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[43642] とあるアムネジアが往く旅路
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/05/30 12:31
以下、注意事項です。

・残虐な表現あり
・15禁相当で
・更新は亀
・カテゴリーはSFかファンタジー



[43642] 1話 アムネジアでも軽トラは運転でき、ない
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/01/24 12:26

 昔、何となしにテレビを点けていて、こんなのを見たことがある。

 細長く切ったアルミ箔の中央に爪楊枝をテープで取り付ける。
 この爪楊枝の両端は指で摘まめる程度の余裕があり、それを針金で作った二つの台の間に乗せ、そしてアルミ箔の片方に電灯の光を当てるとクルクルとアルミ箔が回転する……といったモノだ。
 おそらく見ていたのは教育番組で、光にも圧力があるということを実験で示していたのだろう。

 なんでこんな話をするのかというと、光には確かに圧力というモノがあってオレは目覚ましのアラームが鳴るよりも早く日光で起きているからだ。
 おかげで寝坊したことは一度も無いが、夏の季節になると寝不足でも5時頃には自然と目が覚めてしまうので自身の敏感さを恨めしく思うことがある。
 だけど今回に限っては感謝すべきなのだろう。太陽の光を感じて目蓋を開けると、雲一つない青空が広がっていた。そのまま寝ていたら確実に日焼けしていたハズで、もう教育番組を見るほど若くないのだからスキンケアは大切だ。


 ――いや、そうじゃない、なんでオレは天井のないところで寝ているんだ!?


 慌てて身を起こすと、感触から固く凹凸のある鉄板の上に……どうやら軽トラックの荷台で寝ていたことに気付く。

 何で軽トラの荷台で寝てたんだ?
 今オレが着ているのはポケットがやたらと付いているツナギだが……この状況から考えるに、何かの作業中に疲れて寝てしまったのか?
 けど、そこに至る記憶が全くない。
 血圧は低くないから寝ぼけるということはあまりないんだが、今回に限っては頭に霧がかかったような感じですっきりしない。

 仕方がない、少し散歩でもすればボケた頭もスッキリするだろう。
 その前に靴を履かないとな……って、オレは靴を履いたまま寝てたのか? しかも安全靴って、よくこんなモノを履いて眠れたもんだ……日本人としてあり得ないだろ。

 ますますワケの解らないシチュエーションに困惑されつつ、トラックの荷台から降りる。
 土は固く、雑草がまばらに生えていて……ここが都市部じゃない事は確かだ。
 周りを見渡すと、同じように固そうな土と雑草、少し離れたところには澄んだ池がある。特に道はなく、近くに田んぼや畑はない。
 もう少し先に視線をやると100mほど先に結構な高さの岩場があり、オレが立つ場所を中心に円形に広がって視界を遮っている。

 うーむ、あそこへ登って先に何があるかを調べるのは後にしよう。反対側には何かないか――っと、これは……鳥居だよな?
 なぜ今まで気付かなかったのか、寝台にしていた軽トラの隣にはオレの身長ほどしかない、小さな鳥居と社があった。

 この地形で神様を祀る社があるのなら、もしかしてこの場所は……。

 オレは周りを囲む岩場で、唯一視界が開けている場所に向かって歩く。
 雲が全く無くて空が近い。
 痩せて植物があまり育っていない地面。
 周囲にはせり出した岩とくれば――
 そこへ近付くにつれてオレの推測は確信へと変わっていく。


「山頂か、それも随分と標高が高い。なんでオレはこんな処で寝てたんだ……」


 眼下に広がる雲海を目にしても全く記憶が蘇らず、オレは頭を抱えるしかなかった。



---



 なにはともあれ現状確認だ。

 頭を抱えていても何も解決はしない。何処かに行くにしても、助けを求めるにしても行動を起こさないと。
 そして行動を起こすには指針が必要で、指針を定めるには自身の事を含めて状況を正しく把握しないと始まらない。
 しかし困った。
 おかしな事に、起きてからそれなりの時間が経っているのに記憶が蘇らない。
 寝ぼけているのでなければ……記憶喪失か? そんなマンガみたいな事が起きるなんて信じられないが――現に今のオレにはこの状況に至った記憶がない。
 更には何処に住んでいたのか、何歳なのか、名前さえも、いるはずの親族に友人知人……全くもって頭の中に浮かんでこない。


「なんなんだこれは、何なんだこの状況……」


 まるで見知らぬ世界にたった一人放り込まれたような孤独感にオレは震えた。
 だ、大丈夫だ、ここには鳥居も社もある。誰かが作った軽トラもある……オレ以外にもヒトは存在している!

 ……どうやら記憶がないという事と、近くに誰も居ないという状況は精神的によろしくないようだ。いつもであれば妄想で済むような笑い事が、変な真実味を帯びて襲ってくる。
 こういうときはそう、いつもと変わらない青空を見れば少しは気が晴れるかも知れない。
 オレはトラックの荷台に尻を乗せると、背を反らして空を見上げた。

 やはり青空はいい、オレの馬鹿みたいな思い込みを吹っ飛ばしてくれる。大きく白い月が浮かんでいるのもグッドだ!
 ……あれ、月って4つもあったけか? まあいい、少し落ち着いたから現状確認を進めよう。

 着ているツナギのタグを見ると「Maid in Japan」とある。見慣れた漢字とひらがなによる洗濯に関する表示があって、こんなのを着ているのだからオレは日本人なのだろう。
 尻を乗せている軽トラックも日本の自動車メーカーのロゴがあるし……そう言えば、さっき寝るのに靴を履いてるのは日本人じゃないとか自分でも呟いていた。
 それに今までの思考は全て日本語だから、これは確定だな。

 次は所持品を確認しよう。
 着ているツナギには40箇所くらいポケットがあって、そのいくつかには何かが入っているようだった。
 試しにポケットの一つを開けてみるとやたら大きな多機能ナイフが入っていて、展開するとナイフ以外に20個くらいツールが出てきた。
 使い方が解れば便利なんだろうが、知識の無い自分には豚に真珠というヤツだ。
 もしかして他のポケットにもこんなのが入っているのだろうか? PHSかスマホが入っていたら連絡を取れて助けを呼べるんだろうけど……。

 しかし、残念ながら全てのポケットを探してみても通信機能を持つモノは出てこなかった。代わりに出てきたのはターボライターに、LEDライトや警笛、虫除けスプレーに携帯食など、野外キャンプに必要なサバイバルグッズだった。

 はて、作業用のツナギを着ているもんだから、てっきり何処かの作業員だと思っていたけど、実は山頂キャンプに来ていた登山者というオチなのだろうか? しかしそうなると……オレは山頂に軽トラックで乗り上げた非常識でバカな登山者になってしまうぞ?

 襲ってくる脱力とそれ以上の焦りに突き動かされて、オレは軽トラックの運転席を探ってみることにした。
 ドアはロックされていたが、ドアノブに手を掛けると自動でロックが解除されて同時に畳まれていたドアミラーが開く。
 軽トラックにこんなオプションを付けられたかな、と訝しみながらも運転席に乗り込み、助手席側のグローブボックスを開いた。
 普通はここに車検証や保険証を入れていて、そこには車の所有者の、おそらくはオレの名前が記載されているハズだ。

 しかしながらグローブボックスの中には車検証は入っておらず、代わりに……何か変な機械? が入っていた。

 グローブボックスにぴったり入るその機械は、のっぺりした表面にカードを差し込むような口が開いており、そこには既にカードが深く入っていた。
 大抵のカードには何らかの情報が書かれているはずだが……しかし、手では引っ張り出せず、取り出す為のスイッチらしきものもない。
 下手に分解して戻せなくなったら困るし、それは最終手段にしておこう。

 他にも収納できる箇所を探してみたけれど、なにせ軽トラックだから収納スペースは少ない。あってもそこにはグローブボックスに入っているモノと同じような機械が入っていて、車検証も携帯電話のような通信機器は入っていないようだった。

 ……仕方ないか。
 山を下りる道すがら、誰かに会ったら素直に記憶喪失であることを伝えて助けを呼んで貰おう。
 軽トラックで山頂まで来たことについては大目玉を食らうだろうし、せめて自分の名前だけは分ればと思っていたけど、いつまでもこうしてはいられない。
 何もない山頂で夜を越すなんてやりたくないからなぁ……そう言えば腹も空いてきた。今は何時頃なんだ?

 自分の左手首に視線を向けると、そこには黒色の腕時計が巻かれていた。
 少し大きめで、時刻を示す箇所とベゼルが深い青色の金属で彩られている。いかにも高級そうな時計で存在感もあるのだが、あまりにも軽く、着けている感覚が薄いので気にしていなかった。
 その腕時計が示す時刻は午後の3時。冬の季節であればそろそろ陽が赤くなってくる時間だった。

 これはマズイ。早く下山しないと降りている途中で暗くなってしまう。
 山を車で下りるなんてやったことはないが、いくら4WDの軽トラックだとしても運転を誤れば横転してしまう未来が目に見えている。
 オレは急いで軽トラックのエンジンを掛けようとして……車の鍵がないことに気付いた。というかこの軽トラック、鍵を刺す鍵穴がない。

 えぇぇ、なんだこの軽トラック!? もしかして今流行のスイッチ式だろうか?

 そう思って探すと、ハンドルの左側にエンジンスタートスイッチがあって安堵する。あとは鍵だけど……うん? よく見ると左手に巻いた腕時計の文字盤が光っていた。どうやらこの腕時計が車のキーになっているようだ。
 何だが無駄にハイテクだなと思いつつもエンジンスタートスイッチを押すと、目の前のパネルに電気が灯り、各メーターが車の状態を教えてくれる。

 よし、何はともあれ発進だ。
 サイドブレーキを解除し、アクセルペダルを踏んだのだが……全くもって前に進む気配がない。訝しんでアクセルペダルをベタ踏みしても全く手応えがない。
 これはもしかして……

 車の各メーターが示されている箇所、その燃料タンクのメーターに注目すると、エンプティを示す箇所にメーターの針が来ており、オレは全力で脱力するしかなかった。




[43642] 2話 アムネジアでも戦える
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/08/16 04:27

 大いに脱力させられたオレは、軽トラックのエンジンを停止させるとシートから降りた。そして腹立たしさを込めて乱暴にドアを閉める。

 どーすんだ、これ……山頂に燃料が切れた軽トラックを放置とか、ハッキリ言って不法投棄にしか思えない。何考えているんだ記憶のある頃のオレ……ヤバすぎて吐きそう。

 あまりにも酷い自身の行いに、頭を抱えて嘔吐感を堪えるしかなかった。
 かくなる上は自分で尻ぬぐいをするしかないだろう。下山してガソリンを調達し、戻ってきて軽トラックを動かせる状態にするのだ。その間はこの山の管理人に迷惑を掛ける事になるが謝り倒すしかないだろう、何にしても不法投棄よりはマシなハズだ。

 自分の葛藤にケリをつけると腹の虫が鳴った。
 腕時計を見ると短針は16時を示しており、辺りはいつの間にか夕暮れの赤に染まっていた。思っていたよりも車内探索と葛藤に時間が掛かっていたようだ。

 腹の虫は、ポケットに入っていた携帯食で何とするとして……今日は山頂で一泊するしかないだろう。夜に山へ入るなんて誰が考えても自殺行為だ。例え運良く下山できたとしても民家が見つからなければ野宿するしかない。此処なら軽トラックの中で夜を越せるから、野生動物に襲われる事は無いだろうし、夜露や気温の変化もある程度耐えられる。座ったまま寝るなんてエコノミー症候群が怖いけど、一日だけだったら大丈夫だと思いたい。

 そうと決まれば準備をしないとな……とは言え、やることはそう多くない。

 水場は近くに澄んだ池がある。恐らくは雨水が溜まったモノで、飲めないまでも手を洗う事はできるだろう。
 トイレは……神前でするなんて後ろめたいが背に腹は代えられない。水場から離れたところに穴を掘って用を足すことにする。幸い軽トラックには大きめのシャベルが積んであったのでそれを使う。
 後は寝床だが、ポケットの中にアルミのシートがあったから、軽トラの狭い座席でこれに包まるだけかな。

 それにしてもこんなモノまで持っているなんて……まだ記憶は戻らないけど、オレって本当にキャンパーなんじゃなかろうか? それは軽トラを含めてこの持ち物が全部オレのモノであるという前提が合っていればの話だけど、疑う理由はない。

 さて、一泊する準備は出来たし、メシにしようか。
 持っていた携帯食はカロリーゼリーで、食べるのは本当に久しぶりだ。朝の時間が無い時に啜ったのはいつの事だったか。味気ないけど携帯食としては上等な部類だろう。これが乾パンだと絶対に水が必要で、飲める水はここにはない。

 味気はないが、太陽が雲海に沈んでいく様子を見ながらの食事は爽快感があり、良い気分転換になった。

 後は体力を温存するために早く寝るだけだ。山を下るのも、下った後に民家を探すのも体力が要るだろう。
 そういえば……ガソリンを買うためのお金はあっただろうか? 明日陽が昇ったらもう一度ツナギのポケットを総点検しないと。いや、誰かオレを知っているヒトを探して貸してもらった方が良いか?
 ――とにかく明日だ、明日やるべき事をやろう。

 ワケの解らない記憶喪失という状況と、周りに人が全く居ないという環境は想像以上に精神へストレスを課したようだ。軽トラの狭いシートに座っていると急速に眠気が襲ってきた。そういえば状況確認するのを優先して休憩していなかったな、疲れて眠くなるのも当然か……


 強い眠気に誘われて目蓋を閉じようとした時、突如としてそれは起こった。左手に巻いていた腕時計が虹色に光り出したのだ。


 後で考えれば混乱していたのだろう、突然すぎるその現象に驚いたオレは車のドアを開けて飛び出し、左手を激しく振って腕時計を取ろうとした。しかし隙間無く嵌まっている腕時計が腕を振った程度で外れる訳がない。それに気付いて留め具に右手を伸ばそうとしたとき、更なる変化が起こる。

 文字盤に並ぶ12の時字(アワーマーク)からそれぞれ強い光を発すると、カバーグラスの上にパソコンのウィンドウのようなものを結像した。

「嘘だろ、光の相互干渉によるホログラフ! 実現されていたのか……しかも、腕時計サイズで!?」

 オレが知る最先端の画像技術は蛍光体を電流などによって励起させるEL(エレクトロルミネッセンス)だった筈だ。もちろんホログラフも実現に向けて研究されてはいたが、エネルギー効率が悪すぎて開発が進んでいなかった。その最先端技術がオレの手の中にあるなんて……いや、何なんだこの腕時計!?

 しかし、驚きはそれだけで済まなかった。
 空中に結像したウィンドウには「これよりエネルギー補給を開始します」と表示されている。

 ……エネルギー補給? 内蔵電池じゃなく、外部から補給するタイプなのか。そういえばソーラー蓄電式の腕時計をどこかのメーカーが開発していた。確かに、こんなホログラフを出せる時計が内蔵電池だけで動くなんて事は考えられない。
 しかし、今はもう太陽が沈んで月しか出ていないはずだけど……なんだ? 凄く周囲が明るいぞ。電灯も何も無いっていうのに、この明るさは……まさか月、か?

 空を見上げると4つの月が白く輝いていた。
 まるで昼間のように、ただし、太陽のようなギラギラとした光ではなく柔らかい光が周囲を照らしている。
 その月の一つから光の塊が零れ、一直線にオレの腕時計に降り注いだ。

 目の前で何が起こっているか解らず呆然としていると、再び腕時計が虹色に輝いて新しいウィンドウが表示された。
 そこには「エネルギー補給が完了しました。これよりエネミーを召還しての実戦を開始します」とある。


 エネミーって直訳すると「敵」だよな?
 それを召還する? なんで?
 いきなり実戦が……殺し合い始まる? ホワイ?


 あまりにも理不尽な展開に頭がついていけない。オレはいつのまにか寝ていて、これは夢だったりするのだろうか?
 そう思って頬を思いっきりつねってみると凄く痛い。どうやら現実のようだ……なら仕方がない、敵を迎え撃つ準備をしないと。
 思考は停止したままだが、しかし、体は防衛本能が勝手に動かし軽トラに積んであったシャベルを取り出して槍のように構える。

 そんな準備が整うのを待っていたかのように、再び腕時計が虹色に輝くとコヒーレント光ぽい指向性の強い光を発して空間に穴を創り出した。
 穴……そう、一切の光を反射しないマットブラックのそれは穴としか言いようがないだろう。

 ワープ技術!? ……いや、もしかしてマイクロブラックホールなのか?
 そんな感想を頭の隅で吐き出していると、穴から一匹のクリーチャーとしか言いようのないおぞましい生き物が這い出してきた。
 大きさは40~50cm程度。形はアレだ、昔の映画に出てきた12時に食事をして変わった後の方によく似ている。あと、なんていうか、初対面の筈なのに凄い敵意というか、殺意を向けられているのが判る。
 ――安心してくれ、オレも同じだ。お前とは絶対に相容れない。

 勝負は一瞬だったと思う。
 フェイントなんて用いずに一直線に飛びかかってきたそれを、シャベルの面を使って叩き落とし、あとは地面を刺すのと同じ要領で剣先をクリーチャーの体に差し込むだけ。
 そいつは何も出来ずに緑色の血をまき散らして絶命した。何度も何度も刺し貫いてトドメを刺したから間違いない。

「なんじゃこりゃあ」

 流石に一度に多くの事が起こりすぎた。
 既に一杯一杯だったオレの脳味噌はクリーチャーを殺すという過負荷に耐えきれず、糸が切れるように気絶した。




[43642] 3話 アムネジアでもガチャは回す
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/08/16 11:18

 起きたら目の前でクリーチャーが鳥にたかられていた。

 そんな衝撃的なシチュエーションを前にして悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。飛び上がって無様な連続バク転でその場から逃げたのはご愛敬だろう。

 今は何時だ、昨日は一体何が起こった、なんでオレは屋外で寝ているんだ、目の前で起こっているこの惨状は何なんだ!?

 混乱して変な拳法っぽいの構えを取ったオレに構わず、鳥達はクリーチャーを啄み続けている。その数は十羽ほどで、カラスに似ているが羽が白く、その綺麗な羽が緑色の血に汚れるのにも拘わらず、激しく嘴を使って肉を貪っている。

 腹が減っているんだろうか? 太陽は既に昇っているようだし朝飯ってところかな。もうちょっと起きるのが遅かったらオレもあの呼び出された化け物と同じ末路を辿っていたかもしれない。

 そんな感想が頭に浮かんだ途端、昨日の出来事が怒濤のように蘇った。
 自身の記憶喪失、今いる場所、ガス欠の軽トラック、変な時計、4つの月、穴から出てきたクリーチャー、そして……そうか、アレは夢じゃなかったんだな。

 クリーチャーを殺す為に使ったシャベルは地面に突き刺さったままで、見上げると青空に4つの白い月が浮かんでおり、左手首には黒い腕時計がある。

 と、とりあえず腕時計は外しておくか。また、いきなり変な物を呼び出されたら困る。

 そう思いバンドを締める中留めに手を伸ばしたのだが、どこをどういじっても外せない。ボタンはなく、結構な力を込めて引っ張ってもビクともしないのだ。一体どういう構造になっているのか……

 肩で息をするオレの目の前で、時計の時字が再び輝きだして日光の下にも拘わらずにウィンドウが結像する。
 そこには『無駄です』とだけ表示されていた。

「てめッ、このヤロ、どういうつもりだ!?」

 腕時計に怒鳴り散らすなんて様は誰がどう見たって変人だろう。だけど、この腕時計は普通じゃない。カメラやマイクがついていないのに現状を理解して簡単な意思疎通が出来ている。機械に宿る意識、それをヒトは人工知能と呼ぶ。そしてこんな反応を返す工知能をオレは知らない。
 更に、昨日見せた月からのエネルギー補給にしても、ワープ技術にしても、オレが知る人類の技術を遙かに超えている。何でこんなモノを着けているのか記憶喪失のオレには知りようもないが、意思疎通が図れるならオレに関する情報を引き出せるかも知れない。

「おい時計、お前は一体なんなんだ? 何でオレは此処にいる? いやそれより、何かオレに関する情報を持っていないか?」

 ………………5分ほど経って無視されたのだと気付いた。

 思わず地面に叩き付けようと腕を振りかぶったのだが、壊してしまったら元も子もない。これが唯一の手がかりかもしれないのだ。それにもし借り物だった場合に凄い額を請求されそうだしな。
 なんとか理論武装を終えて気分を落ち着けたオレであったが、再び宙に浮かんだ『臆病者』という文字に激高させられた。
 多分、コイツを創った技術者とは仲良く出来そうにない。


---


 腕時計への嫌がらせになるかもと思い、左手を使ったシャドーボクシングらしきものを行っていると、クリーチャーを啄んでいた白カラスの一匹が飛んできて近くに降り立った。
 そいつは群れの中でも一際大きく、首に勾玉らしい装飾品を掛けている。そのヒトを全く恐れない様子からすると、この山の神鳥として飼われているのかもしれなかった。
 大きな白カラスは地面に小さな石を置くと、一声鳴いて群れに戻っていった。

 もしかしてお礼のつもりだろうか? この妖怪時計とは違って礼儀を知っているようだ。
 置いていった石はクリーチャーの粘り気のある緑色の体液で汚れていたが――うん、こういうのは気持ちが大切なのだ。しかし、これは…………池の水で洗ってみるか。せっかく貰ったモノを捨てるのは良くないからな。

 オレは多機能ナイフにあったピンセットを用いて緑色の血に汚れた石を摘まむと、池に移動してジャブジャブと洗ってみた。対岸では同様に白カラスの群れが水浴びをしており、緑色に汚れた羽を洗っている。
 念入りに水の中で石を洗い、これくらいで良いかなと目の前に持ち上げると、白カラスから貰った石はまるでダイヤモンドのように輝いていた。

「おいおい……リアルでわらしべ長者か? って、あ、やべッ」

 思った以上に綺麗だった石――宝石に驚いて力加減を誤り、ピンセットから宝石がこぼれ落ちる。そして反射的に差し出した左手の腕時計に宝石が触れた途端、時計に宝石が吸収された。
 再び発生した摩訶不思議な現象にオレの思考が停止する。
 しかし、事象は止まらない。宝石を吸収した時計は虹色に輝くと再びウィンドウを結像した。そこにはこんな表示がされていた。

『モンスター初討伐記念 10個の品物をランダムに取り出せるブロンズ宝箱を進呈します』

 くじ引き、ガラガラ抽選、いや、今風にいうならガチャか? ゲームみたいなノリで物質変換をやっちゃうとか……あり得ないだろ。

 明らかにシンギュラリィティ、且つオーバーテクノロジーをノリ(としか思えない)で発揮し続けている腕時計に戦慄する。まるで左手に核爆弾を埋め込まれたような気分で、衝動的に左手を切断したくなる。これは明らかに人の手に余るものだ。

 ――落ち着け!

 まだオレは何も知らない、わかっていない……わかっていないままに放り出すのは無責任だ。せめてこの超技術をなんでオレが持っているのか判明させないと誰にも助けてもらえない。そうだ、一刻も早く記憶を取り戻さないと……まずはそれを目標に行動するとしよう。

 なんとか精神を均衡させたオレは、いつの間にか出現していた銅色の宝箱……を模したダンボールの大箱に近寄った。出所がなんであれ、オレが今持っているものは少ない。もらえるモノは貰っておかないと後悔する事になるだろう。

 ダンボール箱を封印しているガムテープを剥がすと、手を突っ込んで触れたモノを取り出そうとする。取り出したのはこれまた小さなダンボール箱だった。表面には『N』という表示がある。
 『N』が何の意味かは判らないが、開けてみると……トイレットペーパー12ロールが入っていた。

 う、うおおぉ、い、いきなり大当たりじゃねーか!
 ツナギのポケットには2個のポケットティッシュしかなくて、心細い思いをしていたんだ。現代人のオレは葉っぱで尻を拭くのはどうにも避けたかった事案で、これで下山時のトイレ事情に心配は無くなった!

 シモの生活必需品を手に入れたオレのテンションは俄然高くなった。この調子で良いモノが出続けたら左手の妖怪時計をハイテク時計と呼んでもいい。

 よーし、この調子でどんどんアイテムを取り出していこうか! はは、そういえばテレビゲームで敵が滅多に出ない宝箱を落とした時、何が入っているかドキドキしたもんだ。うん、テンションを上げていこう!
 次は……同じく小さな箱だな、今度は『R』の表示がされている。もしかして、Normalの『N』、Rareの『R』を意味しているのか? そうすると、さっきよりも良い品かもしれない。何が出てくるかな? これは……え、もしかしてこれは……………………


 出てきた黒光する金属の塊は、テレビの中で警察管と呼ばれている人達が腰にぶら下げているモノだった。
 ひょっとしたら模型かなーと思ったが、ご丁寧に本体とは別に同じく金属製の特徴的な備品もR小箱に入っていた。試しに横側に付いているボタンを押して備品を詰める箇所を確認すると、とてもプラスチック製の弾を込められる構造にはなっておらず、ホンモノ専用ですとでもいうようにデカい空洞になっていた。

 ちなみにその黒光りする物体には『Beretta modello 92』という文字が刻印されている。


 とりあえず、オレはその物体をそっと箱の中に戻し……軽トラックの荷台へ向けてぶん投げた。





[43642] 4話 アムネジアだけど練習はできる
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/08/16 15:53

 あの後、気を取り直したオレは残り8つの小箱を取り出して開封した。
 全て『N』のマークが表示されており、中身は携帯食料やペットボトルの水、アメニティグッズや、折りたたみ傘とかの生活雑貨だった。下山するのに重宝するモノばかりでとても有り難い。

 これでなー、見ただけで脂汗が出るようなモノを出さなければなッ、カッコイイ名前でも付けてやろうと思ったけど! しばらくは妖怪時計と呼ぶことにするぜっ!!

 ふーっ、ふぅっ……さ、さて、朝から色々な事が起こりすぎて不貞寝したくなったけど、目的に従って行動することにした。まずは方針の確認だな。


 第一に、山から下りて民家を探し、助けを求める。テレビで聞きかじった知識であるが、登山で山に入る前には万が一遭難した時に備えて計画書を出さなければならなかった筈だ。計画書から辿れば自分が何者か、助けを期待できる人が見つかるかもしれない。

 次にガソリンを購入し、山頂に戻って、この不法投棄っぽい軽トラックを動かせるようにして麓まで運ぶ! もしかしたら自分の持ち物じゃないかもしれないけど、それは知っているヒトに聞けばよいだろう。こんな不祥事、絶対に放っておけない。

 最後に、このよくわからない妖怪時計についての調査だ。意識的に脳の外に追いやっていたけど、こんなモノはオレの手に余る。全てが理不尽で理解不能、早いところ手放さないとオレの精神がもたない。冷静に振り返ってみると左手の切断を考えるとか、まともじゃない。

 ――よし、方針を確認したところで行動に移ろうか。
 必要と思われる物品は全てツナギのポケットやナップサック(N箱から出てきた)に入れてある。後は周囲を囲む岩場の隙間から出て下山するだけだ。この山の高さがどれくらいかは判らないが、歩き続ければ夕方までに着かないって事はないだろう。

 一応、鳥居の方に向かって一泊した事を詫びると、オレは下山を開始した。



 で、10分ほどで戻ってきた。

 ヤバイヤバイヤバぃぃいいいい!?
 ど、どこもかしこも濃厚な硫化水素の匂いが充満してやがる! あのまま下山を続けたら確実に中毒を起こして死んでいた。
 なんだこの山、活火山か? どうやってオレは山頂まで辿り着いたんだよ! 軽トラで登って来たんだとしても、あの硫化水素の濃度はエンジン内に入ったら即爆発するレベルだ。ヒトが硫化水素の匂いを検知する濃度は数ppmと言われているが、明らかにパーセント単位だった。なにせ見える範囲全てが黄色に着色されたようになっていたからな!

 道理で誰も、オレ以外の登山者が来ないワケだ……
 こんな山に登るヤツは自殺志願者か、退路を塞がれた犯罪者だけだろう。
 いや、鳥居や社があるんだから神職のヒトも登ってくるだろうけどさ、硫化水素が薄くなるタイミングを知らないと確実に死ぬ。そして、オレはそのタイミングを全く知らない。

 アレだな、その神職のヒトが登ってくるまでは此処でキャンプをするしかない。所持品にやたらとサバイバルグッズがあったのはこれを見越してのことか。こんな処にやって来た、記憶をなくす前のオレにどんな事情があるのか……記憶を取り戻すのが怖くなってきたぜ。


---


 暫くはこの山頂で長期キャンプするのを余儀なくされたオレは、その準備を進めていた。とは言っても昨日のキャンプ準備から特別増やすことはそんなにない。

 食料は今朝にガチャで出た携帯食料(カロリーゼリー)がそれなりの数がある。必要最低限の水分と栄養素はこれで補給できる筈だ。飽きが怖いけど、これが朝のガチャで出なかったら数日後には餓死していたかもしれないから贅沢は言えない。
 体を清潔に保つには出てきたアメニティグッズがあるし、水は近くにある池の水を、これまたガチャから出てきたカセットコンロと鍋で煮沸すれば使えるだろう。
 寝床は軽トラの運転席は確定なので、ガチャ品の梱包材であるダンボールを使って段差を埋め、なんとか体を伸ばせるようにした。平均身長に届かない我が身にこれほど感謝したことは無いだろう。

 これくらいかな、後は……トイレと決めた場所にダンボールを使って衝立を作るくらいだろうか?
 あ、おい、それはお前達の巣の材料じゃないんだぞっ、返せ! って、うわ、集団でなんて卑怯だぞ!? あイタ、いたた、くそっ、わかった、わかったから嘴で突くのは止めてくれ!
 ……先輩には逆らえないモノだな。オレ以外は誰もいないし衝立は諦めよう。


 さて、これで最低限の生活が出来る環境は整った。次は……戦闘訓練でもするか。

 意識的に頭の外に追いやっていたけど、この妖怪時計が殺意を持ったクリーチャーを呼び寄せた事は確かだ。どんな原理で召喚しているのか、呼び寄せたアレが何なのかは分らない。ただ、あの醜悪なクリーチャー……腕時計にはモンスターと表示されていたか? あれを確実に倒す術が必要だ。でないとオレが殺される。

 昨日はとっさにシャベルを使ってなんとかなったけど、理想は近付かれる前に先制攻撃をかまして制圧する、だな。相手はヒトじゃなく言わば害獣だ。卑怯とかそんな次元で語る存在じゃない。そうなると、アレを使うべきか……しばらく此処には誰も来ないだろうし試してみるか。

 オレはうろんな視線を軽トラックの荷台に向けた。


 取りあえず一発だけ撃ってみた。
 それが何かはここで言わない。犯罪者になりたくないからね、うん。でもって結果から言うと封印することにした。
 いや、先制攻撃をかますのに凄く有効な手段であるのは判っている。けどね、やっぱり持っているだけで犯罪になるようなモノは要らないよ! ――おっと、分解しておけば犯罪にはならなかったかな? だからボクは犯罪者じゃないよ、ハハハ……ハァ。

 ――真面目な話、不採用にした理由の1つとして、音が凄まじい事が上げられる。耳栓がないとマジで鼓膜が破れる。テレビで聞いた音の数十倍はあるんじゃなかろうか?
 白カラスの群れを驚かせたようで、じっと抗議の目で睨まれたのは凄く怖かった。
 あと、飛んでいくモノが小さすぎて狙い通りに飛んでいったか判らない。数をこなせば感覚を掴めるんだろうけど、それまでに備品が無くなるし、鼓膜もご臨終になるだろう。
 よって、サイレンサーと照準器、予備品が手に入るまで封印ということでヨロシク。一生手に入れる機会はないと思うけどな!


 こうなると選択肢は一つだ。昨日も心強い味方だったシャベルが相棒になる。
 オレの頭にある知識(記憶ではない)によると軍隊で普通に武器として使っているみたいだ。塹壕を掘ったり、野外で排泄物を埋めたりするのが主な使い方のようだけど…………確かにコレ、武器だわ。
 刺すのが土か生き物かの違いで、大抵の生き物は地面より柔らかい。しかもオレが手にしているのは先が三角形に尖ったいわゆる剣先型で槍っぽい。使い方によっては骨とかも切断出来るのでは無いだろうか?

 とにかくコレを自在に使えるように練習しよう。
 いつ妖怪時計がモンスターを呼び出すか判らないから、それまでに出来る事をやらないと死ぬ。まずは敵を想定して突いたり、払ったりを、1万回くらいを目標にやってみよう。ズブの素人でも1日それくらい素振りしていればサマになるんじゃないかな?





[43642] 5話 続・アムネジアだけど練習は出来る
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/09/06 17:01

 素人が準備体操もせずにいきなり素振り1万回とか……数時間前の自分を殴ってやりたい。

 辺りが夕日の赤で染められている中、オレはカロリーゼリーをちゅるちゅると吸いながら遠い目をして黄昏れていた。
 疲労で手が上がらないのでチューブを口に咥えて啜っている。誰かが居たなら行儀が悪いと叱られただろうけど、此処にいるのはオレとカラス先輩達だけだ。なんなら全裸で走り回っても問題ないだろう。

 容易に下山出来ないと判ってから最低限の生活圏を構築し、その後はずっとシャベルを振り回し続けること数時間。
 なんか途中で興が乗ったので昼メシも摂らずに頑張ることになった。
 シャベルを握っていたときは全く疲労感がなかったが、少し休憩をと思ってシャベルから手を離した途端、手が上がらなくなった。よく見ると手の皮も所々破れたり、血豆になっていたりして痛みが酷い。コレに気付かないなんて、多分、脳内麻薬が出ていたのではなかろうか。どうやったらズブの素人がいきなりランナーズハイの状態に入ってしまうんだろうな?

 とは言えそれなりに収穫はあった。
 武器を持ったときの体の動かし方、シャベルの効率的な使い方は、昨日のオレとは比較にならないだろう。今だったら昨日と同じモンスターが襲ってきたとしても余裕で対処できる自覚がある……両手が使えたらだけどね!


