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[39855] 艦隊これくしょん×Fate/staynight
Name: くま◆130f149e ID:52acee26
Date: 2018/06/11 01:36
 ・タイトル未定。
 ・内容は艦これ×Fate。
 ・世界観は艦これ中心。
 ・独自解釈、有り。
 ・自分が所持していない艦娘は出ません。

 探しても無かったので自分で書く事にしました。
 なるべく早期に更新できるように頑張りますので、よろしくお願いします。


 ※8/30に更新した1-9ですが、修正作業に入らせていただきたく、話自体を削除致しました。
 ※上記1-9について、11/16に修正版を更新しました。
 ※2016/08/16、1-11の内容変更しました。
 ※2018/05/07、何とか生きています。更新遅くなってゴメンナサイ。
 ※2018/06/11、ハーメルン様にも投稿を始めました。
 



[39855] プロローグ――1
Name: くま◆130f149e ID:52acee26
Date: 2014/04/21 23:18
 衛宮士郎が目覚めたのは。

 見知らぬ砂浜だった。










■ 艦これ×Fate ■










 さんさんと降り注ぐ太陽の光。
 頬を撫ぜるそよ風。
 遠くに聞こえる鳥の声。
 そして寄せては返す波の音。
 はて。自分は寝る際に潮騒のBGMでもかけていただろうか。いやいや、そんなお洒落な趣味は持ち合わせていない。
 耳を通して脳に響く心地よさに、再度まどろみが押し寄せてきた。そんな奪われつつある意識の奥で、何故か青色の髪の友人が浮かび上がる。彼は見慣れた気障っぽい笑みを浮かべていた。
 あれは、間桐慎二。中学からの友人である。
 そう言えば彼は言っていた。眠れないときは自然の音を耳にするのが良いと。なるほど、納得である。
 これは実に良い。素晴らしい。身体も精神もリラックスできて、余計な邪念が省かれる。
 ああ、何時までもこうしていたい。まどろみに身を委ねると、浮かび上がった意識はまたも深い所へと落ちて行く……

 ――――ザバッ……

「……んあ?」

 足にかかった冷たさで再度意識が浮上した。意識を集中させれば腰も冷たい。
 衣服の冷えた感覚では無い。外気温に冷やされた冷たさとは別なものだ。加えるなら、冷たい物質が密着しているのとも違う。
 これは……そう、根源的な冷たさ。誰もが幼少期に体験し、自制を覚えることで離れて行く一種の癖。あるいは己の自尊心と羞恥心に作用する禁忌。ソレの始まりが未熟である事なら、ソレの再発は衰えの証である。
 とあるロングセラーのマンガにて、眼鏡をかけた少年は芸術的なソレを何度もしていたが……
 まさか。まさかまさかマサカまさかマサかまさか真逆――――

「ぬぉっ!? ……痛ぅぅ」

 ガバリ、と。勢いのままに士郎は起き上がった。顔は青ざめ、脈拍が規則を乱していた。先ほどまでとは正反対の最悪の目覚めだった。
 だが起き上がった拍子に全身に痛みが走る。思わず顔を顰め背を丸めた。言葉を失うほどに、それは予想もしなかった痛みだった。
 若干涙目になりつつ顔を挙げる。何だか色々と情けない想いが混じっていた。今にも泣き出したかった。
 しかしそんな考えは、眼前の景色を目にして吹き飛んだ。

 ……海?

 眼前には青い世界が広がっている。白い波立ち。後ろを向けば剥き出しになった岩肌。その奥には森らしきものが見える。
 どこだ、ここは。生じた疑問は至極当たり前の内容。思わず首を傾げ、

「うぉっ!?」

 足にかかった海水でまたも現実に引き戻された。見てみると、既に士郎の足は腰もとまで濡れている。今が満潮であるか干潮であるかは分からないが、相当長い事浸かっていたらしく持ち上げた足はずっしりと重かった。
 慌てて海から離れ、傍の岩に腰をかける。靴はもう駄目だろう。新しく買い替えなければならない。合わせてズボンも廃棄処分だ。これでは継ぎ接ぎはおろか他の物にあてがう事も出来ない。
 と、そこで士郎は気がついた。自分の着ている洋服がいやに汚れている事に。
 幾ら外で寝ていたとは言え、此処まで汚れることはあり得ない。

「……全体的に買い替えか」

 若干ずれた感想を抱きつつ、士郎は溜息混じりに言葉を吐いた。不思議には思ったが、それ以上に自分の姿のみずぼらしさに驚いていた。
 伸びきったシャツ。裂けた左袖。ずぶ濡れのズボンと靴。とてもではないが、日常はおろか家の中で使用するにしても無理がある。と言うか、何故こんな軽装で自分はここで寝ていたのか。
 自分が倒れていた所には他に何も見当たらない。強いて言うなら、何かの破片のようなものがあるくらい。そして所持しているのは自宅の鍵だけ。
 この場所に見覚えは無いが、これ程の軽装なら冬木市内、或いはその近辺にいると考えて間違いは無い筈。原因はさっぱり不明であるが、海沿いに歩けば市には戻れるだろう。そう結論付けて士郎は立ち上がった。

「さっさと帰ろう……」

 疲れを存分に滲ませた言葉を吐いて、やや覚束ない足取りで砂浜を歩く。ズキズキと頭が痛むのはもしかしたら飲み過ぎたからだろうか。
 はて、昨日はバイトでも入っていただろうか。あるいは藤ねぇに連れ回されでもしただろうか。
 バイト先の気の良い女主人と姉代わりの虎を交互に思い浮かべ、思わず士郎は顔を顰めた。普段は良識のある大人たちだが、酒が絡むとリミッターが外れるのだ。そしてその被害は、何故か士郎に集中する事が大半である。
 帰ったら文句の一つでも言ってやろう。証拠は無いが彼女たちのどちらかが関係している事は十中八九間違いない。普段は温厚な自分でも、怒る時は怒るのだ。

「痛たたた……」

 余計な痛みを増した頭を押さえながら、ふらふらと足取り重くその場を後にする。
 頭上ではウミネコが鳴いていた。











「いや、どこよ。ここ……」

 うんざりとした表情で士郎は言葉を吐いた。眼に映る景色は何も変わりはしなかった。
 彼是一時間は歩いているだろうか。左手に大海原。右手には森。足場の起伏くらいしか変化は無い。
 本当に此処は何処なのだろうか。過る不安に遂に士郎は足を止めた。

「疲れた……」

 起きてから何も口にしていない。痛みと疲労に耐えて進んでも、回復手段が無ければ何時かは倒れてしまうだろう。と言うか、正直今すぐにも倒れたかった。
 本当に自分は何をしていたのか。心当たりが無さ過ぎて泣きそうになる。思い出せる限りで一番新しい記憶は学校に行ったところであった。手がかりには成りそうも無い。
 照りつける太陽。ゴールの無い進軍。押し寄せる不安。
 ぼぅ、と。水平線の彼方へ視線を飛ばす。船の一つでも無いかと、虚しい希望を抱いての行為だった。

「……あれは?」

 大海原。大海原。大海原。黒い点。大海原。
 見渡す限りの青い世界の中に、不自然なものが一つあった。アレは何だ。生じた疑問に応じるように、士郎は眼を細め、馴染みの呪文と共に視力を強化した。
 トレース・オン。
 あっさりと強化は成功し、視界が急激に明瞭になる。そのままに遠くの黒い点にピントを合わせると、理解し難い不思議なものが其処にはいた。

「……人?」

 いや、そんなわけないだろう。頭を振って、もう一度。あ、やっぱり人だ。……いやいやいやいや。
 呆然としつつ、それでも視線は外さない。ソレは間違いなく――――そう、人である。海の上を滑っている存在が人と認識して良いかは別として。
 そしてソレは、僅かずつながら此方へと向かって来ていた。

「え……え?」

 黒い人型は徐々に大きくなり、次第に全体像が視えるようになる。相変わらず頭はついて行ってくれないが、眼に映る情報は士郎の脳内に一つ一つ蓄積していった。
 噴きだしている黒煙。
 ボロボロの衣服。
 身に着けた金属品。
 小脇に抱えられているもう一人。
 海を滑る少女。
 ……少女?
 少女。
 蛇行している足取り(?)。
 今にも倒れそうにフラフラとしている。
 それでも此処を目指して進んでいる。
 確かに此方を見据えて。
 そして、その後方上空には猛スピードで後を追う黒い物体。
 黒い、物体。

「何だ、アレ……」

 僅かに視線をずらした先には、何かが少女たちを目掛けて迫って来ていた。当初は黒い点でしかなかったが、ぐんぐんと大きくなっていく。
 何だ、あれ?
 ソレは飛んでいた。形容し難いフォルムには、飛行に足る性能があるとは見えない。だが飛んでいた。
 既に少女たちは視力を強化しなくても目視できる距離にまで来ている。だが、此処に辿りつく前に黒い物体は彼女たちに追いつくだろう。
 アレは……良いものではない。理屈も過程もすっ飛ばして、士郎はソレに否定の感情を抱いた。アレは違う、見るからに嫌悪感をかき立てるモノだった。
 このままでは、拙い。

「おい、後ろ!」

 声を張り上げ、士郎は彼女たちに背後の危機を知らせようとした。だが彼女たちに気づいている素振りは見られない。
 聞こえない。聞こえるにはまだ距離が遠い。
 舌打ちをしつつ、士郎はもう一度声を張り上げる。だが、無駄な徒労に終わるのは目に見えた結果だ。
 ならば、他に何か手を。しかしその何かを思いつくには時間も物質も何もかもが圧倒的に足りない。

 ――――なら、作ればいい。

 考えるよりも早く士郎の身体は動いていた。身体が半身に構えられる。それと同時に、何も無かった筈の手には西洋風の弓矢と弦が握られていた。
 その所業を、一切士郎は疑問に思わなかった。あるのは目前の脅威に対する敵対の意思だけ。距離も、所業も、認識も。全ては埒外に。
 そして、放つ。猛スピードで向かってくるソレに向けて、真っ直ぐに。

「なっ!?」

 だが、放った矢は避けられてしまう。明らかに異常な飛行性能を以ってして。
 真上に跳ぶ。慣性の法則を無視した急激な軌道変更。あり得ないと、胸中に驚きが滲む。
 だがそんな余裕を感じる間も無く、ソレは再度動きを開始した。
 異常なスピードを伴って。

「来るか……っ」

 背筋を走る悪寒。噴き出た冷汗が言葉以上の危機感を士郎に与える。
 ソレが対象を変えたのは明らかだった。眼下の二人よりも此方に危機意識を持ったのだろう。二人を通り越し、真っ直ぐに此方に向かってくる。
 時間が足りない。弓を消すと、士郎は両手に竹刀を構えた。長さの足りない通常の半分程度のサイズ。そしてそれに強化をかけると、迷わず後方へと跳んだ。
 間髪いれず、士郎の居た場所に砂埃が不規則に立つ。

「銃撃かっ!?」

 目だけは良い。だからこそ気がついた。
 ソレとの距離はもう幾許も無い。だが真っ直ぐに向かってくる分、開いていた銃門らしきものを強化していた眼は目視出来た。
 それでも避けれたのは幸運でしかない。
 だが、その幸運は続く。

「くっ! ……けど、弾切れみたいだなっ!」

 あろうことは、ソレは真っ直ぐに士郎へと突撃してきた。一層の加速を以って、胴体目掛けて飛んでくる。どうにか竹刀一本を犠牲に避ける。詳細は不明だが、この場面で突撃を選択する辺り、弾切れの可能性は高い。
 そして近接戦闘しか手が無いのなら、此方にも対抗の目はある。
 そう判断すると、士郎は代わりの竹刀を顕現させる。

「トレース・オンッ!」

 翻り、またも真っ直ぐに突撃してくる。身体の反応だけでは追いつけない一撃。目視から線上を予測し、どうにか竹刀を犠牲にいなし続ける防戦。間近で見たソレは、ますます奇妙なフォルムをしている。ともあれマトモにぶつかれば、まず間違いなく胴体が泣き別れするだろう。
 歯を食いしばり、足に力を入れる。
 バランスを崩せばそれだけで全てが終わる。

「もっと……」

 もっと速く。
 飛ばされた竹刀。
 補充される代わり。
 飛ばされる竹刀。
 補充される代わり。
 だが、まだ捉えきれない。速すぎる。予測は出来ても、速すぎる。

「もっと……っ」

 もっと速く。
 手が痺れる。
 握力が失せる。
 息が上がる。
 肺が痛む。
 決めねば。尽きる前に決めねば。

「もっと……もっとっ!」

 もっと速く。
 イメージする。
 描く最短経路。
 補足の手段。
 打ち落とす一撃。
 破壊に足る武器を。



 ――――トレース・オンッ!



『ギッ!?』

 此処で初めて、ソレは声らしきものを上げた。生物のような感情が其処にはあった。
 戸惑い。そして恐怖。
 士郎の手元には巨大な斧剣があった。自前の腕力では持ち上がるとは思えない程強大な斧剣が。
 ソレに思考があるならば、間違い無く思っただろう。阿呆か、と。だがしかし、ならばこの悪寒は何なのか、とも。
 あの腕では持ち上がるまい。なんの手品かは知らぬが、選択を誤ったであろうことは瞭然だ。
 だが此方の武装も尽きた。主の下へ戻るには燃料も足りぬ。まず間違いなく此処が死地となろう。
 ならば、潰す。後方の艦娘よりも、目前の脅威を。
 響くエラー。赤く点滅する警告灯。動く余裕は、幾許も無い。
 加速するようにソレは上空へと飛び立った。そして重力に引かれるようにして、真っ直ぐに落ちる。速さは力。狙いは頭部。空気を切り裂き、風を纏い、唸り声を上げて特攻する。



 そう。
 まさしくそれは特攻だった。
 全力を尽くした――――悲しいほどの特攻だった。











「……ふぅっ」

 力強く息を吐き出すと、士郎は手元の斧剣を握りしめた。不思議と恐れは無い。静かな湖畔のように、先ほどまでとは相反した落ち着きがあった。
 何故こんなものを選んだのか。理由は不明。だが、奴めを叩き落とすには充分な代物だという事は分かる。
 問題点を挙げるなら、これを扱えるかどうか。幾ら鍛えているとは言え限度はある。ましてや疲れ切った今の身体ではロクに動かす事も出来まい。
 なのに。なのになのになのに――――失敗するイメージはわかない。不思議なことに、奴を叩き落とすイメージだけはしっかりと描く事が出来た。
 イメージは描けた。自信はある。
 ならば、それで良い。

「トレース・オン」

 もう一度馴染みの詞を口にする。イメージを完璧なものとして固定するだけの詞。
 そうして頭上へと視線を向けると、ちょうどソレが此方に向けて翻ったところだった。

「……来い」

 イメージする。
 打ち落とす。
 距離。
 速度。
 到達時間。
 補足する視神経。
 経験からの予測。
 振り上げる斧剣。
 直感に従い力を解放する。
 そして意図せず、食いしばった歯の隙間から言葉が漏れた。



「射殺す――――」











 酷く体中が痛んでいた。
 息をするのも苦しかった。
 耳障りな音が鳴り響いていた。
 眠い、と士郎は思った。もう限界だった。疲れたと言う言葉すら生温い程に疲弊していた。
 砂浜に大の字に倒れたまま、士郎はただ荒い呼吸を繰り返していた。喉が焼けつくように痛む。起き上がろうとする気力も湧かなかった。
 もう指一本動かせねぇ。痛みと疲労で感覚が無い。文字通りの限界だった。

「……生きているか?」

 その士郎に声が掛けられる。女性の声だった。
 閉じていた眼を僅かに開くと、ぼやけた視界が人影を映した。

「……救援、感謝する。すまない、助かった」

 此方の状況を察したのだろう。士郎が何かを言うよりも早く、相手は言葉を紡いだ。硬さと柔らかさが混合した言葉だった。
 言葉には言葉で返したい。だが、痛んだ喉は声を出せそうにない。
 僅かに逡巡し、代わりに士郎は右手に全力を注いだ。拳を握り、親指だけ上げる。
 サムズアップ。
 そして、無理矢理に笑みを作る。
 俺は大丈夫だと。せめてもの意地を張って。



 そこまでが士郎の覚えている最後の事だった。





[39855] プロローグ――2
Name: くま◆130f149e ID:52acee26
Date: 2014/04/21 23:18
『アイアンボトムサウンド』


 ソロモン諸島の一つであるサボ島、フロリダ諸島、そしてガダルカナル島の間に存在する海峡。
 かつての世界大戦にて、敵味方問わず多くの艦船や航空機がこの海域に沈んだ。
 海底にはそれらの残骸が積み重なり埋め尽くしている事から、アイアンボトムサウンドと称されるようになった。

 (中略)

 戦後は長らくスキューバーダイビングの名所とされていたが、唐突な深海棲艦の出現により奴らの大規模な拠点の一つとされてしまう。
 奪還作戦には多くの国が参加。多数の死者と損害を出しつつも、どうにか一応の終結を見せる事になる。
 尚、距離の近い日本からは数多の艦娘が出陣した。



 とある提督の手記より、一部抜粋。










■ 艦これ×Fate ■










 少女が泣いている。
 美しい少女だ。きっと笑顔が似合う女の子だろう。だが何故か少女は歯を食いしばり、顔を伏せ、涙を流している。膝をつき、許しを乞うような格好でだ。
 結われた金色の髪。宝石のような翡翠色の瞳。きめ細やかな肌。その全てが哀しみに染まっている。
 何故少女は泣いているのか。声をかけたくとも、声が出ない。駆け寄ろうにも、身体が動かない。
 泣かないでくれ。無意識のうちに、士郎はそんなことを思った。少女の泣き顔をこれ以上見たくなかった。見ている自分までも辛くなっていた。
 と、そこで急速に少女の姿が遠のく。
 止めろ、と。思わず士郎は叫んだ。あの少女を一人きりにするのは躊躇われた。一人にしてはならないとすらも思った。
 暗闇に一人取り残されている少女。届かぬと分かっても必死に手を伸ばす。



 その手を何者かが掴んだ。



「お、起きたかー?」
「……」

 今度は別の夢を見ているのだろうか、と士郎は思った。場面は変わって眼前には別の少女。茶色いロングヘアーと四角い眼鏡。肩の辺りには三日月型のバッチを付けている。年齢は……どう見ても自分よりも下だろう。
 夢の中で伸ばしていた手は、彼女に握りしめられている。

「お~い」

 ぶんぶんぶん。反応が無い事を怪訝に思ったのか、少女は空いている方の手を左右に振った。反射的に眼は後を追うが、脳は全く別な事に思考を飛ばしている。
 見知らぬ少女だ。それだけは自信をもって言える。藤村組や友人たちの家族にもこんな子はいなかった。
 じゃあ、誰だ。正常に動かない頭を無理矢理に動かして答えを出そうとする。
 が、それよりも少女の方が速かった。

「そろそろ足痺れてきたんだけどなぁー」

 しびれる? シビレル? 痺れる?
 少女の向こうに見える夕焼け空。横たわっている自分の身体。柔らかくて温かい何か。
 単純な計算式の答えは、一拍の空白の後に出た。

「ご、ごめっ!? いっ、痛ぅ……」

 相手が年下と言えども、士郎は年頃の男子である。加えて膝枕という垂涎もののシチュエーション。瞬間的に顔が火照るのも、ある意味では仕方なかろう。
 だが動こうとした身体に激痛が走る。身体中を引き裂かれるような痛みだった。
 痛みで力を無くした身体は重力に捉えられ、また元の位置へと収まる。そしてその上。被せるように額に手を置かれた。

「無理しなくていいよー、どーせ今日は動けそうにないし」

 あやすように撫でられ、思わず顔を顰める。年頃の女の子は難しいと言うが、男の子だって同じようなものだ。ただ、女の子に比べて読みやすいというだけであって。
 正直に言えば、今の士郎の男としての尊厳(?)はボロボロである。人によってはご褒美でも、まだその境地まで士郎は辿りついていない。気恥かしさばかりが積み重なっていくのも仕方なかろう。
 兎に角。兎にも角にも。
 今の士郎に出来る事は、自分の感情を必死で隠す事だけだった。

「悪い……その、重くないか」
「大丈夫大丈夫。いつももっと重いもの持っているしね」
「そ、そうなのか?」
「そうそう。それに命の恩人様を無碍には扱えません、ってね」
「……恩人?」

 茹りかけていた思考に一瞬だが冷却の余地が生まれる。そしてその隙間を埋めるように記憶が甦った。
 目覚めた砂浜。
 広がる大海原。
 不可解な二人組。
 黒い追手。
 迎撃と防戦。
 必滅の一撃。
 そして――――

「君は――――」
「あたしは望月。睦月型駆逐艦の11番艦。所属は……まぁ、横須賀の鎮守府ってことで」
「あ、ああ……」
「驚いてる? ま、一般人じゃ中々お目にかかれないもんね。私たち、一応機密扱いだし」
「どういうことだ?」
「そのまんまの意味だよ。それで、お兄さんの名前は?」
「……士郎。衛宮士郎だ。冬木市在住の学生だよ」

 学生、学生ねぇ。眼を瞑り、考えるように少女――望月は士郎の言葉を反芻した。
 そして、訝しげに士郎に眼を合わせる。

「……変、だね。何で学生がこんな場所に?」
「どういうことだ?」
「深海棲艦の動きが活発化しているせいで、ここら一帯は封鎖状態さ。渡航なんて出来やしない筈だよ」
「……は?」
「しかもこの地帯は激戦区。ただの学生さんじゃ来れるわけが無い」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」

 声を張り上げて言葉を止める。聞き逃してはならないであろう単語が幾つか出てきた。
 深海棲艦? 封鎖状態? 激戦区?
 この平和な日本にそんな物騒な言葉が罷り通っていた記憶なんて、無い。
 まさかではあるが、

「こ、此処は日本……だよな?」

 組み合わさったパーツ。出てきた疑問。記憶の欠如と齟齬。
 出てきたのは確認の言葉。当然だ、と。笑い飛ばしてくれることすら望んだ問いかけ。

「はぁ? いや、違うよ?」

 だが返ってきたのは否定の言葉。当たり前のことを当たり前のものとして認めるような気軽さだった。

「此処はソロモン諸島かフロリダ諸島か……まぁ、そこらへんにある名も無き小島ってとこかね」
「……嘘だろ」
「残念ながら嘘じゃないさ。計器がぶっ壊れているせいで、正確な確認は出来ないがな」

 望月の後方。そのすぐ傍から別の女性の声が聞こえた。
 ひょい、と。望月が首を後方に動かして手を挙げる。おかえり、ただいま。知っている仲らしく、簡潔なやり取りが交わされる。そして、覗きこまれるようにして顔が出てきた。
 黒こげた帽子。煤けた頬と傷。やや緑色がかかった黒髪。そして、右眼を隠す黒い眼帯。
 眼と眼が合う。

「起きたようだな、恩人。俺は5500t型の軽巡洋艦、球磨型の木曾だ。よろしくな」











「軽……巡洋艦……?」
「おう。つっても今は武装も壊滅状態。カッコイイ所を見せるのは難しいがな」
「あらら。木曾さん、成果なし?」
「ほぼ無しだ。状況は最悪の一歩手前ってところだな」
「……一応訊くけど、救援は?」
「無し」

 ガシャン、と。重々しい音が響き、何かが地面に落ちた。音の方へ首を傾けると、銀色に鈍く光る何かが見える。
 アレは何だろうか。霞む視界では上手く捉えられない。

「うわぁ……武装ゼロで脱出とか無理難題にも程があるでしょ」
「が、やらねばならない。せめて恩人だけでも……っと」

 そう言えば訊いて無かったな。意識が士郎へと向けられる。

「恩人。名前は?」
「あ、ああ。衛宮士郎だ。……その、よろしく」
「衛宮士郎か。良い名前だな」

 士郎の傍ら。望月とは反対方向に少女――木曾が座る。そして深々と頭を下げた。

「昨日の救援、感謝する。士郎殿がいなければ、私たちは轟沈していたかもしれない」
「あ、いや、そんな……っと、昨日?」
「ああ。アレから一日経過している。眼を覚まさないかと焦ったぞ」

 微笑む木曾と望月。恩人が起きた事に安心しているのだろう。
 だが、一方の士郎自身には疑問と不安が膨らむばかりだった。

「その……此処は日本じゃないって聞いたけど……」
「ああ。此処はアイアンボトムサウンド。和名だと鉄底海峡の……ま、周辺にある小さな無人島ってところだな」
「無人島……」
「ああ。昨日今日と周囲を散策していたが、人っ子一人見当たらない。深海棲艦のヤツらはちらほら見えるがな」
「うわっ、アイツらこんなとこまで出張ってるの?」
「見たところ下っ端どもばかりだ。万全ならば日中でも突破は容易だ」
「万全なら、ねぇ……」

 溜息と共に吐き出された言葉。憂鬱をこれでもかと言うほど凝縮したような望月の言葉に、木曾は苦笑いを浮かべるばかりだ。
 ついていけないのは、士郎唯一人。

「あのさ……その、全然分からなんだけど……」
「ん、ああ……すまない。説明はしたいが時間が無い」
「時間が無い?」
「ああ。今夜、本国へ戻る」
「マジ!? ……って、んなわけないか……」

 驚いたように望月が声を上げる。が、すぐに何かを察したのかトーンが下がった。そういうわけだから装備は最低限にしておけよ。木曾の言葉に、もう一度大きく溜息が吐き出される。
 やっぱりついていけていないのは、士郎唯一人。

「戻れるのか?」
「確率は五分五分だがな」
「いやいや、強気にも程があるでしょ」
「出来るか出来ないか、だろ。二択しかないんだから考えるまでも無い」
「はいはい脳筋脳筋……あー、お兄さん。覚悟だけはしといてね。するだけでいいから」
「そういうことだ、士郎殿。急ですまないが今夜出発する。」
「は、はぁ……」

 やっぱりついていけない。が、言わんとする事は理解できた。
 激戦区。武装無し。救援も無し。動けない重体の一般人が一人。そして、もうすぐ夜。
 ここまで言葉が揃えば概要くらいは把握できる。

「ほれ、望月」
「……何、これ」
「燃料パック。イ級が打ち上げられていたからな、解体した」
「解体って……つーか、使えんの?」
「先に少し拝借させてもらったが、今のところ不備は無い」
「はいはい。ま、仕方ないもんねー……」
「そう言うわけで、だ。すまないな、士郎殿。これは持って帰れそうにない」

 ひょい、と。木曾が傍らを指差す。其処にはデカイ岩の塊のようなものがあった。
 覚えている。それは、自分が扱った武器。気付けば手元にあった巨大な斧剣。

「警戒は望月が担当してくれ。士郎殿は俺が運ぼう」
「はいよー、了解。出発は何時くらい?」
「陽が落ちてから……そうだな、二時間程度経過したらだ」
「あいあい。じゃ、まぁ、そういうことだから。よろしくね、おにーさん」

 パチン、と。額を叩かれる。そして柔らかく微笑まれた。
 口調も態度も二人は明るい。だけど繰り広げられている会話の内容は本来であればどこまでも重い筈だ。
 何故二人は明るく振る舞っているのか。その理由が分からない士郎では無い。

「……ありがとう、二人とも」

 だから、感謝の言葉を。三人が生きて戻れる方法を模索してくれている二人へ。
 返答はサムズアップ。何も言わず、しかし立てられた二人分の親指が雄弁に語ってくれた。











 本当は、置いて行けと。そう言うつもりだった。
 満足に動かぬ自分の身体では只のお荷物だ。余計な重荷がいなければ彼女たちの生還確率は大きく上がるだろう。無理をして死に損ないを連れて行く必要は無い。
 勿論、死ぬことには抵抗がある。だがそれ以上に、自分の為に誰かが危険な目にあうなんて嫌だった。そんなことは許せなかった。
 他者の命を犠牲にしてまで生き残ることは、衛宮士郎の本意ではないのだから。

 ―――だが、そんなことは言えない。言えなかった。

 恐怖心に囚われたからではない。都合の良い言い訳でもない。
 ただ、ダメだと。それを言ってしまってはダメだと。
 それだけを、思った。



「じゃあ、行くか」



 夜の砂浜。星灯りだけの航路。今日は月が出ていない。絶好の撤退条件。
 ほぼ一寸先は闇の世界で、躊躇う事無く木曾は一歩を踏み出した。足場は砂浜から海原へ。望月も後を追う。
 二人に武装は無い。加えて、重荷となるものは殆ど置いてきた。取れる手段は撤退――それも、反撃一つしない逃げの一手のみ。そしてその身で、激戦区を突破しなければならない。
 誰もが思うだろう。終わった、と。まさに状況は最悪の一歩手前。命があるだけで、最悪と殆ど変らない。

 ――――だが、まだ最悪では無い。

「士郎殿、起きているか?」
「……ああ」
「今から帰還する。早ければ夜明け前に着く」
「……そっか」
「……大丈夫か?」
「余裕に……決まっているだろ。……なんなら、道草食ってくれても良いぞ」
「……ハッ、言ってくれるじゃないか」

 それだけ言えれば上等。空元気でも有ると無いとでは大きく違う。

「前方、多分敵影なし。行くよー、木曾さん」
「ああ」

 揺れる視界。霞む光景。暑いのか寒いのか、それすらも分からない。右腕に至っては感覚が無かった。
 無理をし過ぎた。正直、意識は途切れ途切れ。先ほどの言葉も強がり以外の何物でもない。
 そう、ただの強がりだ。ともすれば嘘。虚言、妄言の類。
 だがそれでも。本当にやり遂げてしまえば嘘では無くなる。
 二人は三人揃っての帰還を諦めていない。ならば、絶対に自分も諦めるわけにはいかない。



 絶対に生きて帰ろう。
 三人揃って。



[39855] 1-1
Name: くま◆130f149e ID:52acee26
Date: 2014/05/18 00:37
 闇夜を切り裂く閃光。海上に立つ火柱。怒号と悲鳴。
 雨霰のように、昼夜を問わず空からは弾が降っていた。それは砲弾であり、銃弾であり、爆弾であり。種類を問う事無く、眼下に棲まう驚異の排除の為だけに惜しむことなく費やされる。
 オーバーキル。費やされたあらゆる物量は、過去の大戦をも遥かに凌駕していた。例え相手が彼の大国であったとしても、壊滅させるには充分な量が投じられている。

 ――――だが、足りない。

 放った筈の銃弾が弾かれた。着弾した筈の砲弾が消し飛ばされた。落とした筈の爆弾が返ってきた。
 華麗に空を舞っていた筈の戦闘機が突如制御機能を失う。闇夜では見えぬが機体には貪られたような痕が幾つも残っていた。子どもの作る、ブサイクな紙飛行機のような有様だった。
 海上に落ちて、また一つ火柱が上がる。そしてその明かりに照らされるように、一瞬だが人型の何かが浮かび上がった。

「キャハッ」

 ソレは実に独特なフォルムをしていた。姿形こそ人型ではある。が、人間の枠組みに組み込むには異常と言えた。
 取りつけられた武装。身に纏う鉄塊。合成獣のような異形の出で立ち。
 そしてその身からは隠しきれない悪意と敵意が滲み出ていた。この世の全てを呪うような、果てなき想いが其処にはあった。

 ソレらこそが深海棲艦。
 突如として現れ、瞬く間に世界の制海権を握った脅威。

 ソレらの一振りで船が沈む。
 ソレらの一撃で艦隊が沈む。
 莫大な金額と物資を投じて作られた最新鋭の武装も、ソレらの前では意味を為さない。
 沈め。沈め。みーんな、海底に。
 紙屑のように機体が破壊され、ゴミ屑のように人命が潰される。
 分け隔てなく平等に。
 意味の無いオワリを、全てに。

「キャハハッ」

 怒号も。悲鳴も。怨嗟も。懇願も。
 その全てを飲み込んで響き渡る笑い声。
 これこそを地獄と言わずして何とするか。
 これ以上の地獄がこの世に有ると言えるのか。

「キャハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」

 故郷に恋人を残している青年がいたのかもしれない。
 部下に慕われる面倒見の良い上官がいたのかもしれない。
 死ぬ事を恐れている臆病な兵士がいたのかもしれない。
 祖国の為に身を捧げた操縦士がいたのかもしれない。
 希望にあふれた新米の軍医がいたのかもしれない。
 あらゆる戦場を経験した老将がいたのかもしれない。
 愛する者を奪われた提督がいたのかもしれない。



 ――――そんなバックグラウンドなど、知った事か。



 人間は敵だ。兵器は敵だ。目の前に立つなら敵だ。邪魔をするなら敵だ。
 穿ち、放ち、裂き、潰し。抉り、弾き、燃やし、沈める。
 平等に送ろう、プレゼント。
 綺麗に咲かせよう、呪いの花。
 さぁこっちにおいで、一緒になろう。



 楽しいパーティーの始まり、始まり。










■ 艦これ×Fate ■










「……」
「……助けに行こうなんて、考えるだけ無駄だよ」
「……分かっているさ」

 遠くの空が赤く染まる。空気を震わす破壊音。また誰かが散った。そして響く笑い声。
 あの場所では、今も戦闘行為が行われているのだろう。勝敗の行方など……考える必要も無かった。
 暫しその場にて足を止めていた木曾だが、望月に促される形で歩みを再開した。闇夜に紛れ、波に移動音をかき消させながら、本国への帰路を行く。計器が全滅した今、頼れるのは出発前に叩きこんだ記憶の中の海図だけである。
 自分たちの戦闘した場所と漂着した場所。ざっくりと計算し、海図に当てはめて、結果を算出。計算方法としては異端だが、彼女たちならばそれは可能である。
 事実二人は、やや迂回しつつも正規の航路を辿る事が出来ていた。本国への経路を掴んでいた。
 心配する事があるとすれば、

「……激戦区突入。いつ捕捉されるかも分からないね」
「見つかった時は全力で撤退だ。出来れば友軍と合流したいが……」
「無理だろうね。皆いっぱいいっぱいだよ」

 既に二人は激戦区内に足を踏み入れている。何時深海棲艦に捕捉され、襲撃を受けるかは分からない。
 そして今の自分たちの装備と状況で補足されれば、取れる手段は逃げの一手のみ。それも、敵の攻撃範囲内に入る前に、だ。
 自らの五感でしか察知する術の無い二人にとって、見つかる事はイコール全滅につながる。

「油田の一つにでも寄りたいけどなー」
「まず無理だな。残存燃料で進むしかない」
「帰る為には一滴も無駄にできない、ってね。詰んだわ」
「軽口を言える余裕があれば大丈夫さ」
「気休めにもならないよ……」

 よよよ、と。やや大袈裟な振る舞いをする望月。だがその最中にも警戒は怠らない。
 四方八方に己の知覚できる限りの意識を飛ばす。波の音。闇夜の光源。敵が潜む場所は幾らでもある。
 ふと。望月の耳が異音を捉えた。

「……木曾さん、ヤバイ」
「方向は?」
「向こうだね。何かが漂っている音だ」

 望月に僅かに遅れるかたちで、木曾も音を察知した。木曾に比べると望月は軽傷。故に、察知も望月の方が一足早い。
 音の発生源は、自分たちが向かおうとしている方向からである。内心で舌打ちをし、二人は顔を見合わせた。
 敵か、あるいはただの漂流物か。
 何れにせよ好ましくは無い。

「迂回するには近すぎるね」
「……望月」
「分かっているよ。あたしが先に行く」

 交わしたのは最低限の意志疎通。問答をする時間すら、今は惜しい。
 息を吸って、吐く。覚悟をきめるのに大がかりな動作は必要ない。体勢を低くし、ダッシュで発生源へと望月は疾った。
 木曾は木曾で、その場に留まる。何も無ければ望月が合図を送り、敵だったならば引きつけている間に突破を図る。今更確認するまでもない両者の役柄。
 眼を眇め、闇夜の暗さの中でも一挙手一投足を見逃さぬように集中する。
 そして、先で手が挙がった。

「……無事、か」

 敵では無い。その事実に一先ずは安堵の息が漏れた。
 望月と同様に、体勢を低くしたまま木曾も疾った。自分たちのように、漂流物を感知して敵が来る可能性はあるからだ。
 ならば、留まっている理由は無い。

「……木曾さん」

 だが出迎えた望月の声は震えていた。
 顔色も、心なしか良くない。

「それは……」

 だがその理由はすぐに分かった。
 望月が何かを指し示している。視線を向かわせれば、黒ずんだナニカが浮かんでいた。
 ■■。
 二人は眼を伏せた。形だけの黙祷。

「……行こう」

 そんなものだ、戦争なんて。
 酷く冷めた心境のまま、二人は歩みを再開する。
 撃って撃たれて。繰り返される引き金の音。
 ちっぽけな存在意義。ゴミ屑のような消失。減らない勢力と増えない成果。
 命は平等?
 ならば本当に意味のある死は、何処に。



 ズシリ、と。
 背負った衛宮士郎の身体が、やけに重く感じた。











 夢を見ている。



 衛宮士郎は校内にいた。夕日差し込む穂群原学園の廊下。今日の夕食は何を作ろうかなんて、呑気なコトを考えながら。

 場面が換わる。

 士郎は掃除をしていた。此処は弓道場。誰もいない場内を、一人で掃除している。
 大方の掃除を終えたところで立ち上がった。その拍子に骨が鳴る。心地よい疲労感があった。

 場面が換わる。

 奇妙な出で立ちの男たちが争っていた。赤い外陰の男と、青い洋装の男。赤の方は双剣を、青の方は真紅の槍を振るっている。
 現代日本では考えられない異常な光景。にも拘らず、その光景から眼を離せなかった。

 場面が換わる。

 士郎は校舎内を走っていた。既に外は闇に沈んだ夜の世界。非常灯が照らす校舎内を、必死に駆けて行く。
 急がなければ。奴が来る。青い死神が。命を刈りに来る。

 場面が換わる。

 心臓を、一突き。

 場面が換わる。

 血だまり。

 場面が換わる。

 赤い宝石。

 場面が換わる。

 場面が換わる。

 場面が換わる。

 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる。
 場面が換わる――――



『問おう』



 曇りの無い音。
 凛とした響き。
 耳に届いた少女の声。



『貴方が、私のマスターか』



 月明かりに照らしだされたのは一人の少女。
 結われた金色の髪。
 宝石のような翡翠色の瞳。
 きめ細やかな肌。
 凛然とした面持ち。
 息を呑み、眼を奪われ、見惚れてしまうほどに――――現れた少女は、気高く、神々しく、そして美しかった。











 酷く身体が痛む。
 音がやけに遠く聞こえる。
 開いた瞼は暗闇しか映さない。
 ここはどこだ。重い頭を無理矢理に動かし記憶を掘り返す。だが錆びついたかのように、動きが遅かった。

「……っ!」
「……、………!」

 誰かが何かを叫んでいる。内容は全く聞こえない。けれど必死だと言う事は分かった。
 何が起きているのか。痛みを押し込め、頭を上げた。

「ぁ……」

 だが首に力が入らない。重力に引かれるように頭が下を向いた。
 身を起こすどころか頭すら上げる事が出来ない様相。身体に信号を送れど反応は無し。意識以外の全てが自分のモノでは無いように感じる始末だった。
 何が起きているのか。
 錆びついていた頭が、少しずつ動きだす。

「…やく………って!」
「い………き……っ!」

 知っている。この声を知っている。
 望月と木曾。
 島で出会った、不思議な二人。

「……あぁ」



 思い、出した。



「……こ、こは?」
「おにーさん!?」

 慌てたような望月の声。起きているとは思わなかったのだろう。そして認識と同時に、急速に士郎の身体に意識が戻る。
 響く砲撃音。
 耳障りな鳴き声。
 怖気すら感じる金属音。
 争いの音が、聞こえた。

「捉まった、のか?」
「最悪な事に、ねっ!」

 急速な回転。生じるG。全身に痛みが突き刺さる。
 士郎の目の前を何かが波飛沫を上げて通過した。夜よりも黒い何か。それは後方へと通過し、すぐに見えなくなった。

「ごめん、お兄さん! 歯ぁ食いしばって!」

 声と共に、再び身体が振り回される。掴まれた腕が一層の悲鳴を上げた。
 右、左、右、上へ。重力を無視した急激なストップ&ゴー。痛みが気絶する事を許さない。無理矢理に意識が覚醒させられ、霞んでいた意識が明瞭さを取り戻した。

「危ないって!!」

 停止。そしてバックステップ。
 望月の声に士郎の視線も前を向いた。

「アレ……は?」
「深海棲艦。潜水カ級、だね」

 其処には何かがいた。海から一部分だけを海上に出した何かが。
 残存魔力をかき集め、視力を強化する。より明瞭になった視界がソレを捉えた。
 濡れた黒い長髪。
 生気を失った青白い肌。
 そして眼が。青く光っている眼が此方を捉えていた。

「マジかよっ!」

 声と共にGがかかる。真横に望月が跳んだためだった。
 唸り声を上げて、またも何かが士郎たちのいた場所を通過する。何であるかは見当がつかない。が、喰らえばひとたまりもない事は瞭然だ。
 一発、二発、三発、四発。
 安堵する暇も無く襲いかかってくる。

「木曾さんっ!!」
「おうっ!!」

 その間隙を縫って、カ級に何かが襲いかかった。
 木曾。
 想定外の出現に、敵も思わず行動を止めた。

「なっちゃいねぇなぁ!」

 動きを自ら止める等、自殺行為でしかない。
 踵落とし。そしてローキック。
 サッカーボールを扱うが如く、躊躇い無く頭部を蹴り飛ばした。
 跳ね上がる頭。露出する喉。
 狙わないわけが無い。

「急げ、抜けるぞ!」

 もう一発蹴りを入れ、ついでに海面に叩きつける。力無く上がった手を掴むと、逆方向へ極めた。
 一連の動作の合間に望月と士郎はラインを駆け抜ける。振り返ると、木曾が敵の頭部にもう一発かましたところだった。

「……倒せるのか?」
「今の私たちじゃ厳しいね。相応の武装が必要だよ」

 幾ら人型を模しているからと言って、何もかもが人と同じではここまでの脅威とは成りえない。
 深海棲艦。概要こそ不明だが、その名称からも察せる様に存在は艦隊と同義である。素手で相対出来る相手では無い。
 つまるところ、木曾の行為は徒労に終わる可能性が高い。にも拘らずあの場に留まり続けているのは、士郎たちを逃がす為の時間稼ぎだった。
 少しでも敵の目を向け、逃げる為の距離を稼ぐ。
 一発でも喰らえばアウト。
 捨て身同然の殿。

「はぁぁあああああああああああああっ!!!」

 補足時の敵艦隊は三体編成。内、二体は同仕打ちを誘発させて仕留めた。
 残るは相対する一体のみ。
 生き残り、二人と合流する。
 難しい条件では無い。

「はっははっ!」

 照りつくような熱さがうなじを焦がす。
 紙一重で行ったり来たりする恐怖と快楽。
 シナプスが焼き切れそうな程の緊張感。
 打って、避けて、蹴って、避けて。
 くるくると回る立ち位置。入れ替わる攻防。覚悟は最初から決まっている。

「ぶっ飛べっ!!」

 相手の砲撃に合わせるようにして、後ろ飛び回し蹴り。砲撃口がぶれ、あらぬ方向に弾が飛んでいく。
 そしてその隙間に滑りこむと顎をカチ上げた。
 衝撃で、僅かに距離が開く。



 ――――同時に、爆発。



「……は?」

 カ級が沈む。暗い海の底へ。
 黒煙を噴き、断末魔の声を上げながら。
 力無く。墜ちて行く。

「深海棲艦に対して肉弾戦って……馬鹿じゃないの?」

 冷静な第三者の声。望月では無い。ましてや士郎のでも無い。
 呆気ない終わり方に一瞬とはいえ呆けていた三人だったが、反射的に声の方へと向いた。黄土色の髪。木曾たちと同じくボロボロの服。小柄な体躯。そして眼。
 意志の強そうな眼が印象的な少女が其処にはいた。

「全く……まぁいいわ」



「駆逐艦、満潮よ。……どうやらアンタ達も捨て艦みたいね」





[39855] 1-2
Name: くま◆130f149e ID:52acee26
Date: 2018/05/07 00:58
『捨て艦戦法』

 艦娘の特異性を利用して編みだされた戦法。
 戦況の悪化に伴い本部の上層部が提言した、早い話が人海戦術。本来であれば戦闘経験の足りないような練度の低い艦娘も実戦に投入し、数による力で戦況を覆そうとするのが狙い。
 過去の例を見ても戦法自体は決して珍しいものでは無いが、鉄底海峡奪還作戦時等の特定危険種のいる海域にはこの戦法が特に有効とされ、本部付きの艦隊は殆どが採用する事になる。
 尚、戦法自体に正式な名称がつけられていた訳では無い。『捨て艦戦法』の名は、まるで艦娘を消耗品のように扱う戦法内容に反発した、一部の艦娘や提督たちが皮肉を込めて言ったのが始まり。



 間宮の記録帳より、一部抜粋。










■ 艦これ×Fate ■










「すて……かん?」
「……戦法の一つだよ。正式名称じゃないけどね……」

 士郎の呟きに望月が答える。どこか苦々しく、そして憂いを帯びた口調。たった半日程度しか行動を共にしていないが、その口調は今までの望月らしからぬものだった。
 その言葉に嫌な想いでもあるのだろうか。確かに響き自体は良くないモノのように感じる。
 煤の付いた顔を見上げた。

「……お兄さんは気にしなくていいよ。これはあたしたちの問題だからね」

 士郎の視線に気がついたのだろう。ぎこちなく笑みを浮かべ、望月はやや強引に話題を切った。触れられたくない内容であるのは瞭然だった。
 釈然としない。が、これ以上は訊けない。
 開きかけていた口は、別の言葉を探した。

「……あの子は?」
「朝潮型三番艦・満潮。種別は駆逐艦だね。真面目な子だよ」

 相変わらず難解な言葉のオンパレードである。が、今木曾と話している少女が顔見知りの一人である事は分かった。
 服装こそ二人と同じくボロボロであるが、意志の強そうな瞳に翳りは見えない。望月の評価の通りの子なのだろう。この現状で情報交換を出来る辺り、胆力も座っている。
 と、そこで満潮の視線が士郎を捉えた。

「……アンタは?」
「彼は衛宮士郎。恩人だ」

 士郎が口を開くより早く木曾が答える。士郎の体調を考慮した故だった。
 恩人、ねぇ。反芻するように満潮は言葉を口の中で転がした。

「随分と若いみたいたいけど……軍の関係者ってことでいいかしら。こんな最前線にまでご苦労様。もしくはご愁傷様ね」
「あー……満潮。自己完結している所に悪いが、彼は一般人だ」
「……はぁ!?」

 なにそれ、意味分かんない。
 木曾と士郎。ついでに望月を見比べながら、もう一度満潮は口を開いた。
 なにそれ、意味分かんない。

「な、何で一般人が此処に?」
「さて、な。分からん」
「分からんって……」
「いや、本当に分からないんだ。気がついたらあの場所にいたとしか……」
「お兄さん。それ、怪しんでくれって言っているようなものだよ」

 弁解は弁解とならない。望月の容赦の無い言葉に士郎は黙るしかなかった。
 満潮は満潮で疑いの眼差しを向けている。が、追求することはしないらしい。あるいは、追求するだけ無駄だとでも思っているのだろうか。
 暫し士郎を見ていたが、自己を納得させたのか視線を切った。そして聞えよがしに溜息を吐いて、背を向ける。

「……まぁ、いいわ。来なさい、隠れ家に案内するわ」
「隠れ家?」
「ええ。そんなボロボロの恰好じゃどこにも行き場無いでしょ。暫く休むといいわ」
「……それは助かる。だが……」
「危険区域を一般人を連れて突破する、とでも?」
「士郎殿は衰弱している」
「なら、尚更よ。人間一人程度なら賄えるわ」

 とんとん拍子に話が進んでいく。渡りに船とは、まさにこのことだろう。
 一瞬顔を見合わせた三人だったが、元より選択肢は皆無に等しい。このまま進んで成功率の低い賭けを続けるか、暫し休息を受けるか。どちらかを選ぶなんて、考えるまでもない。
 視線を合わせて、頷く。

「……ありがとう。世話になる」

 お礼の言葉に、満潮は手を上げただけ。余計な言葉を交わすつもりは無いらしい。



 遠くに聞こえる砲撃音と笑い声。
 行こう。ここは安全ではないのだ。











「ここよ」

 満潮を先頭にして進む事、彼是三十分ほど。
 四人が着いたのはフェンスで囲まれた人工の小さな島だった。

「ここは……」
「鮫の研究施設みたいよ。もう稼働はしていないし、鮫もいないけどね」

 成程、よくよく見れば看板が取りつけてある。暗闇では全く見えないが、きっとこの施設の注意書きでも書いてあるのだろう。
 ぐるりと周囲を囲っているフェンスはひしゃげ、崩壊した後の瓦礫が手つかずで放置されている。ここも戦闘の余波にさらされているのだ。長く留まっていられる場所で無いことは明らかだった。

「この看板の下から入るわ。海面から一メートルくらいの場所に穴が空いているから、スイッチを切ってから潜って入って」
「スイッチ?」
「俺たち艦娘が海上を進む為に必要な浮力装置のことさ」
「艦娘? 浮力装置?」
「……そう言えばその説明すらしていなかったな」
「静かに。電探に反応は無いけれど油断は出来ないわ」

 すまんな、後で説明するよ。そう言われてしまっては士郎も黙るしかない。
 満潮に促される形で三人は海中に潜った。そして望月を先頭にして進む。暗い海中の様相は士郎には全く見えないが、不思議な事に彼女たちには見えているらしい。
 時間にして、約十秒。
 引っ張られる形で浮上する。

「ぶはっ!」

 フェンスを隔てて内部へ。薄い囲いであっても、有ると無いとでは大きく安心感が違った。
 隠れ家とは、本当によく言ったモノである。

「向こうに梯子が見えるでしょ。そっから上がって。私もすぐ行くから」

 満潮の言葉に三人は傍の陸地を目指す。夜の海中は想像以上に体力を奪うのだ。
 入る時と同じように士郎は引っ張られる。弱った士郎一人が泳いで進むよりも、彼女たちに引っ張られて進む方が何倍も速いからであった。

「あの……誰、ですか?」

 だが陸地に上がろうとしたところで声を掛けられた。満潮のではない、誰か別の声。
 反射的に視線を向けると、其処には女の子がいた。煤けて穴も開いているセーラー服。やはり、皆と同じくボロボロの様相だった。
 陸地に手をかけつつ、木曾が答える。

「俺は軽巡洋艦・木曾だ。此方は駆逐艦の望月と、一般人の衛宮士郎。満潮に案内されて来た」
「み、満潮ちゃんに? じゃあ味方なの? でも、証拠が無いし……」
「……味方よ。だから銃口を下げなさい、磯波」

 いつの間にかに戻ってきていた満潮が少女を窘めた。良く見れば少女は右手に銃を持っている。引き金にはしっかりと指がかけられていた。
 一足先に陸地に上がり、少女の肩を叩く。

「こっちは大丈夫よ。私は三人に説明するから、貴女は叢雲達に付いていてあげて」
「ほ、本当に……大丈夫?」
「大丈夫よ、心配無いわ」

 酷く少女は怯えていた。満潮の言葉を何度も反芻し、それでも不安そうに此方を見ていた。
 何が少女にあったのか。それとも元の性格からしてこうなのか。あるいは、自分たちを恐れているのか。
 陸地に上がりながら、士郎は問うてみた。

「あの子は?」
「吹雪型の九番艦・磯波。満潮や望月と同じ駆逐艦さ」
「……何か警戒されているみたいだったけど」
「さぁ、な。元から大人しい奴だったが……」

 木曾が首をかしげる。彼女も磯波の様子に困惑しているようだった。確かに大人しいとは言っても限度がある。
 まぁ、お兄さんを恐れているわけじゃないから。安心して。空気を呼んだのか、望月が務めて明るい声で言葉を紡いだ。そしてそこには、この話題を打ち切ろうという考えも見て取れた。
 先ほどの様子と言い、今の様子と言い。どうやら望月には心当たりがあるらしい。

「……望月ちゃん」
「んあ、何? あと望月でいいよ」
「ああ……いや、その、さ。君は何か――――」
「あー、お兄さん。その……ごめん。今は……答えられない」

 整理がついてからでいいかな。ぎこちない笑みを浮かべて望月は言葉を切った。そして目を合わせる事無く満潮の後を追うようにして歩き去る。
 後に残ったのは士郎と木曾だけ。
 気まずい空気だけが残る。

「……すまないな、士郎殿」
「いや。こっちこそ無遠慮だった、ごめん」
「……色々とあったんだ。特に、望月は……」
「……」
「あの様子を見るに、多分磯波も同じ様な目にあったんじゃないかと思う」
「……あとで謝らなきゃな」
「その必要は無いさ。士郎殿は悪くない」

 ただ、これは戦争だから。達観した表情で木曾はそう言った。それは外見年齢に似合わぬ、悟りの言葉だった。
 彼女たちに一体何があるというのか。決定的な断層が士郎と二人の間には存在している。そしてそれは、根本的な部分から生じているようにすら思えた。
 艦娘。深海棲艦。危険区域。戦争。
 どれも士郎には聞き覚えの無い――あるいは、遠くの国の言葉。
 謎は深まるばかり。

「……なぁ、木曾さん」
「なんだ? あと、俺の事は呼び捨てで構わないぞ」
「じゃあ、俺の事も呼び捨てで――士郎で良い」
「士郎。ああ、こっちの方が呼びやすい」

 言葉を切り、空を見上げる。
 星灯りだけ。月は見えない。
 だから、隣にいる木曾の表情もよく見えなかった。

「まだ一日程度しか経っていないけどさ……少し、考えたんだ」
「何を?」
「現状を、さ。単純に忘れているだけなんだろうけど……俺の記憶じゃもっと海は平和だった筈なんだ」
「……そうか。だがそれは、残念ながら幻想だな」
「ああ、そうみたいだ。……ゴメン、後で落ち着いたら質問をさせてくれ」
「お安い御用さ。まぁ、俺が応えられる限りならな」











「……なーにやってんだか」

 自嘲するような言葉が漏れる。漏らしてから、慌てて口を噤んだ。そして周りを見る。
 誰もいない事に安堵の息を吐くと、そのまま壁に背を預ける。座りはしない。何故なら、誰かが来た時に取り繕えなくなる恐れがあるから。
 駆逐艦・望月。今の彼女の心境は、酷く不安定であった。

「……しっかりしようよ」

 呟いた言葉には強さが一切無い。自戒の声は震え、絞り出しただけで終わる。
 艦娘としての誇り。
 敵を屠り、屠られることへの覚悟。
 飲み込んだ筈の弱さと恐れ。
 罅が入ったのは、一体どこから?

