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[40653] 【艦これ二次創作】Fleet Is Not Your Collection
Name: 萩鷲◆91e9ad99 ID:d2c151f5
Date: 2016/03/23 09:08
突如として出現し海上を支配した、人類の天敵『深海棲艦』。彼らに対抗出来るのは、艤装を身に付け己が身そのものを兵器とした少女、『艦娘』のみ――
地獄めいた世界で、今日もまた一人、新たなる艦娘が誕生する。その名を『長月』、睦月型駆逐艦、八番艦。
彼女は何を思い、何を想い、戦いに身を投じたのか。彼女の、艦娘の、そして人類の行く末とは。
――人類の未来を背に負いて、少女達は今日も死地へと向かうべく抜錨する。
『少女達よ、足掻け』

    ◆◆◆

初めましての萩鷲です。

この作品は『艦隊これくしょん~艦これ~』の二次創作です。
以下の要素を含みます。

・世界観及びキャラクターの独自設定
・登場人物の死亡描写
・グロテスクな表現
・作者の適当ないし嘘っぱちの知識
・数カ月単位の更新間隔

ハーメルンにも投稿しております。



[40653] 01
Name: 萩鷲◆91e9ad99 ID:d2c151f5
Date: 2016/01/19 18:29
 その日は、酷い雨が降っていた。
 川は氾濫して、町中水浸し。そこら中が海のようになっていた。
 ――そうして、やつらは。

「――」

 べちゃり。
 目の前でよく見知った顔がぐちゃぐちゃに歪み、そのまますり潰されて床に落下する。残された胴体も、歩み寄ってくる“そいつ”に勢い良く踏みつけられて弾け飛び、その一欠片が私の頬に張り付いた。

「――」

 “そいつ”は何も喋らない。ただ恨めしそうな眼で、私を睨み付ける。
 そうして、ゆっくりと、ゆっくりと。にじり寄るように、私に近付いて来る。
 ――なんだ、これは。
 なんだこれは。なんだこれは。なんだこれは。
 何なんだ、これは?
 こんなもの、夢以外にあり得ない。
 だって、そうだろう。あまりにも突拍子が無く、現実味だって欠片もない。
 それでも、噎せ返るような血の匂いが、こびり付いた肉の温度が、確かにこれが現実だと私に訴え掛けるのだ。

「はは……はは、は」

 そんな最中、私の口から発せられたのは、微かな乾いた笑いだった。
 客観的に見れば間抜けにさえ思えるような私のそんな行動に対し、しかし“そいつ”は僅かばかりに足を止め、私の顔を一瞥する。
 “そいつ”にどんな思惑があったのかは分からない。分かってたまるものか、あんな化け物の思考など。
 まあだが、ともかく。
 その少しばかりの時間が、私の命運を分けたのは確かだろう。

「――いっけえ!」

 突如に響く、第三者の叫び声。
 私と“そいつ”がその声の方向を向くとほぼ同時に、爆発音の様な轟音が耳を劈き、思わず耳を覆ってしゃがみ込む。
 暫くして顔を上げると、目に入ったのは腹に風穴を開けられて倒れた“そいつ”と――

「――駆逐艦吹雪より各艦へ。民家内の重巡リ級を一隻撃破。それと……民間人を一名、保護しました」

 奇妙な機械を背負った、私とそう変わらない歳の少女だった。

    ◆◆◆

 深海棲艦。突如として海に現れた謎の怪物。人類の不倶戴天の敵にして目下の天敵。彼等によって、ありとあらゆる海路と殆どの空路は機能を封じられ、特に島国である我が国などは海外とのコンタクトすらも困難となった。
 そんな窮地を救ったのが、艦娘。艤装と呼ばれる兵装を身に付けた少女達の総称。海原を駆け深海棲艦を討つ、人類の希望。しかしその実態は、年端も行かぬ少女達を、深海棲艦蔓延る海上に殆ど生身で放り出し、文字通りに命懸けの戦いを強要する、控えめに言って狂気的な兵器である。更に、発案者は全くもって不明。内部構造も大半がブラックボックス。装着者は適合の為に特殊な手術を施され、場合によっては心身に異常をきたす。そんな胡散臭さの塊かつ非人道的であると誹りを受けても反論出来ぬ兵器に、それでも人々は頼るしかなかった。深海棲艦に、既存の兵器は殆ど通用しない。艦娘に頼るか、滅びるか。その二択であれば、前者を選ぶのは必然だ。
 人類の未来を背に負いて、少女達は今日も死地へと向かうべく抜錨する。
 ――そして、ここにもまた一人。
 少女は、壁に掛かった鏡を見る。顔つきこそ元のままだが、髪と瞳は身体中をいじくり回された結果か、いっそ見事な程に萌黄色に染まっている。睦月型の制服である、黒を基調としたセーラー風の服は、ついさっき初めて袖を通したところである事もあって、皺や汚れの一つも無くぴかぴかだ。サイズ合わせをした記憶も無いのに自分にぴったりな事に少女は少し驚いたが、身体の隅々まで調べ尽くされたのだ、その過程で採寸くらいしていてもおかしくないだろうと思い至る。
 ――そこに映るのは、間違いなく睦月型八番艦『長月』の姿だった。

『どうだね、身体に不調などは?』

 不意に、男性の声が部屋に響く。天井に備え付けられたスピーカーからだ。

「今の所は、特に」
『それは結構だ。では、これより十二時間は観察期間とする。その間は、立ち入り可能区間であれば自由に行動して良い。何か問題があれば、すぐスタッフに伝える様に』

 そんな事務的な要件だけを伝えて、スピーカーからの声は途絶えた。

「自由行動……なあ」

 一応、この施設の見取り図は受け取っていた。それを見る限り、殆どの場所が立ち入り禁止になっていて、しかも娯楽施設らしいものが全く無い。行きたい場所も行ける場所自体もさっぱりだ。
 まあそれでも、長月には今早急に向かいたい場所が一箇所だけあった。私物の入った小さめの鞄を手にし、割り当てられた個室を出る。先程も通った廊下は白く無機質で、かつ酷く殺風景。まるで研究所の様な印象を受けるが、その認識は概ね正しい。
 この施設では、艦娘候補が艦娘となる為の検査や手術、新装備・新造艦の開発や、深海棲艦の研究等を行っているらしい。研究所と呼んでも間違いとは言えないだろう。あるいは――実験場か。

「ええと……こっちだな」

 鞄から観光地のパンフレットの様な見取り図を取り出し、それを頼りに目当ての場所へ向かう。エレベーターで二階まで降りて、すぐ目の前。目的地はそこにあった。

「まあ――何はともあれ、腹ごしらえだな」

 長月は今日、検査やらの為だとかで、ついさっきまで食事を禁止されていた。そして、現在時刻はもう午後の四時。詰まる所非常に空腹であり、まず食事を摂ろうと考えるのは当然の帰結と言えよう。

「さて、何にするか――」

 一人呟きながら食堂へと繋がるガラス扉を押すと、室内に閉じ込められていたカレーのいい香りが廊下に広がり、長月の鼻をくすぐった。
 ――繰り返すが、長月は今、非常に空腹である。そこに来て、この仕打ち。
 ああもう我慢ならん。私はカレーを食べるぞ。今すぐに。誰が何と言おうと。
 長月はそう決意し、急ぎ足でトレイを手に取ってカウンターへ向かい、「カレー大盛り一つ」とやや早口で注文する。受付のおばさんがくすくすと笑うが、今の長月はカレー以外眼中に無い。代金を払って目当てのものを受け取ると適当に近い席に座り、申し訳程度に小声で「いただきます」と呟いた後、やや乱暴にスプーンでルーとライスとをかき混ぜ、そのまま掬って口に突っ込んだ。

「――っ!?」

 ――瞬間、固まって目を白黒させる。
 予想以上に辛い。しかも熱い。

「み、水……っ!」

 しかし、いち早くカレーを食す事を優先した為に、水は持ってきていない。
 何をやっているんだ私、カレーを食べるなら水は必須じゃないか――!

「はい、水」
「――っ、助かる!」

 そう思った瞬間、水がなみなみと注がれたコップが差し出される。細かい事を考える余裕も無く、長月はそれを受け取って一気に飲み干した。

「ふう……」
「いやー、さっきまでボクも食べてたんだけどさ、辛いよねそれ。見た目はそんなんでもないのになあ」
「ああ、全くだ……うん?」

 そこで初めて、そういえばこいつ誰だという疑問が長月の頭に浮かぶ。
 相手の姿を確認すると、そこに居たのは概ね自分と同じくらいの歳であろう顔つきと背丈の、黄色に近い金髪が目を引く少女。そして、身に纏っているのはその金髪をより映えさせる――黒を基調した色使いの、睦月型の制服。

「同型艦、か」
「そ。睦月型五番艦、皐月だよっ。よろしくな!」

 とても元気良く自己紹介する、皐月。明るい性格である事が、はっきりと伝わって来る。

「睦月型八番艦、長月だ」

 長月も名乗り返し、今度は先程のように焦らず、ゆっくりとカレーを口に運ぶ。事前に分かっていれば、食べれないような辛さではない。

「長月……長月かあ。確か、皐月とは縁がある艦だったっけ。第二十二駆逐隊で、文月や水無月と一緒に組んでたっていう」
「らしいな。まあ、私はあまり、そういうのに詳しくないが」

 艦娘にはそれぞれ元になった艦が存在し、名前を引き継いでいる。それらは概ね、先の大戦で活躍した艦艇だ。無論、長月や皐月も、その内の一隻である。

「こんなところで出会うのも、その辺りの縁だったりしてね」
「かもしれんな」

 皐月への対応もそこそこに、長月はカレーをあっという間に完食し、「ごちそうさま」と小さく呟いてトレイを返却口に置いた。皐月は、その後ろをちょこちょこと追いかける。

「で、私に何か用なのか?」
「うーん、特別用がある訳じゃないんだけどさ。ただ、食事も終わって暇してたところに、丁度同型艦っぽい子が来たから、声をかけてみたってだけ。ほら、ここって娯楽施設とか無いし、ボクまだ観察期間中だから外出も出来ないし、正直退屈なんだよね」

 確かにその通りだ、と長月は思う。せめて図書室くらいはあっても良いだろうに、それすら無いのだ。まあ、暇になる事は事前に分かり切っていたので、長月は退屈凌ぎとして本を何冊か持ち込んだのだが、皐月は読書を嗜むような人間では無かった。携帯ゲーム機の類でも持ち込めればまだ良かったのだが、機密保持等の理由から、施設内への電子機器類の持ち込みは禁止されている。

「そういう訳だから、話し相手にでもなってくれれば嬉しいなー、って」
「まあ……構わないが」

 実際、長月だって暇なのだ。その頼みを断る理由は、特に無かった。皐月は、「やったあ!」と無邪気に喜んでいる。

「とは言え、何を話すんだ?」

 長月は近くにあった座席の一つを引いて、腰掛ける。食事時にはやや早めの時間だからか、人はまばらだ。少しくらい席を使っても、咎められはしないだろう。

「そうだなあ……」

 皐月も同じように席に座ると、ロダンの『考える人』みたいなポーズをとって唸り始める。何も考えていなかったらしい。

「えーっと……そうだ。ここは親睦を深める為にも、お互いの身の上話でもするとか」

 しばらくそのまま唸っているかと思えば、皐月は割とすぐに顔を上げて、そう提案した。その動作はいちいち大袈裟で、良くも悪くも元気そうだった。

「初対面にしては重くないか、それは」
「言われてみれば、確かに……」

 ――言われる前に気付けよ。そんな突っ込みは、長月の胸の奥にしまわれた。

「と、言うかだな。親しくなっても、同じ場所に着任出来るとは限らんぞ? 明日までの付き合いかもしれん」
「それは、そうなんだけどさあ」

 今いるこの場所は、あくまでも艦娘となる為の施設であって、ずっとここに留まる訳ではない。特に、駆逐艦は需要が高く、観察期間が終わると同時に着任先を伝えられる事も珍しくないので、長月も皐月も明日中にこの場所を発つ可能性は十分にある。艦娘の拠点となる鎮守府や泊地、基地は無数に有るが、その中から着任先を決める権利は、艦娘側には無い。

「でもさ、一期一会とか言うじゃん? それにほら、連絡先交換すれば良いんだし」
「まあ、好きにすれば良い。――で、身の上話だったか? 雑談の話題として適切かはともかく、私は構わんぞ」

 長月は、何もしないよりは暇つぶしになるだろう、くらいの感覚なので、話の題材も皐月自身についても、正直に言って大した興味は無かった。だが、皐月の方はそんな長月の内心など知る由もなく、話し相手が出来て素直に嬉しそうにしている。

「そっか。じゃあ、言い出したのはボクだし、ボクから話そうか。えっとね――孤児院育ちなんだ、ボク。でも、それを不幸だと思った事は一度も無くってさ。先生達はみんな優しかったし、友達もいた。でも、最近は深海棲艦の事もあって、不景気でしょ? その上、元々ぎりぎりのところで運営してたらしくてさ。だから、このままだと孤児院を畳むしかないんだって」

 しかし、流石に身の上を語る姿は、それなりに真剣だ。長月も、一応は耳を傾けている。

「そこで、ボクは考えた。ボクが艦娘になれば、院を何とか出来るくらいのお金が手に入るんじゃないか、ってね」

 艦娘は、このご時世にしては――こんなご時世だからこそ、かなりの高給だ。徴兵制ではなく志願制で、身体中を弄くり回され、その上明日生きている保証も無い艦娘になる者が、それでも絶えない理由の一つだろう。皐月も、それが目当てだという事だ。

「だが、そんな金を稼ぐ前に、死んでしまうかもしれんだろう?」
「それならそれで、補償金が入るし。どう転んでも、院は立て直せる」

 長月のやや意地の悪い質問に、悩むことなく平然と皐月は答える。その言葉に、嘘や虚勢は感じられない。

「そう、か」

 こんな奴でも、内に秘める決意は固いのだな、と。少しだけ、長月の中での皐月の評価が改められた。

「まあ、ボクはそんな感じ。長月は?」
「私は……別に、面白味も無い。ただ、深海棲艦(あいつら)に個人的な“用事”があると、それだけの話だ」

 長月は、そんな風に簡潔に語る。基本的に、長々と話すのは好きでは無かった。

「ふーん……やっぱり多いよね、そういう人」

 金銭面の問題と双璧をなす志願理由と言えるのが、深海棲艦への復讐だろう。深海棲艦に何かしらの恨みを持つ人間など、数えるのも馬鹿らしくなる程に存在する。長月もその一人なのだろうと、皐月は解釈した。

「ま、詳しい事は訊かないけど。話していて、愉快な事でもないだろうからね」
「ああ、そうだな」

 頷いて、長月は何となしに窓の外の様子を見る。
 海の彼方に、黒い雲が見えた気がした。

    ◆◆◆

 皐月と長月はその後しばらく取り留めの無い雑談をし、人が増えてきたところで連絡先を交換し合ってお互いに自室に戻った。長月はその後、睡眠までの暇を読書をして潰し――翌日の朝。
 長月は、立ち入り禁止区間内の一室にいた。いや、長月だけではない。皐月を含めた施設内の駆逐艦達が、全員集まっている。

「これで全てか?」
「はい。総勢四名、全員の集合を確認しました」

 整列した艦娘達のテーブルを挟んで向かい側に、軍服の男性――恐らくは『提督』と、艦娘と思しき女性が立っている。飛行甲板を装着している事からして、航空母艦だろう。

「私は、この基地の防衛を任されている提督だ。急に集合をかけて済まない。だが、少々急ぎの用でな。――単刀直入に言おう。諸君らは、一時的に私の指揮下に入る事になった」

 提督の言葉に、駆逐艦達はざわめき立つ。

「慌てるのは分かるが、落ち着いて欲しい。先程、近海を哨戒していた駆逐隊が、深海棲艦と遭遇した。幸いにも犠牲者は出なかったが、奇襲攻撃で全員が中破ないし大破。敵は潜水艦と水上艦の混在編成だったらしいのだが、まずい事に私が動かせる対潜要員はその駆逐隊のみだ。周辺の海域は比較的安全な上、この基地はそもそも防衛を主目的とした物では無いから、あまり保有戦力は多く無くてな。だが、現在駆逐隊は当然全員入渠中で、とてもじゃないが出撃などさせられない。そこで、諸君らの力を借りたい。まだ配属前とはいえ、全員観察期間が終わっている事は確認している。無論、上に許可も取った。突然の実戦で不安だろうが――飛龍」
「はい、提督」

 提督が声をかけると、横に立っていた艦娘が一歩前に出る。橙色の着物が似合う、やや長身の女性だ。

「航空母艦、飛龍です」

 飛龍は簡単に自己紹介して、軽く頭を下げた。

「諸君らには、この飛龍を旗艦とした艦隊を組んでもらう。それと、もう一人航空母艦が随伴する。二隻とも頼りになる艦だ、報告にあった艦隊程度であれば、難なく撃滅出来る。諸君らは、訓練通りに対潜警戒をすれば、それで良い。危険性は少ないだろう」

 直後に「だからと言って油断しないように」と提督は付け加えるが、その言葉に不安がっていた駆逐艦もほっと胸を撫で下ろした。

「では、各艦は格納庫で装備を受領次第、速やかに出撃するように。場所はB区画の二十九だ。諸君らの健闘を祈る」

 提督がそう言い終わるのと同時に、艦娘達は全員提督に敬礼し、部屋を出て指示された場所に向かう。それほどの距離は無く、数分と経たずに目的地に辿り着いた。がっしりとした頑丈そうな扉を開き、全員で中へと入る。部屋は剥き出しのコンクリートに覆われた、いかにも倉庫然とした内装で、かなり広い。

「――ごめん、待った?」
「ううん。むしろ、思ったより早くてびっくりしちゃったくらいよ」

 格納庫には、先客が居た。身に付けた艤装からして、飛龍と同じく航空母艦。彼女は飛龍の後ろにいる駆逐艦達に気付くと、そちらに向き直ってにこやかに微笑んだ。

「貴方達が、提督が借り受けたっていう艦娘ね。航空母艦、蒼龍です。今日はよろしくね」

 そんな風に、蒼龍は駆逐艦達に自己紹介をする。どうやら、随伴するもう一隻の航空母艦とは彼女の事らしい。

「長月だ。新米と侮るなよ。役に立つはずだ」
「皐月だよっ。よろしくな!」
「巻雲といいます。頑張ります!」
「浜風です。これより、一時的に貴艦隊所属となります」

 駆逐艦達もそれぞれ名乗り返し、敬礼した。

「うん、元気が良くてよろしい」

 蒼龍は、その様子に満足気に頷く。

「――さて。それでは、速やかに出撃準備をして下さい。貴方達の艤装は、部屋奥のコンテナにそれぞれ格納されています。艦名とDestroyerの刻印があるので、すぐに分かる筈です」

 しかし、すぐに表情を引き締めるとそう指示を出す。その言葉に従い、駆逐艦達は倉庫の奥へと駆け出した。
 コンテナは分かりやすい場所に並べて置かれており、見つけるのにそう時間はかからなかった。駆逐艦達はそれぞれ自分の艦名が書かれた、丁度成人男性一人分程度の大きさの鋼鉄製のコンテナの前に立つと、一斉に蓋を外した。

「――おお、こいつは良いな」

 長月が、思わずそう言葉を漏らす。艤装は全てぴかぴかで、良く整備されている事が一目で分かる。だが、何より長月の目に止まったのは、魚雷だった。本来、睦月型の標準装備は三連装魚雷だが、そこにあったのは四連装の――それも、酸素魚雷。

「一時的とはいえ、我が艦隊所属となる以上、私達の保有する装備を使用する権利は当然存在します。ですので、皆さんにはそれぞれ四連装酸素魚雷と三式爆雷投射機、及び三式水中聴音機を支給させて頂きます。主砲と対空機銃に関しては都合が付かなかったので、標準装備を使用して貰う事になりますけどね」

 駆逐艦達の後ろで、飛龍がそう説明する。駆逐艦達は、ある者は初めて見る艤装の実物をまじまじと見つめ、またある者は淡々と艤装を装着している。
 多少手間取る場面がありつつも、十分も経つ頃には全員が装着を完了した。

「終わったみたいですね。では、此方へ」

 そう言って、飛龍が入口とは反対側の扉を開く。そこは外へと直通しており、すぐ目の前に桟橋があった。

「さあ皆さん、海に降りますよ。大丈夫、余程の事が無い限りは、沈んだりはしませんから」

 飛龍の言葉に従って、駆逐艦達は海面に足を付けた。その様子は慎重であったり、豪快であったり、冷静であったり、それぞればらばらだったが、降りる事を躊躇った者は一人も居なかった。

「お……お、おお! すっごい! 本当に浮かんだ!」

 ――駆逐艦達は、全員仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)を利用した実戦さながらの訓練を受けてはいる。しかし、実際に海に足を着けるのは、これが初めてだ。

「ねえ長月! ボク浮かんでるよ!」
「当たり前だろう。沈まれたら困る」

 無邪気にはしゃぐ皐月を、呆れ顔で眺める長月。巻雲と浜風も、それぞれ初めての海を感じている。

「最初は落ち着かないかもしれませんが、すぐに慣れます。それと、私達が付いているとはいえ、気は抜かない様に。航空母艦は、基本的に潜水艦に対して無力です。貴方達が――頼りなんですから。その事は、ちゃんと頭に入れておいて下さい」

 ――飛龍の言葉に、駆逐艦達の表情が変わる。そう、彼女達が任されている事は、中々に大役なのだ。仕事を仕損じれば、艦隊の壊滅に繋がる可能性すらある。

「分かりましたか? それでは――航空戦隊、出撃します! 続いて下さい!」

 飛龍の言葉を皮切りとして、全員が主機(推進機関の事を指す)を起動する。六隻とも高速艦に分類されるだけの事はあり、順調に速度を上げて行き、三十ノット程度まで加速する。足並みを揃えられる速度としては殆ど限界ギリギリ、いわゆる最大戦速だ。深海棲艦を万が一にも上陸させない為にも、なるべく急ぐ必要がある。

「輪形陣を取ります! 先頭は、長月にお願いします!」

 飛龍が声を張り上げる。この距離であれば、無線を介せずとも大声であれば十分に聞き取る事が出来た。

「了解した!」

 長月も同じ様に声を張り上げて応えると、速度を少し上げて先頭へ出る。飛龍と蒼龍を囲う様に、前に長月、右に巻雲、左に浜風、後ろに皐月。因みに、前方警戒という比較的重要な任を長月が任されたのは、訓練時の成績が四人の中で最も高かったからである。性能こそ低めの睦月型だが、それを補うだけの技量が長月にはあると飛龍は判断した。

「偵察隊、発進!」

 航行したまま蒼龍が弓を引き、矢状の艦載機を放つ。空高く飛んだ艦載機は遥か上空で分裂、変形し、旧海軍の艦上偵察機『彩雲』を模した形態をとる。『我ニ追イツク敵機(グラマン)無シ』の逸話は伊達では無く、あっという間に時速六百キロメートルを優に超える速度まで加速し、点になって消えた。
 ――その後、飛龍達はしばらく航行を続けるが、結局敵と遭遇する事無く、敵艦隊が位置すると予想される地点まで辿り着いた。足を止めて周囲を見渡すが、敵影は無い。

「居ない……わね。聴音機にも、反応が無いみたいだし。蒼龍、偵察機からの情報は?」
「今の所は、特に――あら?」

 飛龍から声をかけられた蒼龍が、急に怪訝な顔をする。

「どうかした?」
「いや、敵艦隊を補足、したんだけど……二手に分かれているわね。南西方向に、戦艦と、多分潜水艦が二隻。もう片方は南東方向で、重巡、軽巡、駆逐艦」

 内訳こそ報告と同じだが、撹乱の為か、それとも何か策でもあるのか、敵艦隊は三隻ずつに分かれて基地へと向かっていた。

「うーん、それぞれの距離は、かなり離れてるわね。同時に相手するのは、ちょっと無理かな」
「そうなると、各個撃破するか、自分達も艦隊を分けるか――か」

 飛龍は考える。各個撃破なら、確実に勝てるだろう。しかし、素早く撃破しなければ、後回しにした側が陸まで辿りつく可能性もある。一応、基地にはまだ防衛戦力があるが、基地ではなく民間居住区の方へ向かわれたら事だ。艦隊を分ければ、その可能性は考慮せずに済むが、代わりに自分達の危険性が高まるだろう。つまりは、民間人を取るか、自分達を取るか。

「――此方も、艦隊を二手に分けましょう。長月、皐月は私と南西へ。巻雲、浜風は、蒼龍と南東へ向かって下さい」

 勿論、そんな物は比べるまでも無い。民間人に危険が及ぶ可能性は、徹底的に排除するべきだ。例えそれが、自分や相棒、新米達を危険に晒す行為であったとしても。それに、別に勝てない相手という訳では無い。順当に行けば、艦隊を分けても充分な余裕を持って撃破出来る筈だ。飛龍はそう判断した。

「分かりました。巻雲、浜風、行きますよ!」
「はい、頑張ります!」
「了解しました」

 飛龍の意図を、蒼龍も察したのだろう。すんなりと了承し、二人を引き連れて迎撃へ向かった。

「では、私達も行きましょう。全艦、目標地点まで移動、急いで!」
「了解だ!」
「まっかせてよ!」

 飛龍達も主機を再起動し、敵艦が確認された場所へと向かうのだった。

    ◆◆◆

 南西に向かった飛龍達は、道中特に問題も無く、敵艦と接敵する事に成功した。

「――右、対潜攻撃用意!」

 長月の右手首の装備枠(ハードポイント)に増設された爆雷投射機から、三式爆雷が発射される。放たれた爆雷は綺麗な弧を描いて敵潜水艦付近に着水し、爆発して大きな水柱を立てた。

「潜水カ級、撃破確認だ!」
「やるじゃん、長月!」

 皐月はそう言いつつ、自身も爆雷を投射する。最初こそ的外れな場所に飛んで行ったものの、二発、三発と回数を重ねる度に、狙いが正確になる。

「沈んじゃえ!」

 そして、四発目でついに、狙い通りの場所へと着水する。水圧信管が作動し、敵潜水艦のすぐ側で爆雷が炸裂、水柱が立つと同時に潜水艦の反応が消滅した。

「皐月も、中々やるじゃないか!」
「へっへー。それ程でも、あるかもね!」

 軽い調子で言いつつ、皐月は航跡でくるりと円形を描いて見せる。「あまり調子に乗るんじゃない」と長月に突っ込まれるが、皐月はまるで気にせずにけらけらと笑っている。

「うん……本当に凄いわよ、二人とも」

 そんなやり取りをしている二人に、後方で待機していた飛龍が近づいて来る。

「初めての実戦とは、信じられないくらいです。でも、まだ油断をしては駄目――ほら、向こうを見て」

 その言葉に従い、二人は飛龍が指差す方へと視線を向ける。遠くの方に、敵影が見えた。

「あれが、敵の戦艦か」

 距離は遠く、点の様にしか見えないというのに、それでもひしひしと伝わる威圧感が、楽な相手では無いという事をはっきりと伝えて来る。

「二人とも。行けますか?」

 飛龍が、真剣な顔で問いかける。無駄な犠牲を出す必要は無い。もし二人が尻込みしてまともに戦えないようであれば、自分一人で何とかしよう、と。そんな事を、内心で考えながら。

「当然だ。この主砲と魚雷は飾りでは無い」
「そーそー。戦艦相手だろうが、やってみせるよ!」

 しかし、そんな飛龍の心配をよそに、二人は弱気な言葉を一切吐かなかった。

「そっか……そうよね」

 その返答を聞き、飛龍は心の何処かで彼女達を侮っていた事を反省する。新米だろうと、自分よりずっと小さかろうと、この二人は艦娘なんだ。その心に秘めた物が、並大抵の物である筈が無い、と。

「では――長月、皐月の両名は、敵戦艦に接近し、砲雷撃戦を敢行して下さい!」
「心得た! 長月、突撃する!」
「よーし、ボクの砲雷撃戦、始めるよ!」

 飛龍の号令に応じ、二人は主機を全開にする。カタログスペック上の睦月型最高速度、三十七・二五ノットまでは一瞬だった。魚雷と双璧を成す、駆逐艦が誇る武器――それこそが、この速度だ。設計が旧式故に一般的な駆逐艦の水準未満の性能しか無い睦月型とはいえ、速度については決して他の駆逐艦に劣らない。ましてや、相手が鈍足な戦艦であれば、その優位性は殊更だ。

「■――」

 敵戦艦、戦艦ル級が低く唸る。接近する二人を捉えたらしい。背負われた三連装の十六インチ砲(実際に十六インチある訳では無く、概ねそれと同等の威力があるという目安。艦娘達の武装も同様)が二人の方を向き、火を吹いて鋼鉄の礫を放つ。

「当たって――たまるかっ!」

 長月が、向かって斜め右へと急転換する。直後、そのまま直進していたら長月が航行していたであろう場所には、大きな水柱が立った。しかし、そんな事は全く意に介せず、二人は敵艦だけを見据えて突撃を続ける。

「■――!」

 再び、ル級が砲撃を試みる。今度は、主砲だけでは無く十二・五インチ連装副砲も使い、乱射して文字通りに鉄の雨を降らせる。しかし、長月も皐月も、小刻みに軌道を変えてそれら全てを回避する。

「右、砲雷撃戦、用意!」

 ル級の砲撃が一旦止むと同時に、睦月型の主砲である十二センチ単装砲の有効射程圏内に入った長月が、砲撃を開始した。だが、駆逐艦の主砲、それも特型等に標準搭載されている十二・七センチ砲よりも低火力の十二センチ砲では、戦艦にしてみれば蚊に刺された程度でしか無い。長月が放った砲弾はル級に直撃こそした物の、被害らしい被害を与えた様子は無く、平気な顔で再度主砲を長月へと向けた。

「――おーっと? ボクの事、忘れてないかな?」

 しかし、真後ろから放たれた砲弾に妨害され、狙いが定まらない。長月が気を引いている間に、皐月が後ろに回り込んでいたのだ。死角からの攻撃に、ル級の動きが一瞬止まる。

「合わせろ、皐月!」
「分かってるよ、長月!」

 その隙を、逃さない。

「――酸素魚雷の力、思い知れ!」

 長月の雄叫びと共に、二人の足首に括り付けられた二基八門の魚雷発射管から、一斉に酸素魚雷が放たれる。魚雷は放射状に広がり、ただでさえ鈍足なル級の逃げ場を奪う。ル級は回避行動を試みるが、当然避け切る事など出来ずに、何本かの魚雷がル級の喫水下で爆発を起こした。

「■■――!」

 流石のル級も無傷では済まされず、装甲や武装の一部が破損――いわゆる中破状態となる。しかし、ル級に戦闘を中断し撤退しようという様子は無く、無事な砲塔全てを二人に向け、抵抗の意思を見せた。

「ああ、悪いが――」

 そんな様子を、長月は微塵も意に介さず。

「時間切れだ」

 そう、小さく呟いた。
 ――それとほぼ同時に、長月の真横を何かが横切る。その姿こそ視界に捉えられずとも、劈く様な喧しいレシプロの音と、勢い良く風を切る音とは、その場にいる全員が聞き取れただろう。

『友永隊……頼んだわよ』

 飛龍の独り言が無線越しに長月と皐月に届くと共に、艦上攻撃機『天山』による攻撃隊が一斉に航空魚雷を放つ。水面すれすれから投下された魚雷は、正確にル級へと向かって行く。

「■■■■――!」

 損傷により元々低い速力が更に低下し、もはやまともな回避行動など取れないル級にとって、攻撃隊の接近を許した時点で、詰みだ。無数の魚雷が喫水下で爆発し、爆炎と共にル級は水底へと沈んで行った。

「――二人とも、お見事でした」

 その様子を見届けていた長月と皐月の元に、飛龍が合流する。

「二人が気を引いてくれたおかげで、安全に攻撃隊を接近させる事が出来ました。もっとも、私だけ安全な場所から手柄を横取りした様な形になってしまったのは、少々申し訳無く思いますが……」

 勿論、こういう戦法を取る事は道中で事前に伝えてあったし、二人の同意の上での事だ。それでも、二人を盾にする様な行為に、飛龍は少なからず負い目を感じていた。

「でも、それが空母のお仕事じゃない? ね、長月?」
「まあ、そうだな。後方(アウトレンジ)から敵艦に打撃を与える、それも一つの空母の役目だ」

 しかし、飛龍の憂いをよそに、二人はそんな言葉を返す。
 これでは、どちらが先輩だか分かったものでは無い。飛龍は内心でそんな事を思いながら、小さく苦笑いをした。

「本当に頼もしいですね、二人は。若手が頼もしいと、安心出来ます」
「ちょっとちょっと、飛龍さんはまだまだ行けるでしょ。どうすんのさ、そんなに弱気で」

 皐月に言われて、飛龍ははたと気付く。言われてみれば、今日は何だか思考が後ろ向きだ。帰ったら、蒼龍と一緒に一杯やって、景気付けでもした方が良いかも知れない。

「まあ、任務は完了です。蒼龍達と合流して、帰りましょう」

 そう言いつつ、飛龍は無線の出力を上げて蒼龍へ連絡を試みる。恐らく、向こうもそろそろ終わっているだろう。
 ――しかし。

「おかしいわ、応答が無い」

 幾ら呼び掛けても、返って来るのはノイズだけ。出力不足? いや、そんな筈は無い。だとすれば、電波障害だろうか? それとも、無線機のトラブルか?