 ――そんなことをツラツラと考えながら、中身が空になったカロリーゼリーの容器を未練がましく吸い続けていたのだが、太陽が完全に落ちたのを機に立ち上がり、首を振って容器を軽トラの方へ飛ばす。
 後でちゃんと軽トラの荷台に乗っけておかないと管理人さんに怒られるなと思いつつも、疲労感が強くて動く気にならない。

 今日はもう寝てしまってもいいんじゃ無いかなー、と投げやりな感じで考えていたら……左手の腕時計が虹色に光り出した。
 空を見上げると昨日と同じように4つの月が美しく輝いている。

 やっぱり、か……そうならない理由なんて無いからなぁ……本当にオレって馬鹿だ。

 先ほど黄昏れていたのは単に疲れていたのでは無く、自分の愚行に現実逃避していたのだったりする。

 せめて前より弱いモンスターだったいいんだけどなという思いは、昨日と全く同じプロセスを経て出て来た大きめ目のモンスターによって打ち破られた。
 前のヤツの大きさが40cm前後だとしたら、今日出てきたモンスターは50cm前後だろうか? 明らかに昨日のヤツより強そうだ。もしかしなくても今日がオレの命日かもしれない。

 マットブラックの穴から這い出てきたソイツは、後ずさるオレを見て明らかに嘲りの笑みを浮かべた。そして恐怖を煽るように両腕を振り上げてゆっくりと近付いてくる。

 驚いた……敵を嬲るなんて、ヒトに近い知性があるのか?
 前のヤツは出て来るなりいきなり飛びかかってきたし、昨日はオレも余裕が無くてよく観察することができなかった。正直見たくも無い醜悪な外見だったということもある。
 更に後ずさるオレに対して、笑みを深くしたソイツは、まさしく加害意識を剥き出しにした人間に見えた。

 ついにはオレの腕が上がらないことに気付き、醜悪な笑い声を発した。オレはその気持ち悪い声が我慢できずに膝を突いてしまう。目前にまで近付いたモンスターからはドブ川のような腐敗臭も漂って来ており、何であの白カラス達がコイツの同類を啄めたのか不思議に思う。

 何の抵抗も示さない、ついでに言えば恐怖も示さないオレに、目の前のモンスターはつまらなそうに鼻を鳴らした。そしてもういいやとでもいうような投げやりな感じで醜悪なかぎ爪の付いた腕を振り上げ、一歩足を踏み出した……ところで落下した。

「全言撤回、やっぱり知能はヒト未満だ」

 素早く立ち上がったオレは、首から上を残して穴に埋まったモンスターに対し、全体重を乗せた安全靴トゥーキックをお見舞いした。


 モンスターが嵌まったのは午後に訓練と称して掘りまくった穴の一つだ。
 素振りをしていたんじゃないかって? それはシャベルを持ったときに体を効率的に動かすための訓練だ。
 シャベルをどの角度、速度で差し込めば楽に刺し貫けるかを確かめるために、素振りを終えた後の午後の時間をまるっと使って土相手に試行錯誤を重ねており、その結果を再利用したのがこの落とし穴である。
 備えあれば憂いなし、いや、一石二鳥か? ……何にしても昔のヒトはうまい格言を作ったモノだと感心する。

 首が奇妙に折れ曲がって絶命しているモンスターを見下ろし、そんな感慨にふけっていると白カラス達が飛んで来てその体を啄み始めた。
 殺しておいてなんだけど、オレには捕食シーンに耐えられる強靱な精神は持ち合わせていない。とっとと退散することにしよう。今日も凄く疲れたし、早く寝たい。


 あん? なんだよカラス先輩……えーと、寝る前に穴からモンスターを引きずり出せってか? 疲れているんだから勘弁してくれよ……って、痛い痛い、分ったから突くな!





[43642] 6話 アムネジアでも軽トラは運転できる
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/08/16 22:14

 ―― 1ヶ月経過。

 まだ、硫化水素の霧は晴れていない。せめて雲海が晴れたら地上の様子を観察できるんだけど、雨期ってヤツなのか晴れる気配が全くない。暑くも寒くも無い環境はとてもありがたいが……全く変化のない風景を見続けるのは気が滅入る。
 実は雲海の下は終末世界的に荒廃していて、この世界に人間はオレ一人って事はないよな?

 …………こんな妄想をしてしまうってことは、長期間他人と話せない状況は不健全なのだろう。
 左手の妖怪時計は最低限で一方的なメッセージしか表示しないし、白カラス先輩とは良好な関係(主従)を構築しているけど当然ながら言葉を発する事はできない。正直、他人との会話に飢えていた。
 まぁ、毎日やると決めたことがあるので、それで寂しさを紛らわせているのだが。

 因みに今は午前中の訓練を終えて休憩中だ。
 ただ体を休めているだけでは暇なので、ここ一ヶ月のキャンプ生活を振り返ってみようと思う。


 オレが戦闘訓練をすることになった原因である妖怪時計のモンスター召喚。これは毎日決まった時間に行われる。コイツのエネルギー補給のタイミングと連動しているらしく、夜に4つの月が輝いたときに例外なくワームホールを作り出し、モンスターを喚び出す。
 連中の外見は変わらないけど、強さはその時によって変わる。今のところ1mを越える個体が出てきたことはないが、強さは大きさに比するから今以上にデカくならない事を祈っている。ただ、強いヤツほど『R』のダンボールを出しやすいんだよな……ジレンマだ。

 そういえば、ガチャダンボールを作り出す宝石だけど、モンスターの体内に埋まっていることがわかった。毎回白カラス先輩が食事した後に持って来てくれるので、SAN値がゴリゴリと削られていくのを自覚しながら食事シーンを見続けたら、心臓から宝石を取り出すのが見えた。
 初回の交換時に討伐報酬とか表示出ていたし、ちょっと考えれば分る話ではあった。オレの代わりに解体をしてくれている白カラス先輩には本当に頭が上がらない。

 そして宝石との交換で出てくるガチャダンボールだけど、10セットの物品が出てくるのは何かの節目の時だけで通常は3セットらしい。ほとんどの中身が『N』で食料品や生活雑貨だけど、希に『R』の小箱が出る時もある。ありがたいことに犯罪に繋がりそうなヤバイ物品が出てきたのは初回だけで、以降は丈夫そうな服とかゴーグル、指ぬきグローブとかの装備品が出てきた。
 どうやら『N』は安価で生活雑貨、『R』は比較的高価で装備品、そんな住み分けが出来ているようだ。なお、『N』箱の中からはガソリンも出てきて、硫化水素の霧が晴れたらいつでも下山できる状態にある。
 ガチャで出てしまったゴミは……往復して運ぶしかないだろうな。

 これらの物品を安定的に手に入れる為にはモンスターを確実に倒せる手段が必要だ。
 けど、何とかは一日にしてならずという言葉があるように、即座に強くなる方法なんてない。だから、戦闘訓練には睡眠、食事、排泄、休憩以外の全時間を充てている。
 この先モンスターが今と同じ強さである保証はない。時間が掛かっても確実にこの肉体を戦闘に向けて強化していかないと、いずれ殺される。
 妖怪時計と縁を切るのが一番の解決方法なんだろうが、まるで一体化したかのようで左手から外れた事が無い。


 ……さて、そろそろ休憩は終わりだ。
 午後は、硫化水素の具合を確かめた後にシャベルを使う訓練だな。こういう事は目標に向かって頭を使って効率的、計画的にやった方が長続きする。一昨日になってようやく岩を穿てたので、次の目標は切断だ。突きで要領は掴んだので斬ることの筋道はついている。そう時間は掛からないだろう。

 立ち上がり、背筋を伸ばす。
 山頂のヘリに向かって歩きながら柔軟体操をすると、午前中の訓練で強ばった体がほぐれていく。
 今日こそは硫化水素が薄くなっていいんだけどなと思いつつ、何度も裏切られているので大した期待はしていない。せめて雲海が晴れていたらなー。

 首と肩と腰を回しつつ、岩場の間から下を見下ろせば、ホラいつもの雲海が……硫化水素の霧が………………ない!?

 今まで見たことも無いような光景が広がっていた。
 中腹に広がる黄色の岩々、山裾に広がる深緑の森、ずっと遠くに見える青色は……海だろうか?

 こ、こうしちゃいられない、1ヶ月待ってようやく来たチャンスだ。これを逃したら次はいつになるかっ!

 オレは踵を返すと軽トラに向かって走った。
 震える手を押さえて給油口を開け、容器から直接ガソリンを補給する。ガソリンタンクは燃料を入れて放置すると劣化が激しいと知識にあったから、ガソリンをまだ入れていなかったのだ。
 補給している間、硫化水素の霧が道を閉ざさないことをずっと祈り続けた。

 よし、コレで満タンだな! 忘れ物は……いいや、また来るし、大したものは無い筈でとにかく今は下山が最優先だ。

 じゃあなカラス先輩、世話になった!

 そう言って池の畔に居た白カラス達に手を振り、軽トラに乗り込むと久々にエンジンスイッチを押す。もしかしたらと思ったけど、長時間放置したバッテリーに問題は無いようで順当にエンジンは掛かった。アクセルペダルを踏むと回転数も順当に上がる。

 よし、いける。長かったけど、ようやく……ようやく、記憶を取り戻す旅に出掛けられる!

 逸る気持ちを抑えてギアを繋ぎ、徐行から段々と走る速度を上げていく。
 車を運転した記憶は残っていないが、体がどういう風に運転したらいいかを覚えている。
 晴れやかな気分で更にアクセルペダルを踏む。あまり速度を出すと斜面でブレーキが効かなくなるだろうけど岩場を越えるまでは大丈夫だろう。今はこの開放感に浸りたいんだ!

 この時のオレは声を出して笑うくらい浮かれていた。だからちょっとした違和感に気付かず、大きな罪を犯してしまう。
 具体的に言うと、岩場の影からにゅっと出てきた人影に対するブレーキが間に合わず……かる~く撥ねてしまったのだ!!


 車体越しに伝わったヒトを撥ねるという衝撃に、全身の血が逆流するような感覚を覚えた。頭の中が白くなるってのは比喩でも何でも無いんだな……・って、悠長な事を言っている場合か!

「大丈夫ですかっ! 怪我は、痛いところはありませんかッ!?」

 叫びながら車外に飛び出し、轢く前に視界に写った人影に走り寄る。交通事故は初動対応が重要だ。正しく対応すれば命を救えるかもしれない。

 轢いた人影は地面に倒れ伏している。顔は見えないが、体の細さからどうやら女性のようで、改造したセーラー服、いや、巫女服か? なんだかえらく扇情的な衣装を纏っていた。
 だが今はそんなことに構っていられない、生命維持が第一優先だ。
 オレは交通事故を起こしてしまった時の対処を実行する。

 「すいませーん、誰かいませんかー! 人を轢いてしまいましたっ、助けてくださーい!!」

 ――残念ながら近くに誰もいないようだ。
 どうやらこの娘一人で山に登ってきたらしい。じゃあ次は轢いたヒトの状態確認だ、うつ伏せなので仰向けにひっくり返す。

 うわ、えらい美人だ、それに正面から見ると不自然なまでに露出が高い。ついでにこのネコ耳とか尻尾とか、狙い過ぎだろう。
 意識が無いのはある意味幸運だ。起きていたらまともに会話できる自信が無い。

 自分の顔に血が集まっていくのを自覚しつつも、自身の耳を彼女の口に近づけて呼吸を確認する。
 ……よかった、息がある。
 念のために頸動脈に手を当てると此方も確かに鼓動を感じるし、外傷は……見たところ特にないようだ。一安心と思っていいのか? ――いやまだだ、意識が戻るまで安心できない。こんな岩場だとゆっくり休めないだろうし、拠点に戻ってダンボールで寝床を作ってみるか。

 しかし……いや、自分がしでかしたことにはちゃんと責任を取らないとな。


---


 気を失った女性を背負い、拠点に戻ったオレは池の畔にいた白カラス先輩に手を上げて挨拶をする。
 そして、比較的綺麗なダンボールを選んで敷き、女性を寝かせた。そのままだと服の隙間から色々と見えて目の毒なので、ガチャから出てきた未使用のタオルケットを被せる。
 日除けも必要だろう。軽トラックを近くに止め、キャビンの屋根にダンボールを置いてガムテープで固定すれば出来上がりだ。小さいけど陽光から顔を守るには十分だろう。

 後は……起きたときに備えて飲み物を用意しておこう。夜になる前に目が覚めてくれたらいいんだけどな……・



 幸いなことに女性は30分ほどで目を覚ました。
 身を起こし、不安そうに周囲を見回す彼女に対し、オレは水の入ったコップを差し出す。

「まずはコレを飲むといい、山を登ってきて咽が渇いているだろう?」

 目が覚めたら近くに変な男がいた事に驚いたのだろう。
 巫女服の女性は大層驚いて声なき悲鳴を上げたが、オレに敵意が無いことを察したのか、差し出したコップを受け取った。そして数瞬の躊躇いの後、一口水を含み、それが綺麗な水と知ると一息に飲み込んだ。
 よほど咽が渇いていたのだろう、物欲しそうな表情を向けてくる彼女に苦笑を返すと、ペットボトルごと飲料水を渡す。
 なんだか初めて見るような目でペットボトルを見やっていたが、手慣れた様子でキャップを取ると中身をコップに移す。

 はて? 珍しい形というワケでも無いのに、なんでそんな疑問を浮かべたのか。

 コップに中身を移すのが面倒臭くなったのか、ペットボトルに直接口をつけて水を飲み始めた彼女を変に思いつつも、落ち着くのを待つ。
 どうしてもこれだけはやっておかなければ。
 彼女が水を全て飲んで落ち着いたのを待って、オレは土下座を敢行した。

「すみませんでしたー!!」

 大事に至らなかったとはいえ、オレが彼女を轢いてしまった事は確かだ。
 まずは誠心誠意謝る。そして、怪我をしていたら病院に連れて行く。加害者としてやるべき事をやらないと罪悪感で死にたくなる。

「※%#、$+!>%&<」

 なんだか聞き慣れない音に気付くのが遅れたが、コレは目の前の女性の声か? 聞いたことも無い言葉だ。少なくともオレの知識にはない。
 しかし……これでは意思疎通が出来ないな。

 土下座を止めて困り顔になったオレに、彼女も言葉が通じないことを察したのだろう。
 手振りで何かを伝えようとしてくれているのだが、全くもって分らない。せめて同じ文化圏ならある程度のお約束的なジェスチャーがあるんだが、付け耳とか尻尾までを使ったジェスチャーなんて分るわけが無い。少なくともオレが住んでいただろう日本でこんな習慣を見たことはなかった。あと、動く毎に白い肌が見えそうになるので、まともに正面を向いていられない。

 そんな消極的なオレに業を煮やしたのか、ついには彼女も諦めたようだ。大きなため息と共に頭を横に振る。


 頭を振りたいのはオレの方だけどな。
 せっかくオレ以外のヒトが見つかったと思ったら言葉は通じないし、恐らくは文化が全く異なる。こんなのでは助けを求めることは出来ないし、記憶を取り戻す手がかりを得られる可能性は低い。

 オレは一体どこから来たのか、誰なのか……随分と、困ったことになっちまった。






[43642] 7話 アムネジアでも怒られる(当たり前)
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/08/23 11:13
 
 オレは今、地面に正座させられてガミガミと怒られていた。

 怒っているのはネコ耳と尻尾を生やし、その上に改造セーラー巫女服(?)を着ているという、属性を盛りに盛った少女だ。下着は着けていないのか、激しく身振り、手振りをすると色々と揺れたり見えたりで目のやり場に困る。それで目を伏せると更に怒り出すので悪循環に陥っていた。

 実のところ、このコスプレ少女の言葉は全く分からないので、何について怒られているかは正しく伝わって来ない。ただ、先ほど軽トラで撥ねて失神させてしまったり、ここ一月ほど山頂に不法滞在してしまったりで、目の前の少女には大きな負い目がある……というか、それで怒っているんだろうなと思って大人しく正座している。

 やがて少女は怒り疲れたのか肩で息をし始めたので、すかさずミネラルウォーター入りのペットボトルを差し出すと、乱暴な仕草で受け取り、口の端から零れるのにも拘わらずにラッパ飲みで中身を飲み干した。

 なんというか、見た目と性格が一致していないように感じるのは気のせいだろうか?

 黒髪ポニーテールにややつり目がちの瞳、細身ではあるが出るところは立派な肢体。
 まるでエロい漫画の中から出てきたような剣術系少女なのだが、そこに大和撫子成分は皆無で暴君を相手しているような感じだ。

 水を飲んで少し落ち着いたのか、火山のようだった少女のボルテージはなりを潜めた。ついでバツの悪い表情を向けて来たことを鑑みるに、言葉の通じない相手に怒り続けるという、あまり意味の無い行為を顧みたようである。

 ここいらが落とし処かなと思い、オレは立ち上がって脛についた土を払う。
 車で撥ねてしまったのだから早く病院へ向かうべきだろう。外傷はないようだが内出血を起こしていたり、内臓を痛めていたりする可能性がある。何もない山頂では彼女の怪我の状態は正確に分らない。

 オレは軽トラの助手席側のドアを開けて乗るように促し、山頂の縁へ向かって指を指した。
 この仕草はどうにか通じたようだが少女は首を横に振る。
 背負っていた背嚢から小さなバケツ、ブラシやら布などを取り出して鳥居と社に視線を向ける。更に背嚢から大きな袋を出して、中身を取り出し――何かの種だろうか? それを持って、水辺に居る白カラス先輩を指差した。

 推測するに、やはりこの少女はコスプレイヤーなどではなく、山の関係者で掃除やカラス先輩達に食事を与えるために此処まで登ってきたのだろう。とても登山や掃除をするための格好には見えないのだが、宗教上のしきたりへの物言いは御法度だ。役目を果たすまでは山を降りられないということか。
 しかし困った。
 仕事熱心なのはいいが、それは自身の体調が万全であればこそだ。多少強引にでも車に乗せる――のは、彼女の性格を考えると無理だろう。かといって運動をさせるワケにはいかない……代わりにオレがやるしかないだろうな。

 オレは少女が持っている掃除用具と餌袋を取り上げると、抗議のような声をあげた彼女に向かってダンボールの方へ余っている指で差す。幸い、この仕草も通じたようで、少女は少し唸った後に不満そうな表情をしつつも大人しくダンボールの上で横になった。



 さて、これからどうするか……
 オレは白カラス先輩達の近くに餌袋を下ろした。そして池からバケツで水を汲むと、鳥居や社の汚れをブラシで落としつつ、思考を回転させる。


 硫化水素の霧が再び下山を邪魔することは……少女の焦っていない様子からして問題ないように思う。おそらく毒霧が晴れる時期があって少女はそれを把握しているのだろう。

 まずは少女を病院に連れて行くのが最優先だ。放っておいて、ある日に脳内出血で倒れたなんて事になったら腹を切るしかない。

 ついでにオレも診て貰おう。記憶の回復なんて出来るかどうか分らないし、出来たとしても長期間の診療が必要になるかもしれないが、やらない理由はない。
 いまオレが置かれている状況は異常だ。こうなった原因を突き止めるためにも記憶を取り戻さなければならない。そのための費用は……幸い、1日1回、妖怪時計が呼び出すモンスターを倒せば物資が出てくるので、それを質屋に売って治療費に充てればなんとかなるのではないか?

 いや、その前に言葉の問題を解決するのが先か? 指を差すなどの極々一般的なジェスチャーは伝わるが、何か大事な事を伝えようとすると途端に難しくなる。

 例えば、先ほど彼女が起きてすぐの事だが、なにやら顔を赤らめてせわしなく猫耳やら尻尾を動かしたり(宗教上の問題に発展しそうなのでどうやって動かしているのかは確かめていない)、太股を摺り合わせていたりした。なので、気を利かせてトイレットペーパーとシャベルを渡し、ダンボールで作った衝立を指さしたところ、グーで顔面を殴られた。

 そこから正座させられての説教が始まったのが冒頭のシーンである。
 この辺りにトイレっぽい施設は全くないし、そこへオレがシモの処理用具を渡したから、滞在中はアレであれしたことを推測して怒ったのだろう。実際、神域での排泄行為は管理者として堪ったものではないと思う。

 そんな訳で、彼女に正しく謝罪するにも、今後のコミュニケーションを取るにも、言葉の問題を解決する方法を考えなければならない。ガチャの『R』箱からAI翻訳機でも出たらいいのだけれど、ギャンブルに己の命運を懸けるのは愚かだろう。山を降りたら探してみるか……


 ――そんなことを考えて掃除をしていたら、鳥居も社も粗方の汚れを落とし終えていた。

 時刻は……ちょうど正午といったところか。

 この妖怪時計、時刻を気にするとホログラフを起動させてどんな姿勢にあっても目の前に時間を示してくるので凄く便利なのだ。他にも、起きたい時間を推測してアラームを鳴らしてくれたり、血糖値や血圧などの健康状態を教えてくれたり、軽トラの起動キーであったりと便利な機能が盛り沢山だ。これでモンスターを呼び出さなければな、と思うのだけれども、その機能が無ければオレは確実に餓死していた。
 正直に言って記憶喪失で何もワケが解らない今のオレにとっての生命線なのだが、偶に表示してくる言葉の暴力に、素直に感謝しようとする気を無くさせられている。

 ま、妖怪時計の事は横に置いて食事にしよう。
 見れば白カラス先輩達も餌袋に嘴を突っ込んでモリモリ食事をしている。
 オレと彼女の食事は必然的にカロリーゼリーということになる。ガチャで出てくるカロリーゼリーに余裕はあるので彼女に渡しても問題ない。山の麓まで降りたらマシな食事が出来るだろうけど――

 ゼリーの味は気に入ってくれるだろうか、と思考を巡らせていたその時、彼女が寝ている方向から鋭い悲鳴が聞こえた。




[43642] 8話 アムネジアでも困惑はする
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/09/06 14:43

 その悲鳴は太い――男と思われる声だった。
 少女の悲鳴では無いことに若干安堵しつつ、ただし、少女が寝ている方から聞こえてきたので慌てて振り返る。

 見えた人影は2つ。

 片足で立ち、もう片方の足を振り上げた体勢で固まっていた少女が自然体に戻る。対するもう一方は随分汚いが鎧……? を着た男が頬を手で押さえて尻餅をついている。

 状況から考えるに、少女が男に対して回し蹴りを放ち、それによって男が倒されたとみるべきだが……何が起こっている? と、とにかく駆けつけないと、今の彼女は安静にしているべきだ。

 素早く掃除用具を回収すると、オレは2人の下へ走った。しかし、その間にも状況は変化する。
 尻餅をついていた男が勢いよく立ち上がり、憤怒で顔を赤く染めながら両腕を威嚇するように振り上げる。対する少女(背中を向けていて表情が読めない)は対抗するように両手を振り上げ正面から迎合し、いわゆる手四つと呼ばれる力比べの体勢になった。

 な、何をやっているだッ、正気か!?

 男は少女より頭2つ分も背が高くて体格の違いは明らかだ。体重の差はそのまま力の差となって現れる。どう考えたって少女が男に力で勝てるハズもないのだが……なんと、その力比べは拮抗していた。
 男が必死の形相で力を入れているのに負けていない。いや、それどころか押している!?

 力負けして段々と下がっていく男の頭の高さに、オレは近寄るのも忘れてその場に立ち尽くした。


 なんだこれは……あまりにも非現実的すぎて理解が追いつかない。
 いきなり始まったプロレス的な展開もそうだが、完全に物理法則を無視した目の前の光景についてもオレの精神が悲鳴を上げている。

 もしかして、今オレが居るのはVR――仮想現実の世界なのだろうか?

 想像しなかったといったら嘘になる。よくある映画や漫画の展開だからだ。
 例えばアレは何年前だったか……国営放送でやっていた連続ドラマで題名は忘れてしまったが、主人公は現実と区別が付かない仮想現実のゲームのテスターをやっていて、やがて現実と仮想現実の区別がつかなくなっていくという、なんとも薄気味悪い展開に怖気がしたものだ。

 オレが今居るこの現実もそうで無いとは言えない。

 記憶喪失という状況、ホログラフ機能を搭載した時計、ワームホールに物質変換……疑いだしたらキリが無い。
 ただ、オレの知っている最先端技術では仮想現実の創造には至っていない。
 それにオレはこの山頂で目覚めてから1ヶ月、“ラグ”と呼ばれる処理落ち現象を経験していない。
 それは現在まで人類が蓄積したコンピューター技術では逃れられない宿業。
 コマンドをメモリに貯めて、その貯められたコマンドをCPUが一気に処理するときに発生する時間差異。
 一つ一つの動作では生じないが、溜まったそれを解消するためにどこかのタイミングで必ず発生するそれは、コンピューター自体の仕組みと発想を変えなければ解決出来なかった筈。

 まあ、それを回避する技術が何処かで発見されたかもしれないので断言はできないが……ぶっちゃけ、現実と仮想現実を判断する一番簡単な方法は「死んでみる」ことなのだが、それを確かめるために軽々と自分の命をベットすることは出来ない。オレは“お約束”で保護されたドラマの主人公ではないのだから。


 そんなことをツラツラと考えていると、目の前では完全に男が膝を屈してしまっていた。

 ……やっぱり此処はVR世界なのかしらん?

 理論武装したというのに、もう一度疑ってしまうほどに目の前の光景は非現実的だ。
 漫画だってこんな奇想天外な展開はない。それこそ、ミュータントとか能力者同士の対決を描いたジャンルではない限り……!?

 思考が一つの回答に辿り着きそうになった瞬間、跪いた男に向かった放たれた少女のヤクザキックが顔面に突き刺さり、男を2回転ほど転がした後に仰向けに寝転がす、そんな衝撃的な光景にオレの思考は吹っ飛んだ。

 ――そうだッ、プロレスだ! プロレスだったら色々と説明が付く!!

 少女が改造セーラー巫女服を着ているのも、ネコ耳や尻尾を生やしているのも……男が仰々しいバンデットアーマー(?)を着ているのも、顔が妙にネズミっぽいのも、体格が全然違うのに力負けしてしまったのも、全ては演出! オレを驚かせるための演出なのだ!! ……………………って、そんなワケないか。


 ネズミ男にトドメを刺すべく足を踏み出した少女に現実逃避を止め、オレは肩を掴んで振り向かせた。その表情は暴力を振るう興奮に美しく歪んでおり、思わず悲鳴を上げそうになったが丹田に力を込めて踏み留まる。

「ダメじゃ無いか! 君は大きな衝撃を受けている。安静にしていないと倒れるぞ」
「%&#!! $LJ#+9KDE%$……S<TF!?」

 相変わらず何を言っているか分らないが、邪魔をするなとか言っているのだろう。肩に置かれたオレの手を払い、なにやら激高した様子で睨みつけてくる。

 凄く美人な分、怒りで歪むと滅茶苦茶怖い。
 先ほど発揮した力を向けられたらオレなんて一溜まりも無い。先ほどのオレに向けられたパンチは随分と手加減されていたんだろうさ。しかし、これは譲れない。オレが彼女を撥ねたのはほんの一時間前で、今後どんな後遺症が出るか分らない。そんな少女の荒事を見守るなんて、オレの誇りが許さない。

 状況は全く分らないが、この伸びている男を拘束するなり、山の麓まで運搬すればよいのだろう。出来れば前科が付くのは勘弁して欲しい。話し合いで決着すればいいんだけど……駄目な時は弁護士を通して交渉することにしよう。


 そんなオレの意図が伝わったのか、少女は不満そうな表情をしつつも頷いてくれた。そしてオレをネズミ男の方へ向かって力強く押し出す。

 オレは少女の筋肉密度に想像を巡らしつつ、ポケットからガチャ産の太い麻縄を取り出してネズミ男に近付いた。コレが出てきたときは、こんなSM用品、何に使うんだと思ったけど、ダンボールを一纏めにするときとか良く使っている。麻紐≒SMとか発想が出てくるなんて、オレは二十代じゃないかもしれないな……


 そんな感じでやりたくない作業を前にまごまごしていたらネズミ男が復活した。
 凄い声で叫び、バネのように飛び起きる。次いで屈辱に身を震わせてなにやら叫び続けているが、立派な鎧を着ているのに、コスプレ少女に手も足も出なかった男に脅威なんて感じるわけがない。ついでに言えば、体調の悪い少女に暴力を振るおうとしていたことからして印象は最悪だ。いつも出てくるグ○ムリンに似たモンスターほどの威圧感も感じないし、とっとと拘束してしまおう。

 何をするか分らないので、一応身構えてネズミ男の出方を見ていると、背中から出ている柄のようなモノを握り、ズラリと刃物を取り出した。その長さは1mほどだろうか? 明らかに武器と呼べるサイズだ。


 ………………流石にコレは予想外だ、どーしよ。


 オレは額に大量の冷や汗が浮き出るのを感じながら、憤怒で血管が浮き出たネズミ男と対峙した。






[43642] 9話 アムネジアだけど人と戦う
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/09/06 14:44
 このネズミ男、正気か!?

 頭2つ分も小さい少女に力負けして悔しいのは分るが、凶器を持ち出すなんて自分を見失いすぎだろう。恐らくは模造刀なんだろうけど、長さ1mもありそうな金属棒で殴られたら確実に骨折するだろうし、当たり所が悪ければ死に至る。

 こんなモノがぱっと出てくるなんて、コイツはプロレスラーじゃ無いな……ヤの付く人か? いや、今は法律の縛りが厳しいからヤの付く人がこんなのを持っていたら一発逮捕だ。よく考えればこの汚らしい鎧も、威力なんとか罪でしょっ引かれる口実になるだろう。
 あ、そういえば日本とは違う国なのか……でも他の国でも武器を持ってこんな格好をしていたら官警が飛んで来るんじゃ無いか?

 目の前で激高する男に困惑しつつ横に居るコスプレ少女を見やると、腕を組み仏頂面でオレを見ているだけで、凶器を出したネズミ男には全く興味を持っていない様子だ。
 この状況を解決する気は無いようで……割り込んだんだから自分で何とかしろということだろうか?
 どうやら彼女らが住まう文化圏はかなり暴力的で危険なものらしい。

 視線を戻すと、ネズミ男は武器を振りかぶって今にもオレを殴ろうとしていた。 って、うぉぉぉおおい!?

 バックステップで辛うじて避ける。

 武器が顔の前を通り過ぎた際に感じた風圧と、地面を軽く抉ったその一撃が、ネズミ男の本気を示している。

 ……これはもう話し合いは無理だな、アレ系日本人得意の無抵抗アピールをやったとしても問答無用で殴られるだけだろう。

 オレはネズミ男から視線を外さずに、近くに停めてあった軽トラの荷台からシャベルを取り出した。そして穂先をネズミ男に向けて槍のように構える。

 それを見たネズミ男は一瞬キョトンとした表情を見せた後、盛大に笑い出した。

 確かにネズミ男が持つ武器に対し、オレが持つシャベルは農機具で頼りなく見えるだろう。更には武術なんて習ったこともない(と思われる)素人が構えても様にはならない。
 だけど、このシャベルで殺したモンスターの数は三十を越えるんだぜ?


 嘲笑を貼り付けて繰り出してきた大雑把な斬撃を左ステップで避ける。
 続けて振るわれた横殴りの一撃に対してシャベルの剣先を下から合わせて跳ね上げる。
 上からの斬撃に再びシャベルを合わせて弾き、ネズミ男の首元に剣先を置く。


 たったの三合で勝負は付いた。
 大仰な格好をしている割にネズミ男はオレよりも素人――武器の扱い方が稚拙だった。
 これだけの技量差を見せつければ抵抗はしないだろう。

 再び屈辱で顔を真っ赤に染めるネズミ男に向かってため息を吐くと、シャベルの剣先を下ろし、ポケットから麻紐を取り出そうとした。
 しかしそれが不味かったようだ。
 不意に繰り出された蹴りに体勢を崩されたところに、ネズミ男が投げた何かが襲い来る。
 顔は不味いと思ってシャベルの腹で覆ったが、それ以外の部位に衝撃を受けた。
 まるで野球の硬球を投げつけられたような衝撃に顔をしかめつつ、落ちた何かを見るとナイフのようだった。

 このヤロウ、本気でオレを殺すつもりか……!!

 シャベルを顔からどかすと、驚いているネズミ男の顔が見えた。何故刺さらなかったのか分らないって顔だ。オレだって分らないけど、この着ているツナギは見た目のチープさとは裏腹に防刃繊維で編まれているらしい。

 が、今はそんなことはどうでもよい。初めて向けられたヒトからの殺意に、頭に血が上っていた。

 困惑しつつも再び斬撃を振るおうとするネズミ男。
 その懐に入り込むと、左の掌底で顎をかち上げて脳を揺らし、ぐらつく体を支える足の膝関節部をシャベルの棒部分で思い切り叩く。
 そうして膝が完全に落ち、頭の高さが同じになったところで渾身の頭突きを放った。
 額に感じる鼻が潰れる感触に満足しつつ、最後は後ろ回し蹴りでネズミ男の鳩尾を強打した。

 鎧越しでも打撃技なら多少は徹る。
 よろめき、倒れ、目を回したネズミ男が今度こそ沈黙したのを確認し、オレは構えを解いた。


 いつものモンスターとの殺し合いであればこんな失態はなかっただろう。相手は殺しに来ていたというのに、初めての人との戦闘という状況が判断を誤らせた。このツナギを着ていなかったら死ぬまではなくても、確実に深手の傷を負っていた。これからは紛争地帯にいるという認識で対応しないとな。
 ……さて、コイツをどうするか。

「Y8P=、&$¥*J4TG“!!」

 死んだふりを警戒して中々捕縛に掛かれないオレに、隣から叱責と思われる鋭い声が投げかけられた。見るとコスプレ少女が苛立たしげに首をかしげて地団駄を踏んでいる。
 オレのまごまごとした手際がお気に召さないようだ。

 確かにさっきも手をこまねいていて捕縛の機会を逃したし、早いところ縛ってしまおう。
 そういえばまだ食事もしていないし、腹が満ちたら少女の機嫌も治るかもしれない。

 オレがツナギのポケットから麻紐を取り出して、ネズミ男を縛ろうと一歩を踏み出したところ……横からその麻紐を少女に奪われ、あさっての方向に投げられた。

 何をするんだと窘めようとしたが、少女はオレを無視し、倒れているネズミ男に近付いた。そして地面に落ちている剣を拾い、振りかぶると、オレが制止する間もなくネズミ男の首に剣先を叩き込んだ。

 ぽーんと、冗談のように宙に飛ぶネズミ男の頭。そして、当然のように残った体から間欠泉のように吹き出す赤い血しぶき。

「は? な、なんっ、何をしやがるんだ、テメェはッ……!?」

 人が人を殺す。
 そのあまりにも非現実的な光景に我を忘れて叫ぶ。

 そりゃあ、このネズミ男はオレを殺すつもりで武器を振るった。実は模造品ではなくてホンモノだったことに今更ながらに震えが来ている。しかし、コイツは見せかけだけで、オレ達に手も足も出ずに倒された弱者だ。再び起き上がったところで難なく倒せただろう。
 あ、あれか、オレがいつまでも捕縛しようとしなかったのがいけないのか? でも、そんなことが人を殺す理由になるのか!?

