を言っている場合ではない!」
ここが戦場であることも忘れて真っ赤な顔で盛大にうろたえた。
「冥琳て可愛いわね」
「うむ、冥琳も普段からこれくらい可愛げがあった方がいい」
「冥琳様、何かあったんですか?」
「ただの戯言だ気にするな」
状況を知らない穏が冥琳に尋ねるが薄々分かっているらしく顔がにやけていた。
「そうですか? じゃあこの戦が終わってからじっくり聞かせてもらいますね♪」
「……」
この手の話を穏が見逃すはずが無く、引きつった顔の冥琳とは対照的にニコニコ顔で
追い詰めていった。


孫策隊は実利優先策をとって敵本体との衝突を避け側面に展開していた。しかしブラッド
は本体と行動を共にせず別行動をとっていた。
「どこに行くの?」
背後から雪蓮に声を掛けられた。
「…言う必要があるか?」
「それはどういう意味かしら? 軍律に背いて勝手な行動をとっても構わないってこと?
それとも言わなくても私が分かってるって思ってるの?」
少し意地悪な顔でブラッドに尋ねる。勿論処罰するつもりはサラサラ無く、ブラッドが
自分と同じ事を考えているのが嬉しいのか少しからかっているだけである。尚、ブラッド
は自分の目的のため便宜上雪蓮と行動を共にしているという意識しかないので、行動を制
限される謂れは無く、当然軍律はまったく意識の外である。
「取り合えず考えていることは大体同じということだ。呂布がお前達の言うような奴なら
俺が見逃すはず無いだろう?」
「相変わらず自信たっぷりね? でも私もあなたの実力を見ていないから冥琳の気持ちも
分かるわ。呂布の戦いぶりを見るのは構わないけど無理はして欲しくないわ」
「分かっている」
現時点で無理をすれば暴走し、その後どうなるかも分かっている。ブラッドは短く答えた。

 恋は篭城は取らず、虎牢関を出て連合軍に決戦を挑んできた。
「潔いわね。突破できる自信があるんでしょうね」
「篭城策は守備に長けた者がやれば効果的ですが攻撃型の者にとっては受けに回ることで
自分の長所を消すことになります。呂布が皆さんの言う通りの実力者なら十分考えられる
戦法です」
「なるほど。でもクーは良く知ってるわね」
文官としてオールマイティーな才能を発揮するクーに雪蓮は改めて感心していた。
「ありがとうございます。ですが過去の事例から可能性の高い答えを出したまでです。連
合軍の連携の拙さに加え呂布個人の能力を考えれば、この策が最も有効と考えます」
「冥琳が気に入る訳だわ」
もしかしたらブラッド以上にクーの方が呉にとって有益ではないかと思う雪蓮だった。

 ブラッド達が話している間に呂布軍に動きがあった。恋が先頭切って連合軍に突っ込ん
でいった。その強さは圧倒的で恋は正面で待ち構える袁紹軍を怒涛の勢いで蹴散らしてい
く。呂布が方天画戟を振り回すたびに袁紹軍の兵士が五人、十人と紙屑のように薙ぎ払わ
れていった。
「何だ? あいつ等紙で出来てるのか?」
「そんなわけ無いでしょ。呂布の力が凄すぎるのよ」
呂布の圧倒的なパフォーマンスに雪蓮は少し気圧されているがブラッドの驚くポイントは
微妙にずれていた。

「待て、ここから先は通さん!」
「鈴々達が相手なのだ」
「三対一だが悪く思うな」
呂布の前に劉備軍の愛紗、鈴々、そして趙雲こと星が立ちはだかった。三人とも一騎当千
の武将達である。
「…ふふ」
恋はぼーっとした表情で三人を眺めた後、小さく笑った。
「な、何がおかしい」
「お前達強そう。だから楽しみ」
「なるほど。武人としてその気持ちは分からんでもない」
「星、今は楽しんでいる場合ではないぞ。我々は第一に桃香様を守らねばならんのだ」
任務を無視するわけではないが最強の敵を前にして武人としての血が騒ぐ星に対し、愛紗
は私情を捨て任務に徹していた。
「分かっている。呂布よ、残念だが今は任務を優先させてもらう」
「構わない。恋もやる事がある」
お互いの都合を優先するといっても戦うことに変わりは無い。愛紗、鈴々、星は一斉に恋
に攻撃を仕掛けた。
「はぁぁ!!」
「やぁ!」
「はい!」
「……」

ガシィ!
「うわっ!」
三人の攻撃を最小限の動きでかわし、間髪入れずに反撃する。恋の鋭く重たい一撃に愛紗
達は大きく体勢を崩した。
「お前達強い。でも恋はもっと強い」
「く、まだまだ」
「ま、負けないのだ」
「これほどの相手、武人としては喜ぶべきところなのだがな」
果敢に恋に勝負を挑むが、愛紗、鈴々、星を以ってしても恋の牙城を崩すことは出来ず徐々
に押し込まれていった。
「な、何と言う強さだ」
「反則なのだ」
「我ら三人でも適わぬとは…自信無くしそうだな」
力の差を見せ付けられ武人としての誇りを傷つけられた愛紗達は少し気落ちしている。
「しかしここで引く訳にはいかん。我等は我等の出来ることをやるまでだ」
気を取り直し愛紗達は、後退して距離をとった。しかし、足止めにはなっているがあまり
持ち堪えられそうに無かった。

四人の攻防を少し離れた所で見ていたブラッドは少し呆れた顔で呟いた。
「三人掛りであの様か。情け無いな」
「あの三人の実力は相当なものよ。関羽の青龍刀、張飛の蛇矛、趙雲の槍。どれをとって
も一級品よ。それを物ともしない呂布が異常なのよ。天下無双の名は伊達じゃないってこ
とね」
実力を見せ付けられ、冥琳達の判断を認めざるを得ないことに雪蓮は少し悔しそうだが
ブラッドは対照的に嬉しそうだった。
「天下無双か…。仕方ない。どれ程のものか実際に俺が確かめてやろう」
「ご主人様、無茶してリミッター外さないでくださいよ」
「分かってる。確かめるだけだ」
「え? ま、待ちなさいブラッド」
雪蓮が慌てて引きとめようとするが、ブラッドは既に駆け出して四人の戦いの中に飛び
込んでいった。

「お前ら邪魔だ!」
「え?」
「な、何だ!?」
急に背後から声が掛かると愛紗達の遥か頭上をブラッドが飛び越していた。
「と、跳んだ?」
「鳥?」
ブラッドは上空高く舞い上がると、恋目掛け渾身の一撃を振り下ろした。
「はっ!」
「!」
バキッ!

しかしブラッドの剣はギリギリのところで恋の方天画戟に防がれ、その衝撃であっさり折
れてしまった。
「…使えないなこの剣は? もっと丈夫な奴はないのか?」
「ご主人様、戦闘中に余所見はいけません」
「何?」
呆れ顔で折れた剣を見ているブラッドの隙を逃さず、恋は力任せに方天画戟で薙いだ。

ドカッ!

格好付けて攻撃したものの、ブラッドは恋の攻撃まともに受けまたも高く舞い上がり空中
で一回転して地面に頭から激突してしまった。

「ブ、ブラッド!! …って、あれ?」
目の前で起きたショッキングな光景に悲鳴にも似た声をあげる雪蓮だが、その直後に起き
た光景に今度は間の抜けた声をあげた。
「マイトなら三回転に捻りまで加えるんだが高さが足りなかったな」
ブラッドは何事もなく立ち上がると服についた埃を叩いていた。
「…嘘?」
「呂布の一撃をまともに食らって無傷だと?」
「信じられん」
「お兄ちゃん化け物?」
「手応えはあった。こんな奴初めて見た」
全員が呆気にとられている中、ブラッドは倒れている兵士から剣を二本拾うと再び呂布と
対峙した。
「人間でここまでやれる奴が居るとは驚きだ。フェイといい勝負かも知れんな」
「パワーなら漆黒騎士並みでしょう。“ただ”の人間でこれ程の実力がある者は私も見た事
ありません。今のご主人様でも負けることは無いでしょうが、結構荷が重いかもしれませんね」
「能力の開放、制御のためには良いサンプルだ」
恋の実力にブラッドもクーも驚いているが、恐怖心は皆無だった。

「仕切りなおしだ。行くぞ!」
ブラッドは再び恋に突進した。
「はぁぁ!」
「ふん!」
ガキッ!
ブラッドの剣と恋の方天画戟が激しくぶつかり合い、鋭い金属音が辺りに響く。ブラッド
は攻撃の手を緩めずひたすら攻め続けた。

恋は雑兵相手の時は問答無用で一気に片付けるが、将相手の時は出方を伺ってから反撃
することが多い。今もブラッドの攻撃を受け止めているが、愛紗達の時と違い的確な反撃
が出来ず押され気味だった。

愛紗達は二人の攻防を固唾を飲んで見守っている。
「愛紗、あの男は何者だ?」
「孫策の側近らしいが詳しい事は私も知らない」
ただの軽薄な無礼者としか思っていなかったブラッドの戦いを見て、愛紗は自分の見る目
の無さを恥じていた。
「動きも剣の持ち方も出鱈目だ。何故あれで呂布と互角に遣り合えるんだ? 寧ろ呂布の
方が押されているくらいだ」
自分達三人をあしらっていた恋が押されている。愛紗達は突然現れた破天荒な武人を信じ
られないといった表情で見ている。
「多分、あのお兄ちゃんの動きがメチャクチャで先が読めないからのだ」
「鈴々の言う通りだと思う。速さに関しては鈴々も引けをとらないが、先が読めないので
呂布の対応が僅かだが遅れている。その為呂布は反撃が遅れ防戦に回っているのだろう」
「ふむ。確かにそういった側面はあるな。だがあの男の剣は軽い。動きが変則的なので
呂布もてこずっているが有効打は一つもない」
「そうだな。しかもあれだけ動いていれば体力の消耗も激しいだろう。体力が続かず動き
が落ちた時、呂布の反撃を受け止められるかが鍵になる」
「受け止められなければそれで終わりだ」
武人として誇りと拘りを持つものとしてブラッドの出鱈目な動きは受け入れたくないのか
敵であるはずの恋に少し肩入れする愛紗達だった。

しかし冷静に状況を分析しているつもりの愛紗達だが、彼女達はブラッドの事は何も分
かっていなかった。愛紗達の予想に反しブラッドの動きは衰えることなく恋を攻め続けた。
「…愛紗よ、一向に動きが落ちんではないか。しかも、一撃一撃の力も増しているように
見えるぞ?」
「私に言われても分からん。さっきからあの男の動きは常識外れ過ぎる」
「技術の無さを補って余りある体力の持ち主か。中々厄介だな」
「厄介どころの話じゃない。化け物だ。体力だけで呂布を押さえ込んでいるのだからな」
ブラッドの常識離れした動きに愛紗達は圧倒されていた。

 圧倒されていたのは愛紗達だけではなかった。雪蓮も目の前の光景に釘付けになっていた。
「クーがブラッドの体力は底無しって言ってたけど、本当に凄いわね」
蓮華の報告でブラッドが無尽蔵の体力の持ち主であることは知っていたが、その戦いぶりを
目の当たりにして雪蓮はブラッドの能力を改めて思い知らされていた。
「この体力で延々と続けられたら壊れ…だ、駄目駄目、今はそんなこと考えてる場合じゃ
ないわ」
何を想像していたのか雪蓮は赤らめた顔を振って気持ちを切り替えた。

「雪蓮様、ここにいらっしゃいましたか」
背後から抑揚の無い声が掛かり、振り向くと思春が無表情で立っていた。
「し、思春? よくここが分かったわね?」
「斥候を放っておきましたから。雪蓮様がここにいるとう報せを聞いたときは全員驚きま
した」
「ぜ、全員? もしかして…」
「当然冥琳様もご存知です」
「そう…」
今後の展開が容易に想像出来、雪蓮はため息を付いた。
「あそこで戦っているのはブラッドと呂布のようですね。冥琳様は自重せよとの命令でし
たが?」
口に出しては言わないが、何故止めなかったと冷たい視線を雪蓮に向ける。
「勿論止めたわよ。でもあっという間に突っ込んで行っちゃって間に合わなかったのよ。
それより思春も見たでしょ? ブラッドって思った以上にやるでしょう?」
「そうですね。口だけではなかったという事ですね。軍規違反の言い訳にはなりませんが」
「うぐ…」
何とか取り繕おうとした雪蓮の試みはあっさり失敗した。

ガキッ!
「く…」

雪蓮が思春に言い訳している間もブラッドは恋を攻め続け、捌き切れなかった恋が遂に後
退した。
「呂布が引いたぞ!」
「信じられん」
「お兄ちゃん凄いのだ」
「凄いわブラッド! もしかしたら…」
「恋殿、お下がりください!」
歴史的瞬間に会うかもしれないと、その場に居合わせた者全員が固唾を呑んで見守る中
何者かが恋に声を掛けた。即座に反応した恋が大きく後退すると、その瞬間ブラッドに向
かって一斉に火矢が射掛けられた。恋の副官で軍師の陳宮こと音々々、略してねねが伏せ
ていていたのである。矢はブラッドに当たることは無かったが、周囲は一面火の海となった。
「い、いきなり火矢か」
「熱いのだ」
「陳宮め、計算ずくか?」
「……」
愛紗達は慌てて距離をとるが、ブラッドは中途半端で勝負が終わったことに物足りなさを
感じているのか、火の中で微動だにせず恋を見ている。恋も真っ直ぐブラッドを見ている。
「お前、物凄く強い。真剣勝負したいけど、今は駄目」
「いいだろう。今日はお前の力を確かめるだけだったからな」
当初の目的を思い出しブラッドも不敵な笑みを浮かべた。
「恋殿、こちらです。急ぎましょう」
「ん…」
ねねに促されて恋はブラッドを一瞥し早々に退散した。

「ブ、ブラッド!」
雪蓮が慌てて駆け寄ろうとしたがブラッドは火に囲まれて容易に近づくことが出来ない。
「呂布がどの程度の強さかは分かったし、収穫はあったな。…何だ、甘寧も来てたのか?」
慌てている雪蓮とは対照的にブラッド本人はあまり気にしていないらしく受け応えも能天
気だった。
「そんなこといいから早く逃げなさい!」
「雪蓮様、危険です!」
ブラッドを助けようと火の中に飛び込もうとした雪蓮の腕を思春が掴んだ。
「だってこのままじゃブラッドが…」
「それなら私が“彼“を救出します。雪蓮様は安全な場所に避難してください」
「大丈夫だ」
ブラッドの救出を巡って揉み合う雪蓮達にブラッドの冷静な声が投げかけられた。

「え?」
ブラッドが真っ直ぐ火に向かって歩き出すと、ブラッドの進む所だけまるで道を空ける
ように火が消え、そのまま悠々と火の中を通り抜けた。
「ひ、火が避けてる?」
「何と…」
呆気にとられる雪蓮達の前にブラッドは何事も無かったように近付いて来た。
「待たせたな」
「……」
状況が把握できないのか雪蓮はぽかんと口を開けてブラッドを見ている。
「どうした?」
「ど、どうしたって、今何やったの? 火が避けるなんて、これも仙術なの?」
「仙術? あぁ、そんなところだ」
「今のは風系魔法の応用ですね。足元の気流を止めて窒息させて火を消したんですね」
「へ、へぇ…。あの状況でよくそんな事思いついたわね」
ブラッドの仙術と冷静な対応に雪蓮はしきりに感心していた。雪蓮が本当に分かっている
かどうかは不明である。

「しかし、甘寧があんな事を言うとは思わなかったぞ?」
「そうよね。いつもはブラッドの事毛嫌いしてるくせに、蓮華と同じね。今まで奴って
言ってたのに彼だって」
流石というか、うろたえていた割りにしっかり思春の言動を聞いていた雪蓮はニヤニヤし
ながらからかった。
「ち、違います。ブラッドも一応呉の一員ですし、あの呂布と互角に渡り合える者を失う
のは呉にとって大きな損失なので仕方なく…。だ、だいたいお前も直ぐに脱出出来るなら
さっさと来い! 余計な事をさせるな」
真っ赤な顔で怒ってるのか恥ずかしいのか照れてるのか良く分からない表情でブラッドに
食って掛かる思春だった。


 愛紗達はブラッド達のじゃれあいを遠巻きに眺めている。
「ほぇ…。あのお兄ちゃん本当に凄いのだ」
「呂布と互角に遣り合った武に仙術まで使えるとは…。大陸中を回ったつもりだったが甘
かったな」
「もしかしたら異国の者かもしれんな」
「異国?」
「あぁ、風貌も我々と違うし、一見素人にしか見えない動きで呂布を追い詰める武。我々
の知らない異国の技かもしれない」
「成るほど。まぁ、それが分かったところであの男が危険な男である事には変わらんがな」
「孫策にブラッドか…。もしかしたら曹操より厄介かもしれんぞ」
単純にブラッドの強さに驚いている鈴々に対し今後強敵として立ちはだかるであろう相手
に愛紗と星は最大級の警戒感を抱きながら自陣に引き上げた。


 陣に引き上げる際、ブラッドのパフォーマンスを目の当たりにした雪蓮はまだ興奮冷め
やらぬ様子だった。
「やっぱりブラッドって凄いわ♪」
「そうか?」
「あれまともに受けたでしょ? しかもその後頭から落ちたでしょ? 何とも無いの?」
雪蓮はブラッドが恋の方天画戟に薙ぎ払われた時の事を言っているが、舞い上がっている
のか言葉になっていない。
「別に何ともない。リュミスの攻めに比べたら…」
言いかけて過去の恐怖体験を思い出したのかブラッドの表情が強張った。

「でも、今日は本当に驚かされたわ」
「えぇ、私も凄く驚いているわ」
「…え?」
氷のように冷たい声が雪蓮の背中に突き刺さり表情が固まる。
「まさか一国の王が自ら軍律を無視するなんて、こんなに驚いたのはいつ以来かしら?」
「め、冥琳…来てたの?」
冥琳の背中に青白いオーラが立ち込めている気がして、雪蓮の表情が引きつった。
「全く、どうしてくれようかしら…」
冥琳は盛大に溜息を吐きながら雪蓮とブラッドに恨めしそうな視線を向けた。君主と天の
御遣い。どちらも簡単に処罰するわけにはいかず、稀代の名軍師も対応に苦慮している。
「雪蓮は当然としてブラッドも天の御遣いとして呉に重要な立場にあるのだから、もう少
し行動には責任を持って欲しいわ。ただブラッドは元々軍に所属していないし今回我が軍
の強さを天下に知らしめたことで、特例として不問とするわ。今後も自由に行動してもいい」
寛大すぎる処置だった。要するに冥琳はブラッドを管理することは早々に諦めて放任する
ことに決めたようだ。雪蓮だけでも手に余るのに、これ以上問題児の面倒を見るのは身が
もたないと判断したようだ。
「取り合えず俺は今まで通りで良いんだな?」
「基本的にはな。ただお前は今まで以上に内外から注目を集めることになるから言動には
気をつけるように」
「了解した」
即答するブラッドだが冥琳の言っている事を深く考えてはなかった。
「雪蓮~♪」
「な、何かしら?」
異様に明るい冥琳の声に雪蓮は薄ら寒いものを感じ顔が引き攣る。
「あなたは王としてブラッド以上に責任があるわ。覚悟はいいわね?」
「あ、あはは…お手柔らかにね」
観念してがっくりとうな垂れる雪蓮だった。


華琳は斥候から虎牢関の戦況報告を受け、珍しく驚きの声を上げた。
「呂布が一対一の戦いで退いた? 相手は誰なの?」
「名前は分かりません。何者かが劉備配下の関羽、張飛、趙雲に割って入って攻撃を仕掛
け、ほぼ一方的に攻撃し呂布は防戦一方でした」
「……」
斥候の話を聞いているうちに華琳は冷静さを取り戻し的確に状況を分析した。
「恐らく呂布は時間稼ぎのために攻撃しなかったのでしょうね」
「私もそう思います。ただ、たとえ時間稼ぎとしてもあの呂布なら敵を蹴散らして活路を
開く事は可能なはずです」
華琳の言葉に秋蘭が同調する。春蘭は何も分かっていないのか目をパチクリしながら華琳
と秋蘭を見ている。桂花は分かっているようだが認めたくないらしく渋い表情である。
「つまり、呂布が防戦に徹しなければならない相手だった、ということね? 流石に信じ
られないわね。その兵に何か特徴は無かった?」
そう言いながら華琳はどこか楽しそうに笑みを浮かべている。
「はい。痩身で背が高く髪は茶。鎧を着用しておらず最初はどこの勢力かは分かりません
でしたが、その者の傍に孫策がいたことから恐らく孫策軍配下の者と考えられます」
「華琳様、孫策配下でその風貌の者なら…」
「ブラッド・ライン、だったかしら?」
「そんな! ありえません、あんな無礼で非常識な男が…」
余程ブラッドのことが気に入らないのか、桂花が珍しく華琳に反論した。
「無礼で非常識でも実力は本物ってことでしょ? そう珍しいことではないわ」
ブラッドの自分に対する非礼は華琳にとって既にささやかな事なのか全く気にしてないよ
うである。
「どうやら口だけではなかったようね。そう言えば、自分の事を虎でも狐でもないって
言ってたわね。狼? まさか竜とでも言いたいのかしら?」
「竜は流石に買い被りすぎかと。それにしても華琳様は随分あの男を買っているようですね?」
「それくらいの男じゃないと私に楯突く資格はないって事よ」
ブラッドを高く評価することは、それだけ華琳が自分の力に自信を持っているということ
でもあった。

「しゅ、秋蘭、どういうことなんだ? 分かりやすく説明してくれ」
話に付いて行けない春蘭が秋蘭に説明を求めた。
「孫策配下にブラッド・ラインという男がいただろう? あの男が呂布を一対一の勝負で
退かせたらしいと言っているのだ」
「な、何!? あの男それほどまでの力を?」
「春蘭があの男を見て殺気を感じなかったのは、あの男が春蘭を敵と見做さなかったから
かもしれないわね」
「な、何ですって!? お、おのれブラッド、今度会ったときが貴様の命日だ!」
華琳の意地悪な憶測を真に受けて闘志を燃やす春蘭だった。

「とにかく、これで孫策が我々にとって非常に厄介な存在になることは間違いないでしょう」
「そうね。虎が狼を伴って野に解き放たれるのも時間の問題ね。私達も対応を急ぎましょう」
「はっ」
「ブラッド…。今度会う時が楽しみだわ」
ブラッドを擁する孫策軍との戦いを想像し笑みを浮かべる。それは初対面の時に見せた
サディスティックなものではなく強敵との対戦を望む誇り高き武人の笑みそのものだった。



[8447] 第8話:黄昏の戦乙女(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:c3de6e77
Date: 2010/09/05 15:10
第8話:黄昏の戦乙女

 反董卓連合の一翼を担い大きな功績を挙げた孫策軍は世間の注目を集めることになった。
その中でも飛将軍呂布と互角に渡り合ったブラッドの活躍は兵士達の間で語り草になって
いた。
しかし、この成果はブラッド自身は納得出来るものではなかった。相手が天下無双と呼
ばれようが所詮は人間。それが、いくら能力が制限されている人間の姿とはいえ互角だっ
たことがブラッドはどうにも面白くなかった。
 また雪蓮達は必要以上にブラッドが注目を浴びたことで袁術の監視がより厳しくなるこ
とを懸念していた。

「この前の汜水関、虎牢関でのあなたの戦いぶりは私達の予想を遥かに超えるもので嬉し
い誤算だったわ」
「…そうか」
軍議において、文官、武官達を前にして雪蓮が賛辞を送ってもブラッドの態度は素っ気無
い。人間と互角だった事はブラッドにとって屈辱以外の何物でもなく雪蓮の言葉は素直に
受け入れられるものではなかった。
「ただ、手放しで喜んでばかりもいられない。董卓を始め、主だった将の行方が分からな
い。唯一分かってる張遼はよりによって曹操に下り、私達にとってはあまり良い状況では
ない」
ブラッドが適当に聞き流していると、冥琳が浮ついた空気を振り払うように少し厳しい表
情で状況を説明した。
「結局、何のための戦いだったか良く分からんのう。董卓の圧制で民が苦しんでいた訳で
はなかったのじゃからな」
「元々大義名分なんてあって無いようなものだったしね。野心を持った者達がこの機に乗
じてのし上ろうってだけよ。私達も含めてね」
「王朝崩壊と私達の名を天下に知らしめるということで意味はあったと思います」
雪蓮も冥琳も漢王朝再生の意識は希薄だった。あくまで孫呉復興の目的達成のためクール
に状況を読み取り利用する術を身に付けていた。
「それはそうじゃが、それで完全に袁術に警戒されたのではないか? しかも奴らは今回
殆ど被害を出しておらん」
「珍しく慎重ね? でも大丈夫よ。確かに、計画は前倒しにしないといけないけど今の私
達には強力な新戦力がいるじゃない」
そう言って雪蓮はブラッドに目を向けると全員の視線がブラッドに注がれた。
「ブラッドがいれば前倒ししても計画に影響はでないわ。いよいよ独立に向けての第一歩
よ。あなたの活躍、期待してるわよ」
「…任せておけ」
気持ちが高揚している雪蓮に対しブラッドはあくまでクールに対応した。
「軍の編成、物資の調達等、袁術ちゃんに悟られず各自迅速かつ慎重に対応するように」
最後に冥琳が締めて軍議は終了し、各自持ち場に戻って行った。

「……」
ブラッドが退室した後、雪蓮は暫く黙り込んでいた。先程までの昂ぶった気持ちは冷めて
いた。
「どうした雪蓮?」
「ブラッドの事で、ちょっとね」
少し困ったような顔で笑いながらため息を吐く。立場が逆だったら思いっきりからかうと
ころだが、冥琳はボケない。雪蓮の真意をすぐに理解した。
「手に余るか?」
「手に余るというか、難しいわ。最初は拾物だと思ってたわ。でも呂布と互角に遣り合う
ブラッドの武、穏の説明を少し受けただけで孫呉のこれからの方針を的確に打ち出すクー
の智謀。二人とも私の予想を遥かに超えていたわ」
「有能な部下は必要だが、有能すぎる客将は扱いを誤れば大きな災いをもたらす。敵に回
したらこれ以上厄介な存在は無いが、幸い現時点で彼等に私達と敵対する理由は無い。上
手く使い…違うな、繋ぎ止めておけばこれほど心強い事はないぞ」
流石に冥琳も使いこなすのは無理と判断したのか言い直す。

「でもブラッド達は自分の世界に戻るために私達の手助けをしてるだけで、相手は誰でも
良かったのよね? 彼の能力を考えたら、私達より弱い勢力に加担して天下を取らせた方
がいいんじゃないの?」
雪蓮の言う通り本来ならまず生き残れない弱小の勢力に加担して天下を取らせたほうが歴
史に及ぼす影響は大きくなる。最大勢力ではないものの雪蓮達は既に他の勢力に一目置か
れる存在で、天下を取る可能性は低くない。つまりブラッドにとっては条件の良い場所で
はない。
「それはどうだろう。弱小勢力はそれだけ人材もいない。領土を広げても治める者がいな
ければ天下は取れん。人材を集めるにしても君主に魅力が無ければ人は集まらん。そう
いった点で気をつけるとすれば劉備は要注意かも知れんな」
桃香の元には愛紗、鈴々、星といった豪傑に加え朱里、雛里といった軍師もおり現在は小
勢力でも今後厄介な勢力になる可能性を秘めていた。
「劉備か…。確かにあの子は厄介ね。劉備陣営はブラッドの戦いを目の前で見てたんだし
何と言っても劉備のあの胸は要注意よ」
「ちょ、ちょっと待って。何でそんな話になるのよ?」
シリアスな展開がいきなり崩れ冥琳は呆れ顔だが、雪蓮は至って真面目だった。
「重要な事よ。ブラッドをここに引き止められるかどうかが掛かってるんだから。汜水関
で会った時、ブラッドったらずっとあの子の胸見てたのよ。あれは絶対大きい胸が好きよ。
でも、うちには私もあなたも祭も穏もいるんだから負けないわ。まぁ、曹操には全然興味
無かったみたいだから、それは安心だけど」
雪蓮はブラッドが華琳と桃香と会った時の反応ことをしっかり覚えていた。その時桃香の
胸の比較対象が祭と穏だけだったのは少し不満だったようだ。

「な、何の勝負をするつもりなの? だいたい何でその中に私が入ってるのよ?」
冥琳は何の勝負か分かっているだけに自分が候補に上がっているのが納得できないようだ。
「ブラッドはあなたの事も気に入ってると思うわ。普段知的で澄まし顔なのに、閨では可
憐な少女のように振舞う様が可愛いと専らの評判よ」
「い、色仕掛けで引き止めるなんて軍師のすることじゃないわ」
冥琳も自信が無いわけではないが知力より、容姿を評価されたことは軍師のプライドを大
きく傷つけるものだった。
「だってブラッドは地位も富も名誉も興味無さそうだし、残ってるのは色だけじゃない」
「…露骨ね。英雄色を好むとは言うけれど、納得できないわ」
自分に色があるということは女性として自尊心を擽るものだが、やはり納得できない冥琳
だった。


「ブラッド!」
玉座の間から離れて城内をうろついていると蓮華が駆け寄ってきた。思春も少し遅れて
ついて来た。
「ブラッド、先の戦いでは大活躍だったそうね!?」
「大活躍? それほどのものでもない。まぁまぁだな」
「謙遜しなくてもいいわよ。あの呂布と一対一で互角以上に遣り合うなんて本当に凄いこ
とだわ。ブラッドこそが天下無双の武将ね。間近であなたの戦いぶりを見れなかったのが
残念だわ」
蓮華は建業で別任務についていたのでブラッドの活躍は人伝にしか聞いていない。雪蓮の
誇張気味な説明と思春の結果のみの素っ気無い報告に自分の妄想を加え、蓮華の中では
ブラッドは獅子奮迅の活躍をしたことになっているらしい。
蓮華は我が事のように嬉しそうに話しているが、後ろにいる思春は面白くないのかいつ
も以上に仏頂面である。
「ねぇ、今度私の剣の訓練の相手をしてくれないかしら?」
「!」
蓮華の言葉に思春の表情が強張ったが、ブラッドしか見ていない蓮華は気付いていない。
蓮華の訓練の相手は思春である。その思春が居る前でブラッドに相手役を申し出るとは
かなり舞い上がっている証拠である。案の定、思春は殺気の篭った目でブラッドを睨み付
けている。
「いいのか? お前の訓練は甘寧が相手をしているんじゃないのか?」
「あ…」
ブラッドの言葉に我に返った蓮華は一瞬しまったという表情を見せたがすぐに何事も無かった
ように話を進めた。
「思春とブラッドは戦い方が全く違うわ。色んな人と訓練をすることで私自身の戦い方の
幅が広くなると思うわ」
もっともらしく聞こえるが、これまで独占的に蓮華の訓練の相手をしてきた思春としては
納得出来るものではなかった。ブラッドの戦いを実際に見ているので、その武を否定する
ことは出来ない。しかし完全にブラッドを認めたわけでもない。
かといってここで、

「そういう事でしたら今後の訓練の相手は辞退させていただきます」
などと言おうものなら、
「そう、それじゃあ仕方ないわね。今までありがとう思春。これからはブラッドお願いするわ♪」

となる可能性も今の蓮華の舞い上がり方を考えれば否定できない。
結局ブラッドの前で妙にはしゃいでいる蓮華を心にもやもやしたものが湧いてくるのを感
じながら黙って見ることしか出来なかった。


 夜、僅かな見回りの者を除いて人影もまばらになったころ、ブラッドは人知れず城を抜
け出して町とは反対側の荒地に来ていた。
「この辺でいいか」
「そうですね。気付かれないうちにやってしまいましょう」
ブラッドが雪蓮たちに内緒でやろうとしている事、それはこの世界で竜の姿に戻ったとき
の状態の確認だった。下手に竜の姿を目撃された場合、崇められれば問題ないが警戒され
たりすると面倒である。この国で竜がどう思われているか分からないので無用なトラブル
は避けるべきだった。
 雪蓮の話では兵力では袁術軍の方が上だが、将の力量では呉の方が遥かに上で兵力の差
は殆ど問題にならないらしい。ブラッドも将の一人として頭数に入っているので、今能力
がどこまで開放できるか確認しておく必要があった。

「じゃあ、いくぞ」
特別な儀式が必要なわけではなく、ブラッドはあっさり竜の姿に戻り状態を確認した。
「こ、これは…」
「どうしたんですか、ご主人様?」
「凄いな。全身から力が漲るようだ」
「良かったじゃないですか。この状態を持続できれば…」
期待以上の展開にクーは喜んだが、すぐにブラッドの言葉に遮られた。
「い、いや…不味いな。というか危ない」
「え?」
時間にして三分にも満たない程の短い時間でブラッドは人間の姿に変わってしまった。
「ご、ご主人様、何かあったんですか?」
ブラッドは膝に手を当て肩で大きく息をしている。クーはブラッドの行動が理解できず、
少し心配そうな顔で様子を見ている。
「この世界は魔力が解放されやすいからある程度は予想していたが、予想以上に力が解放
されるようだ」
「もしかして暴走しかけたんですか?」
「あぁ、一気に力が漲って暗黒竜の血が暴走した時と同じ感覚になった。竜のままだった
らかなりやばい事になってただろう」
ブラッドは体内から溢れる力が暴力的な衝動に変化していくことを感じ、直ぐに人間の姿
に戻したのだった。

「仕方ないですね。今回は竜の姿では能力を制御するのはまだ難しい事が解ったというこ
とでよしとしましょう。ところで、今の気分はどうですか?」
竜の姿に戻ると本能がより前面に押し出され性欲が増進されてしまう。この世界は元の
世界より能力が解放されやすい分、性欲も強くなっていた。
「結構きてるな。早くしないと手当たりしだいやってしまいそうだ」
「取り合えず城に戻りましょう。ご主人様が押し倒した三人は許してくれると思います。
冥琳さんは難しいかもしれませんが雪蓮さんと祭さんは大丈夫でしょう」
「よし、急ごう」
少し切羽詰った雰囲気を漂わせブラッドは城へ急いだ。


城に戻るとブラッドは早速雪蓮の部屋に向かおうとしたが、その途中で不意に背後から
呼び止められてしまった。
「こんな時間にどこに行っていた?」
間の悪い事にブラッドが出くわしたのは思春だった。わざわざブラッドを尾行していたの
ではなく単に夜の警備をしていたようだ。月明かりに照らされ佇む姿は凛としていて中々
様になっている。
「…残月の戦乙女か。グングニルじゃないのが惜しいな」
「何を訳の分からん事を言っている。何か疾しい事でもやっていたのか?」
ブラッドの怪しい行動に思春は普段以上に厳しい目を向けた。
「あー。ちょっとばかり確認を…」
「確認? 何の確認だ?」
「俺が能力を使いこなすため実戦で色々試していることは知ってると思うが、能力がどれ
くらい開放出来るか安全な場所で確認していたのだ」
「…つじつまは合うが、態々こんな時間にやる必要があるのか?」
ブラッドの武は既に誰もが認めるところで思春もその点に関しては認めているが、まだ
完全に信用している訳ではなかった。何かごまかそうとしているブラッドの態度に不信感
を抱くが、その間にもブラッドの性衝動は膨れ上がり、あっさり限界を超えてしまった。

「そう言えばお前も天の御遣いの血を受け入れる器の一人だったな?」
「…それがどうした?」
ブラッドの言葉に思春は少し動揺した。蓮華以上に堅物の思春でも言葉の意味は理解して
いるし、このタイミングで言われることに違和感を覚えた。
「今、俺と会ったのは運が悪かったと思うかもしれないが、これも運命だと思って受け入
れろ」
「き、貴様、さっきから何を言っている?」
ブラッドの異様な雰囲気を察知した思春は警戒を強め、いつでも攻撃できるように鈴音に
手を掛けた。
「大丈夫、痛いのは最初だけ、らしい」
「だから何を言っている。何故近付く?」
ブラッドのただならぬ気配に珍しくうろたえ後ずさるがブラッドは更に距離を詰める。
「ま、待て! 寄るな! むぐぅ!」
思春の願いもむなしく、ブラッドにがっちり肩を抱かれ身動き出来なくなったところで
強引に唇を奪われた。必死に振りほどこうとするが、完全にロックされてびくともしなかった。

「んんー! むぐ…ちゅる、ちゅる、はむ、うんん…」

思春の口の中でブラッドの舌が動き回る。舌を絡まされ唾液を注がれた。時間にして
2,3分ほど思春の唇と舌とたっぷり堪能したブラッドが満足げな表情を浮かべて離れた。
「き、貴様…」
口を拭い真っ赤な顔でブラッドを睨み付けるが、初めて経験する感覚に力が入らず足元は
ふらつき、頭も霞が掛かったようにぼぉっとしている。
「こ、こんな事してただで済むと…あぁ!」
思春の都合などどうでもいい。ブラッドは思春を抱きかかえると自分の部屋へ向かった。
「や、止めろ、放せ!」
抗議の声を上げるがブラッドが聞き入れるはずが無い。ブラッドは両手が塞がっているの
だから鈴音で喉元を切り裂くことも可能だが、軽いパニック状態になっているのか思春は
弱弱しく手で叩くだけで反撃らしい反撃も出来なかった。

部屋に入るとブラッドは少し乱暴に思春をベッドに放り投げ、思春が起き上がる時間を
与えず素早く組み敷いた。両者の視線が絡み合う。
「この状態でお前が俺から逃れる術は無い。運命と思って身を委ねれば苦痛は少なくその
後の快楽は大きくなる。だが抵抗すれば苦痛ばかりが大きくなるだけだ」
「女なら誰でもいいのか、このケダモノめ」
体力勝負で勝ち目がないことは分かっているし、そもそも力が入らない。それでも体は屈
しても心は屈しないと言いたげに刺すような視線で睨み付ける。
「そんな訳があるか。お前は十分に魅力的だ」
「し、白々しいことを言うな! お前は…はむ!?」
やかましい口を再度ふさぐ。先ほどより長めのキスで、既に弱まっていた思春の抵抗が更
に弱くなっていく。
「お前の魅力を一番分かっていないのはお前自身のようだな。俺がお前のことをどれくら
い魅力的と思っているか、これから分からせてやる」
「な、何を戯言を…あん! や、止めろ、そこは…」
この台詞は効果があったのか、頬を赤らめ視線をそらせる。さらにブラッドの手が思春の
胸をまさぐり、いいように弄くられ熱い吐息と共に声が零れる。ブラッドの手は更に無遠
慮に思春の体を這い回り、胸から下に伸びていった。
「はうん!」
思春の体がビクンと仰け反るように跳ね上がると、今度は一気に脱力して身を沈め薄っす
ら汗ばんだ胸を大きく上下させた。
「はぁはぁ…うぐ…」
「さっき、今の俺に会ったのはお前の不幸だと言ったが訂正する。俺に会ってよかったと
思うようにしてやる」
「き、貴様なんかに…」
何とか強がって見せるが言葉にも瞳にも力は無く、観念したのか思春は体の力を抜いた。
史上最強のリュミスといえどベッドの上ではブラッドに適わない。ましてや生娘の思春が
適うはずがなかった。ブラッドに思う存分弄り倒され未知の世界に誘(いざな)われていった。


 どれくらい時間がたったのか。思春にとって一割の地獄と9割の天国の混ざった時間
だった。思春は一糸纏わぬ姿で力なく体を横たえていた。疲労で体は重く寝返りを打つこ
とも億劫なくらいだが、決して不快ではない。寧ろ蟠りの無くなったすっきりした表情を
している。
「もっと激しくすると思っていたが、意外だな」
 思春は気だるそうな表情でぼんやり天井を見つめながら呟いた。
「お前が望むなら今度は激しくやってもいいぞ?」
「…遠慮しておく。これ以上やられたら次の日の任務に支障を来たす」
ブラッドの軽口に対しむきになることなくあっさり受け流す。暗に次がある事をブラッド
は言っているが思春がそれに気付いているかは定かではない。
「良かったぞ」
「…それは褒めているのか?」
「当然だ。お前ほどの女は滅多にいない」
「…ふん、相変わらず口の減らん奴だ」
ぷいとブラッドから顔を背け見えないようにする。そのお約束な仕草がブラッドの保護欲
を掻き立てるのだが、当然思春にそんな計算は無い。

「ブラッド、お前蓮華様には…」
思春はブラッドから顔を背けたまま尋ね、神経を集中して返事を待った。
「まだ手を出してない。雪蓮達以外ではお前が初めてだ」
「そ、そうか私の方が先か…」
ブラッドが蓮華より先に自分に手を出したことに複雑な思いがよぎる。蓮華がブラッドを
憎からず思っていることは分かっていた。結果的に主人を出し抜いたことに罪悪感が過ぎ
ると同時に優越感が湧いてきて、更に自分に対する嫌悪感が湧いてくる。そして、自分の
ブラッドに対する気持ちが何なのか、答えを出すことを躊躇ってしまう。
「蓮華様にこの事は言うな。いずれ私の方から説明する」
「分かった。黙っておこう」
告白のタイミングを誤ると拗れそうな気がするが、自分に直接害が及ぶことは無いと判断
しブラッドは思春の意向を尊重した。

思春は体を起こすと、何かを吹っ切ったような顔で真っ直ぐにブラッドを見つめた。
「私が天の御遣いの器であることは雪蓮様がお決めになったこと。それには逆らえん。
だが、こうなった以上責任は取ってもらうぞ」
思春はすぐに解決出来そうに無い問題点を一時棚上げして今の自分の思いだけをブラッド
に伝えた。その顔はブラッドどころか多分蓮華でさえ見たことの無い悪戯っぽいもので
普段とのギャップの大きさにブラッドも呆気に取られていた。
「だからといって明日から我々の関係が突然変わるわけではない。だからお前も…」
まだ足腰の感覚は殆ど戻っていなかったらしく、思春は一歩踏み出したところで腰砕けに
なってブラッドの目の前でぺたんと座り込んでしまった。
「あ…」
必死になって立ち上がろうとするが腰から下に全く力が入らず手をバタバタ動かすだけで、
立ち上がることは出来ない。
「仕方ない。部屋まで送ってやろう」
「よ、余計なことはするな!」
「動けないんだからしょうがないだろう? それとも泊まっていくか?」
「く…」
思春は悔しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にして俯いてしまった。ブラッドは思春をお嬢様
抱っこすると周りに気付かれないように静かに思春の部屋に向かった。
 部屋に着くとブラッドは思春を静かに寝台に寝かせた。思春は何も言わずただブラッド
を見つめていた。
「……」
「どうした?」
「さっき責任を取れと言ったが、今後私の事は真名で呼んでも構わん。意味は分かるな?」
凛とした思春の瞳が真っ直ぐブラッドを射抜く。思春にしてみれば簡単にブラッドに靡く
ことはないという意思表示だったが、これまでの嫌悪感は殆ど払拭されている。それどこ
ろか裸同然の肢体を寝台に横たえて晒し、真っ直ぐにブラッドを見つめて自分の真名を預
けているのだから、かなりグレードの高い告白である。
「分かった。これから宜しく思春」
ブラッドは鈍感ではない。思春の気持ちを汲み取って視線を逸らさず思いを受け止めた。
「じゃあな。お休み思春」
「ん…」
最期にこの日何度目か分からない口づけを交わしブラッドは静かに部屋を出た。


「…趣向を凝らすんじゃなかったんですか? 前にそんな事言ってたはずですけど」
クーの冷たい視線が突き刺さる。
「まぁ、今回はタイミングが悪かった。不可抗力という奴だ」
「不可抗力って、最初から抗うつもり無かったんじゃないですか? まぁ、これで思春
さんも対応が幾分ソフトになるかもしれませんが、だからといって好き勝手するのは禁物
ですよ。かなり純粋な方ですし、蓮華さんの事も気にしてるようですから気持ちが落ち着
くまでちゃんとフォローしないと駄目ですよ?」
「俺がそういうことをするタイプに見えるか?」
「全然見えませんね。だから言ってるんです。ご主人様の存在が呉に悪影響を及ぼして
しまったら天下統一も難しくなりますし、元の世界に戻るのも遅れてしまいますよ?」
状況を分かっていないブラッドにクーが呆れ顔で説明する。
「分かった。気をつける」
「本当にお願いしますよ。やりたい放題にするのはもう少し待ってくださいね」
「…お前、俺を何だと思ってるんだ?」
映像だけでお仕置きされないと高を括ってるのかクーの台詞は辛辣だった。


次の日、いつものように適当に街をうろついて城に戻ると蓮華と思春に出くわした。
「ブラッド」
「おう、蓮華に甘寧か」
「……」
今まで通りに対応するブラッドに対し蓮華も同じようににこやかな笑顔を向け、思春も
ブラッドを睨み付けていた。しかし、その表情はこれまでとは少し違っていた。
「どうした甘寧?」
「思春?」
「…甘寧ではないだろう」
ブラッドを睨み付けるが今までのように敵意は無く、どこと無く拗ねた目をしている。
「あぁ、そうだったな。悪い思春」
「そうだ。それで良い」
僅かだが表情を綻ばせ、思春が心情的にかなり満足しているのが見て取れる。
「え? し、思春、どういうことなの?」
いきなりの急展開に蓮華はうろたえてブラッドと思春に交互に視線を送る。
「蓮華様と同じです。ブラッドが信頼するに値する者と判断したので真名を預けたまでです」
「そ、そうなの? ま、まぁ思春がブラッドの事を認めたのは良い事だわ」
蓮華は自分に言い聞かせるように納得しようとしているが、動揺は隠せない。そんな蓮華
の気持ちを知ってか知らずか思春の攻勢は続いた。
「ブラッド、服が乱れてるぞ。お前は天の御遣いとして注目されているのだから、もう少
し周りの目を気にした方がいい」
思春はすばやくブラッドの懐に入ると服装の乱れを整えた。息が掛かるどころか少し顔を
動かせばキスできるくらいの距離だが、思春はさも当然と言わんばかりに甲斐甲斐しく
世話をしている。
「そうか? 済まん」
「……」
思春も周りの、特に隣で刺すような視線を向けている蓮華の目は気にした方がいいのだが
今はブラッドしか見ていないようである。




[8447] 第9話:華、開く(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:c3de6e77
Date: 2010/01/12 21:56
第9話:華、開く

 ブラッドが街から戻ると、城内の敷地で気合の入った声が聞こえてきた。蓮華が思春を
相手に実戦形式で鍛錬の真っ最中だった。
「たぁ!」
「甘いです」
「やぁ!」
「遅い」
両者が手にしているのは真剣で一つ間違えれば怪我どころの話ではないが、蓮華の怒涛の
攻撃を思春は余裕を持って躱している。剣は素人のブラッドの目から見ても両者の力量
には開きがありそうだ。しかし、これは蓮華の技量が劣るというわけではない。思春の
技量が凄すぎるのである。

「どうしたブラッド?」
暫く見いていると、思春が構えを解いてブラッドに視線を向ける。かなり前からブラッド
に気付いていたが切のいいところまで続けていたようだ。相変わらずの澄まし顔だが、そ
の表情に嫌悪感は無い。
「あ、悪い。邪魔してしまったようだな」
「そんなことは無い。蓮華様の集中が少し乱れ始めたので一息つけようと思っていたとこ
ろだ」
「……」
蓮華の集中が何故乱れたのか思春は分かっているが、追求はしない。思春らしい配慮だが、
蓮華の事は全てお見通しと言いたげな思春の態度が蓮華には気に入らない。わざわざ
ブラッドの前で言われた事も蓮華の心をかき乱していた。

 最近、思春とブラッドが妙に仲が良い。少なくとも蓮華にはそう見える。正確に言えば
ブラッドはこれまでと変わらない。思春がブラッドにちょっかいだす事が増えているのだ。
それも挑戦的に突っ掛かっていくのではなく、平静装いながら取り繕ってブラッドに擦り
寄って一緒に居る時間を作ろうとしているように見える。蓮華はこれと似たような事をし
ている者を知っている。他ならぬ蓮華自身である。信頼を寄せる友の不審な行動に蓮華の
心は霧が掛かったようにすっきりしない日が続いていた。
「ブラッド、今時間空いてるかしら? 出来れば私の鍛錬に付き合って欲しいんだけど」
蓮華は自分が主導権を握ろうと会話に割って入った。思春は僅かに表情を強張らせたが
口を挟むことは無かった。
「あぁ、暇だし付き合ってもいいが、いいのか思春?」
「構わん。蓮華様も仰っていたように私とお前では戦い方が全く違う。戦いの幅を広げる
上でも違う者と鍛錬するのはいいことだ。それは私自身にも当てはまり、呂布を退かせた
お前にどこまで通用するか試してみたい気持ちもある」
「思春もやっぱり気になるの?」
何気ないふりをして思春に尋ねながらも蓮華は様子を伺っている。果たして思春は武人と
してのブラッドに興味を持っているのか、それとも別の理由でブラッドに興味を持ってい
るのか…。またブラッドがわざわざ思春に了解を得たことも気になっていた。
「はい。これほどの逸材を前にして武人として剣を合わせないわけには行きません」
思春の答えは簡潔だった。しかし、女の感か疑心暗鬼か蓮華は思春の言葉を素直に信用で
きなかった。

 しかもブラッドの言葉が更に追い討ちをかけた。
「思春にいいようにあしらわれてる蓮華が俺とやって鍛錬になるのか? それに俺は剣術
に関してはど素人だ。今は思春みたいに技術のある奴とやったほうがいいと思うが?」
ブラッドに悪気は無かったがこの台詞は最悪だった。蓮華の武を否定しながら思春の武を
褒めてしまったのだから。案の定、蓮華は頬を紅潮させてブラッドを睨み付けた。
「言ってくれるわね。いいわ。そこまで言うなら私の実力がどれ程のものか、あなた自身
の体で確かめさせてあげるわ」
実力を認め憎からず思ってはいるが、武人としてのプライドを傷つけるような言動は許せ
なかった。蓮華は出会った頃のような厳しい戦線をブラッドに向けて威嚇した。

「何してるのブラッド?」
偶々通りかかった雪蓮と冥琳が声を掛けた。ブラッドを挟んで蓮華と思春が言い争って
いる、もしくは思春に文句を言っている蓮華をブラッドが庇っているように見え雪蓮は
興味津々と言った様子だった。尚、冥琳は我関せずとばかりにそっぽを向いている。
「あぁ、ちょっとした成り行きで蓮華と勝負することになって」
「へぇ、蓮華とブラッドが勝負ねぇ…」
「姉様、止めないでください。これは武人として誇りをかけた勝負なのですから」
「えーっと…いいのか?」
自分の不用意な発言に気付いたブラッドは困った顔で雪蓮に視線を移すが、雪蓮に助け舟
を出す気配は無い。
「勿論止めないわよ。蓮華はあなたと呂布の戦いを見ていないから、実力をちゃんと知っ
てもらう良い機会だわ。遠慮せずに存分にやって頂戴。蓮華、あなたも孫家の者として敵
対する者には全力で対応しなさい」
「分かりました」
雪蓮の許可が出て俄然やる気を出した蓮華は、剣を構えて臨戦態勢を取った。
「はぁ…結局こうなるのか」
「ご愁傷様。まぁ頑張れ」
予想通りの展開にブラッドはため息を吐いているが、予想通りでも巻き込まれなかった
冥琳は人事のようにエールを送った。


 ブラッドと蓮華は距離を置いて対峙した。いつの間に主だった武官、文官に小蓮まで集
まってきてさながら御前仕合の様相を呈してきた。気合十分の蓮華に対し、ブラッドはや
る気ゼロだった。
「いくぞ! たぁっ!」
「よっと」
ブラッドに切りかかる蓮華。しかしブラッドはそれをオーバーアクションで躱す。
「やぁ!」
「ほい」
次々繰り出される蓮華の攻撃をブラッドは難なくかわしていくが反撃はしなかった。
「うーん…。ちゃんと躱してるんだけど動きが大きくて無駄が多いわねえ」
「とても体術に長けてるようには見えんのう」
「でも避けてるし。要するに身体能力がずば抜けてるんでしょうね。呂布もそれだけで押
さえ込んだんだから」
「それって物凄いことよ。これで何か技でも身につけたら手に負えなくなるわね」
ブラッドの並外れた身体能力に雪蓮達は改めて感心しているが、相手にされない蓮華は
段々イライラが募ってきた。
「逃げてばかりいないで反撃したらどう!?」
「蓮華の剣が俺に当たれば反撃してやるよ。当たればな」
「な、舐めるな!」
ブラッドの挑発に切れた蓮華の渾身の一撃が肩口に振り下ろされた。しかしブラッドは
全く避ける素振りを見せず蓮華の攻撃を受け止めていた。

ドカッ!

「え?」
唖然とする蓮華に対し、ブラッドは剣を受け止めたまま余裕の表情である。服は切れてい
るが体には傷一つ付いていなかった。
「呂布の方天画戟を受けても無傷だったしもしやと思ったけど、剣で切れない体ってどう
いうこと?」
「硬気功だったかしら? 己の気を高め肉体を強化する仙術の技の一つ。実際に見たのは
初めてよ」
「なるほどね。ブラッドの自信の根拠はこれだったのね。刀剣も戟のような打撃系の武器
も通用しない鋼の体。更に火計を使っても難なく通り抜けてしまう。守りに関しては無敵ね」
感心している雪蓮達に対し、剣を受け止められた蓮華は何が起こったのか分らずまだ呆然
とブラッドを見つめていた。
「中々良い踏み込みだ。今の感覚を忘れるな」
そう言うとブラッドは蓮華の手を掴んで引き寄せた。呆けたままの蓮華の手から剣が滑り
落ち無抵抗にブラッドに抱きしめられた。
「…え? あ、ちょ、ちょっと…」
「ふ、可愛いぞ」
「あ…」
我に返った蓮華だが、既にブラッドに顎に手を当てられ視線を上向かせられる。ブラッド
の視線に絡め取られた蓮華は目を逸らす事が出来ず、赤くなっていた頬が更に赤くなった。
周囲の者も固唾を呑んで見入っている。
「だ、駄目…」
弱弱しく呟くだけで蓮華は抵抗しない。やがて蓮華は静かに目を閉じて…。

「そこまでーっ!」
雪蓮の悲鳴にも似た制止にブラッドを除く全員が我に返った。
「な、何やってるのよブラッド。いくら孫呉に天の血を入れるのが仕事だからって場所を
弁えなさい!」
「あぁ、済まん。つい」
「何がつい、よ。真面目にやりなさい。蓮華も何幸せそうな顔して抱きついてるのよ!」
「え? あ…はわっ!」
ようやく我に返った蓮華は思いっきりブラッドを突き飛ばして距離を取ると真っ赤な顔で
睨みつけた。場所と場合がよければ無条件で受け入れるところだが衆人環視で受け入れる
程蓮華は開放的な性格ではない。
「あ、あんたって最低ね!!」
「おぉ、怒った顔も可愛いな」
「死ねぇ!!!」
完全にぶち切れた蓮華は剣を拾いなおし、ブラッドの脳天目掛けて容赦なく振り下ろした。

ゴン! 
ゴン! 
ゴン!

