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[7428] 汝は悪魔なりや? ―Pandemonium Online―【VRMMO/デスゲーム】
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/04/24 21:14
初めまして。
arcadiaに初投稿いたします、長瀞椛と申します。

作品の性質上、まずは注意書きを。
この作品のジャンルとしては「VRMMO+デスゲーム」という感じなので、色々とショッキングな描写・場面や、精神的にキツい展開とか含まれます。ので、そういうのが苦手、という方にはオススメできません。
他の部分で人を選ぶ要素がある場合は、一応その話の初回投下のタイトルの横に話中に含まれる要素を記載いたします。が、一応事前に断っておきますと「全体として見て、全く意味がない話」というのは書きません(多分)。

また、感想・批評・突っ込みは歓迎いたしますが、展開予想系は心の中で留めておいていただけるとありがたいです。

【追伸/3月17日】
ようやっとある意味最大の懸念事項だったタイトルがつきました。
メインタイトルの元ネタとなっているのは、デスゲームのルールのモデルの一つとなっているテーブルゲームから拝借させていただきました。
サブタイトルはすごく……そのまんまです……。
とりあえずタイトルつけておこうぜ、という感じなので、もしかしたら後々に微妙に変わるかもしれませんがご了承ください。
あと、タイトルに習作であることも付け加えました。度々申し訳ない。

【追伸/3月18日】
第2話(2)の致命的なレベルの脱字に気がついたので修正。

【追伸/3月26日】
管理人様、お引越しのほうお疲れ様です。
投下ついでにプロローグと第2話(4)に修正。ちょっとこれからも、設定大幅修正とかあるかもしれません。

【追伸/3月31日】
第4話(1)に修正。細かいところですが。
あと、感想のほうで意見が出ていたオリジナル板移行についてですが、中途半端なところで移行するのもあれなので、第4話の投下終了時に移行を行ないたく存じます。ご了承ください。

【追伸/4月2日】
3月31日の追伸通り、第4話の投下が終わったのでオリジナル板へと移行させていただきました。これからはこちらで連載をさせていただきます。チラシの裏から継続して読んでくださっている方も、初めての方もよろしくお願いします。

【追伸/4月3日】
第5話はTS要素を多分に含みます。
この手のジャンルが苦手な方には申し訳ないですが、これからの展開とか色々と考えると入れざるを得なかったというか。
た、単に「ギャグメインの話が書きたくなった」という理由でやらかした訳ではないんですよ!?

【追伸/4月6日】
ToLOVEるが小学生も読む雑誌で連載できているんだから、お風呂くらいならまだ、年齢制限とか設定しなくてもセーフですよね?

【追伸/4月7日】
感想掲示板で指摘されていた誤字脱字修正完了。
「取引すると相手に名前ばれる」仕様について、作者本人は説明していたつもりでいながら実際はしていなかったことが発覚したので、第5話(4)に追加完了。
誤字脱字を教えてくださいました歩さん、問題点をご指摘してくださったでせるさん、ありがとうございました。

【追伸/4月10日】
ちょっと忙しい&プロット見直し中なので執筆速度がまちまちになりそうです。

【追伸/4月11日】
昨日投下分の誤字は、忘れそうだったので寝る前に修正しました。
誤字脱字を指摘してくださいましたjannquさん、ありがとうございました。

【追伸/4月24日】
管理人様、復旧お疲れ様です。
でも、仕事で疲れているときはあまり無理せずご自愛ください……。



[7428] プロローグ
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/03/26 22:25
 地面を強く蹴り、前へと。ただ前へと突き進む。
 そうやって……現実のモノとは違う“作り物”の森の中を、僕は駆け抜ける。
 この仮想現実の森は、よくできている。都会のプレイヤーならこの造詣だけで本物の森の中にいると錯覚してしまうだろう。
 でも僕は、東北地方の田舎に住んでいたから、こういった自然は見慣れている。それ故に、この3Dオブジェクトとその表面に貼り付けられたテクスチャで構成された森に違和感を感じていた。
 本物の森というのは、無音ではなく……木々がざわめくし、鳥や虫の鳴き声がたくさん聞こえてくる。
 何より、この森からは……草の匂いがしない。
 それでも、造詣は素晴らしいものだ。スクリーンショットだけを見れば、どこかの森の写真と勘違いしてしまうほどに。
 しかし、その美しい光景を味わう余裕などは……なかった。
 僕は追われている。子熊をモデルにしたにもかかわらず、大きさだけは大人の熊並という――ある種、歪な姿をしたモンスターに。
「くっ……」
 肩越しにその姿を睨みつける。
 可愛らしくデフォルメされたそれは、僕にとっては文字通りの死を齎す、死神だ。
 ――HPを0にされたら、死ぬ。
 そんな忌々しいデスゲームに巻き込まれた状況でなければ、可愛いと思えたかも知れない。しかしそんな意匠も、こんな状況では不気味なものにすら見える。
「このっ!」
 苛立ちながらも、MPを回復する飲み物アイテムを飲み干し、その空き瓶をぶつけるが。怯む様子すらない。
 相手は足は比較的速いが、攻撃スピードそのものは遅く、命中率も低く設定されている。防御力・HPが高いのは当然のこと、攻撃力はこのあたりのモンスターでは最強。軽い攻撃でも、当たれば致命傷になりかねない。特に横薙ぎの攻撃は、後衛職のHPなど一瞬にして奪いかねない威力がある。
 こういった相手は……硬いVIT型の前衛が守り、それ以外のプレイヤーで攻撃するのが理想なのだろう。
 少なくとも。遠距離からの攻撃に特化した職業であるハンターが、一矢撃っては距離を離すという、ヒットアンドアウェイ戦法でどうにかするというのは……かなり無茶な攻略法だと、自分でも思う。
 ――他のプレイヤーとパーティを組めれば、どれだけ楽か。
 心の中でそう毒付きながらも、僕は走り続ける。
 モンスターは乱暴に腕を振り回しているが、あの程度の軽い攻撃では隙が小さすぎる。狙うなら……もっと重い一撃を空振った瞬間だ。
 ――でもこのままただ走るだけでは埒が明かない。
「あんまり時間もかけていられないし、ね……!?」
 一気に決着をつける。頭をそう切り替えれば、やることは決まっていた。
 軽く跳躍し、木の幹を蹴ってその勢いを利用し、加速していく。
「ガァッ!」
 少しずつとはいえ距離が開いていくことに、いよいよ痺れを切らしたのか――モンスターのモーションが一撃必殺の、横薙ぎ攻撃のものになる。
「今だ……!」
 ――それこそが待ちわびた、僕にとっての絶好の好機!
 自分がいた場所の後ろにあった木を数本薙ぎ倒したその一撃を、僕は――足元の地面を抉るほどの力で跳躍して、回避した。
 ――弓手系基本職……アーチャーのスキルの中でも基礎となる、離脱の応用だ。普通は水平に跳躍するが、それと同じ要領で垂直に跳ぶこともできる。一種の裏技、と言っていいだろう。
 僕はそのまま。自由落下に身を任せながら、威力が強く射程が長いロングボウタイプの装備から、射程が短い代わりに使いやすいクロスボウタイプの武器に装備を交換する。
 ――装備の交換といっても実際に、武器をどこからか取り出して取り替えるわけではない。エフェクトと共に切り替わる、と言ってもいいだろう。
 武器の姿がクロスボウに変化した時。空中から落下しながらもそれを構えて……その引き金を引く。
 大きな攻撃は当たれば絶大だが、外せばモーションの硬直時間も含めて致命的な隙を生む。そこからのカウンターを回避することなど――モンスターでもプレイヤーでも、できやしない。
 放たれた矢が、熊型モンスターの額を貫いた瞬間。“Critical Hit!”の文字が躍る。
 そしてモンスターの体は光に包まれ、それを構成していたポリゴンが崩壊していき……やがて完全に消え去っていく。
「……ふう」
 周囲に他のモンスターがいないのを確認してから、溜息を吐きながらアイテムウィンドウを開き、戦利品のチェックを行なう。
 ――めぼしいものは殆どない。そろそろ、この狩場から移動したほうがいいのだろうか。
 そんなことを考えていた時だった。
「いたぞ!」
「この辺で狩りをしているって情報は当たりだったか!」
 後ろから、他のプレイヤーたちが騒ぐ声が聞こえてきたのは。
 背後を見れば、僕なんかとは比べ物にならない高価な装備に身を包んだ一団が、こちらへと向かって来ている。
 というか、彼らが普通なのだ。このあたりのモンスターは、このくらいの装備をしていないとかなりキツい。
 僕の装備は、街のNPC商人から買える弓。初期装備同然の防具。これで一杯一杯だ。弓手系の装備はほとんどが職人作成かレアドロップだが、レアドロップなど滅多にあるものじゃないし、プレイヤー職人に頼むのは……“別の意味で危険”すぎた。
 といっても、彼らが狙っているのはモンスターではない。彼らが殺そうとしているのは……。
「“魔王”ユーリだ! 早く囲め、逃げられるぞ!」
 ユーリというのは僕の、この世界においての名前。
 彼らは、僕を殺そうとしている。
 いや彼らだけじゃない。このゲームにおいてかなりの人数のプレイヤーが、僕の命を狙っている――。
「相手は……戦士系が3、術師が2、僧侶が1……。盗賊系、弓手系はいないか」
 敵の魔法の射程に入る前に、相手の陣営を確認する。
 射程、足の速さ共にこちらに分がある。しかし一度懐に入り込まれたら勝ち目はない。
 術者が1人なら攻撃魔法の詠唱を阻害しつつ前衛の足止め、というのも考えられる。
 しかし術者が2人もいる上、僧侶までいるのだ。僧侶の呪文の中には、他のプレイヤーの行動速度や詠唱速度を向上させるものがある。
「これは……マトモに相手してられないな」
 僕の脳裏に、一つの格言が浮かぶ。
 ――三十六計、逃げるに如かず。
 実際問題、勝てない戦いをするわけにはいかないのだ。不利な相手と戦うことは、自分の死に直結する。
 転送石系のアイテムは持っていない。その手の道具や魔法の転送先は最寄の街の、指定された場所……その殆どが中心部だ。それを使うのはまずい。
 ――街に、それも人が集まる中心エリアに入るのは“自殺行為”なのだから。
 故に。僕にできることは、たった一つ。
「……ごめんなさいっ!」
 残っていたMPを全て、離脱スキルや俊足化スキルにつぎ込んで。その場から逃げ出すことだけ。
 無論彼らはその後を追ってくるけれど、こっちだって必死だ。
 弓の攻撃力と命中に関わるDEXと、回避や俊敏性に関わるAGIにだけボーナスポイントを突っ込み、真っ先にカンストさせるくらいに必死なんだ。
 そんな他を捨てた完全特化の割り振り方をしているのに、鎧を着込んだ戦士や、足が遅い術師や僧侶に追いつかれて溜まるものか。捕まえたいなら盗賊系か足の速い弓手系でも連れて来いという話だ。
 ――それでもまあ、逃げるけど。

「……もう、誰もいない……かな?」
 MPが尽きたところで念入りに周囲を見て、誰もいないことを確認したところで……途端に疲れがどっと来て、その場に座り込む。
 まるで“本物の”ように……心臓がばくばくと脈打っている。その鼓動を確認することで、僕がまだ生きているということを実感する。今の体はデータで構成された紛い物で、本物の僕の体ではないというのに。
 やがて心臓の鼓動が落ち着いたところで……僕は唇を強く噛む。
「どうして、こんなことにっ……」
 プレイヤー総数100万人を謡う、国内最大規模のヴァーチャルリアリティMMORPG・パンデモニウム。それが今僕たちがいるこの世界の、あるべき“本来の姿”だ。
 しかしこの世界は大きく歪められている。正体不明の、悪意ある魔女アスタロトによって。
 彼女はこの世界を書き換えて、ログインしていたプレイヤー、総数66万6666人を閉じ込めるための檻と化した。
 そして僕は、いや、僕たちは――この世界から現実に逃げ出そうとするプレイヤーたちから、その命を狙われている。
 モンスターを狩りつつ、数十万人の殺し屋から逃亡しながら今日で一ヶ月。
 ――それでも僕は、何とかこうして、今のところは生き延びている。



[7428] 第1話(1)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/03/16 00:21
 相手をやり過ごしたのを入念に確認し、僅かな休憩を取った後……僕は真っ直ぐに、ここ暫く拠点としている泉へと向かう。
 泉にはは上から滝として水が流れてくるが、不思議なことに上から流れてきたはずの水は川として流れていかず、その場に留まっている。滝がどこから流れてきているのか、許容量を超えて溢れるはずの水は何処に行ったのか。最初見た時は不思議に思ったけれど、特に何もないようなので、おそらく細かい理由とか設定とかは存在せず……マップ製作者がこのような景観を作りたかっただけなんだろう、という結論に達した。となれば、現実の物理法則とかそういうものは持ち出すだけ野暮というものだろう。
 森の奥にあるそこは、この周辺を狩場にしているプレイヤーも知らない……と思われる。別にこれといった根拠や証拠があるわけではなく、単に誰かが知っていたならば既に襲撃を受けているだろう、という単純な話なのだけど。
 人間だけでなく、アクティブモンスターの気配もないことを一通り確認し、徐に革鎧を脱ぎ、服を脱ぐ。
 汗で濡れた服がまとわりついてくる感触が、気持ち悪い。
「何も、汗の感触とかその辺まで再現しなくてもいいのに……」
 その癖に、脱いだ服の汗や水分は瞬時に蒸発するとか、生理現象も再現されているものがあったりなかったりとまちまちで、よくわからない。まあ、余計な手間が省けるのは逃亡者である僕にとっては有難いけれど……。
 服を全て脱ぎ終えたところで、胸に手を当てる。
 ――ちょうど鎖骨と鎖骨の間くらいに、それはあった。
 夜の闇のように黒い……内側から緑色の光を湛えている宝石。緑光はまるで、僕の心臓の鼓動にあわせるかのごとく揺らめいている。
 この宝石こそが、僕が無数のプレイヤーから狙われる理由……理不尽な呪いを証明するものだった。
「何で……僕が選ばれたんだろう」
 溜息を吐きながら、僕は足をゆっくりと、泉の水に浸していく。
「んっ……」
 水温の冷たさに思わず、顔を顰める。これもまた、現実の水と同じくらいに冷たい――そう感じさせるようにできている。
 物の温度が再現されているのは、ある程度仕方ないところがある。極端な例だが、滾るマグマが吹き出るダンジョンの中が暑くなかったら、それはそれで拍子抜けするだろう。
 ――あくまでゲームである以上それらしくは調整されてはいるし、例に出したマグマなんかは実際に触れることはできない接触不可能オブジェクトに設定されているとのことだけど。
 足が冷たさに慣れてきたところで、泉の奥に位置する滝へと歩き……それをシャワー代わりにしながら、色々とこれまでのことを振り返る。
 きっかけは……そう。もう戻れるかどうかも怪しい、現実の世界の学校での、いつもと大して変わらない会話だった。

「知ってる? ネット用の新しい回線、この辺にも通るんだって」
 現実世界の僕――設楽夕樹が通っていたのは、本校との統合も検討中だという話もある、県立高校の分校。
 校舎は……流石に、この時代に木造ということはないけれど、それでもかなりボロボロで。冬場は県内でも街にある学校ならヒーターなんだろうけれど、うちでは未だに石油ストーブなんてものを使っている。
 クラスは1学年に一つだけ。クラスメートは小学校から見知った顔。外から好き好んで入ってくる生徒はいない。お陰さまで、受験戦争とは無縁。完全フリーパスと言ってもいいだろう。
 そんな学校の、2年用教室の中で――朝のHR前、先生を待つひと時に、学校一のノンジャンル情報通・高橋みなもが持ち出した話題。
 それが“全て”の始まりだった。
「回線? それがどうしたんだよ」
 携帯電話を弄っていた、みなもと並ぶクラスのかしまし要員・早沢健太が、顔を上げてみなもの方に視線を向ける。
「ふふ……ヴァーチャルリアリティのネトゲが実用化された結果、我々が世間の時流から隔絶され……。
 掲示板では【未だに旧式のネトゲやってる奴らって何なの? バカなの? 死ぬの?】だの【クソ回線しかないど田舎の負け組土人乙wwww てめえらは指咥えながらプレイ動画見て羨ましがってろwwww】だの辛酸を舐めさせられ怒りと嫉妬と屈辱に身を震わすこと苦節3年。
 それもとうとう終わり……ってこと。これでできるようになるわよ、ヴァーチャルリアリティのネット接続」
「マジで!?」
「え、本当? 江戸時代から文明開化するくらいのデカい話じゃん」
 教室にいたほぼ全員が即座に反応した。
 ヴァーチャルリアリティ技術そのものは、僕らが小学校の頃に実用化されているし、スタンドアロン用のヴァーチャルリアリティゲーム機は、僕らの世代なら殆ど皆が持っている。
 ソフトだって、街に出たり通販で買ったりすれば手に入る。
 しかしネットゲームをやる上で、問題は、回線だった。
 何せ僕が住んでいたのは、東北地方のど田舎……というか、廃村間近の寒村。
 それでも普通にインターネットで、音楽や動画、普通のネットゲームをやる分なら充分だったけれど。膨大なデータを長時間送受信しなければならない、ヴァーチャルリアリティのネットワーク接続を行なうのは到底無理な話だった。
 そんな事情があったためこれまでは、その手のゲームは基本的に1人用か少人数用。ネットワーク接続が必要なゲームがやりたければバスに揺られながら山を降りて街のゲームセンターまで出なければいけなかったし、できるのは精々アクションとかシューティングの類でRPGとかとは無縁だったけれど……回線の話が本当なら、それこそ……世界が変わる。
 その時の僕たちにとっては、そんな夢や希望が溢れる話だった。
「でも実際やるには、親に回線の工事とか頼まなきゃね」
「それが一番の難関だよなあ……」
 高校生、即ち未成年という立場である以上、ネットワークの回線の管理は親任せとなる。果たして今いるクラスメートの中で、何人が回線工事について説得できるのか。
 僕も僕でどうしたものかと考えていると、古いスピーカーからチャイムの金が鳴り響き始めた。そして担任が入ってきて、いつも通りにホームルームが始まり、いつも通りの日常が流れていく。
 ――そういう日常こそ掛け替えのないものだと知らなかったその時の僕らは、無意味に一日を浪費していった。



[7428] 第1話(2)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/03/16 00:21
 さて。その日の授業を終えて放課後となり、知り合いの農家の手伝いのバイトを終えて家に帰ると、既に明かりが点いていた。父は既に帰って来ているらしい。
「ただいまー」
「おう、お帰り」
 唯一の家族である父は、ソファーに座ってニュースを見ながら、酒を飲んでいた。
 まだお酒には早いんじゃないの、といつものようにからかおうとしたけれど……やめておいた。今日は余計なことを言って、機嫌を損ねるわけには行かない。
 まずは簡単なつまみを作って出して、父の様子を伺う。
「おう、ありがとな」
 一言言うと、つまみを食べ始めた。少し目を離しているうちに、ニュースは先程までの全国のものから、地方のローカルニュースに切り替わっている。
 とりあえず、現時点での機嫌は悪くなさそうだ。そう判断した僕は早速、話題を切り出す。
「父さん、その……ネット回線、新しいのにしない?」
「は? 今のでも充分だろ?」
 予想通りの返事だった。
 昔なら兎も角、今の父さんが見るのは精々、動画チャンネルくらいだ。そのくらいなら、今のでも充分な速度が確保できるし、新しい回線を入れる必要はない。
 言い訳を考えている間に……父はこちらの目的を見抜いたようだ。
「お前……もしかして。ヴァーチャルリアリティのネットゲームに手ぇ出すつもりじゃねえだろうなあ?」
 やめとけやめとけ、と手を振る父。
「ありゃMMORPGもFPSも、普通の奴よりも廃人になる確率高いんだろ? 危なっかしくてしょうがねえ」
「ネトゲの女関係で母さんに逃げられた人に言われると、なんか説得力があるようなないような……」
 それを言われると、父さんがげほげほと咳き込む。
 僕が3歳の頃。父さんはネットゲームで知り合った女性に押しかけられた。
 相手はどうやら、いわゆる現実と妄想の区別がつかない人種で――ゲーム上の愛の告白を真に受けて、ストーキングに走ったとのこと。
 こんな山奥まで襲撃する彼女も彼女だが、妻帯者でありながらネット上とはいえ恋愛する父さんも父さんだと、今の僕は思う。
 何れにせよ、それに対して母さんはぶち切れて、自分が書くところは全部記入した離婚届だけを置いて家を出て行った。その後は音信不通だ。実家に帰ったのか、その後別の人と結婚したのか。それすら伝わってこない。
 その一件以来、父さんはネットゲーム、というかゲーム全般に手を出していない。まあ僕の世話でそれどころじゃなくなったというのもあるだろうけれど。
「本当、口だけはうまくなりやがって……一体誰に似たんだか……」
「母さんと一緒にいた3年間と、父さんと一緒にいた17年間。どっちが長いか考えればおのずと答えは出そうなものだけど」
 そんなことを言ったら、こいつめ、と軽く小突かれた。
「そういうこと言うんなら、回線の話は聞かなかったことにするぞ」
「あっ、ご、ごめんっ!」
 慌てて謝る僕に、父さんは苦笑を返す。どうやら本気で怒っているようではなさそうだ。
「父さんお願いっ、初期の工事代とかその辺は、後でバイト代で返すからっ」
 ぱんっ、と手を合わせて頼み込む。
 父さんは暫く、何事かを考えていたようだったけれど……。
「しゃーねーな……来週の期末のテストで全教科80点取ったら考えてやる」
 考えてやる、という返事が返ってくるということは、了承を取ったも同然だ。
 結局折れたことに、僕はこっそり、父には見えないようにガッツポーズした。
 その後、いつもの試験よりも気合いれて勉強して――公約を果たすことに成功する。

 そして、試験結果が返ってきた直後の土曜日。
 僕と同様に親と約束を取り付けて回線を新しいものに更新できたクラスメートたちと一緒に、ゲームソフトを買いに行くのに、街へと出かけることになった。
 バスで揺られ続けること数十分――田畑や山の風景よりも建物が目立ち始めたところで、話題は、どうやって親を説得したか、というものになった。
「ウチは比較的楽だったなあ。みんな新しいもの好きだし」
「こっちは兄貴と二人がかりで説得したぜ。まあ兄貴はMMORPGよりも、よりリアルなFPSとかしたいみたいだけど」
 という、みなもや健太のような比較的楽な例もあれば。
「すっごい苦労したよ……うちの親、回線の違いとかも全然わからないアナログ人間だから」
「俺のところもそんな感じだったな……今の回線、いつ使えなくなるかわからないとか適当に騙したけど」
 彼らのようなかなり苦戦した例もある。というか、親を騙すな。
 さておき。そんなことを話していると、駅前の繁華街へと到着する。
 そして早速ゲームショップに向かい、特設されているヴァーチャルリアリティMMOコーナーへと向かうのだが、そこで僕たちが見た物は。
 予想以上の数の、ソフトのパッケージの山。
「何というか……どれを買っていいかすらわからないね……」
「運営会社の数だけでも数十社はあるからなあ……群雄割拠、というのも困りもんだな……」
 選択肢が多岐に渡るということは、メリットでもありデメリットでもある。
 そして、慣れた人ならともかく……ネットワークを介したヴァーチャルリアリティゲームの初心者である僕らにとっては、どれを選んでいいかわからない、というデメリットのほうが圧倒的に強い。
 事前に評判のゲームを詳しくチェックすべきだったかなあ、と途方に暮れている横でみなもが動き、パッケージをひとつ、手に取った。
「とりあえず、最初は……これにしてみない?」
「……パンデモニウム?」
 みなもが見せたそのソフトのタイトルを口に出す。
 名前くらいは聞いたことがある。すごく人気のゲームだという話も。
 でも実際にどんなゲームなのかは、知らなかった。
「そう。今のヴァーチャルリアリティタイプのMMORPGでは一番人気。プレイヤー総数はなんと100万人!」
 実際のところどのくらいすごいのかは、漠然としすぎていてよくわからない。
「100万って……仙台の人口くらいか?」
「そいつはすごい」
 小学校の修学旅行でついたイメージのせいで、僕らの間で都会といえば仙台だった。
 中学の時は東京に行ったけれど。あれはもう、何と言うか。僕らにとっては外国とか異世界とかの類だったから……。
「そうねー……ウチの県全域の人口と比較すると……半分くらいかしら」
「……それだと微妙だな」
 健太の微妙発言には苦笑しながらも納得せざるを得ない。
 面積を見れば全国屈指だから広い分の人口はいるはずだし、大きな市とかは流石に数十万人の人口がいるはずなのだが……それでもどうしても、田舎のイメージがついて回る。
「少なくとも、うちの地方の人口よりは多い」
「だろうな」
「それはまあ当然だろうね」
 県内を3つに分けた場合、うちの地方は他の2つの地方と比べて、大きな市が少ない。となると必然的に、他の地方と比べて人口は少なくなる。一番大きい市で人口10万人強ということを考えると、100万人どころかその半分もいないかもしれない。
 そんな会話をしながら、僕もパッケージを手に取って、値段とかを確認する。
 ソフトそのものはそれなりに値段が張るけれど、月額料金はかなり安い。大人数のプレイヤーを抱えているからこそ、値段を安くできるのだろう。
「スタンダードなファンタジー系だし、これでいいんじゃないかな?」
「そうだな」
 他の皆もそれぞれ、パッケージを手に取る。そしてそのまま揃ってレジに向かい……バイトと思しき若い店員に微妙な顔をされることとなった。



[7428] 第1話(3)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/03/16 00:20
 ソフトを購入した後は、昼食だけは早めに街で済ませて、バスに揺られて帰還する。
 普段だったら、夕方まで遊んでいるところだったが……今日は街で遊ぶよりも、用事を済ませたらさっさと家に帰って、新しく買ったゲームをやりたかった。
「さてと……」
 家に帰った僕は早速、ゲーム機にケーブルを繋げ、接続の状態を確認する。
 数分後、確認画面にリンク良好、速度良好の文字が表示される。これまではリンク良好、まではいくけれど、速度不足と表示が出て、ヴァーチャルリアリティソフトのネット接続は不可能になっていた。
「よしっ」
 回線のほうが準備万端なのに満足げに頷きながら、ソフトを挿入し、接続装置を身につけ……電脳空間へと意識を飛ばした。
『パンデモニウムへようこそ』
 ナビゲーターとなる合成音声が空間全体に広がる。
『最初に、プレイヤーネームを入力してください』
 それと同時に入力用タッチパネルが眼前に広げられる。その後タッチパネルなどの使い方を説明されるが、僕の場合は説明書をバスの中で読んでいたため、基本的な操作方法はちゃんとわかっていた。
「名前か……」
 こういうのはわかりやすく、かつ本名に近いほうがいい。
 そう考えた僕は、本名の“夕樹”を僅かにもじった名前を考えることにした。
 方針が方針だけに、実際思いつくまでは、さほど時間がかからなかったと思う。
「よし……ユーリ、にしよう」
 決まればあとは早い。その名前を入力し、エンターキーを押すとタッチパネルは消えていく。
『外見設定を行ないます。男性と女性、どちらのボディを使用しますか?』
 “Male”と“Female”の文字が、目の前に現れる。
「まあ、男性のほうがいいよなこの場合」
 一人で遊ぶなら兎も角、クラスのみんなと会うことを考えると、女性型ボディを使用する気は起きない。迷わず“Male”の文字を触れ、選択する。
『それでは、諸項目を選択してください』
 合成音声が告げると同時に、素体となるマネキンを思わせる人形モデルと、大量の選択肢ウィンドウが表示される。
「うわ、何か一杯あるな」
 外見の選択項目は、設定できない項目があるのか、と思う程多岐に渡る。
 髪質、髪型。体毛のカラー設定。目の形と色。顔全体の様々な設定。体格、肌の色。初期装備のデザイン、なんてものまである。
 これらの基本的な項目の他にも、アクセサリ的なオプションをつけることができるようになっている。
 それらを一つ一つ選んでいかなければならないのだから大変だ。人によってはこれだけで、丸一日潰しそうだ。
「とりあえず……選んでいくか」
 まず最初に髪は柔らかめの髪質、やや長めの髪型の金髪を選択。
 目の色は緑がかった青色。顔立ちとかは大きく変えると変な気分になりそうなので、できるだけ自分に似せて――他の皆曰く“中性的な顔立ち”にしてみた。
 体格とかも……あんまり違うと動かしにくい、というのは格闘ゲームなんかで既に経験済みだ。これも現実の自分のものに可能な限り合わせたものを選択する。
 初期装備のデザインは完全に趣味、データそのものは変わらないので適当に選択する。オプションの類は別にいらないのでこれは省略。
 こうしてキャラクターが出来上がったところで完了ボタンを押すと、僕の姿が一瞬にして、作ったキャラクターのものに変わる。
 変化した姿を確認していると、ナビゲーションボイスがまたこちらへと語りかけてくる。
『……最後に、初期能力値を決定するための心理テストを行ないます。自分が思う通りならば“Yes”のボタンを、そうでない場合は“No”のボタンを押してください』
 この、初期のステータスを心理テストで決定する、というのは意外だったけど、よくよく考えてみれば普通のゲームよりも操作に癖が出やすいヴァーチャルリアリティゲームに合ったシステムなのかもしれない。
 矢継ぎ早に出される質問に次々と答えていき、20問くらい答えたところで、暫くお待ちください、というメッセージウィンドウが目の前に開く。
 そして1分も待ったかどうか、というところで結果が表示された。
『これがあなたの初期ステータスです』
 表示されたステータスを一通り見終え、確認ボタンを押す。
『キャラクター作成はこれで終了です。お疲れ様でした。それでは、パンデモニウムの世界をお楽しみください!』
 そう言われるや否や、視界が眩い白い光に包まれる。
 そして光が消えた時……僕は、異世界に立っていた。
「凄い……」
 最初に出た感想はそれだけ。それ以上の言葉は、出なかった。
 ライトノベルや漫画の中のようなファンタジーの世界に入り込む、という点については、これまでプレイしていた個人用のRPGと同じだ。
 でもこの世界の中は……その上で、他のプレイヤーが思い思いに動いている。視界にいるだけで数百人、もしかしたら千人くらいいるかもしれない。それだけの人数が闊歩する街は――とても活気に満ち溢れていた。
 目の前に広がる異世界の光景に、思わず呆然と立ち尽くしていた僕だったが。ふと、重要なことに気付く。
「しまった……そういえば待ち合わせとかしていなかった」
 これだけのキャラクターがいる上、他の皆がどんなキャラクターの外見にしたかはさっぱり見当がつかない。かく言う僕も、全く別人の姿になっている。この状況でお互いを見つけ出すのは不可能だろう。
「まあ、明日学校で会うし……その時にキャラクターの名前とか特徴とか教えればいいか」
 そう言って、僕はこの世界を散策してみようと歩き始めた。
 暫く歩いていると、後ろから呼び止められる。
「おい、そこの初心者君。チュートリアルは向こうだぞ?」
 声をかけたのは、気のよさそうな、茶色……少し尖った髪を持つ少年だった。
 服装とかを見ると戦士とか魔法使いというよりも……商人や職人の類のようだ。
「チュートリアルって……えーっと操作確認とかは説明書呼んでますけれど」
「何、真面目に説明書読む派か。でもこのゲームだと転職までは世話してくれるし、チュートリアルクエストはやっておいて損はないぜ」
「そうなんですか……ありがとうございます」
 一礼して、その場から立ち去る。わざわざエモーション動作を入力しなくても細かい仕草までできるというのは便利だな、とかそんなことを思いながら。

 チュートリアルは、基本的な操作方法から始まり、戦闘の仕方、パーティの組み方まで……多岐にわたった。
 時間は瞬く間に過ぎていく。
 実際に体を動かして、仲間たちと一緒にモンスターを狩るのは思ったよりもずっと楽しくて。廃人になるプレイヤーが多い、という話にも納得が行った。僕の場合は学校もあるし父さんの世話もしなきゃいけないしで、そこまでのめり込むつもりは毛頭なかったけれど。
「ふー……さすがに評判になっているだけあるわ」
 狩りにもかなり慣れたところで、パーティを組んだ相手の1人、オールバックの黒い長髪を後ろで結んだシーヴァソンがぽつりと呟く。
「そちらも、別のゲームからの移住ですか?」
 パーティ内の女性プレイヤーの片割れ、紫の髪を腰まで流したの少女……ルティアルが彼の呟きに対して反応する。
「ああ、桜花繚乱からの移住組だ。ゲームとしては面白かったが、管理がクソでな……」
 そういえば、ゲームを買いに行った時に。目を引くところにあった和風のキャラクターが目立つパッケージのタイトルがそんな名前だったような気がする。
「えー……あれ面白そうだなあと思っていたんだけど……管理駄目なんだ?」
 もう一人の女性プレイヤー、橙色のツインテールの髪に猫を思わせる顔立ちの少女、アーフェルシアが話題に割り込んだ。
「ああもう。ひどいね。思い出すだけでも腹が立ってくる」
 シーヴァソンは頷き、まるで以前のゲームの管理会社への怒りをぶつけるかのようにモンスターを一刀両断したかと思うと――恨み言をつらつらと吐き始めた。
「オープン当初はよかったんだが……暫くしてRMTが横行し始め、それをちゃんと取り締まらなかったおかげで物価は崩壊。旧時代のゲームのを改造したお粗末な動きしかできないBOTすら取り締まらないし。もうあそこのゲームだけはやるものかと心に誓った」
「あー……俺も似たような感じだわな。俺がやっていたのはBOTはなかったが、RMTとアイテム課金が酷すぎた。アイテム課金のほうはRMTに金が流れるのを防ぐためにという目的もあったみたいなんだが……アイテムに金払わなきゃほとんどの機能が使えないんじゃ本末転倒にも程があるだろ」
 もう一人の男性プレイヤー、ディヴィバクトが溜息を吐きながら、モンスターを弾き飛ばす。
 こういったゲーム会社の問題は、MMORPGそのものができた頃から綿々と続いているという。技術の革新があったとしても、人間の心は変わらないもの……ということなのだろうか。
「私がやっていたゲームは、管理とかは悪くなかったんですけれど……会社がつぶれちゃいましたから……」
「あ。あたしもあたしも。もしかしたら同じゲームだったかもねー」
 と、女性陣2人。
 MMORPGそのものは沢山出ているけれど、長期間に渡って安定した運営をできるのは一握りだという。そして安定した運営ができる、いわば会社の顔となるゲームが作れなかった場合は、当然会社そのものが潰れてしまうというわけだ。
 この辺りについてはヴァーチャルリアリティ系だけではなく、旧来のMMORPG、いや一般のゲームにも言えることだろう。
「ユーリも、どこかからの移住組?」
「僕はヴァーチャルリアリティのMMORPG自体初めてだよ」
「そうなんだ。操作うまいから初心者には見えなかったな……」
「最近になって興味を持ったとか?」
「いや、前々から興味はあったんだけど、回線の速度が足りなかった」
 しまった、と思ったときは遅かった。
 何か、こちらを見るみんなの目が点になっている。
「……どんなトコだよ、それ」
 手近なモンスターを叩きながらの、ディヴィバクトの呆れ顔での質問に。
 僕も適当なモンスターを殴りながら、見栄を張って嘘を吐いても不自然になるしと、ありのままの真実を答えた。
「……少なくとも、学生のバイトといえば近所の田畑の農作業とか牛の乳搾り、というくらいには田舎です」
「それは……凄まじいな……」
 都会育ちの人間から見れば、いつの時代だよ、みたいな話になるとは自分たちも思う。
 そんな雑談をしながらも、僕たちはチュートリアルのナビゲーターが要求しただけのアイテムを手に入れるために、ひたすらモンスターと戦い続けた。
 やがて、そうこうしているうちにレベルが上がってくると。チュートリアルクエストの最後にあるクエスト……つまりは転職の話になった。
「そういや、お前ら職業はどうする? 何か元々考えてあったりする? 俺は刀が使えるクラスにするけど」
「戦士かな。いろんな武器装備できるほうが面白そうだし」
「私は殴ったりするのは苦手だから、魔法使い系のほうがいいかなあ……」
「あ。あたしは元々、生産系にするつもりー」
 一通り意見が出たところで、視線が僕に集まる。
 僕は少しの間考えて。
「いろいろ武器を使ってみたけれど……弓が一番使いやすいから、アーチャーかな?」
 特にこれがやりたい、というものもなかったので。武器の使いやすさから結論を出した。
 ――後々、この何となく選んだ選択のせいで、ソロ狩りを強いられた時に散々苦労することになる訳だが、当時の僕はそれを知る由はない。
 さておき、その後もクエストは順調に進み。お互い希望した職業に転職するのもすぐだった。
「じゃあ、武器とか防具買いに行こうぜ」
 シーヴァソンがそう言ったのを皮切りに、僕たちはNPC商人が配置されている商店街へと向かった。
 PC商人のほうがいろんなアイテムを売っているのは明白だけど……まだ彼らが売っているアイテムを買うだけのお金はない。
 僕が最初に買ったのは、ショートボウとクロースアーマー、矢筒とそれに入るだけの矢、回復用のポーションと空腹時に食べるパンをいくつか。
 とりあえず当座の、狩りに必要なアイテムだけを買い集めた、という感じだ。必需品はそれほど苦労せずとも買えることはわかっているので、これだけあれば問題はないだろう。
「さてと。このままモンスターを狩りに行くか?」
「こっちは……そろそろ一旦ログアウトかな。ご飯とか食べないと……」
 というか食事の準備をしない父さんに叱られる。
「そうだねー、私もお腹減ったなあ……実際の体を動かしているわけでもないのに」
「じゃあ、とりあえず別れる前にフレンド登録くらいはしておこっか? 登録さえしておけば、メールで連絡取れるようになるし……」
 そんなことを話していた、その時だった。
 ――その“声”が、世界に降り注いだのは。
『たった今、この世界に存在する“意思ある者”が66万6666人となった』
 それは、女性の声。
 しかし、少し前に聞いたサーバーインフォメーションで使われる合成音声とは違っている……成人女性の低い声だった。
 何事か、と戸惑う僕たちを嘲笑うかのように。声は空から降り注いでくる。
『妾はアスタロト。魔界に座す、恐怖を司る女王なり』
 その名は。
 この架空世界における、倒すべき“最後の敵(ラストボス)”のものだった。