「悪いが、こやつは我がY6=の怨敵たる先兵だ。捕虜という%!Lは無い故、片付けさせて貰った……しかし■U¥、我を倒す%&でありながら、なんとも&~Pなことだな」

 向けられる少女の冷たい視線と言葉に怯みそうになる。しかし、しかし……!? 言葉が……通じている?

 慌てて左腕の妖怪時計を見やる。原因はコイツしか思いつかない。
 すると勝手にホログラフのウィンドウが目の前に映し出され、そこには次のような文字が表示されていた。

『一定の異種言語を蓄積したので一部ですが翻訳を開始します』
『初めての殺人による特別ボーナスを支給します。次回のエネギー補給時にご期待ください』

 ほ、翻訳はともかく……殺人による特別ボーナスだと!? ふざけるんじゃねぇッ!!

 思わず妖怪時計を腕ごと地面に叩き付けようとしたが、その手をコスプレ少女が掴む。少女の力は強大で、振り払おうにも万力に締め付けられたように動かせない。

「ほほぅ、貴様、単なる只人ではないと思っておったが……これは面白い、更に興味が湧いたわ。我が物とするのに躊躇う理由はないな」
「あ、アンタ、一体……いいからその血に塗れた手を離せ!」

 オレがそう叫ぶと、少女は初めて気付いたように自分の手足を見る。
 少女の体はその多くがネズミ男の返り血で濡れ、濃厚な鉄の匂いをさせており……まるで殺人鬼のようだった。

 「おお、すまんな」と呟く少女の顔に浮かぶ屈託無い笑顔に、くそったれなスプラッタな状況に、そして今まで蓄積された情報量に耐えきれず……オレはあっけなく気絶してしまった。




[43642] 10話 アムネジアだけど欲情する
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/09/20 13:55

 目が覚めたら裸だった。

 一瞬、何が起こっているのか分らず、また記憶が飛んでしまったのかと思ったが、隣に纏めて置いてある血まみれの服を見てコスプレ少女の仕業であることを察した。
 次いで自分の脳味噌がオーバーフローを起こして気絶した事を思い出す。

 情けないと思うだろうがオレにスプラッタ耐性はない。そういったシーンがある映画は極めて避けていたし……頑張っても捌ける生き物は魚までだ。
 スーパーマーケットに並んでいる食用肉がそういったことの延長線上にあることは理解しているし、向き合えないのは意気地なしと罵しられてもしようがない。だが、視界に血がいっぱいあると駄目なのだ。どうしても生理的な嫌悪感がぬぐえない。
 なので、あのクリーチャーを解体して宝石を取り出すとか拷問に等しい。白カラス先輩には感謝の念しか無い。

 ――さて、現実逃避と自己弁護はそこまでにして状況を確認しよう。

 オレは敷かれたダンボールの上で、裸で仰向けに寝かされていた。
 血まみれになった服(特に他人の血で)を着続けるのは、衛生的によろしくないと知識にある。この場所にあの少女以外は居なかったハズで、彼女が脱がせてくれたのだろう。文化的な共通点を見つけられて少し安心するが……血に濡れていない下着まで脱がせるってどうなんだ? 脱がそうとして一遍に脱げてしまったとかか?
 どうやらかなりあけっぴろげというか、そういった方面に寛容な文化圏らしい。

 時刻は……午後3時か、随分と長く気を失っていたようだ。その間、少女を不安にさせてしまったことを反省する。
 しかし、近くにいないって事は一人で山を降りてしまったのだろうか?
 いや、短い付き合いながら、無防備な人間を残して何処かへ行ってしまうような薄情な人間ではないって事は分る――まぁ、敵には一切の容赦は無いようだけど。
 洗濯……じゃないか、ここにはオレが着ていたツナギ以外にも少女の改造セーラー巫女服が脱ぎ散らかされている。と、いうことは……

 池の方を見ると、真ん中辺りで少女がすっ裸で水浴びをしていた。

 その肌は本当に白く、水に濡れた髪は漆黒で、返り血は一滴たりとも見当たらない。水滴が彼女のメリハリある曲線に沿って落ちる様は優雅で美しく、泉の精霊か女神にしか思えない……って、本当に無防備だな!

 慌てて目を逸らすも、あまりに綺麗で、扇情的で、女で……とにかくその美しい容姿は暫く頭に焼き付いて離れそうに無い。
 顔も体つきも極上とか、天は幾つもの恵みを彼女にもたらしたようだ。
 アレは一ヶ月間、山の上で禁欲生活を強いられたオレにとっては劇薬でしかない。放っておくとココロもカラダも色々とマズイ状態になりそうなので、いつも殺しているクリーチャーを思い浮かべて気分転換を図る…………よーし、落ち着いた!

 ま、まぁ、オレも返り血が付いていたらイヤだし、寝ている間に脂汗でもかいたのか全身かネトネトするので、後で水浴びさせて貰うとしよう。
 そういえば、なんか股間の方が特にネトネト感が酷い、というかぐっちゃりしている。
 もしかしてショックで失禁してしまったとか? だとすると、あの少女に汚れた下着を脱がせて貰ったということで……素っ裸なのはそういうことか! 腹を切りたくなるな……と、とにかく謝らないと。


 ――で、最後に回していたどうしても直視したくない方向に顔を向けると、いつもの鳥葬が目に写った。

 白カラス先輩の食欲は旺盛で、いつもオレが倒したモンスターを存在が無くなるまで食い尽くす。それは対象がヒトとなっても変わらないようだ。

 因みに、その嘴は優秀らしく、服とか鎧とかも難なく貫通できている。こんな鳥は地球に存在していただろうか? オレの知識には無い。何にしてもコレは自然界の営みで、少女が止めないのであればオレが止める理由は無い。
 とは言えこれは……昔アニメで見たシーン、巨大人型兵器が同じ人型兵器に食われる様にそっくりで、心的外傷を負わないうちに目を逸らした。
 なんで自身に関する記憶は覚えていないのに、こんなトラウマ的な記憶は残っているのか訳が分らない。
 とにかくアレを見たことで浮ついた気分が消え、頭が完全に冷えた。あの少女とはよく話をしなければならないだろう。

 オレは軽トラックの荷台からガチャ産のバスタオルを取り出すと、それを手に少女の元へと向かった。


「む、ようやく起きたか、随分と待たされたものよ」
「……済まない。オレが君の世話をしなければならないのに、逆に世話になってしまって」
「よい、其方が寝ている間に我も&#QLG&させて貰った。初めての‘%3Jであったが堪能させてもらったぞ、其方に意識が無かったのは残念であるが、とてもG#EHであった。借り貸しはなしにしようではなないか。なにせ我らはL~%*となったのだからな!」


 オレのアレ的な処理をさせてしまって気分を害しているかと思っていたが、随分と上機嫌だ。なんだかツヤツヤしていて元気に満ち溢れている。しかし、その無防備さは頂けない。劣情を抱かないうちにバスタオルを渡し、慌てて背を向ける。あと、これは言っておかなければ。


「悪いけど翻訳器がまだ本調子じゃ無くてね、今も一部の言葉が聞き取れないんだ。けど、オレ達はいろいろと話し合わなければならないと思う。水浴びが終わったら軽トラの側に来てくれるかな? 粗末ながら食事も用意しておく」
「うむ。%=“&デバイスは便利ではあるが融通が効かぬことは承知している。それでも我らの未来のことであるからな、よく話し合おうぞ。それにしても其方はウブなのだな、寝ている間は&”Hで、+#$!で、随分と`*$!であったが。まだ、我の$#!QからF$=てきよる」
「!! ――と、とにかく終わったら来てくれ。ちゃんとそれでカラダを隠してくれよ!?」


 なんというか、気絶する前とは違う艶ある声色と雰囲気に、変なところが反応しそうになる。それを誤魔化すためにも身を屈めて全身を水の中に浸すと、手で体を洗いつつも岸へ向かった。


---


 寒くはない気温ではあるが、水浴びで体が冷えただろう彼女を思って焚き火を用意する。何せ燃料となるダンボールはいくらでもあるし、ゴミとして持ち運ぶよりは燃やす方がよい。燃えカスは埋れば肥料になるだろうし、これくらいは神域でも許されるだろう。


「来たぞ。火を焚いてくれるとは気が利くではないか」
「ああ、水浴びで体が冷えただろう? 暖まるといい。あと、これを着てくれ。君が着ていた服はもう血が染み込んで乾いていたから洗濯しても無駄だろう」

 バスタオルを体に巻いてこちらに来た少女にガチャ産の服一式を渡す。
 『R』ランクの丈夫な男物――作業着ではあるが、これしか無いので仕方ない。下着が無いのは勘弁してもらおう。少女を見ると「お揃いか、良いな!」と、妙に嬉しそうにしているから問題ない。
 それにしても、服装が変わってもネコ耳と尻尾は取らないんだな……やはり日本とは違う文化圏なのだろう。

 笑みを浮かべる少女に食料――カロリーゼリーを数個渡すと、オレも焚き火のそばに腰を下ろした。そしてカロリーゼリーキャップを開けるのに四苦八苦する少女に開け方を教え、話し合いを始めた。






[43642] 11話 アムネジアだけど哲学はある
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/09/27 17:15

「話をするのは構わぬが、我はだらだらとした時間の使い方は好まぬ。お互いに3つ質問をしてそれに答える、という事にしたい」
「……あぁ、わかった」


 本当は、この少女に聞きたいことは山ほどある。
 だけど全てを聞いていたら時間がいくらあっても足りないし、早くこの場を離れたいこともあって彼女の提案を受け入れる。
 しかし、三つだけか……よく考えて質問をしないとな。

 頭に浮かんだ候補を整理していると、満足げに頷く少女が先に口を開く。


「まずは我から質問しよう。第一に、其方の名を教えるのだ。L~%*であるのに、いつまでも呼び名が無いのは不便であろう?」


 笑顔でそう言われて言葉に詰まる。
 今まで一人だったから気にしていなかったが、確かに対人関係で最も基本的なことだ。
 しかし残念ながら、オレは記憶喪失で自身の名前を覚えていないし、所持品からは自身が何者であったか推測できない。
 ここで咄嗟に適当な名前を考えて伝えたら、後ほど厄介な事になりそうな気がする……


「どうした、自分の名を答えられぬのか?」
「いや……実はオレ、ここに滞在して一ヶ月なんだけど、それ以前の記憶が無くてね。名前も、なんで此処に来たのかも全然分らないんだ」
「は? 記憶が無いだと……そんな立派な%=“&デバイスを持っておるのにか? 其方、我を馬鹿にしておるのか?」
「いやいや、本当だって! 少しだけオレの話を聞いてくれ!」


 険しい表情になった少女に慌てて弁解する。
 やはりこの子が怒るととても怖い。やたら迫力があるし、凄みもある。それは敵とはいえ、簡単に人を殺すことができる精神性から来ているのだろう。
 ここまで怖い雰囲気を出せるヒトは現代日本じゃそうは居ないんじゃないか? ……こんなヤバイ少女に欲情しかけた自分を殴ってやりたい。


「一ヶ月くらい前、目が覚めたらこの軽トラックの荷台の上で! ……君がなんとかデバイスと呼んでいるのはこの妖怪時計か? これも何で身に付けているのか分らないんだ。これのおかげで生き延びる事はできたけど、これを着けているせいで命の危険もある。これが何なのか知っているのなら教えて欲しいけど……いや、まずは君の問いに答えるのが先か。本当に悪いんだけど、記憶喪失ってヤツらしくて自分の名前を覚えていないんだ!」


 記憶喪失なんてフィクションでも中々出てこないようなレアな症状だ。それを引き合いに名前を伝えられないと言われたら馬鹿にされていると思って当然だろう。だが、ここで適当な作り話をしたらヤバいと本能が危険信号を出している。嘘だとばれたらあのネズミ男と同様の末路を辿るに違いない!

 そう思って出た言葉は、とにかく自身が記憶喪失であることを主張するもので、相手を信じさせる要素は一つも無かった。
 これはもう無理にでも逃亡するしか無いかと覚悟を決める俺の前で、しかし、少女の暴力的な雰囲気はなりを潜め……微かに笑みを浮かべている?


「只人で、L~%*デバイスを持ち、しかし記憶がないだと…………本当であるなら……クク、なるほどなるほど、これは良い拾いものをしたのかもしれぬ――おい其方、自身の名を思い出せぬと言ったな」
「まぁ……そうだけど」
「ならば我が決めてやろう――レンジだ、これから其方の事はそう呼ぶ。そして我のことは大宮司と呼ぶがよい。其方が自身の名を思い出せたら、我の本当の名を教えよう」


 ……まぁ、記憶が戻るまでの呼び名なんてどうでもいい。なんだか不穏な言葉を呟いていたけど、それより少女の機嫌が治った事の方が重要だ。

 それにしても大宮司か……妖怪時計が日本語に訳しているだけで神道のそれとは違うのだろうけど、この少女は宗教のかなり高い役職に就いていることになる。
 幼い見た目に反する老成した雰囲気、喋り方は伊達じゃないってことだな。
 そして予想通り宗教関係者で……どうもオレは知らない土地で宗教関係の紛争に巻き込まれたらしい。凄く不運であるが、起きてしまったことを後悔してもしょうが無い。対策を練るためにも少女との問答を続けよう。


「次はオレから質問をいいかな? ……この場所に居続けても大丈夫なのか? オレが目覚めて一ヶ月ぐらいは凄い濃度の硫化水素が漂っていて、今日まで下山できずに足止めされてしまったんだ。また毒ガスが出てくるなら、すぐにでも下山したいんだけど」
「それについては心配ない。この神山が高濃度の毒ガスを吹き出すのは年に一ヶ月だけよ。其方は運が悪かったな」


 なんてことだ。
 どうやらオレはその一番悪い時期にこの山頂にやってきて閉じ込められたらしい。重ね重ね記憶のある頃のオレを殴りたくなる。
 ……まあ、いい。
 いつでも下山できるってことが分かったのは大きい。急いで山を降りる必要は無いわけで、焦ってうかつな答えをしなくてすむ。

 それにしても「神山」か。この場所が神域であることに違いはないようだ。
 まぁ、鳥居と社があることから予想はついていたが……って、鳥居と社って日本神道のものだよな!? じゃあ、この少女は、そしてこの場所は……いや、そんなワケが無い。ここが日本だとしたら何で言葉が通じないんだ。
 これは凄く聞きたいけど、少女――大宮司から許されている質問の数はあと2つ。それ以外に聞きたい重要なことがあるから、そちらを優先させないと。

 「見た目はアレであるが、悪くない味よな」と言って、渡したカロリーゼリーを食する大宮司を眺めつつ、次に質問すべき内容を整理していると声が掛かった。


「次は我だな。といっても記憶がないのであるなら、まともな答えは期待出来んな……そうよな、これより共に#$93Pする身だ。人となりを知るため、これを聞いておこう――其方が考える『最も罪深き事』は何か? 細かい解釈はよい、いま我に問われて思い浮かんだ事を簡潔に答えよ。どのように答えても構わぬが、嘘は許さぬ」


 うへぇ……流石は宗教関係者だ。哲学的で意図が分りにくい上、解釈でどのようにでも答えられそうな質問だ。ただ、これも先ほどと同じようにオレの本質を見抜こうという意図が見え隠れする。真面目に答えなければ痛い目に合うだろう。
 オレは大宮司が食べ散らかしたカロリーゼリーの残骸を横目に答える。


「食べること。それは生きる全ての命が持つ原罪。己以外の生命を奪わなければ生きられないという事実、生存競争は……ヒトが規定する全ての罪の大元だ」


 そんなオレの答えに少女はキョトンとした表情を一瞬だけ浮かべ、今まで見たことも無いような嫌らしい笑みを浮かべた。


「生きることが罪……其方はそう言いたいのか?」
「究極的にオレが考える罪はそれだけだ。他の罪は人間社会が決めたルールから逸脱することで、それは責任が取れる範囲で上手くやれば罪にはならない。だから……話は少しずれるけど、オレはアンタの殺しについてとやかく言うつもりは無い」


 未だ軽トラの向こう側からは、白カラス先輩達が屍肉を啄む音が聞こえてくる。
 無駄に死んだ彼はさぞかし無念だろうが、仇を取ってやろうという思いは全く無い。武器を向けたのは彼が先であるし、明らかに殺意があった。殺すつもりなら殺される覚悟も当然あるだろう。生存競争に敗れたモノの末路はいつだって同じだ。そんな考えなので、オレは目の前の少女に恐怖心はあっても嫌悪感はない。
 だが、そこには少女は疑問を抱いたようで質問を重ねる。


「ふむ……アレを始末したとき、其方はとても激高していたように見えたが?」
「そっちの作法は知らないけど、オレは無駄な殺生は嫌いなんだよ。それに……ヒトが殺されるのを見るのは、さっきのが初めてだ」


 あと、何であろうと大量の血はいけない。スプラッタ展開はオレが最も忌み嫌うモノだ。
 っと、本当に話がずれてしまった。だけどオレの人となりを知るには十分な問答だったようで、その証拠に目の前の少女は満足そうな笑みを浮かべている。


「なるほどな。話に筋は通っておるし、その自覚、知性は好ましい。やはり拾いものよ、これならば我がL~%*として迎えるに反対する者は居ないであろう……よし、下山の準備をせよ。日が暮れるまでには麓まで降りるぞ! 我を%&4$したアレに乗ればそう時間は掛からん」
「いっ!? いや、そんないきなり、残りの質問は……」
「大宮司を待たせるでないわ! それと山を降りたらその言葉遣いは改めよ。我は良くとも他の者が許さぬからな」


 ……駄目だ、話を聞いてくれない。やっぱり暴君だ。

 少女はオレとの話を打ち切ると、立ち上がって自分の荷物を軽トラックの荷台に載せた。次いでここ一ヶ月の滞在で貯めたゴミも次々と載せていく。やはり神域にゴミを残すのはアウトなようで、そこを責められたらオレは何も反論できない。

 この腕時計の事とか、この国とか、宗教紛争の事とか、聞きたいことはいくらでもあるのだけれど……道すがら話をするか。





[43642] 12話 アムネジアだけど車で下山する
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/10/06 23:43

 下山するため、荷物の整理やゴミの積み込みをしていたら、白カラス先輩達の肉を啄む音はいつの間にか消えていた。
 どうやら食事(鳥葬)を終えたらしく、血で汚れた彼らが池の方へと飛んでいく。
 おっかなびっくり軽トラの向こう側を見ると、鎧を残してネズミ男の遺体は綺麗さっぱりなくなっていた。皮どころか髪も、骨しか残さない徹底的な捕食は毎回ながら背筋が冷たくなる。
 しかし、いつものグレ○リンはともかく、どう考えても白カラス先輩達の総体積よりも遺体は大きかったハズだけど……どうなっているんだ?


「残った鎧、剣も積むのを忘れるでないぞ。=#+の先兵が我らの神域に侵入したという確たる証拠だ。平和ボケした守護役の目を覚ます良い材料よ。そのような汚れた物を神域に捨て置くわけにもいかぬし、まだ荷台には余裕はあろう?」
「……はいよ、お任せあれ。なんでもやるから大宮司サマは出来るだけ安静にシテおいてくれよ? 衝突事故は思いがけない後遺症が出るからな。それにしても……寝ているときからは想像できないお転婆だよな」
「このっ、調子に乗るでないわ! 突然の事で不覚を取ったが、あれしきのことで我が……聞いておるのかっ!?」


 白カラス先輩の生態に思考を飛ばしていた為、つい本音混じりのぞんざいな応答をしてしまった事で少女の怒号が飛んで来た。
 いるよなー、人の話は聞かないのに自分の話を聞かないと怒るヤツ。あと、悪口だけはちゃんと聞く。
 この少女はまさしくそれで、言葉が全く通じない時に頭に浮かんだ「暴君」という第一印象は間違いないようだ。エラいさん方に多く見られる性格だけど、そういうのは自分とこの部下にだけ発揮して欲しい。
 ま、相手は権力者で――人殺しだ。怒らせて得することは何もない。

 日本人の必殺技である愛想笑いでなんとか機嫌を取りつつ、出立の準備を終えるともう辺りは暗くなり始めていた。

 月が出るまであと1時間くらいだろうか?
 月が出たらモンスターとの殺し合いが始まる。それだったら足場が安定するこの場所で迎え打ちたいけど、大宮司サマは早期の帰還をお望みのようで出発を急かされている。

 最後に1ヶ月世話になった場所に頭を下げ、白カラス先輩達に大きく手を振ると軽トラックに乗り込んだ。もちろん大宮司サマは助手席だ。
 スタートスイッチでエンジンを掛け、サイドブレーキを解除し、ゆっくりとアクセルを踏むと、荷物を積んでいない時と変わらぬ力強さで軽トラは前進した。このあたり軽でもトラックなんだなと感心する。


「クク、よもやL~%*デバイスの恩恵に預かる日が来ようとはな、人生は何が起こるか分らぬものよ」
「……それ、後で詳しく教えてくれないか。君がデバイスと呼ぶこの腕時計のせいでオレは命を繋いだけど、同時に命の危険もあってね。出来ればこれを外せる技師に会いたいんだ」
「L~%*デバイスを放棄するだと! ……いや、そう云えばそのようなことを言っていたな、我が知るそれは恩恵しかない筈であるが……何が起こるというのだ?」
「月が出たら嫌でも分るよ――それまでに麓に着けなかったら、ちょっと広い場所に案内して貰えると有り難い。そこでオレがコイツを外したくなる理由も分るだろう」


 オレがこの妖怪時計と縁を切りたいという話を持ち出すと、大宮司サマは酷く驚いた表情を見せた。よく分らないが彼女の反応を見る限り、それはとても愚かな行為なのだろう。
 しかし、オレの意思は変わらない。
 モンスターが相手の1日1回の殺し合いは確実にオレ精神の正常な部分を削り取っている。前提としてオレ自身の価値観は現代日本人としては凄くイレギュラーな物であるという自覚はあるけど、一ヶ月前であれば彼女の人殺しにもっと大きな嫌悪を抱いたに違いない。
 間違いなく殺し合いに慣れかけている。
 このままだとオレは……殺し合いに何も感じなくなるかもしれない。そしてその先は殺人鬼という未来しか見えない。


「分った、落ち着いたらデバイスに関する情報を与えよう。故に今はこの軽トラとやらの運転に気を向けるがよい。これから走る山道は人以外が通るように出来ておらぬのだから……本当に大丈夫なのだろうな? どうやって、ここまでこのような物を持って来られたのだ」
「だから、オレは記憶喪失だって言っただろう! 記憶を取り戻したら何もかも答えるから、ちゃんと話を聞いてくれ」


 オレは一言文句を言った後、大宮司サマの案内に従って慎重に軽トラを走らせた。
 案内された山道はちょっと怖いくらいの急勾配で、4DWでなければブレーキが効かずに横転すること間違いない。
 今日まで濃く出ていた硫化水素のためか植物が殆ど生えていないので、植物が障害物になったり、タイヤに絡んで滑ったりということが無いのが救いだが、それを差し引いてもこれは…………うん、山を車で降りるなんて初めてだけど狂気の沙汰だな。
 正直、徒歩で下山すればよかったと本気で後悔した。

 舗装された道を走るのとは異なり、段差による尻への突き上げが酷いし、左右にも大きく振られる。速度は15km/hがMAXで、それ以上の速度だと間違いなく横転する。つーか、その前に車酔いで死ぬ。
 因みに大宮司サマはこの山下りを大変喜んでいらっしゃる。
 道が悪く、運転が激しくなればなるほど興奮の度合いは強く、尖ったネコ耳で頬を突いてきたり、ピンと立った尻尾で肩を突いてきたりするのが実に鬱陶しい。まるで本物の猫のパーツのように良く出来たツールだが、時と場所を選んで貰いたいものだ。


「よいな、実によいッ、ここまで興奮するのは久方ぶりよ!」
「そいつは良かった! けどこれはジェットコースターみたく安全装置は付いてないからな、体が飛ばないようにその辺の取っ手に捕まっておいてくれ。あと、あんまり喋っていると舌を噛むぞっ」
「案内の為よ、しかたなかろう!? む、そこは左に寄せよ、滑落するぞ!」
「!? 助かる、てぇええい!」
「ハハハッ、やるではないか! もう少し下れば開けた場所に着く、そこまで気を抜く出ないぞ! っと、そこは少しでも左右にずれたら谷に真っ逆さま故にな、慎重に進むがよい」
「げぇッ、く……寿命が縮む、他に道は?」
「あるわけ無かろう。其方の手に我の命が掛かっておるのを自覚して慎重に行け」
「くっそ、本当に恨むぞ、記憶があった頃のオレ!」


 そんな感じで命からがら山の中腹にある開けた場所まで辿り着いた。この先の麓までの山道は広く、危険な場所もないようで一安心だ。

 ただ、此処に辿り着くまでに時間もそれなりに経っており、もうすぐ日が沈み、月が登る。
 月が出れば毎度のモンスターとの殺し合いが始まるから、足場が安定しているこの開けた場所に留まって迎え撃つべきだろう。今はオレだけじゃなくて大宮司を名乗る少女もいるのだから絶対に負けられない。

 オレは軽トラから降りると、いつものようにシャベルを軽トラの荷台から取り出して近くの地面に突き刺した。
 車内に残った大宮司サマには何があってもオレの許可が無い限り、外に出ないように言い含めておく。彼女の怪力を鑑みるにアレに襲われても返り討ちにするかもだが、実戦では何が起こるか分らないし、止める審判なんて存在しない。


「これから何が起こるか窺い知れぬが……健闘を祈る」


 そんな少女の激励に親指を立てて返礼すると、月の光が満ちるのを待った。そしていつものように月から妖怪時計に光の滴が落ち、ワームホールが開いて……敵が現れた。





[43642] 13話 アムネジアだけど殺されかける
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/10/10 23:05

「いつものじゃない? ……なんだこの化け物は」

 マットブラックの穴から出てきたモンスターはいつものグレ○リンタイプではなかった。
 強靱な筋肉で覆われている太い胴体。
 速く走り、獲物を追い詰めるに十分な役割を果たすであろう四肢。
 二股に分かれた頭部、そして、敵を噛み砕くために大きく伸びた牙。
 長くしなやかな尻尾は一匹の大蛇に見える。
 体長はオレと同じくらいで、大型犬サイズといったところだろうか? ただし、外見の凶暴さはどんな大型犬も勝るだろう。
 まるでキメラ、いやこの姿、ギリシャ神話の――

「馬鹿なっ、オルトロス・チャイルドだと!? 逃げよっ、それはヒトの手には余る代物だ!!」
「っ!」

 背中の方向から聞こえた声に、振り返って罵声を返したくなる。
 どう見たって戦闘力はグレ○リンどころじゃない。そして、こんな猛獣に追われたら人の足では逃げられない。であれば、車の中に閉じこもってやり過ごすのが賢い選択だろう。
 一人であればシャベルを投げつけるなどして僅かな隙を作り、車の中に滑り込めばよかった。しかし、二人同時は無理だ。目の前の魔獣はそれを許す存在ではないと、纏う威圧感が告げている。

 現に今、何の前触れも無く魔獣が飛んだ。
 助走も無く、手で頭を掻くのと同じ何気ない一瞬で――目の前に大きく広げた口があった。

 咄嗟にシャベルを突き込めたのは日頃の修練の賜物だろう。この時ほど自分の用心深さと勤勉さに感謝したことは無い。シャベルから伝わる重さはグレ○リンを刺し穿つ時とは段違いで、シャベルが手から離れた時が終わりだと否応なく分らされる。
 なんとかバランスを崩すこと無く突撃を受け止めた。そしてその甲斐あってか、シャベルの剣先は魔獣の口蓋を深く抉り、緑色の体液をまき散らした。

 か弱い獲物と踏んでいたのか反撃は予想外だったようで、オルトロス・チャイルドと呼ばれた魔獣は悲鳴を上げて飛び退った。その片方の口からはだくだくと体液を流しつつも闘争心は衰えておらず、計四つの眼は激しい憎悪を湛えている。
 野生動物であれば、こんな深い傷を負った時点で撤退するに違いない。それなのにこのオレに向ける殺意の強さはどうだ。やはりこの魔獣もグレ○リンと同じくオレを害するための存在なのだろう。


「馬鹿者ッ! 逃げろと言っておるのに……えぇいっ、少しの間持ち堪えよ!!」


 『馬鹿はお前だ、このコスプレ女!!』
 そんな罵声が喉元までせり上がって来たが、なんとか飲み下す。集中力が少しでも分散したら死ぬという予感がある――いや、これはもう実感だ。

 今度は慎重に一歩一歩近付いて来ているが、その重量感、威圧感が凄まじい。
 柵のないところでライオンや虎と対峙したらこんな恐怖を味わえるかもしれない。なんなら鎖に繋がれていないドーベルマンでもいい。ヒトと同じかそれ以上の質量をもった四足獣は側に在るだけで脅威なんだと思い知った。

 そんな威圧感に押され、再び飛び掛ってきた魔獣に対し、オレは馬鹿みたいにシャベルを突き出すしかできなかった。
 が、魔獣はそんな獲物の動きを読んでいたようだ。
 体を全体的に沈め、ぐるりと体を一回転させると、鞭のようにしなった尻尾でオレの体を打った。
 まるで綱引きに使うような大綱で体を打たれたような感覚に体勢を崩される。
 そして、左腕にある鈍い痛み……尻尾の蛇に噛みつかれている!? 飾りでも、擬態でもなくて本物の蛇だと……!!

 幸い着ている作業服は防刃製らしく、蛇の牙は皮膚に届いていない。ただ、服の上から掛かる圧は万力のようだ。この作業服を着ておらず、また、修練をしてなければ腕を食いちぎられていただろう。
 しかし、そんなことよりもオレはこのオルトロス・チャイルドという生物に驚愕していた。

 2つ頭は突然変異として存在するから理解の範疇だ。しかし、寄生でもなく、共生でもない、生態の異なる生物が一つの肉体に共存しているなんて、そんな生命は地球上に存在しない。まさか――!?

 幾つもの仮説が頭を過ぎると同時に、オレは地面に倒されていた。
 どうやら尻尾の蛇の力だけでも相当なモノのようで、体を浮かされたら抗いようもない。
 地面に倒された衝撃に顔を歪めつつも、次に来る攻撃に備えて盾のようにシャベルを構える。

 そして次なる一撃は無事な方の頭による噛みつきだった。
 左手は尻尾の蛇に抑えられていて動かせない。右手のシャベルだけで魔獣の突進を受けられるかどうかは賭けだったが――
 シャベルは変な方向から加えられた力に対抗できず、また、今まで溜まっていた応力の所為か、バラバラに砕けてしまった。


 世界がゆっくりと動く中、魔獣の牙がオレの喉に迫る。


 ――まだオレは死ねない。
 記憶を取り戻してもいないのに、死ねるものかよ!

 砕けて舞っているシャベルの破片。その大きなモノ――枝の部分を手で掴むと閉じる魔獣の口に滑り込ませてつっかえ棒にした。
 それは魔獣の咬合力によって一瞬で砕けたが、自身の喉を逃がす時間は稼げた。
 ガチンと鳴らされる魔獣の顎を、ポケットに忍ばせていた紐を取り出し、ぐるりと一周させて縛る。この一瞬の固結びはオレの人生で最速のモノだったに違いない。

 一瞬の空白を経て、傷ついた頭も噛みつきを仕掛けてきたが、右手で上顎を、左手で下顎を受け止める。
 左手には尻尾蛇が噛みついていて不自由だったハズだけど動いている。これが火事場の馬鹿力というヤツだろうか。
 頭の中で、何かが凄い勢いで分泌されているのを感じる。
 アドレナリンか、エンドルフィンか……脳汁が溢れ出す瞬間を感じるなんて、オレの人生にあるとは思ってもいなかった。


「よくぞ押さえ込んだ! そのままだ、そのまま抑えていろっ、我が今、助けてやる!」


 大宮司!? なんでこんな近くに――

 そんな思考が頭を掠めると同時に、大きな破裂音が連続して起こる。
 破裂音と同じタイミングで魔獣の体がビクン、ビクンと何度も痙攣し……やがて四つの眼から力が失せた。
 オレを食い殺そうとしていた顎からもゆっくりと力が抜け、そして、左手を万力のように締め上げていた尻尾蛇の顎も外れた。

 た、助かったのか? でも、なんで……

 何が起こったのかわけが解らずに破裂音がした方に眼を向けると、そこには未だ白い煙を出す黒光りのブツを手にした少女の姿が在った。


「それは、お前……っ!?」
「初めてであったが、この距離であれば問題ない、クク。さて、それはそれとして、このような物騒なモノを持っておる事、そこなオルトロス・チャイルドを召喚せし手段についても教えて貰おうか」


 そう言って大宮司サマは銃口からたなびいていた白煙をフッと息でかき消し、『Beretta modello 92』という文字が刻印されているモノをホルスターに収めた。





[43642] 14話 アムネジアだけど改造人でもあるらしい
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/10/18 09:51

 ヤバイヤツにヤバイモノを持たせてしまった……!