「……お兄さんのせいじゃない」

 士郎のせいではない。

「木曾さんのせいじゃない」

 木曾のせいではない。

「満潮のせいじゃない」

 満潮のせいじゃない。

「磯波のせいじゃない」

 磯波のせいではない。

「作戦の……せいでも、ない」

 そう。作戦のせいでも無い。
 だって、覚悟はあったから。屠ることと、屠られることへの覚悟が。
 自分にも。アイツにも。
 あったから。



『……ごめんね、望月ちゃん』



 声が、聞こえる。



『また会えたら』



 それは幻聴。



『私を――――』



「三日月……」

 こびり付いた幻聴。
 掴めなかった手。
 精一杯の笑顔。
 ぎゅっ、と。バッジを握りしめる。睦月型の中でも一部の艦娘のみに配布される三日月形のバッジ。
 偶然にも同じ部隊に配属された、姉妹の名と同じバッジ。

「……参ったね、こりゃ」

 おどけるように、茶化すように。肩を竦めて自分に言い聞かせる。声は震えていて、鼻を啜る音が響いても。無理矢理に仮面を付ける。
 この程度で柔になるようでは、艦娘など務まらない。

「ふぅぅぅ……はっ!」

 やや大袈裟に息を吐き、前を向く。
 ドアの隙間から漏れる光。おそらくは其処に誰かしら居るのだろう。
 袖で顔を拭き、望月は改めて顔を上げた。何時ものダラリとした、気怠い自分を作る。本心を覆い隠した仮の自分を前面へ。
 それは慣れた行為。

「はぁ~、失礼するよー」

 ノックと共に、頭を掻きながら扉を開ける。



 ――――だがその努力は、虚しくも打ち砕かれる。



「あら」

 そこには少女がいた。黒色のセミロング。金色の瞳。そして自分と同じ黒色のセーラー服。
 右手と右足には赤く滲んだ包帯が巻かれており、彼女も負傷者の一人である事が分かる。

「奇遇ね、貴女も来たんだ」

 少女は臆することなく望月に話しかける。
 当然だ。
 互いが互いを知っているのだから。
 驚いているのは望月ばかり。

「……三日…月」

 震える声で望月は言葉を紡いだ。目の前の少女の名前。
 姉妹艦にして、此度の海戦を同じ艦隊で戦った戦友。
 伸ばした手からスルリと消えた――――

「お前、生きて――――」



「初めまして、ね。望月。こんな場所で再会なんて、本当に災難よね」





[39855] 1-3
Name: くま◆130f149e ID:52acee26
Date: 2018/06/13 22:10
『金剛――大破
 霧島――轟沈
 満潮――中破
 吹雪――轟沈
 磯波――大破
 白雪――轟沈』



 ……。
 ………。
 …………。
 ……………。
 ………………。
 …………………。
 ……………………。
 ………………………。
 …………………………。
 ……………………………。



 ――――コンコン



 ……。



 ――――コン



 ……。



 ――――コンコン



「――――報告よ」



 ……。



「……新しく三人を救助したわ。軽巡洋艦、木曾。駆逐艦、望月。……そして一般人の衛宮士郎」



 ……。



「救助の際に潜水カ級と交戦。撃墜もしたし、多分此処の捕捉はされていないわ」



 ……。



「相変わらずこの海域は激戦区のままね……報告は以上よ」



 ……。



「……」



 ……。



「……待っているから」










■ 艦これ×Fate ■










 マカリスター海洋研究所。
 アイアンボトムサウンドにある海洋研究所で、旧潜水艦補給所を改造して建設された。研究内容は医療系で、主な実験対象生物は鮫。特に世界中広範囲に生息するアオザメが対象とされていた。
 研究自体は順調であったらしいが、深海棲艦の出現により研究所としての施設機能は放棄せざるを得なくなる。代わりに、元潜水艦補給所であると言う点を生かして、深海棲艦への対抗拠点の一つとして暫くは軍に活用されることになった。
 だが、特定危険種の一つでもある『航空戦艦・飛行場姫』の出現により戦況は悪化。元々深海棲艦が多く出現する激戦海域の一つとされていたが、奴の存在により本格的に奴らに一帯の制海権を握られる事になる。結果、軍の撤退と共に施設は放棄される事になった。
 以降の記録は無し。
 撤退自体はそんな昔の事では無いので、物資は意外にもそれなりの量が貯蓄されたままである。一週間くらいであれば成人男性3人分の生活も賄う事が可能。
 だが戦闘の余波で使える施設機能は限定されている。海上施設は殆ど破壊され、海中の研究設備階層も一階部分であるA区画以外は水没。自衛設備も整っているとは言い難く、本腰を入れて籠城するには心許ない。



「まぁ、そう言うわけだから。寝泊まりはこの部屋で雑魚寝ってことでお願い」



 一通りの説明の後、士郎たちが最後に案内された場所は広々とした部屋だった。A区画最大の広さを誇る会議室。在りし日の頃は、きっと医療発達の為に日夜議論が交わされていたのであろう。
 部屋の中にあるのは大きなソファーが一つと、畳まれた幾つかの毛布。重ねられた段ボールの山。そして何処からか引っ張ってきた小さな豆電球。椅子やら机やらは隅に片されていた。
 そこに、平和の頃の光景は無い。

「他の艦娘もここを寝室代わりに使用しているわ。ま、言っても今は私と磯波くらいだけどね」

 稼働している部屋は第一医務室と、倉庫部屋が二つと、この会議室の計四部屋のみ。一番片付いているのはこの会議室であり、ともすれば一同揃っての雑魚寝も仕方が無い。

「他の艦娘もってことは、まだいるのか?」
「ええ。でも、駆逐艦が殆どよ。しかも軒並み中破以上」

 仕方が無いことね。お互い通じ合うのか、木曾と満潮は同じような表情を浮かべて頷いた。それは納得とも諦観ともとれる表情であった。
 溜息を吐きつつも満潮は言葉を続けた。

「他の子は第一医務室にいるわ。寝ている子もいるから、入る時は静かにお願い」
「医務室か……物資はどれくらいある?」
「意外と残っているわ。でも、私たちにとっては意味が少ないものばかりね。殆ど英語だから内容も分からないし……まぁ、有用なのは食料と燃料くらいかしら」
「こんなところで本格的な修復が出来ようとは思っていないさ。それだけでもありがたい」
「残りは少ないけどね。他の子たちが探してくれているけど、満足な量が見つかるかどうか……」

 状況は悪い。
 それは、この海域にいる限り変わらない。

「まぁ、今日は休みなさい。明日には皆帰ってきているだろうし……その時に顔合わせすれば良いわ」
「……そうだな。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおう」
「ええ、ゆっくり休みなさい。あと、はい」

 士郎に向かって何かが投げて寄こされる。
 ペットボトルと小さな瓶と缶詰。
 どれも英語が記載されているせいで内容は分からないが、まだ未開封の新品だ。

「瓶に入っているのは栄養剤よ。水も未開封で消費期限には余裕がある物だから大丈夫」
「あ、ありがとう」
「木曾さんはアレね、浄水したやつ。そこの段ボールの中の、開封済みのペットボトルに入っているから」
「いや、俺も浄水したやつで充分だけど……」
「衰弱しているんでしょ。アンタはただの人間なんだから、大人しく受け取っときなさい」

 士郎の言葉は一蹴される。議論の余地もないほど、バッサリと。
 壁に預けていた背を起こし、満潮は二人から視線を切った。案内は終わり。片手を上げ、背を向ける。

「じゃ、私は地上入口付近で見張りをしているわ。何かあったら来て頂戴」
「一人でか?」
「ええ、そうよ。一人の方が勝手も良いしね」
「……手伝う事はあるか?」
「気持ちだけで充分よ。一般人のアンタじゃ、正直足手纏いにしかならないわ」

 他人を気にする余裕があるなら、自分の身体の回復に努めなさい。必要最低限の言葉で会話を終わらせると、結局士郎と碌に目を合わせる事無く満潮は部屋を出て行ってしまった。
 取り残される士郎と木曾。
 少しの間を置いて、申し訳なさそうに木曾は口を開いた。

「……あー、その……すまんな」
「構わないさ。言われた事は本当のことなんだし」
「根は良い奴なんだ。ただ、自分にも他人にも厳しくてなぁ」
「余計な気を使われるより百倍マシだよ」

 事実として彼女の言葉は反論の余地の無い正論である。衰弱した一般人は大人しく寝ているに限るのだ。
 そう言ってくれると助かるよ。そう言って木曾は苦笑いを浮かべた。彼女なりに色々と気を遣っているのは明白だった。
 確かにストレートな物言いは人を選ぶかもしれない。が、士郎自身は嫌いでは無い。寧ろあそこまで言い切られれば納得の感情しか湧かなかった。
 ただ、もしも気がかりがあるとすれば――――

「……なぁ、木曾」
「ん、どうした?」
「……あの子は大丈夫なのか?」

 満潮は言っていた。軒並み中破以上、と。何処から線引きし基準を定めているかは分からないが、察するに此処にいる殆どの者が支障を抱えているに違いない。事実、満潮は右腕と右足に包帯を巻いていた。木曾や望月だって怪我を負っている。
 だと言うのに、彼女たちは動いている。どう見ても自分より年下の女の子が生死を賭して働いている。
 明らかに異常である筈の光景。

「満潮ちゃん、怪我しているんだろ?」
「まぁ……確かに怪我みたいなもんだな。だが此処じゃ動かねば果てるだけだ。それは本人が一番良く分かっている」
「だけどまだ子どもじゃないか」
「見た目はな。あんなナリでも艦娘なんだ。覚悟は出来ているさ」

 望月だってそうさ。紡がれた会話には、理解し難い大きな溝が刻まれていた。前提の知識からして異なっていた。
 その一つが、『艦娘』。木曾から、望月から、満潮から。幾度も訊いた言葉が、まるでそれ自体が意思を持ち合わせているかのように、士郎に納得をさせようと脳に蓄積する。
 艦娘。艦娘。艦娘。
 木曾と望月。
 軽巡洋艦。駆逐艦。
 満潮。
 磯波。
 深海棲艦。潜水カ級。
 艦娘と深海棲艦。
 一般人と艦娘。
 衛宮士郎と艦娘。



「――――なぁ」



 口を開く。
 思えば。最初に出会ったときから、疑問に思う事があった。それは時間が無かったり、そんな状況じゃなかったり、はぐらかされたりして訊けていなかったけど。本来であれば最優先で訊かなければならないコトの筈だった。
 そう。
 未だに。一番大切なコトを士郎は知らない、訊けていない。



「――――艦娘って、何なんだ?」











 トントントン。トントン、トン。木曾が米神を叩いている音。
 そして困ったように。彼女は苦笑いを浮かべながら口を開いた。

「……また、随分と難しい質問だな」

 さて、どこから説明したものか。腕を組み、天井を見上げる。

「……士郎は艦娘について何を知っている?」
「何も知らない」

 望月は言っていた。機密扱いだと。そして同じく、中々お目にかかれない存在だとも。それは即ち、艦娘と言う存在が世間一般的にはそれほど浸透していないことになる。

「そうだな……深海棲艦については分かるか?」
「さっき見たアイツの事か?」

 濡れた黒い長髪。
 生気を失った青白い肌。
 青く光る眼。
 深海棲艦。潜水カ級。

「アレもだな。もっと言えば、士郎が撃墜した艦載機も奴らの仲間になる」

 斧剣で叩き潰した黒い何か。アレは艦載機と称されるものであったらしい。

「相対して分かったと思うが、奴らは並の兵器では倒せなくてな。最新鋭の戦闘機ですら簡単に撃墜されちまう」
「戦闘機すらもか?」
「ああ。今のところ奴らに有用と言える手は片手で数えれる程度だな」
「その一つが、艦娘……」
「ま、早い話がそうなる。その中でも現状における最有力の防衛手が俺たちってことさ」

 深海棲艦と言う正体不明の敵を倒す為に生まれた存在。
 誇らしげに木曾は語ってくれる。だが、士郎には幾つか気にかかることが有った。

「……艦娘ってのは女の子ばかりなのか?」
「娘って漢字が付くくらいだからな。俺の知る限りでは男の艦娘なんて見たこと無い。システム上、どういう訳か女性しか成れないんだ」
「……女の子や子どもが戦うしかないのかよ」

 ポツリ、と。小さく言葉が漏れる。自己への確認の言葉。
 呟いて士郎は俯いた。知らず知らずのうちに握りしめていた拳は、既に白く変色している。薄々気が付いていたことだが、実際に言葉にされるとでは意味合いも大きく違った。
 当たり前の現実。
 知らない言葉。
 変貌した日常。
 いつから世界はこんな姿になったのか。

「……まぁ戦場に女も男も無いさ。強ければ生き、負ければ死ぬ。実にシンプルだろ」

 変わらない木曾の言葉。彼女の言葉通り、世界の定義は今も昔も変わることなくシンプルであり。今日も通常営業のまま正しく回っている。
 喰われるのは何時だって弱者であり。
 そんな得物を糧に強者が生き延びる。
 それは極論かもしれない。が、一つの正論でもあった。
 だが、



「――――馬鹿げている」



 士郎の価値観からすれば、そんなモノはクソ食らえと同意義だった。

「何でそんなことが罷り通る。何でこんなことが許される。何で――――」
「……」
「――――何で、皆納得しているんだよ」
「……何も知らないんだな」
「……ああ」

 生じた怒りを向ける相手はいない。握り締めた拳を放つ相手はいない。
 腸が煮えくりかえるとは、まさに今のような事を言うのだろう。やり場のない怒りが膨張し、出口を求めて鬩ぎ合う。危険な目にあっているのが自分じゃないと言うのに――いや、寧ろ、他者であるからこそ士郎は憤りを感じていた。
 それも覚悟を持っているとは言え、女の子や子どもが戦場に出るだなんて……

「……一つだけ言うならば、その言葉は他であまり言わない方が良い」
「……」
「俺たちは艦娘だ。深海棲艦を倒す為に生まれた存在だ。例えこの身が女子であろうとも、その使命に誇りをもっている」
「……っ」
「だから、士郎がその事に憤りを感じる必要は無い」

 優しく、だがバッサリと。士郎の憤りは切って捨てられる。
 当然と言えば当然であった。今の言葉通り、彼女たちは誇りを以って敵と対している。そこに余計な言葉は必要ない。それでも言葉を挟もうとするのならば、それは彼女たちへの侮辱にしかならない。
 ならば。黙るしか、無い。

「……だが、まぁ、嬉しいぞ」
「……」
「俺たちが只の女扱いされるのは心外だが、日本男児なればそれくらいの度量は持ってもらいたいからな」
「……矛盾しているぞ」
「何を言う。男児ならばそれくらいで泣き言を言うな」

 ハハッ、と。木曾が士郎の言葉を笑い飛ばす。それだけで軋みかけていた空気が和らいだ。
 他に誰もいなくて良かった、と士郎は思った。誰かがいたら自分の不用意な発言に後悔をしていたかもしれなかったから。勿論、木曾と二人きりだからこそ訊いたわけでもあったのだが。











「……お兄さん、寝た?」
「おう、寝たぞ。……遅かったな、望月」
「あはは……まぁ、ちょっとね」

 規則的な呼吸音。僅かに上下する胸。
 望月が戻って来た時には、既に士郎は眠りに落ちていた。

「医務室にでも行っていたのか?」
「うん。良く分かったね」
「他に行くところが無いしな」

 あはは、それもそうか。望月の口からぎこちの無い笑い声が零れる。
 そのあからさまな怪しさに、一瞬怪訝そうに木曾は眉根を寄せた。が、何も無かったかのようにすぐに目を閉じる。
 暗闇に響く衣擦れの音。
 すぐに音は収まった。

「……」
「……」
「……」
「……」
「……三日月がいたよ」
「……」
「……でも、別の三日月だった」
「……そうか」

 それだけ。
 また、士郎の寝息だけが響く暗闇に戻る。



 その寝息が三つになるのに、それほどの時間はかからなかった。






[39855] 1-4
Name: くま◆130f149e ID:52acee26
Date: 2015/01/24 16:35
 坂の終わり。
 対峙する三組の参加者。



 鉛色の巨体。
 巨大な斧剣。
 紅色の眼光。
 圧倒的な存在感。
 坂の上。見上げた先にいたのは、この世の者とは思えぬ鉛色の巨人と、それを従える白い少女。

「相談は済んだ?
 なら、始めちゃって良い?」

 ロクな策なんて思いつく筈が無い。提示された選択肢は逃げるか戦うか。
 だが目の前の少女がそんな悠長に待ってくれる筈もなく。

「じゃあ殺すね」

 最終通告と予告。
 その言葉に偽りは無く。



「やっちゃえ、■■サー■ー」



 少女の言葉が引き金に。
 巨人の身体が膨れ上がり、発光するように肌に赤みが差す。自らを鼓舞する雄叫びが周囲の霧を晴らし、その全容を露わにした。
 そして次の瞬間には。破壊音とともに巨人の姿が視界から消え去り――――

「シロウ! 下がって!」

 鋭く疾る声。声が耳に届き、言葉の内容を理解し、思考が現実に回帰するまでに所要した時間は一秒以下。動くには充分な時間が残されていた筈。
 だがそれは。アレを相手にするには致命的すぎる隙であり。
 彼女の声に反応するにはあまりにも遅すぎて。軌道をなぞる様に、空を見上げるだけで精一杯で。
 その先の。視界に映った鉛色の巨人が得物を振り上げ――――










■ 艦これ×Fate ■










「……夢か」

 いや、夢で良かった。本当に。
 荒い息。上下する肩。汗が流れる額。
 顎まで流れ落ちた汗を袖で拭き取り、士郎は安堵したように息を吐く。ぐっしょりとシャツが汗でぬれていた。息の荒さが夢の内容の苛烈さを物語っていた。夢とは思えぬ現実味がそこにはあったのだ。
 大丈夫だ。あれは夢。現実には起こりうるはずの無い光景。
 言い聞かせるように言葉を反芻する。自身を落ち着かせるように強めに息を吐き出す。
 諸々の滞りが吐き出され、瞬く間に虚空に霧散する。
 そうして起き上がった体勢から、ベッドに腰掛けるように体勢を変えた。
 ひんやりとした冷たい感触が素足に伝わる。

「やっと起きたようね」

 その矢先に声がかかる。予想だにしていない展開に、士郎は口を無様に開閉することしかできない。だが反射的に動いた視線が、どうにか声の主を捉えていた。
 そこには女の子がいた。薄水色のロングヘアー。細い体躯。そして紅玉色の眼。意思の強そうな眼。
 身につけているのは薄汚れたセーラー服と赤い髪留め。露出している肌には包帯が巻いてある。

「随分と魘されていたけど、何か悪い夢でも見ていたの?」

 心配するような声色。どうも随分と前から魘されていたらしい。
 頭を掻きつつ士郎は口を開いた。

「……いや、大丈夫。少し夢見が悪かっただけだ」
「でしょうね。酷い顔色よ」

 ほら、と。小さな手鏡を渡される。
 映した自分の顔色は、確かによろしいものとは言えない。寧ろ酷かった。蒼白の言葉を体現したような顔色だった。
 思わず視線をずらし、首を振る。

「……悪い、ありがとう」
「どういたしまして」

 思わず溜まった息を吐きだす。体調の悪さもさる事ながら、未だに頭には混乱が残っている。落ち着くには、ひと時の時間が必要だった。
 一つ一つ。思いだすように整理していく。目覚めた海岸から、この海洋研究所まで。
 先刻まで見ていた夢の内容は、一旦思考の外に放り投げる。

「……君は?」

 そうして行き着いたのは、あまりにも遅すぎる確認事項だった。

「また随分と唐突ね。それとも、漸く落ち着いたのかしら?」
「……ああ。さっきよりは落ち着いた」
「ふぅん……。まぁ良いわ。でも無理はしないことね」

 私の名前は叢雲。
 少女は続けてそう言った。
 髪をかき上げ、胸を張り、自らの名を誇る様に。

「……良い名前だな」

 だから。
 ソレを聞いた士郎の口から出たのは、嘘偽りの無い賞賛の言葉だった。

「当然でしょ。当たり前じゃない」
「ああ……うん、良く似合っている」
「あらあら、お上手ね。ま、褒められても何も無いけど」
「そんなつもりは無いよ。それで、俺の名前だけど――――」
「知っているわ。衛宮士郎、でしょ」

 遮るように言葉を重ねられる。
 一瞬驚いた士郎だが、すぐ合点がいったように頷いた。

「木曾たちから聞いていたのか」
「ええ。とっくの前にね」
「……参ったな。そんなに時間が経過しているのか」
「そうね……あんたがここに運ばれてきてから、二日は経過しているわ」

 何気なく放たれた一言に。
 思わず士郎は固まった。

「中々起きないから心配したけれど、まぁ覚えるだけ無駄にならなくて良かったわ」
「……ちょ、ちょっと待て。今、なんて?」
「え? 覚えるだけ無駄にならなくて……」
「違う、その前!」
「あ、あんたがここで二日間寝ていた、ってところ?」

 叢雲は叢雲で、士郎の変貌に驚いている。が、士郎自身はそれどころでは無い。
 二日。確かに叢雲はそう言った。
 つまり。それだけの時間が既に経過しているわけで。

「……何を焦っているかは知らないけれど、あんたに出来ることは何も無いわよ」
「……それは、そうだけど」
「寧ろ自分が目を覚ませた事に感謝しなさい。木曾さんと望月、随分心配していたのよ」
「……ああ、そうだな。悪い」

 この部屋は会議室では無い。広さは元より、この部屋は雑魚寝では無い。ベッドが備え付けられている。
 おそらくは重傷者たちがこの部屋に運ばれる手筈なのだろう。目前の叢雲も、巻いてある包帯には血が滲んでいる。つまりはこの部屋が第一医務室に違いない。
 そしてその部屋を。二日間も士郎は占領していたわけなのだ。
 当人が焦りを見せるのも無理は無い。

「言っておくけど。重傷具合なら、あんたが一番危ないんだからね」
「……俺が?」
「ええ。よく眼を覚ませたわね、って感心するくらいよ」
「そう、だったのか?」
「寝てる当人じゃ知らないのも仕方ないわね……。でも、まぁ、それだけ元気なら大丈夫でしょう。今なら二人とも会議室に居ると思うわよ」
「……ああ、悪い。ありがとう」

 二人、とは。おそらくだが木曾と望月の事を指すのだろう。
 お礼を言って立ち上がろうとし、



「……あれ?」



 ガクッ、と。膝が砕けた。

「ッ! あぶなっ……」

 そのまま前のめりに倒れそうになるところを、叢雲が寸でのところで抱き支える。
 標準的な学生よりも筋肉質な士郎は重い筈だが、彼女はどうにか落とすギリギリのところで耐えている。

「あ、ん、たぁ……っ!」
「わ、悪い!」

 急いで。反対のベッドに手を伸ばして体重を分散する。衝撃を出さずに膝が地面に下ろされた。
 それを見届けると、力尽きたように叢雲は士郎に身体を預ける。加算された重みに、僅かばかり腰が痛みを訴えた。

「……怪我人に無茶させるんじゃないわよ」
「ごめん、本当にごめん!」
「……別に良いけど」

 ぐるりと。身体を回転させ、正面から叢雲を受け止める。あのままの体勢では支えられるものも支えられないからだ。
 だが彼女は。身体を預けたまま荒い息を吐くだけで動こうとしない。

「……えーと。叢雲、ちゃん?」
「ちゃん付けはいらないわ。変な気分になる。……心配しないで。ただの燃料切れだから」

 燃料切れ。この場に合わない言葉に訝しむ様に眉根を寄せるが、一秒の間を置いて合点がいく。おそらくは彼女も木曾達と艦娘と呼ばれる存在なのだろう。
 だが言葉に含まれたその厭な響きに。士郎はどうしようもなく厭な予感を覚えた。

「燃料切れって……」
「言葉通りの意味よ。必要最低限分しか無いの」

 必要最低限分。つまりは、

「……動けるギリギリの量、ってことか?」
「ええ、そうよ。今の私の怪我の状態じゃ殆ど動けない。動けないのなら燃料は最初から不必要。それなら他の子に回した方が得策でしょ」

 得策。まるで自分を部品の一つとして見なすように、彼女はそう言った。
 そこにあるのは純然たる事実。己の自己性を失くした一言。
 分かってはいる。木曾から概要は説明された。艦娘の意義、必要性、世界の情勢。彼女たちの誇り、覚悟、誓い。
 だから彼女の言葉も嘘偽りの無い本音なのだろう。
 ……だが、

「……分かった。少し我慢しろ。木曾たちの所に連れて行く」

 それで納得できれば苦労はしない。
 力の無い両足に叱咤を込め、士郎は立ち上がった。
 無論、その腕には叢雲を抱えて。

「……はぁ!? って、ちょっ、馬鹿言ってないで私を下ろしなさい! 何で木曾さんの所に!?」
「燃料の場所を訊く」
「ひ、人の話聞いていたの!? 燃料を得ても戦力にならない事には変わり無いんだってばっ!!」
「今にも死にそうな顔で何を言っているんだよ、そう言う問題じゃないだろ」
「そう言う問題よ!」

 純粋な戦力の点から見れば、確かに怪我人である彼女に余分な燃料は不要だろう。他の艦娘に回した方が、それは良いに決まっている。叢雲の意見は至極正しい。
 だがだからと言って。それを是とできるのは、あくまでも兵器としての運用を前提に考えている場合だけだ。
 彼女は確かに兵器かもしれない。けれど同時に人間でもある。

「ほら、落ち着け。行くぞ」
「ちょ、っと、待てっての……っ!」

 一瞬呆けた表情を見せる叢雲だったが、感情が現実に追いついたらしく、身を捻って暴れ始める。
 とは言え。元が艦娘だろうが、今はただのか弱い少女。士郎の腕から逃れるには馬力が足りなさ過ぎる。
 無理矢理に彼女を抱きかかえ、部屋の外へと出る。先ほどまでの醜態はどこへやら。確かに体調は万全ではないが、少女の一人くらい抱えることに問題は無かった。

「会議室だったな」
「このっ、下ろせっての!」

 叢雲の言葉には無視を決め込んで。
 先ほどから殴りつけてくる彼女の両拳に力が戻らないうちに、士郎はさっさと二人の下へ急ぐ事にした。











「……いないな」
「……ええ、そうね」

 最後の部屋を開ける。乱雑に物が放置されているだけの倉庫部屋。後調べてない部屋は別の倉庫部屋一室だけだが、そこは中で何かがつっかえて邪魔をしているらしく、どうしても開くことはできはない。
 会議室を始めとするA区画全域。その全ての部屋を見て回ったが、木曾達は勿論、満潮や磯波の姿も、燃料らしき物すらも見つけることは出来なかった。

「皆出たのか?」
「……そういうことでしょ。隠れるメリットが無いわ」

 そもそもA区画には四部屋しか存在しない。後は通路と入口に直結する小広間があるだけだ。隠れる場所は殆ど無いに等しい。
 溜息とともに叢雲は言葉を吐きだした。彼女は抱かれるがままに士郎に身を預けている。既に抵抗は諦めていた。

「何か聞いていないのか?」
「聞いているわけ無いでしょ。昼前に木曾さんが顔見せに来たのが最後よ」

 広間に備え付けられた時計は、午後の五時過ぎを指している。出てから時間が大分経過しているのか、それとも出たばかりなのかは分からぬが、運が悪ければ五時間も皆は消息を絶っている事になる。
 そうでなくとも。連絡係すら残さずに全員が居なくなると言う事は、決して楽観視できる状況では無いのだ。
 想像しうる限りで最悪の考えが士郎の頭を過る。

「……外、出て見るか?」
「もう夕刻の時間帯よ。止めた方がいいわ」
「止めた方がいいって……でもさ、外で何か起きていたらどうするんだ」
「それこそ私たちの出る幕は無いわ。出て行っても何も出来ることは無いわ」

 一般人と燃料切れの艦娘。彼女の言う通り、外に出たとしても出来る事は何も無い。確認するだけ徒労に終わる可能性の方が高いだろう。
 だが同時に、

「だけどここで待っていても変わらないだろ。何でもいい。情報が必要だ」

 ここで待つだけなのも無駄に近い。士郎の言うように、情報は必要だ。
 一瞬だけ。叢雲の脳内に浮かんだ天秤が鬩ぎ合い、

「……まぁ、一理はあるけどね」

 仕方なし、と言う風に。
 士郎の言葉を肯定した。
 事実として、彼女とて皆が気にならないわけが無い。

「で? 外に出るの?」
「それしか無いだろ。少しだけ出て、すぐに戻るだけなら深海棲艦に見つかる可能性は低い」
「……そうね。まぁ、それぐらいなら大丈夫、か」
「ああ。と言う事で、叢雲は此処で待っててくれ。すぐ戻……っ!?」

 言葉は最後まで続かない。
 ガシッと。叢雲を下ろそうとした矢先に、その両頬を掴まれたからだ。

「……此処まで来ておいて、私は置いていぼりなのかしら?」
「いや、万が一の場合は俺一人が囮に……」
「あら? もしその万が一の場合にあんたが帰って来れなったら、残された私は此処で一人寂しく朽ち果てるのを待てばいいのかしら?」

 そう言われてしまうと返す言葉が無い。押し黙ってしまった士郎に、勝ち誇ったような笑みを叢雲は見せつけた。

「それに夜目なら燃料不足とはいえ私の方が利くわ。あんたは私の身体でも支えてなさい」
「……無理はするなよ」
「……それ、どの口が言っているのかしら?」

 ジト目で睨まれる。確かにそもそもの始まりは士郎が叢雲を無理矢理に連れだしたところから始まった。今更どの口が自制しろなどと言えるものか。
 最早士郎では彼女に口で勝つ術は無い。
 渋々と言った様子で士郎は立ち上がった。勿論叢雲を抱えて。











「ちょっと。狭いわよ」
「無理言うなよ。元々ギリギリなんだから」

 A区画から地上へ移動するには、二種類の移動方法がある。エレベーターを使用するか、鉄梯子を使用するかの二種類が。
 だが戦争の余波で、エレベーターの方は使えなくなってしまっている。そうなれば必然的に鉄梯子の方しか使用出来る入口はない。
 無論鉄梯子の方は、二人以上の移動を想定していない。あくまでも一人一人が順番に移動する事が前提で設けられている。常時であれば、緊急時の非常通路。
 つまり、

「……もう少し丁寧に扱ってくれないかしら」
「悪い。けど仕方ないだろ。もう少しだから我慢してくれ」

 叢雲が士郎に密着する形で。士郎が叢雲を抱きしめる形で。
 それで漸くギリギリ通れる程度のスペースしかないわけで。

「……」
「……睨まないでくれ」

 片手で叢雲を支えながら、器用にも士郎は梯子を上って行く。無論軽快とは言い難いが、仕切り扉に到達するまでは後少し。
 よっと。掛け声とともに腕を伸ばす。背を壁に預け、両足に力を込める。そうして一段一段を確実に上がるのだ。

「……汗臭いんだけど」
「……」
「……暑いんだけど」
「……」
「……聞きなさい」

 ぐいっ、と。頬を抓られる。
 尚。叢雲は士郎の首に右腕を回すようにしてしがみついている為、抓られているのは彼女の場所とは反対の方向からである。
 が、ソレを無視して士郎は最後の一段に手をかけた。
 掛け声とともに身体を上らせる。

「よいしょっ、と」
「……やっと着いたわね」
「……まったくだ」

 後は扉を押し上げて開くだけ。
 目前のゴールを前に一安心したのか、疲れを存分に乗せた息を士郎は吐き出した。

「じゃあ、開けるわよ」
「ちょっと待って。一息だけ」
「……早くしなさい」

 叢雲はすでに空いている左手を扉に添えている。

「一」

 一息分の休息を得たところで、士郎が空いている右手を添える。

「二の」

 掛け声と一緒に。二人で同時に力を込めて、

「「三っ!」」

 ――――ガコッ

 開いた隙間からひんやりとした外気が流れ込む。



 ――――ガコンッ!!!



「……は?」

 思わず。
 呆ける。
 二人の手は何も掴んではいない。彷徨う様に虚空を泳ぐ。冷たい外気にさらされる形で、地上へと露出していた。
 開いた筈の扉は無い。どこにも。
 見上げた空は、既に黒色で染まっている。
 二人の頭上には大きな青い月が昇っている。
 つまりは。既にそこは海上の世界――――



 ――――否



 ソレは空では無い。
 ソレは月では無い。
 夕闇よりも尚暗い漆黒のフォルム。
 月のとは異なる不気味な青白い光。
 ギチギチ。ギチギチ。
 厭な音を鳴らしながら、ソレは向きを変える。
 二人の真正面には。黒いナニカがいた。
 黒いナニカが此方を覗きこんでいた。唯一の入口にして出口から覗き込んでいた。

「……あれ、は――――」

 寒い。ただただ寒い。それが外気温か、それとも怖れから為るものかは不明。
 だが二人は。奇しくも二人は、同じ感情を胸に抱いていた。そしてそれを打ち消すように、互いが互いを強く抱きしめていた。互いに感じる体温だけが、目前の現実を現実として認識させてくれていたのだ。
 叢雲の口から言葉が発せられ、瞬く間に虚空に霧散する。



 ――――軽空母ヌ級






[39855] 1-5
Name: くま◆130f149e ID:941026d2
Date: 2015/08/30 03:13
『軽空母ヌ級』

 深海棲艦の一種。種別は軽空母。
 外観・性能共に正規空母ヲ級の未成熟体といった様相の軽空母。基本的な攻撃方法は、艦載機を使用した遠距離からの空撃。見た目に反して扱える艦載機数が多く、制空権を握られると非常に厄介。
 一方で彼らは偵察を始めとするサポートに従事する場面が多く、単体での戦闘力はそう驚異的でも無い。適正距離を潰して近接戦闘にさえ持ち込めれば、ある程度の練度さえあれば駆逐艦でも撃墜は可能。
とは言え単体で動いている場面は殆ど無く、大概の場合は複数の他の艦と共に編隊を組んでいる。

 『深海棲艦の要綱』より一部抜粋。





 鳴り響くアラート。羅列する情報。
 頭の中で並べたヌ級についての基本情報は、出撃する前に頭に叩き込んだ深海棲艦についての要綱の一つだった。情報の一つが有ると無いとでは大きく違う。少しでも作戦の成功率を高める為には、この程度くらいは覚えていなければ話にならない。
 叢雲は優秀な艦娘だ。一見呆けているようなこの現状でも、彼女の脳はこの場を切り抜けられる可能性に付いて、無意識のうちに計算して算出しようとしていた。敵の目的、他の敵影、光源の位置、足場、自前の戦力、彼我の実力差……そしてヌ級の一挙手一投足。言うまでも無く、一番警戒しなければならないのはヌ級の動きである。

 見れば見る程、ヌ級は奇妙な形をしていた。

 不格好に改造されたような巨大な頭部。横一文字に開いた口らしき箇所。不揃いな歯並び。胴体を覆う装甲。唯一装甲の付いていない手足は、生気が一切見られない青白さで染め上げられている。そしてその左手には、力任せに取り外された仕切り扉が握られていた。
 滴る水の音。ギチギチと耳障りな音が頭部から漏れる。空いている口らしき箇所からは、何かを噛み締めるような音が鳴り続けていた。不快感の塊のような存在だった。
 眼が何処にあるかは分からないが、此方を認識しているのは理解できる。何せ纏わりつくような不快な視線は嫌というほど感じるのだから。
 すぅ、と。ヌ級の腕が上がる。










■ 艦これ×Fate ■










「うおおおおおおおおおおっ!!!」

 両足に力を込める。右手で地上を掴む。
 梯子を蹴り、右手側に転がる様にして士郎は入口から出た。決して綺麗とは言い難い、不格好な様相で。横転するように。勿論叢雲は左腕でしっかりと抱きしめている。
 ほぼ同時に破壊音。そして風圧。
 息をのむ様な声が胸元から聞こえてきたが、士郎からすればそれは見るまでもない結果だった。上げられた腕が振り下ろされた。ただそれだけのこと。
 崩壊した、先ほどまで自分たちがいた場所。あのまま呆けているか、もしくは室内へ戻る事を選択していれば、生き埋めになっていた事は間違いない。
 立ち上る砂埃。その奥に見える僅かな影。
 ギョロリ、と。視線だけが士郎たちを捉えて離さない。

「――――ヅッ」

 勢いに任せて距離を取る。ゴロゴロと二転三転し、大凡三メートル程の距離は開けただろうか。加えてさらにバックステップで限界に近い距離を取った。それでも背筋の悪寒は無くなろうとはしない。
 強い。間違いなくアレは強い。
 冷静に士郎は分析する。目前の異形の物体は、自分が初日に迎撃した艦載機なんかとは比べ物にならないほど強い。少なくとも徒手空拳で勝てる相手では無い。戦わずに済むのならば、それに越したことは無いだろう。
 だがそれは不可能だ。目前にいるのは敵。周囲は海。背後に足場は無し。逃げ場は無い。戦って勝つしか道は無い。

「……下がりなさい」

 そしてそれは。叢雲も同じ考えを抱いていた。彼女もこの絶望的な状況を正しく理解した上で、何を為さなければならないかについても承知していた。
 士郎を押しのけるようにして叢雲は立ち上がる。

「お、おい……」
「アンタは下がっていなさい。アレと戦うのは艦娘の使命よ」
「でも、今の叢雲じゃ……っ!?」

 最後まで言わさせない。士郎の言葉を遮る様に、叢雲は自らの腕を士郎の眼前に伸ばした。士郎の視界いっぱいに、叢雲の掌が映る。

「無理は承知よ。……でも私じゃなきゃダメ」
「そんなこと言っている場合か! その怪我じゃ満足にも動けないだろっ!」
「……そうね。アンタの言うとおりね」

 事実は事実だ。癪ではあるが士郎の言う通り。今の叢雲のコンディションは最悪。相手の一撃を喰らうだけで致命傷になりかねない。コンディションだけを考えれば、まだ士郎の方が良好である。
 だがそれでも。この場に置いて深海棲艦とマトモに戦えるのは、艦娘の自分だけだと彼女は考えていた。
 深海棲艦を倒す方法は数あれど、確実に倒す事が出来るのは艦娘だけ。
 ならば。叢雲が出るのは当然の答えだ。
 だが、何より――――

「……時間を稼ぐわ。アンタは動かずに、可能であれば逃げなさい」

 ――――深海棲艦が狙う対象には優先順位が存在する。
 一つ目は、弱っているモノ。
 二つ目は、近くにいるモノ。
 そして三つ目は――――艦娘。
 自分が動けば、間違いなく敵は此方に意識を向ける。此方にのみ意識を向ける。脅威の欠片にもならない一般人の衛宮士郎など、意識から弾き飛ばされるだろう。
 それはつまり、一般人である衛宮士郎が生き伸びる時間が長くなることに繋がり――――



「叢雲っ!!!」



 名前を呼ばれる前に、一瞬だが彼女は士郎へと振り返った。それは一般人である彼を安心させる為に、自然と向けた仕草のようなモノだった。
 だが振り返った先にいたのは、脅威を前に怯えた顔つきの士郎――――では無かった。そしてそれは状況が分からずに呆然としている顔でもなかった。当然泣き顔なんてものでも無かった。
 言うなれば、焦燥。目を見開き、歯を食いしばり――――しかしその意識は、声とともに叢雲へと向けられていたのだ。

「――――え」

 何が、と。問うまでもない。
 伸ばされた手。掴まれた肩。掛けられた体重。
 生じる圧迫感と重み。前のめりに縺れる足。頭を庇う温かみ。
 身体が押し倒されたのは明白だ。が、その理由を叢雲は分からなかった。察知できなかった。

 ――――あ、アンタ何やって……っ!?

 視界いっぱいに映る衛宮士郎の顔。思わず出かけた文句の言葉は、しかし彼の必死の形相の前に飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。
 士郎は叢雲へと視線を合わせてはいなかった。それどころか、その形相で前ばかりを見ていた。
 何を、と。疑問に思うよりも早く。叢雲の視線も士郎と同じ方向へと向けられた。映ったのは、まさしく刹那の光景。
 視界を覆うように、二人の頭上を切り裂く鉄の塊。
 ブン、と。耳に届いたのは、不格好な風切り音。
 フワリ、と。風と共に飛び散る赤銅色の髪の毛。

「きゃっ」
「ぐっ……っ」

 押し倒す形で、そして押し倒される形で。二人は先の攻撃を何とか避けた。代償は風圧で切れた士郎の髪の毛数本。あのまま突っ立っていれば、確実に叢雲の首から先は吹っ飛んだだろう。
 ……いや、違う。今考えるべきはそこではない。
 叢雲が視線を切った、その僅かな間に。ヌ級はノーステップで、自らの腕力だけで取り外した扉を投げつけて来たのだ。手裏剣を投げるかのような手軽さで、それでいて斧で首を刈り取る様に。
 あまりにも。あまりにも強大すぎる、その身体能力。
 死ぬ。何であっても、一撃が当たれば、死ぬ。
 艦娘である叢雲も。一般人の衛宮士郎も。
 くらえば、死ぬ。

「……■■」

 そんな脅威に気が付いたところで、状況は待ってくれない。
 士郎たちが如何に拙い状況で、如何に拙い敵と相対しているかを噛み締めている間に。
 敵は次の行動を決めていた。

 ギチギチ、ギチギチ

 厭な音と呻き声を漏らしつつ、ヌ級は重心を下げた。踏みしめた地面、明らかに力が篭られた両足。
 そうして。ドン、と。
 爆発音に似た音を残し、その身体が空へと跳び上がった。

「――――あ」

 それはどちらの声だったか。
 戦場での思考の停止は自殺行為もいいところだ。それを分かっていながら、叢雲は思わず呆けてしまっていた。
 目の前に着地したヌ級。既に振りかぶられた腕。あとは二人を薙ぎ払うように、その力を解放するだけ。
 叢雲は失念していた。そうとも、ここは戦場。相手が殺す気で向かってくる事は当たり前。
 自分たちがこの場を生き延びるには、戦って勝つしか道が無かった事を。
 一般人だからと言って、気にかけておく余裕なんて無かった事を。
 立ち上がって、そのままの状態で呆ける二人。
 ああ、なんて無様――――



 「――――ガッ」



 だから。叢雲は。
 目前で起きた光景に、一瞬だが理性が吹っ飛んだ。
 振りかぶられた剛腕。
 薙ぎ払うように放たれた力。
 押さえつけられた頭。
 逆らえずに伏した足。
 上げた顔。
 交錯した視線。
 そして顔。安心しろとでも言いたげに、柔く微笑む顔が。

 一瞬で視界から消えた。

「……は?」

 遅れて顔を打つ突風。だがその視線は動かない。地に座り込んだまま、彼女は振り抜かれたヌ級の腕を見上げていた。まだ彼女は何が起きたかを理解できてはいなかった。
 ――――或いは、理解したくなかっただけか。
 ギリギリ、ギリギリ。
 耳障りな音を鳴らしながら、ゆっくりと視線が右へと動く。ヌ級の腕が振り抜かれた方向へ。まるで認識する事を拒むかのように、意志に反して何処までも遅々とした動きで。でも、確実に。
 陽も落ちる。世界はもうすぐ夕闇に。地平線の向こうへと輝きが姿を隠すまで、あと幾許もないだろう。

 その僅かな光源が。叢雲の現実を映し出す。

 ただでさえ歪んでいたフェンスの中で、一際大きく歪んでいるフェンスが視界の先にはあった。そしてその中心部には、めり込む様に何かが鎮座している。力任せに突っ込んだかのように、それはあまりにも不似合いな光景だった。
 そうして。ワンテンポ置いて。
 ズルリ、と。窪みからソレがずり落ちた。
 力の見えない様相。
 人形のように投げ出された四肢。
 俯いたままの頭。
 最後の陽に照らされる、赤銅色の髪の毛。
 赤銅色の髪の毛。
 赤銅色の髪の毛。
 赤銅色の髪の毛――――っ!



「士郎っ!!!」











 吹き飛んで行った士郎の姿を、茫然とした表情で叢雲は見ていた。
 最後の陽の光が水平線に沈み、ほぼ同じくして士郎の体が水の下へと沈んでいく様まで。くっきりと。しっかりと。
 それは余りにも呆気なさすぎる光景。
 しかし巻き戻すことはできない現実。
 そしてそんな彼女の意識を現実に引き戻したのは、腹部に生じた無遠慮な圧迫感だった。

「――――ガッ、ハ……っ?」

 ただの一撃。握りつぶすように。
 呆けて開いたままの口から空気が絞り出される。吸う余裕はない。あまりの苦しさに、吐き出す事を止めることすら困難であった。
 何が、と。問うよりも早く、彼女の視線は原因を捉えた。

 ――――ああ、そういうこと……

 胴体を握る、武骨な両手。左右から押しつぶすように、万力のような力で締め付けられている。
 なんてことはない。呆けている間に、自分の命運も尽きた。ただそれだけのこと。
 ……いや。命運なんてものは、もしかしたら当の昔に尽きていたかもしれない。

「……マズッた、わ」

 まだ自制の利かない子供が虫を殺すように。
 ペットボトルを握りつぶして捨てるように。
 手にしたゴミを圧縮して放り捨てるように。
 そして子供がおもちゃを放り投げるように。
 掴まれた体。振りかぶられたフォーム。悲鳴をあげる体。せり上がってきた吐瀉物以外の何か。
 決まり切った結末を語る必要は無い。
 海面に叩きつけられる。
 一撃で粉砕される。
 叢雲の生命はそれで終わり。
 戦い未満の戦いはこれにて閉幕。
 それはどこまでも呆気ない、予定調和のような終わりだった。











 息が出来なかった。
 全身の感覚が消え失せた。
 防御行為なんて意味は無かった。
 為すすべもなく身体は沈んでいった。

 ――――あー、あ……

 少し名残惜しそうに、彼女は口を開けた。重力に引かれるように、身体はゆっくりとだが沈んでいく。半開きの口の中に、容赦なく水が入り込んだ。
 空気が、泡となって消えて行く。絞り出すように、空気が逃げて行く。沈みゆく体から逃げていく。
 その様相を無感動に眺めながら、叢雲は僅かに手を動かした。

 ――――失敗した

 右手が海面へと向けられる。僅かに見える明かりを遮る様に、開いた右手が視界に映った。
 思い残す事は少なかった。失敗すれば死ぬ。分かっていた事だ。だから、思ったのは。どこかに消えた仲間たちの安否。先ほどまで一緒にいた筈の少年への申し訳無さ。そして、

 ――――ゴメン……

 まだ就任したてで若く、やや頼りげのない提督がいた。
 阿呆みたいに騒がしく、口の減らない仲間たちがいた。
 そんな自分たちを見て、困ったように笑う先輩艦がいた。
 仲間たちと笑いあった日があった。仲間たちと競い合った日があった。仲間たちと心を躍らせた日があった。必ず帰る事を誓った日があった。
 陸奥
 利根
 足柄
 神通
 子日 
 最初にいた頃の仲間は、最初の襲撃で半分に減った。そして次の襲撃で一人が沈んだ。三度目と四度目は何とか切り抜けたが、五度目の襲撃で旗艦が沈んだ。
 行け、と言われた。
 逃げろ、と言われた。
 生きて、と言われた。

 ――――私、ダメだったよ……

 伸ばした手がゆっくりと閉じる。
 狭まる視界。まどろむ意識。



 ――――?



 その。
 目を瞑ろうかという。最後の光景に。

 ――――……ぇ

 視界の端で、何かが動いていた。

 ――――なん、で

 暗くなった視界の中で、何かがこっちに向かって来ていた。
 水をかきわける右腕。
 動かせていない左腕。
 大きく見開かれた目。
 強く食い縛られた歯。
 そして暗がりでもわかる赤銅色の髪の毛。

 ――――なんで、アンタが……

 彼は必死だった。必死で沈みゆく身に手を伸ばそうとしていた。それは生を諦めた顔でもないし、ヤケッパチの色も無かった。確固たる意志を以った顔だった。
 ただ純粋に。助けようと手を伸ばしてくる。
 でも。それと同じくらい――――



 ――――なんで、アンタがそんな泣きそうな顔してんのよ……





[39855] 1-6
Name: くま◆130f149e ID:941026d2
Date: 2015/02/15 20:39
 左腕が動かないことなど気にも止めていなかった。
 煩いほどに身体が痛みを訴えている事は無視した。
 必死に動く右手を伸ばすことしか考えていなかった。



 痛みで意識を飛ばして。痛みで意識を戻して。
 細切れのように飛び飛びになる視界は、気がつけば海中へと場面を移し、そうしてまた海面へと戻っていた。
 目の前には暗く染まりつつある空。
 壊れた機械のように耳障りな音の呼吸音。
 思い出したように痛みを訴える左腕。
 そしてずっしりと重い右腕。
 重たい、右腕。

「叢雲……」

 抱きかかえた少女はぐったりとしたまま身動き一つしない。元から青白かった顔色は白に染まり、海に沈んだせいか体温も殆ど感じられない。
 それでも鼓動を。抱きしめた身体からは、弱くても鼓動を感じる事は出来た。

「……生きている」

 そう。生きている。彼女は生きている。
 まだ、生きている。

「……なら、諦めるわけには」

 いかない。
 歯を強く噛み締め、士郎は前へ視線を向けた。
 既に太陽は沈んだ後。沈んだ光源に引っ張られるように、空の色も黒く染められていく。夜の帳が降りきるまでに、そう時間は必要としないだろう。
 その僅かな陽の光の名残を遮るように。不格好な夜よりも黒いシルエットが佇んでいる。
 ――――軽空母ヌ級。
 自分たちが生き残るためには、避けては通れない障害。

 ゴキッ、ゴキッ

 離れているというのに、相手が拳を鳴らす音が聞こえる。未だに死なない羽虫どもを殺そうと、意識を傾けた事を感じる。明確に狙いを定められているのが分かる。
 体内に残る力を総動員し、士郎は叢雲をしっかりと抱きしめ直した。視線はヌ級へ。そして足を動かし、少しずつでも足場へと移動する。海中ではロクに動く事が出来ないからだ。

 そうとも。

 例え状況がどんなに絶望的であっても。
 目の前に避けれないオワリがあっても。
 覆す事が出来ない未来であったとしても。

「諦めて、たまるか……っ」

 訳も分からず。
 こんなところで。
 助けてくれた恩も返せずに。 



「死んで、たまるか……っ!」










■ 艦これ×Fate ■










「こっちですっ、化け物ぉっ!!!」



 ヌ級の足に力が込められる。
 ヌ級の腕に力が込められる。
 二人を確実に殺すために。
 後は力を開放して、殺すだけ。二人を殺すために跳び、二人を殺すために振るうだけ。
 難しい事ではない。不可能なことでもない。それをするに足る力をヌ級は持っている。
 逃れ得ない結末。今度こそ確実に。多少伸びただけの羽虫の命。
 だが。行うはずだった行動は、傍らから聞こえた第三者の声で強制的に止められる。

「あれは……」

 思わぬ声に士郎の意識もヌ級から外れる。
 声のほうに視線を向ければ、水上を走る一つの人影。

「……磯、波?」

 ボロボロのセーラー服。揺れる二本の三つ編み。怯えを隠せていない表情。
 間違いない。彼女は駆逐艦、磯波。この場所に案内されたときに出会った艦娘だ。
 という事は、皆帰ってきたのか?
 一瞬胸中に安堵の感情が広がったが、視界に移るのは彼女一人のみ。夜の帳で見えないわけではない。どこを探しても他の艦娘は見当たらなかった。

「早く逃げてくださいっ!」

 磯波の声に我に返る。安堵から一転して不安に染まった思考を振り払った。そうとも、他の事に気を回している場合ではない。
 言葉とともに響く銃撃音。士郎たちに狙いを定めていたヌ級だったが、突然の襲撃に行動を止めざるを得ない。一転して防御体勢に入り銃撃をやりすごすと、ヌ級は狙いを磯波へと変更した。
 当然、その隙を逃すわけにはいかない。
 危険を承知で士郎はヌ級から視線を切ると、近くの足場まで必死に泳ぐ。この場で士郎に出来ることなど無い。ならば磯波に任せるのが最良の選択だ。
 とは言え両腕が使えぬ現状では、進める速度などたかが知れている。加えてここは海である。波や潮の流れが、余計に行く先を阻害する。

「くっそ……っ」

 夢の中で走る感覚。アレに似ている、と士郎は思った。濃密な空気の塊と海中という違いはあるが、殆ど進む事が出来ない点は共通している。その上自分はともかくとして、叢雲の呼吸は確保しなければならないので、余計に動きが限定されてしまう。
 視界外から聞こえる戦闘音だけが、今や士郎たちの命綱であった。この音が止むまでに足場に上がらなくてはならない。例えどのような決着が着いたとしても、海中に留まっている事は死と同義であった。磯波が無傷で相手を倒すなどと言う夢物語を抱けるほど、士郎は楽観主義者ではない。
 それに、何よりも。まずは叢雲を足場へ上げなければ。現状で最も死に瀕しているのは彼女なのだ。

「動っ、けぇぇ……っ!」

 絞り出すように士郎は声を出した。そして意識を左腕に集中させる。
 左腕は未だに動いてくれない。そのくせ先ほどから煩いほどに痛みを発し続けている。
 折れている、と士郎は思った。原因はすぐに思い当たった。
 先のヌ級の一撃。吹き飛ばされる際に、自らの左腕を盾に士郎は自身の頭部を守っていた。結局殆どの衝撃は左腕を通して全身を打ち据えたが、その代わりに頭部への致命的な一撃は免れていた。明確な代償は左腕一本のみ。左腕一本を犠牲に、今も士郎は生きている。
 ならば。左腕の犠牲は仕方がないと納得すべきなのが道理と言うものだ。

 ――――本当に?