「イテ、わ、悪かった。済まん」
「そうか、切れなくても殴れば痛いのね」
剣を振り回す蓮華を見ながら妙なところで感心する冥琳だった。
「蓮華、落ち着きなさい。ブラッドもそんなに蓮華をからかうんじゃないの。見た通り純
情なんだから」
「からかって悪かった。でもお前が可愛いと思ったのは本当だ」
「そ、そんな事皆の前で言わないでよ、ばか」
恥ずかしさのあまり涙目で抗議し、そのまま目を伏せてブラッドの胸に顔をうずめる。こ
こでキスでもしようものなら今度こそ雪蓮の南海覇王が飛んできそうなので自重するブラッド
だった。

「うーむ…。思わず見入ってしまったが、ブラッドはやはり中々の手練手管じゃな。権殿
のように純情な娘は一ころじゃな」
「何よ。お姉ちゃんデレデレしちゃって」
「ブラッドさん、器は蓮華様だけじゃないですよ~♪」
傍観者達は総じて暢気だった。
「ま、呂布の方天画戟をまともに受けて無傷なんだからこれくらいはやるでしょうね。
今度は攻撃してみて」
「分った」
「ブラッドさんの攻めですか? 何か楽しみです♪」
頭の中が桃色一色状態の穏の呟きを無視して雪蓮は仕合を再開させた。
「もう一回蓮華と…は駄目ね」
ブラッドの精神攻撃ですっかり骨抜きにされた蓮華は、真っ赤な顔でブラッドを横目で
見ては体をくねらせてとても剣を構える状況になかった。
「他には…」
相手になりそうな武将を見回す。
「権殿の攻撃を受け止められたら、儂の弓は敵いますまい」
本気で言ってるのか分らないが祭はやる気がないらしい。
「はぅ…。あれが大人の男性の振る舞いなんですね」
明命も蓮華以上に呆けていて使い物にならない。
「じゃあシャオが相手してあげる♪」
「あなたは駄目。下心見え見えよ」
「ぶー」
別の目的でやる気満々の小蓮も却下だった。
「困ったわね。誰か…」
「では、私が…」
メロメロになった蓮華に変わって闘志を漲らせた思春が名乗り出た。
「じゃあ思春おねがい。ブラッドもいいわね?」
「あぁ、問題ない」
ブラッドは即答して剣を構えた。

「雪蓮、大丈夫なの? あの子本気よ? ブラッドの硬気功の威力は分かるが常に発動し
ているわけではあるまい? それに喉や目など鍛えようが無い場所もある。思春の攻撃は
速さを生かした急所攻撃よ。ブラッドと言えどただでは済まないはずだ」
蓮華を汚された怒りに燃える思春が勢い余ってブラッドを殺してしまわないか冥琳は心配
しているが雪連は落ち着いたものだった。
「味方同士の仕合でそれはないわよ。思春もそんな事は絶対しないはずよ」
「そうだといいけど」
対照的な様子の二人の前で第二仕合が始まった。
「ブラッド、本気で行かせてもらうぞ」
「分かった。本気でイカセテやる
「と、時と場合を弁えろ、この節操なしめ!」
ブラッドの微妙にニュアンスの違う物言いに思春は過敏に反応し真っ赤な顔で突っ掛かった。
この事からも分かるように思春の心境は雪蓮達の想像とは少し違った。純粋に強い相手
と戦いたいという気持ちと、目の前でいちゃつかれたことに対する苛立ちが混ざり合った
状態だが、本人でさえも良く分かっていない。

「はぁぁ!」
殺気全開モードの思春は一気に間合いを詰めようと低い姿勢で踏み込んだ。

コテン…
「……」
信じられない事に思春は踏み込む瞬間、足を滑らせ転んでしまった。裾が捲くれ上がりあ
られもない姿をブラッドに曝している。
「おぉ、それは文献で見たことがあるぞ。クラシカルパンツ、褌だったな。この前は良く
見なかったが中々淫靡だ」
「ふ、褌って言うな! 淫靡って言うな! 貴様、今何をした!」
ガバッと起き上がり、二割の怒りと八割の恥ずかしさで顔を真っ赤にしてブラッドを睨み
付ける。ブラッドの意味深な発言に周囲は気付いていない。
「俺が魔法を使えるのは知ってるだろう? まだ十分に力は出せないが風の術は割合使い
こなせるようだ」
「く、小細工を…」
悔しそうに顔を歪める思春に対し傍観者達は目の前の珍事に目を丸くしていた。
「何が起きたんだ? 思春が転ぶなんて信じられないわ」
「うーん…。ブラッドの言った事から想像すると、思春が踏み込もうとした瞬間風の仙術
で足を払ったのかしらね? そんな芸当が出来るのは大陸中でブラッドだけでしょうけど
本当だったら厄介ね」
「風は見えんからな。出鼻をくじくには最適だ」
「く…小細工を労しおって。これでは仕合にならんではないか」
真剣勝負をはぐらかされたことと恥ずかしい格好を曝したことで思春は少し拗ねた表情で
ブラッドに不満をぶつけた。
「そうか…。じゃあ、今の術は使わんからどこからでも掛かってこい」
「ふ、その余裕が命取りになるかも知れんぞ?」
思春はたった今使われて拗ねていたとは思えない不敵な笑みを見せている。結構面白い奴
だとブラッドは思ったがここで言うとまた怒るか拗ねるので突っ込まない。
「敵にこんなことはしないが今は仕合だ。これくらい問題ない」
「なら遠慮なく行くぞ。はぁぁぁ!!」
思春は一瞬でブラッドの間合いに入ると躊躇う事無くブラッドの喉目掛けて飛び込んできた。

 しかしブラッドも紙一重でかわしていった。思春は追撃を緩めず、二次、三次と怒涛の
攻撃を仕掛けた。
「す、凄い…。て言うか思春て本気でブラッドの喉狙ってるじゃない」
「疾風の如き速さが思春の身上ではあるが、この速さは尋常ではないな。いつの間にこれ
ほどの武を身に付けたのだ?」
「勿論本人の努力があってのことだと思うけど、ブラッドが相手だから自分の力全て出し
切っても大丈夫って思ってるのかしらね? でも、その思春の攻撃を躱し続けるブラッド
も凄いわね。どこまで能力を隠してるのかしら?」
雪蓮は目の前で繰り広げられる超人同士の戦いに目を細めているが、局面は少しずつ変
わっていた。
 
 全力でぶつかっている思春と無尽蔵の体力を持つブラッドでは自力に差がある。思春の
スピードが徐々に落ちてきた。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
「どうした? 息が上がっているぞ」
「ま、まだまだ…」
思春は歯を食いしばってブラッドの懐に飛び込むが、今までと比べワンテンポ遅くなって
しまった。
「ここまでだな」
ブラッドは思春の攻撃に合わせ半歩前に踏み込んだ。
「あ…」
ブラッドは鈴音を持った思春の腕を肘でブロックすると、がら空きになった胸に弱い電撃
系の魔法を放った。
バチ…。
「はぅっ!」
心臓への電気ショックで、思春はそのまま膝から崩れブラッドの胸に顔をうずめるように
倒れてしまった。
「ブ、ブラッド…流石だな。私の負けだ」
「いや、お前の速さも中々のものだったぞ」
「…私の負けは否定しないんだな?」
「引き分けとか言ったら怒りそうだしな」
「ふふ…そうだな」
思春は小さく笑うと上目遣いにブラッドを見つめている。暫く無言で見詰め合っていたが
少し名残惜しそうな顔をしながら思春はゆっくりブラッドから離れた。

「今日は完敗だ。まぁ、簡単に勝てるようでは面白くない。しかし、いつの日かお前の首
に鈴音を叩き込んでやるから覚悟しておけ」
「…物騒な事言うな」
「冗談だ。それぐらいの意気込みだということだ。それに、私が全力でぶつかってもお前
なら受け止めてくれるのだろう?」
ちょっと引き気味のブラッドに対し思春は不敵な、少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら宣
戦布告した。敵意は全く感じられなかった。
「あらら…何か良い感じになってるわね、ブラッドと思春は?」
「武人として実力を認めたということだろう。悪い傾向ではない」
「……」
思春の変化に驚きながらも雪蓮と冥琳はそれを好意的に受け止めている。しかし蓮華だけ
は複雑な表情で思春を見ていた。


 夜、ブラッドの部屋を訪れる者がいた。
「ブラッド? 今いいかしら」
「蓮華か? いいぞ鍵は開いてるぞ」
「失礼するわ」
ブラッドの返事を待って蓮華は静々と部屋に入ってきた。俯いて何やら思い詰めた雰囲気
が漂っている。
「で、何か用か?」
「あ、あのね…」
言いかけて口籠り俯くが、意を決したように顔を上げてブラッドを見つめた。
「た、単刀直入に聞くけど、思春と寝たの?」
「……」
ブラッドは何も答えない。驚いて言葉に詰まっているわけではない。思春が自分との事は
いずれ蓮華に話すと言っていたが、今蓮華が自分にそんな事を聞くということは思春はま
だ蓮華に話していないことになる。これはクーの言っていた面倒な事態になる可能性を示
すものだった。しかしブラッドの沈黙を肯定を受け取った蓮華は更に言葉を続ける。
「少し前からそんな気はしていたわ。あなたは気付いてなかったかもしれないけど、思春
のあなたを見る目がこれまでと全然違ってたし、無意識にあなたの事を目で追っていたわ」
「…それで?」
どう答えるべきか考えながら思春の軽率な態度に内心舌打ちする。とは言え、蓮華同様純
情な思春がブラッドに対しこれまで通り何事も無かったように接する事が不可能な事など
少し考えれば分かることで、蓮華が気付くのも時間の問題だった。
「私もあなたを見ていたから分かるの。きっと思春も私と同じ気持ちなんだなって」
ここで、思春は自分の事をどう思ってるんだろう、と考えるほどブラッドは病的鈍感野郎
では無い。そして蓮華の想いもはっきり分かっていた。

「あいつは何も言わなかったのか?」
「えぇ。本当は言いたかったのかもしれないけど、言い出せなかったのね。あの子は私の
気持ちに気付いてたみたいだから…」
蓮華は自嘲気味に小さく笑みを浮かべた。主人の気持ちを知りながらブラッドに惹かれて
しまった自分を責めているかもしれない思春に、蓮華も気に掛けているようだ。しかし
思春の気持ちが分かっていても、もう自分の気持ちを抑えることは出来なかった。蓮華は
勇気を振り絞って自分の想いのたけをブラッドにぶつけた。
「姉様や思春があなたの事をどう思ってるとか、天の御遣いの器とか、そんな事は関係
無いわ。私は…私はあなたが好きなの!」
「……」
蓮華の捨て身の告白をブラッドは冷静に受け止めていた。根が純情なだけに思い込むと
突っ走るタイプで情熱的なのは姉に通じるものがある。
「…私って姉様や思春より魅力無い?」
「そんなことはない」
蓮華は心細そうにブラッドの返事を待っていたが、それを払拭するようにブラッドは蓮華
の唇を奪った。
「ん…んん…」
唇を重ねるだけのキス。それでも蓮華の気持ちは十分に満たされた。
「今、俺の目の前にいるのはお前だけだ。雪蓮でも思春でもない。余計なことは考えるな」
「ブラッド…あん、もっと私に口付けして、私を強く抱きしめて!」
歯止めが利かなくなった蓮華は更にブラッドを求めてしがみついてきた。
「んん、くちゅ、ちゅる、じゅちゅうぅ…」
むさぼるようにブラッドの唇を求める。しかし、百戦錬磨のブラッドに通用するはずがな
くすぐに反撃を開始した。
「んんー! むぐ…ああん、はあん!」
ブラッドの手が触れるたび蓮華の体が反応する。初めて受ける刺激に蓮華なす術無く高め
られていった。

 激しく未知の時間が過ぎた後、一糸纏わぬ姿の蓮華は満ち足りた表情でブラッドに寄り
添っていった。
「蓮華、思春のことなんだが…」
「分かってるわ。別にあの子のこと責めるつもりは無いわ。でもあなたが気に掛けた事は
少し妬けるわね」
ブラッドは少し考えた後、ここにいない女の子の名を出した。行為の後、他の女の名を出
すのは褒められたことではないが蓮華は嫌な顔もせず、むしろ悪戯っぽい笑みを浮かべて
答えた。
「あなたは天の御遣いで私達はその血を受ける器。あなたが気にする事は無いわ。思春の
事は私に任せて」
「そうか。じゃあ、俺はこれ以上は何も言わん」
浮気の後始末を女にさせているように見えるが、もとよりブラッドは何も気にしていない。
堅物で融通の気かなそうな蓮華が何か問題を起こさなければと考えていたがどうやら杞憂
だった。蓮華は現状を受け入れている。
「ねぇ、今日は一緒に寝てもいいでしょ?」
「好きにしろ」
「うん!」
蓮華は甘えるような声でブラッドに擦り寄ると、すぐに安心しきった顔で寝息を立てていた。


 天の御遣いの血を受け入れた、ストレートに言えばブラッドに抱かれた次の日、蓮華は
思春の元を訪ねていた。
「私がここに来た理由は分かってるわね?」
「…はい」
蓮華に思春を詰問する様子は無く、表情は穏やかだった。しかしそのことが逆に思春を
萎縮させた。
「…申し訳ありません。言わなければと思いながらどうしてもいい出せなくて…。処分は
甘んじて受けます」
「…やっぱりそういう反応するのね」
覚悟を決めた表情を浮かべる思春に対し、蓮華は少し呆れた顔でため息を吐いた。
「え?」
「あなたがブラッドのことをどう思っているか、そんなのあなた自身の問題でしょ?
私には関係ないわ」
「れ、蓮華様?」
蓮華の突き放すような物言いに思春は少なからず動揺した。
「…関係無くはないわね。昨夜、ブラッドに抱かれたわ。私の思いをすべて打ち明けて、
彼は私を受け入れてくれたわ」
「蓮華様…」
蓮華があっさり告白したため思春は少し拍子抜けしたようすである。
「彼はそういう人なの。天の御遣いなんだもの。私達の思いを全て受け止めるくらいの度
量は持ち合わせてるはずよ。雪蓮姉様は勿論のこと冥琳も祭も他の子達もブラッドの事を
憎からず思っているし、ブラッドもそれを受け止めている。私達がその輪に入っても何の
問題も無いわ」
堅物だったこれまでのイメージを根底から覆す発言だが、これは蓮華自身の心境の変化と
思春に対する気遣いの現われでもあった。

 思春は蓮華の心遣いに感謝すると同時に知らず知らず壁を作っていた事を反省した。同
時に蓮華の“彼の事なら何でも知ってるわ“と言いたげな態度に引っ掛かるものを感じ
思春も包み隠さず自分の思いを告白した。
「…分かりました。そういう事なら私も自分の気持ちは隠しません。私もブラッドに抱か
れました。彼は激しく荒々しく何度も私を求めてきました。初めは抵抗しましたが、次第
に苦痛ではなくなり、それどころか彼を受け入れたいと思うようになりました。恐らく私
も彼に惹かれているのだと思います」
話しているうちに色々思い出したのか、思春の頬は赤く瞳もキラキラしていた。蓮華が初
めて見る乙女思春だった。
「えぇ!? そ、そうなの?」
自分の予想の上を行く思春のぶっちゃけトークに今度は蓮華が激しく動揺した。自分と
思春の扱い方の違いはその時のブラッドの精神状態の違いが主な理由だが、事情を知らな
い蓮華は何故か敗北感を感じている。
「どうなさいました蓮華様?」
蓮華の真意を見透かしたわけではないが、どこか勝ち誇っているように見える思春の態度
を見て、蓮華に新たな闘志が湧いてきた。
「べ、別にどうもしないわ。思春、これからもあなたとは良き好敵手(とも)でいたいわね」
「勿体なきお言葉、ありがとうございます」
思春がどこまで理解しているか分からないが、蓮華のライバル宣言を正面から受け止めた。

 堅物で純情な二人は結果的にブラッドを介してより強い信頼関係を築く事となった。
しかし、蓮華も認めるブラッドの度量が引き起こすトラブルに今後率先して参加する事に
なる事を今の蓮華達は知る由も無かった。





[8447] 第10話:虎と麒麟児と小鹿(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:f825cc8a
Date: 2009/12/18 20:33
第10話:虎と麒麟児と小鹿


 ブラッドと雪蓮は街中を警邏中である。ブラッドは宛ても無く適当にうろついていた
だけだが、警邏中の雪蓮に捕まってしまった。本来、王である雪蓮が警邏する必要は無い
し安全面を考えればやるべきではないが、領民の生活に触れたいという雪蓮の考えで半ば
強引に行われている。人々の生活に特別興味を持たないブラッドにとって雪蓮の気持ちは
良く分からなかったが、質問するほどの興味も無いので何も言わずにゆっくり町並みを眺
めていた。
「ブラッドは武器は使わないなら、せめて手甲くらいは装備した方がいいと思うわ」
「手甲とは何だ?」
何故そのような話題になったのか、それまでの話を聞いてなかったので分からないが初め
て聞く言葉にブラッドは興味を持った。
「肘から手の甲までを守る武具のことよ。素手で守るよりましでしょ」
「そうか…。じゃあ見てみるか」
肉体強化で剣も通さない体にすることも出来るし今までも敵の攻撃を素手で防いでいたが、
この世界の武具に興味が湧いたのか、雪蓮の話に乗ることにした。

 呉軍御用達の鍛冶屋兼武器屋に入り、店内の品を物色する。店主らしき男が擦り寄って
きて自慢の商品を説明しだした。
「これなんか如何でしょうか? 中々の業物ですよ?」 
ブラッドは店主から鋼の手甲を進められたがあまり興味を示さなかった。
「重さは兎も角、機能性に劣る。もっと動きやすいものは無いか?」
「革のものなら軽く動きやすいですが、守りに関しては大きく劣ります。当店としてはこ
ちらをお勧めします」
営業用スマイルを振りまきながら、店主は高価な鋼の手甲をブラッドに勧めた。露骨な対
応で商魂逞しいが、ブラッドは苦笑いを浮かべるだけだった。
「こっちの方が機能的だな」
ブラッドが選んだのは、店主の意に反して革の手甲だった。当然、店主は訝しげな表情を
浮かべた。
「宜しいんですか? それだと剣の攻撃にはひとたまりもありませんよ?」
自分の店の商品にけちをつける店主も珍しいが、革と鋼では耐久力は考えるまでも無く
店主の反応も当然と言えた。

「大丈夫だ。見てみろ」
ブラッドは余裕の表情で革の手甲に剣を思いっきり突きたてた。しかし、剣が貫くことは
無く傷さえも付いていなかった。
「え?」
「これで十分役に立つ。これを貰おう」
「は、はい、ありがとうございます」
店の主人は何が起きたのか分からず呆気に取られている。実はブラッドは革の手甲に肉体
強化と同じ要領で地の魔法を掛けて強度を大幅にアップさせていたのである。見た目は何
の変哲も無い革の手甲でも、耐久力はその辺の鋼の手甲より遥かに優れていて、剣を突き
立ててもビクともしなかった。

「待て、貴様らそこで何をしている!」
「うん?」
突然、厳しい声が聞こえてきた。勿論ブラッドに掛けられたものではなく、店の外で何
やら面倒なことが起きているようだった。よく見るといつのまにか雪蓮が自分の傍を離れ、
数人の男達と対峙していた。男達はそれなりに体格もよく全員頭に黄色のバンダナを巻い
ていた。
「何だあれは?」
「黄巾党の残党です。まだこの辺をうろついていたとは…」
店の主人が眉を顰めた。黄巾党は既に首謀者が討たれて組織としては機能していないが
未だに街を荒らす者達が単発的に現れるらしい。人口増加に伴ってこの街にもその手の者
が大量に流入し、街の治安を悪化させていて雪蓮達の手を煩わせていた。
「悪い。後で来る」
ブラッドは店の主人に言い残し雪蓮を追いかけた。

 店を出て直ぐ、ブラッドは雪蓮を見つけた。雪蓮の視線の先には数人の黄巾党の残党が
老人を人質に対峙していた。
「馬鹿な真似は止めなさい。逃げ切れると思ってるの?」
雪蓮が冷静だが厳しい表情でじりじりと追い詰める。
「おっと、それ以上近づくな。こいつらがどうなってもいいのか?」
死亡フラグ確定の定番台詞を吐きながら、余裕のある表情で人質になっている老人の喉元
に短刀を突きつけた。
「く…卑怯な」
雪蓮は悔しそうに顔を歪め賊を睨み付けるが行動に移すことは無かった。

「何やってるんだ、あいつらは?」
ブラッドは状況が良く分からなかった。個体数が人間に比べ極端に少ない竜の世界では
ほぼ全員が顔見知りである。従って、地域内で何か問題を起こせば上層部から確実に
粛清される。当然人質(竜質?)を盾にすることもなく、雪蓮が躊躇している理由が分か
らなかった。
「ブラッド、お主も居たのか?」
「うん? 祭、お前も来たのか」
ブラッドに声を掛けたのは祭だった。祭の後ろには見覚えのある顔が数人、町人姿で控え
ていた。
「城に連絡があって駆けつけたところだ。どうやら、人質は策殿と顔見知りの者の様じゃな。
あれでは策殿は手が出せんぞ」
「人質がいると、行動を制限されてしまうものか?」
「当然じゃ。自分の行動次第で人質に危害が及ぶ。領民を守る立場の策殿なら、尚更迂闊
な行動はとれん」
ブラッドの的外れな質問に、祭は少し呆れ顔で説明した。
「恐らくあの者達は偵察じゃな。街中で物色しているところを策殿に見つかって逃げ切れ
ず人質を盾にしたんじゃろう」
「よく分からんが、人質を何とかすればいいんだな?」
「その通りじゃが、どうするつもりじゃ? 下手に刺激したら人質に危害が及ぶぞ?」
「大丈夫だ。祭はそこで俺のやり方を見てろ」
ブラッドは自信満々に雪蓮に近づいていった。

 ブラッドにとって正直なところ人質の命はどうでも良かったし、人質が死ねば障害が無
くなるから賊がさっさと殺してしまえばいいと考えてしまったが、雪蓮がそういう考えを
しない事はこれまでの対応で分かっている。面倒だがブラッドも人質の確保を優先した。
「よう大丈夫か?」
「ブラッド!?」
ブラッドの登場に雪蓮は内心動揺した。過去、汜水関、虎牢関の戦いではブラッドの予想
外の言動と超人的な活躍で局面が変わり勝利を収めることが出来た。しかし、今は状況が
違う。極度の緊張状態にある敵が、ブラッドの行動に煽られ思いも寄らぬ行動をとらない
か気掛かりだった。
「な、何だ貴様は?」
予想通り賊達は訝しげな目でブラッドを見ているが、まだ落ち着いている。
「俺が何者かお前らにとっては関係ない話だ。それより、こんな街のど真ん中で人質を盾
にしても逃げ切れると思ってるのか? 精々時間稼ぎくらいだ。仲間が助けに来てくれる
のか?」
「な、仲間? そ、そんな奴等いねえ!」
「ほぉ、仲間も居ないのにこんなことやってるのか?」
「お、俺達は自分のやる事をやってるだけだ」
賊の分かりやすい反応に苦笑いを浮かべる。祭の言ったとおり街の外で仲間が控えている
と考えてよさそうだった。
「ブラッド、あまりあいつ等を刺激しないで。人質の命が掛かってるのよ」
これ以上賊を刺激しないよう雪蓮は少し強い口調でブラッドを制した。
「分かってる。とりあえずあの年寄りを無傷で確保すればいいんだろ?」

 ブラッドは雪蓮と対照的に緊張感の無い顔で賊と人質の位置関係を確認した。すると
突然一陣の風が吹き大きく土埃を巻き上げた。賊も人質の老人も野次馬も全員砂を被って
辺りの視界が遮られた。
「うわっ!?」
「目に砂が…」
「く、こんな時に…」
突然のことに誰も対処出来なかったが、視界が回復したときには人質の老人は何故か雪蓮
の傍で腰を抜かしていて、賊の短剣は腕と一緒に地面に転がっていた。
「え? う、うぎゃあぁぁ!!」
「はぁ!」
我に返った賊の悲鳴が合図となって雪蓮が猛然と襲い掛かった。鬼神の如き動きで次々と
賊を切り捨てていき、辺りは血の海となった。

「あんたで最後ね」
血塗れた南海覇王を手に雪蓮は恐怖で竦みあがっている賊を睨み付けた。
「ひぃ! た、助けてくれ」
恥も外聞も無く、もっとも既にそんなものはとっくに捨ててしまったかもしれないが、賊
は必死の形相で命乞いをするが、雪蓮は冷たい目で見下ろすだけだった。
「助けてくれ? お前は今まで命ごいする者を助けたことはあるのか? 既に人でない者
に私が情けをかけると思うか?」
「そ、そんな…た、助け…」
「己の所業、地獄で悔いるがいい!」

ガシィ!
「え?」
振り下ろした雪蓮の南海覇王が賊の首を刎ねる事は無かった。ブラッドの腕が直前で受け
止めていた。
「ブ、ブラッド、何をするの!?」
素手で自分の剣を受け止められた事以上にブラッドが賊を助けたことが信じられず、雪蓮
は普段滅多に見せない戸惑った表情を見せた。しかし、ブラッドは雪蓮の質問には答えず
空いている腕で賊の首根っこを掴んで引き上げた。
「これに懲りたら二度とここには来るな。行け」
「ひ、ひぃぃ!!」
賊は起き上がると脱兎のごとく駆け出し逃げていった。


 警備の者が肢体を処理している間、雪蓮はずっとブラッドを睨み付けていた。
「ブラッド、どういうつもり? 返答次第ではあなたでも許さないわよ」
雪蓮は殺気を込めて今にも切り掛かりそうな勢いだが、ブラッドは至って冷静でそれどこ
ろか少し呆れ顔で雪蓮を見ていた。
「小物を何人殺しても意味が無い。仲間がいるんだし、そいつらも纏めて始末した方がいい」
「でも、逃がしたらどこにいるか分からないじゃない!」
「逃がさないと分からないだろ?」
「何それ? 逃がしたのにどうやって見つけるの? あなたの言ってること分からないわ!」
「直ぐに分かる」
「直ぐっていつよ?」
お互い議論がかみ合わず、雪蓮は段々焦れてきて表情も更に険しくなっていく。しかし
雪蓮の怖い顔を前に緊張する周囲とは対照的にブラッドはあくまでも涼しい顔だった。

「ご主人様」
緊張感を更に無視する穏やかな声。クーだった。
「早かったな。分かったのか?」
「ど素人の尾行に時間を掛けることはありません」
「え? クー? どういうこと?」
予期せぬ展開に雪蓮の怒りが霧散した。クーの登場でブラッドが何か策を講じている事は
分かったが、まだ動揺しているのか具体的な事は想像出来なかった。

「さっきの奴が仲間のところに逃げるのは分かりきってるから、クーに尾行させたんだ」
実はブラッドは逃がした賊の首根っこを掴んだときに魔力の欠片を付着させていた。クー
に尾行させたのは、敵の居場所と陣容を確認するためだった。
「尾行? でも、クーってブラッドの傍を離れられないんじゃなかった?」
「ある程度の距離なら問題ない」
クーはブラッドの持つペンダントを介して映像のみこの世界に来ているが、その原動力は
ブラッドの魔力だった。ブラッドがペンダントに込める魔力を高めれば、クーの移動範囲
も広くなる。ブラッドの魔力はそれこそ無尽蔵だが、ペンダントの許容量に限界があるた
めクーの移動範囲も制限されていたが、実際はかなり離れたところまで移動可能だった。
「そ、そう。それで戻ってきたって事は、奴らがどこに潜んでるか分かったってことね?」
「はい、ここから2,3キロ…えっとこの国の単位では数里ほど
(*中国における距離の単位1里=約500m)
行った所に彼らの野営地を発見しました。確認できた敵は全部で25人。それぞれ武器を
所持していて、頭に黄色い頭巾を巻いていました。黄巾党の残党もしくは模倣犯でしょう」
「仲間をやられて頭に血が上ってるところだろうが、ある程度組織立っているのなら今
すぐ襲撃することはないだろうな」
「ですが、そんなに時間を掛けるとも思えません。こちらも迅速に対応すべきです」

「……」
冷静に対応するブラッド達を見て雪蓮の気持ちも段々落ち着いてきた。自分がブラッド
の行動が理解できずに怒りを募らせている時にブラッドは冷静に次の手を考えていたので
ある。
「ブラッド、さっきはごめんなさい」
「気にするな。お前はこの国の統治者として、やるべき事をしようとしただけだ」
雪蓮は自分の愛する者達、守るべき民が卑劣な者達に傷つけられそうになったため生来の
直情的な性格が一気に沸騰してしまった。国を纏めるものとしては聊か短絡的ではあるが、
その熱さが雪蓮の人望をここまで高めた要因でもあった。
「そう言ってくれると嬉しいわ。あと、お礼も言わないといけないわね。あの時急に風が
吹いたのも、人質を救出したのもあなたの仕業でしょ?」
ブラッドが風の仙術(魔法)を使えるのは既に周知の事実である。都合よく吹いた風が
ブラッドの仙術と考えるのは自然のことだった。
「あぁ、奴らは俺の事知らなかったから上手くいった。まぁ、それはいいから今後のこと
を考えよう。お前はどうすべきだと思うか?」

「え? あぁそうね。敵が報復に出るのは確実よね。やるとすれば時間帯は夜中か明け方。
流石に今日の夜は態勢が整っていないでしょうし、私達も警戒してると考えるから動か
ないと思うわ。でも自分達の場所を見つけられる前に事を起こすはずだから、あまり時間を
掛けるわけにも行かない。となると襲撃は明日の夜以降。従って私達は先手を打って明日
の朝急襲するわ」
攻撃における雪蓮の状況判断は的確で正確で自信に満ちていた。
「私も雪蓮さんの意見に賛成です。向こうの体制が整う前に叩くべきですし、袁術を倒す
前に障害はできるだけ早く排除すべきです」
「部隊編成はどうするんだ?」
「野盗2、30十人始末するのにそんなの必要無いわよ。私とブラッドだけで十分よ」
「それはいけません。好事魔多しとも言いますし、油断は禁物です」
「大丈夫だと思うんだけどな…。じゃあ、あと一人腕利きを付けるから良いでしょ?」
戦闘において天才的な才能を発揮し数々の武功を上げる雪蓮だが、激情する性格もあって
その行動にはいつも危うさが付いて回った。冥琳や蓮華から何回言われても改まることは
無く、クーもかなり気にしていた。
「ご主人様、雪蓮さんの行動には注意した方が良いですよ。絶対早死にするタイプです」
「…分かった」
クーは雪蓮に聞こえないようにブラッドに耳打ちした。


 次の日の早朝、ブラッドは雪蓮に叩き起こされて朝駆けに駆り出されていた。
「ふぁ…」
「もう、しっかりしてよ。あなたがいないと、敵の居場所が分からないんだから」
場所を正確に把握しているのはクーだけで、ブラッドの持つ宝玉(ペンダント)がないと
クーを呼び出せない。気の抜けた態度のブラッドに、雪蓮は不満そうだった。
「おはようございまふ」
クーも眠そうな顔で欠伸をかみ殺している。
「あなたも随分眠そうね」
「魔族は夜行性なんです」
「何でも良いからしっかり案内してよ。でないと賊を逃がした責任ブラッドにとってもら
うわよ」
一人やる気満々の雪蓮の声が清々しい朝の空気に溶けていった。

「さ、三人で大丈夫でしょうか?」
ブラッドの横から、少し心細そうな声が掛かる。明命だった。雪蓮が用意した腕利きとは
彼女のことだった。しかし、いつも元気な明命が今日は何故か元気が無かった。実は出発
前、明命は蓮華と思春から強烈な叱咤激励を受けていた。

「明命、重要な任務だからしっかり、しっかり頑張るのよ。もし姉様が変な事しようとし
たら全力で止めるのよ」
「いいか、お前は任務の遂行だけを考えろ。余計なことは考えるな」
「は、はい、勿論分かってます。お、お二人とも顔近いですよ。ちょっと怖いです」
目を三角にした蓮華と思春に詰め寄られ、理不尽な扱いに明命は涙目になっていた。

「私、あのお二人に何かしたんでしょうか?」
明命は飼い主に叱られた子犬のように萎縮してしまい、小柄な体がもっと小さく見えた。
「まぁ、気にするな。お前は自分の出来ることをやればいいんだ」
流石に不憫だと思ったのかブラッドは明命を抱き寄せると軽く頭を撫でた。
「は、はい、頑張ります!」
これは効果覿面だったようで、明命はいつもの元気を取り戻すと背筋を伸ばして力強く答えた。
もし明命に尻尾があったら千切れるほど振っているに違いない。
「流石というか、抜け目ないわね」
御遣いの任務を自然にこなすブラッドに、雪蓮は満足げな表情を浮かべていた。


 クーを先頭に街道を進む。森に入って暫く進むと、複数の人の気配がした。気付かれな
いように用心して様子を伺うと、黄巾党の残党が野営していた。逃げた男の姿は確認出来
ないが、状況から判断してその仲間と考えて間違いなかった。
「見張りは二人。他には見当たりません」
明命が偵察から戻って来て、雪蓮達に状況を説明した。敵は無警戒のようだった。
「じゃあ、行くわよ」
雪蓮はブラッド達に声を掛けると、真っ先に敵に飛び込んでいった。
「な、何だ貴様…うぎゃあ!!」
賊はなす術無く一太刀で切り伏せられた。
「…自分から突っ込む奴があるか。援護するぞ」
「え? は、はい!」
呆れ顔のブラッドは少し動揺している明命を連れて敵陣に切り込んだ。
「こ、こいつ等どこから…ぐわっ!」
「やぁ!」
「い、いつの間に、ぎゃあ!」
「えい!」
「ぐふ…」
雪蓮の実力は分かっていたが、明命も中々の働きをしている。気合の入らない掛け声とは
裏腹にスピードは雪蓮以上で思春に匹敵する。豹のように俊敏な動きで次々と敵を仕留め
ていった。

「することが無いな」
以前似たようなことがあったなと思いながら、戦況を眺める。雑兵と戦闘の麒麟児では
実力差がありすぎた。
「取り合えず雪蓮さんの援護をしながら、能力開放の実験をしてみたらどうですか?」
「そうだな…そうしよう」
ブラッドは雪蓮から離れすぎないようにして
敵の剣を弾き飛ばし、頭を鷲?みにして腕に力と魔力を込めた。
「たぁ!」
「いててて! くそ、放しやがれ!」
敵は痛がってはいるが、普通に締め上げただけで致命傷には程遠い。イメージでは敵の頭
はトマトのように握りつぶされ血や脳漿を撒き散らしていたが、部分開放は全く出来てい
ない。
「駄目か。それなら…はぁ!」
ブラッドは一旦敵を突き飛ばすと、腕に魔力を込めリーチの届かない相手に向かって拳を
突き出した。

ボッ!
「え? アチチチ!」
突然敵の頭に火がつき、その場にのた打ち回った。
「イメージでは紅蓮の業火に包まれるはずだったんだが、最初はこんなものか」
「ご主人様、乱戦で火は拙いですよ」
納得顔のブラッドにクーが呆れ顔で反論する。もしイメージ通りなら辺りは火の海となり、
雪蓮も明命も巻き込まれるところだった。結局、ブラッドは目立った活躍も無いまま雪蓮
と明命の活躍で敵は殲滅された。


 任務を達成して帰還する間、何故か雪蓮は厳しい表情を崩さずピリピリした雰囲気を醸
し出していた。
「楽勝だったのに随分昂ぶってるな?」
「そんなんじゃないわ。これはちょっと違う理由」
「違う理由?」
「そうよ、だから城に戻ったらちょっと付き合ってもらうから宜しくね」
「は? 言ってる意味が分からん」
「城に戻ったら教えてあげる」
雪蓮の目が血走っているのが気になったが、特に危険でも無さそうなのでブラッドは気に
しないことにした。

 ブラッド達が城に戻ると冥琳達が出迎えていた。蓮華は雪蓮の様子を見てなぜか悔しそ
うに舌打ちすると、明命を拉致してどこかへ行ってしまった。
「お帰り。上手くいったようね」
「えぇ、全く問題ないわ。まぁ、問題なのはこれからだけど♪」
「嬉しそうに言わないの。相手する方の身も考えて欲しいわ」
「あ、今日はいいわ。頼りになる相手がいるから」
「成るほど、今日の相手はブラッドなのね。まぁお前なら大丈夫でしょう」
状況が分かったのか冥琳はほっとしたような、少し残念そうな複雑な表情を浮かべていた。
「さぁ、行きましょ♪」
「お、おい、だからどこに行くんだ?」
ブラッドの問いには答えず、雪蓮はブラッドの腕を引っ張って行った。

「のう、公瑾よ」
ブラッドを連行する雪蓮を見送りながら、祭が両手を腰に当てながらポツリと呟いた。
「何ですか、黄蓋殿?」
「大丈夫かの?」
「え? 大丈夫でしょう。ブラッドの事は黄蓋殿も身をもって知っているではありませんか。
今の雪蓮が相手でもブラッドなら…」
今まで散々雪蓮の相手をしてきた冥琳は落ち着いた口調で答えた。
「だから策殿一人で大丈夫かの?」
「……え?」
「儂等三人、一方的にやられた事忘れたわけではあるまい? まぁ、お主は途中失神して
おったみたいだから良く覚えておらんかもしれんが」
初めて会ったとき、真っ先にやられた冥琳は途中失神してその時の記憶が曖昧だった。
当時の記憶が鮮明に蘇り冥琳は耳まで真っ赤になった。
「だ、大丈夫でしょう。雪蓮一人ならブラッドも手加減してくれるはずです」
「そうか? あの時、儂は壊れるかと思ったがの。ブラッドがどれくらい手加減するか分
からんが、戦の麒麟児といえど閨では分が悪いと思うがの」
「で、でも、折角二人で楽しもうというのに邪魔をするわけにも行きませんから、私達は
暖かく見守るべきかと思います」
「…それもそうじゃな。儂も仕事が残っておるのでこれで失礼するぞ」
ミイラ取りがミイラになりたくない。要するに巻き込まれたくない。珍しく意見が一致し
た二人は何事も無かったようにそそくさとその場を立ち去った。


 冥琳達が雪蓮の身を案じる振りをしているころ、ブラッドは雪蓮の私室に連れ込まれて
いた。雪蓮はブラッドにタックルするように抱きついて、そのまま寝台に押し倒した。
「おっと、随分積極的だな? あまりムードは無いが」
「むーど? 訳分んない事言ってないでさっさと私を抱きなさい!」
雪蓮はかなり切羽詰っている様子で服を脱ぐのももどかしそうにブラッドに体をこすり付
けてきた。
「むちゅううう! ちゅるちゅる、はむ…」
今度は貪るようにブラッドの唇を奪う。あまりに熱烈な愛情表現にブラッドは面食らった。
「待て待て。そんなにがっつくな」
「だ、だって我慢できないんだもん」
真っ赤な顔で妙に甘ったるい声を出しているが、目は爛々と輝いている。しなやかな肢体
もネコ科の肉食獣を連想させる。
「しょうがねぇな…。発情期か?」
江東の虎とはこの事だったのかと見当違いのことを考えながら、ブラッドは擦り寄って
くる雪蓮を抱きしめた。
「そんなんじゃないけど、戦とかで気持ちが昂ぶるとこうなっちゃうのよ。今までは冥琳
が相手してくれたけど、これからはブラッドに相手してもらうわ」
「光栄、とでも言っておこう」
「よろしくね。あん♪」
据え膳食わぬは男の恥。女性に求められてブラッドが応じないわけが無くあっさり攻守逆
転となってしまった。
「はむ、ちゅる、んぐ…ぐちゅぐちゅ、れる」
今度はブラッドの方から雪蓮の唇を貪ると、雪蓮も負けずに応戦する。
「あん…ブ、ブラッド…くうん…ひぅ! そ、そこは…」
雪蓮の口を蹂躙しながらブラッドの手は雪蓮の体の至る所を攻略し、そのたびに雪蓮の体
が跳ね上がった。
「凄いな。もうこんなに…」
「そ、そうよ。だ、だからお願い! 私をめちゃくちゃにして!」
完全に歯止めが聞かなくなった雪蓮は理性も飛んで絶叫しながらブラッドの攻めを催促した。

「ほけ~」
「これも天の御遣いの務めだったな」
戦いの後、というよりむしろブラッドの一方的な蹂躙のあと、清々しい笑顔のブラッドの
視線の先で、一糸纏わぬ姿の雪蓮が半ば放心状態で体を横たえていた。
「三人でも適わなかったのに、一人で挑んだ私が馬鹿だったわ」
「お前は頑張った方だと思うぞ。普通の娘の五人分くらいはあった」
良く分からない例えだが、ブラッドは満足しているようだった。
「何か、真っ白に燃え尽きたって感じよ。これからはブラッドにお願いしようかしら?」
体が言うことを利かないのか、雪蓮は顔だけを向けてブラッドに尋ねた。
「俺はいつでも問題ない。お前が壊れない程度に相手してやるさ」
「ありがと…。これで心置きなく暴れられるわ」
雪蓮は嬉しそうに笑うと、体を這わせてブラッドに抱きついた。


 次の日、軍議のために王座の間に主だった武官文官が集まる中、肝心の雪蓮の姿が見え
なかった。
「雪蓮が遅れるなんて珍しいわね」
冥琳が眉を顰める。
「そうか? あいつが時間厳守とは意外だな」
「自由闊達でも守るべき事はしっかり守ってるわ。あ、来たみた…いね?」
漸く部屋に入ってきた雪蓮を見て、ブラッドを除く全員が言葉を失っていた。雪蓮はフラ
フラとおぼつかない足取りで愛想笑いを浮かべていた。
「ほぉ、江東の虎が生まれたての子鹿のようじゃの」
「ご、ごめんね、遅れちゃって」
「それは構わないけど、どうしたの? あなたがそんなに…あ」
言いかけて何か思い当たる節があったらしく、冥琳はその原因に目を向ける。
「ブラッド、昨日あの後どうなったの?」
「お前の予想通りの展開だ。そして、あぁなった。これも天の御遣いの務めだ」
ブラッドは悪びれることなくさらっと答えた。

「ブ、ブラッドは悪くないわよ。で、でも、私一人の時はこれからはもう少し優しくして
くれた方がいいかな♪」
「お前がメチャクチャにしてと言ってたから、それなりに激しくしたんだが…。本当は激
しいのは嫌だったのか?」
「嫌じゃないけど、あれほどとは思わなかったわ。それに、いつもあぁだと本当に壊れ
ちゃうわ。今度からは優しく愛して欲しいわ。あ…」
ブラッドを見て気が緩んだのか、それとも故意なのか雪蓮はバランスを崩しブラッドの胸
に倒れこんだ。飛び込んだと言った方が的確で、そのまま自分の体を擦り付けている。
「場所を考えなさい!!」
場所をはばからずいちゃつこうとする雪蓮に、冥琳の厳しい声が響き渡る。
「小鹿から、マタタビを得た猫になったな」
「全く…本当に困った人達ね」
年長者の余裕か冥琳は呆れ顔で、祭はニヤニヤしながら雪蓮を見ているが、他の純情娘達
には刺激が強かった。
「ケダモノだな…節操なしめ」
「姉様! 孫呉の王としてもっと慎みを持ってください。ブラッドも年中盛ってるんじゃ
ないわよ!」
思春は我関せずといった態度をとりながら嫉妬の混ざった冷たい視線を向け、蓮華は自分
のことは棚上げして鬼の形相で二人に食って掛かっていた。

「雪蓮お姉ちゃんシャオには駄目って言ってのにズルイよ」
「雪蓮様があんなに…私なら壊れてしまいます」
「雪蓮様がそんなになるなんて…。きっと物凄いことがあったんですね♪ それに比べ
ブラッドさんは全然平気、さすがですぅ♪」
小蓮は悔しさを隠そうとせず雪蓮を睨みつけ、穏は妄想を膨らませ、実は穏の想像通りか
もっと激しい事があったが、蕩けるような表情で体をくねらせていた。
そして、一番の純情娘はというと…。
「はぅ…パタン」
許容量を超えたのか、亞莎はその場で失神してしまった。
「あ、亞莎、しっかりして! げ…白目剥いてる」
「真っ赤な顔に真っ白な目が際立ってますね。あれ? 呼吸してませんね?」
「そんな暢気な事言って場合じゃないでしょ! は、早く医者を…」
「蓮華、お前も落ち着け」
「そうよ。王家の者がこの程度のことで取り乱すなんてみっともないわ」
「誰のせいですか、誰の!!」

一人パニクッている蓮華の絶叫が部屋に響き渡った。



[8447] 第11話:私の瞳の中のあなた(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:f825cc8a
Date: 2009/12/22 22:53
第11話:私の瞳の中のあなた


 反董卓連合に参加して以来、雪蓮と孫呉の評価は日増しに高まっていった。領民も独立
の気運が高まり町は活気に満ちていた。しかし、袁術がこの状況を見過ごすはずはなく
色々嫌がらせを考えていた。
「七乃、孫策がむかつくのじゃ」
「美羽様、どうなさいました?」
美羽はぷうっと頬を膨らませて怒っていることを主張するが、七乃は生暖かい目で見守っ
ている。
「最近の孫策は、主人である童を差し置いて目立ちすぎなのじゃ。一度ギャフンと言わせ
てやらないと童の気が済まんのじゃ」
「そうですね、じゃあちょっと嫌がらせでもして見ましょうか?」
完全に子供の癇癪で理不尽なことを平気で口にするが、それを平然と受け入れる七乃も
同類だった。
「何か上手い方法があるのか?」
「えぇ、お任せください」
にっこり笑顔で答える。その笑顔でこれまで多くの領民が苦しめられたが、全く意に介し
てなかった。

 雪蓮は美羽に出廷を命じられた。いつものように禄でもない話だろうと、うんざりした
表情で出廷すると、やっぱりろくでもない話だった。
「荊州で不穏な動き、ねぇ。で、私にどうして欲しいの?」
面倒くさそうな顔で適当に答える。これまで美羽の無駄な呼び出しは何度もあったが今回
も雪蓮の神経を逆なでする話だった。
「勿論、状況の調査じゃ。抵抗するならその場でやっつけてしまえ」
「その場でって、荊州は袁術ちゃんの領土じゃないでしょ? そんな勝手なこと出来ない
わよ。劉表と戦争するつもりなの?」
あまりにも非常識な命令に、雪蓮は疲れた表情で大きくため息を吐いた。
「そのつもりはないが、もしそうなったらお主が責任もって対処するのじゃ」
「あのねぇ、責任て袁術ちゃんの命令でしょうが。それに、うちは袁術ちゃんとこ程の兵
力はないわよ。兵を呼び寄せてもいいなら、考えてもいいけど」
「ただの偵察にそんなに兵は必要ないですよね? しかも精鋭揃いの孫策さんの兵なら
尚のこと問題ないですよね? まぁ、敵わないと思ったら逃げ帰って来てもいいですけど
「……」
軽い口調に嫌味を交えて、七乃は雪蓮の申し出を断った。七乃が雪蓮の考えを見透かした
とは思えないが、雪蓮は表情を強張らせていた。

 城に戻ってきた雪蓮は疲れた顔をしていた。
「おかえり。馬鹿の相手は大変だったでしょう?」
「えぇ、その場で二人纏めて切捨ててやろうかと思ったわ。全く、思い出しただけでも腹
が立つわ」
雪蓮は苦々しい表情で吐き捨てるように言うと、冥琳達に美羽の指示を説明した。
「確かにくだらない話ね。そして厄介な指示ね。袁術が私達の計画に気付いたとは思えん
が、無茶な事を言うわね」
「でしょ? でも今こっちの動きに気付かれるわけにはいかないから、聞かないわけには
いかないし…」
二人とも言葉が続かず考え込んでしまった。
「何か問題でもあるのか?」
「あぁ。計画実行に向けて既に蓮華様が行動を起こしている。こちらの計画に変更があれ
ば、速やかに報告せねばならん。雪蓮、蓮華様に状況の報告はどうするの?」
「必要無いわ。蓮華には当初の計画通り動いてもらうわ」
雪蓮は考えうる事態をシミュレーションして、あるいは感かもしれないが計画続行を指示
した。
「となると、気をつけるのは荊州の周辺事態への対応ね」
「荊州の周辺事態? やばい状況なのか?」
状況が把握できずブラッドが口を挟んだ。穏から周辺の状況について説明は受けているが
話半分で聞いていたことが判明した。
「荊州は交通の要で、国土も肥沃なので人口も多く栄えた場所だ。ここを治める劉表は有
能とはいえないが、強固な経済地盤のおかげで領民の不満は少ない。当然他の勢力もここ
を狙っているが、ここは後継者問題も抱えている。最近、劉表は劉備と懇意にしているら
しく、劉備も何かと相談に乗っているらしい」
「へぇ、あのぽやぁっとした子に相談して大丈夫なのかしら?」
「あれだけの豪傑を纏めているのだ。結構したたかな面もある。それに彼女の配下には
諸葛亮がいる。ただ、劉表が劉備の助言を取り入れれば、当然荊州は劉備の影響力を強く
受けることになる。これを曹操が黙って見逃すはずがない。荊州で我々が動けば、彼らの
争いに巻き込まれる危険もある。今の私達に、彼女達とやりあう力はまだないわ」
「なるほど、面倒くさい話だな」
「行動には細心の注意が必要ですね」
話半分で聞いていたブラッドは適当に相槌を打ったが、クーはしっかり把握していた。
「その通りだ。どうせ袁術は単なる嫌がらせで言っただけだろうが、私達にとっては由々
しき事態だ。全く、人を苛立たせることに関しては天才的だな」
その場に居合わせなかった事で余裕があるのか、冥琳は妙な感心の仕方をしている。しか
し芳しくない状況に表情は冴えない。

「じゃあ、その荊州には俺が行こう」
「お前が行くだと?」
「ご主人様、冥琳さんの話聞いてなかったんですか?」
ブラッドの予想外の申し出に冥琳とクーは否定的なニュアンスを込めて驚いているがブラッド
は気にせず持論を展開した。
「偵察にあまり兵は割けられないし、予期せぬ事態が発生した場合速やかに対処し雪蓮に
報告しなければならない。俺なら適任だ」
「確かに仰るとおりですが、ご主人様に細心の注意が出来るとは思えません」
「うーん…。ブラッドなら雑兵の100や200物の数ではないし、クーがいれば迅速な
連絡も可能ね。計画に組み込んでいる将兵を派遣するわけには行かないし、他に適任者が
いるかと言われると難しいわね」
ブラッドの派兵に冥琳とクーは反対だが、雪蓮は対案があるかも併せて肯定的に考えていた。
「分かったわ。じゃあ、ブラッドにお願いするわ。あと、案内役として亞莎も付けるわ。
良いわね亞莎?」
「わ、私ですか!?」
いきなり指名され、無防備だった亞莎は声が上ずってしまった。
「ブラッドは荊州までの道を知らないから、誰か道案内がいるでしょう? あなたも実戦
積まなくちゃいけないんだし、これも経験と思って頑張って。幸い二人とも荊州では知ら
れてないと思うから、変に警戒されることもないから大丈夫よ」
「は、はい…」
雪蓮の説明を聞きながら亞莎はブラッドを横目で見ていた。任務内容に不満は無いが、
ブラッドと行動を共にすることにかなり緊張しているようだ。
「じゃあ、宜しく頼む亞莎」
「よ、宜しくお願いします!」
亞莎はブラッドに対しかなり強い憧憬の念を抱いているらしく、緊張しながらも力強く答
えた。

「じゃあ早速で悪いんだけど、すぐに準備を整えて出発して。蓮華が計画通りに動いてい
るから、それに間に合うように動いて」
「分かりました。では兵を人選したら直ぐ出発します」
気持ちが軍師モードに切り替わったのか亞莎は表情を引き締めて行動に移った。

亞莎達を見送りながら雪蓮はもう袁術の我侭に対する怒りは無く、今後の展開について
考えていた。
「袁術ちゃんは何も考えてないでしょうけど、本当に荊州で何か動きがあるかもしれない
わね。私達が再び歴史の表舞台にあがる下拵えのようなものが」
「袁術が荊州に偵察を命じた事、そこにブラッドが赴く事、何かが始まりそうな予感は
するわね。もっともそれにブラッドが絡んでいるのだから、クーの言葉を借りれば本来の
歴史を逸脱しているのかもしれないけど」
「別にいいんじゃない? どうせ先のことは誰にも、ブラッドにもクーも分からないんだ
し、私達は自分が出来ることに全力で取り組むだけよ。それがどんなに困難な事でも自分
の力で切り開いていかなければならないわ」
天性の感のなせる業か、雪蓮は歴史が大きく動き始めていることを実感していた。


 ブラッドと亞莎は荊州との州境に来ていた。当初予定していた兵も、ブラッドがいれば
大丈夫と二人だけの偵察となった。ブラッドと二人きりということで亞莎は少し緊張気味
である。
見通しの良いだだっ広い荒野に人影は無く、隠密行動をとるには難しい場所だった。
ブラッド達は一通り周辺の状況を調べたが、特に異常は無かった。
「全く何にも無いな」
「分かってはいましたけど、問題無さそうですね」
「袁術の嫌がらせですからね。あったらあったで面倒なので何もなくてよかったです」
雪蓮の指示による初仕事が無事に済みそうで亞莎はほっとした様子である。しかし、クー
の言葉が、それを許さない状況が起こることを示していた。
「…あれ? ご主人様、向こうに人がいます。武装してるようです」
クーが指差した先、およそ2,3キロ先で豆粒程度にしか見えない人影が動いていた。
「何? あぁ、いるな。向こうもこっちに気付いたみたいだな。こっちに来るぞ」
「え? どこにいるんですか?」
ブラッドも人影に気付いたが亞莎には全く見えず、少しうろたえていた。豆粒は段々大き
くなって亞莎でもそれが人だと視認できる距離まで近付いてきた。

 近付いてきたのは将兵クラスの者が3人と兵が数人。全員武装していて中には見覚えの
ある者も居た。
「待て、貴様らそこで何をしている!?」
会うなり居丈高に挑発するのは見覚えのある短絡人間。春蘭だった。ブラッドの事は記憶
の彼方に追いやって覚えてないらしい。
「惇ちゃん、いきなりそれは拙いって。済まんな、この子ちょっとアレやから」
「気にするな。そいつがバカで単細胞なのは知っている」
「な、何だと貴様! バカと言った奴がバカなんだぞ、このバカモノ!」
「…子供かお前は」
相手していられないとばかりに、ブラッドは少し見下した態度をとった。それが春蘭の僅
かに残った記憶を呼び覚ました。
「ちょっと待て。その人を馬鹿にした態度と軽薄な風貌には、見覚えがあるぞ。…あぁ! 
貴様はブラッド・ライン! あの時はよくもコケにしてくれたな!」
春蘭は、華琳からブラッドが春蘭を敵と見なしていないと言われた事を、ブラッドに言わ
れたと置き換えているようだ。ブラッドにとっては言い掛かりでしかないが、一々相手を
するのも面倒なので聞き流した。

「…こんなのと一緒に居て疲れないか?」
ブラッドは春蘭の罵倒を聞き流して少し同情の念を抱きながら宥め役の将兵、張遼こと霞
に声を掛けた。
「いや、慣れると可愛いもんやで。まぁ、それはいいとして、あんたブラッド・ライン言
うんか?」
「そうだが、それがどうした?」
「ほぉ、あの恋と引き分けた化け物ってあんたの事やったんか?」
虎牢関での一件は、霞も良く知っている。天下無双と謳われた恋と互角に渡り合い、一部
では江東の狼(命名華琳)と呼ばれている者を前にして、霞の武人として血が騒いだ。
しかし、ここで暴走しないのが春蘭との大きな違いだった。

「うちの名は張遼。覚えといてや。いずれ、あんたとはやってみたいけど、今はええわ。
それで、孫策配下のあんた等が何でここにおるん?」
霞は個人的な興味は棚上げして、ブラッドの隣にいる亞莎に尋ねた。
「私は孫策が配下、呂蒙という者です。私達は荊州に不穏な動きがあるとの報告を受け、
袁術様の命により調べていただけです。あなた達は魏の方達とお見受けしますが、劉表が
治めるこの地に何故いるのですか?」
亞莎が澱みなくスラスラと答える。人見知りが激しく、いつもたどたどしい話し方だが、
隣にブラッドがいることで余裕があったのか、それとも単によく見えないだけなのか霞の
鋭い眼光にも物怖じせず対等に渡り合っている。
「袁術の? ほぉ、ということは袁術がここを狙うてるって事か? それとも、孫策の次
の目標がここって事か?」
霞の視線が更に鋭くなった。荊州の重要性を理解しているからこそ、自分達も危険を犯し
て偵察をしているのである。孫策が独立後の対策を講じていると考えるのは当然だった。
「質問の意味が良く分かりません。私達は、ただ主の命に従っているだけです。それと私
の質問にまだ答えて頂いていませんが?」
亞莎は霞の質問に答えず自分の質問に対する回答を先に要求したが、亞莎の態度が気に入
らなかったのか、春蘭が首を突っ込んできた。
「答える必要は無い!」
「…必要は、無い? こちらはあなた達の質問に答えているのに、あなた達は聞くだけ聞
いてこちらの質問に答えないのでは筋が通りません。それとも、答えられないような事を
するつもりだったのですか? 曹操は、随分劉備を気にしているようですね?」
「な、何だと!?」
いきなり華琳(曹操)と桃香(劉備)の名を出され春蘭は激しく狼狽した。これでは肯定
しているのと同じだった。

「何だ、曹操も見た目通りの奴か」
「貴っ様ぁ!!!」
ブラッドの華琳を小馬鹿にする挑発に激昂した春蘭が七星餓狼を振り上げたが、ブラッド
は無防備に間合いに入った前回とは違い、今度は風の魔法を駆使して瞬時に距離を詰め
春蘭の手を取り、動きを封じた。しかし僅かに目測を誤ったのか、両者の距離は限りなく
ゼロに近く、ブラッドは思わず片方の腕で春蘭を抱き寄せてしまった。
「ひっ!!」
「え…?」
「はわっ」
「ほぉ、やるやん」
突然の出来事に春蘭は硬直し、他の女の子達も次の展開を固唾を呑んで見守っていたが
ブラッドだけは全く気にしていなかった。
「な、何を…」
「お互い他人の庭先でこそこそやってるんだ。今は穏便にいった方がいいんじゃないのか?」
「…あ…う」
「ここで騒ぎを起こせば劉表だけでなく劉備、袁術も動き出す。それでもいいのか?」
ブラッドにとってももどかしい状況だが、呉の置かれた状況と力をフルに使いこなせない
自分の状態を考えると無駄な戦いは避けたいところだった。
「わ、分かった…」
春蘭はまだ硬直が解けず、ずっと抱きしめられたまま呆然とした表情でブラッドを見つめ
続けていた。真っ直ぐブラッドに見つめられ、小さく肯くのが精一杯だった。

「と、取り合えず大事にならずに済んでよかったわ。無傷で惇ちゃん止めてくれたんは感
謝するわ。あんたの言う通り、ここで遣り合ってもお互い得になる事は何も無い。うちら
はこのまま城に戻るつもりやけど、あんた等はどうする?」
春蘭が大人しくなったのを見計らって霞が声を掛けた。霞は春蘭とは違い状況を確り把握
している。ここで遣り合ってもデメリットしかない事を理解していた。
「状況は確認したので俺たちも城に戻る」
最初から争う気のないブラッドもあっさり同調した。
「惇ちゃん行くで!」
「え? あ、あぁ分かった」
春蘭はまだ惚けていたが、霞の声ではっと我に返るとブラッドを一瞥して霞達とその場を
立ち去った。

 城に戻る途中、今まで黙って成り行きを見守っていたもう一人の将兵、楽進こと凪が霞
に声を掛けた。
「霞様」
「何や?」
「あの男が、華琳様が要注意人物と言っていたブラッド・ラインですか?」
「本人もそう言うとったし、物忘れの激しい惇ちゃんが覚えとったんやからそうやろうな。
まさか、こんな所で会うとは思わんかったで」
脳の大半が筋肉で出来ていると言われている春蘭の僅かに残った記憶素子にさえブラッド
に関する情報が残っていたのだから、ブラッドに対する印象が鮮烈だったことが分かる。
「春蘭様が抜刀すると同時に間合いに入った踏み込みの速さは、尋常ではありません。
飛将軍呂布と互角に遣り合ったのも肯けます。霞様は呂布将軍の事はよくご存知かと思い
ますが、ブラッドの実力をどう見ますか?」
「恋の強さは化け物並やけど、ブラッドは実際にやってみんと本当の実力は分からん。
まぁ、惇ちゃんが放心状態になるくらいの実力があるのは分かったわ」
そう言って霞が向けた視線の先で、春蘭はうつむいて何やら呟いていた。

「い、一度ならず二度までも奴は私の中に入ってきた。奴の動きの速さは分かっていた
はずなのに情けない。そ、その上、奴に抱きしめられ、こ、恍惚と…」
言いかけた春蘭の体が硬直する。どうやら春蘭の頭の中ではブラッドの熱い抱擁が何度も
フラッシュバックしているらしい。熱に浮かされたように頬を赤らめたと思うと急に奇声
をあげた。
「あああああーっ!!! この身も心も華琳様に捧げたというのに、あんな男に体を預け
るとは夏侯元穣、一生の不覚。かくなる上は、刺し違えてでもブラッドを倒すしかない! 
この次会った時こそ貴様の最後だ。首を洗って待っていろ!!」
一人身悶えしたかと思うと、急に闘志を滾らせここに居ないブラッドを挑発する春蘭を霞
達は生暖かい目でみていた。
「…何か楽しそうな事やっとるな?」
「そうですね。まぁ、そっとしておいてあげましょう」
結構冷たい対応の凪だが、霞も関わるのが面倒なので放置する事にした。


 一方、ブラッドは遠ざかっていく春蘭達を見ながら苦笑いを浮かべていた。
「相変わらずな奴だ」
「でも、冥琳様が懸念されていた事が現実のものとなるかもしれません。これからと言う
ときに戦乱に巻き込まれるわけにはいきません」
楽観的なブラッドと違って亞莎は事態を深刻に捉えているが、ブラッドは別のことを考え
ていた。
「そういう事は、雪蓮や冥琳が考えればいい事だ。それより、あいつ等を前にして臆せず
堂々と遣り合ったのは意外だった。少し見直したぞ」
「え? あ、ありがとうございます。ブラッド様が傍にいてくれたのが心強く、ちゃんと
対応出来たのだと思います。それに、相手の顔も良く見えなかったので、あまり怖く無かった
です」
思いがけずブラッドに褒められて、亞莎は恥ずかしそうに頬を赤らめている。相手の顔が
良く見えない分、闘気や気配には敏感な筈だが春蘭達の注意が主にブラッドに向けられて
いたことも幸いだった。

 しかし、亞莎は自らの発言で墓穴を掘ることとなった。ブラッドは怪訝そうな顔を作っ
て亞莎に尋ねた。
「顔が見えなかった? それはそれで少し拙いな。お前は、あいつ等の姿をどのくらいの
距離で確認出来たんだ? ただ姿が見えたとかじゃなくて、味方ではないと認識出来た
距離だ」
「え? えっと…その辺くらいです」
亞莎が指差した場所はぼんやり姿が見えた距離で、はっきり認識できた場所はもっと手前
だった。目の事はあまり触れて欲しくないのか、少し表情を曇らせた。
「お前の目って戦場では致命傷じゃないのか?」
「はぅ…」
「亞莎さんは極度の近視に乱視まで入ってます。戦況を見渡し瞬時に判断しなければなら
ない軍師の任務を続けるのは難しいと思います」
悪気はないが、ブラッドとクーの容赦ない指摘に亞莎は泣きそうな顔で俯いてしまった。
人間より遥かに高い視力を持つブラッドにとって、亞莎の視力は大きなハンデにしか見え
ず軍師という重要任務を担えるのか疑問に思っていた。
「で、でも、今までは問題なく出来てました。それに、私を推挙してくださった蓮華様の
期待に応えるためにも、私は結果を出さないといけないんです」
ブラッド達の辛らつな物言いに、亞莎は泣きそうな顔で反論した。流石に拙いと思ったの
か、クーのフォローが入った。
「言葉足らずでした。申し訳ありません。ですが、その目が亞莎さんの能力の足かせに
なっているのも事実です。私達は、といっても実際にやるのはご主人様ですけど、亞莎
さんの視力を回復して差し上げようと考えているのです」
「そ、そんなことが出来るのですか?」
突拍子のない話に、亞莎は目を大きく開いてブラッド達を見つめている。

「理論的には可能です。近視、遠視は通常より焦点深度が前後にずれている状態で、乱視
は角膜や眼球の歪によるものです。これを正常な状態に戻せば、亞莎さんの視力は回復す
るはずです。ただ私もご主人様も医者ではありませんので、完全に治すことは出来ません。
しかし、代謝を飛躍的に高めて回復させることは可能です。亞莎さんの目は、先天的なも
のではなく後天的な要因で悪化したものなので、上手くいくと思います」
「はぁ…そうなんですか?」
初めて聞く言葉のオンパレードに亞莎は普段の鋭い目を丸くしている。
「まぁ、悪いようにはしないから安心しろ」
部下を左遷する管理職のような物言いで言いくるめるブラッドだった。

 ブラッドは城には直行せず、わき道に逸れて森の方に進んでいった。
「ブ、ブラッド様、どこに行くんですか?」
怪しくなる雰囲気に、亞莎が恐る恐る尋ねた。天の御遣いであるブラッドの事は信用して
いるが、本能的に身の危険を感じて腰が引けている。
「荒野のど真ん中では、お前も気分が乗らないだろ?」
「き、気分? そ、それは、どういう事ですか?」
ブラッドに対する信用より未知への恐怖が勝り、段々声が上ずって表情が引きつっている。
「亞莎さん、落ち着いてください。あまり緊張して力が入りすぎると痛いので、気を楽に
してご主人様に身を任せてください。では、私は暫く消えますので、ご主人様、後は宜し
くお願いします」
「え? ちょ、ちょっと、クーさん?」
言うだけ言うと、クーは戸惑う亞莎を残して文字通り消えてしまった。

「じゃあ、始めるか」
「え? あの、ま、まだ心の…はぅ」
混乱しっぱなしの亞莎を構わず抱きしめ、軽いタッチのキスをする。それだけで亞莎の混
乱度が上昇し、意識が朦朧としてくる。
「はぅぅ…。ブラッド様、こ、これのどこが治療なんですか?」
およそ治療とは思えないブラッドの行動に亞莎は精一杯の抵抗を示すが、それはブラッド
の嗜虐心を煽るだけでしかない。ブラッドは亞莎の体を隅々まで弄りながら耳元で囁いた。
「心と体を楽にして、俺に身を委ねろ。安らかな気持ちで受け入れれば、お前は至福の時
を得ることが出来る」
「あふ…はふ…ぶ、ブラッド…様…はぅぅっ!」
ブラッドに触れられ、指先から送り込まれる刺激が亞莎の体と心に浸透する。最初は訳が
分からず戸惑っていたが、それが快感だと自覚すると体は更に敏感に反応した。
「ふ、可愛いぞ」
ブラッドは亞莎の反応に満足そうに笑みを浮かべ、更に亞莎の胸や下腹部だけでなく全身
を愛撫する。亞莎も混乱しながら素直にブラッドの言うことを聞いて、全身の力を抜いて
体を預けた。
「はぅ…あぅ…」
全身を快感が洪水のように駆け回り、自由を奪われた亞莎は身も心も蕩けていった。


 行為を終えて二時間ほど経過後、ずっと放心状態だった亞莎がようやく反応しだした。
「はふぅ…」
「どうだ、気分は?」
「はぅ…頭の中が真っ白で体もふわふわします。それに顔、特に目の周りがパリパリする
のは何故でしょうか?」
うつろな表情で答える亞莎。目の光はまだ弱々しいが、血色は良く肌は艶々している。
「早く効果を出すために普通とは少し違うことをしたが、体に害は無いので気にするな」
ブラッドは具体的な説明を省いてはぐらかすが、亞莎もまだ頭が働かないのか追求しない。
「初めての方にあれはショックが大きかったみたいですね。というか普通やりませんよね。
直接ぶっ掛けるなんて。亞莎さんは途中で意識が飛んでたみたいですから、この程度の
ショックで済んだのかもしれませんが、下手すると人格崩壊ものですよ」
クーが言うように、亞莎は怒涛のように押し寄せる初めての感覚に途中から意識が飛んで
記憶があやふやになっていて、ブラッドに蹂躙された記憶も無かった。
「今回は、効率を高める為のやむを得ん措置だ。次からは普通にしてやる」
「は、はい…ありがとうございます」
亞莎はまだ頭が殆ど回っていないらしく、意味も分からずに返事をしている。

 しかし、次第に意識がはっきりしてくると自分がブラッドに何をされたのか分かってき
た。自分が愛され、女にされた事も本能的に理解し、頬を赤らめ無意識に下腹部に手を
当てていた。
「ブラッド様…私が天の血を受ける器の一人であることは承知していますが、今回の事は
何か関係があるのでしょうか?」
器の役目に不満は無く、寧ろ光栄な事だし、ブラッドに対しては憧れに近い思いを抱いて
いる。しかし、今回のブラッドの唐突な行動は理解を超えていたらしく、亞莎はブラッド
の顔色を伺うように尋ねた。
「視力回復のためと言ったはずだ。周りを見てみろ」
「え? あ…す、凄いです。眼鏡を掛けずにこんなにはっきり見えるなんて」
言われるまま周りの目を向けると、亞莎は思わず息を呑んだ。今までぼんやりとしか見え
なかった景色がクリアな映像で視界に飛び込んできて、亞莎の意識が一気に覚醒した。久
しく見ることの無かった世界に感動していた。
「今までとは見え方が全然違うはずだから、慣れるまで我慢しろ」
「は、はい、ありが…はうっ!」
満面の笑みをブラッドに向けた瞬間、亞莎は弾かれるように大きく仰け反った。
「どうした?」
「ブ、ブラッド様のお顔が眩し過ぎて直視出来ません」
「はぁ?」
「悪い顔ではありませんし、実際に一目惚れした方もいらっしゃいますが、別に眩しくは
ないですよね?」
亞莎の過剰な反応にブラッド達は呆れ顔だが、亞莎は真剣そのものだった。
「そんなことありません。天の御遣いであり、私に新たに光を与えてくださったブラッド
様は凛々しくて神々しくて、直視したら石になっちゃいます」
「…それはちょっと違うと思うが。とにかく、そんな調子ではこれからが大変だ。とりあ
えず、徐々に慣れるしかないな。というか慣れろ」
「は、はい…」
亞莎はチラチラ横目で見ているが、その度に仰け反ったり顔を背けたりと慣れるまでには
時間が掛かりそうだった。しかし、ブラッドにくっ付くように寄り添って離れないあたり、
成長の後も窺えた。