 目の前で上機嫌に笑う少女に、オレは頭を抱えて嘆息する。
 鬼に金棒どころの話ではない。ヒトを殺すことを厭わない権力者に凶器とか……アレのおかげで命を拾うことができたけど、この先に待ち受ける厄介事は半端なモノではない。
 荷物の奥の方に仕舞っておいたのに、オレが気絶している間に漁って見つけたのだろう。
 彼女の中では既にアレは自分のモノになっているのか、腰のベルトにホルスターを固定し、そこから黒光りするブツを出し入れして早撃ちガンマンの真似を嬉々としてやっている姿を見ると、暗澹たる気分になる。


「呼吸が落ち着いたのなら、そこから疾く離れた方がよい。ハクウは死した動物に対して平等に鼻が効く。そう何度も返り血で服を駄目にしたくはなかろう?」
「ん? 突然何を言って……」


 黒光りするアレを持っていた理由をどう誤魔化そうか考えていたら、ガンマンごっこをしていた大宮司サマに忠告された。
 たしかに死んだ魔獣の側に居続けるのはぞっとしないが、返り血とはどういうことだろうか? もう既にオルトロス・チャイルドと呼ばれた魔獣は死んでいるので、ここから更に攻撃を加える必要はないし、オレに死体を弄ぶ趣味は無い。
 体に付いたホコリを払いながら立ち上がり、何のことか聞こうとしたら、空から白い翼を持った集団が飛んで来て魔獣の骸に殺到した。
 オレは慌ててその場から飛び退り、大宮司サマの手を引っ張って軽トラの向こう側に退避する。


「ハクウって、白カラス先輩達の事か!」
「白カラス先輩とはまた面白い呼称であるが……その認識で合っておるぞ。死の穢れを己の身で浄化する神鳥にして、我らが%UD$教の象徴たる尊き存在だ」


 確かに凄く綺麗で神鳥と呼ぶに相応しい姿形なのだが、やっていることは凄惨でスプラッタ映画が裸足で逃げ出すほど酷い。軽トラの隙間から覗く光景はやっぱりいつも通りで、SAN値が削られる前に慌てて顔を背ける。
 数は山頂の時と同じで、あの魔獣を啄むために山頂から飛んできたのだろう。
 その食欲と獰猛さには感心するが、いささか鼻がよすぎないか? 山頂からこの中腹まで結構な距離があると思うんだが、魔獣を殺してから飛んで来るまで殆どタイムラグが無かった。もしかしたら、オレ達を追ってきたのかもしれない。


「フム……上でも感じたが、思ったより数が減っておらぬ。其方、ハクウ達に餌を与えておったな?」
「餌っていうか、さっきみたいに出てきたモンスターを倒すたび、その死骸に群がってた。アレを止めるのは無理だぜ?」
「別に責めてはおらぬ。我が背負って来た増精剤入りの餌が無駄になったという単なる確認――愚痴だ、気にするな。それよりもコレに関する説明の方が大事よ」


 再びホルスターから黒光りするブツを取り出し、その辺の石ころに向かって照準を合わせる様は堂に入っており、本当に初めて触ったばかりの素人なのか疑いたくなる。
 もう完全に自分のモノって感じだ。


「説明するのはいいが、オレの質問にも答えてくれ。聞いてばかりはフェアじゃないだろ?」
「フン、生意気な。この大宮司に意見する者など我が街にはおらんぞ?」
「上でアンタが言い出した事だろう? 勝手に打ち切られたがな……オレの質問に答えないってんなら、それについて説明する気はないぜ」
「やれやれ、命の恩人に対して随分な態度よな……まぁよい、*$#という間柄となったのだから便宜は図ろう。ただし、麓に降りたら態度に気をつけるのだぞ。先にも言ったが、我が許しても周りが許さぬ」


 忠告は有り難く受け取ることにする。
 目の前の少女は平気でヒトを殺せる精神の持ち主である事を忘れてはならないし、彼女を幹部とする宗教団体も似たようなモノであると考えた方がよいだろう。これまでの遣り取りである程度の信頼関係を築けたとはいえ、不興を買えば死に繋がる。
 どんな規模の宗教団体かは知らないが、一人が多数に勝る理由はないし、その一人の方が記憶喪失で助けも呼べず、地理的な知識も無いとくれば、逃げることすら出来ずに一方的に処理されるだろう。
 それを肝に銘じ、どうしても聞きたかった事を口にする。


「オレが聞きたいのは左手に巻いているコレだ。君がデバイスと呼ぶ腕時計、コレについて知る限りの情報が欲しい」
「%=“&デバイスか……長くなるぞ?」
「白カラス先輩達の食事が終わるまでの時間でいい。道を防いでるアレが片付かない限りは山を降りられないし、片付いたら君が持っているソレをどうやって手に入れたか分るだろうさ」
「……にわかには信じがたいが、嘘を言っている様子は無いな。よかろう、アレが片付くまでの間で我が知っていることを教えよう」


 漸くこの妖怪時計に関する情報が得られると思い、オレは身を乗り出した。しかし――


「%=“&デバイスは&#$Rにして、O%#KEだ。以前から%93*なOD¥で■■■■■■■■■■」
「ぐっ!? ぐぉおおお、ちょ、ちょっ、待ってくれっ! 耳が、頭が死ぬ!! がががが、や、めてっ、くれーーー!!!」


 ガラスを爪で引っ掻くような不協和音と脳を揺さぶる超音波の連続に、体が拒絶反応を起こし、心臓発作を起こしたように痙攣した。
 突然倒れて激しくのたうち回り始めたオレに驚いたのか、大宮司サマも口を開けて驚いている。
 前から固有名詞っぽい単語は翻訳されていなかったが、今回のは酷過ぎるし、根本が違う!


「おい、大丈夫かっ! なにが起こっている?」
「ぐ……ぐぉ、ぐぐ、っこのくそ時計だ! ぜってーオレを殺すつもりだろ、ど畜生ッ!!」


 この妖怪時計がもつ翻訳機能……翻訳に殆どタイムラグが無いことから推測するに、相手の声――空気中の振動を拾って変換、骨振動でダイレクトに情報を脳味噌に伝えるという翻訳形式なんだろうが、それは脳に直接振動を伝えることが出来るって事で…………つまり、オレの命はこの妖怪時計に握られているってワケだ、冗談じゃない!
 憔悴するオレの前にいつものホログラフ・ウィンドウが自動で立ち上がる。

『現段階で私に関する情報に触れることは禁じられています。以後、気をつけてください』

 怒鳴りつけたかったが、脳を揺さぶられた影響でその気力を奪われた。
 本気で腕ごと切り離すことが頭を掠めるが、行動に移そうとしたら同じく脳を揺さぶられる気がする。
 全てが億劫になったオレは大の字になって地面に寝転がった。


「大丈夫か? その、続きはどうする?」
「…………わるいが、また今度ってことにしてくれるか? ちょっと、いや……大分疲れた。少し休ませてくれ」
「それはよいが……暇であるから、其方の持っておった食料を頂いておるぞ。起きられるようになったら声を掛けよ」


 そう言って軽トラの向こう側に大宮司サマは行ってしまった。一人にしてくれたのは彼女の優しさだろう。あまりの悔しさに涙を流す情けない顔なんて、オレも見せたくはない。
 いつものとは違う凄く強い魔獣との戦い、命の危機、ようやく得られると思った情報に対する拒絶。
 短期間に色々ありすぎて、またもや許容量をオーバーしてしまった。
 自分の弱さ、情けなさは自覚しているが、こんな理不尽に耐えられるヤツがいるのかよって思う。

 そうやって白カラス先輩達の肉を啄む音が聞こえなくなるまで、寝転がって空に浮かぶ四つの月を眺め続けた。


---


 月の光には人の心を癒やす力があると言ったのは誰だったか。
 ひときしり泣いて心が真っ裸になった所為か、月の柔らかい光が荒んだ心に染み入る。
 すると、今までの自分の行動が癇癪を起こした子供のように思え、顔の中心に向けて熱が集まった。

 あれだな……どんなにつらくても、キツくても、理不尽だらけで不幸を嘆いても……生きてる限り、休んだら立ち上がって歩き出せる。そんなふうにヒトは出来ているらしい。
 よし、休憩は終わりだ!
 この妖怪時計には思うところが多々あるけれど、解決策が無いことに頭を悩ませても意味は無い。明日以降、あのレベルの魔獣と毎日戦わなければならないってのはキツいが、今日の戦いで粗方の勝ち筋は見えた。敵が強くなった分、ガチャでより良いモノが出るだろうし、ポジディブに物を考えよう!


「休憩は終わりか? ならば出立するぞ。山頂で一泊する予定であったから皆に心配を掛けることは無いが、敵の存在は疾く知らせねばならん」


 オレが立ち直ったのを察知したのか、大宮司サマが軽トラの向こう側から顔を出した。
 さっきのことをからかわないのは素直に有り難い。
 オバタリアンになるとその辺、遠慮しなくなるからなぁ。でもってそれを善意と信じているから性質が悪い。この少女はこの感性と奥ゆかしさを保ったまま育って欲しいものだな、ハハハ!


「…………少々躁が入っておるが、この程度なら大丈夫か? 少し遠慮がなさ過ぎたかも知れぬ」
「何を憂鬱そうな顔をしているんだ? ああそうか、心配をかけたな。オレは大丈夫だ、こんな石くらいは握り潰せるくらいに元気――え?」


 暗い雰囲気の大宮司サマを元気づけようと、冗談のつもりでその辺の手頃な石を拾って握ったら、ホントに砕けた。
 心臓が飛び出すくらい驚いたが、大宮司サマも目を丸くしている。

 たまたま泥の塊を掴んでしまったかなと思い、固そうな石を選んで軽く握り込んだら、これまた簡単に砕けて砂利になった。
 無理矢理に高揚させてた気分が一気に冷え込み、脂汗がダラダラと流れる。


 どうやらこの妖怪時計、オレの知らない機能がまだまだ多くありそうだ。




[43642] 15話 アムネジアだけどガチャに翻弄される
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/10/18 09:59

 たしか、ヒトの最高握力は200kgに届かなかったハズ。それは競技における測定値だろうから、さっきのオレみたいに火事場の馬鹿力を発揮したらもう少し行くかも知れない。
 嘘か本当か……通常は非力な女性が、出産の激痛を紛らわせるために凄い力を発揮してベッドを構成する鉄パイプを握って曲げた、そんな話を聞いた事がある。しかし、そんな馬鹿力を発揮できたとしても石を砕いて砂利にするなんて無理な気がする。
 因みに霊長類最大の圧力を持つとされるゴリラの握力が500kgとされているが、そこまでゴツい彼らでさえ石を握って砕くというイメージが湧かない。
 じゃあ、目の前で起こっているこの現象は何なのか?
 実は砂の塊でした♪ ……なんてことは無く、小さな石の粒が手の中にある。


「其方、手を出せ」
「え、ああ」
「違う。手の甲を上にして我の手を握れ、こうだ……よし、全力で行く。抗って見せよ」
「へ? おぉぉおおおおっ、何すんだ大宮司!?」


 言われるままに、手の中の砂利を払って彼女の手を合わせるように握ったら、凄い力で圧力を掛けてきた。そりゃあ、こんな力で握られたらあのネズミ男が膝を突くのも納得だ。
 見た目は白くて細い女性らしい手なのに、まるで機械に挟まれたような絶対的な力を前に膝を突いて屈しかける。


「そらどうした、抵抗しなければ手が砕けるぞ?」
「いっつも突然すぎるんだよっ、後悔するなよ!?」


 手を握り潰される恐怖もあって、しかし、下手をして彼女の手を握り潰す訳にもいかず、7割ほどの力で抵抗した。
 立ち上がり、彼女の手を握っている手にもう一方の手を添えて力比べを仕掛ける。
 軽く力を入れても石を砕く力だ。容易く彼女を屈服させると思ったオレの握力は、なぜか優位に立てずに均衡した。
 え、何々なんなの。オレのいつの間にか異常成長してた握力も大概だけど、それと互角っておかしくない!?


「クク、よいな。オルトロス・チャイルドを押さえ込めたのはまぐれではないということか。只人にしてこれほどの力……何度我を驚かせれば気が済むのか! あぁ、#$&が疼いて堪らぬ、今一度この場で$H&`してくれる!」
「一人だけなんだか分っているような顔をするのは止めてくれ! あと近い、女の子なんだから慎み持ってだな、っておい、その左手はなんだ。握力勝負中に急所を狙うのは反則だろうが!?」


 右手で握力比べをしつつ、なんだか妙に複雑な動きをする大宮司の左手から体を逸らして逃げる。
 勝負に勝ちたいとはいえ、男の急所に躊躇無く手を伸ばすとか、この国――いや教団か? の情操教育はどうなっているのか。そういえば山頂でも躊躇無く裸で水浴びしていたし、最初に着ていた服はまるで痴女だった。意識も、そして、知識も小学生並らしい。
 見た目とスタイル、共に抜群の上、こんなに無防備だといつか必ず痛い目に会う。
 少なくとも一緒にいる間は気をつけてやるべきだろう。


「む? おぉ……馬鹿な、まだ余力があったのか! 教団最強を誇る我の力を上回るだと!?」
「オレの勝ちだな。満足したらさっさと山を降りようぜ、急いでいるんだろ? 手を離してくれたらホルスターに収まっているそれを何処で手に入れたか教えてやるよ」


 取りあえず全力の握力で屈服させた上で、意識を別の方向に誘導した。
 力比べに負けて悔しいだろうが、オレが言ったことはどちらも優先度が高く、無視できないだろう。
 その予想は当たり、大宮司サマは酷く悔しそうな表情をするも手を離し、まずは黒光りするブツ――もう面倒だから言ってしまうが、ハンドガンの出所をオレに尋ねた。


「結論から言ってしまえば君がデバイスと呼ぶこの時計が出した。なんか物質変換としか思えない方法で、オレが倒したモンスターの核らしきモノを物資に変えてる。君が着ている服も、さっき食べてた食料もその賜物だよ」
「…………其方、頭がおかしくなったのか。それとも我を馬鹿にしておるのか? 物質変換なぞフィクションでも神の領域よ! いくらL~%*デバイスであってもそのような機能を発揮できるわけがない!」
「そりゃあ、オレも未だに信じられないけどさ……さっき出てきたオルトロス・チャイルドとやらも、空間をねじ曲げてコイツが呼んだんだぜ。あのマットブラックの穴――オレは適当にワームホールって呼んでるけど、あそこから這い出てくる。そんな不思議穴を作れるなら物質変換も納得しちゃうっていうか」
「は? 待つがよい、先ほどのオルトロス・チャイルドもL~%*デバイスが呼んだと申すか……確かにあの突然の現れようはおかしく思ったが、空間をねじ曲げるなぞ……そのような力も物質変換能力も、我が知るL~%*デバイスは備えておらん。嘘を吐くならもっと説得力がある嘘を吐くがよい」
「……まあ、そう言うような。だから実演してやるよ。ちょうど白カラス先輩がモンスターの核を運んできてくれた。コイツで試せる、って今日のはデカいな」


 オレ達の話が一段落するのを待ってくれていたのか、宝石としか思えない綺麗な石を目の前の地面に置いた。
 それを見て大宮司の瞳がギラリと光ったが無視する。宝石に目が無いのは何処の国の女性も同じようだけどコレをくれてやるわけにはいかない。
 白カラス先輩に礼を言って石を拾い、妖怪時計に近づけると、いつものように吸い取ってホログラフ・ウィンドウが連続的に立ち上がる。

『初めての殺人を記念して、SR宝箱が解放されました』
『討伐対象のモンスターレベルが上がります』
『SR、R宝箱の排出確率がUPします』
『宝箱の通常排出個数が3→5個にUPします』
『初回特典として、SR宝箱が1個確定します』

 一番上の表示を見て左手をその辺の岩に叩き付けたくなったが、大宮司の手前もあって抑える。それよりも注目すべきは続く表示だ。やはり、といった感が強い。
 そしてホログラフの表示に続き、何の音も立てずに出現した大きなダンボールに大宮司が顎を落として驚いている。

 やっぱり驚くよなと思いつつ、ポケットにしまっていたカッターで封を切り、中を覗く。

 えーと、金色のが1つ、銀色のが2つ、茶色のやつが2つか。ウィンドウに示された通り宝箱の排出個数、そして『R』の輩出率が上がったようだ。
 排出個数が増えたのは素直に有り難い。『R』宝箱の確立が上がったのは……本来なら喜ぶべきだろうけど、オレは素直には喜べない。
 『R』が出る確率が上がった分だけ『N』の日常品が出る確率が下がったってことだ。生きてく上で必要なのは『N』で、装備品はそう壊れるモノじゃないし、使わないモノが嵩張って増えていくのは避けたい。売れってことだろうか?
 ま、いいや、覆水盆に返らずと言うし、後悔してもコレについては意味が無い。順番に宝箱を開けていこう。

 まだ驚きで固まっている大宮司を横目に『N』のダンボールから開けていく。

 中身はいつものカロリーゼリーと……これは嬉しい、トイレットペーパーだ。在庫が無くなりそうになっていたから心配してたんだ。まぁ、街に行ったら買えるかもしれないけど、街の発展度合いによっては必要になる。いくらあってもいい物資に頬が緩む。

 次は『R』の宝箱だ。
 一つ目は、おお、シャベルじゃないか! 金属部分がより多く、輝いていて、壊れたヤツより高級感が漂っている。穴掘りに、武器にと用途が広いから重宝する。正直、さっき魔獣に壊された時はかなりショックだった。初代サマの破片は集めて丁重に供養してやらねばなるまい。

 次は………………あ、これアカンやつだ。
 再び出てきたハンドガン、今度はリボルバータイプで『MATEBA Modello 6 Unica』と刻印されている。
 なんかやたらと造詣がかっこよくて男心をくすぐられるが、こんなモン封印指定だ。見つかったら即逮捕される。
 箱の中に戻して軽トラの荷台に積んでおこう、と思ったら横からかっ攫われた。箱を奪った大宮司サマは中身を取り出し、目を輝かせてMATEBAに見入っている。
 見た目はエロ漫画に出てくる剣術使いっぽいのに、ガンマニアでガンスリンガーとはこれ如何に?

 ――ま、仕方ないか。オレは何も見なかったし、何も知らない。持ってることを咎められたとしても大宮司の権力でなんとかするだろう、多分。

 嬉々として弾倉に弾を込め始めた彼女を横目に、オレは金色のダンボールを取り出した。
 流石にこれを開けるのは緊張する。日常品、武器や防具などの装備品ときて、次は何が出てくるのか。
 もしこれが毒ガスとか、ロケットランチャーとかの大量殺戮兵器だったとしたら、左手首を切り落としてでも妖怪時計とは縁を切らなければならない。箱の大きさと重さからは、そんな物騒なモノが入っているような感じはしないが……

 恐る恐る『SR』と表示された金色のダンボール箱を開けると、カードが一枚入っていた。
 サイズはクレジットカードと同じでよく見る大きさだ。しかし、磁気テープやICチップといったあるはずのモノが無く、『First Step』の文字が表示されているだけ。なんだこりゃ?

 胸をなで下ろすと同時に、苦労して魔獣を倒した結果がこれかと少し落胆する。
 使い処が無いカードとか持っていても…………あ、そういえば一つ思い当たるところがあるな。

 両手にハンドガンを持ってなにやら踊り出した大宮司サマを生暖かい目で眺めつつ、オレは軽トラの助手席側のドアを開けた。





[43642] 16話 アムネジアだけど度肝を抜かれる
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/11/01 13:08

 目の前を馬車が走っている。
 儀装型のソレには立派な意匠がしてあって、まさにエラいさん専用ですよといった感じだ。
 日本じゃテーマパーク以外では見ないあれには大宮司が乗っていて、ちょっと妄想癖が強いコスプレガンナーじゃなかったんだなーと、今更ながらに納得している。
 走る速さは割とあって、時速十五キロといったところだろうか? 視線を下げて軽トラのメーターを見ると大体そのあたりで安定している。
 山の麓から住む街までは10kmほどだと言っていたから、1時間も経たないうちに着くだろう。夜にこれだけの速度を出すのは危険ではないかと思うかもしれないが、相変わらず4つ月が煌々と辺りを照らしていて危なげが無い。
 月が大地を明るく照らす光景は、この一ヶ月ほどで見慣れてしまったのだが、日本ではもっと夜は暗かったと知識にある……本当に此処はどこなんだろうか?


「おい貴様ッ、なんだそのだらけた表情は! もっとシャンとしないか、姫様が乗る御車に当てたら処刑だからなっ!」
「アイアイサー ……その時は一蓮托生ですぜ、衛士長殿」
「ふざけるなっ、何で私が貴様の尻ぬぐいをしなければならん!」
「そりゃあ、一緒にコレに乗っていますからね。いやだったら前の馬車で御者でもしてたらどうです? オレの隣りにいる理由はないでしょう」
「姫様の命令だ! そうで無ければこんな狭い場所にいられるか。いいからちゃんと運転しろ!」


 オレの隣りに座る美丈夫――いや、男装の女騎士殿は甲冑を着込んでいることもあって、えらく窮屈そうにしている。オレとしても運転の邪魔になるので降りて欲しいんだけど、大宮司サマの命令なら仕方が無い。
 これ以上文句を言われるのもイヤなので、ちゃんと背筋を伸ばして運転を継続する。


「まったく、何故このような無礼者を……姫様は一体何を考えられておるのか」


 それはオレが聞きたいと思いつつも、口には出さない。
 短い間ではあるが、この甲冑ウーマンは生真面目で融通が効かないことは理解している。余計な事を口にすれば倍になって小言か怒鳴り声が飛んでくるのだ。

 ふと上を見ると、サンバイザーに挟んでおいたSRカードが目に付いた。
 あのときコイツを使っていたらどうなっていただろうか。例えば車内スペースが増えるとか、変形して飛行機になってたとか…………あー、駄目だ駄目だ! この妖怪時計に引っ張られてオレの発想も妖怪的になっている。
 今日は街に着いたらとっと寝よう、うん。

 前を走る馬車を眺めつつ、オレは思考の海に沈んでいった。


---


「そこな貴様、何者だっ」
「この神山を男子禁制の場と知っての狼藉ですかッ!?」


 助手席に頭を突っ込んでSRカードを挿せる場所を探していたら知らない声が聞こえた。声の高さからすると女性であるが、大宮司サマではないし2人以上いるようだ。
 もしかしてまた厄介事だろうか? 今日はもう山頂の出来事から始まったイベントで一杯一杯なんだけどな……
 突っ込んだ頭を車外に出して振り向くと、そこには西洋風の甲冑を着た女性二人が並び、此方に剣を向けていた。


「衛士長、ほ、本当に男ですよ!? あのこれ、凄い失態になるんじゃ……」
「うろたえるなッ! 姫様さえ無事なら何とでもなる」
「其方ら、我の話を聞け! 彼奴は我の――」
「姫様は前に出ないでくださいッ、目を合わせただけで妊娠させられます!」


 なんか突然出てきて初対面のオレに酷い言いがかりだ。
 オレはそんな野獣じゃない、というか、どうやったら目を合わせただけで子供ができるのか。
 まるで昭和初期の女学院的なノリを見せつけられてゲンナリする。

 えーと、でっかい方が衛士長とやらで、その隣りにいる背の丈半分ほどの方が副官みたいだな。発した言葉から察するに大宮司サマの関係者だろう。いずれもネコ耳と尻尾を付けている所為か、それを除いた見た目は立派な兵士なのにとてもシュールだ。

 どうやら酷く警戒しているらしく、オレに剣を向けて視線を逸らさない。
 つーか、アンタらも大宮司サマと同じ女だろうに、視線を合わせていいのかという疑問は無粋だろうか?

「姫様の盾になるのが近衛の役目ッ、姫様を守って孕んだなら喜んで産む、必ずな!」

 ――いや駄目だろ、もっと自分を大事にしろや。
 オレの思考を察して答えてくれたのは有り難いが……副官、そして大宮司からも疑問の視線を受けると、衛士長は誤魔化すように咳払いをして再び剣をオレに向けた。


「いい加減にせんかッ、我の言葉を無視するでない!」
「姫様こそ護衛の言うことを聞いてください! この&4#%を男子禁制の場と知っての侵入、Y6=の尖兵やもしれません」


 えっと……相変わらず翻訳出来てない言葉もあるけど、もしかして例のネズミ男と同類に思われている?
 確かにこの山を男子禁制と知らずに1ヶ月滞在してしまったのは事実だが、オレはまだ何もしていないし、言葉すら発していない。何故この段階で敵対勢力と判断してしまうのか。
 衛士長って事は広い視野を持つべき役職だろうに随分と狭窄的だ。

 視線で大宮司に助けを求めても、頭を抱えて呆れる事に忙しいらしく頼りにならない。

 ……コレはもう逃げるしかないか?
 車で撥ねてしまった事については十分に借りを返したと思うし、託せる先は見つかった。病院まで連れて行けない事には悔いが残るが、これ以上関わると凄まじく面倒な状況に陥りそうな気がしている。
 記憶喪失は……この場から離れた後、安全な環境でゆっくりと治せばいいだろう。

 よし、腹を決めた。この場から離脱する――しかし、その行動は辺りに響いた銃声に遮られた。

 空に放たれた銃弾はもちろん大宮司のもので、素早く銃をホルスターに収めると、驚いて振り返った衛士2人の顔を掴み、その腕力をもって吊り上げる。

 いや、まてまて。いくら握力が強いからって完全武装の大人をアイアンクローで持ち上げるってどんな握力だ!? それに打ち勝ったオレの握力ってなんなんだ?

 にわかには信じられない光景に唖然としていると、かなりの怒気を含んだ大宮司の声が辺りに響き渡る。


「我は話を聞けと言ったのだが……なんだ、貴様らは大宮司たる我より偉いのか?」


 2人の衛士の顔には大宮司の指がめり込んでいて、ギリギリという音が聞こえて来そうなくらい力が入っている。事実、コメカミからは細い血の筋が下に流れ落ちており……あれは人類が出していい力ではないだろう。
 そのアイアンクロー ……いや、ヘルクローを掛けられた2人は痛みのあまり、声も出ないようだ。


「此奴はL~%*にすると我が決めた。貴様らが崇拝する&#QLGの名において、祭司であり巫にして大宮司たる我が決めたことに、よもや異論はあるまい? 分ったなら我が腕を軽く2回叩け。拒否するのなら――このまま頭蓋を握り砕いてくれようぞ」


 その言葉に衛士2人はゆっくりとだが大宮司の腕を2回叩き、解放された。
 地面に倒れ込んで咳き込む二人に、虫けらを見るような無慈悲な視線を落とした後、満面の笑顔をオレに向けた。


「すまぬな、此奴らにはよっく言い聞かせる故、気を悪くするでない。街に帰ったら我がL~%*として歓待するからな、期待しておくがよい」


 いや~、えーと、うん…………こんなん、逃げ出せないわ。


---


 そんなワケで、和解(?)したオレ達は一緒に山の麓まで降りると、大宮司が帰るまで待機している予定だった馬車に合流した。

 大宮司は引き続き軽トラの助手席に乗り続けたかったようだが、教団のエラいさんという面子もあって御者が操る馬車に乗り換えた。
 小さい方の近衛衛士は、山頂にネズミ男が出たことを知らせるため、馬に乗って伝令に出た。大宮司のヘルクローが堪えたのか随分と憔悴していたが、失態を重ねるのが恐ろしいようで全速力で駆けていった。
 大きい方――近衛衛士長はオレの隣りに座ってぶちぶちと文句を垂れている。
 恐らくはオレが逃げ出さないように大宮司が付けた監視だろう。あのとき考えたコトを洞察されたようで……やっぱり役職が高いヤツは目端が利くのだ。

 狭い車内の中では衛士長の尻尾が不機嫌そうにオレを叩き続けている。運転を阻害する程じゃないけど、うっとうしいことこの上ない。
 まるで本当の猫の尻尾のようで、どういう構造で動いているのか是非とも聞きたいけど、聞いたら後戻り出来ないような気がしている。

 そんな感じで早く着かないかな、と思って運転していると目に人工の光が飛び込んできた。
 馬車の影からも分るこの光量は間違いなく電気の恩恵を得たモノだろう。
 ありがたい。少なくとも電気が通っているのだ。小さい島国とかだと未だに電気や上下水道が整っている所があるから、実はとても心配していた。
 電気が通っていると言うことは通信が使える、そして助けが呼べる。
 もしかして日本の大使館は無く、帰国手続きに手間取るかも知れないけど、希望は繋がった。少し気が楽になったことで、運転にも少し力が入る。


「随分と嬉しそうだな」
「まあ、一ヶ月もサバイバル生活をしてたら文明が恋しくなるさ」


 それを聞いて事情を知らない衛士長が変な表情をしているが気にもならない。徐々に明るくなっていく周囲に期待感が膨れていく。
 しかし、なんか……明るすぎやしませんかね?

 道を進めば進むほど、昼のように明るくなっていく光量に違和感を覚えた。
 東京や大阪といった大都市部でも、夜にこれだけの光はないと断言できる。まるで本当に昼のようで……な、なんだ、あれは!?

 前を行く馬車が曲がったことで正面に現れた光景、巨大な構造物にオレは圧倒された。

 鉄、いや、金属の塊だが、全高はオレが今まで住んでいた山ぐらいにデカく、全長は視界の端を越えて続いていて全容が不明。
 その流線型のフォルムには透明感を持つ材料が等間隔にならんでおり、アレは窓だろう。明るい光が漏れている。
 どう考えても翼としか思えない部分は小さな都市ほどもあって、下から見れば広く太陽を覆い隠すに違いない。

 この――現代を生きる日本人が知るはずの無い巨大構造物の名を、オレは何故か知っていた。


「超弩級星間航行船14番艦…………紀伊」





[43642] 17話 アムネジアだけど好奇心は枯れてない
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/11/01 13:09

 ――いやいやいや、なんだよ星間航行船って。

 脊髄反射のように口から出た言葉が非現実すぎて、自分で突っ込んでしまった。
 つーか、なんで知りもしないモノの名前が口から出たのか……じゃなくて、なんだよあれは!? あんなでっかい人工物があり得るのか。作ったヤツ、絶対変態だろ!

 ヒトは途方も無く巨大なモノを見たとき畏敬を抱くというが、まさにこの時の自分がソレだった。
 明らかに都市よりもデカい構造物、それも翼を備えて飛行を想定している、更に言えば構造物のあらゆる箇所から発せられている人工光から察するに、全て活きている設備なのだ――を前にして完全に思考が停止する。

 SFフィクションであれば都市並みに大きな人工構造物は珍しくない。有名どころで最もアレに近いのはマク●スだろうか? しかし、あの都市を内蔵する巨大戦艦でも2kmに満たなかったハズで、今目の前にある構造物は翼だけで優に5kmを越えるだろう。全長に至ってはオレの視力を越えて続いているので想像もつかない。
 しかも、それがなんと地上にあるのだから現実感が全くない。


「おい、どうした。車が止まっているぞ。妙な言葉を呟いていたが、もしかして御神体を見るのは初めてか? 圧倒されるのも無理はないが、今は姫様の馬車を追え」
「……アイ、アム、マム」


 隣に座っている衛士長に急かされ、頭が真っ白になったまま距離が開いた馬車に向けて軽トラを走らせる。
 馬車が向かう先には巨大構造物からケーブルのようなものが伸びていて、ポツポツとまばらに光が灯っていた。もしかして連絡通路、そしてそこに繋がる搭乗口か駅なのだろうか。


「……なぁ、もっかして、あの船の中に街があるのでするか? あのケーブルっぺいヤツの中を通って入れちゃうとか」
「馬鹿者っ、御神体――アメノトリフネに触れるなど間違っても口にするな、二度はないぞ!! ……それと少し落ち着け、言葉がおかしくなっている」


 むぅ、どうやらあの変態構造物(御神体)の中に入るということは避けられるようで一安心だ。そんなことになったら、おそらく心が死ぬ。
 しかし、なんであんなデカくて光っているヤツに今まで気付かなかったのか……あぁ、そういえばずっと出てた雲海で視界を遮られていたし、山頂の開けた場所とは反対側にあったからか。
 そして、アメノトリフネか……古事記だったか日本書紀とかに出てくるカミサマの乗る船、若しくは神そのものを指す名前であったと知識にある。突っ込み処が多すぎる『超弩級星間航行船』とかより、よっぽど良い名前じゃないか。ホント、どこからそんな言葉が出てきたんだろうな。
 ただ、どっちにしても気になるのは――


「なぁ、御神体って……ぶっちゃけ飛ぶのか? なんか、見た目が飛びそうな」
「いい加減にしろっ、私は貴様のトモダチでは無い! 姫様のL~%*に選ばれたからといっていい気になるなよ、私はまだ貴様を認めていないんだ。わかったら、さっさと運転しろ!」


 ……どうやら衛士長を怒らせてしまったようだ、気が動転しすぎて距離感を間違えてしまった。

 ま、まぁ、常識的に考えてあんなでかいモノが飛ぶわけ無いか。
 自重で崩壊するし、飛べたとしても燃料効率が悪すぎる。いや、それ以前に燃料自体を用意できないだろう。油田を1つ2つ枯らして足りるレベルでは無い。
 きっと何処かの大国が、山の表面にだけ人工物を貼り付けて示威行為に使っているとかのハリボテなのだ。もし本当にアレが宇宙船だとしたら、ここは地球でも、現代でもなく……!?