「んなわけ……あるか……っ!」

 ピクリと。指先が動く。左手の指先が動く。反応した。
 動くなら、動かせる。繋がっているなら、動かせる。
 ならば。動かないなどという言葉は甘えでしかない。

「……ぐっ、がっ、ああっ、ああぁぁあああああああっ!!!」

 無理やりに左腕を動かす。激痛が脳へ駆け上がり、灼熱に焦がされるように神経が熱を帯びた。口からは叫び声が迸った。
 ……そら見ろ。動くじゃないか。
 歯を食いしばり、もう一度左腕を動かす。捩じ切れそうなくらいの痛みが駆け上がるが、それを無視して士郎は前へと進んだ。襲い来る波は気にもかからなかった。
 動けっ、動けっ、動けっ!
 激痛も一度体験してしまえば身構える事が出来る。飲み込む事が出来る。気にしなくなれる。
 ぎこちない左腕を力任せに動かして、必死に士郎は足場を目指した。後で左腕がどうなろうと知った事ではなかった。そんなものは『後』があれば考えればいいことだ。

「もう少し……っ」

 伸ばした左腕。激痛は噛み殺す。届くまで、あと少し。

「もう、少し……っ!」











 力を総動員して叢雲を横たえる。力の抜けた人間は大きな水袋と変わりない。海中ならいざ知らず、重力がかかる地上では、年下の少女といえど支えるには困難である。加えて今の士郎は不調の極みだ。
 自らも地上へ身体を移すと、大きく士郎は息を吐いた。疲労は限界に達している。正直気を失いそうだった。今にも倒れそうだった。
 もし。この場で倒れる事が出来るのならば。それは如何に良い事であろうか。
 勿論、そんなわけにはいかない。

「……ヌ級は」

 一息をつく間もなく、士郎は磯波とヌ級へ視線を向けた。既に世界は夜の闇に染まっているが、未だに続く戦闘音が二人の存在を証明してくれている。
 士郎は自らの視力を強化すると、それぞれの位置を確認した。光源は空の星や月明かりだけだが、強化さえすれば充分な視界を確保する事が出来る。
 そしてその眼球は。
 二人の苛烈な戦闘を映し出す。

「■■■■■■■――――っ!」

 雄叫びとともにヌ級は腕を振り下ろした。その一撃だけで水柱が立ち上り、大波が起きる。それだけで先の士郎への一撃が如何に加減されていたものかが分かった。あんな一撃を喰らえば、人体など容易に四散する。
 だが当然。磯波はその一撃を避けていた。最小限の動きで避け、カウンター代わりに蹴りを喰らわすことすらしていた。彼女の眼はヌ級の動きを捉えていた。
 それでもヌ級には崩れない。怯んだ様子は見られない。それどころか力任せに次の一撃が放たれていた。

「……っ」

 あんなものと俺は張り合おうとしていたのか。改めて敵の強大に士郎は身震いする。よくもまぁ生きているものだ、と思った。
 見たところ二人の速さはほぼ同格。だが技術は磯波に分が、力は大いにヌ級に分がある。
 ヌ級の動きは至って我流である。一見すれば隙だらけの動きなのだ。だが耐久性が異様に高く、一撃を喰らっただけでは怯まない。喰らっても構わずに次の一撃を放ってくる。
 パワータイプもここまで極められると厄介である。事実として磯波も強くは前に出られていない。隙があればどうにか牽制代わりの蹴りを喰らわすのが限界といった様相だった。
 あれでは手に持つ武装も放つ間もない。

「……何か、手は」

 捨てていないということは、磯波が持つ武装はまだ使える筈だ。そして磯波が相手の隙を窺っているのは明白だった。
 縋るように士郎は周囲を見渡した。何か状況を打開できる代物がないかという、淡い期待を抱いてのものだった。
 だがそんな簡単に上手くいけば苦労しない。

「じゃあ……」

 作るしかない。他から持ってくる当てがないのなら、作るしかない。
 周囲を見渡しても動けるのは士郎だけ。ならば例え無駄に終わろうとも、行動しなければ何も変わりやしない。
 急がなければならなかった。磯波の耐久力はもとより、士郎自身の体力は今も奪われつつある。このまま放っておけば一足歩くことすら困難になるだろう。状況を如何こうする話ではなくなる。
 笑いつつある膝を強打すると、士郎は強く歯を食いしばった。
 今しかない。
 今動くしかない。

「トレース、」

 無意識のうちに呪文を唱える。何時もの詞。自己を魔術師に変える定型句。
 武器が必要だと思った。
 左腕は使えない。
 右腕だけで振るえる武器を。
 一撃だけでいい。
 一瞬だけでいい。
 片手で扱える武器を。
 相手の気を、一瞬でいいから引ける一撃を――――っ!

「オンッ!」











 状況は刻一刻と悪くなっていた。
 元より勝ち目の薄い戦いであると思っていたが、ヌ級の身体能力は予想以上だった。一撃とて喰らえない。喰らえば海の藻屑となる事は、考えるまでもなく明らかなことだった。
 ではどうするか、と磯波は考える。当然死ぬわけにはいかない。死ねば退避した二人も死ぬことになる。同じく逃げる事も却下だ。場所を覚えられてしまった以上、逃げる行為に意味はない。
 というか、そもそも。上記の行為を選択するならば、隠れるのを止めて出てきた意味がない。二人を守るために出てきた意味がない。
 そこまで考えて、磯波は考える事を止めた。考える余裕があるほど、敵は弱くはない。

 ――――叢雲ちゃんたちは!?

 一撃を避けつつ二人に意識を飛ばす。只でさえ瀕死状態の二人のはずだが、磯波の眼は海上へ上がる二人の姿を捉えた。
 ……良かった。心の底から安堵する。まだ予断は許されないものの、海中に居るよりは二人の生存確率は上がるだろう。一先ずの目標は達成したと言って良い。
 ならば、

「ハァッ!」

 己を奮い立たせるように磯波は声をあげた。腹に力を入れ、目前の敵を見据える。
 振りかぶられた腕。迫りくる必滅の一撃。
 その一撃を最小限の回避すると、怯むことなくヌ級の腕に蹴りをぶち込んだ。渾身ともいえる一撃だった。

 ――――が、効かない

 背筋を走る悪寒に従うように、磯波は蹴りの反動を利用して背後へと退避した。浮力装置を器用に扱い、滑るようにして距離を空ける。
 同時に。目前に立つ水柱。
 そしてそれを突き破るようにして、拳が視界に広がった。

「――――っ!?」

 避けられたのは奇跡的だった。
 咄嗟に浮力装置を切る。支えを失った身体は重力に引かれ、海中へと沈む。加えて頭を下げることで、顔面を狙った一撃をギリギリのところで避けることができた。本当に奇跡的な所業だった。

「――――っ!」

 悲鳴を噛み殺し、磯波は前を向いた。再び浮力装置をオンにし、推進装置を最大限まで稼働させる。爆発音に近い音を立てながら磯波の身体が空中に飛び上がった。合わせて敵の腕を蹴りつけ、その反動でどうにか射程外にまで逃れる事が出来た。
 危なかった。肩を上下しながら、自分が生きている幸運を噛み締める。本当に、危なかった。
 一瞬だけ場が停滞する。思考と行動が重なるまでの絶妙すぎる時間。その間に磯波は自身の武器を構え直す。
 12.7cm連装砲。
 磯波が持つ、唯一の武器。
 最初に数発牽制代わりに放っただけなので、まだ中身はある筈。
 威力は乏しいが、残り全弾を相手にぶち込めれば倒すことは可能だ。
 だが、

 ――――隙が、無いっ

 腕や足に当てても意味はない。かといって急所と呼べる箇所は分厚い走行に覆われている。
 あの大開の口の中にぶち込めれば倒せるだろうが、現状ではそんな隙は見つからなかった。作ることすらできなかった。
 一瞬でいい。
 一呼吸分でいい。
 少しでも気が自分から逸れてくれれば、ヌ級を倒して見せよう。弾装が空になるまで撃ち続けよう。あの巨体を海に沈めて見せよう。
 だから、どうか、





 ――――少しでいいから / 隙を / 作ればいい――――っ!





 右腕に紫電が迸る。バチバチと音を立てながら、何も無いはずの空間にひと振りの片手剣が象られていく。如何なる手段か、黒色の片手剣が創り上げられていく。
 だが魔術とは魔力を用いて奇跡を再現する術の総称である。ならば現代の常識からは外れるのが道理であり、そう簡単に既存の技術で観測できるものでもない。理由を求める事が酷と言うものだ。
 そして。士郎自身も。
 今しがた自分が自分が行った行為に、彼は理由を求めていなかった。必要なのは手段と結果である。
 つまり。自分の手にある剣が、相手の隙を作るに足るモノかどうか。

 答えはYES。

 片手で器用に剣を構え直すと、士郎は両足に力を込めた。強化の魔術を足にかけ、腰を落とす。狙いは当然、未だに暴れまわっているヌ級である。
 その距離。大凡十メートル。
 跳ぶには遠すぎる距離。オリンピックの金メダリストでも、あの距離は跳べまい。
 だが、強化の魔術をかければ。そんな普通の線引きは容易く超えられる。

「……悪い。少し、待っていてくれ」

 背後に視線を向け、横たわる叢雲に言葉を零す。
 そうして、

「ハァッ!」

 掛け声とともに士郎の体は空中へと跳び上がった。まるでライナー性の弾道のように。最短距離を、跳ぶ。
 同時に。脳に響く破壊音。
 足場が壊れたわけではない。その音は身体から聞こえていた。現在進行で聞こえていた。
 ならば。壊れたのは。
 跳んだはずの両足。

 ――――術が甘いっ

 なんてことはない。強化による負荷に耐えきれずに骨が砕けた。ただそれだけのこと。
 もう二度と今までみたいには動けないかな。思わずそんな事を考え、士郎は自嘲気味に笑みを零した。
 よくもまぁ、今の状況でそんな事に気を回す余裕がある。
 何度でも言おう。そんなことは『後』で考えればいいことだ。
 痛みも、意識も。すっぱりと思考から切り捨てると、士郎は剣を振り上げた。減速する暇もなく、そのまま身体がヌ級へと突っ込んだ。

 ズブリ。

 肉を割く感触。そうして身体を濡らす、海よりも冷たい何か。

「■■……■■■■■■■――――っ!」
「チィッ!」

 タイミング良く反転されたせいで、剣を突き刺せたのは敵の左腕。鎧を避けて攻撃はできたものの、これでは動きを阻害できない。
 さらに悪い事に。基本骨子が甘かったのか、左腕を深々と切り裂いたものの、振り払われると同時に剣は消え去った。虚空へと霧散した。
 衛宮士郎に行えた事はそこまで。
 身は空中へ。投げだされた身体では抵抗は出来ない。相手はすでに目標を士郎に変え、次弾である右腕を振りかぶっている。
 逃れられない死。此処がオワリ。衛宮士郎の早すぎる終着点。



「充分ですっ!」



 だが。最低限の目的だけは果たせた。

「これでっ!」

 視線が切られる。意識が外れる。振りかぶられた右腕は磯波を向いてはいなかった。
 隙。明確すぎる、隙。
 開ききった口に手をかけ、磯波は体を空中へと躍らせた。千載一遇のチャンス。右手には12.7cm連装砲。その砲撃口を、右手ごとヌ級の口の中に突っ込む。
 士郎に向けられていた意識が、一瞬だけ磯波へと向けられる。
 だが、もう遅い。

「沈んでぇっ!」

 引き金を引く。照準を合わせる必要はない。砲撃口を確認する必要もない。フルオートかセミオートかを考える必要もない。
 ただ引く。引き金を引き続ける。感覚すら失せても、ただ引き続ける。そこに躊躇いなどあるはずもなかった。
 漏れ出る金切声。悲鳴とも呻き声ともつかぬ断末魔。そして肉を破り、鎧の前に跳弾する音。
 鋼鉄に覆われたヌ級にとって、口内から侵入した銃弾を逃す術はなかった。放たれた弾が体内を蹂躙していく様相を、ヌ級は最期の最期まで感じ取らざるを得なかった。

「■……■■……」

 全弾を発射しきると、磯波は12.7cm連装砲を手放した。そしてつっかえ棒のようにしてヌ級の口に挟みこむと、渾身の力で顎を蹴り飛ばした。
 砕ける歯。飛び散る破片。もう衝撃を支える力もない。
 握りしめられたままの右拳が絆されていく。天に掌を向けるようにして、ぐらりと巨体が傾いた。
 そうして。背から海中に沈む。
 先ほどまでの暴力的な動きが嘘のように、どこまでも静かに沈んでいく。

「……はぁっ、はぁっ」

 その様子を最後まで見届け。思い出したかのように磯波は荒い呼吸を繰り返した。呼吸を忘れるほどに彼女は集中していた。掴んだ僅かなチャンスを逃さぬ事に、全神経を傾けていたのだ。
 もう。ヌ級は目覚めない。
 僅かにあった青白い光は消え去った。沈みゆくヌ級に命の光は見られない。今やソレはただの残骸であった。海底に眠ろうとする残骸でしかなかった。






[39855] 1-7
Name: くま◆130f149e ID:941026d2
Date: 2015/03/15 03:37
 水平線の向こうに沈んだ陽の光。
 暗い海の底に沈んだヌ級。
 その光景を最後まで見届けて。
 瞼を、下ろす。




「ご、ごめんなさいっ! 衛宮さん、大丈夫ですか!?」

 ……うん、大丈夫。俺は平気。

「衛宮……さん?」

 ああ、大丈夫。俺は大丈夫だよ。それより……

「え、衛宮さん? き、聞こえていますか?」

 うん、聞こえている。だから、それよりも、俺よりも……

「衛宮さんっ! しっかりしてくださいっ!」

 だから大丈夫だって。それより、叢雲を……

「だ、ダメですっ! お願いします、反応してくださいっ! 」

 俺より、叢雲の方を……

「衛宮さんっ! 眼を開けてくださいっ!」



 ――――ドゴンッ!!



「っ!?」










■ 艦これ×Fate ■










 落ちていく。
 暗闇の中を、落ちていく。





 最初に感じたのは、身を焦がすような熱気。そして焼きつくような息苦しさ。耳障りな幾つもの音。
 暗転していた視界に色が滲み、あっという間に明瞭化される。漆黒の闇から、燃え盛るような赤色へ。だがそれは、決して士郎が望んだものではなかった。
 燃え盛る炎。熱気と黒煙。崩壊した家屋。そして転がる、黒ずんだナニカ。
 許容量を大幅に超えた情報量が、一気に脳に流れ込んでくる。処理しきれない分が溢れ返り、思わず士郎は片膝をついた。

 ……ああ。またこの夢か。

 荒い息を吐き出しながら、しかし当然の事のように、士郎はその光景を受け入れた。
 見下ろした地面には死が転がっていた。満たしても満たしても足りぬほどに死が転がってた。
 見上げた空は血をぶちまけたかの様に赤く濁っていた。血よりも生々しい色が広がっていた。
 そしてその狭間では。真っ黒な太陽が笑っていた。抑えきれぬ歓喜を零しながら笑っていた。

 ――――その光景は、いつかの昔に見た現実。

 震える両足を叱咤すると、士郎はゆっくりと立ち上がった。そうして疲れたように頭を振った。
 そうとも。衛宮士郎にとってこの光景は見慣れたもの。今更驚く事では無い。
 冬木の大災害。十年前に起きた未曾有の大災害。未だに原因不明とされている大災害。
 唯一の生存者である士郎は、夢の中とは言え何度もこの光景を見てきたのだ。

 ならば。いやでも慣れる。

 感情を浮かべることなく、彼はゆっくりと辺りを見回した。そうして通り抜けられそうな道を見つけると、躊躇うことなくその方向へと足を動かした。彼はこの悪夢の覚まし方を知っていた。歩き続けていれば眼が覚める事を知っているのだ。
 瓦礫を跨ぎ、死体を避けて。辛うじて残っている道を歩く。辛うじてではあるが、不思議と士郎の眼前には道が続いていた。
 何時ものように、何時も通りに。その道筋に沿って歩いていく。
 心を押し殺したまま、士郎は表情すら変えることなく、どこまでも機械的に進んでいく。



 ――――その筈だった



「……?」

 振り返る。
 どこまでも広がる死の世界。

「……?」

 左右を見渡す。
 どこまでも広がる死の世界。

「……」

 歩みを止めて、もう一度士郎は振り返った。
 これは夢、夢である。何度も見た夢である。
 だが、しかし。どういうわけか、言葉にし難い違和感を彼は感じていた。夢の中とは思えぬ悪寒を彼は感じていた。
 じっとりと。背を汗が伝う。
 ひどく、慎重に。士郎は踵を返した。こんな事は初めてだった。こんな悪寒は初めてだった。

 ――――ヤメロ

 ドクン、と。一歩進んだだけで心臓が早鐘を打ち始める。
 ガクッ、と。一歩進んだだけで膝が恐れで砕けそうになる。
 足が重たい、と思った。夢の中とは思えぬ重量感。一歩を進むことすら嫌がる。本能は感情に忠実だった。士郎を守ろうと全力で彼の歩みを邪魔していた。

 ――――ヤメロ

 また一歩。強引に進める。
 もう熱さは感じていない。焼きつくような痛みも無い。周囲の光景も気にならない。
 ただ息苦しさが。息苦しさだけは纏わりついている。
 普通の呼吸すら困難だった。

 ――――ヤメロ

 もう少し。空気の塊を退けるように、また一歩を踏み越える。
 あとは……そう、そこの瓦礫の角を曲がる。曲がるだけで、違和感の正体は掴めるはず。
 震える手、荒い呼吸、折れそうになる意思。
 その全てをねじ伏せて、士郎は最後の一歩を踏破した。

 ――――ヤメロ

「……何も」

 無い。
 無い。
 無い。
 何も無い。
 眼前に広がる光景は何も変わりはしない。瓦礫の山、黒ずんだナニカ、燃え盛る炎。何時もの悪夢の何時もの光景。
 ほっとしたように士郎は膝をついた。何も変わっていない事に彼は安堵していた。何時も通りの地獄である事に感謝すらしていた。
 滴る汗を拭い、呼吸を整える。眩み始めた眼を閉じて、平静になろうと努める。
 あとはこの悪夢を覚ますだけ――――



「なぁ、士郎」



 呻き声のようなノイズ混じりの怨嗟の声、どこか遠くから聞こえる泣き声、そしてそれらを飲み込む崩壊の音。そのどれもと異なる声が耳に届いた。
 聞き覚えは、ある。
 背後からの呼び掛けに、思わず士郎は振り返り、

「――――」

 硬直する。身体が動かなくなる。
 開ききった眼。呼吸を忘れた口。音を拾い忘れた耳。
 心臓の音だけが、脳に響く。

「あ……あ、ああ……」

 そこには死体があった。
 穴のあいた腹部。
 折れ曲がった腕や足。
 千切れた肩。
 削られた頭。
 何も映していない瞳。
 瓦礫に押し潰されるようにして。
 炎に飲み込まれるようにして。
 家屋にもたれ掛るようにして。
 全身の欠損を隠すことなく。
 叢雲が――――
 磯波が――――
 満潮が――――
 望月が――――
 そして木曾が――――っ!



 ――――ダカラ、ヤメロッテイッタノニ……










「……随分と酷い夢を見ていたようだな」
「……ああ」

 薄暗い天井。薬品特有の匂い。そして動かない身体。
 士郎は静かに息を吐き出した。煩いほどの心音を沈めるように、ゆっくりと。
 そうして胸の中に溜まっていたものを無理やりに吐き切ってから、士郎は視線を向けた。

「……おはよう、木曾」
「ああ、おはよう、士郎」

 何て事の無いように言葉を交わす。そうして、二カッ、と。木曾は笑った。最後に見た日のままに、変わる事無く。そしてその笑みに、士郎は言葉にできない安堵感を覚えた。
 木曾に気づかれぬように、もう一度息を吐き出す。

「調子はどうだ?」
「……良くは無い、かな」
「だろうな。酷い顔色だ」

 そう言って、木曾が何かを差し出す。手鏡。何となく叢雲との会話を思い返しながら、士郎は鏡に自分の顔を映した。
 映ったのは、予想通りの顔色。蒼白を体現したような顔色。

「……酷い夢を見ていたようだな。長い間、ずっと呻いていたぞ」
「ああ……そうだな、酷い夢だった」

 前々回は心臓を串刺しにされる夢。前回は巨人に襲われる夢。
 そして。今回は思い返すことすら嫌な夢。
 自分は寝たら悪夢でも見る体質になってしまったのか。頭の痛みが一層酷くなったような気さえしてきた。
 右腕で額を拭う。べっとりと、汗が滲んだ。

「……士郎、気が付いていると思うが……その、左腕は……」
「分かっている。折れているんだろ」

 言いにくそうに言葉を濁す木曾を助けるように、後の言葉は士郎から紡いだ。

「あと両足も多分砕けていると思うけど……」
「あ、ああ。いや、足のほうは右足だけだ。左足は腫れてはいるが折れてはいない」

 膝から下は痛みのせいで感覚が分からず、寝転がった姿勢では見る事も出来ない。
 そっか、と。士郎はあっさりと現状を受け入れた。自身が思っていたよりも軽傷な事に、彼は安堵感すら覚えていたのだ。
 それは拍子抜けするほどに。木曾が危惧していた状況とは裏腹な展開。

「それより、叢雲と磯波は?」
「……ああ、二人とも無事だ」
「そっか、良かった」

 良かった。安堵したかのように士郎は言った。二人が無事であるという事実に、残っていた胸の閊えが完全に取り払われた。
 チクリ。何かが引っ掛かる。一瞬だけ思考を阻害するノイズ。思考に生じた空白。取り残される疑問。
 何かを、見落としている?
 木曾は言葉にし難い違和感を感じていた。今の会話の内に、見逃してはならないポイントがあるような感覚を彼女は覚えていた。何か大切なものを見落としている気がしていた。
 だが、分からない。分かる余裕が無い。

「……細かいところまでの診断はできていないが、大凡の治療はしたつもりだ」
「ありがとう、助かった」
「礼には及ばん。寧ろ、感謝するのは俺たちの方だ」

 一旦疑問を切り離す。今どうしても解明しなければならない疑問でも無い。
 それが逃げであることを自覚しながら、木曾は言葉を重ねていた。疑問を遠ざけるように言葉を展開した。

「磯波から話は聞いている。俺たちが留守にしている間に、とんでもない目にあったみたいだな」
「まぁ、な……」
「ありがとう。士郎が戦ってくれたおかげで、二人は無事だったし、私たちが戻って来る事も出来た」

 微笑む。嘘偽りの無い感謝の気持ち。
 そうして。彼女は深々と頭を下げた。

「本当にありがとう。磯波と叢雲を助けてくれて。士郎がいなければ、二人は轟沈していたかもしれない」

 木曾の行動に、思わず士郎はうろたえた。

「……俺は」
「何もしていない、なんて言うなよ」

 士郎が言葉を紡ぐよりも早く。木曾は言葉を被せた。

「士郎が命を賭して戦ってくれたおかげで二人は無事だったんだ。感謝してもしきれない」

 頭は上がらない。きっと士郎が言葉を受け入れるまでは上げるつもりは無いのだろう。
 そしてそこまでされてしまえば、それに対して否定の意味を発するのは失礼というものだ。
 気恥ずかしさに士郎は頬を掻いた。そうして言った。分かったから、頭を上げてくれ。

「……すまないな。私たちが不甲斐無いばかりに、こんな怪我までさせてしまって」
「それは木曾たちのせいじゃないだろ。木曾たちを探して外に出た俺らが悪かったんだし……てかさ、木曾たちはどこに行ってたんだ?」
「俺たちか? 行方不明者の捜索さ」
「行方不明者?」
「ああ。……と、そうか。士郎は他にも仲間がいるのを知らないのか」

 そう言って木曾は名前を上げる。
 三日月、雷、荒潮、黒潮。
 所属も艦隊もバラバラだが、何れも駆逐艦の四人。
 そう言えば初日に満潮が言っていた。他に仲間がいる、と。

「雷、荒潮、黒潮の三人には物資の調達に出かけてもらっていたらしい。俺たちが此処に来る、一日前にだ」
「あの日から一日前ってことは……」
「遡ること、約四日前だな。俺たちが捜索に出た時点では、約三日前だ」

 激戦区内の海域で二日以上も帰ってこない。かと言って捜索に出るには怪我人ばかりで人出が足りない。
 生存は絶望的。到底生きていられるとは思えない。
 少なくとも、木曾はそう考えていた。

「それでもやっぱり皆諦められなくてな。大怪我を負っている叢雲と士郎以外で捜索に出たんだ」
「三人は見つかったのか?」
「雷と荒潮はな。……残念ながら黒潮はダメだった」

 襲撃をかけられたのは、物資も調達し終わった帰路。上々の結果に三人とも油断しており、直前まで敵の存在に気がつかなかったらしい。
 気がついた時には、はっきりと敵の艦種が分かる距離まで接近されていたと言う。

「余裕のあった黒潮が囮になったらしいが……敵が強大過ぎた」

 殿は必要だ。特に余力の無いような現状では。
 二人は全力で逃げた。振り返る事はしなかった。そんな余裕も無かった。
 追ってくる艦載機達の攻撃を避けながら逃げつつ、どうにか振り切った時には東の空が白み始めていた。

「結局幾ら待っても黒潮は来なかった。探しても見つからなかった」

 黒潮捜索から一昼夜が過ぎ、また西の空に陽が傾き始めたところで。二人は捜索を断念し、一縷の望みを以って隠れ家に戻る事に決めたらしい。木曾たちと合流したのはその帰路の途中だった。
 心身ともに消耗の激しい二人を磯波と一緒に帰らさせ、後の捜索は木曾たちが継いで行った。
 が、結果は捜索断念。

「そんでもって帰ってみればヌ級の襲撃があったという。……いやはや、昨日は色々と濃密だった」

 胃の辺りを押さえ、大きく木曾は息を吐き出した。実際彼女からすれば気が気ではなかった。人の身で深海棲艦と戦おうなど無謀にも程がある。実は士郎が起きるまで、心配からかずっと彼女の胃は痛みを訴えていたのだ。

「……何れにせよ、数日は俺たちも動けない。ゆっくりと士郎は静養に努めてくれ」

 まぁこんな場所じゃ難しいかもしれないがな。そう言って木曾は立ち上がった。

「もっとここに居たいところだが、少しばかり野暮用があってな。悪いが、ちょっと抜ける」

 満潮に呼ばれててな、そろそろ無視するのもマズイ。
 困ったように木曾は頬を掻いた。おそらくは怒られる想像でもしているのだろう。そしてそれだけで、士郎は木曾が自分を優先して此処に居てくれた事を悟った。

「……ありがとう、木曾」
「気にするな」

 俺とお前の仲じゃないか。
 そう言って、木曾は笑った。 











 一人になる。静かな室内。自分の呼吸音だけが耳に届く。
 情報を反芻しながら、士郎は眼を瞑った。木曾といる時は全く感じていなかったが、身体はまだ疲れている。実際問題、起きてからまだ三十分も経っていないのに、煩いほどに身体は休息を欲していた。
 少し寝よう。誰かが来たら申し訳ないが、眠くて仕方がない。何より自分が目覚めた事は、木曾が言ってくれるだろう。
 意識が沈む。ゆっくりと、でも着実に。暗闇へ。

 ――――コンコン

「ん?」

 意識が僅かに浮上する。ドアをノックする音が聞こえた。黙っていると、もう一度聞こえた。
 木曾……は出て行ったばかりだ。満潮は木曾と話している筈。だとすれば望月か、磯波か、叢雲か。此処に来る可能性の人物たちの顔を思い浮かべる。
 どうぞ、と士郎は声を上げた。眠気は押し殺す。誰であっても、ノックを無視するのは失礼だ。
 応じるように、ガチャリと。ドアが開く。

 だが入ってきた人物は誰とも違った。

「失礼しまーす……」

 声を抑えて誰かが入ってくる。そうして、小走りで士郎の元まで駆けよってきた。
 やや濃い目の栗色の髪の毛。長さは肩口まで。小柄な体躯。白色が基調のセーラー服。覗く八重歯。
 一瞬望月かと思ったが、よくよく見れば別人である。
 と言う事は、三日月か雷か荒潮?

「起きたのね、良かった!」

 ニッコリと。少女は笑った。心の底から喜んでいるような、そんな笑顔だった。

「本当に良かった、起きないかと心配したわ」
「心配掛けてごめん……」
「あ、ううん、違うの。貴方が謝る必要は無いわ」

 だって私が心配していただけだもん。そう言って少女は懐からタオルを取りだした。

「どこか汗で気持ち悪い所とかある? 拭ってあげるわよ」
「いや、大丈夫……」
「遠慮なんかしなくていいのよ?」

 いや、大丈夫、本当に大丈夫だから。そう言って士郎は身を乗り出してきた少女を宥める。そうでもしなければ、有無も言わさずに押し切られそうだった。
 そう……なの? やや不満そうに少女は引き下がる。だが手にはタオルを持ったまま。それに身体も前のめりのまま。
 ニコニコと。少女は笑っている。
 が、ひしひしと。言葉にできぬプレッシャーを士郎は感じていた。

「……」

 ニコニコ。

「……」

 ニコニコ。

「……」

 ニコニコ。

「……あー……額の辺りだけ拭いてもらって良いかな?」
「! 勿論よ、任せて!」

 嬉しそうに少女は声を上げた。跳びあがらんばかりの勢いだった。と言うか比喩表現でも何でもなく、本当に跳び上がる形で彼女は立ち上がった。
 折角の申し出を断るのも失礼だし……。そうとも、プレッシャーに負けたわけではない。決して負けたわけではない。
 それにこの嬉しそうな顔を見れば、彼女の行為を否定できる人間はきっといないだろうよ。うん。
 以外にも丁寧な手つきで少女は額を拭いてくれた。額だけでなく顔全体を拭いてくれた。耳の辺りも拭いてくれた。さらに喉まで拭いてくれた。そうして次は胸元へと少女の視線は降りていく。
 慌てて士郎は右手を少女の前に上げた。

「あ、あー、そっちは良いかな?」
「どうして? こっちも汗かいているわよ?」
「いや、大丈夫。そっちはいいんだ。うん、平気だから」

 やや焦りながら士郎は言葉を続けた。ここらで止めておかないと、際限なく彼女は拭いてまわりそうだった。流石にそこまでしてもらうのは気が引ける。
 大チャンスじゃねーか。拭いてもらえよ、ヘタレー。
 頭の中で囁きかける青髪の友人は問答無用で蹴り飛ばす。

「え、でも、気持ち悪くないの?」
「大丈夫大丈夫。そ、それより名前聞いていいかな? 俺の名前は衛宮士郎」

 苦しすぎる会話の方向転換。やや早口で自分の名前を告げ、少女に名前を教えてもらえるように促す。

「あ、ごめんなさい! そう言えばまだ自己紹介していなかったわねっ!」

 だが意図は成功したらしい。尚も拭こうとしていた手を止め、彼女は胸を張って声を上げた。



「初めまして。私の名前は雷。暁型の三番艦、駆逐艦の雷よ!」





[39855] 1-8
Name: くま◆130f149e ID:941026d2
Date: 2015/05/04 11:43
 これを装備するのは、何時振りだろうか。
 随分とみずぼらしくなったものだ。両手で抱えて、そう思った。たび重なる連戦のせいで殆どの機能を失い、ベルト部分と砲撃一発分だけを残して、残りは捨て去らざるを得なかった事を思い出す。
 最後に装備していた時の事は……しっかり覚えている。けどそれから今に至るまでに、どれだけの時間が経過したかは分からない。
 酷く長い時間が経過したように感じるし、或いは自分の体感以上に短いかもしれない。
 そんなくだらない事を考え、思わず彼女は自嘲を零した。

 ――――よくもまぁ、こんな役立たずがモノを言えるネー……

 犠牲を前に心を閉ざした。
 絶望を前に歩みを止めた。
 仲間の声から離れ。
 外界を拒絶して引き籠り。
 何一つとして働きはしなかった。

 ――――それが今更、何を思って立ち上がろうと言うのか?

「……Yes, ……yes I know it」

 久しぶりに装備した艤装は、腰が砕けそうなほどに重かった。
 久しぶりに着けた戦闘服は、肌を切りつけるように痛かった。
 久しぶりに指した髪飾りは、頭を締め付けるように苦しかった。
 膝が震える。
 視界が揺れる。
 心が砕けそうになる。
 あの日の光景が、脳裏にフラッシュバックする。

「っ!」

 せり上がってきた吐き気。排出した逆流物。拒絶する本能。
 この数日はロクに食事も摂っていないというのに、身体というのは何時だって正直だ。何も無いのに吐き出そうとする。負担を軽減しようと、勝手に負担を掛ける。
 壁に手をつき、荒々しく口元を拭く。ままならない身体への苛立ち、軟くなった根性への苛立ち。
 そして。
 それらを肯定する様な、甘い誘い。

「……っ! Go F●●K yourself!」

 大声を上げて。自らに喝を入れるように。
 全力で床を踏み抜く。

「Don't disturb my way!」

 声が聞こえていた。
 ずっと。此処に来た時から。此処に引き籠った時から。
 それはとても優しく、甘く、耐え難い誘いであって。
 ある時は司令官の声で。
 ある時は仲間の声で。
 ある時は妹の声で。
 ある時は別の誰かの声で。

「動け、動け、動け、動けええぇぇえええっ!!!」

 振り払う。振り払う。振り払う。振り払う。振り払う。振り払う。振り払う。
 声を。声を。声を。声を。声を。声を。声を。
 歩みを止めようとする声を。
 膝を砕こうとする声を。
 意思を折ろうとする声を。
 どこかで聞いた事のある誰かの声を。
 纏わりつく幻聴も、ありもしない幻想も。
 全てを振り払って、全てを置き去りにして。
 屈しない。屈しない。屈しない。屈しない。屈しない。屈しない。屈しない。

 もう、私は屈しない――――っ!



「……Yes, ……こんなところで留まっているわけにはいかないネー」



 動いてしまえば問題無い。
 動けてしまえば問題無い。
 先ほどまでが嘘のように。
 足取りは重い。艤装は重い。不快感が酷い。
 それでも。
 迷うことなく、足は動いてくれる。



 そうして。
 厳重に閉ざしていた扉に、手をかける。



 さぁ、行こう。
 もう、後戻りはしない。










■ 艦これ×Fate ■










 『女』という漢字を三つ集めると『姦しい』という言葉になる。
 意味は、『やかましい』。
 『女はおしゃべりであり、三人集まるとやかましくなる』ことから作られたらしい。
 家の虎は一人でも三人分はやかましいけどな。ひと時たりとも静かになりゃしない。妹分が物静かな子だから、より一層際立つのだ。良い意味でも、悪い意味でも。
 そんなくだらないことを考えながら、士郎は現実へと意識を戻した。

「ねぇねぇ、衛宮さん? 他に私に出来る事は無い?」
「あらあら、そんな風に急かしたら衛宮さんも困っちゃうわ。それよりも、私とお話しましょ? 衛宮さん」
「あの、ね? 二人とも静かにした方がいいと思うよ。その、衛宮さんも困っているみたいだし……」

 上から順に、雷、荒潮、そして三日月。木曾から名前だけは聞いていた駆逐艦の三人。
 茶色がかかったショートヘアーで、終始明るい子が雷。
 やや薄めの黒色セミロングで、どこかミステリアスな子が荒潮。
 黒色のロングヘアーで、二人に比べると常識的な子が三日月。
 何れも士郎とは初対面である。

「だって衛宮さんは大怪我をしているのよ? 誰かが付いていてあげなきゃ」
「気を使わすのは寧ろ逆効果だと思うわよ。だから、ね? お話しましょ、衛宮さん」
「……いや、怪我しているんだからこそ安静にするべきじゃ……」

 終始笑顔を絶やさない雷。
 何故か誘うような口調の荒潮。
 そして申し訳なさ気な三日月。
 三人とも言っている事は正しいし嬉しい。一人で寝るのは確かに心細いし、けど気を使われるのは本意ではない。
 けれど。それより、何より。
 寝たい。
 安静にして寝たい。

「二人とも何を言っているのよ。それじゃあ衛宮さんに何かがあった時に助けられないわっ」
「その理屈でいけば、一人が付いていれば大丈夫そうね。二人は疲れているでしょうし、私が残るわ」
「……もうすぐ叢雲ちゃんたちも戻ってくるし、私たちは出て行った方が良い……と、思うなぁ……」

 若干ヒートアップしてきた雷。
 さりげなく手を握ってくる荒潮。
 どんどん小声になっていく三日月。
 嬉しい。気持ちは嬉しいんだ、確かに。でも現状で一番欲しているのは、何においてもまずは休息である。睡眠である。身体は何時だって欲望に正直なのだ。
 が、だからと言って純度100%の善意を無下に扱うなど、士郎には出来る筈が無い。

「私が残るわよ。一番最初に来たしっ!」
「じゃあ交代ね。今度は私の番。衛宮さんのことは任せて頂戴」
「……」
「ははは……」

 自分の正当性を声高らかに宣言する雷。
 何故か煽るように言葉を選ぶ荒潮。
 とうとう声を発すること諦めた三日月。
 良いんだよ、三日月ちゃん。ちらちらと視線を向ける彼女に、士郎は言葉の代わりに精一杯の笑顔で返す。本当にごめんなさい。三日月は申し訳なさ気に小さく頭を傾けた。
 アイコンタクト。
 出会って間もないというのに、二人は目だけで意思疎通が出来た。互いが何を考えているのか、二人は分かりあう事が出来た。だがそれは、この場限りにおいては、全く以って役に立たないものでもあった。

「わ・た・し、がいるから大丈夫よ」
「誰がいても同じよ。だったら私が残るわ」
「む」
「ぐ」

 額と額をごっつんこ。自らの意見を押し通そうとするべく睨みあう雷と荒潮。
 あははー、と。乾いた笑いが士郎の口から零れた。同じくして三日月からも零れた。この状況をどうにかする手立てなど、二人は持ち合わせてはいなかった。目の前の争いを遠巻きに見る事しかできなかった。
 誰か助けてくれないかなー。
 第三者の介入を望む様に、全くの同時に二人は天井を見上げた。



「……うるさいのよ。廊下まで聞こえるわ」



 そんな二人に救世主が。

「何の騒ぎよ。頭に響くから、もう少し静かにして頂戴」

 流れるような薄水色のロングヘアー。
 不機嫌そうな、そして意思の強そうな紅玉色の瞳。
 ボロボロの、包帯が見え隠れする服装。

「……此処までで良いわ」
「ううん。寝るまではダメです」

 そしてもう一人。
 揺れる二本の三つ編み。
 優しげな黒色の瞳
 同じくボロボロのセーラー服。

「……少しお節介すぎじゃないかしら、磯波?」
「だったら貴女は無茶しすぎです、叢雲ちゃん」

 駆逐艦、叢雲。
 駆逐艦、磯波。

「あ」

 思わず声が零れる。

「え」

 叢雲が此方を向いた。

「え」

 磯波も此方を向いた。

「……」

 混じり合う三人の視線。
 黙ってしまった六人。
 停滞した場。
 完全なる静寂。
 空気を読んで、口を開こうとした三日月を遮るように、

「……悪いけど、そこの阿呆に言いたい事があるから、三人は出てって貰えるかしら」

 底冷えする様な声が、空間を支配した。











 人が変われば、空気も変わる。
 先ほどまでの喧騒は何処へ。
 静まり返った室内に響くのは、やや不機嫌に自らの腕を叩く叢雲の指の音。
 彼女は腕と足を組み、目を瞑ったまま士郎のすぐ横に座った。巻かれた痛々しげな包帯を、一切気にする様子も無かった。それどころか酷く威圧的であった。
 一瞬。傍らに座っている磯波に視線を送る。
 だが彼女は、困ったように笑みを浮かべて頬を掻くだけだった。

「……色々と言いたい事はあるけど、まずは無事に目を覚ましたようで安心したわ」

 そんな静寂を破ったのは、感情を押し殺したような、抑揚の無い声だった。
 酷く疲れたように叢雲は息を吐き出していた。言葉とは裏腹に、態度は感情を隠し切れていない。溢れ出そうな感情を抑えつけている事が士郎には分かった。そしてその感情の正体が何であるかも、彼には見当が付いていた。付いてしまっていた。

「身体の具合はどう?」
「あ、ああ。問題はな……いや、ある。うん、大丈夫じゃない」

 ギロリと。睨まれる。指向性を持った感情が、士郎に浴びせられる。
 即座に言葉を飲み込み、場の――と言うか叢雲の――空気を読んだのは、正解だっただろう。
 それは叢雲の一睨みは元より、傍らに座る磯波を見れば瞭然であった。何せ彼女は先ほどの士郎の返答に、胸を撫で下ろしていたのだ。無論叢雲にばれないように、こっそりとだが。

「暫くは動けそうにないかな。自由に動かせるのは、右手だけだ」
「当然でしょ。よくもまぁ……生身の人間が深海棲艦に立ち向かおうなんて考えたものね」

 命があっただけ儲けものだって言うのに。小声で文句が追加される。察するに、どうやらその後の顛末も耳にはしているらしい。
 ちらりと。視線を磯波に向けると、彼女はにこやかな笑みを浮かべていた。そしてそれは士郎に向けられている。だがその笑みをそのままに受け取れそうにない事を、士郎は直感で悟っていた。
 例えるなら……そう、それは――――

「……聞いているのかしら?」
「え、あ、勿論」

 地の底から響くような声、と例えるのは幾らなんでも失礼だろう。
 不機嫌そうな声に対し、迅速にかつ明朗に士郎は答えた。女の子を無下に扱うな、とは今は亡き養父の教えの一つである。尤も傍から見て見れば、今の態度は疑って下さいと言わんばかりの変貌だったが、本人にそれを知る余裕は無い。
 疑わしげに睨みつけていた叢雲だが、追求する事はしないらしい。代わりに、

「で?」
「え?」
「怪我の具合。どの程度なのよ」

 木曾は言っていた。左腕と右足は折れていると。左足は腫れてはいるものの、折れてはいないとも。
 尤も、感覚が無い状態では大差はないだろうが。
 正直に、そのままに伝える。

「そう……」

 考え込むように、彼女は目を伏せた。
 そして、



「……じゃあ、本当に動けないのね?」



 満面の笑みと共に、彼女は顔を上げた。

「……あー、叢雲さ……っ!?」

 背筋を伝う冷や汗をはっきりと知覚する。身体が震えそうなほどに寒気がする。
 分からない。分からない。分からないけど、よろしくは無さそうな事が起きそう。
 そしてその直感を肯定するかのように、口を開いた士郎の顔を、叢雲の両手がしっかりと掴んだ。

「……あのね、私ね。感謝はしているの」

 満面の笑みだった。年頃の少女らしい、可愛いらしい笑みだった。それは彼女の魅力が詰まったような笑顔だった。
 きっと。きっとこんな状況じゃなければ見惚れていたに違いない。
 ちらりと。視線を磯波に向ける。
 彼女は士郎に手を振っていた。叢雲と同じような、だけど少し困った様子の笑顔で。
 額を汗が流れる。

「磯波もアンタには感謝をしている」
「……」
「でもね、それとは別にね。アンタには言わなきゃいけない事があると思うの」
「……は、はい」
「……耳を」
「……耳を?」
「耳の穴をよーくかっぽじって聞きなさい」

 にっこり。



 ぎゃひー。











「まぁ……とりあえずはこんなもんかしらね」

 満足げに手を離す叢雲。
 解放された士郎の頭は、重力に引かれるようにして枕に埋まった。
 耳を通して揺さぶられた脳は、既にオーバーヒート状態。
 大凡三十分近くの説教は、疲れ果てた心身には充分過ぎる代物だった。

「私の言葉をしっかりと反芻しなさい。忘れる事は許さないわ」

 乱暴気に椅子に座り直し、鼻息荒く叢雲は言葉を投げつけた。
 代わって、今度は磯波が士郎の枕元へやってくる。彼女は枕元に屈みこむと、小声で士郎に囁いた。

「あの、衛宮さん。叢雲ちゃんの事、誤解しないでくださいね。その……」
「……うん、分かっているよ」

 叢雲が俺の事を心配して説教してくれたくれたことくらい。僅かに頭を起こして、磯波に応える。そうとも、分かっている。自らの力量を勘違いする程、阿呆なつもりでも無い。
 生きているから良い、という結論で済ませられる話ではないのだ。
 士郎の言葉を聞いて、安堵したように顔を綻ばせる磯波。当然だと言わんばかりに胸を張っている叢雲。
 説教の内容以上に、二人がこうして心配してくれている事の方が、士郎にとっては心に来るものがある。

「なるべく今後はしないように気をつけるよ。俺だって死にたくは無い」
「どーだか。……けどまぁ、落とし所としてはそんなところかしらね」
「あはは……」

 説教で疲れたのだろうか。大きな欠伸を零して、叢雲は椅子を立った。そしてそのまま、もう一つのベッドに身を投げた。もう、寝る。そう言い残して。

「……アンタも寝なさい。まだ疲れているんでしょ」

 ごろりと。背を向けられる。これ以上は何かを言うつもりは無いらしい。
 その様子に。くすりと笑みを零すと、磯波は士郎に向き直った。

「衛宮さんもお休み下さい。交代制で誰かしらは此処に居るので、安心して寝て頂いて大丈夫ですよ」

 そう言って額を拭いてくれる。強い子だ、と士郎は思った。本人も疲れているだろうに、まったくその素振りを見せはしない。それどころか他人を気にかける余裕すら彼女は見せている。
 その姿は、はっきり言ってしまえば意外。失礼ながら、初対面の時と同じ人物だとは思えなかった。

「人が違う、と思っていますか?」

 そんな士郎の考えを見透かしたかのように、思考を言い当てられる。
 顔に出ていたか、と。一も二も無く士郎は謝ろうと口を開いた。ここでの弁明は、全く意味を成さないからだ。
 が、それよりも磯波の言葉の方が早かった。

「……本当に、感謝をしているんです」

 ボソリと。彼女は呟いた。

「あの時、私は怖くて動けなかった。叢雲ちゃんが叩きつけられた後も、私は動く事が出来なかった」

 なのに、衛宮さんは違った。貴方には立ち向かう勇気があった。
 あの時とは、間違いなくヌ級の襲撃の事だろう。思い返すだけで左腕が痛んだ。

「叢雲ちゃんを助けてくれてありがとうございます。そのおかげで、私は動く事が出来ました」

 その後の事も、全部。
 優しく右手を握られる。

「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

 両手で優しく包み込まれた右手が、そのままがっちりと磯波の胸元でホールドされる。
 潤んだ瞳で彼女は士郎の事を見ていた。屈みこまれているせいで、士郎の顔には彼女の息が当たっている。そして握りしめられている右手からは、少し早まっている鼓動を感じる事が出来た。
 魅力的であり、また魅惑的。
 瞬間的に熱くなる顔。赤面した事を自覚し、思わず視線を磯波から外し、



 ――――シロウ



 一瞬で、冷えた。



 ――――コロス



 ニッコリと。笑っている。視線の先で笑っている。
 誰が? 叢雲が。
 誰に? こっちを見て。
 笑っている。
 笑っている。
 笑っている。



 ――――コ・ロ・ス



 声は出ていない。動いたのは口元だけ。
 だけど士郎には、叢雲の声が聞こえた。含まれている感情の温度までも感じ取っていた。まるで鋭利な刃を喉元に突き付けられたようだった。心の底から冷えてしまいそうな、絶対零度の感情が士郎に向けられていた。
 それは宣言だった。
 弁解の余地などは無かった。
 彼女の目に映るものが全てだった。
 紛う事無き死神の姿を、士郎ははっきりと目にしていた。

『ええい、お姉ちゃんは悲しいっ! まさか弟が痴情の縺れで死ぬなんてっ!』

 いや誰だよ、お前。お前みたいなのが死神とかふざけんな。あと痴情の縺れって何だ。
 パチクリ、瞬き三回。
 死神(?)の姿を掻き消す。

『士郎おおおおおおおおおおおおおおっ!!!』

 うるせぇ、黙れ。
 何となく聞き覚えのある声を残して、幻覚は振り払う。そんな紛いモノよりも、明確な死神が目の前では笑っているのだ。それの方が重要なのだ。
 アハハー、ヤバいかなー。
 思えど、声には出さない。それは幸せそうにほほ笑む磯波の邪魔をしたくなかったし、死神の姿を彼女には見せたくなかったからだ。



「た、た、大変よ、皆っ!」



 盛大に開け放たれた扉。勢いよく士郎から離れる磯波。飛び込んでくる小柄な体躯。
 ナイスタイミング、雷。
 目に映った人物に、心の中で感謝を。思わず安堵の息が零れる。情けない話ではあるが、心身ともに色んな意味で危ないところだった。本当に。

「どどど、どうしたの雷ちゃん!?」
「た、大変なの! 凄い事なの!」

 大変、というわりには深刻そうには見えない。一瞬敵の襲撃を想像したが、雷の様子を見るに、そんな危うい事態ではなさそうである。

 じゃあ、一体何だ?

 彼女に遅れる形で、荒潮が入ってくる。が、彼女も雷と同じで要領を得ない。必死に説明しようとして空回りをしていた。重要な事は何一つ説明される気がしなかった。

「ったく……」

 落ち着きなさい、アンタら。疲労の色濃く叢雲は言葉を吐き出した。身を起こし、注目を自身に集める。
 叢雲に目が行ったためか、二人の勢いが若干弱まった。が、事態はそれに留まらない。



「Oh! ここが医務室ですネ?」



 驚いたように叢雲が眼を開く。
 驚いたように磯波の口が開く。

「Humm……ここに居ると聞いたのですが……」

 人影が入ってくる。
 頭の頂点が跳ねているのが特徴的な、ブラウン色のロングヘアー。同色の、活発そうな瞳。やや汚れが付着しているものの、彼女の整った顔立ちに損ないは見られない。つまりは早い話が、トンデモナイ美人がそこにはいた。
 身に着けているのは、白を基調とした巫女服のような服装。そしてその腰には、武器のようなものがぶら下がっている。
 と言う事は、彼女も艦娘の一人?