 城に戻ったブラッド達は、状況報告のため雪蓮の元に向かった。亞莎も落ち着いたらし
く表情も普段どおりに戻っているが、まだ頬は上気していた。
「お疲れ様。何か色々あったみたいだけど、どうだった?」
頬を赤らめブラッドに寄り添っている亞莎を見て雪蓮はニヤニヤしているが、雪蓮の真意
が良く分かっていない亞莎は、普通に状況報告をした。
雪蓮も報告の内容を聞くとおちゃらけモードを一掃し、王の顔に戻った。
「相変わらず抜け目無いわね。夏侯惇と張遼をわざわざ偵察に使うって事は曹操が荊州を
重要視している証拠ね」
「そして、向こうも私達が同じ事を考えていると考えただろう。想定の範囲内とは言え
喜ばしいことではない」
「袁術ちゃんを倒しても、更に強力な敵が待ち構えてるってことね。本当に気が抜けない
わね」
「まぁ、曹操も袁紹と馬騰を倒させねば南進出来ないはずだし、劉備の動きも無視できな
いから、直ぐ荊州を取りに来る事はないわ。私達は、まず自分のやるべき事をしましょう」
「えぇ、分かったわ。それはそうと、亞莎眼鏡はどうしたの?」
一通りの報告と対応が決まり、雑談モードに切り替わった雪蓮が気になっていた質問を本
人にぶつけた。
「え? こ、これはブラッド様に治していただいて…」
治療法を思い出した亞莎の顔が真っ赤になり、雪蓮の興味が更に増した。
「ブラッドに? あなた医術の心得もあるの?」
「それほど立派なものじゃない。代謝を活発化て治癒力を高めただけだ」
「よく分からないが、それは活性術の類と考えて良いのか?」
「活性術? まぁ、似たようなものだ」
治癒能力、肉体再生能力はブラッドにとって生まれた時から当たり前に備わっている能力
であり、説明を求められても上手く答えられなかった。
「まぁ、何にせよ亞莎の視力が回復したのは良い事だわ。それって冥琳や穏にも…」
「私は今のままでも不自由はしてないから必要ない」
本能的に身の危険を感じたのか、冥琳が速攻で断りを入れた。
「冥琳と穏か…。どちらもそそられるな」
「だから私はいいと言っている。…穏は好きにしても良いが」
思案顔のブラッドから何やら不穏な空気を感じ取り、部下を生贄にしてでも予防線を張る
冥琳だった。



[8447] 第12話:新しい時代の幕開け
Name: PUL◆69779c5b ID:af5d3e39
Date: 2009/10/27 23:21
第12話:新しい時代の幕開け


 荊州でブラッド達とニアミスした霞達はすぐ自分達の本拠地、許昌に戻り華琳に事の次
第を説明した。
「考える事は同じって事ね。孫策も荊州に狙いを定めたのね」
「まだ独立さえしてないのに、随分気の早い話ですね」
特に驚いた様子の無い華琳に対し、桂花はブラッド絡みなのが気に入らないのか、苦り
きった表情で口調も刺々しい。
「孫策が独立するのは時間の問題よ。その後のことを考えるのは当然よ」
「そ、それはそうですけど…」
華琳に諭されると、桂花はそれ以上言えなくなり悔しそうに口をつぐんだ。

「荊州を攻めるにしても、まずは目の前の袁紹を何とかしないといけないわ。今はそっち
に集中しましょう。それと、さっきから気になってたけど、春蘭はどうかしたの?」
霞達が華琳に状況を報告している間、春蘭は俯いて何か考え込んでいるように見えた。
「姉者が考え事をしている姿は新鮮で、これはこれで可愛らしいが、今はそういう状況で
はない。何があったのだ?」
「うーん。惇ちゃんの名誉の為、黙っとったんやけど…」
霞は春蘭の様子を伺いながら、ブラッドとのやり取りを説明した。

「一度ならず二度までもあの男に後れを取るなんて。本当に情けないわね」
「く…」
「そう言うけど、あのブラッドっちゅう奴はとんでもないで」
「えぇ。恐らく接近戦での戦いを得意とすると思われますが、あの踏み込みの速さは尋常
ではありません。もし戦場でブラッドと対峙した場合、我々も相当な覚悟で望まねばなり
ません」
桂花の意地悪な物言いに悔しそうに俯く春蘭に代わって、霞と凪が反論した。
「呂布を退かせた男なんだし、苦戦するのは仕方ないわ。でも、春蘭もこのまま引き下が
るつもりは無いでしょ? あなたは曹魏の武を司る者なんだから」
「も、勿論です! 戦場で会ったときは、必ずや我が七星餓狼で打ち倒して見せます」
華琳の言葉に即座に立ち直った春蘭が、力強く宣言した。しかし、ブラッドに抱き締めら
れたときの春蘭の心情は、華琳も現場に居た霞達も、春蘭本人でさえも分かっていない。


独立に向け着々と準備を進めている雪蓮達も、呉を取り巻く環境の変化を敏感に感じ
取っていた。
「雪蓮、曹操と袁紹の緊張が高まってるらしいわ」
「いよいよ動き出したわね。どっちが勝っても私達にとって脅威になる事は間違いないけ
ど、冥琳はどっちが勝つと思う?」
「普通に考えれば、兵力の差からいって袁紹でしょうね。でも、戦に絶対はないし、将の
器では曹操が圧倒しているし兵力も侮れない。それに、あの曹操が勝ち目のない戦を仕掛
けるはずがないわ。今後の事を考えれば袁紹に頑張ってもらいところだけど、天運は曹操
にありそうね」
「どっちが勝っても次の標的は劉備か劉表よね? 私達は、当面の敵を叩くことに集中し
ましょう。蓮華は何て言ってるの?」
「準備を整え、既に行動に移ったそうよ」
「いよいよね。これからが正念場よ、頑張りましょう」
独立への準備は全て完了し、後は行動へ移すのみとなった。

 行動の前段として、雪蓮は荊州偵察の報告のため、美羽の元を訪ねていた。
「袁術ちゃん、この前の荊州の偵察の結果だけど、良くない知らせよ」
「な、何じゃ? 言うてみよ」
「曹操の手の者がうろついていたそうよ。見つかると拙いから近くに寄れずはっきり確認
出来なかったけど、夏侯惇と張遼だったらしいわ」
「か、夏侯惇と張遼じゃと? ううむ、妾の睨んだ通りの展開じゃ」
「さすが美羽様、素晴らしい慧眼です♪」
「…で、どうするつもりなの?」
思い付きが偶々当たっただけでよくもそこまで得意になれるものだと呆れつつ、雪蓮は
美羽達の方針を引き出そうとした。

「曹操さんは、荊州を攻め込むつもりなんですか?」
「多分ね。今は袁術ちゃんの従姉妹の袁紹と睨み合ってる最中でそれどころじゃないから
すぐに攻め込む事はないでしょうけど、手は打っといた方が良いんじゃない? 荊州に偵
察を送ったという事は、袁紹に勝つつもりでしょうから、そっちの方も手を打った方が良
いんじゃない?」
「うーん…。妾の娘がどうなろうと妾には関係ないが、曹操に荊州を取られるのは嫌じゃ。
七乃、どうすればいいのじゃ?」
偉そうな態度をとっているが何も考えていない、そもそも考える能力の無い美羽は七乃に
意見を求めた。
「うーん…荊州はまだ劉表さんが治める地ですから、いきなり軍を展開するわけにはいき
ませんよんね。ここは一つ、曹操さんが攻めてきたら、援軍を出すふりりして乱戦に乗じ
て両方ともやっつけちゃいましょう」
「おぉ、それは名案じゃ。さすが七乃じゃ」
「ありがとうございます。じゃあ、そんな感じでお願いしますね♪」
「はぁ? 私にどうしろって言うのよ?」
七乃の無茶振りも想定の範囲内だが、雪蓮はいつものように驚いた顔を見せた。

「あの夏侯惇さんがうろうろしても気付かない劉表さんなら、少しぐらい軍を展開しても
大丈夫ですよ。それに、いきなり国境に大軍を展開すれば、私達が先に劉表さんから警戒
されますから、曹操さんが攻め込んで戦況を見ながら状況をこちらに伝え、臨機応変に対応
してください」
要するに、全て雪蓮の判断で状況を打破せよと言ってるのだが、雪蓮達に対する警戒心は
皆無だった。
七乃は美羽ほど愚かではなく、有能な部類に入る軍師兼将軍である。しかし、肝心なと
ころで抜けている為、そこを雪蓮たちに突けこまれているのだが気付いていない。しかし
自分の軍を小間使いのように使う七乃に対し、怒りが込みあがる。
「簡単に言うけど、いつ始まるか分からない戦のために軍を駐留させるのは意味が無いわ。
大体、私達にそんな兵力は無いわよ。袁術ちゃんとこの方が兵が多いんだから、そっちで
やってよ。地方に散らばってる兵を集めない限り、私達には無理よ」
「ならば、許可する。その者達を集めても構わんから軍を編成するのじゃ」
「…了解。早急に軍を編成するわ。じゃあね」
あっさり許可する美羽に呆れ顔だが、雪蓮は美羽の気が変わらないうちに、表情を変えず
にそそくさと自陣に戻った。


 遂に運命の日がやって来た。雪蓮が軍を編成して荊州に進軍する準備を完了したころ、
突然武装蜂起した農民の大軍に度肝を抜かれた美羽が、雪蓮に出陣要請をしてきた。雪蓮
はこれを了承し、蓮華達とも合流しいよいよ決戦開始となった。
「ようやく、ここまで来たわね」
「そうだな。だが気を緩めるのは早い。私達の歴史は、これから始まるのだから」
珍しく感慨深げな表情を浮かべる雪蓮に、冥琳の叱咤激励が飛ぶ。
「分かってるわよ。念願の孫呉復興まであと一歩ってところまで来たけど、これは元に
戻っただけ。止まってた歴史が、また動き出すだけよ」
「そうです。新生孫呉の力、天下に知らしめるときは今です!」
雪蓮の言葉に蓮華も続き、気持ちは否応にも盛り上がっていった。

そして、全軍を前に雪蓮の大号令が始まった。
「孫呉の民よ! 呉の同胞達よ! 待ちに待った時は来た! 栄光に満ちた呉の歴史を。
懐かしき呉の大地を! 再びこの手に取り戻すのだ! 敵は揚州にあり! 雌伏の時を経た
今、我らの力を見せつけようではないか! これより孫呉の大号令を発す! 呉の民よ! 
その命を燃やしつくし、呉のために死ね! 全軍、誇りと共に前進せよ! 宿敵、袁術を
打ち倒し、我らの土地を取り戻すのだ」

「おおおおお!!!」
雪蓮の言葉に将兵達が、兵士達が奮い立ち、決戦に向けて気分は一気に高まっていった。
しかし、ブラッドは完全に蚊帳の外だった。物理的には直ぐ傍にいても精神的にはずっと
遠くにいて、何の感慨も無く眺めている雰囲気である。
「……」
「どうしたのブラッド?」
ブラッドの浮いた雰囲気を察知して、蓮華が声を掛けた。
「なぁ、栄光に満ちた呉の歴史とか雌伏の時とか言ってるが、実際何年くらいこの状況が
続いたんだ?」
「え? そうねえ国を興したのはお母様だけど、その前から呉の人々は生活してたから
多分数十年位にはなると思うわ」
「…そうか」
「どうしたの?」
「いや、俺は呉とは関係ないから良く分からんが、思うところがあったという訳か。盛り
上がってるところに水を注しても良くないから、これ以上は何も言わん」
人間と竜では、時間の感覚が全く違う。竜にとって数十年前は、つい最近の感覚しかない。
その程度の時間で歴史とか雌伏の時とか大げさに言って盛り上がっている人間が、凄く儚
い存在に見えてしまう。
「ご主人様、雪蓮さん達の思い入れは私達の理解の及ばない部分かもしれませんが、ご主
人様にはご主人様のやるべき事があります。今はそれに集中しましょう」
「そうだったな。歴史を変えるほど活躍しないと駄目だったな」
「そうです。出遅れるわけにはいきませんよ」
クーに諭され、闘う意義を再確認したブラッドもモチベーションを高めっていった。

「全軍、攻撃!!!」
「おおおおお!!!」
考え事をしている間に雪蓮の攻撃命令が下り、全軍が突撃開始した。
「ブラッド、蓮華の傍についてくれないかしら?」
「は? 構わんが、俺に軍と連携した行動を期待しても無駄だぞ?」
今まで好き勝手に暴れてきて、それで好結果を生んでいただけに、雪蓮の申し出は受け入
れ難いものだった。
「連携しろなんて言ってないわ。あの子の傍で闘って欲しいの。あなたがいれば、あの
子も緊張せずに能力を発揮出来ると思うから」
今の雪蓮は王ではなく、姉の顔に戻っている。過保護な気がしないでもないが、これから
孫呉を代表して戦うことになる次期後継者の大舞台に、気を遣っているようである。
「今日は宜しくね」
蓮華は少し畏まった表情だが、大舞台でブラッドと共に戦える事に気持ちが昂ぶっていた。
「俺とお前達とでは、目的は違うが手段は同じだ。俺が協力出来る事はあまりないかもし
れないが、宜しく頼む」
「問題ないわ。あなたが私と一緒に戦ってくれる。それだけで十分よ。勝利を目指して
頑張りましょう」
ブラッドの言葉を受け、蓮華は熱い瞳で答えた。“私“ではなく”私達“と言わなければ
いけないところだが、雪蓮は今まで以上に自分を出している蓮華に満足そうな笑みを浮か
べていた。
 
 雪蓮達は戦局を優勢に進めていた。兵力では袁術軍に及ばないが、兵士や将軍など個々
の能力は袁術軍を上回り、なによりモチベーションで圧倒していた。中でもブラッドは目
覚しい活躍を見せていた。モチベーションは大きく落ちるが、現時点で恋と互角の能力を
発揮するブラッドにとって、目の前の雑兵は物の数ではなかった。次々と力任せになぎ倒
し、死体の山を築いていった。
「ご主人様、今日はサンプルが沢山あるので色々試せそうです。暴走しない程度に頑張っ
てください」
「分かった。じゃあ練習中の火の魔法で…」
ブラッドは向かってくる敵兵を魔力を込めた拳で殴り倒した。
バキッ!
「ぐわ…」
殴った瞬間火花が散り、敵兵は遥か後方に吹き飛ばされた。本当は火の魔法を発動させ
一瞬で焼き尽くすつもりだったが、火の影響より物理的に殴り倒した時の裂傷の方が大き
く、敵兵の顔も少し火傷した程度で思い通りの結果は得られなかった。
「また失敗か。上手くいかんな」
中々思い通りにならない状況に、ブラッドは少しイライラが募って軽く舌打ちした。
「まぁ、下手な鉄砲も何とやらです。どんどんいきましょう」
「…仕方ない。これも訓練と思ってやるしかないか」
クーの声援を背に、ブラッドは気を取り直して敵兵をなぎ倒し続けた。
魔法の発動率は低く失敗も多かったが、基礎体力そのものが桁違いなので、ブラッドの
動きを止めるものは居なかった。ブラッドは、雑草を刈るように群がる敵兵をなぎ倒して
いった。

ブラッドの戦いぶりは、味方さえも圧倒していた。全員がそれぞれの持ち場で兵を指揮
しながら、ブラッドの戦いに目を奪われていた。
「す、凄い…。黄巾党と闘った時とは、比べ物にならないくらい遥かに強くなってるわ」
「城ではただの節操無しだが、戦場では鬼神だな」
「はぁ…ブラッド様、格好良いです」
「武器を使わず己の拳のみで敵を屠る、か…。漢よのう」
「呂布と互角の能力なら、これくらい当然でしょ?」
期待以上の働きに、雪蓮は少し得意げな表情で胸を張った。

味方は見惚れてもそれほど問題は無いが、攻撃される側はそれどころではなかった。袁
術軍を預かる七乃は、ブラッドの超絶ファイトに圧倒されていた。
「あぁん、もう! 何ですか、あそこで一人で非常識に暴れ回ってる化け物さんは? 
あの人一人に、我が軍はメチャクチャにされてるじゃないですか!?」
七乃にとってもブラッドの戦い方はこれまでの常識を超えていて、殆どお手上げ状態だった。
「張勲将軍、このままでは陣形が持ちません。指示を!」
「指示って、こんな状況じゃ撤退するしかないじゃないですか。全軍撤退です」
戦況は誰の目にも明らかで、七乃は軍を纏めて帰還した。


 孫策軍はこの好機を逃さず、勢いを止めずに一気に城の手間まで押し寄せて行った。
「よし、このまま突っ込むぞ!」
「えぇ、分かったわ!」
「待ちなさい!」
一気呵成に城攻めを仕掛けようとしたブラッドに蓮華も同調したが、雪蓮のストップが掛
かった。
「おい、この流れを止めるのか?」
「ブラッドの言う通りです。敵が総崩れになった今が絶好の好機なのに、何故止めるのです!?」
ブラッドに同調して蓮華も不満げな表情を浮かべるが、そんな様子を見て雪蓮は大きく溜
息を吐いた。
「あのね、少しは状況を見なさい。城内の兵の動きに乱れは無いでしょ? さっきの戦い
で袁術ちゃんの兵は出てないし、戦力は整っているわ。そんな状況で突っ込んだら袋の鼠よ。
蓮華、あなたもブラッドと一緒になって何やってるのよ? 軍を預かる者が後先考えずに
先走ったら、部下を殺すことになるのよ?」
「も、申し訳ありません」
雪蓮の厳しい言葉に一気に気持ちが萎え、蓮華はしゅんとなってしまった。戦闘時におい
て卓越した状況判断能力を持ち、勝負どころを見逃さない天性の感を備える雪蓮と今の
蓮華では実力差がありすぎた。
 しかし今まで自由にやってきたブラッドは、納得していないようすだった。
「俺一人なら問題無い。中から引っ掻き回すから、お前達は頃合を見て突撃しろ」
「中々魅力的な提案だけど、それも駄目」
「…理由を聞こうか」
王である雪蓮に対し、ブラッドは上から目線で説明を求めているがその事を咎める者は居
なかった。
「ブラッドの天下無双の武を考えれば、遅れを取る事はないだろう。だが市街戦になれば
一般人にも危害が及ぶ。今後この地を治めることを考えれば、領民を戦乱に巻き込むわけ
にいかん。何より、どさくさに紛れて袁術を取り逃がす恐れもある。そうなっては意味が
無い」
「…そういうことか」
雪蓮に代って冥琳が理由を説明すると、手っ取り早く全員殺せばいいと安易に考えていた
ブラッドも納得した。

「じゃあ、これからどうするつもりだ?」
「そうね。袁術ちゃんも健在だし兵の士気もまだ落ちてないから、体制を整えたらまた
出てくるでしょう。その時が勝負よ」
「篭城しても援軍が来る可能性は極めて低いし、打って出るしかない。全軍でぶつかって
くるはずだから、私達もそれ相応の覚悟で臨まねばならない」
決着のときが近付き、雪蓮達の士気も最高潮に盛り上がっていた。


 一方、袁術軍は城門を硬く閉ざし対応に追われていた。
「な、七乃、孫策如きにおめおめ逃げ帰るとは何事じゃ!? もう一回戦ってくるのじゃ」
状況を全く理解していない美羽が、いつものように七乃に無理難題を吹っかけるが、今の
七乃に笑って受け流す余裕は無かった。
「無理です。只でさえ精鋭揃いの孫策軍に、あんな化け物さんまでいたら勝てっこありま
せんよ。ここは篭城して、袁紹さんに援軍を頼むしかありません。まぁ、袁紹さんも曹操
さんと睨み合いの状態ですから、素直に出してくれるかどうか…」
「あんな妾腹に頼るのは嫌じゃ。七乃の力で何とかしてみよ」
「いや、どうにもならなかったから、こうなってるんですけど」
この期に及んでまだ状況を理解しようとしない美羽に、七乃は困った顔で苦笑いを浮かべ
るしかなかった。
「援軍の無い篭城はジリ貧ですし、玉砕覚悟で打って出ても本当に玉砕したら馬鹿みたい
ですし、もうこれしか手は無いですね」
進退窮まっても、七乃は美羽の為に状況を回避する策を実行することにした。

 袁術軍を迎え撃つ体勢を整えた雪蓮達は、動きの遅い袁術軍に違和感を覚えていた。
「動きが無いわね? まさか篭城?」
「袁紹が手を貸せる状態にない事は分かってるはずだが、あてがあるのか? 劉備にも余
裕は無いし、劉表が手を貸すことも考えられん」
「あるいは、何も考えてないのかもしれません。ブラッドに完膚なきまでに叩かれ、
とりあえず守りを固めているだけなのでは?」
わざわざブラッドの名を出す必要は無いのに、蓮華がどこか誇らしげに状況を分析した。
「あぁ…それは十分考えられるわね。結果的に私達にとって好ましい状況になってない事
は確かね」
雪蓮達は状況を打破するための策を講じたが城攻めに適する兵力は無く、中々妙案は浮
かばなかった。
「バカ正直に城攻めはやりたくないけど、向こうが挑発に乗る様子も無し。あまり時間を
掛けたくないけど、こうやって考えている間も時間はどんどん過ぎていくわ。ちょっと
手詰まりね」
中々進展しない状況に、雪蓮達の間には閉塞感が漂っていた。

「じゃあ、こういうのはどうでしょうか?」
何か提案しようとするクーに雪蓮達が視線を向けると、ブラッドを除く全員が目の前の光
景に驚いた表情を見せた。
「く、クー? ど、どういうこと?」
「やっぱり驚きますね?」
雪蓮達の反応に“クー達“は満足そうな笑みを浮かべた。雪蓮達の前には五人のクーが
現れて、にっこり微笑んでいた。
「皆さんが見ている私は単なる映像ですから、これくらいは簡単です。こんなことも出来
ますよ?」
そう言うとクーの体が消え、生首状態の五人のクーが空中に漂っていた。
「そ、それも映像なの? クーは可愛いけど、やっぱり同じ顔が幾つも首だけ浮かんでい
るのはちょっと不気味ね」
見知った顔で、ブラッドの持つ宝具(ペンダント)のカラクリと分かっていても、生首が
浮かぶ光景に雪蓮達は顔を引き攣らせていた。
「雪蓮さん達でもこの反応ですから、理由を知らない人が見ればかなり驚くと思います。
次に、こんなのはどうでしょうか?」
顔を顰める雪蓮を見て効果があると判断したクーは、更に過激な映像を披露した。空中を
漂っていた首だけのクーが雪蓮達の周りを取り囲むと、飴のようにドロリと崩れ落ちた。
「ひっ!」
これまで戦場で多くの敵を倒してきた雪蓮達もこの光景はショックだったのか、小さな悲
鳴がこぼれた。クーは少し得意げな表情で元の姿に戻った。
「これを城内でやれば、彼らの動揺は相当なものになるでしょう。精神的に疲弊させれば
注意力も散漫になって、城攻めも有利に展開できると思います」
「俺は全然気にしないが、この世界の人間には効果的かも知れんな。どうする雪蓮?」
「そ、そうね。試してみる価値はあるわね。でも領民を脅かしたら駄目よ」
「分かりました。では早速行ってきます」
クーは雪蓮達に見せなかった酷薄な笑みを浮かべ、城に向かって飛んでいった。

「何か夢に出そうだわ」
クーの姿が見えなくなったのを確認して、雪蓮がため息を吐いた。
「さっきのはそんなに怖かったのか?」
「こ、怖くはないけど、不気味よ。死体が動くなんてありえないじゃない」
強がってはいるが、かなり怖かったらしい。アンデッド系どころか、実体の無いゴースト
系の魔族などが普通に存在する世界に住むブラッドにとって、雪蓮達の過剰な反応は理解
しがたいものだった。


 城内に侵入したクーは、張り切って敵兵を怖がらせていた。首だけが無数に飛び回って
いたり、突然目の前で体を破裂させて臓物を撒き散らしたりと、やりたい放題だった。
見た目は可愛くても初めて受ける精神攻撃に屈強な兵士達といえどなす術が無く、城内は
瞬く間にパニック状態に陥ってしまった。錯乱した兵が剣を振り回し、逃亡を図るものま
で現れた。その情報は、直ぐ美羽達にも伝わった。
「申し上げます! 現在、城内に物の怪が現れ、兵達に動揺が広がっています」
「も、物の怪じゃと!?」
「詳しく説明してください」
動揺する美羽を宥めつつ、七乃は冷静に説明を求めた。部下の報告を聞きながら、七乃は
事態がかなり深刻であることを理解した。
「な、七乃、何とかならんのか?」
「私は見てないので何ともいえませんが、その物の怪から直接被害を受けたわけでは無さ
そうなので、恐らくこれは孫策さんの策だと思います」
全く根拠は無いが、兵を落ち着かせるという目的では七乃の判断は的確だった。
怯えていた美羽の目にも少し力が戻った。
「孫策の策じゃと?」
「はい、兵を惑わし士気を下げるために何かやったんだと思います。実害は無いので、落
ち着いて対応するように通達してください」
「はっ!」
七乃の指示を受けて、兵は直ぐ自陣に戻った。
しかし、七乃が思っている以上に事態は急激に悪化していた。物の怪が孫策軍の仕業だと説明
されたら、今度は孫策軍には妖術使いがいるという噂が広まり兵士の動揺は収まるどころか更
に広まっていった。

 こう着状態から一夜明け、雪蓮達は城の様子を見ていた。依然、城門は硬く閉ざされ
打って出る気配は全く無かった。
「動きは無いわね。クーは上手くやってくれたのかしら?」
「あいつなら問題ない。多分、お前達に見せたとき以上に派手にやったはずだ」
「そ、そう。なら一当てして様子を…」
クーのスプラッタな映像が目に浮かんで雪蓮は顔をしかめた。気を取り直して城内の様子
を見るため攻撃を指示しようとした矢先、突然城門が開き袁術軍の兵士が雪崩れうって飛
び出して来た。
「城門が開きました!」
「クーが上手くやってくれたようね。我々も迎え撃って…あれ?」
迎撃体勢に入ろうとした雪蓮達は、袁術軍の動きに戸惑った。兵士の動きは勢いはあるが、
指揮する武将はおらず方向がバラバラだった。兵士は各々勝手に動き回り、雪蓮達には目
もくれず見当違いの方へ駆け出す者もいた。
「どういうこと? 城内で何かあったみたいね」
「恐怖に混乱した兵士達が、我先にと逃げ出しているんです」
雪蓮の疑問に、城から戻ったクーが状況を説明した。
「城内の指揮系統は機能してないみたいね。じゃあ、一気に攻め落とすわよ」
「おおおおー!!」
前日と違い今が勝機と判断した雪蓮が全軍に号令を掛けると、兵士達が城内に一気に雪崩
込んだ。

城内での戦いは一方的な展開となった。指揮系統が崩れ、兵の士気が低下した袁術軍は
孫呉復興に燃える呉兵達の敵ではなく、城内が征圧されるのも時間の問題だった。
そのころ美羽達は、七乃に連れられ僅かな従者とともにこっそり城を抜け出そうとして
いた。
「だ、大丈夫か七乃?」
「えぇ、問題ありません。多少予定は狂いましたが、このまま混乱に乗じて身を隠しましょう」
篭城も決戦も勝ち目が無いと判断した七乃は、一旦体制を整えて戦う振りをして乱戦の中
周りに気付かれないように離脱し、勢力争いがあまりない南部の州に落ち延びて再起を図
ろうと考えていた。物の怪騒ぎは予想外だったが、兵達の混乱を逆に利用してここまでは
ほぼ計画通りに進んでいた。
「七乃、どこに行くのじゃ?」
「そうですね、とりあえず南の方に行ってみましょうか。そこで国を興して再起を図りま
しょう」
「残念ながら、それは無理よ」
「はっ!?」
不意に抑揚の無い声が掛かり、美羽たちが慌てて振り向くと、そこには雪蓮が南海覇王を
手に酷薄な笑みを浮かべながら袁術達を見下ろしていた。

「よくこいつらの場所が分かったな?」
殆ど迷うことなく美羽達の居場所を突き止めた雪蓮に、ブラッドが尋ねた。
「意味の無い篭城、兵士の混乱とやけくそのような突撃で勝つ気が無いのはなんとなく分
かってたからね。どさくさに紛れて逃げたかったんでしょうけど、袁術ちゃんは目立つか
ら裏からこっそり逃げるしかないから、場所を特定するのは難しくないわ。まぁ、ここだ
と思ったのは感だけどね」
「…なるほど」
雪蓮の判断力に感心するブラッドだった。
「さて、どうしてあげようかしら、おちびちゃん?」
美羽達に視線を戻し、殺気を込めて睨み付ける。
「ひぇぇ…」
「あわわ…」
美羽と七乃は既に戦意喪失で、怯えた顔で抱き合って蹲っている。
「兵も民も見捨てて自分だけ生き延びようとは、見下げ果てた奴ね。こんな奴の所為で
我が同胞が苦しめられたかと思うと憎しみも倍増ね」
「殺すのか?」
「呉の同胞達の恨みを晴らすためにも袁術を生かしておくわけには行かないわ」
「このガキンチョにそれほどの能力があったとは思えんが? 大方、側近の奴等がこいつ
の名前使って好き勝手にやってたんじゃないのか?」
「その可能性は十分にあるわ。でも、袁術の名の下に圧制が敷かれてたのは事実だし、こ
の子がそれを黙認してきた、また気付いていなかったのも事実。罪が無いとは言わせないわ」
雪蓮は厳しい表情を崩さず、美羽の罪を並べ立てた。しかし、ブラッド達には雪蓮が本気
で憎んでいるようには見えなかった。

「でも、今となっては何の力も無いこの子を殺しても、一時的な憂さ晴らしにはなっても
孫策さんの英雄としての評価が上がるとは思えません。器の大きさを示す上でも、寛大な
処置をした方がいいと思いますが?」
クーが現れて雪蓮に提言する。雪蓮の真意に薄々感づいているようだ。
「…なるほどね。そういう考えもあるわね。でも、それを民達が納得するかしら?」
「お前が言えば、納得するんじゃないのか? 独立を勝ち取った英雄の言葉だ。納得しな
いわけが無い」
ブラッドもクーに同調した。美羽が今後脅威になることは考えられず、殺すことに意義を
見出せない。雪蓮も考える振りをしてタイミングを計っているように見える。英雄の器を
示す演出であることは間違いない。
「分かったわ。二人がそう言うのならこの子達は殺さないでおくわ」
「おぉ、妾を助けてくれるのか?」
「ただし、あなた達が呉の民から恨まれていることは忘れないように。死にたくなかった
らさっさとこの地から出て行くことね」
美羽が増長しないようにしっかり釘を刺すが、雪蓮の表情に威圧感はあまり感じられなかった。

「命拾いしたな、ちびっ子。これからは大人しくしてろ」
「……」
ブラッドが話しかけても、美羽はぽーっと熱に浮かされたような表情でブラッドを見つめ
るだけで反応を示さなかった。
「そなた、名を何と言うのじゃ?」
「俺か? 俺はブラッド・ラインだ。字、真名はない」
「そうか、ブラッドと申すのか。中々良い名じゃ。どうじゃ、妾の婿にならんか?」
「は?」
「そなたのような良い男は、妾のように高貴な…」
唐突な申し出にブラッドが呆気に取られていると、雪蓮が無表情に南海覇王を構えた。
「…やっぱり殺すわ」
「ぬぇぇぇぇ!! な、何故じゃ!? 妾の事は許すと言うておったではないか?」
「黙りなさい。孫呉の宝、天の御遣いであるブラッドに手を出そうなんて無礼千万、許さ
れるわけ無いでしょ! 私のブラッドに手を出すなんて、万死に値するわ!」
私情100%の理由で美羽を抹殺しようとする雪蓮だが、クーの冷静な突込みがはいる。
「雪蓮さん、一度約束したことを反故にすれば領民の信頼を失いかねません。ここは広い
心で接してください」
「え? だって…」
「子供の言う事を一々真に受けるな。大人の対応をしろ」
「うーん…。もう、分かったわよ。いい袁術ちゃん、一応殺さないでおくけど、もし今後
ブラッドにちょっかい出したら、その時は本当に本当に承知しないからね。いい?」
「あぅ…でも…」
自分の命と引き換えにされたら呉を出るしかないが、美羽はまだ名残惜しそうにブラッド
に庇護欲を駆り立たせるような目を向けている。
「だからブラッドを見るんじゃないの! 早く行きなさい!」
「わ、分かりました! ごめんなさい」
「な、七乃! 妾はまだ…」
まだ未練がましくブラッドを見ている美羽を、七乃が抱えて脱兎のごとく逃げ出した。
「ホントにもう、世話が焼けるわね」
「…全くだ」
同じレベルで争う雪蓮を見て、このままこの国に協力していいのか少し自信が揺らぐブラッド
だった。

 見事袁術軍を打ち破り独立を勝ち取った
歴史の表舞台への再登場と同時に、今後熾烈を極めるライバル達との戦いのスタートでもあった。





[8447] 第13話:昨日と違う同じ空
Name: PUL◆69779c5b ID:d0b57dd4
Date: 2009/10/31 22:05
第13話:昨日と違う同じ空


 袁術を追放し独立を勝ち取った呉は、長年鬱積した思いを一気に晴らすように領民の気勢
は湧き上がっていた。街は活気に溢れ、元々の利便性のよさも手伝って人と物がどんどん
流入していった。
 領民に煽られ、将兵も少し浮かれ気味だった。呉を取り巻く環境が予断を許さない状況
にある事は変らないが、一時の平和を満喫している。明命も亞莎を連れて街中を周っていた。
「亞莎、どうして眼鏡掛けてるんですか? ブラッド様に治してもらったって言ってません
でしたか?」
トレードマークだった片眼鏡を外していた亞莎が以前のスタイルに戻っていることに明命
は違和感を覚えた。
「え? あぁ、これは伊達眼鏡です。度は入ってません」
亞莎がメガネを外して明命に見せると、眼鏡越しの風景は全く歪んでいなかった。
「あ、ホントだ。でも、どうしてそんな事してるんですか?」
「何か、その方が軍師ぽいし、小動物系メガネっ娘も需要があるからと、クー様が仰って
いて…」
「小動物系メガネっ娘? 何か良く分かりませんけど、どういう意味ですか?」
「私も良く分かりません。ですが、今はブラッド様を直視できないのでガラス一枚でも
慣れるまではこのままでいくつもりです。勿論、目を治して頂いたことは感謝してますし
その後に…」

言いかけてブラッドとの熱い情景が鮮明に浮かび上がり、亞莎の顔が真っ赤になるが明命
は既に亞莎よりブラッドに興味の対象が移っている。
「こうして呉が独立できたのも、ブラッド様のおかげですね。勿論、雪蓮様なら必ず独立
できたと思いますが、ブラッド様の活躍で時期が早まったのは確かだと思います」
「そうですね。私もそう思います。ブラッド様の武もクー様の知略も他の陣営にとって
脅威になる事は確実で、今後我が陣営は優位に事を進めることが出来るでしょう、と冥琳
様が仰ってました」
亞莎自身も同じ考えなのだが、冥琳の名前を出してしまうあたり、まだ自信が持てないよ
うだ。

「そうなるといいですね。ところで、そのブラッド様は今どちらにいらっしゃるか知りま
せんか?」
「いえ。多分、雪蓮様達とご一緒だと思いますけど…」
「そうですか…。じゃあ、折角だから一緒に探しに行きましょう。こういう目出度い日に
ブラッド様とご一緒出来ないのは詰まらないです」
「あ、ちょっと、明命…」
明命は亞莎の返事を待たずに、亞莎の手を引っ張って街の中を進んでいった。

 別の場所では、祭が穏と思春を引き連れて街を練り歩いていた。思春が蓮華の護衛に就いて
いないのは珍しいが、偶には羽目を外すようにという蓮華の気遣いだった。
「いつも賑やかなところですが、今日はいつにも増して賑やかですね♪」
「袁術の圧政から開放されたのだ。領民が浮かれるのは仕方ない」
「彼らは今まで押さえつけられておったのじゃ。こんな時くらい羽目を外しても問題あるまい?」
「…黄蓋殿、仰るとおりですが、それは領民に対しての事。我々は、目標の第一段階を達
成したに過ぎません。本当の戦いはこれからだというのに、黄蓋殿が領民と同じように浮
かれていては困ります」
領民と同じレベルで浮かれている祭に思春は冷めた視線を向けるが、祭は悪びれることなく
余裕の笑みを浮かべて反論した。
「ふ、相変わらず固いのう、お主は? いつも気を張っておるといざと言う時力を発揮
出来んぞ? お主も偶には羽目を外してみい。訓練にかこつけてブラッドにちょっかい出す
くらいなら、普通に街に誘うことくらい簡単じゃろう?」
「なっ! な、何を言っておられる! わ、私とブラッドは別にそんな…」
不意にブラッドの話題が挙がり、思春は盛大に狼狽えた。
「あらあら、真っ赤になっちゃって。思春も中々乙女してますね」
「茶化すな! 別に私とブラッドはそんな関係ではない」
穏にからかわれ、更に頬を赤らめて反論する。
「え? 思春も器の一人なんですし、ブラッドさんと仲良くしても問題無いでしょ?
寧ろ積極的に仲良くなっても良いくらいですよ?」
「べ、別に私は仲良くなろうとは…。雪蓮様も無理に受け入れる必要はないと仰っていた
ではないか」
既に受け入れているのに今更何言ってるんだ的な空気が祭と穏に漂うが、思春自身はまだ
心の整理がついていないらしく体裁を取り繕っている。

「ま、お主が今後どうするかはお主次第じゃが、ブラッドは掘り出し物じゃったな。武人
としても、男としてもあれ程の者は滅多におらんぞ」
「た、確かに…稀に見る逸材かと」
祭が少し真面目な顔でブラッドを評すると、思春も赤い顔のまま素直に答えた。
「私も袁術軍との戦いで初めてブラッドさんの戦いぶりを見ましたけど、まさに鬼神の如き
戦いで呂布と互角に渡り合ったのも肯けます。ブラッドさんには、これからも呉に居て欲しい
ですね」
「そうだな。公瑾の話では、元の世界に戻るにはやらねばならんことが山ほどあるらしい
から、当分はこっちにおるじゃろう。ところで当のブラッドは、今どこにおるのじゃ?」
「さぁ? 多分、雪蓮様が蓮華様が連れ出したんじゃないですか?」
「……」

穏が蓮華の名前を出した途端、思春の表情がシリアスモードに切り替わる。もしかしたら
蓮華が自分に自由時間を与えたのは、蓮華自身が思春の監視を逃れるためだったのでは
ないか? 勿論、その目的は…。
「折角ですから、ブラッドさんを探しに行きませんか?」
「分かった。すぐ行こう」
穏の何気なく言った提案に即答する思春だった。


 雪蓮は蓮華、小蓮の姉妹を引き連れて祭達とは別のところで穏やかな時間を楽しんでいた。
「はむ! 美味しい♪」
「小蓮、あまりはしたない事はするな。孫呉の姫として慎みを持った行動をとれ」
大口開けて肉まんにかぶりつく小蓮を、蓮華が目を三角にして窘める。しかし、それで
小蓮が言うことを聞くことも無く、すかさず反論する。
「そんな食べ方したら美味しくないでしょ? お姉ちゃんもいつも難しい顔してないで
笑ったら? でないと皺になってブラッドにも嫌われるよ?」
「な、何ですって!?」
「相変わらずね、あなた達は」
羽目を外す小蓮とそれを窘める蓮華。反論する小蓮と切れる蓮華。城内ではよく見かける
光景がここでも展開されている。本来なら雪蓮がタイミングを見計らって仲裁に入るが、
今は微笑ましく眺めるだけで何も言わない。
「蓮華、今日くらいは大目に見てあげなさい」
「で、ですが姉様。小蓮も孫呉の姫ですし、領民に対する示しがつきません」
「だから、今日くらいはいいわよ。いつもしかめっ面で余裕のない顔してる方が、領民を
不安がらせるわよ?」
「わ、分かりました」
雪蓮が相手では強く言えないのか、神妙な顔つきの蓮華だった。

「見てみなさいよ、民達の生き生きとした表情を。少しは自分達の成し遂げた事の大きさ
を実感して、自分を労ってもいいはずよ」
「姉様はそうかもしれませんが、私は自分を労うほど呉に貢献していません」
目を伏せ、悔しそうに表情をゆがめる蓮華。真面目で責任感の強い蓮華は、自身の掲げた
高い理想に追いつけない現状が納得できないようだ。
「それは違うわ。皆が頑張ったからこうして独立できたのよ。身内の贔屓目を差し引いて
も、あなただって十分に貢献してるわよ。もっと自信持ちなさい」
「は、はい…ありがとうございます」
「…これはブラッドにはもっと頑張ってもらわないといけないわね」
労いの言葉の効果も無く硬い表情の蓮華に一人ごちる雪蓮だった。

 これ以上フォローしても意固地になるだけと判断した雪蓮は、今後進むべき道を蓮華達
に示した。
「でも、これで私達の役目が終わったわけではないわ。寧ろ本番はここからよ。彼らの笑
顔を守る事が、これからの私達の仕事よ。他の地域ではまだ戦乱は続いているけど、少な
くともここが戦場になる事は絶対に避けたいわね」
「大丈夫だよ。呉には雪蓮お姉ちゃんとブラッドがいるんだもん。どこが相手でも負ける
わけないよ」
蓮華の代わりに、小蓮が元気良く、自信満々に答えた。
「そして、呉が天下を取ってシャオがブラッドの妻になって、沢山子供を生んでますます
呉は栄えるわ」
「待てぃ! お前は天の御遣いの血を受ける器には指名されていない。ブラッドがお前を
娶ることなどありえないわ」
妄想逞しく未来図を描く小蓮に、蓮華の厳しい突込みが入る。

「器? そんなの雪蓮お姉ちゃんが決めたことでしょ? シャオはそんなこと気にしない
もん。それに、両者合意なら問題ないでしょ?」
「両者合意か…。ブラッドがお前を相手にすると思ってるのか?」
経験者の余裕か、蓮華は小さく鼻で笑いながら挑発した。
「な、何よ、馬鹿にして。小蓮、大人だもん。ブラッドを誘惑するくらい簡単だよ」
「大人は、向きになって自分のことを大人だとは言わないわ」
「むきー!!」
上から目線で答える蓮華に爆発寸前の小蓮だが、蓮華いじりには絶対の自信があるのか
何とか踏みとどまって反撃に転じた。

「ふん、余裕ぶった態度とってるけど、蓮華お姉ちゃんもシャオも大して変わらないんだよ。
この意味、分かるよね?」
「……」
分かったらしい。自分と小蓮の容姿に大きな差異は無い。勿論、自分の方が勝っている。
しかし積極性は小蓮の方が上だ。蓮華にとっては捨て身の告白も小蓮は難なくやってのけ
るかもしれない。そう思うと、段々不安になってきた。
「…う」
「あれ? さっきもまでの余裕は何だったのかな?」
「う、うるさい! 仮にお前の言う通りだとしても、お前が有利になった訳ではないぞ」
依然有利な立場であるにも関わらず、小蓮の心理的揺さぶりにあっさり引っかかりネガティブ
思考に陥る蓮華だった。

「はいはい、二人ともその辺にしときなさい。皆が見てるわよ」
「え?」
「はえ?」
止めるか放っておくか迷っていた雪蓮の面倒臭そうな声に蓮華達が我に返って周りを見る
と、呉の領民が微笑ましく眺めていた。好意的な視線だが、かなり恥ずかしい。
「わ、私とした事が…」
「あら、シャオ注目の的?」
真っ赤になって俯く蓮華に対し、小蓮は照れ笑いを浮かべながら余裕の表情で愛嬌を振り
まいていて、両者の性格の違いがよく分かる。
「堅物だった蓮華がここまで乙女になるなんて、ブラッドの影響って凄いわね」
蓮華の期待以上の変貌振りに雪蓮は目を丸くしている。結果論かもしれないが、ブラッド
が孫呉に及ぼした影響は大きく、ブラッドとの出会いに運命的なものを感じている。

「雪蓮様~」
少し離れたところから明命の声がしたかと思うと、あっという間に雪蓮の目の前まで距離
を詰めた。
「雪蓮様、ブラッド様はいらっしゃらないんですか?」
「雪蓮様、ブラッドはこちらに来ていませんか?」
気配を消していきなり現れた思春が、明命の質問に追随する。その後も、街の各地に散ら
ばっていた女の子が、雪蓮の元に集まり異口同音にブラッドの居場所を尋ねる。
「ブラッドがどこにいるかこっちが聞きたいくらいよ。皆知らないの?」
「はい、てっきり蓮華様か小蓮様が連れ出したものと思っていました」
「思春、それはどういう意味かしら?」
「あ、いえ…失言でした」
蓮華に睨まれ、前言撤回する思春。勿論、本音は変らない。

「もしや、ブラッドの身に何か危険が…」
「……」
「それは無いわね。ある訳ないわ」
芝居掛かった表情でシリアスな雰囲気を出そうとした雪蓮だが、周りのしらけた雰囲気を
察知して話を元に戻す。
「ホント、どこに行ったのかしら? それと、冥琳の姿も見えないけど彼女はどこに居るの?」
「言われてみれば、公瑾も居らんのう。策殿と一緒だと思って居ったが」
「ここに来る前に声掛けたけど、後から来るって言ってまだ来てないのよね…」
「まさか、冥琳が抜け駆け…」
「あるいはブラッドに拉致されたとか」
「……」
当事者が居ないため憶測が憶測を呼び、重苦しい雰囲気が漂う。
「嫌な予感がするわね。一旦、城に戻るわよ」
「分かりました」
雪蓮の言葉に全員が即座に反応し、火の速さで城に戻った。


 その噂の中心のブラッドは、街から離れた荒地に立って空を見ていた。ブラッドがこの
世界に降り立った場所である。ブラッドが墜落した穴は砂が被っていて、もう暫くすれば
周りの風景とも違和感なく元に戻るだろう。
「……」
遠く空を見詰める。青く澄み切った空はどこまでも青く、時間が止まったような感覚だ。
浮かれる領民とは対照的にブラッドは冷めていた。貴重な戦力としてブラッドが果たした
役割は大きいが、それがブラッド自身が望む結果を生じていないことに若干失望していた。

「何をしている」
「…冥琳か」
いつから居たのか、冥琳が涼しげな目でブラッドの真後ろに立っていた。ブラッドは緩慢
な動きで振り返り返事した。
「完全に無防備だな。とても戦場を縦横無尽に駆け回る武人には見えんな」
「ここは戦場じゃないからな」
「成るほど、状況に応じて使い分けているということか」
「…雪蓮達と街に行ったんじゃなかったのか?」
冥琳が他愛のない話をするためにわざわざ来たわけではないと考えたブラッドは、話題を
変えて積極的に会話に参加することにした。

「私は、あぁいう騒がしいのは苦手だ。独立して浮かれる気持ちは分からんでもないが、
これは文台様が成し遂げた時代に戻っただけだ。私達の目標はまだずっと先にある。最終
目標に到達したときは、心から喜びを表すだろうが今はその時じゃない。まぁ、当面の目
的を達成したことで領民と喜びを分かち合う事を否定はしない」
「……」
「お前にとっては、大したことないかもしれんがな」
「そんな事はない。呉が天下を取ることは俺にとっても重要だ」
即座に反論する。ブラッドの目的はあくまで元の世界に帰ることだが、闇雲の戦場を荒し
回っても戦乱が長引くだけで、歴史を大きく変換するためには効率が悪い。少なくとも
活躍の場を与えるという意味で雪蓮は必要だった。

 最近は更に考え方が柔軟になって、雪蓮達にもう少し積極的に関与してもいいと思う
ようになっていた。
「クーは、今日は自分の仕事で忙しいからこっちにはこないぞ」
「別にクーにだけ用があるというわけではない。それに、用がないとお前を話してはいけ
ないという事は無かろう?」
「ほぉ?」
「本当は後で雪蓮達と合流するつもりだったが、街とは反対側に向かうお前の動向が気に
なって、あとを着けて来たのだ」
珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべブラッドを見詰める。ブラッドの反応を待っているらしい。
「…暇な奴だ」
「別に構わんだろう。それで、お前はこんなところで何をしている?」
「何も。ただ空を見ていた。何も変わらない空を」
「何も変らない…。お前にはそう見えるのか?」
「何?」
「お前がこの世界に来てから、それなりに時間が経っている。季節が変れば空も変わる」
「……」

冥琳の言葉に、もう一度空を見上げる。何となく違うような気がする。
「それだけではない。自分達の領土を得て、更なる飛躍を誓う私達にとってこの空は非常
に清々しく見える。そして、私達ほどではないにせよお前にとっても前とは違う空のはずだ」
「何故、そう言い切れる?」
自信満々に答える冥琳に、ブラッドは少し訝しげな表情で尋ねた。
「クーの言葉を借りれば、孫呉の独立が歴史の本流だったとしても、お前が大きく関与し
たことで今後の歴史の流れが変る。実際、お前が孫呉に及ぼした影響は極めて大きく歴史
も僅かだが確実に変り始めているはずだし、お前が居る限り歴史は更に変っていく。
この調子で行けば、お前の望む道も開けるだろう」
「クーが言っている事は仮説に域を脱していない。それに、目に見える変化がないと気に
なるものだぞ?」
思い通りにならない状況に、ブラッドは久しぶりにヘタレモードになっているのか思考も
ネガティブだった。

「…ブラッド、世界を飛び越えるとは、どういうものなんだろうな?」
「?」
冥琳の真意を測りかねて、ブラッドは首を傾げている。
「私も雪蓮も他の者達も、お前に会うまで別の世界があるとは考えたことは無かった。
この世界で生まれ、この世界で生き、そして死んでいく。そんな状況で、いきなり時空を
飛び越えて別の世界に来るというのは、想像を絶する大事件ではないかと私は思う。お前
の人生でもこれほど波乱に富んだ経験は無かったのではないか?」
「まぁ、確かにその通りだな」
「折角だから、この貴重な体験を楽しんだらどうだ? それと、目に見える変化は既に出
ている。少なくともお前に関わった者達は皆、影響を受けている。もはや、お前はもう孫呉
にとってなくてはならない存在なのだ。天の御遣いという神輿でも単なる戦力でもなく、
ブラッド・ラインそのものが私達にとって無くてはならない存在になっている。そして、
お前に影響を受けた者達が、これからの孫呉を作っていくのだ。歴史が大きく変らない筈
がない。その変化を見てみるのも悪くないと思うが?」

冥琳にしては珍しくポジティブな現状分析だった。更にもって回った言い方でブラッドに
賛辞を送り、長く呉に留まることを要請する。
「…上手く言い包めたな。良いだろう、乗せられてやろう」
ブラッドは苦笑いを浮かべているが、冥琳なりの気遣いが分かり悪い気はしていない。
「ただ、それなりに報酬は頂くがな」
そう言うと、ブラッドは冥琳の手を取り自分の方に引き寄せた。
「……」
冥琳も予想というかそれなりの覚悟はあったのか、表情は落ち着いている。しかし、場慣
れしているわけではないので、目が微妙に泳ぎ頬も少し赤い。
「…結局、雪蓮の予想通りになったわね」
雪蓮の思い通りの展開に自ら乗っかることに多少抵抗は残るが、冥琳はゆっくりブラッド
に体を預けた。


 街から戻った雪蓮達は真っ直ぐブラッドの部屋に向かった。部屋の前に冥琳を除く全員
が集合すると、用心深く中の様子を伺った。
「まぁ、ブラッドなら殺されても死ぬ事はないと思っていたが、無事息災でなによりだ」
「全くです。ご無事で安心しました」

「!!」
聞き覚えのない女性の声、しかもブラッドに対し親密な雰囲気を出している声が部屋から
漏れ、雪蓮は即座に反応しドアに手を掛けた。
「ブラッド! そこに誰か…誰?
雪蓮達が了承を得ずに勝手に部屋に押し入ると、予期せぬ光景に全員は固まってしまった。
見知らぬ女性が三人、ブラッドを取り囲んでいたのである。顔立ちも着ている服装も見た
ことが無く、彼女達が異国の者であることが分かる。

「何を慌ててるの?」
「え? あ、冥琳!?」
完全に視界に入っていなかったのか、冥琳の声に動揺する。そんな雪蓮を見て冥琳は
優雅にお茶を飲んでいる。服は着ているが、僅かに頬が上気し肌の艶々で色んな妄想を掻
き立てる雰囲気を醸し出していた。
「な、何であなたがここにいるのよ?」
「ブラッドと話をしていたら、クーから緊急の連絡があったのよ。私達にも関係のある
重要な話だというので、今まで聞いていたのよ」
間違っていないが、重要な部分は端折っている。行為の後の無防備の状態をクーに目撃され、
特に気にしていないブラッド達と対照的に盛大にうろたえてしまったのは絶対に秘密だった。
「あなたがここにいるのは、今は聞かないわ。それで、重要な話って何?」
「彼女達と話が出来るようになったのよ」
やはり見逃してくれないのかと舌打ちする冥琳が視線を向けた先で、三人の真ん中にいた
女性が訝しげな表情で雪蓮達を見ていた。

「…いきなり入ってくるとは、少々マナーがなっていないな」
「ご、ごめんなさい…って、その前にあなた誰よ? 人の城で何してるの?」
女性の威厳に気圧されてつい謝ってしまうが、我に返って対抗する雪蓮。更に相手の女性
の反論があると身構えるが、女性の反応は意外なものだった。
「ふむ、先に名乗るのが礼儀ではないかと思うが、まぁ、現状では我々の方が不審者に
なってしまうな。自己紹介させてもらおう。お初にお目にかかる、
私はリ・ルクル・エルブワードという者だ。以後、お見知りおきを」
「フェイ・ルランジェル・ヘルトンです。宜しくお願いします」
「ユメ・サイオンです。宜しくお願いします」
映像で気を感じないはずなのに何故か威厳に満ちたルクルの自己紹介に続き、フェイが
凛々しい表情で、ユメがのほほんとした表情でそれぞれ事項紹介した。

「あ、これはご丁寧に。…エルブワード?」
威厳のある女性、ルクルの言葉に引っ掛かるものがあり、雪蓮はブラッドに視線を向けた。
「流石、察しがいいな。こいつは元の世界で大陸のほぼ全土を治めるエルブワード王国の
女王をやってる奴だ」
「女王…? 確かに威厳とか貫禄は相当なものね。それじゃ、あなたは彼女の親衛隊の類
かしら?」
雪蓮はルクルから隣の凛々しい女性フェイに視線を向けた。
「私はブラッド様の配下で、ルクル様と直接の主従関係はありません」
礼儀正しく真っ直ぐ雪蓮の目を見て答えるフェイ。生真面目な性格が見て取れる。
「構えに隙が無い。かなりの手練のようです」
武人としてどこか通じるところがあるのか、思春が鋭い眼光でフェイを観察している。
「良い目をしてるわね。ブラッドは良い部下を持ってるようね」

雪蓮もフェイには好感を持っているようである。そして、最後に他の二人とは明らかに毛色
の違う女性、ユメに視線を向ける。やはり、その風貌が気になるようだ。
「えっと、気にしてたらごめんね。あなたの耳と、後ろの尻尾? それは…」
「え? それが何か?」
ユメは雪蓮が何を気にしているのか分からず、犬耳をピクピク動かしていた。尻尾もゆら
ゆら揺れている。
「ユメ様は、獣人と呼ばれる、そちらの世界にない種族です。人間と獣の性質を併せ持ち、
ユメ様は虎と狼の性質を併せ持っています。運動能力に関しては常人の域を超えています」
「そ、それほどでもないですよ」
クーの説明にユメはしきりに尻尾を振りながら照れ笑いを浮かべている。

「へ、へぇー。人? は見かけによらないってことね。まぁ、それは兎も角、私も自己紹
介するわね。私は孫策。字ははくふ。真名は雪蓮。宜しくね。一応、この国の王よ。私の
事は真名で呼んで構わないわ」
初対面のルクル達にいきなり真名まで預けるが、ブラッドから融通の利かない女と思われ
たくないのか、蓮華や思春からクレームがつくことはなかった。
「その真名で呼んで良いというのなら、そうさせて貰おう。こちらこそ宜しく、雪蓮」
「因みに、真名は信頼の置ける限られた者だけが呼ぶことを許されるものらしいぞ」
「そうか。なら、我々も礼を尽くさねばならんな。我々に真名は無いが…私の事はルクル
と呼び捨てで構わない」
大国の女王を呼び捨てに出来る者はエルブワードには居ない。元々好戦的でないルクルは、
雪蓮の友好的な対応に好感を持ったようだ。

「異世界でも、大国の女王と話が出来るのは私達にとって有益よ。それにしても、大国の
女王と対等に話しているあなたは本当に何者なの?」
初対面のときから自分に対しても結構横柄な態度のブラッドだったが、自分の住んでいる
国の女王に対しても同じような態度をとっていることに、雪蓮は違和感を覚えた。
「話せば長くなるが、要するに俺の居る場所は王国領内だが、独立した自治が認められて
いる場所で、ルクルに対してもお前達と同じように接しているということだ」
暗に、ブラッドがその独立自治区のトップであることを示唆しているが、ブラッドは自分
の発言に気づいていない。
「王国領内でもお前の態度は変らんだろう? お前にとって私は…ただの女でしかない」
ブラッドの説明にすかさず突っ込むルクル。流石に初対面の相手に自分をペットと言うの
は憚られるのか、別の言葉に置き換えた。もっとも、真意は雪蓮達に確実に伝わっている。
「それなら、私もブラッド様の部下であると同時に女でもあります」
「私も、ブラッドさんに飼ってもらってます」
「か、飼うって…」
フェイに続きユメの爆弾発言が飛び出し、雪蓮達は怪訝な表情を浮かべた。
「分かりやすく言えば、ご主人様の寵愛を受ける方達です」
「クー、余計な事は言うな!」
「よく分かったわ。まぁ、予想はしてたけどね」
クーの止めの台詞にルクルは今までの威厳が吹っ飛んで頬を赤らめているが、雪蓮は比較的
冷静に受け止めていた。もっとも、後ろで聞いていた蓮華と思春は強力なライバルの出現に
警戒感を強めていた。 

 ブラッドに対する主導権争いもそれなりに重要だが、今はもっと大事な話の最中である。
雪蓮は話を本題に戻して、状況を一番的確に説明出来るクーに尋ねた。
「異世界の人、それも女王と話が出来るのは貴重な体験だけど、それが重要な話じゃない
わよね? 何故、話せるようになったのかって事よね」
「それをこれから説明します。これまでのご主人様の行動が歴史に影響を及ぼし、私達の
世界との距離が近くなったようです。これまで二つの世界で交信するためには、送信側も
魔力がないと送れませんでした。魔力のない雪蓮さん達がこちらに連絡を取れないのはその
ためです。ユメ様達もご主人様との関わりで普通の人間より高い魔力を持っていますが、
送信できるほど強くなく連絡を取ることはできませんでした。ですが、今回二つの世界の
距離が近くなったことで、ユメ様達もご主人様と連絡を取ることができるようになりました」
「まぁ、これまでの事は無駄ではなかったということだ」
希望には少し届かないが、努力が報われた事にブラッドも満足げな表情だった。
「といっても、時空の歪を生じさせるのは並大抵のことではありません。ご主人様には今後も
積極的に歴史に介入していただきます」
現状を最も的確に認識しているクーに浮ついた雰囲気は無く、表情も淡々としている。状況は
変化したが、この事態が本当に好ましい状況に向かっているのか図りかねているようだ。

 それに対し、雪蓮達は若干浮かれ気味である。
「ブラッドはもう戦力として計算してるから、ブラッドにはこれからも頑張ってもらいたいわ」
「ルクル様は大国の女王で在らせられますし、王として新米の雪蓮に助言等頂ければ幸い
です」
「ふむ、そちらの世界でブラッドが世話になっていることだし、協力出来る事は協力しよう」
冥琳の滅多に見せない謙った態度に呉の女性人は少し戸惑っているが、ルクルにとっては
いつもの事なので平然と受け止めている。その事が、ルクルの威厳を更に高めることとなった。
「それから、滅多に無い機会だし私もそちらの世界の事を色々聞いてみたいのが、構わないか?」
「分かりました。人手不足で専属の者を就ける事は出来ませんが、ルクル様がこちらにい
らっしゃる時は手の空いている者を就けさせます」
ルクルの要請を雪蓮の承認を待たず、冥琳はあっさり受け入れた。ブラッドは呼び捨てなのに
ルクルは様付けするのは、両者の威厳の差であろうか?

