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[41692] あの花SS On your mark! 【完結】
Name: サイド◆24aa758c ID:770f0da0
Date: 2015/12/01 23:27
 油と硝煙の香りがする。視界を煙塵が覆い、過敏になった神経は砂利を踏む音すら聞き落すことがない。通信回線が開かれ、機体の損傷率が表示された。

 その情報を苦虫を噛み潰したような表情で確認、同時に周囲の状況もレーダーで把握する。敵の残存勢力と残りの残弾を逆算して、覚悟を決めるように深呼吸を繰り返す。

 やがて、敵の接近を知らせるアラームが鳴った時、おもむろに120mm経口バズーカを発射し―――。

「じんたん」

「……」

 癖のある髪を左右に結んでいる少女、安城鳴子が脚立上でぼんやりとしている少年に声を掛けた。しかし、少年は答えない。

「ねえ、じんたんってば。聞いてる?」

 がしゃがしゃと脚立を揺らす。じんたんこと宿海仁太はバランスを失いかけてから、ようやく正気に戻った。何をするんだ、という抗議の視線を鳴子へ投げる。危ないじゃないか。

「危ないのはそっちでしょ。ポスターの前でぼんやりしちゃって。まあ、もう閉店時間過ぎてるからお客もいないんだけど」

 鳴子は放課後にアルバイトをしているゲームショップ店内の様子を見渡す。据え置き用、携帯用、PC用、卓上カードゲーム用のスペースがそれぞれ目に入る。

 流行は子供と女子高生が作るものらしく、卓上カードゲーム用スペースと、携帯ゲーム機用ソフトの周辺にはその年齢層の客の姿が多く見られるようになった。漫画とゲームが好きな鳴子からすれば子供と女性ユーザーの増加は嬉しい限りだが、同時に衰退していく据え置き用ソフトの将来を憂いる気持ちもあった。

「あなる、ちょっと画鋲持っててくれ。柱のポスター剥がすから」

 頭上から指示が飛んできたので手を差し出す。ちょん、ちょん、と何か小さくて冷たいものが置かれる感触。仁太は脚立の上でポスターの絵面を見ながら感嘆のため息をついた。

「あー、やっぱスキュータムRDのロボット描写は最高だなー。もっと売れてもいいと思うんだけどなあ」

「ねえ、それってメカもののアクションゲームよね。面白いの?」

 メカ、と言うだけで女子は引いていくのが一般常識だ。それが分かっていても、とりあえず訊いてみる鳴子はかなり良心的な存在と言える。イマイチその機微が仁太へ伝わっているのかどうか微妙ではあるが。

「ああ、面白いぞ。最初はユーザーを崖から突き落とすかのような難解な操作設計と冗談みたいなクリア条件に絶望するんだけど」

「…男の子のゲームね……」

「だからこそ困難を乗り越えた時の達成感が堪らないんだ。こう、持て余すばかりだった機体のスペックを最大限に引き出せた時の喜びとと言ったら、言葉では表しきれない」

「ふーん、そう」

「って、こら。誰かが喋ってる時にスマホ触るの止めろ」

「よく分かったから。じんたんは工具とかあったらとりあえず分解してもう一度組み上げる人だって分かったから」

 はぁー、と仁太は嘆息する。

「これだから女ってやつは…。この興奮が分からないなんて」

「それはこっちの台詞。男の子のロマンってよく分からない。いつまで経っても変身ヒーローとか大好きだし」

「いや、ああ言うのは一度卒業してから一周して戻ってくるもんなんだ。中学の時なんて恥ずかしくて見られなかったけど、最近は親父と一緒に見たりもしてる。超カワイイって言ってる」

「おじさん…せめてカッコイイと…」

 はぁ…と溜息を吐く鳴子の上で仁太が手をぽむ、と打つ。

「よし、ポスター取り外し完了」

「それ、もらっていいって店長と話してるんだっけ?」

「ああ。販促用に使ってたけど新しいソフトのポスターが届いたからもういいって」

 仁太はふっふっふ、とスキュータムRDの絵面を眺めて変な笑いを浮かべる。

「よしよし、家に帰ったら壁に張ってもう一度ゲームするぞ。そうと決まれば仕事を終わらせよう。…あなる、そこの陳列棚に立てかけてある新しいポスター取ってくれ」

 鳴子は脚立の上から仁太が指差した先へ視線を投げる。手に取って何となくビニールを解き、中身を確認した。

「これね。……うぇっ!?」

「どしたよ?」

 突然の奇声に仁太が首を傾げる。鳴子の頬は赤くなり、耳たぶまで朱が差している。

「う、ううん、何でもない。はい、これ」

「お、おう」

 仁太は受け取って「ははぁ」と理解する。
 
 ポスターに書いてあるのは五人の高校生美形男子だ。いかにも俺様キャラで上から視線を投げている者、気が弱そうで視線を逸らしている者、その中間にいる人懐っこい笑みを浮かべる者、彼らが妙に耽美なタッチで描かれている。

 つまり、乙女ゲーという奴だ。

「何、お前こういうの苦手なのか?」

 意外にさらり、としたリアクションに逆に鳴子は戸惑った。

「いや、苦手って訳じゃないけど、大手を振って好きって言うものでもないって気が…」

「ふうん?俺も一回やってみるかな」

「え!?やるの?」

 鳴子は目を剥いて仁太へ視線を向ける。

「いいだろ、別に。最近のは男子がやっても楽しいって聞くし。まあ、つるこ辺りが聞いたらすっげえ寒い目されそうだけど」

「あー、凍えんばかりのが来そうだよね…。前に冗談で『つるこって身持ち固いよね』って言ったら射抜かんばかりの冷たい視線が来た」

「お前なかなかチャレンジャーだな。俺ならこう、もっとオブラートに包んで『つるこって姑と揉めそうだな』程度に…」

「殺されるわよ、マジで」

「冗談だ。俺だって命は惜しい。『つるこは一途だな』って辺りが妥当な落としどころだろ」

 実際その通りだし、と心の中で付け足す。相手は言わずもがな。

「よし、さっさと仕事を終わらせようぜ。あなるは下半分に画鋲打っておいてくれるか?上は俺がやる」

「了解」

 ぱぱっと、済ませて仁太は脚立から降りる。それを畳んで店に隣接している物置へ運ぶ。鳴子が「手伝う」と言ったが辞退した。それほど大変な持ち物でもない。男の子だし。ちょっと、担いだ肩が痛かったが。

「あっちー…」

 時は夏。夕方時になっても陽は沈まずアスファルトを容赦なく照り付けている。陽炎が上り、立ち止まっていても汗がだくだくと流れ落ちる。しかし、店内にいるならいるでクーラーが効き過ぎて身体が冷える。実際、鳴子などは休憩中にタオルケットでお腹から足の暖を取っており、冷え性の女子は大変だなあ、と仁太は生暖かい目で見ていた。視線がキモいと言われてすぐ止めたが。

