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[4902] 【習作】水の落ちる絵 (H×H 転生)
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2012/11/25 12:29
090415チラシの裏より移転
121125チラシの裏に再移転

前書きなど不要という方は先にお進み下さい。

こんにちは、投稿者? のテスト型柑橘類です。

題名にもある通り、転生ものです。
主人公は転生オリ主になります。

三つほどあった原案? を混ぜたらこんな感じに
ちなみにその三つは以下のようなもの
  ■ごくごく普通の原作沿い転生女主人公
  ■レオリオハーレムもの
  ■流星街異世界迷い込みでマチといちゃいちゃする男主人公もの  




[4902] レオリオの受難
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2008/12/01 21:59
 そこは雑多な商店街だった。行政による計画された商業地域には無い種類の活気と、喧騒に満ちたところである。

地元の住民はその商店街のことを単に「高架下」とだけ呼んでいる。名称の由来は実に単純で、国営鉄道の高架の下に延々と1キロほども続く商店街だからだ。

やたらと歴史を感じさせる煤けた看板を出す店もあれば、一ヶ月、二ヶ月でコロコロとお店が入れ代わるのもさして珍しく無く、売っているものにも統一感などというものはまるで期待できない。

服、靴などの生活用品から東エイジアン辺りの輸入雑貨、最早通常の流通経路には乗っていないほどに古い電化製品などなど、港町ウベのアングラかつディープな部分が地元住民にも理解不能な形で凝縮されたところなのである。


 レオリオはそんな高架下がお気に入りだった。何せ二週間も経てば発掘しがいのありそうな妙な店が増えたり減ったりしているのである。

今回はたまたま前回訪れた時から一ヶ月ほど期間が空いていたので、何か面白い店は出来てないかなといった面持ちで、薄暗い照明の中を歩いていた。

果たして儲かっている店があるのだろうかと疑問に思う店が連なっているものの、今彼が歩いているのは駅の近くであり人通り自体は決して少なくはない。

レオリオと同じように冷やかし目的の連中がダラダラと歩いており、元々狭い通路であるからすれ違う際には肩がぶつからないよう気をつける必要がある。


 雰囲気から誰でも分かることだが、治安は全く持って良くは無い。安っぽいケースに入れられて無造作に積まれた一枚六百ゼニーの裏ビデオなどを冷やかしながら、ただブラブラと進んでいく。

そしてふと気が付くと人通りの途絶えた場所まで来てしまっていた。
 

(シタロクまで来ちまったか)


高架下商店街六番街、通称シタロクはほぼ完全に廃れてしまったシャッター街である。開いている店もあるにはあるが、正直足を踏み入れたくない雰囲気の店ばかりだ。

何というか一度入ったら二度と出てこれないのではないかと思わせる不気味さがあるのである。ここまで歩いてきてしまうと、元々降りたミヤサン駅にUターンして戻るよりもこのまま直進してチマトモ駅を目指した方が早い、そこから今日は帰宅しようと決めてシャッター街の中を進んでいくことにする。

そうして少しした時だった、十メートルほど先をこちら側に歩いてきていた少女が突然レオリオから見て右側の店の中へと引っ張り込まれたのである。


「やーなもん見ちまったなぁ」

 
そういうことが行われても不思議ではない場所であるし、行方不明者が出たなどの話を聞いたこともある。

しかし、レオリオの目の前で起きたのは初めてだ。どれどれと少女が引っ張り込まれた店の前まで歩いて中を覗き見ると、少女も店番の姿もない。

それどころか商品も何も存在せず、何年も使われていなかったことが簡単に伺えるほどにかびた匂いが鼻をついた。

誰かを引っ張り込むために最近開けられた穴だということが丸分かりである。


(おいおい、誘拐確定かよ。どうする、どうするってか踏み込むしか無いんだけどよっ。ちまっこい女の子だったしなっ。なあにこの喧嘩無敵のレオリオ様にかかりゃあ誘拐犯の一人や二人くらいって――何で俺は一歩も動けないんだ!!)


店の裏手から出て待機している車に押し込むのならば、少女が抵抗することを考えにいれてももうギリギリのタイミングだ。

なのに何故かレオリオは店の前から一歩も中に進むことができないでいた。

首筋を冷や汗が流れるのが分かる、荒くなった呼吸音が耳にうるさい。とんでもなく嫌な予感が全身を支配し、叶うならば今すぐ逃げ出したいくらいだ。


(畜生! 動けよ俺の脚!!)

 
レオリオがそうやって逃げ出そうとする身体を必死に留めていたのはたかだか三十秒といったところだっただろう。

しかしレオリオにとってその三十秒は余りにも長く、精神の消耗は激しかった。だから彼を襲った怖気が突然霧散した瞬間、必死に前を目指していた身体から足の力が失われて、レオリオは店の中へと倒れこんだ。

口に入った埃を慌てて唾とともに吐き出していると店の奥にあったドアが開く気配がしたので、しゃがんだ姿勢ながらも咄嗟に身構える。

そうして現れたのは誘拐犯ではなく引っ張りこまれた少女の方だった。身長はおおよそ百三十センチといったあたりだろうか、黒目にこれまた黒くすっきりとしたショートカットが良く似合っている。

彼女はレオリオを見るとすぐに状況を察したようで、彼に近づいて腰を落とした。


「ごめんなさい、大丈夫ですか?」


覗きこんで来る彼女の表情からするとどうやら本気で心配されているらしい。

何故だか分からないが目の前で少女誘拐という事態はさったようである。レオリオは安心して座り込むと少女に尋ねた。


「何でお前が謝るんだ? っていうか誘拐ぽかったけどもう大丈夫なのかよ」


そのように尋ねながらも、レオリオは直観していた。

恐ろしく馬鹿らしいが先ほどまでの怖気は彼女のせいであり、少女は自分で誘拐犯をどうにかしたのだろうと。


「あー、えっとですね、とりあえず誘拐犯さんは大丈夫です。問題なし」


「ならいいけどよ」

 
ぎこちなく答える少女に自らの直観が合っていることを確信しつつも、やはりひどくふざけていると思う。

十七歳にして百九十センチに届かんという長身のレオリオからすると彼女は酷くか弱く見えた。

スラリとした手足と顔立ちからして将来美人にはなるだろうが、誘拐犯を叩きのめしたりレオリオをその場に磔にした怖気を発する姿など想像もつかないのである。 

 
「気分、悪いですよね?」 

 
「――ああ、まあすぐ治るだろ」 

 
レオリオに問う内容からして彼女はレオリオがひどく精神的に消耗している原因をしっているに違いない。

だが、ごくごく普通の女の子としてやり取りをしている中でそこを質問してしまって大丈夫なものだろうか、どうなったのかは知らないが誘拐犯と同じ状態になってしまったら目もあてられない。 
 
 内心で警戒を深くするレオリオに対して、少女はそのことに気づいているのかいないのか、よしと頷くと微笑みながらこう提案した。

 
「ここじゃ気分も晴れませんから、外に出ましょう。座るところを探してゆっくりしませんか?」

  
その顔に何となく毒気を抜かれて、しりもちをついていたレオリオは彼女の伸ばした手を取る。

そして、もしかして馬鹿力の持ち主だったりするのかなとふと思った彼はぐいっとその手を引っ張ってみた。 

 
「わっと」 

 
少女の細身の体そのままの手応えで、体半分回転させながらレオリオへと倒れこんできたので両手で抱きかかえる。


「もー何するんですか」

 
「いや悪い、もしかしたら軽々と引っ張り挙げてくれるのかなって思ってよ」 

 
上を見上げてレオリオに文句を言う少女に適当に返しつつ、あまり長くこの体勢でいると問題があるので素早く少女を持ち上げながら立ち上がって横に降ろした。


「質量的に無理ですからね、それは」 

 
「はは、悪かったよ」 

 
ポーズで口先をとがらせ、正当な不満を表明する少女にわびを入れておく。そろそろ名前が分からないのも不便になってきたのでまずは自分からと口を開いた。


「俺はレオリオだ、お前は?」

 
そうレオリオはただ名前を告げただけである。だが少女の反応は少々変だった。


「えっ、ウソっ」


口に手を当てながらやたら失礼な事を呟くとまじまじと彼の顔を観察し始めたのである。まあ十秒かそこらで自らの不審な様子には気がついたらしい。


「あっ、えっとね。私はエレナ、エレナ=マグチ」 

 
「何か今すげえ失礼なこと小声で抜かさなかったか?」


妙に怪しげな反応が気にかかって、レオリオは彼女のファミリーネームを聞き流してしまった。その事により彼は後々苦労することになる。


「いやいやいやいや何をおっしゃるリオレオさん」


「レオリオだっ」

 
「うんっ、じゃあ行きましょうレオリオさん」


そう言ってエレナはレオリオの手を掴むと引っ張って外へと歩き始めた。
 
 
 
 
 
■ 
 
 
 
 
 
「へー、レオリオさんってハンターを目指してらっしゃるんですか」


「ああ、まあ高等部卒業した後の話だけどな」 

  
チマトモ駅近くの喫茶店で二人はお茶を飲みつつ話をしていた。レオリオとしては何をやっているんだかという気分が拭えない。

あの時の怖気の原因は気になるが、正直踏み込む気はしない以上目の前の少女とはあそこでお別れしておくのがベストだったはずだ。年齢も十歳ということだから手をつけるというわけにもいかない。 

 
(ま、お喋りに付き合うくらいならいいか) 

 
とても楽しいというわけではないが、ひどく詰まらないということもない。

基本的には少女の質問に答えているだけだが、彼女の様子を眺めていることで退屈にはならなかった。妹がいればこんな感じかもしれないと少しだけ思う。 

 
「ところでお前さ、俺みたいなまー何というかチンピラといて怖くないのか?」 

 
今日出会ったばかりでもあるし、身長や体格の違いからしても怖がるのが普通だろう。そもそもレオリオの顔からして品があるとは言い難いのは自覚している。 

 
「大丈夫です。助けようとしてくれたのだと分かりますから」 

 
第三者から見れば無様に立ち竦んでいただけのはずのレオリオに、そんなことをさらっと言うからにはやはりその原因について確かに知っているのだろうなという認識を深める。

そしてそのことはもしかしたら秘密でも何でもないのかもしれない。


(それとも俺のことをとんでもない馬鹿だとでも思ってんじゃないかこいつ)

 
どちらにせよこうも"ちらつかされる"とやはり質問しないわけにもいかないだろう。


「そうか。でもあの時何かすげーやな感じがして一歩も動けなかったんだが、ありゃ何だ?」


「何だと思います?」

 
澄ました顔で質問に質問を返してきた少女に適当に思いついた言葉を告げる。


「超能力とか」


「アタリです」

 
何とも適当に答えて紅茶に口を付けるエレナに対して、レオリオはテーブルの下で握った拳に力を込めた。

やはりどうにも馬鹿にされているような気が拭えない。 

 
「正確に言えば、ほぼ正解といったところですね。ハンター試験をお受けになるのなら役に立つと思いますけど、習ってみますか? 超能力」


何だかなーと言った感じである。普通の女の子が通常の誘拐事件に巻き込まれたところに関わったというのとは余りにも妙な事態になってしまっている。

出会ったときからずっと彼女のペースで物事が進んでいることもあって疑念は膨らむばかりだ。だがどう考えても自分を詐欺にかけるようなメリットもない。

エレナの狙いなど考えても分からないのは確かなので、面倒になったレオリオは直接確かめることにした。


「何を企んでるんだお前、正直俺を騙しても何のメリットもないと思うんだが」


レオリオの言葉に何故かエレナは照れ笑いのような表情を浮かべてみせた。

 
「いや、メリットも何も、人を騙すのって楽しいじゃないですか」 
 

「なるほど、騙すことそれ自体が既にメリット……ってだからって俺を騙すなって」


思わずしてしまったノリ突っ込みにたいして、おぉっとエレナから感嘆の息が漏れる。 

 
「まあ、本音は置いておくとして、超能力というのは別に騙してはいませんよ」 

 
「で、結局何だったんだよあれ」


じゃあ遠慮なく聞かせてもらおうというレオリオの言葉にエレナが口をとがらせる。 

 
「えー、そこはまず"本音は置いておくとして"の部分の突っ込みから入りましょうよー」 

 
「そこまでいちいち突っ込んでたら疲れるだろうが。で、俺はどうすりゃいいんだ? からくりを教えてもらうにはよ」 


予想はしていた不満に苦笑で返す。全てのぼけに突っ込みを返すようなサービス精神はレオリオには無かった。

最も、基本的に直情径行な人間ではあるので大抵のぼけには突っ込むわけだが、目の前の少女に対してそれをやっていたらきりがなさそうである。

 
「というわけでですね、私と友達になって下さい」 

 
レオリオが求めた条件の提示なのだろう、エレナが笑いながらそう切り出す。


「はぁっ?」

 
意外と言えばあまりにも意外な物言いに、思わず呆れた声が漏れてしまった。

レオリオは十七歳であるためエレナとの歳の差は七つにもなる。二十を超えてからの七歳差であればともかくとして、今現在の彼らの年頃では通常友達とはなりえない年齢差と言えるだろう。 

 
「友達って、お前なあ」 

 
「じゃあ私とレオリオさんが仲良くなった場合その関係は何って言うのが良いと思います? 友達くらいしか無いような気がしますけど」 

 
友達という表現に違和感のあったレオリオだが、じゃあ他に何かあるかと聞かれれば確かにこれといった適切な単語は無い。

男と女とはいえ、どう考えても恋人には成り得ないのだからやはり友達くらいしか無いだろう。 
 
が、それは仲良くなるならの話である。


「お前俺と友達になりてーとかって思ってんのか?」


「はい、是非仲良くさせて頂ければと」 

 
どうやら話が彼女の望む方向へと進むのではないかと感じたらしいエレナが微笑む。まあ何というか可愛らしいなあと思いつつレオリオは言葉を紡いだ。


「そっか、でもまあその条件は無しだな。何か他に教えてくれる条件はあるか?」 


「えっ」 
 
彼の言葉に固まるエレナに向けてニヤリと笑いつつ、レオリオは返事を催促しようとして――

突如全身を襲った恐怖感に耐え切れずに嘔吐した。



[4902] レオリオの受難②
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/01/24 14:26
 直接それを浴びていたのはきっと一瞬に過ぎなかったのだろう、しかしレオリオへの影響は多大だった。喉元が痙攣し呼吸が上手くできない。一度吐いたばかりだというのに何度も胃酸が逆流しそうになるのが分かる。無理やり息を通すかすれた音を聞きながら、心を落ち着けることにレオリオは集中した。
 
「アリスッ! でてきなさいっ!!」

彼のすぐ隣に座り込み、背中をさすってくれていたエレナがそう叫んだことで状況をつかむ。彼に何かをしたのがエレナの呼ぶアリスであり、今自分がこの程度で済んだのは咄嗟にエレナが彼を守ったからだろう。

視界の端では彼に駆け寄ろうとしたカフェの店員が何故か近づけずに座り込んでしまっているのが見えた。大事になってしまったことに心中で舌打ちしながら、レオリオは近づく気配に顔を上げる。

「こちらです。お嬢様」

ダークスーツ姿の女性がそこに現れていた。レオリオは胸と尻のボリュームが控えめなところ意外は完璧だと思った。

パーフェクトです胸と尻――特に胸以外は、そう思った。

「何この美人さん」

「……」

地面に伏せながら思わず発したその言葉にたいして、胡乱な目つきでエレナが睨んできたことで不味さに気づく。

「レオリオさん。今からあなたへの行為に対して追求しようってところで気が抜けるようなことを言わないで下さいよ。まあ確かにアリスは美人さんですけど」

本当に気が抜けたというように、エレナが目を閉じてため息を吐いてみせる。

一方、アリスと呼ばれた女性の方は、無理をしてまなじりを吊り上げたかのような顔をして床に座り込んだ体勢となったレオリオにつかつかと歩むよってきた。

そしてまだ背中に手を添えているエレナとは逆側に肩膝を立てた姿勢で腰を落とす。

「レオリオさん、でよろしいですか?」

「あ、ああ」

長い栗色の髪が肩からこぼれ落ちるのを、右手で背中に流す何気ない仕種もこれほどの美人がやるとやはり何処か違う気がする。

彼女が腰を落としてレオリオへと顔を近づけたことで妙にドキドキとしつつも己の中の違和感に気づいた。

(何か綺麗すぎてエロさが無えな)

そうなのである。乳を揉みたいという気にあまりならないのだ。

「どうかしましたか?」

「いや、何てーか綺麗すぎて最早嘘っぽいなと」

「そうですか、お褒め頂きありがとうございます。ですが――」

陶器人形めいた容姿と明らかに怒っていながらもそれを抑えた声音から落ち着いた美人さんだという印象を抱いていたレオリオだったが、よりいっそう顔を突きつけられ、胸倉を掴まれた次の瞬間には無残にもそのイメージは崩れ落ちていた。

「どうしてお嬢様とお友達になっては下さらないのですか? エレナ様は見た目通りとは言いませんがそれなりに可愛らしいお方です。確かに歳に不相応な言動を取られることが多くありますので同年代の方とは馬が合われないかもしれません。ですが、あなたの年齢であれば問題ないでしょう? それに普段の落ち着かれたご様子があればこそ、年齢相応の幼い振る舞いを見せた時にこうぐっと来るものがあるのです。一体何がダメなのですか? 初めてのお小遣いをジャポン製高級炊飯器に注ぎ込んでしまうような奇矯なところですか? 良いではないですかっ! この間などようやく届いたなどと言いながらとても幸せそうなお顔で鮭のフリカケをかけておいででした。私などその表情を拝見しただけでこう日々の疲れがぐわっと飛んでいくような心地になったものです。それに――」

これがまあ、レオリオの辞書のアリスの項に"エレナ命"との内容が刻まれるきっかけとなった発端である。

エレナと友達になる代わりに何やら妙な力を教わるという条件を蹴っただけであんな目に合わされたのかよと理不尽な思いが湧き上がるが、視界の端で正直すまんかったとばかりに手を合わせるエレナの姿に一つ息をついた。

まあ自分がちょいとばかし格好をつけようとしてこうなってしまったという一面もある。ひとまず誤解を解くべきだと判断して、まだ捲くし立てているアリスと呼ばれた女性の右手首、レオリオの胸倉を掴んでいるそれを左手でそっと掴んだ。

「アリスさん、でいいか? まあ軽い誤解だと思うからよ。とりあえず説明させてくれ?」

「アリスッ、とりあえず手を離しなさい」

レオリオの言葉に更に怒気を強めようとしていた女性は、続くエレナの言葉にわずかに表情を歪ますと無造作に胸倉を掴んでいた手を離した。

「ふう、何かもう今日はろくな目に合わねーなおい。友達になることを蹴ったわけじゃねえよ。単に交換条件で友達になるってのを断っただけだ」

「ああ、なるほど」

どうやら納得の言ったらしいエレナをよそにアリスは目を白黒とさせている。

「どういうことです?」

「アリスが後ちょっと我慢してれば多分何も問題なかったってこと」

「ええっ」

レオリオ女人鑑定団の歴史上において、空前の高値を付けた顔にはっきりと"ガガーーン"という擬音語が張り付いたのを観たレオリオは何やら崩してはならないものを崩してしまったような気がするのと同時に、背筋がぞくぞくするような快感を得た。

「交換条件で友達ってのも味気ないからな。友達になるのは問題ないから他に条件出せって話をしようと思ったんだよったく」

そう言いながらジト目をアリスに向ける。

彼の横でエレナも同じことをしているわけだが、無論アリスをとがめているわけではない。救いを求めるようにエレナとレオリオへと交互に視線をやるアリスの反応を楽しんでいるだけである。

「でもレオリオさん。友達になってもいいって思ったのは私の連れにゲロを吐かされる前の話ですよね?」

エレナが澄ました顔でレオリオを見上げてそう言った。黒髪の少女のえげつなさに一瞬動揺を覚えたが、確かにゲロを吐かされたのも事実だ。

「ああ、まあそうだな。確かにゲロを吐かされる前のっっとぉ」

アリスが両腕でレオリオの右手にすがってきたことでレオリオは慌てた。およそ百七十センチほどと思えるアリスがそうすると驚くほど顔が近くなる。

「そのっ、レオリオさん。私がいたらないばかりに不快な思いをさせてしまいまして申し訳ありません。その責めは私が負いますから、ここは一つ断崖絶壁から飛び降りる覚悟でお嬢様のお友達となって頂けませんでしょうか」

何やら彼女のご主人へのものの言い様には少々妙に思うところが無いではないが、その時のレオリオは全く頭が回らなかった。

右腕に伝わるアリスの体温と、これがフェロモンというやつかーーっといった感じの甘い匂いに頭が痺れて動かなくなっていたのである。

「あっ、ああ」

思わずこぼした肯定の言葉にアリスの瞳が輝くのを見てまあいいかと思う。どちらにせよその件については断るつもりは無く、ただ目の前の女性をからかっていただけなのだ。

「本当ですかっ!? ありがとうございます」

「あっ、ああ」

レオリオから両腕を離し、アリスがお辞儀をした。離れた身体を残念に思いながら、オウムのように同じ言葉を繰り返す自分の姿は滑稽に見えているのだろうなと思う。

ほとんど彼女がイメージした通りに事が進んだのだろう、床に座り込んでテーブルの縁をぎゅっと掴みながら笑いをこらえているエレナに目を向けるとぷっと笑いつつ顔をそらされた。

頭をはたいてやろうかと思ったが随分と年下の女の子だということを考慮して止めておく。

「とりあえず場所を変えよっか、アリス、車の手配をお願い」

「はい」

確かにこのまま何食わぬ顔で店内に居座ることは難しい。場所を移動するのはレオリオも賛成だが、車を手配とはなかなかのお嬢様っぷりである。

 やはりというべきか、アリスが携帯を操作して数分後、黒塗りの高級車がお出ましになった。一体これ一台で幾らなのかと考えてしまう自分を浅ましいとは思うが一般人としては仕方無いだろう。

ましてやレオリオは人一倍金銭への執着が強い方であった。先に乗り込んだエレナに向ける視線に羨望の色などが混じっていやしないかと不安になって首を振る。
 
「どうかした?」

「いや、何でもねえ」

アリスが最後に乗り込むため、レオリオの位置は後部座席の真ん中だ。左を向くと目のあったアリスが柔らかく微笑んだのでにへらっと笑い返しておいた。

右側ではレオリオの舞い上がる様にエレナがニヤニヤしている。

「ところでこれ何処に向かってるんだ?」

場所を移すことには同意したが良く考えると何所にとは聞いていない。

「んー、私ん家だよ。広いから念を見せるのにも丁度いいし」

友達になるという点で同意を得たと思っているのだろう、先ほどからエレナはレオリオに対して敬語を使っていない。

「念?」

聞きなれない単語に思わず問い返す。

「超能力のことね」

「なるほど」

どうやら超能力とは何かについて教えてくれるということらしい。

「そういやその教えてくれる条件ってのはどうするんだ?」

「そりゃあほら、友達だから無料ってことで」

両手を指先で軽く合わせながら、そう言ってにこやかに笑うエレナは至極単純に愛らしい。

だが出会った時からの彼女の言動からすると油断ならない気もした。

「お前のタダって妙に怖い気がするのは気のせいか?」

「ほほーーっ、レオリオ君はなかなか言いますなー。まあさっきからのアリスほどじゃないけど」

右手をアゴに添えて目をつむりつつ、うんうんとわざとらしくエレナが頷いてみせる。

一方アリスの方はどうやら分かってないらしい、自分が何かしただろうかと不安に思ったようでエレナとレオリオの間で視線をさまよわせていた。

レオリオは胸中ですまんと手を合わせる。

「私と友達になるのに断崖絶壁から飛び降りる覚悟でってのはともかくっ!? ジャポン製の炊飯器はやはり違いますねーとか言いながらカツ丼食べてた口から、お小遣いで炊飯器買うなんて頭がおかしいとしか思えないとかいう言葉が飛び出るなんてエレナさん大ショックですよ」

「お、お嬢様、あれはですね言葉のアヤと言いますかその場の勢いといいますか――とにかくお嬢様がお気になさるようなことでは……」

「言い訳は聞きたくありませーーーん。これだから短粒米の偉大さについて無知蒙昧な輩は困るんだよね。大体お米には全世界で一千ほどの種類があることを知ってる? 粒の大きさ長さや――」

おろおろと対応するアリスに対して、エレナは米の薀蓄や短粒米の偉大さについて語りだした。神妙な面持ちで主の言葉を受けているアリスには悪いものの変な光景だとしか思えない。

自分には全く関係ないが、レオリオを間に挟んでいるため完全に無視するのも難しい。そんな状態で三分ほど時は過ぎたが、突然レオリオも会話に巻き込まれることとなった。

「ま、お米の偉大さとそれを引き出す炊飯器の性能の重要性については冷汁あたりから叩き込むとして、とりあえずは罰が必要ねっ」

「ど、どのようなものでしょうか?」

おずおずと尋ねたアリスに対して、エレナが目を一度レオリオへとやってからニヤリと笑った。

「レオリオッ! アリスの乳首の色教えたげるから耳貸して」

「「なっ!!」」

左隣で完全に固まったアリスに対し、右隣ではエレナが笑いながら早く身体をこっちに傾けて耳を貸せと手招きしている。

「おいおい、その辺でやめといてやれよ」

レオリオは頬が紅潮していなければいいがと思いつつそう口に出した。先ほどはエロさを感じないと思ったアリスだが、意外にもくるくると変わる表情を見てしまうと無機質な印象が取れて随分と魅力的に見えてくる。

「まあまあ、後は仕上げの一言だけだからさ」

「お、お嬢様」

「大丈夫、色じゃないから。私が言いたいのは今レオリオの頭の中でアリスが裸になったよね? ってことだから」

そう言ってエレナは楽しそうにレオリオとアリスを見やる。自分には被害は及ばないと考えていたのはどうやら非常に甘かったようだ。

「おっ、おめーなー」

残念ながら否定できないところが悲しい。

だがしかし一番問題なのは左隣の女性の対応である。顔をレオリオとは逆側の窓へと逸らすのはともかく胸元を隠すように自身の両腕でぎゅっと覆うのはいただけない。

その姿を見ていてはいけないような気がしてレオリオが逆側を注視すると、そこではエレナが口元を右手で覆いつつ、「うわーっ、やっぱ反則的な可愛さだわ」などと呟いているのが聞こえた。

今度こそ構うまいと両頬を紅潮させているその人物の頭を軽くはたいてやる。

「まあまあ、性質の悪い冗談だよ。我慢我慢」

「できるかっ!」

痛くは無いだろう額を押さえながら冗談を言うエレナに溜息を一つ吐いた。確かに断崖絶壁から飛び降りる覚悟が必要だったかもしれんと今更ながらに思う。

しかし、アリスの言う断崖絶壁から飛び降りる覚悟というのは、エレナの人柄についてとはまるで関係が無かったのである。

「ねえレオリオ」

「何だ?」

真面目な顔でレオリオを見上げたエレナに、嫌な予感を覚えつつ先を促す。

「私はちゃーーんとフルネームを名乗りましたからね」

そう言ってぎゅっと手をつないだエレナの心情はレオリオにはさっぱり分からなかった。別に無理に振りほどくことも無いとそのままにしておく。

まさか逃がさないための用心でエレナがそうしたのだとは彼女の屋敷を目にするまで全く分からなかった。

彼女のファミリーネームはマグチ、マグチファミリーと言えば十老頭とまではいかぬものの、世界でもなかなかに高名なマフィアである。



[4902] レオリオの受難③
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:dce86687
Date: 2009/04/15 21:31
「おかしいなあ」


「おかしいねえ」


「ヒントはたくさんあったのになあ」


「そうだねえ」


何やら呆然と言葉を呟くレオリオに対して、適当に返事をしているのはエレナである。

車中で話をしているうちにシノポン地区に入り込んでいたことに気づいたレオリオの顔面は途端に蒼白になった。その地区はマフィアであるマグチ組の本拠地として有名であり、自分が乗っている黒塗りの高級車やその他諸々の要素からレオリオの状況は明らかだ。

そして何より――


「お前ファミリーネーム何だっけ」


「やだなぁ、レオリオ。マグチだよマグチッ」


朗らかに事実を突きつけるエレナの笑顔に、レオリオは考えるのを止めて脱力した。困ったような笑顔でアリスが口を開く。


「通常若手が警備をしておりますし、何かあれば警察が24時間体制で張り付いてくれますから治安は悪くないですよ?」


何のフォローにもなっていないその言葉に、いよいよレオリオは座席の背もたれにぐったりと身体を預けて考えるのを止めた。

どうもエレナは繋いだ右手を外すつもりは無いらしいし、左右を固めるのが女性では押しのけて逃げ出すというのも気が引ける。

実際には彼女達が彼を逃がすつもりが無ければ実力的に逃げられないのだろうとは思うが、体格に勝る自分が乱暴をすれば傷つけてしまうのではないかと感じてしまうほどにエレナは小さく華奢で、アリスもまた細身だった。

 もうどうにでもなってしまえといった気分のまま、豪勢な門を車ごと通って屋敷の敷地へと入る。いよいよ着いて車を出たところでエレナが口を開いた。

 
「大丈夫、マフィアの親分の家ってことを除けばちょっと大きな普通の家だよ」


普通の神経でそこを無視できるかと反論したいところだが、エレナの意外にも真剣な顔に口をつぐんだ。


「友達の家なんだからさっ。平気だよ」


「そうですね。ささやかながら私も歓迎させて頂きます」


アリスのエレナに向ける優しい目に、こいつ友達いねーのかねー、いねーんだろーなーという思いが頭をよぎった。

実際のところどうなのかは知らないが、港町ウベはもちろん、ウベを擁する国家であるハリマにおいてマグチの姓はそれほどに重いのだ。クラスメートに距離を取られるなどといった想像は余りにも容易にレオリオの頭の中でできあがった。


「まーほらあれだ、友達の家に初めて行く時ってのは割りと緊張するもんだろ」


こんなもんでよかろうという言葉を選択して言葉にする。


「そうだね。でもまあとりあえず家は横を素通りして自転車で裏庭に行くよっ」


エレナがレオリオの手を離すと、たたっと3メートルほど駆けてから振り向き、自転車が何台か固まっているポイントを指差した。

裏庭に行くのに自転車という現実に打ちのめされつつペダルを漕いで行くと、きちんと庭師に手入れされているエリアを3分ほどで抜ける。

道の両側はタダの原っぱになり、そこからしばらくして広大な更地が広がっている場所についてようやく先頭を走っていたエレナが自転車を止めた」。


「うへー、ここもまだお前ん家?」


一辺がキロ単位の四角形で個人が土地の権利を持っているというのはレオリオには想像し難いが、やはり金というのはあるところにはあるものだ。


「土地はそうだよ。最も塀の中では無いけどね」


「ただ、先ほどくぐった裏口からでないとこの場所に入ってくるのは危ないですから注意して下さいね」


何がどう危ないのかなど考えたくもない。何の注意なのか分からないがアリスの警告は一般市民のレオリオには無縁である。しかし善意からの言葉だろうと考えてレオリオはひとまず頷いておいた。


「じゃあ早速、超能力、念についての説明だけどさ。イメージとしては漫画とかアニメで良く見る気とかオーラとかで戦うのがあるでしょ? 基本的にあれだと思ってもらって大丈夫」


「ま、取り合えず信用するって前提で聞くがエネルギー弾みたいなのを出したりもできるってことか? それとお前らが俺にしたのは何だよ」


そんなものが実在するわけが無いなどと言い出しても時間が無駄になるだけだろう。そんな口論をするのは面倒だ。

ひとまず、自らに起こったことの説明をレオリオは求めた。エレナが誘拐されそうになった場で彼の足を止め、アリスに喫茶店で嘔吐させられた彼は何をされていたのかということを。


「エネルギー弾なら確かに出すことができるし、そういうのが得意な能力者もいるよ。それでね、まず前提条件として漫画なんかで光に覆われているみたいに描かれているオーラについては念の能力者じゃないと見えないの、そして他者の念による攻撃はやはり念による防御じゃないと防げないってことになってる」


「じゃあ見えないその念とやらで俺は攻撃されてたってのか?」


不満気な表情をしていたのだろう、エレナがやや慌て気味に言葉を重ねていく。


「攻撃っていうのは分かりやすい言葉を選んだだけで、レオリオの場合、私の時はあなたが近くにいるのが分かっていたから危ないところに近寄らないようにってことで周りに警告のオーラを散らしてたの。まさかそれに抵抗してまで助けようとしてくれるとは思わなくてさ、ごめんね。ちなみに至近距離にいた普通の人間だった誘拐犯さんはそれだけで気絶したんで私は大丈夫だったというわけ」


自らについての説明を終えてエレナがアリスへと顔を向ける。


「私の場合は単純に脅しです、人払いであったお嬢様のものに対して私のオーラには悪意が含まれていた分、レオリオさんへの影響も大きくなった形になります。重ね重ね大変申し訳ありません」


「謝罪はさっき受けたしもういいぜ。じゃあそれを信じるとすると俺はその念とやらに触れたせいでああなったのか?」


「そうですね、細かいところは私からお話しましょう――」


そう言ってアリスがエレナに顔を向けると、エレナが頷いた。説明の了承を求め、それをエレナが了承したのだろうとレオリオは判断する。

念能力者では無いレオリオにはエレナの頷くという動作にしか注意ができなかったからだ。

だが、この時アリスが説明をする内容にエレナが条件を付けていた。もしレオリオが既に念能力者であったなら、「彼にはゆっくり起こしてもらうからねっ」という文字がエレナの身体の前方の空間に彼女自身のオーラによって描かれていたのがきっと見えただろう。


「まず念でというところのオーラについてですが、これは念の習得如何に関わらず全ての人間が持っています。そしてそのオーラを通常は身体からこぼれるままに垂れ流しているので、通常人は自身のオーラに身体全体を包まれているのです――」


そうしてアリスの説明は続いたが、確かに最初にエレナが言ったように漫画で出てくる生命エネルギーだったり闘気としての"気"の概念に似ているとレオリオは感じた。

まず説明されたのはレオリオを襲った怖気や吐き気の正体についてである。他者のオーラは自身を傷つけることも可能であるため、喫茶店でアリスのオーラのプレッシャーを浴びた時、身体は本能的に包丁を突きつけられていることを判っているのに、その包丁は目に見えないために頭では何が起こっているのかまるで分からないという状態にレオリオはあったこと。

その"何が何だか分からないがとにかくヤバイ"という時、多くの人が寒気・頭痛・吐き気・恐怖感などに襲われるようだということらしい。

そこから話は念の体得についてへと移っていった。第一段階は自らの内を巡るオーラを感じることであり、それを操作できるようになった時点で未熟ながらも念能力者と呼べるということらしかった。

続いて話は念習得のメリットについてとなった。まずは念による攻撃にたいしての防御力の大幅な向上。そして身体能力及び持久力・回復力のアップなどの肉体面の向上や、自身の生命エネルギーの効率的な取り扱いによって寿命の延長や老化を遅らせることが可能となるといった説明が行われた。


「んじゃ、アリスさんが実は30代でびっくりとか」


「私は見た目通りの年齢ですとだけ申し上げて起きます。ですがまあ実際にそのような人物はいるでしょう」


思いつきをつい口にしたレオリオにアリスが少々口調を冷たくしながら対応する。

エレナが何か口を挟んでアリスをからかうかと思ったが、彼女は神妙に口をつぐんでいた。どうやら真剣に聞けということらしい。


「――そしてデメリットですが、まず一つは習得及び技術の向上に時間をかける必要があります」


「まあ当然だな。他には?」


「最大のデメリットは自身以外の念能力者から念能力者だとマークされる可能性があることです」


「具体的にはどういうことだ?」


「例えばすでにレオリオさんが念能力者だったとします。本当にたまたまお嬢様の誘拐現場に居合わせたとしても、私はそれを偶然だとは判断しません。必ず身辺調査をしますし、最悪その場で処分するということも考えられます」


淡々と告げられたその内容は、口ぶりなどから事実なのだと思い知らされた。


「ハハ、そのデメリットはでけーわな」


「念能力者の敵は念能力者ということです。警戒が過剰に思えるかもしれませんが、これは念能力の種類の膨大さのためですね。何かをされてからでは遅いということが念には十分考えられますから」


「種類ってのは何だ?」


バトル漫画をイメージしていたせいで、オーラの塊を飛ばしたりオーラを込めた拳で殴りあったりといった想像をしていたのだが、単純なドンパチ以外にも色々とあるということだろうか。


「そろそろ暇になってきたから私から説明するねっ」


エレナがすっとアリスの前へと身体を出し、それを受けてアリスが下がる。


「オーラの性質は人によってそれぞれ違っていて、オーラを飛ばすのが得意とか形を変えるのが得意とか色々あるんだよ。後はオーラを使ってモノを操作したりオーラを物質化してモノを具現化したりとかね。けどまあこういうのは見てもらうのが一番早いかな」