「それにしても、相変わらず節操無しのようだな」
ルクルは雪蓮の後ろに控えている女の子達を一通り見回したあと、ブラッドに冷たい視線
を送った。
「誤解があるようだが、これは俺が望んだ結果ではない」
「ほぉ? 望んではいないが、そういう結果になった事は認めるのだな?」
「…成り行きでな」
浮気がばれた夫を責める妻の構図に見えるが、ブラッドに悪びれた様子は無くルクルも糾弾
する雰囲気は伝わらない。ただ、呆れているだけのようだ。
「ブラッドは呉に天の血を入れるために、私の方からお願いしたの」
「天の血? どういうことかな?」
両者の関係が拗れることを懸念したのか、雪蓮はブラッドのこの世界での役割をルクルに
説明した。
「成るほど、古典的だが人心掌握には有効な方法だ」
現在のエルブワードはブラッドの力に寄るものが大きく、雪蓮の手法もルクルのそれとほぼ
同じだった。たが、自らも前線で戦う分雪蓮の方が民衆から指示を受けやすい。
 
 ルクルも雪蓮に強く興味を持った。
「事情は分かった。だが、調子に乗って彼女達を壊す事はないようにな」
「全員、体力は水準以上だし、もっと激しくやってるお前が平気なんだから大丈夫だ」
「う、うるさい!」
あっさりブラッドに切り返され、真っ赤な顔で声を張り上げる。これまでの経験値のお陰
で雪蓮達よりは対等に遣り合っているが、最後はブラッドに押し切られるルクルだった。

 ブラッドとルクルの遣り取りに孫呉陣営は圧倒されていた。
「もっと激しく…」
「見かけによらずルクル様は凄いんですね♪」
「世継ぎの事を考えれば、大国の女王はそっちの方でも優れていなければならんという事か」
見た目は華奢でもあっちの方面では雪蓮以上の体力の持ち主であることが分かり、ルクル
の秘めた能力に全員が驚愕していた。

「取り敢えず、ご主人様はこれまで通りでお願いします」
クーが強引に話を纏めて締めに入った。
「そうね、改めて宜しくね♪」
「我々としては早く戻ってきて欲しいのだがな」
住む世界が違うので両者が前面衝突する事はないが、エルブワード陣営、孫呉陣営、それ
ぞれの思惑が複雑に絡みあっている。今後どうなるか誰にも予想出来ないが、少なくとも
新しい局面に進んだ事は間違いなかった。



[8447] 第14話:彼女達の考察
Name: PUL◆69779c5b ID:76ce8844
Date: 2009/11/17 20:27
第14話:彼女達の考察


 孫策独立の報せは、他の勢力にも届いていた。中でも、突然彗星の如く現われ、獅子奮迅の活躍
で孫呉独立に大きく貢献したブラッドの噂は、華琳の本拠地、許昌でも話題になっていた。
「所詮、凡人に虎を飼いならす事は不可能だったって事ね。それに、あそこには虎が連れて来た狼
も居るんだし、袁術如きで抗し切れるわけないわ。あの男に関して何か報告は入っていないの?」
華琳は、部下の報告に対して驚いた様子を見せない。雪蓮よりブラッドの方が気になっているよう
で、報告の続きを促した。

「はい、単騎で敵陣に突っ込み、縦横無尽の活躍で張勲軍に大打撃を与え勝利に貢献したとのこと
です」
「単騎ね…。虎牢関で呂布と戦ったときもブラッドは一騎討ちを挑んだって話だけど、兵を率いた
事は無いのかしら? 桂花、ブラッドの戦歴はどうなってるの?」
華琳がブラッドに興味を持っている事に内心穏やかではないが、桂花はなるべく表情に出さない
ように調査結果を報告した。

「黄巾党の乱の頃、孫策軍に加わり現在に至りますが、それ以前の情報は未だ掴めておりません。
孫策は当時噂のあった管路の予言になぞらえ、あの男を天の御遣いと喧伝し、戦場での功績を強引
に結びつけて領民を纏めようとしています。軍を率いて戦った記録は無く、単騎で敵陣に切り込み
撹乱させ、本隊に突入させる役割のようです。ただ、袁術軍との戦いではブラッドの攻めで既に
勝負は決していたとのことです」

「誰も過去を知らないなら、何とでも言えるわね。天の御遣いの神秘性とその後の活躍を見せれば、
領民の心を掴むのも簡単でしょう。ありがちな手だけど、効果的だわ。まぁ、私ならそんな事は
絶対しないけど」
見下すような、少し意地悪な笑みを浮かべる。自分なら天の御遣いの名を借りずとも天下を取って
見せるという、強烈な自負心がそうさせるのかもしれない。もっとも、利用出来るものは何でも
利用するというのが雪蓮のスタイルである。華琳が雪蓮のやり方に納得しなくても、それは見解の
相違でしかなく雪蓮が英雄の資質を備えている事に変わりは無かった。

「華琳様、孫策をこのままにしておくのは危険すぎます。我々は、まだ袁紹と対峙している状態で
すが、ここで時間を掛けてしまえば孫策が更に勢力を広げることになり、華琳様の覇道の妨げに
なりかねません。早急な対応が必要です」
秋蘭は険しい表情で状況を分析し、孫策に対し何らかの対策を採ることを提案したが、これに桂花
が反論した。

「それは現実的に無理だわ。今、私達は西に馬騰、東に袁紹と対峙し、劉備の動きにも気をつけな
ければならない状況よ。孫策は日の出の勢いとは言え、揚州全土を掌握した訳ではないし、袁術の
息の掛かった諸侯も少なからず残っているわ。また、揚州を攻めるとなれば荊州を横切らなければ
ならず、鈍重な劉表でもそのまま見過ごすとは思えない。勿論、劉備もね」
「別に、今すぐ攻めるべきだと言っているのではない。孫策の動きに細心の注意を払い、いつでも
対応できるように準備しておくべきだと言っているのだ」
「そんなもの、我が武で纏めて蹴散らせてしまえばいい」
「姉者(あなた)は黙ってて!」
「…あぅ」
秋蘭と桂花の議論に加わろうとした春蘭だが、あっさり撃沈されてしまった。

 秋蘭達の議論を、華琳は余裕の表情を浮かべながら見ている。頃合を見計らって二人に声を掛けた。
「あなた達の意見は、どちらも一理あると思うわ。でも、物事には順序があるの。馬騰は五胡の
対策もあって全軍を我々に向けられる状態じゃないし、孫策も桂花の言う通り体制を固めるのに
まだ時間が掛かるわ。そして、決断の遅い劉表が行動を起こすとは考えられない。従って、差し
迫って問題となるのは袁紹だけよ。よって、当初の計画通り袁紹を攻めるわ。それによって劉備の
動きを牽制することもできるわ」
「はっ」
「御意」
二人の意見を尊重しながら、華琳は最初から考えていたであろう方針を変えずに説明した。
「そして、時期が来れば春蘭には存分に暴れ回ってもらうわ」
「は、はい、お任せください!」
今日は機嫌がいいのか、華琳は春蘭にもそれなりにフォローを入れると今まで萎れていた春蘭は
俄然やる気を出し闘志を掻き立てていた。

「ブラッドがどの程度のものか、把握できるまで暫くは目の前の敵に注力しましょう」
「…華琳様は随分あの男を買っているようですが、買被りすぎではありませんか? 呂布に匹敵
する武は確かに脅威ですが、奴はこれまで常に単独行動で軍を率いた経験も無さそうですし、将と
しての資質は未知数です」
「武は認めざるを得ませんが、あのように無礼な振る舞いは許せません」
「そうです。どうして華琳様は、あんな男のことなんか気になさるんですか?」
普段、華琳の言うことを全肯定していた秋蘭が珍しく異を唱えた。他の者達も同じ考えでそれだけ
華琳のブラッドに対する入れ込みが尋常でないことを物語っていた。

 秋蘭達の視線を受け止め、華琳は宥めるような口調で説明し始めた。
「私がブラッドに関して評価するのは、武のみ。それ以外には興味ないわ。彼の武が私にとって
必要なら、手に入れる価値はあると言ってるだけよ。逆に必要ない、もしくは害になると判断でき
れば速やかに排除する。今は見極めの段階よ」
「…分かりました。ブラッドを徹底的に監視し、あの男の能力や人間性を全て暴き出し華琳様が気
に掛ける程の者でないことを証明して見せます」
華琳の説明を聞いて、都合よく解釈した桂花はブラッドに対する敵愾心をさらに強めた。

「孫策もブラッドを手懐けるのに苦労してるみたいだけど、あぁいう跳ねっ返りでさえ配下に置い
て手懐けるのも英雄の資質と言ええるわね。孫策がブラッドを制御できるか、今後が見物だわ」
不敵な笑みを浮かべる。雪蓮がブラッドをコントロールできるようになれば、曹魏にとって大きな
脅威となる事は確実だが、華琳はそれさえも楽しんでいるように見える。


 軍議が終了し、各人は持ち場に戻った。ブラッドに対する扱いは、華琳の指示通り進めることで
話が纏まったが、秋蘭だけはまだ釈然としない思いを残したままだった。
「秋蘭どないしたん、難しい顔して?」
能天気な声を掛けたのは、虎牢関の戦いで華琳配下となった霞こと張遼だった。
「…霞か。さっきの軍議で少しな」
「華琳がブラッドにご執心なことに、気が気でないんか?」
「間違ってはいないが、お前が考えているのとは少し違う」
霞の少しからかうような口調に、秋蘭は目を細めて軽く睨みつける。普段なら軽く受け流すところ
だが、今は霞が言うように内心穏やかでないらしい。霞も秋蘭の真意を把握していながらわざと
ずれた事を言うので、秋蘭も霞の軽口を受け流せなかったようだ。

「済まん済まん、冗談や。それで、何を気にしとんのや? ブラッドの本当の実力の事か華琳の
本心、どっちや?」
険悪な雰囲気になる前にすぐに謝ると、霞は少し真面目な顔になって本題に入った。
「どちらも気になるが、それだけじゃない」
「へ?」
意味が分からずきょとんとする霞の前で、秋蘭は自嘲気味な笑みを浮かべながら真情を吐露し始めた。

「華琳様が能力のある者を愛する方ということは、すでに分かっている。過去に拘らない方だし、
能力があれば前日まで敵だった者でも、次の日には要職に付けることも珍しくない」
「まあ、そうやな」
その典型的な例が目の前にいるのだから、この点については疑いようが無く霞も少し照れくさそう
に頷いている。

「だがブラッドに対しては、どうにも引っかかるものがある。確かに虎牢関において呂布と引き
分けた武は否定できないし、華琳様の人を見る目も確かだ。反董卓連合で会った時の奴の印象は
身の程知らずにしか見えなかったが、あのような跳ねっ返りの自信家でも華琳様なら制御すること
は可能だろう。それでも、あの男には分からないことが多すぎる。それが私を惑わせるのだ。全く、
私が華琳様の判断に疑問を抱くことなど、今まで無かったのにな」
秋蘭は、自嘲気味な笑みを浮かべながら説明している。華琳の洞察力とブラッドの武を認め、華琳
至上主義である自分が不安を抱いている現状をうまく消化出来ないようである。その様子は霞から
見ても、違和感を覚えるものだった。

「秋蘭がそこまで気にするのは珍しいな。ブラッドのどこがそんなに気になるん?」
霞も武人としてブラッドは気になる存在だが、秋蘭のブラッドに対する評価は他の誰とも違う。
春蘭や桂花のように感情が先走ったものではないが、冷静な口調ながら執拗で、どこか取り繕って
いるように見える。

「今桂花が調べているが、ブラッドは孫策軍に加入する以前の情報が全く無い。あれほどの武を
持つ者が、今まで在野に埋もれていた事が信じられん。確かに、ブラッドは自分の武に対する自信
とは裏腹に野心は感じられないから、自分の武を誇示したり勢力を広げようとか、有力者に仕官
しようとか考えなかったのかもしれない。少し苦しいが、孫策に見出されるまで誰にも気づかれ
なかった事も説明できる」
「なるほどな。今んところ、他に説明出来んちゅうことやな?」
秋蘭の説明に100%納得したわけではないが、とりあえず先を促す。

「そうだ。従って、奴の過去についてこれ以上考えても意味が無い。これは桂花の調査を待つしか
ない。今考えなければならないのは、今後の対応だ。お前は今回初めてブラッドに会ったわけだが、
どんな印象を持った?」
「印象? そうやな、何か掴みどころの無い奴っちゅうか、よう分からんかった」
霞は、ブラッドに会ったときの状況を思い返していた。霞達3人と数人の兵士に対し、全く動じる
ことなく飄々とした雰囲気を漂わせるブラッドに、霞自身も強く興味を持った。

「私も同じような印象だ。奴とは反董卓軍連合の時に会っただけだが、華琳様や主であるはずの
孫策に対しての横柄な態度、姉者の殺気を正面に受けながら全く動じない態度に初めは思い上がり
の身の程知らずと思ったし、それを許している孫策の態度にも違和感を覚えた。その後、呂布と
引き分けたという話を聞いて、自分の武に裏づけされた自信による態度ではないかと考えた。礼儀
知らずなのも、ある程度は説明がつく」

「孫策はブラッドを相当買っとるみたいやから、多少の素行の悪さは目を瞑ったと言いたいんやな?」
「あぁ。恐らく、華琳様もそう判断されたのだと思う。姉者の殺気にも気付いていたのだろうが、
華琳様や姉者を前にして隙だらけで居られるのも、状況から姉者が手を出さないと踏んでいたのか、
もしかしたら姉者には勝てると高を括っていたのかも知れぬ。いずれにせよ、華琳様の興味を引く
には十分な素材だ」
僅かに秋蘭の表情が険しくなる。勿論、春蘭の武がブラッドに及ばないと、秋蘭が本気で考えて
いるわけではない。しかし、華琳がブラッドに興味を引くだけの理由として納得出来るものが他に
思い浮かばなかったようだ。

「ま、要するに秋蘭もブラッドの事が気になっとるっちゅうことやろ。惇ちゃんや桂花みたいに」
「その通りだが、さっきも言ったようにお前が考えているのとは少し違うし、あの二人とも違う」
自分が春蘭達と同レベルに扱われる事に不満を感じながら、秋蘭はブラッドの分析を続けた。
「武や殺気は本人がどんなに隠そうとしても、その道に通じた者には誤魔化されない。呂布に匹敵
する武を持ちながら、姉者は奴の殺気を感じ取れなかった。つまり、奴には殺気が無いということ
になる。あるいは、奴は殺気を持たずに人が切れるのかもしれぬ。だとしたら、孫策はとんでも
ない代物を抱え込んだことになるし、我が軍もそのような者を引き入れる事はできん。奴は巨大な
火中の栗のような存在だ」

 圧倒的な武を持ちプライドも高く横柄で主人に忠誠を誓わず、更に殺気を悟らせない。そのよう
な者を味方にすればいつ寝首を掛かれるか分かった物ではなく、秋蘭が警戒するのも納得できる。
だが、これは考えすぎである。そもそもブラッドは華琳達の事はただの人間、竜以外の種族と
してしか認識していないし、人間に対し殺気を抱いてもいない。しかも今のブラッドは自分の力を
上手く発揮出来ないので、尊大ともとれる態度をとっていてもこちらから余計な事をしない限り
それ以上の行動に移る事はないのである。これがリュミスなら、彼女にその気が無くてもただそこ
にいるだけで人間を圧倒する存在感を発揮するが、ブラッドにそこまでの威厳は無く、春蘭がブラッド
に対し殺気を感じなくてもしかたのないことだった。

 しかし、秋蘭は事情を知らない。そのため、ブラッドに対する警戒が過剰になっている。
「お前は呂布とも交友があるし、ブラッドの武も一端だが実際に見ている。お前の目から見て、
ブラッドと呂布の共通点は分かるか? そして、ブラッドの力は危険を冒してまで手に入れる価値
があると思うか?」
「難しい質問やな…。恋のことはそれなりに知っとるけど、ブラッドはこの前惇ちゃん達と会うた
のが初めてやし…」
霞は一旦言葉を切って、荊州偵察での一件を思い出していた。

「恋の武は、正直人間離れしとる。無表情で敵をなぎ倒して、一軍潰したのも数知れん。その恋と
互角に遣り合うたんなら、ブラッドも化け物や。実際、剣を構えた惇ちゃんとの間合いを一瞬で
詰めた動きは、尋常や無かったな。もし、ブラッドが剣を持っていてその気があったら、惇ちゃん
の首は刎ねられとったかもしれん」
「……」
可能性の話だが、ブラッドに春蘭を殺すチャンスがあったと言われ、秋蘭の表情に緊張が走った。

「奴と対戦するときは、武人の誇りは一時棚上げして臨まねばならんだろう。お前もそのつもりで
いてくれ」
「いや、それは無理や。ブラッドが得体の知れん奴で気になるのは分かるけど、それは実際に戦って
ないからってこともあるやろ? 一度剣を交えたら、奴の武も分かるし対処法も見つかると思うで?」
「それが分かったとき、手遅れで無ければ良いがな」
霞は武人の習性を抑えきれず秋蘭の提案に即座に反対したが、秋蘭も予想していたのか小さく笑う
だけで自分の考えを押し付けるつもりは無いようだ。

「ただ、実際にやるなら接近戦や剣の間合いでは分が悪い。射程の長い得物を持った者が対応した
方が良いだろう」
「何や、結局秋蘭もやる気やん」
何だかんだ言いながら、秋蘭も武人としてブラッドに興味を持っていたらしい。しかも自分の方が
ブラッドとは組みやすいと言いたげな台詞に、霞は少し呆れたように笑みを浮かべた。各人に温度
差はあるものの、華琳陣営でブラッドは注目の的だった。


 孫策の快進撃とブラッドの噂は、徐州に居を構える桃香達にも伝わっていた。
「孫策さん、とうとう独立しちゃったね」
「そうですね。袁術如きに孫策を押さえ込むこと自体、無理があったと思います。当然の
結論でしょう」
桃香の言葉に愛紗が続く。

「しかし、これで我々は曹操、袁紹、孫策の勢力に囲まれる状況になりましたな。今後勢力を拡大
するのは少々面倒になりましたな」
「孫策さんが今後勢力を拡大していく事は明白ですが、北方は曹操さんと袁紹さんが睨み合って
いて、いずれどちらか、多分曹操さんが北方全域を制圧することになると思います。次の標的は
私達になるかもしれません。孫策さんも領内の体制を固めていますし、このままだと、私達は曹操
さんと孫策さんに挟まれ身動きが取れなくなってしまいます。今のうちに西に向かい、領土を確保
した方が良いと思います」
星の言葉に朱里が追随し、現状の問題点と今後の方向性を示すが、桃香はあまり乗り気ではないの
か難しい顔をしている。
「うーん…。西って、荊州は劉表さん、益州は劉璋さんが治めてるんだよね。同族の人の領土を
奪うのはちょっと…」
皆仲良くがモットーの桃香は、大義名分も無いまま相手の領土を奪うことに抵抗があった。しかも
それが同族なら尚更の事だった。しかし、そんな桃香の態度に愛紗は厳しい表情を向けた。

「桃香様、あの二人に乱世を乗り切る力はありません。時機を逸するば、直ぐ他の勢力に奪われて
しまいます。特に劉璋は、圧政を敷いて領民を苦しめていると言われています。桃香様が彼の地を
治める事は民の為にもなり、桃香様の信条に反するものではありません」
「それでも…ごめんね、ちょっと考えさせて」
愛紗の言い分は尤もな事だったし、桃香も十分理解している。しかし、桃香は自分の理想と愛紗の
言う現実のギャップに折り合いをつけることが出来ず、問題を先延ばししてしまった。
「…遠回りをされますか。分かりました、これ以上は申しません。しかし、曹操も袁紹も孫策も
桃香様が答えを出すまで待つことはないことは、ご理解ください」
「う、うん…」
愛紗に念を押され、桃香は自分の決断力の無さに自己嫌悪に陥り俯いてしまった。

「非情に徹しきれぬ、いささか甘い考えではありますが、それも桃香様の持ち味でもありますな」
「そうですよ。そんな桃香様だからこそ、私達もこうしてお仕えしてるんですから」
「桃香お姉ちゃんらしくて良いと思うのだ」
「あ、ありがとう皆」
「わ、私も桃香様のそんなところに惹かれてお仕えしています!」
相次ぐ桃香に対するフォローに疎外感を感じたのか、愛紗が慌てて取り繕う。今まで重かった場の
雰囲気が明るくなった。

「それにしても、ブラッドさんてやっぱり凄い人だったんだね!」
場が和んだことにほっとした桃香が、今回の呉独立の功労者であるブラッドの事に触れると、星が
食いついてきた。
「えぇ。一見、素人が闇雲に剣を振り回しているようでしたが、呂布と互角に渡り合った武は認め
ざるを得ません」
「見た目は細くて頼り無さそうだったけど、剣の速さは滅茶苦茶だったのだ」
「しかし、武人としては少し問題があるぞ。武人はただ強いだけでなく、礼節や品格も備わって
なければならない。ただ強いだけでは蛮勇になってしまう」
星や鈴々が好意的に評価したのに対し、愛紗はやや否定的だ。愛紗は雪蓮が協力を申し出たときの
ブラッドの横柄な態度や、華雄に対するセクハラ発言を引きずっているのかもしれない。

「あれは私もちょっと引いちゃったけど、華雄さんを挑発する為のものだったから仕方ないと思うよ。
それに、最初話した時はそんな感じはしなかったよ」
「……」
愛紗がマイナス点にあげたブラッドの対応を桃香は全く気にしていなかったらしく、両者の判断
基準には大きな開きがあった。

「それで、愛紗ちゃん達はブラッドさんの戦いぶりを間近で見てた訳だけど、実際どうだったの?」
「どうと仰られても…正直、返答に窮しますな」
「先程申し上げたように呂布を退けたのは事実ですが、技そのものはど素人で、我が軍の新兵にも
もっとマシな者が居りましょう。…身体能力は化け物ですが」
身体能力だけで天下無双の武人が遅れを取った事を武人全体の敗北と思っているのか、愛紗の表情
は硬い。武人が武人でないものに武で劣る。愛紗にとって、絶対に許容できないことだった。

「それだけではありません。呂布の方天画戟をまともに食らって平然と立ち上がったり、陳宮の
放った火矢で辺り一面火に囲まれたにも関わらず、普通に歩いて通り抜けてしまった。これは常人
に出来るものではありません。もしかしたら、仙術か何かの類を会得しているのかもしれません」
「ほぉ、愛紗からそのような言葉が出るとは…」
「目の前で見せ付けられたんだ。認めんわけにはいかんだろう」
愛紗の物言いは、事実は事実としてブラッドの能力は認めているが、武以外のものに答えを求めて
いるように聞こえる。そのことを星にからかわれて、愛紗は憮然とした表情だ。

「仙術に関してはまだ分かりませんが、現実に起きたことから考えてブラッドさんが人並み外れた
身体能力の持ち主であることは確実でしょう。ブラッドさんはその能力で、今まで我流で通して
きたのだと思います。自分の武に絶対の自信を持っていて、人の意見は聞かない部類の人だと思い
ます。この類の人は、軍務違反等問題を起こしてすぐに処罰されそうですが、孫策さんも自由奔放
で剛毅な方なので、ブラッドさんの持ち味を殺さないために好きにやらせているのだと思います」
愛紗達の情報だけでブラッドの性格を的確に評価する朱里だった。
「生まれ持った才能の違いかな…。私なんか何にも無いのに」
武に関しては足手纏いになっている現実に落ち込む桃香。しかし桃香も生まれ持った自分のカリスマ
に気付いていない。

「ホントに凄いよね。孫策さんも良い人だし、出来ればブラッドさんとは戦いたくないよね」
「良い人かどうかはさておき、覇道を邁進しようとする曹操さんと違い孫策さんの考え方は桃香様
と通じる部分がありますから、同盟を結ぶことは可能だと思います」
「そこで、桃香様の出番というわけだな」
「え? 私に出来ることあるの!?」
自分が役に立つと言われ、桃香は驚きながらもパッと顔を輝かせた。

「奴は男ですからな」

「待て星。貴様、桃香様に何をさせるつもりだ!?」
星の言葉を遮って、愛紗が強い口調で割り込み睨みつける。星の性格から判断して、良からぬこと
を考えていると思っているようだ。
「別に難しいことではない。孫策はブラッドを重用しているし、ブラッドを上手く手懐ける事が
出来れば、今後呉に対し有利に交渉できるのではないか?」
「だから、桃香様に何をさせるつもりかと聞いている」
愛紗の目つきが更に厳しくなり、青龍刀を握る手に力が篭る。

「聞けばブラッドは汜水関で華雄を挑発する際、女であることを強調したという話ではないか。
総じて、男は特殊な場合を除いて美人には弱いもの。特に桃香様のように癒し系の女性を前にして
は戦意も喪失するものだ。勿論、愛紗のような見た目気の強い女の頑なな心を解き解すのも味わい
があるかもしれんが…」

ブン!

愛紗の青龍刀がうなりをあげて星に襲い掛かり、星はそれを紙一重で躱した。
「…愛紗。今、本気で切り掛かったな? 並みの兵士なら体が真っ二つになっていたぞ」
星の表情にまだ余裕はあるが、実は結構危なかった。
「き、貴様、言うに事欠いて何と破廉恥な事を! だいたい、私があんな軽薄な男に靡くと思って
いるのか!?」
眉を吊り上げ、真っ赤な顔で星を睨みつける。皆の前で自分の女としての弱さと指摘された気分で、
愛紗の心は大いに乱れている。

「あ、愛紗ちゃん、落ち着いて。愛紗ちゃんがとっても可愛い女の子だって事は皆知ってるから」
「と、桃香様まで…」
「はえ?」
桃香はフォローしたつもりだが、止めを刺される結果となりがっくりうな垂れる愛紗だった。

「まぁ、愛紗が今後、女としてどう成長していくかは置いといて、孫策軍と相対する時はブラッド
の攻撃力をどう殺ぐか我々にとって大きな課題といえましょう。袁術軍も奴の圧倒的な突破力に
前線を散々引っ掻き回され、それが原因で大敗北を喫したというではないか?」
愛紗の事はほったらかして、星はブラッド対策に話を戻した。

「いきなり話を戻すな。まぁ、本音を言えば正面から正々堂々と戦いたいところだが、状況を考え
たらそうは言ってられん。河南の最大勢力だった袁術軍が雑兵の寄せ集めとは思えんし、我が軍が
奴に同じ戦法を採られた場合、被害は甚大だ」
桃香達の義勇軍は、数ヶ月前までは剣の代わりに鍬や鋤を持っていた者が殆どである。袁術軍以上
に大きな被害、場合によっては壊滅状態に陥ることも考えられる。

「本来なら、あの手の自信過剰は誘き出して前線で孤立させるのが一番だが、奴は自分から前線に
突っ込んで突破している。こちらから誘き出す必要は無いが、対応が遅れると袁術軍の二の舞に
なりかねん」
「それは、敵が弱すぎたからなのだ。鈴々と愛紗と星の他に腕の立つ者で取り囲んだら、絶対勝て
るのだ」
「奴一人に、主力をぶつけるのか? そもそも、向こうの主力は孫策が率いる部隊だ。ブラッド
一人に人員を割いたら、あっという間に攻め落とされてしまうぞ」
鈴々の能天気な発言に反論するが、言った後で愛紗の顔が苦渋に満ちた表情に変る。結局ブラッド
の異常な能力と、孫策軍との実力差を明確にしただけだった。

「いかんな。やる前に答えが出てしまったぞ」
珍しく星が溜息をつく。対策を講じているうちに、現時点で孫策軍と遣り合うのは自殺行為である
ことが判明した。当然、更に戦力の整った曹操軍なら尚更である。
「だ、だから、まだ戦うと決まったわけじゃないんだよ。孫策さんだって戦ってる理由は私達と
同じだし、ブラッドさんも良い人だから話せば一緒に戦ってくれるはずだよ。ね、愛紗ちゃん?」
「…ブラッドが良い人か判断する情報を私達は持っていませんが、現状では桃香様の言う通り戦い
を避け、力を蓄えるしかありません」
戦うことを前提に話を進めていた愛紗だが、現実を見せ付けられると桃香の意見に従うしかない。
しかし、ブラッドに対する不信感は払拭できず、つい嫌味な物言いになってしまう。

「現時点では孫策さんも体制固めで戦争する余裕は無いので、緊急の問題ではありません。それに
桃香様の仰るとおり、戦わないに越した事はありません。孫策さんの考えと桃香さんの考えに共通
するところがあるのであれば、同盟を結んだ方が何かと便利です。といっても、今の私達では対等
な条件で同盟を結ぶ事は出来ませんので、とりあえず孫策さんに使者を送って敵対する意思の無い
事をはっきり伝えましょう」
いづれ戦うことになるとしても、今戦っても勝ち目は無い。大陸の情勢も混沌として今後の展開も
読みにくい状況で、敵は少ない方が良い。朱里は雪蓮と敵対せずに、当面の安全を図る策を提案した。

「結局そうなるか。やはり、桃香様に頑張っていただくしかあるまい」
「貴様、まだそんなことを」
「勘違いするな。こちらが孫策に使者を送れば、向こうも返礼として使者を寄越すはずだ。その時
篤く持て成せば、同盟は結べないにしても孫策もこちらに矛を向ける事はあるまい? その役目を
桃香様にお願いしようと言っているのだ」

「そう上手くいくのか? 孫策は兎も角、腹心の周喩はしたたかで抜け目の無い奴と聞く。足元を
見られて変な条件を突きつけられたりはしないか?」
まだ納得できないところがあるのか、それとも単に星の言うことに賛同したくないだけなのか、
愛紗は問題点を指摘した。
「それは良い案だと思います。今戦ってもお互い良い事が無いのは分かってますから、周喩さん
なら私達の真意を見抜いた上で、敢えて話に乗ってくると思います」
「だ、そうだ。異論あるか?」
「く…。憎たらしい奴め」
朱里が賛成に回ってしまったため、これ以上反論出来ない愛紗は悔しそうに星を睨み付けた。

「えっと、とりあえず孫策さんの処に使者を送るんだよね。誰が適任かな?」
「孫策さんにこちらの真意を分かってもらうためには、それ相応の人じゃないと駄目だと思います。
私は愛紗さんにお願いしたいんですけど…」
上目遣いで愛紗のようすを窺う。こちら側の誠意を見せるため、桃香の義妹で武の中心人物である
愛紗なら雪蓮も納得すると考えての要請だが、汜水関で愛紗が雪蓮達と一悶着あったことを目の
当たりにしているので、頼みづらそうだ。

「分かった。朱里も同行してくれ。私も桃香様の名代で出向くのだから、孫策相手に迂闊な行動を
取ることはない。ただ、冷静で的確な判断をするためにお前がいてくれると助かる。桃香様、宜し
いでしょうか?」
一応、気持ちは切り替えているのか、愛紗は朱里の申し出のあっさり受け入れた。
「うん、朱里ちゃんが構わないならいいよ」
「大丈夫です。孫策さんや周喩さんの人となりは知っておきたかったので、最初から同行するつもり
でした」
「じゃあ、お願い愛紗ちゃん、朱里ちゃん。でも無理はしないでよ?」
「お任せください。私も桃香様の名代で行くのですから、
桃香の不安を払拭するように、愛紗は力強く自信に満ちた表情で答えた。その態度が桃香を不安に
させていることには気付いていない。

本人の知らないところでブラッドに関する情報戦は加熱していった。ただ、正確に把握している
かは定かではない。



[8447] 第15話:愛紗、朱里、揚州紀行(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:93f67651
Date: 2009/12/18 20:35
第15話:愛紗、朱里、揚州紀行


「ここから先は揚州になります。山賊さんは打ち倒しても構いませんが、呉の兵に手を出すと後々
面倒なので、極力手を出さず穏便にお願いします」
「分かっている」
朱里の言葉に愛紗は短く答えた。二人は、使者として雪蓮のところへ向かう途中だった。
孫策が揚州を制圧したといっても、全域を完全に影響下に置いたわけではない。袁術軍の残党が
半ば山賊と化し、略奪行為を働くことも十分考えられる。また戦乱で家を失い、心ならずも山賊に
身を落とした者も少なからずいるに違いない。弱者が生きるために新しい弱者を生む。そんな負の
連鎖を生む状況を打破するために、自分達は力をつけなければならない。

 そんな事を考えていると、愛紗達の目の前に数人の男が行く手を塞ぐように現れた。全員剣を
携え、獣のような目で愛紗達を見ている。
「いい馬じゃねえか」
「馬より女だ」
「一人は中々の上玉だ。もう一人も…その道には需要がありそうだ」
「…どこにでもいるんだな」
「じゅ、需要って何ですか!?」
いかにも山賊然とした物言いに愛紗はため息を吐くが、朱里は別のことに過剰反応していた。環境
によって人は変るというが、落ちるところまで落ちた者を真っ当なところまで引き上げるのは中々
難しい。しかも、今は大事な任務の途中である。無駄な時間を掛ける余裕は無い。

「一度だけ警告する。命が惜しくば早々に立ち去れ」
殺気を込めて山賊たちを睨みつける。山賊達は一瞬怯んだ様子を見せたが、力量差が全く理解出来
ないのか、ニヤニヤと品の無い笑みを浮かべ愛紗達を取り囲んだ。
「……」
警告に従わなかったので、速やかに実行に移す。余計なことに時間を使いたくないので、愛紗は
無言で切り掛かると、一瞬で山賊達を切り伏せてしまった。
「こんなところでもたもたしている暇は無い。先を急ごう」
「あ、愛紗さん。あそこに人がいます」
朱里の指差した方向には、肉感的な体躯に褐色の肌の女性が、桜色の髪を靡かせて真っ直ぐこちら
に向かって馬を走らせて来た。
「見事なものね」
「そ、孫策殿!?」
雪蓮は涼しげな笑みを湛え、愛紗達を見詰める。目的の人物のいきなりの登場に、愛紗達は慌てて
馬から下りて膝を折った。相手が山賊はいえ、雪蓮が納める地で暴れているところを目撃されて
しまった。これでは当初の目的達成すら危うくなる。何とかこの場を取り繕おうと、愛紗は内心
下げたくない頭を下げた。

 しかし、雪蓮はそんな愛紗達の思いを知ってか知らずか、愛紗の行動を咎める様子は無かった。
雪蓮の興味は別のところにあった。
「見事な腕ね。噂では聞いてたけど、まさに聞きしに勝る豪剣ね」
「え? あ、ありがとうございます」
雪蓮は、一瞬で山賊達を切り伏せた愛紗の太刀捌きに驚いている。汜水関での一件など、まるで何
も無かったかのように気さくに話しかける雪蓮に、愛紗はどう対処していいか分からず固目って
しまった。

「あの、お一人ですか?」
「そうよ。それがどうしたの?」
頭の整理が追いつかない愛紗に代わって朱里が戸惑いがちに尋ねるが、雪蓮は涼しい顔で答えた。
「孫呉の王であるあなたが、自国内とは言え護衛も付けず一人で遠乗りというのは…」
「無謀、だと言いたいの?」
「えっと…はい」
雪蓮は普通に対応しているが、朱里にとっては十分威圧するものだったのか、朱里はおどおど
しながら答えた。豪放な性格とは聞いていたが、朱里の予想を超えていた。
「まあね。無謀と言われたらその通りかもしれないけど、一人になりたい時もあるのよ」
「そ、そうですか…」
やや節目がちに答える雪蓮に、二人は深く追求はしない。孫呉独立の為、抜群のリーダーシップを
発揮して部下や民達を引っ張り続けた英傑には、きっと自分達より高い次元で思うことがあるの
だろうと、勝手に解釈していた。

 しかし、その解釈は無残に粉砕される。
「姉様!」
「雪蓮!」
愛紗達の思考をかき消すような怒声が、雪蓮にぶつけられた。声のした方向に目を向けると、後方
から蓮華と冥琳がこちらに向かって突進してくるのが見えた。
「あ、やば…」
「雪蓮! 逃げれば状況はもっと悪くなるわよ」
「うぐ…」
二人の追っ手(?)に雪蓮はしまったという表情を見せてその場を立ち去ろうとしたが、冥琳の
足止めの術で身動きが取れなくなってしまった。

 ばつの悪そうな顔で佇む雪蓮の前に、冷酷な笑みを浮かべた冥琳と鬼の形相の蓮華が詰め寄った。
二人とも愛紗と朱里の事は全く気にしていない。
「溜まりに溜まった仕事を放り出して一人遠乗りとは、結構な身分ね?」
「へへへ。だって私、王だもん♪」
気持ちを落ち着かせて皮肉まじりに尋ねた冥琳だが、雪蓮は能天気な、聞きようによってはかなり
小馬鹿にした物言いで応酬する。雪蓮の性格を知り尽くした冥琳でも眉間の皺が深くなり、思わず
白虎九尾に手が伸びるが、何とか踏みとどまった。しかし義妹は我慢しても、実の妹は我慢しな
かった。

「だもん、じゃありません! 護衛も付けずたった一人で遠乗りなんて、どういうつもりですか?
姉様には王の自覚が無いのですか!?」
火を吹かんばかりの勢いで雪蓮に食って掛かる。ブラッドのお陰で、堅物だった性格にも多少気持
ちに余裕が出てきたのだが、姉の自由奔放すぎる行動はまだ対応できていなかった。
「だ、だから、ちょっと一息入れたら仕事に戻るつもりだったのよ。あまり根詰めてやっても
効率良くないでしょ?」
「そうね、確かに息抜きは必要ね。でも、それは普段真面目に仕事をしている者が言う台詞よ」
「あ、あはは…」
普段真面目に仕事をしていない自覚はあるのか、雪蓮は愛想笑いを浮かべている。雪蓮の扱いに関
しては蓮華より冥琳の方が慣れている。

 一方、展開に付いていけず呆気に取られている間に、あっというまに蚊帳の外に追いやられた
愛紗と朱里。何とか気を取り直して、折角なので雪蓮達を観察する。雪蓮と冥琳とは面識があるが
もう一人の女性は初対面である。容姿から判断して孫策の妹、孫権に違いない。姉と違って生真面
目な性格だが、直情的な所は似ている。経験の差かもしれないが、上手く姉にあしらわれて交渉事
には不向きに見える。それに対して周喩は慣れているのか、上手く孫策を制御している。しかし
孫策もただでは終わらず、周喩の予想を超える行動で翻弄しているようだ。

「あ、あの…。お取り込み中、済みません」
「え? か、関羽に諸葛亮? 何故お前達がここに?」
愛紗達が遠慮がちに声を掛けると、ようやくその存在に気づいた冥琳が視線を向ける。冥琳に
とっても予期せぬ事態で、一瞬戸惑った表情を見せるが直ぐに状況を分析した。
馬上の雪蓮に対し、関羽と諸葛亮は馬から下りている。つまり、関羽達が呼び止めたと考えるの
が妥当で、二人が隠密行動をとっていないと判断できる。関羽達の表情からも特に緊迫した事態で
無い事も分かる。しかし、劉備配下の二人が何の目的も無くここに居る訳が無い。とりあえずは
出方を窺うことにした。
「用件は城に戻ってから聞こう。雪蓮、良いわね?」
「そうね。立ち話で済むようなことでも無さそうだし。じゃあ付いて来て」
「恐れ入ります」
雪蓮も状況を理解しているので、冥琳の申し出をあっさり受け入れた。

 愛紗達と面識のある雪蓮と冥琳に対し、初対面の蓮華は少し警戒しているのか表情が硬い。
「お前達が関羽に諸葛亮か。私の名は孫権だ」
馬上から愛紗達を見ているので、本人にその気はなくても見下ろした態度に見える。蓮華の肩に力
の入った態度は、その場にいる全員に共通の認識を与えてしまった。
「蓮華、そんな顔しないの。ごめんね、この子、少し人見知りする方だから」
「ね、姉様!」
お姉さんモードで対応する雪蓮に拗ねた態度をとる蓮華だが、愛紗達の目を気にしてそれ以上雪蓮
に突っ掛かる事は無かった。


 城に着くと、愛紗達は雪蓮に連れられて城内を移動していた。暫くすると、建物の影から思春と
ブラッドが出てくるのが見えた。涼しい顔のブラッドに対し、思春はかなり消耗していた。足元が
覚束ない状態で、ブラッドにぴったり寄り添って支えられるように歩いている。頬は赤く上気し
うっすらと汗をかいていた。傍から見て非常に仲睦まじく見える光景だが、蓮華からはどす黒い
オーラが発せられ場の雰囲気が緊迫していった。

「…思春、“真昼間”から何をしてるの?」
「蓮華様? ブラッドと鍛錬をしていただけですが?」
愛紗達がいる手前、蓮華は感情を抑えて落ち着いた口調で尋ねる。しかし、その目つきは鋭く声も
低い。対する思春も、愛紗達の目を気にしてごく普通に対応する。しかし思春の蓮華を見る目には
余裕があり、ブラッドからも離れようとはしない。二人の間で静かに火花が散っている。

「もう少し激しくやってもよかったが、思春が限界だったからな」
「あ、あたりまえだ。あれ以上やられたら、足腰立たなくなってしまう」
空気を読めないブラッドの発言に、思春はいっそう頬を赤らめ、少し拗ねた目でブラッドを睨み
つける。その表情から悪意は感じられず、

「皆が見てるのに、恥ずかしいじゃない♪」

とでも言いたげに、甘えた雰囲気を纏っていた。当然、蓮華にもその雰囲気は伝わりより一層
目つきが厳しくなった。

「あ、あまり激しくすると後の任務に影響するから程ほどにね」
他国の者の手前、雰囲気を和らげようと雪蓮がやんわりと窘めるが、あまり効果が無かった。
「そうね。次の日の軍議に支障をきたしでもしたら大変だわ」
「えぇ、それが上に立つ者なら尚更ですね」
「わ、私の事はいいの」
矛先が自分に向けられ、墓穴を掘る雪蓮だった。

 蓮華達のやり取りを、黙って聞いている事情を知らない愛紗と朱里。表情にこそ出さないが、
かなり驚いていた。
「…噂通りだな」
甘寧(思春)もかなりの実力者のはずだが、それがブラッドに支えてもらわなければ歩けない程
体力を消耗している。虎牢関で見せた化け物並の身体能力は、やはり要注意だった。もっとも
その化け物並の体力は、愛紗達の想像とは全く違う状況で発揮されたのだが、愛紗達は知る由も無い。

「それはそうと、そこに居るのは関羽と諸葛亮だな? 劉備配下のお前達が何故ここにいる?」
浮き足立つ女の子達を尻目に、元凶であるブラッドは冷静だった。その言葉に、全員が我に返った。
「確かにブラッドの言う通りだ。何故お前達がここに?」
思春も愛紗と朱里の存在を確認すると、ようやく戦場で見せた武人の顔に戻った。今更と言えなく
も無いが、ブラッドと思春の関係を知らない愛紗達は変化に気付いていない。
「彼女達は、劉備の使者としてここに来たの。具体的な話はこれからよ」
雪蓮達も愛紗達の目的を完全に把握しているわけではないので、分かっている事だけを伝える。

「じゃあ、後でね」
雪蓮はブラッド達に目配せすると、愛紗達を伴って城に入って行った。近いうちに軍議を開くので
準備をしておけという意味である。
「……」
思春は、雪蓮達に付いてその場を立ち去る愛紗達の背中を黙って見送っていた。視線に殺気は篭って
いないが、何か思うところがあるらしい。
「どうした?」
「いや、関羽ともいずれ遣り合う時が来るのだろうなと、思っただけだ」
反董卓連合で劉備軍と協力して戦った時、思春は愛紗の戦いぶりを見ていた。青龍偃月刀を自在
に操り、敵を次々なぎ倒しく様は圧巻だった。ブラッドとの鍛錬で自分がどれくらい強くなったか、
試してみたい気持ちが強い。もっとも、ブラッドを鍛錬につき合わせて思春の身体能力がかなり
向上しているのは事実だが、主に夜の鍛錬が原因ということを思春は知らない。

「可能性は無くはないですが、実現したとしてももっと先のことになると思いますよ?」
愛紗達が見えなくなったのを確認して、クーが顔を出して思春の希望をあっさり否定した。
「何故、そう思う?」
「北方に強敵と隣接している劉備に、孫呉と戦争をする余裕はありません。それどころか、今まで
特別行き来の無かった劉備が使者を寄越したのだから、何か協力を求めようとしているのかも知れ
ません。詳しい事は、関羽達の帰国後に雪蓮さん達から説明があるでしょうから、それまで待ち
ましょう」
「成るほど。では、暫く勝負はお預けか。あそこには関羽のほかにも張飛、趙雲といった剛の者が
いるというのに残念だ」
いずれも一騎当千と称される剛の者達だが、武人の血が騒ぐのか思春は対戦を心待ちにしている
ようだ。


 玉座の間に通された愛紗と朱里は、雪蓮の前で恭しくは膝をついた。雪蓮の左右には蓮華と冥琳
が控え、様子を伺っている。特に蓮華は、愛紗が何かしようとした時はすぐに対応できるように剣
に手を掛けていたが、それに気付いた雪蓮に目で制せられた。愛紗達も事を荒立てないよう、気付
いていない振りをしている。

 まず朱里が口を開いた。
「此度は孫呉独立、おめでとうございます。あと、遅くなりましたが汜水関における孫策殿の援助
についても我が主、劉玄徳に代わりお礼申し上げます」
「どうもありがとう。それと、汜水関の事はお互いの利害が一致しただけのことよ。お礼を言われ
るほどの事じゃないわ」
今更何言ってるの、目的は何、と問い詰めたいところだが、雪蓮は表情に出さず言葉を飲み込んだ。
あまり駆け引きは好きではないが、国を預かる者として今は穏便に事を進めている。

「朝廷の権威が失墜した今、大陸では曹操、袁紹、馬騰といった面々が覇権を手にせんと、多くの
勢力が虎視眈々と狙っている状態で、乱世の様相を呈しています。そんな中で、孫策様の民の幸せ
を願い、善政を敷く姿勢に我が主劉備もいたく感動しています。今後、共通の価値観を持つ孫策様
とは協力出来るところは協力していきたいと考えています」
朱里の言葉は分かりきった情勢と、孫策を称える内容に終始し、いまひとつ要領を得ない。何か含
むものがあるに違いないが、残念ながらそこまで読み取ることが出来ない。雪蓮は早々に話を切り
上げることにした。
「あなた達の言い分は分かったわ。基本的に目指すところは同じだし、私達も協力出来ることは
協力するわ」
「あ、ありがとうございます」
「今日は疲れたでしょう。部屋を用意させるので、そこを使って」
雪蓮の指示で呼ばれた侍女に案内されて、愛紗達は立ち去った。

「うーん…」
愛紗達が玉座の間を出た後、雪蓮は大きく伸びをしてため息をついた。珍しく表情に迷いがある。
「雪蓮、結局劉備は何がしたいのかしら? いきなり同盟を結べるとは思ってないはずだから、
とりあえず友好関係を築きたいだけなのかしら?」
少し困った顔で現状の把握と今度の方針について冥琳に尋ねた。聞かれた冥琳も明確な回答を持って
いないのか、表情は冴えない。
「難しいわね。額面どおりに捕らえると、それぐらいしか思いつかないくらい内容の無い話よ。
しかも、今後の状況では自分達と敵対する可能性のある勢力の台頭に祝辞を述べるなんて、かなり
能天気な話でもあるわ」
曹操を良い人と言い切った劉備なら十分考えられる行動だが、諸葛亮や関羽がそれを後押しするよ
うな態度をとっていることに、胡散臭さを感じている。

「だいたい、諸葛亮が子供の使い程度の事でわざわざ来るとは考えられない。何か裏があると考え
た方がいい。かといって、あまり疑心暗鬼になって好機を失うわけにも行かないし…」
珍しく冥琳の思考がぶれている。朱里を警戒するあまり、普段の冷静な判断力が少し鈍っている
ようだ。
「ここは、皆の意見を聞いた方が良さそうね」
「それがいいわ。穏やクーは私達と違う見方をしてくれるかもしれないし、今後の方針を決める上
でも皆の意見を聞きましょう」
一度、冷静になって考えを纏めるため雪蓮達は他の者達の知恵を借りることにした。


 愛紗達は侍女に連れられて部屋に向かっている。その途中、反対側から祭が酒樽を肩に担ぎなが
らやってきた。褐色の肌と青い瞳。銀色に光る髪を後ろで一つに束ね、妖艶な雰囲気を漂わせて
いる。大きすぎて重力とせめぎあっている双丘は、歩くたびにユラユラと上下に揺れて存在を主張
している。迫力満点の豊満な体を惜しげもなく曝す妙齢の女性が、酒樽を豪快に担いでいる姿は、
かなりインパクトがある。

「うん? 誰かと思ったら関羽殿に諸葛亮殿か。劉備のとこの使者が来ていると聞いたが、お主達
だったか」
「黄蓋殿。直接話をするのは初めてでしたね。関羽です」
「こ、今晩わ。諸葛亮です」
愛紗達に気付き祭の目つきが一瞬厳しくなったが、すぐに警戒を解いた。愛紗は最初か警戒して
おらず普段通りの生真面目な表情だが、朱里は大人の色気を撒き散らす祭に少々気圧されている。

「黄蓋様、随分呑んでおられますね。まだ呑むんですか?」
祭の行動はいつものことなのか、案内役の女性は少し呆れ顔でも咎める様子は無い。
「明日、儂は非番じゃからな。今、ブラッドの部屋で呑んでおったが酒が切れたので厨房から
失敬してきたところじゃ」
「はっきり言わないで下さい。見なかった事にしようとしているのですから」
既に酒が入っているのか、祭は頬も赤く上機嫌だった。従者の冷めた視線も、愛紗達の存在も全く
気にしていない。

 ブラッドの名前が出たことで、無難にやり過ごそうと思っていた愛紗達はチャンスとばかりに
話に乗っかった。
「ブラッドとは、虎牢関で呂布と引き分けたブラッド殿のことですか?」
「そうじゃが…。関羽殿は、彼奴とは面識があったのか?」
「えぇ、反董卓連合で孫策殿の軍と共闘した際に…。汜水関、虎牢関でのブラッド殿の戦いぶりに
は驚かされました」
武以外でも、むしろ武以上に驚かされた事は言わない。愛紗は、理屈では呂布と引き分けたブラッド
の強さは認めているが、武人としても人としても認められないでいる。しかし、酒が入って口が
滑らかになっている祭から、ブラッドに関する情報を得るまたとないチャンスでもある。蟠りを
捨てきれない愛紗では無理と判断したのか、朱里がそれとなくブラッドについて尋ねた。

「見たところ、ブラッドさんは異国の方のようですが、どちらのご出身なんですか?」
酔っていても、朱里がブラッドに関して何か聞き出そうとしていることぐらい祭にはすぐ分かった。
敵になるかもしれない勢力に内情を話すわけにはいかないが、現状敵対関係に無い相手にあまり
隠し立てしても警戒されるだけである。それに、ブラッドに関しては祭も知らないことの方が多い。
とりあえず、知られても問題の無いことについて話すことにした

「彼奴は荒野をフラフラしとるところを、儂と策殿と公瑾に出くわしての。行くところがないと
言うので、策殿が保護することにしたのじゃ。その後の活躍は中々のものじゃが、それより前の事
は、本人が話さんのでよく分からん。この国の者ではないらしいがの」
大体あっているが、肝心なところは適当に誤魔化す。現実離れした出会いを説明しても怪しまれる
と判断したからである。

「少し前、管路の予言で天の御遣いが大陸に降臨するという噂がありましたが…」
いきなり核心を突く朱里の質問だが、祭は想定していたのか全く動じる様子は無い。
「それについては儂らも聞いてみたが、本人はきっぱり否定した。える…何とかという国の出身と
言っておったが、儂は聞いたことが無い。公瑾の話では、ここより遥か西方に奴と似た風防の者が
住む国があるという話じゃが、そこにさっきのえる何とかという国があるかは分からん」
今度はブラッドの発言通りだが、朱里達の捉え方は微妙に変った。祭の回答は、孫呉がブラッドを
天の御遣いとして管理下に置いている事を認めたようなものだったからである。

 本人が否定しても、それを証明するものを提示しない。天の御遣いを自称すれば怪しまれるが、
否定したことで逆に周囲が色々余計な事を考え始める。他の者達とは明らかに違う風貌と、謎に包
まれた過去。加えて戦場における圧倒的な武。神秘性を残しつつ、非常に分かりやすい結果を残す。
民衆の心を惹きつける材料は揃っていた。朱里は、この状況を演出したであろう雪蓮と周喩の手腕
に警戒感を強めていた。
 
 対する祭はというと、実はそこまで深く考えていない。ただ分かっている事を小出しにしただけ
だった。しかし、愛紗達がブラッドに対し並々ならぬ関心を抱いている様子を見て、何か思いつい
たようだ。
「汜水関、虎牢関での戦いを見ていたのであれば、彼奴の武について今更言う必要はあるまい。
言動については、まぁ儂らも最初は面食らったが、慣れればそれほどでもない。腕はたつし酒も
強い。中々良い男じゃ。それに…」
一拍間をおいて、愛紗達に意味ありげな視線を向ける。

「彼奴は閨でも天下無双じゃぞ」
「なっ!」
「はわっ!」
「こ、黄蓋様…」
「はっはっは…。関羽よ、お主は随分と初心じゃの」
「くっ…」
うろたえる愛紗達を見て満足したのか、祭は悔しそうな表情の愛紗の視線を背中に受け、悠々と
去って行った。
「お見苦しいところをお見せしました。関羽様、諸葛亮様、部屋はこちらですよ」
取り繕うのも面倒になった案内役の女性は、一度大きくため息をついた後、何事も無かったように
愛紗達を部屋に案内した。


 部屋に入って愛紗と朱里は一息ついた。用意された部屋は落ち着いた雰囲気に包まれ、愛紗達
の肩の力も僅かに緩んだ。しかし、まだ警戒は解いていない。
「うわぁ、良い部屋ですね」
「急な訪問にも、これだけの部屋を用意できるとは流石だな」
「気候に合わせてるのでしょうね。北方とは微妙に造りが違います」
とりとめの無い話をしながら、周囲の様子を注意深く伺う。隠し部屋があって何者かが潜んでいる
ことも無く、部屋の外にも人の気配は無かった。
「…どうやら見張りはいないようだな」
「そうですね。まぁ、現時点では見張りを付けても意味が無いですから」
危険が無いと判断し、愛紗達はようやく本当に警戒を解いた。

 他の勢力を警戒しないはずはないが、孫策も当面は危険は無いと判断したのだろう。或いは警戒
していないことを愛紗達に知らせるために、この部屋を用意したのかもしれない。
「孫策さんは噂通り、器の大きな人ですね。私達の突然の訪問にも快く迎えてくれましたし」
「そうだな。だが、同時に底の知れない相手でもある。私達がただ祝辞を述べに来ただけではない
と分かっていながら、あっさり受け入れてしまった。どこまで見抜かれたのか、検討がつかん」
愛紗の表情は硬い。当面の友好関係を確認したと言っても、実際は敵対しない事の確認程度の意味
合いしかない。今後の情勢では、どう転ぶか分からないからである。両者ともに周辺事態に警戒し
なければならない問題があり、これ以上問題を抱えたくないというのが実情である。

 雪蓮は、自由奔放で豪放な性格で駆け引きを好まない。しかし、出来ないわけではない。敵の
策略を見抜く目も十分備わっている。何より参謀である冥琳は、大陸でも有数の戦略家である。
自分達の真意を悟らせないようにしようとすれば、余程巧妙にやらなければならない。逆に伝えた
いことがあれば、皆まで言わなくても分ってもらえる。今は敵対する時ではないので、小細工は
必要なかった。
「それと、ブラッドさんに関する情報が手に入ったのも大きな収穫ですね」
「むぅ…。武人としては納得しかねるが、状況を考えればお前の案に従った方が良いのだろうな」
今回の訪問のもう一つの目的、ブラッドに関する情報集も朱里には満足できる結果だったらしい。
朱里は嬉しそうの話すが、愛紗はどこか釈然としない表情である。

 呉の宿将である祭の言葉には、重要な意味が隠れていた。ブラッドの過去について、呉も把握し
切れていない事を祭は漏らしていた。異国出身で、雪蓮達と行動を共にしてまだ日が浅い。兵を
持たずに単独で戦闘に参加し続けるブラッドと雪蓮の信頼関係が、どこまで醸成されているか分ら
ない。上手くいけば、付け入ることも出来るかもしれない。そのための足がかりとしての情報収集
は、朱里にとって満足のいくものだった。

「愛紗さんは、ブラッドさんと戦ってみたいんですか?」
難しい顔をしている愛紗の顔色を伺うように尋ねる。直接剣を持って戦わない朱里でも、愛紗が武
に相当な拘りを持っているのは理解している。しかし、状況を考えれば今孫策軍と戦うという選択
肢が存在しないことも否定できない。軍師としては、愛紗に自重してもらわなければならなかった。
「強い者と戦いたいというのは、武人として当然の気持ちだ。しかし、私にとって主人の、桃香様
の夢を実現することの方が重要だ。私もそこまで物分りの悪い女ではない」
どうやら、愛紗なりに気持ちの整理は付いているらしい。内心ほっとする朱里だった。

「そう言えば、黄蓋さんは今ブラッドさんと一緒にお酒飲んでるんですよね?」
「あぁ、そんなことを言っていたな」
朱里の問いかけに、あまり興味が無いのか適当に相槌を打つ。
「まだ呑んでるんでしょうか。もう遅いですよね」
夜、部屋で二人きりで酒を酌み交わす男と女。妖艶な祭が、ねっとりとした視線でブラッドに纏わ
り付く様は、隠微な雰囲気を醸し出している。…あくまで朱里の妄想だが。
「はわ…」
「ま、まぁ、深く詮索するのは良くない」
「そ、そうですよね。当事者通しの…」
愛紗も似たような光景を光景を想像したのか、二人して顔を真っ赤にしている。

「あぁん…」

「……」
「……」
計ったようなタイミングで、女性の悩ましげな声が聞こえてきた。誰の声か判別できないが、状況
から二人が想像している声の主は同じだった。

「あん、はあん、す、凄い…。こ、腰が蕩けそうじゃ」

更に大きな声が漏れてきて、二人は頬を赤らめながら聞き入っている。
「えっと、今のは…」
「な、何の声だろうな」

「ひぃぃん! もっと好きにして構わんぞ。儂の体を自由に出来るのはお主だけじゃ。その代わり
儂を満たしてくれ! あ、あん、あん…ぜ、全身突き抜けるようじゃ…。あ、あん…はぁぁぁぁん!!!」


 理性の箍を吹っ飛ばされた祭の嬌声が、容赦なく響き渡る。勇猛果敢な呉の宿将として名を馳せ、
愛紗達には大人の女性の貫禄を見せつけた。そんな猛将が、理性をかなぐり捨て身も心もブラッド
に曝け出し、全てを受け止めようとしている。祭の獣のような乱れっぷりに、愛紗達は血液は沸騰
寸前だった。
「あ、明日、朝に出発するから今日はもう寝よう」
「そ、そうですね」
物凄くぎこちなく、何事も無かったように振る舞い寝台にもぐり込む。しかし、第二ラウンドが
始まったのか、一旦静かになったも部屋に再び祭の嬌声が響き渡る。

…閨でも天下無双。
「くっ…」
つい浮かんだ言葉を振り切るように思いっきり頭を振る。
「み、認めんぞ。あんな奴、私は断じて認めんぞ!」
ブラッドに対する不信感を更に強める愛紗だった。



[8447] 第16話:北方情勢と穏気な軍師(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:93f67651
Date: 2009/12/28 16:30
第16話:北方情勢と穏気な軍師


 昨夜中々寝付けなかった愛紗達は、少し疲れた顔で国に戻った。その日の午後、軍議が開かれ
主だった武官、文官が招集されていた。当然ブラッドも参加している。
「儂は今日、非番なんじゃがな…」
けだるそうな表情で、体を重たそうに引きずる祭。熱く激しく過ごした一夜の余韻に浸りたかった
のか、突然の召集に少し不満げだった。
「ごめんね。でも、これでも気を遣ってるのよ? 本当は関羽が帰って直ぐに軍議を開きたかった
けど、その時は動けなかったんじゃないの?」
「なるほど。経験者は語る、ということか」
少し意地悪な顔でからかう雪蓮だが、祭も余裕の笑みで切り替えす。昨夜、ブラッドの部屋で何が
あったのか、軍議に参加している女の子達には周知の事実だった。更に言えば、ブラッドの部屋で
朝を迎えた祭は、自力で起き上がることが出来ずブラッドに抱きかかえられて自室に送って貰った
のだが、その時ブラッドの胸に顔を埋めて甘えていたのは当人達とクーだけの秘密である。もし
知られでもしたら、これまで築いてきた威厳は一瞬で瓦解してしまうところだった。

「…昼間、散々私に出しておきながら夜は黄蓋殿と…。底無しだな」
ブラッドの精力に呆れつつ、自分ひとりで満足させられるよう精進する事を密かに誓う思春だった。
隣で蓮華が、やっぱり抜け駆けしやがったなこのアマ、と刺すような目で見ていることには気付い
ていない。
お疲れのところ黄蓋殿には申し訳ないのですが、事は急を要します故、ご理解いただきたいと
思います」
浮ついた雰囲気を一掃する、冥琳の事務的な声が響く。祭は澄まし顔の冥琳に何か言いたそうに
していたが、後輩の顔を立てて言葉を飲み込んだ。

「じゃあ、本題に入るわよ」
雪蓮は軽く咳払いをすると、全員を見回しながら状況を報告した。
「知ってる人も居ると思うけど、昨日、劉備のところの関羽と諸葛亮が、劉備の文を携えてやって
来たわ。内容を要約すると、独立おめでとう、これからも宜しくって感じかな」
「はぁ? 何ですか、それ?」
妙に明るく、というかアホっぽい話し方をする雪蓮に、蓮華は呆れ顔である。雪蓮に対してでは
なく、何も無い内容に対してである。
「実際、その程度の内容だったのよ。勿論、真意は別のところにあるはずだけど、少し計りかねて
いるのよね。それで、皆の意見を聞きたいんだけど、どう思う?」
少し困った顔で全員に意見を促す。しかし、集まった面々も雪蓮の心情が感染したように困惑した
表情を見せた。他の者達にとっても、愛紗達の目的が当たり前すぎて、それ以上見極めることが
出来なかったのである。また、雪蓮と冥琳が判断に迷う事案ということもあって、余計に難しく
考えてしまったようだ。

 先陣を切って、思春が口を開いた。
「普通に考えたら、私達を脅威と感じ今のうちに友好関係を築きたい、という事なのでしょうが…」
「そこまではその通りだと思うけど、問題はその先って事ね。劉備の次の狙いが何なのか、見極め
ないといけないわ」
親衛隊長として数々の武功を立てた思春は、武一辺倒の猪武者ではなく先見性も備えている。蓮華
も武ではまだ思春に及ばないものの、大局を見極める目では思春を大きく上回る。しかし、二人
とも現状は理解できても、その先までは読めなかった。

「隣接する北の二大勢力に注力するため、南方の憂いを断とうと考えているのでしょう。西には
同属の劉表がいるので、場合によってはそちらを頼るのかもしれません。もっとも、そうなった時
私達が静観している考えるほど諸葛亮が楽天的とは思えませんけど」
「なるほど。最終的には劉表に取って代わって、自分が荊州支配するつもりか。妥当な線だな」
「確かに、それは見過ごせないわね」
穏の意見に冥琳は大きく肯き、雪蓮は苦笑いを浮かべた。同属で懇意にしていることもあって、
劉備が劉表を頼る事は納得できる選択だった。

 荊州は交通の要所で土地も肥沃なため、古くから栄えた地域である。商業が発展し人口も多く
戦略上重要な拠点として注目されている。事実、ブラッドが亞莎と共に偵察に行った際、華琳配下
の春蘭達とニアミスしたことがあった。その荊州を、有能な人材を抱えた桃香が劉表に代わって
統治するとなれば、攻略の難易度は一気に上がってしまう。
「それは劉備というより、諸葛亮の案でしょうね。まぁ、劉備も見た目以上に強かなのかもしれ
ないけど」
「だが強かでないと、劉備はこの局面を乗り越えられんだろう。まぁ、ここもうかうかしていら
れんがな」
雪蓮の言葉に、今回特別顧問として軍議に参加したルクルがぼそっと呟いた。
「ルクル様、それはどういう事でしょうか?」
当事者でないルクルなら、自分達とは違う見方が出来るかもしれない。ましてや、ルクルは大国を
治める女王でもある。冥琳は期待を込めてルクルに発言を促した。
「まぁ、あくまで個人的な思いつきなんだが…」
ルクルは前置きして、見解を述べた。