「Oh!」

 疑問に思った矢先に、彼女は声を上げる。浮かべたのは、磯波に勝るとも劣らぬ満面の笑み。
 彼女は早足で士郎の目の前へ来た。思わず退いた磯波。そしてその空いたスペースに入り込むと、右手を両手で握りしめられた。

「Hello、Mr.衛宮!」



「My name is 金剛。よろしくネー!」





[39855] 1-9
Name: くま◆130f149e ID:fb3bd97f
Date: 2015/11/16 00:07
『金剛』

 金剛型姉妹の長女にて、金剛型のネームシップ。
 横須賀の鎮守府に所属し、弓削提督の指揮下にて弓削艦隊の旗艦を務める。
 高い戦闘能力を誇る、日本の主力艦娘の一つ。

 (中略)

 鉄底海峡奪還作戦時に消息を絶つ。
 同じくして、同作戦に出撃した霧島、満潮、吹雪、磯波、白雪も消息を絶った事から、一艦隊ごと轟沈した可能性が高い。



 ――――艦娘記録、『金剛』の項目より、一部抜粋




 
「こ、金剛?」
「Yes! 英国で産まれた帰国子女の金剛デース! ヨロシクオネガイシマース!」
「あ、ああ、よろしく……?」
「ふふっ♪ 第一印象通り、とってもnice guyネ。お会いできて光栄デース! 私の活躍、期待して下サーイ!」
「う、うん……」
「それじゃあMr.衛宮。これからミッチーに怒られてくるので、その後でゆっくりお話しをしまショー! Bye!」










■ 艦これ×Fate ■










 嵐のような、とはまさに今のような事を指すのだろう。
 突如現れた女性による一方的な挨拶。飲まれたまま、流れに任せるように相槌を打つ。一頻り言葉を交わして満足したのか、ウィンクと投げキッスを置き土産に、彼女は部屋を出た。慌ただしくも、何故か気品を感じされる洗礼された行動。
 士郎は思った。投げキッスが絵になる人っているんだ、と。
 茫然としたままゆっくりと、傍らにて口を開いたままの磯波と目を合わせる。

 ……どういうこと?
 ええと……

 困ったようにドアと士郎とを交互に見る磯波。
 そうして、困ったように微笑まれる。言外にまだ思考が追いついていないと言われる。

 ……どういうこと?
 ……私が知りたいわよ。

 視線をずらして叢雲を見る。彼女もドアと士郎を交互に見た後、不機嫌そうに眉根を寄せた。それだけで彼女が何を考えているか、士郎は察する事が出来た。
 磯波と叢雲の二人からは応えを得られない。
 となると、あとは……

「……そうっ、金剛さんよ! 金剛さんがいるのよっ!」

 ありがとう、雷。まずはそこからだよな、うん。
 意識を戻したのか、先ほどの調子を取り戻す雷。彼女は慌ただしく両腕を振りながら声を上げた。金剛さんがいたのっ、金剛さんがいるのっ、何で金剛さんがいるのかしら、そうだ金剛さんに聞いてこなくちゃ!
 ガチャガチャ、バタンッ。
 ……ああ、そうだよな。うん、そうだよな。分からなきゃ訊きに行くよな。
 慌ただしく出て行った雷の背を見送る。出会ってまだ半日も経っていないが、何となく彼女の性格を掴めたように士郎は思った。

「……まぁ、雷ちゃんの事は放っておいて、誰かに訊きに行くのは当然よね」
「当の本人に訊きに行っても、ちゃんとした答えを用意してくれるとは思えないけどね」
「それもそうね。……じゃあ、訊くとすれば――――」
「――――ミッチー。多分、満潮の事かしら」
「でしょうね。じゃあ、行きましょうか」
「ええ」

 一方の荒潮と叢雲。冷静な二人は、先ほどの会話から事情を知っていそうな満潮に、事の仔細を訊ねに行くらしい。
 ヤレヤレってやつね。愚痴をこぼしつつもも、荒潮の肩を借りて叢雲は立ち上がった。緩慢な動きは出会った時以上の体調の悪さの証明。だが今の体調以上に、彼女は知らないままでいる方が嫌なのだろう。
 二人はどうするの?
 部屋を出ていく間際。思い出したかのように、叢雲が士郎たちを見る。

「……俺はいいや。金剛さんの事、大して知らないし」

 彼女に興味が無いわけではないが、どうしても訊きたい事柄があるわけでもない。
 優先順位の問題だ。士郎が訊くよりも、叢雲たちの方がよっぽど有意義な情報を得られる。
 それに、そもそも、

「俺は寝ているよ。……少し疲れた」

 色々な事が起きすぎた。これで目覚めてから半日も経過していない事が恐ろしい。
 そうね、その通りね。それ以上の追求をすることなく、叢雲は士郎の意を汲んだ。元より何と応えるかは、あらかた予想が付いていたのだろう。
 それで、磯波は?
 もう一人。まだ応えぬ少女に視線を向ける。

「……いえ、私も良いです」

 意外にも。
 一瞬。迷ったような素振りを見せるも、磯波は否定の言葉を口にした。

「衛宮さんを一人には出来ませんし」

 ちらりと。
 士郎を見る。



「私には、訊きたい事は無いので」



 浮かべた笑み。
 感情の無い声。
 一変した様相。

「……磯波?」

 それは分かりやす過ぎる違和感。
 叢雲が怪訝そうに、荒潮が驚いたように表情を変える。彼女たちも磯波の違和感には気が付いているらしい。歩みを止めて、わざわざ二人は磯波の方へと体勢を向けた。

「……?」

 一方で。只一人、磯波だけがこの状況を掴めないままでいた。
 何故驚いたように名前を呼ばれたのか。
 何故こんなにも視線を集めているのか。
 何故この場の空気が留まっているのか。
 その理由に思い当たらないのか、彼女は僅かに小首を傾げた。

「? 何か……?」
「……いえ、何でも無いわ」

 くいっ、と。叢雲が急かす様に荒潮の袖を引く。
 一瞬の目配せ。囁かれた言葉。
 士郎たちからでは距離がありすぎて聞こえない。それでも口の動きから察するに、囁かれた言葉は一つや二つ程度だろうか。
 だがそれだけで。納得したように荒潮は頷いた。

「……そうね。……じゃあ、私たちは行ってくるわ」
「磯波、そこの阿呆の監視は任せたわ」
「はい、衛宮さんの事は任せて下さい」

 そうして。釈然としないものを残しながら。
 二人は出て行く。











「ただいまー」
「おまたせー」
「……何の用かしら」

 叢雲と荒潮が出て行って数分。
 士郎が磯波と二三言葉を交わした所で、二人が戻ってくる。
 ……連行するように、一人の少女を連れて。

「遅くなってごめんねー、ちょっと取り込んでててねー」
「苦労したわー、こっちは怪我人だってのにー」
「質問に答えなさいよ」

 二人の後ろ。その隙間。
 黄土色の髪が揺れているのが見える。
 そして聞こえる、僅かに怒気を含んだ少女の声。

「……満潮ちゃん?」
「ええ、そうよ。……で、何の用かしら?」

 驚いたように名を呼ぶ磯波。
 不機嫌さを隠そうともしない満潮。
 そして何故か得意げな表情の荒潮と叢雲。
 四者三様の表情が、そこにはあった。

「またまた~。此処に連れてきた時点で、用件なんて一つしかないじゃない?」
「金剛さんの事、知っている事全部話してもらうわ」
「……やっぱりね」

 予想はしていたのだろう。諦めと納得と疲労はが混じったような息を満潮は吐き出した。

「でもここまで連れてきた理由は? 広間じゃダメだったの?」
「金剛さんの前じゃ話せない事もあるんじゃない?」
「……相変わらず妙な所で聡いわね」
「満潮ちゃんが分かりやす過ぎるだけだと思うけどなぁ」
「……ハッ、言ってくれるじゃない」

 軽快に言葉を交わす荒潮と満潮の二人。此処に来る前からの知り合いだったのだろうか。言葉面だけみるとやや剣呑だが、二人の表情に陰りのようなものは一切見られない。ともすればそれは、気心の知れた者同士のじゃれあうような会話と言えた。

「――――」

 だからだろうか。

「――――い」
「え?」



「……ごめんなさい。少し、私、外に出ていますね」



 呟くように、囁くように。集中しなければ聞き取れないような声量の言葉を残し、磯波は立ち上がった。

「……磯波?」
「ごめんなさい。……少し、失礼します」

 叢雲を、荒潮を、満潮を。避けるようにして、磯波は早足で部屋を出る。
 誰も彼女の歩みを止められない。
 ただ視線だけが、閉じられた扉に集中する。

「――――あぁ、成程」

 そしてその中で。
 いち早く事の仔細を察したのか、満潮が言葉を吐き出す。

「事情は分かったわ。……そう言うことね」

 苛立つわけでもなく、咎めるわけでもなく。
 ただ落ち着いた声量のまま。
 意外な事に、誰よりも早く彼女は状況を受け入れた。

「とすると……私をわざわざ呼んだのは、磯波の件も含んでいるってことで良いかしら?」
「え、ええ。その通りだけど……」
「大体は把握したわ。ま、あれだけあからさまな態度を取られれば、気になるのは当然よね……」

 まったく、世話の焼ける。苦虫を噛み潰したかのような表情と、重々しい言葉。そうして頭を掻き回すと、満潮は傍らの無人のベッドに腰を下ろした。
 そしてその容姿に似合わぬ、大きすぎる息を吐き出す。

「磯波の事は気にしないことね。これは、アイツ自身が解決しなくちゃいけない問題だから」
「……出来る事は無いの?」
「無いわ。これは当人たちで解決する問題。第三者が関わる事ではないわ」

 言い切られる。ハッキリと。冷徹さすら感じるほどに。
 流石の荒潮も、これ以上は言葉を重ねられない。
 心情はどうあれ、満潮の言葉を否定できる材料を荒潮は持っていないからだ。

「でもその言葉通りなら、アンタは何があったかは知っているんでしょ」

 だがそんな二人の間に、第三者の声が割り込む
 叢雲。
 発せられたのは疑問系では無く、断定の口調の言葉。

「磯波の事も、金剛さんの事も、全部知っているんでしょ」
「……だったら?」
「別に。でも共有すべき情報はあるんじゃないの?」

 それとも知らないままでいろと?
 咎めるわけでもなく、責めるわけでもなく、ただ疑問を口にする。そして満潮とは反対側の――士郎が寝ているベッドに腰を下ろした。

「状況は悪くなる一方。時間も残されてはいない。……悪いけど、アンタの考えに悠長に付き合うつもりは無いわ」
「……」
「……そうね。満潮ちゃんには悪いけど、私も叢雲ちゃんの考えに賛成よ」

 壁に背を預け、荒潮も叢雲に同意の意を示す。
 無論、士郎も根本的には彼女たちと同じ考えだ。

「アンタは当人たちの問題って言うけれど、放っておく事に利があるとは思えない。ましてや今の状況で、徒に時間を費やす事は悪手でしょ」
「解決の糸口があるのなら、私たちも動くべきだと思うわ。……それに、あの様子の磯波ちゃんが、自分から解決できるとは思えないし」

 思い返す。初めて会った時の事を。
 酷く怯えた表情で、引き金に指を掛け、今にも不安に押しつぶされそうだった少女を。

「言っとくけど、アンタが答えないなら勝手に行動するだけよ」

 最後通告。そう言わんばかりの言葉。
 叢雲の言葉に嘘は無いのだろう。やると言ったらやる。駆け引きでも何でもない、ただの宣言。
 そしてその意味が分かるからこそ、満潮は一層顔を歪めた。

「……それに意味が無くとも?」
「意味の有無はアンタが決める事じゃないでしょ」
「失敗すれば壊滅的になろうとも?」
「今ですら酷い状況なのに、これ以上悪くなる事を恐れるの?」
「……金剛さんはともかく、磯波には時間が必要よ」
「その時間を迎えるのと、私たちが骸になるの、どっちが早いのかしら?」

 詰んでいた。どうしようもなく。満潮の言葉にも正当性はあるが、それ以上に現状に猶予が無い。
 押し黙る満潮。停滞する場。一変した空間。ただただ、重苦しい。
 これ以上の問答は無用。そう判断したのか、荒潮がドアノブに手をかける。
 それを見て、満潮は盛大に息を吐き出した。

「……ホント、揃いも揃ってお人好しね。……誰に感化されたんだか」

 呆れた様に言葉を吐き出される。彼女は半眼で荒潮を、叢雲を、そして士郎へと視線を移した。
 もう一度、息を吐く。

「知ったところで何も出来ないわよ。これは本当に当人たちの問題なんだから」
「それは、確かにそうかもしれないけど……」
「本っ当にお人好しね……」

 吐かれた溜息は呆れか、それとも諦めか。
 少しだけ顔を歪め、観念したように彼女は口を開いた。

「……まぁ良いわ。何があったのかくらいなら、アンタたちも知っておいた方がいいでしょうし」

 もう過ぎ去った話よ。
 そう言って、彼女は一つの話を始める。



「金剛さんと私と磯波は、同じ艦隊だったの」











「同じ艦隊……?」
「ええ。この徹底海峡奪還作戦のために再編された、特別部隊ってこと」

 再編された特別部隊。
 その言葉に嫌な感情を士郎は覚える。
 そしてそれは叢雲や荒潮も同じだったのだろう。
 そんな三人の顔を見て、満潮は諦観気味の薄ら笑いと共に言葉を出した。

「艦種も練度も一部を除いてバラバラ……早い話が『捨て艦』よ」

 捨て艦。その言葉に聞き覚えはある。初めて出会ったときに、彼女の口から出てきた言葉だ。
 作戦。
 再編。
 練度。
 特務部隊。
 そして捨て艦。
 当時の士郎では分からなかったが、今ならばその意味を察する事が出来る。

「他にいたのは、霧島さんと吹雪と白雪。まさにお手本のような編成部隊だったわ」
「……」
「……作戦としては正しいわ。人海戦術を採択しなければならないほど、戦況は悪化の一途を辿っていたから。綺麗事だけでは解決のしようが無かった」

 この場で唯一知識が足りない士郎にも分かるように……と言うよりは、自身の記憶を整理するべく、彼女は背景も交えて説明をする。
 金剛、霧島、満潮、吹雪、白雪、磯波。
 彼女のの口から出るは、今は過ぎ去りし六人一組の物語。

「一応本人たちの名誉の為にも言っておくけど、私たちは勿論、金剛さんと霧島さんだって作戦には反対だった」
「……それは、そうよ。賛成なんかするわけがない……」
「ええ、そう。……でも、従わざるを得なかった」
 
 上層部の決定には逆らえるはずがない。如何に艦娘として優れていようとも、彼女たちはあくまでも兵士であり兵器。輝かしい戦歴も、築き上げてきた誉れも、そして敵を抹殺できる力すらも、命令を覆すには至らなかった。
 ギリギリまで食い下がっていたらしいが、結果として二人は引き下がらざるを得なかった。引き下がるしか他が無かった。

「二人とも――いえ、皆気づいてはいたのよ。その案を採択しなければならないほど、状況が芳しくないってことくらい」

 それでも、その考えを認めてはならない。認めてしまっては、それこそ艦娘で在ることの意味が無い。
 故に、引き下がった後の二人の行動は早かった。海域の情報、敵の情報、友軍の情報、援軍の情報……手に入るだけかき集め、敵を殲滅するべく作戦を立てる。
 情報と、予測と、経験と、最後に勘と閃きを。
 無論、作戦を立てている間にも、駆逐艦四人の特訓は忘れない。
 なにせ彼女たちに出来る事は、せめて全員が無事に帰還できるように全力を尽くすだけなのだから。

「圧倒的に時間が足りない中で、一週間もの準備期間を得られたのは僥倖だったわ」

 得られた猶予は一週間。
 その一週間の間に、六人は死に物狂いで、生き残る確率を上げるべく行動した。
 海域の海図。敵の勢力。観測情報。気象の影響。敵主力艦隊の情報。全てを頭に叩き込む。
 武装の扱い方。敵影の察知方法。攻撃の避け方。味方とのコンビネーション。全てを身体に叩き込む。
 休息はあろか、眠る間も無い。あるはずがない。
 それもこれも、生きて帰ってくるために。全員で揃って帰ってくるために。
 そうして、六人は出陣の日を迎える。

「今でも覚えているわ。大雨が降る、最悪な天候の日だった」

 最悪な日だったが、身を隠すには最良の日だった。荒れる波間に隠れるようにして、無駄な戦闘を行う可能性を下げて、進軍する事が出来る。少しでも敵の元に辿りつくために、彼女たちは天候すらも作戦の一つとして数えていたのだ。

「狙いは大成功。誰一人として欠けることなく、この海域に突入する事が出来た」

 そして、その後も。事前の取り決め通り、彼女たちは余計な戦闘行為に及ぶ事無く、敵本陣を潰す為だけに足を走らせた。流石にこの海域では敵に捕捉されるが、彼女たちは常に逃げの一手を選択し続けたのだ。
 誉れは置いてきた。
 誇りは捨て去った。
 それもこれも、敵の親玉の首級を上げ、全員で生きて帰る為に。

「事前の準備もあったけど、やっぱり金剛さんの指揮が素晴らしかったわ。寄せ集めの艦隊が誰一人欠けることなく、最奥部まで進軍出来たんだからね」

 国の主力艦隊ですら、満足な状態で敵の主力艦隊と矛を交える事は、稀と言えた。
 にもかかわらず、金剛の指揮もあり、艦隊は目立った損害を受けることなく、敵の親玉を発見する事が出来た。
 それはいったい、どれほどの奇跡だっただろうか。

「ま、そこまで奇跡が続けば充分だった。……充分すぎたのよ」

 だが敵の主力艦隊を発見した所で、マトモに対抗できるのは金剛と霧島の二人のみ。満潮たちのような練度の低い艦では、幾ら訓練を経ていようとも、太刀打ちできる道理などある筈が無い。
 だから、この結果は。最初から分かり切ったようなものだった。

「最初に沈んだのは白雪だったわ。砲弾の直撃で、本当に一瞬の事だった」

 敵艦隊を視界に収めるのと、爆風が視界を塞いだのは、全くの同時だった。
 轟音と共に足場までもが揺れる。
 そうして体勢を立て直し、再び目を開いた頃には、仲間が一人消えていた。
 一瞬。本当に一瞬。
 三秒もしない間に、先ほどまで会話していた筈の仲間が、跡形も無く消えてしまった。

「金剛さんと霧島さんの判断は総員撤退。これ以上に無い程早い決断だった。……でも、敵の方が上手だったわ」

 総員撤退。金剛は敵との力量差を認めて、撤退を指示した。相手を倒す可能性が、今の自分たちでは、万に一つも無い事を悟ったのだろう。
 だがその動きを、黙って敵が見逃すはずが無い。
 指示を受けて、撤退をすべく行動しようとした瞬間には、満潮たちの頭上に砲弾が降り注いでいた。

「何もかもが遅すぎた。当然よね。敵は私たちが補足するずっと前から、準備を終えていたのよ」

 回避は間に合わない。受けるには耐久が低すぎる。どうにかする手立ては無い。
 それだけで、思考が止まってしまった。
 諦めるには充分過ぎたのだ。

「でも、生き延びた」

 満潮には霧島が、磯波には金剛が。幸か不幸か、手が届く範囲にいた。
 彼女たちにそれぞれ抱えられる形で、二人は守られた。
 響く爆撃音と熱気。伝わる衝撃。硝煙の臭い。
 転がり、投げ飛ばされるようにして四人は爆心地から抜け出す。
 吹雪の姿は見えなかった。
 そして煙が晴れる待つ時間も無かった。

「視界が遮られている間に、霧島さんが囮になって、金剛さんは私と磯波を抱えて撤退」

 きっと最初から打ち合わせは済んでいたのだろう。損害の度合いが大きい霧島は留まる事を選び、軽微な金剛は二人を抱えてその場を後にする。
 言葉は交わされない。
 只の一度も振り返らない。
 だからその後の事は知らない、分からない。

「それで逃げて逃げて逃げて……逃げ続けて、此処に辿りついた」

 元・マカリスター海洋研究所。
 アイアンボトムサウンドに位置するこの施設が、旧海洋研究所を改造した対深海棲艦用拠点であることは、事前に得ていた情報で分かっていた。同様に、随分と前に放棄されたという事も。つまりは、補給は期待できないような、廃墟同然の施設であると言う事を。
 だが、今三人が欲しているのは、身を落ちつけられる場所だ。
 閉じられていた鍵を強引にこじ開け、転がりこむ様に内部に入る。情報通り放置されて大分時間が経つのか、中の空気は淀んでいた。
 だがそんなこと、三人は全く気にしない
 傷ついた身体。消耗した体力と精神。そして漸く身を落ち着けれそうな所に辿りついたと言う安堵感。
 張り詰めていた緊張感は切れた後で。
 ならば、眠りに落ちるのに必然であり。
 再び満潮が目を覚ました頃には、全てが過ぎた後だった。

「金剛さんは一筆だけ残して倉庫に引き籠った後だった」

 『ごめんなさい、少し休みます』
 普段の彼女らしからぬ文と、震えた筆跡。
 倉庫のドアを叩いても、彼女が出てくる事は無かった。

「そして磯波は記憶を失っていた」

 正確には、艦隊を再編されてからのことを、彼女の脳は記憶していなかった。
 何が自身たちに起きていたかを忘れ、何故この海域にいるのかを忘れ、自分たちが過ごした一週間を忘れ。
 つまりは満潮や金剛は勿論、沈んでしまった霧島も、吹雪も、白雪の事も彼女は忘れていた。

「こんなところかしらね。……あとはアンタ達も知っての通りよ」

 その後については語るまでも無い。
 程なくして荒潮が、叢雲が、そして士郎たちがこの場所を訪れる。
 だから後の事は皆が知っての通り。もうお話はお終い。手を叩いて告げる。嘘偽りの無い、皆が知らなかった彼女たちだけの物語。

「言ったでしょ。『当人たちの問題』だって」

 感情の色が見えぬ声で、そう満潮は言い放った。
 分かっていたのだ。彼女は、きっと、最初から。
 そうして溜息を一つ。一つだけ吐いて、立ち上がった。

「まぁ……でも、悪い話ばかりではないわ。二人には改善の兆しが出ているもの」
「改善の、兆し?」
「ええ。金剛さんは倉庫から出てきたし、磯波も記憶は戻っている。後は当人たち……と言うよりは、磯波がもう少し前に出るだけね」
「……記憶が戻っている?」
「本人の自己申告を信じるならね。……尤も、思い出したのはつい昨日。それも、アンタら二人を救出する際の事らしいわ」

 顎で指される士郎と叢雲。二人、昨日、そして救出となれば……

「……どう転ぶか分からないものね」

 小さく。士郎にしか聞こえないような声量で、叢雲はそう零した。きっと彼女も、士郎と同じ事を考えているのだろう。
 無茶をして出て、無謀な戦闘を行って、そして二人して死にかけて。
 それでもその行為は、意図せぬところで意外な結果をもたらしている。
 ……本当に何がどう転ぶか分からないものだ。

「……ホント……感謝をしているわ」

 ポツリと。満潮の口から、意外な言葉が零れる。 

「……金剛さんと言い、磯波と言い……正直、復調の兆しが出るとは思っていなかった。……何時までもあのままだと思っていたわ」
「……」
「だから……その切欠を作ってくれたアンタには、どういう理由で行動したのであれ、感謝をしている」

 ここにきて、初めて。満潮が士郎へと視線を向ける。
 まっすぐに。柔らかな頬笑みと共に。
 見惚れるような笑みと共に。

「……満潮ちゃん?」

 意外だったのだろうか。
 荒潮が驚きと共に名を呼ぶ。
 尤も、それは聞こえるかも分からない程に、小さな呟きだったが。

「――――っ!」

 が、聞こえたのだろう。
 一瞬。本当に一瞬。
 一瞬で満潮は引き攣ったような顔を見せ、

「――――なさい」
「……え?」
「――――忘れなさい。今すぐ。余計な事まで話し過ぎたわ」

 しまった、と。そう言いたげに、彼女は額に手を当て俯いた。顔を見せぬように、誰にも見えないように頭を垂れる。

「んー? みーちーしーおーちゃ~ん?」

 だが。
 逃がさない、と。そう言いたげに笑みを浮かべる荒潮。間延びした声は、まるで玩具を手に入れた喜びのようで。先ほどまでの押し黙った彼女は消え失せていて。
 呆れた。叢雲はそんな二人を見て、呟きを零す。諸々の意味を含んだその言葉は、これ以上も無く正鵠を射ていると言えた。
 そう。
 先ほどまでのシリアスな空気はどうしたんだと言わんばかりに場が軟化し、

「満潮っ!」

 見計らったかのようなタイミングで、部屋に一人分の影が颯爽と入り込む。
 肩口で揺れる、やや濃いめの栗色の髪の毛。
 白が基調のセーラー服。
 ふわりと浮かんだスカート。
 白っぽいナニカが見え――――何故か隣から拳が士郎の頬にクリティカルヒット。
 へごっ、と。口から変な声が洩れた。

「見つけたっ!」

 駆逐艦、雷。
 息を切らせて再来訪。

「金剛さんから、詳しい話は満潮に訊いてって言われたわっ! さぁ、洗いざらい話して頂戴!」
「……はぁ」

 心底嫌そうな顔で、聞えよがしに満潮は息を吐き出した。





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Name: くま◆130f149e ID:917770fe
Date: 2016/02/15 23:54
 調子が悪いことに気が付いたのは、一眠りした後の目覚めからだった。
 金剛の登場、満潮たちの過去、にわかに騒がしくなった病室。
 話の収拾がつかなくなってきた所で、怪我人である士郎と叢雲の体調を考慮し、二人を除いた面々が以降の内容については会議室で話し合う事を決めたところまでは覚えている。
 時計へ視線を向ける。
 最後の記憶から、大体五時間ほどの時間が経過していた。

「……熱、か?」

 身体が熱っぽく、そのくせ震えそうなほどに寒い。呼吸は荒く、目眩のせいで世界が回って見える。そして指一本動かす事すら億劫に思えるほどの身体のダルさ。
 典型的な発熱の症状。
 無理もない、と士郎は思った。ここ数日は、ともかく色んな事があった。海岸での目覚めから、金剛たちとの出会いまで、濃すぎるイベントが目白押しだ。身体も精神も休む暇が無いまま、今日の日まで突っ走ってきたのだ。
 ならば調子を崩すのも道理であり、寧ろ今まで崩していなかった方がおかしい。

「叢雲は……いない、か」

 首だけを動かして、傍らのベッドに視線を向けるが、そこに叢雲の姿は見えない。
 よかった。士郎はそう思った。もし彼女がいたら、自分の体調不良に気づかれてしまっただろう。
 骨折をし、身動きが取れない状況で、これ以上余計な心配ごとを増やさせるわけにはいかない。
 体内に篭った熱を吐き出すように、深々と息を吐き出す。

「……もう少し、寝よう」

 疲れから生じたか、或いはウィルス性か。
 何れにせよ現状の特効薬とは寝る事である。今は幸か不幸か安静にできる――と言うか安静にせざるをえないのだから、十全にこの時間を休息に宛がうべきだ。
 そうとも。
 少し寝れば、回復するさ。きっと。



 そうして。意識を手放す。










■ 艦これ×Fate ■










 久しぶりの静かな時間を噛み締める。ここ数日は兎に角忙しかった。不安も恐れも明日の事も何もかも考えずに寝転ぶのは何時以来だろうか。何もしないという幸せを感じながら、三日月は大きく息を吐き出した。
 正確に言えば、状況は何も変わっていない。相変わらずここは激戦海域であり、一秒先には深海棲艦の襲撃を受ける可能性がある。文字通り、死と隣り合わせの日々。
 それでも。彼女の不安は薄れていた。安堵感すら覚えていたのだ。
 何せ今の研究所には、新しい艦娘がいる。
 名を、金剛。種別は戦艦。
 彼女は三日月たちと同じく、決して軽微とは言えない傷を負っている。
 だがそれでも彼女は戦艦だ。今まで中破以上の駆逐艦と軽巡しかいなかった面々に、戦艦と言う種別が一人いるだけで、心の面持は大きく変わる。戦艦と言うのはそれだけ強大な存在なのだ。

「はぁ……」

 気の抜けた溜息。満潮辺りが聞いていたら咎めそうなレベルだが、幸いにして会議室にいるのは三日月ただ一人である。激務から解放されたような表情と姿勢で、ソファーに寝転がる。
 本当に久しぶりの休息。一度安堵感に捕らわれると、全自動的に感情も追随する。
 この海域に出撃してから気の休まる日なんて来るはずがない。ましてや生真面目すぎる彼女は、今の今までずっと気持ちを張り詰め続けていた。

 何度でも言おう。この瞬間は、彼女にとって本当に久しぶりの休息なのだ。

 なお他の面々については、見張り番の荒潮を除いて、自由行動となっている。
 金剛と満潮と木曾は、別室で話を継続。
 磯波は叢雲のリハビリの付き添い。
 雷は衛宮士郎の元へすっ飛んでいき。
 ……望月は、不明。
 不明。
 不明。
 不明。

 ……思えば最初の会った時から望月はおかしかった。

 姿勢を正し、三日月は考える。
 思い出すのは、初日の出会い。出会った直後の望月は、無表情だった。
 いつものように気怠げな挨拶と共に入ってきたくせに、まるでその表情には何の感情も浮かんでいなかった。受け答えすらも機械的だった。
 その時は、それも仕方ないと思った。何せ場所が場所だ。これで望月が元気いっぱいだったら精神の疾患を疑うし、こちらも平常通りに取り繕える気がしない。「やっほー、望月だよーっ! よっろしくー☆」とか、「もっちーだよー、はっぴー、うれぴー、よろぴくねー」なんて言われた日には、これ以上苦しまないように、一思いにと引き金を引くだろう。誰だってそうする、私だってそうする。

 閑話休題。

 ……兎に角、あの日の望月は様子がおかしかった。いや、様子がおかしいのは仕方なしにしても、それが今でも続いていて、同じ姉妹艦だと言うのに、今日に至るまで会話らしき会話をした記憶が無い。
 ……これは問題だ。三日月はそう思った。望月が、ではなく、自分が、である。
 姉妹艦だと言うのに、今の今まで望月の様子に気が付くことが出来なかった。それだけでも恥ずべき問題なのに、この空いた時間を自身の休息のためにあてがうとは何様のつもりなのか。
 真面目な三日月はそう思った。問題を先延ばしにする趣味は無いし、気が付いた以上は放っておくことは出来ない。
 兎にも角にも、まずは本人を見つけて話をしなければ。立ち上がり頬を叩く。
 善は急げ、と。部屋を出ようとドアノブに手をかけようとし、

「だ、誰かいるっ!?」

 どーん、ばーん。
 壊さんばかりの勢いで目前のドアが開け放たれたと思えば、間髪入れずに茶色の物体が飛び込んでくる。
 思わず飛びのく三日月。
 勢い余ったソレは、回避した三日月に構うことなく、そのまま部屋の中央まで走り抜けた。

「あ、三日月っ!」

 振り向いた先にいたのは、雷。先ほど出て行ったばかりの同僚。
 げっ、と。思わず眉根を寄せる。面倒ごとだ、と予想できたからだ。
 あまりにもタイミングが悪すぎる。何も今じゃなくていいじゃない。三十秒、いやせめて十秒後なら鉢合わせしなかったかもしれないというのに。
 とは言え、過ぎたことを言っても仕方が無い。たらればの話は後回し。真面目な彼女に雷を放っておくなんて選択肢があるはずもなく、心の中で溜息を吐いて、彼女は雷へと向き直った。
 尤も、そんな事を思えたのはこの時まで。
 次に雷の口から発せられた言葉が、全てを覆す。



「助けてっ! 衛宮さんが死んじゃうっ!」











「……42℃。人間が出していい熱じゃないわね、コレ」

 苦し気に息を吐く衛宮士郎を一瞥し、満潮は淡々と言葉を重ねる。
 衛宮士郎が高熱を出した。言葉にすれば、たったこれだけ。だがこれだけの事で、天秤は大きく最悪に傾いた。

「……衛宮さん、死んじゃうの?」
「このままならね」
「……満潮ちゃんっ」

 咎めるような声に、満潮は振り返る。
 珍しくも三日月が睨んでいた。

「……悪いけど、事実は事実よ。この研究所に解熱剤は見当たらない。例えあったとしても、満足な食事すら摂れていないのに、薬を飲んでも効力を発揮できるとは思えないわ」
「……っ」
「彼は人間よ。私たち艦娘とは違う。……寧ろ、良く保った方ね」

 その通りだ。言葉の通りなのだ。
 衛宮士郎がここに来てから、まともな食事を出した記憶が無い。それはここに食料が無いからであり、またそれを用意するツテも存在しないからだ。
 まして彼は、ヌ級との戦闘行為――もっと言えば、合流以前に敵艦載機と戦闘を行っている。体力の消耗は段違いであり、遅かれ早かれこうなる事は分かっていた。寧ろ碌な栄養も摂らずに今日まで動けていた事がおかしいのだ。
 だから満潮は、雷と三日月が助けを請うて来た時には、既にこの結果について予想がついていた。何せつい先ほどまで、もしも彼が倒れてしまった場合について、金剛と木曾と話し合っていたのだから。

「都合の良い希望は持たず、なるべく彼が安静にしていられるようにする事。それくらいが私たちの出来る事よ」

 自分がどれだけ残酷で冷たい事を言っているのか。
 それを承知で満潮は言葉を重ねた。

「余計な事はしない方がいいわ。……あと、そうね。覚悟だけはしておく事ね」
「かく、ご……?」
「ええ、そう。どう転んでも、冷静にいられるように……ね」

 その言葉が何を意味する事か、くらい。予想ぐらいは着くのだろう。雷と三日月の両名が黙ったところで、満潮は立ち上がった。これ以上ここにいても仕方が無いからだ。
 ……あと、扉の外で聞き耳を立てている阿呆どもにも説明をしなければならない。やるべき事は。他にもまだある。
 小さく、誰にも聞こえないくらいの声量で言葉を零す。

「……ま、後は任せたわ」

 大体にして、そもそも。
 もしも彼の処遇を第三者が決めるとするのであれば。
 それは自分たちではない。











 災難は何時だって畳み掛けてくる。
 そして上手く対処していく事を強いられる。
 そんな事は自身の経験から、嫌と言うほど分かっていたことだ。

「全く……少しは勘弁してほしいネー」

 誰にも言えない文句を金剛は零した。彼女は自身の存在が皆にどう影響を与えるかを熟知している。だからこそ、人目がある前では大っぴらに愚痴も吐けない。
 一人、つい数時間前まで引き篭もっていた部屋に戻り、ガラクタの山を漁る。何か少しでもいいから使えるものがないか、彼女は探していた。
 だが結果は芳しくない。

「……弾薬が三つ、デスカ」

 武器、ではない。これは姉妹から貰ったお守り。使えない武装は捨ててきても、これだけは後生大事に持っていたらしい。
 ま、これは捨てられないし仕方ないネー。ポケットに無造作に突っ込んで、もう一度漁り回る。だが結果は同じことだった。

「Humm……これは拙いネー……」

 衛宮士郎が倒れた。まぁこれは予想はしていた事だ。何せちょうど先ほどまで、満潮と木曾との三人で、もしもの場合を想定して話し合っていたくらいだし。
 が、幾ら何でもタイミングが悪い。話し合ってすぐに現実になるとは思わなかった。自分の不甲斐なさが原因の一つだという事は分かっているが、やっぱり神様は意地悪である。もう少しくらい猶予を持たせてくれてもいいのに。明後日の方向へ文句を飛ばしながら、金剛は自身の艤装を持ち上げた。
 ――――砲撃、一発分。
 余計な機能を捨て去った故の軽い事に若干の驚きを覚えつつ、溜息を吐き出す。
 どんな手段を取るにせよ、現状は絶望的だ。

「武器と言えるのは……あとは手榴弾一発程度……」

 元より、こんな役立たずの引き篭もりの部屋で、現状を覆せるような一品が見つかるとは考えていない。だから見つからなくても、言うほど彼女は落胆していなかった。
 そうとも。
 この時間を尤も有効活用すべき人物は、悔しいが自分ではないのだ。


 








 分かっていたことだ。全部。
 何もかも。本当に、何もかも。
 なのに、都合の良いところばかりに目を向けて、自分勝手な解釈ばかりしていた。
 現実を見ている気になって、机上の空論ばかり重ねて。
 結局、本当は何も見えちゃいなかったのだ。

「……木曾さん、怖い顔してる」
「仕様だ」

 素っ気無く言葉を返してから、悪いな、と木曾は続けた。バツの悪そうな声だった。彼女は自分が思っていた以上に感情を制御しきれていない事を恥じていた。
 いつもと変わらぬ調子で、気にしてないよ、と望月が手を振る。完全に感情を制御できる生き物なんていない。それは外見年齢に不相応とも言える達観だった。
 そのまま。二人は何も言わずに、沈みゆく夕日を見やる。
 その夕日が落ち切るまで、何も言葉を発さなかった。

「……俺は甘えていた」
「そうだね」

 静かに。
 光源が無くなって、夜の帳が落ち切ってから、漸く木曾は口を開いた。追随するように望月は肯定した。

「分かっているようで、何も分かっていなかった。無責任に背負わせすぎた」
「そうだね」
「ちょっと考えれば分かる事なのにな」
「そうだね」
「俺は何も学んでいなかった」
「……そうかな?」
「そうさ」

 互いに目を合わせることなく、言葉だけが交わされる。感情は篭っていない。予め決まっている台本を読むかのような、そんな気軽さすら含んだ、会話未満の会話。
 分かっているのだ。二人とも。分かっていて、分かっていながら、それでも言葉に出す。
 だからこの会話の内容に意味などない。
 もしも意味を求めるのならば、それは会話の内容ではなく、行為そのものにある。

「……決めた」

 幾らか意味のない言葉を重ねて。海風に限界まで体温を奪われて。要はそれくらいの無駄な時間を費やして。
 漸く木曾の口から、感情の篭った言葉が発せられた。

「望月」
「分かった、了解」

 即答だった。用件を聞く前の即答だった。名前を呼ばれた時点で、彼女は木曾が何を言うか予想できていたし、また受け入れる覚悟があった。それは奇しくも、彼女も同じ考えを抱いていたからに他ならない。
 木曾は一瞬迷ったように口を閉ざし、それから少しだけ口角を釣り上げた。悩んでいること――いや、悩んでいたことが、馬鹿らしいと言いたげな表情だった。

「士郎を連れて、この海域を脱出する」

 躊躇いは無かった。気負いもなかった。
 ともすれば、その言葉には呼吸のような自然さすらあった。
 あまりにも夢見がちと言われかねない決断を、彼女は迷うことなく口に出した。笑みを浮かべる余裕すらあった。

「今夜?」

 望月は時間を訊いた。
 そう、時間である。
 時期ではない。

「ああ」
「じゃあ、もうすぐに準備しないとね」

 ノータイムで言葉を重ねる。余計な言葉が無くとも、意思を伝達し、共有できるくらいには、二人の仲は長い。
 同時に二人は立ち上がると、それ以上の言葉を重ねることなく、研究所内へと戻る。
 二人の脳裏では、これからこれからの目的と、それに至るまでの経過について、全く同じ内容が思い浮かべられていた。二人は各々が何を為すべきかを、ちゃんと把握していた。

 そうとも。

 誓ったのだ。あの小さな無人島で。
 三人揃って、必ず生きて帰ると。
 




[39855] 1-11
Name: くま◆130f149e ID:917770fe
Date: 2016/08/16 00:30
 武装は持たない。持つ意味が無いから。
 防具もいらない。身に纏う意味が無いから。
 自分に必要なのは、ただの一つだけ。

 マルヨンマルマル。

 時計の短針が4の字を、長針が12を指す。
 カチッ、と。一際大きな音が室内に響いたのを確認してから、木曾は手元の灯りを点けた。暗かった室内が照らし出され、その全容が露わになる。
 医務室。 彼女の行動は迅速、且つ丁寧だった。眠っている士郎を背負い、予め破いておいたシーツで身を固定する。何度もシミュレーションをしてきたのだろう。なるべく負担を掛けないように、それでいて淀みなく、一分も掛からずに準備は終わった。彼の苦し気な吐息が髪の毛を揺らしたのは、最後の最後に背負い直した時だけだった。
 一瞬だけ申し訳なさそうに木曾は顔を歪める。だがそれは、自分の至らなさと未熟さが原因で生じた、どうしようもない感情だった。

「木曾さん、忘れ物は無い?」

 扉が開き、ひょっこりと望月が顔を見せる。普段は何事にも気怠げな様子を隠さない彼女だが、流石に今は勝手が違うのか、表情・言葉ともに固い。
 木曾は片手を上げて、軽く揺らした。『問題無い』。二人がこの海域でコンビを組んでから、何度も交わしてきた手信号である。

「オレの準備は終わった。望月は?」
「あたしはもう済んでいる。残りは木曾さんだけさ」
「……アイツらも終わったのか?」

 その言葉に望月が頷く。
 意外とでも言いたげに、木曾は目を見張った。

「ま、ここら辺に関しては、皆の方が長いからね。ある程度の準備は済んでいたんでしょ」
「……それもそうか」
「じゃ、さっさと行こう。情報に変わりは無いから、あとは出るだけさ」

 ぐっ、と。親指を立てる。
 さぁ、脱出の時間だ。










■ 艦これ×Fate ■










 マルヨンサンマル。


 東の空が白みつつある、夜と朝の境目。
 そんな空の下。まだ暗い海上。
 暗闇を裂く様に、二つの線が真っすぐに走っていた。二つの線は等間隔を維持したまま、真っすぐにぶれることなく描かれる。

 無論、自然に出来たものではない。

 よくよく見れば、その線に重なるようにして、八つの影――人影が見える。
 それぞれの線の先頭を走るのは、満潮と金剛。
 満潮の後ろには、望月、木曾、磯波の三名が。
 金剛の後ろには、雷、荒潮、三日月の三名が。
 追随するようにして線を描いている。

「……っ」
「叢雲ちゃん、大丈夫?」
「……ごめん」
「いーえ、気にしないで下さい」
「木曾さん、お兄さんは?」
「今のところまだ寝ているな。吐息に乱れは無い」

 否、正確には人影は十。
 磯波に支えられる形で叢雲が、木曾に背負われる形で衛宮士郎が。
 半ば運ばれるようにして、皆と一緒に行動していた。
 とは言え、一見すればおかしなメンバーの割り振られ方だろう。
 何せ一方は損傷の少ない面々で、そしてもう片方は損傷の具合が大きい面々を集めて構成されているのだから。
 だがこの陣形とメンバーの割り振りは、既に昨夜の時点で決められていたものなのだ。



 ――――時を戻して八時間前。
 フタマルマルマル。
 会議室兼寝室。



「それでは、脱出する際のmemberとformationを決めまショー」

 皆を集めて脱出の旨を伝える。
 そこまでは木曾が考えていた通りの展開だった。
 そこまでが木曾が考えていた通りの展開だった。
 大きく逸れたのは、金剛からの不意の一言。

「は?」
「ですからmemberとformationを決めまショー。Mr.衛宮はキソーに任せるとして……humm……」
「いや、ちょっと待て」

 おかしいおかしい。話の流れていく方面がおかしい。キソー呼ばわりは置いておいて、だ。
 いつの間にかに話の主流を握る金剛に、木曾は流れを戻すべく声をかけた。

「出て行くのはオレらだけだ。面子も陣形も考える必要は……」
「何を言っているんですかキソーは。Mr.衛宮も含めれば10人いるんデスヨ。二つに分けるとして、割り振るmemberとformationを決めなくてどうするつもりデス?」

 何を当たり前のことを、とでも言いたげに金剛は首を傾げた。二呼吸程の間をおいて、木曾の思考は現状に追いついた。どうやら金剛の中では、全員で脱出をするものだと認識しているらしい。
 いや、違う。面子は自分と望月と士郎の三人だけ。
 そう告げようとし、

「はいはーいっ! 金剛さんっ! 私、衛宮さんとがいいっ!」
「いやいやいや、アンタの体躯でどうやって支えるつもりよ……」
「やる気は買うけど雷ちゃんじゃ確かに無理よね……やっぱりそこは木曾さんかしら?」
「何を言っているのよ、私だってそれぐらいは分かっているわ。衛宮さんと同じ部隊で、ってこと!」
「部隊かぁ……希望は聞いてもらえるのでしょうか?」
「humm……とりあえずのところはキソーとMr.衛宮ともっちーは同じチームで確定ネー。後は……」

 一気に騒がしく、そして収拾がつかなくなる場。
 なんだこれは。思わぬ展開に呆気にとられる木曾。横を見れば、同じく呆気に取られている望月。

「……ま、こうなるわね」
「満潮……」
「諦めて受け入れる方が賢明よ。何を言われても、皆行くわ」

 まるで木曾が話を始める前から、こうなる事が分かっていたみたいに。
 眼前で行われている騒ぎに反して冷静な満潮。
 その彼女に木曾は問うた。

「……いいのか?」

 主語は無い。だけど、何を問うているか分からぬほど、満潮は愚鈍ではない。
 満潮は僅かに口角を釣り上げた。当然と言わんばかりの、そして僅かとは言え、珍しくも茶目っ気を含んだ笑い方だった。

「此処に居る皆は、捨て艦作戦の弊害で生き残ってしまった者たち。帰れるのなら帰りたいに決まっているでしょ」
「……」
「……勿論、仲間を沈められた怒りはあるわ。だけど今の私たちで仇を取れるほど、物事が見えていないわけじゃない」

 いつかは此処に戻ってくる。志半ばで散った仲間の仇を取るために。だけどそれは今ではない。

「だからここでこれ以上待っていても意味は無いわ。それに、私の第一目標は達成できたしね」
「……金剛さんの事か」

 満潮が金剛のために残っているという話は、木曾も望月も聞いた話だった。
 木曾に指摘されて、満潮は若干眉根を寄せた。ここにきて初めて、彼女は自身が喋りすぎたという事を自覚したのだ。

「……私は磯波と話をしてくるわ。もう状況は変わらないから、二人とも部隊のメンバーと陣形について、協議してくることね」

 やや早口でそう告げると、返事を待たずに満潮は一歩引いた。そして背後で佇んでいた磯波を連れて、部屋を出て行ってしまう。
 残されたのは、木曾と望月。
 本来であればメインであるはずの二人。

「それは置いておいて叢雲の事はどうする? 一人で動けないでしょ」
「ハ、舐めんじゃないわよ。これくらい――――ヅッ!?」
「小突かれただけでその様子じゃ信憑性ないわね」
「荒潮、アンタねぇ……っ!」
「はいはい、ストップストップ。話が逸れてしまいます」
「三日月の言う通りデース。これじゃ収拾つかないネー」

 顔を見合わせる。
 仕方無いんじゃない?
 仕方が無いか。
 言葉を発しなくとも、口を動かさずとも。二人は全く同じ考えを共有した。時には諦めも肝心であると言う一例だろう。ここで自分たちの我儘を押し通すことに利は無い。

「三人セットなのは決定として、そうすると残りの枠をどう埋めるかよね」
「叢雲もいるから、実質動けるのは十人中八人。戦闘行為も考慮するなら、二人のカバーで抜ける事も考慮しなくちゃね」
「……」
「……」
「……な、なによ、みんなして……」
「いえ……雷って理性的に――――むぐっ」
「はいはいストップ。叢雲ちゃん、ストップ」
「金剛さん、続きをどうぞ」
「ソウネー……重症の二人をどうするかで残りのmemberは決まりマース。二人のcoverは、なるべく軽傷の者たちで行いまショー。……例えば、Mr.衛宮は私が背負うとか?」



「……いや、待て待て待てっ! オレら抜きで話を進めるな――――っ!」











 場面は研究所から海上へ。
 時刻はマルゴーマルマル。



「そろそろ戦艦種遭遇多発海域デース。此処さえ抜ければ、あとは本国へ戻るだけですから、気合入れていきまショー」

 出発から大凡一時間。スピードを緩めることなく、金剛は声を張り上げた。
 計器が全損しているので、正確な位置は分からない。現在の自分たちの位置については、自分たちの進行スピードと、事前に得た情報から算出した予測でしかない。だから、そろそろ。
 ちなみに情報とは、金剛隊が出撃前に事前に入手し、頭に叩き込んできた前情報の事である。海域突入から日数が経過し、情報が一分一秒と言う最中で更新されていく事を考えれば、信じるに値するかは疑問だろう。
 だが、他に手立てがあるわけでもない。
 金剛も多くは言わない。この海域では戦艦種の中でも危険度の高いelite級やflagship級が跋扈している事、時には装甲空母姫とも矛を交える事、多くの部隊が敵の親玉を見ずに撤退する原因の一つである事。そんな事は、今の自分たちは知っていても仕方が無いからだ。
 攻撃を受けたら、沈む。
 直撃しなくても、沈む。
 少しの衝撃だけで、沈む。
 敵の強大さについては今更であり、自分たちが逃げの一手しか取れない事を理解しているから、金剛はそれ以上何も言わない。

「……」

 そして同じく。金剛隊の一員として出撃していた満潮は、金剛が最低限しか言葉を発しなかった理由を察して、何も言わずに彼女の言葉に従った。手を高く上げ、少しだけ金剛たちよりもスピードを緩める。今まで等間隔で保たれていた距離が崩れ、金剛たちが先に出る形になった。

「?」

 疑問に思ったのは満潮指揮下の木曾、望月、叢雲の三名だ。昨夜に取り決めた内容の中に、こんな作戦は入っていない。

「アンタたちの状況を鑑みて、金剛さんたちが先に行くだけよ。怪我人たちを先行させられないでしょ」

 木曾たちが言葉を発する前に、満潮が意図を伝える。理の通った、簡潔な説明。
 だがその言葉に、何か引っかかりを望月は覚える。
 作戦の全容を伝えられていない事もそうだが、それ以上に何か見落としてはいけないものがある。喉に引っかかった魚の骨のような感覚。言葉にし難い違和感に眉根を寄せた。
 だが、飲み込む。
 代わりに後ろに一言。

「……木曾さん、大丈夫?」
「大丈夫だ。今のところは、な」

 望月の問いに木曾は簡潔に答えた。首筋にかかる士郎の吐息は、今のところ規則的に感じる事が出来る。彼が小康状態を保っている証明だ。今の状態が本国到着まで続くのならば、治療で彼が元の生活に戻る事も夢ではない。
 訊きたかった事はそれだけじゃないんだけどね。一方で望月は、木曾には聞こえぬ様に言葉を呑みこんだ。彼女も士郎の事は心配であるが、同様に木曾の身も案じていた。
 何せ木曾は、此処に至るまで一切気を緩めていない。敵襲は勿論、背に感じる士郎の温もりや、呼吸の変化、気配の強弱に至るまで、一つの異変も逃さす事の無いように集中していた。
 当然、そんな状態が長く続くはずもない。
 だが、木曾は一切緩めることなく此処まで継続している。

 ……ま、言っても仕方が無い、か

 木曾が衛宮士郎に対して負い目を感じていることは、望月だってわかっている。楽にしろと言うのが無理な話なのだし、逆の立場なら望月自身も木曾と同じようにしただろう。
 だから言わない。木曾の集中を損ねる事は言わない。違和感も、思いやりも、全て心の内に。
 代わりに小さく鋭く息を吐いて、気合を入れ直す。
 ギュッ、と。握りしめた12.7cm連装砲が、やけに重く感じた。











 金剛が前方の異変に気が付いたのは、突入から数分経ってからだった。
 前方に見える、黒い物体。
 艦娘の中でも戦闘能力が特に高く、遠くからの砲撃戦を行える戦艦種である彼女だからこそ気が付けた、大海原の中の異変。
 最初こそ深海棲艦かと考えるが、一体だけというのもおかしな話だ。
 後方の満潮たちにも分かる様に、減速のジェスチャーを見せる。
 早く海域を突っ切りたいところだが、焦って敵艦隊と遭遇すれば、分が悪いのは自分たちの方なのだ。

「金剛さん、何か?」
「……前方に、恐らく艦影。詳細は分かりませんガ、慎重を期するにこしたことはアリマセン」

 三日月の問いに簡潔に答えると、金剛は手で陣形変更の合図を送る。複縦陣。四隻ならギリギリ出来る陣形である。

「艦影が判別可能な距離まで近づきマス。前衛は私と三日月。雷と荒潮は後衛をお願いしマス」

 緊張で喉が張り付く。そんな感覚を三人は覚えた。駆逐の艦種では金剛の言う艦影はまだ見えないが、行く先に深海棲艦かもしれないと言う疑念が、道中以上の緊張感を三人に強いたからだ。特に雷と荒潮にとっては、敵艦に襲われて敗走したことは記憶に新しい。
 金剛はそんな三人の状態を正しく把握した上で、しかしわざわざ緊張を解そうとはしなかった。必要以上の緊張は出足を鈍らせるが、元より戦うという選択肢の無い艦隊である。逃げの一手しか選べない以上、自身の声しか聞こえないくらいに緊張していれば寧ろ都合が良い、との判断からだった。

「……深海棲艦を見つけたのかな?」
「……進路の変更ではないから、まだ可能性は半々ってところじゃないかしら」

 一方で。金剛たちとは距離を取っていた満潮たちは、まだ冷静に考察することが出来た。先を行く金剛たちに合わせて減速する。

「重巡洋艦以上を発見した場合は、問答無用で進路変更をするって決めているわ。だから、きっとまだ様子見ね」

 風は穏やか。空は快晴。出てきた太陽を遮るものは何も無い。
 僅かに目を細めて、望月は金剛たちの先を見ようとする。だが駆逐艦の視力では、何もない穏やかな海原が見えるだけだった。

「艦載機の一つでもあればなぁ……」

 ポツリ、と。望月は言葉を零した。無い物強請りをしても仕方が無いが、愚痴の一つでも零さずにはいられない。
 尤も搭乗者である妖精さんもいなければ、そもそも装備できるのは現状では軽巡洋艦である木曾と戦艦である金剛だけだ。望月をはじめ、駆逐艦では装備できない。
 嫌になるね、全く。結局のところは何一つ変わりはしないという現実に、もう一度望月は溜息を吐き出した。自分の無力さに対する呆れだった。



「……止まって。様子がおかしい」



 満潮の声に望月は思考を戻した。一瞬だった。先ほどまでの不真面目気味な様相は消え去っていた。
 そしてそれは、望月以下の三名も同じである。
 木曾も、磯波も、叢雲も。満潮の声がかかるとともに、思考から不必要なものを取り除く。