 遠目では分らなかったが、近づいて初めて分った。
 衛士長が御神体と呼ぶそれは確かに浮いていた。だって、構造物の下わずか3mほどだけど、何もなくて向こう側の景色が見えているのだから。
 そしてその脇を、大宮司が乗った馬車とオレが運転する軽トラが走り抜けていく。

 ――もう何も考えられない。
 ただひたすらに、先を行く馬車を追って軽トラを走らせた。




---




 太陽の光を感じての目覚めは、まぁ、爽快だった。

 車の座席にダンボールを敷き詰めた寝床と比べるものではないが、久しぶりの布団は快適すぎて王様にでもなった気分だ。
 そしてこの昭和の旅館を感じさせる室内がいい。実家とまではいかないが、このレトロな雰囲気は長いサバイバル生活で疲弊した心を癒やしてくれる。これが高級ホテルの一室とかであれば違和感しか無かっただろう。

 これで窓から見えるアレが無かったら最高の朝だったんだけどな……。

 窓の方に視線を向けると、昨日見た巨大な構造物が鎮座しているのが見えた。距離は100mほどで、夜に発していた光は収まっている。
 更に視線を移すと御神体から伸びたケーブルが、昭和然とした街の中心に伸びており、そこから蜘蛛の巣のように全ての建物へ伸びている。聞いたところによると、あのケーブルから電気、ガス、水が供給されているらしく、街のライフラインを担っているとのこと。
 まぁ、そんなモノが近くにあれば崇拝するしか無いよな。他にも随分と恩恵も受けているようだし、まさに生きる御神体というわけだ。


「おい、いつまで寝ているんだ! 教祖様と姫様がお待ちなのだから、早く支度しろっ」
「へーい、へい、今行く」


 これだけ短期間に怒鳴り声を聞いていれば慣れてくる。
 ぞんざいな返事を衛士長に返し、着慣れた作業着を身に纏うと部屋を出た。


「貴様、昨日渡した服はどうした。必ず着ろと申しつけた筈だが?」
「済まないけど、複雑すぎて着方が分らなかった。それにこの服は故郷じゃ正装だし、アンタの主はそれを認めていた。教祖サマもそれを認めないほど狭量じゃないだろ?」
「このっ……えぇい時間が無い! 早く車に乗れっ」


 甲冑ウーマンはそう言とオレに背を向けて歩き出す。朝から血圧が高くてご苦労なコトだ。
 そうさせたのは自分であるが仕方ない。
 だってあんな道化服……いい歳して半ズボンとか拷問以外の何物でもない。アレを着るぐらいだったら嘘を吐いても作業着の方が良い。
 昨日、大宮司が着ていた改造セーラー巫女服といい、この教団のセンスは先進的すぎる。

 建物の外に出ると、衛士長と同じ甲冑を身に纏った衛士達がズラリと並んでいた。
 まさに近衛隊といった感じで隙が無い。
 昨日からこの調子だったので、逃げようと思っても逃げられなかったし、逃げたら地の果てまで追いかけて来そうだったので諦めた。
 未だに妖怪時計の翻訳が上手くいっていない部分だけど、大宮司の言い出したオレとの関係はよほど大事なモノなのだろう。

 それに――正直言って、こんな知的好奇心をくすぐられるモノをほったらかして逃げるなんて出来ない。
 昨日は本当に勘弁してくれって気分で、近衛宿舎に案内されて最低限のコトをしたら気絶するように寝てしまったが、寝たことで頭の整理がついたのだろう。
 記憶喪失も、此処が何処かと言うことも、もしかして現代じゃないってことも全部横に置いて、アレを知りたいという気持ちが凄い。面倒なコトになるのは分っているが、御神体に関われるのであれば仕方がないという気分になっている。
 更に言えば、この妖怪時計と御神体は何らかの関係があるんじゃないかと踏んでいる。
 虎穴に入らずんば虎児を得ずという言葉があるように、どうしても欲しいモノがあるのなら身の代掛けて危険に挑むことが必要だ。

 さて、蛇が出るか鬼が出るか……教祖サマとやらとご対面といこうじゃないか。




[43642] 18話 アムネジアだけど本能を信じる
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/11/08 20:46

 衛士達に囲まれながら軽トラを走らせる。
 馬に乗る彼らは高さがあり、見下されているようでどうにも居心地が悪い。隣の助手席には不機嫌そうな甲冑ウーマンも居るので尚更だ。
 まぁ、彼らからすれば、身分のよく分らないヤツが最高指導者と対面するってことに気が気でないのだろう。オレも正直言って気が進まないが、先方が会いたいと言っているのだから仕方が無い。

 教祖と大宮司が住まう宮殿への道は粗悪なコンクリート製のようで凹凸が多い。
 窪みを通過する度に車が小さく跳ねるので、街の中央にある道がこんな整備状態でいいんだろうかと思うのだが、隣に座る近衛隊長が文句を言わないのでこれが此処に住まう人達の常識なのだろう。

 昨日から感じている違和感……御神体とそれを崇める者の文化レベル格差はかなり大きく、隔絶されているとみて間違いない。
 御神体からの恩恵はライフラインのみで、あの異次元的な技術は多くを伝えられていないのだ。そして恐らくそれをコントロールしているのは、御神体とそれを崇める者との橋渡し役――教団幹部達なのではなかろうか。

 ……少し観察しただけで色々な推論が湧いてくるあたり、頭の調子は悪くないようだ。
 やはり屋根の下で体を伸ばし、睡眠を取れたコトが効いているのだろう。まだまだ考えなければならないこと、確かめなければいけないことは沢山あるが、今は今後の運命を決める面談に集中するべきだ。


 教祖と大宮司が住まう宮殿は街の中央に位置する。
 そこは御神体から伸びる巨大ケーブルが固定されている場所であり、街にライフラインを供給する大元でもある。当然、建物としては大きく、宗教的な面もあって、見た目はチベット仏教のポタラ宮に近い。
 これはコレで圧倒されるのだが……残念なことに、あの変態的超巨大構造物が近くに在ると感動が薄い。

 宮殿横にある馬車を停めるスペースに軽トラを滑り込ませ、近衛隊長と共に車から降りた。すると直ぐ衛士達に囲まれ、行き先を誘導される。
 流石に警戒が過ぎるのではないかと思うのだが、よそ者を組織の重要設備に招き入れるのだから当然か? それとも大宮司からきつく言われているか……なんにしてもこの圧迫感に吞まれないように気を強く持たないと。

 建物の中は木と漆喰で構成されており、エキゾチックなお香の匂いが漂っていて、いかにも宗教建築物っぽい。その長い回廊を衛士達に囲まれて移動すると、まるでラスボスが控えているような大きな扉の前に辿り着いた。


「ここから先は我らの立ち入りは許されていない。くれぐれも失礼がないように……死にたくなければな」
「…………」


 大宮司は歓待するとか言っていたけど随分な物言いだ。怒らせては駄目というコトなんだろうな……忠告は有り難く受け取ろう。
 オレは一呼吸してから、ゆっくり開かれた大扉の中に進み出た。


「良く来た、待っていたぞ!」


 昨日ぶりとなる大宮司は相変わらず元気そうで安心した。軽トラで撥ねてしまったことによる後遺症の心配はないようだ。
 その彼女は広間の奥、一段高い御簾の掛った廟の右側に立っており、更にその前には8人の教団幹部と目される人達が居てオレを睥睨している。
 老若男女、偏り無く色々な人材が揃っているようで、向けられる視線の色も好奇、興味、疑問、嫌悪、拒絶とバラバラだ。
 共通するのは強い存在感だけだろうか? 種類は違うがオルトロス・チャイルドに対峙したときと同じ圧迫感を感じており、彼らが一角の人物であることが分る。
 けどなぁ……。

 これまでのコトから予想は付いてはいたんだけど、全員がネコ耳と尻尾を装着している。
 あの大宮司より少し年上の娘さんや、10代前半と思われる男の子は似合っているからいい。しかし、筋骨逞しいオッサンや、眼光鋭いご老人、主婦代表みたいな50代女性には全く似合っていない。
 着ている服もかなり独特で、オレは込み上げてくる笑気を必死に堪えて無表情を作った。


「L~%*の証であるG$HEを着用していないようですが? 楽しみでしたのに」
「教祖様を前に不敬である。いかに姫様の選択とはいえ、我輩は賛同できん!」
「そもそも、我らの神山を冒した犯罪者がなぜこの場に居るのか」
「兄さんになってくれるかな……」
「ようやっと姫サマがその気になってくれたんだ、逃がす手は無いよ」
「%=“&デバイスを着けた只人……じ、実験、解析、いひひ」
「これは……なかなかに……」


 なんだか変な視線も感じるが、幹部連中の心証の善し悪しは半々と言ったところか。
 今後がどうなるか分らないが誰が何を言ったか覚えておいて損はない。それどころか、命綱になる得るかもしれない情報だ。しっかり聞き分けて味方になり得るヒトを判断しないと。

 ざわつく幹部連中を眺めていると、大宮司が廟を支える柱をぶん殴り、それで出た打撃音で皆が静まり返る。
 良くやっているコトなのか、柱の一部がいくつも凹んでいるのが見えて少し呆れた。


「其方達の質疑は後にせよ、まずは教祖にレンジを紹介する」
「「「御意」」」


 うぅむ……どうやらちゃんと部下の統制は取れているようだ。場の雰囲気もあって、本当に人望と美貌を備えたカリスマに見える。コレで普通の、ちゃんとした、服を、着ていたら、完全に納得するんだけどな!

 取りあえず気を付けの姿勢で固まっていたオレの前に大宮司が立つ。
 着ているのは最初に会った時と同じく改造セーラー巫女服で、正気を疑うほど露出度が高い。こんな姿を目にしてなんで男幹部連中は大丈夫なのだろうか?

 オレは目の焦点をぼやかし、大宮司を直接見ない作戦で頑張っていると、いきなり右手を握られた。
 それは世間的に言って恋人繋ぎと言われる手のひら同士を合わせたもので……別の角度から言えば握力勝負を仕掛ける時の握りでもある。この力の入れようからすると確実に後者かな!

 口には出さないが、どうやらあのとき逃げようとしたことを察して怒っているらしい。
 ミシミシと軋む右手に相当の怨念を感じつつ、オレは廟の前に連れて行かれた。そして大宮司は御簾の奥に居るのだろう、教祖サマに向かって声を届かせる。


「教祖、この者が我がL~%*です。我のL~%*とします。良いですね?」


 許可と言うよりは規定事項のように断言し、返事を待たずに踵を返す。
 まるで何か言われる事を避けるような行動は大宮司らしくないのだが、此処で発言したら面倒な事になると思ったので大宮司の先導に従う。が――


「まあ待ちなさい。貴女の選んだL~%*を良く見せて頂戴な」


 御簾の奥から発せられたのは、母のような包容力と童女のような無邪気さを併せ持ち、更には獲物を確実に仕留める肉食獣の強かさと、当たり前のようにヒトを統べる偉大さ、その全てを感じさせる女性の声だった。
 その声はあまりにも蠱惑的で、大宮司の制止に気付かず、まるで操作されたかのように振り返ってしまった。
 振り返った先にあるはずの御簾はいつの間にか上がっており、隠れていた教祖サマの姿がそこに在った。

――男を破滅させる魔性の女(ファム・ファタール)

 一言で示すなら彼女は正にそれだ、本能がヤバいと見抜いた。
 彼女の微笑みが、オレには獲物を見つけた肉食獣の舌舐めずりに見えた。





[43642] 19話 アムネジアでも従者になれる?
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/11/22 16:43
 歳の頃は20代前半だろうか? 十代後半の大宮司があと数年経ったらこんなになるのではないかと思わせる姿で、恐らくは近親者なのだろう。ただし、女としての完成度は教祖の方が圧倒的に高く、妖艶といった言葉がこれほど似合う女性は中々に居ない。
 そして圧倒的な存在感と威圧感はこの場に居る誰よりも大きく、流石は教祖サマといった感じだ。
 ついでに言えば、大宮司よりもかなりきわどい服を……というか赤い紐を適当に体に巻いて局部を隠しているだけという、全裸の方が健全と言って良いレベルで、こんなのが近くに居たら大宮司の改造セーラー巫女服もまともに見えるだろう。
 教団が何を目指しているか分らないが、こんな露出狂的な格好をしなければならない信義とは一体何なのか? 少なくとも服のデザインだけは絶対に相容れない。
 オレは恥ずかしさよりは、いたたまれなさを感じて教祖サマから目を逸らした。


「驚いた……耐えるのですね」
「教祖ッ、戯れが過ぎます、この男は我がL~%*にすると宣言したでしょう!」


 もしかして、教祖の艶姿に興奮して鼻血でも出すことを期待していたのか? 流石にそれは馬鹿にし過ぎではではないかな。
 この調子で遊びに付き合わされたら大変だろうなと思い、教団幹部連中の方を見てギョッとした。
 全員が黒くて分厚いサングラスを掛けていた。何処かの戦術長が対閃光防御! とか言って掛けるアレだ。教祖の艶姿は原●爆弾級とでもいうのだろうか?


「馬鹿な……生身で耐えるだと!」
「姫様自らが選んだだけの理由があるということか」
「俄然、興味が湧いてきたね」


 なんだろう、この茶番は。
 鼻血を出さなかっただけでえらい持ち上げようだ。オレの存在に否定的だった幹部も感心した表情を見せている。
 こんなことの為に呼び出したのだろうか? ……帰りたい。

 一気にやる気を失ったオレは繋がれたままの大宮司の手を離し、元の位置に戻った。


「あの、えーと……あの方、私に頂けませんか?」
「お断りします、気まぐれも大概にしてください。さぁ、いつまでもその姿を俗世に晒すものではありません。レンジの処遇は我らに任せてお休みください」


 まだ何か言い募ろうとした教祖を力づく(ヤ●ザキックともいう)で廟の中に押し戻し、上がっていた御簾を叩き付けるように下ろす。
 その様は生ゴミを蓋付きのゴミ箱に押し込むようで、あまり仲が良くないことが見て取れた。


「さあ、これで教祖様へのお目通しは終わりだ。あとの審議は場所を移して行うとしよう。もっとも先ほどのアレを経て、レンジを我がL~%*とすることに反対の者が居るとは思えんがな!」


 御簾の奥からの声を無視して大宮司が謁見の間の脇にあった扉を開くと、会議室と思わしき部屋があって10人ほどが座れる円卓が置かれていた。
 大宮司と幹部連中はオレを連れて、そそくさとその部屋に入り扉を閉める。
 それによって教祖サマの哀願とも呪いとも取れる声が聞こえなくなり、ホッとしたような雰囲気が場に流れた。


「さぁ皆の者、席に着け。あぁ其方は我の隣だ。改めて自己紹介といこう。よもや嫌とは言うまいな、レンジ?」


 ……なんだかどんどんと外堀を埋められて行っている感が凄い。
 未だ翻訳されない謎の言葉は、前後の言語から察するに従者かそれに近い何かを指しているのだと思う。彼女を車で撥ねてしまったという負い目があるし、情報を得るという目的を果たすためにも彼女の従者という立ち位置は都合がいいから流れに身を任せていたが、従者をするだけで済むのか不安になってきた。
 しかし、今この場で逆らったらどんな事になるのか想像も付かない。謁見の間に入る前に脅されたし、此処は無難に乗り切るとしよう。ただなぁ――


「自己紹介はいいけど、何度も言うがオレは記憶喪失だぜ? 何を話していいやら」
「なに、自分が知る範囲で話せることを話すがよい。特に%=“&デバイスの事は……居を同じとするならオルトロス・チャイルドを召喚する機能があることを伝えねばなるまいて」


 あぁ、それはそうだ。
 1日1回、猛獣を呼び出すとなれば近くに住む人としては気が気でないだろう。というか、それを理解してオレを側に置こうとする大宮司の感覚が分らない。
 現に目の前の幹部連中の幾人かは席を立つほど驚いているし、座っている幹部も眉をひそめて不快感を表している。


「オルトロス・チャイルドですと! あのような凶獣を呼び出すなど、誠ですか!?」
「いくら%=“&デバイスといえど、そのような機能があるとは思えんが」
「いひっ、いひひひ、解剖、実験! 小生ならソヤツを有効に活用出来ますぞゥ!」


 声を上げたのはガチムチのオッサン、眼光鋭いご老人、汚れた白衣を着る陰気な少女の3人だ。いずれも最初からオレに否定的な視線を向けていた連中である。
 半信半疑、そして、異常な執着を示す視線を感じる……というか最後のは何だ、怖いわ!


「皆、落ち着きなさい。話は大宮司様から全てを聞いた後に」


 ざわめき始めた場を抑えたのは、大宮司の左隣りに座る若い女性だった。
 その静謐ながらも芯に強さを感じる声は威厳があり、先ほどオレの半ズボン姿を要望していた女性とは思えない。
 彼女も大宮司や教祖とよく似ており、何らかの血の繋がりがあるのかもしれなかった。


「いつも済まんな『司』。まぁ、『工』と『飼』の思いはもっともであるが、それはこれから説明しよう。『進』は自重せよ、この者は我がL~%*にすると教祖の前で宣言したであろうが!」
「いひィッ! 申し訳ありません!!」


 『進』と呼んだ萎縮する白衣の少女を強く睨んだ後、大宮司はオレに目を向けて顎をしゃくった。
 自己紹介をしろということなのだろう。
 しょうがない。一ヶ月前に山頂で目覚めてから今までの出来事をかい摘まんで話すとしよう。


---


「さて、先ほどまでレンジが話していた事は全て事実だ、それはこの大宮司が保証しよう。その上で汝らに問う、この者が我がL~%*に相応しいかどうかを」


 オレの話を聞き、大宮司の宣言を受けて暫く黙っていた教団幹部達だが、やがて年長者らしく『飼』と呼ばれた眼光鋭い老人が手を挙げる。


「我が君が仰られる事に疑問は持ちませぬ。かの凶獣を呼び出す事も、時が来れば自ずと知れる。ただ、そこな者がオルトロス・チャイルドを一人で押さえ込めるかどうかは確かめさせて頂きたい。逃せば街に深刻な被害が出るでしょう」


 老人に続いて他の幹部達からも発言が続く。


「ああ、それは『護』の名を冠する僕も確かめないといけないと思う。自分の尻ぬぐいも出来ない人を姫様のL~%*と認める訳にはいかないよ」
「採用試験としては打倒じゃないかい? アタシとしちゃあ、%=“&デバイスから吐き出す物資とやらの方が気に掛るがね」
「ボクの兄さんになってくれるなら、手助けするよ?」


 大宮司の言葉を鵜呑みにするのではなく、まっとうな意見が出た事に安心する。
 多様な意見で穴を塞ぎつつ、変化を恐れず前に進む意思。
 それは組織として最低限備えていなければならない機能で、それが無くなった組織は内部から腐れ落ちていく。大幹部の服飾センスは最悪だが、一時的に身を寄せるのに問題はなさそうだ。
 ……ただ、さっき発言した白衣の少女も、やたらとオレを兄にしたがる少年も、凄く怖いので教育はしっかりやって欲しいと思う。


「汝らの意見は分った。ではどのようにしてレンジを試す? 此奴は我を凌ぐ怪力を身に宿しておるが、其方らは誰も我に敵わぬであろう? ……フム、我が本気の本気でレンジに挑むというのも一興か。力では負けたが鳳の如くと評された技、久方ぶりに――」
「「それは止めてください!!」」


 意見の割れていた幹部達が声を揃えて叫んだ。
 大幹部に万が一の事があったら大変だからその反応は分るが、それよりは別の事を恐れているような?


「僕の配下で最強と評される彼女を試し役としましょう。ちょうど神山に敵の侵入を許した罰を与えなければと思っていたところです。大宮司様と互角の脳筋ゴリ――っと失礼、強者との試合は十分な懲罰になり得る。一挙両得というものですよ。え、誰かって? ずっと君を監視していた彼女、近衛衛士隊長です」


 どうやら、力を示せという事になったらしい。




[43642] 20話 アムネジアでも戦いに酔う
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/12/06 14:51
 受けたいか? ということは横に置いて模擬試合は通過儀礼として妥当な所だろう。
 場所を幹部会議室から衛士達の鍛錬所に移し、オレの採用試験を行うことに相成った。

 移動する際に教祖サマがついて来ようとしたが、大宮司や他の幹部連中に押止められていた。貫禄は十分なのだが、あの赤紐で肢体を隠すだけの痴女スタイルは一般信者には刺激が強すぎるのだとか。
 幹部全員が自覚しているなら痴女スタイルを止めたらと思うのだが、そこは何らかの教義的な理由があるのだろう。藪をつついて蛇を出す趣味は無い。

 それより今は目の前で木刀を構え、戦意剥き出しの甲冑ウーマンに集中した方が良いだろう。


「こんなにも早く機会が回ってくるとはな……殺してやる鏖殺してやる孕んでやる血達磨にしてやるぞ!」


 ……もしかして彼女には雌カマキリの遺伝子が注入されているのだろうか?
 兜を外した彼女は大宮司に迫るほどの美貌を備えていたのだが、それを帳消しにするほど残念な発言が多い。なぜこんな女性が隊長という役職に就いているのか。
 先ほどの教祖サマの破廉恥な格好といい、やはり宗教関係者は頭のネジが一本飛んでいる。(偏見)


「おい、彼奴は事の目的が分っておるのか? 我には暴走しているように見えるのだが」
「えぇと、その、彼女は妄想癖というか思い込みが激しく――しかし、それ故に戦闘能力は近衛随一を誇ります。通常は優秀な副官を付ける事で制御しているのですが……ま、ま、彼女を乗り越えられたら誰もが彼を認めますよ」
「貴様……面白がっておるな? 聞いていたかレンジ! 遠慮は要らぬ、コテンパンにノしてやるが良い!」


 簡単に言ってくれるぜ、こちとらまともな試合は初めてだってのに。

 木刀を大上段に構えて威圧してくる甲冑ウーマンに対し、こちらは六尺ほどの棒を構えている。
 素手での勝負だと大宮司並の怪力を持つオレに有利過ぎるという事で、武器を用いた勝負と相成ったワケであるが、オレにはシャベルを扱った経験しか無い。使ったことのない木刀よりは形状が近い棒を選んだが――これが思いの外しっくりとくる。
 今持っている棒が『武器』として作られているのに対して、やはりシャベルはあくまで農工具という事なのだろう。用途に合わせた長さや重さのバランスはとても重要なのだと思い知った。


「双方とも準備は良いようですね。では……始めなさい」


 審判役を買って出た『司』の名を持つ幹部が試合の開始を宣言する。それと同時に奇声を上げつつ甲冑ウーマンが恐ろしい速度で打ちかかってきた。
 彼女の斬撃は昨日対峙したネズミ男の攻撃とは比較にならないほど鋭く、なんとか一歩左に避ける。
 すると地面に打ち付けられた木刀が、少なくない量の土を巻き上げた。

 ちょ、こんなん、まともに食らったら死ぬぞ!?

 避けたオレに不満を持ったのか、下段からの切り上げ、横殴りの斬撃、唐竹割り、と連撃を繰り出す甲冑ウーマン。その全てが一撃必殺の威力を持ち、驚くほど正確で迅速だ。
 奇を衒うことの無い正統な剣術。
 そこに隙は無く、また、下手に受けたら棒ごと粉砕される未来しか描けず、逃げ回ることしか出来ない。

 これが日々の訓練によって練り上げられた人の力……!!

 正直なところ侮っていた。
 この一ヶ月間、ずっと化け物どもと殺し合いを続けていたし、昨日は中型犬ほどの体躯を持つ猛獣も退けた。
 連中との生存を掛けた闘争に比べたら、ルールに護られた人との試合など余裕で乗り越えられる、そう思い込んでいた。
 だけど、目の前に迫る『死』に対峙してようやく目が覚めた。これは……己の全てを掛けて挑むべき敵だ!


「……雰囲気が変わりましたな」
「魔獣相手はともかく、人との争いに慣れておらぬのだ。これからが見物よ。貴様ら、目を離すでないぞ」
「ふーん……確かにね。さっきまではつまらなさそうにしてたけど、今はすごく楽しそうな貌になってきたじゃないか」


 脇で大宮司と幹部達が好き勝手なことを言っているが、集中が高まるにつれて周囲から音が消えていく。
 オレはどちらかと言えば技術者的な人種で、肉体言語で語る人間では無い。危険や痛みを恐れ、肉体を使うことよりも安寧とした状況で思考を巡らせる方が好きだと断言する。
 ――だけどなんだろうな。殺し合っているというのに、この心の高揚は! 生きているって実感は!!
 悪くないどころか凄くいい。
 そうだ……逃げ回るだけじゃなく、目の前の美しい獣と互角に殺し合えたらもっと良くなるに違いない。
 こんな風に!


「ッ、味な真似をっ」


 彼女の上段からの攻撃を棒の先端で受け、梃子の原理で棒の反対側の先端から放った一撃は、瞬時に反応されて頬を掠めるだけに留まった。
 上手くいけば意識を刈り取れる筈だったが、これでよい。彼女の連撃を停めるのが主目的だ。
 アンタの剣技は堪能したから、今度はオレの技を馳走してやる。

 オレは足を大きく前後に開き、両手で棒を支えて一端を彼女に向けた。
 対峙する相手の先制攻撃を許さず、躱すことを許さず、逃げることも許さない……与える選択肢は突き殺されるだけ。
 この一ヶ月、シャベルでモンスターを殺し続けたオレの基本にして必殺の構えだ。
 甲冑ウーマンは怪訝な表情を浮かべた後、同じように打ちかかってこようとした――が、何かを予感したのか飛び退いた。


「…………」
「貴様……ッ」


 もう半歩ほど踏み込んでくれたら棒の先端は彼女を抉っていた。
 思った通り勘がいい。よし、今度は此方から攻め込むとしよう。


「む、なぜ彼女は回り込まないのだ? 剣と槍では間合いが違う。隙を突いて飛び込まねば勝てないぞ」
「イヒッ! 『工』は見る目が無いデスねェ……その隙がないから後ろに下がるしかないのですよゥ」
「穂先を打ち払うにしても、外されたら突かれる……フム、これは勝負が見えたか」
「お兄さん……格好いい、教えて欲しいな」


 オレが攻めに転じてから、一歩足を進めるたびに、甲冑ウーマンが一歩下がる、という事を繰り返している。
 ギャラリーからすれば酷くつまらない展開だと思うのだが、見る人は見ているものだ。
 当然、目の前の彼女は追い込まれているのが分っていて、オレが一歩踏み出す毎に脂汗をダラダラと流している。
 もう少し頑張ってくれると思ったのだが、間と間合いを制された剣にこれ以上の期待は酷か。


「クッ……舐めるな下郎ッ、しぃィや!!」
「!」


 それは全身全霊を込めた剣の突き。
 狙いはオレが持つ棒の先端で、なるほど、棒をオレの手から弾き飛ばすつもりか。しかし、オレの握力を忘れたのか? 力比べならオレに分があるぜ。

 木刀と棒が一点で接触し、その衝撃に耐えられなかった彼女の手から木刀が弾け飛んだ。
 武器が手から離れたのだからそこで勝負ありなのだが……同時にオレが握る棒も砕けてしまった。
 どうやら力を入れすぎて握り砕いてしまったようだ。
 金属製ならともかく、練習用で強度も低い木製の棒はオレの握力に耐えきれなかったらしい。


「そこまで! ……この勝負、引き分けとします」






[43642] 21話 アムネジアでも食べるものは選びたい
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/12/06 14:52


「まだだっ、勝負はこれからだ!」


 そんな声と同時に顔の中心に衝撃を受けた。
 鼻の奥から流れ出す鉄錆味の液体に、顔面を殴られたのだと理解する。
 痛みよりは驚きが勝り、呆然と立ちすくんだ。

 終わりの合図があったというのに、コイツは何で……

 そんな疑問が浮かぶと同時に今度は鳩尾に強く鋭い衝撃を受ける。
 鉄製ブーツによる足蹴りの威力は凄まじく、横隔膜が痙攣、肺から空気が追い出されて呼吸が止まる。胃の中にモノがあったら吐瀉していただろう。
 続く頭への打撃、そして、打撃。
 拳の連撃は脳を揺らし、意識を朦朧とさせられた。
 更には背後に回られ、両腕でガッチリと体をホールドされる。
 持ち上げられて、景色が天上になり…………って、ジャーマンスープレックスはヤバイ、間に合えーーー!!

 体を拘束している両腕を引きはがし、両足を振って勢いを付け、なんとか頭からの落下を凌いだ。
 代償として胸を地面で強打し、のたうち回る。
 なんとも無様ではあるが、頭から落ちていたら脳漿をまき散らしていただろうから贅沢は言えない。


「この、動くなッ、大人しく私に殺されろ!」


 い・や・だ・ね!
 痛みで目を閉じているから分らないが、頭の近くで何かを打ち付ける音がする。
 恐らくは全体重を掛けたスタンピングで、動き回っていないと止めを刺されるだろう。
 つーか、幹部連中は何をやっているんだ。なんでこの暴走特急カマキリ女を止めないんだ!?


「近衛隊長、何をやっている!? 勝負は終わったんだぞ」
「っ、愚か者が!」


 そんな思いが通じたのか、ようやく周りが動き出す気配がする。
 しかし、甲冑ウーマンの殺人スタンピングは継続しており、彼らが到達する前にオレを殺すだろう。

 かなりキツいが、自分でなんとかするしかないか。

 頭を掠めたブーツ、それを掴み全力で引き寄せる。
 突然足首を引っ張られ、たたらを踏む甲冑ウーマン。その隙に酩酊する頭を無視してオレは立ち上がった。
 無論、彼女の足は掴んだままで、肩の高さまで持ち上げると甲冑ウーマンはバランスを崩して倒れた。
 形成逆転だな。


「貴様ッ、離せ、この、只人のくせに近衛隊長たる私をっ」
「し、った、事か! プロレスがやりたいってんなら相手してやるぜ。さんざ好き勝手したんだから今度はオレの番だろうが!」


 オレを蹴飛ばそうと出してきたもう片方の足を掴むと、両脇に抱えてぐるぐると回転する。
 全身鎧を着ているから中々に重たいが、こんだけスピードが乗れば結構飛ぶかもなぁ! がーはっはっは!!
 ……ってか、頭殴られて脳味噌グラグラしてんのにジャイアントスイングはきつい。とっとと投げちゃおう、てい。


「きゃああああぁぁぁぁ…………ぐべぇっ!」


 うーむ、5メートルは飛んだか。
 なんか、女性が出してはいけない声を聞いた気がしたけど、自業自得ということで。


「大丈夫か、レンジ! いや答えずともよい、直ぐに医務室へ運ぶゆえ横になれ」
「ああ、わるけど後は任せた。頼むからあんまりアイツを責めないでくれよ? 真剣勝負で気を抜いたオレが悪いんだから…………」
「馬鹿者っ、そんな事より自分の心配を、レンジ! ……気を失ったか。おい、貴様ら突っ立っておらずに手伝え! 『医』の字、此奴の治療、頼むぞ」


 揺れる視界にエコーされたような声が混じって凄く気持ち悪い。こんな時は寝るに限る、お休みなさい。



---



 起きたのは昼を大分過ぎた時間だった。
 ベッド近くの窓から差し込む光に少し陰りがあるし、腹の減り具合がそれを教えている。

 真っ白な天井しか写さない視界を横にすると、机に向かって書類仕事をしている少年が写る。
 幹部8人の内の1人で、何かとオレを兄にしたいと発言していた少年だ。
 こうして静かに仕事(?)をしているだけなら、ショタコンのお姉様方を魅了するだろうネコ耳付きの美少年なのだが、性根がカオス過ぎてお近づきになりたくない筆頭だ。
 そんな複雑な目で彼を見ていると、気付いたようで笑顔をオレに向ける。


「よかった! 気付いたんですね、兄さん。気分はどうですか? 違和感を覚える箇所はありませんか? 目立つ場所は治療したのですが、打撃は体の中に残りますからね。遠慮無く言ってください」
「ああ、ありがとう。君は……」
「僕は教団の医療を司る、『医』の宮司です。幹部の中では一番若いですが、医療に関しては教団随一を自負しています。兄さんの治療は完璧に行いますので安心してください」


 どうやら怪訝そうな表情をしていたらしく、気を回させてしまったようだ。目の前の少年は10歳を少し越えたくらいにしか見えないとはいえ、少し反省する。
 事実、出ていた鼻血は鼻の奥まで綺麗に拭き取られているようだし、張られた湿布は打たれた箇所を的確に捉えている。また、巻かれている包帯は緩くもなく、キツくもなく適切だ。


「……痛みが酷いところは特にないし、気分も悪くない。『医』の宮司といったか、君は腕がいいんだな」
「兄さんの為に張り切りました! ……えへへ」


 そう言ってはにかむ少年の様子を見ていると、「兄」とは何なのかと聞くのが野暮に思えてくる。それより今はアイツの事を聞かないと。


「甲冑ウーマン……じゃなくて、近衛隊長はどうなった? それなりにぶっ飛ばしたから怪我をしてなければいいんだけど……」
「むぅ、あんなに酷い目に遭わせた相手を気にするなんて兄さんは優しい人ですね。安心してください、命に別状はありません。未だ目を覚ましませんが、それは兄さんに投げられた所為では無く、昨日徹夜したからでしょう。そのカーテンの向こうで寝ていますよ」

 言われてカーテンをめくると、そこには幸せそうな顔で寝ている近衛隊長があった。確かに怪我は何処にも無く、呼吸も安定しているようで安心する。
 それしても徹夜って……オレをずっと監視していた為か? それで妙に情緒不安定でハイテンションになっていたとか……あり得るな。


「兄さんはあまり責めないように大宮司様に言っていたようですが、信賞必罰を明らかにしなければ組織は立ちゆきません。特に幹部命令の無視は駄目ですね、かなり大目にみても3ヶ月の減俸、そして1ヶ月のトイレ掃除という罰が下されるでしょう。あと被害者の兄さんには彼女を好きに出来る権利をあげちゃいます。孕ませてもいいですよ?」
「いやいやいや、何を言っているんだ君は! 冗談にしたって口にして良い事と悪い事があるぞ」


 不思議そうな表情で僕は本気なんですが、と呟く少年を苦々しく思う。
 いくら文化が違うとは言え、変な方向に染まりすぎだ。この教団、若しくは国の倫理教育はどうなっているのか。

 ため息を吐いていると腹の虫が大きく鳴った。
 そういえば昨日から何も食べていない。久しぶりにまともな料理を食べたいという欲求はあるが、幹部殿に食い物をねだるのも何だし、ポケットに入っているカロリーゼリーで緊急避難といこう。
 破れること無くポケットに収まっていたカロリーゼリーを取り出すとキャップを外し、口に咥える。
 うーん、マスカット味のエネルギーが体に染み渡る。心なしか甲冑ウーマンから受けた傷の痛みも消えていくようでありがたい。


「あー、何勝手に変なモノを食べちゃってるんですかっ、兄さんは病人なんですから、医者である僕の指示に従ってちゃんとしたものを食べて貰わないと!」
「ゴメンゴメン、腹が減りすぎて我慢が出来なくてさ」
「それは没収です! 全くもう……あれ、兄さん、顔の傷が……え、これは……な、何が、こんなこと……」


 少年はカロリーゼリーを咥えるオレの顔を見てキョトンとした表情になり、次いで凄い勢いでオレの体を触診し始めた。
 邪魔すると怒られそうだから静かにしているが、小さい手でぺたぺたと全身をまさぐられるのはあまりよい気分では無い。これが女の子だったらなーと思ってしまうのは、オレが汚れた大人だからだろうか? ……記憶喪失で年齢不詳だけど。

 やがて一通りの触診を終えたのか、少年はオレから離れると頭を抱えて唸りだした。
 心配になって声を掛けようとすると、それより先に顔を上げて鋭い視線でオレを射貫く。


「……兄さん、貴方は何を食べたのですか?」
「何って……単なるカロリーゼリーだよ。まぁ、ガチャで出てきて、ラベルも何も張っていないからソレっぽい何かかも知れないけど、腹が膨れるからそうなんだと……」