「確認に向かった方が良さそうね。各艦、巡航速度で私に追従して下さい」

 飛龍がそう言い、三隻は蒼龍達が向かった地点へ向けて航行を開始する。

「天気……悪くなって来たね」

 ――道中、皐月がそう呟く。空は黒く染まり、小雨が三人の髪を濡らしていた。目的地に近付くにつれ雨足は段々と強まり、辿り着く頃には、すっかり嵐になった。

「視界が悪い……偵察機を出しても、これじゃあ効果は薄そうね。仕方無い、各艦は散開して、それぞれ捜索を行って下さい」

 無線に対する応答は、未だに無い。念の為本部に連絡を取ったが、何も報告は無いという。であれば、この辺りにいる可能性が高い。飛龍はそう判断して、周辺の捜索を開始した。とは言え、電探を装備していない三隻にとって、嵐の中での捜索は中々に困難だ。何の成果も無く、時間だけが過ぎて行く。

「長月、そっちはどう?」
「駄目だ。全く見つからん」

 長月は首を横に振り、皐月は肩を落とす。さっきからずっと、こんな調子だ。

「じゃあ、ボクはあっちを調べて来るよ。長月は、一旦飛龍さんと合流して、進捗を聞いて来てくれないかな。まあ、向こうも似たようなもんだとは思うけど」
「了解だ。気を付けろよ」

 二人は会話を終え、別々の方向へと向かう。

「しかし……電波障害か。厄介だな」

 先程まで問題無く使えていた筈の無線は、いつの間にか繋がらなくなっていた。その為、情報を共有するには、一旦合流する必要がある。長月は探照灯の明かりと、自身の眼と感覚だけを頼りに、飛龍の元へと向かった。

「あ……長月。どうですか?」

 しばらくして、何とか飛龍と合流する事に成功する。

「成果無し、だ。皐月も同じく」
「うーん……やっぱり、一旦基地まで戻って、捜索隊を改めて編成した方が良いかもしれないわね。燃料も、減って来た頃だろうし」

 そう言って、飛龍は残燃料を確認する。基地まで戻るには充分な量だが、このまま捜索を続けるには、少々不安だ。

「そうね、そうしましょう。それに、ひょっこり帰って来てるなんて事もあるかも知れないし。皐月と合流して――?」

 そこまで言ったところで、気になる物が飛龍の視界に入った。
 ――あれは、まさか。

「っ――!」
「お、おい! どうしたんだ!?」

 長月の呼び掛けに応える事をせず、飛龍は視界に入った物を確認すべく、主機を全開にして流されて行く“それ”の確認に向かう。長月はその後を追おうとするが、すぐに振り切られて見失ってしまった。

「見間違いよ、見間違いに決まってる――」

 そう呟きながらも、飛龍は全速力で以って“それ”を追い掛ける。
 でも。いや、そんな筈は。しかし、あれはどう見ても――

「――嘘」

 ――そこに、浮かんでいたのは。蒼龍の、飛行甲板の破片だった。

「嘘よ。こんなの。こんな海域で、蒼龍が沈むわけ無いじゃない。ねえ、そうよね」

 飛龍の顔から、血の気が引いて行く。思考が停止し、頭が回らなくなる。

「いやいや……別に飛行甲板が破損したら沈むって訳じゃないわよね。私ったら焦っちゃって。あーもー、嫌だなあ」

 それでも何とか心を落ち着けようと、わざとらしい口調でそう自分に言い聞かせて、飛行甲板を拾い上げる。
 その端に、何かがくっついていた。

「え……?」

 “それ”が何であるか、飛龍には最初、理解出来なかった。いや、正確に言えば、その表現は適切では無い。
 理解、したくなかった。
 “それ”が何なのかくらい、子供にだって分かるだろう。ただ、脳が理解を拒んだのだ。だって、これは――

「そう、りゅう?」

 ――手が。
 手首から先の無い、右手だけが。縋る様に、しがみついていた。

「あ……あ、あ」

 分かりたくも無いのに。気付きたくも無いのに――それが、自身の相棒、蒼龍の一部分だと、飛龍は直感的に理解した。
 理解、してしまった。

「――あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 その瞬間、飛龍の中の何かが切れる。その場に蹲り、子供の様な喚き声を上げる。
 飛龍にとって、蒼龍はただの仲間に留まらない、特別な存在だった。幼馴染で、親友で、家族同然で。一緒に様々な困難を超えてきて、これからだって、ずっと一緒にやって行くつもりで。それが、こんな。こんな、所で――
 ――ぐちゃり。

「あ――――」

 ――“知った事か”。
 そう言わんばかりに、突如として海面から出現した大腕が、飛龍の身体を握り潰す。抵抗する暇も、何が起こったのか認識するだけの余裕さえも、飛龍には与えられなかった。
 踏み潰された柑橘類の如き様となった飛龍の肉体からはおびただしい量の血液が吹き出し、指の隙間から溢れ出て海を朱に染めていく。

「――」

 少し置いて大腕の主が浮上し、既にただの血と肉と骨とが混ざったぐちゃぐちゃの塊と化した飛龍“だったもの”を、ポップコーンでも頬張るかの様な軽い調子で自身に備わった捕食機関へと放り込んだ。

「――飛龍さん! そこに居るのか⁉」

 その直後、先程の飛龍の悲鳴を聞き付けた長月が到着し、声のした方に首から下げた探照灯を向ける。
 しかし、そこに飛龍の姿は無い。あるのは、くちゃくちゃと、生肉を咀嚼するような音と。ばきばきと、固いものを噛み砕くような音と。紅く染まった、海面と。『ヒ』の一文字が描かれた、飛行甲板の破片と。そして、大顎をゆっくりと上下させる、腕と捕食機関の備わった巨大な下半身から、人間とそう変わらぬ上半身が生えた歪な姿をした深海棲艦――装甲空母鬼の姿だった。
 何が起きたのか、何が起きているのかを察した長月は、絶句して、足を止める。

「■――」

 そんな長月の姿を、装甲空母鬼が捉える。顎の動きを止めて嚥下する仕草を見せると、備わった十六インチ連装砲を長月へ向けた。

「ああ――何だ」

 そして、長月は。

「“その程度か、お前でも”」

 ――酷く冷たい表情で装甲空母鬼を睨んで、吐き捨てた。
 同時に、長月は主機を全開にし、装甲空母鬼へと向かって突撃を開始する。燃費も機関への負担も全く考慮しない、文字通りの全力から生み出される推進力は、一瞬の内に長月の航行速度を三十七・二五ノット以上まで加速させた。装甲空母鬼の放った徹甲弾は長月の遥か後方に着弾し、大きな水柱を立てる。

「■■――!」

 装甲空母鬼は、長月のその行動に多少意表を突かれつつも、再度の砲撃と、何処からともなく現れた艦爆隊により、迎撃を試みる。

「当たるか、そんな物!」

 しかし、長月は怯む事無く、至近弾が飛び散らした水飛沫を浴びようと、想定以上の酷使に缶とタービンが悲鳴を上げようと、砲撃と爆撃の嵐を掻い潜りつつ、一切減速せずに突撃を続ける。その速度は、『鬼』と呼称される程の実力を持つ装甲空母鬼であっても、容易に捉えられる物では無い。そして、何よりも装甲空母鬼にとって想定外なのは、長月にまるで恐怖する様子が無い事だ。艦娘と言えど、中身は人間だ。感情は存在する。勿論、恐怖のあまり戦えない様な者は、適性検査の時点で振るい落とされるが、それでも『鬼』や『姫』を前にすれば、掠っただけでも致命傷になりかねない砲弾と爆弾の雨の中であれば、誰だって恐怖するし、それによって無意識的に怯んだり、多少なり冷静さを欠くのが普通である。全く恐れを感じないなど、人間としてあり得ない。一見恐怖していない様に見えても、それは心の奥に恐怖を押し込めているか、恐怖を上回るだけの勇気を振り絞っているかのどちらかの筈だ。

「捉えた――!」

 だが、長月は知っている。自分には、本当の意味で恐怖心が無い。いや、それ以前に――
 “感情そのもの”が、無い。
 故に、如何なる状況であろうとも、彼女の足が竦む事は無い。

「■■■――!」

 至近距離。大型で旋回速度の遅い十六インチ砲の狙いは付け辛く、爆撃は装甲空母鬼自身を巻き込みかねない、長月にとって絶好の距離。もっとも、装甲空母鬼の武器はそれだけでは無い。飛龍を屠った大腕が、ここぞとばかりに長月に伸びた。

「邪魔を、するなっ!」

 しかし、長月の両足首に括り付けられた、次発装填済みの魚雷発射管から放たれた酸素魚雷が、それを阻む。計八本の魚雷は両の大腕に直撃し、手首から先を吹き飛ばす。

「■――」

 だが、装甲空母鬼にとって、それはむしろ好機と言えた。魚雷の次発装填時には、低速で航行する必要がある。幾ら近距離であろうとも、十二センチ砲程度で装甲空母鬼の装甲を撃ち抜く事はまず不可能だ。つまり、長月は魚雷を再装填しない限り装甲空母鬼に対抗出来る手段が無いが、悠長にも次発装填を試みれば、その瞬間に装甲空母鬼の十六インチ砲か艦爆隊の餌食になるだろう。要するに、詰みだ。

「てええぇ――りゃあああああああああっ‼」

 ――但し。
 それは、海戦の常識に従えばの話である。

「■――!?」

 長月は、大腕が吹き飛んだその直後――装甲空母鬼に向かって、飛び上がった。艦娘の、常人より遥かに高い身体能力から生み出される跳躍力は、不安定な足場や艤装の重量を物ともせず、装甲空母鬼の頭部と殆ど同じ高さまで長月の身体を浮かび上げる。

「――捕まえたぞ、深海棲艦(ばけもの)が」

 長月は装甲空母鬼の上顎の真上、人型部分の真正面に着地し、命綱(ハーネス)代わりとばかりに装甲空母鬼の純白の髪を左手で鷲掴んだ。

「■――!」

 当然、装甲空母鬼も無抵抗では無い。上部に備わった十六インチ砲を回頭させ、長月に狙いを付けんとする。だが、それが完了するより早く、長月は手首の三式爆雷投射機から十六インチ砲へと向けて爆雷を発射する。計算通りに時限信管が作動し、放たれた爆雷は丁度砲塔の真横の空間で爆発した。勿論、その爆発の威力は装甲空母鬼に対して有効なダメージとなる程の物では無い。しかしながら、十六インチ砲の砲身を歪めて使用不可能にするには、十分だった。間髪を容れず、長月は装甲空母鬼の頭部へと向かって十二センチ単装砲を放つ。

「■■■――!」

 通常なら、擦り傷を付ける事すらもままならずに弾かれるだろう砲弾は、果たして装甲空母鬼の右眼をえぐり、脳漿を掻き混ぜ、頭蓋を粉砕して後頭部から突き抜けた。

「やはり、な」

 ぽっかり空いた右の眼窩からどろどろとしたどす黒い体液を垂れ流す装甲空母鬼の様子を眺めつつ、長月は自身の考えが正しかった事を確信する。艦娘だって、艤装によって肉体が強化されているとはいえ、非装甲部分を狙われれば損傷は免れないし、まして至近距離なら尚更だ。ならば、深海棲艦だって、同じだろう――と。長月は、考えたのだ。そして、その仮説は実証された。

「■――! ■■――!」

 だが、そんな様でも装甲空母鬼は両の手――大腕では無い、人型部分の細腕で長月に掴みかかり、悲鳴らしき声を上げながら抵抗する。人間ならば今の一撃は完全に致命傷だろうが、流石にそこは深海棲艦と言うべきか。

「煩い」

 しかし、長月は冷静にその手を振り払い、装甲空母鬼の両肩を撃ち抜いた。両腕が、根元から千切れ飛ぶ。飛び散った体液が、長月の萌黄色の髪を黒く染める。

「とっとと、沈めよ」

 長月は、残った左眼に十二センチ単装砲を突き付け、躊躇い無く発砲する。眼球が弾け飛び、その欠片が昨日袖を通したばかりの睦月型の制服に張り付いて染みを作る。

「沈め。沈め。沈め。沈め。沈め。沈め――沈めっ!」

 言葉と共に、放たれる砲弾。それら一つ一つが装甲空母鬼の身体を穿ち、その度に体液と肉片が飛び散って長月の身体を汚す。空いた孔からは、時折青白い臓物らしき物がはみ出る。

「■■――」

 装甲空母鬼の悲鳴が、すっかり弱々しくなる。だが、それでも最期の意地とばかりに、虚空から艦爆隊を呼び出した。無論、自身にしがみ付いた長月を爆撃すれば、確実に自分を巻き込む。しかし、そんな事はもはや関係無い。刺し違えてでも仕留める覚悟の元、艦爆隊を長月の直上から急降下させ、爆弾を投下した。

「――“掛かったな”」

 ――そして、それこそが。装甲空母鬼の冷静さを欠かせ、自身もろとも爆撃をさせる事こそが。長月の、本当の狙いだった。爆弾が機体から切り離された瞬間を見計らって、長月は装甲空母鬼の身体を思い切り蹴り付け、後方へと大きく宙返りをする。そこはもう、爆撃の範囲外。爆撃地点に残されたのは、装甲空母鬼ただ一隻。図られた事を察し、装甲空母鬼は回避行動を取ろうとするが、手遅れだ。

「■■■■――!」

 装甲空母鬼が放った艦爆から投下された爆弾は、装甲空母鬼自身の上部装甲を貫通し、内部で大きな爆発を起こす。その爆発は上半身を完全に吹き飛ばし、船底に大穴を空け、装甲空母鬼は誘爆を繰り返しながら海中へと沈んで行った。
 その船体が完全に没した途端に、嵐が収まる。空も、少しずつ明るくなる。強力な深海棲艦は付近の天候を狂わせる時があるらしいが、先程までの悪天候もそうだったという事か。

「――おーい! 長月ー!」

 しばらくして、空がすっかり明るくなった頃、長月の背後から、自身を呼ぶ声が聞こえた。相変わらず元気そうな、彼女の声が。

「ここにいたんだ。いやー、ちょっと遠くまで見に行ったら、迷っちゃってさー。嵐が収まってくれたから、何とかなったけど」

 皐月は長月に駆け寄りながら、頭を掻きつつそんな事を言う。

「まあ、あの嵐だ。迷ってもそれは、仕方無いだろう」
「だよね。飛龍さんも、無茶言うよ……って、そういや、その飛龍さんはどしたの?」

 そこで、飛龍の姿が見えない事に気付いた皐月が、そう問う。長月は、飛龍の元へ報告に行った筈だ。となれば、合流していてもおかしく無いだろう、と。

「ん……ああ」

 そして、長月は。

「沈んだよ」

 そう、たった一言で答えた。

「…………え?」
「だから、沈んだ。はっきりその場を見た訳じゃないが、あれは間違い無く生きてはいないだろうな。こうなると、蒼龍さん達の安否も怪しい。捜索は一旦切り上げた方が良いな」

 淡々とした口調で、告げる長月。

「いや、待ってよ長月――」
「ああ、何があったかは気になるだろうが、詳しい事は戻ってからにしてくれ。流石に、少し疲れた」

 皐月の言葉に取り合おうともせず、長月は振り返って皐月に背を向けた。

「帰るぞ、皐月」
「うん……分かったよ」

 あまりにも無感情な長月を、皐月は少しばかり不気味に思いつつも――それは、彼女がどんな状況でも冷静であれる人間であると、ただそれだけなのだろうと。そんな風に自分を納得させて、長月の後ろに着いた。

    ◆◆◆

 帰投後、長月は皐月に「報告は私が請け負おう」とだけ告げ、一人提督の元へ向かった。単に、皐月はあまりそういう事に向いていなさそうだという考えもあったが、そもそも装甲空母鬼と交戦したのは自分である訳で、その際の状況を詳しく伝える事が出来るという理由の方が大きい。

「ん……? 長月、戻っていたのか。蒼龍達はどうだったんだ? いや、そもそも飛龍はどうした」

 提督は、出撃前と同じ部屋に居た。飛龍からの報告で、蒼龍達と連絡が取れなくなった事は知っている筈だが、そこから先の出来事については、当然知る由も無い。

「――“旗艦代理”として、戦闘結果を報告しに来た」

 長月がそう発すると共に、提督の表情が変わる。思わず、手元の書類を取り落とす。

「おい、長月。それは」

 それは、つまり。旗艦である飛龍に、何かあったという事で。

「航空母艦飛龍、轟沈。及び、航空母艦蒼龍、駆逐艦巻雲、駆逐艦浜風、行方不明。轟沈している可能性も高いが、どちらにせよ捜索は早急に行うべきだろう。遺族に骨一つ送れなくなりかねん」
「ま、待て。それは、悪い冗談か?」

 淡々と告げる長月に対し、提督の顔は見る見る青ざめて行く。それはそうだろう。何せ、部下の死を告げられているのだから。ましてや、自分がとても良く信頼を置いていた艦娘の。

「残念ながら、事実だ。詳しくは、報告書に纏めた」

 そう言って、長月は提督に報告書を差し出す。ここに来る前に、事務室で軽く事情を説明してパソコンを借り、簡単に纏めて印刷した物だ。提督はそれを引ったくる様に受け取ると、睨む様に目を通す。

「――何だ、これは」

 しばらくして、提督は視線を報告書から長月に移し、そう呟いた。

「どうした」
「どうした、では無い。想定外の敵が出現。それはまああり得る。その敵が、『鬼』クラス。なるほど、運が無かった。確かに、不意を突かれでもすれば、飛龍や蒼龍でもただでは済まないだろう。そこまでは良い。いや、良くは無いが、理解出来る。だが――その『鬼』クラスを、たった一隻で撃破? それも、ただの睦月型駆逐艦、しかも新人が?」

 報告書を机に叩きつけ、提督は立ち上がって長月の胸ぐらを掴んだ。

「――ふざけるな。そんな事が、あり得るか。それとも、その程度の相手に飛龍がやられたと言いたいのか、貴様は」
「私は、事実を書いただけだ」

 それでも尚、長月は臆する事も無く、そんな風に答える。

「ああ、そう言えば。確か、戦闘記録の保存の為に、艤装には標準で撮影装置が搭載されているのだったな? それを調べて貰えれば良い。嵐で画質は悪いだろうが、あれだけ接近したんだ。私が言っている事が嘘では無いという事くらい、判断出来るだろう」

 長月がそう言うと、提督は長月から手を離し、「すぐに確認する」と言って部屋を出て行った。取り残された長月は、とりあえず廊下に出る。

「あ、長月」

 すると、そこには皐月が立っていた。

「何か、司令官が険しい顔で向こうに歩いて行ったけど」
「まあ、色々とあってな。それよりどうした、こんな所で」

 先程のやり取りを説明するのも面倒だったし、何より聞いていて愉快な物では無いだろうという理解くらいは長月にもあるので、適当に誤魔化して話題を逸らした。

「それがさ、部屋に戻って早々呼び出されて、偉そうな人に令状渡されたんだ。中には配属先が書いてあったんだけど、すぐに向かえって事で、これから出発するんだ。で、最後に長月に挨拶しとこうと思って」

 そう言って、皐月は姿勢を正し、表情を引き締めて敬礼する。

「駆逐艦皐月より、駆逐艦長月へ。貴艦の武運を祈ります」
「――お前、本当に皐月か?」

 そのあまりにも立派な様子を目にした長月は思わずそう呟き、皐月は前のめりに転けた。

「もー! 最後くらいビシッと決めたかったのにさ!」
「済まん。つい、な」

 膨れっ面の皐月に、長月は頭を掻きつつ謝罪する。

「だが、様になってはいたぞ。恰好良かった」
「そ……そっか。そ、それなら良いんだよ!」

 しかし、長月の言葉で機嫌が直った様で、皐月は少し恥ずかしそうにしつつも、上機嫌な顔になる。

「――駆逐艦長月より駆逐艦皐月へ。此方も、貴艦の武運を祈ろう」

 そんな様子の皐月に、長月は先程の皐月の様に姿勢を正して敬礼する。それに気付いた皐月も、無言で同じ様に敬礼を返した。

「それじゃ、ボクはもう行くよ。もし着任地が近かったら、その時はまた会おうね!」
「ああ、約束しよう」

 そうして、皐月はやや駆け足で長月の元から離れた。暫し、一人になる。

『駆逐艦長月へ。至急A区画十二まで来られたし。繰り返す。駆逐艦長月へ。至急A区画十二まで来られたし』

 だが、すぐにそんな放送が廊下に響き渡る。それに従って、長月は指示された部屋へと向かった。立派な木製の扉を叩くと、「どうぞ、入っていいよ」と、優しげな男性の声が返ってくる。扉を開けると、中はいわゆる執務室で、奥に軍服姿の壮年の男性が一人、立っていた。

「やあ、初めまして。君が、長月君だね?」
「そうだ」

 男性は、肩の階級章からして、元帥。身に纏う雰囲気も、どことなく荘厳である。だが、その表情や口調はあくまでも穏やかだ。

「うちの部下が失礼をした様だね。もっとも、私だって報告を聞いた時は耳を疑った。それでも、一時的とは言え自分の部下である艦を、端から疑って掛かる等、あってはならない事だと私は思うのだよ。――映像記録は確認させて貰った。君が装甲空母鬼と交戦し、撃沈するまでの一部始終が、確かに残っていた」

 元帥はそこまで言って、机の上に置かれた細長い木箱を手にとった。

「本来ならば、艦が表彰ものの戦果を上げた場合、その名誉は指揮官たる提督の物となるのが通例なのだが――これは君が受け取るべきだろう。書類上は作戦時も未所属だった様だし、問題あるまい」

 そう言って、その木箱を長月に差し出す。受け取って蓋を開ければ、そこには煌びやかな装飾の施された軍刀が収まっていた。

「勲章代わりだ。君の功績は、金鵄勲章にも値する」
「それは、光栄だな」

 金鵄勲章といえば、この国で軍人に与えられる勲章としては最高位と言って良い名誉ある勲章だ。だが、それを伝えられても、長月は別に嬉しくも何とも無かった。
 だって、自分が欲しいのは栄誉でも功績でも無い。私が欲しいのは――

「それと、だ。君の着任先が決まった」

 そんな長月の思考を中断させるかの様に、元帥はそう伝えて令状を手渡した。内容は、次の通り。
 ――駆逐艦長月、個人名・長岡つみき。上記の者を、大港区第二十三番基地に配属とする。

「交通費はこちらで支給する。事前に預かっていた君の私物も、着任先に郵送してある。出撃帰りで疲れているところ申し訳無いが、準備が済み次第すぐに出発して欲しい」
「了解した」

 長月は姿勢を整えて敬礼する。

「君の一層の活躍を願っているよ。海軍上層部としても、私個人としてもね」

 元帥も敬礼を返し、それが解かれたのを確認してから長月は部屋を出る。

「――私は別に、活躍なんてしたくもないよ」

 去り際に小さく吐き出された言葉は、元帥の耳には届かなかった。



[40653] 02
Name: 萩鷲◆91e9ad99 ID:f4798db4
Date: 2016/01/19 18:29
 着任初日、私は期待で胸が高鳴っていた。着任先に、私の妹となる艦が四隻も存在すると聞いていたからだ。一人っ子で、親を早くに亡くした私としては、夢の様な出来事だ。
 提督との挨拶を終え、自身の自室となる、球磨型の部屋へと足早に向かう。妹達は、全員そこに居るらしい。緊張しながら、私は部屋へと入る。中では、四人の少女がくつろいでいた。

「――本日より配属となった、球磨型軽巡一番艦、球磨だ! 皆、宜しく頼む!」

 第一印象は大事だろう、自身が出来る精一杯の明るさで挨拶をする。
 ――しかし、返事は無い。少しこちらを一瞥しただけで、私の事など大して気に留めた様子も無かった。

「あ、あの……」
「うっさい。今良いとこだから、話し掛けるな」

 携帯ゲームを弄っていた、薄紫の髪の少女が言う。確か彼女は、二番艦の多摩だ。

「いや、その……」
「あー、聞いてた聞いてた。今日着任の球磨型でしょ? 知ってるから、別に自己紹介とか要らないよ。あ、ベッドは奥のが空いてるから」

 ベッドでごろごろしている、黒髪の少女。三番艦の、北上だったか?

「ええと、私、一番艦……」
「それが何か? 言っておきますけど、一番艦だからって慕ったり敬ったりするつもりは無いですから。姉として扱われたければ、相応の活躍なりを見せて下さいな」

 何故か北上と同じベッドにいる、長めの茶髪の少女。四番艦の、大井の筈だ。

「その通りだ、球磨。むしろ、俺たちの方が先輩なんだから、へりくだるとしたらお前の方だな」

 軍刀の手入れをしている、眼帯の少女。五番艦の、木曾だろう。

「はは……」

 ――前途多難そうだ。まず、そう思い。

「――やってやろうじゃないか」

 ――絶対、こいつらに姉と呼ばれてみせる。そんな風に、決意した。
 私は結構、負けず嫌いなのだ。

    ◆◆◆

 大湊区。その範囲は概ね東北地方全域と等しく、海岸沿いに海上警備・遊撃を主に担当する小規模な基地が点在し、それらを統轄する『警備府』がかつての大湊警備府の所在地に再建されている。これは何も大湊ばかりでは無く、同じ様に『横須賀区』や『舞鶴区』等も存在するのだが――それはひとまず置いておくとして。
 ――大湊区が第二十三番基地。基地の廊下、大きな木製の扉の前に、一人の少女が立っている。少女は、軽く服装を整えた後、一呼吸置いて扉を叩く。

「入って良いぞ」

 それから数秒して、部屋の中から男性の声が響く。少女は、「失礼する」と一言発してから、ゆっくりと扉を押す。扉の先には、それなりの広さの個室が広がっており、奥に置かれた机を挟んで向こう側に、軍服の青年男性が一人立っていた。

「駆逐艦、長月だ。本日付けでこの基地に配属となった。よろしく頼む」

 男性の姿を確認すると同時に、少女――長月は姿勢を正して敬礼し、着任の挨拶をした。

「君が、長月だな。話は聞いているよ。何でも、『鬼』級の深海棲艦を、たった一隻で撃沈したそうじゃないか。確かに駆逐艦を陳情してはいたが、まさかそんな実力者が送られて来るとはね」

 軍服の男性、いわゆる『提督』はそう言いながら長月に歩み寄り、右手を差し出した。

「僕が、この大湊区第二十三番基地を任されている提督、花木史哉だ。こちらこそ、よろしく頼むよ」
「ああ」

 長月もそれに応じ、手を差し出して握手をする。提督の手は、男性としては特別大きいという訳では無かったが、長月の小さな手と比べれば、随分と大きく感じられた。

「さて……君のこの柔らかくふにふになおててをずっと握っていたいというのは山々なんだけど」
「――っ!?」

 長月はとっさに手を振り払う。

「司令官。着任早々上官をセクハラで訴えるのは、流石に嫌だぞ」
「ああ、済まない。つい本音が」

 本音かよ、と長月は思ったが、しかしこのままでは話が進みそうにないし、あくまでも多少驚いただけなので、とりあえず黙っておく事にした。

「それで、本題だが。君は、本基地の第一艦隊に配属となる。というか……その」

 そこまで言って、提督は少し言葉を詰まらせる。

「ここには、君を含めても、五人しか艦娘が居ないんだ」
「――は?」

 思わず、素っ頓狂な声を出す長月。

「元々ここを使っていた提督は別に居たんだが、最近艦隊ごと海外に派遣されたとかで、空いていたんだ。それで、『余らせておくよりは誰かに使わせた方が良い』という話になったらしくてね。結果、一技術士官だった僕が、少佐以上の階級の人間で比較的手が空いていたという理由でここを任される事になったのが、つい半月ほど前。それから、必死に引き抜けそうな艦娘を探したり、新人を回して貰える様に頼み込んだりして、ようやく一人目が着任したのが、数日前。つまり、第一艦隊に配属と言うよりは、まだ第一艦隊しか存在しない、と言った方が正確だし、さらに言えばその第一艦隊すら、ごく最近まで存在しなかった」

 長月は、基地に足を踏み入れてから、殆ど人の気配を感じなかった事を思い出す。どういう事かとは思っていたが、そもそも人が少ないだけだったらしい。

「とりあえず、着任予定艦は君で最後だが――第一艦隊と言えば聞こえは良いが、出撃はおろか、まだ全員の顔合わせも済んでいないような状態なんだ。そういう訳で、今日のヒトナナマルマルに、皆の顔合わせを兼ねた着任祝いを、食堂で行う事にした。勿論、君にも参加して貰うよ。それまでは、自由にしていてくれ。君の部屋は三〇四号室だ。送られて来た君の私物もそこにある。見取り図が必要なら、僕の机の上から持って行くと良い」
「了解した」

 長月はそう応えて敬礼し、見取り図を手にとって懐にしまうと、部屋を出ようとする。

「そうだ、一つ言い忘れていた」

 その長月の背中に、提督が声を掛ける。

「何だ? 司令官」
「いや、君の部屋なんだが。先に着任した艦と相部屋だから、まあ、仲良くしてやって欲しい」

 ――駆逐艦は数が多い。故に、当てがわれる部屋は、大抵の場合他の駆逐艦と相部屋だ。まだ人が少ないここも、例外では無かったらしい。恐らくは、後々人数が増えた時の為に、事前にそうしているのだろう。

「分かった。用件はそれだけか?」
「ああ、下がってくれて良いよ」

 その言葉を聞いた長月は、今度こそ部屋を出る。例の研究所めいた基地の白い廊下と比べてずっと目に優しい、クリーム色の壁紙で覆われた廊下を進み、当てがわれた自室へと向かう。

「三〇四……ここだな」

 自室は、提督の執務室から比較的近い場所にあった。提督の言によれば先客がいる筈なので、長月は戸を叩く。

「入って大丈夫だよー」

 それからすぐに、部屋の中から返事が返って来る。
 ――長月にとって聞き覚えのある、やけに明るい声で。

「まさか」

 そんな声で話す人間は、彼女の知る限り一人しかいない。というか、あんな能天気かつ元気の塊みたいな声の持ち主は、そうそういるものでは無いだろう。
 長月は呆れた様な、諦めた様な、何とも言えない表情をして戸を開ける。

「……あれ、長月じゃん」
「ああ、私だよ……皐月」

 ――睦月型五番艦、皐月。着任前に知り合い、共闘もした長月の同型艦。後ろで二つに纏めた黄色に近い金の髪が、黒い制服も相まって、相も変わらず目立っている。もっとも、長月の萌黄色の髪も相当に目立つので、それはお互い様であるが。

「相部屋とは聞いていたが、まさか相手が知り合いだとは思ってもみなかったぞ」
「そりゃボクもだよ。そもそも、同じ基地に配属されるって事すら聞いてなかったし。まあ、知らない仲じゃ無い方が色々遠慮しなくて良いから、嬉しいけどさ」

 ――そうは言っても、つい数日前に会ったばかりだろうが。
 長月は心の中でそんな風に突っ込むが、しかしその意見に異議があった訳でも無いので、口には出さなかった。少なくとも、一緒にいて不愉快になる相手では無い事は、確かだから。

「まあ、今後ともよろしく……ってとこかな?」
「そうだな。よろしく頼む」

 長月はそう言って軽く頭を下げ、皐月もそれに倣った。

「いやー、知らない所に一人放り込まれて不安だったんだけど、長月がいれば心強いよ」
「何を言うか。全く面識の無かった私に、『暇してた』程度の理由で話し掛けられる人間なら、他の艦娘と打ち解ける事くらい訳は無いだろうに」

 長月は呆れたような口調で言いつつ、部屋に備え付けられた二段ベットの横に置かれた段ボール箱を開く。中には、自宅から送っておいた私物が入っていた。

「でも、長月とは気が合うと思うんだよ、ボク」
「そうか、多分それは勘違いだな」

 ぞんざいな返答をしつつ、長月は私物の中から携帯電話だけを取り出し、蓋を閉じて部屋の隅に追いやった。携帯の電源を入れると、画面に時刻が表示される。

「十五時五十分――あと、一時間と少しか」
「ん……ああ、例の着任祝い?」

 提督から指示された時間は、ヒトナナマルマル――午後五時。それまでの時間は、何かしらで時間を潰す必要がある。基地付近の土地勘を掴む為に散歩でもしようかとも考えたが、一時間では不足だろう。そうなると、読書でもするか、あるいはいつかの様に皐月と話でもするか。

「もしかして、暇?」

 長月の内心を察した様で、皐月がそう声をかける。

「ああ、かなり暇だな。一応、私物の中に本があるが、あまり読書に興じる気分でも無い」
「そっか……そんじゃあさ」

 そこまで言って、皐月は自身の足元の段ボール箱を漁る。恐らくは、中には皐月の私物が入っているのだろう。

「――ゲームでもしない? ボク、対戦出来るゲーム、結構持ってるから」

 そう言いながら皐月が取り出したのは、据え置きゲーム機だった。部屋にテレビは備え付けられているし、ご丁寧にコントローラーも二つ用意されていた。確かに、これなら二人で暇を潰せるだろう。

「そう、だな。別に構わないぞ」

 長月は余り積極的にテレビゲームの類をする人間では無いが、しかし年齢相応程度にはそういう物に興味があるし、触った事もある。少なくとも今、読書よりは余程興味を惹く物である事は確かだった。

「じゃ、決まりだね。あ、言っておくけど、院の皆とよく遊んでたから、ボク結構強いよ?」
「そうか。私は、人とゲームで対戦するのは初めてだからな。精々、お手柔らかに頼む」

 そうして、二人はゲームに興じて暇を潰す事になった。
 ――それから、おおよそ一時間後。

「うう……」
「いつまでうな垂れてるんだ、皐月。そろそろ時間なんだが」

 そこには、けろりとした表情の長月と、珍しく落ち込んだ様子の皐月が居た。

「結構、自信あったんだけどなあ、ボク……それが、完敗って……」
「いや、皐月も強かったと思うぞ」

 長月のフォローが、逆に皐月の心に刺さる。二人がプレイしたのは、いわゆる格闘ゲームだったのだが、皐月は終始、長月から一本も取る事が出来なかった。それどころか、最後の方は攻撃を当てる事すら出来なくなってしまったのだ。

「って言うか、初めてって嘘でしょ絶対! 動きがプロだったし! あれで初めてならゲームで世界目指せるって!」
「そうか。では、目指してみるのも一興だな」

 冗談めかして返す長月だが、初めてというのは本当だった。対戦前にコンピューター相手にしばらく練習していたし、その時は確かに初心者の動きだったのを、皐月も目にしている。

「くっそー……まあ良いよ、他のゲームで勝てば良いんだ……!」
「いや、その気概は結構なんだが、時間だと言っているだろう。いい加減にしないと、遅れるぞ」

 そう言って、長月はゲームとテレビの電源を落とし、立ち上がって部屋の戸に手をかける。皐月も、「分かってるって」とだけ言って長月の後ろに付いた。

「では、行くか」

 そう言って長月は部屋を出て、皐月もそれに続く。食堂は二階で、二人の自室からは数分とかからない場所にあった。中に入ると、一角に数人の人が集まっているのが見て取れた。その中に提督がいる事を確認し、二人はその場に近付く。

「来たか。さ、座って」

 二人の姿を認めた司令官がそう促し、二人とも素直にそれに従う。その場には、提督と二人を含めて、六人が集まっていた。恐らくは、残りの三人が共に艦隊を組む事になる艦娘達だろう。