 しかし、やはり夏は暑い場所にいるのが心地いい、と仁太は思った。単純に汗を流すのは気持ちがいいし、風鈴は涼しげだし、女子は軽装になるしでいいことずくめだ。これも夏の風物詩の一つ、と勝手にカウントする。

「ちょっとじんたんー?レジ締めるから売上計算するの手伝ってー」

 声が聞こえて仁太は店内へ戻る。一度だけ振り向いて燦々と輝く太陽を見上げた。

 もう、あの日々から一年が経過しようとしていた。






あの花SS On your mark!  その1







「よっ、お二人さん。バイトお疲れぃ」

 バイトが終わり、仁太と鳴子が秘密基地に顔を出すと鉄道が外で夕涼みしている所だった。時刻は19時を過ぎて陽も沈んでしまった。しかし熱中症大国を侮ることなかれ、とばかりにうだるような蒸し暑さは残っている。外に出ていてすら暑さを感じるのだから空調のない秘密基地の中がどうなっているのかは推して知るべしだ。

「お疲れ、ぽっぽ。お前、今日バイトは?」

「今日は休みだ。一日フリー。引き続き高認試験のお勉強。ゆきあつとつるこは夏期講習だから来られないってよ」

「流石あの二人はそういう所、堅実ね…。まあそれはともかく、頑張ってるぽっぽにお土産だよ。はい、ガリガリ君」

「お、おお~、流石あなる。気が利くぜぇ。…ってコーンポタージュ味?」

「何、不服なの?」

 鉄道は慌てて手を胸の前で振る。

「いやいや、とんでもない。ただ個人的にはソーダ味辺りがよかったかな、とか」

 そんなことを言いながら封を破って口へ運ぶ。

「ん~、たまにはコーンポタージュもいいねえ。アフガニスタンで二週間飲まず食わずだった時に食べたカロリーメイトみてぇだ」

「いや、ぽっぽ、それ微妙に褒めてないぞ、多分」

 考えるだけで口がぱっさぱさになりそうだ。って言うかアフガンで何があった?

 仁太は持っていたマイバックからファンタを取り出して口に運んだ。

「っ、か~!」

 やはり労働の後の炭酸は最高に痺れる。添加物と糖分に溢れているこの感じが堪らない。ビバ、不健康な思春期の食生活。一生の内で一番炭酸を愛せる世代だ。

「どお?ぽっぽ、勉強は?」

 鳴子の言葉にかつ、っとガリガリ君を齧ってから鉄道は答える。

「ん~、流石に高校行かずに取り戻すのは難しいな。自分で放り投げた事とは言え、悔やまれることも無くもないしよ」

「う~ん、教えてあげたいのは山々だけど、ウチの学校はレベル低いしね…」

「俺も毎日学校行ってるわけでもないしなあ」

「そういやじんたんって朝から夕方までゲームショップのバイトしてる時ねえか?何でだ?放課後から入っても小遣い稼ぎとしちゃ充分じゃねえの?」

「あー…」

 生返事してちょっと考える。確かに小遣い稼ぎとしては充分な金額を貰っていると思う。通帳の記帳に行ってもそれほど残高は減らない。寧ろ増えている。あるならあるで使わないタイプの人間なのかな、と最近思う。

 CDやDVD、漫画はレンタルで済ませるし、特に不自由も感じない。最近食費は父親と折半にしたが、それでも知れている金額だ。その他で使うとすればゲームソフトくらいか。買う店舗がバイト先なのだからとんだ地産地消もあるものだと笑った。店の貸借対照表を見ればさぞ可笑しかろう。

「まあ、単純なところだとお金があるのって幸せだなって。自分でお金の管理が出来るってのも嬉しいし」

「じんたん…、主夫じゃないんだから」

「いやいや気持ちは分かるぜ。俺もここに腰落ち着かせるまではギリギリの生活してたからなあ。あれば旅行に使っちまってさ」

「んー、ぽっぽみたいに色々見たり、知ったりする為に使ってるならいいと思うぜ。俺なんて完全にタンス預金だからな。若者に金だけ与えて資産運用の練習させるどこぞの国家の方がまだマシかもしれない」

 バイト先の店長も学校から出来るだけ勤務は少なくするように指導を受けているみたいだし、と付け足す。

「また吹っ飛んだ例えを出すのね、じんたん。でも、勉強を疎かにしてるわけじゃないじゃん」

「へ?」

 ぎくり、と仁太は悪いことをしていたのを親に見つかった子供のような仕草をした。

「バイトのない日はさ、ちゃんと学校に来て真面目にノートなんか取っちゃって。…さっきも言ったけどウチってレベルの高い学校じゃないからさ、生徒も教師も適当にやってるのに」

「ま、まあ学生の本文は勉学って言うからな。それくらいは……」

 何に照れているのか、鳴子は仁太から顔を逸らして続ける。

「嘘じゃないけど、言葉が足りないよ、じんたん。分からない所があったら職員室の先生に聞きに行ったりしてるでしょ?」

「し、知ってたのかよ…。いや、あれはな、その、ぽっぽが…」

 今度は仁太が視線を外して頬を掻き、語気を弱める。すると鉄道が両手を上げていきり立った。

「さっすがじんたん!!つえーなあ!!そう言う所、ガキの頃よりずっと格好よくなってるぜ!!」

「よ、よせよ、ぽっぽ。恥ずいだろ。あなるだってさ、成績は悪くないわけだし」

「お、そうなのか?」

「え、わたし?わたしはノートに取ってその範囲しかやらないよ?だから平均以上でも平均以下にもならないの」

「うわー、つまんねー女。流石ラブホ顔」

「うっさい、引きこもり」

 起こった小競合いを鉄道が「まあまあ」と取り持つ。ぽつり、と鳴子は言った。

「うん、でもさ、確かに、じんたんを見てると……」

 仁太と鉄道が「うん?」と首を傾げる。そんな二人と対照的に鳴子の表情にはわずかな陰りがあった。

「ううん、何でもない。何でもないんだ、気にしないで」

 鳴子は気弱に笑ってその場を流した。見上げれば青みがかった空に流れ星。見送るには不思議に長く、願いを掛けるにはあまりに短い光。
 
 鳴子は白藍色の空へ向かって手を伸ばした。






[41692] あの花SS On your mark!  その2
Name: サイド◆24aa758c ID:770f0da0
Date: 2015/11/26 23:23
 あの花SS On your mark!  その2






 宿海仁太には一人で外に出るのが怖かった時期がある。

 最初は些細な動機から。何となく無気力になったので、何となく外出しないようになっただけ。TVで放送されている引き込もり等と言うものは液晶の向こう側にあるもので、自分がそうなるとは夢にも思っていなかった。