[7428] 第1話(4)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/03/16 00:23
「どういうこと? 何かのイベント?」
「わからない……」
「ログインする時にも告知とか出てなかったよな」
 アスタロトを名乗る女性の、いきなりの発言に静まり返り、街のテーマBGMが流れるだけだった周囲に、ざわめきが戻り始める。
『汝らの遊戯というのは、見ていて詰まらぬからな。妾は、色々と手を加えることにした』
 ――手を加えた、とはどういうことだろう?
 不思議がる僕たちを他所に、彼女は淡々と言葉を紡いでいく。
『汝らは、自らの現実へと戻ることはできない』
 その台詞に、僕も含めた多くのプレイヤーは即座に――殆ど脊髄反射と言ってもいいだろう――ログアウト機能をチェックしたが……ボタンを押してもログアウトするかどうかを確認するウィンドウは開かなかった。
『外の世界から、何らかの手段で長時間接続が断たれた場合、汝らは死に至る。まあ、肉体を安全な場所に移したりする時間や、この世界に繋がるための道具の不調などもあるだろうから……ある程度の猶予は与えてやるが、な』
 彼女の言うとおり、本当に死ぬかどうかはわからない。
 しかし、実際に彼女の言うとおり、僕たちはログアウトできなくなっている。それに、ヴァーチャルリアリティのシステムは脳に直接、何らかの刺激を与えることは可能だ。
 周囲のざわめきが大きくなり、女性と思しきヒステリックな悲鳴や嗚咽も聞こえて来る。
 僕も例外ではなく、先ほどまでのチュートリアルクエストでパーティを組んでいた仲間たちと……不安そうに顔を見合わせていた。
『そうそう。この世界の本来の管理者の手を期待してはならぬぞ。この世界の内側へと入っていた者は……全て殺した。
 更に言えば――もし外から改めて入ろうとしたり、入り込まず干渉しようとするのであれば、汝ら全員の命を奪うとも伝えてある』
 その言葉が本当かどうか。証明する手段はないし、彼女も証明しなかった。
 ――しかしながら、彼女の言葉が嘘だったなら。すぐに助けが来るはずだ。
 そう考えた僕は、彼女の話の続きを待つ。
『しかし、二度と帰れぬわけではない。妾が今から言う手段でこの世界から抜け出すことができる。一人でもこれを成し遂げれば、そのときに生きている全員を元の世界に帰そう』
 その言葉に多くのプレイヤーは期待を抱いたことだろう。
 僕もそうだった。結局何かのイベントだったのだ、と言い聞かせようとした。
 こうして、閉じ込められた66万6666人に提示された脱出の手段はいくつか提示され――しかし、その殆どが……プレイヤーたちの希望を打ち砕くかのごとく、非現実的……実行するのは到底不可能だとしか思えないものだった。
『一つ。……世界の中心部。その地下に迷宮を作り出した。妾はその最深部にいる。誰でもいい。妾を打ち倒してみよ』
 彼女はこのゲームの最大の敵。彼女を倒すのがプレイヤーの最終目標。
 そう考えれば、この最初の条件については色々と納得がいく。
『ただし……妾に敗北した者に待ち受けるのは、死のみである』
 その台詞に、ごくりと唾を飲む。
 ――様々なフィクションで目にする、命をかけた死のゲーム。
 それを実際にやろうというのだ。この魔女は。
『その覚悟がある者のみ、妾の元へと来い……歓迎するぞ』
 後に“アスタロトの迷宮”と呼ばれることとなったその迷宮は――第一階層からそれまでの最高難易度のダンジョンの最深部に相当する高難度の、何階層あるかも公開されていない、そんなダンジョンであることが発覚する。
 これははっきり言って、本当にクリアできるかどうかは不透明だ。
 これは本当、難易度がどうのこうの以上に、クリアするための条件があるかも怪しい――何といっても、ランダムで生成されているダンジョン“ではない”という保証がないのだ。
『一つ。七人の天使の名を冠した、宝具を集め……中央の神殿に捧げよ。すれば七人の天使は降臨し、奴らが妾を打ち滅ぼす』
 これもまた、彼女の存在同様に。このゲームの公式ストーリーに沿った話だ。
 彼女の言う宝具とは世界唯一のアイテム――ユニークアイテムと呼ばれるそれは何れも、強力なアイテムであり――そしてその殆どが脆く、数回使えば壊れてしまうという。
 ……こればっかりは、手に入れたプレイヤーの良心と理性を信じるしかない。
『一つ。高みに達した者が天使に転生することにより、世界は新たに書き換えられ……汝らは解放される』
 これは公式設定というか。公式設定という運命を書き換える……そんな意味合いを持っているように聞こえた。
 これだとかなりわかりにくい言い方だが、これはプレイヤーのうち誰か一人でも、高み――最高レベルであるレベル100に達したプレイヤーが、転生――天使という職業に転職するということだ。
 しかしながら、古参のプレイヤー曰く、最高の僅かな睡眠と食事などといった生理現象を解消する以外は常時戦闘しているという、普通のプレイヤーから見れば気が狂っているとしか思えない廃人でもレベル80台に入った途端、頭打ちになるとのこと。
 デスペナルティが1レベル下がる、という仕様も、このクエストの難易度を上げていた。
 ――後に発覚することだが、レベル90以上からは必要経験点が“前のレベルの必要経験点の2倍”に変更されており、その上天使となるために突破しなければならないダンジョンにはアスタロトによりレベルドレインモンスターが配置されたという。
 これもまた、アスタロトの打倒同様に……事実上クリア不可能なクエストだと言っていいだろう。
『最後の一つ……ある意味では最も簡単かも知れぬ。7人の“魔王”を殺すがいい』
 7人の“魔王”。これも、公式ストーリーに関わる存在だ。
 アスタロトは、自らの力の複製を込めた宝石を、7人の人間に埋め込む。宝石を埋め込まれた人間は異形の魔人と化し……人々を絶望へと叩き込む“魔王”となる。
 そして“魔王”というバックアップがある限り、彼女はいくらでも復活できる。誰も彼女を殺すことはできない。
 だからプレイヤー扮する冒険者たちは、この“魔王”を倒すのを第一の目標とするのだが……。
「おい、待てよ。“魔王”実装は来週だろ。いないものをどうやって倒せと?」
 誰かが指摘したそれについては、大規模アップデートとして公式サイトやログイン画面で告知されていたから、このゲームを始めたばかりの僕にもわかった。
 この“魔王”は、ストーリーには存在しているが、データ的にはまだ未実装のボスキャラクターだ。
 現時点では存在しない。
 ――それをどうやって殺せと? 何を以って、これが一番簡単だと?
 誰もが思ったであろう、その疑問に対する回答はすぐさま、明確かつ残酷なものが返ってきた。
『汝らから無作為に7名の“魔王”を選ぶ――彼らを全員殺すことで、妾を間接的に殺すことができ、汝らは解放される』
 実にわかりやすい、シンプルなルール。
 ただし、コンピュータRPGでは定番のわかりやすいボスの称号を与えられたものの……中身は他のプレイヤーと同じく、現実から隔離されたプレイヤーたちだ。
 それを殺せという
『手段は問わない。魔物どもに殺させても殺害したと扱われる。ただし“魔王”の戦いにおいては、妾との戦いと同様に……敗北は死となる』
 通常のデスペナルティは、レベルが1下がるだけ。
 でもこの“魔王”と、“魔王”と戦うプレイヤーの場合は違うとのこと。HPが0になった時点で、死ぬ――という話だ。
『これより妾が選んだ、“魔王”の姿を映す』
 この選択肢の難易度については言うまでもないだろう。
 どんなに高レベルのプレイヤーが選ばれたとしても、“魔王”に選ばれなかったプレイヤーの総数を考えれば……同レベル帯以上のプレイヤーなんていくらでもいる。
 何といっても、目標の名前と顔の外見データが公開されている以上……“目に見える”のだ。
 ――たった7人の犠牲で、確実に帰れる。
 ――たった7人の生贄を悪魔に捧げることで、元の現実に戻れる。
 ゲームよりも現実を優先する者にとっては。彼らの殺害こそが、世界からの脱出への一番の近道ではあるのだ。
 人を殺すことへの抵抗とか、倫理的な問題を除けば――“難易度は最も低い”。それについては、アスタロトが言う通りだろう。
『この7名が、汝らが殺すべき“魔王”である』
 プレイヤー全員の眼前に、新たにウィンドウが開かれる。
 ウィンドウには7名の、プレイヤーのバストアップと名前が映し出されている。
 ――赤茶色の髪を持つ鎧を着込んだ20代前半の男。
 ――黒い長髪の、端正な顔立ちの10代後半から20代前半の青年。
 ――垂れ目の優しそうな、20代後半と思しき銀髪の男性。
 ――真紅のロングヘアの、10代にも20代にも見える、派手な美女。
 ――跳ねた青い髪が特徴的な、中学生くらいの可愛らしい少年。
 ――茶色の尖った髪を持つ、見覚えのある少年。
 チュートリアルの場所を教えてくれた少年の姿を見て驚きながらも、さらに下、最後の一人の姿と名前を確認する。
「え……?」
 そこには――金髪の、中性的な少年の姿が映し出されていて、ユーリという名前が併記されている。
「何だよ、これ……一体、どうなって……!?」
 “魔王”として公開された、自分の名前と姿。
 それを食い入るように見ていたところで……ふと気付く。
「……」
 知り合ったばかりの、4人の視線が、僕へと突き刺さっていることに。
 彼らはただ、黙って僕を見ているだけで。
 それにどんな感情が混じっていたのかは、わからない。
「何で皆、そんな目で見てるの……?」
 それでも、頭が混乱していた僕には――彼らの視線がとてつもなく不気味なもののように思えた。
「おい、ユーリって……あいつじゃないのか……?」
「うわ、本当だ」
 暫くすると彼らだけではなく、その周囲からも――無数の視線のナイフが僕の全身に突きつけられ、ざわざわと騒ぎが大きくなっていく。
「――あいつを殺せばいい、ってことか?」
「転職したばかりのアーチャーだし、取り囲めば……」
 仕舞いには、そんな声まで聞こえてくる。
「っ……!」
 僕は何もしていない。
 突然選ばれて、何が何だかわからない。
 そんな僕を殺そうとしている人がいる。
 それも沢山。沢山。
 沢山の人が、僕を殺そうとしている。
「どいてっ!」
 そのことに気付いた瞬間、僕は――その場から、仲間だった人たちを無理矢理突き飛ばして……逃げ出した。捕まえろ、とか、追いかけろ、とかそんな声も聞こえてきた気もしたけれど。振り向く余裕なんてのは、その時の僕にはなかった。
 逃げて逃げて、とにかく逃げて。
 疲れ果てて意識を失う寸前になるまで……ずっと、逃げ続けた。



[7428] 第2話(1)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/03/16 22:15
『おーい、ユーリちゃん』
 過去に浸る僕の思考を、現実に引き戻したのは。場違いに明るい、人の声だった。
『何か街のほうで、お前のコトを見つけたとか騒ぎになっているけれど大丈夫かー?』
 声の主の姿は何処を探しても見当たらない。
 当然だ。彼はここにはいない。全く別の場所にいる。
 その声に僕は。
『あ、大丈夫。何とか逃げ切った。ただ……明日には、狩場を変えたほうがいいかなー、とか考えているんだけど』
 口には出さず。“心の声”で応じた。
 “魔王”用の特殊機能として、このゲームには本来ないシステム、パーティ間の秘匿チャット機能がつけられている。
 元々はゲームマスターのために用意されたシステムを、改造したのだというのが僕たちの共通見解だ。
 声には出さず心で強く思うことで、遠く離れた仲間……自分たちと同じ立場の“魔王”たちに自分の声を伝えることができる。
 使う時の感覚としては、テレパシーみたいなものだ。といっても、実際のテレパシーがどんなものかは知っているわけではないけど……まあきっと、こういう感じなんだろう。
『というかキール、この近くにいるの?』
 キールと呼ばれた声の主は、ああ、と首肯した。
 彼は僕がこのゲームで最初に喋った相手……チュートリアルクエストの場所を教えてくれた、あの商人である。それがお互い66万分の7に当たるとは……酷い偶然もあったものだ、と心底思う。
『ちょっとあそこの街でしか買えないアイテムが必要になって……それの買出しにな。
 まあ店に入るタイミングとかは見計らっているし、顔とかも極力見えないようにしてあるから大丈夫だとは思うけれど……』
 何だかんだで、僕らの中で一番綱渡りしているのはキールだと思う。
 マーチャントという、本来戦闘とは殆ど無縁、その上信頼第一の職業でありながら“魔王”に選ばれてしまった彼。
 彼は何だかんだで、各地の街を渡り歩きながら生活している。危険極まりないとは思うけれど、彼に割り当てられた役割分担のこともあり、本人もそれでいいと納得しているので僕が口を挟む問題じゃない。
『なんなら今日は、僕の隠れているところに来る?』
『いや、尾行されたりとかあると困るからやめとく』
 キールは実にあっけらかんとした声で答えた。
 確かに彼には、こういうところに気を使ってもらわないと僕らとしても困る。
『……本当、こんな状況でよく街に出入りできるよなあ……』
 けれど、街を中心に活動しながら……会う人会う人、どころか偶然通りすがった相手まで疑わなければいけないというのは……かなり疲れるはずだ。少なくとも、僕には耐えられない。
 それでもキールは、こうやって耐えているんだから、凄いと思う。
『まあ、戦闘面では足手まといな分、こういうところで役に立たないと……って、あ。何かまたレベル上がってら』
『こっちもだ。皆反応ないし……狩りでもしてるのか、それとも誰かから逃げているのか……』
 数の面で圧倒的に不利な僕たちだけど、その分――かどうかはわからないが、システム面においては他のプレイヤーよりも遥かに優遇されており、どのような状況においても“パーティを組んでいる”と扱われる。
 普通なら違うダンジョンや街にいたりすれば、別のキャラクターが稼いだ経験点が入ることはない。そしてレベルについても、リーダーから上下どちらでも10以上離れているキャラクターは、パーティに入れることができない。
 しかし、僕らは違う。お互いどんなに離れていても、レベル差がどれだけあっても。経験点が分配される。
 おそらくは……僕のような初心者が選ばれた場合の保険だったんだろう。それのおかげで、何とか九死に一生を得たわけだけど。
 というか、閉じ込められたそのタイミングでトッププレイヤーの一人だった“魔王”がソロでダンジョンに潜っていた、という偶然がなかったら……多分、死んでた。僕だけじゃなく、顔と名前が公開された時点で街中にいた“魔王”のほぼ全員が。
 閑話休題。この機能の特性上、何処にいたって同じ経験値が入るので……基本的に、僕たちの行動はソロでの活動となる。
 単独行動が苦手なキャラでもソロでの活動を強いられ、それを納得させられている理由はただ一つ――複数人が集まると目立つ一方で、分散していれば目立たないからだ。
『……本当は、皆でパーティ組んで狩りとかできたほうが楽しいんだろうけどね……』
 まあ、一応は“魔王”以外……一般のプレイヤーたちともパーティを組む機能がついている。というよりもむしろ、“魔王”用のパーティ機能は、感覚としてはパーティと同等・それ以上に拡張されたギルドシステム、に近いのかもしれない。
 でも……そんな機能があっても、他のプレイヤーとのパーティを組む機会があるとは、到底思えない。
『まあ俺も集団でわいわいやるほうが好きだから、そっちのほうが楽しいってのには同意するけれど……この状況じゃなあ』
 僕も他のプレイヤーたちから誘ってきたとしても、それに乗れるほど……バカではないつもりだ。
 ――パーティを組むふりをして暗殺、下手すれば自分たちはモンスター相手の戦闘では死なないのをいいことに強力なモンスターを使って殺しにかかってくるかもしれない。
 そういう危険性を考えれば、どんなに優しそうな人たちが相手だったとしても……肩を並べて戦う、なんてのは、リスクが高すぎる。
 そんなことを話しているうちに、腹の虫が警鐘を鳴らし始める。
「っと……もうこんな時間か」
 時間をチェックすると、いつも昼食を食べる時間になっていた。
 このゲームは至極厄介なことに、空腹だけではなく飢餓までも再現されている。
 ステータスや体のデータから算出された必要量の食事を取らないと行動不能――飢餓状態になり、その後はHPやMPがどんどん減っていく。そしてHPが0になった時は当然……死亡する、という訳だ。
 そのため、充分な食事の確保は、殊に絶対にHPを0にする訳にはいかない立場である僕たちにとっては、命に関わる至上命題だ。
 といっても、初心者プレイヤーが金を使い切ってしまった時のための救済処置はあり……僕たちもそれを活用させてもらっている。
 ダンジョン以外のマップには、殆ど必ず果実の実る樹がある。今僕が拠点にしている場所にも、果樹が存在していた。
「よいしょっと」
 早速手近な木に登って、その枝に実った果実をもぎ取り。そのまま太い枝に腰をかけ、一齧りする。
「う……」
 一口だけで、甘い味が口いっぱいに広がっていく。
「相変わらず……胸焼けしそ……」
 このゲームの木の実は本物の果物を再現した……というよりは、林檎や桃の果汁を混ぜ合わせて凝縮して固めたような味がする。味がとにかく濃いミックスジュース、とでも表現すべきだろうか。お世辞にも美味しいとは言えない、というかはっきり言って不味い代物だ。
 しかしドロップで食べ物アイテムが手に入らなければ、これくらいしか食べるものがない。所詮、救済処置は救済処置に過ぎないのだ。
 街に行けば様々な食べ物が売られているし、凝った調理がされた食事が食べれるレストランなんてのもある。
 機材さえ用意できれば、プレイヤーが調理することだって可能だ。職人系プレイヤーの中には料理専門の者もいるし、彼らに頼めばかなり美味しい食事が食べれるだろう。
 ――これらはあくまで他のプレイヤーの話で、僕とは無縁なのだけど。
『突然なんだけど……キール』
『どうした?』
 僕は無茶を承知で、思ったことを口にしてみた。
『……食べ物とかって、さ。仕入れられないかな?』
 きっかり2秒後。
『無茶言うな』
 キールから、青筋でも立ってそうな返事が返ってきた。
『無理、だよねー』
『むしろ、食料買えるんだったらやっているって。俺だってうまい飯は食いたい』
『ですよねー……でも実際のところ、何が問題なの?』
 その質問に対する回答は溜息交じりだった。
『食料系アイテムを扱っている店とレストランは、大手のギルドの連中が交代で見張っていやがる。おそらく、俺たちが痺れを切らして飯を食いにくるのを狙っているんだろう』
 何というこちらの心理に付け込んだ作戦……腹は立つが、確かに相手側の行動としては正しい。
 屋外ならほぼ何処でも、タダで食べれる木の実の類の味が不味いと知っているなら尚更、つけ込む隙として考えるだろう。彼らの立場に立てば、これは悪くない手段だ。
 ――被害を蒙る側としては、心の底からムカつく嫌がらせだけど!
 そんなことを思いながらもう一口、果実を齧ってその甘さを唾液で和らげているところに。キールが更に苛立ちの炎の燃料……現在の街の光景について、感想を述べる。
『あー、くそー……。こっちが大変な思いをしながら生きているっつーのに、弁当持った一般プレイヤーのカップルどもが、街占拠していやがりますよー。こいつらみんな死ねばいいのに』
『このゲーム料理スキルとかその辺りが無駄に手が込んでいるから、手作り弁当とかは余計に腹立たしい……。こっちはテレパシー飛ばしながらまずい果物で済ませているというのに……』
 他の人の反応がないことをいいことに、秘匿チャットを独占し妬み嫉みの感情を吐き出す。
 僕は母親の一件があるので、自身の恋愛そのものにはあまり興味がない。そう、自分が女の子とどうこうという話には興味がないのだけれど……、他人の幸せそうな恋愛とかを見てると、どす黒い感情が湧き上がってくる。
 自分でもどうかと思うけれど、三つ子の魂なんとやらだ。この件については僕は全面的に悪くない。何か問題が起こっても、情状的酌量の余地があり、無罪放免となるはずだ。
 当時3歳の子供の前でその辺の昼ドラなんて目じゃない醜い愛憎劇を演じトラウマを植えつけた、両親と名前も知らないストーカー女が原因なのだから。
『ゲームの中じゃあ、“ただしイケメンに限る”理論も通用しないからな……カップルができることできること……』
 キールの声はわなわなと震えている。
 男も女も、殆どのプレイヤーが……よほどのキワモノ趣味か身内での笑いを狙いでもしない限りは、整った外見をしている。
 とはいえ、この非常事態にカップルが出来上がってこれ見よがしにイチャついているのには、見た目さえよければどうのこうのという問題だけではなく……俗に言う吊り橋効果の存在も大きいのだろう。
 仮想現実の世界に閉じ込められ、どうなるかわからないという極限状況。そんなところに魅力的な外見の異性が近くにいたら……という心理状態は理解できなくもない。
 そして、この世界において間違いなく、最も命の危険に晒されている僕たち7人の……男女比率は、男6の女1。
『……うう……同じように“魔王”として選ばれたとしても、男女比が男3の女4なら……少なくとも男4の女3くらいだったなら……。空気読もうぜアスタロトさんよぉ……』
 キールが嘆くように、現実はとことん……特に僕たちに対しては、完膚なきまでに非情だった。



[7428] 第2話(2)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/03/18 21:57
 どす黒い感情を抱えながらの昼食を終え、木の上でのんびりと休みつつもこの後はどうしようかと考えていた、そんな午後のひと時に。
『あー、もー、疲れたぁっ!』
 ヒステリックにも聞こえる女性の叫び声が、脳内に響き渡る。
 僕らの中で唯一の女性、紅一点――といっても中身が本当に女性かどうかは確認していないし、できないのだが――のラケシスの声だ。
『何だ、お前も誰かに襲われたのか?』
『そうなのよー。空を飛んでさっさとお暇しようと思ったけれど、存外にしつこくて……MPからっからよー』
 彼女の言う、空を飛ぶ、という能力は、彼女の職業……いや、どの職業にも存在していない。彼女の飛行能力は、“魔王”固有のスキルによるものだ。
 この専用スキルツリーは一人一人違うものを与えられている。
 “Balberith”、“Dumah”、“Sariel”、“Mephistopheles”、“LucifugeRofocale”、“Meririm”、“Rahab”の7種類。聞けばこれらは、いずれモンスターとして実装される本来の“魔王”の名前だという。
 元々は、キリスト教とかその辺りの悪魔の名前なのだろう。キールの持つスキルツリー“Mephistopheles”の名前がゲーテの“ファウスト”に登場する悪魔のものであることくらいは、そういった分野には全く詳しくない僕にもわかる。
 ラケシスの持つ“Meririm”は飛行能力と敏捷性にまつわるスキルが多い。もっとも飛行能力は強力すぎるためか、飛んでいる間はMPが消費され、上空でMPが切れたりすると落下しダメージを受けるという仕様になっている。上空からの落下ダメージはかなり高レベルのキャラクターでも危険なため、飛行中はMPの消耗に細心の注意が必要になる、とは彼女本人の弁だ。
 ちなみに、僕に与えられた“Sariel”のスキルツリーは、感覚、殊に視覚にまつわるスキルが大部分を占めていた。既に取得している千里眼や赤外線視覚、透視といったスキルは見た目的には地味だけれども、実用の面ではかなり有用だというのは最初の数日間だけでも身にしみてわかった。
『あ……ユーリ君、ラケシスさん。MP回復、いりますか?』
 メンバー中唯一の、支援系に完全特化した職業であるプリーストであるファーテルがこちらの会話に気付いたのか、声をかけてくる。
『こっちは大体回復したし、見つからない場所にいるから大丈夫』
『んー……こっちはまだ寝床にしている場所までつけていないし、頼むわ』
『わかりました』
 銀髪の神官はすぐさま了承する。
 普通のプレイヤーは視覚外のプレイヤーのHPやMPを回復することはできない。しかし“LucifugeRofocale”のスキルツリーは、その制限を取っ払い……どこにいる相手でも回復することを可能にしている。
 これもまた、1ヶ月もの間、数十万人のプレイヤー相手に僕たちが逃げ切れた理由の一つだ。基本的に単独行動の僕たちだが、
『こっちも回復を頼む。HP、MP両方だ』
 と、また別の、低い男性の声がかかった。
 僕たちの中で一番の古株――それ故に最もレベルが高く、他のプレイヤーたちからは最も恐れられている男・レオンハルトだ。
『そっちは狩りかな?』
『ああ。今はロック鳥を相手にしている』
 うへあ、とキールが呆れたような声をあげる。
『正式実装されているボスの中では5指に入るモンスターだろ? ソロで勝てる相手なのか』
『回復があればなんとかなる』
 僕は実際にどのくらい強いかわからないし、想像しようとしてもボスモンスターと出会ったこともないから、ただ聞いているだけだったけれど……どうやらレオンハルトはパーティ組んでいても危険なボスを一人で倒しに行っているらしい。
 モンスター相手でもHPが0になれば死ぬ、という自分が置かれている状況にも関わらず、だ。
『とりあえず回復はかけておいたよ。他にも支援魔法かけておくかい?』
『頼む』
 あまりの暴挙に呆れている僕たちを他所に、ファーテルはレオンハルトに頼まれた仕事をこなしていく。
 彼は優しいが冷静沈着、いつでも落ち着いている。
 元々は大きなギルドのギルドマスターをしていただけあって、誰かが口論になったときの仲裁役や、全員を巻き込んでの議論が起きた時の議長役もお手の物だ。
 単純に戦闘能力だけを見れば一番強いのはレオンハルトだけど、僕たちの中で誰か一人をリーダーとして選ぶとしたら……本人以外の6人全員が、ファーテルを推すと思う。
 実際に、彼が議長役となりまとめてくれたお陰で、いくつかの方針が決まっている。
 最初にほぼ全会一致で決まったのは――自分たち以外のプレイヤーとは極力関わらないこと。
 個人が騙されて刺されてエンド、ならまだいい。ハニートラップの類に引っかかって情報を引き出されたり、捕まって拷問されたりしたら全員にとって溜まったものじゃない。軽はずみな行動でも、全員の生死に関わる以上……全員が慎重にならざるを得ない。
 次に決められたルールは――金銭・アイテムは共同の銀行口座と倉庫で一括管理すること。
 多くのプレイヤーが拠点としている街で活動するのが難しい以上、アイテムは極力外で調達したいし、そうもいかない買い物は必要最低限に済ませておきたい。
 幸いか不幸かはわからない――本人にとっては間違いなく不幸極まりないことに、僕たちの中にはマーチャントであるキールがいた。マーチャントはNPC商人との売買をする際、買価割引、売価の割増などの修正がつく。そこでキールにはできるだけ人がいないタイミングを見計らって、NPC商人との取引を行い必需品を買う、という役割が与えられることとなった。
 明確に決められたルールは、現段階だとこの二つ……他はまだ議論を必要としている。
 僕たちは確かに“魔王”として選ばれたという一点については同じだけど、選択したクラス、追加されたスキルツリーの内容は全く違う。
 ――レオンハルトのように単独戦闘能力に向いている能力の者、ファーテルのように他のキャラクターを支援する能力に特化している者、キールのように戦闘は苦手とする者。
 相互補助しあうしかないとはいえ、僕たちの持つ能力はあまりにも違いすぎる。だから、1人にとってのベストが他の6人にとってのベストとなるとは限らない。故にお互いの妥協と慎重な議論が必要となるのだ。
『……ファーテルさん、ちょっといいですか?』
 また別の、僕たちよりも若い少年……メルキセデクの声がかかる。回復や支援を頼むというわけではなさそうだが、ファーテルに用事があるらしい。
『頼まれていた薬、やっと全部できました……すみません、遅くなって』
 セージの彼は、薬品製造に特化した職業のアルケミストほどではないが……薬を製作するスキルを持っている。
 この手の製造系スキルは、ほぼ全員が何かしら持っており、自分たちで作れるものは可能な限り、購入せずに作ることにしていた。僕も矢については殆ど自作だ。
『わかった、後で貰っておくよ。というか、こちらも無理言って申し訳ないね』
『ん……? 何頼んだんですか?』
『キャスターポーションだよ。多めに頼んだんだ』
 キャスターポーションというのは、呪文詠唱速度向上のためのポーションだ。
 店で買うと高くつくため、材料と代金を渡して薬製作スキルを持つプレイヤーに作ってもらう、ということが多い。
『私の場合は自分に強化魔法をかけて、戦闘したり逃走したりしているからね……連続でかけるには詠唱速度を上げていかないと』
 高レベルのプリーストでパーティの大黒柱・生命線となっている彼だが、単純な単独戦闘能力はかなり低い。
『こっちはヤバくなったらファーテルさんに回復頼みつつ、攻撃魔法を連発しているだけで追い払えるんですけれど……同じ魔法系でも、プリーストは攻撃魔法は殆ど対モンスターですからそうはいきませんね』
 もっとも、普通の術師系プレイヤーは魔法の連発なんて最初に覚える基礎の魔法くらいしかできない。これはMP云々以上に、詠唱時間の問題だ。
 呪文のキーワードを唱えて発動するまでは、ディレイが発生する。このディレイが詠唱と呼ばれ……効果が大きな呪文ほど、詠唱時間は長くなっていく。
 メルキセデクの持つ――術師としての強化がメインの“Rahab”のスキルツリーには、この詠唱時間をスキルレベル分の1、最大で10分の1まで小さくする、というスキルが搭載されている。
 彼はこのスキルによって“効果が発揮されている演出中に次の呪文を詠唱し、攻撃魔法を連射する”という暴挙を可能とした。HPは僕やキールよりもかなり低く、物理攻撃には最も脆い彼が無事なのは、偏に驚異的な攻撃性能のおかげだろう。攻撃は最大の防御とは、よく言ったものだ。
『いっそ武器攻撃してみたらどうっすかねえ?』
 キールが提案するが、そう簡単な問題じゃないようで……ファーテルは唸る。
『それも考えていますが……いい武器が見つからないと』
『僧侶系クラスに強化スキルのある、メイス系武器なら俺に予備がある』
 と、レオンハルト。彼は戦士だから、様々な武器を用意してのは当然といえば当然だ。
 このゲームにおいては武器の種類は多岐に渡る。複数の種類の武器を常備するのは、魔法使い以外にとっては当たり前のことだ。
 射撃戦闘に特化したハンターである僕の場合は、ショートボウ、ロングボウ、クロスボウ、接近戦にも投擲にも使えるナイフ類を常備している。
『一ついただけますか?』
『ああ。倉庫にいくつか置いてあるから好きなのを取っていってくれ』
『あ。レオンハルトだけじゃないけど、誰も使わないだろ、っつーアイテム手に入ったら言ってくれよー。売って金に換えてくるから』
『それならちょうど……』
 そんな感じで、アイテムの扱いについての相談をしているところに。
『――回復を頼む』
 これまでずっと黙り込んでいたアサシンのノアが、ファーテルに回復魔法を要請してきた。
『支援はどうする?』
『今はいい。とりあえず回復だけ頼む……何かあったらまた言うから』
 それだけ言うと、ノアは礼も言わずに再び黙り込んだ。おそらく狩りに集中しているのだろう。
『……本当、無愛想な奴だな……』
 本人に聞こえているにもかかわらず、キールが毒づく。しかしその意見には、僕も全面的に同意だ。
 正直、このノアという男については……わからないことが多い。
 コミュニケーションツールの一つとして存在する、プレイヤー用の掲示板を見ると、彼はこの1ヶ月間……殆どの時間をただひたすらモンスターを狩ることに費やしているという。
 秘匿チャットでも、必要最低限のことしか口に出さない。レオンハルトなんかも口数はかなり少ないほうだと思うけれど、彼はそれに輪をかけて喋らない。
 あまりにも喋らない、感情が見えてこない……どこか機械的ですらある彼を見ていると、人間ではなく何者かによって作り出されたプログラム……俗に言うBOTかもしれない、とすら思う時もある。冷静に考えればそれはないし、口に出すこともないけれど。
 確かに遊んでいたゲームに閉じ込められて、しかも命に関わる事態になれば……頑なになる人も出るのは普通だけれど。赤の他人に対して頑なになるだけなら兎も角、僕らはいわば運命共同体だ。
 何かの拍子で1人が死ねば、全員が死にかねない。そんな状況だというのに、ノアは他の6人とのコミュニケーションを最低限しか取ろうとしない。
『困ったものですね』
 ファーテルが小さく呟いたように、彼の行動は――本人以外の全員にとって、頭痛の種だった。



[7428] 第2話(3)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/04/07 22:17
『……あー、うー……ひもじいよう……おいしいご飯が食べたいよう……』
『やめてくださいキールさん……。思っていることを直接口に出されると、キツいです……』
 それはきっと、全員思っていることだろう。ノアあたりはわからないけれど。
 数少ない娯楽である食事を、モンスターのドロップ品に頼らなければいけないというのは精神的にきつい。
 せめて果実の味がもうちょっとマシならいいんだろうけれど……本来、初心者救済処置用のアイテムにそこまで求めるのは無茶というものだろう。製作会社もまさかこんな事態になるとは思っていなかったはずなのだから。
『あーもう、リアルに帰ったら絶対……ゲーム会社から賠償金ふんだくって、腹いっぱいうまい飯食う!』
『というか、私らに関しては一生生活できるくらいの賠償金ふんだくっても許されるわよねこれ』
『そうだね。そのくらい貰わないと割に合わないし、ね。まあ……生きて帰らないことには、取らぬ狸の皮算用だけれど』
『こういう会話で現実突きつけるのはやめようぜ、ファーテル……』
 暫くそんなどうでもいい話をしていると、レオンハルトが秘匿チャットに割り込んできた。
『ファーテル。狩りは終わったが……念のためもう一度回復を頼む』
 ――勝ったのか、この人。作中トップクラスのボスに、ソロで。
 本当に無茶をするなあ……と呆れる僕たちを他所に、ファーテルは淡々と仕事をこなしていく。
『あと、ユーリ』
 不意打ちで、レオンハルトが僕を呼んだ。
『ん、何?』
『千里眼で俺のいる周辺のキャラクターの分布をチェックしてくれ。雑魚モンスターはどうとでもなるから、わざわざチェックしなくてもいい』
『わかった』
 僕がレオンハルトの顔を思い浮かべながら、指先で四角を描くと……その中に、ダンジョンのエリアの俯瞰マップが表示される。
 マップにはいくつものドットがあちこちを動いている。この点はプレイヤーキャラクターを表わし、触れることで彼らが何をやっているか拡大して見ることもできる。
 この千里眼は“Sariel”のスキルの中でも最も使用頻度が高い。
 “アスタロトの迷宮”を除いた全てのマップの状況を確認することができ、マップ内のモンスターやキャラクターの分布をリアルタイムに確認できる。拡大・角度を変更することで、装備なども細かいところまでチェックすることができる。
 “LucifugeRofocale”の遠隔支援と同様に、僕たちにとって生命線となるスキルの一つだ。
『殆どいない……小規模のパーティが3組いるみたいだけど、レオンハルトを狙っているわけではなさそう』
 さて……マップを確認したところ、3人から5人程度のパーティが3組。装備も人数もパーティ構成も、敗北すれば死亡というルールのあるレオンハルトとの戦闘を想定しているとは思えない。
 それを報告するとレオンハルトは、やはりな、と溜息を吐いた。
『……最近、俺への……ギルド系プレイヤー襲撃の数が減っている』
 レオンハルトの言葉に、ファーテルが呟く。
『ということであれば……大手ギルドあたりから何らかの指示があったのかな』
 ほんとうにそうだとすれば、非常にまずい。
 僕たちがこうして無事に逃げおおせているのは、他のプレイヤーたちの足並みが揃っていないから、というのが大きい。
『大規模な討伐部隊でも組むつもりなのかしら』
『だとしたら捕まえればいつでもどうこうできそうな俺らなんかよりも、目立つ行動をしているレオンハルトたちのほうがヤバそうだな……大丈夫か?』
 キールが心配そうに問いかけるが、レオンハルトはきっぱりと、自信たっぷりに言い放つ。
『俺は重武器の範囲攻撃スキルがあるから囲まれたところでどうとでもなる。そういうのがない奴のほうが心配だ』
 こういう発言って結構ムカつくもののはずなんだけれど、レオンハルトの場合は実際に納得させるだけの実力があるだけに、僕たちからは何とも言えない。
 ボスを一人で狩るほどに戦闘能力とゲーム内知識を極めた男に対して何か言ったところで、釈迦に説法だ。
『まあ俺が一番、戦力的には心配の種かねえ……おいおいユーリ、なんか街の連中が討伐パーティ集めてるぞ』
『……マジで?』
 どうやらゆっくりしている訳にもいかなさそうだ。
『次はどこにするつもりなんだい?』
『えーっと、カフの樹海あたりにしようかと……』
 樹海はこの森から南下し、高い山を挟んだ位置にある。
 ここからだと普通なら街道を使って遠回りして何日かかけて移動する場所だが、山を越えれば何とか夜までには辿り付けるはずだ。
『そういえば、そろそろ私も活動場所を別のところにしようと思うんだけど……どこかいい場所あるかしらね』
『そうだな……お前なら、テット鉱山あたりがいいんじゃないのか』
『駄目ですよ、レオンハルトさん!』
 レオンハルトが地名を出すと、メルキセデクが慌てて制止する。
『ん? あそこならレベルも調度いいと思うが……って、そういえば。あそこはオーガ系モンスターが出るのか』
『ええ。僕らは兎も角、ラケシスさんは女の人だから特に……亜人系モンスターが出るところはまずいです……』
 亜人系モンスターは、ゴブリン、コボルト、オーク、オーガ、トロウル、ダークエルフといった具合に……RPGの悪役としてよく出てくる、様々な種族が存在する。
 彼らは他のモンスターよりも高い知性を持っているため、様々な戦術を駆使して人間のパーティを襲ってくる。
 それが、このゲームにおける本来の亜人系モンスターの姿だが、アスタロトは彼らを大きく“歪めた”。
 人間、つまりプレイヤーの女性と遭遇した場合、HPを0にしない程度に甚振り、バッドステータス漬けにした挙句……彼女らを軟禁する。
 ――捕らわれた彼女らがどんな目に遭わされているか、想像したくはないが……大体の見当はつく。
 そんな事情があるため、女性プレイヤーが亜人系モンスターのいる場所でソロ狩りをするのは自殺行為――というのが、ほぼ全てのプレイヤーの認識だ。
『これまで普通のモンスターだった連中が、まるで本物みたいな行動するようになるんだもんなあ……。
 アスタロトの正体がプログラマだとしたら……とんでもない才能の無駄遣いを兼ねた大悪行だな。
 これだけの技術でちゃんとしたAI作って、筑波で開発中だっていう家庭用ドロイドに入れれば、それこそどのくらい稼げることか』
 キールの皮肉めいた冗談を聞きながら、ふと考える。
『……彼女は一体、何者なんだろう』
 今、こうして思い返してみると――アスタロトの正体が一体何なのかは、結局わからないままだ。
 ゲーム会社の誰かが作ったプログラムなのか。悪意あるハッカーが生み出し、送り込んだものか。それとも彼女がそう名乗った通りに……僕たちの知らない世界の住人……悪魔なのか。何もわかっていない。
 外の世界なら情報が転がっているかもしれないけれど……今の僕たちには外に出る手段はないし、外の人間が介入する手段もない。そもそも、外部からの干渉が可能な状況ならば、すぐさま救助なりなんなりが来ただろう。
 ただ確かなのは……彼女がこの世界を大きく変えるだけの力を持っているということだけだ。
『さあな。少なくとも、一ヶ月もの間、仮想現実空間に66万人を閉じ込めておきながら公の権力によって逮捕なりなんなりされていないあたり……実在する人間とは思えんが』
『そうだよね。普通人間の手によるものだったら……海外からハッキングしているとしても、調べればわかることだろうし』
 僕がそう言うと、レオンハルトも、ああ、と相槌を打つ。
『それこそ本当に悪魔だったとしても不思議ではない』
 コミュニケーションツールとしてメールシステムと並んで使用される、プレイヤー用掲示板に書かれている情報によると、アスタロトは著名な悪魔の名前とのこと。
 オカルトに詳しいプレイヤー曰く……ソロモン72柱の1柱。40の悪霊の軍団を率い、序列29番に位置する大公。魔界においても五指に入る実力者。
 この悪魔は、巨大な蛇にまたがった、毒蛇を持ち毒を吐く――という姿をしているらしいが、少なくともイラストとかで見た彼女はその原形となった悪魔の姿を留めていない。
 しかしその悪魔のモデルとなったのはどこかの豊穣の女神であり、このゲームにおける彼女が美しい女性の姿をしているのはそちらがモデルとなっているのであろう。
『……せめて、外からの情報を持って来れればなあ』
 外部にはこれまで作られてきた、このゲームのデータベースサイトなどが存在する。
 アスタロトによる改造はかなりされているが、それでも見やすくまとめられたデータベースがあるのとないのとでは全然違う。
 それに、“魔王”のシステムがゲームのメインストーリーに由来する以上……考察から打開策のヒントが得られるかもしれない。
『だが、外からの介入がないのは俺たちにとっては不幸中の幸いかもしれないぞ』
『どういうこと?』
『そんなことになったら……公のお墨付きで、俺たちだけピンポイントで殺して他を助けるとか、そういう話になりかねん』
 うへあ、とキールがげんなりとした声をあげた。
『俺らの生存権はどうなっているのさ、それ……』
『基本的人権は“公共の福祉に反しない”程度にしか守られないからな』
『66万人を助けるために、可哀想だが7人の人間に犠牲になってもらいましょう――というのが世論になりそうですね』
 メルキセデクが溜息混じりに言う。民主主義の基本は多数決。それを踏まえれば今の日本では――僕たちを殺してでも他のプレイヤーを早く助けるというのは、当然のことだろう。
 しかし……ただ単に蔑ろにされるなら兎も角、命に関わる問題だ。
 ――赤の他人を助けるからお前は死ねと言われて、はいそうですか、と素直に命を差し出せる人間が果たしてどれくらいいるだろうか。
 少なくとも僕たち7人は、誰一人として当てはまらなかった。
 他に手段がないというならともかく、自分たちが死ぬ以外の脱出条件がある中で自分から死のうとは思わない。
 僕だって……父さんのことがあるし、まだまだやりたいことだって一杯あるんだ。
『……絶対生き残ってやる』
 僕たちの思いを代表するかのようなレオンハルトの呟きには、鬼気迫るものがあった。



[7428] 第2話(4)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:ad701b04
Date: 2009/03/26 22:26
 あの後、山を超えて樹海へと到着し……人目につかず休めそうな場所を探し出せた頃には空が赤々と燃え上がっていた。
 西へと沈み行く太陽を見ながら、僕は溜息を一つ吐き出す。
「……今日も何とか無事に生き延びた、か……」
 ゲーム中時間は、現実と同じように24時間。日が暮れ始めると、ダンジョン外であればモンスターの多くが出現を停止……眠りに就く。
 僕たちが休むのも、大概はこの時間帯だ。といっても、人が多い街で休む訳にはいかない。
 モンスターが出現しないがPKは可能な街よりも、夜間は人が殆どいないモンスター出現エリアのほうが、僕たちにとっては限りなく安全だ。
 そんなことは自明の理。それでも、贅沢したくなるのは人間の持つ性という奴なんだろう。
「うう……一度くらいは、街の宿のベッドで寝たい……」
 データ化されている荷物から、全クラス共通スキルのひとつ・雑貨作成で作った自家製ハンモックを取り出して……木にかけながらそんなことをぼやく。
 動かす肉体は仮想の存在だけれど、物事を考えるために動かす脳は本物――睡眠をとらなければ、注意力が散漫になるなどの支障が出るのは、至極当然のこと。
 だからこそ睡眠時間の確保も重要になってくる訳なのだが――実際に満足な睡眠時間を取れるかどうか、という点についてはかなり難しい。
 何せ今の僕たちは、いわば“デッドオアアライブ”どころか“デッドオンリー”のお尋ね者で、命を狙われている。そんな状況で深い眠りに就くのは危険すぎる。
 必然的に、僕たちの睡眠欲を満たすのは……誰にも見つからない場所に隠れての、短時間の仮眠となる。
 ただし、ノアの持つ隠密能力に優れたスキルツリー“Dumah”には、眠っている間は完全にスニーキング状態になれるスキルがあるという。
 また、ラケシスの持つ“Meririm”の飛行能力や、メルキセデクの持つスキルツリー“Rahab”にある水中呼吸・活動能力なども、少し頭を使えば、安全な場所での睡眠を確保することが容易だ。
 凄い不公平感を感じなくもないが、全てのスキルツリーに何かしらの便利スキルが多々あることを考えれば、お互い様と言えなくもない。
「こっちだって、千里眼は全員の役に立つから別枠としても……夜目が利いたり、洞窟や建物の壁の向こう側が見れたりするからなあ……」
 ハンモックの上に横になりながら、まずはアイテムウィンドウとメールボックスウィンドウを開く。
 キールに発注するアイテムをまとめるためだ。
「防具の耐久度はまだ大丈夫、と……」
 このゲームは防具の消耗が武器と比べてかなり激しい。しかも、くらった攻撃の種類によっては防具の即時破壊が低確率とはいえ起こり得る。
 弓手系や盗賊系がよく使うレザー系の防具なんかは、殴打による攻撃には比較的強いけど、斬撃による攻撃に弱く、剣などの武器を受けた際に防具が切り裂かれることがあるのだ。
「武器のほうも……まだ買い換える必要はないか」
 また、僕の場合は武器も店売りの物を使用している。
 レオンハルトたちが手に入れた、強力な弓も倉庫の中にあることはあるのだが……装備条件となるSTRを満たしていないため装備ができないのだ。
 さっさと条件を満たせ、と仲間たちからはせっつかれているが……まだSTRを上げるためのステータスポイントを費やす余裕はない。
 少なくとも……クリティカル率を上げ、被クリティカル率を下げるLUKをカンストさせるまでは、高レベルの弓はお預けだ。
「とりあえず、すぐに必要になりそうなのはMP回復系かな……」
 キール宛にメッセージを書き、送信した後……データベースウィンドウを開く。
 データベースとコミュニケーションツールを使っての情報の収集は僕たち全員にとっての日課だ。
 まずは、生存している“魔王”のリスト。現在のところ、“魔王”は全員生存しているため全員の名前が記載されている。
 レベルなどは記載されていないが、プレイヤー用掲示板の専用スレッドとリンクしている。僕らに遭遇した普通のプレイヤーたちが、“攻略”に使っているのだ。