「これで、全員かいな?」

 その様子を眺めていた、先に席についていた内の一人――茶髪を後ろで二つに纏めた少女が、司令官にそう問う。

「ああ、そうだよ」
「と、なると……五人だけっちゅうのは、ほんまやったんやな。てっきり、悪い冗談かと思っとったで」

 艦娘と思しき少女は、軽く溜息を吐く。

「仕方が無いさ。新規着任の提督が、いきなり大艦隊を任される筈も無い。だが、そこは君達の活躍次第だ。うちの評判が上がれば、自然と艦は増えるだろう――と」

 提督は少女の言葉にそう返した後、一つ咳払いをする。その場の全員の視線が、提督に集まった。

「――さて。本日こうやって集まって貰ったのは、事前に伝えたとおり、第一艦隊の顔合わせの為だ。お互い親睦を深め、一刻も早く安心して背中を預けられる仲になる様に。それと、細やかだが食事も用意させて貰った。夕食時だし、腹も減っているだろう。好きに食べてくれ」

 提督がそう言い終わると同時に、調理室から何人かのスタッフが大皿一杯に盛られた色取り取りの料理を運び出し、艦娘達の前へと並べた。

「それでは、僕はこれで失礼させて貰うよ。本当なら一緒に参加したいんだけど、何分まだ仕事が山のように残っていてね」

 料理が並び終えられ、準備が済んだ事を確認すると、提督はそう言ってその場を後にした。スタッフも調理室へと戻って行き、その場には艦娘達だけが残される。
 しかし、まだお互い殆ど面識が無いが故に、微妙な空気がその場に流れる。誰も口を開かず、料理にも手を付けない。静寂が続き、時間だけが過ぎて行く。

「――ったく、空気悪過ぎや! 葬式会場かっちゅーねん!」
「全くだっぴょん! 折角の美味しそうな料理が冷めちゃうぴょん!」

 それを打ち破ったのは、茶髪を後ろで二つに纏めた少女と、特徴的な語尾の赤い髪の少女だった。

「ほら、まずは自己紹介しよや自己紹介! うちら三人は先に軽く済ませたけど、そっちの二人はまださっぱりやからな。うちからでええよな?」
「どうぞだぴょん!」

 早口でまくし立てて茶髪の少女が立ち上がり、赤い髪の少女が了承する。その勢いに押され、他の三人も小さく頷いた。

「んじゃ、行くで――航空母艦、龍驤や。こう見えても、ちゃーんとした空母なんや。まあ、期待してや!」

 威勢良く、少し怪しげな関西弁で、龍驤はそう名乗り上げた。

「じゃ、次はうーちゃんぴょん!」

 龍驤が席に座り直すと同時に、赤い髪の少女が元気良くその場に立つ。

「卯月でっす! うーちゃんって呼ばれてまっす!」

 そう言って、卯月は大げさな動作でぺこりと頭を下げる。

「次は、私だな……」

 卯月が席につき、今度は白髪の少女が立ち上がる。

「菊月だ……宜しく頼む」

 やや小声でそう言って、菊月は軽く礼をする。

「んじゃ、今度はボクかな」

 菊月が着席した後、皐月はそう言って長月に目配せをし、軽く頷いたのを確認すると起立する。

「皐月だよっ。よろしくな!」

 いつもの調子を取り戻した様で、皐月は元気一杯にそう名乗り、卯月に負けず劣らずの大振りな礼をした。

「最後は、私か」

 皐月が席に座り直すと、長月はそう言ってその場に立った。

「長月だ。駆逐艦と侮るなよ。役に立つはずだ」

 相変わらずの仏頂面のままで長月はそう名乗り、礼もせず再び席についた。

「これで、全員やな。ま、仲良くやってこや? さて――飯やな、飯」
「ぴょん!」

 全員の自己紹介が終わった所で、龍驤と卯月が立ち上がって料理を取りに向かう。

「ほれ、自分らも早よ取ったらどや?」
「早くしないとー、うーちゃんが全部食べちゃうぴょん?」

 龍驤と卯月はそう言って周囲を急かしつつ、席に着いて料理にがっつき始める。それを受けて、他の艦娘達も料理に手を付け始めた。

「結構腹空いとるからなー、仰山食わして貰うで!」
「うーちゃんも、おなかぺこぺこぴょん!」
「これはなかなか、美味そうだな……」
「長月、そっちのハンバーグ取って!」
「そのくらい自分で取れ」

 そうして、少しずつ騒がしくなっていく。
 さっきまでの静けさは、何処かへと消えていった。

    ◆◆◆

「うう、食べ過ぎた……」
「全く。自分の食べられる分量くらい、きちんと把握しておけ」

 顔合わせ兼着任祝いの食事会も済み、長月と皐月は自室へと戻って来ていた。

「まあ、その通りなんだけど……っと、さて」

 苦笑いしながらそう答えつつ皐月はベッドに腰掛けると、携帯を取り出して弄り始めた。そんな様子の皐月に「私は少し出かけてくるよ」と声を掛け、長月は部屋を出た。今なら時間もあるし、基地周辺の散歩をしようと考えながら。

「――おや」
「――あ」

 その道中で、提督と鉢合わせた。上着と軍帽を脱いだ、大分ラフな姿をしている。

「どうした。何か、用事でも?」
「いや……大した事ではない。少し、基地の周りを散歩しようと思っただけだ。この辺りの土地勘を、掴んでおきたいしな」

 特に隠す事でも無いので、長月はありのまま伝える。

「ふむ」

 その返答を聞き、提督は顎に手を当てて少し考える仕草をする。

「それなら、僕が車で案内しようか? 見て回るだけであれば、それでも良いだろう」
「それは、そうだが……仕事が山の様に残っているんじゃなかったのか?」
「何、大方片付いたさ。さ、着いて来い」

 そう言って、司令官は踵を返して歩き出し、長月もその後ろに付いた。提督は一階へと降り、そのまま歩いて基地から出る。そして、正面玄関付近に駐車された、スポーツタイプの黒のセダンに乗り込んだ。

「ほら、乗れ」

 長月もそれに従って、助手席に座る。提督は車を発進させ、ゲートを抜けて敷地から出る。

「しかし、艦娘一人の散歩程度に付き合うとは、案外暇なのか、司令官?」
「そうでもないさ。ただ、少々君に用事があったから、ついでにと思ってね」

 そんな会話を交わしながら、二人を乗せた車は海岸沿いを行く。人気は少なく、ちらほらと民家があるのみだ。

「用事? 何だ、重要な話か?」
「そうだな、僕からしてみれば、結構重要な話だな。まあ、頼み事だよ」

 角を曲がり、海岸沿いから逸れる。それまでと比べ、建物や人気が増え始める。

「実は、君に秘書艦をお願いしようと思うんだ」

 ――秘書艦とは、要するに提督補佐だ。事務処理の手伝い、艦娘目線からの作戦への助言、提督不在時の指揮代行、果ては提督の食事作りまで、様々な事を行う。雑用と言い換えても語弊は無い。

「秘書艦、か……だが、普通は第一艦隊旗艦が兼任するんだろう? それとも、私が旗艦なのか?」
「いや、旗艦は当面は龍驤に任せるつもりだ。だが、本人が秘書艦業務を辞退してな。別に、必ず旗艦である必要も無いし、嫌だと言う奴に無理にさせるよりは、別の人間に頼んだ方が良いと思った訳だ」
「それで、代わりを私にして欲しい、と」
「そういう事だ」

 赤信号に捕まって停止する。周囲を見渡すと、そこは既に街の中心部だった。首都圏とは比べ物にならないとは言え、この地域としては高いビルが立ち並び、往来には人通りも多い。

「だが、何故私なんだ?」
「まあ……そうだな」

 信号はすぐに青に変わり、再び車が発進する。街明かりと行き交う人々が、後ろへと流れて行く。

「まず、真面目そうである事。円滑な業務の遂行の為には、重要な要素だ。他には、成績優秀である事。何も例の装甲空母鬼の事ばかりじゃなく、君は適性検査や訓練の成績も良かったからな。それに、筆記試験も中々だ。少なくとも、秘書艦業務を遂行するに当たって支障があるとは考え辛い。理由を付けるとしたら、その辺りかな」
「含みのある言い方だな」
「いや、何。言ってしまえば、殆ど消去法なんだよ。皐月と菊月は、正直に言って筆記試験の成績がお世辞にも良くは無かった。事務処理なんかは苦手だろうし、嫌いだろう。となると、長月か卯月だが――仕事を一緒にするにあたっては、物静かな方が好ましいからね。結局、そのくらいの理由でしかないのさ」

 中心街を抜け、住宅密集地へと入る。海岸沿いから距離があり、一見安全そうだが――そうとも限らない事を、長月は知っている。

「で、どうだ。引き受けてくれるか?」
「命令であれば」

 素っ気ない長月の返答に、提督は苦笑いをする。

「別に、嫌なら断ったって良いんだぞ。卯月に頼むだけだ」
「嫌では無い。嬉しくも無いが」

 それでも、長月はいつも通りの仏頂面で、そう答える。

「そうか。まあ、引き受けてくれるならばそれで良いんだ。明日から色々と任せるだろうから、頼んだぞ」
「ああ、分かった」

 そこで二人の会話は途切れ、それからしばらく辺りを見て回った後、基地へと戻る。提督は、「では、また明日」とだけ言って執務室へと引っ込み、長月も自室へと向かった。

「ん、ああ、お帰りー」

 部屋に戻ると、皐月が床に寝転がってゲームをしていた。着任したばかりだというのに、途轍もなく寛いでいる。

「どこ行ってたのー?」
「少し、辺りを見て回っていた」

 長月は非常に簡潔な返答をしつつ、私物の入った段ボール箱を開く。その中から、着替えとタオルを取り出した。

「――さて。今度は、風呂に行ってくる」

 それだけ言うと、取り出した物を片手に長月は戸に手をかける。

「わ、ちょ、待ってよ!」

 しかし、皐月がそれを制した。

「どうした」
「いや、そういう事ならさ。折角だし、一緒に行こうよ。ボクもお風呂まだだし」

 そう言って皐月はゲーム機とテレビの電源を落とし、手元の段ボール箱を漁る。恐らく、着替えやタオルを探しているのだろう。特に断る理由も無いので、長月はその様子を見守る。多少手間取っている様子だったが、しばらくすると皐月は無事に着替えを探し当てた。それを確認すると同時に、長月は戸を開けて廊下へと出る。

「だ、だから待ってってば!」
「だから待っていただろうが。さっさと行くぞ」

 慌てて後を追う皐月を尻目に、長月は早足で廊下を歩みつつ、見取り図を取り出す。艦娘用の浴場は、正面玄関から向かって右の端に存在した。それを確認して見取り図を懐にしまい直し、階段で一階まで降りる。

「な、長月歩くの速いー!」

 後ろから聞こえる皐月の叫びを露骨に無視しつつ、長月は浴場を目指して進む。横須賀等の主要立地の、それも大規模な基地に比べれば圧倒的に小さい基地であるとは言え、それでも下手な学校よりは広く、部屋数も多い。見取り図が無ければ、長月でも迷っていたかもしれない。

「――長月ー! どこー! ってか、ここどこー!?」

 ――喚き散らしている皐月の様に。

「全く……こっちだ、こっち!」

 深い溜息を吐いてから、恐らく一階のどこかに居るであろう皐月に呼び掛ける。

「あ、そっちか」

 すると、思ったよりも近場の部屋から皐月がひょっこり顔を出した。その入口には、『多目的ホール』の文字。

「あのな……皐月。幾ら多目的だからって、入浴用途は想定していないと思うんだが」
「分かってるよそんなの! 迷っただけだって!」

 頬を膨らませながら反論する皐月。長月は内心、どんなに道に迷ったにしても、明らかに関係が無い部屋には入らないだろう、と思いつつも、皐月の様子があまりに必死そうだったので黙っておいた。

「見取り図はどうした?」
「えっと……貰ってない。このくらいの広さなら何とかなるかなー、って」

 その発言に長月はもう一度溜息を吐き、懐から見取り図を取り出して皐月に突き出した。

「え、良いの?」
「ああ。念の為、余分に貰っておいて良かったよ」
「ありがと長月! やっさしー!」

 見取り図を受け取った皐月は、その場でくるくると回転して全身で喜びを表現する。表彰状でも受け取ったかの様な喜び様で、相変わらず一々大袈裟だ。

「優しい……か」

 しかし、長月の興味はそれとは全く別の所にあった。

「きっとそれは、勘違いだよ」

 ――自分の様な人間失格が、間違っても優しい筈が無い。

「優しい人間っていうのは――お前の様な奴の事だよ、皐月」

 そんな事を思いつつ、長月は小声で呟く。些細な事で満面の笑みを浮かべる皐月を、どこか遠くを眺めるような目で見つめながら。

「何か言った? 長月」
「独り言だ」

 首を傾げる皐月にそう言って、長月は踵を返し再び歩き出す。怪訝な顔をしつつも、皐月もその後ろに続く。そこからは数分とかからずに、二人は目的地まで辿り着いた。艦娘用の浴場なので、男女で分かれてはいない。『ゆ』の一文字が書かれた暖簾を潜り、靴を脱いで脱衣所へと足を踏み入れる。まだ人数が少ないこともあってか、先客はいない様だ。衣服を脱ぎ、空いている籠に放り込んでいく。すっかり脱ぎ終わると、二人はタオルを片手に浴室へと続く曇りガラスの戸を引いた。

「おー……」
「これは……何というか、本格的だな」

 二人の目に入ったのは、如何にも温泉である、と言わんばかりの様相の浴場だった。全体的に岩に覆われ、浴槽の湯は微かに緑に染まっている。かけ流しなのか、岩を積み上げた壁の隙間から浴槽に途切れなく湯が注がれ、溢れ出る湯が床を濡らしている。

「そう言えば、この辺って温泉地だっけ。でも、ここのお風呂まで温泉だとは思ってなかったよ」

 皐月はそんな感想を漏らしながら、入口横に積み上げられた桶を一つ手に取る。内装は凝っている割に、桶は銭湯によく置いてある、黄色いプラスチック製の医薬品の広告が入った物だった。

「どうせなら、木製にでもすれば良いだろうに」

 とは言え、別に桶として何か不足がある訳では無い。多少ミスマッチだというだけだ。長月はぼやきつつも、皐月と同じ様に桶を手に取ると、鏡の前に置かれた椅子に座った。皐月も、その隣に座る。備え付けられたシャワーを手にとって蛇口を捻ると、適温のお湯が噴き出した。

「あー……温かい」

 皐月は立ち上がって、全身で湯を浴びる。幼く白い柔肌の上で水滴が輝き、零れ落ちて行く。長月はその光景を横目に、座ったまま軽く湯を浴びると、髪を濡らしてシャンプーを付けた。

「うん? 長月は、先に頭洗うの?」
「ああ。向こうで洗いそびれたからな。雨で大体流れたとは思うが、先に洗っておいた方が良いだろう。ついでだから、身体もな」

 そう答え、長月は目を瞑りながらやや乱暴に両手で頭を掻く。所々で指が引っかかるのは、潮風で髪が傷んでいるのか、それとも汚れの所為か。

「んじゃ、ボク先に入ってるね」
「ああ、そうしてくれ」

 そうして皐月はシャワーを止めてとてとてと歩いて行き、「いやっほう!」という妙にテンションの高い掛け声と共に浴槽に飛び込んだ。

「――熱っ! お湯熱っ!?」

 着水音と共に背後から聞こえる悲鳴に対し、長月は「阿呆か」とだけ呟いて、特に振り返る事もせずに洗髪を続ける。腰の辺りまである萌黄色の髪はすっかり泡に包まれ、それを手で梳かす様に洗う。前髪に付いた泡が胸の辺りに滴り、なぞる様に長月のきめ細やかな肌を滑り落ちて行く。
 一通り洗い終えると、手探りで蛇口を捻り、鏡の上に引っ掛かっているシャワーから湯を出す。丁度いい位置に湯が掛かり、顔周辺の泡が流される。十分に泡が落ちてから長月は目を開けて湯が出たままのシャワーを手に取り、残りの泡を洗い流して行く。次に桶にお湯を張り、タオルをその中に入れて湿らせる。十分に湿った所でタオルを引き上げ、固形石鹸を挟んで良く泡立てる。そうして泡だらけになったタオルで全身を擦り、全身を隈無く洗う。
 それが終わると、泡だらけの手でシャワーを掴んで蛇口を捻り、立ち上がって湯を浴び全身に付いた泡を洗い流す。タオルの泡や、椅子や蛇口に付いた泡もしっかりと洗い、長月はようやく浴槽に向かった。ちゃぷん、と小さな音を立てて、湯船に浸かる。湯の温度は確かに高めだったが、急に飛び込んだりしなければ問題は無い。

「ん、あー……もう終わったんだ。早いねー」

 その様子に気付いた皐月が、湯をかき分けながら長月に歩み寄って来る。大分温まっている様子で、顔が熱で赤く染まっている。

「そうか? こんな物だろう」
「そっかなー……まあ良いや、ボクもそろそろ、上がって洗って来ようっと」

 そう言って、皐月は湯船から上がり、シャワーの方に歩いて行った。一人になった長月は、壁際まで移動して、もたれ掛かかって座った。湯船はそれほど深くは無く、年齢相応とは言え絶対的には背の低い長月であっても、腰を下ろす事が出来た。

「はー……」

 長月にしては珍しい、気の抜けた声が出る。温泉という物の存在は当然知っていたし、テレビや何かで見た事は何度もあるが、入るのは初めてだった。

「うん、こいつは良いな……」

 いつも無愛想な長月も、流石に表情が緩む。まるで、疲れが湯に溶け出して行く様な感覚だ。身体に染みるとはこういう事かと、全身で理解する。そもそも、ここに来る前にかなり過酷な状況での戦闘を行ったのだから、疲労はかなり溜まっている筈なのだ。そのまま目を閉じて、じっくりと湯に浸かる。
 ――しばらく経ち、十分に暖まった長月は湯船から上がる。良く絞ったタオルで全身を拭き、丁度身体を洗い終えたらしい皐月に「先に出ているぞ」と声を掛けて、浴場から出る。脱衣所で用意していた着替えを着ると、洗面台の横に備え付けられたドライヤーで髪を乾かす。

「ふいー、さっぱりした」

 そうこうしている内に、皐月も浴場から出る。長月と同じく着替えを着て、長月の隣でもう一つ用意されていたドライヤーを使い、髪を乾かし始めた。

「そだ。部屋帰ったら、また対戦しようよ。今度は、別の奴で」
「良いだろう。またこてんぱんにしてやるさ」
「あ、あはは……出来れば、お手柔らかに……」

 取り留めもない会話を交わしつつ、ゆっくりと時間が過ぎて行く。
 ――こんなのも、偶には良いかもしれない、と。
 心にも無い事を、長月は思った。
 
    ◆◆◆

 微睡みから目覚め、長月の意識が徐々に覚醒する。目を擦りながら掛け布団を除け、身体を起こしてベットから降りて立ち上がる。二段ベッドの上段をちらと覗き見ると、どうやら皐月はまだ寝ている様子だ。

「まあ……早起きするタイプでは無さそうだしな」

 現在時刻、午前六時。常識外れに早い時間という訳では無いが、しかし長月や皐月の年齢を考えれば相当早い時間である。
 寝間着を脱ぎ、制服に着替える。皐月を起こさない様に気を遣いつつ、廊下に出る。部屋のすぐ近くの手洗い場で顔を洗って目を覚まし、早朝特有の肌寒さを感じながら、朝食を目当てに食堂を目指す。確か、もう開いている筈だ。

「――おう、長月。お早いお目覚めやな」

 その道中で、龍驤と出会った。

「龍驤さんこそ、早起きじゃないか」
「まーなあ、色々やりたい事もあるし……で、長月は飯か?」

 龍驤の問いを、長月は頷いて肯定する。

「ほんなら丁度ええわ、うちもこれから食い行こう思っとったんや。一緒に行こや」
「分かった」

 特に断る理由も無いので、長月は龍驤の提案を受け入れる。二人並んで、食堂に向かう。

「そういや、聞いたで? 自分、装甲空母鬼とタイマン張って勝ったそうやないか。噂になっとるで」

 道中、龍驤が話し掛けてくる。装甲空母鬼の事については、長月は他人に殆ど話していないのだが、既に大分広まっている様だ。

「まあ、な」
「なんや、軽い反応やなあ。凄いこっちゃで君? 『鬼』を駆逐艦が単独で撃破するなんて、そうそうあらへん。もっと、誇ってええんやで?」

 そう言って、龍驤は長月の肩をばんばんと叩く。皐月とはまた違った方向性の明るい人だ、と長月は思う。

「別に、そういうつもりでやった事では無い」
「ああ、そか……ま、ええわ。どうするかは、自由やしな。ただ――」

 龍驤は歩きながら、顔を長月の方に向ける。長月も倣う様にして、視線を合わせる。

「――そういうのに、憧れる奴もいる。その事は、覚えといた方がええ」

 少しだけ真剣な調子で、龍驤は言った。

「まあ、そんだけや。さ、飯や飯」

 会話を交わしている内に、食堂前まで辿り着いていたらしい。扉を開き、二人は食堂に入る。

「おばちゃーん! 朝定食一つ!」
「私も、同じ物を頼む」

 注文を受け、厨房奥で待機していたスタッフが動き出す。料理が出されるまでは少しかかりそうな様子だったので、長月達は一旦近くの席に向かい合うように腰掛けた。

「今日の献立は何やろなあ……っと」

 呟きながら、龍驤が卓上の割り箸入れに手を伸ばし、中の爪楊枝を一本取って口に咥える。

「うん? 何をしてるんだ?」
「ああ……これな。癖や癖。艦娘になってからすぐに禁煙したんやけど、どうにも口が寂しゅうてな。で、代わりに爪楊枝咥えてみたら、これが案外しっくり来た。それから癖になってしもた」

 爪楊枝を器用にぴこぴこと動かしながら、答える龍驤。

「――煙草?」

 その発言を聞いた長月が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
 昔煙草を吸っていた? まさか、この見た目で成人済みなのか? いや、顔付きにしろ背丈にしろ、どう見ても私と同じくらいか、精々が少し歳上程度にしか――

「元喫煙者って、このちんちくりん歳幾つだ? ――とか考えとるやろ。飲酒に関しては黙認されとるが、喫煙は咎められるからなあ」
「――い、いや、そんな事は」

 完全に図星を突かれ、長月は咄嗟に否定するが、当の龍驤は「ええんや、慣れっこやから」と笑いながら言う。

「うち、これでも今年で二十三なんやで?」
「に、にじゅうさ――⁉︎」

 予想よりも遥かに歳上だった。

「そ、それは済まなかった! てっきり、私より少し歳上くらいかと――」
「だから、ええって。こういうの、一度や二度や無いし。それに、若く見えるって考えりゃそう悪い事でもあらへん。一々気にするより、開き直った方が楽や」

 思わず頭を下げる長月に、まるで気にしていない様子で言う龍驤。

「因みにやけど、長月は幾つや?」
「私は……今年で、十だ」

 長月の返答に、今度は龍驤が意外そうな顔をする。

「へえ――もう少し上かと思っとったわ。えらい落ち着いとるからなあ、君」
「落ち着いている――か」
 
 確かに、そう表現する事も出来るかもしれない。しかし、一見的を射ている様で、本質的には全く以って的外れだろう。
 ――感情の起伏があるからこそ、落ち着いていると言えるのだ。私は、その定義には当て嵌まらない。

「どないした。深刻そうな面して」
「何でもない」

 長月がそう返した直後、カウンターから二人を呼ぶ声がする。注文の品が出来たらしい。二人は立ち上がり、食事を受け取ると元の席に着く。手を合わせて「頂きます」と呟き、二人は食事に手を付け始めた。

「焼き魚と味噌汁、卵焼きとおひたしに新香、そんで飯か。まー見事なくらいに典型的な和の朝食やなあ」

 言いながら、龍驤は咥えていた爪楊枝を左手で二つに折って近くのゴミ箱に投げ捨てつつ、反対の手で焼き魚を解し、茶碗に乗せて白米と共に掻っ込んだ。

「しかし、魚か。最近は高いんじゃないのか?」
「そら、養殖やろきっと。そんでも需要に供給が追っ付いとらんから、確かに昔に比べりゃ随分高いけどな」

 制海権は徐々に確保されつつあるとは言え、絶対の安全が保証されている海域など何処にもない。当然、安心して漁など出来やしない。それでも時折、艦娘の護衛の下に比較的安全な海域で漁が行われている辺りは、この国の人間の魚好きが伺える。

「まあ、私は食べられれば何でも良いが」
「好き嫌いが無くてええ事や」

 ――二人がそんなやり取りをしていると、食堂の扉が開く気配がする。

「お、二人とも早起きだな」

 現れたのは、提督だった。

「おー、司令官。おはようさん」
「うん、おはよう。そして、長月もおはよう」
「ああ、おはよう」

 提督は二人に挨拶すると、「天ぷらうどん、大盛りで」と注文して長月の隣に座った。

「そういえば、秘書艦の業務には司令官の食事作りも含まれると聞いた事があるのだが」
「ああ、別に良いよ。他に色々やって貰いたい事も多いし、頼まなくても何とかなる様な事まで頼む訳にはいかないさ。まあ、どうしても作りたいなら止めはしないが」
「そんな訳があるか」

 長月はばっさりと言い切り、提督は「ま、そうだよな」と言いつつも少し残念そうな顔をする。

「なんや、秘書艦は長月になったのか?」
「ああ、そうだ。そう言えば、龍驤さんは秘書艦業務を断ったそうだな」

 そもそも、長月に秘書艦業務が回ってきたのは、そういう理由だった筈だ。

「あー……いや、断ったっちゅうか、うーん、まあ、断ったっちゃ断ったんやけど」

 しかし、龍驤は微妙な表情を見せながら言う。

「別に、僕は隠す様な事じゃないと思うんだがな」
「分かっとるわそんな事。でも、なんや、その……まあ、ええやんか」

 龍驤はそう言うと、少し俯いて言葉を止めた。どことなく、顔が赤らんでいる様に見えた。

「――まあ、それはともかくとして。丁度旗艦と秘書艦が揃っている訳だし、今の内に連絡しておこうか」

 そんな様子を眺めつつ、提督は真剣そうな調子で言う。長月と龍驤は一旦箸を止め、提督の方に顔を向ける。

「面子も揃った事だ。近海の警備を兼ねた練習航海を、今日の昼頃――ヒトニイサンマルに実施しようと思う。ここの近辺の海域では殆ど深海棲艦が出没しないから戦闘訓練にはならないだろうが、連携の練習くらいにはなる筈だ」
「確かに、一遍合わせるくらいはしとかんとやな。いつ出撃命令が入るかも分からんし」

 龍驤の反応に、「その通りだ」と提督。

「うちのような比較的小規模な基地は、近海警備が主任務だ。だが、近海で何か異常が起こったり、大規模作戦が発令された時等は、戦力の一つとして運用される事になる。それが、いざ実戦という時に碌に連携も取れないでは問題だろう。もっとも、訓練で連携については叩き込まれているだろうから大きな問題は発生しないとは思うが、万が一という事もある」

 そこまで話した所で、カウンターから提督を呼ぶ声がする。提督は立ち上がって受け取りに向かい、注文したうどんを持って帰って来る。

「まあ、そういう訳だ。他の三人には、二人から伝えておいてくれ。それと、練習航海が終わり次第、長月は執務室に来る様に。やって貰いたい事があるからな」

 そう言って、提督は黙々とうどんを啜り始める。長月と龍驤も、食事に集中する。
 ――それから数時間後、基地近海。海を駆ける、五つの影があった。

「さあ仕切るで! 全艦、輪形陣! うちを中心に、配置は正面が長月、そっから番号順に時計回り!」

 龍驤の号令と共に、単縦陣にて航行していた艦隊が輪形陣を取る。艦隊を組んだのは昨日、合同で艦隊行動を取るのは今回が初めての彼女達だが、駆逐艦は護衛任務が主任務だ。必要な技術は、着任前から徹底的に叩き込まれている。

「対潜警戒を行いつつ、全艦そのまま両舷前進原速!」

 間隔を均等に保ちつつ、原速(十二ノット)で航行する。特にふらついたりする事も無く、概ね様になっている。

「良い感じや! ほな、も少し速めに行くで! 両舷前進、第一戦速!」

 号令を受け、少しずつ航行速度を速めて行く。

「菊月! 間隔が狭い! 皐月はちゃんとペースを合わせろ! 味方同士で衝突して轟沈とか、目も当てられんで!」

 隊列が乱れる度に龍驤が声を張り上げて指摘し、改めさせる。多少もたつきつつも、大きな問題を起こす事無く全員が第一戦速(十八ノット)まで加速した。

「――前方に敵影確認!」

 直後、長月が叫ぶ。

「何やて!? ――数と艦種は!」
「分からない、流石に遠過ぎる!」

 今回の出撃はあくまで練習航海であり、戦闘は想定していなかった。しかし、出会ってしまったからには無視する事も出来ない。万一に備え、戦闘可能なだけの装備は施されている。

「しゃーないな、偵察機発艦させるで!」

 龍驤はそう言って、腰に下げていた巻物状の飛行甲板を手に取り、勢い良く振り広げる。そうして展開された飛行甲板の上を滑らせる様に、式神状の艦載機を投擲する。すると、その姿は非雷装の九七式艦攻へと変化し、高度と速度を上げて敵艦隊へと向かって行く。

「――捉えた! 駆逐ロ級が三、軽巡ホ級が二! 勝てる相手やな、仕掛けるで! 長月以下四隻は単縦陣に陣形変更後、両舷前進最大戦速にて敵艦隊へ突撃や!」
「了解!」

 号令に従い、四人は一直線に並んで勢い良く敵艦隊へと突っ込んで行く。龍驤はその場に留まり、今度は雷装された九七式艦攻隊を発進させた。艦に比べて圧倒的に高速である艦載機は長月達を一瞬で追い抜き、一足先に敵艦隊に接敵する。

「艦載機の皆ぁ! お仕事、お仕事!」

 龍驤の威勢の良い掛け声と共に、攻撃隊が航空魚雷による雷撃を試みる。当然敵艦隊も無抵抗では無く、高射砲や対空機銃によって何機かの機体が撃墜されたが、ロ級やホ級は決して対空能力が高い艦では無く、その上空母も不在と来れば、当然捌き切れる筈も無い。雷撃は問題無く実行され、ロ級二隻に魚雷が直撃し撃沈、ホ級一隻も中破した。

「皆、準備は良いな!」
「勿論だっぴょん!」
「問題無い……」
「よーし、いよいよボクの出番だね!」

 航空攻撃が終了すると同時に、長月達が敵艦隊を主砲の射程内に捉える。

「各艦、砲戦用意! ――撃てぇ!」

 長月が叫び、一斉に主砲が発射される。睦月型主砲である十二センチ単装砲から放たれた砲弾が既に半壊状態となった敵艦隊に降り注ぎ、残りの三隻全てを爆散させた。

「――駆逐艦長月より、空母龍驤へ。敵艦隊、全滅を確認した。そちらと合流するぞ」
『空母龍驤より駆逐艦長月へ。了解や、念の為偵察機を哨戒させつつ、さっきの場所で待機しとくで』

 艦隊初の戦闘は呆気なく終わり、長月達と龍驤が合流する。

「全く、この辺りじゃ深海棲艦なんぞ滅多に出てけぇへんっちゅう話は、一体どこ行ったんや」
「仕方無いだろう、海上である以上絶対の安全など無いのは分かり切っている。それに、実戦形式の訓練が出来たと思えば、そう悪い事でもあるまい」

 再び輪形陣を取り、原速で航行を再開する。

「そう言えばさー、ただの練習なら、あれを使えば良いんじゃないの? ほら、適性検査とかの時に使った、VRシステム」
「ああ、あれなー……何でも、装置がめっちゃ高い上にメンテナンス出来る人間が殆どおらんとかで、数が揃えられんらしいわ。当然やけど、うちの基地にゃあらへんで」
「あちゃー、そうなんだ……」
「ま、出て来るにしてもあの程度の敵な訳や。あれくらいの相手なら問題無さそうやし、もうしばらく続けるで」

 そう言うと龍驤は再び指示を出し、それに従って複縦陣や単横陣へと陣形を変更したりと、連携の訓練を再開する。
 ――それからは特に何事も無く、燃料が減って来た所で基地へと帰投する。基地前の桟橋から陸へ上がって格納庫で艤装を下ろし、それぞれの自室へと戻って行く。但し、龍驤と長月は自室ではなく、執務室へと向かった。龍驤は報告の為、長月は秘書艦業務の為だ。龍驤はノックもせず、「入るでー」と言いながら豪快に執務室の扉を開く。

「龍驤に、長月か」
「第一艦隊、帰投したで。全員、損傷は特に無し。ただ、一度敵艦隊と遭遇して弾薬と艦載機を少し消耗したから、しっかり補給する様に整備斑に伝えといとくれや」
「敵艦隊と――ふむ」

 近海で深海棲艦と遭遇する事は正直予想外であり、提督は少し難しい顔をするが、しかし海の上で絶対の安全など無い事は分かり切っている。特に被害が無い事もあり、そういう事もあるだろう、くらいに結論付け、疑問を頭の隅に追いやった。

「まあ、分かった。それと――おかえり」
「おう、ただいま」

 簡単に報告を終え、龍驤は執務室から出る。

「長月も、おかえり」
「ああ。ただいま、司令官」

 執務室には、提督と長月だけが残される。

「さて――長月には、秘書艦としての初の仕事をして貰おう。と言っても、難しい事じゃない。僕が目を通した書類を、整理して向こうの籠に入れてくれ」

 そう言って、提督は窓際に置かれたサイドボードの上を指差す。確かに、何枚かの書類が入った籠が置かれている。

「了解した」

 長月の反応を認めると、提督は卓上の書類に何か書き込んだり判を押したりし始め、長月はそうして目が通された書類を指示通りに運ぶ。

「――そういえば、長月」

 そんな中、唐突に提督が口を開いた。

「どうした」
「いや、君がここに来る前に、臨時艦隊を組んで戦闘を行っただろう? 装甲空母鬼と交戦したという、あれだ。あの時、行方不明者が三人出ていたな?」
「ああ。そもそも、その報告をしたのは私だ」

 幾つかの偶然と不運とが重なった、長月の初の実戦。長月自身の戦果はともかく、全体としてみれば散々な結果となった作戦だ。

「で、それがどうしたんだ?」
「向こうから捜索結果の報告があってな。――巻雲と浜風が、見つかった。大きな損傷は無く、無事だそうだ。装甲空母鬼と遭遇した際に、蒼龍が囮になって二人を逃したらしい。だが、無線機と羅針盤は故障、現在地も分からず、彷徨う内に燃料も尽きて帰るに帰れず。そうして漂流していた所を、捜索隊に発見されたとの事だ」
「――それは、良かったな」