エレナがそう言うやいなや、彼女の掌から水流が噴き出した。その水の流れはエレナの体の周りを螺旋を描くようにして取り巻き、そしてゆらゆらと静止した。


「これが私の能力、オーラによる水の具現化ね。具現化したっていっても元はオーラだから一般人から見えなくすることもできるんだけど、……私にはまだできないんだよね」


「更には念能力者からすらも見えなくすることが可能ですが、こちらも当然お嬢様はまだお出来になりません」


説明の途中で何やら沈み込んでいったエレナの言葉も、補足を加えたアリスの言葉もレオリオには聞こえてはいなかった。

理屈ではなく目の前でエレナが纏う水の流れは嘘っぱちでは無いのだということが分かったのだ。


「すげーー、何ていうかすげーーな!」


世界にはまだこんなモノがあった。そしてどうやら念能力は個々人が修練の末に身に着ける、つまりはお金があるだけでは行けないところにそれはあるのだ。そして何より――


「こいつは金になりそうだぜ! ハンターになれれば更にウハウハってかーー」


そう、念能力はきっと金になる。金だけでは得られない能力を持ってして金持ちから金をむしりとることができるとしたら何と爽快なことだろうか。


「ま、正直なのは良いと思うけどさ。レオリオ、アリスの心象が悪くなっちゃうよ? あとほら、すごいらしい私を褒めたまえ」


エレナがそう言って苦笑いすると、纏っていた水を消してレオリオへと寄り、頭をひょいっと突き出した。


「いやー、まじですげえなお前。何ていうか感動したぜ」


適当に頭を撫でてやると「うむ、満足満足」と呟いてエレナが頭を起こす。

アリスの方はレオリオの言動のせいもあるだろう、やや目を細めて二人を見つめていた。その視線をほんの少し不快に感じる。

レオリオは自分の言動が品を欠くものだったことは分かっているし、自身の金への執着心が世間一般から見て醜く映るということも知っている。

だから、今のアリスのような目で見られることも仕方が無いと思わないでもない。だがレオリオは毎回思うのだ――金の無いみじめさを知らない奴らになんで蔑まれないとならない? と、そう思ってしまう。

そしてその苛立ちは時として口から零れ落ちることがあった。


「いやまあホラ、アリスさんだってその念能力とやらでこいつの護衛をして収入を得てるんだろ?」


遠まわしにレオリオが念で持って金を儲けようと考えることをアリスが蔑むことはできないだろうという意味を込める。相手がそれに気づかなくても構わない。

ただちょっと嫌な目で見られたから不満を口に出しただけのはずだった。


「……私は、お金などのためにお嬢様の護衛をしているわけじゃありません」


適当に流してくれて構わなかったのだが、思いのほかアリスの声は真剣だった。

そしてその返答がレオリオにとっては最悪に近い。"お金など"と金銭の価値を無視した彼女の言葉に瞬間的に頭が沸き立つ。


「へー、じゃあ護衛さえできれば金はどうでもいいと?」


「ええ、もちろんです」


「はあっ!? ふざけんな!! じゃあ服は? 食い物は? 金無しでどーすんだよ」


「だから要らないと言っているでしょう!!」


口論がいよいよエスカレートしそうになったその時、両者の間をカーテンのようになった水の層が遮る。


「……本当は頭にぶっかけたかったけど、それじゃアリスだけ避けちゃうしね」


蚊帳の外に置かれていたエレナが手を出したのだ。エレナは二人の注意が自らに向いたことを見て取り水のカーテンを取り除く。


「まずアリス」


「はい」


「あなたが私の姉だったり年の離れた親友だというのならともかく、護衛であり、従者であるのなら私の友人に対して今のような態度は取るべきではないのは分かる?」


「はい、大変申し訳ありません。レオリオ様にもご不快な思いをさせてしまいまして誠に失礼しました」


そう言ってアリスがレオリオに対して深く腰を折って謝罪した。

葛藤の結果だろう、表をあげた彼女の顔には表情と呼べるものが抜け落ちている。そのような顔をするぐらいなら謝る必要はないとレオリオは思った。

大体売り言葉に買い言葉のどうしようもない口喧嘩だ、どっちが悪い何てこともない。そして――従者であることをアリスが選んだ瞬間に、彼女の後ろにいたエレナが少し寂しそうな顔をしたのをレオリオは見てしまっていた。

目が合ったエレナが困ったように笑ったので視線をずらす。


「いや、俺がカッとなっちまって悪かった。ちょっと金が無くて困ったことが昔あってな」


「なるほど、私が言うのも何だけどね、アリスは私の護衛を仕事っていうより使命みたいな捉え方をしているところがあるからさ、レオリオが出した例がちょっと合わなかったというか意地になっちゃったんだよ。ごめんね」


今度はエレナの言葉にアリスの表情が曇るのを察してレオリオは冷や汗をかいた。ただし先ほどと違うのはエレナが分かってやっていることが分かることだ。

アリスが傷つくと知っていてあえて言葉を選んでいるのが第三者のレオリオからは良く見えた。

護衛を使命と捉えているアリスに対して、彼女の主人であるところのエレナが仕事として任せているというニュアンスで喋るのはつらいだろう。


「そっか、悪かったなアリスさん」


「いえ、こちらこそさしで「それダメな」」


再度謝罪の言葉を口にしようとしたアリスの言葉を強引に遮る。そう丁寧に謝られても気持ちが悪いだけだ。


「あんま堅苦しい言葉ばっかだと正直息が詰まるんでな。普通に喋ってくれると助かる。何なら友達ってことでいいからよ」


「しかし……」


「いや、こっち見られてもプライベートのことはアリスの自由だからさ。でもレオリオ、アリスは基本的に丁寧語だかんね」


「まあ口調とかがもう少し砕けてればokってことで……だめか?」


何と答えたものかアリスが迷っている。主であると彼女が思っているエレナの友人と自身が友人関係を結んで良いのかどうかの決心が着かないのだろう。

それかさっきの口論から友人関係などとんでも無いと思われているのかどちらかだと思うが、手応えとしてはそちらではないようである。

隣でエレナが"押せ"と目配せしたので本当なら交際を申し込みたいところ何だがなあと思いつつ言葉を続けた。


「なってくれてもいいってのは言い方が悪かったな。是非友達になってくれ」


自分で言っておいて何やら妙にこそばゆい気分になる。大抵の場合友達というのは何時の間にかなっているもので申し込んだりするものではないからだろう。


「アリス、品が無いところと何かお金に執着があるところはともかくとして良い人だと思うよ? 自信ないけど」


「どこから突っ込めばいいんだそれは?」


「前半は真実だし、後半は自分で良い人だと思ってるの?」


ぐぅの音も出ないとはこのことであろう。どうせチンピラですよと拗ねかけたところでその声はようやく発された。


「そのっ、では、私のような者で良ければよろしくお願いいたします」


この人とお近づきになりたいって人はそれこそ人類の半分くらいいそうだがなあと妙に緊張しているアリスの様子に内心苦笑をもらす。


「よろしくな。呼び方はレオリオでいいからよ」


「……その点に関しては努力します。こちらはアリスでかまいません。――き、金銭に価値を見出すことの無意味さに関してはゆっくりとでも覚えて頂きます」


「うおっ、何だか価値観を歩み寄らせるって気配がねえなおい」


「アリスはまあ一途というか頑固というか、単純だから」


エレナがそう言ってポンポンとレオリオの背中を叩く。


「でもまあ、念の先生をやってもらうんで表面上は仲良くやってよね。じゃないと私がしんどいからさ」


ニコニコと身も蓋もないことを言ってのけるエレナに、こいつの相手もしんどそうだよなと思う。

でもまあ仕方がないだろう、このちんまい少女が目の前で披露してのけた奇跡のような水の流れに自分は魅了されたのだ。

そしてそれはまた少し違ったカタチで自分が得ることも可能だというのならそこに飛びつきたいと思ってしまった。何より念能力を身につければハンター試験に合格する確率がグンと上がるのは間違いない。

――そしてもしハンターとなれたら、その時は――

ぐっと思いを込めて拳を握り締めたその横で、エレナがアリスをしゃがませて耳元に口を寄せた。

何を囁かれたのか「ぷっ」とアリスが噴出し、慌てて口を押さえる。


「ん、どした?」


「いえ、何でもありません。―そのっ、顔をこちらに向けないで下さい」


今にも噴出しそうな表情であまりにも失礼なことをアリスが言ってのける。顔を向けるなと言った彼女の方が背を向けて何やら震えていた。


「あーあー、自分が笑ってたらダメだよーアリス」


「ってかお前何吹き込んだんだよ」


どうせしょうもないことに違いない、レオリオは突っ込みに備えてエレナへと近寄った。


「や、ほら念の師匠としてレオリオはまず顔の整形からとか何とか言ってみてくれないかなーと」


「じゃかましいわっ!?」


「いたっ」


恨めしげに頭を抑えながら彼を見上げるエレナにそれ以上文句を言う気にもならず、一つため息を吐いた。変なツボにでも入ったのか、まだ背中を震わせているアリスの様子が微妙にショックでもある。


「まっ、これからよろしくねっ」


「へいへい、よろしく頼むわ」



こうしてレオリオの、ハンター試験に向けての日々は始まったのであった。



[4902] 念能力修行編
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2008/12/27 00:47
 そこはマグチ家の邸宅の一角につくられた屋内プールだった。

レオリオを帰して手早く夕食を済ませたエレナが25メートルプールの中ほどで仰向けに体を浮かせながら漂っている。

娯楽として楽しんでいるというわけではなく、念の修行の一環であった。エレナは水を具現化する念能力者であり、そのためには自身の中に確固とした水のイメージが無ければならない。

7歳になりかけという時期に己が具現化系だと知った時から、彼女はこうやって水と戯れることを自身に課してきた。ひどい時は寝る時も体を水に漬けていたものだ。もっとも、水の具現化に成功して以来過ごす時間については徐々に減らしてきている。

 
「お嬢様、ただいま戻りました」

 
プールサイドに一つの影がすっと現れた。レオリオを近くの駅まで送りに行っていたアリスだ。

 
「大丈夫だった?」 

 
「はい、特別何もありませんでした。なお、念のためにレオリオさんにはお嬢様の能力について口止めさせて頂きました」 

 
分かったと一つ頷いて、水の中で体を起こす。


「晩御飯まだだよね、親子丼でいい?」 

 
そう言ってプールの縁へと体を寄せてプールサイドに上がる。 

 
「は、はい」 

 
従者の方が食事を用意してもらうというのは極めて異例だが、ここでは既に通常のこととして受け入れられている。

元々はエレナが時間の有効活用の一環として料理を始めたのだが、誰がその料理の結果物を処理するのかという問題があったためなのだ。エレナ自身は両親の希望もあり家族と一緒に雇っている料理人の料理を食さなければならないのである。

そこで白羽の矢が立ったのがアリスだったというわけだ。それ以来、長期に渡って餌付けが施された結果アリスは主に料理を作ってもらうことについて葛藤を余り感じなくなっている。

最も今日のように遅くなった場合は別だが、「作る」という前提でエレナがテキパキと動き出したため遠慮するタイミングを失ったようだ。エレナは"元々"そこそこ料理ができたから味だったり栄養だったりには特別問題は無かった。

 エレナが料理をしているのは屋敷の調理場では無く、エレナの部屋だ。部屋というよりも彼女が居住するブロックと表現した方がいいかもしれない。

プール横に隣接されたその部分だけで生活が完結するようにと、風呂もキッチンもあるその様子を知ったら、レオリオあたりは「これだからブルジョワは」などと嘆くだろう。

適当に水気を飛ばした水着姿のままで調理する彼女の後ろで、アリスがテーブルに座って待機していた。もう少し姿勢を崩してもいいのにと思わないでも無いが、背後でびしっと気をつけしていた頃からすればまだましと言えるだろう。


「アリスはレオリオのこと嫌い?」 

 
「まだ良く分かりません。ですが初めにお嬢様を助けようとしたところを見ていなければ嫌いと答えたのではないかと思います」 


「そ、師匠としていたぶる分には自由だから仲良くやってね」 


「はあ」 

 
鶏肉に火が通った頃合を見計らって、溶いた卵をフライパンに投入しながら、エレナは口を閉じて待った。だが、アリスの方から何かを言う気配は無いようだ。

「単なる気まぐれよ」とレオリオと関係を持った言い訳をきっちりばっちり用意しているというのにと心中でぼやきつつ、二個目の溶き卵を投入する。

そこで少し待って火を止め、三つ葉を散らした。後は丼御飯の上に移して完成である。


「お待ちどうさま、そんじゃ私はもうちょっと泳いでくんね」 

 
「はい、ありがとうございます。頂きます」 

 
何時も通りに、何とも幸せそうな顔で一口目を口に運ぶアリスの表情を少し眺めて、エレナはプールへと身を翻す。二つほどドアを潜り抜け、プールサイドから勢いよくエレナが水中へと飛び込んだ。

その次の瞬間からおよそ20秒ほどの間に起きた変化を、見ている人間は一人もいなかったが、例えばレオリオがその様子を視界に収めていても何も気がつかなかっただろう。

エレナの小さい体が飛び込んだだけにも関わらず、そのプールの水かさが1センチほども増していたのである。
 
ゆらりと、水面から直径20センチほどの水の球が一つ、エレナの傍から浮き上がった。その球は少しずつ上へ上へと持ち上がっていき、4メートルほど先の天井まであと50センチといったところでふっと消えた。

集中して息を止めていたエレナが大きく深呼吸を二、三度繰り返す。


「やっぱ具現化したものを体から離して操作ってのは私にはまだきっついな」 

 
ただのオーラなら天井までは余裕で届くんだけどなと溜息をつく。年齢からすれば優秀どころでは無いとアリスは褒めてくれるが、こんなものではまだまだ足りないのだ。

エレナはこの世界に傷をつけないといけない、なるべく小さくて目立つやつ、そんな矛盾を成り立たせなければ自身が危うい。

しかし今日、偶然にもきっかけを手に入れた。そのことを考えてやや面長の男性の顔を思い浮かべる。彼と、レオリオと並び立ってハンター試験の会場に姿を現すだけでいい、そこにアイツが居るならば必ず気がつくだろう。

そうあるべき光景に混入した異物に意識を向けるはずだ。そう考えると少しだけ気持ちが楽になった。だがレオリオを彼女の都合の良いように利用するのだということに思い至って浮かび上がった気持ちが再び沈む。

レオリオはエレナが彼に見た打算を知りようもなく、彼自身が望むハンター試験の受験会場に共に足を運ぶことによってエレナが得る利益のことなど気にもしないだろう。

だが、だからといって今エレナの胸中に広がる苦味が無くなるわけではなかった。

 
(いかん。微妙にテンション下がってきた) 

 
いかんいかんと仰向けに浮いた姿勢のまま首だけを振る。自分のことだけを考えろと心の中で強く念じた。そう、他人を慮る余裕などエレナには無いのだ。

――ぐっと強く口を噛み締めたせいで、頬の辺りの肉がわずかに引き攣った。 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 時刻は夕方、レオリオが学校から帰ってきてしばらく経った頃だった。

レオリオが非通知でかかってきた携帯を取ったところ、相手は先日知り合ったばかりのエレナだという。住所はもちろんうっかり電話番号すら伝え忘れていたのに何故かかってくるというのか。

しかも、あと5分もすればレオリオの家に着くとのこと。もしかしたら自分が今確実に家に居ることすら承知の上で訪ねてきているのかもしれない。

そのことにぞっとしつつしばし待つとインターフォンが鳴った。

 
「やほっ」 

 
五分で着くの宣言どおりに、ドアを開けるとアリスを後ろに控えさせてエレナが立っていた。


「よう、何か個人情報がダダ漏れしてるようなんだが」 

 
「うん、まずはそれを謝りに来たのだよ。レオリオ君、これを見てくれたまえ」 

 
そう言ってバサバサと紙の資料を手渡された。そこにはレオリオの氏名・住所・電話番号は勿論のこと、小等部の卒業文集にレオリオが書いた将来の夢についての作文まで含まれていた。 

 
「ちょっ、おまっっ……こんなとこまで調べたのかよ」 

 
「ごめんなさい。何か父さんの耳に入ってたみたいでさ……何時の間にか調べちゃってて」 

 
レオリオに調査資料を渡した時の軽さをすっかり隠して、エレナが腰を深く折り曲げて謝罪する。後ろで主同様に謝罪の礼をするアリスの姿も含めて、通りに面した一軒家の玄関口では他所の目が気になった。

ひとまず家に上がってもらうことにし、居間に通しておいてレオリオは飲み物を用意に台所との間を往復する。


「ほらよっ。ただの麦茶だけどな」


「ありがとー」 
 

「ありがとうございます」 

 
それぞれお茶を受け取ったのを確認し、レオリオは二人と対面したソファーに身を沈めた。 

 
「で、俺は簀巻きにでもされんのか?」


「故郷の海に沈むってのもロマンだよね」 

 
「コンクリ詰めじゃなければな、ってかとりあえず否定から入ってくれや」 

 
冗談で言っているのは分かるが、マフィアの親分にマークされたという事実は一般市民を自負するレオリオとしては耐え難いプレッシャーである。


「まあレオリオに何か危険がってのは無い無い。ちゃんとそのへんは怒っといたから」 

 
彼女にとっては父親が余計な手を出したというだけなのだろう。片手に麦茶のコップを持ちながら気軽に答えてみせる。しかし親馬鹿なところを感じさせる父親の行動からして、エレナが怒っては逆効果では無かろうか。そう言うとエレナがにんまりと笑った。


「そうだねえ。じゃあ今から家に戻って"私の大切な人に手を出さないでー"ってやってこようか?」


「馬鹿やめろって、で、アリスはどう思うよ実際のところ」


エレナは頼りにならないと判断してアリスへと話を向けた。彼女は最初はエレナがもたれるソファーの後ろに立っていたのだが、今は主の隣に座らされている。


「そうですね、お嬢様の言われる通り問題は無いでしょう。何より念の修行をするのであれば昨日の場所を使うことになりますので、屋敷の内外でお会いになる機会もあるはずです。その際びくびくしていたりすると印象が悪いのではないかと思います」 

 
要はきっと顔合わせしちゃうんでその時は平気な顔してなきゃダメだよということらしい。当然そんなのは無理に決まっている。

彼女らにとっては身内の話なのできっと感覚が麻痺しているに違いない。レオリオはその場で自身の苦悩を受け取ってくれる相手がいないことに溜息をついた。


「ま、その件はもういいよ。用件はそれだけか」 

 
「ん、三日経ったからね、そろそろ落ち着いて考えた上でやるのかやらないのか決まったかなと思ってさ」 

 
何をとは言わない。レオリオの方も問題なく理解していた。念の修行をやるのかやらないのかという問いであり、マフィアの娘と関わるのか関わらないのかという問いでもあった。

きっとエレナは父親が連れ込んだ男の事を調べると分かっていて放置したのではないかという考えがレオリオの頭をよぎる。彼女と関わる怖さを感じさせた上でなお自分のいる方を選べと言っているのではないだろうか?


(考えすぎか? でもまあもう友達になるとは言っちまってるし、ハンターになって金儲けの近道にもなるしな)

 
まあ明日死ぬというわけでもあるまいと、レオリオは自分に言い聞かせて気分を切り換える。先生役らしき人物も美人だしなとアリスをちらりと見てエレナに視線を戻した。


「やるぜ、念の修行。ってか今更だが誰にでも覚えられるようなもんなのか?」 

 
「覚えるだけなら大丈夫だよ。ただ才能ってか上達の早さは人それぞれだけどね。今からだとハンター試験までにものになるかならないかってくらいかな。私の場合六歳から初めて今で三年ちょいだね」 

 
そうしてエレナは参考になるだろうと念というものの概念と、彼女が念を覚えていった過程を合わせて話し出した。

話を聞く前はエレナのような少女がすでに使いこなしているのだから、意外と早いうちに自分も使えるようになるのかもしれないとレオリオは考えていたのだが、そうでは無いということを思い知らされる。

エレナは自身のオーラを感じ、それを肉体に纏わせる"纏(テン)"という技術を身につけるのに一年はかかったと言った。


「半年を越えた辺りでイライラしちゃって頭のネジが外れたみたいに哲学書読んだり呼吸法とかヨガとか変な方向に走ってたなー」


などと笑顔で話してはいたが、その当時の心境はどうだったのだろうか。十ヶ月を過ぎた辺りで開き直り、淡々と瞑想を繰り返して丁度一年という辺りで纏をものにしたのだと彼女は笑った。 

 
「本来であれば一年は早い方だと言えるのですが、当時のお嬢様を抑えるのは大変でした」 

 
そう口を挟んだアリスの口ぶりに改めて念を覚えるのは並大抵のことでは無いのだと感じる。一年でも早い方ということはレオリオの場合高校卒業してからハンター試験までの期間が勝負だということだ。

 
「今も大変そうだけどな」 

 
思わずそう口にするとアリスが苦笑いで応える。

 
「私の我侭に振り回されるのはアリスだけの特権なのだよ、レオリオ君」 

 
「お前が何故いばる」 

 
そんなやり取りをしながらも念についての説明は続いた。念の基本として四大行というのがあり、四大行とはオーラを肉体にとどめる纏(てん)、自分の体から発散されるオーラを絶つ絶(ぜつ)、通常以上のオーラを引き出す練(れん)、自分のオーラを自在に操りそれぞれ固有の能力を駆使する発(はつ)のことであるらしい。


「んで、私の発がこの前見せたやつ」


「なるほどなー。そんじゃ俺が念覚えたからってあれができるわけじゃねーんだな?」 

 
水の流れを纏うエレナの姿を思い浮かべながら確認する。


「そうだね。無理やりそういう能力を覚えることも可能かもしれないけど、自分の適性と合っていなかったらすごく中途半端なものになるから」


「なるほど、じゃあアリスの能力は……ってこういうのは聞かない方がいいんだっけか?」 

 
単純な好奇心から、アリスの能力は何なのだろうと疑問に思ったが、絶対にエレナの能力については口外してくれるなと念を押してきたアリスのことを思い出して語尾があやふやになった。

そのことが滑稽に映ったのだろうか、アリスが口元をほんの少し笑みの形に歪めながら首を振ってみせる。


「本来であればそうなのですが、私の場合はあまり大きな問題にはなりません。単純な肉体の強化が主になりますので」

 
「要するにパンチやキックがすんごい威力になって肉体の防御力がやたら上がるってわけ」 
 

エレナがパンチを繰り出す身振りとともにそう補足した。思わずアリスの二の腕に目をやる。残念ながらスーツの上着に隠されたそれはどう見ても華奢であるが、この腕と顔で繰り出すパンチがコンクリートをぶち抜いたりしたら俺は泣いてしまうかもしれんとレオリオは思った。

実際のところ、彼女が本気を出せばコンクリートをぶち抜くという程度では済まないことを彼が知る日はそれほど遠くはない。


「大丈夫、アリスの二の腕はちゃんと柔らかいよ」


レオリオの視線の意味まで、どうやら見抜かれていたらしい。エレナがにたにたと笑いながらそう言ってきた。


「おっ、応」 

 
そうか柔らかいのかと、レオリオは割りと本心から安堵しつつそう返したが、怖いのでアリスの方は見ないようにする。どうせこの男はどうしようも無いなといった目で見ているに違いない。

言葉に出してくれればいかに自身が健全にエロいかということを力説することだって出来るのだがと拳を握り締めた。


「で、何時からやるんだ? 念の修行はよ。ここまでの説明は大体分かったぜ」

 
あ、こいつ話を逸らしやがったといった具合にエレナが目を細めたので、何だよワリーかよと視線で訴えておく。


「じゃ念の修行はやるんだね。まあハンター試験受かったらハンター協会から念を教える先生が押しかけてくるようになってるから早いか遅いかなんだけどね」

 
「なるほどなー」 

 
ハンターにとってはどうやら念という能力は必須技能のようだ。ここまでのエレナやアリスの言動からしても、どうやら念能力者というのはそこそこに数が多いらしい。 

 
「で、何時から始めるんだ? 卒業までは基本的に夕方からしか無理だけどよ。何なら今日からでも構わないぜ」 

 
自分はきっと修得が早いはずだなどという根拠のない自信はレオリオには無かった。早くても一年というのならなるべく急がなくてはならない。何せハンター試験まではおよそ二年といったところなのだ。


「念の修行ということなら既に始まっているとも言えますね。念の存在を心から信じるというのが第一段階ですから。もっとも、自身の内に眠るオーラを探るうちに疑心暗鬼になると思いますが」 

 
先生役であるらしきアリスが淡々とそう言った。確かにこれから恐らく何ヶ月も何の進歩も感じられないという状況に身を置かなければならないのだ。好きとはとても言いがたい勉学ですらそれに比べれば遥かに容易く達成感を得られるだろう。 


「でもまあそういうもんなんだろう?」


「……ええ」 

 
アリスの肯定までの間にほんの僅かに間が空いたが、レオリオは別段不思議にも思わなかった。


「んじゃ今日はレオリオのお母さんへの挨拶があるから明日からだね」


「いや挨拶の必要はねーだろ」


「ありますとも。別に念のことは話さないけどレオリオの家族とも顔を通しておいた方が色々と便利だからね」 

 
分かってないなーと講釈をたれるエレナはてこでも動きそうにない。上手いこと説明してくれよと思いながらレオリオは一つ溜息を吐いた。彼の母親はそろそろパートから帰ってくる頃合である。エレナは最初から顔合わせすることを予定して訪れたに違いない。


「お前なあ、ごめんなさいとか言いながら調査資料すみまで目を通してるだろ」 

 
「私ではなく私の好奇心がいけないのだよレオリオ君」 

 
レオリオの言い分を否定することをせず、エレナは得意気に胸を張った。習慣になりそうだなという確信とともに軽く掌で彼女の頭をはたいてやる。 

 
その後やはり三十分もしないうちに帰宅したレオリオの母親と、それから少し間を空けて帰宅してきたレオリオの姉も交えて夕食を皆で取ることとなった。

先日誘拐されそうになったところを助けられたお礼に来たのだと説明したエレナをどうやらレオリオの母親は気に入ったようで食事の間やたらと話しかけている姿が見られた。

姉の方は最初はアリスと一緒になってレオリオをからかう魂胆だったようだが、アリスの反応があまり芳しくなく、アリス自身をからかう方に大きく舵を切った。こちらの方ではどうやら満足したようだ。

レオリオ自体はというと対自分の女性連合が形成されないことだけをただひたすらに祈っていたという。



[4902] 念能力修行編②
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/01/19 20:47
 念にはゆっくり起こす方法と速攻で叩き起こす方法の二通りがある。

前者がレオリオが行っているそれであり、後者はエレナがそういった手法が存在するということについてレオリオに教えないよう秘匿していた。

口止めしていたのはアリスだけでなく、マグチファミリーの念能力者による戦闘集団の教官や、念能力の修行場で顔を合わせる可能性のある訓練生にまで及ぶ。

だが彼女はそれで大丈夫だとは決して思ってはいなかった。
 

「なあ、レオリオさんだっけ?」


そう言って一人で瞑想していたレオリオに話しかけてきたのは恐らく同年代か少々年下と思われる男だった。

まだまだ少年といった感じの細面に、マフィアの構成員とは思い難い人懐っこい笑顔を浮かべている。


「ああ、そうだが」


それに答えるレオリオの表情は渋い。

彼はもうこのところずっと念の修行の前後は機嫌が良いとは言い難かった。もう既に自身の内にあるオーラを感じ取るための修行を始めて一年ほどが経っていたのだ。

彼は十八になり、高等部を卒業していた。家族にはハンターになるのだという意思を半ば無理やりな形で通し、ここのところはほぼ毎日エレナの屋敷の修行場に詰めている。

だというのに念の修行に関しては何も進歩したという手ごたえは無かった。発狂するかと思ったというエレナの気持ちを十分に理解していたが彼自身はそこまでは追い詰められてはいない。

アリスやエレナとの手合わせや体力作りなどにより体術や持久力には大幅な向上が実感できていたからである。


「おっと、修行中に声かけてすみません。俺はヨキノイって言います。ちょっと聞きたいことがあるんですよ」


レオリオの不機嫌を察したのだろう、ヨキノイというその少年は申し訳無さそうにそう言った。


「分かった。何をだ?」


レオリオがそう返すとヨキノイは明らかにほっとした表情をした。


「ええ、アリスさんの誕生日とか好きな物とか知らないですかね? いえ、別に僕が特別知りたいというわけでなく修行場の皆がですね……」


なるほど、そういうわけかと一人納得したレオリオがうんうんと頷く。

エレナの家の裏のやたら広い敷地はマグチファミリーお抱えの念能力者の修行場になっているらしく男も女もそこそこの人数を見かけている。

大抵レオリオはアリスやエレナと一緒であるため彼らとの交流は無かったが、アリスの容姿からして手を出すべく狙っている男連中がいることは容易く想像できた。


「残念ながら俺も知らねーなぁ。気があるんなら直接聞けばいいんじゃねーか? お前らの中にもそういうの得意なのいるだろ?」


少し冷たいかしらん? などと思いながらレオリオはそう言った。

大体彼が不機嫌なのは当のアリスがよりによってハンター試験を受けに行っていて不在であることが大きな原因になっているのだ。今その名前はあまり聞きたくはなかった。


「うーん、レオリオさん。あんた勘違いしてるな」


ヨキノイが苦笑いして目を細める。


「そうか? アリスがもてもてって話だとしか思えねーがな」


「まあそう思うのも仕方ないかな。でも実際のところ念能力者が彼女を好きになるのは難しいんですよ。俺達の動機は好きですと伝えるわけではなく、どちらかといえば"嫌いではありません"と伝えるって感じかな」


正直レオリオには意味が分からない。

ただ一つ分かるのは念能力者であればきっとヨキノイの言い分を理解できるのだろうということだ。それがいっそう彼を苛立たせた。


「ったく念能力者なら念能力者ならってうるせーなぁもう。機会があれば聞いといてやるよ。それでいいだろ」


だからどっかいけよという言葉が無くともヨキノイには通じただろう。だから彼はやはりひどく困ったような顔で笑った。


「そうイライラしない方がいいよ。レオリオさんは大事にされてるさ」


最後にそれだけ言ってヨキノイはその場から去っていった。

その言葉にレオリオは確信する、いや、もうとっくに気づいていたことだった。「まあ気軽にやんなよ」「レオリオなら大丈夫だって」そう言ってエレナがレオリオを励ます時などにアリスの表情が時折曇るのを見ればすぐに分かることである。

間違いなく念の修得方は別にもある。恐らくはより早くより危険のあるものがだ。

エレナは無難に演技をこなしつつも恐らくはレオリオが気づいていることを察しているだろうと彼は思う。あの少女は時々恐ろしくなるほど世界を客観的に見ていることがある。

まるでこの世界の外に自分がいるかのようにだ。

そんな事を考えていたから――


「やほっ、今日も元気に不機嫌ですかな」


唐突に出現した下から見上げる黒い瞳とその声に驚いた。


「うおっ、お前その唐突な出現の仕方は心臓に悪いって言ってるだろうが」


ここは見晴らしのよい更地で、近づく影があれば普通は数十メートルの距離でまず気がつく。

だがこの少女はわざわざレオリオを驚かすためだけに絶と呼ばれる念の技術を用いて気配を絶って近づいていたのである。

ここでもまた念だ。

エレナはレオリオをからかうついでに様子を見に来たのだろうが、彼はもう崖っぷちにいたのだ。

お前が最後に一押ししたのだからお前のせいだからなと、彼女が聞いたら苦笑しそうな思いとともに、レオリオの正直一年踏ん張ったのが信じられないほど脆い堪忍袋の緒が切れた。


「おーい、どしたの?」


体を震わせる彼の様子を不振に思ったのだろう、エレナがそう声をかけた瞬間、がばっとレオリオが顔を起こした。

それに驚いたのかエレナが大きな瞳をさらに丸くする。


「あーもう、やめだやめやめ! もう我慢ならねえっ。おいっエレナ、もっとずばっと纏とやらを覚える方法はあるんだろう?」


両手を広げてエレナを見下ろして訴える。彼女は視線を合わせるように見上げ、表情を消してぼそりと呟いた。


「リスクがある。叩き起こす方法は念能力者から一定以上のオーラの衝撃を受け、全身の精孔を無理やり開くってやり方で、害意の無い相手からではそう高い確率ではないけど、手足が動かなくなったりとか」


「なるほどな、だけどよ俺より後に念を知って俺より先に纏を覚えてるやつの中にいるよな? そっちで覚えたやつ」


そう、レオリオは他の訓練者とはほとんど交流が無いものの、ちらほらとそういう者がいるのは何となく掴んでいた。つまりリスクのある念修得方法についてのノウハウがあるはずなのだ。必ず成功するそれではなく、できるかぎり失敗の確率を減らすノウハウがだ。


「そっちで覚えた人がいるというのはちょっと違うかな。基本的にマフィアの戦闘員としての念修得者の育成はリスキーな方でしかやらないから。ダメだったら手当てを渡すだけみたい」


「使い捨てってわけかやっぱマフィアはやる事がちげーな」


考えたら当然のことだ。エレナの言うように成功率がそう低くないのならば三人を犠牲にして七人の念使いをただちに生み出すという手法の方が年単位で教育した上で十人の念使いをものにするよりも効率的だろう。

ただそこで切り捨てられる者のことを考えてレオリオの心が怯えた。そしてそれを見せたくない虚勢がゆえに目の前の者を攻撃してしまう。


「そうかもね」


そう言ってエレナはレオリオの皮肉に笑った。

彼の心がその顔をみてすっと冷える。彼女がマフィアという巨大なシステムをどうこうできるわけではないと知っている以上、責めるような言い方はフェアではない。


「あー、今のナシな。俺が言いたいのはだ。リスクは覚悟するからそっちでやってくれってこと」


自分ならば大丈夫という確信があるわけではない。だが、早く、とにかく早くという焦りがあった。

エレナの纏う水の衣を見るたびにあれを手に入れたいと内から滲み出る欲があった。子供のころに夢想したような自分だけの必殺技だ。

彼女が操る水の流れはこの一年で見違えるように力強くなっている。そして純粋な体術でもまだまだ劣っているのだ。これ以上引き離されたくはないというのが情けなくもレオリオの本音だった。


「レオリオの体だからレオリオが好きにしていいってわけじゃない。それに私はゆっくり起こす方がいいと思ってる」


「……俺はもう叩き起こす方でやるって決めたんでな。ここでダメだってんなら他を当たる」


「うわー、それって脅迫だよ」


自分でもこれはないなと思った台詞にエレナがわざとらしく腕を曲げたバンザイのポーズをとってみせる。だがこの言い方しか思いつかなかったのだ。最早このまま言い切るしかあるまい。


「うるせー、どっかで俺が変な叩き起こされ方されんのに文句があるならお前がやってくれよ」


どうよ最高にみっともないだろと心中で涙を流しながら胸を張る。


「この恩知らず」


「応」


「卑怯者」


「応」


「意地っ張り」


「応」


「やっぱり落ちは寂しげにバカって言うべき?」


「すまんが良く分からん」


何かのネタだったのだろう、エレナがやれやれと首を振った。そして元の位置に戻った顔にひどく真剣な表情が浮かぶ。


「ねえレオリオ、私は友達としてどこまで許される? 私の主観でそうすべきでは無いと思うことに手を出そうとするあなたを止めるためにどこまでやっていいと思う?」


やられた――レオリオは強くそう思った。

きっとエレナの意思を振り切って叩き起こす方法をやってもらうことは可能だろう。だが例えその方法で問題なく念を修得したとしても失われるものどうやらあったようである。

彼を見上げる黒い瞳の中で自分が格下げされるのを我慢できるか――だがそもそも何故エレナは俺にゆっくり起こさせようとする?