 “Balberith”レオンハルト。
 ――人の心を読み取る力を持ち、戦力・戦術共に優れた“恐怖の魔王”。
【重戦士タイプの騎士。最初期からいた古参プレイヤーだが、廃人ではなかった。もともとトップ1000にいただけあって、かなり強い。同等のレベルのキャラクターによるパーティを全滅させたという情報もあり。現状放置を推奨】
 “Dumah”ノア。
 ――隠密能力に長け、音もなく戦場を駆け抜け殺戮を行なう“沈黙の魔王”。
【暗殺者。レオンハルトに次ぐ高レベルプレイヤー。黙々とモンスターを狩り続けているが、向かってくるプレイヤーは容赦なく殺害してくる。レオンハルト同様放置を推奨】
 “LucifugeRofocale”ファーテル。
 ――本人の能力は低いが、部下を指揮することに長けた“言霊の魔王”。
【司祭。個人戦闘能力は殆どないため楽なように思えるが、自身に支援魔法をかけての戦闘能力は充分に危険。元々が大手ギルドのマスターなので人望があり、ギルドメンバーが匿っている可能性もある?】
 “Meririm”ラケシス。
 ――飛行能力を持ち、敏捷性に長ける“飛天の魔王”。
【踊り子。飛行スキルを持っているのを確認。上空に逃げられると手の出しようがないため、彼女を狙うパーティを組むなら、弓手職、攻撃系魔法職は必須】
 “Rahab”メルキセデク。
 ――ありとあらゆる知識を得、魔力を操る術に優れた“叡智の魔王”。
【賢者。水属性系の術師。詠唱のディレイが殆ど存在せず、MP消費も軽減、もしくは高速で回復しているのか、ボスモンスターよりも大魔法をガンガン撃ってくる。彼を狩る時は、水属性耐性のアイテム必須】
 “Mephistopheles”キール。
 ――あらゆる道具を使いこなし、あらゆる敵に対応できうる“道化の魔王”。
【商人。姿をくらましているため、何しているかさっぱり不明。街やその近辺で潜伏し、物資の調達を行なっている可能性は高いが確定情報ではない】
 “Sariel”ユーリ。
 ――ありとあらゆるものを見通す眼を持つが、その恐るべき真の力は封じられているという“邪眼の魔王”。
【弓使い→狩人。ゲーム開始直後の目撃情報などから推測すると、おそらくは一番の初心者。レベルは上がっているようだが、データ的な成長にプレイヤースキルが追いついていない模様。プレイヤーと接触した際は殆ど応戦せず、逃走を選ぶ。回避能力、逃げ足はかなり速い】

 この掲示板を見るたび、腹立たしくなる。腹を立てるくらいなら見るな、とか言われそうな気もするが……生死に関わる情報をチェックしないわけにもいかない。
 これを使っている人たちは、まるでこっちをネームドモンスターか何かのように扱っている。少なくとも、僕の目にはそう見えている。
 ――僕たちは人間なのに。彼らと対等なはずの、プレイヤーなのに。
 いくら唇を強く噛んだところで、どうにもならないことはわかっている。僕らだって“魔王”でさえなかったら、積極的か消極的かは兎も角として、“魔王”を狩る側に回っていたはずだ。
 他の攻略がなかなか成果を挙げれないでいることも、魔王を狙うプレイヤーを増やすことに拍車をかけていた。
 おそらく二番目に簡単と思われるユニークアイテムの収集ですら、大手ギルドの一つが大規模な捜索チームを組んでダンジョンに投入して、ようやく1個目を見つけたとのこと。このペースを維持できたとしてもこのゲームから脱出するのに、半年以上かかってしまう。
「早くて6ヶ月かな……他のギルドも僕たちの殺害よりもユニークアイテム捜索のほうに力を入れてくれれば、こっちも助かるし向こうも効率上がるんだろうけれど……」
 攻略掲示板を閉じて、生存者数のウィンドウを開く。こちらもまだ殆ど減っていない。
 そして――死亡者リストと詳細。
 死んだ人間の数は全プレイヤーの極々一部――百にも満たない数だが、出ている。
 一応、アスタロト本人に挑んで敗北した際も死亡するという話だけれど、そもそもそこまで辿りついたという話は今のところ一つの例もない。故に現在の死亡者の死因は全て、“魔王”との戦闘だ。
 彼らの名前の他にはレベルや、死因……というかむしろ、殺害した“魔王”の名前が掲載されている。
 僕は直接、手を下したことはないけれど……それでもこのリストを見るたびに胸に痛みを感じる。
 彼らも必死なのは理解できる。最初に“魔王”によりHPが0にされた人間が出たときに、アスタロトの「“魔王”との戦いにおける敗者は死ぬ」という言葉に嘘偽りがないことがわかったのに。それでも“魔王”に挑む人たち。
 ――一刻でも早く解放されて、元の世界に帰りたい。
 彼らの根底にあるものは、僕たちも持っている。それだけに、遣る瀬無さを感じる。
 ――でも、僕はそれでも。
「それでも、死にたくない」
 赤の他人のために命を捧げられるほど、僕たちは綺麗じゃない。
 ――それを、他のプレイヤーたちは……悪魔と呼ぶのだろうか?
 レオンハルトなんかは好きにすればいい、と開き直っているみたいだけど。
「そう簡単に割り切れるものじゃないよな……って、あれ……?」
 死者の名簿を閉じようとしたその時に、“異変”は起きた。
 突如死亡者リストのスクロールバーが短くなっていく。
「え……!?」
 それはつまり、ほぼ同時に……それだけの死者が出たということ。
「何があった……!?」
 いきなりの、不意打ちと言ってもいい非常事態に混乱する僕を他所に、死者は増え続け……それがようやく止まったその時には、死者のカウントは――1000人も増えていた。



[7428] 第2話(5)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:15741d4c
Date: 2009/04/07 22:18
「突然、同時に1000人も……それも、こんな時間に……?」
 何が起きたのかさっぱりわからないが、呆けている場合ではないのは確かだ――と思考を切り替え、改めて……死亡した人たちのデータを見る。
 死因は“粛清”――これまでにはなかったはずの死因データだ。
 彼らのレベルを見ると……誰も彼もが低レベルだった。1レベルのまま止まっている者もいたが……ぱっと見たところ、一番多かったのが転職直後と思しきレベルだ。
 僕も“魔王”に選ばれるなんてことがなければ、このレベル帯に属していたと思う。そう考えると、他人事ではなかった。もしかしたら僕も、これで死んでいたかもしれないのだ。
「本当……何だよ、これ」
 仮想現実とは思えぬほどに冷たい汗が、背中を伝う。
 ――彼らの死因となった“粛清”とは何なのか。
 僕の、おそらくは全てのプレイヤーの疑問に答えるかのように。
『妾は思考停止は好かぬ』
 一ヶ月前、僕たちに一方的で絶望的な宣告を告げた魔女――アスタロトの声が空から降り注いだ。
『思考と努力を停止し――ただ解決を待とうとする愚かな者たちには死んでもらう』
 彼女の言葉を信じるのであれば、この大量の死者は彼女自らが手を下したことになる。
 どのような手段でかは、わからない。僕たちの場合は……彼らがどんな風に死んでいったのか、確認する術すらないだろう。
『これより……定期的に、1ヶ月に一度。弱きものは1000人ずつ殺して……いやそれではちと面白くないな。
 よし。月が経過するにつれ、殺害数を1000ずつ増やしていこう。次の月は2000人を殺す。その次は3000人だ』
 ――弱き者。つまりレベルが低い人間のこと、だろう。
『生き延びたいのであれば、精々努力せよ……妾を退屈させるな』
 くすくすという笑い声と共に、相変わらず一方的な彼女の声がフェードアウトし、消え去るのと同時に。秘匿チャットが騒がしくなる。
『つまり……行動を起こさず、事態が解決するのを黙って見ている……データ的には低レベルのままのプレイヤーを殺していく、ということ……?』
 ラケシスのその台詞に、最初に激昂したのはキールだった。
『くそったれが! ただ大人しくしているだけの連中を殺していく、だと……?』
『冗談じゃない……!』
 メルキセデクも、悲鳴にも似た声をあげる。僕は、声すら出せなかった。
『俺たち以外のプレイヤーによる、命をかけた……椅子取りゲーム、か』
 これはつまり、レベルがそれほど高くない一般プレイヤーの多くが選んだであろう“手持ちの資金を少しずつ崩しながら日々の糧を得て、解放を待つ”という選択肢は、これで断たれたわけだ。
 ――そして、殺されるプレイヤーは時間が経過するごとにどんどん増えていく。
『……悪趣味』
 ラケシスがぽつりと呟く。
 これまでだって充分に悪趣味なんだけれど……最悪な事態には慣れたつもりの僕たちでさえ、こんな感想が浮かぶのだ。
 他のプレイヤー、特に不安になりながらも毎日を静かに過ごそうとしていた人たちにとっては、どれだけ衝撃を与えたことか。
『一ヶ月あたりの死者は、経過した月の数×1000。単純計算で、7万8000人が死ぬ。次の年には30万人が死ぬ。仮にその次の年、というものがあれば、ほぼ全滅だな』
 ノアは淡々と計算し、その結果を告げてくる。
『この粛清というシステムは、積極的にゲームに参加しないプレイヤーへの見せしめであり、タイムリミットでもあるということだろう』
 そして相変わらず、感情の見えない声で……今の状況を分析して、述べていく。
『プレイヤー全員が俺たち殺害に動きかねない展開だな。
 戦闘能力が低い製造系とか商業系の連中も必死になってレベルを上げて、他のプレイヤーに高品質の武器防具を流通させようとすると予想できる。
 状況は悪化する一方――さてどうしたものか』
 淡々と。ただ淡々と。目の前にある事実を突きつける彼に――キールがキレた。
『ノア……お前なぁ……! なんでそんなに冷静なんだよ……!?』
『冷静に状況を判断しなければ、死ぬ。俺たちも、他のプレイヤーも。だから俺たちは極力冷静にならなければならない』
『ちょっと! この状況で冷静になれって冗談じゃないわよ!』
『人が死んでいるんですよ! 1000人も! 来月には2000人が死にます! その次は3000人も! ……なんとも思わないんですか!?』
 ラケシスとメルキセデクも、僕たちの怒りを馬鹿にしたかのようなノアの言葉に、怒りをぶつける。
 僕も今の台詞にはかなりカチンと来たので、何か言おうとしたが……。
『――ノアの、落ち着いて考えようという意見には同意だよ』
 その前にファーテルが、喧嘩腰になっている者たちを制した。
『頭に血が上っている状況では、いい考えも浮かばない。それは事実だ』
 レオンハルトがファーテルに同調する。
『それに、ノアだって……相当頭に来ている。そうだよね?』
 ファーテルの指摘を受けたノアが、チッ、と小さく舌打ちするのが聞こえた。
 冷たく振舞っている彼もまた、僕たち同様に苛立っているのは……間違いないようだ。
 そのことに、僅かに安堵する。その反応こそが、彼もまた、人間としての感情を持っている証拠だったから。
『今日のところは皆早めに休んで、クールダウンしたほうがいい。明日になったらこれからのことを考えよう』
 ファーテルのその言葉で、今日のところはお開きとなった。
 全員がキレているような状況でこれ以上話し合っていても、いい結果は得られない。それは誰もが感じていることだったから。
 僕も早速、開いているウィンドウを閉じて眠りにつこうとしたが……あることを思い出す。
「そういえば……みんな、どうしているのかな……」
 このゲームを始めた際にやったチュートリアルクエストで一緒にパーティを組んだ仲間たちのことだ。
 あのチュートリアルは、これまでのプレイ時間総数と比較すると……ずっと短時間だったけど、楽しい時間だった。その時間こそがこの世界で得られた、たった一つの幸せな思い出、と言ってもいいだろう。
 僕は“魔王”に選ばれた時、慌ててその場から逃げてしまったけれど。彼らは今どうしているだろうか? 果たして無事でいるだろうか?
「大丈夫……だよね」
 そうは思いながらも、自分の目で無事を確認するべく、彼らの名前を死亡者リストの検索にかける。
 しかし、名前を入力した回数だけ――僕は絶望を味わうことになる。
『アーフェルシア。レベル11。死因、粛清』
「あ……」
 彼らは何もせず待つという選択肢を選んだ。ただそれだけ。
 それだけを理由に、殺された。
『シーヴァソン。レベル11。死因、粛清』
「ああ……」
 僕が彼らと共にいれば、どうだったんだろう?
 彼らの運命は変わっていたのだろうか? それともただ単に、僕の死が早まっただけなんだろうか?
 ……そんなことはわからない。
『ディヴィバクト。レベル13。死因、粛清』
「……ああああ……」
 過去にifはない。過ぎ去ってしまった時間は、巻き戻せない。変えることができない。
 現実と連動するこのゲームには、リセットボタンはない。
 選択肢を一つ、選んでしまった――その時点で、それ以外の、選ばなかった未来は失われる。
『ルティアル。レベル12。死因、粛清』
「うわあああああああああああっ!!!!」
 街から離れた、樹海の奥でも……誰かがいるかもしれない。
 僕の声を聞きつけた奴が、僕を殺しに来るかもしれない。
 わかっている。そんなことはわかっている。
 それでも僕は、叫ばずにはいられなかった。



[7428] 第3話(1)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:689051ba
Date: 2009/03/26 22:23
 何だか、懐かしい音が聞こえる。
 機械のアラーム音。
 ああ。これは、僕の部屋の……目覚まし時計の……。
「……!?」
 がばっと、体を起こす。
 そこは、自分の部屋の……布団の中だった。
「なんだ……夢、か……」
 どうやら、全ては夢だったらしい。
「全部……夢だったのか……」
 悪夢から現実に戻ってこれたことに、酷く安堵する。
 ――いきなり、ヴァーチャルリアリティの中に閉じ込められて、デスゲームを演じさせられる。
 そんなのが現実のわけがない。そんなものは、フィクションの中だけで充分だ。
 寝起きのぼんやりとした頭で、自分自身に言い聞かせる。
「……そうだよ……あんなの、ただの夢だよ……」
 肩を抱きながら、笑う。
 そう、あれはただの夢だった。そのはずなのに、どうしてか……体の震えが止まらない。
「顔、洗おう……」
 僕は立ち上がるとまっすぐ洗面所に向かい、顔をばしゃばしゃと洗い……その足で居間へと向かう。
「おはよう、父さん」
 そこにはいつものように、父が新聞を読みながらソファーに座っていた。
「おはよう、夕樹」
「少し待ってて。朝飯作るから」
「ああ」
 ぶっきらぼうに返事する父の様子に苦笑しながらも、僕は奇妙な違和感を覚えていた。
 どういう訳か、父の顔も、家の内装も……どことなくぼんやりとしている気がする。
 顔を洗ったのに、まだ寝ぼけているのかな。
 そう思いつつも台所へと向かい、そこでいつものように朝食を作っていくのだが……。
「……あ」
 ふと手元を見たら、指を切っていたらしい。指先から血が止め処なく流れ出ている。
「絆創膏は……確か……」
 一応絆創膏を取り出して指に貼り付けてはみたが、不思議なことに……怪我した場所は全然痛まない。
 夢の中での怪我のほうは、小さな傷でも痛く感じられたというのに。
「おかしいなあ……」
 疑問に思いつつも、作った朝食を皿や茶碗に盛り付けて……いつものように居間で父親と共に食べ始めるのだが。
「ん……」
 どうしてだろうか……味がしないような気がする。
 ――夢の中で、やたら濃い味の果物ばかりを食べていたからだろうか?
 いや、そんな訳はない……はずだ。あれは所詮、夢なのだから。現実に、
「どうした?」
 父さんのほうは普通に食べているため、味付けが変だということはないはずなのだが……。
「いや、何でもないよ」
 無理に笑みを作って、その場を取り繕い……不意に、テレビに視線を向ける。
 いつものように、面白くもなんともない、ニュースが流れている。
 けれどどうしてだろう。何だか今日に限って……そのニュースがやけに空虚なもののように見えるのだ。
 まるで、過去に見た番組を繋ぎ合わせて作られたような……そんな感じがした。
「……ご馳走様」
 食べるだけ食べ終わって、食器を流しに持って行く。蛇口を捻ると水が出てくるけれど……冷たさを感じない。
 本当に、調子が狂う。そう思いながらも、食器を洗っていく。
 やるべき家事をひとまず終えて、着替えて荷物を準備した後は、これまたいつものようにマウンテンバイクに乗って、学校へ向かう。
 けれど、また、妙な感じがした。
 なんというか……風を感じない。結構な速度を出しているはずなのに。
「おかしいな……」
 違和感を感じながらも、ペダルを踏み、坂道を下っていく。
 道路に車の姿はない。普段のこの時間帯は、多少は村の外で働いている人の車が走っていたりするものなのに。
「あんなひどい夢を見たし、調子悪いのかな……?」
 首を傾げながらも、急なカーブを曲がっていく。バランス感覚もあまり感じなくなっていたが、幸いにも転ぶようなことはなかった。
 そうして辿り着いた学校では、いつものように。みんなが教室で話をしながら、HRが始まるのを待っていた。
 今度の長期休暇の話。進路を決める三者面談の話。昨日見たバラエティやドラマの話。
 いろんな話をしているはずなのに、どうにも頭に入ってこない。
 一応、何か聞かれた時だけ適当に相槌を打っていく。
「そういやパンデモニウムのことなんだけどさ」
 健太が突然こちらに振ってきた話だけ、やたらはっきりと、鮮明に聞こえた。
「アーフェルシアさんもルティアルさんって……どっちも、中身女性プレイヤーなんだろ?」
 夢の中では無残にも殺された彼女らも、現実では生きていたらしい。
 あの後、どのような関係を築いたかははっきりとは思い出せないが……多分良好な関係だろう、あんな事件でもなければ。
「あ。うん、そう言っていたけど」
 適当に相槌を打つと、健太は目を輝かせて。
「紹介してくれよ」
 そんな阿呆な催促をしてきたので、僕は自分ができうる最大限の笑顔で。
「やだよ」
 そう即答してやった。
「えー。ずりー。独り占めすんなよ」
「別に独り占めしているわけじゃ……というか、お前のところにはいないのかよ」
「可愛い女の子かと思ってみればネカマだった、っていうのばっかりだからなー。中身まで本物の女性プレイヤーってのはそれだけで希少価値がつくんだぜー?」
 何か、こいつのの言動にも違和感を感じる。
 嫁不足が深刻で、少子高齢化と若者が離れていくことが最重要の問題とされている土地とはいえ……こんなに女にがっついていたっけ? こいつ。
 ――別の人間が混じっている。
 あの夢に出てきたキールっぽいというか……そんな感じだ。あいつは、女絡みに病的なくらいに食いつきすぎだった。紅一点のラケシスに何度もヤらせてくださいとお願いしてたし……。
 って、またおかしいな……実際に一緒に遊んでいるはずのアーフェルシアやルティアルのことが殆ど思い出せず朦朧としているのに、夢の中の登場人物に過ぎないはずのキールのことを鮮明に思い出せるのはどうしてだ?
「多分、実際には会えないよ。確か……滋賀とか宮崎とかだって話だし」
 ……そんなこと話していたっけか。どうにも思い出せない。
「……どこだっけ」
 ああ、そういえばこいつ、地理とか歴史とかは昔からてんで駄目だったな。
 随分と長い夢を見ていた気がするせいか、すっかり忘れていた。いや、忘れるのもおかしいのだけれど……。
「関西と九州だよ。滋賀は琵琶湖があるところで、宮崎は鹿児島の上」
「琵琶湖はわかった。鹿児島の上って……右と左どっちだ?」
「後で地図帳で調べるなりなんなりしろよ、そのくらい……」
 健太の言動に呆れながらも、やはり違和感は拭いきれない。むしろどんどん、大きく膨らんでいくような気がする。
 どうしてだろう。
 ゲームに閉じ込められて、命を狙われるなんてのは、夢のはずなのに――夢から起きた現実のほうがどこかぼんやりとしていて……どこか空虚で。
 あの夢のほうが、リアルで現実味を帯びている、なんて。
 ――おかしい。何もかもがおかしい。
 こちらが現実で、あのゲームはただの夢のはずなのに。それなのにどうしてこんな……違和感ばかりを感じるのだろう?
「夕樹、どうした? なんか調子悪そうだけど」
 何でもないよ、と嘘を吐いて言い繕おうとしたその瞬間。
 がらっ、と教室の前のドアが乱暴に開けられて……これまたいつものように、担任教諭が入ってくる。
「おーい、お前ら。ゲームは1日1時間っつってるだろうが」
「ちょ、いつの時代の話ですかそれ」
 男子が声をあげて笑い、女子もクスクス笑っている。
「とりあえず全員いるなー。ホームルーム始めるぞー……」
 チャイムが校舎全体に鳴り響き、今日もまたいつも通りの変わり映えしない一日が始まろうと――していた、その時だった。
「……あれ?」
 まず最初に壊れ始めたのは、僕以外の人間。
 先生もクラスメートたちも、まるであのゲームで倒されたモンスターが消えるのと同じように、ポリゴンになり、崩れ去っていく。
「……な……!?」
 次に教室の机や椅子が壊れ始め、席についていた僕は尻餅をついてしまう。
 でも、それだけでは終わらなかった。教室の建物も。学校の外も。それどころか、足をつけるべき地面まで――全てが、音も立てずに崩壊していく。
「何だよ、これっ……!」
 地面が壊れた後には、“何もない”。どういうわけか重力は作用しているらしく、体が下へと落ちていくのを感じる。
 どこまでもどこまでも深い穴へと落ちていき……どのくらい深く落ちたのかわからない。
 こうして僕の現実世界での意識は途絶え――仮想世界という名の“現実”へと引き摺り戻されていく。
「あ……」
 目を覚ました時、太陽は真上にあった。眩しさに目を細めながら、体を起こす。
「夢……」
 あまりにも現実的な、夢。あの夢こそが本来あるべき日常。そのはずなのに。
 今こうして僕がいるのは、仮想現実の世界の中の、絶望的な悪夢なのだ……。
「そうだ……まだ、戻れないんだ……」
 両頬を軽く叩き、まだぼんやりとする頭をはっきりとさせる。
 起きたらまず最初にやるべきことは周囲の確認。万全を喫して千里眼で確認しても、周囲に人はいない。
 それが終わったら、いつも通りの、朝の挨拶。
『……おはよう』
 何人かの、安堵の溜息が聞こえる。
『ようやく起きたか、ユーリ』
『いつまでも起きないから、心配しましたよ』
 キールとメルキセデクの呆れたかのような声。この時間までずっと寝ているのは無防備すぎる、と自分でも思う。
 他のプレイヤーやモンスターに見つからなかったのは、本当に僥倖だった。僕はこういう悪運ばっかりは……本当に強い。まるで何かに守られているかのように。
『心配かけて、ごめん』
 まるで堰を切ったかのように、とめどなく流れる涙を拭いながら……僕は皆に謝る。
 ――今の僕にとっては、この悪夢こそが現実。
 目が覚めた瞬間にわかっていたことだけれど、悔しくて、哀しくて。涙が止まらなかった。



[7428] 第3話(2)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:689051ba
Date: 2009/03/26 22:24
『――状況が動いた』
 ノアの言葉のおかげで、体と心に緊張が戻る。
『動いた、って何が……?』
『とりあえず、メールボックスを開け。話はそれからだ』
 レオンハルトに言われた通りに、メールボックスウィンドウを開き……その中身を確認する。
 そこには。“追加の解放条件について”という、システムメッセージが放り込まれていた。
 僕はそれを見る。それは小難しい文章で、僕たちが解放される条件が書かれている。
 わざとかどうかはわからないが、酷くわかりにくい書かれ方をしていたけれど……内容としてはシンプルなものだった。
 新たに追加された、僕たちの解放の条件。それは。
 ――“魔王”以外の全プレイヤーの死亡。
『……何これ』
 感想はそれしか浮かばなかった。もういい加減、怒る気にも悲しむ気にもなれない。
 ――いい加減、心がマヒしかけているのかもしれない。
 ぼんやりとメールの内容を読み返しながら、そんなことを思う。
『まあ、俺ら全員の殺害が他のプレイヤーの解放条件であるとすれば……その逆もまた然り、ってところか』
 これまでルールとして明記されていないのは妙だと思ったけれどな、とキールは溜息を吐く。
『現実的に考えれば無理だろう。確実に3年間生き延びられるなら話は違ってくるだろうが……』
 そこでレオンハルトは、溜息一つを吐いた。
『ゲームのルールとしては定義されていない、目には見えないタイムリミット、というものも存在するからな。
 あまり考えたくはないが……1年以上の長期に及ぶようであればそれも考慮に入れなければならない』
『ルールにはない……見えないタイムリミット?』
『この世界は所詮、ゲームサーバーの中の世界に過ぎない。そしてコンピュータというのはメンテナンスなしに永久に動く機械ではない』
 常時動かさなければならないサーバーマシンなら尚更壊れやすい、とレオンハルトは付け加える。
『ゲームサーバーが何らかの手段で破壊されるなり、いわゆる寿命を迎えたりしたら……どうなると思う?』
 アスタロトがそれで無事に、出してくれるとは思えない。それで出れるんだったら、初日……長くても数日のうちに、解放されていたはずだ。
 それなのに、1ヶ月も出れない状態が続いているということは……仮にサーバーが壊れたりすれば……。
『――それが、見えないタイムリミット』
 僕たちとは関係のない、外部要因によるゲームオーバー。
『ヤバいぜそれ。運営会社の東京……ってか首都圏だろ? 関東・東海地震とか、何年も前から言われているじゃん』
『それを考えると自分たちの体がある場所で災害が起きた場合も危険ね。機械に繋がれている都合上、避難させるのは容易じゃないだろうし……』
 考えれば考えるほど、気が滅入ってくる。
 ゲーム内でさえ絶望的なキツい条件なのに、ゲームの外の不可抗力によるゲームオーバーまであるなんて。
 そうでなくとも……時間経過と共に僕たちの何百倍、何千倍ものプレイヤーが死ぬ。
 ――果たして僕たちに、そこまでに犠牲を出してまで生きる権利があるというのか……?
『しかし、1000人もの人間を一瞬にして殺すなどという虐殺行為を涼しい顔……かどうかはともかく平気でやるのがアスタロトという人物だ。
 そう考えれば、そもそもの解放の条件にも何か罠が仕込まれているかもしれないね?』
 滅入る思考を遮ったのは、ファーテルの台詞。相変わらず落ち着いた、静かな声だが、そこには相当な怒りが見え隠れしていた。
 ――優しく大人しい人間ほど、本気で怒ると怖い。
 彼の穏やかだが辛辣な言葉を聞いて、僕は心の底から本当に……そう思った。
 僅かな間だが重い沈黙が流れた後、ファーテルが咳払いして、話題を切り替える。
『ところで皆……“タブラの狼”というゲームを知っているかい?』
 その質問への返事は、誰も返さなかった。
 おそらく誰も知らないのだろう。実際、僕も……やったことがあるどころか、名前も聞いたことがない。
『“デュスターヴァルドの人狼”、“ミラーズホロウの人狼”……“汝は人狼なりや?”の名前が日本だと有名かな。ネット上でも流行ったゲームだ』
『最後のは、名前だけ聞いたことがあるかな……確か推理ゲームだったような』
 実際にプレイした訳ではないから、ゲームのジャンルくらいしかわからない。
『俺はやったことがある』
 と、ノアが挙手した。といっても、秘匿チャット機能には映像がついているわけではないから実際のところは手を上げた訳ではないけれど。
 彼の他にはプレイ経験者はいないらしい。
『やっぱり、聞いたこともないなあ……推理ゲームっつっても何を推理するんだ?』
『僕も知りません。どんな内容のゲームなんですか?』
 当然の流れとしてノアとファーテルに、ゲームの内容についての説明を求める声がいくつか上がる。
『プレイヤーは、人狼による殺人事件の容疑者である、村人を演じる。
 この中には本物の人狼が紛れていて、村人は人狼を“役職を持つプレイヤー”からの情報と他のプレイヤーそれぞれの発言からの推理で捜し当て処刑、人狼は正体を隠しながら村人を食い殺していく。
 最終的に人狼を全滅させられれば村人たちの勝利。人狼の数が村人の数よりも多くなれば人狼の勝利――ストーリー上、村人は全滅する』
 ノアの淡々とした説明に、うわあ、という声がいくつか聞こえた。僕も似たような声を出していたかもしれない。
『その……なんというか……随分と、趣味が悪いお話で』
 キールの言葉を、この話題を振ってきた人物は苦笑交じりに肯定した。
『そうだね。ゲームのルールだから、というメタ視点を取り除いてしまうと……かなり酷いストーリーだと思うよ。
 村人たちは疑心暗鬼になって、人狼を処刑することで事態の収拾を図る。冤罪が出ても、気にせずに処刑を続けていく。
 それで人狼を全滅させられれば単純な話なんだけれど、狼だって殺されるとわかれば必死だ。
 あの手この手で村人を騙して、発言などに隙ができた村人に濡れ衣を着せて、自分たちの代わりに処刑させようとする。
 狼に騙されて村人を吊ってしまうと、疑心暗鬼が加速して……村人が村人を疑い、処刑するようになっていく。
 こうして他人を信じられなくなった村人たちは敗北しみんな狼に食べられて――狼たちも村を去り、そして誰もいなくなる。
 さて、このゲーム、何かに似ている気がしないかい?』
『推理で狼を見抜き排除するのと、最初からわかっている“魔王”を暴力で排除する……という違いはあるけれど……』
 確かに、似ている――気がする。今の僕たちが置かれている状況に。
『さらに言えば、このゲームにおける人狼は、僕たちの秘匿チャット機能と同じように……お互いにしか聞こえない会話を交わすことができる』
『村人たちが疑心暗鬼に陥ってお互いに潰しあう一方で、人狼はこっそりと会話して一致団結しなければ生き残れないとは皮肉が利いているな』
 レオンハルトが苦笑する。
 僕たちも、プレイヤーが足並みを揃えられないのを横目で見ながら、秘匿チャットで会話して行動を相談し合うのが常だ。
 ――そうしなければ、生き残れない。
 “人ならざる者”とされた存在にとって、お互いの絆が生存のための鍵というのは……確かに皮肉が、利きすぎている。人狼ゲームの考案者は、重度の人間不信だったのだろうか。
 そんなことを考えていると、何事かを考え込んでいた様子のノアが再び口を開いた。
『昨日の“粛清”は、狼の襲撃の代わりというよりは……ネットでの、掲示板形式のゲームで採用される突然死に近いものを感じるな』
『突然死?』
『簡単に言えば、丸一日で発言がないキャラクターを取り除くためのシステムだ。発言しないキャラクターがいると、推理もできなくなるからな。
 掲示板形式は1回のプレイに数日……互角の勝負であれば1週間くらいの期間がかかるから、急用とか体調不良とかも発生しやすい……それを踏まえて考えられたルールだ』
 彼の簡単な説明に、ファーテルが更に補足する。
『死亡条件としてはどちらかというと……発言数が乏しく後々残すと推理材料に困りそうなキャラクターを、最初のうちに処刑する寡黙吊りに似ているけれどね』
 つまり、人狼が誰であるかを発言内容から推理するゲームにおいては、発言しないことは悪であり、それだけで退場となる要素であるということなのだろう。
 そしてアスタロトは、積極的に解決に当たらないことを悪とし、その典型例である低レベルのまま解放されるのを待つキャラクターを排除にかかった、ということなのだろうか。
『まあ、“粛清”についての考察は後にしよう。
 さて、このゲームに似ている人狼ゲームについてだけれど……参加する人数や使用するルールの種類によっては……第三勢力というものがいるんだ』
『第三勢力?』
『そう。ゲームによって名前が違っていて……ハムスター人間や妖狐、妖魔と呼ばれることもあるね』
 妖狐、妖魔は兎も角。ハムスター人間というのは、ゲームの殺伐とした内容から随分とかけ離れている。
 その異質さが第三勢力らしいといえばらしいかもしれないけれど、でも、ハムスターはちょっと、アレだよなあ……和風にねずみ男、とかにしたほうがまだそれっぽい気がする。
『ファーテル、お前は……アスタロトはゲームの管理者であると同時に、第三勢力のプレイヤー……と推理しているのか?』
 ノアの指摘を、ファーテルは『そうだ』と肯定する。
『そして、この第三勢力の勝利条件は……自身が生存している間に、どちらかの勢力が全滅すること』
 ――つまり、僕らが全員死ぬことこそが、アスタロトが目的を達成する条件となる可能性がある。
 アスタロトの目的は、彼女の正体同様に不明。そして、彼女が目的を果たしたからとプレイヤーを解放するかどうかは……非常に怪しい。
 こんな趣味の悪いゲームを主催する人物が……たった7人の“魔王”を全員殺せば無事に帰れる、という単純なルールで、プレイヤーたちを解放するだろうか?
『ということは、そもそも奴の言う解放のための条件が嘘である可能性もあるのか』
『完全に嘘、というよりは……何か罠を仕込んでいる可能性のほうが高そうね……』
『もしくは何か大事なことがあって、それについて黙っている、とかですね……? いずれにせよ、かなりまずいですよこれ』
 これでは、どうせ僕たちにとって詰んでいるのなら、せめて……と自己犠牲による解決もを図ることもできない。
 そう読むのを予想してのブラフであるというパターンも否定できないけれど……本当に何もないということは、まずなさそうだ。
『まあ、これは……あくまで仮説だよ。僕たちが現時点で知りうる情報によって組み立てた、一つの説に過ぎない。
 でも、アスタロトの言葉を額面どおりに受け止めるのはかなり危険であることだけは確かだ……彼女の正体が何にせよ、ね』
『問題は一般プレイヤーが……、アスタロトの言う条件に疑問を持つか、ね』
『無理でしょう』
 ラケシスの言葉に、メルキセデクが溜息混じりに言い放つ。
『人間は……飢え死にするくらいなら、共食いしてでも生き延びようとする生き物ですよ』
『そんなことは……』
 いくらなんでもないだろう、と言うよりも先に、彼が話を続ける。
『どこかの国で、落盤事故で生き埋めになった人が……事故で死んだ人の死体を食べて生き延びたという話を、聞いたことがあります。
 自分が本当に飢え死にしそうな時に、目の前に食べ物があったなら……例えそれが人の肉だったとしても、何も考えずに食いつく人間のほうが多いかと』
『――この世の中に人間ほど凶暴な動物はいない。狼は共食いをしないが、人間は人間を生きながらにして丸呑みにする』
 ロシアの小説家の言葉だ、とノアが言う。
『皆が皆そうではない、とは思うし、そう信じたいけれど……アスタロトに煽動されているからね。
 煽動された人間の集団意識というのがかなり危険なのは、人類がこれまで辿ってきた歴史を見れば明らかだ』
 歴史に限らずとも、一人なら理性によって歯止めがかかることでも、それが集団になれば……という現象は数が多い。
 赤信号、みんなで渡れば怖くない――がその典型例だろう。規則があったとしても、集団の意識がそれを否定するのであれば簡単に破ることができる。
 倫理についても同じこと。集団意識のヒステリーが起きれば、殺人どころか虐殺、民族浄化に至るまで、正当化され……行なえるようになってしまう。
 そして今。このゲームは数十万人の集団意識がヒステリーを起こしていて、それらはたった七人の人間へと向けられているのだ。
 ――果たしてこの世に、これほど恐ろしいことが……他にあるのだろうか?
 その上、自殺による逃避は許されないときている。他のプレイヤー数十万人を道連れにするのを覚悟するのならば話は別、になるのだろうが。
「どこまでも救いがない、残酷なゲーム……だな」
 声に出して、一人ごちる。
 “粛清”によって膨大な量の被害が出るとしても、僕たちには生き延びて……真の解放条件を満たす以外の選択肢がないのだ。