 二大勢力は、いずれどちらかが大陸北方を制することになるだろうが、次の標的が劉備のいる
徐州になる可能性が高い。当然、劉備も対策を講じているだろうが、現有勢力で対抗することは
難しく、周辺の雪蓮や劉表に援軍を要請すると予想できる。そこで、考えうる選択肢が二つある。
 まず一つは、雪蓮、劉表と連絡を密に取り、三州共同で北の脅威に立ち向かう。雪蓮が大陸南部
を抑えて勢力拡大すれば、有利に展開できるはずである。ただし、動きの鈍い劉表を劉備がどう
けし掛けるかが焦点になる。
 次に、北の勢力の侵攻が思いのほか速く徐州に侵攻し、持ちこたえられない劉備が荊州に逃れる
場合。これは穏の意見と同じで劉備は、劉表に代わって荊州を治めようとするだろう。その時の
権限委譲が速やかに行われないと内乱となり、最悪の場合、北の勢力に一気に飲み込まれる恐れが
ある。当然、雪蓮達も更に厳しい状況に追い込まれる。

「方法は他にも考えられるが、劉備が単独で北の勢力に対抗することが出来ない以上、周辺の勢力
の力を借りようとするのは確実だろう」
「荊州を劉備にくれてやるつもりはサラサラないけど、私達が大陸南部を制圧するまで劉備には
頑張ってもらわないといけないから、協力できる事は協力しないと駄目ね」
戦略上重要な拠点である荊州を、劉備が実効支配し続ける事は避けなければいけないが、今劉備を
潰すわけにはいかない。雪蓮達には苦渋の選択だった。

「今後、劉備が何を言ってくるか分らないけど、それを念頭に置きつつ南部の攻略を進めた方が
良さそうね。単なる顔見せではないと思ったけど、そこまで意味があったのね」
雪蓮は、自分達が厳しい状況に置かれていることを改めて認識した。

「後は、情報収集でしょうか? 特にブラッドさんの事とか。他の勢力にとってブラッドさんの
武は脅威でしょうし、劉備も私達の戦力を見誤るわけにはいかないでしょうから」
「そうじゃな。確かに、あいつらは熱心にブラッドの事を聴いてきたな」
祭がリークした情報と、その後の祭自身の嬌態は愛紗達を大いに混乱させたのだが、当人には全く
気付いていない。

「こいつが、それ程の者とは思えんのだが…」
ブラッドの正体を知っているルクルは少し呆れ顔だが、それは立場の違いを考慮していない発言
だった。魔法や魔族が普通に存在する世界と、全く存在しない世界では捕らえ方は全く違う。この
世界では、ブラッドはあくまで圧倒的な武を誇る神秘の人だった。竜の巣におけるブラッドの行動
を知るルクルから見れば、雪蓮達がブラッドを過大に評価しているように見える。ただ、ブラッド
が人間では到底適わない能力を有していることも理解している。自分が身近に居るため慣れてしまった
のかもしれないと、変な優越意識まで湧いてきた。
「世の中、知らなくていい事もある。知って後悔することもある」
ルクルは淡々とした口調で話しているが、つい考えていることが表情に出たのか余裕が見える。
それは他の女の子達にはっきり伝わった。ルクルとブラッドの付き合いがどれくらいか分らないが
少なくとも自分達より長いのは明らかである。自分達の知らないブラッドを知っていると言いたげ
なルクルの発言に、嫉妬に近い感情が湧き上がり少し空気が重くなった。


「まぁ、劉備が何を考えているか今は憶測の段階でしかないわ。何の対策も立てないのは良くない
けど、考えすぎても意味が無いわ。まずは差し迫ってやらなければならない事について考えましょう」
「劉備が使者を送ってきた以上、返礼としてこちらも使者を送らなければならないわ。ついでに
向こうの内情も調べられればいいわね」
どっちがついでなのか分らないが、桃香のところに使者を送る事は決定事項らしい。

「そうね、関羽と諸葛亮に釣り合うだけの者じゃないと拙いわね」
愛紗と朱里に釣り合う人材となると、人選は中々難しい。愛紗は桃香の義妹で武人の筆頭格だし
朱里も劉備軍の軍師である。
「武官と文官一人ずつ。それも実績を積んだ人となると…冥琳と祭が適任なんだけど?」
「儂か? うーむ…」
雪蓮の指名に、祭は腰に手を当て気の無い返事である。どうやら、あまり乗り気ではなそうだ。
交渉事が苦手というわけではないし、冥琳と馬が合わないというわけでもない。もっと現実的な
問題があった。

「儂も公瑾も、そんなに国を空ける余裕は無いぞ?」
今は総出で独立後の体制固めに奔走している最中で、時間的な余裕が無い。雪蓮もその事は分かっ
ているので、強要する様子は無かった。
「そうですね。黄蓋殿は軍備増強に伴う新兵の訓練が、私も今後の国家運営に関する計画立案や
雪蓮のお守りがあります。ここで閑な者は一人しか居りません」
冥琳の言葉に、全員の視線が一人に集中する。

「俺か? まぁ、構わんが」
「お守りって何よ。まぁそれはともかく、ブラッドか…」
人事みたいな物言いのブラッドに対し、雪蓮は即答せず頭の中で考えを整理している。ブラッドの
武は今や呉随一であり、呉独立の立役者でもある。格の問題は無い。問題は、これまでのブラッド
の言動だ。国内や戦場では兎も角、使者として赴くのだからそれなりの対応が求められる。劉備の
前での問題発言は、呉の信用に関わる。クーがどれだけブラッドを抑えてくれるかにかかってくる。

「そうね、武官代表はブラッドにお願いするわ。じゃあ文官は…」
雪蓮は、これまでのやり取りからクーの能力を信じることにした。残るは文官だが、雪蓮の視線が
一人の文官に向けられる。冥琳は本人が乗り気でないし、亞莎ではまだ荷が重い。そうなると残る
人材は限られていた。
「ふふふふふ…。ようやく、ようやく私の出番ですね」
満面に妖艶な笑みを湛え名乗り出たのは、孫呉が誇るおっぱい軍師、穏だった。
「穏か…そうね、穏なら適任ね」
「えぇ、能力的にも問題ないでしょう」
「ちょ、ちょっと待って。穏とブラッドを二人きりにするなんて、危険すぎます」
「この組み合わせは、任務に支障をきたす可能性があります」
雪蓮は少し考えてあっさり承諾し、冥琳も追随した。しかし、これに蓮華と思春が難色を示した。
穏の発情体質は、呉では公然の秘密となっている。公務において失敗した事はこれまで無いが、
失敗したときの影響はブラッドより大きい。勿論、これは表向きの理由で本音は別のところにある
が、それを指摘するほど野暮ではない。

「あなた達の気持ちも分るけど、今回の任務は穏が最適よ」
「ど、どうしてですか?」
「穏以外に冥琳の代わりが出来て、ブラッドを抑えることが出来る? あの劉備に会うのだから
あれに対抗できるくらいじゃないと。穏と劉備を比べたら、分らない?」
蓮華達の反対を予想していたのか、雪蓮は穏やかな表情で諭すように説明した。
「穏と劉備?」
雪蓮の答えに桃香と直接面識の無い蓮華は意味が分らず、きょとんとした表情をしている。しかし
反董卓連合に参加していた思春は直ぐに二人に共通する身体的特徴に気付くと、詳しそうな顔で
ブラッドを睨み付けた。
「ブラッド…。お前もその辺の男と同じなのか? い、いや、ブラッドは私にもあんなに激しく…。
つまり、大きさが全てではないということか!」
「し、思春、どうしたの?」
「ブラッド、私はお前を信じているぞ!」
「は? 言ってる意味が分らんが?」
いきなり非難の目を向けたかと思うと、今度は思い直し何故か熱い視線を向ける。途中の過程を
全て省いて結論だけ述べたようだが、挙動不審気味な思春の態度に、ブラッドは引き気味だった。

「ブラッドと穏は準備が整い次第、出発。それ以外は各自の任務に戻ること。軍議はここまでだ」
まだ納得していない者を若干残し、軍議は終了した。
「ブラッドさん♪」 
 穏が、ニコニコしながらブラッドに擦り寄ってきた。勢いあまってブラッドの腕に大きな胸を
押し付けているが、意識してやってるわけではないようだ。
「宜しくお願いしますね」
「あぁ、徐州がどんな場所か俺は全然知らないから、こちらこそ宜しく頼む」
「お任せください!」
ブラッドに頼られたのが嬉しいのか、穏はブラッドの手を両手で握りブンブンと上下に振った。
当然、両腕に挟まれた巨大な胸も上下に大きく揺れる。
「あと出発の手はずは私がやりますので、それまでブラッドさんは待っててくださいね」
穏はそう言うと、弾む足取りでどこかに行ってしまった。

 次の日、手際よく準備を整えた穏に腕を引かれ、雪蓮に簡単に挨拶をしたあと城門まで引っ張ら
れた。
「これは、馬車だな?」
二頭の馬に、しっかりした造りの客車が繋がっている。派手な装飾の類は一切無く、実用性重視の
つくりだった。穏は移動の時は馬を使っているし、他の武官、文官も同じだった。馬車を使うのは
かなり裕福な商人くらいで、城内の者達も珍しそうに眺めていた。
「はい、どこから見ても馬車です。別に急いで行く理由もありませんし、返礼として荷物もあり
ますから、こっちの方が都合が良いと思いましたので」
穏は、前日と変わらない高いテンションでニコニコしながら答える。徐州行きが決まった後、権限
をフルに使って即行で手配したようだ。
「準備は全て整っています。さぁ、出発しましょう」
穏に文字通り背中を押され、ブラッドは桃香の居る徐州、へ向けて出発した。

 御者は居ないので、ブラッドが手綱を握ることになった。天の御遣いを御者代わりに使うのか
などと言うつもりはないし、穏の
「ブラッドさんは、色んな意味でしっかり手綱を握ってないといけませんから」
という発言に従ったわけでもない。初めて乗る馬車に興味があったからである。
「ふんふんふん~♪」
穏はブラッドの横に座り、終始上機嫌だった。
「随分、嬉しそうだな?」
「当然です。こうやって、ブラッドさんと二人でお出かけできるんですから。私は今日という日を
一日千秋の思いで待ってたんですよ」
顔は笑っているが、穏の目は真剣だった。今は返礼の使者という任務の真っ最中の筈だが、穏は
この状況を満喫しているようだ。

 ブラッドが雪蓮から紹介された時、蓮華達が警戒する中、小蓮と共に無条件で歓迎したのが穏
だった。早くお近付になりたいと思っていたが、一番警戒していたはずの思春があっさり篭絡され
たことで状況が変ってしまった。武官と文官という立場の違いもあって普段は話す機会が少ない。
また、筆頭軍師である冥琳があまりブラッドに積極的にアプローチしていないため(ブラッドの求
めには応じている)、これまで遠慮していた。

 しかし、後輩の亞莎にまで先を越されたことが分ると、真名が示す通り穏やかな性格が彼女の持ち味
だが、暢気に構えている状況で無い事は明らかである。穏がこのチャンスを逃すはずが無かった。
「道はこっちで合っているのか?」
「はい。方向があってれば適当で構いません」
何とも大雑把な指示だが、民家も何も無い広野を進んでいるのだから穏の言うとおりである。
穏はブラッドの横にくっつくように座り、しなだれかかっている。
巨大な胸がブラッドの腕に押し付けられ、馬車から伝わる振動で形を変えている。

「ブラッドさん。徐州に着くまで時間がありますから、徐州と劉備及びその配下について説明して
置きますね」
穏はブラッドに抱きついたまま、予備知識を説明し始めた。
「徐州は揚州の北に位置する州で、あふ…面積も狭く人口も置くありません。劉備が居を構える
下邳城も小さく守りに適していません」
穏は悩ましげな声を漏らし、ブラッドに体を擦り付けながら説明する。

「でも、侮ってはいけません。ふぅ…。劉備自体の武は、へ、兵卒よりましな程度ですが、配下に
はとても優秀な人材が揃っています。んふぅ…か、関羽、張飛、趙雲はいずれも一騎当千の武将で
あぁん、諸葛亮、龐統は大陸有数の軍師ですぅ」
熱い吐息がブラッドの頬を撫でる。最初はブラッドの横にぴったりくっついて座っていたが、段々
自分の胸を押し付けるように抱きついてきた。何をするつもりなのかと、訝しげに見るブラッドに
構わず、ブラッドの腕の中に上体を潜り込ませる。更に、両足をブラッドの膝の上に乗せると上体
と膝の力で腰を浮かせ、完全にブラッドの膝の上に乗っかってしまった。いわゆる膝抱っこの完成
である。

「…何してるんだ?」
「え? 何って、劉備の配下の説明をしてるんですよ。ブラッドさんに私に声が聞こえるように
こうしてるんです。あぁ、ブラッドさんは細身に見えて、逞しいですね♪ 色々と」
べったりブラッドにしな垂れかかって甘えまくる。プニプニとした穏のお尻の感触が体温と共に
ブラッドの膝に伝わってくる。ブラッドの腕に押し付けている胸は、申し訳程度に覆っていた服が
馬車の振動で簡単にずれて惜しげもなく披露している。

 普通の男なら理性が飛びかねないような状況だが、ブラッドはクールに手綱を握ったまま前を
向いている。ブラッドに甘えているうちに穏が発情しているのは明らかだが、ブラッドは動じない。
竜の巣では、篭絡した捕虜や生贄の娘達が毎日ブラッドに迫っていた。ブラッドの体力なら、全員
足腰立たなくなるまで攻めることも出来るが、一日がその行為のみで終わってしまう。

「ブラッドさん~。はむ…むちゅうぅ」
どうすべきか迷っているブラッドに、我慢できなくなった穏が自分からキスしてきた。
「ちゅ、ちゅ…くちゅ…じゅる、くうん! ブラッドさん、素敵ですぅ~」
穏の行為は段々エスカレートする。体の向きを変え、正面からブラッドを跨ぐように座りなおし
胸を押し付けてきた。ここまでされると、目の前に出されたご馳走に手を出さないのは失礼に当た
る。押さえが利かなくなってきた穏が、暴発するのも時間の問題である。適当な場所を探して馬車
を止めようとした時、前方で何かが動くのが見えた。

「…邪魔が入ったな」
「はえ?」
ブラッドの冷静な言葉に、穏がとろんとした視線を前に向けると、数人の男が道を塞ぐように立っ
ていた。身なりと品の無い顔から判断して、山賊に違いない。
「馬車の上で…。凄えな」 
「兄ちゃん、お楽しみのところ悪いが、死にたくなけりゃ女と馬車置いて消えな」
例によって死亡フラグを立てまくっていることに気付かず、男達は目を欲望にギラつかせながら
近付いてきた。
「もう、これからという時に無粋な人達ですね」
良いところで邪魔された穏は、かなりご立腹の様子である。頬は赤く、はだけた胸もそのままに
馬車を降りると、とろんとした目を幾分吊り上げて男達を睨みつける。中々扇情的だが、威圧感は
ゼロである。

「この陸伯言を舐めると、痛い目に遭いますよ」
いつの間に装備したのか、穏の手には愛用の武器、紫燕が握られていた。
「えーい!」
力任せに紫燕をブンブン振り回す。それにあわせて胸も一緒にブンブン揺れる。しかし悲しいかな、
男達の目は武器より巨大に胸に釘付けになっていた。それが命取りとなることも知らずに。

グシャッ!

穏の紫燕が男の側頭部にヒットし、何かが砕ける鈍い音がした。頭の形を変えた男は何も言わず
その場に崩れ落ちた。文官といえど人手不足という事情もあって、孫呉の軍師は自ら武器を持って
戦う事が要求されている。勿論、最前線で戦う事はないが、それでも兵卒程度に遅れを取る事は
ない。ましてや野盗如きが敵う相手ではない。
ここにきて、野盗達はようやく自分達が危機的状況に瀕していることを理解した。しかし、遅す
ぎた。未だに色気を撒き散らしているが、見た目より遥かに俊敏な穏の淫乱ファイトに、成す術
無く倒されていった。逃げるチャンスはいくらでもあったのに、それをことごとく見逃した者達の
哀れな末路だった。

「ブラッドさん、邪魔者は排除しました。さ、続きを♪」
周りの惨状を一切気にせず、目を爛々と輝かせてブラッドににじり寄る穏。
「続きというのは、徐州の説明か?」
「あん、当然です。しっかり説明しますので客車の方に行きましょう♪」
ブラッドは苦笑いを浮かべながら、へばりつく穏を抱き上げて客車の中に入っていった。

徐州到着が一日遅れたのは言うまでもない。


<補足>
史実及び三国志演技で孫固は荊州との戦いで死んでいるので、雪蓮(孫策)にとって劉表は親の敵
といえます。しかし、恋姫†無双では劉表に関する記述は無いので、雪蓮も荊州を戦略上重要な
拠点と考えていても劉表に対しては、特別思う事はないという設定で話を進めます。






[8447] 第17話:伏竜、昇り竜、落ち零れ竜
Name: PUL◆69779c5b ID:93f67651
Date: 2010/07/22 23:55
第17話:伏竜、昇り竜、落ち零れ竜


 揚州、建業。ブラッドと穏が徐州に向けて出発した次の日、蓮華は落着かない時を過ごしていた。
「姉様、本当にあの二人で大丈夫だったのですか?」
二人の同行を認めた雪蓮の判断に蓮華はまだ納得出来ない様子で、心配そうな顔で尋ねた。
「蓮華、未練がましいわよ。別に、これでブラッドが穏だけの好い人になるんじゃないんだから、
少し落ち着きなさい」
「…そういう事を言っているのではありません。真面目な話です」
茶化すような雪蓮の物言いに、少し憮然とした表情で答える。勿論、雪蓮が指摘したことも非常に
気になるところではあるが、今は孫呉の王族として現状を憂えている。

「穏の実力は認めています。私達とは違う着眼点を持ち、私達が見落としたことも穏なら気付いて
くれるかもしれません。でも、ブラッドはどうなのですか? 彼の武は疑う予知はありませんが
文官としては、未だ成果を挙げていません。今回の任務は、重すぎではないでしょうか?」
最近はすっかり恋する乙女状態の蓮華だが、生来の生真面目さは失われていない。ブラッドの奔放
で時には横柄とも取れる言動が、桃香達との関係を拗らせないかと危惧している。

 そんな蓮華の変化を成長と受け止めた雪蓮は、満足そうな笑みを浮かべると上司の顔になって
事情を説明した。
「劉備や諸葛亮との遣り取りは、穏一人で問題ないわ。あの娘はそれだけの能力を持っているし。
正直、今回の訪問においてブラッドに使者としての働きは、あまり期待していないのよね。今後
共に戦う可能性のある者を見るだけで十分よ。私が期待しているのはクーの観察眼よ」
「クー? なるほど、そういう事ですか」
戦略、内政において、クーの助言がこれまで大きな成果を挙げている事は蓮華も知っている。自分
達とも穏とも違う着眼点で、朱里の策略を看破出来るかもしれない。

「ルクル女王の話では、クーは相当な切れ者で竜の巣の運営を一手に引き受けているそうよ。クー
のこれまでの助言は、その実力の一端と言えるわ」
「ま、待ってください。竜の巣とは、何ですか?」
聞きなれない言葉に蓮華の質問が飛んだ。
「え? あぁ、ブラッドが元の世界で住んでいた城のことよ」
情報をリークしたのはルクルである。ブラッドが正体を明かしていない状況で、ルクルの発言は
失言だった。しかし、雪蓮達は竜の巣を単なる名称と判断したようである。ルクルも、自分の住む
世界では竜の存在は周知に事実であり、自らの失言に特に気に留める素振りを見せなかったため、
雪蓮も怪しまなかった。

「かなり大きな城で、城内に侍女だけでも数百人抱えてるそうよ。常備軍を持ち、城内で生活する
者も多くて、一つの街に匹敵する程って言うから驚きね。その大きさから竜の巣って呼ばれてるん
だと思うけど、それの運営管理の最高責任者が、クーというわけ」
「確かに、クーならまた別の見方ができるかもしれませんね」
クーの実力に改めて驚かされると共に、ブラッドと行動を共にしていることに嫉妬めいた気持ち
を抑えきれない蓮華だった。

「それにしても、竜の巣って名前は言い得て妙ですね。そこの主であるブラッドは、竜って事に
なるわ」
「まぁ、戦場でのブラッドの戦いぶりを見れば、そう称しても差し支えないわね」
ブラッドの事は既に天の御遣いとして喧伝しているが、正体が竜でも実は落ち零れという、凄いの
か凄くないのか良く分からない事実を知った時、雪蓮達がどのような反応を示すのか見ものである。


 場所は変わって徐州、下邳城。現在桃香が居を構える城である。愛紗達が桃香に状況報告をして
いた。
「二人ともお疲れ様。孫策さんはやっぱり良い人だね?」
愛紗達からほぼ計算通りに事が進んでいるとの説明を受け、桃香は嬉しそうだった。しかし、この
状況で雪蓮を良い人と言い切る桃香に、愛紗達は何とも言えない表情を浮かべていた。
「それと、ブラッドさんには会えた?」
「え? えぇ、何と言いますか…。と、とりあえず、噂の一端を垣間見たというか…」
「実際に見たわけではありませんが、甘寧将軍が敵わないほどの実力の持ち主のようです」
桃香の質問に、愛紗達は曖昧な対応に終始している。足腰立たなくなった状態の思春は、それだけ
を見ればブラッドの武の高さを証明するものと言える。しかし、その後の祭とのやり取りや、実際
に見ていないがブラッドと祭の激烈な秘め事が頭に浮かび、ブラッドの能力を冷静に推し量れない。

「甘寧といえば、呉でも指折りの猛将だ。その甘寧が敵わないのなら、やはりブラッドの実力は並
外れているという事になるな?」
「本当? 凄いなぁ。汜水関では殆ど話せなかったし、もう一回ちゃんとした形で会いたいな」
「ちゃんとした…。正直お勧めできません。それに、奴も呉では重要な地位にいますし、会うと
なれば私達もそれなりに力がなければ、孫策が認めないでしょう」
「こちらからブラッドさんとの対談を申し出るわけには行きませんし、孫策さんとの関係を考える
と実現するとしてもまだ先のことになると思います」
何も分かっていない桃香は、無邪気にブラッドとの再会を望んでいる。しかし、愛紗達は自分達と
呉の力関係から現実的には難しいと考えている。なにより純真無垢な主が穢されるのではないかと
危惧していた。

 しかし数日後、下邳城は予想外の事態に見舞われることになる。
「申し上げます! 揚州より孫策の使者と名乗るものが、劉備様との面会を希望しております」
「孫策さんの? もう来てくれたんだ。良かった」
愛紗達が揚州を訪れてさほど間を置かずに返礼の使者が来たことに、桃香は無邪気に喜んだ。
「それで、使者さんはどんな人なの?」
「陸孫とブラッド・ラインと名乗っています」
「えぇ!? ブラッドさんが来たの?」
あまり期待していなかったのか、桃香は思いがけない人物の名に過剰反応した。

「陸遜も、あの周喩に次ぐ実力者と聞いている。随分、大物が来たな」
「迅速な対応は、私達と友好関係を築くことに同意してくれたと判断していいでしょう。この面子
を使者に選んだことから、向こうも私達を重要視しているということです」
自分達の意を汲んでくれた雪蓮の対応に、朱里は満足そうに笑みを浮かべた。もっとも、その笑み
には全てを見抜いているわけではないだろうという、余裕も含まれている。
「早くお通しして。くれぐれも失礼のないようにね」
逸る気持ちを抑えきれず、桃香は部下に指示を出した。愛紗が隣で難しい顔で見ていることにも
気付いていない。

 玉座の間では、桃香、愛紗、朱里、雛里がブラッド達を待っていた。城の者の後について穏と
ブラッドが玉座の間に現れると、桃香達はやや緊張した表情で向かい入れた。一方、ブラッド達は
リラックスした表情である。特に穏は、名前の通り穏やかな笑みを湛え、お肌も艶々だった。
「初めまして、陸遜と申します。此度の孫呉独立における祝辞、孫策に代わりお礼申し上げます」
「こ、こちらこそ迅速な対応、ありがとうございます。この城の城主、劉備です。宜しくお願いします」
アウェイの穏が堂々と振る舞っているのに、ホームの桃香がぎこちなく対応している。国対国の
対応に慣れていないこともあるが、ブラッドの熱い視線が気になるらしい。そのブラッドは普段
の横柄な態度ではなく、随分おとなしいものだった。実は、玉座の間に入る前に穏からしっかり釘
を刺されていたのである。勿論、ブラッドに命令しても聞くはずがないので、実際は穏が体を張って
“お願いした”のをブラッドが聞き入れただけである。
「我が主、孫策も劉備様と同様、民の生活を第一に考えており、覇権を唱える曹操、袁紹とは一線
を画しています。民の為、共に戦うことに協力は厭わないと申しております」
「本当ですか? ありがとうございます!」
穏の言葉を受けて、桃香は手放しの喜びようだった。穏も桃香に匹敵する邪気のない笑顔を見せて
いる。それも、所謂“顔は笑っていても目は笑っていない”表情ではなく、本当に満面に笑みを
浮かべている。そのことが朱里を思考を混乱させた。

「あ、あの…陸遜さん?」
「はい? 何ですか?」
冥琳に次ぐ実力者である穏が何も考えていないはずが無いが、屈託の無い笑顔から邪気は感じられ
ない。しかし、玉座の間に入る前に預けられた穏の武器には、賊の頭を一撃で叩き割った時の血が
付着していた。穏の性格を測りかねて、朱里は当惑している。
「え、えっと…。こ、これからも両陣営、連絡を密に取っていきたいと思いますので、宜しくお願
いします」
「はい、こちらこそ宜しく」
朱里のぎこちない対応に、穏は弾けるような笑顔を向けた。それと同時に、弾けるような巨大な
バストも上下に揺れる。自分には到底真似できない穏の仕草に、敗北感にまみれる朱里と雛里だった。

「……」
ブラッドは玉座の間に入ってから、まだ一言も言葉を発していない。穏が釘を刺したということも
あるが、単に儀礼的なやり取りに興味が無かったという面もある。そんなブラッドを、愛紗は注意
深く観察していた。使者として来ているので殺気が無いのはいいとして、ブラッドはぼけっと突っ
立ったまま桃香と穏のやり取りを眺めているようにしか見えず、何のためにここにいるのか分から
ない。陸遜も見た目に反して相当な切れ者だし、ブラッドも何か企んでいるのではないかと疑心暗鬼
になっていた。

 しかし、桃香は警戒感を露にする愛紗に全く気付いていない。夢見る乙女のように目をキラキラ
させてブラッドを見詰めている。
「あの、ブラッドさん?」
「うん? 何だ?」
友好的な対応の桃香に対して、ブラッドの態度は素っ気無い。一国の代表に対しかなり横柄な口の
利き方だが、桃香は気にしていない。かわりに愛紗の視線が鋭くなった。
「虎牢関では大活躍だったそうですね。呂布さんと引き分けるなんて本当に凄いです」
「そ、そうか? それほどでも…」
「謙遜しなくてもいいです。あの天下無双の飛将軍、呂布さん相手に一歩も引かないなんて、大陸中
探してもブラッドさんくらいしかいません。本当に凄いことです。それと…ブラッドさんが天の御遣いという
噂があるんですが本当に天の御遣いなんですか?」
桃香は、ブラッドの顔色を窺うように尋ねた。管路の予言は誰もが知っている。しかし、雪蓮が
孫呉の優位性を天下に知らしめるために、素性の分からないブラッドを天の御遣いに仕立て上げた
という穿った見方があるのも事実である。人を信じやすい桃香もそのことは知っていて、ブラッド
に真意を質すという行為が、信頼関係の構築の障害とならないか心配しているようだ。

 しかし、ブラッドも穏も全く気にした様子は無かった。
「あぁ、周りは俺の事をそう言っているらしいな」
「本当ですよ。管路の予言通りこの地に降り立ちましたし、その後の神がかり的な活躍もブラッド
さんが天の御遣いである事を裏付けるものです。天下無双の呂布と互角に渡り合える人が、今まで
在野に埋もれていたなんて、考えられません」
否定も肯定もせず、ただ状況だけを淡々と話すブラッドに対し、穏は状況証拠とその後の実績を
述べて、ブラッドが天の御遣いである事を主張した。穏の持つ独特のほんわかした雰囲気のおかげ
で緊迫した状況にはなっていないが、言っている事はかなりごり押しである。幸い、桃香も似た
ような資質を備えていること、今孫呉との関係を悪化させるわけにはいかないという思惑もあって
愛紗達から異論が出ることは無かった。

「そうなんですか? 素晴らしいです。ブラッドさん程の力があれば、より多くの民を救うことが
出来ると思います。私達も出来るだけの事はしますので、皆が平和に暮らせる日が来るまで頑張り
ましょう!」
「え、えっと…」
身を乗り出し不思議な迫力で押し捲る桃香に、ブラッドは不覚にも気圧されてしまった。ブラッド
にとって、桃香はかなり調子の狂う相手だった。そもそも、全く無関係の国の人間同士の諍いに竜
であるブラッドが興味を持つはずが無い。当然、桃香の言う民の為に力を使うという意識は欠片も
ない。

「と、桃香様。今回、二人は返礼の使者として来ています。込み入った話は、正式に孫策殿に申し
入れる必要があります」
意外なことに、当惑するブラッドに愛紗が助け舟を出した。愛紗にとっては不本意だが、自分の
主人が他国の今一つ信用できない軽薄そうな男に頭を下げることを避ける方が、より重要だった。

「お二人とも長い行程でお疲れでしょうから、今日のところはお休みになられた方がよろしいかと
思います」
「そ、そうだね。ごめんなさい。少し浮かれてました。一応、別々に用意させましたので…」
「あ、お構いなく。一部屋で十分です♪ というか、ブラッドさんと一緒じゃないと嫌です」
公務とは言え、若い男女を同部屋にするのは拙いと、その手の問題には疎い桃香にしては珍しい
配慮だったが、当事者である穏からやんわりと断られてしまった。穏は、蓮華や思春の監視が無い
のをいいことに、心置きなくブラッドといちゃつくつもりのようだった。

「そ、そうですか。じゃあ愛紗ちゃん、悪いけどブラッドさん達をお部屋に案内して」
「わ、わかりました」
本人が良いと言うのに、無理強いするわけにはいかない。桃香は、公から私に切り替わりつつある
穏に戸惑いながら、愛紗に案内させるしかなかった。


「……」
二人を案内する途中、愛紗はチラチラと横目で穏の様子を見ている。朱里や雛里のように、自分の
スタイルに対するコンプレックスはなく、寧ろ密かに自信を持っているくらいだが、桃香を凌ぐ
巨大なバストにどうしても目が行ってしまう。それ以上に、場所も状況も人の目も気にせずブラッド
に擦り寄る穏の行動が理解できなかった。この色ボケにしか見えない能天気な娘が、本当に周喩に
次ぐ実力者なのか? もしかしたら、自分たちを欺く演技なのかもしれない。それならブラッドの
軽薄な言動も演技かもしれない。二人を案内しながら疑心暗鬼になった愛紗は、余計な思いを巡ら
せていた。

 中庭を通過しようとしたとき、気合の入った掛け声が聞こえてきた。鈴々と星が実戦形式の鍛錬
をやっていた。
「にゃ!」
「はい!」
一人は気合が入っているのか良く分からない掛け声だが、繰り出される攻撃は重く鋭い。

「あれは、張飛さんと趙雲さんですね? 二人とも凄い攻撃ですね」
パワーを前面に出す鈴々と、パワーとスピードを高い次元で両立させる星。二人の高いパフォー
マンスに穏は素直に賛辞を送っている。もっとも、それより更に高い能力を持つ者を知っている
ので圧倒される事はない。

「おや? 誰かと思ったらブラッド殿ではないか。呉の使者とはブラッド殿のことだったのか」
「そっちのお姉ちゃんは、凄いおっぱいなのだ」
ブラッド達に気付いた星と鈴々が手を休めて視線を向けた。
「り、鈴々、あまり不躾な事を言うな。申し訳ない陸遜殿」
「構いませんよ。皆さんの視線が集まることには慣れてます。それに、結構役立つことも多いです
から♪」
鈴々のセクハラ発言に愛紗は慌てて釈明したが、穏は全く気にする素振りを見せない。それどころ
か自分の胸を強調するように腕を組んで、チラリとブラッドに視線を送った。その仕草にブラッド
はやれやれといった表情を見せているが、愛紗は微妙に頬を引き攣らせていた。もっとも、愛紗も
さっきまで穏の胸を凝視していたので、鈴々にきつく言うことは出来ない。

「それにしても、体に似合わず随分長尺な武器を使っているな。触ってもいいか?」
ブラッドは鈴々の持っている武器に興味が湧いたようだ。自分の背丈より遥かに長く重厚感のある
武器を軽々と振り回しているので、素材などが気になった。
「いいぞ。ほい」
鈴々は無造作に蛇矛をブラッドに投げ渡した。見た目以上に重かったため、ブラッドは受け損ない
そうになるが、何とか落とさずに受け取った。
「お? 落とさなかったのだ?」
「こら、鈴々! ブラッド殿、申し訳ない」
どうやら、鈴々はブラッドが取り損なうと思ってわざと投げ渡したようだ。義妹の状況を把握しない
悪戯に、愛紗は眉を顰めている。

 しかし、ブラッドに気にした様子は無かった。愛紗の謝罪を適当に受け流して蛇矛を興味深げに
眺めていた。
「気にするな。形状は違うが、メイスと同じ打撃系の武器のようだな。これは何と言う武器なんだ?」
「これは蛇矛なのだ。これを持ったときの鈴々は無敵なのだ」
「私に押されていたのは、どこの誰だったかな」
「う、煩いのだ!」
星に突っ込まれ、鈴々は向きになって言い返した。子供っぽいというより、見た目通り子供である。
しかし華琳のケースもあり、戦場での働きぶりは年齢も容姿も関係ない。

「そっちの白いのは持っているのは槍だな? それは俺も見たことある」
「趙雲だ。覚えておいてもらうとありがたい」
ブラッドが自分の名前を知らなかったことが不満なのか、星は目を細めて軽くブラッドを睨みつけた。
とはいえ、虎牢関で一回あっただけで、特に名乗りもしていなかったのだからブラッドが星の事を
知らなくても仕方の無いことだった。

「あの呂布と互角に渡り合ったブラッド殿とは、一度手合わせ願いたいと思っていたが、こんなに
早くその日が来るとは思わなかった」
「星、ブラッド殿は孫呉の使者としてここに来ている。私情は控えてくれ」
「だ、そうだ。またの機会で頼む」
鈴々とは別の意味で場を掻き回す星に、愛紗がしっかり釘を刺した。ブラッドにとって、星と遣り
合ってもメリットは無い。それに、いくら落ち零れ竜でも人間相手に武を競っても虚しいだけである。
ここは、愛紗の言葉に乗ることにした。

「うむ。常山の昇り竜と呼ばれた趙子龍の槍、ブラッド殿にも是非受けて貰いたかったのだが、
やむを得んな」
本気で遣り合う気は無かったらしく、星はあっさり引き下がった。星は武人として純粋に腕試しを
したいという思いで言っただけで、他意はない。しかし、ブラッドの反応は劇的だった。
「…昇り竜、だと?」
「うん? どうされたブラッド殿?」
「ブラッドさん、どうしたんですか?」
星と距離をとり、警戒モード全開で尋ねるブラッド。その態度の豹変振りに、星だけでなくいつも
のほほんとしている穏まで驚いている。
「あ、いや何でもない。彼女は自分の事を竜と言っていたが、この世界には竜がいるのか?」
何とか取り繕いながら、頭の中を整理する。もし星が自分と同じような竜なら、落ち零れのブラッド
に勝ち目は無い。しかし、それほどの実力なら恋に後れを取ることも桃香の下にいるはずがない。
プライドの高い竜の女性が人間の下に就くはずがないからである。ということは、星は本当は竜で
はないか、この世界の竜はあまり強くないのかもしれない。ただ、ライアネのように例外的に街で
暮らす竜もいるので、楽観は出来ない。

 しかし、そんなブラッドの堂々巡りの思考も穏の一言で停止した。
「竜? 私は、見たことありません。昔はいたかもしれませんが、真意のほどは分かりません。
伝説というか、想像上の生物という意見もあります」
「いや、竜はいる。鈴々も見たことないけど、絶対いるのだ」
鈴々は穏の言葉に反論し、竜の存在を断固として主張した。
「私も実際に見たことはないが、いると思う。確証は無いが」
愛紗も鈴々の意見に同調した。意見は分かれるが、見たことが無いことでは一致している。

「実在するかどうかはひとまず置いといて、この世界で竜はどんな存在なんだ?」
「そうですね、竜は人知を超えた神聖な存在です。皇帝の権威を示すものとして、竜に準える事も
あります」
「そうか…」
竜が圧倒的な力を持つというのは、元の世界と同じで納得できる。ブラッドでもこの世界では天下
無双でいられるくらいの違いがあるのだから、その能力差は明らかである。ブラッドはあまり気に
していないが、人間より格上の存在と考えている竜が殆どなので、人知を超えた存在というのも
大体同じだ。神族とは敵対関係にあったため、神聖と言われることに抵抗はあるが人間の竜に対す
る見方も共通する。
 結局、この世界では竜が実在するかは想像の息を脱しておらず、星が竜でないことも間違いない。
身の危険が無い事を確認したブラッドは、ようやくヘタレモードを解除した。

「まぁ、今後友好関係を築こうとしている陣営と、戦場で敵対することは当分無いだろうが、鍛錬
に付き合う機会くらいはあるかも知れんな」
剣を交えることに何のメリットも無いと考えているので、ブラッドの物言いはかなり適当だった。
しかし、そのやる気の無さを挑発と受け取った星は、内心穏やかではない。それは愛紗も同じ気持
ちだった。
「そういうことなら、私もぜひ参加したいものだ。よろしいかな、ブラッド殿?」
「…そのうちな」
俄然やる気になっている愛紗達に、小さくため息を吐くブラッドだった。


 ブラッドと穏は、来客用の部屋に通された。最初、桃香は別々の部屋を用意するつもりだったが
穏の希望もあって、大きめの二人部屋に急遽変更となった。来客用だけあって、中々の造りである。
「中々良い部屋ですね」
一通り部屋を見渡して、穏は素直に感想を述べた。
「侍女を付けますので、何かありましたらその者にお申し付けください。では、私はこれで」
愛紗は一礼すると、さっさとその場を立ち去った。

「ブラッドさん~♪」
愛紗が完全にいなくなったのを確認すると、穏はブラッドに飛びついて甘えてきた。
「早速か? 気の早い奴だ」
「違いますよ。大陸の情勢と、私達の今後についての話ですよ」
早速発情かと思ったブラッドだったが、そうではないらしい。穏はそのまま寝台になだれ込むこと
なく、ブラッドに抱きついたままだった。子犬が飼い主にじゃれつくように、ブラッドに甘えて
いるだけだった。

ブラッドの言葉に否定はしているが、穏の瞳は潤み頬も上気している。なお、私達とは孫呉の事
を指していて誤解を招きかねない物言いだが、意図したものではないようだ。
「本当は、ここに来るまでにしっかり説明するつもりだったんですが、邪魔が入って途中までに
なってましたから」
いちゃいちゃムードをあっさり消して、穏はブラッドから離れると設置してあった椅子に腰掛けた。
とは言え、穏の頬は赤いままでブラッドを正面に見据えて足を開いて座っていたりと、どこまで
本気なのか分からない。とりあえず、穏の言葉通り今後の展開について話を聞くことにした。

「まず初めに、劉備さんはここを決戦の場とは考えてないようですね」
「何故、そう言えるんだ?」
穏は自信満々に話しているが、ブラッドには全く根拠が分からない。
「ここが守るに適していないからです。関羽さんに案内してもらってる間、色々見てましたけど
城壁は低いし兵も少ないし、敵に対する備えは十分とはいえません」
「さらに言えば、穏さんが結構あからさまに場内を観察していたのにも拘わらず、関羽は見て見ぬ
振りをして、表情にも不快感がありませんでした。つまり、ここで戦う気が無いから見られても
構わないということです」
穏の説明にクーが追随する。クーはブラッド達が愛紗に案内されている間、姿を消して周りの様子
を観察していた。クーの抜け目の無さと分析力に穏は感心した。

「流石、クーさん良く分かってますね。その調子で、雪蓮様たちの前では言えなかった事も話して
頂けませんか?」
「…分かっていたんですか?」
今度はクーが驚く番だった。いきなり話を振られ虚を突かれたクーは、珍しくあわてた表情を見せた。
「ルクル様が雪蓮様たちに説明していた時、何か言いたそうにしていましたよね? 今まではっき
り言っていたクーさんにしては珍しい事だったので、何かあるんじゃないかと思ってました」
クーが愛紗達の様子を観察していたように、穏もクーをはじめ周りの様子を観察していたのである。
やはり、のほほんとした風貌に反し穏は侮れない。

「それで、クーさんは劉備の狙いは何だと思いますか?」
穏は期待を込めた表情で、クーに先を促した。
「では僭越ながら…。劉備が北方の勢力に対し、ここで戦わず別の処で戦うつもりという意見は私
も同じです。場所も恐らく荊州でしょう。問題はそこに至る経緯です。この地を捨てて逃げるので
すから、追撃を受けるのは確実です。そのため、劉備は安全に逃亡できる経路を確保しようとする
でしょう」
「…それって、揚州を逃げ道に使うって事ですか?」
クーの言わんとすることが分かり、穏のいつもの能天気な表情が僅かに曇る。

「もしかしたら、追手の盾か的にするつもりかもしれません。今、劉備に死なれると、北方の勢力
に対抗できるのは雪蓮さんだけになってしまいます。それを見越して、強気に交渉することも考え
られます」
「うわぁ…。私達も、随分舐められたものですね。確かにその話は、あの場では出来ませんね。
雪蓮様は兎も角、蓮華様と祭様と思春はぶち切れてしまいますね。今すぐ劉備と戦争だ、とか言い
かねませんよ」
クーの意見はかなり辛辣で、もしこの場に蓮華達が居れば怪気炎を上げるに違いない。しかし、穏
は驚きはしたが表情は穏やかなままだった。

「恐らく、雪蓮さんも冥琳さんも分かっていると思います。分かった上で、穏さんを使者として
派遣し劉備達の出方を見極めるつもりなのでしょう」
「なるほど、納得しました。北方情勢によって劉備の動きも変わりますから、私達も状況に応じて
対応しなければなりませんね」
どうやら、穏も桃香達を北方勢力に対する盾、前線基地に出来ないか考えていたようだ。お互い
協力出来ることは協力し、利用出来ることは利用しようという考えなので、朱里が同じ考えだった
としても不信感を抱くことは無かった。

コンコン…

 今回の訪問について総括し、雪蓮への報告内容を確認したところで、タイミングよくノックの音
が部屋に響いた。
「どうぞ~」
「失礼します。あの、お茶をお持ちしました」
穏の返事を待って
二人の少女が入ってきた。一人は儚げな雰囲気を纏った、いかにもお嬢様然とした美少女で、何故
このような娘が侍女をしているのか、興味をそそられる。もう一人は勝気な雰囲気の漂う小柄な
眼鏡っ子で、こちらも侍女らしくない雰囲気だった。

「……」
「な、何よ? 厭らしい目で見ないでよ」
「え、詠ちゃん、お客様にそんなこと言っちゃ駄目だよ」
見た目通り勝気だったらしく、詠と呼ばれた侍女はブラッドの視線に敏感に反応し、突っ掛かって
きた。侍女とは思えない鋭い眼光だった。
「あぁ、スマン」
「ブラッドさん、見惚れていたんですか?」
詠に対してぎこちない対応をするブラッドをからかうように穏が茶々を入れた。実際は見惚れて
いたのではなく、詠に奇妙な既視感を覚えて硬直しただけである。

「お二人とも、とてもよく似合って可愛いですよ」
「あ、ありがとうございます」
「…あんまり嬉しくない」
恥ずかしそうに頬を赤らめる月に対し、詠は現状に不満があるのか複雑な表情である。
「大体、…の軍師であるボクが、何でこんな格好しなくちゃいけないのよ」
「え? どうしました?」
独り言を聞かれ、詠は慌てて取り繕った。かなり挙動不審な態度だが、穏は特に気にする様子も無
かった。

 居心地が悪いのか、月達はお茶を入れるとそそくさと部屋を出て行った。
「あれが董卓と賈詡ですか。世間の風聞とは全く違いますね」
「そうですね。まさかこんな処に董卓と賈詡が潜んでいたとは思いもよりませんでした。びっくり
です」
穏も詠の独り言をしっかり聞いていた。下手に追求して桃香達との関係を拗らせないように、あえ
て聞き流していた。
「どうしますか? 今、董卓を討っても意味はありませんが…」
「仰るとおりです。でも、これは私達にとっては好都合です」
穏は、今後の桃香陣営との交渉で月達の存在を有効に使うつもりらしく、いつものニコニコでは
なく冥琳のような笑みを浮かべていた。


「さて、総括も終わりましたし、ここからは大人の時間ですよ~♪」
そう言うと穏は素早く公から私に、更に淫乱モードに切り替わってブラッドにしな垂れかかった。
「結局こうなるのか。この好き者め」
「これは天の御遣いの血を孫呉に入れるという、非常に重要な任務ですよ。だからブラッドさんも
気合を入れてお願いします」
尤もらしい理由を並べ立てているが、穏の目的が行為そのものであることは明らかである。
「…どうなっても知らんぞ?」
「大丈夫です。 どんと来いです」
胸を肌蹴て肢体を曝け出して準備万端の穏は、妖艶な雰囲気を醸し出してブラッドを挑発した。

 そして、数時間に及ぶ肉弾戦の末、精魂尽き果てた穏は物言わぬ肉の塊になってしまった。
「屍のようだな」
「まだ死んでません。まぁそれは兎も角、随分派手にやりましたね」
「あぁ、ここまで着いて来るとは思わなかった」
全身に掛かった色んなものが混じった体液にまみれながら、穏は幸せそうな顔で静かに寝息を立て
いる。穏の予想を超える奮闘振りに、ブラッドとクーは半ば呆れ顔である。
「これからどうするんですか?」
「流石にこのままは拙いだろう。面倒だが後処理は…」
「それは当然です。私が言っているのは、この世界でも竜に対する概念があったことに対し、今後
どうするかと聞いているんです」
クーは話の観点のずれを修正し、本題に戻した。穏は未だ夢の住人で、当分戻ってくる気配は無い。
クーは今後のブラッドの行動方針を確認するつもりだった。

「この世界における人知を超えた存在に対する概念は、恥ずかしながら失念していました」
竜族、神族、魔族といった人知を超える存在が普通に存在する世界にいるせいか、クーは雪蓮達の
いる世界は
「どういう事だ?」
「皆さんの今後の対応が、変わるかもしれません。現在でもご主人様を特別な存在と見なしている
ので、ご主人様を自分の立場を脅かす存在として排除する、ということはないでしょう。これまで
とさほど変わらないと思いますが、場合によっては雪蓮さん達がご主人様が神聖な存在として崇め
奉るかもしれませんが…」
「…それはかなり嫌だな」
クーの説明を聞いてげんなりした表情を見せる。自分にひれ伏す雪蓮達を想像して一瞬それもあり
かと思ったが、度が過ぎると鬱陶しいし興醒めする。やはり雪蓮は今のままが良い。

「雪蓮さん達は変わらなくても、竜の名を騙る不届き者として、大陸中を敵に回す事も考えられ
ます。力を制御しきれない状況では、避けた方が賢明です」
暗黒竜の血が暴走した状態で元の世界に戻ったら、最悪一族に粛清されかねず、今までの努力が
水の泡になってしまう。
「あと、名称は同じでも容姿が違うことも考えられます。一度、この世界の竜について調べた方が
良いでしょう」
「そうだな。冥琳にでも聞いてみるか」
取り敢えず、物の姿に戻っても暴走しない、もしくは長時間維持できるようになる事が先で、正体
を明かすのはその後にした方が良いと判断した。


 次の日、ブラッドは足元の覚束ない穏と共に桃香に簡単に挨拶して兼業に戻った。穏の様子に
桃香は不思議そうに首を傾げていたが、愛紗、朱里、雛里は顔を真っ赤にしてまともにブラッド達
を見ることが出来なかった。昨夜のことは、筒抜けだったらしい。




[8447] 第18話:最強工作員と最弱竜(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:93f67651
Date: 2010/07/22 01:11
第18話:最強工作員と最弱竜


 袁術を追放し、独立を勝ち取った呉は大いに栄え、街は活気に満ちていた。しかし、大陸の勢力
争いは予断を許さない状況が続いており、楽観できない。しかも、雪蓮は戦いとは別の極めて厄介
な問題を抱えていた。
「はい、今日の分の書類よ」
「え? こ、これ全部?」
目の前にドサっと詰まれた書類を見て、雪蓮は戦場では見せた事のないうろたえた表情を見せた。
「あなたの分はそれだけよ。本当はそこに積んだ以上に残ってるけど、残りは蓮華様達にお願い
してるわ。これでも気を使ってるのよ?」
「な、何でこんなに増えたのよ?」
これまでも事務処理は嫌々ながらも何とかこなしてきたが、目の前の書類の山に雪蓮は戦意喪失
気味である。

「独立後、急激に人口が増え、街の発展に伴って色んな問題が発生しているわ。その為、領民の
陳情も急増しているのよ」
独立をしたという事は、国の運営も全て自分たちでやらなければならない。しかも暗愚な袁術と
違い、領民のことを考えてくれる雪蓮なら話を聞いてくれるだろうと領民の期待もあり、陳情の数
は劇的に増えていた。
「処理する人員が増員されなかったら、仕事は増える一方よね? その辺はどうなってるの?」
「勿論、対策は打ってある。しかし、重要な職務なので簡単に育成は出来ない。使える目途が立つ
までは、今いる人員でやるしかないでしょ?」
当然、冥琳も現状でいいとは思っていないが、即効性のある案が見つからず宥めるように説明する。

「前、ブラッドが街の整備に関してはクーが詳しいって言ってなかった? 少しクーに頼めない
かしら?」
自分の仕事を減らすために、実体の無い者まで使おうとする雪蓮だった。
「クーには、今でも街の整備では助言して貰っている。それに、彼女は自分の世界でも重要な職務
に就いているらしいし、更に雑務を頼むわけにはいかないわ」
「それなら、ブラッドにも頼めないかしら? クーの話では武だけでなく知識も豊富だって話じゃない」

段々形振り構わなくなっていく雪蓮を見て、そんなに仕事がしたくないのかと冥琳の眉が僅かに
吊り上る。
「駄目よ。ブラッドは立場上、呉の客将としてここに居てもらってるから、国の政策に関わる案件
に対する決定権は持っていない。それに、彼は天の御遣いとして民心を落ち着かせる役目を担って
いる。本人は適当にうろついているだけでも、十分に役目は果たしているわ。彼を天の御遣いに
担ぎ上げたのは、あなたでしょ?」
少し意地悪な笑みを浮かべて、冥琳は雪蓮の顔を覗き込んだ。

「ぐ…結構な身分ね。それで、今彼は何してるの?」
「さぁ? 多分、いつものように街にでも行ってるじゃないかしら? 今日非番の明命が妙に機嫌
が良かったから、一緒に出掛ける約束でもしてるのかもしれないわね」
「明命といえば…。あの娘、随分ブラッドに懐いてるわね?」
城内でもブラッドの後ろをついて回る明命を、雪蓮も何度か目撃している。付かず離れずの微妙な
距離をキープしながら、しっかりブラッドにアピールしている姿か健気の一言に尽きる。

「最初、街の案内を明命にさせた時から好感持ってたみたいね。いきなり目の前で仙術を見せられ
た事も刷り込みになったんじゃないかしら? それはいいから、あなたは仕事をしなさい。明日は
ルクル様に国家運営に関する講義をお願いしてるから、今日中に全部終わらせるのよ」
「何でルクルは様付けで、私は呼び捨てなのよ。あなたの上司は私よ」
「他国の、それも大陸全土を纏める大国の女王に敬称を付けるのは、当たり前でしょう? それに
あなた、私に様付けして欲しいの?」
「…して欲しくない」
「なら問題ないでしょ? 立派な君主になって欲しいと思う部下の気持ちも汲んで欲しいわね」
「…ホント、容赦ないわね」
どうやっても冥琳の雪蓮に仕事をさせるスタンスは変わらず、雪蓮も渋々従うしかなかった。


 そのお気楽なブラッドは何をしているかというと、冥琳の予想通り明命の案内で街中を散策して
いた。
「今日の飯も中々美味かったぞ」
「へへ、ありがとうございます」
満足げな表情のブラッドを、明命は嬉しそうに見ている。今、二人は昼食の帰りだった。
ブラッドが街で食事を摂る際、同行する割合が一番高いのが明命だった。多くの店を知っていて、
明命自身もブラッドに懐いているので、自然と一緒に居ることが多くなった。思春も街のことは
それなりに知っているが、蓮華に気を使っているのか雰囲気に慣れていないのか二人で出かける
ことは稀だった。

 明命は嬉しそうにブラッドの横をついて回っている。無類の猫好きらしいが明命に対するブラッド
のイメージは子犬だった。城内でも街中でも、ブラッドを見かけると元気よく駆け寄って来て
愛くるしい笑顔を振りまいている。しかし、これは明命の一面に過ぎない。小柄な体躯と身に纏った
雰囲気で、これまで明命が戦場を駆け抜ける姿がイメージ出来なかったが、同行した黄巾党残党の
討伐でそのイメージは払拭された。自分の身長よりも長い剣、魂切を手に敵を次々撃破していく様
は圧巻だった。雪蓮が信頼しているのも肯ける。
 とはいえ、ブラッドの前の明命は前述したとおり子犬のままだった。今もブラッドの横で目に
ついた物を熱心に説明している。しかし、生真面目で礼儀正しい性格でもあるので鬱陶しいほど
纏わりつくことも無く、ブラッドも好きにさせていた。

「ブラッド様は最近、亞莎ともよく出掛けたりしてますよね?」
「亞莎? あぁ、何でも上手い饅頭屋を見つけたとかで誘われたことはある。そう言えば最近は
街でよく会うな。まぁ、お互い示し合わせたわけではないが」
いきなり亞莎の名前が出てくるが、ブラッドは特に気に留めなかった。しかし、明命にとっては
結構重要なことだった。目の治療の一件以来、亞莎は少しずつだが確実に変っていった。勿論いい
方向にである。今までは人見知りが激しく、消極的でいつもどこかおどおどしていたが、最近は
僅かではあるが積極的に自分の意見を言うようになった。亞莎の変化は雪蓮達にも良好で、一番
の親友を自認する明命も、我がことのように喜んでいた。嫉妬の類が微塵も無いのが明命らしい。

「そうですか。亞莎って、いつも部屋に篭って勉強ばかりしてたから心配してたんですよ。でも
ブラッド様のおかげで、亞莎も少し積極的になったみたいで良かったです」
「別にたいしたことはやってないが、亞莎が良い方向に変ったのなら良い事だ」
ブラッドにとって、顔面にぶっ掛けるのは大した事ではないらしい。もっとも視力が回復したこと
でより外に目を向けるようになり、ブラッドに対しても積極的に繋がりを持とうとする亞莎の変化
は明命にとって歓迎すべきことだった。

「あ、あのブラッド様は亞莎の事、どう思ってるんですか?」
明命は興味津々と言った表情で、ブラッドに尋ねた。明命は色恋沙汰には鈍く、亞莎に対する嫉妬
の感情も無い。物陰からブラッドを熱い視線で見詰めている亞莎を見て、純粋に何とか力になり
たいと思っているだけだった。
「どうって、可愛い娘だと思うぞ?」
ブラッドは竜の巣でも複数の女の子の視線に曝されて生活してきたので、亞莎の視線には気付いて
いなかった。従って、明命の質問の意図も理解していない。

「そうですか。良かった。ブラッド様は雪蓮様や冥琳様や祭様みたいに、おっぱいの大きい人じゃ
ないと相手にしてくださらないんじゃないかと心配していたんですが、ほっとしました」
暗に亞莎はおっぱいが小さいと言ってるのだが、似たような体型をしている自分もブラッドの守備
範囲である自覚は無かった。
「積極的になったとは言え、亞莎はまだ引っ込み思案なところがあるので、ブラッド様が引っ張っ
ていただけたらと思います。あの娘は本当に良い娘ですから」
「それを言うなら、お前も相当良い娘だぞ」
「え? わ、私ですか?」
いきなり自分に話を振られて、明命は大きく目を見開いた。
「亞莎が良くて、お前が良くない理由は無い。お前も十分可愛いぞ」
「は、はぅ…あ、ありがとうございます」
初対面の時の刷り込みで、明命はブラッドを崇拝している節がある。そのブラッドから可愛いと
言われ、明命は思いっきり舞い上がってしまい真っ赤な顔であたふたしてしまった。

 しかし、その直後、ブラッドは今まで見せたことの無い明命の一面を見ることになる。
「……」
不意に明命の表情が真剣なものに変わり、雰囲気が一変した。その変化は劇的で、直ぐブラッド
にも伝わった。
「どうした?」
「ブラッド様、顔を動かさずに視線だけ向けてください。私達の前方やや右側にいる男です」
明命の言葉に従いブラッドも視線のみを動かすと、町人風の男が店を覗きながらうろついているの
が見えた。
「あぁ、あれか? あの男がどうかしたのか?」
「何気ない素振りですが、回りを気にしながら街並みを注意深く観察しています」
「そうなのか? また黄巾党の類が物色してるのか?」
「いえ、恐らく間諜でしょう」
「間諜? 曹操の手の者か?」
「そこまでは分かりません。どこの手の者かは、捕まえてから調べましょう。私達が気付いた事で、
向こうも私達に気付いた可能性があります。ブラッド様はこのままの距離で、あの男を見張って
いてください」
そう言うと、明命は音も無くその場を立ち去った。

 ブラッドは、男を尾行し始めた。男の行動に変わった様子は無く、ゆっくりと街中を散策しな
がら角を曲がって行った。ブラッドも後を追ったが、男の姿は無かった。尾行に気付かれてしまっ
たようだが、ブラッドに焦りは無かった。
「これくらいは気付くか…」
ブラッドは初めて通る道にも関わらず、迷うことなく進んで行った。

 そのまま裏道を進んでいくと、目的の男が明命の前で蹲っていた。
「ブラッド様、ありがとうございました。ブラッド様に気を取られていたため、簡単に捉えること
が出来ました」
男がブラッドの視界から消えていたのは、一分にも満たない僅かな時間だった。その僅かな時間に
明命は男を取り押さえたことになる。
「殺したのか?」
「いえ、気絶させただけです。あとは警らの者に任せましょう」
明命は手早く男を縛り上げると、駆けつけた警邏の者に引渡した。
「中々大したものだな」
「ありがとうございます。これも私の任務です」
誇らしげな顔で胸を張る明命は、いつもブラッドに纏わり付いている女の子ではなく孫呉の中核を
担う将の顔をしていた。


 数日後、ブラッドは祭と穏から訓練の参加を要請され、半ば強制的に連行されていた。
「なぁどこに行くんだ?」
「行けば分かる」
「もう直ぐですから我慢してくださいね」
ブラッドが尋ねても、二人とも意味ありげな笑みを浮かべるだけでまともに答えようとしない。
どうやら目的地に着くまで答えるつもりはなく、仕方なくブラッドは二人に連れられ森へと向かった。

 森の中を進むこと一時間、ようやく祭の足が止まった。あたりは木々に囲まれ鬱蒼とした雰囲気
を漂わせていた。
「このへんじゃな」
「おい、そろそろ説明してくれ」
「うむ、これより対工作員の 実地訓練を行う」
「工作員とは何だ?」
言葉を知らないわけではないが、予想していなかった単語らしい。ブラッドは訝しげな表情で祭に
尋ねた。
「工作員とは敵陣に少数もしくは単独で潜入し、情報収集や破壊活動を行う者のことじゃ。味方の
援護も無く、孤立した状態で己の判断のみで局面を打破せねばならず、卓越した身体能力と強い
精神力が必要じゃ」
「シーフみたいなクラスと考えればいいんじゃないですか?」
「成るほど、リオと同じタイプか」
クーの言葉にブラッドは自分のよく知る人物と、明命を重ね合わせた。

 ブラッドは以前、雪蓮と一緒に黄巾党の残党を討伐した時の明命の活躍を思い出した。可愛らし
い容姿とは裏腹に、次々と敵を切り伏せる姿は圧巻だった。また、先日街中で敵の間諜を捕縛した
時に見せた隠密行動も、賞賛に値するものだった。それに加えてシーフの能力まで備わっているの
だとしたら、明命の評価を変える必要がある。

「あの容姿では信じられんかもしれんが、明命は呉随一の工作員なのじゃ。既に明命は、この森の
どこかに潜んで、我々の様子を伺っておるはずじゃ」
訓練は既に始まっているらしい。祭の言葉に同行した兵達の緊張が増し、しきりに辺りを警戒し
始めた。
「訓練て、具体的に何をするんだ?」
「明命の捕縛じゃ」
「は? 明命一人捕まえるのに、これだけの人員が必要なのか?」
間の抜けた声を上げる。明命一人に対し、ブラッド達はそれぞれ十人の部下を連れて総勢三十三人
いる。人員配分のバランスが悪すぎて訓練にならないのではないかとブラッドは訝るが、祭は厳し
い表情で首を振った。

「ここは木々が生い茂って見通しも利かず、我々は連携が取りにくい。逆に明命は隠密行動に長け
ていて、単独で動ける分自由に動くことが出来る。我々が有利というわけではない」
一人の明命を多数で捜索するのだから、ブラッド達が追う側で明命が追われる側である。どちらが
有利か、本来なら考えるまでも無いことである。

「つまり、これだけの人員を動員するに値するほどの能力を、明命が持っているということか?」
「そうじゃ。暗闇では、彼奴は呉随一の武人じゃ。お主も舐めて掛かると、痛い目に遭うぞ?」
「ほぉ、それは楽しみだな」
挑発するような祭の物言いに、ブラッドは敢えて乗っかり余裕の笑みを返した。力で敵対する者を
圧倒する竜にとって、隠密行動は最も苦手なことである。しかし、相手の得意のフィールドにおい
て力でねじ伏せて、優越感に浸るのも悪くないと考えた。

「なお、敗者はそれなりの辱めを受けることになる」
「辱め?」
「戦場では敗北は即ち、死を意味します。武人として志半ばで死ぬ事は、屈辱でしかありません。
だから、今回の訓練では負けたとき死ぬほど恥ずかしい思いをして、実戦への心構えにして欲しい
と思います」
「…ほぉ」
「ご主人様、また何か良からぬことを考えてますね?」
穏の説明を聞きながらニヤリと冷たく笑うブラッドを見て、クーは呆れ顔である。絶対何かやらか
すと確信している。
「敗者は勝者から辱めを受ける。つまり、勝者は敗者を辱めてもいいと言うことだ」
「そうきますか。明命さんはご主人様を気に入っているというか、懐いてますから大丈夫でしょう
が、無茶はしないでくださいよ」
あまり効果はないと思いながら一応釘を刺すクーだった。


「訓練開始じゃ!」
祭の声で各隊は明命の捜索を開始した。ブラッドにも数人の兵があてがわれた。
「…こいつら邪魔だな」
兵に聞こえないように愚痴をこぼす。竜の巣における侵入者迎撃は、内部のトラップと迎撃部隊個々
の能力で撃破し、チーム戦略は皆無だった。それぞれの能力が高いレベルだから出来ることだが、
今いる兵士達の能力は遠く及ばず足手纏でしかなかった。
「そうですね。でも、すぐ居なくなりますよ」
兵達が聞いたら決していい顔はしないクーの予想は、すぐ現実のものとなった。兵達は抵抗する
間も無く次々と明命の餌食になり、あっという間にブラッドだけになってしまった。
「気配がまるで読めてないな」
「戦場で真っ先に死ぬタイプですね。最近の(竜の巣の)侵入者で、ここまでレベルの低い者は
いませんよ」
顔に落書きされて転がっている兵を見ながら、ブラッド達は呆れ顔だった。それだけ明命の能力が
高いともいえるが、殆ど無抵抗の兵達を見て孫呉の行方が少し心配になった。

「他の奴らはどうなった?」
自分の持ち場では有能でも、慣れない任務では能力を発揮できないはずだ。二人とも苦戦している
だろうと暫く林道を歩いていると、見覚えのある白い大きな胸が転がっていた。
「穏、大丈夫か?」
「きゅう…」
穏は縛られ、自慢の胸に落書きをされ目を回して倒れていた。衣服があまり乱れていないことから、
殆ど抵抗することなく倒されたようだ。
「このまま放っておくのも可哀想だな」
ブラッドは穏の縄を解くと、抱きかかえて木の根元に寝かせた。その時、無言の本人に代わって
大きな胸がぷるんと揺れて自己主張した。取り合えず、揉みしだいておく。
「あん…ブラッドさん、駄目ぇ♪」
「……」
一瞬、気付いているのかと思い手が止まるが、穏の意識は戻らないままで頬を赤らめ熱い吐息を
吐いている。
「ご主人様に弄られる夢でも見てるんでしょうか?」
「さぁな。とりあえず外傷もないし問題ないだろう」
「ブラッドさん、もっと下さい。あん♪ 太くて硬くて美味しいです~♪」
「……」
「随分、楽しそうな夢を見ているようですね」
呆れ顔でクーが呟く。意識の無い娘をいたぶる趣味は無いが、無意識でも穏の体はしっかり反応し
ていて、他人に見せられない状態になっていた。
「これは、無意識に俺を求めているんだな。このままにしておくのは可哀想だ」
ブラッドは都合よく解釈すると、明命が見ているかもしれない状況で、盛りのついた穏の体を慰め
ることにした。

 穏の体を十分堪能した後再び林道を進むと、また見覚えのある褐色の大きな胸が落ちていた。
「……」
祭が同じように胸に落書きされ縛られていた。穏とは違いかなり抵抗した後があるが、不慣れな
場所での戦闘では状況を打開できなかったようだ。ブラッドは穏と同様、祭も縄を解いて木の根元
に寝かせた。当然、胸を弄ることも忘れない。
「敗者とはいえ、この仕打ちはいかんな」
二人の胸にはかなり辛らつな言葉が並べられているが、文面から巨乳に対する明命の鬱積した思い
が見て取れた。
「容姿に反し、明命は内面に暗黒面を抱えているようだな」
「そうですか? ごく普通の感情ですよ」
共感するものがあるのか、呆れるブラッドと対照的にクーの反応は明命に好意的だった。
「そろそろ行動開始といくか」
誰に言うでもなく呟くと、ブラッドはゆっくり林道を歩き出した。

「……」
 気配を殺し、息を潜めて様子を伺う二つの目。明命は最後の獲物、ブラッドの捕獲に慎重に対応
していた。
超人的な身体能力を持つブラッドに、正面から戦いを挑むことは出来ない。気配を消し不意を
突いて背後から攻めるのが、最もリスクが低い。しかも、今は自分の能力を最大限に発揮出来る
状況にある。明命は、気配を気取られないように慎重に様子を伺っていた。

「……」
ブラッドは特に周囲に気を配るそぶりも見せず、ゆっくり林道を歩いている。一見無防備に見える
態度だが、明命はまだ仕掛けない。自分以外の全員がやられたことはブラッドも分かっているはず
だから、気配が分からなくてもどこかで自分が狙っていることはブラッドも分かっているはずである。
ブラッドの身体能力なら、仮に不意を突かれても明命の姿が確認出来れば対応できると考えている
のかもしれない。ならば、確認する間もなく倒せばいい。明命はブラッドが隙を見せる時を辛抱
強く待ち続けた。

「……」
ブラッドが立ち止まり、辺りを見渡した。明命の姿は確認できていないはずである。

タタタッ!

