何年前だったか、あの魅力に取り憑かれたのは。
1話
清潔感のない様な寂しい室内を夕日がオレンジ色に照らしていた。
冷たいフローリングの床を裸足でペタペタと歩く。
今は夏だろうか、エアコンのおかげで常温より少し涼しく保たれた室内のせいかたまに季節感が感じられなくなる。
冷蔵庫からキンキンに冷えた麦茶をコップに注ぎ、乾燥した喉を一気に潤した。
「ふぅ」
濡れた口元をよれよれのシャツで拭い、テレビの電源をオンにしてふかふかのソファーにどしんと座った。
麦茶とコンビニのサンドウィッチとプリンを食べながら自分の好きなバラエティ番組を延々と見る。
コンビニでの偏った食生活にゴミだらけの室内。
だいたい外に出るのはコンビニで食べるものを買う時だけだ、月一回食べ物がなくなったらコンビニへ一ヶ月分の食料を買いだめする。
店員や他の客からは異様な目で見られるがあんまり気にしない、というか気にしなくったの方が正しいのか。
高校を卒業し、一流企業の会社に正社員として入社したエリートだったあの時代を思い出す。
まぁ結局五年ほどそこに勤め、その時点で嫌気が差しサラリーマンを辞めた。
あの頃は景気もあり、今となればすごい時代だったんだなと感じられた。
あの日からだ。
田舎の親からも見捨てられ、元々勉強一筋で友達もろくに出来なかったので相談やら遊びの約束やらすることも出来ない。
稼いだ金でなるべく安めのマンションを借りて、あの日から今の今まで十二年。
今では三十五歳の無職・引きこもり・童貞と言う最悪な三拍子を持っているのだ。
そして今だに親から生活費だけもらっているというクズ野郎だ。
三十路を過ぎても純真な身体(つまり童貞)を持っていれば魔法使いになれるというが嘘だろう。
まぁ最初から信じてはいないが。
そろそろこの生活からも脱出した方が良いと言うちゃんとした脳は持っている。
働こうと思えばすぐではないが働ける。
でもその気力も起きないし体力も落ちたので尚その気になれない。
ゲームやネット、テレビ漬けの生活はやめられないのだ。
1日寝ていてばっかでも誰にも怒られない。
こんな状態で生活していたらダメ人間にもなるだろうに。
何故途中で無理してでもやめなかったのかと昔の自分に問い詰めたい。
そして話は変わるが、最近週刊の少年誌にハマっている。
少年ジャ◯プが歯至福だと自身ではそう思っている。
中でも一番面白いと思うのがHUNTER×HUNTERだ。
幼い頃にその作者の作品が好きだったこともあり、今では取り憑かれた様に大ファンになっている。
何年もの休載が辛いが。
いっそ逃げれるのなら二次元へ。
死後の世界が二次元ならば今すぐ死ぬ。
パソコンの世界に入りたい。
こんなことばっか良い年して願っている。
一時期トリップという二次元に行けるとの方法があるのを知り、片っ端から試してみた。
もちろん危険なのものも、ピンからキリまで。
だが今の現状がある限りあの方法は真っ赤な嘘なのだ。
体験談やらもあの時は素直に信じてしまっていた。
ネトゲやギャルゲー、エロゲーなんてほとんどやり尽くしたしな。
あの頃は心も下半身も元気だった。
ピンポーン。
不意の呼び出しにびくっと肩を揺らした。
あれぎ来たのかも知れない。
わくわくとした気分で印鑑を片手に玄関へかけた。
がチャッとドアを開けると、いつもの綺麗なお姉さんだった。
こんな真昼間なのに出勤せずに清潔感無しのオッさんがいるなんて。
もしかして、無職……___。
そう蔑んだ様な思われ方をされている、絶対といって良いほどに。
このお姉さんで何度妄想しただろうか。
まるで現実にない、男性向けエロ同人の様なシチュエーションを悶々と思い浮かべていたのだ。
印鑑を押し、荷物を受け取ると営業スマイルのままの綺麗な女性はそそくさと玄関から姿を消した。
多分マンションの監視カメラに映る佐伯さんの顔は歪んでいたと思う。
自分の顔よりも大きい重いダンボールをどすんとリビングの床に丁寧に置く。
カッターでダンボールに張り付いたガムテープをベリベリと剥がす。
処理が面倒くさい程に入った発泡スチロールを床に投げ捨てた。
「き、きたぁ……」
発泡スチロールに埋れた品物を手に取りながら嬉々とした。
品物はとりあえず近くに置き、明細書やら説明書に目を通す。
うわ、やっぱり改めて見ると高いなぁ。
明細書に記された『三十四万八千円』の七文字を見つめながら痛い出費だな、と冷や汗を流した。
でもこれが出に入れば必ず、パソコンの世界に入れるのだ。
高い金払ってでも逃げたい場所、それが俺にとっての二次元なのだから。
振込は明日するとして、明細書は目立つ様に冷蔵庫に猫のマグネットで貼った。
俺が買ったのは一部のマニアが膨大な金をかけて作ったと言うパソコンゲーム。
パソコンゲームと言っても、頭に機械を着けてバーチャルの世界を体験できる近未来的なゲームだ。
バーチャルの中では意識も手足の感覚もあっちの世界に持って行かれるらしい。
ガセじゃなかったらマジで漫画だぞこれ。
これが本当なら倍の金をつぎ込んでも惜しまない位だ。
これはオークションで落とした中古品だから半額以下の値段だが、新品の状態で買うと五十万は軽く超える。