 医の宮司は無言で手鏡をオレに突きだした。顔を見て見ろということなのだろう。
 そこには山頂の池で顔を洗う度に見てきた何の変哲も無い自分の顔がある。そう、いつもと変わりない傷一つ無い自分の顔が。


「先ほどまで、兄さんの鼻は赤く腫れていました。絆創膏を貼るまでもない小さな傷もあった。それが今……綺麗に消えている。顔だけじゃない、全身にあった筈の傷が全て癒えているんです。兄さん、それは、いったい何なのですか?」


 今もオレの手の中にある小さな銀色のパック。
 この一ヶ月間、オレの命を繋いだ見慣れたはずのモノ。それが、急に妖怪時計と同じく異様なモノに見えた。




[43642] 22話 アムネジアでもアレな病気は怖い
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/12/27 17:13

 オレがこの1ヶ月間、食べ続けたものは何なのか?
 よくよく考えれば何の表示もされていないゼリーを食べ続けるって馬鹿だ。選択肢は他にいくらでも……ないか、オレは白カラス先輩達をどうこう出来るほど傑物ではない。

 何にしてもカロリーゼリー改め『ヒールゼリー(適当命名)』に傷や体力を回復させる効力があるなら、オレが短期間で非常識な怪力を得たのも頷ける。
 山頂では食事や睡眠といった時間を除くとずっとシャベルを振るっていた。
 モンスターに殺されるのは嫌だったし、自身を成長させる――技術を磨く時間は楽しく、修練にのめり込んだ。
 正直なところ、記憶喪失な自分と、ずっと一人で居続けなければいけない状況に現実逃避していたんだと思う。
 筋肉痛は食事を取ると不思議と感じなくなったので、早朝から深夜まで我を忘れてシャベルを振り回し続けた。そして超回復を短期間で繰り返した結果、驚異的な筋力を持った改造人間が爆誕したというワケだ。
 てっきり妖怪時計の仕業だと思っていたんだけど、ヒールゼリーのおかげと考えた方が腑に落ちる。


「成分が何なのかは分りませんが、兄さんが経験したことを纏めると、体を治癒させる効果があることは確実ですね……凄い! 一つだけでよいので僕に頂けませんか? 再現できるかどうかは分りませんが、これは僕たちの医療を飛躍的に発展させる糸口になるかもしれません」
「あ、はい……こんなものでよければ。足りなくなれば言ってくれ、全部とは言えないけど少しは融通できる」
「ありがとうございます!」


 取りあえず予備としてポケットに収まっていたヒールゼリーを差し出すと、少年はそれを恭しく受け取り、ポータブルの保温庫らしきものに収めた。後で分析なり、再現の為の実験でもするのだろう。オレとしても中身がよく分らない物を食べ続けるのは嫌なので、分析してくれるのは有り難い。

 さて、怪我の治療も済んだし、ヒールゼリーについても話はついた。まだ月が昇るまでは時間があるし、これから何をすべきだろうか?
 そんな思いが表情に出ていたのか、目の前の少年が助け船を出してくれた。


「もう少し此処でお待ちください。兄さんが目覚めたことはコールボタンで大宮司様にお知らせしましたので、すぐに迎えが来ます。僕としてはもう少しお兄さんとお話ししたいところなのですが、大宮司様に止められていまして……あ、誤解しないでくださいね。直接、ご自身の口から伝えたいとの要望でして」
「そう、か……この街の事とか、これから何をしないといけないとか、あと御神体についても……聞きたいことは沢山あるんだけどな。しょうがない、大宮司サマに聞くことにするよ」
「申し訳ありません。僕も昼休みが終わるので医局に戻らないと。やはり大宮司様とお話し頂く方が良いと思います」


 色々と世話になった少年にこれ以上迷惑を掛けるのは気が引ける。それに上役が話すと言うのだから従った方が良いだろう、彼女とは直接話したいこともあるしな。
 彼自身、教団の医療部門のトップで忙しいらしく、挨拶して部屋を出て行った。

 しかし、どれくらい待てばいいのか。
 ただ座っているだけじゃ暇なので、自分が今いる病室を観察してみることにする。

 部屋の作りは至ってシンプルで、少年が座るには少し大きい椅子と机、ベッドは2床でカーテンに仕切られている。照明は蛍光灯で、今は消えているが昼なので窓から差し込む光で十分だ。壁は白いコンクリート、床は特徴的な光沢を発していてリノリウム製だと思われる。
 少なくともオレの知識にある日本の病室と遜色ない設備で、国外の病院でも多くが似たようなものだろう。
 これであんなモノがなかったら、此処は地球じゃないかもなんて疑わないんだが……。

 何度目が覚めても窓の外にはあの非常識で巨大な構造物――船がある。
 少なくともオレの知る21世紀にあんなモノはなかったワケで、畏れ半分、好奇心半分て、ところだ。
 勝手に口から出た『超弩級星間航行船』という言葉は意味不明で、しかし、それが無意識に出たって事は、未だ戻らないオレの記憶と何らかの関係があるに違いない。
 時間が掛ってもこの場所でアレを見極めなければいけないという気がしている。


「ここか、入るぞ! ……なんだ、元気そうではないか」
「大宮司サマか、無様な姿を見せてしまったようで……君の何とかになるって話は立ち消えかな?」


 走ってくる足音が聞こえたと思ったら勢いよく引戸が開き、大宮司サマが顔を出した。
 やはり目のやり場に困る衣装はそのままで、気恥ずかしかを隠すためにそんな言葉を発してしまった。


「馬鹿な事を言うでないわ! そこな愚か者を止められなかった我らにこそ責がある。済まなかったな」
「いやいや、真剣勝負の中で気を抜いたオレがどう考えても駄目駄目だ。凄く痛かったけど……良い勉強になったよ」


 なーにが、『もう少し粘って欲しいものだな(キリッ)』だ!
 声に出さなかったからいいけど、他人に聞かれていたら恥ずかしくて憤死しとるわ! 腹を切るわ!!

 ……言い訳をさせて貰えるなら、人と試合をするのは初めてで止め時を見誤った。いつものモンスター相手なら話が通じないので殺すまで戦うのだが、理性をもった人間を殺すわけにはいかず、勝負がついたと勝手に思って武器を下ろしてしまった。


「『司』の宣言に従っただけであろう?」
「そうなんだけど……真剣勝負なら、2人の間で合意があって試合を止めるべきだろう。そこに審判は関係ない」
「我にはよく分らぬ考えよ、やはり其方は変わっておる。が、嫌いではない。で、そこなベッドで目を回しておる奴の生殺与奪権は其方が握っておるわけだが、どうする? 殺すなり犯すなり好きにして構わんぞ、我が許す」
「別にどうもしねーよ! なんでお前らはオレを種馬にしたがるんだ!?」


 そりゃあ1ヶ月の禁欲生活で溜まっていることは否定しない。大宮司や甲冑ウーマンみたいな美人でスタイルも良い佳人を前にすれば欲情もするさ。
 しかしそれを実際に行動に移すかどうかは別次元の問題だ。
 それにハッキリ言って病気が怖い。日本とは全く別の、もしかしたら地球じゃないかもしれない土地で濃厚接触するとか自殺行為だろう。
 日本に今ある性病だって、放置すればアレが腐り落ちるくらいのヤツもあるし、進行すれば全身が腐敗する。
 現地の人間だけが免疫を持っていて、フォーリナーは全く無防備って病気が絶対にある筈だ。

 そこのところを蕩々と説明すると、大宮司の顔色が青くなった。グロい話も多分に含んでいたから想像して気持ち悪くなったのだろう。
 これに懲りたら軽はずみな言動は慎んで貰いたいものだ。
 オレは良識のある大人(?)なので、アレに関わる言葉を若い女性や少年がアッケラカンと口にするのは名状しがたい違和感がある。


「そ、そうか、そうだな! 其方、一度精密検査を受けるがよい。これから此処に住むのだから予防接種は必須であろう。話は『医』の字に通しておく故、必ず受けるのだぞ。絶対に、間違いなく、最優先で、受けるのだ!!」
「お、おぅ……まぁ、オレみたいなフォーリナーが現地に病気を持ち込む事もあるし、変な病気を持っていないか確認するために検査は必須だろうさ」


 フォーリナーと言えばあのネズミ男の返り血を被ったんだから、大宮司も検査しておいたらどうかと聞くと、大宮司の顔色は青を通り越して白色に近くなり、オレを置いて病室を飛び出していった。

 ……どうやら、今後の話をするのは随分と後になりそうだ。





[43642] 23話 アムネジアでも達人は怖い
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2020/12/27 17:12
「まったく……落ち着きのない大宮司サマだな」


 仮にも組織の幹部というならもうちょっと落ち着ついて行動して欲しい。そんな感じだから色々と疑いたくなるのだ。先ほど幹部達に見せた威厳は凄かったが、ドタバタと廊下を駆けていく様は外見相応のティーンエイジャーでしかない。


「そうだな。しかし、ああいった隙を見せてくれた方が担ぎ甲斐がある」
「!!」


 突如として発された声に体が硬直する。
 既に少年と大宮司は退席しており、部屋にいるのは意識を失った甲冑ウーマンを除けばオレだけだったはず。なのに、背後から発せられた声に心底驚いた。
 ゆっくりと振り向くと、オレの寝ていたベッドに腰掛ける老人の姿があった。
 たしか大宮司に『飼』と呼ばれていた眼光鋭い幹部で、何かとオレに否定的な意見を出していたヒトだ。
 問題はそのヒトが誰にも気付かれずに部屋の中にいたということで……しかし、本当にどうやって? 部屋を仕切るカーテンに隠れていただけか? だが、音も、匂いも、温度さえも……さっき声を出すまで本当にヒトが存在している気配がなかった。
 彼がその気ならオレは確実に害されていただろう。


「そう警戒するな……少し観させてもらったが、お主の性根は悪人ではないらしい。善人でもないがな。『先』や『工』、『医』といった職人に近い人種であるように思う。なれば儂にお主を害する理由はない」
「…………貴方は」
「む、そうか、まだ名乗っていなかったな。儂は『飼』の役割をもつ宮司よ、教団のために……まぁ、色々とやっておる。教祖様は人使いが荒いのでな」


 それはオレのような不審者の始末も含むということか……突然現れて大幹部の近くに配され、しかも厄介な機能付きとくれば当然ではある。どうやらこの御老人が言う「色々」の中には組織の保安も含まれているらしい。
 しかもさっき見せた気配の消し方から察するにエキスパートって感じだな。少なくともオレや甲冑ウーマン程度では歯が立たないだろう。
 要するにオレの命は目の前の老人に握られているって事になる。藪を突いて蛇を出してしまったか……? だが、こうやって話しているってことは交渉の余地があるという事だと思いたい。


「貴方の目的は?」
「さて、先に言ったとおり儂も忙しい身だ……一番の目的は果たしたのでな、退散しても良いのだが―― 先ほどの遊びの結果を鑑みるにオルトロス・チャイルドを任すのは不安よ、追試といこうではないか」


 本来なら『護』の仕事なんじゃがの、と呟く『飼』の宮司にオレは安堵した。少なくとも問答無用で殺されるって状況ではないらしい。
 しかし、同時に羞恥も覚える。彼のような実力者から見ても、あの試合は無様であったということだ。もしかしたら慢心も見抜かれていたかもしれない。
 汚名返上の機会を貰えるのであれば、喜んで追試を受けよう。


「まぁ、お主の身の上からすれば理不尽に感じるかもしれん。しかし――」
「いえ、大丈夫です。何かを得たければ相応の何かを捧げなければならないって事は子供でも分ってる理屈だし、理不尽を覆せるのは自身の力だけって事も弁えています」


 納得はできていないけど、対抗する力を身につけなければ座したまま殺されるだけだと、あの山頂の一ヶ月でオレは学んだ。そしてオレはまだ死を受け入れるつもりはない。少なくとも記憶を取り戻さない限り、生を諦めることはないだろう。

 『飼』の名を持つ老人は一瞬だけ鋭い眼光を放った後、ベッドを迂回してオレの横を通り過ぎ、そのまま病室を出て行った。

 これはオレに付いてこいという事なのか? いつも思うんだけど歳を重ねたヒトは一言少なくて分りにくい。
 オレは慌てて老人の後を追った。



---



 『飼』の宮司に連れてこられたのは、先ほどの試合で使った訓練所だった。先ほどとは違って衛士達が訓練を行っているようだ。
 教団幹部が現れたことで、訓練に精を出していた衛士と思われる人達が手を休めて此方を覗うが、御老人が何でもないと手を振ると再び訓練に戻る。


「それで、追試とは何をすれば良いのですか?」
「……文月、葉月、長月、おるか?」


 オレの質問には答えず、御老人が手を叩いて誰かを呼ぶと、訓練をしていた衛士達の中から3人が進み出た。いずれも強面で甲冑ウーマンに負けず劣らずの暴力的な雰囲気を醸し出しており……しかし、彼らも頭の上にネコ耳を生やしていた。

 くっそぅ、幹部だけだと思いたかった! そのギャップは何なんだ、突っ込み待ちか? ツッコミを待っているのか? いくら文化とは言え、オレの我慢ゲージも一杯一杯なんだが!?
 ……因みに言い忘れていたが、今まで出会ったネコ耳装着人類の側頭部には、ちゃんとヒトの耳がある。耳が4つある哺乳類なんて、いかにオレが寡聞であったとしてもあり得ないから、アレは絶対にファッション――いや、教義の類いなのだ。教団、恐るべし!

 そんなワケで、オレが必死にポーカーフェイスを作っていると、『飼』の宮司は呼び出した3人になにやら指示を与えたようだ。
 うん? なんか指示を受けたサマーカレンダートリオから凄い敵意を感じるんだけど……。


「先ほどの質問への答えだが、お主にはこの三人を相手に戦ってもらう。いずれも魔獣を相手に実戦を経た者達だ。我らの氏族は三人一組で魔獣の討伐にあたり、無傷での帰還をよしとする。無論、お主が戦ったというオルトロス・チャイルドであってもな。つまり、この三人を相手取って傷を与えることがお主を認める条件だ」
「なっ? ちょ、ちょっと待った、三人同時に相手をしろと!?」


 てっきり順番に試合するものだと思っていたら、まさかの3人相手のバトルロイヤルを提案されるとは。
 山頂でのモンスターとの戦いは常に一対一だったので、多数を相手に戦った経験はない。いきなりの高難度戦闘を持ちかけられ、オレは大いに慌てた。


「それとな、文月達にはお主が大宮司様のL~%*になることを伝えておる。この教団にいる多くの者が望む立場だからな、只人が優先されるとはいえ、奴ら凄まじく憤慨しておる。大宮司様の勅命ではあるが、相応の力を見せなければ彼奴らも、他の者達も納得できまいよ」
「なんの慰めにもなっていないんですが……必要性は理解しましたけど」
「儂が相手をしても良いが、手加減はできんぞ?」
「それは勘弁してください!」


 小さな老人の体から吹き上がった、敵意というか殺意というか不可視の何かに肝が冷えた。周囲を見ると呼ばれた3人も顔を青くしているのでオレの気のせいではないだろう。
 何にせよ、これで3対1の試合は決まったようなものだ。

 あの変態構造物に興味を持ったが為に色々な困難が群れをなしてやってきている気がする。困ったことになってしまったぞ。





[43642] 24話 アムネジアでも悲しくなるときはある
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/01/10 00:43

「アンタに恨みはねーが、腹は立っている。大宮司様は俺らの女神だからな」
「どこ馬の骨だ貴様……ぶっ殺してやらぁ!」
「…………ぐぅるるる、ふしゅ~、ぶふぅ~」


 うぅ、サマーカレンダートリオからの殺気が凄まじい。
 上からボディビルダー、細マッチョ、百貫デブって感じで、いずれも眼光鋭くオレを睨んでいる。試合にかこつけて殺しに掛ってきそうな勢いだ。
 再び御老人に目をやると満足そうに頷いており、この勢いを止めることは出来ないだろう。
 それにしても3対1か……いかにオレの腕力が強くても不利だ。しかもモンスターとの戦いに慣れているとくれば、ほぼ勝ち目はない。

 多数で標的を囲む有利性は『死角』を得られるという事だ。
 なにせ大抵の生物は後ろに目がなく、前方180度の外に出られたら途端に感知が困難になる。次点として音や匂い(更には体温)で後方を感知するという術はあるものの、“見る”という光速に対して、空気を媒介にした感知は音速を超えることはない。対するヒトが攻撃に要する時間は1秒未満だ。大抵は感知と同時に殺されている……なんて状況が出来上がる。
 これが武道の達人であれば経験と勘所で後方からの攻撃を躱し続ける事ができるかもしれないが、こちとらシャベルを振り回して一ヶ月の若輩者だ。
 故に最も有効な対応策は、多対一の状況に追い込まれないように立ち回る、が正解なのだが、まさか採用試験でその状況に追い込まれるとは予想できなかった。


「決着はお主が戦闘不能となったとき、もしくは文月達に一撃を当てたならとする。後はそうさな……その一角、10m四方の白線が引かれている内側で戦うのだ。その線の外側に出たら負けとする」
「!! そんなの袋だたきにされるだけじゃ――いや、そういうことか」
「うむ、この広い訓練場を逃げ回られては興ざめするのでな。正々堂々、打ち破ってみせよ」


 白線を背にして立てば、先ほど述べたような死角は生まれないので一方的にやられることはない。ただし、真っ正面から3人を相手するのも結構な状況だ。なにせオレの腕は2本しかないのに相手は3倍の手数、ほぼ面といっていい攻撃手段がある。その上――


「宮司どの、武器の使用許可を。実戦を想定するのであれば当然でありましょうや」
「…………現在、身につけているものに限定する。魔獣用の投網まで使っては試験にならぬからな」


 ああもう、オレを袋叩きにしたい欲が凄いな! ……それだけ彼らは大宮司サマを慕っているのだろう。
 接した時間が短いオレでさえ、とても魅力的に映るから信者が熱狂する気持ちは分る。
 彼女の側に居られるという立場は垂涎の的だろう。そこになんだかよく分らない男が割り込んだのだから怒って当然だ。
 しかし、譲るつもりは全く無い。
 不純かもしれないが、オレには大宮司サマとお近づきになるための理由がある。
 オレの失った記憶に絡むであろう、あの変態構造物。
 『御神体』と呼んでいることから察するに、よそから現れた不審者がおいそれと触れる事は許されないだろう。しかし、教団の幹部は別だ。アレと手っ取り早く接点を持つには教団幹部と近い立場になるしかないのだ。そして、そのための労は惜しむつもりは無い。命だって懸けてやる。


---


 オレ達は御老人が指定した白線の内側に移動した。
 目の前の3人は訓練の時に使っていたであろう剣、槍、斧を構えている。いずれも木製だが、強打されたら骨が砕けるだろう。
 対するオレは“素手”だ。御老人が宣言したときに何も持っておらず、武器の貸与要求も拒否されてしまった。
 どうやっても勝たせたくないようだな。


「お主が自分で言っていたことよ。理不尽に打ち克つ力、見せて貰おうではないか」


 ……どうやらあの余計な一言が御老人の勘所に触れてしまったようだ。
 久しぶりにヒトと話すという浮ついた状態が迂闊な一言を、しいてはこの状況を産んでしまったのか……反省しなければ。だけど今は目の前のコトに集中しよう。

 御老人が片手を上げ、勢いよく下げるといった合図と共に3人が襲いかかってきた。

 剣を持ったボディビルダーを中心に、向かって左側に槍を構えた細マッチョ、右側にデブの斧使いという配置だ。
 ならば――こうかな!


「てめぇっ!」


 オレは白線を背にするという無言のお約束を捨て、剣を振りかぶるボディビルダーに向かって突貫した。
 事前の会話から向かってくるとは予想できなかったのか一瞬だけ動きが止まるも、振り下ろす剣の勢いは止まらない。横の2人も直ぐに軌道を修正して武器を繰り出してくる。

 そう、それだ。
 仕込みは上々、オレに向かって3人の武器が重なるこのタイミングが欲しかった。

 オレは頭蓋、胸、腹に向かって振るわれた武器を、地面に伏すようなスライディングで躱し、くぐり抜ける際に手に持ったモノを振るった。
 オレの手から飛んだソレ――紐の両端に重りが付いたアメリカンクラッカーと呼ばれるモノは3人の武器に絡みつき、自由を奪った。


「っんだとぉ!」
「この……卑怯者、っが!?」


 あとは後ろから蹴りを入れるだけ。
 見様見真似で放った大宮司サマの得意のヤ●ザキックは、オレを卑怯と罵った細マッチョの体幹にヒットし、勢いよく吹っ飛んで白線の外に出た。
 ルールに従えば勝負ありって所だ。しかし――


「ふしゅわぁらあららら、ぐぉもおお!!」


 結果を不服に思ったのだろう百貫デブが武器を捨て、巨体を活かしたぶちかましを仕掛けてきた。
 先ほどは武器を避けるのに役立った己の小さな体躯であるが、目方250kgを越えるタックルを受けたなら体が訓練場の壁まで吹っ飛ぶに違いない。

 そう、何もしないならなっ! 此処はあえて挑戦させて貰おうか!!


「馬鹿な……葉月の巨体を真正面から受け止める、だと……俺は夢でも見ているのか」
「大宮司様並の怪力とは聞いていたが……フム、それだけではないな。面白い」


 大きな肉の打ち付ける音が静まると、オレの足はくるぶし近くまで埋もれていた。
 がっぷり組んでいる目の前の巨体からの圧力だけではこうはならない。
 自分の爪先蹴りで地面を浅く削り、出来た窪みに踵を引っかけてぶちかましを受けたからこうなった。この時ほど爪先まで鉄板が仕込んである安全靴を履いていて良かったと思ったことはない。
 さて、この運動エネルギーを失った巨体をどうするか……そうだな、見た目が昔見たあの漫画の敵キャラに似ているし、彼を倒したあの技を再現してみるか!

 自身の腹肉が邪魔になって届かない百貫デブの腕を尻目に、オレは連続で拳を叩き込み始めた。
 本来なら足でやるものだし、あんな人知を越えた速度は出せないが、腹肉が波打っているからこのまま続ければ分厚い脂肪を貫くことも…………あれ? 倒れちゃったぞ。

 倒れた彼の顔を覗き込むと、白目を剥いて酷く苦しげな表情で気絶していた。

 …………そりゃあ、内蔵の前にある筋肉、脂肪も、皮膚にも神経が通っているから当然か。
 想像通り、大きくて、重い、実に叩き甲斐があるサンドバッグだったんだけどな。


「えぇっと……文月さんでよかったかな? 蹴っ飛ばした長月サンは腰を押さえて悶絶しているし、サンドバッグにしてしまった葉月さんもこの通り気絶している。まだ、続ける気はある?」
「小僧が……舐め腐りやがって。よくも俺の仲間を」
「因みにオレの握力は石を砂利に変える。アンタの頭蓋骨は石より硬いかな?」
「あっ、スミマセン。俺らの完敗です、勘弁してください!」


 仲間を倒されて怒り心頭の様子だった彼だが、地面に落ちていた木製の斧を拾って握り潰すと、慌てて白線の外に出て仰向けに寝っ転がり、両腕を孫の手状にして腹を見せた。
 いわゆる負け猫のポーズである。
 ……もしかしてこれがこの文化圏における最大級の謝罪なのだろうか。いくら頭にネコ耳を付けているからといっても、そこまで猫をリスペクトする必要はなかろうに。

 大の大人が晒した土下座よりみっともないその姿にオレの戦闘意欲は完全に萎えてしまった。元から一撃を当てるって勝利条件は達成しているし、もうこれってオレの勝ちでいいよね?
 ずっと横に立って観戦していた御老人を見やると、そんな衛士の負け姿に頭を抱えてしまっている。頭を抱えたいのはこちらですけどね……。





[43642] 25話 アムネジアでも邪魔をされたら怒る
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/01/10 05:50
「やれやれ、街の守護たる衛士がこのような醜態を晒すとはな……引き継いで後、『護』の奴はどのような教育を施しておったのだ」


 頭から手を離した『飼』の宮司が暗い表情で不満を口にする。
 こんな姿を見せられては当り前か……。
 今も負け猫のポーズを崩さないボディビルダー(ネコ耳付き)は見ていて辛い。もしかしてオレが降参を受け入れなければこのままなのだろうか?

 助けを求めるように御老人に視線を向けると、暗澹たる表情のまま彼らに向かって何かの合図をする。
 すると、降参のポーズを取っていた文月さんはすぐさま起き上がり、悶絶している長月サンを抱き上げて素早く退散していった。
 息苦しそうにうめいている葉月さんも、遠巻きに眺めていた衛士達が数人がかりでその巨体を支えて訓練場から出て行った。


「馬鹿者どもめ、聖地に敵の侵入を許したのも不注意だけではないな。訓練のやり直しだ! まったく……儂の手間ばかり増やしおってからに」
「あの、宮司サマ、オレの追試は……」


 ほうっておくと、オレを無視したままどんどんヤバイ方向に進んでいきそうで、激高する御老人に恐る恐る声を掛ける。
 彼らの名誉のために言っておくが決して弱くはなかった。少なくともグレ●リンタイプのモンスター以上の戦闘能力を持ち、更には連携もとれていたのだから、思惑に沿って正面から勝負していたら袋叩きにされていただろう。
 オレが勝てたのは、上手く意表を突けたのと、複数のモンスターを相手することを想定して作っておいた道具によるところが大きい。初手を間違えていたら立場は逆になっていた。


「追試か……文句なしの合格よ。3対1という不利な状況でありながら、恐慌に陥らず、勝つための筋を見定め、的確な行動を取って勝利した。言うのは容易いが、多くの者が不利な状況に追い込まれた時点で諦める。伝達古語で言う『無理ゲー』だの『クソゲー』などとほざいてな。自らで活路も開けぬような愚物を大宮司様の側には置けん。お主がそのような者であれば斬っていた。試練を受けぬ意思を見せておれば論外だ」
「……ありがとうございます」


 オレは内心の動揺を隠して平坦な声で礼を言った。
 あのとき、病室で追試を受ける意思を示さなければ、そして追試の内容を聞いて怯んでいたら、目の前の御老人に殺されていた――ということだ。
 今更ではあるが途轍もなくやばい組織に関わってしまった。
 判断一つ間違えば即、命を失うとか昭和の任侠世界でも中々ないだろう……封建時代の武家社会並か?
 山頂で大宮司サマが敵の首を容赦なく刎ねていた時から想像していたものの、改めて幹部の口から『斬る』と言われると心にクるものがある。
 ホントにもう、平和の2文字しかない現代日本に帰りたい……が、それを表情に出したら御老人は容赦なくオレを斬るだろう。必死にポーカーフェイスを保つ。


「追試結果に文句は無い。ただな……思ったよりお主は骨のある人物のようだ、先ほどの追試では全てを計り切れん。そこなボンクラどもを当てがっても意味が無いのでな、儂がお主の相手をする」
「ちょっ……!!」


 そんなんありか!? という喉までせり上がった言葉を飲み込む。
 オレと同じく160cmに届くかどうかという小さな体躯でありながら、発される迫力はこの場にいる衛士のどれよりも強い。もし対戦相手として、この訓練所全ての衛士と目の前の御老人のどちらかを選べと聞かれたら、何の躊躇いもなく前者を選ぶだろう。
 なんか背後に阿吽の仁王像を背負っている(ように見える)御老人に、死を予感したが――助け船は然るべき所から出された。


「我は幸せ者よな、教団の未来を憂いて行動する者が多くおる。しかし、同時に悲しくもある。大宮司たる我の決定を差し置き、独断で行動する者があまりにも多すぎる。粛正も致し方あるまいて」
「こ、これは大宮司様、いやこれは決してあなた様のご判断を軽視したのではなく――おい、お主からも何か言って取り直さんか!」


 突然、修練場に現れた大宮司に、背後に背負った仁王像を霧散させて『飼』の宮司が大いに狼狽える。
 なんだろうこの変わり身の早さは。それほど大宮司サマのいう処罰が怖いのか……? だけどまぁ、彼に借りを作るこの状況を逃す手は無いな。


「えーと、大宮司サマ? この追試はオレから言い出したことでして……ホラ、さっきは情けない姿を見せちゃったから、汚名返上の機会をお願いした次第でありますよ」
「む、其方が望んだというのであれば仕方ない……しかし、独断の責は負って然るべきよ。教祖のご尊顔、10秒直視を以て贖いとする。本来であれば60秒とするところであるが、レンジの提言に感謝するがよい」
「……寛大な処置に感謝します」


 大宮司に見えない角度で親指を立てて拳を突き出す御老人に、脱力させられそうになるも無事に貸しを作れたようで安堵する。
 これでよほどのヘマをしない限り、即座に殺されると言うことはないだろう。
 しかし……教祖の直視が罰になるって何なんだ。そりゃあ、あの艶姿を直視して鼻血でも出したなら幹部として威厳もへったくれもなくなるってのはワカるけどさ。
 周りの衛士達も『飼』の宮司への処遇に表情を青くしているので、対外的にも思い罰と認識されているようだ。
 もしかしてこの教団には童貞しか居ないのかもしれない……って、そりゃあ酷すぎる偏見だな。


「驚いたぞ、病室に戻ってみれば何処にも姿が無い。検査を最優先で受けるよう、申しつけたであろう?」
「それは、まあ……悪かったよ。アイタタ……ヘルクローは勘弁してくれ」


 もはや挨拶になってしまった握力比べも、全力で仕掛けてくるからタチが悪い。そこの羨ましそうにしている衛士諸君、代りたいなら申し出たまえ、喜んで交代してやる。
 そんな冗談はそこまでにして、だ。


「もう、月がでるまで時間がない。昨日みたくオルトロス・チャイルドが出てきたら病室を滅茶苦茶にしちゃうからな、アレ対策に作った道具の使い具合を兼ねて追試を申し出たワケだ。思ったよりキツかったけど、自信にはなった」
「なるほどな……して、勝機は?」
「90パーセント。君やそこの御老人に手伝って貰えれば100%って言えるんだけど、今回はオレ一人でアレと戦う。いくら追試で認めて貰っても、本番で下手を打つようだと信頼はして貰えないだろうからな。これからもモンスターとはオレだけが戦うつもりだ」
「殊勝なことよ。我としては其方を危険に晒すのは反対だ。只人で、特別なオメガデバイスを持つとくれば換えが効かん。其方はもっと自身の貴重性を自覚すべきだ」


 ともすれば聞き逃しそうな会話の中に違和感を覚え……反芻して、頭を殴られたような衝撃を受けた。


「――大宮司、いまなんて言った!!」
「? 自分の貴重なところを自覚しろと」
「そこじゃない! この妖怪時計をオメガデバイスって、いままで翻訳されなかった単語が、あっ、テメ、この野郎!」


 大宮司に詰め寄ろうとする行動を遮るように、いつの間にか昇っていた月から光が降り注ぐ。
 随分と早いじゃないかと思ったが、どうやら追試をしている間に時間が過ぎ去っていたようで訓練場の照明に光が灯っていた。

 ようやく開示された情報をお預けされるという状況に頭を掻き毟りたくなる焦燥感を覚えつつも、いつものマットブラックの穴から出てくるだろうモンスターに意識を集中させた。





[43642] 26話 アムネジアでもSFに思いを馳せる、けどホラーは勘弁
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/01/31 12:40

 目の前に浮かぶ黒い穴について、便宜上ワームホールと呼んでいるんだけど実態は何なのか全く分らない。
 光を全く反射しない暗黒孔から、どう考えても地球上には存在しない生物が出て来るのでそう言っているだけだ。
 SFジャンルの読み物では頻繁に登場するけど、空間跳躍技術なんてオレの生きていた現代日本では絶対に無かったと言い切れるし、今後も驚異の新物質とかでも発見されない限り実現は不可能だ。

 「空間」自体の観測というか、予想はある。かの有名なアインシュタイン博士の相対性理論だ。
 強大な重力が支配する空間、通称「ブラックホール」の中では時間の進みが極端に遅くなるんだとか。
 けどなぁ……その超重力の影響が及ぶ範囲を「空間」という概念で表すことは出来るんだけど、ソレそのものに干渉することは出来ない。重力の渦に巻き込まれたモノが、全然別の場所から排出されるって現象、「ホワイトホール」でも発見されていたら話は別なんだがな。

 こんな感じで現象や概念としてはあるけれど、全く干渉できない存在をオレは『概念物理』と呼んでいる。「空間」、「時間」、「重力」がそれで、いわばこれに干渉する術が無ければSFという物語が成り立たないだろう三種の神器だ。

 とにかく、空間跳躍はタイムマシンや重力制御と並んで到底実現不可能なスーパーファンタジー技術だとオレは考えていた(サイエンス“フィクション”にはしたくない)。
 それがどうだ。
 目の前にある黒孔からは得体の知れないクリーチャーがどこからともなく湧いてくる。
 どう見たって空間跳躍技術で、それを成したのはオレの左手首に巻き付いている腕時計だ。

 断言しよう。
 この腕時計の存在を知った全ての研究者はオレを殺してでも奪い取ろうとする。
 だからオレは何としてでも記憶を取り戻し、この妖怪時計と手を切る術を知らなければならない。


---


「………………今回は昨日と違って中々出て来んな。召還とやらは時間に幅があるのか?」
「いや、いつもはすぐに出てきていたんだけど、今回は少し変だ」
「それは例外が起きているということか。お主だけで解決できなんだら加勢させて貰うぞ。教団へ害をなすもの全てを排するのが儂の務めなのでな」


 マットブラックの孔が現れてはや1分というところだろうか。
 大宮司が怪訝そうに話し、オレは緊張しつつもすぐに対応できるように身構える。そして『飼』の宮司が抜き身の剣を手にして横に並んだ。

 御老人にはお前を殺すと言われているようで、背中に冷や汗が流れる。
 しかし組織の保安を預かる者としてそれは当然だろう。オレだって隣の部屋の人間に、実は人食い虎を飼っていましたなんて言われたらソイツをぶん殴る。
 実際にこれから出てくるモンスターは猛獣並に危険で、ヒトへの殺意は野生動物より随分と強い。
 今回はオレ一人で対応するつもりだったんだけど、イレギュラーが起こっているようなので、手伝ってくれるのなら素直に有り難いと思える。

 しかし――更に1分、2分と経つも、目の前の孔からは一向にモンスターが這い出てこない。
 今日は召喚に失敗したのかもしれないという考えも頭にちらつくんだけど、目の前の暗黒孔が消える兆候も無い。
 どうしたらいいんだと思い、左手の妖怪時計に目をやると……あれ、なんか赤く点滅している?
 慌てて左手を上げて胸の辺りに持ってくると、ホログラフウィンドが立ち上がり、そこには『モンスター召喚タスク中に外部干渉が発生しました』との表示がある。

 なんだ、何が起こっているんだ?
 空間跳躍技術は先に述べたように現代日本に生きるオレには全く理解できない超技術だ。
 その技術に干渉する? あり得ないだろう!
 ――いや、この妖怪時計が他にもあれば別か? 大宮司はさっきこれを「オメガデバイス」とか口走っていたし、類似品があるのだろう。けれど普通のオメガデバイスにモンスターを呼び出す力なんて無いとかも言っていたような……ええい、くそっ、解らないだらけだ!