 思うに、心にもエンジンと言えるものがあるのだ。目に見えない分、分かりづらいが日々の活動を通してきっちり整備しないと割りとすぐに機嫌を損ねてしまう。それが仁太には分からなかった。いや、知らなかったと言うべきか。

 サボればサボるほどにエネルギーを失い、エンジンオイルの循環性が潤いを無くしていく。ゲームで例えれば日に日に最大HPとMPがどんどん減っていくようなものだ。自然、出られるフィールドが狭くなる。遠くの町まで出向いたり、難易度の高いダンジョンに挑んだりはできなくなる。ピコピコと最初の町の近くの森でスライムを相手にすること位はできても、それもやがて不可能になる。もう一度ゲームで例えるなら宿屋と道具屋を往復しているだけの日々。一日数分あれば事足りる。それだけで完結している世界。

 本気で戦慄と恐怖を味わった。自分の内面からじくじくと膿んでいくあの感覚は体験したものにしか分からないだろう。ニット帽を被り、伊達メガネをかけていても玄関の扉は遠くかけ離れた封印の扉だった。近づくと視界が歪んで体中から汗が出る。忘れたい、もう逃げたいと思っていた。

 そう、思っていたのに。

「ありがとうございましたー。またお越しくださいませー」

 今はコントローラーの代わりにレジを打っている。

 ネット麻雀の要領で簡単な暗算も出来た。と言うか麻雀の点数計算の方が難しい。何であんなにややこしいのだろう?中国の伝統武術である太極拳では古来から精神を鍛える為に麻雀を取り入れているとふしぎ発見っぽいTVで見たが、みんな点数計算とかできるのだろうか。すげぇ。ついでに言うと太極拳は極めれば最強の拳法らしい。パッと見はゆったり動く健康体操としか思えないのに。パネェ。

 以上のようなことを鳴子に話したら「うっわー、すごくどうでもいい…」との論評を頂いた。全くその通り。

 ちなみに接客業で一番大切な営業スマイルと言うものは最後に覚えた。今でも上手くはないが、他にも覚えることはたくさんあったので優先順位を一番低くしたのだ。それなりに形になったのだって、バイトを始めてから半年以上経ってからだ。店長とぶつかることもあったし、客と揉めそうなったこともあった。何度も凹んだ。辞めたくもなった。ただ、その分、鳴子が頭を下げてくれて、フォローもしてくれた。バックヤードで泣いた。

 引き込もりから脱却しようとか、失敗をバネに成長しようとか、そんな余計なことは考えなかった。ただ、目の前の人に辛い思いをして欲しくなかった。これは鳴子に話していない。

「店長ー、そろそろ俺上がりますけど何かやることありますかー?」

 倉庫にいる店長へ声を掛ける。「いやー、無いよー。上がってー」と返事が返って来た。

 着替えを済ませて店を出る。腕時計の針を確認すると時刻は21時。すっかり夜の帳が降りて、砂を散らしたような星々が頭上を覆う。すっかり夜空が透き通る季節になった。心地いい、仁太の好きな季節。

 鼻歌交じりに線路沿いを歩いていると見知った背中が二つ。

「よ。ゆきあつ、つるこ」

「ん?じんたんか」

「お疲れ様。バイトの帰り?」

 二人は振り向いて目を細めた。夜闇の中ではあるが、街灯のすぐ近くなのでお互いの姿がはっきりと認められる。

「ああ、さっき終わって今帰るところ。何か飲むか?奢るぜ」

「そう言えば喉が渇いたな。じゃあC.Cレモンを」

「私はなっちゃんを」

「サントリーで固めて来たな。俺はBOSSのカフェオレ辺りいっとくか」

「コンビニまで距離あるし、少し歩くか」

 集の提案に仁太と知利子は頷く。互いにやることは済ませた気楽な帰り道だ。仁太は口を開く。

「夏期講習、大変か?」

「いや、それほどでもない。まだ二年だしな。まあ、来年は大変だろうけど」

「はー、こんな時間まで勉強してまだ余裕があるのか。流石だな、ゆきあつ」

「慣れよ、慣れ。じんたんも習慣が身に付けばそれなりにこなせるわ」

「そ、そういうものなのか…?俺なら慣れる前に血を吐いて倒れそうなんだが」

 その言葉にさらり、と集は首肯した。

「ああ、いるな、そんな奴も。顔が真っ青になって」

「医務室に連れて行かれるのよね。ドナドナ」

「つるこ、付け足しが怖い…」

「あら、事実よ?」

「マジか」

「マジだ。ストレス性胃炎や胃潰瘍が多いな。その他、親からのプレッシャーで吐き気を催す三年生とか」

「なにその伏魔殿。超こわい」

「魑魅魍魎の跋扈する魔窟なの」

「受験戦争か。この間ぽっぽから聞いたカシミール紛争を思い出すな……」

「また随分尖ったところを出してきたな…」

「ええっと、確か…」
 
 カシミール紛争とは同地域の帰属を巡るインドとパキスタンの対立のことで、現在は両国が核を持ち、抑止し合うという酷く危険な状態へ陥っている争いだ。全くもって恐ろしいので国連もどう対処すべきか物議をかもしているとかなんとか。