「なあ、何でだ? 何で俺がゆっくり起こすことにそんなに拘る?」


疑問をそのまま口に出してエレナの反応をうかがった。彼女は本当に珍しく罰の悪い表情を見せ、まいったなという具合に苦笑してみせる。


「もしかしたら私やレオリオのお母さんの思い違いかもしれないし、んーレオリオ自身もこっぱずかしいかもしれないけど……聞いとく?」


「……何でオカンが出てくるのかさっぱり分からんがここまで聞いといて引けねーしな」


「そ、んじゃ一言一句再現してご覧にいれましょう」


エレナが握りこぶしを口元にあてて、ウホンッウホンッと喉の調子を整えるマネをし始めるにあたって、レオリオは相当にこっぱずかしい事が彼女の口から飛び出てくるのを覚悟する。

彼女には好きだとか嫌いだとか、思いやりだとか労わりといった感情を言葉にして伝えるのを極端に恥ずかしがる一面があるのをレオリオはこの一年で実感していた。

からかいながら心配し、小馬鹿にしながら手伝うようなところがあるのだ。

彼女の口から出てくる言葉は確かに母親の言葉のコピーなのだろう。しかしそうでもしないと言葉にできない目の前の華奢な少女の気持ちまで乗ってくるのだと思うと正直すでに気恥ずかしかった。


「"あの子は馬鹿な子でね。夢を諦められるほど賢くないんだよ。――だから今はちょっと脇に置いてるみたいだけど、きっとあの子は医者になろうとする。優しい子だからきっと良い医者になると思うよ……"だってさ、なんてーか親ばかだよね。それでほら、何てーかな研究者タイプのお医者さんならともかく手術の数こなすぜって医者の場合手足が不自由とか片目見えませんなんて論外じゃないかなってさ。……まあレオリオが完全に違うところを目指してるってんなら余計なおせっかいだし、そもそも赤の他人の将来を勝手に想定してるのはおこがましいかもしれないけどさっ」


言い切ったぞ、どうだ文句あっかと黒い瞳が見上げてくる。

レオリオはというと、事前に予期した通りに彼女の言葉の前半部分の恥ずかしさに顔を抑え、そして後半部分に妙に苛立っていた。だから何時もどおりにポカリと彼女の頭をはたく。


「ぬおっ、ぶったね! アリスにもぶたれたことあるのに!!」


「えっ、まじでかそいつは驚きだな」


お嬢様命のあのアリスが彼女を叩くところなどレオリオにはとてもじゃないが想像し難い。


「うん。その平坦なキャンバスこの私が盛り上げて見せようって責めたててた時に」


「ok、まずはその話を詳しく……じゃなくてだなっ! 男女間で真の友情が成立するかって長年の命題はともかくとして俺とお前はダチなわけだ。それをお前、どこまでなら許されるとかおこがましいとかいちいち面倒なこと考えんなよ」


心配をかけていた自分が言う台詞では無いかもしれないが、レオリオにとっての彼女はまさしく年の離れた悪友である。

遠慮などする必要はないとこちらに向けられている瞳と視線を向き合わせると、エレナの方が先に目を逸らした。

そして、よし勝ったと思っていたところに再び戻ってきたあちらさんの視線は妙ににやけている。


「じゃあ言わせてもらうけど、ボスの娘ってことでゆっくり起こす方しか許してもらえなかったのにレオリオだけ手っ取り早く済まそう何てダメだかんねっ!」


「おまっ、それが本音か!」


「おうともよっ」


何時もの通りに、ボケと突っ込みのやり取りをしながらレオリオは心中で苦笑いだ。

そんなことを本音だということにされては心配してくれて有難うとは言えなくなってしまう。


「ま、何かいい具合に気も抜けちまったし、またしばらくのんびりやるか」


「そかそか、それじゃご飯にしようよ」


「お、今日は何だ?」


レオリオは高校を卒業して以来、頻繁に夕食の世話をエレナにされているためやり取りに淀みはない。


「今日は餃子ね。後は焼くだけだからそんなにかからないよ」


しかし一点だけ疑問があった。たいしたことではないが、常ならばエレナはアリスとレオリオの前に料理の皿を並べて家族との夕食に顔を出しに行くのである。

しかし、エレナがアリスをハンター試験に半ば強制的に行かせて以降、何故かレオリオと一緒に食事をとっていたのだ。


「そういや最近俺と食ってるが家族と食うんじゃなかったのか?」


「んー、その後家族とも食べてるよ。アリスがいない間に太らないとねー」


「お前間食も割りと摂ってるだろうが、ぜってえここの間で肉ついてるぞ」


実際のところ、多少肉がつくのはむしろ良いことだとレオリオは思う。

正直心配なほどエレナは肉付きが悪いのだ。であった頃からすると十センチばかり縦に伸びたというのに、体重に関しては増加してないのではないかというほど細い手足にドキリとしたものである。


「はっはっはっ、何せ3キロ太れたからね。目指せ後3キロって感じかな」


「ま、そんくらい太って普通かもしれんが行き過ぎるなよ」


「そういや今思い出したけど、お姉さんが"泣きついてきたら金くらい用意してやるのに"って言ってたよ」


「その手の話はもう勘弁してくれ、ってかそれって姉ちゃんの結婚資金だろ? 後が怖すぎるぜ」


そんなやり取りをしながら二人はエレナ邸への帰り道をたどっていく。

この時レオリオは気づけなかった。アリスがいない間に3キロ太れたという言葉の意味について考える機会をエレナの軽口に奪われたのだ。

だがどちらにしろ彼はすぐ気づくことになる。

一目見れば分かることなのだ。


「ねえレオリオはアリスのこと好き?」


「何だ突然? まあ嫌いじゃねーが俺としてはあれだな、もう少し上半身に救いのある女性の方が好みだな」


「でも無いわけじゃないよ?」


「おまえなー、手で形をつくるのはやめろ! 生々しいんだよっ」


時刻は夕方、雲がかかっているせいで綺麗な茜色とはいかないが、これからご飯を食べようというには少しばかり早い時間帯である。

しかし二連ちゃんで夕食を制そうというエレナにとっては丁度いいのだろう。鼻歌混じりで少し前を進む少女の後頭部を眺めながらレオリオは考える。

まずはハンターだ。医者になることを考えるのはそれからでも遅くはないだろう。



それが――憔悴しきったアリスが帰還する一週間前、そしてレオリオがようやく纏を覚える二週間前の出来事であった。



[4902] 念能力修行編③
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/01/26 00:01
「ただいま戻りました」


到着時刻の連絡なども何も無く、エレナのもとへとアリスは唐突に帰還した。ハンター試験のために旅立ってからおよそ三週間強が経っている。

仕事着であるダークスーツの上下がよれによれ、表情には憔悴がありありと表れているので、エレナは少しばかりぎょっとした。だがまあとりあえずエレナ分を補給させてやるかと飛びついてやる。


「アリスおかえりーー」


「ああ、お嬢様のカホリがする……」


自らを抱くその力の無い腕と、彼女の台詞にこれは実は結構マズイのかと背中を冷や汗が流れ落ちたが、この体勢は必ず効果があるはずと信じて待つこと十二分、果たしてアリスは再起動と相成った。


「ああ、人心地つきました。先ほどは取り乱して申し訳ありません」


エレナの居住スペースへと場所を移し、コップに満たした水を飲み干したアリスが一つ息をつく。


「それで何があったの?」


「いえ、何といいますか試験中道化に付きまとわれまして――」


うんざりという表情でそう話し出したアリスが、口に出した道化という単語にいささか心当たりのあるエレナは、


(何か忘れてる気がすると思ってたら、私ってばそんな超重要事項を……)


と密かに心拍数を跳ね上げていた。


「本気での殺し合いのみをお望みのようでしたから、それは出来ないと突っぱねていまして、その方は途中で失格となって安心していたのですが……」


そこからがアリスの苦労の始まりであった。目出度く合格して帰還しようとチケットを買った先の空港でその道化師が待ち構えていたのだそうだ。


「私には良く分からないのですがネットを使って情報を得られるらしく、乗り換え先までもついてくる有様で、その――最終的にどうしてよいか分からなくなって、その、……走りました」


ダミーの乗り換え先を用意して、3000キロほど駆け抜けたがゆえのよれよれのダークスーツというわけらしかった。


「それは……、何というかホントご苦労様」


最初に買ってたチケットで最寄の空港はバレてると思うよとはとても口に出せない。もっとも最寄の空港といっても港町ウベからそれなりに距離があるのでそこを利用せずに屋敷まで帰ってきたのなら問題ないだろう。

「目つきというか何というかとにかく気持ち悪くてですね……、疲れました」


そう言ってアリスがぐったりとテーブルに上半身をふせた。彼女がエレナの前でここまで姿勢を崩すのは珍しい。本当に疲れきっているのだろう。


「おーよしよし、お祝いは明日にして今日は手早く好きなもんでも作ってあげるよ。何がいい?」


「鶏の唐揚げをお願いします」


「承りましたー」


相変わらず安上がりな子だわーなどと随分な感想とともに、エレナは念のために冷蔵庫を確認しておく。

彼女の好物はほぼ完全に把握しているので帰還に備えて用意していた鶏肉がきちんと鎮座しているのを見て扉を閉じた。後はまあ適当に甘味があれば問題無いだろう。


「んじゃ、私は修行場の様子でも見てくるからゆっくりしててね」


「はい、お言葉に甘えます」


エレナは冷蔵庫から離れ、居住ブロックの出入り口のところまできて立ち止まる。


「そうだ、何となーくだけどさ」


振返ってアリスがゆっくりと顔を上げるのを待つ。綺麗な栗色の髪の毛が少しばかりくしゃくしゃになっているのが可愛らしい。


「何ですか?」


弱っているところに追い討ちをかけたいという訳ではないが、後回しにするよりはいいだろう。そう考えてエレナは告げた。


「もしかしたら近いうちに纏覚えるかも、じゃ、行ってくるね」


誰がというのはもちろんレオリオのことである。恐らくは暗く沈んだ表情から背を向け、エレナは裏庭を目指した。


 その日はレオリオにアリスが無事に合格して帰還したことと、無職なりの合格祝いを明日持参せよと伝えたのみで彼を帰した。

軽い男性不信に陥ってそうなアリスにレオリオをけしかけても面白そうだとは思ったのだが、自重した私は偉いねと一人うなずくエレナがいたそうな。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 レオリオは何というか絶好調だった、何か自分の周りを巡る光の幻が見えるほど絶好調だった。
アリスが戻ってから今日で一週間、久方ぶりに顔を合わせた彼女も彼の体から流れ出るオーラが力強くなったと言っていたし、今日あたりもう纏とかマスターしちゃってもおかしくないんじゃね? などと調子にのりつつ瞑想を行っていた。

ちょっぴり目を開けると緑がかった青とでも言うべき光の幻がゆらゆらと漂い、なんてーか解脱でもしちゃったんじゃないのという綺麗さである。

その時、視界の端にエレナがこちらへと歩いてきているのが映った。小一時間ほど座り込んだ体勢でいたので一区切りつけるかと立ち上がる。

こちらが気づいたことに気がついたのだろう。エレナが片手を軽く上げて振ったのでこちらも片手を一度挙げ、彼女が近づくのを待った。

 
「何だか機嫌良さそうだね」 

 
「いやー何てーか悟りでも開いちまった感じでな、こう体の周りに光が巡る幻まで見えるんだ」 

 
「…………そ、そうなんだ」


レオリオは自分の周りに光が見える何て言えば軽く馬鹿にされるだろうかと思ったのだがどうやらエレナの様子がおかしい。

何やら必死で表情筋を整えようとしているのが伝わってくるが、何でそうしているのかが分からない。


「ごっ、ごめっ。私夕食の仕込み思い出しちゃったから一度戻るねっ! すぐまた来るからさ」


そう言って脱兎のごとく駆け戻っていったエレナの背をレオリオは半ば呆然と見送った。そしてヨキノイでも探して組み手でもしようかと気分を切り換えて裏庭を移動する。

レオリオはその途中ではっと気がついた。


「あれっ、エレナッ! これ俺纏覚えちゃったんじゃねぇっ?」


先ほどのエレナ同様屋敷への道をレオリオは疾走する。ふと思い立って走りながら心を集中させると、自分から漂い流れる光の流れがやはり見えた。

それをただ垂れ流すのではなく、自分の周囲に留めることを強くイメージすると心なしか自分を覆う光の膜が力強くなる。これはやはり纏なのだろう。

エレナはきっと同じ道を爆笑しながらアリスにでも報告しにいったに違いない。


「うはははっ、何か体が軽くなった気までするぜっ」


性根の曲がった主人の方へ一つ文句を言わねばならないのは勿論だが、従者の女性の方は純粋に喜んでくれるだろう。そういった思いとともに、最早勝手知ったる他人の家の敷地をエレナの居住スペースを目指して駆け抜けた。


――そんなレオリオの高揚は、やはりそこにいたエレナとアリスの二人を眼にして霧散する。


エレナは良い。彼女は良いのだ。年相応の小柄な体から立ち昇る彼女のオーラはレオリオのものよりやや青みが強く、そして美しく見えた。水を具現化する彼女に相応しい色合いである。

問題はアリスのオーラである。

彼女のオーラの色はオレンジに近かった。色だけなら何てことはない柑橘類の爽やかなイメージすらある色合いである。

だがしかし、レオリオは彼女のオーラを見てしまってから一歩足りとも彼女と、彼女のすぐ傍にいるエレナに近づけなくなっていた。何故かは分からない。どうしてそうなのかは全くもって分からないのだが、アリスのオーラは端的に言ってひどく気持ちが悪かったのである。


「びっくりした?」


エレナが、彼女だけが何時もどおりの笑顔でレオリオにそう問いかけた。

テーブルを挟んでアリスと向かい合って椅子に座っていた彼女は、ぴょんと立ち上がってゆっくりとアリスの背後へと回ると、テーブルに顔を落として動かないアリスの左手だけを抱え込むように握ってみせた。

アリスとレオリオを安心させようという行動の意味は分かる。だがレオリオにはひどく不吉に見えた。アリスのドロドロしたオーラに華奢なエレナが今にも飲み込まれてしまいそうな気がする。

いや、実際彼女のオーラは最も傍にいるエレナをすでに蝕んでいるのだ。ここにきてレオリオはアリスがハンター試験でいない間にエレナが発揮していた食道楽ぶりの理由を悟った。"アリスがいない間に太らないと"と彼女は言ったのである。

レオリオはまだ動けずにいた。どうすれば最善なのかの判断がまるでつかないのだ。エレナも口を閉ざしてアリスの左腕を抱えたまま何も言わない。


「――お嬢様、そのように私に遠慮なさらないで下さい。自分のことは分かっていますから」


膠着状態を破ったのはアリスだった。エレナの顔を覗き込むようにするその表情はひどく優しい。だがアリスの動きや思いに合わせて、エレナに向かってわずかに揺らいだオーラはひどく妖しかった。


「そっ」


がしがしと乱暴に髪をかいてエレナが腕をアリスから外し、レオリオへと向き直る。


「アリスはさ、ちょっと考えなしで手先が不器用で真面目で臆病でね、からかうと面白くていじめると楽しいの。知ってた?」


それならばレオリオは良く知っていた。後ろで今、主の言葉にずーーんと落ち込んでいる彼女の姿はすでに彼にとっても馴染み深いものだ。今まで見た彼女の姿がとても嘘だとは思わない。だがどうすればあんなオーラを纏うようになるというのだろうか。


「アリスがさ、ウチにいて知り合う人って基本的に仕事仲間となる念能力者なんだ。だからあんまり仲良くなれない。だから私みたいに最初はオーラが見えなかったらどうだろうってことを前から考えてた」


「なるほどな」


ようやく言葉を出せたことにひとまずほっとする。そこで心に余裕の出たレオリオは自問した。選択肢は二つだ。彼女たちと縁を切るか切らないか、単純にそれだけである。


「だから、ごめんレオリオ。私の勝手な期待に応えて欲しい」


それだけだと気づけば後は簡単だった。レオリオは自身の内に、今すぐ縁を切ろうという気は全く無いことに気づく。ならばどうにか付き合っていくしかないのだ。

それにしてもどうしてあの自分より幾つも年下の少女は謝罪の言葉など付けてしまうのだろうか。あんまりはたいてばかりいるのも芸がないのでおもむろに近づいて頭をなでて置いた。


「エレナ、俺は常々人付き合いにはスキンシップってのが大切だと思うんだ」


すんごい下品な顔でそう言ってのけたところ少し頬を赤く染めた少女は彼の意図を正確に汲んでくれたようだ。


「じゃあまあ……減るもんじゃないし、服の上からならアリスを好きにして良しっ!」


「よっしゃ!!」


「な、何でそうなるんですかっ!!?」


ガタンと椅子から立ち上がったアリスが後ずさるのに合わせてジリジリと詰め寄る。


「あー、やっぱりアリスの怯えた顔ってすっごく可愛いわー」


エレナがそう呟きながら出口を抑えに行く。言葉の内容にはレオリオも異論は無い。もっとも、彼が一番好きなのはエレナの様子を離れたところから見守る時のアリスの表情だ。ただしレオリオの年頃では是非見てみたい表情が別にあるものである。


「レオリオー、相手は脇が弱いぞー」


「まじかっ」


それは是非とわきわきと手を動かす。アリスはすでに壁際で進退窮まっていた。エレナの意向を無視できないためそこでどうにもならなくなってしまったらしい。腰をすとんと落として座り込み、脇だけを二の腕でしめてガードしながらレオリオを見上げるその瞳はすでに潤んでいる。

これはがばっといっちゃっていいのかとついエレナに顔をやったレオリオはそこで恐ろしくさめた瞳と出会う。彼女は馬鹿にするように鼻で笑うと言ってのけた。


「アリス、別に反撃していいよ」


「ははっ、やだなーったく。このレオリオ様がそんな非紳士的な行為に及ぶわけないだろーが。ほらっ、アリスも座り込んでないで立てよ。なっ」


彼の意思に反して奮える指先は、目の前に差し出されているアリスの視界にも映っているだろう。


「念の師匠ってだけじゃなく、もうプロハンターになっちまった先輩だもんな。今後ともよろしく頼むぜ」


一年という期間は決して短くはない。そう、目の前の女性を信じられるくらいには。ひどく不気味なそのオーラがゆらりと視界の中で動いたと思ったときには、レオリオの手に温かな熱が伝わってきていた。


「そうですね、ここにはゆっくり起こすためのノウハウが無いせいでお嬢様にもあなたにも苦労をかけてしまって申し訳ありません。明日からは能力者として色々と覚えてもらおうと思いますのでよろしくお願いします」


背筋から冷や汗が噴出すほどの嫌悪感から来る動揺に、アリスが気づかなければいいと願ったが、それが通じたかどうかは彼女の表情からは分からなかった。



[4902] 幕間 ~マツリカ~
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:dce86687
Date: 2009/01/27 20:44
 ゴミ溜まりも千五百年続けば立派に議会政治が成り立つところに結局のところ群れで暮らす動物である人類の悲哀めいたものが感じられるかもしれないが、今そこに座り込むマチにとっては何ら感慨をもたらすものではなかった。

せめてもの救いとして空だけは抜けるように青い、なんてことはもちろん無い。今日も舞い上がる埃のせいで視界は灰色めいている。

 実のところマチにはそんなところで座り込んでいる余裕は全くなかった。この先にある廃墟での仲間との待ち合わせがあったのだが、既に一時間は遅れている。

だというのに彼女は実に一時間半もの間わずかな身じろぎもできずにいるのである。その理由は、マチの両腕の中にあった。

赤ん坊が抱かれていたのだ。自らを抱く少女の気も知らずにその赤子は穏やかに眠り込んでいる。

 マチという名のその少女は、自分が日々行き来する道端に赤子が捨てられていても無視できると自分で思っているし、実際にそうしたこともある。どうせ誰かが拾って届けるのだし、たとえそれが間に合わなくても彼女のしったことではない。

では何故こんなことになってしまったかというと、冗談でも何でもなく、上から降ってきたのである。

恐らくはゴミ山の上かその向こう側あたりから放りなげられたのだろう、上方からの気配に気づき咄嗟に念を込めた右腕で振り払おうとしたところ、それが赤子だと気づいた時にはぞっとした。

心中でみっともなく叫びながら慌てて手刀にブレーキをかけるとわずかに赤子の頬に触れるか触れないかといったところで止めることに成功する。まだ重力に引かれて落ちていく赤子を両腕でキャッチして、ひとまずほっと一息ついた。

だがトラブルはそこで終わらなかったのだ。

腕の中の赤子に視線を落としたマチはあることに気づいて久方ぶりに泣きそうになってしまった。やはり念を込めた自分の手刀が当ってしまっていたらしい。全身の精孔が見事に開いて赤子はオーラを勢い良く噴出していた。

あああああ、と口から無意味な文字列が漏れてくるのを聞きながらも、何所か冷静なもう一人の自分が、「私もまだ赤子の頭を破裂させるような真似はできないのかー」などと感慨めいたものを覚えていた。

 そして僅かに十分、それがパニックに固まったマチの腕の中で赤ん坊が纏を覚えるのに要した時間である。マチの方が一体何分間思考停止していたのかは分からないが、彼女が気づいた時には赤ん坊は気絶したまま見事に纏をこなしていた。

そのことに気づいた瞬間完全に全身の力が抜けてマチは座り込んでしまう。

 それから一時間以上が経過してもマチは動けていない。ベストな方法はもちろん分かっている。彼女は道端の捨て子なら心一つ動かすことなく無視できるし、そうしてきたのだ。

なのに、なのにである、十三歳の少女は自らの腕の中から道端に、あるいは脇のゴミ山の中に、赤子を放り出すという行為に踏み切れずにいた。

ノブナガという彼女の仲間に今の彼女の様子を見られたら、また、「これだから女は」などと馬鹿にされてしまうかもしれない。母性本能うんぬんを理由に殺しに向いてないなどと言われた時、そうではないと認めさせるのに念能力者の死体を幾つか積み重ねてみせなければならなかった。

もっとも、彼が言いたかったのは「危ないことは俺達に任せておけ」ということだというのは分かっている。だがこんなゴミ溜めでただ待っているだけなどとてもじゃないが我慢できないのだ。

だから、彼女は流星街から外へ向かうために、欲しいと思うもののことごとくを手に入れるために身軽でなければならない。この赤子はここで棄てる以外の選択肢などは無いのだ。

 
――じゃあ何で私はこんなにも動けないんだ 

 
どうしようもなくなって初めて、彼女はもう一つの選択肢に気づいた。無論拾って育てるなんてものではない。棄てることができないのは、認めたくはないが既に腕の中の赤子に情が移っているからだ。

嫌でも伝わる体温と一緒に流れ込んでくるひどく卑怯なそれのせいだ。棄てた後どうなってしまうのかが心配で自分は身動きができない。

ならばいっそ殺してしまってはどうだろうか? 後味はそれなりに悪いだろうが、それで自分は動ける。ここから立ち上がれる。

 
――そうだ、それがいい。殺してしまおう 

 
馬鹿みたいに眠りこけている今がチャンスだ。軽く地面に叩きつけてやるだけで終わる。何て無力な存在だろう。自分もこんなだったのだろうかと考えてしまって慌てて首を振る。迷うな、何も考えてはいけない。三つだ、三つ数えてこいつを殺る。 

 
その時だった。赤子がわずかに身じろぎしたかと思うと、あっと思う間もなく目を覚ます。そしてマチを見上げて笑ったように見えた。


「このっ、笑うなっ! 笑うなーーーーっ!!」 

 
何所か滑稽だと思いながら全力で赤子に鬼気を叩きつける。今度は一転して泣き喚く赤子を見下ろして、泣きたいのはこっちだぞとつぶやく。

あーもうどうしようと天を仰いで、すぐそばに近づく気配に気づいた。


「あら、随分可愛いもの抱えてるわね」 

 
気配の持ち主はパクノダという名の女性で、マチの二つ年上の仲間だった。


「パク、これは……違うんだ」 

 
「ええ、分かってるわ。道端に落ちてたわけじゃないんでしょ」 

 
マチの葛藤も何もかもお見通しのその落ち着いた瞳に、彼女は心底安堵して、卑怯だと思いつつその先を彼女に任せた。パクノダの口から出てくる言葉が自分を楽にすると知っていてそこに身を委ねたのだ。


「で、名前は決まったの? それとももうついてた?」 

 
これから私達が赤ん坊を何と呼ぶのかと、パクノダはマチに尋ねた。今この場で赤子を棄てる、あるいは殺すという選択肢を無いものとしてくれた。


「さあ、男か女かも分からないし……」


「じゃあ確かめてみましょう」

 
「何でそんなに楽しそうなのパク」


手を伸ばしたパクノダに赤子を手渡すと、彼女は嬉々として毛布をはがしにかかる。どうやらついてるかついてないかが相当気になるらしい。


「さてさて、あら、ついてないから――女の子よね?」


「まあ後から生えるんじゃなければね」


一人じゃなくなったマチがようやく冗談を言うとおかしそうにパクノダが笑ってくれる。

 
「じゃ、考えといてね。女の子の名前」 

 
「わ、私がか?」 

 
「当然! マチがお母さん何だから。ねーあなたもそれがいいよね」 


パクノダの意見に同意でもするかのように、彼女の腕の中できゃっきゃと赤ん坊が声をあげた。ほらねとこちらに笑いかけるパクノダの顔が今は恨めしい。

彼女の腕から赤ん坊をひったくるとマチは思いっきり顔をつき合わせて言ってやった。


「アンタ、最初に来たのがパクで良かったわね。男連中が来たら私が殺してたんだから」


言葉はもちろん分からないだろうが、気持ちはどうやら伝わったようで、ピタリと押し黙った赤子の様子にいい気味だとマチは思った。ポカリとパクノダに叩かれたのは計算のうちなので気にしない。

これで自分も脳細胞にダメージを負ったので心理面でダメージを受けたこの赤子と痛み分けである。

 この時の赤ん坊は、数日してマツリカと名付けられた。その名前は、彼女の仲間であるノブナガとウボォーギンが十も二十も名前の候補を考えては押しかけてくるのを実力で排除しつつ、結局マチが名付けた。

お母さんと呼ばれて、齢十五になった少女が膝をつくのはそう遠い日のことではない。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 マツリカの視界はここ流星街では基本的にのっぺりしている。彼女のこの世界での記憶は一人の少女の顔を基点として始まった。

その顔を見た時内心ひどく驚いたことをマツリカは確かに覚えている。何と確かに自分を抱える腕には立体の確かさを感じるというのに、こちらを見下ろす少女の顔はどう見ても漫画絵だったのだ。

更に言うならば、明らかにジャンプで絶賛休載中のハンター×ハンターの冨樫絵だった。

 実際のところ、まさしくその世界はハンターの世界観そのままで、彼女を小一時間抱きかかえた挙げくにもう殺しちゃってもいいよねという結論に傾きかけた少女は作中の主要人物の一人だったのだ。

彼女は、つまりはマツリカのマチねえは漫画絵でもうっとりするような美人に育ったが、三次元で見てもこれがまたはっとするような女性でマツリカ的には二度楽しめて非常においしかった。

 そう、彼女は常人のように三次元でこの世界を捉えることもできる。こうして二次元的に視界が切り替わるのはマツリカの念能力の一部だ。彼女が冨樫絵風のタッチで描いたもの及び、それに強く付随するものは、そのクオリティ次第で念能力発動中のマツリカの視界の中では二次元的に映るようになる。

明らかに特質系に属するその能力に、決定的に気がついたのはシャルナークという男性の存在が大きかった。赤ん坊のころマツリカが纏をすると、マチもパクノダもノブナガもウヴォーギンも冨樫絵チックになるのに対して、一番年の近い彼だけが三次元のままだったのである。

そうして年月が経ち、マツリカの物心がついてシャルナークを絵で書いてみると今度は彼まで冨樫絵になってしまった。そしてシャルナークの二次元化に伴って二割ほど三次元部分が残っていた近所の風景もほぼ全てが二次元化した。

彼女が元の世界で同人絵を描いた部分はもれなく最初から二次元的に見えていたというのがマツリカの出した結論であり、元世界での行動が影響を与えているという事実が"繋がっている"という希望をもたらすことになる。

その後、彼女は視界を二次元に切り換えた時に、何となく気になる三次元が残った部分をスケッチしては潰すという作業に没頭するようになり、そうやってしばらく過ごしたときに天啓のように気づいたのだ。

何故そう思ったのかと聞かれても理論的な説明は何もできない。しかし、自分の能力はこうなのだという確信にマツリカは震えた。思わず左手をぎゅっと握り締めて額に当てて強く祈った。

そもそもの始まりは、それこそ冗談のような話だった。いい年こいたOLで、そこそこの同人画家だった自分が、友達を家に呼んでおきながら自分はハンター×ハンターを読み漁るという暴挙を決行していた時だったのだ。

戯れに、

 
「あーあー、とうとうこの年になっても漫画の世界には行けなかったなー」


などと呟いて、呼び出された挙句放置されてるというのに何とご飯まで作ってくれていた友人の冷たい視線に耐えつつ、ごろごろと転がりながらその友人に近づいていったところで事は起こった。

とはいっても、覚えているのは突然開いた暗い穴に強烈な力で吸い込まれていったというだけである。その時、友人が自分の左手を掴んでくれていた力が、今でも時折まだ手首の辺りに残っているような気がすることがあった。

マツリカの友人は間違いなくこちらに来ている。

そして、自分が必ず元の世界に彼女を帰してみせるとマツリカは誓っていた。マツリカの能力は二次元化した世界への干渉だ。

使用するオーラの量や干渉する物体の大小や性質によってどこまで干渉可能かが左右される。そんな能力だ。

だがそれだけではないと彼女は本能的に悟っていた。彼女の認識するこの世界の全てを二次元に塗り替えた時、きっと上位次元への穴が開く。それは、それだけの念能力に育て上げてみせるという誓いでもあった。

可能な限りに早く、その努力を彼女は様々な形で自らに課してきた。例えば、念能力には制約と誓約といって、自身で条件付けをし、それを誓うことで能力を向上させるという技術がある。

麻雀やポーカーで条件が難しいほど高い点数がつくのと似たようなものだ。マツリカにもただ一つだけ誓約したことがあった。

自分自身は決して元の世界には戻らない、それを破れば命を失うというのが彼女の誓いだ。 

 
「こんなところにいた」 

 
ガラクタ山の頂での物思いを破ったのは耳に馴染んだちょっとだけ低めの女性の声である。


「あ、お母さん」


「……今度それ言ったら一生口きかないって言わなかったっけ?」 

 
「うん、お母さんがそれでいいならいいよ」 

 
マチが苛立ちとともに黙り込んだので思わずマツリカは微笑んだ。こうやって甘えてしまうのは、もういよいよとなってしまったから。

物語が動き出してしまうからだ。

パクノダとウヴォーギンは死ぬ、そして彼女はそれを描く。そうやって少しずつ近づいていくのだ。


「全く、今日出発するって言ったのはマツリカだろう」


「うん。じゃあいこっか、ハンター試験」


いるはずの無いマチの隣に立ついるはずの無い自分、ハンター試験会場にマツリカの友達が来るのならきっとすぐに気づいてくれる。

会ったら一発くらい殴られてやろう、そんでもってオムライスを作ってもらうのだ。

彼女に我侭を言うのはマツリカの特権なのだ。

男になっているなんて確率も、もしかするともしかしてしまうのだろうか? 



[4902] 目指せ! 試験会場①
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/02/01 16:54
 アリスのハンター試験合格から、順調に季節は一回りし、いよいよレオリオとエレナがハンター試験を受験する時が近づいてきた。

港町ウベからハンター試験会場ザパン市への道のりは遠い。旅費を安く済ませたいレオリオは船旅を提案し、エレナも異論なくそれに乗った。ただ実際のところ旅は安上がりとは言えないものになってしまう。
 
相変わらず縦には順調に伸びて十一歳のエレナは百五十センチをわずかに超えたというのに、体重の方はちっとも増えてる様子を見せないので焦燥感にかられたレオリオが説得して予定より一週間早く出発したのだ。

もちろんアリスはお留守番である。アリス自身がその事実に気づいた時が心配なレオリオだが、そのことをエレナに話すと根拠は無いが大丈夫だろうと言ってのけた。

曰く、気づいたら不味いからこそアリスは決して気づいていることに気づかないようにしているのだと言う。だからこそ簡単に彼女に着いてくることを諦めて留守番を了承したのだと。

 
「それにしてもくじら島は魚がおいしいね、レオリオ」


泊まっている宿の一室で、買い込んだ干物を黙々と消費していたエレナが咀嚼の合間に笑顔で話しかける。一週間先行していたスケジュールを埋めるため、ザパン市への中継地であるくじら島に滞在するのも今日で四日目だ。

先ほどまで不機嫌ですというポーズを見せていた彼女がようやく笑顔を見せたのでレオリオもほっと一息ついた。ちなみに、不機嫌の理由は初日に縁のあった漁師連中との飲み会に夜な夜なレオリオが出かけていった挙句に昼過ぎまで使い物にならなくなるからである。 

 
「ま、それが地場産業だからな」 
 
 
「なーにそれ、そこはおいしいねって適当に同意しとけばいいの」 
 
 
適当でいいのかよというレオリオの嘆きも気にせず、エレナは「地場産業万歳」と呟くと新たな干物へと噛み付いた。

彼女曰く、「訳あって」ここ一年伸ばしている黒髪は後ろでまとめられており、ショートの時同様綺麗な顔の輪郭は見て取れる。しかし、断然ショートの時の方が良かったと思うレオリオは一時期そう主張してみたのだが「何かね? 君には私を好きに着せ替えできる権利でもあるのかね」などと言われて引き下がった。

こうして一緒の宿に泊まっていると、毎朝レオリオには理解不能の手順でピンやら何やらでまとめているのが見られるのだが、そんなに後ろ髪がわずらわしいのならやはり切ってしまえばいいのにと思う。 
 
「そーそー、何か飲み会で聞いたんだがよ、くじら島出身でお前の一つ上のやつが今回一緒にハンター試験受けるんだってよ」 

 
「それがどうかした? 言っとくけど私は一人分くらいしかフォローできないよ」 
 
 
興味がまるでないと言わんばかりのエレナの反応にもめげず、レオリオは言葉を続けた。


「いやほら、お前通信教育で高校まで卒業資格取ったせいで同年代の友達いないだろ? 同じ船に乗るみたいだし丁度いいんじゃねえかって」 

 
「十二かそこらでハンター試験受けようなんて、尋常じゃない友達は私はいーやー」
 
 
うわぁとレオリオは手で目を覆う。言葉の内容は至極最もだが十一歳でハンター試験を受けようという彼女が言っては何というか色々と台無しだ。

だが彼女自身の言うようにエレナが親交を持つ人数は少なく抑えた方が賢いのかもしれない。

レオリオが見た限りでは彼女は他人に心を割きすぎる傾向がある。普段からのアリスとのやり取りは勿論だが、レオリオ自身も情けないながら世話になっているという実感があった。

もっと自分のことを考えたらどうだと言えば「だからこうして肉壁の養成をですなあ」などと軽く交わされるのが常で、レオリオとしては彼女が窮地に陥った時に助ける力のある自分がいればいいなあと願う限りだ。 

 
「ん、おいし」 
 
 
上機嫌で干物を胃袋に取り込んでいく様子を見ていると、こいつは実はそんなに深く考えてないんじゃなかろうかという錯覚に襲われるが、まあそれならばそれで悪くはない。

 後三日もすればハンター試験のために出発しなければならない。連れの少女の機嫌もあるし、そろそろ酒断ちするべきかと内心で検討する。ハンター試験をルーキーで突破するのはかなりの難関ということらしいが必ず突破してみせるのだ。
 
そう、アリスのハンター試験合格がレオリオの心に転機をもたらしていた。

これまでのレオリオは、ハンターになるとは公言していたものの、身近に見本がいるわけでもなく、「ハンターになる」ということを具体的にイメージしきれて居なかった。しかし、毎日のように顔を合わせていたアリスが試験に合格したことで自分も受かるんじゃないかという妙な自信というか、記念受験なんかではなく受かりにいくのだという明確な意思が形成されたのである。

そうなると俄かに具体性を増して行くのが、ハンター試験に受かり、学費免除の特権を得て医大に挑戦するという道であり、真っ先にそこをイメージしてしまった自分に思わず笑ってしまった。

 それによって、改めて医者になるんだという宣言をレオリオはしてのけていた。そんな彼にたいして、エレナが自分のことのように喜ぶのを見て決意を新たにするとともに、その頃考えていた発の開発をレオリオ自身の判断で止めている。
 
念能力を医術に役立てることを考えた場合、医大で専門知識を蓄えてからの方が絶対いいはずだというのが理由だ。戦闘に長けた念能力者になるよりも、より多くの患者を助けられる医者という方がレオリオの理想により近い。

ただ、エレナが言うように、「じゃ、私とアリスが守ってあげるね」などといった事態だけは正直勘弁して欲しいところだった。
 
 
「よっと」


その掛け声に思考を中断してエレナに目を向けると、能力名そのままの見た目である"豚の貯金箱"を彼女が具現化し、ベッドのエッジに腰掛けてレオリオに体を向けていた。


「で、夕方だけどどうする? また飲みに出るなら私はもう寝ちゃうけど」 
 
 
「いや、もう日数も少ないしな、今日から酒断ちするわ」


「そっ」 

 
エレナは豚の貯金箱を消すと、ベッドの脇から立ち上がってドアへとすたすたと歩いていく。


「どこ行くんだ?」


「朝レオリオがぐーすか寝てる時に宿のおばちゃんに釣竿借りて釣りに行ったの。そしたら何かアジが入れ食いでさー。フライ二人分頼んで来るね。手伝わせてくれそうならそのまま手伝って来るから」 
 
「おー、任せた」 

 
本当はちょっと飲みに行きたかったなーという気もするが、とりあえず正解を引き抜いた安堵で脱力する。干物の次はフライということらしかった。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 くじら島に滞在して一週間、十分に休暇を満喫したところでハンター志望者を既に大勢乗せた船が予定通りくじら島にたどり着いた。すでにレオリオとエレナは乗り込んで、すっかり宿のおばちゃんと仲良くなったエレナが見送りに来てくれたその人に手を振っている。
 
ここから乗り込んだ他の面々にもやはりそれぞれ見送りというのはいるもので、レオリオが酒の席で聞いた少年であろう人物が、絶対にハンターになって帰ってくるからねと叫んでいるのを見かけた。

 
「なあエレナ、あいつだよあいつ、漁師のおっちゃんに聞いたの」 
 
 
「そうみたいね」 
 
 
何だか妙に硬いエレナの様子が気にかかるが、レオリオは件の少年の方により目を奪われた。正確には彼のオーラにだ。念を覚えていないのは明らかだか常人というには余りにも力強い印象を受ける。

ちなみに今、レオリオとエレナは普通の人を装うために纏などは行っていない。ハンター試験でもよっぽどの事がなければ試験管はともかく受験者には念能力者であることを隠すように打ち合わせていた。

「レオリオは悔しくないの? あんな、あんなオーラ」 

 
彼女が奥歯を食い締める音が聞こえるような気さえする。エレナがこんな風に他人に敵意を向けるのはひどく珍しい。


「何だお前、格闘超人になりたかったのか?」


「ううん。違うけどさ、でもどこまで行けるだろうって考えるかな」 

 
「何か良く分かんねーけどくよくよするなって。こういう時はあれだ、お前の今年の目標を思い出すんだ」 
 
 
大体、やたら強い敵なんぞが現れたりすればそこはアリスに任せてしまえばいいのである。レオリオとエレナは純粋な格闘面においてはひたすらにアリスに手を引かれているのが現状で、二人ともに成長を続けているにもかかわらず山頂などは見えもしなかった。 
 
 
「目標かあ、コタツでみかん、コタミカ……ぐーたらしたいよねえ」 
 
 
「知らねーって。受かって戻ったら俺に休みなんてものは無いんだよ」 
 
 
「大丈夫だよ。レオリオのみかんは私が食べてあげる」 
 
 
レオリオの励ましに無難に乗っかってきたエレナはまだ次第に遠くなるくじら島から目を離さずにいた。きっと彼女の中の葛藤はおさまってもいないはずで、すぐ遠い場所に負の感情をしまいこんでしまうエレナのそんなところがレオリオは不安だった。 
 
 
「ほら、もういいだろ。とりあえず部屋っつーか所定のスペースに荷物くらい置こうぜ」 
 
 
「うん、おばちゃんから貰ったイカナゴのくぎ煮を万全な体制で守らないとねっ」 


くじら島滞在中の3日目だか4日目の昼食に付け合せとして出ていた小魚を甘く煮たものにエレナは大騒ぎした。その挙句に、宿のおばちゃんから大き目の保存容器に満載したものを受け取っていたのである。 