 ――あの二人、生きていたのか。長月の感想は、率直に言ってそれだけだった。幾ら一時的に組んだとはいえ、皐月と違ってまともに会話も交わしていない相手だ。もっとも、仲間が生存していたという事が悪い事である筈も無いので、素直に喜ぶべきではあろうが。そして、提督の言い方からするに、蒼龍はまだ見つかっていないのだろう。ここまで来てもまだとなると、恐らくは、そういう事だ。奇跡的に生存している可能性は否定出来ないが、現実はそう優しい物でも無い。

「それと、長月に伝える様にと、向こうの提督から一つ言付けも預かっている。『済まなかった』、だそうだ」
「そうか」

 長月に思い当たる節はあるが、彼女はその事を気になどしていない。あんなのは、慣れっこだ。

「話は、終わりか?」
「ああ」

 そのやり取りを最後に会話は途切れ、再び静寂が訪れる。書類同士が擦れる音や、ペンを走らせる音に判を押す音、長月の足音のみが部屋を支配する。

「――ああ、そうだ。もう一つ、話があった。いや、話と言うか、質問かな。長月に訊きたい事があるんだが、良いか? 個人的な興味からの、質問なんだが」

 しばらくそれが続いた後、再び提督が口を開く。

「構わないぞ」

 手を止めずに、長月は即答した。

「では、訊くが――君は何故、艦娘に志願したんだ?」

 提督も手を動かしたまま、そんな事を問う。

「大した理由では無い。ただ、あいつらに個人的な“用事”があるだけだ」
「そう、か」

 この前、皐月にも似た様な事を訊かれたな、と思いつつ、長月は答えた。

「――それで、その“用事”とやらは、何だ?」

 ただ、提督は皐月と違い、続けて深く突っ込んだ質問をした。

「そんなに、気になるのか?」
「気になるな。自分の部下で、しかも秘書艦だぞ。戦いに身を投じた理由くらい、聞いておきたいだろう? まあ、無理にとは言わんがね」

 提督は手を止め、長月に視線を向ける。

「で、どうだ。話してくれるか?」
「そう……だな」

 長月も手を止め、提督と視線を合わせる。

「まあ、聞きたいというのであれば、話そうか」

 別に、長月はそれを話す事について抵抗があった訳では無い。特別隠す意図があった訳でも無い。

「まず初めに、だな――」

 ただ、何かがあったとすれば――

「――私には、さ。生まれつき、心という物が無いんだ」

 ――理解はされないだろう、という認識だけだ。

「それは……どういう意味だ?」

 流石に予想外だった様子で、提督は少し呆気に取られた様な表情をする。

「そのままの意味だよ。喜怒哀楽の一切が無い。生まれてこの方、感情という物を実感出来た事が、一度も無いんだ」
 
 ――彼女は。
 長月――もとい、『長岡つみき』という少女は。そういう人間だった。

「何があっても、何を見ても、何を言われても。泣けないし、笑えないし、怒れない。どうすればそれが出来るのかさえ、良く分からないんだ。私は、そんな自分が大っ嫌いで。何度も何度も変えようとして、変わろうとして。でも、どうしようもなかった」

 楽しい事だってあった筈だ。悲しい事だってあった筈だ。それでも何も感じなかった。『人でなし』と罵られ。『化け物』と蔑まれ。『嘘吐き』と否定され。家族とすら殆ど言葉を交わさなくなり。それでも――何も感じなかった。

「――艦娘になる前、深海棲艦に襲われた事がある。目の前で家族が殺され、私自身も絶体絶命。だが、それでさえ、私は何も感じなかった。流石にあれは、笑うしか無かったな。ああ、あの時初めて笑えたよ」

 流石の自分でも、関わりの深い人間が死んだり、生命の危機に晒されたら、何かしら感じる物があるのでは無いのかと、頭の何処かで考えていた。でも――そんなのは、ただの思い込みでしか無かったのだ。

「だが同時に、こいつらならもしかすると、とも思った。今この世において、恐らくは最も手っ取り早く強い恐怖を感じられるであろう相手だからな。もっと強力な深海棲艦であれば、あるいは私の心をも動かす事も出来るのではないか――と。ふとそんな風に考えて、私は艦娘になったんだ」

 表情一つ変えず、淡々と長月は話す。

「しかし、戦艦を相手にしても、『鬼』を相手にしても、私の心はさっぱり動かなかった。あとは『姫』辺りにでも期待するしか無いが、望みは薄いだろうな。かと言って、艦娘はそう簡単に退役する事は出来ないし、やるからには最善を尽くす気概だが――まあ、個人的な理由というのはそんな所だ。信じないならそれで良いし、笑いたければ笑えば良い。気味が悪ければ、遠慮無く秘書艦業務から外してくれれば良いさ。何なら、艦隊から外したって良いぞ。好きにしてくれ」

 もしもこんな事を言う奴が居れば、私だってそんな人間となんて関わりたくない。嘘を吐いているとすれば馬鹿馬鹿しく、本気ならば更に質が悪い。そう考えながら、長月は視線を提督から手元の書類に戻し、業務を再開する。

「――馬鹿を言うな。そんな事をする筈が無い」

 ――しかし、その手はすぐに止まった。

「当然信じるし、気味悪がったりもしないに決まっているだろう」
「――何故だ?」

 あまりにも予想外の提督の言葉に、思わず問う長月。

「何故だ、と来たか。まあ――そうだな」

 提督は、少しだけ表情を緩ませる。

「僕の、新人時代の上官が言っていたんだ。『自分の部下の事を端から疑ったりする様な事は、あってはならない。部下を邪険に扱うような事も、してはいけない。それが、上官というものだ』とね。言ってしまえばその受け売りさ。――君が僕の部下である以上、僕が君を疑う事は有り得ないし、君を気味悪がったりもしない。約束しよう」

 力強く、はっきりと。提督は断言した。

「だが、それはあくまで上官としてだろう。司令官は――司令官自身は、不愉快では無いのか。こんな、狂人の戯言を聞いて」
「それを話せと言ったのは僕の方じゃないか。むしろ、素直に話してくれた事に感謝するくらいの物だ。例えそれを差し引いたって、僕個人としても、不愉快だとは露程も思わんさ。いや――そもそもだ。勝手な事を言わせて貰うが、君が狂っているだの、そもそも心が無いなどと、僕は思わないな」

 そう言って、提督は長月と目を合わせた。

「何を、根拠に」
「――だって、君は、悩んでいるじゃないか」
 
 提督は立ち上がり、長月の真横へと歩み寄る。

「君は言ったな。感情が無い自分が嫌いだったと。そんな自分を変えようとしたと。それはつまり、悩みだろう。だが、本当に心が無いというのならば、悩んだりはしない。そんな事を気にしたりも、自分を嫌ったりもしないだろう。それらは感情が成せる技だ。本当に心が無いのであれば、自らのあり方に疑問を持ち、思い悩み、変わろうと行動するなんて事は、しない筈だ。――違うか?」
「し、しかし、私は――」
「――大丈夫だ」

 提督は手を伸ばし、長月の頭に乗せる。

「わ、わっ」
「君はまだ、僕の半分さえも生きていない。諦めるには早すぎるだろう。――なあに、焦る事は無い」

 提督が屈む。長月と、視線が合わさる。

「――大丈夫だよ、きっと」

 ――優しげな笑顔で、そう言いながら。提督は、くしゃくしゃとかき回す様に長月の頭を撫でた。

「――っ!」

 だが、長月はその手を振り払うと、逃げる様に執務室から退出した。
 その背中を、呆然と眺めるだけの提督。

「――やってしまった」

 提督はしばらく固まった後、席に戻ると酷く落ち込んだ表情で呟いた。

「流石に、馴れ馴れし過ぎたか? それとも、気安く頭なんか撫でたのが悪かったのか? ああ、“あいつ”には散々女性への接し方がなってないって言われてたけど、全くその通りだよ……! しかもそこに来て子どもだぞ、どう接したら良いのかなんて分かるもんかよ……!」

 執務机に突っ伏して、ぶつぶつと愚痴る提督。

「ま、まあ――過ぎた事は仕方が無い」

 自分に言い聞かせながら、上体を起こす。

「これ以上下手に何かして心象を悪化させたく無いし――少し、放っておこうか。戻って来たら、謝ろう」

 提督はそう結論付けて、長月を追う事はせずに一人執務を再開した。

「――はあ」

 ――長月はと言えば、執務室から少し離れた廊下の壁に寄り掛かっていた。その顔は僅かに紅潮し、表情には戸惑いの色が見て取れる。

「あんな事を言われたのは、初めてだ。何なんだ、一体」

 提督の反応は、長月にとってあまりにも予想外で、柄にも無く動揺してしまった。

「そして――こんな感覚も、初めてだ」

 長月は、自分の胸に手を当てる。その奥に、確かに何かを感じる。

「――よく、分からない。何なんだ、これは」

 例えるなら、そう。熱を出した時の様な感覚だ。しかし、体調はどこも悪くない。そもそも、艦娘はそう簡単には風邪など引かない。

「まあ……良い。とりあえず、戻るか」

 気が付くと部屋を飛び出してしまっていたが、まだ仕事は残っている。秘書艦としての責務は、きちんと全うすべきだろう。落ち着いてきたところで、長月は執務室へと戻る。

「――ええ。まだ五隻ですが、その程度であれば。彼女達にとっても、良い経験になるでしょう。着任から間も無いとはいえ、連携も概ね問題有りませんし、実戦も十分に行えます」

 執務室の扉を開くと、聞こえて来たのは提督の声。様子を窺うと、どうやら誰かと通話しているらしい。

「はい、その様に。それでは」

 その言葉を最後に、提督は備え付けの古めかしい黒電話の受話器を置いた。
 
「お、帰って来たか」

 ほぼ同時に、提督が長月の姿を認める。

「ええと、その、何だ――さっきは、済まなかったな。会って間も無い人間が、分かったような事を言ってしまった。それに、馴れ馴れしく頭まで撫でて」

 そう言って、提督は頭を下げる。

「いや……別に、不愉快だった訳じゃない。大丈夫だ」
「そうなのか? それなら、良いんだが」

 ほっと胸を撫で下ろす提督。

「しかし……そうすると、何故急に部屋を飛び出したんだ?」
「そ、それはだな、え、ええと……」

 長月は、提督の質問に答えようとするが――何と説明して良いか、分からない。そんな物、こっちが訊きたいくらいだ。

「ひ、秘密だ」
「そうか」

 とりあえずそう答えた長月に、提督は然程気にした様子も無くそんな風に返す。元々、そこまで追及するつもりも無かったのだろう。

「まあ、それはそれとして、だ――丁度良い時に来てくれた」

 提督はそう言うと、立ち上がって椅子に掛けた上着を着直し、机上の軍帽を被った。

「――出撃だ。皆を呼んで来てくれ」

    ◆◆◆

 龍驤型航空母艦一番艦、龍驤。睦月型駆逐艦八番艦、長月。五番艦、皐月。四番艦、卯月。九番艦、菊月。大湊区第二十三番基地における全戦力が、執務室に集合していた。

「第一艦隊、集合したで」
「うむ」

 提督に、全員の視線が集まる。

「集合をかけたのは、他でも無い。我が大湊区第二十三番基地、その第一艦隊――つまり君達に、出撃要請が入った」

 そう言って、提督は卓上のリモコンを手に取り、天井に向けてスイッチを押す。すると、天井からプロジェクターがせり出し、壁に画像を映し出した。どうやら、海図の様だ。

「君達大湊区第二十三番基地第一艦隊は、同第十五番基地第二艦隊と共同で、深海棲艦により占領された南西諸島海域のバシー島の解放作戦を決行する事となった。――ここだな」

 提督は指揮棒で海図に記された一つの島を指す。

「実は今日現在、各基地の主力艦隊と提督の大半は、ミーティング及び合同演習の為に横須賀鎮守府に召集されているんだ。そんな最中、南西諸島海域を警備していた艦隊――大湊第十五番基地の第二艦隊が、バシー島が深海棲艦に占領されているのを発見したらしい。しかし、燃料及び弾薬を消耗しており、また無線での呼び掛けに応答が無く生存者はいないと判断された為に、一度帰投。横須賀にいる提督に判断を仰いだ結果、同地区所属で手空きの艦隊の中で唯一航空母艦が含まれ、かつ提督まで暇を持て余しているうちと共同で事に当たる事に決定したらしい」
「え? 横須賀に主力艦隊がいるなら、そっちを出せば良いぴょん? そもそも、大湊からよりも横須賀からの方が南西諸島海域は近いぴょん」
「それは……その通り、なんだが」

 卯月の発言に、やや言葉を詰まらせる提督。

「色々と、事情があるのでは無いか……?」
「……ああ。恐らく、合同演習に不参加になる艦隊を出すよりも、手空きの戦力で何とかしようとしたのだろうさ。生存者が居ない以上、緊急性も低いしな。それに、上への報告と許可の取り付けはしっかり行っているそうだから――新米提督の僕に口出し出来る権利なんて、あろう筈も無い」

 少し沈んだ表情で提督は言うが、すぐに表情を引き締める。

「だが――諸君、これはチャンスだ。君達が先方の期待以上の活躍を上げよう物なら、この基地の評価も上がるだろう。そうすれば、高性能な装備や新しい艦を支給して貰えるかもしれない」
「そらええな。旧式機だけで戦うのも限度っちゅうもんがあるし、どうせなら対空火器も充実させたい。それに、大型空母や戦艦が入ってくりゃ、色々と楽が出来そうや」

 龍驤の艦載機ばかりではなく、駆逐艦用の装備も万全とは言い難い。長月と皐月は、四連装酸素魚雷や三式爆雷投射機、三式水中聴音機が例の件の後にそのまま支給された為に、雷装及び対潜は問題無いが、主砲は十二センチ単装砲のままでありやや頼りなく、対空兵装も貧弱だ。そして卯月と菊月に至っては、完全に初期装備のままである。

「んで、その第十五番基地の第二艦隊とやらは、どないな奴らなんや?」
「ああ、それならそろそろ――」

 提督がそこまで言いかけた時、壁に映し出された海図が消え、代わりに一人の少女の姿が映し出された。全員の視線がその少女に集まると同時に少女は口を開き、一言。

『クマー。大湊区第十五番基地が第二艦隊旗艦、軽巡球磨だクマ』

 ――卯月以外に、こんな特徴的な口癖の奴が居るとは。ほぼ全員が、内心でそう思った。

「面白い喋り方っぴょん」

 卯月本人はと言えば、ブーメランとしか言い様が無い事をのたまっていた。

『ま、言われ慣れてるクマ。それより、作戦の説明をするクマ』

 卯月の発言を気にした様子も無く、球磨は話を続ける。こちらの言葉が伝わっている事からすると、テレビ通話らしい。

『まず、我が第二艦隊は球磨含め軽巡洋艦三隻と、重雷装巡洋艦二隻で構成されているクマ』
「重雷装巡洋艦っちゅうと、あの魚雷てんこ盛りな艦か?」
『その通り、魚雷メガ盛りの艦だクマ。あいつらは、瞬間的な火力なら戦艦にさえ匹敵するクマ。その突破力を生かし、我々が先行して敵を殲滅するクマ。あんたらには対空見張りと、後方からの航空支援や球磨達が撃ち漏らした艦の処理を担当して欲しいクマ。基本的に、前に出る必要は無いクマ』

 その言葉は、お前達を危険に晒すつもりは無いから安心しろ、という意味なのか、それともお前らの様な新米艦隊が出しゃばるな、という意味か。ただ、どちらにせよ作戦についての発言権は無い様子だった。

『集合時間はヒトゴーマルマル、場所は第十五番基地内の桟橋クマ。所在地は、そこの提督が知ってる筈だクマ。――説明は以上、クマ。球磨は、一旦失礼させて貰うクマ』

 球磨のその言葉を最後に、映し出されていた映像は途絶える。

「――まあ、そういう訳だ。各員は、早急に支度を済ませる様に。そうだな、ヒトヨンマルマルまでに終わらせて、正面玄関前に集まっておいてくれ。移動時間も考えると、そのくらいだろう」
「すると、結構遠いんやな、第十五番基地は」
「そうだな。大湊区と一口に言っても、その範囲は広い。移動には車を使う。艤装については、うちのスタッフがトラックで輸送し、現地で装着する事になる。流石に、乗用車に艤装は積めないからな。――では、準備を開始してくれ」

 提督の言葉を皮切りに、全員が慌ただしく執務室から退出し、それぞれ支度を始める。艦娘達は、艤装の最終チェックや食事を済ませ、提督は各部のチェックが終了した艤装の積み込みの指示や、南西諸島海域関連の資料から使えそうな物をかき集める。そうして、予定通りのヒトヨンマルマルに、全員が玄関前に集合する。

「集まったな。では、皆乗ってくれ」

 そう言って、提督は駐車された白のミニバンに乗り込んだ。

「司令官が運転するの?」
「運転手が足りないものでな。大丈夫だ、人並みの腕はある。それよりも、早く乗れ」

 提督に急かされ、艦娘達が車へと乗り込み始める。

「昨日の車とは、違うのだな」

 助手席に座りながら、長月が呟いた。

「あれは多人数で乗るには不向きだからな。それに、あいつは僕の自家用車だ」
「そうなのか」
「ああ。昨日の様にドライブに行くという訳でも無いし、些か不適切だろう」
「え、何々? 何の話?」

 そんな会話を交わす二人の間に、後部座席から皐月が顔を突き出す。

「大した話では無いさ。そら、戻った戻った」

 しかし、長月に軽く頭を押し込まれ、「うわー」というやる気の無い悲鳴と共に皐月は奥に引っ込んでいった。

「よし、出すぞ」

 そんなやり取りを横目に、提督は振り返って全員が乗り込んだ事を確認すると、前を向き直り車を発進させた。そうして基地を出て街を抜け、高速道路に乗って目的地を目指す。長月は読書、皐月は携帯ゲーム機、卯月と菊月は雑談、龍驤は仮眠をしてそれぞれ暇を潰し――数十分後。特に渋滞等に巻き込まれる事も無くすんなりと基地に到着し、ゲートで提督が身分証を提示して基地内へと入る。駐車スペースに車を停めて車から降り、全員で桟橋へと向かう。

「お、来たかクマ」

 桟橋には既に五人の艦娘が集まっており、その中に居た球磨が長月達の姿を認めると共に腕時計を見る。

「――ヒトヨンヨンゴー、理想的な十五分前行動クマ。ゆとりの行動、感心だクマ」

 感心した様子で、球磨はうんうんと頷く。

「さて――ほら、お前らとっとと自己紹介しろクマ」
「はいにゃ」

 球磨は振り返って、後ろにいる四人に声を掛ける。その中から、球磨と同じ制服を着用した、薄紫色の髪の艦娘が一歩前に出た。

「軽巡、多摩です。猫じゃないにゃ」

 そう名乗り、多摩はぺこりと頭を垂れる。
 ――猫じゃねえか。提督と龍驤以下第一艦隊五名全員が内心でそう思ったというのは言わずもがなだが、流石に口に出す者は居なかった。

「んで、アタシが重雷装巡洋艦、北上。で、こっちが――」
「重雷装艦、大井です」

 続いて、球磨や多摩のセーラー風の服装とは違う、苔色の学生服の様な制服を身に付けた二人が名乗る。

「制服は違うけど、あたしらも球磨姉や多摩姉と同じ、球磨型だよ。勿論こっちの一人も球磨型で――」
「――木曽だ。お前らに最高の勝利を与えてやろう」

 最後に、眼帯を身に付けた、気の強そうな艦娘が名乗る。制服は球磨と共通の物だ。

「――僕等も名乗るべきか。僕は、大港区第二十三番基地の提督、花木だ。階級は、少佐」
「航空母艦、龍驤や。この艦隊の旗艦を任されとる。ま、程々に頼りにしといてくれや」
「駆逐艦、長月だ。役に立たせて貰おう」
「皐月だよっ。今日はよろしくな!」
「卯月でっす! 頑張るぴょん!」
「菊月だ……共に行こう」

 第二十三番基地の面々も、順に名乗る。

「――ま、自己紹介も済んだ事クマ。さっさと艤装を背負って、出撃準備を整えるクマ」

 球磨がそう急かすと、五人は基地敷地内の駐車場に停まった輸送用のトラックに向かって駆け出した。

「提督は、この基地の執務室で待機していて欲しいクマ。場所は二階の端っこだクマ。聞いてると思うけど、うちの提督は今横須賀に行っていて、不在なんだクマ。だから、その代理クマ。基本はこっちの作戦や球磨達の判断に従って貰うけど、不測の事態の場合なんかは頼むクマ」
「ああ、分かった」

 提督も、球磨の指示を受けて基地の中へと入る。
 ――しばらくして、艤装を身に付けた龍驤達が、桟橋に戻って来る。

「さて、準備は良いかクマ?」

 皆が揃った所で、球磨はそう問い掛ける。全員が、無言で首を縦に振る。

「それでは――抜錨クマ!」

 球磨は力強く叫ぶと、先陣を切って海へと降りる。その後に多摩達が降り、龍驤達も続く。

「艦隊、単縦陣クマ!」

 ある程度沖に出た所で、球磨が叫ぶ。球磨型五隻が、速やかに一列に並ぶ。

「艦隊、輪形陣や!」

 続いて龍驤が叫び、長月達が龍驤の周りを囲う様に展開する。

「本主力艦隊及び支援艦隊は、このままバシー島を目指すクマ! 全艦、両舷前進原速、宜候(ようそろ)!」
「宜候!」

 呼応する様に叫び、二つの艦隊は距離を置いて、それぞれの陣形を保ったままバシー島へと進路を向ける。

「索敵機、発艦始め!」

 龍驤が飛行甲板を展開し、九七式艦攻を発艦させて周囲の索敵を開始する。出発してから間も無く、まだ比較的安全な海域であるからか、今の所周囲に敵影は見当たらない。だが、あくまでもそれは今の所だ。バシー島が存在する南西諸島海域は、大型空母クラスを始めとした比較的強力な深海棲艦が頻繁に出現し、本土近海と比べて危険度は段違いに高い。球磨達や龍驤達ならば順当に行けば勝てる相手だが、慢心は時に死を招く。索敵は念入りにすべきだろう。

「何事も無きゃ、ええんやけどなあ」

 龍驤は不安げに呟く。と、言うのも最近、比較的安全だった筈の海域に『鬼』クラス等の強力な深海棲艦が出現しただの、索敵に不備が無かったにも関わらず奇襲を受けただの、不穏な話が多いのだ。特に、安全だと聞いていた海域で深海棲艦に遭遇するという事態を、つい数時間前に経験したばかりの龍驤としては、警戒心も強まるという物だ。
 そもそも、今回の事だって妙だ。バシー島は、申し訳程度の軍施設とボーキサイト採掘場くらいしかない、ただの小島だ。立地的にはともかく、土壌的には価値が薄い。故になのか、今までバシー島は襲撃らしい襲撃を受けた事が無かったのだ。それが一体、何故今になって?
 ――もっとも、考えたからと言って今すぐに結論が出る様な事では無い。そんな事は龍驤にも良く分かっているので、一旦思考を中断する。

「長月、皐月、聴音機に反応はあるか?」
「今の所、それらしい反応は無いな」
「こっちも、そんな感じ」

 潜行する潜水艦は、水上艦と比べて圧倒的に見落してしまう可能性が高い。だからこそ、聴音機(ソナー)という物がある。索敵機は水上艦の発見のみに注力し、潜水艦は長月と皐月の二人に任せてしまった方が効率が良い。

「ま、何かあったら報告してくれや」
「ああ、分かっている」
「了解だよ」

 そうして、三人とも索敵に集中する。

「――それにしても菊月、本当に大丈夫ぴょん?」
「何がだ……?」

 ――水偵を積めない駆逐艦で、しかも聴音機も電探も装備していない、卯月と菊月。特にやる事も無く暇を持て余した二人は、雑談に興じていた。

「だーかーらー、ちゃんと戦えるのかって事っぴょん」
「まあ、不安はあるが……少し心配し過ぎだ、卯月。艦娘になっても、そういう所は“相変わらず”だな……」
「だって、うーちゃんは――」

 卯月は何かを言い掛けたが、途中で目を伏せて口を噤んだ。

「――無理は、しないで欲しいぴょん」
「大丈夫だと、言っている。私だって……ちゃんと、戦える」

 言って、菊月は手持ち式の十二センチ単装砲を構えてみせる。その姿は、仮にも艦娘であるだけあって、様になっている。
 
「戦う為にこそ――私は、ここに居る」

 真剣な表情で、呟く菊月。

「それでも、心配なもんは心配ぴょん」
「酷いな……そんなに私が信用出来ないのか……?」
「そ、そういう訳じゃ――」
「――空母龍驤より全艦へ! 敵艦隊、見ゆ!」

 ――二人の会話は、龍驤の言葉によって中断された。

「距離約一万メートル、方角は南南西! 内訳は戦艦ル級、空母ヲ級がそれぞれ一隻、重巡リ級、軽巡ホ級が二隻ずつ!」
『軽巡球磨より空母龍驤へ。了解クマ。球磨達はこのまま突撃し敵艦隊へ攻撃を仕掛けるクマ。航空支援、頼んだクマ!』
「おうとも、任せときや!」

 龍驤は飛行甲板を大きく広げ、手を離す。飛行甲板は落下する事なくその場に浮かび、龍驤は式神状の艦載機を両手の指に挟んで甲板上を滑らせる様に一斉に投擲した。艦載機は瞬く間に零式艦上戦闘機と雷装済みの九七式艦上攻撃機へと姿を変え、レシプロの駆動音を撒き散らしながら敵艦隊へと向かって行く。ほぼ同時に、空母ヲ級が同じく艦載機を発艦させる。艦娘が運用するようなプロペラ機とも、近代的なジェット機とも似通らぬ、SF映画にでも登場する様な近未来的な造形の艦載機達が、虚空から次々と姿を現す。
 程なくして、龍驤の艦載機と空母ヲ級の艦載機が交戦を始める。互いの艦戦が敵機を撃墜すべく攻撃を開始し、艦攻と艦爆は艦戦の放つ弾幕の隙間を縫うようにして宙を舞う。

「各艦、高角砲射撃用意! 対空射撃、開始クマー!」

 艦戦の攻撃を掻い潜り球磨達へと接近して来た敵攻撃隊を、球磨、多摩、木曾の三隻に搭載された高角砲が迎撃する。砲弾が時限信管によって上空で炸裂し、次々に敵機を撃墜して行く。それでも生き残った敵機が爆撃と雷撃を試みるが、数が減った事もあり球磨達は問題無く回避する。

「――捉えた! 目標、敵水上打撃部隊! 大物を狙ってくで!」

 龍驤の攻撃隊も、敵艦隊と接敵する。 防空射撃の嵐を潜り抜けつつ海面すれすれまで高度を下げた九七艦攻達が、航空魚雷を投下する。大物狙いとの発言通り、魚雷はヲ級とル級を目掛けて直進するが、射線上に二隻のホ級が飛び出して我が身を盾とする。横腹に魚雷が直撃しホ級達が爆散するが、犠牲の甲斐はありヲ級やル級に魚雷が届く事は無かった。

「行くよ、大井っち!」
「ええ、北上さん!」

 ――もっとも。彼等から全ての脅威が去った訳では無い。

「海の藻屑と――なりなさいな!」

 北上と大井の全身に括り付けられた複数の四連装魚雷発射管が、一斉に酸素魚雷を発射する。片舷二十門、計四十門、二隻合わせて――八十門。先の大戦では終ぞ活かされる事の無かった重雷装巡洋艦の驚異的な雷撃能力が、今本領を発揮する。飽和雷撃と呼称するに相応しい量の魚雷は敵艦隊の逃げ場を完全に奪い、追い詰める。

「■――!」

 二隻のリ級がヲ級とル級の前に立ち塞がり、海中に向けて主砲を連射し魚雷を迎撃する。無論、全て撃ち落とす事など出来る筈も無く、最後には先程のホ級の様にリ級は我が身を盾とした。だが、大量の魚雷はリ級二隻を跡形も無く消し飛ばして尚、尽きる事は無かった。抵抗虚しく、魚雷はヲ級とル級の下に到達し喫水下で炸裂、二隻は立ち上がった水柱に呑み込まれる。

「やったか⁉︎」
「木曾、お約束な反応してんじゃねえクマ! そういう事を言うと大抵――」

 ――轟音が響き、砲弾が水柱を突き破る。

「――こうなる、クマッ!」

 旗艦である球磨を正確に狙って放たれた砲撃を、すんでの所で球磨は勢い良く上体を捻らせ回避する。左肩すれすれを砲弾が掠め、衝撃波で袖が切り裂かれ、肌には幾つもの切り傷が走り鮮血が噴き出す。
 ――水柱が収まると、そこには中破程度の損傷に止まった戦艦ル級が鎮座していた。足下には、原型を留めぬ程に損傷した空母ヲ級。ル級がヲ級を盾にしたのか、ヲ級が自ら盾になったのか。

「だ、大丈夫か、球磨姉!」
「擦り傷だクマ! ――空母龍驤へ! 敵戦艦、未だ健在! 第二次攻撃の要有りクマ!」
『空母龍驤、第二次攻撃の要を認む! 発艦準備が整い次第向かわせるで!』

 龍驤の応答を聞くが早いか、球磨がル級へ向かって突撃を開始する。

「多摩と木曾は支援雷撃の用意、北上と大井は、魚雷の再装填が済むまで後方で待機しておけクマ!」

 球磨は艦隊に指示を出しつつ、背部艤装に備わった十四センチ単装砲の狙いをル級へと定め、砲撃する。

「■――!」

 ル級は当然の様に回避行動を取って砲弾を躱し、接近する球磨に主砲を向け――

「――クマァッ!」

 ――ル級に向かって突撃していた球磨は、十分に距離が詰まっても尚速度を落とさず、そのままル級を“殴りつけた”。

「■――⁉︎」

 予想外の攻撃をル級は避けることが出来ず、顔面に球磨の拳が突き刺さり、姿勢を崩して後方に後退る。

「多摩! 木曾! 今だクマ!」
「分かった、撃つにゃ!」
「了解だ!」

 声を掛け合い、三隻の球磨型軽巡が同時に魚雷を発射する。まず至近距離に居た球磨の放った魚雷がル級に着弾し、そう間を置かずに多摩と木曾が放った魚雷も着弾する。

「■■――!」

 しかし、それでもル級は沈まない。大破状態となりつつも、主砲たる十六インチ三連装砲を間近の球磨へ向け、放つ。

「――最後まで諦めない姿勢だけは評価してやるクマ」

 だが、もはや戦闘の続行が困難な程に損傷したル級の砲撃は、狙いを大きく外れて明後日の方向へと飛んで行き、砲弾が海面に着水して水柱を立てる。そして、それとほぼ同時に、龍驤の放った攻撃隊が到着した。

「■――」

 ル級は最早抵抗する様子さえ見せず、受け入れるかの様に九七艦攻の放った魚雷を喰らい、海中へと没していった。

『空母龍驤より各艦へ。戦艦ル級、撃沈や』
「軽巡球磨より空母龍驤へ。こっちも、この目で撃沈を確認したクマ。ご苦労様だクマ」

 敵艦隊の殲滅を完了し、再び艦隊はバシー島へと向かっての航行を再開する。

「しかし、中々しぶとい奴だったクマ」

 先の戦闘を思い返し、球磨が独り言ちる。随伴艦が旗艦を積極的に庇ったという事もあるが、それにしても手間を掛けさせられた。

「でも、多摩達の敵じゃ無かったにゃ」
「お前は大した事してねえクマ」

 何故かしたり顏で言う多摩を、球磨が軽く小突く。

「まー、アタシと大井っちがいれば、最強だもんね。ねー、大井っち」
「はい、北上さん!」

 北上の言葉に、やけにハイテンションかつ満面の笑みで応える大井。

「お前らも、あんまり調子にのるんじゃないクマ」
「でも、北上姉と大井姉の雷撃能力は強力だし、最強と言ったってそこまで過言では無いんじゃないか?」
「まあ、確かに一理あるクマ。だが、球磨は前に言った筈だクマ? ――慢心は禁物、だクマ」

 やや強い調子で、球磨は言う。

「――そう、だな。確かに球磨姉の言う通りだ。幾ら姉さん達が強くても、それを理由に油断していれば足下を掬われかねない」
「ちゃんと分かってくれて嬉しいクマ。木曾は良い子だクマ。――で、多摩に北上に大井、お前らにも言ってたクマ? いや、むしろお前らにこそ言うべきかクマ」

 球磨は振り返り、三人を軽く睨んだ。

「あ、あはは……分かってる、分かってるからさ」
「それじゃ北上、魚雷の再装填はもう済んでいるかクマ?」
「え、えっと、それは……まだ、かな」

 俯く北上を、一層強く睨み付ける球磨。

「とっとと済ませろクマ。勿論大井もだクマ。確かにお前らは強力な戦力だが、魚雷が無ければ殆どただの案山子だクマ。そんだけ数が多けりゃ再装填に時間が掛かる事は分かり切っているんだから、出来るだけ急げクマ。もし今敵の奇襲を受けたらどうするつもりだクマ」
「勿論、それくらい心得ていますよ、球磨姉さん」

 柔和そうな面持ちで、大井が言う。

「だったら、行動で示せクマ。口ではどうとでも言えるクマ」

 しかし球磨は強い口調を崩さずにそう言って、前に向き直る。
 ――そうして球磨が自分から視線を逸らした瞬間、大井の表情が怒りの篭った酷く不機嫌そうな顔になる。

「ちっ……相っ変わらず口うるさい姉ね」

 先程の柔和そうな面持ちや丁寧な口調は何処へやら、小さく姉への恨み言を吐いた。

「――大井、何か言ったクマ?」
「あ、いえ、何でもありません。うふふ」

 球磨が再び振り返るが、大井は口調を元の調子に戻し、わざとらしく微笑んで見せる。その様子に、球磨は怒りを通り越し呆れ顔になる。

「本当にこいつらは、優秀なのは結構だが気苦労が絶えんクマ。こいつらの姉になったのは、失敗だったかもしれんクマ」
「全く、その通りにゃ」
「他人事ぶってんじゃねえクマ」