[7428] 第3話(3)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:689051ba
Date: 2009/03/27 22:43
『今後のことについてだが……自分を殺そうとする相手は、勝てる相手であるのならば確実に殺していったほうがいいだろう』
 レオンハルトの台詞に、ほぼ全員が凍りついた。
『多くのプレイヤーたちがどうして俺たちを殺そうとするのか――それは、俺たちを殺すことの難易度が、他と比べて低く見られているからだ』
『そもそも、全員が1ヶ月生き延びられたこと自体が奇跡の産物のようなものだしね……』
 そう。プレイヤーの不協和音、独自のスキルの存在などの様々な要因が絡み合って、現在の状況がある。
 例えるならば砂上の楼閣。何か刺激が一つあれば崩れてしまう、そんな脆い状況だ。
『俺たちを殺そうとすることで、多大な犠牲を出すとすれば……他の奴らも、別の解放手段に目を向けるかもしれない』
 レオンハルトの言うことは、正しいとも間違っているとも言い切れない。
 確かに、難易度が上がれば諦めて、別の選択肢を模索するプレイヤーもいるだろう。だけど。
『確かに、そういう部分はあるかもしれないけれど……この状況で、プレイヤーがそこまで冷静になるとは思えないな』
 ファーテルが、レオンハルトとノアの唱える案に反論する。
『同感。人を殺せばそれだけ、仇討ちだの何だのと、“魔王”を討つ理由が増えるんじゃないか?』
『そうですよ。他のプレイヤーを必要以上に刺激するのは危険です。他の方法を考えないと……』
 キールとメルキセデクも、ファーテルに同意した。
 しかしノアが、彼らの意見に対して冷たく言い放つ。
『……復讐だの何だののやる気をなくすくらいに、恐怖心を植えつけてやればいいだけだろう?』
 その抑揚のない言葉はあまりにも冷たくて、それでいてどこか空虚で。
 彼の性格を知っている僕たちでさえ、彼の恐ろしさを感じずにはいられなかった。
『ということで、俺はレオンハルトに賛成だ。そっちの方が、効率がいいからな』
 そして案の定と言うかなんというか。キールが彼に噛み付いた。
『お前はまた……!』
 冷静すぎるノアと、感情的すぎるキールは水と油だ。
 この二人の仲の悪さは、どうすることもできないだろう。
『少しは頭を使え。このゲームでは常に最適解を見つけないと……死ぬぞ。自分も、他のプレイヤーも』
 本人はそのつもりはないのだろうが……馬鹿にしているようにも聞こえるその台詞に、キールがぎりぎりと歯軋りする音が聞こえる。
 理解はしているけれど納得はいかない、と言ったところか。
 実際僕も、彼やレオンハルトの言うことを理解はしているけれど、まだ……そういうものだと完全に割り切るには、覚悟が足りない。
『他のプレイヤーたちに悪鬼や羅刹と罵られ、憎まれても……一番効率のいい方法を見つけて推し進める。このゲームを“攻略”するためには、それ以外の方法はない』
 それが、この一ヶ月間ただひたすらモンスターを狩り続け、僅かな睡眠と食事以外の全てを成長のために費やしたノアという男の考えであり信念、そして原動力なのだろう。
『そもそものアスタロトの言う解放の条件がどこまで本当なのか、怪しいもんだけれどな』
 ケッ、とキールが毒づき、ファーテルが何とかなだめようとするのが聞こえる。
 しかしノアは、気にした風もない。
『難易度が簡単な方に罠が仕込まれている可能性が高いなら、実現不可能と言われている条件のほうには何もないと信じるしかないだろう。
 元々、俺たちを殺したら解放される、というのはあからさまに簡単すぎたからな。最初から……何かしら落とし穴が含まれていそうな気はしていた』
 この話し方を聞く限り彼は、僕たちの殺害以外の解放条件を満たす以外に全てのプレイヤーが生き残る術はないというのは……最初の頃から予想していたようだ。
 ……喋ろうよ。そういう大事な話は。
 と口に出して言ったとしても、無駄なんだろうなあ。ノアのこれまでの行動や発言を見るに。
 ――さておき。これでは、以前にも何度かあった堂々巡りになりかねない。ファーテルも議論に参加しているし、どうしたものかな。
 そんな奇妙な均衡を崩したのは、ラケシスの一言だった。
『私も、レオンハルトたちの案のほうに一票入れるわ』
『ラケシス!?』
 メルキセデクが非難めいた声をあげる。
 僕から見ても正直、意外だった。彼女はどちらかというと、キールやメルキセデクに近い感情的な人間――のように見えていたから。
『死にたくないのは誰も彼も同じよ? 私たちも、他のプレイヤーも。この一点に於いては、誰も彼もが同じ。
 だから……自分が助かるために“魔王”を殺そうとするのであれば、“魔王”が生き延びるために自分を殺そうとするのを受け入れるくらいの覚悟は……相手にもしてもらわないとね。
 不公平じゃない、私たちだけ殺されることに怯えているなんてのは。せめて、相手にも同じ死というリスクと、それへの覚悟を背負ってもらいたいわ』
 彼女はここで一旦深呼吸して、更に捲くし立てる。
『私かて、自分から積極的に人を殺したいわけではないわよ。レオンハルトやノアだってそうでしょう?
 それでも、降りかかる火の粉は払っていかないとやっていけない、ってのは……どうしようもない事実よ』
 そもそも……これまで殺した相手だって、積極的に殺したわけではない、止むを得ず殺害に及んだ結果のはずだ。それでも、僕たちは現時点でも相当にプレイヤーたちの恨みを買っているというのは想像に難くない。
 プレイヤー感情の悪化を理由に不殺を貫こうとするには、時機を逸した気はする。
『それに、人を極力殺さないようにしよう、とは言うけれど……代案はあるの?』
『そ、それは……』
 ファーテルも流石に言いよどむ。
 でも、単に彼が思いつかないという問題じゃない。
 無茶苦茶すぎるのだ。今の僕らを取り巻く状況が。
『相手の意見を一方的に叩くのは簡単。誰にだってできるわ。
 特に今回のケースの場合――人を殺してはいけません、なんてのは倫理的には当たり前のことだし、それだけで理由になるもの。
 でもね。綺麗事による絵空事じゃない、実現可能な範囲の代案を出してもらわなきゃ、こっちは納得しないわよ?』
『そんなこと言われても……困りますよ』
『こっちだって、あんたたちの言うような理想論が実現できるとはハナから思っていない』
 しかし、ラケシスの声はどこか震えていて……不安定さを感じさせる。
 彼女もまだ、どこかで迷っているのだろう。
『……そういうのはさっさと諦めて、現実を直視しなきゃ駄目なのよ。きっと』
 その言葉は、他の皆にというよりは、自分自身に聞かせるかのように……僕には聞こえた。
『……ユーリ。お前はどう思う?』
 煮詰まってきた話の矛先を向けられ、僕は内心思いっきり戸惑った。
『……どうなんだろう……まだ色々ブレている状態なんだけれど……』
 正直なところを言ってしまえば、、まだ完全に頭の中がまとまっていない。
 それでも、今考えていることを言葉にして、なんとか伝えようと試みることはできた。
『多分感情そのものはファーテルたちに近いと思う。人を殺す覚悟なんて、まだまだ足りていないと思うし……。
 でも、実際のことを考えると、レオンハルトたちの言うように……こっちに向かってくるプレイヤーはできる限り殺していかないと駄目だということはわかっている』
『ユーリさんまで、どうして……』
 メルキセデクの、どこか責めるような声に対し……僕はこの議論が始まってからずっと、考えていたことを答える。
『僕の見逃したプレイヤーが、他の皆を殺すかもしれない。そう考えると……敵対したプレイヤーは殺すしかないんだよ。どうしても』
 そう。このゲームは、一人が死ねば……芋蔓式に全員が死亡する可能性がある。むしろ、その可能性が高い。
 僕たちの全滅によって、アスタロトが勝利し――その結果としてプレイヤー全員が死亡するという最悪の結果が見え隠れする以上……僕たちの中から犠牲者が出る事態は極力避けなければならない。
『人狼ゲームだと、仲間を切り捨てることでお互いの繋がりを断つ、というのも戦略の一つだが……このゲームの場合だとそれは自殺行為だからな』
『あのゲームだと人狼は全く同じ能力だからね。それぞれが違う能力を持ち、お互いのスキルが生命線となりうる、今の僕たちとは違う……。
 それに……確定情報ではないとはいえ、“魔王”の全滅がプレイヤーの全滅に直結する可能性もある……襲ってくるプレイヤーはできる限り殺すしか、ないのかな』
 ――だから僕らは、他のプレイヤーを殺してでも生き延びなければならない。
 言葉で言うのは簡単かもしれないけれど、実行するのは難しい。口に出した僕も、まだ覚悟が定まっているとは言い切れない。
 自分たちと他のプレイヤーを救うために、自分たちを殺すことで解放されることを願うプレイヤーの未来を奪う。
 それが正しい、とは思えない。けれど……これは、解けば正しい答えが出る、数学の公式とは違う。
 きっと……全てが正しくて、全てが間違っている。正解なんてありはしない。
『もし仮に、あの世というものがあったら……俺たちは全員、間違いなく地獄行きだろうな』
 重苦しい沈黙を破るかのように、キールがぽつりと、小さく呟く。
 確かに、ある意味では被害者とはいえ……僕たちが天国に行けるとは思えない。如何なる理由があるにせよ、他のプレイヤーを殺してでも生き延びる、なんて相談をしている時点で地獄行きは覆らないだろう。
『少しくらいは情状酌量の余地があるとは思いますから、少しくらいは……刑期とかそういうのがマシになりそうですけれど』
『アスタロトみたいな、性悪の裁判官に当たらないことを祈るくらいしかできないわね』
 ラケシスの、あまりにも悪い冗談に、いくつかの苦笑が聞こえる。僕もこれには苦笑いせずにはいられなかった。
 ――冗談じゃない、とはまさにこのことだ。そんなことになったら、例え天寿を全うしたとしても、死に切れなくなってしまう。
 そんなことを考えていると……腹の虫が、空腹の警鐘を鳴らした。
「そういや、目が覚めてからまだ何も食べてないな……」
 いつものように果樹を探して食事を摂ろうと立ち上がったその時。
 ほんの僅かだったが――ガサリ、と――離れた場所で草を掻き分ける音が耳に入った。
「……!」
 息を呑んで、そちらへと視線を向けると、数人のプレイヤーがこちらへと向かって来ている姿が確認できる。
 即座に千里眼ウィンドウを小さく開き、周辺のプレイヤーの配置を確認する。
 既に視界に入っているパーティの他にも、複数の小規模パーティがこちらを囲むように展開していた。どうやら相手は、こちらが襲撃を受けて飛び出してくるのを迎撃しよう……という考えのようだ。
「あっちゃー……やっぱり、世の中そんなに甘くない、か……」
 先ほど目を覚ました時に、周囲に誰もいなかったのは、相手が人手を集めて襲撃のための準備をしていたからのようだ。
 あの状況なら不意打ちでも殺せたと思うけれど、万全を喫するためだろう。
 特に僕の逃げ足の速さは、一般プレイヤーの中ではかなり知れ渡っている情報だ。だから、その対策としては間違っていない。
「でも……僕も死ぬわけには行かない」
 僕の持つ千里眼のスキルは、“魔王”にとっての生命線の一つ。失わせるわけにはいかない。
 沢山の命が、毎月消えるとしても……僕たちの全滅がアスタロトの勝利である可能性と、彼女の勝利により齎される結果を考えれば、僕たちは死ぬわけにはいかないのだ。
 相手はこちらが気付いているということには、まだ気がついていない様子だ。
 むしろ、僕だから相手の存在に気付けたようなものだ。僕は常時発動型のスキルによって、視覚だけではなく聴覚や嗅覚といった他の五感もかなり強化されている。このこともプレイヤーたちの言う、逃げ足の早さに一役買っていた。
 チリチリとした殺気を感じながらも……僕は小さく一人ごちる。
「……流石に、覚悟決めなきゃいけないな」
 今までは逃げ続けるだけでどうにかなったけど、今後はそうもいかないだろう。
 殆どのプレイヤーたちはこれまで、条件を満たさなくとも魔王との戦いさえ避ければ死ぬことはない、という認識だったはずだ。
 しかしその前提は、“粛清”というシステムの存在によって崩れ去った。これによって、それまで静観していたプレイヤーたちの多くも、こちらを潰しにかかるだろう。
 ――“魔王”を倒すというのが、プレイヤーにとって最も楽な解放条件である限りは、この流れを止めることなどできない。
 だから、敗北により死ぬ覚悟だけではなく――襲ってきた相手を殺す覚悟が必要になってくる。
 僕たちが生き延びるためには、積極的に僕らを殺そうとするプレイヤーの数を、少しでも減らしていかなければならない。
 そのためには、まずは最初に……勝ち目がありそうな戦いで一線を越えておかなければならない。人を殺すという、禁断の一線を。



[7428] 第3話(4)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/03/28 21:24
「さてと……」
 僕は僅かに集中し――“Sariel”のスキルの一つ、分析眼を起動する。
 このスキルにより僕は、相手のクラスやレベルなどの基礎的なデータを読み取ることができる。肉眼の視界内に入っていることが使用条件なため、千里眼などとは組み合わせられないが……それでも、かなり便利なスキルの一つだ。
 彼らはレベルが僕よりもずっと低く、僕にとっては幸いなことに……僧侶系キャラクターは一人もいない。戦士系と魔術師がそれぞれ2人、暗殺者が1人、といった構成だ。
「とはいえ……厄介といえばかなり厄介なんだけどね……」
 暗殺者――盗賊系の上位クラスは僕が最も苦手とする相手だ。
 こちらよりも足が速く、命中と回避に優れる彼らは……単純に攻撃力や防御力が高い、という戦士系のキャラクターよりも相性が悪い。
 パーティが一つだったらその場から逃走するというのも手の一つではあるが、相手はそれを見越して、複数のパーティで取り囲んできているのだ。
「殺して……気付かれないうちに、包囲網の穴を突くしかないか」
 相手が近付いてくるまでの間に、戦略を組み立てる。
 流石に少人数とはいえパーティ相手の戦闘を、複数回できるほどの自信はない。
 今、現在進行形で向かってくる陽動部隊から逃げても……彼らを逃がしても他のパーティが僕の動きに気付く。それはまずい。
 一旦は千里眼ウィンドウを閉じ、ファーテルにもしもの時のための回復や支援魔法の依頼をして相手がこちらの攻撃範囲へと入ってくるのを待つ。
 いよいよ近付いてくる相手に、僕はあえて……気付いていないようなそぶりを見せることにした。
 ――奇襲返し。
 こちらの不意を討とうとする人間の、油断や慢心という名の不意を討つ。この場を突破するには、これしかないだろう。
 心の中でカウントダウンする。そしてそのカウントがゼロになった時――。
「“魔王”、その首貰ったぁっ!」
 ガサッ、と一際大きな音がしたかと思うと、プレイヤーたちが飛び出そうとしていた。
 しかし、相手が草むらから躍り出て、こちらへと攻撃するよりも先に……僕は武器を装備していた。
 僕が呼び出したのは、長弓でも十字弓でもなく……指に挟める、小さな短剣が3本。
 このゲームにおいて武器を装備する際は、それぞれの武器の種別によって使用可能になるまでのディレイというものが異なる。
 無数に存在する武器種別の中で、そのディレイが短いのは短剣系列だ。構えるための手間もそれほど大きくはない。
 故に、僕が……油断させてからの不意打ちに使う武器は、投げナイフ一択となる。
 ――ヒュンッ!
 風を切る音と共に利き腕が振るわれるのと同時に、3本の短剣が指から離れ――真っ直ぐに軌道を描く。
「……なっ!?」
 ナイフはそれぞれ、重装備の騎士の――額、顔面、首に、まるで吸い込まれるように刺さり、貫き……3回分のダメージの表示が出たかと思うと、彼の体が驚愕の表情を浮かべたまま崩れ去っていく。
 このゲームは、攻撃の命中箇所によってダメージに大きな補正がかかる。例えば、頭部への攻撃は、敵の攻撃力そのものが低くても一撃で致命傷になりかねない。
 そう。狩人のスローイングダガー3本だけでも、重戦士キャラを殺すことが不可能ではないのが、このゲームなのだ。逆に言えばどんなに弱い相手の攻撃であっても、当たり所によっては致命傷となりかねない。
 このシステムは本来、ヴァーチャルリアリティの特性を生かしつつバトルに緊張感を持たせるためのものだったのだろう。
 しかしこのデスゲームにおいて、攻撃箇所によるダメージ変動システムは“魔王”と一般プレイヤーのお互いにとって恐るべきものと化している……。
「――まずは一人」
 僕は静かに呟いた。
 プレイヤーたちは信じられないものを見るかのような、見開いた目で、こちらを凝視している。
 ……どうせ、僕のことだから自分たちには手を出さずに逃走を図るとでも思っていたのだろう。
 でもこっちだって、これまでと同じで済ませるという訳には行かなくなっている。
「悪いけれど、こちらも状況が変わった……向かってくるなら、死んでもらう。逃げるなら今のうちだよ?」
 僕が冷たく言い放つと同時に――事態を把握したプレイヤーたちは散開、剣士と暗殺者が二手に別れ、魔術師二人が呪文の詠唱を開始する!
 そして僕は、地面を思いっきり蹴り。暗殺者の方に向けて、跳んだ。
「バカがッ! 弓使いが近付いてくるとは……!」
 暗殺者の男は、僕の行動を自殺行為だと認識し、嘲笑う。
 射撃戦を得意とするキャラクターが、接近戦を得意とするキャラクターに近付く――それは確かに、危険極まりない行為だ。
 だけど、その“一般的な認識”こそが……僕が付け入る隙を生じさせる。
 敵の間合いに入り込むと、二刀が何度となく振るわれる。それを避け切るのは回避に力を入れている僕でも不可能だ。
 だから、頭や重要な臓器がある位置を狙った攻撃だけを注意して避けながら、相手の隙を伺う。
 戦士系ならともかく暗殺者の攻撃力なら、攻撃全部を回避する必要はなく、頭部や重要器官を狙った攻撃だけを回避すれば……耐久力の少ない僕でも耐え切ることができる。
 当然、喰らった分のダメージは徐々に蓄積していくが、一撃でHPを根こそぎ持っていかれるような攻撃でもなければ、ファーテルに回復してもらうという手があるのだから心配は要らない。
『回復頼むっ、ついでに回避バッファも!』
『わかった!』
 削られた僕の体力が見る見るうちに回復し、攻撃に対する反応速度も上がっていく。
「ちぃっ!」
 この回復や支援魔法の効果は、エフェクトを見れば敵対する相手も確認することができる。
 当然、こちらが回復し支援効果も受けたことに気が付いた暗殺者は舌打ちし、苛立ちを露わにしてきた。
 気持ちはわからなくない。ファーテルの遠隔回復・支援能力は……僕たち以外のプレイヤーにとっては、腹立たしいことこの上ないだろう。
「この野郎……!」
 苛立ちの叫びと共に振るわれた、首を薙ぐ必殺の一閃。
 紙一重で全身を屈めてそれを回避し……その回避モーションの間にクロスボウを呼び出し、それを彼の首に向けて固定する。
「!?」
 こちらの思わぬ行動に、目を白黒させる暗殺者。
 この動きがアーチャーやハンターのスキルによるものであれば、彼も対策は練っていただろう。しかし彼は完全な形で虚を突かれ、致命的な隙を曝け出している。
 何故ならばこれは、ゲーム側によって用意されたスキルなどではなく……回避力に優れたモンスターをソロで倒すために僕が自分自身で考えて編み出した技だ。
 普通のプレイヤーであれば絶対にやらない無茶な行動であり、孤独な戦いを強いられたが故の苦肉の策。
 敢えてスキルのような名前をつけるなら、ゼロレンジ・ショット、とでも呼ぶべきか。
 矢の先が首につきそうなほどの零距離から引き金を引けば。いかにAGIやLUCが高かろうが、避ける術などない!
「ぐあぁっ!?」
 暗殺者の首に、矢が突き刺さったその瞬間。クリティカルヒットを示す文字が宙に躍る。
 次の瞬間、彼の体が光に包まれ……肉体を構成するポリゴンが、足元から崩壊し始める。
「う、あああああっ!? そんな、嫌だッ、死にたくないッ!?」
 崩れながら彼は断末魔の悲鳴を上げる。
 しかしそれを聞いてやる余裕なんかは、僕にはない。目に見える範囲だけでも、まだまだ敵はいるのだから。
「これで二人……」
 呟きながらも地面を蹴ってその場から離脱する。それとほぼ同時に、無数のツタが地面から現れたが……それが僕を捕らえることはなかった。
 この、植物による拘束を行なう“リーフバインド”は、特に素早いキャラクターを捕らえることを主眼に置いた、弱体化魔法――僕やノアのような足の速さが重要なキャラクターにとっては、非常に厄介な魔法だ。
 しかし、狭い範囲かつ発動からの発生の遅いこの魔法は、発動後でも瞬時にスキルを発動してその場から飛びのけば回避は充分に可能ではあるのだ。普通のプレイヤーは僕たちに比べて必死じゃないから、発動したら回避を試そうともしないから、知らないだけで。
「次はお前だッ!」
 そう叫んで、機械弓を剣士の方へと向ける。
「貴様ぁっ……!」
 剣士は目の前で仲間二人が死んだことに、焦りと怒りのままに……こちらへと突っ込んで来た。
 ――どうやら……こちらの予想よりもずっと、相手の連携は余り宜しくないようだ。
 剣士がフォーローに入るよりも先に暗殺者を殺すことができたことで、僕はそれを半ば確信していた。
 彼が使っている武器……リーチが長い反面取り回しが効き辛いロングソードでも、普段からパーティを組んでいれば何らかのフォーローはできていたはず。
 その時点で死人が出ており、こちらの予想外の行動に戸惑ったと言うこともあるだろうが……その辺を加味して考えたとしても、最初から仲間同士というパーティの動きではないというのは断言してよさそうだ。
 十中八九、パーティ戦闘に慣れていないプレイヤーたちが街で人員を集めて、チーム分けをして組んだ即興パーティといったところだろう。
 それは僕にとっては幸運だったが、彼らにとってはこの上ない不幸だろう。この選択ミスによって、既に二人のプレイヤーが死んでいるのだから。
「お前たちは……どうして生きている!?」
 剣士は再び剣を振り下ろしながら叫ぶ。僕は後ろに跳躍しながら、その表情を見据えた。彼の顔は、怒りと憎しみに満ち溢れていて……酷く歪んでいる、ように見える。
「お前たちが生きている限り、毎月……数千人の人間が死ぬ」
 “粛清”によって、毎月沢山の人が死ぬ。
「長くなれば長くなるほど、死者は増える」
 しかも経過時間が長くなれば長くなるほど、一度に死ぬ人間は増えるという。
「それなのにどうして、お前たちは生きている……? どうして、多くの人間を助けるために、自殺と言う選択肢を選ばないんだ!?」
 その問いに僕は、きっぱりと言い放つ。
「――本当に僕たちが死ぬことで解決するとは、思えない。何か裏があるかもしれない」
 もう一撃、強烈な斬撃が振り下ろされる。今度は横に跳んで回避し……彼へ向けたクロスボウの引き金を引く。
「それが何なのかわかるまでは……僕たちは、死ねない!」
 頭を狙っていたはずの短矢は、彼の頬を掠めただけに終わった。
 そこに相手の横斬りが迫ってくる。
「くぅっ……」
 上半身をそらすが、完全には回避しきれず――ざっくりと肩を深く切り裂かれ、痛みが走る。
 ショック死とかしないようにリミッターとかはついているのだろうけれど、傷をつけられれば当然のように痛みを感じるのがこのゲームだ。現実では味わえない痛みがクセになって、パンチドランカーとなってしまっている廃人プレイヤーもいるらしい。
 しかしこの程度の怪我ならば、行動に障害はない。血は出るがあくまでイメージだけのものだ。手足や関節へのダメージは、切り落とされでもしない限りは大したことはない。
 新しい矢が自動的に装填されたクロスボウを、再び剣士へと向けようとしたその時。
「下がれッ!」
 後ろから魔法使いたちの指示が飛び、剣士が慌てて後ろに下がる。
 どうやら回避しにくい中から広範囲の攻撃魔法の詠唱が完成しつつあるようだ。僕も同様に、その場から飛びのこうとしたが。
「うおわぁっ!?」
 完全に離脱し切る前に、爆風が二発。それは僕のいた場所の地面を抉り、双子の小規模クレーターを作り出す。
 直撃を食らうことだけは何とか回避したもの、派手に吹っ飛ばされた僕は……地面に転がるという醜態を晒してしまう。
「このっ……!」
 しかし、転んでもタダで起きる訳には行かない。無駄な動きは死に直結する。
 僕は転がりながらも左手で足元の砂を引っつかみ……それを、好機と見てこちらへと飛び込んできた剣士の顔へと投げつける!
「ぐぁっ!?」
 砂が目に入ったことでブラインド状態になったらしく、剣士はごしごしと目を擦るが、状態異常というのはそう簡単には回復しない。
「卑怯な……!」
 新たな呪文を詠唱に入った、魔術師の片割れがこちらを罵ってくる。
 それに対して僕は……何故か、笑っていた。
「そいつは申し訳ない。こちとら育ちの悪い、田舎生まれの田舎育ちなんでね……」
 どうやら、理性の制御が利かないくらいに……ハイな気分というヤツらしい。
 自分でも何がおかしいのかがわからないまま笑いながら、剣士の鳩尾に渾身の蹴りを入れる。
 もっとも、ダメージは殆どない。徒手空拳での戦闘に特化したモンクでもなければ、蹴りでの攻撃でデータ的なダメージを与えることはできない。
 それでも、相手がプレイヤーである場合は……“データとしては存在しない部分”へと、ダメージを与えることは可能だ。大分マイルドになっているとはいえ、攻撃を喰らえば痛いものなのだから。
「都会の喧嘩の作法を知らないのさ!」
 僕は決して好戦的な人間ではないはずだが、それでも……取っ組み合いの喧嘩の経験は子供の頃からいくらでもある。
 学校でも男子同士による殴り合いの喧嘩はあっても、陰湿な虐めなんてなかった。というか、取り巻く社会そのものが小さく閉鎖的であったがために、そんなことを許さない環境だった。
 そんな社会で生まれ育ったが故に……都会では親が口うるさくてできないようなことを、僕たちは当たり前のこととして経験できていた。
「まあ、流石にっ……育ちの悪さが、こんな風に役に立つとは思わなかったけどっ」
 リアルにおける喧嘩の応用が生かせるのは、ヴァーチャルリアリティのゲームならではと言えるだろう。普通の、コントローラやキーボード、マウスで操作するようなゲームではこうはいかない。
 普通のPVPじゃマナー違反行為だろうが、今のこの世界は管理者不在。
 僕たちがやらされているのは、互いに競い合う決闘行為ではなく……マナーもへったくれもない、殺すか殺されるかの戦いだ。
 特に僕は、他の戦闘職と比べると弱いんだ。卑怯とか汚いとか言われようとも、あらゆる手段を駆使しなければ……殺される。
「さっき言った通り、僕たちは死ぬわけには行かない――だから、これでさよならだ」
 そう小さく呟いて、彼の頭にクロスボウを照準し……矢を打ち込む。
 矢は頭蓋骨すらあっさりと貫通し……脳天を貫かれた剣士は、最後の言葉を遺すことすらできずに――逝った。
「……さて、と」
 そして、残された魔術師二人はというと……こちらと視線が合っただけで、慌てて逃げ出そうとした。
 大概のゲームで言えることで、このゲームに於いても例外ではなく――前衛を失った術師系クラスというのは弱い。
 メルキセデクのように高速詠唱で弾幕を張ったり絨毯爆撃ができるなら兎も角、そうでない普通の魔術師は前衛が全滅した時点で逃げ惑うしかない。しかも、その逃げ足も遅いときている。
 彼らについては、わざわざ追いかけて殺すまでもない。この場からでも充分すぎるくらいだ。
「……悪いけれど。他の連中に僕の動きを悟られるのはまずい」
 長弓を取り出して引き絞り、二本の矢を足に向けて放つ。彼らに避けられるはずもなく……、その場に倒れて蹲る。
「だから、君たちを見逃すわけにはいかない」
 こうなってしまえば、簡単だ。動かないものを狙い撃ちにするだけなのだから。
 彼らのHPを0にするまで、矢を撃ち続ける。それは最早戦闘とは言えない、“作業”だった。
 その“作業”が終わったら、急いでその場から離れ、敵部隊の包囲網の穴から逃げ出さなくてはならない。
 取り囲んでいる間隔が広いのであれば、それから逃れるのは簡単だ。こちらは千里眼で、相手の配置をリアルタイムで確認できるのだから。
 逃げている間、僕はとても冷静だった。
 ――自分でも、寒々しく感じるくらいに。



[7428] 第3話(5)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/03/29 22:51
 包囲していた他のパーティがこちらを追って来ていないのを確認したところで……緊張の糸と、戦闘状態による異常なテンションがぷっつりと途切れた。
「う……」
 冷静になったその瞬間……、体の奥底から吐き気がこみ上げてくる。
 僕はその強烈な嘔吐感に耐え切れず、口元を押さえ……その場に蹲った。
「うぐぅっ……」
 いっそ吐くことができるのならば、楽になれるのかもしれない……これは、終着点がない分苦しみが長続きする。一種の拷問だ。
 もっとも、いくら後悔して懺悔したところで、何もかもが遅すぎる――殺した人間は生き返らない。
「……これで僕も、殺人者か……」
 死のゲームが始まって1ヶ月。初めて、人を殺した。しかも、一気に五人もの人間の命を奪った。
 殺す前に、覚悟は決めていたし――僕を取り巻いている状況から考えれば、かなり遅いかもしれない。
 それでも、胸が、心臓が痛くて仕方ない。
 どう言い訳したところで、他の人間を殺し、その未来を奪い取ったのは動かぬ事実なのだから。
 見た目にはただ、倒されたモンスターと同じようにポリゴンが壊れて消え去っただけ。だから、人型のモンスターを殺したと思い込むことができれば、楽かもしれない。実際他の皆はそう思いこむことでこの重圧から逃れている節がある。
「割り切らなきゃ……慣れなきゃ……いけないんだよね……」
 ――生きようと思うのならば。生きたいと願うのならば。
 でも、今はまだ……とても、そう思うことは、そう思い込むことはできない。
「……はあ……」
 少し吐き気が落ち着いたところで、じっと自分の手を見つめる。
 実際には血も何もついていない。
 でも僕の目には……どす黒い、他人の血で濡れているように映っていた。
「耐え切れるのかな、僕……耐え切ったら、どうなるのかな……」
 自分が生き延びるために、他人を殺す。他の仲間たちと同様に、その重圧に耐えられるのだろうか?
 そして、仮にそれに耐えられたとしても――そこにいるのは本当に、僕と呼べる人間なんだろうか? 先程のように、戦いの熱と血に酔った僕は、僕と呼べるのだろうか?
 そんなことをぼんやりと考えながら、僕は大きな樹に寄りかかり、その場に座り込む。
 できるだけ早く、他のプレイヤーたちに気付かれないうちに、もっと遠くへと離れたほうがいいんだけれど……今は、休みたくて仕方ない。
 とりあえずは肩に受けた傷を癒してもらうべく、僕は心の中で声を出す。
『ファーテル、少し怪我したから回復よろしく』
『……終わった、みたいですね』
『まあ一応、包囲されていたところを抜け出しただけだから……油断は禁物だけど』
 他のプレイヤーを……人を殺したことは、直接は言わなかった。
 もっとも、データベースウィンドウを検索すればわかることだ。言わなくても知っているかもしれない。
 でも、ファーテルも他の皆も、何も言ってこなかった。
「んっ……」
 柔らかで暖かい光に全身が包み込まれると、受けた傷が消えていく。
『ありがとう』
 とまずは礼を述べ……一つ、溜息を吐く。
『……皆は、さ。初めて他のプレイヤーに手をかけた時……どうだった?』
 最初に重い口を開いたのはレオンハルトだった。
『俺の場合は、相手の心を読んでいたから……ずっと相手から罵られているようなものだったからな。
 だからあまり、躊躇せずに一線を越えることができた』
 彼の持つ“Balberith”スキルツリーで追加されたスキルの中で、最も強力かつ重要なのがマインドリーディングだ。
 このゲームはプレイヤーが頭で考えたことを思考スキャナーで読み込んで反映する。だから、それを読み取る能力を再現することは安易に可能、ではある。
 最も、普通は人間が人間の思考を読み取ることはできない。プライバシー保護などについての観点もあるし、建前で覆い隠しているはずの本音が伝わってしまうのは問題だろう。
 しかし、この状況下ではすごく役立つスキルではある。相手の心を読むというのは、相手の作戦とかそういうのを丸っきり予測できる。
 ゲームについての知識が豊富で、当然プレイヤーの戦略・戦術についても詳しいレオンハルトにはお誂え向きの能力ではあった。
 殆どのプレイヤーに狙われている状況で他人の心を読むということは……さぞ、苦痛だろうけれど。
『俺も色々と思うところはあったが、正当防衛だ、と割り切った』
 ノアは相変わらず、冷たく言い放つ。
 徹底的なまでに機械的な彼は、ある意味では――この中では一番、強い人なのかも知れない。
 一つの信念の元に、やるべきことを淡々とこなせる、というのは意志の強さの表われなのかもしれない。
 ……その強さのベクトルが、果たして人間として正しいのかどうかはともかく。
『私は正直、データベースを確認するまでは……殺したとは、思ってなかったわ』
 エフェクトもほら、普通にHPが0になって街に戻される時と何も変わらないじゃない――と、ラケシスが言う。
 確かに彼女の言う通り、見た目の上では普通にHPが0になって、レベルが1下がって街へと戻される……このゲームで日常と化した光景と、死はさほど変わらないのだ。
 現実味がない死。実にゲーム的な殺人行為。
 これもまた、プレイヤーたちが僕たちの殺害を目指している理由なのだろう。
 彼らの多くが、僕たちを人間じゃなくてモンスターとして捉えているのは、コミュニケーション用の攻略スレッドの存在とその書き込みから見れば明らかだ。
『死亡者リストを見た後も、すぐには実感が湧かなかった。後からじわじわと来た感じ、ね……』
 僕らには彼らの死を本当に確認することはできない。
 未だに、アスタロトの言葉が嘘で――彼らが現実の世界に戻っただけ、という可能性があるのではないかとすら思っている。
 いや、そう思いこんでしまえれば気が楽だから、に過ぎないんだけれど。
『僕の場合は、殺すつもりは全くなくて……気がついたら相手が死んでいて、頭が真っ白になってた……って感じですね』
 メルキセデクの状況が、僕の時に一番近い感じがした。
『それでも、その場からは逃げましたけれど。
 本当、あの時は何も考えられなかったんだと思います。殆ど覚えてませんから……』
 戦うときは無我夢中で……終わった後になって、罪悪感に押しつぶされそうになっている。
 覚悟が足りない、と言えばそうなんだろう。既に完全に割り切っている風の、レオンハルトやノアにそう言われたら、ぐうの音も出ない。
『僕だって普通の人間で、聖人君子とかではありませんから、誰かに対して怒りを感じたり、誰かから怒りを向けられたことはありましたけれど……。
 でも、殺意というものは……それとは次元が違うものだから……向けられるのも、向けるのも……すごく、嫌で……』
 今にも泣き出しそうな震える声を出すメルキセデクを、ファーテルが慰める。
『そうだね。リアルじゃ余程のことがない限り、殺意と言い切れるくらいの強い感情は向けられることはないわけだし。辛いのは当たり前だ』
 現実の世界、平和な日本で殺意を向けられるなんてのを日常的にしているのは、ヤのつく職業とかそっち界隈の人たちくらいなものだろう。
 それなのに僕らは、今――世界中から殺意を向けられている。
 この秘匿チャット機能がなければ、きっと今頃……正気を失っていたことだろう。
 ……そもそもの問題として、ここまで生きていられなかったかもしれないけれど。
『絶対に、割り切れるわけがないですよ……こんなのっ……』
『あくまで私見だけれどな。葛藤することそのものは、悪いことではないと思うぞ。それによって死なれては困るが、な』
 耐え切れずに呻きだしたメルキセデクにかけられた、レオンハルトの言葉が胸に響く。
『俺は、自分に向かってくるプレイヤーの中で……僅かにでも“俺を殺すという行為”に対して葛藤している相手には、敬意を持って対応することにしている』
 そこまで言ったところで、彼は皮肉気に笑った。
『もっとも。殆どの連中が葛藤も何もせずに突っ込んでくるというのが現実だがな』
 僕たちを殺すことに対して葛藤するプレイヤーは、僕たちの前に現れることは滅多にないのだろう。
 自然と、というのも変な話だが……襲い掛かってくるのはゲーム感覚で襲い掛かってくるプレイヤーばかりとなる。
『何にせよ、葛藤できるということは……人間らしさが残っている証拠だ』
『そうだね。その辺りの意見には同意するよ』
『少し羨ましいかもしれない……俺にはできないことだから』
 ノアとファーテルの言葉に、レオンハルトは苦笑を返す。
『俺もノア同様、その辺りは完全に擦り切れてしまったが……お前たちがそうなる必要はないだろう』
『なりたくてなれるもんでもねーよ、きっと』
 キールの毒にも、どこか力がなかった。珍しく会話に混ざらずずっと黙っていたけれど、きっと彼なりに色々と思うことはあったんだろう。
『いっそのこと、完全に狂えたら楽なんだろうなあ……』
 人間としての心が残っているから、僕たちは葛藤するし、内側と外側からのプレッシャーを感じ続け、苦しい思いをし続ける。
『僕たちにとって一番怖い敵は……自分自身の心の弱さ、かも知れませんね』
 メルキセデクの、消え入るように小さな呟きを聞きながら、空を見上げる。
 そこには、僅かばかりの雲しか見当たらない“いつも通り”の……作られた青空が広がっていた。
 太陽はまだ高い位置にあり、眩い光でこの世界を照らし続けている。
 けれど僕の心は深い宵闇の中にあり、そしてその夜が明ける気配は――ない。