 その説明をした仁太に集は眉根を寄せる。

「何でそんな突っ込んだ事情まで知ってるんだ、ぽっぽは…」

「あいつ、一時期物騒な地域にばかり行ってたことがあったんだってさ。命知らずだったって笑ってた」

「笑って済ませられてよかったわね…。一歩間違えれば」

「死んでただろうなあ。人質になれば死んでいるものとして色々な交渉は行われるわけだし」

「ぶ、物騒ね。食事と寝床くらい用意してくれてもいいのに…」

「そうだな。名誉ある扱いは保証されているんじゃないのか?」

 何かそういう条約があったはず、と集が漏らす。

「捕虜ならな。まあ、ぽっぽに言わせれば人を攫う危険人物にそれほどの思慮深さと余裕は期待しない方がいいらしい」

「……今度、ウチの塾の講師にぽっぽ呼ぶか」

「受験の役には立たないかもしれないけど、得られるものは多そうね……」

 うむぅ、と二人は唸る。いつの間にか脅かす立場が逆転していた。そんなこんなしている間にコンビニへ着く。三人は連れ立って店内へ入った。集が女性誌の前で脚を止める。

「どうした?ゆきあつ。変な所で立ち止まって」

「いや……」

「??」

 難しい表情で黙り込んだ集を仁太は不思議な目で見つめる。傍へ知利子が寄って来て、耳元で囁く。

「ゆきあつはね、まだ時々女装してるの。あの一件で目覚めちゃったみたい」

「ゲッ、マジで!?」

「嘘に決まってるだろ、じんたん。信じるな」

「お、おう…、すまん」

「つるこもその手の冗談は止せ」

「はいはい。で、実際は何を見ていたの?」

「あ、ああ。この間あなるから少女漫画を借りたんだ。面白かったし、今号から続きが読めるらしいから雑誌を探していたんだが…」

「いいじゃん。どれだ?」

 仁太は慣れた手つきでひょいひょいと棚に置いてある雑誌を手に取り、目次を見ながらタイトルを探す。

「あった。ほれ、ゆきあつ」

「あ、ああ、サンキュ。じゃあ少し読むぞ」

「おう。つるこ、俺達は先に飲み物買って外で待っていようぜ」

「そうね。随分喋ったから喉が渇いたわ」

 そう言い合って二人は会計を済ませて店を出る。ガラス越しにゆきあつが真剣な表情で漫画を読んでいる姿が見て取れた。

「なっちゃん、ありがと」

「気にすんな。そっちが勉強やってる間に稼いだお金だ。等価交換ってやつだよ」

 知利子はくすり、と笑った。

「不思議ね。あなたの方が損をしているように思う」

「そうか?つるこのつまらない卑下だと思うけど」

「働いてお金を貰って、学校へも行っているんだもの。じんたんの方が偉いのは当然よ。私は親のお金で学校や塾へ行っているわけだし」

「早いか遅いかの違いだと思うぜ。いざ働き始めたらゆきあつやつるこには敵わないさ」

「そう?それこそじんたんのつまらない卑下だと思うけど」

「あ、さっきの俺の発言を取ったな。揚げ足を取るなんてやるじゃないか、つるこ」

「じんたんは詰めが甘いのよ。私ならそのままカカト落としよ」

 ひえぇ、恐ろしい、と仁太は唸る。知利子はちょっと笑った後、コンビニ内の集を見た。

「…いい顔になったでしょう?」

「え?」

 なっちゃんに口を付け、静かな声でつるこが言った。コンビニ併設の駐車場はライトアップされて隅々まで見渡すことができる。今この場所にいるのは仁太と知利子だけだ。他にいるのはガラス越しに少女漫画を読む集のみ。

「以前はあんな隙を見せなかった。いつも眉間に皺を寄せて、ピリピリしていたのに」

 仁太はプルタブを開けてカフェオレを口へ運ぶ。何これ超甘いんですけど。けへっ、けへっ、と咳き込んで落ち着くのを待つ。

「ゆきあつって元々漫画とか小説とか読まない方だっけ?」

 思い返せばノケモンをやっていた面子に集は含まれていなかった。横から見てはいたが自分がプレイすることはなかった。

「触れていなかったわね。最近は楽しんでるみたいだけど」

 仁太は店内の集を見やる。

「あれだけ真剣に少女漫画読めるのなら素質はあったんだろうなぁ」

「そうね。最近なんて私にオススメの本を聞いてくるんだから、人間、変われば変わるものだと思い知らされるわ」

「あいつ、これ以上教養身につけてどうするつもりなんだ……?」

「教養は継続よ、じんたん。毎日新しい知識に触れていないと鈍っていくばかりだから」

「うああ、耳に痛い」

 最近になってから本腰を入れて勉強を始めただけに、そういう習慣を持っていなかったことを突かれると泣き所だ。まだまだ取り返しは効くと学校の教師は言っていたので、まあ、楽に構えていようと思っているが。

「うーん、しかしそういうのをあなる辺りが聞いたら泣くぞ?」

「実際言ったわ。半泣きになった」

「手加減してやれよ……」

 うむむ、と慄く。語気を荒げるわけでも、強めるわけでもなく、落ち着いた声で知利子は言った。

「でもあなるは大丈夫よ。騒がしい友達もいるみたいだし、刺激には事欠かないでしょう」

 友達、と聞いて鳴子がいつも一緒にいる友人二人こと春菜と亜紀を思い出す。なるほど、確かに彼女達と一緒なら毎日がスリリングに違いない。以前のラブホテル事件があったので遊ぶのも程々にして欲しいという気持ちもあるが。

 そう考えるとちょっと自分の生活は変化に欠けているのかもしれない、と仁太は思う。朝起きて、学校へ行って、バイトをして、ご飯を食べて眠る。不満はないが、もう少し色々やってみてもいいかもしれない。その辺りは鉄道辺りが詳しいだろうから今度聞くのも一つの手だろう。

 そんなことに想いを馳せていると静かな声が届いた。

「…貴方もいい顔になったわね、じんたん」

 知利子が缶を指先で弄びながらぽつり、と言う。

「そうか?何か、正面切って言われると照れるな…。自分じゃ分からないけど、つるこが言うならそうなのかもしれないな」

「あら、そんなことを言っちゃっていいのかしら?私の言葉の価値なんて知れたものよ?」

「でも、嘘は言わない」

 言葉の持つ意味以上の事柄を含ませない。感じたことをそのまま口にしているだけだ。いつもフラットな立ち位置を崩さない。

「キツいことを言っても他意はないんだよな。敵は多いけど」

「お、ゆきあつ。漫画は読み終わったのか?」

「ああ。悪い、待たせた」
 
 コンビニから出て来た集に仁太がC.Cレモンを手渡す。集はそれを受け取ってプルタブを開けた。

「ま、逆に味方も多いからバランスは取れてるんだけどな」

「リアルだなー……。ざっくり好き嫌いが別れる辺り、つるこらしいけど」

「そうでもないわ。無関心、の人も沢山いるし。その辺りで言うと最近人気急上昇中のゆきあつの方が人間関係楽しいかもね」

「へー、ゆきあつは人気あるんだな。まあ、勉強は出来るし、運動神経も抜群だから男から見ても納得だけど」

「学校の一年生からは『王子』なんて呼ばれてるし」

「うわぁ、かゆい!!俺、そんな呼び方されたら片眉剃り落として山にこもるぞ」

「あのな、じんたん、あなるから聞いたけど最近のお前も」

「え?何だ?」

 仁太は集の言葉にぱちくり、と目を瞬かせる。

「いや、気が付いてないならいい。その内分かるだろ」

「じんたんは自己評価が低いから周りを見る余裕がないんだろうけど、自覚が出てきたら意外と、なんて事もあり得るわけだし。…あなるも大変ね」

「だから何の話だ?」

 首を傾げる仁太に二人は集、知利子の順で答えた。

「世界経済と」

「永遠平和の話よ」

「絶対違う……」

 ぶつぶつ言う仁太を置いて二人はコンビニの敷地から出る。

「でも私は、変わっていくゆきあつが…」

 控えめな声に集が振り返る。

「ん?」

「…何でもないわ。イリオモテヤマネコの話よ」

「? 何だ?突然ネコの話なんてよく分からない奴だな」

 首を傾げる集に追いついた仁太が声を掛ける。

「そういや、どうだった?あなるから勧められた漫画は」

「ああ、面白かったな。恋愛観とか友情観とか、少女漫画は感情の機微の捉え方がすごい」

「あー、確かにそれはあるかも。熱血もバトルもないのにどうしてあんなに盛り上がるんだろうな」

「私から見ればなぜ男子はそういうものにいつまでも夢中なのかが分からないんだけど」

「だってかっこいいだろ、孤独に戦うヒーローとか」

 仁太の言葉に知利子は唇に指を当てて少し考える。

「まあ、積極的に否定もしないけど。最近はハリウッドのアクション映画でも独りぼっちで戦うヒーローが増えているらしいし。女性の作品とどちらが上とかいうわけじゃないけど、色々な小説でも男性の作家の作品は舞台が壮大よね」