急にブラッドが走り出した。一瞬感付かれたかと焦る明命だが、監視されていることを見越した
上で、それを振り切るために移動したとも考えられる。下手に追いかけて自分の居場所をブラッド
に悟られるわけにはいかない。明命は音と気配を頼りに、ワンテンポ遅れて移動した。
「ブラッド様はどこに?」
茂みの中から様子を伺う。気配はあるが、ブラッドの姿はどこにも無かった。恐らくブラッドも茂
みの中に潜み、明命の居場所を探っているのだろう。明命は感覚を最大限に研ぎ澄まして身を潜めた。

「これは根競べですね」
明命は長期戦を覚悟したが、表情に余裕があった。工作活動では自分に一日の長がある。これまで
の数々の工作活動でも、敵に悟られず任務を遂行してきた。経験に勝る自分の勝利は揺ぎ無いと
考えた。
しかしブラッドは一向に姿を見せない。気配は常に感じられ、ごく近いところに居るはずなのに
動きが無い。辛抱強く待ち続ける明命だが、ブラッドの強い気配はプレッシャーとなって少しずつ
心と体を疲弊させていった。

「!」
明命が常に感じていた気配が、更に大きくなった。姿は見えないが、ブラッドが近づいているに違
いない。
「ど、どこに!?」
声が出そうになって、慌てて口をつぐむ。慎重に辺りの様子を伺うが、ブラッドの姿は見当たらない。
直ぐ隣に居てもおかしくないくらいの気配なのに、姿どころかどこから近づいてきたのかも分から
ない。しかも気配は更に大きくなって、明命の全身に圧し掛かってくる。
「こ、これ程の気配は今まで感じたことがありません。まるで虎や熊…い、いやもっと強烈な…」
初めて体験する強烈な気配を受け、明命は一つの結論に辿り着きそうになった。
「ま、まさか…竜? い、いや、いくら何でもそれはありえません。話が荒唐無稽すぎます。で、
でも、ブラッド様は呂布と互角に渡り合った武の持ち主で、その上まだ力を出し切っていないとい
う話です。これがブラッド様の実力の一端なのかもしれません」
ブラッドに心酔している明命だが、さすがにブラッドが竜とは考えていないようだ。

 明命が姿の見えないプレッシャーと戦っているあいだ、ブラッドは十数メートル上の木の枝で、
のんびりと様子を見ていた。ブラッドは明命の監視を振り切った後、手近な木に飛びついて明命の
動きを観察していたのである。
「大分弱ってきたな」
「もう、いいんじゃないですか? そろそろ限界だと思いますよ?」
「そうだな、行くか」
ブラッドは音も無く木を降りていった。

 明命は、相変わらず見えないブラッドの気配と戦い続けている。しかし、気配に気を取られすぎ
て逆に周囲に対する警戒が散漫になっていた。
「ブ、ブラッド様はどこに?」
「ここにいるぞ」
「はわっ!?」
いきなり背後から声が掛けられ、明命は飛び上がって驚いた。振り向くと、ブラッドがしてやった
りの表情で腰を抜かしている明命を見下ろしていた。拘束されていないのでこのまま逃げることも
出来るが、自分の主戦場で後れを取ったことで明命はあっさり白旗を揚げた。
「ま、参りました」
張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、明命はその場にへたり込んで動けなくなった。

「ブ、ブラッド様、いつの間に? それに先ほどの強大な気は何なんですか?」
自分の身に起きた現象が理解できない明命はブラッドに、説明を求めた。
「本来工作員は、敵に存在を悟られずに任務を遂行するものだ。しかし、今回は初めから居ること
が分かっている状態で、捕獲作戦が進められている。お前にとっては不利な条件だったわけだ」
「で、でも、私は最初からブラッド様達の場所が分かっているのに、ブラッド様達は私の姿は見え
なかったはずです。見通しの利かない森の中では容易に私を発見することは出来なかったはずです。
こういう状況での戦いは私が最も得意とするもので、条件的には私の方が有利だと思うのですが…」
珍しくブラッドの意見に反論する。自分の能力に対する自信と圧倒的に有利な条件下での敗北に、
納得がいかない様子である。

「俺は、お前のように僅かな気を察知する能力は無い。しかし、お前が俺以外の奴を全員排除して
しまった事で状況が変わった。俺一人だけに的を絞って攻撃するのだから、対応するのは難しくな
くなった。お前は自分の優位性を自分で消してしまったんだ」
「で、でも、ブラッド様は私の気配は分からなかったんですよね? どうやって私の居場所を特定
出来たのですか?」
「場所が分からなければ、燻り出せばいい。そのために、気を高めてお前にプレッシャーを掛けた」
「ぷれっしゃあ? 何ですか、それは?」
「あぁ…精神的重圧だ。お前は、俺の気配を気にするあまり自分の行動を制限してしまった。俺は
お前がへばるのを上で見て待ってただけだ」
「う、上ですか?」
「あぁ、木の上でな」
ブラッドが指差した先には大きな木があり、かなり上の部分まで人が乗っても大丈夫な枝が生い
茂っていた。

「空を飛べない者は周囲の様子には気を配る事は出来ても、頭上の注意は散漫になるものだ。お前
の動きは丸見えだった」
「そ、そうですか。何か恥ずかしいです」
身を低くして、見つからないようにして必死に周囲の様子を窺っている自分の姿を、上から覗かれ
ていた事が分かり、明命は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「結局、私はブラッド様の掌で転がされていたようなものですね。完敗です」
呉最高の工作員の自負はあるが、ブラッドは別格と思っているのか明命に落胆した様子は無くさば
さばした表情である。

「じゃあ、俺が敗者のけじめを付けてもいいな?」
「け、けじめ?」
「お前は俺に負けた。戦場で負けた者がどうなるか、お前も知ってるだろう。ましてやお前は女だ…」
「あ…」
ブラッドの言わんとすることが分かり、明命の顔が真っ赤になる。ブラッドのこれまでの武勇伝は
色々耳に入っている。その破壊力は雪蓮が足腰立たなくなるほどで、影響力は堅物だった蓮華や
思春が鍛錬にかこつけてちょっかいだしたり、人見知りが激しく男に免疫の無かった亞莎が積極的
に街に誘う程である。ブラッドの手で自分が何をされ、どのように変えられていくか、期待以上に
不安が大きく、瞳を潤ませてブラッドを見詰めている。

「あ、あの、出来ればこういうことは、お布団でやって頂きたいのですが…」
「これは、敗者のけじめだと言ったはずだ。多少の苦痛は我慢しろ」
「そ、そんな、最初は…うぐ、はむ」
暴れようとする明命を押さえつけ、強引に唇を奪う。初めての経験に、明命はなす術無く殆ど無抵抗
に弄くられてしまった。

「はむ…くちゅ…はぅ! あぁ、そんな…」
全身から力が抜けた明命はブラッドに体を預けているが、全身をまさぐるブラッドの手の動きに
敏感に反応し、時折体を痙攣させた。
「はぅ…。ブ、ブラッド様…私の胸、小さくて済みません」
「もっと小さい奴もいるし、気にするな。これはこれで楽しめる」
気を利かして姿を消しているクーが殺気の篭った目でブラッドを睨みつけているが、クーもブラッド
に散々弄られているので、この殺気は本物ではない。
「お前は祭達に色々落書きしてたから、俺もお前の体に何か刻み込んでやろう」
「お、お手柔らかにお願いします」
明命は真っ赤な顔で目を閉じた。

 
 一方、意識を取り戻した祭と穏は、自分達の置かれた惨状に呆然としていた。
「明命の奴、覚えておれ」
「うぅ…。これ取れませんよ。それに体中がベタベタして、口の中も何か生臭いです。まぁ、これ
はそんなに悪い気はしませんが」
自慢のバストにデカデカと書かれた落書きを擦りながら、恨めしそうな声を上げる。特に穏は全身
に気だるさを感じているが、何故か不快ではなかった。

「ブラッドさん、大丈夫でしょうか?」
「明命が相手では、流石にブラッドといえど苦戦するかもしれんのう」
「でも、ブラッドさんはあの呂布と互角に渡り合った実力者ですし、何より仙術の使い手でもあり
ます。明命が上手く背後を突いても、ブラッドさんには通用しないんじゃないでしょうか?」
珍しく祭の意見に反論する。ブラッドは、孫策軍に加入してから実戦だけでなく鍛錬の場において
も他人に遅れを取った事はない。露骨にモーションを掛ける蓮華や思春をからかっているが、穏
自身のブラッドに対する信頼も絶大のようだ。

「何じゃ? お主は随分ブラッドを買っておるようじゃな? ま、策殿が虜になるほどの男ぶり
じゃし、お主が熱を上げても仕方ないかもしれんがの」
「はい♪ ブラッドさんは本当に凄いんですよ♪」
自分の事は棚に上げて穏をからかう祭だが、穏は頬を赤らめ、あっさり認めてしまった。

 そこへ、明命をお姫様抱っこしたブラッドが現れた。明命は脱力してブラッドに凭れ掛かって
いる。初めて見る光景に、祭達は何か事故でもあったのかと心配そうな顔で声を掛けた。
「明命、どうした?」
「怪我したんですか?」
「俺と一対一の戦いの時、足を捻ったようだ。まぁたいしたことはないが、今日は安静にしといた
方がいいだろう」
「も、申し訳ありませんブラッド様」
明命は申し訳なさそうな表情を見せているが、頬は赤く上気しブラッドにしがみついて離れようと
はしなかった。一対一の戦いと言っているが、実際はブラッドの一方的な蹂躙だった。
「ふーん…。それじゃあ、ブラッドさんが勝ったんですね? 落書きされてませんし」
「明命に勝つとは…信じられん」
予想外の結末に穏も祭も驚きを隠せないが、シリアスな展開はここまでだった。明命が頬を上気さ
せてブラッドに脱力して凭れ掛かっている理由に思い当たることがありすぎて、二人とも意味あり
げな笑みを浮かべている。

「じゃあ、俺達は先に城に戻る」
「好きにせい。…壊すなよ」
「ブラッドさん、明命は怪我をしてるんですから無理をさせちゃ駄目ですよ」
祭達のエールを受けながら、ブラッドは明命を抱えたまま一足先に城に戻った。

 城に戻る途中、明命はブラッドに抱っこされたままだった。足腰立たない状態なので仕方ないが
明命も今の心地よい状態を失いたくないらしく、自分から降りようとはしない。
「ブラッド様…」
上目遣いにブラッドの顔を覗き込む。
「何だ?」
「敗者のけじめは、さっきので終わったんですか?」
「あぁ、さっきのでおわりだ」
「そ、そうですか…」
ブラッドにあっさり終了を告げられると、明命は残念そうに表情を曇らせた。ブラッドはそんな
明命を見ながら、内心ほくそ笑んでいた。

「けじめは済んだが、お前にはまだ天の御遣いの血を受ける器の努めがある。お前さえよければ
これからやっても構わんが?」
「…は、はい! よろしくお願いします! …あ」
思っても見なかったブラッドの誘いに、明命は一瞬きょとんとし表情を見せた後、嬉しそうに答えた。
しかし、自分がこれまでに無い大胆な発言をしたことに気付くと、真っ赤になって俯いてしまった。

「ふ…可愛いぞ。今度はお前の希望するようにしてやろう」
「は、はい…お願いします」
明命はブラッドの胸に顔をうずめて、小さな声で答えた。




[8447] 第19話:料理スキルの効果(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:93f67651
Date: 2010/07/22 01:12
第19話:料理スキルの効果


 雪蓮が揚州を奪還し独立した後、大陸の情勢は大きく動き出した。特に曹操、袁紹といった北方
の二大勢力の激突は、今後の大陸情勢に大きな影響を及ぼすものとして、大陸中が注目していた。
「曹操が袁紹を破って、河北を制したみたいね」
執務室で書類と格闘している雪蓮が、隣で別の仕事をしている冥琳に声を掛けた。
「えぇ、これで大陸北方は西涼の馬騰を除いて曹操が抑えたことになる。後は南進するだけね」
冥琳は手を止めず、視線も雪蓮に向けずに答えた。
「思ったより早かったわね。いくら将が凡庸でも、兵力も人材も上回っていた袁紹軍がこんなに
あっさりやられるとは思わなかったわ」
「有能な人材を抱えても、使いこなすことが出来なければ意味が無い。強力な兵も、ただの置物に
なってしまう。そう珍しいことではないわ」
これとよく似た状況が少し前にあった。河南の一大勢力だった袁術軍を、寡兵にもかかわらず圧倒
的な実力差で滅ぼしたのは他ならぬ雪蓮自身である。

「兎に角、これで曹操の勢力が更に拡大したわけで、次の狙いは劉備か劉表になるでしょうね」
「穏やルクル女王が予想した通りの展開ね。私達もうかうかしてられないわ」
「そうね。その為にも先に済ませなければならない事は、早く終わらせないといけないわ」
そう言うと、冥琳はにこやかな笑みを浮かべながら雪蓮の前に書類の束を置いた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。私の話聞いてなかったの? こんな事やってる場合じゃないでしょ?」
「こんな事、だと?」
理不尽に積み上げられた書類を前に雪蓮は不満をぶつけるが、言い方が悪かった。冥琳は目を細め
冷ややかな視線を雪蓮に突き刺した。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて…。勿論、書類業務も大切だと思うけど、私にはもっと相応
しい仕事があると思うんだけど?」
「これは街の整備や軍の編成など、呉の最高責任者であるあなたの決裁が必要なものよ。あなたに
しか出来ない仕事よ」
「そ、それは分ってるけど…」
分ってはいるが、納得はしていない。雪蓮はそんな表情だった。雪蓮に事務処理能力が無いわけで
はない。寧ろ、水準より高い能力を備えている。しかし、戦場で最も光り輝く雪蓮にとって地味な
事務処理は退屈を通り越して苦行に近いものだった。理屈では分っていても、体が拒否反応を示し
ていた。
「王の責務よ。それくらい我慢しなさい」
「はぁい…」
 渋々返事する雪蓮。雪蓮の性格を知り尽くしている冥琳も、その事は十分分かっている。しかし、
王として更なる飛躍を期待し、厳しく当たっていた。実は苦悶の表情を浮かべる雪蓮を見ながら
面白がっている節もあるが、そんなことが出来るのは冥琳だけである。

「私は少し席を外すけど、逃げたら駄目よ」
悪戦苦闘する雪蓮を見ていたい気持ちもあるが、優先事項があるらしく席を立った。勿論、雪蓮が
サボらないように釘を刺すことも忘れない。

 執務室を出ると、冥琳は心なし足早に歩を進めていた。向かう先は書庫だった。
「済まん。待たせてしまったか?」
「いや、俺も今来たところだ。気にするな」
待ち合わせの相手は、ブラッドだった。この世界の字を読めないブラッドが書庫に居ることは
かなり違和感がある。それ以上に、冥琳が軽く息を弾ませてブラッドの元に駆け寄るのも珍しい。
普段、あまり人が訪れることのない書庫は、ブラッドと冥琳の二人だけである。甘く密かな逢瀬
と見えなくもないが、双方ともそんな意識はなかった。

「竜について聞きたいんだったな? もう少し具体的に言ってくれないか?」
「この世界で想像されている竜の形状について、詳しく知りたい」
ブラッドは穏からこの世界の竜についての話を聞いた後、もう少し詳しい情報がないか冥琳に
頼んでいた。竜が人知を超えた存在として人々の畏怖の対象になっている事は、穏の説明で把握し
ている。今後正体を明かすかどうかはの判断材料として、この世界の竜の姿を確認しておく必要が
あった。

「形状といっても想像上の生物なので何とでも描けるが、とりあえず一般的な姿が描かれている
文献ならある。竜に関する文献は…。あ、あった、これだ」
目当ての文献は棚の一番上に保管されてあった。女性の中では割と長身の冥琳だが、背伸びしても
ギリギリ届かない微妙な場所である。自分より背の高いブラッドが横に居るから頼めばいいのだが、
妙なところでむきになっている。
「く…もう少し」
冥琳は自分で取ろうと爪先立ちで手をパタパタ振っている。しかし、急に背が伸びるわけでもなく
虚しく空を切るばかりだった。
「あ…」
無理な体勢を続けていた所為で、冥琳はバランスを崩してしまった。そのまま後ろに倒れそうに
なったところで、ブラッドに抱き止められていた。
「何やってんだ?」
「ブ、ブラッド?」
自分がどういう状況に置かれているのか理解して、冥琳は一瞬身を硬くした。しかし振り払う事は
しない。
「届かないなら言えばいいものを…。で、どの本なんだ?」
「う、うむ。一番上の…」
「これか?」
「その右隣、それだ」
ブラッドは、冥琳に覆い被さるような体勢で本を手渡した。冥琳も、ブラッドに凭れ掛かったまま
である。端から見れば怪しげな雰囲気だが、両者に浮ついた気持ちは無かった。一つのことに集中
すると周りに無頓着になる冥琳は、自分がどういう状況にあるか分っていない。また、常に女性に
囲まれて生活しているブラッドも、この程度のスキンシップを気にすることはなかった。

「…全然違うな」
ブラッドは冥琳の肩越しに文献を覗き込んだ。そこに描かれている竜は、蛇に足が生えたような
形状で、顔もかなり違っていた。
「お前の世界では、竜はどのような形状と考えられているのだ?」
「胴はもっと短いし、後ろ足はしっかりしていて人間と同じように二足歩行だ。顔もかなり違う。
もっと精悍だ」
言外に、俺はもっと格好良いと言っているのだが、冥琳には当然だが伝わっていない。
「なるほど。確かに我々の想像しているものとはかなり違うな。殆ど別の種族と言って良いくらい
だ。国が違えば、思想も変るということか。空を飛んだり、火を噴いたりはするのか?」
ブラッドの話に知的好奇心が刺激されたのか、冥琳は逆に質問してきた。自分がブラッドに密着し
ている意識はまだ無い。
「思想とは少し違う。俺の居た世界では竜は実在している。空は飛べるが、火を噴くかは種族に
より違う。嵐や地震を起こしたり、雷を落としたり、種族により区々だ」
「何、それは本当か!? …あ」 
更に色々聞こうと振り向いたところで、ようやく自分とブラッドの位置関係が分り冥琳は硬直した。
息が掛かるほどの位置にブラッドの顔があり、どちらかが近付くだけで唇が触れ合う体勢だった。
男女の営みに疎い冥琳でも、この状況から次の展開は容易に想像できる。

「…流石にこれは拙いな」
「俺は構わんぞ?」
「わ、私は、この後執務室で仕事が残っている。悪いが次の機会にしてくれ」
このまま流されたら、絶対に逆らえなくなる事は分かっている。仮にそうなった場合、雪蓮の待つ
執務室に戻るのはかなり勇気のいることである。小鹿状態で戻れば、雪蓮から何を言われるか分っ
たものではない。
「…まぁ、いいだろう」
ブラッドとしてはこのまま押し倒して、普段絶対見せない冥琳の可愛い一面を見るのも楽しいが
苛めすぎてへそを曲げられると宥めるのが面倒だ。行為に及ぶ場合は、両者合意の下という約束事
を忠実に守るつもりは毛頭ないが、今すぐ冥琳を抱きたいという強い気持ちも無いのであっさり
引き下がった。

「何じゃ、詰まらんのぅ」
不意に失望感の混じった声が掛かる。祭が呆れ顔でブラッド達を見ていた。
「こ、黄蓋殿! な、何故あなたがここに?」
既に手遅れだが、それでも冥琳はブラッドから即座に離れると祭にやや詰問調で尋ねた。
「ブラッドが書庫に入るのを見かけてな。珍しいので後を付けてきたら、今度は浮かれ気味の公瑾
がいそいそと書庫に入って行った。これは何かあると期待しておったのじゃが…」
「…別に私は浮かれてなどいない。勝手な憶測で話をするのは止めてもらいたい」
これ以上醜態を曝したくない思いからか、冥琳は憮然とした表情で、祭の言葉を否定した。全てお
見通しと言いたげな祭の態度も面白くない。

「わざわざ私達をつけて様子を伺うとは、黄蓋殿は随分暇なようですね?」
「今日の仕事は、もう終わったしの。暇潰しに、ひよっこ共の仕事ぶりでも見ようと思ってきたの
じゃ。お主も“色々”頑張っておるようじゃの?」
「……」
普段の冥琳なら仕事をサボっている祭をやり込めるのは簡単だが、今は立場が逆である。恥ずかし
い場面を目撃されてしまい、反撃も切れ味が鈍い。祭もそのことが分かっているので、簡単に切り
返した。
「仰るとおり、私は忙しい。ブラッド、後の事は暇な黄蓋殿に頼め」
「お、おい?」
これ以上ここにいても碌な事は何もないと判断した冥琳は、ブラッドに資料を押し付けると呼び
止めるのも聞かず、さっさと書庫から出て行ってしまった。

「くくく…。いつも澄まし顔の公瑾も、なかなか乙女よのう」
いつもは自分が羽目を外して冥琳に小言を言われているが、攻守所を代えた今、祭は余裕の笑みを
浮かべている。
「まぁ、それは兎も角、話が途中までになってしまったな」
ブラッドは祭と冥琳の因縁にあまり興味はなく、自分の欲しい情報が得られなかったことを気に
していた。
「儂の承諾も無く勝手に押し付けて行きおったが、お主達はこんなところで何をしておったの
じゃ? 竜がどうとかと言っておったようじゃが」
「この世界の竜がどういうものか、聞いていたところだ。特に外見について」
ブラッドは冥琳から押し付けられた本を祭に見せた。

「俺はこの世界の文字は分らない。何て書いてあるか、読んでくれないか?」
「うむ。竜に関することなら読まなくても分ることじゃが…」
祭は、文献に書いてあることをブラッドに読んで聞かせた。竜の能力に関する記述は、自分達と
合致する部分が多かった。曰く、絶対的な力を持つ神聖な存在らしい。大空を駆け、雷鳴を呼び
風を起こし紅蓮の炎を吐く。大地を裂き、嵐を起こし、天を焦がし全てを焼き尽くす。七つの竜の
血を引くブラッドは、空も飛べるし火を噴くことも嵐を呼ぶことも出来る。地震を起こし、雷を落
とす事も可能だ。ただし、全て中途半端である。

「神聖なものとして、時の皇帝を竜の生まれ変わり称することもある。また、強さを誇示する為に
竜や虎、狼などを二つ名に使うことも良くあることじゃ。策殿が戦いの麒麟児、策殿の母君の堅殿
が江東の虎等と称されるのがそれじゃ。じゃから、お主も天の御遣いにして江東の竜と名乗るのも
良いかも知れんぞ?」
「止めておこう。天の御遣いだけで十分大袈裟だ」
わざわざ竜の名を使ったりすれば、自分が竜じゃないと言われているようで、あまり気分の良いも
のではない。天の御遣いだけでも鬱陶しいのに、これ以上の過剰装飾は避けたかった。

「竜に関する情報は良く分かった。礼を言うぞ」
「そうか? 役に立ったのなら何よりじゃ。ところで、今日はこれからどうするつもりじゃ? 
特に予定が無いなら、儂に付き合わんか?」
「まぁ、暇だし付き合ってもいいぞ」
「決まりじゃな。付いて参れ」
ブラッドの快諾を受けて、祭は嬉しそうだった。


 祭の後を付いて辿り着いた場所は、鍛錬場だった。蓮華や思春にせがまれて鍛錬に付き合わされ
る事はよくあるが、祭に誘われたのはこれが初めてだった。
「儂の専門は弓じゃが、剣も使える。天下無双のお主の武、儂も確かめたくてな。少し、相手を
してくれぬか?」
剣を片手に不敵な笑みを浮かべる。普段は飄々としているが、祭も武人としてブラッドの武にかなり
興味を持っていたようである。
「お主の武は天下無双じゃが、権殿や思春とばかりと相手していては型に嵌り過ぎてしまう。違う
戦い方も身に着けた方がいいぞ?」
「あまり気が乗らんな…」
人間相手なら誰とやっても負けるはずが無いと思っているので、ブラッドのやる気はゼロだった。
「付き合ってくれたら、儂がお前に飯を奢ってやるが?」
「…わかった」
餌に釣られたわけではないが、とりあえず承諾するブラッドだった。
 
 距離をとって相手の様子を伺う。気合十分の祭に対し、ブラッドはまだやる気は無かった。
「はぁっ!」
祭の気合の入った一撃がブラッドに打ち込まれるが、ブラッドは難なく躱した。更に攻撃を仕掛け
るが、ブラッドはその全てを躱し切った。
「さすがじゃのう。呉随一の速さを誇る思春でも、お主に有効打を打ち込むのは至難の業らしいし
儂が馬鹿正直に攻撃しても当たらんわ」
祭は、ブラッドの身体の力の高さに改めて感心しているが、完全に脱帽しているという雰囲気も伝
わらない。何か裏技を隠しているようだ。

「では、こういうのはどうかなっ!」
「!」
祭は、仕切りなおして再度ブラッドに攻撃を仕掛けた。前回と同じように簡単にいなそうと思った
ブラッドの表情が、僅かに強張った。祭の剣が、まるで追尾するかのようにブラッド目掛けて飛ん
できたのである。何とか紙一重で躱すが、予想外の攻撃に戸惑っている。
「まだまだいくぞ」
祭は攻撃の手を緩めず、ブラッドを攻め続ける。ブラッドも、人間離れした身体能力で躱し続けて
いるが、微妙にタイミングをずらされ、余裕を持った対応が出来ない。勿論、祭の攻撃を素手で受
け止めて反撃するのは可能である。しかし、人間相手にむきになって反撃するのは竜のプライドが
許さないらしく、ブラッドは躱すことに専念しながら祭の動きを注意深く観察している。

 祭もブラッドの様子が変ったことを察知したのか、一歩後退して攻撃を止めた。
「思春より遅い儂の攻撃が何故躱しにくいか、戸惑っておるようじゃな?」
「あぁ。攻撃の間合いが一定でなく合わせ難いのは分るが、纏わり付くような攻撃が鬱陶しい。
どんな手を使ったんだ?」
祭より動きの早い思春の攻撃を余裕を持って躱しているブラッドにとって、祭の動きは不可解なも
のだった。祭は自分の攻撃がブラッドに通用したことに、満足げな表情を浮かべている。
「どうやら上手くいったようじゃな。呉随一の速さを誇る思春の攻撃を受けきるお主に、儂がまと
もに攻撃して一太刀浴びせるのは至難の業じゃ。じゃが、思春は速さは図抜けておるが動きが直線
的で、攻めが単調になる傾向がある。思春の攻めに慣れておるお主には、儂のような動きは慣れて
おらんと思ったのじゃ。儂はお主の動きを読んで、少し先を攻撃したのじゃ。お主には儂の剣が
追いかけて来たように見えたかもしれんが、実際はお主が儂の剣にぶつかっていったのじゃ。とは
言え、普通なら確実に五回は致命傷を与えられた攻撃を全て躱しきるのは流石と言う他はないがの」
「成るほど、そういう事か」
祭の丁寧な説明に、ブラッドも納得した。思春は自分のスピードを最大限に生かす為に、最短距離
で直線的に攻撃することが多い。蓮華も思春の影響を受け、似たような動きをする。そして、その
二人の鍛錬につき合わされているブラッドも、直線的に動く癖が付いてしまった。祭はブラッドの
動きを読み、更に緩急をつけてタイミングを微妙にずらしていたのである。竜の巣で侵入者を迎撃
するとき、侵入者はブラッドに対し複数が同時に攻撃される事はしばしばあった。しかし、祭の
ようにフェイントを入れて間合いをずらしたり、ブラッドの動きを先読みして攻撃する事は無かった。
祭との仕合は、ブラッドにとっても得るものがあった。

「種明かしをしてしまった以上、もうお主には通用せん。そもそもお主には硬気功という切り札が
あるからあまり役に立つとは言えんが、実戦では何が起きるか分らん。余計なお世話かもしれんが、
油断はせぬことじゃ」
人間の姿でいる限りブラッドが死ぬ事はない。しかし、力が暴走しやすい環境化において不用意に
致命傷を受ける事は避けたい。普通の竜ならプライドが邪魔して、人間の言う事を聞くことはない
が、落ち零れのブラッドは良い意味でプライドを一時棚上げすることが出来る。祭のアドバイスを
素直に受け入れた。
「いや、お前の助言は役に立った。礼を言うぞ」
「そうか。お主に礼を言われると、くすぐったい気持ちになるぞ」
ブラッドは相手が誰だろうと“人間なら”初対面のときから対等以上の態度をとっている。しかし
相手の厚意には、素直に礼を言うことが多い。祭に対しても同じ態度をとっているが、礼を言われ
て悪い気がしないのは当然で、祭も表情を綻ばせた。


「さて、体を動かして腹が減ってきたな。飯にするか。儂について来い」
気を良くした祭は鍛錬を早々に切り上げ、ブラッドを食事に誘った。
「良い店でも知ってるのか?」
「付いてくれば分る」
ブラッドの問いかけにも、祭は少し勿体ぶった表情を見せ答えなかった。

 着いた場所は厨房だった。訝るブラッドに祭は少し待っておれと言うと、さっさと中に入って
いった。暫くしてブラッドの前に見たことのない料理が並べられた。
「これは…何だ?」
初めて見る料理に素直に感想を述べるブラッドだが、祭はどう解釈したのか訝しげに眉を顰めた。
「何じゃ? 儂が料理をするのが、そんなに珍しいか?」
「そんなことはない。見たことのない料理だから、何だと聞いただけだが?」
「そ、そうか、そうじゃったな。お主はこの国に来て日が浅かったの。これは、この国ではごく
普通のありふれた料理じゃ。これが麻婆豆腐、こっちが回鍋肉でこれが青椒牛肉絲じゃ」
初めて見る料理の数々に、ブラッドは興味津々である。祭は、いつも豪快な自分が料理という女性
らしい事をすることに驚く様子を見るつもりだったが、ブラッドに驚いた様子は無かった。実は
竜の巣では一番の剣の使い手であるユメを筆頭に、家事能力の高い元生贄、捕虜の女の子達が多く
いる。従って、武人である祭が料理をしても疑問に思う事は無かった。
 
 しかし、そんな事情を知らない祭はブラッドの態度に逆に戸惑ってしまった。自分では似合わな
いと思っていた女らしい振る舞いを、ブラッドが違和感なく受け入れたのだから。
「儂が料理をするのを、お主は変とは思わんのか?」
「質問の意味が分らん。全く変じゃないだろ。お前のような美人に飯を作ってもらったら、大抵の
男は喜ぶんじゃないのか?」
「面と向かって、よくそんな事が言えるな。まさか、儂が良い嫁になるとでも言いたいのか?」
「嫁か…。案外、お前なら男を立てる良い嫁になるかもしれんな」
「…ほ、ほぉ」
平静装っているが、普段言われることのない台詞に祭は結構舞い上がっていた。自分が愛する男に
甲斐甲斐しく尽くす様が一瞬頭を過ぎり、慌てて打ち消す。つい最近まで生娘だった蓮華や思春と
同じようにはしゃぐのは、大人の女としてプライドが許さない。

「食っていいんだな?」
「見せるためだけに作ったりはせん。食ってみろ」
言われるまま、ブラッドは料理に箸をつけた。まだ慣れていない拙い箸使いで口に運ぶ。ブラッド
の反応を、祭は見逃さないようにじっと見ている。
「…うん、美味い。こっちも…おぉこれも美味い」
「そうか…。儂の腕も中々のものということじゃな」
似合わないと言いながら、それなりに腕に自信があったのだろう。美味しそうに食べるブラッドを
見て、祭はどうだと言わんばかりに余裕の笑みを浮かべた。

 余裕が出てくると、今度は色々言いたくなる。箸使いに慣れてないブラッドが、料理を上手く
掴む事が出来ずポロポロ零す様子を見て、つい言葉が出てしまった。
「こらこら、お主は子供か?」
「慣れてないんだから仕方ない」
呆れ顔の祭だが、ブラッドは出来なくて当然と言わんばかりに開き直った。
「仕方ない奴じゃ。待っておれ」
祭は一度厨房に引っ込むと、レンゲを手に戻ってきた。
「これを使え。行儀は悪いが、やむを得ん。儂が丹精込めて作った料理を粗末に扱われては適わん
からな」
言った後で祭は自分の不用意な発言に気付き、しまったという表情になった。言い方を変えれば、

「私が一生懸命作ったんだから、ちゃんと食べてよね!」
「これは、全身全霊を込めた私の分身のようなもの。残さずしっかり味わって食え」
「私なりに頑張ってみたんですけど…。食べていただけると嬉しいです」
「ブラッドさんへの愛情がいっぱい詰まってます。しっかり食べてくださいね♪」

と言っているようなものである。もっとも、当のブラッドは食べることに集中して、祭の言葉は
気に留めていなかった。

「中々美味かったぞ」
「そうか、儂も作った甲斐があるというものじゃ」
ブラッドはものの数分で全て平らげ、満足げな表情を浮かべている。釣られるように祭も笑顔だった。
ブラッドの周りの女性陣は、王族、軍師、将軍と総じて身分の高い者ばかりである。従って、料理
に関しては“料理人に任せます“スキルしか装備しておらず、自分で作れる場合は結構大きなアド
バンテージとなる。現に、ブラッドの祭に対する内部評価も上昇中である。
「じゃあ、定番だが食後のデザートを頂くとするか」
「でざーと? 何じゃそれは?」
初めて聞く言葉に、祭は訝しげに眉を顰めた。いつのまにかブラッドの目が獲物と狙うハンターの
目になっている。
「食後に摂る果物などの事だ。こんなにたわわに実ったものを食わない馬鹿は居ない」
そう言いながら、ブラッドは祭の巨大なバストに躊躇無く手を伸ばした。
「ま、待て、でざーととはこういう意味なのか?」
「本来は違うが、広い意味ではこういう場合もある」
うろたえる祭に構わず押し倒し、豊満な胸を更に強く絞るように揉みしだく。
「こ、こら、いきなり揉むな…あん♪」
「その割には嫌がってないな?」
「お、お主に触られて嫌なわけなかろう。ただ、展開が速すぎると…はぁん」
「そうか、それは済まなかった。とはいえ既に収まりがきかん。このままいくぞ」
「だ、だからこっちの都合も…くうん」
祭の都合などお構い無しに、ブラッドの手は無遠慮に祭の体をまさぐる。片方の手は胸の頂に達し
指で転がすように捏ね回し、空いている手は下腹部に滑り込み新たな刺激を与える。そのたびに祭
の体は反応し、熱い吐息を漏らしていく。
「準備はいいな? そろそろいくぞ」
「す、好きにせい」
祭は全身の力を抜いて身体を開いた。


 数刻後、厨房は料理以外の別の物の混ざった匂いと熱気が充満していた。
「全く、こんな年寄り相手にして満足できるのか?」
完全に骨抜き状態の祭は、気だるそうに体を横たえたままブラッドを見ている。呆れたような口調
だが、頬は上気し自然と笑みがこぼれる。
「お前は女として十分に魅力的だ。それは覚えておけ。というか、お前もいい加減自分の魅力に
気付け」
祭に限らず、孫呉の女性陣は武に生きる為か、小蓮を除いて自分の女としての魅力を過小評価し
過ぎる傾向がある。祭も同じだった。ブラッドは再び祭を抱き寄せると優しく、かつ熱烈に口付け
を交わした。
「んむ、はむ…むんん、くちゅ、ちゅる…。まぁ、魅力的といわれて悪い気はせんが…」
ブラッドにいいように口中を蹂躙され、無抵抗に受け入れる。自分より若い男(祭はそう思ってい
る)から一方的に攻められた挙句、完全に体を預けて甘えた声を漏らしている姿を晒す事に対する
抵抗感はもう無かった。

「お主は本当に不思議な男じゃのう」
「いきなりどうした?」
しみじみ語る祭に、ブラッドは少し訝しげな表情で尋ねた。
「戦場では天下無双の武を誇るかと思えば、儂の料理を子供のように食い散らかす。そして閨では
女の身も心も蕩けさす。どれが本当のお主じゃ?」
「全部俺だとしか言えんな」
武に関しては実際は落ち零れだし、テーブルマナーも身に付けているので本当のブラッドではない。
夜の練習はこれまで散々やってきたので、本当なのはこれだけである。しかし、この事実を知る者
は孫呉陣営にはいない。
「底の知れん男じゃ。それがまた良いのかも知れんな」
祭は自分からブラッドに抱きつくと、初めて見せる甘えた乙女の顔になってキスをした。


 数日後。調練で祭は精力的に動き兵を鼓舞していた。
「おらおら、そんなへっぴり腰で敵が倒せるか。もっと気合を入れい!」
いつも以上に気合の篭った祭の声があたりに響き、それに乗せられるように兵士の動きも精力的だった。

「ふぅ…」
調練を終えた祭は一息入れると、軽く頭を振って束ねていた髪を解いた。銀色の髪が風に揺れ、日
の光を浴びてキラキラ輝いている。普段の鬼軍曹然とした雰囲気は無く、成熟した大人の女性へ
大きく変貌している。
「ほぅ、やってるな」
「おう、ブラッド。見ておったのか?」
暇つぶしに訓練を見ていたブラッドに声を掛けられ、祭は一瞬驚いた表情を見せたが直ぐに柔和な
笑みを浮かべた。
「中々の統率力だな。俺には無い能力だ」
「天下無双の武人から評価、光栄じゃ。お主は一人で一軍分の働きをするから、今のままで構わん
だろう」
半分は外交辞令のようなものだが、お互い相手の能力を認めているのも事実だった。

 祭は公から私にモードを切り替え、女の顔でブラッドを見詰めている。
「のう、ブラッド」
「何だ?」
「料理は、この前のもの以外にも出来るのじゃ。お主がもし、食いたいというのなら作ってやらん
でもないぞ?」
誘うような、挑発するような目で顔色を窺いながら、食事の手配を申し出る。内心かなりドキドキ
しているが、表情にはおくびにも出さない。
「この前のお前の飯は美味かったし、断る理由は無いな」
「よし。なら早速、今日の晩飯を儂が作ってやろう。でざーとも用意するぞ」
ブラッドの快諾を受けほっとした表情を見せる。受け入れる事を前提とした提案で、準備は全て
整っていたようだ。
「お主には、じっくり全て食い尽くしてもらうぞ?」
ブラッドにしか見せない少し甘えた表情で擦り寄り


 二人のやり取りを、少し離れたところで見ている雪蓮と冥琳。
「はぁ…あの祭があんな事いうなんてね」
「……」
「まぁ、あれで祭がこれまで以上にやる気を出してくれたら、呉としては言う事は無いわ」
「……」
呆れつつも微笑ましく見ている雪蓮に対し、冥琳は何ともいえない複雑な表情をしている。
「どうしたの、冥琳?」
「別に…」
「別にって顔じゃないわよ。どうかしたの?」
「本当に何でもないわよ!」
しつこく尋ねるのでむきになって言い返すが、その様子を見た雪蓮が待っていたようにニヤニヤ
しながら追い討ちをかけた。
「そうかしら? 何か、母子家庭で大好きなお母さんからいきなり新しいお父さんよて言われて
どう対処していいか分からず呆然としている娘みたいよ」
「な、何よ、その妙に具体的なたとえは?」
冥琳にいつものクールな面影は無く、うろたえた表情を浮かべている。
「何かさ、偶にだけど冥琳が祭を見るときの目がそんなふうに見えるのよ」
「そ、それだと私と祭殿とは親子ほど歳が離れていることになる。それは祭殿に対しあまりに失礼
だ。しかも、ブラッドが父親と言うのもありえん」
いろんな意味で納得できない冥琳が反論するが、雪蓮は何故か小蓮に向ける時のような優しい表情
を浮かべていた。



[8447] 第20話:逃げる桃香、追う華琳、阻む雪蓮
Name: PUL◆69779c5b ID:c31874f1
Date: 2010/04/25 23:48
第20話:逃げる桃香、追う華琳、阻む雪蓮


 河北を制し大陸で最大勢力となった華琳は、いよいよ大陸制覇に向けて行動を開始した。華琳の
次の標的は桃香だった。華琳侵攻の報せは雪蓮達の耳にもすぐ届いた。
「冥琳。曹操が、大軍を率いて徐州に侵攻したそうね。何でも、その数五十万だとか」
「西涼に対する守り以外は、ほぼ全軍を向けたってところか。一気に片をつけるつもりのようね」
「よく掻き集めたわね。劉表が動かないのも計算してのことでしょうけど、随分思い切ったわね」
直接自分達が攻められているわけではないので、どこか人事のような物言いだが、もし桃香達が
ここで倒れれば華琳の次の標的にされかねない。

「このまま劉備を見殺しには出来ないけど、援軍を出してもこの戦力差じゃ私達も大きな被害を
受けるわね。劉備がどう動くかで、私達の対応も変るわね」
「諸葛亮に起死回生の秘策でもあれば話は別だが、状況を考えれば曹操軍を退けるのは不可能だ。
となると、考え得る策は限られてくる」
冥琳は明言しなかったが、答えは雪蓮も分っている。逃げるしかない、と。そして、雪蓮達のやる
べき事は桃香をどう逃がすか、である。対応を誤ると、華琳の五十万の部隊が自分達に向けられか
ねない。領土を失った桃香に抵抗する術は無く、この期に及んでも未だに静観する劉表は当てに
ならない。全面衝突は絶対避けなければならない。

「それにしても徐州攻略に五十万…。何か釈然としないわ」
雪蓮は、華琳の行動に納得いかないものを感じていた。華琳は常々、自分に相応しい力を持つ者に
対し正々堂々力の勝負を挑む事を旨としていた。それにも拘らず、弱小勢力である桃香に大軍で
侵攻するのは、彼女の主義に反すると言わざるを得ない。それだけ桃香の潜在能力を警戒している、
とも言えるが、何か裏がありそうな気がする。それが分らず雪蓮の気持ちを苛立たせていた。華琳
の狙いが分らない。

「徐州を落とすのに五十万は必要ないわ。曹操は、その先を考えているようね」
「その先?」
「圧倒的な兵力で徐州を落とし、その勢いで更に侵攻するつもりだろう」
「なるほど。劉備を追っかけて、荊州も手に入れるつもりね? だとしたら、私達は尚更劉備を
しっかり逃がさないといけないわね」
冥琳の短い説明で、雪蓮も状況を理解した。華琳は徐州に攻め込み、桃香を蹴散らした勢いで荊州
まで一気に手に入れようと考えているに違いない。それなら大軍を動員した理由も納得できる。
しかし、これは雪蓮達にとっては憂慮すべきことでもあった。

「孫策様、劉備の遣いの者が面会を申し出ております。いかがいたしましょうか?」
「通して」
タイミングの良い登場に雪蓮は即答した。

「お久しぶりです」
雪蓮の前に現れ、恭しく頭を下げたのは愛紗だった。硬い表情で、愛紗達がどのような状況に置
かれているか良く分かる。
「ご存知かと思いますが、現在我が軍は曹操の攻撃を逃れ劉表殿を頼って荊州に向かう予定です。
その際、孫策殿の治めるこの地を通過して荊州に入る道を考えています。通行許可をお願いしたい
のですが」
徐州から荊州に向かう場合、最短距離で進めば揚州を通過することはない。しかし、曹操軍の追撃
を躱しながら進む場合、一旦南下し揚州を横切る形で荊州に入る方が安全である。しかし、これは
揚州が戦闘に巻き込まれる可能性を示している。

「……」
返事を待つ愛紗の視線を受けながら、雪蓮は考え込んでいる。直前に冥琳と話していた通り、桃香
を安全に逃がす以外に選択肢はない。しかし、このまま桃香の要求を丸呑みするだけでは自分達の
メリットが全く無い。何か条件を付けたいところである。
「何で徐州の民まで連れて行くの? 足手纏いになるだけじゃない」
「民達は、自分達の意志で付いていこうと決めたのです。そして、劉備様も領民達を見捨てること
など出来ません」
「それで自分達だけじゃなく、民達まで危険に曝してるんだけど?」
「覚悟の上です。我々は劉備様と共にあります」
自分達を慕う者達を見捨てる事は出来ないから、一緒に連れて行く。しかし、自分達の力では守り
切れないから、恥を忍んで援助を申し出る。華々しく散るより、生き延びて再起を図る。目的達成
の為なら、プライドを一時棚上げすることも厭わない。領民を惹きつけるカリスマと自分とは違う
強さを持つ桃香に対し、雪蓮も評価を改めた。
「事情は分ったわ。劉備の民の思う気持ちは素晴らしいわ。でも、私も孫呉の王として民を守る
義務があるの。他国の諍いに民を巻き込むわけには行かないわ。そこで、こちらの要求を呑むので
あれば、通行を許可するわ」
雪蓮は駆け引きはあまり好きではないが、交渉事が苦手という事ではない。更に、使えるものなら
何でも使う柔軟性も兼ね添えている。

「こちらも無理を承知でお願いしていますから、出来る限りの事はします」
「そう、良かった。じゃあ言うわよ。あなたか、あなたと同等の能力を持つ武人、暫く貸してくれ
ないかしら?

「な、なんですって!?」
悪戯っぽく笑いながら告げられた雪蓮の要求は、愛紗にとって予想を超えるものだった。今現在
愛紗に匹敵する能力がある武人は、鈴々と星しかいない。今は誰が掛けても大幅な戦力ダウンと
なり、荊州に逃げ延びても再度曹操軍に攻め込まれたら勝ち目はない。

「私達もあなた達を逃がすことで、曹操と敵対する可能性があるのよ? それくらいの対価を求め
るのは当然でしょ?」
「た、確かに仰るとおりですが…」
重要な問題だが、現実に曹操軍が直ぐそこまでが迫って来ている。あまり悠長に構えている時間が
無い事は愛紗も十分分っている。
「勿論、今すぐとは言わないわ。そんなことしたら、あなた達が力付ける前に潰されるのは分って
いるし。ただ、うちも人手不足でさ。色々困ってるのよ」
現時点で劉備軍より充実している孫策軍だが、河南を制圧するためには現有勢力では少々心許ない。
優秀な人材は、喉から手が出るほど必要だった。また、愛紗もこの局面を乗り切らないと次は無く
選択の余地は無かった。

「…分りました。関雲長が、我が主、劉弦徳に代わって約束いたします。我々が無事荊州に辿り着
き体勢を整えた後、しかるべき人材を遣わすことを約束します」
「交渉成立ね。通行は許可するわ」
硬い表情で承諾する愛紗に対し、雪蓮は自分の思惑通りに事が進み満足げな笑みを浮かべている。
「それと援軍も出しましょう。殿は誰?」
「何から何までありがとうございます。現在は、揚州との境で待機しているはずです。殿は我が
義妹張飛が率いております」
雪蓮の承諾を得て、愛紗は安堵したように僅かに表情を緩めた。しかし、厳しい状況は変らないの
ですぐに表情を引き締めた。

「そう…。思春、祭! それとブラッド」
「はっ!」
「おう!」
「俺もか?」
「直ぐに兵を整え、関羽の案内に随って劉備のところに向かって。領民を保護したあと、曹操軍と
対峙することになると思うけど、穏便にお引取り願うように交渉して。言うこと聞かない場合は
仕方ないけど、なるべく殺さないで」
曹操軍の兵力は圧倒的で、雪蓮達も正面からぶつかれば只では済まない。自軍の被害を最小限に
止めて最大の成果を挙げるには、全面衝突という選択は無かった。
「心得た。では関羽、案内せい」
「分りました」
やるべき事が決まると、祭達は慌しくその場を立ち去った。いま一つやる気の無いブラッドも思春
に引き摺られるように連れて行かれた。

「随分気前が良いわね。本当に信用できるの?」
少し呆れ顔の冥琳が、雪蓮に声を掛けた。
「大丈夫よ。関羽は義理堅い人物と聞くわ。生真面目で融通の利かない堅物だけど、自分の言動に
は責任を持つし約束を反故にするなんて、彼女の誇りが許さないはずよ」
「関羽の性格を考えれば、口約束でも守るという事か。そして、周りの者、例えば諸葛亮あたりが
何か理由を付けて約束を先延ばしにすれば、関羽は私達に対する負い目から十分に力を発揮する事
も出来ない、という事ね?」
冥琳は雪蓮の考えを察知し、したたかな戦略に感心した。
「そういう事。関羽が約束を守る守らないに関わらず、私達が不利になる事は無いわ。後は祭達が
曹操軍を上手く追っ払ってくれれば申し分ないわ」
桃香に対しアドバンテージを持つことは成功したが、曹操軍の脅威は今後も更に大きくなる可能性
が高い。雪蓮は気を緩めることなく、次の一手を画策しているようだ。


 一方、桃香達は多くの領民を連れ、遅々とした歩みで揚州との州境付近を移動していた。
「愛紗ちゃん大丈夫かな」
桃香は、心配そうな表情で遥か前方に視線を向けた。曹操軍が先回りする可能性は低いが、単身で
雪蓮の元に説得に向かった愛紗の身を案じている。殿を務める鈴々は、もう曹操軍に追いつかれ
戦闘に入ったかもしれない。義姉妹の契りを交わした二人が命がけで戦っているのに、案ずる事
しか出来ない無力な自分を不甲斐なく思っている。
「大丈夫ですよ、桃香様」
「え?」
「心配しなくても、愛紗さんは無事戻ってきます。曹操軍の脅威は雪蓮さん達も同じですから
私達の要請を聞き入れてくれるはずです」
「朱里の言う通りですぞ。桃香様は愛紗を帰りを信じて、悠然と構えていれば良いのです」
「そ、そうだね。ありがと、星ちゃん」
全員が愛紗の無事を信じている。星の言葉はには、しっかりしろと叱責に近い思いが込められ
ていて、桃香も弱気になりかけた自分を戒めた。

「あ、誰かこっちに来ます」
雛里が指差した方向に、全員が視線を向けた。騎馬隊が土煙を舞き上げながら、桃香達に近付いて
きた。
「ま、まさか曹操さん達が先回りしたの?」
「いや、そうではなさそうだ。籏は甘と黄の籏。恐らく甘寧将軍と黄蓋将軍だろう。おぉ、その横
には愛紗もいる」
「愛紗ちゃんが? そ、それって…」
「援軍と考えて良いと思います。孫策さんが私達の希望を最大限聞き入れてくれたのでしょう」
愛紗の帰還だけでなく、雪蓮からの思いがけない計らいに桃香達を支配していた重苦しい雰囲気が
霧散した。

 愛紗は真っ先に桃香のもとに駆け寄り、成果を報告した。
「桃香様、ただいま戻りました。孫策殿は私達の申し出を全て受け入れて下さり、更に援護まで
付けてくださいました」
「愛紗ちゃん、お疲れ様。そして黄蓋さん、甘寧さん、ブラッドさん、心遣い感謝します」
本当は愛紗に抱きつきたいくらい嬉しいのだが、祭達の手前ぐっと堪える桃香だった。
「喜ぶのはまだ早いですぞ、劉備殿。曹操軍はすぐそこまで迫っているはずじゃ。殿の張飛の援護
は儂等が引き受けた。劉備殿は、速やかに荊州に向かわれよ」
「鈴…張飛の援護は私も同行します」
「気持ちは分るが、お主は劉備殿を護衛せい。お主が行ってもややこしくなるだけじゃ」
「で、ですが…」
愛紗は一刻も早く鈴々のもとに駆けつけたいが、祭はそれを許さなかった。

「お主が曹操軍の兵を切るような事になれば、向こうも引っ込みが付かなくなる。これ以上、ここ
で騒ぎを起こされては迷惑じゃ。お主は劉備殿を守り、さっさと荊州に行け」
「…ぐ」
祭にピシャリと正論を述べられ、言い返せない愛紗は悔しそうに黙り込んだ。
「愛紗よ、黄蓋殿の言う通り、我々がここに留まればそれだけ曹操軍の進撃を許すことになる。
ここは素直に黄蓋殿の意見に従え」
「私達がすべき事は、速やかにこの地を通過することです。曹操軍も徐州を縦断して追撃してます
から、追いついたとしても騎馬隊くらいのはずです。鈴々ちゃんなら上手く切り抜けてくれるはず
です」
「……」
冷静に状況を見ている星と朱里に諭され、愛紗も少し落ち着きを取り戻した。
「分りました。では、黄蓋殿、甘寧殿、ブラッド殿、張飛の事、お願いします」
愛紗は蔡達に深々と頭を下げ、鈴々のことを託した。
「私が不甲斐ないばかりに、ご迷惑をおかけして済みません」
「相手は五十万の大軍。撤退は妥当な策でしょう」
「曹操の野望を食い止めるには、儂等が力を合わせねば対抗出来ん。今日のところは儂等の貸しで
いずれ返してくれればそれで良い」
祭は優等生発言をしながら、チラッと愛紗に視線を向けた。
「ありがとうございます。このご恩は、必ずお返しします。どうかご無事で」
「ふふ…。その言葉、お忘れ召されるな」
桃香の言葉を聴くと、祭は満足そうな笑みを浮かべ鈴々の居る殿に向けて馬を走らせた。


 ブラッド達が劉備軍の最後尾に到着したとき、そこでは鈴々が必死の形相で曹操軍の攻撃を食い
止めていた。曹操軍を指揮するのは春蘭、秋蘭、霞。更に季衣と凪が副官として就いていた。圧倒
的な戦力差に対し、鈴々は怯むことなく立ち向かい敵兵をなぎ倒している。まさに一騎当千の名に
恥じぬ獅子奮迅の活躍だが、兵力差は埋めようが無かった。一人また一人と味方の兵が倒され、残
りは僅かとなってしまった。
「ま、負けない。絶対に負けないのだ!」
既に満身創痍の鈴々は、気力だけで立っている状態だった。
「出来れば貴様とは一対一の勝負をしたかったが、華琳様の命令だ。そろそろ終わらせてもらうぞ」
春蘭にとっては、華琳の命令が何よりも優先する。武人の拘りを捨て、任務遂行に努めている。
しかし、春蘭が鈴々に切り掛かろうとしたその時、一本の矢が飛んできて春蘭と鈴々の間に突き刺
さった。

「くっ! だ、誰だ!?」
秋蘭たちの視線の先には、弓を片手に不適な笑みを浮かべる祭と射抜くような鋭い眼光の思春と
面倒くさそうな表情のブラッドが、僅かな兵を連れて向かって来ていた。
「き、貴様は黄蓋。邪魔立てするなら貴様も容赦せぬぞ!」
「大層な口を叩きおって。お主の一つしかない目を射抜いても良かったのだぞ?」
「な、何だと!」
既に戦闘体勢に入っている春蘭は殺気を漲らせているが、祭は愛用の武器多幻双弓を手に悠然と構
えている。

「ここは揚州。我等が孫呉の地である。この地での無用な争いは許さん。早々に立ち去れ」
祭は穏便とは言いがたい口調で退去命令を発すが、これに対し春蘭達は厳しい表情を崩さず反論した。
「我々は、臆病者の劉備を追っているだけだ。関係ない者は引っ込んでいろ!」
「悪いが、我々も主の命でここに来ている。引き返せと言われて、はいそうですかというわけには
いかん。どうしてもというなら、力尽くで退けてみよ」
予想通りだが、春蘭も秋蘭もここで引き下がるつもりは全く無く、挑戦的な表情を浮かべ威嚇した。

「人の庭で好き勝手なことをやっていながらこの言い草。どうする、ブラッド?」
「まぁ、ここは大人の対応でいこう。向こうの希望に沿って力尽くで排除する」
「儂も賛成じゃ。だが、策殿は穏便になるべく殺すなと言っておった。あまり派手な事は出来んぞ」
いつもなら春蘭と同じように臨戦態勢に入る思春が、わざわざブラッドに指示を仰ごうとしている。
ブラッドも相変わらずの緊張感の無さで、思春同様好戦的な性格の祭も落ち着き払った表情である。
既に臨戦態勢に入っている春蘭達とは対照的だった。

「おい、がきんちょ。お前は兵を纏めてさっさと劉備のところに行け」
「馬鹿にするな! 鈴々はまだやれるのだ」
ブラッドから思いっきり上から目線で命令され、鈴々は威嚇するように蛇矛を構えて反論した。
「この張飛翼德、この程度の敵を前に…」
ごねる鈴々の言葉が途切れた。思春が音も無く近付き、首元に鈴音を当てていた。

「張飛よ、ここは揚州だ。孫策様はお前達の通行は許したが、戦闘は許可していない。まだ戦うと
いうのなら、お前も奴らと同様敵と見なし排除することになる」
「彼奴らの狙いは劉備の首じゃ。お主がここにいる以上、彼奴らも引っ込みがつかん。今、お主が
やるべき事は、戦うことではなく劉備の元に戻ることじゃ」
喉元に思春から鈴音を突きつけられたおかげで、逆に鈴々は冷静さを取り戻したようだ。鈴々は
一軍を預かる将の責務として祭の説得を受け入れて、撤退することにした。

「…分ったのだ。鈴々は鈴々の役目を果たすのだ。でもこの借りは必ず返すから絶対に忘れるな!」
状況は理解するが、情けを掛けられたことが納得いかないらしい。鈴々は悪役のような捨て台詞を
残してその場を立ち去った。
「待て。逃げるか、この卑怯者!」
退却する鈴々に春蘭が罵声を浴びせるが、既に割り切っている鈴々が振り向くことはなかった。