 
「あー、あの何か茶色いやつな」 


「ふふふ、今は好きに言っているがいい。ご飯との相性を経験したその時、レオリオ君、君は頭を地に付ける」


チケットに印刷された大部屋へと向かいながら鼻歌混じりでそう言ってのける彼女は、自分が思い出した荷物の中のタッパーに思いを飛ばして嫌なことは心から飛んだようだ。


「でも、あの量なら私一人で食べても二ヶ月持つかどうか――やはり独占すべきかなぁ」 

 
何かを真剣に計算しはじめた彼女が、そのイカナゴのくぎ煮の入ったタッパーを抱えたまま大揺れのハンモックの上で嵐の通過に耐えることになったのはわずかに数時間後のことだった。 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
  
エレナとレオリオの乗った船は、くじら島を出港して数時間して嵐にみまわれてしまう。ようやく揺れがおさまった時、もらいゲロの恐怖を抑え付けてエレナがハンモックの上から下をのぞいてみると、実に散々たるありさまであった。

鼻につく吐瀉物の匂いも気にせず悠々と眠り込んでいるレオリオや金髪の少年の姿に、信じらんないと心中で悪態をつく。しかし無理に彼らを起こすことはせず、エレナは乗客スペースの床へと降り立つと折り重なるようにしてダウンしている者の介抱と汚れた床の掃除を始めた。


「ねえ」

 
薬草をかませたり汚れた布団やタオルの類を運んでいたツンツン頭の少年が近くを通るところを捕まえるために声をかける。 

 
「どうしたの?」


暢気な黒い瞳がこっちを向いた。彼は絶対ハンターになると出港の際叫んでいた少年だ。


「あっちのさ、寝かせといた男の人たち何だけど、服濡れちゃってる人とか脱がしといてくれないかな」


「うん、分かったよ」 

 
快諾して早速その作業に取り掛かった少年の、その背中をエレナはついつい眺めてしまって、その事に気づくと慌てて床の掃除の続きを再開した。彼女がその少年に注目してしまうのには勿論理由がある。
彼こそがエレナの入り込んでしまった物語、HUNTER×HUNTERの主人公ゴン・フリークスその人なのだ。 
 バトル物漫画の主人公である彼は当然厄介ごとに次から次へとぶち当たるわけであり、エレナとしてはなるべく適度な距離を取っていたい相手だった。そんなことを何故エレナが知識として知っているかというのは誰にも話していない彼女の秘密だ。
 
HUNTER×HUNTERというのは、彼女の世界の商業誌上に掲載されたりされなかったりされなかったりしていた漫画物語であり、主人公であるゴンを中心としてレオリオなども描かれていた。

つまり、本来であれば彼女にとってこの今の世界は二次元の存在なのである。この世界が狂ってるのか彼女が狂っているのかはエレナにとって大きな命題だが、まあ今は、何はともあれハンター試験だ。 
船内の混乱も一段落というところで船長直々のアナウンスが響き渡る。その内容は、先ほどの倍近い嵐の中をこれから突っ切るので嫌な奴はさっさと船を降りて近くの島にでも避難しろという乱暴なものだった。

そして再び始まった大混乱によって、ほとんどの乗客が争うようにして海面に降ろされた救命ボートに乗り移って逃げ去ってしまう。


「結局残ったのは四人だけか」


ずんぐりむっくりした体格に、立派すぎるヒゲを生やした船長が何故か客室を訪れると乗客を集めてそう言った。残っているのはエレナとレオリオ、そしてゴン少年と金髪の少年である。


「悪いがお前さんたち名前は?」


「俺はゴン! ゴン・フリークス」


エレナ以外には意図の掴めない船長の質問に対して、一人ゴンだけが元気よく答えた。


「ま、名前くらいは別に言ってもいいけどよ、何の意味があるんだ?」


「そうだな、船賃を払っている以上客室で大人しくしている分には何の干渉も受けるいわれはない」 
 
説明を先にしろというレオリオの言葉に同意したのだろう、成人男性を基準とするとやや小柄な金髪の少年が言葉を続ける。 
 
 
「船賃ねえ、ははっ船に乗れば船長の俺が絶対だ。そんなのは関係ねえ――と言うのは俺の持論だが、今はまた別の話だ。ハンター試験だよ、ハンター試験。会場に着く前にもふるいは幾つもあるってことだな。さあっ――名前は何だ? ハンターになりたい理由は? 心して答えた方が身のためだぜ」 


俄かに絶対者として君臨した船長にたいしてまずはゴンが現役ハンターである父親のようになりたいのだと志望理由を話した。そして次が金髪の少年だ。


「私の名はクラピカ。クルタ族と呼ばれる少数民族の生き残りだ。四年前に一族を滅ぼした幻影旅団を追っている」


あまり穏やかでは無いクラピカの志望理由にレオリオが思わずといった調子で口を挟む。


「要は復讐か? 別にハンターじゃなくてもいいんじゃねえのか?」


そのレオリオの言葉を受けてクラピカが呆れたように肩をすくめた。他人の事情に口を挟むという時点であまり褒められた行為ではないが、レオリオのハンターに対しての無知ぶりもクラピカの顰蹙を買ったのだろう。


「君は馬鹿か? ハンターでなければ聞けない情報入れない場所というのが山ほどあるのだよ」

 
咄嗟に言い返そうとしてこらえたレオリオに対し、エレナはそでを掴みかけていた手を下ろした。そこに船長のしわがれた声が割り込む。


「旅団って言やぁA級の賞金首だぜ。素人に毛が生えたような奴が追えば死にに行くようなもんだ」


言いたくもないはずの志望理由を、しかも複数人の前で言わされた時点で苛立っていたであろうクラピカの雰囲気が変わるのが分かった。

それでも自分を抑え付けているのだろう、船長をにらみつけて搾り出すようにして声を出す。


「死などというものは全く怖くはない、私が恐れるのはこの怒りがやがて風化してしまわないかどうかだ」


クラピカの決意の発露に、船長は一つ鼻をならすとレオリオに顔を向けた。次はお前だということだろう。

隣に立っていたエレナはレオリオが志望理由を言う前に彼女に視線を落とす気配がしたので咄嗟に視線を合わせた。実際には二、三秒も無かったのだろうが、その行為の意味がよく分からずエレナは首を傾げる。

それがちょっと可笑しかったのだろう、レオリオはうっすらと頬を歪めると軽くエレナの頭を掌でポンポンと二度触れた。そして一歩前に出る。

まあ悪い気はしないが、丁度いい高さにあるからってレオリオは自分の脳細胞を殺しすぎだとエレナは思う。


「俺はレオリオっていう者だ。嘘吐くのもメンドイんで正直に言うと金だな。金がねーもんで医者になれないわけよ。つーわけでハンター試験に見事受かって学費免除を勝ち取ろうって魂胆だ。ああ、もちろんいい服いい酒いい車も大歓迎だぜ」 

 
その時その場で、レオリオが口にした言葉は原作とは決定的に異なっていた。エレナがまだ別の名だった頃に読んだ漫画の中では、彼はこの時お金のことしか口にしていなかったのだ。

どちらが良い悪いでは無く、変わったという事実がエレナにはひどく嬉しい。今世界に彼女だけしか知らない傷がついた。その形こそがエレナがここにいるという証なのである。 

 
「どうせ私が居なかったらいい女も付け加えるんでしょ?」
 
 
高揚した気分のままに軽口を挟むとレオリオが口を尖らせる。


「いいだろっ、それくらい言ったってよー。お前のせいでろくにエロ本も読めやしないんだぜ」


レオリオはエレナの事を良く知っている。些細なシモネタなど涼しい顔で受け流してみせる余裕と理解が彼女にはあった。

しかしどうやら、ここまでの船長とのやり取りで既に頭が沸き立ってしまっていたクラピカという名の金髪の少年は、十台になったばかりとうかがえる少女に対しての余り上品ではない言葉と、照れ隠しにレオリオが言葉に乗せた欲に我慢ならなかったようだ。 

 
「あまり感心できない喋り方は辞めた方がいい。レオリオ、品性は金では買えないよ」 
 
 
客観的に見ても喧嘩を売っていると判断できるその言葉に、その年代の男らしくあまり軽く見られるのが好きではないレオリオもまた苛立った。その気配に、エレナは諦めたように視線を落とす。


「てめぇさっきから喧嘩売ってんのか? だったら甲板に出ろよ、買ってやるぜ。クレタ族だかクロタ族だか知らねーがその血を絶やしてやる」 

 
「貴様! 訂正しろ、レオリオ。一族への侮辱は許さん」 
 
 
あーあと思う間もなくヒートアップする二人の様子にエレナは肩を竦める。レオリオの方ならもしかすると止めれたかもしれないが、念のために甲板に上がっておきたい彼女はそれをしなかった。
 
 
「訂正? しねーよ。それとレ オ リ オ さ ん だ」 
 
 
そう言い切ってレオリオが甲板へと出る扉へアゴをしゃくると、何も言わずにそこから出て行く。クラピカも迷うことなくその後ろに続いた。

そして二人がそこから甲板へ出て行くのと入れ代わるようにして船員が駆け込んでくる。


「船長! 思ったより風が巻いてやがるっ。やばいかもしれねえ」


レオリオとクラピカのやり合いに少し焦っているように見えた船長が、その船員の言葉を受けて絶対者としての姿をたちまち取り戻した。


「分かった。俺も出る!」


「船長。俺も何か手伝うよ」


自分の志望動機をのべてからは黙って様子を眺めていたゴンが船長に続いて甲板への扉をくぐった。

 
「ふん、好きにしろ。にしてもあいつらこんな中で決闘やらかすつもりか? 落ちたら浮かねえぞ、こいつは」


わざわざそれぞれに理由のある志望動機を他人の前で言わせた船長がそれを言うことに多少の憤りを覚えながらエレナは黙ってそれに続く。もっとも、それもハンター試験のうちと言われればそれまでだ。 
客室にいるときから揺れで大体の想像はついていたものの、実際に甲板に出て体験したそれは、エレナにとって未曾有の大嵐だった。体中に雨と舞い上がった海水が叩きつけられる。四十キロに満たないエレナの体は油断するとすぐにも風にさらわれてしまうだろう。

そんな中でレオリオとクラピカの二人は多少の距離を取り、向かい合って立っていた。この嵐の中で支えもなく立つことができる時点で二人が積み重ねた修練が透けて見える。そこに目を奪われて言葉をやり取りするゴンと船長をよそに、エレナは油断なく甲板上を観察していた。

未来が変わり得ると分かった以上、より確実な方を選ぶのは道理だからだ。そして、正対する二人が互いに隙をうかがいあう中、いよいよ耐え切れなくなったヤードと呼ばれるマストについている帆をつける横棒の一つが半ばからへし折れてしまう。


「カッツォ!」

 
一人の船員が名前を叫ぶその先には、今まで必死にマストの脇で帆をたたむ作業をしていた別の船員がいた。

その船員カッツォへと折れたヤードがぶち当たり、その時波によって大幅に傾いていた甲板の上を彼が落ちるように吹き飛ばされていく。クラピカの背後で起こったその事故は、当然正対するレオリオの視界に映っており、このままだと船員が海へと落ちるのを見て取ったレオリオが決闘を放り棄てて動いた。

その明らかに自分に向けてではないレオリオの突進の理由に、背後を振り向いて気づいたクラピカがそれに続く。その二人の姿が、一瞬で船員カッツォが吹き飛ばされるその船縁へとたどり着いていたエレナからは良く見えた。

ゴンも少し離れた船長の脇から飛び出している。何となくズルした気分になってゴメンネとつぶやいた。そして迫り来る船員へと意識を切り換える。

このまま待っていては質量で大きく劣る自分は受け止めきれない可能性が高い。だから彼女は強く踏み切るとカッツォに向けて跳躍した。速度を得て運動エネルギーを獲得したエレナの体は、空中でカッツォとぶつかって無事甲板へと落ちることに成功する。

間を置かずしてそこにたどり着いたレオリオがエレナを、クラピカとゴンがカッツォを甲板の上へと抑え付けて確保すると、そこにタイミングを合わせて他の船員が命綱を投げてよこした。


「よっしゃ! よくやったぞ嬢ちゃん」


「おおっ、ありがとなっ」


口々に船員に感謝の言葉を浴びせられる中、エレナはレオリオの体の下でわずかに身をよじる。


「レオリオ、ちょっと痛いかも」


「ん、ワリィッ」 

 
慌てて体勢を変え、レオリオは片膝立ちの自分の体にエレナをもたれさせ、彼女の左肩あたりから抱きこむように腕をまわす。エレナはクラピカにも聞こえるように少し大きめの声を出した。


「少しは頭冷めた?」 

 
「ああ、――おいっ、クラピカだったな。さっきは悪かった。発言は撤回するぜ」 
 
 
倒れた船員の介抱をしながら、こちらを注視していたクラピカが、レオリオと目を合わすと軽く首を振って笑った。


「いや、こちらこそ非礼を詫びよう。レオリオさん、すまなかった」 

 
「なんでー水臭ーな。レオリオでいいぜ」 
 
 
「(レオリオッ、美少年が笑うとやっぱ華が違うね、華が)」 

 
レオリオが呼び捨てでいいとクラピカに話す脇で、そんなことをレオリオだけに聞こえるように言うと、レオリオが肩から回した腕を上にずらして片腕で首を絞めてくる。


「んなこと言ってる場合かっつーの、とりあえず一度中に戻るぞ。お前軽いんだから何時飛ばされるか分かりゃしねえ」 

 
「そうだな、ゴン。この人も一度中に運び込もう」


「うんっ」 

 
うっわっ、こいつらそんなとこで決闘していたことを棚に上げやがったと半ば呆然としながら、エレナは素直にレオリオに体を預けて客室へと戻った。客室でエレナを床に降ろしてほっとしたらしいレオリオが突っかかってくる。


「お前なあ、あんな嵐の中で無茶な動きしてんじゃねえよ。心配するだろうがっ」


「レオリオの言う通りだっ。下は激早の海流に人魚ですら溺れると名高い危険海域なのだよっ!」


何故自分が責められているのだろうか? エレナが少々白けていると、頬をぽりぽりとかくツンツン頭の少年と目があった。彼はエレナへと困ったねといった具合の表情を見せている。

あれだけ濡れてなお天を突くその髪質に疑問を抱きつつ、エレナは話をふった。


「ねえゴン。言ってやって言ってやって」


「うん、そんな場所で決闘している方がよっぽど危ないと思うよ?」


心得たとばかりにゴンがそう言うと、レオリオとクラピカがぐっと黙る。そして勝利を確信したエレナが髪留めのピンの位置を適当に直していると、甲板からの扉が勢いよく開き、船長が現れた。


「ようお前ら、さっきは助かったぜ。海もそろそろ落ち着きそうだ。ハンター試験はもう全員合格でいいからよっ、とりあえず嬢ちゃん、名前だけ教えてくれや」


「私はエレナよ。ちなみに志望理由、いえ――受験理由は人探しね」 

 
名を問われたエレナは、自分だけ受験理由を秘匿するのも申し訳ないので、人探しが目的であることを告げた。そんなことは聞いたことの無いレオリオが驚きの表情をつくるのを見てくすりと笑う。

この世界が漫画になっている世界で友人だった人物を探していると言えば病院にでも連れていかれてしまうだろうか。

ちなみに、エレナはハンターを志望しているとは少し言いがたい。ライセンスを持っていれば便利なので最後まで受験する気でいるものの、恐らく彼女の望みは最初の試験会場でかなうことになる。

 
「なるほどな、まっ嵐もすぐ止むかからよ、後は着くまでゆっくりしててくれや。ゴンは操舵でも見るか?」


「うんっ!」 

 
船長の言葉に元気良くうなずいたゴンが、船長に続いてまた甲板へと上がっていった。その背中が扉の向こうに消えるまで追っていたエレナの瞳が床へと落ちる。

本当にこれで良かったのかという思いが胸によぎった。船員カッツォの救出、それはレオリオ、ゴン、クラピカの三人が強く絆を結んでいく最初のイベントの一つだ。それを自分は台無しにしてしまったのではないだろうか?

そんな事を考えて、エレナは何故か自然と原作に沿おうとしている自分に気づいて愕然とした。もっと、もっと自分は検討を重ねるべきだったかもしれない。

ゴンとクラピカに深く関わると命のやり取りの中へとレオリオと自分は引き込まれていってしまうのだ。今からでも遅くはないかもしれないと、談笑するレオリオとクラピカを見上げる。

だがしかし、彼女は結末を知らない。もしかすると世界的な危機からの救済には三人の絆が必要とされるのかもしれなかった。自分が答えの出ない思考の迷宮に囚われているのに気づいて、エレナは薄く笑った。

今はこれ以上考えても仕方がない、彼女はこの船に乗ってしまったのだ。


「私は寝るっ!」


そう宣言すると、傍らのレオリオとクラピカが驚いて彼女を見た。


「おっ、おう」

 
レオリオの返事を聞き流し、彼らには顔も向けずに自身に割り当てられたハンモックへと移る。

無事真ん中に鎮座していたイカナゴの保存容器を抱え込んで目を閉じた。胸にかかる重みに、ふとこの世界と、彼女の元いた世界、時の流れはどういった関係になっているのだろうかと疑問が浮かぶ。

向こうでは幾度瀬戸内に春が訪れて、イカナゴがスーパーの店頭に並んでいるのだろう――。

エレナが胸に抱えたくじら島のおばちゃんのイカナゴは、彼女の母が炊いたものとはやはり少しだけ味が異なった。



[4902] 目指せ! 試験会場②
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:dce86687
Date: 2009/02/11 22:07
 二度目の大嵐を潜り抜けた後は、それまでが嘘のように天候は落ち着いて航海は順調に進んだ。

そしてザパン市最寄の港町ドーレにたどり着く。穏やかに進む航海はそれはそれで素晴らしいものだが、レオリオは久方ぶりに踏みしめた地面の安定感にやはりほっとした。

見たところ、ドーレはそれほど大きな町では無いようだ。だが降り立った港には不自然なほどに人が溢れていた。どうやらこの場の群集はほとんどがハンター試験受験者なのだろうが、強面が多い割りには大したことが無さそうなものばかりだなという印象を持った。

もっとも、周りからすると子供連れの自分達こそが揶揄の対象になっているだろう。彼らの誰もが、レオリオの傍らに立つ少女に自分達がまとめてかかっても適わないなどとは思いもしないに違いなかった。


「随分な人ごみだな」


船内で打ち解けた四人は、ひとまず共に行動している。今口を開いたのはクラピカだ。エレナとゴンは降りてすぐ買ったソフトクリームを処理するタスクを口に課している。


「ああ、それでこれからどうする? バスが出てるみたいだが」


恐らくバスに乗る流れになるだろうとレオリオが誘導すると、エレナがソフトクリームを口から話した。


「それなら私とレオリオとゴンはあっちに行くからクラピカも一緒に行こうよ」


あっちと彼女が指差す方を見ると、一つ二つとそれほど高くない山々が連なっている。そのうちのある山頂に、一際目立つ巨大な杉の木が立っており、どうやらエレナはそれを指しているらしい。


「さっき船長が教えてくれたんだよ。あの一本杉を目指せって」


補足の説明が必要だと思ったのだろう。ゴンが一気にソフトクリームを口に放り込みあっという間にそれを処理すると付け加えた。


「でもせっかくザパン市直通のバスがあるんだぜ?」


「いや、レオリオ。先ほどの船でもそうだったが、なるべく試験会場にたどり着く受験者は少なくなるようになっているんだ」


だから直通のバスなどという便利なものは信用できないのだというクラピカの説明で、ようやくレオリオにも納得がいった。


「そ、だから直通のバスよりはマシかもよ?」


ようやく分かったかとエレナが悪戯っぽい笑顔を見せる。そしてすぐにソフトクリームの方に向き直ったので、彼女のつむじを最初から全部説明しろよとレオリオはにらみつけてやった。


「へーへー、分かったよ。じゃあそこまでゆっくり歩きますか」


レオリオは、当然お前も来るよなとクラピカに顔を向けた。


「ああ、では私も同行させてもらおう。構わないかな?」


「うんっ。一緒の方が楽しいよ」


飛び跳ねるようにクラピカの同行を喜ぶゴンを見て、こいつはいつも元気だなとついつい感心してしまう。そのままクラピカと並ぶようにして一本杉への道を歩き出したゴンの後ろを、レオリオは続いて歩いていった。

そこでちらりと横を見ると、ようやくソフトクリームをやっつけたエレナが前を向いて歩いていた。彼女は特別平時のテンションが高い方ではないので、黙々と歩いていても別に変では無いのだが、どうも二度目の嵐が過ぎた辺りから様子がおかしいようにレオリオは感じていた。


「どうかした?」


「いーや何にも」


こちらが見ていることに気づいたエレナに軽い返事をしてレオリオも前を向く。その後しばらくは両側に何もない道のりが続き、彼ら四人は適当な世間話を繰り返しつつ歩いていった。

その際、エレナに何もおかしなところを感じなかったレオリオは意気消沈しているように見えたのは気のせいだったかと思い直す。

そうやってしばらく歩いていくうちに、港町ウベの外れにもあるようなスラムへと四人は入り込んでいた。そしてその貧民街では、船長からの質問と同様、受験者の振り落としのための関門が用意されていたのだ。

それが、――ドキドキ二択クイズである。

ただのクイズではない。断じて否。そう、ドキドキ二択クイズだ。

気軽に答えてしまえば魔獣に襲われても文句は言えない。それがドキドキ二択クイズであり、受験者次第では出題者の村人がいつ皆殺しにされてもおかしくない。そんなところがドキドキの冠を戴く理由でもある。

ハンター協会からそれなりの補助金が出るからこそこうしてリスクを冒して出題しているものの、今度の受験者さんは大人しい人ならいいなぁと毎回鼓動を早めて出迎える村人たちの姿がそこにあった。

結果からいうと、レオリオたちは無事良い形でその村を通過することに成功する。

ドキドキ二択クイズでは、例えば「母親と恋人、どちらか一人しか助けられない状態ならどちらを助ける? ①母親、②恋人」のように、決して正解がどうとはいえない問題が出題されている。

そして、①あるいは②と答えてしまうと魔獣にフルコースで歓迎される道に通され、五秒間の沈黙でもって答えれば一本杉まで安全に行くことのできる隠された道へ通してもらえるというつくりになっていた。

レオリオはというと余りにもふざけた問題に出題者の代表である老婆の頭をかち割ってやろうかとも思ったが、判断に迷ってエレナと視線を合わせると、彼女が余裕のある笑みとともに両手を後ろで組んで目をつぶった。

動かないし何もしないというポーズに「それでいいんだな? 信じるぞてめぇ」といった具合にレオリオも沈黙を保つと、カラクリに気づいていたクラピカと考えても答えが出せなかったがゆえに沈黙していたゴンも何も言わなかったため、一本杉までの安全な道のりが開かれたというわけだ。

 そうして歩き出した一本杉への道はそこそこの道幅があるものの、両側は常に深い森で風景の変化には乏しかった。遠めにも一本杉のある頂は、山というよりも高めの丘といった感じであったから傾斜が緩いのは何よりだが、さすがにそこを数時間も歩くと気疲れしてしまう。
 

「一本杉はまだかー。二時間で着くはずだろ? 二時間なんてとっくの昔に過ぎてるぞくそったれ」


「ほんとほんと、シャワー浴びたいご飯食べたいお菓子も食べたーい」


だらだらと歩きながらレオリオがエレナと愚痴を言っていると、数メートル手前を歩いていたクラピカがわずかに笑いながら後ろを振返った。


「二人とも体力的には余裕があるようだが、どうにも愚痴が多いな」


「いやほら、退屈な旅路をレオリオがその恥に塗れた半生を語ることで紛らわせてくれるかと思ったらそんなこともないしさー」


エレナがにやにや笑いながら無茶苦茶なことを言い出した。だがまあレオリオにとっては何時ものことである。


「何故に俺がお前を楽しませなきゃならんわけよ。ってか勝手に人の人生を恥で彩るな」


「えー、そんなの私の勝手でしょ」


澄ました顔でぬけぬけとそう言ってのけるエレナに、レオリオとしては苦笑してみせるしかない。もっとも、彼女はこれ以上言い過ぎると怒るというラインまでは大抵いかずに切り上げるし、積極的にからかいに行く相手はレオリオの知る限り自分とアリスだけだ。年下の少女に懐かれていると思うとそんなに悪い気はしなかった。


「ハハッ、おまえ達は不思議だな。最初はレオリオが尻に敷かれているのかと思ったが今はエレナの方が甘えているように見える」


端正というには繊細すぎる顔立ちの美少年であるクラピカがそんなことを言って笑ったので、レオリオは隣のエレナも同じ反応だろうと思いつつ、拳を握り締めた。その拳はわずかに震えている。


「ねえクラピカ、いえクラピー」


「く、クラピー? どうしたエレナ、少し怖いぞ」


低く抑えられたエレナの声音に、クラピカがやや後ずさると彼女はその分ずいっと大きく踏み出した。レオリオより前にエレナが出たため表情は見えないが、向かい合うクラピカの表情からすると相当に歪んでいることだろう。


「口は災いの元って言葉知ってる? 知ってるよね? でもあれだわ、知識だけじゃやっぱりダメなのよ。肉体的精神的な痛みを伴う経験によって人は物事を本当の意味で知ることができるんだって私は思うの。レオリオはどう?」


「そうだな、俺もそれを今実感してたところだ。幸いクラピカは知識欲が高いみたいだし、やってしまってもいいよなあ? エレナ」


ポキポキとわざとらしく拳を鳴らしてレオリオが近づいていくと、クラピカが救いをゴンに求めて振返った。しかし、ゴン少年はマイペースでずんずんと進んでしまっており助けになりそうもないことに気づく。だが救いはそのゴン少年によって数十メートル先からもたらされた。

「ねえっ!? 一本杉あったよーーーっ!!」


どうやら目的地が見えたらしい。その福音に真っ先に飛びついたのは無論クラピカだ。


「なにっ! 本当か、すぐ行くぞゴン」


身を翻して飛ぶように駆けていくクラピカの背に、仕留めそこなったかとエレナが悪態を吐く。だがまあクラピカの慌て様を見て多少は満足したらしい。「行くよ」とレオリオに聞こえるように言うと、軽い足取りで走り出した。

レオリオとしてはのんびりゴンのところまで歩きたいところだったが、彼も仕方なく走り出す。


「ほらっ」


最後にレオリオがたどり着くまで待って、ゴンが道の前方を指差した。そこには見間違えようもない一本の巨杉が佇んでいる。レオリオとしては四方に枝を伸ばす広葉樹の大らかさの方が好みだが、ここまで巨大な杉が真っ直ぐ天に向かって伸びているのを見ると胸のうちから自然と畏敬の念が溢れてくるものだなと実感した。


「小屋があるな、明かりも漏れているし人がいるのだろう」


確かにクラピカの言うとおり一本杉の威容から十メートルばかりのところに、木組みの小屋が立っていた。恐らくそこにハンター試験会場へとたどり着くための何か、恐らくは誰かがいるのだろうとクラピカやゴンに続いて小屋へと歩いていく。


「すみませーん、誰かいますかー」


ゴンが何度か戸を叩き、中にいるであろう人物に呼びかけるがどうにも反応がない。


「えーーっと、すみません入りますよー」


しびれを切らしたのか、はたまたくじら島ではそれで何も問題が無いのか、中からの反応が無いと見たゴンが遠慮なく扉を開いた。そして忽然と視界に飛び込んできたのは、キツネ色の巨体だ。がに股に丸まった猫背、そんな状態で軽く二メートルを超える魔獣がそこにいた。

キルキルキルキル――

何かが軋むような耳障りな音はその魔獣から発せられており、そして何よりその右腕には気を失った女性が軽々と抱えられていた。その後ろでは腕に抱えられた女性の連れ合いだろうか、男性が床に転がって苦悶の声を上げている。

状況を見て取ると同時に、レオリオの手前にいたゴンとクラピカは臨戦態勢に入っていた。だが扉が開かれた時にはすでにこちらに向き直っていた魔獣は、こちらの人数を警戒したのか、女性を抱えたまま窓を突き破って逃走へと移る。


「レオリオッ、怪我人を頼む! ゴンッ我々はアイツを追うぞ!!」


「おうっ、任せとけ」 「分かった!」


ゴンとクラピカが逃げ去った魔獣を追っていくのを見送ると、レオリオは倒れている男へとかけよっていく。彼はまだ意識を保っていた。


「妻……、私の妻は?」


「大丈夫だ。俺の仲間が追ってる。必ず取り戻すさ」


そう励ましながら怪我の具合を確認していく、外傷は恐らく左腕上部の裂傷のみだと判断してスーツケースから包帯を取り出す。しきりに妻を案じる男をはげましながら、手際よく応急処置を行い終えたところで、エレナが事態に反してやたらのんびりした声を出した。


「ねえ、一年でこの時期しか使わないんじゃしょうがないかもしれないけどさ、掃除はもっと丁寧にやった方がいいと思うわよ」


多少埃っぽい室内が気になるのだろうか、エレナは鼻から口元にかけてを片手で覆っている。


「エレナ、一体何言ってるんだ?」


「それに窓は出て行ったとこしか破れてないし、私達が来た時に扉が閉まってたってことは随分きっちりした誘拐犯さんね」


確かにあの魔獣が逃げ去るその時まで窓に損傷が無かったのならば、あの大型の魔獣はレオリオたちと同じ扉をくぐったはずであり、押し入った直後にわざわざ扉を閉める手間などかけるはずがない。そして何より、レオリオは応急処置を終えた男のオーラが今まで見てきた人のものとは明らかに異なることに今更ながら気づいた。


「げっ、人間じゃないのかっ」


「大丈夫、さっきの奥さんと誘拐犯さんも合わせての小芝居だと思うわよ」


「ははっ、そこまでバレチャ仕方ない。申し訳ありません。私どもはここを訪れるハンター志望者を試させてもらっているものでして」


怪我をしていたはずの男が、よっこらしょと腰をあげるとそういって一礼した。どうやら謝罪のつもりらしい。


「あー、じゃあアンタもさっきのデカイやつが本当の姿なんだな? あとゴンたちは危なくないのか?」


「私の正体についてはそれであっています。あなた達の連れに関してはそれぞれご自身で転んだりしない限りは危険はないと思ってもらって大丈夫です」


ならまあ問題ないかと判断してレオリオはひとまず胸を撫で下ろした。


「でよ、念のために聞いておくがその怪我は大丈夫なのか?」


「ええとですね、念のため本当に体に傷をつけていますので、適切な応急処置をしていただき助かりますというところですね」


どうやら包帯を無駄にしたというわけではないらしい。いよいよすることの無くなったレオリオはそのまま魔獣であるらしき男と、エレナとともに話をして時間を潰した。

彼らは凶狸狐と呼ばれる魔獣であり、一家四体でハンター試験のナビゲーターをしているらしい。ナビゲーターとは有望なハンター試験受験者を本試験会場に誘導する者たちの呼称であり、どうやら試験会場にたどりつくためには彼らのようなナビゲーターを見つけるのが効率的だということらしかった。

そうやってしばらく待っていると、凶狸狐が二体と凶狸狐が人間の女性に化けた姿をしたものが一体、そしてゴンとクラピカが無事小屋へと戻ってくる。

そこで改めて彼らがハンター試験会場へのナビゲーターであることの説明と、ゴンの身体能力やクラピカの観察力などがハンター試験受験に相応しいと彼らが判断したことを話された。


「でだ、実を言うと期限が迫っててね、このまま夜の散歩としゃれ込ませてもらうよ」


一家の長である父親の凶狸狐が最後にそう言った。毎年変わるハンター試験の会場、期日を正確に知るナビゲーターの判断だけに少々しんどいなあと思いつつも従わざるを得ない。徒歩だと嫌だなとレオリオが思っていると、凶狸狐たちの両腕が翼へと変形した。

そして――彼らは月夜を背に腕を凶狸狐たちにそれぞれ掴まれて、ぶら下がり健康法を実践しながらザパン市へのフライトを楽しむこととなったのである。



[4902] 目指せ! 試験会場③
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:dce86687
Date: 2009/02/13 01:26
 ハンター試験の会場があるザパン市へと一行が到着したのは正午前といった頃合だった。凶狸狐が本性を現していると大変な騒ぎになってしまうため、一度街の外れで降りてからは、一家の長男のみが人間の姿に化けてエレナたちを案内している。
 

「あそこだよ」


そう指で示された先には巨大なビルが構えており、レオリオやゴンなどがさすがハンター協会などと感心していた。だが実際の試験会場はそのビルではない。そのすぐ隣にこじんまりとした定食屋、その名も「ごはん」が店を出しており、ナビゲーターにそちらこそが試験会場だと訂正されて、二人は微妙な顔を隠せずにいた。

 すでに原作からその辺りを知っていたエレナは、心を定食屋の地下にもうけられた地下空洞に飛ばしていた。そこできっとカスミに、旧来の彼女の友人と再会できるに違いなかった。
 
くじら島からの船の時点で顔を合わせるのではないかと予想していたが、どうやらカスミはそれ以外の方法で会場にたどり着くアテを得ていたようだ。

会ったらまず何て言おうか、相手が元気だといいなあとそんなことばかり考えていたので、凶狸狐の長男が店へと入っていくのに続こうとしたところで横から飛びついてきた人物に対応できなかった。


「ハツネーーッ!」


ガバッと腰を丸抱えするような横からのタックルをくらって、エレナはぶつかってきた人物とともにゴロンゴロンと定食屋の前の道路を転がった。その際、ぶつかった人物の抱えていたクロッキー帳がエレナの脇腹に直撃してしまい、痛みに悶絶する。


「ああっ、ハツネッ! 大丈夫? 傷は浅いといいなっ!?」


実に自分勝手な願いを言い散らしてくれる声も、やけに滑らかな小麦色の肌や鋭い目じりも記憶の中の彼女とは似ても似つかない。しかし、この世界でエレナを"ハツネ"と呼んでみせるのはカスミ以外には不可能な所業だ。


「かっ、カスミッ! あんたクロッキー帳に周かましてたのワザと? ねえワザとよね?」


周というのは己の体以外の、自身が触れているものに念を通して物質の強度を高める技術だ。例えばスコップに念を通すことで硬い岩盤ですら掘りぬけるようになる。つまり脇腹に当ったクロッキー帳はエレナですら悶絶する強度を獲得してしまっていたのだ。


「ええっ、違うよ。ぶつかる直前にクロッキー帳がくしゃっとなったら嫌だなって」


「うわっ、何それ。もっと友達の脇腹を尊重しなさいよ」


「しょうがないじゃん。感動のままに飛びついてる途中でつい思っちゃったんだもん」


何が"だもん"だ、精神年齢三十を通り過ぎて気色の悪い語尾を使ってるんじゃねえという言葉は飲み込み、エレナは別の言葉を探すついでに様子をうかがった。案の定レオリオあたりは口を開けて呆然としている。さてさてどうやってこの場を収めたものかねえとカスミに向き直ったその視界の端に、エレナはとんでもない人物を見つけてしまう。

一人の女性がいた。周囲から浮いた独特の和装、成長途中のエレナと同じくらいの小柄な体躯にやや癖のある髪の毛を後ろで一つに纏めている。年齢は若い、恐らくは二十代の前半から半ばだろう。真っ直ぐこちらに歩いてきていることと、視線からカスミの連れであることは間違いなさそうなのだが、エレナには正直当って欲しくない一つの名前が浮かんできていた。


「ねえカスミ、あの人」


否定しろよ、絶対否定しろよと念じつつ、目の前のカスミに言葉と視線で問うと、彼女はまず小声で「聞いて驚くなー」と暢気に言ってのける。その台詞に嫌な予感がわきあがり、そして次のカスミの台詞で予感は現実となった。


「マチねえー、こっちこっち」


終わったと思ってしまったエレナを誰にも責めることはできないだろう。カスミの連れが幻影旅団のマチであることが確定してしまったのだ。幻影旅団とはA級の賞金首であり、つまりは犯罪者集団である。そして何より船旅からエレナたちと同行しているクラピカが追い求める復讐の対象であった。

恐らくクラピカに秘匿することは可能だろう。だが問題はもう一つの爆弾の方にこそある。

マチ以外にも、幻影旅団の証を背に持つヒソカと呼ばれる道化師が今回のハンター試験に参加しているのだ。彼には随分な問題があった。たまーに人を殺すのを我慢できなくなる悪癖と、強く育ちそうな人物に目をつけては成長を見守る趣味を持っているのである。

そして目をつけた人物が十分に強くなれば、殺し合いたくなるという正真正銘の変態であり、エレナとしては自分が彼の趣味に合おうが合うまいができるだけ関わらないようにしようと思っていた。

しかし、ようやく再開を果たした旧友の保護者がマチだというのならきっとヒソカとも顔見知りに違いない。もしカスミが嬉々としてわざわざヒソカを紹介してきたりしたら殴ろう、絶対殴ろうとエレナが決意を固めたところでマチが二人のもとへ到着した。

その後方にいるレオリオは呆然としていてまだこちらに来てくれそうにはない。


「いきなり飛び出していったかと思えば、知り合いかい?」


「う、うんっ。そうだよマチねえ」


マチねえという呼び方に、やはりカスミが幻影旅団と深い関わりを持っているらしいと認識すると同時に、カスミの慌てようを見てエレナは微笑んだ。顔立ちも声音も違うがこのカスミはどうやら本物だ。自分に会う事ばかり考えていて、言い訳を考えていなかったに違いない。

エレナは昔の通りに、助け舟を出してやることにする。女は度胸だと自分を鼓舞すると、マチの前に出て一つ礼をとった。


「ネットで知り合ったので実は顔を合わせるのは今日が初めてなんですよ。ネット上では私がハツネで彼女がカスミと呼び合っていました。本名はエレナといいます。よろしくお願いしますね」