「……何が起きた?」
「……分からない。けど、金剛さんの様子がおかしい」

 金剛たち、ではなく金剛のみ。遠目にも彼女の様子がおかしいことは分かった。
 端的な言葉から、四人は過たず満潮の言わんとする意味を理解する。
 即ち、

「私たちの捕捉範囲外に敵がいるって事かしら」

 全員の脳内に浮かんでいた言葉を叢雲が口にする。
 言うまでも無くそれは、最もあり得る異変にして、皆にとって最悪のパターン。

「……だったら進路変更の合図をする筈よ。何も合図が無い以上、敵とは言い切れないわ」

 叢雲の言葉を満潮は否定した。だがその言葉に説得性が皆無な事は、満潮自身が良く分かっていた。

「……金剛さんたちに合わせて減速するわ。今の距離を保つわよ」
「了解。けど、この状態を何時までもは続けられないよ」
「分かっているわ。最悪の場合は、私の独断で――――」

 望月に返そうとした言葉が途切れる。息を呑むような声が聞こえた。前を向いたまま、満潮は微動だにしなかった。
 ひょい、と。その様子を不思議に思った望月は、視線を前に、満潮の視線の先へと向けた。
 彼女の眼が捉えたのは、取り残された二つの人影と、最大速度で飛び出した二つの人影。



「ダメやああぁぁあああああああああっ!!!」
「ダメっ!!! 戻ってっ!!!」



 そして遠くから聞こえる振り絞るような絶叫と、悲痛な静止の声。



 ――――その全てが、爆音と水柱によってかき消される。



[39855] 1-12
Name: くま◆130f149e ID:917770fe
Date: 2016/08/19 04:22
『レベリング』

 基礎訓練を終えた艦娘を危険度の高い海域に出撃させ、高練度の艦娘の指揮下の元で、実戦経験を積ませる事。
 この行為に正式名称は無く、行為そのものも一歩間違えれば主力艦隊を危険に晒してしまうため、行うか否かは各鎮守府の司令官の判断次第になる。
 飛躍的に実戦経験を積ませることが出来る反面、戦力や資材、燃料等に余裕のある鎮守府でしか行うことが出来ない。
 名称の由来は不明。

 間宮の記録帳より、一部抜粋。





 最初は何も見えなかった。
 でも、胸騒ぎみたいなのはあった。
 言葉にし難い、予感みたいなもの。
 そして何となくだけど、その予感は自分たちにとって良くないモノだと思った。
 不完全で、朧気で、でも確実に私を取り巻くナニカ。

 そのナニカが形を成したのは、金剛さんが息を呑んだあたりからだった。

 すぐに分かった。姿は相変わらず見えないけれど、前方にナニカ――いや、誰が――居るかは分かった。
 ……分からないわけがない。だって私たちは、この海域に来てから、ずっと一緒に行動してきたのだ。
 最初は確かに寄せ集めだった。顔と名前を知っているだけだった。結びつきは大して強くなかった。
 それでも出撃して。旗艦と逸れて。敵に追われながら、三人で必死に生きてきて。
 陳腐な表現かもしれないけど、私たちはそんな極限状態の中で、確かな絆を育んだのだ。

 だから、理解できた。誰が前方にいるかを、私は――私たちは理解した。

 理解したら、意識するよりも先に身体が動いていた。反射的だった。行動してから、思考が追い付いた。
 それはもう一人も同じだったみたいで。全くの同時に私たちは飛び出していた。
 後ろから金剛さんが、前からアイツが声を張り上げていたけど、そんなものは気にならなかった。
 残り少ない燃料も、周囲の警戒も、不自然すぎる状況も。何もかも気にならなかった。
 恐怖も、悪意も、敵意も、或いは死の予感すらも。……気にならなかったと言えばウソだけど、そんなことよりも大切なものを見つけてしまったから。
 ただただ真っすぐに、手を伸ばす。



「ダメやああぁぁあああああああああっ!!!」
「ダメっ!!! 戻ってっ!!!」



「荒潮、雷――――っ」



「黒潮――――っ」










■ 艦これ×Fate ■










 砲撃音が轟く。
 水柱が立つ。
 爆風が襲う。
 金剛は咄嗟に三日月を抱えると、後方へ飛び退いた。降り注ぐ砲弾と、乱立する水柱と、襲い来る爆風から身を守るためだった。
 戦艦ならば、多少の爆風で壊れるような建造はされていない。身を打つ衝撃と爆風から逃れるように、器用に浮力装置を扱って逃れる。

「こ、金剛さん、一体――――」
「罠ネ、しっかり掴まっ――――」

 状況が呑み込めていない三日月に満足な言葉を返す余裕も無い。
 すぐ傍に砲弾が着弾し、爆風に煽られる。逆らうことなく勢いに任せ、少しでも敵の射程外から逃れようと、自ら進んで金剛は吹き飛んだ。吹き飛びながら、冷静に思考をする。
 罠。そう、罠である。
 今になって漸く金剛は理解していた。砲弾の着弾前。自分が見た光景が如何に悪辣なものだったのかを。如何に非人道的な方策であるかを。

「荒潮、雷、――――黒潮っ」

 金剛はこれまでにない怒りを覚えていた。経験した事のないほどの怒りの感情だった。身を焼くような怒りだった。
 荒潮、雷、黒潮。三人の事は、正直なところよくは知らない。けど、満潮から概要は聞いていた。
 三人は一緒に行動していた事。揃って旧研究所に来た事。物資の調達に出て行った事。襲撃を受けた事。荒潮と雷を逃がすために黒潮が囮になった事。黒潮だけが行方不明になった事。
 全部、聞いてはいたのだ。

「アイツら――――よくもっ!」

 金剛が見た光景。
 それは、大海原に一人佇む黒潮の姿。
 力なく頭を垂れ、遠目には生きているかも死んでいるかも分からない。
 行方不明になった彼女が、何故物資調達ルートからも旧研究所付近からも遠いこの場所に居るのか。何故こんなところで力なく佇んでいるのか。生きているのなら何故動かないのか、死んでいるのなら何故沈んでいないのか。
 ……今ならわかる。
 黒潮は轟沈していなかった。轟沈はしていなかったが、深海棲艦に捕らえられてしまった。そして罠として利用されたのだ。
 捕らわれた後、殺されることは無く、艦娘をおびき出す罠として生かされたのだ。

「……っ!」

 そして今。爆風に曝されながら、金剛は一つ理解をしていた。
 砲撃主たちは、決して技術が高いわけではないと。寧ろかなり低いと。
 下手な鉄砲なんとやら――ではないが、普通はこれだけ砲撃に曝さられたら無事に済むはずがない。にも関わらず金剛と三日月が無事なのは、単純に相手のレベルが低い。ただそれだけである。
 そして、また一つ理解する。

「……手負いである事は認めますガ、これは相当舐められているようデスネ」

 何故練度の低い砲撃主に砲撃を任せるのか。
 それは、この状況を訓練と捉えているから。
 罠にかかった隙だらけの艦娘を轟沈させることで、低練度の艦の技術を上げようとしているから。
 概要は多少異なれど、要は艦娘側で言うレベリングと同じである。
 ……最低最悪のレベリングである。

「こ、金剛さんっ!?」

 ……どうやら知らぬ間に力を入れてしまったらしい。困惑したような三日月の声に、怒りに染まっていた金剛の思考は少し落ち着く。
 僅かな砲撃の間隙を嗅ぎ付けると、金剛は三日月を少しだけ遠くへと放り投げた。そして指示を与える。

「――――満潮たちと合流を。そして可能であれば先に逃げなサイ」
「金剛さんはっ!?」
「私は荒潮と雷を追いマス」

 嘘だ。自分の言葉が嘘だと分かっていながら、しかし口は淀みなく動いた。
 金剛は荒潮と雷の生存を絶望視していた。幾ら砲撃主の技術が低くとも、これだけの爆風と衝撃に曝されて、駆逐艦である荒潮と雷が自分たちと同じように生きていられるとは思えない。寧ろ砲撃が自分たちを集中して狙ってきている以上、最初の一撃で二人は轟沈、ないし致命的なダメージを負ったに違いない。
 きっと、いや絶対助からない。
 それは冷酷な判断。だが仮定の話に希望を語っても仕方が無い。
 故に、今の金剛の言葉の真意は三つ。
 三日月を満潮たちに合流させる事。
 満潮たちが逃げる時間を稼ぐ事。
 そして――――

「報いは受けさせマス……必ず」

 仇討ち。
 悪辣な策を思いつき、そして実行した、クソ野郎どもへの報復。
 その死を侮辱され、心を踏みにじられた三人に代わっての復讐。
 三日月が離れたことを確認すると、金剛は大きく息を吐き出した。そして気合を入れるように量の頬を全力で叩く。パンッ、と。力強い音が周囲に響き渡った。
 ……元より生きて帰ろうなんて、金剛は考えていない。
 迷うことなく、立ち込める白煙の中に足を踏み入れる。











 金剛たちが深海棲艦に捉まった。そう、後方にいた満潮たちは判断した。
 轟いた砲撃音と、着弾によって乱立する水柱と煙。そしてかき消された金剛たちの姿。証拠は充分に揃っていた。

「っ! 全速力で離脱するわ、深海棲艦よっ!」

 満潮の指示は迅速だった。
 離脱の指示を与えるとともに、彼女は脳内に地図を展開した。本国への最短経路を突き進む以上、別の経路を構築する必要があるからだ。
 だが、

「それって……金剛さんたちを見捨てるって事? ……だとしたら、アンタの言葉は聞けないわ」
「んー……私も叢雲と同意見かな」

 反対の言葉が上がる。
 叢雲と望月だ。

「逃げる事は否定しないわ。でも、仲間を置き去りにして逃げるのは同意できない」
「満潮の判断は正しいと思うけど、今回ばかりは、その、ちょっとね……」

 叢雲はハッキリと。望月はどこか歯切れ悪く。
 しかし明確に否定の意思を伝える。このままであれば、満潮の指示に従うつもりは無いと口に出す。

「……どうあっても?」
「ええ、勿論」
「その身体で?」
「気遣ってくれるところ悪いけど、見捨てて逃げるなら轟沈した方がマシね」

 ……説得は不可能。短いやり取りで、そう満潮は判断する。やれやれとでも言いたげに、溜息が零れる。
 ちらりと望月と叢雲、木曾、そして最後に磯波に視線を向け――瞼を閉じる。
 ……大丈夫、もう決まった事だから。覚悟なんて、今更の話だ。
 ゆっくりと、瞼を開ける。

「……私もね。実は二人に同意見なの」

 重々しい息を吐き出す。発した言葉は、意外にも二人を肯定していた。



「でも……ごめん。これは……もう他の皆で決めていた事だから」



 一瞬だった。少なくとも、叢雲はそう思った。
 ぐるりと視界が回転する。水平線が回転し、空が海に、海が空へと変化する。何が起きたか分からない。分かるはずもないまま、彼女の意識は闇に落ちた。抵抗の一つも出来やしなかった。
 一瞬だった。少なくとも、望月はそう思った。
 腹部に衝撃が走る。満潮の姿が目の前に来たと思ったら、今度は少しだけ遠のいた。何が起きたか分からない。分からないが、彼女の身体は反射的に防衛本能に従って動いていた。そして状況を把握する。

「……なるほど、実力行使ってわけね」

 鈍痛を訴える腹部。痺れの残る右腕。
 咄嗟に右腕でガードしていなかったら、意識を刈り取られていたかもしれない。それほどの、手加減の無い一撃。
 とは言え正直なところ、これくらいは予想していた。何かしらの諍いがあった際に、誰かしらが汚れ役に――つまりは、実力行使に出るのは予想できた。例えば……皆のまとめ役だった満潮とか、或いは金剛とかが。
 だから、望月は反応出来た。予測していたから、反応することが出来た。
 ちらりと。気絶した叢雲に視線を向けて息を吐く。

「……正直なところさ、実のところ万が一の場合は実力行使に出るだろうなぁ、って予想はしていたんだ」
「……」
「予想はしていたけどさ……まさか磯波にまで話が回っているとは思わなかったよ」
「……ごめんなさい。納得いかないのは私も同じだけど、この場は――――どうか従ってください」

 顎への一撃。それも予想もしてない方向から、正確無比に、一撃。
 気絶しない方が無理だろう、と望月は思った。彼女が叢雲の立場だったとして、磯波の一撃を防げる自信は無かった。
 気絶した叢雲を抱えて。今にも泣きそうな顔で磯波は訴える。それだけで……望月は全てを察することが出来た。

「この分だと、どうやら何も知らなかったのは私と叢雲だけみたいだね。……叢雲が聞かされていなかったのは、重傷で満足に動けないから。私は――大方、お兄さんを無事に本国へ送り届けるのに、顔見知りが沈んじゃマズいだろ、ってところかな?」
「……すごいわね。九割方正解よ」
「……残りの一割は?」
「木曾さんにもこの話は伝えていなかったわ」

 満潮の言葉を木曾は首肯した。それを見て、そりゃそうだ、と望月は思った。一緒に行動してきたのに、片方だけ聞かされないわけがない。
 だが木曾も、望月と同じくこの状況についてはある程度は予想していたのだろう。寧ろより現実的に、考えうる限りの最悪の状況も想定していたに違いない。現状に対して、顔色一つ変えていないのがその証明だ。
 つまりは、気絶させられた叢雲を除いて。
 今の状況に従えていないのは望月だけという事であり――――

「望月」

 木曾に名を呼ばれる。
 何度も聞いたことのある、感情を含まない声だった。忘れもしない。■■■が沈んだ、あの日にも聞いた声だった。
 鋭く息を吐き出す。

「分かっている」

 少しだけ反発するように。
 望月は返答した。
 自分の意見が、今はただの我儘でしかない事を理解して、それでも納得は出来ない故だった。
 分かってはいるのだ。ちゃんと分かってはいるのだ。
 満潮の判断は正しいものであり、そして誰よりもこの状況を歯がゆく思っているかくらい。
 今更一から説明されるまでも無く、分かってはいるのだ。
 耐えるように、頭を垂れ、

「まだ、間に合う」

 思わず、顔を上げる。

「行くぞ」

 望月だけではない。
 驚いた表情で、満潮と磯波も木曾を見ていた。



「今度は間に合わせるぞ。こっちは――――士郎は任せろ」










「……どういうことかしら」

 望月が一瞬の隙の間に出ていってしまった。
 ならばと、後を追おうとした木曾の前に、満潮は立ちはだかる。

「望月が何故出て行った――かは本人に訊くとして、何故出て行かせたのよ。作戦について話をしていなかった私たちにも非があるとは言え、見過ごすことは出来ないわ」

 何故望月を行かせたのか。その理由を聞くまで引き下がるつもりは無い。不退転の意思を眼に宿し、満潮は木曾を睨み付けた。
 無論、言葉の通り満潮も自身の非は認めている。理由があるとは言え、やはり作戦を隠すべきではなかった。望月が語った内容の通りとは言え、三人を話から除外したのは、結果から見れば悪手だったのだ。
 とは言え、重傷を負った衛宮士郎。そして衛宮士郎と行動を共にしていた木曾と望月。あとついでに叢雲。この四人の生存を優先させるのは、他の艦娘たちの総意でもある。

「……色々と言いたいことはある」

 対して。
 木曾は強めに息を吐き出すと、良く通る声で言葉を発した。

「何故俺たちを話から除外したのかとか、聞かされていないのに同意しろとか無理に決まっているとか、こっちの事情も考慮しろとか、自分たちで勝手に話を進めてんじゃねぇよとか、喜ぶとでも思ったかふざけんじゃねぇぞ馬鹿野郎とか」
「……」
「でも、全部ひっくるめて、一つだけ言わせろ」



「既に深海棲艦に囲まれている」



 満潮は訝しむ間もなく驚きに目を見開いた。
 磯波の息を呑む声がハッキリと聞こえた。
 構うことなく、木曾は言葉を続ける。

「さっき、離脱と言ったな。判断は悪くないが、経験から言わせてもらえば、逃げたところで同じように敵艦隊が待ち構えている筈だ」

 待ち構えている。同じように。敵の艦隊が。
 震える声を隠そうともせず、満潮は口を開いた。

「……待ち伏せされているって事? わざわざ?」
「レベリングが目的だからな。……相手の砲撃を良く見てみろ」

 この会話の間も、砲撃は絶え間なく続いている。相手は金剛たちが居た場所に、塵一つとて残さないと言わんばかりに、集中的に砲弾を降り注いでいた。
 そう、集中的に。こんなにも長い時間の間。念には念を入れるような、徹底的な砲撃。
 如何に敵の貯蓄が大量にあれど、冷静に頭を回せば、それが如何におかしな行為であるかは分かる。
 結論を導くのは容易い。

「……成程。私たちは低練度の艦の訓練のための餌ってわけね」

 満潮は納得した。認めたくはないが、どうも戦況は満潮が考えている以上に悪いらしい。こっちが訓練も満足に終わっていない艦娘を出撃させなければならないのに、相手は悠長にも活きた獲物で訓練できているのだから。余裕と言う点では、深海棲艦の方が圧倒的に勝っているのだろう。
 ……現実は何時だって非常だ。

「そうだ。それでもって、もしも逃げ出した場合でも、他の場所で待ち構えている別の深海棲艦によって砲撃の嵐を喰らう。……それも、教育済みの強力なタイプの砲撃だ」
「……それって、逃げ出した獲物を逃がすつもりも、弱らせるつもりもないってこと?」
「だろうな。流石にそこまでは手間をかけないんだろうよ」

 レベリング。遠方からの砲撃。目には見えねど、周囲は既に敵がいる。……逃げても無駄。
 これだけ材料が揃っていれば、いくら愚鈍でも分かる。ましてや聡明な満潮ならば、結論はとうの昔に出ていたようなものだ。
 ……詰んでいる、って事ね。
 背けていた現実を目の当たりにして、力なく頭を垂れる。



「……でも、木曾さんは『経験』したんですよね?」



 言葉を発したのは磯波だった。
 彼女は木曾の言葉の真意を正しく理解している。

「どうやって脱出したんですか?」
「幸か不幸か二回経験していてな。……一回目は運が良かった。二回目は、偶然だ」
「……何よ、それ。参考にならないじゃない」

 期待していたのとは違う、参考にならない回答。
 だが満潮の言葉を木曾は否定した。

「いや、そうでもない。二回脱出したことで、漸く分かったことがあるからな」

 無駄ではない。そう言って、木曾は砲撃の方を指さした。

「さっきも言った通り、既に周囲は強力な深海棲艦によって囲まれている筈だ。別の方面に逃げるのは、よっぽどの実力と幸運をもった艦娘じゃなきゃ厳しい」
「……」
「だから、前に進む」
「は?」

 唐突な結論に満潮は思わず声を上げた。木曾の言葉を全く理解出来なかったからだ。

「ちょっと待って。あれだけ前方から砲弾が降り注いでいるのに、何でわざわざ狙われに行かなきゃいけないのよ」
「それが一番生き残る可能性が高いからだな」
「……ごめんなさい、もっとちゃんとした順序で話してくれるかしら?」

 トントン。米神を二回人差し指で叩いて、満潮は落ち着きを取り戻そうとする。
 冷静に、冷静に。多少感情的になっているのは否めないから。落ち着いて、もっと冷静に。

「よく考えろ。前方の敵は練度が低いんだぞ?」

 何故分からない。そうも言いたげな木曾の語調に、冷静に努めようとした満潮の顔が引き攣る。彼女は、案外感情的だ。
 ガシガシと乱暴気に頭を掻いて、しかし木曾の言う通り答えを探そうとする。だがすぐに余計な邪念に思考は遮られた。さっさと答えを言え、という邪念だった。
 違う違う。落ち着け、冷静になれ、頭を働かせろ。
 相手の目的はレベリング。
 周囲は既に囲まれている。
 それも高練度の艦ばかり。
 現在訓練中の低練度の艦の尻拭いをするべく待ち構えている。
 つまり訓練中の艦がいる前方くらいしか練度の低い艦はなくて。
 前方の敵だけは練度が低いわけで。

 ――――そう。前方の敵は、練度が低い。

「……ああ、そういう事、か」
「……ええ。冷静に考えれば、木曾さんの言う通りですね」

 満潮と磯波。答えに辿り着いたのは、全くの同時。
 いや、辿り着いたと言うのは間違いだ。何せ答えは、最初から提示されていたのだから。
 漸く二人が答えを得たことが分かると、木曾は深々と息を吐き出した。

「そういう事だ。初見だと前方からの集中砲火に惑うが、同時にそこが唯一の相手の弱点でもあるんだ。……分かったら、行くぞ。グズグズしている暇は無ぇ」
「……ちょっと待った。問題点が二点」

 出発しようとした矢先。満潮は人差し指と中指を立てて木曾を静止した。

「まず一点目。……衛宮士郎と叢雲。重症の二人はどうするの?」
「……砲撃が当たらないようにする。相手の攻撃を喰らわないようにする。それしかないだろ」
「脳筋か」

 思わずツッコみを入れると、今度は満潮が深々と息を吐き出した。話の流れからしてまさかとは思っていたが、本気で戦場に気絶中の二人を連れて行くつもりだったらしい。
 幾つか口をついて言葉が出そうになるが無理矢理留める。代わりに、如何にも面倒くさげに木曾と磯波を指差した。

「……ったく、アンタら二人はここに残ってなさい。私と望月とで囮になって相手の砲撃を引き受けるから――――そうね、三分。三分経ったら脱出する事」
「満潮ちゃん、それは――――」
「言ったでしょ、皆で決めた事だって。……借りを返せぬままに死なれちゃ、こっちが困るのよ」

 磯波の言葉を遮り、皆の総意である事を伝える。
 そして話はお終いと言いたげに、満潮は二人に背を向けた。

「……三分、か。……信じるぞ」
「当然よ、任せなさい。――――で、もう一点だけど」

 もう一本。残していた人差し指を折る。

「先にアンタが行かせた望月は無事なんでしょうね? この作戦、望月が無事な事を前提に立てているんだけど」
「……なんだ。そんな事か」

 木曾は笑った。
 満潮の言葉を小馬鹿にするのではなく、勿論楽しそうなわけでもなく。
 何を思い出しているのか。感情を宿さず。遠くを見るように目を眇めて。
 木曾は笑った。



「望月を舐めるなよ? あの程度の砲撃なら、アイツも経験済みさ」






[39855] 1-13
Name: くま◆6f87892f ID:a5d3eb94
Date: 2017/08/18 08:08
 束の間の休息。
 ショッピングと昼食。
 楽しかった一日。
 忘れられない一日。


 ――――それは近くて遠い、ある一日の記憶。










■ 艦これ×Fate ■










「士郎、どうしたの?」

 声が聞こえる。いや、聞こえた。
 認識と同時に、周囲の情報が頭に飛び込んでくる。馬鹿みたいに大きなぬいぐるみ。所狭しと並べられた雑貨。行き交う人々。向けられた視線。すぐ目の前で可愛らしく首を傾げている美少女。
 どうやら自分は呆けていたらしい、と士郎は思った。一瞬だけ視界が明滅し、立ち眩みに似た感覚を覚える。
 ずれてしまったピントを、目前の少女に合わせた。

「とおさ……か?」
「うん」

 少女の名を呼ぶ。
 士郎は知っている。彼女が何者であるかを。
 士郎は知らない。彼女が何故此処にいるのかを。
 少女は少しだけ癖のある髪を頭の両脇で纏めている。きめ細やか且つ健康的な肌。そして翡翠色の透き通るような眼が、士郎の顔を映していた。気の抜けた、間抜けそうな顔が映っていた。

「おーい」
「……ああ、大丈夫だ。ごめん、何でもない」

 目の前で手を振られる。そこで漸く意識が現実に追いつく。
 士郎は慌てて場を取り繕うように声を重ねた。

「悪い、遠坂。少し呆けてた」
「……少しってレベルじゃなかったけど」

 士郎のそんな態度に不信感を抱いたのか、少女――遠坂凛の顔が不満気に顰められた。所謂ジト目と言うやつである。それでも彼女の可愛さに一切の陰りは無いのだからズルいものだ。

「本当にごめん。俺、思っている以上に疲れていたのかもしれない」
「……はぁ、漸く自覚したか」
「へ?」
「今日の目的は息抜きよ。察しなさい」

 言葉と共に額に右手を目の前に出される。中指を親指で抑えた格好。つまりはデコピン。パチン、と。額に軽い衝撃が走る。
 そうだ。彼女の言う通りだ。自分は――いや、自分たちは息抜きをしに、此処に来ている。

「さっ、目を覚ましたのなら行くわよ。そろそろお昼ごはんの時間でしょ」

 少しだけ悪戯っぽく笑いながら。凛は手に持ったバスケットを士郎に向けて掲げた。軽く4人前以上は入りそうなバスケット。そう言えば昨日の遅くまで用意をしていたんだっけ。
 入口の方にはもう一人の同行者がいた。鮮やかな金色の髪、そして翡翠色の眼の異国の少女。凛に負けずとも劣らずの美少女が、2人を待っている。
 士郎の視線に気が付いたのか、少女は微笑みながら会釈をした。

「……ああ、そうか。そうだな」

 誰に聞かせるわけでもなく、士郎は一人、納得したように呟いた。そして思う。どうやら思っている以上に疲れているらしい。
 眉根を抑えて、首を軽く振る。振って、顔を上げた。倦怠感と寒さが身体を包んでいた。疲労を自覚した途端に、五体に明確な重圧となって襲い掛かってきた。動くのも億劫だった。
 そんな士郎の様子に痺れを切らしたのか、凛が士郎の右手を掴む。自分のとは違う、温かで柔らかな感覚。

「ほら、行くわよ」





 夢の終わりは何時だって唐突だ。
 息苦しさで意識が引き戻される。身体を覆うのは、夢以上の倦怠感と寒さ。加えて痛みを訴えている両足と左腕。ほんの少し動かそうとするだけでも億劫だ。
 そして自身は背負われている。温かで柔らかく、しかし力強い何かに。
 ――――ここは……?
 まだ覚醒しきっていない頭で思考する。間違ってもここは夢ではない。紛れもない現実。そしてその事を認識すると同時に、士郎の頭に多くの情報が蘇る。
 小さな孤島、
 望月、
 木曾、
 深海棲艦、
 脱出、
 満潮、
 研究所、
 磯波、
 艦娘、
 叢雲、
 ヌ級、
 雷、
 荒潮、
 三日月、
 金剛、
 捨て艦――――

「――――がはっ」
「っ、士郎、起きたか!?」

 頼りがいのある、どこか聞き覚えのある声。これは誰の声だっただろうか――ああ、そうだ、木曾だ。
 呼吸をしようとして、思わず咽る。それこそ今まで呼吸をすることを忘れていたかのように、息を吸って吐くと言う行為が、酷く辛くて煩わしかった。
 そんな士郎に気が付いたらしく、木曾の焦ったような声が聞こえた。

「……ああ、目が覚めた」

 随分と長い間、彼女の声を聞いていなかったような感覚を覚える。眼を開けると、水平線の先まで限りの無い青色が飛び込んできた。そして砲撃音。然程の間を置かずに少し離れた場所に水柱。現実に追いつけずに呆けた頭に、再び砲撃音が響く。

「ここは……?」
「……海上だ。そして間の悪い事に、私たちは今深海棲艦に捕捉されている」
「それって……まさかこの砲撃音は、全部深海棲艦のモノ、ってことか?」
「残念ながらそう言う事だ。今現在ここにいるのは、オレ、磯波、叢雲のみ。内、叢雲は負傷につき自力での航行は不可能。他の艦は敵と交戦している」

 木曾は至って冷静だ。起きたばかりで混乱している士郎の脳にも、無理なく情報が入って来る。

「衛宮さん、目を覚ましたんですねっ!」
「い、磯波?」
「はい――――ああ、目を覚ましてくれて良かった!」

 対して。傍にいる磯波は感情を隠そうともせずに、士郎が目を覚ましたことを喜んでいた。喜び過ぎて涙を浮かべるくらいだった。多分此処がもっと平和で安全なところなら、飛びついてきそうな勢いだった。
 そんな磯波の首を、か細い腕が締め上げる。

「っ、む、叢雲ちゃん!?」
「……うっさいのよ、おかげで目を覚ましちゃったじゃない」
「え、ええと……目を覚ましたんだ」
「ええ、おかげさまで。……で、何がどうなっているのかしら?」

 叢雲も感情を隠そうとはしていなかった。磯波とはベクトルが異なり、不機嫌というカテゴリーではあるが。だが自力での航行が不可能と言われるだけあって、言葉に力が籠っていない。加えて、先ほどまで士郎と同じように気を失っていたらしく、状況を掴めていなかった。

「深海棲艦に捕捉された。他の艦は交戦中。今から大凡一分後に、私たちはこの海域を脱出する」
「……脱出? 他の艦が交戦しているのに?」
「満潮からの案だ。全員で生き残るためのな」
「………………ふぅん、成程。そう言う事」
「ふ、ふらふもひゃん!?」

 叢雲は今の会話だけで状況を掴んだらしい。そして何故か磯波の頬を抓る。さらに特大の溜息を吐き出した。

「単刀直入に訊くわ。立案した馬鹿は誰?」
「今の状況については満潮だ」
「ふぅん。……じゃあ、私が気絶する前のは?」
「お前とオレと望月と士郎以外の全員だ」
「……なぁるほどね」

 士郎としては会話の意味が分からないが、叢雲の不機嫌度が目に見える形で増した事だけは分かった。心なしか磯波の顔色が青くなっている。

「……絶対後で泣かしてやる」
「同感だ。……全員で帰るぞ」
「ったりまえよ」
「――――さて、じゃあ行くか。士郎、もう少しだけ付き合ってくれ」

 士郎からは木曾の表情は見えない。見えないが、笑っている事は分かった。あの安心感のある笑顔を浮かべている事だけは分かった。
 だから士郎は、動く右手の親指を上げる。
 サムアップ。
 それはいつかの始まりの日に、初めて木曾と交わした意思疎通。











 木曾の背にて揺られながら士郎が思ったのは、何故自分が此処にいるのか、という事だった。
 此処とは、研究所から離れた戦場のど真ん中、と言うわけでは無い。
 ――――俺は冬木市にいた。間違いなく、必ず。
 束の間の夢で思い出す。自分が何故か忘れていて、そして今も穴だらけの記憶。
 冬の季節、
 学び舎、
 青い死神、
 紅い穂先、
 血溜まり、
 赤い宝石、
 気高い少女、
 白い少女、
 鉛色の巨人、
 遠坂凛、
 休日、
 ショッピング、
 夢ではない。自身が経験した記憶。どれこもれも――――忘れるはずがない記憶。
 そして、今の自分の現状とは欠片も結びつかない記憶。

 ――――……変、だね。何で学生がこんな場所に?

 初めて出会ったあの孤島で。
 望月も言っていた。

 ――――深海棲艦の動きが活発化しているせいで、ここら一帯は封鎖状態さ。渡航なんて出来やしない筈だよ。

 士郎には深海棲艦なんて言葉に聞き覚えはない。全く知らない。
 仮にその言葉が公ではなくとも、封鎖状態なんて非常事態になれば、テレビなり新聞なりでその情報を知ることが出来るはずだ。

 ――――此処はソロモン諸島かフロリダ諸島か……まぁ、そこらへんにある名も無き小島ってとこかね。

 ありえない。絶対に、ありえない。
 渡航した記憶はない。海を渡った記憶はない。
 ましてや望月は、一帯は封鎖されていると言っていた。そんなところに行くわけがない、行けるはずがない。

 ――――な、何で一般人が此処に?

 満潮の驚愕は尤もだ。一般人が激戦の最前線にいることなど、ありえるはずがない。
 改めて情報を整理すれば、自身の記憶との相違と言い、世界の情勢と言い、説明のつかない事ばかりである。
 そして、

「……ッ」

 記憶を掘り返そうとすると、まるでその行為を拒むかのように、頭に痛みが走る。何かを忘れている事は確実だ。そしてその何かとは、士郎の抱いている疑問に関わる事に違いない。
 士郎は木曾に気づかれぬ様に、静かに息を吐き出した。この怒涛の数日間。思えば、一瞬たりとも記憶に関して思い返す暇はなかった。目覚めてから今に至るまで、思考する暇はなかった。動けぬ身になって漸くその時間を得たのだ。
 ……尤も。正しくは、今はそれしかできない、と言うべきだろうが。

『――――』

 耳鳴りがする。ほじくり返した記憶の拒否反応。痛みが増していく頭。遠くなりそうな意識。遠くで響くナニカの音。
 これでは思考もままならない。ならば、と。自身を律するように、士郎は意識を強制的に切り替えることにした。
 意識する。浮かんだのは撃鉄。その引き金を躊躇い無く弾く。自動車を駆動させるかのように、魔術回路に魔力が迸る。体内を魔力を循環する。



「……は?」



「士郎、どうした?」
「い、いや、何でもないっ」

 慌てて繕う。だが一度出てしまった疑問は、すぐに動揺へと変わる。
 そしてその同様を、木曾が見逃す筈がない。

「士郎、状況が状況だ。何か異変を感じたのなら教えてくれ」
「いや、これは俺の問題と言うか、その……」
「士郎」

 有無を言わさぬ口調だった。決して大きくない声量なのに、耳を通して脳にまで届く。
 一言。そのたった一言に、全ては集約されていた。

「……」
「……」
「……」
「……」
「……なぁ」
「何だ」
「初めて会った時にさ、俺がどうやって深海棲艦を撃退したか覚えているか?」
「ああ、良く覚えている。弓を放ち、竹刀でいなし、最後には巨大な斧剣で打ち落とした。特に最後の一撃は、見事な腕前だった」
「……ああ、そうだ。確かに、そうした」
「……士郎?」

 木曾の訝しむような声。だが士郎には届いていない。思考することで彼は精いっぱいだった。
 ――――世界には、魔術と言うものがる。
 魔術とは、魔力を用いて人為的に神秘・奇跡を再現する術の総称である。現代の常識からは外れ、秘匿された知識と成果のことを指す。
 そしてそのような術を扱う者は、魔術師と呼ばれる。魔術師は魔術を扱う為に必要な魔術回路を体内に内包している。その回路を励起させ、魔力を通すことで、魔術は行使される。
 士郎が浜辺で視力を強化したのも。弓を、竹刀を、斧剣を創り出したのも。或いはヌ級に跳びかかった時の両足の強化も。片手剣を創り出したのも。その全ては魔術である。
 だが魔術を扱う際には、魔術回路を励起させなくてはならない。
 そして士郎が魔術回路を励起させるには、まずは魔術回路を作るとこから始めなければならない。
 ならば、

 今まで、自分は、どうやって、魔術を、行使していた?
 そして、今、自分は、回路を、どうやって、生成した?

 記憶に無い。
 記憶に無い。
 記憶に無い。
 記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――教えてもらった――記憶に無い記憶に無い記憶に無い――魔術を行使する術――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――否定――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――ありえない――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――投影――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――双剣――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――こじ開けた――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――麻痺――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い――撃鉄――記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無い記憶に無いそんなの記憶に無い――――ッ!!!



「士郎」

 動揺がたった一つの言葉を切欠に始まったのなら。

「大丈夫だ」

 それを収めたのも、たった一つの言葉だった。

「――――俺を信じろ」











 共に過ごした時間は片手で数えられる程度の日数でしかないが、それでもその人となりは把握できる。
 故に、木曾は士郎の動揺が別のモノ――この四面楚歌の状況ではなく――にあると察していた。彼はこの状況で動揺を覚えるほど、柔な人間ではないと木曾は考えていた。
 それは捉えようによっては聊か行き過ぎた信頼の証ではある。が、木曾はそんな自身の考えを一切疑っていなかったし、事実として彼女の考えは概ね正しかった。士郎の動揺の本質は、現状とは全く別にあった。
 だが動揺の正体が何であれ、放置しているのは悪手にしかならない。当人にとっても。周りにとっても。
 ならばこそ。木曾は士郎の意識を他に逸らす。下手に考え込ませるのではなく、己に意識を逸らさせる。

「……木曾」
「どうした、士郎」
「いや、何でもない。……ありがとう」
「おう」

 生じた疑問は、一先ず置いておく。たったのそれだけで、狭まった視野は元に戻る。
 どうやら思考の間に、自分たちは随分と移動をしていたらしい。周囲に意識を向けながら、士郎はそう思った。
 見渡す果てまで同じ景色の続く、つまりは景色の変化に乏しい海上ではあるが、砲撃音の方角が大きく変わっている。時折立つ水柱も、今や随分と遠くだ。

「……アイツらはまだなの?」
「分からん。ただ向かう先と時間は決めているから、そろそろこちらに向かって来るはずだ」

 木曾の声は険しい。元々冷静な彼女ではあるが、今はどちらかと言えば、無理矢理に感情を排している様に見える。
 叢雲も返答の内容に期待はしていなかったらしい。そう、と。呟くように頷くと、それ以上は何も言わなかった。

「現時点で他の艦影は見えません。敵も、味方も、何一つ」

 磯波は双眼鏡を片手に周囲の索敵を担当している。レーダーもない、艦載機もない、つまりは己の眼しか頼るモノが無いが、それでも何もしないよりはマシである。
 木曾は自身のうなじをチリチリと何かが焦がしている感覚を味わっていた。それはこの海域に出撃してから、何度も経験をしている感覚だ。そしてこの感覚を経験する時と言うのは、大概にして良くない事が起きている。つまりは虫の知らせのようなものだ。

「……三分。三分だけ、待つ。三分経ったら、お前らは先に行け」

 周囲の状況、そして己の経験と勘から、木曾は時間制限付きでの撤退の判断を下した。有無を言わさぬ語調だった。
 三分。それはあまりにも短い時間。
 だがこれでも。猶予はギリギリであると木曾は考えていた。場合によっては切り上げる事も考えなければならない、とすら思っていた。この海域にて培った経験と勘が、脳内にて警報を鳴らしている。士郎を支える手に、僅かに汗が滲んでいた。

「木曾さんは?」
「オレは残る」
「衛宮さんは?」
「……ここに残すわけにはいかない。磯波、頼「却下」」

 磯波は木曾の言葉に否定の言葉を重ねた。木曾が何を言うのか分かっていなければ返せないタイミングだった。

「俺も磯波と同意見だな」
「……士郎」
「言っただろ。『余裕に決まっているだろ。なんなら、道草食ってくれても良いぞ』」
「……」
「あらあら、木曾さんの負けね。それに、全員で帰るんでしょ?」

 磯波はそっぽを向いていた。士郎は笑っていた。叢雲も笑っていた。三人とも己の現状を理解した上で、それでいて三者三様の表情を浮かべていた。だが決して自棄になった訳ではない。
 木曾は一瞬だけ呆けたような表情を浮かべるが、すぐに溜息とともに霧散させた。3:1。意志は力尽くでは捻じ曲げられない。自分の意見を押し通すのは不可能であることを察すると、彼女は僅かに口角を上げた。

「……お前らは、本当に気の良い馬鹿共だな」
「そっくりそのまま返す」
「衛宮さんの言うとおりですね」
「全くだわ」

 つまりは揃いも揃って馬鹿ばかり。本当に馬鹿ばかりだ。



「――――っ、5時の方向に艦影っ! ――――満潮ちゃんたちですっ!」



 急転直下。切り替わる意識。磯波の声に導かれるように、全員が同じ方向へ視線を向ける。
 5時の方向。見渡す限りの水平線。ゴマ粒のような黒い点。それは此方に向かってくる。やがて一つが三つに分裂し、細部を判別できるようになる。
 先頭に満潮。
 続いて望月と三日月。

「ほら、無事じゃない」

 叢雲が嬉しそうに声を上げた。

「あとは金剛さんたちだけですね」

 磯波が感情を抑えながら、努めて冷静に言葉を発した。

「良かった、無事か」
「……ああ」

 木曾は士郎の呟きを言葉少なに肯定した。
 仲間と合流できたことは吉報であるはずだが、木曾はどこか言葉にし難い引っ掛かりを覚えていた。それは先ほどから自身のうなじを焦がす感覚のせいだった。
 木曾はこの海域に来て長い。そんなのは今更の話ではあるが、つまりはこの海域で生き延びた経験が、木曾を喜びに浸らせようとはしないのだ。それどころか、より一層嫌な予感が増していた。うなじに飽き足らず、喉がへばりつくような渇きを訴えていた。
 士郎はそんな木曾の様子に少し遅れて気が付いた。そして奇しくも、木曾から伝播する形で、士郎も言葉にし難い不安を嗅ぎ取った。嫌な汗が背を流れ、先ほどまでの高揚感が冷める。
 何かを見落としている。確証も何もないのに、何故か2人は同じことを思った。呼吸を忘れるほどに、その不安に2人の脳内は支配される。心音がやたらと煩かった。



 そしてその予測は現実のものとなる。



 頭上を飛ぶ艦載機。

 一糸乱れぬ編隊。

 通り過ぎ様に、何かを落とされる。

 バラバラと、バラバラと。

 黒い塊。

 重力の鎖。

 空気を切り裂くように。

 無数のソレが落ちてくる。

 爆弾。

 爆弾。

 爆弾、爆弾、爆弾、爆弾、爆弾――――

「ッ! 皆、爆撃――――」

 それは誰の言葉だったか。
 言葉に導かれるように皆が上を見上げ、



 爆発の華が、咲いた。



[39855] 1-14
Name: くま◆6f87892f ID:a5d3eb94
Date: 2018/05/07 00:48
 『深海棲艦艦載機』

 深海棲艦が所持する兵器の一つ。艦戦、艦攻、艦爆の兵装が装備可能な艦載機。他にも基本兵装としてレーダーや機銃、ロケット弾を装備している。
 空母系統の深海棲艦に付き従っており、偵察から戦闘までを一手に引き受ける。
 通常は空母系の命令に従って動いているが、一機一機に意思があるため、それぞれの判断で動く事象が確認されている。そのため、弱った個体によっては、特攻や自爆と言った手段を取る場合もある。

 『深海棲艦の要綱』より一部抜粋。





 頭上に降り注ぐ爆弾を見て。どうやら敵の本体が動いたらしい。そう木曾は判断した。統制がとれた艦載機の動きは、生まれたてのひよっ子が指示できるような芸当ではないからだ。
 自分たちの奮戦のせいか、或いはは近くに友軍がいるのか。その真偽は不明だが此方に構う余裕は無くなったらしい。降り注ぐ爆弾の量からは、殲滅する意思しか感じられなかった。逃げ場などなかった。

「ッ! 皆、爆撃――――」

 それは誰の声だったか。或いは、己の声だったか。
 視界に映る全ての動きがスローモーションになっていた。凝縮された時間。煩わしい心音と呼吸音。現実を、声を、意味を認識しても、身体は全く動いてくれない。意識と現実に乖離が生じた瞬間である。
 それは即ち、何もかもが遅かったことを意味し――――

「トレース、オン」

 その言葉を。耳が拾う。
 意味は分からない。分からないが、誰の声かは分かった。誰が発した言葉かは分かった。
 そして認識と同時に、木曾の周りに有り得ない光景が展開される。

「ロールアウト。バレットクリア」

 剣だ。剣が浮いている。何本もの剣が浮いている。
 種類は様々だ。西洋剣、日本刀、大剣、細剣、片手剣、小太刀、大太刀……
 それらが浮いている。木曾の周りに、そして磯波たちの周りに、浮いている。

「フリーズアウト」

 ゆらゆらと浮いていた剣群が、一斉に向きを固定した。
 上。
 頭上。
 落ちてくる爆弾に向けて、

「ソードバレル、フルオープン」










■ 艦これ×Fate ■










 爆発の華が咲く。
 突き刺され、貫かれ、裂かれ、断たれ、穿たれて華が咲く。
 木曾たちの頭上で、爆風が舞う。

「わ、わわっ!」
「な、な――――」
「スイッチを切れ!」

 スイッチ、とは浮力スイッチのこと。未だ混乱の中にあった磯波たちに、それだけを指示すると、木曾も自身の浮力スイッチを切った。
 途端に、身体が重力の鎖に捕らわれる。海面から海中へと引き摺り落される。
 木曾は背に抱いてた士郎を前へ抱え直すと、そのまま爆風から庇う様にして海中へと沈んだ。沈むよりも先に自身の背を爆風が焼くが、そんなものは大した痛手にはなりやしない。それよりも木曾の頭は一つの疑問に埋め尽くされていた。
 ――――今、士郎は、何をした?
 呟くように耳元で零された言葉。呼応するようにして顕現した剣群。爆弾のみを的確に狙った射出。
 決して無関係ではあるまい。

「――――ぶはっ!」

 爆風による熱が霧散する大凡のタイミングを経験と勘で見計らい、海面へと木曾は浮上した。少し遅れる形で、磯波と叢雲も海面に出る。視界の端でその動向を捉えながら、木曾は油断なく周囲の状況に意識を走らせた。
 ――――いないッ!
 少なくとも視界に敵の姿は見えない。艦載機も、爆弾も、艦隊も、そして剣群すらも、何もかも。

「……無事、なの?」
「……みたいね」

 信じられない。そう言いたげに、磯波は言葉を零した。それを肯定した叢雲も同じ気持ちなのか、忙しなさげに自身と空と海面を見比べる。
 彼女たちの思考は真っ当だ。誰だってあの状況を傷一つなくやり過ごせるとは思うまい。

「……凌げたのか?」
「……ああ。俺も、磯波も、叢雲も無事だ」
「そうか……良かった」

 木曾のすぐ傍らで。士郎は安堵の息を吐いた。
 士郎を抱きかかえ直すと、彼に負担を掛けないように、器用に浮力装置をオンオフしながら木曾は海面に立った。筋肉質な士郎は見た目よりも重いが、艦娘のパワーを以ってすれば大した問題ではない。

「……なぁ、士郎」

 あの言葉は何なんだ?
 あの剣群はお前の仕業か?
 その2つには何か関連があるのか?
 だとしたら何の技術なんだ?
 どこで培ってきたんだ?
 どうやって培ってきたんだ?
 そもそも――――いったいお前は何者だ?
 頭の中では様々な疑問が浮かんでは消えずに溢れていく。それは際限なく膨れ上がり、吐き出されることなく木曾の脳内を圧迫していた。
 だが意外にも。最初に木曾の口から出てきた言葉は、その疑問のどれでもなかった。

「ありがとう、また助けられた」

 思えば最初のあの孤島で。彼は自身の身の危険を度外視して、敵艦載機から自分たちを助けてくれた。
 思えばあの隠れ家で。彼は自身の身の危険を度外視して、自分たちの帰る場所をヌ級から守ってくれた。
 そして今、この場で。またも助けられた。確証はないが、木曾はそう思った。

「……大したことじゃないさ」

 木曾の感謝に、士郎は荒い息と共に言葉を返した。だがこれ以上は強がる余裕が無いらしく、ぐったりと彼は全体重を木曾に預けていた。
 当然だ。世界は等価交換で成り立っている。ましてや今ほどの窮地を凌ぐような奇跡には、何かしらの代償がある事くらい予想できる。……それが、ただの体調の不良だけで済むはずがない。
 きっと自分の想像も及ばぬ代償が、士郎の身体を蝕んでいるに違いない。そう木曾は判断した。高すぎる体温、荒い息、力の無い言葉。弱り切っているのは確実だ。

「すぐに本国に戻る。だから……だから、あと少しだけ耐えてくれ」
「……ああ……大丈夫さ」

 何が大丈夫なものか。きっと今の自分は相当に情け無い表情をしているのだろう、と木曾は思った。守るべき対象に守られて、気を使わせて、何が艦娘か。
 口を強く結ぶ。開けば色々と意味の無い言葉が飛び出そうだから。
 眼を強く瞑る。開けば色々と意味の無い感情が溢れ出そうだから。
 そうして3秒の時間で自身の感情を律し、木曾は前を向いた。

 ――――否。向かざるを得なかった。

 へばりつく様な渇き。身を掴んで離さぬ寒さ。鼓動が、息が乱れる。
 それはまるで喉元に死神の鎌を突き付けられているような、絶対的な■の予感。
 逃げることを許さぬ、向き合う事を強いる感覚。寒さと言う名の恐れ。
 ……いつだってそうだ。災いってのは畳み掛けてくる。そこに自分たちの意思なんて介在しない。

「クソッたれ……今はお呼びじゃないっての」

 せめてもの強がりも空しいだけ。言葉が震えるのが止められない。体の震えが止まらない。
 視界の先。水平線との境目。僅かに見える黒い影の群れ。
 細部まで見えるはずもないのに、その黒い群れが何なのか分かるはずもないのに。木曾はその群れの正体を察した。その中心にいる存在を察した。

「……ボスが出張るとはねぇ」

 特定危険種。
 航空戦艦・飛行場姫。
 あれほど渇望していて、そして今だけは遭いたくなかった相手が、居る。











「ウソ……」

 積み上げるのには苦労しても、

「なん、で……」

 崩れるのは簡単だ。

「磯波!」

 最初に折れたのは磯波だった。
 水平線の境目。群れを成す敵影。
 その中心部に飛行場姫の存在を知覚する。
 ただのそれだけで、磯波の脳裏に逃亡の屈辱、仲間を失くした憤怒、そして圧倒的な恐怖が蘇った。
 視界が揺らぎ、狭まり、上下の感覚が無くなる。
 身体を支える力が折れ、崩れる。
 叢雲の言葉も届かない。

「こンの……ッ!」

 ギリギリのところで叢雲が磯波の支えに入るが、彼女自身大破をしている身だ。それでも気力を振り絞り、どうにか2人そろって崩れ落ちるところだけは防ぐ。

「しっかりしなさい、この馬鹿っ!」

 ここで心が折れることに意味は無い。ここで足を止めることに意味は無い。
 仮にその行為に意味を見出そうとするのならば。それは今までの全てに対しての侮辱に他ならない。
 だから、

「目を覚ませ、馬鹿ッ!!!」

 一閃。
 叢雲が今出せる全力での平手打ち。
 磯波の顔が跳ね、頬が赤く腫れる。

「ねぇ……」

 だが、
 それでも、

「起きなさいよ……っ」

 崩れた心は、起きない。



「あ、あ……」
「満潮、早くっ!」
「三日月、満潮! みんな無事だっ! 早く合流するよっ!」

 覚えている。気丈に振る舞っていても、覚えている。
 あの恐怖を。あの敗北を。あの地獄を。
 全部、覚えている。

「満潮っ!」

 その存在を知覚した。
 色素の無い髪。蝋人形のような肌。血のように赤い眼。
 薄気味の悪い笑み。不快な笑い声。蔑むような眼。
 向けられた砲門。指示。消えた仲間。
 その存在を思い出した。
 ただそれだけで足が止まった。

「な、んで……」

 なんでここに飛行場姫が?
 ……いや、ここはアイアンボトムサウンド。飛行場姫の根城。それがいることに何の不思議もない。
 そう、無い。不思議は、無い。
 だが、

「何で、今……っ!」

 いつか戻って飛行場姫を討つと誓った。仲間の仇を取ると誓った。
 その憎き首を挙げると誓った。必ず殺すと誓った。
 だがそれは今ではない。
 今の満潮には力が無い。
 なのに、なのに、

「何で……っ」
「満潮、ごめん!」
「っ!?」

 呆然としていた身に、その腹部に一発の衝撃。くの字に身体が折れ、一瞬満潮の意識が飛ぶ。
 そして力なく崩れ落ちた身体を、優しく担ぎ上げられた。

「ひゅー、やるー」
「もっち、軽口言っている場合じゃないでしょ!」
「はいはい」

 艦娘の力を以ってすれば、装備も揃っていない駆逐艦を担ぎ上げるくらいわけは無い。
 どうやら自分は腹部に一発イイものをもらってしまったらしい、と満潮は察した。それは意識が薄れそうなほどにイイ一発だった。
 だがこの状況に甘えて気絶はしてはならない。
 奥歯を噛み締め、満潮は敵を睨み付ける。今は未だ黒い群れの、その中心にいる諸悪の根源に向けて。
 ただ、睨み付ける。



「……主力艦隊が動いたようネー」

 白煙が霧散する。
 徐々に明朗になる周囲に眼もくれず、ただ一点のみに金剛は視線を向けていた。
 水平線を越えて向かって来る黒い群れ。
 悍ましさすら感じる、群れ。
 そして感じる。その中心部にいる憎き仇。

「こ、金剛さん?」
「……雷、荒潮。一先ず皆と合流しマース。話はそれからネー」

 抑揚の無い声だった。が、ボロボロの雷と荒潮にその意味を知る術は無い。
 2人とも航行はギリギリで可能、と言った有様だった。金剛がいなければ、間違いなく2人は沈んでいただろう。かつての仲間を見つけ反射的に行動した2人は、代償として艦娘としての機能を著しく失っていた。

「何故わざわざ煙幕弾を放ってきたのか理解に苦しみますが、そのような幸運は続かないと考えるべきデース。さぁ、戻るネー」

 少しだけ。明るめに言葉を発する。そして右手に持っていたガラクタを放り投げる。
 無造作に放り投げられたその黒い塊は、僅かな呻き声を残して海の底へと沈んでいく。
 駆逐艦イ級。その成れの果て。
 金剛を極上の獲物と勘違いしたのだろう。集団で襲い掛かってきたは良いが、その全てが一撃で砕かれ、潰され、破壊された。
 相手の落ち度はただ一つ。幾ら手負いとは言え、幾つもの海戦を勝利してきた英雄を舐めてかかった事。
 弾薬が無くとも、的確に急所を打ち抜けば拳一つで敵を沈めることは可能だ。