「おっと、ここから先を通す訳にはいかん」
春蘭達は後を追おうとするが、祭と思春が行く手を阻む。
「どうしても邪魔立てする気か。なら、お前達も敵だ!」
「困った奴らじゃ。穏便にお引取り願いたかったが、已むを得んのう」
祭は口で言うほど困った様子は無く、寧ろこれから起こるであろう対決に、心躍らせているように
見える。
「劉備を擁護するつもりはないが、勝手に侵入して来た者を通すわけにはいかん」
「面白い。お前ら纏めて七星餓狼の錆にしてくれる」
「本当はこんな事やっとる場合や無いけど、強い者とやれるんなら止めんで」
春蘭に続いて霞もやる気満々でブラッド達を睨みつけている。

「とは言え、儂等はお主達と戦争をするつもりはない。そこで提案じゃが、儂等三人と仕合をして
一人でも退かすことが出来れば、孫呉の民に危害を加えぬ事を条件として通行を許可してやろう。
どうじゃ、悪い話ではなかろう?」
「ほぉ…」
不敵な笑みを浮かべながら提案する祭に対し、春蘭達の表情は険しい。自分達に不利な条件をあえ
て提示するという事は、それだけ自信があるという事である。祭の、まるで余興を楽しむような
お気楽な態度に、秋蘭達はそれが挑発と分かっていても、怒りを抑えることが出来ず殺気を漲らせ
ていた。
「そんな不利な条件を自分から出すとは、奴等はバカか?」
中には、よく分かってない者もいるようだ。

「私からいこう。誰か、この甘興覇の相手をするものはいないか?」
思春が静かな物腰で一歩前に出ると、春蘭達を涼しげな瞳で見据えた。思春の視線は物色するよう
に春蘭達を眺めた後、一人の武人に向けられた。
「ご指名ですか。いいでしょう、受けて立ちます」
思春の呼びかけに応えたのは凪だった。思春とは対照的に全身に闘気を纏い、やる気十分だった。
 
「……」
「どうした、姉者?」
思春と凪のやり取りを、春蘭が普段見せない考え込んだ顔で見ている。異変に気付いた秋蘭が声を
かけた。
「虎牢関で見た時、奴には研ぎ澄まされた刃のような鋭さがあった。しかし、今は構えに隙は無い
が、佇まいは別人のように穏やかだ」
「ふむ…。確かに戦場に立つ者には見えんな。とは言え、構えに隙が無い以上用心するに越した事
はない」

「はぁっ!」
凪の気勢が高まり、それに伴って両腕が光り始めた。
「ほぉ、氣を遣うのか。これは楽しめそうだ」
「曹操軍には色んな人材が居るようじゃの。じゃが、個性的な人材では我が軍も負けておらん」
「強いのか?」
「弱くはないじゃろう。まぁ、力量はこれから分る」
凪の実力を認めながらも、祭はそれ以上に思春の実力を信じていて心配した様子はなかった。

 思春は一瞬で間合いを詰め、凪の首筋目掛けて鈴音を叩き込む。しかし、凪は愛用の手甲、閻王
で弾き飛ばし、更に思春のわき腹に氣の篭った突きを繰り出した。しかし、思春も体を捻って躱す。
思春の後方で地面が大きく抉られていた。

「氣当てとは厄介な技を…。真っ直ぐ下がっていたら危なかった」
「危なかった? 軽々避けているように見えましたが」
言葉と裏腹に余裕の表情を浮かべる思春だが、予想していたのか凪の表情にも焦りは無い。
「まさに風の如き速さですが、止めてみましょう」
今までは様子見だったと言いたげに、凪の気勢が更に上昇する。
「私の動きに付いてこれるかな?」
思春は不敵な笑みを浮かべながら、次の動作に移った。

 思春が先に仕掛ける。凪は、左右から連続で繰り出される思春の攻撃を閻王で受け止め、反撃を
試みる。お互い接近戦を得意とし、激しく打ち合うが有効打は無い。鈴音を操る思春に対し、凪は
拳に氣を込め対抗する。氣当てという飛び道具を持っているが、動作が大きくなるため思春の速い
動きでは使えるチャンスは無かった。まず、思春の動きを遅らせる必要があった。しかし、思春の
動きはますます速くなり、氣当てどころか通常の反撃も難しくなってきた。

「はぁ、はぁ、はぁ…」
「随分、息が上がってきたな。もう限界か?」
暫く全力で打ち合った後、両者に変化が表れた。肩で大きく息をする凪に対し、思春は多少息は
弾んでいるが、まだまだ余裕があった。お互いの技量は拮抗していても、体力の差はかなり大きい
ようだ。ブラッドとの鍛錬では思春が凪の立場になっているので、身体能力が大幅に向上している
事が分る。それと同時に、自分の鍛錬の相手が化け物並の体力だったことも理解した。
「たぁっ!」
凪は苦し紛れに氣を放つが、思春は余裕を持って躱した。
「どわっ!?」
後方で妙な声がした。凪の氣は、のんびり見物していたブラッドに直撃したようだ。無防備の
ブラッドは、そのままひっくり返ってしまった。

「ブラッド!?」
ブラッドに気を取られて、思春の注意が凪から離れた。凪にとって千載一遇のチャンスだが、残念
ながらものにする事は出来なかった。凪が攻撃するより速く、思春は一瞬でブラッドの元に駆け
寄っていたのである。
「戦いの最中に気を抜くな。…大丈夫か?」
「問題ない。少し砂を被ったくらいだ」
「ふふふ…。色男が台無しじゃのう」
思春はみっともない格好のブラッドに呆れた表情を見せながら、心配そうに顔を覗き込んでいる。
隣で苦笑いを浮かべている祭とは対照的だった。
「怪我は無いようだな。砂は、後で風呂に入れば良い」
「お前が洗ってくれるのか?」
「な、何を馬鹿な事を。まぁ、お前がどうしてもと言うのなら…
思春はブラッドの軽口を真に受けて、頬を赤らめ満更でもない表情を浮かべている。とても今の今
まで真剣勝負をやっていたとは思えない、乙女の貌だった。

「……」
場にそぐわない和やかな雰囲気が漂う中、凪は信じられないといった表情で、背中ががら空きの
思春に攻撃することなく立ち尽くしていた。
「わ、私の氣当てをまともに受けて無傷だと?」
直接的な破壊力は季衣や流琉に及ばないが、凪の氣当てもかなりのものである。それが、かすり傷
一つ負っていない。常識では考えられないブラッドの耐久力に、人外の者を見るような目で見ている。

「ブラッドだから無傷で済んだものの、仕合とは関係無い者を攻撃するのは感心せんな」
凪はブラッドを狙ったわけではない。そもそも戦場でよそ見しているブラッドが悪いのだが、今の
思春には通用しない。思春は再び戦士の顔に戻り、これまで殆ど発していなかった殺気を迸らせ凪
に襲い掛かった。
「はぁっ!」
「く…」
連続で繰り出される鈴音を、凪は閻王で何とかガードする。息も吐かせぬ連続攻撃に、凪は防戦一
方だった。しかし、スピードはあっても思春の攻めは単調で、凪は呼吸を整えながら鋭い眼光で反
撃の隙を窺っていた。
 
「興覇め、中々やりおるわ」
一見すると、思春の攻めは単調すぎて凪に簡単に防がれているようにしか見えないが、意図を理解
した祭は感心した表情を浮かべている。
「全部防がれているようにしか見えんが、思春は何を考えてるんだ?」
「まぁ、黙って見ておれ。直ぐに分る」
理解出来ないブラッドはもどかしそうに祭に尋ねるが、勿体ぶって答える気配は無かった。

「はぁっ!」
仕方ないので祭の言うとおり暫く黙って様子を見ていると、思春は最後に気合の篭った一撃を入れ
て、後退した。しかし、攻め疲れたわけでも打開できない状況を立て直すために様子を見ているわ
けでもなかった。
「どうした? もう、終わりか?」
思春のあまりに単調な攻めに、凪は訝しげな目で睨みつける。速すぎて反撃出来ないだろうと高を
括っているのなら、随分人を馬鹿にした話で凪の表情が険しくなった。

「あぁ、もう必要ない」
「何? それはどういう…あ」
反撃に転じようとした凪の動きが止まった。凪の閻王は、思春の苛烈な攻めから受けた衝撃に耐え
切れず、凪が構えようとした瞬間、亀裂が入り腕から滑り落ちてしまった。
「わ、私の閻王が…」
「丸腰では戦えまい?」
「…もしかして、最初からそのつもりだったのか?」
「……」
凪の質問に、無言だが自信に満ちた表情で答える。思春は、最初から凪の武具を破壊することを目
的に攻撃していたのである。単調に見えた攻撃は、同じ場所を繰り返し攻撃する為だった。
「く…」
凪は尚も気勢を上げて戦う姿勢を示しているが、思春は構えを解いている。
「私が受けた指示は、侵入者を排除する事だ。それ以上の指示は受けていない」
つまり、必要以上の事は行わないという事である。凪に対しても、武具を破壊して戦闘不能にした
後は、それ以上攻撃する事はしない。
「…分かった。私の負けだ」
思春の術中に嵌った凪は一瞬だけ悔しそうに顔を歪めたが、潔く負けを認めた。

第一戦は思春の完全勝利だった。



[8447] 第21話:新旧弓使い対決
Name: PUL◆69779c5b ID:eb067e67
Date: 2010/07/22 01:13
第21話:新旧弓使い対決


 鈴々と合流した桃香達は、荊州に向かって歩を進めていた。桃香はしきりに後ろを気にして何回
も振り向いては溜息をついている。
「桃香様、いかがなさいました?」
「え? うん、ブラッドさん達、大丈夫かなって」
鈴々達が合流して、既に結構な時間が経過している。ブラッド達が今どんな状況に置かれているか
桃香は気が気でなかった。

「私達のやってる事って何なのかな…」
自身の不甲斐無さに、自嘲気味に笑みを浮かべる。
「志半ばにして早々に曹操に攻め込まれ、保身のため、再起を図るためブラッド達を盾にして撤退
しているとしか言えませんな」
「はぅ…」
「せ、星! その言い方は無いだろう!」
星の身も蓋も無い言い方に、桃香はがっくりとうな垂れる。見かねた愛紗が厳しい表情で抗議した
が星は涼しい顔で受け流した。
「別に責めているわけではない。現時点で、我々が強大な曹操軍に勝てる可能性はゼロに近い。
そんな相手に玉砕覚悟で突っ込むのは馬鹿げている。そして、この局面を切り抜けなければ、その
時点で桃香様や我々の夢も潰えてしまう。この際、安っぽい誇りは捨てて、生き延び居ることに
専念する桃香様の判断は、理に適っている」
「う…。そう言う紛らわしい言い方は止めろ」
例によって星にからかわれたことが分かり、愛紗は少し拗ねた目で睨みつける。

「あは、ありがとう愛紗ちゃん、星ちゃん。私は大丈夫だよ。皆が笑って暮らせる世の中になる迄
こんなことで挫けちゃ駄目だよね」
星の独特の激励は効果があったのか、桃香は沈んだ表情を振り払い気丈に振舞った。
「左様。悲観的に考えすぎる必要はありません。ただ、曹操軍がブラッド達に絶対手出ししないと
いう保障はありませんが、まぁ大丈夫でしょう」
「何故、そう思うのだ?」
「覇道を突き進もうとしている曹操さんにとって、大義名分の無い戦いを仕掛けることは考えにく
いからです」
星に代わって朱里が状況を説明する。いずれ敵対する可能性があるとしても、現在敵対していない
揚州に無断で侵攻すれば、華琳はただの侵略者に成り下がってしまう。既に鈴々は撤退して本来戦
うべき相手もいない状態で、体面を重んじる華琳が無益な戦いを仕掛けるとは考えにくい。

「ただ、鈴々の話では相手は夏侯惇、夏侯淵、張遼といった曹操軍でも屈指の武将達で、何よりも
武を重んじる連中だ。大義が無いとは言え、ブラッドを前に平静でいられるか怪しいものだ」
「それは黄蓋将軍の手腕に頼るしか…うん? 前方から誰か来るぞ」
星の声に全員の視線が前方に向けられた。その視線の先では、孫と陸の旗を掲げた騎馬隊が桃香達
に向かってくるのが見えた。
「陸の籏は陸遜殿だな。孫の籏は孫策殿直々の登場とは考えにくいので、恐らく孫権殿だろう」
「えぇ? 何があったのかな?」
孫呉のナンバー2の登場に、桃香は状況を把握出来ず助けを求めるような視線を愛紗に向けた。
「分かりません。あまり緊迫した雰囲気は無さそうに見えますが…」
話を振られた愛紗も分からず、注意深く様子を見ていた。

 桃香達が思いを巡らせているうちに、蓮華達は桃香の前で馬を止めた。厳しい表情の蓮華に対し、
穏は穏やかな笑みを浮かべている。
「劉備殿、お初にお目にかかる。私は孫権。我が主、孫策により貴殿達を荊州まで送り届けるよう
指示を受けている。付いてきて欲しい」
「は、初めまして、劉備です。この度は格別な計らい…」
「私は命令に従ったまでだ。今、貴殿達に死なれては困るからな」
「…あう」
蓮華のあまりに素っ気無い物言いに桃香は口籠った。桃香達を招かれざる客、疫病神とでも言いた
げな蓮華の態度に、気まずい雰囲気が漂う。

「蓮華様、そんなに心配しなくてもブラッドさんは大丈夫ですよ。ブラッドさんの凄さは蓮華様も
身をもって知ってるはずですよね? 色んな意味で」
「な、何を言ってるの! わ、私は孫呉の民を守る者として、この地での戦乱を防ぐために姉様の
指示に従ってるだけよ。何でブラッドの話になるのよ!?」

穏のぶっちゃけトークで、場の雰囲気は一変した。蓮華は恋に溺れる乙女に変貌し、真っ赤な顔で
あたふたと言い訳を始めた。蓮華の可愛らしい変貌振りに、戸惑っていた桃香達も慈しむような目
で見ていた。
「ま、まぁ、ブラッドの話が出たのなら、とりあえず状況を聞かせてもらおうかしら。曹操軍は今
どのあたりまで侵攻してるの?」
手遅れだが、蓮華は誤魔化すように軽く咳払いをして、状況の説明を求めた。

「曹操軍は揚州との州境まで侵攻し、殿の張飛隊と戦闘状態に入りました。その後ブラッドさん達
が仲裁に入り、張飛隊は撤退し私達のいる本隊に合流しました。ブラッドさん達と曹操軍の状況は、
斥候からの連絡が無いので分かりません」
「…そう」
申し訳無さそうに答える朱里の説明を聞いて、蓮華の表情が曇る。ブラッド達の事は信じているが
相手が相手だけにかなり心配そうだ。

 ちょうどその時、朱里が放った斥候が戻ってきた。
「申し上げます。現在、曹操軍は…あ」
「構わん。申してみよ」
斥候は蓮華達が居るため報告を躊躇したが、愛紗に促され状況を説明し始めた。その内容に桃香達
は驚き、穏は喜び、そして蓮華は何故か憮然とした表情になった。

「あらあら、思春も中々やりますね。ブラッドさんの前で良い所を見せられて良かったですね」
「良くない! 戦う事無く撤退させるはずなのに、自分から仕掛けるなんて祭は何考えてるのよ。
もし、これで祭が負けるようなことになれば、曹操軍の侵攻を許してしまうのよ?」
「でも、祭様が勝ち目の無い無謀な戦いを挑むとは考えられません。勝算があってのことでしょう。
それに、先行部隊とはいえ兵力は向こうの方が上ですから、正面からぶつかればこちらの被害も大
きくなりますし、何より曹操と完全に敵対してしまいます」
「ぐぬぬ…」
穏の言い分に反論出来る余地は少ない。勿論、蓮華も曹操軍がすんなり撤退するとは思っていない。
祭の提案はベストではないかもしれないが、中々の妙案である事は否定できない。それでも蓮華は
納得できない部分があった。要するに、ブラッドの前で思春が点数を稼いだ事が許せないのだ。
最近の思春の行動パターンから察するに、今頃はブラッドに構ってもらおうと済まし顔で露骨に
アピールしているに違いない。
「まぁ蓮華様も挽回の余地はいくらでもありますから、今は任務に徹しましょう。私もこのままで
済ませるつもりは毛頭ありませんから」
「え? わ、分かったわ」
にっこり笑いながら話を本題に戻す穏の目は、笑ってはいるがその奥に妖艶な炎を宿していた。
穏の醸し出す妖しげな雰囲気に、蓮華は気圧されていた。

「曹操軍に対しては、祭達に任せましょう。劉備殿、これより荊州まで我々が先導する」
「は、はい、宜しくお願いします」
「では皆さん、お願いします」
桃香の返事を待って穏が合図すると、騎馬隊は等間隔に散らばって桃香達を取り囲んだ。
「り、陸遜さん、これは?」
「非戦闘員の方の護衛です。曹操軍がここまで辿り着く事はないと思いますが、行軍に付いて行け
なくて遅れる領民を保護するためです」
領民達の護衛と保護と言えば聞こえはいいが、実際は監視と言った方が正しい。そもそも、雪蓮が
許可したのは通行だけである。領内での戦闘は論外として、偵察、情報収集も当然許されていない。
蓮華たちが派遣されたのは、領民に扮した間諜が揚州内に紛れ込む事を防ぐためである。もっとも、
結果的に桃香達を護衛することに変わりは無く、領民達も最初戸惑っていたも良好だった。
「ちょっと窮屈かもしれませんが、これも皆さんを守るためなので我慢してくださいね」
恩着せがましい物言いだが、穏が言うと何故か厭味に聞こえない。
「では、行こう」
蓮華の先導で、桃香達は荊州までの最短ルートを進んでいった。


 場所は変わって徐州との州境付近。ブラッド達と曹操軍との仕合現場である。無傷で凪を退けた
思春は、少し誇らしげな表情でブラッド達のところに戻ってきた。
「見事じゃ、興覇。相手を傷つけずに退かせる。策殿の難しい注文によく答えた」
会心の勝利に祭は満足げな表情を浮かべ、思春を称えている。
「恐れ入ります」
一応謙遜しているが、思春の表情は勝って当然だとばかりに自信に満ちていた。
「楽進が誘いに乗ってくれて助かった。他の者が相手なら、こう上手くはいかなかっただろう」
少しほっとした表情を見せ、戦いを振り返る。これは、凪の技量を軽んじている訳ではない。自分
の戦法と最も上手く噛み合う相手が、凪だったという事である。接近戦を得意とする思春は、尺の
長い武器を使う春蘭や霞、弓使いの秋蘭が相手では、戦いを有利に展開出来る確証が無かった。
勿論、負けるはサラサラないが、お互い無傷で戦いを終わらせる事はかなり難しかったと考えていた。
実はこれは祭の策略だった。祭は兵力で劣るが、将兵クラスの実力では自分達に分があると判断
したのだろう。相手に有利な条件を出して春蘭達を自分達の土俵に引き込み、その上で相性の良い
相手を挑発して仕合に臨むという目論見だった。そして、第一戦はほぼ完璧に計画通に事が進んだ。
 
「……」
思春は、何か言いたそうに訴えるかけるような目でブラッドを見詰めている。蓮華が予想した通り
かなり分り易い態度である。
「えぇ…と、よくやった。大したものだ」
ブラッドが労いの言葉を掛けて頭を撫でてやると、一瞬だけ嬉しそうに目を細めるが、直ぐに表情
を引き締めた。
「とりあえず、お前との鍛錬が無駄ではなかったということだ」
素っ気無い物言いだが、頬を僅かに赤く染め、熱い眼差しをブラッドに向ける。本当は褒めて貰い
たいくせに、実際に褒められると素っ気無い態度を取りながら甘受する。まるで、父親から晴れ舞
台での活躍を褒められて、気持ちとは裏腹に素っ気無い態度を取る年頃の娘のようで、中々のツン
デレ振りである。隣で祭が生暖かい目で見ているが、ブラッドしか見ていない思春は気付かない。

 一方、予想外の展開に、春蘭達は驚きを隠せなかった。
「申し訳ありません」
「上手いことやられてしもうたな。まぁ、しゃあないわ」
肩を落として謝罪する凪に、霞が労いの言葉を掛けた。凪を非難する者は一人もいない。全員が
凪の実力と性格を知っている。その凪が適わなかったのだから、敵の力を認めるしかなかった。

「しかし、これでうちらも引っ込みがつかんようになったな。向こうの筋書き通りに事が進んどる
みたいで気に入らんけど、付き合ったるわ」
当初、霞は強い相手と戦えると祭の提案を面白がっていて、引っ込むどころかかなり乗り気だった。
しかし、それは自分達が勝つ事を前提にしての事だった。予想外の結果に霞の闘争心に火が点いて
しまい、武人の誇りに懸けて何が何でも勝ちたくなってきた。

「甘寧の技量が分かったのは収穫だ。力ずくで突破しようとすれば、こちらも大きな被害を被る事
になっていただろう」
「そやな。まぁ、どの道あいつ等を倒さな先進めんのやし、早いとこ何とかせなあかんな」
「もう一度甘寧に勝負を挑んでも良いが、それは武人としての誇りが許さんだろう。となると
黄蓋とブラッド。そのどちらかを破らねば、我々は先に進めん」
祭は一対複数や連戦が駄目とは言っていない。しかし、もしそんなことをすればここぞとばかりに
卑怯者臆病者と罵られるに違いない。既に桃香とは直接関係の無い揚州に侵攻しているため、更に
自らの武を貶める行為は避けたいところである。

 となると、残ったブラッドと祭のどちらかと戦い、勝利しなければならない。秋蘭はブラッドと
祭の力量を天秤に掛けながら、どちらが遣り易いか考えている。直に見たわけではないが、ブラッド
の実力は天下に知れ渡っている。人間離れした身体能力を駆使した接近戦を得意とし、その強さは
天下無双と呼ぶに相応しい。しかし、弓使いの自分なら距離を取ってブラッドの能力を封じる事で
有利に展開出来るかもしれない。

一方の祭は、自分と同じ弓使いである。これまで数々の武功を挙げた呉の重鎮で、これも相手に
とって不足は無い。どちらが優れた弓使いか、確かめてみるのも面白い。
「黄蓋も、弓使いとしては相当なモンと聞いとるで? さっきの見たら分かると思うけど、同じ弓
使いとしては黙っとれんのとちゃうか?」
霞が、何故か祭を持ち上げるような事を言っている。確かに遠く離れた場所から、疾走する馬上と
いう不安定な条件で正確に春蘭と鈴々の間に矢を放った祭の実力は推して知るべし、である。同じ
弓使いとして、秋蘭が燃える要素は十分にある。しかし、霞が秋蘭を煽る理由ははっきりしていた。
「お前は、自分がブラッドとやりたいだけだろう?」
秋蘭は少し呆れ顔で言い返した。春蘭ほど直情的で短絡思考ではないが、霞も戦いを生きがいとす
る武人である。ブラッドという最高の獲物を、他の者に渡したくないらしい。

「うちも武人の端くれや。強い奴と戦いと思うのは当然やろ?」
「お前の気持ちも分からんではないが、我々の目的は忘れるな」
一応釘を指すが、それが気休め程度にしかならないことは分かっている。とはいえ呉の宿将として
世間に知られている祭に対し、ブラッドは噂が先行し、本当の実力は良く分からない。現実的には、
得体の知れないブラッドより祭を相手にした方が勝つ可能性が高い。ブラッドとの戦いを熱望して
いる春蘭や霞には悪いが、祭を確実に倒して桃香を追うべきと考えていた。

「いつまで待たせるつもりじゃ。そこのひよっこ、儂が遊んでやるから相手をせい」
秋蘭達の会話が耳に届いていたわけではないだろうが、計ったようなタイミングで祭が挑発して
きた。
「指名戴き光栄だ。ご老体に触らぬ程度にお相手いたそう」
秋蘭も、弓使いとしてのプライドはある。勝てると踏んだ相手からひよっこ呼ばわりされ、内心
穏やかではない。しかし、ここで激昂しないところが姉との大きな違いである。表情一つ変えず逆
に言い返した。 
「…少しは楽しませてくれそうじゃの」
祭はにやりと不敵な笑みを浮かべ、距離をとった。

「あーあ。ブラッドとやりたかったのに…。こうなったら、一対一の後の大将決戦しかないな」
秋蘭が祭に勝つことを前提にしているのか、霞は何とか自分がブラッドと戦える方法を考えている。
当然、霞以上にブラッドに執着している春蘭が黙っているはずが無い。
「待て。ブラッドとやるのは私だ」
「惇ちゃんは荊州で一回やっとるやろ。今回はうちに譲ってくれてもいいやん」
「あんなの数のうちに入るか!」
二人とも段々熱くなって、遂に仕合そっちのけで口論になってしまった。

「喧しい! 仕合に集中させろ!」
「そうだ。少し黙っていろ」
祭と秋蘭は、ほぼ同時に厳しい表情で叱責すると春蘭達に矢を向けた。前座扱いされた上に、殆ど
無視された事にかなり頭にきているようだ。
「お主等、あまり弓使いを馬鹿にすると痛い目に遭うぞ?」
「そう言えば、姉者は我が餓狼爪を受けたことが無かったな?」
「しゅ、秋蘭、落ち着け。私達は別に秋蘭の事を無視したわけじゃないぞ?」
「こ、黄蓋も大人気ないで? ここは一つ、年長者の余裕で穏便に頼むわ」
祭達に殺気は無く、自分達に向けて矢を射る事はないと思うが、春蘭達は母親に叱られた子供の
ように縮こまってしまった。

「向こうは緊張感が無いな。戦いの最中に何を考えているんだ」
「…まったくだ」
春蘭達のやり取りを思春は呆れ顔で見ているが、自身はブラッドにしな垂れかかるように寄り添っ
ていて、こちらも緊張感があるようには見えない。
「その方が、こちらにとっても都合が良いので構わないんじゃないですか?」
クーが顔を出した。ここで時間を使えば、それだけ桃香達が逃げ果せる事が出来る。華琳達本隊が
追いついても、大義名分の無い戦いを華琳が仕掛ける可能性は低く、血気に逸る春蘭達を一喝して
撤退するだろうと読んでいた。
「そうだな。では我々も祭殿の戦いぶりをじっくり拝見しよう」
思春は祭が負ける事は全く考えてないらしく、ブラッドに凭れ掛かったままだった。


ようやく祭達の仕合が始まった。鋭い眼光で睨みつける秋蘭に対し、祭は不敵な笑みを浮かべな
がらじっくり様子を伺っている。
「……」
「……」
既に、お互い自分の間合いに入っている。達人同士の戦いは紙一重で決まる。勝利を確実なもの
にするため、先に秋蘭が動いた。祭に的を絞らせないためだが、当然祭もこれに追随し並走しなが
ら矢を射る。この距離で止まっている的なら二人ともまず外す事はないが、走りながらの射撃で
精度は落ち、的中させることは出来なかった。
「一回目は引き分けか。お主も、それなりに腕に自信はあるようじゃの」
「黄蓋殿も年齢を感じさせない動き、感服しました」
「…口だけは一人前じゃの」
いちいち歳を強調して挑発する秋蘭の物言いに、祭は余裕の笑みを絶やさない。しかし、僅かに
殺気が篭っている。ブラッドの目の前で年寄り扱いされた事に、女のプライドを傷つけられたようだ。

「ご老体に鞭打つようで申し訳ないが、これも勝負。手加減は致しませんぞ」
「まだ言うか、このヒヨッコが。そういう事は勝ってから言え!」
秋蘭の執拗な精神攻撃に切れた祭が、今度は先に動いた。当然、秋蘭も追従する。
「ふ…」
秋蘭は内心ほくそ笑んでいた。両者の技量に明確な差は無い。そうなると、勝負の分かれ目は一瞬
の気の緩みやアクシデント、そして体力差が考えられる。百戦錬磨の祭に気の緩みや偶然の要素が
強いアクシデントは期待出来ない。でも体力勝負なら、年齢的に若い自分に分がある。秋蘭はわざ
と祭を怒らせ、走り回って体力を消耗させることにした。

 祭は左右に激しく動き回り、秋蘭に正面を向かせない状態を保ちながら攻撃を仕掛ける。対する
秋蘭も祭の動きに追随し、体勢を保ちながら反撃する。お互い一歩も譲らず一進一退の攻防が続いた。
両者の間を何本の矢が行き交っている。お互いが躱し続けているので、当然矢は四方八方に飛ん
でいくことになる。
「わっ。弓使い同士は見る方も命懸けやな」
飛んでくる矢を躱しながら、霞達は戦況を見詰めている。

「二人ともあれだけ走り回りながら、よく体力が続きますね。秋蘭様は兎も角、黄蓋があそこまで
動けるのは意外です」
「今だけだ。どうせ直ぐにバテて動けなくなるはずだ」
「向こうは歴戦の兵や。侮ったらあかん。だいたい向こうから仕掛けた仕合や。それなりの勝算は
あってのことやろ」
祭の予想外の善戦に春蘭達は驚いている。秋蘭より一世代上の祭が走り負けていないことに信じら
れないといった表情である。

ブラッド達も少し離れたところから観戦中である。
「これは持久戦だな」
ブラッドに凭れ掛かったままだが、少しだけ武人の顔に戻った思春が呟いた。実力が拮抗している
事、お互い射程の長い武器を使用している事から予想された展開だった。
「あいつは歳のことを気にしてるようだが、体力的に劣るのか?」
「そんな事はない。祭殿は常に前線で兵を指揮しておられる。体力的に劣る事はない。ただ、今の
戦いぶりには私も驚いている。あと、年齢に関しては…まぁ、祭殿も妙齢の女性だし、思うことが
あるのだろう」
共に戦場を駆け回っていた思春から見ても、祭の動きは予想外だったらしく驚きながらも頼もしく
感じている。もっとも、祭の体力の源が自分と同じブラッドとの夜の鍛錬だと言う事は分かってい
ない。

「そうだな。いつも錘を二つもぶら下げて走り回ってるんだから、体力が無いわけがない」
「錘…? ブ、ブラッド! 仕合中に何を考えているんだ!?」
言っている意味が分からずきょとんとする思春だったが、直ぐに真っ赤な顔で食って掛かった。
「お前はそれしかないのか? 大きくないと駄目なのか?
大きさにコンプレックスがあるのか、思春はかなり真剣な表情で尋ねた。
「いや、平均的な大きさでもそれ以下でも構わん。ツルペタも趣があって良い」
「そ、そうか…。それなら構わん」
「…何か、随分引っ掛かる言い方ですね」
平均的サイズでも良いと言われてほっとした表情を浮かべる思春と、自分がブラッドの守備範囲内
である事は分かっていても複雑な表情を浮かべるクーだった。

 ブラッド達がまったりしたやり取りをしている間に、祭達の攻防は新しい局面に移っていた。
「こいつの体力は底無しか?」
「どうした? この程度でへばったのか?」
「まさか。思いの外黄蓋殿に体力があったので驚いているが、この程度でへばる事はない」
お互い息を弾ませているが、まだ表情に余裕がある。しかし、秋蘭にとってこの状況は予想外の
連続だった。本来なら一刻も早く祭を倒して、桃香を追撃しなければならない。祭の提案も呉の
体面を保ちつつ、被害を最小限に食い止めるものと解釈していた。しかし、思春の戦いぶりを見て
それが誤りだと気付いた。呉は中立の立場を取りながら、桃香に加担している。それなら祭達を
倒して先に進むしかない。だが、後に控えているブラッドは信頼する姉、春蘭を以ってしてもすん
なり勝たせてはくれないだろう。桃香追撃の前に怪我をさせるわけにはいかない。その為に何とし
ても自分が祭に勝たなければならない。しかし、確実に勝てる持久戦に持ち込んだにも関わらず
中々祭を倒すことが出来ない。それどころか、自分の方が先に息が上がり始めている。次第に
秋蘭に顔に焦りの色が滲み出てきた。

「仕合の最中に余計な事を考えるな!」
「く…」
秋蘭の注意が逸れた瞬間を狙い済ましたように、祭の多幻双弓から二本の矢が同時に放たれた。
ギリギリで躱したものの、秋蘭は体勢を崩してしまった。
「え?」
秋蘭は目の前の光景に呆気に取らた。何と、祭がすぐ目の前に来ていたのである。実は、祭は射ち
合っている間に徐々に距離を縮めていた。そして秋蘭が体勢を崩したと同時に、一気に間合いを詰
めたのである。

お互いの得意の武器が使えない至近距離で、両者の目が合った。体勢を立て直そうとする秋蘭に
対し、祭は体勢十分である。
「青いのう」
ニヤッと笑いながら、祭は脇に挿してあった短剣を引き抜くと一気に薙ぎ払った。
「くっ」
餓狼爪を盾にして何とか受け止めたものの、秋蘭に次の攻撃を防ぐ余裕は無かった。秋蘭の喉もと
には短剣が突きつけられ、勝負は決した。

「この年寄りを振り切れんとは、だらしないのう」
「く…」
誇らしげな表情で祭に見下ろされ、秋蘭は悔しそうに表情を歪めている。しかし、潔く負けは認め
ている。逃げたり悪あがきをする事は、武人のプライドが許さない。
「弓使いの弱点は、懐に入られた時の対応と打たれ弱さじゃ。あと、お主は余計な事をあれこれ
考えすぎる。もっと単純に行け」
元々敵味方で対峙していたわけではない為か、祭の言葉には勝者の驕りとか悪意の類は感じられない。
どちらかというと、上官が部下にアドバイスをしている感じだった。それだけ祭が秋蘭を武人と
して買っている表れでもある。
「私も、まだまだという事か」
弓の技量では互角で、駆け引きでも優位に立っていた筈である。挑発された祭が冷静さを欠いてい
たのも事実である。しかし、最も優位に立てると思っていた体力で差を付けられなかった事が、
秋蘭の計画を狂わせた。冷静さを取り戻した祭に、徐々に主導権を握られてしまった。

「もう一つ、お主に言っておこう。女は如何に歳を重ねたかで良くも悪くもなる。今後も精進する
ことじゃ」
「…肝に銘じておこう」
歳の事も全く気にしてないわけではないらしい。暗に自分は良い女だと言いたげな祭の物言いに、
厳しかった秋蘭の表情が少し緩んだ。

祭の貫録勝ちである。



[8447] 第22話:魅惑の三位一体攻撃
Name: PUL◆69779c5b ID:eb067e67
Date: 2010/08/05 22:01
第22話:魅惑の三位一体攻撃


 雪蓮と冥琳は建業に留まり、情勢を見守っている。既にブラッド達に加え蓮華と穏を派遣してい
るため、現在建業には雪蓮、冥琳の他に残っているのは明命と亞莎だけである。

「ブラッドが居ないと静かだね」
「結構出払ってるからね」
雪蓮に声を掛けたのはもう一人の居残り組、小蓮だった。実は居残り組というのは正確ではない。
雪蓮は小蓮をまだ戦力とは見ていない。また、歳の離れた妹に母親的な立場で接する事もある雪蓮
は、まだ幼い小蓮を戦乱に巻き込みたくないという思いもあった。もっとも、小蓮にとってはそん
な雪蓮の気遣いが気に入らず、早く認めさせたいと内心思っているようだ。

「ねぇ、雪蓮お姉ちゃん。シャオもそろそろ皆の役に立ちたいんだけど…」
「うーん。気持ちは嬉しいけど、小蓮には少し早い気がするわ」
雪蓮は少し困った顔で笑いながら、やんわりと申し出を断った。年齢的にも能力的にも水準に満た
ない小蓮に勤まる任務は、残念ながら存在しない。
「小蓮様、物事には順序というものがあります。小蓮様の孫呉を思う気持ちは非常に尊い事ですが
小蓮様は先にやらなければならない事があります。まずは孫家を担うものに相応しい教養を身に
付けて頂きたいと思います」
「ぶぅ…。そんなに待てないよぉ」
相手が蓮華なら噛み付くところだが、苦手意識でもあるのか冥琳に正論を述べられると何も言えな
くなってしまった。
「そんなに言うなら、何か考えてあげても良いわよ」
「ホント? ありがとうお姉ちゃん」
「勿論、その為に必要な勉強はしてもらうわよ?」
「あぅ…。結局、避けて通れないのね」
姉として甘さを見せながらも、君主として押さえるべきところはしっかり押さえる雪蓮に、小蓮も
従うしかなかった。ただ、流動的とは言えそう遠くない将来に任務に付けて貰う約束を取り付けた
のは小蓮にとって収穫だった。

 そこへブラッド達と同行していた武官が戻って来て、曹操軍との折衝について状況を報告した。
「へぇ、祭もやるじゃない」
「祭も若いわね。思春に対抗して、ブラッドの前で良い所見せたかったのね」
「笑い事じゃないでしょ。最悪の場合、人的被害を被り更に曹操軍の侵攻を認める事になってた
のよ」
報告内容に驚きながらも満足げな表情を浮かべている孫姉妹に対し、冥琳は渋い表情だった。

「祭も勝算の無い戦いはしないはずよ。結果的に被害ゼロで曹操軍の侵攻を防いでるんだから対し
たものよ」
「結果論でしょ。これで、私達が劉備と通じていると曹操に勘繰られてしまうわ」
「そんなこと、劉備の通行を許可した時点で分かってたことでしょ? 曹操とはいずれ戦わなけれ
ばならないのだし、向こうの戦力を把握するためには良かったと思うけど?」
「前向きな意見ね。まぁ、将兵個々の能力で上回れば戦略の幅が広がるのは認めるわ」
冥琳はポジティブ思考の雪蓮に感心しつつ、少し呆れ気味である。結果的に祭の取った策は上手い
具合に事が進んでいるし、曹操軍の戦力を見極めるという副産物も得た。華琳に警戒される事は
確実だが、情勢を窺っている馬騰と荊州に入った桃香にも気を配らなければならず、華琳の警戒が
自分達に集中することはないだろう。とはいえ、曹操軍との兵力差は未だ大きく、人材の発掘、育
成も緊急の課題であることに変わりはない。冥琳の気苦労は当分続きそうである。


 場所は戻って再び州境付近。秋蘭を撃破した祭は、息を弾ませながら意気揚々とブラッド達の元
に戻ってきた。
「お見事です、黄蓋殿。まさに老いてますます盛んといったところでしょうか」
「思春よ、少しは言葉を選べ。まぁ、確かに盛んにはなったがの」
思春の言葉を軽く受け流して、武人の顔から女の貌に変わり誘うような瞳でブラッドを見詰める。
色々触発されたようだ。
「大したものだ。お前さえ良ければ、ぶっ倒れるまでしても良いぞ?」
「ほぉ、それは楽しみじゃな」
「ここは戦場です。お戯れは城に戻ってからにしてください」
先ほどまでの自分の行為は棚上げして、優等生発言の思春だが表情には嫉妬の色が滲み出ていた。
「そうじゃの。お楽しみは夜に残しておくとして、向こうはかなり慌てとるな?」
祭は夜のお楽しみを確約させて、春蘭達の様子を伺った。

 連敗した春蘭達は、予想外の連続で重苦しい雰囲気に包まれていた。
「秋蘭、大丈夫か!?」
「あぁ、怪我は無い。だが、これで我々はブラッドに勝たなければならなくなった。済まない」
妹を気遣い春蘭が駆け寄るが、秋蘭は気丈に振舞っている。
「まぁしゃあないわ。でも、正直びっくりしたで。向こうはブラッドだけ気を付けとけば大丈夫と
思うとったけど、他にもおったんやな。武人としては楽しみやが、暢気な事言うとる場合でもないな」
追い込まれた状況であるにも関わらず、霞の表情には余裕があった。ブラッドに勝てば状況を打開
出来るし、これまでの思春達の戦いから自分達に人的被害が出ていない事から最悪の事態にはなら
ないと考えているようだ。

「お主ら、まだやるつもりか?」
「何?」
若干、見下した態度で問いかける祭に、春蘭達は訝しげな視線を向けた。
「お主らの目当ての劉備は、とっくに逃げ果せたぞ。これ以上やっても意味が無かろう。それどこ
ろか、恥の上塗りになるぞ?」
「き、貴っ様! 調子に乗るな!」
展開をより優位に進めるための挑発か、それともブラッドの実力に対する絶対の自信がそうさせる
のか、祭の言葉は辛辣だった。

 案の定激昂した春蘭が、今にも切り掛からんばかりに飛び出そうとするが、霞が素早く動きを制
した。
「うちらがブラッドに勝てば、揚州を横断して劉備追いかける。この条件は変わらん。約束は守っ
てもらうで。まぁ、劉備が揚州に逃げ込んだ時点で、荊州に逃げおおせる可能性は分かっとった。
でも、折角孫策軍の実力者が相手してくれるんやし、何もせんのは勿体無いやろ? いずれ敵対す
る可能性もゼロやないし」
春蘭同様戦いに生きる霞だが、頭の回転の速さは全く違う。お祭り好きで体育会系のイケイケの性
格でありながら、冷静な判断力と明晰な頭脳を持っている。状況を正確に把握し、桃香追撃が不可
能となった場合の選択肢を用意していた。

「ほぉ、流石知勇兼備の名将と名高い張遼将軍じゃ。そっちの猪とは大違いじゃ」
「猪? どこにいるんだ?」
状況について行けないものがいるが、面倒なので全員スルーした。
「というわけで、ブラッド。やるで」
表情はにこやかだが、霞は殺気の篭った視線をブラッドに向けた。いずれ戦うであろう孫策軍の力
量を測る事は魏にとって意味のあることである。しかし、そんな戦略的な事は度外視して、強い相
手と戦うチャンスを逃したくない思いが強かった。

「そんなに俺とやりたいのか?」
「あんたが言うと何か別の意味に聞こえるけど、まぁ、そういうこっちゃ。あ、拒否権は無いで」
いま一つやる気の出ないブラッドに対し、霞は既に臨戦態勢だった。
「待て。こいつは私の獲物だ。霞は遠慮してくれ」
透かさず春蘭が突っ込む。ブラッドに対する思い入れは並々ならぬ思いがあり、霞に横取りされて
はならじと一歩前に出た。
「惇ちゃんはこいつとは荊州でやっとるやろ? 偶にはうちにもやらせてくれてもいいやん?」
「あんなの数のうちに入るか。ちゃんと剣を交えてやった事は一度も無い。こいつとの因縁は私の
方が先だ」
双方引き下がらず、予想通りどちらがブラッドと戦うかで口論になった。こうしている間にも桃香
達は荊州に向かって逃げているのだが、もう諦めてしまったのか秋蘭が諌める様子はない。

 当事者そっちのけで言い争っている春蘭達を、ブラッドはぼんやりと眺めている。ブラッドに
とっては誰が相手でも構わないが、正直乗り気ではない。とりあえずクーの意見を聞いてみる。
「クー、俺がこいつ等とやる事に意味があるか?」
「あります。本来ご主人様が彼女達を戦う事は無かったのですから、誰が相手でも当然歴史に影響
を及ぼすでしょう。ですが今回は殺しちゃ駄目って話なので、ご主人様の印象を強烈に植え付ける
に止めた方が良いでしょう」
「強烈な印象…。やってみよう」
今、華琳の攻撃の矛先は桃香に向けられている。それを呉、それもブラッド個人に向けさせれば
ブラッドの行動が歴史に及ぼす影響も大きくなるとクーは考えているようだ。

「とりあえず誰でもいいから来い」
「じゃあ、ボクが行くよ!」
言い争っている春蘭達の脇から小柄な少女が元気良くすり抜けて、ブラッドの前に出てきた。体に
似合わない大きなハンマーを手にして、やる気満々だった。
「あ、季衣。抜け駆けはあかんで」
「お前にはまだ早い」
「えー。ボクだって暴れたいですよお」
やはり季衣も武人の血が騒ぐのか、春蘭に対して珍しく意思表示している。
「気持ちは分かるが、今度にしろ」
「今度っていつですか?」
「こ、今度は今度だ」
段々ぐずる子供と上手く宥められない母親のような構図になり、微笑ましい雰囲気が漂ってきた。
今度ということは、ブラッドとの戦いで両者に死人が出たり後遺症が残るような怪我をしないこと
が前提となる。当然、自分達が負けるとは思っていない。

 緊張感のないやり取りに、祭達は呆れ顔だった。
「暢気な奴等じゃの。ブラッドが本気になれば、次があるはずなかろう」
「全くです。我々にも適わなかったのに、ブラッド相手に適うわけがありません」
思春も祭の意見に同調し、小さく鼻で笑った。ブラッドの能力を正確に把握していない春蘭達に
優越感にも似た思いを持っているようだ。

「俺は三対一でも構わんぞ?」
「な、何だと!? 馬鹿にするな!」
「あ、それ良いかも」
いつまで経っても纏まらない状況に焦れたブラッドから出された上から目線の提案に、春蘭と霞は
対照的な反応を示した。
「霞、お前何を言ってるんだ? 武人なら一対一で戦うものだろう」
春蘭は霞の言葉に信じられないといった表情を浮かべているが、霞は涼しい顔で言い返した。
「単に武を競うだけならそれでもええけど、うち等建前としてはまだ劉備の追撃しとんのやで? 
一対一の真剣勝負はまた今度にして、今は先に行くこと考えた方がええんとちゃう?」
「それは、そうかもしれないが…」
「そうだな。相手はあの呂布と互角に渡り合った男だ。呂布の実力をよく知る霞の提案は説得力が
ある。姉者の戦う姿を見てみたい気持ちもあるが、今は任務を優先して欲しい」
「むぅ、秋蘭までそう言うのなら仕方ない。不本意だが三対一でも構わん」
秋蘭まで霞側に回ってしまったため、春蘭は渋々ブラッドの提案を受け入れた。

「話は纏まったか?」
「あぁ、待たせてスマンかった。状況をおさらいすると、今お互い命の遣り取りをする訳には
いかん。とは言え、武人としてうち等は強い相手と戦いたい。そこで、任務に影響せん程度に頑張
るってことでどうやろ?」
「構わん」
霞の言いたい事は結局、武人として抑えきれない思いもあるので真剣勝負で臨むが、敵対関係で
なく恨みも無いので、勝負が決した時点で仕合は終了し止めは刺さない、という事である。任務の
重要さを理解しながらも、自分のやりたい事もしっかりやる所が霞らしい。

 一方、竜の世界では落ち零れのブラッドに、自分の武に対する拘りは殆ど無い。だから霞の気持
ちはよく分かっていない。しかし、いくら落ち零れでも人間相手に負ける事はないとも思っている。
それも余裕を持って勝たなければならない。元の世界に戻ったとき、人間相手に苦戦したことを
リュミスが知れば、どんな事をされるか考えただけでも恐ろしい。勿論、リュミスがブラッドを殺
すことはないが、半殺しにする可能性は極めて高い。
「……」
「ご主人様? どうしたんですか?」
「…余計なこと言うなよ」
「はい?」
いきなり釘を刺されたが、クーはブラッドが何を言っているのか分からなかった。

「三対一か…。しかも、相手は曹操軍でも指折りの豪傑達。本来なら心配するところじゃが、張遼
の言葉通り大事にはならんじゃろう。お主はこの勝負、どう見る?」
祭は、ブラッドが負けるとは全く考えていない。余裕の表情で思春に戦況予想を尋ねた。
「ブラッドは、あの呂布と互角に渡り合った実力者です。しかも他の武人と比べ、かなり変則的な
動きをします。加えて底無しの体力の持ち主です。夏侯惇達の実力は分かっていますが、身内の
贔屓目を抜きにしてもブラッドが後れを取るとは考えられません」
「ふ、相変わらず、よく見ておるのう」
思春は淡々とした口調で戦況を分析しているが、ブラッドの事を身内と表現することから客観的と
は言い難い内容だった。祭の言葉にはからかいの意味も含まれていたが、思春には伝わっていない
ようだ。


 漸くブラッド対春蘭、霞、季衣との三対一のハンディキャップ戦が始まった。これまでののんび
りした雰囲気は一変し、辺りに緊張した空気が漂ってきた。春蘭が中央に位置し、その両脇を霞と
季衣が固めた。ブラッドは三人の武器を念頭に入れ、攻撃パターンを予測していた。
「あんた、得物は無いんか?」
丸腰のブラッドを見て、霞が訝しげな表情で尋ねた。
「基本的に武器を使って戦う事はない」
「え? 虎牢関で恋…呂布と戦ったときは剣使っとったんやないんか?」
「あれは偶々だ。周りが使ってるから試しに使ってみたが、使いにくい。今回は、一番やりやすい
方法でやらせてもらう」
「…了解。こっちも本気でいくで」
ブラッドの返事を、自分達に対し結構本気で仕合に臨むと解釈した霞は、楽しげに笑みを浮かべた。
しかし、これまでと違うブラッドの対応に好感を持ったのは霞だけではなかった。
「相変わらず隙だらけだが、少しはやる気になったようだな」
春蘭もブラッドの雰囲気の変化を感じ取り、不敵な笑みを浮かべ気を高めていった。

霞と季衣が春蘭から離れ、ブラッドのサイドに回りこむ。一人が確実に死角に入る位置取りで、
本来ならそうなる前に位置取りを変えるものだが、ブラッドは動かず三人の出方を窺っている。
「ほな、いくで!」
まず、霞が仕掛けた。鋭い踏み込みで一気に間合いを詰め、偃月刀を薙ぎ払う。
「はぁっ!」
「やぁ!」
間髪入れずに、正面から一気に間合いを詰めた春蘭の七星餓狼が振り下ろされた。余裕を持って
バックステップしたとこに、今度は季衣の岩打武反魔が飛んできた。
「!」
一瞬慌てたブラッドだが、更に大きく後方に飛びのいて難を逃れた。
「よう躱したな。まぁ恋と互角に遣り合ったんなら、それくらいやって貰わんとな」
ブラッドの動きは霞の期待通りだったのか、獲物を前にしたハンターのように士気が高揚している。
しかし、対するブラッドにそんな気持ちは無い。人間の姿ではほぼ不死身で怪我をしても直ぐに
再生してしまうが、当たればやはり痛い。以前蓮華をからかって剣でタコ殴りにされた時は、それ
なりに痛かった。槍のように突き刺すタイプの武器は、剣のように薙ぎ払う武器よりも更に痛そう
なので避けるようにしている。季衣の岩打武反魔もトゲトゲが痛そうなので、思わず避けてしまった。

「その棘付き鉄球は、結構厄介だな」
「ボクの得物は岩打武反魔って言うんだよ。そんな変な名前じゃないよ!」
「いや、棘付き鉄球の方が分かりやすいぞ」
「春蘭様まで何てこと言うんですか!?」
尊敬する春蘭の思いがけないブラッド支持の発言に、季衣は驚き拗ねた表情で睨みつけた。

「季衣の得物の事は置いといて、流石にうち等三人同時に相手するのは勝手が悪そうやな? 
まぁ、今更一対一にしてくれ言うても聞かんけどな」
「心配するな。三人纏めてしっかり相手してやる」
「…そらどうも。なら、言葉通りしっかり相手してもらうで」
不利な状況に於いても自信満々のブラッドに対し、霞も不敵な笑みを返し武器を構えた。

「ボクの岩打武反魔に変な名前をつけたこと、後悔させてやるんだから!」
今度は季衣の岩打武反魔が最初に飛んできて、間髪入れずに春蘭と霞の剣が左右か同時に繰り出さ
れた。ここでもブラッドは後方に大きく飛び退いて攻撃を躱したが、既に季衣が攻撃態勢に入って
いるので反撃に転じることは出来なかった。

 春蘭達は攻撃を読まれないように、常にパターンを変えながら攻撃していた。三人の攻撃は順不
同で間をずらしたり、同時に攻撃したりとブラッドに展開を読ませない。特にブラッドの目に留まった
のは霞だった。先走る春蘭を時にはフォローし、時には制し、巧みに連携を保ちながらブラッドに
反撃の機会を与えない。
「甘い!」
「くっ!」
ブラッドは間隙を突いて攻撃を仕掛けようとしたが、そのタイミングを待っていた霞に迎撃され
ギリギリで躱す状況が続いている。

「こいつら、軍の精鋭部隊より強いかもしれんな」
予想を上回る霞達の動きにブラッドは驚き、感心している。
「まぁ、全員将軍クラスですから実力があるのは当然でしょう。ここは竜の巣と違い、地の利も
ありませんから楽に勝たせてはくれないと思いますよ。それに、向こうには優秀なプレーイング
マネージャーがいるようですし」
説明しながら、クーは一瞬だけ霞に視線を向けた。彼女もブラッドと同じ評価を下したようだ。
「お前がキーだな」
「へ?」 
「何でボクの真名を知ってるの?」
ブラッドの言動が理解できず霞と季衣は呆気に取られているが、春蘭だけは違う反応を示した。
「貴様、断りも無く真名で呼ぶとはどういうつもりだ!?」
真名を許可無く呼ぶ事はこの世界ではご法度である。可愛い後輩の真名が敵から呼ばれた事に沸点
の低い春蘭が激高するのは理解できるが、今は事情が違う。ブラッドは春蘭を適当にあしらって話
を進めた。

「そんな物は知らん。だいたい、初対面の奴の真名を俺が知るわけが無い。俺は張遼がお前らの鍵
だと言ってるんだ」
「ほぉ、やっぱり分かる奴には分かるんやな、うちの凄さを♪」
「それも納得いかん! 魏において武を司るのはこの夏侯元譲だ、この愚か者!」
三人の役割を見抜かれているのだが、霞は何故か嬉しそうである。一方、春蘭は自分の武が霞より
劣ると言われたと感じたらしく、ブラッドの言葉に激しく反論した。
「お前の言い分はどうでもいい。俺がそう判断しただけだ」
「な、何だと!? もう許さん、七星餓狼で切り刻んでやるから覚悟しろ!」
「惇ちゃん落ち着きや。相手を怒らせて撹乱させるのも常套手段や。つまりブラッドは惇ちゃんの
ことを警戒しとるから気を乱そうとしとるんやで?」
「そ、そうか? 成るほど、そういう事なら納得できる。この夏侯元譲に正面から戦いを挑んでも
無駄だからな」
霞に言い包められ、春蘭は直ぐに機嫌を直した。ブラッドに春蘭を挑発しようという意図が無い事
は分かっているが、ここで春蘭が先走ると収拾が付かなくなるので霞は曖昧に相槌を打って誤魔化
した。これ以上騒がれると鬱陶しいので、ブラッドもあえて突っ込まない。
「…お前も本当に大変だな」
「まぁ、前にも言うたけど、慣れると可愛いもんやで」
ブラッドに労いの言葉を掛けられると、霞は少し嬉しそうに頬を緩めた。お互い相手を敵とは見な
していないらしく、好感を持っているようだ。ただ、仕合の最中での遣り取りとしては相応しくない。

 
 祭達はブラッドと春蘭達の遣り取りを見物しているが、こちらもあまり緊張感は無い。
「彼奴らめ、中々息の合った攻撃じゃの」
「三人とも一軍を任された武将ですから、前もって示し合わせた訳ではないでしょうが、絶妙の間
合いで攻めてきますね」
春蘭達の攻撃に、思春は少し驚いている。各々一騎当千の実力である春蘭達が、違うタイミング、
間合い、軌道で攻めてくるのでブラッドも簡単に自分の間合いに入ることが出来ない。
「ブラッドも見抜いたように、張遼を抑えねば中々勝機は見出せん。ブラッドがこの後どう動くか
見物じゃ」
「そうですね。ただ、ブラッドはこれまでも我々の常識を越える動きで敵を倒してきました。今回
も期待していいでしょう」
こと武に関して、思春のブラッドへの信頼は揺ぎ無いものだった。ブラッドがどのように春蘭達の
攻撃を掻い潜って反撃するのか、期待に満ちた表情で見詰めている。

 ブラッドは春蘭達の攻撃を躱しながら、この仕合をどういう形で終わらせるか考えていた。この
まま躱し続けて春蘭達がバテるのを待っても良いが、臆病者と罵られる事は確実である。また、避
け損なう可能性もある。肉体再生能力と地の魔法を使えば大きな傷を負うことも無く直ぐに治癒し
てしまうが、斬られればやっぱり痛いのでなるべく無傷で済ませたい。自分の本能がどのくらい
開放されるか分からないので、万が一にも致命傷を受ける訳にはいかない。

「どうした? 逃げてばかりいないで攻撃したらどうだ、この臆病者め」
「うち等の攻撃を避け続けるのも凄いけどな」
戦況が有利に展開していることに気を良くしたのか、春蘭が挑発してきた。これでブラッドが動じ
る事はなく、相手するのも面倒なので無視した。これを春蘭はまた都合よく解釈したのか、調子に
乗って挑発を繰り返した。
「ふ、もはや反論する気力も無いか。それなら遊びはここまでにして、そろそろ終わらせてやろう」
「いやいやいや。全然遊んでないし、まだ終わらんと思うで」
死亡フラグ立てまくりの春蘭を霞が何とか諌めようとしているが、春蘭の耳には届いていなかった。

 春蘭達の攻勢は続き、ブラッドは防戦に徹し反撃のチャンスを窺っている。チャンスは直ぐに
巡ってきた。霞がフェイントを交えながら攻撃を仕掛け、次いで季衣が攻撃した。そして春蘭が
攻撃をしようとした時、ブラッドはこれまではとは違い春蘭の攻撃を受け流すと一気に間合いを詰
めた。
「え?」
ブラッドの侵入を許し、一瞬動きの止まった春蘭の胸にブラッドの魔の手が伸びた。

むに…。

「え…? な、何を…はぅっ!」
何が起きたのか状況を把握出来ずうろたえていた春蘭の体が、一度だけビクンと跳ねるとそのまま
脱力してブラッドに凭れ掛かった。ブラッドの電撃系の魔法で春蘭は麻痺状態に陥ったのである。
ブラッドは春蘭を抱きかかえたまま、後方に大きく跳び退って霞達と距離をとった。

「姉者!?」
「惇ちゃん!?」
「春蘭様!?」
「慌てるな。殺してはいない。暫く動けなくしただけだ」
動揺する霞達に対し、ブラッドは淡々とした表情で状況を説明した。両者の立場の違いが鮮明になる。

「貴様、姉者をどうするつもりだ!?」
激昂してブラッドを罵倒したのは秋蘭だった。餓狼爪を手に、今にも射掛けんばかりの勢いだった。
普段は沈着冷静でも姉が絡むと途端に熱くなるのはやはり姉妹といったところか。
「戦利品をどうするかは俺の勝手だが…お前達の態度で変わるかもしれんな」
「く…」
ブラッドに主導権を握られ、秋蘭は悔しそうに表情をゆがめている。

 一方、霞は秋蘭とは別の理由でブラッドをジト目で睨みつけている。
「あんた、さっきうちがこの三人の鍵って言うてたのに、何で惇ちゃん狙うん?」
霞はブラッドが自分ではなく春蘭に狙いを定めたことが不満らしい。
「コレと違って、お前はこの状況を理解出来ると思ったからだ」
「え? …あぁ、そういう事か。ならしゃあないな」
ブラッドの言わんとする事を理解して、霞の顔から厳しさが取れた。もっとも、まだ不満は燻って
いる。
「つまり、三対一で勝てんかったのに二対一なら余程頑張らなあんたには勝てん。劉備もとっくに
逃げ果せたし、この辺でお開きにしようって言いたいんか?」
「そうだ。どうせお前も一対一でやりたいんだろ?」
ブラッドには理解できない世界だが、武人と呼ばれる人種は兎角自分の力量を試したいようだ。
それも力量の高い者ほど、相手の力量が高いほど挑みたがる傾向にある。目の前に居る霞に春蘭
に愛紗達とブラッドは脳筋に大人気だった。

「日を改めてやってくれるんならうちは構わんけど、これも任務やし、うちの独断で撤退するわけ
にはいかんのや」
「それなら本人に聞いてみればよかろう」
「へ?」
祭の視線の先、霞達の後方に目を向けると砂塵が上がるのが見えた。華琳を先頭に曹操軍の本隊が
到着した。華琳の横には桂花が控え、兵力はブラッド達を遥かに上回っている。
「漸く総大将のお出ましか」
「天下の覇王殿がこの状況を見てどんな顔をするか、見ものじゃの」
圧倒的に不利な立場に追い込まれたにもかかわらず、思春達の表情には余裕があった。

「しゅ、春蘭!? これはどういう事なの? あなた達、何のつもり!?」
華琳にとっては全く予期せぬ光景だったのだろう。ブラッドに拘束されている春蘭を見て珍しく動
揺し、ブラッド達に食って掛かった。しかし、心理的に優位な立場に居る祭達は怯むことなく、寧
ろ不敵な笑みを浮かべて言い返した。
「それはこっちの台詞じゃ。我らの地に勝手に入り込んで好き勝手やっておったので、出て行くよ
う頼んだのじゃが言うことを聞かん。仕方ないので条件を満たせば通過だけは許可したのじゃが…。
今のところ、満たしておらんな」
微妙にニュアンスが違うが、祭の言ってる事は間違っていない。
「条件? 秋蘭、黄蓋は何を言ってるの?」
「は、はい…」
冷静さを取り戻した華琳は、秋蘭に現在に至る経緯について説明を求めたが、聞いているうちに
表情が険しくなっていった。

「成るほど。あの三人に我が軍の選りすぐりの将兵が適わなかったばかりか、春蘭まで人質に取ら
れてしまったというわけね」
「も、申し訳ありません」
「済んでしまった事は仕方ないわ。これからの事を考えましょう。黄蓋将軍、あなた達の目的は何?」
由々しき状況を理解した華琳は、威厳を保ちながら祭に交渉を持ちかけた。
「目的? 儂等はお主達に速やかに撤退してもらいたいだけじゃ。お主と劉備が何をしとるか儂等
には関係ないからの」
桃香の名前を出した時点で関係有る事を言っているようなものだが、華琳は当然分かっているもの
と判断してあえて隠そうとはしなかった。
「劉備達は通過したのよね? それなら私達が通過しても問題無いのではなくて?」
「劉備達は殆どが非戦闘員で数も少ない。しかし、そちらは五十万を超える軍。状況が違いすぎる。
ただ通過するだけと言われて、はいそうですかと信じる者はおらん。大体、これだけの軍勢を荊州
まで引き連れて賄えるだけの兵糧はあるのか?」
「……」
祭に核心を突かれて華琳は口籠った。本来なら徐州で一気に桃香達を殲滅し、その勢いで荊州に攻
め込む短期決戦の予定だった。それが揚州を経由しての荊州侵攻となれば、行程が大幅に伸びそれ
に伴い必要な兵糧も増える。疲弊した兵で荊州に攻め込めば、負ける事はないにしても予想以上の
被害を被りかねない。そして、そんな状況を雪蓮が黙って見過ごすとも思えない。

「確かに、劉備が逃げおおせた今、これ以上時間を掛けるのは得策ではないわね。ところで、春蘭
は無事に返してくれるんでしょうね? もし春蘭に何かあったら、覇道を外れてでもあなた達を滅
ぼしてあげるわ」
殺気を漲らせて警告する。華琳にとって春蘭がただの将兵でないことが良く分かる。しかしこれは
逆効果だった。