いきなり殺されることは無いよねと、ほんの少しだけ見上げて目線を合わせながらそう言ってのける。マチの切れ長の瞳でじっと見られると、背中がぞくっとするのを感じた。

わずか数秒の空白を、マチさん睫毛長いなあ可愛いなあと現実逃避しながらしのいでいると、目の前の女性がわずかに頬を歪めたのが分かった。


「ああよろしく。私はマチだ」


「私の本名はマツリカだよ、マチねえが付けてくれたんだ」


横からカスミがそう言ってエレナの手を取る。そうですか旅団どっぷりなんですね君はと心中で深く落ち込む自分を隠して、エレナは再度自分を猛烈に応援した。笑顔だ、第一印象が大事なのだ。厄介事を持ち込んできた旧友へのちょっとした嫌がらせと自らの保身を賭けて、何としてでもやりきるのだ。


「わー、じゃあカスミの、じゃなかった。マツリカがいつも話してくれるお世話になってる大好きなお姉さんがマチさんなんだっ」


たちまち効果を表したのは嫌がらせのほうである。


「えっ、わっ、言ってない。言ってないからね」


真っ赤になってそうマチに否定してみせるカスミの姿は明らかに逆効果だが、この様子を見ると彼女はマツリカとしてそれなりに愛情を受けて育っているようである。照れる旧カスミ現マツリカを前にしたマチは一見動揺したところもなく、落ち着いてマツリカの前に立っている。これで内心とても喜んでたりしたら面白いなあとエレナは思う。


「その百倍くらい悪口も聞いてるんだろ? 後で聞かせなよエレナ」


「ではそれは今度マツリカのいないところでやりましょうか」


よし、ひとまず出会い頭に殺されるイベントは回避したかなと心中で拳をぐっと握った。後は気まぐれに殺されるイベントや敵認定されて殺されるイベントを回避すれば大丈夫だと考えて泣きたくなる。


「おいエレナー、そちらのお嬢さん方は知り合いか?」


気づくとここまでの旅仲間から代表で押し出されたのかレオリオがすぐ近くまで来ていた。


「同い年なのが今日初めて会ったネット上の友達でこっちのマチさんはその保護者ー」


何も言わないのは不自然なので、とりあえずレオリオに二人を紹介するエレナだが正直ここからどうして良いのか分からない。このまま常識的な流れで物事が進むとなると、エレナの友達なら一緒に行こうとなってしまうだろう。

しかし、まずないだろうがマチが幻影旅団のメンバーとばれた瞬間クラピカの死亡が確定してしまう。現時点では決定的な強さの違いがマチとクラピカにはあった。

しかし、エレナにはレオリオやマチから見て不自然さを感じさせずにマチやマツリカと別行動をする理由をつくりだすことは出来そうにない。唯一の希望はマチが「私はあんたたちと一緒なんてごめんだね」といった具合に自ら離れてくれることなのだが――


「ねえマチねえ、エレナたちと一緒に行っていいでしょ?」


「ま、あんたの好きにしな」


「お、じゃああんたらも一緒か? 俺はレオリオってんだよろしくな」


エレナたっての希望はマツリカに握りつぶされたようである。何だか嬉しそうに見えるレオリオは美人の同行に浮かれてるのだろう。頼むからセクハラだけはしてくれるなよと祈るばかりだ。エレナは自分だけ苦悩させられている状況の理不尽さに、やばい、ハゲるかもしれんと肩を落とした。

でもまあ、何とかなるかなあと顔を上げる。どうやら念能力者としてのマツリカは随分と自分より強いようだ。マチともども纏を隠そうともしていないことからそれはうかがえた。エレナやレオリオのように、他の念能力者からマークされることを警戒する必要などないという強者としての傲慢さの表れである。

一番不安だった戦闘面を、マツリカが補ってくれると思うととても心強かった。

 
 
 
 
 


 
 
 
 
  
マツリカはクロッキー張に原作主人公達の食事風景をスケッチしていた。エレナやマチの姿は枠から外すことで目の前で三次元的に展開されている原作風景を自らの内で二次元のイメージへと落とし込んでいく。

ここはもう定食屋「ごはん」の中、店の客用スペースの奥に設置されている個室が丸ごとエレベーターになっている一室である。ステーキ定食が運び込まれた後、部屋ごと地下へとゆっくり降下する中で、マツリカたち一行は昼食をとっていた。

ちなみに、ナビゲーターは店の店主とのハンター試験受験に必要な暗号のやり取りを経て、皆をここまで案内した後に一本杉へと帰っていっる。

余り肉類が好きではないマツリカは、サラダだけを早々に平らげてステーキ部分をマチにまわした。それはハツネ、つまりはエレナが譲り受けて処理しているようだ。

マツリカはこの時少しばかりほっとしていた。最大の目標であるハツネの現在の名前と容姿の確認は無事終了していたからだ。ここからは彼女の念能力の影響力を高めるために、原作シーンをなるべく再現してはスケッチを行うという作業に集中しなければならないのだが、こちらに関してマツリカは満点をすでに諦めていた。

何故なら自分も含め、この場では完全なイレギュラーであるマチとエレナの存在があるからである。マチはきっと省エネ運転で多くに関わらず、ハンターライセンスを取得するのに必要な作業だけをこなそうとするだろう。

だから問題はエレナだ。不確定要素は少ない方が良いのだから今すぐにでも退場してもらうほうがよい――というわけにはいかないだろう。どうやら彼女はレオリオと以前から知り合いのようなのだ。エレナが突然いなくなれば彼の行動に多大な影響が出る可能性があった。

ちなみに、マツリカの念能力発動時の視界の二次元化には原作の再現が絶対必要というわけではない。しかし、原作シーンを直接目にすることで、彼女の中でこれは漫画の世界なんだという認識が強化されるのである。そのシーンをスケッチすれば大きく視界の二次元化が進行し、彼女の念能力発動の土台が大きくなるのだ。

よって、エレナがいる状況でなおかつ原作のシーンをなるべく多く再現することと、それを描くことが当面のマツリカの目標となるだろう。四次試験や最終試験あたりまでくれば問題なくエレナに退場してもらうことも可能かもしれない。

協力を頼むとすればマチよりもヒソカの方が良いだろうか――。

本当なら、マツリカは全部エレナに話してしまいたかった。しかし今はまだ彼女に自分の目的を話すことはできない。例え彼女がどんなに元の世界に帰りたいと思っていても、話せば恐らく、いや、間違いなく止められるだろう。

例えば、ボンズと呼ばれる女性は作品中では惨い殺され方をしている。マツリカとしては原作と同じ最期を迎えてくれる方が都合が良いし、その場に彼女がいたらそれを描くだろう。しかしエレナは、ボンズが惨たらしい最期を迎えることは許容しても、その場にマツリカがいたならば彼女が傍観することは決して許してくれはしまい。エレナのためなどという理由であればなおさら激怒するに違いなかった。

そんなことをつらつらと考えながら、マツリカの頬は思考の重さとは不釣合いな笑みの形を描いている。彼女は実のところ心底安堵していたのだ。今日初めて目にしたこちらの世界での友人は、念能力者として自分よりもまだ弱いことに胸を撫で下ろしていた。

いざとなれば力づくででも事が成せる。マツリカにとって、それは歓迎すべきことに違いなかった。



[4902] 一次試験
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/03/03 21:25
 黒髪の少女が身じろぎ一つせずマツリカの様子を眺めていた。その表情から見て取れるのは――不安だ。マチが見ているエレナの視線の先にはスケッチをしている養い子がいる。マツリカは絵を描くことに集中しており、彼女の体が向いているその前方には大量の血痕があった。
 
ここはステーキを食べ終えたころに到着した地下の大空洞である。数百人ほどはいるだろう受験者がそれぞれに群れる中にマチとマツリカ、そしてマツリカの友人であるというエレナとその連れの三人は降り立った。
 
各自一次試験の受付役をしているらしき男から番号のかかれたバッチを受け取り胸に付けている。そして彼女たちに絡んできたトンバと呼ばれる男を殺したら駄目だろうかと考えていたところでそれが起こったのだ。

突然男の悲鳴が空洞の中で響き渡った。もっとも、マチにとっては突然というわけではない。ここに降り立った時点から嫌でも気づかされる不快なオーラの持ち主がその先にいたからだ。

その者の名はヒソカといった。マチも所属する幻影旅団のメンバーの一員でもある。つまりは顔馴染みなわけだが、あの男と比べればようやく話しかけるのを諦めたらしいレオリオと呼ばれる男の方が万倍はマシというものだろう。

大空洞の空気を震わせた絶叫は、ヒソカに両腕の肘から先を切り飛ばされた男によるものだった。その男はすでに何所からか現れたハンター協会の者たちによって運び出されおり、血痕だけが残っているというわけだ。

その血痕に向かってせっせとペンを動かすマツリカはきっと切り飛ばされた瞬間でも描いているのだろう。それを見るエレナの唇が震えるのを見て、やっぱりマツリカの育て方を間違ったかなぁと嘆息してしまう。

だがそれも仕方がないじゃないかとマチは開き直った。

世間一般ではどうやら子供の目の前であんまり人が殺されたりしないようなのだが、マツリカを育て始めてしばらく経つまで、そんなことは知らなかったのだ。

あのエレナという子はきっと自分達よりも平和な場所で育ったのだろう。人の両腕が飛ばされたシーンを平気な顔で絵に描いているマツリカを見てショックを受けているに違いない。このままでは彼女たちの仲に溝が生まれてしまうに違いない。

ネット上での友達という二人の言葉を、正直マチは疑っていた。恐らく、いや、間違いなく嘘だろうと思っている。彼女の勘は良く当るというのは仲間内では最早常識となっており、彼女自身も論理よりも己の勘を頼りに行動を定めることはしばしばあった。しかし、マツリカがエレナを好いているというのは事実のようだし、エレナの方もマツリカのことを良く思ってくれているようだ。

ならば嘘を暴く証拠も無いわけだしそこは放置しておくかというのがマチの判断だ。

しかしこのままだとヒソカが殺し、マツリカが描き、エレナが引くという流れが延々と続いて友達だという二人の関係は終わってしまうかもしれなかった。とりあえずマチがヒソカに拒絶のオーラを発することでヒソカの方は奥に引っ込んでいるようだが、正直マチには事態の解決法は思い浮かばない。

友達付き合いというのは彼女には理解できない概念の一つだ。幻影旅団の初期メンバーとは幼い頃からの付き合いではあるが、友達かというとそうではないとマチは思っている。あれは、流星街などという大層な名前のついたタダのゴミ溜まりの中で最初は命を繋ぐために寄り集まった仲間なのだ。

それは友情というよりも必要の産物だった。偶然にも念能力者として強者になってしまったが故に、十人ほどの一団としては驚異的な武力を得たマチたちは今でも時折ともに行動しては好き勝手やっている。

マチは二人の少女を自分にはどうすることもできないなという結論にたどり着いて舌打ちした。マツリカが同年代の少女を友達だなどと言い出すのはマチにとって初めてのことだったので、マツリカの満足する関係を築ければ良いとは思うのだが、対人関係のスキルにとことん疎いマチではどうしようもなさそうである。

一番最初に思い浮かんだのが、軽く脅してマツリカと仲良くさせることだった自分にマチはわずかに落ち込んでしまった。マツリカの育った環境などを説明した上で理解してくれるようお願いするのが正解なのかもしれないが、マチは相手が誰だろうが"お願い"するのが心底苦手なのである。

まあなるようになるさと頭を切り替える。大体自分には他人の人間関係をどうこうしようなどというのは心底向いてないのだ。

そう考えてマチが自嘲から唇を僅かに持ち上げた時、どこからか騒がしい鐘の音が鳴り響いた。

いよいよハンター試験が始まるのだ。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
  
 自分は調子に乗っていたのだとレオリオは思った。ただ念能力者になったというだけで、それをまだまだ使いこなせてすらいないというのにハンター試験合格へのハードルがぐっと下がったように思っていた。それは決して間違いではない、確かにハンター試験受験者の大半は自分よりも弱い者がほとんどのようだ。だがそのことに気づくと同時に、化け物の存在を思い知らされた。
 
遊び半分にある受験者の両腕を切り落とした道化師の姿をした男、トンバと呼ばれる小太りの男に名をヒソカというのだと教えられた。ヒソカのオーラを目にした時、その禍々しさに一瞬レオリオの足は竦んだ。昨年、その道化師がハンター試験中に試験の教官を殺して不合格になったとトンバがベラベラと喋っているのを聞いたときは思わず笑みがこぼれてしまった。そんなものは、あの道化師が殺した大勢の一人にしか過ぎないだろうと分かってしまうからだ。

しかし、そんな中でも決して恐慌状態には陥っていない自分に気付いた。どこかで冷静にヒソカのオーラを観察している自分を不思議に思い、そして気付いた。あれならばアリスのオーラの方が余程不気味だからだと気付いてしまった。

エレナのことを頼むと出発の際レオリオに頭を下げた栗色の髪の女性のことを思い出して、レオリオは右隣を見る。そこではエレナがつまらなそうに走っていた。ハンター試験はすでに一次試験が始まっているのである。趣味の悪い目覚まし時計が鳴る音とともに現れた見事な口ひげを持つ試験官は二次試験の会場まで自分について来ることが一次試験だと受験生に告げたのだ。

要はどこがゴールか分からないマラソンというわけである。基本的な持久力と精神力を試す極めてシンプルな試験だ。延々と景色の変わらない地下空洞の中をただひたすらに走るだけなのだからエレナがつまらない顔をするのも無理はないだろう。実際レオリオも早く終わってくれないだろうかと思っている。

ちなみにレオリオの左隣にクラピカがおり、エレナの右にはマチが走っていた。ゴンはキルアと名乗った彼と同い年の少年と先頭のほうへ徐々に移っていき、マツリカは何やら前後左右へ位置取りを変えながら信じられないことに絵を描いているようだ。

マチのそばへマツリカが戻ってきた時に一度レオリオも見せてもらったのだが、写実的な絵ではなく線が少なめな漫画調の絵がクロッキー帳には描かれていた。レオリオの似顔絵なども見せてもらったが特徴をよく掴んでおり彼を唸らせた。

それにしても数時間は余裕で走り続けているというのに、脱落者はほんの数人という受験者のレベルの高さにレオリオは驚いた。そして、そんな中で自分がかなりの余裕を持って走っていられるのはエレナやアリスと出会って修練を重ねたからだと気付かされた。

隣の黒髪の少女はともかく、もし合格してウベに戻ったらアリスには礼を言っておくべきだろう。何せあっちの方はレオリオの守備範囲内なのだ。そして上半身にある種の豊かさが足りないのは事実だが美人なのである。今のところアリスはエレナが関わる事柄でしか大きく喜怒哀楽を表すことが無いので、エレナ抜きで彼女から何らかの反応を得てみたいという気持ちがレオリオにはあった。


「どうやら地上に出るようだな」


隣を黙々と走っていたクラピカが言うとおり、前方で階段を駆け上がっていく受験者たちが見える。先頭付近で上っていくゴンとキルアの姿がちらりと確認できた。


「階段かよー、めんどくせーなあ」


「その割りには皆余裕があるようだがな。少々情けないが私は上着を脱がせてもらおうか」


自嘲するようにクラピカがそう笑って、言葉通りに上着をぬぐと肩から掛けたカバンの上に引っ掛けて固定する。確かに彼の言うとおりエレナもマチも全く呼吸を乱すことなく淡々と走っている。彼女たちは、エレナがマチの衣装が手作りなのかと質問したりと時折言葉を交わしながら並走していた。

マチは口を紐でしばるタイプの荷物袋を右肩に掛け、エレナはドーレ港で買った大きめのリュックを背負って走っている。このちびっ子は何とクジラ島で宿のおばちゃんから頂いたイカナゴの釘煮をウベの自宅へと郵送せずにリュックにいれているのだ。

馬鹿かお前はと言ったレオリオに彼女が主張した言い分はこうだ。


「だって何時白ご飯がでてくるか分からないじゃないっ」


いかにも分かってないなお前はと言いたげにそう言い切ってのけたので、レオリオとしては最早何も言えなかった。まあ食い気があるうちは心配はいらんだろうくらいに思っている。

そんなこんなで最初の段差に足をかけ、工事大変だったんだろうななどと暇のせいであれやこれやと思考を飛ばしているうちに地上へと到着していた。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
地下空間から地上へと出て、エレナが開放感にほっと一息ついていると、横から首から肩にかけて手を回された。マツリカだということは分かっていたので、少々暑苦しいと思いながらも振り払わずにいると左耳に近づけられた唇から言葉が滑り込んでくる。


「どうする? 私たちだけ先頭の方にいく? それともレオリオとクラピカも連れて行く?」


何馬鹿なことを言っているのかと顔を少し離して彼女と目を合わせると、その瞳は茶目っ気たっぷりに細められていた。何がそんなに楽しいのだろうかと少しばかりイライラしながら彼女に言葉を返す。


「そりゃ皆で行くに決まってるでしょ。危ないし」


言い終わり際、エレナはちらりと視線を道化師に振り向けた。エレナとマツリカはこの後一次試験に退屈したヒソカが試験官ごっこなどと言い出して受験者を惨殺するのを知っている。そこでレオリオ、ゴン、クラピカの三人はヒソカと対峙して危険な目に合うのだ。そのようなリスクはとらない方が良いに決まっている。では何故マツリカはそんなことを言い出したのだろうか。


「でもさ、あそこで主人公組みは少なくともハンター試験中はヒソカに殺されないってフラグが立ったじゃない?」


マツリカの言葉に確かにそうだったとエレナは思い出した。ヒソカは試験官ごっこの名の通り、合格と不合格を彼独自の基準で振り分けていたのである。つまり後々殺しあった方が面白そうな有望株かどうかでだ。主人公組み三人はそこでヒソカに認められて命を拾った。そして彼が憂さ晴らしに犯す殺人からは免れている。


「けどそこで無理に対面しなくてもゴンたちならヒソカが必ず気に入るはずでしょ?」


そうだ、ヒソカの変態趣味における嗅覚は並ではない。一次試験の最中でなくともゴンたちの才能に気付いてハンター試験中は自重するだろう。


「ゴンやキルアはそうでしょうね。でもレオリオはどうかなって思うんだけど?」


どうして――どうしてそんなに楽しそうなのか、浮かんだ疑問を口にすることはせず、エレナはマツリカの発言の内容を考えた。確かに度々恐るべき才能を原作で描写されているゴンやキルアに比べればレオリオは劣るかもしれない。そして今は中途半端な実力の念能力者だ。ヒソカに面白半分で殺害されるということもあるかもしれない。

しかし既に彼が念能力者である時点で原作から逸脱している以上、ここで原作の流れに従ったところでレオリオやゴンの安全が保障されるだろうか?

やはり避けられる危険は避けた方が良い、そうマツリカを説得しようとエレナが考えたところで絶叫がその場に響いた。

二人がいささかも慌てる様子を見せずに声の上がった方向に目を向けると、そこには予想通りの光景が広がっていた。地下のトンネルを抜け出た辺りの地形をヌメーレ湿原だと一次試験の試験官は説明した。ところどころで濃い霧に覆われたその湿原に住む生き物たちの多くはある一つの共通した性質を持っている。

その性質とは騙すこと。今悲鳴を上げた男の顔に突き刺さっているのはヒソカのトランプであり、その男の服装・顔の造型はここまで皆を連れてきた試験官に似ていた。その正体はサルの一種であり、こちらが本物の試験官なのだと受験者を騙して連れ去ろうとしたのだ。

そして、本物のハンター試験の試験官であれば防げるはずだと投擲されたヒソカのトランプを防ぐことができずに今地面に倒れ伏しているというわけなのである。同様にトランプを投げられ、そして防いでいた本物の試験官がここまで振り落とされなかった受験者たちに忠告する声がエレナたちのもとにも届いた。


「このようにヌメーレ湿原では日夜奇怪な生物たちによる騙しあいが繰り広げられているというわけです。あなた方も油断していると死にますよ」


その、立派なカイゼル髭を蓄えた細身の試験官であるサトツの、死を警告する言葉がエレナに与えた衝撃は思いのほか大きかった。彼女は自分が身近な人間の安全しか考えていなかったことに愕然としてしまう。

ヒソカに殺される者が十数人、ヌメーレ湿原の生物群の罠にはまって死んでしまう者が数十人、前者は明確な殺人であり後者は試験内容の決定権を持つ試験官とそれを認めたハンター協会の悪趣味だ。特に、なんとか体力ぎりぎりで地下のトンネルを抜け切った受験者の一部に対する振り落としの手段としては悪質極まりない。

ハンター試験が命の危険を伴うのはこの世界では周知の事実だなどというのは、それ以前に育まれてしまったエレナの倫理観のまえでは無力だった。そしてエレナ自身もまた無力だということは分りきっていた。命の危険についてはこの場にいる受験者全てが承知している。そして、各々がそのリスクを受け入れている、あるいはそのつもりである以上エレナが取れる手段は無かった。


「あ、レオリオがヒソカの様子に気付いちゃったな。これは皆で前だね」


思考に割り込んできたマツリカの声にびくりと肩を震わせつつ、彼女と同じ方向を見ると、明らかに殺意の度合いを上げたヒソカのオーラに戦慄するレオリオの姿が目に入った。確かにこれでヒソカからなるべく離れて先頭近くを走ることになるだろう。

しかし今のエレナにはそんなことはどうでも良かった。荒くなっていく呼吸を感じながら、落ち着けと何度も自分に言い聞かせる。分っていたはずだ、とうの昔に受け入れたはずなのだ。十老頭とは言わずとも、エレナは世界有数のマフィアのボスの孫なのだから、彼女から見えないところとはいえ祖父や父、屋敷ですれ違う人々の一部は血塗れているに違いなかった。

だというのにこんなところで震えているというのは実に滑稽なことだろう。老衰や病死を別として、楽しむために、あるいは食うために、様々な目的を持って行われる殺人行為に対して何の覚悟も持っていない自分にエレナはこの瞬間に気付いてしまった。


「どうかしたの? 顔色悪いよ」


平然とそう問いかけるマツリカが恨めしい。彼女は自分よりも余程死や殺人への耐性が高いようだ。それは彼女が育った環境のせいであることは容易に想像できる。マツリカがそれを望んで得たわけではないとはいえ、どう考えても数十人単位の人命を見捨てなければならない状況ではその無関心さが必要なものに思えた。


「ん、何でもないよ。じゃあレオリオとか引っ張って先頭行こうか」


「おっけー」


その後物事はあっけないほど順調に進んでいった。ヒソカが殺人衝動をこれ以上抑えられないという状況を察知していたレオリオとマチ、そしてゴンとともに行動していたキルア少年はヒソカから離れるという選択肢を当然選び、ゴンとクラピカもそれに従ったからである。

深い霧の中とはいえ、先頭を行く試験官の背中に張り付いてしまえば騙されるような余地はなくなる。目的地である第二次試験会場まで走りぬく体力については誰も問題としなかったため、エレナたちは欠けることなく一次試験を突破した。

深い霧の向こうから道に迷った受験者たちの悲鳴が届くたびに、エレナの表情が深く沈んでいくことに気付いていたのは、同年代の少女たちに興味を持って観察していたキルアだけだった。




[4902] 二次試験
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/04/06 21:59
 延々と長い距離を走らされてたどり着いた二次試験の舞台はビスカ森林国立公園であった。ちょっとした広さの体育館といった建物の前で、一次試験を突破した受験者たちは待たされることになる。総勢百五十一人が建物内部から規則的に聞こえてくる振動音に首を傾げつつもそれぞれ時間を潰して過ごす。
 
レオリオはクラピカと並んで座り込み、背を木の幹に預けていた。その視線の先ではキルアと呼ばれる少年がゴンをだしに使ってエレナとマツリカに話しかけている。

彼女たちはタイプは違えども同年代の男子からみれば相応に魅力的だろう。どちらかと言えばエレナの方に積極的に話しかけているようにみえるキルアの様子に、そいつは苦労するぞとレオリオは苦笑した。

エレナの方はというとどうやら上手くキルアとゴンの相手をできていないようだ。どこかしらぼうっとしていて受け答えを隣のマツリカが引き受けているような印象を受ける。

しかし一体何を考えてぼうっとしているのだろうか? 

ここまでハンター試験は問題なく順調にきているはずだ。嵐の船上で目的は人探しなのだと言っていたのはマツリカのことだろうから試験合格以外の目的もかなえられている。

結局、考えても分らないだろうと結論づけたレオリオは、エレナの沈んだ様子がこれ以上続くのであれば直接聞き出してみようと考えた。

何ならお前らが元気付けてやれよとゴンとキルアに期待を託し、こちらはどうしようかねとチラリと視線を脇に逸らした。そこではマチと名乗った女性がレオリオたちから少し離れて立っている。

何度か話しかけてみたものの反応は全く持って芳しくない。その視線は先ほどまでのレオリオ同様ちびっ子組に向けられていた。

そこから視線を外せないのも無理はないかなというのがレオリオの実感だ。

あの子供の四人組は正直末恐ろしい。ゴンとキルアは念能力者では無いものの一度覚えたら自分が抜かれるのなんてすぐだろうなと思わせるようなオーラを放っていた。

マツリカに至っては明らかに現時点で化け物めいて洗練されたオーラを纏っている。

正直その中だとエレナが一番小粒かもしれないと考えてレオリオは思い至った。彼女はもしかしてそのことを自覚して劣等感に苛まれているのではないだろうか――。


「うへー、もしそうだったらすげー馬鹿馬鹿しいな」


思わず口に出してそうぼやいてしまう。そんなことで落ち込まれていたら未だ彼女より弱い自分はどうなるというのだろう。

大体そんなところで勝てなくともアリスであれば彼女の主の良いところをつらつらと並べ立ててくれるだろう。レオリオとしてもアリスの言い立てる彼女の美点をそれほど否定するつもりは無かった。


「何だ? いきなり」


「何でもねー、気にすんな」


突然のレオリオの独り言にいぶかしげな反応を示したクラピカに大したことじゃないと手を振って応える。納得したわけではないだろうが、クラピカは再び腕を組んで目を閉じた体勢に戻った。

そして四半時ばかり過ぎた頃、レオリオの隣で閉じられていた瞳が開くと同時に低い振動音を発していた建物の正面扉が開き始めた。

そしてそこから現れたのは細身の女性と、巨漢という言葉ではその体の大雑把さを表現しきれていないような気がしてしまう大男の二人組みだ。


「なあ、やっぱ音源は腹か?」


「ああ、正直信じがたいがそのようだ」


一体何デシベルだよという振動音は明らかに大男の腹から発せられている。このタイミングでこの場に出てくる以上試験官なのだろうが、一体どんな試験が始まるというのだろうか。レオリオたち受験者が身構えていると、細身の女性の方が皆に聞こえるよう声を張った。


「まずはお疲れ様。あなた達は一次試験合格よ。で、私たちが二次試験の試験官ってわけ。私はメンチでこっちの大きいのがブハラ。まずはブハラの試験を受けてもらい、それに合格した者だけが私の試験を受けれるって寸法よ。何か質問ある?」


そこで一度声を区切り質問の出る様子がないことを見て取ると、細身の女性、メンチは再び話し出した。


「じゃあ二次試験を始めるわよ。二次試験の内容は料理! 合格するには私たちに"おいしい"と言わせることっ」


「俺からのお題は簡単、ブタの丸焼き、俺の大好物。この国立公園に生息するブタなら何でもOKだからどんどん持ってきてよ」


まさかハンター試験にきて料理をするはめになるとは思わなかったと、受験者たちがざわつくのも構わず、巨漢の男ブハラは自分の課題がブタの丸焼きであることを告げた。

ひとまず複雑な調理技術が不要であることにほっとした受験者たちがブタを求めて国立公園の中へと散って行く。

ゴンと仲良くなったらしいキルアという少々小生意気な少年を加えてなかなかの大所帯になった面々が森へと分け入っていくと、鼻が異常に発達した大型のブタに遭遇した。

その獣は数頭の群れで行動しており、こちらに気付くとその全てが興奮状態となって突っ込んできた。そこをゴンが手持ちの釣竿で頭部を強打すると呆気なく昏倒したので頭部が弱点だと掴んだレオリオたちは問題なく人数分のブタを処理することに成功する。


「うん、うまい合格。……うまい。これも合格」


焼いたブタを持ち込んだその先で、同じ人類だとは認めがたい分量を次から次へと腹へ収めていくブハラによってレオリオたちは問題なく合格した。したのだが、そこでレオリオは傍らでエレナが愕然と落ち込んでいることに気付いた。


「ど、どうしたんだエレナ?」


「レオリオ、私ぼーっとしててさ、何の下処理もせずに丸焼きにしちゃったよ。最悪だあ」


何だそんなことかと思うレオリオだが、どうやら彼女は本気で落ち込んでいるらしい。「あんな大きなの丸焼きにする機会なんてそうそうなさそうなのに」などと呟いている。


「丸焼きくらい今度家で試してみればいいだろ? ってかそもそもぼーっとしてた理由は何だよ? 余計なお世話じゃなければ教えてくれ」


「んー、ちょっと言えないかな。まあ私にどうこうできることじゃないし、レオリオに気にさせるようなことでもないからさ。でもアリガトね」


随分と素直に礼を言うもんだとレオリオは思った。やはり彼女はそこそこ参っているに違いない。ハンター試験の合格に関しては今目に見えている障害はヒソカの存在くらいだが、それであれば理由を隠したりはしないだろう。それ以外だとどうなるかと考えても範囲が広がりすぎて答えが出そうに無かった。

もっと自身の試験合格のために集中すべきだとでも言っておこうかと考えて――それはエレナの心配をしている今の自分にも当てはまることかとつい苦笑してしまう。

そうこうするうちに、メンチが何所に用意をしていたのか、中華風のドラを鳴らしてブハラによる試験の終了を告げた。

この時、エレナを問い詰めても未来は何も変わらなかったかもしれない。その可能性は高かった。

しかし――、この後レオリオは少しばかりの苦い思いとともにハンター試験を振返ることになる。

もし、あの時エレナのケアを優先して彼女のそばに自分が張り付いていれば、彼女があのような目に遭うことは無かったのではないかと。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
マツリカたちを含めて、ブハラの試験の合格者は七十四名だった。つまり目の前の巨漢はそれと同じだけの数のブタの丸焼きを腹に収めたというわけである。マツリカはブハラが何の念能力を使う様子もなしにそれを成し遂げたことに戦慄してしまった。


「やっぱハンターって皆すごい人たちなんだねっ」


「いや、まあすごいっちゃすごいが」


素直に感心するゴンとそれにあきれ気味の突っ込みを返しているキルアからやや離れて、マツリカとエレナは並んで立っている。


「どうする? どっかで話でもする?」


いよいよメンチの試験が始まろうというところだというのに、マツリカはそんな話をエレナに振った。


「今晩の飛行船の中で良くない? 試験中はいちおうそれに集中しときたいし」


エレナは落ち着いた声でそう答える。マツリカは二人だけがこれから起こることを理解しているからこそ成立する会話についついにんまりしてしまった。

これから始まるメンチの試験は試験不成立で全員再試験となるのだ。


「おっけ」


小声でそうマツリカが応じると同時に、二次試験官メンチによる試験のお題が明らかになった。その課題は、本来大和民族の二人にとっては馴染み深い握り寿司である。課題発表後、ブハラの試験を突破した受験者はこの場に到着した時二人の試験官が出てきた建物の中へと通された。

その中は本来広々とした体育館だったのだろう、今はそこに何列も調理台が並べられており、その一つ一つに十分に料理ができるだけの器具が備え付けられているようだった。

ほとんどの受験者は寿司とは何かということを知らないらしく、それぞれ適当な料理台へと散らばって用意されたライスの味を確認したりニギリズシというその呼び方から試しにライスを握り固めたりしている。


「お寿司がマイナーってのが微妙に許しがたいわね」


エレナが周りを見渡すと顔をしかめてそう小声で呟いた。


「確かにそだね。あー何か穴子の一本握りが食べたくなってきちゃった」


SUSHIがまだジャポンの郷土料理という地位しか獲得していないだなんて、この世界の人々は絶対損をしていると思う。


「あっそうだ。せっかく持ってきたのに忘れるところだった」


マツリカの穴子への幻想を断ち切るかのように声をあげたエレナが、背負っていた大き目のリュックを下ろして中を探り出す。そうして姿を現したのは一抱えほどもあるタッパーだ。恐らく食べ物が出てくるのだろうとマツリカはエレナの頭の横から覗き込んだ。

「驚くなー」と呟きつつエレナがそのタッパーの蓋を開けると、錆びた釘のような茶色いそれが姿を現した。


「おおっ、いかなごだ」


その場に醤油としょうがの甘辛い美味しそうな匂いが広がった。マツリカにとってそれは春の訪れを告げる匂いだ。彼女やエレナが元の世界で住んでいたところでは三月の上旬を過ぎれば街角のあちらこちらからいかなごを炊くこの匂いが漂ってきていたものである。


「ちょっと失礼――、んーやっぱウチのとはちょっと違うかなー」


黙っていてもエレナが勧めてくれたとは思うが、待ちきれなくなったマツリカは指を伸ばしてイカナゴを一つまみ口へと運んだ。懐かしい味が口の中に広がるとともに、感じるほんの少しの違和感。


「マツリカの家は毎年早めにつくるからもっと一匹一匹が小さいよね。ま、ウチのともまた違うけど喜ぶかなと思ってさ。クジラ島で泊まった宿で作ってたんだよ」


「うん、嬉しいよ。ウチでってか母さんの作るのが一番だけどね」


こう言えば次にエレナが何と言うかは自明の理というやつだ。自分の家のいかなごこそが白飯の最強の供であるという議論は毎年のように繰り返される宿命なのである。


「いやいや、断然ウチのがベストさね。ま、それはともかく桶に入ってるのは酢飯だけど炊飯器に入ってるのは普通の白飯みたいなんだよね」


よっという掛け声とともにタッパーを料理台の上に載せると、エレナは台の上に最初から用意されていた炊飯器を引き寄せて蓋を開けた。

そこから立ち昇った蒸気の匂いと中のご飯の色から間違いなくそれが酢飯でないことは分る。こうくれば彼女がやりたいことなど考えるまでもない。

ここまでいかなごを離さず持ってきてくれたことに感謝のキスの雨くらいは降らせても良いくらいである。もっとも、そんなことをしたら間違いなく嫌がられるだろうが。


「ゴンとキルアも食べる?」


会話の意味は全く分らないだろうが、興味津々でこちらを伺っていた少年二人組みへとマツリカはそう声をかけた。


「ホントッ? いいの?」


予想通り飛びついてきたゴンに一度笑顔を向けてキルアの様子を伺う、彼はきっと試験中に何やってるんだかなどと小言を口にしつつも参加するだろうと思ったのだが、彼の反応はマツリカの予想とは異なった。


「あー、何かエレナが微妙な顔してるけどいいのか?」


何ですとと慌てて旧友の顔を見ると確かに微妙に泣き顔になっている。咄嗟に耳を近づけると「これで全部なんだけど」と消え入りそうな声で呟いた。

――ちょっと悪いかなと思いつつマツリカは声を響かせて腹の底から笑った。

そうだったと思い出す。マツリカの親友は気が利いて、優しく、ホラ吹きで、そして何よりも食い意地がはっているのだ。


「……そんなに笑うことないと思わない?」


「いや、ゴメ――。何かツボに入った」


くっくとまだ続く笑いの発作に耐えるマツリカだが、不満気なエレナの顔に更に笑いが込み上げてしまう。喋れなくなったマツリカにかわってゴンが話を続けた。


「じゃあ俺は食べたことあるからいいや」


確かにくじら島で貰ったとエレナが言っていたのだからゴンが食べたことがあっても不思議でも何でもない。そして、彼が断ったことでキルアも食べにくくなってしまう。


「あー、じゃあ俺もいいや」


「えっ、いやっ、私そんなガメつくないよ? 何も言わないよ……ちょっと口惜しいけど。だから食べても大丈夫だって」


そんなやり取りを繰り広げる三人をよそに、マツリカはちゃっかり茶碗を見つけ出してご飯を盛っていた。すでに開けられているタッパーから適当な量を箸で摘んでご飯に乗せ、そのまま食べ始める。


「あ、こらっ勝手に食べるな」


「うん、美味しいよエレナ」


負けじとご飯をよそうエレナを見てマツリカは一人陶然と微笑んだ。彼女が示してくれた故郷への執着が嬉しくてたまらなかったからだ。自分がエレナを元の世界へと帰すためにしていることが決して間違いじゃないと思っても良いのだと思うと誇らしくてたまらなかった。

マツリカは、そのために生きてきたという一面が多分にあるからこそ、エレナには元の世界に戻りたいと思っていて欲しかったし、またそうあるべきだと信じていた。


「ほらっ、食べていいよキルア」


「いやっ、ていうか試験は?」


「えっ、何? 私が涙をこらえてよそってやったご飯を喰えないとでも?」


何だか妙な争いを繰り広げる旧友を見つめて、マツリカは目尻に浮かんだ涙をそっと拭った。あの日、あの時、この世界へ落ち込んでいく自分を掴んでくれた、そして引きずり込んでしまった彼女が、本来の世界で積み上げていた全てを取り戻す日が待ち遠しかった。

その時、少し離れたところで話し込んでいたレオリオが、


「魚ぁ? 海もねえとこでどうしろって言うんだよ」


などと言う声が建物の中に響いた。それが寿司の材料だと感づいた受験生たちが我先にと外に飛び出していく。

レオリオとクラピカ、それから更にそこから離れていたマチはチラリと彼女たちに視線を向けてから同じく魚を求めて出て行った。

自分たちは動かなくていいのだろうかと頬を掻くゴンの前でキルアがいかなごと一緒に白飯をかっ食らっている。


「これ結構うめーな」


「美味しい時には美味しいって言いなさいよね。結構とかまあまあとかそこそことか付けなくていいから」


「何でさっきから微妙にこええんだよっ」


このままぼーーっとしていても、受験生がメンチに素人が作った寿司を跳ね除けられる姿はスケッチできるはずだからマツリカとしては問題ないと言えば無い。

しかし、さすがに最期まで建物内に残った四人に対する試験官の視線が痛くなってきたのでそろそろ魚を捕まえに行く提案でもしようと頭を切り替える。

結局のところ――

ここまでエレナが元の世界へ帰りたいなどと口にしたという事実は無い。

そしてそれは最期の時までそうだった。



[4902] 飛行船の中で
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/03/11 21:30
 エレナたちは二次試験に問題なく合格した。とはいっても、メンチが合格と認める寿司を握ってのけたわけではない。寿司の作り方をとある受験者がバラしてしまったことにより、観察力や注意力の審査だったものが無効となってしまうアクシデントが起こってしまったのである。
 
それによって、味だけで判定し始めた試験官の暴走により、一時は合格者が皆無のまま二次試験の終了が宣言されるという事態となった。そこに現れたのが、現ハンター協会会長であるネテロとそれを乗せた協会所有の飛行船である。

まだそれなりの高度を保っていた飛行船から完全な生身で飛び降りてきたその健脚の会長ネテロは、メンチに試験のやり直しと試験官自身の実演を命じた。

そしてそれを受け入れたメンチが新たに出した課題はなんとゆで卵。

マフタツ山の名の通り、真っ二つにかち割れたその山の山頂からダイブし、その割れ目に糸を張った巣を作っては卵を吊るしているクモワシの卵を取ってくるという試験だ。
 
 会長が乗ってきた飛行船でそのマフタツ山へと受験生たちは運ばれ、エレナたちはめでたく二次試験にも合格したというわけである。今はまた飛行船に乗って三次試験の会場へと移動しているところだ。地下のトンネルや霧に包まれた沼地など、陰気な場所で長時間過ごしていた受験生たちは、清潔な船内で思い思いにくつろいでいる。 
 
レオリオとクラピカは一刻も早く寝たいと言って、毛布を借り出してそのまま寝てしまった。ゴンとキルアは船内を探検しようなどといってこちらもいない。マチは何時の間にかどこかに行ってしまったため、今エレナの傍にいるのはマツリカだけだ。

そこは飛行船内に複数用意されているらしきラウンジの一つで、二人はセルフサービスの飲み物のカップをテーブルに置き、窓際にそって備え付けられたテーブルに並んで座っている。
 
いい機会だと、エレナは思い切ってマツリカに問い質してみることにした。
 
  
「ねえ、クラピカを今のうちにどうにかしようって考えたりはしないの?」  
  
  
それは、ヒソカが一次試験開始直前にある男の両腕を切り落とした場面を淡々とスケッチするマツリカを見たときに噴出した疑問だった。

もしやすると彼女は人の死に慣れきってしまっているのではなかろうか?