[7428] 第4話(1)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/03/31 20:33
「ふう……」
 深い深い、緑の影と木漏れ日に彩られた森の中。
 僕はそんな森の中、人間数人が登っても折れそうにないくらいの太い枝の上に長弓を持って立ち――溜息を吐いていた。
 視線の先には、先程遭遇して撒いたプレイヤー数人が、きょろきょろと辺りを見渡している姿があった。
 聞こえる会話から察するに、僕を探しているであろう彼らを見下ろしながら。ただじっと、樹の上で“その時”を待つ。
「そろそろ、か……」
 ぽつり、と。自分にしか聞こえないほどに小さな声でそう呟くと、ほぼ同時に……白い虎が草むらの中から突如躍り出て、プレイヤーたちへと襲い掛かる!
「うわぁっ?!」
「くそっ、ボスが涌く場所に来ちまったか……!」
 時間涌きタイプのボスモンスター、ホワイトタイガー。
 1時間に1回発生するように設定された、この巨体を持つ白虎は、周辺にいる他のモンスターなど比べ物にならない強さを持っている。
 僕の場合、一対一では絶対に勝てない相手、と言っていいだろう。
 いつもであれば、こいつが視界に入っただけで即座に離れようとするところだ。僕たちは他のプレイヤーと違って、モンスター相手でもHPが0になったらおしまいなのだから。
 けれど、強力なモンスターは……うまく利用すれば、こちらにとっての“武器”となり得る。僕がこうして、隠れながらタイミングを伺っているのも……モンスターを利用した戦術のためだ。
「陣形を整えろ! この人数なら集団でかかれば何とかなるはずだ!」
 パーティのリーダー格らしき、魔術師が叫ぶ。
 このパーティはどうやら、何らかの形で以前から組んでいたのか……随分とチームワークがいい。即座に前衛が白虎から後衛を庇うように立ち、後衛は前衛から離れたところで呪文の詠唱や支援を開始する。
 ――だからこそ、僕もマトモに相手せず逃げて、“別の方法”に切り替えた訳だけれど。
 とはいえホワイトタイガーも、かなりの強さを誇るモンスターだ。スピードはこのあたりのモンスターとしては少し高い程度だけど、攻撃力、防御力、HPがずば抜けている。
 おそらく、スペック上は互角――五分五分の勝負を決めるのは、運くらいなものだろう。
「もっとも……“勝負は決まらない”んだけれどね」
 お互い消耗してボロボロになっているのを見計らって僕は……矢を数本、引き絞る。
 ――狙いはホワイトタイガーと、プレイヤーパーティの前衛。
 矢はあっさりと急所を射抜いて、ホワイトタイガーの咆哮とプレイヤーの断末魔の絶叫が耳を貫く。
 そして、共にHPが0になった彼らの体の崩壊が、ほぼ同時に始まり……残された者たちが慌てだす。
「なっ……!? まさか!?」
「は、早く逃げないと!?」
 こちらの奇襲に気付きながらも、すっかり青ざめて――いわゆる恐慌状態に陥った後衛を、これまた弓矢で狙い撃ちにしていく。
 彼らの体も、やはり光に包まれて……崩れていく。
「……っ……はぁ……」
 その場にいた全員を殺害した後、手で口を抑え、立っていた枝の上に座り込む。
 “粛清”というルールの存在が発覚したあの日から、既に一週間が過ぎている。
 ――あれから僕は、何人ものプレイヤーを……つまりは人を殺した。
 戦闘中は冷静に対処している、いや“できている”が、後から吐き気や自己嫌悪がこみ上げてくる。
 殺し合いの間は形振り構う余裕がない分、後から一気に、まとめてクるのかもしれない。
 それとも、僕がもともと、こういう二面性を持った人間だったということかもしれない。
 とはいえ、僕は心理学とかそういうのの心得なんかないし、自分を客観視できる人間じゃないから、考えたところで答えが出る訳はないけれど。
「改めて数字を見るとやっぱり……かなり、死んでいるな」
 データベースの生存者数をチェックし、そこから逆算するに。すでに1500人の人間が命を落としている。
 うち1000人は“粛清”によるものだが、それ以外は僕たちが……何らかの手段で殺したプレイヤーだ。
 “粛清”以降、僕たちに挑むプレイヤーは一気に増大している。その上に、僕たちの多くも挑んでくる相手を殺すという方針に切り替えているためため、“粛清”以前と比べてプレイヤーが死ぬペースは倍増と言っていいほどに増えていた。
 それだけ“粛清”の効果は大きかった、ってことなのだろう。
 といっても、僕たちと比べてレベルがずっと低い……つまり、タイムリミットが短いプレイヤーが煽られ、命を散らしているというケースが大部分だ。
 逆に大手ギルドのメンバーや、高レベルのプレイヤーは僕たちに関わらないようにしているケースが多い。
 彼らは何か考えがあってそう動いているんだろうけれど……連絡もギルド単位とかで行なっているだろうから、何を考えているのか伝わってこない分、こちらとしては不気味なことこの上ない。
「さてと……」
 樹上から降りて、まずは一度、現在の拠点にしている洞窟へと戻って休憩することにした。
 道中で、木の実をいくつか採取して、食事も準備はしておく。
『あー。何か根本的解決になりそうな方法とかってないもんかねえ』
 未だに慣れない果実の甘さに顔を顰めていたところで、キールのそんな言葉が脳裏に響き渡る。
『アスタロトがどうやって、プレイヤーを殺害しているのかわかれば……何か対策とか考案して、他のプレイヤーを攻略に専念させることができるかもしれないですけれど』
『対策云々は内側からどうにかできる方法があれば、の話だけどなー』
『それはそうなんですけれどね……まあ、考えてみるくらいはしてみてもいいじゃないですか』
 確かに、色々と可能性を考えることは悪いことではないはずだ。
 ひょんなことから、意外な解決策が見つかる……というのは、こういう危機的状況じゃなくて、日常生活とかでもよくあることだし。
『まず、このゲームに閉じ込められている間は、現実世界における僕たちの体は植物人間状態なのは……ほぼ確定と見ていいでしょうね』
『まあ、意識がこっちにあって戻れない状態だから、脳死に近い状態だろうな。そこから一体どうやって完全に殺すのかが問題になるのか……』
 とりあえず僕は、プレイヤーの殺害方法という話を聞いて、真っ先に思いついたのを出してみた。
『体内に埋め込んだ端末から高圧電流を流し込んで、神経とかを焼き切るとか……』
 僕たち――というか現在の日本国民の大部分の体内には、全員マイクロチップを始めとした色々な端末が埋め込まれている。
 これは日本だけでなく、先進国と呼ばれる国では人口の大部分が行なっている処置だ。
 お年寄りだとこういう体の中に何かを入れるという技術そのものに難色を示す人が多いし、うちの地元くらいのド田舎だと親の世代くらいでもやっていない人も少なくなかったけれど……それでも僕らの世代くらいになると全員が端末を埋め込んでいる。
 まあ、導入の度合いはさておき、この端末を使うことで……様々なサービスを受けることができ、ヴァーチャルリアリティもこの端末を使った技術の一つだ。
 それを踏まえれば、殺害手段としては一番安定して使えるのではないかと思うんだけれど。
『うーん。それについては……悪く言えば誰でも考え付くアイディアだから、色々と対策とかされていると思うんだよね。クラッカーに悪用されたら大変だし』
 正直、僕も言いながらそう思った。
 端末については国とかが管理する代物であり、厳重なプロテクトが敷かれている……はずなのだ。
『とはいえ……僕たちを閉じ込めている手段は、端末経由でしょうから。
 端末に施されているプロテクトを突破することはアスタロトにとって……簡単とまでは言わなくとも、可能なのでは?』
『どうなんだろうね。ハッキングとかの知識がないことには、それ以上のことについては何とも言えないな……』
 僕が出した説については、これ以上の発展がなさそうだ。
『他にありそうなのは……そうだな。ゲーム機本体に何か仕込んであるとかは?
 脳みそを完全に破壊するような電磁波が出るとか、感電死させる機能があるとか……』
『それはない』
 キールの出した説を、レオンハルトがきっぱりと否定する。
『このゲームは……というかヴァーチャルリアリティタイプのMMOは殆どがマルチプラットフォームだ。
 そして現在、ヴァーチャルリアリティ対応のゲームハードは乱立状態……戦国時代と言ってもいいくらいに、あちこちのメーカーが乱発している。
 仮に、ある会社のハードウェアに何かしら悪用できる機能があったとしても、他社のハードウェアを使っているプレイヤーには関係ない話だ』
『ですよねー』
 こうしてキールが思いついた“ゲームのハードウェアに仕掛け”説はあっさり反証された。
 まあ、接続状態の維持についても端末のほうでどうにかしているんだろう。
『んでー? そういうレオンハルト様はどんな仕組みで殺していると思うんですかー?』
 とはいえ、あっさり否定されたのはそれはそれで気に食わないのか。キールがレオンハルトを挑発するような態度を取る。
 最近のキールは、感情的なだけではなく攻撃的なところがある。ストレスが溜まっているけれど、その立場上僕たちと違ってぶつける相手もいないため、発散しようにも発散できないのが原因だろう。
『そうだな。人体に悪影響のある音声とか映像とか……』
『おいおいおいおい、それはもっとねえだろ!?』
『いや、実例はあるよ』
 レオンハルトの出した説をキールが即座に否定するが、ファーテルがレオンハルトのセコンドについた。
『1990年代後半に起きた、当時大人気だったアニメで起きた事件なんだけれど……激しく光を点滅させた映像を流したことで、視聴者のうち数百人の子供が体調不良を訴え、百人以上の子供が入院した』
『俺もそこから思いついた。リアルタイムで見ていたわけではないが、有名なエピソードだからな。学生連中なら親世代がちょうど、それの視聴者の世代じゃないのか?』
 どうやら……僕が生まれてもいない時代に起きた事件のようだ。少なくとも、僕は聞いたことがない。
『これらをわざと悪用すれば――人間の脳を破壊することもできるかもしれない』
 僕たちは専門家じゃないから、詳しいことは知らない。それについては、この説を考えたレオンハルトも同じだろう。
 だからこそ、かもしれない、という“可能性”に怯えなければいけない。完全に否定するための根拠がないのだから。
『まあ、ハードウェアでどうこうするというのが難しい以上、ソフトウェア側から何らかの干渉を行なうことで殺す、というのは確実だろうとは思うけれどね』
『似たようなものだと……感覚フィードバックを悪用したショック死、というものも考えられますね。
 ゲームには苦痛とかのリミッターはついているけれど、端末経由でハッキングできる技術があるのであれば外せそうなものですし……』
『感覚フィードバック……それだ!』
 キールが何か閃いたらしい。
『快感を大量にフィードバックして、腎虚にするんだよ! 快感の類なら外部からも阻害しにくいし!』
 数秒間の沈黙が流れ。
『アホかお前ー!?』
『そんな訳ないでしょう!?』
『思いっきり下ネタじゃない! やめなさいよそういうの!』
 僕とメルキセデク、ラケシスからほぼ同時にツッコミが入り。レオンハルトが盛大に溜息を吐くのが聞こえた。
『いや真面目な話、アスタロトというのは元々愛とか美とかの女神であってだな。豊穣とか繁殖とかも司る神様なわけよ。
 それを考えると、性的な快感による殺害というのはあり得るんじゃないかなと。マジでマジで』
 何でこのキールという男は、そういう知識だけは無駄にあるんだろう。
『でもそれ……女性プレイヤーには、意味がないんじゃないかな。腎虚じゃ』
 ファーテルの突っ込みで、この話については終わる……かと思いきや。
『いやいやいや、エロマンガとかにも女の子が、気持ちよすぎて死んじゃう、とか叫ぶシーンとかってあるじゃん!? だから女の子も快感で死ぬ可能性が!』
 キールは僕の、いや僕らの予想以上に、アホの子だった。
『エロマンガを根拠にするなー!?』
『というか、いい加減エロから離れてください!』
 僕たちのツッコミとは逆に、奴はますますヒートアップしていく。
『腹上死という死因がある以上、この件は真面目に考察すべきだ!
 さっきのエロマンガのセリフは兎も角、極限まで気持ちよくすることで血圧を上げれば男女関係なく脳出血させることは可能と言えば可能だし……あり得ない話ではないはず!』
『実際に実現が可能かどうかはともかく、これが一番屈辱的な死に方だな……』
 レオンハルトが言うとおり、確かにこれが死因なら成仏できそうにない。
 現実でやることやって腹上死するならともかく、快感流し込まれてそれで死ぬっていうのは……。
 しかもそうやってできた遺体を、司法解剖されて調べられた挙句、父親や友人に晒されるということまで考えると……それだけで、泣きたくなってくる。
 ウチは父子家庭だからまだマシかもしれない。母親がいる普通の家とかだったら悲惨なことこの上ない。想像もしたくない。
 ……本当、どんな嫌がらせだよ。あの女ならやりかねないけど。
 そんなことを考えて滅入っていた、そんな時だった。
『――今話している話は、アスタロトが本物の悪魔で、魔法を使ってどうこう、というのが真相だった場合……何の意味もないけれどな』
 突然口を開いた、ノアの一言で場が凍る。
『お前なぁ……』
『事実だろう。それに俺は、自分たちを殺す手段を想像する趣味もなければ、そんな悪趣味な話を聞き続ける趣味もない』
 また文句の一つでも垂れようとするキールを、ノアは先手必勝で制し、さらに続ける。
『そんな無意味な会話を垂れ流す暇があるなら、1匹でも多くのモンスターを倒したほうが有意義だ』
 いつものように冷たい言葉ではあるものの、普段とは違い……かなり苛立っているように聞こえる。
 大方……キールの言い出した下ネタあたりが、かなり気に障ったのだろうか?
 キールとノアが一触即発になっている秘匿チャットの会話を聞きながらも、立ち上がる。
 ――何だか喉が渇いた。近くにある湖で水を調達してこよう。
 そんな軽い気持ちで湖畔へと向かったが……そこには人の姿があった。
「っ……」
 反射的に、息を呑む。
 湖の畔に佇む、亜麻色の髪と青い瞳の、全身を鎧に包み込んだ美しい、まだ少女と言っていい若い女性。
 その姿は、神話やそれを基にしたファンタジー作品において登場する戦乙女を連想させる。
 彼女はまるで誰かを待ち構えるように、そこに佇んでいた。
「そこに、いるんでしょう?」
 彼女は静かに、こちらへと視線を向ける。どうやら彼女は、僕がここに来るのを待っていたらしい。
 目的なんてのは聞く必要もない。“魔王”以外のプレイヤーが僕たちに接触する理由は、一つだけだろう。
 ――やれやれ。一難去ってまた一難、か。
 僕は半ば観念して、彼女の前へと姿を曝け出す。
「君は……」
 分析眼によれば、プレイヤー名はジャンヌ。
 クラスはパラディン――僧侶系魔法を使うこともできる戦士、器用貧乏なところはあるが、育てきればかなり強力なクラスだ。
 レベルは僕よりも低いが、クラスの特性と武器の性質を考えれば、充分に僕を殺せるだけの実力者と言えるだろう。
「……“魔王”ユーリね?」
 背中まで伸ばした彼女の髪が、風に揺れる。
 サファイアを思わせる青の瞳は、真っ直ぐに僕の顔を見据え、睨みつけてきていた。
 僕は一つ、溜息を吐きながら、彼女に向けた目を細める。
 ――他のプレイヤーたちはいつだって、僕たちの都合など考えてはくれない。
「そうだよ」
 うんざりした声で答えると、彼女はすらりと腰に差した剣を鞘から抜き、その切っ先をこちらへと向けてきた。
「あたしは、あんたに個人的に恨みがあるわけじゃない……でも、あんたには死んでもらわなければならないの」
 僕はその台詞を噛み締めるように、唇を強く噛んだ。
 ――恨みがある訳ではない。
 ――でも、“魔王”には死んでもらわなければならない。
 ――自分たちのために、大人しく殺されてくれ。
 耳にタコができる、とはこのことだろう。一種の定型文のようにも聞こえる。
「はっきり言って……聞き飽きたよ、その手の台詞は」
 突き放すように言い放つと、彼女は――。
「でしょうね。あなたたちにとっては、あたしも……数万人いる刺客の一人に過ぎないでしょうから」
 そう言って、肩を竦めて苦笑を浮かべた。



[7428] 第4話(2)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/03/31 20:31
 相手に気取られないように、周囲を確認する。
 他に人の気配はない。どうやら彼女は、一人でここに来たようだ。
「……弓手系だからって、甘く見ないで欲しいんだけど」
 無理矢理、不敵な笑みを作ってみせる。
 おそらく彼女は、飛び道具使いなら単独でも勝てる――そう思って、一人で来たのだろう。
 まあ、実際こちらのほうが不利な気はするのだが、せめてハッタリを利かせて相手の不安を煽るくらいのことはしておきたい。
「甘く見ているつもりはないわ。ただ、敗北して死ぬとしても……他のプレイヤーを巻き込みたくはないだけ」
「同じように閉じ込められた人間のことを殺そうとしているくせに、他人を巻き込みたくないとか……大した偽善だね」
 溜め込んだ苛立ちと皮肉をたっぷり込めて挑発して見せるが、彼女は毅然とした態度を崩すことはなかった。
「違う。あたしには、そうしなければいけない責任があるから」
「責任?」
 どこか引っかかった単語を鸚鵡返しにすると……フランスの聖女に由来するであろう名を持つその少女は、剣を構えたまま語り始めた。
「あたしがこのゲームを薦めた……その所為で、きっと、みんな……全員じゃないけど何人もが……このゲームの中に閉じ込められている」
 彼女のその台詞からは、デジャヴじみた何かを感じる。
 そういえば、みなもや、他の皆は無事なのだろうか。それとも、あの最初の“粛清”で殺されてしまったのだろうか。
「だから……」
 彼女の、剣を握る手に力が入るのを見て、ごくりと唾を飲んだ。
 彼女は自分のためだけではなく、他のものを背負っている。少なくともそう自負している。
 この手の――はっきりとした信念を持った相手と本気で殺し合いをするために相対するのは、初めてだった。
 勝てるのか。僕に。
 殺せるのか。僕が。
「だから、“魔王”――あんたを殺すッ!」
 彼女は吼えると同時に僕の顔をキッとより強く睨みつけて……その場で踏み込み、剣を振るう。
 それはただの剣ではなかった。
 スネークソード、蛇腹剣とも呼ばれるそれは……振るわれるのとほぼ同時に、刃が蛇腹状に分割した刃鞭へと姿を変える!
「っ……!?」
 思わぬ間合いからの斬撃を、後ろに跳躍し回避するものの……革鎧を切り裂かれる。
 ――ああ、これはもう使い物にならないな。後でキールに新品、頼まないと。でも、その前に……。
「こいつを倒さないと、か……」
 頭をフル回転させて目の前の窮地を乗り越えるための策を考える。
 相手のリーチは、こちらが予想したものよりもずっと長い。
 しかも、踏み込みからの武器変形のスムーズさを見るに……武器の扱いも、僕に合わせた付け焼刃、という訳ではなさそうだ。
 ――鞭状になった武器は至近距離では取り回しが悪く、剣状に戻すには多少なりともタイムラグが発生するはず。そこを突いて懐にもぐりこむんで、やるしかないか……。
 そうと決まれば僕は、クロスボウを装備し、彼女に向かって駆け出す。
 彼女が振るう蛇腹剣が、顔や首、腕を掠めていくが……純粋な戦士系と比べて攻撃力の劣る聖騎士の攻撃が掠った程度のダメージならどうということはない。後でまとめて回復してもらえば事足りる。
 こちらが狙うのは、いわゆる一つの……肉を切らせて骨を断つ、というやつだ。
 相手の攻撃を掻い潜って、絶対不可避の状況を作り出してからの――急所への、零距離射撃。
 攻撃力がやや低い代わりに高い防御力を誇る彼女を倒すには、急所攻撃が必須なのは明らか。
「……ぐっ!」
 あと一歩というところでざっくりと左肩を深く切り裂かれ、そこから激痛が走き、呻き声が出る。
 しかし、この程度の痛みならまだまだ耐えられる――むしろ、耐えられなければ死んでしまう!
「でも……これで……!」
 彼女が次の一撃を振るう直前、抱きつくように体を掴む。
「――チェックメイトッ!」
 そして、その首筋にクロスボウを押し当てようとした――その時。
「――甘いわね」
 彼女はふっと柔らかく、それでいてどこか不敵に、笑った。
「……え?」
 綺麗な微笑みを間近で見てしまい、戸惑ってしまった僕の両足の間に。
 彼女は一瞬のうちに足を滑り込ませ……そこから思いっきり、いわゆるハイキックの高さまで蹴り上げてくる!
「うわぁっ!?」
 その強烈な蹴り上げは何とか、瞬時に手を離して後ろに下がり、腕で受けて多少吹っ飛ばされた程度で済んだのだが……。
 ――これはまずい。非常にまずい。
 彼女は明らかに、こっち……というかむしろ、男性型ボディの最大の“弱点”を狙ってきている……。
「……っ」
 冷たい汗が背中を伝い、頭から血の気が引いていくのがわかる。
 “アレ”は、本当に――生死に関わる。
 データ的なダメージは小さいだろうが、痛覚に入るフィードバックがヤバい。
 リアルでは、あまりの痛さにショック死するケースすらある急所攻撃。ゲーム内だからリミッターはあるだろうがまともに受けたら……隙ができるとかそういう次元じゃ済まない……!
『……ファーテル! 痛覚遮断魔法を……随時かけてくれ!』
『痛覚遮断!? どうしてそんなものが必要に!?』
 ファーテルが驚くのは、当然のことだった。
 痛覚遮断の補助魔法は、プリーストの中でも高レベルの者だけが使えるスキルだ。これをかけてもらうことで一切の痛覚フィードバックを遮断し、痛みを気にせずに戦闘を行なうことができる。
 ただし、強力な効果とは裏腹に、効果時間はかなり短い。そのため実用性に欠け普通の戦闘で使う機会など、殆どないが……。
『相手が情け容赦なく“急所”を狙ってきた。おそらく女プレイヤー……男だったら血も涙もない人でなし、だ』
 そう、僕だって……人としての心はまだ残っている。だから、男性型ボディのプレイヤーが相手でも、あの場所だけは狙わない。
 あの場所が何かぶつけただけでどれだけ痛いかは、中身が男なら何らかの形で経験し、身をもって知っていることのはず。
 そこに平気で……装甲に包まれた足で全力の蹴りを入れるなど、その苦痛を知らないか、それすら意に介しない非情な人間かの二択だ。
『わかった……』
 神妙な返事が返って来る。直接は関係がない他の皆の間にも、緊張が走っている様子だ。
 平時なら他人にとっては笑い話の一つにもなるだろうが、殺し合いの場において致命的な隙を晒すのだけは避けなければならない。
『無茶言ってごめんね』
 ファーテルに謝りながら、相手との間合いを調整するために後ろへと僅かに下がる。
 それとほぼ同時に……蒼い光が僕を守るように包み込み、あちこちに受けていた攻撃による痛みが消え去っていく。
 だが、受けた傷そのものは消えていない。これはあくまで、痛さを感じないようにしただけなのだから……魔法の効果が切れればまた痛みを感じることだろう。
「なるほど。痛覚遮断……考えたわね」
 ジャンヌは軽く威嚇するかのように、刃鞭をひゅんっと振るい、改めてこちらを睨みつける。
「こっちだって必死なんだ」
 僕も負けじと、彼女の顔を睨む。第一印象から油断ならない相手だとは思っていたが、ここまでとは!
「間抜けな死に様を晒したくはないし……そもそも、君にどんな理由があろうと、僕だって殺されてくれる訳には行かないんでね……!」
 僕は一呼吸して地面を蹴り――立ち幅跳びの要領で跳躍、一瞬にして間合いを詰めて再び掴みかかる……と見せかけ、スピンをかけたローキックを仕掛ける。
 しかし、こちらのフェイントは――完全に、完膚なきまでに読まれていたようだ。
「よっ、と!」
 彼女はそれを後方宙返りをして避け……更にその状態から鋭い蹴りを放ってくる!
「ぐはぁっ!?」
 渾身の蹴りは顎に命中、そこから派手に吹っ飛ばされ、空中へと放り出されながら……僕は彼女に、機械弓の照準を合わせ……引き金を引く。
「こ……のっ!」
 かなり無理な体勢からの射撃だが、相手もここから撃ってくるとは思うまい。
 彼女は軽量級というわけでもなさそうだし、ここからの攻撃回避はまずできないだろう。
 防ぐことはできるだろうけれど、少しでもダメージを与えればそこを糸口にできるはず。
 しかし、矢が僕の思惑通りに彼女の体を抉ることは、なかった。
「な――!?」
 それらは全て……マントによって、叩き落されてしまったのだから。
「……何の対策もしていないと思っていたのかしら?」
 パラディンは、僕の顔を見てにやりと笑う。僕は多分……かなり焦っているように見えるのだろう。
 見たところ、マントは普通のものではなく、特殊効果……飛び道具ダメージの減衰効果か何かがついている。
 実際のところはノーダメージではないとは思うけれど、鎧で身を固めマントで威力を減衰させているとなると……与えるダメージはかなり減っている。
 純粋な戦士系ならまだいいが、相手はパラディンだ。回復量は少なくても、自身に治癒魔法をかけることができるのは大きい。
 ここで急所を狙ってくるのは、相手も予想しているし――当然、対策もしているだろう。その裏をかかなければならない。
「……」
 ちらりと、周辺に視線を向ける。相変わらず、僕たちのほかには何の気配もない。
 この場はさっさと逃げ出すのも手の一つではあるんだろうが、逃げたところで彼女に、掲示板に情報を書き込まれたりすると厄介だ。
 僕個人に対する私怨なら、あくまで自分の手で討ち果たすのが目的、という感じの奴も多いけれど……彼女はそうではない。
 他のプレイヤーたちがこの近辺をうろついていないとも限らない。ただでさえ今日は何度もプレイヤー相手に戦闘していて消耗しているのに、ここで追い討ちをかけられては溜まったものではない。
 故にこの場は、彼女をどうにかして殺害するのが一番賢いやり方……なのだと、自分の中では思っている。
「あなたを倒すために、殆ど全財産叩いて買ったアイテムなのよ、これ」
 そう言ってマントを見せびらかしてくる彼女に、僕は苦笑を浮かべた。
「いいのかな、敵に最大の手の内を見せちゃって」
「いいのよ。だってあなたは、手も足も出ないでしょう?」
 たしかにこのままだと、手も足も出ない。それは彼女の言う通り、紛れもない事実だ。
 でも、こちらの攻撃に対する対策があのマントである以上、あれを、あれさえどうにかできれば……勝ち目は充分にあるはず。
 それならば――と僕はある人物の名を、心の中で力いっぱい呼んだ。
『メルキセデク!』
『な、何ですか!?』
 その人物はおそらく、戦闘状態に入っているこちらに呼ばれるとは思わなかったのだろう。
 突然名前を呼ばれて、慌てている様子が、声だけでも伝わってくる。
『今、アイテムデータの検索とかはできる!?』
 “Rahab”のスキルツリーにはアイテムやモンスター、プレイヤーのデータすら含まれるデータベースを閲覧・検索するというスキルが存在する。
『ええっと、今は休憩中だからできますけれど……』
『外套系装備から、弓矢による攻撃のダメージを軽減するアイテムの検索を――あんまり余裕がない、急いでくれ!』
 おそらく、その一言でメルキセデクにも大体の事情がわかったのだろう。即座に返事が返って来る。
『わかりました!』
 メルキセデクの返事が聞こえたところで、再びジャンヌの蛇剣が唸る。
「おおっと!?」
 それはかわすが、こちらの回避モーションの間に彼女は高く跳躍し、飛び膝蹴りで襲い掛かってくる。
 それは回避しきれず、マトモに喰らって吹っ飛ばされ――落下地点に鞭剣の更なる追撃。急所に当たることだけは避けたが、横腹を切りつけられた。
「はあ、はあ……」
 痛覚は遮断されているから痛くはないとはいえ、HPはじわじわと削られ、減り続けている。
『ファーテル、HP回復を頼む!』
 回復を依頼しつつ、時間を稼ぐために動き回る。
 相手がそれを疑問に思っている様子はない。ただの悪あがきと見ているようだ。
 ――そのことに感謝するには、彼女の攻撃は的確かつ容赦がなさすぎたけれど。
「この……っ!」
 少しずつとはいえ、彼女の性格の悪さをにじませた攻撃に追い詰められ――HPよりもメンタルがかなり磨り減ってきた、そんな時だった。
『検索結果、出ました』
 ――メルキセデクの声が脳裏に響いたのは。
『アイテム名、矢返しのマント。弓矢及び投擲武器による射撃攻撃のダメージを半分に減少させる効果。レアアイテムですが……火属性攻撃に弱く、破壊が可能です』
 それを聞いて僕は即座に、武器をロングボウに切り替えた。
「……それなら、何とかできる、かな……」
 彼女に聞こえないように小さく呟きながらも……挑発的に、口元を吊り上げて見せる。
 取り回しの悪い武器への装備変更。一見すれば、あまりいい判断には見えない。彼女の目には、諦めて勝負を捨てたように映るだろう。
 でも僕は、勝負を……命を捨てようというわけではないわけではない。むしろ、その逆だと断言する。
 ――この女聖騎士に勝って、生き残るために。僕は敢えて、ロングボウという武器を選んだのだ。



[7428] 第4話(3)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/01 21:14
「ふうん……? ロングボウでどうやって、こっちに勝つつもりかしら?」
 案の定というか何というか。彼女は僕の取った行動を鼻で笑いながら、ゆっくりと歩み寄って来る。
 マントの性能で絶対的な優位に立っているのだ、余裕も油断も出てくるのは当然だろう。
 ――でも、その慢心が命取り。
 それを教えてやろう、と僕は赤い鏃を持つ矢を手に取り……それを彼女に向けて放った。
「だから、それは通用しな――」
 先ほどと同じく、女聖騎士はマントで矢を防ごうとする。
 しかしその矢が当たった瞬間……防いだはずの矢の鏃が熱を帯び……外套に火が付く。
「な、何っ!?」
 属性付属の矢――弓矢による攻撃に地水火風のうち、任意の属性を付加することができるアイテムだ。
 どうしても刺突系のダメージソースばかりになってしまう弓手系キャラクターへの救済処置とでも言うべきアイテムだ。
 ヴァーチャルリアリティかどうか関係なく、MMORPGでは定番のアイテムの一つと言えるだろう。
 しかしながらこのゲームのそれ系のアイテムはクロスボウによる攻撃では使えない上、使い捨て。作るのにも材料と手間がかかる。
 僕としてはできる限り使いたくなかったアイテムだが……この状況ではそんなことも言ってられない。
「こ、このっ……!」
「どうやら……そっちもそっちで、予習不足だったようだね」
 感情を極力排した声で、冷たく言い放ちながら……次の矢を番える。
 燃え盛るマントを外すのに手間取り、無防備に近い彼女に対し、地の属性を宿した3本の矢を撃ち放つ。
「ぁ……っ!?」
 ジャンヌは小さな悲鳴をあげて、得物の蛇腹剣を手から落としてしまう。
 彼女の利き手の甲を、僕の放った矢が――鎧の装甲ごと貫通したためだ。
 しかも、それだけでは終わらない。この地属性の力を封じ込めた矢による攻撃は、致死性ではないが毒の効果を持っている。
 彼女の体を穿った利き手と左脚、そして左肩にできた傷は瞬く間に化膿し、それは一瞬にして広がっていく。
「くっ……」
 戦闘を続行する上で重要なパーツである利き手を脚を傷と毒に侵されたことで、流石に不利を悟ったらしい。
 彼女は舌打ちしながらも、逃走するべくこちらに背を向ける。
 負ければ命はない、引き際が肝心、ということは彼女もわかっていたのだろうけれど――それには少し、機を逸していた。
 きっと、“粛清”以前の僕なら。彼女が逃げたことで満足して、見逃していただろう。
 けれど、今の僕は躊躇せず……逃げる彼女の背に弓を向けることができていた。
「させるかっ!」
 足元に2本、水属性の矢を打ち込み、彼女の足を大地へと縫いつけ――さらに凍らせる。
「あう……っ!」
 接近戦を得意とする者にとって、足を完全に封じられるのは致命傷。
 同じ接近戦型にやられたならまだしも、僕のような遠距離戦を得意とする敵にそれをやられれば、死亡宣告も同然だ。
「そ、そんな……」
 完全に形勢は逆転。大勢は決まった。
 僕は武器をクロスボウに変え、彼女の頭へと向ける。とどめを刺すために。
「さて、と――言い残すことはある?」
 口から飛び出したのは……自分でも驚くくらいに、冷たい声。
「やだよ……」
 ぽつりと、少女の口から漏れたのは。おそらくは――彼女の偽らざる、本音。
「やっぱり、あたし死にたくないっ……!」
 嗚咽交じりのその台詞に、僕は自分でもわからないくらいの苛立ちを感じた。
「僕だって死にたくない。それなのに、君は僕を殺そうとしたじゃないかっ!」
 殺せ、と頭の中で声がする。
 ――こんな身勝手な女を、生かす必要はないし理由もない。
 僕に似たその声は優しく、残酷な内容を囁いてくる。
 でも、確かにその通りだ。それにこの女を生かして逃がせば、また僕が襲われることはないとしても……戦闘能力は低いキール、自己強化で何とか生き延びているファーテル、強力な魔術師だが弱点も多いメルキセデクあたりに手を出す可能性がある。
 そうなった時、襲われた“魔王”が、彼女を退けられるとは限らない。僕は何とかやり過ごせたけれど、彼らが同じようにどうにかできるとは断言することができない。
 一人死ねば皆死ぬ――そんな可能性がある以上、不安要素の芽は気がついたらすぐに摘まなければならない。
「助けてよ……お父さん、お母さん……」
 彼女の口からうわ言が吐き出される。しかし僕は彼女に同情など、できなかった。
 ――この女は僕を殺そうとした。
 だから、僕がこの女を手にかけても、誰も咎めやしない。
 誰にも咎める権利はない。誰にも、僕を責める権利などありはしない……!
「そう……殺らなきゃ殺られる……!」
 ――これは、正当防衛なんだ。
 クロスボウの引き金に、指の力を込め。その引き金を引こうとした。
 この状況で外すわけがない。即ち、この女は死ぬ。
 そのはずだったが、矢が放たれることはなかった。
「……助けて……夕樹」
 彼女の末期の一言となるはずだった台詞を聞いて――僕は思わず、クロスボウをその場に落としてしまう。
「え……」
 緊張の糸が切れ、恐怖心に耐え切れなくなって気を失った“ジャンヌ”が呼んだ名前は間違いなく……僕の本当の名前。
 僕自身も忘れかけていた、もしかしたらもう二度と呼ばれることのない、本当の……。
「まさか……みなも……?」
 おそらく、そうなんだろう。
 彼女は僕たちをこのゲームに放り込んだのに自責の念を感じて、必死にレベルを上げて……“魔王”を殺そうとした。
 そして彼女は……その殺すべき“魔王”が僕だということは、知らない。知る手段もないだろう。
 顔立ちや名前をある程度似せてあるといっても……それだけで“ユーリ”の正体が“設楽夕樹”という人物であると確信するのは、極めて難しいはずだ。
「くそっ……」
 現在の僕らを取り巻いている状況から、こうなることがあり得るのは、予想できるはずだった。
 でも僕は、この可能性を脳裏から排除していた。いや、考えないようにしていた、と言ってもいいだろう。
 ――リアルの友人知人なら、絶対に悪魔のゲームに乗ったりなんかしない。
 そんな浅はかな、子供じみた考えを基に、現実から目を逸らし続けていた。
 けれど現実はどうだ。みなもは僕の命を狙ってきた。
 何も知らなかったとはいえ、僕を殺そうとしてきた。
「……はは……あはははは……」
 何がおかしいのか、自分でもわからない。それとも、どこか壊れてしまったのか。
 気がついたら僕は、声を出して笑っていた。
 現実世界のクラスメートだろうが何だろうが、僕たちを殺そうとするプレイヤーは躊躇なく殺すべきであり、そのほうが安全なのは動かない――絶対的な事実。
 しかし、ここで彼女に手を下したら……現実の世界に帰れたとしても、僕が取り戻そうとしている日常は失われる。
 脳裏に、あの魔女の笑い声が響き渡る。これもまた……彼女が望んで、作り出した展開なのだろうか?
「おかしいな。覚悟は、決めたはずなのに……」
 笑い続けながらも、落としたクロスボウを拾い、もう一度それを彼女の頭に向ける。
 僕は人を殺している。だから、もう引き返せない。
 ここで、現実のクラスメートだからというまったくの私的な理由で彼女を助けることは、これまで殺してきた他のプレイヤーに失礼であり、その死を愚弄しているも同然だろう。
 そう。僕たちは私情を殺して、敵対してくる相手は極力殺害しなければならない。
「どうして……こんなことに……なったんだろう?」
 それでも僕は、彼女に向けた機械弓の引き金を……なかなか引けないでいた。
 そんな状況で、脳裏によぎるのは……もう10年以上前の思い出。
 彼女と出会った時――小学校の入学式で起きた、ちょっとした事件だった。

 一般的に入学式といえば桜が連想されるものだが、僕たちが暮らしているのは南部とはいえ東北の山奥。まだ雪が残っているくらいで、桜の季節には程遠かった。
 入学式に来たのは、殆どが両親揃ってか、母親だけで……父親だけが見に来ているのは僕一人だった。
 父さんがちゃんと来てくれたのはうれしかったけれど、他の子供たちにはそれがとても……奇異に映ったのだろう。
 ある程度自由にできる時間が来ると、早速質問攻めにあった。
「なんでおまえのところ、パパだけきてるのさ?」
「へんなのー」
 それは多分、他の皆にとっては……純粋に、疑問だっただけなんだろう。
 けれど、当時の僕は……そこまで察することができる余裕もなければ、うまく説明するだけの頭も回らなかった。
「う……」
 皆にバカにされているようで悔しくて、母親に捨てられたという事実が悲しくて。
 思わず泣き出しそうになっていた……そんな時。
「やめなさいよっ!」
 と、僕を庇うように立ったのが、みなもだった。
「きっと、ゆーきくんのいえには、ママがこれないりゆうってのがあるのよ」
 彼女のその一言で、僕の周囲に集まってきた子供たちが散っていく。
 そして彼女はそれを確認すると、安堵の表情を浮かべていた僕へと手を差し伸べてきた。
「だいじょうぶ?」
「うん……」
 おずおずと頷く。
 幼稚園とか保育園には行かずに祖父母に世話してもらっていたし、時折集まる親戚は同世代の子供たちも男ばっかりだったから――同年代の女の子と面と向かって話すのは、これが初めてだった。
「おかあさんはなんのしごとしてるの?」
「いや、しごと……じゃないんだ」
 僕は少し、
「うちは、おかあさんいないから」
「……え」
「ずっとまえに、でていっちゃったんだ……おとうさんとけんかして」
 まあ、それで大体の事情は伝わったのだろう。みなもは神妙な表情を浮かべて、何事かを考え込み始めた。
「じゃあ、あたしがあんたのおかあさんのかわりになったげる」
「おかあさんのかわり?」
 僕は首をかしげて……。
「それってうちのおとうさんと“けっこん”するってこと?」
 そんな特大ホームラン級のマジボケを、真顔でかました。
「ち、ちがうわよバカ! いっしょにいてあげるってこと!」
 彼女は顔を真っ赤にしながら、ごつん、と頭に拳骨してきて……当時はあまり殴られたこともなかった僕が反射的に泣き出して、彼女が慌てて謝って……。
 出会いはまあ、そんな感じだったはずだ。
 僕が非常に情けないことを除けば、まあ……ありふれたものだった、と思う。
 でも、僕が小さな頃、例の母親が出て行った時からずっと抱えていた人見知りが大幅に改善したのは、間違いなく彼女がこの時助けてくれて、手を差し伸べてくれたのがきっかけだった。
 だから、彼女にはすごく感謝している。恩人と言っていいだろう。
 そして今僕は、現実における恩人の少女を――非現実の世界で、殺そうとしているのだ。

「みなもの……持ち前の気質が、災いしたんだろうな……」
 みなもという少女は、学校においても私生活ムードメーカー兼トラブルメーカーというかなんというか……いつも、何らかの形で話題や騒ぎの中心にいる人物というイメージがある。
 率先して悪戯とかそういうことをやって先生や親御さんを始めとした大人たちを困らせる一方で、大きなイベントとか何か問題が起きた時はすぐにまとめ役に自分から進んで立候補できる……良くも悪くもリーダーシップがあった。
 そして、まとめ役とか代表になった時は誰よりも真剣に取り組んでくれる……責任感も人一倍強い、人間だ。
 そんな彼女だったから、ゲームを始めてすぐに閉じ込められた初心者であったにも関わらず、“魔王”を殺して脱出する、という目標に邁進できたのだろう。
 ――弱音や恐怖心を、無理矢理押さえつけながら。
 このゲームに閉じ込められた数十万人のプレイヤーの中にも、そこまでできる人間は殆どいないだろう。
「くっ……」
 現実のものとは似ても似つかない、気絶したままの彼女の顔へと機械弓を向けては、外し。それを何度も、何度も繰り返す。
 誰が相手でも殺すという覚悟は決めているつもりだったが、こうして想定外の出来事に出くわすと、自分の甘さと精神力の弱さを痛感せざるを得ない。
「どうして、よりにもよって……僕のことを狙ったんだよ……」
 苦々しく吐き捨てるが、意識を失っている彼女は返事を返さない。
 襲ってきたのが彼女でなければ、こんな気分にはならず、躊躇いなく引き金を引くことができただろう。
 ――僕は後になって懺悔はすることがあっても、人を殺すそのときはとても冷静でいられる人間だから。
 彼女が襲ったのが僕でなければ、真実など何も知らぬまま、……早かれ遅かれ命を落としていただろう。
 ――僕に敗北した彼女が、僕なんかよりもずっと強いレオンハルトやノアに勝てる訳がないだろうから。
 でも、僕たちはこうして……おそらく、“お互いにとって最悪”と言っていいであろう形で、再会してしまった。



[7428] 第4話(4)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/02 21:53
 その後。気がついた時には僕はジャンヌを人目につかない岩陰へと運び込み、僕が負わせた怪我の手当てをしていた。
 まあ一応、こちらの身の安全のために……武器は没収、手と足はそれぞれロープで縛り付けて、拘束しているけれど。
「えーっと、化膿の治療はこの薬草で……っと。凍傷にはこっちの薬だな……」
 このゲームには元々、応急処置スキルは全てのクラスについている。
 更にハンターの場合は薬草学などのスキルがあり、時間さえかければ手当てに関しては万全の体制を整えることができた。
「……何やっているんだろう、僕」
 思わず、乾いた笑みが浮かぶ。
 本当に……自分でも、何をやっているんだかわからない。
 確かに――ついさっきまで、本気で……彼女のことを殺そうとしていた、そのはずなのに。
 とはいえ、僕の個人的な事情による勝手な判断で、“魔王”を狙う彼女を逃がすわけにも行かない。僕一人が個人的に、恨みを買って狙われているというのならともかく、そうではないのだから。
『……あのさ、みんな』
 僕は早速、秘匿チャットで……仲間たちに声をかける。
『もし、リアルでの友人知人が……“魔王”を殺そうと、自分の前に現れたら……皆ならどうする?』
 とりあえず、意見交換という形から始めることにした。
『いや、そんなこと言われてもなあ。相手がリアルの知り合いでも、外見も名前も変わっているだろうし判別不可能だろ? 元々こっちでのネームとか知っているならともかく』
『ネームを知っている前提、とかで考えて』
 うーん、とキールが唸る声が聞こえる。
『……好きな子とかだったら、うっかり刺されるかもしれん』
 そして出てきた彼の返答は、非常に判断に困るものだった。
 他の人ならともかくキールがこういうこと言い出してくると、ギャグなのかマジなのか、判断がつかない。
『僕はリアル・ゲーム内問わず、知り合いならできる限り説得しようと思いますね……それでも本気で殺しにかかるなら……わかりません』
『私も似たようなものだね』
 メルキセデクとファーテルの答えは、とても彼ららしい……予想通りのものだ。
 逆に、意外だったのがレオンハルトの回答だった。
『“仮にゲームの中にいれば”一人だけ躊躇うかもしれない相手はいる。が、その相手がゲームをプレイしている可能性はゼロだからな』
『引退したのか?』
『ああ。妊娠しているから、ゲーム関係はこのゲームだけに限らず全て引退させてある』
 思わず、全員が沈黙した。
 “一人だけ躊躇うかもしれない相手”が、妊娠……?
『それってもしかして……』
 いや、直接的なことは言うまい。それこそ野暮と言うものだ。
『本当は、俺も今頃は引退しているはずだったんだがな』
 溜息混じりにレオンハルトが吐き捨てる。
 子供の父親になる以上、当然といえば当然だろう。ゲームなんて時間のかかる趣味にかまけている暇はなくなる。
 中毒性の強いネットゲーム、それもMMORPGなら尚更だろう。
『こっちでの付き合いの兼ね合いで、先月末まで……という話だった。それなのに……』
 しかし、予定通りにはならず……彼はこのゲームに閉じ込められてしまった。それも、デスゲームのターゲットとして。
『何にせよ俺は、あいつ以外の人間なら、躊躇いなく殺せる自信がある。
 こっちが知り合いでも手にかけようなどという奴は……こちらから願い下げだ』
『もし仮に、このゲームにその……彼女がいた場合はどうしてたと思う?』
 キールの問いに、彼はくくっと笑った。
『さあて。ありもしないことを語るのは趣味ではないが……お前がさっき言ったようにうっかり刺されたかも知れん』
 そして出てきたのは、彼らしくもない答え。
 それに思わず呆れる僕たちに彼は、『俺も男だ、惚れた女には弱い』と苦笑交じりに語った。
 恋愛というものに疎いというか、わざと興味を持たないようにしている僕にはその感覚がわからない。
 でも、それでも。
 ――読心の力により人の醜さを知ったレオンハルトすら、信じたいと思わせるだけの強い感情を抱かせる。
 愛情の力というのは、僕が思っているよりもずっと強いのかもしれない。
『ノアは……』
 話題が脱線しそうになったので、他の仲間に話を振る。
『俺には、現実世界で親しい人間などいない』
 しかしノアの返事は、案の定というか、ある意味極めて彼らしいものだった。
『だから、関係のない話だ』
『私も同じ感じ。リアルの知り合いで、自分の身を危険に晒してまで助けたいくらいに、親しい人間はいないわねぇ』
 と、ラケシスがノアに同調する。
『え。ラケシスさんって、友達多そうな感じがするんですけれど……』
『あら、そう見える? まあ、リアルとゲームの中ではまるっきり別人だから、ね……』
 彼女は彼女なりに、色々と事情というものがあるようだ。
 実際、リアルでは人見知りが激しいのに、ネットワーク上では饒舌……という人間もこのネットワーク社会においてはそれほど少なくはない。悪い言い方をすれば、内弁慶ならぬネット弁慶、というやつだ。
 ラケシスはそういう人種なのかも知れない。が、これ以上の詮索はしないほうがよさそうだ。それこそプライバシーに関わる問題だろうし。
『で、ユーリ。どうして突然、そんなことを聞いてきたんだよ』
『……襲い掛かってきたのが、リアルでのクラスメートだった』
 僅かばかりの沈黙。
 誰も何も言ってこないので、こちらから口を開いた。
『もっとも、戦っている間はわからないままで……気絶する直前にわかったことなんだけどね』
 そして細かい事情を話す。
 流石にリアルでのことを事細かく説明はしなかったけれど……彼女の人となりくらいは伝えておいた。
 無論、“魔王”を殺害しようとする理由となっているであろう、責任感の強さのことも含めて。
『責任感が強いが故に、全部背負っちまったってのはなあ』
『彼女のせいでもないし、当然僕たちのせいでもない。全部アスタロトがやったこと……のはずなんだけれど』
 溜息は何度吐いても吐き足りない。この1ヶ月とちょっとで……それまでの人生と同じくらいの回数の溜息を吐いているんじゃないのか、とすら最近は思いかけている。
『ユーリはどうしたいんだ』
『わかりません』
 レオンハルトの問いかけに即答すると、ほぼ全員から呆れ声が聞こえてきた。
『いや、本当。頭の中真っ白で……うん。気がついたら相手の手当てをしていたくらいだし。
 だから、皆に相談できればいいなぁ、というかしなきゃ駄目だよなぁ……と思って話を持ちかけたわけなんだけれど……』
『でも結局、こればっかりは……僕たちの意見に頼らず、君が決めるべきことなんじゃないかな?』
 ファーテルの言うことは、もっともだ。
 殺すことも見逃すことも、決めるのは僕になる。
『そうなんだけれど、ね……それでも、どうしていいかが定まらないんだよ』
 理性が殺せと叫ぶ一方で、感情が助けろと叫んでいる。
『……生かしておくというのなら、精々説得しておくんだな。俺たちに直接火の粉が降りかかるようなら』
『わかっているよ』
 殺す、とでも続けようとしたであろうノアの台詞を、返事で遮る。
『何とか、説得してみる。全く聞く耳持たないようなら、その時は……僕の手で、決着をつける』
 正直なことを言えば、まだ覚悟はできていない。
「……」
 怪我を手当てし終えた後もずっと眠り続ける、彼女の顔を横目で見ながら、熟考する。
 彼女はこちらの正体を知らなかったが故に、挑んできた。正体を明かせば、説得は容易かもしれない。
 でも、それは最終手段にしておきたい、という気持ちがある。逆に言えば……それすら拒絶されたら、殺すしかない。
「とりあえず、まず最初に取引を持ちかけて……その反応を見るか」
 考えがまとまったら、後は彼女が目を覚ますのを待つばかり。
 どうなるかは予想がつかないが……僕としては、彼女が大人しく納得して、引き下がってくれるのを祈るしかない。
 まあ絶対、そう簡単には引き下がらないんだろうけれど。責任感が強いだけじゃなくて、負けず嫌いな上頑固だし。
「せめてこっちの話を聞いてくれれば……それだけでも大きく違うだろうしなあ」
 そんなことをぼやきながら、本日だけで何度目かわからない溜息を吐く。
 どうにでもなれ、と色々投げ捨てたい気持ちだが、そういう訳にも行かないのが現状だ。
 そんな僕の横では……こっちの苦悩などそ知らぬ顔で、みなも、もといジャンヌがすやすやと眠っていた。