「確かに。つるこからいくつか紹介してもらった小説があるけど、男性と女性で作風は大分違うな」

「苦悩や幸福の方向もね。男性は外へ向かっていて、女性は内へ向かっていく傾向があるわ」

 集と知利子の会話を聞いていた仁太が感嘆の溜息を漏らす。

「はー、お前らすごいなー。俺はゲームか漫画ばっかりでそんなに大きな物語に触れたことないからちょっと羨ましい」

「褒めても何も出ないぞ、じんたん」

「さっきも言ったけど、こういうのは慣れよ。貴方で言う所の売上管理みたいなもの」

「そんなもんなのかな…。確かにあれは毎日欠かさず見ることに意味があるけど…」

 いつ、何が、いくらで売れたのか把握するのは店舗管理の上で非常に大切なことだ。ゲームソフトの販売価格の変動はスーパーマーケットのそれほど変動があるわけではないが、適さない時期に不釣り合いな値段を付けても意味がない。大げさな表現かもしれないが、これは日々のデータの確認と方法を確立させて、初めて取ることの出来る戦略と言えるだろう。

「できることを一つずつさ、じんたん。知識や技術は後から付いてくる」

「何だかんだで楽しんでいるでしょう?バイトも」

「まあな。最初はすげー辛かったけど、できることが増えていくのは嬉しかった。…あー、なるほど、こういうのを慣れって言うのか」

 仁太の言葉に二人は頷く。自分のことでもないのに少し嬉しそうに。

 仁太はふん、と照れたようにそっぽを向き、カフェオレの残りを一気に飲み干す。

 あまりの甘さに咳き込んで、また笑われた。今度はイタズラ心とからかいの混ざった苦笑だった。

 にゃろう、今度は飲み物奢らないからな、と仁太は心の中で呟いた。



[41692] あの花SS On your mark!  その3
Name: サイド◆24aa758c ID:770f0da0
Date: 2015/11/26 21:27
あの花SS On your mark!  その3






 後日、休日の秘密基地にて。持ち込んだ学習机に向かっていた鉄道はうんうん唸っている。

「なぁ~、つるこ。どうしても判別式ってやつの意味が分かんねえ~。俺、数学の素質ねえよ~」

「順序を追っていけば大丈夫よ。もう一度説明するからゆっくり聞いて。一気に全てを飲み込もうとしないで。理系の勉強は一つ一つ積み重ねていくことが大切だから」

「…お願いします。恩に着るっす」

 机の傍へ身を運んで上半身を屈める知利子に、鉄道は、へへぇ、と平伏する。鉄道の所作が大げさな所為か神仏に出会った修行僧のように見えなくもない。

 一方、暇を持て余している仁太、鳴子、集はアイスを食べながら適当に近況などを話していた。

「どうだ?ぽっぽの出来上がりは?」

 扇風機の電源を入れながら集に問いかける。扇風機は回りはしたが、首振りの際にドガガガという異音を放った。壊れてるんじゃねえか、これ。

「確かに理系に苦労してるみたいだな。文系は結構飲み込みがいいんだが」

 ちなみに講師は文系は集、理系は知利子である。志望する大学の学部と同じだ。

「特に英語は上手い。海外の経験が生きているのかもしれないな」

 仁太は扇風機にチョップする。ズガッ、と音を出して止まってしまった。鳴子が口を開く。

「ふーん、そう言えば文法をしっかり勉強し直したいって言ってたっけ」

「俺もそれは聞いてる。単語は結構知ってるし、簡単な英文なら問題なく解答できるからいいんじゃいかって言ったんだけどな」

「意味あるのかな、それって。単語と文法ばっかり詰め込む日本の英語教育はダメだってよく聞くけど」

「それがそうでもないらしい。主語と述語をどこに挟んでもいい日本語と違って、英語は文法の構成がきっちりしてるからちょっと複雑な言い回しになると単語だけじゃ意味が拾えないんだってさ」

「はー、流石海外経験あるぽっぽは言う事が違うわね。うー、でも文法の勉強はイヤだなあ」

 うむむ、渋い顔をする鳴子に集は柔らかい口調で言葉を投げかける。

「そういう時は誰かと一緒に行けばいい。幸い、最近エンジンがかかって来たのもいるわけだしな」

 扇風機と格闘する仁太へ視線を向ける。ドカッ、ズガッ、と打撃音らしきものが聞こえてくる。何をやっているのだろうか。

「え、ええっ!?二人で!?そそそ、それはまだ、ちょっと心の準備が…」

「誰も二人でなんて言ってないぞ」

「う…誘導尋問反対。じゃあゆきあつも付いて来てくれる?」

「断る。二人で行け」

「けんもほろろじゃん…。だめじゃん…。いじわる…」

「いいじゃないか、二人旅も。カップルに見えるだろうし、楽しいと思うぞ?」

「そ、そうかな。じんたん怒らないかな?」

「誰もじんたんが相手だなんて言ってないぞ」

「……ゆきあつがいじめる」

 しゅん、と項垂れる鳴子と楽しそうに微笑む集。元々相性は悪くない二人だ。打ち解け合って冗談を言い合えるようになるまで、それほど時間はかからなかった。ある意味、仁太との距離よりも近いかも知れない。

「うーん、でも、やってみようかな、英語」

 ん?と集は指を口に当てる。ドカン、と炸裂音が響く。だから、何をやっているんだ。プラスチック爆弾で爆破処理でもしているのか?