幻影旅団の面々に囲まれて育つ環境でそうなってしまうというのは難しい想像ではない。ともするとマツリカ自身他人を殺害した経験があっても決しておかしくはないのかもしれない。

そして、ハンター試験の最中にも彼女たちとは関係のないところとはいえ、数十人もの受験者たちが死んでいった。エレナにとってかつてないほどに死が身近になった時、傍らのマツリカを見て考えてしまったのだ。

旅団寄りに考えるなら、今クラピカを無力化しておくのがベストであり、それを知っているのはエレナとマツリカだけだ。

彼女はそう遠くない未来において幻影旅団のメンバーを二人殺害するクラピカをただ放置しておくだろうか? 

念能力を覚える前の彼が相手なら、今のマツリカであれば容易に葬り去ることが可能なのにだ。


「もしそうするって言ったらどうする?」
  
  
マツリカは目を細めて、明らかにこの会話を楽しもうとしている。彼女は昔からエレナを困らせることが好きだったが、今のエレナにはそのことを懐かしむ余裕は無かった。  
  
  
「ん、多分何も出来ないかな……。今日さ、湿原で何十人も死んじゃったことがすごくショックだった。その人たちが死んだってことじゃなくて、原作でもそうだったんだからって自分に言い聞かせている私がいたことが、ね。
そしてそのとんでもない理屈を私はきっと何所かで受け入れているって思う。あんなに人が死んだのに、ただずんと心が重くなるだけで、今も明日も私はきっと大丈夫で、それはきっと私自身がこの世界で生きているんだって確信が持てていないから――。
何時までもふわふわと夢を見ているような気分が抜けないせいで、この世界の人の命の尊さを本当には分っていないような気がする。
ごめん、話が長くなったね、つまり私にはこの世界で生きてるって確信がなくてさ、そんな私が一生懸命生きてる他人の生死にに手出ししちゃ駄目かなって思うんだ。
ああ、勿論交通事故起こしそうみたいなのは助けるっていうか助けたいって思うけどね」  
  
  
理屈になってるかなあ、なっていないよなあと思いながらも口から出てくるままにエレナは話した。本当はもしかしたらもっと単純な話かもしれない、怖い場所には近づきたくないとか、自分の両腕はちっぽけで優しくできる人は限られているとかそんなところかもしれなかった。 
 
この世界で本当に自分は生きているのかという疑問は長年に渡ってエレナを悩ませてきた命題であり、旧友を前にして何時の間にかそちらが零れ落ちるように口から飛び出てきてしまったような感じがした。
 
 
「うーん、そんなに気にしなくても死ぬ人は死ぬし、そうじゃない人はそうじゃないってだけだと思うけどなー。あと傍観者的な立ち位置っていうか、外側から見ちゃうのはしょうがないよ。だってそうなんだしさ」 
 
 
エレナの話したことについて返ってきたマツリカの返事はあまりにもあっけらかんとしていて、いっそ不気味なほどだった。ようするに、有象無象の生き死にには心が動かないようになっているということらしい。

エレナが、こちらの世界に生れ落ちてなお、人を殺しちゃいけませんという価値観の揺らがない環境で育ったのは良いことには違いない。そう思うけれど、何だかなあとエレナはなるべく分らないように溜息をついた。 
 
 
「ま、クラピカの方は試験中には何もする気はないよ。後からでも大丈夫でしょ」 
 
 
「何かこっちのあんたって自信満々だね」 
 
 
後からでもどうにでもできるのではないかと言ってのけたマツリカに多少の皮肉を込めてそう言ってみると、彼女は何やら嬉しそうに微笑んだ。

皮肉が通じてないなあと思うと同時にこれは嫉妬だろうかとも考える。話に区切りがついたと思ったのだろう、今度はマツリカが問いかけてきた。


「ところで試験終わったらどうするの? 私はゴンたちに着いてくつもりだけど」
 
 
「んー、合格したならミテネ連邦……NGLに行って海流や土地の調査、駄目でも――いっしょかなあ。女王だけ潰したらそれで私的には気兼ねなく美味しいご飯が食べられるようになると思うから、後は地元で大学行ってみたりしてのんびり過ごすよ」 

 
そう遠くない未来において人類への脅威となるキメラアントと呼ばれる生物がこの世界には存在する。

摂食交配と呼ばれる特殊な性質をもっており、女王アリが食べた生物の特徴を受け継いだ子孫を産むのだ。人間の、更には念能力者の味を覚えた女王が生み出した兵隊アリと次代の王によって、万単位の人間が殺傷されるまでにもう二年もない。

エレナがそれに対処しなければならない責任や理由は何所にもないはずだったが、そこで犠牲になる人の数を考えると、美味しいはずのご飯が不味くなったり、ふとした瞬間に遊んでいて楽しくなくなったりすることがあった。

だから、エレナは何時の間にかキメラアントだけは何とかしようと考えるようになっていたのである。マツリカとの再会を果たした後もハンター試験に参加しているのは、キメラアントの危機を水際で防ぐために入国する必要のある国には一般人が入りづらいところもあり、ハンターライセンスがあればそこをクリアできるからという理由が大きかった。 
瀕死となった女王がミテネ連邦の何処かの海岸に打ち上げられることは分っているため、その女王が人の味を覚え、そこから人の特質を備えた兵隊アリの卵が孵るまでであればエレナとアリスで何とかなるだろうという目算を持っている。
 
 
「マツリカはヨークシンで忙しいだろうからさ、その後でいいから手伝ってくれないかな」 
 
 
好き勝手に未来が予測できる念能力者でも無い限り誰もエレナが未来を知っているとは信じてくれまい。だから、彼女があてにできるのは同じ知識を持っているマツリカと、何も言わなくてもきっとついてきてくれるだろうアリスだけだった。 
 
 
「んー、私が原作で一番印象に残ってるのってネフェルピトー登場シーンだったりするんだよね」 
 
 
困った困ったとマツリカが楽しそうに呟く。ネフェルピトーというのは女王が次代の王のために生んだ三匹の直属護衛団の一人である。

ちなみにそのネフェルピトーがこの世に生れ落ちてしまうようなところまでキメラアントの脅威が進行するような時はエレナは遠慮なく逃げるつもりだ。エレナは、この後のマツリカの言葉に予想がついたせいで切れそうになりながらも、念のため確認の言葉を紡いだ。

 
「それで? 一体何が言いたいの」


「えっ、あー、っとですね。できれば見たい、というかスケッチしたいなと一瞬こうチラッと脳をいけない欲望がかすめただけで、…………ダメ?」 
 
 
返ってきたマツリカの言葉は余りにも予想通りだったが、ぶち切れるぞと思っていた自分の心の反応だけが思ったようにはいかなかった。

何だろうこれは――先ほどからエレナは、滅多にないほど赤裸々に喋っている。こちらの真剣さがまさか伝わっていないということは無いはずだ。

ならばなんでこうも目の前のマツリカが軽い態度を取っているのかがまるで分らない。

怒りなどはまるで浮かぶことはなく、ただひどく寂しいと思った。 
 
エレナは、何故マツリカが原作で一番印象に残っているシーンをスケッチしたいのか、しなければならないのかを知らなかったから、親友が得体の知れない何かに変貌してしまったとしか思えなかった。

無論、マツリカが一体何を指針に動いているのかを冷静に考えるような余裕などは存在するはずもない。

だから――マツリカが心底本気でネフェルピトーとゴンやキルアの遭遇シーンをその目で捉えたいと思っていることに気付くはずも無かったのである。 
 
 
「まあどっちにしろ試験終わってからなんだしさ、そうだ、ゴンキルと会長の勝負でも見学しに行こうよ、ね」 
 
 
黙り込んでしまったエレナに慌てたのだろう。マツリカはそう提案すると同時にさあ行こうと席を立った。どっちにしろ試験が終わってからというマツリカの言葉に、エレナははっと顔を上げる。

エレナのキメラアント退治の依頼への、マツリカの返事があまり芳しくないのは実のところ彼女に余裕がないせいかもしれない。 
 
まずは試験内容を知っているとはいえハンター試験に合格しなければならない上に、その後に控えているのは彼女の身内である幻影旅団のメンバーが殺されるヨークシンの事件が控えている。

更にそこから何ヶ月もの間の空く、キメラアントのことまで考えることが出来ないのではないか――。

だから、今の彼女がとりあってくれなくとも、ヨークシンでの一連の事件が終わった後ならば快く手伝ってくれるのではないか。きっとそうに違いないとエレナは思った。

彼女は、自分がそうだといいなという答えを勝手に作り出してそれを信じようとしていることに全く気付かなかったというわけではない。

わけではないが――、その時はまだその都合の良い答えを持っていられるだけの精神的、時間的な余裕があったのである。


「おっけ、何なら合格しちゃおっか」


マツリカの態度の不審な点を思い直したエレナは、何時までも不機嫌な顔をしていても自分がつまらないとあえて明るくそう言い切る。

ゴンとキルアが会長からゴムボールを奪い取ればハンター試験合格というイベントがこれから行われるはずなのだ。そこに乱入するのであれば、無論彼女たちにも合格の機会が与えられてしかるべきである。


「おーいいですなー」


そう答えるマツリカとともにラウンジを出て、船内の案内を見ながら当たりをつけたトレーニングルームへと足を伸ばすと見事にゲームが開始直前というところだった。

そこではゴンがボールを取ったらハンター試験合格なんだってと実に楽しそうに説明してくれたが、二人の少女はその背後に踊る会長のオーラで宙に描かれた文字の方に気を取られていた。

そこには「念能力の使用は禁止じゃぞいっ」という文字が躍っている。

元々二人はそれぞれの理由から、ゴンとキルアに念を見せるつもりは無かった。

――しかし、バレないように使おうとは思っていた。そこに水を差されて少々げんなりとした気分になり、二人は見学のみにしようかと目を合わせて意思の一致を確認する。

どう見ても、目の前の老人を相手に体術のみではとても敵う気がしないからだ。


「面白そうだね。でも、私たちは見学にするよ。」


マツリカがゴンににっこり笑いながらそう言ってみせたのでエレナもそこに乗っかる。


「そだね、こんな時間から汗かきたくないし」


「あっ、じゃあエレナ私が描くのを見てアドバイスってかリクエストしてよ」


今も小脇に抱えて持ち歩いていたクロッキー帳を広げて、爺さんと汗を流す不毛イベントをばっちり回避する姿勢を作り出したマツリカによくやったとサインを送りつつ、エレナはそこそこの広さのある部屋の端へと足を向けた。

何だよ面白くねえなという表情を見せるキルアと、その隣のゴンの向こう側では悠々とした表情でネテロ会長が佇んでいる。しかしその身体の前で描かれるオーラの文字は「ま、ナイチチと遊んでもしょうがないしの」といったものに何時の間にか変わっている。無論、二人はそれを無視してのけた。

何故なら、十一歳の彼女たちにはまだ無限の可能性が広がっているからである。

セクハラ会長の壁はさすがに高かった。最初から全力のゴンと、ネテロの実力の一端を知ってゲームに集中しだしたキルアのコンビがどのようにしてボールを取ろうとしてもいとも簡単にそれを受け、交わし、息も乱さずに少年たちを翻弄し続けた。

けれど、エレナが目を奪われたのは物語の主役を張るゴンとキルアの二人の姿だ。自分と比べるのも馬鹿馬鹿しいほどのオーラの輝きに、最早嫉妬を通り越して心が浮き立つ。

そして、どちらかというとキルアの躍動する姿をエレナは目で追ってしまっていた。

キルア・ゾルディック、暗殺一家として名高いゾルディックの姓を持つ彼は恐らくは既に二桁は優に超えるだけの人間をその手にかけているだろう。

彼女の価値観からすると完全な犯罪者である彼と口を利くことは気分の重くなることだった。だが彼を警察に突き出すということができるはずもない、ゾルディック家を相手にするには一国の軍隊でもまだ荷が重いかもしれないのだ。

そして、エレナはまだ知識として知っているだけで、彼が人を平気で殺すところを見たわけでは無かった。だから、このまま殺人鬼としての一面を見ずに済ませることができれば、もしかしたら友人くらいの関係にはなれるかもしれない。

そんなことを考えていたからだろう、この後会長からどうやってもボールを取れないことにいらついたキルアが、ゲームを切り上げてこの部屋を出た先で他の受験者を殺すシーンが原作であったことを思い出した。

余計な流血を避けたい、避けるべきだとエレナが考えたのは自然であり、そのために必要な行動がたいした労力を伴わないのであればそうするのが、彼女にとって至極当然のことである。

つまり、


「お疲れ様、何か夜食でも作ってあげるからシャワー浴びてきなよ」


などと言いながら、エレナは退室する銀髪の少年の手首をそっと掴んだのだ。

唐突な展開に一瞬呆然としたキルアににこりと笑顔もサービスしてみせる。確か多少不機嫌だったというだけの理由で肩をぶつけられた受験生を殺したはずなのだから、それを解消してやれば良いのだと内心で気合いをいれた。

不機嫌だったというだけで殺してしまうというその行動理由に一瞬ぞっとしてしまったが、それは上手く隠せたはずである。あとはこちらの世界の母親譲りである美少女という利点を生かせば問題の事件は起こらないに違いない。

――その点こそが実は問題だったのだということにはエレナは全く気付いていなかった。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
キルアの苛立ちは実に相当なものだった。実力不足の自分、絶対の自信があるからこそハンター試験合格などという餌をぶら下げてみせたネテロ会長にむかついてしょうがなかった。

そして何より同年代の異性の前で無様な姿をさらしたことが苛立ちの一番の原因となっていた。

最初は「がんばれー」といった声援にいいとこ見せてやろうと思っていたのだが、軽々とネテロに翻弄される様を目にしてなお、少女の二人組みが何所か楽しそうにしているのを見て自分たちが笑われているのではないかと気が立ってしょうがなかった。

笑顔とともに右の手首を掴まれ、一瞬呆然としたキルアだが、すぐに思考は回転を始める。今この場でエレナがマツリカとゴンを置いて自分に構うべき理由が何所にも存在しないことにまず気がついた。

ならばこれは気まぐれの行動か? と浮かんだ疑問は自らすぐにありえないと否定する。

何か目的があるはずだ。何かに自分を利用しようとしているのではないかと検討を更に重ねようとして、それがひどく面倒なことに彼は気付いた。

何にせよキルアにはあずかり知らぬ理由で自分をコントロールしようとしているのは間違いないはずである。思わずかっとなったキルアはそれまでの苛立ちを合わせてエレナの手を強く打ち払った。

先ほどとは逆転して今度はエレナが唖然とするのをみて思わず軽く唇が吊り上がる。そうしてキルアは、無言でその場を去った。何故だか一つ目のカドを曲がったところで自分の足が走り出したことに舌打ちをする。

これではまるで逃げているみたいではないかと、キルアはそう思った。

行く手の十字路の左に曲がったその先から、二人分の気配が近づいてくることに気がついて、キルアは薄く笑う。十字路の直前でわざとスピードを殺し、ゆっくりと左に曲がった。

視界に映った二人の男の近い方へと狙いをつけ、その通りに身体をうごかす。


「いてーな。ったくガキがうろついてんじゃねえよ」


肩をぶつけられた男の、あまりにも想定通りの言葉に笑ってしまいそうになって、でも何故かそうせずに視線を落とす。何をやっているのだろうなと思いながらも、肉体操作によって鋭さを増した爪が二人の男へと向かっていくのを止める気にはならなかった。

この時、後ろからエレナが追ってきているのにキルアは気付いていた。彼女のその速度であれば間に合うタイミングだということも分っていた。というよりもそうなるようにキルアがタイミングを計ったのだ。

飛び込んでくるなら彼女が怪我をしないように手を止めなければと準備をする矢先に、目の前で殺人が行われるという事実に恐怖したのだろうか、数メートル後ろで彼女の動きが止まってしまったことに気付く。

それと同時に、自分が一体何をしたいのかがさっぱり分らないことにキルアも気付いた。

極度に混乱した思考に反して、彼の身体だけが殺人という一つの目的のために実に見事に動き続けていた。



[4902] 飛行船の中で②
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/04/06 21:58
 エレナはキルアに手を払われて陥った一瞬の自失から立ち直ってすぐに、キルアを追った。そして一つ目のカドを曲がったその先の十字路の左手奥から、姿は見えないものの男の声が届く。
 
 
「いてーな。ったくガキがうろついてんじゃねえよ」


その声は、既にキルアと彼に殺されるはずの受験者が接触している事実を示していた。
しかし彼我の距離はもう十メートルも無い。このまま飛び込めば間に合うかもしれない。焦る気持ちのままにエレナは速度を振り絞ろうとする。

けれどもし間に合わなかったら?

十字路の向こうに広がる無残な光景を幻視して、エレナの足がわずかに竦んだ。その一瞬の躊躇いによって、彼女は決定的に間に合わなくなったことをその瞬間に悟ってしまう。そこからの数秒は彼女にとってこれまでに無いほど長い一時だった。だめだったという思いから、十字路を曲がるその手前で完全に足が止まってしまった。もうキルアの腕は受験者たちの身体を引き裂いてしまっているだろうか、それともまだその身体操作によって鋭くされた彼の爪がようやく届いたところか。

ここからエレナが一歩踏み出して十字路の左手を覗いたならば、見えるのは素手によって成されたとは思えないほどに鮮やかに切断されたバラバラ死体で、キルアは肝心なところで足を止めてしまった彼女を笑うだろうか?

それとも、彼の気配が完全に消え去るまで自分はここから一歩も動けないのかもしれない。


「痛ってえええええっ!!」


「――えっ?」


想像もしなかった悲鳴に、エレナの口からこぼれるように空気が漏れた。驚きのままに十字路に飛び込むと彼女の想像とは違った光景が目の前に広がる。腹の辺りを抉られたのだろう、キルアに近い側にいた男が座りこんで脇腹を押さえていた。抑えた手の下からはまだ血が流れ出ている。だが、致命傷ということは無さそうだ。


「大丈夫ですか? 早く医務室に」


顔色を変えて咄嗟に怪我をした男の傍にしゃがみ込もうとしたエレナを、その男自身が必死の形相で払った。彼の意思を理解したのだろう、相方の男が怒鳴る。


「さわんじゃねえよっ。こいつは俺が医務室に連れて行く。お前らはこれ以上近寄るなっ」


どうやらエレナは年齢から完全にキルアのお仲間だと思われて警戒されたらしい。仕方なく彼女が立ち尽くすと、無事だった男が言葉通り、同じくらいの体格の相方を重そうに抱き上げてその場を去った。そうしてようやくキルアがぼそりと呟く。


「お前ってさ、赤の他人が死ぬのがそんなに怖い?」


「……そりゃ普通は怖いでしょ」


「そっか、普通は――か。何か湿原の時お前が暗い顔してたのを思い出したんだよな」


キルアは視線を足元に落としていたため、エレナからは彼の表情はうかがい知れなかった。だが、彼にとっては禁忌でも何でもない殺人を踏みとどまってくれたのは確かだ。それも、キルアの言を信じるならばエレナのために、あるいはエレナのせいでそうしてくれようだった。

キルアからはそれ以上喋りだす様子は無い。かといってエレナの方はまだ思考がまとまりきっていなかった。殺さないでくれていて嬉しいという気持ちはあったが、それを「殺さないでくれてありがとう」と言葉にするのはどうにもおかしい気がする。

それはあまりにも当たり前のことだからだ。かといって通りすがりの人の腹を抉ったことを糾弾するような雰囲気もそこにはなかった。キルアは意気消沈しており、その様子は悲しげですらある。何か力づけてあげた方が良いだろうかと一瞬エレナは考えたが、ゲームに勝てずにむしゃくしゃした挙句、無関係の人間を傷つけておいて何だそれはという気持ちもあった。

上手い言葉が見つからずにエレナが黙っている間に、キルアの方は一つ勝手に結論を出したらしい。


「そうだな。人殺しを見るもの駄目なら……殺人鬼なんて余計無理に決まってるよな」


その声は恐らくエレナに聞かせることを目的としていないほどに小さかった。しかし、かろうじて耳が拾ったその言葉に彼女は何とも言えない表情を浮かべる。怯えているのは自分も同じだというのに何だか虐めているみたいだ。確か、目の前の少年は確か普通に友達を作って普通に遊んだりしてみたいという願いを持っていたはずだったと思い出す。

平気で人を殺せるような人間がこんなにも脆いのはちょっとズルいなと思いながら、エレナは現状を打開する言の葉を紡ぐ。同情したからだとは思いたくは無い、ただ彼と仲違いするのは今後の展開からすると間違いなく損だからだ。


「誰が殺人鬼なのかは知らないけどさ……さっきは急に驚かせてごめんなさい。ただ、イライラしてたみたいだったからさ。何なら今からでもラウンジで何か飲む?」


きょとんとした顔をして見せたキルアのその表情に、くすりと柔らかく微笑んで手を伸ばした。今のキルアになら、決して人を殺さないという約束をさせることもできるかもしれない。しかし、エレナはそんなことをしようとは露ほどにも思わなかった。

この世界には殺すべき時や人がどうしようもなく存在するようだ。その時キルアがそれを実行できないのはエレナとしては困る。彼女にはまだ人を殺めてでも前に進むような気概は無かった。

本当に――弁解のしようもなく卑怯な思考の流れに、キルアに向けていたはずの微笑みが自身への自嘲に転じてしまうような感覚があった。彼から見てエレナが醜く映っていなければいいなと願うばかりだが、こんな体たらくではキルアの殺人履歴を責められまい。


「あ、ああ」


キルアはぎこちなく頷いた。そして、彼女の手を取るためだろう、おずおずと右腕を持ち上げようとする。残念、そちらは外れだと右腕を差し出していたエレナは心中で嘯いた。手を繋いで並んで進むのなら左腕が正解だからだ。

だからエレナは、キルアに一歩近づいて彼の左手を彼女の右手で掴んだ。


「さ、一番近いラウンジはどっちだね?」


「知らねー」


また視線を床に落としてそう呟くキルアの様子に、もう少し愛想ってものは無いかねえと思いながら、エレナは少年の手を引く。一番近いかどうかは知らないが、マツリカと話をしたラウンジへ行こうと足を向けた。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 エレナとキルアが後にしたトレーニングルームでは、ようやくゲームが終わろうとしていた。何時の間にか、目的がボールの奪取から片手片足の使用を自ら制限しているネテロにその制限を解かせてみせることにすりかわってしまっていたゴンが、その目的を達成すると同時に勝手な勝利宣言をして力尽きる。

コンマ何秒の速さで眠りへと落ちていったゴンもさすがだが、それと同時にマツリカにだけ分かるように闘気を叩きつけてきたネテロ会長は本当に喰えない人だなあと彼女は思う。


「念能力の使用は禁止と伝えたはずじゃがのう」


ぞくりと背中が総毛立つ感覚にマツリカは思わず身悶えした。ネテロの視線は彼女が広げているクロッキー帳に注がれている。まあさすがにバレるよなあと思いながら、マツリカは彼女の念でもって具現化されているクロッキー帳をそっと閉じた。


「それはゲームに参加するなら、という条件なんじゃなかったんですか?」


目上の人に敬語、いちおうそれくらいの常識はマツリカにも残っている。無論、ネテロに詭弁が通じるはずもない。


「それはそうじゃがな――。お主のスケッチ、発動条件の一部じゃろ?」


クロッキー帳が具現化物だと気付いたのであればそれは当然の思考であり、マツリカの念能力「ファンメイド(二次創作)」はそれほど捻くれた能力でもないため、今ネテロが言ったことは真実である。彼はマツリカの能力はクロッキー帳にスケッチされた対象に何かを行うことだと考えているだろう。それもまた真実ではあるがゆえに、無防備に彼女にスケッチされ続けたことがネテロの神経を多少とはいえ逆撫でしていたのだろう。

だが彼はやろうと思えばゴンを即座に昏倒させてマツリカを静止できたはずである。


「会長がゴンと遊ぶことを選んだんじゃないですか」


だからマツリカはそこを指摘した。


「何じゃ、ワシと遊びたいのならそう言えば良いじゃろうが」


元々マツリカに気を叩きつけたその時から悪ふざけだったのだろう、飄々とした雰囲気をたちまち取り戻したネテロがそうのたまう。


「ボール遊びならお断りですよ。私がやりたいのは延々と自分の能力を実演する会長とスケッチする私――みたいな遊びです」


「まあ、十年後に期待というとこじゃな」


会長の視線がマツリカの身体のラインを撫でたのを見て呆れ顔を作って見せておく。若い頃に山に篭ったりするから今頃色ボケるんだと言ってやりたいところだがマツリカはぐっと我慢した。今日はもう彼女が収穫すべき実りは期待できなさそうなので、マツリカは退散することにする。ゴンが粘りに粘ったせいで、時刻も深夜というよりも早朝に近い。二、三日であれば寝ずとも平気ではあるが、やはりまだ数時間寝れるのならば寝ておきたいところだ。


「それじゃ、会長さん。私はこれで失礼しますね」


「おう、機長にはゆっくり飛ぶよう伝えておくから休むとよいぞ」


「ありがとうございます。それでは」


軽くネテロに一礼をし、その場で少し考えてやはりゴンも連れて行くことにする。体重のほぼ変わらないであろう相手をマツリカは軽々と抱えてそのトレーニングルームを後にした。

凝、と呼ばれる念の技術がある。体の一部にオーラを集中させるその技は、目に集めれば他の能力者が隠して発動しているオーラや能力を見破ることもできる。しかし、今マツリカがそれを行っているのは隠された何かを見つけようとしているわけではない。

彼女は、飛行船の船内をゆっくりと歩みながら、己の視界の中で少年のつま先からツンツン頭の先までが漫画絵的に表現されていることに満足して頷いた。窓に面した廊下を通ると、そこはもう明るくなり始めている。

この飛行船はじきに第三次試験の会場へと到着するだろう。そこはトリックタワーと呼ばれる塔の頂上であり、下まで降りてくることが三次試験である。ゴン、キルア、クラピカ、レオリオの主人公組は五人一組で通らなければならない多数決の道を降りていくことになっている。

スケッチの機会を逃さないためにも、原作ではトンバと呼ばれる中年の男性が務める五人目の枠をマツリカは手に入れないといけなかった。だから彼女は、マチへのお願いと、エレナへの理由付けを考えなければならない。

支障の無い程度に念能力を説明すれば納得してくれるだろうと、一人頷きながら、マツリカは体を休める適当なスペースを求めて船内表示に視線を飛ばした。












 エレナは滅法朝には強いほうだと自分では思っている。彼女は、目覚ましをセットしたならばその目覚ましが鳴る数分前に何故か目が覚めてしまうという不思議な体質を持っていた。何度かそのことを自慢してみたのだが、「だから何?」という微妙な空気が流れるのがパターンだったのでその話は今ではしないようにしている。

三次試験の日の朝、真っ先に目を覚ましたエレナはまず時計を確認した。七時半を回っていたことからもう起きていた方が良かろうと判断して身を起こす。左隣で並ぶレオリオとクラピカ、すぐ右のキルアはまだ寝ていた。

寝顔は皆それなりに可愛い感じだなという感想とともに、エレナは彼らに背を向けてお手洗いへと向かおうとする。そこでまだ昨日から着替えてないことを思い出した彼女は、イカナゴのタッパーなどが入ったリュックから替えのTシャツと下着とビニール袋を取り出して手に持った。下のジーンズと羽織っていた上着は今日も同じでいいだろう。というよりもそんなに服は持って来ていないのだからそうするしか無い。

気に入ったブランドの服で勝負するんだと言い張っていたレオリオが、今も着ているスーツの上下にチラリと目をやる。確実にダメージを負っているだろうそれに溜息をついた。彼の経済事情からすると決して安い服ではないのだ。


(ま、合格したらプレゼントだとでも言って贈るかな)


自分からではレオリオが固辞するかもしれないが、アリスからということにすれば問題ないだろう。何にせよ合格しなければ話にならない。彼女は着替えを手に持ち、改めてお手洗いへと向かった。

その後、起きてきたレオリオたちとともにビュッフェスタイルの朝食をとっていると、別のところで寝ていたらしいマツリカがエレナの元へとやってきた。そして彼女だけに伝えたいことがあると言うので連れ立ってなるべく人気の少ないところで向かい合う。


「それで、私にどうして欲しいのマツリカ?」


エレナの方からそう切り出すと、マツリカが茶目っ気たっぷりに笑った。大体こんな時は彼女から何かお願いがあるのだ。


「お、話が早くていいねぇ」


新しい呼び方に慣れるため、意識的に"マツリカ"と呼ぶ回数を増やしているエレナと違って、マツリカは彼女のことを余り"エレナ"とは呼んでくれない。きっと以前の名と間違えるのではないかと気にしているのだろう。エレナはそう思っていた。


「話ってのは今日の三次試験のことなんだけど、できれば私をゴンたちと一緒に行かせてくれないかな。理由もちゃんと説明するからさ」


ふむと一つ頷き、視線でうながすとマツリカが説明を始める。それは彼女の念能力と関わりがあった。マツリカの念能力「ファンメイド(二次創作)」は対象をスケッチして彼女の中で二次元的に捉えることができるようにした上で、改めてクロッキー帳に漫画調の絵を描くことでその絵の表現に沿って世界に影響を与える、という念能力であるらしい。

つまり、既に幾度もスケッチされたゴンなどは念能力の発動条件を満たしているため、彼が傷を負った時にマツリカがその傷が治るような絵を描いたならば現実においてもゴンの傷が癒されるという具合である。実際には、傷の程度やマツリカの籠めるオーラの量などの要素が様々に影響し合うので必ず絵に描いたことが実現されるというわけではないようだ。


「つまり――。ゴンたちにマツリカの能力が強く効くようにしたいってこと?」


「そゆこと、多分ゴンはもう大丈夫だと思うけど他の皆はまだそれほど強くフォローできる状態じゃないからさ」


駄目かなと笑顔を向けるマツリカに、そういうことであればとエレナは快く了承した。五人でしか行けない道なのだから結局どちらかは余ることになる。ならばそれが自分でも問題はあるまいという判断だ。


「よかった。ありがとう。エレナのことはマチに頼んどいたから合格は大丈夫だよ」


話が通じて嬉しかったのだろう、マツリカが爽やかな笑顔とともにそう言った。だがエレナとしては素直にありがとうとは言いづらい。一次試験での並走もあり、愛想は全く無いものの話の通じる人物であることは分っているが、マチは特一級の危険人物である。

しかしここは娘? の友達ポジションである今のうちにある程度交流しておくべきだろうか? 今後主人公組がヨークシンでマチの所属する幻影旅団と敵対した時に何か役に立つかもしれない。彼女自身がその時ヨークシンにいるかどうかはまだ決めていないが、携帯の番号でも教えてもらえれば遠隔地からでも事態の把握やその好転のための一手が打てるようになるかもしれなかった。


「あー、うん。ありがとう」


「どういたしまして」


エレナの返事の調子が、やや詰まり気味だったことに気付くことなくマツリカがうんと一つ頷く。以前から人の心の機微を見るのは不得意だったなあとエレナはふと思い出して口元を綻ばせた。マツリカの配慮は的外れだったりありがた迷惑だったりすることも多いが、大抵が彼女なりの優しさからきている。時にはそのために自分自身の望みや欲を犠牲にしていることもあった。

あくまでマツリカが考えるエレナにとっての良いことなので、たまに笑えない押し付けもある。あるのだが、たいていはエレナが笑顔で了承するのが二人の常だった。

エレナはまだ、彼女のためを思うマツリカが一体何をしようとしているのかを知る由も無かった。



[4902] 三次試験
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/03/31 00:50
 二次試験会場から乗り込んだ飛行船は夜間も順調にフライトを続け、翌日の午前十一時にトリックタワーと呼ばれる塔の頂上に着陸した。そして、十一時半に飛行船を降りた先で第三次試験の説明を行う旨が船内に放送される。
 
受験者の面々がそれぞれの荷物をまとめて船を降りて説明をまった。そうして判明した第三次試験の内容はトリックタワーを七十二時間以内に生きて降りてくること。マツリカのマチへのお願いはやはり有効に作用しているらしく、エレナのもとへとマチがやってきて耳元でささやいた。


「しばらくゆっくりしてな。人がいなくなったらすぐに降りるよ」


「分りました」


それだけでマチが何をしようとしているかを察知したエレナは明るい子供だと印象づけられるようにはきはきと了解の返事をする。どうにも言葉が足りていないのはマチ自身分かっていたのだろう、碌な説明もなしに彼女の方針を受け入れてみせたエレナに一瞬呆けたような顔をした。

そして――、もしかしたらマツリカにもそうしているのだろうか。そっとエレナの頭に手を置いて言葉を付け足す。


「ま、何も問題ないからのんびりしてなよ」


語調はぶっきらぼうだし、表情も無表情のまま変わりは無い。だが思わず見てしまったマチの意外な一面にエレナは少し嬉しくなって。


「はい」


元気よくそう応えた。

自身の三次試験合格はどうやら間違いなさそうだという余裕を持ったエレナは、周りを見渡して一転陰鬱な気分に陥る。既に現時点で残っている人数は恐らく五十人を切っている、その中で生きて下までたどり着くのは果たして何人になるだろうか。

今後の試験の内容を知っているから、今受けている三次試験に合格のあてがあるから、そんな余裕のある状態だからこそついつい他の受験者のことを考えてしまう。恐らくはとても失礼なことだった。

ここまで残った受験者の多くからは、命を落とすリスクを受け入れている気配が見て取れる。命を賭けて挑戦していて、であるからには当然そこにそれだけの価値を見出している。そんな人たちを相手に、安全な場所から「あなたはまだ危ないから止めたほうが良いですよ」などと言う権利は誰にも無いだろう。

そして、そうでなくとも、今のエレナは自身の合格にこそ集中すべきだった。

しかし、一体何なのだろうこれは――と、何度この世界に問うたか分からない疑問が体に満ちるのをエレナは止められない。彼女のすぐ前で、ゴンやキルアたちが塔の屋上の縁から下を覗き込んでいた。

その視線の先で、外壁を伝い降りていたロッククライミングの達人だという受験者が塔の立つ森の何処かから飛び立った巨大な人面鳥に食い殺されたのである。

エレナは命を賭けた挑戦を止める権利は無くとも、明らかな無駄死には防ぐべきだと思っていたから、それとなく人面鳥の存在をロッククライマーの受験者に伝えてみた。しかし、彼は一流のロッククライマーであれば当然知っているべき知識として「この大陸には人面鳥はいないよ」とエレナの忠告を一笑にふして降りていってしまったのだ。

では何故いないはずの人面鳥がいるのか? それを考えたエレナの拳が震える。本来囚人を捕らえておく刑務所として存在するのがこのトリックタワーである。脱走を防ぐ手段の一環としてタワーの管理者側が飼っているとしか考えられない。

脱走の防衛策として悪趣味だと思う。そして、極一部を除いてほぼ全ての受験者は犯罪者などではないのだ。ハンター試験受験者へのハードルとしては悪辣過ぎではないかと思わずにはいられない。