 うんうんと頷く多摩の頭頂部を、球磨が平手で勢い良く叩く。小気味よい打撃音と、「にゃにゃっ⁉︎」という多摩の猫の様な悲鳴が響き渡った。

「ったく、良い子なのは木曾だけだクマ……と、そろそろかクマ」

 小さく愚痴を吐いたところで、目的地たるバシー島が球磨の視界に入った。

「――おかしいクマ」

 しかし、それとほぼ同時に球磨はそんな風に呟く。

「何がだ、球磨姉?」
「気付かないかクマ? 球磨達は、バシー島に群がる深海棲艦達を発見したからこそ、今こうしてここにいるクマ? だが――少なくとも今目視で確認出来る範囲に、深海棲艦は見当たらんクマ」

 はっとした表情で、木曾はバシー島の方向を望む。確かに、深海棲艦らしき影は一つも無い。

『――空母龍驤より軽巡球磨へ。バシー島周辺に偵察機を飛ばしとるんやが、こりゃどういうこっちゃ。深海棲艦なんぞ何処にも居らへんで』

 龍驤から無線が入る。死角に居るという可能性も球磨は考えていたが、そういう訳では無いらしい。

「軽巡球磨より空母龍驤へ。そっちもかクマ。偵察機でも発見出来ないとなると、本当に居ないか、何処かに隠れているって事かクマ」
『何処かって、何処やねん。海上に隠れられそうな場所なんてあらへんで』

 そもそも、海という物は基本的に平坦かつ殺風景で、身を隠す事は困難だ。船の残骸や大岩か何かでもあれば別だろうが、バシー島周辺にそんな物は無い。

「――だったら、陸上じゃないかにゃ?」
『陸ぅ? 深海棲艦がか?』

 横から口を挟んだ多摩の言葉に、思わず怪訝そうな声色になる龍驤。

「あいつらは、陸で活動する事もあると、昔聞いた事があるにゃ。――球磨姉、ここはこちらが先行して島に上陸し、様子を探るべきじゃないかにゃ?」
「ふむ、一理あるクマ。そもそも、奴らが何処にいるにせよ、先行するのが球磨達の役目で、当然上陸も最初から視野には入っているクマ」

 球磨は振り返り、姉妹艦達に目配せをする。全員が、小さく頷いた。

「――軽巡球磨より空母龍驤へ。これより、本艦隊はバシー島に上陸し、調査を行うクマ。貴艦隊は後方で待機、周辺の警戒を頼むクマ」
『空母龍驤より軽巡球磨へ。了解したで。航空支援等が必要になったら、いつでも声を掛けとくれや』

 そのやり取りを最後に無線を切り、球磨達はバシー島に上陸すべく接近する。

「――それにしても、深海棲艦って陸に上がる事もあるんだ? ボク、初耳だよ」
「うちもや。まあ、人型の深海棲艦は結構おるし、人っぽくない奴も足が生えとったりするから、考えてみればそんくらい出来てもおかしくは無い気はするな」

 龍驤達は、指示通りに島からは少々離れた場所で待機する。周辺警戒と言っても、龍驤が偵察機を飛ばす以外にやるべき事など殆ど無い。ソナーの反応もさっぱり無く、皐月は既に長月に任せて対潜警戒の態勢を解いている。

「それにしても、この調子だとうーちゃん達の出番、無さそうぴょん」
「確かに、そうだな……まあ、戦わずにすむのならば、それに越した事は無い」

 このままだと、あっさり終わりそうだ。そんな余裕が、その場の全員の心を支配し――

「――全艦、今すぐ回避行動を取れっ! 奴らは――“下”にいるぞ!」

 ――瞬間、対潜警戒中の長月が叫んだ。
 その口ぶりから只事では無いと理解した龍驤達は、何を言い返す事も無くすぐさま回避行動を取る。

「――お前ら、伏せろクマ!」
「く、球磨姉⁉︎」

 一方、主力艦隊。丁度バシー島に上陸した直後の五人に無線を介して伝わった長月の言葉に、まず球磨が反応して近場に居た木曾を引き摺り倒しながら、砂浜に滑り込む様に身を伏せる。球磨の必死さにただならぬ物を感じた三人も、慌ててその場に屈んだ。
 ――瞬間、五人の頭上を砲弾が掠める。そのままであれば間違い無く直撃していたであろうという紛れも無い事実に、背筋に寒気が走る。しかし、余韻に浸るだけの暇も無く、海中から次々と深海棲艦が姿を現わす。おびただしいという形容詞がこの上なく当て嵌まる、総数を数えるのも馬鹿らしい程の大軍――もとい、“大群”が、一瞬の内にバシー島周辺の海を覆い尽くした。

「何よ、あの数――」

 ――自分の顔から、血の気が引いていくのがはっきりと分かる。この上なく理解し易い形で目の前に提示された絶望に、思考が塗りつぶされる。

「――ぼけっとしてる場合じゃないクマ! このままじゃ、良い的だクマ!」

 だが、球磨だけは冷静だった。球磨の一喝により、四人も我に返る。立ち上がった五人は一目散に島の奥へと駆け出し、直後に砂浜へ砲弾の雨が降り注いで砂煙を立てた。

「丁度良い、煙幕代わりだクマ。――全員、絶対に足止めんなクマ!」
「で、でも、何処に行くつもりだよ! 島の周りは奴らに囲まれてるし、逃げる場所なんて!」
「そ、そうだよ球磨姉、どうするつもりさ!」
 
 木曾と北上の訴えも、もっともである。決して広いとは言えないバシー島には、逃げ隠れ出来る様な場所は殆ど無いと言って良い。

「――“それがどうした”クマ!」

 ――しかし、球磨は。あくまでも、そう言い返す。

「勝ち目が無ければ、逃げ場が無ければ、座して死を待つのかクマ⁉︎ ――球磨は、そんなの御免だクマ! どうせじたばたしか出来ないなら、球磨は最後までじたばたする方を選ぶクマ!」

 足を止めず、振り返る事すらもせず、球磨は背後に主砲を向け砲撃する。砲弾は陸上に揚がり始めていた敵駆逐艦の一隻に直撃し、爆散して周囲の敵艦を巻き込んだ。

「それとも、まさかお前ら――諦めたかクマ? 球磨と初めて出会った頃の、それこそ熊の様な利かん坊っぷりは、すっかり牙を抜かれ爪を折られちまったかクマ?」

 球磨の問い掛けに、誰一人迷う事無く首を振る四人。その様子に、球磨は思わず微笑む。

「だったら、答えは一つクマ。――足掻くぞ、クマァ!」
「――応っ!」

 球磨の言葉に、球磨型全員が呼応した。

    ◆◆◆

「――だあああっ! 何なんや、この数は!」

 龍驤達支援艦隊は、海中から突如として出現した深海棲艦の迎撃に当たっていた。

「駆逐艦や軽巡ばっかりだから、一隻一隻は大した事無いけど、流石にこれは多過ぎるよ!」

 撃てど倒せど、キリがない。何隻沈めても、敵の数が減っている様に感じられない。

「そもそも、潜水艦でも無い艦が海中で、それも大量に待ち伏せしているなんて、どういう事だぴょん!」
「こんな数を想定した訓練なんて、受けていないぞ……っ!」

 目に付いた敵に、片っ端から砲撃を叩き込む。幸いにもまだ被害らしい被害は受けておらず、島からある程度離れているが為に、こちらに向かって来る艦はそこまで多くはないが、現状維持を続けていても、間違っても状況は好転しないだろう。

「くそっ、主力艦隊の状況はどうなっているんだ!」

 主力艦隊が健在であれば、救出に向かう必要性も出てくる。全滅しているのであれば、早々に撤退すべきだ。逆に言えば、どちらなのかがはっきりしない内には、思い切った行動は取りにくい。だが、無線で呼びかけても応答が無く、偵察機も敵艦の対空射撃によりまともに島に接近出来ないのが現状で、向こうの状況は全く分からないのだ。

「あるいは、返事が無いのが返事だっちゅう可能性も――」
『勝手に殺さないで欲しいクマ』

 最悪の状況を龍驤は想定したが、無線から響く球磨の声がすぐに否定した。

「おお、無事やったんか! 状況は!」
『何とか、全員健在クマ。応答が遅れて済まんクマ。まあ、もっとも――』

 ――爆音で、一瞬球磨の声が途切れる。

『――島中を駆け回りながら、ぎりぎりの所で耐えているのが現状だクマ。いつやられても、おかしくないクマ』

 状況は、思わしくない。球磨の声から感じられる緊迫感が、はっきりとそれを伝える。

「なるほど、なあ……よし、そっちの状況は分かった。待ってろや、今すぐ助けに――」
『それなんだがクマ』

 龍驤はそう切り出すも、球磨が途中で遮った。

「なんや、どないした」
『――出来るのかクマ?』

 やや懐疑心のこもった調子で、球磨は言う。

「え、ええと……?」
『だから、出来るのかって訊いたクマ。“あんたらに犠牲が出る事無く”、“球磨達を助ける事が”、だクマ。勿論、球磨に死ぬつもりなんて無いし、妹達を死なせるつもりも毛頭無いクマ。例え僅かな可能性だとしても、諦めずに足掻くクマ。でも、それは球磨達の都合だクマ。その為だけに、殆ど巻き添えみたいな状態のあんたらに、死んでくれとは言えないクマ。だから、これはあんたらの自由意志と自己判断だクマ。――良いか、もっぺん訊くクマ』
 
 もう一度、無線の向こうで轟音が響く。球磨達の砲撃音なのか、敵艦の砲撃音なのか、あるいはもっと別の物か。

『――あんたらに、球磨達を助ける事が、出来るのかクマ』

 ――轟音が止むと同時に発せられた、強い調子の球磨の言葉に。龍驤は、何も答えられなかった。

『出来ると言うのなら、当然頼むクマ。助かる可能性が大いに高まるクマ。あるいは、あんたらが自分の命なんかどうでも良い底抜けのお人好し集団なら、球磨達には躊躇わずその好意に甘える用意があるクマ。ああ、そもそも実力不足で犠牲を払おうが球磨達を助ける事自体が不可能という可能性もあるかクマ。そんなんだったら、さっさと撤退して貰った方がまだマシだクマ。球磨達は自力での撤退を試みるだけクマ。で――実際、どうなんだクマ』
「そ、そないな事、突然言われても――!」

 言葉に詰まる、龍驤。それでも、何か答えようとし――

「――龍驤さん」

 ――そんな様子の龍驤に、砲撃の手を止めないまま長月が声を掛けた。

「な、なんや、長月!」
「少し落ち着け。こういう時こそ、司令官の判断を仰ぐべきだろう。不測の事態である、こういう時こそな。――司令官、聞こえているんだろう?」
『――ああ。君達の無線は、ずっと聞いていたさ』

 長月が呼び掛けると、さほど間を置かずに提督が応えた。声の調子は、重々しい。

「決めてくれ。“進撃”か、“撤退”か。決定権は、司令官にある。私達を死地へと送り出すか、私達に仲間を見捨てさせるか――その決定権がな」

 いつもの調子で、淡々と。長月は、言い放つ。

「長月、言い方っちゅうもんが――」
『いや、良い。事実だ。事実極まりないよ』

 無線越しに、提督が深い溜息を吐くのが聞こえる。しばしの間、全員が押し黙る。

『――これが、提督か』

 少し置いて、ぽつり、と。提督は呟き――

『大湊区第二十三番基地第一艦隊全艦へ、提督として命ず。“進撃”だ。敵艦隊に包囲された主力艦隊を、救出しろ』

 ――続け様に、そう告げた。

「それが、司令官の決断か」
『ああ。だが、君達に死んでこいと言いたい訳じゃない。君達になら出来ると、そう判断したまでだ。――まだ着任から日の浅い僕達だ、君達は僕の事をまだ良く知らないだろうし、僕も君達の事を書類上の情報以上には殆ど知らない。“だからこそ”、僕は君達を信じたいし、君達に信じて貰いたいんだ』

 少しだけ、震えた様な声で。それでも、力強く。

『――頼む。僕を信じてくれ。僕を、信じさせてくれ。どうか、上手くやってくれ。必ず生きて、帰って来てくれ!』

 提督は、思いの丈を、言い放った。

「――だ、そうだぞ、皆」
「おう。……そう言われちゃあ、うちとしてはやったるしか無いな。ああ、迷っとる場合やない」

 落ち着きを取り戻した様子の、龍驤。

「まあ、出来るって、ボク達ならさ。たぶん」

 相変わらず楽観的な、皐月。

「困ってる人は助ける物だっぴょん! 情けは人の為ならず、だぴょん!」

 少しだけ引き締まった表情の、卯月。

「怖くないと言えば、嘘になるが……私が何もしなかったせいで誰かが死んでしまうとするならば、その方が、怖い」

 不安が感じ取れるが、しかし強い意志も感じられる口調の、菊月。

「私は――命令であるのならば、従うさ」

 どこまでも素っ気ない態度の、長月。
 ――全員が顔を見合わせ、小さく頷いた。

「――支援艦隊より主力艦隊へ! これより本艦隊は貴艦隊の救出へと向かう! ええか、死ぬんやないで!」
『主力艦隊より支援艦隊へ。そいつは、心強い限りだクマ。絶対に、持ちこたえて見せるクマ。――球磨達の明日、あんたらに任せたクマ』

 相変わらず、無線越しの音声は雑音混じりだ。しかし、覚悟を決めた様子の球磨の言葉は、やけにはっきりと耳に届いた気がした。

「よーし! ――全艦、単縦陣に陣形変更後、敵艦群へと突撃開始! 宜候!」
「宜候!」

 無線を切り、号令をかける龍驤。砲撃で敵艦を牽制しつつ、速やかに陣形を変更する。

「適当に倒しとったんじゃ埒があかん! 火力を一点に集中し、道を切り開いて突破するで!」
「だ、だが、それだと敵艦に囲まれたまま島まで行く事になるぞ……?」
「ああ、せやな!」
「そ、それでは、むざむざ蜂の巣にされろと言うのか……⁉︎」

 表情を曇らせる菊月。しかし、そんな事は指摘されるまでも無く、当然の様に龍驤も想定している。

「――けど、うちらが囲まれるっちゅう事は、裏を返しゃうちらを挟んで向かい合わせに深海棲艦がおるっちゅう事になるやろ!」

 “だからこそ”。囲まれるからこそ、龍驤は行けると踏んだのだ。

「そ、それが……?」
「考えてみい! うちらに向けた砲撃が外れたら、そいつは“次にどこへ行く”のか!」

 ――龍驤の言葉に、はっとした表情になる菊月。

「深海棲艦(あいつら)かて、同士討ちが起こり得る状況じゃあ積極的な攻撃はし辛い筈や!」

 もっとも、龍驤に確たる根拠や経験は無い。当然だ、類似の状況を想定した訓練や講習などは全く受けた事が無いし、それはつまり、現状に一切の前例が存在しないという事だ。
 ――だったら、自分達が前例になれば良い。

「まあ、そういう事や――そろそろおっ始めるで!」

 島との距離が狭まり、密集した敵艦群が視界に入る。

「全機爆装! 攻撃隊、発艦!」

 龍驤が飛行甲板を展開し、装備換装された九七艦攻が次々に飛び立って行く。待ち受けていた様に襲い来る対空射撃の嵐を掻い潜り、攻撃隊は敵艦群へと向かって突き進む。

「射程に入ったぞ! 各駆逐艦、砲雷撃戦用意! ――全門、斉射ぁっ!」

 長月の号令に合わせて駆逐艦娘達が一斉に砲撃と雷撃を開始し、殆ど同時に攻撃隊も爆撃を開始した。
 計五隻の艦娘による、全力攻撃。その瞬間的な火力は、並大抵の物では無い。無論、それだけ派手な攻撃を、しかも一点に集中すれば、攻撃を回避される可能性は高くなる。だが、今この状況においての最優先事項は、敵艦を沈める事では無く突破口を開く事だ。勿論、敵艦を撃沈すればそこに隙が出来る。しかし――攻撃を回避された場合においても、狙った敵をその場から排除するという目的は、問題無く達成されるのだ。

「――!」

 上空からは砲弾と爆弾の雨が、海中からは魚雷の群れが、敵艦群に襲い掛かる。幾つもの水柱が立ち上がり、深海棲艦達を蹴散らして突破口を作り出す。

「突入開始や! 遅れるんやないで!」

 敵艦群が陣形を立て直すよりも早く、龍驤を先頭に最大戦速で突っ込む五隻。進路を遮る敵艦を次々と撃破しながら、島を目指して突き進む。

「――左舷に敵艦だクマー!」

 一方で、バシー島の球磨達も、必死の抵抗を続けていた。障害物を利用しつつ駆け回って敵艦を撒き、数を減らして各個撃破。やや古典的ではあるが、数で圧倒されている戦況において有効となる戦法だ。
 だが――

「あ、足が――も、もうそろそろ、限界だ!」
「んなもん、球磨だって同じだクマ! でも、今は死ぬ気で走るしか無いクマ! 死ぬ気でやらなきゃ、本当に死ぬクマ!」

 ――そもそも、彼女達は“艦”娘、海の上を駆ける者だ。勿論、人間である以上は陸で動けない道理は無いし、艤装自体もある程度は陸上での運用を考慮に入れた設計にはなっている。しかし、幾ら常人より遥かに高い身体能力を持つ彼女らとは言え、艤装という重石を抱えての全力疾走を長時間続けていれば、身体に掛かる負担は計り知れないし、そもそも陸上戦の訓練など普通の艦隊では行わない。彼女達の体力は、既に限界に近かった。

「くっ――主力艦隊より支援艦隊へ! 状況はどうだクマ!」
『支援艦隊より主力艦隊へ! ついさっき、敵艦群に突入した所や! 少しずつ、進んではいるが――すまん! 正直、どんくらい掛かるかは分からん!』

 しかし、状況は球磨達に休息を許さない。いつ到着するか――そもそも無事に到着するかも分からない援軍の到着までの時間を、ひたすらに耐え抜くしか無いのだ。

「一つ、提案なんだがクマ」

 ――それならば。

『何や、どした!』
「あんたらは、火力を一点に集中して、深海棲艦群を切り拓こうとしているクマ。成る程確かに、合理的で効率的な判断だクマ。でも、もっと効率の良い方法があるクマ」

 その、援軍の到着までの時間を――

「――球磨達が、此方側からも攻撃を仕掛ければ、単純に考えて効率は二倍だクマ」

 ――短くしてしまえば良い。

『そ、そらそうやろうけど、出来るんかいな⁉︎』
「このまま走り回るよりは楽じゃないかクマ? ――だよな、お前ら」

 振り返り、球磨は姉妹艦達に問う。全員が、迷い無く頷く。

「ま、そういう訳だクマ。こっちからも撃ち込むから、流れ弾には気を付けろクマ!」
『ちょま、ほんまに大丈夫なんか⁉︎』

 龍驤の問い掛けに応える事無く、球磨は今まで走り回っていた林から抜け、海辺が望める位置に出る。当然、辺りには深海棲艦の群れ。

「――全艦、一斉射クマー!」

 球磨の号令に合わせ、球磨型主砲の十四センチ単装砲が咆える。放たれた砲弾は次々に深海棲艦を屠って行く。

「全員、球磨について来いクマ!」
「了解にゃ!」
「はいよ、球磨姉!」
「はい、姉さん!」
「おうともよ!」

 砲撃の手を休めず球磨は海に向かって駆け出し、全員が追従する。

「――舐めるなクマァッ!」

 敵艦の放つ砲弾を躱しつつ、立ち塞がる敵艦を撃破しつつ、ひたすら海を目指して走り抜ける。元々球磨の練度は一軽巡としては高めであり、更に極限状態に置かれた事により彼女の脳と肉体のリミッターはとうに外れていた。故に明らかに離れ業としか言い様の無い芸当も、今の彼女は容易にこなせた。

「――あ」

 ――但し。
 それはあくまで、球磨の話だ。

「――!」

 砲撃で抉れた地面に足を取られ、転倒する北上。その隙を、深海棲艦が逃す筈も無い。立ち上がろうと顔を上げた時には、既に敵艦の主砲が自身に向けられていた。回避も防御も、間に合わない。

「やっちゃった、なあ――」

 観念し、瞼を閉じる。どうせなら、楽に殺してくれ。
 ――響く轟音。

「…………あれ?」

 ――痛みが無い。身体の感覚もある。周囲の喧騒も続いている。

「てめー……球磨の妹に、手ぇ出そうとしてんじゃ、ねえ……クマ」

すぐそばから、球磨の声。やけに、弱々しい。

「く、球磨姉っ――⁉︎」

 北上が瞼を開くと――目の前に居たのは、満身創痍の球磨。両腕が通常ではあり得ない方向に捻じ曲がり、左腕に至っては肘から先が無い。装甲片らしき物が全身に突き刺さり、皮膚が削がれ所々骨や内臓が見え隠れしている。立っているのが不思議なくらいだ。
 ――北上に敵弾が直撃する直前、球磨は驚異的な反応速度で射線上に割り込んだ。艦娘の肉体は、艤装で強化されているとはいえ、不安定な姿勢だった事、近距離からの攻撃である事、そもそも低出力の軽巡艤装では、肉体部分の防御力は気休め程度である事など、様々な要因が重なり――即死にこそ至らないまでも、球磨が受けたダメージは致命傷と言って過言では無かった。

「何、してんだ……北上。さっさと、走れ、クマ」
「で、でも!」

 周囲には、未だ敵艦の群れ。現状の球磨では、まともな迎撃や回避を行えるとは到底思えず、この場に球磨を放置すればどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。

「――走れっつってるのが聞こえねえのか! 良いから黙って従え!」

 思わず普段の口癖も忘れ、ボロボロの身体に残った力を振り絞って叫ぶ球磨。
 球磨が普通に喋るのは、久し振りで――何だか懐かしいな、などと呑気な感想が一瞬北上の頭に浮かび。
 ――少しだけ遅れて、それ程に必死なのだという事を、悟り。

「――っ!」

 何も言わずに、北上は立ち上がって走り出した。

「そうだ……それで、良い、クマ」

 既に、北上と球磨以外の三隻は海へと飛び込み、道を切り拓いている。北上もそこに加われば、恐らくは上手く行く。文字通りに、目を瞑ってでも当たる程の敵の数だ。先程までは陸上故に活かせなかった雷巡の雷撃能力が、存分に発揮されるだろう。
 ――死に掛けの自分など連れて行く必要は無い。負担になるだけだ。

「――!」

 ――球磨の目前に、深海棲艦。既に虫の息の球磨に止めを刺すべく、主砲の発射体勢に入る。

「……妹の、盾になって、散る、か。ま、悪くは、無い……クマ」

 球磨は、そう言って微笑み――

「――だが、な」

 ――口角を一気に吊り上げて、主砲を発射した。

「――⁉︎」

 予想外の攻撃に対応出来ず、球磨に止めを刺そうとしていた深海棲艦は砲撃をもろに受けて爆散する。
 ――損害を受けたのは、あくまでも球磨の肉体が殆どだ。幸か不幸か、背部の艤装は無傷に近い。

「この、球磨の、首は。ただで、くれてやれる、程――安くはない、クマ!」

 無我夢中で主砲を乱射する、球磨。明らかに限界を凌駕した連射速度で次々と砲弾が放たれ、周囲の深海棲艦を蹴散らして行く。立っているのもやっとの筈の身体で砲撃の反動を吸収しつつ、射線を少しずつ横にずらす。深海棲艦が、薙ぎ払われる。接近を試みた深海棲艦が。主砲を発射しようとした深海棲艦が。攻撃を回避しようとした深海棲艦が。海に出ようとした深海棲艦が。多摩達に攻撃を仕掛けようとした深海棲艦が。見る見る内に、塵と化して行く。

「ったく――てめえら、一体、何隻、いる、クマァ!」

 ――しかし、それでも一向に深海棲艦が全滅する気配はない。むしろ、倒せば倒す程数が増えている様にさえ感じられる。そして、それはあながち的外れでも無い。球磨の周囲に限れば、確かに敵艦の数は徐々に多くなっている。深海棲艦が、球磨をこの場で最大の脅威だと判断した為だ。結果として龍驤達や多摩達の周囲から敵が減少し、彼女らを援護する形になっているのだが、そんな事に気付けるだけの冷静さは既に球磨には残っていなかった。
 ただ、力尽きるまで、目の前の敵を、撃ち続ける。

「――開いたっ!」

 ――球磨が孤軍奮闘している一方、龍驤達と多摩達がようやく合流する。

「無事か、あんたら!」
「無事だ、って言いたい所だけど。到底そうは言えないにゃ」

 多摩の返答に、龍驤は多摩達を一瞥し――

「球磨は――どないした」

 そこにいる筈の一隻が、居ない事に気が付いた。

「――島に、残ったにゃ。北上によると、酷い重傷を負っているらしいにゃ。島の方からの砲撃音からして、まだ生存はしている筈だけど、仮に救助したとしても、基地に帰り着くまでは保たないだろう、という事だにゃ」

 淡々と説明する、多摩。

「そ、そない非情な――」

 非情な事を、と続けようとした龍驤だったが、その言葉は、最後までは出なかった。

「旗艦代理として、通達するにゃ。軽巡球磨を航行不能と判断し、この場に放棄するにゃ」

 ――口調こそ冷静だが。多摩は、今にも泣き出しそうな表情だった。いや、多摩だけでは無い。他の球磨型三隻も、酷く沈んだ面持ちだ。
 当然の事だ。他の誰よりも、多摩達が一番辛い筈なのだ。それなのに、殆ど関わりの無い自分達が、異論など挟める訳が――

「――容認出来んな」

 ――そんな、龍驤の思考を。長月の放った一言が、停止させた。

「……今、何て?」
「容認出来んと言ったんだ」

 周囲の敵艦を迎撃しつつ、長月は答える。

「お前――ちったあ空気っちゅうもんを読めや! うちらに口出しする権利なんて――」
「私達が受けた命令は、“主力艦隊の救出”だ。既に死亡しているならばともかく、まだ生存しているというのなら救出すべきだろう」

 龍驤の言葉を遮って、言い放つ長月。

「そらそうや! けどな、話聞いとったか⁉︎ 重傷負って、もう助からんて!」
「なら、その傷を何とかすれば良いだろう。――司令官、聞こえるか?」

 長月は、無線を開いて提督に呼び掛ける。

『どうした、長月』
「手短に話す。主力艦隊の軽巡球磨が重傷を負い、バシー島に取り残されている」

 無線でのやり取りは基本的に提督にそのまま伝わるが、無線を介してない先程の会話については、説明が必要になる。

『そう……か』

 明らかに沈んだ声で呟く、提督。つまりそれは、全員救出は不可能だと――

「そこで、一つ尋ねたい。バシー島には、艦娘が居たのか?」
『う、うん?』

 ――予想と違う言葉を続けられ、少々困惑する提督。

「時間が無い。早く答えてくれ」
『え、ええと……バシー島には、少数ながら防衛戦力として艦娘が常駐していた筈だ。もっとも、恐らく全滅だろうが』

 質問の意図がいまいち読めないものの、提督は事前に目を通した資料にあった情報を伝える。

「では、整備用の設備や資材もある筈だな?」
『そういう事になるな』

 艦娘を運用していた以上、最低限のメンテナンスや艦娘の治療を行える施設等が存在して然るべきだろう。

「と、すれば――有る筈だろう。『高速修復剤』がな」

 ――長月の発言に、周囲の艦娘達がはっとした表情になる。
 高速修復剤。艦娘が浴びれば傷が塞がり、艤装に掛ければ損傷を修復させる事が出来る、容器の形状からもっぱらバケツと呼称される薬液である。強力過ぎる効果と原理及び成分が極秘である事を不審がる者や、副作用を心配する者も少なからず存在するが、しかし非常に利便性が高いのは事実であり、小さな基地でも数個から数十個、鎮守府レベルともなれば数百から数千個が常備されているのが普通で、大規模作戦時などは高速修復剤の備蓄量が戦況を左右する事さえある。
 そんな高速修復剤だが、重大な欠点が存在する。保管庫で安定状態を保たないと、一時間と経たずに効果が失われてしまうのだ。故に、基本的に戦場での使用は不可能だ。しかし、バシー島に整備施設があるという事は、高速修復剤も使用可能な状態で保管されている可能性が高い。ならば、球磨の治療を行う事も出来る。

「司令官。軽巡球磨の救出を敢行するが、構わんな?」
『――やれるんだな?』

 期待と不安が入り混じった声で問う、提督。

「当然だ」

 その問いに、不安など一切含まれぬ声で、長月は即答した。

『ならば――任せたぞ!』
「ああ、任された」

 提督との通信を終え、無線を切る長月。

「話の通りだ。龍驤さんと多摩さんは、それぞれ指揮を――」
「――いや、お前がやれ、長月」
「多摩達の方も、お願いするにゃ」

 長月の言葉を遮る様に言う、龍驤と多摩。長月は、珍しく少々面食らった様な表情になる。

「何故だ。作戦行動中は、旗艦が指揮を執るものだろう。まして、多摩さんたちは所属が――」
「その旗艦が思い付かへんかった案を提案して、しかも提督に許可まで取り付けたんはどこのどいつやっちゅう話や」
「多摩達は姉さんを見捨てようとした悪い妹達にゃ。そんな多摩よりも、あんたがやった方が上手く行く筈にゃ」

 ――龍驤も多摩も、表情は真剣そのもので。到底、冗談では無さそうだった。

「――分かった。引き受けよう」

 長月が諾すると共に、全員がいつでも動ける様に身構える。ある程度の無茶を言い出す事は覚悟の上だが、どう来るか――

「では、そうだな――各艦はこの場で待機、脱出口の維持に努めてくれ。高速修復剤の確保及び軽巡球磨の救出は、私が務める」
「ひ、一人でやるんかいな⁉︎」

 ――流石に予想外だった龍驤が、思わず声を上げた。

「脱出口の維持には数が要るだろうが、救出は一人でも出来る。むしろ、人数が多過ぎても手持ち無沙汰になるだけだ」
「た、確かにそうやけど、流石に一隻くらい随伴艦を付けたらどないや? 一人で敵艦の対応やら高速修復剤の確保やらを全部こなすんは骨やろ?」

 龍驤の言葉を受け、長月は顎に拳を当てて考え込む様な仕草をする。

「なるほど、一理ある。ならば、誰か一隻――」
「じゃあ、アタシを連れてって」

 長月が言い終わるより早く、北上が名乗り出た。

「もう魚雷は使い切っちゃったから、どうせアタシはここにいても大した戦力にはならない。それに、何より――球磨姉は、アタシを庇って被弾したんだ。だから、その責任を取りに行きたい」

 覚悟を決めた眼差しで、北上は語る。球磨が被弾した経緯は、非難される事を恐れるが故に北上が伏せていた為、全員が初耳だったが――今の彼女の言葉を聞いては、誰も非難など出来る筈が無かった。

「――良いだろう。では、雷巡北上、我に続け!」
「了解しましたよ、っと!」

 主機を全力で稼働させ、二隻はバシー島に向かって駆け出した。
 その頃、球磨は――

「……か、はっ」

 ――今にも倒れそうになりながら、霞む目を歪な腕で擦りながら、血溜まりの中心で、応戦を続けていた。はっきり言って、幾ら常人と比べて強固な肉体を持つ艦娘とは言えど、その光景は異常だとしか言いようが無い。普通ならば、とっくに痛みか失血で気を失っている筈であるし、そうで無くとも満身創痍の状態で大量の敵を相手にしては、一瞬で圧倒されるのが関の山だ。
 しかし、球磨は未だに意識を保ち、敵の攻撃を捌いている。それを可能にさせているのは、意地か、誇りか、あるいは恐怖か――

「あ――」

 ――だが、いずれにせよ、限界はいつか来る。
 ふらついていた脚が、ついに崩れて盛大に転倒する。赤黒い斑点模様に染まったボロボロの球磨型制服が、余す事無く赤に侵食されて行く。当然、深海棲艦が、その隙を逃す筈も無い。

「……クマ」

 ――妹達と打ち解けようと使い始めた、わざとらしい口癖が、最期に自然と口から出たのが、何だかとても、可笑しかった。

「――死ぬなあああああああああああああああああ‼︎ 球磨姉ええええええええええええええええええ‼︎」

 ――意識が途切れる直前に、北上の声が聞こえた気がした。でも、きっと幻聴だ。あいつだったら、こんな大声で叫んだりしない。そもそも、とうに撤退している筈だ。
 ああ、でも。幻聴でも良いや、最後に聞かせてくれよ。
 ――私は、ちゃんと、お姉ちゃんで、いられたか?