「ぬ、何か出てくるぞ。用心せい」


 ともすれば混乱しそうになる思考を御老人の注意で無理矢理戻す。
 今は目の前のモンスターに集中しないとな、色々と考えることは生き残った後でも遅くない。

 はたして昨日と同じように、怪物がゆっくりと孔の中から這い出てきた。
 中型犬くらいの大きさで、野生動物ならではの引き締まった体躯と、特徴である二股の頭。ヒトを心底憎悪しているとしか思えない濁った瞳。
 そして――うん? これはどういうことだ。


「お、オルトロス・チャイルドだっ、本当に現れたぞ!」
「なんなんだよ、あの孔は! 羊%#子$氏族の新兵器か、冗談じゃ無いぞ」
「落ち着けよ! 大宮司様達がいるんだ、すぐに倒してくれる」
「けどよ……あれ、なんで血まみれなんだ。手負い、なのか?」


 訓練場で遠巻きにオレ達の様子を覗っていた衛士達が、出現したオルトロス・チャイルドに驚き、次々と声を上げる。
 驚いたのはオレも同じだ。
 何故か出てきた双頭の怪物は全身に傷を負って血を流しており、歩みはもたついて今にも倒れそうだった。
 事情は分らないけど、既に虫の息というなら好都合だ。危険は低ければ低いほどいい。

 歩みを止めて此方を覗うオルトロス・チャイルドに、手にしたアメリカン・クラッカーを投げようと振りかぶった――そのタイミングで異変に気付いた。

 今出てきた孔に引っ張られている?
 よく見れば、未だ孔の近くにある蛇の尻尾はピンと伸ばされていて、その先端を……ヒトの手が掴んでいるだと!?


「なんだあの手は!」
「血で濡れておるが、あれは女人の手ですな」


 大宮司と御老人もオルトロス・チャイルドの尻尾を掴むヒトの手に気付いたようで、どうやらあれはオレの幻覚ではないらしい。
 血に塗れたホラー的なその手には凄まじい力が込められているようで、少しずつオルトロス・チャイルドの体が孔の中に引き戻されている。
 石を握り潰すオレの全力を出しても互角だったのに、あの手にはどれだけの力が込められているんだ!?

 地に伏せてもズリズリと引っ張られていく怪物は、肉にされる食用動物の如く悲痛な叫びを上げた。昨日はどれだけ傷を負わせても獰猛に襲いかかってきた双頭の怪物がだ。
 しかし、この場にはあの手を止めようとする者は誰もいない。
 ともすれば同じようにあの暗い孔の中に引き込まれそうで、誰もが息をするのさえ怖がるように完全に動きを止めていた。

 やがて完全にオルトロス・チャイルドの体は孔の中に消え、長く続いた悲痛な叫びは、骨を砕くような鈍い音と、魂消るような大絶叫と共に途絶えた。


「…………ハクウ達が」


 誰もが恐怖で動けない。
 そんな中、空から飛んできた白鴉パイセンの群れが孔に殺到し、中に入っていく。そしてやはり聞こえてくる屍肉を啄む音に、衛士達の中には吐瀉する者もいた。

 やがて、あちら側での食事が終わったのか、一匹、一匹と血に濡れた白カラス先輩が孔から出てきて飛び去っていく。
 最後には代表の一番大きな個体が、いつもと同じくモンスターの核とおぼしき宝石をオレの目の前に置いて飛び去って行った。


「ようやく……孔が消えたか。このままではお主を大宮司様のお側に置くことは出来ん。詮議を受けてもらうぞ」
「……オレは、何もしていないんだけどなぁ」


 詮議とは罪人を取り調べる時に使われる言葉だ。酷い話だけど、目の前で起こった事からするにオレの呟きの方が場違いか。

 怪物でも観るような目を向けてくる衛士達に、オレは項垂れるしか無かった。





[43642] 27話 アムネジアでも風呂には入りたい
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/02/07 15:59

 結論から言ってオレの身柄は幹部の一人、『司』の宮司が預かるコトになった。

 あの後にあった幹部会議では放逐の意見が半数を占め、オレもそれが良いんじゃ無いかと思ったのだが、その一方で強固な反対する意見や、様子を見たいという意見もあり、最終的には大宮司の鶴の一声で処遇が決まった。

 因みに『司』の宮司は、オレと甲冑ウーマンの試合の審判をしていたヒトで、外見が大宮司の少し上に見えるお姉さんだ。あと、やたらとオレに半ズボンを履かせたがる趣味人でもある。
 御老人によると、教団の法を司り、かつ、彼に次ぐ実力者で、教団の『法』と『力』の象徴たる大人物のようだ。
 そのヒトがオレを常時監視するということで、ひとまず詮議の場は解散になった。

 常時監視って事は、四六時中、妙齢の女性と一緒って事でもあり、それは倫理的に駄目だろうと主張したものの、大宮司も含めて幹部全員に“なんで?”という目で見られた。

 いや、オレとしてはナニもするつもりは無いんだけどさ、このあたり文化に大きな断絶を感じる。ま、まぁ、兄やモルモットにされるよりはマシで少し安心した。
 あと、どう考えても仕事に忙殺されているだろう立場のヒトなので、オレは凄く気が引けたのだけれども「何も問題を起こさなければ忙しくなりませんよね♪」という凄みの利いた笑顔を見せられて、顔を立てに振るしか無かった。


「今宵から我の■&“w~な世話をさせるつもりであったのだがな……『司』よ、くれぐれも頼むぞ。此奴を教団から逃してはならん。私欲も大いにあるが、これは『大宮司』としての判断だ」
「判っているわ。貴方がそこまで強く主張することなんて、教祖様以外の事ではそうないもの。大事に預からせて貰います、そう……とても大事に、ね」
「あのな……我がL~%*である事を忘れるなよ。ほどほどにしておくがよい」


 なんだかとても凄く妙な視線を感じるのだが……気にしないでおこう。
 というか、昨日の怒濤の如きイベントに続き、今日も早朝から深夜までイベント続きで疲れ果て、気にする余裕が無い。
 割と楽しみにしていた異文化料理も、結局はいつものヒールゼリーで三食済ませることになってしまったし、今日はもう風呂に入ってゆっくりと眠りたいのだ。

 そう、山から下りて有り難いと思った事の一つが風呂だ。
 たっぷり湯を張った浴槽に体を沈める以上の贅沢がこの世にあるだろうか? いや、ない!(断言)

 山頂ではお湯を沸かし、湯に浸したタオルで体を擦る、頭から湯を被っていたから衛生はちゃんとしていた。あぁ無論、ガチャで出た石鹸とシャンプーを使っていたとも。綺麗好きな日本人なのだから当然だ。
 しかしながら湯に浸かるという行為は流石に無理で、昨日、衛士宿舎の大風呂に案内されたときは感動で泣いてしまった。
 風呂に入るときまで甲冑ウーマンが付いてきたことは残念だったけど、スーパー銭湯で偶に出没する検温オバチャンだと認識を変えてしまえば気にもならない。
 やたらとオレの裸体を凝視していたような、色々と体液を流していたような気はするが……監視役って大変だなぁと素直に同情した。

 だから、『司』宮司に宛がわれているのだろう大きな部屋の中、そこに設置された豪華なバスルームで素っ裸になり、彼女目の前で温水シャワーを浴びていても全く気にならない。
 逆にオレの裸体を見せつけることを申し訳なく思う。
 これが彼女にとっての思い人や、男性アイドルの裸であれば良いのかもしれないが、今のオレは監視が必要な危険人物だからなぁ……。


「スミマセン、こんな立派な風呂を使わせて貰って。オレの監視役になったばかりに」
「いえいえいえいえ……これは素晴らしいや、っごほん、とても大事な責務ですので! 貴方が気を病むことは全く、これっぽっちもありません!!」


 むぅ、そうは言うものの今もバスルームの外で監視している彼女の苦労を思うと慚愧の念が湧く。
 全ては今も左手首にある妖怪時計の所為ではあるが、それを付けているのはオレだ。
 少なくともこれを所持すると決めた、記憶を持っていった頃のオレには責任があるし、結局のところ今のオレに責任が帰結する。
 本当に、胃潰瘍になりそうなくらい胃が痛い――ヒールゼリーを食べれば快復してしまうが。


「気を病む必要はありませんよ。それどころか、あの子の我が儘に付き合って貰って感謝しております。貴方がこの地に留まる絶対的な理由は無いのですから」
「それは……まぁ、そうですね。けれど、場合によっては命を懸けてもいいくらいの強く留まりたい気持ちはありますよ」
「その理由をお聞きしても? ――いえ、話しなさい。大宮司のL~%*であろうとする者よ」
「……あなた方が御神体と呼んでいるものです」


 あの自重で全てが崩壊していなければならない筈の超巨大構造物。
 現代日本に生きていた人間であれば知りもしないはずなのに、アレを初めて見たとき勝手に口から出た『超弩級星間航行船14番艦、紀伊』という名に、無くしたオレの記憶が絡んでいると直感した。

 普通に考えるなら、アニメかゲームとかで覚えていた適当な宇宙船の名前だと一笑に付すものだが、あんなのどれだけ金を掛けたところで描けないし、現代人類の想像できる域を超えている。
 だってさ、視界を越えて機体が続いていて、明らかに地面から浮いているんだぜ? そんな物理的な矛盾だらけの存在、まともな技術者が見たら理性やら認識が崩壊して廃人になるわ! 実際になりかけたわ!!

 だが、どれだけ今まで学んだ物理を否定されようとも、現実にあるモノに目を背けて思考停止するヤツは技術者ではない。

 そこにある新しい技術をモノにする。
 改善してよりよいモノを作り上げる。
 それに着想を得て全く新しいモノを創り出す。

 それが技術者や研究者という人種であり、オレもその端くれなのだ。その証拠にあの変態構造物を見てからオレの体は火照り、勃起し続けている。
 アレを放り投げて日本に帰るという選択肢はオレの中からとうに消えていた。

 とにかくだ。学ぶにしろ、思い出すにしろ、近くに居られた方が何かと都合が良く、今のところアレに一番近いのは教団の幹部なのだ。


「だからね、あなた方からすれば凄く不純な理由かも知れないが、大宮司サマのお側仕えという立場を手放すつもりは無いよ」


 髪をシャンプーで洗い、体を石鹸付で泡立てたタオルで擦り、体の汚れを落としつつ動機の話したオレは、その言葉で説明を締めた。
 本心を隠すこと無く全て晒した。これを否定されたのならこの地を去るしか無いという覚悟で話した。
 それを引き出されるだけの重みが彼女の質問にはあった。

 さて、教団幹部という立場にある彼女の裁定は如何に?
 体に残った水気を払い、髪をオールバックに纏め、生身の全てを曝け出して『司』の宮司の前に立つ。


「か……カッコイイ、すごくオトコノコしてる、もうむり」
「――は?」


 突然仕掛けられた完璧な足払い。
 鋭すぎるそれに対応出来るわけも無く、オレは床に頭を強かに打ち付けて意識を失った。




[43642] 28話 アムネジアでは這い寄る姉に勝てない
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/02/14 10:08

 オレは体に掛けられていた毛布をはだけて飛び起きた。
 息は荒く、体毛は全て逆立ち、体温は全身が汗で濡れるほど高い。
 急いで周りを見渡して誰も居ないことを確認し、着ているモノがいつものツナギである事に安堵のため息を吐く。
 流石に寝ている所までは直に監視はされないらしく、客間とおぼしき部屋に一人で寝かされたようだ。

 オレは今置かれている状況を認識して、もう一度ため息を吐いた。

 とても酷く永い夢を見ていたのだ。
 ヒトに話せば、絶対に精神鑑定を受けろと言われそうな酷い内容だ。

 夢の中でのオレは、幼い子供がおめかしするような――いわゆる『星の王子様』的な格好でベッドに寝かされており、どうやっても体が動かせない金縛り状態だった。
 そんな無防備なオレに対し、大宮司とよく似た顔の女が、三日月型に開いた口から涎を垂らしつつ、甲高い奇声を上げながら写真を撮りまくっていた。
 最後には感極まったのか、持っていたポライドカメラを放り出し、女は自分の服を引きちぎりながら動けないオレ覆い被さって……

 そんな間一髪のタイミングで目が覚めた。
 オレって襲われ願望でもあるのだろうか? それとも記憶を無くしているだけでアレは実体験だとか? ……記憶を取り戻すのが滅茶苦茶怖くなってきた。


 どことなくエキゾチックな部屋にも当然カーテンはあって、開けるとちょうど太陽が顔を出したところだった。
 やはり太陽の光は偉大で、ホラーな夢の名残を全て洗い流していく。

 そういえば、昨日はいつ寝たんだっけか…………あー、えっと、たしか姉さんの前で素っ裸のまま仁王立ちした記憶があるな(汗)。
 あのときは自分の言葉に舞い上がって羞恥心とか倫理観が吹っ飛んでいたけど、冷静に思い返せば婦女子に裸体を晒すなんて事案だ。しかも昨日は妙な上げテンションでアレが完全体になっていた。
 足払いされるのも当然だな、去勢されなかっただけマシか。

 そうやって一人反省会をしていると、扉が開いて件の人物が部屋に入ってきた。
 手に持つトレイからは湯気が立ち上っているので、食事が乗っているようだった。


「昨日はよく眠れましたか? 食事をお持ちしました」
「えっと、恐縮です……姉さん、昨日は、その」
「まずは食事にしましょう。これからの話はその後で」


 表面上は怒っていないようではある。しかし、このあと引導を渡される可能性もあるし、無礼がないように心して食事を頂こう。

 ちゃぶ台にトレイを置き正座する姉さんに、オレも正座して相対する。
 見ると、パンにバター、ホットミルク、スクランブルエッグとソーセージ、サラダといったよくあるホテルの朝食が並んでいた。
 異文化料理でないことに少し落胆するも、ハズレで無いことに安心した感もある。
 やっぱり此処は地球の何処かなんだろうかと疑問を抱きつつも、久しぶりのゼリー以外の食べ物に腹が大きく鳴る。


「頂きます!」
「はい、どうぞ召し上がれ」


 久方ぶりに味わうまともな食事に、舌が、胃腸が、そして脳が喜んでいる。
 そりゃあヒールゼリーは不味くないし、『医』の宮司の言葉を信じるなら、ヒトが生きていく上で必要な全ての栄養素を含み、体調も整え、怪我も治してくれるという完全食なのだから文句を云ったらバチが当たる。
 けれども人間はサプリメントだけで生きていけるようには出来ていないし、どんな美味いモノでも同じモノを食べ続けたら飽きる。
 極限状態とはいえ、一ヶ月同じモノを食べ続けるのは本当にキツかったのだ。

 そうやって夢中で食事を摂るオレを姉さんは嬉しそうに見つめている。
 マナーを忘れてがっついた事を恥ずかしく思い、手に持ったパンを一旦置こうとするも、姉さんが悲しそうな表情になるので勢いのまま完食した。


「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「えっと、一人で食べておいて申し訳ないのですが、姉さんの朝食は」
「私のことはいいの。昨日、遅くまで仕事をしていて夜食を摂ったから……それはもう十分に、ね。今もおなかに残っているから必要ないの」


 そう言って何故か下腹を愛おしそうに擦る姉さんに、夢の中の三日月女が被った。
 いやいやいやいや……何を馬鹿な妄想をしているのか。
 教団ナンバー2の武力と司法を一手に引き受ける姉さんには、仕事が出来るヒト特有の雰囲気を纏っており、表情には内面を映すように理知的で慈愛に溢れていて、彼女が人格者で無ければ誰がそうなんだと思う。
 しかしなんだろう、この体の震えは。勝手に頭に浮かんだ賢者タイム、這い寄る姉とは一体……。


「さて、弟クンのこれからの話をしましょうか」


 オレが変な妄想をしている間に食器は片付けたようで、ちゃぶ台は綺麗になっていた。
 その前で改めて正座した姉さんに、オレも姿勢を正して向き合う。


「最初に断っておきます。今の状況で教団に関する知識を貴方に与える事はできません。昨日はあの子が強く願い、私や『医』、『進』、『商』の主張もあって放逐は免れましたが、今も厳しい立場にあることを自覚してください」
「それはまあ、当然でしょうね……昨日のアレは強烈でしたから」
「報告にあったオルトロス・チャイルドを容易く屠る怪人ですね、心当たりは?」
「昨日もお伝えしたとおり、オレは記憶喪失でして。鍵を握るコイツについても全く判りません」
「オメガデバイス……そう呼んでいいのかも疑問ね。私達が知るものと同じであれば、魔獣を召喚する機能はない筈なのよ。腕時計としての基本機能の他に、言葉の翻訳、付けている人のメンタル情報の表示、自身の地図情報、そしてデバイス間の通話。$&“*氏族が独占する秀逸なパーソナルデバイスなのだけど、弟クンのそれは全く違う。それに比べたら$&“*氏族のオメガデバイスは玩具にしか思えないわ」


 なにせワープゲートを作ったり、モンスターの核を物質変換したりの超技術が詰まった妖怪時計だからなぁ。
 車のキーくらいは理解の範疇だけど、ホログラフ投影とか普通にするし、あらゆる周囲環境を探知するセンサーも、その全てをフルに利用する超高性能人工知能も確実に積んでいる。
 スマートウォッチが進化したらなんて程度の発想では行き着かない。一万年ぐらい未来の、超高性能アンドロイドが時計になって腕に張り付いていると考えた方が良いだろう。厄介でもあり、生命線でもあり……複雑な思いを抱かざるを得ない。


「それを着けていなければ大歓迎だったのよ。『進』によれば私達の氏族は遺伝子的に$“K&Gで、H」”%*、もうJ#9Jなのだから、D#5)$2頼るしか無いの」
「は、はぁ。そのゴメンナサイ、ちょっと言葉を翻訳しきれて無くて……気を悪くしないで貰えると助かるのですが」
「あら、そうなのですか?」


 相変わらず固有名詞、動詞が翻訳されず、せっかくの情報も無為にしている。
 なんちゃら氏族のパーソナルデバイスを越えるスペシャルデバイスってんなら、もっと優秀な翻訳機能があってもいいのに。
 もっとも、オレの行動を誘導するために妖怪時計が言葉を取捨選択している可能性もある。一部はなんかの条件を満たしたことで解除されたようだけど、コイツ自体に関する情報は殆ど得られていない。下手に聞くと脳味噌を揺さぶってくるので要注意だし、状況を見極めながら確認していくしかないだろう。


「そうね、そのパーソナルデバイスについては追々解明していけばいいわ。兎にも角にも、今日の夜、空に月が浮かんだ時の対応が弟クンの未来を左右するのだから、今はそれに集中するのがいいと思う」
「忠言ありがたく、姉上」
「!!」


 オレが茶化してそう言うと、姉さんは胸を押さえてちゃぶ台に突っ伏した。
 慌てて体を抱き起こそうとするも、顔の下から聞こえてくる『我慢我慢、夜まで我慢』とか『刷り込む言葉を間違えちゃった』とかの小声に身の危険を感じ、姉さんが自然快復するのを待った。




[43642] 29話 アムネジアは空気を読めない
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/02/21 13:35
 朝食を終えたオレは、姉さんに連れられて執務室へ向かった。プライベートルームとは違っていかにも仕事をします、という雰囲気が漂っている。
 姉さんは部屋の奥にある大きな机に就くと、オレには入口近くにある椅子に座るように勧めた。どうやら姉さんの机の脇にある席には秘書が就くらしい。

 程なくして現れた秘書らしき女性に、恐れの入り交じった視線を向けられるも、オレは一礼して椅子に座った。
 問題を起こすなと言われているから静かにしていないとな。
 暫くは警戒していた女性秘書も、特に何をするでもないオレに慣れたのか自身の仕事に没頭していく。

 端から観察するに、姉さんも、そして秘書の女性もとても忙しそうだ。
 姉さんの机の右側に積まれた書類を黙々と処理して、左側にある書類入れに積んでいく。そして積まれた書類を秘書の人がチェックして、ある程度書類が溜まったら持ち出して、帰ってくるときにはまた多くの書類を持っており、それをまた姉さんの机に置く。それに対して姉さんは特に何も言うこと無く、順番に書類を片付けていく。

 まさにパソコンがない時代のまっとうな仕事風景だ。部屋の隅で何をするでもなく座っているオレとしては凄く居心地が悪い。

 暇を持て余して部屋の書棚にあった本を眺めるも、日本語どころかアルファベットすら使われていない文章が読めるわけも無い。
 つーかこんな文字、見たことが無いぞ。
 一番近いのはマヤ文字だろうか? それよりはいくらか簡素化された絵文字に、ミミズがのたくったような恐らくは形声文字が続いており、感覚的には日本語に近いと思われる。唯一判るのはアラビア数字でこれには安心した。
 閑話休題。

 さて、本も読めず、忙しく仕事をしているご両人に気が引けて居眠りも出来ず、オレは本格的に暇を持て余した。思考を巡らせるにしても、方向性やきっかけがないとな……。

 当面の問題は妖怪時計が呼び出すモンスターとその召喚に干渉する怪人だが、いずれも事前にどうにか出来る話では無く、その時に対応するしかない。
 無論、最悪の場合を考えて色々と用意をしておくべきなんだろうが、オルトロス・チャイルドはともかく、ワープホールの向こう側にいる怪人は底が知れない。
 昨日の幹部会議でも複数人で怪人に対処する程度の案しか出ず、切り札が大宮司に譲った二丁拳銃ともなれば、オレがやれることは多くない。
 ああ、銃といえば昨日は忙しくてガチャをしていなかった! それに軽トラのサンバイザーに挟んだSRカードも使っていない。


「弟クン、暇そうですが我慢してください、貴方は監視される立場なのですから。もう少し仕事を片付けたら休憩に入りますので、気分転換に散歩でもしましょうか。午後は衛士達に混じって訓練を行いますから今ほど退屈を持て余すことはないでしょう」


 暇そうにしていたオレに気付いたのか、手を止めて姉さんが提案してくる。
 それに対して秘書の女性が「そんな暇はないです、この数日は滞り気味で各所から苦情が!」と忠言するも、「私と弟クンの交流を邪魔するのですか?」と睨まれて震え上がった。

 恐らくはオレの所為で仕事が滞ったんだろうなと申し訳なく思うが、振ってくれた機会を棒に振るほど馬鹿じゃ無い。もしかしたら命懸けになるかもしれないのだからオレの都合を優先させて貰おう。


「えーと、気を遣わせてしまってゴメンナサイ。けど、散歩よりはガチャをしたいな。もしかしたらハンドガンが増えるかもしれない。あと、オレの軽トラに残っているSRカードも……もしかしたら結構な戦力になるから早いところ検証しておきたいんだ」
「ガチャ……ああ、会議でも話題にあがった。ふむ、これはよい機会ですね……アセリア侍際、今から1時間後に訓練所で『ガチャ』なる祭儀を行う旨、全ての司祭に伝達なさい。興味の無い方もいらっしゃると思いますから出席は自由とします」
「い、いまからですか!? そんな、午前中の仕事はっ――いえ、承知しました」


 姉さんに指示されて急いで部屋から出て行く秘書――アセリア侍際には涙目で睨まれたので、心の中で謝っておこう。


---



 ――1時間後、オレ達は訓練所に集合していた。
 今回居るのはガチャに興味があるヒトだけらしく、『医』と『進』の精神的に危うい年少司祭組、主婦代表みたいな年配の女性と、確か『工』と呼ばれていたガチムチのおっさん。そして姉さんに……大宮司もいた。あと、侍祭と呼ばれるそれぞれの付き人もいる。


「ガチャはあの山で見せただろうに……暇なのか?」
「馬鹿を申すでない、其方の様子が気になったから来たのだ。どうだ、不具合はないか?」
「あ、あぁ、別に……」
「ならばよい。折角来たのだから、事が終わるまで居させて貰うぞ」


 少しからかうつもりで大宮司に話を振ったら、素で呆れられた。昨日の幹部会議でも庇ってくれたし、これはオレが悪かったかな。
 しかし、なんでオレにここまで執着するのか……。
 純粋な好意であれば嬉しいのだが、車で撥ねるという最悪の出会いからそう考えるのは無理があるし、モンスターを呼び出すというリスクも込みで近くに置こうという意図が何なのか全く分らない。
 現に他の幹部は――


「姫様、お下がりください。このような妖術師に近付くなど、『司』どのが監視しているとはいえ迂闊ですぞ」
「ひひ、小生なら……手足を、ひ、引きちぎっても、生かしておく術を提供できまぞぅ、くひひひ」


 『工』の司祭が言うことはもっともなのだが……イヤ、本当に子供への教育方法は考え直した方がいい。白衣を着て薄ら笑いを浮かべる『進』の少女にはマッドサイエンティストという文字しか浮かばない。外見はネコ耳と合わさって可愛いと言えるのだが、幹部の中で最もお近づきになりたくない人物だ。


「馬鹿な事を言ってるんじゃないよっ、何の役にも立たない魔獣の死骸を見たこともない凄い物に変えてくれる金のニワトリ様だ! それに姫様がようやっと認めた只人……昨日も言ったけど長い目で見れば絶対に得さ、アタシは長く居て貰いたいね。『医』の字もそう思うだろ?」
「はい! 兄さんに危害を与えようとする馬鹿は、僕がガニメデに代ってぶッ殺しますから……『進』、次はないですよ。まぁ、兄さんが実際にアレを出してくれる所を見たら考えも改まるでしょう。アレは凄いですよ、ちょっと調べただけで幾つもの発見がありました! もっと、もっと兄さんのアレが欲しいです!!」


 ……援護は有り難いけど言い方を改めて欲しいな。姉さんが興奮して酷い顔になってるから。

 ゴホンッ、えっと、主婦代表と『医』の少年は、オレに利用価値を見いだしてくれている側だ。
 一躍、驚異の医療品となったヒールゼリーは、疲れを癒やし、傷を治す効力あるどころか、病気や毒も消す作用があるかもしれないと、昨日の会議で報告された。
 その他にも軽トラに積んでいたガチャ産の物資は、見た目はその辺にあるモノと同じだが凄い高性能品らしい。
 例えばトイレットペーパーには排泄物を分解する酵素が含まれているらしく、一緒に土に埋めたら窒素系の肥料に早変わりする……という驚異の事実を、勝手にオレの荷物を漁ったオバチャンが教えてくれた。
 この二人にとって、まさしくオレは金の卵を産むニワトリというワケだな。早くガチャを回せとばかりに、ランランとした目でオレを見ている。

 幹部の時間を長く取っていると侍祭の皆さんに怒られるだろうから、さっさと出してしまおう。
 オレはこの場に集まっていた皆に一言掛けると、ポケットに仕舞ってあったモンスターの核を取り出し、妖怪時計に近づけた。すると、いつもと変わらず吸収され――何もないところから大きなダンボール箱が出てくる。


「これが話に聞いていた……確かにオメガデバイスとは違うようですね」
「ば……な、しゅごい、本当にぶぶぶぶ、ぶっしつ変換ンンン、でござりゅぅ!?」
「落ち着け『進』、ってなんで口から血を! おい、『医』の字、興奮しすぎて舌を噛んじまったようだ、なんとかしてくれ!」
「僕は兄さんのアレに興味津々でして、『工』さんで、どうにかしてください」


 何度も報告しているのに、なんでそんなに興奮したのか。
 『工』のおっちゃんに背負われて何処かに連れて行かれる『進』の少女(&侍祭のヒト)を横目で見送り、オレは大きなダンボールの中から色分けされた5つの小箱を取り出した。
 えーと、今日は金色の箱はないな。銀色が2つに、茶色が3つか。
 確率上は出るようになったとはいえ、『SR』の排出率は低いらしいな。まぁ、出ても今は使い道が判らない。個数が3つから5つになったのを素直に喜ぼう。

 その場にいる幹部達の熱い視線を感じつつ、『N』の箱から順番に中身を取り出していく。




[43642] 30話 アムネジアでもガチャは楽しい
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/03/07 19:10

 えーと、茶色の箱の一つ目は……うん、いつものヒールゼリーだな。
 食料としても優秀な一品であるが、医療品でもある事が判り、いくらあってもいい評価爆上げの品物だ。
 それを箱から取り出したところ、横で見ていた『医』の少年が歓声を上げて期待の籠もった視線を向けてくる。


「そうせっつかないでくれ、ほら、約束通り少し分けてやるよ」
「ありがとうございます、兄さん! よーし、これでまた研究が進むぞ。アラタ侍祭、すぐに皆を集めて、僕もすぐに向かうから。これを持って行って準備を進めていて。あ、間違っても着服しちゃ駄目だよ!」


 ヒールゼリーを渡された白衣の女性――アラタ侍祭は、持っていた保存箱にヒールゼリーを入れると、足早に訓練所から出て行く。少年に指示されて更なる効力を解明するための研究に向かったのだろう。
 実を言えばオレも非常に知識欲をそそられており、研究に関わりたくあるのだが、まだ行動を制限されている身でもあるし、あちらこちらの分野に手を出せるほどオレは器用じゃない。ヒトに任せられることは任せないと時間がいくらあっても足りない。


 よーし、さい先いいぞ。どんどん開けていこう。
 これは……ああ、筆記用具セットだな。ノートにボールペン、それにインキを吸収するネリ消しの3点セットで、オレは日記を書くのに使っている。
 流石にこれは何処にでもあるし、ヒールゼリーに比べるとハズレの部類だろうか。


「そうさね、アタシとしてはアメニティセットが良かったんだけど、これはこれで面白いよ。ペンはいくら文字を書いても疲れない、インクは長持ちで色んな色に変えられるし、太さ細さも自由自在。ノートは一枚一枚の紙に選択ボタンっぽいモノが付いてて好きな掛け線を選べるらしいね、一度選ぶと変えられないようだけど。あと、紙が凄く薄くて馬鹿みたいに軽いし、場所を取らないのもいい。最後のネリ消しはハッキリ言って驚異だね。油性インキを綺麗さっぱり消せるのにも驚いたけど、色素と名の付くモノであれば何でも消せちゃうらしいのさ、程度はあるけどね。もしやと思って顔のシミに試したら消えちまってねぇ、アタシらの間で争奪戦さ、アッハッハ!」


 そう言って大いに笑うオバチャンではあるが目が笑っていない。
 つーか、ネリ消しの秘めたる効力を聞いた、この場にいる全ての女性が獲物を狙う野獣の目になった。
 いつでもどこでも女性の美に懸ける執念は同じということか。


「……今のところ、筆記用具は足りてるから全部提供するよ。再現できるよう頑張ってください」
「あいよっ、まかせな! こ、これで長年付き合ってたアレを消せる……く、く、ひひひ」
「ちょっと『商』、それは公文書を改ざん出来るとても危険な物ではないでしょうか? 私も研究に参加します!」
「あ、あー、大宮司としても、その存在は見過ごせんなー、特別に被験者となっても良いかもなー」
「ずるいですよ、宮司様!」「わ、私も是非っ」「私も!」


 幹部どころか、付き従う女性侍祭も渡したネリ消しに群がっている。使ってて便利だなと思いはしたが、そんな隠された性能があったとはな。
 やはり一人だと発想が限定されるようで、このへん山から下りて良かったことの一つだろう。オレだけでは到底思いつかなかった使い方だ。

 因みに、出てきたガチャ商品はオレの裁量で教団へ分け与えることになった。
 ガチャから出たモノが高性能品であることはヒールゼリーによって証明されており、それを解明して複製できれば教団の発展に繋がる。一人で消費するには多い品物もあるので、余ったモノは宿泊費用の代わりに提供する事にしたのだ。
 全部没収するとかそんな過激な意見も出たが、これから仲間になるかもしれない者にそんな非道な事をするのかという意見に相殺された。宗教関係者はネジが飛んでいるヒトが多いイメージがあるが、この教団はえらく理性的だ(敵は容赦なく殺すという側面はあるが)。
 ま、ガチャで出るモノを全て没収したところで、この町全てのヒトに行き渡るワケがなく、それならサンプルを気持ちよく提供させて複製するのが良い、という思惑があるのではないだろうか。

 さて、次は最後の茶色箱だな。
 アメニティセットが出てこない事を祈るぜ。アレにはシャンプーやボディソープ、保湿液やちょっとした香水とか、美容に直結するような品物が入っているからな。ネリ消しどころの騒ぎじゃ収まらないかもしれない。
 そう思いつつ取り出したのは液体の入ったポリタンクだった。アメニティセットじゃ無くてオバチャンは明らかに落胆している。


「ん、と……あぁ、ガソリンだな。ま、在庫としてあればあるほどいい。これはやれないぞ?」
「うむ、燃料の類いは御神体から十分な供給がある。それは其方から分けて貰う必要はない」
「そうだね。成分に興味はあるけど、今は他のモノの効果を確かめる時間が欲しい。昨日からアタシの部下に徹夜させてるからね、ちょっと休ませないと」


 じゃあ、これは後で軽トラまで持っていくことにしよう。提供した分の荷物を下ろしたから荷台には余裕がある。
 教団でもガソリンは持っていると思うけど、油種によってはエンジンを壊してしまう可能性があるからな。その分、ガチャから出たガソリンは信頼できる。
 移動できない軽トラなんて単なるデカい箱だ、燃料は切らさないようにしないと。

 よし、これで茶色箱は全部だな、次は銀色の箱を開けよう。
 あー、こらこら大宮司、アンタは二丁拳銃あるだろうが。爛々と眼を輝かせやがって、次にハンドガンが出たら他の人に渡すって昨日決めただろ? さーて、今日は何がでるか……。


「これは……インナーでしょうか?」
「伸縮自在な素材で、体にぴっちりと密着する……間違いなさそうだ。これは初めて出たな」
「なんだ、つまらぬ。前で戦う其方が着ておけ。薄地でも素材がよければひっかき傷を防いでくれるであろう」