ヌメーレ湿原で騙されて命を落としてしまった受験者にしてもそうだ。ハンターとなるに値する実力を持っているかどうかなど、もっと、より安全にテストすることができるはずだ。そうしようと思ったならば必ずできる。

ハンターになるためなら命を賭けても良いとまで思っている人たちをもっと大切にするべきではないか――


「外壁を伝って降りるのは無理みたいだな、こりゃ」


「そうだな、何処かに下へ降りる道があるはずだ」


下を覗きこんでそんなことを言う――そんなことしか言わないレオリオとクラピカの会話をとても聞いていられなくてエレナは彼らから離れた。今となってはもう、エレナはハンターライセンスに何の魅力も感じてはいない。

ただ、キメラアント対策のために入国する必要のあるミテネ連邦やNGLにおいて、ハンターライセンスを持っていた方がスムーズに事が運ぶから、そしてレオリオが学費免除を勝ち取るために必要だからというのがまだここにいて試験を受け続けている理由だった。

そうしてアテもなく屋上を考えながら歩いていると、何時の間にかマチが近くに来ていた。


「あんまりフラフラするんじゃないよ」


そう言うと彼女は視線を床に走らせる。このトリックタワーの屋上には下へ降りられる階段などは造られていない。ではどうやって下へ降りるのかというと、床の所々に床板が回転して下へ落ちることのできる仕掛けが施されているのである。

マチはすでにエレナがそのことに気付いているという前提のもとに注意しているのだ。


「すみません。ぼうっとしてしまって」


「アンタが勝手に落ちると面倒みれなくなるかもしれないからね。気をつけな」


「はい、すみません。わざわざ有難うございます」


そう言って軽く頭を下げると、マチが一つ溜息をついた。失望させてしまっただろうかとエレナが見上げると、エレナが考えていることに気がついたらしい。


「いや、あの子がこれくらい素直だったら色々楽なんだけどと思ってね」


エレナを責めているわけではないとマチがわざわざ説明してくれたことに少しだけエレナの胸が高揚した。目の前の女性は犯罪者集団の一員であることを考えなければさばさばとしていて格好良く、素敵だと思える女性なのだ。


「でもマツリカが急に素直になったら私は裏を疑っちゃいますよ?」


「ははっ、違いないね」


「マツリカといえばですね、マチさんはマツリカから何て言われて私と一緒に行くことにしたんですか?」


エレナが常にレオリオたちと行動を共にしていたのはマチも知っている。そのエレナとマチに二人で組んで行動して欲しいという頼みごとを、マツリカはこの試験内容が発表されるよりも前にどう説明したのだろうか。エレナはそこをはっきりさせておこうと質問した。


「いや、あんたに聞けば分かるって言われたんだけど、心当たりはないかい?」


どうやら全てをエレナに丸投げしたということらしい。ならばと彼女は心中でほくそ笑んだ。好き勝手に嘘をつかせてもらうよと何所かそのへんでスケッチをしているだろうマツリカに心中で言い放つ。


「あー、そうですね。あります、心当たり。ここだと人がいますので後でいいですか」


「分かった」


さてさてどうしようかねと、マチに笑顔を向けながらエレナが考えていると、やや離れたところからレオリオの声が届いた。


「おーい、エレナー。ちょっとこっち来てくれ」


すぐ傍にはクラピカとゴン、キルアとマツリカもいる。どうやら原作どおり五つの隠し扉が密集しているポイントを見つけたようだ。


隠し扉は五つで、一行はマチもいれて七人。真っ先にマチが自分は別のポイントから行くと言って外れ、打ち合わせ通りにエレナとマツリカが自分たちもマチとともに行くと発言した。そして二人は顔を見合わせ、周りがついてこれないうちにマチへ着いていく方をジャンケンで決め出す。

エレナが勝ってマチとの同行の権利を喜んでみせるまで誰も口を挟むことはできなかった。

何時の間にそんなに仲良くなってたんだと驚いたレオリオと、何も言わないが隠し扉が一人一つならマチと残っても意味がないのではと言いたそうなクラピカとキルアを強引に見送ってほっと一息つく。

そしてすぐ後ろにいるマチへと振り向いた。


「じゃあまたしばらくぼけっとしますか?」


「ああ、ぼけっとし過ぎて落ちるんじゃないよ」


エレナとマツリカの小芝居が滑稽だったのだろう、少しだけ口元を緩ませてマチがそんなことを言う。やっぱ美人が笑うと違うねなどとくだらないことを考えながら、エレナはまた屋上の散歩を再開した。


(なーんか忘れてる気がするなー。何かすっごく下らないことなんだけど)


レオリオを見送ってすぐに、何かを見落としているような気がしてきた。エレナは首を捻ったがどうにも思い出せない。命の危険などとは関係ないはずだが何だっただろうか。

そうして更に数時間が経ち、まだ屋上に残っているのが数人となったところでマチが動いた。隠し扉を見つけきれずにいた数人の受験生が次々とマチが昏倒させていき、屋上で意識を保っているのはマチとエレナだけとなる。


「さ、いこうか」


「はい」


マチに返事をしながら、彼女に昏倒させられた受験者の気配を探り、皆生きている様子なのを確かめて内心ほっとした。


「私としてはアンタを抱えた方が楽なんだけど、それでいいかい?」


「はい、目も閉じておきますね」


エレナはマツリカ以外には窺い知れぬ事情からマチの念能力を知っている。彼女は変化形の能力者であり、オーラを糸状に変化させて操るのだ。だからエレナはマチが彼女自身の念をロープのように使って塔の壁面を降りるのだろうと予想できた。

そして、本来念能力は共闘関係に無い者には秘匿すべきものであるため、エレナはマチに目を閉じておくと伝えたのである。

マチは軽く首を振ると、右手の先から白く光る鮮やかなオーラの糸を噴出させた。それは瞬く間に糸とは呼べぬほどに太くなり、ロープと表現するのが適切であろう形態となる。


「別に見られても困らないさ。サービスだ」


そう言ってマチは、まだ屋上に停泊していた飛行船にそのロープを巻きつけていく。飛行船の質量であれば難なく彼女たちの体重を支えられるだろう。そして、エレナに見られても困らないというのは厳然たる事実だ。エレナはマチに何かができるほど強くはなく、そして先ほどの場面で「目を閉じておきます」などと気遣いのできる人間であればペラペラとマチの能力を吹聴したりはしないと判断したのだろう。

何より、元々マチの能力を知っていたエレナに対してここで能力を秘匿する意味は実際のところ存在しない。そのことを、もしかすると原作で外れを引いたことのないマチの勘が見抜いているのであれば恐ろしいことこの上なかった。


「分かりました。それではその、よろしくお願いします」


エレナはそう言ってチョコチョコと既に塔の周縁部に立っているマチに近づき、すぐ傍まで行ってクルリと背を向ける。するとマチの空いている左手が、エレナの左脇から体を抱えるように回された。

背中から伝わる女性らしい匂いと柔らかさにほっとするものを感じないわけではないが、相手は幻影旅団のマチだ。エレナは体が震えるのを抑えきれない。


「すみません。実は高いところは余り得意ではなくて」


「……ま、少し我慢してもらうよ」


そのやり取りを経て、二人の体は塔の縁から踊り出した。数十メートルの自由落下を繰り返すその降下速度には、今更人面鳥が付近の森から飛び立っても間に合わないだろう。どんどん近づいてくる地面に、楽をしすぎかなとエレナが考えた瞬間、雷光のようにその記憶はよみがえった。

まだ塔の上にいたならば仕掛けを無理やり壊してでもレオリオたちの後を追えたかもしれない。今からでもマチに頼めば再度上れるかもしれないが、彼女に動いてもらうだけの説明が難しい。それはエレナが本来知りようのないはずの事だからだ。

最早取り返しようのない事態に気付いてエレナの顔は一瞬にして青褪めた。それに遅れること数秒、マチがトリックタワーを四分の三ほど降りた辺りで一度止まる。そして何も言わずにエレナの顔を覗きこんだので慌てて答えた。


「だ、大丈夫です。少し気分が悪くなっただけなんで」


「分かった。じゃ、とりあえず下まで降りるよ」


「はい」


マチが残りわずかとなった地面までの距離をゼロとするまでさほど時間はかからなかった。地面へと降ろされたエレナは思わず降りてきた塔を振り仰ぐ。もうそこで起こることを彼女には止められない。あとはもう親友に祈るしか術は無かった。

とりあえずレオリオたちが降りてきたら真っ先にマツリカに確認しようと心に決める。そして、これだけ不安にさせたのだから事実の有無に関わらずレオリオはとっちめなければならない。いや、ちゃんと我慢していたらやっぱり許してあげるべきだろうか。

頭に血を昇らせて、うんうんと唸るエレナの様子はマチにはさっぱり理解不能だったに違いない。この第三次試験において、レオリオの右手がとある女性囚人の股間の辺りを探検することなど普通は予見できないのだから……。


「取り込み中悪いんだけどさ、良かったらマツリカの件について心当たりを聞きたいんだが」


「あっ、はいっ、ごめんなさい」


マチのことをほっぽり出していたのに気付かされて、エレナは反射的に謝った。そういう状況をつくり出したレオリオに思わず心中で悪態を重ねる。そして、ひとまずマツリカが恥ずかしい思いをするように「普段はなかなか言えないけどマチさんのことが大好きだって」とでも言っておこうかと考えた。真相は話せない以上仕方ないのである。

しかし――、エレナはそのことを口にすることはできなかった。マチがそっと目を細めただけで蜘蛛の糸に絡め取られたみたいに動けなくなってしまう。


「アンタは嘘が多いからね、気をつけて話しなよ」


(マツリカ先生、全然大丈夫じゃありません)


こいつは不味いなと心中で思わずついたその呟きに、意外とまだ心に余裕がある自分を知って驚く。しかしこの状況、ひとまず正直に話すしか術は無さそうだと判断した。


「すみません、話せません。しかしマツリカが望んだことです」


これで駄目だったら正直打つ手はないなと思いながら、目に力を込めてマチをぐっと見る。殺される殺されないの状況では無いはずだが、弱いということはこういうことなのかという実感があった。蛇に睨まれたカエルという言葉を今後はずっと上手く使えそうだ。

マチがふぅと息をついた瞬間に、ずんと圧し掛かっていた圧力が霧散する。ほっとすると同時に、エレナは息をするのを忘れていたことに気付いて二、三度呼吸を繰り返した。


「ま、それは嘘じゃないみたいだね」


「いいんですか?」


話せないということを話しただけで引き下がったマチにエレナは思わずそう問いかける。


「ああ、あの子に振り回されるのには慣れてるしね」


そう言って苦笑したマチの表情に一瞬見惚れた後、エレナはぐっと左拳を握った。


(マツリカ、あんたやっぱ大物だわ)


しかし、覚えて置けよとここにはいない親友に向かってエレナは呟く、相当に怖い思いをしたのだから多少の仕返しくらいは許してくれてもいいだろう、と。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
エレナが塔の下へと降り立ち、三次試験合格のアナウンスを受けていたのと丁度同じ頃、マツリカは寝た振りをしていた。何故なら彼女が起きていると、その視線を気にしてレオリオが原作通りの行動を取らなくなるかもしれないと思ったからだ。

実際、彼女の思惑通りに事は進み、現在レオリオは調査・鑑定の最中である。その女は気に入らないから指の一・二本などと考えるマツリカは、自身がエレナの最後の希望となっていることなど終ぞ知らなかった。

今行っているのは五人の囚人と、こちらも五人の受験者による団体戦であり、レオリオが今負けようとしているのが四回戦目である。

レオリオが行ったのは賭けの勝負、最後の最後、目の前の囚人が女性では無いことに賭けた彼は、だらしの無い顔で相手が残念ながら女性であることを認めた。これにより四回戦はマツリカたちの負けであり、ここまでで2勝2敗の五分である。

ちなみに勝ったのがゴンとクラピカであり、負けたのがマツリカとレオリオだ。

マツリカはまさか負けることができるとは思っていなかったので、望外の幸運に内心上機嫌だった。彼女の相手はゴツい元軍人の男で、ルールはどちらかが降参するか死ぬまで戦うというもの。原作ではマツリカの代わりにいたトンバが開始即降参しているため、彼女としては負けておきたかったが、上手く負ける手が考えられなかったため仕方なく開始直後に相手の意識を奪った。

しかし、単純に戦って勝てば良いと思っていたマツリカが待機場所に戻ると、囚人側から「こちらは降参していないし死んでもいない以上勝負はまだついていない」というイチャモンがついた。つまり、意識を失った男にトドメをさすか、意識を取り戻させて「まいった」と言わせるまで終わりではないぞということである。

そこで一つ思いついたマツリカは駄目モトで芝居を打った。ゴンたちへと振返ってこう言ったのだ。


「悪いんだけどさ、一敗でいいかなあ? 殺すと後味悪いしさ」


すでに確認のためと意識を失った男は囚人側の待機場所へと連れ込まれている。殺そうにも拷問して降参させようにも粘れるだけ粘るのが向こうの方針だろう。そして何よりマツリカはまだ十代となったばかりの少女だった。

彼女に積極的に拷問や人殺しをさせようとする人間はなかなかいない。そのようにして、マツリカにとって意外にも最良の結果がもたらされることになった。

その後はレオリオの右手の秘境探検までほぼ原作通りの展開が続いた。ただクラピカの勝負の勝ち負けのつき方だけが少々異なっただけだ。彼が行ったのもマツリカと同じ決闘方式であり、原作ではクラピカこそが「こちらはまだ降参しても死んでもいない」という今回マツリカの受けたクレームを受けていたのである。

しかしこの場ではエレナが先にそういう状況に追い込まれていたため、クラピカは相手囚人が背中に刻んだ偽者の旅団メンバーの刻印に激昂しつつも相手に「まいった」と言わせるのを忘れなかったのだ。

後は最後にキルアが相手の囚人の心臓を抜き取って瞬殺するのをスケッチしておしまいだと、マツリカは本当に心底上機嫌だった。彼女が行く道は祝福されているのではないかと、自分でも笑ってしまうような空想に酔ってもいた。

そんな風に、キルアの戦いが始まるまでは彼女の高揚は続いていたのだ。

戦いは一方的だった。ザバン市犯罪史上最悪の大量殺人犯と呼ばれる解体屋(バラシヤ)ジョネス、異常な指の筋力によって他者の肉を容易く千切り取ってきたその男は、世界最高の殺し屋一族であるゾルディックの姓を持つキルアにひたすらに翻弄されていた。

腹を蹴られ、顔を殴られては喚いているジョネスの姿を見ながら、マツリカは強く歯ぎしりしていた。これは違うだろうという気持ちを抑えられない。原作では一瞬でジョネスの心臓をキルアが抜き取って終わらせていたのだ。

キルアが裏の世界のエリートだということを強く印象づけるシーンを描いて、マツリカはこの世界をより強く作り物の世界だとイメージできるようになるはずだった。この世界を改変可能だと信じ込むことでマツリカの能力は底上げされる。原作シーンの目撃とそのスケッチはこの世界は漫画に過ぎない、彼女本来の世界ではないと改めて強く印象づけるチャンスなのだ。

それが何故こんなことになってしまっているのか、答えは分かりきっている。昨晩エレナがトレーニングルームから退室するキルアを追いかけた時、ゴンと会長を優先した彼女はその場を動かなかった。キルアが通りすがりの受験者を惨殺するはずだった場所でマツリカの親友が何かをしたに違いない。

キルアが殺しを控えるだけの何かがあったに違いなかった。

マツリカとエレナ、そしてマチ、原作ではいなかった自分たちの存在がやはり少しずつ物語に影響を与えてしまっている。もちろん、全てが原作通りにいかないことは最初からマツリカにも分かりきっていた。

だけども、やはり変更点は最小限に留めておきたいというのがマツリカの願いだ。今回同行してもらったのがマチなのも、彼女と一番親しいというだけでなくマチが基本的に他者と余り関わりを持とうとしない性格だからだという理由が大きい。

最も重要な目的の一つであるこちらの世界での親友の名前と顔はもう確認できた。それさえ分かっていれば必要な時に彼女に会いに行くことは可能である。この世界で、ただ彼女だけが三次元の強い色彩で輝くようになった時に、五体満足の親友がいればよいのだ。

原作を乱す可能性のある不確定要素はできる限り排除するべきだった。つまりマツリカ自身以外は、だ。エレナとこちらの世界での名を名乗る親友ハツネと再会した時、本当に嬉しかったものだから――ついハツネのいる状況のままで、できる限りの原作シーンの再現を目指そうとしてしまった。

だが、それはやはり間違いだったのだと思う。

ジョネスがみっともなく命乞いを始めた時に、マツリカは腹を決めた。

どんなことをしようともハツネを元の世界に戻すと決めていたのだから、と――。



[4902] 四次試験
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/04/06 21:58
 四次試験に残ったのは二十七人だった。ギリギリで滑り込むことに成功したレオリオは、その瞬間はほっとしたものだ。彼へとエレナが駆け寄ってきたことに気付いて、彼女も三次試験をクリアしたのだと分かって安心した。
 
マチを相手にトランプでどんな勝負をしてもろくに勝てなかったと悔しそうに話すエレナを見て、暢気なもんだなとリラックスしていたのである。

しかし、その平和な時はエレナがマツリカを伴って再度やって来た時にあっさりと崩れ落ちた。三次試験において決行された、彼の右手の大冒険がマツリカの裏切りにより伝わってしまったのだ。完璧な無表情で淡々と、レオリオに自白を求める言葉を積み重ねるエレナのプレッシャーに耐え、彼は何とか言い逃れようとした。

しかし、隣で体を休めていたクラピカが「私は正直な人って素敵だと常々思っているのだけど――ねえ、クラピカ?」の一言で敵にまわったせいでもともと無かった逃げ場はさらに狭められてしまう。まだ念を体得していないクラピカに問答無用でオーラの圧力を掛けたエレナのその容赦の無さに、レオリオは絶対的な敗北を悟った。

だが、事実は認めてもいちおうあれは合意の上の行為ではないか? レオリオは往生際悪くそう考えてしまう。


「やー、でも別に相手も嫌がってなかったしよ」


「そういう風に言うんだ」


へー、ほー、と不気味に呟くエレナの頬が引き攣る。自身がさらに窮地に追い込まれたことは明らかだが、彼としては当事者ではないエレナに別に謝ることは無いのではないかとやはり考えてしまう。

だって仕方が無いじゃないっ、ヤりたい盛りなんだものっ!?

というのがレオリオの正直な気持ちだった。しかしどう考えても、十一歳の少女に叩き付けれる言葉ではない。口から出すべき言葉を失って、レオリオが口をつぐむと彼からもう言葉が出てこないことを悟ったのだろう、エレナが「あーあ」と呟いた。


「アリスに男慣れしてもらうためにレオリオ辺りとデートでもしてもらおうかと思ったけどやっぱ辞めとくわ。こんな下品なのとじゃ釣り合わないだろうし」


「すいません、ごめんなさい、もうしません」


お預けにされたエサの余りの魅力に、思わず身を投げ出すようにして頭を下げる。そしてそろっと顔を上げていきながらエレナの表情を見やると、何とも微妙な、何所か悔しそうな顔をしていた。しかし目が合った次の瞬間、それが幻だったかのようにニヤニヤ笑いへと転じる。


「エサが良いとやっぱり喰い付きが違うね」


「うるせーっとぉ」


エレナの皮肉に応じようとしたレオリオの語尾が乱れた。彼はトリックタワーの内壁にもたれて胡坐をかいて座っていたのだが、そこにエレナが体をくるりと反転させながら倒れこんできたのだ。レオリオの胡坐の上におさまったエレナの体はやはり年相応に小さい。


「話変わるけどさ、実のとこ今私結構まいってるんだわ。十分経ったらどくから」


いきなりどうしたのかとレオリオが問う前に、エレナがそう言って目を閉じてしまった。基本的に弱音を吐かない彼女がそう言うのだから、きっとエレナは相当に消耗しているのだろう。


「悪いな、中々気付いてやれなくてよ」


実際のところ、エレナがここのところ本調子で無いことには気付いていた。しかし、レオリオにとってエレナは保護の対象とはかけ離れた存在だ。むしろ自身がフォローされることが多いために、レオリオは試験に集中することで自分が試験中になるべく彼女に負担をかけないことを心がけていた。

だがどうやらエレナは自分のことは自分でこなすだろうとそっとしておいたのは正解では無かったかもしれない。


「ん、いいよ。レオリオは自分の試験に集中してて」


目をつぶったままエレナがそう言った。そして後は何も言わずにゆっくりと呼吸を繰り返す。どうしたもんかねえとレオリオは辺りを見渡して、キルアが彼を見ているのに気付いた。目が合ってすぐに顔をそらされたのだが、どうやら先ほどから見ていたのだろう。


「モテモテだなお前」


レオリオがニヤニヤしながらそういうと、


「まあ顔がいいからね」


目をつぶってはいるが、恐らく大体の想像はついているのだろう。エレナが余裕のある声音でそう言ってのけた。


「うわーむかつくな、その言い方。単にお前の母親のDNAが頑張っただけのくせして」


何度か顔を合わせる度についついドキドキしてしまうエレナの母親の顔を思い出しながらそう言うと、腕の中で鼻で笑う気配がした。多少はリラックスできているみたいなのでこれで良いのだろうか。

レオリオが壁にもたれていた背を丸め、何となくエレナの頭の上にアゴを乗せてぼーっとしていると室内に設置されたスピーカーからアナウンスが流れた。どうやら四次試験会場へと移動する準備ができたということらしい。


「重いっ」


「ああワリィ、もう立つか」


「うんアリガト」


自分が立つ動きと合わせてエレナも立ち上がった。どうやらまずはバスで移動し、最寄の港から船で移動ということらしい。

バスが港に到着して受験者たちが降りたところで、三次及び四次試験の試験官であるリッポーによってくじ引きが行われた。箱の中に入っているボールを一人一つずつ掴みとるのだが、そのボールにはそれぞれ異なる番号が記されているようだ。

ちなみにレオリオが引いたボールには「246」と記されていた。この数値は何なのだろうと受験者がざわめくなか、くじ引きが終了したところで試験官リッポーの説明が始まった。

どうやら引いたボールに記されていた番号は、残った受験生がそれぞれ最初に配られているナンバープレートに記されている番号と一致するようである。そして、自分が手にしたボールに記されたナンバープレートを持つ受験者からプレートを奪えというのが四次試験ということであった。

自分のプレートが3点、ターゲットのプレートが3点、そしてターゲット以外の受験者のプレートが1点とし、6点分のプレートを試験終了時に保持していれば合格というのが四次試験の詳細だ。試験の終了は一週間後だから、たとえ初日にターゲットのプレートを奪取することに成功したとしても試験終了までそのプレートを守らなければならないというわけである。

レオリオは周りの受験者と同様に自分がそれまで胸に付けていたナンバープレートを外して手持ちのスーツケースの中に隠した。そして彼のターゲットである「246」番を探したが、そちらももう隠してしまったのだろう、見つけることはできなかった。

その後、レオリオたちは船に乗り換えて四次試験の会場へと移動した。そして、三次試験を合格した順番でゼビル島の中へと時間を置いて分け入っていく。マチに続いて2番目に降りたエレナは、レオリオたちそれぞれに「じゃ、頑張ってね」と声をかけて森の中へ入っていった。

エレナが遅れを取るような相手は今まで見たところヒソカとマチとマツリカの三人だろう。だから彼はヒソカにだけは気をつけろよと彼女も分かっていることは承知で忠告してある。その時、エレナの方からも心配する言葉をもらった。


「うん、ありがとう。それじゃレオリオも気をつけてね。お医者さんになるだけならハンター試験に受かる必要は無いんだから無理はしないでよ」


お金なら何とかなるという言外の意味は聞かなかったことにして、レオリオは軽く頷いてエレナの言葉に応えた。有りがたい配慮ではあるが、レオリオにも意気地というものがある。何としてでもこのハンター試験に受かって、大手を振って受験勉強へと取り組みたかった。

レオリオがスタートするにはまだ少々時間があった。一度船室にでも戻って準備するかと、レオリオは甲板から身を翻して階段を下る。四次試験に合格すれば、恐らく次は最終試験だ。ここまで来ればもう合格するしかないだろうと、レオリオは改めて気合を入れなおした。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 試験内容は最初から知っていたから、トリックタワーを一番最初に降りてきたという利点を生かしてここまで残っている受験者のナンバーはほぼ全て調査していた。だからエレナは彼女のターゲットナンバー「89」がシシトウという人物であることを最初から知っていたのである。
 
トリックタワーを降りてきた順番もチェックしているので、彼女のターゲットが船を離れてゼビル島へと降り立つ時間も勿論把握していた。となれば話は簡単、彼女のすぐ後にスタートしたヒソカをやり過ごし、スタート地点すぐの森の中にひそんでシシトウを待つだけというわけである。

この待ち伏せにより彼女は初日始まってすぐに6点分のプレートを手にした。よって、後は適当に期日まで過ごせば良いとすっかり楽観的に考えていたのだが、事はそう上手いこと運ばなかったのである。
原因は彼女の体調にあった。人によって程度に差があるというのは十分に知っていたつもりだったのだが、まさかこれほどに重い人がいるとは思っていなかった。


「私ほんと死にそうになるから嫌なんだよねー」


などと言っていた以前の友人の言葉は話半分で丁度良いというわけではどうやらなかったようだ。それか、もしかするとストレスによる疲労などが重なって今回だけこういうことになってしまったのかもしれない。

二日目になって完全に体調を崩したエレナは、身体を休めることができ、なおかつ他の受験者に見つかりにくい場所を求めて森の中を歩いていた。それは徘徊と表現するのが適切かもしれない。それほどに足取りは重く、頭は朦朧とし、正直ハンター試験などどうでも良いと思わせるほどだった。

付近にその条件に当てはまる場所があることは、一日目・二日目に複数箇所確認している。意識がはっきりしていれば問題なくそこへ直行できただろう。しかし彼女はすでに一番近かった候補地点への距離を踏破してなお彷徨っている。頭が芯からぼうっとして思考が上手く働かないのだ。

本当は足を止めて地形を確認し、方針を再度練るのが良いというのは無論分かっていた。

しかしそれをするのがひどく億劫で、このまま歩いていれば何所か良い場所に着くかもしれないと無心で足を前に進めつづけていた。

レオリオやキルアの顔が頭に浮かび上がり、何でこんなにしんどい時に傍にいないのだと愚痴を吐こうとした時だ。

森を突風が吹きぬけた気がした。その幻の風が通り抜けると同時に、エレナの全身が総毛立った。それは殺気が質量を得たかのように数百メートルの彼方から膨れ上がったものであり、彼女は本能的にその殺気の主に自らが補足されたことを悟った。

その時にはすでに、エレナの身体は戦闘体勢に移行している。正直に言って絶望的な状況だった。体の調子がどうこうという話ではない。まだ姿は見えていないがこれは確実にヒソカだという確信があった。そして、双方の実力差からいって逃げ切ることはできそうにない。例外はヒソカが見逃してくれる場合のみだが、体に叩きつけられる殺気からはそのような希望は一切許されなかった。

ヒソカの気配は一直線に突き進んでくる。地の利をとろうとする動きや、襲い掛かる方向・タイミングを狂わそうといった動きは一切無かった。確信しているのだ、エレナの命を摘むためにそのような手間は必要無いことを。

戦いの先に光明など何も見出せない状況だが、そうするしか無いと知ってエレナが彼女の念能力「ウォーターワールド(水の惑星)」を発動する。単純に彼女の好きな映画から名づけたその能力によって彼女の体の周囲を水流が渦巻いた。

シンプルで使い勝手のよい、何か根源的なもの、そう求めて手に入れた彼女の力が命の危機に抗うかのように飛沫を散らす。

人による手入れを感じさせない荒れた森の奥からヒソカの凶相が姿を現した。普段は取り繕っている道化としての表情を捨て去り、殺意で覆い尽くされたそれを見てエレナの膝が震える。ダメ元でも逃げれば良かったと後悔した。

迫り来るヒソカに水流の矢を二・三と放って見るもののそれらはヒソカが練り上げたオーラの壁によって容易く防がれた。通常より多いオーラを生み出す「練」の状態を維持する「堅」と呼ばれる技術だが、ヒソカのそれはエレナのものとはオーラの量、集中の度合い、オーラの流れの流麗さに格段の違いがあることを彼女は見て取る。

ああ、これは死ぬなと答えを導き出した頭とは裏腹に体は自然と動いた。

無造作に飛び込んでくると同時に放たれたヒソカの右の手刀に、エレナは水流を纏った右手をすっと合わせて体の横にずらす。勢いのままにエレナの後方へと流れていくヒソカの顔を目掛けて、彼女の後ろに残していた水の塊をぶつけた。

さしてオーラも込めていないそれはダメージを与える役には立たないが、一瞬でも視覚を奪えれば良いという意図がある。その目的は確かに果たされたが、視覚を一時奪われることを瞬時に覚悟したヒソカは直径数メートルのオーラの球を展開した。それは円と呼ばれる念の高等技術であり、その内に入ったものの全てを感じ取れることができるのだ。

それにより視覚を奪った一瞬の隙をつくことは叶わぬと知ったエレナが距離を取った。彼女の呼吸は既に荒くなっている。これまでのアリスとの修行からすれば何でもないような運動量だが、自分がミスをすればたちまちのうちに死んでしまうという状況は始めてだ。プレッシャーが毎秒ごとにエレナの呼吸を乱し、スタミナを奪っていた。

そんな彼女を見てヒソカは笑ってみせる。


「おや、思ってたよりは面白そうじゃないか♥ けど随分と調子が悪そうだね、まあ、僕がすっきりできさえすれば構いはしないけど♣」


呼吸を何とか落ち着けようとするエレナはヒソカのその勝手な言い分に何も返せない。すると正対するヒソカが急に顔をそむけて吹き出した。一体どうしたものかとエレナが不審の目を向けると、


「なるほど、そういうわけか♦ でもボクは遠慮したりしないよ?」


くっくと笑いながらヒソカがそう言う。その彼の視線の先を確認してエレナの顔から一斉に血が引いた。

吸血蝶という蝶がこの島には存在する。それは文字通り生物の血を好んで吸う蝶だった。その蝶がヒソカの視線の先、つまりはエレナの股間の辺りに、何時の間にか数匹が纏わりついていたのだ。羞恥のあまり思わず強引に吸血蝶を払いのけた。その蝶たちの生死などかまいはしなかったので千切れた羽が足元に飛び散る。あんまりにも惨めな自分に、もう座り込んで泣いてしまおうかなどとも考えた。そうすればヒソカも呆れてしまって殺されないかもしれない。

頭がクラクラする。生命の危機に際して一時的に忘れていた生理の苦しみが完全に戻ってきてしまっていた。殺すも殺さないも、全てヒソカに委ねて座り込んでしまったら楽だろうなと改めて考えて、エレナは拳を握った。そして顎が痛くなるくらいに唇を噛み締める。

悔しく、そして何よりも腹立たしい。エレナは吸血蝶に気を取られた一瞬を除いて、ヒソカから視線を外していない。姿勢は右半身を前にした半身で、エレナが生み出した水の流れは彼女を中心として数メートルの範囲を漂い、今も全方位からの攻撃に対応できるよう円の役割を果たしている。

自分の体が一瞬たりとも死を認めていなかったことに気付いてエレナは自らの心を情けなく思った。そして――どう考えてもこんなところで死ねないのだということをようやく思い出す。

しかし改めて考えても、戦って勝ち目は無く、逃げようにも逃れようがない。だがそれは、


(私が一人ならの話だ)


エレナは四次試験が始まる前、この島へと受験者たちを運んだ船の上でゴンやキルアとお互いのターゲットのナンバーを教えあっている。そしてゴンのターゲットは原作通りにヒソカだった。今もヒソカの胸には彼自身のナンバープレートが付いている以上、野育ちのおかげで自然と絶を体得しているゴンがこの近くで様子を窺っている可能性は高い。そのことを土壇場になってエレナは思い出した。


(我慢してよーゴン。プレートをちゃんと狙うんだからね)


エレナが生を拾うにはまずゴンが近くに潜んでいてもらわなければならない。何所にもその痕跡は無いが、元々命が助かる確率は低いのだ。彼女はそう信じることに決めた。逃げるならばヒソカがプレートをゴンに取られて自失する瞬間だ。そしてゴンがプレートを狙うのはヒソカが獲物に、この場合はエレナに止めを刺しにいく一瞬である。そこを生き残り、ゴンとは別方向に逃げることでヒソカを惑わす。二人ともに助かるにはそれしかないと覚悟を決めた。


「おっ、やる気だね。なるべく長くボクを楽しませておくれよ♥」


「うるさいっ。誰があんたの変態趣味になんか付き合うかっての」


致命傷を避けて戦っているうちにゴンがやってくれるかと考えたが、そうやって長引かせると痺れを切らせたゴンが飛び出してきてしまう可能性が高い。やはり一発で決めるべきだと判断したエレナが周囲に展開していた水を利き腕に集中させた。


「おや、勝負を急いでも結果は変わらないよ?」


「ジリ貧になるよりマシでしょ」


今から行う一撃に自分は希望を見出しているということをヒソカに信じさせなければいけない。それを真っ二つに断ち切ってやりたいとヒソカの欲望を刺激しなければならなかった。エレナはありったけのオーラを右手に集まった水の固まりに注ぎ込んだ。彼女が具現化した水は、それが持つオーラの量によって質量や密度・形状が変化する。今は限りなく重く、固くなるようにしていた。

それを円錐型の槍の一種、いわゆるランスと呼ばれる形状に整える。何よりも鋭く、玉砕の覚悟が見て取れるように。


「覚悟だけはなかなか――。ま、今のボクはただちょっと殺したいだけだからその辺はどうでもいいんだけど。でも、少し楽しくなってきたかな♥」


ヒソカがそう言って舌なめずりをした。その仕草に、エレナは彼が真正面から受けてくれる確率が高まったことを感じ取る。後は自分が生を掴み取れるかどうかだ。エレナはわずかに数センチ体を浮かすと、その着地で生まれたエネルギーを推進力に変えてヒソカへと突っ込んでいった。

同時にヒソカも彼女へと真正面から向かってくるのを見て取り、エレナはタイミングを計る。ゴンの操る釣竿の錘がどこから飛んでくるかなどには気を向けない、必ず来ると信じて自身の最善を尽くすことに彼女は集中していた。

正面に掲げたランスの穂先がヒソカの体と交錯する直前、ヒソカが右手で払いのけようとしたその手前で、ランスの円錐状を成している部分を傘のように開いた。分厚い水のヴェールの向こう側でヒソカが目を見開いたのが見える。そう、エレナが狙ったのは刺突では無く衝突だったのだ。単純な質量でまさるエレナと水の塊の体当たりを喰らってヒソカがバランスを崩した。

その次の瞬間には身を翻していたエレナが、視界の端を横切っていった小さな鉛の塊を見て会心の笑みを漏らす。ゴンの放った釣り針がヒソカが胸に付けていたナンバープレートを剥ぎ取る瞬間を見ることはせず、エレナはただひたすらに逃げた。

逃げ切れると確信して喜んだのは三十秒ほど後のことで、明らかにヒソカだと分かる気配が追って来ているのに気付いたのは更に三十秒ほど経ってからだった。ヒソカにとって三点分となる彼自身のプレートを無視しなければ、このタイミングでエレナに追いついてくる事などできないはずである。一体どうなっているのかと混乱しながらも彼女はスピードを振り絞った。

左の足首に何かが絡みついたと感じたのはそのすぐ後だ。しまったと思ったときにはすでにヒソカの念能力である「伸縮自在の愛(バンジーガム)」によって左足は絡み取られていた。ヒソカの意思によってくっつけたり剥がしたりできるゴムのような性質を持つように変化したオーラにより、エレナの身体が後方に思い切り引っ張られる。


「痛っ!」


ヒソカとの直線上に存在していた太い木の幹にぶつかってエレナの身体が止まる。手首を掴まれて乱暴に上半身を持ち上げられたところで、彼女を見下ろすヒソカと目が合った。


「どうしてこっちに?」


呆然として、思考から零れるままにそう問うとヒソカの表情が妖しく崩れた。


「君を追えばあのツンツン頭の少年の方は追ってくると思ったんだけど、どうやらもう一人かくれてた人にやられちゃったみたいだね♠ でも安心してよ、君を殺してから何とかするからさ♦」


ああ、これは嘘じゃないなあとエレナは思う。ヒソカの左手で上半身を吊り上げられ、右手を腰に回された姿勢のまま、彼女は自分の身体から力が抜けていくのを感じていた。


「おや、君も念能力者のはしくれじゃないか、隠し玉の一つや二つくらいあるよね♥」


要約すれば死ぬ前に何か芸をして楽しませろというヒソカの言葉に対して、エレナは怒りの一つも浮かんでこないことに苦笑してしまう。目で手を離せと訴えるとヒソカが簡単に彼女を解放したので、エレナは地面にペタンと座り込むと後ろ髪をまとめていたピンを外していった。

まだ一年しか伸ばしていないのになあという思いを抱え、「ブタの貯金箱」の方は見せないと決めた往生際の悪い自分に少し呆れながら、後ろ髪をまとめて手で持つとそこに水の流れを通して髪をばっさりと切断した。

まとめきれなかった髪が周囲に散らばるのをもったいないなと思いながら、掴んだ髪の束を自分の身体の前に創り出した直径五十センチばかりの水の球に無雑作に突き入れる。


「捧げる」


エレナがキーワードを発すると同時に水球の中で髪の束が消失した。そしてエレナのオーラで構成されているはずのそれが彼女の意思を離れて暴れ出す。そしてヒソカがわずかに数メートルほど距離を取って様子を見ると次第に大きめの人形といった形が形成されていった。