    ◆◆◆

「――死ぬなあああああああああああああああああ‼︎ 球磨姉ええええええええええええええええええ‼︎」

 ――今にも命尽きようとしている姉を救うべく、今まで出した事も無い程の大声で叫びながら、北上は先行していた長月を追い抜きつつ、周囲の敵艦目掛けて主砲を乱射する。重雷装巡洋艦という艦種の特性上、雷撃はともかくとして、砲撃など実戦では殆ど行わないが為に、決して精度は高くないが、それでも深海棲艦達の意識を逸らすには十分だ。

「全く――長月、砲戦開始するぞ!」

 北上に続く形になりながら、長月も砲撃を開始する。十二センチ砲弾が敵艦を次々と貫き、幾つもの火柱が立つ。

「球磨姉!」

 倒れ込んだ球磨に、駆け寄る北上。

「――その様子だと、一刻も早く高速修復剤を使用する必要があるな」

 追い付いた長月が、球磨の様子を見て言う。顔に生気が無く、体温も低いが、息はある。重傷に多量失血にと、常人ならば間違い無く死んでいる筈だが、そこは艦娘、艤装は生命維持装置としての役割も持っている。しかし、当然限度という物は存在するし、球磨の状態や経過した時間から考えて、猶予は殆ど無いだろう。

「雷巡北上は、軽巡球磨を船渠へと運べ。高速修復剤が保管されているとしたら、そこだろう」
「分かった! けど――あんたは?」

 球磨の身体を担ぎ上げながら、問い掛ける北上。

「――足止めが必要だろう?」

 長月はそう言って、振り返らずに砲塔だけを後ろに向けて砲撃する。放たれた砲弾は今にも長月に飛び掛らんとしていた駆逐イ級の眉間を貫き、爆散させた。

「ここは、任せろ」
「――任せた!」

 こいつならば、大丈夫だ。北上は確信し、既に無人となった軍施設へ向かって走り出した。

「さて――」

 長月は北上の背中を見送り――不意に振り返りつつ主砲を連射する。正確無比な砲撃は次々に深海棲艦を葬り去って行く。

「――ここから先は、今をもって通行止めだ」

 魚雷発射管から魚雷を抜き取り、深海棲艦の群れに向かって放り投げ、主砲で撃ち抜く。魚雷が爆散し、複数の敵艦を巻き込む。

「お引き取り、願おうか!」

 敵艦の攻撃を回避しながら、的確に急所を撃ち抜いて対処する。言葉にすれば簡単で、つい先程まで球磨も同様の事をしていた訳だが――常識的に考えて、新人駆逐艦が、一隻で対応出来る許容量をどう見ても超えた数を、的確に処理するなど、有り得ないと言って過言では無い。
 しかし、現に長月はそれをやってのけている。彼女の天性の飲み込みの早さと、無感情さから来る冷静で客観的な思考が、艦娘としての能力を限界近くまで引き出しているのだ。こと艤装の扱いと咄嗟の判断力においては、長月はベテランの艦娘にさえ匹敵すると言って良い。

「――不味い。このままだと、弾薬が足りん」

 ――だが。あくまでも、どこまで行っても、彼女はただの艦娘でしかない。

「――雷巡北上、まだ掛かるか?」
『今、船渠のそれっぽい所を漁ってる!』

 無線越しに伝わる、やや焦りの含まれた北上の声。

「そうか。なるべく急いでくれ」
『言われなくても!』

 無線を切る。主砲の残弾は僅か。突破の際に、率先して敵を撃破し続けたのが、今になって仇になった形だ。一発。二発。砲撃を行う度に、自身が持つ深海棲艦への対抗手段が減って行く。しかし、だからと言って撃つ事を止めれば、当然の様に深海棲艦達の餌食になるだろう。勿論、深海棲艦達は長月の事情などお構い無しに、相変わらずの猛攻を続ける。

「くそっ――!」

 ――そして、遂に。長月の手持ちの弾薬が、全て尽きる。一応、機銃の弾薬は残ってはいるが、七・七ミリ弾程度では駆逐艦の装甲にすら弾かれる。

「――!」

 砲撃が止んだ隙を狙って、駆逐ロ級が長月に飛び掛かる。

「させ――るかっ!」

 長月はそれを回避し、ロ級の横腹に向かって回し蹴りを叩き込む。ロ級は多少吹き飛ばされたものの、当然ながらただの蹴りで戦闘不能に陥る程に、深海棲艦は柔では無い。すぐに起き上がり、他の深海棲艦達と連携しながら長月目掛けて砲撃を開始する。既にまともな対抗手段が無く、敵弾を正面から受け止められる程の装甲も無い長月には、ひたすら砲撃を回避し続ける以外に道は残されていない。もっとも、自身の生存を優先するならば、今すぐ後退するのが最適解なのだが――足止めという役目を引き受けている以上、それは許されない。

「――!」

 ――そして、足止めをするという事は、突破を試みる敵艦を押し返す必要もある。

「しまっ――」

 回避に集中した隙を突かれ、長月の傍を一隻の軽巡ト級が突破する。せめて意識をこちらに向けようと、長月は振り返って機銃の狙いを――

「――!」

 ――長月が意識を逸らしたのを見計らった様に、砲撃を行っていた内の一隻、駆逐ニ級が、長月目掛けて飛び掛かる。

「――ああ」

 長月はその事に気が付くと、再度振り返って回避行動を取ろうとするが――どう考えても、間に合わない。
 ――狙って私の意識を逸らしたのだろうか。だとすれば完敗だ。いや、偶然だったとしても、私の負けには違いないか。
 自分自身で嫌になる程の、あまりにも冷静で客観的な感想が長月の頭に浮かぶ。飛び掛かる深海棲艦と、間に合わないと悟りつつも回避をしようとする自分の肉体の動きが、妙に遅く感じられる。
 ――司令官。あんたは、私に感情があると言ったな。でも、それはやっぱり、間違いだよ。だって、私はこんな状況でも、恐怖一つ感じやしないんだ。そんな人間に、感情なんて、ある筈が無いじゃないか。
 心の中で呟いて、ゆっくりと近付く死を、長月は受け入れ――

「――間一髪、って所かな?」

 ――駆逐ニ級は、長月に到達する事無く空中で爆散した。直後に、軍施設へと接近していた軽巡ト級も、降り注いだ砲弾が命中し火柱と化す。

「なっ――」

 流石の長月も驚きを顔に浮かべ、目を見開く。

「――へっへーん! ボクの事、見直してくれた?」

 ――長月の背後から、聞き覚えのある声。振り返れば、そこには皐月が立っていた。

「お前、どうして――」
「どうして、じゃないよ」

 皐月は、深海棲艦の群れへと砲撃しつつ、珍しく真面目な調子の声で言う。

「長月がどうだかは知らないけど、ボクは長月の事を友達だと思ってるし、ボクは長月の友達だと思ってる。そして――友達の助けになれないようじゃ、友達を名乗る資格なんて無いとも、思ってる」

 そう続けて、皐月は顔だけを軽く長月の方に向け――
 
「――だから、助けに来た」
 
 ――満面の、笑みを浮かべた。

「……何だそれは。理由になっていないぞ」
「いーや。ボクにとっては、何にも変えがたい大切な理由だよ。どうしても、待ってなんかいられなくなって、つい向こうから抜け出して来ちゃうくらいにはね」

 呆れた様に言う長月に、あくまでも皐月はそう主張する。

「だから――長月は、素直にボクに助けられてれば良いの!」

 叫びながら前を向き直り、皐月は両手に一丁ずつ構えた十二センチ単装砲を連射して、敵艦群に向けて砲弾をばら撒く。長月が得意とする連続した精密射撃は、皐月には到底真似出来る物では無い。故に、弾幕を張って大量の敵に対応する。大まかな狙いしか付けない関係上、命中弾はそうそう出ず、当然弾薬の消耗も激しいが、一時凌ぎとしては十分に効果的であるし、皐月は主砲を二丁携帯している関係で長月よりも携行弾薬数が多く、まだそれなりの残弾がある。

「……全く」

 ――意味不明かつ滅茶苦茶な事を言う。心の中で、長月はぼやく。
 だが――その表情は、僅かに笑みを浮かべている様にも見えた。

「――皐月、主砲を片方貸してくれないか。私のは、弾切れでな」
「分かった!」

 皐月は振り返らないまま、左手に持った単装砲を長月に投げ渡す。

「ああ、それと――」

 単装砲を受け取り、前方の敵艦群へと向けて構え――

「――助けてくれて、ありがとう」

 ――小さく。しかし、はっきりと。長月は、口にした。

「――どういたしまして!」

 長月の言葉に、少しだけ意外そうな表情を見せ――すぐに表情を笑顔に変えて、皐月は応えた。

『――こちら雷巡北上! 高速修復剤を発見! 多分、もうすぐそっちに戻れる!』

 直後、無線越しに北上の声が響く。その声色からは、はっきりと歓喜の色が伝わる。

「こちら駆逐艦長月、了解だ」

 長月が、構えた単装砲を発射する。相変わらずの砲撃精度で、深海棲艦の弱点部分を的確に射抜き撃破する。

「さあ――あと少しだ。乗り切るぞ」
「うん! 司令官との約束、守らなきゃね!」

 ――ああ、そう言えば。司令官に、言われていたな。『必ず生きて、帰って来てくれ』と。

「――そうだな。必ず、生きて帰ろう」

 あの司令官は、嫌いじゃない。そのくらいの頼みは、聞いてやっても良いだろう。そんな風に考えながら、長月は敵艦を迎撃する。

「もっちろん!」

 元気良く応じながら、皐月も次々に深海棲艦を撃破して行く。
 ――単艦でも十分に敵を抑えられる長月と、長月には及ばずとも決して低くは無い実力を持つ皐月。

「――お待たせ致しました、っと!」

 二隻の力をもってすれば、北上の帰還まで耐え抜くのは難しい事では無かった。

「――駆逐艦長月より空母龍驤、及び軽巡多摩へ! 軽巡球磨の救出及び治療に成功! これよりそちらと合流する!」

 球磨を背負った北上を視界に捉えたと同時に、長月は無線を開いて龍驤達へと伝える。

『了解や! ――皆ぁ! あと少しの辛抱や、耐え抜くでぇ!』
『――ああ、了解したにゃ』

 仲間を鼓舞する龍驤に、安堵した様子の多摩の声。

「――二人とも、準備は良いな! さあ行くぞっ!」

 ――無線を切り、長月が号令を掛けると同時に、三隻は、駆け出した。

    ◆◆◆

 ――球磨が瞼を開くと、白い天井がまず最初に目に入った。彼女が何度もお世話になっている、療養室(ドック)の天井だ。

「――え?」

 慌てた様に身体を起こす、球磨。
 ――どう見てもここは基地の療養室(ドック)だし、自分はベッドの上にいる。間違い無い。

「何で……球磨は、生きてるクマ?」
「そうねー、主に長月っちのおかげかな?」

 独り言ちた球磨の言葉に、返事が返って来る。

「……北上」

 声の方を向くと、部屋の端に置かれた椅子に、北上が腰掛けていた。

「入渠時間、二時間ちょっとか。意外と早かったねー。――おはよ、球磨姉。調子はどう? 左腕とか、くっ付けたばっかりだから、上手く動かないかもなんだけど」

 北上の言葉を受けて、球磨は自身の腕を見る。ぐちゃぐちゃに曲がった筈の両腕。先端がちぎれ飛んだ筈の左腕。しかし、その面影は何処にも無く、外見は至って正常だ。両腕を軽く動かし、様子を確認する。

「確かに……少し、左腕に違和感があるクマ」
「あ、やっぱり? でも、そんなに綺麗に治るなんて、再生医療様様よねー」

 ――高速修復剤と言えど、欠損した部位までは復元されない。だが、適切な治療をもってすれば、欠損部位の再生も可能である。

「まあ、その内馴染むかクマ。そんな事より――あれから、どうなったんだクマ?」

 そう言って、球磨はベッドを降りて立ち上がる。身体が少し重く感じたが、ふらついたり、倒れる様な事は無かった。

「――当然だけど、作戦は失敗。それで、今回の件について報告したら、流石の提督や石頭の偉い人達も焦ったみたいで、今横須賀はてんやわんやしてるみたいだよー。前例の無い事態だしねー」
「そりゃ良い薬だクマ。慢心するから、こうなるクマ」

 とは言え、流石にこんな事態になるとは、想定出来ずとも仕方が無い事だという認識は、球磨にもあった。だからその言葉は、読みが甘かったとの指摘というよりは、妹達が危険に晒された事や、危うく死に掛けた事等についての、せめてもの恨み言だ。

「まあ、そっちについてはアタシ達の問題じゃないし、多分向こうでなんとかするだろうから置いとくとして。――アタシ達大湊区第十五番基地第二艦隊、及び支援艦隊である大湊区第二十三番基地第一艦隊は、全艦無事に南西諸島海域からの撤退に成功。勿論、球磨姉も含め、ね」
「……そうか、クマ。しかし、一体どうやったクマ?」
「そうねー、えーっと――」
「――入るぞ」

 ――北上の言葉に被せるかの様に声が響き、部屋の扉が開かれた。

「――ああ、目が覚めたんだな」
「――提督さん。うん、ついさっきね」

 部屋に入って来たのは、二十三番基地の提督と、秘書艦の長月だった。

「元気そうで何よりだな。なあ、長月?」
「何故私に振るんだ。確かに、意識を取り戻したというのは、喜ばしい事だろうがな」

 相変わらずの仏頂面で、そう言う長月。

「しかし、何でまだ、あんたらがここにいるクマ?」
「多摩姉が、お礼に夕食でも食べてってくれって、誘ったのよ。時間的に、そろそろ帰り?」
「ああ。それで、最後に球磨の様子の確認に来たんだが――問題無いみたいだな。安心した」

 心から安堵した表情を見せる、提督。

「別に、球磨はあんた直属の艦娘じゃないんだから、そこまで心配する理由は無いクマ?」
「――関係無いだろう、そんなのは。誰かの無事を祈り、喜ぶ事に、理由など必要か?」

 ――球磨の言葉に、迷い無くそう返す提督の表情は、真剣そのものだ。

「――あんた、お人好しだクマ」
「はは、そうだな。でも、昔は違ったんだがね。お人好しの爺さんに助けられてから、かな。こうなったのは」

 提督は、何処か懐かしむ様な表情を浮かべ――すぐに表情を引き締めた。

「さて、僕らはもう、帰るとするよ」
「――ああ、待ったクマ」

 踵を返そうとした提督達を、球磨が引き止める。

「どうした?」
「――北上。球磨が助かったのは、長月のおかげだって言ったなクマ?」
「うん。長月っちの案と活躍のおかげで、球磨姉を助けられたと言って良いね」

 球磨の問いに対し、北上はうんうんと首を縦に降る。

「と、まあ、そういう事だそうだから――」

 そして球磨は、長月に歩み寄り――

「――駆逐艦長月。貴艦のおかげで、私は命を救われた。感謝の言葉をいくら述べても、足りはしないだろう。だが、それでも、あえて礼を言わせて欲しい」

 ――敬礼し、いつになく真面目な表情と口調で、言った。

「それは違うぞ、軽巡球磨」

 しかし、長月は礼を素直に受け取る事なく、首を横に振る。

「――どういう事だ?」
「私の力だけじゃない。龍驤さん、皐月、卯月、菊月、司令官、それに、多摩さんや北上さん達もそうだ。皆の力が無ければ、貴方を助けられなかったばかりか、もっと犠牲が増えていた筈だ。だから、礼を言うなら私だけじゃない。皆に、言うべきだろう」

 そう述べる、長月の表情と声色は、どことなく、普段よりも優しげに感じられた。

「――なるほど。確かに、その通りだな」

 納得した様に、頷く球磨。

「ならば、二人が代表して礼を受け取って貰えないか? 他の四人には、貴方達から伝えてくれ」
「そういう事であれば……良いよな、司令官?」
「長月が、良いならな」

 どこか楽しそうな笑顔で、そう言う提督。

「私は、構わないが」
「なら、決まりだ」

 そんなやり取りの後、提督が球磨の方へと向き直って姿勢を正す。長月も、それに倣う。そして球磨も、二人を見据え、再度敬礼し――

「――感謝するぞ」

 ――柔らかい笑みを浮かべ、告げた。

「――ああ」

 一言で、球磨の言葉に対し応える長月。

「さて――じゃあ、今度こそ、僕らは帰るよ」
「ああ、達者でクマ」
「また今度ねー」

 いつも通りの口調に戻った球磨と、北上に見送られながら、提督と長月は療養室(ドック)を後にする。

「しかし――何だよ。やっぱり、そうじゃないか」
「ん、どうした?」

 廊下を歩きながら提督が呟いた言葉に、疑問を呈する長月。

「いやいや、独り言さ」

 提督は、受け流すように言って――

「だったら、思わせぶりな事を言うな」
「はは、ごめんごめん」

 ――心が無い人間が、あんな風に優しい言葉を、言える訳が無いじゃないか。
 そう、心の中で呟いた。



[40653] 03-1
Name: 萩鷲◆91e9ad99 ID:f4798db4
Date: 2016/01/19 18:33
 ――目を覚まし、身体を起こす。今は何時だろうと、枕元の時計を見る。

「ヒト、マル、ヒト――って、完全に寝坊じゃない!」

 いつもなら起こしに来てくれる同僚は、何故だか今日は起こしてくれなかったらしい。

「……今日は別に、寝坊しても困んないんだけどさ」

 私は今日、この泊地を去る。かねてから希望していた本土への転属が実現したのだ。だから、今日は出撃予定等は入っていない。迎えが来るまで、自由時間だ。もしかすると、気を遣って寝かせておいてくれたのかもしれない。
 ――だからって、寝坊はしたくなかったんだけどなあ。一回生活リズム崩れると、元に戻すの大変だし。でも、過ぎちゃったことはどうしようも無いか。それよりも、丁度お昼時だし、ご飯でも食べに行きましょ、うん。
 そんな風に考えつつベッドから降り、部屋に備え付けの洗面台で顔を洗って、制服に着替えて廊下に出る。
 ――寮の廊下は、やけに静かだった。昼間だし、皆自室に居ないんだろう。私はそのくらいに考えて、一階まで降りる。食堂は基地の方にあるから、一度外に出なくちゃいけない。
 そうして、私は寮を出て――

「――――え?」

 ――眼前に広がる地獄を、目の当たりにした。

    ◆◆◆

「――長月、突撃する!」

 雄叫びと共に、長月が加速する。後方に小さく白波を立たせながら、見る見る内に航行速度は最大戦速に到達する。そして、長月は電探と連携させた右手の十二・七センチ連装砲を構え――前方の皐月へと向け、発砲する。

「ボクとやり合う気なの? ――負けないよ!」

 軽い調子で言いながら、皐月は軽やかに旋回し長月の放った砲弾を回避する。長月の射撃はそもそも非常に高い精度を誇り、そこに電探の力も加わることによって、その正確さは驚異的と言える域に達している。しかし、正確であるということは、同時に着弾点の予測が容易だということでもある。

「中々、やるじゃないか――ならば、これでどうだ!」

 ――だが、長月が正確な射撃を続けてやる必要はどこにも無い。

「ふわっ、わっ、わぁー⁉︎」

 両手に構えた二基四門の主砲を乱射する、長月。皐月周辺を目掛けて多数の砲弾が飛来し、皐月はもろに水飛沫を被る。

「貰ったっ!」

 そうして、逃げ場の無くなった皐月に、長月は主砲を向け――

「――うーちゃん、砲雷撃戦、開始するぴょん!」

 ――咄嗟に身を翻した長月の右肩を、砲弾が掠める。

「皐月! 無事かぴょん⁉︎」
「ありがと、卯月!」

 合流した卯月が、長月と皐月の間に割って入る。

「幾ら長月が強くても、二人掛かりなら――」
「――残念だが、そうはさせない」

 ――皐月の喫水下で、爆発が起こる。

「うわあっ⁉︎」
「油断したな……!」

 長月のやや後方で、菊月が言う。足首には、四連装の酸素魚雷が装備されている。

「しまっ――皐月!」

 慌てて振り返った卯月の視界に入ったのは――魚雷内に充填されていた塗料を全身に被り、ピンク色に染まった皐月だった。

『――そこまでっ!』

 少し遅れて、無線越しに龍驤の声が響く。

『勝者、長月・菊月ペアや!』
「さすがだ、長月……お前のおかげだ」
「いやいや、最後の雷撃、見事だったぞ」

 互いに讃えあいながら、ハイタッチする長月と菊月。

「く、くそぅ……ボクが最初に先行し過ぎたから……」
「いや、うーちゃんにも至らない点があったぴょん。皐月だけのせいじゃないぴょん」

 落ち込む皐月を、慰める卯月。

「――ま、今回の演習は、連携の強化もそやけど、新装備の試し撃ちっちゅう部分が大きいからな。そない気にすることでもあらへん」

 四隻の側に、離れて観戦していた龍驤が歩み寄る。

「十二・七センチ連装砲を計八基と、十三号電探が四つ、卯月と菊月の分の四連装酸素魚雷に、うち用の艦載機。そして――新しい艦娘。向こうも随分、奮発してくれはったもんやなあ」

 先日、龍驤達大湊区第二十三番基地第一艦隊は、大湊区第十五番基地第二艦隊と共同で、とある作戦に従事した。結果的に、作戦は失敗に終わったが――第十五番基地の軽巡球磨の窮地を救った礼として、新装備の支給と艦娘の斡旋を受けたのだ。

「確か、トラック泊地だったか? 新たに配属される艦娘がいるのは」
「ああ。何処もかしこも戦力不足で、新造艦にしろ既存の艦の引き抜きにしろ大変だったらしいが――そいつが本土への転属を希望しとったのと、丁度トラック泊地を目的地とした護衛任務があるちゅうことで、うちらが護衛任務を引き受ける代わりに、そいつを任務報酬として連れて帰れるように掛け合ってくれたらしいな」

 ――トラック泊地。かつての大戦でこの国が拠点とした同名の泊地と、ほぼ同様の場所に設置された前線基地。防衛や警備を主任務とした本土の基地とは違い、深海棲艦の拠点への攻撃が主な役目だ。その任務特性上、所属する艦娘は精鋭が多く、大規模作戦時の中継拠点等としても運用されることから、鎮守府にも匹敵するほどの設備を持っている。

「ま、その話は置いといて、一旦帰投しよか。護衛対象の到着までは、出発出来へんし――」

 言いながら、龍驤は視線をずらす。

「――まさか、全身真っピンクのまま、他所へ行くわけにもいかへんやろしな」
「ははは……」

 視線の先で、手で顔に付着した塗料を拭っていた皐月が、苦笑いする。

「ほんじゃ、全艦原速で帰還――言うても、すぐそこやけどな」

 踵を返しながら龍驤が言い、それに従って全員が基地への帰路に着いた。

「――や、お帰り。どうだった、新装備の使い心地のほどは?」

 ――基地に到着した艦隊を、桟橋で出迎える軍服姿の男性。彼こそ、大湊区第二十三番基地の提督である。

「砲も電探も良い具合だった。菊月の様子からして、魚雷も問題無いようだったが――艦載機の方はどうだったんだ?」
「艦戦も艦攻もバッチリやったで」
「そいつは良かった」

 長月と龍驤の返答に、提督は笑みを浮かべる。

「しかし司令官、何故桟橋に?」
「君達の帰りが待ち切れなかった――とでも言いたい所だが、そういうわけじゃ無くてだな。そろそろ、例の護衛対象が到着するはずなんだ。その出迎えに外に出たついでさ」

 言って、提督は腕時計を覗く。

「と言うか……本当なら、もうとっくに着いてる時間なんだがね」
「何……⁉︎ まさか、道中で深海棲艦の襲撃に……!」
「いや、それは無いだろう。ここまでの移動は陸路のはずだからな。途中でトラブルが起こった可能性自体は、否定出来ないが」

 不安がる菊月の言葉を、提督はすぐに否定する。

「陸路? そういや、護衛対象ってなんなんや? うち、まだ聞いてへんで。てっきり、輸送船の類かと思っとったんやけど」
「ああ、そう言えば言っていなかったな。護衛対象は――」
「――すみませーん! 遅くなりましたー!」

 ――提督の言葉を遮るように、女性の声が響く。全員の視線が、声の方に向けられる。

「本日護衛して貰います――って、あれ?」

 視線の先に居た桃色の髪の女性はそう言い掛けて――提督の顔を目にした途端、きょとんとした表情になって言葉を止める。提督の方はと言えば、驚きに満ちた表情をしている。

「――相川?」
「ああ、やっぱり少佐でしたか! 久しぶりです!」

 提督が問い掛けると、桃色の髪の女性は明るい声で答えた。

「知り合いなの、司令官?」

 提督の反応に、皐月は問いかける。

「ああ。だが、お前――」
「――話は後にしましょう。まずは、そう、自己紹介です」

 何か言おうとした提督を制すようにして、桃色の髪の女性は姿勢を整え、敬礼し――

「工作艦、明石です! どうぞ、よろしくお願いします!」

 ――にこやかに微笑んで、そう名乗った。

「工作、艦……とは、なんだ?」
「菊月ぃ……講習で習ったはずぴょん? 艤装の応急修理なんかをする艦娘だぴょん」

 菊月の疑問に、やや呆れ顔の卯月が答える。

「それなら、別に艦娘である必要は無いのでは無いか……? うちにだって、普通の人間の整備士がいるぞ」
「そこは、艦娘だからこその仕事があるってことぴょん。艤装には工作機械としての機能もあるから、設備が無い場所でも修理が出来るんだぴょん。なんなら、海上でだって出来るはずぴょん」
「詳しいんですね」

 的確に説明する卯月の様子に、明石は感心した様子で言う。

「このくらいは基礎知識ぴょん。菊月、勉強苦手なのは知ってるけど、ちゃんとやらなきゃ駄目ぴょん?」
「分かっては、いるが……」

 卯月に諭され、ばつが悪そうにする菊月。

「まあ、それはさておきだ。相川――お前、なんでまた艦娘に」
「理由が無ければ、艦娘になってはいけませんか?」

 提督の問いに、少し真剣な表情になって答える明石。

「理由も無しに、なるような物じゃないだろう」
「確かに。ですが、秘密です」

 明石の返答に、提督は「そうかよ」と呟いて溜息を吐いた。

「司令官と明石さんは、どういう関係なんだ?」

 二人のやり取りは、随分と親しげで。長月は気になって、そんな質問を投げかける。

「僕がここに着任する前の、同僚だよ。僕が技術少佐で、相川……こいつが、技術中尉だった。一つの基地に居る技術士官なんて、そう数が多いわけでも無いから、良く一緒に仕事をしたし、個人的な付き合いもそれなりに深かった」
「えー、なんですか、それなりって。あの夜のことを忘れたんですか?」

 口を尖らせて、悪戯っぽい笑顔で提督に迫る明石。

「おお、二人は大人の関係だったぴょん⁉︎」
「断じて違う。お前も、誤解を招く言い方をするな。電車が止まって家に帰れなくなったからって、僕の家に押し掛けてきて、二人で徹夜でゲームをした時の話だろう?」

 卯月の言葉をすぐさま否定し、そう言う提督。

「まあ、そうなんですけどね。でも正直、仮にも女性と一つ屋根の下で一晩を共にして、手を出す素振りさえ見せなかった少佐は、それはそれでどうかと思いますけど」

 やれやれ、といった風に、明石は両手を広げる。

「僕にだって、選ぶ権利くらいあるだろう――と、個人的な話はこのくらいにしておこう」

 提督はそう言って、一旦話を切る。

「そうですね。ただでさえ、到着が遅れてしまいましたし……出発は、いつですか?」
「早いに越したことは無いし、今すぐにでも――と言いたい所だが」

 提督はちらと皐月を見る。

「……洗って来い、皐月」
「はーい……」

 皐月は頭を掻きつつ返事をして、塗料を滴らせながら基地内へと入って行った。

    ◆◆◆

 ――皐月が身体を洗い終えた後、艦隊は明石と共にトラック泊地へ向け出撃する。

「ところで――明石さん、だっけ? 昔の司令官って、どんな感じだったの?」

 道中、皐月がそんなことを問う。

「皐月、任務中だぞ。私語は謹め」
「えー、良いじゃんさ別に。今のところ平和だし」

 明石が何か言う前に、長月が咎め、皐月は口を尖らせる。

「長月は気にならないの? 司令官が僕らと会う前、どんな感じだったか」
「そんなことを気にしてどうする。なんの役にも――」

 長月は、言い掛けて――ふと、ある考えが浮かぶ。

「――いや、気が変わった。何か、昔の司令官について、面白い話は無いか?」

 ――思えば、私ばかり昔のことを話して、司令官の過去は良く知らない。なんだか、少しだけ不公平だ。

「なんだ、やっぱり長月も気になるんじゃん」
「まあ、な。良ければ、話して貰えないか?」

 長月の言葉を受けて、明石は顎に手を当てる。

「そうですね。では、とっておきをお話ししましょう」
「――ほほう、とっておきぴょん?」

 ニヤリとした表情で言う明石の言葉に、卯月が反応する。

「卯月、お前まで……」
「だってとっておきぴょん? 菊月は気にならないぴょん?」

 咎めようとした菊月に、卯月が詰め寄る。

「そ、それは……り、龍驤さん!」
「かまへんとちゃう?」

 詰め寄られた菊月は龍驤に助けを求めるが、返って来たのはそんな言葉だった。

「索敵なら、うちがちゃーんとしといたるわ。それに、正直うちも、ちょっち興味あるしな」
「皆さん乗り気ですねえ」

 龍驤の反応に、楽しそうに言う明石。菊月も、観念した様子で溜息を吐いた。

「では、そうですね――彼って、正直お人好しじゃないですか」
「そうだな。間違いない」

 即答する長月。この前の作戦や、自分の身の上について話した時に、それは嫌というほど痛感している。

「あはは、やっぱりこっちでもそうなんですね。でも、実は――昔は、あんなんじゃなかったんですよ。人とあまり関わろうとせず、他人なんて当てにしない。そんな人間でした」

 しかし――続けて明石の口から出た言葉に、思わず長月は驚愕の表情を顔に浮かべた。

「想像、出来ないな」
「私だって、あの頃の彼を見て、今こうなっているなんて想像出来ませんよ」
「なんで、それが今みたいになったのさ?」

 皐月の疑問の言葉に、興味津々という様子で長月も頷く。

「――助けられたんですよ。ある人にね。それからです、彼がああなったのは」
「……そう、いえば」

 明石の言葉に、長月はふと、少し前に提督が言っていたことを思い出す。確か――

「――お人好しの、爺さん?」

 ――そんなことを、言っていたような。

「おや、良く知ってますね。聞いたんですか?」
「聞いた、というか……言っていた、というか。なんにせよ、詳しいことは知らないが」

 良く思い返せば、昔はこうじゃなかった、とも言っていた気がする。自分に向けられた言葉でも無いので、あまりしっかりとは聞いていなかったが。

「ええ、爺さんです。私と彼が昔居た鎮守府の提督で、階級は元帥でした。今は確か、どこかの造船基地の最高責任者をしているそうですが――ともかく、彼はその元帥に、助けられたんです」
「何があったんだぴょん?」

 やや身を乗り出すようにして、卯月が尋ねる。

「あまり、詳しいことは言えませんが、とある事故が起こった際、彼の仕事に問題があったとして、責任を取らされそうになったんです。ろくな調査も行われずに、ね」
「それは、酷い話だな……」

 菊月が、思わず呟く。

「まあ、確かに、一番可能性として考えやすい原因ではあったんです。その上、さっきも言ったように、当時の彼はお世辞にも人当たりが良い人間ではありませんでしたから、あまり上から信用されていなかったんでしょうね。ですが、件の元帥だけは、違いました。彼を疑うことをせず、原因の究明に尽力したんです。勿論、彼は訊きました。どうして貴方は、そこまでするのか、と。元帥、なんて答えたと思います?」

 無論、明石の問い掛けは、解答を求める類の物では無い。

「――自分の部下の事を端から疑ったりする様な事は、あってはならない」

 ――だが。

「部下を邪険に扱うような事も、してはいけない」

 長月は――

「それが、上官というものだ――か?」

 ――その言葉を、聞いた事があった。

「――なんで、知ってるんですか?」

 驚愕した表情で、長月に問う明石。皐月達も、やや驚いた様子で長月を見つめた。

「司令官が、言っていたんだ。自分の新人時代の上官の言葉だ、とな」

 長月は、素っ気ない態度で答える。

「へえ……どうやら、彼はしっかり、提督をやっているみたいですね。良いことです」

 長月の言葉に、明石は感心したように言って、頷く。

「――長月ちゃんの言葉通りです。元帥は、そういう人間でした。結局、原因は全く別のところにあり、彼に処分が下されることはありませんでした。それからです。彼が、ああなったのは」
「恩人への、憧れ――ってところやな」

 索敵中の龍驤が、ぽつりと呟く。

「そうですね。もっとも、誰にでも出来ることでもありませんが、どうやら彼は、元々お人好しの素養があったようで。気が付いたら、あんな感じでしたよ」

 昔を懐かしむように、明石は語る。

「――あれ? でも待ってぴょん? 司令官は昔、根暗のコミュ症だったわけぴょん」
「そこまでは言ってませんって」

 あんまりな卯月の言い方に、明石は思わず吹き出す。

「じゃあ――なんでそんな司令官の過去を、明石さんは良く知ってるぴょん? 話し方からして、後から聞いた、って感じでも無いぴょん」

 ――が、続けられた卯月の言葉を耳にした瞬間、明石の表情が固まった。

「あー……そこ、突っ込みますかー……」

 明石は、しまったと言いたげな表情で呟いて、俯く。

「まあ、でも――彼の恥ずかしい話ばっかり暴露するのも、フェアじゃない、か」

 しかし、明石はすぐに顔を上げて、観念した顔になる。

「おお、もしかして、明石さんは司令官に――」
「――いいえ。残念ながら、卯月ちゃんが期待しているであろう感情は、私にはありませんでしたよ」

 卯月が言わんとしている事を察し、明石は先に答える。

「えー、違うぴょん? じゃあ、一体何ぴょん?」
「……恥ずかしいので、彼には黙っていて欲しいんですけど」

 前置きしてから、明石は語り出す。

「――私、彼を技術者として尊敬していたんです。私は機械(ハード)が専門で、彼は情報(ソフト)が専門だったんですが、正確には、私は機械(ハード)が専門というよりも、機械(ハード)しか出来なかったんです。情報(ソフト)面の才能は、さっぱりでした。ですが、彼は情報(ソフト)において高い技術を持ちつつ、機械(ハード)に関しても、平均以上の能力がありました。そんな彼に憧れて、あわよくば教えを乞おうとして、私はよく、彼の側に居ました。まあ、仕事をする時は、どっちにしろ大体一緒だったんですけどね」
「そんなに凄い人だったのか、司令官は」

 今の提督は、技術的な仕事はしていない。故に、提督の技術者としての能力は、長月達にしてみれば、今まで全く不明だったのだ。

「それは、あの若さで技術少佐ですからね。天才とまでは行かずとも、優れた能力の持ち主ですよ。もっとも、今の艦娘技術におけるソフト面の開発は、発展が頭打ち状態で、だから彼は、鎮守府を離れる頃には、正直暇を持て余していました。だからこそ、提督の仕事を引き受けたんでしょうが――ともかく、私が彼の過去について詳しいのは、しょっちゅう彼に付いて回っていたからですよ。例の件の時にも、ね」
「なるほど、明石さんは司令官のストーカーだったわけぴょ――痛っ⁉︎」

 ろくでもないことを口走る卯月の頭頂部を、菊月が十二・七センチ砲の砲身で殴る。

「菊月、何するぴょん⁉︎」
「お前こそ、何を言っている……少しは、言葉を選べ」

 呆れ半分、怒り半分な表情で菊月は言う。

「いえいえ、ストーカー、言い得て妙です。でも、彼があんな風に変わってから、ただ付いて回るだけじゃなく、雑談なんかもするようになって、気付いたら友人になっていました。共通の趣味もありましたし」
「なるほどー……そういうことかぴょん」

 納得した様子で、卯月は頷く。

「あ、じゃあ物のついでに、もう一個教えて欲しいぴょん」
「えー、なんですか? もう、話せることは、あらかた話しましたよ?」

 しかし、卯月は質問を続ける。明石は、少し困惑した表情になるが、嫌がっているという風では無い。

「司令官も訊いてたけど――明石さんは、なんで艦娘になったぴょん? うーちゃん、気になるぴょん」
「秘密です」

 卯月の問いに、表情一つ変えずに即答する明石。

「やっぱり、駄目かぴょん」
「ええ。こればっかりは、話せません」

 卯月も、最初から答えを期待してはいなかったのだろう、それ以上の追及はせず、押し黙る。結局、そこからは特別会話は展開されず――敵艦隊と遭遇することも無く、目的地のトラック泊地を望める位置まで辿り着く。