「でもあなるは専門学校志望じゃなかったか?英語も必要だけど、まあ、何と言うか」

「いいよ、はっきり言って。センター試験をして挑む国公立大学や、私立の試験よりも勉強が必要ないって」

「う…む、しかし…」

 集はそれでも納得出来ないように唸る。集は思う。勉強は決められた枠内だけでやればいいものではない。当人の資質と目的、方向性に見合ったものをするのが正しい。極端な例だが、晩年のアインシュタインがノーベル文学賞を目指すとしたら大変に効率が悪くて時間も足りないのと同じ事だ。単純に可能、不可能の問題も大きい。

「ううん、そうじゃない。そうじゃないの」

「?」

 思いの外、優しい声に集は目を瞬かせた。

「誰かがやっているからとか、受験の為にやらなきゃいけないとかそんなんじゃないの。…私がやりたいの。何て言えばいいのかな、素敵だなって思えたからチャレンジしてみたいの。素質があるかとか、結果がどうとかは関係ないの。やってみたいって思えることが嬉しいんだ」

「………」

 言葉を飲む。

「な、なーんてね」

 あはは~、と鳴子は取り繕うように笑う。

「ちょっと言ってみたかったというか何と言うか。毎日勉強頑張ってるゆきあつに対して偉そうだったね」

「いや、あなるは……」

「?」

 首を傾げる鳴子に集は静かに告げる。

「無防備に…いや、違うな、無邪気に、なったな」

「え?」

「いい事さ。確かに以前は周りに流されてる感じがあったけど、自分の心から湧き上がる気持ちに沿って素直に行動し始めてる」

 一度言葉を切って絞った口調で続ける。

「だから、そう言うあなるを見てると、俺は……」

「? 何?」

「……いや、妄言だ。忘れてくれ。じんたん、扇風機の調子はどうだ?」

「??」

 逃げるように離れていった集に鳴子は首を傾げる。

 その先で「ボギン!」と言う金属が折れる音がした。

 これはカンパして新品を購入するしかないな…と鳴子は溜息を吐いた。



[41692] あの花SS On your mark!  その4
Name: サイド◆24aa758c ID:770f0da0
Date: 2015/12/01 23:23
あの花SS On your mark!  その4






 世間話を続ける仁太達を尻目に鉄道と知利子は一つ、一つ、過去問を解いていた。所々でつっかえるが、その度に知利子が手解きしていった。何が分からないかも分からない時は公式の記号を最初から順番に説明した。

 出来れば公式をそのまま覚えるだけにはしたくなかった。高認の試験は過去問を何度もやり込めばほぼ問題なく合格できる。増して、鉄道には何よりの原動力となるやる気がある。だからこそ、試験の入口で間違った対策方法を教えたくなかったのだ。

「おお~っ、解けた解けた。さっすが、つるこ。俺でも出来たぜ!」

 ひゃっほ~い、とノートを眼前に持ち上げる。

「その感じを忘れないで。やれば、出来る。その感覚を。全ての始まりで、全ての終わりだから」

「…過程は?」

「意思と努力」

「……ごもっとも。甘くはねえよな」

 ふむ、と腕を組む。
 
「愛と勇気、の方が良かったかしら」

 その他には、思い込みと勢い、と言うのもある。

「そっち!!そっち側がいい!!日本人は努力が大好き過ぎていけねえんだよ」

「そうね。独りで背負い込むことばかりが努力じゃないと思う」

 知利子は優しく頷き、鉄道が言葉を繋げる。

「でも、でもさ、俺はつるこやゆきあつみたいな師匠に恵まれたけど、独りぼっちでやらなきゃいけなくなった人はどうすりゃいいんだろうな……」

 知利子は目を閉じて想像する。自分がたった一人で何かに立ち向かうことになったとしたら。やれるだけのことはやりたい。だが、出来なかった時、成功しなかった時、やるだけの事はやったから報われなくてもいいと思えるだろうか。

 多分、無理だ。

 独りぼっちで頑張らざるを得なくて、助けが欲しいのに誰も傍に居てくれなくて、努力を認めてくれる人もいなくて。そんなのにはきっと、耐えられない。

 ただでさえ、一年前は独りで頑張っていて、辛いことも多々あった。成績で学年四位を保ってはいたが、二位の集に着いて行くだけで精一杯だった。集の隣にいたいから、頑張れた。目標があった。その意味で自分は独りではなかったのかもしれない。

「ほら、よく言うだろ、ボランティアってただ相手を助けるだけじゃなくて、自活できる方法を教えて実践させることの方が大切だって。結局、自分の足で立つしかないのかもしれねえな」

「そうね。食料や物資を送るだけなら簡単だもの。今の世界にはそれも不十分なんだろうけど」

 きっとまだ自活は遠い目標なのだろう。できるなら、次世代の人達へしっかりバトンを渡したい。だが、それ以前に一日を過ごす為の食べ物にすら困っている人の方が多いんだろうな…と少しばかり悲観的なことを心の中で知利子は考える。 

「そっだな。衣食足りて礼節を知るって言うもんな。自活はまだまだ未来の話だ」

「ぽっぽはボランティアとか考えてないの?」

 突然の問いだったが、鉄道はきっぱりと答えた。

「俺はやらない」

「随分はっきり言うのね」

「まあな。実際見た経験があるから。俺とあれは青いご飯と言うか、目にカラシと言うか、自動車に石油と言うか、そういうものだ」

「…言いたいことは分かるけど、そこまで相性悪いの?」

「ああ、悪いってもんじゃない。向こうにとっちゃ俺みたいな奴は目障りで邪魔なものでしかないんじゃねえかな。ほら俺ってこういうテキトーな性格してるだろ?」

「…まあ、自分で言うなら強く否定はしないけど」

「自活させなきゃ、って分かってても適当にメシ渡してゲラゲラ笑ってるのが俺だ。何やってんだかなって感じだよ」

 言いながら鉄道はちょっと自虐的な笑みを浮かべた。

「それに、逃避、しただけだからよ。ここから。つるこみたいに戦っていたわけじゃねえんだ」

 たはは、情けねぇ、と気弱に笑う。

「それは、どうかしら」

「え?」

「私にもぽっぽがこれからどうしていくかなんて分からない。ただ、言えることは逃げた先だからって、そこで得た全てが偽物なんかじゃないってこと。貴方の知識や経験は本物よ」

「…まだ、そんな風には思えねえよ、俺」

 鉄道は自嘲する。だが、一所に居続けることは方々を旅することよりも尊いのだろうか。心がくしゃり、と潰れてしまわないように逃げ回っていたのは知利子も同じなのだ。どこに居たとしても直視すべき問題から目を逸らして行動するのなら、世界は偽物だらけになるだろう。

 誰もがいつでも自分の良心の呵責に耐えられる訳ではない。だが、どれだけ泣き苦しんで毎日を過ごしても、人は独りでも生きていける。神様は耐え切れない試練を人に強いないと言う。信じられないし、信じたくもないが、真実だ。

 久川鉄道と言う人間はこの五人の中でその真理を一番よく知る人物なのかもしれないと知利子は思う。鉄道は鈍感なようで、その実、場の空気を読むことに非常に長けている。突き詰めれば、非情かつ冷酷な視線で人の存在を把握し、正確に評価することができるということだ。人を一つの単位として、空間を一つの環境として理解し、自らの行動を判断して決定する。それは理性的と言われる行動であり、人の在り方を分析して昇華し、徹底させた一つの姿勢だ。