[7428] 第4話(5)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/02 21:54
 その後、彼女が気がついたのは、HPやステータス異常が完全に回復してから60分、一時間後だった。
 なかなか目を覚まさなかった理由は……彼女もレベル上げとかで無茶をしていて、かなり疲労していたんだろう……とは思うけれど、それが本当に当たっているかどうか、僕に確かめる術はない。
「気がついた?」
 一応、相手の警戒を解くために愛想笑いくらいは浮かべておく。
「どうして……、あたしを殺さなかったの?」
 彼女の口から出たのは、どこか責めるような声だった。
 ――むしろ、こっちが聞きたいよ。自分自身に。
 そう思いながらも、僕は真剣な表情で彼女の顔を見つめ……。
「まあ、そんな怖い顔せずに……取引をしようよ?」
 そのような話を、切り出した。
「取引……って……?」
 彼女は戸惑いの表情を浮かべている。何故かほんのり、顔が赤い。
 何か、すごい誤解をしているんじゃなかろうか。
 その誤解を解くためにも、僕は早速本題に入った。
「君が持っている食べ物系アイテム全部と、所持金の半分をこっちに寄越してもらいたい」
 それで命が助かるんなら安いものだよね? と僕は彼女に笑いかける。
「……所持金は兎も角、何故に食べ物まで?」
「……お察しください。色々と」
 ジャンヌは少し考え込み。
「なるほど……言われてみれば確かに、マトモな食事を取れそうにないしね」
 僕の考えを察し、頷いた。
「そういうこと。いわゆるギブアンドテイクというやつだね」
 そう言って彼女を拘束していた縄を……手のほうだけ解いてやる。そうしないと、トレードウィンドウが開けないからだ。
 足は縛ったままの上、妙な動きをすればいつでも撃てるようにクロスボウを準備してある。
 彼女も……反抗すれば気が変わって殺されるかもしれない、ということはわかっている様子で、大人しくトレードウィンドウを開き……こちらに所持金と食料を送ってくる。
 食料はパンや燻製肉、缶詰などの保存食系ばかり。この手のアイテムは持ち運びはしやすいものの、味はあまり上等なものではない。
 扱いとしては、リアルにおけるジャンクフードのようなもの、と言っていいだろう。極端に不味くもないが、美味くもない……と言ったところだ。
 もっとも、現実世界での僕たちのは、ファーストフード店なんてバスで数十分かけて街に出ないと行けない……そんなジャンクフードの類とは縁が薄い人種なので、この例えについては実感が涌かないし間違っているかもしれないけど。
 何にせよ、こちらとしては滅多に食べれない貴重品。ありがたく頂戴することにしよう。
「じゃ、早速」
 僕は送られてきたパンと鳥の燻製肉をそれぞれ一つずつ取り出す。それと、戦闘後に水を汲んだ水筒も出しておく。
「……今食べるの?」
「あの木の実じゃ、データ上は空腹度が回復しても、全然食べた気がしないし」
 と、僕はパンをナイフで切って、肉を挟み……即席のサンドを作り、早速かぶりつく。
 どちらかというと僕は、パンより米派なんだけれど……かれこれ1ヶ月ぶりに食べるパンは、とても懐かしく、美味しく感じられた。
 燻製肉は見た目通りにかなり固くて……お世辞にもいい肉とは言えない代物だが、それでも久方ぶりの鶏肉の味は、僕の舌を悦ばせてくれる。
 修学旅行のときに東京で食べた豪華なバイキング料理よりも、こんな即席のチキンサンドのほうが贅沢な食べ物のようにすら思える。
 そのくらい、今の僕は人間らしい食事に飢えていた。
「ごちそうさまでした」
 あっという間に食べ終え、彼女に感謝の言葉を述べる。
 ジャンヌは呆気に取られたまま、こちらをじっと見つめている。
「もうちょっと、緊張感とか持ったほうがいいんじゃないの? プレイヤー皆から命狙われているんでしょ?」
「そう言われても……ずっと張り詰めたままというのは……きついし」
 彼女は僕の言葉に顔を顰める。根が真面目なだけに、引っかかるものを感じたのかもしれない。
「あたしだって、あんたたちを殺すのを諦めた訳じゃないわ」
 ジャンヌは、先程晒してしまった醜態のことなどすっかり忘れているかのように――いや、実際忘れているのかもしれないけれど――キッ、と僕の顔を睨みつけてきた。
 その瞳には、研ぎ澄まされた剣を思わせる鋭い光が戻っている。
「友達を助けるため?」
「――そうよ」
 予想通りの返事に、僕は思わず、顔を顰めた。
 みなもの考えはわからなくもない。彼女らしいとも思う。
 でも、それでも……僕は彼女に、冷たく言い放つ。
「やめときなよ。もう」
「何であんたに、そんなことを言われなきゃなんないのよ!」
 ああもう。予想していたけれど、こいつはどうしてこうなんだか……。
「僕にだって負けたんだ。他の皆に勝てるわけないだろ」
「そんなの……やってみなきゃ、わからないじゃない!」
 ……性格の、負けず嫌いな部分が、完全に裏目に出ているなこれは。
 みなもは昔から、実際に完膚なきまでに叩き伏せられるとかしないと、負けたと自覚しない。平時ならそれでもいいけれど、この状況では負けイコール死亡だ。
「そうよ、今回は攻略法が甘かっただけっ! だから負けたけど、次は反省を生かして慎重に……!」
 その台詞を聞いた瞬間。僕の中で何かがぷつりと切れた。
「……僕たちを何だと思っているんだ!」
 激情のままに叫ぶ。
 彼女まで、そういう考え――ボスモンスターを見る目で、僕たちを見ているとは思わなかった。だから、余計に腹立たしく……僕の逆鱗に触れたのかもしれない。
「どうせ、ボスモンスターか何かだと思っているんだろ!
 だけど、僕たちだって人間だ! 他のプレイヤーと同じように、アスタロトに閉じ込められて、苦しめられている人間なんだよ!
 なのにどうして! どうして他の連中から狙われなきゃいけないんだよ……!」
 側に立っていた樹を、思いっきり殴りつける。
 流石にハンターに殴られて倒れるほど柔ではなかったが、幹や枝が大きな音を立てて揺れた。
「……っ、でもあんたたちが死ぬことでみんなが助かるのよ!?」
「それを保障しているのはアスタロトじゃないか! 同じ人間よりも、あの女を信用するのか!?」
 こちらだって、僕たちが全滅することでアスタロトが勝利するという絶対的な証拠を掴んだわけではない。
 ……だが、一つだけ露骨に、プレイヤーにとって難易度が低い設定というのは、どう考えても怪しすぎる。
「それはそうかもしれないけれど、それを言い出したら他の方法だって……!」
「だろうね。そうだとしたら、彼女は僕たちを生きて帰すつもりが、そもそも全くないんだろうけれど!」
 沈黙が流れる。
 そして僕の怒りも、少しずつだけど収まっていく。
 みなもは成績はあまりよくないが、バカじゃない。むしろ頭の回転は早いほうだ。僕の言いたいことはちゃんと伝わっている……はずだ。
「どうしろっていうのよ……」
「状況が変わるまでは大人しくしていろ、としか言えないな。僕からは」
「……っ」
 ジャンヌは、震える自分の肩を強く抱きしめながら……その場に蹲る。
「……あなたたちが、プレイヤーだということがわかっても……私たちがアスタロトに騙されている可能性があるとしても……私は……っ、私にはっ……他に選択肢なんかないのよ……っ」
 そして、涙を堪えながらも……彼女は顔を上げて、僕を強く睨みつけてくる。
 おそらく彼女は、ギルドとかには所属せずに単独行動をしているのだろう。
 攻略のための作戦行動が可能な大手のギルドは、“魔王”討伐を目的にするか否かに問わず……攻略をより効率的に行なうために古参のプレイヤーが集まっている、らしい。詳しくは僕も知らないけれど。
 デスゲーム開始時に初心者だった彼女を受け入れてくれるようなところは、皆無だったろう。仮にあったとしても、そこに初心者が殺到するのは目に見えている。
 大手ギルド所属でもなければ、“魔王”を殺害する以外の選択肢は与えられない。単独で攻略できる内容じゃないからだ。彼女が“魔王”を倒すという選択肢を選んだのも、それがきっかけだろう。
 逆に、中小のギルドにとっては……“魔王”退治を目的とするジャンヌの存在は、重すぎる。場合によっては、彼女の勝手な行動によって“魔王”から報復されかねないのだから、受け入れるところはないだろう。
 あくまで推測だけど――彼女は我が強すぎたが故に、自分から背負った責任感にがんじがらめに縛られて……孤独になってしまった。
 人並みの意志力の持ち主なら妥協ができたんだろうけれど、彼女は不幸にもずば抜けた意志力の持ち主で、それが裏目に出ている。しかも自覚症状はあんまりないと来たもんだ。
 これは信念そのものを揺るがさなきゃ、色んな意味で話にならない。
 ――仕方ない。お互いのためにもここは、切り札を切るしかなさそうだ。
「そこまで意思が固いんなら、さ。一つだけ聞いていい?」
「何よ……」
「もし、君が助けたいという友達のうち一人が、“魔王”だったらどうする?」
 ジャンヌは息を呑む。
 どうやら、そんなことは考えたこともなかったらしい。当然といえば当然だ。
 66万人以上が同時に閉じ込められて、その中のたった7人に選ばれるなんてのは、相当運が悪くなければひっかからない。
 僕だって、自分自身がこんなことにならなければ……現実世界の友人が巻き込まれた、とかそんなことは微塵も思わなかったんじゃないだろうか。
「そ、れは……」
「“魔王”が全てのプレイヤーからランダムに選ばれている以上、その可能性はゼロに限りなく近くても……ゼロではないはずだけど?」
 真っ直ぐに彼女の顔を見るが、彼女はこちらから視線を逸らしてくる。
「でも、そんなのって……」
「よっぽど運が悪かったのさ、僕も含めてね」
 何せ、不幸の女神とも呼べそうなあの魔女が選び出したんだから。
「じゃあ、あんたたちはどうなの? 例えば、私が現実世界の友達だったら……あんたはどうするの!?」
 彼女の問いに、僕はあるがままに答えた。
「“今回は”手を下さなかったけれど。次があるなら躊躇いを捨てて……本気で殺すよ」
 今回は、を殊更に強調すると……彼女の顔が見る見るうちに青ざめていく。僕の正体に思い当たったのかもしれない。
「それって……! う、嘘っ! そんな嘘吐いて脅そうったって……!」
 彼女の信念は、情によるもの。だからそれを揺さぶられると、価値観が一気に崩壊していくのだろう。
 明らかにうろたえ始める彼女に、僕は更なる追い討ちをかける。
「ねえ……みなも。僕は、僕のことを助けてくれた君を殺したくないんだよ?」
 その一言で、確信に至ったのか。震える声で、彼女は僕へと問いかけてくる。
「夕樹……なの……?」
 僕はその問いに、直接的に答えることはせずに……立ち上がった。
「まだ挑むというのであれば、次こそは容赦しない」
 例え、現実世界の幼馴染だということが、お互いわかっている相手でも。
 一度見逃されて……それでも、こっちの命を狙ってくるというのであれば、殺さなければならない。
 今回は僕にとっても不意打ちだったから、どうしても覚悟が定まらなかった部分がある。
 でも次に彼女に会うことががあるならば――それまでには、覚悟を決める。決めなければならない。
「それと、僕以外の“魔王”は……君にとっては赤の他人だ。君に情けをかけるなんてあり得ない。
 返り討ちにあいたくなければ、簡単には“粛清”されない程度にレベル上げだけしていたほうがいいと思うよ」
「……! 待って、夕樹!」
 背中にかかる、悲鳴にも似た叫び声。
 でも、僕は振り返ることすらしない。
「――さよなら、“みなも”。
 君が考えを改めてくれて……もう一度、ゲームの外の世界で、生きて会えることを願っているよ」
 ただ、それだけを言い残して――その場から立ち去った。



[7428] 第5話(1)【TS】
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/03 21:53
 拝啓、父さん。
 僕がこのゲームの中に隔離されて早くも1ヶ月と半月が過ぎようとしています。
 もう果物だけの食生活を送るとかマジでうんざりです。おいしいものがたべたいです。
 え、みなもから強奪した保存食があっただろう……? その日に食べつくしてしまいましたよ、そんなもん。黙って独り占めにしておけばよかったのに、みんなで分け合った結果がこれだよ!
 街に行けばおいしい食べ物が一杯あります。
 でもそれを待ち構えて狙っている畜生どもがいる以上、普通に突貫しようものなら死にます。
 だけど、手に入れちゃったんです――この状況を解決しうる、アイテム。
「けど、それでもっ……人の道を踏み外していいものか……!」
 わなわなと震える手で、先ほど手に入れたばかりのアイテムを見る。
 ――反転の木の実。
 比較的低レベルのモンスターでも落とすが、確率的には滅多に手に入らないレアアイテムの一種だ。
 効果は、ログイン中24時間、性別が反転するという……ただそれだけの、データ的には何の役にも立たない、いわばネタアイテム。
 しかし、ほぼ全プレイヤーから命を狙われているこの状況で、人目を憚ることもなく街へと出かけられるのは……僕たちにとっては、かなり大きい。
 効果が絶大なのはわかっている。しかし、僕にだって男としてのプライドというものがあるわけで。
「女の子のフリをして……ご飯食べにいくのはなあ……」
 男としての沽券を取るか、動物としての食欲を取るか。
 非常に悩ましいが、こればっかりは他の皆に相談するわけには行かない。
 プライドよりも食欲を選びそうな奴もいれば、そもそもラケシスなんかは僕らと比べると悩む必要もない。
 こちらが悩んでいる間に、取られてしまうのがオチだ。
「くっ……。どうすればいいんだ……!」
 完全に女性の体になるか、たんに着替えるだけなのか、という差はあれども……ようは女装をするわけだ。
 しかもそれを衆目に晒すことで……似合ってようが似合ってまいが、男としてのプライドはズタズタに引き裂かれてしまう。
 実際、どれだけ精神的に陵辱されるかは……この身をもって知っている。
 そう、忘れもしない……忘れたくても忘れられない、中学2年の時の学芸会での演劇!
 しかも演目はシェイクスピア作の不朽のラブストーリー、ロミオとジュリエット!
 みなもの「どうせなら男女逆転劇やろうぜ!」という明らかにその場の思いつきでの発言により、村中から集まってきた観客の前でドレスを着せられた挙句、相手役の男に扮したみなもとラブシーンさせられたという辱めは、今更のように思い出しても鳥肌モノだ……!
 他の男子一同のように単に笑いものにされただけならまだマシだったんだが、中途半端に女顔だったばかりに「夕樹ちゃん似合ってるわねえ」とか「ウチのバカ息子の嫁にならんか」とか言われて……おのれみなもッ! やっぱり絆されずに殺すべきだったか!?
 ああもう、今思い出しても恥ずかしくて死にそうだ……!
「でも、なあ……」
 そのような恥をかいている経験があるにも関わらず、僕は迷っていた。
 何せいつ死ぬのかわからない、この状況。ここで食べに行かなければ後で、女の子の体になってもお腹一杯ご飯を食べておけばよかった、と後悔するのではなかろうか?
 旅の恥はかき捨てとも言うし、ここはプライドを捨ててでも……。
「うう……」
 悩みに悩み抜いた末に、僕が出した結論は――。
「し、知っている人にバレなきゃいいんだよ! そうだよ! みんなにバレなきゃいいんだ!」
 恥ずかしいのは、知り合いとかに見られるから、なのだ。そしてこのゲームの中において知り合いなんて数えるくらいしかいない。
 知り合いでもなければまずこっちが性別を変えていることには気付かないだろうし、恥ずかしくもなんともない……とまでは言わないが、大分緩和される……と思う。多分。
 それに性別変更は体そのものが女性のものになるから女装じゃない! 女装じゃないから恥ずかしくないもん!
「よし……やるか……」
 手にした木の実を、食い入るように見つめ……口元に運ぶ。
 だが、いざ木の実を食べようとすると、不安になってくる。
 本当にこれでいいのか、とか、バレなければいいやと思いはしたもののバレたらどうしよう、とか、さらに無駄に悩むこと約10分。
「――ええい、ままよ!」
 半ばやけくそになり、口に木の実を含む。
「うわ、まずっ!」
 が、2秒後。思わず木の実を口から吐き出していた。
 不味い不味い、これはヤバい。普段食べている果物も美味しくないけど、これはひどすぎる。甘くもなく辛くもなく酸っぱくも苦くもなく、それでいて不味い。ただただ、不味い。筆舌に尽くしがたい不味さとしか言いようがない。
 しかしすぐに吐き出しても効果はあったらしく……あまりの不味さに身悶えているうちにも体が光に包まれ、少しずつ変化していく。
 光が止んで、こちらの口の中も落ち着いた時には、身長が多少低くなったのか視点が下がり、体そのものも柔かくなり……装備のデザインも女性用のそれへと変わっていた。
「あ、あー。マイクテスト、マイクテスト。本日は晴天なり」
 試しに喋ってみると、少女らしいソプラノの声が出る。
「ちゃんと声も変わるのか……となると問題は、秘匿チャットのほうだな。色々言われるのもアレだし……今日1日は使わないほうがよさそう、かな? 心配されそうだけど……」
 ――まあ、外見変わっている分狙われる確立も下がるから、なんとでもなるだろう。
 そんなことを考えていると、がさり、と後ろから音が聞こえた。
「……え?」
 振り向くと……豚頭の亜人型モンスター、オークの姿があった。
「メスだ……」
「ニンゲンのメスだ……」
 そうだ。男の体だとその辺あんまり気にする必要もないからすっかり失念していた。
「そういえば……この辺、オーク系モンスターがよく出るんだっけ」
 女性プレイヤーにとって、亜人系モンスターのヤバさは周知の事実。
 当然この辺を一人で通りかかる女なんぞいないわけで。
 すると。当たり前のことだけど、彼らは女に飢えているわけで……。
「……やっばぁっ!?」
 慌てて離脱スキルを使い、その場から逃げ出す。
 不幸中の幸いなことに、オークには飛び道具を使ったり魔法を使ったりする亜種は存在しない。
 そして彼らは元々、鈍足なモンスターだ。スピードを重点的に上げている僕に、追いつけるわけがない……が。
 僕はこの時、致命的なミスを犯していた。
 どちらの方向に逃げるか、地図を確認するのを怠り……慌ててその場から逃げ出したお陰で。
「……げっ!?」
 気がついたときには、オークの集落に、突っ込んでいた。
「あ、あははー。こんにちはー。いいお天気ですねー……っていうかこのゲーム、特定マップ以外はいつも晴天だけど」
 突如飛び込んできた女……即ち僕の姿に、オークたちの視線が集中する。
「ひいいいいっ!? ちょ、ま、僕リアルでは男なんで! 今こんなことになっているけれど、そういう趣味ないんで!」
 必死に弁解するが、時既に遅し――飢えた豚頭の亜人たちが、一斉にこちらへと殺到してくる!
「ぎゃーっ!?」
 少女の姿に似つかわしくない奇声を上げ、反射的にその場から走り去る。
 が、いかんせん数が多すぎる。完全に振り切るどころか
「か、かくなる上はッ!」
 離脱スキル応用の跳躍で垂直にジャンプ。
 そこから頭上の木の枝を掴んでぶり下がり、そこから強引によじ登り……ひたすら、頭上から豚頭を狙い撃ちにしていくが……そうこうしているうちにも、撃ち洩らした連中が、こちらへと登ってくる!
「うあああああっ!? く、来るなぁぁぁぁっ!?」
 そして、数体のオークがこちらの枝へと渡ろうとした瞬間。
 ぼきり、と嫌な音。そして、重力に従って落ちていく感覚。
 ジャンプで届く高さ程度では高所落下ダメージを受けることはない。だがしかし、落下先には気持ち悪いくらいの豚の群れがいる訳で……ッ!
「離せぇぇぇぇっ!?」
 脂ぎった豚人の手が、僕の体に触れる。
 こっちも必死で抵抗するが多勢に無勢。奴らは露出している太腿に手を這わせ、小ぶりな部類に入るであろう胸を強く……握りつぶすくらいの強さで揉みしだいてくる。
「ひぎぃっ!?」
 女性は胸は小さい方が感度がいいとかいう俗説があるけど、これでは気持ちいいどころかただただ痛いだけ。
 斬りつけられたり、何かが刺さったのとは全く違う……これまでに経験したことのない類の痛みに、目に涙が滲んでくる。
「あ、ぐっ……ひぃっ!?」
 苦痛に身もだえ、歯を食いしばっていると……首筋をオークの舌に舐められて、あまりの気持ち悪さに思わず上ずった声を出してしまう。
 僕の悲鳴に気をよくしたのか、オークはさらに顎や横顔、更には耳の中にまで舌を這わせていく。
 他のオークたちも興奮してきたのか、手の動きが乱暴さを増し、荒々しく体をまさぐってきて……更にはショートパンツのジッパーを下げて、その中に手を突っ込んでくる輩まで……。
「悔しい、でも感じちゃう……なんて言うかと思ったか!?」
 むしろ、あまりの気持ち悪さに、堪忍袋の尾が切れた。やっぱり、このまま成すがままにされるよりかは、結局無理だとしても最後まで抵抗すべきだ!
 心がそうと決まれば話は早い。即座に両手にそれぞれ一本ずつナイフを呼び出し、こちらの体を弄っていたオーク二匹の首を掻き切る!
 更にそれを別のオークの脳天に投げつけて、突き刺し、さらに二体をあの世へと送り出す。
 亜人どもは、こちらの動きを予想していなかったらしい。呆然とその場で棒立ちになって立ち尽くしている。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
 雄叫びにも似た叫び声を上げて、再びナイフを手にし、オークたちの首を撥ねていく。
 でも到底楽観視はできない。むしろ、数匹殺すごとに絶望感が増していく。
 直接触れてた奴らは倒せたけど、敵の数が多すぎる。それに対してこちらの取れる手段が圧倒的に足りない。
 当然のことだけど、こんなところでオークどもの手にかかるわけにはいかない。しかしこれだけの大勢を相手に、どこまで抵抗できるのか……。
 焦燥感と不安に身を焦がしていた、そんな時だった。
「伏せろッ!」
 離れたところから声がかかり、反射的に体を地面へと伏せた、次の瞬間。
 ごうっという強烈な風が吹く音と共に。頭や背中に、生暖かい液体が降り注いでくる。
「……!」
 滑りのあるそれの感触に、怖気が走る。
 液体はすぐに蒸発していくが……何だったのかは確認しなくてもわかる。オークどもの血だ。
 それが収まると、オークたちの体は光とともに崩れ去り……消えていった。
「今のは……」
 おそらく十中八九、風属性の極大魔法――ウィンドガスト。無数のカマイタチを発生させ、急所を狙って切り裂く魔法だ。
「……風属性特化の、高レベル術師……? どうしてこんなところに……?」
 ごくりと唾を飲み込む。この魔法の使用者は、明らかに……この辺に出るモンスターと比較して、強すぎる。
 術師のスキルツリーの終着点にあり、術師系でもかなり高レベルかつ特定属性特化でなければ到底使えない。一つの属性に特化するということは属性が効かない相手にはかなり不利になるが、それを補って余りある性能を持っている。
 この辺りについてはメルキセデクが他の皆とスキル取得について相談していたのを聞いていたからそれなりには知っている。
 しかし、急所ダメージ補正があるとはいえ、一発で数え切れないほどのオークを消し飛ばすなんて芸当ができるとなると……とんでもない話だ。
「……」
 外見が全く別人になっているから大丈夫だとは思うけれど、それでも一応は用心しながら……声の聞こえた方向へ視線を向ける。
 声の主はこちらへと近付いてきて、微笑み、僕へと手を差し伸べてきた。
「大丈夫かい、お嬢さん?」
 いかにも気障ったらしい印象を与える、長髪の高位魔術師……ウィザードの男だ。
 一見優しそうな人だが、その微笑みの裏には何か厭らしさのようなものを感じる。……僕が“魔王”であるということを差し置いても、付き合うのは極力避けたほうがよさそうな人種のようだ。
「は、はあ……」
 とはいえ、助けられた身だ。大人しく、差し伸べられた手を取って立ち上がる。
 相手はかなり長身……本来の僕より頭一つ背が高いくらいだろう。これだけ背が高いと、ダンジョン探索とかには不便だろうなあ……とどうでもいいことが頭を過ぎった。
「オークに連れ去られて来たとかかな?」
「いいえ……その、オークを見かけて逃げていたら、方向間違って……」
 嘘ではない。うん、本当のことだもんね。
「そいつは災難だったね」
 そうこうしているうちにも、彼の仲間と思しきパーティたちが、周辺にいたオークたちを殲滅していく。
 その手際は鮮やかで……、感心すると同時に高レベルのパーティがどれだけ恐ろいかを思い知った。
 この人たちと同等以上のプレイヤーたちがパーティを組んで僕に襲い掛かった時に、果たして僕は勝てる――いや、逃げ切れるだろうか?
「ああ、怖がらなくていいよ。俺達は、PK行為とかは一切やっていないから」
 どうやら僕の様子を見て勘違いしたらしい魔術師の男に、はあ、と曖昧に返事する。
 というか、同じ立場のはずのプレイヤーを襲うPKまでいるのには驚いた。僕には縁がない話だけれど、聞いていて気分がいいものではない。
 やがて、視界の中のオークは全て姿を消し……この場には僕と、彼らだけが残る。
「さて。俺たちはこの奥に用事があるから、この辺で失礼させてもらうよ」
 そして彼らは、集落の奥へと入っていく。
 その背中を見送りながら、僕は小さく独りごちる。
「……オークって、そんなにいいドロップとか落とさないよな……?」
 武器とかその辺を落としはするけれど、それだって店売りの者にプラスアルファ程度のものだ。
 少し性能は劣るけど店で買うなり、多少値段は張るだろうけれど職人に作ってもらうなり、強さに自信があるならばもっと高レベルのモンスターの出る場所で狩りを行なうなりしたほうがよさそうだ。
 モンスター相手なら倒されてもレベルがひとつ下がるだけ、とはいえ……わざわざ危険地帯である集落の奥地に進んで入るメリットは……少ないように思える。
 ――それなのに、彼らはどうしてオークの集落なんかに来たのだろう?
 不思議には思ったものの、あまりここには……いろんな意味で長居したくはない。僕は深くは考えずに、この場から一刻でも早く離れることを決意した。



[7428] 第5話(2)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/04 21:05
 全身に浴びたオークの血は一瞬にして蒸発したものの、やはり生理的な嫌悪感は拭えなかったので、水場でさっと体を洗い流してから、街へと向かう。
 それにしても、水浴びの際に下着のホックを外すのには随分と四苦八苦した。僕の場合、実物なんぞ家に全くないから、見たことない分尚更苦戦したのだろう。その分、改めて付け直すのにはそれほど時間がかからなかったけれど。
 女の子は他にも化粧とかやらなきゃいけないことが多いし月に一度のアレもあるし大変だよね、男に生まれてよかったなあ……なんてことを考えつつ、のんびりと街道を歩く。
 街道は人が多い分、モンスターも少ない。いたとしても非アクティブの初心者向けモンスターくらいだ。
「街に入るのなんて……すごい久しぶりだよな……」
 というかむしろ、あのデスゲーム開始の宣告からは一度も入っていない。
 あの街は初心者から高レベルプレイヤーまで色々な人がいたけれど、今頃どうなっているんだろうな……とか考えていたところで、ふとあることに気付く。
「っと、その前にやることやっておかないと、か」
 現在のレベルをチェックすると、僕はいくつかのウィンドウを開きレベルアップで得たステータスやスキルを割り振っていく。
 商人の露天で買い物をすると履歴がつくからまずいが、店売りで何かいい装備とか手に入るかもしれないから、装備条件に引っかかるものは事前に処理しておきたい。
「言われてみるなりなんなりしないと気が付かないからなあ……最近はペースも上がっているし」
 僕たちはレベルアップなどの、自分自身にしか関係がないエフェクトは極力オフにしている。これはもちろん自衛のためだ。寝ていたりしているところでレベルが上がってその所為で気付かれたりしたら溜まったものではない。
 レベルが上がるペースが速くなっているのはおそらく、プレイヤーを殺害する機会が増えたからだろう。プレイヤー殺害による経験値は同レベル帯のモンスターよりも多く、更に相手とのレベル差によって割り引かれることがない。
 ――僕たちにとって力を得るのに一番手っ取り早い手段は、より多くのプレイヤーを殺害すること。
 そうではあるけれど、僕たちはまだ片っ端から人を殺しに行けるほど“強く”はなかった。レオンハルトやノアでさえ、だ。
「……処理完了っと」
 色々と考え始めると気が滅入ってくるため、処理をし終えたらそのことについては極力考えないようにした。嫌悪感や罪悪感はあるけれど……今のところ、なるようにしかならないのだから……悩んだってしょうがない。
 僕は再び、街へと向けて歩き始める。
 そして、歩くこと10分ほど経ったところで……ようやく街の入り口に差し掛かる。
 そこで僕は、楽しげな歌声を聞いた。
「……ん? 歌……?」
 歌っているのは街の入り口からちょっと入ったところにいる、まだ10歳にも届いていないであろう子供たち。
 彼らはプレイヤーではなくて、ゲーム側によって用意されたNPCたちだ。
 プレイヤーが設定できる外見年齢は12歳から59歳まで。反転の木の実のような外見変更アイテムやトラップなどの効果で10歳未満の子供の姿になることは不可能ではないが、自分から設定することはできない。
 故に、この子供たちは、NPCでしかあり得ない存在だった。
 彼らが歌う童謡調の歌の歌詞は、物語仕立てとなっている。そして、その内容は……限りなく悪趣味なものだった。
 ――悪賢い化け狐に騙された善良なはずの村人たちが、人に混じっていた七匹の人狼を残酷な方法で殺していく。
 更に悪趣味なことに、狼の死に方はそれぞれ一つ一つ描写されている。
 自分達がそのような殺され方をする姿が、僕の脳裏を過ぎり……胸の奥から吐き気が、こみ上げてきた。
 子供たちが無邪気に歌っているのが、気持ち悪さを更に増している。
「……ッ!」
 しかしながら、歌詞はそれだけでは終わらなかった。
 ――最後に正体を現した狐によって村人たちも惨殺される。
「これって……もしかしなくても、そういうこと……だよな……?」
 ――狐も村を立ち去って、そして誰もいなくなった。
 まさに、“タブラの狼”の、第三勢力が勝利するストーリーそのもの。
 他のプレイヤー達には、ただの趣味の悪い歌にしか聞こえないだろう。気がついている人もいるかもしれないが、コミュニケーションツールの掲示板とかで議論になったことは、今のところない。
 だから、これはきっと……僕達“魔王”に宛てたアスタロトからのヒントであり挑発なのだろう。
 僕達が全滅すれば、プレイヤーもまた全員死亡――もしくは、僕では到底思いつかない、最悪の結末が待っている。
「……でも、一体どうすればいいっていうんだ……」
 おそらく、他の条件を満たしていくしかないのだろう。
 問題は、本当にそれが可能かどうか。
 特にアスタロトの殺害という条件については、大きな不安要素がある。
 ――“タブラの狼”には「人狼は妖魔を襲撃できない」というルールがあるという。それを踏まえると、僕たちにはどうしようもなく、プレイヤーが倒すのを待つしかない可能性がある。
 全部が全部あれをモデルにしている訳ではない。むしろ基本となる部分が全然違う。でも、このことについては最悪のケースを考えておいて損はないはずだ。
「とりあえず、明日、効果が解けたら……皆にも伝えておこう」
 このことを忘れないように、簡単にだがメモを取りつつ、僕は街の中へと入っていった。

 僕が辿り着いた街――商業都市ティファレトには鮮やかな色の屋根を持つ建物が立ち並び、NPCたちも明るい雰囲気のものが多い。
 基本的にこのゲームの街はそれぞれいろんな特色を持たせており、ここは地中海沿岸部というかラテン系文化圏というか……そういうのをモデルにしているのだろう、と思う。
 しかし実際に入ってみると、全体的に暗い雰囲気が漂っている。かつて見て憧れを抱いた、賑やかな街の風景はどこにもなかった。
 僕たちによるプレイヤーの殺害や“粛清”によって沢山の人が死んでいる。街が暗いのはそのためだろう……とは思ったが、どうやらそれだけではないようだ。
 ――周囲を威圧するかのような気配を背負っているプレイヤーが、集団で歩いている姿があちこちを見たことで……僕は街が暗くなっている最大の理由について知った。
「……うはあ」
 巡回中らしきその集団には気付かれないようにしつつも、眉を顰める。
 彼らは大鷲をかたどった紋章を、鎧や服に入れている。装備のデザインは統一されており、特に服装のデザインは近代軍隊の軍服を連想させるものだった。
 “粛清”の少し前にキールが言っていたことを思い出す。
 ――大手ギルドが、揃いの制服や装備を職人ギルドに注文して、支給し始めているらしい。
「まるで軍隊みたいな感じになってる、とは言っていたけどね……一般のプレイヤーすらドン引きしているってのは、どうなんだろう?」
 制服を着ていないプレイヤーたちは、彼らを避けて街を歩いている。そしてその目に入らないように隠れながら……畏怖や嫌悪の入り混じった視線を向けている。
 これだけで、彼らがこの街でどんなことをしているのか、ある程度察しがついた。
 ――少なく見積もって数千人のプレイヤーを抱えて発言力・軍事力を得ている巨大ギルドが街を支配。他のプレイヤーは彼らに逆らえない。
 これについては多分、他所の街も似たり寄ったりだろう。例えリーダーがどれだけ優秀で、理念に燃える高潔な人間だったとしても、組織が大きければ腐敗も生まれる。
 その腐敗を最低限に抑えるのがリーダーやその周辺の仕事なはずだけれど……街の様子を見るに、うまく行っていないようだ。もしくは、わかっていて放置しているか。
「……味方のはずのプレイヤーから恨み買って、どうするつもりなんだか」
 誰にも聞こえない小さな声で、そう吐き捨てた。
 僕が実物を見たのはこれが初めてだけど、我が物顔で街を歩く彼らには……僕らにとって当面の最大の敵であることを差し引いても……あまりいい印象を抱けない。むしろ嫌悪感を感じている。
 彼らが破綻したら破綻したで大きな問題が起きるんだろうなあ、ということを考えると、大組織の存在そのものは否定できないけれど。
「まあ、何はともあれまずは食事食事……っと……何かいるし」
 近くにあったレストランの中を覗いてみると、軍服を纏った男女の姿がある。……というよりもむしろ、“何か”を監視しているように思える。
 僕が扉を開けたことで店の入り口に仕掛けられた鈴が鳴ると、彼らは一斉にこちらへと視線を向けるが……“魔王”の紅一点とは似ても似つかない女性であることがわかると、すぐに視線を逸らす。
 しかし、彼らは決して警戒を怠ることはない。……殺気立っているようにすら見える彼らが食事もせずに座り込んでいることが、店の雰囲気をかなり悪くしている。が、どこに行っても同じものなのだろうな、と思い、彼らの座る場所とは離れた、窓際の席に座った。
「ご注文が決まり次第、お呼びください」
 とNPCのウェイトレスが、プログラムの産物とは思えないほどに柔和に微笑んで、メニューを渡してくれる。
 お金そのものについてはそれほど困っていないので、どうせなら美味いものを食べようとメニューを開いたのだが……ここで思わぬ障害にぶち当たった。
「……やばい。店の選択間違ったかも……」
 僕は山奥の田舎、しかも父子家庭で育っている。
 父はそんなにグルメじゃないので、外食することがあったとしても……高い店で精々回転寿司かファミレス程度。親子で一番よく行っていたのはラーメン屋、次点牛丼屋。
 友人間で出かけた時はあんまり予算を用意できないので、やっぱりラーメンか牛丼か、安い定食屋、あとファーストフード店あたりが候補に挙がる。
 家では米や一部の野菜は自給自足、足りないものは時々二人で郊外の大規模店舗に行ったり、他所からのお裾分けで成り立たせていた。
 そんな慎ましやかな食生活を送っていた僕にとって……非常に情けないことだが……本格的なレストランに入るのは、これが初めてだ。
「えーっと、パスタとかピザとかの名前が並んでいるから、多分ベースはイタリア料理だよな……とりあえず、コース料理でも頼んでみるか」
 不幸中の幸いで、僕には目立った好き嫌いはない。余程変なものが出てこなければ普通に食べられる、はずだ。
「すみません、このコース料理を1セットいただけますか?」
「畏まりました」
 メニューが受け入れられると、早速所持金のカウントが減って、テーブルの上に食前酒と前菜らしき料理が並び始める。
 あくまでデータであるため、タイムラグとかは発生しないらしい。並べられた料理を食べ終わるなりなんなりすると、次の料理が出てくる仕組みになっているのだろう。
「そういえば、リアルで未成年なのに、お酒って呑んでいいのかなあ……」
 こういうのは、現実世界での未成年飲酒に繋がるような気もしないでもない。でもまあ最近は、ノンアルコールの酒類を酒屋や大手のスーパーならほぼどこでも取り扱っているから大丈夫、なんだろうか。
 まあ折角だから呑んでおこう、と食前酒に口をつける。
 ……色々と間違っているかもしれないけれど、どうせ誰も細かいテーブルマナーとかは気にしたりはしないだろう。
 前菜として出されたのは魚介類をふんだんに使った、酸味のある漬け汁に浸した料理だった。食べてみたところ、南蛮漬けに近い感じがする。
 それらを食べ終わると、次にパスタ料理が現れる。日本でも結構広く食べられている、ペペロンチーノだ。僕も時々、自分で作ったりしたことがある。
 オリーブオイルとニンニクの香りが、食欲をそそる。
「では早速……」
 フォークにパスタを絡めて、口に運んでいく。
 一口だけ口に入れただけで、香ばしいニンニクとぴりっとした唐辛子の味が口の中に広がる。今まで食べたパスタの中では、格別に美味く感じられた。
 ゲーム内のNPCレストランで食べれる料理の味なんてのは、大体冷凍食品程度の味で本物のレストランで食べる料理とは雲泥の差――というのがコミュニケーションツールの掲示板の書き込みにおける評価だ。
 特にシンプルな料理は、その分素材の質と料理人の腕が出るという。だから、今出されたペペロンチーノは、本物のプロが作ったものとは全然違うのだろう。
 しかしながら、僕にとっては久方ぶりの……熱が通った暖かい食事。空きっ腹には何だって美味いのだ。
 あっという間に完食すると、次に……いわゆるメインディッシュの肉料理が出てくる。パルメザンチーズの香りが漂う鶏肉のカツレツだ。付け合せとして、レモンと温野菜も付いている。
 レモンを絞って果汁をかけ、早速いただく。
「みなもから頂戴した燻製肉もまあ、美味しかったけど……これは、何というか……」
 ……こんな美味しいもの食べちゃって、あの果物だけでの食生活に戻れるのか、とか思わなくもない。
 思わず我に帰ってしまったが、それでも美味いものは美味い。カリッとした衣に反してジューシーな肉の旨味が口の中に広がっていく感覚は、こういう機会でもなければ味わえない。
 暖められた野菜も、レストラン以外では味わえないだろう。野菜特有の甘味は、家で食べていた食事を思い出させる。
「……帰りたいなあ……」
 懐かしさの余り、本音が口から漏れ出す。……口に出したところで、その願いがすぐさま叶うわけはないのだけれど。
 気持ちが滅入る前に、カツレツをもう一切れ口に入れて、望郷の思いを和らげる。そして気が付けば、メインディッシュもすぐに全部食べきってしまった。
 これだけでも充分だが、コース料理を頼んだので更にデザートのティラミスとエスプレッソコーヒーまでついてくる。まさしく、致せり尽くせりだ。
 随分と量が多い気もするけれど……このゲームの場合、腹は空くようになっているけれど満腹になっても腹の中の上限とかは存在しない。実際に食事を取っているわけではないから、消化器官の許容量とかは気にしなくていいのだろう。レストランとかで食事を取る上ではありがたい仕様だ。
 その割りに食べればその分だけ充足感が得られるため、娯楽だけではなくダイエットとか医療とかそういうのにもこの技術が使われているらしい。うちの県だとそういう技術を使っているのは山を挟んだ向こう側にある県立医大の付属病院くらいなので、僕個人にはあんまり縁がないけれど。
「ふう……」
 エスプレッソを飲みながら、窓の外を見て、物思いに耽る。
 大手ギルドの人間によってある程度管理はされているんだけど、それでも街の喧騒がなくなるということはない。
 街ではレベル上げやアイテム収集に疲れたと思しきプレイヤーが思い思いに過ごしていて、そこには一つの社会が形成されている。
 そこからすら切り離された僕らは、とても孤独なのだろう。
 でも一方で、望めばいつでも仲間の声を聞くことができお互いに触れ合うことができる僕らよりも、そういった手段もなく殺伐とした雰囲気の中で生きなければいけない一般のプレイヤーたちのほうが孤独なのかも、と思わなくもない。
「……物理的な孤独と精神的な孤独、どっちが辛いのかな」
 何度出しても聞き慣れそうにない、少女の高い声での呟きは、コーヒーの香り漂わせる湯気と共に宙へと消えていった。