ソフトをパソコンに繋ぎ、麦茶やお菓子、頭に着ける機械を近くに置く。
準備完了だ、と心をウキウキさせながらソフトを起動させた。
某赤い帽子の髭オッさんがゲームオーバーした時の様なメロディーが冒頭から流れた。
もうちょっと違うメロディーに出来なかったのか。
麦茶を飲みながら次の画面が現れるのを待つ。
少しすると英語でならんだ文字が三つ表示された。
START、DERETE、RESET、つまり始めるデータ消去始めからと言うことだろう。
これは中古品だから前の奴のデータが残っているんだっけか。
DERETEを押してからRESETでゲームを最初から始めた。
また選択肢が出て来た。
ワンピース、HUNTER×HUNTER、NARUTOと言う大人気の漫画たちの題名が表示されている。
迷わずにHUNTER×HUNTERにカーソルを合わせた。
このゲームでは三つの選択肢によって、入れるゲームが異なる。
例えばその代わりに一度ワンピースを選択すると他の二つはプレイすることが出来ない。
という仕組みになっているらしい。
いくらこのゲームが凄い機能を持っていようとHUNTER×HUNTERが選択肢に入っていなかったら買っていなかっただろう。
画面が変わると同時にアニメーションが流れた。
オープニングかチュートリアルか、どんな感じなのだろう。
食い入る様にパソコン画面を見た。
アニメーション、と言うよりはこのゲームの説明だった。
説明のほとんどはネットで見まくった、頭に入っているのでここら辺は聞き流そうと体制を崩した。
だが原作が終わればゲームは終了するというまだ知らなかった説明に頭を悩ませた。
HUNTER×HUNTERは休載してばかりで全然暗黒大陸から進んでないぞ。
その時は原作再開まで待たなくちゃならないのか?
悶々と悩む。
一通りの説明が終わったのだろう。
自分のアバターを作成する画面に変わった。
男か女か、の性別選択。
自分はハッキリ言うと女より男の方が好きかも知れない。
だが男としての健全な欲はある。
HUNTER×HUNTERの魅力に取り憑かれた今ではあのキャラクターと結婚したいという思いがたくさんだった。
俺が一番好きなキャラクターはレオリオ。
主人公四人組の一人だが、四人の中で極めて登場数が少ない。
だが俺はレオリオが好きだ、だからこそバーチャル世界では女になりレオリオと恋愛がしたいと思っている。
あっちも心が男だなんて絶対に思わないであろう。
そう決心した俺は性別を女にした。
色々と細かい選択肢があり、凝ってるな。
とバーチャル世界を見るのがより一層わくわくした。
名前は何が良いだろうか。
やはりバーチャル世界でも自分の名前に近いもので呼んで欲しい気持ちもある。
早川 賢人をもじってハヤトがいいな、男でも女でも取れる中性的な名前が良い。
髪の色や形、目の色に体型。
選択肢が本当に細かいな、年齢は10歳から選択できるのか。
取り敢えず自分の思う憧れのキャラクターの様に容姿端麗なキャラに設定して見た結果こうなった。
長いピンク色の髪と目に身長は160cmほどの痩せ型、でも巨乳という男のロマンを詰めた。
歳はレオリオと歳が近く、でも主人公たちとも歳を近くしたかったため十六歳にした。
容姿端麗な巨乳美少女と言うわけだ。
外見は美少女でも中身はニートのオッさんだなんて醜いな。
念能力は自由に設定出来る訳でもなく、50個の質問に答えて行き性格から導き出す様だ。
こう言う類は何度やったことだろう。
自分の性格で素直にやるとあの頃は操作系だったが、生憎俺は特質系が良い。
なので特質系の性格パターンを導き出している俺にかかれば系統は特質系になれる。
50個の質問に答え終わり、診断結果を見る。
よし、計画通りの特質系だ。
特質系はレアだからな。
特質系になったところで、どんな念能力が良いかと妄想が膨らむ。
あの日から念能力をパンパンにまとめたノートがある。
全ての系統の念能力を書き溜めたが、中でも一番多かったのが特質系だ。
あの頃の俺もやはり特質系が一番カッコ良いと思っていたのだろう。
全ての長い項目を入力し終え、アバターの全体図、アップが表示された。
うん、やっぱこれはどこからどう見ても美少女だよな。
男なら絶対に惚れるわ。
しかも胸もでかいと来た。
この容姿でハヤトって名前も正解だったかもしれない。
ギャップってやつだろうか。
エンターキーを押すと、黒い画面に白い文字で『頭に機械を付けてください』と表示されたのでわくわくしながら機械を被った。
真っ暗じゃないか、本当にガセだったら嫌だ。
と思った瞬間機械が作動したのか視界が明るくなった。
もしかしてここがバーチャルの世界か?
三次元で見る様な景色ではなく、アニメの様な景色。
マジだったのか、進化してるな。
それにしてもここは外じゃない、室内だ。
しかもピンクがたくさんの女の子の様な部屋だ。
もしやここがバーチャル世界での俺の部屋なのかもしれない。
それにしても何故ピンクなのだろうか、髪やら目をピンクにして性別設定女にしてせいか?
なんかピンクだらけで目が痛いな。
縫いぐるみやメイク道具、鏡等の十六歳の高校生設定が生きているのか。
ともあれ、まずはやっぱり家の探索からだな。