「なるほど、贄を捧げることで掛け算式に威力を増加しようってわけだ。複雑で過激な制約と誓約と一緒で弱者の智恵だね。でもこれでちょっとはすっきりできそうかな♠」


髪は女の命だという世間の通念も伴って、最早エレナでは制御不能のオーラの塊を前にしてヒソカはにんまりと笑った。

そうして始まったヒソカと水人形の戦いをエレナは座り込んだまま見守る。全身が熱っぽく、ぐったりとした彼女には、吸血蝶を追い散らす程度の体力しか残されていない。

周囲の地形を巻き添えにしながら行われたその戦いは、文字通りヒソカが水人形を粉砕して決着がついた。彼は確かに変態であり、理解しがたい異常者だが、ヒソカが戦う時のオーラの流れやその冴えを美しいとすらエレナは思った。

こちらへと歩み寄ってくるヒソカの表情は、常の道化たそれを取り戻してはいるが、動けないエレナをどうするつもりだろうか――。


(やっぱり死ぬのかなあ)


ぼうっとした意識のまま、すぐ傍まで戻ってきたヒソカを見上げる。目が合うと彼がより一層唇を持ち上げるのが分かった。


「大分すっきりしたよ。でも――まだ足りない♥」


ヒソカが何所からか取り出した一枚のトランプを、指で挟んだかと思うとそれがエレナの身体の右側を通り過ぎた。

痛みがやってきたのは、彼が肘の上辺りから切断したエレナの右腕をこちらへ差し出していることを理解したその瞬間からだ。視界が真っ白に染まってしまうようなその痛みに、残った左腕で切断面のやや上あたりを握り締めて悶絶する。地面を転げまわるエレナを、その脇に膝を落としたヒソカが左手で押さえ込んで固定した。


「おやおや、そんなに暴れるとせっかくの整った顔が台無しじゃないか。ほら、せっかく切って使いやすくしたんだからさ、今度はこっちでやってみてよ♠ もしかしたらボクが負けるかもよ?」


畜生、畜生と思いながらもエレナの身体は痛みに翻弄されるがままに、ヒソカの腕の下で二・三度跳ねる。まるで生きたまま標本台にピンでさされた昆虫のようだ。


「――絶対アンタ殺してやるっ。絶対!」


「うんうん、その意気その意気。ホラ、使いなよ♥」


血を流しすぎたのか、色を失った世界の中――

エレナは残った左腕で切断された彼女の右腕へと手を伸ばした。



[4902] 四次試験②
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:d8389c45
Date: 2009/04/15 21:29
 水の跳ねる音によって、エレナの意識は目覚めた。ひどく重いまぶたを持ち上げると、闇の中に岩でできたつららが幾筋も連なっているのが見えた。鍾乳洞が存在することからこの辺りは石灰岩地帯なのかとまだ覚醒しきらない頭で雑学を思い返していると、うっすらと明るい方、つまりは出口に近いところから声が掛けられる。


「気が付いたかい?」


「あ、マチさん」


手頃な大きさの岩の上に座っていたマチの姿を見つけて自分がひどくほっとしているのに驚いた。しかし、そもそも自分は何故こんなところで寝こけていたのだろうか? そう疑問に思った瞬間に思い出して、エレナは右手をバネのように使って飛び起きた。


(そうだっ、私ヒソカに襲われて右手を――って)


今確か何の違和感もなく右手を使って飛び起きなかっただろうかと、エレナは恐る恐る自分の目の前に右手を掲げて見た。


「あ、あるっ。って、うわっ何か綺麗に一本線が入ってるよ!? 怖いっこの縦線怖すぎる」


そこには確かにエレナの右腕があった。しかし彼女の言葉どおり、肘のやや上辺りに綺麗に縦の一本線が入っておりその尋常ならぬ様に彼女はぞっとした。


「二日は無茶な動かし方するんじゃないよ」


エレナの混乱の仕方が面白かったのだろうか、ほんの少しだけ口元を綻ばせてマチがそう言った。その言葉で、エレナはマチの念能力によって重要な神経や血管を"縫合"されたのだということにようやく気付く。


「ありがとうございますっ。マチさんですよね、治してくれたの」


「礼はいらないよ、お代ならヒソカにもらってるしね」


マチの発言にエレナは驚いた。いったいどうしてそんなことになっているのだろう。自分が気を失ってしまった後に何があったというのか――


「えっ、どうしてそんな流れというか、私が気を失った後どうなったんですか?」


「様子見に出た私が着いた時にはもうアンタを放り出したヒソカが移動しようとしてたからねえ。ま、何か興醒めしたらしいよ。後から楽しめるかもしれないから数千万で済むなら払うから治しといてってさ」


恐らくエレナが気絶したのは、ヒソカの差し出す彼女の右腕を残った左腕で掴んだ直後だろう。その感触だけはエレナは確かに今も覚えていた。ヒソカは右腕を贄とした水人形と戦いたかったのだろうから、いよいよというところで気を失ったエレナに拍子抜けしてしまったということは考えられる。

エレナは左腕で右腕の切られた辺りを掴んで震えた。彼女が狙われたのはヒソカの欲情を抑えるのに丁度良い、手頃な強さの念能力者だったからだ。ゴンのように成長を待って戦いたいほどの大器を感じさせず、しかしある程度の歯応えを持っていたエレナは今喰い散らかすのにまさに打ってつけだったからだ。

思っていたよりは面白く、なおかつ中途半端な終わり方をしたから五体満足で生かせるなら生かしておこう。出血多量か何かで死ぬなら死ぬで別にいい、という判断のもとにエレナは今鍾乳洞の暗がりの中に立っているのだった。

これほどの屈辱をエレナは知らない。最初から最後まで、ヒソカの手前勝手な判断基準で死を定められ、生を与えられた。そして何よりも悔しいのは、絶対に許さないと、復讐してやろうだなんて気持ちが微塵も湧いてこないことだ。もし次にあの男と正対することがあれば自分はただ恐怖に震えるだけだろうということが分かるのが何よりも悔しかった。

右腕を切り落とされた痛みの中で、「絶対に殺してやる」と喚いていた時の自分を取り戻したいという強い気持ちと、あのような変態ピエロに惑わされる必要は無く、今回のことは天災にあったとでも思って忘れるべきだと思う気持ちとでエレナの心は乱されていた。


「マチさん」


単純に興味が無いのか、黙ってエレナの葛藤の邪魔をしないでいてくれたのか、ずっと所定の場所で静かに座っていたマチに声をかける。


「なんだい?」


「少し時間はかかると思うんですが、この腕の代金私が自分で払います」


そう、自分の右腕がヒソカの金でくっついている、そんな事実はとてもじゃないが受け入れられない。細かい説明は無くともエレナの心情は伝わったようだ。


「そうかい、でも私は後日払いは嫌いなんだ。だからすぐ払えるもので払ってもらう」


エレナの発言から今すぐ動かせるお金は無いことはマチも理解しているだろう。では何を払えと言っているのか? エレナは少し考えても分からなかった。無理もないことだが、彼女はすっかり今が四次試験の真っ最中だということを頭から飛ばしていたのである。


「アンタ何だよね。私のターゲット」


「……あー、そういえば今試験中でしたっけ、分かりました。あれは初日に隠してあるんでそれが無事ならお渡しします。って今何日目ですかね?」


初日にターゲットを倒して獲得したプレートと合わせ、エレナのプレートはとある岩壁の中に隠していた。それは入り口が丁度プレートの幅くらいしかない穴の中であり、エレナは具現化した円の効果を持つ水流で中を探査した上で常人では絶対に届かない七・八メートルは奥の場所にプレートを配置している。動物や虫への対策として上に重さ数キロの石も乗せているのでまず大丈夫だろう。

しかし自分のプレートを渡してしまえばエレナの持ち点は3点のみ、期日までにもう3点集めなければならなくなるのだ。


「まだ三日目の朝だね。ま、日は昇ったしもう少ししたらプレートの場所に案内してもらうよ。あと、もう遅いかもしれないけど、これはサービスだ」


マチが投げてよこした布製の袋を開く、そこに入っていた生理用品一式をみて歓声をあげた。そういえば自分が生理だったと思い出すと、途端に股の間が気持ち悪くなってくる。何の対処もしてないジーパンの下はえらいことになっているだろう。


「ありがとうございます」


「使い方は分かる?」


初潮ではないかと思っているのだろう、実際今のエレナの体ではその通りなのだが、彼女にはそれ以前の経験があった。


「はい、大丈夫です」


そう答えるとマチが怪訝そうな顔をした。初めてでないのであれば自身で用意しておくべき物なのだから当然だろう。しかしマチは常の無表情を取り戻すとそれ以上踏み入った質問はしてこない。


「それじゃプレートのところまで行きましょうか、あんまりマチさんにご面倒かけるのもあれですから」


「まあそう急ぐこともないさ。お釣りとして食べものと水くらいなら提供できるよ」


まだ立ち上がる必要は無いだろうと、マチは腰を岩の上に落としたままそう言った。ずっと気を失っていたのだから当然だが、一日何も食べていないことに気付いてエレナは空腹を自覚した。


「すみません、いただきます」


「了解」


その後、二人は適当に腹ごしらえを済ませてプレートの隠し場所に向かった。無事隠し場所に存在した二枚のプレートのうち、エレナのナンバー「406」が記されているものをマチに渡す。するとマチが「千万だ」などと言いながら彼女の荷物の中から「362」と記されたナンバープレートを取り出してきた。後日払いは嫌いだと言っていたマチだが、頭金として五百万をまず払うことで残りの五百については構わないという条件を呑んでくれたため、エレナは「362」のプレートを手にすることに成功した。


「それじゃ私は行くよ。さっきも言ったけど二日くらいは無茶な使い方するんじゃないよ」


「はい、ありがとうございました。気をつけます」


ナプキンを投げてよこした時のあなたは女神のようでしたよ、という言葉は下品かもしれないと胸に呑み込み、エレナはマチを見送った。彼女の気配が去って数分の後、エレナは川を目指して行動を開始する。体調は無論ベストには程遠いが、昨日ほどに悪いということもない。

迷うこともなく川原に到着したエレナは、プレートの隠し場所の近くに隠していたリュックからブカブカのTシャツを取り出し、昨日から来ていたピチッと身体にフィットするタイプのTシャツの上からかぶった。そして靴とジーパンを脱ぐと遠慮なく川の中へと足を踏み込む。

そう進むこともなく膝下くらいの深さとなったところで躊躇なく下着を脱ぐとそのまま流れの中に座り込んだ。べったりと血のついた跡を確認したあと水の中で適当に手洗いする。そうしているうちに込み上げてきたのは、涙とそして笑いの衝動だった。目尻から涙を流しながら、くふっ、くふっと笑いの衝動を堪える自分の姿は、周りから見たらさぞかし不気味だろうなと考えてしまったところでもう駄目だった。

ゲラゲラと馬鹿みたいに笑いながら流れる水面を左手でバンバンと叩いて飛沫を上げる。可笑しくて可笑しくて仕方が無かった。つい最近マツリカに語った言葉を思い浮かべる。確か――この世界で生きているという確信が持てない、何時までもふわふわと夢を見ているような気がするといったことを自分が言っていたなとエレナは思い出して、また衝動のままに彼女は笑った。

何をバカなことを自分は言っていたのだろうと思わずにはいられなかった。今ここに生きているという強い実感が彼女を支配していたのだ。昨日死んだと思った、しかし今日まだ生きている。エレナは水の中に倒れこんだ、そして両腕でぎゅっと自分自身の体を抱くと、水の冷たさからか体が僅かに震えた。震える命の宿っている自分の体がいとおしくて仕方が無かった。

仰向けでも水面より上に顔を出せる高さの適当な岩を見つけ、それを枕のようにして体勢を固定する。そして右手に掴んでいた下着を改めて両腕で天に突き上げた。ココア色とでも言うべきだろうか、そこには赤黒い染みが残ってしまっている。それを見てエレナはぐふふと笑った。


(生めちゃうんだもんなあ――。生きてるよなあ、私)


誰かが証明してくれたわけではない、自分の中で納得できる理屈が組みあがったわけでもなかった。しかし――、子供が生めてしまうのだという事実が、何よりも強く今ここでエレナが生きているということを感じさせていたのだ。

私はエレナ・マグチなんだぞと、ほとんど大声で叫びそうだった。ここに生きているんだと世界中の皆に聞いてもらいたい何て考えてすぐに、大抵の人はそんなことに興味は無いだろうなと思うとまた笑いの衝動が襲ってきた。

これが、エレナがエレナであることを完全に受け入れた瞬間である。彼女は、このことを絶対に許すことのできない人物がいることなど知るはずもなかった。

そうやって、しばらく水の中で一人戯れていたエレナは心が落ち着くのを待って立ち上がった。彼女は途中から自分を観察する視線に気付いてはいたが、自分の気持ちのままに振舞うことを優先して後回しにしていたのである。開けた川原で狂人めいた行動を公開していたのは彼女自身だが、やはり乙女の秘め事を覗き見というのはいけないに決まっているのだ。


「キルアー、出てきなさいよ」


水を含んで身体に纏わりつくTシャツを気にしながらエレナは林の中に向かってそう声を張った。下ははいていないものの、膝上までTシャツがきているし、身体の線は丸見えだがエレナの価値基準からすると尻も胸もまだ薄すぎて性的に問題があるとは思っていなかった。


「何時からバレてた」


だが同年代の少年には多少の刺激になっているらしい、目の前に現れた少年の顔が真っ赤なのを見て、ついついエレナは下品な笑みを浮かべてしまう。


「ん、ワリと前からかな。ちょっと自分のことで精一杯でさ、放っておいたんだよ。ゴメンね。あとそこのリュックにタオル入ってるから取ってくれない」


キルアにタオルを取ってもらい礼を言ったところで、このままキルアの前で着替えるわけにもいかないことに気付く。ひとまず髪を拭きながら川原に上がると、キルアが何故かまじまじと彼女を見つめていて目が合ってしまう。


「どしたの?」


「いや、髪どうしたんだよ」


「あ、あーー、そういや鏡も見てないや。んー、ちょっと待ってね着替えてから説明するから」


今の今まで自分で切ったことすら忘れていたことに気付いて、着替えの下着やデニムのショートパンツの他に手鏡も取り出す。この場で髪の処置ができるわけでもないが、どういう結果になっているのかを確認したかった。


「じゃ、先にシャワー浴びてくるね」


「おうっ、……ってええっ!?」


口から出任せの冗談にキルアが反応するのを背で聞きながら、エレナはすぐ近くの茂みで体を拭いてから着替えた。実のところ、受験者一人一人に付いているらしいハンター試験の観察官など、まだ周囲に潜んでいる者もいるのだがいちいちそれらの視線にまで気をつけていられない。その辺は各自の良識に期待したいところだ。

着替えて戻るとキルアが川原の岩に腰掛けて待っていた。脚が乾いたのを見て足裏を適当に叩き、黒のニーソックスを取り出してはく。若干の寒さがまだ残ったので上から薄めのスウェットシャツを羽織ってからキルアの隣に座った。


「髪はね、ちょっとターゲットとの小競り合いの最中にミスっちゃったんだ」


「ふーん、じゃあもう6点揃ったのか」


キルアの中でエレナの実力を彼より上と見積もっているのか下と見てとっているのかは分からないが、恐らくそこそこに高い評価は得ているはずである。髪は切られているものの、エレナが負けたとは考えていないことが伝わってきた。


「いやそれがさ、マチさんのターゲットが私だったもんで、敵わないし……譲っちゃった。その代わり一枚マチさんが要らなかったやつ貰ったから今4点だね」


「あーあの人な。完全にヒソカ並だしなー。まあマツリカもだけどさ――まいったよ、ウチの家族連中以外にはそうそう負けないと思ってたのにさ。ま、それは今はいいや。話は変わるんだけど、ゴンとかあとレオリオとか間が抜けてそうだし必要かなと思って……」


不自然なところで口を閉じてしまったキルアにエレナが首を傾げて見せると彼は妙に狼狽して言葉が続いてこないようだ。なお、原作ではレオリオの名前をなかなか覚えなかったキルアがすんなり彼の正しい名を口にしているのには無論理由がある。

その原因であるエレナが口を挟まずにのんびり待っていると、意を決したのかキルアがごそごそとポケットから2枚のプレートを出してきた。


「何か三兄弟なやつらいただろ、俺のターゲットその中の一人だったから全部貰ってきたんだ」


要するに余ったプレートを点数の足りていない仲間に分けようと考えたということらしい。エレナは、キルアが言い渋ったのは実力でクリアしたいと考えている相手ならプライドを傷つけられるかもしれないと配慮したのかなと思った。


「あー、いたいた。ちなみに私はくれるものは有り難ーく頂きますよ。でもまあ後顧の憂いは絶った方が良くない?」


キルアを追跡し、今も監視している受験者の存在についてエレナはほのめかした。彼ならば恐らく二者のうちの片方には気付いているはずだ。


「だなー。最初は三兄弟だけかと思ってたんだけど、そいつらいなくなったらもう一人いたんだよね」


「強そうだし、戦うの面倒だから三人で一枚狩る方針でいい?」


「ん、任せる」


やはりキルアは念能力者ではない方の尾行には気付いていたようだ。任せるという言質を得たエレナは腰を下ろしていた岩から立ち上がると、森に向けて声を張った。


「というわけでハンゾーさーん。交渉しませんかー」


そう言って数秒待つと、林の中からエレナたちの立つ川原へと忍装束の男が降りたった。尾行がバれていることはともかくとして、正体まで見破られているとは思っていなかったのだろう、その表情には素直な驚きが現れていた。今のエレナでは念抜きでは絶対に勝ち目のない存在のその男に、エレナは「ゴメンナサイ」と呟きながら飛び掛る。

ハンゾーは一瞬驚きながらも、エレナの左足のローキックに対して冷静に距離を取って対処しようとした。飛び出てきた林の方へと跳躍し、エレナと正対しようとするハンゾーをエレナは追わなかった。その後方では思わぬ展開にキルアが驚きながらも、こうなっては戦うしかないとタイミングを窺っている。

だがキルアの出る幕はないことをエレナは知っていた。先ほど茂みの影で着替えていた時、丁度スッポンポンになっていたエレナの前に姿を現したマツリカが今度はエレナに注意を向けているハンゾーの真後ろに現れたのだ。

直前まで絶を使って待機していたマツリカは、そのままハンゾーに反応することすら許さず彼の意識を絶った。地面へと崩れ落ちるハンゾーの体を支えてゆっくりと横たわらせると、その懐を漁って「294」のナンバープレートを取り出す。それがマツリカのターゲットナンバーなのである。

エレナは後ろで唖然としていたキルアに振返って笑顔を向けた。


「それでキルア、その余ったやつはもらえるの? それとも見せびらかしに来ただけかな?」


「んなわけねーだろ、やるよやるやる」


「ありがとう。お礼はまた今度するから期待しててね。あ、ちょっとマツリカ、手足しばるとか何かしようよ」


マツリカは気絶したハンゾーからすでに興味をなくしたらしくこちらに来ようとしていたので、エレナは彼女にそう言葉をかけて自らも手伝おうと近づいていった。忍である彼にどの程度効果があるのかは分からないが、手足を動かせないようにしばって地面に転がして一息つく。

どこと無く不貞腐れた様子のキルアが2枚のプレートを投げてよこしたのをキャッチしてエレナはそれをショートパンツの後ろのポケットにしまった。


「ほら、三人で一枚狩るってのは何もウソじゃなかったじゃない?」


「うっせーよ」


「あはは、ごめんって。さっきも言ったけどちゃんとお礼はするからさ」


だから機嫌を直してねと顔を覗きこもうとしたエレナだったが、ついとキルアに顔を逸らされてしまった。あらまあとマツリカに顔を向けると何故だかこちらもあまり景気が良さそうではない。


「何かエレナ上機嫌だね」


「うん、何ていうかこう、私はエレナ・マグチ何だぞーーって気分で一杯でさ」


キルアにはきっと分からない。マツリカだけに向けた言葉をエレナは告げた。この世界で、エレナ・マグチとして歩んでいくことをやっと真正面から受け入れることができたことを彼女に知ってもらいたかった。以前の世界で積み上げたもの全てを忘れたわけではないけれど、この世界で地に足をつけてやっていくんだと思えるようになったことを褒めてもらいたかったのだ。


「だからさ、私のことはこれからちゃんとエレナって呼んで……えっ?」


エレナは言葉を最後まで結ぶことができなかった。突如としてマツリカを中心にオーラが吹き荒れたのだ。今のエレナでは到底生み出すことのできないほどの量と密度を持ったマツリカのオーラがその激情を表すかのように噴出していた。

すぐ後ろで何かが倒れたような音がして、振返ったエレナの目にキルアが倒れている様が映った。


「キルアッ!」


慌ててかけより自らのオーラで包むようにしてみたものの、これでマツリカのオーラの影響から十分に守っていることになるのかは分からない。


「マツリカッ! どうしたの、早くオーラを収めて!?」


状況から言って自分の言葉が現状を引き起こしていることは間違いない。しかし何故こうなってしまっているのかという理由はエレナには全く見当がつかなかった。この世界でエレナとして生きていく決心がついたという報告をしただけなのだ。エレナの中では前向きに出した喜ばしいはずのその決意が、マツリカにとって受け入れられないことだったというのだろうか。


「――さない。絶対に許さないっ!?」


マツリカから伝わるのが純粋に言葉だけだったならば、エレナは「何言ってるんだろうこの子」となって終わりだったかもしれない。しかし今にもエレナのオーラのガードを超えて突き刺さってきそうなほどに勢いを増したマツリカの威勢を前にエレナは動くことができなかった。

頭を働かせようとしても、目の前のマツリカの鬼気は本能的な恐怖を呼び起こすほどであり、何かを考えるというよりは目の前の彼女の一挙一動に合わせて逃げるもしくは抗う準備に自然と集中してしまって上手く考えることができない。

どれほどの時間キルアを抱えた低い姿勢のまま、マツリカを見上げていたのかは分からなかった。突然ふっとオーラを鎮めたマツリカは、黙り込んだままゆっくりと歩いて林の中へ去ってしまう。マツリカが背を向ける最後の瞬間まで、彼女の表情を観察していたエレナはほんの僅かな一瞬、マツリカがひどく寂しそうな表情をするのをはっきりと見た。


「まいったねこりゃ」


ひとまず去った危機に、キルアが楽になるよう姿勢を整えながらエレナがそう呟く。協力してくれないという事態はともかく、敵対される可能性は全くもって想定していなかった。

また、キルアは彼を地に伏せたオーラのプレッシャーの正体を知りたいと思うだろう。そしてゴンにも昨日エレナが念能力を使うところを見られてしまっている。彼らの何としても知りたいという欲求が自分に向かってくるのは正直勘弁してもらいたいところだ。

無性にアリスかレオリオの顔が見たくなって、キルアが目を覚ましたらレオリオとの合流を試みようと心に決める。そして膝の上に乗せたキルアの表情を確認しようと視線を落としたそこには――

目を限界まで見開いたキルアの驚愕の表情があった。

彼の視線はエレナの頭を通り越したその先に向けられていたのだが、エレナにはそのことに気付くだけの時間は与えられなかった。


「えっ?」


次の瞬間エレナのこめかみのやや上辺りから侵入した一本の針が、頭蓋をやすやすと貫いて脳へと届いたのだ。気を失ったエレナの眼球がぐるんと裏返り、続いて彼女は座りこんだ姿勢から地面へと崩れ落ちた。

エレナの一回目のハンター試験はこうして幕を閉じることとなる。



[4902] 四次試験終了
Name: テスト型柑橘類◆cdc2efe1 ID:1eaff2cd
Date: 2012/11/25 12:25
 暗い洞窟の中でただ座っていると、気分までもが暗く落ち込んでいってしまうような気がして、ボンズという名の女性は一度すっと立ち上がった。そして、暗い足元に気をつけながらも、軽いストレッチ運動をこなしていく。
 
自分を監視する何百もの冷たい瞳が彼女の動きにわずかばかり反応した気配を感じて、うんざりといった様子で首を振ってみせる。
 

(そんなに見張られても何もしないっての)


その瞳の持ち主は人間ではない。それは蛇の群れだった。闇の中で彼女を補足し続けている三桁を超えるその蛇の群れは、蛇使いバーボンの影響下にあるのだ。そのバーボンはというと、ボンズが捕らわれているこの洞穴の、そこそこに広いスペースを彼女と共有している。

もっとも、彼はすでに息絶えていた。死してなお効果を持続しているバーボンの罠から抜け出せずに、ボンズは死体となった彼と彼の蛇たちとの交流を深めているというわけだ。

ボンズが外へ出るただ一つの通路へと踏み込もうとすれば、途端に蛇たちが警戒態勢を強める。そこから更に足を進めたならば、襲ってくることは容易に想像できた。そして、この罠を解除できる蛇使いはすでに事切れてしまっている。

ボンズは、すでに四次試験合格を半ば諦めていた。

この穴倉の中にはボンズとバーボンの二つのナンバープレートがある。このまま四次試験終了までやり過ごせば、発信機の埋め込まれているそれを頼りにして、ハンター協会のものが救助しに来てくれるはずである。

四次試験まで残った者には、来年の試験会場への無条件招待件が与えらることになっている。また来年挑戦すればいい、ボンズの考えはそう纏まってきていた。

しかし、自力で脱出を果たすのを諦めたからといって彼女が四次試験へと復帰できる可能性が閉ざされたわけではない。


(誰か来る――)


よっぽど訓練を積んだものでなければこのような洞窟の暗闇の中で足音を消すことはできない。洞窟に反響する音をボンズの耳が捉えた。

新たな侵入者はバーボンの罠をどうにかする事ができる人物であろうか。もしやするとと考えれば、問答無用で倒すというわけにはいかない。出会い頭に敵対されないためにはどうすれば良いだろうか、今すぐ距離のある状態で声をかけた方が相手の動揺が少ないかもしれない――。

そう考えたボンズは、口を開きかけてやはり止めた。新たな侵入者はまだ蛇使いの罠の範囲に入っていない可能性がある。罠にはまる手前で引き返されては、ボンズの状態は何も好転しないのだ。


(あーでも、基本受験者って男よね? 気に入らない奴と残りの時間閉じ込められるはめになっちゃうとやだなあ)


そんなことをつい考えてしまう自分についくすりと笑い、ボンズはひとまず腰を下ろした。先ほどまで背もたれに使っていた、手頃な岩に背を預けて足を組む。戦闘が避けがたい状況になった場合、攻撃に移るには全く持って適していない姿勢に見えるが、実はそうでもない。ボンズが隠し持っている飛び道具は彼女自身の姿勢など何も問題にしないのだ。

そうこうするうちに、長身のシルエットが闇にすっかり慣れたボンズの視界に入ってきた。彼女の居る空洞の、彼が入ってきた出入り口からほぼ真っ直ぐの地点に蛇使いバーボンの死体がある。案の定、それに気付いた侵入者が足を止めた。

洞窟の出口に近づくほかにも、バーボンの体に一定の距離を越えて近づくと彼に操られた蛇たちが襲いかかってくる。だからボンズは侵入者がそうする前に声をかけた。


「近づくと危ないわよ。そいつはもう死んでるけど、死ぬ前に施された蛇使いの術で大量の蛇が襲いかかってくるわ」


彼女の声にぎょっとしたのだろう。慌てて振返った人物のシルエットを改めて見て、ボンズはそれが誰であるかを特定した。四次試験まで残っているのはもう三十人にも満たないのだ、名前は知らないが顔と姿くらいはほぼ全員覚えている。


(子供が数人混じったグループのスーツ男か――)


そのスーツ男がボンズへと向き直った。


「あの男を殺ったのはアンタか?」


この洞窟に二人きりしかいなかったのだから、スーツ男の質問は当然のものだろう。そしてそれは事実だった。


「ええ、殺すつもりは無かったけどね。でも彼の仕掛けた罠はまだ動いてる、だから私はこうしてここを出られないってわけ」


さあ、目の前の男はどうしてくれるかしらんと言葉を区切ると、そのスーツ男はうんうんと唸り出した。これは駄目かなあと思ったところで、男はおもむろに一匹の蛇をおびき寄せると片手で掴んで持ち上げるなど挑発して――わざと指を咬ませた。


「なっ!!」


何を馬鹿なことをと思わずボンズが腰を上げると、スーツの男は慌てる様子も見せずに蛇を引き剥がして放り投げた。咬まれたはずの指さきを確かめて何やら頷いている。


「馬鹿っ、さっさと毒を吸い出しなさいよっ。早くっ!!」


ハンター試験でここまで残ったのだから、彼も人並み以上に身体を鍛えていることだろう。しかし蛇の毒にも様々なタイプがあるものの、そのいづれも身体を鍛えているから耐えられるというものではないのだ。

暢気に手先を軽く振ってみせる男に焦れたボンズが思わず男へと詰め寄ろうとしたその時、ゆっくりとその男がボンズに正対した。


「あー、ダイジョブダイジョブ。刺さってねえからよ」


そのこちらを安心させようという態度に、いよいよボンズがぶち切れた。


「うるさいっ、馬鹿なことは言わないでさっさと指を見せなさい! いい、蛇の牙ってのは人間の皮膚くらいなら貫けるよ

うにできてるのっ。今の蛇が持ってるのが出血毒か神経毒か知らないけど身体を鍛えたから耐えられるなんてのはありえないっ!!」


そして一度に注入される毒の量は当然蛇の大きさに比例する。ここに集まっている蛇たちは決して小型では無い。生物を扱うことを専門とするボンズにとって楽観視できる要素は一つも無かった。

そう、”大丈夫”なんてことは有り得ないはずだったのだ。


「あれっ?」


最悪自分が処置をするしかないと男の右手を掴んで自分の顔の前に持ってきたボンズは愕然とした。確かに男の言うとおり蛇の牙が刺さった後が無いのだ。咬まれたのは明らかに右手だったはずなのだが、思わずボンズは左手まで引き寄せて確認してしまう。


「無いっ、どうして?」


思わず男の顔を見上げて詰め寄った。恐らく百九十を超えているだろうその男に対すると、百と六十もないボンズの頭は彼の肩よりも低い位置になる。ボンズに左手を掴まれたまま、スーツの男は視線を下げて彼女と目を合わせた。


「ま、からくりはあるんだがそれは秘密だな。話は変わるけどあの蛇使いはアンタのターゲットか?」


その言葉にボンズは試験のことを意識した。目の前の男のターゲットはもしやすると自分なのではないだろうか――

ボンズは男の手を離した。そして、距離を取ろうかと考えてそれを止める。先ほどまでに彼女の不意を突くタイミングはいくらでもあった。そこを見逃した以上、彼のターゲットが自分だからといって即座に戦闘になることは考えづらい。


「ええ、私のターゲットはそこで死んでるバーボンよ。最も蛇に阻まれてプレートは取れてないけどね」


彼女の答えはどうやら満足のいくものだったらしい。暗がりの中でもはっきり分かるほどに、目の前の男が笑ったのが分かる。


「そっか、じゃあ大丈夫だな。俺のターゲットが実はアンタ何だが――そこの蛇使いのプレートと交換しようぜ。アンタに

とって3ポイント同士のプレートの交換ってわけだ、ついでに外に出るのも手伝おう。どうだ、悪くないだろ?」


確かに悪くない。自分の持ちポイントは変わらないまま、試験を諦めなければならない状態からは解放されるというわけだ。正直なところ、目の前の男の思い通りに事が運んでいる、という点については多少気に喰わないと感じるが、ボンズ自身が上手くやれなかったせいでこうなってしまっているのだから仕方が無い。


「そうできるって言うのならそれでいいけど――まずはバーボンのプレートを取ってみせてくれない?」


「まっ、そうだな。じゃあ俺の裸を見たくなければ後ろ向いててくれ」


「へっ?」


暢気にそう言った男の言葉に反応する間もなく、彼は上のスーツをまず脱いだ。それを適当に畳んで岩の上に乗せる。


「えーっと、何で脱ぐの?」


「いや、蛇に咬まれて服が駄目になったら困るだろ」


さも当然と言わんばかりにレオリオはそう答える。まあ確かに蛇の群れにところかまわず咬まれては、スーツの上下は無事ではいられないだろう。つまり服は駄目だが、彼の肉体は咬まれても大丈夫だということらしい。しかし、ボンズの常識からするとどうしても生身の肉体が蛇の牙によって害されないというのは理解し難い。

だから、ボンズは目を逸らすことなく見た。パンツ一丁のレオリオが蛇の群れにほぼ全身を覆われながらバーボンの死体の懐を漁っていく。しかし、蛇が咬みついているところを別の蛇の体が遮っていていまいち良く見えない。そのことに焦れて

近づこうとすると、蛇がボンズにも反応する素振りをみせたので接近することは叶わなかった。


「おっしゃ、あったぜ」


忌々しそうに左手で蛇を振り払いながらレオリオがバーボンの死体から離れる。彼が距離を取ることで、纏わりついていた蛇の群れはまたもバーボンの身を守る体勢へと戻っていった。そうして、半裸姿を取り戻したレオリオの右手には、バーボンの受験プレートがしっかりと握られている。


「ほらよっ。これでいいだろ?」


そのままレオリオは、離れて立っていたボンズに手にしたプレートを無雑作に放った。普通ならばここは、プレートを手にしたままボンズとの交渉に移るところだろう。ゆっくりと宙を飛ぶプレートを視線で追いながら、ボンズは「うわー、お馬鹿さんだこの人」と半ば呆れてしまった。

しかし、ボンズはすっかり彼との取引を受けるつもりになっていたから、それを無意識にでも見抜いていたというのならば、案外目の前の男は大物だということかもしれない。

でもきっと多分お馬鹿さんの方だ。そんな風にして、ひとまず下した結論を──ボンズが確かめる機会は与えられなかった。

プレートがボンズの胸のあたりに当って地面へと落ちる。

それを受け取るために伸ばそうとしたはずの右手は、脇から少し持ち上がった中途半端な位置で止まってしまっていた。右腕だけでなく、身体全体が蝋で固められたように動かない。

そして何より、酷く寒かった。

何だかとてつもなく嫌なものに包まれているような悪寒が彼女を苛む。だというのに、冷や汗一つ出てこないというのが一層の気持ち悪さを助長する。

目の前で同様に身体を硬直させているレオリオの顎先から、汗の粒がしたたり落ちていく。何時の間にやら彼は半身に構えて腰を落としていた。


「ごめんなさい」


知らぬ間に、目の前に一人の女の子が立っていた。その後ろで固まっている男と同じグループにいた子供組の中の一人だ。彼女は動けない二人の間で、淡々と語り続ける。


「私の能力の場合、しっかりとした限定ができないの。漫画でいうと、ページごと黒か白で塗りつぶすほどに大雑把ではないけれど、一コマ限定でってのは無理かなぁ。……ああ、それはレオリオの話でさ――あなたはもうちょっと酷いことになるかも。まあ何ていうか色んな意味で」


ボンズを恐怖で立ちすくませていることを何とも思っていないような瞳と視線が合わさった瞬間、彼女の体が本能的に後ろへと跳ねとぶ。背中から洞窟の壁に強くぶつかったボンズへ、殺到するはずの蛇の動きは無かった。しかしそれを疑うような余裕は無い。震える視線の先で、少女が数瞬前までは確かに持っていなかったはずのクロッキー帳の表紙をめくる。何が起こっているのか、何をされているのか、ボンズには分らない。ただ、まるで虫を追い払うように無雑作に扱われていることが分って、悔しさに涙が溢れた。











とある孤島を舞台にして行われた四次試験をクリアしたクラピカは、最終試験会場へと向かう飛行船の中でレオリオとソファーに座り込んで体を休めていた。同じ休憩場所にはいないものの、ハンター試験開始時からともに行動していたゴン、キルアも四次試験を無事クリアして同じ飛行船に乗っている。

今は最終試験会場への移動時間を利用してハンター協会会長との一対一での面談が行われており、クラピカとレオリオはそれぞれの順番を待っているところだ。

隣に座っているレオリオは先ほどから何やら携帯を手にうなっていたのだが、どうやら解決は諦めたようで無雑作に二つ折りの携帯を閉じた。


「何か面倒な連絡でもあったのか?」


明らかに不審な様子に突っ込まないのもどうかと思い、クラピカはそう口にする。


「いや、何て言うか体術の師匠みたいなヤツからのメールが四次試験の間に何通かあってよ。その中に"お嬢様はどうしている?"、みたいな記述が何度か出てくるんだが正直何のことやらさっぱりわからん」


それは確かに妙である。ハンター試験会場へと向かう船旅から彼らは行動を共にしているが、レオリオの"お嬢様"とやらに心当たりは浮かばない。何かの比喩なのだろうかと考えてみても見当はまったくつかなかった。


「単純に誰か女性のことだとして、ハンター試験を共に受けている受験者は?」


「クラピカも知っての通り、俺は一人で来てっからな。多少会話をしたヤツはいるが、"お嬢様"とやらに当てはまるとは思えねー。ただついでに言うと俺の姉からも"エレナちゃんは大丈夫?"とか訳分かんねーメールが来てる」


閉じた携帯をポケットに仕舞うと、レオリオはソファーの前に据えられたテーブルの上で視線をさまよわせる。恐らく灰皿を探したのだろうが、あいにくその用意は無いようだ。チッと軽く舌打ちをして、彼はソファーに深く身を沈めた。"お嬢様
"の件について今謎解きを続ける気は無さそうだと判断して、クラピカは口は開かずに思考を続ける。


(お嬢様とやらとそのエレナという名の人物が同一人物だとしても……答えを出すまでには至らないな。当たりを付けようにも材料が揃っているとも思えない。レオリオの携帯の履歴を数か月も遡れば何か分るかもしれないが、最終試験前に解決すべき問題でも無いだろう。私との関連性も薄い)


どう考えても今は分らないだろうという結論に達したクラピカは、目を閉じて休む体勢に入ったレオリオを見習うことにする。彼は背をソファに深く預け、思考をそっと手放した。


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