[7428] 第5話(3)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/05 22:35
 食事が終わった後は、真っ直ぐ次の目的地へと向かう。
「えーっと商業エリアは……ここを真っ直ぐに行ったあたりか」
 ゲーム内の大体の街には、NPCの運営する店が立ち並びプレイヤー商人も集まる場所は商業エリアと呼ばれる場所が存在する。
 他にも、先程までいたレストランやその他の娯楽施設が軒を連ねる娯楽エリア、宿屋や住居が並ぶ居住エリア、ゲーム内婚姻を始めとした様々な役所があり平常時にはGMも常駐していたという公共エリアなど、どの街にもある共通の区画というのはいくつかある。まあ、その殆どの機能を僕たちが使うことは……こんな機会でもなければないのだけれど。
 余談だが、転職クエストのためにそれぞれの職業ごとに設置されたNPCも、大抵は街の中にいる。
 このゲームの転職システムだと、一次職を選んだ後は、次になれる二次職の選択肢はかなり狭まる。アーチャーの場合なれる二次職はハンターやガンナー、といった具合にだ。
 アーチャーを選んでいた僕は、野外で人がいないタイミングを見計らうことができれば、簡単にハンターへと転職できたけれど……人が集まるところにNPCが設置されている場合はそうもいかない。当然のごとく市街地が活動の中心となる商人系のキールなんかは、転職NPCに近付くこともままならず一次職のマーチャントのままだ。
「まあ、こんなことになるとは作った人も思わなかっただろうし……」
 ぼやきながらも、街の中を見渡す。
 僕たちが生まれた2000年代のゲームを父さんに借りてやったことがあるが、あれからどこをどうやったらここまで大きな世界ができるのか、不思議でならない。
 交通網が殆ど存在しない上に、僕たちは転送サービスなんて使うことがない、むしろ使えないから余計に広く感じるんだろうけれど。
「こんな大きな街が、他に9個もあるんだから……本当に大きいんだよな、この世界」
 ゲームの世界の中に設置された街は10個、小さな村落とかはいくつもあるらしいけれど殆どのプレイヤーが街を拠点として動いており、各都市に住んでいるプレイヤー人口は6万人くらい、らしい。現実で言うところの、小都市くらいの規模……僕の個人的な感覚だと、県内で地方の代表的な都市以外の市の人口くらいはある、といったところだ。
 街のキャパシティ的にはそれぞれ10万人くらい、全部あわせればゲームのプレイヤー全員を抱え込めるキャパシティがあるらしいけれど、プレイヤー全員が都市で暮らしている訳ではない。人口にして約6万人、11人に1人くらいの割合で、街の外に拠点を作っているプレイヤーがいるのだ。
 こんなギスギスとした雰囲気になっている街よりは、小さくともまだ雰囲気はいいであろう村落を拠点としたいプレイヤーも多いのだろう。僕も、“魔王”でない一般のプレイヤーだったらそうしていただろう。……意味のない仮定だけど。
「それにしても……キールの奴、よく耐えられるよなぁ」
 改めて、こんな重い空気の中、都市人口のほぼ全員から狙われている中で、あちこちの街を転々としながら街での潜伏を続けるキールの精神力でのタフさに恐れ入る。
 僕、というか人並みの神経の持ち主じゃ絶対に無理だ。ただ図太いだけでも、それはそれで無理だろうけれど。
 ――キールはもう既に、人間から違うものに精神そのものが変質しつつあるのかもしれない。
 自分でも失礼なこと言っているとは思うけれど……そのくらい人間離れしていないと、こんな環境には到底耐えられないと思う。
 ――僕も変わっていくのだろうか。それとも、自分が気付かないだけで変容しつつあるのだろうか。
 そんなことを考えながら歩いていると……曲がり角にさしかかったところで他のプレイヤーにぶつかった。
「……あ、すみません」
 即座に謝るが、ぶつかった相手の顔を見た瞬間背中を嫌な汗が流れる。
 その相手とは……亜麻色の髪の、見覚えのある、というか顔を忘れるわけもない、聖騎士の少女……。
「……ッ!」
 ――げぇっ、みなも! じゃなかった、ジャンヌ!
 これはかなりヤバいが、しかし、それを顔に出すわけには行かない。下手に動くと怪しまれる。
「……?」
 何故かジャーンジャーンという銅鑼の音の幻聴が聞こえる中、みなも、もといジャンヌはこっちの気持ちなんてそ知らぬ顔で、じっと無言で見つめてくる。
「あ、あの。どうかしましたか?」
 緊張のためか上ずった声が出てしまう。怪しまれないといいけど……。
「すいません、リアル知人のアバターに似ていたもので。まあ、そいつは男なんですけれど」
「そ、そうなんですかー」
 まあ、間違いなく僕のことだろうな。うん。
「そいつもハンターでして」
「66万人もプレイヤーがいるから、外見が似ているということもありますよ」
 いくら組み合わせが多彩とはいえ、このゲームの中の外見なんて、所詮はデータの組み合わせにすぎない。となれば、いくらでも似た外見の人間はできるだろう。
「ですよねー。まあ、アイツが女装とか性転換アイテムとか使うとは思えないんで、別人ってのはすぐにわかったんですけれどね」
「へえ」
「中学時代にちょっとしたお茶目のつもりが、物凄いトラウマになっちゃったみたいですから♪」
 お前……ッ! あれをちょっとしたお茶目と言い張るかっ……!?
 あれはどう考えても、末代までの恥クラスだろ!
「そうなんですかぁ」
 しかし、内心どれだけ怒りに打ち震えようとも、表向きは平常心であるところを見せないとならない。
 悪いのは彼女ではない。アスタロトだ。そんなことはわかっている。全てあの女が悪いのなんて、最初からわかりきったこと。
 だけど、それでも……! それでも、腹立たしいものは腹立たしい……!
「それでも、やっぱり似てるなぁって」
 そりゃあ、本人だもんな!
「あ、あの、私買い物とかがあるんですけれど」
「じゃあ、あたしもこの辺で。引き止めてごめんなさいね?」
 そしてみなもは、僕が向かうのとは逆方向に立ち去っていく。
「……」
 とりあえず、最大の危険は去った……。
 でもどうしてだろうか、何か空しさを感じるのは……。
「僕は……気付いて欲しかった……? いや、そんな馬鹿な……」
 ここでバレたら恥かくどころか、命が危険に晒される可能性だってあったのに?
 一体、何を考えているんだ僕は。
「……と、とりあえず……商業エリアに行こう」
 まずはアイテムの買い出しをしなければ……と、目的の場所へと向かう。
 しかし、僕は向かった先で信じられないものを見て、その場に立ち尽くすこととなった。
「……っ!? 何だあれ……?」
 商業エリアの中心にある噴水広場。プレイヤー商人も多く集まるそこで……アルケミストの青年が、制服姿の集団から暴行を受けている。
 無論彼は、“魔王”じゃない。
 プレイヤーにとって倒すべき敵である“魔王”じゃない彼が……一体どうして、プレイヤー集団であるギルド、それも街を支配するような大手ギルドのメンバーから、あのような暴行を受けているんだ?
 呆然と立ち尽くしていると、周囲からひそひそとした話し声が聞こえてくる。
「あっちゃー……やっぱりなあ」
「無許可で商売したから自業自得ではあるけれど……」
 ちょっと待て。それだけであんなことをしているのかあのギルドの連中。
 というかそもそも、許可って何だ、許可って。商人系とか生産系の職業ってのは大体、スキル取ればどこででも露店開けるんじゃなかったっけ?
 ……検討はつかないこともがないが、矢張り詳しい話を確認はすべきだろう。
「あの、許可って一体……?」
 近くで傍観している商人の一人に質問してみると、彼は溜息混じりに答えてくれた。
「ああ。もしかして他所の街から来たのかい? 他所じゃどうだかは知らないけれど……この街だと商人職や生産職は、ギルドの許可なしじゃ商売できんのさ」
「商売できないって……」
「あいつら、俺らからみかじめ料取って、ギルドの運営資金にしているからなあ。最も会計あたりがピンハネしているって噂も耐えないけど」
「それって……その所為で物価が上昇しますよね?」
 みかじめ料の分は商売で補わなければならないだろう。
 そうすれば、アイテムの価格は上がり、ギルドとは関係のないプレイヤーに迷惑がかかるのではないか。
「ああ。とはいえ、俺たちみたいな非戦闘職のレベル上げのサポートはあいつらがやってくれるからなあ……難しいところだよ、本当」
 確かに、非戦闘系の職業である彼らは、単独でのソロ狩りによるレベルアップを続けるのは難しい。
 だから誰かが支援してやらなければならないというのはわかる。
 でもそれで弱みを握る、というのは……間違っている気がする。
「あいつはギルド未所属のプレイヤーに、俺たちの店よりも安く薬売ってボロ儲けしてたからな」
「いい気味だぜ、本当」
 思い悩んでいるところに、彼の同業者――アルケミストたちらしき声が聞こえてくる。
 彼らにとって、私刑を受けている人物のことは全くの他人事……それどころか嘲笑の対象らしい。
 それ以外の人たちも……不快そうにする人は多いけれど、ただ見ているだけ。誰も彼らの暴挙を止めようとしない。感覚が麻痺してしまっているのだろうか?
 僕は、その光景が信じられなかった。信じたくなかった、と言った方が正しいかもしれない。
 同じ立場のはずの人間にこんなことしている奴らが、許されていい訳がないはずなのに! 何で誰も何も言わないんだ!
「……ッ!」
 ――いい加減、傍観するのも限界だ。
 僕は、彼らのほうへと一歩だけだが、足を踏み出す。
「おい、嬢ちゃん。近付かないほうがいいぞ」
 しかし、一般プレイヤーの一人……重い鎧を着込んだ体格顔立ち共に厳つい重戦士の大男が僕の肩を乱暴に掴んで、制止してきた。
「何でですかっ!?」
「“魔王”に殺されるわけじゃない……PKされたとしてもレベルが1下がるだけだ」
「レベルが1下がるって、“粛清”に遭う可能性が高くなるんじゃ……」
 大男は頷く。
「だけど、あいつらみたいなでかいギルドでも組まなきゃ、攻略なんてできそうにないからな」
「だからって、ギルド所属の人間以外の生殺与奪まで握られるのは……絶対に間違っている!」
 一体彼らは、何様のつもりなんだ。
 昔からこのゲームをやっていたとか、運良く大きなギルドに入れた……それだけで権力を握って……形振り構わず、好き放題。しかも彼らのやっていることが、被害者にとっては自分の生死に関わる問題になりかねない。
 こんなことをやっている彼らが、許されていい訳がない。見逃していい訳がない。
「まあ、気持ちはわかるが……お前さんも痛い目に遭いたいのか?」
「……!」
 姿形が変わっても“魔王”は“魔王”。戦闘すれば、それはPVPの範疇を超えた殺し合いになる。
 彼らは弱者相手に暴力を振るっていい気になっているだけで、レベルは大したことはない。ほぼ確実に一蹴することができる。だが、彼らを殺してしまえば僕が“魔王”であることがバレてしまう。それはまずい。
 しかし、ここで仮に彼らを殺さない程度に痛い目に遭わせた場合でも、他のギルドメンバーが集まってくるだろう。
 いずれにせよ、僕にできることはない。歯を食いしばって拳を握り締めて、ただ見ていることくらいしか。
「装備を見たところ、あんたも安心できるレベルじゃねえんだろう? 他人の心配をしている余裕あるのか?」
 そうだ。彼の忠告とは別の意味で、他人の心配をしているところじゃない。
「……そうですね。でも、悔しいです。何もできずに見ているだけ、っていうのは……」
「俺もだ。これじゃあ、どっちが悪魔かわからん……傍観している俺たちも含めて、な」
 大男は肩を落として溜息を吐く。彼もかなり良心の呵責は覚えているらしいが、あの中に飛び込む勇気はないらしい。
「本当……おかしいですよね、こんなの……」
 僕は彼の意見に頷きながら、ぼんやりと……秘匿チャットでの他愛もない会話から出た、あるエピソードを思い出す。
 ――パンデモニウムという単語は、全ての悪魔、万魔殿といった意味を持つ。
 誰か……誰が言ったかははっきり思い出せないけれど“魔王”の一人が言っていた。
 開発者がどうしてこんな名前をつけたのか、僕たちには知る由もないけれど……今の……ゲームとしての秩序を失ったこの世界に、相応しい名だ。
 心の底から、そう思った。



[7428] 第5話(4)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/07 22:18
 胸糞悪い私刑は、被害者のHPが0になり消え去るのと同時に終了した。
 結局僕は……それが終わるまでずっと、何もしなかった。何もできなかった。
 色々と鬱屈とした感情を抱えつつ、アイテムを見繕う。
 武器防具はあまり気に入ったのがなかったが、折角なので属性付加を始めとした特殊効果つきの矢、その他アイテム類を思いつくだけ購入した。
 いつもはキールに買い物を頼んでいるが、街によっては手に入らないアイテムなんてものも少なくない。そういった部分はどうしても不便になる。
 本当は、こういう機会なんだからプレイヤー商人や生産職からも色々と購入できればいいんだけれど……本職であるキール曰く、取引の際に名前がばれるらしいからその辺りについては諦めるしかない。
「ふう……」
 苛立ちを少しでも和らげるために、噴水広場のNPCによる出店でクレープを買い……その場でベンチに腰掛けて食べ始める。
「ねえ、君。一人かい?」
 まだ半分くらい残っているところで、男の声がかかる。
 そちらの方を見ると、先程助けてくれた男と負けず劣らず軽薄そうな……赤毛の青年がいた。装備を見た限り生産系っぽいけど。
「ええ、まあ」
 別に嘘を吐く理由もなかったので、とりあえずは頷いておこう。
「ということは、ギルドとかは入っていないよね?」
「入ってませんね」
 まあこれについても、嘘を言う必要がないので、肯定しておく。
「じゃあさあ、ウチのギルドに入らない?」
 普通のプレイヤーなら、さぞありがたい申し出だろう。
 しかし僕にとっては……そんな話を持ち出されても、困るだけだ。
「あ、あの……」
「生産系多いからばっちりサポートできるし。まあ俺たちのレベル上げとかにも付き合ってもらうけれど……」
 しどろもどろ、といった感じに演技してみたけれど完全にスルーで言いたいことを言ってくる。
 ……そんなこと言われても、困るんだってば……。
「あの、すみません。ギルドに入るのはちょっと……」
「あー。大丈夫大丈夫。ウチは大手の連中とは違って小さい分アットホームだから!」
 断ろうとしたら、何か盛大に勘違いされたらしい。
「君みたいな可愛い子が一人でいるなんて勿体無いしさぁ。何ならいろいろと教えてあげるよ?」
 男はにやにやと厭らしく笑いながら、僕の隣に座り……腰に手を回してくる。
「っ……! どこ触っているんですか、ハラスメントで訴えますよ!」
「訴えるって、どこにだい? 今の……このゲームの中にはGMはいないよ?」
 この野郎……確信犯か! って、こういうのって、確信犯でいいんだっけ……? って今はそんなの気にしているほど暇じゃない!
「なあ、いいだろ? 一人でいるより、皆でいるほうが安心だしさぁ……」
 あまりにしつこく食い下がってくる男に対し、もともとイライラしていたこともあって、堪忍袋の尾がぷっつりと切れた僕は。
「いい加減にっ……しろッ!」
 衝動的に食べかけのクレープを、その顔面に投げつけた。食べ物アイテムをそのまま投げつけたところでダメージにはならないが、目くらましにはなる。
 彼がそれを引き剥がそうとしている間に、僕はさっさと噴水広場から立ち去る。周囲の目線は痛いけど……まあどうせこの街に長居はできないんだ。よくあるナンパ失敗の光景、で終わるだろう。
 買い物も終わっているし、僕がここに残る理由はない。
 まあ、ただ一つ引っかかることを挙げれば……あんな男を撒くのに、クレープを投げつけたのは勿体無かった気がしたけれど。

 その足で真っ直ぐ、住居エリアへと向かう。
 もうこれ以上人と出くわしてトラブルになったり不快な気分を味わうよりは、宿の中でゆっくり休みたい。そんな気分だった。
「……えーっと、302号室は……ここか」
 宿に入り、前払いで料金を支払うって鍵を貰うと、早速割り当てられた部屋へと足を運んだ。
 選んだのは目立たないようにひっそりと佇む、人が少ない安い宿だったが、それでも部屋の仕切りとベッドがあるというのは大きい。
 むしろ、ちょっとくらい寂れていたほうが、田舎育ちの僕にとっては安心できるかもしれない。
 部屋の鍵を閉めると早速、寝台の上に飛び込んで、久しぶりの柔らかい寝床の感触を確かめる。
「まあ外でも、雨風に晒されるようなことはないから現実での野宿よりはマシだろうけれど……」
 この辺りのゲームならではの仕様は本当に、僕たちにとっては不幸中の幸いという奴だ。辛いものは辛いけれど、天候や風邪とかの体調不良まで再現されていたら、間違いなくここまで生きていられなかっただろう。
 そんな中でも一般のプレイヤーは……当たり前のことだが……僕たちほど必死にはなれないらしく、宿屋を利用したり、不動産屋NPCから借家を購入したりしている。ギルドなんかは規模の大きさに関わらず、殆どが借家を購入するか、ゲーム内の建物を占拠しているらしい。
 余談になるけれど、“粛清”というシステムがあるために全てのプレイヤーは必然的に狩りを強要されるため、金が足りなくなったことで食い詰めて野宿をする羽目になるプレイヤーは殆どいないらしい。
「んー……」
 暫く何も考えずにごろごろとベッドの上で寝転んでみるが、ふと思うところがあって体を起こす。
「……とりあえず、お風呂入っておこうかな」
 僕が取った部屋には浴室とかもついており、シャワーなんかもついている。
 この他に銭湯形式の公衆浴場なんかもあるが、胸の上辺りに宝石が埋め込まれている“魔王”の場合は、そんなもの使う訳にはいかない。
「……プレイヤーが自由に性別選べるゲームで、中身の性別度外視で男湯女湯分けるシステムとか、水着着用がマナーとはいえどうかと思うんだけれどなあ……」
 そんなことをぼやきながら脱衣所で服を脱いで、浴室へと足を踏み入れる。
 内装は外国風にアレンジされているけれど、仕組み自体はシステムバスに近い。壁には使い方がちゃんと書いてある。
「……えーっと、こうかな」
 書いてある通りに、ぱちん、と指を鳴らすと、浴槽に適切な量のお湯が湧き出る。食事といい、何でも瞬時に出てくるのはゲームの中の仮想世界ならではと言えよう。
 まあ元々個人用の風呂なんてのはおまけ程度でつけられたもので、実際に頻繁に使われるとは思われなかった機能なんだろうけれどね。
「シャワーは普通のに近いかな……」
 お湯が出るのを確認し、まずは全身を洗い流しておく。
 そして本格的に体を洗おうとしたところで……目に入ったのは、やっぱりと言うか何というか、胸。
 屋外で水浴びをした時はいろんな意味で余裕がなかったから、こうやってむき出しになったものを見るのは初めてだ。
「……」
 触ってみると……柔らかいが、小さい。
 設定年齢的には現実と同じはずなのだが、同級生の女子たちを基準にすると中学生くらいのサイズしかない。
 興味本位でむにゅむにゅと、痛くない程度に力を加減しながら、優しく揉んでみる。
「んぁっ……!?」
 なんか、変な声が出てきたので中断。
 そりゃあ、恋愛に興味がないとは言え、僕だって生理的には健全な男の子な訳で。女の子のこんな声聞いたら何らかの反応はするはずなんだが。
 ……自分の声だと思うと、なんというか、その、萎えるというか……気分的にげんなりする。
「とりあえずいい加減、体を洗おう。うん」
 一応ざーっとは街に入る前に流してきたとは言えども……まだオークの血がこびりついているような、そんな錯覚は拭えない。
 石鹸を泡立てて、腕から胸、背中と塗りつけていったところで……視線を下腹部へと向ける。
「そういえば……こっちのほうも洗ったほうがいいのかな……」
 流石にどうなんだろう、と思いつつも、石鹸の泡を滑らせると……。
「ひゃあああっ!」
 先程胸を弄っていた時と比べても大きい声が浴室に響き渡る。
 やばい。これはやばい……腰が抜けて立てなくなりそう……。
「女の子の体って……ふぁ……男の体よりずっと過敏らしいけれどっ、これはちょっと……くぅっ……感覚が鋭すぎると言うか……」
 そこまで念入りにすることもないはずなのに、石鹸を塗りたくる手は止まらない。
「僕が、変なのかなっ……触覚、強化スキルは……んっ……ないはずなんだけど……ッ」
 最後に泡を流すために、熱いシャワーを引っ掛けると、またムズ痒い感じが奥から湧き出てくる。
 腰が抜けそうになるのになんとか耐えて洗い流すが、それが終わると耐え切れなくなり、その場にぺたりと座り込んでしまう。
「はあ……何やっているんだろう……」
 全てが終わった後に、襲ってきたのは自己嫌悪。本当に何やっているんだ僕は。
「しっかりしろ、自分」
 ぼーっと靄のかかった頭を何とか戻して、お湯に満たされた浴槽に浸かる。
 いつもは水で体を洗い流しているから、お風呂で温まるというのもすごい久しぶりだ。
 暫くはただお湯の熱に身を任せて何も考えないでいたが、ふとあることが気になった。
「そういや……性別反転した場合の体格って、どうやって算出されるんだろう」
 お湯の中で胸を寄せて上げながら、考える。
 最初から女性型を選んだ場合、胸の大きさやウェストの細さとかも決められるけれど。
 一番最初に考えついたのは、ゲームのリアルの体格とかがスキャンされているはずなのでそれを利用して算出している……といった感じのものだが。
「……細かいことは気にしないほうがいいのかな」
 その場合、自分が貧相な体だと言われているみたいで腹が立つ。
 別に筋肉質な体に憧れているとかそういう訳ではないが、貧相扱いされるのは嫌だ。
 同じようなネタで、男女の象徴的な部分のサイズが反映されているというのも思いついたけど……大却下。
「ほら、他の人のなんて学校の奴らのと父さんのくらいしか見たことないし……。
 その中でも小さい部類だったけど、サンプル数が精々2桁に届く程度じゃ全然少ないから、見たことある相手のが大きかっただけという可能性も十二分に……」
 だから、小さくない。多分、小さくない。よって、この説は成り立たないことはかく示された。Q.E.D.――証明終了。
 解決したところでのんびりと、熱いお湯を楽しむ。実際に風呂に入っているわけじゃないから、茹だる心配もない。長風呂派の僕にはありがたいことだ。
「はぁ、幸せ……」
 デスゲームが始まって以来の、これまでとは別の意味で溜息が出る。
 女の子の体になるという制約があったし、街の中で色々不快な思いはさせられたけれど。食事と風呂だけで、その辺は帳消しにしてお釣りが来る。
 たった一日だけだとはいえ、こんなに満ち足りた気分になれるなんて……余計な相談しないでよかったなあ、と心の底から思った。



[7428] 第5話(5)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/07 22:14
 風呂から上がった後は、ルームサービスで軽食と飲み物を頼む。
 注文すると早速テーブルの上に、ハンバーグの乗ったドリアと、蟹肉の入ったポテトサラダ、ミネストローネ、オレンジジュースが出現する。
「後でデザートも頼むかな……」
 味はまあまあだが、ポテトサラダが甘すぎる。
「うえ……まあ既製品にはよくあることだけど……」
 既製品のポテトサラダといえば、スーパーのお惣菜コーナーとかにある奴とかそういうのを時々買ったりしたものだけど……何か異様に甘い。
 というか、マヨネーズとかそういうのを使っている既製品のサラダ全般が、変に甘いものが多い気がする。
「普通のシーフードサラダとか頼めばよかったかなあ……」
 お金を使ってしまった以上、注文しなおすのは勿体無いので、ちゃんと全部食べるけれど。
 現実のホテルとかとは違って流石にテレビとかはないので、データベースウィンドウやコミュニケーションウィンドウを開き情報収集を始める。
 軽く目を通したところ、今日のところは大きな動きとかはないようだ。強いて言えば……顔面クリームまみれになったナンパ男のスクリーンショットとか貼ってあったのが目に入ったけれど、特にこれといって見るものはない。
「んー……今日は早めに寝て、明日早めに起きて効果が切れる前にもうちょっといろいろ見たり食い溜めしておくかなあ……」
 そんなこんなでのんびり休んでいると、他の皆の声……秘匿チャットによる会話が聞こえてくる。
『そういえば、俺らと同じとかよく似た外見の人とかってどうしているんだろうな。勘違いとかで襲われそうな気もするけど……』
『職業も同じとかじゃなければ、滅多なことじゃ襲われないと思いますが……例えば僕と同じ外見設定にしていても、戦士系なら装備を見ればわかるでしょうし』
『間違って殺されたとしても、プレイヤー同士ならPKしてもレベルが1下がるだけだ。
 それでも“粛清”される可能性が高まるから、甚だ迷惑だろうが……まあその辺は、俺達の責任ではない。
 恨むなら、アスタロトと襲ってくる連中の方を恨め……といったところだな』
 レオンハルトの意見には全面的に同意だ。僕たちだって、こんなことになると知っていて外見を作った訳ではないんだし。運が悪かったと思って諦めてもらうしかない。
『それに、良心的な奴らだったら、HPを0にする前に服脱がして石の有無確認くらいはするだろうしな』
 僕たちの体には石が埋め込まれているという情報は、プレイヤーたちにも公開されている。
『良心的というのかそれは……まあデスペナ食らうよりはマシだろうけれど……』
『まあ、襲われそうになったら自分から脱ぐ、というのもありでしょうね。
 ラケシスさんと外見被った女性プレイヤーなんかは、中身も女性の場合……辛いかもしれないですが』
 自分から脱ぐのも、相手から脱がされるのも嫌だろうなあ。それは。
 僕たちにとっては完全に他人事ながらも、同情を禁じ得ない。流石に可哀相過ぎる。
『まあ男だったら逆に、石のある位置晒すのも手だよな』
『何なら誤爆防止のために掲示板に書いておくか?』
『あはは、いいねそれ』
 うっかり返事してしまった次の瞬間。
 ……会話が、止まった。
 当たり前と言えば当たり前だ。秘匿チャットから本来“聞こえるはずのない声”が聞こえてきたら、当然こうなるだろう。
『……あ』
 油断していた。物凄く油断していた。
『……おっかしーな。秘匿チャットでラケシス以外の女の子の声が聞こえるなんてありえねえはずなんだが』
 だよね。ラケシスしかいないはずだもんね、女なんて。
『そういや、今日一日、ユーリさん喋ってませんよね……』
『ノアなら丸一日喋らないというのもあるけど、あいつが全然喋らないなんておかしいよなあ』
 ですよねー。となると、答えは他の人の目から見ても明白だ。
『なあ……ユーリ?』
『……ごめんなさい』
 もう何というか、この場はまず謝ったほうがいいよね? とりあえず謝るだけ謝ったほうがいいよね?
『性別反転トラップが、フィールドに仕掛けてあったのか?』
 外見変化形の効果は、アイテムのみならず、トラップとしても存在する。トラップで引っかかると外見が変わるだけでなく、副次効果でステータスダウンとかの効果もあるらしいが、実物に遭遇したことはない。
『いや……トラップとかはフィールドには滅多にないし……』
 増して外見変化形の罠なんて、ダンジョンでも滅多にお目にかかれない代物。その辺に転がっているわけがない。
 となるといよいよ、答えは一つ。
『まさかお前、反転の木の実を……』
『う、うん……』
 最初にキレたのは、やはりというかなんというか、期待を裏切らぬ直情男・キールだった。
『バッキャロー、あれNPC商人相手にものすごく高く売れるんだぞ!』
『ご……ごめんなさい! どうしてもおいしいご飯が食べたかったんです、柔らかいベッドで寝たかったんですっ!』
 その場で土下座しながら謝る。といっても他の皆からその姿を確認することはできないが。
『僕たちだって我慢しているんですよ……?』
『本当、どうしてくれようかしら……ねえ?』
 キールのように怒鳴ったりはしなかったものの、メルキセデクとラケシスの声にも、何か、殺気じみたものを感じる。
『やれやれ……まだまだ精進不足だね、ユーリ君も』
『か、返す言葉もございません』
 ファーテルは他の皆に比べれば相変わらず穏やかだけど、それなりには怒ってそうだ。
 というか、こういう諭すような言い方をしている人が一番怖い。裏で何考えているかわからないし。
『とりあえず、僕も反省はしているので……』
 もう一度謝ってはみるが、メルキセデクとラケシスから『ごめんで済むなら警察はいらないんです』とか『反省のポーズだけならお猿さんにだってできるのよ』とか散々に罵られる。
『というか……これ使えばキールの転職あたりできたんじゃないですか……?』
 再び沈黙が流れる。
『メル……頭いいなお前』
 それを破ったのは、キールのすっ呆けたような感心する声だった。
『いやいやいや、僕に感心するところじゃないでしょう! ユーリさんを叱るところです!
 キールの生存率を上げるためのアイテムを、完全に欲望のままに使っちゃったんですよ!』
『というかキール、この場合あんたが一番怒るべきよ! ガツンと言ってやりなさい!』
 まくし立てるメルキセデクとラケシスに対し、キールは何か思うところがあるのか唸り始める。
『この俺はこう見えても、心が海のごとく広い、器の大きな男だからな。この程度のことなら、許してやらんこともない』
『ちょ、許しちゃうの?!』
『まー、脱出に必要なユニークアイテムを使ったわけでもないしな。うん』
 自分の死亡率が下げられるかもしれなかったアイテムを使った僕を許そうという度量。こいつ実は大物なんじゃなかろうか。
 ……一番最初の時はマジギレしていたけれど、とは敢えて言わないでおこう。
『キール……』
 しかしながらキールは本当に、こちらの予想を裏切らない男だった。
『その代わり効果が解除される前に一発ヤらせて』
 ……そう来ると思ったよ。絶対に。
『あー……やっぱり、許してくれなくていいよ』
 しかし流石にこちらも、そこまで色々と捨てる気にはなれない。
『じょ、冗談だよ冗談。間に受けるなって』
『……どうだか』
 他の人なら冗句と取るけど、キールだけは本気で言いそうな気がしてならない。
 まあこのメンツだとそういう話をしたがるのはキールだけというのはさておき。
『まあマジでヤらせてくれるなら、喜び勇んでそちらに向かいますが』
『黙れ』
『キール、お前。いい加減にそういう冗談は……』
『……まあ、過ぎてしまったことを責めても仕方ありません』
 ノアが苛立った声をあげてキールに何か言おうとしたところで、メルキセデクが、こほん、と一つ咳払いをして話題を切り替える。
 水と油の関係であるこの二人が口論になると泥沼になるのは目に見えているから、それを止めるためだろう。
『ですがせめて、食料とかを大量に買い込むくらいの仕事はしておいてください』
『うん……わかった……』
 と了承したところで、これまで黙っていた様子のレオンハルトが割り込んできた。
『メルキセデク……外見変更系アイテムを落とすモンスターの検索を頼む』
『え?』
『――片っ端から狩ってやる』
 秘匿チャットは声が聞こえるだけで、表情とかは伺い知ることはできないのだが……レオンハルトが本気なのは、それだけでも伝わってきた。
 あまり表面には出さなかったけれど、彼も彼なりに色々と我慢はしていたらしい。
『――俺も手伝おう』
 そしてレオンハルトに、ノアも同調する。こちらもこちらで色々耐えてきたらしい。
「……まあ、結果的に……全員の為になった、のかな?」
 こうして僕たちは、ようやく……安定した食料と、時折とはいえ街で休息を得る手段を手に入れた。
 もうちょっと早く気が付くべきだったかもしれないけれど、こういうのは得てして、何かきっかけがないと気付けないものだし仕方ないのかも。
 まあ一般プレイヤーたちが気付いて対策を採るまでの、とりあえずの手段、といったところだけれど、何にもないよりはずっとマシなのは確か。
 今日のところは……ひとまず、久方ぶりの柔らかい寝床で、惰眠を貪ろうと思う。



[7428] 第6話(1)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/11 00:16
 木々のざわめきすら聞こえぬ静かな森の中、僕は息を殺して身を潜めながら、弓をあるモンスターへと向けていた。
 そのモンスターは、見た目上では小さくて愛らしい、長い耳を持つ小動物……普通のウサギと大して変わらない形をしている。サイズもごく普通のウサギと同様だろう。学年持ち回り当番制で世話をしていた小学校の頃の記憶が間違っていなければ、だけど。
 しかしそのモンスターがどれだけ恐ろしいのか、僕は知っている。
 ヴォーパル・バニー。基本的な性能は低レベル用のウサギ型モンスターと大差ない。しかしそれは、恐るべき、僕たちにとっては正しく致命的な特殊能力を持っているのだ。
 ――攻撃が当たると、中確率でHPが自動的に0になることがある。
 他にもHPを0にしてくるモンスターはいるが、いずれも殆ど発動しない低確率。それと比べるとこいつの即死効果の発動率は遥かに高く、全モンスター中最も高いとされている。
 HPが0になることは死を意味する僕たちにとって、これ以上に恐ろしいモンスターが、果たしているだろうか?
 回避能力には自信があるが、クリティカルされたら即死効果が自動的に発動する。故にこれを狩るには、遠距離からの狙撃以外の手段はない。
 慎重に慎重を重ね、矢を放つタイミングを見計らう。
 その間、心臓はどくどくと高鳴り、背中には嫌に冷たい汗が流れ続けている。早く終わらせたいという気持ちと、この場から逃げたしたいという気持ちを押さえつけて、一瞬のチャンスだけをひたすら待つ。
 ――そして、その時は来た。
「……っ! 今だ!」
 ウサギがこちらに対して背を向けた、そのタイミングで……矢を放つ!
 矢は、吸い込まれるかのようにウサギの後頭部を穿ち――ウサギのその体が光に包み込まれ、崩れ去っていくのを見て、僕は。
「よしっ!」
 小さく、ガッツポーズした。
 とりあえず周囲にモンスターがいないことを確認して、ウィンドウを開く。そして戦利品を確認した後……僕は現実を思い出し、溜息を吐いた。
「これで3匹目か……あと半分……」
 僕がこんな危険なモンスターを狩っているのには理由があった。
 確かラケシスあたりだったろうか。例の、反転の木の実の一件についての謝罪について……『誠意を示して欲しい』と言い出したのは。
 その誠意というのが、ヴォーパル・バニーが必ず落とすドロップアイテム。首切りウサギの肉、だ。
 僕は実際に食べたことはないけれど、何か焼いて食べるとすごく美味しいらしく――それを食わせろ、という話だ。
 当然、食料アイテムをみんなで分けて食べることは無理なので……6人分調達しなければならない。命がけで。
「まあ、狙撃さえ成功すれば大したことはない敵なんだけどね……」
 2回目の狙撃で、外した時は焦った焦った。向こうの攻撃は当たらないとは思うけれど、やっぱり怖いものは怖い。
「うー。三食一晩の罰ゲームとしてはちょっとリスクが高すぎるよなあ。労力云々以上に、心臓に悪いよこれ……」
 ぼやきながらも手に入れたウサギ肉を納品するためにに倉庫ウィンドウを開くと、物凄い勢いで外見変化系のアイテムが増えている。誰が集めたのかは、確認しなくてもわかる。
「あの二人か……」
 ……この特定用途アイテムの集まり具合だけでも、レオンハルトとノアがいかに効率のいい狩りをしているかが、よくわかる。ついでに自分の効率の悪さもよくわかる。
 しかし職業の特性というものもあるし、ゲームそのものの経験の差というものは相変わらず大きい。この状況では外部にある攻略情報を閲覧するのもできないし、こればっかりは経験を詰んで慣れるしかないんだろうか。
『うひゃー……こんだけありゃ、生活レベルが飛躍的に向上しそうだな』
 同じタイミングで、キールも倉庫を開けたらしい。そんな声が聞こえてきた。
『まあ、他のプレイヤーにバレない程度に……気をつけて使わないとね』
『あはは、ユーリさんにだけは言われたくないですよー?』
 メルキセデクがけらけらと笑いながら言い放った台詞が、僕の臓腑を抉る。
 当分はこのネタでからかわれたり弄られたりしそうだ……自業自得だからしょうがないとはいえ、じわじわと削られるのは意外と辛い。何だか毒のダメージを受け続けているような気分になる。
 旧来のRPGだと、毒なんてのは大したことはないステータス異常だったけれど、ヴァーチャルリアリティタイプのゲーム内では減るHPに応じて体に苦痛が入るので割ときついんだよなあ。データ的にではなく、精神的に……。
 とりあえず追撃が来る前に、話題を逸らそう。そうしよう。
『そういやキール、転職どうするの?』
 これだけ外見変化アイテムが手に入ればキールの転職も容易になる。だからそろそろ、どの職業になるかは決めておいて損はないはずだ。
『んー。どうするかねえ。商人ってのは無駄に幅が広いからなあ……』
 確かに本人が自己申告している通り、マーチャントから転職できる二次職というのは多岐に渡る。
『戦闘能力も、ある程度あったほうがいいんじゃないかしら?』
『そうだね。せめて移動速度向上系のスキルは欲しいかな……』
 ラケシスとファーテルはそう言うが。
『町に潜伏を続けるなら生産職というのもありだと思うんですけれどね……。専門職が作らないと手に入らないアイテムとかも少なくないですし』
『商人に限らず非戦闘職からなれる戦闘系寄りの職業というと、中途半端になりがちだからな。器用貧乏になるくらいなら、特化した方がいいかもしれない』
 メルキセデクとノアは生産職を推す。
『んー。難しいところよねえ……』
『とはいえ、今後の戦略にも影響が出るからな』
 レオンハルトの言う通り、この選択は非常に重要だ。今後の方針を決めるということは、僕たち全員の命がかかるのだから。
 とはいえ、本人の意思というものを無視してもいけないだろう。最終的に決めるのはキールなのだから。
『キール本人としては、どっち寄り?』
 とりあえず本人の希望について質問してみたものの。
『俺の趣味に走ると、もれなくギャンブラー』
『はい却下』
 本人以外の全員から二秒と待たずうちに却下された。ある意味予定調和な気がしないでもないけれど。
『何だよ! 本人の第一希望無視かよ!』
『遊び人を養う余裕は、ウチにはありません!』
 ギャンブラーというのは、やや戦闘職よりの商人派生クラスで、全く役に立たないとまでは言わないが……かなりリアルラックも含めた運が問われる職業である。
 普通のパーティならいざ知らず、僕たちは立場が立場。更に言えば、キールだけじゃなく僕たち全員のリアルラックが最悪の部類なのは……こんなことになっている以上、確定的に明らか。
 それを踏まえつつ、ギャンブラーを選択するというのは……はっきり言って、数ある選択肢の中でも最悪なものだと思う。
『その辺は俺もわかっているんだよ。だから迷っているわけでさあ』
 まあ、こればっかりは、無理強いをする訳にはいかないから彼が決めるのを待つしかない。
 流石に、全員に真っ向から否定されたギャンブラーだけは、いくらキールでも選ばないと思うけれど……。
『でもやっぱり、男に生まれたからには……命を賭けた博打はロマンだよなあ』
 ……って、全然諦めてなかった!
 ああもう、どうすればいいんだこいつは!
『キール……それだけはやるなよ、絶対やるなよ』
 つい先日私利私欲に走った僕が言うのも何だけど、何も言わないよりはマシだろう。
『……それは……ギャンブラーになれという前フリと受け取るけど、本当にいいのか?』
『駄目だって!』
 真面目に言ったことをギャグと捉えるなこの野郎?!
『本気で考えろ、キール。俺たちだって、いつまでこうして……無事でいられるかわからないんだぞ』
 レオンハルトが溜息混じりにキールを諌める。その声には重みの他に、どこか疲れのようなものが含まれていた。
『このゲームのルールについて、俺たちには知らされていないことが多すぎる』
 ルールはアスタロトが一方的に知らせてくる。しかも意地が悪いことに、彼女はわざと時期をずらして新しいルールについての説明を行なったりもするのだ。
 まだまだ、僕たちが知らない秘密が隠されていると……見ていいだろう。
『このまま、何も知らないままでは……何もできずに全滅しかねない』
 レオンハルトの言う通り、守りに入ったままという現状は、極めて不味いものだろう。
 暗中模索のまま、ただ必死に保身にひた走る。それだけでは状況は一向に改善しない。
 今の僕たちは、例えるならば――将棋やチェスでいえば駒の動かし方もままならぬまま、ポーカーなどのカードゲームで言えば役も知らぬまま、無理矢理にゲームをさせられているようなもの。
 しかもそんなゲームには自分の命が賭けられている、ときている。
 そして自分の死が仲間の、ひいては他のプレイヤーたちの命を危険に晒す可能性もある――それはまさしく、悪魔のゲームと呼ぶに相応しいだろう。