「――妙や」

 ――だが、何かがおかしい。

「妙って、何が?」
「静か過ぎへんか? 泊地から、人の気配を感じられん」

 龍驤の言葉を受けて、皐月は泊地をじっと見つめる。

「言われてみれば……確かに」
「心配し過ぎかもしれへんけど、念の為偵察機を飛ばすわ。各艦、一旦機関停止や」

 全員が航行を停止したのを確認してから、龍驤は航空甲板を展開して、偵察機を発艦させる。

「何か、あったんでしょうか?」
「それを今から確かめるんだろう」

 明石の言葉に、長月が素っ気ない態度で反応し――

「しかし――なんだろうな。嫌な、予感がする」

 ――真剣な表情で、呟いた。

「長月……あまり、不安を煽るようなことを言わないでくれ……」

 長月の言葉に、菊月が弱々しい声で言う。

「ああ、すまない。この前のバシー島のことを、思い出してしまってな」
「バシー島の……おい、まさか、トラック泊地に何かあったとでも、言うつもりか……⁉︎」

 より一層不安げな声になって、問う菊月。

「――菊月」

 ――菊月の問いに反応したのは、長月では無く、龍驤だった。

「なんだ、龍驤さん……?」

 恐る恐るといった様子で、龍驤の方を振り返る、菊月。

「――その、“まさか”や」

 ――龍驤の表情は、見たことも無いほどに、青ざめていた。

「トラック泊地は……死屍累々や。文字通りに、な……」

 震える声で言う、龍驤。

「そんな――!」
「冗談、だよね……?」
「は、泊地がそう簡単に、壊滅するわけ無いぴょん!」
「何故だ、何故そんなことに……!」

 龍驤の言葉に、各々が狼狽する。

「――まあ、嘘ならもう少しマシな物をつくだろうな」

 ――だが、長月は、あまりにも相変わらずだった。

「と、なると、生存者の確認に向かう必要があるな。急ぐぞ」
「……せやな、その通りや」

 いつも通り過ぎる長月のおかげか、龍驤は気を取り直す。

「しかし、長月は問題無さそうやし、うちもまあ、大丈夫やけど――皐月、卯月、菊月、それに明石はん。自分ら、人の死体は平気か?」

 龍驤は問うが、そもそも、艦娘になる過程において、精神面はかなり重要視される。多少死体を目にした程度で強いショックを受けるような者は、最初から適性検査の時点で振るい落とされるのだ。当然、龍驤も艦娘であるからには、それを知らないはずは無い。ならば、これは彼女の気遣いか――

「――ここで待ってるっちゅうなら、それでもええ」

 ――相当の惨状が、そこに広がっているのか。

「うーちゃんは、付いてくぴょん」

 最初に答えたのは、卯月だった。

「私も、共に行こう……」

 続いて、菊月も答える。卯月は少し驚いた様子で、菊月の方を見るが――いつになく真剣な表情の菊月に、口を挟むことが出来なかった。

「しばらく、お肉が食べれなくなりそうですね……」

 明石も、同行の意思を示す。

「ボク一人だけ、行かないってのは――さすがにちょっと、かっこ悪いよね」

 最後に、観念した様子で、皐月が呟いた。

「――そか。そんじゃ、全艦両舷前進原速。トラック泊地に、上陸するで」

 龍驤の言葉に従って、全員が航行を再開する。

「うっ……」

 ――潮の香りに混じって、血の香りが辺りに漂い始める。血の香りは、泊地と距離を詰めるほどに強まって行き、皐月は思わず鼻を押さえる。

「菊月、無理してないぴょん?」
「だ、大丈夫だ……」

 卯月の言葉を、菊月はあくまでも否定するが、表情は少し強張っている。強がっているだけだということは、一目で分かるが、卯月はそれ以上の追及はしなかった。

「血の香り、か――」

 呟いて、長月は瞼を閉じる。いつかの記憶――自身が深海棲艦と、そして、艦娘と初めて出遭った時の記憶が、脳裏に浮かぶ。

「――それが、どうしたと言うんだ」

 誰に向けるでもなく、吐き捨てるように言って、瞼を開く。トラック泊地は、すぐ目の前に迫っていた。

「……酷い」

 ――目視で泊地の様子が窺える位置まで来たところで、明石は思わず言葉を漏らした。

「さすがに、これは……堪えるぴょん」

 嫌悪感と恐怖のこもった声で呟く、卯月。皐月と菊月は、声すら出せずに目を逸らしていた。

「さすがに、これは――想像以上だな」

 ――辺り一面に、赤黒い染み。四肢や臓器、あるいは頭部と思しき残骸が、所々に散乱している。殆どが原型を留めておらず、果たして幾つの命が犠牲になったのかすら、判断出来ない。目の前の惨状を形容するならば、『地獄』の二文字以上に適切な言葉は無いだろう。

「菊月、それに皐月。やっぱり、戻った方が良いんじゃないかぴょん? 二人とも、今にも吐きそうぴょん」
「う……い、いや、平気だ……」
「こ、このくらい、なんとも、ないって……ね?」

 卯月の提案を、しかし二人は共に蹴って、しっかりと前を見据える。

「まあ、二人がそこまで言うなら、もう止めないぴょん」

 はっきり言って、二人の表情は、今にも嘔吐しそうなほど、不快感に溢れていたが――何を言っても引き下がりそうに無いと判断し、卯月は忠告の言葉をそこで切った。

「さて、生存者の捜索やけど――敵がどこかに潜んでいる可能性も無いとは言えんし、そもそも、ここの地理なんて誰も知らんやろから、効率の良い分担も出来へん。ちゅうわけで、固まって行動するで」

 龍驤は言って、桟橋から上陸する。

「て、敵……こ、こんな惨劇を引き起こした敵が、まだ、ここに……?」
「心配するなぴょん。血の色や、死体の状態からして、時間はそれなりに経過しているはずぴょん。きっと、とっくに下手人はいなくなってるぴょん」

 不安げな菊月を勇気付けるように言って、卯月も上陸する。菊月も、その背中に続いた。

「明石さんは、私達から離れないように気を付けてくれよ。確か工作艦は、殆ど戦闘力が無いんだろう?」
「確かに、その通りです。悪いですが、お任せしますよ」
「ぼ、ボクらに、まっかせてよ!」

 明石と長月、そして皐月も、泊地へと足を踏み入れ、捜索を開始する。
 ――トラック泊地は、何処もかしこも、似たような惨状が広がっていた。唯一寮の内部だけは、全員が出撃していたからなのか、綺麗な様子だったが、他は殆どが血肉塗れだ。

「こんな有様では、生存者など、存在しないのではないか……?」
「それを確認するために、こうして調べているんだろう」
「……なるほど、もっともだな」

 ある程度気を取り直したのか、菊月は多少は表情に余裕が戻っている。長月は、相変わらずだ。

「やっぱり、やめときゃ、良かったかなあ……」
「今更遅いぴょん」
「分かってるよ……」

 皐月はと言えば、まだ青い顔をしているが、それでもなんとか、堪えている。卯月にしても、普段と比べて表情はかなり険しい。

「ここも、誰も居ないようですね」
「せやな。おるのは、相変わらず仏さんだけや」

 龍驤と明石は、年長であることもあってか、比較的平気な様子だ。

「さて、お次はここやな」

 全員が廊下に出て、龍驤はすぐ隣の扉に手を掛ける。がっしりとした造りで、『第三格納庫』と書かれた札が貼られている。

「よいしょっ――と!」

 重めの扉が開け放たれると、中は代わり映えもせず赤で彩られていた。

「おい――あれ」

 無論、その程度の事柄を一々指摘する必要性は、既に存在しない。だから、長月は、そんなことに対して反応したわけでは無い。

「――あんた! 無事か⁉︎」

 ――格納庫の中心で、佇む少女が一人。

「……あ」

 少女の姿を認めた龍驤が側へと駆け寄り、それに気付いた少女は、小さく反応を示し――

「――っ!」
「わぶっ⁉︎」

 ――勢い良く、龍驤に抱きついた。

「――みんな! みんな死んじゃったのよ! 厳しいけど良いとこもあった提督も、頼もしかった戦艦の先輩も、仲の良かった空母の仲間も、優しくしてくれた巡洋艦の人達も、私なんかよりずっと小さな駆逐艦の子も、美味しい料理を作ってくれた食堂のおばさんも、いつもお世話になってた整備士のおじさんも、みんな! みんな、死んじゃった――!」

 少女は、龍驤の胸の中で、涙ながらに訴える。

「……そか。辛かったな」

 龍驤は――ただ、彼女の頭を撫でた。我が子をあやす、母親のように。

「えぐっ……ひぐっ……」

 ――誰も、口を開かず。少女が泣き止むまで、見守り続けた。

「……そろそろ、落ち着いたか?」
「……うん」

 しばらくして、少女は目を擦りながら、龍驤の胸から離れた。

「うちは、大湊区第二十三番基地所属、航空母艦の龍驤や。工作艦の護衛を務めて、ここに来た」

 そこで、ようやく龍驤は名乗る。

「大湊区、第二十三番基地……今日、私が、転属予定の、基地だった、ような」

 泣き腫らした顔で、少し息切れしたように、少女は言う。

「確かに、今日の任務を済ませたら、この泊地から一人、艦娘を迎える手筈になっとった」
「じゃあ、多分。それは、私ね――」

 少女は、涙の跡を袖で拭って、精一杯に顔を引き締め、敬礼する。

「――航空母艦、瑞鳳です。これから、お世話に、なります」

 そして、少女――瑞鳳は、名乗った。

「なるほど……あんたがな。まあ、どっちにしろ、ここ置いておくわけにもいかんやろし、一旦連れ帰る必要はあったんやけど、そういうことなら、面倒も無くてええ」

 龍驤は言って、懐から爪楊枝を一本取り出すと、口に咥えた。

「んで、自分の他に、生存者はおるんか?」
「ううん。あちこち、見て回ったけど、誰、も――」

 言いながら、瑞鳳は再度目に涙を浮かべ、目頭を押さえる。

「……さよか。と、なると、捜索は切り上げやな。あんた、艤装は?」
「ここの、奥に……取って、来ます」

 目に手を当てながら、瑞鳳は格納庫の奥へと向かう。

「大丈夫なのか、彼女は」
「そら、知り合いが仰山殺されたんや……まともでおられる方が、おかしいわ」

 長月の呟きに、龍驤が反応し、答えた。

「うちだって、あいつの立場やったら――到底、正気ではおられんやろな」
「……そういう、ものか」

 ――やはり、分からないな、私には。
 長月の胸中に浮かんだ思いは、言葉として吐き出されることは無かった。

「――お待たせ、しました」

 ――数分と経たずに、艤装を身に付けた瑞鳳が戻って来る。

「じゃ、瑞鳳はんの準備も出来たことやし――帰るで、みんな」

 龍驤の言葉に、全員が頷いて――彼女達は、トラック泊地を後にした。

    ◆◆◆

「――報告は、以上や」
「ご苦労。龍驤は、下がってくれて良いぞ」

 報告を終えた龍驤は、敬礼して執務室から退室する。

「さて――君が、瑞鳳か」
「はい、提督」

 提督に呼び掛けられた瑞鳳は、姿勢を正して敬礼する。泊地で見せた取り乱した様子は、既に微塵も感じられない。

「君は、今日のところはゆっくり休んでくれ。色々――色々あって、疲れただろう」
「……はい。精神的な疲労が、少し」

 表情はしっかりとしているが、少しだけ暗い声色で、答える瑞鳳。

「部屋は、二〇四を割り当てた。何か問題や要望があれば、すぐに伝えてくれ」
「分かりました」

 言って、瑞鳳も一礼すると執務室から退室した。

「――さて」
「厄介なことになったな」
「全くです」

 ――部屋には、提督と長月、そして明石の三人が残された。

「トラック泊地の壊滅、か。正直、実感が湧かないよ」
「だが、事実だ。どんなに現実離れしていようとな」

 提督は「分かっているさ」と返し、頭を抑える。

「はっきり言って、相当な非常事態だ。総司令部へ事の通達と、証拠としての記録映像の送信は既に行ったが――今頃、大変なことになっているだろうな」
「バシー島の件もまだ済んでいないだろうに、ご苦労なことだ」

 深海棲艦によって占領されたバシー島は、既に解放されている。だが、後処理や原因調査等は、そう簡単には終わらない。

「私……どうすれば良いんでしょう。トラック泊地が、あんなことになってしまって」
「それなら、確認を取った。とりあえず、一時的にうちの所属扱いになるそうだ。まあ、工作艦は貴重だから、すぐどこかしらに配属されることになるだろうが」
「と、なると。今のところは、ここに居ていいということですか」

 ほんの少しだけ安堵したような表情で言う、明石。

「そうなるな。部屋は、三〇六を使ってくれ」
「分かりました。では、早速使わせて頂きます」

 そうして、明石も執務室から退室した。

「――どうなることやら、な」
「どうなろうとも、今私達に出来るのは、目の前の仕事を片付けることだろう」
「ごもっとも」

 残った提督と長月は、いつも通りに執務を開始するのだった。

「――っ!」

 ――その頃、割り当てられた自室に到着し、ベッドで横になろうとしていた瑞鳳。

「やっぱり、駄目……」

 ――瞼を閉じると、網膜に焼き付いた、トラック泊地の惨状が、想起される。とても、休めやしなかった。

「早く……忘れないと」

 艦娘は、一人の人間である以上に、一つの兵器である。自身の精神状態さえも、自分だけの物では無いのだ。

「……分かってるんだけど、ね」

 とは言え、そう簡単には割り切れない。割り切れるはずも無い。

「――訓練でも、しよっかな」

 ――身体を動かせば、忘れられるかも知れない。そう上手く行かずとも、疲れ果てれば、嫌でも眠れるだろう。
 そう考えた瑞鳳は、自室から出て、再度執務室に向かう。

「失礼します」

 室内では、提督と長月が、大量の書類を前に執務を執り行っていた。

「お、どうした、瑞鳳」

 瑞鳳の存在を認め、提督は手を止めて視線を向けた。

「少し、自主訓練を行いたいのですが、艤装の使用許可は頂けるでしょうか?」
「ああ、構わんよ。だが――休まなくて良いのか?」

 提督は瑞鳳の要望を快諾するが、しかし少々心配そうに言葉を続けた。

「……問題、ありません」

 ――無論、嘘だ。心はぼろぼろで、身体だって、何時間もトラック泊地を彷徨っていて、疲れていないはずが無い。でも、到底休めるような気分では無いのだ。

「そう、か。分かった」

 提督は、瑞鳳の内心を知ってか知らずか、深く尋ねることはせずに、机に積み重ねられた書類の一枚を手に取り、サインをして瑞鳳に差し出した。

「許可証だ。この時間なら、一人くらいは整備班の人間がいるはずだ。適当に見せれば、それで良い」
「ありがとうございます。では、これで失礼させて――」
「――ああ、待て。一つだけ、頼みがある」

 用も済み、退室しようとした瑞鳳を、思い出したように提督が呼び止める。

「頼み、ですか?」
「そうだ。何、難しいことじゃない――もう少し、砕けた態度で接して貰いたいんだ」
「……はい?」

 提督の言葉を聞いた瑞鳳が、ぽかんとした表情になる。

「少し、君の態度は堅すぎる。僕はあまり、かしこまられるのに慣れていないんだ。頼むよ」
「……分かり、ました。善処、します」

 少しぎこちなく言って、瑞鳳は今度こそ退室した。

「変な提督だなあ」

 廊下に出てから、瑞鳳は呟く。丁寧さが足りないと怒られたことこそあれど、堅過ぎると言われたのは初めてだった。

「まあ、気を張らなくて良い、ってことなんだろうけど」

 ――でも、前までは。つい昨日までは、それが当たり前で。

「――格納庫、どこだったかな」

 瑞鳳は、想起された光景を振り払うように呟いて、格納庫を目指し歩き始める。基地の構造については、軽く見取り図に目を通した程度の知識しか無かったが、トラック泊地と比べればずっと小さく、分かりやすい。迷いもせず、すんなりと目的地まで辿り着く。付近の整備スタッフに許可証を見せ、艤装を装着して基地正面の練習海域に下りる。

「さあ、やるわよ! 攻撃隊、発艦!」

 晴らしようも無い暗い気分を、少しでも誤魔化すべく大声で叫び、瑞鳳は矢筒から艦載機を取り出し、弓の弦に当てがって引き絞る。精一杯まで引いて――上空に向け、艦載機を放つ。矢状だった艦載機はすぐに艦上攻撃機『天山』に姿を変え、しばらく上空を飛行した後に一気に海面近くまで高度を落とす。

「アウトレンジ――決めます!」

 練習海域内には、いくつもの練習用の標的が突き立てられている。その中で最も距離が遠い、戦艦用を想定しているであろう標的目掛けて、天山は航空魚雷を放った。結果は――全弾命中。役目を果たした攻撃隊を、航空甲板を展開し、回収する。

「――ほっほーん、なかなか見事なもんやなあ」

 ――艦載機の回収が済んだと同時に、瑞鳳の背後から、声が響く。

「龍驤、さん」
「おう、龍驤さんや」

 瑞鳳が振り返ってみれば、そこには龍驤がいた。

「自主練か?」
「そんなところ、です。龍驤さんも、ですか?」
「まーな」

 言いながら、龍驤は航空甲板を展開する。

「――うち、第一艦隊旗艦の癖に、秘書艦やっとらんやろ?」

 式神状の艦載機の束を、懐から取り出しつつ、龍驤は話し出す。

「そう、ですね。秘書艦は確か、あの緑髪の……」
「長月、や。凄いやっちゃで。新人とは思えんほど強いし、頭もよう回る。うちなんか到底敵わん。結果的にやけど、あいつが秘書艦になって良かったと思っとる。本当なら、旗艦も引き受けて欲しいくらいなんやけど、機動部隊編成で駆逐艦が旗艦っちゅうのは、ちょっと格好がつかへんからな」

 艦載機を一枚一枚、ゆっくりと指の間に挟んでいく、龍驤。

「でも、そいつは結果であって、うちが秘書艦をやっとらん理由やない。うちはな、時間が欲しかったんや。こうやって、自主練する時間がな。それについて、ちょこっとぼやいたら――あの提督、うちをあっさり秘書艦から外しよった。ま、ありがたい話ではあるんやけどな。軽過ぎてちょっちびびったわ」

 ――準備の済んだ艦載機を、龍驤は一斉に投擲する。甲板上を、滑らせるように。

「ま、おかげでこうして、存分に自主練させて貰っとるわけや。――あ、駆逐艦どもにゃ内緒やで? うち、なるべく努力を隠したいタイプなんや」
「……じゃあ、なんで、そんな話を、私にしたんですか?」

 瑞鳳が、疑問を口にする。そもそも彼女は、何を思って自身の身の上など語り出したのだろうか、と。

「――昔のうちを思い出したから、かなぁ」

 龍驤が答えると同時に、攻撃隊が航空魚雷を放ち、一瞬後に、演習用の航空魚雷が標的に衝突する鈍い音が、辺りに響いた。

「……なんですか、それ」
「そのまんまや。うちは、キミほど悲惨な目にはあっとらんけど――それでも昔は、色々あったんや」

 語りながら、龍驤はサンバイザー状の艦首の鍔を掴んで、目を伏せる。どこか、物悲しそうな表情で。

「――さて、と。頼んでもない自分語りを、長々と聞かせた詫びや。練習、付き合ったるで?」
「……ありがとう、ございます。お願いします」

 それ以上を龍驤は語らず――瑞鳳も、問い詰めることはせずに、練習を再開した。

    ◆◆◆

 トラック泊地の惨劇――あるいは、大湊区第二十三番基地への瑞鳳の着任――から、数日後。

「さあ、仕切るで!」
「さあ、やるわよ!」

 掛け声と共に、龍驤が航空甲板を展開し、瑞鳳が弓を引き絞る。

「――攻撃隊、発進!」
「――攻撃隊、発艦!」

 ほとんど同時に、二人は攻撃隊を発艦させる。アウトレンジから放たれた艦載機達は、急激に加速して一気に敵艦隊へと接近し、無数の航空魚雷を放つ。

『駆逐艦長月より、空母龍驤、及び瑞鳳へ! 重巡リ級二隻の撃沈と、戦艦ル級の大破を確認した!』
「上々、ってとこやな!」

 高い戦果に、龍驤は思わず嬉しそうな声を上げる。

「――残敵を掃討するぞ! 全駆逐艦、砲雷撃戦用意!」

 言うが早いか、敵艦隊へと突撃していた長月が主砲を放つ。砲弾は大破状態のル級に直撃し、爆散させ水柱を立てる。残りの敵艦も、皐月や卯月、菊月らの手によって、瞬く間に撃沈された。

「――瑞鳳さん、さっきの攻撃隊の動き、見事だったぞ」
「ありがと、長月ちゃん」

 敵艦隊の全滅を確認し、合流した瑞鳳に、長月は声をかける。数日のうちにだいぶ馴染んだ様子で、受け応える瑞鳳の口調に、堅さやぎこちなさは無かった。

「なんや長月、うちのことは褒めてくれへんのか?」
「龍驤さんは、今更言うまでも無いだろう」
「えー、うちだって頑張ったんやでー? ほら、褒めて褒めてー」
「分かった分かった、龍驤さんも凄かった」

 長月は適当に褒めるが、龍驤はそれでも満足気な様子で頷く。
 ――そんな二人のやり取りを、瑞鳳はどこか浮かない顔で眺めていた。

「――はあ」

 ――まだ人は少ないけど、艦隊のみんなは仲が良いし、提督も、ちょっと変わってるけど、良い人だ。ここならきっと、上手くやって行ける。

「だから――早く、忘れなきゃ」

 でも、瞼を閉じれば、あの光景が、はっきりと映し出されて。ふとした時に、言いようの無い恐怖に襲われて。夜は、ありもしない血の香りに悩まされ。いざ眠りに就いても――夢の中では、かつての相棒が、仲間達が、のうのうと生き延びた私のことを、責める。

「忘れなきゃ」

 忘れなきゃ。忘れなきゃ。忘れなきゃ。忘れなきゃ。忘れなきゃ。忘れなきゃ。忘れなきゃ。忘れなきゃ。忘れなきゃ。――忘れろ。全部忘れて、今を生きれば、それで良い――

「――さて、海域の敵艦隊は殲滅したし、そろそろ帰投するで」
「あ――はい!」

 ――龍驤の言葉で、瑞鳳の意識が、一気に現実に引き戻される。

「なんや瑞鳳、ぼーっとしとったらあかんで?」
「だ、大丈夫です!」

 無論、今の瑞鳳の精神状態は、客観的に見れば、間違ってもまともではない。だが、瑞鳳は、自覚の上で誤魔化したわけではなく――

「――大丈夫、だから」

 ――自覚すら出来ないほどに、追い詰められているのだった。

「……ま、ええ。とりあえず、帰ろか」

 瑞鳳の返事に、どこか腑に落ちない表情になる龍驤だったが、すぐに踵を返し、主機を起動する。瑞鳳や、長月達も、龍驤の後に続いた。

「――艦隊、帰投したで」

 ――艦隊が無事に帰投した後、龍驤は相変わらずノックもせずに、執務室の扉を開け放った。長月も、龍驤の後ろに付いている。

「――なんだ。ノック一つ無しとは、礼を失した奴だな。貴様の教育は、どうなっているんだ」
「――っ⁉︎」

 ――直後、聞き慣れない声が響く。慌てて龍驤が室内に目を向けると、執務机の前に、軍服を着た見慣れない男性が一人、入り口側に背を向けて立っていた。男性は、顔だけを龍驤に向けて、じろりと睨む。

「……申し訳ありません。ですが、私は彼女らの自由意志を尊重する方針でして」

 提督は、執務机を挟んで、男性と向かい合うように立っていた。

「『自由意志を尊重する方針でして』。ふん。貴様は上官、彼女らは部下。それが大前提だろう。上下意識の欠如は、時に致命的な問題を引き起こすぞ」
「……肝に命じます」

 提督の返答に、「ふん」と不愉快そうに呟いて、男性は振り返る。向けられた威圧的な視線に、龍驤は姿勢を正す。龍驤の背後で様子を見ていた長月も、一歩横にずれて姿を現し、姿勢を正した。

「で、こいつらが?」
「はい。向かって左が、第一艦隊旗艦の、航空母艦龍驤。右が、秘書艦業務を任せている、駆逐艦長月です」

 提督の説明を受けながら、男性はじろじろと二人を見つめる。

「――片や、元横須賀鎮守府直属、第一航空戦隊予備艦。そして片や、初陣で装甲空母鬼を、それも単独で撃破した、期待のルーキー。ふん、技術者上がりの新人提督にしては、随分と良い艦を回されたようだな」
「許可したのは、あなたではないですか」
「ふん、俺は書類に判を押しただけだ」

 どこまでも不愉快そうな口調で言って、男性は気を付けの姿勢をした二人に歩み寄る。

「――初めましてだな。竜島杏花(りゅうじまきょうか)二等艦尉。そして、長岡つみき艦娘長」

 艦名では無く、個人名と階級で、二人を呼ぶ男性。通常、艦娘の個人名は、『兵器としての意識を徹底させる』という意味合いから、書類等で個人の識別が必要である場合以外は、滅多に使用されることは無い。階級も、実権は存在せず、給金にしか影響しないお飾りでしかない為に、下手をすれば本人すらうろ覚えである場合もある。つまり、それら二つを正確に把握している男性は、海軍の中でも非常に高い立場に就いていると考えられる。

「よく、ご存知でいらっしゃいますね。失礼ですが、どなた様でしょうか」

 ――この男の機嫌を損ねるのは、危険だ。そう判断した長月は、精一杯に丁寧な口調を心がけつつ、問いかける。

「――俺は、大湊警備府提督、並びに大湊区の総責任者を務めている、斎藤という者だ。階級は大将。要するに、貴様らの上官の、更に上官に当たる。脳に刻んで記憶しろ」

 男性――斎藤大将は、少しだけ感心したような表情を見せながら、名乗った。

「しかし――ふん、やれば出来るじゃないか。……おい、竜島二等艦尉。貴様はどうなんだ」
「――は、はっ! 先ほどはご無礼、大変失礼致しました!」

 龍驤は敬礼しつつ、やや上ずった声で言う。

「……まあ、今日のところは勘弁してやろう。俺の温情に感謝するんだな」

 斎藤大将は呟いて、提督の方へ向き直った。

「艦娘も揃い始めたと聞いて、抜き打ちの視察に来たわけだが――ふん、お情けで合格にしておいてやる。ただし、次は無いぞ」
「はい、心得ました」

 提督の返答に、またしても「ふん」と呟いて、斎藤大将は懐から茶封筒を取り出し、提督に突き付けた。

「……これは?」
「令状だよ。俺がここに来た、もう一つの理由だ。そして、こいつの中身は、俺の視察なんかよりもずっと重大だぞ。――読め」

 斎藤大将に急かされ、提督は封筒の封を開け、中の令状を取り出し、無言で読み進める。

「……少々、危険な任務ではありませんか? 周辺の海域に、まだ例の深海棲艦が潜んでいる可能性は、捨て切れません」

 一通り読み終えた後、提督は顔を上げ、呟いた。

「ふん、俺が決めたことでは無い。もし異議があるならば、作戦の責任者に直接抗議しろ」
「では、責任者はどなたでしょうか?」

 声の調子はそのままに、しかしやや早口で、提督は問う。

「聞きたいか? ――村山元帥だ」
「――まさか」

 斎藤大将が口にした名前に、提督は驚愕を顔に浮かべる。

「村山元帥は、一線を退いたと聞きましたが」
「らしいな。だが、泊地を預けるとなれば、並の奴じゃあ駄目だからな。その点、あの爺さんは適任だろう。使える奴は親でも年寄りでも使うもんだ」

 言って、斎藤大将は踵を返す。

「――さて、ここでの仕事は終いだ。俺は警備府に帰らせて貰うぜ。ま、精々頑張れよ」

 そのまま、斎藤大将は執務室を出た。

「……あー、疲れた。なんやあいつ、偉ぶり過ぎやろ」

 足音が遠ざかって行くのを確認してから、龍驤は呟いて大きな溜息を吐く。

「確かに、態度は大きかったが――それよりも、司令官。どうした?」

 険しい顔をしたままの司令官に歩み寄りつつ、長月は問う。

「――トラック泊地を奪還したことは、知っているか?」

 提督は、小さな声で、ぽつりと呟く。酷く、難しい表情で。

「初耳だが――それは、良いことじゃないか」
「ああ、良いことだ。だが、妙なんだ。あまりにも、妙過ぎるんだ」

 言って、提督は座席に座る。

「長月、龍驤。もしお前達が、敵の重要拠点を攻め落とした場合、どうする?」
「ええと――」

 長月は、顎に手を当てて悩む。実力が高かろうと、所詮は新兵である長月は、咄嗟に答えを出せず――

「――早急に、十分な人員を配置するべきや。奪い返されんようにな」

 ――戦略において、長月よりも経験を積んでいる龍驤は、さほど悩むこともなくすぐに答えを出した。

「おかしいとは、思っとったんや。バシー島の時は、過剰なくらいの防衛戦力を配置しときながら、トラック泊地はもぬけの殻やった」
「ああ。つまり、深海棲艦には拠点防衛をする程度の知能は存在するはずなのに、トラック泊地には防衛戦力を設置しなかった、ということになる。君達がトラック泊地に辿り着いた段階では、まだ配備が済んでいなかった――とも考えたが、奪還のための艦隊が派遣された際も、防衛の深海棲艦は存在しなかったらしい」
「明らかに、妙やな」
「……なるほど」

 言われてみれば妙だと、長月も納得する。

「しかし――つまり、どういうことや?」
「――僕なりの仮説はある。まずは、これを観てくれ」

 提督は、机上のノートパソコンを、龍驤達の方へ向け、動画を再生する。

「トラック泊地の監視カメラに残っていた映像を、回収したものらしい」

 画面上に映し出されているのは、トラック泊地基地内の、廊下と思しき場所。しばらくして、廊下を数人の艦娘達が走り抜け――直後、画面外から血飛沫が飛ぶ。その後、深海棲艦らしき影が、ゆっくりと歩きながら、画面内に入った。

「――こいつだ」

 提督は、動画を一時停止させる。

「こいつが、どうしたんや? 見たこと無いタイプの深海棲艦やし、新種なんやろけど」

 近付いて、画面を覗き込む龍驤。人型に、太い尻尾が生えたような姿で、遭遇したことも無ければ、資料等で見た覚えも無い。

「ああ、新種だ。恐らくは戦艦クラス。便宜上、『戦艦レ級』としておくが――こいつの手によって、トラック泊地は壊滅させられた」
「……つまり、トラック泊地を襲撃した敵艦隊の、旗艦だったっちゅうことか?」

 龍驤の問いに、提督は首を振る。

「敵は、艦隊なんて組んじゃいなかった。――“一隻”だったんだ。あらゆる映像を分析したが、こいつ以外の深海棲艦は確認されなかったそうだ」
「――嘘やろ」

 ――提督の口から出た言葉に、龍驤の顔色が、青ざめる。

「さ、さすがにそりゃ無いやろ。トラック泊地にゃ、実戦経験豊富な艦娘が、仰山おったんやで? それが、一隻ぽっちに?」
「僕だって信じられないし、信じたくもない。トラック泊地が壊滅したというだけでも、相当に危険な事態なのに、その原因が、たった一隻の深海棲艦だというのだからな」
「――それで、司令官の仮説とやらは?」

 深刻な面持ちの二人の間に割って入るようにして、長月が問う。

「おっと、そうだったな。あくまでもこれは仮説で、更に言えば、根拠は勘と推測でしか無いんだが――この、戦艦レ級。深海棲艦にとっても、イレギュラーなんじゃないかと思うんだよ」
「どういうことや?」

 龍驤は問いながら、懐から爪楊枝を取り出し、口に咥える。相変わらずの癖だ。

「――いくら無双級の戦力だからと言って、単騎で敵拠点に突っ込ませるような真似をするか? 普通は、護衛の艦を付けるだろう。しかも、折角制圧した敵拠点をこいつは放置し、別働隊が制圧しに来るということさえも無かった」
「……確かにな。つまり、こいつは深海棲艦らの作戦に従って動いとるわけやなく、勝手に暴走しとる――と?」
「そう考えた方が、いくらか自然だろう」

 提督は、「あくまでも仮説だが」と付け加えるが、自信はある様子だ。

「しかし、そりゃ余計におっそろしいで。制御不能の核ミサイルみたいなもんやないか。なんの前触れも無く、本土に突っ込んで来るかもしれへんってことやろ?」
「……ああ。現在、軍は全力で対策を立てている」

 ――対策を立てたくらいで、どうにかなる相手なのか。龍驤の胸中にそんな思いが浮かぶが、さすがに口には出せない。

「そんな時に――こいつだ」

 提督は、斎藤大将から受け取った令状を、龍驤に手渡す。

「――トラック泊地、防衛任務?」
「現在、トラック泊地は再編に向けた準備を進めている。しかし、再編が済むまでガラ空きにしていては、さすがに深海棲艦に占領されてしまうだろう。それまでの、繋ぎの戦力として、君達に声がかかったんだ」
「また、手空きだったからか」

 長月の言葉に、「多分な」と提督は返す。

「君達以外にも、防衛に当たる艦隊はいるし、トラック泊地周辺海域では、本土近海や南西諸島海域に比べて強力な深海棲艦が出没するとはいえ、なんとかなるだろう。だが――」
「――レ級の再襲撃の可能性がある、と?」

 提督は、長月の問いに、無言で頷く。

「トラック泊地襲撃後のレ級の動向は不明だ。だが、現状目撃報告等は無く、今もトラック泊地周辺に留まっている可能性は高い。現在、警戒態勢は最大限まで引き上げられているが、それでも目撃されていないわけだからな。そうなると、そもそも移動していない、という可能性が出てくる」
「警備範囲の外に出たっちゅう可能性もあるやろ。人類の制海権は、まだまだお世辞にも広いとは言えんからな」
「それは、そうだが……」

 龍驤の反論に、提督は俯く。

「――心配してくれんのは、嬉しい。けどな、任務なんやで? だったら、しゃーないやろ。そのレ級とやらが出てこんことを、祈るしかないわ」
「……すまない。その通りだな」