「金剛さん、その、黒潮は……」
「……助け出せたのは、貴方たちだけネー」

 嘘偽りなく、最小限の言葉で伝える。事実として金剛が黒潮を見たのは煙幕弾を撃ち込まれる前が最後であり、その後については雷と荒潮しか見つけられていない。
 おそらくは金剛の言葉が最後の希望だったのだろう。期待していたのとは違う言葉に、傍目で見ても分かるくらいに2人の顔が悲哀に染まる。
 ……だが、此処で止まってはいられない。
 金剛は2人を抱えると、有無を言わさず走り出した。皆の位置ならば、事前に満潮から渡されたレーダーで把握できている。今は早く、皆と合流しなければならない。

「……見つけたネー」

 だから。水平線の境目にいる敵影を見ながら零したその言葉に。
 抱えられている2人はおろか、零した金剛自身も気が付かなかった。











「まず、situationをまとめまショー。今現在、敵艦隊が向かってきていマース。恐らく飛行場姫を含んだ主力艦隊ネー。敵艦隊との距離は正確には不明デース、が、経験上この程度の距離は2分足らずで詰められるネー。ミッチー、自力航行可能な子は?」
「自力航行可能な艦娘は金剛さん、木曾さん、望月、三日月、そして私の5人。そして不可能なのは雷、荒潮、磯波、そして叢雲の4人……」
「いえ、大丈夫です。すいません、ご迷惑をおかけしましたが、私は大丈夫です」
「……そう。なら、磯波も自力航行可能で計6人。不可は3人ね」
「Humm……普通の奴が相手なら一人一人がcover出来れば難しくは無いですガ……」
「相手が主力艦隊であるなら厳しいわね」

 全員が合流したところで泣いて生存を喜び合う……ほど腑抜けているわけでは無い。
 合流を果たしたところですぐに敵の主力艦隊から距離を取る。その間に簡潔に情報交換、及び状況のまとめ。手慣れた様子は、それだけ全員の海戦経験の豊富さを示している。

「そもそも主力艦隊は私たちを補足しているの?」
「確実にされているでしょうね……」
「三日月には悪いが、満潮に賛成だ。アイツら、確実に俺たちを補足しているぞ」

 この海域に長くいれば、嫌でも死に対して敏感になる。木曾や満潮はその典型例だ。そしてその感覚が間違ったことは、残念ながら今までに一度も無い。

「中破に大破ばかりの私たちじゃ、何時かは追い付かれるわね」
「そもそも砲撃範囲内に入ったら終わりよ。ま、その時は――――」
「Stop。叢雲、それ以上はダメデース」
「……ゴメンナサイ、失言だったわね」

 言わんとすることは分かった。だがそれを言わせてはならない、言ってはならない。
 言葉にすれば。それは何故自分たちが此処まで来たのか、その根底を覆す事になるからだ。
 選択肢として持つことは構わないが、それを進んで選ぶのは他に手が無くなった時だけである。

「……なぁ」
「却下だ」
「反対」
「却下」
「ダメです」
「ダメデース」

 上から順に木曾、望月、叢雲、磯波、そして金剛。まだ何も言っていないのに、何故にここまで反対されなければならないのか。まさかの開幕フルボッコに、士郎のハートはブロークン寸前である。

「いや、まだ何も言って無いんだけど……」
「また無茶をする気だろう。ダメだ」
「木曾さんに同じく」
「アンタ、どーせまた無茶する気でしょ」
「衛宮さんは安静にしていて下さい」
「皆と同じ意見デース」

 中々に辛辣である。それも全員、士郎の提案内容を予測した上での却下。士郎自身、自分の重傷具合を顧みない案を出そうとしていただけに、先に潰されては黙るしかない。
 まだ出会って数日程度だが、大凡の性格を把握されたのは間違いない。

「そもそも左腕と右足が折れているのに、鎮静剤無しで正気を保っているアンタがおかしいのよ……いいから、寝ていなさい」

 パンパン、と。両手を叩いて満潮が締める。呆れを隠そうともせず、盛大にため息までついて。
 その様子がおかしかったのか、思わず叢雲は吹き出した。

「そう言えば、アンタに初めて会った時も無茶ぶりから始まったわね。皆が居ないから外に出て確認してみようなんて、病人の発想じゃないわ」

 最初の出会いを思い出したのだろう。呆れる様に、けど笑いとばすように叢雲は言った。

「……呆れた。それって、そもそも衰弱していた自覚が無かったって事じゃない。……良くその状態でヌ級の撃破まで漕ぎつけたわね」
「……残念ながら私は気絶していたから覚えていないわ。ヌ級に叩きつけられた後コイツが……いや、うん、私が覚えているのはそこまでね」
「撃破したのは私ですが、衛宮さんが注意を引いてくれなかったら、きっと無理でした。……本当に凄かったんですよ」
「まぁ、確かに、その意味ではアンタが無茶してくれなければ、私も沈んでいたのかもしれないのよね……」
「ソウネー、Mr.衛宮が叢雲を救っていなかったら、きっと私もまだ出て来れなかったネー」
「……金剛さん?」
「私、見ていたんですヨー。あの暗い部屋で。窓越しに。Mr.衛宮が叢雲を救いに飛び込んだところを」
「……」
「貴方の勇気が、私に力を与えてくれまシタ。何も守れなかった私を立ち上がらせてくれたのデース。
 Mr.衛宮、あの日貴方は叢雲だけでなく私も救ってくれたのデスヨ?」

 人差し指を口に当て、魅惑的に金剛は微笑んだ。それは可憐で、そしてどこか覚悟を纏った真摯な笑みだった。

「……と言う訳で――――うん、決めまシタ」

 一人。航行を止めて、金剛は笑顔で言った。



「私が敵艦隊を引き付ける囮になりマース。皆はその間に脱出をしてくだサーイ」





[39855] 1-15
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2018/06/03 16:39
 暗い部屋の中。
 閉め切った扉。
 身動ぎ一つせず。
 意味もなくただ窓の外を眺める。

 自身を呼ぶ声。
 叩かれる扉。
 反応はしない。
 意味もなくただ窓の外を眺める。

 救えなかった部下。
 置いてきた妹。
 逃げた自分。
 意味もなくただ窓の外を眺める

 無為に流れる時間。
 閉ざした思考。
 動かない身体。
 誇りなど、もう無い。
 意味もなくただ窓の外を眺める。

 ――――だから、あの日は、きっと。

 私が艦娘である事に踏みとどまることが出来た。
 神様がくれた、最後のチャンスだったのだ。










■ 艦これ×Fate ■










「アイツらの目的は私たちの殲滅ネー。でも優先するのは、間違いなく私デース。そこいらの雑魚とは違い、アイツらは戦艦や空母を優先して叩いてくるネー」

 朗々と金剛は自身が残る理由を述べる。その様相には死地に留まる気負いも恐れも何も見えない。まるで散歩に行くかのような気軽さだった。笑みすら浮かべていた。

「……だから、囮になるって言うの?」

 突然の事に言葉を失った一行の中で、最初に声を上げたのは満潮だった。

「私たちを逃がすために? 一人でも多く生き残れるように?」
「Yes。流石ミッチー、良く分かって――――」
「ふざけないでっ!!!」

 激高。
 冷静沈着な満潮らしからぬ感情を露わにした物言い。
 彼女は金剛の胸倉を掴むと、怒りを隠さずにぶつけた。

「囮になる? 自分が狙われるから? ふざけるなっ!!!」
「何もふざけていまセン。これは現状で取れる最善の手デス」
「その戯けた口を閉じなさい。そんな案、認められるわけがない」
「……満潮。それは私たちの都合デス」
「都合? 何を言っているの?」
「満潮」
「全員で……全員で生きて帰るんでしょ! それでっ! もう一回此処に戻ってきてっ! 黒潮の、白雪の、吹雪の、霧島さんの、みんなの仇を取るんでしょ!!!」
「……」
「……そう、言ってよ。じゃなかったら、何のために……」
「……Sorry 満潮」

 一撃。
 満潮の身体が、くの時に折れ曲がる。
 戦艦の手によるボディーブロー。
 中破状態の駆逐艦が耐えられる筈もなく。
 かはっ、と。
 掠れたその言葉が、満潮が出せた最後の言葉。

「Sorry……but we have no more time for discuss」
「金剛、さん……?」
「ミッチーをお願いしマース」

 一撃で意識を刈り取られたのだろう。力なく崩れた満潮を、金剛は三日月に預けた。

「安心してくだサーイ。皆が逃げる時間くらいは稼ぐネー」
「……金剛さん、皆で帰るんじゃなかったのですか?」
「If it is possible、ネー。……残念ながら、そう上手くはいかなかった。それだけデース」

 磯波の懇願も届かない。優しく微笑みながら、困ったように頬を掻きながら、それでも金剛はその意思を変えようとはしない。

「勿論ここで沈むつもりは毛頭もありまセン。それこそアイツらの思うつぼネー」
「だけど金剛さん……っ」
「さぁ、早く行って下サーイ。流石に皆を守りながら戦える相手ではないネー」

 話はお終い。これ以上の議論に必要性は無し。
 金剛は無理矢理に話を断ち切ると、皆に背を向けた。
 視界に捉えるは敵の主力艦隊。憎き相手を見据える。



「……敵の親玉を潰せばいいのか」



 その言葉に、思わず金剛は振り返った。
 それは意外な人物からの一言に対しての驚きと、そう上手くいけば苦労しないと言う僅かながらの呆れが含まれた故の行為だった。
 だが言葉を発した――士郎のその眼を見て、金剛は開きかけた口を閉じた、言葉を飲み込んだ。

「あの中心にいる奴がそうなんだろ? ……10秒くれ。一回きりなら、イケる」











 不思議と身体は痛くなかった。
 ただ割れそうなくらい頭が痛かった。
 そして力が入らなかった。
 木曾にしがみつく力すら満足に発揮できなかった。
 いよいよヤバいかもしれない。士郎は自身の身体に対し、率直にそう自己診断を下した。訳も分からず深海棲艦の艦載機と対峙したあの日からの今に至るまで、満足に栄養も摂れずにただ走り抜ける様に過ごした。体力も精神力も削られ続けた。折れた左腕や右足は動く気配を見せず、元の生活に戻れたとしても五体が満足に動くかは怪しい。
 その中でまた無茶をした。危機を脱するために、後先考えずに本能に従って魔術を行使した。
 きっと先ほどの爆弾に対して剣群を射出した時点で、衛宮士郎としての限界は越えたに違いない。
 だが限界なんてのは越えるためにある。

 ――――あと一回

 己の身体が絞り出せる魔力。僅かに残っているそれを余すことなく費やせば、剣の投影と射出は可能だ。そしてその程度の余力を、後生大事に取っておいても仕方あるまい。投影の仕方も射出の仕方もその有用性も、先ほどの魔術行使で理解をしている。

「剣を一直線に射出する。あの中心にいる、禍々しい雰囲気の奴が親玉なんだろ? 潰せば、アイツらを混乱させられるはずだ」

 艦娘じゃなくても分かった。迫って来る敵の艦隊、その最前列の中心。
 他とは一線を画すほどの、禍々しい存在。
 間違いなく、アレが親玉。

「親玉を潰せば相手の指揮系統も混乱するだろう。そしたら、全員で逃げる事も出来る筈だ」
「Ah……Mr.衛宮。それはnice ideaデスガ……」

 それが出来たら苦労はしない。
 熱による前後不覚。少なくとも、この場にいる殆どが士郎の現状に対してそう判断した。狙い自体は悪いものでは無いが、幾ら何でも荒唐無稽な発言だった。
 無理もない。誰がこの危機的な状況の中で、保護対象の世迷言を真に受けると言うのか。

「士郎」

 故に。

「悪いが反対だ」

 その発言の真意を汲み取れたのは、木曾ただ一人だけ。

「お前、また無茶するつもりだろう。さっき却下って言ったばかりだ」
「大丈夫だ。……あと一回きりならイケる」
「却下だ」
「……木曾」
「お前が傷つくのを……黙って見ていろ。そう言う事か?」

 思わず士郎は口を噤んだ。
 その言葉には様々な感情が押し殺しきれずに滲み出ている。問いかけの形式ではあるが、断定するような口調だった。

「左腕折れている。右足もだ。左足は折れてこそいないが腫れがひどく、満足に歩ける状態じゃない。そして発熱で意識を失ったな」
「……」
「士郎をそこまでさせたのは、俺たちの不甲斐なさが原因だ」
「……それは違う。俺が勝手にした事だ」
「例えそうであっても、そうさせた原因を作ったのは俺たちだ」

 艦載機の特攻は、木曾と望月が早くに察知すべきだった。形振り構わず島を目指していたから、士郎に命を張らせてしまった。
 ヌ級の襲撃は、誰かが護衛として残っているべきだった。動ける者が全員出撃していたが故に、士郎に命を張らせてしまった。
 艦載機の爆撃は、編隊を目にした時点で予測するべきだった。あの場の誰もが隙を見せた事で、士郎に命を張らせてしまった。

「士郎。お前が命を張って幾度となく救ってくれた事に感謝している。だけど……もう充分だ」
「木曾……」
「あとは任せてくれ。……それとも、そんなに俺たちは頼りないのか?」

 諭すように。それでいて懇願するように。
 その声色を聞いて。士郎は静かに眼を閉じた。

「馬鹿言うな。信頼している」
「なら――――」
「信頼しているさ。……だけど、誰かが犠牲になるのはまだ早い」
「……」
「木曾はさ、知ってたんだろ。最悪の場合は金剛さんが囮になるって」

 囮になる。そう金剛が発言した時に、誰もが驚き焦り困惑する中で、木曾だけが不自然なほどに落ち着いていた。それは彼女に抱えられていた士郎だからこそ分かった事だった。
 士郎の指摘に、木曾は僅かに表情を強張らせた。だがそれこそが回答のようなものだ。

「まだ俺も戦える。まだ出し切ってない」
「だがっ!」
「木曾。悪い。だけど黙って見ているだけなんてのは出来ない」

 そうして告げる。明確な否定を。



「トレース」



 呟くように。
 しかしその場にいる全員に届いたフレーズ。



「オン」



 バチッ、と。そんな音がした。
 空気が木曾と士郎を中心に逆巻き、皆の頬を撫ぜる。
 青白い稲妻が迸り、2人を囲むように暴れ回る。
 そうして顕れるは、一つの奇跡。

「う、そ……」

 それは誰の言葉だったか。 
 或いは皆の言葉だったか。
 迸る稲妻が七本の剣を創り上げる。
 ダガーが3本。
 大太刀。
 ロングソード。
 そして黒色と白色の夫婦剣。 
 それは皆の想像を超える、お伽噺のようなあり得ない現象。











「……士郎、お前」
「説明は後にさせてくれ。……全員で帰るんだろ」

 もう余力は無い。投影する魔力も、問いかけに応える体力も、今の士郎には無い。
 視界が赤く染まっていた。毛細血管が切れたのか、脳がイカレたのか。それでも敵の位置は見失わない。止まらぬ怖気が敵の位置を教えてくれる。

「……後で、覚悟しろよ」

 木曾の声。呆れとか怒りとか、そういった類の感情が混ざった声色。きっと無事脱出したら正座でお説教コースだな。何となく士郎はそう思った。包帯だらけの自分が木曾に説教される光景が浮かんだ。不思議なほど鮮明な光景だった。
 その後ろには木曾と同じくらい怒り心頭の叢雲。
 呆れ返った様子の満潮と望月。
 困ったような磯波と三日月。
 皆を見て笑っている金剛と荒潮。
 そして一人あたふたしている雷がいた。
 ――――それは何て幸せな光景だろうか。

「……真正面だ。飛行場姫との距離は目算で500を切っている。砲撃は無し。銃撃も無し。おまけに航行速度をわざわざ落としやがった。確実に舐められているな」

 アイツは飛行場姫と言うらしい。今更ながらに士郎は相手の名前を知った。

「士郎。お前が剣群を射出して飛行場姫を潰したら、皆で一斉に逃げる。そこまで啖呵を切ったんだ。決めて見せろ」

 突き放した言い方だった。責任を感じさせる言葉だった。だがそれは、木曾が士郎の意見を尊重してくれることの表れでもあった。
 ありがたい。そう士郎は思った。この死地にいながら、論理を欠いた自分勝手な我儘に木曾は付き合ってくれるのだ。破格の信頼と言って差し支えまい。
 ならば――死んでもその信頼に応えなくてはならない。

「……ロール、アウト」

 切っ先を定める。
 目標は敵艦隊の最前列にて中心。他とは段違いの禍々しい存在感を誇示する深海棲艦・飛行場姫。

「バレット……クリア」

 一斉に放つのではダメだ。
 全弾叩き落されたら意味が無い。
 部下が身を挺して防いでしまっても意味が無い。
 飛行場姫に届かなければ意味が無い。

「フリーズ、アウト」

 一発で良い。
 一本で良い。
 飛行場姫に届けば良い。
 そうすれば敵の歩みを止められる。

「ソードバレル……」

 紅く染まった世界で。
 士郎は敵の存在を見た。
 飛行場姫を、見た。
 感じていた禍々しさの正体を見た。
 そして思った。
 中る、と思った。

「フル、オープン……っ!」





 5本の剣が射出される。空中に固定されていた剣が射出される。
 まずは大太刀とロングソード。その2本に隠れる様にして3本のダガーが。そして一拍置いてから夫婦剣が飛行場姫に向けて射出された。
 魔法だ。そう木曾は思った。そうでなければ説明がつかなかった。創り上げるのも、射出するのも、士郎が行使した技術は木曾が知るどの技術にも該当しなかった。
 敵も飛来する剣群に気が付いたのだろう。飛行場姫が発射した銃弾が、最初に飛ばされた2本の剣を襲う。部下を抑えて指揮官自ら動くとは、相当にこっちを舐め腐っている証拠である。だがその実力に偽りはなく、初見にもかかわらず正確な銃撃が大太刀とロングソードを砕いた。

「ウフフフ……」

 笑い声が聞こえる。気に障る声だ。邪気に塗れた不快感の塊のような声だ。その声を聞くだけで望月は怒りを覚えた。命を張った士郎への侮辱としか聞こえなかった。
 だが事実として。体積が小さいから直撃を免れているだけで、残る3本のダガーも砕かれるのは時間の問題だろう。

「……ブロークンファンタズム」

 壊れた幻想。その言葉を士郎の傍らにいた金剛は聞いた。どこか悲しさを感じる響きだった。
 同時に爆発音。三本のダガーが飛行場姫に届く前に爆発する。だが敵艦隊が砲弾を放ったわけでは無い。砲撃音が無かった。

「爆発、した?」

 磯波は目前の光景を理解できなかった。彼女も砲弾の存在は確認していない。ではなぜダガーが爆発するのか。不可思議な現象の連続に混乱し、爆発と叢雲を交互に何度も見た。
 叢雲はダガーが爆発する瞬間を見ていた。ダガーは自発的に爆発をしていた。小規模ではあったが、確かに爆発をしていた。
 あの爆発なら、確かに飛行場姫にもダメージを与えられる。武器も無く中破大破ばかりの自分たちが特攻するよりも、よっぽど確実に飛行場姫に傷を負わせられるだろう。士郎が無茶を言うだけのことはあると思った。

「まだ2本残ってる!」

 思わず三日月は叫んだ。少しだけタイミングを遅らせて夫婦剣が射出されたのを三日月は見ていた。先行した5本は潰された。でもまだ打つ手が潰えたわけでは無いのだ。

「い……け……っ」

 満潮は未だ気絶をしている。腹部への一撃は相当なものだったらしく、声を掛けたが一切の反応は無かった。青白い顔で力なく揺られるだけだった。
 だが確かに。
 三日月は満潮が言葉を発したのを聞いたのだ。

「「行けええぇぇえええええっ!!!」」

 荒潮と雷は叫んだ。あらん限りの声だった。感情が高ぶっていた。喉がつぶれても構わないと思った。叫ばずにはいられなかった。目の前の光景は、この海域に来て初めて目にする明確な希望として2人には映っていた。





 剣の軌道は頭に入っていた。敵への大凡の距離も木曾のおかげで把握していた。
 士郎の頭の中では俯瞰図が展開されている。爆発させたことによる目くらましも織り込み済み。意識は朦朧としているが、脳の働きは冴えていた。明確に剣の軌道を、敵の位置を、爆発のタイミングを描くことが出来ていた。
 ブロークンファンタズム。
 宝具を壊すことで魔力を暴発させ、爆弾さながらに爆発させる技術。
 何故この言葉が出てきたかは分からない。だが不思議とその言葉も、その効果も分かった。記憶は蘇らないのに、どうすればいいかは理解していた。過程は分からなくとも受け入れる事が出来た。

 ――――■■■

 声が聞こえた。誰かの声かは分からない。皆の声かもしれないし、士郎自身の無意識の呟きかもしれない。或いは幻聴かもしれない。投影をするたびに聞こえるのだから、もしかしたら記憶を蘇らせるカギかもしれない。空白の時間を知ることが出来るかもしれない。
 だが今のこの瞬間において、そんなのはどうでもいい事だ。

「――――ッ」

 歯を食いしばる。ひどく眠かった。でもまだ眠るわけにはいかない。意識を手放すわけにはいかない。
 一つ大きく息を吐き、士郎は眼を見開いた。赤く染まった視界を限界まで見開いた。
 爆発の目くらましなど、すぐに霧散する。だがその前に夫婦剣は突破する。
 だから視界の先、確かに士郎は見た。夫婦剣が飛行場姫の武装と右腕にそれぞれ突き刺さったその瞬間を。
 ――――好機は今しかない。

「士郎っ!」

 響く木曾の声。
 ほぼ同時に士郎は夫婦剣に意識を集中する。



 ――――甲高い断末魔のような叫び声が、確かに聞こえた。











 爆発音。甲高い叫び声。爆発に呑まれる身体。止まる足。
 敵の最期まで見なくても分かる。作戦は完了だ。

「……マジでやったよ」

 望月は自分の頬を強く抓った。正直夢なのではないかと思うくらい現実味の無い光景だった。あれほど苦戦を強いられ、数多の仲間たちが沈む要因となった敵の最期を、まさか見ることが出来るとは思ってもいなかったのだ。
 ……だがその感動に耽っているわけにはいかない。

「急げっ、脱出するぞっ!!!」

 敵艦隊の指揮系統が混乱している今が唯一にして絶対の好機。怒号に近い号令を木曾は掛けた。士郎が命を張って作った時間を無駄には出来なかった。
 木曾の号令を受け、呆けていた面々は慌てて脱出へと舵を切る。当初の目的を忘れるほどに、飛行場姫の最期が目に焼き付いて離れなかった。皆にとって、あれはそれほどの奇跡だったのだ。
 当然木曾とて例外ではない。が、

「……すまない、士郎」

 零れる言葉は謝罪。勝利の余韻に浸る余裕は無い。ぐったりと力なく身を預ける士郎の感触が、それ許さなかった。
 ――――また命を張らせてしまった。
 今木曾は理解した。士郎は自分の命を度外視する。普通ならば誰もが躊躇う状況で、士郎はその線引きを容易く超えるのだ。
 思い返せば最初の孤島で。深海棲艦と言う未知の敵に立ち向かい、且つ彼は己の身を一切案じさせないように振る舞った。
 思い返せば隠れ家で。深海棲艦と言う脅威に立ち向かい、且つ彼は己の身より叢雲や磯波を案じていた。
 本来ならば、あの時点で気が付くべきだったのだ。

「……クソッ」

 なんて滑稽。
 なんて愚鈍。
 よくもこんな身で信頼などと戯けたことをほざけたものだ。
 浮かぶは後悔。漏れるは悪態。
 士郎を抱えている状況で無ければ、きっと無様に叫んでいただろう。

「皆、方角はこのままstraightデース!」

 金剛の声が後ろから聞こえる。大破中破ばかりで満足に航行できないものもいる。ともすれば彼女が殿を務めるのは当然と言えた。
 木曾はゆっくりと周りを見渡した。一番前を進むのは望月。その後ろには満潮を支える三日月と、叢雲を支える磯波。それから自分。後ろには雷と荒潮。そして金剛……

「っ! 皆、砲撃だっ!」

 言い終わると同時に轟く砲撃音。
 ――――早すぎるっ!
 木曾は背走しながら敵を見た。敵艦隊は航行はしていない。だが砲弾を放っていた。木曾たちに向けて砲弾を放っていた。
 士郎の手が悪かったわけでは無い。
 見誤ったのは敵の意志。
 飛行場姫が倒れようとも、沈もうとも。その目的を、意志を忠実に遂行しようとするその忠誠心。

「クソがぁぁああああ!!!」

 雨あられのように降り注ぐ砲弾。その全てが木曾を――いや、士郎を狙っていた。士郎をこの場における最大の障害と見做した故の行動だった。
 叫びながら、しかし木曾は砲弾の間隙を縫うように回避する。降り注ぐ砲弾一つ一つの着弾地点を予測しながら回避する。着弾で波打つ海面を滑りながら、踊る様に、ともすれば軽やかに。指揮系統の混乱故か砲撃は正確性を欠いていたが、それでも量が量である。その回避は奇跡的とも言える所業だった。

「木曾さんっ!」
「行けっ!」

 望月の呼びかけに、突き放す様に木曾は返した。無駄な問答をする余裕が無かった。他に意識を向けることが出来なかった。砲撃から逸らすことが出来なかった。
 どうにか士郎だけでも逃がしたいが、その隙が無い。一個人に対するとは思えない量の砲撃が、それだけ士郎の脅威を表していた。

「先に行け! 必ず後で追いつく!」

 叫ぶ。薄ら笑いすら浮かべながら、叫ぶ。だがそれは決して自暴自棄になったが故ではない。
 根拠はあるのだ。敵の物量も無限ではない。回避を続ければいつかは切れるだろう。それから皆の後を追えばいい。
 ……問題があるとすれば、

「……それまで保つか、だな」

 自分の体力が。燃料が。そして士郎自身の体力が。
 いや、そもそも回避しきれたとして。計器も正常に作動しない状況で、皆の後を追えるのか。探し出せるのか。方角もルートも失った状況で本国へと帰れるのだろうか。

「……はっ」

 そこまで考えて。木曾は自身の馬鹿さ加減に笑みを浮かべた。くだらない悩みだった。意味の無い悩みだった。
 そんなものは。今のこの状況を切り抜けてから考えればいい事なのだ。

「木曾っ! Wait!」

 そんな事を考えていた木曾の眼前を、ブラウン色のロングヘア―が立ち塞がる。金剛。そして降り注ぐ砲弾に向けて手に持った武装を全力で投げ飛ばした。吸い込まれるように砲弾に当たり、2人の頭上で爆発が起きる。

「金ご――――」
「Shut up!」

 振り向きざまに木曾を抱きかかえると、金剛は全力で後退した。高速戦艦の名は伊達ではなく、砲撃が届くよりも早くに砲弾の雨あられを抜ける。多少の爆風ならものともしない戦艦の頑丈さと駆逐艦並みの速度を持つ金剛だからこそ為しえた所業だった。

「Shit! しつこいネー!」

 砲弾はしつこく金剛たちを追いかける。だがトップスピードに乗った金剛には一歩届かない。
 その差は徐々に、しかし明確に表れた。砲撃音も、着弾の衝撃も、波打つ海面も、全てが置き去りになる。
 だが予断は許さない。

「木曾、砲撃は!?」
「まだ止んでいない! だが距離は開けてきている!」
「艦隊は!」
「今は動いてはいない!」

 そう。今は。
 指揮官が沈んでも砲撃はしてくるのだ。砲撃だけで仕留められぬと分かれば、次の手として進軍してくるであろうことは想像に難くない。
 金剛も当然それは分かっている。分かっているからこそ、彼女は大きく溜息を吐くと切り出した。

「木曾。一度しか言わないから良く聞いて下サーイ。皆と合流したら木曾が指揮を執って鎮守府に戻るネー。当初の予定通り私は残りマス」
「……そうか」

 予想はしていた。だから驚きは無い。
 そして最早我儘を言える状況でも無い。
 あらゆる感情全てを心の底に押し込み木曾は頷いた。











「皆は真っすぐ鎮守府に向かって下サーイ。私はここに残るネー。反論は聞きまセン」

 皆と合流した金剛の第一声は、有無を言わさぬ宣言だった。

「以降の指揮は木曾に従って下サイ。私は囮となってアイツラを沈めてきマス」
「金剛、さん?」
「Mr.衛宮が指揮系統を乱してくれた今が脱出する絶好のchanceネー。振り返らずに進んで下サーイ」
「金剛さん!」

 声を張り上げたのは磯波だった。彼女は今にも泣き出しそうな顔で金剛を見ていた。
 金剛はそんな磯波を見て。困ったように頬を掻いた。

「……アイツらはしぶといネー。確実に私たちを追ってきマース。ならば、その足を止める役割が必要デース」
「でも、それって……」
「No、沈むつもりは毛頭もありまセン。ただ足止めとして囮になるってだけデース」

 無茶な話だ。この場居いる全員が同じことを思った。
 幾ら金剛が歴戦の勇将であり、日本の最高戦力の一人であろうとも、これは一人でどうにかできる戦力差ではない。統制が取れていないだけで、敵艦隊の戦力に翳りがあるわけではないのだ。
 だが金剛が残る事に対して誰も何も言えなかった。
 頭では分かっているのだ。旗艦は潰した。それでも、敵艦隊は足を止めない。ならば誰かが囮になるのは必然であり、それは金剛のように敵に明確に障害とされるような者でなければならない。そうでなければ全員が沈むことになる。自分たちが我儘を言う事に、一切の理は無い。
 分かってはいるのだ。皆が皆聡明故に、同じ結論に辿り着いてしまっていた。



「じゃあ私と荒潮も残るね」



 雷の発言に皆の時が止まる。重々しかった空気に混迷の色が混ざる。
 だがその発言の真意を確かめる前に、言葉が重ねられた。

「黒潮を一人置いていけないから」

 その言葉は決して大きな声量で発せられたわけではない。いつもの雷の調子からすれば、寧ろいつもよりも小さめとも言えた。
 だが、届いた。皆の耳に届いた。
 誰も何も言えない。意外、だからではない。何てことも無いような語調で発せられた言葉は、今皆が持ち得るあらゆる言葉よりも重たかったのだ。

「雷ちゃんに同意よ。皆ともっと一緒に居たかったけど、黒潮の仇も討てずには帰れないわ」
「そうそう。アイツラを許せないよ」

 晴れやかな顔だった。恐れを感じさせない顔だった。
 明るい声だった。悲痛を感じさせない声だった。
 金剛と同じく、とてもこの死地に留まる者の声とは思え無かった。

「きっとこのまま帰ったとして、私たちは絶対後悔する」
「黒潮を置いてきたことを思い返して、きっと死にたくなるわね」
「だけど今は仇を討つ千載一遇のチャンスでしょ」
「だったら逃す手は無いわ」

 誰が何と言っても、意見を変えるつもりは無い。
 笑顔を浮かべてはいるが、暗に2人はそう言っていた。笑顔とは裏腹の堅固な意志だった。

「荒潮、雷……」
「そう言う訳だから、私たちも残るわ」
「ゴメンね、みんな」

 金剛は此処に来て初めて、一瞬だが表情を歪めた。自らの無力を嘆く様な、そんな後悔に塗れた表情だった。
 だが顔を両手で覆い、よくもみ込む。そうして次に顔を見せた時には、少しだけ悲しそうに、でも笑顔を浮かべていた。気持ちを無理矢理に落ち着かせた後だった。

「……では、囮となるのは私、荒潮、雷で決定デース」
「金剛さん……」
「皆は早く出発してくだサーイ。皆の武運を祈りマース。……此処は、任せてネー」

 努めて明るく。でも覚悟を決めて。
 そう金剛は言葉を発した。死地に残るとは思えぬほどに、それはいつも通りの『金剛』だった。



「――――ああ、そうだ。あと、一つだけ」



 背を向ける。もう話すことは無いと背を向ける。
 それから言い忘れたことがあると。そう皆に振り返った。

「Mr.衛宮に伝えてくだサイ。『ありがとう。貴方に救われました』と」
「うーん……私は……」
「じゃあ私は、『また会えたら、デートしましょう』と」
「荒潮、早い! えーと、じゃあ私は……『ありがとう、また会えたらよろしくね』って」

 自分で言え。そんな簡単な言葉が出てこなかった。そんな簡単に言葉を発せなかった。
 死地に留まると言うのに。三人の表情はどこか晴れやかだった。憂いは見えなかった。恐れも気負いも無かったのだ。











 木曾が。望月が。磯波が。満潮が。叢雲が。三日月が。そして衛宮士郎が。
 皆が遠ざかり、黒い粒となり、やがて視界から消えていくのを3人は見届ける。

「本当に良かったのですカ?」

 見届けてから金剛は疑問を口にした。言うまでもなく、2人がここに残った事に対してだった。

「うん。だって、黒潮一人置いていけないもん」
「雷ちゃんと同じです。それに――――」

 コンコンと。自らの足を荒潮は叩いた。

「――――もう、帰れません」

 限界だった。
 航行する事はおろか、一人で立つことすらも。
 あの時黒潮を助けようと飛び込んだ時点で。2人は自力航行不可能レベルのダメージを負っていたのだ。

「でも、黒潮の仇を討つくらいの力なら残っている」
「それね」

 現実を正しく受け入れて。それでも2人は笑った。自棄でも何でもない、何時もの笑顔だった。
 帰ったらやりたいことは沢山あった。ショッピングに行きたかった。新作のお菓子を食べたかった。最新の雑誌が読みたかった。惰眠を貪りたかった。姉妹と他愛もない会話に興じたかった。逃げ出したいくらいに辛かった訓練だって今なら受けたいと思えた。皆ともっと一緒に居たかった。その先を見たかった。
 それでも、仇を討たぬことには進めない。きっと前に進めない。
 だって心は此処に置いてきたままだから。

「行こう、金剛さん」

 もう帰る足は無い。
 そんな2人に。
 金剛は視線を向けず。しかし、右手の親指を上げた。サムアップだった。



「Yes。それでは、行きまショウカ」





[39855] 1-EX
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2018/06/13 22:16
 潮の香が一層強くなった。
 頬にかかる水飛沫が冷たかった。
 海面が照り返す朝陽が眩しかった。
 そして吹き付ける風が心地よかった。
 
 
 
 金剛は一人、全速力で最短に一直線に敵陣へと駆けていた。
 一見すればそれはただの特攻である。持っているものはお守り代わりの三式弾三つと手榴弾一つ。だがそれを放つ武装も換装も無い。
 言わば身一つ。拳が、脚が、そして敵艦隊群を前にしても翳りを見せぬ不屈の意志が今彼女が持ち得る武器であった。
 
「……邪魔ネー」
 
 重巡リ級が5体。そして戦艦ル級が1体。
 金剛の行く手を阻むように立ち塞がる。
 だがコイツラに構っている余裕は無い。
 
「Go away!」
 
 荒々しく吠える。そして気合と共に右拳を海面に叩きつけた。
 衝撃で捲り上がる海水。それはまるでカーテンのように金剛と敵艦隊を分断する。
 姿を隠すのは一瞬。
 だが一瞬あれば充分。
 カーテンが消え去る前に、金剛は勢いそのままに跳んだ。そしてル級の顔面を全力で蹴飛ばす。
 ゴキッ、と。何かが砕ける音。
 見るまでも無い。会心の一撃。
 
「退けッ!!!」
 
 仲間には見せられぬような鬼気迫る表情。
 形振り構ってはいられない。
 それは普段の気品あふれる彼女からすれば、あまりにも隔絶した様相。
 まるで最後の命を灯を燃やすような、そんな暴走。
 そんな金剛に恐れを為したのか、敵艦隊も手出しをしようとはせずに取り囲むばかり。 
 ……或いは、それが作戦か。
 
「……それ、surviveしているって言っているようなものネー」
 
 ブラウンの髪を掻き上げる。そして呆れを隠そうともせずに金剛は溜息をついた。
 尤もこの行為の意味を知ることが出来る者はこの場にいない。
 いるのは悍ましいほどの敵の群のみ。
 
「さぁて、second round デース」
 
 雷と荒潮はどこまで付いてきていただろうか。どこまで駆けてくれただろうか。
 金剛には2人を振り返る余裕は無かった。
 敵艦隊群に切り込んだ時点が、2人の姿を確認した最後である。
 もしかしたら後ろを付いてきているのかもしれない。
 もしかしたらどこかで奮戦しているのかもしれない。
 もしかしたら……とうの前に沈んだのかもしれない。
 だがそれでも。最早金剛には止まる足も退く足も在りはしない。
 ただ敵を殴り、蹴り、押し退け、前に進み続ける。
 それしかできない。
 
「気合が足りないネー!」
 
 心が折れることは無い。
 意思が折れることは無い。
 そんなのはあの暗い部屋で既に味わってきた。
 どん底まで堕ちたのだ。
 ならば、あとは昇るのみ。
 
「――――ガッ!」
 
 予期せぬ方向から衝撃を受ける。
 おそらくは銃撃。思わず身体が流れるが、すぐに立て直す。どうやら敵側も漸く抵抗をする事にしたらしい。随分と遅い判断である。
 だがその一撃を皮切りに、四方八方から銃撃が飛んでくる。
 
「……舐められたものネー」
 
 妖精の加護も有限だ。が、この程度で崩れる様な柔な代物でもない。
 金剛はそばで沈もうとしていたリ級を拾い上げると、それを傍の敵艦隊へと投げ飛ばした。
 たかが一投。
 されど一投。
 戦艦のフルパワーで投げ飛ばされたリ級によって、銃撃の一角が崩れる。
 無論、それを見逃す金剛ではない。
 
「You won't get away」
 
 呟くように。呪うように。
 金剛は言葉を吐き出した。
 唸るような声色だった。
 そして眼光が。遠くまで見渡せるように、誰一人として見逃さぬように鋭く狭められた眼光が。忙しなく周囲に走らされる。
 金剛が探すのはただの一人のみ。
 仲間たちの憎き仇。
 全てを奪った諸悪の根源。
 
 飛行場姫は生きている。絶対に。
 
 確かに衛宮士郎の放った一撃は素晴らしかったし、アレを受けて沈まないでいられるかと問われれば答えに窮するだろう。
 それでもあのしぶとい奴が沈むとは思えなかった。
 それは根拠のない予想でしかなかったが確信があった。
 だが事実として。その確信は確実なものとして固まりつつある。
 
「見つけた、ネー」
 
 敵陣の奥。あの不愉快な姿を見間違えることは決してない。色素を失った、それでいて悍ましい白色の姿を見失う訳が無い。
 飛行所姫が戦艦ル級に守られるように後方に下がるその姿を、確かに金剛は目にした。
 
「逃がすものかぁぁあああああッ!!!」
 
 吠える。
 雄々しく、猛々しく、そして呪詛を込めて吠える。
 チャンスは今しかない。
 仇が目の前にいる事も。
 仇が弱っている事も。
 今しか無いのだ。
 
「退、けぇぇえええええッ!!!」
 
 跳びかかる。
 飛行場姫を逃がさんと跳びかかる。
 真っすぐに一直線に。
 ル級が飛行場姫を守る様に立ち塞がるが行動が遅い。
 倒すまでもなく、その頭を踏み台にさらに加速する。
 右手に持つは三式弾。妹たちがくれたお守り。
 それを大切に握りしめ、構える。
 そしてそのまま、飛行場姫の頭蓋を砕かんと右拳を突き出した。
 
 だが想定外の出来事なんて幾らでも起こり得る。
 
 ガシッと。
 突き出した拳は止められた。
 貫いたのは黒い球体。
 飛行場姫を守る様に現れた、正体不明の敵。
 ――――否、浮揚要塞。
 
「……shit」
 
 硬直は一瞬。だがその一瞬が命取り。
 右拳を引き抜いて、一旦仕切り直す。或いはそのまま空いた左手でストレートをぶっ放す。
 そう思考するとほぼ同時に。腹部を冷たいものが貫いた。
 せり上がる吐き気と、一拍置いて冷たさが熱さに、熱さが痛みへと変わる。
 すぐに理解した。見なくても分かる。
 貫くは敵の腕。
 腹部に空いた穴。
 妖精の加護が吹き飛ぶほどの一撃。
 つまりは致命傷。
 
「――――ゴフッ」
 
 我慢しきれずに、口から赤い液体が零れた。
 だがすぐにそんな感覚すらも消えていく。
 ポロポロと血と共に大切なものが零れ落ちていくのを感じる。
 自分を構成していく大切なものが零れ落ちていく。
 
「……残……ねん、ネー」
 
 ニンマリと。飛行場姫が笑った。
 勝利を確信した憎らしい笑みだった。
 抵抗が不発に終わった事への嘲りだった。
 夢は夢でしか無いと言わんばかりの悪意だった。
 
「……fake、デース」
 
 空いている左手。意識をそれに集中させ、隠し持っていた手榴弾を拳ごと飛行場姫のわき腹に全力で突き刺す。飛行場姫の顔が一瞬で苦悶に染まり、その食いしばった口から赤い泡が吹き零れる。
 してやったり。
 今度は金剛の番だ。
 手榴弾を持ったまま、ずぶずぶと左拳を中に捻じり込む。
 
「Hey, how dou you like it?」
 
 接吻でもするような至近距離。
 憎き敵の苦悶の表情を存分に堪能すると、嘲る様に金剛は笑った。とてもではないが仲間に見せられるような表情では無かった。
 あらゆる艦娘の憧れで、目標で、尊敬されるべき存在。
 そんな栄えや誉れなどかなぐり捨てて、黒い感情のままに悪鬼の如く振る舞う金剛がここには居る。
 
 ――――だがそれで構わない。
 
 妹を見捨てて。自分だけおめおめと生き残るつもりは無かった。
 部下を救えずに。自分だけのうのうと逃げ出すつもりは無かった。
 皆を置いたままなんて。そんなのは死んでも御免だった。
 だから荒潮と雷が残ると言った時に、金剛は止めなかった。
 だって同じだから。自分と同じだから。
 自分と同じ表情を、あの2人は浮かべていたから。
 だから止めなかった。止められる筈もなかった。
 そして今。
 唐突に金剛は自分の胸の内を理解した。
 
「I……go……too」
 
 左手に握った手榴弾
 そのピンを抜く。
 
 
 
 何てことは無い。
 いたかったのだ。
 ここで。
 この場所で。
 私は。
 私は。
 ずっと。
 皆と。
 一緒に。
 私は。
 
 ――――私は皆といたかったのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■ 艦これ×Fate ■
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 海上を航行する。
 燃料の消費を抑え、しかし可能な限りの速度で。
 敵艦隊の包囲網は抜けた。
 激戦区域も抜けた。
 何ならうっすらとだが、遠目に本国の島影が見える。
 今にも警備担当の艦娘が迎えに来るだろう。
 到着までは時間の問題だ。
 底抜けに青い空を、呆然と見上げる。
 
「……士郎。もうすぐ着くぞ」
 
 吹き抜ける潮の香。
 高く高く昇った太陽。
 ちゃぷちゃぷと。
 波が脚に当たり弾ける。
 
「……木曾」
 
 弱弱しく。だがハッキリと。
 その声は聞こえた。
 
「護られた……そうなんだな」
 
 肯定はしなかった。
 否定もしなかった。
 いや、出来なかった。
 分かっている。
 本当は分かっているのだ。
 助けられたのだ。
 護られたのだ。
 
 
 
 3人の命を犠牲に、ここにいる7人は護られたのだ。 





[39855] 2-1
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2018/08/03 00:13
『佐世保鎮守府』

 横須賀、舞鶴、呉に並ぶ日本の代表的な鎮守府の一つ。日本の最南及び最西端に位置する。
 最新の設備を多く有し、またその規模の大きさから、四大鎮守府の中でも特に戦闘方面に秀でる。
 現在所属している提督は熊切大将、汐見大佐、薄葉大佐の3名で、最高責任者は熊切大将。
 略称は佐鎮。



 間宮の記録帳より、一部抜粋。




「――――報告は以上よ」
「……飛行場姫が沈んだ、ねぇ。それは本当か? 幾らお前の言う事でも信じ難いな」
「私も同じ考えよ。けど、妹が嘘を言うとは思えない」
「妹……ああ、木曾の事か」
「ええ。あの子はそんな程度の低い嘘を言うような子じゃないわ」
「お前が言うんだからそうなんだろうよ。まぁ実際……鉄底海峡から敵の主力艦隊は消えたしな」
「ええ。私たちも出たけど雑魚しかいなかったわ」
「……お前の妹が戻ってきてどれくらいだ?」
「ひと月よ」
「確か他の艦隊の生還率が上がったのもそれくらいからか……時期は合致するな」
「どうするの?」
「……そうだな。とりあえず酒馬鹿と夜戦馬鹿に伝えとけ。警戒は解くな、って」
「了解」
「それと、一緒に帰ってきた一般人の事も調べとけ」
「一般人? 何故?」
「臭う。まぁ、勘だな。何も無けりゃ、別に放っとけばいいさ」










■ 艦これ×Fate ■










「勝負ありッ! そこまでッ!」

 勝負の終わりを告げる声。
 高らかに演習場に響き渡ったその声を聞き、木曾は相手に向けていた銃口を下ろした。そして大きく息を吐き出す。
 見上げた空は呆れるほどの快晴。
 気絶して倒れ込んだ相手を手慣れた様子で担ぎ上げると、海面から地上へと戻った。
 そんな木曾の前に差し込む一つの影。
 肩口までの長さに切り揃えられたショートヘア。意志の強そうな蒼玉色の眼。勝気な笑顔。
 顔を上げると、佐世保鎮守府演習場の担当責任者である重巡洋艦・摩耶がいた。

「ご苦労さん。また肉弾戦のみで制するとはな。随分と実力を上げたじゃねーか」
「……向こうでは肉弾戦が主だったんだ。武装を使うよりもこっちの方が慣れている」
「それにしたって一発も被弾せずに制圧するとはね。今日の新兵はかなり筋が良い奴だったんだがな」
「だろうと思ったよ。昨日までのとは動きが全然違う」

 例え遮蔽物の無い海上でも、海面に立ち、銃口を向け、照準を合わせて、となると今までの訓練通りにはいかなくなる。ましてや敵がいる状況なら尚更だ。
 事実、木曾が相手した新兵のほとんどは、ロクに動く事も出来ずに制圧されている。今日の相手は銃撃が出来ただけマシであろう。

「今回の帰還組は皆実力を上げているが、その中でもお前は別格だよ」
「まぁ、な。あんだけ長い事地獄を見れば嫌でも上がるさ。摩耶さんだってそうだろ?」
「ああ。まぁ、な」

 気絶した演習相手を受け取り、重巡洋艦・摩耶は笑った。木曾の言葉を正しく理解したからこそだった。

「だけど、アタシやアンタみたいなのは特例だよ。ベテランだって生きて帰って来られる奴なんてほんの一握りなんだ。本当なら新兵は時間をかけて段階を踏んで育て上げるべきだ」
「分かっているさ。……だが悠長に事を構える余裕を上は持ってなさそうだ」
「嘆かわしい事だよ。ベテランも新兵も関係なしに出ざるを得ない、とはな」

 木曾が行っているのは、新兵の訓練だった。これから戦場に出る前に、格上の艦娘との模擬戦闘訓練を行う。それは全ての艦娘が通る道だ。
 本来なら佐世保鎮守府の所属ではない木曾が行う事では無いが、摩耶の申し出でここ数日は臨時の教官として出ている。戦争帰りの経験が他の艦娘にも引き継げるのだから、それは木曾からすれば願ってもない申し出だった。

「悪いが明日も頼むぜ。人手が足りねーんだ」
「ああ」

 パン、と。手を叩き合わせる。ハイタッチ。
 ねぎらいの合図。つまりは今日の仕事は此処でお終い。

「この後一杯どうだ?」
「すまない。先約がある」
「またかよ。ま、しゃーねーか」

 鳥海でも誘うよ。まるで断られるのが分かっていたかのように摩耶は言った。
 埋め合わせはどこかでするよ。そう言って木曾は振り返りもせずに演習場を後にする。摩耶には悪いが、大切な先約が木曾にはある。

「……急ぐか」

 着替えを終えると、足早に移動を開始した。緊急時以外では鎮守府内を走る事は禁止とされている。佐世保鎮守府所属の面々からすればそんな規律は無いと同じだが、居候状態の木曾が破る訳にはいかない。走るよりは遅く、しかし歩くより早く、絶妙な速度で木曾は目的の場所へと向かった。
 場所は東館の3階。
 通い慣れてはいる。今更迷う事は無い。

「……ふぅ」

 最短のルートを迷いなく選び、目的の場所へと到着する。
 少しだけ息を整え、木曾は扉に手をかけた。



「すまない、少し遅くなった」



 真っ白な部屋。埃一つない清潔な空間。生活臭がしない部屋。
 それはそうだ。ここは病室。病室に生活臭など、する筈もない。

「……今日も俺が最後かな」

 既に誰かが来ていたのだろう。
 サイドテーブルには一口サイズに切り分けられたリンゴが置かれていた。
 ベッドの足元には本が積まれていた。
 冷蔵庫の中には飲料水が増えていた。
 卓上カレンダーの日付が一つ消えていた。
 換気済みなのか淀んだ空気の匂いはしない。

「悪いな、遅くなって」

 静かな呼吸音を邪魔しないように。
 規則正しい音を乱さないように。
 木曾は静かに傍の椅子に腰を下ろした。
 そして目を瞑っている赤銅色の髪の少年に話しかける。

「……俺たちは信じているからな。早く目を覚ませ」

 左手をそっと握る。眠っていても感じる鼓動と暖かみに、安堵からか少しだけ微笑んだ。



 ――――衛宮士郎はまだ目覚めない。











 ――――ひと月前。

 鉄底海峡から佐世保鎮守府に辿り着いた木曾たちを待っていたのは、休息でも労いの言葉でもなく、敵艦隊の最新の動向の確認だった。
 休む時間なんてない。すぐに最新の情報の聞き取りの為に上層部が集められ、ボロボロの姿のまま木曾たちは報告に入った。
 木曾たちが報告したのは、大きく分けて3点。
 1.飛行場姫が沈んだ事。
 2.飛行場姫を沈めたのは金剛である事。
 3.金剛、荒潮、雷の3人はその後も残って戦い続けている事。
 ……事実は違う。だが本当の事を言う訳にはいかなかった。『衛宮士郎が不可思議な能力で沈めた』などと言えるわけが無かった。
 それは本当の事を伝えたところで、それが信じてもらえる内容だとは思えなかったからであり。また仮に信じてもらえたとして、そうなれば確実に衛宮士郎が何者で、その能力は何であるか解明する、と言う話になるからだ。
 それはつまり、衛宮士郎は実験体として一生を送る事になる。
 人としての尊厳は潰され、どんな目に合うかも分からない。
 死んだほうが良いと思えるような凄惨な目に合うかもしれない。
 そんな選択肢はとてもではないが選べなかった。
 それは生き残った皆の総意だった。

 ――――本当に、飛行場姫は沈んだのかね?