「ほぉ、そんなにこいつが大事か」
華琳の過剰に見える反応にブラッドはニヤリを底意地の悪い笑みを浮かべると、徐に春蘭の体を弄
り始めた。
「意識の無い女を弄ってもあまり面白くないが、これくらいあれば楽しめるだろう」
両手で春蘭の胸を揉みし抱く。水準以上のボリュームと弾力と柔らかさについ力が入ってしまう。
「な、何をやってるの!? 放しなさい!」
「貴様っ! 姉から離れろ!」
ブラッドの蛮行に華琳達の罵声が飛ぶ。しかし、ブラッドは華琳達の様子を窺いながら春蘭を弄り
続けた。なお、桂花は邪悪な笑みを浮かべていたが、華琳達は気付いていない。

「うむ、確かに頭はアレだが、体の方は中々…」
「そこまでだ」
春蘭の体を堪能しているブラッドのお楽しみは、不意に中断された。いつの間に距離を詰めたのか、
思春がブラッドの喉元に鈴音を突きつけながら厳しい表情で睨みつけていた。思春に背後を取られ
たのはこれが二回目だが、何故か前回より殺気が篭っている。
「…味方に刃を突きつけるのは感心せんな」
「黙れ。貴様、我らの任務を忘れたのか? 戯れはその辺にしておけと言っているのだ」
正論を述べる思春だが、今の行動原理は純粋な乙女心、世間一般で言うところの妬きもちであるこ
とは言うまでもない。逆切れされるので指摘はしない。

「曹操殿、そろそろここから撤退してはくれぬか? でないと大切な部下の見たくない場面を見る
事になるかもしれませんぞ?」
「わ、分かったわ。分かったから早く春蘭を開放しなさい!」
これ以上ここに留まっても得るものは無く、また春蘭の体がブラッドに穢される事も耐えられない
ので、華琳はあっさり祭の提案を受け入れた。
「か、華琳様、よろしいのですか? ここで奴等を討てば孫策軍の戦力は大幅に低下します。この
好機を逃す手はありません」
「…桂花、約束を反故にして大義名分も無く敵対していない揚州に攻め込むなんて、この曹孟徳に
そんな恥知らずな事をやれと言うの?」
「も、申し訳ありません」
覇王の進むべき道を示し桂花の提案を却下するが、半分以上は私情が混ざっている。もっとも
桂花もそこを追求するほど命知らずではない。

「ブラッド、開放してやれ」
「分かった」
ブラッドは春蘭の体をもう暫く堪能したかったところだが、これ以上やると城に戻った後色々面倒
なことになると思い、仕方なく春蘭を開放した。
しかし、ここで予期せぬ事態が生じた。まだ意識の戻っていない春蘭が、ブラッドの首に手を回
して抱きついてきたのである。
「華琳様~♪」
「え?」
「…あ」
どうやら春蘭は楽しそうな夢を見ているらしい。しっかりブラッドに抱きついて、離れそうになかった。

「振り解くわけにもいかんな」
何を思ったのかブラッドは春蘭の体をお嬢様抱っこの状態に抱えなおすと、そのまま華琳達に向っ
て歩き出した。この行動には見方も動揺した。
「ブ、ブラッド!? 何をしている!」
プライドの高い華琳がブラッドを攻撃する事は考えられないし、霞達も同様である。しかし、他の
兵達まで同じとは言えない。春蘭を引き渡した後、一斉に攻撃を受ける可能性もある。そんな状況
の中、ブラッドは祭達の心配をよそに、華琳や秋蘭達の刺すような視線を一身に受けながらも、
何食わぬ顔で歩みを進めている。

 また、全く違う事を考えている者達もいた。
「何か、絵になるな。ホンマに惇ちゃんか?」
「そうですね。意識の無い春蘭様がこれ程とは思いませんでした」
「春蘭様、綺麗…」
「でも、後で本人がこのこと知ったら面白いことになりそうね」
ブラッドに感化されたのか、四人とも緊迫感が無かった。

 ブラッドが華琳達の元に着くと、秋蘭が駆け寄って引っ手繰るように春蘭を抱き寄せた。
「姉者!」
「とりあえず、傷は付けていない。確かに返したぞ」
「良い度胸してるわね。私は撤退するとは言ったけど、丸腰で敵陣にのこのこやって来た男を無傷
で帰すとは言ってないわよ?」
春蘭が穏やかな表情をしていて辛い思いをしていなかったことに安堵する一方で、その表情でブラッド
に抱きついていたことに複雑な思いが過ぎる華琳だった。文句の一つくらい言いたいところである。
「それはご遠慮願いたい。流石に面倒だ」
ブラッドは華琳の軽口をあっさり受け流しながら、華琳の後ろに控えている兵士達を見て少しうん
ざりした表情を見せた。負ける気はサラサラ無いが、一々相手するのが煩わしいようだ。
「冗談よ。霞達も今はやる気無いみたいだし、兵を無駄に消費するわけにもいかないわ」
霞達将兵の士気が低下している状況で、何の対策も打たずにブラッドに攻撃を仕掛ける事がどれほ
ど危険であるか、華琳は十分理解している。

「じゃあ、とりあえず撤退してくれるか?」
「そういう約束だから、今日のところは退いてあげるわ。でも次はそういかないわよ。孫策にも
伝えておきなさい」
「…分かった」
冷静さを取り戻した華琳は部下達の目もあってか、強気な態度で対応する。上に立つ者として威厳
を見せなければならない為とブラッドは理解した。ブラッドもリュミスやクーから人間に舐められ
ないようプライドと威厳を持てと言われているが、基本はヘタレで威厳はあまり無い。
「全軍撤退」
華琳の号令の元、兵達は粛々と撤退して行った。


 桃香達を無事に脱出させ、華琳との全面衝突を回避し事無きを得たブラッド達。当初の目的を
達成し、とりあえず急場は凌ぐことが出来た。しかし、これで華琳の具体的な攻撃対象に雪蓮が追
加された事は間違いない。





[8447] 第23話:新戦力発掘(少しエッチ)
Name: PUL◆69779c5b ID:8c8ce768
Date: 2011/03/13 17:21
第23話:新戦力発掘


 華琳達を退けたブラッド達が城に戻ると、直ぐに軍議が開かれた。
「皆、お疲れ様。取り合えず、急場は凌げたわ。特に曹操軍を足止めしてくれた祭達は、難しい
状況を良く切り抜けてくれたわ」
「己の覇道に拘る曹操なら無茶な戦は仕掛けんと思っておりましたが、上手くいきましたな。まぁ
ブラッドのあれは余計じゃったがの」
祭はニヤリと少しからかうような笑みを浮かべた。その後の展開を予想しているようだ。
「えぇ、聞いてるわ。中々面白いことするわね?」
「…時々お前は訳の分からんことをするな?」
「……」
雪蓮と冥琳は呆れ顔だが、蓮華の表情にははっきりと怒りが見て取れた。
「夏侯惇の身柄引渡しが撤退の条件だったとは言え、わざわざ抱きかかえる必要は無いわ。引き渡
した瞬間、攻撃される危険もあったのよ? いったいどういうつもり?」
厳しい表情でブラッドに詰問する。落ち着いた口調だが、表情は不信感を露にしていた初対面の時
より厳しい。その怒りの内訳は、単なる嫉妬だけではない。無謀な行動を心配してのことだった。
しかしブラッドに蓮華の思いは伝わらず、全く悪びれる様子も無く素っ気無く答えた。
「あれは不可抗力だ。夏侯惇は曹操の腹心ということだし、そう無碍に扱うわけにもいかん。まぁ、
向こうを挑発する狙いもあったが」
「挑発?」
「成るほど。案外したたかだな」
蓮華は良く分かっていないようだが、冥琳はブラッドの言わんとする事を理解し苦笑いを浮かべた。

「腹心である夏侯惇を辱めたことで、ブラッドは曹操の個人的な恨みを買うことになる。つまり
曹操の標的が孫呉からブラッドに逸れたという事だ。曹操が天下無双の武を誇るブラッドに兵を
集中させれば、兵力に見劣りする私達の自由度が増し優位に展開できる、というわけか?」
「その通りです。ご主人様に今以上の活躍をして頂くために、少し荒っぽい手ではありますが効果
はあると思います」
ブラッドの代わりにクーが答えた。ブラッドの行動はクーの助言によるものだった。ブラッドの
普段の行動と性格から判断して簡単に対応出来て最も効果的な方法を提案したが、内外に反響が
あったようだ。その証拠に、現場で一部始終を見ていた思春が不信感を露にして睨みつけている。
敢えて何も言わないのは、ブラッドの立場を考慮してのことではなく蓮華をはじめとする他の女の
子達を刺激しないためである。

「曹操が内心穏やかでないことは想像に難くないが、だからといって私怨で兵を進めるとは考え
難い。ただ、戦場でブラッドと対峙した時、多少冷静さを失う可能性はあるだろう。全く効果が
無いとは言えんな」
回りくどい言い方をしているが、今回のブラッドの行動はそれなりに評価している。軍師として
自分の予想を超える行動を素直に評価するのに抵抗があるらしい。

 桃香逃亡補助の纏めに続き、冥琳は今後の方針を説明し始めた。
「とりあえず当面の危機は脱したが、これは問題を先送りしたようなもので根本解決には至って
いない。また、徐州を支配下に置いたとはいえ、荊州、涼州と隣接している曹操が今すぐ南進する
事も考えにくい。今後の方針として、私達としては北方を警戒しながら速やかに体制を固め、勢力
を広げるべきだろう。幸い、この国は元々雪蓮の母、文台様が興した国。民心の掌握に時間は掛か
るまい。揚州以南は特に有力な勢力も無く、征圧はそれほど難しくないだろう。とは言え、私達が
河南を制圧するまで曹操が待ってくれるとは思えんし、時間との勝負になる」
強い口調で危機感を煽る。揚州内は纏まりつつあるとは言え、建業から離れるにつれて治安は低下
している。また、袁術派の残党も一掃出来たわけではない。周辺の諸侯と結託して反乱でも起こさ
れた時、鎮圧に時間を掛ければ華琳に一気に攻め込まれる可能性もある。

「河南は、制圧にはそう時間は掛からないと思います。その後の統治に人員を充てなければなりま
せんが、喫緊の課題ではありません。まずは北方に備えて多少バランスに欠ける軍の再構成が先決
かと思います」
説明を聞いていたクーが軍の抱える問題点を見抜き、冥琳に提案した。
「軍の再構成だと? それに、ばらんすとは何だ?」
冥琳のクーを見る目が若干きつくなった。どうやら、あまり触れて欲しくないところだったらしい。
「あ、申し訳ありません。バランスというのは調和とでも言いましょうか、孫策さんの軍は思春
さんや明命さんのように遊撃隊として優れた武官が多いのに対し、正面からぶつかる突破型の武官
が雪蓮さんを除くと曹操軍等と比べて見劣りします」
淡々と孫呉軍の特徴を述べる。我が軍と言わないところが、クーの立ち場を明確にしている。

「クーよ、儂では力不足と言いたいのか?」
クーの言葉に、呉の切り込み隊長を自認する祭が自分の武を否定されたと感じたのか、少し憮然と
した表情で尋ねた。
「いえ、違います。確かに蔡さんは性格的には正面突破型ですし、十分見合うだけの武をお持ちです。
孫呉にとって、無くてはならない戦力と言えます。ですが、祭さんは呉随一の弓の使い手でもあり
部隊のバランス考えれば、後方支援が最適です。蔡さんが後ろでしっかり援護してくれるからこそ
兵達も安心して攻撃できるのです」
「なるほど、儂としては前線で力と力のぶつかり合いこそ戦の醍醐味だと思うが、そういう事情
なら仕方ないのう」
クーに持ち上げられ祭の機嫌は治ったが、孫策軍の弱点を指摘された冥琳は渋い表情だった。

「流石というか、あっさり見抜かれてしまったな。確かにお前の指摘通り、我が軍は力押しが出来
る武官がいない。軍師として力押しは下策だが、平原での戦いなどでは策を講じても個々の力に
頼らざるを得ないこともある。また、敵に攻め込まれたとき前線で踏みとどまって時間を稼げる物
も少ない。雪蓮を前線に立たせるわけにはいかず、早急に解決しなければならない問題だ」
僅かな時間で呉軍の弱点を見極めたクーの観察眼に、冥琳は感心すると同時に他の勢力にも見抜か
れていることを考え、危機感を募らせている。
「どうして? 私は全然構わないわよ。寧ろ大歓迎よ」
冥琳の説明に雪蓮が反論する。雪蓮はクーの指摘した意味と冥琳の説明を良く分かっていない。
案の定、蓮華から厳しい言葉が発せられた。

「姉様、冥琳は孫呉の王たる姉様が、一番危険な前線で指揮を取るべきではないと言ってるんです。
姉様は孫呉の大黒柱なんですから、軽はずみな行動をとってもらっては困ります。今まで何回も
言ってるのに、まだ分からないんですか?」
「だって後方で戦況を見守るなんて、私の趣味じゃないわ。私が前線で戦ってるから兵もついて
来てくれたんじゃないの? だいたい、私が後ろで眺めているほど戦力的な余裕はないでしょ?」
「姉様の趣味は、どうでもいいです! 姉様は、孫呉の王としての自覚が無さ過ぎます!」
兵士の指揮のために自分の命を軽んじる雪蓮に、蓮華はますますヒートアップしヒステリック気味
に怒鳴りつけた。

「わ、分かったから、そんなに怒らないでよ。怒りんぼは嫌われるわよ?」
「うぐ…。そ、そんなこと、今は関係ないでしょ」
誰に、とは言わなくても分かる。からかうように話をはぐらかされ、蓮華の怒りが爆発するかと
思えたが、雪蓮の一言はかなり効果があったらしい。ブラッドの前で大声を出すのをはしたないと
思ったのか、蓮華は横目でブラッドの様子を伺いながら悔しそうに雪蓮を睨み付けた。

 このまま話が逸れたままでは問題解決にならないし、何より蓮華を不憫に思った冥琳が蓮華の
援護に回った。
「かつて、武で劉邦を圧倒していた項羽も、最後は敗れた。逆に負け続けた劉邦は最後に勝利し
漢帝国四百年の礎を築いた。雪蓮の言う事も一理あるが、ここは劉邦に倣って欲しいわ」
「ぶぅ…。じゃあ、誰が私の代わりをやるって言うのよ?」
相手が冥琳ということもあって、雪蓮は拗ねた表情で突っ掛かる。項羽と劉邦の戦いは当然知って
いるが、雪蓮の性格上、座して戦況を見守る事は苦痛だった。また、戦力バランスとして駒不足な
のも事実だった。

「要するに、正面突破型と前線を維持できる受けの強い武将が不足ってことか?」
「とりあえず、目処が立つまでご主人様が獅子奮迅の活躍をすれば何とかなります。まぁ、雪蓮
さんの代わりにはなりませんが」
「個と軍の違いはあるが、妥当なとこだな。それに天の御遣いが先頭になって敵を粉砕すれば、兵
達の士気も上がる。領民の支持も更に上がるだろう」
突破力においては、ブラッドは呉軍内どころか呂布さえ凌ぐ力を持っている。しかし、それは軍を
率いての力ではなくブラッド個人の能力だった。軍勢を率いていないので、敵の勢力を受け止め
更に押し返す防波堤の役割は期待できない。代わりに、一点突破で敵陣内に切り込んで引っ掻き回
すことは可能だ。特に張勲軍との戦いでは、ブラッドの能力が遺憾なく発揮された。使いどころを
間違えなければ、ブラッドは大きな戦力である。

「確かに、勝った時は冥琳の言う通りだと思うけど…」
冥琳の意見を肯定しながらも、蓮華の言葉は歯切れが悪い。納得出来ないところがあるようだ。
「これからは敵の攻撃も今まで以上に激しくなるし、もし天の御遣いが怪我でもしたら逆効果に
なるかもしれないわ。ブラッドも孫呉に無くてはならない存在だから、あまり無理をするのは良く
ないわ。そもそも天の御遣いを最前線に起用すれば、他の勢力から孫呉は人材不足と思われてしま
わないかしら?」
前線に単騎で突入するというのは、言うまでも無く無謀極まりない戦法である。戦法と言うのも
憚れる策である。これはブラッドの人間離れした身体能力、実際に人間ではないが、それがあって
初めて成立する戦法である。しかし、蓮華達はブラッドの正体を知らない。普通ではないが人間
だと思っている。蓮華は、たとえブラッド自身が希望したことでも、雪蓮の代わりにブラッドを危
険な任務に就かせることに抵抗があった。また、天の御遣いであるブラッドに頼った戦略が、孫呉
にとって必ずしも有益にならないと考えている。
「蓮華様は、ブラッドさんの事が心配で心配で仕方ないんですね♪」
「茶化すな! 私はそういう事を言っているのではない」
なら、どういう事を言ってるのかと突っ込まれると答えられる筈も無いのだが、そこで突っ込んで
蓮華を追い詰める苛めっ子は居なかった。

「蓮華様のお気持ちも分からないではありませんが、現状では他に手がありません」
「安心しろ。俺はお前達が思っている以上に頑丈にできている。何より、お前達を残して死んだり
はしない」
「こ、こんなところでいきなり何を言うのよ」
ブラッドの歯の浮く台詞を真に受けて、蓮華は真っ赤になって俯いてしまった。ブラッドはお前達
と全員に対して言っているが、自分だけに言われたものと自動変換するあたり、すっかり恋する
乙女だった。

「とは言え、今後勢力を拡大する上で、武将の駒不足は絶対に解消しなければならない問題だ。
しかし、都合よく有能な武将が在野に埋もれているとは考えにくいし、自前で簡単に養成出来る
ものでもない。頭の痛い問題だ」
ブラッドを起用し急場を凌ぐとしても、蓮華の言うようにいつまでもブラッドに頼るわけにはいか
ない。行き場の無い状況に冥琳はため息をついた。

「そう言えば、董卓配下の武将でその後の行き先が分ってるのは張遼だけだったけど、他はどこに
行ったのかしら? そもそも董卓の生死も確認できてないわよね?」
雪蓮の言葉に全員がはっとする。董卓軍との戦いは元々良く分からない理由で
結集したが、結果も有耶無耶に終わっていた。その後、雪蓮達は孫呉独立と戦後処理に終われ、
周辺地域の情報収集があまり機能していない状態が続いている。
「言われてみれば…。“かつて”天下無双と謳われた呂布も、行方不明のままです」
思春が呟く。ブラッドが恋と引き分けたため、もはや天下無双ではないと言いたいらしい。
「呂布か…。もし、手に入れることが出来れば我が軍の戦力は大幅に向上するが、行方不明では
どうしようもないな」

「董卓と賈?は劉備さんに保護されてますけど、武将は見ませんでしたね」
「…え?」
穏の呟きにブラッドを除く全員が呆気に取られた。
「穏、それどういう事? 詳しく話して」
「前に徐州にブラッドさんと行った時、何故か給仕の格好でお茶を出してくれました。二人とも
噂とは似ても似つかぬ可愛らしい女の子でした♪」
「賈?は現状にあまり納得していないようでしたが、逆に董卓は不満を抱いている様子はありま
せんでした。今の董卓に政治的野心は無く、董卓自身が危険な存在になる事は無いでしょう。
人間、一度権力を握ると固執するものですが、今の董卓の様子から判断して元々は無かったと推察
できます」
「ほぉ、聞くと見るでは大違いじゃな」
「本当に何のための戦いだったのか、分からなくなってしまいます」
穏とクーの説明に多くの者が驚きの声を上げたが、雪蓮と冥琳に驚いた様子は無かった。

「扱いの難しい情報ね。董卓は世間では暴君で通ってるけど、穏の話では違うみたいだし。でも
今更って感じよね」
「こういったご時勢なので董卓に引け目を感じることはないが、董卓の健在を知って散り散りに
なった将兵が劉備の下に集結されたら厄介だな」
そもそも反董卓連合は、権力を掌握しつつある月を追い落とすため麗羽が発起人となり結成された
ものだった。圧制に喘ぐ洛陽の民を救うという大義名分はただのこじ付けでこの機会を利用して
のし上がろうと考えている者ばかりだった。雪蓮達も孫呉の独立、更には大陸制覇のためには綺麗
事だけで事が進むとは考えていなかった。
従って董卓と賈?が存命と分かったところで、特に安堵する事は無い。ただ、消息不明の武将達
が月の下に集まる可能性はある。結果的に桃香達の戦力がアップすることになるが、それを華琳に
対する対抗手段が増えると喜ぶべきか、油断ならない敵が増えると危惧すべきか判断に迷うところ
である。

「とりあえず、劉備とは良好な関係を維持すべきね」
「その前にもっと力を付けて欲しいところだ」
「まぁ、それは私達も同じよね。当面ブラッドに頑張ってもらうとしても、使える将を何とか工面
しないといけないわね。まぁ、いざとなったら私が出張って…」
「雪蓮…」
「まだ分かってないようですね」
「あぅ…」
冥琳と蓮華から睨まれ小さくなる懲りない雪蓮だった。


 軍議が終わり、それぞれが自分の持ち場に戻ろうと部屋を出て行く中、蓮華が周りの目を気に
しながらそっとクーに話しかけてきた。
「ねぇ、クー」
「はい、何でしょうか?」
「わ、私はどうなの?」
「え? どう、とはどういう意味でしょうか?」
内容を端折りすぎて意味の分からない質問に、クーは首を傾げた。
「皆の率いる軍の役割について私だけ説明が無かったから、どうしてなのかなって」
自信無さそうな顔でクーに尋ねる。戦闘において天才的な才能を発揮する雪蓮に対し、何事もそつ
なくこなす蓮華は、欠点は少ないが特筆すべき点も無かった。バランスの取れた将といえるが、
一芸に秀でる他の武将達と比べると、どうしても目立たない存在だった。袁術軍との戦いでは大き
な成果を挙げたが、ブラッドの後詰めという立場で自分の戦果とは考えていなかった。他の武将達
と違い、より客観的に状況を把握しているクーの言葉は蓮華に重く圧し掛かった。

「お前はユーティリティプレイヤーだ」
「え? 何それ?」
「状況に応じて、複数の役をこなせる汎用型の武将のことです。一芸に秀でるのではなく、多芸に
高い能力を持ち、文武両面において水準以上の結果を残せる貴重な存在です」
「お前にはお前にしか出来ないことがある。もっと自信を持て」
「そ、そう? ありがとう」
ブラッドの一言で蓮華の表情が緩む。回りを気にしすぎて少し自信を失いかけていた時に、信頼し
好意を寄せる相手からの言葉は効果的だった。
「呼び止めてごめんね。じゃあ行くね」
すっかり機嫌の良くなった蓮華は、足取り軽くその場を立ち去った。

「お疲れ様。上手く宥めたわね」
一部始終を見ていたのか、雪蓮がニヤニヤしながら声を掛けた。
「こういうのは、お前の役目じゃないのか?」
「私も原因の一端みたいだったし、こういう時はあなたからの一声が何よりも効果的よ。事実
あの娘すっかり立ち直ってるじゃない」
蓮華のフォローは、本来なら姉の雪蓮や親衛隊長である思春の役目である。しかし、二人とも一芸
に秀でるタイプである。蓮華の性格を考えれば、二人の得意分野と自分を比較して、更に落ち込み
かねない。ここは、信頼しているブラッドの助言が最も効果的である。なお、ブラッドも武に特化
しているが、あまりに飛び抜けているので蓮華も比較対象にしていない。
「ま、ちょっと依存気味なのは気になるけどね」
気掛かりと言えば気掛かりだが、妹を信じているのか雪蓮は現時点ではあまり気にしていなかった。


 ブラッドは城を出ると、いつものように街を出歩いていた。普段、お供をしている明命は国境
警備に出ていて不在だった。領土を得たことで、これまで以上警備に人員を割かなければならなく
なった。ブラッドもただ街をぶらぶらするのではなく、警邏の意味合いも兼ねて行動するようになった。
「人手不足か…」
「どうしました、ご主人様?」
ブラッドの呟きにクーが反応した。
「とりあえず敵を全部倒せばいいと思っていたが、中々難しいな」
「竜の巣で迎撃するときは侵入経路は限られていますし、侵入者の戦術は限定的で個々のユニット
の攻撃力も私達が上回っているので、容易に撃退できます。それでも前線の迎撃部隊以外に中央
管理室での戦況分析と前線への指示、罠の設置等、役割は分担しています。ただ暴れてればいいと
いうわけではありません」
「そうなのか?」
「えぇ。結構大変なんですよ」
竜は自分でたいていの事はこなしてしまう為、組織を動かすことに慣れていない。クーやメイド達
のサポートが無ければブラッドも一人で巣を運営するのは不可能である。しかし、いい意味でプライド
の高くないブラッドは周囲の意見をよく聞き入れる為、他の竜に比べてかなり大きな巣を運営でき
る。クーも自分の貢献度をしっかりアピールしている。

 適当に街中をうろついていると、ブラッドは街の行く先々で注目を浴びていた。天の御遣いにし
て孫呉独立の立役者であるため、現在の注目度は雪蓮を上回っていた。ブラッドに気付いた領民の
特に若い女性の歓声が上がる。
「御遣い様よ!」
「ブラッド様だわ!」
孫呉独立の英雄で、長身で彫りの深い顔立ち、周りの男達とは全く違う容姿に娘達はすっかり魅了
されている。しかし、竜の巣でハーレム状態のブラッドにとって、この状況は特に驚くべきことで
はなかった。

「ブラッド様、どちらへ行かれるんですか?」
「特に決めていない。適当にぶらついているだけだ」
「そうですか。あの…ご迷惑でなければ、ご一緒させていただけませんか?」
「あ、あたしも!」
一人の女性の勇気ある行動を切欠に、遠巻きに見ていた女性達がブラッドの周りに群がって来た。
ゆっくり街の中を散策したいブラッドにとっては鬱陶しい状況だが、竜の巣ではすぐ体の関係を求
められた事を考えれば、まだ彼女達の行動は理性的だった。

 公務を口実に女の子達と別れたブラッドは、街を出ると城には戻らずに森の奥に進んで行った。
すると、ブラッドの背後に一定の距離を置いてついて来る者がいた。しかし、ブラッドは気にせず
同じペースで森を進む。暫くすると、背後の追跡者との距離はどんどん近くなり、ブラッドのすぐ
後ろまで来てしまった。それでもブラッドは構わず進んで行った。
更に進み、森のかなり奥まで行ったところでブラッドは立ち止まり、ゆっくり振り向いて追跡者
に目を向けた。ブラッドの視線の先にいる追跡者は華雄だった。

「さてと、何の用だ?」
「どこで気付いていた?」
華雄はブラッドの質問に答えず自分の疑問を口にした。町人の姿をしているが、鍛え抜かれた体躯
と鋭い眼光、そして全身から迸る闘気は、数々の修羅場を潜り抜けた武人そのものだった。
「お前の事は、街の中にいるときから気付いていたぞ」
正確には気付いたのはクーだが、こう言った方が華雄に対して効果がある。案の定、華雄は更に厳
しい表情でブラッドを睨み付けた。

「気付いていながら、態々場所を移したのか。領民が巻き添えにならないように配慮したという
ことか?」
「ここなら、誰にも邪魔されず存分に出来るからな」
「ほぉ…」
ブラッドの言葉は意外だったのか、華雄は少し驚いた表情を見せた。ブラッドは領民に配慮した
とは一言も言っていないが、華雄は好意的に解釈したようだ。

「噂では、あの後お前は呂布との一騎打ちで引き分けたそうだが、それは本当か?」
「途中で邪魔が入って有耶無耶になったがな」
「……」
ブラッドの言葉を肯定と受け取り、華雄は眉を上げニヤリと不敵な笑みを浮かべた。ブラッドを唯
の軽薄な男から倒すべき武人と認識を改めたようだ。

「汜水関ではお前の挑発に乗って敗れたが、ここには孫策も関羽もいない。お前が軽んじた私の武
がどれほどのものか、たっぷりと味あわせてやろう」
「お前には俺と戦う理由があるようだが、俺には無い。見返りがないとやる気が起きん」
「貴様、初めから勝つことを前提で話しているな。まぁいい。貴様が勝てば何でもしてやる」
華雄は生死をかけた決闘を申し込んでいるが、ブラッドにそこまでの意気込みは無い。しかも自分
が勝つことを信じて疑わない態度に、華雄のモチベーションが更に上がった。

「いくぞ!」
「…さっき言った事、忘れるなよ」
余裕の態度を続けるブラッドに対し、華雄は距離を空け、臨戦態勢に入った。
「はぁっ!!」
華雄の金剛爆斧が、唸りを上げてブラッドに襲い掛かる。振りが大きくスピードもあまりないので
ブラッドは難なく躱した。しかし、ブラッドのいた場所は地面が大きく抉られ、パワーは中々の
ものである。
「当たればそれなりのダメージはありそうだな」
「その減らず口がいつまで叩けるかな」
華雄は不敵な笑みを浮かべ攻撃態勢に入った。怒涛の連続攻撃をしかけるが、ブラッドはそれを躱
し続けた。
「逃げてばかりでなく、反撃してみろ。貴様、本当に呂布と引き分けたのか?」
一向に勝負しようとしないブラッドに、華雄の苛立ちが募る。

 攻める華雄、逃げるブラッドの攻防が暫く続く。
「あ?」
攻撃を躱そうとブラッドは後退したが、木にぶつかってしまい、一瞬だが注意が逸れてしまった。
そのチャンスを華雄は逃さない。
「もらった!」
ドカッ!
「あら?」
華雄の攻撃をまともに受け、ブラッドは派手に吹っ飛ばされた。とはいえ、本来なら体を真っ二つ
にされてもおかしくない攻撃を受けながら、ブラッドは砂を被っただけでかすり傷一つ負っていない。
「受け止められると思っていたが、予想以上にパワーがあるな」
「ちょっと待て。私の金剛爆斧をまともに受けていながら、何故かすり傷一つ無いんだ?」
ブラッドは華雄のパワーに感心しているが、そんなブラッドを華雄は人外の者を見る目で見ていた。
「お前がそれを気にする必要は無い」
「気になるわ! 貴様、何者だ!?」
「ブラッド・ラインだ」
お約束のやり取りの後、ブラッドは反撃を開始した。


 ブラッドが攻撃に転じてから、勝負が決するまで時間は掛からなかった。華雄はスピードでは
ブラッドに着いて行けず防戦一方となり、至近距離へ容易く侵入された。ブラッドの掌底が華雄の
胸にヒットし同時に電撃系の魔法が発動すると、華雄は僅かに体を痙攣させて崩れるようにその
場に倒れた。
「…軽薄な容貌とは裏腹に武は本物だったようだな」
言うことを聞かない体を何とか起こし、華雄はどこか達観した表情でブラッドを見上げていた。
心は折れていないが、全力を出し切った事に達成感を感じているのかもしれない。そんな華雄を
見下ろしながら、ブラッドは特に勝ち誇った仕草も見せず淡々とした表情である。

「街中でお前を捕らえなかった理由を教えてやる。お前を孫策に殺させないためだ」
「…どういうことだ?」
あえて見逃してやったと言わんばかりの態度に、華雄は眉を訝しげな表情で睨み付けた。
「街中でお前を取り押さえる事は簡単だが、そんなことをすればお前は孫策の配下の者に引き渡さ
れ処刑されただろう」
「貴様、私に情けを掛けたつもりか? それが武人にとって、どれ程屈辱なのか分かっているのか?」
見直したばかりのに武人の誇りを傷つけられ、華雄は屈辱で頬を紅潮させて睨み付けた。
「お前に情けを掛けたわけではない。自分の獲物を横取りされたくなかっただけだ」
「え、獲物だと?」
「お前は俺の獲物だ。まぁ、俺が勝ったら何でもするんだから覚悟で出来てるよな」
そう言うと、ブラッドはニヤリと笑い華雄の顎に手を掛け、自分のほうに向かせた。

「え? どういう…むぐぅ!」
戸惑う華雄の口を問答無用で塞ぐ。自分に何が起こっているのか分からず、華雄は体を硬直させた
ままブラッドの成すがままにされている。ほぼ無抵抗の状態でブラッドに脱がされ一糸纏わぬ無垢
な姿を晒されてしまった。
「え? な、何を…や、止めろ」
「ほぉ…。中々のものを持っているな」
屈辱にまみれ、真っ赤な顔で睨みつける華雄に対し、ブラッドは予想を超える華雄の肢体に感嘆の
声を上げた。
「どうせ他の女にも同じ事を言ってるんだろう」
「言っているが、実際に良いものにしか言っていない。今まで色んな女を見てきたが、お前も十分
に誇れるものを持っている。あいつ等ともいい勝負だ」
女性のスタイルを他の女性と比較するのはかなり失礼な事だが、華雄はブラッドの一言に普通とは
違う反応を示した。
「あいつ等だと? それは孫策達の事か?」
「他にもいるが雪蓮達もそうだ」
「…そうか」
華雄は何か考え込んでいるようだが、ブラッドは特に気にすることなく勝者の権利を行使した。

 ブラッドが少し乱暴に引き寄せると、今まで強気な態度を見せていた華雄の表情が僅かに引き
攣った。しかし、ブラッドは気にすることなく無遠慮に華雄の体を弄る。雪蓮には及ばないが水準
より大き目の胸を捏ねるように揉みしだく。そして、空いている手は華雄の下腹部に伸び執拗に弄
くる。
「はぅ…な、何だ、この感覚は?」
初めての感覚に華雄の口から熱い吐息が漏れる。北方出身の華雄の白い肌が桜色に染まり、戦場と
は別人のようなしおらしい態度を見せる。全身がしっとりと汗ばみ、熱を帯びてくる。ブラッドの
成すがままにされても抵抗する意識も薄まり、自然と体を開いてしまった。
「はぁん…。か、体が…くぅ…痺れるような疼くような。あぁん。こ、こんな感覚は初めてだ」
「良い反応だ。痛いかもしれんが我慢しろ」
有無を言わさぬブラッドの一突きが華雄を貫いた。


 そこから先の華雄の記憶は曖昧だった。全身の気だるさと下腹部に残る鈍痛が、自分が何をされ
たかを如実に物語っているが、決して不快ではない。寧ろ、初めて経験する安らいだ時間だったよ
うな気がする。
はっきりとしない視線の先では、自分に初めての感覚を植え付けた張本人であるブラッドが背を
向けて誰かと話をしていた。全くの無防備で、今なら武器さえあれば子供でも殺せそうだが、既に
華雄にその意思は無かった。

「彼女はどうするんですか?」
「使えそうだし、持って帰る」
「そうですか。彼女は、冥琳さんの話では正面突破型の武将としてはかなり優秀な部類とのこと
ですから、雪蓮さんの代役として使えると思うのですが…」
クーのその後の言葉を飲み込んだ。華雄は孫策軍に必要な人材にマッチしているが、過去に孫家と
因縁があったらしい。華雄の激しやすい性格では、素直に雪蓮の配下に就くとは考え難い。
「彼女自身がどう思うか、直接聞いてみましょう」
「何?」
不意にブラッドの会話の相手のクーの視線が向けられ、華雄の意識も次第にはっきりしてきた。
「…物の怪か?」
華雄は普通の人間とは違う容姿のクーを見ても、ブラッドとの遣り取りを見ていたためか驚かず
すんなり受け入れてしまった。

「物の怪がどういう類のものかは分かりませんが、人間でない事は確かです。初めまして、ご主人
様の執事をしておりますクーと申します。以後、宜しくお願いします」
「あ、あぁ、私は華雄だ」
丁寧かつ礼儀正しいクーの態度に釣られて華雄も素で返す。微妙な雰囲気が漂いどう対処していい
か分からず場が固まりそうになったが、ブラッドの声で現実に戻された。
「これから城に戻る。お前もついて来い」
「城に? 私に孫策に下れと言うのか?」
「それはお前が決めろ。孫呉とは利害関係が一致しているが、俺は孫策の配下ではない」
「……」
脳筋を活用して考える。これまでの態度から、ブラッドが孫策と主従関係にない事は分かる。寧ろ
対等な関係に見える。華雄を自分の獲物と言いながら、華雄が孫策配下になる事は厭わない。華雄
はブラッドの真意を測りかねていた。

「あなたの同僚だった張遼は今や曹操の配下です。このご時勢、敵が味方になるのは珍しい事では
ありません。行動に著しく義を欠くものでなければ、主を代えても何ら非難される事はありません」
「……」
クーの言葉を、華雄は頭の中で反芻している。武人にとって、活躍の場を奪われる事ほど辛い事は
ない。董卓(月)の消息も不明で、このまま在野に埋もれるのは本望ではない。孫家との確執は
あるが、雪蓮達に個人的な恨みは無いし、有望な勢力である。
「汜水関でお前に言ったことは訂正しておこう。お前は武人としても、女としてもかなり良い線
いってるぞ」
「……」
悪びれず話すブラッドに華雄は呆れ顔だが、不思議と嫌悪感はあまり無かった。武を重んじる華雄
にとって、武で完敗した時点でブラッドに対する評価は変わっていた。何より一対一の戦いの場を
設定した事を、ブラッドが自分を武人して軽んじていないと思い見直していた。女にだらしなく
見えるのも強い男の甲斐性だと、かなり好意的に解釈した。

「分かった、同行しよう。武を極めんとする者にとって、お前は格好の教材だ。このまま見逃す手
は無い。それと、今後私の事は鏡花と呼べ」
「それがお前の真名か?」
「お前は私を認めてくれたように、私もお前を認めたということだ。真名を預けるのは当然だ」
ブラッドに対する敵愾心は既に無い。数時間前、自分を殺そうとした者とは思えない切り替えの速
さである。華雄の性格かもしれないが、以前思春を強引にモノにした時も似たような反応を示した
ことから、武人の性分なのだろうとブラッドは都合よく解釈した。
「そういうものか…。まぁ、配属に関してはあいつ等に任せるが、人手不足だし悪いようにはしな
いだろう」

 人事ような物言いのブラッドである。鏡花を城に連れ帰った時、雪蓮達がどんな反応を示すのか
何も考えていない。ただ、パワー系の武将が加入したことで孫呉の戦力がアップしたことは間違い
ない。



[8447] 第24話:パワーファイターVSスピードスター
Name: PUL◆69779c5b ID:8c8ce768
Date: 2011/03/13 15:31
第24話:パワーファイターVSスピードスター


 鏡花(華雄)をお持ち帰りしたブラッドは、呆れ顔の雪蓮に迎えられた。流石にブラッドの部屋
に泊めるわけにはいかず、鏡花は客室で一夜を過ごした。そして空けて朝、ブラッドは雪蓮達の前
に鏡花を伴って現れ、事の次第を説明した。
「話は分かったわ。彼女を我が陣営に引き入れたいって訳ね?」
「問題あるか?」
「うーん…」
雪蓮はブラッドの話を聞きながら思案顔である。
「私は賛成だ。我が軍に欠けている、力押しが出来る彼女の加入は大きい」
「それは分かってるわ」
慎重派で普段はブレーキ役の冥琳が珍しく乗り気だった。それだけ軍の抱える問題が深刻だったと
いえる。しかし雪蓮は気の無い返事である。

「孫家との因縁か? それについては華雄自身が拘らないと言っているのだから、問題ないはずだ」
「それも分かってるわ。そういう事じゃなくて、もっと実務的なことよ」
「実務的? あ、あぁ、なるほど。済まん、失念していた」
雪蓮の言葉に冥琳ははっとした表情を見せ、苦笑いを浮かべた。雪蓮が何を考えているか分かった
ようだ。鏡花を登用するにあたり、二つ程問題があった。一つは、指揮系統に関する実務的な問題
である。
「よし、決めた! 華雄、私達はあなたを歓迎するわ。あなたを孫呉の“将兵”として、正式に登
用します」
「え? だが、私はブラッド付の武官で…」
将軍としての登用はかなりの厚遇だが、鏡花は戸惑った表情を見せた。鏡花が求めていたのは地位
ではなかった。
「今後、あなたには重要な任務についてもらうこともあるわ。その場合、ブラッド付の武官より呉
の将兵として動いてもらう方が都合が良いのよ」
華雄の言葉を遮って、雪蓮が理由を説明した。圧倒的な武を持つが故に兵が付いていけず単独で
しか行動出来ないブラッドと違い、兵を率いることが出来る鏡花はブラッドより使い勝手がいい。
武人としても有能だが、将として部隊を率いる方がより効果がある。鏡花自身がブラッド付の武官
を希望しても、それに応える事は出来ない。

「それで良いんじゃないか?」
「ブ、ブラッド?」
「お前も自分の武を振るう場所が欲しいだろ?」
「それは、そうだが…」
鏡花は何か言いたそうに口籠った。雪蓮が提示した待遇に不満は無い。ただ、今や武人以外の
方面でも自分を高めたいと思っていた鏡花にとって、自分を変えた原因であるブラッドの発言は
やや無責任に聞こえた。しかし、そんな鏡花の心情も知らずブラッドはサラっと重要な台詞を吐いた。
「お前が孫呉の将になっても俺との関係は変わらんが、推薦した手前、結果は残して貰わうぞ」
「そ、そうだな、公務と私事は切り離して考えるべきだな!」
沈んでいた鏡花の表情がぱっと明るくなった。ブラッドの発言は聞きようによっては公では孫呉の
将だが、私(わたくし)では自分の所有物のままである、と解釈できる。自分の武を振るう場を得
て、尚且つブラッドとの関係も維持できる。鏡花は素直に雪蓮に感謝の意を伝えた。

「孫策殿。貴殿の申し出、謹んでお受けする。ただし、真名を預けるのは戦果を挙げるまで待って
欲しい」
「えぇ、期待してるわよ」
取り合えず丸く収まって、雪蓮はほっとした表情を見せた。ブラッドと鏡花の遣り取りから、二人
に何があったのか想像に難くない。現在、他陣営に対する優位性を誇示するため天の御遣いの血を
孫呉に入れる施策を実行中である。当然、孫呉以外に天の御遣いの血が受け継がれる事は避けなけ
ればならない。鏡花をブラッド付の客将として扱うことは出来ない。結局、雪蓮にとって鏡花を
配下に組み入れる以外の選択肢は無かったのである。鏡花が納得して受け入れた事に雪蓮はほっと
していた。

 しかし、この人事に納得していない者が少なからずいた。早速、蓮華が鏡花の登用に異を唱えた。
「姉様、本当にこの者を登用するおつもりですか? この者は汜水関ではブラッドの挑発にあっさ
り乗って結果的に敗走するなど、自制心に欠ける面があります。自分の武に自信を持っているよう
ですが、突出して連携を乱せば我が軍は多大な損失を被ることになります」
乙女度が上がっても、蓮華の生来の生真面目な性格は変わっていない。軍の中核を担う慎重派の立
場として、鏡花の登用に疑問があるようだ。

「華雄の武は冥琳も認めてるわ.。それに蓮華は居なかったから知らないんでしょうけど、あの時の
ブラッドの挑発はそれはもう最低だったのよ。華雄を武人としても女としても貶める発言だったん
だから」
汜水関での一件を思い出し、雪蓮は苦笑いを浮かべた。実際、ブラッドの発言は味方からも顰蹙を
買う酷いものだった。共同戦線を張った劉備陣営の愛紗や朱里達から警戒され、雪蓮もこのまま
ブラッドを手元に置いていいものか迷ったくらいである。尤も、その後の活躍(夜の仕事を含む)
を考えれば、今ブラッドを手放す事は絶対にありえない。
「それにさ、華雄を認めないという事は彼女を連れて来たブラッドの目を信用しないって事になる
わよ?」
「そ、それとこれは違います! ブラッドの事は信用してます」
雪蓮の少し意地悪な物言いに、蓮華は慌てて言い繕うと横目でブラッドの様子を窺った。
「いきなり仲良くしろと言われても直ぐには無理だろう。ただ、こいつは武人としても女としても
かなり良いぞ」
「えぇぇっ!?」
「主、こんなところで…」
ブラッドの余計な一言に、女性陣は激しく動揺した。鏡花は一人恥ずかしそうに頬を赤らめ、他の
女性陣は大きく分けて三つの反応を示している。
「あらら…。ここで言う台詞じゃないわね」
「歯に衣着せぬ物言いは嫌いではないが、状況が分かってないな」
「相変わらずじゃのう」
「ブラッドさんは、私達の知らない華雄さんを知ってるんですね?」
雪蓮、冥琳、祭、穏の巨乳カルテットは、苦笑いを浮かべながらも総じて好意的である。
「はわわ、ブラッド様と華雄殿があんな事やこんな事を…」
「あぅ…」
明命、亞莎の純情小動物系コンビは自分の体験を思い出して頭から湯気を出しているが、華雄に対
する嫌悪感は無さそうである。

 一方、純情でも堅物である蓮華と思春の反応は厳しいものがあった。
「へ、へぇ…。ブ、ブラッドがそんな事を…」
「ブラッドが認めた武か…。是非、確かめてみたいな。雪蓮様、私に華雄殿との仕合、許可願います」
蓮華は平静装いながらブラッドと鏡花に厳しい視線を向け、思春は対抗心を露にして仕合を申し出
た。ブラッドが鏡花を女としても見直した事は意図的にスルーして、武に関してのみ着目している。

「そんなに急くものじゃないわ。華雄、思春はあぁ言ってるけど大丈夫?」
「問題無い。私の“それなり”の武がどれ程のものか、理解してもらえるなら結構なことだ」
鏡花はニヤリと不敵な笑みを浮かべ思春の申し出を受け入れた。蓮華の挑発に乗っかった形になる
が、武人として引き下がるわけにはいかないようだ。ブラッドに圧倒され多少は丸くなったが、
鏡花も自分の武に対する誇りは失っていない。

「華雄が問題無いって言うなら、構わないわね? このままでは皆も納得いかないみたいだし
実力を見せるのが一番分かりやすいわね。良い機会だから、思春以外に華雄と仕合したいって子は
いるかしら?」
「雪蓮様!?」
「だって、最近思春ばかり美味しいとこ持ってってるじゃない。他の子にも機会は均等にしないと
不公平よ」
「うぐ…。わ、分かりました」
思春も自分が他の女の子より積極的にブラッドにアピールしている事は分かっていたようで、雪蓮
の言葉に渋々従った。

「それで、誰か華雄と仕合したい娘は居ない?」
「じゃ、じゃあ、私が…」
遠慮がちに手を上げたのは明命だった。思春と同じ親衛隊長に身を置き、孫呉最強工作員で実力も
引けを取らないが任務の性格上、地味な印象が付きまとっている。
「女では華雄殿に適いませんが、武においては私もこれまで積み重ねてきたものがあります。董卓
軍の一翼を担った華雄殿にどれほど通用するか、試したく思います」
引き締まった武人の顔で答える。謙遜はしているが、明命も自分の武に自信を持っているようだ。
「良い顔ね。華雄、異存は無い?」
「私は自分の武を披露するだけだ。相手は誰でも構わん」
既に戦闘モードに入っている鏡花も、自信に満ちた表情で即答した。


 ブラッド達は鍛錬場に移動した。明命と鏡花は中央で対峙し、雪蓮が両者の間に立っている。
ブラッド達は周りを取り囲むように状況を注視していた。
「では、これより孫伯符立会いの下、周泰と華雄の仕合を執り行う」
普段より真面目な雰囲気の雪蓮の声で、次第に緊張が高まってくる。明命と鏡花は既に本気モード
で互いの様子を窺っている。

「今回は、華雄の武を皆に手っ取り早く理解して貰うためこのような場を設けたけど、両者存分に
やって頂戴。実戦形式で行うけど怪我したら困るので、大勢が決したところでで止めるわ。それは
了承してね」
「分かりました」
「心得た」
真剣勝負を望むが、あくまで鏡花の能力を披露する場なのでやりすぎは禁物である。また、雪蓮に
は少し気がかりな点もあった。
「華雄、あなたは昨日ブラッドと一戦交えたみたいだけど、大丈夫よね?」
多少腰が重たい感じがするが、私は速さで勝負する武人ではないので問題ない」
「…そう。ならいいわ」
雪蓮は軽く受け流したが、鏡花の言葉に心中穏やかでない者も若干居るようだ。雪蓮も個人的に
あまり評価の高くない鏡花の真の実力を見極めたいので、多少の波紋は無視した。

 蓮華が自然な動きでブラッドの横を確保し、その逆サイドをいつの間にか思春が陣取っていた。
「速さの明命対力の華雄。中々興味深い対戦ね」
「そうですね。呉の親衛隊長として負けるわけにはいかんが、華雄があっさりやられるようだと
新戦力としては使えません」
ブラッドを挟んで蓮華と思春が展望を予想する。思春は武人として鏡花との力の差を見せつけて
アピールしたかったところだが、それが適わない今は同僚の応援に回っている。武を振るえない
のは残念だが、代わりにブラッドに寄り添って蓮華と供に女をアピールしている。

「明命の強さは知ってるけど、華雄はどうなのかしら?」
恋する乙女になっても武人としての資質は残っている。仕合のことが気になり、蓮華はブラッドに
華雄のことについて質問した。少しくっつきすぎではあるが…。
「呂布ほどではないが中々のパワーだ。あのバトルアックスをまともに食らったら、人間なら即死
だろう」
「えっと、何か良く分からない単語が混じってるけど、強いって事?」
「弱くはない。一発の破壊力は鏡花の方が上だから、当たれば鏡花の勝ち、躱し続ければ明命の
勝ちだ」

「なるほど。分かりやすいわね」
「華雄さんも董卓軍では屈指の武将だったわけですから、明命も良い経験になると思いますよ」
不意にブラッドの背中に巨大な軟らかい物が押し付けられ、首に腕が巻きついてきた。穏がブラッドに
自慢のバストを押し付けるようにしな垂れかかってきた。
「…相変わらず充実しているな」
ブラッドは振り向かずに返事をする。竜の巣で慣れているので動揺もしないが、両サイドに陣取っ
ている蓮華と思春には効果があった。
「さすがに武では適いませんが、女では私も良い線いってると思うんですけど?」
良い線どころか最有力である。控えめな物言いが自信の大きさを物語っており、蓮華達から刺す
ような視線を向けられても一向に動じる気配は無い。
「穏、ここは鍛錬場だ。場所を弁えろ」
「そ、そうよ。こんなところで不謹慎だわ」
蓮華と思春は自分の事を棚に上げて穏を非難しているが、あまり効果は無さそうだ。
「そろそろ始まるぞ。お喋りはここまでだ」
「はーい♪」
「う、うむ」
段々鬱陶しくなったブラッドが割って入って話を打ち切った。鍛錬場で蓮華達に(公然の)秘密の
特訓も指導しているブラッドに言われると、蓮華達も言い返すことが出来なかった。

 ブラッドを囲んだ遣り取りは、周囲の者達にも筒抜けで、少し離れたところで見ていた冥琳も
呆れ顔である。
「何をやっているのだ、あいつ等は?」
「ふふ…。微笑ましくて良いではないか。亞莎、お主は行かんのか?」
「えぇ!? わ、私は…。み、明命が頑張ってるのに、私だけが行くわけにはいきません」
祭にからかわれると、横目でチラチラとブラッドの様子を窺っていた亞莎は赤らんでいた頬を一層
赤らめてあたふたしだした。親友のことを気に掛けながらも行くべきか葛藤している様が微笑ましい。

 周囲の喧騒を余所に、鏡花と明命の集中は高まって雪蓮の合図を待っている。
「始め!」
雪蓮の声が響き、両者の緊張が一気に高まった。それは周囲にも伝わり、蓮華達も少し緊張した面
持ちで両者の動きを観察している。
「はぁっ!」
鏡花が先に仕掛けた。金剛爆斧が轟音をあげ明命に襲い掛かる。しかし、明命は余裕を持ってそれ
を躱す。鏡花は更に攻撃を続けるが、風で明命の長い髪が舞うだけで掠る事さえ出来なかった。
「流石に速いな。こうもあっさり躱されるとは思わなかった」
「速さが私の持ち味ですから。華雄殿の剛剣を一発でもまともに受けてしまったら、折角の仕合が
終わってしまいます」
お互い挨拶程度の攻防で、表情にも余裕がある。しかし、相手の技量が自分の予想以上だった事に
気持ちが高揚しているようだ。

「やぁーっ!」
今度は明命が仕掛けた。しかし、その動きは周囲の予想と少し違った。明命は鏡花の正面に飛び
込んで攻撃し始めた。
「何故だ? 真正面からの撃ち合いでは華雄の思う壺ではないか。もっと足を使え!」
明命の不可解な行動に、思春は訝しげな表情で声をあげた。それは他の者達も同じで、特に攻撃を
受けている鏡花は戸惑いを隠せず後手に回ってしまった。
「く…」
回転の速い明命の攻撃に、鏡花は防戦一方で中々反撃できない。しかし、表情に焦りは無くじっく
り様子を窺っているように見える。

「何か、お前が曹操軍と戦った時に似てるな」
曹操軍との一戦を思い出して、ブラッドが思春に声を掛けた。
「楽進との一戦の事か? あれは相手の手甲を破壊するという明確な意図があったが…。明命も何
か考えているというのか?」
「速さを生かして敵の側面や背後を突くのが明命の戦い方だし、多分華雄もそう予想してたはず
よね? 裏を斯いたって事?」
思春も蓮華も明命の意図が分からず、訝しげな表情を浮かべている。
「華雄さんの裏を斯いた訳ではないでしょうが、明命なりに考えがあっての事ですね」
「え? どういうこと?」
今まで呆けていた穏の目に少しだけ光が戻っている。他の女の子達に比べて表情はまだ緩いが、
これが軍師モードになった時の顔である。蓮華も穏のスイッチが切り替わったの分かったらしく
穏の説明を待っている。

「明命は自分の力を試したいんですよ。力押しが得意な華雄さん相手に正面で撃ち合ってどこまで
通用するか。でも、これで明命の突破力を測れますし、華雄さんも明命の速い攻撃を受けきれるか
どうかで、その能力を推し量れる事が出来ます」
「なるほど、明命がそこまで考えているとは…。失礼な言い方だが、少し意外だな」
同じ親衛隊長として明命の活躍が気になるのか、予想以上に思慮深い明命の行動に驚いている。
しかし、これは穏があっさり否定した。
「明命はそこまで考えてないと思いますよ。この仕合から推量できると、私が思っただけです」
目に見える情報を組み合わせて分析し、更に多くの情報を導き出す。のほほんとしているが、冥琳
の後継と目されているだけあって穏の洞察力は鋭く的確だった。
「そこまで判断できるのか。年中発情してる割にはたいしたものだ」
「えへ、もっと褒めてくださぁい♪」
ブラッドに褒められると、穏は満面に笑みを浮かべてべたべたくっ付いてきた。
「むぅ…」
穏の甘えっぷりに蓮華達は悔しそうな表情を浮かべているが、自分達では適わない慧眼を見せつけ
られては、おとなしく引き下がるしかなかった。

 場外で蓮華達が水面下で熱い主導権争いをしている間、鏡花と明命の攻防も次の局面を迎えていた。
これまで受けに徹していた鏡花が、明命の攻撃にタイミングを合わせて正面から押し返してきた。

ガキン!
「あっ…」
想定していなかった反発に虚を突かれたのか、明命はバランスを崩し一瞬棒立ちになってしまった。
攻守逆転し、鏡花が攻め込む。
「く…」
守勢に回ると軽量の明命には荷が重かった。速くはないが鏡花の重い攻撃は、確実に明命の体力を
削っていった。このままではジリ貧だと体勢を立て直そうと明命は大きく後退しようとした。しか
し、鏡花はこの機を逃さず一気に踏み込んで間合いを詰めた。

「はぁっ!」
ドカッ!

鏡花渾身の一撃が明命を襲った。明命はギリギリのところで魂切で受け止めたものの、後方に大き
く弾き飛ばされてしまった。幸い、大きく飛ばされたことで間合いが空き、鏡花が追撃を加える事
は無かった。しかし、鏡花の予想以上のパワーを見せ付けられ周囲にどよめきが起こった。
「明命が小柄で、更に衝撃を緩和するために後方に体を浮かせたにしても、あそこまで吹き飛ばす
とは想像以上だな」
「明命の速さに戸惑っておったようじゃが、後退せんかったのは評価できる。華雄め、中々やるのぅ」
「で、でも、あの華雄さんに正面から挑んだ明命も凄いです」
鏡花のパワーに冥琳と祭は一定の評価を下したが、亞莎はどうしても親友の擁護に回ってしまう。

 当事者である明命も、鏡花のパワーに驚いている。ただ、表情に焦りは無く寧ろ楽しそうに見える。
「びっくりしました。これでは迂闊に近付けませんね」
「私の力を試したつもりのようだが、仕合とは言え不用意に近付くと命取りになるぞ?」
言葉と裏腹に表情に余裕のある明命に対し、鏡花も不敵な笑みを返す。
「十分心得ています。お互いの実力もある程度分かったところですし、そろそろ別の事を試して…」
「はーい、それまで」
本気モードに入った明命が何か仕掛けようとした時、雪蓮が仕合を止めて両者に割って入った。
盛り上がってきたところに水を差された形の鏡花と明命は、怪訝な表情を見せた。

「何だ、もう終わりか?」
「えぇ、華雄の武も見れたし明命も自分の力は試せたはずだし十分よ。これ以上やると怪我人
下手すると死人がでることだってあるわ」
本調子じゃない華雄と余所行きの戦い方の明命では、決着が付いてもあまり意味が無い。明命が貴
重な戦力であるのは言うまでも無く、鏡花も十分な戦力になることが分かった以上、二人が本気に
なる前に止めるのは当然と言える。しかし、鏡花も明命も武人として釈然としない思いが残ってい
るようだ。
「言わんとする事は分かるが…」
「納得出来ないって顔ね。ねぇ、ブラッドからも何か言ってやって」
鏡花の姿勢は雪蓮にとっても好ましいものだが、今は自重してもらわなければならない。上官命令
と言えば従うだろうが、信頼関係が醸成される前の強制は避けたいところである。手っ取り早く納
得させるために、雪蓮は一番効果のある人物を利用した。

「あぁ? そうだな、今日は単なる顔見せだからこれくらいで良い。今後活躍する場は増えるし、
お前の能力は俺も認めている。焦る事は無い。明命も慣れない闘い方でよくやった。何か新しい事
をしようとしていたが、それは別の場で取っておけ」
「ブ、ブラッドがそう言うなら…仕方ないな」
「は、はい、分かりました」
ブラッドに諭され、両者ともあっさり引き下がる。ブラッドへの崇拝振りと、自分の武に対する
自信の表れでもあった。
「納得してくれたようね? まぁ、いきなり重要な任務には就けないから、蓮華もこれで納得しな
さい」
「…分かりました」
もう少しごねるかと思われたが、蓮華はあっさり引き下がった。ライバルが増えることに内心穏や
かでないが、鏡花の武が孫呉にとって有益であることも理解していた。

「華雄、あなたをどの部隊に組み込むか、適正を見極めた上で判断するわ。当面の任務については
一両日中に冥琳から報告させるから、それまでは待機してて」
「了解した」
蓮華達以外に異論を挟むものは無く、鏡花の加入が認められることになった。


 夜、雪蓮と冥琳は鏡花を組み入れた状況での戦略を模索していた。
「いいもの見せてもらったわ。本音を言うとあまり期待してなかったんだけど、ブラッドが連れて
来た手前どうしようかと思ってたのよ」
やはり、雪蓮は鏡花をあまり評価していなかったらしい。戦局を天性の感で的確に見抜く観察眼を
持ちながら、珍しく読み違えた事に雪蓮は苦笑いを浮かべている。逆に論理的な思考で雪蓮を上回
る能力を持つ冥琳は、当然だと言いたげに余裕の笑みを浮かべている。

「天才にとって、凡人の能力は分かり辛いようだな。華雄は血気に逸って突出するきらいがあるが、
そこを上手く制御できればかなり有能な武将だ。何より、これまで我が軍にいなかった力押しが出
来る武将の加入は大きい。思春達の速さも活かせる」
力押しが出来るので、逆に攻め込まれたとき拠点となって敵の攻めを受け止め、更に押し返すこと
も出来る。違うタイプの攻撃ユニットの加入で攻撃のバリエーションが増えたことに、冥琳の表情
は生き生きしている。ただ、自分の事も董卓軍の一翼を担っていた武将を凡人と判断するあたり、
冥琳も自分の能力は把握しきれていないようだ。

「まぁ、華雄の加入で我が軍の弱点が補えるのなら結構なことよ。それに、明命の隠れたな一面も
見られて良かったわ」
「明命も武人だったという事だ」
冥琳も、鏡花の一撃で明命の雰囲気が変わった事を察知していた。工作員として高く評価されてい
るものの、見た目の可愛らしさからマスコット的な扱いになっているが内に秘めた闘志は他の者達
と変わらなかった。不測の事態を心配した雪蓮に止められたが、明命の気概は十分に伝わっていた。
「思春なんか特に刺激を受けたんじゃないかしら? 色んな意味で」
同じ親衛隊で戦い方も似通っている思春にとって、明命は直接のライバルである。これまでの明命
との鍛錬では思春に分があったが、今回の明命のパフォーマンスで実力が拮抗していることがはっ
きりした。加えて、ブラッドに対するアピールでも明命が大きくポイントを稼いだ事は確実である。
「これを機に、皆がこれまで以上に切磋琢磨するのであれば結構なことだ。私も…」

言い掛けて言葉を飲み込んだが、冥琳はすぐにミスに気付いた。雪蓮が見逃すはずは無く、獲物を
狙う肉食獣のような目でにじり寄ってきた。
「あらぁ? 私も、何なのかな?」
「…言ってる意味が分からん。有能な武将の追加とそれに伴う各部将達の底上げが期待できるので、
私も彼女達の能力を最大限発揮できるように策を献上しようと言っているだけだ」
「それだけなら、どうして言葉を飲み込んだのかしら? つまり、頑張る理由がもう一つあるって
事じゃないの?」

「お前がこうやって邪推するのが分かっていたからだ。現に絡んでいるしな。確かにブラッドは
他を圧倒する武を持ち、従者であるクーは私達とは違う発想で街の発展に貢献してくれている。
お前が天の御遣いに祀り上げたお陰で領民は彼を敬い、治安維持、発展に寄与している。戦闘に於
いてはブラッドの戦いぶりを間近に見て兵の士気は高まり、一部の武官、文官に至ってはブラッド
の目を気にして今まで以上に鍛錬に励んでいる者も居るようだが、私がブラッドの目を気にして策
を講じているわけではない。知的好奇心を擽られる素材ではあるが、それ以上のものではない」

「…そ、そうね。あなたには感謝してるわ」
冥琳はやや憮然とした表情で雪蓮を睨みつけながら、居直ってブラッドに対する個人的見解を披露
した。的確な評価だが、冥琳が他の女の子と同じかそれ以上にブラッドをよく観察していた証拠で
ある。知的好奇心以外にも色々擽られたのではと突っ込みたいところだが、冥琳の目が据わってい
て気圧されたのか反論せずあっさり引き下がる雪蓮だった。




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