 そんな人間が独りで海を渡り、旅をすればどうなるのだろうか。正直、知利子はその苦難を考えるだけで胸が痛む。

 破壊された価値観は何度も人間関係を木っ端微塵にしただろう。そしてその度に立ち上がって生きてきた。それでも独りで立ち上がれることを学んでしまった。光の差し込む世界へ歩んでいけることを体験してしまった。希望と諦めを同時に抱いただろう。その矛盾する二つの感情の不条理をどうやって飲み込んで来たのか。想像もできない孤独がそこにあっただろう。

「ねえ、ぽっぽ」

「ん?」

 すぅ、と息を吸って、吐く。

「海を渡ったのはいい経験だった?素晴らしいことだった?」

「……そう、だな」

 鉄道は逡巡する。その様子を見ながら知利子は思う。人々は世界を巡らせることに対して過大な評価を与えすぎているのではないかと。勝手な社会の願望がどれだけの人間を新しい世界で孤独と失意に晒したのだろうか。途中で膝を折ってしまった人間をどれだけ無視してきたのか。久川鉄道もそんな価値観に突き動かされてここを離れて行ってしまった一人ではないのだろうか。だとしたら、本人がそこで得た何かに疑問を持ってしまっても当然なのかもしれない。

「苦しかった、な。うん、辛かった。初めての体験ばっかだからしょうがねえものなんだと思ってたけど、逃げたいって考えたことも多かった」

「…そう。それはいつか楽しい記憶になりそう?」

「それは、さっきつるこの言った通りだ。この知識と経験が本物だったと思える日が来たら、誇らしく思えるのかもしれねえな」

 言いながらぱたん、と数式がびっしり書かれているノートを閉じる。

「けど、みんなを見てると無理をしなくてもいずれは変わっていけるんじゃねえかと思うんだ。…だから、まだ、戸惑っていてえんだ」

「戸惑って、いたい……」

 すとん、と心に落ちる言葉だった。否定的な言葉のはずなのに、不思議と心が散寒とした静けさに満ちた。

「…素敵な表現ね」

「そうか?まあ、俺から見るとつるこだって」

「私が、何?」

「すげえ、って思ってる。何となくだけど、無責任な何かに怒ってくれたんだろ?『それは素晴らしいこと?』って」

「どうかしら。ただの私見よ」

「素っ気なく見えて、無責任な行動をちゃんと叱ってくれるつるこは偉いと思うぜ。飽きずに数学教えてくれたしな」

「そう?傲慢なだけかもしれないわよ。自分にできることは他人にもできるって理想を押し付けているだけなのかもしれないでしょう?」

「そうそう、ガキの頃からあったそう言う考え方がいーなーって思うわけよ。さっきも言ったけど俺ってテキトーな人間だから、自分自身の行動と発言に責任をちゃんと持とうとしてる姿勢みたいのがさ、しびれるんだ」

 自嘲とも、諦めとも取れる溜息を知利子は吐いた。

「そこまで評価してくれると言葉も出なくなるわね…」

「だからさ、何年経っても根っこが変わらないつるこを見てるとさ…」

 何事かを言おうとした鉄道の言葉を遮るかのように仁太が会話に入って来た。

「なあ、ぽっぽ。扇風機が壊れたんだけど、俺が廃品回収に出していいか?」

 首振り部と本体とが分離してしまった扇風機をぶらり、と下げて問いかける。

「お?おう、頼めるか?じんたん」

「ああ、ついでに新品のを買いに行こうと思うんだ。どっか空いてる日ってあるか?一緒に行こうぜ」

「じゃあみんなでカンパしないとな」

「いや、俺の奢りでいい。払わせてくれ」

「おー、大盤振る舞いだな!!かっけーな、じんたん!!」

「ま、まあな。伊達に労働に励んでるわけじゃないっつーか、たまにはちょっと格好つけたいというか…」

 女子には理解されない男の子のカッコつけたい理論だ。事実、鳴子と知利子はちょっとむくれている。頼ってくれてもいいじゃん、と。

 その視線に慄いた仁太が集に問いかける。

「…なあ、ゆきあつ。俺、間違ってるか?」

「いや、じんたんの言いたい事はよく分かる。こういう感情の機微をもうちょっと分かって欲しいよな、実際」

「負担をかけたくないってだけなのによ。どうして、こう、理解されねーんだろうな」

 はぁ、と三人揃って溜息を吐く。

「足りないのは理解より女子力じゃないか?」

「一理ある。ウチの女性陣はその辺り自覚が薄い」

「近すぎると却って分からないものなのかもしれねえなぁ。恥じらいはいつまでも持っていて欲しい所なんだけど」

 もう一度、はぁ、と息を吐く。背中に迫る二つの影に気付かずに。
 
 振り返った時はもう遅かった。日が沈むまで地面に正座させられてすごく怒られた。

 途中で扇風機の首ががしゃん、と千切れて地面に落ちた。









 宿海仁太は朝が好きだった。

 澄んで冷えた空気の中、あくびをしながらてくてく登校するのが嬉しかった。一日の労働とバイト料を計算して、今度は何を買おうか考えると楽しさが胸を満たした。公園で朝ごはん代わりの甘い菓子パンを手に、ファンタをラッパ飲みすると至福だった。

 だから、考えをまとめるのなら朝で静かな場所がいいと思った。

 色々考えてみたが、やはりあそこが相応しいと思った。勾配のややキツい坂を昇る。視線の先で朝露が葉の上で涼しげに揺れていて、ちょん、と何かの弾みで空中へ跳ねる。

 やがて見えてくるのは山林の奥まった場所に立っている木造作りでトタン製の屋根を抱く小屋、仁太達が秘密基地と呼ぶ場所だ。

「ちーっす、ぽっぽ」

 のれんをくぐってここに住み着いている鉄道の名を呼ぶ。が、返答がない。

「あれ?いないのか、ぽっぽ?」

 仁太は言いながらテーブルの上のカレンダーを見る。数種類のマッキーで丸印が付けられており、今日は藍だった。

「あー、今日は新聞配達の日か」

 一人納得してポットの傍に置いてあった五人分のマグカップをテーブルに移動させる。最後にコンパクトな額縁に入っている一冊の日記帳へ手を伸ばした。

 これを手に取るのは久しぶりだ。埃を被らないようにみんなで清掃はしているのだが。

 五つのマグカップと一冊の日記帳。

 仁太が必要としていたものが目の前に並んだ。こほん、と咳払いをして最近見聞きした一つ一つの言葉を思い出す。

 まずは仁太から鉄道への言葉。

『し、知ってたのかよ…。いや、あれはな、その、ぽっぽが…』

 鉄道から知利子への言葉。

『だからさ、何年経っても根っこが変わらないつるこを見てるとさ…』

 知利子から集への言葉。

『でも私は、変わっていくゆきあつが…』

 集から鳴子への言葉。

『だから、そう言うあなるを見てると、俺は……』

 鳴子から仁太への言葉。

『うん、でもさ、確かに、じんたんを見てると……』

 仁太は一つ一つを確認しながらマグカップの取っ手を気持ちの先へ矢印のように向ける。例えば仁太のマグカップの取っ手を鉄道のそれへ向けるといった調子だ。

 そうして一つ一つマグカップを動かし終えると綺麗に五角形が出来上がった。最後にそっ、と額縁から日記帳を取り外して中心に置く。その縁を優しく撫でながら仁太は心の中でその名前を呼んだ。