 幸いにして上層部が尤も興味を示していたのは飛行場姫の情報。結果として衛宮士郎は巻き込まれた記憶喪失の一般人として処理をされ、その後一切の興味が向けられることは無かった。
 だが佐世保鎮守府に辿り着いてからひと月半。
 衛宮士郎が目覚める気配は、未だない。



「木曾さん、お疲れー」

 イチハチマルマル。夕食の時間。
 見舞いを終えた木曾が食堂にて食事を摂っていると、どこか気の抜けた声が掛けられた。
 視線を上げた先には駆逐艦・望月。
 ひらひらと手を振って、彼女は木曾の目の前に座った。

「いやぁ、今日も疲れたなっと」
「お疲れ。今日は1人か」
「うん。手合わせに呼ばれたのは私だけだからね」

 疲れたよ、ホント。そう言って大げさに望月は溜息を吐き出した。
 手合わせ。帰還した艦娘の実力を測定するために行われる模擬訓練。
 1から99までの数値でその実力を表し、単純に数値の高さが実力の高さを示している。

「今頃手合わせか。随分と遅かったな」
「飛行場姫の事でゴタゴタしているからね。私以外だと……後はリハビリ中の叢雲が残っているかな」
「いくつだった?」
「37だね」

 やったね、36UP。皮肉気に望月は零した。捨て艦として出撃された身を思えば大躍進であるが、数多の犠牲の上に積み上げてきたことを考えれば喜べるものではないからだ。

「木曾さんは?」
「45。出撃前が23だから、22UPだな」

 一回の出撃でここまで数値が上がるのは稀だ。長期間戦争の最前線にて生き延び、勝ち残り続けなければありえない。
 つまりは2人が如何に濃密で苛烈な日々を送ってきたかの証明である。

「45って事は……あと20くらい上がれば改二の可能性ある?」
「そうだな。確かそれくらいからだ」

 改二。一定の実力値まで上がると、艦娘にはさらなる実力向上の為に改造を施されることがある。
 飛躍的に実力が上がる半面、下地がちゃんとしていないと改造による負荷に艦娘が耐えられないため、殆どの艦娘は65を超えてからでないと改二になるのを認められていない。

「まぁ、俺の前にまずはお前だろう」
「うん。近日中に改にするってさ」

 改。改二の前段階の改造。改二ほどの負荷がかからないため、多くの艦娘が20を超えた時点で施される。

「確か満潮が36って言っていたな。アイツも改になるのか」
「磯波も32だから改になるね。……三日月は14だったかな」
「……そうか」
「分かっていたけどね。……ま、私たちで終わりに出来たんだから良いって事だよ」

 少し明るめに望月は振る舞った。それは一見すれば分からないような微妙な変化。
 だが、木曾は機敏に察知した。察知して、あえて言葉を飲み込んだ。
 そして代わりに疑問を一つ。

「望月は今後どうするんだ?」

 今後、とは今日明日の話ではない。もっと先の話。つまりは佐世保鎮守府を出た後の話。
 今後ねぇ。焼き魚を咀嚼しながら、望月は考え込むように天井を見上げた。

「うーん、とりあえずはお兄さんの意識が戻るまでは此処にいるかな」
「横須賀には戻らないのか?」
「命令がなきゃね。戻ったところでこき使われるのが分かっているし」

 思い入れ、ゼロだから。望月にしては珍しく、その言葉には負の感情が込められていた。何時も飄々としている彼女らしからぬ発言だった。

「……異動届でも出してみるか」
「どこに?」
「ここの薄葉大佐のところさ。姉さんが言うには、そこらの指揮官よりはマシらしい」

 誰かが聞いていれば卒倒するような、上に対しての公然の批判。
 無論周囲の喧騒に飲み込まれて、2人の声が誰かの耳に届くことは無いが……

「……考えては見るよ。ま、何処に行ったって激戦続きなのは変わらないしね」
「まぁ、そうだな」
「あーあ、お兄さんみたいなのが指揮官だったらねぇ」

 護られるべき対象が護ろうとする。それは自分たちの至らなさの証明であり、本来ならばあってはならない事。
 だがもしも。指揮する立場の者が先陣を切り自分らと共に前線で戦ってくれるのならば。それはどれほどの力となり、自分たちを鼓舞してくれることか。

「……馬鹿な事を言うな。士郎は元の生活に戻るべきだ」

 一瞬。一瞬だが望月の言葉に賛同しかけた自身を心の中で戒める。
 そうとも。
 衛宮士郎は軍の者では無い。彼の居場所は此処にはなく、元の平穏な日常に戻ってもらわなければならない。

「……その事なんだけどさ、木曾さん」
「何だ?」
「上の人たちはお兄さんを元の生活に帰してくれるのかね?」
「……どういう意味だ?」
「私たち、一応機密扱いじゃん」

 艦娘は機密扱い。無論、その存在自体は世界に知られているが、実物を一般人が目にする機会と言うのは中々訪れない。あるとすれば情報媒体を通じて戦艦や空母等を知ることは出来るかもしれないが……

「私たちは一切気にしないけどさ。……お兄さんは私たちに深く関わりすぎた」
「……そう言う事か」

 望月の懸念。それを木曾は察知し、頭を抱えた。
 衛宮士郎は艦娘と生活を共にした。機密扱いの艦娘と生活を共にした。
 つまり彼は知ってしまっている。艦娘とはどういう存在かを。情報を持っている。

「情報の漏洩、か。確かに深海棲艦も士郎の存在を認知していた。もしかしたら情報入手のために士郎を捕らえてくるかもしれない、か」
「それと上だね。他国に知られたら困るー、なーんて騒ぎだしそうな連中ばっかじゃん。今は飛行場姫のゴタゴタで大して注目されていないけど、確実にお兄さんに目は行くよ」

 面子重視の奴らばっかだからね。そう言って望月はぬるくなった味噌汁で喉を潤した。

「……まぁ、先ずはお兄さんが目覚めてからだね」
「そうだな」

 先の事ばかり話してもしょうがない。まだ訪れていない未来について議論をするなど愚かでしかない。
 だが自分たちと関わってしまったが故に彼が不幸になるなんて、そんなものは2人とも許せるはずが無かった。











 夢を見ている。



 錆びた赤銅のような空。
 罅割れ荒れた地平。
 錆び、崩れ、砕けた剣群。
 吹いた突風が砂埃を舞い上がらせ、世界に降り積もる。

 ――――衛宮士郎は、そんな世界に立っていた。

 見渡す限りの荒野。
 出口は見えない。
 潮の香も、太陽の光も、青い空も、波の音も。
 その全てが此処には無い。

「……墓場か?」

 思わず士郎は呟いた。そう思えるほどにこの世界には生者の息遣いが無かった。
 大量の剣が突き刺さった世界。
 何も無いわけでは無い。だが何も無いと同義である。
 士郎は傍に突き刺さっている剣に手をかける。だが引き抜こうと力を込めると、呆気なく剣の刀身が折れた。

「……酷いな」

 使うだけ使われて放置されたのだろう。手入れなんてされることはなかったのだろう。只の道具として使い古され、只の道具として使い捨てられたという事が否応無しに分かる。
 墓場。その言葉はきっと正しい。
 此処は墓場だ。使い古された剣の墓場だ。

「……俺、死んだのか?」

 最後の記憶は、木曾に揺られて本国へと戻ったところ。次に目覚めたと思ったらこの世界だ。
 剣の墓場。それが衛宮士郎の終着点。
 もしそうならば、随分と寂しい最期の世界である。

「……いや、夢か」

 だがそんな妄想はすぐに否定する。否定できる材料は一切無いが、直感で思う。これは夢だと。
 士郎は足元に転がっていた短刀を拾い上げた。だがこれも、少し力を込めたくらいでぼろぼろと崩れ落ちてしまう。カラン、と。掌から滑り落ちた刀身が渇いた地面に落ちて砕けた。
 この調子では、きっとどの剣もそうなのだろう。どれも剣としての役目を終えたガラクタと成り果てているのだろう。

「……探してみるか」

 暫しその場で天を仰いでいたが、ふと士郎は思った。
 もしかしたら、一本くらいは無事なものがあるかもしれない。
 それは気まぐれだった。何時までも変わらぬ世界で、この墓場のような世界で、ふと思い浮かんだ一つの戯れのようなものだった。
 平常ならばそんなことは考えもしない。だが突き動かされるように士郎は行動を始める。剣の墓標の中、無事なものを探そうと彷徨う。
 まるでオアシスを探す放浪者のように。
 或いは熱に浮かされた病人のように。
 ただ只管に探し回る。
 時には横たわる剣を遠回りに避けて。
 時には崩れた剣を飛び越えて。
 無数の剣群の墓標を彷徨い歩く。

「何やってんだろうなぁ……」

 疑問が口をついて出る。だが足は止まらない。言葉とは裏腹に、足は、意思は、無事な剣を探そうと歩みを止めない。だとすれば、今のはふとした拍子に出てくる意味の無い呟きである。
 最早ここまでくると一種の強迫観念であった。
 探そう、ではない。探さなければならない。
 見つけよう、ではない。見つけなければならない。
 そこには本当に士郎自身の意志が介在しているかも疑わしい。
 だが士郎は自分の意志の変化に気が付いていなかった。気が付く余裕が無かった。

「どこだ?」

 視線を走らせる。右に左に。墓場の中で無事なものを探そうと走らせる。
 あるはずなのだ。どこかに。絶対に。
 確証なんかあるはずがない。言い切るのならばそれは妄言だ。愚かな妄言だ。
 だがその意思を疑う余地は士郎にはない。
 気が付けば士郎は駆けていた。朽ち果てた剣群を踏む事の無いように、損なう事の無いように、しかし全力で駆けていた。
 だがその歩みを止めようとするかのように、突風が士郎の身に吹き付ける。

「――――ッ!」

 砂埃が、礫が、そして破損した剣が士郎の身を叩く。剣の墓標が風圧に耐え切れずに崩壊していく。
 目も開けられぬような突風に、思わず士郎は足を止めた。崩壊の音が唸り声となって士郎の耳に届いていた。
 それは打ち捨てられた事への悲哀か。
 或いは役目を与えられなかった事への怨嗟か。
 それともこの場でただ一人の生者に対しての憎悪か。
 この世界が持つ感情全てが士郎に叩きつけられている。

「……くっ」

 身を屈める。だがそれしきのことで風は弱まらない。それどころか勢いは強くなっていくばかりだ。
 こんなところで立ち止まってはいられない。そうは思えど足を動かせぬのは事実。少しでも動かせば、たちまちのうちにバランスを崩してしまうだろう。そうなればされるがままに吹き飛ばされるしかない。
 ――――此処まで来てッ!
 後退する訳にはいかない。後退すれば、きっともう戻ってこれない。此処に戻って来る事は叶わない。それは予想ではなく確信だった。
 木霊する憎悪。
 襲い来る怨嗟
 それらに負ける様では絶対に辿り着けない――――ッ!

「……邪魔を」

 歯を食いしばる。
 奥歯が砕けんばかりに噛み締める。

「……邪魔を」

 足を踏みしめる。
 親指の爪が割れんばかりに力を込める。

「……邪魔を」

 眼を見開く。
 突風が、砂埃が、破片が眼を叩こうとも見開く。



「――――するなッ!!!」



 裂帛。
 そして一歩先を踏みしめる。
 確かな力で大地を踏みしめる。



 途端に。突風が止む。



 荒れ狂るうほどの怨嗟が止む。
 憎悪の咆哮が消え去る。
 拍子抜けのように、世界が静けさを取り戻す。
 そしてそんな士郎の眼前に。
 一本の剣が突き刺さっていた。

「これは……」

 剣。
 黄金の剣。
 この世界が霞むような、そんな眩い光を放つ剣。
 これは今までの朽ち果てた剣ではない。この世界の剣とは一線を画すものだ。そう思えるほどに、この剣は――いや、この世界が剣に不釣り合いだった。
 間違いない。士郎は一つの確信を得る。
 そしてその確信に従うように一歩踏みだし、



 ――――その剣に手をかける。











 目を覚ます。
 暗闇の部屋。
 カーテン越しの月明かりだけが灯火。
 どうやら目を覚ましたらしい。そう士郎は理解した。何も思い出せないが、それだけは理解した。

「ここは……」

 病室だろうか。医薬品特有の、形容し難い匂いが士郎の鼻をついていた。
 肺に溜まっていた空気を吐き出す。熱を逃がす様に、火照りを冷ます様に、吐き出す。
 そうして早鐘を打つ鼓動を落ち着かせたところで。
 ふと。自身の頬が濡れている事に士郎は気が付いた。

「……涙?」

 どうやら眠っている間に泣いていたらしい。水滴を拭う様に眼をこすり、

「……あれ?」

 こすったくらいでは止められない。
 それはそうだ。現在進行形で涙は流れているのだから。
 幾ら拭っても収まらないのだから。



 暫く拭っていたが、やがてその手は止まる。拭う事を諦め、腕で視界を覆う。
 今も尚涙はとめどなく流れ続けている。何故だか分からないが涙が止まらなかった。



[39855] 2-2
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2018/08/03 00:14
 叢雲はここ数日不機嫌だった。
 それは彼女が未だにリハビリ中の身であり、艦娘として働くことが一切出来ていない為だった。
 無論、聡明な彼女は自分の身の損傷具合については理解していたし、そう簡単に実戦復帰が出来るはずもない事は分かっていた。帰還してたかだかひと月の間に、艦娘として完全回復などできるはずがない事も分かっていた。
 だがそれでも。彼女は回復したかった。実戦復帰は無理でも、一日でも早くリハビリの身から脱したいと思っていた。
 何故か?
 それは心配する阿呆がいるから。
 自分の身を二の次にして心配する阿呆がいるから。
 だから回復したかった。阿呆が目覚める前に、リハビリの身を脱したかった。
 
「ま、もうちょっとね」
 
 既に叢雲は一人で歩けるくらいには回復していた。全体的に筋量は落ちたし、動きの一つ一つも鈍いが、それでも驚異的とも言える回復である。明後日には仲間たちに手伝ってもらって海上戦闘訓練を行う予定である。それは回復に時間が掛かるという大方の予想を覆す結果であった。
 無論、プライドの高い彼女がこの程度の成果に満足するかと言えば否なのだが。
 
「入るわよ」
 
 早朝。マルロクマルマル。東館3階。医務室。
 ノックは3回。返事を待たずに扉を開ける。それは随分と横暴な行為である。が、叢雲からすれば返事の有無など分かり切っている事だ。希望的観測は持たない。それは希望を裏切り続けられた故の思考だった。
 だが結論から言えば、それは過信である。
 
「……ッ!?」
 
 扉を開いた矢先。
 パクパクと。無様に口を開閉する。言葉にし難い衝撃が叢雲を襲っていた。
 
「叢雲……」
 
 聞き覚えのある声だった。何度も聞いた声だった。そして待ち望んでいた声だった。
 状況の把握がまだ出来ていないのか、当の本人は呆けた顔だった。今まで見たことのない年相応の、或いはどこか幼さを感じる表情だった。
 
「……目」
 
 そして。
 混乱の極みにありつつも。全てを理解した叢雲は、万感の思いを込めて口を開いた。
 
 
 
「目が覚めたんなら連絡しなさいよこの馬鹿ぁっ!!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■ 艦これ×Fate ■
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「はっはっは、そいつは理不尽な目に合ったな、士郎」
「笑い事じゃないぞ……」
 
 マルロクフタマル。医務室。
 つい20分前の顛末を聞いた木曾は思わず笑った。何せ叢雲からの全体連絡で士郎が目覚めたと聞き駆け付けた木曾たちが見たのは、困った様子で視線を彷徨わせている士郎と、そんな士郎に背を向けて蹲っている叢雲の姿である。士郎の目覚めを喜ぶよりも現状の困惑の方が勝ってしまったのは無理のない事であった。
 
「……醜態を晒したわ。忘れなさい、今すぐ」
 
 漸くココロが落ち着いたのか。苦虫を噛み潰したような顔で叢雲は口を開いた。中々に理不尽な要求を課す辺り、本人からすれば相当な醜態だったのだろう。よくよく見ればまだ顔に赤みが差しているのが分かる。
 ニヨニヨと。その様子を目敏く見つけ、望月は隠しきれない笑みを浮かべながら口を開いた。
 
「いやー、叢雲も役得だねぇ。お兄さんのハジメテに居合わせるなんて」
「……どういう意味よ」
「どうもなにも、そのまんまの意味だよ」
 
 揶揄う様に。でもそれは嘘偽りのない言葉。出来るなら自分でありたかったと言う本心。
 望月の言葉の意味を理解し、叢雲は思わず顔を背けた。また顔が赤くなったのは傍から見ても良く分かった。
 
「でも本当に目覚めてよかったです。あれからひと月以上経過したんですよ」
 
 緩んだ空気を締め直す様に三日月は言葉を発した。
 あれからとは帰還したあの日から。
 ひと月。
 もしかしたら二度と目覚めないかもしれない。そんな絶望を抱くには充分すぎる時間。
 
「ごめん、迷惑をかけた」
「……馬鹿言うな。誰が迷惑なんて思うか」
 
 士郎の言葉を木曾は一蹴した。謝罪など必要ない。される覚えもない。それは木曾だけでなく、全員が思っている事だった。
 
「それより体調の方はどうだ。外傷なら全部治療済みだが」
「ずっと眠っていたせいか身体が重いかな。腕は平気そう。足の方は、歩けるかどうかまだ試していない」
 
 ポンポン、と。士郎は右手で左腕を軽く叩いた。ヌ級に確かに折られた筈の左腕だが、動かすのに支障は無かった。
 
「そうか。横須賀程じゃないが此処も医療設備は整っている。支障が少しでもあるような言ってくれ」
「ああ。ありがとう」
「おそらくだが今日は検査で一日潰れるだろう。支障は正直に言えよ」
「分かってるさ」
「どーだか。お兄さんの場合、結構な割合で我慢しそうだし」
「望月の言うとおりね」
 
 くすくすと笑い声が生まれる。少しだけ重くなった空気がすぐに弛緩した。
 
「本当なら今日一日付きっ切りでいたいところだが、色々と仕事があってな。多分次に会えるのは夕方頃だな」
「その時には満潮と磯波も来れるわ。間宮印の甘味も持ってきてあげるから、楽しみにしてなさい」
「2人は出かけているのか?」
「警備の一員として沿岸部に出ている。確か夕方までの勤務だった筈だ」
「戦力は何処も足りないからね。私たちみたいな戦争帰りは重宝されている、ってわけ」
「そうか。もう活動しているんだな」
「本音を言えば休みたいけどねー」
「もっち」
 
 呆れた様に戒める様に。三日月が言葉を吐く。
 冗談冗談。態度を崩す事無く、ひらひらと手を振りながら望月は舌を出した。
 
「金剛さんたちは?」
 
 何気なく。そう、何気なく。
 士郎は疑問を発した。
 意図するものは何も無く、姿が見えないから言葉にしただけの事。
 だが。だがその一言で。
 その一言で皆の雰囲気に陰りが生じたのを敏感に察知して。
 誰もが言葉を発するよりも早く。
 士郎は一つの事実を理解をした。
 
「……やっぱり、いない、のか」
「……ああ。まだ戦い続けている」
 
 ヘタな嘘は意味を為さない。
 隠す事無く木曾は告げた。彼女たちは戦い続けている。あの海域に留まっている、と。
 
「仇を取る。そう言っていた」
「……そうか」
「……言っておくけど、アンタが気にすることじゃないわ。誰が何と言おうと3人は留まるつもりだった。それだけよ」
 
 誰にも譲れない一線がある。それこそ命を賭してでも譲れない一線が。
 叢雲の言う通り、それだけの話なのだ。
 
「ああ、そうそう。その件なんだけど、お兄さんには悪いけど飛行場姫を沈めたのは金剛さんたちって事にしているから。それで話を合わせて。お願い」
「衛宮さんの不思議な能力で沈めたなんて言ったら、多分大騒ぎなります。申し訳ないんですが、もっちの言う通りに話を合わせて下さい」
 
 望月にしては珍しく、慌てた様子で言葉を発した。同調するように三日月も懇願をする。
 
「あ、ああ。俺は別に構わないけど……」
「絶対、だよ。あと、無暗に他の人の前で使わないでね。実験体になりたくなかったら」
「実験体?」
「あの技術を解明する為に、ほぼ100%実験動物として監禁される、って事」
 
 剣の生成、及び射出。何れも他の技術では解明不可能なものだ。
 存在を知れば、誰もが究明に乗り出すだろう。
 
「あと衛宮さんは記憶喪失で話を通しています。それも忘れないで下さい」
「まぁそこは普通に対応すれば平気じゃないかな。実際どうやって渡航してきたかとかお兄さん覚えていないでしょ」
「ああ」
 
 目覚めはあの孤島の砂浜。どうやって来たのか、何故来たのかは、今も尚思い出せない。
 
「余計な事は言わず、余計な事はせず。そしたら無事に帰れるだろうから」
「そう言う事だ。一気に色々と言ったが、一先ずは今の事を守ってくれ」
 
 パンパン、と。木曾は自身の掌を打ち合わせた。話しを締める合図だ。
 
「そろそろ検査をしに担当医が来るだろうから席を外すぞ。また夕方頃に来る」
「ああ。すまない、ありがとう」
「だから謝る必要は無いっての」
 
 パン、と。最後に。
 互いの掌を打ち合わせる。木曾から順に、望月、三日月、叢雲と。
 そのどれもが温かく力強かった。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 検査と言っても、それほど仰々しいものでは無かった。
 眠っている間に多くの測定は済まされていた。ならば簡単な五感の検査と問診。言わば一般的な健康診断で診る内容を行っただけで終わった。採血や心電図は翌日行うらしいが、それにしてもひと月も眠っていたわりには随分と簡素な検査である。
 後は何故鉄底海峡に居たのかとか、どうやって向かったのかとか、出身地や家族構成と言った生活環境を問われたくらいである。そこらは望月の忠告を踏まえた上で、嘘偽りなく答えた。
 とは言え。そんなわけで。
 イチヨンマルマル。
 衛宮士郎は何もやる事無く元の医務室に戻っていていた。
 
「リハビリは明後日からか……」
 
 ベッドに寝転がり言葉を零す。勝手にリハビリを行わない事、と士郎は注意を受けていた。何せ想像以上に身体の動きが鈍かったのだ。一番初めだけとは言え、一人で立って歩くことが儘ならなかった事を思えば、担当医の判断は当然のものであった。
 ひと月もの間動かしていなければ、何であれ動きは落ちる。物だって、人だって、それは同じだ。しかし物はすぐにリカバリーが効くが、人体はそうはいかない。
 
「……細くなったな」
 
 全体的に筋肉の量が落ちている。自らの左腕を見ながら、そう士郎は思った。記憶の腕よりも細くなったのが分かってしまっていた。
 思えば日課の筋トレは全くと言っていいほど行っていない。そんな暇は一切無かった。そしてひと月の昏睡。
 一般的に、一日筋トレを休むとリカバリーには三日必要とされている。ならば元通りの筋力を得るまでには、単純計算で三カ月以上の期間が必要という事になる。
 だが士郎の場合は、筋肉を全く動かしていなかった。
 ならば三カ月程度で完全回復するとは思えない。
 
「……?」
 
 左腕をそのまま、掌を天井に向けて翳す様に上げる。手の甲が士郎の映る様に上げる。
 何かが足りない。
 直感的に士郎はそんな事を思った。指は親指から小指まで全てある、欠けているわけでは無い。歪な形状になっているわけでもない。何なら傷らしい傷も見当たらない。綺麗なくらいだ。
 なのに。
 何故かそんな事を思った。
 
 
 
 ――――コンコンコンコン
 
 
 
 
「はい」
 
 思考を切り裂くようにノックの音が響く。返事をしながら士郎は思った。木曾たちが来たのだろうか。だが夕方と言う時間帯には早すぎる。では担当医だろうか。
 しかし入ってきた人物は士郎の予想にかすりもしなかった。
 
「失礼します」
 
 見たことない女性だった。
 まず士郎はそう思った。一切記憶に無い人だった。
 茶色のセミロング。クリーム色の制服。外見年齢は木曾と同じくらいだろうか。優し気に微笑む目元が印象的な女性だ。
 
「初めまして。大井と申します。球磨型の4番艦で艦種は重雷装巡洋艦になります」
 
 女性は大井、と言うらしい。それも重雷装巡洋艦と言う、木曾たちとは違う全くの新しい艦種である。
 
「初めまして。衛宮士郎です」
「妹から話を伺っております。この度は妹が大変お世話になりました」
 
 助けて頂きありがとうございます。そう言って彼女は開幕早々深々と頭を下げた。だが士郎からすれば全くされる覚えのない感謝だった。
 慌てて言葉を重ねる。
 
「頭を上げて下さい、俺は別に何も……」
「楽しそうに妹は貴方の事を話していました。戦争と言う地獄に長期間晒されながら、それでも自我を保って帰還した。感謝してもしきれません」
 
 そう言って大井は魅惑的にほほ笑んだ。淑女と言う言葉が似合うような微笑みだった。
 
「本日は急にお伺いし申し訳ございません。また日を改めてお礼をさせて下さい」
「は、はい……いや、待ってくれ。別に、俺は――――」
「私がしたいのです。……それでは」
 
 最後に。優し気な言葉で、しかし有無を言わさぬような圧力で。無理矢理に会話を打ち切り、大井は部屋を後にした。ものの数十秒の、しかし過ぎ去った事とするにはあまりにも鮮烈な時間。
 士郎は思った。
 淑女って言葉が人間になったらあんな感じなんだろうな。
 もう一つ思った。
 彼女に逆らってはいけない。逆らったらきっと100倍返し。
 何故だかわからないが、そう思った。
 そして最後に疑問を一つ。
 
「……で、大井さんって誰の姉なんだ?」
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
「ああ、大井は木曾の姉だな。茶色のセミロングで、淑女っぽくて、クリーム色の制服だろう?」
 
 ヒトロクマルマル。
 士郎の話を聞いた泣き黒子と物憂げな雰囲気が特徴的な担当医――黛梢子――は合点が言ったように掌を打ち合わせた。昼下がりの訪問者についてだった。
 
「球磨型の4番艦、大井。早い話が球磨型の四女さ」
「四女? てことは木曾の上には他に3人もいるんですか?」
「ええ、その通り」
 
 意外な事実である。聞いていないのだから知らないのは当たり前だが。
 
「球磨型は全部で5隻、とりわけ3番艦の北上と4番艦の大井は有名だよ。たった2隻しかいない重雷装巡洋艦だからね」
 
 驚きが顔に出ていたのだろう。助け舟を出す様に説明をくれる。
 が、士郎が驚いているのはそこではない。
 
「……ああ、そうか。衛宮君は一般人だから意外に思うだろうが、姉妹艦って多いんだよ。なんなら君と共に帰還した磯波と叢雲も姉妹艦だし、望月と三日月も姉妹艦だ」
「望月と三日月は何となくわかるけど、磯波と叢雲も?」
「ええ。まぁそこらへんは艦種の図鑑を見れば解決する内容だ。図書室にでも行ってみるといい」
 
 もう驚かない。驚くことが多すぎて逆に士郎は冷静になった。
 そりゃそうだ。士郎は思った。艦娘が過去の戦艦や駆逐艦をモチーフにしているのなら、姉妹が多い事は驚く事ではない。
 
「明日のリハビリ終わりにでも行ってみます。でも、図書室って入れるんですか?」
「多分大丈夫。場所はA棟の2階。すぐそばに資料室があるけど、そちらは立ち入り禁止だから間違える事のないように」
 
 まぁ、多分そんな体力無いと思うけど、最後にチクリと言葉を投げつけられる。明日のリハビリの苛烈さを予想させる一言だった。
 
「検査の時にも言ったけど今日は安静にするように。食事は持ってくるから部屋から出ないようにね」
「はい」
「君が無理をするタイプなのは怪我の具合を見れば分かる。手術は成功しているけど、直積したダメージはそう簡単に消えるわけでは無いからね。そこのところを理解するように」
 
 どんな力を加えれば内部から壊れるのか。独り言なのか疑念を口にしているのか分からない言葉を零し、梢子は立ち上がった。そして鞄からプラスチック製の容器を取り出す。
 
「尿瓶を置いておくよ。カテーテルは外してるから、我慢できなくなったらなるべく此方を使って」
「トイレに行くのは……」
「足が縺れて倒れたりでもしたら一大事だろう。一応おむつを付けてはいるが、量によっては吸収しきれないし、尿瓶を使ってほしい」
 
 理詰めで諭される。
 分かってはいる。分かってはいるのだ。
 ただ分かってはいても受け入れ難いものと言うのはある訳で。
 
「……分かりました。ありがとうございます」
 
 この場で意地を張る事に意味は無い。士郎は素直にお礼を言って話を打ち切った。排泄に関しては一旦保留とするしかなかった。
 
「では私は戻るが、何かあればこちらのボタンを押してコールするように。すぐに向かう」
「はい」
 
 忙しい身なのだろう。必要事項だけを伝えると梢子は足早に部屋を出て行こうとする。
 だがドアノブに手をかけようとしたところで、それより早くに扉が開いた。
 
「おや」
「……梢子?」
 
 顔見知りなのだろう。士郎のいる位置からでは誰が来たのか見えないが、下の名前で呼ばれている。だが聞こえた声は木曾たちのものでは無かった。
 
「衛宮君に用か? 一応彼は絶対安静なのだが」
「確認事項があるの。何なら貴女も同席して」
「……不穏だね。成程、居た方が良さそうだ」
 
 溜息もそこそこに梢子は一歩扉から引く。
 入ってきたのはスーツ姿の女性。黒色のロングヘアーと涼やかな目元が特徴的だ。
 彼女は真っすぐに士郎の元へと来ると、懐から名刺を取り出した。
 
「初めまして。紅林つづらと申します」
「衛宮士郎です」
 
 受け取った名刺には、『佐世保鎮守府管理課 紅林つづら』、としか書いてなかった。不自然なまでに余計な情報を排した名刺だった。
 
「申し訳ないですが確認したい点があります。貴方の為でもあるので、嘘偽りなく正直に答えて下さい」
「構いませんが……鉄底海峡の事なら俺よりも――」
「いえ、そちらではなく貴方自身についてです」
 
 コホン。咳払いをしてつづらはノートパソコンを取り出す。そしてその画面を士郎へと向けた。
 デスクトップには士郎のプロフィールが表示されていた。
 名前、住所、家族構成、職業、通っている高校名……etc.,etc。
 その全ては検査後に問われて答えた内容である。嘘偽りのない正しい情報だ。
 
「このプロフィールに間違いはない、宜しいですか?」
「え、ええ」
 
 そうですか。そう言って静かにつづらは息を吐き出した。そして考え込むように、自身の眉間を揉み込む。
 一方で士郎は。言葉に出来ない不安を覚えていた。喉がへばりつき唾が上手く呑み込めない。心臓が早鐘を打っているのが分かった。何を切り出されるか皆目見当がつかない筈なのに、酷く嫌な予感しかしなかった。
 
「単刀直入に申し上げます」
 
 
 
「冬木市という街は存在しません」
 
 



[39855] 2-3
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2018/08/03 00:00
『衛宮さんのプロフィールについては、木曾と望月の両艦から既に聞いておりました』
『その情報を元に、このひと月の間に可能な限り調べました』
『ですが、冬木市という名前は47都道府県のどこにもありません』
『穂群原学園と言う高校も同じく見つかりませんでした』
『柳洞寺、海浜公園、新都等の主な施設も調べましたが同様です』
『過去に大火災があった地域も調べてみましたが、何れも該当はしません』
『他に情報があれば教えてください。目覚めたばかりで申し訳ございませんが、一つでも多くの情報を私たちは必要としています』
『……ええ、そうね。申し訳ございません。急な話でした』
『もう一度情報を整理し探してみます。何かしら思い出したら私でも、黛でも、或いは艦娘の面々でも良いのでお伝え下さい。あと、こちらが私の連絡先になります』
『藤、ねぇ? ……藤村大河。貴方の後継人ですね』
 
 
 
『その、現時点では――――』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■ 艦これ×Fate ■
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「衛宮さん、大丈夫ですか?」
 
 ヒトハチマルマル。病室。
 磯波から声を掛けられ、士郎は意識を現実へと戻した。心配そうに自分を見ている彼女と目が合った。
 
「疲れているんですか? 調子がよろしくなさそうですが……」
「ここ数日ずっと、心ここに在らず、って感じね。どうしたのよ?」
 
 少し離れた場所で、同じように満潮が心配気に声を発した。どうやら相当に長い間考え込んでいたらしかった。
 何でもないよ。心配をかけまいと士郎は慌てて優しい言葉を選ぶ。だがそれは悪手だ。
 
「その面を見て納得するのがいたら、そいつは相当なお気楽者よ」
 
 直訳すると、嘘つくな馬鹿、である。満潮らしい遠慮の無さであった。
 彼女は士郎の元へ寄ると、その額に掌を付けた。
 
「……熱は多分無し。……リハビリによる疲労かしら?」
「オーバーワーク、ってことですか?」
「多分ね。梢子さんからは結構ハードなリハビリを行う、って聞いているし」
「衛宮さん……目覚めてまだ5日しか経過していないんですよ。お願いですから無理はしないで下さい」
 
 諭す様に、懇願するように。磯波は士郎の反応の悪さをリハビリによる疲労と思い込んだらしく、オーバーワークを止める様に説得を始める。とは言え士郎が考え込んでいた原因は別にある。だがそれを言葉にするのは躊躇われるので、勘違いしてくれている現状はそのままにしておくべきだろう。
 尤も士郎自身はハードなリハビリを行っているつもりは無いので、磯波の言葉に曖昧な相槌を打つことしかできないのだが。
 
「良いですか、絶対ですよ! 治りかけが危ないんですっ! 叢雲ちゃんもそれで復帰が遅れているんですからっ!」
 
 士郎の曖昧な相槌に業を煮やしたのか。磯波の言葉に熱が帯び、身体を乗り出して説得にかかる。
 ちなみに叢雲だが、彼女は現在自室にて安静にしている。予定を前倒しして海上演習に臨んだはいいが、全く期待通りに動くことが出来なかった、と言うのは士郎が聞いていた話である。だが磯波の発言を見るにもっと事態は深刻らしい。
 
「気合が空回りして実力を発揮できなかっただけよ。本人はえらく傷ついたみたいだけどね」
 
 別に怪我をしたわけじゃないわ、予定通りになっただけ。満潮が助け舟を出してくれる。
 
「そう言う事です。良いですか、衛宮さん。絶対に無理はしてはダメです」
「わ、分かった。無理はしないよ」
「本当ですね? 約束ですよ?」
「ああ、約束だ」
「じゃ、じゃあ指切りしましょう!」
 
 そう言って磯波は小指を出してきた。何故に指切り、と疑問に思わなかったわけでは無いが、勢いに呑まれて士郎も小指を出す。互いの小指が絡み合い温もりが伝わる。自身のとは違う柔らかで温かな指に一瞬呑まれかけたのは秘密である。……何に、と訊くのは野暮というものだ。
 兎にも角にも、
 
「い、いきますよっ!」
 
 何故だか気合を入れる様に磯波は力強く声を上げた。呼応するように彼女の小指に力が入り、士郎の指を逃がさぬ様にと強く引っ張られる。
 そんな磯波の後ろで。満潮が呆れ顔で溜息を吐いているのが見えた。
 
「ゆ、ゆーびきーりげんまん」
 
 うそついたらはりせんぼんのーます。
 ゆーびきった。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 マルイチサンマル。もうすぐ草木も眠る丑三つ時。
 静かなものだ。夜の海を眺めながら士郎はそう思った。寄せては返す波の音が、己の意識を優しく撫でる。
 夜間の外出は禁じられているので、病室前の廊下から士郎は海を眺めていた。暗い海の上を時折人工の光が動いている。おそらくは夜間警備に従事している艦娘だろう。一つだったり、二つだったり、自然にはあり得ない不規則な動きを見せている。だが敵を見つけたというわけではなさそうだ。巡回ルートか何かなのだろう。
 一歩後ろへと士郎は下がった。外の景色が非常灯の灯りに呑まれ、士郎の姿を窓ガラスに仄かに浮かび上がらせる。周囲の暗さもあるが、そこには生気の見えない死人のような顔が映っていた。
 
「酷い顔だな……」
 
 自嘲するように呟く。これでは皆が心配する訳だ、と士郎は思った。それくらい酷い顔だった。
 目覚めてから今日で5日。心配されない日は無かった。最初は眼が覚めたばかりだからだと思っていたが、それは大きな勘違いである。この顔を見れば誰もが心配する。
 しっかりしろよ、衛宮士郎。
 気合を入れる様に己の胸を叩く。だがそう簡単に切り替えられれば苦労はしない。窓に映っている己の顔は変わらず死人の様だった。
 
『冬木市という街は存在しません』
 
 つづらに言われた言葉が脳裏に蘇る。今日に至るまで士郎を捉えて離さない言葉だ。
 冬木市。士郎が生まれ育った街。気のおけない友人たちが居て、手の離れ始めた妹代わりがいて、反対に未だに手のかかる姉代わりがいる、そんな大切な人たちが住んでいる街。士郎の故郷。
 それが無くなった。
 突然消えた。
 
「……そんな馬鹿な話があるかよ」
 
 思わず士郎は壁を叩いた。物に当たるなど士郎らしくない行為である。が、それだけやりきれない思いを抱いている故の行為だった。
 そうとも。
 自分の住んでいた街が存在しないなんて。それは士郎の経歴を否定する他ならない。衛宮士郎としての存在を否定する他ならない。
 ――――記憶が混乱している可能性もある。
 そう、梢子は言っていた。だがそれが気休め程度でしかない事は明らかだ。何の解決にもならない事は明らかなのだ。
 士郎は強く息を吐き出すと、そのまま壁に背を預けてずるずると沈んだ。そして自身の視界を隠す様に右手で覆った。
 
「何が起きたんだよ……」
 
 思い返せば不自然な事ばかりだ。
 直近の記憶を失くした状態で孤島で目覚めた。それも普段着の姿で。散歩に出る様な軽装で。自宅の鍵しか所持物が無い状態で。深海棲艦が蔓延る危険海域の第一線で、だ。
 この時点で充分過ぎる程の異常だ。
 だが記憶を思い出そうとすると痛む頭に、時折響く得体のしれない声。経験したことが無いはずの記憶。不気味なほどに洗練された魔術行使。
 何かを忘れている事は明白だ。
 そして何故か思い出そうとすることを拒んでいる事も明白だ。
 異常事態。
 経験の無い異常事態。
 
「……っ」
 
 疑問は膨れ上がる。逃げ場はない。ただただ膨れ上がり続ける。不安を糧に膨れ上がり続ける。
 相談もできない。誰にも言えない。言葉にしたところで妄言でしかない。
 自分が自分でなくなる。衛宮士郎が衛宮士郎ではなくなる。記憶と言う自身を構成する拠り所が崩れていく。これでは外見だけ似せて全く別のもので構成された人形と同じだ。
 
「――――ッ!」
 
 噛み殺す。叫び出したくなるのを、泣き出したくなるのを、勢いのままにぶちまけようとするところを寸でのところで噛み殺す。代わりに自身の腕を強くかんだ。くぐもった獣の呻き声のようなものが漏れた。
 
 
 
「――――アンタ、何しているのよ」
 
 
 
 時が止まる。衛宮士郎の時が止まる。
 突然の第三者の声にしかし士郎の身体は硬直をした。震えも止まったが、代わりに視線しか動かせない。
 
「何してんのよ、って聞いているのよ」
 
 そんな士郎の構うことなく。
 声の主は士郎の眼前へと位置を動かした。非常灯がその体躯を仄かに照らし出す。
 
「まったく、様子が変だから念のために見に来たけど……どうやら正解だったみたいね」
 
 呆れたように、だけど少し安心したように。
 声の主は言葉と息を吐き出した。
 
「何、で……」
「心配だったからよ」
 
 何てことも無いように、彼女はそう言った。口角を釣り上げ、士郎の疑問を一笑に付した。
 
「磯波に言わなくて正解だったわ。あの子が知ったら余計に面倒になるもの」
 
 黄土色の髪。
 小柄な体躯。
 意志の強そうな眼。
 士郎が3番目に出会った艦娘。
 
「満潮……?」
「ええ、そうよ。ほら、立ちなさい。外行くわよ」
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
「夜の散歩も悪くは無いわね。偶にはいいかも」
 
 夜の鎮守府を歩く。満潮を先頭に、ゆっくりと歩く。
 鎮守府自体は消灯しているが、月が明るい為歩くことに困りはしない。ましてや夜目に慣れた今なら尚更だ。
 ある程度建物から離れた芝生に到着すると、満潮はそのまま地面に座った。そして促す様に隣を叩いた。
 
「病み上がりなんだから早く座りなさいよ」
「あ、ああ」
 
 主導権を握られっぱなしのまま士郎は満潮の隣に座った。疑問は多数あるのだが、現状に意識が追いついていない。自分が何をすべきか分かっていないので、頷くくらいしかできなかった。
 
「はい、水」
「あ、ありがとう」
 
 ペットボトルを受け取る。天然水の名を冠している有名なアレ。言わば何の変哲もない水である。
 とりあえず受け取ったからには一口分を口に含んだ。やはり何の変哲もない水である。
 
「あー、満潮さん?」
「……何?」
「その、どういった御用件で……?」
 
 何故にさん付けなのか。そして若干敬語なのか。
 その言葉を聞いて。満潮が呆れた顔をしているのは士郎には暗がりでも容易に想像がついた。というか想像でも何でもなく目の前で実際に呆れている。今すぐにでも盛大に溜息を吐き出しそうだった。
 
「……とりあえずアンタが愚鈍だって事がよく分かったわ」
 
 中々に棘のある言葉である。今の一言だけで並の人間ならハートがブロークンするだろう。
 
「あんな醜態を晒しといて、よくとぼけられるわね。確信犯だとしたら主演男優賞ものよ」
「……やっぱり、見てたのか」
「まぁね。アンタがズルズルと腰を下ろしたあたりからかしら」
 
 漸く現実に追いつく……と言うよりは無理矢理に現実に追いつかされた。
 どうやら満潮は士郎の醜態を見ていたらしい。それも大分最初の方からである。
 
「で、何があったのよ」
 
 余計な探りは必要ない。
 単刀直入に満潮は士郎の内側へと切り込んできた。彼女らしい遠慮の無い言葉だった。
 
「……夢見が」
「嘘」
 
 見破られる。一言めすら言い終わらぬ内の断言だった。
 満潮の双眸が士郎に向けられている。嘘は許さぬと言わんばかりに眇められていた。
 
「磯波なら騙せているけど、同じ手が通用すると思っているなら大間違いよ」
「……」
「話したくないなら別に良いけど、木曾さんや望月はきっと私より敏いわよ」
 
 つまりは、後になればもっと辛くなる。言葉の裏に含まれた意味を正しく士郎は受け取った。
 木曾と望月は飛行場姫の報告の為、三日前に横須賀へと向かった。だが明日には帰って来る。
 今の内に吐露しとかねば、明日にはもっとひどい状態で2人を出迎えなければならなくなる。暗に満潮はそう言っているのだ。
 
「……満潮は、さ」
「……」
「もしも……記憶に混乱があるって言われたら……その、どうする?」
 
 もしも、と前置きしているがそれは前置きになっていない。今士郎が抱いている悩みを指しているのは明白だ。
 満潮は士郎から視線を外すと、考え込むように己の顎を擦った。
 
「そうね……まずは記憶の整合をとる為に周りに確認するわ。まずはそれからね」
「……自分の記憶が間違っていたらどうする?」
「本当に私が間違っているなら認めるわよ。でも、皆が間違っていたらその限りではないわ」
 
 満潮らしい言葉だ。そう士郎は思った。ぶれることのない一本の芯を彼女は持っている。
 
「と言うか、アンタが抱いているのはそんな簡単な話ではないでしょ」
 
 そして敏い。彼女は的確に士郎の心の内を当てる。今の問いが話の序章でしかない事を理解しているのだ。
 
「吐き出しなさい。何なら一夜限りの夢って事で忘れてあげるわ」
 
 もう彼女は士郎を見ていない。その眼は遠く水平線の先を見ていた。方角は南南東。波の音と時折吹き抜ける風の音だけが士郎の耳に届いた。
 
 
 
「住んでいたはずの街が無くなったんだ」
 
 
 
 どれくらい時間が経ったのかは分からない。1秒かもしれないし、1分間しれないし1時間だったかもしれない。
 だが口は開いた。そして出したら言葉は止まらない。
 
「見つからない、って言われた。日本のどこにもないらしい。知っている筈の場所も、建物も、人も、みんな無くなった」
「……」
「記憶が混乱しているかもしれない。そう黛さんは言っていた。けど、俺は混乱しているとは思っていない。確かにあったんだよ。……だけど、自分で調べても本当になかった」
 
 冬木市と言う街があった。
 大火災と言う災害があった。
 一人だけ生き延びた記憶がった。
 衛宮切嗣と言う人物に助けられた記憶がった。
 彼の養子になった記憶があった。
 藤村大河と言う大切な人に出会った。
 間桐信二と言う友人に出会った。
 間桐桜と言う妹代わりに出会った。
 柳洞一成と言う友人に出会った。
 美綴綾子と言う友人に出会った。
 あの日まで確かにあった――――いや、あるはずの記憶なのだ。今までも、これからも。絶対に不変である筈の記憶。
 それが突然無くなった。
 全てが無くなっていた。
 
「分からないんだよ、何もかも。でも俺がおかしいとは思えない。絶対にあったんだ。絶対に――――」
 
 ぶちまけていた。全部全部ぶちまけていた。心の内を。誰にも言えないと思っていた事を。口を通して、言葉にして、声に出して、全てを外へと吐き出した。まるで火にくべるように止まらなかった。
 だがそれは木曾にも、望月にも、叢雲にも、磯波にも、三日月にも、叢雲にも、誰にも言っていなかった事だ。
 何故ならば。士郎は皆に余計な心配をさせまいと振る舞わなければならないと考えていたからであり。そして口に出せば現実として認識しなければならないと言う恐れからによるものだった。
 
「俺が何てあそこで目覚めたのか、どうやってあそこにいたのかもわからない。何かを忘れている筈なのに、何も思い出せないんだ……」
 
 崩れていく。そう士郎は思った。口に出したことで、第三者に聞かせたことで、一層その思いは強くなった。無い、と言う現実が強く士郎にのしかかっていた。
 空白の記憶を思い出せば、何かが変わるかもしれない。説明がつくかもしれない。納得はいかなくても理由は分かるかもしれない。
 だが今はその切欠が見つからない。
 最後の最後まで吐き出し切ったところで、力なく士郎は頭を垂れた。
 
「……全部出し切った?」
「ああ……」
「そう……なら――――」
 
 首に腕を回される。優しく、しかし強引に体勢を崩されると、そのまま柔らかいものに包まれた。
 
「じっとして。私の心臓の音に合わせなさい」
 
 頭上から声がする。耳を打つ己以外の鼓動。衣服越しに感じる温もり。
 
「私が金剛さんの特訓を受けていた時にね、やりきれなくて自暴自棄になった事があるのよ。そんな時には強引に抱きしめられたわ」
 
 恥ずかしいけど効くでしょ?
 そう言って満潮は笑った。
 言葉の通り、突然の事に頭は混乱しているが鼓動は落ち着き始めていた。
 
「……アンタの気持ちは分からなくも無いわ。尤も私の場合、立場はアンタとは違うけどね」
 
 覚えているかしら。磯波が記憶を失くした話の事を。
 落ち着いた語調で満潮が問いかける。鉄底海峡に居た時に聞いた話だ。
 
「あの時は金剛さんは引き篭るし、磯波は記憶を失くすしで気が狂いそうだったわ」
 
 正しいのは自分しかいない。頼れる者は誰もいない。張りつめていた神経を引き千切れるくらいに引っ張ってなければ正気を保てなかった。
 
「幸いにすぐに荒潮たちが来たおかげで他の事に意識を向けることは出来たわ。でも、不安で仕方が無かった」
 
 誰が悪いわけでは無い。様々な要因が重なって生じた出来事だ。だからその事に不満を言う意味は無いし、言うつもりもない。
 だが一つの事実として。
 満潮は知っている。自分一人しか正しい者がいない辛さを知っている。
 
「だから、アンタの気持ちは分からなくも無い。でも、今のアンタには支えてくれる子がいるでしょ」
 
 もっと頼りなさい。諭す様にあやす様に、そう満潮は言った。落ち着かせるように優しく後頭部を撫でられる。
 
「安心なさい。何があっても、私たちはアンタの――衛宮士郎の味方よ」
 
 落ち着く声だった。
 落ち着く鼓動だった。
 落ち着く温もりだった。
 目頭が熱くなる。今の己の悩みを吐露し、そして受け止められたことに対する安心故だった。
 衛宮士郎は決して一人ではない。改めて気づかされたその事実に、零れそうになる想いを必死に堪える。それは男としての最後の矜持であった。
 
「……ありがとう、満潮」
「どういたしまして」
 
 満潮の手を離れ、気恥ずかしさを隠す様に士郎は空を見上げる。その東の空が若干白んでいた。大分長い事外に居らしかった。
 
「もうすぐ朝、ね」
「……ああ」
 
 威風堂々。その言葉が似合うような様相で。士郎の先に満潮がいる。士郎と同色の黄金色のその双眸が、士郎をしっかりと捉えていた。
 彼女の右手が士郎に向けて伸ばされる。
 
「さぁ、戻るわよ。士郎」
 
 



[39855] 2-4
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2019/04/16 00:42
「今日の事は秘密よ。まぁ、アンタがそう簡単に口外するとは思わないけど」
「ああ。……その、ありがとう」
「気にする事は無いわ。それよりもあの情けない顔を出さない様尽力する事ね」
「……そんな酷かったか」
「当たり前でしょ。じゃ、私は戻るわ。朝は磯波が行くだろうから、夕方に顔を出すわ」
「ああ」
「じゃあね。……ああ、そうそう。数日前に大井さんが訪れた、って言っていたわよね」
「ああ、そうだけど……?」
「そう……じゃあ、一つだけ」



「大井さんには気を付けなさい。アンタの立ち位置は、あくまでも『巻き込まれた一般人』よ」










■ 艦これ×Fate ■










 衛宮士郎が目覚めて一週間。
 彼の佐世保鎮守府での一日は、ほぼ同じことの繰り返しだ。
 起床、食事、リハビリ、睡眠。後は空き時間に磯波たちの近況報告を聞いたり、梢子やつづらに手伝ってもらいながら記憶の無い状況を打破しようと試みたり、散歩したり図書室に行ったり。
 何にせよ。ここで目覚めてからの変化と言えば、木曾と望月がいないくらいである。

「木曾さんたち、まだ帰れないみたいです。本部にカンヅメ状態だって嘆いていました」

 しゃりしゃりしゃり。器用にリンゴの皮を剥きながら、そう磯波は言った。曲面に沿って途切れることなく皮が蜷局を巻いていく。

「飛行場姫が沈んだのが立証されれば戻ってこれるみたいです」
「本部に行ってから5日か、てことはまだ戻ってこれそうにないかな」
「情報自体はひと月前に帰還した時点で報告しているんですけど、上の人たちもちゃんとした証明が欲しいみたいですね」

 確かな証明が欲しいと言う気持ちは分からなくも無いが、それが可能かと言えば難しいだろう。沈んだ証拠を持って帰って来れた訳では無いのだ。
 あの最後の記憶では。
 確かに手応えを得た。
 だが確かにそうだと言い切れるか、と問われれば言葉に詰まる。

「……そう言えば、何で木曾と望月だけが呼び出されたんだ?」
「お2人の練度が高かったからですね」
「練度?」

 聞いた事の無い言葉だ。士郎の表情を見て察したのか磯波が説明を加える。

「練度と言うのは、艦娘の実力値です。手合わせって言う模擬訓練をする事で計測をしています。産まれたての子を1として、最大値で99になります。限界突破をするとこの限りではないようですけどね」
「数値で本人の実力を管理しているって事か」
「そう言う事です。確か木曾さんは45で望月ちゃんが37……だったかな。とにかく私たちの中では木曾さんと望月ちゃんが2トップです」
「そっか……磯波や他の皆は?」
「私は32で、満潮ちゃんが36、三日月ちゃんは14で、叢雲ちゃんが……確か23って言っていました」
「叢雲と三日月は皆と開きがあるんだな」
「叢雲ちゃんは到着した時点から大破状態で動けませんでしたし、三日月ちゃんは私たちよりも鉄底海峡に居た期間が短いですからね」

 そうは言ってもこれだけ練度が上がる事は滅多にない事なんですよ。そう言って磯波は笑った。だがその言葉は裏を返せば、それだけ苛烈で凄惨な戦場に居たからこその成果である。笑顔も士郎を心配させまいとして無理矢理作ったものであることは容易に分かった。

「練度に応じて、任務内容も変わります。私くらいだと警備や遠征が主になりますね」
「練度で任務も変わるのか」
「はい。やっぱり高練度の方は敵主力艦隊との戦闘が多いです。この鎮守府で言うなら、日向さんや大井さんが該当するかと。お2人とも60を超えていますから」
「大井さんは会ったことあるな。木曾のお姉さんだっけ」

 茶色のセミロング。クリーム色の制服。優し気な目元と、相反するような気迫。
 5分にも満たない出会いではあったが、印象深さから思い出すことは容易であった。
 ……そう言えば満潮は言っていた。大井には気を付けろと。
 あの意味を未だ士郎は理解できていない。

「あ、そう言えば会ったことがあるって言っていましたね。実は大井さんって、薄葉艦隊のエースなんですよ」

 ほら、これ見て下さい。
 そう言って磯波は、手に持っているスマホを士郎に見せた。
 士郎が見やすいようにと、わざわざ身を乗り出してくる。



『大井さんには気を付けて下さい』



「っ!?」
「あ、やっぱり大欠伸中の大井さんは意外でしたか?」

 言葉と内容が合っていない。どこにも欠伸中の大井の写真なんて無い。
 あるのは文字。
 白抜きの背景に浮かび上がる、先日満潮に言われたのと同じ言葉。

「ほら、これとか見て下さい」

『大井さんの上の方が衛宮さんの素性を疑っています』

「こっちはすごい凛々しいでしょう?」

『この部屋も盗聴されています。先日見つけました』

「やっぱり高練度となると皆の模範とならなきゃいけませんからね」

『疑われる理由は不明ですが、何であれ衛宮さんは巻き込まれた一般人です。それを肝に銘じて下さい』

 予め打ち込んで画像として保存していたのだろう。
 磯波のフリックに合わせて、文字だけが変わる。
 そのどれもが士郎への注意喚起。それも大井が信用ならないだけではなく、士郎自身も気づいていなかった、盗聴と言う事実のおまけつきだ。
 士郎の驚きを他所に、磯波は一人で言葉を並べ続けている。……士郎の理解までの時間を稼いでいるのは明白だ。

「私も大井さんみたくなれるよう、頑張らないといけません……って、衛宮さん聞いていますか?」
「あ、ああ。聞いている」
「あ、そうだ! もしも大井さんとお話しする機会とかあったら、是非とも呼んでください! 私もお話したいことがいっぱいあるので!」
「ああ……」

 士郎の顔色を見て、言いたい事が伝わった事を認識したのだろう。磯波は念押しをして士郎から離れた。

「大井さんと話したい、って子は他にもいるんです。木曾さんにアポを取ろうとする子もいるんですよ」
「……人気なんだな。分かった。大井さんの日程にもよるけど、時間を取ってくれそうだったら連絡するよ」
「お願いします! 絶対ですよ、衛宮さん!」

 役者だ。そう士郎は思った。
 言葉は弾んでおり、焦りは見られない。傍から聞いている分にはとても注意喚起をしているようには聞こえない。
 だがその眼は真剣そのもので。
 彼女が嘘や酔狂ではなく、本当に今の現状が士郎の考えている以上にマズイ事を教えてくれた。