[7428] 第6話(2)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/11 21:26
『例の……人狼のゲームを参考にすれば、色々と見えてくるかもしれないが』
『前にも報告したけれど、アスタロトは、ティファレトの街で……NPCの子供たちを使って、こちらに人狼ゲームとの関係性をアピールしてきているから……』
 粛清直後の段階でのファーテルの推理はある程度当たっているのは確実だ。
『ファーテル、ノア、その辺りについてはどう思う?』
 早速、件のゲームの経験者である二人に話が振られるが、ファーテルは敢えて僕たちに警鐘を鳴らしてきた。
『確かに、何かしらのヒントはあるかもしれない。とはいえ、このゲームは……人狼ゲーム“そのもの”ではないからね。ゲームの前提からして大きく違う』
 だから、それに囚われてばかりだと、逆に落とし穴になりかねない。その辺りは気を付けないといけないだろう。
『しかし、どこから推理すればいいってんだ……考えることが一杯ありすぎるぞ』
 キールの言う通り、考察するにしても考えなければいけないことは沢山ある。
『ルールで何か、そうだな……人狼ゲームの特徴となるもので、なおかつこのデスゲームではそれらしきものが実装されていない、というのは?』
『目立ったところだと、村人側の能力者に相当する……こちらを追い詰める特殊な能力を持っている者というものが現時点ではいない』
 僕の質問に、ノアが答える。
『俺たちが知らないだけで実装されているのかもしれないし、後から実装されるかもしれないけれど……こちら視点で、確認できていないという事実は動かない』
『人狼ゲームだと、どんな能力者が?』
『代表的なものだと……人狼の正体を知る占い師、処刑によって死亡した者が人か狼かを見破る霊能者、二人一組でお互いが“人狼ではない”と証明できる共有者、狼による襲撃から他の村人を守る狩人……といったところだね』
『複数のルールがあり、使用するルールによって能力者の内訳は違ってくるが、この四種類は殆ど全てのルールにあるものだ』
 ファーテルの解説に、ノアが付け加える。
『ちなみに、人狼側の能力者で、人狼側につく人間――狂人というのもいるのだが、これについても……こっちにアピールしてくるプレイヤーがいないところを見ると、いないようだな』
『だろうね』
『あれ、狂人ってのは特殊能力そのものはないのか?』
『環境によってまちまちだけど、基本的にはなしで――勝利条件が、人狼と同じというだけ、という感じだね。中には人狼の秘匿会話を確認できたり、更にはその秘匿会話に参加できたりする狂人もいるらしいけれど』
 まあ、そんなのあったら、デスゲーム開始当日くらいには僕たちに協力を申し出てくるだろうし。既に一ヶ月経過していて、協力を申し出るプレイヤーがいないということは。
『……協力者が欲しければ、他のプレイヤーを説得するなりなんなりしなきゃ駄目なんだろうね』
 しかし現状、それは限りなく難しいように思えた。
 僕の場合、みなも相手ならうまく説得できたかもしれないけれど……。
「……あんな別れ方したからなあ」
 精神的に追い詰められていたとはいえ、自分から絶縁宣言したも同然だからなあ。……本当、後から思い出しては後悔するようなことばかりやっているな、僕は。
『まあ、今のところは、ということになりますが。僕たちの他に特殊な能力や特殊クエストを付与されたプレイヤーはいない……と考えてよさそうですね』
 メルキセデクがまとめると、話題は次へと移る。
『次に考えるべきことは、我々にクリア可能なクエストについてだね』
 ふうっと溜息を吐きながら、ファーテルが議題を提示する。
『まず、以前にも話した気もするけれど――人狼は妖魔を殺せない。だから、我々はアスタロトを殺せない――という仕組みになっていると、考えておいて損はないだろうね』
『つまりこの条件については、他のプレイヤー任せにするしかなさそう、ってことか。……一番ぶん殴りたい相手を殴れないと言うのは、何か無性に腹が立つな』
 全く以って同感だ。
『僕たちがそう考えるのを狙った、ミスリードの可能性もあるかもしれないけど……何か情報が入るまでは放っておくしかないかな』
 しかし、何か決定的な状況が入るまでは迂闊に動けない。彼女との戦いに於いて敗北すれば、“魔王”もプレイヤーも関係なく……平等に死がもたらされる。
『一応、使用される人狼ゲームのルールによっては……人間による処刑と、人狼による襲撃を同時にしなければ殺害できない“第三勢力”というのも存在するがな……』
『へえ……そんなのがあるのか』
『証拠とかが揃っている情報ではないが……こういうのもあるんだ、ということを記憶の片隅には留めておいてもらいたい』
 何はともあれ、現状だとアスタロトは放置するしかない。悔しいし腹が立つけれど、勝てない相手に挑んで死んではいられない。
 結論が出たところで、話は他のクエストへと移る。
『かといって、転職の方も厳しいわよね』
『レベルドレイン対策ができないことには、どうにもこうにも、ですからね』
 僕もレベルドレイン対策については、その存在を知ってから色々考えてみたけれどこれといったアイディアは結局浮かんでこなかった。
 レベルドレイン防止アイテムとかその辺があればどうにかできそうだけれど……今のところ、そういったアイテムは発見されていない。実装されているかどうかも謎、といったところだ。
『一人が代表で行って、他の六人が全員でレベルを上げ続けるというのはどうかしら?』
『無理だ』
 ラケシスの提案に、最もレベルが高いレオンハルトが即答――それも断言した。
『90レベル台の経験点なんて天文学的なレベルの数字だぞ。俺ですら“91レベルの壁”は破れていないんだ。
 問題のクエストは、1レベル下がるだけでも致命的だというのに、どうやって最高レベルに達し続けろと?』
 僕は最近になってようやく60レベルになったところだけれど、それでもかなり、必要経験値は多いように思える。
 飛躍的に必要経験値が増えるという90レベル台がどんなことになっているかは……想像すら困難だ。
『え、レオンハルトでも“91レベルの壁”超えられないのかよ!』
『バードの経験値上昇スキルなしに超えられるかあんなもん……高レベルバードを大量に引き連れて狩れば今頃2、3くらいはレベルも上がっていると思うが……』
 あのレオンハルトに泣きが入るということは、相当なんだろう。
『……僕たちのうち誰か一人が最高レベルに達するまで、軽く一年はかかるよね』
『ああ。それだけで、万単位の死人が出るのは確定だ』
 全員がソロでの戦闘能力を保有し、ノアばりにただひたすらモンスターを狩り続ければかなり短縮できたかもしれないが、残念ながらそうでもない。
 ……まあ、仮にそうだったなら物資や支援がなくて潰されることになっていただろうから、結果的には支援や商人がいたことによって助かっているから何とも言えないんだけど。
 閑話休題。何にせよ、最高レベルでの専用転職という選択肢も僕たちにとっては極めて難しい。
『やっぱり、俺たちがどうこうできそうな範囲で一番現実的なのは、ユニークアイテムの収集だな』
 というか、現時点で見えている選択肢としてはそれしかなさそうだ。
 何といっても――ユニークアイテムは既に一つが、ある大手ギルドによって回収されている。つまり、アイテムはちゃんと実在するという証拠がある。
『ダンジョンの中での活動がメインになりそうなら個人探索よりは……やっぱり、パーティ組んだほうが安全だと思うんですけど』
 メルキセデクの提案に、キールが溜息を吐く。
『メル。お前、それは……三桁以上の敵が攻め込んでくるのを覚悟の上でか?』
『今のところ、大きな動きがないから大丈夫かなと思ったんですが。ソロでの狩りには限界が見えてきてますし……』
 しかしキールは、うーん、と唸る。僕も腑に落ちないところがあった。
『以前にも誰か言っていた記憶があるが……大手ギルドの連中の動きがおかしいんだよなー。
 こっちが効率をよくするためにパーティ組んで集団行動するのを狙っている、ってことも考えられるんじゃないか?』
『そこなんだよね。僕が引っかかっているのも』
 圧倒的な数を誇る彼らがこちらの様子を伺っている状況だというのであれば、そう考えるのが無難だろう。
 しかも数十人単位、下手すれば三桁以上の人数に包囲されれば、包囲網の一角を崩して逃げ出すというのも容易ではない。
 足が遅い術師系がいれば尚更……というか無理だ。断言してもいい。
 戦士系のレオンハルトだって、術師よりは流石に速いだろうが、重戦士だし武器や鎧とかの重量による補正も考えると……僕よりもずっと遅いだろう。いざ逃亡、という時にはかなりキツいことになるのが目に見えている。
『確かにメルキセデクの言うように、皆で集まれば探索とかについてはかなり楽にはなると思う。でも、最初の頃にも言った通り、一箇所に集中することはリスクを伴う。人数が増えれば、相手に気づかれやすくもなるしね』
 僕たちに続いて、ファーテルがメルキセデクを優しく諭す。
 やっぱり彼は、僕やキールと比べて話し方が上手だ。彼の意見を尊重しながらも、そのデメリットについて説明できている。
『というか。パーティを組んで大部隊と相対するようなことになった場合、プレイヤーの大多数を殺害する羽目になるのはお前だぞ?
 極大魔法の範囲に勝る範囲攻撃なんて、俺たちにはないんだからな』
『う……』
 ノアの指摘は全くもってその通りだ。攻撃範囲が最も広いのはメルキセデクだ。必然的にパーティを組んで大人数の部隊と相対する場合、プレイヤーの多くを殺すのは、彼となる。
 彼にその覚悟があるなら、大人数相手でもある程度なら耐えられるだろうし、パーティを組むという手もありなんだろうけれど。
『……ごめんなさい、忘れてください』
 メルキセデクには、流石にそこまではできないという自覚があるのだろう。自分が上げた案を撤回した。
 まあ、彼じゃなくても、そうするだろうな……とは思う。
 仕方のないことと理解した上で一人殺すだけでも、気分が悪くなる。沢山の人間を同時に殺すなんて……それこそ、既に狂っていなければできる所業ではない。
 仮に、そこまでできる程になってしまった人間がいたのなら――彼もしくは彼女は最早、人間と呼ぶことのできない存在なっていると言っていいだろう。
 そして、それが人間と人外の境界線となるのであれば。アスタロトは間違いなく、人間ではない者――悪魔と呼べる存在だろう。
『……本当、難しいのよね。このゲーム』
 ラケシスが小さく呟くと、秘匿チャットが静かになる。
 攻略を優先するのであれば、団体行動をしたほうがいいに決まっている。しかしそうすることで、他のプレイヤーたちの物量に潰される。
 殆どのプレイヤーは、“魔王”を殺害することが脱出への最大の近道だと考え、それに対して疑念を持つことすらしない。目先のことだけを見て、思考停止してしまっている。
 そりゃあ、うまくすれば僕たちが彼らを説得することは不可能ではないかもしれない。でも、知り合い……それもリアルでの友人でもなければ難しいだろう。
 そしてそんなのは、プレイヤーの中のごくごく一部。全員の知り合いを合わせたとしても、三桁を超えることなどありはしない。そうでないプレイヤー総数は六桁を超えている。
「どうしようもないよ、本当……」
 思考停止をすれば負け、ということはわかっているけれど。それでも、思わずにはいられない。
 果たして本当に、僕たちが生きてこの世界を出る方法なんてあるのだろうか? 最初からクリア不可能なんじゃないか、このゲームは?
『あ、あの……』
 沈黙を破ったのはメルキセデクの声だったが……どこか、様子がおかしい。
『……僕、今……新しい狩場に移動するために湖に潜っている途中だったんですけれど……何かすごいものが……』
『どうした?』
『ユーリさん、ちょっと。千里眼を僕の周囲に……』
 言われたとおりに千里眼ウィンドウを作り、メルキセデクの周辺を拡大して確認する。
「……!?」
 そして、驚きのあまり肉声を上げそうになるのを手で押さえ……映し出されたものを凝視した。
『これってもしかしなくても、隠しダンジョンって奴……ですよね?』
 “Rahab”のスキルなしには到底たどり着けない水の底。そこには、神殿と思しき巨大な遺跡が存在していた。



[7428] 第6話(3)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:86834f11
Date: 2009/04/15 21:12
『というかメル、お前だけ目撃情報が妙に少ないと思ったら……水中を移動しているのかよ……』
『ほら。持っているスキルはフル活用しないと勿体無いじゃないですか』
 そんなキールとメルキセデクの会話を流し聞きながら、僕は千里眼で例の遺跡の内部を見ていく。
『……“アスタロトの迷宮”と違って、ちゃんと中とか確認できるね。モンスターもいるよ。できる限りマッピングするから、少し待ってて』
『わかりました』
 僕はマッピングツールウィンドウを開き、入り口から奥地までマップを作っていく。発見したトラップやモンスターについても、書けるだけ書き込んでいく。
 こうして作ったマップデータはメッセージで送信できる。ダンジョンに入る前にマップを作れるというのは僕たちだけの、大きなアドバンテージと言えるだろう。
 ダンジョンの構造そのものは簡単だが、あちこちにトラップやギミックが設置されている。
『……多分、現時点では未実装のアイテムか何かで移動する仕組みになっていたんだろうな』
 ノアが冷静に分析する。確かに、マップデータとして存在する以上……後々にクエストか何かを達成することによって行けるようになる、予定だったのだろう。行くための手段が未実装のまま、このような形で発見されるとは、製作側も全くの想定外だったろうけれど……。
『水中の神殿……ロマンチックな感じがするわねぇ』
 神殿、という単語を聞いて、ふと思い出したことがあった。
『そういえば。例の、発見されたユニークアイテム……ウリエルの手甲も、神殿系のダンジョンから発見されていたはず……ちょっと待ってて』
 一度マッピングの手を止めて、掲示板ウィンドウを開き、“ウリエルの手甲”を単語検索して確認。
 ログを確認してから、該当する情報の書き込まれたスレッドのアドレスを全員に送信する。
『……あった。これだ』
『ちょっと待てよ。ということは……!』
『このダンジョンに、ユニークアイテムがある可能性があるってこと!?』
 沸き立つキールとラケシスを抑えるかのように、ノアがぽつりと呟く。
『確定した訳ではないが、共通点があるのは確実だな』
『ユーリ。それらしきアイテムがあるかどうかも、見てくれないか?』
 レオンハルトに言われて、千里眼の視点を切り替えて、全てのマップをつぶさにチェックしていく。
 程なくして、それらしきものが見つかった。
『……なんか、神殿の中心部の祭壇に、指輪が捧げられているんだけれど』
 僕の言いたいことは、みんなも察してくれたらしい。
『……ビンゴ、だな』
『……避けては通れませんね。このダンジョンは』
 ――おそらく、十中八九。この指輪こそが宝具の一つ。僕たちも含めた全てのプレイヤーを救うための、鍵の欠片だ。
 何としてでも、手に入れなければならない。逆に言えば、これを手に入れ損なうことがあったとしたら……それこそ、僕たちにとってさらに不味い方向に事態は転がっていってしまう。
『ダンジョンの構造はどうなってます?』
『マッピングはまだ完成していないけれど。
 どうやら、東から入って……次のフロアに進むためのスイッチを守るモンスターを倒していく、って感じのギミックが仕掛けられている』
『モンスターの内訳はわかります?』
 ぱっと見た感じ、見ただけで詳細がわかるモンスターは全くいない。
 僕はダンジョンには殆ど潜らずに森の中とかで生活しているから、ダンジョンに出てくるモンスターについては殆ど知らない。実際に見れば分析眼で簡単な情報は収集できるけれど、今回のように千里眼経由で調べる時はそうも行かないし。
『ちょっと種類とかまではわからないから……特徴だけメモしてマップと一緒に送るね』
『お願いします』
『あと……いくつか通り道にトラップ仕掛けてあるんだけど。大丈夫?』
 トラップは致命的なものではないものの、魔術師系だと回避するのは難しいかもしれない。
『平気です。見つけたトラップを明記してもらえれば、トラップそのものの解除は可能ですから』
『セージスキルの構造解析か』
『ええ。あれで壊せますんで』
 構造解析は、トラップやオブジェクトの構造を解析して分解できるようにする、セージ特有のスキルだ。モンスターを始めとした動くものには使えないが、それでもダンジョン探索での使いどころは多い。
 セージにはトラップを見つけるためのスキルはないはずだが、それについてはこっちでフォーローすればいい。千里眼経由で、ハンターの危険感知スキルは使用できるから余程のことがない限りは見つけられないトラップはないはずだ。
『しっかし、いくらなんでも……セージ一人で突貫かよ。大丈夫か?』
 このダンジョンを攻略する上での最大の問題は、メルキセデク一人でこの迷宮を攻略しなければならないということ。
 他の人間では代わることができない。そして……考えたくないことだが、彼が失敗したら最後、このダンジョンを攻略する手段はなくなってしまう。
『仕方ないでしょう。他には誰も入れないような場所にあるんですから……』
 僕たちも含めた殆どのプレイヤーは、現時点の実装された部分では、水中に長時間潜ることはできない。
 呼吸ができない水中にいるという状況が続くとHPが減り始める。もちろん僕らの場合、これでHPが0になったら溺死……つまりは死亡だ。
 そのため基本的に、僕たちは水に潜ることを避けているが、例外が“Rahab”のスキルとして水中適応能力を持つメルキセデクだ。彼はラケシスの飛行移動と同じように、水中にて全くのペナルティを受けないという能力を持っている。
 このダンジョンは、光源から推測する深さから計算するに……かなり深いところにある。僕たちにはおそらく、たどり着くことすらままならない。
『逆に言えば、他のプレイヤーからの攻撃を受ける心配はないんですが』
 まあ、そこだけは不幸中の幸い、とでも言うべきか。
『でもMPとか大丈夫なのかよ』
 水中に潜り続ければ、飛行移動と同様にMPが減少し続けるはずだ。
『水中適応の消費は、MPの回復速度と同じペースですからね。ずっと潜って生活することすら、理論上では可能です』
『うはあ、何でもありだな“Rahab”スキル』
『そうでもありませんよ。仮に一度、ダメージを受ければHPが危険域になりますし。
 それにMPの方だって……水中で攻撃魔法を連射するとなると……かなりキツい、ですね』
 飛行移動同様、水中活動も……本来活動できない場所でMPが切れるというのは、命に関わる。
 一瞬でもMPがゼロになれば、間違いなく溺死してしまう。
 MP消費が激しい魔術師であるメルキセデクにとっては、まさに死と隣り合わせの探索となるだろう。
『HPとMPの回復については……こちらでも極力サポートするけれど。回復アイテムも用意できるだけ用意した方がいいね』
 支援担当のファーテルの声もいつになく真剣だ。
『……ちょっと外見変化アイテムを一つ使わせてもらうぜ。ひとっ走り行ってきて、買えるだけの回復アイテム揃えてくる』
 キールもいつものふざけた調子はどこかに消えて、真面目な声になっている。彼にもはっきりわかっているのだ。このダンジョンを攻略することの重要性が。
『私たちには、できることはないわね。応援くらいしか……』
 どこか気を落としたラケシスの声に、メルキセデクはくすっと笑う。
『……気持ちだけでもいいんですよ。こういうのは』
 確かに、それだけでも少しは気が紛れたりするものだ。
 さておき、作戦会議はなおも続く。
『こっちの支援はどうする?』
『自動回復速度上昇系、移動・回避速度上昇系あたりは欲しいですね。他は余裕があったらで構いません』
 まあ、魔術師としては順当なところか。普通だったら他に詠唱速度向上とかもかけるべきだけど……スキルで詠唱速度が飛躍的に向上しているメルキセデクのそれを更に上げてしまったら、MPが詠唱速度に追いつかないという本末転倒な事態になってしまうだろう。
『わかった。突入する時は言ってくれ』
 そして、僕にも役割が割り振られることとなる。
『あと、ユーリさんには……突入した後も、周囲のモンスターの行動のチェックをお願いしようと思うのですが……』
『わかった。この辺にはアクティブモンスターも少ないから、移動する必要もないしいつでもいいよ』
 ダンジョンのモンスターは全てアクティブモンスターで、それなりに賢いAIが搭載されていることが多い。
 だから、物陰から不意を撃ってくるというのも充分に考えられる。ノアや僕、ラケシスなら不意打ちでも反射的に避けられるだろうし、レオンハルトなら耐えれるかもしれないけれど、メルキセデクはそうも行かないだろう。
 とりあえず、キールがアイテム購入から戻ってくるのを待つしかない。
『……やっぱり、緊張しますね』
 ぽつり、とメルキセデクが呟く。
 そういう気持ちを吐き出せるだけ、彼は立派だと思う。これが僕だったら、きっと……吐き出す余裕すらなかっただろう。
 プレイヤー全員の生命が、自分一人の肩にかかる。しかも失敗すれば後がない……。そのプレッシャーたるや、想像するだけで眩暈がしてくる。
『プレッシャーは感じるだろうが、それに押しつぶされるなよ』
『わかっています……』
 まるでその場にいるかのように、メルキセデクが深呼吸する音が聞こえてくる。
『どうしても緊張するなら、手に人って三回書いて飲み込む、とかもやっておいたら? 少しはリラックスできるはずよ』
『そうですね、あと何かありましたっけ……』
 迷信じみたおまじないから、科学的に実証されているものまで……緊張をほぐすのに、やれることはやれるだけ、やっておいて損はないだろう。
 他の皆に混じって僕も、思いついたリラックス方を片っ端から口に出してみる。
『……大分、落ち着きました。ありがとうございます』
 メルキセデクの緊張が解れて落ち着いたところに、調度いいタイミングで……キールが、戻ってきた。
『ただいまー』
 秘匿チャットは常時繋がっているから、戻ってきた、という表現は間違っているけれど……閑話休題。
『アイテム仕入れ完了、回復アイテムは入るだけ倉庫に入れといたぜ』
『ありがとうございます』
 パンデモニウムというゲームの倉庫システムは、戦闘状態でなければいつでもアイテムを呼び出せるようになっている。この、街にわざわざ取りに行かなくてもどうにかなる仕様は、僕らにとってプラスに働いていた。もっとも、キールがいて初めて、プラスに転化しているわけだけど。
 さておき、これで大体の準備は整った。
 ファーテルが支援魔法をかけ、メルキセデクの身体がエフェクトの効果に包まれる。僕も千里眼ウィンドウを複数開き、死角を潰していく。
『……行きます』
 メルキセデクの声と共に……僕たちの緊張が最大まで高まる。
 彼がダンジョンの中へと入ったその瞬間。全てのプレイヤーの命をかけた、しかし僕たち以外のプレイヤーが知ることはないであろう戦いが……静かに、幕を開けた。



[7428] 第6話(4)
Name: 長瀞椛◆02a085b6 ID:edc50dee
Date: 2009/04/24 21:11
 迷宮に入ってすぐの、東のエリアに巣食うモンスターは二足歩行のトカゲ型亜人や、巨大な蛇など……爬虫類を模したものが殆どだ。
 亜人たちは、どいつもこいつも2mはあろうかという巨体で、自分の体よりも大きな……僕たちの中でも小柄な、メルキセデクの身長の2倍はありそうな大剣で武装している。
『あれ食らったら、一溜まりもなさそうだな……』
 データ的には急所さえ外せば一撃くらいなら大丈夫かもしれないが、痛みのフィードバックで悶えている間に何回も攻撃されたら……と考えるとぞっとする。
『そうですね……攻撃を受ける前に倒さないと』
 実際のところ、メルキセデクの戦闘を見るのは、実はこれが初めてだ。高レベルの魔術師の戦闘を見るのは、と言い換えた方がいいかもしれない。
『行きます』
 メルキセデクが呟くや否や、何匹ものモンスターが、地面から生えた氷柱に貫かれる。氷柱は彼らの命を奪うだけの威力があり……貫かれた異形たちは、光に包まれ、その形を崩していく。
 しかし、それで部屋にいるモンスターが全滅したた訳ではない。地面に発生した氷柱を即座に避けるか、ちょうど足元に発生しなかったか――数匹のモンスターが、この場に残されている。
 そして……攻撃を掻い潜ったモンスターのうちの一匹、リザードマンが巨大な剣を構えて突っ込んでくる!
 魔術師が敵の攻撃を回避するのは難しい。そのため、ソロで相手が突っ込んできた場合は、アイテムによる効果などでダメージを軽減するのがセオリー、とされている。
 しかしメルキセデクは、僕の予想の斜め上の行動を取った。
 大剣による重い一撃をバックステップで回避し……背後の壁を蹴り、そこに足をつけたまま走り出す!
「え……えええええ!?」
 僕が思わず叫ぶほどに驚くのを他所に、メルキセデクはそのまま敵から逃げ続け呪文を完成させて、敵の足元から氷の蔦を生やしてその体を縛めていく。
 そして、そこから水中に無数の氷の槍が現れ……異形の魔物たちの体を次々と貫いていき。程なくして、魔物たちの肉体は光と共に崩壊していった。
『えーっと、スイッチがある方角は……』
 あまりにもイレギュラーな動きも、彼にとっては普段どおりのものらしく……メルキセデクはまるで何事もなかったように、迷宮の内部へと足を踏み入れていく。
『……あのさ、メルキセデク。一つ聞きたいんだけど』
『何でしょうか?』
『……その辺の戦士系より、速くない?』
 ファーテルの支援魔法の効果、水中効果による重力緩和補正があるとはいえ……壁を走るとか、明らかに術師の動作じゃないことやってたよ、この人。
 そりゃあ、身体能力高い魔法使いとかを売りにしているMMORPGもあるらしいけれど、そういうゲームじゃないからこれ!
『魔法系スキルの攻撃力に影響のあるINTと、詠唱速度や命中率に影響のあるDEXは既にカンストしてますからね。LUKと合わせてAGIを上げています』
 本人は僕の戸惑いなど気にした風もなく、しれっと答えた。
『セージじゃVITをいくら上げても、上がるHPは高が知れていますから』
 まあ、それはそうだろうけれど……というかむしろ、僕も似たようなもんだけど……。
『どうせHPを上げてもすぐに天井にぶつかるんだったら回避とかもできるようにしておいたほうがいいかな、と思いまして。一々ダメージ軽減アイテムを消費していたらキリがないですし』
 というかその辺の戦士よりも速い高レベルの術師って明らかにバランスブレーカーだよな……。そりゃあ当然、相手の攻撃が命中すれば僕たち以上にヤバいんだろうけれど、戦い方によってはレオンハルトよりも凶悪かもしれない。
 少なくとも水属性耐性のアイテムなしには並大抵のパーティじゃ数分と持たないだろう。ちゃんと用意していても、アイテムの切れ目が命の切れ目だ。
『まあ、少なくともこのエリアについては……楽に攻略できそうですね』
 当人の予想通り……東のエリアはさくさくと攻略でき、スイッチもさほど手間をかけることなく、作動させることができた。
『何かトントン拍子すぎると、次が怖いというか……』
『まあ、最初のエリアだから優しい、というだけの話かもしれませんから油断は禁物ですね』
 扉が開き、南のエリアへと進むための通路が姿を現す。ここに仕掛けてあるトラップは僕がすべて書き込んであるため、ダンジョンを攻略している本人が構造解析スキルで分解していけば、障害にもならない。
 あっという間……と言える程ではないが。メルキセデクが南エリアに足を踏み入れるのに、それほど時間はかからなかった。
『それにしても、リザードマンが出たとかさっき言ってたよな? あいつら、水中適応能力ってあるのかね』
『ここのダンジョンのモンスターは本来水中では活動できないものでも、水中適応化されているみたいです』
『まあ、当然といえば当然だね』
 メルキセデクの報告に、ファーテルがうんうんと頷く。
 本来の予定通りにこのダンジョンが開かれることになった時は、専用のモンスターとかが実装されていたかもしれない。が、メルキセデクが今こうして相対しているモンスターは、既存のモンスターの変形がベースとなっている、ようだ。おそらく彼らは、アスタロトが配置したのだろう。
 さて。南のエリアにいるモンスターの数は殆どまばらだ。スイッチのある部屋にたどり着くまでなら、そんなに苦労することもない。
 そしてスイッチの部屋には……中ボスとでも言うべき、一匹の巨大なモンスターが鎮座している。
 それは赤いトカゲの形をしていた。ただし、大きさは尋常じゃない。4メートル強、いや5メートルくらいはあるかもしれない。
『サラマンダー……ダンジョンではよく見かける、火属性モンスターですね』
 火属性は水属性の反属性。多少強くても、水属性術師のメルキセデクのほうが有利なはずだ。とりあえずは一安心か、とほっと息を吐く。
『攻撃手段は炎のブレスと爪攻撃がメインですが。爪の方は全体的に大振りなので、回避はしやすいです』
 そう言いながらメルキセデクは、部屋の中へと入っていった。
 それに気付いた大トカゲはのっしのっしと入り口の方に近付くと……その鋭い爪を振りかざすことはなく、大きく口を開け、火の息を噴いてくる。
『水の中で炎のブレスって……すぐ消えるから意味ないんじゃ』
 水中では火属性の攻撃は発生はするものの、すぐに消えうせてしまう。
 理屈としては簡単な話。水の中では火はつかないのは、現実でも同じ。
 実際に、目で見る限りは……確かに、火は即座に水によってかき消されている。
 だから、サラマンダーの行動は一見無意味なように見えたが……しかしながら、その見込みは甘かった。
『くっ……!?』
 そのブレスはメルキセデクへと届くことはなかった、が……彼は小さく苦痛を耐える声をあげる。
『えっ……!? ブレスは全然当たってないよね!?』
『ブレスそのものは当たってませんが、水温が……!』
 つまり、水の温度がファイアブレスによって急速に上がっている、ということらしい。
 ――熱湯と化した水はメルキセデクのHPを徐々に奪っていき、じわじわと嬲り殺しにしていく。
 僕は思わず、ごくりと唾を飲む。楽勝な相手だと思っていたが、全然そうではなかった。おそらくメルキセデクも同感なのだろう。声には多少の焦りが混じっている。
『大丈夫かい!?』
『……支援は、回復優先でお願いします』
 次の瞬間、サラマンダーを取り囲むように……無数の氷の槍が浮かぶ。
 しかしその氷槍は、敵を貫くどころか、触れることすら適わず……周囲の熱湯によって溶けていく。
『っ……!』
『何があった!?』
 千里眼で直接確認できる僕以外には、状況は口で伝えなければ伝わらない。
 そんな彼らに現在直面している状況を伝えようと……メルキセデクは小さく、苦々しく呟いた。
『……氷じゃ“溶ける”』
 これだけで、充分だった。十二分に、それがどれだけまずいことなのかを伝えることができた。
『それは、かなりまずいね……』
 水属性の攻撃魔法の大部分は、水蒸気などの水分を瞬時に氷結させることで、氷を発生させてそれを利用するものだ。
 それを熱で溶かされるとなると、戦士で言えば手が封じられた状態、弓手でいえば矢が尽きた状態、と言っても過言ではないだろう。
『空気中なら熱がすぐに分散していくから、このような現象は起こらないんですけれど……』
 水中であるがゆえに、水属性の使い手が火属性モンスター相手に苦戦する……何とも、皮肉な話ではある。
『でもさ、マジでどうするんだよ!? 攻撃手段がないも同然じゃないか!』
『騒がないでくださいよ。こっちだって色々考えてます……僕だって、仮想現実の中とはいえ、意識のあるまま蒸し殺されたり煮殺されたりするのはごめんですから!』
 そりゃあ、誰だってそんな死に方はしたくはない。そもそも死ぬのは嫌だけど、どうしても死が避けられぬなら人間として尊厳のある死に方をしたいものだ。
 サラマンダーの吐く炎の所為で蒸し焼きとか……本物の身体じゃなくても、嫌過ぎる。
『しかし、水温を上げることによる攻撃、その副産物として氷による攻撃を無効化とは……予想以上に厄介だぞ』
 レオンハルトですら唸るのだ。これは相当難しい。
 氷を発生させればたちまち解けてしまう。これではメルキセデクの攻撃手段は殆ど通じないも同然だ。
 火炎による直接攻撃ならファーテルの持つ防御魔法も対応しているだろうけれど、その効果が水温による自然発生ダメージまで適用されるかどうかは怪しい。
 ――どうすれば、この場を切り抜けられるのだろうか。
 考えている間にも、水温はサラマンダーが炎を吹くたびに上昇していっている。水温が上がれば上がるほど、メルキセデクの受けるダメージは上昇していく。
『メルキセデク。離脱はできそうか?』
『……確かに一度離脱したほうがいいかもしれませんね。これは』
 そうと決まれば行動に移すのは早い。メルキセデクは即座に、サラマンダーのいる部屋から外へ出た。
『ふう……』
 メルキセデクの溜息には、疲労の色が窺い知れる。
 HPやMPといったデータは回復できても、プレイヤーの疲労そのものは回復してくれない。
 本当の体そのものには何の影響もないだろうが、苦痛を受ければ精神的に磨耗するし……さっきのようなじわじわと削るタイプの攻撃なら尚更だ。
『とりあえず、回復お願いします』
 ファーテルが要請に従い回復してから……当然の流れとして、作戦会議と相成った。
『ひとまず直面している問題は、得意とする攻撃がほとんど無効化されていること……という認識で間違いはないな?』
『……はい』
 熱湯によるダメージの副産物だが、こちらのほうが死活問題だ。攻撃ができなければ相手は倒せない。
『そういえばラケシスはああいうモンスターはどうしているんだい? 鞭とかもあんまり効きそうにならないけれど』
『私はあの手のモンスターは、鞭で首を絞めて……そのまま絞め殺すから……あんまり参考にならないわよ?』
 ファーテルの質問に、しれっと恐ろしいことを返すラケシス。
『絞殺かよ……こえー……』
『しょうがないじゃない。やらなきゃ死ぬんだから』
 確かに彼女の言う通り、自分にできることは片っ端からやらないと生き残れない。
 でも、それでも。やっぱり、絵的には怖いものがある。
『……とりあえず話題を戻そう。今はこの状況をどうにかすることが先決なんだからね』
『そうだな』
 ファーテルが提案し、レオンハルトが同意したことで、議題は再びサラマンダーをどのように攻略するか、という本題へともどる。
『そういえば、相手が炎で水温を上げてくるなら逆に、冷気系の魔法で水温を下げるというのはできそうなんだけれど……どうなんだ?』
 キールの案は悪くはなさそうな感じはしたけれど、メルキセデク本人によって却下された。
『冷気系の呪文は僕を中心に発生するので……相手の温度を冷やすよりも先に、僕が氷漬けになって動けなくなりますよ』
『だよなあ……』
 確かに、自分自身が凍ってしまっては本末転倒だ。
『となると水温を操作するのは難しいよね……』
 ということは、氷を発生させて外から攻撃というのはきわめて難しい。
『属性以外の攻撃でどうにかHPを削りきれさえすればよさそうなんだけれど……どうなのかしら?』
『削ろうにも、あの手のモンスターは固いからそう簡単には……』
 レオンハルトでさえそう言うのだから、相当なものなのだろう。
 実体験として僕も……鱗に覆われた爬虫類型モンスター相手は逃げるか、反属性の矢を使って倒すかしている。
『……いや、爬虫類型が固いのは鱗だけ。中身は意外と……とはいえ、氷では溶けるだろうから、かなり時間がかかりそう』
 ノアのその一言を聞いて、メルキセデクが小さく呟く。
『……そうだ。その手があったか』
 どうやら、何かしらの打開策を思いついたらしい。
『え……?』
『対策は浮かびました。かなり賭けになりますけれど……多分時間をかけても、これ以外に方法が思いつくとは思えませんし、やってみます』
 ――賭けるチップはメルキセデク本人の命。それを賭けなければ、この状況は打開できない。
 そして、この状況をクリアできないのであれば。このゲームをクリアする足がかりの一つが失われるということ。
『あー。わかってるとは思うけど、一応言っておく。死ぬなよ、メル』
 キールの言葉に、メルは力強く。
『無論、最善の努力はしますよ』
 そう返して、彼は再びサラマンダーのいる部屋へと再び入っていく。
『――行きます!』
 気合を入れて叫ぶや否や、その右手の五指に紫色のエネルギーが溜まる。それは彼が手を振るうと同時に指を離れ、サラマンダーへと襲い掛かる。
 無属性魔法スキル・エナジーブリッド。一属性特化型魔術師なら必ず取っているであろう、もしもの時のための攻撃手段だ。
 基本的に非常時に使うための魔法であり、MP消費は少なく、詠唱によるタイムラグも殆ど発生しないものの……射程が短い上、攻撃力もかなり低い。豆鉄砲みたいなものだ。
 中身は柔らかいといっても……これだけで削りきるのは至難の業だろう。実際、攻撃の殆どは鱗によって弾かれてしまっている。
 それでもメルキセデクは一点をめがけて、紫光の弾丸を撃ち続ける。その姿を暫く見ていて、僕は彼が何をしたいのかという答えに至った。
『一点を集中攻撃すれば、確かにそこは脆くなる……』
 このゲームに使われている物理演算システムは、かなり細かいところまで物理現象を再現している。
 そのため、意外な方法でデータ的に不利な相手を倒せることも無きにしも非ず。集中攻撃による破壊もその一例だ。
『本当は急所を狙い打てればいいんですけれど、ちょっと難しいですからねっ……!』
 確かに、胴体の下に潜り込むのは難しいし、頭部を狙うとなるとブレスによる熱がキツい。
『でも、それだと埒が明かないような……』
『次に取る手段も、考えてありますからご心配なく』
 やがて、サラマンダーの鱗の一部に皹が入る。もう一発エナジーブリッドが当たると、それらは割れ落ち、地面に当たって砕けていく。
 それを確認したメルキセデクは相手の懐に潜り込んで……出来上がった小さな傷口に手を触れる。それと同時に、じゅっ、と肉が焼ける音が耳に入った。
『なっ! 何やってんのさ!?』
『見ればわかるでしょう、周りの鱗をはがしているんです!』
 つまり、彼が思いついた“対策”というのは……傷口を作ってそこから鱗をはがしていく、というかなり無茶な方法だったようだ。それだけで終わるとは思えないけれど……賭けになる、と本人が言うだけはある。かなり危険な行為だ。
 サラマンダーは鱗を剥がれる苦痛に悶えるが、彼が“攻撃”の手を休めることはない。口から炎を噴き出して、水温をどんどん上げていく。
 それでもメルキセデクは……自分の手の肉が焼けていくのも構わず、ただひたすら、鱗を剥がしていく。
『HPの回復お願いします!』
『わ、わかった!』
 ファーテルの声と共に、メルキセデクの手の火傷が消えていく。そして癒えたところから、また新しい火傷ができていく。
 見ているだけでも痛くなるくらいだ。実際にダメージを受けているメルキセデクの感じる苦痛がどれほどなのかは……あまり、考えたくない。
 苦痛に耐えながらもある程度鱗を剥がしたところで、メルキセデクは次の行動に移った。
 儀礼用、とでも呼ぶべき――実用にはあまり向かないであろう装飾過多の短剣を呼び出して、鱗を剥がした場所に突き刺す。そして深く刺し込んだところで抜き、再び刺す。それを何度も繰り返し、傷口を抉っていく。
『……もう一回、回復を!』
 彼の消耗は、時間経過と共に激しくなってきている。あまり時間的猶予はないだろう。
 それでもなお、メルキセデクは一心不乱に……ナイフを差し続け、穴を穿っていく。どうやらそれが彼の目的らしいが……これで削り続けるのは辛いだろう。おそらく、先にメルキセデクのほうが耐えられなくなる。
 となれば、彼はまだ奥の手を隠していると考えるのが自然だけれど……僕には見当もつかない。
 千里眼ウィンドウの中で彼は、ただひたすら肉を抉り……腕がすっぽり入るほどの、大きな穴を作り上げていく。
『……よしっ。これだけ開ければ……いけるはず!』
 そして、彼は……こじ開けた傷口に直接手を突っ込み、更に奥深くねじ込んでいく!
 彼の腕が思いっきり焼ける音が、千里眼ウィンドウからの音声を通して聞こえてくる。が、メルキセデクに怯んだりする様子は、一切ない。
『……チェックメイト!』
 そして彼が吼えた、次の瞬間。サラマンダーは苦悶の咆哮をあげ……そして、斃れた。
『な、何をやったのこれ……?』
 呆然と呟く僕に、メルキセデクが答える。
『“中”を凍らせました』
 が、よくわからない。見ていたはずの僕にすらわからないのだから、他の皆にはもっとわからないだろう。
『どういうことだ?』
『だから、相手の内側……血液を凍らせたんですよ。外側からかけたんじゃ到底無理だから、傷になって中の肉がむき出しになっているところに手を突っ込んで、ようやくできた裏技ですけれど』
 なるほど。その手があったのか。
 有名……というよりも国内産では代表的なスタンドアロンタイプRPGにおける死の魔法が、確かそんな原理だという設定だったのを思い出しながら頷く。
『よほどのことがない限りは使いませんし、というか使えませんけれどね。事前に傷をつけるというのはどうにかなるにせよ、自分から近付かなきゃいけないというのは難しいですから』
 そこから更に相手の攻撃を掻い潜って、傷口に直接触れなければいけない。一点特化故に強さと脆さを併せ持つメルキセデクの能力を考えると、かなりの……命懸けの綱渡りと言えるだろう。
 しかも近付けば近付くほど水温は高くなり、その肉体は半端じゃない熱を持っているはずなのに……よく何とかできたものだ。
『まあ、このエリアはこれで攻略完了……次のエリアに向かいましょう』
 メルキセデクはスイッチを押すと、西のエリアへと向かう扉があるほうへと歩き始めた。
 これでようやく半分。残り半分のエリアにはおそらく、このサラマンダー以上の難敵が待ち構えていることだろう。
 しかし、残り二つもクリアしなければ……宝具と思しきあの指輪は、手に入らない。このゲームをクリアするための条件が満たせないのだ。


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