 めんま。

 森の奥、静かで穏やかな凪の湖面を眺めているような落ち着いた感情で心が満ちていく。

 この名前を呼ぶのは久しぶりだった。忘れていた訳でも、いい加減な気持ちでいた訳でもない。ただ、毎日の中に新しい喜びや悲しみが織り混ざるようになり、そちらへ生活が傾いていただけだ。きっと彼女なら『一生懸命だね、みんなみんな頑張ってるね。めんまも一杯頑張る!!』とか言ってくれるんじゃないかと勝手に仁太は思っている。思い出の美化とは違う、未来への願いから湧き上がる言葉達。どれもまばゆく輝いて暖かな日向の匂いがする気持ちだった。

 五角形を描く五人のマグカップを眺める。誰かが誰かを見つめて、羨んで、寄り掛かって、不格好な構図を作り出している。

 けど、それでいいと思った。

 完璧な人なんていないから、五人は五人でいられるのだ。ぶつかることだってあるだろう。手を離すこともあるだろう。どうしようもない孤独に追い込まれることだってあるだろう。

 そんな時には思い出して欲しい。この不細工で他愛ない日々のことを。そして進むのだ。たった一人でも光の射す方向へ進んでいけることを知っているその心で、自分の足で。

 きっと、生まれ変わった彼女もそうしているだろうから。

 以前の五人は中心にいる彼女へ感情を向けて、不条理に絡まり合っていた。もがいてあがいて、痛い痛いと言いながら顔を上げられずにいた。

 だが今は違う。彼らは放射状に外へ向かって進み始めている。もつれた糸は解かれ、遠い空の彼方へ飛び去って行った。

 だから、今はこの関係を楽しもう。高校二年生になって、それぞれがそれぞれの展望を持って動き出している。

 完璧ではない人間関係も、将来への不安も、時々ケンカもする間柄も、いつかただの思い出になるのだろうけど。確かにそれらは存在したことを忘れずにいよう。そしてそれを誰かに伝えて与えるのだ。

 それが彼女がいた証になる。

 そこまで考えて、ぐっ、と背を伸ばす。頭がまとまってすっきりした。

 マグカップと日記帳を片付ける。

「うっし、学校行くか」

 のれんをくぐって光の差し込む外へ出る。

「よっ、じんたん」

「は?」

 いきなり声を掛けられて驚く。鳴子、鉄道、知利子、集がそれぞれ小屋に背を預けて立っていた。

 仁太に声をかけた鉄道が感極まった様子で肩を、背中を叩く。

「さっすが、じんたんはつっえーなぁ!!俺、そこまでみんなのこと考えてなかったぜ!!」

「え、何?お前らずっとここにいたのか?」

 仁太の問いに鳴子が答える。

「うん。何かじんたんがポエムってるから集まろうぜ、ってぽっぽからメールがあって」

「ぽっぽ、お前…」

 じろりと視線を向けると鉄道はたじろぐ。そんな二人に集が助け舟を出した。

「まあいいじゃないか。みんなに聞かせて困るポエムじゃなかったわけだし。と言うかじんたんは考えてることが口に出るタイプなんだな。気を付けた方がいいぞ」

「そうそう、私達のようなタチの悪い連中が集まるから」

「つるこ…そこは集まらずにそっとしておこうとかそういう気遣いはないのか…?」

「ないわ。だって面白そうだもの」

「鬼…」

 はぁ、と溜息を吐く。

 だが、悪い気持ちではなかった。恥ずかしい話をしたが、嘘は言ってはいない。間違っているかもしれないが、人を傷つけるようなことを話してはいない。だから、清々しい気分だった。

 もしここに鳴子達がいなかったとしても、この開放感に満ちた気持ちに変わりはないだろう。心は移ろうものだが、今この瞬間には確たる想いがある。きっとみんなこんな瞬間の為に生きているのだ。刹那的な快感ではなく、一つ一つを重ね上げた先で、ふわり、と自然に舞い上がる喜びの為に生きているのだ。

 叶うのならここにいる皆もそうなのだと思いたい。根拠のない推論だが、そうだと願いたい。だって、そのことを祈っていると心が気持ちのいい冷たさに溢れていくから。満ち足りた、と形容するに充分な幸福感があるから。

 きっと、こういう気持ちは自己満足でしかなくて、独りぼっちで、誰かと分け合うことなんてできないものなんだろう。別の人間が全く同じ願いを抱くなんて安っぽい歌い文句は信じられない。人は人が思うより、ずっと冷たくて淋しい生き物だ。期待は失望を生むだけだ。そのことに気付かずに傷つけあう人間のなんと多いことか。

 ―――でも、心だけは願っている。鐘は彼らの為に鳴るのだと。

 病理に苦しむものに、貧しさに苦しむものに、死の恐怖に苦しむものに、取り戻せない後悔に苦しむものに、平等に。

 そうなるように頑張りたい。頑張ってみたい。だから、今日を一生懸命生きよう。

 ぱちん、と仁太は両頬を叩いて気合を入れる。

「うっし、闘魂注入完了!今日も学校にバイトに頑張るぜ!」

 先頭を切って歩き出す仁太の後ろを四人が続く。

 本人には自覚なく口にした本日二回目のポエムを反芻しながら。頑張ってみたい、という彼の言葉を胸に刻みながら。

 超平和バスターズのリーダーはやはり彼なのだ。

 ならば皆で支えよう。きっと彼はもっともっと大きな舞台で戦うことになるだろうから。だから全員に後悔がないように努めよう。この誓いを忘れずに前を向いて歩こう。

 そして彼らは彼らの日常へ、彼らの戦場へ戻って行った。










あとがきのようなもの


初めまして、こんにちは。サイドです。最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

先日唐突にあの花を見直したんですが、やっぱり面白いですね~。めんま可愛いよめんま。

久々にSSを書いて楽しかった反面、筆が止まるとさっぱり進まないことが多かったです。(笑

最初から読み返すと恥ずかしさで裸足で逃げ出したくなるような気持ちになります。今後の教訓ですね。

では、また何か書いた時にはご贔屓頂ければ嬉しいです。m(_ _ )m


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