 注意されてから気付くのでは何ともお粗末としか言いようが無いが、気付かないままでいるよりはよっぽどマシである。
 激戦区に居た記憶喪失の日系人。それが他人から見た士郎の評だ。
 他国、或いは深海棲艦側のスパイとでも思われているのだろうか。
 ……心外ではあるが、今の士郎に証明できる手立ては無い。



「……心此処に在らず、って感じね」

 日課のリハビリ。衰えた筋力を取り戻すその最中。
 士郎の様子を見て、叢雲の呆れ混じりの言葉を吐いた。

「そんな様子でトレーニングしていたら怪我するわよ」
「……ごめん」
「重症ね。どうしたってのよ?」

 初日こそ梢子がリハビリについていたが、以降は叢雲が士郎のリハビリをついている。梢子自身が多忙の身である事と、見知った人物の方が精神的に良いだろうと言う配慮からであった。
 叢雲は不思議そうに首を傾げると、士郎の傍に座った。悩みがあるなら聞くわよ。話が長くなることを見越した上での行動だった。

「……夢見が悪かったんだ」
「夢見?」
「ああ、鉄底海峡での夢を見たんだ」

 嘘をついたにしてはそれなりに良く出来た方だろう。
 士郎の住んでいた街が存在してない事を知っているのは、あの海にいた面々の中では満潮だけだ。
 士郎が疑われているのを知っているのは、満潮と磯波だけだ。
 疑われている件については2人以外にも知っているかもしれないが、他の艦娘のいる場所で口に出せる内容ではない。
 なら、此処では真実は口に出来なかった。

「どんな内容だったの?」
「……深海棲艦に襲われていた。必死で泳いで逃げようとしたけど、追い付かれて、そこで目が覚めた」
「アンタがあそこにいたのと関係あるのかしら?」
「……かもしれない」

 鉄底海峡にいた理由。何をどうしてあそこで目覚めたのか。何が自分の身にあったのか。
 今口にしたのは嘘だが、思い出すきかっけが欲しいのは事実だ。それはきっと、士郎の記憶と現状の齟齬を埋める一つになり得る。

「ま、無い物強請りしても仕方が無いわ。先ずはリハビリをして……早く帰れるようにする事ね」
「……ああ」
「家族とは連絡取れたの?」

 家族。その言葉に姉代わりの顔が浮かぶ。
 血の繋がりこそ無いが、士郎の大切な人。
 つづらの冷酷な宣告が脳裏に蘇り、心音が僅かに乱れるが、無理矢理押さえつける。

「……いや、まだだ」
「まだ? あー、守秘義務のせいかしら」
「守秘義務?」
「そう。私たち、機密扱いだから」

 機密扱い。初めて聞く言葉ではない、そう言えばそんな事を望月が言っていたような覚えがある。

「機密扱いって言っても、公の存在か否かってわけじゃないわよ。技術的な話」
「技術……」
「そ。アンタは理由が何であれ私たちと寝食を共にしたからね。守秘義務は課せられると思うわ」

 艦娘の技術についてなんて士郎は全く知らないが、艦娘について何も知らないかと言えば違う。
 彼女たちが人と同じである事を知っている。
 彼女たちが人とは異なる事を知っている。
 その事を口外しないための契約があるであろうことくらい、少し考えれば分かる事だ。

「アンタはまだ暫く家族と話せないかもしれないけど、家族はアンタが保護されている事は知っているでしょうね」
「そうか」
「そうかって……軽いわね」
「いや……守秘義務って事は帰った後も監視をされるのかって思って」
「まぁされるでしょうね。でもそれは、アンタの身を護る為でもあるわ」
「俺の身を?」

 士郎は叢雲の言葉に首を傾げる。何故護られるのかが理解出来なかったからだ。
 その様相を見て、これ見よがしに叢雲は溜息を吐いた。

「言ったでしょ。私たちは機密扱い。アンタは私たちと行動を共にしていた」
「あ、ああ」
「つまり、他者から見たら艦娘を知っている存在なのよ。実際にどーかは置いておいて」
「あ、そう言う事か」

 士郎は艦娘を知っている。ならばその情報を引き出す為に攫われる可能性はある。他国のスパイ、人知れず兵器の開発に勤しむ裏の人間、或いは深海棲艦……陸の上も脅威で溢れている。

「本当はアンタもどっか鎮守府で働くのが一番だけど……アンタは平和な場所で生活しているのがお似合いよ。だからアンタは安心してリハビリに従事する事ね」

 まぁ、回復お化けのアンタならすぐよ。
 そう言って叢雲は笑った。
 少しだけ寂しそうな笑い方だった。











 士郎の日課の一つに、図書室での勉強がある。
 主に調べるのはかつての艦種とその特徴。そして今日至るまでの歴史。
 前者は艦娘を良く知る為。後者はこの世界と士郎の知る世界の齟齬を把握するためだ。

 そう。世界。

 常識ではない。記憶ではない。歴史でもない。
 世界。
 そう言って差し支えないほどに、士郎の知る歴史は此処には無い。
 正確には、00年以降から異なっているのだ。
 突如として現れた深海棲艦。奪われた制海権。そして艦娘。
 この辺りがどうにもあやふやで正確さに欠けている。
 それはどの歴史書を紐解いても同じだ。



「淘汰された、ってよりは最初から無いのか?」

 歴史書を読みながら、士郎はそう言葉を零した。この図書室に保管されている歴史書は、今士郎が読んでいるので最後だ。じっくり内容を読んだわけでは無いが、この数日で粗方目は通し終わっている。
 決して此処は図書室として規模が大きいわけでは無いが、鎮守府と言う深海棲艦に対して一番の理解がある施設である。ならば此処で得られる情報が殆どと言う見方をすべきだ。
 もしも他に情報を求めるのならば、隣の資料室により詳しい情報がありそうだが……

「……流石に、なぁ」

 禁止されている部屋に立ち入るほど士郎は愚かではない。自身があくまでも一般人であり、今はどういう見方をされているかを知らないわけでは無いのだ。……余計な行動で首を絞めるわけにはいかない。
 読んでいた歴史書を閉じて、天井を仰ぐ。
 ままならない事ばかりである。

「すいません、貸し出しで」
「はい、勉強熱心ですねー」

 顔馴染みとなった司書と二言三言交わして図書室を出る。少し重い足取り。今こうしている間も、誰かに見られているのかもしれないと言う、精神的な呪縛。今日は部屋でジッとしていたい気分だった。

「きゃっ」
「っと」

 そんな事を考えながら歩いていたら、曲がり角で誰かとぶつかった。相手は相当なスピードを出していたらしく、衝撃で思わず士郎は尻もちをついた。

「痛たた……ご、ごめんなさいなのです!」
「こっちは大丈夫、そっちは――――」

 大丈夫か。そう問おうとして、士郎は言葉を失った。
 そこには少女が居た。
 やや濃い目の栗色の髪の毛。
 結われた長髪。
 小柄な体躯。
 金色の眼。
 幼さの残る顔立ち。
 そして白色が基調のセーラー服。
 その姿は。あの海域で一緒に居た少女と酷似していて、

「い、雷……?」

『初めまして。私の名前は雷。暁型の三番艦、駆逐艦の雷よ!』
 胸を張って朗々と挙げられた名前。浮かぶは世話焼きで、元気いっぱいの――あの姿。あの海域で分かれた、3人の内の1人。駆逐艦、雷。
 ――――違う。口に出してから気付く。よく似ているが、目の前の少女と雷は同一人物ではない。彼女とは少ししか会話していないが、それでも目の前の少女が違う人物であることは分かる。
 一方で少女は。ぶつかった事が衝撃的だったのか、驚いたように目を見開いていた。硬直すらしていた。

「ごめん、立てるか?」

 慌てて士郎は立ち上がると、目の前の少女に手を差し出した。幾らリハビリ中の身と言えど、少女を前に何時までも尻もちをついたままでいる程、呆けているわけにはいかない。
 だがその手に反応することなく、少女は驚いた表情のまま士郎を見上げていた。

「あなたは――――」
「ん?」
「あなたは雷ちゃんを……知っているのですか?」

 この時。
 もしも士郎に少しでも頭を働かせる余裕があれば。
 もしも少しでも相手の事を考えることが出来たのならば。
 もしも駆逐艦について少しでも学習していれば。
 もしももう少しばかり冷静だったなら。
 違う答えを出せたのかもしれない。違う対応が出来たのかもしれない。

「ああ」

 結論から言えば。士郎は反射的に頷いていた。焦燥と混乱から、一番簡単な回答を口にしていた。

「っ! あのっ!」

 少女は飛び跳ねる様にして立ち上がると、伸ばしたままの士郎の腕を掴んだ。そして先程とは異なり、切羽詰まった表情で士郎を見上げる。



「教えてください! 雷ちゃんは……雷ちゃんは無事ですか?」





[39855] 2-5
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2020/05/09 22:36
『電』
 
 暁型姉妹の末妹にして、最後の特型駆逐艦。
 駆逐艦として特別な長所があるわけではなく、能力は標準的。
 性格は優しく穏やかであり、あまり戦闘を好まない。
 
 ――――艦娘記録、『電』の項目より、一部抜粋
 
 
 
 
 
 こういう時。一体何を言えば良かったのだろう。
 士郎は1人で、答えのない疑問を自分にぶつける。
 あの少女は既にこの場に居ない。
 黙ったままの士郎を見て、察したのだろう。
 ごめんなさい。その一言だけを残して、彼女は消え去った。
 悲痛に塗れた表情が、全てを物語っていた。
 
 
 
「アンタが気にする事じゃないわ」
 
 消灯前の病室。
 元気の無い士郎から無理矢理話を聞き出して。
 事の顛末を把握した叢雲は、そう言った。
 
「電が勝手に期待した。それだけよ。それに完璧に応える義務はないわ」
 
 叢雲は良くも悪くもシビアだ。
 だが彼女の言う通りなのだろう、と士郎は思った。
 最適な答えを出し続けることは出来ない。
 あの場で何を言うのが電にとって良かったのか。
 それは多分――永遠に分からない事だ。
 
「電には私が話をしとくわ。アンタは余計な事に気を回し過ぎよ」
「……すまない」
 
 謝るんじゃないっての。呆れた様子で、叢雲はそう言った。
 
「アンタはまず、自分が満足に動けるようになることを第一に考えなさい。アンタが応えなきゃいけない期待は、あの娘じゃなくて私たちが先でしょうが」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■ 艦これ×Fate ■
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 空はからりと晴れども、気分はそれに追随しない。
 悩み事の多い今の士郎には、天気を楽しむ余裕すら無い。
 抜け落ちた記憶、否定された過去、リハビリ、監視、電……
 何の因果か、日を追うごとに悩みは増えていく一方だ。
 
 
 
 昼下がりの鎮守府。新設されたというバスケコート。コートには士郎と叢雲。
 だむだむだむ。
 士郎は久々に触るバスケットボールを弾ませ、感触を確かめていた。
 次いで、両手に持ち、構えて、投げる。
 フリースローラインから放たれたボールは、やや歪な放物線を描き、リングに当たって、あらぬ方向へ跳ね返った。
 
「へったくそ」
「病み上がりなんだ。勘弁してくれ」
 
 叢雲の容赦の無い一言に、ちょっとだけ心が傷つく。跳ねたボールを取りに行き、同じように繰り返す。今度は――多少危なっかし気だったが、入った。
 
「ないっしゅー」
 
 ぱちぱちぱち。叢雲の拍手。
 今士郎は、叢雲に連れられて、バスケのフリースローを行っている。屋内でリハビリしていても気が滅入るだけよ。そう言ってやや強引に叢雲のリハビリメニューに参加させられていた。
 指先の感覚、投げると言う動作、跳ぶという動作、踏み切る事への意識、明確なイメージトレーニング。
 一歩間違えれば怪我が再発しそうなものだが、艦娘はこれくらいでは再発しないらしい。……艦娘の常識を只の人間に適用するのはどうか、と士郎は思ったが、思うだけに留めた。口で言っても勝てない気がしたのと、士郎自身外に出たいとは思っていたからだ。
 
「どう?」
「意外とイイ感じだな。最初は不安だったけど、今は平気だ」
「そう。ま、無理はしちゃだめよ」
 
 士郎のリハビリと言えば、まずは筋量の回復が主だった。全身を使った運動は久々と言える。
 構えて、投げて、拾って、また構えて。
 そうやって10本も繰り返すと。意外なことに士郎は息も絶え絶えになっていた。
 
「ちょうど10本目ね。じゃ、交代よ」
「……ああ」
 
 ボールを叢雲に渡して士郎はベンチに腰を下ろした。存外キツイ運動である。
 一か月以上もロクに動いていないと、ここまで動けなくなるものか、と。自身の身でありながら、他人事のような感想を士郎は抱いた。
 視線の先では、叢雲がシュートを放った所だった。
 伸ばされた背、余すことなく乗せられた力、綺麗な放物線。
 ボールはリングに当たる事無く。パサッ、と。音だけを残して通過した。
 
「ふぅ、こんなモンよ」
 
 ぱちぱちぱち。どや顔で振り返る叢雲に拍手を送る。それに気分を良くしたのか、叢雲は続けざまにボールをリングに通した。
 パサッ、パサッ、パサッ。
 見事なものである。一度もリングに触れることなく、ボールはゴールを通り抜けて行った。
 
「アンタは腕の力だけで投げていたわ。もっと足に力を込めなさい」
「そうだったか?」
「ええ。こんな感じよ」
 
 ぴょーん。足を延ばし切ったままの状態で叢雲はジャンプし、ボールを放った。だがそれでも、前までと同じように綺麗な放物線を描いてボールは飛んだ。
 
「そこまでだったか?」
「ええ、間違いないわ。ずっと見ていたもの」
「そんな手投げだったか」
「くどいわね。そう言ってるでしょ」
 
 まぁ、叢雲がそう言っているなら……そうなのだろう。
 不承不承ではあるが、士郎は叢雲の言葉を信じる事にした。
 
「ま、あたしのフォーム通りにやれば問題無いわ。不安なら逐一修正してあげる」
「ああ、ありがとう」
「てことで、交代」
 
 叢雲は叢雲で、さっさと10本決めてボールを投げて寄越す。この程度の運動は彼女にとって朝飯前。士郎のリハビリの監視がメインなのだ。
 だむだむだむ。
 フリースローラインまで歩きながらドリブル。ボールの感触を今一度確かめ、構える。そして叢雲のアドバイスに従い、足に意識を割きながら跳び――――
 
「げっ」
 
 ゴィン。枠に当たって明後日の方向へボールが弾かれる。叢雲の溜息。慌てて士郎はボールを追いかけ、
 
 ガッ
 
「げっ」
「あっ!」
 
 あろうことか足を縺れさせ、そのまま士郎は地面に倒れ込んだ。運動機能は大分回復できたと思っていたが、瞬間的な動きにはまだ身体が付いてこないらしい。膝や腕をつく間も無かった。ずざっ、と。思いっきり打ちつける。
 溜息を吐きつつ、ゆっくりと士郎は身を起こした。日常生活を送れるくらいには回復できても、以前と同じ動きが出来る様になるまでには、まだ時間が必要だ。
 
「大丈夫!?」
「……ああ。平気」
「そう……ほら、手」
 
 差し出された手。好意を無下にするわけにもいかず、叢雲の手を握る。ゴツゴツとした自身の手とは違う、柔らかで、小さな手。
 とは言え、あくまでも握るだけで、立ち上がるのは自身の足。両足にだけ力を込め、なるべく心配をかけないように立ち上がる。初対面の時と同じような失態は繰り返さない。
 
「まだ回復には遠いわね」
「難しいもんだな」
「焦らずゆっくり、地道に頑張る事ね。急いでも仕方が無いわ」
「焦らず、か……」
 
 叢雲はそう言ってくれるが、士郎としてはすぐにでも回復したかった。山積みの問題を、一つでも早く減らしたかった。
 体調が良くなれば、監視付きとは言え外出できるようになるだろう。そしたら冬木市に出向いて、本当に記憶の光景が無いのか、その真偽を確かめることもできる。自分の足で、現実を見ることが出来る。
 つづらが言っている事を疑うつもりは無い。だが信じられないのも事実なのだ。
 
「……今日はここまでにしときましょうか。他の子も来た事だし」
 
 言われて見てみると、知らない女の子たちが来ていた。手には、先ほど士郎が明後日の方向へ飛ばしたボールを持っている。
 叢雲はテキパキと片づけを始めた。と言っても、水とタオルを持つだけ。それから士郎に手を貸して――――
 
 
 
「叢雲と……あ! 噂の一般人!?」
 
 
 
 予想外の反応に、思わず2人は顔を見合わせた。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 一体どういうことなのか。
 そんなの、知らないわよ。
 士郎とは叢雲は、互いに視線を合わせて意思疎通を図る。アイコンタクト。だがその行為は、この状況を改善すには足りない。
 
「叢雲! 何してんのじゃ! 動かんかぁ!」
「うるさい! こっちは病み上がりよ!」
「し、不知火ちゃん、お願い!」
「良いパス。感謝します」
 
 士郎は目の前で行われている艦娘たちの試合のスコアラーをしていた。目まぐるしく変わる攻防。外見からは想像もつかない激しい運動。小柄な彼女たちが自身の身長以上に跳躍して、ダンクを連発しているのを見ると、改めて艦娘とは普通の人間と違う事を思い知らされる。
 叢雲は数の埋め合わせで一緒に試合をさせられていた。だがまだ本調子では無い為、基本はパス回し。余裕があればシュートを放っている。ちなみに普通にシュートを放っても、他の艦娘が空中でカットしてしまうため、叢雲は殆ど得点を挙げられていない。艦娘同士のバスケは、基本ダンクの撃ち合いらしい。空中でのカットはルール違反? そんな細かいことを気にする人はここにはいない。
 
「っしゃこらどうじゃ!」
「ナイス!」
「チィ! 一本! 大切に行くよ!」
 
 過熱する試合展開。取られたら取り返す。超攻撃型の3on3。その光景を、士郎は無心で眺めていた。心は鉄、心は鉄。そう言い聞かせながら、スコアを取り続ける。
 身も蓋も無い事を言うと、士郎には刺激の強い光景が先ほどから目の前で繰り広げられている。
 もっと詳細に言えば、試合をしている内の何人かは、非常に発育が良いのだ。……どこが、までは言うまい。
 
「不知火!」
「任されまし、たっ!」
「うげぇ、また不知火かぁ……」
「不知火、8本目。スコアは32-26っと」
 
 不知火。桃色のセミロング。髪形はポニーテール。冷静さを思わせる空色の瞳。しかして相反して、先ほどから実に激しい運動を繰り返している。ちなみに一人で8ゴール決めているので、得点は16点だ。
 
「皐月!」
 
 皐月。金色の長髪。髪形はツインテール。髪と同色の金色の瞳。快活そうな少女だ。だがプレイは冷静で、全体を俯瞰してパスを回したり、逆にパスを受けられるように位置取りを変えている。4ゴールで8点。
 
「潮!」
 
 潮。黒色のロング。髪形はそのまま下ろした状態。黄色のかかった鈍色の眼。あまり運動は得意でないのか、積極的には動こうとしない。けど基本的な能力は流石艦娘で、皐月と同じく4ゴール8点決めている。あとでかい。何をとは言わないが。
 
 この3人がAチーム。
 
「甘い!」
「叢雲、ナイスカット!」
「浦風! あ、チィッ、ダメかっ!」
 
 浦風。青色の……髪形、あれ何て言うんだろう。士郎は分からない。それと同じように青色の眼。Bチームの得点の大半は彼女が叩き出している。10ゴール20点。それと彼女もデカい。何をとは言わないが。
 
「川内さん!」
「え? おお、やばっ。へいっ、ぱーす」
「返すなぁ!」
 
 川内。この中では唯一の軽巡洋艦。ただ夜勤明けらしく、眠いのか殆ど動いていない。今だってパスが来たと言うのに、速攻で叢雲に返している。0ゴール0点。完全な置物だ。
 彼女たちと叢雲がBチームだ。
 
「っ、もぉぉおおおお!!!」
 
 叢雲が切れて、ノーステップでボールをぶん投げた。ハーフラインよりも後ろからの投擲。流石に虚を突かれたのか、Aチームの反応は遅れる。体勢は滅茶苦茶なオーバースロー。しかして完璧なコントロールで、ボールはゴールに吸い込まれた。スリーポイントシュート。これで叢雲は3ゴール9得点。お見事。
 
「叢雲、3本目。スコアは32-29っと」
「ナイス叢雲!」
「川内さん、動いてっ!」
「えー、体力切れー。衛宮さん、代わりにどう?」
「いや……」
 
 誘われるも、今の士郎じゃ川内以上に戦力にならないだろう。シュートは愚か、パスもきっと回せない。
 
「じゃあ、衛宮さんの時だけシュート防がないとか」
「それでも止めとくよ。今は問題無くても、戻った後の梢子さんが怖い」
 
 幾ら士郎が回復が早い方とは言え、まだ無理をできる程に回復したわけじゃない。ここで試合に興じ、明日のリハビリに影響が出る様であれば、佐世保鎮守府からの外出が遠くなるのは明白だ。それは本意では無い。
 
「ちぇー」
「川内」
「分かってるって……」
 
 はぁ。盛大に溜息を吐くと、川内はコート外から出た。出て、士郎の隣に座る。
 
「ちょっと、きゅーけー」
「……休憩に賛成。私も疲れた」
「2:2だとあんまり面白くないし、ボクたちも休もっか」
 
 川内の休息を皮切りに、皆も運動の手を止めた。談笑したり、水分補給したり、寝そべったり……ぞろぞろと皆コート外に出て、思い思いに休息をとり始める。
 ゴロリと。横で寝そべっていた川内が口を開いた。
 
「衛宮さん、まだ動けないの?」
「俺? うん、まだだな」
「あとどれくらいかかりそう?」
「元通りに動くには、1年以上必要言われている」
 
 1年。そう、1年だ。寝ている間に骨折の治療は済んでいるが、運動機能の衰えは著しい。元通りに動けるようになるには、最低でも半年、余裕を見るなら1年が必要と言われている。
 常人ならば、だ。
 実際のところ、士郎は担当医の梢子が驚くレベルで回復している。若さとか、意志の力とか、佐世保鎮守府の医療技術が発達しているとか。そんな話では済まない。梢子からは、冗談交じりとは言え、研究したいと言われるくらいだ。
 
「1年かぁ、長いねぇ」
「……ああ、長い」
「普段は病室なんでしょ、暇じゃない?」
「いや、そうでもない。やることは見つけられるからな。暇ではないよ」
 
 リハビリの時間を抜いたとしても、記憶の整理や現状の把握で残りの時間は消える。そうでなくとも、叢雲だったり磯波だったりが、士郎の話し相手として結構な頻度で訪れる。以外にも、暇を感じる時間は無い。
 
「そういえば三日月がよく衛宮さんのトコ行ってるよね。アイツ、何か失礼なことしていない?」
「三日月? いや、大丈夫だけど……あ、皐月って、望月や三日月の姉妹艦か」
「お、その通りだよ! へへっ、よく知ってるね!」
 
 そこは日頃の勉強の賜物である。あの海域で一緒だった皆については、特に。
 皐月は自分を知られているのが嬉しいのか、満面の笑みを見せた。
 
「……アンタ、良く知っていたわね」
「図書館で本借りて勉強したからな」
「! へ、へぇ……まぁ、知識を付けるのは良い事ね、うん」
「勉強って……あ、もしかして……鎮守府で将来働こうと思っているとか、ですか?」
「おぉ、それはええのぉ。どこも人手が足らんけん、歓迎されると思うで」
「本当! うわぁ、三日月たち喜ぶと思うよ!」
 
 何も言っていないのだが勝手に話は進む。士郎としては働くために勉強をしていたわけでは無いのだが、今更それを否定するのも気が引けた。……実際、叢雲はどことなく嬉しそうである。
 
「衛宮さんって、まだ学生ですよね?」
「あ、ああ。まだそうだけど」
「ほほぅ、学生とな。ならええ機会じゃけぇ、提督を目指して見るのはどうじゃ?」
「馬鹿言うんじゃないわよ、提督になれるのは適正持ちか、大佐以上よ。そう簡単には成れないわ」
「叢雲は頭固いなぁ。イイじゃん、別に。そんなの」
「皐月に賛成じゃ。話すだけならええと思うがの」
「頭固いどうこうの話じゃ無いでしょ……」
 
 わいわいと話し合う少女たち。人の事で議論できる辺りに、彼女たちのお節介焼きな性分が見て取れる。
 
「もしも衛宮さんが提督になったら……なんか、すごく運命的ですね」
「あー、確かに! しかもこれで叢雲なんかを指揮したらすごい!」
「な、何を言っているのよ!」
「戦地で助けられた一般人が、助けてくれた艦娘を忘れられず、猛勉強の末に提督となる……」
「その上で、かつて自身を助けてくれた艦娘を指揮する……なんてなったら、凄い事だね!」
「そ、そんなの……」
「悪い気はせん、って顔じゃなぁ?」
「~っ、う・ら・か・ぜ?」
 
 ……士郎は聞いていない事にした。経験上、こう言ったことに不用意に口を出すと、とんでもないことになる。具体的には衛宮家の虎とか。だから士郎は、さり気なく物理的に距離を一歩だけ取る。後は流れ弾が来ない事を祈るばかりである。
 
「いやぁ、人気者ですねぇ」
「迷惑をおかけします」
 
 事の発端である川内、それと不知火は冷静そのものだ。4人の会話には入っていない。川内に至っては、ニヤニヤと楽しそうに士郎を見ていた。
 
「実際のところ、どう? 提督とか」
「どうって言われても……なんとも言い難いかな。提督って言う職業がよく分かって無いから」
「艦娘が活躍できるように、鎮守府を運用する。その最高責任者、と言ったところですね」
「一つの鎮守府には基本1人で、ウチとか横須賀みたいに大きなところは複数人いるって感じだね。で、さっき叢雲が言っていたみたいに、大佐以上か、もしくは適正持ちなら提督になる資格アリって感じだね」
「適正持ちは今のところ100%が提督になっていますね」
「適正持ち?」
「うん。えーとね……あ、そうだ。コレ、見える?」
 
 そう言って、川内は掌を上にして士郎に出す。だが士郎には意図が見えない。掌には何もない。何も見えない。……いや、空気が揺らいだ。何かいる?
 士郎は違和感に従って、スイッチを切り替えた。撃鉄を弾く。魔術回路に魔力が奔り、体内を循環する。
 見えたのは、人型を模した……空気の塊?
 
「……ふぅん。まだ見えないけど、感知はできるんだ」
 
 何かを言う前に、川内が口を開く。感知。彼女はまさに士郎の状態を言い当てていた。
 
「ね、何が見える?」
「何がって……空気の塊しか見えない」
 
 何をどう言うのが正解かは分からないが、川内は士郎の状況を把握している。取り繕うのは好ましくないだろうと士郎は判断して、見たままを口にした。
 空気の塊。
 もう少し正確に言えば、動いている様にも見えなくはない。
 
「……驚きました。提督以外の適正持ちがいたとは」
「いや、これだと見えてないのと同じだと思うが……」
「適性が無ければ、何も見えないよ。何より、この子が見られていると感じている」
「?」
「今は分かんなくてもいいよ。けど、すぐに分かる日が来るよ」
 
 意味深な言い方だ。士郎の疑問は解決せずに増えるばかり。だが彼女たちの中では何かが解決したらしい。
 じゃあね。そう言って川内と不知火はコートを後にする。後ろではまだ何かを話している4人。
 
 
 
 昼下がりの時間は。
 こうして緩やかに過ぎて行った。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 日中に抱いた疑問。
 川内はすぐに分かる日が来ると言っていたが。
 全く以って彼女の言う通り、その機会はすぐに訪れた。
 
「聞きました。適性があるかもしれないんですね」
 
 その日の夕方。
 部屋を訪れたのはいつもの皆ではなく、別の艦娘が3人。
 不知火。
 川内。
 そして――――
 
 
 
「どうでしょう。急で申し訳ございませんが……少し、お話をできませんか?」
 
 
 
 茶色のセミロングにクリーム色の制服。
 重雷装巡洋艦。球磨型の4番艦。
 そして、木曾の姉。



 ――――大井





[39855] 2-6
Name: くま◆130f149e ID:a5d3eb94
Date: 2020/07/19 22:22
 大井さんには気を付けなさい。アンタの立ち位置は、あくまでも『巻き込まれた一般人』よ。
 大井さんには気を付けて下さい。大井さんの上の方が衛宮さんの素性を疑っています。
 つい先日、満潮と磯波に言われた言葉。それが走馬燈の如く、士郎の脳裏を過った。
 2人とも大井が何かの目的――それも士郎からすれば良くない――をもって接してくるであろうことに警備を鳴らしていた。素性不明な上、記憶に混乱が見られる日系人。第三者としての目線で見れば、確かに怪しいと見られても仕方が無い。寧ろ大井、及びその上官以外が疑っていない事の方がおかしいと言えよう。



「――――いいですよ」



 2人の言葉を思い出したからこそ。表面上はにこやかに、士郎は言葉を紡いだ。
 別にやけくそになった訳でも、2人の忠告を無視したわけでもない。
 一般人という立ち位置でいるのなら、此処で言い淀んだり否定するのは以ての外と言えたからだ。










■ 艦これ×Fate ■










 場所を変えましょうか。
 にこやかな微笑みを張り付けたまま、大井はそう言った。士郎の返答は然程も気にしていない様子だった。
 無論、士郎からすれば断る理由がない。――――いや、断れる理由が無い、か。ともかく彼女たちの後を付いて行くしかない。
 そうして到着したのは――――

「……食堂?」

 士郎としては意外と言う他ない。まさかこんな開けた場所で、話し合いをするとは思っていなかったからだ。
 中には他にも人がいた。皆女性。おそらくは艦娘だろう。多種多様な服を着ているが、いずれも軍服というよりは学生服のようなものを着用している。理由は不明だが、それこそが艦娘の正装という事か。
 空いているスペースに座ると大井はメニューを広げた。

「お好きなものをどうぞ」
「太っ腹~! じゃあ私はこのカツサンドで。不知火は?」
「このウルトラスーパーデラックスジャンボパフェで」
「誰がアンタたちに奢るっていたのよ。衛宮さんだけよ」
「えー、いいじゃん。経費で落とせばああだだだだだだだだっ!?」

 笑顔でフザケタことを宣った川内を、無言にして神速のアイアンクローが襲った。大井。その細腕からは想像もできないような力が加えられているのだろう。あまりの激痛に川内は悲哀に満ちた声を上げる。周囲の面々は気にしない辺りに、このやり取りの頻度が伺える。たっぷり10秒間締め上げられた後、解放された川内は力なくテーブルに突っ伏した。

「す、すびばせんでした……」
「大井さん、不知火はお茶で結構です」
「あらそう? 衛宮さんは?」
「あ、いや、俺も結構です」

 序列をハッキリとみて、士郎は何とも言えなくなった。間違いなく大井さんがナンバーワン。澄ました顔をしているが、不知火の声は若干震えている。
 大井はメニューを閉じると、懐から券を取り出した。それを不知火に渡す。

「4人分お願い」
「ハッ!」

 それはそれは見事な返事だった。そしてきびきびとその場を後にする。大井は傍らで突っ伏したままの川内を軽く叩くと、一瞬だけ柔和な笑顔を崩した。気苦労が存分に見える、疲れ果てた顔だった。

「衛宮さん、調子はいかがですか?」
「えっと、悪くは無いです」
「それは良かったです。木曾も喜びますわ」
「大井、今更外面よくしようたったああだだだだだだだだごめんごめん!」
「衛宮さん、少しお待ち頂いて宜しいですか? ちょっと急用が」
「いやいや、待って! そのまま引き摺らないで! いや、ちょっ、ごめんってばぁ!」

 ずるずるずる。顔面を掴まれたまま引き摺られる川内。ドナドナ。悲痛に満ちた叫び声。
 2人が外に出たところで、不知火がアイスコーヒーを手に戻ってくる。いなくなった二人分の席を見て、一瞬呆けた顔を見せるが、すぐに事を察したのだろう。彼女は盆をテーブルの上に置くと、テキパキとアイスコーヒーを配置した。

「折檻ですね。すぐ戻ると思います」
「あ、ああ」
「気楽になさってください。大井さんがああするのは、今のところ川内さんと隼鷹さんだけです」

 川内以外にもあのアイアンクローを喰らう誰かがいるらしい。その事実に士郎は何とも言えない表情を浮かべてしまう。しかも不知火の口ぶりから察するに、割と頻度は高めという事か。

「改めて自己紹介をさせて下さい。陽炎型駆逐艦2番艦、不知火です。所属は佐世保鎮守府で、艦隊は薄葉艦隊となります。今日一緒にバスケをしていた浦風とは姉妹艦の仲になりますね。どうぞ宜しくお願いします」
「えっと、衛宮士郎です。冬木市出身の学生。宜しくお願いします」

 珍妙な自己紹介だなぁ。言ってから、そう士郎は思った。あまり士郎自身が多弁するタイプで無い事もあるが、そもそもの話、自己紹介とは初対面同士が行う所作である事が前提条件としてある。にも拘らず、現状はと言えば士郎の情報は少なからず出回っている。知られている相手に改めて自己紹介をすると言うのは、士郎にとっては珍妙な経験と言えた。

「先ほども申し上げましたが、気楽になさってください。適性があることへの説明ですので」
「適正って、昼に川内が見せてくれた奴の事か?」
「そうですね。早い話、妖精が見えるかどうかです」
「……ん?」
「妖精が見えるかどうかです」

 いや、言い直してほしいわけじゃないんだよなぁ。突拍子の無い言葉に、士郎は早速ついていけなくなる。妖精……妖精?

「オカルト的な話、とお思いでしょう。疑問は御尤もです。そもそもの話、私たちの存在すら解明できていないところが多いですから」
「あ、いや、ごめん。違うんだ」

 不知火の言葉に、すぐに士郎は首を振った。疑問に思ったのは事実だが、彼女たちの根幹を揺るがすような事を言いたいわけでは無いのだ。

「妖精って……普通に想像できるような妖精で良いのかな。小さくて、その、小人みたいな」
「だいたいソレをイメージして頂ければ充分です。……そうですね、これを」

 そう言って、不知火は肩に手を添え、何かをテーブルの上に運ぶ仕草を見せる。……なにも士郎には見えない。昼に見た空気の塊も、何も。

「どうです?」
「いや、何も見えない、かな……っ!?」

 言って、視線を不知火に戻そうとして。
 士郎は不知火の傍に置いてあるグラスのふちのところが僅かにぼやけて揺らいだのが見えた。昼に見たのと同じ、小人を模した空気の塊だ。

「失礼、カマを掛けました。……やはり、見えるんですね」

 シレっと。悪びれも無く不知火は言うと、空気の塊を摘まんで、今度こそ士郎の前に置いた。昼に見た時と変わらず、士郎にはそこにいる程度しか分からないが、忙しなく動いているように見える。

「見られているのが嬉しいみたいですね。普段、彼女たちは私たちにしか見えませんから」
「そう、なのか?」
「はい。艦娘であれば見えますが、鎮守府で働く大多数の方は、彼女たちを認識できません。適正持ちの提督も少数ですから。衛宮さんは鉄底海峡では彼女たちを見ませんでしたか?」

 言われて思い返してみるも、士郎の脳裏に浮かぶのは激動の日々だけだ。妖精の存在など知りもせず、何か彼女たちからアプローチがかけられた記憶もない。

「……あの時は見ていない。気づかなかっただけかもしれないけど」
「艦娘と妖精は切っても切れない関係にあります。多分、気付いていないだけで目にしていると思います」
「そう、か」
「一緒にいた皆さんに訊いてみてはどうでしょうか。長くお付き合いの艦娘は誰になりますか?」

 長い付き合い。それなら間違いなく木曾と望月である。

「木曾と望月だな。2人に助けられた」
「タイミングが悪いですね。2人ともまだ横須賀ですから……次に長いのは?」
「満潮と磯波だな。それから叢雲……と、三日月の順番だな」
「なるほど。では彼女たちの中で、最も話をされるのは誰ですか?」
「皆とはよく話すけど……リハビリに付き合ってもらっているから、叢雲が一番かな」
「叢雲ですか。……そう言えば、今日もご一緒に行動されていたみたいですね。彼女とは、鉄底海峡にいた時もよくご一緒だったのですか?」
「ああ。同じ怪我人だったからな」

 結局あの隠れ家の医務室は、士郎と叢雲がほとんど占有していた。リハビリで叢雲はちょくちょく外に出てはいたが、士郎に至ってはヌ級に叩きのめされて以降、殆どの時間をあそこで過ごしている。

「今日の会話を見るに、叢雲は貴方が提督となる事は想定していないようですが……叢雲たちとは、この後の事とかは話をされたりしてないのですか?」
「この後の話?」
「はい。怪我が治った後という意味です」

 怪我が治った後。……士郎にとって、どうするか決まっていない話だ。
 冬木市に戻ろうにも、そんな街は存在しないと言われた。無論、その言葉を全面的に信用する訳は無いが、仮に本当であれば、士郎は帰る家も待つ人もいないことになる。
 そうなれば、どうやって生活していくのか。
 今後の身の振り方については、避けては通れない案件である。

「……とりあえずは実家に戻ろうと思っている。それは、皆とも話をしているな」
「そう、ですか。……鎮守府で働く事はお考えになったりは?」
「働きたい、とは思うよ。将来的な話になるから、まだ確定的では無いけど」
「働くご意志はあるのですね。それは良かった」
「良かった?」
「はい。叢雲たちから話は聞いていると思いますが、衛宮さんは私たちに深く関わり過ぎていますから、確実に今後監視が付くでしょう。ならいっその事、一緒に働いてしまえば、衛宮さんの身を護る事も出来ます」
「監視の話は聞いている。鎮守府で働くことが出来れば、確かに不知火の言う通りベストか……」
「ですから、提督を目指して見るのは如何ですか?」

 また、提督だ。随分と推してくる、と士郎は思った。 

「提督ってのは、俺みたいなのがなれるのか? ……言ってて悲しくなるけど、そんなに俺は出来は良くないぞ」
「まぁ、始まりのところは努力してもらわねばなりません。ただ一度レールに乗ることが出来れば、衛宮さんは適正持ちですから、他の方よりも優位となると考えます」
「そう、か?」
「はい。適正持ち、激戦である鉄底海峡帰り、飛行場姫の討伐。これだけの要素が揃っていますから」

 不知火は何てことも無い様に言葉を発した、が、適正持ちは置いておいても、残りの二つは士郎の実力によってついてきた結果ではない。士郎は助けられた。それだけが事実だ。

「鉄底海峡から帰って来られたのも、飛行場姫を倒したのも、木曾たちのおかげだ。……俺は護られただけだ」
「衛宮さんの指揮は特になかったと?」
「指揮なんてしてないぞ。ほぼ寝てた」

 指揮できる程士郎は戦況を分かっていなかった。明確に何か指揮、或いは指示を出したと言えるのは、最後の飛行場姫との戦闘くらいだ。それすらも、どちらかといえば士郎の我を押し通しただけ。他者を動かして利を生み出せるほどの行為は行えていない。

「まぁ、指揮云々は今後実戦に伴い練度を挙げれば良い事ですし、そこまで悲観しなくても良いかと」
「……随分と評価してくれるんだな」

 士郎としては意外としか言いようが無い。何せ、士郎と不知火は初対面である。士郎の情報は出回っているが、それでもその内容は一般人の域を出ないはずだ。仮に適正持ちが有利に働くとしても、不知火一個人がそこまで士郎を評価する理由が分からない。
 不知火は一息つくように、アイスコーヒーを口にした。ストロー越しに黒い液体が飲み込まれていく。それから、彼女は少しだけ嬉しそうに表情を和らげた。

「満潮がですね、怒っていたんですよ」
「満潮?」
「はい。彼女は怒っていました。私を前に、衛宮さんの事で」
「……え?」
「それだけで、私は衛宮さんが評価に値すると考えています」

 話が読めない。全く読めずに士郎は混乱する。

「慕われてますね」

 少しだけ。不知火は悪戯っぽく笑った。凛然とした面持からはかけ離れた、年相応の少女としての笑みだった。











 その後も暫く不知火と士郎は話を続ける。
 鉄底海峡での生活。
 生まれ故郷の事。
 リハビリ生活。
 川内への愚痴。
 作戦への愚痴。
 川内への愚痴。

「すいません、大変お待たせいたしました」

 疲れ果てた表情で大井が戻って来たのは、それこそ30分以上は経過した後だった。川内はいない。彼女は席に着くなり、アイスコーヒーを一息で半分以上飲み干した。

「お疲れですね」
「チッ、人使いが荒いのよ、あの人」

 最早取り繕うつもりも無いらしく、大井は低く唸るような声で愚痴を吐く。それでもあの淑女的な様相はところどころ見え隠れする辺りに、育ちが良い事は想像に難くない。
 大きく息を吐くと、大井は改めて士郎へと向き直った。仮面の様に外行きの笑顔を張り付けており、士郎は思わず背筋を伸ばす。

「あら、ごめんなさい。私としたことが」
「大井さん、遅いですいや何でもありません」
「申し訳ございません、お呼びしたのに席を空けたままで」

 どうも大井はこのままで話を続けるつもりらしい。冷や汗を流す不知火。ここで話の腰を折っても意味が無いので、黙って士郎は大井の意に沿う事にした。沿わざるを得なかった。

「少しばかり野暮用がありまして。どうにも人使いの荒い方が多く、困りますわ」
「お疲れ様です」
「ところで、えーと……ああ、そうそう。適性があるかもしれないという話でしたね。不知火、話は――――」
「先ほど致しました」
「ありがとう。ところでだけど、話はどこまで?」
「提督の概要と、適性の発露のタイミング。それと、今後の監視についてはお話をしました」
「そう……助かるわ。殆ど話をしてもらったって事ね」

 大井は深々と息を吐き出した。それはただの吐息と言うには重々しく、溜息と言うには感情が無さすぎる。まるでPCが熱気を吐き出すかのような、恒例と化した吐息の吐き出し方だった。
 体内の熱を冷ますかのように、残ったアイスコーヒーを飲み干すと、すぐに2杯目に彼女は手を付けた。川内の分。そして今度はミルクとガムシロップを2個ずつぶち込み、よく混ぜる。

「甘いものが食べたいわ。不知火、さっき何が食べたいって言ってたっけ?」
「……う、ウルトラスーパーデラックスジャンボパフェ、ですね」
「じゃあそれをお願い。人数分ね」
「……良いのですか?」
「私の懐から出すんだから文句は言わせないわ」

 一転して目を輝かせる不知火。彼女は券を受け取ると、喜々とした足取りでカウンターへと向かった。
 大井はそんな彼女を見届けると、またも深々と息を吐き出す。そして士郎に視線を合わせると、にこりと柔和な微笑みを浮かべた。

「先ほどは騒がしくして申し訳ございません。あれでも、戦闘となると一流なんですけどね」
「はぁ……」
「どうやら話を聞く限り、昼にもあれとお話をされたとか。何か失礼な事を言ってはおりませんでしたか?」

 あれ、とは恐らく川内の事なのだろう。苦々しげな表情を浮かべる辺りに、彼女は大井にとってのトラブルメーカーなのが良く分かる。日常的に頭を悩ませているのは間違いない。……今日のやり取りを見る分には、そこまで問題があるようには見えないが。
 とりあえず今日の昼の印象のままを士郎は大井に伝えた。つまり、特に問題は無い。

「なら、いいのですが……」

 不承不承と言った体で、大井は引き下がった。信じていないのは明らかだ。余程川内は信用が無いのだろう。
 それにしても。士郎は思った。大井の眼差しは、つい最近に別の誰かで見たことがある。
 誰だっけか――――と考え、ノータイムで脳裏に叢雲や満潮の顔が浮かんだ。彼女たちの絶対零度の眼差しが浮かんだ。士郎の発言を全く信じていない時に向けられる眼差しだ。
 ああ、それと同じなのか。

「……兎も角、川内には衛宮さんに余計な気苦労を掛けない様キツク言っておきますので。もしも何かあるようでしたら、私か不知火に言ってもらえればと思います」

 何かちょっかいを掛けに行くことは彼女の中で確定事項らしい。幾ら何でもそんな事をするような人には士郎には見えないのだが、川内とは今日出会ったばかりなのだ。士郎の脆弱な印象で、川内について擁護する方が間違いと言えよう。……そもそも、士郎が何かを言う前に磯波や満潮が追い返しそうでもあるが。

「衛宮さんは携帯電話はお持ちですか?」
「いや、持っていない」
「では……こちらを。私直通の内線番号です。お部屋のお電話からかけていただければ、速攻で向かいますので」

 つまりは川内が来たら電話しろと。どんだけ信用が無いんだ、あの子は。

「出撃も今は落ち着いていますから、ご遠慮は無用です。訊きたいことがあればお答えもしますよ」
「えーと、じゃあ何かあれば連絡をさせて下さい」
「ええ。どうぞ宜しくお願いします」

 ずずっ。残りのアイスコーヒーを全て飲み干す。飲み干して、今までの笑顔とは違う、茶目っ気を多分に含んだ笑顔を大井は見せた。

「ところで、衛宮さん。甘いものはお好きですか?」
「あー、と。人並み程度には」
「それは良かったですわ」

 両手を掴み合わせ頬に添える様に傾ける。そして眼を煌かせる。視線は士郎の背後へ。

「さぁ、糖分補給と行きましょう」




 パフェを食べてる筈だ、と士郎はぼんやりと思った。それ以外に何を思えというのか。だが、筈だ、の言葉が付くように、状況そのものは異常であった。

 はぐはぐもぐもぐあむあむごっくん。

 目の前では大井と不知火が一心不乱にパフェを口に運んでいる。基本はアイスクリーム。トッピングのフルーツは缶詰系の色合いのオレンジとサクランボ。かけられているソースはチョコレート。たっぷりの生クリーム。底にはコーンフレーク。オーソドックスと言って差し支えあるまい。
 だが量と言うか、大きさが異常だ。
 どでかいラーメンどんぶりどころか、洗面台程度の大きさはあるであろう透明な器。ぎっしりと詰まったコーンフレーク。これでもかと乗せられたアイスクリーム。そのアイスクリームを覆っている生クリーム。申し訳程度に突き刺さっているフルーツ。これ食ったら糖尿病間違いなしの、明らかに完食させる気の無い下品なパフェ。
 それを大井と不知火は食べている。
 全く顔色を変えることなく食べている。
 何なら大井は半分以上食べ終えている。
 因みに士郎の目の前にも同サイズのパフェがある。
 全く量は減っていない。

「早く食べないと溶けますよ?」

 不知火の冷酷無情な言葉が士郎に投げかけられる。これを食べきれと言うのか。この風情のへったくれも無い下品な料理を食べきれと言うのか。この糖分と炭水化物を通常の百倍ぐらい増量させた糖尿病まっしぐらなワタシ胃のナカ大紅蓮氷輪丸みたいな料理を食べきれと言うのか。

 はぐはぐもぐもぐあむあむごっくん。

 食べてる。大井と不知火は食べている。気にせず食べ続けている。艦娘どうなってんの? と言うか気が付けばギャラリーがめっちゃいる。なんか「裏チャレンジメニューか」とか「チャレンジしている奴久しぶりに見た」とか「達成者っているの?」とか聞こえる。艦娘の中でも異常扱いらしい。
 士郎は再びスプーンで一口分すくって口の中に入れる。マズいわけじゃない。食べられないわけじゃない。だが甘い。甘すぎる。甘いのは嫌いじゃないが、ここまで甘いのは好きでもない。半分どころか4分の1も減っていないが、すでに士郎の手はぷるぷると震えてきた。

「ふぅ、御馳走様でした。偶には甘いものも良いですね」

 嘘だろ、おい。と、士郎は言いたい。士郎が呆然としている間に、余裕綽々の良い笑顔で食べ終えた大井。まだ15分しか経っていない。一昔前のフードファイターか。周囲がどよめく。とてもじゃないが、良い、なんて感想は士郎に出てこない。もうなんか見た目と匂いだけで胸やけしそうだ。これ以上食べられる気がしない。
 出されたものを食べきらないのは主義に反するが、士郎はスプーンを置いた。ギブアップ。熱いお茶が飲みたかった。この甘ったるい感覚を流したかった。

「衛宮さん、もういいのですか?」
「……ごめんなさい、食べきれません」

 がっくりと、肩どころか全身の力を抜いて士郎は敗北宣言を口にした。胃の中にはまだ全然空きがあるが、糖分が満腹中枢を刺激して満たしてしまっている。もう充分だった。入らないモノは入らない。

「そうですね、衛宮さんは艦娘じゃないから食べられませんよね。失念しておりました」
「持ち帰りって出来ます?」
「できますよ。じゃあ、後でお部屋にお届けしますね」
「……大井さん」
「不知火は食べきれるわよね。自分で食べたいって言ってたんだから」
「……はい」

 一瞬手が止まった不知火だったが。すぐに動きを再開する。だが眼は死んでいる。最初の時とは違って、もう完全な機械的な動きだ。味わう余裕も無く、ただ食べきる為だけの動き。何とか半分以上は食べているが、完食できるかは怪しいところか。
 士郎は誰かが持ってきてくれたお茶を口にする。甘さで麻痺気味の舌に心地が良い。が、上がり過ぎた血糖値を下げるには全然足りない。

「はいはい、見世物じゃないですよ。衛宮さん、もういいですか?」
「え、あ、うん。はい、もういっぱいいっぱいです」
「じゃあ、行きましょうか。不知火、あとお願いね」

 そう言って席を立つ大井。言われるがままに士郎も席を立つ。不知火は席を立たない。彼女はまだ無表情で食べている。ちょっと脂汗が浮いている。口の動きが遅くなり、頬がハムスターの如く膨れ始めている。限界が近いのは明らかだ。尚、器の中身は最後に見た時からあんまり減っていない。
 いいの?
 いいんです。
 疑問を含んだ眼差しは、大井の有無を言わさぬ笑顔が切って捨てた。それを肯定するかのように、不知火も強い眼差しで士郎を見て、こっくりと頷いた。ちなみに不知火の頬は相変わらず膨らんだまま。どうもしようもなく珍妙な絵面であった。











「もう少しだけ時間を頂いても良いですか? すぐ済みますので」
「はぁ、構いませんが」
「それは良かった。あと、そこまで畏まらなくて結構ですよ。木曾に話している通り、砕けた口調で構いません」

 食堂を出て、士郎は大井の後を追って長い廊下を歩く。既に斜陽は地平線の向こう側へ。窓の外は薄暗くなりつつある。空が暗闇に染まるのはもうすぐだ。
 思い出したかのように言葉を発した大井に、士郎は言い淀みをせずに頷いた。満潮たちの大井への疑念が過らなかったわけじゃないが、今更ここで断る訳にも行かない。

「どうぞ此方です」

 そう言って案内されたのは、

「え、入って良いんですか?」
「私が許します」

 笑顔の大井。
 だけど士郎は素直に頷けない。
 目の前の部屋。他の部屋よりも幾分か豪奢な造りの扉。
 その部屋には、銀色のプレートで部屋の名前が書かれている。
 『執務室』。
 意味するところの想像は付きにくいが、一般人が入っていい場所では無い事は分かる。

「いやいや、流石に俺が入るのは――――」
「他の人には聞かれたくない話が有ります」

 遮られ、被せられた言葉。有無を言わさぬ響き。大井は士郎に背を向けた体勢だが、見なくても分かる。きっと彼女は、あの柔和な笑顔を消し去っているのだろう。
 士郎は心音が上がった事を自覚した。忠告が現実となったか。しかして呼吸の一つでそれを無理矢理に抑え込んだ。この場での一番の悪手は、この空気に飲まれて無様を晒す事。瞬時にそこまでを理解し、士郎は虚勢を張る事を選ぶ。

「……一応聞くけど、俺じゃなきゃダメなのか」
「ごめんなさい。あとは衛宮さんだけなんです」

 あとは衛宮士郎だけ。
 つまり、他からは話を聞いている、という事か。
 与えられた時間は殆ど無い。
 だから士郎は。今の言葉だけで大凡の推測を立てる。

「鉄底海峡の事?」
「……」

 沈黙は肯定と同義だ。心の中で重々しい息を吐き。士郎は一歩を踏み出た。踏み出て、ドアノブに手をかける。

「入るよ」
「はい」

 今度は返事があった。だがそれは安堵を感じる様なものではない。
 士郎は一瞬だけ、本当に一瞬だけ躊躇ってから、目の前の扉をノックした。3回。返事は無い。返事は無いが、ドアを隔てた先の空間で、空気が動いたのは分かった。

「失礼します――――っ!?」

 返事は無いが、わざわざ待つつもりは無い。
 覚悟は決めた。
 だから扉を、少し強めの力で開けた。
 だが開いた先で。そこにいた人物たちに、士郎は顔を強張らせた。
 ――――満潮と磯波。

「なんで、アンタが……っ」

 それは相手も同じで。
 よく知る黄金色と黒色の瞳が困惑に揺れている。

「じゃあ、お話の続きを始めましょうか」

 混乱に飲み込まれた士郎たちとは相反して。
 うってかわってまた柔和な雰囲気を張り付けた大井が部屋の中心へと移動する。

「衛宮さん、どうぞおかけください。お茶出しますね」



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