 小さく呟いて、提督は顔を上げた。

「――トラック泊地防衛任務において、君達を指揮するのは、僕が最も尊敬する人だ。もういい歳のはずだが、提督としての能力は高く、その上人格者だ。あの人になら、君達を預けられる。彼の言葉は、僕の言葉だと思って従ってくれ。出発は明日の朝、マルナナマルマル。今日のところは、二人ともゆっくり休め」
「了解や」
「了解した」

 返事を返し、龍驤と長月は、一礼して執務室から退室した。

    ◆◆◆

 翌日の朝。予定通り、大湊区第二十三番基地第一艦隊は、トラック泊地へと向けて出発することとなった。

「無事に、帰ってきてくれよ」
「こっちは任せろクマ。何か起きても、しっかりあんたらの提督を守ってみせるクマ」

 提督と――艦隊不在の間、二十三番基地の防衛を任せることになった、十五番基地の第二艦隊に見送られながら、龍驤達は出撃する。

「今回も、ばっちり護衛、頼みますよ」

 それと、もう一人。工作艦の明石も、龍驤達とともに、トラック泊地に向かう。そもそも本来、彼女はトラック泊地に配属される手筈であったわけで、トラック泊地が再編されるというならば、大湊に留まっている理由はない。

「おう、任せとけや。皆も、しっかり警戒、頼んだで!」
「ああ、分かっている」
「任せるぴょん!」

 龍驤が呼びかけるが――反応は思わしくなく、返事を返したのは、長月と卯月だけだった。

「……ったく」

 無理もない。つい数日前、惨劇の舞台となった場所に向かうのだから、気も滅入るというものだ。特に、瑞鳳は近付くことすら嫌でもおかしくはないだろう。

「――お前ら! しゃきっとせえ、しゃきっと!」

 が、それとこれとは話が別だ。気持ちはしっかり切り替えないといけない。感情はなるべく切り離さなけれはいけない。任務を円滑に遂行するために。自分が死なないために。

「……あ、ああ、うん!」
「す、すまない……」
「ごめんね、ちょっと、ぼーっとしてて……」

 三人の反応に、軽くため息を吐きつつ――いざという時にカバーをするのは、旗艦である自分の役目なのだと、龍驤は内心で自身に言い聞かせる。

「……ま、うちも、お前らも、結局ただの人間や。思うところくらいあるのは分かる。なんも思うなとは言わんし、なんも考えるなとも言わん。ただ、任務に支障は出さへんようにしてくれや」

 ――その言葉を最後に、口を開くものはいなくなった。
 それからは、必要最低限の報告等を除けば、会話らしい会話は無かったに等しい。誰も、私語などするような気分にはなれなかったのだ。

「こりゃ、伝えんで正解だったな……」

 誰にも聞こえないように、龍驤は独り言ちる。『戦艦レ級』の存在、そして遭遇の可能性について知るのは、龍驤と長月だけだ。提督から『戦艦レ級』の話を聞いたのは二人だけであり、黙っていれば他のメンバーには伝わらない。不確定要素の多い情報で、余計な不安を与えないように――と、話し合って決めたことであるが、その判断は、少なくとも現時点においては、概ね正しかったと言えよう。『戦艦レ級』について知らずとも、とてつもなく沈んだ雰囲気なのだ。もし知っていたら、今以上に酷い有様だっただろうことは、想像に難くない。

「さて、と――ほら、トラック泊地が見えてきたで!」

 ――少しでも暗い雰囲気を改善しようと、努めて明るい調子で言う。

「今回も、敵艦隊とは遭遇しなかったな」
「ま、たまたまやろけどな。それよりも――みんな! 今のうちに顔引き締めとけや! これからしばらく厄介になる相手や、第一印象悪くしたらあかんで!」

 呼びかける声を辺りに響かせつつ、艦隊はゆっくりとトラック泊地に接近していき――問題なく、上陸を果たした。

「――ぞっとするくらいに、綺麗だな」

 ――ぽつり、と。陸に上がると同時に、菊月が呟く。
 つい数日前の出来事は、まるで夢か幻でもあったかのように。一面に染まった赤も、辺り一帯に散らばった肉片も、綺麗さっぱりと片付けられ、目の前にはただ、何の変哲も無い軍施設が存在しているだけだった。

「血痕の一つや二つくらい、残ってるだろうって覚悟してたけど――拍子抜けだよ、正直」

 普通を通り越して、清潔とすら言える泊地の現状に、皐月は思わずそんな感想を漏らす。

「確かに、その通りだが……これならあまり、気にしないで済む」
「まあ、ね。……正直、それでもあんまりいい気分じゃないけどね、ここでしばらく過ごすってのは」
「仕方がないさ、それは」

 ――菊月と皐月の二人が、そんな会話を交わす一方。どこか遠くを見つめるような表情で、佇む者が一人いた。
 すぐ、隣に。

「……まるで、何もかも、夢だったみたい」

 ああ、そうだ。あんなのはただの悪夢で、きっとみんなもいつも通りで――

「――瑞鳳ぉぅ?」
「――ふひゃぁっ⁉︎」

 ――龍驤が、思いっ切り瑞鳳の頬を抓った。

「うちの話聞いとらんかったんか、んー? 顔引き締めとけ言うたよなー? なんやその顔は、やる気あんのかー?」
「い、いひゃい、いひゃいです!」

 怒りの含まれた笑みを浮かべつつ、龍驤は瑞鳳の両頬を摘んで引っ張り回す。

「今は任務中で、ここは任地や、惚けとる場合やない、分かったか?」
「ふぁ、ふぁい!」

 返事と同時に、瑞鳳の頬が解放された。

「……本当に、愉快な艦隊ですね、貴方達は」
「褒め言葉になっとらんわ」

 思わずそう呟く明石に、やや不機嫌そうに龍驤は返す。

「そうですか? 艦隊と言えど、やはり人と人との集団ですから、明るい方が良いんじゃないですか?」
「それはまあ、一理あるかも知れへんけども。ただ、うちらが言うほど明るく楽しい艦隊かっつーとなぁ……」
「――話はそこまでにしよう。誰か来たぞ」

 不意に、長月が呟く。皆がその言葉に反応して、長月の視線の先に目を向けた。

「――大湊区第二十三番基地第一艦隊と、工作艦明石ですね」

 視線の先には、白黒のセーラー服に身を包んだ少女が一人。無論、彼女がただの少女であるはずはなく――

「初めまして。トラック泊地第一艦隊所属、駆逐艦吹雪です」

 ――少女、艦娘吹雪は名乗り、慣れた動きで敬礼をした。

「ご丁寧にどうも。うちは、旗艦の航空母艦龍驤や」
「睦月型四番艦、卯月だぴょん!」
「同九番艦、菊月だ……」
「同じく睦月型の、皐月だよっ!」
「右に同じく睦月型、八番艦の長月だ」
「航空母艦、瑞鳳です」
「工作艦、明石です。これからお世話になります」

 それぞれ名乗り返し、敬礼を返す。

「……なるほど」

 姿勢を整えたままの大湊の艦娘達と明石を、吹雪は一人ずつ値踏みをするような視線で眺め回し――

「まあ、悪くはないでしょう。過半数が新人にしては、ですが」

 ――全員の観察を終えた後、小さく頷いて、呟き。

「改めまして――」

 こほん、と。わざとらしく、咳をして見せてから。

「――ようこそ、最高に最低な地獄の出張先へ」

 ――おおよそ幼さの残る少女が出来るものではない、嘲りの篭ったシニカルな笑みを浮かべ、言い放った。

「では、司令官の所に案内します。着いてきてください」

 しかし、吹雪は何事も無かったかのようにすぐ表情を元に戻すと、回れ右をして歩き始める。
 七人とも、吹雪の態度についてそれぞれ心中で否定的な感想を抱いていたのは言うまでもないが――だからと言って何かを言い返せるような立場でもなく、全員ほとんど無言のまま、素直に従って後ろに続いた。
 ――そのまま屋内に入ってしばらく歩き、吹雪が立ち止まったのは、見るからに立派な木製扉の前。真横には、『執務室』と大きく書かれたプラスチック板が貼り付けられている。

「司令官。例の艦隊と工作艦が、到着しました」

 こつこつ、と軽くノックをしながら呼び掛けると、少し遅れて「入ってくれ」と返事が返ってくる。それとほぼ同時に、扉を開いた。

「――やあ。ようこそ、トラック泊地へ」

 部屋の中には、軍服姿の壮年の男性が一人。

「花木少佐から聞いているかも知れないけれど、自己紹介をしておこうか。――元呉鎮守府提督、現トラック泊地提督、村山末弘だ。一応、元帥という肩書きを貰っている」

 男性――村山元帥は優しげな微笑を浮かべ、敬礼した。

「ああ、君達の自己紹介は不要だよ。全員、花木少佐に人となりは聞いているし、資料も受け取った。それに――初対面じゃない人間も、何人かいることだしね」

 そう言って、まず視線を明石に向ける。

「久しぶりだね、相川中尉。いや、今は工作艦明石と呼ぶべきか」
「……まさか、貴方がここの提督だとは。提督は引退して、造船基地の責任者をしていたのでは?」
「そのはず、だったんだけどね。時代は老人すらも休ませてはくれないらしい」

 次に、視線を長月と皐月へ。

「そこの二人は、呉の造船基地で会ったね」
「――ああ! あの時の元帥さん!」
「言われてみれば、そうだな」

 ――思い返してみれば。例の初陣を終えた後、着任先を伝えてきたのは、確かに目の前にいる元帥だ。

「他は多分、初対面だろうけれど、龍驤君と卯月君については、呉の頃から噂は聞いているよ」
「え? 龍驤さんはともかく、うーちゃんのことも知ってるぴょん?」
「勿論。元呉鎮提督と言っただろう? 君は大湊区に転属する前、呉区所属だったからね。同じ地区内の優秀な艦娘の事くらいは、把握していたさ」
「優秀だなんて……照れるぴょん」

 やや大げさな調子で言って、頭を掻く卯月。

「龍驤君は別地区だったけれど――横須賀の赤城君から、よく話は聞いていたよ」
「――知り合いだったんですか、あの人と」

 ――赤城、という名前を聞くと同時に、龍驤の表情が変わった。
 懐かしそうで、それでいてどこか暗い表情に。

「ああ。昔、横鎮に演習に行った時に、親しくなってね。横須賀のトップエースとは思えないほど、親しみやすく愉快な女性だったが……」

 そこまで言って、元帥も、少し表情を曇らせた。

「戦場では、よくあることです」
「……そうだね」

 小さく、悲しそうに、呟く。

「司令官、そろそろ本題に入りましょう」
「ああ、すまない。――さて、大湊区二十三番基地第一艦隊には、本日から一週間、ここトラック泊地の戦力として働いて貰う事になっている。主任務は、周辺海域の警備。及び、深海棲艦の襲撃が発生した場合の防衛だ。まあ、場所が変わっただけで、やる事は普段とそう変わらない筈だ。いつも通りに、やってくれればいい」
「そうは言っても、この辺りは最前線付近ですから、本土周辺とは比べ物にならない程の強力な深海棲艦も出現します。普段と同じ様な調子のままでは、怪我では済まないでしょうね」

 わざわざ不安を煽る様な補足を付け加えられ、さすがに幾人かの表情が曇る。

「確かに、その通りだ。しかし、ここにいる艦娘は君達だけではない。吹雪の他に五人、トラック泊地所属の艦娘がいる。全員、高い練度を誇る強者だ。もし自分達だけで太刀打ち出来ない様な敵と遭遇した時には、遠慮無く頼ってくれ」
「助けには応じますし、助けに入った以上は必ず護り通しますが、助けを呼んでから私達が駆け付けるまで、貴方達が生き延びれるかどうかについては、責任は持てませんからね」

 ――いちいち余計な事を言いやがる、こいつ。七人の内心は、概ね一致していた。

「明石君については、うちに正式に配属されることになる。なるべく早く、ここでの仕事に慣れてくれ」
「はい、了解です」
「……さて。私からは以上だけど、何か質問はあるかな?」

 元帥の問いかけに反応して、菊月が手を挙げた。

「どうぞ、菊月君」
「こんな事を訊くのも、どうかと思う……思います、が」
「かしこまる必要はないよ。それに、遠慮をする必要もない」
「そうか……なら」

 菊月は小さく咳払いをして、一歩前に出る。

「……ここトラック泊地は、つい数日前に、襲撃を受けて、壊滅したばかりだ。だが、吹雪さんも言っていたように、この辺りは最前線。なら、当時トラック泊地にいた艦娘の数や質は、ある程度以上の水準だったはずだ」
「その通りだ」
「ならば……万が一、再び襲撃があった時に。それだけの戦力で対応できなかった襲撃を、たった二艦隊と一隻で、どうにかすることが。果たして、可能なのか?」

 不安の篭った表情で、問う。

「可能だ――と、言い切れれば気が楽なんだけどね。残念ながら、上手くやれるという保証はない」
「……それでは」
「――ですが」

 不意に、菊月の発言を遮って、吹雪が割り込み――

「これだけは保証できます。“私達六隻は、当時トラック泊地に存在した全戦力よりも強い”、と」

 ――さも、当然の事である様に、言い切った。

「――流石に、誇張が過ぎるんじゃないかしら? トラック泊地には、数十隻は艦娘がいたわ。それに、練度だって高かった」

 かつてのトラック泊地を知る者として、流石に黙っていられなかったのか、瑞鳳が口を挟む。

「貴方は……ああ、トラック泊地の生き残りですか。はい、貴方が言っていることは、確かに事実でしょう。ですが私は、それを分かった上で言っているんです」
「大した自信ね?」
「正直なだけですよ。そもそも、壊滅前よりも戦力を減らしてしまったら、二の舞を踏む事は明らかじゃないですか。赤煉瓦はそこまで馬鹿ではありませんよ?」

 ――あからさまに、不穏な空気が辺りに流れ出す。

「みんなの事なんか知りもしない癖に、よくそんな口が――」
「瑞鳳」

 そろそろ、止めないとまずい。周囲がそう思い始めた頃に、二人の間に割って入ったのは、長月だった。

「何よ、長月ちゃん。ここまで言われて、黙っているなんて――」
「無理なんだろう、ということは分かった。だったら、はっきりさせれば良いだろう」

 言って、吹雪の方を見る。

「――吹雪さん。私達と、演習をしてくれないか」
「――喜んで。此方としても、貴方達の戦力を把握しておきたいですからね」

 シニカルな笑顔を見せて、吹雪は即答した。



[40653] 03-2
Name: 萩鷲◆91e9ad99 ID:f4798db4
Date: 2016/01/21 21:05

「……ったく、勝手に演習なんか挑みよって」
「すまない。だが、こうでもしなければ、瑞鳳は納得しないだろうと思ってな」
「まあ、確かになあ……」

 航行で消耗した燃料を補給した大湊の六隻は、吹雪達よりも一足先に、演習海域で待機していた。

「それに、これから一週間、私達が背中を預けることになる相手なんだ。さっきの発言が、ただの大言壮語なのかどうかは、今のうちに見極めておかなければいけないだろう」

 ――そこまで言った辺りで、泊地の方から複数の主機の駆動音が近付いてくる。

「――お待たせしました」

 そして、長月達の前に、吹雪を先頭に六隻の艦娘が整列した。

「吹雪型一番艦、吹雪」
「金剛型一番艦、金剛」
「加賀型一番艦、加賀」
「最上型一番艦、最上」
「最上型二番艦、三隈」
「秋月型一番艦、秋月」
「――以上、トラック泊地第一艦隊全六隻、ここに集合しました」

 淡々と名乗りを上げ、最後の吹雪の締めと同時に、一斉に敬礼をする。長月達も、敬礼を返す。

「あれだけ大口叩いたんだから、相応の実力、見せて貰うわよ?」
「勿論。貴方達こそ、せめて勝負として成立するくらいの力を、見せて下さいね? まあ、無理でしょうけれど」

 馬鹿にする意思すら感じられない程に、すんなりと言い放つ吹雪を、きっと睨みつける瑞鳳。

「あーもう、ほら。決着は実力で付けよ、な?」
「分かってるわよ、龍驤さん」

 そう言いつつも、表情はきついままだ。

「……ま、さっきみたいに、ぼけっとされてるよりかはマシか」

 呆れたような、諦めたような、それでいてどこかほっとしたような表情で、龍驤は呟く。

「一本先取、一発被弾で戦闘不能、先に全滅した方が負け。異論は?」
「無いで。それでええ」

 龍驤の返答に、吹雪は小さく頷き、トラック艦隊が後退を始める。長月達も、吹雪達とは逆方向に後退して行く。そうして、二艦隊がある程度距離を取ったところで、両者ともに停止した。

『――今から、三つ数えます。数え終えたら、交戦開始です』

 無線越しに響く吹雪の声に、六隻は自然と小さく頷く。

『一つ』

 ――主機を空ぶかす。

『二つ』

 ――主砲を、発艦装置を構える。

『――三つ!』
「――行くでぇ、みんなぁ!」

 ――空母二人が一斉に艦載機を放ち、長月を先頭に、駆逐艦達が突撃を開始した。

「相手艦隊の半数以上は、私達より射程が長い。今のうちから、警戒を――」

 言葉を切って、進路を右に傾ける。直後、周囲に複数の大きな水柱が立ち、四隻の全身を濡らした。

「――しておかないと、こういうことになる。いや、この程度で済めばマシか。戦艦サイズのペイント砲弾が、直撃するかもしれないわけだからな」
「うわ、痛そうだなぁ、それ……」
「ともかく、射程圏内に入るまでは、回避に集中するぞ。いいな」

 ――長月達が、そんな会話を交わす一方。

「んンー……一隻くらい、落とせると思ったんですけどネー」

 目の上に手をかざし、細めで長月達の様子を眺め見る、片言気味の戦艦娘。和服か巫女服をモチーフにしたであろう、白と赤の制服に身を包んだ彼女は、金剛型一番艦、金剛だ。

「まあ、Battle(バトル)はまだまだこれからデース」

 がこん、と、装填音が響く。

「距離、照準、良し――撃ちます! Fire(ファイア)!」

 威勢の良い掛け声と共に、背部艤装に装備された、四基の“四十六センチ三連装砲”から、一斉に砲弾が放たれた。

「――各艦散開!」

 ――再び飛来した砲弾は、先程よりもより正確だった。多少方向転換するだけでは避け切れないと判断し、陣形を崩す。

「ど、どこから撃って来てるのさ⁉︎」
「電探の反応からして、かなり遠方、としか言いようが無いな。ここからじゃ到底視認出来ん。それよりも――また来るぞ、回避行動!」

 繰り返される、砲撃。しかし、駆逐艦の射程では、反撃は不可能だ。

「――見っけたで」

 ――駆逐艦の、射程では。

「Shit(シット)! 相手の艦載機! ――カガ! 何してるデース!」
『吹雪から、暫くは様子を見るように言われているの。ごめんなさい』

 無線越しに助けを求める金剛だったが、返答は非情だった。

「Why(ワイ)⁉︎ ブッキー、どういうつもりデース!」
『ハンデですよ、ハンデ。私達が六隻同時に動けば、勝負は一瞬で決してしまうでしょう?』
「それならそうと、先に言ってヨ!」
『金剛さんなら平気ですよ。頑張って下さい』

 ブツッ、と、雑に無線が切られる。

「……ブッキー、帰ったら覚えておくデース」

 口では怒りつつも、さほど気にした様子もないままに、金剛は視線を上に移す。

「三式弾、Load(ロード)!」

 そして、対空用の砲弾に切り替えて、照準を空に向け――

「――Fire(ファイア)!」

 ――花火のように、“撃”ち上げた。

「――あかん、回避行動!」
「急にそんなこと――っ!」

 艦載機を操っていた龍驤と瑞鳳は、慌てて艦載機達を散会させる。しかし、予想以上の攻撃範囲により、少なくない数の艦載機が、三式弾――の、模擬弾を喰らい、撃墜判定を受けて海面に不時着していく。

「ま、これだけで何とかなるなんて、最初から思ってないヨ――ッ!」

 続けざまに、金剛は二丁の十五・五センチ三連副砲を取り出し、主砲や対空機銃と共に乱射して、弾幕で以って艦載機への対抗を始めた。

「――これじゃ、攻撃する暇なんか、ないじゃない!」

 ――対空射撃を躱すのが精一杯で、爆撃も雷撃も、狙う隙さえ見付けられない。

「いや、これでええ!」
「どこがよ! このままじゃ――」
「困るのは、向こうや」

 瑞鳳に向かって、手を突き付けて静止の姿勢を取る、龍驤。

「ええから、艦載機の制御に神経注いどけ」

 言って、懐から爪楊枝を一本取り出し、口に咥えた。

「――さぁて、まずい状況ネ」

 ――未だ被弾していない金剛だったが、しかし表情は優れない。

「――ようやく、捉えたぞ」
「――いよいよ、見つかっちゃったワ」

 既に目視出来る位置にまで、長月達が接近して来ているからだ。

「さすがのワタシでも、対空射撃をしながら、Solo(ソロ)でQuartet(カルテット)の相手をするのは、ちょっと無茶だヨ、ブッキー……!」

 引き攣った笑みを浮かべ、小さく恨み言を吐く。しかし、そんな行為で状況が好転したりはしない。

「まあ――やるだけ、やるけどネ」

 対空機銃と、左手の副砲で上空を狙ったまま、右手の副砲と背部の主砲を前方に向ける。

「――さあ! 私の実力! 見せてあげるネー!」
「――来るぞ!」

 接近した分、着弾は早くなる。狙いも精密になる。先程までの長距離砲撃に比べて、回避の難易度は飛躍的に上昇していると言って良い。

「うわ――っ⁉︎」
「っ――つぅ!」

 ――故に、菊月と皐月の二人が被弾してしまったのも、致し方の無いことだ。

「くそっ――卯月! 行けるな!」
「当ったり前ぴょん!」

 しかし、残された二人は怯むことなく、降り注ぐ砲弾をすんでの所で掻い潜りつつ、突撃していく。

「――右! 砲雷撃戦!」
「開始するぴょん!」

 そして、射程圏に入ると同時に、息の合った調子で呼応し合い、主砲を構え――放った。

「……戦艦(わたし)なら、Destroyer(デストロイヤー)の主砲の一、二発くらい、へっちゃらなんですけどネー。けど、ルールはルールデス」

 ――果たしてそこには、演習用のペイント砲弾でピンク色に染まった、金剛の姿があった。



[40653] 03-3
Name: 萩鷲◆91e9ad99 ID:f4798db4
Date: 2016/02/22 00:03
「――金剛さんがやられました」

 少しだけ意外そうな表情で、しかし淡々と吹雪は言う。

「だから言ったでしょ? 幾ら金剛さんが、単純な戦闘力ではボクらの中でも一番だからって、一人は無茶だって」

 キュロットスカートが似合う、ボーイッシュな容姿の艦娘が、やや呆れた様子で言う。航空巡洋艦の、最上だ。

「もがみんの言う通りですわ。吹雪さん、流石に彼女達を見くびり過ぎでは無くて?」

 どこか上品な気配を感じさせる、おさげの艦娘――最上と同型艦の三隈も、吹雪に苦言を呈した。

「適切なハンデだと思いますよ? 事実、向こうは二隻落ちましたから。質は勿論、数でもこちらが上回っている状況です」
「そうは言ってもね……秋月ちゃんもほら、何か言ってやってよ」
「――え、あ、秋月が、ですか?」

 最上に声をかけられた、駆逐艦娘――秋月は、やや動揺したような反応を示す。

「そう言われても、ええと……ふ、吹雪先輩? お二人ともこう仰られていますし、もう少し本気で行くべきじゃないでしょうか」
「……言われなくても、そのつもりですよ」

 言って、吹雪は最上と三隈を見る。

「最上さん、三隈さん。次鋒を頼みます」
「オッケー。でも、さすがに空母二隻分の航空隊相手じゃ、ボクらの本領は発揮出来ないよ?」
「分かっていますよ。加賀さんにも、そろそろ動いて貰いますから」
「なら、大丈夫ね」

 満足気に、二人は小さく頷く。

「じゃあ――行こっか、くまりんこ」
「ええ、もがみん」

 そうして、主機を起動し――向かい来る長月達の迎撃へと、出陣した。

「――敵影なし、だな」

 ――その一方で、長月達。

「向こうは五隻、こっちは四隻、その上個人個人の練度も間違いなく向こうが上――か」
「……悪い状況だぴょん」

 そう呟く卯月の表情は、流石にどこか憂鬱げだった。

『――ま、正直言うて、予想の範疇やな』

 無線機から、龍驤の声が響く。

『見栄張ったり、しょーもない嘘を言うような奴にゃ見えんかったしな、あの吹雪は』
「同感だ。実際、さっきの戦艦金剛にしても、演習という形だったから勝てたとしか言いようがない。もしも本気の戦争だったら、私達四隻などは容易に退けただろう。そもそも、一隻しか前に出て来なかった時点で、私達にはその程度が適正だと判断したという事だろうし――事実、現状を鑑みるに、その判断は正しかったとしか言えない」
『……せやなあ』

 小さく、溜息を吐く。勝利のビジョンは、殆ど見えてこない。

『――でも』

 ――しかし。

『目に物見せてやりたいのよ、あの生意気な駆逐艦に』

 それでも、瑞鳳はまだ、闘志を失っていない。

「なら――航空支援、しっかり頼むぞ。どうせ負けても何もないが、わざわざ負ける趣味もない」
「確かに、出来るなら勝ちたいぴょん」
『……ま、幾ら事実いうても、癪に触る物言いだったんは確かや』

 そして、残る三人も。

「皐月と菊月の分も、私達で頑張らないとな――と」

 ――電探に反応有り。二隻の、重巡クラスだ。更に、艦載機の反応も多数有る。

「龍驤さん、瑞鳳」
『ああ、分かった。敵やな』
『空の方は、任せといてね』

 二人の返事を聞いてから、卯月の方を見る。視線が合い、お互いに小さく頷いた。

「――長月! 突撃する!」

 一気に、航行速度を上げる。電探の反応は、みるみる近付き――

「――見えたぞ!」

 最上と三隈の姿と、彼女らの頭上の艦載機が、二人の視界に入るまで、そう時間は掛からなかった。

『さぁて――艦載機のみんなぁ! お仕事、お仕事ぉ!』
『航空母艦、瑞鳳――推して参ります!』

 艦載機越しに状況を確認した空母二人が、相手の艦載機に向けて艦戦を突撃させる。

「来たね――加賀さん!」
『分かっているわ。貴方達は、自分の仕事に集中しなさい』

 相手の艦戦も、同じく速度を上げ――航空隊同士のドッグファイトが、開始された。

「――そして、砲撃戦です! みっ……クマ!」

 ――勿論、主役はあくまで、長月に卯月、最上に三隈の四隻だ。

「くまりんこ!」
「ええ、もがみん!」

 最上と三隈は、長月達を砲撃で牽制しつつ、“航空甲板”が装備された左腕を、前方に突き出す。

「――晴嵐!」

 ――彼女ら二隻は、航空巡洋艦と呼称される、水上機運用能力を高めた重巡洋艦だ。無論、搭載数は水上機母艦や空母に遠く及ばないが、重巡洋艦としての戦闘能力をほぼそのままに、高性能な水上機を多数運用出来るが故に、万能性は高い。

「さあ、もがみんと三隈の立体的な航空砲雷撃戦、開始しますわ!」
「重巡洋艦が、水上爆撃機――航空巡洋艦か!」

 龍驤と瑞鳳の航空隊は、加賀の艦載機の相手をするので手一杯だ。最上と三隈の放つ水上機には、長月と卯月の二人で対応する他に無い。しかし、対空射撃をしながら砲雷撃戦を試みるのは、非常に困難である。丁度、先程の金剛の様に。まして、搭載火器の少ない駆逐艦では、ほぼ不可能と言っても過言では無いだろう。

「――卯月!」
「ぴょん!」

 ――“なら、最初からそんなこと、しなければ良い”。

「――突撃する! 我に続けぇ!」
「――睦月型の、本当の力ぁ!」

 二人は頭上の水上機を無視し、最上と三隈だけを見据え、一直線に突撃する。

「へぇ、そう来るか――けどっ!」
「簡単には、やらせませんわ!」

 航巡二隻は、二人との距離を保つべく後退しつつ、水上機による爆撃と主砲の砲撃を豪雨の様に降らせ続ける。

「怯むなよ、卯月!」
「言われなくても、ぴょん!」

 一発でも当たれば、それで終わり。だが、駆逐艦にとって、一発の被弾が命取りになるのは、普段だって同じだ。別段、特別なことではない。

「――射程圏内、入ったっ!」

 ――砲雷撃戦に持ち込める距離に、入ってさえしまえば。小回りが利く分、戦艦や重巡洋艦よりも、駆逐艦の方が有利とすら言える。

「砲雷撃戦、用意!」
「撃ぅてぇー、撃ぅてぇーい!」

 吹雪が、そのことを意図してルールを設定したのかどうかは、分からない。確かなのは、被弾即戦闘不能という条件は、駆逐艦に対する航空巡洋艦のアドバンテージから、装甲と火力という二つの項目を失わせたということだ。そして、それはそのまま戦艦にも当てはまることで、だからこそ、金剛は敗北したわけだが――しかし、先程の四対一、空母も含めれば六対一だった状況と違い、今回は二対二だ。更に言えば、航空巡洋艦は戦艦よりは小回りが利くし、水上爆撃機も運用出来る。少なくとも、金剛相手の時よりは、長月達の優位性は大きく減っている。良く言って、対等程度。

「中々やるけど、そのくらいじゃ――」

 ――つまり。

『――なら、このくらいならどないや?』

 多少の状況変化でも、均衡が崩れるということだ。

「敵艦載機――っ⁉︎」

 最上と三隈は慌てて対空射撃の構えを取るが、遅い。至近距離から、艦攻隊が航空魚雷を投下する。

「航空支援、感謝する!」
「龍驤さん、ナイスアシストぴょん!」

 そこに、長月と卯月も、同時攻撃を加え――

「くっそぉ……いったたた……」
「ああ、くまりんこのお洋服が……」

 ――回避が間に合わなくなった二人は、仲良く塗料塗れになった。

「……ちょっと、どういうことさ加賀さん。なんで、向こうの艦載機が」
『撃ち洩らしたわ。ごめんなさい』
「すぐに言ってよ!」

 塗料を滴らせながら、最上が抗議する。

「とは言え……負けは負け、か。慢心が無かったかと訊かれると、素直には肯けないし、うん。良い機会だったかもしれないね」

 しかし、それ以上の追及はせず、素直に負けを認めた。

「戻ろっか、くまりんこ」
「ですね、もがみん。……ああ、早くシャワーを浴びたいですわ」

 そして、二人とも踵を返し、トラック泊地へと引き返して行く。

「……なんとか、なったぴょん」
「とはいえ、龍驤さんの援護が無かったら、勝つのは難しかっただろうな」
「違いないぴょん……と、そだ、今のうちに、龍驤さん達の手助けを――」

 言いながら、卯月は主砲を未だ航空戦が繰り広げられる上空に向け――

「――っ、避けろっ!」

 ――直後、長月が叫んだ。 

「――うびゃぁ!?」

 だが、時既に遅し。静かに接近していた魚雷を、卯月はもろに喰らう。

「くそっ――」

 電探を確認する。反応は四つ。うち二つは、最上と三隈だ。もう二つは駆逐艦で、恐らく魚雷を放った張本人だろうが――かなり距離がある。確かに、魚雷は最大射程は長い。とは言え、精度は決して高いとは言えず、誘導装置の類なども無い。超長距離から命中させるのは、相当な難易度のはずだ。しかし、相手はそれをやってのけた。

「――北東に駆逐艦二隻! 航空支援を求む!」

 ――そんな相手、一対二どころか、一対一でも勝つのは難しい。二人に、頼るしかない。

『よし来た! 今ちょうど、相手の艦戦を振り切ったとこや!』
『ここまで来たら、勝つわよ!』

 龍驤と瑞鳳が、二隻の駆逐艦目掛けて、攻撃隊を突撃させる。

「――秋月ちゃん」
「はい、心得ています、吹雪先輩」

 ――迫り来る攻撃隊に、秋月は照準を定める。

「この秋月が健在な限り! やらせはしません!」

 雄叫びと同時に、秋月の艤装の至る所に針鼠の様に乱立した高角砲と対空機銃とが、一斉に火を吹き、弾幕を展開した。

「――な、なんや、この弾幕は⁉︎」
「回避――駄目、逃げ場が!」

 ――慌てて攻撃隊を散開させる二人だったが、極めて広範囲に、高密度の弾幕を、それも一瞬で張られてしまえば、対処のしようなどあるはずも無く。

「――秋月、艦隊をお守りしました!」

 誇らしげに胸を張る秋月の視線の先には、被弾判定を受け不時着した艦載機のみが在った。

「……くそっ」

 小さく呟いて、長月は足を止める。頼みの綱の航空支援は失敗に終わった以上、突撃しても無残に返り討ちにあうだろうことは、火を見るよりも明らかだ。

『――聞こえていますか、駆逐艦長月、空母龍驤、空母瑞鳳』

 直後、無線越しに吹雪の声が響く。

「ああ、聞こえている」
『ばっちり、な』
『……何よ、降伏勧告?』

 長月は、いつもの調子で返事をするが――龍驤の声色には僅かに落胆の色が混じっており、瑞鳳に関しては、気に入らないという気持ちが分かりやすく込められている。

『違います。確かに、このまま戦闘を続ければ私達の勝利は確実でしょう。私達の存在は元より、加賀さんも半分以上の艦載機を発艦させずに温存していますし』
『あれで手加減しとったんかいな……』

 更に気落ちした様子で、龍驤はぼやく。五割以下の力しか使っていない相手に、二人掛かりでようやく拮抗状態だったなどと明かされてしまえば、無理も無い。

『――ですが。この演習はあくまで、お互いの能力を確認する為のもののはずです。金剛さん、最上さんに三隈さん、加賀さんに秋月ちゃんの実力は、概ね分かっていただけたと思います。ですが、この私、駆逐艦吹雪の実力は。まだ、貴方達には殆ど伝わっていませんよね? 魚雷を一回投射しただけですし』
「……さっきの魚雷か。しかし、あれだけの長距離雷撃が出来るという時点で、実力は概ね察せるぞ」
『それはどうも。しかし――』

 吹雪は、わざとらしく一拍置いて。

『――駆逐艦の華は、近距離での白兵戦。そうは思いませんか? 駆逐艦、長月』

 例のシニカルな笑顔が、容易に想像出来る調子で、言い放った。


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