 うーん、性能は試すまで判らないけど、今着ているツナギと同じく防刃素材で作られているなら結構な防御力UPだろう。皮膚は臓器という言葉があって、実際に他の臓器と変わらず重要だ。これで傷つくリスクを大幅に減らせるわけで、有り難く着させて貰おう。


「2つ目は……なんだ剣かい。姫様、ハズレだよ」
「ちょっと『商』のお母さん! 兄さんの物を勝手に漁ちゃ駄目ですって、怒りますよ!」
「はいはい、『工』にヤツがこの場にいたら喜ぶんだろうけど、アタシは興味ないね……そら、受け取りな」


 インナーを着るのに手間取っていたら、『商』のオバチャンが勝手に銀箱を開けてしまったようだ。『医』の少年がそれを見て咎めている。
 何処の世界でもオバチャンは面の皮が厚いなと思いつつ、手渡してきた剣を受け取ると、『商』のオバチャンは興味を無くしたのかこの場を去って行った。
 『医』の少年も頭を下げて去って行く。ヒールゼリーの研究に早く取りかかりたいのか此方も足早だ。二人とも幹部だし、他にも仕事があって時間に余裕がないのだろう。


「ふむ、銃が出なかったのは残念であるが……出てきたその剣、業物ではないか?」
「そうですね。長さはそう変わりません、形状は少し変わっていますが剣は剣でしょう。『工』の工房で作られるものより風格があるように思います」


 そんな寸評をする大宮司と姉さんを横おいて、改めて出てきた剣を観察する。
 なんか最近、感覚が麻痺しているけど、普通にこれは凶器で、生き物を害する為に作られた『武器』なのだ。それを普通に握っている自分への違和感が凄い。

 今まで握ってきたシャベルは土木作業道具という認識だった。殺すのも現実を感じさせない化け物ばかりで、害虫駆除の延長線上という感じだった。
 銃にしたって引き金を引けば弾が飛び出るというだけで、それは武器というよりは危険な『工具』という認識だった。
 しかし、コイツは……手に感じる重み、そして研がれた刃は否応なく命を奪うための道具であることを訴えてくる。

 これを使って生き物を殺さなければならないのだ。そして、やはり此処は平和な日本ではないのだということを、今ようやく実感した。





[43642] 31話 アムネジアは再び度肝を抜かれる
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/03/07 19:41
 そんなオレの感傷はさておき、身を守る手段が増えたのは良い事だ。いつまでもシャベルを武器として使ってはいられないからな。
 ただ、どうせなら使い方が似た槍の方がよかったなと思わざるを得ない。
 一から道具の習熟に打ち込まなければならないのは面倒だし、間合いが狭くなった分、傷を負う可能性が高まる。
 ま、その辺は愚痴になってしまうか。ガチャ元の妖怪時計に文句を言ったところで改善されないことは経験上、判りきっている。

 オレは抜き身の剣――もとい、『刀』を鞘に収めると腰のベルトに差した。
 日本であれば完全な銃刀法違反であるが、此処は日本どころか地球であるかも判らない異国だ。監視されている身ではあるが、衛士と呼ばれる戦闘職は常に武器を携帯しているし、最高幹部が銃をホルスターに吊っているくらいなのでお咎めはない。それに、いつオルトロス・チャイルドが出てきても対処できるように昨日の会議で武器携帯の承認は得ていた。


「…………いい、今すぐお持ち帰りしたい」
「『司』、自重せい! それにしても馬子にも衣装よな、頼りなさが消えて幾分凜々しく見えるようになったぞ」
「そいつはどうも。ガチャは終わったし解散でいいかな? 次はコイツを軽トラに積みたいし、SRカードの検証もしないと。悪いが姉さん、付き添ってくれ」


 からかってくる姉さんと大宮司を躱しつつ、次なる目的を口にする。
 早いところ用事を終わらせて出てきた刀の使い方を習熟したいのだ。そうでないとまたシャベルを使うしかなく、壊してしまうかもしれない。
 ところが訓練場を出ようとしたオレの肩を大宮司が掴み、唇の端をヒクヒクと痙攣させつつ怖い笑顔で質問してきた。


「そなた、今何を口にした? 我の聞き違いでなければ『司』のヤツを『姉』と呼んだな、何故だ?」
「? ……どうもなにも姉さんは『姉』さんだろう。なにも間違ったことは言っていないと思うが」


 なんだかよく分らないことを聞いてくる大宮司サマに素直に返答すると、顔を真っ赤に染めて憤怒の表情となった。
 美人が台無しだが、発する威圧感が凄まじくて何も言えない。


「馬鹿者ッ、なんで昨日会ったばかりの女が其方の『姉』になるのだっ! おい『司』、貴様やりおったな!? ちょっとこっちへ来いッ! 少しは許すとは言ったが完全ににやり過ぎだ、この変態めっ!!」
「だ、大宮司サマ、これはちょっとした出来心で、いや、痛いッ、イタイイタイ、本当にゴメンナサイ、頭蓋骨を軋ませないで! 弟クン、お姉ちゃんを助けてー!!」
「まだ言うか、この異常性癖者め! おいレンジ、我はこの阿呆の根性を叩き直してやらねばならん、何処にも行くでないぞ!」
「い~~~~や~~~~ッ!!」


 そう言い捨てると、大宮司は姉さんの顔面にヘルクローを掛けたまま訓練場を出て行った。そして姉さんの秘書であるアセリア侍祭も慌てて付いていく。
 どうしたものか……計らずとも自由時間が出来たし、帰ってくるまで剣の修練でもするか?


---


 自分の体にあった刀の振り方を考えながら素振りをすること約五千回、そんなタイミングで大宮司と姉さんたちが訓練場に戻ってきた。
 姉さんは大分くたびれた感じになっており、ずっと肉体言語を交えた説教を受けていたモノと思われる。
 説教の理由は分らないものの、安易に触れるととばっちりを貰いそうなので何も聞かないことにする。何をするにしたってKY(危険予知)は大事なのだ。
 ただ、随分待たされたし小言くらいは許されるだろう。


「遅かったな、もうすぐ昼だぜ」
「待たせてすまん。やはりこの阿呆には任せられんというのが我の結論だ。よってこれからは我が其方の監視役になる。そのことを幹部連中に納得させておったら遅くなった、許せ」
「う、ぅう、理想の弟が……私の光源氏計画が~」
「まだ言うか! 『司』、次にやったら『鋼鉄の処女』を使うからな、楽しみにしておれよ?」


 えーと、『鋼鉄の処女』って、オレの知っている通りのものなら処刑用具なんだが……何が大宮司の逆鱗に触れたのか分らないが凄い怒りようだ。恐らくは宗教上の禁忌に触れることでもあったのだろう。何かと世話をしてくれた姉さんが監視役から外れるのは残念だが、姉弟なんだしまた一緒に過ごす時間もあるさ。
 幾分の寂しさを感じつつも、泣きながらアセリア侍祭に引っ張られて退場していく姉さんに手を振って見送った。


「ようやくあるべき形になったな。我の妥協が奴らをつけ上がらせてしまった、許せ」
「…………まぁ、コレで手を拭け。あとこれでも飲んで気分を入れ替えろ」
「おお、気が利くな! 其方の十分の一ほども気が利けば我の気苦労も随分と減るのだが、ままならん」


 正直、予想外の展開で頭が付いていけない。気を落ち着かせようにも大宮司の赤黒く変色した両手が怖すぎた。
 とにかくこのままにしてはいけないと、ポケットからタオルとヒールゼリーを取り出して渡したが、それによって憤怒一色だった大宮司に笑顔が戻った。


「さて、次は車の調子を見るのだったか? 先ほどの結果からするに、更に面白いモノが見られるやもしれぬ、期待しておるぞ?」
「オレも初めてだから何が起こるか判らん、過度な期待は勘弁してくれ」
「何の気も止めていなかったモノに恐ろしいほどの性能があったのだ。そのSRカードとやらは出てきた物品の中でとても貴重なものなのだろう? 楽しみにしておるぞ」
「……へいへい」


 本来の調子に戻った大宮司は相変わらずせっかちだ。拭ったタオルをその辺に放り投げると、ヒールゼリーを啜りつつ軽トラに向かって歩き出す。
 オレは使用済みのタオルにライターで火を付け、一瞬にして水に変換されるのを確認した後、慌てて後を追った。


---


 向かった先、軽トラックは昨日、停めた位置から移動することなくそこにあった。
 なんか人が群がっていたけど、大宮司が近付くにつれて蜘蛛の子を散らすように退散していく。
 この街に住んでいる人達なんだろうけど……うーん、老若男女、誰も彼もがネコミミを着けていた。宮殿に住む人達だけだと思いたかったけど、教団の教義は徹底されているらしい。


「さぁ、遠慮無く試すがよい! 実を言うとな、あのとき邪魔が入ってからずっと心待ちにしていたのだ」
「……アイアイサー」


 遠巻きに此方を見ている人達は気にしなくてもいいのかなと思いつつ、ドアロックを解除して運転席に乗り込む。そしてサンバイザーに差してあったSRカードを引き抜いた。
 問題はコイツをどう使うかだな。

 グローブボックスとかその他の収納スペースに積まれていた正体不明の機械。そこにカードが差し込んであったから交換することを思いついたけど、よく考えたら元のカードを取り出せないのに入れ替えはできない。
 案の定、グローブボックスやその他の機械にカードを近づけても何も起こらなかったし、新たにカードを差す箇所もない。
 はて困った。本当にコレはどうやって使ったらいいんだ?
 困り果てたオレは一旦、軽トラから降りることにした。


「どうした? 何も起きておらぬが。もしや車内で何か変化があったのか」
「いんや、コイツをどう使ったらいいのか分らなくてな。一人で悩んでいてもしょうがないから降りただけだ。大宮司の意見が欲しい」
「其方に分らぬものが、我に分かる道理があるか! ……我よりそのオメガデバイスもどきに聞いてみるがいい、それからSRカードが出てきたのであろう?」
「……ソイツは盲点だった、すまん」


 何を聞いたって答えてくれないし、それどころか悪態が帰ってくるので選択肢から消えていた。ガチャから何から全部コイツが原因だし、コイツに聞くのが道理だな。

 そう思って妖怪時計にSRカードを近づけると、驚いたことにモンスターの核と同様に分解、吸収された。
 更には複数のホログラフ・ウィンドウが勝手に立ち上がってプログラムらしきものが上から下へ滝のように流れていく。
 そして何が起きているか聞こうとする間もなく全てのウィンドウが閉じると、凄い早さで12の時字(アワーマーク)から光が飛び、目の前に光の珠が構成されていく。


「ぉ、おおぉ、凄いな! 何が起こっておるのだ!?」
「オレに分かるわけないだろうが! マジでなんだコレ……もしかするとエバネッセントフォトンによる光情報の構築……いやいや、なんで反射領域がないのに存在しているし、それが見える? あっ、ホログラフ現像技術でそれを可能にしているのかっ、嘘だろ!?」
「何語だそれはッ、我が分かるように説明せんか! このおたんこナス!!」


 ぎゃーぎゃーと騒ぐオレ達をよそに、光の珠はどんどん大きくなってソフトボール大の大きさになると軽トラに向かって飛んだ。そして軽トラが白い光に包まれて……変形が始まった。





[43642] 32話 アムネジアは巻き込まれ体質?
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/05/16 15:35
 量子コンピュータと言うモノがある。
 量子もつれという物理現象に似せた論理ゲートを用いて演算処理を行うことから、従来のノイマン型とは一線を画する演算処理能力をもつコンピュータだ。
 うん? よく分からない専門用語で誤魔化すな?
 そうだな……コンピューターグラフィックス(CG)を例に挙げれば分かりやすいだろうか。

 従来のノイマン型コンピュータはイチとゼロの、言わば「Yes or No」の論理ゲートに対して入力と出力を行うものだ。
 CGの1画素は、あらかじめ用意された「色」と「明るさ」に対する数百数千の質疑から作り出される。よって、これが数百万もの画素で構成されたCGともなれば、与えた画像入力情報に対して膨大な数の質問と回答を繰り返す必要があるのだ。
 一方、量子コンピュータは与えられた画像データに対し、すごく乱暴に言うなら「大体こんなもんだろ」で判別する。そこに膨大な質問と回答は必要なく、1回の質疑で処理が終わる。
 ノイマン型と量子型では、そもそもの発想が違うのだ。

 実現されたら世界の在り方を変える量子型コンピュータだが、この「大体」という論理ゲートがくせ者で、エラー発生率が高いために実現には至っていなかった。
 そりゃあ、「大体こんなもんだろ」の論理ゲートで正確な演算結果が出るわけがない。オレとしては複数の量子コンピュータで相互に補って収束演算のプログラムを走らせるのが現実的だと思っているんだが、はてさて……。


 なんで、いきなりこんな話をしているのかって?
 いま目の前で起こった軽トラックの変形は量子コンピュータでも使わない限り、とても説明しきれないからだ。ノイマン型コンピュータの処理速度じゃ制御が追っつかなくて、確実に暴走していた。そうなったら行き場を失ったエネルギーによって恐らくは半径数百キロが消し飛んでいただろう。
 これを作り出したヤツはトンでもないマッドサイエンティストだぜ。


「これは……明らかに大きくなっておるが、内部にパーツを隠しておったのか?」
「いいや、どう見てもそんなカワイイ変形じゃなかっただろ。モーフィング変形とか現実で見るもんじゃねぇな……恐らくは光情報を兼ねたエネルギーを直接物質に変換、つーか増殖、いやいや再構築……その全部か? フレームがレセプターを兼ねた流動性材料で、コイツの核である複数台の量子コンピュータが形態変形の指令と維持を担っているんだろう。たかが軽トラを2tトラックにするだけの事に…………阿呆だな! これを作ったヤツは真性のアホだ、ド畜生が!!」
「言っておることがさっぱりわからんし、いきなり大きな声を出すでないわ! まったく……何を怒っているのかしらぬが、この車もそのオメガデバイスもどきも其方のものであろう? 上手く使えれば問題ない。もう少し面白いモノが見られると思ったのに期待外れだ。我もそろそろ部屋に戻らねばならん、早く試運転を済ませるがよい」


 変形を終えて大きくなったトラックを見て退屈そうに呟く大宮司に、オレは頭が沸騰しそうな感覚を覚えた。

 こっっのコスプレ女! 目の前で起こった事の意味が判らないのか!?
 オレだって全てを理解はしていないし推測だらけなんだが、この技術のヤバさ、そして再現できれば人類が得る恩恵が凄まじいモノだと容易に想像できる。
 使用者と開発者の違いをまざまざと見せつけられた気分だぜ……。
 まぁいい。
 記憶喪失で異邦人、厄介事のタネであるオレに碌な研究設備が与えられることはないだろう。ならば今はより深く、目の前の超技術を理解するのがオレの技術者としての使命だ。ぜってーモノにしてやる。

 目の前で理不尽なほどの超技術を見せられて脳味噌のキャパシティが越えそうになっていたが、何度も気絶してはいられない。ココロの棚に感情を無理矢理押し込んで、軽トラ改め、2tトラックに乗り込んだ。
 人は成長するモノなのだ。


---


「うん? もう良いのか、まだ1分も経っておらぬが」
「相変わらず、グローブボックスとかに変な機械――まぁ、量子コンピュータだろうが、それが入っていた以外は特に見るモノはなかったよ。軽トラに比べて少しは広くなっていただけで運転システムとか変わってなかった」
「つまらんな、先ほどの開封の儀の方が見応えもあったし、有用なモノも得られた。其方、出し惜しみをしておるのではなかろうな?」
「あ・の・な! …………はぁ、もういい。ところでコイツをこのまま此処に置いといていいのか? 随分とあの人達の関心を集めてたみたいだし、人目に付かない場所に移動させたいんだけど」


 大宮司との技術的な遣り取りを断念したオレは、遠巻きに此方を診ている人達に顔を向ける。
 老若男女、いずれも大宮司に対する畏敬と、2tトラックに対する興味をその表情に浮かべている。
 あと、やはりというかオレに対する凄い敵意も感じる……大宮司サマに馴れ馴れしい態度を取っている所為か? 忠告を受けていたのに失敗したな。


「それ程までに気にする物か? 確かに馬も伴わない車は珍しいかもしれぬが、たかが動く箱だ。彼奴らの関心もすぐに薄れるだろう」
「……御神体には及ばないかもしれないが、それくらい貴重なモノだと理解してくれ。イタズラされて壊れたら人類の損失だ」
「ふーむ……まぁよかろう。宮殿の裏に廻るがよい、物資搬入口に入れば隠せる。この程度の大きさであれば隅に停めておけば問題なかろうよ、そうと決まれば」


 喋っていた大宮司を遮るように、宮殿の上から大きなサイレン音が鳴り響いた。
 あれだ、主に正午とか17時に単発で鳴らされるヤツで、うるさくもあり、便利でもある。
 大宮司を見ると、邪魔をされたためか嫌な顔をしているものの、焦っている様子はないので時刻を知らせるサイレンと考えて良いようだ。
 現代日本であればやめている地域の方が多くなったソレは、昭和の年代を知っているオレからすれば当たり前のモノで気にならない。逆に日本以外でもこんなのを鳴らす習慣があったことの方が驚きだ。

 なんにしても、サイレンの発信元が直近の為に話声はかき消されてしまう。不機嫌な表情の大宮司を眺めつつ、音が収まるのを待っていると、再びサイレン音が鳴り響いた。

 まさか、これは――!?

 遠巻きにオレ達を見ていた人が、慌てた様子で散っていく。大宮司も素早くオレの腕を掴んで車に乗るように促してくる。
 ヤバイ雰囲気を感じて車に乗り込み、助手席に大宮司が座ってドアを閉じるとサイレンの騒音が緩和された。


「敵襲だ。先ほど言った物資搬入口へ急げ、我が案内する」
「――判った」


 大宮司の真剣な表情に問答の時間は無いと判断し、急いでエンジンをかけて、車を走らせる。
 走らせると言っても建物の表と裏の間だ。
 大きな宮殿ではあるが1分ほどで目的の場所に到着し、驚いている物資搬入の担当者を尻目にほぼ駆け足で大宮司と共に宮殿の中を駆ける。

 到着したのは最近お世話になり続けている教祖の間、その隣にある幹部会議室だ。
 既にそこには全ての宮司が揃っており、オレを伴った大宮司を出迎えた。


「『司』よ、状況を報告せい」
「はい。東の見張り台から集団が発すると思われる大きな土埃を確認したとの報告を受け、警戒態勢を引きました。その後、接近する集団を望遠鏡で確認、Y6=の氏族と判明したため、緊急避難警報を発令。集団が市街端に接近するまであと10分ほどです」
「判った。『護』よ、あと1分で防護壁を上げるように通達、実行せよ。他の者達はパターンDで各部署の指揮を執れ。今後、我からの指示は教祖の間より行う、連絡もそこへよこせ、よいな?」
「「「承りました!!」」」


 大宮司の指示を受け、幹部達が会議室から出て行く。
 全員が緊張に表情を固めており、何が起きているかを聞く余裕なかった。ただし――

「何をぼさっとしておる。其方は我と共に教祖の間へ行くのだ、急げ!」

 連続して発せられているサイレン音の中、闘争心剥き出しで嗤う大宮司に状況を理解させられる。
 戦争が、始まったのだ。



[43642] 33話 アムネジアは理解不能な現実を知る
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/06/13 08:54

 大宮司と共に会議室を出て、足早に教祖がいた廟の方へ向かう。
 またあの痴女と相対しなければならないのかと暗澹な気分になったが、しかし、教祖の姿を隠す簾を捲り上げた先の光景は予想外のものだった。


「寝ている? 首か、いや背中からコードが伸びて……これは体に巻き付いていた紐なのか? 天井に向かって、その先にあるのは……!?」


 目を閉じた教祖が豪奢なベッドに横たわり、豊満な体には薄いシーツが掛けられている。
 ここまでなら驚くことはないのだが、異様なのはカラダの下から天井へ向かって伸びている複数のコードだ。
 なにやら緑色の光が行ったり来たりしており……もしや、通信している?


「行き先は御神体だ。1日に2回の接続が必要でな、接続には多少手間が掛るゆえ、奴らが来たこのタイミングは不幸中の幸いよ。 ――『護』の字、防護壁を上げよ!」
『承知しました。防護壁、上げます!』


 壁に並んだ伝声管から聞こえて来たのは、先ほど大宮司の指示を受けていた『護』の宮司の声だった。
 それから間もなく、僅かな振動が足下から伝わってくる。流れからするに、どこかの侵入者防止の防護壁を閉めたのだろう。
 ……つーか、実用されている伝声管なんて初めて見たぞ。あんなの大戦時の軍艦ならともかく、蛍光灯とか使ってる建物で必要なのか?
 そんな骨董品に対して教祖の体から伸びてるコードが凄く未来的で、文明的チグハグ感が半端ない。

 色々とツッコミどころが多いのだが、鬼気迫る表情で伝声管に向かって怒鳴り立てている大宮司に尋ねられるほどオレの神経が太くない。まずは迫っている敵をなんとかするのが先だろう。
 しかし……緊急時に新参者のオレが出来る事など無い。いつでも動けるように体調を万全にしておくぐらいが関の山だ。
 そういえば、もう正午を越えた時間のはずで、腹が減った。

 腹の虫を抑えるためにポケットからヒールゼリーを取り出したら、大宮司に横からかっ攫われた。
 文句を言おうにも、指示の合間にヒールゼリーを啜り、伝声管に向かってがなり立てている大宮司に文句を言える訳もなく、オレはポケットからもう一つヒールゼリーを取り出して口に咥えた。


「何を呑気にこの馬鹿者めッ、 此処での指示は出し終えた。これから敵を迎え撃つ、来いっ!」
「わかった、判ったから腕を引っ張るな、肩が抜けるっての!」


 自分の事は棚に上げて酷い暴君だ――とは思わない。
 組織の幹部として彼女には率いる人達を護る義務と責任がある。仮とは言え、組織に組み込まれた者として文句を言えるわけがないのだ。
 さて、そんな彼女に連れて行かれたのは教祖の間の下の階、そこから外を見渡せるバルコニーだった。


「すっげぇ、家がぜんぶ装甲板で覆われて……防護壁ってこれのことか」


 昭和の町並みが、すっかり様変わりしていた。
 具体的に言うと区画毎に家がチョバムプレートっぽい装甲板で覆われており、コンテナ船のブリッジから甲板に載せたコンテナを眺めているような感じだ。
 こんな大がかりなギミック、どうやって作動させているんだろうか……。

 オレにとっては驚天動地の光景なのだが、大宮司にも、そして敵にとってもこの光景は驚くに値しないようだ。
 騎馬の集団が土埃を上げながら接近。街の様変わりに動じること無く通過し、宮殿を取り囲むように散開した。そして、一際大きな一騎が進み出て被、っていたフードをまくり上げる。
 その下から現れた顔は、大宮司が殺したネズミ男によく似ていた。

 いや、似ているというか、まったく同じ顔で、一瞬、生き返りを疑ってしまった。
 冷静に考えれば双子か親類であることを疑うのが普通で……だが、先頭の男に続いてフードを捲り上げた連中、その全てが同じ顔であることに我が眼を疑った。


「何を驚いておる? あぁ、其方は知らぬのだったな。Y6=の氏族は男も女も全て同じ顔よ、気色悪いことにな」
「気色悪いってのには同意すけるけど……イヤイヤ、あり得んだろ! あれだけの大人数が全く同じ……まさかクローンか? それとも、遺伝子流出による大規模バイオハザード――」
「詮索は後にしろ。無視されてアヤツ、顔が真っ赤になっておる。相変わらず堪え性がない……やはり性根も、その全ても同じ、か」


 無視の上、ヤレヤレと首を横に振ってため息を吐く大宮司に腹を立てたのか、先頭の大きな一騎が怒声を放った。


「こっんの、クソ■■の×××、▽▽女っ、よっくも、&$$%%してくれやがったな! (以下、放送禁止用語っぽい罵声が続く)」


 そんな先頭の男に続き、後ろの連中も罵声も上げ始めた。
 どうやら山で大宮司に殺された同胞の恨み、更には……奪い尽くすとか、殺すとか、とにかくヤバイ単語を並べ立てている。

 完全武装した集団に敵意をぶつけられるというシチュエーションは、本来であれば逃げ出したくなるほど恐ろしいものだろう。
 だが、怒り顔も、声も、仕草さえも、全く同じ。
 しかも、この腕時計の機能なのか、暫く経って汚い言葉が遮断されて『ぴー』という信号音に変換されてしまっている。
 まるでマンガやアニメの中から出てきたキャラがコピー&ペーストされて並んでいるような、若しくは、とある1ページを切り抜いて並べたみたいで、怖いと言うよりは『気色悪い』という言葉がピタリとくる。
 むぅ、バルコニーの下、集団でキーキー泣きわめいている姿をみていると、本当のネズミに思えてきたぞ。


「我もアレと初めて相対した時は、同じように感じたものよ。そして時を経た今ではアレをヒトとして考えるのを止めておる。繁殖力が強いようでな、増えて食料が足らなくなったら略奪に来るのだ。追い払っても、どれだけ殺しても、次の季節には時間を巻き戻したように同じことを繰り返す。気に食わん$&“*氏族との共闘も……いや、今言うことでは無いな」


 聞けば聞くほどネズミっぽい連中だ。
 顔どころか、生態も近いとか、まるで誰かが用意した舞台装置にも思えてしまう。
 ホントにこれは現実なのか? バーチャルリアリティの世界に迷い込んでしまったのではないかという疑問が再び湧き上がってくる。
 ただ、彼らが敵意を持っていることは間違いない。現実にしろ、バーチャルリアリティにしろ、切り抜けなければ未来がない。
 違いは外見がヒトっぽいというだけで、行動原理が略奪という生物というのなら害獣と同じだ。下手な遠慮は命を危険に晒す事になるだろう。

 そんな感じでココロの準備を整えたら、ちょうど下の連中も罵声を出し尽くしたようだ。声の代わりに悪意が膨れあがっていくのを感じる。
 そしてネズミ男の群れに対して、大宮司は冷酷な宣告を下す。



 ――聞け、略奪者どもよ。
 この地に生きる者にとって、貴様らは害悪でしかない。
 我らは貴様らを人として認めておらぬ、それ故、殺すことに躊躇はない。
 Y6=の名を持つ害獣どもよ、死の定めを、全滅を覚悟せよ。
 粛正を始める――



 大宮司の言葉が終わると同時に、宮殿の屋上から無数の矢がネズミ男達に降り注いだ。





[43642] 34話 アムネジアでも人は殺せる
Name: ヤマモト◆741e3e41 ID:c2a303a1
Date: 2021/06/13 08:55

 弓矢は強力な武器だ。
 当り方によっては金属鎧であっても貫通するし、貫通しなくても肉体に受ける衝撃はかなりのモノだ。
 大きさがヒトかそれ以下の動物であれば十分な殺傷能力を持っている。
 なによりその強みは射程にあり、遠距離から一方的に攻撃できるという点にある。いくら強力な武器を持とうが届かなければ意味は無く、剣の達人であっても舞台の外から攻撃されては敵わない。
 逆に難点を上げるなら命中率か。
 矢が手から離れるため、対象までの距離があるほど外乱の影響を受けて狙いが逸れる。相手からすれば、当たらなければどうということはない! と言いたくなるのも分かる。
 ただ、それを補う術は幾らでもあって、数を揃える、連射能力を高めるなど、歴史書を紐解くまでも無いだろう。

 何が言いたいのかというと、今の弓矢を射た状況は最適ってことだ。
 縦に距離を持つことで一方的に攻撃できる、放った矢に位置エネルギーを加えられる、横方向の距離が短いことで重力による影響が少なく命中率が上がる、等々……。

 大宮司がネズミ男達の罵声を黙って聞いていた理由がこれなのだろう。敵の注意を引きつけた後の宣言は、挑発を兼ねた射撃指示だ。
 元から頭へ血が上っていたところに燃料を注がれ、連中には回避という選択肢はなくなり、一方的に射られるという状況が成る。
 ネズミ男達へ降り注いだ矢の数なんて数えようもないが、面制圧という言葉が頭に浮かぶくらいなので不足はない。

 はたして、毛皮と皮で出来た粗末な鎧では防ぐことは敵わず、矢は彼らの体に突き立ってハリネズミと化した。


「よし次だ。騎兵隊、突撃せよっ、一匹たりとも逃す出ないぞ!」


 イヤイヤイヤ、どう見ても死んでるだろ…………そんな言葉は、元気に動き出したネズミ男達に止められた。
 落馬している者がいる、何本もの矢を生やしている者もいる。しかし、先ほどの斉射で死んだ者はいないようだった。
 もしかして、鎧で矢が止まっているのかと思ったが、矢が突き立っている箇所が血で赤く染まっているので貫通しているのは間違いない。
 であれば、精神力で耐えたとしても、筋肉や腱がズタズタで体が動かないはずなんだが――どうなっていやがる?

 いま起こっていることが信じられずに思考停止してしまったオレの目の前で、いつの間にか展開していた甲冑騎馬隊がネズミ男達に襲いかかる。
 先頭の見覚えあるフルプレートアーマーは、甲冑ウーマンか? ……ぅわ、えげつねぇ、捕虜にするとか全く考えてないな。

 騎馬による突進力を載せた槍の一撃は、近代兵器が出現するまでの最大攻撃力の一つではなかろうか。
 槍を体に受けて吹っ飛んだり、首や腕や足がちぎれ飛んだりしているネズミ男達を見ているとそう考えざるを得ない。
 甲冑ウーマンを先頭に円錐陣形で突撃した騎馬隊は、地面に墜ちた彼らを思うさま蹂躙した。無論、反撃もあったので無傷とはいかないが、落馬したのは一名に対し、ネズミ男達はほぼ壊滅状態に陥った。


「む、いかんな。レンジ、彼奴を助けよ。このような戦で兵を一名たりとも失うわけにはいかん」
「へ? 助けるって、どうやって――」


 最後まで言わせて貰えず、オレはバルコニーから戦場へ蹴り出された。

 落下による浮遊感は、最も死を間近に感じるモノだと思う。
 故にオレは飛行機とかロープウェイとか、果てはエスカレーターに乗ることさえも忌避感がある。ジェットコースターとか絶対乗りたくないし、スカイダイビングなんて幾ら金を積まれたって断るだろう。
 バルコニーから地上まで約15メートル。この高さは五階建てのビルから飛び降りるに等しい。
 何考えてんだ、テメェ!! という大宮司への憤りはすぐ消え、どうやったら無事に着陸できるかという超難問で頭がいっぱいになった。

 壁に捕まろうにも今のオレはy=ax2を描いて飛んでいる。
 服をはだけてパラシュートにするなんて時間はなく、意味もない。
 5点着地なんて、ぶっつけ本番で成功させられるのはマンガの中だけだし、そもそも15メートルという高さは技術限界を超えている。

 打つ手なし。
 死は免れたとしても、複雑骨折開放骨折全身打撲は避けられない絶望…………だが、それでも足掻くのがヒトなれば!
 激突の瞬間、左手首に巻いた時計を地面に叩き付けた。


 腕が本当に折れたかと思える衝撃に顔を顰めつつ、体が動くことを感覚的に確かめると、オレは走り出した。
 なんだか目の前にいっぱい出てきたホロウィンドウは全て無視する。
 いまは一人落馬して取り残された騎士を助けるのが先だ。でなければ、バルコニーから蹴り落とされた意味が無くなる。
 戦争に荷担する気はないが、禄を食む者として最低限の仕事はしないと。それにしても、グロ耐性は無かったはずなのに平気なのは連中に現実味がない所為か?
 地面に散らばる彼らの破片や血を見ても吐き気が起きない事に違和感を覚えつつ、状況を見る。

 生き残ったネズミ男達は3名。
 いずれも満身創痍でありながら、怒涛の勢いで落馬騎士を攻め立てている。
 いくら良い装備で身を固めても3対1は分が悪い。それに突撃した騎士達の中では最も小柄で、落馬の衝撃で体を故障させている可能性もある。
 矢によるサポートは敵味方が近すぎて期待できないし、騎馬隊がUターンして戻ってくるには最短でも20秒が必要だろう。
 それはヒト一人が戦いで死ぬには十分な時間だ。

 振り上げた剣で落馬騎士の頭をかち割ろうとしていたヤツにドロップキックをかまし、剣を腰だめに構えて突き刺そうとしていたヤツの足下にアメリカンクラッカーを投げつけて動きを止める。
 頭目らしきネズミ男と、鍔迫り合いをしていた落馬騎士が、闖入者に驚いて一瞬動きを止めるも直ぐに戦闘を再開する。
 一方、オレのドロップキックで邪魔されたネズミ男は凄まじい怒声を上げて斬りかかってくる。
 アンタの怒りはもっともだが、ちょっと待って欲しい。そこでもたついているヤツが先だ。

 単純に突進してきたネズミ男をヒョイッと横に避けると同時に足を掛けて転ばせる。
 そして、不運にも刺さった矢と投げつけたアメリカンクラッカーが絡んで動けなくなったヤツの頭を、鞘に収めたままの刀で思い切りどついた。
 オレに頭をどつかれたネズミ男は白目を剥いて昏倒し、転ばされたヤツは立ち上がって気勢を上げる。


「キサマ、■氏族ではないなっ、只人か!? 只人のゴミカスが、ぶち殺して食ってやらぁ!!」
「…………」


 戦闘中によく喋るヤツだ。
 全身に矢が突き刺さっているのによくそんな余裕があるもんだと感心する。ホントに体の構造はどうなっているんだか……。

 大上段からの剣撃は迅く、とても全身に矢が刺さっているとは思えない。完全に殺す気で振るわれた剣には妙な迫力があって、背筋に怖気が走る。
 なんとか避けられはしたものの何度も続けるのは無理だ。
 横一文字に振るわれ蛮剣を後ろにステップして避けると、オレは鞘から刀を抜いた。

 後でよく考えると戦争の雰囲気に酔っていたんだと思う。
 袈裟斬りに振るわれた蛮剣を一寸の間隔で避け、下がった頭に振るった刀は、頭蓋を縦に割った。

 飛び出す脳漿、両手に残ったヒトを斬る感触を、一生忘れることは無いだろう。
 オレは、自分の目的の為にヒトを殺せる人間なのだ。



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